中国情勢(軍事・外交)(その16)(日本の高校で中国人留学生が増え続ける仰天事態 過当競争の中国と少子化ニッポンの利害が一致、中国人が異民族を「同化」させようとするワケ 日本人とは本質的に異なる“頭の中”、いつから「中国5000年の歴史」に?モンゴル生まれの帰化日本人が暴く!歴史の書き換え) [世界情勢]
中国情勢(軍事・外交)については、昨年5月22日に取上げた。今日は、(その16)(日本の高校で中国人留学生が増え続ける仰天事態 過当競争の中国と少子化ニッポンの利害が一致、中国人が異民族を「同化」させようとするワケ 日本人とは本質的に異なる“頭の中”、いつから「中国5000年の歴史」に?モンゴル生まれの帰化日本人が暴く!歴史の書き換え)である。
先ずは、本年5月18日付け東洋経済オンラインが掲載した中国・東南アジア専門ジャーナリストの舛友 雄大氏による「日本の高校で中国人留学生が増え続ける仰天事態 過当競争の中国と少子化ニッポンの利害が一致」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/754566
・『中国から日本の中学校や高校に留学する「低年齢留学」が増え始めた。背景にあるのは、中国における教育環境の悪化と日本の過疎地が直面する超少子化だ』、興味深そうだ。
・『生徒の5割が中国人留学生に 房総半島の南部に位置し、太平洋が目の前に広がる鴨川令徳高校(千葉県鴨川市)の教務担当は、「10年ほど前から中国人留学生を受け入れるようになっており、生徒全体に占める割合が50%ほどになっている」と話す。校内には中国語が話せるスタッフもいる。 明徳義塾中学・高等学校(高知県須崎市・土佐市)の担当者からは、全校生徒1000人近くのうち250人ほどの留学生がおり、そのうち中国人留学生は約200人」との回答があった。つまり、中国人の比率は2割ほどということだ。 また、岡山県の山間部に位置する中高一貫の朝日塾中等教育学校(岡山市)の国際交流部長は「6学年全体で中国人留学生が3割を占めているが、高校に該当する3学年では3割を超えている」と話す。こちらには教員と事務を兼ねた、中国語が話せるスタッフがいるそうだ。 「(中国人留学生は)徐々に増えてきています。バックグラウンドが違う他者との触れ合いは大切なので、計画的に入れていこうということです。エージェントや中国での姉妹校を通じて募集しています」(同前) 朝日塾中等教育学校では、今後については学習環境を維持するために留学生比率は3割を堅持していく方針なのだという。「あまり留学生が増えると学びが妨げられる懸念があります。仲間内で母国語ばかりしゃべるようなことになりかねません」。 中学生の場合は子どもの生活を支える監護者が必須となるため、留学のハードルが上がる。そのため受け入れが進んでいるのは高校生だ。特に中国人留学生の受け入れが多いのが、寮を備えた地方の高校だ。 楽商ジャパンは高校留学に関して中国でのマーケティングや日本語教育から試験のアレンジまで一手に担う留学エージェントだ。同社の袁列・代表取締役は、「ここ10年で中国人高校留学生は大体10倍になった。10年前には積極的に受け入れる高校は日本全国で4校程度だったが、今では20校以上になっている」と明かす。) 地方だけの動きではない。東京はじめ大都市でも中国人留学生の受け入れに積極的な高校は出てきている。関西の都市部にある高校の担当者は「全校生徒450人中ざっと50人ほど」つまり1割強が中国人留学生で、「感覚的にはコロナになる1年ほど前から増え始めた」と回答した。 さらに、筆者は首都圏にある入試偏差値60台の有力進学校でも中国人留学生の受け入れが始まっていることを確認した。驚くことに、受け入れ校の中には、合格後に集中的に日本語を学ぶことを前提に「面接時点で日本語能力を要求しない学校もある」(袁列氏)という。 全国的に高校の中国人留学生が増えてきているらしいことは、「学校基本調査」からも見てとれる。日本の私立高校における外国人生徒数は2013年から2023年にかけて3694人から6272人まで増えている。高校以下の学齢で中国人の留学を斡旋するエージェントが増えていることも、その傍証となる。 中国人留学生比率がすでに一定の水準に達している高校の教師が、匿名を条件に全国で中国人留学生の受け入れが広がる現状について語る。 「これは日本の少子化のあおりです。生徒が減っても高校には一定数の教師が必要です。教師の人件費を払うためには、どうにか生徒を入れて、学校を回さないといけない」 だが、あまりに中国人留学生を増やしすぎると経営とは別の意味で”学校崩壊”が始まることになる。この教師は、「受け入れる留学生の学力にこだわらなくなると、指導できくなった教師が辞めていき、代わりの教師を探すという悪循環に陥る」と事情を明かす。 この日本人教師は、「国際的プログラムを持たない一般の高校が受け入れられる留学生の数は全体の2〜5%ほどで、10〜15%までいくと違和感が出る」と打ち明ける。 「中国人の学校」とみなされ、日本人生徒から敬遠される事態を避ける工夫も必要ということだ。 そもそも、なぜ中国で日本への高校留学が人気となっているのか』、「「受け入れる留学生の学力にこだわらなくなると、指導できくなった教師が辞めていき、代わりの教師を探すという悪循環に陥る」と事情を明かす。 この日本人教師は、「国際的プログラムを持たない一般の高校が受け入れられる留学生の数は全体の2〜5%ほどで、10〜15%までいくと違和感が出る」と打ち明ける。 「中国人の学校」とみなされ、日本人生徒から敬遠される事態を避ける工夫も必要ということだ」、なるほど。
・『中国の体制への失望が背中を押す 都内で中国系進学塾を経営する中国人男性は「(中国人保護者の)中国国内の体制への失望です。つまりイデオロギー色の強い中国の教育を避けているのです。そして中国の教育をめぐる『巻』(ジュアン、過度な競争を意味する)が無意味で、子どもの心身を破壊することがわかったのです」と話す。 日本への留学を考えても、競争率の高いインターナショナルスクールに入るのは難しい(参考:日本のインター校に中国から「教育移民」が殺到中)。さらにインターの場合、保護者が日本に居住しているのが前提なので、一般の高校への留学が有力なオプションになってきている。 中国から都内の高校に留学した経験がある現役の女子大学生は、小学生の頃に家族で日本に旅行してすっかり気に入り、日本留学を決めたのだという。「中国の高校はすごく『巻』なので比較的早い段階で出国しました」と語る。) 一方、袁列氏は「最大の原因は中国の『中考分流』です」と断言する。中考分流とは、2018年に導入が始まった新たな教育制度だ。増加する一方の大卒者が就職難に苦しむ現状への対策として、大学に進む学生の数を絞るのが目的である。 高校入試(中考)時点で、約半数の生徒が高校や大学への進学の道を閉ざされる。この制度のもとで中国では大学に行けそうもなくなった子どものため、親が海外留学を用意しているのだ。 ある西日本の高校に通う現役の中国人留学生王濤君(仮名)は、自分のクラスでは8人に1人が中国人だと教えてくれた。本人も、まさに「巻」と「中考分流」が留学の理由なのだという。中国でこの高校の評判を聞いて来日を決めた。 王君が語る中国の教育熱は、日本人の想像の遥か上を行く。 「幼稚園のとき、私がまだ泥遊びをしている頃に幾何学や関数を学んでいる子どもがいました。私が小学校や中学校に通っていたときは、みんな楽器やダンスなどの特技を持っていました」「春節で中国に帰ったときには、空港で幼稚園児くらいの子が円周率を100桁まで暗唱していました」 王君によると、日本での学校生活は充実していて、教師の面倒見もいいという。卒業後は首都圏にある某私立大学の理工学部を目指しているそうだ』、「「最大の原因は中国の『中考分流』です」と断言する。中考分流とは、2018年に導入が始まった新たな教育制度だ。増加する一方の大卒者が就職難に苦しむ現状への対策として、大学に進む学生の数を絞るのが目的である。 高校入試(中考)時点で、約半数の生徒が高校や大学への進学の道を閉ざされる。この制度のもとで中国では大学に行けそうもなくなった子どものため、親が海外留学を用意しているのだ・・・日本での学校生活は充実していて、教師の面倒見もいいという。卒業後は首都圏にある某私立大学の理工学部を目指しているそうだ」、なるほど。
・『費用がアメリカの2割以下で済む 日本留学がブームとなっているのには、経済的要因もある。袁列氏によると、コロナの影響で、留学先として近場の日本が好まれるようになったという。国際情勢の不安定化で欧米を避ける傾向が強まったうえ、ここ数年円安が続いていることも日本の人気を高めた。「アメリカだと生活費など含めて年1600万円ほど必要ですが、日本なら多くても300万円です」。 中国からやってきた高校留学生は、基本的に日本の大学に進学する。受け入れ校にはたいてい協定校や指定校推薦がある。留学生の在留資格では高校卒業後に浪人生としては日本に残れないという制約もあるが、日本人と同じ入試に挑む生徒もいる。 「国語が苦手な生徒が多く国立大学合格は難しいが、優秀層には早慶などのトップ私立校に入学する人もいる」(袁列氏)という。ただ、前出の教師は、昔は私立有名大学を目指す留学生が少なくなかったが、最近は「意識が薄かったり、向上心が乏しかったりする生徒が増えた」と嘆く。それでも日本は大学全入時代なので、選り好みしなければ進学は難しくない。 年々悪化する自国の教育環境から子どもを救い出そうとする中国人保護者の増加、そして少子化のなかで生徒数確保が焦眉の急である日本の高校の利害は一致している。中国から日本の高校を目指す留学生はますます増えていきそうだ』、「ここ数年円安が続いていることも日本の人気を高めた。「アメリカだと生活費など含めて年1600万円ほど必要ですが、日本なら多くても300万円です」。 中国からやってきた高校留学生は、基本的に日本の大学に進学する・・・年々悪化する自国の教育環境から子どもを救い出そうとする中国人保護者の増加、そして少子化のなかで生徒数確保が焦眉の急である日本の高校の利害は一致している。中国から日本の高校を目指す留学生はますます増えていきそうだ』、「中国から日本の高校を目指す留学生はますます増えていきそうだ」、なにやら不気味な予感がする。
次に、10月24日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した静岡大学教授の楊 海英氏による「中国人が異民族を「同化」させようとするワケ、日本人とは本質的に異なる“頭の中”」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/352341
・『気が付けば近所や職場に中国人がいることが珍しくない日本社会。中国人の考え方を知る上で、知らなければならないキーワードが「同化」である。モンゴルに生まれて中国で学び、日本に帰化した著者が述べる、「日中文化の本質的な違い」とは? ※本稿は、楊海英著『中国を見破る』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです』、興味深そうだ。
・『町中華から“ガチ中華”へ 数年前から“ガチ中華”が増えたという話を聞くようになった。いわゆる「町中華」が日本人の舌に合わせた中華料理であるのに対して、“ガチ中華”は中国人が好む本場の料理を食べられる店のことをいうそうだ。 ブームの火付け役となったのは東京・池袋にある中華店だといわれる。池袋といえば豊島区の大繁華街で、日本を代表するターミナル駅がある。その豊島区に居住する外国人の国籍は中国人がおよそ半数にも上っているという。 東京全体を見ても、2024年1月時点の都内在住外国人約65万人のうち約40%が中国人(都総務局人口統計部データ)であり、26万人近い中国人が都内に住んでいることになる。これだけ多くの中国人がいれば、昔ながらの町中華ではなく、中華圏の人々が好む味の中華料理店が東京で増えるのは当然かもしれない。 いうまでもなく、日本には、古くから多くの中国人が移住してきた。華僑と呼ばれた従来の移住者は、横浜、神戸、長崎といった各都市でチャイナタウンを形成している。つまり中国のローカルルールはチャイナタウンのなかに限定して、地元の日本人とは良好な関係を築くことで共存共栄を望んできたように思う(日本が好きになって、私のように、日本に帰化する人も多数いたにちがいない!)』、「2024年1月時点の都内在住外国人約65万人のうち約40%が中国人・・・であり、26万人近い中国人が都内に住んでいることになる。これだけ多くの中国人がいれば、昔ながらの町中華ではなく、中華圏の人々が好む味の中華料理店が東京で増えるのは当然かもしれない・・・中国のローカルルールはチャイナタウンのなかに限定して、地元の日本人とは良好な関係を築くことで共存共栄を望んできたように思う」、なるほど。
・『背後に見え隠れする国家の存在 そのように日本のルールを尊重しながら地元社会との間では衝突を避け、静かに暮らしてきた人たちがいる一方で、そうでない中国系の人たちもいる。 たとえば、2022年10月にサンシャイン60のフランス料理店で起きた大乱闘事件は記憶に新しいところだろう。サンシャイン60といえば池袋のシンボルタワーであり、家族連れや中高生も訪れる有名スポット。そのような場所で起きたことは衝撃的だった。 また地方の私立高校では、経営難から脱するために、中国人留学生を積極的に受け入れていたら、いつのまにか留学生ばかりの学校になったという例もある。 日本でもようやく経済安全保障推進法が成立したが、中国人留学生を介して、先端技術が流出、漏洩するリスクに対する責任を日本企業が負う時代になっている。 さらには、マネーロンダリング、スパイ、日本国内の攪乱といった非合法な行為を目的に入国した中国人が、一般市民が暮らす社会に潜伏していることも否定できない。 そうかと思えば、共産党支配に嫌気がさし、純粋に日本で暮らすことに希望をもち、祖国と決別し、移住してくる中国人もいる。 そうしたことは何も「中国人」だけに限ったことではないだろう。しかしこと「中国人」に関しては、それぞれの背後に「中国」という国家の存在が見え隠れすることに注意を払う必要がある。日本人にとっては、長年の歴史から身近な存在であるだけに、その本質が見えにくくなっていることに気づかなければならない』、「こと「中国人」に関しては、それぞれの背後に「中国」という国家の存在が見え隠れすることに注意を払う必要がある。日本人にとっては、長年の歴史から身近な存在であるだけに、その本質が見えにくくなっていることに気づかなければならない」、なるほど。
・『「心が異なる」相手は同化させる 紀元前の非常に古い文献である『左伝』(春秋左氏伝)に「わが族に非ざる者は、その心もまた異なる」という有名な言葉が記されている。 要するに、中華以外の人間は心がわれわれと違うので、自分たちとは違う人間だと言っているのだが、これを「異心論」という。その「わが族に非ざる者」に対し、中国がたどり着いたのは「同化させるべき」だという考え方だった(私はこれを「同化論」と呼ぶことにした!)。 欧米でいう「カルチャー」に、「文化」という訳語をつけたのは近世の日本人で、中国語の「文化」は意味がまるで違う。それは、相手を「文明化」させることであり、別の言い方をすれば、「中華化」することだ。つまり中国人(漢族、漢人)と同化させることである。この「中華化」は、「華化」「華夏化」と言い換えることもできる。 「華夏」とは、まさしく「中華」そのものを指し、あるいは「中華民族」そのものを意味する言葉だ。異民族を華夏にすることこそ、中国人にとって「文化」だといえる。漢字圏に生きる日本人だからこそ、見えにくい例のひとつである』、「「華夏」とは、まさしく「中華」そのものを指し、あるいは「中華民族」そのものを意味する言葉だ。異民族を華夏にすることこそ、中国人にとって「文化」だといえる」、なるほど。
・『中国語の祖型 ところが話をややこしくするようだが、最初に「われわれは華夏だ」と称したのは漢人ではない。五胡十六国時代の五胡、つまり万里の長城を越えて南下してきた北方異民族の匈奴(きょうど)と鮮卑(せんぴ)が、自らを「華夏」と呼んだのである。 これは1990年代にNHKの後藤多聞氏が、台湾の中央研究院で電子化された漢籍をつぶさに検索したところ、最も古い「華夏」の文字が五胡十六国時代の文献で見つかったことからわかったものだ。 五胡十六国、つまりテュルク系言語やモンゴル系言語を話す匈奴系・鮮卑系の人々が大挙して万里の長城以南の地に入り、互いに融合して共存をめざすなかで、ある種のスローガンとして自分たちを「華夏」であると唱えた。 彼らは長城以南の地に暮らしていた中国人(プロト・チャイニーズ)たちともコミュニケーションをとるため、一種のピジン語(異なる言語の話者間で通じる混合言語)を話すようになった。おそらくは漢語の語彙をベースに文法表現をアルタイ語化した言葉で、それが後に現代の中国語の祖型になっていったと考えられる。つまり中国語とは、諸民族融合の必要性により生まれたピジン語だといえるのだ。 ちなみに、北方から遊牧民がやってきたことで、それまで長城の南に暮らしていたプロト・チャイニーズはどう対応したかというと、一部は異民族の支配からどんどん南へ逃れ、いわゆる「客家(ハッカ)」となった(どこへ行っても客人扱いされるがゆえに、そう呼ばれるのだ!)』、「五胡十六国、つまりテュルク系言語やモンゴル系言語を話す匈奴系・鮮卑系の人々が大挙して万里の長城以南の地に入り、互いに融合して共存をめざすなかで、ある種のスローガンとして自分たちを「華夏」であると唱えた。 彼らは長城以南の地に暮らしていた中国人(プロト・チャイニーズ)たちともコミュニケーションをとるため、一種のピジン語・・・を話すようになった。おそらくは漢語の語彙をベースに文法表現をアルタイ語化した言葉で、それが後に現代の中国語の祖型になっていったと考えられる。つまり中国語とは、諸民族融合の必要性により生まれたピジン語だ」、なるほど。
・『歴史を書き換えたのは漢人である ところで今、私が説明してきた意味での「華夏族」は、自らを漢人と名乗ったか。もちろんそうではなく、もともとが遊牧民であることに誇りをもっていた。祖先が匈奴であることを示す石碑が数多く長城沿いに残っているのは、その証左であろう。 つまり、「北方異民族は野蛮人であり、万里の長城の南に入ってきた人々を当時の漢人たちが漢化すなわち文明化した。それゆえに異民族たちは北方からきた民族であることを隠していた」というような現代中国がいう歴史は、後世に書き換えられたものだといえる。 歴史を書き換えたのは、いうまでもなく漢人だろう。「中国文化は優れているため、野蛮な遊牧民を同化したのだ」という論理とその実行プロセス。それこそ、中国人にとっての「文化」なのである。 同時に「北方異民族たちは漢化したからこそ華夏と呼ばれるようになった」という見解もあるようだが、これも適切ではない。繰り返すようだが、実際は北からきた異民族らが、長城の南に暮らしはするものの、いわゆる漢人になるつもりはなかったため、新たに華夏と自称したのである』、「北からきた異民族らが、長城の南に暮らしはするものの、いわゆる漢人になるつもりはなかったため、新たに華夏と自称したのである」、なるほど。
・『「負け惜しみ」の思想としての朱子学 こうした「中国文化が優れているため、異民族は漢化した」という歴史認識が打ち出されたのは主に近代以降で、その祖型は宋代にまでさかのぼる。南宋の儒学者である朱熹が形にしたといわれる、日本人が近世からとくに受け入れてきた朱子学の「負け惜しみ」論がその原型となる。 宋は国力が弱く、モンゴル系の契丹(キタイ帝国)や満洲系の金と軍事的に対抗できなかった。契丹や金と戦って五胡十六国の再来を招くことを恐れたがゆえに、金によって南に追われて南宋を建国したとき、「自分たちは野蛮人と異なり戦いには興味がないが、代わりに文化がある、それゆえに強い」という一種の自己満足、言い換えれば負け惜しみの思想として朱子学が誕生した。 それが近世に入り、とりわけ満洲人の清朝が崩壊していく過程を見て「満洲人も漢化=漢文化に同化した」という考え方が生まれ、歴史を書き換えるという不合理な仕業が合理的なものへと転換していったといえる。すべては漢人や漢人の文化が優れているという物語を捏造するためである』、「宋は国力が弱く、モンゴル系の契丹(キタイ帝国)や満洲系の金と軍事的に対抗できなかった。契丹や金と戦って五胡十六国の再来を招くことを恐れたがゆえに、金によって南に追われて南宋を建国したとき、「自分たちは野蛮人と異なり戦いには興味がないが、代わりに文化がある、それゆえに強い」という一種の自己満足、言い換えれば負け惜しみの思想として朱子学が誕生した・・・それが近世に入り、とりわけ満洲人の清朝が崩壊していく過程を見て「満洲人も漢化=漢文化に同化した」という考え方が生まれ、歴史を書き換えるという不合理な仕業が合理的なものへと転換していったといえる。すべては漢人や漢人の文化が優れているという物語を捏造するためである」、「負け惜しみの思想として朱子学が誕生した」、というのは初めて知ったが、興味深い。
第三に、10月25日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した静岡大学教授の楊 海英氏による「いつから「中国5000年の歴史」に?モンゴル生まれの帰化日本人が暴く!歴史の書き換え」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/352343
・『『三国志』や『キングダム』などの作品を通じて日本に浸透する中国の歴史と文化。だが、私たちが自明に考える中国史の裏には、「国家による操作」が潜んでいた…。モンゴルに生まれ、中国で学んだ帰化日本人が「中国5000年」のウソを学術的に明らかにする。※本稿は、楊海英著『中国を見破る』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです』、興味深そうだ。
・『司馬遷の『史記』より『キングダム』 日本には中国の歴史や文化に詳しい人が多いと感じる。中学、高校で中国の歴史や地理、漢文を学び、大学生や社会人になれば中国関連の単行本や新書を読む。書店にいけば単行本、新書、文庫、漫画、雑誌と各コーナーに中国関連の本が並んでいる。 エンタメ作品でも、昔の中国を舞台にした小説、漫画、アニメ、ゲームはたくさんある。たとえば、秦の始皇帝たちを描く『キングダム』は、コミックの新刊がいつもベストセラー入りし、テレビアニメのシリーズが続いている。本場の中国でも人気は高く、司馬遷の『史記』は読んでいなくても、『キングダム』のファンという人たちがいるくらいだ。 『三国志』も日本では長らく人気の読み物といえよう。居酒屋で「三国志では趙雲が一番好き」「あいつは曹操タイプだ」と、中国古典の知識が会話に出てくることも珍しくない。そのように、日本人は昔から巨大な隣国を意識し、中国の歴史や文化からたくさんのことを学んできたのは間違いない。 令和に改元されたときにそのことを認識した日本人もいただろう。日本の元号は、西暦645年の「大化」以来、漢籍の言葉をもとに定められてきた。『大学』『中庸』『論語』『孟子』の四書、『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』の五経が出典として多く、「令和」の出典が『万葉集』だと話題になるほど、「元号は漢籍の言葉」というのが常識だった。 しかし、である。これほど多大な影響を受けてきたにもかかわらず、日本人の中国理解が本当に正しいものなのかというと、疑問符を付けざるを得ない。言い換えれば、中国の本質を知っているか否かも、疑いたくなる』、「『三国志』も日本では長らく人気の読み物といえよう。居酒屋で「三国志では趙雲が一番好き」「あいつは曹操タイプだ」と、中国古典の知識が会話に出てくることも珍しくない。そのように、日本人は昔から巨大な隣国を意識し、中国の歴史や文化からたくさんのことを学んできたのは間違いない・・・しかし、である。これほど多大な影響を受けてきたにもかかわらず、日本人の中国理解が本当に正しいものなのかというと、疑問符を付けざるを得ない。言い換えれば、中国の本質を知っているか否かも、疑いたくなる」、なるほど。
・『中国の歴史はせいぜい2500年 「昔は“中国4000年の歴史”と言ってたのに?最近は“中国5000年の歴史”になった。いつの間に1000年も延びたんですかね」 日本人からたまにそんな質問を受けることがある。 日本で「中国4000年の歴史」が広まったのは、1980年代にインスタントラーメンのコマーシャルで「中国4000年の幻の麺」というフレーズが広まったからだと言われる。実はその頃から中国では「わが国の歴史は5000年」と主張しだしたようだ。私が小学生の頃も3000年だと教わったのだが。 だから、中国人が先ほどのコマーシャルを観たら、「1000年も短くされた」と憤慨しただろう。しかし私は「日本人は優しいから、中国人の顔を立てて4000年にしてくれた」と思っている。 欧米はじめ他の国々では「中国の歴史はせいぜい2500年、長くても3000年」とみるのが一般的だからだ』、「日本で「中国4000年の歴史」が広まったのは、1980年代にインスタントラーメンのコマーシャルで「中国4000年の幻の麺」というフレーズが広まったからだと言われる。実はその頃から中国では「わが国の歴史は5000年」と主張しだしたようだ・・・欧米はじめ他の国々では「中国の歴史はせいぜい2500年、長くても3000年」とみるのが一般的」、そんなにいい加減なものとは、驚かされた。
・『文明の起点はいつか もちろん、中国には5000年よりもはるか昔から人間が住んでいた。しかし、現在につながる“中国の歴史”と呼ぶわけにはいかない。人間が生活をしていればそれで歴史と認証されるのなら、5000年の歴史を誇る国は世界各地に存在することになる。 大事なのは、現在につながる文明があったかどうかだろう。にもかかわらず、そうした認識を持ち合わせていないかのように、中国は、5000年の歴史を証明することに力を注いできた。なかでも特徴的なものが、国を挙げて取り組んだ「夏商周年表プロジェクト」という研究だ。 中国語では「夏商周断代工程」と書き、21世紀を迎えるにあたってのミレニアム・プロジェクトとして、1996年から2000年にかけて進められた。「夏商周」の3文字でピンときた人もいるだろう。最初の王朝とされる夏王朝、それに続く商(殷)王朝、周王朝について具体的な年代を確定するという取り組みだ。 それまで中国の歴史は、司馬遷の『史記』にある周王朝の「共和元年」(紀元前841年)が、文献によって確認できる最も古い時代とされてきた。共和元年より古い時代は、文献によって確認できないから、夏王朝と商王朝は「神話伝説の時代」と呼ばれてきた。 司馬遷にならって、中国の歴史が紀元前841年に始まるとすれば、現在から2865年前になる。「どれだけ長くても3000年の歴史」という通説に根拠を与えるものだ』、「大事なのは、現在につながる文明があったかどうかだろう。にもかかわらず、そうした認識を持ち合わせていないかのように、中国は、5000年の歴史を証明することに力を注いできた。なかでも特徴的なものが、国を挙げて取り組んだ「夏商周年表プロジェクト」という研究だ。 中国語では「夏商周断代工程」と書き、21世紀を迎えるにあたってのミレニアム・プロジェクトとして、1996年から2000年にかけて進められた。「夏商周」の3文字でピンときた人もいるだろう。最初の王朝とされる夏王朝、それに続く商(殷)王朝、周王朝について具体的な年代を確定するという取り組みだ・・・夏王朝と商王朝は「神話伝説の時代」と呼ばれてきた。 司馬遷にならって、中国の歴史が紀元前841年に始まるとすれば、現在から2865年前になる。「どれだけ長くても3000年の歴史」という通説に根拠を与えるものだ」、なるほど。
・『単に歴史を書き換えたにすぎない ところが「夏商周年表プロジェクト」では、中国の歴史として夏・商・周の年表を作成した。約200人の学者が参加し、天文学、考古学、文献学などの手法を取り入れて研究を進めた結果、次のような“歴史”を定めた。 ◆夏王朝:紀元前2070年頃~紀元前1600年頃 ◆商(殷)王朝:紀元前1600年頃~紀元前1046年頃。そのうち殷墟(いんきょ、河南省安陽市)への遷都は紀元前1300年頃 ◆周王朝:紀元前1046年頃~紀元前256年 周王朝については、各時代の王の在位年も確定している。 この“歴史”は従来の古代中国史と異なり、根拠が乏しいことから、外国の歴史研究者から批判されたし、その“説”を信じる人もいない。日本の中国史研究者たちも、さすがに認められないという立場が多かった。商王朝以前が実際にあったとする根拠に乏しいからだ。 新たな文献の発見や科学的な研究方法の進歩によってこれまでの歴史が見直され、修正されることはある。しかし有力な根拠がない場合は、単に歴史を書き換えたにすぎない。 2000年に終了した「夏商周年表プロジェクト」の内容は、2004年にスタートした「中華文明探源プロジェクト」(中華文明探源工程)に受け継がれ、2018年に最終報告がまとめられた。 この報告では、5800年ほど前に、黄河と揚子江(長江)の中・下流域や長城の外、モンゴル高原南部を流れる西遼河流域に文明が出現したことになっている。その文明は500年ほどかけて中国全土に広がり、3800年ほど前に、中原地域に成熟した文明が形成され、現在まで中国文明として発展してきた、というのである。 いわゆる“中国5000年の歴史”も最初は、黄河と揚子江で生まれた文明が中国全土に広がった頃を起点とした歴史観ということだ。しかし、いつの間にか、モンゴルの西遼河まで盗まれてしまったのではないか』、「「中華文明探源プロジェクト」(中華文明探源工程)に受け継がれ、2018年に最終報告がまとめられた。 この報告では、5800年ほど前に、黄河と揚子江(長江)の中・下流域や長城の外、モンゴル高原南部を流れる西遼河流域に文明が出現したことになっている。その文明は500年ほどかけて中国全土に広がり、3800年ほど前に、中原地域に成熟した文明が形成され、現在まで中国文明として発展してきた、というのである。 いわゆる“中国5000年の歴史”も最初は、黄河と揚子江で生まれた文明が中国全土に広がった頃を起点とした歴史観ということだ。しかし、いつの間にか、モンゴルの西遼河まで盗まれてしまったのではないか」、「モンゴルの西遼河まで盗まれてしまった」というのはどういうことなのだろうか。私には意味が分からない。
先ずは、本年5月18日付け東洋経済オンラインが掲載した中国・東南アジア専門ジャーナリストの舛友 雄大氏による「日本の高校で中国人留学生が増え続ける仰天事態 過当競争の中国と少子化ニッポンの利害が一致」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/754566
・『中国から日本の中学校や高校に留学する「低年齢留学」が増え始めた。背景にあるのは、中国における教育環境の悪化と日本の過疎地が直面する超少子化だ』、興味深そうだ。
・『生徒の5割が中国人留学生に 房総半島の南部に位置し、太平洋が目の前に広がる鴨川令徳高校(千葉県鴨川市)の教務担当は、「10年ほど前から中国人留学生を受け入れるようになっており、生徒全体に占める割合が50%ほどになっている」と話す。校内には中国語が話せるスタッフもいる。 明徳義塾中学・高等学校(高知県須崎市・土佐市)の担当者からは、全校生徒1000人近くのうち250人ほどの留学生がおり、そのうち中国人留学生は約200人」との回答があった。つまり、中国人の比率は2割ほどということだ。 また、岡山県の山間部に位置する中高一貫の朝日塾中等教育学校(岡山市)の国際交流部長は「6学年全体で中国人留学生が3割を占めているが、高校に該当する3学年では3割を超えている」と話す。こちらには教員と事務を兼ねた、中国語が話せるスタッフがいるそうだ。 「(中国人留学生は)徐々に増えてきています。バックグラウンドが違う他者との触れ合いは大切なので、計画的に入れていこうということです。エージェントや中国での姉妹校を通じて募集しています」(同前) 朝日塾中等教育学校では、今後については学習環境を維持するために留学生比率は3割を堅持していく方針なのだという。「あまり留学生が増えると学びが妨げられる懸念があります。仲間内で母国語ばかりしゃべるようなことになりかねません」。 中学生の場合は子どもの生活を支える監護者が必須となるため、留学のハードルが上がる。そのため受け入れが進んでいるのは高校生だ。特に中国人留学生の受け入れが多いのが、寮を備えた地方の高校だ。 楽商ジャパンは高校留学に関して中国でのマーケティングや日本語教育から試験のアレンジまで一手に担う留学エージェントだ。同社の袁列・代表取締役は、「ここ10年で中国人高校留学生は大体10倍になった。10年前には積極的に受け入れる高校は日本全国で4校程度だったが、今では20校以上になっている」と明かす。) 地方だけの動きではない。東京はじめ大都市でも中国人留学生の受け入れに積極的な高校は出てきている。関西の都市部にある高校の担当者は「全校生徒450人中ざっと50人ほど」つまり1割強が中国人留学生で、「感覚的にはコロナになる1年ほど前から増え始めた」と回答した。 さらに、筆者は首都圏にある入試偏差値60台の有力進学校でも中国人留学生の受け入れが始まっていることを確認した。驚くことに、受け入れ校の中には、合格後に集中的に日本語を学ぶことを前提に「面接時点で日本語能力を要求しない学校もある」(袁列氏)という。 全国的に高校の中国人留学生が増えてきているらしいことは、「学校基本調査」からも見てとれる。日本の私立高校における外国人生徒数は2013年から2023年にかけて3694人から6272人まで増えている。高校以下の学齢で中国人の留学を斡旋するエージェントが増えていることも、その傍証となる。 中国人留学生比率がすでに一定の水準に達している高校の教師が、匿名を条件に全国で中国人留学生の受け入れが広がる現状について語る。 「これは日本の少子化のあおりです。生徒が減っても高校には一定数の教師が必要です。教師の人件費を払うためには、どうにか生徒を入れて、学校を回さないといけない」 だが、あまりに中国人留学生を増やしすぎると経営とは別の意味で”学校崩壊”が始まることになる。この教師は、「受け入れる留学生の学力にこだわらなくなると、指導できくなった教師が辞めていき、代わりの教師を探すという悪循環に陥る」と事情を明かす。 この日本人教師は、「国際的プログラムを持たない一般の高校が受け入れられる留学生の数は全体の2〜5%ほどで、10〜15%までいくと違和感が出る」と打ち明ける。 「中国人の学校」とみなされ、日本人生徒から敬遠される事態を避ける工夫も必要ということだ。 そもそも、なぜ中国で日本への高校留学が人気となっているのか』、「「受け入れる留学生の学力にこだわらなくなると、指導できくなった教師が辞めていき、代わりの教師を探すという悪循環に陥る」と事情を明かす。 この日本人教師は、「国際的プログラムを持たない一般の高校が受け入れられる留学生の数は全体の2〜5%ほどで、10〜15%までいくと違和感が出る」と打ち明ける。 「中国人の学校」とみなされ、日本人生徒から敬遠される事態を避ける工夫も必要ということだ」、なるほど。
・『中国の体制への失望が背中を押す 都内で中国系進学塾を経営する中国人男性は「(中国人保護者の)中国国内の体制への失望です。つまりイデオロギー色の強い中国の教育を避けているのです。そして中国の教育をめぐる『巻』(ジュアン、過度な競争を意味する)が無意味で、子どもの心身を破壊することがわかったのです」と話す。 日本への留学を考えても、競争率の高いインターナショナルスクールに入るのは難しい(参考:日本のインター校に中国から「教育移民」が殺到中)。さらにインターの場合、保護者が日本に居住しているのが前提なので、一般の高校への留学が有力なオプションになってきている。 中国から都内の高校に留学した経験がある現役の女子大学生は、小学生の頃に家族で日本に旅行してすっかり気に入り、日本留学を決めたのだという。「中国の高校はすごく『巻』なので比較的早い段階で出国しました」と語る。) 一方、袁列氏は「最大の原因は中国の『中考分流』です」と断言する。中考分流とは、2018年に導入が始まった新たな教育制度だ。増加する一方の大卒者が就職難に苦しむ現状への対策として、大学に進む学生の数を絞るのが目的である。 高校入試(中考)時点で、約半数の生徒が高校や大学への進学の道を閉ざされる。この制度のもとで中国では大学に行けそうもなくなった子どものため、親が海外留学を用意しているのだ。 ある西日本の高校に通う現役の中国人留学生王濤君(仮名)は、自分のクラスでは8人に1人が中国人だと教えてくれた。本人も、まさに「巻」と「中考分流」が留学の理由なのだという。中国でこの高校の評判を聞いて来日を決めた。 王君が語る中国の教育熱は、日本人の想像の遥か上を行く。 「幼稚園のとき、私がまだ泥遊びをしている頃に幾何学や関数を学んでいる子どもがいました。私が小学校や中学校に通っていたときは、みんな楽器やダンスなどの特技を持っていました」「春節で中国に帰ったときには、空港で幼稚園児くらいの子が円周率を100桁まで暗唱していました」 王君によると、日本での学校生活は充実していて、教師の面倒見もいいという。卒業後は首都圏にある某私立大学の理工学部を目指しているそうだ』、「「最大の原因は中国の『中考分流』です」と断言する。中考分流とは、2018年に導入が始まった新たな教育制度だ。増加する一方の大卒者が就職難に苦しむ現状への対策として、大学に進む学生の数を絞るのが目的である。 高校入試(中考)時点で、約半数の生徒が高校や大学への進学の道を閉ざされる。この制度のもとで中国では大学に行けそうもなくなった子どものため、親が海外留学を用意しているのだ・・・日本での学校生活は充実していて、教師の面倒見もいいという。卒業後は首都圏にある某私立大学の理工学部を目指しているそうだ」、なるほど。
・『費用がアメリカの2割以下で済む 日本留学がブームとなっているのには、経済的要因もある。袁列氏によると、コロナの影響で、留学先として近場の日本が好まれるようになったという。国際情勢の不安定化で欧米を避ける傾向が強まったうえ、ここ数年円安が続いていることも日本の人気を高めた。「アメリカだと生活費など含めて年1600万円ほど必要ですが、日本なら多くても300万円です」。 中国からやってきた高校留学生は、基本的に日本の大学に進学する。受け入れ校にはたいてい協定校や指定校推薦がある。留学生の在留資格では高校卒業後に浪人生としては日本に残れないという制約もあるが、日本人と同じ入試に挑む生徒もいる。 「国語が苦手な生徒が多く国立大学合格は難しいが、優秀層には早慶などのトップ私立校に入学する人もいる」(袁列氏)という。ただ、前出の教師は、昔は私立有名大学を目指す留学生が少なくなかったが、最近は「意識が薄かったり、向上心が乏しかったりする生徒が増えた」と嘆く。それでも日本は大学全入時代なので、選り好みしなければ進学は難しくない。 年々悪化する自国の教育環境から子どもを救い出そうとする中国人保護者の増加、そして少子化のなかで生徒数確保が焦眉の急である日本の高校の利害は一致している。中国から日本の高校を目指す留学生はますます増えていきそうだ』、「ここ数年円安が続いていることも日本の人気を高めた。「アメリカだと生活費など含めて年1600万円ほど必要ですが、日本なら多くても300万円です」。 中国からやってきた高校留学生は、基本的に日本の大学に進学する・・・年々悪化する自国の教育環境から子どもを救い出そうとする中国人保護者の増加、そして少子化のなかで生徒数確保が焦眉の急である日本の高校の利害は一致している。中国から日本の高校を目指す留学生はますます増えていきそうだ』、「中国から日本の高校を目指す留学生はますます増えていきそうだ」、なにやら不気味な予感がする。
次に、10月24日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した静岡大学教授の楊 海英氏による「中国人が異民族を「同化」させようとするワケ、日本人とは本質的に異なる“頭の中”」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/352341
・『気が付けば近所や職場に中国人がいることが珍しくない日本社会。中国人の考え方を知る上で、知らなければならないキーワードが「同化」である。モンゴルに生まれて中国で学び、日本に帰化した著者が述べる、「日中文化の本質的な違い」とは? ※本稿は、楊海英著『中国を見破る』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです』、興味深そうだ。
・『町中華から“ガチ中華”へ 数年前から“ガチ中華”が増えたという話を聞くようになった。いわゆる「町中華」が日本人の舌に合わせた中華料理であるのに対して、“ガチ中華”は中国人が好む本場の料理を食べられる店のことをいうそうだ。 ブームの火付け役となったのは東京・池袋にある中華店だといわれる。池袋といえば豊島区の大繁華街で、日本を代表するターミナル駅がある。その豊島区に居住する外国人の国籍は中国人がおよそ半数にも上っているという。 東京全体を見ても、2024年1月時点の都内在住外国人約65万人のうち約40%が中国人(都総務局人口統計部データ)であり、26万人近い中国人が都内に住んでいることになる。これだけ多くの中国人がいれば、昔ながらの町中華ではなく、中華圏の人々が好む味の中華料理店が東京で増えるのは当然かもしれない。 いうまでもなく、日本には、古くから多くの中国人が移住してきた。華僑と呼ばれた従来の移住者は、横浜、神戸、長崎といった各都市でチャイナタウンを形成している。つまり中国のローカルルールはチャイナタウンのなかに限定して、地元の日本人とは良好な関係を築くことで共存共栄を望んできたように思う(日本が好きになって、私のように、日本に帰化する人も多数いたにちがいない!)』、「2024年1月時点の都内在住外国人約65万人のうち約40%が中国人・・・であり、26万人近い中国人が都内に住んでいることになる。これだけ多くの中国人がいれば、昔ながらの町中華ではなく、中華圏の人々が好む味の中華料理店が東京で増えるのは当然かもしれない・・・中国のローカルルールはチャイナタウンのなかに限定して、地元の日本人とは良好な関係を築くことで共存共栄を望んできたように思う」、なるほど。
・『背後に見え隠れする国家の存在 そのように日本のルールを尊重しながら地元社会との間では衝突を避け、静かに暮らしてきた人たちがいる一方で、そうでない中国系の人たちもいる。 たとえば、2022年10月にサンシャイン60のフランス料理店で起きた大乱闘事件は記憶に新しいところだろう。サンシャイン60といえば池袋のシンボルタワーであり、家族連れや中高生も訪れる有名スポット。そのような場所で起きたことは衝撃的だった。 また地方の私立高校では、経営難から脱するために、中国人留学生を積極的に受け入れていたら、いつのまにか留学生ばかりの学校になったという例もある。 日本でもようやく経済安全保障推進法が成立したが、中国人留学生を介して、先端技術が流出、漏洩するリスクに対する責任を日本企業が負う時代になっている。 さらには、マネーロンダリング、スパイ、日本国内の攪乱といった非合法な行為を目的に入国した中国人が、一般市民が暮らす社会に潜伏していることも否定できない。 そうかと思えば、共産党支配に嫌気がさし、純粋に日本で暮らすことに希望をもち、祖国と決別し、移住してくる中国人もいる。 そうしたことは何も「中国人」だけに限ったことではないだろう。しかしこと「中国人」に関しては、それぞれの背後に「中国」という国家の存在が見え隠れすることに注意を払う必要がある。日本人にとっては、長年の歴史から身近な存在であるだけに、その本質が見えにくくなっていることに気づかなければならない』、「こと「中国人」に関しては、それぞれの背後に「中国」という国家の存在が見え隠れすることに注意を払う必要がある。日本人にとっては、長年の歴史から身近な存在であるだけに、その本質が見えにくくなっていることに気づかなければならない」、なるほど。
・『「心が異なる」相手は同化させる 紀元前の非常に古い文献である『左伝』(春秋左氏伝)に「わが族に非ざる者は、その心もまた異なる」という有名な言葉が記されている。 要するに、中華以外の人間は心がわれわれと違うので、自分たちとは違う人間だと言っているのだが、これを「異心論」という。その「わが族に非ざる者」に対し、中国がたどり着いたのは「同化させるべき」だという考え方だった(私はこれを「同化論」と呼ぶことにした!)。 欧米でいう「カルチャー」に、「文化」という訳語をつけたのは近世の日本人で、中国語の「文化」は意味がまるで違う。それは、相手を「文明化」させることであり、別の言い方をすれば、「中華化」することだ。つまり中国人(漢族、漢人)と同化させることである。この「中華化」は、「華化」「華夏化」と言い換えることもできる。 「華夏」とは、まさしく「中華」そのものを指し、あるいは「中華民族」そのものを意味する言葉だ。異民族を華夏にすることこそ、中国人にとって「文化」だといえる。漢字圏に生きる日本人だからこそ、見えにくい例のひとつである』、「「華夏」とは、まさしく「中華」そのものを指し、あるいは「中華民族」そのものを意味する言葉だ。異民族を華夏にすることこそ、中国人にとって「文化」だといえる」、なるほど。
・『中国語の祖型 ところが話をややこしくするようだが、最初に「われわれは華夏だ」と称したのは漢人ではない。五胡十六国時代の五胡、つまり万里の長城を越えて南下してきた北方異民族の匈奴(きょうど)と鮮卑(せんぴ)が、自らを「華夏」と呼んだのである。 これは1990年代にNHKの後藤多聞氏が、台湾の中央研究院で電子化された漢籍をつぶさに検索したところ、最も古い「華夏」の文字が五胡十六国時代の文献で見つかったことからわかったものだ。 五胡十六国、つまりテュルク系言語やモンゴル系言語を話す匈奴系・鮮卑系の人々が大挙して万里の長城以南の地に入り、互いに融合して共存をめざすなかで、ある種のスローガンとして自分たちを「華夏」であると唱えた。 彼らは長城以南の地に暮らしていた中国人(プロト・チャイニーズ)たちともコミュニケーションをとるため、一種のピジン語(異なる言語の話者間で通じる混合言語)を話すようになった。おそらくは漢語の語彙をベースに文法表現をアルタイ語化した言葉で、それが後に現代の中国語の祖型になっていったと考えられる。つまり中国語とは、諸民族融合の必要性により生まれたピジン語だといえるのだ。 ちなみに、北方から遊牧民がやってきたことで、それまで長城の南に暮らしていたプロト・チャイニーズはどう対応したかというと、一部は異民族の支配からどんどん南へ逃れ、いわゆる「客家(ハッカ)」となった(どこへ行っても客人扱いされるがゆえに、そう呼ばれるのだ!)』、「五胡十六国、つまりテュルク系言語やモンゴル系言語を話す匈奴系・鮮卑系の人々が大挙して万里の長城以南の地に入り、互いに融合して共存をめざすなかで、ある種のスローガンとして自分たちを「華夏」であると唱えた。 彼らは長城以南の地に暮らしていた中国人(プロト・チャイニーズ)たちともコミュニケーションをとるため、一種のピジン語・・・を話すようになった。おそらくは漢語の語彙をベースに文法表現をアルタイ語化した言葉で、それが後に現代の中国語の祖型になっていったと考えられる。つまり中国語とは、諸民族融合の必要性により生まれたピジン語だ」、なるほど。
・『歴史を書き換えたのは漢人である ところで今、私が説明してきた意味での「華夏族」は、自らを漢人と名乗ったか。もちろんそうではなく、もともとが遊牧民であることに誇りをもっていた。祖先が匈奴であることを示す石碑が数多く長城沿いに残っているのは、その証左であろう。 つまり、「北方異民族は野蛮人であり、万里の長城の南に入ってきた人々を当時の漢人たちが漢化すなわち文明化した。それゆえに異民族たちは北方からきた民族であることを隠していた」というような現代中国がいう歴史は、後世に書き換えられたものだといえる。 歴史を書き換えたのは、いうまでもなく漢人だろう。「中国文化は優れているため、野蛮な遊牧民を同化したのだ」という論理とその実行プロセス。それこそ、中国人にとっての「文化」なのである。 同時に「北方異民族たちは漢化したからこそ華夏と呼ばれるようになった」という見解もあるようだが、これも適切ではない。繰り返すようだが、実際は北からきた異民族らが、長城の南に暮らしはするものの、いわゆる漢人になるつもりはなかったため、新たに華夏と自称したのである』、「北からきた異民族らが、長城の南に暮らしはするものの、いわゆる漢人になるつもりはなかったため、新たに華夏と自称したのである」、なるほど。
・『「負け惜しみ」の思想としての朱子学 こうした「中国文化が優れているため、異民族は漢化した」という歴史認識が打ち出されたのは主に近代以降で、その祖型は宋代にまでさかのぼる。南宋の儒学者である朱熹が形にしたといわれる、日本人が近世からとくに受け入れてきた朱子学の「負け惜しみ」論がその原型となる。 宋は国力が弱く、モンゴル系の契丹(キタイ帝国)や満洲系の金と軍事的に対抗できなかった。契丹や金と戦って五胡十六国の再来を招くことを恐れたがゆえに、金によって南に追われて南宋を建国したとき、「自分たちは野蛮人と異なり戦いには興味がないが、代わりに文化がある、それゆえに強い」という一種の自己満足、言い換えれば負け惜しみの思想として朱子学が誕生した。 それが近世に入り、とりわけ満洲人の清朝が崩壊していく過程を見て「満洲人も漢化=漢文化に同化した」という考え方が生まれ、歴史を書き換えるという不合理な仕業が合理的なものへと転換していったといえる。すべては漢人や漢人の文化が優れているという物語を捏造するためである』、「宋は国力が弱く、モンゴル系の契丹(キタイ帝国)や満洲系の金と軍事的に対抗できなかった。契丹や金と戦って五胡十六国の再来を招くことを恐れたがゆえに、金によって南に追われて南宋を建国したとき、「自分たちは野蛮人と異なり戦いには興味がないが、代わりに文化がある、それゆえに強い」という一種の自己満足、言い換えれば負け惜しみの思想として朱子学が誕生した・・・それが近世に入り、とりわけ満洲人の清朝が崩壊していく過程を見て「満洲人も漢化=漢文化に同化した」という考え方が生まれ、歴史を書き換えるという不合理な仕業が合理的なものへと転換していったといえる。すべては漢人や漢人の文化が優れているという物語を捏造するためである」、「負け惜しみの思想として朱子学が誕生した」、というのは初めて知ったが、興味深い。
第三に、10月25日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した静岡大学教授の楊 海英氏による「いつから「中国5000年の歴史」に?モンゴル生まれの帰化日本人が暴く!歴史の書き換え」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/352343
・『『三国志』や『キングダム』などの作品を通じて日本に浸透する中国の歴史と文化。だが、私たちが自明に考える中国史の裏には、「国家による操作」が潜んでいた…。モンゴルに生まれ、中国で学んだ帰化日本人が「中国5000年」のウソを学術的に明らかにする。※本稿は、楊海英著『中国を見破る』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです』、興味深そうだ。
・『司馬遷の『史記』より『キングダム』 日本には中国の歴史や文化に詳しい人が多いと感じる。中学、高校で中国の歴史や地理、漢文を学び、大学生や社会人になれば中国関連の単行本や新書を読む。書店にいけば単行本、新書、文庫、漫画、雑誌と各コーナーに中国関連の本が並んでいる。 エンタメ作品でも、昔の中国を舞台にした小説、漫画、アニメ、ゲームはたくさんある。たとえば、秦の始皇帝たちを描く『キングダム』は、コミックの新刊がいつもベストセラー入りし、テレビアニメのシリーズが続いている。本場の中国でも人気は高く、司馬遷の『史記』は読んでいなくても、『キングダム』のファンという人たちがいるくらいだ。 『三国志』も日本では長らく人気の読み物といえよう。居酒屋で「三国志では趙雲が一番好き」「あいつは曹操タイプだ」と、中国古典の知識が会話に出てくることも珍しくない。そのように、日本人は昔から巨大な隣国を意識し、中国の歴史や文化からたくさんのことを学んできたのは間違いない。 令和に改元されたときにそのことを認識した日本人もいただろう。日本の元号は、西暦645年の「大化」以来、漢籍の言葉をもとに定められてきた。『大学』『中庸』『論語』『孟子』の四書、『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』の五経が出典として多く、「令和」の出典が『万葉集』だと話題になるほど、「元号は漢籍の言葉」というのが常識だった。 しかし、である。これほど多大な影響を受けてきたにもかかわらず、日本人の中国理解が本当に正しいものなのかというと、疑問符を付けざるを得ない。言い換えれば、中国の本質を知っているか否かも、疑いたくなる』、「『三国志』も日本では長らく人気の読み物といえよう。居酒屋で「三国志では趙雲が一番好き」「あいつは曹操タイプだ」と、中国古典の知識が会話に出てくることも珍しくない。そのように、日本人は昔から巨大な隣国を意識し、中国の歴史や文化からたくさんのことを学んできたのは間違いない・・・しかし、である。これほど多大な影響を受けてきたにもかかわらず、日本人の中国理解が本当に正しいものなのかというと、疑問符を付けざるを得ない。言い換えれば、中国の本質を知っているか否かも、疑いたくなる」、なるほど。
・『中国の歴史はせいぜい2500年 「昔は“中国4000年の歴史”と言ってたのに?最近は“中国5000年の歴史”になった。いつの間に1000年も延びたんですかね」 日本人からたまにそんな質問を受けることがある。 日本で「中国4000年の歴史」が広まったのは、1980年代にインスタントラーメンのコマーシャルで「中国4000年の幻の麺」というフレーズが広まったからだと言われる。実はその頃から中国では「わが国の歴史は5000年」と主張しだしたようだ。私が小学生の頃も3000年だと教わったのだが。 だから、中国人が先ほどのコマーシャルを観たら、「1000年も短くされた」と憤慨しただろう。しかし私は「日本人は優しいから、中国人の顔を立てて4000年にしてくれた」と思っている。 欧米はじめ他の国々では「中国の歴史はせいぜい2500年、長くても3000年」とみるのが一般的だからだ』、「日本で「中国4000年の歴史」が広まったのは、1980年代にインスタントラーメンのコマーシャルで「中国4000年の幻の麺」というフレーズが広まったからだと言われる。実はその頃から中国では「わが国の歴史は5000年」と主張しだしたようだ・・・欧米はじめ他の国々では「中国の歴史はせいぜい2500年、長くても3000年」とみるのが一般的」、そんなにいい加減なものとは、驚かされた。
・『文明の起点はいつか もちろん、中国には5000年よりもはるか昔から人間が住んでいた。しかし、現在につながる“中国の歴史”と呼ぶわけにはいかない。人間が生活をしていればそれで歴史と認証されるのなら、5000年の歴史を誇る国は世界各地に存在することになる。 大事なのは、現在につながる文明があったかどうかだろう。にもかかわらず、そうした認識を持ち合わせていないかのように、中国は、5000年の歴史を証明することに力を注いできた。なかでも特徴的なものが、国を挙げて取り組んだ「夏商周年表プロジェクト」という研究だ。 中国語では「夏商周断代工程」と書き、21世紀を迎えるにあたってのミレニアム・プロジェクトとして、1996年から2000年にかけて進められた。「夏商周」の3文字でピンときた人もいるだろう。最初の王朝とされる夏王朝、それに続く商(殷)王朝、周王朝について具体的な年代を確定するという取り組みだ。 それまで中国の歴史は、司馬遷の『史記』にある周王朝の「共和元年」(紀元前841年)が、文献によって確認できる最も古い時代とされてきた。共和元年より古い時代は、文献によって確認できないから、夏王朝と商王朝は「神話伝説の時代」と呼ばれてきた。 司馬遷にならって、中国の歴史が紀元前841年に始まるとすれば、現在から2865年前になる。「どれだけ長くても3000年の歴史」という通説に根拠を与えるものだ』、「大事なのは、現在につながる文明があったかどうかだろう。にもかかわらず、そうした認識を持ち合わせていないかのように、中国は、5000年の歴史を証明することに力を注いできた。なかでも特徴的なものが、国を挙げて取り組んだ「夏商周年表プロジェクト」という研究だ。 中国語では「夏商周断代工程」と書き、21世紀を迎えるにあたってのミレニアム・プロジェクトとして、1996年から2000年にかけて進められた。「夏商周」の3文字でピンときた人もいるだろう。最初の王朝とされる夏王朝、それに続く商(殷)王朝、周王朝について具体的な年代を確定するという取り組みだ・・・夏王朝と商王朝は「神話伝説の時代」と呼ばれてきた。 司馬遷にならって、中国の歴史が紀元前841年に始まるとすれば、現在から2865年前になる。「どれだけ長くても3000年の歴史」という通説に根拠を与えるものだ」、なるほど。
・『単に歴史を書き換えたにすぎない ところが「夏商周年表プロジェクト」では、中国の歴史として夏・商・周の年表を作成した。約200人の学者が参加し、天文学、考古学、文献学などの手法を取り入れて研究を進めた結果、次のような“歴史”を定めた。 ◆夏王朝:紀元前2070年頃~紀元前1600年頃 ◆商(殷)王朝:紀元前1600年頃~紀元前1046年頃。そのうち殷墟(いんきょ、河南省安陽市)への遷都は紀元前1300年頃 ◆周王朝:紀元前1046年頃~紀元前256年 周王朝については、各時代の王の在位年も確定している。 この“歴史”は従来の古代中国史と異なり、根拠が乏しいことから、外国の歴史研究者から批判されたし、その“説”を信じる人もいない。日本の中国史研究者たちも、さすがに認められないという立場が多かった。商王朝以前が実際にあったとする根拠に乏しいからだ。 新たな文献の発見や科学的な研究方法の進歩によってこれまでの歴史が見直され、修正されることはある。しかし有力な根拠がない場合は、単に歴史を書き換えたにすぎない。 2000年に終了した「夏商周年表プロジェクト」の内容は、2004年にスタートした「中華文明探源プロジェクト」(中華文明探源工程)に受け継がれ、2018年に最終報告がまとめられた。 この報告では、5800年ほど前に、黄河と揚子江(長江)の中・下流域や長城の外、モンゴル高原南部を流れる西遼河流域に文明が出現したことになっている。その文明は500年ほどかけて中国全土に広がり、3800年ほど前に、中原地域に成熟した文明が形成され、現在まで中国文明として発展してきた、というのである。 いわゆる“中国5000年の歴史”も最初は、黄河と揚子江で生まれた文明が中国全土に広がった頃を起点とした歴史観ということだ。しかし、いつの間にか、モンゴルの西遼河まで盗まれてしまったのではないか』、「「中華文明探源プロジェクト」(中華文明探源工程)に受け継がれ、2018年に最終報告がまとめられた。 この報告では、5800年ほど前に、黄河と揚子江(長江)の中・下流域や長城の外、モンゴル高原南部を流れる西遼河流域に文明が出現したことになっている。その文明は500年ほどかけて中国全土に広がり、3800年ほど前に、中原地域に成熟した文明が形成され、現在まで中国文明として発展してきた、というのである。 いわゆる“中国5000年の歴史”も最初は、黄河と揚子江で生まれた文明が中国全土に広がった頃を起点とした歴史観ということだ。しかし、いつの間にか、モンゴルの西遼河まで盗まれてしまったのではないか」、「モンゴルの西遼河まで盗まれてしまった」というのはどういうことなのだろうか。私には意味が分からない。
タグ:中国情勢(軍事・外交) (その16)(日本の高校で中国人留学生が増え続ける仰天事態 過当競争の中国と少子化ニッポンの利害が一致、中国人が異民族を「同化」させようとするワケ 日本人とは本質的に異なる“頭の中”、いつから「中国5000年の歴史」に?モンゴル生まれの帰化日本人が暴く!歴史の書き換え) 東洋経済オンライン 舛友 雄大氏による「日本の高校で中国人留学生が増え続ける仰天事態 過当競争の中国と少子化ニッポンの利害が一致」 「「受け入れる留学生の学力にこだわらなくなると、指導できくなった教師が辞めていき、代わりの教師を探すという悪循環に陥る」と事情を明かす。 この日本人教師は、「国際的プログラムを持たない一般の高校が受け入れられる留学生の数は全体の2〜5%ほどで、10〜15%までいくと違和感が出る」と打ち明ける。 「中国人の学校」とみなされ、日本人生徒から敬遠される事態を避ける工夫も必要ということだ」、なるほど。 「「最大の原因は中国の『中考分流』です」と断言する。中考分流とは、2018年に導入が始まった新たな教育制度だ。増加する一方の大卒者が就職難に苦しむ現状への対策として、大学に進む学生の数を絞るのが目的である。 高校入試(中考)時点で、約半数の生徒が高校や大学への進学の道を閉ざされる。この制度のもとで中国では大学に行けそうもなくなった子どものため、親が海外留学を用意しているのだ・・・ 日本での学校生活は充実していて、教師の面倒見もいいという。卒業後は首都圏にある某私立大学の理工学部を目指しているそうだ」、なるほど。 「ここ数年円安が続いていることも日本の人気を高めた。「アメリカだと生活費など含めて年1600万円ほど必要ですが、日本なら多くても300万円です」。 中国からやってきた高校留学生は、基本的に日本の大学に進学する・・・年々悪化する自国の教育環境から子どもを救い出そうとする中国人保護者の増加、そして少子化のなかで生徒数確保が焦眉の急である日本の高校の利害は一致している。 「中国から日本の高校を目指す留学生はますます増えていきそうだ」、なにやら不気味な予感がする。 ダイヤモンド・オンライン 楊 海英氏による「中国人が異民族を「同化」させようとするワケ、日本人とは本質的に異なる“頭の中”」 楊海英著『中国を見破る』(PHP新書) 「2024年1月時点の都内在住外国人約65万人のうち約40%が中国人・・・であり、26万人近い中国人が都内に住んでいることになる。これだけ多くの中国人がいれば、昔ながらの町中華ではなく、中華圏の人々が好む味の中華料理店が東京で増えるのは当然かもしれない・・・中国のローカルルールはチャイナタウンのなかに限定して、地元の日本人とは良好な関係を築くことで共存共栄を望んできたように思う」、なるほど。 「こと「中国人」に関しては、それぞれの背後に「中国」という国家の存在が見え隠れすることに注意を払う必要がある。日本人にとっては、長年の歴史から身近な存在であるだけに、その本質が見えにくくなっていることに気づかなければならない」、なるほど。 「「華夏」とは、まさしく「中華」そのものを指し、あるいは「中華民族」そのものを意味する言葉だ。異民族を華夏にすることこそ、中国人にとって「文化」だといえる」、なるほど。 「五胡十六国、つまりテュルク系言語やモンゴル系言語を話す匈奴系・鮮卑系の人々が大挙して万里の長城以南の地に入り、互いに融合して共存をめざすなかで、ある種のスローガンとして自分たちを「華夏」であると唱えた。 彼らは長城以南の地に暮らしていた中国人(プロト・チャイニーズ)たちともコミュニケーションをとるため、一種のピジン語・・・ を話すようになった。おそらくは漢語の語彙をベースに文法表現をアルタイ語化した言葉で、それが後に現代の中国語の祖型になっていったと考えられる。つまり中国語とは、諸民族融合の必要性により生まれたピジン語だ」、なるほど。 「北からきた異民族らが、長城の南に暮らしはするものの、いわゆる漢人になるつもりはなかったため、新たに華夏と自称したのである」、なるほど。 「宋は国力が弱く、モンゴル系の契丹(キタイ帝国)や満洲系の金と軍事的に対抗できなかった。契丹や金と戦って五胡十六国の再来を招くことを恐れたがゆえに、金によって南に追われて南宋を建国したとき、「自分たちは野蛮人と異なり戦いには興味がないが、代わりに文化がある、それゆえに強い」という一種の自己満足、言い換えれば負け惜しみの思想として朱子学が誕生した・・・ それが近世に入り、とりわけ満洲人の清朝が崩壊していく過程を見て「満洲人も漢化=漢文化に同化した」という考え方が生まれ、歴史を書き換えるという不合理な仕業が合理的なものへと転換していったといえる。すべては漢人や漢人の文化が優れているという物語を捏造するためである」、「負け惜しみの思想として朱子学が誕生した」、というのは初めて知ったが、興味深い。 楊 海英氏による「いつから「中国5000年の歴史」に?モンゴル生まれの帰化日本人が暴く!歴史の書き換え」 「『三国志』も日本では長らく人気の読み物といえよう。居酒屋で「三国志では趙雲が一番好き」「あいつは曹操タイプだ」と、中国古典の知識が会話に出てくることも珍しくない。そのように、日本人は昔から巨大な隣国を意識し、中国の歴史や文化からたくさんのことを学んできたのは間違いない・・・しかし、である。これほど多大な影響を受けてきたにもかかわらず、日本人の中国理解が本当に正しいものなのかというと、疑問符を付けざるを得ない。言い換えれば、中国の本質を知っているか否かも、疑いたくなる」、なるほど。 「日本で「中国4000年の歴史」が広まったのは、1980年代にインスタントラーメンのコマーシャルで「中国4000年の幻の麺」というフレーズが広まったからだと言われる。実はその頃から中国では「わが国の歴史は5000年」と主張しだしたようだ・・・欧米はじめ他の国々では「中国の歴史はせいぜい2500年、長くても3000年」とみるのが一般的」、そんなにいい加減なものとは、驚かされた。 「大事なのは、現在につながる文明があったかどうかだろう。にもかかわらず、そうした認識を持ち合わせていないかのように、中国は、5000年の歴史を証明することに力を注いできた。なかでも特徴的なものが、国を挙げて取り組んだ「夏商周年表プロジェクト」という研究だ。 中国語では「夏商周断代工程」と書き、21世紀を迎えるにあたってのミレニアム・プロジェクトとして、1996年から2000年にかけて進められた。「夏商周」の3文字でピンときた人もいるだろう。 最初の王朝とされる夏王朝、それに続く商(殷)王朝、周王朝について具体的な年代を確定するという取り組みだ・・・夏王朝と商王朝は「神話伝説の時代」と呼ばれてきた。 司馬遷にならって、中国の歴史が紀元前841年に始まるとすれば、現在から2865年前になる。「どれだけ長くても3000年の歴史」という通説に根拠を与えるものだ」、なるほど。 「「中華文明探源プロジェクト」(中華文明探源工程)に受け継がれ、2018年に最終報告がまとめられた。 この報告では、5800年ほど前に、黄河と揚子江(長江)の中・下流域や長城の外、モンゴル高原南部を流れる西遼河流域に文明が出現したことになっている。その文明は500年ほどかけて中国全土に広がり、3800年ほど前に、中原地域に成熟した文明が形成され、現在まで中国文明として発展してきた、というのである。 いわゆる“中国5000年の歴史”も最初は、黄河と揚子江で生まれた文明が中国全土に広がった頃を起点とした歴史観ということだ。しかし、いつの間にか、モンゴルの西遼河まで盗まれてしまったのではないか」、「モンゴルの西遼河まで盗まれてしまった」というのはどういうことなのだろうか。私には意味が分からない。