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経済学(その7)(内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より5題:なぜ、いま心の病を語るのか?、必要な助けを求めるのを躊躇してしまう日本人 状況を改善するために働きかけるアメリカ人、浜田宏一氏がいま語るアベノミクスの功罪、精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない、人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは?) [経済政治動向]

経済学については、本年3月7日に取上げた。今日は、(その7)(内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より5題:なぜ、いま心の病を語るのか?、必要な助けを求めるのを躊躇してしまう日本人 状況を改善するために働きかけるアメリカ人、浜田宏一氏がいま語るアベノミクスの功罪、精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない、人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは?)である。ただし、このうち、精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない、人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは?の2つは明日紹介したい。

先ずは、7月19日付け文春オンライン「内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より:アベノミクスのブレーンとして知られる経済学者の浜田宏一氏は、長らく躁うつ病に苦しんできた。なぜ、いま心の病を語るのか?」を紹介しよう。
・『アベノミクスのブレーンとして知られる経済学者の浜田宏一氏。その活躍の裏側で長らく躁うつ病に苦しんできた。さらに回復の途上、実の息子を自死で亡くす。人生とは何か? ともにアメリカで活躍するハーバード大学医学部准教授で小児精神科医の内田舞氏を聞き手に、その波乱に満ちた半生を語る。7月19日発売の『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)から一部抜粋してお届けします。(全2回の1回目/続きを読む)』、「実の息子を自死で亡くす」、とは初めて知った。
・『なぜ心の病を語るのか  内田 お久しぶりです。浜田さんとは、私と同じく精神科医である私の母を通して知り合いました。私がまだ幼少時、イェール大学のあるアメリカ東部のニューヘイブンに家族で住んでいた頃からのご縁で、また研修医としてイェール大学で過ごした時期にも何度かお会いする機会がありました。 当時、浜田さんはイェール大学経済学部の教授で、ゲーム理論を国際金融の具体的な政策問題に適用して、イェール大に招かれて教えられていました。その後、安倍政権下で内閣参与として日本の経済政策に関わられることになりました。アベノミクスの推進者でいらっしゃることはみなさんご存じの通りで。 浜田 舞さんのお母さまの千代子ドクターとは友達でありながら、同時に千代子先生に精神科医としてアドバイスを仰ぎ、様々な面で助けてもらいました。イェール大学の入院生活を終えた後もうつが続き、どうしても母国語の日本語でないと本心が語れないと感じていた1987年頃に、ちょうど舞さんとご両親がニューヘイブンに越してきて、経済学部の研究員に日本人の精神科医である千代子先生を紹介してもらいました。 千代子先生は当時イェール大学の客員研究員として臨床を勉強されていたので診察を受けることはできなかったのですが、たくさんの相談に乗ってもらったのです。その後もアメリカに主治医がいるものの、少し長めに日本に帰国する機会があったときには、千代子先生に日本の精神科の主治医として診ていただいた。「うつは患者のエネルギーが回復する治りかけが最も自殺のリスクが高く、危ないから油断してはならない」ということを適切な時に言ってくださったりして、本当にお世話になりました。知人にも「私のうつを治してくれた人の一人」と紹介しています。出会った頃の舞さんはまだ小さいかわいいお子さんでした。 内田 浜田さんは社会的には成功されていると映るキャリアのその裏側で、躁うつ病で長らく大変な時期を過ごされてきたんですよね。これまであまりオープンにされてこなかったと思うのですが、今回、お話しになろうと決意されたのはどうしてでしょう。 浜田 拙著『エールの書斎から』(NTT出版)のなかに、そして友人の西部邁さんの追悼文のなかに少しだけは書きましたが、誰かのためになればと、いずれきちんと体験を語りたいと思ってきました。実は息子もうつ病で亡くしていましてね。ただ、私ひとりの闘病記というのは出版社に話をしてみてもなかなか出版はむずかしいらしい。 舞さんは私と同じくアメリカに来られて、こちらでの暮らしも長いです。いまはハーバード大学で小児うつ病センター長をされていて、臨床医でありながら、脳神経科学を通して感情を理解する研究もされている「心の病」のプロフェッショナルです。日本で教育を受け、その後アメリカに学び、暮らし、日本とアメリカの文化の両方を知っているという意味で私とも境遇が似ているところがあります。 そして昨年出版された『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』(文春新書)は、そんな舞さんのアメリカの生活に根差した視点で評判になったように、日本でも積極的に発信されている。精神科医と患者の、しかし主治医と患者という関係ではない、背景に共通点のある二人の対話ならうまく伝わるところもあるのではないかなと』、「精神科医と患者の、しかし主治医と患者という関係ではない、背景に共通点のある二人の対話ならうまく伝わるところもあるのではないかなと」、なるほど。
・『経済学と精神医学は似ている  浜田 さらに、これは追々お話ししてみたいのですが、私は経済学と精神医学、より正確には経済政策と医療にはどこか似たところがあるとも思うわけです。 内田 それは面白い視点ですね。どういうところでしょう? 浜田 英語で「うつ状態」は「ディプレッション(depression)」ですが、経済学では同じ言葉の「ディプレッション(depression)」は「不況」を意味しますから。英語で「大(だい)うつ病」は「メジャー・ディプレッション(major depression)」ですが、「グレート・ディプレッション(great depression)」と言えば「大恐慌」のことですね。わたくしは初診の医者にそう言う元気がありました。 言葉遊びのように聞こえるかもしれませんが(笑)、科学的でありながら、ひとつに解決策が定まらなかったり、患者さんや経済の変化を見ながら修正を重ねるところだったり、技法が科学というよりアートに近いと感じられるところなんかが共通していると思います。それはまた後々お話しすることにしますが、舞さんを聞き手にお迎えしたら、直接の主治医ではないからこそ聞いてもらえることもありそうです。学問や日米文化の比較や社会のことまで、多岐にわたるお話ができるのではないかと。それから、心の病は遺伝も大きいでしょうが、時代や社会など環境とも無縁ではないので、そのあたりも伺いたい。 内田 ありがとうございます。浜田さんのように経済学の研究実績もあって、日本の経済政策にも携わられた方が、ご自身の躁うつの闘病について、また、そこからの回復を語ってくださるのは本当に貴重だと思いますし、今回の対話の機会に感謝しています』、確かに類似点があるのは興味深い。
・『メンタルヘルスの現在地  内田 アメリカでは日常生活のなかでセラピーを受ける人も多いですし、メンタルヘルスで苦しんだ経験や精神科の受診について友達同士で語り合うのもごくごく普通のことになってきました。もちろん今でも偏見がまったくないわけではないにせよ、浜田さんがアメリカで精神科に最初かかられた1980年代半ば頃はおそらく今のようにオープンに語られることはなかったでしょうし、日本においてはなおそうだったのではないでしょうか。 私は小児精神科医で、日ごろは子どもたちのメンタルヘルスの問題を扱っていますが、日本では小児精神科の確立が発達途上であることからも、まだまだ心の不調で医療にかかるのはハードルが高く、正しい知識も十分に伝わっていないのではないかと感じています。 浜田さんがどのように躁うつ病とともに生きてこられたのか、アメリカでどのような治療を受けて何がきっかけで回復に向かわれたのか、そして息子さんをご自分も苦しまれたうつで亡くされるというつらい経験からどう立ち直られたのか。息子さんを亡くされるという体験、また、ご自身の闘病について浜田さんがつづられた手記を私は今回読ませていただきましたが、その手記の内容も交えてお話を伺いながら、心の不調とともに生きることのヒントも探っていけたらと思います。 浜田 手記というのは、いまの私の妻であるキャロリンが私の口述をもとにして2000年頃にまとめてくれたものです。前半の2章は息子の広太郎のこと、後半の2章は入院中のことを含め自分の闘病について語ったものです。自分のこととはいえ今では忘れかけていることもあり、本書が生まれたのはこの手記があったからとも言えます。私のうつ症状の対処に苦労しながらも、こうやって記録に残してくれたことを、妻のキャロリンに感謝します』、「私のうつ症状の対処に苦労しながらも、こうやって記録に残してくれたことを、妻のキャロリンに感謝します」、なるほど。
・『闘病を回顧することの意義  浜田 ところで、舞さんもご存じの私の主治医のボルマー先生に、今回の舞さんとの対話で当時のことを思い出して「またうつの症状が再発しないだろうか」と相談をしたら、「心配はないしないでよい」と言われました。舞さんにはそれどころか、「むしろ改善につながるかもしれない」と背中を押していただきました。 内田 もしかしたら途中でつらかった時期のことを思い出されて感情的になったり悲しくなったりされることもあるかもしれませんが、そのときはもちろん私もサポートしますし、休憩しながらお話しできればと思います。そして、今は以前と比べてもうだいぶうつの状態も安定されていて、ボルマー先生も近くにいらっしゃるからきっと大丈夫だと思います。 さらに、ご闘病を回顧する機会というのはとても大事なものだと思います。当時は気づかなかった気分の悪化のきっかけや回復に役立ったことが具体的に思い起こされたりすることもあるでしょう。また、自分自身がどのようなことに価値を感じて生きてきたのかがはっきりすることもあります。そうした振り返りの過程を経ることで、今まで肩に背負ってきたトラウマや後悔、あるいは気づかずに自分自身に向けていた偏見などから解放されることもあります。この対話がそんなきっかけになってくだされば嬉しく思います。 浜田 私も88才になりますが、人から見れば学者としても政策アドバイザーとしても、大変恵まれた人生に生まれたと思われるかもしれませんね。他人に対してヒントになるかどうかわかりませんが、この本が少しでも人々のうつのつらさを和らげ、あるいは人生に思い悩んでみずから命を絶つ人を減らすことにつながれば嬉しいです。 内田 きっと多くの人を勇気づけてくれる本になることと思います。無理せずゆっくりまいりましょう。 (内田舞氏の略歴はリンク先参照) (浜田宏一氏の略歴はリンク先参照)』、「ご闘病を回顧する機会というのはとても大事なものだと思います。当時は気づかなかった気分の悪化のきっかけや回復に役立ったことが具体的に思い起こされたりすることもあるでしょう。また、自分自身がどのようなことに価値を感じて生きてきたのかがはっきりすることもあります。そうした振り返りの過程を経ることで、今まで肩に背負ってきたトラウマや後悔、あるいは気づかずに自分自身に向けていた偏見などから解放されることもあります」、なるほど。

次に、7月19日付け文春オンライン「内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より:必要な助けを求めるのを躊躇してしまう日本人、状況を改善するために働きかけるアメリカ人ーー病のときに医療とどう向き合うか?」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/72071
・・・・「重いうつ病」という診断  浜田 このような日常を送るにつれうつ気分が進み、「これでは大変」だと思って、イェールの職員のための診療所に行って初診をしてもらいましたら、「重いうつ病」だと診断されました。それまで、うつ的な症状を実は経験しながらも、自分は精神科医とは全く無関係と思っていた私には驚きでした。医者はまったく笑わずこちらを見ていて、まるで患者たちの全手の重荷を背負っているような風情でした。こちらがうつだから冷たく見えただけかもしれませんが。 内田 いただいた手記には、最初は全然笑わないから印象はネガティブだったけれども、でも実際に初診が終わってからは、うつの症状が少し軽減したと書いてありましたね。 浜田 そのように言っていましたか。その医師が今度はある街の精神科医を紹介してくれました。僕が“ケミスト(chemist)”と呼びたくなるような薬一辺倒の人でした。なぜケミストと呼ぶかというと、彼とはわたくしの精神状態を議論した覚えはほとんどなく、私が高コレステロール症といったとたんに抗コレステロール薬の話に花が咲いたことがあったからです。とはいっても彼が入院を勧めてくれたので実は恩人の一人なのですが。パメラーを処方されました。 内田 三環系というひと昔前によく使われていた抗うつ剤ですね。 浜田 でもなかなか良くならなかった。当時、薬を飲みながらも講義はしていたものの、眠気は絶えず襲ってくるし、頭に靄がかかったような感じで全然自信がなくなって、博士課程の院生の授業が教えられなくなったんですね。修士課程の授業には集中できたけれど、博士課程を教えるのはどんどん難しくなっていった。 内田 うつの症状で頭が働かなかったせいもあると思います。また、近年使われている抗うつ薬の副作用はずいぶん減ってきましたが、当時使われていた三環系の薬は頭をぼんやりさせてしまう副作用もあったので、それで頭に靄がかかったように感じられたのかもしれないですね。 浜田 初診の診療所の医者は、「ロラゼパムというマイナー・トランキライザーを処方しますか」と言っていましたが、僕はそのとき「要らない」と言ったんですね。これは大失敗だったのかもしれない。そして彼に紹介された「ケミスト」の先生は、マイナー・トランキライザーは抗うつではなく、むしろ昂うつ剤で、結局はうつを悪化させてしまうので飲まないように、という方針でした。アルコールのような依存性があるからと。すると心の休まる時間が一日中ないのです』、医者によって、処方薬の考え方もずいぶん違うようだ。
・『抗うつ薬に依存性はあるのか  内田 ロラゼパムはベンゾジアゼピンというカテゴリーに入る薬で、ひと昔前は「マイナー・トランキライザー」、直訳すると「少し鎮静化させる薬」と呼ばれておりました。  このカテゴリーの薬は、その場で高まっている感情、特に怒りや不安を下げてくれる薬で、どうしたらいいかわからないと感じるパニック状態などには最もよく効くものです。高所恐怖症の方が飛行機に乗らなければならないとき、先端恐怖症の方が予防接種を受けるときなどに予防的に飲むこともありますね。ただ、確かに依存性があるので、効果のベネフィット(利点)と依存性のリスクのバランスを、その人、その状況によって判断する必要があります。 もちろん依存性は回避したいものですが、ここでは投薬のリスクとともに投薬をしないリスクも考えなければなりません。ついつい副作用や依存性といった投薬のリスクに目が行きがちですが、逆に投薬を避けて、どうしようもない不安に駆られる時間が続いてしまうのもとても苦しいことです。そういった状況では、不安を取り除いてあげることのベネフィットが上回ることも多いのです。 そして、薬というのは処方の仕方次第でリスクを低くおさえることもできます。私自身、医師としては、なるべく低いリスクで一番高いベネフィットをもたらすようなプランを常に考えようとしていますね。さらに、不安とうつは頻繁に共存して、お互いを悪化させ合うものです。高まる不安や強い不快感などをベンゾジアゼピンで取り除くことで、うつ気分が少し改善するということもあるので、マイナー・トランキライザーが必ずしも「うつを悪化させる」わけではないように思えます。 浜田 なるほど、そういう説明は初めて聞きました。 私が経験したうつ病には、「日まわり症状」といって、午前中にうつが強くなって、午後になるとつらさが和らぐサイクルがありました。これは1986年に病院に入ってからのことですが、朝になると今日こそは薬なしで我慢しようと毎日頑張ったわけです。でもうつの状況がよくならず、いよいよその薬(ロラゼパム)を医局室の窓口までもらいに行くとなった時のみじめな感じをよく覚えています』、「依存性は回避したいものですが、ここでは投薬のリスクとともに投薬をしないリスクも考えなければなりません。ついつい副作用や依存性といった投薬のリスクに目が行きがちですが、逆に投薬を避けて、どうしようもない不安に駆られる時間が続いてしまうのもとても苦しいことです。そういった状況では、不安を取り除いてあげることのベネフィットが上回ることも多いのです。 そして、薬というのは処方の仕方次第でリスクを低くおさえることもできます。私自身、医師としては、なるべく低いリスクで一番高いベネフィットをもたらすようなプランを常に考えようとしていますね。さらに、不安とうつは頻繁に共存して、お互いを悪化させ合うものです。高まる不安や強い不快感などをベンゾジアゼピンで取り除くことで、うつ気分が少し改善するということもあるので、マイナー・トランキライザーが必ずしも「うつを悪化させる」わけではないように思えます」、なるほど。
・『薬に頼ること=敗北、ズルという考え方  内田 この薬なしでは一日耐えられなかったという敗北感のような感覚だったのでしょうか。 浜田 まさに敗北感です。しかし、その薬なしでは死んでしまいたい気持ちになることもありました。 内田 そうですか。「薬を飲むこと=敗北」のように捉える見方はいまもありますし、メンタルの不調で薬に頼るのはよくないという考えはうつ病患者さんだけではなく、社会で広く共有されているところがあります。でも、私はそう感じる必要はないと思うのです。 もちろん薬ではなく、心理療法や、趣味、運動や人との交流による気分転換、環境への働きかけなどで抑うつ気分が治るのであれば、その方がいいとは思います。しかしそれらの手段をどんなに試してもよくならないうつ症状もあれば、さらにうつ気分が重症すぎて気分転換すら手につかないという状況もあります。そんなときにもし気持ちを回復させてくれる安全な薬があるのであれば、それは選択肢の一つであってもいいのではないでしょうか。 頭痛がするときには頭を冷やしたり、首の筋肉をもみほぐしたりしますよね。それでも痛みが止まないときには頭痛薬を飲んだり、あるいは頭痛の原因となっている疾患を治療します。それと同じように、抑うつ気分も薬によって症状を軽くすることで心の痛みが軽減することはあるし、うつ病という病の治療に薬が必要なことも多いのです。 それは決して失敗でも敗北でもなく、自分のケアをしているだけなのです。そういった考え方へと少しずつ個人個人、そして社会の認識が変わっていけば、もしかしたらうつ病に苦しむ人がいまより減るかもしれない、現に苦しんでいる人がもう少し早い段階で助けを求められるようになるかもしれない、と思います』、「うつ病という病の治療に薬が必要なことも多いのです。 それは決して失敗でも敗北でもなく、自分のケアをしているだけなのです。そういった考え方へと少しずつ個人個人、そして社会の認識が変わっていけば、もしかしたらうつ病に苦しむ人がいまより減るかもしれない、現に苦しんでいる人がもう少し早い段階で助けを求められるようになるかもしれない、と思います」、なるほど。
・『必要な助けを求めるのを躊躇してしまう日本人  浜田 日本人は特に苦しんでいても、必要な助けを求めるのを躊躇してしまいますね。アメリカだったら、自分がある問題で悩んでいるとなれば、「まずは専門家に相談してみたら」とサポートにつながることを促されたり、あるいは「あなたを困らせている人と交渉してみたら」とその状況を変えるための働きかけを示唆されることが一般的ですよね。でも日本では、「自分に悪いところがないかもまず考えてみなさい」となるのではないでしょうか。 内田 あとは日本では「とにかく耐えなさい」と我慢を強いられることが多いかもしれませんね。 先日、ボストンに住んでいる同世代の日本人の方に街で偶然出会ったときに、その人がご自身の不安について話されたことがありました。そこで私は、認知行動療法をはじめ、不安を和らげるストレスマネージメントやリラクゼーションの方法を少し紹介した後に、「必要であれば、こういう薬も効くよ」と思いつく選択肢をパパッとアドバイスのつもりで伝えたんですね。そうしたら、薬の話をした途端に、「そんなチート(cheat)するのなんて嫌ですよ」という反応が返ってきて。 浜田 ああ、ズルをすると思われたんですか。 内田 不安をコントロールするためにはいろんな手段があって、その一つの中に薬も入っていてもいいと思うんです。でも精神科の治療薬に関しては、必要が生じて頼ることになったとしても、処方されては「負け」あるいは「ずるい」というネガティブな印象がもたれているのだなと感じた会話でした。 浜田 ズルをするということに関して、思い出すことがあります。私がうつになったあとで、日本の尊敬する経済学者から「浜田くんは学問がうまく行かないことをうつのせいにして、言い訳をしている」と言われたことがありました。この言葉にはあとで述べるような経済学、数理経済学の本質にかかわるような問題提起もあるのですが、精神医学上、これはうつ患者に対して言ってはならないことでしょう。私としては、とても辛い経験だったのにもかかわらず、「言い訳」として捉えられてしまった。 内田 それは酷いですね。しかし、残念ながら近年も同じような話をよく耳にします。 例えば、テニスの大坂なおみ選手が自身の抑うつ気分について語り、メンタルヘルスを守るために試合直後の記者会見には出席しないと発言したときには、多くの人が「うつを言い訳にして、義務を放棄している」と彼女を非難しました。あるいは逆に、「うつなのに、ファッション誌の撮影はできるのか」と仕事を選択的にこなせていることを取り上げて、「こういった仕事ができているのであれば、うつではないはずだ」と彼女を嘘つき扱いをしたのです。 うつなどの精神科の病があったとしても、それで社会的機能がすべて失われるわけではなく、むしろうつに苦しむ人のほとんどは仕事や家事育児をこなしながら生きています。たとえば足の怪我をしたときに、長時間の立ち仕事はできなくとも、座りながらの事務作業ならばできるといったこともあるでしょう。しかし痛みが強すぎたら、座りながらの仕事でさえ手につかなくなることもある。同じようにうつも症状によって、できることとできないことがあるのは当然で、重症の場合には生活のすべてに影響が及ぶものなのです。 また、大坂選手は試合後の記者会見を取りやめた理由として、試合が終わったばかりの気持ちが未整理のタイミングで、記者からの批判的な質問に晒される場に自分自身を置きたくないという説明がありました。次の試合が控えていればなおさらです。こういった自尊心を守る選択というのは、うつであったとしてもなかったとしても、あるいは大坂選手のように公の目にさらされるテニスプレーヤーであったとしてもなかったとしても、誰もが自分のためにしていい選択だと思うのです』、「自尊心を守る選択というのは、うつであったとしてもなかったとしても、あるいは大坂選手のように公の目にさらされるテニスプレーヤーであったとしてもなかったとしても、誰もが自分のためにしていい選択だと思うのです」、その通りだ。
・『希死念慮とはーー「この世界から隠れたい」と思うまで(内田 手記の中では、うつの状態が重くなっていくのを感じられる過程も書かれていましたね。当時の奥様に「あんなに大好きだった音楽を楽しめなくなったのはおかしいよね。」と言われたことがうつの重症度を物語っていた、との記述が大変印象的でした。好きだったはずのことも楽しくない、楽しめないというのはうつの大きな特徴ですね。 浜田 はい、大好きだった音楽会も楽しめなくなりました。治療中でも鬱々として音楽会に行きたいと言うと、家内が一緒にニューヨークに日帰りで連れて行ってくれたのを覚えています。 主に天井桟敷でしたが、メトロポリタン・オペラで未見だったオペラの『ボリス・ゴドゥノフ』、モーツアルトの『魔笛』などを見ることができました。また、ベートーヴェンのピアノ協奏曲を全部弾くというシリーズを聴きに行ったこともあります。しかし、うつ気分の中では、アバドとポリーニという大演奏家の演奏を聴いても、ただ機械的に演奏しているように聴こえてしまった。 僕の趣味は童謡やクラシックの作曲なのですが、後に自作集のCDを作っていただいた中野雄先生は、大演奏家でも時々、音楽的センスから言うと冴えない演奏をすることがあると。特にその2人は浮き沈みが高いから、自分のせいだけと考えないほうがいいと後になって言われました。しかし、音楽も楽しめなくなってしまったのはその通りで、「これは重大な事態だ」と自分でも気づくきっかけだったんです。 コネチカット州にノーウィッチという温泉がありまして、日本の温泉とはずいぶん違って、ゆっくり浸かって気分が豊かになるという趣ではないんですが、家内がうつに効くかもと連れて行ってくれました。しかし、ニューヘイブンに戻る帰り道ではまた講義が不安で暗雲に包まれた気持ちになってなかなか心が晴れない。次第に手紙を開けるのさえ、悪い知らせがあるのではないかと怖くなって、ごく限られた親しい人を除いては付き合いを避け、「この世界から隠れたい」という気持ちが強まってきました。 そんなことでだんだん疲れてきて、あるとき夜思い余って一人になったら、自分の頭が破裂しそうだと感じました。これ以上この生活を続けていると自分がだめになるという恐怖にさらされました。自分はいくつもの間違いをおかして人生を台無しにしてしまった、子どもたちや家内の反対にもかかわらず安定した有名大の地位もなげうって間違った道を選んでしまった、そんな間違いをするなんて自分はダメな人間だ、という思考が止まらなくなった。 ジェームズ・トービンという私の先生は、単にノーベル経済学賞授賞者であるだけでなく、経済学史上に残る大先生で、僕のことを心配しては食事に誘って慰めてくれたりもしました。しかし、料理屋で近くの食卓に座る人が、わたくしの講義を批判してくる大学院生に妄想で見えてくることがありました。そうすると、いつしか自殺したいという思いが出てくる。この苦しみはなかなか終わらない。どうしたら無事に自殺できるかまで考えるようになったんです。 (内田舞氏の略歴はリンク先参照) (浜田宏一氏の略歴はリンク先参照)』、「ジェームズ・トービンという私の先生は、単にノーベル経済学賞授賞者であるだけでなく、経済学史上に残る大先生で、僕のことを心配しては食事に誘って慰めてくれたりもしました。しかし、料理屋で近くの食卓に座る人が、わたくしの講義を批判してくる大学院生に妄想で見えてくることがありました。そうすると、いつしか自殺したいという思いが出てくる。この苦しみはなかなか終わらない。どうしたら無事に自殺できるかまで考えるようになったんです」、酷い時だったのだろうが、こんな「希死念慮」は深刻だ。

第三に、7月31日付け文春オンライン「田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より 経済学者・浜田宏一氏がいま語るアベノミクスの功罪。「安倍首相も自民党に残る男性優位の考え方から解放されていなかった」」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/72391
・『・・・アベノミクスが実現したこと、やり残したこと  浜田 さて、戦後の歴史を見ると、円安だった時期のほうが日本経済は生き生きとしていた。円安でエズラ・ヴォ―ゲルから「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とおそらく揶揄をも含めて言われていた日本の成長経路は、日本の貿易相手、欧米の産業にとってはハンディがきつすぎたと思います。そこで円高を是正しようとして、米・英・独・仏そして日本の代表がニューヨークのプラザ・ホテルに集まり各国の金融政策を変えて円高の体制に変えようとしたのが、「プラザ合意」です。 円高を保つには、日本の金融政策を諸国より引き締め気味に保っていかねばなりません。それに最大限の協力をしようとして、そしてまた1990年に向けて起こったバブルの後遺症を警戒しすぎて、引き締め政策を長く続けて円高に続けたのが、日銀総裁の三重野康、松下康雄、速水優、福井俊彦(彼は金融緩和をかなり効果的に続けたのですが、ゼロ金利解除を急ぎすぎた。しかし最後に引き締めました)、そして白川方明の各総裁です。これらの日本銀行総裁は、変動為替制度の下では為替レートが金融政策で操作可能なことを十分に理解しなかったか、理解していても正しい政策を実行できなかったわけです。日本が貿易立国を続けるのを完全に阻害し、平成時代の「デフレと沈滞の20年間」をもたらしたのです。 この状態から日本経済を救ったのが、「アベノミクス」を実践し、そのために最適任の黒田東彦日銀総裁を指名した安倍晋三首相でした。第二次安倍政権は、2012年末から始まりましたが、そのもっとも成果を上げたのは、新コロナ禍のはじまる2019年の終わりごろまででした。年度から年度で見て400万人以上の新雇用が生まれたことが知られています。ところで、私に都合よく統計を見ますと、四半期とのデータで、第二次安倍政権の初め(2013年、1-3月)からコロナ勃発の前年(2019年、10月-12月)を比較すると、かする程度ではありますが、実は550万人の新雇用を生んだのです。550万人と一言で言いますが、後楽園ドーム満員の収容人数が約5万5000人ですから、その100個分の雇用が生まれたわけです。新卒の就職状況も緩和して、大学教授がゼミの学生の就職先を心配しないでよくなった。これは、人々に幸福感をもたらしたといえないでしょうか。 非正規社員の雇用、とくに女性の雇用はめざましく増えた。しかし、日本の支配層にあたる中年の正社員の給与はあまり上がらなかった。よい教育を受けて、正社員でいる人の方が必ずしも生産性が高いとは限らないので、これも自然なことではありますが。ただ、みんながたくさん働いて外国からの企業収益も高まって、国民総所得(GNI)も増えたけれども、人々が豊かになった感覚がないと言われているのは、雇用が増えてもそれは非正規の部分が多くて賃金があまり上昇しなかったことによります。安倍さんは、為替レートが高すぎて日本企業が国内で生産できない苦しみを、金融緩和と円安で解消しまし、女性を含め非正規の人が増えた。日本の労働市場の民主化を助けたのです。労働者全体の平均賃金はあまり増えなかったのですが』、「この状態から日本経済を救ったのが、「アベノミクス」を実践し、そのために最適任の黒田東彦日銀総裁を指名した安倍晋三首相でした」、私は「アベノミクス」や「黒田東彦日銀総裁」を全く評価してない。「第二次安倍政権の初め(2013年、1-3月)からコロナ勃発の前年(2019年、10月-12月)を比較すると、かする程度ではありますが、実は550万人の新雇用を生んだのです・・・非正規社員の雇用、とくに女性の雇用はめざましく増えた。しかし、日本の支配層にあたる中年の正社員の給与はあまり上がらなかった」、なるほど。
・『もっと冒険してアイデアを育てる政策が必要だった  浜田 これはわたくしの反省でもありますが、安倍さんの時代に国民がもっと冒険してアイデアを育て、労働生産性をあげる政策も同時に必要だったんでしょう。各人の得意な点をより伸ばして個性を磨くような教育を普及しなければならなかった。それに、私も2019年の三度目の消費税増税の決断には反対の意見を述べるべきでした。そういった政策の不備もあって、いまも国民に豊かになった感覚がない状態が続いているようなのは残念です。 内田 550万人の新しい雇用というのは歴史的に見ても偉業ですよね。多くの人が働けるようになったことで国全体の生産量や労働生産性も向上し、新卒者の就職の心配も少なくなった。このように日本経済を豊かにしたのは評価されるべきアベノミクスの貢献ではないでしょうか。 浜田 その点を認めないジャーナリズムは間違っています。 内田 日本社会で一人ひとりがそれぞれのユニークな能力を伸ばして冒険ができるような文化が広がることは私も強く願っていますし、先ほど申し上げた通り、私はそれこそが一番長期的に効果のある経済政策なのではないかと思っています』、「浜田 これはわたくしの反省でもありますが、安倍さんの時代に国民がもっと冒険してアイデアを育て、労働生産性をあげる政策も同時に必要だったんでしょう。各人の得意な点をより伸ばして個性を磨くような教育を普及しなければならなかった。それに、私も2019年の三度目の消費税増税の決断には反対の意見を述べるべきでした・・・多くの人が働けるようになったことで国全体の生産量や労働生産性も向上し、新卒者の就職の心配も少なくなった。このように日本経済を豊かにしたのは評価されるべきアベノミクスの貢献ではないでしょうか」、私自身の「アベノミクス」の評価は前述の通り、全く評価してない。
・『何が女性の労働を妨げているのか?  内田 ここで、女性の非正規雇用が増えたということについて質問させてください。もちろん雇用はないよりもあった方がいいので、女性の雇用の受け皿が非正規であれ増えたことは良かったということは間違いないでしょう。しかし、日本の女性の労働者の正社員比率が低く、非正規雇用率が高いことは、やはり男性と比較すると考えさせられるところがあります。男性の非正規雇用も同じく増えているものの、正社員における男性比率が圧倒的に高く、この差異は男女間の大きな賃金格差をはじめとする経済的ジェンダーギャップの大きな要因でもあると語られています。 こう考えると、女性の職が増えたことが事実であっても、低賃金で雇われる女性労働者が増えたことは、誰にとっても暮らしやすくなったとは安易に言えないところもあるのではないかと思うのですが、この点はどのようにお考えでしょうか。 浜田 そうですね。現状を見ると本来なら実現されるべき同一労働、同一賃金の姿はかけ離れた形で雇用全体だけ増えたのを喜んでいていいのかが、正しい意味でのアベノミクス批判として残ります。日本女性の貢献度、活躍度を国際的に比較してみても、各先進国に劣るのをどう考えるかというのが、舞さんの指摘でしょう。 ただ、たんなる雇用量の改善、そして女性雇用量の改善も基本的に重要で、その点ではアベノミクスは当時の状況ではよく機能したことは間違いがないのです。とはいえ、理想の労働市場の姿から言えば、日本の労働市場に男女同一賃金、同一能力=同一賃金の原則が成り立つように変えていかねばならないのです。 内田 そのためには具体的にどういった道筋が考えられるのでしょう?  浜田 手始めとして、いまの女性労働の活用を阻害している、税法にある主婦の年収約130万円近くにある共稼ぎの壁を撤廃する必要があります。これはおそらく、女性をなるべき家庭のとどめようという男性本位のイデオロギーに依拠した法制であると思います。つまり、いま共稼ぎの主婦が年106万円、または約130万円を超えて働こうとすると、それ以下で免除されていた社会保障税を支払わなければならなくなっている。これが、非正規労働の女性の一層長く就業しようとする意欲を妨げています。 したがって、この壁がなかったならば、アベノミクスの女性労働増加はもっと顕著であったと考えられるのです。またこの制度の下では、雇用者も、賃金を増やすと税金も増えますよという形で、女性労働者を安く使うインセンティブが生まれるのです。世界的に見ても、日本で職場での女性の活躍度が低いのはこのような制度的条件、税法上のハンディが女性にはあるからです』、「世界的に見ても、日本で職場での女性の活躍度が低いのはこのような制度的条件、税法上のハンディが女性にはあるからです」、その通りだ。
・『「安倍首相も自民党に残る男性優位の考え方から解放されていなかった」  浜田 要するにアベノミクスの円安誘導とそれにともなう量的改善は有効でしたが、そこで男女の本質的な平等を実現するには、より根本的に法制度を含めた質的改善が必要なのです。このような制度的条件が不備であり、自民党にまだ残る男性優位の考え方から安倍首相も全く解放されていなかったのです。そのあたりにアベノミクスに対する世間の関心が冷えている理由があるのかもしれません。そして以上のことは、アドバイザーとしてのわたくしの自己反省であり、将来に向けては現岸田政権に対する要望でもあります。 内田 アベノミクスが実現した成果は大きいけれども、同時に浜田さんとしてはやり残したと思われる点もあるのですね。日本政府に残る男性優位的な価値観にも踏み込んで具体的に発言してくださってありがとうございます。きっと読者の方もこの箇所を読んでハッとされるのではないかと思います。 男性優位な価値観が自民党政治に留まらず日本社会全体において揺るがないこと、まさにそこが最後の砦だと私もアメリカにいてもどかしく感じるところなのですが、その砦を崩すには日本にどういったことが求められると考えられていますか。 浜田 まずは、日本のように学歴がいいだけで会社にいつまでも勤めていられる制度は、日本経済の成長阻害要因です。男女それぞれの能率の良さで賃金は払われなければなりません。 安倍さんはわたくしとの対談で、安倍家で初めは夫が60万の月給をもらっていたのに、妻が月給10万円で働けるようになったという事態を提起しています。家計は(したがって国民経済も)総合的に改善します。正規雇用と非正規雇用を分ける市場は問題がありますが、失業がなくなるのが第一で、雇用を増やすことにより国民全体が豊かになったことは確かです。そこからさらに男女均等にするには、別の努力が必要ですね』、「さらに男女均等にするには、別の努力が必要ですね」、その通りだが、そんな「努力」が払われるのは、まだこれからだ。
・『「女性の働き方」の問題は男性の問題でもある  内田 私がハーバードの研修医だった頃、指導医から「研修医として果たすべき責任は全員同じで、そして休む権利も同じようにある」と言われたことを思い出します。男性でも女性でも同じ責任を果たす機会が与えられ、果たした責任が同じであれば、同じ給与と待遇を得られるべきでしょう。 また、責任という点で、日本では女性が家事育児を担う時間が男性の5.5倍であるという調査が発表されました。家事育児という誰かがやらなければならない無償労働の責任と評価に不均衡があることも含めて、ジェンダー不平等問題は法や政策を使ったアプローチと同時に、教育や啓発による意識のアップデートも国全体で必要な状況だと感じます。 浜田さんがいい学歴さえあれば会社にずっと勤めていられる日本の労働システムの問題点を挙げられましたが、学歴一つとっても、女の子は男の子に比べて進学を期待されない無意識のバイアスがあったり、あるいは近年露呈したように、医学部入試では男性と同じ点数を取っても女性が入学できないような仕組みも暗黙裡に残されています。あるいは就職してからも、男女に寄せられる期待度には依然として開きがあり、同じ企業の中で学歴も実力も同等かそれ以上であっても、男性に比べて昇進がまわってこないような構造的差別のなかで女性たちは生きています。 また、こういった労働に関わるイシューは「女性の働き方の問題」として扱われがちですが、女性が働きにくい労働環境というのは実は男性をも苦しめているものだと思います。例えば、医学部入試の女性差別問題が発覚した際に、多くの医師が「出産する女性医師が欠けることで病棟は破綻するから、なるべく女性を医師にさせない施策は必要だ」と語りました。 こういった意見を聞いて、私は女性差別は他の問題、具体的には長時間労働の隠れ蓑にされていると思いました。病気や怪我は誰に起こるかわからないし、あるいは休暇は誰でも必要なのに、一人でも欠けたら破綻するほど過酷な職場での長時間労働が当たり前とされていること自体がそもそも問題だと思います。そしてその前提が男性には自明のこととされていていることもまた問題だと思ったのです。医師の過労死や自死率は男女ともに他の職種よりも高いことも考えると、ジェンダーに目が行きがちな話題ですが、同時に根幹にはもっと根深い問題も潜んでいるのですよね。 税制のことも、雇用のことも、全て個人の生活や社会のあり方にまで直接影響することであり、あらゆる角度からのアプローチが必要なのかと思います。 浜田 そうですね。そのためにも、まずは雇用を増やし、次にその雇用の条件や内容を吟味する、などと手を付けられる問題を一つずつこなしていくことが大切ですね。このようにどうしたら国民を豊かにしたらよいかに頭を使っていると、自分がうつ病であるということを忘れてしまうわけですね。 (内田舞氏の略歴はリンク先参照)。 (浜田宏一氏の略歴はリンク先参照)』、「医師の過労死や自死率は男女ともに他の職種よりも高いことも考えると、ジェンダーに目が行きがちな話題ですが、同時に根幹にはもっと根深い問題も潜んでいるのですよね。 税制のことも、雇用のことも、全て個人の生活や社会のあり方にまで直接影響することであり、あらゆる角度からのアプローチが必要なのかと思います」、その通りだ。
なお、精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない、人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは?の2つについては、明日紹介したい。
タグ:経済学 (その7)(内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より5題:なぜ、いま心の病を語るのか?、必要な助けを求めるのを躊躇してしまう日本人 状況を改善するために働きかけるアメリカ人、浜田宏一氏がいま語るアベノミクスの功罪、精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない、人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは?) 文春オンライン「内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より:アベノミクスのブレーンとして知られる経済学者の浜田宏一氏は、長らく躁うつ病に苦しんできた。なぜ、いま心の病を語るのか?」 『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書) 「実の息子を自死で亡くす」、とは初めて知った。 「精神科医と患者の、しかし主治医と患者という関係ではない、背景に共通点のある二人の対話ならうまく伝わるところもあるのではないかなと」、なるほど。 確かに類似点があるのは興味深い。 「私のうつ症状の対処に苦労しながらも、こうやって記録に残してくれたことを、妻のキャロリンに感謝します」、なるほど。 「ご闘病を回顧する機会というのはとても大事なものだと思います。当時は気づかなかった気分の悪化のきっかけや回復に役立ったことが具体的に思い起こされたりすることもあるでしょう。また、自分自身がどのようなことに価値を感じて生きてきたのかがはっきりすることもあります。そうした振り返りの過程を経ることで、今まで肩に背負ってきたトラウマや後悔、あるいは気づかずに自分自身に向けていた偏見などから解放されることもあります」、なるほど。 文春オンライン「内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より:必要な助けを求めるのを躊躇してしまう日本人、状況を改善するために働きかけるアメリカ人ーー病のときに医療とどう向き合うか?」 医者によって、処方薬の考え方もずいぶん違うようだ。 「依存性は回避したいものですが、ここでは投薬のリスクとともに投薬をしないリスクも考えなければなりません。ついつい副作用や依存性といった投薬のリスクに目が行きがちですが、逆に投薬を避けて、どうしようもない不安に駆られる時間が続いてしまうのもとても苦しいことです。そういった状況では、不安を取り除いてあげることのベネフィットが上回ることも多いのです。 そして、薬というのは処方の仕方次第でリスクを低くおさえることもできます。私自身、医師としては、なるべく低いリスクで一番高いベネフィットをもたらすようなプランを常に 考えようとしていますね。さらに、不安とうつは頻繁に共存して、お互いを悪化させ合うものです。高まる不安や強い不快感などをベンゾジアゼピンで取り除くことで、うつ気分が少し改善するということもあるので、マイナー・トランキライザーが必ずしも「うつを悪化させる」わけではないように思えます」、なるほど。 「うつ病という病の治療に薬が必要なことも多いのです。 それは決して失敗でも敗北でもなく、自分のケアをしているだけなのです。そういった考え方へと少しずつ個人個人、そして社会の認識が変わっていけば、もしかしたらうつ病に苦しむ人がいまより減るかもしれない、現に苦しんでいる人がもう少し早い段階で助けを求められるようになるかもしれない、と思います」、なるほど。 「自尊心を守る選択というのは、うつであったとしてもなかったとしても、あるいは大坂選手のように公の目にさらされるテニスプレーヤーであったとしてもなかったとしても、誰もが自分のためにしていい選択だと思うのです」、その通りだ。 「ジェームズ・トービンという私の先生は、単にノーベル経済学賞授賞者であるだけでなく、経済学史上に残る大先生で、僕のことを心配しては食事に誘って慰めてくれたりもしました。しかし、料理屋で近くの食卓に座る人が、わたくしの講義を批判してくる大学院生に妄想で見えてくることがありました。そうすると、いつしか自殺したいという思いが出てくる。この苦しみはなかなか終わらない。どうしたら無事に自殺できるかまで考えるようになったんです」、酷い時だったのだろうが、こんな「希死念慮」は深刻だ。 文春オンライン「田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より 経済学者・浜田宏一氏がいま語るアベノミクスの功罪。「安倍首相も自民党に残る男性優位の考え方から解放されていなかった」」 私は「アベノミクス」や「黒田東彦日銀総裁」を全く評価してない。「第二次安倍政権の初め(2013年、1-3月)からコロナ勃発の前年(2019年、10月-12月)を比較すると、かする程度ではありますが、実は550万人の新雇用を生んだのです・・・非正規社員の雇用、とくに女性の雇用はめざましく増えた。しかし、日本の支配層にあたる中年の正社員の給与はあまり上がらなかった」、なるほど。 「浜田 これはわたくしの反省でもありますが、安倍さんの時代に国民がもっと冒険してアイデアを育て、労働生産性をあげる政策も同時に必要だったんでしょう。各人の得意な点をより伸ばして個性を磨くような教育を普及しなければならなかった。それに、私も2019年の三度目の消費税増税の決断には反対の意見を述べるべきでした・・・ 多くの人が働けるようになったことで国全体の生産量や労働生産性も向上し、新卒者の就職の心配も少なくなった。このように日本経済を豊かにしたのは評価されるべきアベノミクスの貢献ではないでしょうか」、私自身の「アベノミクス」の評価は前述の通り、全く評価してない。 「世界的に見ても、日本で職場での女性の活躍度が低いのはこのような制度的条件、税法上のハンディが女性にはあるからです」、その通りだ。 「さらに男女均等にするには、別の努力が必要ですね」、その通りだが、そんな「努力」が払われるのは、まだこれからだ。 「医師の過労死や自死率は男女ともに他の職種よりも高いことも考えると、ジェンダーに目が行きがちな話題ですが、同時に根幹にはもっと根深い問題も潜んでいるのですよね。 税制のことも、雇用のことも、全て個人の生活や社会のあり方にまで直接影響することであり、あらゆる角度からのアプローチが必要なのかと思います」、その通りだ。 なお、精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない、人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは?の2つについては、明日紹介したい。
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