イスラエル・パレスチナ(その9)(ヒズボラ指導者の殺害という「勝利の美酒」に酔うネタニヤフ首相だが 政権の足元は「崩壊」寸前、国外から批判の声も…イスラエル・ネタニヤフ政権の右傾化が止まらない「3つの要因」、爆弾を身体に巻いて自爆…イスラエルと衝突つづくヒズボラはなぜ「強力な戦闘集団」になったのか、「兵士がいる場所まで正確に着弾…」イスラエルが警戒する「ヒズボラ」のミサイル 「真の実力」が見えてきた) [世界情勢]
イスラエル・パレスチナについては、本年10月8日に取上げたばかりだが、今日は、(その9)(ヒズボラ指導者の殺害という「勝利の美酒」に酔うネタニヤフ首相だが 政権の足元は「崩壊」寸前、国外から批判の声も…イスラエル・ネタニヤフ政権の右傾化が止まらない「3つの要因」、爆弾を身体に巻いて自爆…イスラエルと衝突つづくヒズボラはなぜ「強力な戦闘集団」になったのか、「兵士がいる場所まで正確に着弾…」イスラエルが警戒する「ヒズボラ」のミサイル 「真の実力」が見えてきた)である。
先ずは、10月10日付けNewsweek日本版が掲載したイスラエル紙ハーレツの英語版コラムニストのデービッド・ローゼンバーグ氏による「ヒズボラ指導者の殺害という「勝利の美酒」に酔うネタニヤフ首相だが、政権の足元は「崩壊」寸前」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2024/10/518878_1.php
・『<ヒズボラ最高指導者ナスララの暗殺成功は、危機的状況にあったネタニヤフ政権に一時の勝利をもたらしたが、イスラエル世論の支持はなく経済も悪化の一途> イスラエルがレバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラの最高指導者ハッサン・ナスララ師を殺害(9月27日)したことで、胸をなで下ろしたイスラエル人はたくさんいる。だが一番喜んだのは、おそらく首相のベンヤミン・ネタニヤフだ。長い政治家人生で最も困難な1年が過ぎようという時に、降って湧いた歓喜の瞬間だったと言っていい。 パレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム組織ハマスが昨年10月7日に仕掛けた残忍な奇襲攻撃を、彼は防げなかった。そのことの汚点は、いくら頑張っても消せない。一方でレバノンに陣取るヒズボラとの交戦に終わりは見えず、ガザに残る多数の人質を無事に救出できる見込みもないままだ。 世論調査を見ても、ネタニヤフに国を率いる能力ありとする人はほとんどいなかった。総選挙をやれば、彼の率いる宗教右派連立政権は負ける確率が高かった。 しかし9月17日にはポケベルの遠隔操作でヒズボラ構成員多数を殺害するという劇的な成果が上がり、その10日後には指導者ナスララの命も奪えた。自分こそイスラエルの「安全を守る男」だと自負してきたネタニヤフの面目躍如──と言いたいところだろうが、そうはいかない。 ナスララ殺害の成功を受けて右派政党「新たな希望」の党首ギデオン・サールが政権への復帰を表明したおかげで、ネタニヤフ率いる連立与党の議席数は68となり、国会の過半数は維持できた。しかし、安心するのはまだ早い。) ナスララの死を受けてネタニヤフがほくそ笑んだのは当然として、興味深いのはその発言だ。軍と秘密情報機関モサドの功績をたたえるに先立ち、ネタニヤフは言ったものだ。「この間、イスラエル軍はヒズボラに強烈な打撃を与えてきた。しかし私は、まだ不十分だという結論に達した。故に(ナスララ殺害の)命令を下した」と。 何事も自分の手柄にしたがるのは政治家の常だが、それだけではあるまい。この間ずっと、10.7奇襲を防げなかった国軍を非難してきたネタニヤフとしては、ここで軍部やモサドを英雄に仕立てるわけにはいかなかった』、「「この間、イスラエル軍はヒズボラに強烈な打撃を与えてきた。しかし私は、まだ不十分だという結論に達した。故に(ナスララ殺害の)命令を下した」と・・・この間ずっと、10.7奇襲を防げなかった国軍を非難してきたネタニヤフとしては、ここで軍部やモサドを英雄に仕立てるわけにはいかなかった」、なるほど。
・『司法改革で対立激化 軍部との摩擦は、連立政権発足直後の昨年1月に発表した司法改革案にさかのぼる。表向きは司法の民主化策とされていたが、実は政権の政治的な都合に警察や検察、裁判所を従わせ、イスラエルを「自由なき民主国家」につくり替えようとする極右ポピュリスト勢力の構想だった。そしてネタニヤフ政権自身も、こんな改革には軍部も反対するだろうことを予期していた。 この危険な改革案には世論の猛反発があり、実現は難しいとみられていた。しかしそこへハマスとの戦争が起き、極右勢力に時ならぬ追い風が吹いた。極右のベツァレル・スモトリッチ財務相はパレスチナ自治区ヨルダン川西岸の統治に関する権限を掌握し、ユダヤ人入植者によるパレスチナ人への暴力を容認した。 国家治安担当相のイタマル・ベングビールも警察に対する支配力を強めている。彼らは口をそろえて、軍部や情報機関は弱腰で敗北主義者だと非難した。国軍幹部が画策し、ネタニヤフを失脚させるためにハマスの急襲を仕組んだという極端な発言まで出ていた。) ネタニヤフ自身は、10.7の責任を誰かに押し付ければ満足だったかもしれない。だが極右の宗教的保守派は、この機会に軍や情報機関から左派(つまり世俗派)を一掃したいと考えていた。 この試みはほぼ失敗に終わった。 同国のシンクタンク「ユダヤ人政策研究所」の調査によれば、ハマスとの戦争が長引くにつれて国軍への信頼は低下し、今年3月時点で75%だった軍部に対する信頼感は7月時点で43%まで落ちていた。 しかし、政府はもっと信用されていない。同じ調査で、政府への信頼感は同じ期間に35%から26%へ低下していた。別の世論調査でも、国民の多くは早期の総選挙を望んでおり、いま選挙が行われたら現政権は敗退するという可能性が示されている。 今のネタニヤフは対ヒズボラ戦勝利の美酒に酔っているが、その戦果をもたらしたのは軍と情報機関の実戦部隊だ。 しかも彼らの多くは予備役の軍人で、招集される前にはネタニヤフ政権の進める司法改革に反対するデモの先頭に立っていた。実際、ナスララの暗殺を敢行したF15飛行隊に所属する予備役兵士の過半数も、招集されるまではデモに参加していた。 それだけではない。9月の劇的な戦果は過去16年間にわたる緻密で執拗な情報収集活動のたまものだが、それを制服組トップとして率いてきたのはベニー・ガンツとガディ・エイゼンコット。いずれも今は野党の有力政治家だ。) つまり、無能だったのは軍や情報機関の指揮官ではなく文民の政治家だった。今の政権は最初の1年を無益な司法改革に費やした。10.7奇襲で多くの国民が犠牲になった後も、自らは地域住民の支援に乗り出さず、ボランティア任せにしていた。 ガザでの戦闘が長引き、アメリカとの関係が悪化しても、ネタニヤフはガザの将来的な統治に関する構想を示せずにいる。そして今も、そこには100人以上の人質がいる』、「司法改革案にさかのぼる。表向きは司法の民主化策とされていたが、実は政権の政治的な都合に警察や検察、裁判所を従わせ、イスラエルを「自由なき民主国家」につくり替えようとする極右ポピュリスト勢力の構想だった。そしてネタニヤフ政権自身も、こんな改革には軍部も反対するだろうことを予期していた。 この危険な改革案には世論の猛反発があり、実現は難しいとみられていた・・・しかしそこへハマスとの戦争が起き、極右勢力に時ならぬ追い風が吹いた。極右のベツァレル・スモトリッチ財務相はパレスチナ自治区ヨルダン川西岸の統治に関する権限を掌握し、ユダヤ人入植者によるパレスチナ人への暴力を容認した・・・ハマスとの戦争が長引くにつれて国軍への信頼は低下し、今年3月時点で75%だった軍部に対する信頼感は7月時点で43%まで落ちていた。 しかし、政府はもっと信用されていない。同じ調査で、政府への信頼感は同じ期間に35%から26%へ低下していた。別の世論調査でも、国民の多くは早期の総選挙を望んでおり、いま選挙が行われたら現政権は敗退するという可能性が示されている・・・今のネタニヤフは対ヒズボラ戦勝利の美酒に酔っているが、その戦果をもたらしたのは軍と情報機関の実戦部隊だ。 しかも彼らの多くは予備役の軍人で、招集される前にはネタニヤフ政権の進める司法改革に反対するデモの先頭に立っていた。実際、ナスララの暗殺を敢行したF15飛行隊に所属する予備役兵士の過半数も、招集されるまではデモに参加していた・・・9月の劇的な戦果は過去16年間にわたる緻密で執拗な情報収集活動のたまものだが、それを制服組トップとして率いてきたのはベニー・ガンツとガディ・エイゼンコット。いずれも今は野党の有力政治家だ。) つまり、無能だったのは軍や情報機関の指揮官ではなく文民の政治家だった。今の政権は最初の1年を無益な司法改革に費やした」、なるほど。
・『国の信用格付けが急降下 しかし現政権の最大の汚点は経済だ。戦争が長引けば経済に負担がかかるのは常識で、だからこそ歴代のイスラエル政府はできる限り戦争を避けてきた。 ところが財務相のスモトリッチは戦時予算を組もうともせず、ヨルダン川西岸への入植者や超保守派のユダヤ教徒に対する支援金をばらまいている。結果、今年第2四半期の経済成長率はマイナス0.2%に落ち込んだ。 格付け機関のムーディーズは9月27日、イスラエルの信用度をA2からBaa1へ引き下げ、「地政学的リスクの上昇」次第で評価はさらに下がると警告した。S&Pもイスラエルの格付けをA+からAに引き下げている。 9月後半における軍事的成功が今後のイスラエル政局にどう作用するか、現時点で推し量るのは難しい。直近の世論調査でネタニヤフ率いる与党リクードの支持率が上がったのは事実だが、ヒズボラとの戦争はまだ終わっていない。 10月1日に始まったレバノンへの地上侵攻で死傷者が増えれば、逆に政権批判が強まるだろう。イランの報復が終わる保証もない。 Foreign Policy logoFrom Foreign Policy Magazine』、「現政権の最大の汚点は経済だ。戦争が長引けば経済に負担がかかるのは常識で、だからこそ歴代のイスラエル政府はできる限り戦争を避けてきた。 ところが財務相のスモトリッチは戦時予算を組もうともせず、ヨルダン川西岸への入植者や超保守派のユダヤ教徒に対する支援金をばらまいている。結果、今年第2四半期の経済成長率はマイナス0.2%に落ち込んだ。 格付け機関のムーディーズは9月27日、イスラエルの信用度をA2からBaa1へ引き下げ、「地政学的リスクの上昇」次第で評価はさらに下がると警告した。S&Pもイスラエルの格付けをA+からAに引き下げている」、「格付け機関」の格付は下げられたといっても、水準的には投資適格で依然、高い。「戦時予算を組もうともせず、ヨルダン川西岸への入植者や超保守派のユダヤ教徒に対する支援金をばらまいている」、ようでは、格付の実態は酷く悪化している筈だ。
次に、10月11日付け現代ビジネスが掲載した国際政治学者・放送大学教授の高橋 和夫氏による「国外から批判の声も…イスラエル・ネタニヤフ政権の右傾化が止まらない「3つの要因」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/139045?imp=0
・『2023年10月に発生したハマスによるイスラエル攻撃に端を発し、緊張が高まる一方の中東情勢。国外から批判の声が上がる中、ネタニヤフ政権が強硬姿勢を崩さない理由はどこにあるのだろうか。 国際政治学者の高橋和夫氏は『なぜガザは戦場になるのか』にて、その要因と今後予想されうる事態について詳細に解説している』、興味深そうだ。
・『イスラエル社会が右に振れる要因 イスラエルの政治は、どんどん右に傾いている。中でも2022年末に発足した現在のネタニヤフ政権は、イスラエル史上もっとも右寄りの極右政権である。クネセットで7議席を有する「宗教シオニズム」党と、6議席の「ユダヤの力」党といった極右の少数政党が連立政権に入り、警察行政に関わる閣僚ポストを手に入れたことで、混乱も起きている。こうした極右政党は、パレスチナ人の追放あるいは違法な入植地「アウトポスト」の撤去の停止を主張している。ガザのハマスに対して核兵器の使用も「選択肢の一つ」かと問われ、否定しなかったアミハイ・エリヤフ・エルサレム問題・遺産相も、「ユダヤの力」の議員である。これが国際的に物議を醸した。 なぜイスラエル社会が右に傾いて来たのか。理由のひとつは、和平に対する幻滅である。1993年にラビン首相がオスロ合意を結んで以来、和平のために譲歩をして来たが、パレスチナ側に和平をする気がないという考え方が一般的になっている。イスラエルは最大限に譲っているのに、まだ満足できない強欲な人々という認識である。もちろん、占領されているパレスチナの側から言えば、イスラエル側が最大限に譲ったといっても、占領地の一部しか戻ってこないという話であり、納得のできる条件とは言えないのだが。 理由の2つ目は、1991年に旧ソ連が崩壊して、ロシア移民が100万人単位でやってきた。この人たちは、元からアラブ人に対する人種差別的な意識が強く、妥協しようという考えが少ない傾向がある。ロシア系ユダヤ人は、いまやイスラエル国内で一大勢力となり、「我が家イスラエル」という右派政党も組織し影響力を高めている。 3つ目は、先に述べた占領地ではなく解放地であるとの認識を持つ人が増えていることである。この人たちの人口比を大きくしている人口動態については、次の項で取り上げよう。それにともなって入植者も増えている。そして、イスラエル政府の入植地の拡大やパレスチナ人の追放といった右寄りの政策が、そうした人々の行動を助長している。) イスラエル社会が右に振れる要因は、他にもある。他方で、パレスチナとの和平に踏み出すべきだとの世論を強めるような要因は、残念ながら少ない。イスラエル経済は、ハイテク産業の活況で好調である。社会が右傾化しようと、経済が順調であれば良いと考える人は多い。また占領地で何が起きているかという事実について、興味がないし考えたくないし、見たくもないというイスラエル人は多い。これが、ある意味では最大の問題だろうか。ガザの人々がどれほど苦しんできたかについては、何も知らない。そして“テロ”が起きると、「私たちは平和に暮らしていただけなのになぜ」という反応になる。 そして、イスラエルは国外からのユダヤ人の移民を奨励している。それにより、アメリカなどから移住をして、入植地に住んだりイスラエル軍に入隊したりする熱狂的なユダヤ系の人が増えている。他方でこれだけ社会が右傾化すると、和平を望んでいたイスラエル人にはますます居場所がなくなる。出国してアメリカやヨーロッパに新天地を求める人もいる。そのため、ますますイスラエル社会の右傾化に拍車がかかっている。極右政権の誕生は、その象徴かもしれない』、「2022年末に発足した現在のネタニヤフ政権は、イスラエル史上もっとも右寄りの極右政権である。クネセットで7議席を有する「宗教シオニズム」党と、6議席の「ユダヤの力」党といった極右の少数政党が連立政権に入り、警察行政に関わる閣僚ポストを手に入れたことで、混乱も起きている。こうした極右政党は、パレスチナ人の追放あるいは違法な入植地「アウトポスト」の撤去の停止を主張している・・・なぜイスラエル社会が右に傾いて来たのか。理由のひとつは、和平に対する幻滅である。1993年にラビン首相がオスロ合意を結んで以来、和平のために譲歩をして来たが、パレスチナ側に和平をする気がないという考え方が一般的になっている。イスラエルは最大限に譲っているのに、まだ満足できない強欲な人々という認識である。もちろん、占領されているパレスチナの側から言えば、イスラエル側が最大限に譲ったといっても、占領地の一部しか戻ってこないという話であり、納得のできる条件とは言えないのだが・・・理由の2つ目は、1991年に旧ソ連が崩壊して、ロシア移民が100万人単位でやってきた。この人たちは、元からアラブ人に対する人種差別的な意識が強く、妥協しようという考えが少ない傾向がある。ロシア系ユダヤ人は、いまやイスラエル国内で一大勢力となり、「我が家イスラエル」という右派政党も組織し影響力を高めている。 3つ目は、先に述べた占領地ではなく解放地であるとの認識を持つ人が増えていることである・・・イスラエルは国外からのユダヤ人の移民を奨励している。それにより、アメリカなどから移住をして、入植地に住んだりイスラエル軍に入隊したりする熱狂的なユダヤ系の人が増えている。他方でこれだけ社会が右傾化すると、和平を望んでいたイスラエル人にはますます居場所がなくなる。出国してアメリカやヨーロッパに新天地を求める人もいる。そのため、ますますイスラエル社会の右傾化に拍車がかかっている」、なるほど。
・『ユダヤ教“超正統派”の出生率は6.64 イスラエルの人口は増えている。その人口をおさらいしておこう。イスラエルの総人口は、約1000万人である。その75%がユダヤ人で、アラブ人が20%、そして、その他が5%である。実数にすると、ユダヤ人が750万人になる。そして、イスラエル成立後にその地に踏みとどまったパレスチナ人が、子孫を含めて人口の20%を占める。実数にすると200万人である。そのほかは、ユダヤ人でもアラブ人でもない少数派で、実数にすると50万人である。 イスラエル女性の生涯出生率は3.0程度である。これは、一人の女性が産む子どもの数である。現在の人口を維持するためには、この数値が2.07 必要である。大半の先進工業国では、出生率がこの2.07を切っており、人口の減少を経験している。ちなみに日本の2022年の数値は1.26だった。 イスラエルの出生率の高さの理由は何だろうか。最大の要因は、超正統派と呼ばれる人々の子どもの多さである。第二に、好景気が持続していたという経済的要因があるだろう。第三に移民の流入も指摘できるだろう。第四に不妊治療が広く行われているという医療サービスの水準の高さがあるだろう。 宗教・宗派別では、イスラム教徒の方が出生率は高いものの、爆発的に増えているわけではない。注目すべきは、ユダヤ教徒内での出生率の比較である。ユダヤ教の超正統派と呼ばれる人々の間の出生率が極端に高い。数値が6.64である。ということは長期的には非常に保守的で宗教的な層の人口比が高まっていく。これが、イスラエル国内の世俗的な層との緊張を高めるだろう。また宗教的には改革的な傾向の強いアメリカのユダヤ教徒と、イスラエルとの間の距離をこれまで以上に広げかねない。) ヨルダン川西岸とガザでの人口動態も重要だ。ヨルダン川西岸には約330万人、ガザには約220万人のパレスチナ人が生活している。そして、その生涯出生率は3.5である。 おおざっぱな算数をしよう。国際的に認められたイスラエル国境内、ヨルダン川西岸、ガザの人口を全て合わせると、1550万人になる。そのうち750万人はユダヤ人である。そして760万人はパレスチナ人になる。その他が50万人である。 聖地パレスチナ、つまりイスラエルとガザとヨルダン川西岸を合わせた地域の人口の過半数は、すでにユダヤ人ではない。そして占領地での出生率の高さを考慮すると、パレスチナ人の比率はさらに高まってくる』、「国際的に認められたイスラエル国境内、ヨルダン川西岸、ガザの人口を全て合わせると、1550万人になる。そのうち750万人はユダヤ人である。そして760万人はパレスチナ人になる。その他が50万人である。 聖地パレスチナ、つまりイスラエルとガザとヨルダン川西岸を合わせた地域の人口の過半数は、すでにユダヤ人ではない。そして占領地での出生率の高さを考慮すると、パレスチナ人の比率はさらに高まってくる」、なるほど。
・『アパルトヘイト状態の社会構造 西岸地区では、ほんのわずかな土地がパレスチナ人の自治に委ねられているだけで、大半の地域がイスラエルの支配下にある。つまり占領下にある。その占領下では、パレスチナ人の土地を奪ってユダヤ人の入植活動が行われている。ガザ地区は、イスラエルとエジプトによって封鎖が続いている。220万人のパレスチナ人を、ここまで追い詰める政策に対し、国連などを中心に非難の声が上がってきた。 聖地と呼ばれる土地にユダヤ人が特権階級として君臨し、二級市民としてイスラエル国籍を持つパレスチナ人がいる。さらにその下に占領下のパレスチナ人が生活している。そこでは、重大な人権の蹂躙が日常化している。どこかで見たような社会構造である。そう、かつて少数派の白人が多数派の有色人種を支配した、南アフリカの支配構造と類似している。南アフリカの人種隔離と差別の構造には、つまり人種隔離政策にはアパルトヘイトという名称がつけられていた。このまま占領を続ければ、イスラエルはアパルトヘイト国家としてやっていくことになる。 さらに関連記事【爆弾を身体に巻いて自爆…イスラエルと衝突つづくヒズボラはなぜ「強力な戦闘集団」になったのか】ではイスラエルが警戒を強める「ヒズボラ」誕生の背景について解説している』、「かつて少数派の白人が多数派の有色人種を支配した、南アフリカの支配構造と類似している。南アフリカの人種隔離と差別の構造には、つまり人種隔離政策にはアパルトヘイトという名称がつけられていた。このまま占領を続ければ、イスラエルはアパルトヘイト国家としてやっていくことになる」、なるほど。
第三に、10月11日付け現代ビジネスが掲載した国際政治学者・放送大学教授の高橋 和夫氏による「爆弾を身体に巻いて自爆…イスラエルと衝突つづくヒズボラはなぜ「強力な戦闘集団」になったのか」を紹介しよう。
・『2023年10月に発生したハマスによるイスラエル攻撃に端を発し、緊張が高まる一方の中東情勢。ここ数日特にイスラエルと一触即発状態となっているヒズボラという組織はどのように誕生し、イスラム世界ではどのように評価されているのだろうか。国際政治学者の高橋和夫氏の『なぜガザは戦場になるのか』には中東情勢を理解するためにいまこそ知りたい、その歴史的背景が記されている』、興味深そうだ。
・『ヒズボラとは何か? イスラエルが警戒するヒズボラとは、どのような組織なのだろうか。ヒズボラとは、アラビア語で「神の党」という意味である。1982年に、イランの支援でレバノン南部で創設された。 ヒズボラの支配地域は、レバノンの首都であるベイルートの南から、レバノン南部一帯である。ヒズボラの戦力や戦闘員の能力は、レバノン正規軍を上まわっている。 軍事力だけではない。ヒズボラの政治部門はレバノンの選挙に参加しており、2022年の定数128の国会議員選挙で半数近くの62議席を獲得するなど、大きな政治力を持っている。 また、支配地域では貧困状態の人々に対し、医療や福祉、教育を提供するなど、住民サービスも行っている。先に述べたハマスと同様のNGO的な側面である。また、ヒズボラの戦闘員として、イスラエルとの戦いで負傷した若者や殉教した兵士の家族への支援を行っている。ヒズボラの指導者であるナスララは、息子をイスラエルとの戦闘で亡くしている。「息子が死んで悲しいが、これでやっと殉教者の母親たちの目を見て話すことができる。親としての悲しみを共有できる」と述べている。 本人は、暗殺を恐れて集会に直接に顔を出すことはないが、映像を通じて話しかける。人々の心を掴むのが巧みだ』、「ヒズボラの戦力や戦闘員の能力は、レバノン正規軍を上まわっている。 軍事力だけではない。ヒズボラの政治部門はレバノンの選挙に参加しており、2022年の定数128の国会議員選挙で半数近くの62議席を獲得するなど、大きな政治力を持っている。 また、支配地域では貧困状態の人々に対し、医療や福祉、教育を提供するなど、住民サービスも行っている。先に述べたハマスと同様のNGO的な側面である。また、ヒズボラの戦闘員として、イスラエルとの戦いで負傷した若者や殉教した兵士の家族への支援を行っている」、いわば政府的な役割を果たしているようだ。
・『レバノンは「生きた宗教の博物館」 ヒズボラがなぜ誕生したかという理由を説明するために、少々回り道になるが、レバノンの歴史をたどりたい。レバノンはかつてオスマン帝国の領土であったが、第一次世界大戦後にシリアと共にフランスの支配下に入った。レバノンが独立し、フランスが撤退したのは1943年のことだ。 レバノンは、宗教的にはキリスト教とイスラム教のさまざまな宗派がモザイクのように入り乱れる複雑な社会だ。歴史的に迫害を受けた多くの少数派が、レバノンの山岳地帯に避難して住みついてきたからだ。いわば「生きた宗教の博物館」状態となっている。独立の際に、各宗派の間で権力を分割する協定が結ばれた。大統領はキリスト教マロン派、国会議長はイスラム教スンニー派という具合にである。その基礎になったのが、1932年の人口調査であった。 ところが、キリスト教徒が多数を占めていたころの人口統計に基づいたシステムは、段々と実情に合わなくなってくる。イスラム教徒の方が多産なので、人口増加率が高かった。中でも、南部のイスラム教シーア派の人々は、特に所得が低く、人口増加率も高かった。しかし、人口調査は1932年以降行われず、キリスト教徒優位のシステムが続いた。そして、このシステムへのイスラム教徒の不満が高まった。キリスト教徒の側も、自らの特権を脅かされるのではないかという不安を募らせていく。各宗派は、独自の武装組織を育成し自衛の構えを見せていた。 そんな危うい状況のレバノンに、1970年に乗り込んできたのがアラファト率いるPLO(パレスチナ解放機構)だった。前に触れたヨルダンでの内戦に敗れレバノンに亡命してきたPLOは、レバノンの中で独立国家のように振る舞った。イスラム教徒が多数を占めるPLOの存在は、レバノンの宗派間のバランスをさらに危うくした。そして1975年にレバノンは内戦に突入した。内戦にはシリアも介入した。その後1982年にはイスラエルがレバノンに侵攻して、レバノン情勢は泥沼化していく』、「独立の際に、各宗派の間で権力を分割する協定が結ばれた。大統領はキリスト教マロン派、国会議長はイスラム教スンニー派という具合にである。その基礎になったのが、1932年の人口調査であった。 ところが、キリスト教徒が多数を占めていたころの人口統計に基づいたシステムは、段々と実情に合わなくなってくる。イスラム教徒の方が多産なので、人口増加率が高かった・・・レバノンに、1970年に乗り込んできたのがアラファト率いるPLO(パレスチナ解放機構)だった。前に触れたヨルダンでの内戦に敗れレバノンに亡命してきたPLOは、レバノンの中で独立国家のように振る舞った。イスラム教徒が多数を占めるPLOの存在は、レバノンの宗派間のバランスをさらに危うくした。そして1975年にレバノンは内戦に突入した。内戦にはシリアも介入した。その後1982年にはイスラエルがレバノンに侵攻して、レバノン情勢は泥沼化していく」、なるほど。
・『イランのサポートで誕生したヒズボラ イスラエルが侵攻した理由は、PLOがレバノン南部を拠点に、イスラエルにゲリラ攻撃を仕掛けていたからだ。迷惑を被っていったのは、レバノン南部に住んでいたイスラム教シーア派の人たちである。当時シーア派は、組織化されておらず、したがって政治力がなく、人口は多くても発言権がなかった。PLOがイスラエルを攻撃すれば、その報復でレバノン南部が攻撃された。そのため、イスラエル軍がアラファトを撃つために南レバノンに侵攻すると、当初シーア派の住民たちは大歓迎をした。その後、アラファト率いるPLOはレバノンからチュニジアに亡命した。しかしPLO撤退後も、イスラエル軍はレバノン南部の占領を続けた。 シーア派の住民はPLOは嫌いだったが、イスラエルの支配下に入りたいと望んだわけではなかった。そして、その組織化をシーア派が多数派を占めるイランがサポートして、ヒズボラが創設された。 ヒズボラが世の注目を集めた最初の事件は、アメリカ軍の海兵隊宿舎の爆破だった。アラファトなどのPLOの戦士たちがチュニジアへと去った後、ベイルートの治安維持を名目にアメリカ軍海兵隊などが進駐した。1983年にヒズボラのメンバーが爆弾を満載したトラックで海兵隊の宿舎に突っ込んで自爆し、多くの米兵を殺害した。それにより海兵隊は撤退した。筆者が知る限り、イスラム教徒による歴史上最初の自爆攻撃である。 またイスラエルが占領していたレバノン南部では、ヒズボラが抵抗運動を強めた。そして2000年までの18年間にわたり戦った。爆弾を巻いて死ぬ気で戦うヒズボラの若者たちに、中東最強とされるイスラエル軍も苦戦した。そして、殉教精神だけでなく、イランの軍事顧問団による訓練と、実戦を積むことにより、ヒズボラは強力な戦闘集団となった』、「イスラエルが占領していたレバノン南部では、ヒズボラが抵抗運動を強めた。そして2000年までの18年間にわたり戦った。爆弾を巻いて死ぬ気で戦うヒズボラの若者たちに、中東最強とされるイスラエル軍も苦戦した。そして、殉教精神だけでなく、イランの軍事顧問団による訓練と、実戦を積むことにより、ヒズボラは強力な戦闘集団となった」、なるほど。
・『イスラム世界全体の英雄となる ヒズボラは、イスラエル軍の行動パターンを読んで戦った。たとえば、イスラエル軍のパトロール部隊を待ち伏せして包囲すれば、必ず救出部隊が送られてくる。パトロール部隊を全滅させても10人程度だが、救出部隊を待ち伏せすればその何倍も倒すことができる。ヒズボラはパトロール部隊を包囲すると同時に、救出部隊を攻撃する準備をして待ち伏せを行った。そのため、イスラエル軍は救援に行くのが危険になった。ヒズボラよりはるかに強力な兵器で武装しているイスラエルが、苦戦を強いられた。何より士気が違う。ヒズボラは自らの土地を取り返すために死をも恐れず戦う。イスラエル兵は、他人の土地を占領して、こんなところで死にたくないと思って戦う。士気が上がるはずもない。最終的には2000年に、イスラエル軍がレバノンから撤退した。 アラブ側が戦ってイスラエル軍を撤退させた例は少ない。イスラエルが建国されてから、アラブ側は負け続けていた。ヒズボラは、その憎っくきイスラエル軍を撤退に追い込んだ。そのためレバノンでは、ヒズボラが英雄となった。もちろん、レバノンにはシーア派やヒズボラが大嫌いという人は多い。それでも、対イスラエルに関しては、ヒズボラはよく戦ったとの評価である。またレバノンを越えてイスラム世界全体でヒズボラは英雄となった。 そして、このヒズボラのイスラエル軍に対する善戦は、占領下で苦しむ多くのパレスチナ人にとっても刺激となった。それが後にパレスチナ人自身による抵抗運動、インティファーダ(1987年)につながった。また、ハマスをはじめとする抵抗組織の設立につながった。そして自爆、つまり殉教攻撃という戦術がイスラム世界全体に広がった。「殉教者こそ神の友」という叫び声が広くこだまするようになった。 さらに、イスラエルが脅威を抱く「ヒズボラのミサイル」について関連記事【「兵士がいる場所まで正確に着弾…」イスラエルが警戒する「ヒズボラ」のミサイル、「真の実力」が見えてきた】で解説する』、「ヒズボラは、イスラエル軍の行動パターンを読んで戦った。たとえば、イスラエル軍のパトロール部隊を待ち伏せして包囲すれば、必ず救出部隊が送られてくる。パトロール部隊を全滅させても10人程度だが、救出部隊を待ち伏せすればその何倍も倒すことができる。ヒズボラはパトロール部隊を包囲すると同時に、救出部隊を攻撃する準備をして待ち伏せを行った。そのため、イスラエル軍は救援に行くのが危険になった。ヒズボラよりはるかに強力な兵器で武装しているイスラエルが、苦戦を強いられた。何より士気が違う。ヒズボラは自らの土地を取り返すために死をも恐れず戦う。イスラエル兵は、他人の土地を占領して、こんなところで死にたくないと思って戦う。士気が上がるはずもない。最終的には2000年に、イスラエル軍がレバノンから撤退した・・・このヒズボラのイスラエル軍に対する善戦は、占領下で苦しむ多くのパレスチナ人にとっても刺激となった。それが後にパレスチナ人自身による抵抗運動、インティファーダ(1987年)につながった。また、ハマスをはじめとする抵抗組織の設立につながった。そして自爆、つまり殉教攻撃という戦術がイスラム世界全体に広がった。「殉教者こそ神の友」という叫び声が広くこだまするようになった」、なるほど。
第四に、10月11日付け現代ビジネスが掲載した国際政治学者・放送大学教授の高橋 和夫氏による「「兵士がいる場所まで正確に着弾…」イスラエルが警戒する「ヒズボラ」のミサイル、「真の実力」が見えてきた」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/138993?imp=0
・『2023年10月に発生したハマスによるイスラエル攻撃に端を発し、緊張が高まる一方の中東情勢。ここへ来て動きが活発化しているイランはなぜハマスを支援するのだろうか。そしてイスラエルが警戒するもう一つの勢力・ヒズボラの実力とは。国際政治学者の高橋和夫氏は『なぜガザは戦場になるのか』にて、その構造を分かりやすく解説している』、興味深そうだ。
・『なぜイランはハマスを支援するのか? ガザ情勢の展開で大きな役割を担っているのが、アメリカとイランである。一方でアメリカはイスラエルを支援している。その背景については前の章で論じた。他方でイランはハマスを支持し、軍事的な援助を与えてきた。またヒズボラや、さらにはイエメンのフーシ派の支援を行っている。その上、シリアやイラクではシーア派の民兵組織を支えている。ハマス以外は全てシーア派である。同じ宗派ならば、支援しても不思議ではない。しかし、なぜイランはハマスを支援するのだろうか。ハマスはスンニー派の組織である。 背景には、イランの革命政権の発想がある。イランの革命はすばらしいものだから、アラブ世界にも広めていきたいという認識である。ただ、アラブ諸国の大半がスンニー派が多数派である。しかも、ペルシア人のイランとは民族が違う。そこで、イランがアラブ世界に影響力を浸透させるテコとしたのがパレスチナ問題である。民族や宗派は違っても同じイスラム教徒としてである。イスラムの聖地であるエルサレムが、イスラエルに占領されている。それなのにアラブ諸国は、何もしていない。黙って見ている。それに比べてイランは、イスラエルと戦うハマスを支援しているという構図である』、「イスラムの聖地であるエルサレムが、イスラエルに占領されている。それなのにアラブ諸国は、何もしていない。黙って見ている。それに比べてイランは、イスラエルと戦うハマスを支援しているという構図である」、「イラン」の立場がよく理解できた。
・『イランはシーア派、ハマスはスンニー派 イランはシーア派でハマスはスンニー派だが、それがイラン革命の正しさは宗派を超えるとの宣伝になる。イランには、革命防衛隊というイスラム革命体制を守るための軍隊がある。その中で対外工作などを担当する部隊の名称はアル・クッズ部隊である。アル・クッズはエルサレムを意味する。この部隊名こそ、イランがイスラム教の聖地であるエルサレムのイスラエルからの解放を錦の御旗にしている証である。 なおシーア派の民兵組織についても説明しておこう。まずイラクやシリアにはシーア派の民兵組織がある。フセイン体制が倒れて以来、イラクではイランの支援を受けた民兵組織が自由に活動できるようになった。IS(イスラム国)との戦闘にも貢献したこうした組織は、必ずしもイラク政府のコントロール下になく、イランの影響下にある。 同じようにシリアでも、2011年の人々が民主化を求めた「アラブの春」以降の内戦下でシーア派の民兵組織がイランの支援を受けて活動し始めた。両者は、イラクとシリアにあるアメリカ軍基地をドローンで攻撃するなど、ガザへのイスラエル軍の侵攻以来、微妙な動きを見せている。 微妙というよりは鮮明過ぎるくらいなのが、イエメンのフーシ派である。フーシ派はこの戦争への参戦を表明してイスラエルへのミサイルやドローンの攻撃を行った。また紅海を航行する船舶を攻撃したり、捕獲したりした。捕獲された船は日本郵船がチャーターしていた。これはイスラエル資本が一部を所有する船だった。紅海での交通が妨げられると、アジアとヨーロッパを結ぶ貿易は大きな影響を受ける。このフーシ派の動向が注目される。 このフーシ派とは何者なのか。フーシ派はシーア派の組織が、やはり2011年の「アラブの春」以降の混乱の中で台頭してきた。サウジアラビアなどが支援する「イエメン政府」との内戦で優勢に立ち、首都サナアなどを支配している。同じシーア派ということでイランの支援を受けてきたのは確かなのだが、どのくらいイランの意向に沿って行動しているかは、不明である。 以下に述べるようにイランは明らかに戦争の拡大を望んでいないにもかかわらず、フーシ派は活発にイスラエルを攻撃している。 他のアラブ・イスラム世界の国々は、ガザの人々の支援を口にしながら、実際には何もしていない。それに比べ、フーシ派は敢然として立ちイスラエルに打撃を与えている――そうした姿勢である。 イエメンでは大規模なハマス支援のデモが行われている。イスラエル攻撃は、そうした世論を踏まえてのフーシ派の独自の軍事作戦の色彩が濃い。アメリカが、あれだけイスラエルに援助を与えながら同国をコントロールできないように、イランもフーシ派に援助を与えながら制御はできていないのだろうか』、「他のアラブ・イスラム世界の国々は、ガザの人々の支援を口にしながら、実際には何もしていない。それに比べ、フーシ派は敢然として立ちイスラエルに打撃を与えている――そうした姿勢である。 イエメンでは大規模なハマス支援のデモが行われている。イスラエル攻撃は、そうした世論を踏まえてのフーシ派の独自の軍事作戦の色彩が濃い」、なるほど。
・『ヒズボラのミサイル 民兵組織、フーシ派、ヒズボラなどの軍事組織とシリアとイランを合わせて「抵抗の枢軸」というような表現が使われる。その中心は、もちろんイランであるが、その次に軍事的に強力なのは、おそらく内戦で分裂したシリアではなくヒズボラだろうか。ヒズボラはレバノン南部を拠点としている。イスラエルとアメリカが、そのミサイル戦力を特に警戒している。 ハマスもミサイルを持っているが、その多くは花火が進化した程度である。スピードが遅く遠くまで飛ばない。また限られた数の長距離ミサイルも精確な誘導装置を持っていない。ところがヒズボラは十数万発のミサイルを保有している。その中には精密誘導の弾道ミサイルも数多く含まれる。つまりハマスとはケタ違いに強大な戦力を保有している。イスラエルとハマスとヒズボラの軍事力を野球で例えるとすると、イスラエルはメジャーリーグで、ハマスはリトルリーグくらいだろう。ヒズボラは日本のプロ野球くらいの実力がある。ヒズボラと戦争をすれば、イスラエルの主要都市のハイファやテルアビブの街にミサイルの雨が降る。 ヒズボラのミサイルはイラン製である。そして、イラン製のミサイルは非常に命中率が高い。その例を紹介しよう。2020年に、イラン革命防衛隊のソレイマニ司令官がアメリカ軍に暗殺された。数日後に、イランは報復として、イラクにあるアメリカ軍基地に10数発の弾道ミサイルを撃ち込んだ。このとき、ミサイルはことごとく目標に命中した。ただし、一人の死者も出なかった。その理由は、何だろうか。二つの説が流布している。最初の説によれば、アメリカ軍がイランが民間の衛星会社からアメリカ軍基地の衛星写真を買っていることを知っていたからだ。イランが最新の写真を購入した直後に、兵士を移動させたため死者が出なかった。イランのミサイルが正確に兵士の元いた場所に着弾したからだ。 第二の説はイラン軍はアメリカの将兵の居場所を知っていたが、正確に目標を外した。これによって、アメリカ軍基地へのミサイル攻撃という強い措置を取ったとして報復を求める内外世論を納得させ、同時にアメリカとの戦争を避けた。要するにイランとアメリカの八百長であった。だが、いずれにしろミサイルの精確さが証明された・・・』、「ヒズボラは十数万発のミサイルを保有している。その中には精密誘導の弾道ミサイルも数多く含まれる。つまりハマスとはケタ違いに強大な戦力を保有している・・・イランは報復として、イラクにあるアメリカ軍基地に10数発の弾道ミサイルを撃ち込んだ。このとき、ミサイルはことごとく目標に命中した。ただし、一人の死者も出なかった。その理由は、何だろうか。二つの説が流布している。最初の説によれば、アメリカ軍がイランが民間の衛星会社からアメリカ軍基地の衛星写真を買っていることを知っていたからだ。イランが最新の写真を購入した直後に、兵士を移動させたため死者が出なかった。イランのミサイルが正確に兵士の元いた場所に着弾したからだ。 第二の説はイラン軍はアメリカの将兵の居場所を知っていたが、正確に目標を外した。これによって、アメリカ軍基地へのミサイル攻撃という強い措置を取ったとして報復を求める内外世論を納得させ、同時にアメリカとの戦争を避けた。要するにイランとアメリカの八百長であった」、中東問題での真相解明は本当に難しいようだ。
先ずは、10月10日付けNewsweek日本版が掲載したイスラエル紙ハーレツの英語版コラムニストのデービッド・ローゼンバーグ氏による「ヒズボラ指導者の殺害という「勝利の美酒」に酔うネタニヤフ首相だが、政権の足元は「崩壊」寸前」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2024/10/518878_1.php
・『<ヒズボラ最高指導者ナスララの暗殺成功は、危機的状況にあったネタニヤフ政権に一時の勝利をもたらしたが、イスラエル世論の支持はなく経済も悪化の一途> イスラエルがレバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラの最高指導者ハッサン・ナスララ師を殺害(9月27日)したことで、胸をなで下ろしたイスラエル人はたくさんいる。だが一番喜んだのは、おそらく首相のベンヤミン・ネタニヤフだ。長い政治家人生で最も困難な1年が過ぎようという時に、降って湧いた歓喜の瞬間だったと言っていい。 パレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム組織ハマスが昨年10月7日に仕掛けた残忍な奇襲攻撃を、彼は防げなかった。そのことの汚点は、いくら頑張っても消せない。一方でレバノンに陣取るヒズボラとの交戦に終わりは見えず、ガザに残る多数の人質を無事に救出できる見込みもないままだ。 世論調査を見ても、ネタニヤフに国を率いる能力ありとする人はほとんどいなかった。総選挙をやれば、彼の率いる宗教右派連立政権は負ける確率が高かった。 しかし9月17日にはポケベルの遠隔操作でヒズボラ構成員多数を殺害するという劇的な成果が上がり、その10日後には指導者ナスララの命も奪えた。自分こそイスラエルの「安全を守る男」だと自負してきたネタニヤフの面目躍如──と言いたいところだろうが、そうはいかない。 ナスララ殺害の成功を受けて右派政党「新たな希望」の党首ギデオン・サールが政権への復帰を表明したおかげで、ネタニヤフ率いる連立与党の議席数は68となり、国会の過半数は維持できた。しかし、安心するのはまだ早い。) ナスララの死を受けてネタニヤフがほくそ笑んだのは当然として、興味深いのはその発言だ。軍と秘密情報機関モサドの功績をたたえるに先立ち、ネタニヤフは言ったものだ。「この間、イスラエル軍はヒズボラに強烈な打撃を与えてきた。しかし私は、まだ不十分だという結論に達した。故に(ナスララ殺害の)命令を下した」と。 何事も自分の手柄にしたがるのは政治家の常だが、それだけではあるまい。この間ずっと、10.7奇襲を防げなかった国軍を非難してきたネタニヤフとしては、ここで軍部やモサドを英雄に仕立てるわけにはいかなかった』、「「この間、イスラエル軍はヒズボラに強烈な打撃を与えてきた。しかし私は、まだ不十分だという結論に達した。故に(ナスララ殺害の)命令を下した」と・・・この間ずっと、10.7奇襲を防げなかった国軍を非難してきたネタニヤフとしては、ここで軍部やモサドを英雄に仕立てるわけにはいかなかった」、なるほど。
・『司法改革で対立激化 軍部との摩擦は、連立政権発足直後の昨年1月に発表した司法改革案にさかのぼる。表向きは司法の民主化策とされていたが、実は政権の政治的な都合に警察や検察、裁判所を従わせ、イスラエルを「自由なき民主国家」につくり替えようとする極右ポピュリスト勢力の構想だった。そしてネタニヤフ政権自身も、こんな改革には軍部も反対するだろうことを予期していた。 この危険な改革案には世論の猛反発があり、実現は難しいとみられていた。しかしそこへハマスとの戦争が起き、極右勢力に時ならぬ追い風が吹いた。極右のベツァレル・スモトリッチ財務相はパレスチナ自治区ヨルダン川西岸の統治に関する権限を掌握し、ユダヤ人入植者によるパレスチナ人への暴力を容認した。 国家治安担当相のイタマル・ベングビールも警察に対する支配力を強めている。彼らは口をそろえて、軍部や情報機関は弱腰で敗北主義者だと非難した。国軍幹部が画策し、ネタニヤフを失脚させるためにハマスの急襲を仕組んだという極端な発言まで出ていた。) ネタニヤフ自身は、10.7の責任を誰かに押し付ければ満足だったかもしれない。だが極右の宗教的保守派は、この機会に軍や情報機関から左派(つまり世俗派)を一掃したいと考えていた。 この試みはほぼ失敗に終わった。 同国のシンクタンク「ユダヤ人政策研究所」の調査によれば、ハマスとの戦争が長引くにつれて国軍への信頼は低下し、今年3月時点で75%だった軍部に対する信頼感は7月時点で43%まで落ちていた。 しかし、政府はもっと信用されていない。同じ調査で、政府への信頼感は同じ期間に35%から26%へ低下していた。別の世論調査でも、国民の多くは早期の総選挙を望んでおり、いま選挙が行われたら現政権は敗退するという可能性が示されている。 今のネタニヤフは対ヒズボラ戦勝利の美酒に酔っているが、その戦果をもたらしたのは軍と情報機関の実戦部隊だ。 しかも彼らの多くは予備役の軍人で、招集される前にはネタニヤフ政権の進める司法改革に反対するデモの先頭に立っていた。実際、ナスララの暗殺を敢行したF15飛行隊に所属する予備役兵士の過半数も、招集されるまではデモに参加していた。 それだけではない。9月の劇的な戦果は過去16年間にわたる緻密で執拗な情報収集活動のたまものだが、それを制服組トップとして率いてきたのはベニー・ガンツとガディ・エイゼンコット。いずれも今は野党の有力政治家だ。) つまり、無能だったのは軍や情報機関の指揮官ではなく文民の政治家だった。今の政権は最初の1年を無益な司法改革に費やした。10.7奇襲で多くの国民が犠牲になった後も、自らは地域住民の支援に乗り出さず、ボランティア任せにしていた。 ガザでの戦闘が長引き、アメリカとの関係が悪化しても、ネタニヤフはガザの将来的な統治に関する構想を示せずにいる。そして今も、そこには100人以上の人質がいる』、「司法改革案にさかのぼる。表向きは司法の民主化策とされていたが、実は政権の政治的な都合に警察や検察、裁判所を従わせ、イスラエルを「自由なき民主国家」につくり替えようとする極右ポピュリスト勢力の構想だった。そしてネタニヤフ政権自身も、こんな改革には軍部も反対するだろうことを予期していた。 この危険な改革案には世論の猛反発があり、実現は難しいとみられていた・・・しかしそこへハマスとの戦争が起き、極右勢力に時ならぬ追い風が吹いた。極右のベツァレル・スモトリッチ財務相はパレスチナ自治区ヨルダン川西岸の統治に関する権限を掌握し、ユダヤ人入植者によるパレスチナ人への暴力を容認した・・・ハマスとの戦争が長引くにつれて国軍への信頼は低下し、今年3月時点で75%だった軍部に対する信頼感は7月時点で43%まで落ちていた。 しかし、政府はもっと信用されていない。同じ調査で、政府への信頼感は同じ期間に35%から26%へ低下していた。別の世論調査でも、国民の多くは早期の総選挙を望んでおり、いま選挙が行われたら現政権は敗退するという可能性が示されている・・・今のネタニヤフは対ヒズボラ戦勝利の美酒に酔っているが、その戦果をもたらしたのは軍と情報機関の実戦部隊だ。 しかも彼らの多くは予備役の軍人で、招集される前にはネタニヤフ政権の進める司法改革に反対するデモの先頭に立っていた。実際、ナスララの暗殺を敢行したF15飛行隊に所属する予備役兵士の過半数も、招集されるまではデモに参加していた・・・9月の劇的な戦果は過去16年間にわたる緻密で執拗な情報収集活動のたまものだが、それを制服組トップとして率いてきたのはベニー・ガンツとガディ・エイゼンコット。いずれも今は野党の有力政治家だ。) つまり、無能だったのは軍や情報機関の指揮官ではなく文民の政治家だった。今の政権は最初の1年を無益な司法改革に費やした」、なるほど。
・『国の信用格付けが急降下 しかし現政権の最大の汚点は経済だ。戦争が長引けば経済に負担がかかるのは常識で、だからこそ歴代のイスラエル政府はできる限り戦争を避けてきた。 ところが財務相のスモトリッチは戦時予算を組もうともせず、ヨルダン川西岸への入植者や超保守派のユダヤ教徒に対する支援金をばらまいている。結果、今年第2四半期の経済成長率はマイナス0.2%に落ち込んだ。 格付け機関のムーディーズは9月27日、イスラエルの信用度をA2からBaa1へ引き下げ、「地政学的リスクの上昇」次第で評価はさらに下がると警告した。S&Pもイスラエルの格付けをA+からAに引き下げている。 9月後半における軍事的成功が今後のイスラエル政局にどう作用するか、現時点で推し量るのは難しい。直近の世論調査でネタニヤフ率いる与党リクードの支持率が上がったのは事実だが、ヒズボラとの戦争はまだ終わっていない。 10月1日に始まったレバノンへの地上侵攻で死傷者が増えれば、逆に政権批判が強まるだろう。イランの報復が終わる保証もない。 Foreign Policy logoFrom Foreign Policy Magazine』、「現政権の最大の汚点は経済だ。戦争が長引けば経済に負担がかかるのは常識で、だからこそ歴代のイスラエル政府はできる限り戦争を避けてきた。 ところが財務相のスモトリッチは戦時予算を組もうともせず、ヨルダン川西岸への入植者や超保守派のユダヤ教徒に対する支援金をばらまいている。結果、今年第2四半期の経済成長率はマイナス0.2%に落ち込んだ。 格付け機関のムーディーズは9月27日、イスラエルの信用度をA2からBaa1へ引き下げ、「地政学的リスクの上昇」次第で評価はさらに下がると警告した。S&Pもイスラエルの格付けをA+からAに引き下げている」、「格付け機関」の格付は下げられたといっても、水準的には投資適格で依然、高い。「戦時予算を組もうともせず、ヨルダン川西岸への入植者や超保守派のユダヤ教徒に対する支援金をばらまいている」、ようでは、格付の実態は酷く悪化している筈だ。
次に、10月11日付け現代ビジネスが掲載した国際政治学者・放送大学教授の高橋 和夫氏による「国外から批判の声も…イスラエル・ネタニヤフ政権の右傾化が止まらない「3つの要因」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/139045?imp=0
・『2023年10月に発生したハマスによるイスラエル攻撃に端を発し、緊張が高まる一方の中東情勢。国外から批判の声が上がる中、ネタニヤフ政権が強硬姿勢を崩さない理由はどこにあるのだろうか。 国際政治学者の高橋和夫氏は『なぜガザは戦場になるのか』にて、その要因と今後予想されうる事態について詳細に解説している』、興味深そうだ。
・『イスラエル社会が右に振れる要因 イスラエルの政治は、どんどん右に傾いている。中でも2022年末に発足した現在のネタニヤフ政権は、イスラエル史上もっとも右寄りの極右政権である。クネセットで7議席を有する「宗教シオニズム」党と、6議席の「ユダヤの力」党といった極右の少数政党が連立政権に入り、警察行政に関わる閣僚ポストを手に入れたことで、混乱も起きている。こうした極右政党は、パレスチナ人の追放あるいは違法な入植地「アウトポスト」の撤去の停止を主張している。ガザのハマスに対して核兵器の使用も「選択肢の一つ」かと問われ、否定しなかったアミハイ・エリヤフ・エルサレム問題・遺産相も、「ユダヤの力」の議員である。これが国際的に物議を醸した。 なぜイスラエル社会が右に傾いて来たのか。理由のひとつは、和平に対する幻滅である。1993年にラビン首相がオスロ合意を結んで以来、和平のために譲歩をして来たが、パレスチナ側に和平をする気がないという考え方が一般的になっている。イスラエルは最大限に譲っているのに、まだ満足できない強欲な人々という認識である。もちろん、占領されているパレスチナの側から言えば、イスラエル側が最大限に譲ったといっても、占領地の一部しか戻ってこないという話であり、納得のできる条件とは言えないのだが。 理由の2つ目は、1991年に旧ソ連が崩壊して、ロシア移民が100万人単位でやってきた。この人たちは、元からアラブ人に対する人種差別的な意識が強く、妥協しようという考えが少ない傾向がある。ロシア系ユダヤ人は、いまやイスラエル国内で一大勢力となり、「我が家イスラエル」という右派政党も組織し影響力を高めている。 3つ目は、先に述べた占領地ではなく解放地であるとの認識を持つ人が増えていることである。この人たちの人口比を大きくしている人口動態については、次の項で取り上げよう。それにともなって入植者も増えている。そして、イスラエル政府の入植地の拡大やパレスチナ人の追放といった右寄りの政策が、そうした人々の行動を助長している。) イスラエル社会が右に振れる要因は、他にもある。他方で、パレスチナとの和平に踏み出すべきだとの世論を強めるような要因は、残念ながら少ない。イスラエル経済は、ハイテク産業の活況で好調である。社会が右傾化しようと、経済が順調であれば良いと考える人は多い。また占領地で何が起きているかという事実について、興味がないし考えたくないし、見たくもないというイスラエル人は多い。これが、ある意味では最大の問題だろうか。ガザの人々がどれほど苦しんできたかについては、何も知らない。そして“テロ”が起きると、「私たちは平和に暮らしていただけなのになぜ」という反応になる。 そして、イスラエルは国外からのユダヤ人の移民を奨励している。それにより、アメリカなどから移住をして、入植地に住んだりイスラエル軍に入隊したりする熱狂的なユダヤ系の人が増えている。他方でこれだけ社会が右傾化すると、和平を望んでいたイスラエル人にはますます居場所がなくなる。出国してアメリカやヨーロッパに新天地を求める人もいる。そのため、ますますイスラエル社会の右傾化に拍車がかかっている。極右政権の誕生は、その象徴かもしれない』、「2022年末に発足した現在のネタニヤフ政権は、イスラエル史上もっとも右寄りの極右政権である。クネセットで7議席を有する「宗教シオニズム」党と、6議席の「ユダヤの力」党といった極右の少数政党が連立政権に入り、警察行政に関わる閣僚ポストを手に入れたことで、混乱も起きている。こうした極右政党は、パレスチナ人の追放あるいは違法な入植地「アウトポスト」の撤去の停止を主張している・・・なぜイスラエル社会が右に傾いて来たのか。理由のひとつは、和平に対する幻滅である。1993年にラビン首相がオスロ合意を結んで以来、和平のために譲歩をして来たが、パレスチナ側に和平をする気がないという考え方が一般的になっている。イスラエルは最大限に譲っているのに、まだ満足できない強欲な人々という認識である。もちろん、占領されているパレスチナの側から言えば、イスラエル側が最大限に譲ったといっても、占領地の一部しか戻ってこないという話であり、納得のできる条件とは言えないのだが・・・理由の2つ目は、1991年に旧ソ連が崩壊して、ロシア移民が100万人単位でやってきた。この人たちは、元からアラブ人に対する人種差別的な意識が強く、妥協しようという考えが少ない傾向がある。ロシア系ユダヤ人は、いまやイスラエル国内で一大勢力となり、「我が家イスラエル」という右派政党も組織し影響力を高めている。 3つ目は、先に述べた占領地ではなく解放地であるとの認識を持つ人が増えていることである・・・イスラエルは国外からのユダヤ人の移民を奨励している。それにより、アメリカなどから移住をして、入植地に住んだりイスラエル軍に入隊したりする熱狂的なユダヤ系の人が増えている。他方でこれだけ社会が右傾化すると、和平を望んでいたイスラエル人にはますます居場所がなくなる。出国してアメリカやヨーロッパに新天地を求める人もいる。そのため、ますますイスラエル社会の右傾化に拍車がかかっている」、なるほど。
・『ユダヤ教“超正統派”の出生率は6.64 イスラエルの人口は増えている。その人口をおさらいしておこう。イスラエルの総人口は、約1000万人である。その75%がユダヤ人で、アラブ人が20%、そして、その他が5%である。実数にすると、ユダヤ人が750万人になる。そして、イスラエル成立後にその地に踏みとどまったパレスチナ人が、子孫を含めて人口の20%を占める。実数にすると200万人である。そのほかは、ユダヤ人でもアラブ人でもない少数派で、実数にすると50万人である。 イスラエル女性の生涯出生率は3.0程度である。これは、一人の女性が産む子どもの数である。現在の人口を維持するためには、この数値が2.07 必要である。大半の先進工業国では、出生率がこの2.07を切っており、人口の減少を経験している。ちなみに日本の2022年の数値は1.26だった。 イスラエルの出生率の高さの理由は何だろうか。最大の要因は、超正統派と呼ばれる人々の子どもの多さである。第二に、好景気が持続していたという経済的要因があるだろう。第三に移民の流入も指摘できるだろう。第四に不妊治療が広く行われているという医療サービスの水準の高さがあるだろう。 宗教・宗派別では、イスラム教徒の方が出生率は高いものの、爆発的に増えているわけではない。注目すべきは、ユダヤ教徒内での出生率の比較である。ユダヤ教の超正統派と呼ばれる人々の間の出生率が極端に高い。数値が6.64である。ということは長期的には非常に保守的で宗教的な層の人口比が高まっていく。これが、イスラエル国内の世俗的な層との緊張を高めるだろう。また宗教的には改革的な傾向の強いアメリカのユダヤ教徒と、イスラエルとの間の距離をこれまで以上に広げかねない。) ヨルダン川西岸とガザでの人口動態も重要だ。ヨルダン川西岸には約330万人、ガザには約220万人のパレスチナ人が生活している。そして、その生涯出生率は3.5である。 おおざっぱな算数をしよう。国際的に認められたイスラエル国境内、ヨルダン川西岸、ガザの人口を全て合わせると、1550万人になる。そのうち750万人はユダヤ人である。そして760万人はパレスチナ人になる。その他が50万人である。 聖地パレスチナ、つまりイスラエルとガザとヨルダン川西岸を合わせた地域の人口の過半数は、すでにユダヤ人ではない。そして占領地での出生率の高さを考慮すると、パレスチナ人の比率はさらに高まってくる』、「国際的に認められたイスラエル国境内、ヨルダン川西岸、ガザの人口を全て合わせると、1550万人になる。そのうち750万人はユダヤ人である。そして760万人はパレスチナ人になる。その他が50万人である。 聖地パレスチナ、つまりイスラエルとガザとヨルダン川西岸を合わせた地域の人口の過半数は、すでにユダヤ人ではない。そして占領地での出生率の高さを考慮すると、パレスチナ人の比率はさらに高まってくる」、なるほど。
・『アパルトヘイト状態の社会構造 西岸地区では、ほんのわずかな土地がパレスチナ人の自治に委ねられているだけで、大半の地域がイスラエルの支配下にある。つまり占領下にある。その占領下では、パレスチナ人の土地を奪ってユダヤ人の入植活動が行われている。ガザ地区は、イスラエルとエジプトによって封鎖が続いている。220万人のパレスチナ人を、ここまで追い詰める政策に対し、国連などを中心に非難の声が上がってきた。 聖地と呼ばれる土地にユダヤ人が特権階級として君臨し、二級市民としてイスラエル国籍を持つパレスチナ人がいる。さらにその下に占領下のパレスチナ人が生活している。そこでは、重大な人権の蹂躙が日常化している。どこかで見たような社会構造である。そう、かつて少数派の白人が多数派の有色人種を支配した、南アフリカの支配構造と類似している。南アフリカの人種隔離と差別の構造には、つまり人種隔離政策にはアパルトヘイトという名称がつけられていた。このまま占領を続ければ、イスラエルはアパルトヘイト国家としてやっていくことになる。 さらに関連記事【爆弾を身体に巻いて自爆…イスラエルと衝突つづくヒズボラはなぜ「強力な戦闘集団」になったのか】ではイスラエルが警戒を強める「ヒズボラ」誕生の背景について解説している』、「かつて少数派の白人が多数派の有色人種を支配した、南アフリカの支配構造と類似している。南アフリカの人種隔離と差別の構造には、つまり人種隔離政策にはアパルトヘイトという名称がつけられていた。このまま占領を続ければ、イスラエルはアパルトヘイト国家としてやっていくことになる」、なるほど。
第三に、10月11日付け現代ビジネスが掲載した国際政治学者・放送大学教授の高橋 和夫氏による「爆弾を身体に巻いて自爆…イスラエルと衝突つづくヒズボラはなぜ「強力な戦闘集団」になったのか」を紹介しよう。
・『2023年10月に発生したハマスによるイスラエル攻撃に端を発し、緊張が高まる一方の中東情勢。ここ数日特にイスラエルと一触即発状態となっているヒズボラという組織はどのように誕生し、イスラム世界ではどのように評価されているのだろうか。国際政治学者の高橋和夫氏の『なぜガザは戦場になるのか』には中東情勢を理解するためにいまこそ知りたい、その歴史的背景が記されている』、興味深そうだ。
・『ヒズボラとは何か? イスラエルが警戒するヒズボラとは、どのような組織なのだろうか。ヒズボラとは、アラビア語で「神の党」という意味である。1982年に、イランの支援でレバノン南部で創設された。 ヒズボラの支配地域は、レバノンの首都であるベイルートの南から、レバノン南部一帯である。ヒズボラの戦力や戦闘員の能力は、レバノン正規軍を上まわっている。 軍事力だけではない。ヒズボラの政治部門はレバノンの選挙に参加しており、2022年の定数128の国会議員選挙で半数近くの62議席を獲得するなど、大きな政治力を持っている。 また、支配地域では貧困状態の人々に対し、医療や福祉、教育を提供するなど、住民サービスも行っている。先に述べたハマスと同様のNGO的な側面である。また、ヒズボラの戦闘員として、イスラエルとの戦いで負傷した若者や殉教した兵士の家族への支援を行っている。ヒズボラの指導者であるナスララは、息子をイスラエルとの戦闘で亡くしている。「息子が死んで悲しいが、これでやっと殉教者の母親たちの目を見て話すことができる。親としての悲しみを共有できる」と述べている。 本人は、暗殺を恐れて集会に直接に顔を出すことはないが、映像を通じて話しかける。人々の心を掴むのが巧みだ』、「ヒズボラの戦力や戦闘員の能力は、レバノン正規軍を上まわっている。 軍事力だけではない。ヒズボラの政治部門はレバノンの選挙に参加しており、2022年の定数128の国会議員選挙で半数近くの62議席を獲得するなど、大きな政治力を持っている。 また、支配地域では貧困状態の人々に対し、医療や福祉、教育を提供するなど、住民サービスも行っている。先に述べたハマスと同様のNGO的な側面である。また、ヒズボラの戦闘員として、イスラエルとの戦いで負傷した若者や殉教した兵士の家族への支援を行っている」、いわば政府的な役割を果たしているようだ。
・『レバノンは「生きた宗教の博物館」 ヒズボラがなぜ誕生したかという理由を説明するために、少々回り道になるが、レバノンの歴史をたどりたい。レバノンはかつてオスマン帝国の領土であったが、第一次世界大戦後にシリアと共にフランスの支配下に入った。レバノンが独立し、フランスが撤退したのは1943年のことだ。 レバノンは、宗教的にはキリスト教とイスラム教のさまざまな宗派がモザイクのように入り乱れる複雑な社会だ。歴史的に迫害を受けた多くの少数派が、レバノンの山岳地帯に避難して住みついてきたからだ。いわば「生きた宗教の博物館」状態となっている。独立の際に、各宗派の間で権力を分割する協定が結ばれた。大統領はキリスト教マロン派、国会議長はイスラム教スンニー派という具合にである。その基礎になったのが、1932年の人口調査であった。 ところが、キリスト教徒が多数を占めていたころの人口統計に基づいたシステムは、段々と実情に合わなくなってくる。イスラム教徒の方が多産なので、人口増加率が高かった。中でも、南部のイスラム教シーア派の人々は、特に所得が低く、人口増加率も高かった。しかし、人口調査は1932年以降行われず、キリスト教徒優位のシステムが続いた。そして、このシステムへのイスラム教徒の不満が高まった。キリスト教徒の側も、自らの特権を脅かされるのではないかという不安を募らせていく。各宗派は、独自の武装組織を育成し自衛の構えを見せていた。 そんな危うい状況のレバノンに、1970年に乗り込んできたのがアラファト率いるPLO(パレスチナ解放機構)だった。前に触れたヨルダンでの内戦に敗れレバノンに亡命してきたPLOは、レバノンの中で独立国家のように振る舞った。イスラム教徒が多数を占めるPLOの存在は、レバノンの宗派間のバランスをさらに危うくした。そして1975年にレバノンは内戦に突入した。内戦にはシリアも介入した。その後1982年にはイスラエルがレバノンに侵攻して、レバノン情勢は泥沼化していく』、「独立の際に、各宗派の間で権力を分割する協定が結ばれた。大統領はキリスト教マロン派、国会議長はイスラム教スンニー派という具合にである。その基礎になったのが、1932年の人口調査であった。 ところが、キリスト教徒が多数を占めていたころの人口統計に基づいたシステムは、段々と実情に合わなくなってくる。イスラム教徒の方が多産なので、人口増加率が高かった・・・レバノンに、1970年に乗り込んできたのがアラファト率いるPLO(パレスチナ解放機構)だった。前に触れたヨルダンでの内戦に敗れレバノンに亡命してきたPLOは、レバノンの中で独立国家のように振る舞った。イスラム教徒が多数を占めるPLOの存在は、レバノンの宗派間のバランスをさらに危うくした。そして1975年にレバノンは内戦に突入した。内戦にはシリアも介入した。その後1982年にはイスラエルがレバノンに侵攻して、レバノン情勢は泥沼化していく」、なるほど。
・『イランのサポートで誕生したヒズボラ イスラエルが侵攻した理由は、PLOがレバノン南部を拠点に、イスラエルにゲリラ攻撃を仕掛けていたからだ。迷惑を被っていったのは、レバノン南部に住んでいたイスラム教シーア派の人たちである。当時シーア派は、組織化されておらず、したがって政治力がなく、人口は多くても発言権がなかった。PLOがイスラエルを攻撃すれば、その報復でレバノン南部が攻撃された。そのため、イスラエル軍がアラファトを撃つために南レバノンに侵攻すると、当初シーア派の住民たちは大歓迎をした。その後、アラファト率いるPLOはレバノンからチュニジアに亡命した。しかしPLO撤退後も、イスラエル軍はレバノン南部の占領を続けた。 シーア派の住民はPLOは嫌いだったが、イスラエルの支配下に入りたいと望んだわけではなかった。そして、その組織化をシーア派が多数派を占めるイランがサポートして、ヒズボラが創設された。 ヒズボラが世の注目を集めた最初の事件は、アメリカ軍の海兵隊宿舎の爆破だった。アラファトなどのPLOの戦士たちがチュニジアへと去った後、ベイルートの治安維持を名目にアメリカ軍海兵隊などが進駐した。1983年にヒズボラのメンバーが爆弾を満載したトラックで海兵隊の宿舎に突っ込んで自爆し、多くの米兵を殺害した。それにより海兵隊は撤退した。筆者が知る限り、イスラム教徒による歴史上最初の自爆攻撃である。 またイスラエルが占領していたレバノン南部では、ヒズボラが抵抗運動を強めた。そして2000年までの18年間にわたり戦った。爆弾を巻いて死ぬ気で戦うヒズボラの若者たちに、中東最強とされるイスラエル軍も苦戦した。そして、殉教精神だけでなく、イランの軍事顧問団による訓練と、実戦を積むことにより、ヒズボラは強力な戦闘集団となった』、「イスラエルが占領していたレバノン南部では、ヒズボラが抵抗運動を強めた。そして2000年までの18年間にわたり戦った。爆弾を巻いて死ぬ気で戦うヒズボラの若者たちに、中東最強とされるイスラエル軍も苦戦した。そして、殉教精神だけでなく、イランの軍事顧問団による訓練と、実戦を積むことにより、ヒズボラは強力な戦闘集団となった」、なるほど。
・『イスラム世界全体の英雄となる ヒズボラは、イスラエル軍の行動パターンを読んで戦った。たとえば、イスラエル軍のパトロール部隊を待ち伏せして包囲すれば、必ず救出部隊が送られてくる。パトロール部隊を全滅させても10人程度だが、救出部隊を待ち伏せすればその何倍も倒すことができる。ヒズボラはパトロール部隊を包囲すると同時に、救出部隊を攻撃する準備をして待ち伏せを行った。そのため、イスラエル軍は救援に行くのが危険になった。ヒズボラよりはるかに強力な兵器で武装しているイスラエルが、苦戦を強いられた。何より士気が違う。ヒズボラは自らの土地を取り返すために死をも恐れず戦う。イスラエル兵は、他人の土地を占領して、こんなところで死にたくないと思って戦う。士気が上がるはずもない。最終的には2000年に、イスラエル軍がレバノンから撤退した。 アラブ側が戦ってイスラエル軍を撤退させた例は少ない。イスラエルが建国されてから、アラブ側は負け続けていた。ヒズボラは、その憎っくきイスラエル軍を撤退に追い込んだ。そのためレバノンでは、ヒズボラが英雄となった。もちろん、レバノンにはシーア派やヒズボラが大嫌いという人は多い。それでも、対イスラエルに関しては、ヒズボラはよく戦ったとの評価である。またレバノンを越えてイスラム世界全体でヒズボラは英雄となった。 そして、このヒズボラのイスラエル軍に対する善戦は、占領下で苦しむ多くのパレスチナ人にとっても刺激となった。それが後にパレスチナ人自身による抵抗運動、インティファーダ(1987年)につながった。また、ハマスをはじめとする抵抗組織の設立につながった。そして自爆、つまり殉教攻撃という戦術がイスラム世界全体に広がった。「殉教者こそ神の友」という叫び声が広くこだまするようになった。 さらに、イスラエルが脅威を抱く「ヒズボラのミサイル」について関連記事【「兵士がいる場所まで正確に着弾…」イスラエルが警戒する「ヒズボラ」のミサイル、「真の実力」が見えてきた】で解説する』、「ヒズボラは、イスラエル軍の行動パターンを読んで戦った。たとえば、イスラエル軍のパトロール部隊を待ち伏せして包囲すれば、必ず救出部隊が送られてくる。パトロール部隊を全滅させても10人程度だが、救出部隊を待ち伏せすればその何倍も倒すことができる。ヒズボラはパトロール部隊を包囲すると同時に、救出部隊を攻撃する準備をして待ち伏せを行った。そのため、イスラエル軍は救援に行くのが危険になった。ヒズボラよりはるかに強力な兵器で武装しているイスラエルが、苦戦を強いられた。何より士気が違う。ヒズボラは自らの土地を取り返すために死をも恐れず戦う。イスラエル兵は、他人の土地を占領して、こんなところで死にたくないと思って戦う。士気が上がるはずもない。最終的には2000年に、イスラエル軍がレバノンから撤退した・・・このヒズボラのイスラエル軍に対する善戦は、占領下で苦しむ多くのパレスチナ人にとっても刺激となった。それが後にパレスチナ人自身による抵抗運動、インティファーダ(1987年)につながった。また、ハマスをはじめとする抵抗組織の設立につながった。そして自爆、つまり殉教攻撃という戦術がイスラム世界全体に広がった。「殉教者こそ神の友」という叫び声が広くこだまするようになった」、なるほど。
第四に、10月11日付け現代ビジネスが掲載した国際政治学者・放送大学教授の高橋 和夫氏による「「兵士がいる場所まで正確に着弾…」イスラエルが警戒する「ヒズボラ」のミサイル、「真の実力」が見えてきた」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/138993?imp=0
・『2023年10月に発生したハマスによるイスラエル攻撃に端を発し、緊張が高まる一方の中東情勢。ここへ来て動きが活発化しているイランはなぜハマスを支援するのだろうか。そしてイスラエルが警戒するもう一つの勢力・ヒズボラの実力とは。国際政治学者の高橋和夫氏は『なぜガザは戦場になるのか』にて、その構造を分かりやすく解説している』、興味深そうだ。
・『なぜイランはハマスを支援するのか? ガザ情勢の展開で大きな役割を担っているのが、アメリカとイランである。一方でアメリカはイスラエルを支援している。その背景については前の章で論じた。他方でイランはハマスを支持し、軍事的な援助を与えてきた。またヒズボラや、さらにはイエメンのフーシ派の支援を行っている。その上、シリアやイラクではシーア派の民兵組織を支えている。ハマス以外は全てシーア派である。同じ宗派ならば、支援しても不思議ではない。しかし、なぜイランはハマスを支援するのだろうか。ハマスはスンニー派の組織である。 背景には、イランの革命政権の発想がある。イランの革命はすばらしいものだから、アラブ世界にも広めていきたいという認識である。ただ、アラブ諸国の大半がスンニー派が多数派である。しかも、ペルシア人のイランとは民族が違う。そこで、イランがアラブ世界に影響力を浸透させるテコとしたのがパレスチナ問題である。民族や宗派は違っても同じイスラム教徒としてである。イスラムの聖地であるエルサレムが、イスラエルに占領されている。それなのにアラブ諸国は、何もしていない。黙って見ている。それに比べてイランは、イスラエルと戦うハマスを支援しているという構図である』、「イスラムの聖地であるエルサレムが、イスラエルに占領されている。それなのにアラブ諸国は、何もしていない。黙って見ている。それに比べてイランは、イスラエルと戦うハマスを支援しているという構図である」、「イラン」の立場がよく理解できた。
・『イランはシーア派、ハマスはスンニー派 イランはシーア派でハマスはスンニー派だが、それがイラン革命の正しさは宗派を超えるとの宣伝になる。イランには、革命防衛隊というイスラム革命体制を守るための軍隊がある。その中で対外工作などを担当する部隊の名称はアル・クッズ部隊である。アル・クッズはエルサレムを意味する。この部隊名こそ、イランがイスラム教の聖地であるエルサレムのイスラエルからの解放を錦の御旗にしている証である。 なおシーア派の民兵組織についても説明しておこう。まずイラクやシリアにはシーア派の民兵組織がある。フセイン体制が倒れて以来、イラクではイランの支援を受けた民兵組織が自由に活動できるようになった。IS(イスラム国)との戦闘にも貢献したこうした組織は、必ずしもイラク政府のコントロール下になく、イランの影響下にある。 同じようにシリアでも、2011年の人々が民主化を求めた「アラブの春」以降の内戦下でシーア派の民兵組織がイランの支援を受けて活動し始めた。両者は、イラクとシリアにあるアメリカ軍基地をドローンで攻撃するなど、ガザへのイスラエル軍の侵攻以来、微妙な動きを見せている。 微妙というよりは鮮明過ぎるくらいなのが、イエメンのフーシ派である。フーシ派はこの戦争への参戦を表明してイスラエルへのミサイルやドローンの攻撃を行った。また紅海を航行する船舶を攻撃したり、捕獲したりした。捕獲された船は日本郵船がチャーターしていた。これはイスラエル資本が一部を所有する船だった。紅海での交通が妨げられると、アジアとヨーロッパを結ぶ貿易は大きな影響を受ける。このフーシ派の動向が注目される。 このフーシ派とは何者なのか。フーシ派はシーア派の組織が、やはり2011年の「アラブの春」以降の混乱の中で台頭してきた。サウジアラビアなどが支援する「イエメン政府」との内戦で優勢に立ち、首都サナアなどを支配している。同じシーア派ということでイランの支援を受けてきたのは確かなのだが、どのくらいイランの意向に沿って行動しているかは、不明である。 以下に述べるようにイランは明らかに戦争の拡大を望んでいないにもかかわらず、フーシ派は活発にイスラエルを攻撃している。 他のアラブ・イスラム世界の国々は、ガザの人々の支援を口にしながら、実際には何もしていない。それに比べ、フーシ派は敢然として立ちイスラエルに打撃を与えている――そうした姿勢である。 イエメンでは大規模なハマス支援のデモが行われている。イスラエル攻撃は、そうした世論を踏まえてのフーシ派の独自の軍事作戦の色彩が濃い。アメリカが、あれだけイスラエルに援助を与えながら同国をコントロールできないように、イランもフーシ派に援助を与えながら制御はできていないのだろうか』、「他のアラブ・イスラム世界の国々は、ガザの人々の支援を口にしながら、実際には何もしていない。それに比べ、フーシ派は敢然として立ちイスラエルに打撃を与えている――そうした姿勢である。 イエメンでは大規模なハマス支援のデモが行われている。イスラエル攻撃は、そうした世論を踏まえてのフーシ派の独自の軍事作戦の色彩が濃い」、なるほど。
・『ヒズボラのミサイル 民兵組織、フーシ派、ヒズボラなどの軍事組織とシリアとイランを合わせて「抵抗の枢軸」というような表現が使われる。その中心は、もちろんイランであるが、その次に軍事的に強力なのは、おそらく内戦で分裂したシリアではなくヒズボラだろうか。ヒズボラはレバノン南部を拠点としている。イスラエルとアメリカが、そのミサイル戦力を特に警戒している。 ハマスもミサイルを持っているが、その多くは花火が進化した程度である。スピードが遅く遠くまで飛ばない。また限られた数の長距離ミサイルも精確な誘導装置を持っていない。ところがヒズボラは十数万発のミサイルを保有している。その中には精密誘導の弾道ミサイルも数多く含まれる。つまりハマスとはケタ違いに強大な戦力を保有している。イスラエルとハマスとヒズボラの軍事力を野球で例えるとすると、イスラエルはメジャーリーグで、ハマスはリトルリーグくらいだろう。ヒズボラは日本のプロ野球くらいの実力がある。ヒズボラと戦争をすれば、イスラエルの主要都市のハイファやテルアビブの街にミサイルの雨が降る。 ヒズボラのミサイルはイラン製である。そして、イラン製のミサイルは非常に命中率が高い。その例を紹介しよう。2020年に、イラン革命防衛隊のソレイマニ司令官がアメリカ軍に暗殺された。数日後に、イランは報復として、イラクにあるアメリカ軍基地に10数発の弾道ミサイルを撃ち込んだ。このとき、ミサイルはことごとく目標に命中した。ただし、一人の死者も出なかった。その理由は、何だろうか。二つの説が流布している。最初の説によれば、アメリカ軍がイランが民間の衛星会社からアメリカ軍基地の衛星写真を買っていることを知っていたからだ。イランが最新の写真を購入した直後に、兵士を移動させたため死者が出なかった。イランのミサイルが正確に兵士の元いた場所に着弾したからだ。 第二の説はイラン軍はアメリカの将兵の居場所を知っていたが、正確に目標を外した。これによって、アメリカ軍基地へのミサイル攻撃という強い措置を取ったとして報復を求める内外世論を納得させ、同時にアメリカとの戦争を避けた。要するにイランとアメリカの八百長であった。だが、いずれにしろミサイルの精確さが証明された・・・』、「ヒズボラは十数万発のミサイルを保有している。その中には精密誘導の弾道ミサイルも数多く含まれる。つまりハマスとはケタ違いに強大な戦力を保有している・・・イランは報復として、イラクにあるアメリカ軍基地に10数発の弾道ミサイルを撃ち込んだ。このとき、ミサイルはことごとく目標に命中した。ただし、一人の死者も出なかった。その理由は、何だろうか。二つの説が流布している。最初の説によれば、アメリカ軍がイランが民間の衛星会社からアメリカ軍基地の衛星写真を買っていることを知っていたからだ。イランが最新の写真を購入した直後に、兵士を移動させたため死者が出なかった。イランのミサイルが正確に兵士の元いた場所に着弾したからだ。 第二の説はイラン軍はアメリカの将兵の居場所を知っていたが、正確に目標を外した。これによって、アメリカ軍基地へのミサイル攻撃という強い措置を取ったとして報復を求める内外世論を納得させ、同時にアメリカとの戦争を避けた。要するにイランとアメリカの八百長であった」、中東問題での真相解明は本当に難しいようだ。
タグ:東問題での真相解明は本当に難しいようだ。 最初の説によれば、アメリカ軍がイランが民間の衛星会社からアメリカ軍基地の衛星写真を買っていることを知っていたからだ。イランが最新の写真を購入した直後に、兵士を移動させたため死者が出なかった。イランのミサイルが正確に兵士の元いた場所に着弾したからだ。 第二の説はイラン軍はアメリカの将兵の居場所を知っていたが、正確に目標を外した。これによって、アメリカ軍基地へのミサイル攻撃という強い措置を取ったとして報復を求める内外世論を納得させ、同時にアメリカとの戦争を避けた。要するにイランとアメリカの八百長であった」、中 「ヒズボラは十数万発のミサイルを保有している。その中には精密誘導の弾道ミサイルも数多く含まれる。つまりハマスとはケタ違いに強大な戦力を保有している・・・イランは報復として、イラクにあるアメリカ軍基地に10数発の弾道ミサイルを撃ち込んだ。このとき、ミサイルはことごとく目標に命中した。ただし、一人の死者も出なかった。その理由は、何だろうか。二つの説が流布している。 「他のアラブ・イスラム世界の国々は、ガザの人々の支援を口にしながら、実際には何もしていない。それに比べ、フーシ派は敢然として立ちイスラエルに打撃を与えている――そうした姿勢である。 イエメンでは大規模なハマス支援のデモが行われている。イスラエル攻撃は、そうした世論を踏まえてのフーシ派の独自の軍事作戦の色彩が濃い」、なるほど。 「イスラムの聖地であるエルサレムが、イスラエルに占領されている。それなのにアラブ諸国は、何もしていない。黙って見ている。それに比べてイランは、イスラエルと戦うハマスを支援しているという構図である」、「イラン」の立場がよく理解できた。 高橋 和夫氏による「「兵士がいる場所まで正確に着弾…」イスラエルが警戒する「ヒズボラ」のミサイル、「真の実力」が見えてきた」 また、ハマスをはじめとする抵抗組織の設立につながった。そして自爆、つまり殉教攻撃という戦術がイスラム世界全体に広がった。「殉教者こそ神の友」という叫び声が広くこだまするようになった」、なるほど。 何より士気が違う。ヒズボラは自らの土地を取り返すために死をも恐れず戦う。イスラエル兵は、他人の土地を占領して、こんなところで死にたくないと思って戦う。士気が上がるはずもない。最終的には2000年に、イスラエル軍がレバノンから撤退した・・・このヒズボラのイスラエル軍に対する善戦は、占領下で苦しむ多くのパレスチナ人にとっても刺激となった。それが後にパレスチナ人自身による抵抗運動、インティファーダ(1987年)につながった。 「ヒズボラは、イスラエル軍の行動パターンを読んで戦った。たとえば、イスラエル軍のパトロール部隊を待ち伏せして包囲すれば、必ず救出部隊が送られてくる。パトロール部隊を全滅させても10人程度だが、救出部隊を待ち伏せすればその何倍も倒すことができる。ヒズボラはパトロール部隊を包囲すると同時に、救出部隊を攻撃する準備をして待ち伏せを行った。そのため、イスラエル軍は救援に行くのが危険になった。ヒズボラよりはるかに強力な兵器で武装しているイスラエルが、苦戦を強いられた。 「イスラエルが占領していたレバノン南部では、ヒズボラが抵抗運動を強めた。そして2000年までの18年間にわたり戦った。爆弾を巻いて死ぬ気で戦うヒズボラの若者たちに、中東最強とされるイスラエル軍も苦戦した。そして、殉教精神だけでなく、イランの軍事顧問団による訓練と、実戦を積むことにより、ヒズボラは強力な戦闘集団となった」、なるほど。 レバノンに、1970年に乗り込んできたのがアラファト率いるPLO(パレスチナ解放機構)だった。前に触れたヨルダンでの内戦に敗れレバノンに亡命してきたPLOは、レバノンの中で独立国家のように振る舞った。イスラム教徒が多数を占めるPLOの存在は、レバノンの宗派間のバランスをさらに危うくした。そして1975年にレバノンは内戦に突入した。内戦にはシリアも介入した。その後1982年にはイスラエルがレバノンに侵攻して、レバノン情勢は泥沼化していく」、なるほど。 「独立の際に、各宗派の間で権力を分割する協定が結ばれた。大統領はキリスト教マロン派、国会議長はイスラム教スンニー派という具合にである。その基礎になったのが、1932年の人口調査であった。 ところが、キリスト教徒が多数を占めていたころの人口統計に基づいたシステムは、段々と実情に合わなくなってくる。イスラム教徒の方が多産なので、人口増加率が高かった・・・ また、ヒズボラの戦闘員として、イスラエルとの戦いで負傷した若者や殉教した兵士の家族への支援を行っている」、いわば政府的な役割を果たしているようだ。 「ヒズボラの戦力や戦闘員の能力は、レバノン正規軍を上まわっている。 軍事力だけではない。ヒズボラの政治部門はレバノンの選挙に参加しており、2022年の定数128の国会議員選挙で半数近くの62議席を獲得するなど、大きな政治力を持っている。 また、支配地域では貧困状態の人々に対し、医療や福祉、教育を提供するなど、住民サービスも行っている。先に述べたハマスと同様のNGO的な側面である。 高橋 和夫氏による「爆弾を身体に巻いて自爆…イスラエルと衝突つづくヒズボラはなぜ「強力な戦闘集団」になったのか」 「かつて少数派の白人が多数派の有色人種を支配した、南アフリカの支配構造と類似している。南アフリカの人種隔離と差別の構造には、つまり人種隔離政策にはアパルトヘイトという名称がつけられていた。このまま占領を続ければ、イスラエルはアパルトヘイト国家としてやっていくことになる」、なるほど。 「国際的に認められたイスラエル国境内、ヨルダン川西岸、ガザの人口を全て合わせると、1550万人になる。そのうち750万人はユダヤ人である。そして760万人はパレスチナ人になる。その他が50万人である。 聖地パレスチナ、つまりイスラエルとガザとヨルダン川西岸を合わせた地域の人口の過半数は、すでにユダヤ人ではない。そして占領地での出生率の高さを考慮すると、パレスチナ人の比率はさらに高まってくる」、なるほど。 イスラエルは国外からのユダヤ人の移民を奨励している。それにより、アメリカなどから移住をして、入植地に住んだりイスラエル軍に入隊したりする熱狂的なユダヤ系の人が増えている。他方でこれだけ社会が右傾化すると、和平を望んでいたイスラエル人にはますます居場所がなくなる。出国してアメリカやヨーロッパに新天地を求める人もいる。そのため、ますますイスラエル社会の右傾化に拍車がかかっている」、なるほど。 理由の2つ目は、1991年に旧ソ連が崩壊して、ロシア移民が100万人単位でやってきた。この人たちは、元からアラブ人に対する人種差別的な意識が強く、妥協しようという考えが少ない傾向がある。ロシア系ユダヤ人は、いまやイスラエル国内で一大勢力となり、「我が家イスラエル」という右派政党も組織し影響力を高めている。 3つ目は、先に述べた占領地ではなく解放地であるとの認識を持つ人が増えていることである・・・ なぜイスラエル社会が右に傾いて来たのか。理由のひとつは、和平に対する幻滅である。1993年にラビン首相がオスロ合意を結んで以来、和平のために譲歩をして来たが、パレスチナ側に和平をする気がないという考え方が一般的になっている。イスラエルは最大限に譲っているのに、まだ満足できない強欲な人々という認識である。もちろん、占領されているパレスチナの側から言えば、イスラエル側が最大限に譲ったといっても、占領地の一部しか戻ってこないという話であり、納得のできる条件とは言えないのだが・・・ 「2022年末に発足した現在のネタニヤフ政権は、イスラエル史上もっとも右寄りの極右政権である。クネセットで7議席を有する「宗教シオニズム」党と、6議席の「ユダヤの力」党といった極右の少数政党が連立政権に入り、警察行政に関わる閣僚ポストを手に入れたことで、混乱も起きている。こうした極右政党は、パレスチナ人の追放あるいは違法な入植地「アウトポスト」の撤去の停止を主張している・・・ 『なぜガザは戦場になるのか』 高橋 和夫氏による「国外から批判の声も…イスラエル・ネタニヤフ政権の右傾化が止まらない「3つの要因」」 現代ビジネス A+からAに引き下げている」、「格付け機関」の格付は下げられたといっても、水準的には投資適格で依然、高い。「戦時予算を組もうともせず、ヨルダン川西岸への入植者や超保守派のユダヤ教徒に対する支援金をばらまいている」、ようでは、格付の実態は酷く悪化している筈だ。 「現政権の最大の汚点は経済だ。戦争が長引けば経済に負担がかかるのは常識で、だからこそ歴代のイスラエル政府はできる限り戦争を避けてきた。 ところが財務相のスモトリッチは戦時予算を組もうともせず、ヨルダン川西岸への入植者や超保守派のユダヤ教徒に対する支援金をばらまいている。結果、今年第2四半期の経済成長率はマイナス0.2%に落ち込んだ。 格付け機関のムーディーズは9月27日、イスラエルの信用度をA2からBaa1へ引き下げ、「地政学的リスクの上昇」次第で評価はさらに下がると警告した。S&Pもイスラエルの格付けを 9月の劇的な戦果は過去16年間にわたる緻密で執拗な情報収集活動のたまものだが、それを制服組トップとして率いてきたのはベニー・ガンツとガディ・エイゼンコット。いずれも今は野党の有力政治家だ。) つまり、無能だったのは軍や情報機関の指揮官ではなく文民の政治家だった。今の政権は最初の1年を無益な司法改革に費やした」、なるほど。 今のネタニヤフは対ヒズボラ戦勝利の美酒に酔っているが、その戦果をもたらしたのは軍と情報機関の実戦部隊だ。 しかも彼らの多くは予備役の軍人で、招集される前にはネタニヤフ政権の進める司法改革に反対するデモの先頭に立っていた。実際、ナスララの暗殺を敢行したF15飛行隊に所属する予備役兵士の過半数も、招集されるまではデモに参加していた・・・ 権限を掌握し、ユダヤ人入植者によるパレスチナ人への暴力を容認した・・・ハマスとの戦争が長引くにつれて国軍への信頼は低下し、今年3月時点で75%だった軍部に対する信頼感は7月時点で43%まで落ちていた。 しかし、政府はもっと信用されていない。同じ調査で、政府への信頼感は同じ期間に35%から26%へ低下していた。別の世論調査でも、国民の多くは早期の総選挙を望んでおり、いま選挙が行われたら現政権は敗退するという可能性が示されている・・・ 「司法改革案にさかのぼる。表向きは司法の民主化策とされていたが、実は政権の政治的な都合に警察や検察、裁判所を従わせ、イスラエルを「自由なき民主国家」につくり替えようとする極右ポピュリスト勢力の構想だった。そしてネタニヤフ政権自身も、こんな改革には軍部も反対するだろうことを予期していた。 この危険な改革案には世論の猛反発があり、実現は難しいとみられていた・・・しかしそこへハマスとの戦争が起き、極右勢力に時ならぬ追い風が吹いた。極右のベツァレル・スモトリッチ財務相はパレスチナ自治区ヨルダン川西岸の統治に関する 「「この間、イスラエル軍はヒズボラに強烈な打撃を与えてきた。しかし私は、まだ不十分だという結論に達した。故に(ナスララ殺害の)命令を下した」と・・・この間ずっと、10.7奇襲を防げなかった国軍を非難してきたネタニヤフとしては、ここで軍部やモサドを英雄に仕立てるわけにはいかなかった」、なるほど。 デービッド・ローゼンバーグ氏による「ヒズボラ指導者の殺害という「勝利の美酒」に酔うネタニヤフ首相だが、政権の足元は「崩壊」寸前」 Newsweek日本版 (その9)(ヒズボラ指導者の殺害という「勝利の美酒」に酔うネタニヤフ首相だが 政権の足元は「崩壊」寸前、国外から批判の声も…イスラエル・ネタニヤフ政権の右傾化が止まらない「3つの要因」、爆弾を身体に巻いて自爆…イスラエルと衝突つづくヒズボラはなぜ「強力な戦闘集団」になったのか、「兵士がいる場所まで正確に着弾…」イスラエルが警戒する「ヒズボラ」のミサイル 「真の実力」が見えてきた) イスラエル・パレスチナ