小売業(一般)(その10)(ドンキ創業者・安田隆夫氏が語る人事論 毎年20%の支社長が降格、ドンキは2割降格でも社内が明るい 仕事を「ゲーム化」する4条件、ドンキ創業者・安田隆夫氏が「凱旋」会見 米国攻略へ3つの勝ち筋、ヨーカドー「33店舗閉店」で露見した"残酷な真実" 人も街も変化したのに なにも変われなかった) [企業経営]
小売業(一般)については、本年4月29日に取上げた。今日は、(その10)(ドンキ創業者・安田隆夫氏が語る人事論 毎年20%の支社長が降格、ドンキは2割降格でも社内が明るい 仕事を「ゲーム化」する4条件、ドンキ創業者・安田隆夫氏が「凱旋」会見 米国攻略へ3つの勝ち筋、ヨーカドー「33店舗閉店」で露見した"残酷な真実" 人も街も変化したのに なにも変われなかった)である。
先ずは、本年8月5日付けYahooニュースが転載した日経ビジネスオンライン「ドンキ創業者・安田隆夫氏が語る人事論 毎年20%の支社長が降格」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/af9549f428953720c9d2aadacc32ca21b3cc8523
・『破竹の進撃が止まらない。ディスカウントストア「ドン・キホーテ」(通称「ドンキ」)を運営するパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)は、34期連続増収増益と波に乗る。『進撃のドンキ 知られざる巨大企業の深淵なる経営』を上梓(じょうし)した酒井大輔が、その強さの源泉を探る。 「はらわた力(りょく)」──。ドン・キホーテに脈々と伝わる造語である。 たとえ失敗して土壇場に追い詰められても、その経験を糧として勇猛果敢に立ち上がる。目の前の壁に跳ね返され、もがき苦しみながらも、不屈の闘志で最後に這い上がろうとする一念のことを指す。 はらわた力を思う存分鍛えられるよう、ドンキには失敗を容認する企業文化が浸透している。経営理念に掲げるのは「大胆な権限委譲」。仕入れ過ぎて在庫を大量に抱えてしまった、開発した商品が全く売れなかった、赤字を計上してしまった…そんなときも上司からとがめられることはない。ドンキでは誰もが派手にやらかしながら、一人前の商売人に育ってきたからだ。失敗による損失は、成功体験を積み重ねる礎と位置付けている。 社員全員が貪欲に成長を追い求める集団であり続けられれば、どれほど大きな企業になろうと安定志向に傾き、成長が鈍化することはない。「大企業病」になることなどない、はずだった。 しかし、売上高5000億円が近づいてきた2010年ごろから、創業者の安田隆夫氏に危機感が芽生え始めた。 増収率が鈍った時期に、創業者は何を考えたか? 増収率が鈍ってきた。意思疎通の遅れや、店舗の末端まで目が届かなかったことによる不正も起きた。この先も成長街道を突っ走るためには、社内の組織づくりも変えていく必要がある。安田氏がそう思案するようになったのは、この時期からだ(「ドンキ、35期連続増収増益に挑む カルト集団のごとき理念の徹底実践」参照)。 実際には増収増益は途切れることなく続き、10年代後半には、成長が再び加速する。19年にはユニーを完全子会社化し、パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)というグループ全体で、ついに売上高1兆円を突破。07年の長崎屋買収に続く大型再編劇で、小売業界の台風の目に躍り出た。その半面、快進撃の反動なのか、大企業化による弊害も直視せざるを得ない状況に陥った』、「「はらわた力(りょく)」──。ドン・キホーテに脈々と伝わる造語である。 たとえ失敗して土壇場に追い詰められても、その経験を糧として勇猛果敢に立ち上がる。目の前の壁に跳ね返され、もがき苦しみながらも、不屈の闘志で最後に這い上がろうとする一念のことを指す。 はらわた力を思う存分鍛えられるよう、ドンキには失敗を容認する企業文化が浸透している。経営理念に掲げるのは「大胆な権限委譲」。仕入れ過ぎて在庫を大量に抱えてしまった、開発した商品が全く売れなかった、赤字を計上してしまった…そんなときも上司からとがめられることはない。ドンキでは誰もが派手にやらかしながら、一人前の商売人に育ってきたからだ。失敗による損失は、成功体験を積み重ねる礎と位置付けている。 社員全員が貪欲に成長を追い求める集団であり続けられれば、どれほど大きな企業になろうと安定志向に傾き、成長が鈍化することはない。「大企業病」になることなどない、はずだった・・・パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)というグループ全体で、ついに売上高1兆円を突破。07年の長崎屋買収に続く大型再編劇で、小売業界の台風の目に躍り出た。その半面、快進撃の反動なのか、大企業化による弊害も直視せざるを得ない状況に陥った」、「失敗を容認する企業文化が浸透」、日本企業には珍しいことだ。
・『支社を分割、究極の権限委譲へ 「1人の支社長が20店舗、30店舗と見るようになったんです。従業数にして1000人以上です。そもそも1人の人間が、集団を把握できる物理的な限界は140~150人という説がありますよね。そもそも支社として機能しているんですか、ということですよ」 15年に「勇退」を発表し、代表権のない創業会長兼最高顧問としてシンガポールに移住した安田氏が20年9月、ついに大なたを振るった。「ミリオンスター制度」という新たな人事評価システムを導入したのだ。 ドンキではもともと現場に権限を委譲する代わりに、しっかりと結果を出した従業員にはその努力をたたえ、昇給や昇進という形で報いる完全実力主義を掲げてきた。権限委譲と適切な評価、その両輪が回ることで組織の新陳代謝が図られ、ベンチャースピリットが保たれてきたのだ。しかし、支社長が目配りできないほどの店舗を統括していると、個店ごとの経営課題を十分にくみ取れないのはもちろん、そこで働く従業員一人ひとりの頑張りをきめ細かくフォローすることができない。人事評価の根幹が崩れてしまうのだ。 そこで「1ミリオン(100万)を単位に、(組織図を)大きく変えることにした」(安田氏)。目指したのは「究極」の権限委譲である。 それまで全国で20だった支社数を102に分割し、100万人(=1ミリオン)の商圏人口ごとに1人の「ミリオン支社長」を任命した。これにより、1人の支社長につき3~6店舗を管轄する体制に刷新。ミリオン支社長に上司はおらず、100万人の商圏、100億円の年商を持つエリアの“社長”として、完全に経営を任せる、という大胆なプランだ。 支社長ポストが大きく増えたことで、ドンキ初の女性支社長や、27歳の支社長(いずれも当時)が誕生した。ダイバーシティー(多様性)を推進しながら、実力のある人材はどんどん抜擢(ばってき)する、という姿勢を社内に見せつけたのだ』、「それまで全国で20だった支社数を102に分割し、100万人(=1ミリオン)の商圏人口ごとに1人の「ミリオン支社長」を任命した。これにより、1人の支社長につき3~6店舗を管轄する体制に刷新。ミリオン支社長に上司はおらず、100万人の商圏、100億円の年商を持つエリアの“社長”として、完全に経営を任せる、という大胆なプランだ。 支社長ポストが大きく増えたことで、ドンキ初の女性支社長や、27歳の支社長(いずれも当時)が誕生した。ダイバーシティー(多様性)を推進しながら、実力のある人材はどんどん抜擢(ばってき)する、という姿勢を社内に見せつけたのだ」、画期的だ。
・『“入れ替え戦”で下位20%は自動降格 一人ひとりのミリオン支社長がそのエリアの収支に責任を持つことで、エリア全体の業績を高める“経営”に挑んでもらう。年間の利益貢献度で上位に入ったミリオン支社長は高額の報酬を手にできる一方で、下位20%に沈んだ場合、新たな支社長にとって代わられる。英国のプレミアリーグや日本のJリーグなどが取り入れる“入れ替え戦”の仕組みを、社内制度として導入したのだ。 安田氏は大相撲の番付になぞらえて、こう説明する。 「通年で下位20%のミリオン支社長は自動降格して幕下になる。上位になったら上位になったで、また新しい番付がその翌年から始まりますから、幕下に落ちないように頑張るしかないですね。もう一度、ゼロからやり直しですから」 荒療治に打って出たのは、好業績にあぐらをかくことなく、今一度原点を思い出してもらいたいからだ。「大企業病を排除して、(従業員)一人ひとりの個性、生きざまを把握しながら、みんなで一つの目的に向かっていける、有機的な結合を持った、いわばチームとしての組織をつくろうとしたんですよ」と安田氏は語る。 ミリオンスター制度には、支社長たるもの、部下の社員だけでなく、「メイトさん」と呼ぶアルバイト全員の名前まで、名札を見ずに言えないと失格だ──という安田氏の強い思いが反映されている。大企業になっても、駆け出しのスタートアップのように、仲間と互いに顔を突き合わせながら、難局を乗り越えていく。その積み重ねにより、店も個々人も成長していくという信念がそこにある。 ミリオンスター制度は、毎年全体の2割の支社長を入れ替えるという「劇薬」だけに、“副作用”も大きい。制度のひずみを正すため、新たな組織が設けられた。それが「アンサーマン本部」である。(次回に続く)』、「下位20%に沈んだ場合、新たな支社長にとって代わられる。英国のプレミアリーグや日本のJリーグなどが取り入れる“入れ替え戦”の仕組みを、社内制度として導入したのだ」、なるほど。
次に、8月7日付け日経ビジネスオンライン「ドンキは2割降格でも社内が明るい 仕事を「ゲーム化」する4条件」を紹介しよう。
・『この記事の3つのポイント 業績好調の「ドン・キホーテ」は、昇格も降格も活発だ 人事制度への不満などには「アンサーマン本部」が対応 完全実力主義をゲーム化する「競争の4条件」がある ディスカウントストア「ドン・キホーテ」(通称「ドンキ」)を運営するパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)は、34期連続増収増益と波に乗る。完全実力主義で「ミリオンスター制度」の下、毎年2割の支社長が降格になる(前回「ドンキ創業者・安田隆夫氏が語る人事論 毎年20%の支社長が降格」)。厳しいようだが、不思議と社内は明るい。なぜか? 『進撃のドンキ 知られざる巨大企業の深淵なる経営』を上梓(じょうし)した酒井大輔が、謎に迫る。 PPIHのミリオンスター制度は、毎年全体の2割の支社長を入れ替えるという「劇薬」だけに、“副作用”も大きい。制度のひずみを正すため、新たな組織が設けられた。それが「アンサーマン本部」である。 常務執行役員でドン・キホーテ副社長と長崎屋社長を兼務する赤城真一郎氏の名刺を見ると「アンサーマン本部長兼人財本部長」と併記されていた。 「代表取締役」よりも前に「アンサーマン本部長」の肩書が出る、赤城真一郎氏の名刺(筆者撮影) 「アンサーマンってなんですか、ってよく言われるんですよ。一番上に書かれていますから」と赤城氏は笑う。確かに、名刺上では、ドンキや長崎屋の役員よりも「アンサーマン本部長」が前に出ている。それだけ社内で重要なポジションと目されているのだ。 「ミリオンスター制度って、とんでもないルールじゃないですか。結果を出せば、年収がザバーンと上がるという意味では(努力が報われる)画期的な制度ですが、一方で降格になる人も続出する。毎年毎年、制度の不備や文句が出てくるんですよ。それをサポートしていく部署が必要だよねということで、アンサーマン本部ができました」(赤城氏)。 降格された人の文句を聞くばかりではない。) アンサーマンとは、その名の通り「答える人」のこと。現場の悩みや不満、要望など「何でも聞いて、答えてあげる」任務を負う。 メンバーは赤城氏を本部長に、ドンキの取締役が「アンサーマン委員」として名を連ねる。「もっとかっこいい名前をいろいろ考えていたんですけど、『お前、本部がそんな偉そうな、仰々しい名前をつけてどうするんだよ。それで現場から(社内の)情報が集まると思っているのか。もっと考えろ』と安田から言われまして…」(赤城氏)。 なんでも相談室といった候補も挙がったというが、安田氏命名のアンサーマン本部に決まった。「これが業務サポート部とか一般的な名前だと、『何かのサポートをやっているんじゃないの』ぐらいの反応になっちゃうんですけど、アンサーマンだと『何ですか、それ』ってみんな興味を持つわけですよ。さすがだな、と思いましたね」と赤城氏は振り返る。アンサーマンに限らず、ドンキのユニークな制度が機能するのは、安田氏のネーミングセンスに負うところも大きい。 常務執行役員の赤城氏。もともとスポーツマンで、大学卒業後、しばらくは定職につかず、中途採用でドンキに入った(写真=古立 康三) ただし、競争にはルールが必要だ。ドンキにおける競争の4条件として、明確な勝敗の基準とタイムリミットを設け、プレーヤーに大幅な自由裁量権を与えて、ルールは最小限のシンプルなものにとどめるという方針を、安田氏は打ち出した。 実際のゲームもルールで縛り過ぎると、プレーしていて楽しくないだろう。工夫できる余地があるからこそ、どうやって攻略しようかとワクワクするものだ。そして勝敗の基準が明確であればこそ、負けても納得し、次は勝とうと前を向ける。 競争の面白さを最大限、引き出すルールと仕組みがあるから、完全実力主義を貫いても社内が回る。ミリオンスター制度は、とんでもない劇薬のように見えて、実はドンキらしさを突き詰めた究極のシステムともいえるのだ。 PPIHは、仕事をゲーム化する仕組みをつくり、社員のやる気を引き出すことにたけている。ゲームを持ち込むことで、仕事がもっと楽しくなる。ドンキが長年磨いてきたアミューズメント性の高い買い場(*)は、従業員自身がやりがいを胸に、楽しく仕事をしていることの裏返しでもある。 * 買い場:ドンキでは伝統的に売り場のことを「買い場」と呼ぶ。売り場は店側から見た言葉で、来店客からすれば商品を買う場所だからだ。 気づけば売上高2兆円。今や「セブン、イオン、ドンキ」として総合小売り3強の一角をなす。怒涛の34期連続増収増益を支える、逆張り戦略。アルバイト店員に商品の仕入れから値付け、陳列まで“丸投げ”する。現場が好き勝手やっているのに、利益が上がるのはなぜか? 知られざる巨大企業の強さに迫る1冊、2024年8月発売。 実は、かつてドンキの店舗には「アンサーマン」がいた。緑色のジャケットを着て、来店客の質問に答えるコンシェルジュ的な役割を果たしていた。アンサーマン本部=何かに答えてくれる部署として、現場にも違和感なく受け入れられるという皮算用もあった』、「降格になる人も続出する。毎年毎年、制度の不備や文句が出てくるんですよ。それをサポートしていく部署が必要だよねということで、アンサーマン本部ができました」(赤城氏)。 降格された人の文句を聞くばかりではない。) アンサーマンとは、その名の通り「答える人」のこと。現場の悩みや不満、要望など「何でも聞いて、答えてあげる」任務を負う。 メンバーは赤城氏を本部長に、ドンキの取締役が「アンサーマン委員」として名を連ねる・・・仕事をゲーム化する仕組みをつくり、社員のやる気を引き出すことにたけている。ゲームを持ち込むことで、仕事がもっと楽しくなる。ドンキが長年磨いてきたアミューズメント性の高い買い場(*)は、従業員自身がやりがいを胸に、楽しく仕事をしていることの裏返しでもある」、なるほど。
・『「数字至上主義」に走り過ぎていないか? アンサーマン本部の仕事は、とにかく店舗に足を運び、店長や従業員の御用聞きに徹することだ。例えば、“番付”の上位に入るべく支社長が「数字至上主義」に走り、現場にむちゃを強いてはいないか。直属の上司にはなかなか直言できない問題点を、役員たちが直々に聞き取ることで、課題を把握し、早期の改善につなげるのが目的である。 赤城氏自身も全国のドンキの店舗を精力的に回り、「常務執行役員です、副社長ですじゃなくて、どこに行ってもアンサーマン本部ですと言うようにしている」という。ミリオンスター支社長から陥落してしまった社員もヒアリングの対象だ。当事者として辛酸をなめているからこそ、支社長としてもっとこうすればよかった、ミリオンスター制度のここを改善してほしいといった一家言を持っているからだ。 自動降格が発動し、ミリオンスター支社長の座を奪われても、金輪際チャンスが巡ってこないというわけではない。降格があるということは、昇格もある。実際、新たな支社長は社内の立候補者から選ばれ、その中には降格経験者も含まれている。PPIHの役員たち自身も、昇降格を繰り返しながら、着実にステップアップしてきた。 「敗者復活」の文化があるから、絶望することなく、捲土(けんど)重来を期して爪を研げる。“入れ替え戦”は己を見つめ直し、はらわた力(*)を蓄える絶好の機会になる。 * はらわた力:ドンキに脈々と伝わる造語。たとえ失敗して土壇場に追い詰められても、その経験を糧として勇猛果敢に立ち上がり、もがき苦しみながら、不屈の闘志で這い上がろうとする一念のことを指す。 ▽若くして“経営者”の経験を積める(ミリオンスター制度は見方によっては、恐怖政治のようだが、実力次第で誰にでもチャンスが与えられ、若くして“経営者”の経験を積めるというメリットがある。結果を出せば、待遇も良くなるため、モチベーションも上がりやすい。 この制度の導入以前は、支社長が長く変わらず、社内全体に硬直感が漂っていたという。それが今や、毎年20人ほどの新支社長の椅子を目指し、100人ほどが手を挙げる。「安定を求めている人にとっては、とんでもない制度なのかもしれないですが、うちの会社には安定という文字はないので」(赤城氏)。 完全実力主義を振りかざし過ぎると、社内がギスギスしそうなものだが、ドンキでは不思議とそうなっていない。いったい、何が違うのだろうか。 安田氏は、権限委譲によって、仕事が労働(ワーク)ではなく、競争(ゲーム)になる、と説く。企業理念をまとめた小冊子「源流」(「ドンキ、35期連続増収増益に挑む カルト集団のごとき理念の徹底実践」参照)にも、「仕事を『ワーク』ではなく『ゲーム』として楽しめ」という心得が記載されている』、「降格があるということは、昇格もある。実際、新たな支社長は社内の立候補者から選ばれ、その中には降格経験者も含まれている。PPIHの役員たち自身も、昇降格を繰り返しながら、着実にステップアップしてきた。 「敗者復活」の文化があるから、絶望することなく、捲土(けんど)重来を期して爪を研げる。“入れ替え戦”は己を見つめ直し、はらわた力(*)を蓄える絶好の機会になる・・・権限委譲によって、仕事が労働(ワーク)ではなく、競争(ゲーム)になる、と説く・・・「仕事を『ワーク』ではなく『ゲーム』として楽しめ」という心得が記載」、なるほど。
第三に、8月20日付け日経ビジネスオンライン「ドンキ創業者・安田隆夫氏が「凱旋」会見 米国攻略へ3つの勝ち筋」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00096/081900180/
・『この記事の3つのポイント 創業者の安田氏が9年ぶりに決算会見に登壇 米国市場の本格開拓への野望を語った 売上高2兆円突破や35期連続の増収増益は通過点 勇退した創業者が9年半ぶりに登壇――。ディスカウントストア「ドン・キホーテ」(通称「ドンキ」)を運営するパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)の決算発表の場に安田隆夫氏が戻ってきた。35期連続の増収増益を達成した同社の会見に、なぜ安田氏が戻ってきたのか。その肉声に込められた思いと背景を、『進撃のドンキ 知られざる巨大企業の深淵なる経営』を上梓(じょうし)した酒井大輔が分析する。 9年半ぶりの“凱旋”だった。2024年8月16日、都内で開かれたPPIHの決算説明会。冒頭、壇上に立ったのは、ディスカウントストア「ドン・キホーテ」を一代で巨大企業に押し上げた、創業会長兼最高顧問の安田隆夫氏だった。 15年6月期の中間決算説明会で「勇退する」と表明して以来のスピーチとなる。現在はシンガポールに居を構える安田氏が、なぜこの場にいるのか。本人も開口一番、自虐混じりにこう切り出した。 「なぜ後期高齢者である老体にムチを打ち、あえてこの場に出張ってきたか」』、興味深そうだ。
・『「老体にムチ打ち」訴えたかったこと それは、現場から頼み込まれたからだ、と続けた。「今年はドン・キホーテの開業35周年に当たる。節目とも言える年に売り上げ2兆円を突破した。ぜひ創業会長による記念スピーチを行ってほしい旨、経営陣から強い要請があったからにほかなりません」 ドンキを運営するPPIHは24年6月期、連結売上高が初めて2兆円を突破した。日本の小売業では史上5社目となる。売上高は前期比8.2%増の2兆950万円。営業利益は33.2%増の1401億円と大きく伸びた。 1989年、東京都府中市にドンキ1号店を開業して以来、売上高と営業利益は一貫して伸び続け、ついに35期連続増収増益を成し遂げたのだ。 特に利益面の躍進が目覚ましい。25年6月期までの中期経営計画で掲げた営業利益の目標は1200億円。それを1年前倒しで達成、それも目標額を約200億円上回る勢いだ。営業利益率は、前期の5.43%から6.69%へと高まった。セブン&アイ・ホールディングス(4.66%、24年2月期)、イオン(2.63%、24年2月期)という「小売り2強」をはるかに上回る水準だ。 インバンド(訪日外国人)客が急増し、ドンキの免税売上高が急伸しただけではない。業界では終わった業態と目されていた総合スーパー(GMS)事業が大きく利益貢献した。 PPIHは19年にGMS大手のユニーを完全子会社化。一部店舗をドンキに業態転換し、残る店舗「アピタ」「ピアゴ」にもドンキ流の個店経営を注入した。5年前と比べて営業利益は231億円増え、GMS事業の営業利益率は7.4%(24年6月期)まで上昇した。1%を下回るイオン、イトーヨーカ堂のGMS事業と比べると高収益ぶりが際立っている』、「営業利益率は、前期の5.43%から6.69%へと高まった。セブン&アイ・ホールディングス(4.66%、24年2月期)、イオン(2.63%、24年2月期)という「小売り2強」をはるかに上回る水準だ・・・PPIHは19年にGMS大手のユニーを完全子会社化。一部店舗をドンキに業態転換し、残る店舗「アピタ」「ピアゴ」にもドンキ流の個店経営を注入した。5年前と比べて営業利益は231億円増え、GMS事業の営業利益率は7.4%(24年6月期)まで上昇した。1%を下回るイオン、イトーヨーカ堂のGMS事業と比べると高収益ぶりが際立っている」、なるほど。
・『マニフェストをことごとく有言実行 安田氏は、これまでの歩みから語り始めた。 「過去を振り返ってみますと、会社の業績計画を公表するこうしたIR(投資家向け広報)の場などにおいても、当社の証券コード7532を用いた『753(しちごさん)計画』『7532(しちごさんツー)計画』、あるいは『2×4(ツーバイフォー)計画』など各種経営数値目標を、アナリストの方々にマニフェストとしてお約束し、ここからが重要なのですが、区切られた期日までにすべて実現してまいりました」 753計画では01年6月期までに「売上高700億円」「経常利益50億円」「総店舗数30店舗」を目指し、その後繰り出した2×4計画では「売上高2000億円」「株主資本利益率(ROE)20%」の達成と「経常利益200億円」「年間新規出店数20店舗」体制の確立を掲げた。 続く7532計画では「経常利益率7%超」「1株当たり当期純利益(EPS)500円超」「売上高3年以内3000億円超」「2桁成長、20%成長」を目標とした。753計画は完遂し、2×4計画、7532計画はおおむね実現。20年6月期、25年6月期までの中期経営計画は、それぞれ1年前倒しで達成した』、「各種経営数値目標を、アナリストの方々にマニフェストとしてお約束し、ここからが重要なのですが、区切られた期日までにすべて実現してまいりました」、大したものだ。
・『マニフェストをことごとく有言実行 安田氏は、これまでの歩みから語り始めた。 「過去を振り返ってみますと、会社の業績計画を公表するこうしたIR(投資家向け広報)の場などにおいても、当社の証券コード7532を用いた『753(しちごさん)計画』『7532(しちごさんツー)計画』、あるいは『2×4(ツーバイフォー)計画』など各種経営数値目標を、アナリストの方々にマニフェストとしてお約束し、ここからが重要なのですが、区切られた期日までにすべて実現してまいりました」 753計画では01年6月期までに「売上高700億円」「経常利益50億円」「総店舗数30店舗」を目指し、その後繰り出した2×4計画では「売上高2000億円」「株主資本利益率(ROE)20%」の達成と「経常利益200億円」「年間新規出店数20店舗」体制の確立を掲げた。 続く7532計画では「経常利益率7%超」「1株当たり当期純利益(EPS)500円超」「売上高3年以内3000億円超」「2桁成長、20%成長」を目標とした。753計画は完遂し、2×4計画、7532計画はおおむね実現。20年6月期、25年6月期までの中期経営計画は、それぞれ1年前倒しで達成した。 「ここで私が何を申し上げたいかと言えば、当社は言ったことは必ずやり遂げる有言実行の企業であり、そのことに私は大いなる自信と自負を抱いております。すなわち、上げたアドバルーンが単なるアドバルーンで終わらず、常にきちんとした結果を出すということであり、グループ売上高2兆円はまさにそうした文脈の延長線上にあるわけでございます」 都内にドンキが数店舗しかなかった時代から、安田氏は全国で多店舗展開するビジョンを公言し、その通り、進撃に進撃を重ねた。目下、安田氏が大いなる野心を燃やすのは海外展開である。 「(15年に勇退し)国内の事業経営を後進に譲った後は、アジアと米国を主体に、海外での多店舗展開を内外に宣言し、現在進行形ではありますが、確実にそれを推し進めているところであります」 アジアでは、日本の産品に特化した業態「DON DON DONKI(ドンドンドンキ)」の展開を加速する。それに加えて「今後は重点的に米国を攻めてまいります」と言い切った。 シンガポールの「DONDONDONKI(ドンドンドンキ) オーチャードセントラル」は2017年12月にオープン 「言うまでもなく、米国はいまだ成長力の衰えない世界最大の市場であり、ここで一定のプレゼンスを得ないことには、社名である環太平洋(パン・パシフィック)制覇は絵に描いた餅と言わざるを得ません」 既に勝ち筋は描いている。大きな示唆を得たというのは、24年4月、米国本土攻略の「先兵」として開業した米グアム島の大型商業施設「VILLAGE OF DONKI(ヴィレッジオブドンキ)」だ。安田氏が「うれしい誤算」だったと語るのは、非食品がことのほか売れているという事実である。 「(アジアのドンドンドンキを通じて)食品がたくさん売れることは当初から分かっておりましたが、日用消耗品や生活雑貨などを含む日本の非食品がこれだけ売れるのなら、今の我が国流通業を苦しめている歴史的な円安を逆手に取れる大チャンスが、米国という、とてつもない巨大な市場に眠っていることになります。当社は全力を挙げ、それを顕在化させ、取りにまいります」』、「各種経営数値目標を、アナリストの方々にマニフェストとしてお約束し、ここからが重要なのですが、区切られた期日までにすべて実現してまいりました」・・・米国本土攻略の「先兵」として開業した米グアム島の大型商業施設「VILLAGE OF DONKI(ヴィレッジオブドンキ)」だ。安田氏が「うれしい誤算」だったと語るのは、非食品がことのほか売れているという事実である。 「(アジアのドンドンドンキを通じて)食品がたくさん売れることは当初から分かっておりましたが、日用消耗品や生活雑貨などを含む日本の非食品がこれだけ売れるのなら、今の我が国流通業を苦しめている歴史的な円安を逆手に取れる大チャンスが、米国という、とてつもない巨大な市場に眠っていることになります。当社は全力を挙げ、それを顕在化させ、取りにまいります」、なるほど。
・『ロスでトップセールス「世界商談会」を敢行へ 食品のみならず、非食品もキラーコンテンツにする。さらに他社をも巻き込んで、米国本土に乗り込むプランも明かした。8月末には取引先の大手メーカーや問屋とともに米ロサンゼルスで「世界商談会」を開催する予定だ。安田氏自らがロスに出向き、トップセールスをかけるという。 米国はレギュレーション(規制)が厳しいことで知られるが、「そのボトルネックを抜ければ、日本の自動車産業に匹敵するような未来が待っている可能性もございます。多くの仕入れ先パートナーの皆様と協力しながら、米国でロビー活動をやるべきではないでしょうか。商談会という名前はついておりますが、別に1個1個の商談をするわけではなく、気持ちを一つにして、これから未来に向かっていこう、と。その挑戦の決意を共有するための会が、世界商談会ということでございます」 米国の市場規模は、どれだけ大きいのか。安田氏はハワイを引き合いに出し、こう表現してみせた。 「今、ハワイの人口はだいたい140万人で、(PPIHは)年間1000億円近く売り上げているんですね。140万人というと、滋賀県と同じぐらいの規模ですよね。滋賀県で1000億円近い数字なんて上がりっこない。140万人で1000億円だったら、日本(の総人口)で言ったら8兆円ぐらいになる。日本よりハワイのほうが売っているんじゃないかという話ですよね」 米国本土のカリフォルニア州では日本食を軸とした「TOKYO CENTRAL(トーキョーセントラル)」を多店舗展開しているが、客単価は6000円を超えるという。 「米国では、食品が中心の店でも、それだけ買っていただける。そもそも顧客の購買力が全く違う。アジアとは比較にならないマーケットの大きさがあります。当然のことながら、米国を制すれば、ある面では地球を制すると言っても過言ではございません」』、「米国では、食品が中心の店でも、それだけ買っていただける。そもそも顧客の購買力が全く違う。アジアとは比較にならないマーケットの大きさがあります。当然のことながら、米国を制すれば、ある面では地球を制すると言っても過言ではございません」、なるほど。
・『今の苦戦は、将来への「成長痛」 ただ、もちろん課題もある。その最たる例が、店のオペレーション(運営)だ。ドンキ躍進の原動力となっているのは、現場への権限委譲である。社員はもちろん、メイトと呼ぶアルバイトにも、商品の仕入れから陳列、値付け、ポップの作成などあらゆる店内業務を委ねているのが特徴だ。それは海外店舗も同じである。 しかし、米国で働く現地の従業員は日本やアジアの店舗と異なり、リーダーシップとなる人材をつくり切れていないという。大きな壁は、言語にある。 「私どもには、そもそも従来、英語を話せる人材がほとんどいないんですよ。いくら日本で店をつくるのが達人のようにうまくても、英語が話せなければ話になりません。店をつくるのがうまくて、英語が話せる人材はほとんどいない。ただ、今、私たちはそうした人材をたくさんかき集めようとしております」) しかし、米国で働く現地の従業員は日本やアジアの店舗と異なり、リーダーシップとなる人材をつくり切れていないという。大きな壁は、言語にある。 「私どもには、そもそも従来、英語を話せる人材がほとんどいないんですよ。いくら日本で店をつくるのが達人のようにうまくても、英語が話せなければ話になりません。店をつくるのがうまくて、英語が話せる人材はほとんどいない。ただ、今、私たちはそうした人材をたくさんかき集めようとしております」 10代から20代半ばのZ世代には、英語を話せるメイトも多い。「こういう方たちを率先して、特別優遇措置をつけてたくさん雇用しようとしている最中」なのだという。 非食品を強化し、ロビー活動で規制を乗り越え、多言語人材を確保する。この3つの勝ち筋がうまくはまれば、「米国(事業)は今の日本を凌駕(りょうが)できる可能性も十二分にあるのではないかと私は確信しております」と説く。なぜなら「米国は、運営は大変だけど、販売はそんなに難しくない」と見るからだ。 現在は、店舗運営で苦戦しているが、「むしろこの苦戦は成長痛であり、ボトルネックであると感じております。このボトルネックをクリアすれば、むしろ一気に成長できます。これは、当社の日本のかつての姿を思い浮かべていただければご理解いただけるものと思います」と自信を込めた』、「店をつくるのがうまくて、英語が話せる人材はほとんどいない。ただ、今、私たちはそうした人材をたくさんかき集めようとしております」、これでは話にならない。当面、期待薄だ。
・『日本では縮小市場の「ラストマン」になる どこまでも肥沃な市場が広がる海外事業に注力する一方、日本国内事業をおろそかにすることはもちろんない。日本において今後進めるのは「ラストマンスタンディング戦略」の総仕上げだ。 ラストマンスタンディングとは文字通り、最後まで立っている、つまり生き残り続けることを指す。「海外と違って国内市場は全体的にシュリンク(縮小)しておりますが、激烈な戦いを制することによって、逆に占拠率、シェアが大きく高まるという、ご褒美、果実がございます」(安田氏)。 生き馬の目を抜くような厳しい競争の世界だからこそ、その「レッドオーシャンの中で勝者になった後は、ほぼブルーオーシャンになる可能性」がある。「私どもはぜひそれを目指していきたい」と安田氏は意気込んだ。 人口が減っていく日本で、成長力を持続するのは容易ではないが、安田氏はどこまでも前のめりだ。 「我が国の小売総販売額は約140兆円ある。当社のシェアは現状ではわずか1.5%にも満たない。もちろん、私どもはこのレベルに安住する気持ちは毛頭ございません」 強気の発言を裏付けるのは、積み重ねてきた歴史にある。「長崎屋、ユニーというGMS事業を買収して見事に再生させたという、誰も否定できない圧倒的な実績とエビデンスがあるわけでございます」 24年3月、旧ダイエーの跡地に開業した「MEGAドン・キホーテ成増店」も「万年不振で(イオングループが)諦めた物件を、当社が超繁盛店へと生まれ変わらせた」と誇り、壇上からこう呼び掛けた。 「ポストGMSという我が国流通業界における歴史的課題を解決するのは、結局PPIHをおいて他にない。そろそろそんなお墨付きを、私どもがいただいてもよろしいのではないかと勝手に考えておりますが、皆さんはどのようにお考えでございましょうか」 「いずれにせよ、我が国のGMS業界は再編の最終章に入ったと認識しております。当社としては再編最終章に勝ち残り、ラストマンスタンディングの総仕上げにして、次のステージに駆け上がることを、皆様の前で宣言させていただきたいと思います」 売上高2兆円突破も、35期連続増収増益も金字塔には違いないが、それで満足することはない。海外市場を果敢に開拓し、国内では消耗戦の勝者になる。2兆円企業となったのは「私どもにとって来るべき未来に向けた一つの節目、いわば新たな出発点であり、今はそのスタート台に立ったのだと、私どもは認識しております」(安田氏)。 今期も売上高2兆2200億円、営業利益1500億円と、36期連続の増収増益を見込む。飽くなき挑戦は、終わらない』、米国での展開は人材面のネック解消は当分の間、期待出来ないので厳しいが、その他では今後も成長が期待できるだろう。
第四に、9月4日付け東洋経済オンラインが掲載したチェーンストア研究家・ライターの谷頭 和希氏による「ヨーカドー「33店舗閉店」で露見した"残酷な真実" 人も街も変化したのに、なにも変われなかった」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/821339
・『閉店する33店舗が決定、100店舗を割るヨーカドー GMS大手のイトーヨーカドーが、再び世間を賑わせている。ヨーカドーといえば、今年の2月に東北地方を含む17店舗の閉店を発表。また、親会社のセブン&アイ・ホールディングスがスーパー事業を分離するという実質的な「見放し」も受け、自力での再建を求められている途中だ。 そんなヨーカドーだが、来年2月末までに閉店する33店舗の詳細が判明し、大きな話題となっている。報道によれば、茨城県で唯一の店舗であった竜ヶ崎店や埼玉の西川口店、千葉の姉崎店など、関東近郊圏での閉店も行われる。この縮小により、イトーヨーカドーは一気に93店にまで減ることになる。 閉店する店舗の中でも、話題を呼んだのが、9月に営業を終える津田沼店だ。閉店が決まった当初から、「悲しい」「あの津田沼店が……」という声が聞かれた。 【画像13枚】「悲しい」「あの津田沼店が…」46年の歴史に幕をおろす、イトーヨーカドー津田沼店の悲しすぎる現在の姿) そんな中で、筆者が「面白い」と感じたポストがある。一般ユーザーの投稿のため、直接引用することは控えるものの、そのポストではイトーヨーカドー津田沼店に「閉店」の2文字が掲げられるとは想像もできなかったと述べつつ、津田沼という街について、「ここ20年で一番、『行く』街から『住む』街に変化した街だと思う」と指摘していた。 何気ないポストに思えるが、チェーンストアや都市について執筆活動をしている筆者には、イトーヨーカドーが持っている、本質的かつ普遍的な問題が潜んでいると思えた。 そこで今回は、閉店する津田沼店を実際に訪れながら、街とヨーカドーの関係性について考えていきたい』、興味深そうだ。
・『津田沼店を訪れてみると… ヨーカドー津田沼店は、新京成線の新津田沼駅から直結している。入り口のドアの前には、閉店のお知らせが貼ってあった。 中に入ると、顧客から店へのメッセージを募集するコーナーが。ポストイットにそれぞれの人が津田沼店の思い出を書いて貼っている。その数は膨大で、津田沼店が地域の人から愛されてきたことがわかる。 その横には、閉店までの店の陳列について説明するポスター展示があり、一歩踏み入れただけで、完全に「お別れモード」に包まれる。) 店内にも、至るところに「閉店売りつくし」と張り紙がしてある。いろんなものが安売りしていて、大量に積まれた商品が放り込まれたラックの周りには、ちらほら人がいる。 でも、ちらほら、だ。たくさんいるわけじゃない。そこがまた、一層悲しさを際立たせる。 もっとも「お別れモード」が強いのが、最上階。本来はレストランフロアなのだが、ほとんどのテナントが撤退していて、白い壁が広がっている。そのあまりの殺風景さを埋めるためか、「津田沼店の想い出」コーナーが展開されている。ヨーカドーの昔の写真の展示から、当時の資料、津田沼の歴史年表まで、ちょっとした博物館のようである。 入り口にもあった「津田沼店の想い出コーナー」はここにも広がっていて、無数のポストイットが貼られていた。これだけ愛されてるんだったら、なんで撤退なんて……。つい、そう思ってしまう』、「もっとも「お別れモード」が強いのが、最上階。本来はレストランフロアなのだが、ほとんどのテナントが撤退していて、白い壁が広がっている。そのあまりの殺風景さを埋めるためか、「津田沼店の想い出」コーナーが展開されている・・・これだけ愛されてるんだったら、なんで撤退なんて……。つい、そう思ってしまう」、なるほど。
・『「津田沼戦争」に参入したヨーカドー 津田沼店が撤退せざるを得ないのっぴきならない理由はなにか。 もちろん、それはイトーヨーカドー全体の業績が悪いことはいうまでもないが、津田沼という街ならではの理由もある。) もともと、津田沼店は1977年に誕生した。今年で46年目を迎える。 当時、津田沼には「西武津田沼ショッピングセンター」「丸井」「サンぺデック(ダイエー津田沼店)」「長崎屋」等の大型商業施設が多数立地していた。商業的な激戦が繰り広げられるさまは「津田沼戦争」とも呼ばれ、当時は勢いのあったヨーカドーがその戦争に参入した形となる。 戦争」ともなれば、本気を出さざるを得ない。売り場面積は当時としては最大。地下には「津田沼ファミリーワールド」という、さまざまな食料品を取り扱うモールのようなものもあり、食べ物であればなんでも揃った。こうした戦略が功を奏し、津田沼店はヨーカドー店舗の中でも売り上げ上位の店舗になる。 【2024年9月5日10時35分追記】初出時、記載の内容に誤りがありました。お詫びして修正致します。 前述したポストでは、「津田沼はかつて『行く』街だった」と述べられているが、まさにちょっと特別な場所としてヨーカドー津田沼店はあったのだ』、「津田沼店はヨーカドー店舗の中でも売り上げ上位の店舗になる・・・「津田沼はかつて『行く』街だった」と述べられているが、まさにちょっと特別な場所としてヨーカドー津田沼店はあったのだ」、なるほど。
・『商業エリアの中心が動いた しかし、ここに強敵が現れる。津田沼店誕生の4年後に誕生した「ららぽーとTOKYO-BAY」である。津田沼店からはわずか4キロほどで、車で行けば10分かからない距離。津田沼の隣、船橋の臨海エリアに誕生した。ちなみに、元はと言えば、懐かしい人には懐かしい「船橋ヘルスセンター」がある場所だ。 ここは、今でこそ全国に増えた「ららぽーと」の1号店にして、現在でも日本最大級の面積を誇る大ショッピングモール。現在の敷地面積は約171,000平方メートルで、東京ドーム3.6個分。でかすぎる。 とはいえ、ららぽーとTOKYO-BAY、オープン当初は日本に本格的なショッピングモールがなかったこと、ららぽーと自体が初出店だったこともあって、先行きが不安視されていた。なにより、すぐ近くの津田沼は戦争中だ。そんな激戦区にあって、後発の業態がうまくいくはずがない、そう目されていた。 だが、その目論見は見事、外れる。オープン時には4万人が来場し、推定では25万人が来場したらしい。客の勢いは止まらず、このショッピングモールはさらにさらに面積を広げていく。 そこでの集客にあやかろうとしたのか、2000年には、この臨海エリアに、コストコやカルフール、三井アウトレットパーク幕張など数多くの商業施設が誕生。これには、2000年に大店法が改正され、大規模な小売店の出店が容易になった事情もある。明確に「行く」街は、この臨海エリアになったのである。) さて、そうなると大変なのが津田沼駅前にあった商業施設たちである。そこで戦争をしていると思ったら、予想しないところで客を取られてしまった。折しも時代は、GMSの時代からショッピングモールの時代へと移り変わっていくさなか。津田沼に数多くあった商業施設は、また一つまた一つと閉店していった。 その跡地に商業施設ができる場合があったが、そこには多くの場合、生活に密着したテナントが入る場合が多い。例えば、2007年に閉店した丸井津田沼店のあとにできた「mina津田沼店」には、ダイソーやJINS、AOKI、業務スーパーなど、さまざまなチェーンが入っている。まさに、特別感のあるラインナップというよりも、「住む」街として、そこに住んでいる人たちに特化したラインナップへと変わっていったのだ』、「2000年には、この臨海エリアに、コストコやカルフール、三井アウトレットパーク幕張など数多くの商業施設が誕生。これには、2000年に大店法が改正され、大規模な小売店の出店が容易になった事情もある・・・大変なのが津田沼駅前にあった商業施設たちである。そこで戦争をしていると思ったら、予想しないところで客を取られてしまった。折しも時代は、GMSの時代からショッピングモールの時代へと移り変わっていくさなか。津田沼に数多くあった商業施設は、また一つまた一つと閉店していった・・・その跡地に商業施設ができる場合があったが、そこには多くの場合、生活に密着したテナントが入る場合が多い。例えば、2007年に閉店した丸井津田沼店のあとにできた「mina津田沼店」には、ダイソーやJINS、AOKI、業務スーパーなど、さまざまなチェーンが入っている。まさに、特別感のあるラインナップというよりも、「住む」街として、そこに住んでいる人たちに特化したラインナップへと変わっていったのだ」、なるほど。
・『街の変化より、変化が遅かったヨーカドー こうして津田沼の街は変化を続け、それに合わせて「津田沼戦争」も収束、街の形に合わせるようにして、商業施設も変化していった。 ところで、唐突だが、ここで思い出すのが、最近私が精力的に取り組んでいる「渋谷カフェ少なすぎ問題」である。これは、土日の渋谷では、どんなチェーンカフェも混んでいることを指摘したものだ。この要因には、コロナ禍を経てリモートで仕事をする人が増えたことや、都市自体に人がゆっくり休める場所が少ないことが原因だと考えている。 しかし、その大元にあるのは、「人の変化」と「チェーンストアや商業施設の変化」、さらには「街全体の変化」のスピードが、それぞれ異なっていることだ。 人間の流行は、わずか数年程度で移り変わっていくのがほとんどだ。それに対し、商業施設などは、すぐに出店できるものでもなく、本部による出店計画や工事などを経て、やっと出来上がる。人々の興味よりも変化のスピードが遅いのだ。もちろん、チェーンストアの入れ替わりも、人々の興味の変化に遅れて生じる。 そして、それらを包み込む街ともなれば、もっともっとその変化は遅い。渋谷の再開発は2012年から2027年まで、15年がかかっている(というか、それ以上になりそうでもある)。 一方で、コロナを経て、人々の変化は以前にも増して早くなっている。リモートワークが前提となり、若者の消費も「モノ消費」から「コト消費」へと変わった。 にもかかわらず、街自体はまだ変化の途中。都心にカフェが足りない問題もまた、こうしたサイクルの問題だと言えるのだ。 そして、これは、今見てきた津田沼でも同様である。近隣にショッピングモールができたことによって人々の行動パターンが変わり、他の商業施設は変わってきた。 しかし、イトーヨーカドーだけは、その変化のサイクルに乗り遅れてしまったのではないか』、「コロナを経て、人々の変化は以前にも増して早くなっている。リモートワークが前提となり、若者の消費も「モノ消費」から「コト消費」へと変わった。 にもかかわらず、街自体はまだ変化の途中。都心にカフェが足りない問題もまた、こうしたサイクルの問題だと言えるのだ。 そして、これは、今見てきた津田沼でも同様である。近隣にショッピングモールができたことによって人々の行動パターンが変わり、他の商業施設は変わってきた。 しかし、イトーヨーカドーだけは、その変化のサイクルに乗り遅れてしまったのではないか」、その通りだ。
・『改革はしているが、肝心の消費者を見られていない イトーヨーカドーの「変化の遅さ」はこれまでも取り上げられてきた。日本経済新聞の社説でも「遅すぎた経営改革」として語られているぐらいだ。実際、同社の取り組みを見ていると、この「人の変化」に対応する、という意識が希薄なのではないか、と思ってしまうことにたびたび遭遇する。 私は以前、都内にあるイトーヨーカドーの全店舗をめぐって、その問題点を指摘したことがあるが、例えば顧客層が高齢者にもかかわらずセルフレジ化を進め、結果、有人レジが大混雑している様子など、そうした例は枚挙にいとまがない。 先ほども書いたように、ただでさえ、「街の変化」「商業施設の変化」「人の変化」はサイクルがバラバラで、とくに商業施設は、人の変化のスピード感に対応しなければならない。普段の努力がなければこの変化に対応することはできないのだ。 津田沼店は、結果として46年という長寿を全うした。 しかし、そこが長寿であることは、むしろ、津田沼店が「変化に対応しなかった」ということを表している。もっともゆっくり進む街の変化にも対応しなかったということなのである。なんという皮肉だろうか。今や、GMSを追いやったショッピングモールが、利益率の低下に苦しんでいる状況であり、決して安泰ではない。 こういった現実を考えれば考えるほど、津田沼店に貼ってあった、大量のポストイットも違った風景に見えてくる。 そこに書いてある「ヨーカドーが無くなって残念です」という内容は、むしろヨーカドーがいかに変化をしてこなかったかを逆に表しているのだ。そこに、残酷な真実が隠れている。 もはやイトーヨーカドーは、多くの人にとって「今」ではなく、「懐かしく、美しい記憶の中」に存在しているのだ。 関連記事:ヨーカドーが「第2のライフ」には多分なれない訳「消費者を見ない姿勢」は変化の妨げになる』、「なんという皮肉だろうか。今や、GMSを追いやったショッピングモールが、利益率の低下に苦しんでいる状況であり、決して安泰ではない。 こういった現実を考えれば考えるほど、津田沼店に貼ってあった、大量のポストイットも違った風景に見えてくる。 そこに書いてある「ヨーカドーが無くなって残念です」という内容は、むしろヨーカドーがいかに変化をしてこなかったかを逆に表しているのだ。そこに、残酷な真実が隠れている。 もはやイトーヨーカドーは、多くの人にとって「今」ではなく、「懐かしく、美しい記憶の中」に存在しているのだ」、同感である。
先ずは、本年8月5日付けYahooニュースが転載した日経ビジネスオンライン「ドンキ創業者・安田隆夫氏が語る人事論 毎年20%の支社長が降格」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/af9549f428953720c9d2aadacc32ca21b3cc8523
・『破竹の進撃が止まらない。ディスカウントストア「ドン・キホーテ」(通称「ドンキ」)を運営するパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)は、34期連続増収増益と波に乗る。『進撃のドンキ 知られざる巨大企業の深淵なる経営』を上梓(じょうし)した酒井大輔が、その強さの源泉を探る。 「はらわた力(りょく)」──。ドン・キホーテに脈々と伝わる造語である。 たとえ失敗して土壇場に追い詰められても、その経験を糧として勇猛果敢に立ち上がる。目の前の壁に跳ね返され、もがき苦しみながらも、不屈の闘志で最後に這い上がろうとする一念のことを指す。 はらわた力を思う存分鍛えられるよう、ドンキには失敗を容認する企業文化が浸透している。経営理念に掲げるのは「大胆な権限委譲」。仕入れ過ぎて在庫を大量に抱えてしまった、開発した商品が全く売れなかった、赤字を計上してしまった…そんなときも上司からとがめられることはない。ドンキでは誰もが派手にやらかしながら、一人前の商売人に育ってきたからだ。失敗による損失は、成功体験を積み重ねる礎と位置付けている。 社員全員が貪欲に成長を追い求める集団であり続けられれば、どれほど大きな企業になろうと安定志向に傾き、成長が鈍化することはない。「大企業病」になることなどない、はずだった。 しかし、売上高5000億円が近づいてきた2010年ごろから、創業者の安田隆夫氏に危機感が芽生え始めた。 増収率が鈍った時期に、創業者は何を考えたか? 増収率が鈍ってきた。意思疎通の遅れや、店舗の末端まで目が届かなかったことによる不正も起きた。この先も成長街道を突っ走るためには、社内の組織づくりも変えていく必要がある。安田氏がそう思案するようになったのは、この時期からだ(「ドンキ、35期連続増収増益に挑む カルト集団のごとき理念の徹底実践」参照)。 実際には増収増益は途切れることなく続き、10年代後半には、成長が再び加速する。19年にはユニーを完全子会社化し、パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)というグループ全体で、ついに売上高1兆円を突破。07年の長崎屋買収に続く大型再編劇で、小売業界の台風の目に躍り出た。その半面、快進撃の反動なのか、大企業化による弊害も直視せざるを得ない状況に陥った』、「「はらわた力(りょく)」──。ドン・キホーテに脈々と伝わる造語である。 たとえ失敗して土壇場に追い詰められても、その経験を糧として勇猛果敢に立ち上がる。目の前の壁に跳ね返され、もがき苦しみながらも、不屈の闘志で最後に這い上がろうとする一念のことを指す。 はらわた力を思う存分鍛えられるよう、ドンキには失敗を容認する企業文化が浸透している。経営理念に掲げるのは「大胆な権限委譲」。仕入れ過ぎて在庫を大量に抱えてしまった、開発した商品が全く売れなかった、赤字を計上してしまった…そんなときも上司からとがめられることはない。ドンキでは誰もが派手にやらかしながら、一人前の商売人に育ってきたからだ。失敗による損失は、成功体験を積み重ねる礎と位置付けている。 社員全員が貪欲に成長を追い求める集団であり続けられれば、どれほど大きな企業になろうと安定志向に傾き、成長が鈍化することはない。「大企業病」になることなどない、はずだった・・・パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)というグループ全体で、ついに売上高1兆円を突破。07年の長崎屋買収に続く大型再編劇で、小売業界の台風の目に躍り出た。その半面、快進撃の反動なのか、大企業化による弊害も直視せざるを得ない状況に陥った」、「失敗を容認する企業文化が浸透」、日本企業には珍しいことだ。
・『支社を分割、究極の権限委譲へ 「1人の支社長が20店舗、30店舗と見るようになったんです。従業数にして1000人以上です。そもそも1人の人間が、集団を把握できる物理的な限界は140~150人という説がありますよね。そもそも支社として機能しているんですか、ということですよ」 15年に「勇退」を発表し、代表権のない創業会長兼最高顧問としてシンガポールに移住した安田氏が20年9月、ついに大なたを振るった。「ミリオンスター制度」という新たな人事評価システムを導入したのだ。 ドンキではもともと現場に権限を委譲する代わりに、しっかりと結果を出した従業員にはその努力をたたえ、昇給や昇進という形で報いる完全実力主義を掲げてきた。権限委譲と適切な評価、その両輪が回ることで組織の新陳代謝が図られ、ベンチャースピリットが保たれてきたのだ。しかし、支社長が目配りできないほどの店舗を統括していると、個店ごとの経営課題を十分にくみ取れないのはもちろん、そこで働く従業員一人ひとりの頑張りをきめ細かくフォローすることができない。人事評価の根幹が崩れてしまうのだ。 そこで「1ミリオン(100万)を単位に、(組織図を)大きく変えることにした」(安田氏)。目指したのは「究極」の権限委譲である。 それまで全国で20だった支社数を102に分割し、100万人(=1ミリオン)の商圏人口ごとに1人の「ミリオン支社長」を任命した。これにより、1人の支社長につき3~6店舗を管轄する体制に刷新。ミリオン支社長に上司はおらず、100万人の商圏、100億円の年商を持つエリアの“社長”として、完全に経営を任せる、という大胆なプランだ。 支社長ポストが大きく増えたことで、ドンキ初の女性支社長や、27歳の支社長(いずれも当時)が誕生した。ダイバーシティー(多様性)を推進しながら、実力のある人材はどんどん抜擢(ばってき)する、という姿勢を社内に見せつけたのだ』、「それまで全国で20だった支社数を102に分割し、100万人(=1ミリオン)の商圏人口ごとに1人の「ミリオン支社長」を任命した。これにより、1人の支社長につき3~6店舗を管轄する体制に刷新。ミリオン支社長に上司はおらず、100万人の商圏、100億円の年商を持つエリアの“社長”として、完全に経営を任せる、という大胆なプランだ。 支社長ポストが大きく増えたことで、ドンキ初の女性支社長や、27歳の支社長(いずれも当時)が誕生した。ダイバーシティー(多様性)を推進しながら、実力のある人材はどんどん抜擢(ばってき)する、という姿勢を社内に見せつけたのだ」、画期的だ。
・『“入れ替え戦”で下位20%は自動降格 一人ひとりのミリオン支社長がそのエリアの収支に責任を持つことで、エリア全体の業績を高める“経営”に挑んでもらう。年間の利益貢献度で上位に入ったミリオン支社長は高額の報酬を手にできる一方で、下位20%に沈んだ場合、新たな支社長にとって代わられる。英国のプレミアリーグや日本のJリーグなどが取り入れる“入れ替え戦”の仕組みを、社内制度として導入したのだ。 安田氏は大相撲の番付になぞらえて、こう説明する。 「通年で下位20%のミリオン支社長は自動降格して幕下になる。上位になったら上位になったで、また新しい番付がその翌年から始まりますから、幕下に落ちないように頑張るしかないですね。もう一度、ゼロからやり直しですから」 荒療治に打って出たのは、好業績にあぐらをかくことなく、今一度原点を思い出してもらいたいからだ。「大企業病を排除して、(従業員)一人ひとりの個性、生きざまを把握しながら、みんなで一つの目的に向かっていける、有機的な結合を持った、いわばチームとしての組織をつくろうとしたんですよ」と安田氏は語る。 ミリオンスター制度には、支社長たるもの、部下の社員だけでなく、「メイトさん」と呼ぶアルバイト全員の名前まで、名札を見ずに言えないと失格だ──という安田氏の強い思いが反映されている。大企業になっても、駆け出しのスタートアップのように、仲間と互いに顔を突き合わせながら、難局を乗り越えていく。その積み重ねにより、店も個々人も成長していくという信念がそこにある。 ミリオンスター制度は、毎年全体の2割の支社長を入れ替えるという「劇薬」だけに、“副作用”も大きい。制度のひずみを正すため、新たな組織が設けられた。それが「アンサーマン本部」である。(次回に続く)』、「下位20%に沈んだ場合、新たな支社長にとって代わられる。英国のプレミアリーグや日本のJリーグなどが取り入れる“入れ替え戦”の仕組みを、社内制度として導入したのだ」、なるほど。
次に、8月7日付け日経ビジネスオンライン「ドンキは2割降格でも社内が明るい 仕事を「ゲーム化」する4条件」を紹介しよう。
・『この記事の3つのポイント 業績好調の「ドン・キホーテ」は、昇格も降格も活発だ 人事制度への不満などには「アンサーマン本部」が対応 完全実力主義をゲーム化する「競争の4条件」がある ディスカウントストア「ドン・キホーテ」(通称「ドンキ」)を運営するパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)は、34期連続増収増益と波に乗る。完全実力主義で「ミリオンスター制度」の下、毎年2割の支社長が降格になる(前回「ドンキ創業者・安田隆夫氏が語る人事論 毎年20%の支社長が降格」)。厳しいようだが、不思議と社内は明るい。なぜか? 『進撃のドンキ 知られざる巨大企業の深淵なる経営』を上梓(じょうし)した酒井大輔が、謎に迫る。 PPIHのミリオンスター制度は、毎年全体の2割の支社長を入れ替えるという「劇薬」だけに、“副作用”も大きい。制度のひずみを正すため、新たな組織が設けられた。それが「アンサーマン本部」である。 常務執行役員でドン・キホーテ副社長と長崎屋社長を兼務する赤城真一郎氏の名刺を見ると「アンサーマン本部長兼人財本部長」と併記されていた。 「代表取締役」よりも前に「アンサーマン本部長」の肩書が出る、赤城真一郎氏の名刺(筆者撮影) 「アンサーマンってなんですか、ってよく言われるんですよ。一番上に書かれていますから」と赤城氏は笑う。確かに、名刺上では、ドンキや長崎屋の役員よりも「アンサーマン本部長」が前に出ている。それだけ社内で重要なポジションと目されているのだ。 「ミリオンスター制度って、とんでもないルールじゃないですか。結果を出せば、年収がザバーンと上がるという意味では(努力が報われる)画期的な制度ですが、一方で降格になる人も続出する。毎年毎年、制度の不備や文句が出てくるんですよ。それをサポートしていく部署が必要だよねということで、アンサーマン本部ができました」(赤城氏)。 降格された人の文句を聞くばかりではない。) アンサーマンとは、その名の通り「答える人」のこと。現場の悩みや不満、要望など「何でも聞いて、答えてあげる」任務を負う。 メンバーは赤城氏を本部長に、ドンキの取締役が「アンサーマン委員」として名を連ねる。「もっとかっこいい名前をいろいろ考えていたんですけど、『お前、本部がそんな偉そうな、仰々しい名前をつけてどうするんだよ。それで現場から(社内の)情報が集まると思っているのか。もっと考えろ』と安田から言われまして…」(赤城氏)。 なんでも相談室といった候補も挙がったというが、安田氏命名のアンサーマン本部に決まった。「これが業務サポート部とか一般的な名前だと、『何かのサポートをやっているんじゃないの』ぐらいの反応になっちゃうんですけど、アンサーマンだと『何ですか、それ』ってみんな興味を持つわけですよ。さすがだな、と思いましたね」と赤城氏は振り返る。アンサーマンに限らず、ドンキのユニークな制度が機能するのは、安田氏のネーミングセンスに負うところも大きい。 常務執行役員の赤城氏。もともとスポーツマンで、大学卒業後、しばらくは定職につかず、中途採用でドンキに入った(写真=古立 康三) ただし、競争にはルールが必要だ。ドンキにおける競争の4条件として、明確な勝敗の基準とタイムリミットを設け、プレーヤーに大幅な自由裁量権を与えて、ルールは最小限のシンプルなものにとどめるという方針を、安田氏は打ち出した。 実際のゲームもルールで縛り過ぎると、プレーしていて楽しくないだろう。工夫できる余地があるからこそ、どうやって攻略しようかとワクワクするものだ。そして勝敗の基準が明確であればこそ、負けても納得し、次は勝とうと前を向ける。 競争の面白さを最大限、引き出すルールと仕組みがあるから、完全実力主義を貫いても社内が回る。ミリオンスター制度は、とんでもない劇薬のように見えて、実はドンキらしさを突き詰めた究極のシステムともいえるのだ。 PPIHは、仕事をゲーム化する仕組みをつくり、社員のやる気を引き出すことにたけている。ゲームを持ち込むことで、仕事がもっと楽しくなる。ドンキが長年磨いてきたアミューズメント性の高い買い場(*)は、従業員自身がやりがいを胸に、楽しく仕事をしていることの裏返しでもある。 * 買い場:ドンキでは伝統的に売り場のことを「買い場」と呼ぶ。売り場は店側から見た言葉で、来店客からすれば商品を買う場所だからだ。 気づけば売上高2兆円。今や「セブン、イオン、ドンキ」として総合小売り3強の一角をなす。怒涛の34期連続増収増益を支える、逆張り戦略。アルバイト店員に商品の仕入れから値付け、陳列まで“丸投げ”する。現場が好き勝手やっているのに、利益が上がるのはなぜか? 知られざる巨大企業の強さに迫る1冊、2024年8月発売。 実は、かつてドンキの店舗には「アンサーマン」がいた。緑色のジャケットを着て、来店客の質問に答えるコンシェルジュ的な役割を果たしていた。アンサーマン本部=何かに答えてくれる部署として、現場にも違和感なく受け入れられるという皮算用もあった』、「降格になる人も続出する。毎年毎年、制度の不備や文句が出てくるんですよ。それをサポートしていく部署が必要だよねということで、アンサーマン本部ができました」(赤城氏)。 降格された人の文句を聞くばかりではない。) アンサーマンとは、その名の通り「答える人」のこと。現場の悩みや不満、要望など「何でも聞いて、答えてあげる」任務を負う。 メンバーは赤城氏を本部長に、ドンキの取締役が「アンサーマン委員」として名を連ねる・・・仕事をゲーム化する仕組みをつくり、社員のやる気を引き出すことにたけている。ゲームを持ち込むことで、仕事がもっと楽しくなる。ドンキが長年磨いてきたアミューズメント性の高い買い場(*)は、従業員自身がやりがいを胸に、楽しく仕事をしていることの裏返しでもある」、なるほど。
・『「数字至上主義」に走り過ぎていないか? アンサーマン本部の仕事は、とにかく店舗に足を運び、店長や従業員の御用聞きに徹することだ。例えば、“番付”の上位に入るべく支社長が「数字至上主義」に走り、現場にむちゃを強いてはいないか。直属の上司にはなかなか直言できない問題点を、役員たちが直々に聞き取ることで、課題を把握し、早期の改善につなげるのが目的である。 赤城氏自身も全国のドンキの店舗を精力的に回り、「常務執行役員です、副社長ですじゃなくて、どこに行ってもアンサーマン本部ですと言うようにしている」という。ミリオンスター支社長から陥落してしまった社員もヒアリングの対象だ。当事者として辛酸をなめているからこそ、支社長としてもっとこうすればよかった、ミリオンスター制度のここを改善してほしいといった一家言を持っているからだ。 自動降格が発動し、ミリオンスター支社長の座を奪われても、金輪際チャンスが巡ってこないというわけではない。降格があるということは、昇格もある。実際、新たな支社長は社内の立候補者から選ばれ、その中には降格経験者も含まれている。PPIHの役員たち自身も、昇降格を繰り返しながら、着実にステップアップしてきた。 「敗者復活」の文化があるから、絶望することなく、捲土(けんど)重来を期して爪を研げる。“入れ替え戦”は己を見つめ直し、はらわた力(*)を蓄える絶好の機会になる。 * はらわた力:ドンキに脈々と伝わる造語。たとえ失敗して土壇場に追い詰められても、その経験を糧として勇猛果敢に立ち上がり、もがき苦しみながら、不屈の闘志で這い上がろうとする一念のことを指す。 ▽若くして“経営者”の経験を積める(ミリオンスター制度は見方によっては、恐怖政治のようだが、実力次第で誰にでもチャンスが与えられ、若くして“経営者”の経験を積めるというメリットがある。結果を出せば、待遇も良くなるため、モチベーションも上がりやすい。 この制度の導入以前は、支社長が長く変わらず、社内全体に硬直感が漂っていたという。それが今や、毎年20人ほどの新支社長の椅子を目指し、100人ほどが手を挙げる。「安定を求めている人にとっては、とんでもない制度なのかもしれないですが、うちの会社には安定という文字はないので」(赤城氏)。 完全実力主義を振りかざし過ぎると、社内がギスギスしそうなものだが、ドンキでは不思議とそうなっていない。いったい、何が違うのだろうか。 安田氏は、権限委譲によって、仕事が労働(ワーク)ではなく、競争(ゲーム)になる、と説く。企業理念をまとめた小冊子「源流」(「ドンキ、35期連続増収増益に挑む カルト集団のごとき理念の徹底実践」参照)にも、「仕事を『ワーク』ではなく『ゲーム』として楽しめ」という心得が記載されている』、「降格があるということは、昇格もある。実際、新たな支社長は社内の立候補者から選ばれ、その中には降格経験者も含まれている。PPIHの役員たち自身も、昇降格を繰り返しながら、着実にステップアップしてきた。 「敗者復活」の文化があるから、絶望することなく、捲土(けんど)重来を期して爪を研げる。“入れ替え戦”は己を見つめ直し、はらわた力(*)を蓄える絶好の機会になる・・・権限委譲によって、仕事が労働(ワーク)ではなく、競争(ゲーム)になる、と説く・・・「仕事を『ワーク』ではなく『ゲーム』として楽しめ」という心得が記載」、なるほど。
第三に、8月20日付け日経ビジネスオンライン「ドンキ創業者・安田隆夫氏が「凱旋」会見 米国攻略へ3つの勝ち筋」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00096/081900180/
・『この記事の3つのポイント 創業者の安田氏が9年ぶりに決算会見に登壇 米国市場の本格開拓への野望を語った 売上高2兆円突破や35期連続の増収増益は通過点 勇退した創業者が9年半ぶりに登壇――。ディスカウントストア「ドン・キホーテ」(通称「ドンキ」)を運営するパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)の決算発表の場に安田隆夫氏が戻ってきた。35期連続の増収増益を達成した同社の会見に、なぜ安田氏が戻ってきたのか。その肉声に込められた思いと背景を、『進撃のドンキ 知られざる巨大企業の深淵なる経営』を上梓(じょうし)した酒井大輔が分析する。 9年半ぶりの“凱旋”だった。2024年8月16日、都内で開かれたPPIHの決算説明会。冒頭、壇上に立ったのは、ディスカウントストア「ドン・キホーテ」を一代で巨大企業に押し上げた、創業会長兼最高顧問の安田隆夫氏だった。 15年6月期の中間決算説明会で「勇退する」と表明して以来のスピーチとなる。現在はシンガポールに居を構える安田氏が、なぜこの場にいるのか。本人も開口一番、自虐混じりにこう切り出した。 「なぜ後期高齢者である老体にムチを打ち、あえてこの場に出張ってきたか」』、興味深そうだ。
・『「老体にムチ打ち」訴えたかったこと それは、現場から頼み込まれたからだ、と続けた。「今年はドン・キホーテの開業35周年に当たる。節目とも言える年に売り上げ2兆円を突破した。ぜひ創業会長による記念スピーチを行ってほしい旨、経営陣から強い要請があったからにほかなりません」 ドンキを運営するPPIHは24年6月期、連結売上高が初めて2兆円を突破した。日本の小売業では史上5社目となる。売上高は前期比8.2%増の2兆950万円。営業利益は33.2%増の1401億円と大きく伸びた。 1989年、東京都府中市にドンキ1号店を開業して以来、売上高と営業利益は一貫して伸び続け、ついに35期連続増収増益を成し遂げたのだ。 特に利益面の躍進が目覚ましい。25年6月期までの中期経営計画で掲げた営業利益の目標は1200億円。それを1年前倒しで達成、それも目標額を約200億円上回る勢いだ。営業利益率は、前期の5.43%から6.69%へと高まった。セブン&アイ・ホールディングス(4.66%、24年2月期)、イオン(2.63%、24年2月期)という「小売り2強」をはるかに上回る水準だ。 インバンド(訪日外国人)客が急増し、ドンキの免税売上高が急伸しただけではない。業界では終わった業態と目されていた総合スーパー(GMS)事業が大きく利益貢献した。 PPIHは19年にGMS大手のユニーを完全子会社化。一部店舗をドンキに業態転換し、残る店舗「アピタ」「ピアゴ」にもドンキ流の個店経営を注入した。5年前と比べて営業利益は231億円増え、GMS事業の営業利益率は7.4%(24年6月期)まで上昇した。1%を下回るイオン、イトーヨーカ堂のGMS事業と比べると高収益ぶりが際立っている』、「営業利益率は、前期の5.43%から6.69%へと高まった。セブン&アイ・ホールディングス(4.66%、24年2月期)、イオン(2.63%、24年2月期)という「小売り2強」をはるかに上回る水準だ・・・PPIHは19年にGMS大手のユニーを完全子会社化。一部店舗をドンキに業態転換し、残る店舗「アピタ」「ピアゴ」にもドンキ流の個店経営を注入した。5年前と比べて営業利益は231億円増え、GMS事業の営業利益率は7.4%(24年6月期)まで上昇した。1%を下回るイオン、イトーヨーカ堂のGMS事業と比べると高収益ぶりが際立っている」、なるほど。
・『マニフェストをことごとく有言実行 安田氏は、これまでの歩みから語り始めた。 「過去を振り返ってみますと、会社の業績計画を公表するこうしたIR(投資家向け広報)の場などにおいても、当社の証券コード7532を用いた『753(しちごさん)計画』『7532(しちごさんツー)計画』、あるいは『2×4(ツーバイフォー)計画』など各種経営数値目標を、アナリストの方々にマニフェストとしてお約束し、ここからが重要なのですが、区切られた期日までにすべて実現してまいりました」 753計画では01年6月期までに「売上高700億円」「経常利益50億円」「総店舗数30店舗」を目指し、その後繰り出した2×4計画では「売上高2000億円」「株主資本利益率(ROE)20%」の達成と「経常利益200億円」「年間新規出店数20店舗」体制の確立を掲げた。 続く7532計画では「経常利益率7%超」「1株当たり当期純利益(EPS)500円超」「売上高3年以内3000億円超」「2桁成長、20%成長」を目標とした。753計画は完遂し、2×4計画、7532計画はおおむね実現。20年6月期、25年6月期までの中期経営計画は、それぞれ1年前倒しで達成した』、「各種経営数値目標を、アナリストの方々にマニフェストとしてお約束し、ここからが重要なのですが、区切られた期日までにすべて実現してまいりました」、大したものだ。
・『マニフェストをことごとく有言実行 安田氏は、これまでの歩みから語り始めた。 「過去を振り返ってみますと、会社の業績計画を公表するこうしたIR(投資家向け広報)の場などにおいても、当社の証券コード7532を用いた『753(しちごさん)計画』『7532(しちごさんツー)計画』、あるいは『2×4(ツーバイフォー)計画』など各種経営数値目標を、アナリストの方々にマニフェストとしてお約束し、ここからが重要なのですが、区切られた期日までにすべて実現してまいりました」 753計画では01年6月期までに「売上高700億円」「経常利益50億円」「総店舗数30店舗」を目指し、その後繰り出した2×4計画では「売上高2000億円」「株主資本利益率(ROE)20%」の達成と「経常利益200億円」「年間新規出店数20店舗」体制の確立を掲げた。 続く7532計画では「経常利益率7%超」「1株当たり当期純利益(EPS)500円超」「売上高3年以内3000億円超」「2桁成長、20%成長」を目標とした。753計画は完遂し、2×4計画、7532計画はおおむね実現。20年6月期、25年6月期までの中期経営計画は、それぞれ1年前倒しで達成した。 「ここで私が何を申し上げたいかと言えば、当社は言ったことは必ずやり遂げる有言実行の企業であり、そのことに私は大いなる自信と自負を抱いております。すなわち、上げたアドバルーンが単なるアドバルーンで終わらず、常にきちんとした結果を出すということであり、グループ売上高2兆円はまさにそうした文脈の延長線上にあるわけでございます」 都内にドンキが数店舗しかなかった時代から、安田氏は全国で多店舗展開するビジョンを公言し、その通り、進撃に進撃を重ねた。目下、安田氏が大いなる野心を燃やすのは海外展開である。 「(15年に勇退し)国内の事業経営を後進に譲った後は、アジアと米国を主体に、海外での多店舗展開を内外に宣言し、現在進行形ではありますが、確実にそれを推し進めているところであります」 アジアでは、日本の産品に特化した業態「DON DON DONKI(ドンドンドンキ)」の展開を加速する。それに加えて「今後は重点的に米国を攻めてまいります」と言い切った。 シンガポールの「DONDONDONKI(ドンドンドンキ) オーチャードセントラル」は2017年12月にオープン 「言うまでもなく、米国はいまだ成長力の衰えない世界最大の市場であり、ここで一定のプレゼンスを得ないことには、社名である環太平洋(パン・パシフィック)制覇は絵に描いた餅と言わざるを得ません」 既に勝ち筋は描いている。大きな示唆を得たというのは、24年4月、米国本土攻略の「先兵」として開業した米グアム島の大型商業施設「VILLAGE OF DONKI(ヴィレッジオブドンキ)」だ。安田氏が「うれしい誤算」だったと語るのは、非食品がことのほか売れているという事実である。 「(アジアのドンドンドンキを通じて)食品がたくさん売れることは当初から分かっておりましたが、日用消耗品や生活雑貨などを含む日本の非食品がこれだけ売れるのなら、今の我が国流通業を苦しめている歴史的な円安を逆手に取れる大チャンスが、米国という、とてつもない巨大な市場に眠っていることになります。当社は全力を挙げ、それを顕在化させ、取りにまいります」』、「各種経営数値目標を、アナリストの方々にマニフェストとしてお約束し、ここからが重要なのですが、区切られた期日までにすべて実現してまいりました」・・・米国本土攻略の「先兵」として開業した米グアム島の大型商業施設「VILLAGE OF DONKI(ヴィレッジオブドンキ)」だ。安田氏が「うれしい誤算」だったと語るのは、非食品がことのほか売れているという事実である。 「(アジアのドンドンドンキを通じて)食品がたくさん売れることは当初から分かっておりましたが、日用消耗品や生活雑貨などを含む日本の非食品がこれだけ売れるのなら、今の我が国流通業を苦しめている歴史的な円安を逆手に取れる大チャンスが、米国という、とてつもない巨大な市場に眠っていることになります。当社は全力を挙げ、それを顕在化させ、取りにまいります」、なるほど。
・『ロスでトップセールス「世界商談会」を敢行へ 食品のみならず、非食品もキラーコンテンツにする。さらに他社をも巻き込んで、米国本土に乗り込むプランも明かした。8月末には取引先の大手メーカーや問屋とともに米ロサンゼルスで「世界商談会」を開催する予定だ。安田氏自らがロスに出向き、トップセールスをかけるという。 米国はレギュレーション(規制)が厳しいことで知られるが、「そのボトルネックを抜ければ、日本の自動車産業に匹敵するような未来が待っている可能性もございます。多くの仕入れ先パートナーの皆様と協力しながら、米国でロビー活動をやるべきではないでしょうか。商談会という名前はついておりますが、別に1個1個の商談をするわけではなく、気持ちを一つにして、これから未来に向かっていこう、と。その挑戦の決意を共有するための会が、世界商談会ということでございます」 米国の市場規模は、どれだけ大きいのか。安田氏はハワイを引き合いに出し、こう表現してみせた。 「今、ハワイの人口はだいたい140万人で、(PPIHは)年間1000億円近く売り上げているんですね。140万人というと、滋賀県と同じぐらいの規模ですよね。滋賀県で1000億円近い数字なんて上がりっこない。140万人で1000億円だったら、日本(の総人口)で言ったら8兆円ぐらいになる。日本よりハワイのほうが売っているんじゃないかという話ですよね」 米国本土のカリフォルニア州では日本食を軸とした「TOKYO CENTRAL(トーキョーセントラル)」を多店舗展開しているが、客単価は6000円を超えるという。 「米国では、食品が中心の店でも、それだけ買っていただける。そもそも顧客の購買力が全く違う。アジアとは比較にならないマーケットの大きさがあります。当然のことながら、米国を制すれば、ある面では地球を制すると言っても過言ではございません」』、「米国では、食品が中心の店でも、それだけ買っていただける。そもそも顧客の購買力が全く違う。アジアとは比較にならないマーケットの大きさがあります。当然のことながら、米国を制すれば、ある面では地球を制すると言っても過言ではございません」、なるほど。
・『今の苦戦は、将来への「成長痛」 ただ、もちろん課題もある。その最たる例が、店のオペレーション(運営)だ。ドンキ躍進の原動力となっているのは、現場への権限委譲である。社員はもちろん、メイトと呼ぶアルバイトにも、商品の仕入れから陳列、値付け、ポップの作成などあらゆる店内業務を委ねているのが特徴だ。それは海外店舗も同じである。 しかし、米国で働く現地の従業員は日本やアジアの店舗と異なり、リーダーシップとなる人材をつくり切れていないという。大きな壁は、言語にある。 「私どもには、そもそも従来、英語を話せる人材がほとんどいないんですよ。いくら日本で店をつくるのが達人のようにうまくても、英語が話せなければ話になりません。店をつくるのがうまくて、英語が話せる人材はほとんどいない。ただ、今、私たちはそうした人材をたくさんかき集めようとしております」) しかし、米国で働く現地の従業員は日本やアジアの店舗と異なり、リーダーシップとなる人材をつくり切れていないという。大きな壁は、言語にある。 「私どもには、そもそも従来、英語を話せる人材がほとんどいないんですよ。いくら日本で店をつくるのが達人のようにうまくても、英語が話せなければ話になりません。店をつくるのがうまくて、英語が話せる人材はほとんどいない。ただ、今、私たちはそうした人材をたくさんかき集めようとしております」 10代から20代半ばのZ世代には、英語を話せるメイトも多い。「こういう方たちを率先して、特別優遇措置をつけてたくさん雇用しようとしている最中」なのだという。 非食品を強化し、ロビー活動で規制を乗り越え、多言語人材を確保する。この3つの勝ち筋がうまくはまれば、「米国(事業)は今の日本を凌駕(りょうが)できる可能性も十二分にあるのではないかと私は確信しております」と説く。なぜなら「米国は、運営は大変だけど、販売はそんなに難しくない」と見るからだ。 現在は、店舗運営で苦戦しているが、「むしろこの苦戦は成長痛であり、ボトルネックであると感じております。このボトルネックをクリアすれば、むしろ一気に成長できます。これは、当社の日本のかつての姿を思い浮かべていただければご理解いただけるものと思います」と自信を込めた』、「店をつくるのがうまくて、英語が話せる人材はほとんどいない。ただ、今、私たちはそうした人材をたくさんかき集めようとしております」、これでは話にならない。当面、期待薄だ。
・『日本では縮小市場の「ラストマン」になる どこまでも肥沃な市場が広がる海外事業に注力する一方、日本国内事業をおろそかにすることはもちろんない。日本において今後進めるのは「ラストマンスタンディング戦略」の総仕上げだ。 ラストマンスタンディングとは文字通り、最後まで立っている、つまり生き残り続けることを指す。「海外と違って国内市場は全体的にシュリンク(縮小)しておりますが、激烈な戦いを制することによって、逆に占拠率、シェアが大きく高まるという、ご褒美、果実がございます」(安田氏)。 生き馬の目を抜くような厳しい競争の世界だからこそ、その「レッドオーシャンの中で勝者になった後は、ほぼブルーオーシャンになる可能性」がある。「私どもはぜひそれを目指していきたい」と安田氏は意気込んだ。 人口が減っていく日本で、成長力を持続するのは容易ではないが、安田氏はどこまでも前のめりだ。 「我が国の小売総販売額は約140兆円ある。当社のシェアは現状ではわずか1.5%にも満たない。もちろん、私どもはこのレベルに安住する気持ちは毛頭ございません」 強気の発言を裏付けるのは、積み重ねてきた歴史にある。「長崎屋、ユニーというGMS事業を買収して見事に再生させたという、誰も否定できない圧倒的な実績とエビデンスがあるわけでございます」 24年3月、旧ダイエーの跡地に開業した「MEGAドン・キホーテ成増店」も「万年不振で(イオングループが)諦めた物件を、当社が超繁盛店へと生まれ変わらせた」と誇り、壇上からこう呼び掛けた。 「ポストGMSという我が国流通業界における歴史的課題を解決するのは、結局PPIHをおいて他にない。そろそろそんなお墨付きを、私どもがいただいてもよろしいのではないかと勝手に考えておりますが、皆さんはどのようにお考えでございましょうか」 「いずれにせよ、我が国のGMS業界は再編の最終章に入ったと認識しております。当社としては再編最終章に勝ち残り、ラストマンスタンディングの総仕上げにして、次のステージに駆け上がることを、皆様の前で宣言させていただきたいと思います」 売上高2兆円突破も、35期連続増収増益も金字塔には違いないが、それで満足することはない。海外市場を果敢に開拓し、国内では消耗戦の勝者になる。2兆円企業となったのは「私どもにとって来るべき未来に向けた一つの節目、いわば新たな出発点であり、今はそのスタート台に立ったのだと、私どもは認識しております」(安田氏)。 今期も売上高2兆2200億円、営業利益1500億円と、36期連続の増収増益を見込む。飽くなき挑戦は、終わらない』、米国での展開は人材面のネック解消は当分の間、期待出来ないので厳しいが、その他では今後も成長が期待できるだろう。
第四に、9月4日付け東洋経済オンラインが掲載したチェーンストア研究家・ライターの谷頭 和希氏による「ヨーカドー「33店舗閉店」で露見した"残酷な真実" 人も街も変化したのに、なにも変われなかった」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/821339
・『閉店する33店舗が決定、100店舗を割るヨーカドー GMS大手のイトーヨーカドーが、再び世間を賑わせている。ヨーカドーといえば、今年の2月に東北地方を含む17店舗の閉店を発表。また、親会社のセブン&アイ・ホールディングスがスーパー事業を分離するという実質的な「見放し」も受け、自力での再建を求められている途中だ。 そんなヨーカドーだが、来年2月末までに閉店する33店舗の詳細が判明し、大きな話題となっている。報道によれば、茨城県で唯一の店舗であった竜ヶ崎店や埼玉の西川口店、千葉の姉崎店など、関東近郊圏での閉店も行われる。この縮小により、イトーヨーカドーは一気に93店にまで減ることになる。 閉店する店舗の中でも、話題を呼んだのが、9月に営業を終える津田沼店だ。閉店が決まった当初から、「悲しい」「あの津田沼店が……」という声が聞かれた。 【画像13枚】「悲しい」「あの津田沼店が…」46年の歴史に幕をおろす、イトーヨーカドー津田沼店の悲しすぎる現在の姿) そんな中で、筆者が「面白い」と感じたポストがある。一般ユーザーの投稿のため、直接引用することは控えるものの、そのポストではイトーヨーカドー津田沼店に「閉店」の2文字が掲げられるとは想像もできなかったと述べつつ、津田沼という街について、「ここ20年で一番、『行く』街から『住む』街に変化した街だと思う」と指摘していた。 何気ないポストに思えるが、チェーンストアや都市について執筆活動をしている筆者には、イトーヨーカドーが持っている、本質的かつ普遍的な問題が潜んでいると思えた。 そこで今回は、閉店する津田沼店を実際に訪れながら、街とヨーカドーの関係性について考えていきたい』、興味深そうだ。
・『津田沼店を訪れてみると… ヨーカドー津田沼店は、新京成線の新津田沼駅から直結している。入り口のドアの前には、閉店のお知らせが貼ってあった。 中に入ると、顧客から店へのメッセージを募集するコーナーが。ポストイットにそれぞれの人が津田沼店の思い出を書いて貼っている。その数は膨大で、津田沼店が地域の人から愛されてきたことがわかる。 その横には、閉店までの店の陳列について説明するポスター展示があり、一歩踏み入れただけで、完全に「お別れモード」に包まれる。) 店内にも、至るところに「閉店売りつくし」と張り紙がしてある。いろんなものが安売りしていて、大量に積まれた商品が放り込まれたラックの周りには、ちらほら人がいる。 でも、ちらほら、だ。たくさんいるわけじゃない。そこがまた、一層悲しさを際立たせる。 もっとも「お別れモード」が強いのが、最上階。本来はレストランフロアなのだが、ほとんどのテナントが撤退していて、白い壁が広がっている。そのあまりの殺風景さを埋めるためか、「津田沼店の想い出」コーナーが展開されている。ヨーカドーの昔の写真の展示から、当時の資料、津田沼の歴史年表まで、ちょっとした博物館のようである。 入り口にもあった「津田沼店の想い出コーナー」はここにも広がっていて、無数のポストイットが貼られていた。これだけ愛されてるんだったら、なんで撤退なんて……。つい、そう思ってしまう』、「もっとも「お別れモード」が強いのが、最上階。本来はレストランフロアなのだが、ほとんどのテナントが撤退していて、白い壁が広がっている。そのあまりの殺風景さを埋めるためか、「津田沼店の想い出」コーナーが展開されている・・・これだけ愛されてるんだったら、なんで撤退なんて……。つい、そう思ってしまう」、なるほど。
・『「津田沼戦争」に参入したヨーカドー 津田沼店が撤退せざるを得ないのっぴきならない理由はなにか。 もちろん、それはイトーヨーカドー全体の業績が悪いことはいうまでもないが、津田沼という街ならではの理由もある。) もともと、津田沼店は1977年に誕生した。今年で46年目を迎える。 当時、津田沼には「西武津田沼ショッピングセンター」「丸井」「サンぺデック(ダイエー津田沼店)」「長崎屋」等の大型商業施設が多数立地していた。商業的な激戦が繰り広げられるさまは「津田沼戦争」とも呼ばれ、当時は勢いのあったヨーカドーがその戦争に参入した形となる。 戦争」ともなれば、本気を出さざるを得ない。売り場面積は当時としては最大。地下には「津田沼ファミリーワールド」という、さまざまな食料品を取り扱うモールのようなものもあり、食べ物であればなんでも揃った。こうした戦略が功を奏し、津田沼店はヨーカドー店舗の中でも売り上げ上位の店舗になる。 【2024年9月5日10時35分追記】初出時、記載の内容に誤りがありました。お詫びして修正致します。 前述したポストでは、「津田沼はかつて『行く』街だった」と述べられているが、まさにちょっと特別な場所としてヨーカドー津田沼店はあったのだ』、「津田沼店はヨーカドー店舗の中でも売り上げ上位の店舗になる・・・「津田沼はかつて『行く』街だった」と述べられているが、まさにちょっと特別な場所としてヨーカドー津田沼店はあったのだ」、なるほど。
・『商業エリアの中心が動いた しかし、ここに強敵が現れる。津田沼店誕生の4年後に誕生した「ららぽーとTOKYO-BAY」である。津田沼店からはわずか4キロほどで、車で行けば10分かからない距離。津田沼の隣、船橋の臨海エリアに誕生した。ちなみに、元はと言えば、懐かしい人には懐かしい「船橋ヘルスセンター」がある場所だ。 ここは、今でこそ全国に増えた「ららぽーと」の1号店にして、現在でも日本最大級の面積を誇る大ショッピングモール。現在の敷地面積は約171,000平方メートルで、東京ドーム3.6個分。でかすぎる。 とはいえ、ららぽーとTOKYO-BAY、オープン当初は日本に本格的なショッピングモールがなかったこと、ららぽーと自体が初出店だったこともあって、先行きが不安視されていた。なにより、すぐ近くの津田沼は戦争中だ。そんな激戦区にあって、後発の業態がうまくいくはずがない、そう目されていた。 だが、その目論見は見事、外れる。オープン時には4万人が来場し、推定では25万人が来場したらしい。客の勢いは止まらず、このショッピングモールはさらにさらに面積を広げていく。 そこでの集客にあやかろうとしたのか、2000年には、この臨海エリアに、コストコやカルフール、三井アウトレットパーク幕張など数多くの商業施設が誕生。これには、2000年に大店法が改正され、大規模な小売店の出店が容易になった事情もある。明確に「行く」街は、この臨海エリアになったのである。) さて、そうなると大変なのが津田沼駅前にあった商業施設たちである。そこで戦争をしていると思ったら、予想しないところで客を取られてしまった。折しも時代は、GMSの時代からショッピングモールの時代へと移り変わっていくさなか。津田沼に数多くあった商業施設は、また一つまた一つと閉店していった。 その跡地に商業施設ができる場合があったが、そこには多くの場合、生活に密着したテナントが入る場合が多い。例えば、2007年に閉店した丸井津田沼店のあとにできた「mina津田沼店」には、ダイソーやJINS、AOKI、業務スーパーなど、さまざまなチェーンが入っている。まさに、特別感のあるラインナップというよりも、「住む」街として、そこに住んでいる人たちに特化したラインナップへと変わっていったのだ』、「2000年には、この臨海エリアに、コストコやカルフール、三井アウトレットパーク幕張など数多くの商業施設が誕生。これには、2000年に大店法が改正され、大規模な小売店の出店が容易になった事情もある・・・大変なのが津田沼駅前にあった商業施設たちである。そこで戦争をしていると思ったら、予想しないところで客を取られてしまった。折しも時代は、GMSの時代からショッピングモールの時代へと移り変わっていくさなか。津田沼に数多くあった商業施設は、また一つまた一つと閉店していった・・・その跡地に商業施設ができる場合があったが、そこには多くの場合、生活に密着したテナントが入る場合が多い。例えば、2007年に閉店した丸井津田沼店のあとにできた「mina津田沼店」には、ダイソーやJINS、AOKI、業務スーパーなど、さまざまなチェーンが入っている。まさに、特別感のあるラインナップというよりも、「住む」街として、そこに住んでいる人たちに特化したラインナップへと変わっていったのだ」、なるほど。
・『街の変化より、変化が遅かったヨーカドー こうして津田沼の街は変化を続け、それに合わせて「津田沼戦争」も収束、街の形に合わせるようにして、商業施設も変化していった。 ところで、唐突だが、ここで思い出すのが、最近私が精力的に取り組んでいる「渋谷カフェ少なすぎ問題」である。これは、土日の渋谷では、どんなチェーンカフェも混んでいることを指摘したものだ。この要因には、コロナ禍を経てリモートで仕事をする人が増えたことや、都市自体に人がゆっくり休める場所が少ないことが原因だと考えている。 しかし、その大元にあるのは、「人の変化」と「チェーンストアや商業施設の変化」、さらには「街全体の変化」のスピードが、それぞれ異なっていることだ。 人間の流行は、わずか数年程度で移り変わっていくのがほとんどだ。それに対し、商業施設などは、すぐに出店できるものでもなく、本部による出店計画や工事などを経て、やっと出来上がる。人々の興味よりも変化のスピードが遅いのだ。もちろん、チェーンストアの入れ替わりも、人々の興味の変化に遅れて生じる。 そして、それらを包み込む街ともなれば、もっともっとその変化は遅い。渋谷の再開発は2012年から2027年まで、15年がかかっている(というか、それ以上になりそうでもある)。 一方で、コロナを経て、人々の変化は以前にも増して早くなっている。リモートワークが前提となり、若者の消費も「モノ消費」から「コト消費」へと変わった。 にもかかわらず、街自体はまだ変化の途中。都心にカフェが足りない問題もまた、こうしたサイクルの問題だと言えるのだ。 そして、これは、今見てきた津田沼でも同様である。近隣にショッピングモールができたことによって人々の行動パターンが変わり、他の商業施設は変わってきた。 しかし、イトーヨーカドーだけは、その変化のサイクルに乗り遅れてしまったのではないか』、「コロナを経て、人々の変化は以前にも増して早くなっている。リモートワークが前提となり、若者の消費も「モノ消費」から「コト消費」へと変わった。 にもかかわらず、街自体はまだ変化の途中。都心にカフェが足りない問題もまた、こうしたサイクルの問題だと言えるのだ。 そして、これは、今見てきた津田沼でも同様である。近隣にショッピングモールができたことによって人々の行動パターンが変わり、他の商業施設は変わってきた。 しかし、イトーヨーカドーだけは、その変化のサイクルに乗り遅れてしまったのではないか」、その通りだ。
・『改革はしているが、肝心の消費者を見られていない イトーヨーカドーの「変化の遅さ」はこれまでも取り上げられてきた。日本経済新聞の社説でも「遅すぎた経営改革」として語られているぐらいだ。実際、同社の取り組みを見ていると、この「人の変化」に対応する、という意識が希薄なのではないか、と思ってしまうことにたびたび遭遇する。 私は以前、都内にあるイトーヨーカドーの全店舗をめぐって、その問題点を指摘したことがあるが、例えば顧客層が高齢者にもかかわらずセルフレジ化を進め、結果、有人レジが大混雑している様子など、そうした例は枚挙にいとまがない。 先ほども書いたように、ただでさえ、「街の変化」「商業施設の変化」「人の変化」はサイクルがバラバラで、とくに商業施設は、人の変化のスピード感に対応しなければならない。普段の努力がなければこの変化に対応することはできないのだ。 津田沼店は、結果として46年という長寿を全うした。 しかし、そこが長寿であることは、むしろ、津田沼店が「変化に対応しなかった」ということを表している。もっともゆっくり進む街の変化にも対応しなかったということなのである。なんという皮肉だろうか。今や、GMSを追いやったショッピングモールが、利益率の低下に苦しんでいる状況であり、決して安泰ではない。 こういった現実を考えれば考えるほど、津田沼店に貼ってあった、大量のポストイットも違った風景に見えてくる。 そこに書いてある「ヨーカドーが無くなって残念です」という内容は、むしろヨーカドーがいかに変化をしてこなかったかを逆に表しているのだ。そこに、残酷な真実が隠れている。 もはやイトーヨーカドーは、多くの人にとって「今」ではなく、「懐かしく、美しい記憶の中」に存在しているのだ。 関連記事:ヨーカドーが「第2のライフ」には多分なれない訳「消費者を見ない姿勢」は変化の妨げになる』、「なんという皮肉だろうか。今や、GMSを追いやったショッピングモールが、利益率の低下に苦しんでいる状況であり、決して安泰ではない。 こういった現実を考えれば考えるほど、津田沼店に貼ってあった、大量のポストイットも違った風景に見えてくる。 そこに書いてある「ヨーカドーが無くなって残念です」という内容は、むしろヨーカドーがいかに変化をしてこなかったかを逆に表しているのだ。そこに、残酷な真実が隠れている。 もはやイトーヨーカドーは、多くの人にとって「今」ではなく、「懐かしく、美しい記憶の中」に存在しているのだ」、同感である。
タグ:(その10)(ドンキ創業者・安田隆夫氏が語る人事論 毎年20%の支社長が降格、ドンキは2割降格でも社内が明るい 仕事を「ゲーム化」する4条件、ドンキ創業者・安田隆夫氏が「凱旋」会見 米国攻略へ3つの勝ち筋、ヨーカドー「33店舗閉店」で露見した"残酷な真実" 人も街も変化したのに なにも変われなかった) 小売業(一般) 「「はらわた力(りょく)」──。ドン・キホーテに脈々と伝わる造語である。 たとえ失敗して土壇場に追い詰められても、その経験を糧として勇猛果敢に立ち上がる。目の前の壁に跳ね返され、もがき苦しみながらも、不屈の闘志で最後に這い上がろうとする一念のことを指す。 はらわた力を思う存分鍛えられるよう、ドンキには失敗を容認する企業文化が浸透している。経営理念に掲げるのは「大胆な権限委譲」。 日経ビジネスオンライン「ドンキ創業者・安田隆夫氏が語る人事論 毎年20%の支社長が降格」 yahooニュース 仕入れ過ぎて在庫を大量に抱えてしまった、開発した商品が全く売れなかった、赤字を計上してしまった…そんなときも上司からとがめられることはない。ドンキでは誰もが派手にやらかしながら、一人前の商売人に育ってきたからだ。失敗による損失は、成功体験を積み重ねる礎と位置付けている。 社員全員が貪欲に成長を追い求める集団であり続けられれば、どれほど大きな企業になろうと安定志向に傾き、成長が鈍化することはない。「大企業病」になることなどない、はずだった・・・パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH )というグループ全体で、ついに売上高1兆円を突破。07年の長崎屋買収に続く大型再編劇で、小売業界の台風の目に躍り出た。その半面、快進撃の反動なのか、大企業化による弊害も直視せざるを得ない状況に陥った」、「失敗を容認する企業文化が浸透」、日本企業には珍しいことだ。 「それまで全国で20だった支社数を102に分割し、100万人(=1ミリオン)の商圏人口ごとに1人の「ミリオン支社長」を任命した。これにより、1人の支社長につき3~6店舗を管轄する体制に刷新。ミリオン支社長に上司はおらず、100万人の商圏、100億円の年商を持つエリアの“社長”として、完全に経営を任せる、という大胆なプランだ。 支社長ポストが大きく増えたことで、ドンキ初の女性支社長や、27歳の支社長(いずれも当時)が誕生した。ダイバーシティー(多様性)を推進しながら、実力のある人材はどんどん抜擢(ばってき) する、という姿勢を社内に見せつけたのだ」、画期的だ。 「下位20%に沈んだ場合、新たな支社長にとって代わられる。英国のプレミアリーグや日本のJリーグなどが取り入れる“入れ替え戦”の仕組みを、社内制度として導入したのだ」、なるほど。 日経ビジネスオンライン「ドンキは2割降格でも社内が明るい 仕事を「ゲーム化」する4条件」 『進撃のドンキ 知られざる巨大企業の深淵なる経営』を上梓(じょうし)した酒井大輔 「降格になる人も続出する。毎年毎年、制度の不備や文句が出てくるんですよ。それをサポートしていく部署が必要だよねということで、アンサーマン本部ができました」(赤城氏)。 降格された人の文句を聞くばかりではない。) アンサーマンとは、その名の通り「答える人」のこと。現場の悩みや不満、要望など「何でも聞いて、答えてあげる」任務を負う。 メンバーは赤城氏を本部長に、ドンキの取締役が「アンサーマン委員」として名を連ねる・・・ 仕事をゲーム化する仕組みをつくり、社員のやる気を引き出すことにたけている。ゲームを持ち込むことで、仕事がもっと楽しくなる。ドンキが長年磨いてきたアミューズメント性の高い買い場(*)は、従業員自身がやりがいを胸に、楽しく仕事をしていることの裏返しでもある」、なるほど。 「降格があるということは、昇格もある。実際、新たな支社長は社内の立候補者から選ばれ、その中には降格経験者も含まれている。PPIHの役員たち自身も、昇降格を繰り返しながら、着実にステップアップしてきた。 「敗者復活」の文化があるから、絶望することなく、捲土(けんど)重来を期して爪を研げる。“入れ替え戦”は己を見つめ直し、はらわた力(*)を蓄える絶好の機会になる・・・ 権限委譲によって、仕事が労働(ワーク)ではなく、競争(ゲーム)になる、と説く・・・「仕事を『ワーク』ではなく『ゲーム』として楽しめ」という心得が記載」、なるほど。 日経ビジネスオンライン「ドンキ創業者・安田隆夫氏が「凱旋」会見 米国攻略へ3つの勝ち筋」 1989年、東京都府中市にドンキ1号店を開業して以来、売上高と営業利益は一貫して伸び続け、ついに35期連続増収増益を成し遂げたのだ。 特に利益面の躍進が目覚ましい 「営業利益率は、前期の5.43%から6.69%へと高まった。セブン&アイ・ホールディングス(4.66%、24年2月期)、イオン(2.63%、24年2月期)という「小売り2強」をはるかに上回る水準だ・・・PPIHは19年にGMS大手のユニーを完全子会社化。一部店舗をドンキに業態転換し、残る店舗「アピタ」「ピアゴ」にもドンキ流の個店経営を注入した。5年前と比べて営業利益は231億円増え、GMS事業の営業利益率は7.4%(24年6月期)まで上昇した。 1%を下回るイオン、イトーヨーカ堂のGMS事業と比べると高収益ぶりが際立っている」、なるほど。 「各種経営数値目標を、アナリストの方々にマニフェストとしてお約束し、ここからが重要なのですが、区切られた期日までにすべて実現してまいりました」、大したものだ。 「各種経営数値目標を、アナリストの方々にマニフェストとしてお約束し、ここからが重要なのですが、区切られた期日までにすべて実現してまいりました」・・・米国本土攻略の「先兵」として開業した米グアム島の大型商業施設「VILLAGE OF DONKI(ヴィレッジオブドンキ)」だ。安田氏が「うれしい誤算」だったと語るのは、非食品がことのほか売れているという事実である。 「(アジアのドンドンドンキを通じて)食品がたくさん売れることは当初から分かっておりましたが、日用消耗品や生活雑貨などを含む日本の非食品がこれだけ売れるのなら、今の我が国流通業を苦しめている歴史的な円安を逆手に取れる大チャンスが、米国という、とてつもない巨大な市場に眠っていることになります。当社は全力を挙げ、それを顕在化させ、取りにまいります」、なるほど。 「米国では、食品が中心の店でも、それだけ買っていただける。そもそも顧客の購買力が全く違う。アジアとは比較にならないマーケットの大きさがあります。当然のことながら、米国を制すれば、ある面では地球を制すると言っても過言ではございません」、なるほど。 「店をつくるのがうまくて、英語が話せる人材はほとんどいない。ただ、今、私たちはそうした人材をたくさんかき集めようとしております」、これでは話にならない。当面、期待薄だ。 米国での展開は人材面のネック解消は当分の間、期待出来ないので厳しいが、その他では今後も成長が期待できるだろう。 東洋経済オンライン 谷頭 和希氏による「ヨーカドー「33店舗閉店」で露見した"残酷な真実" 人も街も変化したのに、なにも変われなかった」 「もっとも「お別れモード」が強いのが、最上階。本来はレストランフロアなのだが、ほとんどのテナントが撤退していて、白い壁が広がっている。そのあまりの殺風景さを埋めるためか、「津田沼店の想い出」コーナーが展開されている・・・これだけ愛されてるんだったら、なんで撤退なんて……。つい、そう思ってしまう」、なるほど。 「津田沼店はヨーカドー店舗の中でも売り上げ上位の店舗になる・・・「津田沼はかつて『行く』街だった」と述べられているが、まさにちょっと特別な場所としてヨーカドー津田沼店はあったのだ」、なるほど。 津田沼店誕生の4年後に誕生した「ららぽーとTOKYO-BAY」 2000年には、この臨海エリアに、コストコやカルフール、三井アウトレットパーク幕張など数多くの商業施設が誕生。これには、2000年に大店法が改正され、大規模な小売店の出店が容易になった事情もある。明確に「行く」街は、この臨海エリアになったのである 「2000年には、この臨海エリアに、コストコやカルフール、三井アウトレットパーク幕張など数多くの商業施設が誕生。これには、2000年に大店法が改正され、大規模な小売店の出店が容易になった事情もある・・・大変なのが津田沼駅前にあった商業施設たちである。そこで戦争をしていると思ったら、予想しないところで客を取られてしまった。 折しも時代は、GMSの時代からショッピングモールの時代へと移り変わっていくさなか。津田沼に数多くあった商業施設は、また一つまた一つと閉店していった・・・その跡地に商業施設ができる場合があったが、そこには多くの場合、生活に密着したテナントが入る場合が多い。例えば、2007年に閉店した丸井津田沼店のあとにできた「mina津田沼店」には、ダイソーやJINS、AOKI、業務スーパーなど、さまざまなチェーンが入っている。まさに、特別感のあるラインナップというよりも、「住む」街として、そこに住んでいる人たちに特化した ラインナップへと変わっていったのだ」、なるほど。 「コロナを経て、人々の変化は以前にも増して早くなっている。リモートワークが前提となり、若者の消費も「モノ消費」から「コト消費」へと変わった。 にもかかわらず、街自体はまだ変化の途中。都心にカフェが足りない問題もまた、こうしたサイクルの問題だと言えるのだ。 そして、これは、今見てきた津田沼でも同様である。近隣にショッピングモールができたことによって人々の行動パターンが変わり、他の商業施設は変わってきた。 しかし、イトーヨーカドーだけは、その変化のサイクルに乗り遅れてしまったのではないか」、その通りだ。 「なんという皮肉だろうか。今や、GMSを追いやったショッピングモールが、利益率の低下に苦しんでいる状況であり、決して安泰ではない。 こういった現実を考えれば考えるほど、津田沼店に貼ってあった、大量のポストイットも違った風景に見えてくる。 そこに書いてある「ヨーカドーが無くなって残念です」という内容は、むしろヨーカドーがいかに変化をしてこなかったかを逆に表しているのだ。そこに、残酷な真実が隠れている。 もはやイトーヨーカドーは、多くの人にとって「今」ではなく、「懐かしく、美しい記憶の中」に存在しているのだ」 、同感である。