半導体産業(その14)(爆速成長NVIDIAに3つの死角 「AIスマホ」「中国市場」「ポストGPU」、「世界一から転落」日の丸半導体を殺したのは誰か 業界のキーマンが語る「日米半導体摩擦」の顛末) [イノベーション]
半導体産業については、本年6月3日に取上げた。今日は、(その14)(爆速成長NVIDIAに3つの死角 「AIスマホ」「中国市場」「ポストGPU」、「世界一から転落」日の丸半導体を殺したのは誰か 業界のキーマンが語る「日米半導体摩擦」の顛末)である。
先ずは、本年6月27日付け日経ビジネスオンライン「爆速成長NVIDIAに3つの死角 「AIスマホ」「中国市場」「ポストGPU」」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00511/062500034/
・『この記事の3つのポイント NVIDIAの死角1=スマホでAIが動けばGPUの強みが薄れる 死角2=中国製GPU台頭、重要市場の先行きに不透明感 死角3=「ポストGPU」の開発が進み、半導体は多様化の時代へ 時価総額が一時、世界首位となった米半導体大手のNVIDIA(エヌビディア)。生成AI(人工知能)向け計算資源の膨大な需要に支えられて快進撃が続く。その死角はどこにあるのか。長らくエヌビディアの専売特許だったGPU(画像処理半導体)の今後を占う』、興味深そうだ。
・『死角(1)AIの「動く場所」が変わる 死角の1つ目は、「AIが動く場所」にある。エヌビディアのGPUが圧倒的な強さを誇るのはデータセンター向けだ。米マイクロソフトや米アマゾン・ドット・コムなどのクラウド大手が展開する巨大なデータセンターなどのサーバーに搭載されている。英調査会社のオムディアによれば、エヌビディア製GPUのデータセンター向け世界シェアは約8割を占める。 Chat(チャット)GPTの登場以来、米グーグルや米オープンAIなどは最高性能のAIの開発競争を繰り広げてきた。これらのAIはデータセンターで動いている。PCのブラウザーでAIに指示をすると、データセンターでAIが動き、その結果をユーザーに返す。 ところが、この数カ月で新たなトレンドが生まれている。それが、スマートフォンやPCなどの端末上でAIが動く「オンデバイス生成AI」と呼ばれるものだ。比較的サイズの小さい生成AIを、スマホなどに搭載した半導体で稼働させる。 その筆頭が米アップルだ。6月10日に開いた開発者向けイベント「WWDC」で、オンデバイス生成AIを採用した「アップルインテリジェンス」を発表。音声アシスタントの「Siri」に生成AIを利用し、比較的簡易な指示であればオンデバイス処理だけでユーザーに回答する。複雑な場合はデータセンターに処理を引き渡す方法を採用した。 マイクロソフトもオンデバイス生成AIを重視しており、6月18日に端末で生成AIが動くWindowsノートパソコン「Copilot+PC」を発売。米グーグルも自社製スマホ「Pixel」でオンデバイス生成AIを採用済みだ。オンデバイス生成AIは処理の速さなどが特徴で、今後もこのトレンドが加速すると見られる。 これら3社の端末にエヌビディア製の半導体は採用されていない。アップルとグーグルは自社開発のチップを採用しており、マイクロソフトは米クアルコムのプロセッサーを利用している。オンデバイス生成AIの採用は、エヌビディア製GPUにとって逆風となりそうだ』、「これら3社の端末にエヌビディア製の半導体は採用されていない。アップルとグーグルは自社開発のチップを採用しており、マイクロソフトは米クアルコムのプロセッサーを利用している。オンデバイス生成AIの採用は、エヌビディア製GPUにとって逆風となりそうだ」、なるほど。
・『死角(2)現れた「中国版エヌビディア」の実力 2つ目の死角は中国市場の不透明さにある。米中対立を背景に、米国は2022年からエヌビディア製GPUの中国への輸出を制限。同社は性能を落とした中国向け専用品を開発したが、23年10月の規制強化で、そうした専用品の輸出も禁じられた。 米国政府が23年10月に追加の輸出規制に踏み切る以前、エヌビディアのデータセンター向け売上高の20〜25%が中国向けであり、その巨大なマーケットは同社の生命線でもあった。一方、追加規制後の23年11月〜24年1月期は5%程度に急落している。 代替品の輸出も禁止されたエヌビディアは、中国向け新製品の開発を急いでいると見られる。24年3月の自社イベントで記者会見を開いた同社のジェンスン・ファン最高経営責任者(CEO)は「中国に最適化するためにベストを尽くしている」と話したものの、具体的なスペックへの言及を避けた。 一方で中国では、AI半導体を自前で開発する動きが相次いでいる。 15年に発表した「中国製造2025」で、半導体の自国生産率を35年に75%とする目標を打ち出した中国。国家予算を投入して自国産業を育成するほか、台湾積体電路製造(TSMC)などの外資企業を誘致しているが、米調査会社ICインサイツによれば21年の自給率は16.7%にとどまる。しかも、その内訳は外資企業が10.1%で、中国企業はわずか6.6%に過ぎない。 中国企業のテクノロジー情勢に詳しい野村総合研究所の李智慧氏は、今後の中国企業の先端半導体戦略を次のように見通す。「計算リソースは半導体の『質×量』で決まる。選択肢は2つで、1つは質では劣る半導体を量でカバーすること。最先端でなくても資本を投下すれば量は集められる。もう1つは質を高めるための代替品の開発だ。華為技術(ファーウェイ)などのプレーヤーが中心になるだろう」。 代替品の開発については、「中国版GPU」が注目を集める。GPUスタートアップの筆頭が摩爾線程智能科技(ムーア・スレッズ)だ。エヌビディアでグローバル担当副社長などを務めた張建中氏が20年10月に創業したGPUメーカーで、23年12月にはAI向けGPU「MTT S4000」やAIの学習などを担うプラットフォームなどを発表した。 ムーア・スレッズのプラットフォームはエヌビディアの開発環境と互換性があるため、これまでエヌビディア製GPUでAI学習のために書いたプログラムコードを、ほぼそのまま同社製GPU用のコードとして容易に移行できるという。米国の半導体専門メディアはムーア・スレッズの技術力を「2020年当時のエヌビディアのアーキテクチャーには及ばないが、ある程度の大規模言語モデル(LLM)のトレーニングでは利用できる」と評価している。 「中国版エヌビディア」との異名を持つ中科寒武紀科技(カンブリコン)もAI半導体を開発する。21年に発表した「思元370」は7ナノメートルプロセスを採用し、同社によれば最大演算能力は256TOPS(毎秒256兆回)でエヌビディアのA800を上回ったという。壁仞智能科技(バイレン)もAIチップメーカーとして注目を集め、既に1000億円以上を調達している』、「「中国版エヌビディア」との異名を持つ中科寒武紀科技(カンブリコン)もAI半導体を開発する。21年に発表した「思元370」は7ナノメートルプロセスを採用し、同社によれば最大演算能力は256TOPS(毎秒256兆回)でエヌビディアのA800を上回ったという。壁仞智能科技(バイレン)もAIチップメーカーとして注目を集め、既に1000億円以上を調達」、なるほど。
・『死角(3)「ポストGPU」の台頭でAI半導体は乱世へ 最後の死角は、GPUの後継を狙う「ポストGPU」の台頭だ。この領域はスタートアップを中心に様々な技術が登場している。 特徴は、今後のニーズを見据えてAIの学習ではなく推論向けのチップを開発するスタートアップが多いことが挙げられる。推論とは、人間の指示などに基づいて学習済みのAIが回答するプロセスを指す。生成AIの実用化が進むに従って学習から推論への移行は進むと見られる。 例えば米dマトリックスは異なるチップを組み合わせる「チップレット」技術を採用し、最先端GPUの40倍のメモリー帯域幅を実現した。 米ハーバード大学を中退した21歳のコンビが起業した米エッチドAIや、グーグルで機械学習向けチップ「TPU」を担当していたエンジニアが創業した米グロック、人間の脳の特徴を再現するチップ開発を目指し、サム・アルトマン氏が投資したことでも知られる米レインAI、ドローンやロボット、自動運転向けのチップを開発する米シマAIなどが注目と投資を集めている。 「推論の時代にAI半導体は多様化する」。27年に先端半導体の量産を目指す半導体メーカー、ラピダスの小池淳義社長はこう読む。1つめの死角で挙げたように、AIが動く場所はデータセンターのサーバーだけでなく、スマホやPCなどに広がっている。 今後、自動運転用のAIやロボット用のAIなど、その用途が広がれば広がるほど、AIを動かす半導体も種類が増えて多様化するという見立てだ。GPUが全てを担う時代から、多種多様な専用半導体がAIを動かす時代に変わる可能性がある。 AI需要に支えられて急成長を続けるエヌビディア。今後を占うためには、生成AIのトレンドの変化に目を凝らす必要がありそうだ』、「AIが動く場所はデータセンターのサーバーだけでなく、スマホやPCなどに広がっている。 今後、自動運転用のAIやロボット用のAIなど、その用途が広がれば広がるほど、AIを動かす半導体も種類が増えて多様化するという見立てだ。GPUが全てを担う時代から、多種多様な専用半導体がAIを動かす時代に変わる可能性がある。AI需要に支えられて急成長を続けるエヌビディア。今後を占うためには、生成AIのトレンドの変化に目を凝らす必要がありそうだ」、その通りだ。
次に、7月14日付け東洋経済オンラインが掲載したJSR前会長・経済同友会経済安全保障委員会委員長の小柴 満信氏による「「世界一から転落」日の丸半導体を殺したのは誰か 業界のキーマンが語る「日米半導体摩擦」の顛末」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/775898?display=b
・『世界ではいま、半導体が「熱い」。台湾積体電路製造(TSMC)の時価総額は一時1兆ドルに達し、イーロン・マスク氏はAI開発のためエヌビディア製半導体を大量購入。トランジスタの誕生から70年あまりの半導体の歴史の中で、かつてないほどの注目を浴びている。 「半導体の復活なくして、日本の未来はない」と語るのは、2023年まで経済同友会の副代表幹事をつとめ「業界のキーマン」として知られる小柴満信氏だ。 かつては世界シェア50%だった日本の半導体産業は、日米半導体摩擦によって力を削がれ現在は10%を割り込む。日本の躍進はどのようにして阻まれたのか。 小柴氏の著書『2040年 半導体の未来』より抜粋・編集してお届けする』、興味深そうだ。
・『半導体の誕生 半導体が発明される前――レーダーや初期のコンピュータには、電流を制御する部品として、ガラス製の「真空管」が使われていた。ただ、部品としてはかさばりすぎるうえ、信頼性がない、消費電力が大きいといった問題があった。そんな中、1948年、アメリカのベル研究所が接触型トランジスタを発明する。 トランジスタは、電気を通す導体と通さない絶縁体の中間の物質である「半導体」でつくられており、その性質から電流をスイッチング(オン/オフ)したり増幅したりできる。消費電力は真空管の50分の1と小さく、あっという間に真空管を駆逐した。 それでもコンピュータに必要な数千個のトランジスタをプリント基板に並べ、1つひとつはんだで配線するのは複雑すぎたし、電子機器を小型化するうえでも支障がある。 そこで、配線を簡略化しようと開発されたのが、1つの基板の上に複数のトランジスタや配線をまとめてしまう方法だった。1958年に集積回路(IC)の概念が発表され、これ以降、集積回路のことを半導体あるいはチップと呼ぶようになった。 当時の技術者の1人が、フェアチャイルドセミコンダクター社のゴードン・ムーアだ。) ムーアは1965年、集積回路の未来について『エレクトロニクス』誌から論文を依頼され、そこに次のような予測をしたためた。 「少なくとも今後10年間、ICの集積度は、1.5年で2倍、3年で4倍になっていくだろう」 集積度とは、1枚のシリコンチップ上に搭載できる部品の数を表す。つまり集積度が高くなるほど性能は上がる。1975年には「2年に2倍ずつ性能が上がる」と修正され、これらの言葉は、のちに「ムーアの法則」として知られていく。 1968年、ムーアらはフェアチャイルドセミコンダクターを離れ、インテルを創業する。 2年後に最初の製品として発売したのが、世界初の「ダイナミック・ランダム・アクセス・メモリ(DRAM)」だ。 それまでコンピュータは「磁気コア」と呼ばれる、金属のリングをワイヤーでつないだものでデータを記憶していた。ただ、磁気コアの容量アップには限界があった。 そこで、例の集積回路を使って開発された記憶装置がDRAMだ。電荷をためる機能を持つコンデンサという部品とトランジスタをつないで記憶素子(メモリセル)を構成している。記憶素子に電荷が蓄えられた状態を「1」、蓄えられていない状態を「0」としてデータを記憶する。DRAMは、現在でもコンピュータのデータ保存を担う重要な半導体(メモリ)である』、「数千個のトランジスタをプリント基板に並べ、1つひとつはんだで配線するのは複雑すぎたし、電子機器を小型化するうえでも支障がある。 そこで、配線を簡略化しようと開発されたのが、1つの基板の上に複数のトランジスタや配線をまとめてしまう方法だった。1958年に集積回路(IC)の概念が発表され、これ以降、集積回路のことを半導体あるいはチップと呼ぶようになった。 当時の技術者の1人が、フェアチャイルドセミコンダクター社のゴードン・ムーアだ・・・集積回路を使って開発された記憶装置がDRAMだ。電荷をためる機能を持つコンデンサという部品とトランジスタをつないで記憶素子(メモリセル)を構成している。記憶素子に電荷が蓄えられた状態を「1」、蓄えられていない状態を「0」としてデータを記憶する。DRAMは、現在でもコンピュータのデータ保存を担う重要な半導体(メモリ)である」、なるほど。
・『DRAMで躍進した日本 トランジスタが発明された1948年といえば、日本はまだ、敗戦からの復興にもがいていたころだ。そんな中、アメリカ政府は、日本にトランジスタを使った製品を開発させようと支援した。 その一例がソニー(当時は東京通信工業)である。WE(Western Electric)社からトランジスタの製造特許を取得して製造した「ソニーラジオ」は、安さと性能からまたたく間に世界を席巻した。自社でトランジスタを製造し、ラジオをつくったのはソニーが世界最初だった。シャープ(当時は早川電機)が1964年にいち早く電卓に搭載したトランジスタもアメリカ製だ。 アメリカは、自国の半導体を利用させることで日本企業を早期に復活させ、それによって、ソ連や中国など共産主義勢力との結びつきを持たせないようにしたのだ。 しかし、日本はアメリカの思惑をはるかに超えるスピードで成長した。そのことが、両国に摩擦を引き起こす。 1970年代から1980年代初頭にかけて、日立製作所、東芝、富士通、NECなどは、DRAMの製造で世界を席巻し始めていた。煮え湯を飲まされていたアメリカの半導体企業は、「日本企業は日本だけでなくアメリカでも保護されており、不当な恩恵を受けている」と不平を隠さなかった。 テキサス・インスツルメンツ(TI)やナショナルセミコンダクターも、DRAM部門のレイオフに追い込まれた。危機感を覚えたアメリカ企業は政府に猛烈なロビー活動を行い、1984年に「半導体チップ保護法」が成立する。半導体関連の知的財産の保護を強化する法律だ。 その陰で、インテルは1985年にDRAM事業からひっそりと撤退する』、「アメリカ政府は、日本にトランジスタを使った製品を開発させようと支援した。 その一例がソニー(当時は東京通信工業)である。WE(Western Electric)社からトランジスタの製造特許を取得して製造した「ソニーラジオ」は、安さと性能からまたたく間に世界を席巻した。自社でトランジスタを製造し、ラジオをつくったのはソニーが世界最初だった。シャープ(当時は早川電機)が1964年にいち早く電卓に搭載したトランジスタもアメリカ製だ。 アメリカは、自国の半導体を利用させることで日本企業を早期に復活させ、それによって、ソ連や中国など共産主義勢力との結びつきを持たせないようにしたのだ・・・日本はアメリカの思惑をはるかに超えるスピードで成長した。そのことが、両国に摩擦を引き起こす。 1970年代から1980年代初頭にかけて、日立製作所、東芝、富士通、NECなどは、DRAMの製造で世界を席巻し始めていた。煮え湯を飲まされていたアメリカの半導体企業は、「日本企業は日本だけでなくアメリカでも保護されており、不当な恩恵を受けている」と不平を隠さなかった。 テキサス・インスツルメンツ(TI)やナショナルセミコンダクターも、DRAM部門のレイオフに追い込まれた。危機感を覚えたアメリカ企業は政府に猛烈なロビー活動を行い、1984年に「半導体チップ保護法」が成立する。半導体関連の知的財産の保護を強化する法律だ。 その陰で、インテルは1985年にDRAM事業からひっそりと撤退」、当初は「アメリカは、自国の半導体を利用させることで日本企業を早期に復活させ」ようとしたとは、初めて知った。
・『「日米半導体協定」が締結 1986年に日本が半導体生産量でアメリカを抜き、DRAMで8割の世界シェアを獲得する。ことここに至り、アメリカはついに最後の一手を打った。1987年に「日米半導体協定」の締結を日本に迫ったのだ。 この協定は、日本製DRAMの対米輸出量を制限するものだった。だが、これによって半導体の数量は減ったものの価格はむしろ高騰したため、日本企業は経営的にほとんどダメージを受けなかった。 1988年には、日本が世界の半導体生産額の50%を超えるまでに成長する。そのため、1991年の新協定で、「日本国内の外国製半導体のシェアを従来の10%から20%まで引き上げる」という厳しい条項が盛り込まれた。 半導体を制した日本の原動力になったのは、民生用電気機器、いわゆる家電製品だ。ソニーラジオから始まり、電卓、テレビ、ビデオデッキ、ポータブルオーディオプレーヤーなど、高品質・低価格の「メイド・イン・ジャパン」は世界中に輸出され、それに搭載される半導体もがんがん増産された。アメリカの家電は世界から駆逐され、それにともなってアメリカ製の半導体も日本企業にその地位を奪われる、という構図だったのである。) 途中からは、メインフレームと呼ばれる大型汎用コンピュータに、品質が高くこわれにくい日本製DRAMがつぎつぎと搭載され、日本の半導体シェア拡大を後押しした。 その一方で、1981年にはIBMのパソコンが世界的にヒットし、コンピュータに革命が起こり始めていた。アップルは1984年に初代マッキントッシュを発売。翌1985年にはマイクロソフトがパソコン用のオペレーティングシステム(OS)を開発する。 そこで息を吹き返したのがインテルだ。DRAMから撤退して以降、パソコン向けのマイクロプロセッサーに専念していたことが功を奏した。それまでの円安ドル高が一転、円高ドル安となり、輸出価格が相対的に安くなったことも追い風になった。 1992年には米コンパック・コンピュータが、インテル製チップとマイクロソフトOSを乗せたパソコンを、IBMのパソコンよりはるかに安価で売り出す。これをきっかけに世界のパソコン出荷台数は激増し、インテルもさらに勢いづく。 1995年にはマイクロソフトがOS「ウィンドウズ95」を発売し、パソコンが一般家庭にも浸透し始め、インテルは、半導体メーカーとしての地位を完全に取り戻した』、「1987年に「日米半導体協定」の締結を日本に迫ったのだ。 この協定は、日本製DRAMの対米輸出量を制限するものだった。だが、これによって半導体の数量は減ったものの価格はむしろ高騰したため、日本企業は経営的にほとんどダメージを受けなかった。 1988年には、日本が世界の半導体生産額の50%を超えるまでに成長する。そのため、1991年の新協定で、「日本国内の外国製半導体のシェアを従来の10%から20%まで引き上げる」という厳しい条項が盛り込まれた・・・アメリカの家電は世界から駆逐され、それにともなってアメリカ製の半導体も日本企業にその地位を奪われる、という構図だったのである・・・米コンパック・コンピュータが、インテル製チップとマイクロソフトOSを乗せたパソコンを、IBMのパソコンよりはるかに安価で売り出す。これをきっかけに世界のパソコン出荷台数は激増し、インテルもさらに勢いづく。 1995年にはマイクロソフトがOS「ウィンドウズ95」を発売し、パソコンが一般家庭にも浸透し始め、インテルは、半導体メーカーとしての地位を完全に取り戻した」、なるほど。
・『インテル、サムスンによる“日本潰し” このころから、韓国のサムスン電子が台頭していく。1980年代に半導体製造に乗り出したサムスンに、インテルは技術やライセンスを惜しげもなく供与した。当時、韓国のコストや賃金は日本より大幅に低かったため、韓国製DRAMが日本製DRAMを駆逐できるのではないかと考えたのだ。 この“日本潰し”は見事に当たった。 DRAMの大口顧客であったメインフレームは1990年代になるとすっかり影を潜め、主役はパソコンに完全に替わっていた。その心臓部に、インテル・ブランドを冠したサムスン製DRAMがつぎつぎと採用され、日本の半導体各社を直撃したのである。 日本の世界シェアはずるずると後退し、逆に、日本国内での外国製半導体のシェアは1996年になって20%――つまり例の新協定で設定された水準に達した。これによって日米半導体協定は失効した』、「サムスンに、インテルは技術やライセンスを惜しげもなく供与した。当時、韓国のコストや賃金は日本より大幅に低かったため、韓国製DRAMが日本製DRAMを駆逐できるのではないかと考えたのだ。 この“日本潰し”は見事に当たった。 DRAMの大口顧客であったメインフレームは1990年代になるとすっかり影を潜め、主役はパソコンに完全に替わっていた。その心臓部に、インテル・ブランドを冠したサムスン製DRAMがつぎつぎと採用され、日本の半導体各社を直撃したのである。 日本の世界シェアはずるずると後退し、逆に、日本国内での外国製半導体のシェアは1996年になって20%――つまり例の新協定で設定された水準に達した。これによって日米半導体協定は失効した」、「サムスンに、インテルは技術やライセンスを惜しげもなく供与」、「サムスン」躍進の背景には「インテル」の後押しがあったことを思い出した。
先ずは、本年6月27日付け日経ビジネスオンライン「爆速成長NVIDIAに3つの死角 「AIスマホ」「中国市場」「ポストGPU」」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00511/062500034/
・『この記事の3つのポイント NVIDIAの死角1=スマホでAIが動けばGPUの強みが薄れる 死角2=中国製GPU台頭、重要市場の先行きに不透明感 死角3=「ポストGPU」の開発が進み、半導体は多様化の時代へ 時価総額が一時、世界首位となった米半導体大手のNVIDIA(エヌビディア)。生成AI(人工知能)向け計算資源の膨大な需要に支えられて快進撃が続く。その死角はどこにあるのか。長らくエヌビディアの専売特許だったGPU(画像処理半導体)の今後を占う』、興味深そうだ。
・『死角(1)AIの「動く場所」が変わる 死角の1つ目は、「AIが動く場所」にある。エヌビディアのGPUが圧倒的な強さを誇るのはデータセンター向けだ。米マイクロソフトや米アマゾン・ドット・コムなどのクラウド大手が展開する巨大なデータセンターなどのサーバーに搭載されている。英調査会社のオムディアによれば、エヌビディア製GPUのデータセンター向け世界シェアは約8割を占める。 Chat(チャット)GPTの登場以来、米グーグルや米オープンAIなどは最高性能のAIの開発競争を繰り広げてきた。これらのAIはデータセンターで動いている。PCのブラウザーでAIに指示をすると、データセンターでAIが動き、その結果をユーザーに返す。 ところが、この数カ月で新たなトレンドが生まれている。それが、スマートフォンやPCなどの端末上でAIが動く「オンデバイス生成AI」と呼ばれるものだ。比較的サイズの小さい生成AIを、スマホなどに搭載した半導体で稼働させる。 その筆頭が米アップルだ。6月10日に開いた開発者向けイベント「WWDC」で、オンデバイス生成AIを採用した「アップルインテリジェンス」を発表。音声アシスタントの「Siri」に生成AIを利用し、比較的簡易な指示であればオンデバイス処理だけでユーザーに回答する。複雑な場合はデータセンターに処理を引き渡す方法を採用した。 マイクロソフトもオンデバイス生成AIを重視しており、6月18日に端末で生成AIが動くWindowsノートパソコン「Copilot+PC」を発売。米グーグルも自社製スマホ「Pixel」でオンデバイス生成AIを採用済みだ。オンデバイス生成AIは処理の速さなどが特徴で、今後もこのトレンドが加速すると見られる。 これら3社の端末にエヌビディア製の半導体は採用されていない。アップルとグーグルは自社開発のチップを採用しており、マイクロソフトは米クアルコムのプロセッサーを利用している。オンデバイス生成AIの採用は、エヌビディア製GPUにとって逆風となりそうだ』、「これら3社の端末にエヌビディア製の半導体は採用されていない。アップルとグーグルは自社開発のチップを採用しており、マイクロソフトは米クアルコムのプロセッサーを利用している。オンデバイス生成AIの採用は、エヌビディア製GPUにとって逆風となりそうだ」、なるほど。
・『死角(2)現れた「中国版エヌビディア」の実力 2つ目の死角は中国市場の不透明さにある。米中対立を背景に、米国は2022年からエヌビディア製GPUの中国への輸出を制限。同社は性能を落とした中国向け専用品を開発したが、23年10月の規制強化で、そうした専用品の輸出も禁じられた。 米国政府が23年10月に追加の輸出規制に踏み切る以前、エヌビディアのデータセンター向け売上高の20〜25%が中国向けであり、その巨大なマーケットは同社の生命線でもあった。一方、追加規制後の23年11月〜24年1月期は5%程度に急落している。 代替品の輸出も禁止されたエヌビディアは、中国向け新製品の開発を急いでいると見られる。24年3月の自社イベントで記者会見を開いた同社のジェンスン・ファン最高経営責任者(CEO)は「中国に最適化するためにベストを尽くしている」と話したものの、具体的なスペックへの言及を避けた。 一方で中国では、AI半導体を自前で開発する動きが相次いでいる。 15年に発表した「中国製造2025」で、半導体の自国生産率を35年に75%とする目標を打ち出した中国。国家予算を投入して自国産業を育成するほか、台湾積体電路製造(TSMC)などの外資企業を誘致しているが、米調査会社ICインサイツによれば21年の自給率は16.7%にとどまる。しかも、その内訳は外資企業が10.1%で、中国企業はわずか6.6%に過ぎない。 中国企業のテクノロジー情勢に詳しい野村総合研究所の李智慧氏は、今後の中国企業の先端半導体戦略を次のように見通す。「計算リソースは半導体の『質×量』で決まる。選択肢は2つで、1つは質では劣る半導体を量でカバーすること。最先端でなくても資本を投下すれば量は集められる。もう1つは質を高めるための代替品の開発だ。華為技術(ファーウェイ)などのプレーヤーが中心になるだろう」。 代替品の開発については、「中国版GPU」が注目を集める。GPUスタートアップの筆頭が摩爾線程智能科技(ムーア・スレッズ)だ。エヌビディアでグローバル担当副社長などを務めた張建中氏が20年10月に創業したGPUメーカーで、23年12月にはAI向けGPU「MTT S4000」やAIの学習などを担うプラットフォームなどを発表した。 ムーア・スレッズのプラットフォームはエヌビディアの開発環境と互換性があるため、これまでエヌビディア製GPUでAI学習のために書いたプログラムコードを、ほぼそのまま同社製GPU用のコードとして容易に移行できるという。米国の半導体専門メディアはムーア・スレッズの技術力を「2020年当時のエヌビディアのアーキテクチャーには及ばないが、ある程度の大規模言語モデル(LLM)のトレーニングでは利用できる」と評価している。 「中国版エヌビディア」との異名を持つ中科寒武紀科技(カンブリコン)もAI半導体を開発する。21年に発表した「思元370」は7ナノメートルプロセスを採用し、同社によれば最大演算能力は256TOPS(毎秒256兆回)でエヌビディアのA800を上回ったという。壁仞智能科技(バイレン)もAIチップメーカーとして注目を集め、既に1000億円以上を調達している』、「「中国版エヌビディア」との異名を持つ中科寒武紀科技(カンブリコン)もAI半導体を開発する。21年に発表した「思元370」は7ナノメートルプロセスを採用し、同社によれば最大演算能力は256TOPS(毎秒256兆回)でエヌビディアのA800を上回ったという。壁仞智能科技(バイレン)もAIチップメーカーとして注目を集め、既に1000億円以上を調達」、なるほど。
・『死角(3)「ポストGPU」の台頭でAI半導体は乱世へ 最後の死角は、GPUの後継を狙う「ポストGPU」の台頭だ。この領域はスタートアップを中心に様々な技術が登場している。 特徴は、今後のニーズを見据えてAIの学習ではなく推論向けのチップを開発するスタートアップが多いことが挙げられる。推論とは、人間の指示などに基づいて学習済みのAIが回答するプロセスを指す。生成AIの実用化が進むに従って学習から推論への移行は進むと見られる。 例えば米dマトリックスは異なるチップを組み合わせる「チップレット」技術を採用し、最先端GPUの40倍のメモリー帯域幅を実現した。 米ハーバード大学を中退した21歳のコンビが起業した米エッチドAIや、グーグルで機械学習向けチップ「TPU」を担当していたエンジニアが創業した米グロック、人間の脳の特徴を再現するチップ開発を目指し、サム・アルトマン氏が投資したことでも知られる米レインAI、ドローンやロボット、自動運転向けのチップを開発する米シマAIなどが注目と投資を集めている。 「推論の時代にAI半導体は多様化する」。27年に先端半導体の量産を目指す半導体メーカー、ラピダスの小池淳義社長はこう読む。1つめの死角で挙げたように、AIが動く場所はデータセンターのサーバーだけでなく、スマホやPCなどに広がっている。 今後、自動運転用のAIやロボット用のAIなど、その用途が広がれば広がるほど、AIを動かす半導体も種類が増えて多様化するという見立てだ。GPUが全てを担う時代から、多種多様な専用半導体がAIを動かす時代に変わる可能性がある。 AI需要に支えられて急成長を続けるエヌビディア。今後を占うためには、生成AIのトレンドの変化に目を凝らす必要がありそうだ』、「AIが動く場所はデータセンターのサーバーだけでなく、スマホやPCなどに広がっている。 今後、自動運転用のAIやロボット用のAIなど、その用途が広がれば広がるほど、AIを動かす半導体も種類が増えて多様化するという見立てだ。GPUが全てを担う時代から、多種多様な専用半導体がAIを動かす時代に変わる可能性がある。AI需要に支えられて急成長を続けるエヌビディア。今後を占うためには、生成AIのトレンドの変化に目を凝らす必要がありそうだ」、その通りだ。
次に、7月14日付け東洋経済オンラインが掲載したJSR前会長・経済同友会経済安全保障委員会委員長の小柴 満信氏による「「世界一から転落」日の丸半導体を殺したのは誰か 業界のキーマンが語る「日米半導体摩擦」の顛末」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/775898?display=b
・『世界ではいま、半導体が「熱い」。台湾積体電路製造(TSMC)の時価総額は一時1兆ドルに達し、イーロン・マスク氏はAI開発のためエヌビディア製半導体を大量購入。トランジスタの誕生から70年あまりの半導体の歴史の中で、かつてないほどの注目を浴びている。 「半導体の復活なくして、日本の未来はない」と語るのは、2023年まで経済同友会の副代表幹事をつとめ「業界のキーマン」として知られる小柴満信氏だ。 かつては世界シェア50%だった日本の半導体産業は、日米半導体摩擦によって力を削がれ現在は10%を割り込む。日本の躍進はどのようにして阻まれたのか。 小柴氏の著書『2040年 半導体の未来』より抜粋・編集してお届けする』、興味深そうだ。
・『半導体の誕生 半導体が発明される前――レーダーや初期のコンピュータには、電流を制御する部品として、ガラス製の「真空管」が使われていた。ただ、部品としてはかさばりすぎるうえ、信頼性がない、消費電力が大きいといった問題があった。そんな中、1948年、アメリカのベル研究所が接触型トランジスタを発明する。 トランジスタは、電気を通す導体と通さない絶縁体の中間の物質である「半導体」でつくられており、その性質から電流をスイッチング(オン/オフ)したり増幅したりできる。消費電力は真空管の50分の1と小さく、あっという間に真空管を駆逐した。 それでもコンピュータに必要な数千個のトランジスタをプリント基板に並べ、1つひとつはんだで配線するのは複雑すぎたし、電子機器を小型化するうえでも支障がある。 そこで、配線を簡略化しようと開発されたのが、1つの基板の上に複数のトランジスタや配線をまとめてしまう方法だった。1958年に集積回路(IC)の概念が発表され、これ以降、集積回路のことを半導体あるいはチップと呼ぶようになった。 当時の技術者の1人が、フェアチャイルドセミコンダクター社のゴードン・ムーアだ。) ムーアは1965年、集積回路の未来について『エレクトロニクス』誌から論文を依頼され、そこに次のような予測をしたためた。 「少なくとも今後10年間、ICの集積度は、1.5年で2倍、3年で4倍になっていくだろう」 集積度とは、1枚のシリコンチップ上に搭載できる部品の数を表す。つまり集積度が高くなるほど性能は上がる。1975年には「2年に2倍ずつ性能が上がる」と修正され、これらの言葉は、のちに「ムーアの法則」として知られていく。 1968年、ムーアらはフェアチャイルドセミコンダクターを離れ、インテルを創業する。 2年後に最初の製品として発売したのが、世界初の「ダイナミック・ランダム・アクセス・メモリ(DRAM)」だ。 それまでコンピュータは「磁気コア」と呼ばれる、金属のリングをワイヤーでつないだものでデータを記憶していた。ただ、磁気コアの容量アップには限界があった。 そこで、例の集積回路を使って開発された記憶装置がDRAMだ。電荷をためる機能を持つコンデンサという部品とトランジスタをつないで記憶素子(メモリセル)を構成している。記憶素子に電荷が蓄えられた状態を「1」、蓄えられていない状態を「0」としてデータを記憶する。DRAMは、現在でもコンピュータのデータ保存を担う重要な半導体(メモリ)である』、「数千個のトランジスタをプリント基板に並べ、1つひとつはんだで配線するのは複雑すぎたし、電子機器を小型化するうえでも支障がある。 そこで、配線を簡略化しようと開発されたのが、1つの基板の上に複数のトランジスタや配線をまとめてしまう方法だった。1958年に集積回路(IC)の概念が発表され、これ以降、集積回路のことを半導体あるいはチップと呼ぶようになった。 当時の技術者の1人が、フェアチャイルドセミコンダクター社のゴードン・ムーアだ・・・集積回路を使って開発された記憶装置がDRAMだ。電荷をためる機能を持つコンデンサという部品とトランジスタをつないで記憶素子(メモリセル)を構成している。記憶素子に電荷が蓄えられた状態を「1」、蓄えられていない状態を「0」としてデータを記憶する。DRAMは、現在でもコンピュータのデータ保存を担う重要な半導体(メモリ)である」、なるほど。
・『DRAMで躍進した日本 トランジスタが発明された1948年といえば、日本はまだ、敗戦からの復興にもがいていたころだ。そんな中、アメリカ政府は、日本にトランジスタを使った製品を開発させようと支援した。 その一例がソニー(当時は東京通信工業)である。WE(Western Electric)社からトランジスタの製造特許を取得して製造した「ソニーラジオ」は、安さと性能からまたたく間に世界を席巻した。自社でトランジスタを製造し、ラジオをつくったのはソニーが世界最初だった。シャープ(当時は早川電機)が1964年にいち早く電卓に搭載したトランジスタもアメリカ製だ。 アメリカは、自国の半導体を利用させることで日本企業を早期に復活させ、それによって、ソ連や中国など共産主義勢力との結びつきを持たせないようにしたのだ。 しかし、日本はアメリカの思惑をはるかに超えるスピードで成長した。そのことが、両国に摩擦を引き起こす。 1970年代から1980年代初頭にかけて、日立製作所、東芝、富士通、NECなどは、DRAMの製造で世界を席巻し始めていた。煮え湯を飲まされていたアメリカの半導体企業は、「日本企業は日本だけでなくアメリカでも保護されており、不当な恩恵を受けている」と不平を隠さなかった。 テキサス・インスツルメンツ(TI)やナショナルセミコンダクターも、DRAM部門のレイオフに追い込まれた。危機感を覚えたアメリカ企業は政府に猛烈なロビー活動を行い、1984年に「半導体チップ保護法」が成立する。半導体関連の知的財産の保護を強化する法律だ。 その陰で、インテルは1985年にDRAM事業からひっそりと撤退する』、「アメリカ政府は、日本にトランジスタを使った製品を開発させようと支援した。 その一例がソニー(当時は東京通信工業)である。WE(Western Electric)社からトランジスタの製造特許を取得して製造した「ソニーラジオ」は、安さと性能からまたたく間に世界を席巻した。自社でトランジスタを製造し、ラジオをつくったのはソニーが世界最初だった。シャープ(当時は早川電機)が1964年にいち早く電卓に搭載したトランジスタもアメリカ製だ。 アメリカは、自国の半導体を利用させることで日本企業を早期に復活させ、それによって、ソ連や中国など共産主義勢力との結びつきを持たせないようにしたのだ・・・日本はアメリカの思惑をはるかに超えるスピードで成長した。そのことが、両国に摩擦を引き起こす。 1970年代から1980年代初頭にかけて、日立製作所、東芝、富士通、NECなどは、DRAMの製造で世界を席巻し始めていた。煮え湯を飲まされていたアメリカの半導体企業は、「日本企業は日本だけでなくアメリカでも保護されており、不当な恩恵を受けている」と不平を隠さなかった。 テキサス・インスツルメンツ(TI)やナショナルセミコンダクターも、DRAM部門のレイオフに追い込まれた。危機感を覚えたアメリカ企業は政府に猛烈なロビー活動を行い、1984年に「半導体チップ保護法」が成立する。半導体関連の知的財産の保護を強化する法律だ。 その陰で、インテルは1985年にDRAM事業からひっそりと撤退」、当初は「アメリカは、自国の半導体を利用させることで日本企業を早期に復活させ」ようとしたとは、初めて知った。
・『「日米半導体協定」が締結 1986年に日本が半導体生産量でアメリカを抜き、DRAMで8割の世界シェアを獲得する。ことここに至り、アメリカはついに最後の一手を打った。1987年に「日米半導体協定」の締結を日本に迫ったのだ。 この協定は、日本製DRAMの対米輸出量を制限するものだった。だが、これによって半導体の数量は減ったものの価格はむしろ高騰したため、日本企業は経営的にほとんどダメージを受けなかった。 1988年には、日本が世界の半導体生産額の50%を超えるまでに成長する。そのため、1991年の新協定で、「日本国内の外国製半導体のシェアを従来の10%から20%まで引き上げる」という厳しい条項が盛り込まれた。 半導体を制した日本の原動力になったのは、民生用電気機器、いわゆる家電製品だ。ソニーラジオから始まり、電卓、テレビ、ビデオデッキ、ポータブルオーディオプレーヤーなど、高品質・低価格の「メイド・イン・ジャパン」は世界中に輸出され、それに搭載される半導体もがんがん増産された。アメリカの家電は世界から駆逐され、それにともなってアメリカ製の半導体も日本企業にその地位を奪われる、という構図だったのである。) 途中からは、メインフレームと呼ばれる大型汎用コンピュータに、品質が高くこわれにくい日本製DRAMがつぎつぎと搭載され、日本の半導体シェア拡大を後押しした。 その一方で、1981年にはIBMのパソコンが世界的にヒットし、コンピュータに革命が起こり始めていた。アップルは1984年に初代マッキントッシュを発売。翌1985年にはマイクロソフトがパソコン用のオペレーティングシステム(OS)を開発する。 そこで息を吹き返したのがインテルだ。DRAMから撤退して以降、パソコン向けのマイクロプロセッサーに専念していたことが功を奏した。それまでの円安ドル高が一転、円高ドル安となり、輸出価格が相対的に安くなったことも追い風になった。 1992年には米コンパック・コンピュータが、インテル製チップとマイクロソフトOSを乗せたパソコンを、IBMのパソコンよりはるかに安価で売り出す。これをきっかけに世界のパソコン出荷台数は激増し、インテルもさらに勢いづく。 1995年にはマイクロソフトがOS「ウィンドウズ95」を発売し、パソコンが一般家庭にも浸透し始め、インテルは、半導体メーカーとしての地位を完全に取り戻した』、「1987年に「日米半導体協定」の締結を日本に迫ったのだ。 この協定は、日本製DRAMの対米輸出量を制限するものだった。だが、これによって半導体の数量は減ったものの価格はむしろ高騰したため、日本企業は経営的にほとんどダメージを受けなかった。 1988年には、日本が世界の半導体生産額の50%を超えるまでに成長する。そのため、1991年の新協定で、「日本国内の外国製半導体のシェアを従来の10%から20%まで引き上げる」という厳しい条項が盛り込まれた・・・アメリカの家電は世界から駆逐され、それにともなってアメリカ製の半導体も日本企業にその地位を奪われる、という構図だったのである・・・米コンパック・コンピュータが、インテル製チップとマイクロソフトOSを乗せたパソコンを、IBMのパソコンよりはるかに安価で売り出す。これをきっかけに世界のパソコン出荷台数は激増し、インテルもさらに勢いづく。 1995年にはマイクロソフトがOS「ウィンドウズ95」を発売し、パソコンが一般家庭にも浸透し始め、インテルは、半導体メーカーとしての地位を完全に取り戻した」、なるほど。
・『インテル、サムスンによる“日本潰し” このころから、韓国のサムスン電子が台頭していく。1980年代に半導体製造に乗り出したサムスンに、インテルは技術やライセンスを惜しげもなく供与した。当時、韓国のコストや賃金は日本より大幅に低かったため、韓国製DRAMが日本製DRAMを駆逐できるのではないかと考えたのだ。 この“日本潰し”は見事に当たった。 DRAMの大口顧客であったメインフレームは1990年代になるとすっかり影を潜め、主役はパソコンに完全に替わっていた。その心臓部に、インテル・ブランドを冠したサムスン製DRAMがつぎつぎと採用され、日本の半導体各社を直撃したのである。 日本の世界シェアはずるずると後退し、逆に、日本国内での外国製半導体のシェアは1996年になって20%――つまり例の新協定で設定された水準に達した。これによって日米半導体協定は失効した』、「サムスンに、インテルは技術やライセンスを惜しげもなく供与した。当時、韓国のコストや賃金は日本より大幅に低かったため、韓国製DRAMが日本製DRAMを駆逐できるのではないかと考えたのだ。 この“日本潰し”は見事に当たった。 DRAMの大口顧客であったメインフレームは1990年代になるとすっかり影を潜め、主役はパソコンに完全に替わっていた。その心臓部に、インテル・ブランドを冠したサムスン製DRAMがつぎつぎと採用され、日本の半導体各社を直撃したのである。 日本の世界シェアはずるずると後退し、逆に、日本国内での外国製半導体のシェアは1996年になって20%――つまり例の新協定で設定された水準に達した。これによって日米半導体協定は失効した」、「サムスンに、インテルは技術やライセンスを惜しげもなく供与」、「サムスン」躍進の背景には「インテル」の後押しがあったことを思い出した。
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