災害(その17)(災害国ニッポンの末路は中国の「属国化」だ!【養老孟司×茂木健一郎×東浩紀鼎談】、能登半島地震の避難者はなぜ減らない?地震大国ニッポンの復興を遅らせる「最悪の逃げ口実」とは) [社会]
災害については、本年3月8日に取上げた。今日は、(その17)(災害国ニッポンの末路は中国の「属国化」だ!【養老孟司×茂木健一郎×東浩紀鼎談】、能登半島地震の避難者はなぜ減らない?地震大国ニッポンの復興を遅らせる「最悪の逃げ口実」とは)である。
先ずは、本年5月15日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した解剖学者の養老孟司氏と、脳科学者の 茂木健一郎氏と、批評家・作家の東 浩紀氏による対談「災害国ニッポンの末路は中国の「属国化」だ!【養老孟司×茂木健一郎×東浩紀鼎談】を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/341607
・『明治以来人口が拡大してきた日本は、いま人口減少局面に入っている。子どもは減り、老人は増え、GDPの世界ランクがずるずると低下するなかで、しかし天災だけは定期的にやってくる。次の大地震が人口密集地を直撃したとき、日本はどう生き残ればいいのか。現代日本が誇る三賢である養老孟司、茂木健一郎、東浩紀が、議論を交わした。※本稿は、養老孟司、茂木健一郎、東 浩紀『日本の歪み』(講談社現代新書)の一部を抜粋・編集したものです』、興味深そうだ。
・『次の大震災が人口密集地で起きたら日本はどうなる? 養老 NHKで「西の半割れ」をテーマにした、南海トラフ巨大地震が来たら何が起こるのかを描いたドラマ仕立ての番組をやっていました。和歌山県沖で地震があった場合、関西一円、瀬戸内一円で震度7だそうです。当然それだけでは済まなくて、それに伴ってあちこちの活断層が連動する可能性もあるし、東側にもいずれ来ます。東南海地震もずっと来ると言われているし、南海トラフと連動して起こるかもしれない。首都直下型地震や富士山噴火が連動する可能性もある。 茂木 前回の東南海地震は1944年ですが、覚えていらっしゃいますか。 養老 覚えていないです。戦争中でしたから、報道管制で、そういう景気の悪い話はしなかった。 東 M7.9で、相当大きな地震だったようですね。 養老 そうらしいですね。 茂木 養老先生がお生まれになったのは関東大震災の14年後ですが、名残はありましたか? 養老 全くないです。でも母の話は聞いたことがあります。大震災の日は横浜の本牧に泊まっていて、歩けなくて庭に出られなかったそうです。ただ、その旅館がなぜか虎を飼っていて、なんとか庭に出たら虎がうおーと吠えていたと言っていました。 茂木 関東大震災もM7.9と言われていますね。1923年だから、今年でちょうど100年か。 養老 日本の場合は天変地異がしょっちゅう起こるので、起こった後にどう復興するかに賭けたい。NHKの番組によれば、大阪では津波が川をさかのぼって梅田まで入ってくるそうです。そうなったら大阪は壊滅します。もちろん東京にも同じことが起こる可能性が十分ある。大事なのは、その後どういう社会をつくるかということです。報道では災害による損害ばっかり言うけど、災害の後すぐに起こるのは復旧です。 具体的な課題で考えると、例えば東海地震が来たら新幹線はダメになります。浜松あたりが津波をかぶるだろうし、新丹那トンネルも断層でズレるかもしれない。そのときに、復旧するかどうか。あんなもんやめたとするのか、どうしても元に戻すのか。) 東 新幹線は戻すしかないでしょう。リニアはこれを好機と工事を中止するかもしれませんが。 養老 都内のビルだってどのくらいもつかわかりません。震度7の地震が一度しか来ないとは限らないわけで、二度三度来たときに、本当に耐えられるのか。 被害によっては、いまのような生活を続けるのは無理になります。小さな自給自足の集団を日本中に置いていくしかない。でも島根県や鳥取県の可住地面積あたりの人口密度がヨーロッパと同じくらいで、日本では過疎と言われている地域でも世界基準で見たら標準です。つまり人口もかなり減らないと、小さな自給自足の社会はやっていけないかもしれない。 東 その通りだと思います。しかし、そうなってしまうと、強い隣国に依存することになりそうです。たとえば中国。 養老 外側で見るとそういうことになりやすい。どのくらい金を必要とするのかにも関係してきます』、「日本では過疎と言われている地域でも世界基準で見たら標準です。つまり人口もかなり減らないと、小さな自給自足の社会はやっていけないかもしれない。 東 その通りだと思います。しかし、そうなってしまうと、強い隣国に依存することになりそうです。たとえば中国。 養老 外側で見るとそういうことになりやすい。どのくらい金を必要とするのかにも関係してきます」、なるほど。
・『『天災で壊滅した日本は中国の「属国」として生まれ変わる 東 現実的に考えても、人も減り、金もなくなり、小さい社会しかないという状況になったら、外国人がどっと移住してきそうですが……。 養老 そうですね。食料がない、エネルギーがない、となったら買わなければなりません。それが今年のように食糧難だ、エネルギー不足だ、円安だというときだと余計にお金がかかる。そのときに大きな額を日本に投資してくれる国があるとすれば、アメリカは時間がかかるでしょうから、おそらく中国です。 東 つまり、すごく要約すると、日本は天災によって実質壊滅し、中国の属国になることによって新しく生まれ変わるしかないのではないか、というのが養老さんのお考えでしょうか。 養老 そうですね。つまり属国とはなにかという問題です。中国の辺境は昔からたくさんあったわけで、今でも中国がないと成り立たないという状況を作ってしまえば、それは中国の一部であるのと同じことですから。政治的にどうレッテルを貼るかの話でしかない。 東 いまはそういう意見は反発が大きいかもしれませんね。) 養老 みんな不愉快かもしれないけど、いちばんありうるシナリオです。明日食べるものに困っているときに「中国のお金を受け取るべきじゃない」と言っても誰も聞きませんよ。背に腹は代えられないというのはそのことです。 東 われわれは災害の起こる国に住んでいる。だから、なるようになる、という考え方しかもてない。そんなわれわれの行く末は属国しかない。それが結論ということになりますが、それでいいのでしょうか。 養老 (笑) 茂木 アメリカの属国の次は中国の属国になると。 養老 独立とはなんだという話ですよね。 東 憲法9条と同じように、「独立」も解釈で乗り越えるのだと。 茂木 たしかに憲法9条はアメリカの属国である実態を表しているものだから、その実態が変わらないなら変えなくてもいいのかもしれないですね。養老先生がおっしゃるように、その実態に政治的に「平和主義」というレッテルを貼っているだけで。 東 現実に日本国内には、主権者である日本国民がコントロールできない外国の軍事基地がいくつもある。ロシアが北方領土を返さないのも、要は米軍基地が北方領土に作られる可能性があるからです。東京上空ですら横田基地の管理下にあって、羽田や成田に行く飛行機のルートも制限されている。ある意味、既に「独立」の意味は変えられているのかもしれません』、「現実に日本国内には、主権者である日本国民がコントロールできない外国の軍事基地がいくつもある。ロシアが北方領土を返さないのも、要は米軍基地が北方領土に作られる可能性があるからです。東京上空ですら横田基地の管理下にあって、羽田や成田に行く飛行機のルートも制限されている。ある意味、既に「独立」の意味は変えられているのかもしれません」、なるほど。
・『隣人であり続ける中国とロシアに強硬な態度を取り続けていいのか 茂木 いまでもよく覚えているのは、森喜朗さんが首相で、皆から「サメの脳」だとか言いたい放題言われていたとき、養老先生が「茂木くん、昔はああいうことは言わなかったものだよ。外交ってものがあるからね」とおっしゃったことです。いくら反対することがあっても、一国の首相は国益を代表して外国と折衝する立場である以上、そこまでバカにすることはないんだ、と。) 茂木 さすがだなと思ったんですが、それは東さんが言った「忘れる」(編集部注/平等主義的で、他人の視線を気にして、熱しやすく冷めやすく、誰かを一斉に叩いて、その人が消えたら嘘のように忘れるという日本の民主主義の歪みを、東は指摘している)ということにも関係する気がします。例えば大地震が起きたら中国から経済的支援を受けざるをえないかもしれないのだから、対中強硬策と言ってもほどほどにしようね、というのも、一つの「忘れない」ということですよね。 東 それは、鈴木宗男氏が言うように、ロシアはずっとあの位置にあって、基本的に付き合っていかなければならない国なのだからウクライナに全振りしている場合じゃないという話にもつながりますね。僕は鈴木氏の戦争理解は間違っていると思いますが、言いたいことはわかる。短期的な善悪とは別に、長期的なオプションもしたたかに抱えておかなくてはいけない。 茂木 本当にそうだよね。 東 でも、日本はそういうのこそ苦手な国なんですよ。 茂木 実際には、日本はアメリカのような軍事力があるわけでもないし、もはや経済も弱いし、条件としてはあまり偉そうなことは言えない国なんですよね。絶対的な何かをもっているというより、どこともうまくやっていかないと生存が難しい。 話は少しずれますが、僕が出会ったときには養老先生は東大医学部の現役の先生でしたが、養老先生が偉そうだったことが1度もないんですよね。イデオロギーで生きていないからなんでしょうか。例えばいま、人工知能の研究者とか、なんでそこまで偉そうなのっていう人が多いですよ。とりわけ、アメリカで人工知能やっている人たちって、俺たちが世界をつくる、みたいな勢いがある。サム・アルトマンとか、本当のトップは案外謙虚なのですが。養老先生は、なぜ謙虚なのか? 養老 知らないよ(笑)。別に何も変わりないですよ』、「実際には、日本はアメリカのような軍事力があるわけでもないし、もはや経済も弱いし、条件としてはあまり偉そうなことは言えない国なんですよね。絶対的な何かをもっているというより、どこともうまくやっていかないと生存が難しい」、なるほど。
次に、7月4日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「能登半島地震の避難者はなぜ減らない?地震大国ニッポンの復興を遅らせる「最悪の逃げ口実」とは」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/346495#:~:text=%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%AF%E3%80%81%E8%83%BD%E7%99%BB%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86,%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%A0%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%AE%E3%81%A0%E3%80%82
・『能登半島地震の避難者数はいまだに2000人超「地震大国」日本の信じられない現状 「地震大国」と呼ばれるほど、多くの大規模地震を経験した日本の “実力”は、こんなものなのか――。 発生から半年が経過した能登半島地震において、石川県内の避難者数が7月1日時点でなんといまだに2086人もいらっしゃるというのだ。 しかも、NHKの調べでは1198人はホテルや旅館などの宿泊施設にいるそうだが、888人は「1次避難所」と呼ばれる体育館や公民館に身を寄せている。 ご存じの方も多いだろうが、先進国の中では、被災者がこのような形で半年も紛争地の難民のような生活を強いられる状況は、かなり珍しい。そもそも、日本では定番の「体育館で雑魚寝」というスタイルも、欧米の災害支援関係者から「クレイジー」と指摘されており、近年では災害ではなく避難生活で体調を崩して亡くなってしまう「災害関連死」の原因のひとつとされている。 大阪万博だ、バレーボールの五輪出場だ、大谷選手のホームランが量産体制に入っただとか、我々がお祭り気分で浮かれていた間に、そんなクレイジーな避難生活を強いられている被災者が無数にいるという事実に、ショックを受ける人も多いはずだ。 では、なぜこんなことになってしまったのかというと、マスコミに登場をする専門家によれば「地理的要因と人手不足」だという。 石川県によれば、県内で着工した仮設住宅6642戸のうち5006戸(75%)が完成しているが、半年でのこの整備状況は東日本大震災時の福島県よりも低いという。これは、能登半島という奥まった土地のせいで、被災地に入れる業者が少なく、また平地が少ないので住宅整備用の土地の確保に難航しているからだという。それに加えて、円安による建築資材の高騰や、建設業の人手不足によって、計画が思うように進まないからだというのだ。 そう聞くと、「じゃあ、しょうがないよね。現場の人たちも一生懸命頑張ってくれているんだから、まだ避難所生活をしている人は気の毒だけど、順番で回ってくるものだから、もう少し辛抱してもらえれば……」と感じる人もいるかもしれない。 ただ、個人的にはそうやって何かあるたびに「できない理由」をたくさん並べて「しょうがない」という方向へもっていくムードこそが、日本の震災復興をここまで遅くさせた「元凶」だと思っている』、「個人的にはそうやって何かあるたびに「できない理由」をたくさん並べて「しょうがない」という方向へもっていくムードこそが、日本の震災復興をここまで遅くさせた「元凶」だと思っている」、なるほど。
・『東日本大震災時から繰り返されてきた「同じ課題」 能登半島が奥まっているのはわかりきっていて、地震が起きれば道路が遮断されて物資が届かなくなるなどということは、はるか昔から指摘されてきたことだ。さらにもっと厳しいことを言わせていただくと、地震が起きてから「ヨーイドン!」で仮設住宅建設に着手しても、膨大な時間がかかることもわかりきっていた。たとえば、今から13年前の東日本大震災では1カ月後にこんな問題が起きていた。 「東日本大震災の被災地で、応急仮設住宅が不足している。被災各県は現時点で合計6万戸超が必要としているが、建設のめどが立ったのは1割程度にすぎない。国土交通省は2011年4月5日、震災後の5カ月間で6万戸を供給する目標を打ち出したが、建設の遅れが懸念されている。合板などの資材がひっ迫していることに加え、建設に適した用地確保が難しくなっていることが要因だ」(日本経済新聞2011年4月11日) ……と分析をされたところで、仮設住宅ができるわけでもない。結局、あれが悪い、これが問題だとワーワーやっている間に、被災者の中には半年以上も、体育館でダンボールの仕切りによる不自由な生活を強いられた人もいた。災害関連死も3792人にのぼった。 この13年前の教訓を受けて、政府や全国自治体では対策が検討された。地震や津波が起きた際、人手不足のこの国ではほぼ100%の確率で「仮設住宅が不足して体育館で雑魚寝状態を半年続けて災害関連死が増える」という未来がやってくるからだ。 しかし、検討されただけだった。 「予算がない」「人手がない」「何をすればいいかわからない」という感じで検討の段階でウヤムヤになってしまったのである。 つまり、石川県の「地震から半年で避難所暮らし2086人」というのは、地震大国として手をつけなくてはいけない対策を、やらなかった結果であって、「しょうがない」で済まされるような話ではないのだ』、「石川県の「地震から半年で避難所暮らし2086人」というのは、地震大国として手をつけなくてはいけない対策を、やらなかった結果であって、「しょうがない」で済まされるような話ではないのだ」、その通りだ。
・『進まない避難所建設の救世主 「ムービングハウス」の可能性 という話をすると、「偉そうに言っているけれど、じゃあどんな対策があるのさ?」と思うだろうが、今からでもやれることは山ほどある。たとえばそのひとつが、「ムービングハウス」だ。 ムービングハウスとは、国際規格の海上輸送コンテナと同じサイズ(長さ12メートル、幅2.4メートル)の移動式木造住宅のことだ。筆者は能登半島地震の9日後に《“クレイジー”な日本の避難所を救う 「ムービングハウス」とは何か》という記事で、このムービングハウスを国策として普及させて、全国自治体で備蓄品にすべきだということを提言させていただいた。
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2401/10/news020.html 実は今回の能登半島地震の前から、ムービングハウスの普及を行う日本ムービングハウス協会は、さまざま自治体と災害時の仮設住宅建設で協定を結んでいる。なぜかというと、「人手不足と資材不足で仮設住宅ができません」という状況を回避できるからだ。 ムービングハウスはコンテナと同サイズということで大型トレーラーに積載してそのまま輸送できるので、道路さえ復旧すればすぐに被災地へ集められる。現地に建設業者が入ってプレハブを建設するよりもはるかに人手が少なくて済むことは言うまでもない。 しかも、きちんとした避難所を建てるとなると地主などと交渉をしなくてはいけないが、置くだけなので用地確保は簡単だ。設置後は電気・上下水道、ガスに接続すれば、すぐに生活ができるので、被災者にとってもありがたい。 そのスピード感は折り紙付けで、実は石川県内で初めての仮設住宅は輪島市に設置されたムービングハウスだった。 また、使い回すことができるというメリットがある。仮設住宅は建ててしまうので、被災者が出ていけば取り壊すためまた費用がかかるが、ムービングハウスは用済みになれば、別の被災地に移動すればいい。しかも、平時は研修の宿泊施設や事務所などに使ってもいいので、ムダがない。 まさしく地震大国ニッポンにピッタリな災害支援システムだが、石川県は被災するまでムービングハウス協会と協定を結んでいなかった。能登地震後の2月に協定を結んだのである。もし仮に、もともと石川県が協定を結んでいて、県内の各自治体にムービングハウスを備蓄したり、他県から受け入れる体制を整えていたりしたら、今のような状況になっていなかったかもしれないのだ』、「仮に、もともと石川県が協定を結んでいて、県内の各自治体にムービングハウスを備蓄したり、他県から受け入れる体制を整えていたりしたら、今のような状況になっていなかったかもしれないのだ」、なるほど。
・『地震が発生してから「ヨーイドン」で進歩なし このように、日本の復興が遅い根本的な原因は、過去の震災の教訓を活かさず、「地震が発生してからヨーイドンで慌ててやる」ということにある。身も蓋もないことを言えば、地震大国のわりには「準備不足」なのだ。 これは同じく地震大国として知られる台湾と比べれば、その差は一目瞭然だ。 ご存じのように、能登半島地震からしばらくたった4月、台湾の花蓮市でも地震が発生して、迅速な災害対応が注目を集め、何かにつけて能登地震と比較された。 たとえば、能登ではなかなか避難所が開設されず、開設されても「体育館で雑魚寝」という状態が続いたが、花蓮市では地震発生からわずか3時間で避難所が開設され、そこにはプライバシーを守るためのテントだけではなく、温度調節もできるシャワー用テントや、避難者たちの疲れや緊張をほぐすマッサージや、子どもたちにはビデオゲームも用意された。 また復興のスピードも対照的だ。能登ではいまだに倒壊した建物や瓦礫の撤去が進んでいない。6月28日、石川県輪島市の坂口茂市長は、地震で倒壊した7階建てのビルについて周辺の道路にはみ出ていることから、市として解体・撤去に向け検討していると述べた、倒壊原因を調査しているにしても、半年でようやく「検討」はのんびりすぎる。 一方、台湾はどうかというと、2つのビルが倒壊した花蓮市では、急ピッチでビルの解体が進められ、地震発生翌日にはほぼ終了した。交通の復旧も早く、落石で運行停止となっていた台湾鉄道も、一夜明けた頃には線路が修復され、始発から全線で運行が再開した。 では、なぜ台湾の対応はこんなに早いのか。背景を取材したフジテレビの《台湾・地震発生3時間で避難所開設 “迅速”カギは「官民連携」 専門家「日本は自治体職員の負担が大きい」》というニュースによれば、東日本大震災や熊本地震の被災地支援を教訓に、行政部門と民間団体が連携して準備をしていたからだという。 https://www.fnn.jp/articles/-/682444?display=full なぜ我々は、台湾のようなことができないのか。過去の被災地支援を教訓に、官民が連携して危機に備えるということができないのか。 政治が悪い、縦割り行政が悪いなど、いろいろな意見があるだろうが、根本的なところでは、日本人の口癖ともいうべき「しょうがない」に象徴される「無常感」に問題があると筆者は考えている』、「政治が悪い、縦割り行政が悪いなど、いろいろな意見があるだろうが、根本的なところでは、日本人の口癖ともいうべき「しょうがない」に象徴される「無常感」に問題があると筆者は考えている」、「無常感」とは言い得て妙だ。
・『「しょうがない」で全てを正当化してはいないか かつて外国人の経営者にインタビューをしていて、「日本人の“しょうがない”は非常に興味深いですね。めんどくさくてやりたくないことや、改革をしなくちゃいけないけれど反対が多くて手をつけたくないことも、“しょうがない”と言うと、なんとなく正当化できるじゃないですか」と言われて、妙に納得にしたことがある。 確かに、我々日本人は「しょうがない」で生きている。地震から半年経過してもなお2000人以上が避難所にいると聞いても、自治体職員や建設業の人たちだって頑張っているんだと言われれば、「しょうがない」とあきらめる。ムービングハウスがなかなか普及せず、いまだに体育館で雑魚寝スタイルの避難所があると聞いても、「自治体は財政がひっぱくしていて予算も人員もない」と言われたら、「しょうがない」と納得する。 政治や社会問題もそうだ。不正などが発覚した当初はワーワーと大騒ぎをしてみるが、マスコミやら専門家から「できない理由」「変わらない理由」を説明されると、「じゃあ、しょうがないか」とおとなしくなる。 そして、忘れる。目の前の災いや不幸を過去のものとして受け入れて、前を向いて生きていく。そんな「しょうがない」に象徴される日本人の精神性は、「災害大国」がゆえに育まれたのではないか、という意見もある。 鎌倉時代の地震や疫病などを綴ったことから、日本初の災害ルポと言われる鴨長明の『方丈記』にはこんな一説がある。 「すなはち人皆あぢきなきことを述べて、いさゝか心のにごりもうすらぐと見えしほどに、日かさなり年越えしかば、後は言の葉にかけて、いひ出づる人だになし」 大地震の直後は人々も、世の無常を口にしたりいろんなことを語っていたが、時間が経過すると、地震のことなど誰も振り返らない。つまり、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」というやつだ。それはある意味で「前向き」で精神衛生上的にもプラスに働いていたかもしれない。 ただ、これは「復興」という点ではマイナスだ。被災地で苦しむ人々を少しでも多く救っていくには、台湾のように過去の被災地支援から学んで、しっかりと官民で準備をしなくてはいけない。 ……と苦言を呈したところで、能登の復興が急速に進むわけでもない。マスコミ報道を見ても、被災地の現状は忘れかけられているので、次の巨大地震でも同じように「仮設住宅が足りない」と言いながら、被災者は体育館で雑魚寝をしているのだろう。 この国で生きていくうえでは、このあたりは「しょうがない」と受け入れていくしかないかもしれない』、「被災地で苦しむ人々を少しでも多く救っていくには、台湾のように過去の被災地支援から学んで、しっかりと官民で準備をしなくてはいけない」、その通りだ。
先ずは、本年5月15日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した解剖学者の養老孟司氏と、脳科学者の 茂木健一郎氏と、批評家・作家の東 浩紀氏による対談「災害国ニッポンの末路は中国の「属国化」だ!【養老孟司×茂木健一郎×東浩紀鼎談】を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/341607
・『明治以来人口が拡大してきた日本は、いま人口減少局面に入っている。子どもは減り、老人は増え、GDPの世界ランクがずるずると低下するなかで、しかし天災だけは定期的にやってくる。次の大地震が人口密集地を直撃したとき、日本はどう生き残ればいいのか。現代日本が誇る三賢である養老孟司、茂木健一郎、東浩紀が、議論を交わした。※本稿は、養老孟司、茂木健一郎、東 浩紀『日本の歪み』(講談社現代新書)の一部を抜粋・編集したものです』、興味深そうだ。
・『次の大震災が人口密集地で起きたら日本はどうなる? 養老 NHKで「西の半割れ」をテーマにした、南海トラフ巨大地震が来たら何が起こるのかを描いたドラマ仕立ての番組をやっていました。和歌山県沖で地震があった場合、関西一円、瀬戸内一円で震度7だそうです。当然それだけでは済まなくて、それに伴ってあちこちの活断層が連動する可能性もあるし、東側にもいずれ来ます。東南海地震もずっと来ると言われているし、南海トラフと連動して起こるかもしれない。首都直下型地震や富士山噴火が連動する可能性もある。 茂木 前回の東南海地震は1944年ですが、覚えていらっしゃいますか。 養老 覚えていないです。戦争中でしたから、報道管制で、そういう景気の悪い話はしなかった。 東 M7.9で、相当大きな地震だったようですね。 養老 そうらしいですね。 茂木 養老先生がお生まれになったのは関東大震災の14年後ですが、名残はありましたか? 養老 全くないです。でも母の話は聞いたことがあります。大震災の日は横浜の本牧に泊まっていて、歩けなくて庭に出られなかったそうです。ただ、その旅館がなぜか虎を飼っていて、なんとか庭に出たら虎がうおーと吠えていたと言っていました。 茂木 関東大震災もM7.9と言われていますね。1923年だから、今年でちょうど100年か。 養老 日本の場合は天変地異がしょっちゅう起こるので、起こった後にどう復興するかに賭けたい。NHKの番組によれば、大阪では津波が川をさかのぼって梅田まで入ってくるそうです。そうなったら大阪は壊滅します。もちろん東京にも同じことが起こる可能性が十分ある。大事なのは、その後どういう社会をつくるかということです。報道では災害による損害ばっかり言うけど、災害の後すぐに起こるのは復旧です。 具体的な課題で考えると、例えば東海地震が来たら新幹線はダメになります。浜松あたりが津波をかぶるだろうし、新丹那トンネルも断層でズレるかもしれない。そのときに、復旧するかどうか。あんなもんやめたとするのか、どうしても元に戻すのか。) 東 新幹線は戻すしかないでしょう。リニアはこれを好機と工事を中止するかもしれませんが。 養老 都内のビルだってどのくらいもつかわかりません。震度7の地震が一度しか来ないとは限らないわけで、二度三度来たときに、本当に耐えられるのか。 被害によっては、いまのような生活を続けるのは無理になります。小さな自給自足の集団を日本中に置いていくしかない。でも島根県や鳥取県の可住地面積あたりの人口密度がヨーロッパと同じくらいで、日本では過疎と言われている地域でも世界基準で見たら標準です。つまり人口もかなり減らないと、小さな自給自足の社会はやっていけないかもしれない。 東 その通りだと思います。しかし、そうなってしまうと、強い隣国に依存することになりそうです。たとえば中国。 養老 外側で見るとそういうことになりやすい。どのくらい金を必要とするのかにも関係してきます』、「日本では過疎と言われている地域でも世界基準で見たら標準です。つまり人口もかなり減らないと、小さな自給自足の社会はやっていけないかもしれない。 東 その通りだと思います。しかし、そうなってしまうと、強い隣国に依存することになりそうです。たとえば中国。 養老 外側で見るとそういうことになりやすい。どのくらい金を必要とするのかにも関係してきます」、なるほど。
・『『天災で壊滅した日本は中国の「属国」として生まれ変わる 東 現実的に考えても、人も減り、金もなくなり、小さい社会しかないという状況になったら、外国人がどっと移住してきそうですが……。 養老 そうですね。食料がない、エネルギーがない、となったら買わなければなりません。それが今年のように食糧難だ、エネルギー不足だ、円安だというときだと余計にお金がかかる。そのときに大きな額を日本に投資してくれる国があるとすれば、アメリカは時間がかかるでしょうから、おそらく中国です。 東 つまり、すごく要約すると、日本は天災によって実質壊滅し、中国の属国になることによって新しく生まれ変わるしかないのではないか、というのが養老さんのお考えでしょうか。 養老 そうですね。つまり属国とはなにかという問題です。中国の辺境は昔からたくさんあったわけで、今でも中国がないと成り立たないという状況を作ってしまえば、それは中国の一部であるのと同じことですから。政治的にどうレッテルを貼るかの話でしかない。 東 いまはそういう意見は反発が大きいかもしれませんね。) 養老 みんな不愉快かもしれないけど、いちばんありうるシナリオです。明日食べるものに困っているときに「中国のお金を受け取るべきじゃない」と言っても誰も聞きませんよ。背に腹は代えられないというのはそのことです。 東 われわれは災害の起こる国に住んでいる。だから、なるようになる、という考え方しかもてない。そんなわれわれの行く末は属国しかない。それが結論ということになりますが、それでいいのでしょうか。 養老 (笑) 茂木 アメリカの属国の次は中国の属国になると。 養老 独立とはなんだという話ですよね。 東 憲法9条と同じように、「独立」も解釈で乗り越えるのだと。 茂木 たしかに憲法9条はアメリカの属国である実態を表しているものだから、その実態が変わらないなら変えなくてもいいのかもしれないですね。養老先生がおっしゃるように、その実態に政治的に「平和主義」というレッテルを貼っているだけで。 東 現実に日本国内には、主権者である日本国民がコントロールできない外国の軍事基地がいくつもある。ロシアが北方領土を返さないのも、要は米軍基地が北方領土に作られる可能性があるからです。東京上空ですら横田基地の管理下にあって、羽田や成田に行く飛行機のルートも制限されている。ある意味、既に「独立」の意味は変えられているのかもしれません』、「現実に日本国内には、主権者である日本国民がコントロールできない外国の軍事基地がいくつもある。ロシアが北方領土を返さないのも、要は米軍基地が北方領土に作られる可能性があるからです。東京上空ですら横田基地の管理下にあって、羽田や成田に行く飛行機のルートも制限されている。ある意味、既に「独立」の意味は変えられているのかもしれません」、なるほど。
・『隣人であり続ける中国とロシアに強硬な態度を取り続けていいのか 茂木 いまでもよく覚えているのは、森喜朗さんが首相で、皆から「サメの脳」だとか言いたい放題言われていたとき、養老先生が「茂木くん、昔はああいうことは言わなかったものだよ。外交ってものがあるからね」とおっしゃったことです。いくら反対することがあっても、一国の首相は国益を代表して外国と折衝する立場である以上、そこまでバカにすることはないんだ、と。) 茂木 さすがだなと思ったんですが、それは東さんが言った「忘れる」(編集部注/平等主義的で、他人の視線を気にして、熱しやすく冷めやすく、誰かを一斉に叩いて、その人が消えたら嘘のように忘れるという日本の民主主義の歪みを、東は指摘している)ということにも関係する気がします。例えば大地震が起きたら中国から経済的支援を受けざるをえないかもしれないのだから、対中強硬策と言ってもほどほどにしようね、というのも、一つの「忘れない」ということですよね。 東 それは、鈴木宗男氏が言うように、ロシアはずっとあの位置にあって、基本的に付き合っていかなければならない国なのだからウクライナに全振りしている場合じゃないという話にもつながりますね。僕は鈴木氏の戦争理解は間違っていると思いますが、言いたいことはわかる。短期的な善悪とは別に、長期的なオプションもしたたかに抱えておかなくてはいけない。 茂木 本当にそうだよね。 東 でも、日本はそういうのこそ苦手な国なんですよ。 茂木 実際には、日本はアメリカのような軍事力があるわけでもないし、もはや経済も弱いし、条件としてはあまり偉そうなことは言えない国なんですよね。絶対的な何かをもっているというより、どこともうまくやっていかないと生存が難しい。 話は少しずれますが、僕が出会ったときには養老先生は東大医学部の現役の先生でしたが、養老先生が偉そうだったことが1度もないんですよね。イデオロギーで生きていないからなんでしょうか。例えばいま、人工知能の研究者とか、なんでそこまで偉そうなのっていう人が多いですよ。とりわけ、アメリカで人工知能やっている人たちって、俺たちが世界をつくる、みたいな勢いがある。サム・アルトマンとか、本当のトップは案外謙虚なのですが。養老先生は、なぜ謙虚なのか? 養老 知らないよ(笑)。別に何も変わりないですよ』、「実際には、日本はアメリカのような軍事力があるわけでもないし、もはや経済も弱いし、条件としてはあまり偉そうなことは言えない国なんですよね。絶対的な何かをもっているというより、どこともうまくやっていかないと生存が難しい」、なるほど。
次に、7月4日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「能登半島地震の避難者はなぜ減らない?地震大国ニッポンの復興を遅らせる「最悪の逃げ口実」とは」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/346495#:~:text=%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%AF%E3%80%81%E8%83%BD%E7%99%BB%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86,%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%A0%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%AE%E3%81%A0%E3%80%82
・『能登半島地震の避難者数はいまだに2000人超「地震大国」日本の信じられない現状 「地震大国」と呼ばれるほど、多くの大規模地震を経験した日本の “実力”は、こんなものなのか――。 発生から半年が経過した能登半島地震において、石川県内の避難者数が7月1日時点でなんといまだに2086人もいらっしゃるというのだ。 しかも、NHKの調べでは1198人はホテルや旅館などの宿泊施設にいるそうだが、888人は「1次避難所」と呼ばれる体育館や公民館に身を寄せている。 ご存じの方も多いだろうが、先進国の中では、被災者がこのような形で半年も紛争地の難民のような生活を強いられる状況は、かなり珍しい。そもそも、日本では定番の「体育館で雑魚寝」というスタイルも、欧米の災害支援関係者から「クレイジー」と指摘されており、近年では災害ではなく避難生活で体調を崩して亡くなってしまう「災害関連死」の原因のひとつとされている。 大阪万博だ、バレーボールの五輪出場だ、大谷選手のホームランが量産体制に入っただとか、我々がお祭り気分で浮かれていた間に、そんなクレイジーな避難生活を強いられている被災者が無数にいるという事実に、ショックを受ける人も多いはずだ。 では、なぜこんなことになってしまったのかというと、マスコミに登場をする専門家によれば「地理的要因と人手不足」だという。 石川県によれば、県内で着工した仮設住宅6642戸のうち5006戸(75%)が完成しているが、半年でのこの整備状況は東日本大震災時の福島県よりも低いという。これは、能登半島という奥まった土地のせいで、被災地に入れる業者が少なく、また平地が少ないので住宅整備用の土地の確保に難航しているからだという。それに加えて、円安による建築資材の高騰や、建設業の人手不足によって、計画が思うように進まないからだというのだ。 そう聞くと、「じゃあ、しょうがないよね。現場の人たちも一生懸命頑張ってくれているんだから、まだ避難所生活をしている人は気の毒だけど、順番で回ってくるものだから、もう少し辛抱してもらえれば……」と感じる人もいるかもしれない。 ただ、個人的にはそうやって何かあるたびに「できない理由」をたくさん並べて「しょうがない」という方向へもっていくムードこそが、日本の震災復興をここまで遅くさせた「元凶」だと思っている』、「個人的にはそうやって何かあるたびに「できない理由」をたくさん並べて「しょうがない」という方向へもっていくムードこそが、日本の震災復興をここまで遅くさせた「元凶」だと思っている」、なるほど。
・『東日本大震災時から繰り返されてきた「同じ課題」 能登半島が奥まっているのはわかりきっていて、地震が起きれば道路が遮断されて物資が届かなくなるなどということは、はるか昔から指摘されてきたことだ。さらにもっと厳しいことを言わせていただくと、地震が起きてから「ヨーイドン!」で仮設住宅建設に着手しても、膨大な時間がかかることもわかりきっていた。たとえば、今から13年前の東日本大震災では1カ月後にこんな問題が起きていた。 「東日本大震災の被災地で、応急仮設住宅が不足している。被災各県は現時点で合計6万戸超が必要としているが、建設のめどが立ったのは1割程度にすぎない。国土交通省は2011年4月5日、震災後の5カ月間で6万戸を供給する目標を打ち出したが、建設の遅れが懸念されている。合板などの資材がひっ迫していることに加え、建設に適した用地確保が難しくなっていることが要因だ」(日本経済新聞2011年4月11日) ……と分析をされたところで、仮設住宅ができるわけでもない。結局、あれが悪い、これが問題だとワーワーやっている間に、被災者の中には半年以上も、体育館でダンボールの仕切りによる不自由な生活を強いられた人もいた。災害関連死も3792人にのぼった。 この13年前の教訓を受けて、政府や全国自治体では対策が検討された。地震や津波が起きた際、人手不足のこの国ではほぼ100%の確率で「仮設住宅が不足して体育館で雑魚寝状態を半年続けて災害関連死が増える」という未来がやってくるからだ。 しかし、検討されただけだった。 「予算がない」「人手がない」「何をすればいいかわからない」という感じで検討の段階でウヤムヤになってしまったのである。 つまり、石川県の「地震から半年で避難所暮らし2086人」というのは、地震大国として手をつけなくてはいけない対策を、やらなかった結果であって、「しょうがない」で済まされるような話ではないのだ』、「石川県の「地震から半年で避難所暮らし2086人」というのは、地震大国として手をつけなくてはいけない対策を、やらなかった結果であって、「しょうがない」で済まされるような話ではないのだ」、その通りだ。
・『進まない避難所建設の救世主 「ムービングハウス」の可能性 という話をすると、「偉そうに言っているけれど、じゃあどんな対策があるのさ?」と思うだろうが、今からでもやれることは山ほどある。たとえばそのひとつが、「ムービングハウス」だ。 ムービングハウスとは、国際規格の海上輸送コンテナと同じサイズ(長さ12メートル、幅2.4メートル)の移動式木造住宅のことだ。筆者は能登半島地震の9日後に《“クレイジー”な日本の避難所を救う 「ムービングハウス」とは何か》という記事で、このムービングハウスを国策として普及させて、全国自治体で備蓄品にすべきだということを提言させていただいた。
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2401/10/news020.html 実は今回の能登半島地震の前から、ムービングハウスの普及を行う日本ムービングハウス協会は、さまざま自治体と災害時の仮設住宅建設で協定を結んでいる。なぜかというと、「人手不足と資材不足で仮設住宅ができません」という状況を回避できるからだ。 ムービングハウスはコンテナと同サイズということで大型トレーラーに積載してそのまま輸送できるので、道路さえ復旧すればすぐに被災地へ集められる。現地に建設業者が入ってプレハブを建設するよりもはるかに人手が少なくて済むことは言うまでもない。 しかも、きちんとした避難所を建てるとなると地主などと交渉をしなくてはいけないが、置くだけなので用地確保は簡単だ。設置後は電気・上下水道、ガスに接続すれば、すぐに生活ができるので、被災者にとってもありがたい。 そのスピード感は折り紙付けで、実は石川県内で初めての仮設住宅は輪島市に設置されたムービングハウスだった。 また、使い回すことができるというメリットがある。仮設住宅は建ててしまうので、被災者が出ていけば取り壊すためまた費用がかかるが、ムービングハウスは用済みになれば、別の被災地に移動すればいい。しかも、平時は研修の宿泊施設や事務所などに使ってもいいので、ムダがない。 まさしく地震大国ニッポンにピッタリな災害支援システムだが、石川県は被災するまでムービングハウス協会と協定を結んでいなかった。能登地震後の2月に協定を結んだのである。もし仮に、もともと石川県が協定を結んでいて、県内の各自治体にムービングハウスを備蓄したり、他県から受け入れる体制を整えていたりしたら、今のような状況になっていなかったかもしれないのだ』、「仮に、もともと石川県が協定を結んでいて、県内の各自治体にムービングハウスを備蓄したり、他県から受け入れる体制を整えていたりしたら、今のような状況になっていなかったかもしれないのだ」、なるほど。
・『地震が発生してから「ヨーイドン」で進歩なし このように、日本の復興が遅い根本的な原因は、過去の震災の教訓を活かさず、「地震が発生してからヨーイドンで慌ててやる」ということにある。身も蓋もないことを言えば、地震大国のわりには「準備不足」なのだ。 これは同じく地震大国として知られる台湾と比べれば、その差は一目瞭然だ。 ご存じのように、能登半島地震からしばらくたった4月、台湾の花蓮市でも地震が発生して、迅速な災害対応が注目を集め、何かにつけて能登地震と比較された。 たとえば、能登ではなかなか避難所が開設されず、開設されても「体育館で雑魚寝」という状態が続いたが、花蓮市では地震発生からわずか3時間で避難所が開設され、そこにはプライバシーを守るためのテントだけではなく、温度調節もできるシャワー用テントや、避難者たちの疲れや緊張をほぐすマッサージや、子どもたちにはビデオゲームも用意された。 また復興のスピードも対照的だ。能登ではいまだに倒壊した建物や瓦礫の撤去が進んでいない。6月28日、石川県輪島市の坂口茂市長は、地震で倒壊した7階建てのビルについて周辺の道路にはみ出ていることから、市として解体・撤去に向け検討していると述べた、倒壊原因を調査しているにしても、半年でようやく「検討」はのんびりすぎる。 一方、台湾はどうかというと、2つのビルが倒壊した花蓮市では、急ピッチでビルの解体が進められ、地震発生翌日にはほぼ終了した。交通の復旧も早く、落石で運行停止となっていた台湾鉄道も、一夜明けた頃には線路が修復され、始発から全線で運行が再開した。 では、なぜ台湾の対応はこんなに早いのか。背景を取材したフジテレビの《台湾・地震発生3時間で避難所開設 “迅速”カギは「官民連携」 専門家「日本は自治体職員の負担が大きい」》というニュースによれば、東日本大震災や熊本地震の被災地支援を教訓に、行政部門と民間団体が連携して準備をしていたからだという。 https://www.fnn.jp/articles/-/682444?display=full なぜ我々は、台湾のようなことができないのか。過去の被災地支援を教訓に、官民が連携して危機に備えるということができないのか。 政治が悪い、縦割り行政が悪いなど、いろいろな意見があるだろうが、根本的なところでは、日本人の口癖ともいうべき「しょうがない」に象徴される「無常感」に問題があると筆者は考えている』、「政治が悪い、縦割り行政が悪いなど、いろいろな意見があるだろうが、根本的なところでは、日本人の口癖ともいうべき「しょうがない」に象徴される「無常感」に問題があると筆者は考えている」、「無常感」とは言い得て妙だ。
・『「しょうがない」で全てを正当化してはいないか かつて外国人の経営者にインタビューをしていて、「日本人の“しょうがない”は非常に興味深いですね。めんどくさくてやりたくないことや、改革をしなくちゃいけないけれど反対が多くて手をつけたくないことも、“しょうがない”と言うと、なんとなく正当化できるじゃないですか」と言われて、妙に納得にしたことがある。 確かに、我々日本人は「しょうがない」で生きている。地震から半年経過してもなお2000人以上が避難所にいると聞いても、自治体職員や建設業の人たちだって頑張っているんだと言われれば、「しょうがない」とあきらめる。ムービングハウスがなかなか普及せず、いまだに体育館で雑魚寝スタイルの避難所があると聞いても、「自治体は財政がひっぱくしていて予算も人員もない」と言われたら、「しょうがない」と納得する。 政治や社会問題もそうだ。不正などが発覚した当初はワーワーと大騒ぎをしてみるが、マスコミやら専門家から「できない理由」「変わらない理由」を説明されると、「じゃあ、しょうがないか」とおとなしくなる。 そして、忘れる。目の前の災いや不幸を過去のものとして受け入れて、前を向いて生きていく。そんな「しょうがない」に象徴される日本人の精神性は、「災害大国」がゆえに育まれたのではないか、という意見もある。 鎌倉時代の地震や疫病などを綴ったことから、日本初の災害ルポと言われる鴨長明の『方丈記』にはこんな一説がある。 「すなはち人皆あぢきなきことを述べて、いさゝか心のにごりもうすらぐと見えしほどに、日かさなり年越えしかば、後は言の葉にかけて、いひ出づる人だになし」 大地震の直後は人々も、世の無常を口にしたりいろんなことを語っていたが、時間が経過すると、地震のことなど誰も振り返らない。つまり、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」というやつだ。それはある意味で「前向き」で精神衛生上的にもプラスに働いていたかもしれない。 ただ、これは「復興」という点ではマイナスだ。被災地で苦しむ人々を少しでも多く救っていくには、台湾のように過去の被災地支援から学んで、しっかりと官民で準備をしなくてはいけない。 ……と苦言を呈したところで、能登の復興が急速に進むわけでもない。マスコミ報道を見ても、被災地の現状は忘れかけられているので、次の巨大地震でも同じように「仮設住宅が足りない」と言いながら、被災者は体育館で雑魚寝をしているのだろう。 この国で生きていくうえでは、このあたりは「しょうがない」と受け入れていくしかないかもしれない』、「被災地で苦しむ人々を少しでも多く救っていくには、台湾のように過去の被災地支援から学んで、しっかりと官民で準備をしなくてはいけない」、その通りだ。