ハラスメント(その27)(カスハラで労災認定52件 自己犠牲を強いる「おもてなし」、「それじゃ、ほぼほぼ日本人じゃないですか」“米国生まれの米国人”を公言してきたジャニー喜多川「出自の真相」【日米徹底取材】、「実に計算高い」兵庫県知事・斎藤元彦が「辞職」よりも「失職」を選んだ深いワケ) [社会]
ハラスメントについては、本年9月8日に取上げた。今日は、(その27)(カスハラで労災認定52件 自己犠牲を強いる「おもてなし」、「それじゃ、ほぼほぼ日本人じゃないですか」“米国生まれの米国人”を公言してきたジャニー喜多川「出自の真相」【日米徹底取材】、「実に計算高い」兵庫県知事・斎藤元彦が「辞職」よりも「失職」を選んだ深いワケ)である。
先ずは、本年7月10日付け日経ビジネスオンラインが掲載した健康社会学者の河合 薫氏による「カスハラで労災認定52件 自己犠牲を強いる「おもてなし」」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00316/
・『この記事の3つのポイント 1. 2023年度、カスハラが原因の労災認定は52件 2 カスハラの具体例を聞くと「ただのいじめだ」と感じた 3. 日本特有の「おもてなし」がカスハラを助長した一面も またもや「過去最多」だ。仕事上の強いストレスが原因で、うつ病などの精神障害になり、労災と認められた件数は昨年度883件(2023年度)。前の年から173件増え、統計を始めた1983年度以降の過去最多を5年連続で更新した(厚生労働省調べ)。 (参考:日本経済新聞社の記事
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE288N20Y4A620C2000000/。) 労災の認定基準として昨年度から追加された「カスタマーハラスメント(カスハラ)」が原因だったのは52件で、うち45件は女性。自殺者(未遂含む)は1人だった。 カスハラ。つくづく嫌な言葉だ。 実は先日、旅館業を営んでいる知人から、カスハラの実態を聞くことができた。とはいえ「カスハラとか、やっぱりあるんですか?」と私から聞いたわけじゃない。よもやま話をしているうちに「インバウンド(訪日外国人)がめちゃくちゃ増えた」「ネット予約が一般化しドタキャンが増えた」「食事の時間を守らない人が増えた」「部屋の備品を持っていく人が増えた」といった、お客さんの迷惑行為話になり、そこで知人が吐露したのが、彼女をうつ傾向に至らしめたカスハラだった。 それは老舗旅館に嫁ぎ、10万人超のお客さんを出迎えてきた、60代のベテラン女将でさえ“心が折れたカスハラのリアル”だ。 カスハラ問題は先月取り上げたばかりだが(「えっ、私もカスハラ加害者 「丁寧ならOK」自治体のグレーな定義」)、反復性や継続性のない「たった1度」の暴言で「たまたま目の前にいた人」をうつに至らしめたり、苦しめたりしていいわけはない。ゆえに、「絶対にやってはいけないんだ」と顧客側の心のブレーキが稼働する状態になるまで、「発信し続けていこう!」と決めた。 というわけで、カスハラ問題はこれが最後になることを願いつつ、「他人を傷つけずにはいられない人」をテーマに、あれこれ考えてみる。) まずは知人のお話から。 「カスハラはね、深刻ですよ。私もあの時は本当に立ち上がれなかった。30年以上、フロントでお客さんと接しているけど、もう無理って。自分があそこまで壊れそうになるなんて、信じられないくらい罵倒されました。 きっかけはお客さんの到着が遅れたことです。駅から電話があって道順を聞かれたから、『駅からまっすぐです。駅前の大通り沿いです』って教えたのね。そしたら『まっすぐじゃなかった!』って。 『あんたが嘘教えるから、こっちの滞在時間が短くなった』って、すごいけんまくで怒り出してね。あまりにもショックが大きすぎて、何を言われたのか思い出せないことも多いのだけどね。 時間にすると? う~ん、どれくらいだろう。とにかくすごかったですよ。フロントには私しかいないし、夕食の時間帯だからこの人(ご主人)は厨房でしょ。なんかもうあまりにすごすぎて、色々なお客さんを見てきた自分が、何もできないことに驚くほどでした。 たいていそうやってクレームをつけてくる人は、『良い部屋に変えろ』とか『食事を特別料理にしろ』とか要求してくる。その時も『露天風呂が付いている部屋に変えろ!』って言い出した。 うちにはそんなお部屋はございませんって、伝えたら、またそこで激しく罵倒されました。 『だったらもういい! 泊まらない』って言うから、『こちらは結構です』って言ったの。そしたらまた、暴言を散々言うだけ言って、ひどい宿だったって拡散してやると捨てせりふを吐いて帰っていったわ。 もうね、あの時は本当に立ち上がれなかった。もう無理って。だからね、こっちが“拒否”できるようになって本当に良かったんですよ。それまではどんなにひどいカスハラがあっても、我慢するしかなかったですから」』、「たいていそうやってクレームをつけてくる人は、『良い部屋に変えろ』とか『食事を特別料理にしろ』とか要求してくる。その時も『露天風呂が付いている部屋に変えろ!』って言い出した。 うちにはそんなお部屋はございませんって、伝えたら、またそこで激しく罵倒されました。 『だったらもういい! 泊まらない』って言うから、『こちらは結構です』って言ったの。そしたらまた、暴言を散々言うだけ言って、ひどい宿だったって拡散してやると捨てせりふを吐いて帰っていったわ。 もうね、あの時は本当に立ち上がれなかった。もう無理って。だからね、こっちが“拒否”できるようになって本当に良かったんですよ。それまではどんなにひどいカスハラがあっても、我慢するしかなかったですから¥、なるほど
・『旅館業法が改正、宿泊を拒むことができるように ……カスハラのきっかけはささいなこと、とはわかっていたけど、これではただのいじめだ。 どんなまっすぐな道でも、多少は曲がっているし、多少の起伏だってある。大都会の一からつくった道路だって一直線じゃないだろう。 補足しておくと彼女が言った「拒否」とは、2023年、旅館業法が改正され、ホテルや旅館側がカスタマーハラスメントに当たる特定の要求を行った人の宿泊を拒むことができるようになったことだ。 1948年に制定された旅館業法では、伝染性の疾病にかかっていると明らかに認められるなどの宿泊拒否事由に該当する場合を除き、宿泊を拒んではならなかった。しかし、カスハラなどの迷惑客に苦慮するケースが多発し、改正された。) 補足しておくと彼女が言った「拒否」とは、2023年、旅館業法が改正され、ホテルや旅館側がカスタマーハラスメントに当たる特定の要求を行った人の宿泊を拒むことができるようになったことだ。・・・私もこのニュースは知っていたけど、知人の話を聞くまで「拒否できる」ことがどういう意味をもつのかが具体的にイメージできなかった。しかし、件の女将とご主人が「本当に良かった」と繰り返すのを目の当たりにし、どんな心が張り裂けそうになっても、相手が“客”というだけで耐えるしかなかったのだと痛感した。と同時に、現場に“武器”を持たせる必要性を強く感じた。 そういえば、全日本空輸(ANA)と日本航空(JAL)が共同で「カスタマーハラスメントに対する方針」を策定したと報じられたけど、会社側がおのおのの企業情報サイトで、以下のように明言してくれたのは、現場の大きな“武器”だといえよう。 <JALグループカスタマーハラスメント基本方針>(一部引用) ・カスタマーハラスメントに対しては、毅然と対応し、注意・警告をさせていただきます。 ・状況によっては警察に通報するなど、しかるべき対応をとらせていただきます。 ・ご搭乗・ご利用をお断りすることや、誓約書の提出を条件とするなど必要と認める措置をとることがあります・・・ <ANAグループ カスタマーハラスメントに対する方針>(一部引用) カスタマーハラスメントに該当する事象が生じた場合、おやめいただくよう注意させていただきます。残念ながら問題の言動が継続する場合は、運送約款、各種規約、その他の会社規則に則り、弊社サービスのご利用をお断りさせていただく場合もございます。なお、悪質な言動および犯罪行為に対しては、警察などのしかるべき機関に相談のうえ、厳正に対処します・・・何がカスハラなのか? という具体的な行為は、両社のサイトにそれぞれ記されているので、ぜひとも確認してほしいが、現場にとっては「注意・警告をさせていただく」「おやめいただくよう注意させていただきます」と会社が発信してくれただけで、少しだけ気が楽になったと思う。 「カスハラ対策=社員を守る」という認識と危機感はかなり広がってきたが、「現場に武器を持たせる」という視点も忘れないでほしい。) カスハラの最大の問題は“たまたま”客のターゲットになった人が、“たった1回”の、反復性や継続性のない暴言や過剰な要求で、「立ち上がれないほど」傷つけられ、2度と現場に立てなくなるほど追い詰められ、“たかが仕事”で人生まで台無しにされかねないことに尽きる。 カスハラが社会問題になるまで、うつなどの精神障害は、職場で慢性ストレスにさらされていることが大きな原因だった。 思いつきでもの言う上司、何を考えているかわからない部下、クライアントへの気遣い、意見や価値観が対立する同僚、といった対人関係は、自分が感じている以上にジリジリと皮膚に入り込む。部下が起こした問題の後始末、社内外の交渉案件、といった管理職なら日常的に経験する出来事も慢性的なストレスとなる。 そして、そこに一時的、あるいは急性的に強度の高いストレスが加わると、深刻な精神障害を発症する――。これが職場のストレスを考える上での「基本」だった。 ただ一方で、ストレス対処がうまくできれば慢性化を防ぐことができる。その最良の手段が俗に言う“風通しのいい職場”づくりであり、意見を言える職場であり、年齢や性別、役職に関係なく「誰もが立派な社会人」と敬意を示せる上司の育成であり、「敬意・信頼・共感」という経営の3原則を決して手放さないトップの存在だった。 ところが、職場の外の全くの赤の他人が、社員を「言葉」で一撃する事態が相次いでいる。カスハラでうつなどの精神障害に追い込まれている。しかも、冒頭に紹介した52件はあくまでも労災を申請し、認定された件数にすぎない。 精神障害の発症に至らなくても、冒頭の知人のように心に大きな傷=恐怖を負っている人も多いだろうし、仕事を辞める選択をした人も多いはずだ』、「カスハラの最大の問題は“たまたま”客のターゲットになった人が、“たった1回”の、反復性や継続性のない暴言や過剰な要求で、「立ち上がれないほど」傷つけられ、2度と現場に立てなくなるほど追い詰められ、“たかが仕事”で人生まで台無しにされかねないことに尽きる・・・職場の外の全くの赤の他人が、社員を「言葉」で一撃する事態が相次いでいる。カスハラでうつなどの精神障害に追い込まれている。しかも、冒頭に紹介した52件はあくまでも労災を申請し、認定された件数にすぎない。 精神障害の発症に至らなくても、冒頭の知人のように心に大きな傷=恐怖を負っている人も多いだろうし、仕事を辞める選択をした人も多いはずだ」、なるほど。
・『なぜ、国が法律を改正するに至ったのか? なぜ、ANAとJALが共同でカスハラ対策に乗り出したのか? 答えはシンプル。カスハラの行為者は、ごく普通の人たちであり、私たちの隣人であり、「私」だからだ。世の中の大半の人たちは、できれば苦情など言いたくないし、誰も傷つけたくないと思っているはずなのに、「私の言葉」がたまたま目の前にいる人を、とことん追い詰める。その責任を問われることもなければ、裁判沙汰になることもないままに、だ。 そもそもなぜ、他人をいとも簡単に傷つけるカスハラ加害者が増えてしまったのか?) 私は圧倒的な「言葉の力の肥大化」を生んだSNSの存在は大きいと考えている。それまで「心に中にとどめていたネガティブな感情」が、SNSによってお手軽に吐き出せるようになった。フェース・トゥ・フェースでは言えないことが、そこに「顔」がないと簡単に言えてしまうのだ。 お店や会社、働く人への批判や不満を吐露し、誰かが賛同してくれたり、共感してくれたりすると「でしょ? 頭くるよね!」と自分を正当化できる。自分の言ってることは正しい、自分がやってることは「相手」のためだ、などと間違った正義感を振りかざすようにもなる。 「他人を傷つけずにいられない人」の誕生である』、「そもそもなぜ、他人をいとも簡単に傷つけるカスハラ加害者が増えてしまったのか?) 私は圧倒的な「言葉の力の肥大化」を生んだSNSの存在は大きいと考えている。それまで「心に中にとどめていたネガティブな感情」が、SNSによってお手軽に吐き出せるようになった。フェース・トゥ・フェースでは言えないことが、そこに「顔」がないと簡単に言えてしまうのだ。 お店や会社、働く人への批判や不満を吐露し、誰かが賛同してくれたり、共感してくれたりすると「でしょ? 頭くるよね!」と自分を正当化できる。自分の言ってることは正しい、自分がやってることは「相手」のためだ、などと間違った正義感を振りかざすようにもなる」、なるほど。
・『実は「おもてなし」がカスハラの原因 そして、もうひとつカスハラをする客の意識を高めているのが、ニッポンのウリである「おもてなし」だ。「おもてなし」は、ある意味、サービスする側の自己犠牲で成立していると言っても過言ではない。 本来、いいサービスには、サービスを提供する側とサービスを受ける側双方に「敬意」が不可欠だ。サービスを受ける側にも相手をリスペクトする気持ちが必要なのに、「おもてなし」という言葉が、「お客の要求に応えて当たり前という意識」を熟成してしまったのだ。 私がそう気付かされたのは、ニュージーランドに行った時だった。 ニュージーランドはとにもかくにも自然がすばらしく、その夢のような大自然をささえているのが、「tiaki promise(ティアキ・プロミス)」だった。 飛行機に乗った途端、あちらこちらから“tiaki”の文字が飛び込んでくる。座席のモニター、機内雑誌、食事に付いてくるバター、チーズ、そして、空港、ホテル、お店などなど、「ここでもかっ!」ってくらい“tiaki”だらけ。やがて小文字で綴られたtiakiという文字が妙に気になるのだから、実に不思議だ。 ティアキとは、マオリ語で「人と場所を守る」ことを意味し、ティアキ・プロミスは現在から、未来の世代まで、ニュージーランドを守っていくという宣言のこと。ニュージーランドに住む人だけではなく、旅行者にもそれを守る義務があるとしている。 具体的には、「土地、海、自然を気にかけ、そっと足を踏み入れ、跡を残さないように去る」「安全に旅行し、 全ての環境を思いやり、気を配る」「文化に敬意を払い、心を開き、受け止める心で旅をする」。 この3つの信条が「自然を守る、清潔を保つ、安全に運転する、きちんと準備する、敬意を払う」という5つのピストグラムで表現され、さまざまな商品にプリントされていた。 ティアキはキャンペーンでもなければ、上から押し付けられるものでもない。ニュージーランドという国に根付く、文化的価値観だ。ニュージーランドの人たちには「自分たちは自然の一部」という考えのもと、「自然の中で生かしてもらっている」という価値観が刷り込まれている。それを旅行者に荒らされたくない、いや、荒らしてはいけないのだ、という気持ちが、ティアキの5つのピストグラムを生んだ。ニュージーランドの自然が人にもたらす有形無形の豊かさを守るためのメッセージが、ティアキ・プロミスだった。 実際、街にはゴミが全く落ちてないしトイレもきれいだった。使う人が「きれいに使おう」と意識していることがよくわかるきれいさだった。ホテルの部屋には無駄なものがない。アメニティーの全てがエコ素材で、レストランにも調味料がほとんど置かれていなかった。 ティアキの「敬意を払う」姿勢は働き方にも行き届いていて、「いいサービスってこういうことだよね」と、とても勉強になった。日本人の「おもてなし」とは全く違うのだ。 最善は尽くすけどお互いの状況を理解し合う。「みんなそれぞれの立場があるし、みんな違う」という前提が、顧客と働く人、顧客同士、働く人同士の間でいい距離感を生み出していた。敬意とは、優しさであり、心に余裕を持ってつながることだと感じ入った。えらく感動した。 いちばん痺れたのは、出発便の掲示板で、まだ搭乗口が決まっていない(搭乗開始まで時間のある)フライトに「relax(リラックス)」と書かれていたことだ。 「さぁ、みんな。ひと息つこうぜ! だってこんなに自然は美しい! 私たちは自然に生かされている! 私たちの思い通りにはならないことだってあるさ!」というメッセージだろう。 「relax」――。なんという心地よさだろうか』、「本来、いいサービスには、サービスを提供する側とサービスを受ける側双方に「敬意」が不可欠だ。サービスを受ける側にも相手をリスペクトする気持ちが必要なのに、「おもてなし」という言葉が、「お客の要求に応えて当たり前という意識」を熟成してしまったのだ・・・ニュージーランドの自然が人にもたらす有形無形の豊かさを守るためのメッセージが、ティアキ・プロミスだった。 実際、街にはゴミが全く落ちてないしトイレもきれいだった。使う人が「きれいに使おう」と意識していることがよくわかるきれいさだった。ホテルの部屋には無駄なものがない。アメニティーの全てがエコ素材で、レストランにも調味料がほとんど置かれていなかった。 ティアキの「敬意を払う」姿勢は働き方にも行き届いていて、「いいサービスってこういうことだよね」と、とても勉強になった。日本人の「おもてなし」とは全く違うのだ。 最善は尽くすけどお互いの状況を理解し合う。「みんなそれぞれの立場があるし、みんな違う」という前提が、顧客と働く人、顧客同士、働く人同士の間でいい距離感を生み出していた・・・出発便の掲示板で、まだ搭乗口が決まっていない・・・フライトに「relax(リラックス)」と書かれていたことだ。 「さぁ、みんな。ひと息つこうぜ! だってこんなに自然は美しい! 私たちは自然に生かされている! 私たちの思い通りにはならないことだってあるさ!」というメッセージだろう。 「relax」――。なんという心地よさだろうか』、確かに「ニュージーランドのラ」の「「relax」精神に我々も学ぶべきだろう。
次に、9月2日付け文春オンライン「「それじゃ、ほぼほぼ日本人じゃないですか」“米国生まれの米国人”を公言してきたジャニー喜多川「出自の真相」【日米徹底取材】」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/73056
・『芸能界の王として君臨し続けた「ジャニー喜多川」という人物は、そもそも何者なのか。アメリカ在住のノンフィクション作家・柳田由紀子氏の日米徹底取材で見えてきた真実とは……』、興味深そうだ。
・『お伽の島でおじさんと 「『僕は幼い頃、お城みたいなところに住んでいたんだよ。そこは親戚が持っていた島で、大きなお屋敷があって、お手伝いさんがいっぱいいて。そのお伽噺に出てくるような島で、僕は、親戚のおじさんからとても愛された。お互いに深く愛しあう日々を送ったんだ』——ジャニーは、確かにそう言いました。ジャニーズ事務所の合宿所に泊まった翌朝、NHKのレッスン場に向かう時だったと思います。首都高を走る車内には、私とジャニーだけ。ジャニーは話しながら、助手席にいた私の手を強く握ってきた。私は、『だから、ユーと僕も、僕とあのおじさんのように長く愛しあっていこうね』と、暗に求められたようで気持ちが沈んだことを憶えています」 四半世紀前の出来事をこう明かすのは、元ジャニーズJr.の大島幸広さん(39)だ。中学2年時に故ジャニー喜多川にスカウトされた大島さんは、2年後、ジャニーズJr.を辞めるまでの間に、ジャニーから200回以上の性加害を受けたという。 今春、私は初めて大島さんに会った。彼が『朝日新聞』(デジタル版、2023年9月7日配信)のインタビューで、ジャニーが未成年の頃、ある男性から「毎日、性的なことをされていた」と、聞いたと語っていたのが心に掛かっていたからだ。場所は、都内の喫茶店会議室。そこには大島さんのほか、やはりジャニーの被害者で元ジャニーズJr.の長渡康二さん(41)と元Kis-My-Ft2の飯田恭平さん(36)も同席していた。 「あの時ジャニーは、うれしそうに話していた。幼児体験によって精神的な傷を受けたとか、そんなふうでは全然なかったです」 反対に大島さんは、今でも突然、被害時の記憶がフラッシュバックしたり、加害時のジャニーと年格好の似た男性を見ると身体が硬直するなど、後遺症に苦しむ。この4月、長渡さんや飯田さんらと、『1 is 2 many 子どもへの性暴力を根絶するAction Plan』(ワニズアクション)の活動を開始したのも、「自分のような子どもをなくしたい」という願いからだった。 世界でも最大、最悪級の性犯罪者、ジャニー喜多川。彼の幼児体験はきわめてセンシティブな事柄だし、本人亡き今となっては真偽の確かめようもないが、私は以前、歌手の秋湖太郎さん(本名・秋本勇蔵/80)からも同様の話を聞いていた。 「ジャニーの姉、メリー喜多川が、『弟は子どもの頃、男と関係を持ちながら育った。だから、ジャニーの少年好きはかわいそうな癖、一種の病気なの』と語ったそうです。私はこの話を、元歌手で女優の故・名和純子さんから何度も聞きました」 名和純子(芸名・眞砂みどり)は、大阪松竹歌劇団(現OSK日本歌劇団)出身。戦後は、歌手興行の名司会者だった夫、太郎と新芸能学院を創設したが、ここに、純子と懇意だった喜多川姉弟も頻繁に出入りしていた。秋さんは16歳で学院生になって以来、名和夫妻とは最期まで親子のような間柄だった。 実は、1960年代初め、30代前半のジャニー喜多川は、この学院でも性加害を繰り返していた。複数の生徒から相談を受けた太郎が、本人に問い質したものの全面否定。そこで、「(太郎が)メリーに抗議すると、はじめは“弟にそんな趣味はない”といっていましたが、けっきょく泣き泣き真相を告白したのです」と、ジャーナリストの竹中労に証言している(『タレント帝国』現代書房/68年)。純子の回想は、この時の「告白」に拠ると思われる』、「世界でも最大、最悪級の性犯罪者、ジャニー喜多川。彼の幼児体験はきわめてセンシティブな事柄だし、本人亡き今となっては真偽の確かめようもないが、私は以前、歌手の秋湖太郎さん(本名・秋本勇蔵/80)からも同様の話を聞いていた。 「ジャニーの姉、メリー喜多川が、『弟は子どもの頃、男と関係を持ちながら育った。だから、ジャニーの少年好きはかわいそうな癖、一種の病気なの』と語ったそうです・・・実は、1960年代初め、30代前半のジャニー喜多川は、この学院でも性加害を繰り返していた。複数の生徒から相談を受けた太郎が、本人に問い質したものの全面否定。そこで、「(太郎が)メリーに抗議すると、はじめは“弟にそんな趣味はない”といっていましたが、けっきょく泣き泣き真相を告白したのです」と、ジャーナリストの竹中労に証言している」、なるほど。
・『アメリカ生まれの日系二世 私が、ジャニー喜多川に関心を抱いたのは数年前のことだった。日系アメリカ史を調べていた時、偶然、彼がロサンゼルス生まれの日系二世だと知った。父の名は喜多川諦道(たいどう)。ロサンゼルスの日本人街にあった高野山系寺院の僧侶で、日本人の妻との間に3児をもうけたが、長女が、ジャニーとともに一大芸能事務所を築いたメリー・泰子、末っ子がジョン・ 擴(ひろむ、ジャニーはジョンの愛称)である。 日系移民の職業としては稀有な僧侶の子2人が、日本の芸能界に君臨した——この異数な組合せは興味深く、私は少しずつリサーチを進めた。性加害については、それ以前に告発本を読んでいたし、いずれ腰を据えて調べたいと考えていた。 だが、私が喜多川家のアメリカ時代の調査に手間取るうちに、昨春、英公共放送局のBBCが、ジャニーの連続未成年者性加害問題を真正面から扱った『J-POPの捕食者:秘められたスキャンダル』を放送。その後、事態は急展開し、放送からわずか7カ月後の10月、あれほどの権勢を誇ったジャニーズ事務所の名称がこの世から消えた。 藤島ジュリー景子代表取締役(当時)は、事務所の社名と業務内容の変更を発表した際に公開した手紙に、「叔父ジャニー、母メリーが作ったものを閉じていくことが、加害者の親族として、私ができる償い」としたためた上で、「ジャニー喜多川の痕跡を、この世から一切なくしたい」とまで言い切った。 彼女のその後の行動には多々疑問が残るが、いずれにしても、血を分けた姪が叔父の「痕跡」を「この世から一切なくしたい」とは尋常一様ではない。いったい、喜多川家という日系アメリカ人一家に何があったのか? ジャニー喜多川、この日本で最も有名な二世はどんな道を歩んできたのか? 都内の喫茶店会議室で、大島さんたちにアメリカ時代のジャニーについて尋ねたが、「聞いたことがない」と首を振るばかりだった。ただ、しばらく経って長渡さんだけがこうつぶやいた。 「そういえばジャニーさん、アメリカでは靴磨きさえしたと言っていたな」』、「昨春、英公共放送局のBBCが、ジャニーの連続未成年者性加害問題を真正面から扱った『J-POPの捕食者:秘められたスキャンダル』を放送。その後、事態は急展開し、放送からわずか7カ月後の10月、あれほどの権勢を誇ったジャニーズ事務所の名称がこの世から消えた・・・藤島ジュリー景子代表取締役(当時)は、事務所の社名と業務内容の変更を発表した際に公開した手紙に、「叔父ジャニー、母メリーが作ったものを閉じていくことが、加害者の親族として、私ができる償い」としたためた上で、「ジャニー喜多川の痕跡を、この世から一切なくしたい」とまで言い切った」、なるほど。
・『“ジャニー伝説”の綻び リサーチを始めるとすぐに、いわゆる“ジャニー伝説”の綻びに気がついた。そもそも、ジャニー喜多川をジャニー喜多川たらしめた武器は、「アメリカ生まれ、アメリカ育ちのアメリカ人」というプロフィールだった。荒廃した敗戦後の日本で彼がのし上がった背景には、日本人が知らない本当のアメリカを知る人物という物語が常に横たわっていた。 本人もたびたび、「僕の場合は、幼い時から見続けてきたミュージカルとかハリウッド映画が既にレールを敷いてくれてる」(「SPA!」90年7月4日号)といった発言をすることで伝説を華麗に紡いだ。 マスコミも同様だった。いくつか例をあげてみたい。たとえば、以下はジャニーがマスコミに登場し始めた頃の「週刊サンケイ」の記事(65年3月29日号)。 (喜多川氏の)父のタイゾー・喜多川氏(ママ)は真言宗の開教師で、戦前アメリカに渡って布教につとめた。こどものメリー、ジャニーのふたりは、アメリカで教育を受けた二世である」 こうした報道はその後も続き、約30年後には、講談社の硬派誌「現代」がこんな原稿を載せている。 「思春期を、戦時中にもかかわらず溢れるほどの物資に恵まれた米国本土で、一流エンタテインメントの洗礼を全身全霊で受け止めながら過ごした」(97年1月号)。 本人の死後も神話は再生された。 「幼少期から日本とアメリカを行き来して双方の文化を吸収して育ったこと、それがその後の彼の創造性にきわめて大きな影響を及ぼしたことは間違いない」(「芸術新潮」2022年6月号) ところが実のところ、彼がアメリカで暮らした歳月はほんの5年前後にすぎないのである。 ジャニー喜多川が、ロサンゼルスで生まれたのは31年(昭和6)10月23日。だが、そのわずか1年10カ月後の33年(昭和8)8月26日に一家は揃って日本に引き揚げている。ロサンゼルスの日系新聞、『羅府新報』から出発前日の記事を引用する。 「喜多川諦道師は愈(いよいよ)明日午後四時出帆の秩父丸に乗船、家族同伴帰朝の途に上る事となった。……故国の教化界に入って活動する事となったのである」 出国時、2歳未満だったジャニーに、幼児期アメリカの記憶はおそらくなかったろう。 そして、その後、再び彼がアメリカの土を踏むのは、第二次大戦後の49年(昭和24)11月24日。実に16年後のことだった。 ところで、これに関して、旧ジャニーズ事務所が設置した「外部専門家による再発防止特別チーム」の調査報告書は、「1947年」と記している。しかし、これは誤りだ。やや執拗と思うが、その根拠を述べたい。なぜなら、元検事総長を座長に持つ同チームの調査報告書は、現在、多くのメディアが依拠するところとなっているからだ。 まずは、真言宗寺院向け雑誌、「高野山時報」49年11月号の近況欄より。 本宗関係者で年内に渡米する人……喜多川諦道師の子供さん等四五名に達す」 次に、『羅府新報』49年11月22日付。見出しの「ゴードン号 来る二四日入港」に続いて「上陸する日系人船客は左の九十三名」とあり、「北川安子、北川弘」と、誤字ながら姉弟の名が見られる。 翌50年にも、真言宗の専門誌「六大新報」1月号に以下の短文が掲載された。 「喜多川諦道師(大阪市在住) 長女泰子、長男眞一、次男擴の三君は昨年十一月渡米」 極めつきは、49年11月24日の米司法省移民帰化局の入国書類で、「Yokohama」発「SS“GENERAL F. H. GORDON”」の乗船客リストに「KITAGAWA, MARY YASUKO 21」と「KITAGAWA, HIROMI 18」の名がある。HIROMIは擴の聞き取り違いだろう。数字は年齢を示す。ジャニーは、この時すでに18歳になっていた。 さて、16年ぶりにアメリカに戻ったジャニーだったが、翌年6月に朝鮮戦争が勃発。米国籍の彼は、米軍人として戦地に送られた。その上、53年7月の休戦後も、彼はアメリカに戻らず中継地点の日本に留まった。そして結局、亡くなるまで日本に永住したのである。 ジャニーの米軍入隊日は不明だが、作曲家の服部良一(1907~1993)は、50年(昭和25)9月初旬のロサンゼルス興行時に、現地にいたジャニーに出会っている。したがって、この事実を鑑みれば、2度目の滞米期間は長くて3年8カ月、短ければ9カ月ということになる。幼児期と合わせても2年7カ月から5年半——これが、ジャニー喜多川の全アメリカ生活なのだ。「アメリカ生まれ、アメリカ育ちのアメリカ人」というより、少々長めの留学や赴任といったほうがふさわしい。 大島さんらにこうした事実を伝えると、3人は互いの顔を見合って驚きの声を上げた。 「マジっすか! それじゃ、ほぼほぼ日本人じゃないですか」 本記事の全文(約12,000字)は「文藝春秋 電子版」に掲載されています(「【新連載】日米徹底ルポ「誰も知らないジャニー喜多川」第1回 僧侶の父、アメリカでの虚実、母の早逝、和歌山への移住」』、「喜多川をジャニー喜多川たらしめた武器は、「アメリカ生まれ、アメリカ育ちのアメリカ人」というプロフィールだった。荒廃した敗戦後の日本で彼がのし上がった背景には、日本人が知らない本当のアメリカを知る人物という物語が常に横たわっていた・・・16年ぶりにアメリカに戻ったジャニーだったが、翌年6月に朝鮮戦争が勃発。米国籍の彼は、米軍人として戦地に送られた。その上、53年7月の休戦後も、彼はアメリカに戻らず中継地点の日本に留まった。そして結局、亡くなるまで日本に永住したのである・・・2度目の滞米期間は長くて3年8カ月、短ければ9カ月ということになる。幼児期と合わせても2年7カ月から5年半——これが、ジャニー喜多川の全アメリカ生活なのだ。「アメリカ生まれ、アメリカ育ちのアメリカ人」というより、少々長めの留学や赴任といったほうがふさわしい」、戦争というドサクサがあったにしろ、ここまで自分の経歴を粉飾した人篇も珍しい。日本のマスコミの遠慮も影響したのだろう。
第三に、9月26日付け文春オンライン「「実に計算高い」兵庫県知事・斎藤元彦が「辞職」よりも「失職」を選んだ深いワケ」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/73769
・『「知事の仕事をまだまだ続けさせていただきたい」 兵庫県の斎藤元彦知事(46)が9月26日、記者会見を開き、失職して出直し知事選に出馬すると明らかにした』、興味深そうだ。
・『なぜ“失職”を選択したのか 「兵庫県議会は19日、斎藤氏に対する不信任決議案を全会一致で可決しました。これによって斎藤氏は、10日以内つまり29日までに議会を解散しなければ失職に追い込まれる状況でした。ただ、もう一つ29日までに辞職するという選択肢もありました」(県政担当記者) そもそも「辞職」と「失職」はいったいどう違うのか。 「知事の座を追われるという意味では同じですが、実はその後の見通しが変わってくるのです。今回、斎藤氏は出直し選挙に挑むことを表明しましたが、もし当選した場合にその任期が異なってきます。『辞職』の選択をして再選した際は、任期は辞職前の残任期間である約1年しか得られない。 他方、議会を解散しなければ失職するというのは地方自治法で定められた『強制退場』であるため、そこで任期はリセットされる。つまり、『失職』から出直し当選の場合は、新たにフレッシュな4年間の任期を得ることができるのです」(同前) どうせ辞めざるを得ないのならば、貰いの大きそうなほうを選ぶ――実に計算高いと言わざるをえないが、実際、過去にこの手法で成功を掴んだ首長がいる』、「『辞職』の選択をして再選した際は、任期は辞職前の残任期間である約1年しか得られない。 他方、議会を解散しなければ失職するというのは地方自治法で定められた『強制退場』であるため、そこで任期はリセットされる。つまり、『失職』から出直し当選の場合は、新たにフレッシュな4年間の任期を得ることができるのです」、なるほど。
・『まさかの「失職→再選」を果たした“あの政治家” 「『脱ダム宣言』などで一時旋風を巻き起こした田中康夫・元長野県知事です。2002年に長野県議会から不信任決議を受けましたが、議会を解散せず失職して再出馬。再選を果たしました。ちなみに当時田中氏も、今回の斎藤氏と同じように、不信任決議後の10日間で地元のテレビやラジオに相次いで出演していました」(同前) 20年以上前のメディア戦略を令和の世に再現した斎藤氏。県関係者からは非難と困惑の声が上がる。 不信任案は86対0で可決された。実質的な『クビ』宣告だったんです。民意を代表する県議会の総意を無視してぬけぬけと出直し出馬するなんて、責任を感じていないのでしょうか。県議さんたちも県職員もみんな怒っています」(県職員) 不信任決議から1週間。遅まきの決断にはこんな背景があった。 「当初、県議会で不信任案提出の機運が高まっていた時、知事は解散も匂わせていました。県議たちへの牽制でもあったのでしょうが……。しかし実際に不信任案が可決されてしまった以上、いざ解散すれば県議たちから『大義のない解散だ』『県議選の費用約16億円が無駄にかかった』などとネガティブキャンペーンを張られ続けることになる。そうなれば自分の出直しどころではなくなってしまうので泣く泣く解散を取りやめたのでしょう」(県議) 9月30日に自動失職した後、50日以内に知事選が行われる。斎藤氏の訴えは県民に届くのか』、今回の知事選では候補者乱立のため、「斎藤氏」が予想外に当選してしまうとの観測も出ており、予断禁物だ。候補者間の調整も必要になるだろう。
先ずは、本年7月10日付け日経ビジネスオンラインが掲載した健康社会学者の河合 薫氏による「カスハラで労災認定52件 自己犠牲を強いる「おもてなし」」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00316/
・『この記事の3つのポイント 1. 2023年度、カスハラが原因の労災認定は52件 2 カスハラの具体例を聞くと「ただのいじめだ」と感じた 3. 日本特有の「おもてなし」がカスハラを助長した一面も またもや「過去最多」だ。仕事上の強いストレスが原因で、うつ病などの精神障害になり、労災と認められた件数は昨年度883件(2023年度)。前の年から173件増え、統計を始めた1983年度以降の過去最多を5年連続で更新した(厚生労働省調べ)。 (参考:日本経済新聞社の記事
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE288N20Y4A620C2000000/。) 労災の認定基準として昨年度から追加された「カスタマーハラスメント(カスハラ)」が原因だったのは52件で、うち45件は女性。自殺者(未遂含む)は1人だった。 カスハラ。つくづく嫌な言葉だ。 実は先日、旅館業を営んでいる知人から、カスハラの実態を聞くことができた。とはいえ「カスハラとか、やっぱりあるんですか?」と私から聞いたわけじゃない。よもやま話をしているうちに「インバウンド(訪日外国人)がめちゃくちゃ増えた」「ネット予約が一般化しドタキャンが増えた」「食事の時間を守らない人が増えた」「部屋の備品を持っていく人が増えた」といった、お客さんの迷惑行為話になり、そこで知人が吐露したのが、彼女をうつ傾向に至らしめたカスハラだった。 それは老舗旅館に嫁ぎ、10万人超のお客さんを出迎えてきた、60代のベテラン女将でさえ“心が折れたカスハラのリアル”だ。 カスハラ問題は先月取り上げたばかりだが(「えっ、私もカスハラ加害者 「丁寧ならOK」自治体のグレーな定義」)、反復性や継続性のない「たった1度」の暴言で「たまたま目の前にいた人」をうつに至らしめたり、苦しめたりしていいわけはない。ゆえに、「絶対にやってはいけないんだ」と顧客側の心のブレーキが稼働する状態になるまで、「発信し続けていこう!」と決めた。 というわけで、カスハラ問題はこれが最後になることを願いつつ、「他人を傷つけずにはいられない人」をテーマに、あれこれ考えてみる。) まずは知人のお話から。 「カスハラはね、深刻ですよ。私もあの時は本当に立ち上がれなかった。30年以上、フロントでお客さんと接しているけど、もう無理って。自分があそこまで壊れそうになるなんて、信じられないくらい罵倒されました。 きっかけはお客さんの到着が遅れたことです。駅から電話があって道順を聞かれたから、『駅からまっすぐです。駅前の大通り沿いです』って教えたのね。そしたら『まっすぐじゃなかった!』って。 『あんたが嘘教えるから、こっちの滞在時間が短くなった』って、すごいけんまくで怒り出してね。あまりにもショックが大きすぎて、何を言われたのか思い出せないことも多いのだけどね。 時間にすると? う~ん、どれくらいだろう。とにかくすごかったですよ。フロントには私しかいないし、夕食の時間帯だからこの人(ご主人)は厨房でしょ。なんかもうあまりにすごすぎて、色々なお客さんを見てきた自分が、何もできないことに驚くほどでした。 たいていそうやってクレームをつけてくる人は、『良い部屋に変えろ』とか『食事を特別料理にしろ』とか要求してくる。その時も『露天風呂が付いている部屋に変えろ!』って言い出した。 うちにはそんなお部屋はございませんって、伝えたら、またそこで激しく罵倒されました。 『だったらもういい! 泊まらない』って言うから、『こちらは結構です』って言ったの。そしたらまた、暴言を散々言うだけ言って、ひどい宿だったって拡散してやると捨てせりふを吐いて帰っていったわ。 もうね、あの時は本当に立ち上がれなかった。もう無理って。だからね、こっちが“拒否”できるようになって本当に良かったんですよ。それまではどんなにひどいカスハラがあっても、我慢するしかなかったですから」』、「たいていそうやってクレームをつけてくる人は、『良い部屋に変えろ』とか『食事を特別料理にしろ』とか要求してくる。その時も『露天風呂が付いている部屋に変えろ!』って言い出した。 うちにはそんなお部屋はございませんって、伝えたら、またそこで激しく罵倒されました。 『だったらもういい! 泊まらない』って言うから、『こちらは結構です』って言ったの。そしたらまた、暴言を散々言うだけ言って、ひどい宿だったって拡散してやると捨てせりふを吐いて帰っていったわ。 もうね、あの時は本当に立ち上がれなかった。もう無理って。だからね、こっちが“拒否”できるようになって本当に良かったんですよ。それまではどんなにひどいカスハラがあっても、我慢するしかなかったですから¥、なるほど
・『旅館業法が改正、宿泊を拒むことができるように ……カスハラのきっかけはささいなこと、とはわかっていたけど、これではただのいじめだ。 どんなまっすぐな道でも、多少は曲がっているし、多少の起伏だってある。大都会の一からつくった道路だって一直線じゃないだろう。 補足しておくと彼女が言った「拒否」とは、2023年、旅館業法が改正され、ホテルや旅館側がカスタマーハラスメントに当たる特定の要求を行った人の宿泊を拒むことができるようになったことだ。 1948年に制定された旅館業法では、伝染性の疾病にかかっていると明らかに認められるなどの宿泊拒否事由に該当する場合を除き、宿泊を拒んではならなかった。しかし、カスハラなどの迷惑客に苦慮するケースが多発し、改正された。) 補足しておくと彼女が言った「拒否」とは、2023年、旅館業法が改正され、ホテルや旅館側がカスタマーハラスメントに当たる特定の要求を行った人の宿泊を拒むことができるようになったことだ。・・・私もこのニュースは知っていたけど、知人の話を聞くまで「拒否できる」ことがどういう意味をもつのかが具体的にイメージできなかった。しかし、件の女将とご主人が「本当に良かった」と繰り返すのを目の当たりにし、どんな心が張り裂けそうになっても、相手が“客”というだけで耐えるしかなかったのだと痛感した。と同時に、現場に“武器”を持たせる必要性を強く感じた。 そういえば、全日本空輸(ANA)と日本航空(JAL)が共同で「カスタマーハラスメントに対する方針」を策定したと報じられたけど、会社側がおのおのの企業情報サイトで、以下のように明言してくれたのは、現場の大きな“武器”だといえよう。 <JALグループカスタマーハラスメント基本方針>(一部引用) ・カスタマーハラスメントに対しては、毅然と対応し、注意・警告をさせていただきます。 ・状況によっては警察に通報するなど、しかるべき対応をとらせていただきます。 ・ご搭乗・ご利用をお断りすることや、誓約書の提出を条件とするなど必要と認める措置をとることがあります・・・ <ANAグループ カスタマーハラスメントに対する方針>(一部引用) カスタマーハラスメントに該当する事象が生じた場合、おやめいただくよう注意させていただきます。残念ながら問題の言動が継続する場合は、運送約款、各種規約、その他の会社規則に則り、弊社サービスのご利用をお断りさせていただく場合もございます。なお、悪質な言動および犯罪行為に対しては、警察などのしかるべき機関に相談のうえ、厳正に対処します・・・何がカスハラなのか? という具体的な行為は、両社のサイトにそれぞれ記されているので、ぜひとも確認してほしいが、現場にとっては「注意・警告をさせていただく」「おやめいただくよう注意させていただきます」と会社が発信してくれただけで、少しだけ気が楽になったと思う。 「カスハラ対策=社員を守る」という認識と危機感はかなり広がってきたが、「現場に武器を持たせる」という視点も忘れないでほしい。) カスハラの最大の問題は“たまたま”客のターゲットになった人が、“たった1回”の、反復性や継続性のない暴言や過剰な要求で、「立ち上がれないほど」傷つけられ、2度と現場に立てなくなるほど追い詰められ、“たかが仕事”で人生まで台無しにされかねないことに尽きる。 カスハラが社会問題になるまで、うつなどの精神障害は、職場で慢性ストレスにさらされていることが大きな原因だった。 思いつきでもの言う上司、何を考えているかわからない部下、クライアントへの気遣い、意見や価値観が対立する同僚、といった対人関係は、自分が感じている以上にジリジリと皮膚に入り込む。部下が起こした問題の後始末、社内外の交渉案件、といった管理職なら日常的に経験する出来事も慢性的なストレスとなる。 そして、そこに一時的、あるいは急性的に強度の高いストレスが加わると、深刻な精神障害を発症する――。これが職場のストレスを考える上での「基本」だった。 ただ一方で、ストレス対処がうまくできれば慢性化を防ぐことができる。その最良の手段が俗に言う“風通しのいい職場”づくりであり、意見を言える職場であり、年齢や性別、役職に関係なく「誰もが立派な社会人」と敬意を示せる上司の育成であり、「敬意・信頼・共感」という経営の3原則を決して手放さないトップの存在だった。 ところが、職場の外の全くの赤の他人が、社員を「言葉」で一撃する事態が相次いでいる。カスハラでうつなどの精神障害に追い込まれている。しかも、冒頭に紹介した52件はあくまでも労災を申請し、認定された件数にすぎない。 精神障害の発症に至らなくても、冒頭の知人のように心に大きな傷=恐怖を負っている人も多いだろうし、仕事を辞める選択をした人も多いはずだ』、「カスハラの最大の問題は“たまたま”客のターゲットになった人が、“たった1回”の、反復性や継続性のない暴言や過剰な要求で、「立ち上がれないほど」傷つけられ、2度と現場に立てなくなるほど追い詰められ、“たかが仕事”で人生まで台無しにされかねないことに尽きる・・・職場の外の全くの赤の他人が、社員を「言葉」で一撃する事態が相次いでいる。カスハラでうつなどの精神障害に追い込まれている。しかも、冒頭に紹介した52件はあくまでも労災を申請し、認定された件数にすぎない。 精神障害の発症に至らなくても、冒頭の知人のように心に大きな傷=恐怖を負っている人も多いだろうし、仕事を辞める選択をした人も多いはずだ」、なるほど。
・『なぜ、国が法律を改正するに至ったのか? なぜ、ANAとJALが共同でカスハラ対策に乗り出したのか? 答えはシンプル。カスハラの行為者は、ごく普通の人たちであり、私たちの隣人であり、「私」だからだ。世の中の大半の人たちは、できれば苦情など言いたくないし、誰も傷つけたくないと思っているはずなのに、「私の言葉」がたまたま目の前にいる人を、とことん追い詰める。その責任を問われることもなければ、裁判沙汰になることもないままに、だ。 そもそもなぜ、他人をいとも簡単に傷つけるカスハラ加害者が増えてしまったのか?) 私は圧倒的な「言葉の力の肥大化」を生んだSNSの存在は大きいと考えている。それまで「心に中にとどめていたネガティブな感情」が、SNSによってお手軽に吐き出せるようになった。フェース・トゥ・フェースでは言えないことが、そこに「顔」がないと簡単に言えてしまうのだ。 お店や会社、働く人への批判や不満を吐露し、誰かが賛同してくれたり、共感してくれたりすると「でしょ? 頭くるよね!」と自分を正当化できる。自分の言ってることは正しい、自分がやってることは「相手」のためだ、などと間違った正義感を振りかざすようにもなる。 「他人を傷つけずにいられない人」の誕生である』、「そもそもなぜ、他人をいとも簡単に傷つけるカスハラ加害者が増えてしまったのか?) 私は圧倒的な「言葉の力の肥大化」を生んだSNSの存在は大きいと考えている。それまで「心に中にとどめていたネガティブな感情」が、SNSによってお手軽に吐き出せるようになった。フェース・トゥ・フェースでは言えないことが、そこに「顔」がないと簡単に言えてしまうのだ。 お店や会社、働く人への批判や不満を吐露し、誰かが賛同してくれたり、共感してくれたりすると「でしょ? 頭くるよね!」と自分を正当化できる。自分の言ってることは正しい、自分がやってることは「相手」のためだ、などと間違った正義感を振りかざすようにもなる」、なるほど。
・『実は「おもてなし」がカスハラの原因 そして、もうひとつカスハラをする客の意識を高めているのが、ニッポンのウリである「おもてなし」だ。「おもてなし」は、ある意味、サービスする側の自己犠牲で成立していると言っても過言ではない。 本来、いいサービスには、サービスを提供する側とサービスを受ける側双方に「敬意」が不可欠だ。サービスを受ける側にも相手をリスペクトする気持ちが必要なのに、「おもてなし」という言葉が、「お客の要求に応えて当たり前という意識」を熟成してしまったのだ。 私がそう気付かされたのは、ニュージーランドに行った時だった。 ニュージーランドはとにもかくにも自然がすばらしく、その夢のような大自然をささえているのが、「tiaki promise(ティアキ・プロミス)」だった。 飛行機に乗った途端、あちらこちらから“tiaki”の文字が飛び込んでくる。座席のモニター、機内雑誌、食事に付いてくるバター、チーズ、そして、空港、ホテル、お店などなど、「ここでもかっ!」ってくらい“tiaki”だらけ。やがて小文字で綴られたtiakiという文字が妙に気になるのだから、実に不思議だ。 ティアキとは、マオリ語で「人と場所を守る」ことを意味し、ティアキ・プロミスは現在から、未来の世代まで、ニュージーランドを守っていくという宣言のこと。ニュージーランドに住む人だけではなく、旅行者にもそれを守る義務があるとしている。 具体的には、「土地、海、自然を気にかけ、そっと足を踏み入れ、跡を残さないように去る」「安全に旅行し、 全ての環境を思いやり、気を配る」「文化に敬意を払い、心を開き、受け止める心で旅をする」。 この3つの信条が「自然を守る、清潔を保つ、安全に運転する、きちんと準備する、敬意を払う」という5つのピストグラムで表現され、さまざまな商品にプリントされていた。 ティアキはキャンペーンでもなければ、上から押し付けられるものでもない。ニュージーランドという国に根付く、文化的価値観だ。ニュージーランドの人たちには「自分たちは自然の一部」という考えのもと、「自然の中で生かしてもらっている」という価値観が刷り込まれている。それを旅行者に荒らされたくない、いや、荒らしてはいけないのだ、という気持ちが、ティアキの5つのピストグラムを生んだ。ニュージーランドの自然が人にもたらす有形無形の豊かさを守るためのメッセージが、ティアキ・プロミスだった。 実際、街にはゴミが全く落ちてないしトイレもきれいだった。使う人が「きれいに使おう」と意識していることがよくわかるきれいさだった。ホテルの部屋には無駄なものがない。アメニティーの全てがエコ素材で、レストランにも調味料がほとんど置かれていなかった。 ティアキの「敬意を払う」姿勢は働き方にも行き届いていて、「いいサービスってこういうことだよね」と、とても勉強になった。日本人の「おもてなし」とは全く違うのだ。 最善は尽くすけどお互いの状況を理解し合う。「みんなそれぞれの立場があるし、みんな違う」という前提が、顧客と働く人、顧客同士、働く人同士の間でいい距離感を生み出していた。敬意とは、優しさであり、心に余裕を持ってつながることだと感じ入った。えらく感動した。 いちばん痺れたのは、出発便の掲示板で、まだ搭乗口が決まっていない(搭乗開始まで時間のある)フライトに「relax(リラックス)」と書かれていたことだ。 「さぁ、みんな。ひと息つこうぜ! だってこんなに自然は美しい! 私たちは自然に生かされている! 私たちの思い通りにはならないことだってあるさ!」というメッセージだろう。 「relax」――。なんという心地よさだろうか』、「本来、いいサービスには、サービスを提供する側とサービスを受ける側双方に「敬意」が不可欠だ。サービスを受ける側にも相手をリスペクトする気持ちが必要なのに、「おもてなし」という言葉が、「お客の要求に応えて当たり前という意識」を熟成してしまったのだ・・・ニュージーランドの自然が人にもたらす有形無形の豊かさを守るためのメッセージが、ティアキ・プロミスだった。 実際、街にはゴミが全く落ちてないしトイレもきれいだった。使う人が「きれいに使おう」と意識していることがよくわかるきれいさだった。ホテルの部屋には無駄なものがない。アメニティーの全てがエコ素材で、レストランにも調味料がほとんど置かれていなかった。 ティアキの「敬意を払う」姿勢は働き方にも行き届いていて、「いいサービスってこういうことだよね」と、とても勉強になった。日本人の「おもてなし」とは全く違うのだ。 最善は尽くすけどお互いの状況を理解し合う。「みんなそれぞれの立場があるし、みんな違う」という前提が、顧客と働く人、顧客同士、働く人同士の間でいい距離感を生み出していた・・・出発便の掲示板で、まだ搭乗口が決まっていない・・・フライトに「relax(リラックス)」と書かれていたことだ。 「さぁ、みんな。ひと息つこうぜ! だってこんなに自然は美しい! 私たちは自然に生かされている! 私たちの思い通りにはならないことだってあるさ!」というメッセージだろう。 「relax」――。なんという心地よさだろうか』、確かに「ニュージーランドのラ」の「「relax」精神に我々も学ぶべきだろう。
次に、9月2日付け文春オンライン「「それじゃ、ほぼほぼ日本人じゃないですか」“米国生まれの米国人”を公言してきたジャニー喜多川「出自の真相」【日米徹底取材】」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/73056
・『芸能界の王として君臨し続けた「ジャニー喜多川」という人物は、そもそも何者なのか。アメリカ在住のノンフィクション作家・柳田由紀子氏の日米徹底取材で見えてきた真実とは……』、興味深そうだ。
・『お伽の島でおじさんと 「『僕は幼い頃、お城みたいなところに住んでいたんだよ。そこは親戚が持っていた島で、大きなお屋敷があって、お手伝いさんがいっぱいいて。そのお伽噺に出てくるような島で、僕は、親戚のおじさんからとても愛された。お互いに深く愛しあう日々を送ったんだ』——ジャニーは、確かにそう言いました。ジャニーズ事務所の合宿所に泊まった翌朝、NHKのレッスン場に向かう時だったと思います。首都高を走る車内には、私とジャニーだけ。ジャニーは話しながら、助手席にいた私の手を強く握ってきた。私は、『だから、ユーと僕も、僕とあのおじさんのように長く愛しあっていこうね』と、暗に求められたようで気持ちが沈んだことを憶えています」 四半世紀前の出来事をこう明かすのは、元ジャニーズJr.の大島幸広さん(39)だ。中学2年時に故ジャニー喜多川にスカウトされた大島さんは、2年後、ジャニーズJr.を辞めるまでの間に、ジャニーから200回以上の性加害を受けたという。 今春、私は初めて大島さんに会った。彼が『朝日新聞』(デジタル版、2023年9月7日配信)のインタビューで、ジャニーが未成年の頃、ある男性から「毎日、性的なことをされていた」と、聞いたと語っていたのが心に掛かっていたからだ。場所は、都内の喫茶店会議室。そこには大島さんのほか、やはりジャニーの被害者で元ジャニーズJr.の長渡康二さん(41)と元Kis-My-Ft2の飯田恭平さん(36)も同席していた。 「あの時ジャニーは、うれしそうに話していた。幼児体験によって精神的な傷を受けたとか、そんなふうでは全然なかったです」 反対に大島さんは、今でも突然、被害時の記憶がフラッシュバックしたり、加害時のジャニーと年格好の似た男性を見ると身体が硬直するなど、後遺症に苦しむ。この4月、長渡さんや飯田さんらと、『1 is 2 many 子どもへの性暴力を根絶するAction Plan』(ワニズアクション)の活動を開始したのも、「自分のような子どもをなくしたい」という願いからだった。 世界でも最大、最悪級の性犯罪者、ジャニー喜多川。彼の幼児体験はきわめてセンシティブな事柄だし、本人亡き今となっては真偽の確かめようもないが、私は以前、歌手の秋湖太郎さん(本名・秋本勇蔵/80)からも同様の話を聞いていた。 「ジャニーの姉、メリー喜多川が、『弟は子どもの頃、男と関係を持ちながら育った。だから、ジャニーの少年好きはかわいそうな癖、一種の病気なの』と語ったそうです。私はこの話を、元歌手で女優の故・名和純子さんから何度も聞きました」 名和純子(芸名・眞砂みどり)は、大阪松竹歌劇団(現OSK日本歌劇団)出身。戦後は、歌手興行の名司会者だった夫、太郎と新芸能学院を創設したが、ここに、純子と懇意だった喜多川姉弟も頻繁に出入りしていた。秋さんは16歳で学院生になって以来、名和夫妻とは最期まで親子のような間柄だった。 実は、1960年代初め、30代前半のジャニー喜多川は、この学院でも性加害を繰り返していた。複数の生徒から相談を受けた太郎が、本人に問い質したものの全面否定。そこで、「(太郎が)メリーに抗議すると、はじめは“弟にそんな趣味はない”といっていましたが、けっきょく泣き泣き真相を告白したのです」と、ジャーナリストの竹中労に証言している(『タレント帝国』現代書房/68年)。純子の回想は、この時の「告白」に拠ると思われる』、「世界でも最大、最悪級の性犯罪者、ジャニー喜多川。彼の幼児体験はきわめてセンシティブな事柄だし、本人亡き今となっては真偽の確かめようもないが、私は以前、歌手の秋湖太郎さん(本名・秋本勇蔵/80)からも同様の話を聞いていた。 「ジャニーの姉、メリー喜多川が、『弟は子どもの頃、男と関係を持ちながら育った。だから、ジャニーの少年好きはかわいそうな癖、一種の病気なの』と語ったそうです・・・実は、1960年代初め、30代前半のジャニー喜多川は、この学院でも性加害を繰り返していた。複数の生徒から相談を受けた太郎が、本人に問い質したものの全面否定。そこで、「(太郎が)メリーに抗議すると、はじめは“弟にそんな趣味はない”といっていましたが、けっきょく泣き泣き真相を告白したのです」と、ジャーナリストの竹中労に証言している」、なるほど。
・『アメリカ生まれの日系二世 私が、ジャニー喜多川に関心を抱いたのは数年前のことだった。日系アメリカ史を調べていた時、偶然、彼がロサンゼルス生まれの日系二世だと知った。父の名は喜多川諦道(たいどう)。ロサンゼルスの日本人街にあった高野山系寺院の僧侶で、日本人の妻との間に3児をもうけたが、長女が、ジャニーとともに一大芸能事務所を築いたメリー・泰子、末っ子がジョン・ 擴(ひろむ、ジャニーはジョンの愛称)である。 日系移民の職業としては稀有な僧侶の子2人が、日本の芸能界に君臨した——この異数な組合せは興味深く、私は少しずつリサーチを進めた。性加害については、それ以前に告発本を読んでいたし、いずれ腰を据えて調べたいと考えていた。 だが、私が喜多川家のアメリカ時代の調査に手間取るうちに、昨春、英公共放送局のBBCが、ジャニーの連続未成年者性加害問題を真正面から扱った『J-POPの捕食者:秘められたスキャンダル』を放送。その後、事態は急展開し、放送からわずか7カ月後の10月、あれほどの権勢を誇ったジャニーズ事務所の名称がこの世から消えた。 藤島ジュリー景子代表取締役(当時)は、事務所の社名と業務内容の変更を発表した際に公開した手紙に、「叔父ジャニー、母メリーが作ったものを閉じていくことが、加害者の親族として、私ができる償い」としたためた上で、「ジャニー喜多川の痕跡を、この世から一切なくしたい」とまで言い切った。 彼女のその後の行動には多々疑問が残るが、いずれにしても、血を分けた姪が叔父の「痕跡」を「この世から一切なくしたい」とは尋常一様ではない。いったい、喜多川家という日系アメリカ人一家に何があったのか? ジャニー喜多川、この日本で最も有名な二世はどんな道を歩んできたのか? 都内の喫茶店会議室で、大島さんたちにアメリカ時代のジャニーについて尋ねたが、「聞いたことがない」と首を振るばかりだった。ただ、しばらく経って長渡さんだけがこうつぶやいた。 「そういえばジャニーさん、アメリカでは靴磨きさえしたと言っていたな」』、「昨春、英公共放送局のBBCが、ジャニーの連続未成年者性加害問題を真正面から扱った『J-POPの捕食者:秘められたスキャンダル』を放送。その後、事態は急展開し、放送からわずか7カ月後の10月、あれほどの権勢を誇ったジャニーズ事務所の名称がこの世から消えた・・・藤島ジュリー景子代表取締役(当時)は、事務所の社名と業務内容の変更を発表した際に公開した手紙に、「叔父ジャニー、母メリーが作ったものを閉じていくことが、加害者の親族として、私ができる償い」としたためた上で、「ジャニー喜多川の痕跡を、この世から一切なくしたい」とまで言い切った」、なるほど。
・『“ジャニー伝説”の綻び リサーチを始めるとすぐに、いわゆる“ジャニー伝説”の綻びに気がついた。そもそも、ジャニー喜多川をジャニー喜多川たらしめた武器は、「アメリカ生まれ、アメリカ育ちのアメリカ人」というプロフィールだった。荒廃した敗戦後の日本で彼がのし上がった背景には、日本人が知らない本当のアメリカを知る人物という物語が常に横たわっていた。 本人もたびたび、「僕の場合は、幼い時から見続けてきたミュージカルとかハリウッド映画が既にレールを敷いてくれてる」(「SPA!」90年7月4日号)といった発言をすることで伝説を華麗に紡いだ。 マスコミも同様だった。いくつか例をあげてみたい。たとえば、以下はジャニーがマスコミに登場し始めた頃の「週刊サンケイ」の記事(65年3月29日号)。 (喜多川氏の)父のタイゾー・喜多川氏(ママ)は真言宗の開教師で、戦前アメリカに渡って布教につとめた。こどものメリー、ジャニーのふたりは、アメリカで教育を受けた二世である」 こうした報道はその後も続き、約30年後には、講談社の硬派誌「現代」がこんな原稿を載せている。 「思春期を、戦時中にもかかわらず溢れるほどの物資に恵まれた米国本土で、一流エンタテインメントの洗礼を全身全霊で受け止めながら過ごした」(97年1月号)。 本人の死後も神話は再生された。 「幼少期から日本とアメリカを行き来して双方の文化を吸収して育ったこと、それがその後の彼の創造性にきわめて大きな影響を及ぼしたことは間違いない」(「芸術新潮」2022年6月号) ところが実のところ、彼がアメリカで暮らした歳月はほんの5年前後にすぎないのである。 ジャニー喜多川が、ロサンゼルスで生まれたのは31年(昭和6)10月23日。だが、そのわずか1年10カ月後の33年(昭和8)8月26日に一家は揃って日本に引き揚げている。ロサンゼルスの日系新聞、『羅府新報』から出発前日の記事を引用する。 「喜多川諦道師は愈(いよいよ)明日午後四時出帆の秩父丸に乗船、家族同伴帰朝の途に上る事となった。……故国の教化界に入って活動する事となったのである」 出国時、2歳未満だったジャニーに、幼児期アメリカの記憶はおそらくなかったろう。 そして、その後、再び彼がアメリカの土を踏むのは、第二次大戦後の49年(昭和24)11月24日。実に16年後のことだった。 ところで、これに関して、旧ジャニーズ事務所が設置した「外部専門家による再発防止特別チーム」の調査報告書は、「1947年」と記している。しかし、これは誤りだ。やや執拗と思うが、その根拠を述べたい。なぜなら、元検事総長を座長に持つ同チームの調査報告書は、現在、多くのメディアが依拠するところとなっているからだ。 まずは、真言宗寺院向け雑誌、「高野山時報」49年11月号の近況欄より。 本宗関係者で年内に渡米する人……喜多川諦道師の子供さん等四五名に達す」 次に、『羅府新報』49年11月22日付。見出しの「ゴードン号 来る二四日入港」に続いて「上陸する日系人船客は左の九十三名」とあり、「北川安子、北川弘」と、誤字ながら姉弟の名が見られる。 翌50年にも、真言宗の専門誌「六大新報」1月号に以下の短文が掲載された。 「喜多川諦道師(大阪市在住) 長女泰子、長男眞一、次男擴の三君は昨年十一月渡米」 極めつきは、49年11月24日の米司法省移民帰化局の入国書類で、「Yokohama」発「SS“GENERAL F. H. GORDON”」の乗船客リストに「KITAGAWA, MARY YASUKO 21」と「KITAGAWA, HIROMI 18」の名がある。HIROMIは擴の聞き取り違いだろう。数字は年齢を示す。ジャニーは、この時すでに18歳になっていた。 さて、16年ぶりにアメリカに戻ったジャニーだったが、翌年6月に朝鮮戦争が勃発。米国籍の彼は、米軍人として戦地に送られた。その上、53年7月の休戦後も、彼はアメリカに戻らず中継地点の日本に留まった。そして結局、亡くなるまで日本に永住したのである。 ジャニーの米軍入隊日は不明だが、作曲家の服部良一(1907~1993)は、50年(昭和25)9月初旬のロサンゼルス興行時に、現地にいたジャニーに出会っている。したがって、この事実を鑑みれば、2度目の滞米期間は長くて3年8カ月、短ければ9カ月ということになる。幼児期と合わせても2年7カ月から5年半——これが、ジャニー喜多川の全アメリカ生活なのだ。「アメリカ生まれ、アメリカ育ちのアメリカ人」というより、少々長めの留学や赴任といったほうがふさわしい。 大島さんらにこうした事実を伝えると、3人は互いの顔を見合って驚きの声を上げた。 「マジっすか! それじゃ、ほぼほぼ日本人じゃないですか」 本記事の全文(約12,000字)は「文藝春秋 電子版」に掲載されています(「【新連載】日米徹底ルポ「誰も知らないジャニー喜多川」第1回 僧侶の父、アメリカでの虚実、母の早逝、和歌山への移住」』、「喜多川をジャニー喜多川たらしめた武器は、「アメリカ生まれ、アメリカ育ちのアメリカ人」というプロフィールだった。荒廃した敗戦後の日本で彼がのし上がった背景には、日本人が知らない本当のアメリカを知る人物という物語が常に横たわっていた・・・16年ぶりにアメリカに戻ったジャニーだったが、翌年6月に朝鮮戦争が勃発。米国籍の彼は、米軍人として戦地に送られた。その上、53年7月の休戦後も、彼はアメリカに戻らず中継地点の日本に留まった。そして結局、亡くなるまで日本に永住したのである・・・2度目の滞米期間は長くて3年8カ月、短ければ9カ月ということになる。幼児期と合わせても2年7カ月から5年半——これが、ジャニー喜多川の全アメリカ生活なのだ。「アメリカ生まれ、アメリカ育ちのアメリカ人」というより、少々長めの留学や赴任といったほうがふさわしい」、戦争というドサクサがあったにしろ、ここまで自分の経歴を粉飾した人篇も珍しい。日本のマスコミの遠慮も影響したのだろう。
第三に、9月26日付け文春オンライン「「実に計算高い」兵庫県知事・斎藤元彦が「辞職」よりも「失職」を選んだ深いワケ」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/73769
・『「知事の仕事をまだまだ続けさせていただきたい」 兵庫県の斎藤元彦知事(46)が9月26日、記者会見を開き、失職して出直し知事選に出馬すると明らかにした』、興味深そうだ。
・『なぜ“失職”を選択したのか 「兵庫県議会は19日、斎藤氏に対する不信任決議案を全会一致で可決しました。これによって斎藤氏は、10日以内つまり29日までに議会を解散しなければ失職に追い込まれる状況でした。ただ、もう一つ29日までに辞職するという選択肢もありました」(県政担当記者) そもそも「辞職」と「失職」はいったいどう違うのか。 「知事の座を追われるという意味では同じですが、実はその後の見通しが変わってくるのです。今回、斎藤氏は出直し選挙に挑むことを表明しましたが、もし当選した場合にその任期が異なってきます。『辞職』の選択をして再選した際は、任期は辞職前の残任期間である約1年しか得られない。 他方、議会を解散しなければ失職するというのは地方自治法で定められた『強制退場』であるため、そこで任期はリセットされる。つまり、『失職』から出直し当選の場合は、新たにフレッシュな4年間の任期を得ることができるのです」(同前) どうせ辞めざるを得ないのならば、貰いの大きそうなほうを選ぶ――実に計算高いと言わざるをえないが、実際、過去にこの手法で成功を掴んだ首長がいる』、「『辞職』の選択をして再選した際は、任期は辞職前の残任期間である約1年しか得られない。 他方、議会を解散しなければ失職するというのは地方自治法で定められた『強制退場』であるため、そこで任期はリセットされる。つまり、『失職』から出直し当選の場合は、新たにフレッシュな4年間の任期を得ることができるのです」、なるほど。
・『まさかの「失職→再選」を果たした“あの政治家” 「『脱ダム宣言』などで一時旋風を巻き起こした田中康夫・元長野県知事です。2002年に長野県議会から不信任決議を受けましたが、議会を解散せず失職して再出馬。再選を果たしました。ちなみに当時田中氏も、今回の斎藤氏と同じように、不信任決議後の10日間で地元のテレビやラジオに相次いで出演していました」(同前) 20年以上前のメディア戦略を令和の世に再現した斎藤氏。県関係者からは非難と困惑の声が上がる。 不信任案は86対0で可決された。実質的な『クビ』宣告だったんです。民意を代表する県議会の総意を無視してぬけぬけと出直し出馬するなんて、責任を感じていないのでしょうか。県議さんたちも県職員もみんな怒っています」(県職員) 不信任決議から1週間。遅まきの決断にはこんな背景があった。 「当初、県議会で不信任案提出の機運が高まっていた時、知事は解散も匂わせていました。県議たちへの牽制でもあったのでしょうが……。しかし実際に不信任案が可決されてしまった以上、いざ解散すれば県議たちから『大義のない解散だ』『県議選の費用約16億円が無駄にかかった』などとネガティブキャンペーンを張られ続けることになる。そうなれば自分の出直しどころではなくなってしまうので泣く泣く解散を取りやめたのでしょう」(県議) 9月30日に自動失職した後、50日以内に知事選が行われる。斎藤氏の訴えは県民に届くのか』、今回の知事選では候補者乱立のため、「斎藤氏」が予想外に当選してしまうとの観測も出ており、予断禁物だ。候補者間の調整も必要になるだろう。