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健康(その20)(「糖質制限」をがんばる人が結局やせないワケ やせたいなら糖質は量ではなく「質」に着目する、和田秀樹氏2題(70代が「老い」の分かれ道 その後の人生を救う習慣とは、70代で運転免許を決して返納してはいけない理由)) [生活]

健康については、3月2日に取上げた。今日は、(その20)(「糖質制限」をがんばる人が結局やせないワケ やせたいなら糖質は量ではなく「質」に着目する、和田秀樹氏2題(70代が「老い」の分かれ道 その後の人生を救う習慣とは、70代で運転免許を決して返納してはいけない理由))である。

先ずは、4月10日付け東洋経済オンラインが掲載した内科医・糖尿病内科医・漢方医の工藤 孝文氏による「「糖質制限」をがんばる人が結局やせないワケ やせたいなら糖質は量ではなく「質」に着目する」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/579471
・『あまいものは太る。コクがあって味が濃いものは太る。だから、「やせるためには、ガマン、ガマン」と遠ざける。ダイエットのよくある風景ですよね。でも、このガマンがなかなか続かない。「あ~たまには、あまいゼリーが食べたい」「生クリームたっぷりのパフェとか……」そんな思いで頭がいっぱいになり、「ちょっとだけなら」が重なり、結局リバウンド。 これ、意思が弱いからではなく、人間の脳の仕組みからして仕方がないことだと言うのは、これまで10万人のダイエットをサポートしてきた医師の工藤孝文氏。でもだからといって、あまいものをバクバク食べてもやせるわけがない。では、どうすれば、リバウンドせずにやせられるのか。同氏の著書『コクあま幸せダイエット』より一部抜粋・再構成してお届けします』、興味深そうだ。
・『リバウンドの原因は「あまいもの断ち」  食事制限をして頑張ってやせたけど、1年後リバウンドして、その努力が無駄になる。ダイエット頑張ろうと思ったけど、3日坊主で終わってしまった。これは、本当によく聞く話です。実際、クリニックに訪れる患者さんは、ほぼ全員がリバウンド経験者です。 リバウンドしてしまうのは、意思が弱いから。そう感じているからか、リバウンドしたことを告げる方はどこか申し訳なさそうな顔を浮かべていますが、「意思の弱さ」というよりも、あまいものを極端に制限しすぎて、脳内が「セロトニン不足」に陥ったことが原因となっているケースが非常に多いように感じています。 セロトニンは、分泌されると幸福感に包まれ、ストレスを和らげてくれる脳内物質で、別名「幸せホルモン」とも呼ばれています。 逆にセロトニンが足りなくなると、脳は不安でいっぱいになってしまいます。するとその不安からくるストレスを解消しようと「あまいもの」を欲して、セロトニンを補充しようとします。だからあまいものをガマンすればするほど、セロトニン不足になり、もっとあまいものが欲しくなってしまうのです。そしてあまいものをドカ食いしてしまうという現象が起きます。) 「あまいものをやめられない」この中毒症状にも似た症状は、あま味を感じると分泌される「β?エンドルフィン」というホルモンも関係しています。このホルモンは、分泌されると別の幸せホルモン・ドーパミンの約20倍も幸福感を得られるといいます。この多幸感が中毒性につながり、やめられないというわけです。 ここで逆転の発想です。やめられないということは=継続できるということにつながります。つまり、あまくてダイエット効果があるものを使ってダイエットをすれば、やり忘れや挫折が少なくなり、リバウンドしにくいダイエット法になるというわけです。 あまくてなおかつダイエット効果があるもの、それが今回「コクあま幸せダイエット」でおすすめしている新しい糖質、「フラクトオリゴ糖」です』、「セロトニンが足りなくなると、脳は不安でいっぱいになってしまいます。するとその不安からくるストレスを解消しようと「あまいもの」を欲して、セロトニンを補充しようとします。だからあまいものをガマンすればするほど、セロトニン不足になり、もっとあまいものが欲しくなってしまうのです。そしてあまいものをドカ食いしてしまうという現象が起きます。「あまいものをやめられない」この中毒症状にも似た症状は、あま味を感じると分泌される「β?エンドルフィン」というホルモンも関係。このホルモンは、分泌されると別の幸せホルモン・ドーパミンの約20倍も幸福感を得られる」、「セロトニン」や「「β?エンドルフィン」というホルモンも関係」、これではヤセ我慢しても勝負にならないようだ。
・『砂糖を「フラクトオリゴ糖」に置き換える  フラクトオリゴ糖は、サトウキビなどから作られた天然の甘味料です。いま、その機能が注目されて、スーパーやネットショップなどで購入できるようになってきました。「コクあま幸せダイエット」は、コーヒーなどの飲料、料理に、スイーツに、いつも使っている砂糖をこのフラクトオリゴ糖に置き換えるだけというとても簡単なもの。いつもは太るはずのあまいものが太りにくいダイエット食へと変身するのです。 フラクトオリゴ糖の天然由来の味質は、砂糖に近いさわやかなあまさ。砂糖と比べると、あまさは穏やかですが、後味のきれが砂糖にとても近いところが特徴です。いつもの味とあまり変わらないので、違和感を覚えず取り入れられるのではないでしょうか。 それでは、フラクトオリゴ糖はどのようなダイエット効果があるのでしょうか。 まず、フラクトオリゴ糖は太りにくい甘味料です。 単糖類がいくつも結合している構造のため、人の消化器官では、糖として、消化・吸収されずに大腸までたどりつきます。消化・吸収されにくいということは、カロリーとして蓄積されにくい=低カロリーということになります。そのカロリーは、砂糖の約半分ほど。大さじ1杯で18kcalほどです。また、糖として血液中に吸収されないということは、フラクトオリゴ糖自体で食後の血糖値があがりにくいということです。これが太る、太らないに大きくかかわってきます。食後の血糖値が急激に上昇すると、インスリンが大量に分泌されます。大量に分泌されたインスリンは、余分な糖を中性脂肪に変えてしまいます。 つまり、食後血糖値がほぼ上がらない糖質であるフラクトオリゴ糖は、太りにくい糖質といえるのです。) また、フラクトオリゴ糖は太りにくいというだけでなく、やせやすい体づくりにも寄与してくれます。やせやすい体になるためには、腸内にいるビフィズス菌や酪酸菌などの善玉菌を腸内で増やし元気に活動してもらうことが必要です。なぜなら、それらは体をやせやすくする「やせ菌」だからです。 善玉菌は「短鎖脂肪酸」を作り出します。「短鎖脂肪酸」は、脂肪細胞の蓄積をストップさせたり、脂肪の燃焼を助けたり、ダイエットにうれしい活躍をしてくれます。つまり、「短鎖脂肪酸」が腸内で生成されることによって、やせやすい体になるのです。 この「短鎖脂肪酸」を生み出すには善玉菌に大好物のエサを与えて元気に活動させ、エサを短鎖脂肪酸に変えるという、ある種の発酵を腸内で引き起こすことが大切です。この腸内での発酵を私は「内部発酵」と呼んでいます。 つまり、すでに体外で発酵されたヨーグルトなどの発酵食品、いうなれば「外部発酵」の食品を食べて善玉菌を増やすだけでなく、プラスして「内部発酵」に必要な食品を取り入れるのが、やせる体を作る黄金の方程式だと私は考えます。 そして、先ほどフラクトオリゴ糖は消化吸収されずに腸に届くといいましたが、腸に届いたフラクトオリゴ糖は、この内部発酵を引き起こす最高のエサになって短鎖脂肪酸を生み出し、やせやすい体になる助けをしてくれるのです』、「フラクトオリゴ糖は」、「人の消化器官では、糖として、消化・吸収されずに大腸までたどりつきます・・・そのカロリーは、砂糖の約半分ほど。大さじ1杯で18kcalほどです。また、糖として血液中に吸収されないということは、フラクトオリゴ糖自体で食後の血糖値があがりにくいということです」、「やせやすい体づくりにも寄与してくれます。やせやすい体になるためには、腸内にいるビフィズス菌や酪酸菌などの善玉菌を腸内で増やし元気に活動してもらうことが必要です・・・善玉菌は「短鎖脂肪酸」を作り出します。「短鎖脂肪酸」は、脂肪細胞の蓄積をストップさせたり、脂肪の燃焼を助けたり、ダイエットにうれしい活躍をしてくれます。つまり、「短鎖脂肪酸」が腸内で生成されることによって、やせやすい体になるのです」、「フラクトオリゴ糖は」いいことだらけの有難い成分のようだ。
・『「ダイエットの目的は糖質を減らすこと?  いま、「糖質制限」ダイエットに取り組むかたも多くいらっしゃいます。別にそれ自体を否定するつもりはありません。ですが、糖質、あまいものを悪者みたいに扱うのは、少し違うのではないかと思うのです。 そもそもダイエットの目的は何ですか? やせることで自分の容姿を好きになれたり、健康的な体になったり、幸せな人生を送ることが目的のはずです。糖質を減らすことが目的ではないですよね?糖質制限する間は、あまいものを食べる機会が減るわけですから、セロトニンはでにくく、幸福度はどうしても低くなります。でも、ダイエット中も限りある人生の貴重な時間は過ぎていきます。 だったら、ダイエット中もできる限り幸せな時間を過ごしたいじゃないですか。だからこそ、続けられる。ダイエットが続かなくて、リバウンドする危険性はぐっと下がるはずです。ぜひみなさまも、あまいもの=「糖質」を食べながらダイエットできるフラクトオリゴ糖を使った「コクあま幸せダイエット」を試してみてください』、早速、試してみたい。

次に、3月31日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した精神科医の和田秀樹氏による「70代が「老い」の分かれ道、その後の人生を救う習慣とは」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/298261
・『人生100年時代。現在の70代の日本人はかつての70代とは違います。若々しく、健康になった70代の10年間は、人生における「最後の活動期」とも言えます。70代の過ごし方が、その人がどう老いていくかを決めると言っても過言ではありません。要介護状態を遠ざけ、自立した80代以降の老いを迎えるためには、どう過ごせばいいしょうか。70代には、体力の低下、意欲の低下から始まる、さまざまなリスクがあると言います。前回に続き、精神科医の和田秀樹さんの『70歳が老化の分かれ道 若さを持続する人、一気に衰える人の違い』(詩想社新書)から抜粋します』、後期高齢者になった筆者にとっても、「70代の過ごし方が、その人がどう老いていくかを決めると言っても過言ではありません」、気持ちが引き締まった。
・『70代は老いと闘える最後のチャンス  長い老いの期間を健やかに過ごすためには、まず、脳の機能をいかに80代以降も保つかが重要です。あわせて、70代のときにもっている運動機能を、いかに長持ちさせるかということも大切になってきます。 カギとなるのが、70代の過ごし方です。70代前半までであれば、認知症や要介護となっている人は、まだ1割もいません。けがをしたり、大病を患ったりしていなければ、中高年時代のように、たいていのことはできるはずです。 この人生終盤の活動期に努力して過ごすことで、身体も脳も、若さを保つことができますし、その後、要介護となる時期を遅らせることも可能になるのです。元気な80代へとソフトランディングしていくためには、とても大切な時期と言えます』、「元気な80代へとソフトランディングしていくためには、とても大切な時期と言えます」、なるほど。
・『70代と80代では違う 老いを2つの時期で考える  ただ、みなさんにわかってほしいのは、私は一生、老いに抵抗したり、闘い続けることをお勧めしているわけではないということです。 たしかに現在のアンチエイジング医療の進歩は目覚ましいものがあり、外見においても、70代くらいまでは現役時代とさほど変化がない状態を保つことができるようになってきています。 しかし結局、それが可能なのも、80代くらいまでのことでしょう。80代を過ぎれば、必ずみな老いていきます。老いを完全に止めることはできないのです。「人生100年時代」が目前に迫った私たちは、今後は、「老い」を2つの時期に分けて考えることが求められていると私は考えています。 それは70代の「老いと闘う時期」と、80代以降の「老いを受け入れる時期」の2つです。 どんなに抗(あらがお)うと、老いを受け入れざるを得ない時期が、80代以降に必ずやってきます。それなのに、いつまでも若さを求めて老いと闘っていては、結局、挫折感しかもたらさないのではないでしょうか。80代になり、85歳を過ぎたくらいからは、誰かの手を借りることも多くなってきます。そのときこそ、ありのままの自分の老いを、受け入れる時期と考えたほうがいいでしょう。そうでなければ、その後の15~20年ほどに延長した「老いの期間」を生きていくことはとてもつらいものになってしまいます。 寿命が100歳近くにまで延びていくと、寝たきりで老衰で亡くなるというケースが一般的になっていきます。誰もが高い確率でそのような晩年を迎えるのですから、「老い」を忌避して生きていくことのほうが不自然なことです。 80歳を過ぎて老いた自分に失望したり、「老い」を嫌悪したりする必要はないのです。むしろ、大病で命を落とすこともなく、事故にあうこともなく、天寿をまっとうしているからこそ、老いに直面していると考えてもいいのではないでしょうか。80歳を過ぎたら、老いていく自然の成り行きを受け入れる時期と言えるでしょう。 その一方で、70代においては、人々はより元気になり、まだまだ老いと闘うことのできる時期と言えるでしょう。元気でいようと努力することは、70代においては効果もありますし、意味があることだと私は考えています。「老い」の受け止め方は人それぞれですし、若々しくいたいなどとは思わない。ありのまま自然に老いていくことがいちばんだと考える人ももちろんいます。老いの過ごし方、受け止め方に、正解などありませんし、人それぞれ自由でいいわけです。) ただ、80代になっても元気さを長く保ちたい、生活の質を維持したい、身体もある程度動けるほうがいいし、頭もはっきりしているほうがいいと考えるなら、70代はまだまだ老いと闘える最後のチャンスだということです。このときの日々の努力が、その後の80代のあり方を大きく左右するものとなっていくのです』、「70代の「老いと闘う時期」と、80代以降の「老いを受け入れる時期」」、まだ私は「老いと闘」わねばならないようだ。
・『努力したかどうかが、あとあと大きな差になる  今後、訪れるであろう超長寿社会は、少子化も相まって、高齢者が社会のマジョリティとなる社会です。たとえば、2060年には、日本国民の約2.5人に1人が65歳以上の高齢者になると予測されています。 これを、年寄りばかりの「単一的」な社会とイメージするかもしれませんが、実際は、いまよりもより多様性に満ちた社会となるはずです。高齢者が増えるということは、それ以外の年代の人たちが多い社会と比べて、多様なものにならざるを得ないのです。 たとえば、普通の小学生を例にみてみましょう。一般的な小学校であれば、超優等生と超劣等生とのIQの差があったとしても、せいぜい80から120くらいの幅に収まるでしょう。50メートル走をやっても、速い子で6秒とか7秒、遅い子でも、15秒あれば走れるでしょう。それぞれの能力の差といっても、高齢者でなければ、その程度のものなのです。 しかし、高齢者の現実は、80歳で認知症が進んで会話がままならない人がいる一方で、それなりにこれまでの仕事や知的な活動を続けられる人がいたり、ノーベル賞をもらって立派なスピーチができる人さえいます。 寝たきりになってしまったり、日常の介助の必要な人もいますが、毎日、散歩ができたり、水泳やゴルフなどスポーツを楽しめる80歳の人もいます。 つまり、高齢者のほうが、身体能力や脳機能において、個人差が格段に広がっているのです。その高齢者が大多数となっていくこれからの社会は、まさに多様性に満ちた社会となるはずです。このような「健康格差」が生じるということが、これからの社会の特徴となります。 若い人であれば、10日間ほど病気で寝込んだとしても、治ったあとは、すぐに元の生活に戻っていくことができるはずです。 しかし、高齢者ともなると、そうはいきません。10日間も寝込んでしまえば、運動機能は一気に衰えます。脳の機能も、ずっとベッドの中にいては、急速に衰えてしまいます。 それほど高齢者にとっては、脳機能、運動機能を維持するために、「使い続ける」ということが重要なのです。) 個々の能力差が大きくなっていく超長寿社会においては、その維持するための努力をしたかどうかが、その後の大きな差となって現れてきます。使い続けようという意識や心がけが、誰にとってもますます重要となってくると言えます』、「高齢者のほうが、身体能力や脳機能において、個人差が格段に広がっているのです。その高齢者が大多数となっていくこれからの社会は、まさに多様性に満ちた社会となるはずです。このような「健康格差」が生じるということが、これからの社会の特徴となります」、確かに「高齢者」での「健康格差」は大きくなりそうだ。
・『一気に老け込まないために、いちばん必要なもの  いまの70代は若々しくなってきたとはいえ、この年代ならではのリスクもたくさん抱えています。その最たるものが、「意欲の低下」です。 脳機能、運動機能の維持には、「使い続ける」ことが重要であるとは前述しました。たとえば、40代、50代の人が何もせずゴロゴロと生活したとしても、足腰や脳機能が衰えることはまずありませんが、70代の人がそれをやるとすぐに運動機能、脳機能は衰えてしまいます。 70代というのは、意欲的に身体を動かしたり、頭を使ったりしないと、すぐに要介護になってしまうというリスクがあるのです。 これは多くの高齢者自身もわかっていることではありますが、実際に、「使い続ける」ことを実践できる人はそう多くありません。 なぜなら、頭では理解していても、70代になってくると、意欲の低下が進み、活動のレベルが低下してくるからです。何事にもやる気がわかず、興味がもてなくなって、人に会うこともおっくうになり、出不精になる傾向も出てきます。 こういった「意欲の低下」は、脳の前頭葉の老化と、男性ホルモンの減少が主な原因となって引き起こされます。前頭葉の萎縮については、実は40代からすでに始まっていて、それが70代ともなると本格化してきます。そこに男性の場合は、男性ホルモンの減少も進んできますので、それが行動意欲の低下となって現れてきます。 実は、この「意欲の低下」こそが、老化でいちばん怖いことなのです。病気やケガをきっかけに老ふけ込んでいくということもありますが、加齢とともに老け込んでいくというときは、意欲の減退が要因となって一気に年老いていくのです。 結局、どんなに身体を動かそう、脳機能を使おうと思っても、意欲がついてこないから、いろいろな活動をすることがおっくうで不活発になり、もっている機能が維持できなくなってくるのです。 こうした「意欲の低下」が顕著となってくるのが、まさに70代と言えます。つまり、70代から80代に向けて元気に過ごすことができるかどうかは、70代においていかに「意欲の低下」を防ぐかにかかっています。「意欲の低下」を防ぐには、日々の生活のなかで、前頭葉の機能と、男性ホルモンを活性化させることがとても重要になってきます。) 前頭葉とは、大脳の前方部分のことで、意欲や思考、創造などにかかわっている部分です。また、男性ホルモンも、性機能だけではなく、他者への関心や意欲にもかかわっています。この2つの要素が、若いときのように維持できていると、日常の活動レベルを保つことができ、老化を遅らせて、若々しくいることができるのです。 どういった生活を送れば、前頭葉と男性ホルモンが活性化できるのかは、本書の第2章で具体的に述べていきます』、「70代から80代に向けて元気に過ごすことができるかどうかは、70代においていかに「意欲の低下」を防ぐかにかかっています。「意欲の低下」を防ぐには、日々の生活のなかで、前頭葉の機能と、男性ホルモンを活性化させることがとても重要になってきます」、「男性ホルモンも、性機能だけではなく、他者への関心や意欲にもかかわっています」、なるほど。
・『70代にはさまざまなリスクがある  「意欲の低下」以外にも、70代を襲うリスクにはさまざまなものがあります。もっともわかりやすいのは、病気やケガなどの健康上の問題です。大きな病気や、転倒によるケガなどから、70代の人が一気に老け込んでしまうということはよくあることです。 がんや脳梗塞などの人もこの年代は増えてきますので、そういった病気にどう対処するかが重要になってきます。 手術をするか、しないか。どういった検査をするか、どういった治療をするかといった、医療とのかかわり方において、重大な決断を迫られることもでてきます。本書でも第3章で、70代にとっての医療とのかかわり方、病気とのかかわり方を述べています。 意外に知られてはいませんが、うつ病も70代の大きなリスクです。うつになると、如実に身体を動かすことがおっくうになり、外にも出なくなります。たとえば、以前は頻繁に参加していた趣味の集まりや、顔見知りが集まる高齢者の「いこいの家」のような場所にいくら誘っても、絶対に行かないというようなことも起こってきます。 食欲も確実に落ちるので、みるみるやせてしまいます。それも脂肪が落ちるのではなく、筋肉から落ちるという最悪の状況をたどるので、うつになると一気に老け込んでしまうのです。 女性の場合は、女性ホルモンが減少してきますので、さらに骨粗しょう症の人も増えてきます。 なんらかの持病がある人が70代では増えてきますので、医療とのかかわり方がその後の80代を左右する大きなポイントとなってきます。 健康問題だけでなく、日々の生活面でも、70代は多くのリスクに囲まれています。長寿社会が進んだことで、これまで60代で迎えていた仕事からのリタイアも、今後は70代でリタイアする人が増えてくるはずです。) 介護についても、70代の子が親を介護するケースや、70歳を過ぎて、親との死別を経験するということも多くなるでしょう。 長寿化によって、これまでは60代で迎えていたような人生のさまざまな節目を、70代になってから経験するケースが増えるはずです。これらの節目は、生活環境が一変する可能性があるという意味で、その後の老い方を大きく左右する危険性をはらんでいます。 人生の節目をどう乗り越えていくかという意味でも、70代をどのように過ごすかが大事になってきていると言えます』、「意外に知られてはいませんが、うつ病も70代の大きなリスクです。うつになると、如実に身体を動かすことがおっくうになり、外にも出なくなります。たとえば、以前は頻繁に参加していた趣味の集まりや、顔見知りが集まる高齢者の「いこいの家」のような場所にいくら誘っても、絶対に行かないというようなことも起こってきます。 食欲も確実に落ちるので、みるみるやせてしまいます。それも脂肪が落ちるのではなく、筋肉から落ちるという最悪の状況をたどるので、うつになると一気に老け込んでしまうのです」、「うつ病」には気をつける必要がありそうだ。
・『70代に身につける「習慣」が、その後の人生を救う  これまで述べてきたとおり、70代にとって重要なのは、身体機能も脳機能もいまもっているものを使い続けることです。70代の時期に意図的に使い続けていれば、80代、90代になって要介護となる時期を遅らせることができます。 まずは、活動レベルを落とさないよう、「意欲の低下」を避け、前頭葉と男性ホルモンの活性化を促す必要があります。 そして、意欲レベルの維持と同時に、70代にとっては、使い続ける「習慣づくり」が大切になります。 なぜ70代にとって「習慣づくり」が大事かというと、多くの人が70代前後で仕事からリタイアするからです。 働いているときであれば、ルーティンがあるので、必然的に活動せざるを得ませんが、リタイアをしてしまうと、これといって身体を動かしたり、頭を使ったりする理由がなくなってしまいます。 つまり、この時期から、意図的に身体を動かそう、脳を使おうと習慣化しないと、運動機能も脳機能も使い続けることはできないということです。 また、もう1つ、70代の習慣づくりが大事な理由があります。それは、70代で始めた習慣は80代以降も生涯にわたって続くということです。 たとえば、70代で日ごろから歩こうと心がけて、散歩の習慣がついた人は、それを80歳になっても続けるものです。) 水泳をしよう、山登りをしようと70代のときに決めて習慣化した人は、80歳になっても、体力のある限りは続けるでしょう。山登りができなくなっても、それに代わる何かをやって、身体を動かそうという心がけだけは生涯続くに違いありません。 運動だけでなく、観劇や絵画、囲碁将棋、俳句などの趣味の活動でも、70代で習慣化しているものは、80代になってそれをやめるということはなかなかありません。 つまり、70代でつくった運動機能や脳機能を維持することに役立つ習慣は、一生涯にわたって続くことが多いのです。だから、70代で意図的によい習慣をつけることが大事なのです』、「70代でつくった運動機能や脳機能を維持することに役立つ習慣は、一生涯にわたって続くことが多いのです。だから、70代で意図的によい習慣をつけることが大事なのです」、なるほど。
・『70代は何もせず放っておけばすぐに老けこんでしまう  もし、70代のうちに何もしなかったら、80代になってから新たな習慣をつくることは、かなり難しいと思います。身体機能は70代のころよりも落ちていますし、新しいことを始めようという意欲の面でも減退しているからです。 だからこそ、現役時代に近い身体機能や意欲のある70代のうちに、よい習慣をつけることが大切なのです。 よく、会社勤めをしていたときはゴルフをしていたが、定年をしたら自腹では行けないのでやめようと考えている人もいますが、そういった身体を動かすよい習慣がすでにあるのなら、それは70代になってもできるだけ続けたほうがいいのです。いまならゴルフ場でも価格破壊が起こっていますから、平日であれば、かなり安くプレーすることもできるでしょう。 70代の人たちは、放っておけば何もせず、すぐに老け込んでいく危険性をもっています。だからこそ、機能維持のために意図的に振る舞うことが大切になってきます。このタイミングで、意識してよい習慣をつけることで、80代も元気さを保つことができるのです。 次回は、「運転免許を返納してはいけない」「実は、高齢ドライバーは危なくない」について紹介します(4月1日(金)公開予定)。 なお本書では、肉を食べる習慣が「老い」を遠ざける、運動習慣などの「老いを遅らせる70代の生活」、70代の人のかしこい医師の選び方などの「知らないと寿命を縮める70代の医療との付き合い方」、趣味を働いているうちにつくろう、高齢者の「うつ」の見分け方などの「退職、介護、死別、うつ……『70代の危機』を乗り越える」について紹介しています。 >>続編『70代で運転免許を決して返納してはいけない理由』を読む』、「70代の人たちは、放っておけば何もせず、すぐに老け込んでいく危険性をもっています。だからこそ、機能維持のために意図的に振る舞うことが大切になってきます。このタイミングで、意識してよい習慣をつけることで、80代も元気さを保つことができるのです」、同感である。

第三に、この続きを、4月1日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した精神科医の和田秀樹氏による「70代で運転免許を決して返納してはいけない理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/298531
・『人生100年時代。現在の70代の日本人はかつての70代とは違います。若々しく、健康になった70代の10年間は、人生における「最後の活動期」とも言えます。70代の過ごし方が、その人がどう老いていくかを決めると言っても過言ではありません。長年高齢者と接している精神科医の和田秀樹さんは、仕事のリタイアや運転免許の返納など、何事においても「引退」をしてはいけないと言います。『70歳が老化の分かれ道 若さを持続する人、一気に衰える人の違い』(詩想社新書)より抜粋します』、興味深そうだ。
・『何事においても、「引退」などしてはいけない  要介護となる時期をなるべく遅らせて、80代以降も元気に過ごすためには、最後の活動期である70代の過ごし方がカギになります。この章では、70代の人がどのような生活を心がければいいのかをみていきましょう。 定年延長や定年後の再雇用など、高齢になっても働く環境が整備されつつありますが、それでも、70代ともなれば、いままで勤めていた会社を退職している人が多いのではないでしょうか。 70代に一気に老け込む人の典型は、仕事をリタイアしたときから、一切の活動をいっぺんにやめてしまうというケースです。これまで懸命に働いてきたのだから、退職したらもう何もせず家でゴロゴロ過ごしたいと、指折り退職の日を待っている人もいます。) しかし、70歳まで現役で仕事をしていた人が、退職後の生活に何をやるのかを考えることもなくリタイアすると、一気に老け込んでしまうことが多いのです。 働いているときは、デスクワークのような仕事であっても、通勤などで思っている以上に身体を使っているものです。それなのに、退職してから家にこもりがちになってしまうと、70代の人なら1ヵ月もすれば、運動機能はずいぶんと落ちてしまいます。 また、脳機能の面でも、働いていれば、日々、それなりの知的活動や他者とのコミュニケーションがあり、さまざまな出来事にも遭遇することになりますが、ただ家で過ごしているだけでは、そういった脳の活動はなくなり、認知症のリスクが高まっていきます。 特に、前頭葉の老化が一気に進んでしまいます。前頭葉とは、創造性や他者への共感、想定外のことに対処するといった機能をもつ部分です。ここが老化していくと、何事にも意欲がなくなり、活動することがおっくうになって、運動機能の低下と脳の老化にさらに拍車がかかります。見た目の印象でも、はつらつとしたところが失われた、元気のない老人に変貌してしまうのです。 そうならないためにも、退職を迎えたら、これまでの仕事の代わりに次に何をやるのか、準備をしておくことが大切です。退職して、しばらくゆっくりしてから次のことは考えようなどと思っていると、いつの間にか、ダラダラと過ごす生活に流されて、それが習慣になってしまうということもあります。 70代は元気とはいえ、前頭葉の老化はすでに40代から進んでいます。歳をとるほど、意欲が低下していくのは自然のことで、そもそも70代になれば意欲が若いころより低下していることが普通です。家にこもるような不活発な生活スタイルを自然にしがちな年齢でもありますので、意識して退職後の活動を決めておくことが大切です』、「70代になれば意欲が若いころより低下していることが普通です。家にこもるような不活発な生活スタイルを自然にしがちな年齢でもありますので、意識して退職後の活動を決めておくことが大切です」、私の場合は、大学での非常勤講師の活動を退職後続けていたので、助かった。
・『「歳をとったら隠居生活」は脳機能、運動機能を老化させる  現在は年金も少ないですから、何か新しい仕事を始めるということも、ひとつの選択肢でしょう。金銭的な面だけでなく、老化を遅らせるという面からみても、退職後に、また新たな職場で働き始めるということはとてもいいことです。 歳をとったら隠居生活もいいものだ、と考えている人ももちろんいるでしょう。しかし、70歳を過ぎてそのような生活に入ってしまうと、一気に脳機能、運動機能を老化させてしまうリスクがあることを十分に理解しておいてください。) 寿命が延びて、90歳、100歳まで生きるようなこれからの時代は、歳をとったので「引退する」という考え方自体が、老後生活のリスクになります。引退などと考えず、いつまでも現役の市民であろうとすることが、老化を遅らせて、長い晩年を元気に過ごす秘訣です。 たとえば、何かの商店主をやっている人、建築士や税理士など資格をもって70代まで仕事をやってきたような人が、「○○歳を機に仕事を辞める」というようなことがありますが、そのような選択はけっして得策ではありません。 農業や漁業、職人のような仕事もそうですが、自分が辞めると決めない限り、続けられるような仕事であるなら、身体がもつ限り、できる範囲で一生続けることが老化を遅らせるいい方法です。 勤め人であっても、役職からは年齢によって外されることもあるかもしれませんが、「働く」ということからは、引退する必要などありません。アルバイトや契約社員など、どのような形態であっても、「仕事」を通して社会とのかかわりをもち続けることが、活動レベルを落とさず、若々しくいる秘訣だと私は思います。 退職後も社会とかかわっていくという意味では、もちろん「仕事」がすべてではありません。町内会の役員や、マンションの管理組合の役員、趣味の集まりの役職などでもいいのです。ボランティア活動も、退職後の社会参加としてはひとつの選択肢です。 誰かと協働し、誰かの役に立ったり、誰かに必要とされていると感じることは、いつまでも現役意識を維持することに大いに役立つはずです。 70代になったら、ことさら「引退」などということは考えず、現役の意識を維持することが大切です。それが、一気に老け込むことを防いでくれます』、「70代になったら、ことさら「引退」などということは考えず、現役の意識を維持することが大切です。それが、一気に老け込むことを防いでくれます」、その通りだろう。
・『運転免許は返納してはいけない  70代になったら、「引退」など考えてはいけないと前述しました。どのようなものであっても「引退」には、生活環境の変化がともなうものです。高齢者にとっては、生活環境がガラッと変わることは大きなリスクになってきます。 環境の変化が、これまでの元気な生活を支えていたルーティンを破壊し、日々の活動レベルを低下させることが往々にして起こるのです。この活動レベルの低下が、これまで機能していた運動能力や脳の働きを廃(すた)れさせてしまいます。 自動車の運転においても、引退などしてはいけません。最近は、高齢者の運転に対して、危険であるかのような風潮が広がっていて、免許の自主返納などといったことまで始まっています。 しかし、高齢になっても運転をやめたりしないことが、元気な高齢者でいるためには大切なことです。 交通の便がいい都会に住んでいる人なら、自動車の運転をやめたとしても、他の移動手段があると思います。 しかし、地方にいて、外出の際には常に車を運転していたような人が運転免許を返してしまうと、ほとんど外に出ることができなくなってしまい、2~3年で要介護状態になったり、認知症のような状態になったりする可能性が高まります』、「地方にいて、外出の際には常に車を運転していたような人が運転免許を返してしまうと、ほとんど外に出ることができなくなってしまい、2~3年で要介護状態になったり、認知症のような状態になったりする可能性が高まります」、なるほど。
・『運転できず外出機会が減ると運動機能も認知機能も簡単に衰える  車が運転できれば、ちょっとしたことでも外出する機会は確実に増えます。最近では地方にもショッピングモールや大型スーパーが進出していますので、買い物に車で行っても施設内をかなり歩くので、いい運動になります。 そういったお店には近隣住民が集まりますので、知り合いに出会って話し込むこともあるでしょう。フードコートに行けば、いろいろなメニューが用意されていて、バリエーション豊かな食事ができます。 それが運転免許を返してしまって、家にこもり、誰とも会わず過ごすような生活になってしまうと、運動機能も脳機能も簡単に衰えてしまいます。 筑波大学などの研究チームが2019年に公表した調査結果でも、そのことは裏づけられています。 この研究チームは、愛知県の65歳以上の男女2800人を追跡調査しました。2006~2007年時点で要介護認定を受けておらず、運転をしている人に10年8月の時点で運転を続けているかあらためて聞き、認知機能を含めた健康状態を調べ、さらに16年11月まで追跡して、運転継続と要介護認定との関係を分析したのです。 病気になったり、認知機能が落ちたりして運転ができなくなった例は除いて、統計学的に調整して分析をしました。) その結果、10年時点で運転をやめていた人は、運転を続けた人に比べて、16年には要介護となるリスクが2.09倍にもなったのです。 この調査結果では、運転をやめてからは移動に電車やバス、自転車を利用していたという人の要介護リスクも調べていますが、その人たちでも、運転を続けた人に比べて1.69倍の要介護リスクとなっています。 他の移動手段を使っていたという人でさえ、運転をやめたことの生活へのダメージは大きく、活動量は落ちてしまったのだと思います。運転免許を取り上げられると、活動しようという積極性や意欲の面でも萎えさせてしまうのです。 たかだか車の運転と思われるかもしれませんが、それをやめたことの影響で要介護リスクが2倍も変わるくらい、高齢者の人たちは脆弱なのです。70代ともなれば、その傾向はさらに強くなります。 アクティブに生きていたらそのように生活ができますが、いったんそれをやめてしまうとすぐに要介護状態に陥ってしまう。それが70代の危うさだと理解してください』、「筑波大学などの研究チームが2019年に公表した調査結果」では、「10年時点で運転をやめていた人は、運転を続けた人に比べて、16年には要介護となるリスクが2.09倍にもなった」、「運転をやめてからは移動に電車やバス、自転車を利用していたという人の要介護リスクも調べていますが、その人たちでも、運転を続けた人に比べて1.69倍の要介護リスクとなっています。 他の移動手段を使っていたという人でさえ、運転をやめたことの生活へのダメージは大きく、活動量は落ちてしまったのだと思います」、やはり「返納」はリスクが大きいようだ。
・『実は、高齢ドライバーは危なくない  運転は続けるべきだと述べましたが、いくらそのように言われても、「でも、高齢になっても運転を続けるのは危ないのではないか」、「事故を起こしてまわりに迷惑をかけるのではないか」などと不安になる高齢者やそのご家族の方もいると思います。 認知機能の落ちている高齢者が運転操作をもし、交通事故を減らそうと考えるのなら、圧倒的に多く事故を起こしている若年ドライバーの運転になんらかの手を打つほうが効果的です。 それなのにメディアは、人々の耳目を引くからといって、高齢ドライバーが暴走した事件を盛んに取り上げます。そういった報道に触れるたびに、世間には、「高齢ドライバーは事故を起こしやすい」、「危ないから免許を取り上げられても仕方ない」といった風潮が広がってしまいました。 データをもとに合理的に考えるなら、高齢者から免許を取り上げるなどということに、正当性はまったくありません。お上に従う気質が染み付いている日本社会では、このようなことを行政が推進しても騒ぎが起こりませんが、人権意識が確立されている欧米社会では、高齢者に対する差別と言われかねないでしょう』、「データをもとに合理的に考えるなら、高齢者から免許を取り上げるなどということに、正当性はまったくありません」、高齢者の精神医療の専門家の言葉だけに重い。「人権意識が確立されている欧米社会では、高齢者に対する差別と言われかねないでしょう」、同感である。
・『「ブレーキとアクセルを踏み間違えた」は認知症が原因ではない  高齢者の事故では、「ブレーキとアクセルを踏み間違えた」という証言が報道されることがよくあります。こういった情報も、「ブレーキとアクセルを間違えるなんて、よほど運転者はボケている高齢者なのだろう」といった誤解を生んでいます。 しかし、高齢者専門の精神科医の立場から言わせていただくと、認知症が原因で、ブレーキとアクセルを間違えるなどということは、ほぼあり得ません。数分前のことを忘れてしまうような中等度の認知症患者でも、スプーンと箸の区別がつかなくなる人はいないのです。 もし、スプーンと箸の区別がつかないかなり進んだ認知症の人だと、車の運転そのものができないはずです。 車の運転ができるような人であれば、軽度の認知症でも、ブレーキとアクセルの区別がつかなくなるということは確率的にゼロに近いはずです。 つまり、踏み間違えたのは、ペダルの区別がつかないからではなく、うっかりしたり、慌てたからなのです。これは、高齢者だけではなく、若い人でも起こすミスです。 確かに高齢になると、動体視力や反射神経が衰えるので、一瞬の判断が遅れることもあります。ペダルの踏み間違えによる事故も、増える傾向がありますが、ただ、このような事故はすべての年代で起こっている事故でもあります。そして、全事故に占める割合は、たった1%ほどしかないのです。) ▽高齢ドライバーの逆走や暴走は運動機能の低下が原因ではない(ペダルの踏み間違え以外にも、高齢ドライバーの起こす事故には、まれに逆走や暴走といった、明らかに不自然なものもあります。これらは、高齢による運転技能の低下によって引き起こされたものではけっしてありません。ほとんどが、薬による意識障害が原因ではないかと私は考えています。薬害と言ってもいいくらいでしょう。 高齢者になると、複数の薬を常用している人が多くなります。また、高齢者は代謝も落ちていますから、薬の副作用が出やすいこともあります。それによって、低血糖や低血圧、低ナトリウム血症などで、意識障害を起こしやすいのです。 暴走事故を起こした高齢ドライバーが、当時の状況を「よく覚えていない」などと言うことがありますが、これは明らかに意識障害を疑っていい証言です。今後は、薬を飲んでいる高齢者においては、意識障害を起こすリスクがあるのかどうかを慎重に判断して、運転を続けるかどうか決めることは必要かもしれません。 しかし、繰り返しますが、高齢者が事故を起こす割合はけっして高くないのです。それなのに、年齢で一律に区切って、運転免許の更新において制約を課したり、高齢になれば免許は返納すべきといった風潮がつくられていることに私は憤りを感じています。 運転免許を取り上げられることが、死活問題となる高齢者の人もたくさんいるのです。ご自身が運転をしたくないというのであれば話は別ですが、運転する必要性があり、それを希望しているのであれば、運転免許は返納などけっしてしてはいけません。運転からの引退は、老化を加速させる結果をもたらしてしまうからです。 本書では、今回紹介しきれなかった、肉を食べる習慣が「老い」を遠ざける、運動習慣などの「老いを遅らせる70代の生活」、70代の人のかしこい医師の選び方などの「知らないと寿命を縮める70代の医療との付き合い方」、趣味を働いているうちにつくろう、高齢者の「うつ」の見分け方などの「退職、介護、死別、うつ……『70代の危機』を乗り越える」について紹介しています』、「車の運転ができるような人であれば、軽度の認知症でも、ブレーキとアクセルの区別がつかなくなるということは確率的にゼロに近いはずです。 つまり、踏み間違えたのは、ペダルの区別がつかないからではなく、うっかりしたり、慌てたからなのです。これは、高齢者だけではなく、若い人でも起こすミスです」、最近は「踏み間違い」が起きにくいようなアクセルも開発されている。「ご自身が運転をしたくないというのであれば話は別ですが、運転する必要性があり、それを希望しているのであれば、運転免許は返納などけっしてしてはいけません。運転からの引退は、老化を加速させる結果をもたらしてしまうからです」、同感である。
タグ:「高齢者のほうが、身体能力や脳機能において、個人差が格段に広がっているのです。その高齢者が大多数となっていくこれからの社会は、まさに多様性に満ちた社会となるはずです。このような「健康格差」が生じるということが、これからの社会の特徴となります」、確かに「高齢者」での「健康格差」は大きくなりそうだ。 「70代の「老いと闘う時期」と、80代以降の「老いを受け入れる時期」」、まだ私は「老いと闘」わねばならないようだ。 「元気な80代へとソフトランディングしていくためには、とても大切な時期と言えます」、なるほど。 後期高齢者になった筆者にとっても、「70代の過ごし方が、その人がどう老いていくかを決めると言っても過言ではありません」、気持ちが引き締まった。 和田秀樹氏による「70代が「老い」の分かれ道、その後の人生を救う習慣とは」 ダイヤモンド・オンライン ぜひみなさまも、あまいもの=「糖質」を食べながらダイエットできるフラクトオリゴ糖を使った「コクあま幸せダイエット」を試してみてください』、早速、試してみたい。 「フラクトオリゴ糖は」、「人の消化器官では、糖として、消化・吸収されずに大腸までたどりつきます・・・そのカロリーは、砂糖の約半分ほど。大さじ1杯で18kcalほどです。また、糖として血液中に吸収されないということは、フラクトオリゴ糖自体で食後の血糖値があがりにくいということです」、「やせやすい体づくりにも寄与してくれます。やせやすい体になるためには、腸内にいるビフィズス菌や酪酸菌などの善玉菌を腸内で増やし元気に活動してもらうことが必要です・・・善玉菌は「短鎖脂肪酸」を作り出します。「短鎖脂肪酸」は、脂肪細 「セロトニンが足りなくなると、脳は不安でいっぱいになってしまいます。するとその不安からくるストレスを解消しようと「あまいもの」を欲して、セロトニンを補充しようとします。だからあまいものをガマンすればするほど、セロトニン不足になり、もっとあまいものが欲しくなってしまうのです。そしてあまいものをドカ食いしてしまうという現象が起きます。「あまいものをやめられない」この中毒症状にも似た症状は、あま味を感じると分泌される「β?エンドルフィン」というホルモンも関係。このホルモンは、分泌されると別の幸せホルモン・ドーパ 工藤 孝文氏による「「糖質制限」をがんばる人が結局やせないワケ やせたいなら糖質は量ではなく「質」に着目する」 東洋経済オンライン 「70代でつくった運動機能や脳機能を維持することに役立つ習慣は、一生涯にわたって続くことが多いのです。だから、70代で意図的によい習慣をつけることが大事なのです」、なるほど。 「意外に知られてはいませんが、うつ病も70代の大きなリスクです。うつになると、如実に身体を動かすことがおっくうになり、外にも出なくなります。たとえば、以前は頻繁に参加していた趣味の集まりや、顔見知りが集まる高齢者の「いこいの家」のような場所にいくら誘っても、絶対に行かないというようなことも起こってきます。 食欲も確実に落ちるので、みるみるやせてしまいます。それも脂肪が落ちるのではなく、筋肉から落ちるという最悪の状況をたどるので、うつになると一気に老け込んでしまうのです」、「うつ病」には気をつける必要があり 「70代から80代に向けて元気に過ごすことができるかどうかは、70代においていかに「意欲の低下」を防ぐかにかかっています。「意欲の低下」を防ぐには、日々の生活のなかで、前頭葉の機能と、男性ホルモンを活性化させることがとても重要になってきます」、「男性ホルモンも、性機能だけではなく、他者への関心や意欲にもかかわっています」、なるほど。 健康 (その20)(「糖質制限」をがんばる人が結局やせないワケ やせたいなら糖質は量ではなく「質」に着目する、和田秀樹氏2題(70代が「老い」の分かれ道 その後の人生を救う習慣とは、70代で運転免許を決して返納してはいけない理由)) 「70代の人たちは、放っておけば何もせず、すぐに老け込んでいく危険性をもっています。だからこそ、機能維持のために意図的に振る舞うことが大切になってきます。このタイミングで、意識してよい習慣をつけることで、80代も元気さを保つことができるのです」、同感である。 和田秀樹氏による「70代で運転免許を決して返納してはいけない理由」 「70代になれば意欲が若いころより低下していることが普通です。家にこもるような不活発な生活スタイルを自然にしがちな年齢でもありますので、意識して退職後の活動を決めておくことが大切です」、私の場合は、大学での非常勤講師の活動を退職後続けていたので、助かった。 「70代になったら、ことさら「引退」などということは考えず、現役の意識を維持することが大切です。それが、一気に老け込むことを防いでくれます」、その通りだろう。 「地方にいて、外出の際には常に車を運転していたような人が運転免許を返してしまうと、ほとんど外に出ることができなくなってしまい、2~3年で要介護状態になったり、認知症のような状態になったりする可能性が高まります」、なるほど。 「筑波大学などの研究チームが2019年に公表した調査結果」では、「10年時点で運転をやめていた人は、運転を続けた人に比べて、16年には要介護となるリスクが2.09倍にもなった」、「運転をやめてからは移動に電車やバス、自転車を利用していたという人の要介護リスクも調べていますが、その人たちでも、運転を続けた人に比べて1.69倍の要介護リスクとなっています。 他の移動手段を使っていたという人でさえ、運転をやめたことの生活へのダメージは大きく、活動量は落ちてしまったのだと思います」、やはり「返納」はリスクが大きい 「データをもとに合理的に考えるなら、高齢者から免許を取り上げるなどということに、正当性はまったくありません」、「人権意識が確立されている欧米社会では、高齢者に対する差別と言われかねないでしょう」、同感である。 「車の運転ができるような人であれば、軽度の認知症でも、ブレーキとアクセルの区別がつかなくなるということは確率的にゼロに近いはずです。 つまり、踏み間違えたのは、ペダルの区別がつかないからではなく、うっかりしたり、慌てたからなのです。これは、高齢者だけではなく、若い人でも起こすミスです」、最近は「踏み間違い」が起きにくいようなアクセルも開発されている。「ご自身が運転をしたくないというのであれば話は別ですが、運転する必要性があり、それを希望しているのであれば、運転免許は返納などけっしてしてはいけません。運転か
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