宗教(その14)(LGBTQは受け入れても保守派は排除...「リベラル教皇」で割れるカトリック教会 「文化戦争」の最前線でいま何が?、「旧統一教会の痕跡を消し去れ!」 ロゴの消去を強要…外務省の「証拠隠滅」裏工作が発覚 “アフリカODA”を巡って【独自】、【知の達人が教える 知っておくべき世界のしくみ】「キリスト教とイスラム教 実は同じ」を超わかりやすく説明【書籍オンライン編集部セレクション】 宗教で読み解く世界:その4) [社会]
宗教については、本年3月18日に取上げた。今日は、(その14)(LGBTQは受け入れても保守派は排除...「リベラル教皇」で割れるカトリック教会 「文化戦争」の最前線でいま何が?、「旧統一教会の痕跡を消し去れ!」 ロゴの消去を強要…外務省の「証拠隠滅」裏工作が発覚 “アフリカODA”を巡って【独自】、【知の達人が教える 知っておくべき世界のしくみ】「キリスト教とイスラム教 実は同じ」を超わかりやすく説明【書籍オンライン編集部セレクション】 宗教で読み解く世界:その4)である。
先ずは、本年4月23日付けNewsweek日本版「LGBTQは受け入れても保守派は排除...「リベラル教皇」で割れるカトリック教会 「文化戦争」の最前線でいま何が?」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2024/04/post-104336_1.php
・『<同性愛者や離婚経験者を教会に受け入れつつ保守派は排除する教皇フランシスコ。急進的リベラルからも批判が集まる教会改革の行く末は> テキサス州タイラーの司教ジョゼフ・ストリックランドとて、はなから教皇フランシスコを嫌っていたわけではない。2013年に南米アルゼンチン出身の彼が晴れてカトリック教会の頂点に立ったときはストリックランドも喜び、称賛したものだ。しかし教皇が次々とリベラルな路線を打ち出すのを見ると、黙っていられなくなった。 離婚した女性や、いわゆるLGBTQの人をどう受け入れるか。聖職者の妻帯を許すか否か。そうした点に関する教皇の教えに、ストリックランドは公然と異を唱え出した。そしてすぐ、自分の立場が「政治的」にまずくなってきたことに気付いた。「今の世の中は政治で動く。この現実からは教会も逃れられない」。司教は本誌の取材にそう答えた。 昨年11月、ストリックランドは司教職を解かれた。まあ仕方ないと、納得はしている。しかし、こんなふうだと教会内に「恐怖の気配」が満ちてしまうと懸念してもいる。 司教の解任は異例の事態だが、それだけではない。世界全体で13億の信者を擁するカトリック教会が、「文化戦争」によって分断されつつあることの証しでもある。しかも、その最前線はアメリカにある。 教皇フランシスコの下で、カトリック教会は同性カップルや離婚経験者など、より多くの人を迎え入れるようになった。この教皇は気候変動や貧富の格差、グローバル資本主義などについても発言し、異なる宗教間の対話にも積極的だ。いずれも伝統的な教義とは一線を画す取り組みであり、だからこそ教皇フランシスコは進歩派から英雄視される一方、保守派からは嫌われている。 教会史に詳しい米ビラノバ大学のマッシモ・ファッジョーリ教授に言わせると、こうした教皇の言動はアメリカの保守的なカトリック信者にとって受け入れ難いものだ。教皇とアメリカの信者の間にここまで深い溝ができたのは「前代未聞」だとファッジョーリは言う。「この人は歴代の教皇とは違う。そういう感覚が就任直後からあった」 前任のベネディクト16世は極めて保守的な人物だったが、フランシスコは違う。就任後まもなく、彼は次のような問いを発して伝統派を仰天させている。「たとえ同性愛でも、その人が心から主を探し求め、善良であるとしたら、どうして私に裁くことができよう?」 この発言の衝撃は大きかった。新しい教皇が教会を進歩的な方向へ導こうとしている。そのことが明白になった。保守派の信者は猛反発した。LGBTQの人を受け入れるなんて、冗談じゃないと。 しかし、この教皇は一貫して同性愛コミュニティーに対して寛容で、昨年には条件付きながらも同性カップルを正式に「祝福」してよいとする画期的な見解を示した。) これには世界中から反対の声が上がった。約90人の聖職者、学者、識者らが連名で全世界の枢機卿・司教に書簡を送り、教皇庁の見解に反対するよう求めた。とりわけアフリカ(世界で最も急速に信者数が増えている地域だ)からの反発は強かった。その急先鋒は、コンゴ民主共和国の枢機卿フリドリン・アンボンゴ。同性愛の容認は「私たちの信仰に混乱を来し、アフリカ社会の精神性とも相いれない」と反論した。 しかし教皇フランシスコは動じない。「人々を搾取するような起業家」に平気で祝福を授ける一方、たとえ同性同士でも「愛し合う2人」への祝福を拒むというのは「偽善」だと、真っ向から言い返している』、「教皇が次々とリベラルな路線を打ち出すのを見ると、黙っていられなくなった。 離婚した女性や、いわゆるLGBTQの人をどう受け入れるか。聖職者の妻帯を許すか否か。そうした点に関する教皇の教えに、ストリックランドは公然と異を唱え出した・・・昨年11月、ストリックランドは司教職を解かれた。まあ仕方ないと、納得はしている。しかし、こんなふうだと教会内に「恐怖の気配」が満ちてしまうと懸念してもいる・・・新しい教皇が教会を進歩的な方向へ導こうとしている。そのことが明白になった。保守派の信者は猛反発した。LGBTQの人を受け入れるなんて、冗談じゃないと。 しかし、この教皇は一貫して同性愛コミュニティーに対して寛容で、昨年には条件付きながらも同性カップルを正式に「祝福」してよいとする画期的な見解を示した。) これには世界中から反対の声が上がった・・・しかし教皇フランシスコは動じない。「人々を搾取するような起業家」に平気で祝福を授ける一方、たとえ同性同士でも「愛し合う2人」への祝福を拒むというのは「偽善」だと、真っ向から言い返している」、なるほど。
・『保守派をバチカンから追放 カトリック教会を二分する文化戦争の最前線を見たければニューヨーク市に行ってみるといい。そこでは距離にしてほんの3キロほど離れた2つの教区で、この教皇について正反対の評価を聞くことができる。 まずは同市アッパー・イーストサイドの聖イグナチオ・ロヨラ教会にいる神父マーク・ハリナン。教皇フランシスコが教会に「もっと慈悲と共感に力を入れる」よう説いていることに深く共感する彼は、自分の教区にも教皇の同性カップル容認に「たいへん感謝している」信者が少なからずいると語る。もちろん「変化のペースが遅いことに不満な」人もいるが、神父としては「教皇とて自分の思いどおりに動けるわけではない」と理解している。 同じニューヨーク市マンハッタン区でもミッドタウンにある聖家族教会の雰囲気は違う。そこの神父ジェラルド・マレーは、フランシスコを「サプライズの教皇」と呼んではばからない。しかも「必ずしも歓迎できるサプライズとは限らない」。 マレーに言わせると、教皇フランシスコはアメリカの一部カトリック教会の主張を「イデオロギー的」と切り捨てるだけで、「(保守派からの)批判の中身を検討する」ことさえ拒んでいる。 アメリカの保守的な司教らに対して、教皇フランシスコは昨年の夏に明確なメッセージを出した。アメリカのカトリック教会にいる一部保守派は「後ろ向き」だと批判し、彼らの「極めて強力かつ組織化された反動的姿勢」は政治的イデオロギーであって信仰心ではないと断じた。そして、行動に出た。) まずは冒頭のストリックランド司教の解任。その数週間後にはアメリカ出身の枢機卿レイモンド・バークをバチカン市国所有のマンションから追い出し、給与の支払いも停止した。前代未聞の処分である。 枢機卿の地位はカトリック教会の組織で教皇に次ぐもので、80歳になるまでは教皇を選ぶ「コンクラーベ」に参加する権利を有する。そんな最高位聖職者の中で、反フランシスコ派の旗手とされるのがバークだった。まだ75歳だが、今回の処分を事実上の引退勧告とみる向きもある』、「教皇フランシスコは昨年の夏に明確なメッセージを出した。アメリカのカトリック教会にいる一部保守派は「後ろ向き」だと批判し、彼らの「極めて強力かつ組織化された反動的姿勢」は政治的イデオロギーであって信仰心ではないと断じた。そして、行動に出た。) まずは冒頭のストリックランド司教の解任。その数週間後にはアメリカ出身の枢機卿レイモンド・バークをバチカン市国所有のマンションから追い出し、給与の支払いも停止した。前代未聞の処分である」、なるほど。
・『急進的リベラルからの批判も ストリックランド司教の解任について、教会は詳細な理由を公表していない。それでも彼自身は、要するに「教皇による改革を支持しなかった」からだろうと考えている。ちなみに彼は、解任される1カ月ほど前にフランシスコの教会改革を「茶番」と一蹴していた。本誌とのインタビューでも、「聖書に記された真理を守るべき者が、どうして『信仰は(時代によって)変わる』などと言えるのか。そんなこと、聖書には書いてない」と語っている。 イデオロギー的対立を招く問題に踏み込むのは、フランシスコにとって「危ない綱渡り」だと指摘する向きもある。変化を掲げる一方で、枢機卿や司教たちからは教皇の正統性に疑問を抱かれないようにする必要があるからだ。 一国の大統領が閣僚を自分の方針に従わせようとするのと同様、ローマ教皇も枢機卿たちに、教皇庁の方針を世界中の信者たちに伝える役割を期待している。しかしアメリカのカトリック系新聞ナショナル・カトリック・リポーターのバチカン駐在員クリストファー・ホワイトが言うように、バーク枢機卿は何度もフランシスコの教えに異議を唱えてきた。だから「もはや家賃の補助は無用」と判断されたらしい。 教皇フランシスコの進める改革にはリベラル派からの批判もある。) なかでも最高に急進的な組織の1つがドイツの教会刷新運動「シノドスの道」だ。この組織はフランシスコに対して、離婚経験者やLGBTQの人々を信徒として受け入れるためのさらなる努力を求めている。教会の現在の組織を見直して、教会に任命された聖職者以外の信徒も司教選びに参加し、ミサでの説教を行うなど、今よりも大きな役割を果たせるようにすることも求めている。 米ノートルダム大学のデービッド・ランティグア准教授(倫理神学)は本誌の取材に、「フランシスコがドイツ教会の動向に極めて大きな懸念を抱いているのは間違いない」と述べた。「教皇はこれまでに何度か、『シノドスの道』が独自の評議員会の樹立に突き進み、そのせいでカトリック教会が混乱に陥るのではないかと言及している」 こうした左右からの批判はあるものの、ほとんどの信者は今の教皇を支持している。米世論調査機関ピュー・リサーチセンターが21年に実施した調査では、アメリカのカトリック信者の82%が教皇を「非常に」あるいは「おおむね」好意的に見ていた。アメリカ国民全体でも、過半数を超える63%がフランシスコ支持を表明していた。 極右で自称「無政府主義者」のアルゼンチン大統領ハビエル・ミレイも、以前はフランシスコを「能無し」で「汚い左翼」とけなしていたが、昨年末に大統領となってからはトーンダウン。今年2月にはフランシスコを「史上最も重要なアルゼンチン人」と絶賛し、バチカンでのミサに出席したときはフランシスコと熱い抱擁を交わした』、「左右からの批判はあるものの、ほとんどの信者は今の教皇を支持している。米世論調査機関ピュー・リサーチセンターが21年に実施した調査では、アメリカのカトリック信者の82%が教皇を「非常に」あるいは「おおむね」好意的に見ていた。アメリカ国民全体でも、過半数を超える63%がフランシスコ支持を表明していた。 極右で自称「無政府主義者」のアルゼンチン大統領ハビエル・ミレイも、以前はフランシスコを「能無し」で「汚い左翼」とけなしていたが、昨年末に大統領となってからはトーンダウン。今年2月にはフランシスコを「史上最も重要なアルゼンチン人」と絶賛し、バチカンでのミサに出席したときはフランシスコと熱い抱擁を交わした」、なるほど。
・『教会改革の落としどころは だが教会内部の伝統派は、左右からの批判に対するフランシスコの対応が不公平だと考えている。例えば聖家族教会のマレー神父。教皇は「シノドスの道」を口先で批判するだけで、教皇の意向に反する彼らの活動に断固たる措置を取っていないと、本誌に語った。 「その気になれば、ドイツの司教たちが『シノドスの道』の主張に従ったり、彼らの活動に資金を提供したりするのを禁止することもできるはずだ。しかし教皇はそれをしない」と彼は言う。「教皇はより保守的な信徒に対しては厳しい姿勢を取る一方で、これまで協力・支援してきたリベラル派の信徒には比較的穏やかな批判しかせず、彼らを罰することもほとんどない」 ビラノバ大学のファッジョーリ教授は、フランシスコがアメリカ教会の伝統派聖職者により厳しい姿勢で接しているのは確かだが、「彼らが世界各地の司教たちより突出しているのもまた事実」だと見る。 アメリカの伝統派と世界各国の進歩派は全く異質で、アプローチの仕方も異なるとファッジョーリは言う。フランシスコを批判するにしても、諸外国の進歩派はそれなりに礼儀正しい言葉を使うが、アメリカの伝統派カトリックはすぐソーシャルメディアに飛び付いて教皇に対する不満を拡散させたがる。 だから教皇フランシスコとアメリカのカトリック教会の関係が「いい方向に向かうとは思えない」とファッジョーリは言い、こう付け加えた。「各国の教会組織との関係はどこでも厄介なものだが、今の教皇にとってはアメリカとの関係が最も波乱含みだ。これは間違いない」 こうした文化戦争の主戦場はアメリカだが、教皇フランシスコの目はしっかり世界を見つめている。 最後に、アメリカ・カトリック大学のウィリアム・ディンジェス教授(宗教学)の総括を聞こう。 「フランシスコはカトリック教会全体を前に進めたいと考えている」とディンジェスは言う。「だから踏み込みすぎて、カトリックの思想を単なる文化としての宗教におとしめるようなことは避けたい。一方で、教会が昔ながらのセクト的なコミュニティーに戻る事態も避けたい。その中間に、うまい落としどころを見つけたい。それが彼の願いだ」 そういえば私は宗教二世だった』、「諸外国の進歩派はそれなりに礼儀正しい言葉を使うが、アメリカの伝統派カトリックはすぐソーシャルメディアに飛び付いて教皇に対する不満を拡散させたがる。 だから教皇フランシスコとアメリカのカトリック教会の関係が「いい方向に向かうとは思えない」とファッジョーリは言い、こう付け加えた。「各国の教会組織との関係はどこでも厄介なものだが、今の教皇にとってはアメリカとの関係が最も波乱含みだ。これは間違いない」、なるほど。
次に、8月20日付けデイリー新潮「「旧統一教会の痕跡を消し去れ!」 ロゴの消去を強要…外務省の「証拠隠滅」裏工作が発覚 “アフリカODA”を巡って【独自】」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/08201132/?all=1
・『「恐怖を感じて従うしかなかった」 8月14日、岸田文雄首相(67)は突如、自民党総裁選への不出馬会見を行ったが、このままの“逃げ切り”は許されないであろう。今回新たに、ノンフィクション・ライターの窪田順生氏と「週刊新潮」の取材により、政府が露骨な「証拠隠滅」を行っていたことが明らかになったのである。その舞台はなんと、アフリカ大陸――。 【証拠写真】校舎入り口に世界平和女性連合のロゴが! 消去された後の画像と比較 アフリカ大陸西端の国、セネガル。2023年4月、日本から約1万4000キロも離れた同国のダカール州に、外務省国際協力局のある課長はわざわざ足を運んでいた。目的は、現地にある女性のための職業訓練校「JAMOO2」(「JAMOO」は現地のウォロフ語で“平和をもたらす”、「2」は2号校の意)を訪れることだった。だが、外務省課長は「視察」のために同校に行ったわけではない。彼の任務は「証拠隠滅」だった。 同校の校長を務める女性、ベロニク・ディオプ氏が、その時の様子を証言する。 「日本政府の人は高圧的な態度で、『野党と世論をなだめるため、とにかく“痕跡”をすべて消さなければいけない』と要求してきました。この学校を失ってしまうかもしれないと恐怖を感じた私は従うしかありませんでした」 実際、外務省課長はディオプ氏に、JAMOO2の校舎の外壁や看板など、いたるところに掲げられていた「ロゴ」をひとつ残らず消すように命じた。それだけではなく、同校を全く別の学校へと衣替えさせるかのように、電話番号やメールアドレスも変更するよう要求したのだ。外務省課長が「抹消」にこだわったロゴ、それは世界平和女性連合(以下、女性連合)、すなわち旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の関連団体のものだった。旧統一教会のあり様が問題視されていたとはいえ、他国の学校のロゴに、外務省課長はなぜこれほど過敏になる必要があったのだろうか』、「アフリカ大陸西端の国、セネガル。2023年4月、日本から約1万4000キロも離れた同国のダカール州に、外務省国際協力局のある課長はわざわざ足を運んでいた。目的は、現地にある女性のための職業訓練校「JAMOO2」(「JAMOO」は現地のウォロフ語で“平和をもたらす”、「2」は2号校の意)を訪れることだった。だが、外務省課長は「視察」のために同校に行ったわけではない。彼の任務は「証拠隠滅」だった。 同校の校長を務める女性、ベロニク・ディオプ氏が、その時の様子を証言する。 「日本政府の人は高圧的な態度で、『野党と世論をなだめるため、とにかく“痕跡”をすべて消さなければいけない』と要求してきました。この学校を失ってしまうかもしれないと恐怖を感じた私は従うしかありませんでした。実際、外務省課長はディオプ氏に、JAMOO2の校舎の外壁や看板など、いたるところに掲げられていた「ロゴ」をひとつ残らず消すように命じた。それだけではなく、同校を全く別の学校へと衣替えさせるかのように、電話番号やメールアドレスも変更するよう要求したのだ。外務省課長が「抹消」にこだわったロゴ、それは世界平和女性連合(以下、女性連合)、すなわち旧統一教会・・・の関連団体のものだった」、そもそも「旧統一教会」と関係づけたのには、如何なる経緯があったのだろう。
・『「証拠隠滅」を強要 実は、JAMOO2は日本の「草の根・人間の安全保障無償資金協力」というODA(政府開発援助)によって建設されていた。それゆえ政府は、国会の場で日本共産党の議員から、女性連合のロゴが掲げられているような学校に「国民の血税(ODA)が使われたことは極めて重大な問題だ」と追及されていた。しかも、JAMOO2にODA供与の承認をした当時の外務大臣は、現首相の岸田氏だった。外務省として、ODA供与の判断が誤っていたとは、口が裂けても認めることができない。 実際問題、JAMOO2を設立したのはディオプ氏が個人で立ち上げたNGO団体である。書類上は一民間組織による学校なのだ。ただし、校長であるディオプ氏は現地の女性連合の副会長でもあった。そのため、JAMOO2には女性連合のロゴが掲げられたりしていたわけだ。このままでは、ロゴなどを理由に岸田首相を責め立てる日本共産党の“攻撃”はやまない。一体どうすれば……。 そこで、外務省は驚くべき“奇策”を編み出す。JAMOO2から女性連合のロゴなどを消し去ってしまえばよいではないか、と。 「いま、JAMOO2に女性連合のロゴってあります? ないんじゃないですか? そうであれば、女性連合とは関係ないでしょう」 このようなロジックを組み立て、それを実践したのだ。つまり、外務省はディオプ氏に、女性連合とは関係ないことをアピールさせるために、ロゴの消去などの「証拠隠滅」を強要したのである』、「JAMOO2にODA供与の承認をした当時の外務大臣は、現首相の岸田氏だった。外務省として、ODA供与の判断が誤っていたとは、口が裂けても認めることができない・・・外務省はディオプ氏に、女性連合とは関係ないことをアピールさせるために、ロゴの消去などの「証拠隠滅」を強要した」、なるほど。
・『外務省の回答は 証拠隠滅の意図などについて尋ねたところ、外務省はこう回答した。 「本件につきましては、大使館や本省出張を通じて、適切にフォローアップしていますが、その具体的態様については、お答えを差し控えます」 12項目に及ぶ質問に対して、これだけしか答えられなかった外務省。「証拠」は隠せても、「証拠隠滅」の事実自体を隠し通すことはできなかった。 8月21日発売の「週刊新潮」では、アフリカ大陸で実行に移された、日本政府による「証拠隠滅」の手口やその背景を、4ページにわたって詳しく報じる』、「外務省。「証拠」は隠せても、「証拠隠滅」の事実自体を隠し通すことはできなかった」、その後、大きく問題化していないことからみて、「外務省」の隠蔽工作は上手くいったようだ。
第三に、2月1日付けダイヤモンド・オンラインが記載した宗教社会学者の橋爪大三郎氏による「【知の達人が教える、知っておくべき世界のしくみ】「キリスト教とイスラム教、実は同じ」を超わかりやすく説明【書籍オンライン編集部セレクション】 宗教で読み解く世界:その4」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/337845
・『「死」とは何か。死はかならず、生きている途中にやって来る。それなのに、死について考えることは「やり残した夏休みの宿題」みたいになっている。死が、自分のなかではっきりかたちになっていない。私たちの多くは、そんなふうにして生きている。しかし、世界の大宗教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教はもちろん、仏教、神道、儒教、ヒンドゥー教など、それぞれの宗教は「人間は死んだらどうなるか」についてしっかりした考え方をもっている。 現代の知の達人であり、宗教社会学の第一人者である著者が、各宗教の「死」についての考え方を、鮮やかに説明する『死の講義』は、「この本に、はまってしまった。私たちは『死』を避けることができない。この本を読んで『死後の世界』を学んでおけば、いざというときに相当落ち着けるだろう」(西成活裕氏・東京大学教授)と評されている。今回は、著者による特別講義をお届けする。(初出:2023年3月31日) 【知の達人が教える、知っておくべき世界のしくみ】「キリスト教とイスラム教、実は同じ」を超わかりやすく説明【書籍オンライン編集部セレクション】』、興味深そうだ。
・『3つの一神教は同じ 宗教をよく、一神教/多神教、に分けます。問題のあるわけ方ですが、入り口としてわかりやすいので、まず一神教から説明しましょう。 一神教は古いほうから順に、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、の三つがあります。世界人口の半分以上が一神教圏なので、これをまず理解しましょう。 [宗教人口] ユダヤ教徒:数千万人 キリスト教徒:25億人 イスラム教徒:15億人 ユダヤ教とキリスト教は、仲が悪い。キリスト教とイスラム教は仲が悪い。でもその理由を誤解しないように。 三つの一神教は、実はほとんど同じです。そもそも三つとも、同じ神を信じている。ユダヤ教のヤハウェと、キリスト教の父なる神(God)と、イスラム教のアッラーは、同一の神なのです。クルアーンで、アッラー自身がそうのべている。 これほど確かなことはない。それに加えて、この三つの宗教(とりわけ、キリスト教とイスラム教)は、以下に示すように、考え方の骨格がほぼ同じ。ひとつの宗教だと考えてもいいほどです』、「三つの一神教は、実はほとんど同じです。そもそも三つとも、同じ神を信じている。ユダヤ教のヤハウェと、キリスト教の父なる神(God)と、イスラム教のアッラーは、同一の神なのです。クルアーンで、アッラー自身がそうのべている・・・この三つの宗教(とりわけ、キリスト教とイスラム教)は、以下に示すように、考え方の骨格がほぼ同じ。ひとつの宗教だと考えてもいいほどです」、なるほど。
・『[宗教の骨格] ・神が天地を「創造」した。 ・創造した世界は、やがて「終末」が来て壊れてしまう。 ・そのときに、死んだ人間はもう一度肉体を与えられて「復活」する。 ・そして、神による「最後の審判」を受ける。 ・赦された人間は、救われて、神の王国(キリスト教)や緑園(イスラム教)に行く。救われなければ、永遠の炎で焼かれる。 キリスト教とイスラム教で違うのは、イエス・キリストがいるかどうか。ユダヤ教やイスラム教に、キリストは存在しません。ここが違うだけなのですが、宗教の性質がまったく違ってきます』、「キリスト教とイスラム教で違うのは、イエス・キリストがいるかどうか。ユダヤ教やイスラム教に、キリストは存在しません。ここが違うだけなのですが、宗教の性質がまったく違ってきます」、なるほど。
・『イエス・キリストがいるとどうなるか イスラム教は、神アッラーに従います。アッラーに従うには、最後で最大の預言者ムハンマドに従います。ムハンマドの預言はクルアーンとして伝わっているので、それを重視します。 クルアーンにもとづくイスラム法に従うことが、イスラム教徒の義務です。 同じような考え方で、ユダヤ教では、モーセの律法(ユダヤ法)に従わなければなりません。 ではイエス・キリストがいるとどうなるか。 イエス・キリスト以前に、モーセなど預言者がたくさんいました。でも、イエスはキリストで、神の子で、まあ神本人のようなものです。そのイエスが、モーセの律法に従わなくてもよい、と命じた。 割礼や食物規制、犠牲の献げ方など、いちいちうるさいユダヤ法に従わなくてよくなったのです。そのかわりに、イエス・キリストの教えを記した新約聖書に従うことになりました。 こうしてキリスト教では、宗教法がなくなってしまった。何を食べてもいいし、何を着てもいいし、どう行動してもいい。ただし、イエス・キリストの教えに従いなさい。これが、キリスト教です。 イエス・キリストの教えは理解がむずかしいので、ときどき教会全体で会議を開いて、どう考えるかを決定します。「三位一体説」(父と子と聖霊が、実はひとつであるという考え方)もそうして決まりました。決まったことに従わないと、異端で、いじめられるのがキリスト教です。イエス・キリストがいるので、こういうことになる』、「クルアーンにもとづくイスラム法に従うことが、イスラム教徒の義務です。 同じような考え方で、ユダヤ教では、モーセの律法(ユダヤ法)に従わなければなりません。 ではイエス・キリストがいるとどうなるか。 イエス・キリスト以前に、モーセなど預言者がたくさんいました。でも、イエスはキリストで、神の子で、まあ神本人のようなものです。そのイエスが、モーセの律法に従わなくてもよい、と命じた。 割礼や食物規制、犠牲の献げ方など、いちいちうるさいユダヤ法に従わなくてよくなったのです。そのかわりに、イエス・キリストの教えを記した新約聖書に従うことになりました。 こうしてキリスト教では、宗教法がなくなってしまった。何を食べてもいいし、何を着てもいいし、どう行動してもいい。ただし、イエス・キリストの教えに従いなさい。これが、キリスト教です・・・イエス・キリストの教えは理解がむずかしいので、ときどき教会全体で会議を開いて、どう考えるかを決定します。「三位一体説」(父と子と聖霊が、実はひとつであるという考え方)もそうして決まりました。決まったことに従わないと、異端で、いじめられるのがキリスト教です」、なるほど。
・『人間は罪があるけれど赦される なぜイエス・キリストが現れたか。それは人間に、生まれながらの罪があるからです。キリスト教は、人間は本来、神に背く性質があると考えます。原罪です。 罪の度合いを、ユダヤ教やイスラム教より一段深く考えるのですね。そうすると、救われるのはとってもむずかしい。 それでは困るので、神は、愛のしるしとしてイエス・キリストをこの世に送った。イエス・キリストが身代わりになって、人間の罪を背負って死んでしまった。だから人間は罪があるままで赦される、と考えます。 このアクロバットのようなロジックが、キリスト教のキモです。このロジックが成り立たないと、イエス・キリストを信じることができません。 イエス・キリストは人間なのでしょうか、それとも神なのでしょうか? イエス・キリストは、マリアから生まれるときに、肉体を受けて人間になった、と考えることになっています。人間になる前は、神だった。人間になっても、神のままである。つまり、その正体は神なので、イエス・キリストを拝んでもよいのです。 ※本原稿は、2022年11月に大学院大学至善館で行なった講演(https://shizenkan.ac.jp/event/religions_oc2023/)をもとに、再編集したものです。(橋爪大三郎氏の略歴はリンク先参照)』、「キリスト教は、人間は本来、神に背く性質があると考えます。原罪です。 罪の度合いを、ユダヤ教やイスラム教より一段深く考えるのですね。そうすると、救われるのはとってもむずかしい。 それでは困るので、神は、愛のしるしとしてイエス・キリストをこの世に送った。イエス・キリストが身代わりになって、人間の罪を背負って死んでしまった。だから人間は罪があるままで赦される、と考えます・・・イエス・キリストは、マリアから生まれるときに、肉体を受けて人間になった、と考えることになっています。人間になる前は、神だった。人間になっても、神のままである。つまり、その正体は神なので、イエス・キリストを拝んでもよいのです」、なるほど。
・『「人は死んだらどうなるのか」を宗教に学ぶ――著者より 突然ですが、この本は、死んだらどうなるかの話です。 だいたい死は、突然やってくるものなので、お許しください。 ただしご安心ください。「死んだらどうなるかの話」は、死ぬことそのものではありません。むしろそんなことを考えるのは、生きているひとです。かく言う著者の私もまだ生きているし、この本を手にとったあなたも生きている。悠長なことです。いまにも死にそうで、それどころではないひとだってけっこういるのに。 じゃあなぜ、そんな悠長なことを考えるのか。 いよいよ死にそうになったときには、じっくり考える時間がありません。気力も体力もないかもしれない。そうするうち、死んだらどうなるかもはっきりしないまま、死んでしまう。もったいないことです。せっかく死ぬのに。 人間は、自分が死ぬとわかっている。よろしい。では、死んだらどうなるとわかっているのでしょうか。 むかし人びとは、群れをつくったり、村に住んだり、小さな集団で暮らしていました。そこには、死んだらどうなるか、の決まった考え方がありました。死んだら鳥になる。先祖のところに帰る。どこか遠くで、楽しく暮らす。などなど。それは、人びとが自分の考えを持ち寄って、みんなの考えにしたものです。 そのうち、社会はもっと複雑になります。広い場所で農業を営み、人口も増えた。社会階層が分化した。ふつうの人びとのほかに、商人や職人や、軍人や王さまや、官僚や神官がいます。複雑な社会のなかで、人びとはさまざまな人生を歩みます。職業を変わったり、出世したり落ちぶれたり、戦争に駆り出されたり難民としてよその土地に移住したり。人びとの生き方が何通りもあるということは、人びとの考え方も何通りもあるということです。 広い場所には、さまざまな文化をもった人びとが集まります。さまざまな人種、さまざまな民族の人びとが集まります。死んだらどうなるか、の考え方も違います。これが、「宗教の違い」として意識されます。 いくつも宗教がある。それは、死んだらどうなるか、の考え方がいくつもあるということです。いくつも宗教が出てきてどうなったかというと、大部分は廃れてしまいました。けれどもそのうちいくつかは、信じる人びとの人数が増えて生き残りました。それが「大宗教」です。大宗教は、社会を丸ごと呑みこんで、文明につくり変えました。そうした文明は現在も大きな勢力を保っています。 いま、世界には、四つの大きな文明があります。どれも、宗教を土台にしています。 ・ ヨーロッパ・キリスト教文明 ……キリスト教を土台にしている ・ イスラム文明 ……イスラム教を土台にしている ・ ヒンドゥー文明 ……ヒンドゥー教を土台にしている ・ 中国・儒教文明 ……儒教を土台にしている 【知の達人が教える、知っておくべき世界のしくみ】「キリスト教とイスラム教、実は同じ」を超わかりやすく説明【書籍オンライン編集部セレクション】 この本では、これらの宗教が、人間は死んだらどうなると考えているのか、詳しく追いかけることにします。それぞれの宗教について調べて、もの知りになることが、目的ではありません。自分で納得して、そうだと思える考え方を、選び取ることが目的です。もしかしたら、どの考え方にも納得できないかもしれません。(最近、そういう人びとが増えています。)そういう場合には、ほかにどういう考え方があるのかも、わかる限りで紹介することにします。 この本のタイトルは、『死の講義──死んだらどうなるか、自分で決めなさい』です。こんな本を読んでいると、変な目で見られるかもしれません。縁起でもない、と。いやいや、決して怪しい本ではないですよ、と説明してあげましょう』、「むかし人びとは、群れをつくったり、村に住んだり、小さな集団で暮らしていました。そこには、死んだらどうなるか、の決まった考え方がありました。死んだら鳥になる。先祖のところに帰る。どこか遠くで、楽しく暮らす。などなど。それは、人びとが自分の考えを持ち寄って、みんなの考えにしたものです。 そのうち、社会はもっと複雑になります。広い場所で農業を営み、人口も増えた。社会階層が分化した。ふつうの人びとのほかに、商人や職人や、軍人や王さまや、官僚や神官がいます。複雑な社会のなかで、人びとはさまざまな人生を歩みます。職業を変わったり、出世したり落ちぶれたり、戦争に駆り出されたり難民としてよその土地に移住したり。人びとの生き方が何通りもあるということは、人びとの考え方も何通りもあるということです・・・死んだらどうなるか、の考え方も違います。これが、「宗教の違い」として意識されます。 いくつも宗教がある。それは、死んだらどうなるか、の考え方がいくつもあるということです。いくつも宗教が出てきてどうなったかというと、大部分は廃れてしまいました。けれどもそのうちいくつかは、信じる人びとの人数が増えて生き残りました。それが「大宗教」です。大宗教は、社会を丸ごと呑みこんで、文明につくり変えました。そうした文明は現在も大きな勢力を保っています。 いま、世界には、四つの大きな文明があります・・・この本では、これらの宗教が、人間は死んだらどうなると考えているのか、詳しく追いかけることにします。それぞれの宗教について調べて、もの知りになることが、目的ではありません。自分で納得して、そうだと思える考え方を、選び取ることが目的です。もしかしたら、どの考え方にも納得できないかもしれません。(最近、そういう人びとが増えています。)そういう場合には、ほかにどういう考え方があるのかも、わかる限りで紹介することにします」、なるほど。
・『この本を読む理由。 死んだらどうなるかわからないので、怖くて、心配で、読むのではありません。もちろん、怖くて、心配で、困って読むのでもかまいません。でもほんとうは、しっかり生きるために読む、のです。 死んだらどうなるのか、死んでみるまでわからない。それなら、死んだらどうなるのかは、自分が自由に決めてよいのです。宗教の数だけ、人びとの考え方の数だけ、死んだらどうなるのか、の答えがあります。そのどれにも、大事な生き方が詰まっています。人生の知恵がこめられています。それは、これまでを生きた人びとから、いまを生きる人びとへのプレゼントです。 これより大きなプレゼントがあるでしょうか。私の役目は、そのプレゼントを、読者の皆さんに届けることです。 そこで、読者のみなさんに、約束します。 中学生でも読めるように、わかりやすく書きます。 少しむずかしい言葉を使うときは、説明や注をつけます。 頭に入りやすいように、かみ砕いて話を進めます。 人間が死んだらどうなるのか。この本にあるように、ほんとうにいろいろな考え方があります。そしてどれも、よく考えられています。選りどり見どりです。 人間が死んだらどうなるのか、いろんな考え方に触れるのはよいことです。とりあえずどれかに決めてみるのもよい。より深みと奥行きのある生き方を実感できます』、「ほんとうは、しっかり生きるために読む、のです。 死んだらどうなるのか、死んでみるまでわからない。それなら、死んだらどうなるのかは、自分が自由に決めてよいのです。宗教の数だけ、人びとの考え方の数だけ、死んだらどうなるのか、の答えがあります。そのどれにも、大事な生き方が詰まっています。人生の知恵がこめられています。それは、これまでを生きた人びとから、いまを生きる人びとへのプレゼントです・・・人間が死んだらどうなるのか、いろんな考え方に触れるのはよいことです。とりあえずどれかに決めてみるのもよい。より深みと奥行きのある生き方を実感できます」、「これまでを生きた人びとから、いまを生きる人びとへのプレゼントです」、有難い話だ。大いに活用しよう。
先ずは、本年4月23日付けNewsweek日本版「LGBTQは受け入れても保守派は排除...「リベラル教皇」で割れるカトリック教会 「文化戦争」の最前線でいま何が?」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2024/04/post-104336_1.php
・『<同性愛者や離婚経験者を教会に受け入れつつ保守派は排除する教皇フランシスコ。急進的リベラルからも批判が集まる教会改革の行く末は> テキサス州タイラーの司教ジョゼフ・ストリックランドとて、はなから教皇フランシスコを嫌っていたわけではない。2013年に南米アルゼンチン出身の彼が晴れてカトリック教会の頂点に立ったときはストリックランドも喜び、称賛したものだ。しかし教皇が次々とリベラルな路線を打ち出すのを見ると、黙っていられなくなった。 離婚した女性や、いわゆるLGBTQの人をどう受け入れるか。聖職者の妻帯を許すか否か。そうした点に関する教皇の教えに、ストリックランドは公然と異を唱え出した。そしてすぐ、自分の立場が「政治的」にまずくなってきたことに気付いた。「今の世の中は政治で動く。この現実からは教会も逃れられない」。司教は本誌の取材にそう答えた。 昨年11月、ストリックランドは司教職を解かれた。まあ仕方ないと、納得はしている。しかし、こんなふうだと教会内に「恐怖の気配」が満ちてしまうと懸念してもいる。 司教の解任は異例の事態だが、それだけではない。世界全体で13億の信者を擁するカトリック教会が、「文化戦争」によって分断されつつあることの証しでもある。しかも、その最前線はアメリカにある。 教皇フランシスコの下で、カトリック教会は同性カップルや離婚経験者など、より多くの人を迎え入れるようになった。この教皇は気候変動や貧富の格差、グローバル資本主義などについても発言し、異なる宗教間の対話にも積極的だ。いずれも伝統的な教義とは一線を画す取り組みであり、だからこそ教皇フランシスコは進歩派から英雄視される一方、保守派からは嫌われている。 教会史に詳しい米ビラノバ大学のマッシモ・ファッジョーリ教授に言わせると、こうした教皇の言動はアメリカの保守的なカトリック信者にとって受け入れ難いものだ。教皇とアメリカの信者の間にここまで深い溝ができたのは「前代未聞」だとファッジョーリは言う。「この人は歴代の教皇とは違う。そういう感覚が就任直後からあった」 前任のベネディクト16世は極めて保守的な人物だったが、フランシスコは違う。就任後まもなく、彼は次のような問いを発して伝統派を仰天させている。「たとえ同性愛でも、その人が心から主を探し求め、善良であるとしたら、どうして私に裁くことができよう?」 この発言の衝撃は大きかった。新しい教皇が教会を進歩的な方向へ導こうとしている。そのことが明白になった。保守派の信者は猛反発した。LGBTQの人を受け入れるなんて、冗談じゃないと。 しかし、この教皇は一貫して同性愛コミュニティーに対して寛容で、昨年には条件付きながらも同性カップルを正式に「祝福」してよいとする画期的な見解を示した。) これには世界中から反対の声が上がった。約90人の聖職者、学者、識者らが連名で全世界の枢機卿・司教に書簡を送り、教皇庁の見解に反対するよう求めた。とりわけアフリカ(世界で最も急速に信者数が増えている地域だ)からの反発は強かった。その急先鋒は、コンゴ民主共和国の枢機卿フリドリン・アンボンゴ。同性愛の容認は「私たちの信仰に混乱を来し、アフリカ社会の精神性とも相いれない」と反論した。 しかし教皇フランシスコは動じない。「人々を搾取するような起業家」に平気で祝福を授ける一方、たとえ同性同士でも「愛し合う2人」への祝福を拒むというのは「偽善」だと、真っ向から言い返している』、「教皇が次々とリベラルな路線を打ち出すのを見ると、黙っていられなくなった。 離婚した女性や、いわゆるLGBTQの人をどう受け入れるか。聖職者の妻帯を許すか否か。そうした点に関する教皇の教えに、ストリックランドは公然と異を唱え出した・・・昨年11月、ストリックランドは司教職を解かれた。まあ仕方ないと、納得はしている。しかし、こんなふうだと教会内に「恐怖の気配」が満ちてしまうと懸念してもいる・・・新しい教皇が教会を進歩的な方向へ導こうとしている。そのことが明白になった。保守派の信者は猛反発した。LGBTQの人を受け入れるなんて、冗談じゃないと。 しかし、この教皇は一貫して同性愛コミュニティーに対して寛容で、昨年には条件付きながらも同性カップルを正式に「祝福」してよいとする画期的な見解を示した。) これには世界中から反対の声が上がった・・・しかし教皇フランシスコは動じない。「人々を搾取するような起業家」に平気で祝福を授ける一方、たとえ同性同士でも「愛し合う2人」への祝福を拒むというのは「偽善」だと、真っ向から言い返している」、なるほど。
・『保守派をバチカンから追放 カトリック教会を二分する文化戦争の最前線を見たければニューヨーク市に行ってみるといい。そこでは距離にしてほんの3キロほど離れた2つの教区で、この教皇について正反対の評価を聞くことができる。 まずは同市アッパー・イーストサイドの聖イグナチオ・ロヨラ教会にいる神父マーク・ハリナン。教皇フランシスコが教会に「もっと慈悲と共感に力を入れる」よう説いていることに深く共感する彼は、自分の教区にも教皇の同性カップル容認に「たいへん感謝している」信者が少なからずいると語る。もちろん「変化のペースが遅いことに不満な」人もいるが、神父としては「教皇とて自分の思いどおりに動けるわけではない」と理解している。 同じニューヨーク市マンハッタン区でもミッドタウンにある聖家族教会の雰囲気は違う。そこの神父ジェラルド・マレーは、フランシスコを「サプライズの教皇」と呼んではばからない。しかも「必ずしも歓迎できるサプライズとは限らない」。 マレーに言わせると、教皇フランシスコはアメリカの一部カトリック教会の主張を「イデオロギー的」と切り捨てるだけで、「(保守派からの)批判の中身を検討する」ことさえ拒んでいる。 アメリカの保守的な司教らに対して、教皇フランシスコは昨年の夏に明確なメッセージを出した。アメリカのカトリック教会にいる一部保守派は「後ろ向き」だと批判し、彼らの「極めて強力かつ組織化された反動的姿勢」は政治的イデオロギーであって信仰心ではないと断じた。そして、行動に出た。) まずは冒頭のストリックランド司教の解任。その数週間後にはアメリカ出身の枢機卿レイモンド・バークをバチカン市国所有のマンションから追い出し、給与の支払いも停止した。前代未聞の処分である。 枢機卿の地位はカトリック教会の組織で教皇に次ぐもので、80歳になるまでは教皇を選ぶ「コンクラーベ」に参加する権利を有する。そんな最高位聖職者の中で、反フランシスコ派の旗手とされるのがバークだった。まだ75歳だが、今回の処分を事実上の引退勧告とみる向きもある』、「教皇フランシスコは昨年の夏に明確なメッセージを出した。アメリカのカトリック教会にいる一部保守派は「後ろ向き」だと批判し、彼らの「極めて強力かつ組織化された反動的姿勢」は政治的イデオロギーであって信仰心ではないと断じた。そして、行動に出た。) まずは冒頭のストリックランド司教の解任。その数週間後にはアメリカ出身の枢機卿レイモンド・バークをバチカン市国所有のマンションから追い出し、給与の支払いも停止した。前代未聞の処分である」、なるほど。
・『急進的リベラルからの批判も ストリックランド司教の解任について、教会は詳細な理由を公表していない。それでも彼自身は、要するに「教皇による改革を支持しなかった」からだろうと考えている。ちなみに彼は、解任される1カ月ほど前にフランシスコの教会改革を「茶番」と一蹴していた。本誌とのインタビューでも、「聖書に記された真理を守るべき者が、どうして『信仰は(時代によって)変わる』などと言えるのか。そんなこと、聖書には書いてない」と語っている。 イデオロギー的対立を招く問題に踏み込むのは、フランシスコにとって「危ない綱渡り」だと指摘する向きもある。変化を掲げる一方で、枢機卿や司教たちからは教皇の正統性に疑問を抱かれないようにする必要があるからだ。 一国の大統領が閣僚を自分の方針に従わせようとするのと同様、ローマ教皇も枢機卿たちに、教皇庁の方針を世界中の信者たちに伝える役割を期待している。しかしアメリカのカトリック系新聞ナショナル・カトリック・リポーターのバチカン駐在員クリストファー・ホワイトが言うように、バーク枢機卿は何度もフランシスコの教えに異議を唱えてきた。だから「もはや家賃の補助は無用」と判断されたらしい。 教皇フランシスコの進める改革にはリベラル派からの批判もある。) なかでも最高に急進的な組織の1つがドイツの教会刷新運動「シノドスの道」だ。この組織はフランシスコに対して、離婚経験者やLGBTQの人々を信徒として受け入れるためのさらなる努力を求めている。教会の現在の組織を見直して、教会に任命された聖職者以外の信徒も司教選びに参加し、ミサでの説教を行うなど、今よりも大きな役割を果たせるようにすることも求めている。 米ノートルダム大学のデービッド・ランティグア准教授(倫理神学)は本誌の取材に、「フランシスコがドイツ教会の動向に極めて大きな懸念を抱いているのは間違いない」と述べた。「教皇はこれまでに何度か、『シノドスの道』が独自の評議員会の樹立に突き進み、そのせいでカトリック教会が混乱に陥るのではないかと言及している」 こうした左右からの批判はあるものの、ほとんどの信者は今の教皇を支持している。米世論調査機関ピュー・リサーチセンターが21年に実施した調査では、アメリカのカトリック信者の82%が教皇を「非常に」あるいは「おおむね」好意的に見ていた。アメリカ国民全体でも、過半数を超える63%がフランシスコ支持を表明していた。 極右で自称「無政府主義者」のアルゼンチン大統領ハビエル・ミレイも、以前はフランシスコを「能無し」で「汚い左翼」とけなしていたが、昨年末に大統領となってからはトーンダウン。今年2月にはフランシスコを「史上最も重要なアルゼンチン人」と絶賛し、バチカンでのミサに出席したときはフランシスコと熱い抱擁を交わした』、「左右からの批判はあるものの、ほとんどの信者は今の教皇を支持している。米世論調査機関ピュー・リサーチセンターが21年に実施した調査では、アメリカのカトリック信者の82%が教皇を「非常に」あるいは「おおむね」好意的に見ていた。アメリカ国民全体でも、過半数を超える63%がフランシスコ支持を表明していた。 極右で自称「無政府主義者」のアルゼンチン大統領ハビエル・ミレイも、以前はフランシスコを「能無し」で「汚い左翼」とけなしていたが、昨年末に大統領となってからはトーンダウン。今年2月にはフランシスコを「史上最も重要なアルゼンチン人」と絶賛し、バチカンでのミサに出席したときはフランシスコと熱い抱擁を交わした」、なるほど。
・『教会改革の落としどころは だが教会内部の伝統派は、左右からの批判に対するフランシスコの対応が不公平だと考えている。例えば聖家族教会のマレー神父。教皇は「シノドスの道」を口先で批判するだけで、教皇の意向に反する彼らの活動に断固たる措置を取っていないと、本誌に語った。 「その気になれば、ドイツの司教たちが『シノドスの道』の主張に従ったり、彼らの活動に資金を提供したりするのを禁止することもできるはずだ。しかし教皇はそれをしない」と彼は言う。「教皇はより保守的な信徒に対しては厳しい姿勢を取る一方で、これまで協力・支援してきたリベラル派の信徒には比較的穏やかな批判しかせず、彼らを罰することもほとんどない」 ビラノバ大学のファッジョーリ教授は、フランシスコがアメリカ教会の伝統派聖職者により厳しい姿勢で接しているのは確かだが、「彼らが世界各地の司教たちより突出しているのもまた事実」だと見る。 アメリカの伝統派と世界各国の進歩派は全く異質で、アプローチの仕方も異なるとファッジョーリは言う。フランシスコを批判するにしても、諸外国の進歩派はそれなりに礼儀正しい言葉を使うが、アメリカの伝統派カトリックはすぐソーシャルメディアに飛び付いて教皇に対する不満を拡散させたがる。 だから教皇フランシスコとアメリカのカトリック教会の関係が「いい方向に向かうとは思えない」とファッジョーリは言い、こう付け加えた。「各国の教会組織との関係はどこでも厄介なものだが、今の教皇にとってはアメリカとの関係が最も波乱含みだ。これは間違いない」 こうした文化戦争の主戦場はアメリカだが、教皇フランシスコの目はしっかり世界を見つめている。 最後に、アメリカ・カトリック大学のウィリアム・ディンジェス教授(宗教学)の総括を聞こう。 「フランシスコはカトリック教会全体を前に進めたいと考えている」とディンジェスは言う。「だから踏み込みすぎて、カトリックの思想を単なる文化としての宗教におとしめるようなことは避けたい。一方で、教会が昔ながらのセクト的なコミュニティーに戻る事態も避けたい。その中間に、うまい落としどころを見つけたい。それが彼の願いだ」 そういえば私は宗教二世だった』、「諸外国の進歩派はそれなりに礼儀正しい言葉を使うが、アメリカの伝統派カトリックはすぐソーシャルメディアに飛び付いて教皇に対する不満を拡散させたがる。 だから教皇フランシスコとアメリカのカトリック教会の関係が「いい方向に向かうとは思えない」とファッジョーリは言い、こう付け加えた。「各国の教会組織との関係はどこでも厄介なものだが、今の教皇にとってはアメリカとの関係が最も波乱含みだ。これは間違いない」、なるほど。
次に、8月20日付けデイリー新潮「「旧統一教会の痕跡を消し去れ!」 ロゴの消去を強要…外務省の「証拠隠滅」裏工作が発覚 “アフリカODA”を巡って【独自】」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/08201132/?all=1
・『「恐怖を感じて従うしかなかった」 8月14日、岸田文雄首相(67)は突如、自民党総裁選への不出馬会見を行ったが、このままの“逃げ切り”は許されないであろう。今回新たに、ノンフィクション・ライターの窪田順生氏と「週刊新潮」の取材により、政府が露骨な「証拠隠滅」を行っていたことが明らかになったのである。その舞台はなんと、アフリカ大陸――。 【証拠写真】校舎入り口に世界平和女性連合のロゴが! 消去された後の画像と比較 アフリカ大陸西端の国、セネガル。2023年4月、日本から約1万4000キロも離れた同国のダカール州に、外務省国際協力局のある課長はわざわざ足を運んでいた。目的は、現地にある女性のための職業訓練校「JAMOO2」(「JAMOO」は現地のウォロフ語で“平和をもたらす”、「2」は2号校の意)を訪れることだった。だが、外務省課長は「視察」のために同校に行ったわけではない。彼の任務は「証拠隠滅」だった。 同校の校長を務める女性、ベロニク・ディオプ氏が、その時の様子を証言する。 「日本政府の人は高圧的な態度で、『野党と世論をなだめるため、とにかく“痕跡”をすべて消さなければいけない』と要求してきました。この学校を失ってしまうかもしれないと恐怖を感じた私は従うしかありませんでした」 実際、外務省課長はディオプ氏に、JAMOO2の校舎の外壁や看板など、いたるところに掲げられていた「ロゴ」をひとつ残らず消すように命じた。それだけではなく、同校を全く別の学校へと衣替えさせるかのように、電話番号やメールアドレスも変更するよう要求したのだ。外務省課長が「抹消」にこだわったロゴ、それは世界平和女性連合(以下、女性連合)、すなわち旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の関連団体のものだった。旧統一教会のあり様が問題視されていたとはいえ、他国の学校のロゴに、外務省課長はなぜこれほど過敏になる必要があったのだろうか』、「アフリカ大陸西端の国、セネガル。2023年4月、日本から約1万4000キロも離れた同国のダカール州に、外務省国際協力局のある課長はわざわざ足を運んでいた。目的は、現地にある女性のための職業訓練校「JAMOO2」(「JAMOO」は現地のウォロフ語で“平和をもたらす”、「2」は2号校の意)を訪れることだった。だが、外務省課長は「視察」のために同校に行ったわけではない。彼の任務は「証拠隠滅」だった。 同校の校長を務める女性、ベロニク・ディオプ氏が、その時の様子を証言する。 「日本政府の人は高圧的な態度で、『野党と世論をなだめるため、とにかく“痕跡”をすべて消さなければいけない』と要求してきました。この学校を失ってしまうかもしれないと恐怖を感じた私は従うしかありませんでした。実際、外務省課長はディオプ氏に、JAMOO2の校舎の外壁や看板など、いたるところに掲げられていた「ロゴ」をひとつ残らず消すように命じた。それだけではなく、同校を全く別の学校へと衣替えさせるかのように、電話番号やメールアドレスも変更するよう要求したのだ。外務省課長が「抹消」にこだわったロゴ、それは世界平和女性連合(以下、女性連合)、すなわち旧統一教会・・・の関連団体のものだった」、そもそも「旧統一教会」と関係づけたのには、如何なる経緯があったのだろう。
・『「証拠隠滅」を強要 実は、JAMOO2は日本の「草の根・人間の安全保障無償資金協力」というODA(政府開発援助)によって建設されていた。それゆえ政府は、国会の場で日本共産党の議員から、女性連合のロゴが掲げられているような学校に「国民の血税(ODA)が使われたことは極めて重大な問題だ」と追及されていた。しかも、JAMOO2にODA供与の承認をした当時の外務大臣は、現首相の岸田氏だった。外務省として、ODA供与の判断が誤っていたとは、口が裂けても認めることができない。 実際問題、JAMOO2を設立したのはディオプ氏が個人で立ち上げたNGO団体である。書類上は一民間組織による学校なのだ。ただし、校長であるディオプ氏は現地の女性連合の副会長でもあった。そのため、JAMOO2には女性連合のロゴが掲げられたりしていたわけだ。このままでは、ロゴなどを理由に岸田首相を責め立てる日本共産党の“攻撃”はやまない。一体どうすれば……。 そこで、外務省は驚くべき“奇策”を編み出す。JAMOO2から女性連合のロゴなどを消し去ってしまえばよいではないか、と。 「いま、JAMOO2に女性連合のロゴってあります? ないんじゃないですか? そうであれば、女性連合とは関係ないでしょう」 このようなロジックを組み立て、それを実践したのだ。つまり、外務省はディオプ氏に、女性連合とは関係ないことをアピールさせるために、ロゴの消去などの「証拠隠滅」を強要したのである』、「JAMOO2にODA供与の承認をした当時の外務大臣は、現首相の岸田氏だった。外務省として、ODA供与の判断が誤っていたとは、口が裂けても認めることができない・・・外務省はディオプ氏に、女性連合とは関係ないことをアピールさせるために、ロゴの消去などの「証拠隠滅」を強要した」、なるほど。
・『外務省の回答は 証拠隠滅の意図などについて尋ねたところ、外務省はこう回答した。 「本件につきましては、大使館や本省出張を通じて、適切にフォローアップしていますが、その具体的態様については、お答えを差し控えます」 12項目に及ぶ質問に対して、これだけしか答えられなかった外務省。「証拠」は隠せても、「証拠隠滅」の事実自体を隠し通すことはできなかった。 8月21日発売の「週刊新潮」では、アフリカ大陸で実行に移された、日本政府による「証拠隠滅」の手口やその背景を、4ページにわたって詳しく報じる』、「外務省。「証拠」は隠せても、「証拠隠滅」の事実自体を隠し通すことはできなかった」、その後、大きく問題化していないことからみて、「外務省」の隠蔽工作は上手くいったようだ。
第三に、2月1日付けダイヤモンド・オンラインが記載した宗教社会学者の橋爪大三郎氏による「【知の達人が教える、知っておくべき世界のしくみ】「キリスト教とイスラム教、実は同じ」を超わかりやすく説明【書籍オンライン編集部セレクション】 宗教で読み解く世界:その4」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/337845
・『「死」とは何か。死はかならず、生きている途中にやって来る。それなのに、死について考えることは「やり残した夏休みの宿題」みたいになっている。死が、自分のなかではっきりかたちになっていない。私たちの多くは、そんなふうにして生きている。しかし、世界の大宗教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教はもちろん、仏教、神道、儒教、ヒンドゥー教など、それぞれの宗教は「人間は死んだらどうなるか」についてしっかりした考え方をもっている。 現代の知の達人であり、宗教社会学の第一人者である著者が、各宗教の「死」についての考え方を、鮮やかに説明する『死の講義』は、「この本に、はまってしまった。私たちは『死』を避けることができない。この本を読んで『死後の世界』を学んでおけば、いざというときに相当落ち着けるだろう」(西成活裕氏・東京大学教授)と評されている。今回は、著者による特別講義をお届けする。(初出:2023年3月31日) 【知の達人が教える、知っておくべき世界のしくみ】「キリスト教とイスラム教、実は同じ」を超わかりやすく説明【書籍オンライン編集部セレクション】』、興味深そうだ。
・『3つの一神教は同じ 宗教をよく、一神教/多神教、に分けます。問題のあるわけ方ですが、入り口としてわかりやすいので、まず一神教から説明しましょう。 一神教は古いほうから順に、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、の三つがあります。世界人口の半分以上が一神教圏なので、これをまず理解しましょう。 [宗教人口] ユダヤ教徒:数千万人 キリスト教徒:25億人 イスラム教徒:15億人 ユダヤ教とキリスト教は、仲が悪い。キリスト教とイスラム教は仲が悪い。でもその理由を誤解しないように。 三つの一神教は、実はほとんど同じです。そもそも三つとも、同じ神を信じている。ユダヤ教のヤハウェと、キリスト教の父なる神(God)と、イスラム教のアッラーは、同一の神なのです。クルアーンで、アッラー自身がそうのべている。 これほど確かなことはない。それに加えて、この三つの宗教(とりわけ、キリスト教とイスラム教)は、以下に示すように、考え方の骨格がほぼ同じ。ひとつの宗教だと考えてもいいほどです』、「三つの一神教は、実はほとんど同じです。そもそも三つとも、同じ神を信じている。ユダヤ教のヤハウェと、キリスト教の父なる神(God)と、イスラム教のアッラーは、同一の神なのです。クルアーンで、アッラー自身がそうのべている・・・この三つの宗教(とりわけ、キリスト教とイスラム教)は、以下に示すように、考え方の骨格がほぼ同じ。ひとつの宗教だと考えてもいいほどです」、なるほど。
・『[宗教の骨格] ・神が天地を「創造」した。 ・創造した世界は、やがて「終末」が来て壊れてしまう。 ・そのときに、死んだ人間はもう一度肉体を与えられて「復活」する。 ・そして、神による「最後の審判」を受ける。 ・赦された人間は、救われて、神の王国(キリスト教)や緑園(イスラム教)に行く。救われなければ、永遠の炎で焼かれる。 キリスト教とイスラム教で違うのは、イエス・キリストがいるかどうか。ユダヤ教やイスラム教に、キリストは存在しません。ここが違うだけなのですが、宗教の性質がまったく違ってきます』、「キリスト教とイスラム教で違うのは、イエス・キリストがいるかどうか。ユダヤ教やイスラム教に、キリストは存在しません。ここが違うだけなのですが、宗教の性質がまったく違ってきます」、なるほど。
・『イエス・キリストがいるとどうなるか イスラム教は、神アッラーに従います。アッラーに従うには、最後で最大の預言者ムハンマドに従います。ムハンマドの預言はクルアーンとして伝わっているので、それを重視します。 クルアーンにもとづくイスラム法に従うことが、イスラム教徒の義務です。 同じような考え方で、ユダヤ教では、モーセの律法(ユダヤ法)に従わなければなりません。 ではイエス・キリストがいるとどうなるか。 イエス・キリスト以前に、モーセなど預言者がたくさんいました。でも、イエスはキリストで、神の子で、まあ神本人のようなものです。そのイエスが、モーセの律法に従わなくてもよい、と命じた。 割礼や食物規制、犠牲の献げ方など、いちいちうるさいユダヤ法に従わなくてよくなったのです。そのかわりに、イエス・キリストの教えを記した新約聖書に従うことになりました。 こうしてキリスト教では、宗教法がなくなってしまった。何を食べてもいいし、何を着てもいいし、どう行動してもいい。ただし、イエス・キリストの教えに従いなさい。これが、キリスト教です。 イエス・キリストの教えは理解がむずかしいので、ときどき教会全体で会議を開いて、どう考えるかを決定します。「三位一体説」(父と子と聖霊が、実はひとつであるという考え方)もそうして決まりました。決まったことに従わないと、異端で、いじめられるのがキリスト教です。イエス・キリストがいるので、こういうことになる』、「クルアーンにもとづくイスラム法に従うことが、イスラム教徒の義務です。 同じような考え方で、ユダヤ教では、モーセの律法(ユダヤ法)に従わなければなりません。 ではイエス・キリストがいるとどうなるか。 イエス・キリスト以前に、モーセなど預言者がたくさんいました。でも、イエスはキリストで、神の子で、まあ神本人のようなものです。そのイエスが、モーセの律法に従わなくてもよい、と命じた。 割礼や食物規制、犠牲の献げ方など、いちいちうるさいユダヤ法に従わなくてよくなったのです。そのかわりに、イエス・キリストの教えを記した新約聖書に従うことになりました。 こうしてキリスト教では、宗教法がなくなってしまった。何を食べてもいいし、何を着てもいいし、どう行動してもいい。ただし、イエス・キリストの教えに従いなさい。これが、キリスト教です・・・イエス・キリストの教えは理解がむずかしいので、ときどき教会全体で会議を開いて、どう考えるかを決定します。「三位一体説」(父と子と聖霊が、実はひとつであるという考え方)もそうして決まりました。決まったことに従わないと、異端で、いじめられるのがキリスト教です」、なるほど。
・『人間は罪があるけれど赦される なぜイエス・キリストが現れたか。それは人間に、生まれながらの罪があるからです。キリスト教は、人間は本来、神に背く性質があると考えます。原罪です。 罪の度合いを、ユダヤ教やイスラム教より一段深く考えるのですね。そうすると、救われるのはとってもむずかしい。 それでは困るので、神は、愛のしるしとしてイエス・キリストをこの世に送った。イエス・キリストが身代わりになって、人間の罪を背負って死んでしまった。だから人間は罪があるままで赦される、と考えます。 このアクロバットのようなロジックが、キリスト教のキモです。このロジックが成り立たないと、イエス・キリストを信じることができません。 イエス・キリストは人間なのでしょうか、それとも神なのでしょうか? イエス・キリストは、マリアから生まれるときに、肉体を受けて人間になった、と考えることになっています。人間になる前は、神だった。人間になっても、神のままである。つまり、その正体は神なので、イエス・キリストを拝んでもよいのです。 ※本原稿は、2022年11月に大学院大学至善館で行なった講演(https://shizenkan.ac.jp/event/religions_oc2023/)をもとに、再編集したものです。(橋爪大三郎氏の略歴はリンク先参照)』、「キリスト教は、人間は本来、神に背く性質があると考えます。原罪です。 罪の度合いを、ユダヤ教やイスラム教より一段深く考えるのですね。そうすると、救われるのはとってもむずかしい。 それでは困るので、神は、愛のしるしとしてイエス・キリストをこの世に送った。イエス・キリストが身代わりになって、人間の罪を背負って死んでしまった。だから人間は罪があるままで赦される、と考えます・・・イエス・キリストは、マリアから生まれるときに、肉体を受けて人間になった、と考えることになっています。人間になる前は、神だった。人間になっても、神のままである。つまり、その正体は神なので、イエス・キリストを拝んでもよいのです」、なるほど。
・『「人は死んだらどうなるのか」を宗教に学ぶ――著者より 突然ですが、この本は、死んだらどうなるかの話です。 だいたい死は、突然やってくるものなので、お許しください。 ただしご安心ください。「死んだらどうなるかの話」は、死ぬことそのものではありません。むしろそんなことを考えるのは、生きているひとです。かく言う著者の私もまだ生きているし、この本を手にとったあなたも生きている。悠長なことです。いまにも死にそうで、それどころではないひとだってけっこういるのに。 じゃあなぜ、そんな悠長なことを考えるのか。 いよいよ死にそうになったときには、じっくり考える時間がありません。気力も体力もないかもしれない。そうするうち、死んだらどうなるかもはっきりしないまま、死んでしまう。もったいないことです。せっかく死ぬのに。 人間は、自分が死ぬとわかっている。よろしい。では、死んだらどうなるとわかっているのでしょうか。 むかし人びとは、群れをつくったり、村に住んだり、小さな集団で暮らしていました。そこには、死んだらどうなるか、の決まった考え方がありました。死んだら鳥になる。先祖のところに帰る。どこか遠くで、楽しく暮らす。などなど。それは、人びとが自分の考えを持ち寄って、みんなの考えにしたものです。 そのうち、社会はもっと複雑になります。広い場所で農業を営み、人口も増えた。社会階層が分化した。ふつうの人びとのほかに、商人や職人や、軍人や王さまや、官僚や神官がいます。複雑な社会のなかで、人びとはさまざまな人生を歩みます。職業を変わったり、出世したり落ちぶれたり、戦争に駆り出されたり難民としてよその土地に移住したり。人びとの生き方が何通りもあるということは、人びとの考え方も何通りもあるということです。 広い場所には、さまざまな文化をもった人びとが集まります。さまざまな人種、さまざまな民族の人びとが集まります。死んだらどうなるか、の考え方も違います。これが、「宗教の違い」として意識されます。 いくつも宗教がある。それは、死んだらどうなるか、の考え方がいくつもあるということです。いくつも宗教が出てきてどうなったかというと、大部分は廃れてしまいました。けれどもそのうちいくつかは、信じる人びとの人数が増えて生き残りました。それが「大宗教」です。大宗教は、社会を丸ごと呑みこんで、文明につくり変えました。そうした文明は現在も大きな勢力を保っています。 いま、世界には、四つの大きな文明があります。どれも、宗教を土台にしています。 ・ ヨーロッパ・キリスト教文明 ……キリスト教を土台にしている ・ イスラム文明 ……イスラム教を土台にしている ・ ヒンドゥー文明 ……ヒンドゥー教を土台にしている ・ 中国・儒教文明 ……儒教を土台にしている 【知の達人が教える、知っておくべき世界のしくみ】「キリスト教とイスラム教、実は同じ」を超わかりやすく説明【書籍オンライン編集部セレクション】 この本では、これらの宗教が、人間は死んだらどうなると考えているのか、詳しく追いかけることにします。それぞれの宗教について調べて、もの知りになることが、目的ではありません。自分で納得して、そうだと思える考え方を、選び取ることが目的です。もしかしたら、どの考え方にも納得できないかもしれません。(最近、そういう人びとが増えています。)そういう場合には、ほかにどういう考え方があるのかも、わかる限りで紹介することにします。 この本のタイトルは、『死の講義──死んだらどうなるか、自分で決めなさい』です。こんな本を読んでいると、変な目で見られるかもしれません。縁起でもない、と。いやいや、決して怪しい本ではないですよ、と説明してあげましょう』、「むかし人びとは、群れをつくったり、村に住んだり、小さな集団で暮らしていました。そこには、死んだらどうなるか、の決まった考え方がありました。死んだら鳥になる。先祖のところに帰る。どこか遠くで、楽しく暮らす。などなど。それは、人びとが自分の考えを持ち寄って、みんなの考えにしたものです。 そのうち、社会はもっと複雑になります。広い場所で農業を営み、人口も増えた。社会階層が分化した。ふつうの人びとのほかに、商人や職人や、軍人や王さまや、官僚や神官がいます。複雑な社会のなかで、人びとはさまざまな人生を歩みます。職業を変わったり、出世したり落ちぶれたり、戦争に駆り出されたり難民としてよその土地に移住したり。人びとの生き方が何通りもあるということは、人びとの考え方も何通りもあるということです・・・死んだらどうなるか、の考え方も違います。これが、「宗教の違い」として意識されます。 いくつも宗教がある。それは、死んだらどうなるか、の考え方がいくつもあるということです。いくつも宗教が出てきてどうなったかというと、大部分は廃れてしまいました。けれどもそのうちいくつかは、信じる人びとの人数が増えて生き残りました。それが「大宗教」です。大宗教は、社会を丸ごと呑みこんで、文明につくり変えました。そうした文明は現在も大きな勢力を保っています。 いま、世界には、四つの大きな文明があります・・・この本では、これらの宗教が、人間は死んだらどうなると考えているのか、詳しく追いかけることにします。それぞれの宗教について調べて、もの知りになることが、目的ではありません。自分で納得して、そうだと思える考え方を、選び取ることが目的です。もしかしたら、どの考え方にも納得できないかもしれません。(最近、そういう人びとが増えています。)そういう場合には、ほかにどういう考え方があるのかも、わかる限りで紹介することにします」、なるほど。
・『この本を読む理由。 死んだらどうなるかわからないので、怖くて、心配で、読むのではありません。もちろん、怖くて、心配で、困って読むのでもかまいません。でもほんとうは、しっかり生きるために読む、のです。 死んだらどうなるのか、死んでみるまでわからない。それなら、死んだらどうなるのかは、自分が自由に決めてよいのです。宗教の数だけ、人びとの考え方の数だけ、死んだらどうなるのか、の答えがあります。そのどれにも、大事な生き方が詰まっています。人生の知恵がこめられています。それは、これまでを生きた人びとから、いまを生きる人びとへのプレゼントです。 これより大きなプレゼントがあるでしょうか。私の役目は、そのプレゼントを、読者の皆さんに届けることです。 そこで、読者のみなさんに、約束します。 中学生でも読めるように、わかりやすく書きます。 少しむずかしい言葉を使うときは、説明や注をつけます。 頭に入りやすいように、かみ砕いて話を進めます。 人間が死んだらどうなるのか。この本にあるように、ほんとうにいろいろな考え方があります。そしてどれも、よく考えられています。選りどり見どりです。 人間が死んだらどうなるのか、いろんな考え方に触れるのはよいことです。とりあえずどれかに決めてみるのもよい。より深みと奥行きのある生き方を実感できます』、「ほんとうは、しっかり生きるために読む、のです。 死んだらどうなるのか、死んでみるまでわからない。それなら、死んだらどうなるのかは、自分が自由に決めてよいのです。宗教の数だけ、人びとの考え方の数だけ、死んだらどうなるのか、の答えがあります。そのどれにも、大事な生き方が詰まっています。人生の知恵がこめられています。それは、これまでを生きた人びとから、いまを生きる人びとへのプレゼントです・・・人間が死んだらどうなるのか、いろんな考え方に触れるのはよいことです。とりあえずどれかに決めてみるのもよい。より深みと奥行きのある生き方を実感できます」、「これまでを生きた人びとから、いまを生きる人びとへのプレゼントです」、有難い話だ。大いに活用しよう。
タグ:「教皇が次々とリベラルな路線を打ち出すのを見ると、黙っていられなくなった。 離婚した女性や、いわゆるLGBTQの人をどう受け入れるか。聖職者の妻帯を許すか否か。そうした点に関する教皇の教えに、ストリックランドは公然と異を唱え出した・・・昨年11月、ストリックランドは司教職を解かれた。まあ仕方ないと、納得はしている。しかし、こんなふうだと教会内に「恐怖の気配」が満ちてしまうと懸念してもいる・・・ Newsweek日本版「LGBTQは受け入れても保守派は排除...「リベラル教皇」で割れるカトリック教会 「文化戦争」の最前線でいま何が?」 (その14)(LGBTQは受け入れても保守派は排除...「リベラル教皇」で割れるカトリック教会 「文化戦争」の最前線でいま何が?、「旧統一教会の痕跡を消し去れ!」 ロゴの消去を強要…外務省の「証拠隠滅」裏工作が発覚 “アフリカODA”を巡って【独自】、【知の達人が教える 知っておくべき世界のしくみ】「キリスト教とイスラム教 実は同じ」を超わかりやすく説明【書籍オンライン編集部セレクション】 宗教で読み解く世界:その4) 宗教 新しい教皇が教会を進歩的な方向へ導こうとしている。そのことが明白になった。保守派の信者は猛反発した。LGBTQの人を受け入れるなんて、冗談じゃないと。 しかし、この教皇は一貫して同性愛コミュニティーに対して寛容で、昨年には条件付きながらも同性カップルを正式に「祝福」してよいとする画期的な見解を示した。) これには世界中から反対の声が上がった・・・しかし教皇フランシスコは動じない。「人々を搾取するような起業家」に平気で祝福を授ける一方、たとえ同性同士でも「愛し合う2人」への祝福を拒むというのは「偽善」だと、 真っ向から言い返している」、なるほど。 「教皇フランシスコは昨年の夏に明確なメッセージを出した。アメリカのカトリック教会にいる一部保守派は「後ろ向き」だと批判し、彼らの「極めて強力かつ組織化された反動的姿勢」は政治的イデオロギーであって信仰心ではないと断じた。そして、行動に出た。) まずは冒頭のストリックランド司教の解任。その数週間後にはアメリカ出身の枢機卿レイモンド・バークをバチカン市国所有のマンションから追い出し、給与の支払いも停止した。前代未聞の処分である」、なるほど。 「左右からの批判はあるものの、ほとんどの信者は今の教皇を支持している。米世論調査機関ピュー・リサーチセンターが21年に実施した調査では、アメリカのカトリック信者の82%が教皇を「非常に」あるいは「おおむね」好意的に見ていた。アメリカ国民全体でも、過半数を超える63%がフランシスコ支持を表明していた。 極右で自称「無政府主義者」のアルゼンチン大統領ハビエル・ミレイも、以前はフランシスコを「能無し」で「汚い左翼」とけなしていたが、昨年末に大統領となってからはトーンダウン。 今年2月にはフランシスコを「史上最も重要なアルゼンチン人」と絶賛し、バチカンでのミサに出席したときはフランシスコと熱い抱擁を交わした」、なるほど。 「諸外国の進歩派はそれなりに礼儀正しい言葉を使うが、アメリカの伝統派カトリックはすぐソーシャルメディアに飛び付いて教皇に対する不満を拡散させたがる。 だから教皇フランシスコとアメリカのカトリック教会の関係が「いい方向に向かうとは思えない」とファッジョーリは言い、こう付け加えた。「各国の教会組織との関係はどこでも厄介なものだが、今の教皇にとってはアメリカとの関係が最も波乱含みだ。これは間違いない」、なるほど。 デイリー新潮「「旧統一教会の痕跡を消し去れ!」 ロゴの消去を強要…外務省の「証拠隠滅」裏工作が発覚 “アフリカODA”を巡って【独自】」 「アフリカ大陸西端の国、セネガル。2023年4月、日本から約1万4000キロも離れた同国のダカール州に、外務省国際協力局のある課長はわざわざ足を運んでいた。目的は、現地にある女性のための職業訓練校「JAMOO2」(「JAMOO」は現地のウォロフ語で“平和をもたらす”、「2」は2号校の意)を訪れることだった。だが、外務省課長は「視察」のために同校に行ったわけではない。彼の任務は「証拠隠滅」だった。 同校の校長を務める女性、ベロニク・ディオプ氏が、その時の様子を証言する。 「日本政府の人は高圧的な態度で、『野党と世論をなだめるため、とにかく“痕跡”をすべて消さなければいけない』と要求してきました。この学校を失ってしまうかもしれないと恐怖を感じた私は従うしかありませんでした。実際、外務省課長はディオプ氏に、JAMOO2の校舎の外壁や看板など、いたるところに掲げられていた「ロゴ」をひとつ残らず消すように命じた。それだけではなく、同校を全く別の学校へと衣替えさせるかのように、電話番号やメールアドレスも変更するよう要求したのだ。外務省課長が「抹消」にこだわったロゴ、それは世界平和女 性連合(以下、女性連合)、すなわち旧統一教会・・・の関連団体のものだった」、そもそも「旧統一教会」と関係づけたのには、如何なる経緯があったのだろう。 「JAMOO2にODA供与の承認をした当時の外務大臣は、現首相の岸田氏だった。外務省として、ODA供与の判断が誤っていたとは、口が裂けても認めることができない・・・外務省はディオプ氏に、女性連合とは関係ないことをアピールさせるために、ロゴの消去などの「証拠隠滅」を強要した」、なるほど。 「外務省。「証拠」は隠せても、「証拠隠滅」の事実自体を隠し通すことはできなかった」、その後、大きく問題化していないことからみて、「外務省」の隠蔽工作は上手くいったようだ。 ダイヤモンド・オンライン 橋爪大三郎氏による「【知の達人が教える、知っておくべき世界のしくみ】「キリスト教とイスラム教、実は同じ」を超わかりやすく説明【書籍オンライン編集部セレクション】 宗教で読み解く世界:その4」 「三つの一神教は、実はほとんど同じです。そもそも三つとも、同じ神を信じている。ユダヤ教のヤハウェと、キリスト教の父なる神(God)と、イスラム教のアッラーは、同一の神なのです。クルアーンで、アッラー自身がそうのべている・・・この三つの宗教(とりわけ、キリスト教とイスラム教)は、以下に示すように、考え方の骨格がほぼ同じ。ひとつの宗教だと考えてもいいほどです」、なるほど。 「キリスト教とイスラム教で違うのは、イエス・キリストがいるかどうか。ユダヤ教やイスラム教に、キリストは存在しません。ここが違うだけなのですが、宗教の性質がまったく違ってきます」、なるほど。 「クルアーンにもとづくイスラム法に従うことが、イスラム教徒の義務です。 同じような考え方で、ユダヤ教では、モーセの律法(ユダヤ法)に従わなければなりません。 ではイエス・キリストがいるとどうなるか。 イエス・キリスト以前に、モーセなど預言者がたくさんいました。でも、イエスはキリストで、神の子で、まあ神本人のようなものです。そのイエスが、モーセの律法に従わなくてもよい、と命じた。 割礼や食物規制、犠牲の献げ方など、いちいちうるさいユダヤ法に従わなくてよくなったのです。そのかわりに、イエス・キリストの教えを記した新約聖書に従うことになりました。 こうしてキリスト教では、宗教法がなくなってしまった。何を食べてもいいし、何を着てもいいし、どう行動してもいい。ただし、イエス・キリストの教えに従いなさい。これが、キリスト教です・・・イエス・キリストの教えは理解がむずかしいので、ときどき教会全体で会議を開いて、どう考えるかを決定します。「三位一体説」(父と子と聖霊が、実はひとつであるという考え 方)もそうして決まりました。決まったことに従わないと、異端で、いじめられるのがキリスト教です」、なるほど。 「キリスト教は、人間は本来、神に背く性質があると考えます。原罪です。 罪の度合いを、ユダヤ教やイスラム教より一段深く考えるのですね。そうすると、救われるのはとってもむずかしい。 それでは困るので、神は、愛のしるしとしてイエス・キリストをこの世に送った。イエス・キリストが身代わりになって、人間の罪を背負って死んでしまった。だから人間は罪があるままで赦される、と考えます・・・イエス・キリストは、マリアから生まれるときに、肉体を受けて人間になった、と考えることになっています。人間になる前は、神だった。人間になっ た、と考えることになっています。人間になる前は、神だった。人間になっても、神のままである。つまり、その正体は神なので、イエス・キリストを拝んでもよいのです」、なるほど。 「むかし人びとは、群れをつくったり、村に住んだり、小さな集団で暮らしていました。そこには、死んだらどうなるか、の決まった考え方がありました。死んだら鳥になる。先祖のところに帰る。どこか遠くで、楽しく暮らす。などなど。それは、人びとが自分の考えを持ち寄って、みんなの考えにしたものです。 そのうち、社会はもっと複雑になります。広い場所で農業を営み、人口も増えた。社会階層が分化した。ふつうの人びとのほかに、商人や職人や、軍人や王さまや、官僚や神官がいます。 複雑な社会のなかで、人びとはさまざまな人生を歩みます。職業を変わったり、出世したり落ちぶれたり、戦争に駆り出されたり難民としてよその土地に移住したり。人びとの生き方が何通りもあるということは、人びとの考え方も何通りもあるということです・・・死んだらどうなるか、の考え方も違います。これが、「宗教の違い」として意識されます。 いくつも宗教がある。それは、死んだらどうなるか、の考え方がいくつもあるということです。いくつも宗教が出てきてどうなったかというと、大部分は廃れてしまいました。 けれどもそのうちいくつかは、信じる人びとの人数が増えて生き残りました。それが「大宗教」です。大宗教は、社会を丸ごと呑みこんで、文明につくり変えました。そうした文明は現在も大きな勢力を保っています。 いま、世界には、四つの大きな文明があります・・・この本では、これらの宗教が、人間は死んだらどうなると考えているのか、詳しく追いかけることにします。それぞれの宗教について調べて、もの知りになることが、目的ではありません。自分で納得して、そうだと思える考え方を、選び取ることが目的です。もしかしたら、どの考え方にも納 得できないかもしれません。(最近、そういう人びとが増えています。)そういう場合には、ほかにどういう考え方があるのかも、わかる限りで紹介することにします」、なるほど。 「ほんとうは、しっかり生きるために読む、のです。 死んだらどうなるのか、死んでみるまでわからない。それなら、死んだらどうなるのかは、自分が自由に決めてよいのです。宗教の数だけ、人びとの考え方の数だけ、死んだらどうなるのか、の答えがあります。そのどれにも、大事な生き方が詰まっています。人生の知恵がこめられています。それは、これまでを生きた人びとから、いまを生きる人びとへのプレゼントです・・・ 人間が死んだらどうなるのか、いろんな考え方に触れるのはよいことです。とりあえずどれかに決めてみるのもよい。より深みと奥行きのある生き方を実感できます」、「これまでを生きた人びとから、いまを生きる人びとへのプレゼントです」、有難い話だ。大いに活用しよう。