経済学(その7)(2)(内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より2題:精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない、人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは?) [経済政治動向]
昨日に続いて、経済学(その7)(2)(内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より2題:精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない、人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは?)を取上げよう。
先ずは、本年7月31日付け文春オンライン「内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より 精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない。「精神医学と経済政策が似ている」ワケ」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/72390
・『アベノミクスのブレーンとして知られる経済学者の浜田宏一氏。その活躍の裏側で長らく躁うつ病に苦しんできた。さらに回復の途上、実の息子を自死で亡くす。人生とは何か? ともにアメリカで活躍するハーバード大学医学部准教授で小児精神科医の内田舞氏を聞き手に、その波乱に満ちた半生を語る。7月19日に発売になった『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)から、精神医学と経済学の相似性について語られた箇所から一部抜粋してお届けします。(全4回の3回目/最初から読む)』、興味深そうだ。
・『大うつ病と大恐慌――精神医学と経済学は似ている 浜田 イェールの初診の医師から「大うつ病(major depression)ですね」と笑顔なしに診断を伝えられたとき、僕は「経済のほうにも大恐慌(great depression)というのがあります」と答えたのですが、経済学と精神医学にはいろんな意味で似たことがあるように思います。 内田 major depressionとgreat depression! 言葉の面白さに吹き出してしまいました。その笑わない先生もさすがにここは笑ってほしかったですね(笑)。浜田 僕が大学時代に、東大管弦楽団の指揮者で東邦大の薬理学教授であり、宮城道雄賞の受賞者でもあった伊藤隆太先生に作曲を習っていました。その先生が言うには、医学と経済学は「患者(国民経済)の状態について本当はよくわからない時が多いのが似ているのではないか」と。しかし、「この症状がたいしたことはないか、深刻になりそうかは大体の勘で判断はつく」「どの専門医につなげばいいか」ということはわかる、けれども、「この病はAで」とか「Bをすれば治る」などとは必ずしもわかるわけではないというわけです。 とりわけ精神医学の場合はそうだと言えそうですね。いままで体験しなかった形のコロナ禍などを体験する場合には、教科書にも書いていないわけですので、経済政策も完全にこの政策は効果があるとは分からない。そこで試行錯誤で政策も対応していくわけです。経済学でもわからないことだらけなのです。だから研究が楽しみともいえます』、「その先生が言うには、医学と経済学は「患者(国民経済)の状態について本当はよくわからない時が多いのが似ているのではないか」と。しかし、「この症状がたいしたことはないか、深刻になりそうかは大体の勘で判断はつく」「どの専門医につなげばいいか」ということはわかる、けれども、「この病はAで」とか「Bをすれば治る」などとは必ずしもわかるわけではないというわけです。 とりわけ精神医学の場合はそうだと言えそうですね」、なるほど。
・『なぜ経済政策は難しい? アメリカがインフレーションにあえぐ理由 浜田 例えばコロナ禍に対応して人が集まれなくなり、学校も閉鎖になって母親も勤めに出られなくなって勤労者家庭は苦しくなった、そこでバイデン大統領が財政を大盤振る舞いしてそれを救ったのは正しかったと思います。ところがウクライナにロシアが攻め込んで、世界エネルギ―価格が上がったことも手伝って、アメリカはインフレーションになった。 インフレの物価上昇率は収まっていますが、選挙民は、物価の上昇率でなく、よき昔に比べていまの価格がより高いことを気にしている。これがバイデンの次の大統領選挙にも響きそうになった。インフレの要因も絡み合って複雑なので、前にインフレと同じメカニズムで起きているとは限らない。インフレの症状に対して、これをやってみようかあれをやってみようかとさまざまに経済政策を試行錯誤しているわけです。 したがって、どういう政策対応がいいのかも、正解というもの初めからははよくわからない。困っている人にお金を配ったり、財政支出をしたり金融を緩めたりして人助けはするが、インフレが進みそうになれば金融を引き締めたりして対応していくのです。もちろん景気の悪い時に昔の日銀のように金融を引き締め円高にしようとする場合、あるいは震災の時に復興が重要な時の財務省のように財政均衡を優先としたりするような理不尽な政策は経済学の基本原理に反するので学者がとがめるべきなのですが。基本原理については、いまの経済学で素人の人よりは学者のほうがわかっているのはもちろんです』、「景気の悪い時に昔の日銀のように金融を引き締め円高にしようとする場合、あるいは震災の時に復興が重要な時の財務省のように財政均衡を優先としたりするような理不尽な政策は経済学の基本原理に反するので学者がとがめるべきなのですが。基本原理については、いまの経済学で素人の人よりは学者のほうがわかっているのはもちろんです」、実際には日銀や財務省の「理不尽な政策」をとがめた「学者」は多くはなかった。
・『パンデミックと歴史的な日本の円安 浜田 目の前の新しい事象、あるいは新しい政策問題、起きたばかりの災害や感染症などが引き起こす事態については新しいデータを少しずつ学んでいくとともに、そのメカニズムを解明できる経済学をきちんと用意していかねばなりません。このように、昔のモデルでは目の前の新しい状況には対応できないこともあります、しかし細かいモデルの分析とともに、あるいはそれよりもむしろ、経済事象の基本を見据える考察が、我々を救ってくれます。 例えば何年か前に、舞さんのお母さんがアメリカに行かれた際に手をケガされて、緊急で手術をされ大変だったそうですね。手術に何十万もかかったと聞きました。 内田 もう大変でした。ただ転んで手首を骨折しただけなのに、必要な治療に総額でかかった費用は何百万円相当でしたね。クレジットカード付帯の海外旅行保険でカバーされ、自費ではなかったのでよかったのですが、日本とは比べ物にならない高い医療費に一家でショックを受けました。 浜田 それは大変でしたね。こういう個別の例を見ると、当事者にとっては極端な円安の弊害が明らかです。しかし、25年前から現在までの日本経済の歴史を見ると、日本経済は必要以上の円安のためにデフレで苦しんできたのです。必要以上の円高の下では日本物価が例えば米国のそれより高いわけですので、日本で造ったものが海外に売れないわけです。そうして、円高は日銀が金融緩和すれば止めることができたのに、それを日銀がしなかったために日本は20年ものデフレ景気沈滞が続いたというのがわたくしの(おそらく正しい)意見です。 安倍晋三首相の第二次政権(2012―2020)の功績は、とくに日銀総裁に黒田東彦氏を任命して、それまでの円高にあえぐ日本経済を、金融緩和、円安の方針で救ったのです。私も安倍首相の内閣官房参与として、その一翼に参加しました。参加できるまでに、うつが回復していたのを感謝したいと思います。参与として政策に関与したのもうつの一層の回復に役立ったと思えますが、それは後で述べることにします。 繰り返しになりますが、外からは医者は確実に病をどう治せるかを知っているかのように思えますがそうでもないらしい。経済政策も同じで、わからないことがかなり多い。それでも政策当局は精一杯経済を操作していくしかない。完全な治療法はわからなくても、患者が危機に陥らないように手当てをしていかねばならないのに似ています。 経済政策において、時々僕は意見を変えるので評判が悪いこともあります。金融政策を緩めようと言うと前は引き締めしようと言っていたではないかと驚かれたりする。でも状況が変わっている時には対応を変えなければいけないのです。ケインズの言葉に、「状況が変わっているのに同じことを言う人はバカだ」というのがあると言われています。 2008年から2009年にかけてのリーマン危機の下で各国は無価値に近くなった不動産抵当証券を買いまくったわけです。日本には抵当証券の危機はなかったので金融緩和粗品方。そのため強い円高が生じました。そこでアベノミクスで黒田日銀総裁の異次元の金融緩和を行い、円高を阻止しました。これが安倍第二次内閣の特にその前半にアベノミクスが顕著に日本の雇用増加に働いた理由です』、「必要以上の円高の下では日本物価が例えば米国のそれより高いわけですので、日本で造ったものが海外に売れないわけです。そうして、円高は日銀が金融緩和すれば止めることができたのに、それを日銀がしなかったために日本は20年ものデフレ景気沈滞が続いたというのがわたくしの(おそらく正しい)意見です。 安倍晋三首相の第二次政権(2012―2020)の功績は、とくに日銀総裁に黒田東彦氏を任命して、それまでの円高にあえぐ日本経済を、金融緩和、円安の方針で救ったのです。私も安倍首相の内閣官房参与として、その一翼に参加しました・・・そのため強い円高が生じました。そこでアベノミクスで黒田日銀総裁の異次元の金融緩和を行い、円高を阻止しました。これが安倍第二次内閣の特にその前半にアベノミクスが顕著に日本の雇用増加に働いた理由です」、なるほど。
・『新型コロナがもたらした世界経済への影響 浜田 ところが、2020年になると、世界は新型コロナに襲われました。人に会ったり、接触したりすることを避けざるを得なくなりました。そのため大きな生産減、雇用減が各国で起こったわけです。それを救うために、バイデン大統領は、これを大規模の財政政策で解消しようとしました。それは正しかったと思います。ただその結果、アメリカは10パーセントに届くような消費者物価のインフレに見舞われた。そこでアメリカの連邦銀行は、金融を引き締め、金利を上げざるを得なくなった。そして今度はリーマン危機の時と逆のようなことが起きました。日本が金利を上げることができなかったために、円安が生じてしまったのです。舞さんのお母様のエピソードの背景にはこのようなことがあるのです。 ただ植田日銀総裁は、金融を十分に緩和しなかったために雇用が伸びなかった歴史を重視しているのでしょう。円安を止めるのに必要な金融引き締めへの方向転換にはとても慎重に舵をとっています。 内田 なるほど、パンデミックを引き金に、世界経済と連動して歴史的に見ても稀な事態が起きているわけですね。世界的にコロナのような状況が起こることは誰も予想できなかったものの、その場その場で起きたことに反応していかなければならないということですよね。どんな介入においてもリスクとベネフィットがあり、ベネフィットがある中でもリスクが見え隠れした次点で、そのリスクに対応する準備をしなければならない。その際、完全な治療法がなくても、危機に陥らないための対処療法や時間稼ぎも大切という点も納得です。 ただ、パンデミックが終わっても中東やウクライナでの戦争が起こり、またアメリカの利下げも起こりそうにない。素人の感想で申し訳ないのですが、こういった世界的状況のなかで海外の動きによる円安の解消が期待できないのであれば、なおさら日本の内から変わるべき時期なのではないかと思いました。もちろん金融引き締めという直接的な対応も必要であるものの、同時に日本経済そのものが成長して円の価値を上げる必要もあると。 日本の経済成長を妨げる要因として少子化や多様性の欠如などが頻繁にあげられますが、そう考えると、日本の古典的な労働観やジェンダーバイアス、さらに家庭を持ちながら仕事をすることのハードルの高さといった現状の是正こそが、長期的に経済効果をもたらすのかもしれないと考えてしまいます。今こそ多くの人が健康や家庭を犠牲にせずに自分の能力が発揮できるような社会に近づいてほしいですね』、「日本の経済成長を妨げる要因として少子化や多様性の欠如などが頻繁にあげられますが、そう考えると、日本の古典的な労働観やジェンダーバイアス、さらに家庭を持ちながら仕事をすることのハードルの高さといった現状の是正こそが、長期的に経済効果をもたらすのかもしれないと考えてしまいます。今こそ多くの人が健康や家庭を犠牲にせずに自分の能力が発揮できるような社会に近づいてほしいですね」、その通りだ。
・『精神科医と経済学者の試行錯誤のプロセス 内田 ところで、精神医学と経済学は、治療の過程においてその場にある情報を合わせた上での一番いい判断をしながらも、試行錯誤(trial and error)を繰り返すというところが似ていると、以前浜田さんは書かれていましたね。例えば、私が研究をしているテーマの一つに、躁うつ病の発症を予測できるかというものがあります。 先ほども申し上げた通り、うつ状態の患者さんがいらっしゃった場合は、大うつ病なのか躁うつ病なのかがわからないことも多いのです。実は躁うつ病であるにもかかわらず、うつ状態だったので抗うつ薬を使ってみたら、気分が上がりすぎて軽躁状態になってしまい、普段よりもイライラしたり、衝動的なことをしたりしてしまったということは、臨床現場では頻繁にあるシナリオです。そこでの誤診がなるべく減るように、臨床所見、そして脳の構造や機能の違いから、様々な研究手法を使って、うつ病と躁うつ病を見分けるヒントを探しているのです。少しずつですが、すでに実際の臨床現場で使われているヒントも見つかっています。 こういった研究の進歩はあるのですが、それでもうつ状態から躁状態への予期せぬ転換は避けられないものです。だから試行錯誤をするしかない。もし、うつ病の治療のために抗うつ薬を飲んでいて躁状態が出てきたのであれば、抗うつ剤をやめてみましょう、そして躁状態が続くようであれば気分安定剤を試してみましょう、といったように対応を変えなければならない。その状況状況に応じて見えてくる次の段階があるので、そこでまた、その場にあった対応が必要になってくるんですよね。 ちなみに浜田さんの手記には「精神医学とは経済学のようなものだ。断定的な関係がない」という浜田さんの発言に、同僚の方が「でも精神医学は患者を治すことができる。経済学がどうかはわからないけれど」と答えられたというエピソードがありました。これも大変印象的でした。 浜田さんが試行錯誤のプロセスを経て、今もリチウムの服用を続けていらっしゃること。その間、きっと様々な感情の変化と付き合いながらも、しかし当時のような希死念慮や深いうつ状態はその後は経験されずに人生を送られてきたこと。その事実は「精神医学は患者を治すことができる」という言葉が確かに真実であると示してくれるもので、私も医師として勇気づけられる言葉でした。希望をいただきました。 浜田 本書の対談を始める際は、話すなかで悲しいことを思い出してうつまでが再発してしまうのではと、心配でありました。幸い、対話が自分の精神構造を自分で探している過程のように思えてきて、自分の精神状態に対しての認識が深まったように感じています。精神科医の大きな役割も、患者に自分を発見させるところにあると思います。 (内田舞氏の略歴はリンク先参照) (浜田宏一氏の略歴はリンク先参照))』、「同僚の方が「でも精神医学は患者を治すことができる。経済学がどうかはわからないけれど」と答えられたというエピソードがありました。これも大変印象的でした。 浜田さんが試行錯誤のプロセスを経て、今もリチウムの服用を続けていらっしゃること。その間、きっと様々な感情の変化と付き合いながらも、しかし当時のような希死念慮や深いうつ状態はその後は経験されずに人生を送られてきたこと。その事実は「精神医学は患者を治すことができる」という言葉が確かに真実であると示してくれるもので、私も医師として勇気づけられる言葉でした。希望をいただきました」、なるほど。
次に、8月28日付け文春オンライン「郡司 珠子郡司 珠子:アベノミクスのブレーン・浜田宏一氏が経験した双極性障害、息子の自死。人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは? 内田舞×浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)を読む」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/72950
・『アベノミクスのブレーンで経済学者の浜田宏一氏が自身の躁うつ病体験、息子の自死について、浜田氏とつながりのある小児精神科医の内田舞氏と語り合った『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)。渡米前の浜田家の向かいの家に育ち、浜田宏一氏の子どもたちと幼少時の時間を共にした編集者が、夏目漱石の時代から変わらぬその心の葛藤を、そして人生の中で訪れる大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスを本書の中に読む。必読の書評です』、興味深そうだ。
・『渡米前の浜田家とのつながり 浜田宏一はアベノミクスのブレーンとして、経済政策を担った経済学者である。 本書は、宏一の長いうつ闘病をひもとく対談集であると同時に、未来を嘱望された学者が息子を亡くした苦悩の記録でもある。 88歳になる宏一の対談相手に、ハーバード大学医学部の現役精神科医である内田舞が選ばれたのは、単にその職業によるものではない。舞の母・千代子は、娘と同じく精神科医。アメリカでうつを発症した宏一が頼ったのが、同じイェール大学にいた千代子だった。アメリカ人の主治医には語りきれない心の機微を、宏一は母語で打ち明けることができた。 筆者は、渡米前の浜田家の向かいの家に育った。宏一の子どもたちと幼稚園・小学校時代を共にし、海風の吹く庭で木に登り、空き地を走り回った。野生児たちを見守る宏一は、含羞をたたえた品のよい父親だった。 浜田家には、欧米の学問生活のにおいがあった。宏一は、東大経済学部からマサチューセッツ工科大学を経て、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの客員研究員となり、「ゲーム理論を国際間の経済政策の駆け引きに応用する」ことを研究主題としていた。 高校生になるころ、子どもたちもまた欧米へと羽ばたいていった。そこに日本と変わらぬ暮らしがあることを、筆者は疑いもしなかった。だが現実は、おそろしいほど違った。 終身在職兼付きでイェール大学に招聘され、英語で博士課程を教える立場となった宏一は、講義恐怖症から重度のうつを発症。のちに離婚を経験した。 そして、26歳の息子を喪った。同じアメリカで。おそらくは同じ病気で』、「終身在職兼付きでイェール大学に招聘され、英語で博士課程を教える立場となった宏一は、講義恐怖症から重度のうつを発症」、「英語で博士課程を教える」のが「重度のうつを発症」するほど、ストレスがあるもののようだ。
・『精神科医としての注意深い聞き取り、学者らしい入念な語り 1985年、当時の日本経済には破竹の勢いがあった。 アメリカでその日本経済を教えるのだという気負いが、宏一のうつを悪化させた。母語でない言語で学問を教え、高い水準で存在を承認してもらうことに伴う苦しみは、想像を絶するものだった。「頭が破裂しそう」になり、「間違った道を選んだ」という思いが暴走し、希死念慮に囚われ入院を余儀なくされた。 「自分はこの場にふさわしくない」「ダメな人間だ」と思い込んだ過程を、舞は精神科医として注意深く聞き取り、宏一は学者らしい入念さで自分の心に迫っている』、「アメリカでその日本経済を教えるのだという気負いが、宏一のうつを悪化させた。母語でない言語で学問を教え、高い水準で存在を承認してもらうことに伴う苦しみは、想像を絶するものだった。「頭が破裂しそう」になり、「間違った道を選んだ」という思いが暴走し、希死念慮に囚われ入院を余儀なくされた。 「自分はこの場にふさわしくない」「ダメな人間だ」と思い込んだ過程を、舞は精神科医として注意深く聞き取り、宏一は学者らしい入念さで自分の心に迫っている」、なるほど。
・『夏目漱石の時代からの変わらぬ葛藤 自分の問題として能動的に取り組みなさい」というアメリカ医療のスタンスに驚きながらも、「大うつ病」から「双極性Ⅱ型障害」と診断名が変わり、自分に合う薬と出会った宏一は、症状がなくなる経験をする。 医療者としての舞は、宏一の症状のなかに「インポスター症候群」を見る。自分の力で達成したことを自分で評価できなかったり、他人が思う能力に自分が値しないと過小評価したりする症状である。さらに舞は、投薬や通院を「負け」「ずるい」と考える傾向がいまだに根強いことを指摘、「内的評価」を育てることの重要性を説く。 学問の高みは、生半可な努力では通用しない世界だ。スポーツでいえばオリンピック代表。日々の鍛錬の果てに、ようやく場に立つことが許される。その世界を極めながらも、異国にあってマイノリティとならざるを得ぬ、息苦しさ。夏目漱石の時代から変わらぬ葛藤が、そこにある。 一度入り込んだ恐怖、襲いかかる妄念をふり払うのは、容易なことではない。 退院後も治療は続き、宏一は一部の講義を担当できなくなった。そのころ息子・広太郎は3000マイル離れた西海岸で、ガラス作家となっていた。いつしか父と同じように希死念慮に取りつかれるようになり、酷く苦しんでいた息子に、宏一は様々な理由から会いに行くことができなかった。死の一報を受けた日の、身を切るような痛みを、宏一は鮮明に覚えている。 「息子を亡くした苦しみ、そして自分にはうつ体験がありながらそれを防げなかったという後悔から解放されることは一生ない」 家族を亡くした人と気持ちを共有させてほしいという思いから、宏一は辛い経験を詳細に語る。それに対し舞は、精神疾患には遺伝要因が大きくかかわるとしつつも、遺伝子の発現には疾患リスクだけでなく、その人をその人たらしめている様々な美点も含むのだと語る。やんちゃだった広太郎の輝くような笑みは、変わらず周囲の記憶に刻まれている』、「息子を亡くした苦しみ、そして自分にはうつ体験がありながらそれを防げなかったという後悔から解放されることは一生ない」、実に悲痛な体験だ。
・『経済学と精神医学の類似点 宏一の気づきは、経済学と精神医学の類似点へと向かう。 専門家が見れば、症状の深刻度合いはわかるが、病名や治療薬は必ずしも確実ではない。複雑な要因がからみあって生じた症状に対して、試行錯誤を重ね危機に陥らぬよう手当てしていく、そういった点で似かよっているのだ。 病気をきっかけとして宏一は、数理経済学・理論経済学から政策へと視座を変え、日銀の金融政策緩和を提言したことがひとつのきっかけとなって、内閣官房参与となって経済政策を先導することになる。アベノミクスの功罪、回復の過程で気づかされた学問世界の隘路については、本書後半に詳しい』、「病気をきっかけとして宏一は、数理経済学・理論経済学から政策へと視座を変え、日銀の金融政策緩和を提言したことがひとつのきっかけとなって、内閣官房参与となって経済政策を先導することになる」、「視座」変更は初めて知った。
・『大きな災厄のなかでのレジリエンス 読み通すと、光が見えてくる本だ。 宏一の業績は高く評価される。政策論議から怒りを買ったアメリカ政府高官からさえも「学問的成果を尊重する」の一言があり、それが認知療法的に有効だったという。アメリカまで駆けつけてくれた同僚もいる。他人の絶え間ない評価や手助け、そして新しい仕事が、回復の一助となっていくのだ。 宏一には、苦しい時期の彼の口述を手記としてまとめた現在の妻が、また今も各地で、地に足の着いた生活をする家族がいて、交流がある。世に知られた人が立て続けに大きな災厄に見舞われた時に、レジリエンス(弾性)ある身内の存在はどれほどの支えとなっただろうか。そのレジリエンスもまた、宏一を介して培われたものに違いない。 舞は「ラジカル・アクセプタンス」という言葉を最後に引用している。仏教の思想を基とする心理用語で、「起きたことは起きたこと」と、事実をアクセプト(受容)して前に進むことを意味する。 「また自分がどこかで役に立てるだろうと未来を信じること」 「いまどう最善の道を選ぶのか」 宏一は文字に記すことで、長い闘いの果ての精神の有り様を後世に伝えている。 その模索は深く長く、心に響く』、「宏一は文字に記すことで、長い闘いの果ての精神の有り様を後世に伝えている。 その模索は深く長く、心に響く」、貴重な資料になるだろう。
先ずは、本年7月31日付け文春オンライン「内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より 精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない。「精神医学と経済政策が似ている」ワケ」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/72390
・『アベノミクスのブレーンとして知られる経済学者の浜田宏一氏。その活躍の裏側で長らく躁うつ病に苦しんできた。さらに回復の途上、実の息子を自死で亡くす。人生とは何か? ともにアメリカで活躍するハーバード大学医学部准教授で小児精神科医の内田舞氏を聞き手に、その波乱に満ちた半生を語る。7月19日に発売になった『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)から、精神医学と経済学の相似性について語られた箇所から一部抜粋してお届けします。(全4回の3回目/最初から読む)』、興味深そうだ。
・『大うつ病と大恐慌――精神医学と経済学は似ている 浜田 イェールの初診の医師から「大うつ病(major depression)ですね」と笑顔なしに診断を伝えられたとき、僕は「経済のほうにも大恐慌(great depression)というのがあります」と答えたのですが、経済学と精神医学にはいろんな意味で似たことがあるように思います。 内田 major depressionとgreat depression! 言葉の面白さに吹き出してしまいました。その笑わない先生もさすがにここは笑ってほしかったですね(笑)。浜田 僕が大学時代に、東大管弦楽団の指揮者で東邦大の薬理学教授であり、宮城道雄賞の受賞者でもあった伊藤隆太先生に作曲を習っていました。その先生が言うには、医学と経済学は「患者(国民経済)の状態について本当はよくわからない時が多いのが似ているのではないか」と。しかし、「この症状がたいしたことはないか、深刻になりそうかは大体の勘で判断はつく」「どの専門医につなげばいいか」ということはわかる、けれども、「この病はAで」とか「Bをすれば治る」などとは必ずしもわかるわけではないというわけです。 とりわけ精神医学の場合はそうだと言えそうですね。いままで体験しなかった形のコロナ禍などを体験する場合には、教科書にも書いていないわけですので、経済政策も完全にこの政策は効果があるとは分からない。そこで試行錯誤で政策も対応していくわけです。経済学でもわからないことだらけなのです。だから研究が楽しみともいえます』、「その先生が言うには、医学と経済学は「患者(国民経済)の状態について本当はよくわからない時が多いのが似ているのではないか」と。しかし、「この症状がたいしたことはないか、深刻になりそうかは大体の勘で判断はつく」「どの専門医につなげばいいか」ということはわかる、けれども、「この病はAで」とか「Bをすれば治る」などとは必ずしもわかるわけではないというわけです。 とりわけ精神医学の場合はそうだと言えそうですね」、なるほど。
・『なぜ経済政策は難しい? アメリカがインフレーションにあえぐ理由 浜田 例えばコロナ禍に対応して人が集まれなくなり、学校も閉鎖になって母親も勤めに出られなくなって勤労者家庭は苦しくなった、そこでバイデン大統領が財政を大盤振る舞いしてそれを救ったのは正しかったと思います。ところがウクライナにロシアが攻め込んで、世界エネルギ―価格が上がったことも手伝って、アメリカはインフレーションになった。 インフレの物価上昇率は収まっていますが、選挙民は、物価の上昇率でなく、よき昔に比べていまの価格がより高いことを気にしている。これがバイデンの次の大統領選挙にも響きそうになった。インフレの要因も絡み合って複雑なので、前にインフレと同じメカニズムで起きているとは限らない。インフレの症状に対して、これをやってみようかあれをやってみようかとさまざまに経済政策を試行錯誤しているわけです。 したがって、どういう政策対応がいいのかも、正解というもの初めからははよくわからない。困っている人にお金を配ったり、財政支出をしたり金融を緩めたりして人助けはするが、インフレが進みそうになれば金融を引き締めたりして対応していくのです。もちろん景気の悪い時に昔の日銀のように金融を引き締め円高にしようとする場合、あるいは震災の時に復興が重要な時の財務省のように財政均衡を優先としたりするような理不尽な政策は経済学の基本原理に反するので学者がとがめるべきなのですが。基本原理については、いまの経済学で素人の人よりは学者のほうがわかっているのはもちろんです』、「景気の悪い時に昔の日銀のように金融を引き締め円高にしようとする場合、あるいは震災の時に復興が重要な時の財務省のように財政均衡を優先としたりするような理不尽な政策は経済学の基本原理に反するので学者がとがめるべきなのですが。基本原理については、いまの経済学で素人の人よりは学者のほうがわかっているのはもちろんです」、実際には日銀や財務省の「理不尽な政策」をとがめた「学者」は多くはなかった。
・『パンデミックと歴史的な日本の円安 浜田 目の前の新しい事象、あるいは新しい政策問題、起きたばかりの災害や感染症などが引き起こす事態については新しいデータを少しずつ学んでいくとともに、そのメカニズムを解明できる経済学をきちんと用意していかねばなりません。このように、昔のモデルでは目の前の新しい状況には対応できないこともあります、しかし細かいモデルの分析とともに、あるいはそれよりもむしろ、経済事象の基本を見据える考察が、我々を救ってくれます。 例えば何年か前に、舞さんのお母さんがアメリカに行かれた際に手をケガされて、緊急で手術をされ大変だったそうですね。手術に何十万もかかったと聞きました。 内田 もう大変でした。ただ転んで手首を骨折しただけなのに、必要な治療に総額でかかった費用は何百万円相当でしたね。クレジットカード付帯の海外旅行保険でカバーされ、自費ではなかったのでよかったのですが、日本とは比べ物にならない高い医療費に一家でショックを受けました。 浜田 それは大変でしたね。こういう個別の例を見ると、当事者にとっては極端な円安の弊害が明らかです。しかし、25年前から現在までの日本経済の歴史を見ると、日本経済は必要以上の円安のためにデフレで苦しんできたのです。必要以上の円高の下では日本物価が例えば米国のそれより高いわけですので、日本で造ったものが海外に売れないわけです。そうして、円高は日銀が金融緩和すれば止めることができたのに、それを日銀がしなかったために日本は20年ものデフレ景気沈滞が続いたというのがわたくしの(おそらく正しい)意見です。 安倍晋三首相の第二次政権(2012―2020)の功績は、とくに日銀総裁に黒田東彦氏を任命して、それまでの円高にあえぐ日本経済を、金融緩和、円安の方針で救ったのです。私も安倍首相の内閣官房参与として、その一翼に参加しました。参加できるまでに、うつが回復していたのを感謝したいと思います。参与として政策に関与したのもうつの一層の回復に役立ったと思えますが、それは後で述べることにします。 繰り返しになりますが、外からは医者は確実に病をどう治せるかを知っているかのように思えますがそうでもないらしい。経済政策も同じで、わからないことがかなり多い。それでも政策当局は精一杯経済を操作していくしかない。完全な治療法はわからなくても、患者が危機に陥らないように手当てをしていかねばならないのに似ています。 経済政策において、時々僕は意見を変えるので評判が悪いこともあります。金融政策を緩めようと言うと前は引き締めしようと言っていたではないかと驚かれたりする。でも状況が変わっている時には対応を変えなければいけないのです。ケインズの言葉に、「状況が変わっているのに同じことを言う人はバカだ」というのがあると言われています。 2008年から2009年にかけてのリーマン危機の下で各国は無価値に近くなった不動産抵当証券を買いまくったわけです。日本には抵当証券の危機はなかったので金融緩和粗品方。そのため強い円高が生じました。そこでアベノミクスで黒田日銀総裁の異次元の金融緩和を行い、円高を阻止しました。これが安倍第二次内閣の特にその前半にアベノミクスが顕著に日本の雇用増加に働いた理由です』、「必要以上の円高の下では日本物価が例えば米国のそれより高いわけですので、日本で造ったものが海外に売れないわけです。そうして、円高は日銀が金融緩和すれば止めることができたのに、それを日銀がしなかったために日本は20年ものデフレ景気沈滞が続いたというのがわたくしの(おそらく正しい)意見です。 安倍晋三首相の第二次政権(2012―2020)の功績は、とくに日銀総裁に黒田東彦氏を任命して、それまでの円高にあえぐ日本経済を、金融緩和、円安の方針で救ったのです。私も安倍首相の内閣官房参与として、その一翼に参加しました・・・そのため強い円高が生じました。そこでアベノミクスで黒田日銀総裁の異次元の金融緩和を行い、円高を阻止しました。これが安倍第二次内閣の特にその前半にアベノミクスが顕著に日本の雇用増加に働いた理由です」、なるほど。
・『新型コロナがもたらした世界経済への影響 浜田 ところが、2020年になると、世界は新型コロナに襲われました。人に会ったり、接触したりすることを避けざるを得なくなりました。そのため大きな生産減、雇用減が各国で起こったわけです。それを救うために、バイデン大統領は、これを大規模の財政政策で解消しようとしました。それは正しかったと思います。ただその結果、アメリカは10パーセントに届くような消費者物価のインフレに見舞われた。そこでアメリカの連邦銀行は、金融を引き締め、金利を上げざるを得なくなった。そして今度はリーマン危機の時と逆のようなことが起きました。日本が金利を上げることができなかったために、円安が生じてしまったのです。舞さんのお母様のエピソードの背景にはこのようなことがあるのです。 ただ植田日銀総裁は、金融を十分に緩和しなかったために雇用が伸びなかった歴史を重視しているのでしょう。円安を止めるのに必要な金融引き締めへの方向転換にはとても慎重に舵をとっています。 内田 なるほど、パンデミックを引き金に、世界経済と連動して歴史的に見ても稀な事態が起きているわけですね。世界的にコロナのような状況が起こることは誰も予想できなかったものの、その場その場で起きたことに反応していかなければならないということですよね。どんな介入においてもリスクとベネフィットがあり、ベネフィットがある中でもリスクが見え隠れした次点で、そのリスクに対応する準備をしなければならない。その際、完全な治療法がなくても、危機に陥らないための対処療法や時間稼ぎも大切という点も納得です。 ただ、パンデミックが終わっても中東やウクライナでの戦争が起こり、またアメリカの利下げも起こりそうにない。素人の感想で申し訳ないのですが、こういった世界的状況のなかで海外の動きによる円安の解消が期待できないのであれば、なおさら日本の内から変わるべき時期なのではないかと思いました。もちろん金融引き締めという直接的な対応も必要であるものの、同時に日本経済そのものが成長して円の価値を上げる必要もあると。 日本の経済成長を妨げる要因として少子化や多様性の欠如などが頻繁にあげられますが、そう考えると、日本の古典的な労働観やジェンダーバイアス、さらに家庭を持ちながら仕事をすることのハードルの高さといった現状の是正こそが、長期的に経済効果をもたらすのかもしれないと考えてしまいます。今こそ多くの人が健康や家庭を犠牲にせずに自分の能力が発揮できるような社会に近づいてほしいですね』、「日本の経済成長を妨げる要因として少子化や多様性の欠如などが頻繁にあげられますが、そう考えると、日本の古典的な労働観やジェンダーバイアス、さらに家庭を持ちながら仕事をすることのハードルの高さといった現状の是正こそが、長期的に経済効果をもたらすのかもしれないと考えてしまいます。今こそ多くの人が健康や家庭を犠牲にせずに自分の能力が発揮できるような社会に近づいてほしいですね」、その通りだ。
・『精神科医と経済学者の試行錯誤のプロセス 内田 ところで、精神医学と経済学は、治療の過程においてその場にある情報を合わせた上での一番いい判断をしながらも、試行錯誤(trial and error)を繰り返すというところが似ていると、以前浜田さんは書かれていましたね。例えば、私が研究をしているテーマの一つに、躁うつ病の発症を予測できるかというものがあります。 先ほども申し上げた通り、うつ状態の患者さんがいらっしゃった場合は、大うつ病なのか躁うつ病なのかがわからないことも多いのです。実は躁うつ病であるにもかかわらず、うつ状態だったので抗うつ薬を使ってみたら、気分が上がりすぎて軽躁状態になってしまい、普段よりもイライラしたり、衝動的なことをしたりしてしまったということは、臨床現場では頻繁にあるシナリオです。そこでの誤診がなるべく減るように、臨床所見、そして脳の構造や機能の違いから、様々な研究手法を使って、うつ病と躁うつ病を見分けるヒントを探しているのです。少しずつですが、すでに実際の臨床現場で使われているヒントも見つかっています。 こういった研究の進歩はあるのですが、それでもうつ状態から躁状態への予期せぬ転換は避けられないものです。だから試行錯誤をするしかない。もし、うつ病の治療のために抗うつ薬を飲んでいて躁状態が出てきたのであれば、抗うつ剤をやめてみましょう、そして躁状態が続くようであれば気分安定剤を試してみましょう、といったように対応を変えなければならない。その状況状況に応じて見えてくる次の段階があるので、そこでまた、その場にあった対応が必要になってくるんですよね。 ちなみに浜田さんの手記には「精神医学とは経済学のようなものだ。断定的な関係がない」という浜田さんの発言に、同僚の方が「でも精神医学は患者を治すことができる。経済学がどうかはわからないけれど」と答えられたというエピソードがありました。これも大変印象的でした。 浜田さんが試行錯誤のプロセスを経て、今もリチウムの服用を続けていらっしゃること。その間、きっと様々な感情の変化と付き合いながらも、しかし当時のような希死念慮や深いうつ状態はその後は経験されずに人生を送られてきたこと。その事実は「精神医学は患者を治すことができる」という言葉が確かに真実であると示してくれるもので、私も医師として勇気づけられる言葉でした。希望をいただきました。 浜田 本書の対談を始める際は、話すなかで悲しいことを思い出してうつまでが再発してしまうのではと、心配でありました。幸い、対話が自分の精神構造を自分で探している過程のように思えてきて、自分の精神状態に対しての認識が深まったように感じています。精神科医の大きな役割も、患者に自分を発見させるところにあると思います。 (内田舞氏の略歴はリンク先参照) (浜田宏一氏の略歴はリンク先参照))』、「同僚の方が「でも精神医学は患者を治すことができる。経済学がどうかはわからないけれど」と答えられたというエピソードがありました。これも大変印象的でした。 浜田さんが試行錯誤のプロセスを経て、今もリチウムの服用を続けていらっしゃること。その間、きっと様々な感情の変化と付き合いながらも、しかし当時のような希死念慮や深いうつ状態はその後は経験されずに人生を送られてきたこと。その事実は「精神医学は患者を治すことができる」という言葉が確かに真実であると示してくれるもので、私も医師として勇気づけられる言葉でした。希望をいただきました」、なるほど。
次に、8月28日付け文春オンライン「郡司 珠子郡司 珠子:アベノミクスのブレーン・浜田宏一氏が経験した双極性障害、息子の自死。人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは? 内田舞×浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)を読む」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/72950
・『アベノミクスのブレーンで経済学者の浜田宏一氏が自身の躁うつ病体験、息子の自死について、浜田氏とつながりのある小児精神科医の内田舞氏と語り合った『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)。渡米前の浜田家の向かいの家に育ち、浜田宏一氏の子どもたちと幼少時の時間を共にした編集者が、夏目漱石の時代から変わらぬその心の葛藤を、そして人生の中で訪れる大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスを本書の中に読む。必読の書評です』、興味深そうだ。
・『渡米前の浜田家とのつながり 浜田宏一はアベノミクスのブレーンとして、経済政策を担った経済学者である。 本書は、宏一の長いうつ闘病をひもとく対談集であると同時に、未来を嘱望された学者が息子を亡くした苦悩の記録でもある。 88歳になる宏一の対談相手に、ハーバード大学医学部の現役精神科医である内田舞が選ばれたのは、単にその職業によるものではない。舞の母・千代子は、娘と同じく精神科医。アメリカでうつを発症した宏一が頼ったのが、同じイェール大学にいた千代子だった。アメリカ人の主治医には語りきれない心の機微を、宏一は母語で打ち明けることができた。 筆者は、渡米前の浜田家の向かいの家に育った。宏一の子どもたちと幼稚園・小学校時代を共にし、海風の吹く庭で木に登り、空き地を走り回った。野生児たちを見守る宏一は、含羞をたたえた品のよい父親だった。 浜田家には、欧米の学問生活のにおいがあった。宏一は、東大経済学部からマサチューセッツ工科大学を経て、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの客員研究員となり、「ゲーム理論を国際間の経済政策の駆け引きに応用する」ことを研究主題としていた。 高校生になるころ、子どもたちもまた欧米へと羽ばたいていった。そこに日本と変わらぬ暮らしがあることを、筆者は疑いもしなかった。だが現実は、おそろしいほど違った。 終身在職兼付きでイェール大学に招聘され、英語で博士課程を教える立場となった宏一は、講義恐怖症から重度のうつを発症。のちに離婚を経験した。 そして、26歳の息子を喪った。同じアメリカで。おそらくは同じ病気で』、「終身在職兼付きでイェール大学に招聘され、英語で博士課程を教える立場となった宏一は、講義恐怖症から重度のうつを発症」、「英語で博士課程を教える」のが「重度のうつを発症」するほど、ストレスがあるもののようだ。
・『精神科医としての注意深い聞き取り、学者らしい入念な語り 1985年、当時の日本経済には破竹の勢いがあった。 アメリカでその日本経済を教えるのだという気負いが、宏一のうつを悪化させた。母語でない言語で学問を教え、高い水準で存在を承認してもらうことに伴う苦しみは、想像を絶するものだった。「頭が破裂しそう」になり、「間違った道を選んだ」という思いが暴走し、希死念慮に囚われ入院を余儀なくされた。 「自分はこの場にふさわしくない」「ダメな人間だ」と思い込んだ過程を、舞は精神科医として注意深く聞き取り、宏一は学者らしい入念さで自分の心に迫っている』、「アメリカでその日本経済を教えるのだという気負いが、宏一のうつを悪化させた。母語でない言語で学問を教え、高い水準で存在を承認してもらうことに伴う苦しみは、想像を絶するものだった。「頭が破裂しそう」になり、「間違った道を選んだ」という思いが暴走し、希死念慮に囚われ入院を余儀なくされた。 「自分はこの場にふさわしくない」「ダメな人間だ」と思い込んだ過程を、舞は精神科医として注意深く聞き取り、宏一は学者らしい入念さで自分の心に迫っている」、なるほど。
・『夏目漱石の時代からの変わらぬ葛藤 自分の問題として能動的に取り組みなさい」というアメリカ医療のスタンスに驚きながらも、「大うつ病」から「双極性Ⅱ型障害」と診断名が変わり、自分に合う薬と出会った宏一は、症状がなくなる経験をする。 医療者としての舞は、宏一の症状のなかに「インポスター症候群」を見る。自分の力で達成したことを自分で評価できなかったり、他人が思う能力に自分が値しないと過小評価したりする症状である。さらに舞は、投薬や通院を「負け」「ずるい」と考える傾向がいまだに根強いことを指摘、「内的評価」を育てることの重要性を説く。 学問の高みは、生半可な努力では通用しない世界だ。スポーツでいえばオリンピック代表。日々の鍛錬の果てに、ようやく場に立つことが許される。その世界を極めながらも、異国にあってマイノリティとならざるを得ぬ、息苦しさ。夏目漱石の時代から変わらぬ葛藤が、そこにある。 一度入り込んだ恐怖、襲いかかる妄念をふり払うのは、容易なことではない。 退院後も治療は続き、宏一は一部の講義を担当できなくなった。そのころ息子・広太郎は3000マイル離れた西海岸で、ガラス作家となっていた。いつしか父と同じように希死念慮に取りつかれるようになり、酷く苦しんでいた息子に、宏一は様々な理由から会いに行くことができなかった。死の一報を受けた日の、身を切るような痛みを、宏一は鮮明に覚えている。 「息子を亡くした苦しみ、そして自分にはうつ体験がありながらそれを防げなかったという後悔から解放されることは一生ない」 家族を亡くした人と気持ちを共有させてほしいという思いから、宏一は辛い経験を詳細に語る。それに対し舞は、精神疾患には遺伝要因が大きくかかわるとしつつも、遺伝子の発現には疾患リスクだけでなく、その人をその人たらしめている様々な美点も含むのだと語る。やんちゃだった広太郎の輝くような笑みは、変わらず周囲の記憶に刻まれている』、「息子を亡くした苦しみ、そして自分にはうつ体験がありながらそれを防げなかったという後悔から解放されることは一生ない」、実に悲痛な体験だ。
・『経済学と精神医学の類似点 宏一の気づきは、経済学と精神医学の類似点へと向かう。 専門家が見れば、症状の深刻度合いはわかるが、病名や治療薬は必ずしも確実ではない。複雑な要因がからみあって生じた症状に対して、試行錯誤を重ね危機に陥らぬよう手当てしていく、そういった点で似かよっているのだ。 病気をきっかけとして宏一は、数理経済学・理論経済学から政策へと視座を変え、日銀の金融政策緩和を提言したことがひとつのきっかけとなって、内閣官房参与となって経済政策を先導することになる。アベノミクスの功罪、回復の過程で気づかされた学問世界の隘路については、本書後半に詳しい』、「病気をきっかけとして宏一は、数理経済学・理論経済学から政策へと視座を変え、日銀の金融政策緩和を提言したことがひとつのきっかけとなって、内閣官房参与となって経済政策を先導することになる」、「視座」変更は初めて知った。
・『大きな災厄のなかでのレジリエンス 読み通すと、光が見えてくる本だ。 宏一の業績は高く評価される。政策論議から怒りを買ったアメリカ政府高官からさえも「学問的成果を尊重する」の一言があり、それが認知療法的に有効だったという。アメリカまで駆けつけてくれた同僚もいる。他人の絶え間ない評価や手助け、そして新しい仕事が、回復の一助となっていくのだ。 宏一には、苦しい時期の彼の口述を手記としてまとめた現在の妻が、また今も各地で、地に足の着いた生活をする家族がいて、交流がある。世に知られた人が立て続けに大きな災厄に見舞われた時に、レジリエンス(弾性)ある身内の存在はどれほどの支えとなっただろうか。そのレジリエンスもまた、宏一を介して培われたものに違いない。 舞は「ラジカル・アクセプタンス」という言葉を最後に引用している。仏教の思想を基とする心理用語で、「起きたことは起きたこと」と、事実をアクセプト(受容)して前に進むことを意味する。 「また自分がどこかで役に立てるだろうと未来を信じること」 「いまどう最善の道を選ぶのか」 宏一は文字に記すことで、長い闘いの果ての精神の有り様を後世に伝えている。 その模索は深く長く、心に響く』、「宏一は文字に記すことで、長い闘いの果ての精神の有り様を後世に伝えている。 その模索は深く長く、心に響く」、貴重な資料になるだろう。
タグ:(その7)(2)(内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より2題:精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない、人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは?) 経済学 文春オンライン「内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より 精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない。「精神医学と経済政策が似ている」ワケ」 『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書) 「その先生が言うには、医学と経済学は「患者(国民経済)の状態について本当はよくわからない時が多いのが似ているのではないか」と。しかし、「この症状がたいしたことはないか、深刻になりそうかは大体の勘で判断はつく」「どの専門医につなげばいいか」ということはわかる、けれども、「この病はAで」とか「Bをすれば治る」などとは必ずしもわかるわけではないというわけです。 とりわけ精神医学の場合はそうだと言えそうですね」、なるほど。 「景気の悪い時に昔の日銀のように金融を引き締め円高にしようとする場合、あるいは震災の時に復興が重要な時の財務省のように財政均衡を優先としたりするような理不尽な政策は経済学の基本原理に反するので学者がとがめるべきなのですが。基本原理については、いまの経済学で素人の人よりは学者のほうがわかっているのはもちろんです」、実際には日銀や財務省の「理不尽な政策」をとがめた「学者」は多くはなかった。 「必要以上の円高の下では日本物価が例えば米国のそれより高いわけですので、日本で造ったものが海外に売れないわけです。そうして、円高は日銀が金融緩和すれば止めることができたのに、それを日銀がしなかったために日本は20年ものデフレ景気沈滞が続いたというのがわたくしの(おそらく正しい)意見です。 安倍晋三首相の第二次政権(2012―2020)の功績は、とくに日銀総裁に黒田東彦氏を任命して、それまでの円高にあえぐ日本経済を、金融緩和、円安の方針で救ったのです。 私も安倍首相の内閣官房参与として、その一翼に参加しました・・・そのため強い円高が生じました。そこでアベノミクスで黒田日銀総裁の異次元の金融緩和を行い、円高を阻止しました。これが安倍第二次内閣の特にその前半にアベノミクスが顕著に日本の雇用増加に働いた理由です」、なるほど。 「日本の経済成長を妨げる要因として少子化や多様性の欠如などが頻繁にあげられますが、そう考えると、日本の古典的な労働観やジェンダーバイアス、さらに家庭を持ちながら仕事をすることのハードルの高さといった現状の是正こそが、長期的に経済効果をもたらすのかもしれないと考えてしまいます。今こそ多くの人が健康や家庭を犠牲にせずに自分の能力が発揮できるような社会に近づいてほしいですね」、その通りだ。 「同僚の方が「でも精神医学は患者を治すことができる。経済学がどうかはわからないけれど」と答えられたというエピソードがありました。これも大変印象的でした。 浜田さんが試行錯誤のプロセスを経て、今もリチウムの服用を続けていらっしゃること。その間、きっと様々な感情の変化と付き合いながらも、しかし当時のような希死念慮や深いうつ状態はその後は経験されずに人生を送られてきたこと。 その事実は「精神医学は患者を治すことができる」という言葉が確かに真実であると示してくれるもので、私も医師として勇気づけられる言葉でした。希望をいただきました」、なるほど。 文春オンライン「郡司 珠子郡司 珠子:アベノミクスのブレーン・浜田宏一氏が経験した双極性障害、息子の自死。人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは? 内田舞×浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)を読む」 舞の母・千代子は、娘と同じく精神科医。アメリカでうつを発症した宏一が頼ったのが、同じイェール大学にいた千代子だった。 「終身在職兼付きでイェール大学に招聘され、英語で博士課程を教える立場となった宏一は、講義恐怖症から重度のうつを発症」、「英語で博士課程を教える」のが「重度のうつを発症」するほど、ストレスがあるもののようだ。 「アメリカでその日本経済を教えるのだという気負いが、宏一のうつを悪化させた。母語でない言語で学問を教え、高い水準で存在を承認してもらうことに伴う苦しみは、想像を絶するものだった。「頭が破裂しそう」になり、「間違った道を選んだ」という思いが暴走し、希死念慮に囚われ入院を余儀なくされた。 「自分はこの場にふさわしくない」「ダメな人間だ」と思い込んだ過程を、舞は精神科医として注意深く聞き取り、宏一は学者らしい入念さで自分の心に迫っている」、なるほど。 「息子を亡くした苦しみ、そして自分にはうつ体験がありながらそれを防げなかったという後悔から解放されることは一生ない」、実に悲痛な体験だ。 「病気をきっかけとして宏一は、数理経済学・理論経済学から政策へと視座を変え、日銀の金融政策緩和を提言したことがひとつのきっかけとなって、内閣官房参与となって経済政策を先導することになる」、「視座」変更は初めて知った。 「宏一は文字に記すことで、長い闘いの果ての精神の有り様を後世に伝えている。 その模索は深く長く、心に響く」、貴重な資料になるだろう。