子育て(その7)(「待てたらお菓子をもう1個」で我慢できずに食べてしまった保育園児の末路、養老孟司×ヤマップ春山対談「こどもを野に放て」 思い通りにならない自然と折り合いをつける力、「はじめてのおつかい」"虐待"批判が吹き飛ぶ凄み 令和になっても"国民的番組"であり続ける背景) [生活]
子育てについては、本年2月12日に取上げた。今日は、(その7)(「待てたらお菓子をもう1個」で我慢できずに食べてしまった保育園児の末路、養老孟司×ヤマップ春山対談「こどもを野に放て」 思い通りにならない自然と折り合いをつける力、「はじめてのおつかい」"虐待"批判が吹き飛ぶ凄み 令和になっても"国民的番組"であり続ける背景)である。
先ずは、昨年12月7日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した心理学博士・MP人間科学研究所代表の榎本博明氏による「「待てたらお菓子をもう1個」で我慢できずに食べてしまった保育園児の末路」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/332986
・『「勉強ができるようになりたい」と願う人は多いだろう。持って生まれた知能が素晴らしくても、それだけでは勉強ができるようにはならない。知能の発達に加え、非認知能力を高めることが必要になる。非認知能力の中核である「自己コントロール力」とは、具体的にはどのような能力なのだろうか。 ※本記事は『勉強ができる子は何が違うのか』から抜粋・再編集したものです』、興味深そうだ。
・『自己コントロール力~目の前の欲求を我慢できるか? 知的能力が同じ子どもであっても、成績に差が付くのはなぜか。いくら知的能力が高くても、やる気や忍耐力がなければ学力は向上せず、その成果としての成績も良くならないだろう。自己コントロール力についての実験の原点と言えるのが、心理学者ミシェルたちが行った「マシュマロ・テスト」だ。 子どもにマシュマロを見せて、今すぐ食べるなら一個あげるが、研究者がいったん席を外して戻るまで待てたら二個あげると告げ、待つことができるか、それとも待てずに食べてしまうかを試すものである(詳しくは前回記事を参照)。 ミシェルはこの実験について、「先延ばしされたものの、より価値のある報酬のために、未就学児が自らに課した、即時の欲求充足の先延ばしパラダイム」であるとしている。先延ばしされたものの、より価値のある報酬のために、即時の欲求充足を先延ばしする、というのがちょっとわかりにくいかもしれないので、この本のテーマである勉強ができるということと絡めて、より具体的に説明してみよう。 たとえば、宿題をしないといけないのに、近所の友だちから遊びに誘われたとする。ここでの即時の欲求充足とは、友だちの誘いに応じて今すぐ遊びに行ってしまうことを指す。でも、それをしてしまうと、明日学校で先生から叱られるし、学期末の成績に悪影響がある。 この場合、先延ばしされたものの、より価値のある報酬というのは、今すぐの欲求充足を我慢して、友だちの誘いを断り宿題をすれば、明日先生からほめられる、あるいは叱られずにすむし、その日に習った内容の理解が進み学期末の成績に好影響が期待できることを指す。 このような状況で、友だちの誘いに乗って遊びに行くという目の前の欲求充足を我慢できるかどうかということである。 あるいは、もうすぐ定期試験があり、これまでに習ったことを復習するという準備勉強をしないといけないのに、好きなサッカーの国際試合がテレビで連日放映されるとする。 ここでの即時の欲求充足とは、好きなサッカーの国際試合を見たいという誘惑に負けてテレビを見てしまうことを指す。でも、それをしてしまうと、定期試験の準備勉強が疎かになり、良い成績を取ることができなくなってしまう。先延ばしされたものの、より価値のある報酬というのは、今すぐの欲求充足を我慢して、テレビでサッカーの国際試合を見るのを諦め定期試験の準備勉強をすれば、定期試験で良い点数を取ることができ、学期末の成績が良くなると期待できることを指す。) このように、明日にしろ学期末にしろ、より大きな将来の欲求充足のために、今すぐの欲求充足を我慢できるかどうかで、勉強ができるようになるかどうかが決まってくるというわけである。 学力を高め、試験で良い成績を取るためには、宿題をやったり、試験の準備勉強をしっかりやったりすることが必要である。それなのに、宿題をしなければいけないことはわかっているのに友だちから誘われると宿題を投げ出して遊びに行ってしまったり、試験の準備勉強をしないといけないことはわかっているのにテレビばかり見てしまったりするようでは、学力を身につけ良い成績を取るのは難しい。 そこで問われるのが抑制能力、つまり長期的な欲求充足のために即時の欲求充足行動を抑制する能力である。これまでは、学業成績の基盤となるものとして知能が注目されることはあっても、抑制能力のような非認知能力が注目されることはなかった。ただし、教育現場に身を置く人たちは、日常の生活場面における抑制能力の重要性を痛感しているはずである』、「教育現場に身を置く人たちは、日常の生活場面における抑制能力の重要性を痛感しているはずである」、なるほど。
・『欲求充足の先延ばしができる子どもの将来は? 前回の記事で紹介したように、ミシェルの追跡調査によれば、マシュマロ・テストで欲求充足を先延ばしできた子は、およそ10年後に、欲求不満を覚えるような状況において、他の人たちより強い自制心を示す青年になっていた。つまり、子どもの頃に、より大きな欲求充足のために目の前の欲求充足を先延ばしすることができた者は、10年経っても相変わらず誘惑に負けにくく、ストレスにさらされてもあまり取り乱すことがなく、また目標に向かって計画的に行動できることが確認されたのである。 さらには、そのような欲求充足の先延ばしができる者は、成人後の20代後半になっても、長期的目標の追求やその達成が得意で、そのため高い学歴を獲得し、衝動的に危険薬物に手を出すこともなく、食生活でも抑制できるため肥満指数が低いことが確認されている。 その後も、多くの調査研究により、欲求充足を必要に応じてコントロールできる能力の重要性が確認されている。 たとえば、心理学者モフィットは、1000人の子どもたちを対象に、生まれたときから32年間にわたって追跡調査を行うことで、子ども時代の自己コントロール力が将来の健康や富や犯罪を予測することを確認している。 具体的には、我慢する力、衝動をコントロールする力、必要に応じて感情表現を抑制する力など、自己コントロール力が高いほど、大人になってから健康度が高く、収入が高く、犯罪を犯すことが少ないことがわかったのである。これは直接学力への影響に焦点づけたものではないが、アメリカは能力によって収入に大きな格差がつく社会なので、収入の高さなどは学力の高さを示唆するものとも考えられる』、「心理学者モフィットは、1000人の子どもたちを対象に、生まれたときから32年間にわたって追跡調査を行うことで、子ども時代の自己コントロール力が将来の健康や富や犯罪を予測することを確認している。 具体的には、我慢する力、衝動をコントロールする力、必要に応じて感情表現を抑制する力など、自己コントロール力が高いほど、大人になってから健康度が高く、収入が高く、犯罪を犯すことが少ないことがわかったのである」、「子ども時代の自己コントロール力」の高さが、「大人になってから健康度が高く、収入が高く、犯罪を犯すことが少ないことがわかった」、なるほど。
・『自己コントロール力の向上が学業成績につながっていく 非認知能力の中核をなすのは自己コントロール力である。必要に応じて自分の心の状態を適切にコントロールすることは、勉強や仕事に取り組む際にも、人間関係上でも、必要不可欠と言ってよい。 子ども時代の自己コントロール力に関する多くの先行研究の結果を検討したロブソンたちは、子どもの頃の自己コントロール力によって、その後の学業成績や人間関係の良好さ、問題行動や抑うつなどの病的傾向、失業などを予測できることを確認している。中学生を対象とした追跡調査でも、自己コントロール力の向上がその後の学業成績につながっていくことが確認されている。 このように学業も含めて将来社会的にうまくやっていけるかどうかと関係しているとみなされる自己コントロール力だが、これを測定する心理尺度がタングニイたちによって開発されており、その短縮版の日本語訳も心理学者の野崎優樹たちによって作成されている。以下にその自己コントロール尺度短縮版の日本語訳を示すので、自己コントロール力とは具体的にどんな能力なのかをイメージしてほしい。 わかりやすいように、まず前半に自己コントロール力の高い人があてはまる項目を並べ、後半に自己コントロール力の低い人があてはまる項目を並べてみる。 自己コントロール力の高い人があてはまる項目 ・自分にとってよくない誘いは、断る ・誘惑に負けない ・自分に厳しい人だと言われる ・先のことを考えて、計画的に行動する 自己コントロール力の低い人があてはまる項目 ・悪いクセをやめられない ・だらけてしまう ・場にそぐわないことを言ってしまう ・自分にとってよくないことでも、楽しければやってしまう ・もっと自制心があればよいのにと思う ・集中力がない ・よくないことと知りつつ、やめられない時がある ・他にどういう方法があるか、よく考えずに行動してしまう ・趣味や娯楽のせいで、やるべきことがそっちのけになることがある 前半の項目の多くが自分にあてはまり、後半の項目の多くが自分にあてはまらないという人は、自己コントロール力の高い人ということになる。反対に、前半の項目の多くが自分にあてはまらず、後半の項目の多くが自分にあてはまるという人は、自己コントロール力の低い人ということになる。 自分に厳しく、だらけることがなく、自制心があり、誘惑に負けず、集中力があり、やるべきことをさぼることなく、先のことを考えて計画的に行動することができれば、必要な勉強はしっかりこなし、ここぞというときに頑張ることができるため、学力を高め、その結果として良い成績を取れるのは目に見えている。 反対に、自分に甘く、すぐにだらけてしまい、自制心が乏しく、つい誘惑に負けてしまい、集中力がなく、やるべきこともついさぼってしまい、計画してもなかなかその通りにできない場合は、必要な勉強も疎かになりがちで、学力を高めることができず、良い成績を取ることは期待できない。 こうしてみると、勉強ができるようになるには、自己コントロール力を高めることがいかに大切かがわかるだろう』、「前半の項目の多くが自分にあてはまり、後半の項目の多くが自分にあてはまらないという人は、自己コントロール力の高い人ということになる。反対に、前半の項目の多くが自分にあてはまらず、後半の項目の多くが自分にあてはまるという人は、自己コントロール力の低い人ということになる・・・自分に厳しく、だらけることがなく、自制心があり、誘惑に負けず、集中力があり、やるべきことをさぼることなく、先のことを考えて計画的に行動することができれば、必要な勉強はしっかりこなし、ここぞというときに頑張ることができるため、学力を高め、その結果として良い成績を取れるのは目に見えている。 反対に、自分に甘く、すぐにだらけてしまい、自制心が乏しく、つい誘惑に負けてしまい、集中力がなく、やるべきこともついさぼってしまい、計画してもなかなかその通りにできない場合は、必要な勉強も疎かになりがちで、学力を高めることができず、良い成績を取ることは期待できない。 こうしてみると、勉強ができるようになるには、自己コントロール力を高めることがいかに大切かがわかるだろう」、なるほど。
・『自己コントロール力の発達には幼児期が重要 自己コントロール力が高くないと社会適応に困難をきたすことは容易に想像できる。たとえば、自分の感情をうまくコントロールできなければ、人間関係が安定せず、信頼関係も築きにくいし、トラブルが絶えないといったことにもなりがちだ。また、自分の気持ちをうまくコントロールできなければ、勉強に限らずスポーツでも芸術でも、目標に向けて忍耐強く努力を続けることができず、すぐに誘惑に負けてさぼったり、思い通りにならないとすぐに落ち込んでやる気をなくしたりといったことにもなりがちである。 ここから言えるのは、子どもの頃、とくに幼児期において、自己コントロール力の発達を促進するような働きかけをすることが非常に大切だということである。親など周囲の人たちからそのような働きかけをしてもらえないと、自己コントロール力が未熟なままということもあり得る。目の前の子どもが喜ぶ笑顔を見たいなどといって将来のことを考えずに甘やかす親だと、そのようなことが起こりがちだ。その場合は、自分自身で自己コントロール力を意識して鍛える必要があるだろう。 主に成人を対象とした調査研究により、自己コントロール力は年齢の上昇に伴って高くなっていくことが示されている。これは自己コントロール力が成人後も発達していくことを示唆するものであり、幼児期・児童期にうまく発達していなくても、中高生や大学生になってからでも十分鍛えることができることを意味する』、「子どもの頃、とくに幼児期において、自己コントロール力の発達を促進するような働きかけをすることが非常に大切だということである。親など周囲の人たちからそのような働きかけをしてもらえないと、自己コントロール力が未熟なままということもあり得る。目の前の子どもが喜ぶ笑顔を見たいなどといって将来のことを考えずに甘やかす親だと、そのようなことが起こりがちだ・・・自己コントロール力が成人後も発達していくことを示唆するものであり、幼児期・児童期にうまく発達していなくても、中高生や大学生になってからでも十分鍛えることができることを意味する」、なるほど。
・『モチベーションを高く維持できるかどうかで成果が変わる 学校での学習活動にやる気をもって取り組めるかどうかには、非認知能力が大いに関係しているが、とくに重要となるのが、モチベーションを高める能力である。勉強に限らずスポーツや音楽などの趣味的な活動でも、モチベーションを高めて取り組むことが大切であることは、だれもが頭ではわかっているはずだ。 それはわかっていても、なかなかモチベーションが高まらないこともあるだろう。結局のところ、モチベーションというのは気持ちの問題である。いくら頭でわかっていても気持ちがついていかなければモチベーションは高まらない。このようにモチベーションには理屈よりも気持ちの面が大きいことを考えると、気持ちのコントロールがいかに重要かがわかるだろう。 もちろん日頃からモチベーションを高く維持しながら勉強に取り組むことができるかどうかによっても、学力は大きく左右される。だらだらするよりもやる気をもって取り組む方が有効な学習になるのは当然である。 でも、非認知能力の一つである自分の気持ちをコントロールする力が、いきなり身につくわけではない。そこで問われるのがメタ認知能力である。ここの文脈で言えば、モチベーションを高める方法を知っているかどうかである。自分の心の中にやる気を燃やすコツを心得ているかどうかということである。メタ認知能力については次回で詳しくみていく』、「モチベーションには理屈よりも気持ちの面が大きいことを考えると、気持ちのコントロールがいかに重要かがわかるだろう。 もちろん日頃からモチベーションを高く維持しながら勉強に取り組むことができるかどうかによっても、学力は大きく左右される。だらだらするよりもやる気をもって取り組む方が有効な学習になるのは当然である・・・自分の心の中にやる気を燃やすコツを心得ているかどうかということである」、なるほど。
次に、4月2日付け東洋経済オンラインが掲載した解剖学者の養老 孟司氏と ヤマップCEOの 春山 慶彦氏の対談「養老孟司×ヤマップ春山対談「こどもを野に放て」 思い通りにならない自然と折り合いをつける力」を紹介しよう。
・『都市化が進み、生活空間が人工物で囲まれ、自然と直に接することが極端に少なくなっている昨今、その弊害も多く語られています。 そこで、「知性を育むには、まず自然の中で感覚を磨くことが重要」と主張する解剖学者の養老孟司さんと、登山人口の半数以上が使用すると言われる登山地図アプリを起点に、アウトドアビジネスを急拡大させているベンチャー企業・ヤマップCEO、春山慶彦さんが対談。 ChatGPTに代表される生成AIの時代に、今こどもたちにとって本当に必要なことは何かお話しいただきました(本記事は『こどもを野に放て!AI時代に活きる知性の育て方』から一部抜粋・再構成したものです)』、興味深そうだ。
・『自然の中に身を置くだけで、こどもたちは十分学んでいる 春山現代の日本の教育において、自然体験はそれほど重要視されていない、どちらかというと脇に置かれてしまっているような気がしています。 特に最近では、英語やプログラミングなど、早い段階から知識を詰め込む傾向がより強くなっているのではないでしょうか。 養老明治時代に日本が学校教育をはじめたときは、野育ちのこどもたちを集めて、「おとなしく、じっと座っていなさい」という教育でした。 ところが今の子は、テレビやパソコンのモニターを見て、おとなしくじっと座っている方が多いわけでしょう。そうすると、学校で先生の話を聞いているだけで受け身になりがちです。 そういう明治以来のおとなしく座らせる教育で、どこまで学習というものが成り立つのか、疑問です。 結局、こどもを集めて静かにさせておくのが楽だからということだと思いますが、元来、こどもはじっと静かにしていられない。だから、それを無理やりやらせているという意味では、ほとんど「虐待」ではないかと思います。 極端なことを言うようですが、学校はいわゆる「遊ぶ」ところにしてしまって、学業は家でやるということにしてしまった方がいいくらいではないですか』、「明治以来のおとなしく座らせる教育で、どこまで学習というものが成り立つのか、疑問です。 結局、こどもを集めて静かにさせておくのが楽だからということだと思いますが、元来、こどもはじっと静かにしていられない。だから、それを無理やりやらせているという意味では、ほとんど「虐待」ではないかと思います」、なるほど。
・『春山そうですね。そろそろ、学校や教育の役割を時代に合わせて変えていく時期に来ているのではないかと思います。 たとえば、学校をもっと自然の中に開いていく。 こどもたちを学校という人工的な箱の中にずっと閉じ込めておくのではなく、教室を出て、自然の中に連れて行くようになればいいですね。 養老学ぶというと、意識的に何かを取り入れるというふうに思ってしまいますが、そうではなくて、自然の中で身体を動かすことで無意識に教育を受けているわけです。 以前、岡山県の新見というところにある小学校に行って、こどもたちと遊んできたことがあります。一応口実がないといけないので、虫捕りを教えるみたいなふりをしてね。 雨が降ってしまったので、結局、虫は捕りませんでしたが、実際は単に遊びに行くだけなんです。こどもたちは、ほっとけば遊んでますから。 春山先生は、小学校に出向いてこどもたちに虫の話をするということを、よくやっていらっしゃるんですか。 養老機会があればね。それは別に虫の話をするのではなくて、できるだけ外で遊ばせてやろうと。言ってみれば、学校の邪魔をしているんです(笑)。 「遊び」と言うけれども、やはり人間も他の動物と同じ生きもので、本来はそういう自然環境の中で生きてきたわけですから、そこへ戻る、そこで必要なものをまず学んでくるということですね。 僕なんかへそ曲がりみたいにこどものときからずっと虫をやっていますから、虫の目で世界を見て、おかげさまでいろんなことが考えられるわけです。 春山そういう自然体験を通して、自分のいのちが地球とつながっているということを身体で理解できれば、風土への思いや自然環境への感性が自ずと育っていくと思います』、「やはり人間も他の動物と同じ生きもので、本来はそういう自然環境の中で生きてきたわけですから、そこへ戻る、そこで必要なものをまず学んでくるということですね。 僕なんかへそ曲がりみたいにこどものときからずっと虫をやっていますから、虫の目で世界を見て、おかげさまでいろんなことが考えられるわけです」、なるほど。
・『まず身体性を磨くことが大事 養老僕の知り合いに﨑野隆一郎さんという人がいて、夏休みになるとこどもたちを何もない森の中に連れて行って30泊31日過ごさせるというプログラムを、もう30年くらいやっています。 僕も時々、このキャンプに顔を出して、一緒に虫捕りをしていますが、参加する子たちは、まずはスマホを没収されて、山のサバイバル生活に放り込まれます。) 朝は日の出とともに起きて、100段の階段を登ったところにある水場で水を汲くみ、一から火を起こして食事をつくります。うまく火を起こせなければ、自分たちが食べるものはありません。 とにかく自分で身体を動かさないと生きていけないというスパルタなキャンプで、大人が手取り足取り教えるようなこともしない。 一食ぐらい食べられなくても、大したことはないのですが、こどもたちはそうなったら大変だと、目の色を変えて、本気で取り組みます。﨑野さんは「一日やったら、こどもたちは慣れますよ」と言ってましたけどね。 このキャンプで彼らが何を学ぶかというと、一番は身体性ですね。 自然に親しむも何も、人間にとって、自分の身体は最も身近な自然です。自然というものは思うようにはならないということを、こうしたキャンプを通してあたりまえのように親しんでしまうわけですね。 春山そのキャンプで過ごす前と後とで、こどもたちはどう変わっていくのでしょうか。 養老﨑野さんは、このプログラムを全国展開したいということで、説得材料としてキャンプに参加しているこどもたちの血液検査をしたりホルモンを測定したりしています。 今はそういうふうにデータを出さないとなかなか理解してもらえないのかもしれませんが、そもそもこどもをそうやって野山の中で自由に遊ばせていれば元気になるに決まっています。 それなのにエビデンスが必要だと言う人を説得するなんて、僕自身はやりたくないですね。「自分でやってみればわかりますよ」と。それで終わりです。 春山確かにそうですね。データがなくても、自分で実際にやってみれば身体を使う気持ちよさや、自然の中で過ごす意義も実感としてわかるはずです』、「養老僕の知り合いに﨑野隆一郎さんという人がいて、夏休みになるとこどもたちを何もない森の中に連れて行って30泊31日過ごさせるというプログラムを、もう30年くらいやっています。 僕も時々、このキャンプに顔を出して、一緒に虫捕りをしていますが、参加する子たちは、まずはスマホを没収されて、山のサバイバル生活に放り込まれます。) 朝は日の出とともに起きて、100段の階段を登ったところにある水場で水を汲くみ、一から火を起こして食事をつくります。うまく火を起こせなければ、自分たちが食べるものはありません。 とにかく自分で身体を動かさないと生きていけないというスパルタなキャンプで、大人が手取り足取り教えるようなこともしない・・・今はそういうふうにデータを出さないとなかなか理解してもらえないのかもしれませんが、そもそもこどもをそうやって野山の中で自由に遊ばせていれば元気になるに決まっています。 それなのにエビデンスが必要だと言う人を説得するなんて、僕自身はやりたくないですね。「自分でやってみればわかりますよ」と。それで終わりです」、なるほど。
・『わからないままにしておく力を身につける 養老身体や脳のいろいろなデータを測って、それを基に教育政策を考えるのは、ちょっと危険な気がしますね。 現代の医療もそのような傾向が強くなっています。医者は目の前にいる患者の身体より、検査で出てきた数字だけを見て、その数値を正常値に戻すことが仕事になってしまっている。 でも、そんなことをしなくても、当人が元気で動いていればいいんですよ。) 春山つまり、部分部分でしか物事を見なくなっているということでしょうか。 養老そうです。検査の数値結果から、薬を飲む、手術をする、あるいは生活習慣を改善する、などと決められていく。これから医療分野でAIの活用が進めば、ますますその傾向は進むでしょうね。データをすべて否定するということではありませんが、それだけを判断材料にするのはどうかと思います。 そう言えば、おもしろい統計があって、しょっちゅう医者にかかるグループとかからないグループで分けると、医者にかかっているグループの方が死亡率が高いのです。 もちろん、必要に応じて病院を受診することは大切です。でも、心配だからと言って何でもかんでも医者に診てもらうのは、やり過ぎです。僕はできるだけ、そういう余計なことをしないようにしています。 これは医療の話だけではなくて、教育でも、成績をデジタル管理して、個人の能力を数値化しようとしていますね。でも、自然体験で身につく力は、数値で測ることなどできません。 春山同感です』、「しょっちゅう医者にかかるグループとかからないグループで分けると、医者にかかっているグループの方が死亡率が高いのです・・・必要に応じて病院を受診することは大切です。でも、心配だからと言って何でもかんでも医者に診てもらうのは、やり過ぎです。僕はできるだけ、そういう余計なことをしないようにしています」、なるほど。
・『偏差値教育はやめた方がいい 養老やはり、偏差値教育をやめないといけないと思いますね。また虫捕りの話になりますが、虫捕りをやれば、努力、根性、辛抱は、必ず身につきますよ。 一匹も捕れなくても、「今日はダメでも明日こそは」と、待つのがあたりまえですから。そうやってようやく捕まえたときのよろこびを、今のこどもたちにも味わってほしいですね。 虫捕りは遊びですが、農作業などで日常的に自然とつきあう必要があった昔の人は、辛抱や努力する性質を持っていたはずで、身体を使って暮らしを営むというのが、本来の姿だったろうと思います。 天気一つとっても、人間はコントロールすることができません。 思い通りにならない自然となんとか折り合いをつけるためには、地道な努力や、予測できないことを受け入れ、わからないことは「まあ、こんなものだろう」と空白のままにしておかなければならないのです。 春山そうですね。自然と触れ合うことで、こどもたちに自分の身体で実感してほしいですね。 (養老孟司氏の略歴はリンク先参照)、(春山慶彦氏の略歴はリンク先参照)』、「虫捕りをやれば、努力、根性、辛抱は、必ず身につきますよ・・・天気一つとっても、人間はコントロールすることができません。 思い通りにならない自然となんとか折り合いをつけるためには、地道な努力や、予測できないことを受け入れ、わからないことは「まあ、こんなものだろう」と空白のままにしておかなければならないのです」、その通りだ。
第三に、7月15日付け東洋経済オンラインが掲載したコラムニスト・人間関係コンサルタント・テレビ解説者の木村 隆志氏による「「はじめてのおつかい」"虐待"批判が吹き飛ぶ凄み 令和になっても"国民的番組"であり続ける背景」を紹介しよう。
・『7月15日の19時から、3時間特番「はじめてのおつかい 笑って泣いて夏の大冒険SP 2024」(日本テレビ系)が放送されます。 同番組は初めて1人だけのおつかい挑む子どもたちに密着した、ほっこり系のドキュメントバラエティ。スタートした1991年から今年で33年目を数え、ほぼ年2回ペースで放送。2年前にはNetflixでの世界配信がはじまり、反響の大きさが報じられたほか、この企画をビジネスにした会社もあるなど、誰もが知るコンテンツとして定着した感があります。 「はじめてのおつかい」は、子どもが1人おつかいをするだけの極めてシンプルな内容ながら、なぜ長年にわたって支持を得られているのでしょうか。主に制作サイドの事情と社会の背景から、強みとリスクを分析。さらに、日本人の変化や令和の現実、視聴者への意外な影響などを掘り下げていきます』、「スタートした1991年から今年で33年目」、そんな長寿番組だとは初めて知った。
・『親子ともに「はじめて」の緊張感 まず子どもが1人でおつかいをするだけの極めてシンプルな内容ながら、なぜ長年にわたって支持を得られているのか。 はじめてのおつかいに挑む子どもたちの年齢は2~6歳程度。「まだ文字が読めない」「会話での意思疎通も十分ではない」という子どもがほとんどであり、メモが使えないなどのルールも含めてハードルが高く、本人たちにとっては「はじめて」であるとともに「人生最大のチャレンジ」になることがハラハラドキドキのベースになっています。) 一方、それを見守る親にとっても、子どもを1人で送り出すのは「はじめて」であり、「子育てにおける最大のチャレンジ」と言っていいでしょう。実際、番組では子どもを送り出したあとに心配でそわそわし、帰ってきたら涙をこぼして抱きしめる親の姿がはっきりと映されています。 また、そんな不安や安堵がにじむ親の姿を見て感動し、自分の子どもと重ね合わせる視聴者が少なくありません。もともと同番組には「子どもの成長や自立を見守る」「親子や育児のあり方を考える」という社会的な大義名分もあるため、視聴者とスポンサーの評判が極めていいという状態が続いています。 支持を得ている背景として見逃せないのは、制作サイドの配慮と努力。シンプルな内容だからこそ構成・演出でのごまかしが利かず、さまざまな配慮と努力を重ねることで番組が成立しているのです。 最初の配慮と努力は、「一定のあやうさを感じさせながらもおつかいが成立しそうな子どもを見つける」こと。あまり「やりたくない」という子どもにやらせてはいけないし、それは多くの子に会ってみないとわからないでしょう。親は「ウチの子をぜひ」とやらせたがるだけにスタッフサイドの見極めが求められますし、だから同番組は出演家族を大々的に募集していません。 次の配慮と努力は、「大人がメインの番組以上に安全面で最大限の注意を徹底しなければいけない」こと。事故は万が一にもあってはいけないため、ルートの選定から、地元住民への説明と理解、当日の警備などで万全を期し、予測不可能な子どもの動きに対応できる体制を整えています』、特に「事故」防止の苦労は並大抵ではないだろう。
・『長寿番組につながった制作スタンス 安全面に気をつけたうえで重要なのは、「絶対にバレないように撮影しなければいけない」こと。子どもたちはいつ出発するかすらわからず、泣き出して中断することも多いだけに、制作サイドには集中力と忍耐が求められますし、変装、撮り方、トラブル時の声かけなど、1つひとつの行動に細心の注意が払われています。 さらに制作サイドの努力を裏付けるのは、「それだけ苦労して撮っても、番組内で放送できるのは10~20%程度にとどまる」こと。おつかいが成立したケースでも、ゴールデンタイムのバラエティとして見てもらえるドラマ性や感動がなければ放送は見送らざるを得ません。 また、放送できなかった家族へのアフターフォローを欠かさないところも出演者に寄り添った配慮の1つでしょう。 それ以外でも制作サイドは、安全に配慮したロケであることを感じさせるために「スタッフの姿をあえて映り込ませる」などのさまざまな工夫を施していますが、それでも「あぶない」「かわいそう」などの批判があがってしまうのがキッズドキュメントの難しいところ。) シンプルな内容のため簡単にマネできそうに見えて、実はどんな番組よりもそれが難しく、続けていくのはさらに難しい。他局のスタッフがマネしようと思ってもできないのです。 特筆すべきは、「これだけ配慮と努力が求められる番組を長年放送し続けている」こと。もし制作サイドが視聴率獲得を優先していたら、短期的にはより好結果が得られたかもしれない一方で、33年もの長期にわたって継続できなかったのではないでしょうか。 これまで制作サイドは「ある時期の一度しか見られない家族の物語を記録する」という謙虚かつ誠実な撮影・編集のスタンスを変えていません。 テレビ番組のスタッフは「より収益を得る(視聴率を上げる)ために、より長く続けていくために、ここを変えよう」としがちですが、当番組からはいい意味でそんなスタンスを感じないのです。 営業的な色気を出さず、純国産のキッズドキュメントを撮り続けるプロフェッショナルな仕事が長寿番組につながっているのでしょう』、「番組のスタッフは「より収益を得る(視聴率を上げる)ために、より長く続けていくために、ここを変えよう」としがちですが、当番組からはいい意味でそんなスタンスを感じないのです。 営業的な色気を出さず、純国産のキッズドキュメントを撮り続けるプロフェッショナルな仕事が長寿番組につながっているのでしょう」、その通りだ。
・『おつかいの減少と防犯意識の高まり ただ、「はじめてのおつかい」は、制作サイドの配慮と努力によってすべてが順風満帆かといえば、そうとは言いづらいところがあります。 かつて日本人にとっておつかいは日常の一つであり、子どもに頼む親が少なくありませんでした。しかし、厚生労働省の調査で「子どものお手伝いは、部屋や風呂などの掃除、洗濯物を干す・たたむなどが多く、おつかいは減っている」という結果が発表されたことがあるように(「21世紀出生児縦断調査」2022年)、親子の行動や意識が大きく変わっています。 真っ先にあげられるのは、買い物に対する行動や意識の変化。キャッシュレス化、ネットショッピングでの自宅配送、大型スーパーでのまとめ買いなどが浸透し、以前よりも近所での買い物自体が減りました。 たとえば、何か足りなくなったものがあってもネットで買えば翌日には届くなど、「子どもにおつかいを頼む」という必然性が薄れています。また、地元住民を対象にした人情豊かな商店街が減っていることも、おつかいが減った一因でしょう。) もう1つ、おつかいが減った理由としてあげられるのは、防犯意識の高まり。子どもに防犯ベルを持たせることが普通になったように、もはや親に「かわいい子には旅をさせよ」という意識ではなく、事故や犯罪に巻き込まれない安全第一の姿勢が浸透しています。 不審者の存在に加えて、子どもを見守る大人の目が減ったこと。歩きスマホやヘッドホン着用、電動キックボードやモペットなどの危険も加わり、「幼い子どもを1人で出かけさせることに抵抗がある」という親が多くを占めるようになりました。 とりわけ都会になるほど防犯意識が高く、「はじめてのおつかい」の撮影も難しくなります。たとえば商店街で撮影しようとしても、「許可が下りない」「苦情が入る」「盗撮されやすい」などの困難があり、理解と協力を得るのは簡単ではありません。 実際、今回の放送で予定されているエピソードは、茨城県結城市、兵庫県宍粟市、宮城県仙台市、山梨県富士吉田市、沖縄県石垣島、愛媛県伊予市、静岡県袋井市、愛媛県愛南町と地方ばかりで、そのほとんどがのどかな田舎町。都心で生きる人々にとって「はじめてのおつかい」は、「遠い世界の話」「一昔前の家族」と別世界のように醒めた目線で見ている人もいるようです』、「不審者の存在に加えて、子どもを見守る大人の目が減ったこと。歩きスマホやヘッドホン着用、電動キックボードやモペットなどの危険も加わり、「幼い子どもを1人で出かけさせることに抵抗がある」という親が多くを占めるようになりました。 とりわけ都会になるほど防犯意識が高く、「はじめてのおつかい」の撮影も難しくなります。たとえば商店街で撮影しようとしても、「許可が下りない」「苦情が入る」「盗撮されやすい」などの困難があり、理解と協力を得るのは簡単ではありません・・・そのほとんどがのどかな田舎町。都心で生きる人々にとって「はじめてのおつかい」は、「遠い世界の話」「一昔前の家族」と別世界のように醒めた目線で見ている人もいるようです」、時代の変遷ばかりはどうしようもない。
・『Netflixでの海外配信の反応と本音 しかし、地方でのロケだからこそ「はじめてのおつかい」の牧歌的な世界観が保たれるとともに、ノスタルジーや旅情を感じさせ、さらに地域のプロモーションにも貢献できるなどのメリットも少なくありません。Netflixで海外配信されれば外国人に向けたPRにもなるため、子どもがおつかいで買うものも地元の名産品が選ばれるケースが目立っています。 では、その海外配信による反応はどうなのか。 当初は感動や畏敬と同時に、懸念や批判の声も多く、まさに賛否両論というムードがありました。子どもを1人きりにさせるだけで児童虐待にあたる国や地域の人びとにとっては、「信じられない」「絶対にダメ」なこととして認められないのも無理はないでしょう。 ただ、それが国際的に問題視されているという深刻な状態ではありませんでした。当初から日本人の価値観や習慣を理解しようとしない一部の声を切り抜くような記事で騒がれていただけ。 「日本ではおつかいが子どもの成長の証しという価値観」を理解はできないけど否定はせず、治安のいい日本への軽い嫉妬に近いニュアンスが感じられました。) 海外配信スタートから現在までの2年あまり、「虐待だ」などの強烈な批判や問題提起は見られないことから、日本の価値観や習慣が世界の人びとにジワジワと伝わっているのかもしれません。 昨年10月、自民党埼玉県議団が県議会定例会に「小学3年生以下の子どもだけでの留守番や外出を“置き去り”として禁じる」などの埼玉県虐待禁止条例改正案を提出したことが物議を醸しました。 これは子どもの死亡事故が続いたことを受けた提案でしたが、おつかいに行かせることも、子どもだけで公園で遊ばせることも「置き去り」に該当するという内容に、全国から批判の声が殺到。特に共働きや1人親の家庭には難しい内容であり、条例案は撤回されました。 これは「防犯意識は高まっているが、海外の国々と同じレベルまで警戒する必要性はなく、日々の生活を優先させるべき」という考え方の人がまだまだ多いということでしょう』、「海外配信スタートから現在までの2年あまり、「虐待だ」などの強烈な批判や問題提起は見られないことから、日本の価値観や習慣が世界の人びとにジワジワと伝わっているのかもしれません」、なるほど。
・『「親子視聴が難しい」意外な理由 最後に「はじめてのおつかい」を見る視聴者へのちょっと意外な影響をいくつかあげておきましょう。 同番組は子育て中の父母がメインターゲットとなる内容であり、孫に重ね合わせて見られる祖父母世代からも人気を得ています。 しかしその一方で、小学生以上の子どもたちにとっては興味関心を持ちにくいコンテンツ。彼らはまだ親の気持ちは理解できないだけに、「自分が簡単にできることをしているだけの番組」という位置付けで見られがちです。 そのため民放各局が最も目指す親子での視聴が望めるのは、おつかい当事者と同世代の子どもがいる家庭。ただ、親にとっては一緒に見ることで「もし子どもから『僕もやりたい』『私も出たい』と言われて困ってしまう」という事態も想定されます。 実際、筆者の子どもと同じ保育園に通う6人の3~5歳児が今年1月放送の番組を見て、「やってみたい」と言っていました。親たちは「みんなが出られるわけじゃないから」「もうちょっと大きくなってから」などとかわすようになだめていましたが、今回の放送を見たらその気持ちが再燃するかもしれません。 その意味で実は「子どもと一緒に見るのは避けたい」という親も少なくないのでしょう。 また、前述したように地方でのロケが行われ、都会ではあまり見られない静かな街並みや地元住民の温もりが強調されていることもあって、地方での子育てに憧れを抱くような親の声もちらほら見かけます。) ちなみに筆者の周囲には「小学校に入学する前に郊外への転居を決めた」という園児の親が何人かいました。本当に移住するかはさておき、その感覚は外国人が治安のいい日本をうらやましがることと似ているようにも見えます』、「筆者の周囲には「小学校に入学する前に郊外への転居を決めた」という園児の親が何人かいました。本当に移住するかはさておき、その感覚は外国人が治安のいい日本をうらやましがることと似ているようにも見えます」、なるほど。
・『おつかいのメリットは今なお健在 もともとドキュメントバラエティは出演者による制作サイドへの批判や告発などのリスクがつきものですが、「はじめてのおつかい」にはそれがほぼありません。それは子どもたちのかわいらしい奮闘に加えて、制作サイドの配慮と努力が出演者と視聴者の両方に伝わっているからではないでしょうか。 また、ドキュメントバラエティには付き物の「出演者に対する誹謗中傷が少ない」ことも制作サイドの手柄と言っていいかもしれません。 前述したように「以前よりも減った」とはいえ、おつかいそのものの価値が下がったわけではないでしょう。「はじめてのおつかい」で得られるメリットは今なおさまざまなものがあります。 主なものをあげていくと、「物の値段や価値を知る」「手持ちのお金で買えるものを選ぶ」などの買い物体験ができること。「勇気を出して挑戦する感覚、誰かのために頑張る責任感、充実感や成功体験」などを得られること。さらに面識のない人々とのコミュニケーションを取る貴重な経験にもなります。 「子どものおつかい」という日本人ならではの習慣を見られる貴重な機会だけに、今後はますます同番組の希少価値が高まっていくのではないでしょうか。日本テレビにとっても、「新たに子どもが生まれたほとんどの親が自動的にメインターゲットとなっていく」という貴重なコンテンツだけに放送を続けていきたいところでしょう。 ここまであげてきたように長年支持を得てきた「はじめてのおつかい」には、時代や日本人の感覚が変わっても批判の声があがりづらいさまざまな背景がありました。 もし子どもが主役の新たなドキュメントバラエティが企画され、同レベルの配慮と努力をしても、「はじめてのおつかい」のように称賛を得られるかはわかりません。特に子どもの安全にかかわる配慮や努力が感じられなければ、疑いの目が向けられ、苦戦を余儀なくされるでしょう。 つまり、それだけ「はじめてのおつかい」のノウハウや経験値は特別なものがあるのです』、「「はじめてのおつかい」のノウハウや経験値は特別なものがあるのです」、同感である。
先ずは、昨年12月7日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した心理学博士・MP人間科学研究所代表の榎本博明氏による「「待てたらお菓子をもう1個」で我慢できずに食べてしまった保育園児の末路」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/332986
・『「勉強ができるようになりたい」と願う人は多いだろう。持って生まれた知能が素晴らしくても、それだけでは勉強ができるようにはならない。知能の発達に加え、非認知能力を高めることが必要になる。非認知能力の中核である「自己コントロール力」とは、具体的にはどのような能力なのだろうか。 ※本記事は『勉強ができる子は何が違うのか』から抜粋・再編集したものです』、興味深そうだ。
・『自己コントロール力~目の前の欲求を我慢できるか? 知的能力が同じ子どもであっても、成績に差が付くのはなぜか。いくら知的能力が高くても、やる気や忍耐力がなければ学力は向上せず、その成果としての成績も良くならないだろう。自己コントロール力についての実験の原点と言えるのが、心理学者ミシェルたちが行った「マシュマロ・テスト」だ。 子どもにマシュマロを見せて、今すぐ食べるなら一個あげるが、研究者がいったん席を外して戻るまで待てたら二個あげると告げ、待つことができるか、それとも待てずに食べてしまうかを試すものである(詳しくは前回記事を参照)。 ミシェルはこの実験について、「先延ばしされたものの、より価値のある報酬のために、未就学児が自らに課した、即時の欲求充足の先延ばしパラダイム」であるとしている。先延ばしされたものの、より価値のある報酬のために、即時の欲求充足を先延ばしする、というのがちょっとわかりにくいかもしれないので、この本のテーマである勉強ができるということと絡めて、より具体的に説明してみよう。 たとえば、宿題をしないといけないのに、近所の友だちから遊びに誘われたとする。ここでの即時の欲求充足とは、友だちの誘いに応じて今すぐ遊びに行ってしまうことを指す。でも、それをしてしまうと、明日学校で先生から叱られるし、学期末の成績に悪影響がある。 この場合、先延ばしされたものの、より価値のある報酬というのは、今すぐの欲求充足を我慢して、友だちの誘いを断り宿題をすれば、明日先生からほめられる、あるいは叱られずにすむし、その日に習った内容の理解が進み学期末の成績に好影響が期待できることを指す。 このような状況で、友だちの誘いに乗って遊びに行くという目の前の欲求充足を我慢できるかどうかということである。 あるいは、もうすぐ定期試験があり、これまでに習ったことを復習するという準備勉強をしないといけないのに、好きなサッカーの国際試合がテレビで連日放映されるとする。 ここでの即時の欲求充足とは、好きなサッカーの国際試合を見たいという誘惑に負けてテレビを見てしまうことを指す。でも、それをしてしまうと、定期試験の準備勉強が疎かになり、良い成績を取ることができなくなってしまう。先延ばしされたものの、より価値のある報酬というのは、今すぐの欲求充足を我慢して、テレビでサッカーの国際試合を見るのを諦め定期試験の準備勉強をすれば、定期試験で良い点数を取ることができ、学期末の成績が良くなると期待できることを指す。) このように、明日にしろ学期末にしろ、より大きな将来の欲求充足のために、今すぐの欲求充足を我慢できるかどうかで、勉強ができるようになるかどうかが決まってくるというわけである。 学力を高め、試験で良い成績を取るためには、宿題をやったり、試験の準備勉強をしっかりやったりすることが必要である。それなのに、宿題をしなければいけないことはわかっているのに友だちから誘われると宿題を投げ出して遊びに行ってしまったり、試験の準備勉強をしないといけないことはわかっているのにテレビばかり見てしまったりするようでは、学力を身につけ良い成績を取るのは難しい。 そこで問われるのが抑制能力、つまり長期的な欲求充足のために即時の欲求充足行動を抑制する能力である。これまでは、学業成績の基盤となるものとして知能が注目されることはあっても、抑制能力のような非認知能力が注目されることはなかった。ただし、教育現場に身を置く人たちは、日常の生活場面における抑制能力の重要性を痛感しているはずである』、「教育現場に身を置く人たちは、日常の生活場面における抑制能力の重要性を痛感しているはずである」、なるほど。
・『欲求充足の先延ばしができる子どもの将来は? 前回の記事で紹介したように、ミシェルの追跡調査によれば、マシュマロ・テストで欲求充足を先延ばしできた子は、およそ10年後に、欲求不満を覚えるような状況において、他の人たちより強い自制心を示す青年になっていた。つまり、子どもの頃に、より大きな欲求充足のために目の前の欲求充足を先延ばしすることができた者は、10年経っても相変わらず誘惑に負けにくく、ストレスにさらされてもあまり取り乱すことがなく、また目標に向かって計画的に行動できることが確認されたのである。 さらには、そのような欲求充足の先延ばしができる者は、成人後の20代後半になっても、長期的目標の追求やその達成が得意で、そのため高い学歴を獲得し、衝動的に危険薬物に手を出すこともなく、食生活でも抑制できるため肥満指数が低いことが確認されている。 その後も、多くの調査研究により、欲求充足を必要に応じてコントロールできる能力の重要性が確認されている。 たとえば、心理学者モフィットは、1000人の子どもたちを対象に、生まれたときから32年間にわたって追跡調査を行うことで、子ども時代の自己コントロール力が将来の健康や富や犯罪を予測することを確認している。 具体的には、我慢する力、衝動をコントロールする力、必要に応じて感情表現を抑制する力など、自己コントロール力が高いほど、大人になってから健康度が高く、収入が高く、犯罪を犯すことが少ないことがわかったのである。これは直接学力への影響に焦点づけたものではないが、アメリカは能力によって収入に大きな格差がつく社会なので、収入の高さなどは学力の高さを示唆するものとも考えられる』、「心理学者モフィットは、1000人の子どもたちを対象に、生まれたときから32年間にわたって追跡調査を行うことで、子ども時代の自己コントロール力が将来の健康や富や犯罪を予測することを確認している。 具体的には、我慢する力、衝動をコントロールする力、必要に応じて感情表現を抑制する力など、自己コントロール力が高いほど、大人になってから健康度が高く、収入が高く、犯罪を犯すことが少ないことがわかったのである」、「子ども時代の自己コントロール力」の高さが、「大人になってから健康度が高く、収入が高く、犯罪を犯すことが少ないことがわかった」、なるほど。
・『自己コントロール力の向上が学業成績につながっていく 非認知能力の中核をなすのは自己コントロール力である。必要に応じて自分の心の状態を適切にコントロールすることは、勉強や仕事に取り組む際にも、人間関係上でも、必要不可欠と言ってよい。 子ども時代の自己コントロール力に関する多くの先行研究の結果を検討したロブソンたちは、子どもの頃の自己コントロール力によって、その後の学業成績や人間関係の良好さ、問題行動や抑うつなどの病的傾向、失業などを予測できることを確認している。中学生を対象とした追跡調査でも、自己コントロール力の向上がその後の学業成績につながっていくことが確認されている。 このように学業も含めて将来社会的にうまくやっていけるかどうかと関係しているとみなされる自己コントロール力だが、これを測定する心理尺度がタングニイたちによって開発されており、その短縮版の日本語訳も心理学者の野崎優樹たちによって作成されている。以下にその自己コントロール尺度短縮版の日本語訳を示すので、自己コントロール力とは具体的にどんな能力なのかをイメージしてほしい。 わかりやすいように、まず前半に自己コントロール力の高い人があてはまる項目を並べ、後半に自己コントロール力の低い人があてはまる項目を並べてみる。 自己コントロール力の高い人があてはまる項目 ・自分にとってよくない誘いは、断る ・誘惑に負けない ・自分に厳しい人だと言われる ・先のことを考えて、計画的に行動する 自己コントロール力の低い人があてはまる項目 ・悪いクセをやめられない ・だらけてしまう ・場にそぐわないことを言ってしまう ・自分にとってよくないことでも、楽しければやってしまう ・もっと自制心があればよいのにと思う ・集中力がない ・よくないことと知りつつ、やめられない時がある ・他にどういう方法があるか、よく考えずに行動してしまう ・趣味や娯楽のせいで、やるべきことがそっちのけになることがある 前半の項目の多くが自分にあてはまり、後半の項目の多くが自分にあてはまらないという人は、自己コントロール力の高い人ということになる。反対に、前半の項目の多くが自分にあてはまらず、後半の項目の多くが自分にあてはまるという人は、自己コントロール力の低い人ということになる。 自分に厳しく、だらけることがなく、自制心があり、誘惑に負けず、集中力があり、やるべきことをさぼることなく、先のことを考えて計画的に行動することができれば、必要な勉強はしっかりこなし、ここぞというときに頑張ることができるため、学力を高め、その結果として良い成績を取れるのは目に見えている。 反対に、自分に甘く、すぐにだらけてしまい、自制心が乏しく、つい誘惑に負けてしまい、集中力がなく、やるべきこともついさぼってしまい、計画してもなかなかその通りにできない場合は、必要な勉強も疎かになりがちで、学力を高めることができず、良い成績を取ることは期待できない。 こうしてみると、勉強ができるようになるには、自己コントロール力を高めることがいかに大切かがわかるだろう』、「前半の項目の多くが自分にあてはまり、後半の項目の多くが自分にあてはまらないという人は、自己コントロール力の高い人ということになる。反対に、前半の項目の多くが自分にあてはまらず、後半の項目の多くが自分にあてはまるという人は、自己コントロール力の低い人ということになる・・・自分に厳しく、だらけることがなく、自制心があり、誘惑に負けず、集中力があり、やるべきことをさぼることなく、先のことを考えて計画的に行動することができれば、必要な勉強はしっかりこなし、ここぞというときに頑張ることができるため、学力を高め、その結果として良い成績を取れるのは目に見えている。 反対に、自分に甘く、すぐにだらけてしまい、自制心が乏しく、つい誘惑に負けてしまい、集中力がなく、やるべきこともついさぼってしまい、計画してもなかなかその通りにできない場合は、必要な勉強も疎かになりがちで、学力を高めることができず、良い成績を取ることは期待できない。 こうしてみると、勉強ができるようになるには、自己コントロール力を高めることがいかに大切かがわかるだろう」、なるほど。
・『自己コントロール力の発達には幼児期が重要 自己コントロール力が高くないと社会適応に困難をきたすことは容易に想像できる。たとえば、自分の感情をうまくコントロールできなければ、人間関係が安定せず、信頼関係も築きにくいし、トラブルが絶えないといったことにもなりがちだ。また、自分の気持ちをうまくコントロールできなければ、勉強に限らずスポーツでも芸術でも、目標に向けて忍耐強く努力を続けることができず、すぐに誘惑に負けてさぼったり、思い通りにならないとすぐに落ち込んでやる気をなくしたりといったことにもなりがちである。 ここから言えるのは、子どもの頃、とくに幼児期において、自己コントロール力の発達を促進するような働きかけをすることが非常に大切だということである。親など周囲の人たちからそのような働きかけをしてもらえないと、自己コントロール力が未熟なままということもあり得る。目の前の子どもが喜ぶ笑顔を見たいなどといって将来のことを考えずに甘やかす親だと、そのようなことが起こりがちだ。その場合は、自分自身で自己コントロール力を意識して鍛える必要があるだろう。 主に成人を対象とした調査研究により、自己コントロール力は年齢の上昇に伴って高くなっていくことが示されている。これは自己コントロール力が成人後も発達していくことを示唆するものであり、幼児期・児童期にうまく発達していなくても、中高生や大学生になってからでも十分鍛えることができることを意味する』、「子どもの頃、とくに幼児期において、自己コントロール力の発達を促進するような働きかけをすることが非常に大切だということである。親など周囲の人たちからそのような働きかけをしてもらえないと、自己コントロール力が未熟なままということもあり得る。目の前の子どもが喜ぶ笑顔を見たいなどといって将来のことを考えずに甘やかす親だと、そのようなことが起こりがちだ・・・自己コントロール力が成人後も発達していくことを示唆するものであり、幼児期・児童期にうまく発達していなくても、中高生や大学生になってからでも十分鍛えることができることを意味する」、なるほど。
・『モチベーションを高く維持できるかどうかで成果が変わる 学校での学習活動にやる気をもって取り組めるかどうかには、非認知能力が大いに関係しているが、とくに重要となるのが、モチベーションを高める能力である。勉強に限らずスポーツや音楽などの趣味的な活動でも、モチベーションを高めて取り組むことが大切であることは、だれもが頭ではわかっているはずだ。 それはわかっていても、なかなかモチベーションが高まらないこともあるだろう。結局のところ、モチベーションというのは気持ちの問題である。いくら頭でわかっていても気持ちがついていかなければモチベーションは高まらない。このようにモチベーションには理屈よりも気持ちの面が大きいことを考えると、気持ちのコントロールがいかに重要かがわかるだろう。 もちろん日頃からモチベーションを高く維持しながら勉強に取り組むことができるかどうかによっても、学力は大きく左右される。だらだらするよりもやる気をもって取り組む方が有効な学習になるのは当然である。 でも、非認知能力の一つである自分の気持ちをコントロールする力が、いきなり身につくわけではない。そこで問われるのがメタ認知能力である。ここの文脈で言えば、モチベーションを高める方法を知っているかどうかである。自分の心の中にやる気を燃やすコツを心得ているかどうかということである。メタ認知能力については次回で詳しくみていく』、「モチベーションには理屈よりも気持ちの面が大きいことを考えると、気持ちのコントロールがいかに重要かがわかるだろう。 もちろん日頃からモチベーションを高く維持しながら勉強に取り組むことができるかどうかによっても、学力は大きく左右される。だらだらするよりもやる気をもって取り組む方が有効な学習になるのは当然である・・・自分の心の中にやる気を燃やすコツを心得ているかどうかということである」、なるほど。
次に、4月2日付け東洋経済オンラインが掲載した解剖学者の養老 孟司氏と ヤマップCEOの 春山 慶彦氏の対談「養老孟司×ヤマップ春山対談「こどもを野に放て」 思い通りにならない自然と折り合いをつける力」を紹介しよう。
・『都市化が進み、生活空間が人工物で囲まれ、自然と直に接することが極端に少なくなっている昨今、その弊害も多く語られています。 そこで、「知性を育むには、まず自然の中で感覚を磨くことが重要」と主張する解剖学者の養老孟司さんと、登山人口の半数以上が使用すると言われる登山地図アプリを起点に、アウトドアビジネスを急拡大させているベンチャー企業・ヤマップCEO、春山慶彦さんが対談。 ChatGPTに代表される生成AIの時代に、今こどもたちにとって本当に必要なことは何かお話しいただきました(本記事は『こどもを野に放て!AI時代に活きる知性の育て方』から一部抜粋・再構成したものです)』、興味深そうだ。
・『自然の中に身を置くだけで、こどもたちは十分学んでいる 春山現代の日本の教育において、自然体験はそれほど重要視されていない、どちらかというと脇に置かれてしまっているような気がしています。 特に最近では、英語やプログラミングなど、早い段階から知識を詰め込む傾向がより強くなっているのではないでしょうか。 養老明治時代に日本が学校教育をはじめたときは、野育ちのこどもたちを集めて、「おとなしく、じっと座っていなさい」という教育でした。 ところが今の子は、テレビやパソコンのモニターを見て、おとなしくじっと座っている方が多いわけでしょう。そうすると、学校で先生の話を聞いているだけで受け身になりがちです。 そういう明治以来のおとなしく座らせる教育で、どこまで学習というものが成り立つのか、疑問です。 結局、こどもを集めて静かにさせておくのが楽だからということだと思いますが、元来、こどもはじっと静かにしていられない。だから、それを無理やりやらせているという意味では、ほとんど「虐待」ではないかと思います。 極端なことを言うようですが、学校はいわゆる「遊ぶ」ところにしてしまって、学業は家でやるということにしてしまった方がいいくらいではないですか』、「明治以来のおとなしく座らせる教育で、どこまで学習というものが成り立つのか、疑問です。 結局、こどもを集めて静かにさせておくのが楽だからということだと思いますが、元来、こどもはじっと静かにしていられない。だから、それを無理やりやらせているという意味では、ほとんど「虐待」ではないかと思います」、なるほど。
・『春山そうですね。そろそろ、学校や教育の役割を時代に合わせて変えていく時期に来ているのではないかと思います。 たとえば、学校をもっと自然の中に開いていく。 こどもたちを学校という人工的な箱の中にずっと閉じ込めておくのではなく、教室を出て、自然の中に連れて行くようになればいいですね。 養老学ぶというと、意識的に何かを取り入れるというふうに思ってしまいますが、そうではなくて、自然の中で身体を動かすことで無意識に教育を受けているわけです。 以前、岡山県の新見というところにある小学校に行って、こどもたちと遊んできたことがあります。一応口実がないといけないので、虫捕りを教えるみたいなふりをしてね。 雨が降ってしまったので、結局、虫は捕りませんでしたが、実際は単に遊びに行くだけなんです。こどもたちは、ほっとけば遊んでますから。 春山先生は、小学校に出向いてこどもたちに虫の話をするということを、よくやっていらっしゃるんですか。 養老機会があればね。それは別に虫の話をするのではなくて、できるだけ外で遊ばせてやろうと。言ってみれば、学校の邪魔をしているんです(笑)。 「遊び」と言うけれども、やはり人間も他の動物と同じ生きもので、本来はそういう自然環境の中で生きてきたわけですから、そこへ戻る、そこで必要なものをまず学んでくるということですね。 僕なんかへそ曲がりみたいにこどものときからずっと虫をやっていますから、虫の目で世界を見て、おかげさまでいろんなことが考えられるわけです。 春山そういう自然体験を通して、自分のいのちが地球とつながっているということを身体で理解できれば、風土への思いや自然環境への感性が自ずと育っていくと思います』、「やはり人間も他の動物と同じ生きもので、本来はそういう自然環境の中で生きてきたわけですから、そこへ戻る、そこで必要なものをまず学んでくるということですね。 僕なんかへそ曲がりみたいにこどものときからずっと虫をやっていますから、虫の目で世界を見て、おかげさまでいろんなことが考えられるわけです」、なるほど。
・『まず身体性を磨くことが大事 養老僕の知り合いに﨑野隆一郎さんという人がいて、夏休みになるとこどもたちを何もない森の中に連れて行って30泊31日過ごさせるというプログラムを、もう30年くらいやっています。 僕も時々、このキャンプに顔を出して、一緒に虫捕りをしていますが、参加する子たちは、まずはスマホを没収されて、山のサバイバル生活に放り込まれます。) 朝は日の出とともに起きて、100段の階段を登ったところにある水場で水を汲くみ、一から火を起こして食事をつくります。うまく火を起こせなければ、自分たちが食べるものはありません。 とにかく自分で身体を動かさないと生きていけないというスパルタなキャンプで、大人が手取り足取り教えるようなこともしない。 一食ぐらい食べられなくても、大したことはないのですが、こどもたちはそうなったら大変だと、目の色を変えて、本気で取り組みます。﨑野さんは「一日やったら、こどもたちは慣れますよ」と言ってましたけどね。 このキャンプで彼らが何を学ぶかというと、一番は身体性ですね。 自然に親しむも何も、人間にとって、自分の身体は最も身近な自然です。自然というものは思うようにはならないということを、こうしたキャンプを通してあたりまえのように親しんでしまうわけですね。 春山そのキャンプで過ごす前と後とで、こどもたちはどう変わっていくのでしょうか。 養老﨑野さんは、このプログラムを全国展開したいということで、説得材料としてキャンプに参加しているこどもたちの血液検査をしたりホルモンを測定したりしています。 今はそういうふうにデータを出さないとなかなか理解してもらえないのかもしれませんが、そもそもこどもをそうやって野山の中で自由に遊ばせていれば元気になるに決まっています。 それなのにエビデンスが必要だと言う人を説得するなんて、僕自身はやりたくないですね。「自分でやってみればわかりますよ」と。それで終わりです。 春山確かにそうですね。データがなくても、自分で実際にやってみれば身体を使う気持ちよさや、自然の中で過ごす意義も実感としてわかるはずです』、「養老僕の知り合いに﨑野隆一郎さんという人がいて、夏休みになるとこどもたちを何もない森の中に連れて行って30泊31日過ごさせるというプログラムを、もう30年くらいやっています。 僕も時々、このキャンプに顔を出して、一緒に虫捕りをしていますが、参加する子たちは、まずはスマホを没収されて、山のサバイバル生活に放り込まれます。) 朝は日の出とともに起きて、100段の階段を登ったところにある水場で水を汲くみ、一から火を起こして食事をつくります。うまく火を起こせなければ、自分たちが食べるものはありません。 とにかく自分で身体を動かさないと生きていけないというスパルタなキャンプで、大人が手取り足取り教えるようなこともしない・・・今はそういうふうにデータを出さないとなかなか理解してもらえないのかもしれませんが、そもそもこどもをそうやって野山の中で自由に遊ばせていれば元気になるに決まっています。 それなのにエビデンスが必要だと言う人を説得するなんて、僕自身はやりたくないですね。「自分でやってみればわかりますよ」と。それで終わりです」、なるほど。
・『わからないままにしておく力を身につける 養老身体や脳のいろいろなデータを測って、それを基に教育政策を考えるのは、ちょっと危険な気がしますね。 現代の医療もそのような傾向が強くなっています。医者は目の前にいる患者の身体より、検査で出てきた数字だけを見て、その数値を正常値に戻すことが仕事になってしまっている。 でも、そんなことをしなくても、当人が元気で動いていればいいんですよ。) 春山つまり、部分部分でしか物事を見なくなっているということでしょうか。 養老そうです。検査の数値結果から、薬を飲む、手術をする、あるいは生活習慣を改善する、などと決められていく。これから医療分野でAIの活用が進めば、ますますその傾向は進むでしょうね。データをすべて否定するということではありませんが、それだけを判断材料にするのはどうかと思います。 そう言えば、おもしろい統計があって、しょっちゅう医者にかかるグループとかからないグループで分けると、医者にかかっているグループの方が死亡率が高いのです。 もちろん、必要に応じて病院を受診することは大切です。でも、心配だからと言って何でもかんでも医者に診てもらうのは、やり過ぎです。僕はできるだけ、そういう余計なことをしないようにしています。 これは医療の話だけではなくて、教育でも、成績をデジタル管理して、個人の能力を数値化しようとしていますね。でも、自然体験で身につく力は、数値で測ることなどできません。 春山同感です』、「しょっちゅう医者にかかるグループとかからないグループで分けると、医者にかかっているグループの方が死亡率が高いのです・・・必要に応じて病院を受診することは大切です。でも、心配だからと言って何でもかんでも医者に診てもらうのは、やり過ぎです。僕はできるだけ、そういう余計なことをしないようにしています」、なるほど。
・『偏差値教育はやめた方がいい 養老やはり、偏差値教育をやめないといけないと思いますね。また虫捕りの話になりますが、虫捕りをやれば、努力、根性、辛抱は、必ず身につきますよ。 一匹も捕れなくても、「今日はダメでも明日こそは」と、待つのがあたりまえですから。そうやってようやく捕まえたときのよろこびを、今のこどもたちにも味わってほしいですね。 虫捕りは遊びですが、農作業などで日常的に自然とつきあう必要があった昔の人は、辛抱や努力する性質を持っていたはずで、身体を使って暮らしを営むというのが、本来の姿だったろうと思います。 天気一つとっても、人間はコントロールすることができません。 思い通りにならない自然となんとか折り合いをつけるためには、地道な努力や、予測できないことを受け入れ、わからないことは「まあ、こんなものだろう」と空白のままにしておかなければならないのです。 春山そうですね。自然と触れ合うことで、こどもたちに自分の身体で実感してほしいですね。 (養老孟司氏の略歴はリンク先参照)、(春山慶彦氏の略歴はリンク先参照)』、「虫捕りをやれば、努力、根性、辛抱は、必ず身につきますよ・・・天気一つとっても、人間はコントロールすることができません。 思い通りにならない自然となんとか折り合いをつけるためには、地道な努力や、予測できないことを受け入れ、わからないことは「まあ、こんなものだろう」と空白のままにしておかなければならないのです」、その通りだ。
第三に、7月15日付け東洋経済オンラインが掲載したコラムニスト・人間関係コンサルタント・テレビ解説者の木村 隆志氏による「「はじめてのおつかい」"虐待"批判が吹き飛ぶ凄み 令和になっても"国民的番組"であり続ける背景」を紹介しよう。
・『7月15日の19時から、3時間特番「はじめてのおつかい 笑って泣いて夏の大冒険SP 2024」(日本テレビ系)が放送されます。 同番組は初めて1人だけのおつかい挑む子どもたちに密着した、ほっこり系のドキュメントバラエティ。スタートした1991年から今年で33年目を数え、ほぼ年2回ペースで放送。2年前にはNetflixでの世界配信がはじまり、反響の大きさが報じられたほか、この企画をビジネスにした会社もあるなど、誰もが知るコンテンツとして定着した感があります。 「はじめてのおつかい」は、子どもが1人おつかいをするだけの極めてシンプルな内容ながら、なぜ長年にわたって支持を得られているのでしょうか。主に制作サイドの事情と社会の背景から、強みとリスクを分析。さらに、日本人の変化や令和の現実、視聴者への意外な影響などを掘り下げていきます』、「スタートした1991年から今年で33年目」、そんな長寿番組だとは初めて知った。
・『親子ともに「はじめて」の緊張感 まず子どもが1人でおつかいをするだけの極めてシンプルな内容ながら、なぜ長年にわたって支持を得られているのか。 はじめてのおつかいに挑む子どもたちの年齢は2~6歳程度。「まだ文字が読めない」「会話での意思疎通も十分ではない」という子どもがほとんどであり、メモが使えないなどのルールも含めてハードルが高く、本人たちにとっては「はじめて」であるとともに「人生最大のチャレンジ」になることがハラハラドキドキのベースになっています。) 一方、それを見守る親にとっても、子どもを1人で送り出すのは「はじめて」であり、「子育てにおける最大のチャレンジ」と言っていいでしょう。実際、番組では子どもを送り出したあとに心配でそわそわし、帰ってきたら涙をこぼして抱きしめる親の姿がはっきりと映されています。 また、そんな不安や安堵がにじむ親の姿を見て感動し、自分の子どもと重ね合わせる視聴者が少なくありません。もともと同番組には「子どもの成長や自立を見守る」「親子や育児のあり方を考える」という社会的な大義名分もあるため、視聴者とスポンサーの評判が極めていいという状態が続いています。 支持を得ている背景として見逃せないのは、制作サイドの配慮と努力。シンプルな内容だからこそ構成・演出でのごまかしが利かず、さまざまな配慮と努力を重ねることで番組が成立しているのです。 最初の配慮と努力は、「一定のあやうさを感じさせながらもおつかいが成立しそうな子どもを見つける」こと。あまり「やりたくない」という子どもにやらせてはいけないし、それは多くの子に会ってみないとわからないでしょう。親は「ウチの子をぜひ」とやらせたがるだけにスタッフサイドの見極めが求められますし、だから同番組は出演家族を大々的に募集していません。 次の配慮と努力は、「大人がメインの番組以上に安全面で最大限の注意を徹底しなければいけない」こと。事故は万が一にもあってはいけないため、ルートの選定から、地元住民への説明と理解、当日の警備などで万全を期し、予測不可能な子どもの動きに対応できる体制を整えています』、特に「事故」防止の苦労は並大抵ではないだろう。
・『長寿番組につながった制作スタンス 安全面に気をつけたうえで重要なのは、「絶対にバレないように撮影しなければいけない」こと。子どもたちはいつ出発するかすらわからず、泣き出して中断することも多いだけに、制作サイドには集中力と忍耐が求められますし、変装、撮り方、トラブル時の声かけなど、1つひとつの行動に細心の注意が払われています。 さらに制作サイドの努力を裏付けるのは、「それだけ苦労して撮っても、番組内で放送できるのは10~20%程度にとどまる」こと。おつかいが成立したケースでも、ゴールデンタイムのバラエティとして見てもらえるドラマ性や感動がなければ放送は見送らざるを得ません。 また、放送できなかった家族へのアフターフォローを欠かさないところも出演者に寄り添った配慮の1つでしょう。 それ以外でも制作サイドは、安全に配慮したロケであることを感じさせるために「スタッフの姿をあえて映り込ませる」などのさまざまな工夫を施していますが、それでも「あぶない」「かわいそう」などの批判があがってしまうのがキッズドキュメントの難しいところ。) シンプルな内容のため簡単にマネできそうに見えて、実はどんな番組よりもそれが難しく、続けていくのはさらに難しい。他局のスタッフがマネしようと思ってもできないのです。 特筆すべきは、「これだけ配慮と努力が求められる番組を長年放送し続けている」こと。もし制作サイドが視聴率獲得を優先していたら、短期的にはより好結果が得られたかもしれない一方で、33年もの長期にわたって継続できなかったのではないでしょうか。 これまで制作サイドは「ある時期の一度しか見られない家族の物語を記録する」という謙虚かつ誠実な撮影・編集のスタンスを変えていません。 テレビ番組のスタッフは「より収益を得る(視聴率を上げる)ために、より長く続けていくために、ここを変えよう」としがちですが、当番組からはいい意味でそんなスタンスを感じないのです。 営業的な色気を出さず、純国産のキッズドキュメントを撮り続けるプロフェッショナルな仕事が長寿番組につながっているのでしょう』、「番組のスタッフは「より収益を得る(視聴率を上げる)ために、より長く続けていくために、ここを変えよう」としがちですが、当番組からはいい意味でそんなスタンスを感じないのです。 営業的な色気を出さず、純国産のキッズドキュメントを撮り続けるプロフェッショナルな仕事が長寿番組につながっているのでしょう」、その通りだ。
・『おつかいの減少と防犯意識の高まり ただ、「はじめてのおつかい」は、制作サイドの配慮と努力によってすべてが順風満帆かといえば、そうとは言いづらいところがあります。 かつて日本人にとっておつかいは日常の一つであり、子どもに頼む親が少なくありませんでした。しかし、厚生労働省の調査で「子どものお手伝いは、部屋や風呂などの掃除、洗濯物を干す・たたむなどが多く、おつかいは減っている」という結果が発表されたことがあるように(「21世紀出生児縦断調査」2022年)、親子の行動や意識が大きく変わっています。 真っ先にあげられるのは、買い物に対する行動や意識の変化。キャッシュレス化、ネットショッピングでの自宅配送、大型スーパーでのまとめ買いなどが浸透し、以前よりも近所での買い物自体が減りました。 たとえば、何か足りなくなったものがあってもネットで買えば翌日には届くなど、「子どもにおつかいを頼む」という必然性が薄れています。また、地元住民を対象にした人情豊かな商店街が減っていることも、おつかいが減った一因でしょう。) もう1つ、おつかいが減った理由としてあげられるのは、防犯意識の高まり。子どもに防犯ベルを持たせることが普通になったように、もはや親に「かわいい子には旅をさせよ」という意識ではなく、事故や犯罪に巻き込まれない安全第一の姿勢が浸透しています。 不審者の存在に加えて、子どもを見守る大人の目が減ったこと。歩きスマホやヘッドホン着用、電動キックボードやモペットなどの危険も加わり、「幼い子どもを1人で出かけさせることに抵抗がある」という親が多くを占めるようになりました。 とりわけ都会になるほど防犯意識が高く、「はじめてのおつかい」の撮影も難しくなります。たとえば商店街で撮影しようとしても、「許可が下りない」「苦情が入る」「盗撮されやすい」などの困難があり、理解と協力を得るのは簡単ではありません。 実際、今回の放送で予定されているエピソードは、茨城県結城市、兵庫県宍粟市、宮城県仙台市、山梨県富士吉田市、沖縄県石垣島、愛媛県伊予市、静岡県袋井市、愛媛県愛南町と地方ばかりで、そのほとんどがのどかな田舎町。都心で生きる人々にとって「はじめてのおつかい」は、「遠い世界の話」「一昔前の家族」と別世界のように醒めた目線で見ている人もいるようです』、「不審者の存在に加えて、子どもを見守る大人の目が減ったこと。歩きスマホやヘッドホン着用、電動キックボードやモペットなどの危険も加わり、「幼い子どもを1人で出かけさせることに抵抗がある」という親が多くを占めるようになりました。 とりわけ都会になるほど防犯意識が高く、「はじめてのおつかい」の撮影も難しくなります。たとえば商店街で撮影しようとしても、「許可が下りない」「苦情が入る」「盗撮されやすい」などの困難があり、理解と協力を得るのは簡単ではありません・・・そのほとんどがのどかな田舎町。都心で生きる人々にとって「はじめてのおつかい」は、「遠い世界の話」「一昔前の家族」と別世界のように醒めた目線で見ている人もいるようです」、時代の変遷ばかりはどうしようもない。
・『Netflixでの海外配信の反応と本音 しかし、地方でのロケだからこそ「はじめてのおつかい」の牧歌的な世界観が保たれるとともに、ノスタルジーや旅情を感じさせ、さらに地域のプロモーションにも貢献できるなどのメリットも少なくありません。Netflixで海外配信されれば外国人に向けたPRにもなるため、子どもがおつかいで買うものも地元の名産品が選ばれるケースが目立っています。 では、その海外配信による反応はどうなのか。 当初は感動や畏敬と同時に、懸念や批判の声も多く、まさに賛否両論というムードがありました。子どもを1人きりにさせるだけで児童虐待にあたる国や地域の人びとにとっては、「信じられない」「絶対にダメ」なこととして認められないのも無理はないでしょう。 ただ、それが国際的に問題視されているという深刻な状態ではありませんでした。当初から日本人の価値観や習慣を理解しようとしない一部の声を切り抜くような記事で騒がれていただけ。 「日本ではおつかいが子どもの成長の証しという価値観」を理解はできないけど否定はせず、治安のいい日本への軽い嫉妬に近いニュアンスが感じられました。) 海外配信スタートから現在までの2年あまり、「虐待だ」などの強烈な批判や問題提起は見られないことから、日本の価値観や習慣が世界の人びとにジワジワと伝わっているのかもしれません。 昨年10月、自民党埼玉県議団が県議会定例会に「小学3年生以下の子どもだけでの留守番や外出を“置き去り”として禁じる」などの埼玉県虐待禁止条例改正案を提出したことが物議を醸しました。 これは子どもの死亡事故が続いたことを受けた提案でしたが、おつかいに行かせることも、子どもだけで公園で遊ばせることも「置き去り」に該当するという内容に、全国から批判の声が殺到。特に共働きや1人親の家庭には難しい内容であり、条例案は撤回されました。 これは「防犯意識は高まっているが、海外の国々と同じレベルまで警戒する必要性はなく、日々の生活を優先させるべき」という考え方の人がまだまだ多いということでしょう』、「海外配信スタートから現在までの2年あまり、「虐待だ」などの強烈な批判や問題提起は見られないことから、日本の価値観や習慣が世界の人びとにジワジワと伝わっているのかもしれません」、なるほど。
・『「親子視聴が難しい」意外な理由 最後に「はじめてのおつかい」を見る視聴者へのちょっと意外な影響をいくつかあげておきましょう。 同番組は子育て中の父母がメインターゲットとなる内容であり、孫に重ね合わせて見られる祖父母世代からも人気を得ています。 しかしその一方で、小学生以上の子どもたちにとっては興味関心を持ちにくいコンテンツ。彼らはまだ親の気持ちは理解できないだけに、「自分が簡単にできることをしているだけの番組」という位置付けで見られがちです。 そのため民放各局が最も目指す親子での視聴が望めるのは、おつかい当事者と同世代の子どもがいる家庭。ただ、親にとっては一緒に見ることで「もし子どもから『僕もやりたい』『私も出たい』と言われて困ってしまう」という事態も想定されます。 実際、筆者の子どもと同じ保育園に通う6人の3~5歳児が今年1月放送の番組を見て、「やってみたい」と言っていました。親たちは「みんなが出られるわけじゃないから」「もうちょっと大きくなってから」などとかわすようになだめていましたが、今回の放送を見たらその気持ちが再燃するかもしれません。 その意味で実は「子どもと一緒に見るのは避けたい」という親も少なくないのでしょう。 また、前述したように地方でのロケが行われ、都会ではあまり見られない静かな街並みや地元住民の温もりが強調されていることもあって、地方での子育てに憧れを抱くような親の声もちらほら見かけます。) ちなみに筆者の周囲には「小学校に入学する前に郊外への転居を決めた」という園児の親が何人かいました。本当に移住するかはさておき、その感覚は外国人が治安のいい日本をうらやましがることと似ているようにも見えます』、「筆者の周囲には「小学校に入学する前に郊外への転居を決めた」という園児の親が何人かいました。本当に移住するかはさておき、その感覚は外国人が治安のいい日本をうらやましがることと似ているようにも見えます」、なるほど。
・『おつかいのメリットは今なお健在 もともとドキュメントバラエティは出演者による制作サイドへの批判や告発などのリスクがつきものですが、「はじめてのおつかい」にはそれがほぼありません。それは子どもたちのかわいらしい奮闘に加えて、制作サイドの配慮と努力が出演者と視聴者の両方に伝わっているからではないでしょうか。 また、ドキュメントバラエティには付き物の「出演者に対する誹謗中傷が少ない」ことも制作サイドの手柄と言っていいかもしれません。 前述したように「以前よりも減った」とはいえ、おつかいそのものの価値が下がったわけではないでしょう。「はじめてのおつかい」で得られるメリットは今なおさまざまなものがあります。 主なものをあげていくと、「物の値段や価値を知る」「手持ちのお金で買えるものを選ぶ」などの買い物体験ができること。「勇気を出して挑戦する感覚、誰かのために頑張る責任感、充実感や成功体験」などを得られること。さらに面識のない人々とのコミュニケーションを取る貴重な経験にもなります。 「子どものおつかい」という日本人ならではの習慣を見られる貴重な機会だけに、今後はますます同番組の希少価値が高まっていくのではないでしょうか。日本テレビにとっても、「新たに子どもが生まれたほとんどの親が自動的にメインターゲットとなっていく」という貴重なコンテンツだけに放送を続けていきたいところでしょう。 ここまであげてきたように長年支持を得てきた「はじめてのおつかい」には、時代や日本人の感覚が変わっても批判の声があがりづらいさまざまな背景がありました。 もし子どもが主役の新たなドキュメントバラエティが企画され、同レベルの配慮と努力をしても、「はじめてのおつかい」のように称賛を得られるかはわかりません。特に子どもの安全にかかわる配慮や努力が感じられなければ、疑いの目が向けられ、苦戦を余儀なくされるでしょう。 つまり、それだけ「はじめてのおつかい」のノウハウや経験値は特別なものがあるのです』、「「はじめてのおつかい」のノウハウや経験値は特別なものがあるのです」、同感である。
タグ:子育て (その7)(「待てたらお菓子をもう1個」で我慢できずに食べてしまった保育園児の末路、養老孟司×ヤマップ春山対談「こどもを野に放て」 思い通りにならない自然と折り合いをつける力、「はじめてのおつかい」"虐待"批判が吹き飛ぶ凄み 令和になっても"国民的番組"であり続ける背景) ダイヤモンド・オンライン 榎本博明氏による「「待てたらお菓子をもう1個」で我慢できずに食べてしまった保育園児の末路」 「教育現場に身を置く人たちは、日常の生活場面における抑制能力の重要性を痛感しているはずである」、なるほど。 「子ども時代の自己コントロール力」の高さが、「大人になってから健康度が高く、収入が高く、犯罪を犯すことが少ないことがわかった」、なるほど。 「前半の項目の多くが自分にあてはまり、後半の項目の多くが自分にあてはまらないという人は、自己コントロール力の高い人ということになる。反対に、前半の項目の多くが自分にあてはまらず、後半の項目の多くが自分にあてはまるという人は、自己コントロール力の低い人ということになる・・・ 自分に厳しく、だらけることがなく、自制心があり、誘惑に負けず、集中力があり、やるべきことをさぼることなく、先のことを考えて計画的に行動することができれば、必要な勉強はしっかりこなし、ここぞというときに頑張ることができるため、学力を高め、その結果として良い成績を取れるのは目に見えている。 反対に、自分に甘く、すぐにだらけてしまい、自制心が乏しく、つい誘惑に負けてしまい、集中力がなく、やるべきこともついさぼってしまい、計画してもなかなかその通りにできない場合は、必要な勉強も疎かになりがちで、学力を高めることが できず、良い成績を取ることは期待できない。 こうしてみると、勉強ができるようになるには、自己コントロール力を高めることがいかに大切かがわかるだろう」、なるほど。 「子どもの頃、とくに幼児期において、自己コントロール力の発達を促進するような働きかけをすることが非常に大切だということである。親など周囲の人たちからそのような働きかけをしてもらえないと、自己コントロール力が未熟なままということもあり得る。目の前の子どもが喜ぶ笑顔を見たいなどといって将来のことを考えずに甘やかす親だと、そのようなことが起こりがちだ・・・ 自己コントロール力が成人後も発達していくことを示唆するものであり、幼児期・児童期にうまく発達していなくても、中高生や大学生になってからでも十分鍛えることができることを意味する」、なるほど。 「モチベーションには理屈よりも気持ちの面が大きいことを考えると、気持ちのコントロールがいかに重要かがわかるだろう。 もちろん日頃からモチベーションを高く維持しながら勉強に取り組むことができるかどうかによっても、学力は大きく左右される。だらだらするよりもやる気をもって取り組む方が有効な学習になるのは当然である・・・自分の心の中にやる気を燃やすコツを心得ているかどうかということである」、なるほど。 東洋経済オンライン 養老 孟司氏 春山 慶彦氏の対談「養老孟司×ヤマップ春山対談「こどもを野に放て」 思い通りにならない自然と折り合いをつける力」 「明治以来のおとなしく座らせる教育で、どこまで学習というものが成り立つのか、疑問です。 結局、こどもを集めて静かにさせておくのが楽だからということだと思いますが、元来、こどもはじっと静かにしていられない。だから、それを無理やりやらせているという意味では、ほとんど「虐待」ではないかと思います」、なるほど。 「やはり人間も他の動物と同じ生きもので、本来はそういう自然環境の中で生きてきたわけですから、そこへ戻る、そこで必要なものをまず学んでくるということですね。 僕なんかへそ曲がりみたいにこどものときからずっと虫をやっていますから、虫の目で世界を見て、おかげさまでいろんなことが考えられるわけです」、なるほど。 「養老僕の知り合いに﨑野隆一郎さんという人がいて、夏休みになるとこどもたちを何もない森の中に連れて行って30泊31日過ごさせるというプログラムを、もう30年くらいやっています。 僕も時々、このキャンプに顔を出して、一緒に虫捕りをしていますが、参加する子たちは、まずはスマホを没収されて、山のサバイバル生活に放り込まれます。) 朝は日の出とともに起きて、100段の階段を登ったところにある水場で水を汲くみ、一から火を起こして食事をつくります。うまく火を起こせなければ、自分たちが食べるものはありません。 とにかく自分で身体を動かさないと生きていけないというスパルタなキャンプで、大人が手取り足取り教えるようなこともしない・・・今はそういうふうにデータを出さないとなかなか理解してもらえないのかもしれませんが、そもそもこどもをそうやって野山の中で自由に遊ばせていれば元気になるに決まっています。 それなのにエビデンスが必要だと言う人を説得するなんて、僕自身はやりたくないですね。「自分でやってみればわかりますよ」と。それで終わりです」、なるほど。 「しょっちゅう医者にかかるグループとかからないグループで分けると、医者にかかっているグループの方が死亡率が高いのです・・・必要に応じて病院を受診することは大切です。でも、心配だからと言って何でもかんでも医者に診てもらうのは、やり過ぎです。僕はできるだけ、そういう余計なことをしないようにしています」、なるほど。 、「虫捕りをやれば、努力、根性、辛抱は、必ず身につきますよ・・・天気一つとっても、人間はコントロールすることができません。 思い通りにならない自然となんとか折り合いをつけるためには、地道な努力や、予測できないことを受け入れ、わからないことは「まあ、こんなものだろう」と空白のままにしておかなければならないのです」、その通りだ。 木村 隆志氏による「「はじめてのおつかい」"虐待"批判が吹き飛ぶ凄み 令和になっても"国民的番組"であり続ける背景」 「スタートした1991年から今年で33年目」、そんな長寿番組だとは初めて知った。 特に「事故」防止の苦労は並大抵ではないだろう。 「番組のスタッフは「より収益を得る(視聴率を上げる)ために、より長く続けていくために、ここを変えよう」としがちですが、当番組からはいい意味でそんなスタンスを感じないのです。 営業的な色気を出さず、純国産のキッズドキュメントを撮り続けるプロフェッショナルな仕事が長寿番組につながっているのでしょう」、その通りだ。 「不審者の存在に加えて、子どもを見守る大人の目が減ったこと。歩きスマホやヘッドホン着用、電動キックボードやモペットなどの危険も加わり、「幼い子どもを1人で出かけさせることに抵抗がある」という親が多くを占めるようになりました。 とりわけ都会になるほど防犯意識が高く、「はじめてのおつかい」の撮影も難しくなります。たとえば商店街で撮影しようとしても、「許可が下りない」「苦情が入る」「盗撮されやすい」などの困難があり、理解と協力を得るのは簡単ではありません・・・ そのほとんどがのどかな田舎町。都心で生きる人々にとって「はじめてのおつかい」は、「遠い世界の話」「一昔前の家族」と別世界のように醒めた目線で見ている人もいるようです」、時代の変遷ばかりはどうしようもない。 「海外配信スタートから現在までの2年あまり、「虐待だ」などの強烈な批判や問題提起は見られないことから、日本の価値観や習慣が世界の人びとにジワジワと伝わっているのかもしれません」、なるほど。 「「はじめてのおつかい」のノウハウや経験値は特別なものがあるのです」、同感である。