日本の構造問題(その32)(「リベラルアーツ」を軽視しすぎた日本社会の代償 「リーダーシップ」と「教養教育」の不可分な関係、なぜ 日本では傑出したリーダーが出にくいのか 日本社会をダメにする「二重の選抜」の非効率) [経済政治動向]
日本の構造問題については、本年3月24日に取上げた。今日は、(その32)(「リベラルアーツ」を軽視しすぎた日本社会の代償 「リーダーシップ」と「教養教育」の不可分な関係、なぜ 日本では傑出したリーダーが出にくいのか 日本社会をダメにする「二重の選抜」の非効率」を紹介しよう。
先ずは、本年5月15日付け東洋経済オンラインが掲載した独立研究者・著作者・パブリックスピーカーの山口 周氏とライプニッツ代表で 多摩大学大学院教授 多摩大学サステナビリティ経営研究所所長の堀内 勉 氏による「「リベラルアーツ」を軽視しすぎた日本社会の代償 「リーダーシップ」と「教養教育」の不可分な関係」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/751904
・『ビジネスエリートにとってリベラルアーツは必須の知識と言われている。そもそもリベラルアーツとは何か。なぜリベラルアーツが必要なのか。 3万5000部超のベストセラー『読書大全』の著者・堀内勉氏と、リベラルアーツに関する著作が多数あり、講演や企業の研修においてリベラルアーツの重要性を訴えている山口周氏が、リベラルアーツや教養をテーマに縦横に語り合う。 堀内:現在、東洋経済で「教養」をテーマにした本の執筆を進めていまして、それで、「リベラルアーツ」をテーマとした講演や著作が多数ある山口さんに、一度、話をお聞きしたいと思っていました。 山口さんの著書に『自由になるための技術 リベラルアーツ』がありますが、最初に「リベラルアーツとは何か」について、お話しいただけますでしょうか』、「山口さんの著書に『自由になるための技術 リベラルアーツ』がありますが、最初に「リベラルアーツとは何か」について、お話しいただけますでしょうか」、なるほど。
・『リベラルアーツとは何か 山口:わかりました。教養とリベラルアーツを一対一対応させてよいのかというところはありますが、リベラルアーツということでは、その狭義の定義は「自由市民のためのアート」ということだと思います。古代ギリシャ時代、労働は奴隷身分が行うことでしたので、自由市民は多くの時間を持て余していたわけです。なので、その時間を有意義に楽しむためには教養が必要ということで、それがリベラルアーツになったと言われています。 上記の本のなかで、京都大学名誉教授の中西輝政先生との対談があって、中西先生いわくリベラルアーツの対義語は何かというと「ディシプリナリー」であると。ディシプリンには「境界」という意味があって、学問はだいたいディシプリンで、つまり、限られた範囲の中で考え研究するものだというわけです。 一方で、「リベラルアーツ」は、そのディシプリンに対してリベラルであるということで、現代のように専門性が細分化・タコツボ化してきて、全体を捉えることが難しくなってきているという時代においては、リベラルアーツは領域を横断しながら全体をつかむための一つの知性でとても重要なものだと。中西先生はそのようにおっしゃっています。 それに対して、教養というと、また少し違うニュアンスがそこに入ってきて、たとえばトーマス・マンの『魔の山』が典型ですが、いわゆる教養小説と言われるものがあります。ドイツ語ではビルドゥングスロマン(Bildungsroman)と言いますが、その言葉には人格を陶冶するというようなニュアンスが入ってきます。 『魔の山』は大学出の若い主人公がサナトリウムに入って、そこで過ごす7年間を描いた物語で、その主人公が人間として成熟していくということを「ビルドゥングする」と言っています。つまり、教養という言葉には、人間として深い洞察力や倫理感、また新しい物事を正しく判断するというための思考力など、そういうものをビルドゥング(構築)していくために必要な知識やたしなみ、作法というニュアンスが含まれるのです。) 堀内:まさに日本の旧制高校の流れですね。戦前はドイツ的な教養主義の影響が大きくて、ドイツのカントやヘーゲルの哲学書を読んで人間として自己の内面を耕し内省することが「教養」と言われていました。 それが、戦後アメリカの占領下になって、アメリカの価値観が広がっていくのにあわせて、教養主義からリベラルアーツへと傾斜していった。しかしながら、日本では両方の流れがまだ生き残っていている、そういう感じではないかと思っています』、「古代ギリシャ時代、労働は奴隷身分が行うことでしたので、自由市民は多くの時間を持て余していたわけです。なので、その時間を有意義に楽しむためには教養が必要ということで、それがリベラルアーツになったと言われています・・・学問はだいたいディシプリンで、つまり、限られた範囲の中で考え研究するものだというわけです。 一方で、「リベラルアーツ」は、そのディシプリンに対してリベラルであるということで、現代のように専門性が細分化・タコツボ化してきて、全体を捉えることが難しくなってきているという時代においては、リベラルアーツは領域を横断しながら全体をつかむための一つの知性でとても重要なものだ・・・ドイツ語ではビルドゥングスロマン(Bildungsroman)と言いますが、その言葉には人格を陶冶するというようなニュアンスが入ってきます。 『魔の山』は大学出の若い主人公がサナトリウムに入って、そこで過ごす7年間を描いた物語で、その主人公が人間として成熟していくということを「ビルドゥングする」と言っています。つまり、教養という言葉には、人間として深い洞察力や倫理感、また新しい物事を正しく判断するというための思考力など、そういうものをビルドゥング(構築)していくために必要な知識やたしなみ、作法というニュアンスが含まれるのです・・・戦前はドイツ的な教養主義の影響が大きくて、ドイツのカントやヘーゲルの哲学書を読んで人間として自己の内面を耕し内省することが「教養」と言われていました。 それが、戦後アメリカの占領下になって、アメリカの価値観が広がっていくのにあわせて、教養主義からリベラルアーツへと傾斜していった。しかしながら、日本では両方の流れがまだ生き残っていている、そういう感じではないかと思っています」、なるほど。
・『ハーバード大学に専門系の学部は存在しない 山口:そうですね。トーマス・マンもヨーロッパの人で、一般にリベラルアーツというとヨーロッパで重んじられていて、アメリカはその反対で実学志向というイメージがあるかと思いますが、私の感覚ではそうではありません。 アメリカの大学ランキングを見ると、ほとんどの年でトップになるのはハーバード大学ですが、そのハーバード大学に法学部や経営学部など専門系の学部はありません。学部ではリベラルアーツ学部しかなく文理融合的な知識を学ばせています。 元々アイビーリーグに属する大学の起源の多くは牧師さんを育てるための学校で、18世紀頃の牧師さんは、社会のありとあらゆることを行っていました。医師でもあり学校の先生でもあり、また政治家のような仕事もしていましたので、社会のあらゆることを知っていなければならなかったのです。 最近、日本の一部の識者が「実学志向のアメリカに倣って、文学部のような人文科学系の学部は廃止してもよい」と言っているようですが、無知とは本当に恐ろしいことで、こうした事実をよく知らないんですね。彼らに日本でよく知られているハーバードのビジネススクールやケネディスクール、メディカルスクールなどはみな大学院ですよと言うと、絶句してしまうわけです。 アメリカでは社会のリーダーになる人は専門バカではいけない、社会のあらゆることにある程度は通じていることが社会の常識になっています。古代ギリシャの時代から「アルス・テクニケ」、つまり専門的な技や知識を磨くことは奴隷の仕事であって、リーダーがするべきことではないと考えられてきたのです。 リーダーは何をするかというと、ハンナ・アーレントの言葉を借りれば「活動」をする、つまり政治的な活動を行うのだと。それが社会のリーダーであり、自由市民が従事する仕事だと考える。そして、そういう人たちは大きな判断、社会に影響のある判断をすることになるので、専門バカでは困る。今の言葉で言うと「システム思考」的な、それをつかさどる基礎的な能力を養うために教養が必要になってくるというわけです。 ハーバード大学だけではなく、PPE(Philosophy、Politics and Economics)を重んじるオックスフォード大学なども同様の考え方だと思います。やはり、社会のリーダーになる人というのは、白黒つかない、非常に多方面の利益というものを考えるものだと。ホッブズの言葉を借りるならば、「社会全体の幸福の最大化」ということを考える人でなければならない。そのような人になるには、多方面にわたる教養が必要だという考えですね。) 堀内:アメリカには、ハーバード大学のような総合大学とは別に、いわゆるリベラルアーツカレッジがありますね。私が懇意にしているグレン・フクシマさんがカリフォルニアのDeep Springs College、先日対談させていただいた斎藤幸平さんがコネチカットのWesleyan Universityといったリベラルアーツカレッジに進学していますが、アメリカには名門と言われるリベラルアーツカレッジがいくつもありますね。 また、アイビーリーグでは、新入生はとにかく寮に入らないといけない所が多い。寮があって、そこに寮監(りょうかん)がいて、チューターがいて、彼ら以外にもさまざまな人が寮にやって来て、毎晩議論をするといった活発な交流がおこなわれています。 山口:そうですね。まさにトーマス・マンの『魔の山』の世界ですよね。 堀内:その伝統はオックスフォード大学やケンブリッジ大学といったイギリスの大学から来ているのだと思いますが、オックスフォード大学では、39のカレッジ(学寮)があって、カレッジは必ず寮と一体になっています。そもそも大学に入学するためには、まずこうしたカレッジに入ることが必要になります』、「社会のリーダーになる人は専門バカではいけない、社会のあらゆることにある程度は通じていることが社会の常識になっています。古代ギリシャの時代から「アルス・テクニケ」、つまり専門的な技や知識を磨くことは奴隷の仕事であって、リーダーがするべきことではないと考えられてきたのです。 リーダーは何をするかというと、ハンナ・アーレントの言葉を借りれば「活動」をする、つまり政治的な活動を行うのだと。それが社会のリーダーであり、自由市民が従事する仕事だと考える。そして、そういう人たちは大きな判断、社会に影響のある判断をすることになるので、専門バカでは困る。今の言葉で言うと「システム思考」的な、それをつかさどる基礎的な能力を養うために教養が必要になってくるというわけです・・・ハーバード大学だけではなく、PPE(Philosophy、Politics and Economics)を重んじるオックスフォード大学なども同様の考え方だと思います。やはり、社会のリーダーになる人というのは、白黒つかない、非常に多方面の利益というものを考えるものだと。ホッブズの言葉を借りるならば、「社会全体の幸福の最大化」ということを考える人でなければならない。そのような人になるには、多方面にわたる教養が必要だという考えですね・・・オックスフォード大学では、39のカレッジ(学寮)があって、カレッジは必ず寮と一体になっています。そもそも大学に入学するためには、まずこうしたカレッジに入ることが必要になります」、なるほど。
・『日本とは異なる欧米エリートのキャリア形成 また、私がゴールドマン・サックスにいたときの経験をお話しすると、インベストメントバンカーには学歴の高い人が多いわけですが、実はアメリカの大学での専攻が歴史や哲学など、経済や経営はまったく勉強していませんという人が多くて驚いた記憶があります。 とにかく最初はリベラルアーツ的なものを学ぶ。そして、次のステージとして、金融で成功したいと思ったら、学部卒で数年働いてある程度の資金を貯めてから、ビジネススクールなどで学ぶ。そうして、20代の後半くらいで専門的・実務的な知識を身に付けたビジネスマンとして、その分野で階段を駆け上がっていく。キャリア形成はそんな感じになっていますね。 山口:まさに、ピーター・ティールなどが典型ですね。彼は大学の学部は哲学科で、その後、大学院はロースクールで学んでいます。スラック(Slack)の創業者のスチュワート・バターフィールドも哲学科の出身です。シリコンバレーのハイテク業界というと、「STEM」という印象がありますけれども、実はそうでもないんですね。 クリスチャン・マスビアウが『センスメイキング』という本で、若い時期の求職においては、STEMの学位は有利に働くかもしれないが、経営者の経歴を見てみると、STEMではなく人文科学系の学位を取っている人のほうが多いというデータがあると書いています。この話をするとSTEM系の人は猛烈にかみついてくるので怖いんですけれども(笑)。 堀内:金融の世界では、「イングランド銀行を潰した男」の異名を取るクオンタム・ファンドで大成功したジョージ・ソロスは、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で哲学の学士と修士を取っています。ジョージ・ソロスと一緒にクオンタム・ファンドを設立したジム・ロジャーズもイエール大学で歴史、オックスフォード大学で哲学の学士を取っています。山口さんがおっしゃるように、日本では早い時期に専門を決めてしまう弊害があるのかもしれません。学生も何を勉強するのかをよく意識しないで大学を決めているので、大学で学ぶことの意義自体がかなり曖昧になってしまっているのだと思います。) 堀内:キャリア形成の話をすると、山口さんは慶応を卒業されて電通に入社されましたが、その前の学歴が日本的ではないと言いますか、とてもユニークですよね。その辺りのお話をお聞かせいただけませんか。 山口:その辺りの話は実はあまり戦略的ではなくて、高校は慶応の付属だったのですが、当時から作曲を勉強していましたので藝大に行こうか迷っていました。 実は慶応の付属から慶応大学を卒業し、その後、藝大に入り直した人――作曲家の千住明さんですが――が遠い知り合いだったこともあってアドバイスを求めたところ、「作曲の勉強は、大学ではそんなに学べるものではないよ」と言われたのです。それで、慶応文学部の美学専攻に進みました。 就職という段になって、どの道に進むかとなったとき、父が興銀に務めていて、当時の興銀は割と身内に甘い会社で「興銀に来るか」と言われたのですが、金融の世界には興味が持てませんでした。それを父に伝えると、「大学時代は音楽を作ってばかりで協調性もないし、おまえみたいな変わり者は電通のような会社が向いているんじゃないか」と言われ、それがきっかけで電通を受けることにしました。 そのなかで、電通の人が「人間が夢中になるものは4つあって、電通はそのすべてがある会社だ」という話をしてくれました。4つというのは、1つ目は研究で、特に広告の世界は人間の感情に関する心理学の研究との接点が多いのだと。2つ目はビジネス、3つ目はアートですね。広告は芸術や創作、表現に関わる仕事だと。そして、4つ目がスポーツで、電通は人が夢中になるものすべてに接点のある会社だという話をしてくれて、ここで働くのは面白いのではと感じたのです。 また、自分自身、大学時代は表現に関わる研究をやってきて、心理学にも興味がありましたので、自分の興味のある領域と、社会の中で接面として接合できる面積が一番大きいのは広告の世界だと期待を膨らませて電通に入社を決めました』、「高校は慶応の付属だったのですが、当時から作曲を勉強していましたので藝大に行こうか迷っていました。 実は慶応の付属から慶応大学を卒業し、その後、藝大に入り直した人――作曲家の千住明さんですが――が遠い知り合いだったこともあってアドバイスを求めたところ、「作曲の勉強は、大学ではそんなに学べるものではないよ」と言われたのです。それで、慶応文学部の美学専攻に進みました・・・電通の人が「人間が夢中になるものは4つあって、電通はそのすべてがある会社だ」という話をしてくれました。4つというのは、1つ目は研究で、特に広告の世界は人間の感情に関する心理学の研究との接点が多いのだと。2つ目はビジネス、3つ目はアートですね。広告は芸術や創作、表現に関わる仕事だと。そして、4つ目がスポーツで、電通は人が夢中になるものすべてに接点のある会社だという話をしてくれて、ここで働くのは面白いのではと感じたのです」、「電通はそのすべてがある会社だ」という話をしてくれました」、いくら学生を引き付けるためとはいえ、なかなか味のある話だ。
・『営業局で実績を上げ外資系コンサルに転職 ところが、入社すると、君は新入社員研修の中で人当たりもいいし、しゃべらせると流暢に人と話ができるから、営業向きだと言われ営業局に配属されたのです。一方で、コミュニケーション下手の同期がクリエイティブ局に配属されて、つくづく人生ってわからないものだなと思いましたね(笑)。 ただ、自分には営業という仕事が合っていたのでしょう。結果も出て、営業の仕事が面白くなってのめり込んでいくようになりました。それで、さらに純度を高めたいという思いからボストンコンサルティンググループ(BCG)に転職したのです。ですので、自分のキャリアは、枝づたいに進んでいくうちに、かなり毛色の違うところに来てしまったという感じですね。 堀内:山口さんが営業向きと言われて、営業をやってみたら面白くなったというのは意外ですね。優秀なコンサルのイメージが強いので、電通でもクリエイティブ出身かと思っていました。 山口:意外かと思われるかもしれませんが、コンサルタントとして活躍している人には、実は哲学科の出身者が多いのです。コンサルの世界で化ける人には学部的な傾向があるという仮説があって、理学系では物理学で、人文科学系では哲学科だと。事実、世界的にBCGのオフィスを見てみると、ユニークな立ち位置をつくれている人はこのどちらかであることが多いのです。 例えば、私が入社したときのBCGの日本代表は御立尚資さんで、彼も京都大学文学部でカート・ヴォネガットの研究をしていましたから、まさにど真ん中の人文系で、その後、ハーバードに行っています。まさにピーター・ティールなんかと同じですよね。) 堀内:少し話が変わりますが、大学の先生など日本の識者の多くは、リベラルアーツや教養が大切で、日本のエリートには深みがないと批評するのをよく耳にします。それは事実だと思いますが、では、どうすればいいのかというと、ほとんど具体的な方法論を持っていません。おそらく、大学の先生自身が実社会での経験がないために、大切だというべき論と実感が結びついていないのではないかと思います。 一方、山口さんはご自身の経験も踏まえたうえでそこに切り込んでいて、リベラルアーツや教養的な考え方を、どのようにビジネスの世界に組み入れて現場の仕事で使えるものにしていくかを実践されているように感じます。それは、ご自身で強く意識されている部分なのでしょうか。 山口:直接的な答えになるかわかりませんが、私はビジネススクールへは行かずにコンサルの世界に入ったので、経営学的な知識が欠損していたわけですね。逆に使えるものは何かと言えば自分が学んできた哲学や美学の知識だったので、コンサルとしてアドバイスをする際には、ギリシャ哲学の知識やシェイクスピア劇の有名なせりふなどを使い倒していくしかなかったのです。しかし、これが他のコンサルタントとは、まったく視点や切り口が異なるということで有利に働きました』、「コンサルタントとして活躍している人には、実は哲学科の出身者が多いのです。コンサルの世界で化ける人には学部的な傾向があるという仮説があって、理学系では物理学で、人文科学系では哲学科だと。事実、世界的にBCGのオフィスを見てみると、ユニークな立ち位置をつくれている人はこのどちらかであることが多いのです・・・経営学的な知識が欠損していたわけですね。逆に使えるものは何かと言えば自分が学んできた哲学や美学の知識だったので、コンサルとしてアドバイスをする際には、ギリシャ哲学の知識やシェイクスピア劇の有名なせりふなどを使い倒していくしかなかったのです。しかし、これが他のコンサルタントとは、まったく視点や切り口が異なるということで有利に働きました」、何が幸いするかはわからないものだ。
・『マネジメント層に不可欠な「教養教育」 堀内:まさにリベラルアーツに関する知識をビジネスに生かしてきたわけですね。 山口:そうだと思います。私は20年間外資系のコンサルティング会社に勤め、最後はパートナーまで務めました。ですので、日本のトップクラスの経営者たちと渡り合って、それなりのインパクトも出してきたという自負はあります。そうした自らの経験を踏まえて、歴史や哲学といったリベラルアーツの知識は、ビジネスの世界において強力な洞察を与えてくれるもので、同時に、正しい意思決定を行う際の助けになるものだと思っています。 現在、日本の企業の多くが「リーダーの育成」で試行錯誤している状況にあります。現場の仕事だけを一生懸命に務めた人が、リーダーや経営層になったときにその責を十分に果たせないという問題が頻発しているのです。 欧米の後追いをしている時代は明確なゴールが見えていましたので、本当の意味での意思決定は求められなかったと言えるのかもしれません。しかし、現代のように先の見えない時代には、大局的で正しい意思決定ができるリーダーの存在が不可欠です。企業の人事部がマネジメント研修などで教養やリベラルアーツを学ぶ機会を増やしているのですが、一朝一夕に解決できる問題ではありません。(後編につづく)』、「そうした自らの経験を踏まえて、歴史や哲学といったリベラルアーツの知識は、ビジネスの世界において強力な洞察を与えてくれるもので、同時に、正しい意思決定を行う際の助けになるものだと思っています。 現在、日本の企業の多くが「リーダーの育成」で試行錯誤している状況にあります。現場の仕事だけを一生懸命に務めた人が、リーダーや経営層になったときにその責を十分に果たせないという問題が頻発しているのです。 欧米の後追いをしている時代は明確なゴールが見えていましたので、本当の意味での意思決定は求められなかったと言えるのかもしれません。しかし、現代のように先の見えない時代には、大局的で正しい意思決定ができるリーダーの存在が不可欠です。企業の人事部がマネジメント研修などで教養やリベラルアーツを学ぶ機会を増やしているのですが、一朝一夕に解決できる問題ではありません」、その通りだ。
次に、5月18日付け東洋経済オンラインが掲載した独立研究者・著作者・パブリックスピーカーの山口 周氏と、ライプニッツ代表・多摩大学大学院教授 多摩大学サステナビリティ経営研究所所長の 堀内 勉氏による「なぜ、日本では傑出したリーダーが出にくいのか 日本社会をダメにする「二重の選抜」の非効率」を紹介しよう。
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・『ビジネスエリートにとってリベラルアーツは必須の知識と言われている。そもそもリベラルアーツとは何か。なぜリベラルアーツが必要なのか。 前回に続き、3万5000部超のベストセラー『読書大全』の著者・堀内勉氏と、リベラルアーツに関する著作が多数あり、講演や企業の研修においてもリベラルアーツの重要性を訴えている山口周氏が、リベラルアーツや教養をテーマに縦横に語り合う。 堀内:最近、JTCと言われるいわゆるジャパニーズ・トラディショナル・カンパニーでは、若いうちに何らかの選抜が行われ、部長や執行役員レベルになるとだんだん教養が求められていきますよね。私が見てきた狭い世界の話かもしれませんが、その前に実務家としての能力や実績での選抜があるので、山口さんのように教養を身に付けてきた人はその手前でほとんどが淘汰されてしまうような気がします。 淘汰されずに残った人は、若い頃は仕事に必死で教養などを学ぶ時間がなかったような人たちばかりで、急に「これからは会社のマネジメントをするのだからリベラルアーツとか教養を学ばなきゃいけないよ」と言われて、もともと勉強してこなかった人たちだけで突如エグゼクティブプログラムに行かされるような仕組みになっていますよね。でも、急に変わりなさいと言われても今から変わるのは難しいと思うのですが。 山口:社会学者である竹内洋氏(関西大学東京センター長)が『教養主義の没落』の中で書いていることですが、1970年代までは教養主義は大学キャンパスの規範的な文化であって、読書による教養主義というのは、人格の形成や社会の発展のために、学生の間で疑いようのない信念として共有されていたと。京都大学の学生が教養書を何冊読んでいるかという当時の調査では、10日に1冊読む学生が半分以上、ほとんど読まないと答えた学生は1%しかいなかったということです』、「1970年代までは教養主義は大学キャンパスの規範的な文化であって、読書による教養主義というのは、人格の形成や社会の発展のために、学生の間で疑いようのない信念として共有されていたと。京都大学の学生が教養書を何冊読んでいるかという当時の調査では、10日に1冊読む学生が半分以上、ほとんど読まないと答えた学生は1%しかいなかったということです」、「10日に1冊読む学生が半分以上」とは驚かされた。
・『80年代以降、大学がレジャーランド化 大学のレジャーランド化」という言葉について、自身でも調べたのですが、『現代用語の基礎知識』のレジャーランドの項目に、「遊び、学生が遊んで過ごす現在の大学」という説明が入ったのが1985年からです。そのあたりから大学や大学生の意識に変化が起こったと考えられます。 これは、日本の経済というのはほっといても良くなるとか、名のある会社に入って、それなりにやっていれば別荘の一軒ぐらいは持てるようになるみたいな、きわめて楽観的な将来見通しを持つようになったという時代の影響を受けていると思われます。 1980年代半ば以降、まったく教養書を読まず、教養的なことを知らないのを恥ずかしいと思う感覚がエリートからなくなっていくわけです。それで、40代後半~50代になって、君たちもそろそろそれなりの立場なのだから教養を身に付けろと言われて、いきなりアリストテレスなどを読まされてすごく苦労することになっています。) 私が常々指摘していることですが、日本には「二重の選抜」という非効率が存在しています。日本では、大学教育も含めて、まずは現場の担当者として優秀な人物を育て、その優秀な人の中からリーダーを選抜するシステムになっています。大学入試共通テストに代表されるペーパーテストが象徴的ですが、日本では実務の処理能力が最も高い人を選ぶというシステムで動いているわけです』、「日本には「二重の選抜」という非効率が存在しています。日本では、大学教育も含めて、まずは現場の担当者として優秀な人物を育て、その優秀な人の中からリーダーを選抜するシステムになっています」、なるほど。「大学がレジャーランド化」とは言い得て妙だ。
・『数十年かけてリーダー候補を選抜する非効率 官僚の世界やかつての都銀などは、優秀な大学を出たエリートたちが、まずは現場で処理能力を競う仕事をさせられて、その中で高いパフォーマンスを挙げた人が管理者になる。そうした競争というか、スクリーニングが学生の頃から社会的に行われているわけです。 スクリーニングで生き残った者がリーダーに抜擢されると、従来のような処理能力の速さだけではダメだと。大局的な視点でものごとを捉え、倫理観のようなものも含めて、大きな判断ができなければならない。あるいは歴史観や、時代感も持たなくてはならないといったことを言われる。つまり、プロ野球選手として優秀な成績を残してそろそろ引退かという人に、今度はラグビー選手として一流を目指すためトレーニングを行うような非効率なことをしているわけです。 ハーバードやオックスフォード、フランスのバカロレアも、二重の選抜は非効率であるという社会の共通認識があるので、はじめからリーダーになる素養のある人を選抜し、その人たちに対して、徹底したリーダー教育を行っているのです。 堀内:そうしたリーダーになるべき人たちを選抜する試験のあり方が、日本の大学の入試とはまったく違ったものになっているということですね。 山口:はい。たとえばアメリカの大学の入試では何よりも論文を重視し、その中でとりわけリーダーシップを体現した経験を問われます。イギリスもフランスも基本的には最初からエリートを育てる考え方なので、エリートに必要なのはリベラルアーツであると。オックスフォードの看板学部のPPE(Philosophy、Politics and Economics)のPの筆頭というのはポリティクスじゃなくてフィロソフィーですし、バカロレアでは理系・文系問わずに哲学が中心科目として課されています。 当然、社会に出れば若いときはある程度担当者の仕事もやらなくてはいけないわけですが、大前提として、リーダーになる素養を持っている人にそういうトレーニングをしているということです。日本社会はなかなかリーダーが現れないと言われますが、構造的な要因としてスクリーニングシステムが二重に働いていることに難しさがあるのではないかと思っています。) 堀内:つまり、日本ではマネジメントができる人の母数を最初の段階でものすごく絞り込んでしまっているので、優れたリーダーを選抜するための母数も少なくなっているわけですね。 私が36歳でゴールドマンに入社するときの部長面接が後にパートナーになった小高功嗣さんで、彼は年齢でいうと私の2つ年上でした。最終面接ではパートナーに会っていただきますと言われてお会いしたのが、今はマネックス証券会長をされている松本大さんです。そのときに松本さんから、「堀内さんの経歴書を拝見しましたが、私、堀内さんの大学の後輩なんです」と言われてびっくりしました。恥ずかしながら、そのときは30歳でゴールドマンのパートナーになっていた松本さんを知らなかったんですね。 ゴールドマンのパートナーと言えば、日本の銀行だったら常務クラスかそれ以上ですから。30歳なんて、当時の日本の銀行だったら完全な平社員で、ひたすら現場仕事の毎日ですよ。松本さんがゴールドマンでものすごい実績を上げたのは確かなのですが、ソロモンブラザーズから転職してわずか4年足らずでマネジメントに向いているということで、一気にパートナーにまで引き上げられるというスピード感にびっくりしました。 山口:松本さんは外れ値だと思いますけれども。 堀内:たしかに松本さんは外れ値かもしれませんが、そのような人を引き上げるシステムが会社の中にあるわけです。松本さんがどんなに優秀でも、日本の銀行や証券会社では30歳で役員になることはシステム上あり得ないですから』、「ゴールドマンに入社するときの部長面接が後にパートナーになった小高功嗣さんで、彼は年齢でいうと私の2つ年上でした。最終面接ではパートナーに会っていただきますと言われてお会いしたのが、今はマネックス証券会長をされている松本大さんです。そのときに松本さんから、「堀内さんの経歴書を拝見しましたが、私、堀内さんの大学の後輩なんです」と言われてびっくりしました。恥ずかしながら、そのときは30歳でゴールドマンのパートナーになっていた松本さんを知らなかったんですね。 ゴールドマンのパートナーと言えば、日本の銀行だったら常務クラスかそれ以上ですから。30歳なんて、当時の日本の銀行だったら完全な平社員で、ひたすら現場仕事の毎日ですよ。松本さんがゴールドマンでものすごい実績を上げたのは確かなのですが、ソロモンブラザーズから転職してわずか4年足らずでマネジメントに向いているということで、一気にパートナーにまで引き上げられるというスピード感にびっくりしました・・・ゴールドマンのパートナーと言えば、日本の銀行だったら常務クラスかそれ以上ですから。30歳なんて、当時の日本の銀行だったら完全な平社員で、ひたすら現場仕事の毎日ですよ」、確かに。「ゴールドマン」や「ソロモンブラザーズ」の昇進の速さは日本の常識では信じ難い。
・『ビジネス社会における教養教育のあり方 少し話を変えて、ビジネス社会における教養教育について、うかがいたいと思います。山口さんには私が主催している上智大学の「知のエグゼクティブサロン」にリソースパーソンとして来ていただきましたが、私自身も日本や海外の一流大学のエグゼクティブ・マネジメント・プログラムを含めて、今までにいくつかのエグゼクティブプログラムを受講してきました。 それらのプログラムでは、著名な学者や経営者、起業家などが講師となって、「君たちは将来会社を背負って立つ人物なので、幅広い思考を身に付けてほしい」といった話がほとんどです。こうしたいわゆる「すごい人」が自分たちの成功体験や研究してきた知の体系について話をして、受講している人は「この人たち本当にすごいな、自分も頑張らないといけないな……でもやっぱり自分には無理かな」と感心して帰るのです。 私は、そのようなプログラムを「ダウンロード型のプログラム」と言っていますけれども、本当にそれでよいのかと思っています。たとえば、大谷翔平の野球の試合を見に行って、大谷がホームランを打つのを見てすごいなとは思っても、自分が大谷になれるとはとても思えないんですよね。一流オーケストラのコンサートもそうですが、本当に感動するのですが、じゃあ自分があんなふうに演奏できるかなんて考えもしない。同じように、すごい講師が出てくるエグゼクティブプログラムでは、話を聞いた瞬間はアドレナリンが大量に出て、「今日はいい話が聞けて充実した時間だった」となるのですが、その先につながらないのです。) そうした経験を踏まえて、上智大学の「知のエグゼクティブサロン」では完全な水平型のプログラムにしたわけです。そこに講師は存在せず、学者や有識者であるリソースパーソンは問題の投げかけをするだけで、その後はリソースパーソンも我々コーディネーターも学びますし、受講生という立場の参加者もビジネスの立場からアウトプットします。 お互いが違う人生を生きてきて、それぞれそれなりに何十年もやってきたのですから、何かしら相手に与えるものがあるはずなのです。それをお互いに話して、お互いに聞く。哲学的な言い方をすれば、ヘーゲルの弁証法的にお互いもう一段高いところに一緒に上りましょう……そういうコンセプトで行っています。 山口さんはいろいろなところで講師をやられていると思いますが、エグゼクティブ向けの教育についてはどのようなスタンスで臨まれていたり、どのようなプログラムを開発されたりしているのか、そのあたりを教えていただけますか』、私も20年ほど前にあるエクゼクティブ向けのプログラムに参加した。
・『即効性を期待しすぎる日本の人事部 山口:エグゼクティブ向け研修とリベラルアーツということで言えば、有名なのはアスペン研究所ですよね。アスペン・セミナーはとてもいい取り組みなので私自身が行きたいと思うほどですが、日本の一般的な取締役や執行役員クラスに対して、いきなり取り組ませても中途半端な形になってなかなか厳しいだろうという気はします。 特に日本の人事部は、効果を数字で見せてほしいとか、次の日からすぐに使えることを教えてほしいという傾向が強い。リベラルアーツを役員に学んでほしいということで、京都大学の中西輝政先生やAI研究者の新井紀子先生に来てもらってディスカッションを行うプログラムを組んだことがありますが、驚くことに、人事は「即役立つことが学べたか」といったアンケートをとっていました。 当たり前ですが、リベラルアーツは次の日からすぐに仕事に活かせる類いのものではありません。結局、この企業からは「参加者の評価が低いので、この1回でやめにしました」と言われ、そもそも何をしたくてリベラルアーツの研修プログラムを始めたのかと叱責した経験があります。 ですから、プログラムの中身以上にバイヤー、つまりは企業側の問題が大きいと思います。したがって、ダウンロード型、アスペンのプログラム、対話型のどれがいいかということで言えば、参加者のレベルやプログラムそのものよりも、それを差配している人事部門の思惑がすごく気になりますね。) そうした経験を踏まえて、上智大学の「知のエグゼクティブサロン」では完全な水平型のプログラムにしたわけです。そこに講師は存在せず、学者や有識者であるリソースパーソンは問題の投げかけをするだけで、その後はリソースパーソンも我々コーディネーターも学びますし、受講生という立場の参加者もビジネスの立場からアウトプットします。 お互いが違う人生を生きてきて、それぞれそれなりに何十年もやってきたのですから、何かしら相手に与えるものがあるはずなのです。それをお互いに話して、お互いに聞く。哲学的な言い方をすれば、ヘーゲルの弁証法的にお互いもう一段高いところに一緒に上りましょう……そういうコンセプトで行っています。 山口さんはいろいろなところで講師をやられていると思いますが、エグゼクティブ向けの教育についてはどのようなスタンスで臨まれていたり、どのようなプログラムを開発されたりしているのか、そのあたりを教えていただけますか』、「即効性を期待しすぎる日本の人事部」、私も失望した。
・『即効性を期待しすぎる日本の人事部 山口:エグゼクティブ向け研修とリベラルアーツということで言えば、有名なのはアスペン研究所ですよね。アスペン・セミナーはとてもいい取り組みなので私自身が行きたいと思うほどですが、日本の一般的な取締役や執行役員クラスに対して、いきなり取り組ませても中途半端な形になってなかなか厳しいだろうという気はします。 特に日本の人事部は、効果を数字で見せてほしいとか、次の日からすぐに使えることを教えてほしいという傾向が強い。リベラルアーツを役員に学んでほしいということで、京都大学の中西輝政先生やAI研究者の新井紀子先生に来てもらってディスカッションを行うプログラムを組んだことがありますが、驚くことに、人事は「即役立つことが学べたか」といったアンケートをとっていました。 当たり前ですが、リベラルアーツは次の日からすぐに仕事に活かせる類いのものではありません。結局、この企業からは「参加者の評価が低いので、この1回でやめにしました」と言われ、そもそも何をしたくてリベラルアーツの研修プログラムを始めたのかと叱責した経験があります。 ですから、プログラムの中身以上にバイヤー、つまりは企業側の問題が大きいと思います。したがって、ダウンロード型、アスペンのプログラム、対話型のどれがいいかということで言えば、参加者のレベルやプログラムそのものよりも、それを差配している人事部門の思惑がすごく気になりますね』、「参加者のレベルやプログラムそのものよりも、それを差配している人事部門の思惑がすごく気になりますね」、その通りだ。
先ずは、本年5月15日付け東洋経済オンラインが掲載した独立研究者・著作者・パブリックスピーカーの山口 周氏とライプニッツ代表で 多摩大学大学院教授 多摩大学サステナビリティ経営研究所所長の堀内 勉 氏による「「リベラルアーツ」を軽視しすぎた日本社会の代償 「リーダーシップ」と「教養教育」の不可分な関係」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/751904
・『ビジネスエリートにとってリベラルアーツは必須の知識と言われている。そもそもリベラルアーツとは何か。なぜリベラルアーツが必要なのか。 3万5000部超のベストセラー『読書大全』の著者・堀内勉氏と、リベラルアーツに関する著作が多数あり、講演や企業の研修においてリベラルアーツの重要性を訴えている山口周氏が、リベラルアーツや教養をテーマに縦横に語り合う。 堀内:現在、東洋経済で「教養」をテーマにした本の執筆を進めていまして、それで、「リベラルアーツ」をテーマとした講演や著作が多数ある山口さんに、一度、話をお聞きしたいと思っていました。 山口さんの著書に『自由になるための技術 リベラルアーツ』がありますが、最初に「リベラルアーツとは何か」について、お話しいただけますでしょうか』、「山口さんの著書に『自由になるための技術 リベラルアーツ』がありますが、最初に「リベラルアーツとは何か」について、お話しいただけますでしょうか」、なるほど。
・『リベラルアーツとは何か 山口:わかりました。教養とリベラルアーツを一対一対応させてよいのかというところはありますが、リベラルアーツということでは、その狭義の定義は「自由市民のためのアート」ということだと思います。古代ギリシャ時代、労働は奴隷身分が行うことでしたので、自由市民は多くの時間を持て余していたわけです。なので、その時間を有意義に楽しむためには教養が必要ということで、それがリベラルアーツになったと言われています。 上記の本のなかで、京都大学名誉教授の中西輝政先生との対談があって、中西先生いわくリベラルアーツの対義語は何かというと「ディシプリナリー」であると。ディシプリンには「境界」という意味があって、学問はだいたいディシプリンで、つまり、限られた範囲の中で考え研究するものだというわけです。 一方で、「リベラルアーツ」は、そのディシプリンに対してリベラルであるということで、現代のように専門性が細分化・タコツボ化してきて、全体を捉えることが難しくなってきているという時代においては、リベラルアーツは領域を横断しながら全体をつかむための一つの知性でとても重要なものだと。中西先生はそのようにおっしゃっています。 それに対して、教養というと、また少し違うニュアンスがそこに入ってきて、たとえばトーマス・マンの『魔の山』が典型ですが、いわゆる教養小説と言われるものがあります。ドイツ語ではビルドゥングスロマン(Bildungsroman)と言いますが、その言葉には人格を陶冶するというようなニュアンスが入ってきます。 『魔の山』は大学出の若い主人公がサナトリウムに入って、そこで過ごす7年間を描いた物語で、その主人公が人間として成熟していくということを「ビルドゥングする」と言っています。つまり、教養という言葉には、人間として深い洞察力や倫理感、また新しい物事を正しく判断するというための思考力など、そういうものをビルドゥング(構築)していくために必要な知識やたしなみ、作法というニュアンスが含まれるのです。) 堀内:まさに日本の旧制高校の流れですね。戦前はドイツ的な教養主義の影響が大きくて、ドイツのカントやヘーゲルの哲学書を読んで人間として自己の内面を耕し内省することが「教養」と言われていました。 それが、戦後アメリカの占領下になって、アメリカの価値観が広がっていくのにあわせて、教養主義からリベラルアーツへと傾斜していった。しかしながら、日本では両方の流れがまだ生き残っていている、そういう感じではないかと思っています』、「古代ギリシャ時代、労働は奴隷身分が行うことでしたので、自由市民は多くの時間を持て余していたわけです。なので、その時間を有意義に楽しむためには教養が必要ということで、それがリベラルアーツになったと言われています・・・学問はだいたいディシプリンで、つまり、限られた範囲の中で考え研究するものだというわけです。 一方で、「リベラルアーツ」は、そのディシプリンに対してリベラルであるということで、現代のように専門性が細分化・タコツボ化してきて、全体を捉えることが難しくなってきているという時代においては、リベラルアーツは領域を横断しながら全体をつかむための一つの知性でとても重要なものだ・・・ドイツ語ではビルドゥングスロマン(Bildungsroman)と言いますが、その言葉には人格を陶冶するというようなニュアンスが入ってきます。 『魔の山』は大学出の若い主人公がサナトリウムに入って、そこで過ごす7年間を描いた物語で、その主人公が人間として成熟していくということを「ビルドゥングする」と言っています。つまり、教養という言葉には、人間として深い洞察力や倫理感、また新しい物事を正しく判断するというための思考力など、そういうものをビルドゥング(構築)していくために必要な知識やたしなみ、作法というニュアンスが含まれるのです・・・戦前はドイツ的な教養主義の影響が大きくて、ドイツのカントやヘーゲルの哲学書を読んで人間として自己の内面を耕し内省することが「教養」と言われていました。 それが、戦後アメリカの占領下になって、アメリカの価値観が広がっていくのにあわせて、教養主義からリベラルアーツへと傾斜していった。しかしながら、日本では両方の流れがまだ生き残っていている、そういう感じではないかと思っています」、なるほど。
・『ハーバード大学に専門系の学部は存在しない 山口:そうですね。トーマス・マンもヨーロッパの人で、一般にリベラルアーツというとヨーロッパで重んじられていて、アメリカはその反対で実学志向というイメージがあるかと思いますが、私の感覚ではそうではありません。 アメリカの大学ランキングを見ると、ほとんどの年でトップになるのはハーバード大学ですが、そのハーバード大学に法学部や経営学部など専門系の学部はありません。学部ではリベラルアーツ学部しかなく文理融合的な知識を学ばせています。 元々アイビーリーグに属する大学の起源の多くは牧師さんを育てるための学校で、18世紀頃の牧師さんは、社会のありとあらゆることを行っていました。医師でもあり学校の先生でもあり、また政治家のような仕事もしていましたので、社会のあらゆることを知っていなければならなかったのです。 最近、日本の一部の識者が「実学志向のアメリカに倣って、文学部のような人文科学系の学部は廃止してもよい」と言っているようですが、無知とは本当に恐ろしいことで、こうした事実をよく知らないんですね。彼らに日本でよく知られているハーバードのビジネススクールやケネディスクール、メディカルスクールなどはみな大学院ですよと言うと、絶句してしまうわけです。 アメリカでは社会のリーダーになる人は専門バカではいけない、社会のあらゆることにある程度は通じていることが社会の常識になっています。古代ギリシャの時代から「アルス・テクニケ」、つまり専門的な技や知識を磨くことは奴隷の仕事であって、リーダーがするべきことではないと考えられてきたのです。 リーダーは何をするかというと、ハンナ・アーレントの言葉を借りれば「活動」をする、つまり政治的な活動を行うのだと。それが社会のリーダーであり、自由市民が従事する仕事だと考える。そして、そういう人たちは大きな判断、社会に影響のある判断をすることになるので、専門バカでは困る。今の言葉で言うと「システム思考」的な、それをつかさどる基礎的な能力を養うために教養が必要になってくるというわけです。 ハーバード大学だけではなく、PPE(Philosophy、Politics and Economics)を重んじるオックスフォード大学なども同様の考え方だと思います。やはり、社会のリーダーになる人というのは、白黒つかない、非常に多方面の利益というものを考えるものだと。ホッブズの言葉を借りるならば、「社会全体の幸福の最大化」ということを考える人でなければならない。そのような人になるには、多方面にわたる教養が必要だという考えですね。) 堀内:アメリカには、ハーバード大学のような総合大学とは別に、いわゆるリベラルアーツカレッジがありますね。私が懇意にしているグレン・フクシマさんがカリフォルニアのDeep Springs College、先日対談させていただいた斎藤幸平さんがコネチカットのWesleyan Universityといったリベラルアーツカレッジに進学していますが、アメリカには名門と言われるリベラルアーツカレッジがいくつもありますね。 また、アイビーリーグでは、新入生はとにかく寮に入らないといけない所が多い。寮があって、そこに寮監(りょうかん)がいて、チューターがいて、彼ら以外にもさまざまな人が寮にやって来て、毎晩議論をするといった活発な交流がおこなわれています。 山口:そうですね。まさにトーマス・マンの『魔の山』の世界ですよね。 堀内:その伝統はオックスフォード大学やケンブリッジ大学といったイギリスの大学から来ているのだと思いますが、オックスフォード大学では、39のカレッジ(学寮)があって、カレッジは必ず寮と一体になっています。そもそも大学に入学するためには、まずこうしたカレッジに入ることが必要になります』、「社会のリーダーになる人は専門バカではいけない、社会のあらゆることにある程度は通じていることが社会の常識になっています。古代ギリシャの時代から「アルス・テクニケ」、つまり専門的な技や知識を磨くことは奴隷の仕事であって、リーダーがするべきことではないと考えられてきたのです。 リーダーは何をするかというと、ハンナ・アーレントの言葉を借りれば「活動」をする、つまり政治的な活動を行うのだと。それが社会のリーダーであり、自由市民が従事する仕事だと考える。そして、そういう人たちは大きな判断、社会に影響のある判断をすることになるので、専門バカでは困る。今の言葉で言うと「システム思考」的な、それをつかさどる基礎的な能力を養うために教養が必要になってくるというわけです・・・ハーバード大学だけではなく、PPE(Philosophy、Politics and Economics)を重んじるオックスフォード大学なども同様の考え方だと思います。やはり、社会のリーダーになる人というのは、白黒つかない、非常に多方面の利益というものを考えるものだと。ホッブズの言葉を借りるならば、「社会全体の幸福の最大化」ということを考える人でなければならない。そのような人になるには、多方面にわたる教養が必要だという考えですね・・・オックスフォード大学では、39のカレッジ(学寮)があって、カレッジは必ず寮と一体になっています。そもそも大学に入学するためには、まずこうしたカレッジに入ることが必要になります」、なるほど。
・『日本とは異なる欧米エリートのキャリア形成 また、私がゴールドマン・サックスにいたときの経験をお話しすると、インベストメントバンカーには学歴の高い人が多いわけですが、実はアメリカの大学での専攻が歴史や哲学など、経済や経営はまったく勉強していませんという人が多くて驚いた記憶があります。 とにかく最初はリベラルアーツ的なものを学ぶ。そして、次のステージとして、金融で成功したいと思ったら、学部卒で数年働いてある程度の資金を貯めてから、ビジネススクールなどで学ぶ。そうして、20代の後半くらいで専門的・実務的な知識を身に付けたビジネスマンとして、その分野で階段を駆け上がっていく。キャリア形成はそんな感じになっていますね。 山口:まさに、ピーター・ティールなどが典型ですね。彼は大学の学部は哲学科で、その後、大学院はロースクールで学んでいます。スラック(Slack)の創業者のスチュワート・バターフィールドも哲学科の出身です。シリコンバレーのハイテク業界というと、「STEM」という印象がありますけれども、実はそうでもないんですね。 クリスチャン・マスビアウが『センスメイキング』という本で、若い時期の求職においては、STEMの学位は有利に働くかもしれないが、経営者の経歴を見てみると、STEMではなく人文科学系の学位を取っている人のほうが多いというデータがあると書いています。この話をするとSTEM系の人は猛烈にかみついてくるので怖いんですけれども(笑)。 堀内:金融の世界では、「イングランド銀行を潰した男」の異名を取るクオンタム・ファンドで大成功したジョージ・ソロスは、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で哲学の学士と修士を取っています。ジョージ・ソロスと一緒にクオンタム・ファンドを設立したジム・ロジャーズもイエール大学で歴史、オックスフォード大学で哲学の学士を取っています。山口さんがおっしゃるように、日本では早い時期に専門を決めてしまう弊害があるのかもしれません。学生も何を勉強するのかをよく意識しないで大学を決めているので、大学で学ぶことの意義自体がかなり曖昧になってしまっているのだと思います。) 堀内:キャリア形成の話をすると、山口さんは慶応を卒業されて電通に入社されましたが、その前の学歴が日本的ではないと言いますか、とてもユニークですよね。その辺りのお話をお聞かせいただけませんか。 山口:その辺りの話は実はあまり戦略的ではなくて、高校は慶応の付属だったのですが、当時から作曲を勉強していましたので藝大に行こうか迷っていました。 実は慶応の付属から慶応大学を卒業し、その後、藝大に入り直した人――作曲家の千住明さんですが――が遠い知り合いだったこともあってアドバイスを求めたところ、「作曲の勉強は、大学ではそんなに学べるものではないよ」と言われたのです。それで、慶応文学部の美学専攻に進みました。 就職という段になって、どの道に進むかとなったとき、父が興銀に務めていて、当時の興銀は割と身内に甘い会社で「興銀に来るか」と言われたのですが、金融の世界には興味が持てませんでした。それを父に伝えると、「大学時代は音楽を作ってばかりで協調性もないし、おまえみたいな変わり者は電通のような会社が向いているんじゃないか」と言われ、それがきっかけで電通を受けることにしました。 そのなかで、電通の人が「人間が夢中になるものは4つあって、電通はそのすべてがある会社だ」という話をしてくれました。4つというのは、1つ目は研究で、特に広告の世界は人間の感情に関する心理学の研究との接点が多いのだと。2つ目はビジネス、3つ目はアートですね。広告は芸術や創作、表現に関わる仕事だと。そして、4つ目がスポーツで、電通は人が夢中になるものすべてに接点のある会社だという話をしてくれて、ここで働くのは面白いのではと感じたのです。 また、自分自身、大学時代は表現に関わる研究をやってきて、心理学にも興味がありましたので、自分の興味のある領域と、社会の中で接面として接合できる面積が一番大きいのは広告の世界だと期待を膨らませて電通に入社を決めました』、「高校は慶応の付属だったのですが、当時から作曲を勉強していましたので藝大に行こうか迷っていました。 実は慶応の付属から慶応大学を卒業し、その後、藝大に入り直した人――作曲家の千住明さんですが――が遠い知り合いだったこともあってアドバイスを求めたところ、「作曲の勉強は、大学ではそんなに学べるものではないよ」と言われたのです。それで、慶応文学部の美学専攻に進みました・・・電通の人が「人間が夢中になるものは4つあって、電通はそのすべてがある会社だ」という話をしてくれました。4つというのは、1つ目は研究で、特に広告の世界は人間の感情に関する心理学の研究との接点が多いのだと。2つ目はビジネス、3つ目はアートですね。広告は芸術や創作、表現に関わる仕事だと。そして、4つ目がスポーツで、電通は人が夢中になるものすべてに接点のある会社だという話をしてくれて、ここで働くのは面白いのではと感じたのです」、「電通はそのすべてがある会社だ」という話をしてくれました」、いくら学生を引き付けるためとはいえ、なかなか味のある話だ。
・『営業局で実績を上げ外資系コンサルに転職 ところが、入社すると、君は新入社員研修の中で人当たりもいいし、しゃべらせると流暢に人と話ができるから、営業向きだと言われ営業局に配属されたのです。一方で、コミュニケーション下手の同期がクリエイティブ局に配属されて、つくづく人生ってわからないものだなと思いましたね(笑)。 ただ、自分には営業という仕事が合っていたのでしょう。結果も出て、営業の仕事が面白くなってのめり込んでいくようになりました。それで、さらに純度を高めたいという思いからボストンコンサルティンググループ(BCG)に転職したのです。ですので、自分のキャリアは、枝づたいに進んでいくうちに、かなり毛色の違うところに来てしまったという感じですね。 堀内:山口さんが営業向きと言われて、営業をやってみたら面白くなったというのは意外ですね。優秀なコンサルのイメージが強いので、電通でもクリエイティブ出身かと思っていました。 山口:意外かと思われるかもしれませんが、コンサルタントとして活躍している人には、実は哲学科の出身者が多いのです。コンサルの世界で化ける人には学部的な傾向があるという仮説があって、理学系では物理学で、人文科学系では哲学科だと。事実、世界的にBCGのオフィスを見てみると、ユニークな立ち位置をつくれている人はこのどちらかであることが多いのです。 例えば、私が入社したときのBCGの日本代表は御立尚資さんで、彼も京都大学文学部でカート・ヴォネガットの研究をしていましたから、まさにど真ん中の人文系で、その後、ハーバードに行っています。まさにピーター・ティールなんかと同じですよね。) 堀内:少し話が変わりますが、大学の先生など日本の識者の多くは、リベラルアーツや教養が大切で、日本のエリートには深みがないと批評するのをよく耳にします。それは事実だと思いますが、では、どうすればいいのかというと、ほとんど具体的な方法論を持っていません。おそらく、大学の先生自身が実社会での経験がないために、大切だというべき論と実感が結びついていないのではないかと思います。 一方、山口さんはご自身の経験も踏まえたうえでそこに切り込んでいて、リベラルアーツや教養的な考え方を、どのようにビジネスの世界に組み入れて現場の仕事で使えるものにしていくかを実践されているように感じます。それは、ご自身で強く意識されている部分なのでしょうか。 山口:直接的な答えになるかわかりませんが、私はビジネススクールへは行かずにコンサルの世界に入ったので、経営学的な知識が欠損していたわけですね。逆に使えるものは何かと言えば自分が学んできた哲学や美学の知識だったので、コンサルとしてアドバイスをする際には、ギリシャ哲学の知識やシェイクスピア劇の有名なせりふなどを使い倒していくしかなかったのです。しかし、これが他のコンサルタントとは、まったく視点や切り口が異なるということで有利に働きました』、「コンサルタントとして活躍している人には、実は哲学科の出身者が多いのです。コンサルの世界で化ける人には学部的な傾向があるという仮説があって、理学系では物理学で、人文科学系では哲学科だと。事実、世界的にBCGのオフィスを見てみると、ユニークな立ち位置をつくれている人はこのどちらかであることが多いのです・・・経営学的な知識が欠損していたわけですね。逆に使えるものは何かと言えば自分が学んできた哲学や美学の知識だったので、コンサルとしてアドバイスをする際には、ギリシャ哲学の知識やシェイクスピア劇の有名なせりふなどを使い倒していくしかなかったのです。しかし、これが他のコンサルタントとは、まったく視点や切り口が異なるということで有利に働きました」、何が幸いするかはわからないものだ。
・『マネジメント層に不可欠な「教養教育」 堀内:まさにリベラルアーツに関する知識をビジネスに生かしてきたわけですね。 山口:そうだと思います。私は20年間外資系のコンサルティング会社に勤め、最後はパートナーまで務めました。ですので、日本のトップクラスの経営者たちと渡り合って、それなりのインパクトも出してきたという自負はあります。そうした自らの経験を踏まえて、歴史や哲学といったリベラルアーツの知識は、ビジネスの世界において強力な洞察を与えてくれるもので、同時に、正しい意思決定を行う際の助けになるものだと思っています。 現在、日本の企業の多くが「リーダーの育成」で試行錯誤している状況にあります。現場の仕事だけを一生懸命に務めた人が、リーダーや経営層になったときにその責を十分に果たせないという問題が頻発しているのです。 欧米の後追いをしている時代は明確なゴールが見えていましたので、本当の意味での意思決定は求められなかったと言えるのかもしれません。しかし、現代のように先の見えない時代には、大局的で正しい意思決定ができるリーダーの存在が不可欠です。企業の人事部がマネジメント研修などで教養やリベラルアーツを学ぶ機会を増やしているのですが、一朝一夕に解決できる問題ではありません。(後編につづく)』、「そうした自らの経験を踏まえて、歴史や哲学といったリベラルアーツの知識は、ビジネスの世界において強力な洞察を与えてくれるもので、同時に、正しい意思決定を行う際の助けになるものだと思っています。 現在、日本の企業の多くが「リーダーの育成」で試行錯誤している状況にあります。現場の仕事だけを一生懸命に務めた人が、リーダーや経営層になったときにその責を十分に果たせないという問題が頻発しているのです。 欧米の後追いをしている時代は明確なゴールが見えていましたので、本当の意味での意思決定は求められなかったと言えるのかもしれません。しかし、現代のように先の見えない時代には、大局的で正しい意思決定ができるリーダーの存在が不可欠です。企業の人事部がマネジメント研修などで教養やリベラルアーツを学ぶ機会を増やしているのですが、一朝一夕に解決できる問題ではありません」、その通りだ。
次に、5月18日付け東洋経済オンラインが掲載した独立研究者・著作者・パブリックスピーカーの山口 周氏と、ライプニッツ代表・多摩大学大学院教授 多摩大学サステナビリティ経営研究所所長の 堀内 勉氏による「なぜ、日本では傑出したリーダーが出にくいのか 日本社会をダメにする「二重の選抜」の非効率」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/751908
・『ビジネスエリートにとってリベラルアーツは必須の知識と言われている。そもそもリベラルアーツとは何か。なぜリベラルアーツが必要なのか。 前回に続き、3万5000部超のベストセラー『読書大全』の著者・堀内勉氏と、リベラルアーツに関する著作が多数あり、講演や企業の研修においてもリベラルアーツの重要性を訴えている山口周氏が、リベラルアーツや教養をテーマに縦横に語り合う。 堀内:最近、JTCと言われるいわゆるジャパニーズ・トラディショナル・カンパニーでは、若いうちに何らかの選抜が行われ、部長や執行役員レベルになるとだんだん教養が求められていきますよね。私が見てきた狭い世界の話かもしれませんが、その前に実務家としての能力や実績での選抜があるので、山口さんのように教養を身に付けてきた人はその手前でほとんどが淘汰されてしまうような気がします。 淘汰されずに残った人は、若い頃は仕事に必死で教養などを学ぶ時間がなかったような人たちばかりで、急に「これからは会社のマネジメントをするのだからリベラルアーツとか教養を学ばなきゃいけないよ」と言われて、もともと勉強してこなかった人たちだけで突如エグゼクティブプログラムに行かされるような仕組みになっていますよね。でも、急に変わりなさいと言われても今から変わるのは難しいと思うのですが。 山口:社会学者である竹内洋氏(関西大学東京センター長)が『教養主義の没落』の中で書いていることですが、1970年代までは教養主義は大学キャンパスの規範的な文化であって、読書による教養主義というのは、人格の形成や社会の発展のために、学生の間で疑いようのない信念として共有されていたと。京都大学の学生が教養書を何冊読んでいるかという当時の調査では、10日に1冊読む学生が半分以上、ほとんど読まないと答えた学生は1%しかいなかったということです』、「1970年代までは教養主義は大学キャンパスの規範的な文化であって、読書による教養主義というのは、人格の形成や社会の発展のために、学生の間で疑いようのない信念として共有されていたと。京都大学の学生が教養書を何冊読んでいるかという当時の調査では、10日に1冊読む学生が半分以上、ほとんど読まないと答えた学生は1%しかいなかったということです」、「10日に1冊読む学生が半分以上」とは驚かされた。
・『80年代以降、大学がレジャーランド化 大学のレジャーランド化」という言葉について、自身でも調べたのですが、『現代用語の基礎知識』のレジャーランドの項目に、「遊び、学生が遊んで過ごす現在の大学」という説明が入ったのが1985年からです。そのあたりから大学や大学生の意識に変化が起こったと考えられます。 これは、日本の経済というのはほっといても良くなるとか、名のある会社に入って、それなりにやっていれば別荘の一軒ぐらいは持てるようになるみたいな、きわめて楽観的な将来見通しを持つようになったという時代の影響を受けていると思われます。 1980年代半ば以降、まったく教養書を読まず、教養的なことを知らないのを恥ずかしいと思う感覚がエリートからなくなっていくわけです。それで、40代後半~50代になって、君たちもそろそろそれなりの立場なのだから教養を身に付けろと言われて、いきなりアリストテレスなどを読まされてすごく苦労することになっています。) 私が常々指摘していることですが、日本には「二重の選抜」という非効率が存在しています。日本では、大学教育も含めて、まずは現場の担当者として優秀な人物を育て、その優秀な人の中からリーダーを選抜するシステムになっています。大学入試共通テストに代表されるペーパーテストが象徴的ですが、日本では実務の処理能力が最も高い人を選ぶというシステムで動いているわけです』、「日本には「二重の選抜」という非効率が存在しています。日本では、大学教育も含めて、まずは現場の担当者として優秀な人物を育て、その優秀な人の中からリーダーを選抜するシステムになっています」、なるほど。「大学がレジャーランド化」とは言い得て妙だ。
・『数十年かけてリーダー候補を選抜する非効率 官僚の世界やかつての都銀などは、優秀な大学を出たエリートたちが、まずは現場で処理能力を競う仕事をさせられて、その中で高いパフォーマンスを挙げた人が管理者になる。そうした競争というか、スクリーニングが学生の頃から社会的に行われているわけです。 スクリーニングで生き残った者がリーダーに抜擢されると、従来のような処理能力の速さだけではダメだと。大局的な視点でものごとを捉え、倫理観のようなものも含めて、大きな判断ができなければならない。あるいは歴史観や、時代感も持たなくてはならないといったことを言われる。つまり、プロ野球選手として優秀な成績を残してそろそろ引退かという人に、今度はラグビー選手として一流を目指すためトレーニングを行うような非効率なことをしているわけです。 ハーバードやオックスフォード、フランスのバカロレアも、二重の選抜は非効率であるという社会の共通認識があるので、はじめからリーダーになる素養のある人を選抜し、その人たちに対して、徹底したリーダー教育を行っているのです。 堀内:そうしたリーダーになるべき人たちを選抜する試験のあり方が、日本の大学の入試とはまったく違ったものになっているということですね。 山口:はい。たとえばアメリカの大学の入試では何よりも論文を重視し、その中でとりわけリーダーシップを体現した経験を問われます。イギリスもフランスも基本的には最初からエリートを育てる考え方なので、エリートに必要なのはリベラルアーツであると。オックスフォードの看板学部のPPE(Philosophy、Politics and Economics)のPの筆頭というのはポリティクスじゃなくてフィロソフィーですし、バカロレアでは理系・文系問わずに哲学が中心科目として課されています。 当然、社会に出れば若いときはある程度担当者の仕事もやらなくてはいけないわけですが、大前提として、リーダーになる素養を持っている人にそういうトレーニングをしているということです。日本社会はなかなかリーダーが現れないと言われますが、構造的な要因としてスクリーニングシステムが二重に働いていることに難しさがあるのではないかと思っています。) 堀内:つまり、日本ではマネジメントができる人の母数を最初の段階でものすごく絞り込んでしまっているので、優れたリーダーを選抜するための母数も少なくなっているわけですね。 私が36歳でゴールドマンに入社するときの部長面接が後にパートナーになった小高功嗣さんで、彼は年齢でいうと私の2つ年上でした。最終面接ではパートナーに会っていただきますと言われてお会いしたのが、今はマネックス証券会長をされている松本大さんです。そのときに松本さんから、「堀内さんの経歴書を拝見しましたが、私、堀内さんの大学の後輩なんです」と言われてびっくりしました。恥ずかしながら、そのときは30歳でゴールドマンのパートナーになっていた松本さんを知らなかったんですね。 ゴールドマンのパートナーと言えば、日本の銀行だったら常務クラスかそれ以上ですから。30歳なんて、当時の日本の銀行だったら完全な平社員で、ひたすら現場仕事の毎日ですよ。松本さんがゴールドマンでものすごい実績を上げたのは確かなのですが、ソロモンブラザーズから転職してわずか4年足らずでマネジメントに向いているということで、一気にパートナーにまで引き上げられるというスピード感にびっくりしました。 山口:松本さんは外れ値だと思いますけれども。 堀内:たしかに松本さんは外れ値かもしれませんが、そのような人を引き上げるシステムが会社の中にあるわけです。松本さんがどんなに優秀でも、日本の銀行や証券会社では30歳で役員になることはシステム上あり得ないですから』、「ゴールドマンに入社するときの部長面接が後にパートナーになった小高功嗣さんで、彼は年齢でいうと私の2つ年上でした。最終面接ではパートナーに会っていただきますと言われてお会いしたのが、今はマネックス証券会長をされている松本大さんです。そのときに松本さんから、「堀内さんの経歴書を拝見しましたが、私、堀内さんの大学の後輩なんです」と言われてびっくりしました。恥ずかしながら、そのときは30歳でゴールドマンのパートナーになっていた松本さんを知らなかったんですね。 ゴールドマンのパートナーと言えば、日本の銀行だったら常務クラスかそれ以上ですから。30歳なんて、当時の日本の銀行だったら完全な平社員で、ひたすら現場仕事の毎日ですよ。松本さんがゴールドマンでものすごい実績を上げたのは確かなのですが、ソロモンブラザーズから転職してわずか4年足らずでマネジメントに向いているということで、一気にパートナーにまで引き上げられるというスピード感にびっくりしました・・・ゴールドマンのパートナーと言えば、日本の銀行だったら常務クラスかそれ以上ですから。30歳なんて、当時の日本の銀行だったら完全な平社員で、ひたすら現場仕事の毎日ですよ」、確かに。「ゴールドマン」や「ソロモンブラザーズ」の昇進の速さは日本の常識では信じ難い。
・『ビジネス社会における教養教育のあり方 少し話を変えて、ビジネス社会における教養教育について、うかがいたいと思います。山口さんには私が主催している上智大学の「知のエグゼクティブサロン」にリソースパーソンとして来ていただきましたが、私自身も日本や海外の一流大学のエグゼクティブ・マネジメント・プログラムを含めて、今までにいくつかのエグゼクティブプログラムを受講してきました。 それらのプログラムでは、著名な学者や経営者、起業家などが講師となって、「君たちは将来会社を背負って立つ人物なので、幅広い思考を身に付けてほしい」といった話がほとんどです。こうしたいわゆる「すごい人」が自分たちの成功体験や研究してきた知の体系について話をして、受講している人は「この人たち本当にすごいな、自分も頑張らないといけないな……でもやっぱり自分には無理かな」と感心して帰るのです。 私は、そのようなプログラムを「ダウンロード型のプログラム」と言っていますけれども、本当にそれでよいのかと思っています。たとえば、大谷翔平の野球の試合を見に行って、大谷がホームランを打つのを見てすごいなとは思っても、自分が大谷になれるとはとても思えないんですよね。一流オーケストラのコンサートもそうですが、本当に感動するのですが、じゃあ自分があんなふうに演奏できるかなんて考えもしない。同じように、すごい講師が出てくるエグゼクティブプログラムでは、話を聞いた瞬間はアドレナリンが大量に出て、「今日はいい話が聞けて充実した時間だった」となるのですが、その先につながらないのです。) そうした経験を踏まえて、上智大学の「知のエグゼクティブサロン」では完全な水平型のプログラムにしたわけです。そこに講師は存在せず、学者や有識者であるリソースパーソンは問題の投げかけをするだけで、その後はリソースパーソンも我々コーディネーターも学びますし、受講生という立場の参加者もビジネスの立場からアウトプットします。 お互いが違う人生を生きてきて、それぞれそれなりに何十年もやってきたのですから、何かしら相手に与えるものがあるはずなのです。それをお互いに話して、お互いに聞く。哲学的な言い方をすれば、ヘーゲルの弁証法的にお互いもう一段高いところに一緒に上りましょう……そういうコンセプトで行っています。 山口さんはいろいろなところで講師をやられていると思いますが、エグゼクティブ向けの教育についてはどのようなスタンスで臨まれていたり、どのようなプログラムを開発されたりしているのか、そのあたりを教えていただけますか』、私も20年ほど前にあるエクゼクティブ向けのプログラムに参加した。
・『即効性を期待しすぎる日本の人事部 山口:エグゼクティブ向け研修とリベラルアーツということで言えば、有名なのはアスペン研究所ですよね。アスペン・セミナーはとてもいい取り組みなので私自身が行きたいと思うほどですが、日本の一般的な取締役や執行役員クラスに対して、いきなり取り組ませても中途半端な形になってなかなか厳しいだろうという気はします。 特に日本の人事部は、効果を数字で見せてほしいとか、次の日からすぐに使えることを教えてほしいという傾向が強い。リベラルアーツを役員に学んでほしいということで、京都大学の中西輝政先生やAI研究者の新井紀子先生に来てもらってディスカッションを行うプログラムを組んだことがありますが、驚くことに、人事は「即役立つことが学べたか」といったアンケートをとっていました。 当たり前ですが、リベラルアーツは次の日からすぐに仕事に活かせる類いのものではありません。結局、この企業からは「参加者の評価が低いので、この1回でやめにしました」と言われ、そもそも何をしたくてリベラルアーツの研修プログラムを始めたのかと叱責した経験があります。 ですから、プログラムの中身以上にバイヤー、つまりは企業側の問題が大きいと思います。したがって、ダウンロード型、アスペンのプログラム、対話型のどれがいいかということで言えば、参加者のレベルやプログラムそのものよりも、それを差配している人事部門の思惑がすごく気になりますね。) そうした経験を踏まえて、上智大学の「知のエグゼクティブサロン」では完全な水平型のプログラムにしたわけです。そこに講師は存在せず、学者や有識者であるリソースパーソンは問題の投げかけをするだけで、その後はリソースパーソンも我々コーディネーターも学びますし、受講生という立場の参加者もビジネスの立場からアウトプットします。 お互いが違う人生を生きてきて、それぞれそれなりに何十年もやってきたのですから、何かしら相手に与えるものがあるはずなのです。それをお互いに話して、お互いに聞く。哲学的な言い方をすれば、ヘーゲルの弁証法的にお互いもう一段高いところに一緒に上りましょう……そういうコンセプトで行っています。 山口さんはいろいろなところで講師をやられていると思いますが、エグゼクティブ向けの教育についてはどのようなスタンスで臨まれていたり、どのようなプログラムを開発されたりしているのか、そのあたりを教えていただけますか』、「即効性を期待しすぎる日本の人事部」、私も失望した。
・『即効性を期待しすぎる日本の人事部 山口:エグゼクティブ向け研修とリベラルアーツということで言えば、有名なのはアスペン研究所ですよね。アスペン・セミナーはとてもいい取り組みなので私自身が行きたいと思うほどですが、日本の一般的な取締役や執行役員クラスに対して、いきなり取り組ませても中途半端な形になってなかなか厳しいだろうという気はします。 特に日本の人事部は、効果を数字で見せてほしいとか、次の日からすぐに使えることを教えてほしいという傾向が強い。リベラルアーツを役員に学んでほしいということで、京都大学の中西輝政先生やAI研究者の新井紀子先生に来てもらってディスカッションを行うプログラムを組んだことがありますが、驚くことに、人事は「即役立つことが学べたか」といったアンケートをとっていました。 当たり前ですが、リベラルアーツは次の日からすぐに仕事に活かせる類いのものではありません。結局、この企業からは「参加者の評価が低いので、この1回でやめにしました」と言われ、そもそも何をしたくてリベラルアーツの研修プログラムを始めたのかと叱責した経験があります。 ですから、プログラムの中身以上にバイヤー、つまりは企業側の問題が大きいと思います。したがって、ダウンロード型、アスペンのプログラム、対話型のどれがいいかということで言えば、参加者のレベルやプログラムそのものよりも、それを差配している人事部門の思惑がすごく気になりますね』、「参加者のレベルやプログラムそのものよりも、それを差配している人事部門の思惑がすごく気になりますね」、その通りだ。
タグ:「古代ギリシャ時代、労働は奴隷身分が行うことでしたので、自由市民は多くの時間を持て余していたわけです。なので、その時間を有意義に楽しむためには教養が必要ということで、それがリベラルアーツになったと言われています・・・学問はだいたいディシプリンで、つまり、限られた範囲の中で考え研究するものだというわけです。 「山口さんの著書に『自由になるための技術 リベラルアーツ』がありますが、最初に「リベラルアーツとは何か」について、お話しいただけますでしょうか」、なるほど。 『自由になるための技術 リベラルアーツ』 「「リベラルアーツ」を軽視しすぎた日本社会の代償 「リーダーシップ」と「教養教育」の不可分な関係」 堀内 勉 氏 山口 周氏 東洋経済オンライン (その32)(「リベラルアーツ」を軽視しすぎた日本社会の代償 「リーダーシップ」と「教養教育」の不可分な関係、なぜ 日本では傑出したリーダーが出にくいのか 日本社会をダメにする「二重の選抜」の非効率、池上彰が警告「時代に乗り遅れた」日本企業の末路 2040年世界時価総額トップ50に日本は入れるか) 日本の構造問題 一方で、「リベラルアーツ」は、そのディシプリンに対してリベラルであるということで、現代のように専門性が細分化・タコツボ化してきて、全体を捉えることが難しくなってきているという時代においては、リベラルアーツは領域を横断しながら全体をつかむための一つの知性でとても重要なものだ・・・ドイツ語ではビルドゥングスロマン(Bildungsroman)と言いますが、その言葉には人格を陶冶するというようなニュアンスが入ってきます。 『魔の山』は大学出の若い主人公がサナトリウムに入って、そこで過ごす7年間を描いた物語で、その主人公が人間として成熟していくということを「ビルドゥングする」と言っています。つまり、教養という言葉には、人間として深い洞察力や倫理感、また新しい物事を正しく判断するというための思考力など、そういうものをビルドゥング(構築)していくために必要な知識やたしなみ、作法というニュアンスが含まれるのです・・・ 戦前はドイツ的な教養主義の影響が大きくて、ドイツのカントやヘーゲルの哲学書を読んで人間として自己の内面を耕し内省することが「教養」と言われていました。 それが、戦後アメリカの占領下になって、アメリカの価値観が広がっていくのにあわせて、教養主義からリベラルアーツへと傾斜していった。しかしながら、日本では両方の流れがまだ生き残っていている、そういう感じではないかと思っています」、なるほど。 「社会のリーダーになる人は専門バカではいけない、社会のあらゆることにある程度は通じていることが社会の常識になっています。古代ギリシャの時代から「アルス・テクニケ」、つまり専門的な技や知識を磨くことは奴隷の仕事であって、リーダーがするべきことではないと考えられてきたのです。 リーダーは何をするかというと、ハンナ・アーレントの言葉を借りれば「活動」をする、つまり政治的な活動を行うのだと。それが社会のリーダーであり、自由市民が従事する仕事だと考える。 そして、そういう人たちは大きな判断、社会に影響のある判断をすることになるので、専門バカでは困る。今の言葉で言うと「システム思考」的な、それをつかさどる基礎的な能力を養うために教養が必要になってくるというわけです・・・ハーバード大学だけではなく、PPE(Philosophy、Politics and Economics)を重んじるオックスフォード大学なども同様の考え方だと思います。 やはり、社会のリーダーになる人というのは、白黒つかない、非常に多方面の利益というものを考えるものだと。ホッブズの言葉を借りるならば、「社会全体の幸福の最大化」ということを考える人でなければならない。そのような人になるには、多方面にわたる教養が必要だという考えですね・・・オックスフォード大学では、39のカレッジ(学寮)があって、カレッジは必ず寮と一体になっています。そもそも大学に入学するためには、まずこうしたカレッジに入ることが必要になります」、なるほど。 「高校は慶応の付属だったのですが、当時から作曲を勉強していましたので藝大に行こうか迷っていました。 実は慶応の付属から慶応大学を卒業し、その後、藝大に入り直した人――作曲家の千住明さんですが――が遠い知り合いだったこともあってアドバイスを求めたところ、「作曲の勉強は、大学ではそんなに学べるものではないよ」と言われたのです。それで、慶応文学部の美学専攻に進みました・・・ 電通の人が「人間が夢中になるものは4つあって、電通はそのすべてがある会社だ」という話をしてくれました。4つというのは、1つ目は研究で、特に広告の世界は人間の感情に関する心理学の研究との接点が多いのだと。2つ目はビジネス、3つ目はアートですね。広告は芸術や創作、表現に関わる仕事だと。そして、4つ目がスポーツで、電通は人が夢中になるものすべてに接点のある会社だという話をしてくれて、ここで働くのは面白いのではと感じたのです」、「電通はそのすべてがある会社だ」という話をしてくれました」、いくら学生を引き付けるため 「コンサルタントとして活躍している人には、実は哲学科の出身者が多いのです。コンサルの世界で化ける人には学部的な傾向があるという仮説があって、理学系では物理学で、人文科学系では哲学科だと。事実、世界的にBCGのオフィスを見てみると、ユニークな立ち位置をつくれている人はこのどちらかであることが多いのです・・・ 経営学的な知識が欠損していたわけですね。逆に使えるものは何かと言えば自分が学んできた哲学や美学の知識だったので、コンサルとしてアドバイスをする際には、ギリシャ哲学の知識やシェイクスピア劇の有名なせりふなどを使い倒していくしかなかったのです。しかし、これが他のコンサルタントとは、まったく視点や切り口が異なるということで有利に働きました」、何が幸いするかはわからないものだ。 「そうした自らの経験を踏まえて、歴史や哲学といったリベラルアーツの知識は、ビジネスの世界において強力な洞察を与えてくれるもので、同時に、正しい意思決定を行う際の助けになるものだと思っています。 現在、日本の企業の多くが「リーダーの育成」で試行錯誤している状況にあります。現場の仕事だけを一生懸命に務めた人が、リーダーや経営層になったときにその責を十分に果たせないという問題が頻発しているのです。 欧米の後追いをしている時代は明確なゴールが見えていましたので、本当の意味での意思決定は求められなかったと言えるのかもしれません。しかし、現代のように先の見えない時代には、大局的で正しい意思決定ができるリーダーの存在が不可欠です。企業の人事部がマネジメント研修などで教養やリベラルアーツを学ぶ機会を増やしているのですが、一朝一夕に解決できる問題ではありません」、その通りだ。 堀内 勉氏による「なぜ、日本では傑出したリーダーが出にくいのか 日本社会をダメにする「二重の選抜」の非効率」 「1970年代までは教養主義は大学キャンパスの規範的な文化であって、読書による教養主義というのは、人格の形成や社会の発展のために、学生の間で疑いようのない信念として共有されていたと。京都大学の学生が教養書を何冊読んでいるかという当時の調査では、10日に1冊読む学生が半分以上、ほとんど読まないと答えた学生は1%しかいなかったということです」、「10日に1冊読む学生が半分以上」とは驚かされた。 「日本には「二重の選抜」という非効率が存在しています。日本では、大学教育も含めて、まずは現場の担当者として優秀な人物を育て、その優秀な人の中からリーダーを選抜するシステムになっています」、なるほど。「大学がレジャーランド化」とは言い得て妙だ。 「ゴールドマンに入社するときの部長面接が後にパートナーになった小高功嗣さんで、彼は年齢でいうと私の2つ年上でした。最終面接ではパートナーに会っていただきますと言われてお会いしたのが、今はマネックス証券会長をされている松本大さんです。そのときに松本さんから、「堀内さんの経歴書を拝見しましたが、私、堀内さんの大学の後輩なんです」と言われてびっくりしました。 恥ずかしながら、そのときは30歳でゴールドマンのパートナーになっていた松本さんを知らなかったんですね。 ゴールドマンのパートナーと言えば、日本の銀行だったら常務クラスかそれ以上ですから。30歳なんて、当時の日本の銀行だったら完全な平社員で、ひたすら現場仕事の毎日ですよ。松本さんがゴールドマンでものすごい実績を上げたのは確かなのですが、ソロモンブラザーズから転職してわずか4年足らずでマネジメントに向いているということで、一気にパートナーにまで引き上げられるというスピード感にびっくりしました・・・ ゴールドマンのパートナーと言えば、日本の銀行だったら常務クラスかそれ以上ですから。30歳なんて、当時の日本の銀行だったら完全な平社員で、ひたすら現場仕事の毎日ですよ」、確かに。「ゴールドマン」や「ソロモンブラザーズ」の昇進の速さは日本の常識では信じ難い。 私も20年ほど前にあるエクゼクティブ向けのプログラムに参加した。 「即効性を期待しすぎる日本の人事部」、私も失望した。 「参加者のレベルやプログラムそのものよりも、それを差配している人事部門の思惑がすごく気になりますね」、その通りだ。