維新の会(その6)(日本維新の会幹部「おともだち」医師の個人病院が異例のワクチン集団接種 1億円荒稼ぎの裏側、独占手記 私が見た「維新」と「橋下徹」 結党後の理念とカネへの執着について 連載「維新戦記」第1回【前編】、約束を反故にした「維新」と「橋下徹」 選挙戦で彼らが私にした仕打ちについて 連載「維新戦記」第1回【後編】) [国内政治]
維新の会については、3月24日に取上げた。今日は、(その6)(日本維新の会幹部「おともだち」医師の個人病院が異例のワクチン集団接種 1億円荒稼ぎの裏側、独占手記 私が見た「維新」と「橋下徹」 結党後の理念とカネへの執着について 連載「維新戦記」第1回【前編】、約束を反故にした「維新」と「橋下徹」 選挙戦で彼らが私にした仕打ちについて 連載「維新戦記」第1回【後編】)である。
先ずは、3月16日付けデイリー新潮「日本維新の会幹部「おともだち」医師の個人病院が異例のワクチン集団接種 1億円荒稼ぎの裏側」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/03161132/
・『「極めて異例」またも、日本維新の会による「おともだち優遇」疑惑が噴出した。維新の最高幹部の一人、東徹参院議員を支援する医師が、過剰な量のワクチンを確保し、独自に大型接種会場を設置する異例の事態。約2万回の接種で1億円を荒稼ぎしているとみられるのだ。 昨年6月20日と7月11日、大阪市住之江区にある複合施設「オスカードリーム」では、同区にある「ただクリニック」という一般的な個人経営規模のクリニックによる、新型コロナワクチンの集団接種が行われていた。 「大阪市内には、これ以外にクリニックが独自に大型接種会場を設置した例はありません。東京都内においても、クリニックが大型接種会場を開設した事例はなく、『ただクリニック』の件は極めて異例です」(政府関係者) 何より疑問なのは、規模が決して大きくない「ただクリニック」が、なぜ大型接種会場を開設するほどの大量のワクチンの供給を受けられたのか、という点だ。「ただクリニック」には、市内の他のクリニックの約2~3倍ものワクチンが配分されたのだ』、「維新の最高幹部の一人、東徹参院議員を支援する医師が、過剰な量のワクチンを確保し、独自に大型接種会場を設置する異例の事態。約2万回の接種で1億円を荒稼ぎ」、「「ただクリニック」という一般的な個人経営規模のクリニックによる、新型コロナワクチンの集団接種」、「極めて異例」、「市内の他のクリニックの約2~3倍ものワクチンが配分」、すごい優遇だ。
・『東議員に聞くと…… 公益財団法人「政治資金センター」がネット上で公開している東議員の政治資金収支報告書を見ると、「ただクリニック」の多田均院長名義で毎年、寄付がなされており、2020年までの6年間で計33万円。さらに、接種会場となった「オスカードリーム」を運営する不動産会社の代表取締役も19年、20年に合計15万円を東議員に寄付しているのだ。ある地方自治体職員によると、小規模クリニックが約2万回分の供給を受けたことは「ウラがあるとしか思え」ず、ワクチン分配の過程は「ブラックボックス的に決まっているので、政治的介入の余地はある」という。 そこで東議員に「ただクリニック」へのワクチン大量供給について聞くと、 「まっっっっっったく関係ありません。私に介入の余地はありませんよね」 と答える一方、支援者が運営する施設が接種会場となったことについては、「私は『こういう所がありますよ』と多田さんにアドバイスしたくらいです」と関与を認めた。 医療機関がワクチンを接種すると、接種費用に補助金などを加え、1回につき5070円が支払われるため、「ただクリニック」は約2万回の接種によって約1億円を得た計算になる。 3月17日発売の「週刊新潮」では、食い物にされる「ワクチン行政」の実態について詳報する』、「小規模クリニックが約2万回分の供給を受けたことは「ウラがあるとしか思え」ず、ワクチン分配の過程は「ブラックボックス的に決まっているので、政治的介入の余地はある」という」、こんな恣意的な行政が公然と行われているとは、世も末だ。維新の会に丸め込まれた大阪のマスコミにも責任がある。
次に、4月23日付け現代ビジネスが掲載した衆議院議員・前新潟県知事の米山 隆一氏による「独占手記 私が見た「維新」と「橋下徹」 結党後の理念とカネへの執着について 連載「維新戦記」第1回【前編】」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/94623?imp=0
・『今だから明かすべきだと私が考えた理由 2012年~2015年の2年間、私・米山隆一は衆議院議員・参議院議員の候補者として日本維新の会(維新の党)に所属していました。 この連載で、私が維新で経験し、感じたことを、可能な限り客観的に書いていきたいと思います。 日本維新の会は、伸長と停滞を繰り返しながら、2021年の選挙で41議席を獲得し、ブームを起こした2012年の結党時の議席に迫りつつあります。 その中で、維新はことあるごとに「身を切る改革」と叫んで自らはお金に対してクリーンであることを喧伝していますが、私は第1回目の衆議院選挙では使いもしないのに100万円の経費を徴収されましたし、2015年の分裂騒動では橋下氏らの大阪組は「政党交付金の国庫返納!」を叫びながら、ひたすらお金に執着し、刑事事件すれすれの事さえして資金を収奪していました。 彼らが見せている姿とその実像は、余りに食い違っています。 今、できるだけ多くの日本の未来に関心を持つ方々に、「維新の実態とはどのようなものか」を事実に基づいて理解してもらうことは、日本の岐路を選択する上で、極めて重要な事だと考え、筆を執ることとしました』、信頼に足る内部告発で興味深そうだ。
・『候補者面接と「内定」 「なかなかな経歴だけど、自民党で2回選挙に落ちているんだね。何が足りなかったと思う?」 2012年10月、大阪市中之島の日本維新の会本部ビルの12階で、関西弁の強い、顔色が悪く皴の多い男性の面接官から尋ねられました。 私は、「選挙自体は私は、いずれも惜敗だったと思います。ただ地域のキーマンへの配慮や対策が足りない部分があったと思います」 と答えました。自民党時代旧知の間柄であった、松浪健太衆議院議員(当時・現大阪府議)からの立候補の勧誘を受けてものだったこともあって面接は和やかな雰囲気のまま進みました。 「分かりました。私からは以上ですが、米山さんから質問はありますか?」 この男性からそう問われ、私は答えました。 「はい、一つだけ質問があります。比例重複立候補の順位は、小選挙区の候補者全員同列の一位という事で宜しいでしょうか? 候補者にとっては極めて重要なことですから」 「もちろんだよ」 面接官はそう答え、私はそれを聞いて安心して部屋を後にしました。その面接官は、後に当時大阪維新の会府議団長であった、弁護士の坂井良和氏であることが分かりました。その数日後に新潟5区からの立候補者として内定する旨の通知を得て、私は日本維新の会に入党しました』、「自民党で2回選挙に落ちている」、なるほど。
・『国政進出前の熱気 この日を遡ること半年、2012年の5月、私は自民党時代に同じ二階派で親しかった松浪氏に声をかけられ、麻布のバーに向かっていました。 瀟洒なビルの3階のドアを開けると、そこには手にグラスを持った多くの男性がおり、ある人は立ち、ある人はソファーに腰かけて、話していました。この中には、衆議院議員で官房副長官まで務めた松野頼久氏、桜内文城氏、小熊慎司氏などがいました。 会では、3年前に政権交代を成し遂げた民主党政権が震災復興と消費増税で迷走するなかで、近く予想される総選挙に向けて橋下徹大阪市長(当時)が率いる地域政党・大阪維新の会の国政進出が話し合われていました。 その会話の中では、第1次安倍内閣崩壊後、谷垣禎一氏が総裁を務める自民党で失意の身だった安倍晋三元首相が自民党の総裁選挙で勝てなかった場合、側近の菅義偉議員と共に「維新」に参加する可能性があることも取りざたされていました。 声をかけられて赴いたとはいえ、並みいる議員たちの中で、浪々の身である私は小さくなっていました。それでも、閉塞する日本の政治を変えようという熱気をひしひしと感じました』、「安倍晋三元首相が自民党の総裁選挙で勝てなかった場合、側近の菅義偉議員と共に「維新」に参加する可能性があることも取りざたされていました」、「安倍」が「維新」に参加する可能性」があったとは初めて知った。
・『一期生が持っていた星雲の志 同年9月12日、大阪維新の会の代表である橋下氏が「維新八策」を発表し、世の中を覆う閉塞感を打開する新政党への期待が高まり、同年9月28日、日本維新の会が設立されました。 11月には大阪のコンベンションセンターで開かれていた「維新政治塾」の最終講義に呼ばれ、「塾生」達と初めて顔を合わせました。麻布のバーでたむろしていたスーツの男性たちとは違い塾生たちの多くは若くフレッシュで、女性の姿も目立ちました。 この時同席していた仲間に、後に参議院議員となる塩村彩夏氏(立憲民主党)、2017年に衆議院比例近畿ブロックで当選した森夏枝氏、昨年10月の衆議院選挙で初当選した青柳仁士氏(日本維新の会)などがいます。 その後立候補する大阪の市議・府議を含め参加者は一様に講師たちの講義を熱心に聞き、様々な質疑を行いました。休憩時間には連絡先をお互いに交換し、政治にかける思いを語る光景がここかしこで繰り広げられました。 この時集まった一期生の間には確かに、日本の政治を刷新していこうという純粋な、そして燃えるような青雲の志が確かにあったと思います。私はこの時の同期の何人かとは、今でも友人付き合いを続けています』、「一期生が持っていた星雲の志」、は確かなようだ。
・『石原新党との合流 11月16日に衆議院が解散された翌17日、観測が流れていたとはいえ、私を含む多くの人にとっては「突如」、日本維新の会と、石原慎太郎氏率いる太陽の党の合流が発表されました。塾で会った候補者の考え方は多種多様でしたし、そこまで深く意見を聞いたわけでもないのですが、恐らく6~7割方はリベラル寄りであったと思います。 自民党時代、私は党内では最もリベラルな立ち位置でしたから、とても驚きました。私は困惑を感じながらも、維新の主流派はリベラルのままであり、太陽の党の出身議員の発言権はそれほどにはならないだろうと考えて、自らを納得させたことを昨日の事のように覚えています』、「太陽の党」は『吸収」され、「出身議員の発言権はそれほどにはならな」かったようだ。
・『「100万円徴収」で感じた懸念 その後、候補内定者は直ちに大阪中之島の日本維新の会本部のビルに呼ばれ、記者会見と、選挙手続きの説明、橋下氏との写真撮影などが行われました。 ここで驚いたのは、小選挙区と比例区の供託金600万円と合わせて、ポスター作製などの発注業者が指定され、製作費として100万円を振り込むこととされていたことでした。 私は自民党で政治活動をしていた時からなじみの深い業者さんがおり、ポスター作りのコンセプトやコンテンツを共有していました。選挙まで1か月しかない中で、勝手を知らない業者さんと一から話をする時間が惜しいと感じた私は、軽い気持ちで事務局に 「ポスター等は自分で発注して自分で作るので100万円はいいですよね?」と聞いたところ、その答えは 「いえ、自分で作るのは自由ですが、100万円は振り込んでください」というものでした。私はその回答に非常に驚きましたが、党本部と喧嘩するのも得策でないと考え、 「分かりました」と答え本部を後にしました。 後に、同様の申し出をした候補が複数いたことを聞きましたが、いずれも、「ポスター作製代100万円は必須」でした。 そもそもポスター作製は、選挙対策的意味も込めて地元の業者を使うのが通常なのに、全国の候補に大阪の一業者を指定すること自体が異例な上、発注しなくても100万円を徴収するというのは、ポスター作製に名を借りて、候補者から政治資金を徴収していたと疑われても仕方ありません。 作ったばかりの政党ですから資金不足で候補者にカンパを募ることはありうるとして、それならそうと明示すべきで、このような形で資金を徴収すべきではありません。私は早くもこの時、後に痛いほど知ることになる、彼らのお金への執着と、掲げる看板と実態に大きな懸隔の一端を、垣間見たのです』、「ポスター作製は、選挙対策的意味も込めて地元の業者を使うのが通常なのに、全国の候補に大阪の一業者を指定すること自体が異例な上、発注しなくても100万円を徴収するというのは、ポスター作製に名を借りて、候補者から政治資金を徴収していたと疑われても仕方ありません」、その通りだ。
・『他の候補者から漏れ聞こえてきた実情 新潟に帰り、100万円と供託金300万円(当初は比例の300万円も自腹との事でしたが、流石に軌道修正され、比例の供託金は党が負担する事になりました。)を支払い、私は大急ぎで選挙準備を進めました。 私はすでに自民党で2回選挙を戦っていた経験から、選挙運動の勝手がわかっていました。全ての人員をボランティアでそろえるのには苦労しましたが、日々何とか体制が整ってきました。 その中で私は、塾で連絡先を交換した候補者たちと、準備状況をお互いに相談するMLを作りました。私自身選挙準備に追われていたので、他の選挙区での様子を具体的に把握できたわけではないのですが、どの選挙区でも、党本部からのケアはほぼ皆無という状況でした。 今まで一度も選挙活動をしたことがない若者から、最低で供託金300万円とポスター代100万円併せて400万円、そのほか事務所代を含めれば1000万円近くのお金を自腹で払い込ませ、その後はほったらかし。 少なからぬ人が小選挙区では勝負にもならず落選し、供託金も没収となるのは、目に見えていました。政治家は使い捨てとはいえ、随分なものだと、私は思っていました』、「最低で供託金300万円とポスター代100万円併せて400万円、そのほか事務所代を含めれば1000万円近くのお金を自腹で払い込ませ」、費用は結構かかるようだ。
・『「中田宏=比例1位」の困惑 私自身の選挙の勝算は、候補者が多くいる関西、関東と異なり、新潟5区の属する北信越ブロックでは、解散の時点では富山に1人、長野に2人、新潟に私を含めて2人の合計5人の候補者がいるだけ。しかし、世論調査などの維新への支持率から、2~3人の当選が予想され、十分勝機が見込めるというものでした。 ところが私のこの計算は、同年11月30日、前横浜市長中田宏氏を、北信越ブロックの維新比例単独1位で擁立する事を発表したことで早くも崩れました。 「小選挙区の候補者全員を比例同列1位で処遇する」という坂井氏の言が、何の説明もなく反故にされたことを知った私は、声をかけてくれた松浪氏を始め、知遇のあった複数の維新の国会議員に「あまりにひどいではないか。中田宏氏をどうしても比例1位で処遇するなら、せめて中田氏も富山1区など小選挙区で立候補すべきだ」と抗議しましたが、聞き入れられることはありませんでした。 12月4日の公示をまであと3日と迫った12月1日土曜日、長岡駅前に橋下代表代行を迎えての演説会が決まりました。それ自体は大変嬉しく感謝の至りでしたがしかし、本部から示された演説会の条件は、私は信じられないものでした』、「小選挙区の候補者全員を比例同列1位で処遇する」との約束が簡単に反故にされるのでは、候補者は確かにかなわないだろう。
第三に、この続きを、4月23日付け現代ビジネス:議院議員・前新潟県知事の米山 隆一氏による「約束を反故にした「維新」と「橋下徹」 選挙戦で彼らが私にした仕打ちについて 連載「維新戦記」第1回【後編】」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/94625?imp=0
・『かつて維新に籍をおいていた元新潟県知事の米山隆一代議士が見た「維新」の実像とは何か? それは改革を掲げる政党のそれとはとても思えないものだった。前編に引き続き、ありのままの実態を明かす。(この記事は前後編記事の後編です/前編はこちらから)』、興味深そうだ。
・『私の名前をひと言も言わなかった橋下氏 12月4日の公示をまであと3日と迫った12月1日土曜日、長岡駅前に橋下代表代行を迎えての演説会が決まりました。それ自体は大変嬉しく感謝の至りでしたがしかし、本部から示された演説会の条件は、私は信じられないものでした。 演説会は11時00分開始で、橋下代表代行の演説は11時45分からだというのです。応援弁士が、自分の演説開始時間を指定するのは当然ですが、演説会自体は候補者の陣営が開催するもので、応援弁士側が演説会全体の開始時間を指定するは、自民党時代からも一度もなかったからです。 これが自民党であれば地元の県議・市議に応援演説をしてもらえばその場を持たせることは容易だろうと思いますが、当時の日本維新の会は、当然のことながら新潟には一人も地方議員はいませんでした。 私の後援会組織も十分ではなく、ボランティアの応援団はいましたが、橋下氏見たさで多人数の参集が見込まれる中で「前座」で演説ができる度胸のある、経験豊富な政治家はいません。やむを得ず私は、45分間を一人の長演説で繋ぎ、橋下代表代行を迎える事にしました。 心配された私の演説も何とか終わり、橋下氏が現れて演説をしたとき、私はさらに驚きました。橋下氏は私の名前をただの一言も言うことなく、維新の宣伝だけに徹底して演説を終えたのです』、「橋下氏は私の名前をただの一言も言うことなく、維新の宣伝だけに徹底して演説を終えた」、「米山」氏はさぞがっかりしたことだろう。
・『納得して寄付? それだけではありません。橋下氏は演説の中で、誇らしげに 「相手は350億円もかけて選挙をやっているのに、僕ら日本維新の会はお金をかけずにやっているんです。しかもね、立候補者、皆自費で選挙をやっているんです。これが本当の政治家ですよ。 見て下さい、民主党のあの最後のドタバタ劇。民主党は候補者に300万円渡しているんです。これ全部皆さんの税金。300万円だけもらって、逃げちゃった候補者もいたらしいけれども。後で返したらしいですが。日本維新の会は、金を渡すどころか、立候補者から100万円頂いているんです!」 とドヤ顔で話したのです。候補者から100万円を徴収していることが週刊誌で報道されて問題視された故に、「候補者も納得して最初から寄付して貰った」という事にしたのでしょうが、その余りの実態との乖離に、私は眩暈を覚えました(ただしこの部分は動画の記録が残っていなかったので、記憶と千葉における演説を参考に再現しました)』、「米山」氏には腹立たしいだろうが、さすが「橋下氏」らしい収め方だ。
・『私を門前払いにした橋下氏 自民党で応援弁士が応援している立候補者について一言も触れないなどということは一度もありませんでしたし、このような明らさまな欺瞞もありませんでした。もちろん私は一候補者に過ぎませんから、演説の内容に口を出す立場にはありません。私は無事演説会を終えた安堵を感じながらも、失望を禁じえませんでした。 そのあと党本部から「地元の名店を予約するように」と言われていたので、私は名物である枌そばの名店「小嶋屋」を予約しました。 特段会食は設定されていませんでしたが、自民党の応援弁士の方は、大臣クラスでも、時間があれば候補者・後援会スタッフと食事をするなり少なくとも挨拶ぐらいはかわすなりするのが常だったので、私は落選中を含めもう7年間も支えてくれている、地元の名士でもある後援会長と共に、小嶋屋に向かいました。 小嶋屋に入ると橋下氏はすでに個室で食事をしているとの事で、その部屋に後援会長とともに挨拶に行くと、入り口は文字通り黒服のSPが控え、 「現在休憩中だから誰とも会えない」とのことで私と後援会長は、話をするどころか顔を見る事すらない門前払いといっていい対応を受けました』、事前に打ち合わせしておくのが普通だが、「米山」氏が遠慮したのが、結果的にまずくなったようだ。
・『候補者もスタッフもただの「駒」 勿論全国の候補者を応援して回っていた橋下氏が多忙を極めていたのは分かります。又当時の日本維新の会は、橋下氏の人気と知名度に大きく依存しており、氏からは全ての候補者が、自分と党を利用している存在にしか見えなかったのだろうとも思います。 しかし、いかに橋下氏でも、一人で選挙はできません。政党として国政選挙を戦うには多くの候補者やスタッフが必要で、だからこそ当時の維新は、碌に選挙をしたこともない若者達に自腹で1000万円近くを負担させて、172名もの候補者を擁立していたのです。その候補者やスタッフをまるでごみのように扱うという事は、結局のところその地域もごみのように扱うという事でしょう。 私は、その場で後援会長と共に席を取り、全く味のしないそばを、胸に湧き上がる苦い思いとともに飲み下しました』、「橋下氏」にすれば「候補者もスタッフもただの「駒」、「全ての候補者が、自分と党を利用している存在にしか見えなかったのだろう」、やむを得ない。
・『次点で落選 公示前からそんな事があったとはいえ、その後私の選挙戦は、自民党時代からの支持者・ボランティアと、数は少ないながら新たに得たスタッフに支えられて、それ相応に順調に進みました。12月16日の投開票日昼頃には、私の陣営のもとには「恐らく比例復活で当選」との報がマスコミから伝えられました。 私は特段、飾りもない選挙事務所で吉報を待とうと考えていましたが、マスコミから「万歳をするのに必要」と言われて即席のひな壇を作り、万歳撮影の際の位置まで、マスコミ各社と打ち合わせました。当然、マスコミ予想の通り当選できるものだと考えていました。 午後8時を迎え、私と支持者は期待を持ち開票速報を見ていました。しかし、北信越ブロックの維新の獲得議席は3議席。私は惜敗率44.38%で維新4位、次点で落選という残念な物でした』、「マスコミ予想の通り当選できるものだと考えていました」、甘いようだ。
・『「え? そんなこと言ったの?」 選挙から1ヵ月ほどたった12月末、「選挙の総括」という事で、落選した候補者が大阪の維新本部に呼ばれました。実質的な代表でありながら、太陽の党との合流で代表代行となっていた橋下氏が総括を述べた後、質疑となり、落選した候補者の多くが、手を挙げて質問し、意見を述べました。維新の選挙サポートのなさを指摘するものも多かったのですが、そういった意見でも全体としてのトーンは今後に生かし、さらに前向きに努力するというものでした。 そんな中、私はどうしても釈然としない思いで、手を上げ、発言の機会を得ました。 私は目の前の橋下氏を見据えて尋ねました。 「このような機会を与えて頂き、大変ありがとうございます。今ほど、多くの皆様らか非常に有益な指摘や、前向きな決意が表明されました。私も今回は落選してしまいましたが、挫けることなく頑張りたいと思います。ただそれに当たって、一つ申し上げたいことがあります。 私は面接のとき、『小選挙区候補者は同列一位ですか』と面接官に聞き、『同列一位だ』と明言されました。私だけではありません。何人かに聞いたところ、複数の候補者が、同じように確認し、同じ回答を得ています。ところが、蓋を開けたら、全てのブロックで、単独比例1位、2位の候補が擁立されました。 私は、維新は、閉塞した自民党政治を打破し、『合理的な正しい政治』を実現する政党だと思っています。その政党が、内部のことであってもこういう不合理な事をしてはいけないと思います。なぜこのようなことになったのかその理由を伺うとともに、次回以降は、比例順位についての党の方針も、きちんと説明していただきたいと思います」 橋下氏は、私の質問が終わるか終わらないかのうちに、いつもの大きな早口で答えました。 「え? そんな事を言ったの? それ誰? 分からない? ああ、でもそういったなら、それは僕のミスです。すみません。しかし候補者の擁立は、高度な政治判断で党執行部が行います。皆さんは自分の力で選挙をするんじゃない、党の力で選挙をするんだから、それは当然です。ただ、今回の事は説明が悪かった。次回からそれは改めます」 私は、太陽の党との合流を聞いた時から、心の中に澱のように積み重なっていた橋下氏と日本維新の党への失望と違和感が、はっきりと目に見える形を成していくのを感じながら、 「分かりました。ご回答ありがとうございます」と答えて質問を終えました』、「橋下氏」は「今回の事は説明が悪かった。次回からそれは改めます」、と一応、謝るところは男らしい。しかし、「心の中に澱のように積み重なっていた橋下氏と日本維新の党への失望と違和感が、はっきりと目に見える形を成していくのを感じながら・・・」、決別したのだろう。
先ずは、3月16日付けデイリー新潮「日本維新の会幹部「おともだち」医師の個人病院が異例のワクチン集団接種 1億円荒稼ぎの裏側」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/03161132/
・『「極めて異例」またも、日本維新の会による「おともだち優遇」疑惑が噴出した。維新の最高幹部の一人、東徹参院議員を支援する医師が、過剰な量のワクチンを確保し、独自に大型接種会場を設置する異例の事態。約2万回の接種で1億円を荒稼ぎしているとみられるのだ。 昨年6月20日と7月11日、大阪市住之江区にある複合施設「オスカードリーム」では、同区にある「ただクリニック」という一般的な個人経営規模のクリニックによる、新型コロナワクチンの集団接種が行われていた。 「大阪市内には、これ以外にクリニックが独自に大型接種会場を設置した例はありません。東京都内においても、クリニックが大型接種会場を開設した事例はなく、『ただクリニック』の件は極めて異例です」(政府関係者) 何より疑問なのは、規模が決して大きくない「ただクリニック」が、なぜ大型接種会場を開設するほどの大量のワクチンの供給を受けられたのか、という点だ。「ただクリニック」には、市内の他のクリニックの約2~3倍ものワクチンが配分されたのだ』、「維新の最高幹部の一人、東徹参院議員を支援する医師が、過剰な量のワクチンを確保し、独自に大型接種会場を設置する異例の事態。約2万回の接種で1億円を荒稼ぎ」、「「ただクリニック」という一般的な個人経営規模のクリニックによる、新型コロナワクチンの集団接種」、「極めて異例」、「市内の他のクリニックの約2~3倍ものワクチンが配分」、すごい優遇だ。
・『東議員に聞くと…… 公益財団法人「政治資金センター」がネット上で公開している東議員の政治資金収支報告書を見ると、「ただクリニック」の多田均院長名義で毎年、寄付がなされており、2020年までの6年間で計33万円。さらに、接種会場となった「オスカードリーム」を運営する不動産会社の代表取締役も19年、20年に合計15万円を東議員に寄付しているのだ。ある地方自治体職員によると、小規模クリニックが約2万回分の供給を受けたことは「ウラがあるとしか思え」ず、ワクチン分配の過程は「ブラックボックス的に決まっているので、政治的介入の余地はある」という。 そこで東議員に「ただクリニック」へのワクチン大量供給について聞くと、 「まっっっっっったく関係ありません。私に介入の余地はありませんよね」 と答える一方、支援者が運営する施設が接種会場となったことについては、「私は『こういう所がありますよ』と多田さんにアドバイスしたくらいです」と関与を認めた。 医療機関がワクチンを接種すると、接種費用に補助金などを加え、1回につき5070円が支払われるため、「ただクリニック」は約2万回の接種によって約1億円を得た計算になる。 3月17日発売の「週刊新潮」では、食い物にされる「ワクチン行政」の実態について詳報する』、「小規模クリニックが約2万回分の供給を受けたことは「ウラがあるとしか思え」ず、ワクチン分配の過程は「ブラックボックス的に決まっているので、政治的介入の余地はある」という」、こんな恣意的な行政が公然と行われているとは、世も末だ。維新の会に丸め込まれた大阪のマスコミにも責任がある。
次に、4月23日付け現代ビジネスが掲載した衆議院議員・前新潟県知事の米山 隆一氏による「独占手記 私が見た「維新」と「橋下徹」 結党後の理念とカネへの執着について 連載「維新戦記」第1回【前編】」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/94623?imp=0
・『今だから明かすべきだと私が考えた理由 2012年~2015年の2年間、私・米山隆一は衆議院議員・参議院議員の候補者として日本維新の会(維新の党)に所属していました。 この連載で、私が維新で経験し、感じたことを、可能な限り客観的に書いていきたいと思います。 日本維新の会は、伸長と停滞を繰り返しながら、2021年の選挙で41議席を獲得し、ブームを起こした2012年の結党時の議席に迫りつつあります。 その中で、維新はことあるごとに「身を切る改革」と叫んで自らはお金に対してクリーンであることを喧伝していますが、私は第1回目の衆議院選挙では使いもしないのに100万円の経費を徴収されましたし、2015年の分裂騒動では橋下氏らの大阪組は「政党交付金の国庫返納!」を叫びながら、ひたすらお金に執着し、刑事事件すれすれの事さえして資金を収奪していました。 彼らが見せている姿とその実像は、余りに食い違っています。 今、できるだけ多くの日本の未来に関心を持つ方々に、「維新の実態とはどのようなものか」を事実に基づいて理解してもらうことは、日本の岐路を選択する上で、極めて重要な事だと考え、筆を執ることとしました』、信頼に足る内部告発で興味深そうだ。
・『候補者面接と「内定」 「なかなかな経歴だけど、自民党で2回選挙に落ちているんだね。何が足りなかったと思う?」 2012年10月、大阪市中之島の日本維新の会本部ビルの12階で、関西弁の強い、顔色が悪く皴の多い男性の面接官から尋ねられました。 私は、「選挙自体は私は、いずれも惜敗だったと思います。ただ地域のキーマンへの配慮や対策が足りない部分があったと思います」 と答えました。自民党時代旧知の間柄であった、松浪健太衆議院議員(当時・現大阪府議)からの立候補の勧誘を受けてものだったこともあって面接は和やかな雰囲気のまま進みました。 「分かりました。私からは以上ですが、米山さんから質問はありますか?」 この男性からそう問われ、私は答えました。 「はい、一つだけ質問があります。比例重複立候補の順位は、小選挙区の候補者全員同列の一位という事で宜しいでしょうか? 候補者にとっては極めて重要なことですから」 「もちろんだよ」 面接官はそう答え、私はそれを聞いて安心して部屋を後にしました。その面接官は、後に当時大阪維新の会府議団長であった、弁護士の坂井良和氏であることが分かりました。その数日後に新潟5区からの立候補者として内定する旨の通知を得て、私は日本維新の会に入党しました』、「自民党で2回選挙に落ちている」、なるほど。
・『国政進出前の熱気 この日を遡ること半年、2012年の5月、私は自民党時代に同じ二階派で親しかった松浪氏に声をかけられ、麻布のバーに向かっていました。 瀟洒なビルの3階のドアを開けると、そこには手にグラスを持った多くの男性がおり、ある人は立ち、ある人はソファーに腰かけて、話していました。この中には、衆議院議員で官房副長官まで務めた松野頼久氏、桜内文城氏、小熊慎司氏などがいました。 会では、3年前に政権交代を成し遂げた民主党政権が震災復興と消費増税で迷走するなかで、近く予想される総選挙に向けて橋下徹大阪市長(当時)が率いる地域政党・大阪維新の会の国政進出が話し合われていました。 その会話の中では、第1次安倍内閣崩壊後、谷垣禎一氏が総裁を務める自民党で失意の身だった安倍晋三元首相が自民党の総裁選挙で勝てなかった場合、側近の菅義偉議員と共に「維新」に参加する可能性があることも取りざたされていました。 声をかけられて赴いたとはいえ、並みいる議員たちの中で、浪々の身である私は小さくなっていました。それでも、閉塞する日本の政治を変えようという熱気をひしひしと感じました』、「安倍晋三元首相が自民党の総裁選挙で勝てなかった場合、側近の菅義偉議員と共に「維新」に参加する可能性があることも取りざたされていました」、「安倍」が「維新」に参加する可能性」があったとは初めて知った。
・『一期生が持っていた星雲の志 同年9月12日、大阪維新の会の代表である橋下氏が「維新八策」を発表し、世の中を覆う閉塞感を打開する新政党への期待が高まり、同年9月28日、日本維新の会が設立されました。 11月には大阪のコンベンションセンターで開かれていた「維新政治塾」の最終講義に呼ばれ、「塾生」達と初めて顔を合わせました。麻布のバーでたむろしていたスーツの男性たちとは違い塾生たちの多くは若くフレッシュで、女性の姿も目立ちました。 この時同席していた仲間に、後に参議院議員となる塩村彩夏氏(立憲民主党)、2017年に衆議院比例近畿ブロックで当選した森夏枝氏、昨年10月の衆議院選挙で初当選した青柳仁士氏(日本維新の会)などがいます。 その後立候補する大阪の市議・府議を含め参加者は一様に講師たちの講義を熱心に聞き、様々な質疑を行いました。休憩時間には連絡先をお互いに交換し、政治にかける思いを語る光景がここかしこで繰り広げられました。 この時集まった一期生の間には確かに、日本の政治を刷新していこうという純粋な、そして燃えるような青雲の志が確かにあったと思います。私はこの時の同期の何人かとは、今でも友人付き合いを続けています』、「一期生が持っていた星雲の志」、は確かなようだ。
・『石原新党との合流 11月16日に衆議院が解散された翌17日、観測が流れていたとはいえ、私を含む多くの人にとっては「突如」、日本維新の会と、石原慎太郎氏率いる太陽の党の合流が発表されました。塾で会った候補者の考え方は多種多様でしたし、そこまで深く意見を聞いたわけでもないのですが、恐らく6~7割方はリベラル寄りであったと思います。 自民党時代、私は党内では最もリベラルな立ち位置でしたから、とても驚きました。私は困惑を感じながらも、維新の主流派はリベラルのままであり、太陽の党の出身議員の発言権はそれほどにはならないだろうと考えて、自らを納得させたことを昨日の事のように覚えています』、「太陽の党」は『吸収」され、「出身議員の発言権はそれほどにはならな」かったようだ。
・『「100万円徴収」で感じた懸念 その後、候補内定者は直ちに大阪中之島の日本維新の会本部のビルに呼ばれ、記者会見と、選挙手続きの説明、橋下氏との写真撮影などが行われました。 ここで驚いたのは、小選挙区と比例区の供託金600万円と合わせて、ポスター作製などの発注業者が指定され、製作費として100万円を振り込むこととされていたことでした。 私は自民党で政治活動をしていた時からなじみの深い業者さんがおり、ポスター作りのコンセプトやコンテンツを共有していました。選挙まで1か月しかない中で、勝手を知らない業者さんと一から話をする時間が惜しいと感じた私は、軽い気持ちで事務局に 「ポスター等は自分で発注して自分で作るので100万円はいいですよね?」と聞いたところ、その答えは 「いえ、自分で作るのは自由ですが、100万円は振り込んでください」というものでした。私はその回答に非常に驚きましたが、党本部と喧嘩するのも得策でないと考え、 「分かりました」と答え本部を後にしました。 後に、同様の申し出をした候補が複数いたことを聞きましたが、いずれも、「ポスター作製代100万円は必須」でした。 そもそもポスター作製は、選挙対策的意味も込めて地元の業者を使うのが通常なのに、全国の候補に大阪の一業者を指定すること自体が異例な上、発注しなくても100万円を徴収するというのは、ポスター作製に名を借りて、候補者から政治資金を徴収していたと疑われても仕方ありません。 作ったばかりの政党ですから資金不足で候補者にカンパを募ることはありうるとして、それならそうと明示すべきで、このような形で資金を徴収すべきではありません。私は早くもこの時、後に痛いほど知ることになる、彼らのお金への執着と、掲げる看板と実態に大きな懸隔の一端を、垣間見たのです』、「ポスター作製は、選挙対策的意味も込めて地元の業者を使うのが通常なのに、全国の候補に大阪の一業者を指定すること自体が異例な上、発注しなくても100万円を徴収するというのは、ポスター作製に名を借りて、候補者から政治資金を徴収していたと疑われても仕方ありません」、その通りだ。
・『他の候補者から漏れ聞こえてきた実情 新潟に帰り、100万円と供託金300万円(当初は比例の300万円も自腹との事でしたが、流石に軌道修正され、比例の供託金は党が負担する事になりました。)を支払い、私は大急ぎで選挙準備を進めました。 私はすでに自民党で2回選挙を戦っていた経験から、選挙運動の勝手がわかっていました。全ての人員をボランティアでそろえるのには苦労しましたが、日々何とか体制が整ってきました。 その中で私は、塾で連絡先を交換した候補者たちと、準備状況をお互いに相談するMLを作りました。私自身選挙準備に追われていたので、他の選挙区での様子を具体的に把握できたわけではないのですが、どの選挙区でも、党本部からのケアはほぼ皆無という状況でした。 今まで一度も選挙活動をしたことがない若者から、最低で供託金300万円とポスター代100万円併せて400万円、そのほか事務所代を含めれば1000万円近くのお金を自腹で払い込ませ、その後はほったらかし。 少なからぬ人が小選挙区では勝負にもならず落選し、供託金も没収となるのは、目に見えていました。政治家は使い捨てとはいえ、随分なものだと、私は思っていました』、「最低で供託金300万円とポスター代100万円併せて400万円、そのほか事務所代を含めれば1000万円近くのお金を自腹で払い込ませ」、費用は結構かかるようだ。
・『「中田宏=比例1位」の困惑 私自身の選挙の勝算は、候補者が多くいる関西、関東と異なり、新潟5区の属する北信越ブロックでは、解散の時点では富山に1人、長野に2人、新潟に私を含めて2人の合計5人の候補者がいるだけ。しかし、世論調査などの維新への支持率から、2~3人の当選が予想され、十分勝機が見込めるというものでした。 ところが私のこの計算は、同年11月30日、前横浜市長中田宏氏を、北信越ブロックの維新比例単独1位で擁立する事を発表したことで早くも崩れました。 「小選挙区の候補者全員を比例同列1位で処遇する」という坂井氏の言が、何の説明もなく反故にされたことを知った私は、声をかけてくれた松浪氏を始め、知遇のあった複数の維新の国会議員に「あまりにひどいではないか。中田宏氏をどうしても比例1位で処遇するなら、せめて中田氏も富山1区など小選挙区で立候補すべきだ」と抗議しましたが、聞き入れられることはありませんでした。 12月4日の公示をまであと3日と迫った12月1日土曜日、長岡駅前に橋下代表代行を迎えての演説会が決まりました。それ自体は大変嬉しく感謝の至りでしたがしかし、本部から示された演説会の条件は、私は信じられないものでした』、「小選挙区の候補者全員を比例同列1位で処遇する」との約束が簡単に反故にされるのでは、候補者は確かにかなわないだろう。
第三に、この続きを、4月23日付け現代ビジネス:議院議員・前新潟県知事の米山 隆一氏による「約束を反故にした「維新」と「橋下徹」 選挙戦で彼らが私にした仕打ちについて 連載「維新戦記」第1回【後編】」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/94625?imp=0
・『かつて維新に籍をおいていた元新潟県知事の米山隆一代議士が見た「維新」の実像とは何か? それは改革を掲げる政党のそれとはとても思えないものだった。前編に引き続き、ありのままの実態を明かす。(この記事は前後編記事の後編です/前編はこちらから)』、興味深そうだ。
・『私の名前をひと言も言わなかった橋下氏 12月4日の公示をまであと3日と迫った12月1日土曜日、長岡駅前に橋下代表代行を迎えての演説会が決まりました。それ自体は大変嬉しく感謝の至りでしたがしかし、本部から示された演説会の条件は、私は信じられないものでした。 演説会は11時00分開始で、橋下代表代行の演説は11時45分からだというのです。応援弁士が、自分の演説開始時間を指定するのは当然ですが、演説会自体は候補者の陣営が開催するもので、応援弁士側が演説会全体の開始時間を指定するは、自民党時代からも一度もなかったからです。 これが自民党であれば地元の県議・市議に応援演説をしてもらえばその場を持たせることは容易だろうと思いますが、当時の日本維新の会は、当然のことながら新潟には一人も地方議員はいませんでした。 私の後援会組織も十分ではなく、ボランティアの応援団はいましたが、橋下氏見たさで多人数の参集が見込まれる中で「前座」で演説ができる度胸のある、経験豊富な政治家はいません。やむを得ず私は、45分間を一人の長演説で繋ぎ、橋下代表代行を迎える事にしました。 心配された私の演説も何とか終わり、橋下氏が現れて演説をしたとき、私はさらに驚きました。橋下氏は私の名前をただの一言も言うことなく、維新の宣伝だけに徹底して演説を終えたのです』、「橋下氏は私の名前をただの一言も言うことなく、維新の宣伝だけに徹底して演説を終えた」、「米山」氏はさぞがっかりしたことだろう。
・『納得して寄付? それだけではありません。橋下氏は演説の中で、誇らしげに 「相手は350億円もかけて選挙をやっているのに、僕ら日本維新の会はお金をかけずにやっているんです。しかもね、立候補者、皆自費で選挙をやっているんです。これが本当の政治家ですよ。 見て下さい、民主党のあの最後のドタバタ劇。民主党は候補者に300万円渡しているんです。これ全部皆さんの税金。300万円だけもらって、逃げちゃった候補者もいたらしいけれども。後で返したらしいですが。日本維新の会は、金を渡すどころか、立候補者から100万円頂いているんです!」 とドヤ顔で話したのです。候補者から100万円を徴収していることが週刊誌で報道されて問題視された故に、「候補者も納得して最初から寄付して貰った」という事にしたのでしょうが、その余りの実態との乖離に、私は眩暈を覚えました(ただしこの部分は動画の記録が残っていなかったので、記憶と千葉における演説を参考に再現しました)』、「米山」氏には腹立たしいだろうが、さすが「橋下氏」らしい収め方だ。
・『私を門前払いにした橋下氏 自民党で応援弁士が応援している立候補者について一言も触れないなどということは一度もありませんでしたし、このような明らさまな欺瞞もありませんでした。もちろん私は一候補者に過ぎませんから、演説の内容に口を出す立場にはありません。私は無事演説会を終えた安堵を感じながらも、失望を禁じえませんでした。 そのあと党本部から「地元の名店を予約するように」と言われていたので、私は名物である枌そばの名店「小嶋屋」を予約しました。 特段会食は設定されていませんでしたが、自民党の応援弁士の方は、大臣クラスでも、時間があれば候補者・後援会スタッフと食事をするなり少なくとも挨拶ぐらいはかわすなりするのが常だったので、私は落選中を含めもう7年間も支えてくれている、地元の名士でもある後援会長と共に、小嶋屋に向かいました。 小嶋屋に入ると橋下氏はすでに個室で食事をしているとの事で、その部屋に後援会長とともに挨拶に行くと、入り口は文字通り黒服のSPが控え、 「現在休憩中だから誰とも会えない」とのことで私と後援会長は、話をするどころか顔を見る事すらない門前払いといっていい対応を受けました』、事前に打ち合わせしておくのが普通だが、「米山」氏が遠慮したのが、結果的にまずくなったようだ。
・『候補者もスタッフもただの「駒」 勿論全国の候補者を応援して回っていた橋下氏が多忙を極めていたのは分かります。又当時の日本維新の会は、橋下氏の人気と知名度に大きく依存しており、氏からは全ての候補者が、自分と党を利用している存在にしか見えなかったのだろうとも思います。 しかし、いかに橋下氏でも、一人で選挙はできません。政党として国政選挙を戦うには多くの候補者やスタッフが必要で、だからこそ当時の維新は、碌に選挙をしたこともない若者達に自腹で1000万円近くを負担させて、172名もの候補者を擁立していたのです。その候補者やスタッフをまるでごみのように扱うという事は、結局のところその地域もごみのように扱うという事でしょう。 私は、その場で後援会長と共に席を取り、全く味のしないそばを、胸に湧き上がる苦い思いとともに飲み下しました』、「橋下氏」にすれば「候補者もスタッフもただの「駒」、「全ての候補者が、自分と党を利用している存在にしか見えなかったのだろう」、やむを得ない。
・『次点で落選 公示前からそんな事があったとはいえ、その後私の選挙戦は、自民党時代からの支持者・ボランティアと、数は少ないながら新たに得たスタッフに支えられて、それ相応に順調に進みました。12月16日の投開票日昼頃には、私の陣営のもとには「恐らく比例復活で当選」との報がマスコミから伝えられました。 私は特段、飾りもない選挙事務所で吉報を待とうと考えていましたが、マスコミから「万歳をするのに必要」と言われて即席のひな壇を作り、万歳撮影の際の位置まで、マスコミ各社と打ち合わせました。当然、マスコミ予想の通り当選できるものだと考えていました。 午後8時を迎え、私と支持者は期待を持ち開票速報を見ていました。しかし、北信越ブロックの維新の獲得議席は3議席。私は惜敗率44.38%で維新4位、次点で落選という残念な物でした』、「マスコミ予想の通り当選できるものだと考えていました」、甘いようだ。
・『「え? そんなこと言ったの?」 選挙から1ヵ月ほどたった12月末、「選挙の総括」という事で、落選した候補者が大阪の維新本部に呼ばれました。実質的な代表でありながら、太陽の党との合流で代表代行となっていた橋下氏が総括を述べた後、質疑となり、落選した候補者の多くが、手を挙げて質問し、意見を述べました。維新の選挙サポートのなさを指摘するものも多かったのですが、そういった意見でも全体としてのトーンは今後に生かし、さらに前向きに努力するというものでした。 そんな中、私はどうしても釈然としない思いで、手を上げ、発言の機会を得ました。 私は目の前の橋下氏を見据えて尋ねました。 「このような機会を与えて頂き、大変ありがとうございます。今ほど、多くの皆様らか非常に有益な指摘や、前向きな決意が表明されました。私も今回は落選してしまいましたが、挫けることなく頑張りたいと思います。ただそれに当たって、一つ申し上げたいことがあります。 私は面接のとき、『小選挙区候補者は同列一位ですか』と面接官に聞き、『同列一位だ』と明言されました。私だけではありません。何人かに聞いたところ、複数の候補者が、同じように確認し、同じ回答を得ています。ところが、蓋を開けたら、全てのブロックで、単独比例1位、2位の候補が擁立されました。 私は、維新は、閉塞した自民党政治を打破し、『合理的な正しい政治』を実現する政党だと思っています。その政党が、内部のことであってもこういう不合理な事をしてはいけないと思います。なぜこのようなことになったのかその理由を伺うとともに、次回以降は、比例順位についての党の方針も、きちんと説明していただきたいと思います」 橋下氏は、私の質問が終わるか終わらないかのうちに、いつもの大きな早口で答えました。 「え? そんな事を言ったの? それ誰? 分からない? ああ、でもそういったなら、それは僕のミスです。すみません。しかし候補者の擁立は、高度な政治判断で党執行部が行います。皆さんは自分の力で選挙をするんじゃない、党の力で選挙をするんだから、それは当然です。ただ、今回の事は説明が悪かった。次回からそれは改めます」 私は、太陽の党との合流を聞いた時から、心の中に澱のように積み重なっていた橋下氏と日本維新の党への失望と違和感が、はっきりと目に見える形を成していくのを感じながら、 「分かりました。ご回答ありがとうございます」と答えて質問を終えました』、「橋下氏」は「今回の事は説明が悪かった。次回からそれは改めます」、と一応、謝るところは男らしい。しかし、「心の中に澱のように積み重なっていた橋下氏と日本維新の党への失望と違和感が、はっきりと目に見える形を成していくのを感じながら・・・」、決別したのだろう。
タグ:現代ビジネス 「小規模クリニックが約2万回分の供給を受けたことは「ウラがあるとしか思え」ず、ワクチン分配の過程は「ブラックボックス的に決まっているので、政治的介入の余地はある」という」、こんな恣意的な行政が公然と行われているとは、世も末だ。維新の会に丸め込まれた大阪のマスコミにも責任がある。 「橋下氏」にすれば「候補者もスタッフもただの「駒」、「全ての候補者が、自分と党を利用している存在にしか見えなかったのだろう」、やむを得ない。 事前に打ち合わせしておくのが普通だが、「米山」氏が遠慮したのが、結果的にまずくなったようだ。 「米山」氏には腹立たしいだろうが、さすが「橋下氏」らしい収め方だ。 「橋下氏は私の名前をただの一言も言うことなく、維新の宣伝だけに徹底して演説を終えた」、「米山」氏はさぞがっかりしたことだろう。 米山 隆一氏による「約束を反故にした「維新」と「橋下徹」 選挙戦で彼らが私にした仕打ちについて 連載「維新戦記」第1回【後編】」 「小選挙区の候補者全員を比例同列1位で処遇する」との約束が簡単に反故にされるのでは、候補者は確かにかなわないだろう。 「最低で供託金300万円とポスター代100万円併せて400万円、そのほか事務所代を含めれば1000万円近くのお金を自腹で払い込ませ」、費用は結構かかるようだ。 「ポスター作製は、選挙対策的意味も込めて地元の業者を使うのが通常なのに、全国の候補に大阪の一業者を指定すること自体が異例な上、発注しなくても100万円を徴収するというのは、ポスター作製に名を借りて、候補者から政治資金を徴収していたと疑われても仕方ありません」、その通りだ。 「太陽の党」は『吸収」され、「出身議員の発言権はそれほどにはならな」かったようだ。 「一期生が持っていた星雲の志」、は確かなようだ。 「安倍晋三元首相が自民党の総裁選挙で勝てなかった場合、側近の菅義偉議員と共に「維新」に参加する可能性があることも取りざたされていました」、「安倍」が「維新」に参加する可能性」があったとは初めて知った。 「自民党で2回選挙に落ちている」、なるほど。 信頼に足る内部告発で興味深そうだ。 米山 隆一氏による「独占手記 私が見た「維新」と「橋下徹」 結党後の理念とカネへの執着について 連載「維新戦記」第1回【前編】」 「維新の最高幹部の一人、東徹参院議員を支援する医師が、過剰な量のワクチンを確保し、独自に大型接種会場を設置する異例の事態。約2万回の接種で1億円を荒稼ぎ」、「「ただクリニック」という一般的な個人経営規模のクリニックによる、新型コロナワクチンの集団接種」、「極めて異例」、「市内の他のクリニックの約2~3倍ものワクチンが配分」、すごい優遇だ。 デイリー新潮「日本維新の会幹部「おともだち」医師の個人病院が異例のワクチン集団接種 1億円荒稼ぎの裏側」 「橋下氏」は「今回の事は説明が悪かった。次回からそれは改めます」、と一応、謝るところは男らしい。しかし、「心の中に澱のように積み重なっていた橋下氏と日本維新の党への失望と違和感が、はっきりと目に見える形を成していくのを感じながら・・・」、決別したのだろう。 「マスコミ予想の通り当選できるものだと考えていました」、甘いようだ。 (その6)(日本維新の会幹部「おともだち」医師の個人病院が異例のワクチン集団接種 1億円荒稼ぎの裏側、独占手記 私が見た「維新」と「橋下徹」 結党後の理念とカネへの執着について 連載「維新戦記」第1回【前編】、約束を反故にした「維新」と「橋下徹」 選挙戦で彼らが私にした仕打ちについて 連載「維新戦記」第1回【後編】) 維新の会