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女性(その30)(元中学校教師 酒豪…女性初、海上自衛隊で「海将」に昇進した近藤奈津枝さんはどんな人か、英国女性に最も多い「法律違反」の意外な中身 大半が女性、10万人弱の女性が起訴された年も、リアル「虎に翼」英国女性が法曹界で抱えた苦悩 弁護士になるまで31年 生涯男装の女性医師も) [社会]

女性については、昨年12月26日に取上げた。今日は、(その30)(元中学校教師 酒豪…女性初、海上自衛隊で「海将」に昇進した近藤奈津枝さんはどんな人か、英国女性に最も多い「法律違反」の意外な中身 大半が女性、10万人弱の女性が起訴された年も、リアル「虎に翼」英国女性が法曹界で抱えた苦悩 弁護士になるまで31年 生涯男装の女性医師も)である。なお、タイトルから「活躍」をカットした。

先ずは、本園1月23日付けデイリー新潮「元中学校教師、酒豪…女性初、海上自衛隊で「海将」に昇進した近藤奈津枝さんはどんな人か」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/01230620/?all=1
・『「私たちに求められるのは、この国を守り抜くため、精強かつ持続力のある地方隊をつくり上げること」──こう部下に訓示した人物が誰だかお分かりだろうか。正解は、海上自衛隊で最も階級が高い「海将」に女性で初めて昇任した近藤奈津枝氏(57)だ。 ちなみに、自衛隊で女性が「将」に昇進したのは、陸将、空将を含め初。青森県むつ市にある海上自衛隊大湊地方総監部の総監となり、昨年12月23日、着任式に臨んだ。 訓示には冒頭で紹介したもののほかに、「すべての隊員が、日曜日の夜に『月曜日に出勤するのが楽しみで仕方ない』と思える組織こそが結果を出せる」という興味深い言葉もある。  いずれにしても、それほど自衛隊に詳しくない人でも、「とてつもなく偉い人」というイメージは強いはずだ。担当記者が言う。 「海上自衛隊の“海将”は、諸外国の海軍や旧帝国海軍では“中将”に相当します。例えば、真珠湾攻撃で有名な山本五十六は1934年に海軍中将となりました。そして39年に55歳で連合艦隊司令長官に任命されています。近藤さんは、当時の山本五十六と同じ階級というわけです。海上自衛隊の普通の隊員にとっては、文字通り“神様”のように偉い人です」 その近藤氏だが、非常にユニークな経歴の持ち主でもある。1966年に山口県で生まれ、大学は地元の国立・山口大学に進んだ。そして卒業すると、中学校の臨時採用教員として国語を教えていたのだ。海上自衛隊の関係者が言う』、「海上自衛隊で最も階級が高い「海将」に女性で初めて昇任した近藤奈津枝氏(57)だ。 ちなみに、自衛隊で女性が「将」に昇進したのは、陸将、空将を含め初。青森県むつ市にある海上自衛隊大湊地方総監部の総監となり、昨年12月23日、着任式に臨んだ・・・大学は地元の国立・山口大学に進んだ。そして卒業すると、中学校の臨時採用教員として国語を教えていた」、変わった経歴だ。
・『最初は看護師  「近藤さんは市役所で自衛官募集のパンフレットを見たのがきっかけで、1989年に海上自衛隊に入隊しました。これまで自衛隊で活躍する女性といえば、92年に防衛大学校に初めて入学した女子学生たちが常に注目を集めてきました。海上自衛隊では、女性として初めて練習艦の艦長になった東良子さん(50)、初めてイージス艦の艦長となった大谷三穂さん(52)といった方々です。近藤さんは彼女らより前の世代で、まさに女性尉官のパイオニアと言っていいでしょう」 旧帝国海軍が女性に門戸を開くことはなかった。一方、1954年に発足した自衛隊は当初から女性自衛官を採用した。だが、当時の定員17万人のうち女性自衛官は144人。おまけに職種も限定され、全員が看護師だった。 「女性自衛官の草分けは医療関係者」という歴史があるため、自衛隊で初めて将官となった佐伯光(ひかる)氏(80)は海上自衛隊の医官だった。佐伯氏は2000年に自衛隊中央病院リハビリテーション科部長に就任し、翌01年に海将補に昇任。海外の階級だと「海軍少将」になる。) 「私たちに求められるのは、この国を守り抜くため、精強かつ持続力のある地方隊をつくり上げること」──こう部下に訓示した人物が誰だかお分かりだろうか。正解は、海上自衛隊で最も階級が高い「海将」に女性で初めて昇任した近藤奈津枝氏(57)だ。 ちなみに、自衛隊で女性が「将」に昇進したのは、陸将、空将を含め初。青森県むつ市にある海上自衛隊大湊地方総監部の総監となり、昨年12月23日、着任式に臨んだ。 訓示には冒頭で紹介したもののほかに、「すべての隊員が、日曜日の夜に『月曜日に出勤するのが楽しみで仕方ない』と思える組織こそが結果を出せる」という興味深い言葉もある。 いずれにしても、それほど自衛隊に詳しくない人でも、「とてつもなく偉い人」というイメージは強いはずだ。担当記者が言う。 「海上自衛隊の“海将”は、諸外国の海軍や旧帝国海軍では“中将”に相当します。例えば、真珠湾攻撃で有名な山本五十六は1934年に海軍中将となりました。そして39年に55歳で連合艦隊司令長官に任命されています。近藤さんは、当時の山本五十六と同じ階級というわけです。海上自衛隊の普通の隊員にとっては、文字通り“神様”のように偉い人です」 その近藤氏だが、非常にユニークな経歴の持ち主でもある。1966年に山口県で生まれ、大学は地元の国立・山口大学に進んだ。そして卒業すると、中学校の臨時採用教員として国語を教えていたのだ。海上自衛隊の関係者が言う』、確かに経歴は「大学は地元の国立・山口大学に進んだ。そして卒業すると、中学校の臨時採用教員として国語を教えていた」と、ユニークだ。
・『最初は看護師  「近藤さんは市役所で自衛官募集のパンフレットを見たのがきっかけで、1989年に海上自衛隊に入隊しました。これまで自衛隊で活躍する女性といえば、92年に防衛大学校に初めて入学した女子学生たちが常に注目を集めてきました。海上自衛隊では、女性として初めて練習艦の艦長になった東良子さん(50)、初めてイージス艦の艦長となった大谷三穂さん(52)といった方々です。近藤さんは彼女らより前の世代で、まさに女性尉官のパイオニアと言っていいでしょう」 旧帝国海軍が女性に門戸を開くことはなかった。一方、1954年に発足した自衛隊は当初から女性自衛官を採用した。だが、当時の定員17万人のうち女性自衛官は144人。おまけに職種も限定され、全員が看護師だった。 「女性自衛官の草分けは医療関係者」という歴史があるため、自衛隊で初めて将官となった佐伯光(ひかる)氏(80)は海上自衛隊の医官だった。佐伯氏は2000年に自衛隊中央病院リハビリテーション科部長に就任し、翌01年に海将補に昇任。海外の階級だと「海軍少将」になる』、「海上自衛隊で最も階級が高い「海将」に女性で初めて昇任した近藤奈津枝氏(57)だ」、大したものだ。

次に、6月26日付け東洋経済オンラインが掲載したジャーナリスト・編集者のアナベル・ウィリアムズ 氏による「英国女性に最も多い「法律違反」の意外な中身 大半が女性、10万人弱の女性が起訴された年も」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/764111
・『現在のペースだと男女間の賃金格差を解消するためには257年かかる――。2019年に世界経済フォーラムが発表したこの試算からもわかるように、男女の間にはいまだに大きな金融格差が存在しています。 格差が生まれる根本と平等に向けた具体策に迫る新著『女性はなぜ男性より貧しいのか?』より一部抜粋しお届けします。 ▽イギリスで起訴された女性のなかで一番多い違反は?(世界の最先進国では、女性に関して数々のことが成し遂げられてきたにもかかわらず、ジェンダーによる富の不平等という難題がまだ立ちはだかっている。ジェンダーによる賃金格差は私たちの誰もが知るところだが、まだ十分議論されていないのが、賃金格差から生まれる資産の格差だ。「資産」とは、豊かな財産やCEO並みの給料といった意味ではない。働く女性が職業生活――平均して男性より収入が少ない――を通じて貯められる総額のことだ。 イギリスでは45歳未満の年齢層で、すでに男女間の資産格差が存在する。しかも年齢とともに差が広がり、45歳から64歳の女性の平均資産額は29万3700ポンド(約5550万円)で、同じ年齢層の男性では平均37万6500ポンド(約7100万円)となっている[1]。そして、アメリカにおける資産格差はさらに大きい。アメリカの18歳から64歳の独身男性の資産額の中央値は3万1150ドル(約460万円)で、同じ年齢層の独身女性では1万5120ドル(約223万円)と、男性の半分にも満たない[2]。 では、イギリス女性が抱える経済の不平等がどんなものかを明確にイメージするため、次の質問を考えてみよう。 法律に違反して起訴された女性たちのあいだで、最も多かった違反は何だろう?万引きだろうか?公然酩酊罪か?それとも交通違反?) じつは、お金がないのでテレビの受信料が払えない、というものだ[3]。 テレビ放送やオンライン配信で番組を視聴する世帯は、法律によりイギリスの公共放送BBCの受信料として、年間157.5ポンド(約3万円)を払わなければならない。受信料の不払いは犯罪であり、起訴され、1000ポンド(約19万円)以下の罰金が科され、禁固刑を受ける場合もある。受信料不払いという、貧困ゆえの犯罪で起訴される人のうち、4分の3近くが女性で、2017年には9万6000人以上の女性が起訴された[4]。 受信料の支払いについては議論があり、主義として支払いを拒否する人もいる。しかし、一般に女性は集金が来たら応じて協力するし、受信料支払いの登録をしているのは女性のほうが多い。こうした事実から示唆されるのは、女性は受信料制度に反対しているからではなく、支払い能力がないから払えない、ということだ。 支払わなければ起訴されるというこの制度は、ジェンダーによる経済格差を考慮していない。これは、政府から義務とされている費用で、毎年すべての世帯に対し収入にかかわらず同額の支払いを求めるものだ。そして、払えるだけの余裕がない人――大半は女性――は犯罪者にされる。しかも、これは、女性がぶち当たる制度的な不利益という氷山の一角にすぎない』、「支払わなければ起訴されるというこの制度は、ジェンダーによる経済格差を考慮していない。これは、政府から義務とされている費用で、毎年すべての世帯に対し収入にかかわらず同額の支払いを求めるものだ。そして、払えるだけの余裕がない人――大半は女性――は犯罪者にされる。しかも、これは、女性がぶち当たる制度的な不利益という氷山の一角にすぎない」、その通りだ。
・『貧困の女性化  テレビ受信料は、社会科学者が「貧困の女性化」と呼ぶ問題のちょっとした一例だ。この言葉は、ダイアナ・ピアス教授が1978年に初めて生み出した造語だが、問題はまだ続いている。富と貧困をはかるどんな方法を使ったとしても、世界じゅうで、ゆりかごから墓場まで、女性は男性より劣悪な生活を送っている。先進国でも開発途上国でも、女性は貧困層の多くの部分を占め[5]、失業中であったり不安定な雇用についていたりする割合が男性より高い[6]。 世界全体では、「よい仕事」、つまりフルタイムで賃金が支払われる仕事についている男性は女性のほぼ2倍で、南アジアでは、男性が女性の3倍以上になっている[7]。 先進国においては、統計に一定の傾向が見られる。日本では、ひとり暮らしをする生産年齢の女性のうち貧困層にあたるのは31パーセントだが、男性では25パーセントだ[8]。アメリカ全土では、貧困ライン以下の収入で生活する人の割合は、女性では14パーセントだが、男性は11パーセントである[9]。) こうしたデータの数々から、貧困の女性化について垣間見ることができる。富の不平等と女性の問題は複雑で、とくに先進国では、これまであまりにも研究されてこなかった分野だ』、「富の不平等と女性の問題は複雑で、とくに先進国では、これまであまりにも研究されてこなかった分野だ」、その通りだ。
・『議論にもならないまま、取り残されていく女性  原因と結果に関する適切なデータなしには、どんな問題にも対処できない。2019年にイギリス政府は、貧困をより正確に評価するための方法を策定する計画を発表したが、新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより棚上げになった。ジェンダーによる経済的不平等の実態が十分に研究されず、ほとんど議論にもならないまま、女性が取り残されていく。 ヨーロッパで最も広く使われている貧困の基準は、個人または世帯の収入が当該国における世帯収入の中央値の60パーセント未満というものだ。つまり、統計専門家が各世帯の収入を調べて最も低い値から最も高い値まで順に並べ、中央の値を計算する。これが、平均的な人が生計を立てるために使っている金額だ。誰もが平均的な収入を得られるとはかぎらないが、誰もが平均的な人の収入の少なくとも60パーセントくらいは稼げるだろうと想定している。 具体的な金額で言うと、イギリスのジョゼフ・ラウントリー財団によれば、2016/2017年度、イギリスの世帯収入は、住居費を除いた可処分所得の中間値が週あたり425ポンド(約8万円)(年間2万2100ポンド〈約418万円〉)だったので、この60パーセントは1万3260ポンド(約250万円)になる。 この計算に基づき社会基準値協会では、510万人の女性、460万人の子ども、450万人の男性が貧困状態にあるとしている[10](訳注:金額と人数は経年変化を見るため計算方法の調整を行ったうえ算出したもの)。これは、女性の20パーセント、子どもの34パーセント、男性の18パーセントに相当する。 イギリスとアメリカにおける貧困の女性化のおもな要因は、1980年代以降のひとり親世帯の増加で、ひとり親の90パーセントが女性だ。アメリカの統計によれば、1960年には、貧困層のうち母親だけの世帯が占める割合は28パーセントだったが、1987年には60パーセントと、倍以上になっている[11]。イギリスでは現在、ひとり親の45パーセントが貧困状態にある。これは、その子どもも貧困のなかで暮らしていることを意味する。政府は子どもの貧困率を引き下げようと、法的拘束力のある目標値を2010年に導入したが、2016年に撤廃し、その後ふたたび導入する計画はない。) イギリスでは独身の女性(未亡人になった高齢女性とパートナーがいない若い女性を含む)全体で見ても、独身男性より貧困率が高い。しかも、ここ数年のあいだに独身男性の貧困率は下がってきた[12]。データからは、貧困の要因として障害も浮上する。貧困状態にある人のうち370万人に障害があり、障害者に女性が占める割合は男性より高く54.4パーセントだ[13]。 さて、誰が障害者の介護をするのか?家族で介護をしている人(つまり「無給の介護人」)の4分の3近くが女性だ。さらに、有給の介護職のほぼ80パーセントが女性であることを忘れてはいけない。介護は最も賃金が低い分野の一つでもある。 先進国の政府は特定の政策を通じて収入に大きな影響を及ぼすことができる。たとえば最低賃金や傷病手当等の雇用主に対する規則、税制度、社会保障制度を通じた富の再分配などだ。こうした政策を実施する際に、政府は社会における貧困と富の不平等に対して影響力を行使し、どのような社会層を支援し、どの層を冷遇するかを選ぶことができるはずだ』、「貧困状態にある人のうち370万人に障害があり、障害者に女性が占める割合は男性より高く54.4パーセントだ[13]。 さて、誰が障害者の介護をするのか?家族で介護をしている人(つまり「無給の介護人」)の4分の3近くが女性だ。さらに、有給の介護職のほぼ80パーセントが女性であることを忘れてはいけない。介護は最も賃金が低い分野の一つでもある」、なるほど。
・『女性の隠れた貧困  また、女性の貧困は男性の「庇護」の下に隠れて見えなくなっていることがある。女性は誰かと一緒に、つまり多くの場合、男性のパートナーと一緒に暮らしているときにはほぼきまって、より裕福に見えるからである。統計学者は、相対的な裕福度を調べる際に世帯の資産に着目する。これは、お金を稼ぐ人が支出を決定する人でもある単身世帯の場合にはわかりやすい方法だ。 しかし夫婦がそろっている世帯では、どちらか一人が世帯全体の「財務報告者」になったうえ、家族の資産の詳細を説明することになる。各世帯では成人の構成員のあいだで資産が平等に分けられているという想定なので、収入が少ない女性がもっと収入の多いパートナーと暮らしている場合は、統計上、より裕福な世帯層に入ってしまうのだ。 これではデータが歪められてしまい、そのため、男女間の経済格差がどの程度かを正確にはかることが難しくなる。調査をするとかならず、世帯内の男性と女性のあいだで収入が平等に分けられていないことが指摘されているからなおさらだ。) 先進国の7か国を対象としたある調査によれば、女性が家庭で自由に使える資産は、平均すると世帯全体の資産の3分の1に満たなかったという。イタリアの女性の半分は、自分自身の収入がまったくなく、政府の給付金さえ受け取っていなかった。フランス、ドイツ、イギリスでは、女性の4分の1以上が政府の給付金以外に収入がなかった[14]。これらの世帯は、調査報告上では中流階級か富裕層だとみなされるかもしれない。しかし男性がいなくなり収入のすべてをもっていかれたとすると、多くの場合、女性は生計を立てていくためのお金がほとんどなくなってしまうだろう。
・『多くの女性が経済面で男性に依存 女性はなぜ男性より貧しいのか?(統計学者がつねに、この「財務報告者は一人」という手法を使っているわけではなく、長期にわたる世帯資産調査では、婚姻関係にある成人の双方に収入を尋ねるケースもある。とはいえ、21世紀になっても、イギリスでもほかの先進国でも、多くの女性が経済面で男性に依存しているという事実は変わらない。 女性が家族の世話や家事のために有給の仕事を離れた場合、実際にはパートナーが財産を築けるよう援助していることになる。そうした女性の働きが、その男性が現在と将来にわたって収入を得る能力、貯蓄する能力、そして信用力や年金貯蓄の助けになっている。 しかし、こうした状況にある女性は個人としては貧困ということになるので、女性がおかれている不平等を正確にはかるには、このような立場の女性を「貧困」と区分すべきだと指摘されている[15]。 原注(省略) 』、「女性が家族の世話や家事のために有給の仕事を離れた場合、実際にはパートナーが財産を築けるよう援助していることになる。そうした女性の働きが、その男性が現在と将来にわたって収入を得る能力、貯蓄する能力、そして信用力や年金貯蓄の助けになっている。 しかし、こうした状況にある女性は個人としては貧困ということになるので、女性がおかれている不平等を正確にはかるには、このような立場の女性を「貧困」と区分すべきだと指摘されている」、その通りだ。

第三に、7月15日付け東洋経済オンラインが掲載したジャーナリスト・編集者のアナベル・ウィリアムズ氏による「リアル「虎に翼」英国女性が法曹界で抱えた苦悩 弁護士になるまで31年、生涯男装の女性医師も」を紹介しよう。
・『現在のペースだと男女間の賃金格差を解消するためには257年かかる――。2019年に世界経済フォーラムが発表したこの試算からもわかるように、男女の間にはいまだに大きな金融格差が存在しています。 格差が生まれる根本と平等に向けた具体策に迫る新著『女性はなぜ男性より貧しいのか?』より一部抜粋しお届けします。 前回記事は「英国女性に最も多い『法律違反』の意外な中身」』、「現在のペースだと男女間の賃金格差を解消するためには257年かかる」、こんなに長期間かかるというのでは、事実上、「格差」は当面、残るということだ。
・『女性は弁護士になれない  女性が財産を増やし男性と平等な地位を築くには、男性と同じように稼げる能力を身につけなくてはならない。 しかし、女性が大学に行くことには激しい抵抗があり、入学がなんとか認められ勉強して試験に通っても、女性は学位を受けることができず、学んだ分野で職業につくことができなかった。 医学など最も収入が高い職業につく権利を求める女性の闘いは何十年も続いた。法律分野では、カナダとアメリカの女性が弁護士業務を行う権利を得たのちも、イギリスの女性は長いあいだ法曹界から閉め出されていた。 知的な意味でより難易度が高いとされる領域で、女性は門戸が閉ざされていた。女性のほうが生まれつき劣っているとする男性の思い込みによるものであり、女性は知能が低いので数学的、科学的、論理的な思考ができない、と考えられていたためだ。このような偏見が根強く残っていることは、次のエピソードによく表れている。) 1867年にタイプライターが発明されたとき、女性が扱うには複雑すぎると考えられていた。しかし100年後の1960年代後半、いまでは恥さらしとなったオリベッティの広告では、ブロンドの美女がタイプライターの前に座り、こんなキャプションが添えられていた。 「タイプライターがこれほど有能なら、女性は賢くなくていい」。 皮肉なことに、広告の女性は賢いなんてものではなかった。彼女の名はシェア・ハイト。有名なコロンビア大学で歴史学の博士号をとるための費用の足しにしようと、モデル業を始めたのだった。 ハイトは、タイピングのスキルがすぐれているからオリベッティに選ばれたのだろうと思っていて、自分のイメージがどういうふうに利用されたか、あとになって気づいた。 最後に笑ったのはハイトだった。著書『ハイト・リポート 新しい女性の愛と性の証言』(パシフィカ、1977年)は5000万部を売り上げ、女性が自分の体に対して抱くイメージに革命を起こした。 女性が知的に劣っているという観念は生物学的な事実だと考えられていたが、この観念が薄れはじめてもなお、女性をめぐる生物学的価値観は、私たちに不利なように利用された。大学の講義のあいだじゅう座っていることは、子宮に何らかの影響を与え、乳腺を枯渇させるのではないかと思われていた』、「カナダとアメリカの女性が弁護士業務を行う権利を得たのちも、イギリスの女性は長いあいだ法曹界から閉め出されていた。 知的な意味でより難易度が高いとされる領域で、女性は門戸が閉ざされていた。女性のほうが生まれつき劣っているとする男性の思い込みによるものであり、女性は知能が低いので数学的、科学的、論理的な思考ができない、と考えられていたためだ」、サッチャー首相を輩出した国でも「女性は長いあいだ法曹界から閉め出されていた」とは初めて知った。
・『弁護士として認められるまで31年  1888年、イライザ・オームは、イングランドの女性として初めて、法律の学位をユニバーシティ・カレッジ・ロンドンから授与された。オームは、女性はもっと権利を主張すべきであり、高い収入を得られる職業の機会が女性にも開かれるべきだと信じていた。 しかしオームは、事務弁護士として働くことを法的に認められるまで31年待たなければならなかった。) 1913年、4人の女性によって裁判所に訴訟が持ち込まれた。女性の1人はグウィネス・ベブで、オックスフォード大学で法学を学び、試験で最優等の成績をおさめたが、正式に卒業できなかった。 ベブは事務弁護士として開業するための試験を法律協会に申請したが、受験料が返金されてきた。女性は弁護士になれないので、試験場に来ても受験は認められないと書かれていた。ベブは法律協会を訴え、法律では弁護士になるのは「人(person)」と記載されているので女性も含まれる、と主張した。 法廷は、女性というジェンダー全体が「人」の定義の枠外であると論じた。「1843年の事務弁護士法の意味する範囲において、女性は人でなく(略)、それゆえに、法律協会が実施する予備試験の登録から除外されるのが妥当である」と控訴院の判決文に記されていた[41]。判決は、「法律に基づき、女性も子どもも奴隷も法曹職につくことは認められない」と述べた中世の論文を参照したものだった[42]』、根拠が「中世の論文」とは恐れ入る。 
・『オックスフォードとケンブリッジでも…  名の通った機関ほど、女性に男性と同じ地位を提供するまでに時間がかかることがよくある。このことは、こんにちでも政府の要職や法曹界、学界、金融界、医学界で男性に比べ女性が少ないという事実と呼応している。 イギリスのエリート大学であるオックスフォードとケンブリッジが女性を男性と平等に扱うようになったのは、国内の大学でいちばん遅かった。オックスフォード大学は、1920年10月になるまで女性に学位を授与しなかった。その50年近くも前からすでに、大学内に4校あった女子学生だけのカレッジで女性が学び試験に合格していたにもかかわらずだ[43]。ケンブリッジでは、1940年になってようやく、女性に学位を授与した。 しかし、こうした進展には但し書きがつく。オックスフォードでは1927年以降、女子学生の人数を最大840人、または学部学生全体の6分の1に制限していた。水門を開放すると怒涛のように流れ込むのではないかと危惧したためだ。21年後に上限が引き上げられ、さらに90人の女性を受け入れるようになったが、定員の割り当ては1957年まで撤廃されなかった。 これは経済的平等を実現するには重大な障壁だった。一流の教育はより高い収入につながるからだ。 しかし、女性がいるとほかの学生の気が散ると考えられていた。オックスフォード大学のある女子カレッジの学長は「じつに嫌な苦情だ。わがカレッジの学生がタイトスカートをはき脚を見せて座っているので、男性の試験官が落ち着かないという[44]」と書いている。するべきことに集中できない男性がいたとしても、それは女性のせいではない。) 女性は医療専門職でも同じ障害に直面した。1789年にアイルランドのコーク県で生まれたマーガレット・アン・バルクリーは、男性に変装してエディンバラ大学で医学を学び、イギリスで最初の女性医師になった。 裕福な支援者たちの協力を得てみずからをドクター・ジェームズ・バリーに仕立て上げ、有能な軍医になって南アフリカ、セントヘレナ、トリニダード・トバゴで医療に従事し、大英帝国で初めて帝王切開に成功した[45]。』、「マーガレット・アン・バルクリーは、男性に変装してエディンバラ大学で医学を学び、イギリスで最初の女性医師になった。 裕福な支援者たちの協力を得てみずからをドクター・ジェームズ・バリーに仕立て上げ、有能な軍医になって南アフリカ、セントヘレナ、トリニダード・トバゴで医療に従事し、大英帝国で初めて帝王切開に成功した」、なるほど。
・『死去して初めて…  ドクター・バリーが死去したとき、埋葬のため遺体を整えていた女性が、バリーは女性だと気づいた。事実が発覚し、ヴィクトリア朝時代のイギリスで大事件になった。女性が医師として働けるようになる50年以上も前のことだ。私なら、ドクター・バリーを10ポンド札の顔にするだろう。 バリーは細身で女性らしい顔つきだったが、この軍医が女性として生まれたとは誰も思わなかった。そのかわり「いっぷう変わっていてあまり人と交わらないバリーについて、学生たちがうわさをしはじめた。『ミスター・ジェームズ・バリーはぜったいに男ではない―間違いなく少年だ。(略)思春期にもなっていない子どもだ。根拠はたくさんあって明らかだ。彼は背が低い、体型が華奢、声が高い、繊細な顔つきで肌がなめらか[46]」。』 このばかばかしい状況は、男性と女性の知性に対する当時の期待をよく物語っている。小柄で少女のような医学生は、知能が高い早熟な男の子以外にありえなかったのだ。) 女性が職場からあからさまに除外されていなかったとしても、女性を締め出すため別のかたちの差別もあった。1982年まで、パブでは女性に対するサービスを拒むことができた。 この「男性の領地」で女性がお金を使うことを認めるかどうかは、店主次第だった。状況が変わったのは1982年11月のことで、事務弁護士のテス・ギルとジャーナリストのアナ・クートが、フリート・ストリートで人気のパブ、エル・ヴィーノに苦情を申し立てたのだ。 エル・ヴィーノでは、女性がカウンターで飲み物を注文したりカウンターの脇に立ったりすることを禁じていて、女性はテーブル席がある奥の部屋にしか入れなかった。 エル・ヴィーノの言い分は、騎士道精神を守るためというものだった。エル・ヴィーノはシティに店を構えていて、ジャーナリストや弁護士らが集まってゴシップに興じる場として愛されていた。 しかし、1970年に女性ジャーナリストの一団がカウンターに押しかけ飲み物のサービスを要求しても、経営者はまだ自分たちの方針を曲げなかった[47]。 第一審の法廷では、女性差別に当たらないと判断されたが、控訴審では、女性がバーの特定の場所にしか集まれないのであれば、職業上不利な状況におかれる可能性があると認めた。 判事は次のとおり述べた。「男性はエル・ヴィーノで飲みたければ飲める。望むならカウンターの周りに集まり友人と交流できるし、とくにジャーナリストであるなら興味深いうわさ話をいろいろ拾えるだろう。(略)男性ジャーナリストにそうしたことが認められているなら、なぜ女性には認められないのか?[48]」』、「ドクター・バリーが死去したとき、埋葬のため遺体を整えていた女性が、バリーは女性だと気づいた。事実が発覚し、ヴィクトリア朝時代のイギリスで大事件になった。女性が医師として働けるようになる50年以上も前のことだ。私なら、ドクター・バリーを10ポンド札の顔にするだろう。 バリーは細身で女性らしい顔つきだったが、この軍医が女性として生まれたとは誰も思わなかった。そのかわり「いっぷう変わっていてあまり人と交わらないバリーについて、学生たちがうわさをしはじめた」、ウソのような話だ。
・『女性用トイレがない  トイレの設備がないことは、女性が職場で不利な状況におかれみずからを向上させる機会を妨げられる理由にたびたびされてきた。ハーバード大学は、非常に長い期間にわたって、トイレがないことを理由に女子学生の医学部入学を認めなかった大学の一つだ。 医学部に女子学生の入学が認められたのは1945年のことで、女性が初めて志願してから100年近くたっていた。ハーバード大学ロー・スクールが女性に門戸を開いたのは1950年で、最初の女性が入学を志願してから79年後だった。) イェール大学医学部は、1916年に女子学生を受け入れた。経済学教授のヘンリー・ファーナムが費用を払い、女子トイレを設置したあとのことだ。 ヘンリーの娘がイェールの医学部に入ることを強く希望していたからだった[49]。アメリカで最も名高い士官学校のバージニア州立軍事学校は、1996年になるまでトイレを口実として利用していた。 女性用のトイレが十分にないという問題は、アメリカで「トイレの平等(potty parity)」として知られている。一部の専門職の職場や権力の殿堂で女性用トイレがないことは、女性が除外されていることの指標になる』、「トイレの設備がないことは、女性が職場で不利な状況におかれみずからを向上させる機会を妨げられる理由にたびたびされてきた。ハーバード大学は、非常に長い期間にわたって、トイレがないことを理由に女子学生の医学部入学を認めなかった大学の一つだ。 医学部に女子学生の入学が認められたのは1945年のことで、女性が初めて志願してから100年近くたっていた・・・女性用のトイレが十分にないという問題は、アメリカで「トイレの平等(potty parity)」として知られている。一部の専門職の職場や権力の殿堂で女性用トイレがないことは、女性が除外されていることの指標になる」、なるほど。
・『米下院に2011年まで存在したトイレの不平等  信じられないことに、アメリカの下院では2011年になるまで議場の近くに女性用トイレがなかった[50]。 男性用トイレは下院の議場のすぐ近くにあって、靴磨き台まで含むアメニティが取りそろえられ、暖炉がしつらえてある。テレビもあり、議場の進行をリアルタイムで映しているので、男性は議事を一瞬たりとも逃さずにすむ。 女性初の下院議員は1917年に誕生し、2011年には78人の女性下院議員がいたが、女性用トイレまで長い距離を歩いて行かなければならなかった。 議事次第で決められた休憩のあいだに議場まで戻って来られなくなることもよくあったが、そうすると討議の一部に参加できない。 2007年に、女性用トイレを議場からもっと近い場所に設置する計画が検討されたが、「歴史的建造物という性質上、また配管の追加工事が必要になるため、費用がかかりすぎる[51]」とされた。 長く厳しい道のりであったが、女性は、法的、社会的に最低の地位であるという足かせからようやく抜け出そうとしている。 こんにち私たち女性は、男性と同じく完全に自立した成人であり、子どもやお金や財産や将来について自分のこととして決定する力があるとされている。 しかしながら、私たちが労働力に組み込まれていくいっぽうで、歴史的に続いてきた差別の名残で、一流の仕事や高額の報酬については、女性は平等な分け前を得ることができないのだ。 原注は省略)』、「女性初の下院議員は1917年に誕生し、2011年には78人の女性下院議員がいたが、女性用トイレまで長い距離を歩いて行かなければならなかった。 議事次第で決められた休憩のあいだに議場まで戻って来られなくなることもよくあったが、そうすると討議の一部に参加できない。 2007年に、女性用トイレを議場からもっと近い場所に設置する計画が検討されたが、「歴史的建造物という性質上、また配管の追加工事が必要になるため、費用がかかりすぎる[51]」とされた。 長く厳しい道のりであったが、女性は、法的、社会的に最低の地位であるという足かせからようやく抜け出そうとしている」、米下院でも「女性用トイレを議場からもっと近い場所に設置」することが、最近まで問題化していたとは驚いた。
タグ:女性 (その30)(元中学校教師 酒豪…女性初、海上自衛隊で「海将」に昇進した近藤奈津枝さんはどんな人か、英国女性に最も多い「法律違反」の意外な中身 大半が女性、10万人弱の女性が起訴された年も、リアル「虎に翼」英国女性が法曹界で抱えた苦悩 弁護士になるまで31年 生涯男装の女性医師も) デイリー新潮「元中学校教師、酒豪…女性初、海上自衛隊で「海将」に昇進した近藤奈津枝さんはどんな人か」 「海上自衛隊で最も階級が高い「海将」に女性で初めて昇任した近藤奈津枝氏(57)だ。 ちなみに、自衛隊で女性が「将」に昇進したのは、陸将、空将を含め初。青森県むつ市にある海上自衛隊大湊地方総監部の総監となり、昨年12月23日、着任式に臨んだ・・・大学は地元の国立・山口大学に進んだ。そして卒業すると、中学校の臨時採用教員として国語を教えていた」、変わった経歴だ。 そして卒業すると、中学校の臨時採用教員として国語を教えていた」と、ユニークだ。 「海上自衛隊で最も階級が高い「海将」に女性で初めて昇任した近藤奈津枝氏(57)だ」、大したものだ。 東洋経済オンライン アナベル・ウィリアムズ 氏による「英国女性に最も多い「法律違反」の意外な中身 大半が女性、10万人弱の女性が起訴された年も」 「富の不平等と女性の問題は複雑で、とくに先進国では、これまであまりにも研究されてこなかった分野だ」、その通りだ。 「女性が家族の世話や家事のために有給の仕事を離れた場合、実際にはパートナーが財産を築けるよう援助していることになる。そうした女性の働きが、その男性が現在と将来にわたって収入を得る能力、貯蓄する能力、そして信用力や年金貯蓄の助けになっている。 しかし、こうした状況にある女性は個人としては貧困ということになるので、女性がおかれている不平等を正確にはかるには、このような立場の女性を「貧困」と区分すべきだと指摘されている」、その通りだ。 「現在のペースだと男女間の賃金格差を解消するためには257年かかる」、こんなに長期間かかるというのでは、事実上、「格差」は当面、残るということだ。 サッチャー首相を輩出した国でも「女性は長いあいだ法曹界から閉め出されていた」とは初めて知った。 「マーガレット・アン・バルクリーは、男性に変装してエディンバラ大学で医学を学び、イギリスで最初の女性医師になった。 裕福な支援者たちの協力を得てみずからをドクター・ジェームズ・バリーに仕立て上げ、有能な軍医になって南アフリカ、セントヘレナ、トリニダード・トバゴで医療に従事し、大英帝国で初めて帝王切開に成功した」、なるほど。 「ドクター・バリーが死去したとき、埋葬のため遺体を整えていた女性が、バリーは女性だと気づいた。事実が発覚し、ヴィクトリア朝時代のイギリスで大事件になった。女性が医師として働けるようになる50年以上も前のことだ。私なら、ドクター・バリーを10ポンド札の顔にするだろう。 バリーは細身で女性らしい顔つきだったが、この軍医が女性として生まれたとは誰も思わなかった。そのかわり「いっぷう変わっていてあまり人と交わらないバリーについて、学生たちがうわさをしはじめた」、ウソのような話だ。 米下院でも「女性用トイレを議場からもっと近い場所に設置」することが、最近まで問題化していたとは驚いた。
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