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SNS(ソーシャルメディア)(その11)(承認欲求のお葬式、SNSで自分の意見は多数派と思う人が陥る怖い罠 精査したと思っている情報がすでに偏っている、「なぜデマ情報が急増?」米SNS研究が明らかにした衝撃の事実) [メディア]

SNS(ソーシャルメディア)については、昨年10月21日に取上げた。今日は、(その11)(承認欲求のお葬式、SNSで自分の意見は多数派と思う人が陥る怖い罠 精査したと思っている情報がすでに偏っている、「なぜデマ情報が急増?」米SNS研究が明らかにした衝撃の事実)である。

先ずは、本年3月23日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーランスライターの川代紗生氏による「承認欲求のお葬式」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/299791
・『SNSが誕生した時期に思春期を迎え、SNSの隆盛とともに青春時代を過ごし、そして就職して大人になった、いわゆる「ゆとり世代」。彼らにとって、ネット上で誰かから常に見られている、常に評価されているということは「常識」である。それ故、この世代にとって、「承認欲求」というのは極めて厄介な大問題であるという。それは日本だけの現象ではない。海外でもやはり、フェイスブックやインスタグラムで飾った自分を表現することに明け暮れ、そのプレッシャーから病んでしまっている若者が増殖しているという。初の著書である『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)で承認欲求との8年に及ぶ闘いを描いた川代紗生さんもその一人だ。「承認欲求」とは果たして何なのか? 現代社会に蠢く新たな病について考察する』、「承認欲求との8年に及ぶ闘いを描いた」とは興味深そうだ。
・『感情の「お葬式」  「さようなら。今までありがとう」 私は人生の節目節目で、「感情のお葬式」というものをすることがある。なんてことはない。別に実際に参列するわけではない。一種の妄想だ。頭の中で、今までお世話になってきた感情に対してお辞儀をする。ありがとう、とお礼を言う。そして目を開ける。そうすると、なんだか過去の自分から解放されて、新しい自分になれるような気がする。思い込みかもしれないけれど。 頻繁にあるわけではない。ふと思い立ったとき、私はお葬式をする。さようなら、恋。さようなら、親への執着。さようなら、学生としての甘え。本当にその感情が自分の中からいなくなるとは限らないけれど、それでも、ひとつ自分の中で線を引いたような気分になるのだ。 これまでの人生の中で、「あ、今が転機かもしれない」と思う瞬間があって、そのときどきで必要に応じてお葬式をやってきた。いろいろな感情を弔ってきたし、その分、新しい感情が生まれてくることもあった。けれども私の中で、どうしてもさようならを言えない感情があった。 承認欲求。 他人から認められたいと思う気持ち。 周りと自分を比べてしまう気持ち。 社会からの評価に振り回されてしまう。とにかく、「世間の目」が気になって仕方がない、気持ち。 承認欲求に悩んでいる、いなくなっちゃえばいいのに、という声は頻繁に耳にする。とくに同世代で。就活生の頃からだったろうか。SNSが発達し、他人から「評価される」という機会が多い現代の社会で、私たちゆとり世代は日々、他人からの評価・期待と、自分本来の限界値との間でゆれ、劣等感に悩み続けている。 私は大学生の頃からブログを書いているが、「承認欲求」について考えることが、とても多かった。メインテーマは「女子と承認欲求」だった。 男子ももちろん大変だろうが、女子の中ではとくに、承認欲求について悩みを持つ人が多いように思う。女子は、ロールモデルが多く、多すぎるあまりに、「こんな人生が幸せ」というサンプルを得にくいからだ。仕事を頑張ってトップになったら絶対に幸せになれるというわけではない。数多くの男たちから告白されたら幸せになれるというわけでもない。結婚して子どもを産めば終わりというわけでもない。 ナイトプールに行っている子だってバリバリ海外で働いているキャリアウーマンを見ると焦りを感じるし、東京でクリエイティブな活動をしているエディターだって、地方の田舎でパン屋さんをやっている主婦の丁寧な暮らしぶりに嫉妬するのだ。女の人生は、なかなか難しい。 そんなことをあれこれ書いていた。書いていると、気がつくことがあった。私が悩んでいるのと同じようなことで、みんなも悩んでいるということだった。 たとえば、私は周りからこれほど「認められたい」と強く思っているのは私だけかと思っていた。承認欲求がこんなに強い人間は珍しいほうだと。 そう思いながらも、恥をさらすつもりで自分の感情をブログに曝け出したら、思わぬ反響があった。みんな同じだというのだ。私と同じように、承認欲求に、嫉妬に、劣等感に苦しんでいる。なかなか口には出せないけれど。 「ありがとう」と、感謝されることが多くなった。文章を書くことによって。 勇気を出して書いてよかった、と思うと同時にむくむくと、別の感情が湧き上がってくるのがわかった。不思議な恍惚というか、何かに興奮しているような、そんな感じ。けれども、その感情を何と定義するべきなのか、すぐにはわからなかった。 それからというもの、私はどんどん書くことにのめりこんでいった。書けば書くほど、共感してくれる仲間が増えていくのが面白くて仕方なかった。 「どうして、書くことを仕事にしたいと思うの? 」 将来書いて食べていけるようになりたい、と私が言うと、こんな風に聞かれることがあった。何がきっかけだったの? 転機みたいなものはあった? 決定打は?  「わからないけど、ただ、文章を書くようになって、最初にいろんな人に読んでもらって、『共感した』って言ってもらえたときの、あの感動が忘れられなくて」 私はとっさにそう答えた。事実だった。やりたいことなんて、合理的に決めるものじゃないんだなと思った。ビビッとくる、というのか、「これがやりたい!」という直感に突き動かされて、決まるものなのだな、と』、「これまでの人生の中で、「あ、今が転機かもしれない」と思う瞬間があって、そのときどきで必要に応じてお葬式をやってきた。いろいろな感情を弔ってきたし、その分、新しい感情が生まれてくることもあった。けれども私の中で、どうしてもさようならを言えない感情があった。 承認欲求」、「感情の「お葬式」」とはユニークで面白い。
・『私は承認欲求の奴隷だった  けれども、そこまで考えたとき、私はあることに気がついた。 もしかして、私がこうして文章を書き続けているその原動力こそ、承認欲求そのものなのでは? 私は、認めてもらうために、承認欲求を満たすために、文章を書いているのでは? もっと別の言い方をすると、私にとっては、承認欲求を満たす最も簡単な方法が、書くことだった。それだけだったのでは?  一見、矛盾しているようだが、事実だった。私は、「認めてもらう」という大目的を達成するために、「承認欲求から解放されたい」というネタをコンテンツにし続けていたのだ。 承認欲求をなくしたい。他人からの評価軸で生きるのをやめたいと思っているのは事実で、その苦しみから逃れるために記事を書いていた。けれども、周りが共感してくれるのは、「承認欲求から解放された私」ではなく「承認欲求に苦しんでいる私」という内容。 つまり、私が承認欲求から本当に解放されてしまったら、誰も私の文章を読んでくれなくなるんじゃないか? ものすごい恐怖を覚えた。 今、周りから必要とされているのは、「ポジティブに生きる、幸せな私」ではなく、「承認欲求に苦しんでいる私」なのだ。 ドロドロとしたマイナスの感情から逃れたいのは事実なのに、解放されない方が結果的にはおいしいという、とんでもない矛盾を抱えていたのだ。 私の中から承認欲求が消えたら、必要とされなくなるという、恐怖。 「共感してもらえる」という強烈な満足感を知ってしまったばかりに、「認められたい」の負のスパイラルに陥っていた。 いなく、ならないでくれ。 自分が嫌いだと思っていた感情に対して、そんな風に思ったのは、そのときがはじめてだった。 もはや私にとって、承認欲求はただの感情ではなくなっていた。 ひとつの、武器とすら言ってもいい。 承認欲求というツールを使って、私は不特定多数の、同じ苦しみを抱き、同じ痛みを抱えている人たちと繋がることができた。他者の持つ、「欠損」というものは、どうしてこうも魅力的に見えるのだろうか。そして、「欠損」によって繋がった人間関係というのは、どうしてポジティブな理由で繋がった人間関係よりもずっと、奥深くでしっかりと絆を紡いでいられるような気がしてしまうのだろう。 恐ろしかった。自分のことが。 このままでいいのだろうか、と思うことさえあった。 「書く」という作業をしていると、色々なことをネタにしようという視点が身についてくる。 辛いことがあったり、苦しいことがあっても、「書くネタができた」と思えば、プラスに転換できる。世の中を見る目が、前向きになってくる。 けれども私の場合は、それが歪んだ方向に進んでしまっていたのかもしれなかった。 書くために、辛いことがありますようにと願った。 書くために、承認欲求が消えませんようにと願った。 どんどんと、負のスパイラルは進んでいく。ぐるぐると下に向かう。 あ、これはもうだめだな、と思ったのは、知人が亡くなったときだった。 よく知る、自分と年の近い人間が死ぬというのは、思いのほか衝撃的で、私はしばらくその事実についてぐるぐると頭を巡らせていた。 そしてしばらくボーッと考えたすえに、ふと浮かんだのは。 「これ、ネタになるな」 その瞬間、ハッとした。 今、私、なんて思った? 何を考えた?  こともあろうに、私は、人の死をネタにしようとしてしまっていたのだ。よく知る人間の死。辛い。その感情を描けば、きっと。 きっと、みんなから認めてもらえる?  どこまでも、私は承認欲求の奴隷だった。 人から認めてもらいたい、その感情と向き合うために文章を書き始めたのに、結果的に、承認欲求がないと困る人間になってしまっていた。 こんなやつで居続けて、いいのだろうか。 そんな疑問が、ここしばらくずっと、いや、もしかしたらここ数年ずっとかもしれないが、私の頭の中にあった。結論が出ないまま、時は過ぎた』、「辛いことがあったり、苦しいことがあっても、「書くネタができた」と思えば、プラスに転換できる。世の中を見る目が、前向きになってくる。 けれども私の場合は、それが歪んだ方向に進んでしまっていたのかもしれなかった。 書くために、辛いことがありますようにと願った。 書くために、承認欲求が消えませんようにと願った。 どんどんと、負のスパイラルは進んでいく。ぐるぐると下に向かう」、「私は承認欲求の奴隷だった。 人から認めてもらいたい、その感情と向き合うために文章を書き始めたのに、結果的に、承認欲求がないと困る人間になってしまっていた。 こんなやつで居続けて、いいのだろうか」、確かに深刻なジレンマだ。
・『私は居場所が欲しかっただけなのかもしれない  そうして、大学生の頃とは違い、働くようになった。この数年がむしゃらに働き、苦しいことばかりだったが、最近になってようやく、働くことの面白さみたいなものが、わかりかけているように思う。 ありがたいことに、店長や書く仕事、編集作業やイベントの企画など、幅広い仕事を任せてもらえるようになった。失敗することもまだまだあるが、これからも続けていきたいという、熱中できる仕事に出会えたことで、私の人生は変わりつつある。 結論から言えば、今の私は、承認欲求に頼って生きる必要がなくなってしまった。 きっかけとなったのは、福岡店のリニューアルを担当したことだった。2018年の5月のことだ。 私は子どもの頃からチームで動くということがとても苦手で、一人でいる方が好きなタイプだった。リーダーとして周りをひっぱっていく才能もないし、部活の先輩後輩の上下関係の中で要領よく立ち回るのも苦手だった。 けれども、福岡店のリニューアルをするためには、チームで動かざるをえなかった。目標を達成するためには私一人の力ではどうにもできない。店舗というのはスタッフ一人一人が動き、そして、お客様に感動を与えられるようにみんなで工夫していかなければならない。 どうしたらお客様に「来てよかった」と言ってもらえるのかと、そればかりをずっと考えていた。 そして思いつく限りのことはやった。スタッフからあげられたアイデアはすぐに取り入れ、実行した。うまくいくこともうまくいかないこともあった。けれども失敗と成功を繰り返して、リニューアルは徐々に進んでいった。お客様に「ありがとう」と言っていただけることが増えた。 ふと、顔を上げると、私は「認められたい」という衝動によって動いていることが圧倒的に少なくなっていることに気がついた。 たしかに、「みんなにこう思ってほしい」という感情はあった。けれどもそれは、認められたいという承認欲求とはまた別の感情のような気がした。私がこうなりたいとかじゃなくて、みんなに、楽しんでほしいとか、笑っていてほしいとか、居心地がいいと感じてほしい、とか。 口にするのは照れ臭いけれど、それは、承認欲求ではなくて、愛情なんじゃないかと、私は思う。そう思いたい。 自分ではない誰かのために動く面白さは、周りから認めてもらえたときの興奮とは、また違った震え方をした。優しく穏やかに、じんわりと広がっていくような。 今、冷静になって思う。 あるいは私は、居場所がほしかっただけなのかもしれない。 「認められたい」という感情は、言い換えれば「あなたはここに居ていい」と許してもらいたいという欲求なのだ。自分にはどこにも居場所がない。そんな不安を掻き立てられると、必要とされたいと思う。認めてほしいと思う。「あなたは価値のある人間だよ」と言ってほしいと、願う。 だから、「承認欲求」というネタも、ある種私の居場所づくりのために必要だったのだ。承認欲求について語っているときは、私は「ここに居ていい人間」になれる。そんな風に。 仕事をして、仕事が好きになって、人のために動く面白さみたいなものが、徐々にわかりかけている今、私は自分の居場所を「承認欲求」コンテンツ以外のところに、もう見つけてしまったような気がする』、「熱中できる仕事に出会えたことで、私の人生は変わりつつある・・・承認欲求に頼って生きる必要がなくなってしまった」、「仕事をして、仕事が好きになって、人のために動く面白さみたいなものが、徐々にわかりかけている今、私は自分の居場所を「承認欲求」コンテンツ以外のところに、もう見つけてしまったような気がする」、「自分の居場所を「承認欲求」コンテンツ以外のところに、もう見つけてしまった」、おめでとう。
・『承認欲求にさようならをする日  だから、ようやく。 ずいぶん時間はかかったけれど、承認欲求にさようならをする日が、来たのかもしれない。 感情のお葬式。 これまで、様々な感情を弔ってきた。お別れしてきた。 執着心。 焦り。 嫉妬。 劣等感。 これらは私の中で抹消されたわけではないけれど、ぴっと一本、線を引いたことで、ずっと遠くの物に感じられる。 けれどもずっと、離れられない感情があった。 承認欲求。認められたいと思う気持ち。 なぜなら、私は承認欲求に依存し、承認欲求というコンテンツによって、甘い汁を吸い続けてきたからだ。 いなくなってほしい相手であり、いなくなったら困る相手でもあった。 けれどもうそろそろ、お別れしてもいいのかもしれない。 認められたいと思わなくなるわけじゃない。 世間の目が気にならなくなるわけじゃない。 だけどでも、「さようなら」と一言、言ってもいいような気がする。 もう、あなたの役目は終わりと、お辞儀をして、お別れをしてもいいように思うのだ。 だって私は、幸せになるために生きてるんだから。 不幸の数を数えて、不幸自慢をして、辛いことや悲しいことをネタに共感してもらって、それで仲間を増やすために生きているわけじゃ、ない。 面白いことや楽しいことをやって、「居心地がいいな」と思う人と一緒にいて、そして、幸せになるためにここにいる。生きている。 欠損を分かち合うことで繋がり合えることもたしかにある。 けれども、最高に面白い瞬間を共にすることで繋がり合える絆の強さも、私は知ることができた。 子どもの頃からずっと、心のどこかで居場所を探していた。 家族といても、学校にいても、恋人といても、どこか、ぽっかり穴が空いたような気がすることがあった。 私には居場所がないような気がした。 求められていないような気がした。 社会に必要とされていない気がした。 でも私には今、居るべき場所がある。 必要としてくれる人がいて、大切にしてくれる人がいる。大切にしたい場所もある。大切にしたい人も、たくさんいる。 あるいは、そんな風に思う今の私は、必要とされないかもしれないけれど、それでも、いい。承認欲求はもはや、朽ちかけているコンテンツに過ぎないのだ。 ありがとう。 私は今まで、あなたのおかげで色々と楽しむことができた。味方が増えた。仲間ができた。居場所ができた。 おそらく承認欲求と気がすむまで向き合い続けた期間があったから、私は今前を向けているんだろうと思う。 そろそろ、さようならを言おう。 ずっとずっとお別れを言えなかったけど、あなたを弔うことにする。 次のステージに、私は進む。 不幸集めをして満足する人生は、もう終わりにしよう。 心が、震える。 静かに震える。 何かが変わりゆくときの、振動だ。 ほんの少しの寂しさと、不安と。 未来への期待で、震えているのだ。 さようなら。 承認欲求のお葬式 川代紗生(かわしろ・さき)1992年、東京都生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。2014年からWEB天狼院書店で書き始めたブログ「川代ノート」が人気を得る。 「福岡天狼院」店長時代にレシピを考案したカフェメニュー「元彼が好きだったバターチキンカレー」がヒットし、天狼院書店の看板メニューに。 メニュー告知用に書いた記事がバズを起こし、2021年2月、テレビ朝日系『激レアさんを連れてきた。』に取り上げられた。 現在はフリーランスライターとしても活動中。 『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)がデビュー作。(5頁目の本のPRはリンク先参照)』、「承認欲求と気がすむまで向き合い続けた期間があったから、私は今前を向けているんだろうと思う。 そろそろ、さようならを言おう。 ずっとずっとお別れを言えなかったけど、あなたを弔うことにする。 次のステージに、私は進む。 不幸集めをして満足する人生は、もう終わりにしよう・・・さようなら。 承認欲求のお葬式」、歯切れのいい文章で、SNSでの「承認欲求」を取上げた出色のコラムである。通常は、略歴は紹介しないが、今回は例外的に紹介した。『私の居場所が見つからない。』も時間が出来たら読んでみたい。

次に、6月3日付け東洋経済オンラインが掲載した取材記者グループFrontline Pressによる「SNSで自分の意見は多数派と思う人が陥る怖い罠 精査したと思っている情報がすでに偏っている」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/593828
・『閉鎖的なコミュニティ内で偏った意見や情報が増幅され、ほかの異なる意見や情報がかき消される「エコーチェンバー現象」。自分の関心に近い領域の情報に囲まれている状況下で起きるこの現象は、SNSの普及で加速度的に広がってきたとされる。 SNSは閲覧履歴などから利用者個人の好みの情報を推測し、自動表示していく。SNSの隆盛に比例してその危険性は指摘されてきたが、利用者はどう対応すればいいのか。エコーチェンバーの専門家である東京大学大学院工学系研究科の鳥海不二夫教授(計算社会科学)に尋ねた。 鳥海教授は2021年9月、自らが開発したアプリ「エコーチェンバー可視化システムβ版」を公開した。 あるアカウントのTwitter(ツイッター)タイムラインに表示される内容がどの程度偏っているかを客観的にチェックできるシステムだ。タイムラインの内容やフォローなどを分析し、ツイッター全体に流れる情報と比較することで、偏りの度合いを「エコーチェンバー度」として表示する。 このシステムでは、自分のツイッターアカウントと連携させると、まずは本人のタイムラインがどの程度特定のコミュニティに占められているかを「タイムラインのエコーチェンバー度」として表示する。 さらに、フォロー先のユーザーは「こんなことに関心がある人たち」として、「フォロー関係のエコーチェンバー度」が表示され、フォロー先の関心領域も文字の大小などで表現される。ほかにも、リツイートがどの程度特定のコミュニティーに偏っているかの「リツイートのエコーチェンバー度」などを表示し、アカウント所有者の党派性もデータで示してくれる。 このシステムの公開当初は予想を上回るアクセスがあり、サイトがパンクしたという。 「エコーチェンバー可視化システムβ版」。筆者(板垣)のツイッターアカウントを使って、エコーチェンバー度を出してみた(Qは聞き手の質問、Aは鳥海教授の回答』、「エコーチェンバー可視化システムβ版」はなかなかよく出来ているようだ。
・『「自分の考え=世界の考え」という図式に陥りやすい  Q:システムを作った背景をお聞かせください。 A:エコーチェンバーという言葉は昔からあります。選挙を想像してみてください。よく、負けた側の人が「なんで負けたのか」という顔をしていますよね。「みんな自分に投票してくれるって言った」のに、蓋を開けると、負けてしまったと。よくある話です。 当人は「自分に投票してくれると言った人が大多数」と思っているんですが、実は自分の見えている範囲は、そんな広くないのです。自分の周りで起きている100%な事実は、世の中全体の0.1%の意見にしかすぎなかったりする。こんなことはつねにあるわけですよね。 そうした現実はSNSによって加速しています。SNSでは、個人の趣味や嗜好に合わせた関係性を構築していくため自分と似た感性の投稿・広告が表示されやすく、「自分の考え=世界の考え」という図式に陥りやすくなっているのです。 これは仕方ないことです。そもそもSNSなんて、みんな楽しいもののために使っているわけですから、自分があまり見たくない情報を遮断する仕組みはその点で理にかなっており、必然です。 だからこそ、SNSの利用に際しては、極端な意見しか増幅されない可能性があること、そして自分と異なる意見が必ずあるという気づきが必要となります。その発見のために「エコーチェンバー度」を開発しました。 誤解されると困るのですが、SNS上の言論が危険な状態だからその警鐘を鳴らすために作ったわけではありません。 一般には、あまり受け入れられていない意見も、世の中には当然存在しています。その意見自体が悪いわけではないですが、そういった意見に関連して自分で何か意見を言い、周りからも「そうだね」という答えが返ってきてしまうと、自分が間違っているということに気づけないんですよね。井の中の蛙、大海を知らず、というところでしょうか。(鳥海 氏の略歴はリンク先参照)』、「SNSでは、個人の趣味や嗜好に合わせた関係性を構築していくため自分と似た感性の投稿・広告が表示されやすく、「自分の考え=世界の考え」という図式に陥りやすくなっているのです。 これは仕方ないことです」、「SNSの利用に際しては、極端な意見しか増幅されない可能性があること、そして自分と異なる意見が必ずあるという気づきが必要」、その通りだ。
・『間違った情報に接していることを見抜くのは困難  Q:「見たい情報だけを見る」というSNSの選択的接触は、大きな問題として認知され始めています。2020年のアメリカ大統領選挙では、SNS上で「陰謀論」が流布され、トランプ氏の敗北を事実として受け入れない人々が大勢出現しました。1000人を超えるトランプ氏の過激な支持者たちが2021年1月6日、大統領選の不正を訴え、首都ワシントンで連邦議会議事堂を襲撃しました。今も記憶に新しい、衝撃的な出来事でした。 A:陰謀論による政治活動「Qアノン」や連邦議会への襲撃を見て、「もしかしたら自分は当事者になっていたかもしれない」と思う人は、そうそういないでしょう。しかし、ある側面ではすでに彼らと同じような状況になっていてもわれわれは自分では気づけないんですよね。エコーチェンバーの問題はそこにあります。 そもそも、人間がまんべんなくすべての情報を仕入れてくることは事実上できないのですから、自分が少数派なのか間違った情報に接しているのかを見抜くことは極めて困難です。 むしろ偏った情報を信じている人たちのほうが「自分は情報をきちんと調べて精査して結論に至っている」と考えていることが多いようです。そのときに精査した情報がすでに偏っている可能性になかなか気づけません。 Q:先生はどんな研究を経て、エコーチェンバーの研究にたどり着いたのでしょうか。 A:普段は、ソーシャルメディアやニュース閲覧行動の分析、AI(人工知能)の社会応用などの研究をしています。直近ですと、2021年10月に豊橋技術科学大学と香港城市大学と共同で「保守の声はリベラルの声よりも中間層に届きやすい」という研究結果を公表しました。これは、安倍政権時代の安倍元首相に関する1億2000万件以上のツイートを解析した結果です。 この研究では、2019年2月10日から10月7日までにツイッターへ投稿された「安倍」または「アベ」を含むツイート(約1億2000万件)を収集しました。そこから、好意的または批判的なツイート群を抽出し、それぞれのツイート群を計10回以上ツイートしたアカウントを保守かリベラルに分けました。 その結果、保守派のツイートは23.23%が中間層に拡散されているのに対して、リベラル派のツイートは6.46%しか中間層に拡散されていませんでした。保守派のツイートを中間層が拡散する割合は、リベラル派より約3.6倍多かったのです。 政治に強い関心を持つ人でツイッターなどのSNSで政治について話をする人は諸外国と比べると、日本では少ないです。それもあって、リベラルの声はリベラル界隈内でとどまり、数の多い中間層に届かない実態が生まれているわけです。これは、いまの政治環境でリベラル派が苦境に立たされている要因の1つと考えてよいのではないでしょうか。 このような研究から、実は多くの人たち、とくに主義主張のある人たちは自分たちの周りに同じような主義主張の人たちが多いことから、多数派であると思っているようなケースがデータ分析をしているうちに多く見つかりました。エコーチェンバーはその分析の中で見られる普遍的な社会現象でしたので、これを分析することは社会を理解するうえで重要なことかと思い、研究を行っています』、「保守派のツイートは23.23%が中間層に拡散されているのに対して、リベラル派のツイートは6.46%しか中間層に拡散されていませんでした。保守派のツイートを中間層が拡散する割合は、リベラル派より約3.6倍多かったのです」、「リベラルの声はリベラル界隈内でとどまり、数の多い中間層に届かない実態が生まれているわけです。これは、いまの政治環境でリベラル派が苦境に立たされている要因の1つと考えてよいのではないでしょうか」、こんなことまで分析できるとは、「エコーチェンバー」は有力なツールのようだ。
・『デマや誤情報は「勘違い」で流されることがほとんど  Q:研究対象にSNSを選んだのはなぜでしょうか。 A:SNSは社会現象を分析するうえでデータを取りやすいツールだったからです。その転換期は、2011年の東日本大震災でした。当時、SNSでは「給油タンクの火災で酸性雨が降る」「うがい薬を飲むと放射線に効く」といったデマが広がりました。 デマや誤情報なんて、最初から「人をだましてやろう」といったものはほぼ存在していません。比率で言えば、勘違いで流されることがほとんどです。ほかにも「面白いから」で誤った情報が拡散されることがあります。 一方では、「正しい情報を発信しなければ」と、社会正義感にかられて熱心に情報を拡散する人もいます。社会貢献をしたつもりになった人たちの暴走ですね。2020年のコロナ禍初期にあったトイレットペーパーの買い占め運動も、社会貢献をしたつもりになっている熱心な人による拡散が原因と考えられます。 Q:フェイクニュースが発生し、社会の分断がSNS上で起きるなかで、プラットフォーム側が負うべき責任はあるのではないでしょうか。 A:プラットフォームに限らず、責任は各所にあります。ユーザーがSNSで必要な十分な情報を得るには個々人の努力では限界があります。 情報環境の体質改善に向けて、デジタル・プラットフォーム(DPF)事業者、ユーザー、マスメディア、政府などさまざまなステークホルダーが取り組むべき施策を2022年1月に、憲法学者の山本龍彦・慶應義塾大学大学院教授と共同で提言しました。 「健全な言論プラットフォームに向けて――デジタル・ダイエット宣言」というもので、ポイントは5つです。 ①幅広い情報にユーザーが触れることができる情報的健康(インフォメーション・ヘルス)を実現すること ②食品の成分表示のように、コンテンツの種目やどんなバランスで表示と配信をしているのかを「情報のカロリー表示」として明らかにし、ユーザーの判断材料とすること ③ユーザーが情報的健康を確認するための健康診断「情報ドック」の機会を定期的に提供すること ④「情報ドック」により、ユーザーが情報的健康に問題があるとなった場合には、希望する者にはバランスのとれた情報摂取ができるよう調整できるデジタル・ダイエット機能を備えること ⑤ユーザーの興味関心で成り立っている経済構造を変えること』、「健全な言論プラットフォームに向けて――デジタル・ダイエット宣言」初めて知ったが、なかなかいいポイントを突いているようだ。
・『情報的健康の達成は、社会的に大きな意義がある  このうち、⑤で提言した新しい経済構造の姿は現時点では明らかではありません。 ただ、ユーザーの趣味嗜好に合わせて広告を打ち出すネット広告の配信事業者のほか、その広告主やマスメディアも「アテンション・エコノミー」の渦に巻き込まれ、PV数といった単純な指標で動き、情報的な健康を阻害しています。そうではなく、その質などによってコンテンツを評価していくシステムの構築が急がれるでしょう。 このような情報的健康の達成は、社会的に大きな意義があります。まず、「エコーチェンバーの内部にいる方が快適な情報空間である」という現状認識を変えていくことは、ユーザー個人から始められる第一歩といえるのではないでしょうか』、「情報的健康の達成は、社会的に大きな意義があります」、その通りだ。「エコーチェンバー」にもっと関心を持ってみてゆきたい。

第三に、6月7日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した科学者・起業家・投資家のシナン・アラル氏による「「なぜデマ情報が急増?」米SNS研究が明らかにした衝撃の事実」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/304311
・『「なぜデマは真実よりも速く、広く、力強く伝わるのか?」SNSに潜むウソ拡散のメカニズムを、世界規模のリサーチと科学的研究によって解き明かした全米話題の1冊『デマの影響力──なぜデマは真実よりも速く、広く、力強く伝わるのか?』がついに日本に上陸した。ジョナ・バーガー(ペンシルベニア大学ウォートン校教授)「スパイ小説のようでもあり、サイエンス・スリラーのようでもある」、マリア・レッサ(ニュースサイト「ラップラー」共同創業者、2021年ノーベル平和賞受賞)「ソーシャル・メディアの背後にある経済原理、テクノロジー、行動心理が見事に解き明かされるので、読んでいて息を呑む思いがする」と絶賛された本書から一部を抜粋して紹介する』、「デマは真実よりも速く、広く、力強く伝わる」、初耳だが、興味深そうだ。
・『フェイクニュース拡散についての大規模調査を実施  ではここで、少し回り道にはなるが、私自身が具体的にどのようにしてクリミア、ウクライナでの出来事を理解していったのか、という話をしてみよう。これはいわば、小説のなかで登場人物がもう一つの小説を書くようなものかもしれない。 クリミア併合から2年後の2016年、私はマサチューセッツ州ケンブリッジのMITの自分の研究室にいた。私はそこで同僚のソルーシュ・ヴォソウギ、デブ・ロイとともに、ある重要な研究プロジェクトに取り組んでいた。 ツイッター社と直接連携し、オンラインでのフェイク・ニュースの拡散に関して[1]、これまでで最大の長期的研究をしていたのである。 サービスの始まった2006年から2017年までの10年以上のあいだに、ツイッター上で広まった事実確認済みのすべての噂の真偽を確認し、それぞれの拡散の仕方を調べた』、「10年以上のあいだに、ツイッター上で広まった事実確認済みのすべての噂の真偽を確認し、それぞれの拡散の仕方を調べた」、膨大な作業のようだ。
・『嘘が地球を半周する頃、真実はまだ靴も履き終わっていない  研究の結果は、2018年3月、『サイエンス』誌のカバーストーリーとして発表された。オンラインでのフェイク・ニュース拡散についての初めての大規模調査の結果がこの時に明らかにされたわけだ。 この調査の過程で、私は科学者として、それまで知ったことのなかでも最も恐ろしい事実を知ることになった。今にいたるまでこれほど恐ろしい事実に出合ったことはない。 それは、フェイク・ニュースが、種類を問わず、真実のニュースよりもはるかに速く、遠くまで広がり、多くの人の心に深く浸透するという事実だ。場合によっては、拡散の速さ、範囲の広さは、10倍以上にもなる。 「嘘が地球を半周する頃、真実はまだ靴も履き終わっていない」と言った人がいるが、この言葉は正しい。 ソーシャル・メディアでは、嘘は光の速さで広がっていくが、真実は糖蜜が流れるくらいの速度でしか広がらない。しかも、ソーシャル・メディアを流れるあいだに情報は歪曲されていくことになる』、「ソーシャル・メディアでは、嘘は光の速さで広がっていくが、真実は糖蜜が流れるくらいの速度でしか広がらない。しかも、ソーシャル・メディアを流れるあいだに情報は歪曲されていく」、恐ろしいことだ。
・『大統領選挙に呼応してフェイクニュースが増加  しかし、調査で明らかになったのは、こうした明白な事実ばかりではない。一見したところではすぐにはわからない事実も明らかになった。その一つは、クリミア危機に直接関係する事実だ。 ツイッターでの真実と嘘の拡散に関してまだ精緻なモデルが構築できていなかった頃、私たちは、分析の一環として簡単なグラフを作ったことがあった。 このグラフには、政治、ビジネス、テロ、戦争など様々な分野の真実のニュース、嘘のニュースのカスケード(あるニュースについてのツイート、リツイートの連なりのことをこう呼んでいる)の数が時間の経過とともにどう変化していったかが示されている[図1─1]。 [図1-1] 2009年から2017年までのあいだにツイッター上に流れたニュースに関するカスケード数の推移。 [図1-1] 2009年から2017年までのあいだにツイッター上に流れたニュースに関するカスケード数の推移。ファクトチェックされた真実(明るいグレー)、嘘(ダーク・グレー)、真偽混合の情報(部分的には真実で、部分的には嘘/黒)。「ファクトチェックされた真実」とは、私たちの調査の過程で、6つのそれぞれに独立した組織によってファクトチェックされた情報を指す。ツイッターのユーザーによりツイート、リツイートされて広まっていった様子を示している。 このグラフを見ると、嘘のニュースについてのカスケードの数は、2013年末、2015年、2016年末などにピークに達していることがわかる。 2016年末のピークは、前回のアメリカ大統領選挙に呼応したものだろう。2012年、2016年と、アメリカ大統領選挙のあった年には、明らかに嘘のニュースが他の年より多く拡散されている。 政治とフェイク・ニュースの関わりがいかに深いかがこれでよくわかる』、「嘘のニュースについてのカスケードの数」を見ると、「アメリカ大統領選挙のあった年には、明らかに嘘のニュースが他の年より多く拡散されている」、なるほど。
・『クリミア併合で「部分的には真実で、部分的には嘘」が急増  だが、私たちの興味を引いたのはそれだけではなかった。わかりにくいが、データにはもっと興味深い傾向が見られたのだ。 2006年から2017年までの10年あまりのあいだに、「部分的には真実で、部分的には嘘」というニュースの数が急増したのはたった一回だけだ。私たちはこの種の噂を「混合ニュース」と呼んだ。 [図1─1]のグラフを見ても、そのピークの存在はわかりにくい。ところが[図1─2]の、政治関連のニュースだけについてのグラフを見ると、黒で示された「混合ニュース」の拡散が急増しているタイミングがあることが明確にわかる。 [図1-2] 2009年から2017年までのあいだにツイッター上に流れた政治ニュースに関するカスケード数の推移。 [図1-2] 2009年から2017年までのあいだにツイッター上に流れた政治ニュースに関するカスケード数の推移。ニュースには、ファクトチェックされた真実(明るいグレー)、嘘(ダーク・グレー)、真偽混合の情報(部分的には真実で、部分的には嘘/黒)がある。 それは、2014年の2月から3月にかけての2ヵ月間だ。ちょうどクリミア併合が起きたタイミングということになる。クリミアでの出来事に直接、呼応して混合ニュースが増えたわけだ。 これは驚くべきことだった。私たちの調べたかぎり、歴史上、ツイッター上にこれほど混合ニュースが急増したケースは一度もなかったからだ(カスケード数が、2番目に急増したケースの実に4倍になっていた)。 しかも、急増したあと、すぐに急減している。クリミアの併合が完了すると、ほぼなくなってしまったのだ。 さらに詳しく調べると、この急増は、親ロシア勢力が組織的にソーシャル・メディアを活用した結果であることがわかった。この時、親ロシア勢力は、ハイプ・マシンを積極的に活用して、クリミアの出来事についてのウクライナの世論、国際世論を操作しようとしたのである。 クリミアの併合は、クリミア市民自身の意思に沿うものであるという認識が広まるよう仕向けたわけだ。 【参考文献】 (省略)(本記事は『デマの影響力──なぜデマは真実よりも速く、広く、力強く伝わるのか?』を抜粋、編集して掲載しています』、「クリミアでの出来事に直接、呼応して混合ニュースが増えたわけだ」、「急増したあと、すぐに急減している。クリミアの併合が完了すると、ほぼなくなってしまったのだ」、「この急増は、親ロシア勢力が組織的にソーシャル・メディアを活用した結果であることがわかった。この時、親ロシア勢力は、ハイプ・マシンを積極的に活用して、クリミアの出来事についてのウクライナの世論、国際世論を操作しようとしたのである。 クリミアの併合は、クリミア市民自身の意思に沿うものであるという認識が広まるよう仕向けたわけだ」、「クリミアの併合」時に「ウクライナの世論、国際世論を操作しようとした」、今回の「ウクライナ」侵攻でも悪用されたのだろうか。
・『全米震撼のベストセラーが日本上陸!  本書では、私が過去20年のあいだに、実際にソーシャル・メディアを立ち上げ、また研究対象、投資対象、ビジネス・パートナーとしてソーシャル・メディアと関わることで知り得たことを述べていきたいと思う。 20年の道のりは決して楽ではなかった。信じがたい発見も多くしたし、ソーシャル・メディアが民主主義を蝕む酷いスキャンダルに直面もした。 有用な情報も多く伝えてくれるが、明らかな嘘が瞬時に拡散されていくのを何度も見た。抑圧と闘う道具にも使えるが、同時に抑圧を促進する道具としても使えることを知った。 言論の自由を守ることの重要性と、それがヘイト・スピーチの蔓延につながりやすいこともよくわかった。 そして何よりも重要なのは、ソーシャル・メディアのなかの仕組みがわかったことだ。私たち人間の脳がソーシャル・メディアに引きつけられやすい性質を持っていることや、感情、社会、経済、様々な要因が私たちをソーシャル・メディアに結びつけていることも知った。 本書を読めば、ソーシャル・メディアの背後にあるビジネス戦略がわかるだけでなく、ソーシャル・メディアのデザインを変えれば社会がどれほど大きく変わり得るか、ということもわかるはずだ』、「私たち人間の脳がソーシャル・メディアに引きつけられやすい性質を持っていることや、感情、社会、経済、様々な要因が私たちをソーシャル・メディアに結びつけている」、我々もこうした危険性を踏まえた上で、利用してゆく必要がある。
タグ:Frontline Pressによる「SNSで自分の意見は多数派と思う人が陥る怖い罠 精査したと思っている情報がすでに偏っている」 東洋経済オンライン SNS(ソーシャルメディア) (その11)(承認欲求のお葬式、SNSで自分の意見は多数派と思う人が陥る怖い罠 精査したと思っている情報がすでに偏っている、「なぜデマ情報が急増?」米SNS研究が明らかにした衝撃の事実) ダイヤモンド・オンライン 川代紗生氏による「承認欲求のお葬式」 「承認欲求との8年に及ぶ闘いを描いた」とは興味深そうだ。 「これまでの人生の中で、「あ、今が転機かもしれない」と思う瞬間があって、そのときどきで必要に応じてお葬式をやってきた。いろいろな感情を弔ってきたし、その分、新しい感情が生まれてくることもあった。けれども私の中で、どうしてもさようならを言えない感情があった。 承認欲求」、「感情の「お葬式」」とはユニークで面白い。 「辛いことがあったり、苦しいことがあっても、「書くネタができた」と思えば、プラスに転換できる。世の中を見る目が、前向きになってくる。 けれども私の場合は、それが歪んだ方向に進んでしまっていたのかもしれなかった。 書くために、辛いことがありますようにと願った。 書くために、承認欲求が消えませんようにと願った。 どんどんと、負のスパイラルは進んでいく。ぐるぐると下に向かう」、「私は承認欲求の奴隷だった。 人から認めてもらいたい、その感情と向き合うために文章を書き始めたのに、結果的に、承認欲求がないと困る人間に 「熱中できる仕事に出会えたことで、私の人生は変わりつつある・・・承認欲求に頼って生きる必要がなくなってしまった」、「仕事をして、仕事が好きになって、人のために動く面白さみたいなものが、徐々にわかりかけている今、私は自分の居場所を「承認欲求」コンテンツ以外のところに、もう見つけてしまったような気がする」、「自分の居場所を「承認欲求」コンテンツ以外のところに、もう見つけてしまった」、おめでとう。 「承認欲求と気がすむまで向き合い続けた期間があったから、私は今前を向けているんだろうと思う。 そろそろ、さようならを言おう。 ずっとずっとお別れを言えなかったけど、あなたを弔うことにする。 次のステージに、私は進む。 不幸集めをして満足する人生は、もう終わりにしよう・・・さようなら。 承認欲求のお葬式」、歯切れのいい文章で、SNSでの「承認欲求」を取上げた出色のコラムである。通常は、略歴は紹介しないが、今回は例外的に紹介した。『私の居場所が見つからない。』も時間が出来たら読んでみたい。 「エコーチェンバー可視化システムβ版」はなかなかよく出来ているようだ。 「SNSでは、個人の趣味や嗜好に合わせた関係性を構築していくため自分と似た感性の投稿・広告が表示されやすく、「自分の考え=世界の考え」という図式に陥りやすくなっているのです。 これは仕方ないことです」、「SNSの利用に際しては、極端な意見しか増幅されない可能性があること、そして自分と異なる意見が必ずあるという気づきが必要」、その通りだ。 「保守派のツイートは23.23%が中間層に拡散されているのに対して、リベラル派のツイートは6.46%しか中間層に拡散されていませんでした。保守派のツイートを中間層が拡散する割合は、リベラル派より約3.6倍多かったのです」、「リベラルの声はリベラル界隈内でとどまり、数の多い中間層に届かない実態が生まれているわけです。これは、いまの政治環境でリベラル派が苦境に立たされている要因の1つと考えてよいのではないでしょうか」、こんなことまで分析できるとは、「エコーチェンバー」は有力なツールのようだ。 「健全な言論プラットフォームに向けて――デジタル・ダイエット宣言」初めて知ったが、なかなかいいポイントを突いているようだ。 「情報的健康の達成は、社会的に大きな意義があります」、その通りだ。「エコーチェンバー」にもっと関心を持ってみてゆきたい。 シナン・アラル氏による「「なぜデマ情報が急増?」米SNS研究が明らかにした衝撃の事実」 「デマは真実よりも速く、広く、力強く伝わる」、初耳だが、興味深そうだ。 「10年以上のあいだに、ツイッター上で広まった事実確認済みのすべての噂の真偽を確認し、それぞれの拡散の仕方を調べた」、膨大な作業のようだ。 「ソーシャル・メディアでは、嘘は光の速さで広がっていくが、真実は糖蜜が流れるくらいの速度でしか広がらない。しかも、ソーシャル・メディアを流れるあいだに情報は歪曲されていく」、恐ろしいことだ。 「嘘のニュースについてのカスケードの数」を見ると、「アメリカ大統領選挙のあった年には、明らかに嘘のニュースが他の年より多く拡散されている」、なるほど。 「クリミアでの出来事に直接、呼応して混合ニュースが増えたわけだ」、「急増したあと、すぐに急減している。クリミアの併合が完了すると、ほぼなくなってしまったのだ」、「この急増は、親ロシア勢力が組織的にソーシャル・メディアを活用した結果であることがわかった。この時、親ロシア勢力は、ハイプ・マシンを積極的に活用して、クリミアの出来事についてのウクライナの世論、国際世論を操作しようとしたのである。 クリミアの併合は、クリミア市民自身の意思に沿うものであるという認識が広まるよう仕向けたわけだ」、「クリミアの併合」時に 「私たち人間の脳がソーシャル・メディアに引きつけられやすい性質を持っていることや、感情、社会、経済、様々な要因が私たちをソーシャル・メディアに結びつけている」、我々もこうした危険性を踏まえた上で、利用してゆく必要がある。
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