SSブログ

天皇制度(その5)(愛子さま 佳子さま結婚で「女性宮家」は必要か?皇位継承問題の“3つの論点”とは、昭和天皇も上皇も…なぜ天皇は「生物学」を研究したのか?【養老孟司×茂木健一郎×東浩紀鼎談】) [政治]

昨日に続き、天皇制度(その5)(愛子さま 佳子さま結婚で「女性宮家」は必要か?皇位継承問題の“3つの論点”とは、昭和天皇も上皇も…なぜ天皇は「生物学」を研究したのか?【養老孟司×茂木健一郎×東浩紀鼎談】)を取上げよう。

先ずは、本年4月3日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した評論家の八幡和郎氏による「愛子さま、佳子さま結婚で「女性宮家」は必要か?皇位継承問題の“3つの論点”とは」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/341138
・『皇位継承問題の解決に向けて高まる女性皇族めぐる議論  岸田文雄首相に対する批判は保守派からもすさまじい。自民党の支持率が落ち、党員数が減っている原因についても、清和会の不祥事ではなく、LGBT法案の成立のせいだとかいっている。 しかし、保守派の人たちも、岸田首相が安倍晋三元首相の悲願であった皇位継承問題に決着をつけるべく動いていることは、高く評価している。 自民党では麻生太郎副総裁を会長として「安定的な皇位継承の確保に関する懇談会」を2023年11月に設置し、政府の『皇位継承に関する有識者会議』が2022年に取りまとめた報告書を具体化する作業中である。 焦点は、女性皇族だけが結婚後も皇室にとどまることと、旧宮家の男系男子を養子とすることを可能にする皇室典範改正である。 一方、立憲民主党は、自身が首相だったときの女性宮家案(一般的には、結婚後の女性皇族の家族も皇族とし、皇位継承権も与えることを指す)に拘泥する野田佳彦元首相を委員長とする委員会が論点整理案をまとめた。その内容は「女性宮家を緊急的な課題として議論を急ぐ必要がある」とする一方、女性宮家は将来の女系天皇につながるという慎重意見も併記されたようだ。 公明党は北側一雄副代表が、女性皇族だけが皇族として残る案に理解を示す発言をしている。 この問題は、今国会で議論される可能性もあるので、これまでの経緯と、なにが焦点であるのかについて、総括したい』、興味深そうだ。
・『皇位継承についてのこれまでの有識者会議  皇位継承についての有識者会議というと、小泉内閣時の2005年、女系天皇を容認する報告を出した「皇室典範に関する有識者会議」(座長・吉川弘之元東京大学総長)が有名だが、2006年の悠仁さまの誕生で前提を失い、宙に浮いた。 その後、外野からの愛子天皇待望論などはあったが、現行の皇室典範の規定で秋篠宮皇嗣殿下が第1位、その子の悠仁さまが第2位の継承順位となっているのをいわば廃嫡することは、国際的にもほとんど類例がないし、政治的にも実務的にも支持する者は少ない。 ただ、悠仁さまの後が続かなかったらという含みで、女性皇族が結婚したのち女性宮家を創設する案が、野田首相時代に持ち出された。 しかし、安倍内閣になり、陛下が退位を希望されたため、それへの対応が優先された。そして、陛下の退位を特例として処理し、秋篠宮殿下を皇嗣殿下として皇太子と同じ扱いとして将来の皇位継承を確定させるとともに、女性宮家等(等は旧宮家の扱いを念頭)の検討をすると付帯決議された。 そして、菅義偉内閣のときに、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議(座長・清家篤前慶応義塾塾長)が設立され、岸田内閣の2021年12月に報告書を出した。 この有識者会議は、小泉内閣時代の有識者会議と同じ位置づけで、国会の「附帯決議」を受けて設立されたものなので、小泉内閣時代の報告書は上書きされ、いわば無効になった。つまり、二つの案が併存しているのではない。 また、女性皇族の配偶者を皇族扱いする案は、眞子さんと小室圭氏の結婚をめぐる騒動で、不適切な皇族の出現の危険性が杞憂(きゆう)でないことがはからずも示されたため、やや後退した。 2021年12月の報告書では、(1)国家の基本に関わる事柄なので、制度的な安定性が重要、(2)次世代の皇位継承者として悠仁さまがいる中で仕組みに大きな変更を加えることには慎重であるべきだ、(3)有識者のほとんどが、悠仁さまが将来の天皇になることは変更すべきではないという意見、(4)皇族方のこれまでの人生設計を安直に変えるのは良くない――とした。 そして、悠仁さま以降の皇位継承は、悠仁さまが結婚され、お子さまがどうなるかのめどがついてから議論を深めるべきで、つまり今後20年ほど凍結すべきだとした。 秋篠宮皇嗣殿下が、上皇陛下が退位されたのと同じ年齢(85歳余)になられるのは2050年、悠仁さまが同じ年齢になられるのは2092年なので、悠仁さまに男子のお子様がおられなかったとしても、2070年頃までに決めたらいいことである。そのときの悠仁さまの皇位継承者は、現在はまだ生まれていない子であるから、現時点での人気投票的議論は全く無意味である』、「女性皇族の配偶者を皇族扱いする案は、眞子さんと小室圭氏の結婚をめぐる騒動で、不適切な皇族の出現の危険性が杞憂(きゆう)でないことがはからずも示されたため、やや後退した』、「悠仁さま以降の皇位継承は、悠仁さまが結婚され、お子さまがどうなるかのめどがついてから議論を深めるべきで、つまり今後20年ほど凍結すべきだとした。 秋篠宮皇嗣殿下が、上皇陛下が退位されたのと同じ年齢(85歳余)になられるのは2050年、悠仁さまが同じ年齢になられるのは2092年なので、悠仁さまに男子のお子様がおられなかったとしても、2070年頃までに決めたらいいことである」、なるほど。「小室圭氏の結婚」はやはり問題含みと捉えられているようだ。
・『皇族を増やすための3つの手立て  しかし、公務の担い手が不足する中で、皇族を少し増やしたいし、なにか事故などで緊急に皇位継承者が必要になったときや、悠仁さまに男子が生まれなかったときの皇位継承者の供給源も考えておかねばならない。 そこで、報告書はより踏み込んで、以下の三つの手立てを提案している。 (1)内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持する、(2)皇族の養子縁組を可能とし、皇統に属する男系の男子を皇族とする、(3)皇統に属する男系の男子を法律により直接皇族とする。 (1)は佳子さま、愛子さま、場合によっては三笠宮家、高円宮家の未婚の女王さまが結婚後も皇族としてとどまるということだ。ただし、家族は皇族にはしない。第14代将軍徳川家茂の御台所・和宮(仁孝天皇第8皇女)が皇族身分を維持したが、夫の家茂は皇族とされなかったことを前例としている。 ただし、佳子さまや愛子さまが皇族にとどまることが嫌だと言われたら、無理強いはできないし、配偶者は皇族にならないといっても、海外などに一緒に行かれることもあろうから、女性皇族が結婚後も皇室に残る場合、結婚には皇室会議の了承が必要となる可能性もある。 (2)は、1947年に臣籍降下した11宮家の男系子孫を対象としている。嫡出が条件だが、他家の養子になっているかどうかは問わない。この旧宮家からの養子案については、次回に論じることにする。 もし、養子の合意が成立しなければ、(3)で旧宮家の男子をそのまま皇族にする余地も残している。 旧宮家の男子と佳子さまや愛子さまが結婚されたら、その配偶者や子も皇族にするという意見もあるが、近親結婚になるし、本人の意向を制約することになりかねず、私は良くないと思う』、「事故などで緊急に皇位継承者が必要になったときや、悠仁さまに男子が生まれなかったときの皇位継承者の供給源も考えておかねばならない。 そこで、報告書はより踏み込んで、以下の三つの手立てを提案している。(1)内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持する、(2)皇族の養子縁組を可能とし、皇統に属する男系の男子を皇族とする、(3)皇統に属する男系の男子を法律により直接皇族とする・・・(1)で「佳子さまや愛子さまが皇族にとどまることが嫌だと言われたら、無理強いはできないし、配偶者は皇族にならないといっても、海外などに一緒に行かれることもあろうから、女性皇族が結婚後も皇室に残る場合、結婚には皇室会議の了承が必要となる可能性もある」、「結婚には皇室会議の了承が必要となる可能性も」、おおごとだ。
・『今後の検討における3つの論点  これからの検討における第一の論点は、有識者会議の結論を覆して、配偶者や子どもにも皇族身分を与えるかどうかである。 家族なのに身分が違うのは不自然だと言う人もいるが、たとえば、首相夫人は公的な立場でないが、必要に応じて公人に似た扱いを受ける。また、首相夫人が海外訪問などの公務に実質的に参加するかどうかも、首相夫人の希望によりケースバイケースで柔軟に対処されているのと同じで、不自然とはいえない。 そもそも、女性宮家推進派は、内親王が難点のある相手と結婚したいというはずないとか主張していた。だが、小室圭氏の件で、その主張は覆された。また、将来の状況に応じて、制度を改正して結婚相手を皇族にしても構わない。いずれにせよ、現状では皇族としないほうが、佳子さまや愛子さまの結婚相手を制約しないためにもいい。 第二の論点は、旧宮家の養子案も同時に決めるべきかどうかである。私は前述の「女性皇族本人が結婚後も皇族身分を保持する案」も含め、どちらの案にもそれぞれ反対する人はいるが、この二つを同時に決着しないと、何も決められず、機を失うと考える。 女性皇族については、佳子さまと愛子さまが適齢期を迎えているので急ぐ必要がある。また、皇族の養子についても、ご高齢の常陸宮殿下がご健在のうちに養子をとられるほうが、民間から嫁いだ妃殿下たちが養子をとるより自然だから、急いだ方がよい。 第三の論点は、佳子さまと愛子さまだけなのか、三笠宮家の彬子さま、瑤子さま、高円宮家の承子さまも議論の対象に含むかどうかである。佳子さまと愛子さま以外のお三人も、公務の担い手不足のなかで貴重な戦力となっており、今後、結婚されるのかどうかも分からないが、結婚されて公務から離れられたら困るのは、佳子さま、愛子さまと事情は同じだ』、「女性皇族本人が結婚後も皇族身分を保持する案」には賛成である。
・『上皇陛下の子孫以外を皇統から排除するリスク  こうした論点を考える上で、忘れられがちなのは、小泉内閣のときから続く、いわゆる女系論者による次のような主張だ。 上皇陛下の孫の女性3人である眞子さん(現在は除外されているが)、佳子さま、愛子さまのために女性宮家を設けたら、たとえ悠仁さまの後が続かなくとも、将来の皇位継承には問題がなくなるので、それ以外の皇位継承候補は用意する必要がない。 しかし、眞子さんが皇室を離れられた今となっては、悠仁さまを含めたった3人の孫たちの子孫が、女系を含めたからといって、これから順調に増えていくかはわからない。数学的に見れば、上皇陛下の4人の孫が、百年先でも子孫を残している可能性は高いが、似た遺伝子を持つのだから、数学的な可能性よりもリスクは大きいと見た方がよい。なお、皇室に生まれた方で子どもがおられる方は半分ほどに過ぎないという現実もある。 だとすれば、上皇陛下の子孫以外を皇位継承候補者から外すことは、皇統断絶のリスクを高める。 イギリスのように5000人の王位継承権者がいなくても、数十人以上の継承権者がおり、必要に応じて補充できるようにすべきであり、上皇陛下の子孫以外を皇統から排除するという考え方は危険である。 憲法学者には、皇籍離脱をした人やその子孫が皇族になるのは憲法違反であるという人もいる(内閣法制局は問題ないという見解)。だが、それは、現皇族の子孫で、生まれたときから皇位継承時点まで皇族であり続けている者が誰もいなくなったら、新たな天皇が即位することは憲法違反なので店じまいしなくてはならないということを意味する。いわば「隠れた天皇制廃止論」だ。 野田元首相などがもくろむとおり、佳子さまと愛子さまの女性宮家を創設して、旧宮家などを皇位継承候補から完全排除したのちに、悠仁さまを含めた3人の子孫が100年後に絶えた時、あわてて「旧宮家というのが昔はありましたっけ」などと言っても遅いのである。 私は女系も潜在候補とすることに反対ではないが、その場合については、明治天皇の女系子孫までを視野に入れるべきだと考えている。 東久邇家は昭和天皇の長女の子孫であり、明治天皇の皇女は北白川、朝香、竹田、東久邇の各宮家に降嫁してそれぞれ子孫がいる。彼らは男系男子の皇統に属し、しかも、明治天皇や昭和天皇の女系子孫である。 また、大正天皇の親王である三笠宮さまの子孫も、内親王が近衛家と裏千家に嫁がれ、孫世代の2人も結婚されている。 いずれにせよ、女系を容認するときに佳子さまと愛子さまだけを対象として限定するのは理屈に合わない。皇族女子が結婚後に皇族身分を維持するという制度の対象から三笠宮家と高円宮家の3人を外す理由もないし、旧宮家のうち明治天皇や昭和天皇の女系子孫である人たちも大事にすべきであろう』、「イギリスのように5000人の王位継承権者がいなくても、数十人以上の継承権者がおり、必要に応じて補充できるようにすべきであり、上皇陛下の子孫以外を皇統から排除するという考え方は危険である」、「イギリスのように5000人の王位継承権者が「、こんなに多いとは初めて知った。「上皇陛下の子孫以外を皇統から排除するという考え方は危険である」、その通りだ。「女系を容認するときに佳子さまと愛子さまだけを対象として限定するのは理屈に合わない。皇族女子が結婚後に皇族身分を維持するという制度の対象から三笠宮家と高円宮家の3人を外す理由もないし、旧宮家のうち明治天皇や昭和天皇の女系子孫である人たちも大事にすべきであろう」、同感である。

次に、5月13日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した解剖学者の養老孟司氏、脳科学者の茂木健一郎氏、批評家・作家の東 浩紀氏による鼎談「昭和天皇も上皇も…なぜ天皇は「生物学」を研究したのか?【養老孟司×茂木健一郎×東浩紀鼎談】」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/341605
・『養老孟司、茂木健一郎、東 浩紀が、日本の歪みについて語り合うスペシャル鼎談。戦前は現人神とされ、戦後は人間の身ながら日本国民統合の象徴として生きた昭和天皇は、その戦争責任とともに左右の論者で評価が分かれるところ。昭和12年に生まれ、上皇陛下と同世代の養老先生は、昭和天皇をどう見ているのか。※本稿は、養老孟司、茂木健一郎、東 浩紀『日本の歪み』(講談社現代新書)の一部を抜粋・編集したものです』、「養老先生」が「上皇陛下と同世代」とは初めて知ったが、興味深そうだ。
・『神様を父に持って生まれた「象徴天皇」上皇陛下の苦労  東 新憲法が天皇の地位を「日本国民統合の象徴である」と定め、神から人になった天皇は、今度は象徴になりました。 養老 国民にとっても「象徴天皇」がどういうものかよくわかりませんが、天皇の側も相当大変だったと思います。2016年、現在の上皇が退位を希望されたときの言葉は次のようなものでした。 「即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました」(象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば) 本当にそうだろうなと思います。非常に同情しました。誰も「象徴天皇」が何か知らないわけですから。大変でしたね、と。 茂木 上皇は養老さんの4歳上ですね。先ほど話した、体験の「地層」という意味での世代論で言えば、ほぼ同じ風景をご覧になってきたわけです。 養老 歳も近かったので、子供の頃から大変だろうなと思っていました。なんせお父さんが神様だったんだから。だからそうっとしておいてあげましょうよ、と思います。 茂木 昭和天皇、上皇、今上天皇への思いは違いますか。 養老 それは違いますね。偉さが違うというか(笑)。昭和天皇は神様だったから一番偉い。上皇は知り合いの知り合いくらいの人がいて僕に近いから、もっと人間くさくなってくる。今上天皇についてはお孫さん、という感じです』、「養老 歳も近かったので、子供の頃から大変だろうなと思っていました。なんせお父さんが神様だったんだから。だからそうっとしておいてあげましょうよ、と思います・・・「即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました」(象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば) 本当にそうだろうなと思います。非常に同情しました。誰も「象徴天皇」が何か知らないわけですから。大変でしたね、と」、さすが年齢が近いだけある。
・『天皇は正気を保つために生物学を研究していた?  東 昭和天皇はヒドロゾア(ヒドロ虫類)、上皇はハゼを研究し、専門的な業績を残しています。養老さんは、なぜ天皇は生物学を学ぶのだと思いますか。 養老 ロンドンの自然史博物館のキュレーターが、昭和天皇の『相模湾産後鰓類図譜』という本を見つけて、日本の王室はこんなことをしているのかと驚いていました。) 養老 イギリスにはロイヤル・ソサイエティ(王立学会)という王族や貴族も名を連ねる民間の科学団体があって、正式名称は「自然についての知識を改善するためのロンドン王立協会」(The Royal Society of London for Improving Natural Knowledge)。実験科学ではなく、生物学などのより博物学的な科学をやっています。自然と触れることは、そういう人たちが気を抜くのにいちばんいい方法だからでしょうね。昭和天皇はイギリスに留学していたので、その雰囲気を知っていたのだと思います。 茂木 養老先生が解剖学を選んだ理由の一つとして、戦後に教科書を墨塗りした体験を挙げて、「死体は裏切らないから」とおっしゃっています。死体は死体のまま、解釈ひとつで態度が変わったりしない。天皇が生物学を勉強したのにも、それと共通するところがあるのではないでしょうか。 養老 大いにあると思います。正気を保つためにやっていたんでしょう。 茂木 正気を保つために蟲を見ていた。 養老 神様にまでされてしまって、いい加減にしてくれという気持ちがあったとしたら、ヒドロ虫でも見ているのがいちばんですから。昭和天皇はよく正気でいられたと思いませんか?そんなに普通の判断が狂っていたわけではないと思いますよ。 茂木 退位なさるべきだったと言う人もいますが、養老先生からすると、淡々と昭和を生ききったことは評価されることだと。 養老 そうです。そして、生物学はずいぶんその助けになったのではないでしょうか』、「養老 イギリスにはロイヤル・ソサイエティ(王立学会)という王族や貴族も名を連ねる民間の科学団体があって、正式名称は「自然についての知識を改善するためのロンドン王立協会」・・・実験科学ではなく、生物学などのより博物学的な科学をやっています。自然と触れることは、そういう人たちが気を抜くのにいちばんいい方法だからでしょうね。昭和天皇はイギリスに留学していたので、その雰囲気を知っていたのだと思います・・・正気を保つためにやっていたんでしょう・・・神様にまでされてしまって、いい加減にしてくれという気持ちがあったとしたら、ヒドロ虫でも見ているのがいちばんですから。昭和天皇はよく正気でいられたと思いませんか?そんなに普通の判断が狂っていたわけではないと思いますよ」、なるほど。
・『「やめよう」と言えなかった昭和天皇に戦争責任はあるのか  東 最近の研究者のなかには、昭和天皇は戦争に対してわりと意見を述べていて、「平和を望んでいたのに戦争に巻き込まれた」という戦後のイメージと実態は違っていたのではないかと言う人もいます。) 養老 それはないと思います。あの雰囲気の中で、ただ「やめましょう」とはとても言えないですよ。そんな簡単なもんじゃなかったと思います。判断は都度しなければならないし、下手をすれば宮中某重大事件(編集部注/大正9年、ときの皇太子裕仁親王と久邇宮家の良子女王の婚約をめぐって、宮中から元老、政界にいたるまで推進派と反対派にわかれて暗闘を繰り広げた)を繰り返してしまうこともわかっていたでしょうから。 茂木 神輿に担がれていて、とても降りられる状況ではなかったと。 養老 もちろんそうですよ。僕ら小学生まで、訳もわからないまま皇居に向かって最敬礼ですから。そういう神輿の担ぎ方は、明治の元勲が天皇を利用したことに端を発するのでしょうが、それが当時の日本の政治のあり方だったのだから、しょうがないと言えばしょうがないですね。 茂木 解剖学と同様、時代ごとに細かく見ていかないと捉えきれないニュアンスがあって、それを捉えないと、なぜこの決断をしたのかとか、なぜ社会が動いたのかがわからないのでしょうね。社会は複雑系で、本当は簡単な因果では説明できない。 養老 天皇陛下のせい、とは思わないわけです。ただ僕より少し上の人には「天皇嫌い」がけっこういて、井上ひさしなんかは、なんで怒るのっていうような話でも怒っていました。 東 天皇の話をするだけで怒るんですか。 養老 そうです。感情的に嫌いなんだなということがよくわかりました。堀田善衞も天皇嫌いだった。 茂木 石原慎太郎が絶対に「君が代」を歌わないというのは何だったんでしょう。 東 声を出さずに口パクだったと聞いたことがあります。 養老 知らないんじゃないの(笑)』、「養老」氏はさすがに「あの雰囲気の中で、ただ「やめましょう」とはとても言えないですよ。そんな簡単なもんじゃなかったと思います。判断は都度しなければならないし、下手をすれば宮中某重大事件・・・を繰り返してしまうこともわかっていたでしょうから・・・社会は複雑系で、本当は簡単な因果では説明できない。 養老 天皇陛下のせい、とは思わないわけです。ただ僕より少し上の人には「天皇嫌い」がけっこういて、井上ひさしなんかは、なんで怒るのっていうような話でも怒っていました。 東 天皇の話をするだけで怒るんですか。 養老 そうです。感情的に嫌いなんだなということがよくわかりました。堀田善衞も天皇嫌いだった」、「僕より少し上の人には「天皇嫌い」がけっこういて」、というのは不思議だ。
・『養老先生がよく歌っていた軍歌はアニソンに似ている  茂木 養老先生は軍歌は歌っていたんですか。 養老 兄貴が予科練崩れだったので、家でしょっちゅう歌っていて、いろいろ覚えました。 東 軍歌は子供の頃の思い出という感じですか。 養老 新宿に「潜水艦」という飲み屋があって、ときどき軍歌を歌いに行っていました。そこは夜中の12時までは軍歌を流していて、12時過ぎると懐メロになる。大晦日には店主が客を引き連れて靖国神社に参拝に行くような変な店だった。 茂木 へえ。おいくつくらいの頃ですか。 養老 30歳前後でしょうか。 東 ということは、若気の至りではなく、確信犯的にお好きだったのですね。どんな歌を歌われたんですか。 養老 「嗚呼神風特別攻撃隊」とかね。兄貴に教わって歌っていると、おふくろが「なんで今頃そんな歌を歌うんだ」って怒っていたのを思い出します。おふくろは若い人が特攻で出ていくのを知っていましたからね。 茂木 学徒出陣はニュースとして記憶にありますか。 養老 ないです。 茂木 そうか、養老先生は軍歌を歌っていらしたのか。たしかに軍歌って名曲が多いですよね。あの頃の作曲家は、現代の日本人と身体性が違うように思う。戦後のイデオロギーで否定して片付ければいいものではないように思います。 養老 軍歌はどこに行っちゃったんだろうなと思っていましたが、TVアニメに受け継がれているんだと気付きました。 東 アニソンですね。アップテンポで歌謡曲的で、たしかに軍歌の継承者なのかもしれない。 茂木 なるほど。たしかに軍歌的な盛り上がりがある。軍歌って不思議なことに左の人もけっこう好きですよね。何かパトスをかきたてるところがある。 養老 メーデーの歌なんて、ほとんど「歩兵の本領」とメロディが同じですからね。 茂木 その軍歌バーは左の人も来ていたんですか。 養老 来てない。右ばっかり。 東 養老さんは右翼青年だったんですか。 養老 右翼ではないですね。でも僕らの世代は戦争の教育を受けて、戦争に行けなかった世代ですから、その影響はあるかもしれません。 東 憧れがあった。 養老 そうですね。実際に行った連中は懲り懲りしているでしょうが』、「養老 兄貴が予科練崩れだったので、家でしょっちゅう歌っていて、いろいろ覚えました。 東 軍歌は子供の頃の思い出という感じですか。 養老 新宿に「潜水艦」という飲み屋があって、ときどき軍歌を歌いに行っていました。そこは夜中の12時までは軍歌を流していて・・・大晦日には店主が客を引き連れて靖国神社に参拝に行くような変な店だった・・・養老 軍歌はどこに行っちゃったんだろうなと思っていましたが、TVアニメに受け継がれているんだと気付きました。 東 アニソンですね。アップテンポで歌謡曲的で、たしかに軍歌の継承者なのかもしれない・・・東 養老さんは右翼青年だったんですか。 養老 右翼ではないですね。でも僕らの世代は戦争の教育を受けて、戦争に行けなかった世代ですから、その影響はあるかもしれません。 東 憧れがあった。 養老 そうですね。実際に行った連中は懲り懲りしているでしょうが」、「養老」氏が「軍歌」が好きで、「新宿に「潜水艦」という飲み屋があって、ときどき軍歌を歌いに行っていました」、というのは初めて知った。およそ、昆虫が好きというのとは結びつかないが、趣味というのは分からないものだ。
タグ:「女性皇族本人が結婚後も皇族身分を保持する案」には賛成である。 (1)で「佳子さまや愛子さまが皇族にとどまることが嫌だと言われたら、無理強いはできないし、配偶者は皇族にならないといっても、海外などに一緒に行かれることもあろうから、女性皇族が結婚後も皇室に残る場合、結婚には皇室会議の了承が必要となる可能性もある」、「結婚には皇室会議の了承が必要となる可能性も」、おおごとだ。 「事故などで緊急に皇位継承者が必要になったときや、悠仁さまに男子が生まれなかったときの皇位継承者の供給源も考えておかねばならない。 そこで、報告書はより踏み込んで、以下の三つの手立てを提案している。(1)内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持する、(2)皇族の養子縁組を可能とし、皇統に属する男系の男子を皇族とする、(3)皇統に属する男系の男子を法律により直接皇族とする・・・ 「悠仁さま以降の皇位継承は、悠仁さまが結婚され、お子さまがどうなるかのめどがついてから議論を深めるべきで、つまり今後20年ほど凍結すべきだとした。 秋篠宮皇嗣殿下が、上皇陛下が退位されたのと同じ年齢(85歳余)になられるのは2050年、悠仁さまが同じ年齢になられるのは2092年なので、悠仁さまに男子のお子様がおられなかったとしても、2070年頃までに決めたらいいことである」、なるほど。「小室圭氏の結婚」はやはり問題含みと捉えられているようだ。 八幡和郎氏による「愛子さま、佳子さま結婚で「女性宮家」は必要か?皇位継承問題の“3つの論点”とは」 ダイヤモンド・オンライン (その5)(愛子さま 佳子さま結婚で「女性宮家」は必要か?皇位継承問題の“3つの論点”とは、昭和天皇も上皇も…なぜ天皇は「生物学」を研究したのか?【養老孟司×茂木健一郎×東浩紀鼎談】) 天皇制度 「イギリスのように5000人の王位継承権者がいなくても、数十人以上の継承権者がおり、必要に応じて補充できるようにすべきであり、上皇陛下の子孫以外を皇統から排除するという考え方は危険である」、「イギリスのように5000人の王位継承権者が「、こんなに多いとは初めて知った。「上皇陛下の子孫以外を皇統から排除するという考え方は危険である」、その通りだ。 「女系を容認するときに佳子さまと愛子さまだけを対象として限定するのは理屈に合わない。皇族女子が結婚後に皇族身分を維持するという制度の対象から三笠宮家と高円宮家の3人を外す理由もないし、旧宮家のうち明治天皇や昭和天皇の女系子孫である人たちも大事にすべきであろう」、同感である。 養老孟司氏 茂木健一郎氏 東 浩紀氏による鼎談「昭和天皇も上皇も…なぜ天皇は「生物学」を研究したのか?【養老孟司×茂木健一郎×東浩紀鼎談】」 養老孟司、茂木健一郎、東 浩紀『日本の歪み』(講談社現代新書) 「養老先生」が「上皇陛下と同世代」とは初めて知ったが、興味深そうだ。 「養老 歳も近かったので、子供の頃から大変だろうなと思っていました。なんせお父さんが神様だったんだから。だからそうっとしておいてあげましょうよ、と思います・・・「即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました」(象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば) 本当にそうだろうなと思います。非常に同情しました。誰も「象徴天皇」が何か知らないわけですから。大変でしたね、と」、さすが年齢が近いだけある。 「養老 イギリスにはロイヤル・ソサイエティ(王立学会)という王族や貴族も名を連ねる民間の科学団体があって、正式名称は「自然についての知識を改善するためのロンドン王立協会」・・・実験科学ではなく、生物学などのより博物学的な科学をやっています。自然と触れることは、そういう人たちが気を抜くのにいちばんいい方法だからでしょうね。昭和天皇はイギリスに留学していたので、その雰囲気を知っていたのだと思います ・・・正気を保つためにやっていたんでしょう・・・神様にまでされてしまって、いい加減にしてくれという気持ちがあったとしたら、ヒドロ虫でも見ているのがいちばんですから。昭和天皇はよく正気でいられたと思いませんか?そんなに普通の判断が狂っていたわけではないと思いますよ」、なるほど。 「養老」氏はさすがに「あの雰囲気の中で、ただ「やめましょう」とはとても言えないですよ。そんな簡単なもんじゃなかったと思います。判断は都度しなければならないし、下手をすれば宮中某重大事件・・・を繰り返してしまうこともわかっていたでしょうから・・・社会は複雑系で、本当は簡単な因果では説明できない。 養老 天皇陛下のせい、とは思わないわけです。ただ僕より少し上の人には「天皇嫌い」がけっこういて、井上ひさしなんかは、なんで怒るのっていうような話でも怒っていました。 東 天皇の話をするだけで怒るんですか。 養老 そうです。感情的に嫌いなんだなということがよくわかりました。堀田善衞も天皇嫌いだった」、「僕より少し上の人には「天皇嫌い」がけっこういて」、というのは不思議だ。 「養老 兄貴が予科練崩れだったので、家でしょっちゅう歌っていて、いろいろ覚えました。 東 軍歌は子供の頃の思い出という感じですか。 養老 新宿に「潜水艦」という飲み屋があって、ときどき軍歌を歌いに行っていました。そこは夜中の12時までは軍歌を流していて・・・大晦日には店主が客を引き連れて靖国神社に参拝に行くような変な店だった・・・ 養老 軍歌はどこに行っちゃったんだろうなと思っていましたが、TVアニメに受け継がれているんだと気付きました。 東 アニソンですね。アップテンポで歌謡曲的で、たしかに軍歌の継承者なのかもしれない・・・東 養老さんは右翼青年だったんですか。 養老 右翼ではないですね。でも僕らの世代は戦争の教育を受けて、戦争に行けなかった世代ですから、その影響はあるかもしれません。 東 憧れがあった。 養老 そうですね。実際に行った連中は懲り懲りしているでしょうが」、「養老」氏が「軍歌」が好きで、「新宿に「潜水艦」という飲み屋があって、ときどき軍歌を歌いに行っていました」、というのは初めて知った。およそ、昆虫が好きというのとは結びつかないが、趣味というのは分からないものだ。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感