韓国(尹錫悦大統領)(その3)(韓国戒厳令 「第2次朝鮮戦争」寸前の危機だった? 韓国メディアが報じている“衝撃シナリオ”の全貌、大統領の「自爆」クーデターと 韓国で続いていた「軍人政治」) [世界情勢]
韓国(尹錫悦大統領)については、12月18日に取上げた。今日は、(その3)(韓国戒厳令 「第2次朝鮮戦争」寸前の危機だった? 韓国メディアが報じている“衝撃シナリオ”の全貌、大統領の「自爆」クーデターと 韓国で続いていた「軍人政治」)である。
・先ずは、12月23日付け デイリー新潮が掲載した「韓国戒厳令 「第2次朝鮮戦争」寸前の危機だった? 韓国メディアが報じている“衝撃シナリオ”の全貌」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/12231053/?all=1
・『内乱容疑で次々と逮捕 突如、戒厳令を宣布して国民の強い怒りを買った韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の弾劾訴追案が、2度目の国会採決でついに可決された。前代未聞の展開のウラで、一体何が起こっていたのか。韓国メディア、関係者の証言から紐解く。 これまで、首謀者とされる金龍顕(キム・ヨンヒョン)前国防相、呂寅兄(ヨ・インヒョン)前国軍防諜司令官、辞任した李祥敏(イ・サンミン)前行政安全相、戒厳司令官を務めた朴安洙(パク・アンス)陸軍参謀総長、警察庁の趙志浩(チョ・ジホ)長官、ソウル警察庁の金峰埴(キム・ボンシク)長官らが内乱容疑で次々と逮捕・告発された。...』、「首謀者とされる金龍顕・・・前国防相、呂寅兄・・・前国軍防諜司令官、辞任した李祥敏・・・前行政安全相、戒厳司令官を務めた朴安洙・・・陸軍参謀総長、警察庁の趙志浩・・・長官、ソウル警察庁の金峰埴・・・長官らが内乱容疑で次々と逮捕・告発された」、なるほど。
・『明かされた戒厳軍の計画 韓国の脱北者団体が体制批判ビラを飛ばしたことへの報復として、北朝鮮が5月末から大量の汚物風船を韓国領土へ飛ばした。そのさなか、ユン大統領の頭の中には「ドローン機による平壌侵入→北朝鮮軍部の反撃→韓国側による汚物風船拠点への攻撃→南北局地戦→戒厳令宣布→野党党首らの逮捕」というロードマップが描かれていたのかもしれない。 実際、10月11日、北朝鮮外務省は「韓国が2週間にわたり平壌にドローンを夜間侵入させ我が国を批判するビラを飛ばした。侵犯が再び確認されれば宣戦布告と見なし即時報復する」と非難した。 金正恩(キム・ジョンウン)総書記の実妹で強い影響力を持つ朝鮮労働党中央委員会宣伝扇動部の金与正(キム・ヨジョン)副部長は「ドローン機が再び飛来すれば恐ろしい結果につながる。挑発行為をしている韓国軍の中にギャング集団がいる明確な証拠がある」と警告していた。 北朝鮮はこのドローン機の写真を公開しており韓国軍の偵察ドローン機であると主張している。韓国は当初、北朝鮮側にドローン機を飛ばした事実を否定していたが、韓国軍合同参謀本部はその後、「北朝鮮政府の主張について肯定も否定もできない」と立場をあいまいにしている。 北朝鮮が名指しした「ギャング集団」とは、ユン大統領と同じソウル市内の名門私立である沖岩(チュンアム)高校の先輩であるキム前国防相、後輩のヨ前国軍防諜司令官、イ前行政安全相らクーデターを画策した「沖岩派」の面々だったのか。 ユン大統領の戒厳クーデターにあたり、革新系ジャーナリストでユーチューバーの金於俊(キム・オジュン)氏が13日に国会審議に出席し「非常戒厳時に逮捕班ではなく暗殺班が動いたという情報提供を受けた。逮捕移送されている与党・国民の力の韓東勲(ハン・ドンフン)代表を射殺、チョ・グク祖国革新党代表、そして私を逮捕護送する部隊を(北朝鮮の軍服を着て)襲撃して逃走する』というのが戒厳軍の計画だった」と爆弾発言をした。ただ、情報の出どころについては「韓国国内に大使館がある友好国」とだけしか述べなかった。 一方で、保守系有力紙の朝鮮日報は「野党・共に民主党は内部検討文書の中で、北朝鮮の仕業であるかのように装おうとするのは、戒厳についての根拠をつくるためだが、戒厳宣布された後に作戦を実施すること自体が理にかなっていない、とした」(18日付)とキム・オジュン氏の主張に疑義を唱える論調だ』、「北朝鮮が名指しした「ギャング集団」とは、ユン大統領と同じソウル市内の名門私立である沖岩(チュンアム)高校の先輩であるキム前国防相、後輩のヨ前国軍防諜司令官、イ前行政安全相らクーデターを画策した「沖岩派」の面々だったのか」、なるほど。
・『北朝鮮は以前から察知か とはいえ、ユン大統領の意を汲むキム前国防相が主導して汚物風船の発射地点を攻撃する戦術的な討議が行われたことは事実のようだ。野党の共に民主党はキム前国防相が北朝鮮の汚物風船による挑発を口実に北朝鮮との局地戦を引き起こし、非常事態を誘発しようとしたとの疑惑を提起しており、朝鮮日報は「この疑惑が事実であればキム前国防相 が南北間の緊張を意図的に高めることで非常戒厳の正当性を確保しようとした可能性があると指摘されている」と報じている。 仮に本格的な戦闘にエスカレートした場合、在韓米軍や隣接する中国、ロシアを巻き込んだ“第2次朝鮮戦争”に発展しかねない非常事態となる。1950年から53年まで続いた朝鮮戦争は現在、休戦協定下にあり終戦には至っていない。それだけに局地的衝突だけで終わる保証はどこにもない。 ただし、北朝鮮はユン大統領の戒厳クーデター計画をかなり前から察知していた可能性は高い。ユン大統領は8月にクーデターに意欲を見せるキム氏を国防相に抜擢しその後、戒厳令が本格的に検討されたという。野党は国会で「ユン大統領が戒厳令を宣布することはあるのか」と何度も追及しているため、それに北朝鮮が気付かないはずはないからだ。 万が一の事態に備えるためか、北朝鮮は有事の際の相互軍事支援などを明記したロシアとの包括的戦略パートナーシップ条約を、12月4日に発効させている。不思議なことに朝鮮労働党機関紙・労働新聞は、憲政の秩序を守るとしてユン大統領が3日に非常戒厳を宣言した後の4日以降、韓国の動向をまったく伝えなくなった。 現地の政治ジャーナリストは「第2の戒厳令を防ぐため韓国側を刺激するのは得策ではない、との判断から自制したようです。北朝鮮はウクライナに侵攻したロシアに大規模な兵力を派遣しているため国内兵力が不足していることも理由の1つです。12月11日になってようやく朝鮮中央通信が、非常戒厳を巡る韓国内の抗議デモや政治的混乱に初めて言及しました。相次ぐ軍高官の逮捕や急ピッチで進む捜査を見て攻撃を受ける可能性は低くなったと見たのでしょう」と分析。そのうえで、「北朝鮮はロシアと軍事同盟を結んでいるため、ユン大統領の命令で韓国軍が北朝鮮領土を攻撃した場合、ロシア軍とも交戦となる危機的事態になるところでした」と振り返る。 結局、ユン大統領が企図した北朝鮮への攻撃計画は、軍内部高官の消極姿勢で頓挫。非常戒厳令も宣布から約3時間後、一部軍隊の厭戦気分や韓国国会(定数300)の動議可決によって無効になった。ユン大統領も受け入れざるを得ず戒厳令はわずか6時間で撤回された。 「国内外のメディアはユン大統領弾劾を求めるK-POP集会の平和的光景を繰り返し報道していますが、北朝鮮への攻撃が実行されていたら韓国内は戦慄のパニック状態になっていたでしょう。日本政府も在韓日本人の救出移送をめぐって混乱は避けられなかった。ユン大統領に対する一刻も早い本格的捜査が必要です」(前出の現地ジャーナリスト) 出頭要請を拒否し続けているユン大統領。取り巻きはほとんど逮捕されてしまったが、今後どうなるのだろうか』、「「北朝鮮はロシアと軍事同盟を結んでいるため、ユン大統領の命令で韓国軍が北朝鮮領土を攻撃した場合、ロシア軍とも交戦となる危機的事態になるところでした」と振り返る。 結局、ユン大統領が企図した北朝鮮への攻撃計画は、軍内部高官の消極姿勢で頓挫。非常戒厳令も宣布から約3時間後、一部軍隊の厭戦気分や韓国国会(定数300)の動議可決によって無効になった」、どうやら真相は本当に危機一髪だったようだ。
第三に、12月26日付けNewsweek日本版が掲載した元CIA諜報員グレン・カール氏による「大統領の「自爆」クーデターと、韓国で続いていた「軍人政治」」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/glenn/2024/12/post-133_1.php
・『<韓国では尹錫悦大統領が合同捜査本部の出頭を拒否し続けているが、そもそも尹が「自爆」クーデターを起こした原因は、87年の民主化後も水面下で続いていた「軍人政治」にある> 12月3日夜に韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)統領が非常戒厳を宣布して「自己クーデター」を試みた動きが失敗に終わったことは、この国の政治文化が持つ重大な欠陥を改めて浮き彫りにした。その欠陥は、韓国の民主政治の安定を脅かす要因であり続けてきた。 1980年に全斗煥(チョン・ドゥファン)が非常戒厳の拡大措置を行って以来、クーデターそのものは実現していないが、その後の40年余りの間にもクーデターが起きそうになったことはたびたびあった。最も新しいところでは、当時の朴槿恵(パク・クネ)政権が汚職疑惑で揺れていた2017年に、戒厳令宣布の一歩手前まで行ったことがあったという。 今回のクーデターは未遂に終わり、尹の弾劾手続きが進められている。しかし将来、韓国で再びクーデターが起きる可能性は残っている。その危険を取り除くためには、軍と軍出身者が政府で極めて大きな役割を担っている状況と、2大政党が互いを国家の敵と非難し合うほど分極した政治文化を改めなくてはならない。 私がCIAで働いていた頃、思慮深い同僚たちは、米軍出身者をCIAや国務省の要職に据えるべきではないと言っていた。確かにCIAと軍は使命が異なり、職員の世界観も違うし、権力に対する姿勢も違う。特に軍の人間は上下関係を重んじ、組織の上層部への忠誠心を抱く傾向が強い。こうした軍の性質は、組織への忠誠心よりも「法の支配」を優先させるべき民主国家の文民政府にとって、危険な要素になりかねない』、「特に軍の人間は上下関係を重んじ、組織の上層部への忠誠心を抱く傾向が強い。こうした軍の性質は、組織への忠誠心よりも「法の支配」を優先させるべき民主国家の文民政府にとって、危険な要素になりかねない」、その通りだ。
・『人気ドラマ『愛の不時着』を槍玉に挙げる心理 その点、アメリカの軍人たちはこれまで250年近く、組織より憲法に忠誠を誓い、文民主導の「法の支配」への服従を徹底して貫いてきた。しかし、韓国の軍と政党にそのような姿勢は見られない。 韓国では、軍出身者が治安関連の要職に就くケースが多い。そうした高官たちは軍との結び付きが強く、民政が軍政的な性格を帯び、危機の際に反射的に軍を動かそうとする試みに歯止めがかかりにくい。 もう1つの危険な要素は、韓国の軍が保守政党と強力な一体感を抱く一方、進歩派政党と対立関係にあることだ。現在、保守政党の「国民の力」は、進歩派の「共に民主党」を親北朝鮮派と批判している。 主要政党が自分たちを「愛国者」と位置付け、対立政党を「裏切者」と批判するとき、民主政治の基盤は常に揺らぐ。韓国ではそのような政治文化の下、保守派が人気ドラマ『愛の不時着』を「北朝鮮を美化して国家安全保障法に違反している」とやり玉に挙げたこともあった。 尹のクーデター未遂の背景には、大統領の汚職疑惑と逮捕への不安があった。韓国の歴代大統領はしばしば、自身の生き残りと国家の防衛を同一視してきた。今回の騒動では、国会が戒厳令の解除を求める決議を可決したにもかかわらず、高い地位に就いている職業軍人たちは、尹が戒厳令解除の方針を示すまで国会の要求に従うことを拒み続けた』、「尹のクーデター未遂の背景には、大統領の汚職疑惑と逮捕への不安があった。韓国の歴代大統領はしばしば、自身の生き残りと国家の防衛を同一視してきた。今回の騒動では、国会が戒厳令の解除を求める決議を可決したにもかかわらず、高い地位に就いている職業軍人たちは、尹が戒厳令解除の方針を示すまで国会の要求に従うことを拒み続けた」、なるほど。
・『政党や軍や政治家より「法の支配」を重んじる 皮肉なことに、尹は検察官時代の16年に朴の汚職疑惑の捜査を指揮した人物だ。その捜査をきっかけに朴の弾劾手続きが始まり、戒厳令の宣布が水面下で準備されるに至った。今回のクーデター未遂では、尹自身も民主主義者というより、儒教的な独裁者だったことが明らかになった。 それとは別に、もう1つ明らかになったことがある。尹の戒厳令宣布に対して韓国社会がほぼ足並みをそろえて反対し、その企てを失敗に追い込んだことは、韓国の政治文化に強力な民主主義的性質が根付いている証拠だ。政党や軍や政治家よりも法の支配を重んじる考え方が、そこには確かにあった』、「尹の戒厳令宣布に対して韓国社会がほぼ足並みをそろえて反対し、その企てを失敗に追い込んだことは、韓国の政治文化に強力な民主主義的性質が根付いている証拠だ」、心強くなれる要素だ。
・先ずは、12月23日付け デイリー新潮が掲載した「韓国戒厳令 「第2次朝鮮戦争」寸前の危機だった? 韓国メディアが報じている“衝撃シナリオ”の全貌」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/12231053/?all=1
・『内乱容疑で次々と逮捕 突如、戒厳令を宣布して国民の強い怒りを買った韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の弾劾訴追案が、2度目の国会採決でついに可決された。前代未聞の展開のウラで、一体何が起こっていたのか。韓国メディア、関係者の証言から紐解く。 これまで、首謀者とされる金龍顕(キム・ヨンヒョン)前国防相、呂寅兄(ヨ・インヒョン)前国軍防諜司令官、辞任した李祥敏(イ・サンミン)前行政安全相、戒厳司令官を務めた朴安洙(パク・アンス)陸軍参謀総長、警察庁の趙志浩(チョ・ジホ)長官、ソウル警察庁の金峰埴(キム・ボンシク)長官らが内乱容疑で次々と逮捕・告発された。...』、「首謀者とされる金龍顕・・・前国防相、呂寅兄・・・前国軍防諜司令官、辞任した李祥敏・・・前行政安全相、戒厳司令官を務めた朴安洙・・・陸軍参謀総長、警察庁の趙志浩・・・長官、ソウル警察庁の金峰埴・・・長官らが内乱容疑で次々と逮捕・告発された」、なるほど。
・『明かされた戒厳軍の計画 韓国の脱北者団体が体制批判ビラを飛ばしたことへの報復として、北朝鮮が5月末から大量の汚物風船を韓国領土へ飛ばした。そのさなか、ユン大統領の頭の中には「ドローン機による平壌侵入→北朝鮮軍部の反撃→韓国側による汚物風船拠点への攻撃→南北局地戦→戒厳令宣布→野党党首らの逮捕」というロードマップが描かれていたのかもしれない。 実際、10月11日、北朝鮮外務省は「韓国が2週間にわたり平壌にドローンを夜間侵入させ我が国を批判するビラを飛ばした。侵犯が再び確認されれば宣戦布告と見なし即時報復する」と非難した。 金正恩(キム・ジョンウン)総書記の実妹で強い影響力を持つ朝鮮労働党中央委員会宣伝扇動部の金与正(キム・ヨジョン)副部長は「ドローン機が再び飛来すれば恐ろしい結果につながる。挑発行為をしている韓国軍の中にギャング集団がいる明確な証拠がある」と警告していた。 北朝鮮はこのドローン機の写真を公開しており韓国軍の偵察ドローン機であると主張している。韓国は当初、北朝鮮側にドローン機を飛ばした事実を否定していたが、韓国軍合同参謀本部はその後、「北朝鮮政府の主張について肯定も否定もできない」と立場をあいまいにしている。 北朝鮮が名指しした「ギャング集団」とは、ユン大統領と同じソウル市内の名門私立である沖岩(チュンアム)高校の先輩であるキム前国防相、後輩のヨ前国軍防諜司令官、イ前行政安全相らクーデターを画策した「沖岩派」の面々だったのか。 ユン大統領の戒厳クーデターにあたり、革新系ジャーナリストでユーチューバーの金於俊(キム・オジュン)氏が13日に国会審議に出席し「非常戒厳時に逮捕班ではなく暗殺班が動いたという情報提供を受けた。逮捕移送されている与党・国民の力の韓東勲(ハン・ドンフン)代表を射殺、チョ・グク祖国革新党代表、そして私を逮捕護送する部隊を(北朝鮮の軍服を着て)襲撃して逃走する』というのが戒厳軍の計画だった」と爆弾発言をした。ただ、情報の出どころについては「韓国国内に大使館がある友好国」とだけしか述べなかった。 一方で、保守系有力紙の朝鮮日報は「野党・共に民主党は内部検討文書の中で、北朝鮮の仕業であるかのように装おうとするのは、戒厳についての根拠をつくるためだが、戒厳宣布された後に作戦を実施すること自体が理にかなっていない、とした」(18日付)とキム・オジュン氏の主張に疑義を唱える論調だ』、「北朝鮮が名指しした「ギャング集団」とは、ユン大統領と同じソウル市内の名門私立である沖岩(チュンアム)高校の先輩であるキム前国防相、後輩のヨ前国軍防諜司令官、イ前行政安全相らクーデターを画策した「沖岩派」の面々だったのか」、なるほど。
・『北朝鮮は以前から察知か とはいえ、ユン大統領の意を汲むキム前国防相が主導して汚物風船の発射地点を攻撃する戦術的な討議が行われたことは事実のようだ。野党の共に民主党はキム前国防相が北朝鮮の汚物風船による挑発を口実に北朝鮮との局地戦を引き起こし、非常事態を誘発しようとしたとの疑惑を提起しており、朝鮮日報は「この疑惑が事実であればキム前国防相 が南北間の緊張を意図的に高めることで非常戒厳の正当性を確保しようとした可能性があると指摘されている」と報じている。 仮に本格的な戦闘にエスカレートした場合、在韓米軍や隣接する中国、ロシアを巻き込んだ“第2次朝鮮戦争”に発展しかねない非常事態となる。1950年から53年まで続いた朝鮮戦争は現在、休戦協定下にあり終戦には至っていない。それだけに局地的衝突だけで終わる保証はどこにもない。 ただし、北朝鮮はユン大統領の戒厳クーデター計画をかなり前から察知していた可能性は高い。ユン大統領は8月にクーデターに意欲を見せるキム氏を国防相に抜擢しその後、戒厳令が本格的に検討されたという。野党は国会で「ユン大統領が戒厳令を宣布することはあるのか」と何度も追及しているため、それに北朝鮮が気付かないはずはないからだ。 万が一の事態に備えるためか、北朝鮮は有事の際の相互軍事支援などを明記したロシアとの包括的戦略パートナーシップ条約を、12月4日に発効させている。不思議なことに朝鮮労働党機関紙・労働新聞は、憲政の秩序を守るとしてユン大統領が3日に非常戒厳を宣言した後の4日以降、韓国の動向をまったく伝えなくなった。 現地の政治ジャーナリストは「第2の戒厳令を防ぐため韓国側を刺激するのは得策ではない、との判断から自制したようです。北朝鮮はウクライナに侵攻したロシアに大規模な兵力を派遣しているため国内兵力が不足していることも理由の1つです。12月11日になってようやく朝鮮中央通信が、非常戒厳を巡る韓国内の抗議デモや政治的混乱に初めて言及しました。相次ぐ軍高官の逮捕や急ピッチで進む捜査を見て攻撃を受ける可能性は低くなったと見たのでしょう」と分析。そのうえで、「北朝鮮はロシアと軍事同盟を結んでいるため、ユン大統領の命令で韓国軍が北朝鮮領土を攻撃した場合、ロシア軍とも交戦となる危機的事態になるところでした」と振り返る。 結局、ユン大統領が企図した北朝鮮への攻撃計画は、軍内部高官の消極姿勢で頓挫。非常戒厳令も宣布から約3時間後、一部軍隊の厭戦気分や韓国国会(定数300)の動議可決によって無効になった。ユン大統領も受け入れざるを得ず戒厳令はわずか6時間で撤回された。 「国内外のメディアはユン大統領弾劾を求めるK-POP集会の平和的光景を繰り返し報道していますが、北朝鮮への攻撃が実行されていたら韓国内は戦慄のパニック状態になっていたでしょう。日本政府も在韓日本人の救出移送をめぐって混乱は避けられなかった。ユン大統領に対する一刻も早い本格的捜査が必要です」(前出の現地ジャーナリスト) 出頭要請を拒否し続けているユン大統領。取り巻きはほとんど逮捕されてしまったが、今後どうなるのだろうか』、「「北朝鮮はロシアと軍事同盟を結んでいるため、ユン大統領の命令で韓国軍が北朝鮮領土を攻撃した場合、ロシア軍とも交戦となる危機的事態になるところでした」と振り返る。 結局、ユン大統領が企図した北朝鮮への攻撃計画は、軍内部高官の消極姿勢で頓挫。非常戒厳令も宣布から約3時間後、一部軍隊の厭戦気分や韓国国会(定数300)の動議可決によって無効になった」、どうやら真相は本当に危機一髪だったようだ。
第三に、12月26日付けNewsweek日本版が掲載した元CIA諜報員グレン・カール氏による「大統領の「自爆」クーデターと、韓国で続いていた「軍人政治」」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/glenn/2024/12/post-133_1.php
・『<韓国では尹錫悦大統領が合同捜査本部の出頭を拒否し続けているが、そもそも尹が「自爆」クーデターを起こした原因は、87年の民主化後も水面下で続いていた「軍人政治」にある> 12月3日夜に韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)統領が非常戒厳を宣布して「自己クーデター」を試みた動きが失敗に終わったことは、この国の政治文化が持つ重大な欠陥を改めて浮き彫りにした。その欠陥は、韓国の民主政治の安定を脅かす要因であり続けてきた。 1980年に全斗煥(チョン・ドゥファン)が非常戒厳の拡大措置を行って以来、クーデターそのものは実現していないが、その後の40年余りの間にもクーデターが起きそうになったことはたびたびあった。最も新しいところでは、当時の朴槿恵(パク・クネ)政権が汚職疑惑で揺れていた2017年に、戒厳令宣布の一歩手前まで行ったことがあったという。 今回のクーデターは未遂に終わり、尹の弾劾手続きが進められている。しかし将来、韓国で再びクーデターが起きる可能性は残っている。その危険を取り除くためには、軍と軍出身者が政府で極めて大きな役割を担っている状況と、2大政党が互いを国家の敵と非難し合うほど分極した政治文化を改めなくてはならない。 私がCIAで働いていた頃、思慮深い同僚たちは、米軍出身者をCIAや国務省の要職に据えるべきではないと言っていた。確かにCIAと軍は使命が異なり、職員の世界観も違うし、権力に対する姿勢も違う。特に軍の人間は上下関係を重んじ、組織の上層部への忠誠心を抱く傾向が強い。こうした軍の性質は、組織への忠誠心よりも「法の支配」を優先させるべき民主国家の文民政府にとって、危険な要素になりかねない』、「特に軍の人間は上下関係を重んじ、組織の上層部への忠誠心を抱く傾向が強い。こうした軍の性質は、組織への忠誠心よりも「法の支配」を優先させるべき民主国家の文民政府にとって、危険な要素になりかねない」、その通りだ。
・『人気ドラマ『愛の不時着』を槍玉に挙げる心理 その点、アメリカの軍人たちはこれまで250年近く、組織より憲法に忠誠を誓い、文民主導の「法の支配」への服従を徹底して貫いてきた。しかし、韓国の軍と政党にそのような姿勢は見られない。 韓国では、軍出身者が治安関連の要職に就くケースが多い。そうした高官たちは軍との結び付きが強く、民政が軍政的な性格を帯び、危機の際に反射的に軍を動かそうとする試みに歯止めがかかりにくい。 もう1つの危険な要素は、韓国の軍が保守政党と強力な一体感を抱く一方、進歩派政党と対立関係にあることだ。現在、保守政党の「国民の力」は、進歩派の「共に民主党」を親北朝鮮派と批判している。 主要政党が自分たちを「愛国者」と位置付け、対立政党を「裏切者」と批判するとき、民主政治の基盤は常に揺らぐ。韓国ではそのような政治文化の下、保守派が人気ドラマ『愛の不時着』を「北朝鮮を美化して国家安全保障法に違反している」とやり玉に挙げたこともあった。 尹のクーデター未遂の背景には、大統領の汚職疑惑と逮捕への不安があった。韓国の歴代大統領はしばしば、自身の生き残りと国家の防衛を同一視してきた。今回の騒動では、国会が戒厳令の解除を求める決議を可決したにもかかわらず、高い地位に就いている職業軍人たちは、尹が戒厳令解除の方針を示すまで国会の要求に従うことを拒み続けた』、「尹のクーデター未遂の背景には、大統領の汚職疑惑と逮捕への不安があった。韓国の歴代大統領はしばしば、自身の生き残りと国家の防衛を同一視してきた。今回の騒動では、国会が戒厳令の解除を求める決議を可決したにもかかわらず、高い地位に就いている職業軍人たちは、尹が戒厳令解除の方針を示すまで国会の要求に従うことを拒み続けた」、なるほど。
・『政党や軍や政治家より「法の支配」を重んじる 皮肉なことに、尹は検察官時代の16年に朴の汚職疑惑の捜査を指揮した人物だ。その捜査をきっかけに朴の弾劾手続きが始まり、戒厳令の宣布が水面下で準備されるに至った。今回のクーデター未遂では、尹自身も民主主義者というより、儒教的な独裁者だったことが明らかになった。 それとは別に、もう1つ明らかになったことがある。尹の戒厳令宣布に対して韓国社会がほぼ足並みをそろえて反対し、その企てを失敗に追い込んだことは、韓国の政治文化に強力な民主主義的性質が根付いている証拠だ。政党や軍や政治家よりも法の支配を重んじる考え方が、そこには確かにあった』、「尹の戒厳令宣布に対して韓国社会がほぼ足並みをそろえて反対し、その企てを失敗に追い込んだことは、韓国の政治文化に強力な民主主義的性質が根付いている証拠だ」、心強くなれる要素だ。
タグ:「特に軍の人間は上下関係を重んじ、組織の上層部への忠誠心を抱く傾向が強い。こうした軍の性質は、組織への忠誠心よりも「法の支配」を優先させるべき民主国家の文民政府にとって、危険な要素になりかねない」、その通りだ。 グレン・カール氏による「大統領の「自爆」クーデターと、韓国で続いていた「軍人政治」」 Newsweek日本版 「尹のクーデター未遂の背景には、大統領の汚職疑惑と逮捕への不安があった。韓国の歴代大統領はしばしば、自身の生き残りと国家の防衛を同一視してきた。今回の騒動では、国会が戒厳令の解除を求める決議を可決したにもかかわらず、高い地位に就いている職業軍人たちは、尹が戒厳令解除の方針を示すまで国会の要求に従うことを拒み続けた」、なるほど。 「尹の戒厳令宣布に対して韓国社会がほぼ足並みをそろえて反対し、その企てを失敗に追い込んだことは、韓国の政治文化に強力な民主主義的性質が根付いている証拠だ」、心強くなれる要素だ。 「「北朝鮮はロシアと軍事同盟を結んでいるため、ユン大統領の命令で韓国軍が北朝鮮領土を攻撃した場合、ロシア軍とも交戦となる危機的事態になるところでした」と振り返る。 結局、ユン大統領が企図した北朝鮮への攻撃計画は、軍内部高官の消極姿勢で頓挫。非常戒厳令も宣布から約3時間後、一部軍隊の厭戦気分や韓国国会(定数300)の動議可決によって無効になった」、どうやら真相は本当に危機一髪だったようだ。 「北朝鮮が名指しした「ギャング集団」とは、ユン大統領と同じソウル市内の名門私立である沖岩(チュンアム)高校の先輩であるキム前国防相、後輩のヨ前国軍防諜司令官、イ前行政安全相らクーデターを画策した「沖岩派」の面々だったのか」、なるほど。 「首謀者とされる金龍顕・・・前国防相、呂寅兄・・・前国軍防諜司令官、辞任した李祥敏・・・前行政安全相、戒厳司令官を務めた朴安洙・・・陸軍参謀総長、警察庁の趙志浩・・・長官、ソウル警察庁の金峰埴・・・長官らが内乱容疑で次々と逮捕・告発された」、なるほど。 デイリー新潮が掲載した「韓国戒厳令 「第2次朝鮮戦争」寸前の危機だった? 韓国メディアが報じている“衝撃シナリオ”の全貌」 (その3)(韓国戒厳令 「第2次朝鮮戦争」寸前の危機だった? 韓国メディアが報じている“衝撃シナリオ”の全貌、大統領の「自爆」クーデターと 韓国で続いていた「軍人政治」) 韓国(尹錫悦大統領) 韓国(尹錫悦大統領)(その3)(韓国戒厳令 「第2次朝鮮戦争」寸前の危機だった? 韓国メディアが報じている“衝撃シナリオ”の全貌、大統領の「自爆」クーデターと 韓国で続いていた「軍人政治」)
司法(その20)(大阪地検元トップの壮絶な性暴力 被害女性が衝撃の事実を告発 「女性副検事が“金目当て”と私を侮辱し 虚偽の内容を吹聴」、日本はもはや「刑事司法」に関しては「後進国」であるという「否定できない事実」、日本の有罪率が99%を超えるのは「検察の優秀さ」ではなく「刑事司法の異常さ」を示しているという「驚愕の事実」、刑事司法の病理現象「冤罪」に関する「日本特有の問題」…日本は「冤罪防止」のためのシステムや取り組みが欠如しているという「恐ろしい現実」、最終版) [社会]
司法については、昨日取上げた。今日は、(その20)(大阪地検元トップの壮絶な性暴力 被害女性が衝撃の事実を告発 「女性副検事が“金目当て”と私を侮辱し 虚偽の内容を吹聴」、日本はもはや「刑事司法」に関しては「後進国」であるという「否定できない事実」、日本の有罪率が99%を超えるのは「検察の優秀さ」ではなく「刑事司法の異常さ」を示しているという「驚愕の事実」、刑事司法の病理現象「冤罪」に関する「日本特有の問題」…日本は「冤罪防止」のためのシステムや取り組みが欠如しているという「恐ろしい現実」)である。
先ずは、10月30日付けデイリー新潮が掲載した「大阪地検元トップの壮絶な性暴力 被害女性が衝撃の事実を告発 「女性副検事が“金目当て”と私を侮辱し、虚偽の内容を吹聴」」を紹介しよう。
・『被告側に捜査情報を漏洩していた疑惑 大阪地方検察庁の元検事正・北川健太郎被告(65)が、酒に酔って抵抗できない状態の部下の女性に性的暴行を加えた罪に問われている事件の裁判が始まった。事件の被害者である女性検事が明かしたのは、“共犯者”ともいえるゴマすり女性副検事の存在だった。かつて「関西検察」の雄として名高かった大阪地検の罪と罰とは。 北川被告は、故郷・石川の金沢大在学中に司法試験に合格。検事に任官すると大阪、京都、神戸の各地検で要職を務めて「関西検察のエース」と呼ばれた』、「関西検察のエース」が破廉恥事件とは世も末だ。...
・『被告側に捜査情報を漏洩していた疑惑 大阪地方検察庁の元検事正・北川健太郎被告(65)が、酒に酔って抵抗できない状態の部下の女性に性的暴行を加えた罪に問われている事件の裁判が始まった。事件の被害者である女性検事が明かしたのは、“共犯者”ともいえるゴマすり女性副検事の存在だった。かつて「関西検察」の雄として名高かった大阪地検の罪と罰とは。 【写真を見る】逮捕された北川被告(65) 初公判では終始打ちひしがれた様子だった 北川被告は、故郷・石川の金沢大在学中に司法試験に合格。検事に任官すると大阪、京都、神戸の各地検で要職を務めて「関西検察のエース」と呼ばれた。大阪高検次席検事、最高検刑事部長を歴任、2018年に大阪地検のトップ・検事正に上り詰める。退職後は弁護士になったが、検事正時代に部下だった女性検事への準強制性交罪の容疑で、今年6月に大阪高検に逮捕、7月に起訴された。 10月25日、被害を訴えた現役検事は自ら会見を開き、事件の全容を語った。彼女が訴えたのは、事件の発端となった宴席に同席した女性副検事が、内偵捜査の段階で北川被告側に捜査情報を漏洩して、不利な供述をさせないよう尽力していた疑惑だ』、「彼女が訴えたのは、事件の発端となった宴席に同席した女性副検事が、内偵捜査の段階で北川被告側に捜査情報を漏洩して、不利な供述をさせないよう尽力していた疑惑だ」、なるほど。
・『「被害者を誹謗中傷し、被告人を庇うような発言を」 この会見で被害女性は、 「(女性副検事は)検察庁職員やOBに対して、被害者が私であることを言った上で、事件当時、性交に同意していたと思う、PTSDの症状も詐病ではないか、金目当ての虚偽告訴ではないかという趣旨の、私を侮辱し、誹謗中傷する虚偽の内容を故意に吹聴していたことが分かりました。さらにうそは検察庁内に広く伝わり、私が信頼していた上級庁の検事までもが、証拠関係も知らないのに、被害者を誹謗中傷し、被告人を庇(かば)うような発言をしていた」 退職後も影響力を持ち続けた被告への“ゴマすり”だろうか。被害女性は、女性副検事を名誉毀損で10月1日に刑事告発した。 実際に裁判を傍聴、会見の様子を取材したライターの小川たまか氏に聞くと、 「性被害者が、周囲からのセカンドレイプに傷つけられることは多々ありますが、この件が異様なのは、その加害者が性犯罪に詳しいはずの副検事だったこと。下手をすれば、北川被告は不起訴になっていたかもしれないだけに看過できません」 被害女性の受けた傷の深さは計り知れない。裁判では、 「マスク越しでも、普段はサバサバとして仕事ができる方だと分かる雰囲気を漂わせていましたが、話し出すと徐々に声が震え始め、最後まで涙声が続きました。今まで耐え忍んできた感情が、一気にあふれ出た印象を受けました」(同)』、「マスク越しでも、普段はサバサバとして仕事ができる方だと分かる雰囲気を漂わせていましたが、話し出すと徐々に声が震え始め、最後まで涙声が続きました。今まで耐え忍んできた感情が、一気にあふれ出た印象を受けました」(同)、さぞかし悔しかったのだろう。
・『「大阪地検のトップだというおごり」 元東京地検特捜部副部長で弁護士の若狭勝氏は、 「北川被告は最低でも懲役5年の実刑は免れないでしょう。関西エリアの検察はかなり特殊で、昔から検察庁内で“大阪人事”“関西人事”などと呼ばれ、大阪の幹部たちが人事を決めていました。若い検事たちからすれば、検事正は面と向かって話もできないようなレベルの高い役職に感じられるかもしれません。被告自身、心の中では大阪地検のトップの検事正である俺が言っている以上、被害者も表に出さないだろうというおごりがあった可能性はあると思います」 10月31日発売の「週刊新潮」では、事件の全容や北川被告の知られざる“素顔”について、詳しく報じている』、「被告自身、心の中では大阪地検のトップの検事正である俺が言っている以上、被害者も表に出さないだろうというおごりがあった可能性はあると思います」、なるほど。
次に、12/4現代ビジネスが掲載した明治大学教授で元裁判官の瀬木 比呂志氏による「日本はもはや「刑事司法」に関しては「後進国」であるという「否定できない事実」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/142079?page=1&imp=0
・『「法の支配」より「人の支配」、「人質司法」の横行、「手続的正義」の軽視… なぜ日本人は「法」を尊重しないのか? 講談社現代新書の新刊『現代日本人の法意識』では、元エリート判事にして法学の権威が、日本人の法意識にひそむ「闇」を暴きます。 本記事では、日本の有罪率が99%を超えるのは「検察の優秀さ」ではなく「刑事司法の異常さ」を示しているという「驚愕の事実」〉にひきつづき、刑事系裁判官の「法意識」についてみていきます。 ※本記事は瀬木比呂志『現代日本人の法意識』より抜粋・編集したものです』、「日本の有罪率が99%を超えるのは「検察の優秀さ」ではなく「刑事司法の異常さ」を示しているという「驚愕の事実」〉にひきつづき、刑事系裁判官の「法意識」についてみていきます」、なるほど。
・『刑事系裁判官の「法意識」 日本の冤罪の原因として人質司法と並ぶもう一つの大きな問題は、刑事系裁判官の判断のはかりの針が、最初から検察官のほうに大きく傾いている傾向だろう。「建前上は『推定無罪』だが、現実には『推定有罪』になってしまっている」ということである。 刑事系裁判官の判断の針がなぜ最初から検察官に傾いていることが多いのか、なぜあそこまで検察官の意向をうかがい、忖度する傾向が強いのか、また、被疑者、被告人に対するバイアスが強いのかは、民事系裁判官を長く務めた私にとっても「謎」だ。 司法官僚である日本の裁判官のキャリアは、任地も職種も、自分で選べるわけではない。たとえば、私が任官したころの初任判事補の任地は、最高裁事務総局人事局が、彼らなりの基準で評価した順に東京から並べ始めるかたちで決定するといわれていた。 そして、東京初任についてみると、姓の五十音順に、民事部あるいは刑事部から、必要な人員を採っていた。刑事部の配属人数は少ないから、五十音順の最初か最後の数人が刑事配属となったのである。そして、東京初任の場合、これで民事系か刑事系かが決まり、その後のキャリアにおける変動はあまりなかった。もっとも、より一般的にいえば、初任の配属はキャリアを決める一要素にすぎなかったし、系列が明確に分かれない人々も相当程度の割合で存在した(系列の明確な裁判官は、相対的なエリート層により多い)。 つまり、個々の裁判官のキャリアがどう決まってゆくかは時代により多少異なるものの、個々人の希望の占める比重はあまり大きくないのである。にもかかわらず、民事系、刑事系、家裁系の裁判官集団についてみると、どの時代でもおおむね似通っている。日本人の個性や生き方、あり方が、所属する、あるいは精神的に帰属する「集団、ムラ」によって強く規定される事態を示す典型的な一例といえよう。そして、こうした系列の中でみるとき、刑事系は、その官僚制と閉鎖性において際立っているのだ。 私は、裁判官を批判してはきたが、民事系であれば、人柄に厚みのある人物も、教養識見が深い人物も、研究者の資質をもった人物も、挙げることはできる。しかし、刑事系については、その層が薄いこともあってか、そうした人間の「幅」があまり感じられない。個性ある人物は、いるとしても多くはない。私が若かったころには、まれに、非常に人間のできた温厚な方がいたものだが、そうした人々はおおむね傍流であった。また、検察官には退官後目立った社会的活動を行う人が時々いるが、刑事系裁判官にはあまりいない。 裁判官の書物も、刑事系の人々のそれは、従来からある「裁判官幻想」に沿い、それを補強・再生産し、そうすることで読者を安心させるレヴェルにとどまり、読者を突き動かすような創造性や力には乏しいものが多い。特に、エッセイ的なものでは自己満足が目立ちやすい。 以上のとおり、刑事系裁判官は、社会から隔離された司法官僚裁判官集団の中でも「もう一重隔離された人々」という印象が強いのだ。 「かつての刑事裁判長には、『被告人は平気で嘘をつく』、『検事がそんな変なことをするはずがないだろう』、あるいは、『国民が皆有罪と信じている被告人をなぜ裁判所だけが無罪とすることができるんだ』などといった信じられない発言を、合議等で堂々とする人も多かったのです。また、今でも、そういう考えをもっている人は決して少なくないと思います。もっとも、少なくとも、裁判員裁判では、そうした発言を合議の場ですることだけは、できなくなったようですね。また、無罪判決を一度も出していない刑事裁判官が一定の割合でいるのも事実です」 これは、私が、前記木谷明元裁判官からじかにお聴きし、引用の許可もいただいた言葉である。 また、私自身が直接に経験したところでも、かつての刑事系裁判官には、「被告人の争い方が悪かった場合には有罪判決の量刑を重くする」という考え方をもつ人がかなりいた。今でも、その傾向はあるかもしれない。しかし、被告人には争う自由があるし、「争い方が悪いかどうか」の判断は相当に裁判官の主観の問題であることを考えると、裁判官の客観性、中立性という観点から問題ではないかと思ったものである。さらに、実刑と執行猶予の選択において、世論の中の厳罰主義的な部分に沿い、平等・公平・公正の原則に反する「見せしめ、一罰百戒」的な志向が強く出やすいことについては、私を含め民事系裁判官のかなりの部分が、違和感を抱いていた。[刑事系裁判官は、社会から隔離された司法官僚裁判官集団の中でも「もう一重隔離された人々」という印象が強いのだ。 「かつての刑事裁判長には、『被告人は平気で嘘をつく』、『検事がそんな変なことをするはずがないだろう』、あるいは、『国民が皆有罪と信じている被告人をなぜ裁判所だけが無罪とすることができるんだ』などといった信じられない発言を、合議等で堂々とする人も多かったのです。また、今でも、そういう考えをもっている人は決して少なくないと思います・・・[刑事系裁判官は、社会から隔離された司法官僚裁判官集団の中でも「もう一重隔離された人々」という印象が強いのだ」、なるほど。
・日本では刑事事件のほとんどが有罪判決となることもあってか、刑事系裁判官の思考パターンは、さまざまな側面で検察官の思考パターンにシンクロナイズしがちであり、一方、検察や警察が間違いを犯すかもしれないという視点にはきわめて乏しい。刑事系裁判官の多数派にとっては、「疑わしきは罰せず」はお題目で、そもそも判断に当たっての葛藤や逡巡があまりみられず、思考停止しているような印象さえ受ける場合がある。木谷氏も言及されているとおり、キャリアを通じて無罪判決を一度も出していない刑事系裁判官さえ一定の割合で存在するのだ。』、「日本では刑事事件のほとんどが有罪判決となることもあってか、刑事系裁判官の思考パターンは、さまざまな側面で検察官の思考パターンにシンクロナイズしがちであり、一方、検察や警察が間違いを犯すかもしれないという視点にはきわめて乏しい。刑事系裁判官の多数派にとっては、「疑わしきは罰せず」はお題目で、そもそも判断に当たっての葛藤や逡巡があまりみられず、思考停止しているような印象さえ受ける場合がある。木谷氏も言及されているとおり、キャリアを通じて無罪判決を一度も出していない刑事系裁判官さえ一定の割合で存在するのだ」、なるほど。
冤罪が確定した事件やそれが強く疑われている事件における非常識、非合理的な事実認定、論理性の欠如、被告人に対する予断と偏見にも、目をおおわしめるものがある。本書ではテーマと紙幅の関係から取り上げないが、拙著(『ニッポンの裁判』〔講談社現代新書〕、『檻の中の裁判官』〔角川新書〕)の関係記述、また、『現代日本人の法意識』末尾の「若干の補足」で挙げている各文献の記述を参照してみていただきたい。誇張でなく、「これではまるで中世の魔女裁判、かつてのアメリカ南部における黒人被告人裁判と同様ではないか」との印象を抱かせるような判決がまま存在するのだ。 刑事系裁判官のこうした意識、言動、判断については、裁判員裁判制度の導入によっていくらか変化した可能性はあるものの、その影響は限定的なものであろう。たとえば裁判員裁判における合議についても、裁判員のいないところで裁判官たちが「事実上の合議」をしている例はかなりあるといわれるように、司法官僚としての性格が強い日本の裁判官は、場面によって「顔」を使い分けることには慣れているのである。 なぜ刑事系裁判官の法意識が以上のようなものとなりやすいのかについては、すでに記したおり、私にも未だによくはわからない。木谷氏さえよくわからないと言われる。しかし、可能な限りであえて分析、推測すれば、以下のようになる。 第一に考えられる理由としては、(1)「最高裁に対する忖度。無罪判決がキャリアにおいて不利にはたらく可能性」があるだろう。しかし、それだけでは説明しにくい根深いものも感じるのだ。加えるとすれば、次のような理由が挙げられるかと思う。 (2)刑事訴訟は民事訴訟ほどヴァリエーションがなく、訴訟指揮や判決についても高度な法的知識が要求される度合は、一般的にいえば小さい(むしろ、陪審員のような普通の市民のコモンセンスが生きる領域である)。そのため、裁判官が、専門家としての実質のある自信、自負をもちにくい。 (3)日本の裁判官には、近世以前から、また戦前から引き継がれた行政優位の法文化・伝統の下で、国家や政治・行政の権力チェックをためらう傾向が強く、民事関係では行政訴訟やいわゆる憲法訴訟にその傾向が顕著だが、国家の直接的な権力作用である刑事訴訟については、その傾向が一層強い(刑事訴訟では、日本の裁判官の「司法官僚」的性格が、治安維持第一、有罪推定という方向で強く表れやすい)。 (4)前記のとおり、検察は一体として事実上の強大な権力をもっており、表面上は裁判官を立てていても現実にはあなどっている。個々ばらばらの裁判官は、比較すれば無力で、検察官に堂々と対抗してゆくことのできる勇気と実力のある人が少ない。 (5)刑事系裁判官は世論の影響を受けやすく、特にマスメディアによって醸成される検察・警察寄りのそれには弱い。 まとめると、刑事裁判官は、世間からは司法権力の象徴のように思われ、法廷でも表面的には民事や家裁の場合より尊重されているように見えるものの、現実にはその専門家としての精神的基盤に、弱い、もろい部分のあることが、問題の根本原因ではないだろうか。 私が若かったころ、司法修習生の間では、検察官は、法曹三者中最も人気がなく、ほとんど、なろうと思えば誰でもなれる状態だった。司法研修所の検察官教官は、法学部在学中合格者等の優秀な修習生を一本釣りする場合には、「君は、必ず高等検察庁の検事長まではいけるから」などと、事実上言質を与えるに等しいことまで言って任官を促す例があった(付け加えれば、そうした修習生には、実際そのポストまでいった例が多い)。一方、裁判官の人気は今よりもずっと高く、たとえば、当時は一年間に数名しかいなかった判事補留学者については、まだ若くても、一流の渉外弁護士事務所から、「すぐにパートナー弁護士(共同経営者弁護士)にしてあげるからきませんか?」という破格の誘いがかかることもあった。 しかし、近年は、裁判官の人気が下がっており、司法修習生獲得競争でも総体として大規模弁護士事務所に負け気味という、かつては考えられなかった事態が起きている。また、中途退職者も増えており、ことに、相対的な優秀層に属する裁判官が東京およびその周辺からの異動時期にやめてしまう例が目立つという。一方、検察官の人気は昔よりも上がってきている。特に、検察庁は、私学のトップレヴェルの学生を狙い撃ちにする傾向が強いようだ。これは、「名よりも実を取る」という意味では、よい方法なのである。有名私学のトップクラス学生は、その割合こそ大学によって異なるものの、東大、京大の平均レヴェルよりも上の資質、能力をもっている例も多いからだ。 平均的にみれば裁判官の能力が検察官よりも相当に高かった昔でも、刑事系裁判官は、前記のような理由からか検察官(ないしはその背後にある一体としての検察およびこれに同調する裁判所当局)の方を向き、その顔色をうかがいがちだった。上記のような昨今の状況では、その傾向がさらにひどくなっているのではないか、ゆくのではないかを、私は、憂慮している。 なお、これは、実をいえば、民事系裁判官についても同様にいえる問題である。弁護士や検察官が裁判官の訴訟指揮に従うのは、「裁判官の能力を認めて」という前提あってのことなので、平均的な裁判官の能力が期待されるラインを割ってしまうと、法廷の適切、円滑な運営自体が難しくなってしまう。裁判官キャリアシステムの制度疲労は、こうした側面でも進行しつつあるのだ』、「弁護士や検察官が裁判官の訴訟指揮に従うのは、「裁判官の能力を認めて」という前提あってのことなので、平均的な裁判官の能力が期待されるラインを割ってしまうと、法廷の適切、円滑な運営自体が難しくなってしまう。裁判官キャリアシステムの制度疲労は、こうした側面でも進行しつつあるのだ」、なるほど。
・『冤罪に関する人々の法意識 最後に、冤罪に関する現代日本人、国民一般の法意識についても考察しておきたい。 刑事訴訟に関するインターネット空間の言説をひととおりさらってみたところでは、現代日本におけるよき市民の冤罪に関する最大公約数的な法意識・感想は、「冤罪など自分にはかかわりのないことだと思っていたのだが、どうも、そうでもないようだ。もしもそうであるとすれば恐ろしい」といったところではないかと思われる。 このことに関連して私が思い出すのは、アメリカの大学で哲学・倫理学を教えている教授の、次のような言葉だ。 「最近の学生(ロースクールの学生ではなく一般学生)は、公的な正義に関する意識が極端に低くなってきています。たとえば、冤罪被害者について具体的な事例を挙げて討議を行っても、出てくる意見、感想は、少なくとも最初はお粗末で、『オー、ゼイアー・アンラッキー(いやあ、不運な人たちもいるんですねえ)』というレヴェルのものすらままある有様です。『自分や家族、周囲の人間に関係がなければ別にいいや。要するに彼らは不運だったんだよ』ということなのです。実に嘆かわしい」 これに対して、私も、「アメリカの学生たちも、随分内向きになってきているんですね」などと応答したのだが、さて、一人になってからじっくり内省してみると、日本のよき市民の先のような感想も、突き詰めれば、「オー、ゼイアー・アンラッキー」というのと同じことなのではないかと気付き、あらためて愕然がくぜんとしたのである。 近年のアメリカでは、社会的分断が強まり、経済的に中位以下の人々の社会的疎外が進むにつれ、精神的な側面での荒廃傾向は否定しにくく、特に、モラルの側面における劣化がはなはだしい。 だから、現在の日本の「よき市民」の冤罪に関する法意識が、モラルが著しく低下した現代アメリカにおける「嘆かわしい学生たち」のそれと、「文化の相違からくる表現の直截ちょくせつ性の差こそあれ、実質的にみればさして変わらない」ことには、やはり、がっかりせざるをえないのだ。 『現代日本人の法意識』第7章でもふれるが、マスメディアの報道もひどい。おおむね警察・検察の情報の無批判な垂れ流しで、被疑者は暗黙のうちに犯人と扱われがちだ。再審についても、再審開始決定や再審無罪判決が出たときだけは、裁判所、国家がよいことをしたわけだから大きく報道するが、再審請求棄却決定や再審開始決定取消しの場合には、せいぜい、特別によく知られた事件について、おざなりな両論併記のコメントを付けて小さく報道する程度である。 そして、こうした決定に関するある程度掘り下げた分析についてすら、幹部が、「そもそも、判決、決定についての掘り下げた分析や批判など、新聞に載せるべきではない」などといった信じられない反応をするという話を、記者・元記者たちから聞くことさえある有様なのだ。 たとえば、前記郵便不正事件についてみると、「朝日新聞」は、村木氏逮捕後の社説(2009年6月16日)で、「村木局長は容疑を否認しているという。だが、障害者を守るべき立場の厚労省幹部が違法な金もうけに加担した疑いをもたれてしまった事実は重い」、「〔……〕キャリア官僚の逮捕にまで発展し、事件は組織ぐるみの様相を見せている。なぜ不正までして便宜を図ったのか。何より知りたいのはそのことだ」との驚くべき記述を行っている。「特捜検察に逮捕されたこと自体が社会的な罪だ。推定有罪だ」といわんばかりなのである。 ここで、『現代日本人の法意識』第4章で引用した次のような内容の記述を思い出していただきたい(『お白洲から見る江戸時代』)。 「お白洲において一般的には砂利の上でなく縁側に座ることを許されていた身分(武士、僧侶等)の被疑者も、未決勾留を命じられるとともに、突然縁側から地べたの砂利に突き落とされて縄で縛られる。ここには、嫌疑を受けること自体を『罪』とする江戸時代の人々の見方が表れている」 先のような記述を社説で堂々と行う記者たちの「法意識」と江戸時代の司法官僚たちの法意識が実際にはいかに近いものであるかが、理解されるのではないだろうか。 もっとも、村木氏無罪判決後、朝日を含め各紙は一転して検察批判に転じた。だが、同じように無罪になった場合でも、村木氏のような地位、肩書をもたない人間の場合には、マスメディアは、名誉回復には到底及ばないような最小限の扱いしかしないのである(以上につき、牧野洋『官報複合体──権力と一体化するメディアの正体』〔河出文庫〕。なお、この書物の行っている日本のジャーナリズム批判は一々もっともだが、それとのコントラストを付けるためか、アメリカのジャーナリズムについては光の側面のみを取り上げている印象はある)。 私は、被疑者・被告人の権利ばかりを言い立てるつもりなどない。しかし、推定無罪の原則、「疑わしきは罰せず、疑わしきは被告人の利益に」の原則は、いわば近代刑事司法のイロハである。それは、犯罪者を守るための原則ではなく、あなたや私、その家族や友人・知人、そして、名も知らないけれども人間としての同胞である無辜むこの人々が被疑者・被告人となった場合に、私たちと彼らを、冤罪という名の国家による重大な過ちから守るための原則なのだ。 しかし、刑事司法をめぐる日本の現状をみる限り、冤罪に関する現代日本人の法意識は、誰もそれを明示的に口にはせずとも、あえて意識の高みに引き上げて言葉を与えるなら、次のようなものなのではないだろうか。 「よくはわからないが、日本の刑事司法に問題があるとしても、冤罪はまれなことなのではないか。それに、冤罪被害者はお気の毒とは思うものの、やはり、犯罪がきちんと取り締まられ、犯罪者が確実に逮捕、処罰されることのほうが、より重要なのではないだろうか」 こうしてあからさまに言語化されたものを読むと、『現代日本人の法意識』第4章の「犯罪と刑罰に関する日本人の法意識」の項目における同様のまとめの場合と同じく、不快に感じる方々もいるかもしれない。私自身、私の疑念が杞憂きゆうであってくれればと思う。 だが、現実をみれば、本章で論じたことからも明らかなとおり、日本は、今ではもはや、刑事司法、刑事訴訟手続の適正に関しては、「後進国」であることが否定できなくなりつつある。それは、おそらく、動かしにくい「事実」であろう。日本の刑事法学が「学問」としては洗練されているとしても、上記の「事実」自体が変わるわけではない。また、そのような刑事司法の状況が、「ムラ社会の病理」の一端であり、「日本社会の中の『前近代的』と評価されても仕方のない部分」であることについても、議論の余地はあまりないと考える。 そして、そのことについては、私にも、あなたにも、日本の市民の一人としての責任がある。 本記事の抜粋元・瀬木比呂志『現代日本人の法意識』では、「現代日本人の法意識」について、独自の、かつ多面的・重層的な分析が行われています。ぜひお手にとってみてください』、「日本は、今ではもはや、刑事司法、刑事訴訟手続の適正に関しては、「後進国」であることが否定できなくなりつつある。それは、おそらく、動かしにくい「事実」であろう。日本の刑事法学が「学問」としては洗練されているとしても、上記の「事実」自体が変わるわけではない。また、そのような刑事司法の状況が、「ムラ社会の病理」の一端であり、「日本社会の中の『前近代的』と評価されても仕方のない部分」であることについても、議論の余地はあまりないと考える。 そして、そのことについては、私にも、あなたにも、日本の市民の一人としての責任がある」、なるほど。
第三に、12月4日付け現代ビジネスが掲載した明治大学教授で元裁判官の瀬木 比呂志氏による「日本の有罪率が99%を超えるのは「検察の優秀さ」ではなく「刑事司法の異常さ」を示しているという「驚愕の事実」」を紹介しよう。
・『「法の支配」より「人の支配」、「人質司法」の横行、「手続的正義」の軽視… なぜ日本人は「法」を尊重しないのか? 講談社現代新書の新刊『現代日本人の法意識』では、元エリート判事にして法学の権威が、日本人の法意識にひそむ「闇」を暴きます。 本記事では、〈刑事司法の病理現象「冤罪」に関する「日本特有の問題」…日本は「冤罪防止」のためのシステムや取り組みが欠如しているという「恐ろしい現実」〉にひきつづき、検察官の「法意識」についてみていきます。 ※本記事は瀬木比呂志『現代日本人の法意識』より抜粋・編集したものです』、「元エリート判事にして法学の権威が、日本人の法意識にひそむ「闇」を暴きます」、興味深そうだ。「日本は「冤罪防止」のためのシステムや取り組みが欠如しているという「恐ろしい現実」〉にひきつづき、検察官の「法意識」についてみていきます、なるほど。
・『検察官の「法意識」 日本の検察官は、裁判官と同様司法修習生からそのまま採用され、司法官僚としてキャリアシステムにおける「出世」の階段をのぼってゆく。検察は、検事総長をトップとする一枚岩の行政組織だから、裁判官の中では一枚岩的な性格が強い刑事系の裁判官集団以上に、同族意識、組織としての一体感が強い。 また、建前としての無謬むびゅう性にこだわりやすい日本の組織の常として、さらには、正義の看板を背負っており、かつ、前記のとおり客観的なチェックの入らない大きな権限をもつ組織の構成員、官僚であることから、誤りのないこと、失点のないことに非常にこだわる。 そして、無罪判決は検察官の最も目立った失点となる。したがって、起訴した事件については、再審の局面をも含め、組織の面子をかけて最後の最後まで争い続けることになる。再審無罪事件の重大なものをみると、身柄拘束の時点から再審無罪判決確定までに30年前後ないしそれ以上の長期間を要しているものが多い。広く報道されてきた袴田事件に至っては、2024年10月9日の再審無罪判決確定までに、実に58年以上が経過している。これでは、冤罪被害者は、たとえ無罪判決を得ても人生の大きな部分を決定的に奪われてしまうことになる。人権侵害の最たるものといわなければならないだろう。 99.9から99.8パーセント(地裁事件統計)という日本の有罪率は、日本の検察の優秀さを示すものというよりはむしろ、日本の刑事司法の異常さや問題を示すものであり、今では社会一般の認識もそうなりつつある(たとえば、有罪率100パーセントといったことになれば、それはもはや専制主義国家の暗黒裁判であろう)。また、高い有罪率への固執は、本来であれば起訴が相当な事件を不起訴にする弊害も伴い、特に裁判員裁判対象事件については、この弊害を指摘する声が多い。しかし、閉じた組織である検察は、こうした外部の声にはきわめて鈍感であり、無謬性に強迫的にこだわることをやめられないのである(検察は、前記の袴田事件再審無罪判決について控訴権を放棄したものの、併せて、「証拠捏造を認めた判決については強く不満」との異例の談話を出した。また、後記の特捜部検察官に関する付審判決定についても、ある検察幹部が「これでは現場は必ず萎縮する」旨のコメントを行っている〔2024年8月9日朝日新聞〕。こうした対応やコメントも、日本の検察ならではのものであろう)。 以上のような組織特性、メンタリティーの帰結としてか、日本の検察官は、刑事裁判官をあまり尊敬していない。それどころか、おおむね自分たちの言いなりになることからあなどっており、また、まれにそうでもなくなることについては、いらだちを隠さない。 政治家鈴木宗男氏の事件(いわゆる国策捜査事案)にからむ容疑で逮捕され有罪とされた経験をもつ元外交官佐藤優氏の『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』〔新潮文庫〕では、捜査担当検察官が、「今後鈴木氏の裁判につきあうのはほどほどに」との旨を佐藤氏に忠告するとともに、「裁判なんて時間の無駄だよ」と語るが、これが典型的だ。付け加えれば、この検察官との間に一種の友情を結んだ著者自身の感懐としても、「供述をしなくても私の有罪を確実にする仕掛けを作る能力が検察にはある。国家権力が本気になれば何でもできるのだ」、「弁護人は司法府の独立をほんとうに信じているようだが、私はまったく信じていない」との記述がある。 さて、『現代日本人の法意識』第1章でふれた『不思議の国のアリス』には、実は、もう一つ、刑事裁判がらみのエピソードがある。幻の巨鳥ドードーをも含めた鳥や獣が集まってするコーカスレースの後の、ネズミの「長くて哀れなお話(ア・ロング・アンド・ア・サッド・テイル)」である。 犬の検察官がネズミをつかまえ、「おまえを起訴して有罪にしてやる」と言う。ネズミが、「でも、陪審員も裁判官もいないじゃないですか?」と反論する。犬は、「裁判官も陪審員も俺がやる。一切合切一人で裁いて、おまえを死刑にしてくれる」と、有無を言わさず切り返す。 これもまた、ナンセンスでシュールレアリスティックなありえない裁判として語られているのだが、私が慄然りつぜんとしてしまうのは、これが、160年後の「先進国・富裕国」の一つにおける刑事司法の現実についての、強烈なブラックジョークにもなっているからなのだ。 非常に単純化していえば、『アリス』の犬と同様に、「裁判官も裁判員も〔実質は〕俺がやりたい。一切合切一人で裁いて、おまえを確実に有罪にしてやりたい」というのが、表には出てこない、また、彼ら自身意識の表面にはあまりのぼらせない、日本の検察官の「本音」なのではないだろうか。検察官と話していると、穏やかなタイプの人であっても、気を許した会話の中では、こうした本音がちらちらと見え隠れすることがある。 また、公証人となって元検察官とともに働いた経験をもつかつての先輩・同僚裁判官からも、「瀬木さんの裁判官批判には当たっている部分があるが、自己過信や慢心についていえば、検察官はさらに問題が多いと思うよ」との意見を聞くことがある。確かに、検察官は、被疑者、被告人、刑事弁護人との関係では圧倒的に優位に立っているし、外部から批判を受けて内省する機会も、裁判官以上に少ないかもしれない(なお、公証人は法務省管轄の制度のため、検察官等法務官僚のほうが裁判官よりもなりやすく、数も多い)。 日本の検察についても、大陪審や予備審問のような起訴チェック機関を設けるとともに、検察官定員の一定割合については弁護士から期間を限って採用する人々とするなどの方法により、外部の血を入れ、組織の民主化を図ることが望ましいと思われる。それは、かたくなで一枚岩的な検察官の法意識の改善にもつながることだろう』、「日本の検察についても、大陪審や予備審問のような起訴チェック機関を設けるとともに、検察官定員の一定割合については弁護士から期間を限って採用する人々とするなどの方法により、外部の血を入れ、組織の民主化を図ることが望ましいと思われる」、その通りだ。
・『特捜検察の問題 特捜検察は、手続的な正義、透明性のあるシステムという観点からみたとき、きわめて問題の大きい制度である。特定の政治的な勢力の意を受けて行われる「国策捜査」になりやすく、小沢一郎氏が無罪となった陸山会事件(2004~07年)のように、たとえ無罪となっても政治家として大きな打撃を受ける例がある。また、厚生官僚の村木厚子氏が無罪となった郵便不正事件(2004年)のように、検察官による証拠の改竄かいざんまでが行われた例がある。 さて、その郵便不正事件では、村木氏が犯行に至った経緯として、事件関係者がかかわったとされる19件の面談や電話での会話が検察官の冒頭陳述で挙げられており、これを裏付ける関係者の供述調書が多数あったが、うち1件を除く18件については、現実には存在しない架空のものだった。これについては、村木氏の弁護士であった弘中惇一郎氏が、「組織をあげての事件の捏造ねつぞう」であり、一人の検察官による証拠の偽造(フロッピーディスク内文書データの最終更新日時を改竄)よりもさらに重大な問題であると述べている(『特捜検察の正体』〔講談社現代新書〕)。 こうしたフレームアップ、でっち上げは、重大冤罪事件の警察捜査ではしばしばみられるものだ。しかし、それらについては、強引な捜査方法に問題があると警察内部でも取り沙汰されていた人物が見込み捜査を強硬に推し進めた結果である例も多いといわれる。 検察官は、警察の捜査をチェックする立場にある官僚である。その官僚組織中でもエリート集団といわれる特捜検察が「問題のある刑事」と同様の捜査を行っていたということになると、組織の構造的なひずみを考えざるをえないであろう。前記弘中書に書かれている事柄のうち、法律家の目からみて主観による推測の入る余地の乏しい客観的事実だけを取り出してみても、戦後の警察が各種の冤罪事件で行ってきた問題のある捜査方法が、拷問を除き、ほぼそのまま網羅されている感があるのだ。 特捜検察は、捜査の端緒をつかむことから起訴までのすべてをみずから行う。したがって、動き出してしまうと、客観的、合理的で冷静なチェックがはたらかない。それに加えて、前記のような検察官のメンタリティー、面子、特権意識が重なると、暴走を押しとどめることができなくなる。 また、すでにふれたとおり、特捜検察が、政治権力の特定の一部の意向を不明瞭なかたちで受けて立件に動いている可能性も、特に政治家がらみの事件では指摘されている。これは、民主政治の根本をおびやかす事態を生みかねない。 一方、特捜検察は、福島第一原発事故や第二期安倍政権時代の森友・加計学園問題、「桜を見る会」問題等では動かなかった(福島第一原発事故に関する起訴は、検察審査会の議決による強制起訴)。2020年前後の自民党政治資金パーティー裏金事件における起訴も、ごく小規模なものにとどまり、ほとんどの議員は刑事責任を免れた。しかし、これらは、本来であれば特捜検察が積極的かつ果敢に取り組むべき問題だったはずであり、こうした点でも、特捜検察の姿勢は不明瞭といわざるをえない。 前記のとおり特捜検察は検察のエリート集団と位置付けられてきたのだが、以上に論じてきたような問題もあってか、「近年は、特捜検察の積極的志望者が少なくなっている」との話を、私は、検察の内部についてよく知る人物から聞いたことがある。しかし、そうであればなおさら、自己チェック機能の弱体化も懸念されるわけである。 政治の腐敗については事件限りで任命された特別検察官が捜査、起訴を行うというアメリカの方式のほうが、よほど健全であろう。あるいは、特捜検察は捜査の端緒をつかむだけのセクションにして、現実の捜査は警察あるいは別の検察セクションにさせ、起訴も同様にし、また、起訴の当否、必要性については、弁護士等外部から入れた法律家の目をも交えて決めるような組織にすべきであろう。権力が少数の人間に集中し、立件の基準が不明瞭であり、第三者による客観的なチェックが入らない現在のような制度は、まさに前近代的である。 なお、2024年8月8日、大阪高裁は、大阪地検特捜部の検察官に関する付審判請求につき、「検察なめんな」などと一方的にどなり、机を叩いて責め立てたなど取り調べの際の言動に大きな問題があったとして、特別公務員暴行陵虐罪で審判に付する決定を出した。付審判請求とは、公務員の職権濫用罪について告訴・告発を行った者が、検察の不起訴処分に不服のある場合に、事件を裁判所の審判に付する(刑事裁判を開始する)ことを求める手続であり、検察官が審判に付されたのは初めてのことである。また、検察官の取り調べをめぐっては、国家賠償請求訴訟も相次いで提起され、地裁での勝訴判決も出ている。 さらに【つづき】〈日本はもはや「刑事司法」に関しては「後進国」であるという「否定できない事実」〉では、刑事系裁判官の「法意識」について見ていきます。 本記事の抜粋元・瀬木比呂志『現代日本人の法意識』では、「現代日本人の法意識」について、独自の、かつ多面的・重層的な分析が行われています。ぜひお手にとってみてください』、「政治の腐敗については事件限りで任命された特別検察官が捜査、起訴を行うというアメリカの方式のほうが、よほど健全であろう。あるいは、特捜検察は捜査の端緒をつかむだけのセクションにして、現実の捜査は警察あるいは別の検察セクションにさせ、起訴も同様にし、また、起訴の当否、必要性については、弁護士等外部から入れた法律家の目をも交えて決めるような組織にすべきであろう。権力が少数の人間に集中し、立件の基準が不明瞭であり、第三者による客観的なチェックが入らない現在のような制度は、まさに前近代的である」、その通りだ。
第四に、12月4日付け現代ビジネスが掲載した明治大学教授で元裁判官の瀬木 比呂志氏による「刑事司法の病理現象「冤罪」に関する「日本特有の問題」…日本は「冤罪防止」のためのシステムや取り組みが欠如しているという「恐ろしい現実」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/142075?imp=0
・『「法の支配」より「人の支配」、「人質司法」の横行、「手続的正義」の軽視… なぜ日本人は「法」を尊重しないのか? 講談社現代新書の新刊『現代日本人の法意識』では、元エリート判事にして法学の権威が、日本人の法意識にひそむ「闇」を暴きます。 本記事では、〈日本人の死刑に関する考え方は、先進諸国の中では「特異なもの」だという「意外な事実」〉にひきつづき、「刑事司法における明らかな病理現象」である冤罪について、刑事司法関係者の法意識を中心にみていきます。 ※本記事は瀬木比呂志『現代日本人の法意識』より抜粋・編集したものです』、「「刑事司法における明らかな病理現象」である冤罪について、刑事司法関係者の法意識を中心にみていきます」、興味深そうだ。
・『冤罪に関する日本特有の問題 冤罪は、いわば刑事司法の病理現象、宿痾しゅくあであり、どこの国にでも存在する。 しかし、日本特有の問題もある。それは、日本の刑事司法システムが冤罪を生みやすい構造的な問題を抱えていること、また、社会防衛に重点を置く反面被疑者や被告人の権利にはきわめて関心の薄い刑事司法関係者の法意識、そして、それを許している人々の法意識、という問題である。日本の刑事司法システムは、為政者や法執行者の論理が貫徹している反面、被疑者・被告人となりうる国民、市民の側に立って上記のような国家の論理をチェックする姿勢や取り組みは非常に弱いのである。 刑事司法システムの問題からみてゆこう。 まず、身柄拘束による精神的圧迫を利用して自白を得る「人質司法」と呼ばれるシステムが挙げられる。勾留期間20日間に逮捕から勾留までの期間を加えると最大23日間もの被疑者身柄拘束が常態的に行われている。また、否認したまま起訴されると、自白まで、あるいは検察側証人の証言が終わるまで保釈が許されず、身柄拘束が続くことがままある。第一回公判期日までは弁護人以外の者(家族等)との接見が禁止される決定がなされることも多い。 「人質司法」は、日本の刑事司法の非常に目立った特徴であり、明らかに冤罪の温床となっている。しかし、これについては、近時ようやく一般社会の注目が集まるようになってきたという段階であり、改革は、ほとんど手つかずのままである。 検察官の権限が非常に大きく、たとえば英米法系諸国における大陪審や予備審問のように起訴のためにほかの機関による承認やチェックを必要とする仕組みがないことも、大きな問題である。起訴権を独占する一枚岩の組織体としての検察の権力は、無制約に強大なものとなる。 そして、江戸時代以来連綿と続いている「自白重視、自白偏重」の伝統が、以上の問題に拍車をかけている。こうした伝統の下では、捜査官も検察も、いきおい自白を得ることに固執しがちになるからだ』、「検察官の権限が非常に大きく、たとえば英米法系諸国における大陪審や予備審問のように起訴のためにほかの機関による承認やチェックを必要とする仕組みがないことも、大きな問題である・・・江戸時代以来連綿と続いている「自白重視、自白偏重」の伝統が、以上の問題に拍車をかけている。こうした伝統の下では、捜査官も検察も、いきおい自白を得ることに固執しがちになるからだ」、なるほど。
・『冤罪防止のためのシステムや取り組みの欠如 冤罪の頻度、また、これを防止するためのシステムの整備という点からみても、日本の状況には、大きな問題がある。 まず、冤罪が実際にはどのくらいあるのかすら全くわからない。表に出てくる情報もほとんどない。キャリアを通じて真摯しんしに刑事裁判に取り組み、約30件の無罪判決を確定させた裁判官(木谷明氏。公証人、法政大学法科大学院教授を経て現在は弁護士)がいる一方、刑事系裁判官の多数はごくわずかしか無罪判決を出しておらず、「ゼロ」という裁判官さえ一定の割合で存在する。特定の裁判官にだけ無罪事案が集中するのはきわめてありにくいことだから、たとえば刑事系裁判官が控えめにみて一人当たり十の冤罪を作っている可能性があると考えてみると、日本における冤罪が、いかにありふれたものでありうるかがわかるだろう。 たとえばアメリカでは、ロースクール、公設弁護士事務所等を中核とするイノセンス・ネットワーク、その中核となっているイノセンス・プロジェクト(非営利活動機関)が、刑事司法改革に取り組み、冤罪に関する調査を行い、冤罪の可能性のある事件についてDNA鑑定等を利用して再審理を求め、イノセンス・プロジェクトだけでも300件以上の有罪判決をくつがえしている。 そして、こうした活動には連邦や州も協力している(なお、イノセンス・ネットワークは、アメリカ以外の国々にも展開されている)。さらに、多くのロースクールには、冤罪を含む刑事司法の問題について中心的に研究しかつ教えている教授がいるので、そうした事柄に関する平均的な弁護士、裁判官のリテラシーについても、一定水準のものは確保されるようになっている。日本の法学教育、法曹教育においても、冤罪とその防止に関する最低限の教育くらいは行われるべきであろう。 アメリカの刑事司法も決してバラ色ではなく、警官の問題行動は非常に多い。また、法域(連邦、州以外にも種々の法域がある)がともかく細かく分かれているため、警察、検察、裁判所とも、法域、地域による質のムラが大きい。しかしながら、少なくとも、「冤罪という問題」の存在を「直視」し、そのような「不正義」から被害者を「救済」するための充実した「取り組み」があり、連邦や州等の「公的セクション」も、その必要性と意味を認めて「協力」している(一例を挙げれば、冤罪事件を含め、貧困者、死刑囚、受刑者等のための弁護活動を専門に行う弁護士事務所に補助金を出すなど)のであり、こうした点は、日本とは全く異なる(なお、日本でも、海外における取り組みを参考にして、イノセンス・プロジェクト・ジャパンが2016年に設立された。未だその歴史は浅いが、今後の活動の展開に期待したい)。 また、刑事訴訟、特に再審請求手続における検察官手持ち証拠の開示、再審等に備えての証拠の保管(特に重要なのが、前記のDNA鑑定資料)といった冤罪防止、刑事訴訟手続全般の適正化のための基盤となる制度についても、日本は、明らかに国際標準に後れつつある(たとえば、李怡修リーイシュウ「刑事手続における証拠閲覧・開示と保管──日本・台湾・カリフォルニア州の再審請求段階から考察する」〔一橋大学機関リポジトリ〈ウェブ〉掲載〕によると、日本の制度は、アメリカのみならず、台湾にも後れをとっているように思われる)。 さらに【つづき】〈日本の有罪率が99%を超えるのは「検察の優秀さ」ではなく「刑事司法の異常さ」を示しているという「驚愕の事実」〉では、検察官の「法意識」」などについてくわしくみていきます。 本記事の抜粋元・瀬木比呂志『現代日本人の法意識』では、「現代日本人の法意識」について、独自の、かつ多面的・重層的な分析が行われています。ぜひお手にとってみてください(日本の制度は、アメリカのみならず、台湾にも後れをとっているように思われる・・・日本の有罪率が99%を超えるのは「検察の優秀さ」ではなく「刑事司法の異常さ」を示しているという「驚愕の事実」〉では、検察官の「法意識」」などについてくわしくみていきます」、なるほど。
先ずは、10月30日付けデイリー新潮が掲載した「大阪地検元トップの壮絶な性暴力 被害女性が衝撃の事実を告発 「女性副検事が“金目当て”と私を侮辱し、虚偽の内容を吹聴」」を紹介しよう。
・『被告側に捜査情報を漏洩していた疑惑 大阪地方検察庁の元検事正・北川健太郎被告(65)が、酒に酔って抵抗できない状態の部下の女性に性的暴行を加えた罪に問われている事件の裁判が始まった。事件の被害者である女性検事が明かしたのは、“共犯者”ともいえるゴマすり女性副検事の存在だった。かつて「関西検察」の雄として名高かった大阪地検の罪と罰とは。 北川被告は、故郷・石川の金沢大在学中に司法試験に合格。検事に任官すると大阪、京都、神戸の各地検で要職を務めて「関西検察のエース」と呼ばれた』、「関西検察のエース」が破廉恥事件とは世も末だ。...
・『被告側に捜査情報を漏洩していた疑惑 大阪地方検察庁の元検事正・北川健太郎被告(65)が、酒に酔って抵抗できない状態の部下の女性に性的暴行を加えた罪に問われている事件の裁判が始まった。事件の被害者である女性検事が明かしたのは、“共犯者”ともいえるゴマすり女性副検事の存在だった。かつて「関西検察」の雄として名高かった大阪地検の罪と罰とは。 【写真を見る】逮捕された北川被告(65) 初公判では終始打ちひしがれた様子だった 北川被告は、故郷・石川の金沢大在学中に司法試験に合格。検事に任官すると大阪、京都、神戸の各地検で要職を務めて「関西検察のエース」と呼ばれた。大阪高検次席検事、最高検刑事部長を歴任、2018年に大阪地検のトップ・検事正に上り詰める。退職後は弁護士になったが、検事正時代に部下だった女性検事への準強制性交罪の容疑で、今年6月に大阪高検に逮捕、7月に起訴された。 10月25日、被害を訴えた現役検事は自ら会見を開き、事件の全容を語った。彼女が訴えたのは、事件の発端となった宴席に同席した女性副検事が、内偵捜査の段階で北川被告側に捜査情報を漏洩して、不利な供述をさせないよう尽力していた疑惑だ』、「彼女が訴えたのは、事件の発端となった宴席に同席した女性副検事が、内偵捜査の段階で北川被告側に捜査情報を漏洩して、不利な供述をさせないよう尽力していた疑惑だ」、なるほど。
・『「被害者を誹謗中傷し、被告人を庇うような発言を」 この会見で被害女性は、 「(女性副検事は)検察庁職員やOBに対して、被害者が私であることを言った上で、事件当時、性交に同意していたと思う、PTSDの症状も詐病ではないか、金目当ての虚偽告訴ではないかという趣旨の、私を侮辱し、誹謗中傷する虚偽の内容を故意に吹聴していたことが分かりました。さらにうそは検察庁内に広く伝わり、私が信頼していた上級庁の検事までもが、証拠関係も知らないのに、被害者を誹謗中傷し、被告人を庇(かば)うような発言をしていた」 退職後も影響力を持ち続けた被告への“ゴマすり”だろうか。被害女性は、女性副検事を名誉毀損で10月1日に刑事告発した。 実際に裁判を傍聴、会見の様子を取材したライターの小川たまか氏に聞くと、 「性被害者が、周囲からのセカンドレイプに傷つけられることは多々ありますが、この件が異様なのは、その加害者が性犯罪に詳しいはずの副検事だったこと。下手をすれば、北川被告は不起訴になっていたかもしれないだけに看過できません」 被害女性の受けた傷の深さは計り知れない。裁判では、 「マスク越しでも、普段はサバサバとして仕事ができる方だと分かる雰囲気を漂わせていましたが、話し出すと徐々に声が震え始め、最後まで涙声が続きました。今まで耐え忍んできた感情が、一気にあふれ出た印象を受けました」(同)』、「マスク越しでも、普段はサバサバとして仕事ができる方だと分かる雰囲気を漂わせていましたが、話し出すと徐々に声が震え始め、最後まで涙声が続きました。今まで耐え忍んできた感情が、一気にあふれ出た印象を受けました」(同)、さぞかし悔しかったのだろう。
・『「大阪地検のトップだというおごり」 元東京地検特捜部副部長で弁護士の若狭勝氏は、 「北川被告は最低でも懲役5年の実刑は免れないでしょう。関西エリアの検察はかなり特殊で、昔から検察庁内で“大阪人事”“関西人事”などと呼ばれ、大阪の幹部たちが人事を決めていました。若い検事たちからすれば、検事正は面と向かって話もできないようなレベルの高い役職に感じられるかもしれません。被告自身、心の中では大阪地検のトップの検事正である俺が言っている以上、被害者も表に出さないだろうというおごりがあった可能性はあると思います」 10月31日発売の「週刊新潮」では、事件の全容や北川被告の知られざる“素顔”について、詳しく報じている』、「被告自身、心の中では大阪地検のトップの検事正である俺が言っている以上、被害者も表に出さないだろうというおごりがあった可能性はあると思います」、なるほど。
次に、12/4現代ビジネスが掲載した明治大学教授で元裁判官の瀬木 比呂志氏による「日本はもはや「刑事司法」に関しては「後進国」であるという「否定できない事実」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/142079?page=1&imp=0
・『「法の支配」より「人の支配」、「人質司法」の横行、「手続的正義」の軽視… なぜ日本人は「法」を尊重しないのか? 講談社現代新書の新刊『現代日本人の法意識』では、元エリート判事にして法学の権威が、日本人の法意識にひそむ「闇」を暴きます。 本記事では、日本の有罪率が99%を超えるのは「検察の優秀さ」ではなく「刑事司法の異常さ」を示しているという「驚愕の事実」〉にひきつづき、刑事系裁判官の「法意識」についてみていきます。 ※本記事は瀬木比呂志『現代日本人の法意識』より抜粋・編集したものです』、「日本の有罪率が99%を超えるのは「検察の優秀さ」ではなく「刑事司法の異常さ」を示しているという「驚愕の事実」〉にひきつづき、刑事系裁判官の「法意識」についてみていきます」、なるほど。
・『刑事系裁判官の「法意識」 日本の冤罪の原因として人質司法と並ぶもう一つの大きな問題は、刑事系裁判官の判断のはかりの針が、最初から検察官のほうに大きく傾いている傾向だろう。「建前上は『推定無罪』だが、現実には『推定有罪』になってしまっている」ということである。 刑事系裁判官の判断の針がなぜ最初から検察官に傾いていることが多いのか、なぜあそこまで検察官の意向をうかがい、忖度する傾向が強いのか、また、被疑者、被告人に対するバイアスが強いのかは、民事系裁判官を長く務めた私にとっても「謎」だ。 司法官僚である日本の裁判官のキャリアは、任地も職種も、自分で選べるわけではない。たとえば、私が任官したころの初任判事補の任地は、最高裁事務総局人事局が、彼らなりの基準で評価した順に東京から並べ始めるかたちで決定するといわれていた。 そして、東京初任についてみると、姓の五十音順に、民事部あるいは刑事部から、必要な人員を採っていた。刑事部の配属人数は少ないから、五十音順の最初か最後の数人が刑事配属となったのである。そして、東京初任の場合、これで民事系か刑事系かが決まり、その後のキャリアにおける変動はあまりなかった。もっとも、より一般的にいえば、初任の配属はキャリアを決める一要素にすぎなかったし、系列が明確に分かれない人々も相当程度の割合で存在した(系列の明確な裁判官は、相対的なエリート層により多い)。 つまり、個々の裁判官のキャリアがどう決まってゆくかは時代により多少異なるものの、個々人の希望の占める比重はあまり大きくないのである。にもかかわらず、民事系、刑事系、家裁系の裁判官集団についてみると、どの時代でもおおむね似通っている。日本人の個性や生き方、あり方が、所属する、あるいは精神的に帰属する「集団、ムラ」によって強く規定される事態を示す典型的な一例といえよう。そして、こうした系列の中でみるとき、刑事系は、その官僚制と閉鎖性において際立っているのだ。 私は、裁判官を批判してはきたが、民事系であれば、人柄に厚みのある人物も、教養識見が深い人物も、研究者の資質をもった人物も、挙げることはできる。しかし、刑事系については、その層が薄いこともあってか、そうした人間の「幅」があまり感じられない。個性ある人物は、いるとしても多くはない。私が若かったころには、まれに、非常に人間のできた温厚な方がいたものだが、そうした人々はおおむね傍流であった。また、検察官には退官後目立った社会的活動を行う人が時々いるが、刑事系裁判官にはあまりいない。 裁判官の書物も、刑事系の人々のそれは、従来からある「裁判官幻想」に沿い、それを補強・再生産し、そうすることで読者を安心させるレヴェルにとどまり、読者を突き動かすような創造性や力には乏しいものが多い。特に、エッセイ的なものでは自己満足が目立ちやすい。 以上のとおり、刑事系裁判官は、社会から隔離された司法官僚裁判官集団の中でも「もう一重隔離された人々」という印象が強いのだ。 「かつての刑事裁判長には、『被告人は平気で嘘をつく』、『検事がそんな変なことをするはずがないだろう』、あるいは、『国民が皆有罪と信じている被告人をなぜ裁判所だけが無罪とすることができるんだ』などといった信じられない発言を、合議等で堂々とする人も多かったのです。また、今でも、そういう考えをもっている人は決して少なくないと思います。もっとも、少なくとも、裁判員裁判では、そうした発言を合議の場ですることだけは、できなくなったようですね。また、無罪判決を一度も出していない刑事裁判官が一定の割合でいるのも事実です」 これは、私が、前記木谷明元裁判官からじかにお聴きし、引用の許可もいただいた言葉である。 また、私自身が直接に経験したところでも、かつての刑事系裁判官には、「被告人の争い方が悪かった場合には有罪判決の量刑を重くする」という考え方をもつ人がかなりいた。今でも、その傾向はあるかもしれない。しかし、被告人には争う自由があるし、「争い方が悪いかどうか」の判断は相当に裁判官の主観の問題であることを考えると、裁判官の客観性、中立性という観点から問題ではないかと思ったものである。さらに、実刑と執行猶予の選択において、世論の中の厳罰主義的な部分に沿い、平等・公平・公正の原則に反する「見せしめ、一罰百戒」的な志向が強く出やすいことについては、私を含め民事系裁判官のかなりの部分が、違和感を抱いていた。[刑事系裁判官は、社会から隔離された司法官僚裁判官集団の中でも「もう一重隔離された人々」という印象が強いのだ。 「かつての刑事裁判長には、『被告人は平気で嘘をつく』、『検事がそんな変なことをするはずがないだろう』、あるいは、『国民が皆有罪と信じている被告人をなぜ裁判所だけが無罪とすることができるんだ』などといった信じられない発言を、合議等で堂々とする人も多かったのです。また、今でも、そういう考えをもっている人は決して少なくないと思います・・・[刑事系裁判官は、社会から隔離された司法官僚裁判官集団の中でも「もう一重隔離された人々」という印象が強いのだ」、なるほど。
・日本では刑事事件のほとんどが有罪判決となることもあってか、刑事系裁判官の思考パターンは、さまざまな側面で検察官の思考パターンにシンクロナイズしがちであり、一方、検察や警察が間違いを犯すかもしれないという視点にはきわめて乏しい。刑事系裁判官の多数派にとっては、「疑わしきは罰せず」はお題目で、そもそも判断に当たっての葛藤や逡巡があまりみられず、思考停止しているような印象さえ受ける場合がある。木谷氏も言及されているとおり、キャリアを通じて無罪判決を一度も出していない刑事系裁判官さえ一定の割合で存在するのだ。』、「日本では刑事事件のほとんどが有罪判決となることもあってか、刑事系裁判官の思考パターンは、さまざまな側面で検察官の思考パターンにシンクロナイズしがちであり、一方、検察や警察が間違いを犯すかもしれないという視点にはきわめて乏しい。刑事系裁判官の多数派にとっては、「疑わしきは罰せず」はお題目で、そもそも判断に当たっての葛藤や逡巡があまりみられず、思考停止しているような印象さえ受ける場合がある。木谷氏も言及されているとおり、キャリアを通じて無罪判決を一度も出していない刑事系裁判官さえ一定の割合で存在するのだ」、なるほど。
冤罪が確定した事件やそれが強く疑われている事件における非常識、非合理的な事実認定、論理性の欠如、被告人に対する予断と偏見にも、目をおおわしめるものがある。本書ではテーマと紙幅の関係から取り上げないが、拙著(『ニッポンの裁判』〔講談社現代新書〕、『檻の中の裁判官』〔角川新書〕)の関係記述、また、『現代日本人の法意識』末尾の「若干の補足」で挙げている各文献の記述を参照してみていただきたい。誇張でなく、「これではまるで中世の魔女裁判、かつてのアメリカ南部における黒人被告人裁判と同様ではないか」との印象を抱かせるような判決がまま存在するのだ。 刑事系裁判官のこうした意識、言動、判断については、裁判員裁判制度の導入によっていくらか変化した可能性はあるものの、その影響は限定的なものであろう。たとえば裁判員裁判における合議についても、裁判員のいないところで裁判官たちが「事実上の合議」をしている例はかなりあるといわれるように、司法官僚としての性格が強い日本の裁判官は、場面によって「顔」を使い分けることには慣れているのである。 なぜ刑事系裁判官の法意識が以上のようなものとなりやすいのかについては、すでに記したおり、私にも未だによくはわからない。木谷氏さえよくわからないと言われる。しかし、可能な限りであえて分析、推測すれば、以下のようになる。 第一に考えられる理由としては、(1)「最高裁に対する忖度。無罪判決がキャリアにおいて不利にはたらく可能性」があるだろう。しかし、それだけでは説明しにくい根深いものも感じるのだ。加えるとすれば、次のような理由が挙げられるかと思う。 (2)刑事訴訟は民事訴訟ほどヴァリエーションがなく、訴訟指揮や判決についても高度な法的知識が要求される度合は、一般的にいえば小さい(むしろ、陪審員のような普通の市民のコモンセンスが生きる領域である)。そのため、裁判官が、専門家としての実質のある自信、自負をもちにくい。 (3)日本の裁判官には、近世以前から、また戦前から引き継がれた行政優位の法文化・伝統の下で、国家や政治・行政の権力チェックをためらう傾向が強く、民事関係では行政訴訟やいわゆる憲法訴訟にその傾向が顕著だが、国家の直接的な権力作用である刑事訴訟については、その傾向が一層強い(刑事訴訟では、日本の裁判官の「司法官僚」的性格が、治安維持第一、有罪推定という方向で強く表れやすい)。 (4)前記のとおり、検察は一体として事実上の強大な権力をもっており、表面上は裁判官を立てていても現実にはあなどっている。個々ばらばらの裁判官は、比較すれば無力で、検察官に堂々と対抗してゆくことのできる勇気と実力のある人が少ない。 (5)刑事系裁判官は世論の影響を受けやすく、特にマスメディアによって醸成される検察・警察寄りのそれには弱い。 まとめると、刑事裁判官は、世間からは司法権力の象徴のように思われ、法廷でも表面的には民事や家裁の場合より尊重されているように見えるものの、現実にはその専門家としての精神的基盤に、弱い、もろい部分のあることが、問題の根本原因ではないだろうか。 私が若かったころ、司法修習生の間では、検察官は、法曹三者中最も人気がなく、ほとんど、なろうと思えば誰でもなれる状態だった。司法研修所の検察官教官は、法学部在学中合格者等の優秀な修習生を一本釣りする場合には、「君は、必ず高等検察庁の検事長まではいけるから」などと、事実上言質を与えるに等しいことまで言って任官を促す例があった(付け加えれば、そうした修習生には、実際そのポストまでいった例が多い)。一方、裁判官の人気は今よりもずっと高く、たとえば、当時は一年間に数名しかいなかった判事補留学者については、まだ若くても、一流の渉外弁護士事務所から、「すぐにパートナー弁護士(共同経営者弁護士)にしてあげるからきませんか?」という破格の誘いがかかることもあった。 しかし、近年は、裁判官の人気が下がっており、司法修習生獲得競争でも総体として大規模弁護士事務所に負け気味という、かつては考えられなかった事態が起きている。また、中途退職者も増えており、ことに、相対的な優秀層に属する裁判官が東京およびその周辺からの異動時期にやめてしまう例が目立つという。一方、検察官の人気は昔よりも上がってきている。特に、検察庁は、私学のトップレヴェルの学生を狙い撃ちにする傾向が強いようだ。これは、「名よりも実を取る」という意味では、よい方法なのである。有名私学のトップクラス学生は、その割合こそ大学によって異なるものの、東大、京大の平均レヴェルよりも上の資質、能力をもっている例も多いからだ。 平均的にみれば裁判官の能力が検察官よりも相当に高かった昔でも、刑事系裁判官は、前記のような理由からか検察官(ないしはその背後にある一体としての検察およびこれに同調する裁判所当局)の方を向き、その顔色をうかがいがちだった。上記のような昨今の状況では、その傾向がさらにひどくなっているのではないか、ゆくのではないかを、私は、憂慮している。 なお、これは、実をいえば、民事系裁判官についても同様にいえる問題である。弁護士や検察官が裁判官の訴訟指揮に従うのは、「裁判官の能力を認めて」という前提あってのことなので、平均的な裁判官の能力が期待されるラインを割ってしまうと、法廷の適切、円滑な運営自体が難しくなってしまう。裁判官キャリアシステムの制度疲労は、こうした側面でも進行しつつあるのだ』、「弁護士や検察官が裁判官の訴訟指揮に従うのは、「裁判官の能力を認めて」という前提あってのことなので、平均的な裁判官の能力が期待されるラインを割ってしまうと、法廷の適切、円滑な運営自体が難しくなってしまう。裁判官キャリアシステムの制度疲労は、こうした側面でも進行しつつあるのだ」、なるほど。
・『冤罪に関する人々の法意識 最後に、冤罪に関する現代日本人、国民一般の法意識についても考察しておきたい。 刑事訴訟に関するインターネット空間の言説をひととおりさらってみたところでは、現代日本におけるよき市民の冤罪に関する最大公約数的な法意識・感想は、「冤罪など自分にはかかわりのないことだと思っていたのだが、どうも、そうでもないようだ。もしもそうであるとすれば恐ろしい」といったところではないかと思われる。 このことに関連して私が思い出すのは、アメリカの大学で哲学・倫理学を教えている教授の、次のような言葉だ。 「最近の学生(ロースクールの学生ではなく一般学生)は、公的な正義に関する意識が極端に低くなってきています。たとえば、冤罪被害者について具体的な事例を挙げて討議を行っても、出てくる意見、感想は、少なくとも最初はお粗末で、『オー、ゼイアー・アンラッキー(いやあ、不運な人たちもいるんですねえ)』というレヴェルのものすらままある有様です。『自分や家族、周囲の人間に関係がなければ別にいいや。要するに彼らは不運だったんだよ』ということなのです。実に嘆かわしい」 これに対して、私も、「アメリカの学生たちも、随分内向きになってきているんですね」などと応答したのだが、さて、一人になってからじっくり内省してみると、日本のよき市民の先のような感想も、突き詰めれば、「オー、ゼイアー・アンラッキー」というのと同じことなのではないかと気付き、あらためて愕然がくぜんとしたのである。 近年のアメリカでは、社会的分断が強まり、経済的に中位以下の人々の社会的疎外が進むにつれ、精神的な側面での荒廃傾向は否定しにくく、特に、モラルの側面における劣化がはなはだしい。 だから、現在の日本の「よき市民」の冤罪に関する法意識が、モラルが著しく低下した現代アメリカにおける「嘆かわしい学生たち」のそれと、「文化の相違からくる表現の直截ちょくせつ性の差こそあれ、実質的にみればさして変わらない」ことには、やはり、がっかりせざるをえないのだ。 『現代日本人の法意識』第7章でもふれるが、マスメディアの報道もひどい。おおむね警察・検察の情報の無批判な垂れ流しで、被疑者は暗黙のうちに犯人と扱われがちだ。再審についても、再審開始決定や再審無罪判決が出たときだけは、裁判所、国家がよいことをしたわけだから大きく報道するが、再審請求棄却決定や再審開始決定取消しの場合には、せいぜい、特別によく知られた事件について、おざなりな両論併記のコメントを付けて小さく報道する程度である。 そして、こうした決定に関するある程度掘り下げた分析についてすら、幹部が、「そもそも、判決、決定についての掘り下げた分析や批判など、新聞に載せるべきではない」などといった信じられない反応をするという話を、記者・元記者たちから聞くことさえある有様なのだ。 たとえば、前記郵便不正事件についてみると、「朝日新聞」は、村木氏逮捕後の社説(2009年6月16日)で、「村木局長は容疑を否認しているという。だが、障害者を守るべき立場の厚労省幹部が違法な金もうけに加担した疑いをもたれてしまった事実は重い」、「〔……〕キャリア官僚の逮捕にまで発展し、事件は組織ぐるみの様相を見せている。なぜ不正までして便宜を図ったのか。何より知りたいのはそのことだ」との驚くべき記述を行っている。「特捜検察に逮捕されたこと自体が社会的な罪だ。推定有罪だ」といわんばかりなのである。 ここで、『現代日本人の法意識』第4章で引用した次のような内容の記述を思い出していただきたい(『お白洲から見る江戸時代』)。 「お白洲において一般的には砂利の上でなく縁側に座ることを許されていた身分(武士、僧侶等)の被疑者も、未決勾留を命じられるとともに、突然縁側から地べたの砂利に突き落とされて縄で縛られる。ここには、嫌疑を受けること自体を『罪』とする江戸時代の人々の見方が表れている」 先のような記述を社説で堂々と行う記者たちの「法意識」と江戸時代の司法官僚たちの法意識が実際にはいかに近いものであるかが、理解されるのではないだろうか。 もっとも、村木氏無罪判決後、朝日を含め各紙は一転して検察批判に転じた。だが、同じように無罪になった場合でも、村木氏のような地位、肩書をもたない人間の場合には、マスメディアは、名誉回復には到底及ばないような最小限の扱いしかしないのである(以上につき、牧野洋『官報複合体──権力と一体化するメディアの正体』〔河出文庫〕。なお、この書物の行っている日本のジャーナリズム批判は一々もっともだが、それとのコントラストを付けるためか、アメリカのジャーナリズムについては光の側面のみを取り上げている印象はある)。 私は、被疑者・被告人の権利ばかりを言い立てるつもりなどない。しかし、推定無罪の原則、「疑わしきは罰せず、疑わしきは被告人の利益に」の原則は、いわば近代刑事司法のイロハである。それは、犯罪者を守るための原則ではなく、あなたや私、その家族や友人・知人、そして、名も知らないけれども人間としての同胞である無辜むこの人々が被疑者・被告人となった場合に、私たちと彼らを、冤罪という名の国家による重大な過ちから守るための原則なのだ。 しかし、刑事司法をめぐる日本の現状をみる限り、冤罪に関する現代日本人の法意識は、誰もそれを明示的に口にはせずとも、あえて意識の高みに引き上げて言葉を与えるなら、次のようなものなのではないだろうか。 「よくはわからないが、日本の刑事司法に問題があるとしても、冤罪はまれなことなのではないか。それに、冤罪被害者はお気の毒とは思うものの、やはり、犯罪がきちんと取り締まられ、犯罪者が確実に逮捕、処罰されることのほうが、より重要なのではないだろうか」 こうしてあからさまに言語化されたものを読むと、『現代日本人の法意識』第4章の「犯罪と刑罰に関する日本人の法意識」の項目における同様のまとめの場合と同じく、不快に感じる方々もいるかもしれない。私自身、私の疑念が杞憂きゆうであってくれればと思う。 だが、現実をみれば、本章で論じたことからも明らかなとおり、日本は、今ではもはや、刑事司法、刑事訴訟手続の適正に関しては、「後進国」であることが否定できなくなりつつある。それは、おそらく、動かしにくい「事実」であろう。日本の刑事法学が「学問」としては洗練されているとしても、上記の「事実」自体が変わるわけではない。また、そのような刑事司法の状況が、「ムラ社会の病理」の一端であり、「日本社会の中の『前近代的』と評価されても仕方のない部分」であることについても、議論の余地はあまりないと考える。 そして、そのことについては、私にも、あなたにも、日本の市民の一人としての責任がある。 本記事の抜粋元・瀬木比呂志『現代日本人の法意識』では、「現代日本人の法意識」について、独自の、かつ多面的・重層的な分析が行われています。ぜひお手にとってみてください』、「日本は、今ではもはや、刑事司法、刑事訴訟手続の適正に関しては、「後進国」であることが否定できなくなりつつある。それは、おそらく、動かしにくい「事実」であろう。日本の刑事法学が「学問」としては洗練されているとしても、上記の「事実」自体が変わるわけではない。また、そのような刑事司法の状況が、「ムラ社会の病理」の一端であり、「日本社会の中の『前近代的』と評価されても仕方のない部分」であることについても、議論の余地はあまりないと考える。 そして、そのことについては、私にも、あなたにも、日本の市民の一人としての責任がある」、なるほど。
第三に、12月4日付け現代ビジネスが掲載した明治大学教授で元裁判官の瀬木 比呂志氏による「日本の有罪率が99%を超えるのは「検察の優秀さ」ではなく「刑事司法の異常さ」を示しているという「驚愕の事実」」を紹介しよう。
・『「法の支配」より「人の支配」、「人質司法」の横行、「手続的正義」の軽視… なぜ日本人は「法」を尊重しないのか? 講談社現代新書の新刊『現代日本人の法意識』では、元エリート判事にして法学の権威が、日本人の法意識にひそむ「闇」を暴きます。 本記事では、〈刑事司法の病理現象「冤罪」に関する「日本特有の問題」…日本は「冤罪防止」のためのシステムや取り組みが欠如しているという「恐ろしい現実」〉にひきつづき、検察官の「法意識」についてみていきます。 ※本記事は瀬木比呂志『現代日本人の法意識』より抜粋・編集したものです』、「元エリート判事にして法学の権威が、日本人の法意識にひそむ「闇」を暴きます」、興味深そうだ。「日本は「冤罪防止」のためのシステムや取り組みが欠如しているという「恐ろしい現実」〉にひきつづき、検察官の「法意識」についてみていきます、なるほど。
・『検察官の「法意識」 日本の検察官は、裁判官と同様司法修習生からそのまま採用され、司法官僚としてキャリアシステムにおける「出世」の階段をのぼってゆく。検察は、検事総長をトップとする一枚岩の行政組織だから、裁判官の中では一枚岩的な性格が強い刑事系の裁判官集団以上に、同族意識、組織としての一体感が強い。 また、建前としての無謬むびゅう性にこだわりやすい日本の組織の常として、さらには、正義の看板を背負っており、かつ、前記のとおり客観的なチェックの入らない大きな権限をもつ組織の構成員、官僚であることから、誤りのないこと、失点のないことに非常にこだわる。 そして、無罪判決は検察官の最も目立った失点となる。したがって、起訴した事件については、再審の局面をも含め、組織の面子をかけて最後の最後まで争い続けることになる。再審無罪事件の重大なものをみると、身柄拘束の時点から再審無罪判決確定までに30年前後ないしそれ以上の長期間を要しているものが多い。広く報道されてきた袴田事件に至っては、2024年10月9日の再審無罪判決確定までに、実に58年以上が経過している。これでは、冤罪被害者は、たとえ無罪判決を得ても人生の大きな部分を決定的に奪われてしまうことになる。人権侵害の最たるものといわなければならないだろう。 99.9から99.8パーセント(地裁事件統計)という日本の有罪率は、日本の検察の優秀さを示すものというよりはむしろ、日本の刑事司法の異常さや問題を示すものであり、今では社会一般の認識もそうなりつつある(たとえば、有罪率100パーセントといったことになれば、それはもはや専制主義国家の暗黒裁判であろう)。また、高い有罪率への固執は、本来であれば起訴が相当な事件を不起訴にする弊害も伴い、特に裁判員裁判対象事件については、この弊害を指摘する声が多い。しかし、閉じた組織である検察は、こうした外部の声にはきわめて鈍感であり、無謬性に強迫的にこだわることをやめられないのである(検察は、前記の袴田事件再審無罪判決について控訴権を放棄したものの、併せて、「証拠捏造を認めた判決については強く不満」との異例の談話を出した。また、後記の特捜部検察官に関する付審判決定についても、ある検察幹部が「これでは現場は必ず萎縮する」旨のコメントを行っている〔2024年8月9日朝日新聞〕。こうした対応やコメントも、日本の検察ならではのものであろう)。 以上のような組織特性、メンタリティーの帰結としてか、日本の検察官は、刑事裁判官をあまり尊敬していない。それどころか、おおむね自分たちの言いなりになることからあなどっており、また、まれにそうでもなくなることについては、いらだちを隠さない。 政治家鈴木宗男氏の事件(いわゆる国策捜査事案)にからむ容疑で逮捕され有罪とされた経験をもつ元外交官佐藤優氏の『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』〔新潮文庫〕では、捜査担当検察官が、「今後鈴木氏の裁判につきあうのはほどほどに」との旨を佐藤氏に忠告するとともに、「裁判なんて時間の無駄だよ」と語るが、これが典型的だ。付け加えれば、この検察官との間に一種の友情を結んだ著者自身の感懐としても、「供述をしなくても私の有罪を確実にする仕掛けを作る能力が検察にはある。国家権力が本気になれば何でもできるのだ」、「弁護人は司法府の独立をほんとうに信じているようだが、私はまったく信じていない」との記述がある。 さて、『現代日本人の法意識』第1章でふれた『不思議の国のアリス』には、実は、もう一つ、刑事裁判がらみのエピソードがある。幻の巨鳥ドードーをも含めた鳥や獣が集まってするコーカスレースの後の、ネズミの「長くて哀れなお話(ア・ロング・アンド・ア・サッド・テイル)」である。 犬の検察官がネズミをつかまえ、「おまえを起訴して有罪にしてやる」と言う。ネズミが、「でも、陪審員も裁判官もいないじゃないですか?」と反論する。犬は、「裁判官も陪審員も俺がやる。一切合切一人で裁いて、おまえを死刑にしてくれる」と、有無を言わさず切り返す。 これもまた、ナンセンスでシュールレアリスティックなありえない裁判として語られているのだが、私が慄然りつぜんとしてしまうのは、これが、160年後の「先進国・富裕国」の一つにおける刑事司法の現実についての、強烈なブラックジョークにもなっているからなのだ。 非常に単純化していえば、『アリス』の犬と同様に、「裁判官も裁判員も〔実質は〕俺がやりたい。一切合切一人で裁いて、おまえを確実に有罪にしてやりたい」というのが、表には出てこない、また、彼ら自身意識の表面にはあまりのぼらせない、日本の検察官の「本音」なのではないだろうか。検察官と話していると、穏やかなタイプの人であっても、気を許した会話の中では、こうした本音がちらちらと見え隠れすることがある。 また、公証人となって元検察官とともに働いた経験をもつかつての先輩・同僚裁判官からも、「瀬木さんの裁判官批判には当たっている部分があるが、自己過信や慢心についていえば、検察官はさらに問題が多いと思うよ」との意見を聞くことがある。確かに、検察官は、被疑者、被告人、刑事弁護人との関係では圧倒的に優位に立っているし、外部から批判を受けて内省する機会も、裁判官以上に少ないかもしれない(なお、公証人は法務省管轄の制度のため、検察官等法務官僚のほうが裁判官よりもなりやすく、数も多い)。 日本の検察についても、大陪審や予備審問のような起訴チェック機関を設けるとともに、検察官定員の一定割合については弁護士から期間を限って採用する人々とするなどの方法により、外部の血を入れ、組織の民主化を図ることが望ましいと思われる。それは、かたくなで一枚岩的な検察官の法意識の改善にもつながることだろう』、「日本の検察についても、大陪審や予備審問のような起訴チェック機関を設けるとともに、検察官定員の一定割合については弁護士から期間を限って採用する人々とするなどの方法により、外部の血を入れ、組織の民主化を図ることが望ましいと思われる」、その通りだ。
・『特捜検察の問題 特捜検察は、手続的な正義、透明性のあるシステムという観点からみたとき、きわめて問題の大きい制度である。特定の政治的な勢力の意を受けて行われる「国策捜査」になりやすく、小沢一郎氏が無罪となった陸山会事件(2004~07年)のように、たとえ無罪となっても政治家として大きな打撃を受ける例がある。また、厚生官僚の村木厚子氏が無罪となった郵便不正事件(2004年)のように、検察官による証拠の改竄かいざんまでが行われた例がある。 さて、その郵便不正事件では、村木氏が犯行に至った経緯として、事件関係者がかかわったとされる19件の面談や電話での会話が検察官の冒頭陳述で挙げられており、これを裏付ける関係者の供述調書が多数あったが、うち1件を除く18件については、現実には存在しない架空のものだった。これについては、村木氏の弁護士であった弘中惇一郎氏が、「組織をあげての事件の捏造ねつぞう」であり、一人の検察官による証拠の偽造(フロッピーディスク内文書データの最終更新日時を改竄)よりもさらに重大な問題であると述べている(『特捜検察の正体』〔講談社現代新書〕)。 こうしたフレームアップ、でっち上げは、重大冤罪事件の警察捜査ではしばしばみられるものだ。しかし、それらについては、強引な捜査方法に問題があると警察内部でも取り沙汰されていた人物が見込み捜査を強硬に推し進めた結果である例も多いといわれる。 検察官は、警察の捜査をチェックする立場にある官僚である。その官僚組織中でもエリート集団といわれる特捜検察が「問題のある刑事」と同様の捜査を行っていたということになると、組織の構造的なひずみを考えざるをえないであろう。前記弘中書に書かれている事柄のうち、法律家の目からみて主観による推測の入る余地の乏しい客観的事実だけを取り出してみても、戦後の警察が各種の冤罪事件で行ってきた問題のある捜査方法が、拷問を除き、ほぼそのまま網羅されている感があるのだ。 特捜検察は、捜査の端緒をつかむことから起訴までのすべてをみずから行う。したがって、動き出してしまうと、客観的、合理的で冷静なチェックがはたらかない。それに加えて、前記のような検察官のメンタリティー、面子、特権意識が重なると、暴走を押しとどめることができなくなる。 また、すでにふれたとおり、特捜検察が、政治権力の特定の一部の意向を不明瞭なかたちで受けて立件に動いている可能性も、特に政治家がらみの事件では指摘されている。これは、民主政治の根本をおびやかす事態を生みかねない。 一方、特捜検察は、福島第一原発事故や第二期安倍政権時代の森友・加計学園問題、「桜を見る会」問題等では動かなかった(福島第一原発事故に関する起訴は、検察審査会の議決による強制起訴)。2020年前後の自民党政治資金パーティー裏金事件における起訴も、ごく小規模なものにとどまり、ほとんどの議員は刑事責任を免れた。しかし、これらは、本来であれば特捜検察が積極的かつ果敢に取り組むべき問題だったはずであり、こうした点でも、特捜検察の姿勢は不明瞭といわざるをえない。 前記のとおり特捜検察は検察のエリート集団と位置付けられてきたのだが、以上に論じてきたような問題もあってか、「近年は、特捜検察の積極的志望者が少なくなっている」との話を、私は、検察の内部についてよく知る人物から聞いたことがある。しかし、そうであればなおさら、自己チェック機能の弱体化も懸念されるわけである。 政治の腐敗については事件限りで任命された特別検察官が捜査、起訴を行うというアメリカの方式のほうが、よほど健全であろう。あるいは、特捜検察は捜査の端緒をつかむだけのセクションにして、現実の捜査は警察あるいは別の検察セクションにさせ、起訴も同様にし、また、起訴の当否、必要性については、弁護士等外部から入れた法律家の目をも交えて決めるような組織にすべきであろう。権力が少数の人間に集中し、立件の基準が不明瞭であり、第三者による客観的なチェックが入らない現在のような制度は、まさに前近代的である。 なお、2024年8月8日、大阪高裁は、大阪地検特捜部の検察官に関する付審判請求につき、「検察なめんな」などと一方的にどなり、机を叩いて責め立てたなど取り調べの際の言動に大きな問題があったとして、特別公務員暴行陵虐罪で審判に付する決定を出した。付審判請求とは、公務員の職権濫用罪について告訴・告発を行った者が、検察の不起訴処分に不服のある場合に、事件を裁判所の審判に付する(刑事裁判を開始する)ことを求める手続であり、検察官が審判に付されたのは初めてのことである。また、検察官の取り調べをめぐっては、国家賠償請求訴訟も相次いで提起され、地裁での勝訴判決も出ている。 さらに【つづき】〈日本はもはや「刑事司法」に関しては「後進国」であるという「否定できない事実」〉では、刑事系裁判官の「法意識」について見ていきます。 本記事の抜粋元・瀬木比呂志『現代日本人の法意識』では、「現代日本人の法意識」について、独自の、かつ多面的・重層的な分析が行われています。ぜひお手にとってみてください』、「政治の腐敗については事件限りで任命された特別検察官が捜査、起訴を行うというアメリカの方式のほうが、よほど健全であろう。あるいは、特捜検察は捜査の端緒をつかむだけのセクションにして、現実の捜査は警察あるいは別の検察セクションにさせ、起訴も同様にし、また、起訴の当否、必要性については、弁護士等外部から入れた法律家の目をも交えて決めるような組織にすべきであろう。権力が少数の人間に集中し、立件の基準が不明瞭であり、第三者による客観的なチェックが入らない現在のような制度は、まさに前近代的である」、その通りだ。
第四に、12月4日付け現代ビジネスが掲載した明治大学教授で元裁判官の瀬木 比呂志氏による「刑事司法の病理現象「冤罪」に関する「日本特有の問題」…日本は「冤罪防止」のためのシステムや取り組みが欠如しているという「恐ろしい現実」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/142075?imp=0
・『「法の支配」より「人の支配」、「人質司法」の横行、「手続的正義」の軽視… なぜ日本人は「法」を尊重しないのか? 講談社現代新書の新刊『現代日本人の法意識』では、元エリート判事にして法学の権威が、日本人の法意識にひそむ「闇」を暴きます。 本記事では、〈日本人の死刑に関する考え方は、先進諸国の中では「特異なもの」だという「意外な事実」〉にひきつづき、「刑事司法における明らかな病理現象」である冤罪について、刑事司法関係者の法意識を中心にみていきます。 ※本記事は瀬木比呂志『現代日本人の法意識』より抜粋・編集したものです』、「「刑事司法における明らかな病理現象」である冤罪について、刑事司法関係者の法意識を中心にみていきます」、興味深そうだ。
・『冤罪に関する日本特有の問題 冤罪は、いわば刑事司法の病理現象、宿痾しゅくあであり、どこの国にでも存在する。 しかし、日本特有の問題もある。それは、日本の刑事司法システムが冤罪を生みやすい構造的な問題を抱えていること、また、社会防衛に重点を置く反面被疑者や被告人の権利にはきわめて関心の薄い刑事司法関係者の法意識、そして、それを許している人々の法意識、という問題である。日本の刑事司法システムは、為政者や法執行者の論理が貫徹している反面、被疑者・被告人となりうる国民、市民の側に立って上記のような国家の論理をチェックする姿勢や取り組みは非常に弱いのである。 刑事司法システムの問題からみてゆこう。 まず、身柄拘束による精神的圧迫を利用して自白を得る「人質司法」と呼ばれるシステムが挙げられる。勾留期間20日間に逮捕から勾留までの期間を加えると最大23日間もの被疑者身柄拘束が常態的に行われている。また、否認したまま起訴されると、自白まで、あるいは検察側証人の証言が終わるまで保釈が許されず、身柄拘束が続くことがままある。第一回公判期日までは弁護人以外の者(家族等)との接見が禁止される決定がなされることも多い。 「人質司法」は、日本の刑事司法の非常に目立った特徴であり、明らかに冤罪の温床となっている。しかし、これについては、近時ようやく一般社会の注目が集まるようになってきたという段階であり、改革は、ほとんど手つかずのままである。 検察官の権限が非常に大きく、たとえば英米法系諸国における大陪審や予備審問のように起訴のためにほかの機関による承認やチェックを必要とする仕組みがないことも、大きな問題である。起訴権を独占する一枚岩の組織体としての検察の権力は、無制約に強大なものとなる。 そして、江戸時代以来連綿と続いている「自白重視、自白偏重」の伝統が、以上の問題に拍車をかけている。こうした伝統の下では、捜査官も検察も、いきおい自白を得ることに固執しがちになるからだ』、「検察官の権限が非常に大きく、たとえば英米法系諸国における大陪審や予備審問のように起訴のためにほかの機関による承認やチェックを必要とする仕組みがないことも、大きな問題である・・・江戸時代以来連綿と続いている「自白重視、自白偏重」の伝統が、以上の問題に拍車をかけている。こうした伝統の下では、捜査官も検察も、いきおい自白を得ることに固執しがちになるからだ」、なるほど。
・『冤罪防止のためのシステムや取り組みの欠如 冤罪の頻度、また、これを防止するためのシステムの整備という点からみても、日本の状況には、大きな問題がある。 まず、冤罪が実際にはどのくらいあるのかすら全くわからない。表に出てくる情報もほとんどない。キャリアを通じて真摯しんしに刑事裁判に取り組み、約30件の無罪判決を確定させた裁判官(木谷明氏。公証人、法政大学法科大学院教授を経て現在は弁護士)がいる一方、刑事系裁判官の多数はごくわずかしか無罪判決を出しておらず、「ゼロ」という裁判官さえ一定の割合で存在する。特定の裁判官にだけ無罪事案が集中するのはきわめてありにくいことだから、たとえば刑事系裁判官が控えめにみて一人当たり十の冤罪を作っている可能性があると考えてみると、日本における冤罪が、いかにありふれたものでありうるかがわかるだろう。 たとえばアメリカでは、ロースクール、公設弁護士事務所等を中核とするイノセンス・ネットワーク、その中核となっているイノセンス・プロジェクト(非営利活動機関)が、刑事司法改革に取り組み、冤罪に関する調査を行い、冤罪の可能性のある事件についてDNA鑑定等を利用して再審理を求め、イノセンス・プロジェクトだけでも300件以上の有罪判決をくつがえしている。 そして、こうした活動には連邦や州も協力している(なお、イノセンス・ネットワークは、アメリカ以外の国々にも展開されている)。さらに、多くのロースクールには、冤罪を含む刑事司法の問題について中心的に研究しかつ教えている教授がいるので、そうした事柄に関する平均的な弁護士、裁判官のリテラシーについても、一定水準のものは確保されるようになっている。日本の法学教育、法曹教育においても、冤罪とその防止に関する最低限の教育くらいは行われるべきであろう。 アメリカの刑事司法も決してバラ色ではなく、警官の問題行動は非常に多い。また、法域(連邦、州以外にも種々の法域がある)がともかく細かく分かれているため、警察、検察、裁判所とも、法域、地域による質のムラが大きい。しかしながら、少なくとも、「冤罪という問題」の存在を「直視」し、そのような「不正義」から被害者を「救済」するための充実した「取り組み」があり、連邦や州等の「公的セクション」も、その必要性と意味を認めて「協力」している(一例を挙げれば、冤罪事件を含め、貧困者、死刑囚、受刑者等のための弁護活動を専門に行う弁護士事務所に補助金を出すなど)のであり、こうした点は、日本とは全く異なる(なお、日本でも、海外における取り組みを参考にして、イノセンス・プロジェクト・ジャパンが2016年に設立された。未だその歴史は浅いが、今後の活動の展開に期待したい)。 また、刑事訴訟、特に再審請求手続における検察官手持ち証拠の開示、再審等に備えての証拠の保管(特に重要なのが、前記のDNA鑑定資料)といった冤罪防止、刑事訴訟手続全般の適正化のための基盤となる制度についても、日本は、明らかに国際標準に後れつつある(たとえば、李怡修リーイシュウ「刑事手続における証拠閲覧・開示と保管──日本・台湾・カリフォルニア州の再審請求段階から考察する」〔一橋大学機関リポジトリ〈ウェブ〉掲載〕によると、日本の制度は、アメリカのみならず、台湾にも後れをとっているように思われる)。 さらに【つづき】〈日本の有罪率が99%を超えるのは「検察の優秀さ」ではなく「刑事司法の異常さ」を示しているという「驚愕の事実」〉では、検察官の「法意識」」などについてくわしくみていきます。 本記事の抜粋元・瀬木比呂志『現代日本人の法意識』では、「現代日本人の法意識」について、独自の、かつ多面的・重層的な分析が行われています。ぜひお手にとってみてください(日本の制度は、アメリカのみならず、台湾にも後れをとっているように思われる・・・日本の有罪率が99%を超えるのは「検察の優秀さ」ではなく「刑事司法の異常さ」を示しているという「驚愕の事実」〉では、検察官の「法意識」」などについてくわしくみていきます」、なるほど。
宇宙(その4)(インフレーション理論による「宇宙誕生のシナリオ」が革新的すぎる… 厳密な計算が示した「衝撃の結論」、この世界は「無数にある宇宙」のひとつに過ぎない…物理学者たちが「マルチバース」を信じる「深すぎる理由」、「宇宙は人類のために設計されている」説が、あながち間違いとも言えないワケ…物理学から考える「この世界の存在理由」) [科学技術]
宇宙については、本年11月14日に取上げた。今日は、(その4)(インフレーション理論による「宇宙誕生のシナリオ」が革新的すぎる… 厳密な計算が示した「衝撃の結論」、この世界は「無数にある宇宙」のひとつに過ぎない…物理学者たちが「マルチバース」を信じる「深すぎる理由」、「宇宙は人類のために設計されている」説が、あながち間違いとも言えないワケ…物理学から考える「この世界の存在理由」)である。
先ずは、3月2日付け現代ビジネスが掲載した佐藤勝彦氏による「インフレーション理論による「宇宙誕生のシナリオ」が革新的すぎる… 厳密な計算が示した「衝撃の結論」」を紹介しよう。
・『宇宙はどのように始まったのか…… これまで多くの物理学者たちが挑んできた難問だ。火の玉から始まったとするビッグバン理論が有名だが、未だよくわかっていない点も多い。 そこで提唱されたのが「インフレーション理論」である。本連載では、インフレーション理論の世界的権威が、そのエッセンスをわかりやすく解説。宇宙創生の秘密に迫る、物理学の叡智をご紹介する。 *本記事は、佐藤勝彦著『インフレーション宇宙論 ビッグバンの前に何が起こったのか』(ブルーバックス)を抜粋・再編集したものです』、興味深そうだ。
・『これが「元祖インフレーション理論」だ では、私が1981年に考え出した、元祖インフレーション理論を説明していきましょう。 宇宙の誕生直後、四つの力がそれぞれ、真空の相転移によって枝分かれをしたことはお話ししました。実は、これらの相転移のうち、2番目に起きた相転移によって強い力と電磁気力が枝分かれをするときに、まさに水が氷になるのと同様の現象が起きることがわかったのです。 水から氷に相転移するとき、エネルギーは高い状態から低い状態になります。これは秩序がない状態からある状態に変わるからです。水はH2O分子がランダムに動く秩序のない状態ですが、氷になって分子が結晶格子を組むと、秩序がある状態になります。そして水が氷に相転移するときには、333.5ジュール毎グラムの潜熱が生まれます。これは、秩序が「ない」状態よりも、秩序が「ある」状態のほうがエネルギーが低くなるため、その落差が熱として出てくるわけです。 宇宙は誕生したとき、水と似たような秩序のない状態でした。そして、空っぽのようで実は物理的な実体を持つ真空の空間自体が、実はエネルギーを持っていたのです。このエネルギーのことを「真空のエネルギー」といいます。繰り返しますが生まれたての宇宙は秩序のない状態ですから「真空のエネルギー」は高い状態にありました。 ところで、生まれたての宇宙空間自体にこのようなエネルギーがあるのならば、空間と時間についての方程式であるアインシュタイン方程式にも当然、普通の物質のエネルギーとともに、この真空のエネルギーも代入して計算しなければならないはずです。 そう考えて私が実際に計算してみたところ、この真空のエネルギーは互いに押し合う力として働くということがわかりました。物質のエネルギーのように互いに引き合う力(引力)とは違い、互いに押し合い、空間を押し広げようとする力(斥力)として働くのです。そして、生まれたての宇宙は、この真空のエネルギーの力によって急激な加速膨張をすることが、すぐに計算できたのです』、「生まれたての宇宙は、この真空のエネルギーの力によって急激な加速膨張をすることが、すぐに計算できたのです」、なるほど。
・『膨張を「インフレーション」と命名 さて、真空のエネルギーが空間を急激に押し広げると、宇宙の温度は急激に下がり、真空の相転移が起こります。このとき、まさに水が氷になるときに潜熱が発生するのと同じように、落差のエネルギーは熱のエネルギーとなります。真空のエネルギーが、熱のエネルギーに変わるということです。しかも、水ならば周辺の空間に熱を奪われることで氷になりますが、宇宙空間ではその潜熱が空間内に出てくるため、宇宙全体が火の玉になるほどのエネルギーになるのです。 こうしたことを考え合わせると、次のような宇宙初期のシナリオが描き出されてきました。 宇宙は、真空のエネルギーが高い状態で誕生しました。その直後、10のマイナス44乗秒後に、最初の相転移によって重力がほかの三つの力と枝分かれをします。いわゆる「インフレーション」は、そのあと10のマイナス36乗秒後頃、強い力が残りの二つの力と枝分かれをする相転移のときに起こりました。真空のエネルギーによって急激な加速膨張が起こり、10のマイナス35乗秒からマイナス34乗秒というほんのわずかな時間で、宇宙は急激に大きくなりました。その規模は、10の43乗倍とされています。 想像することが難しいと思いますが、そのような膨張が起きれば、1ナノメートル(1メートルの10億分の1)ほどの宇宙でも、私たちの宇宙(100億光年レベル)よりずっと大きくすることができるのです。 急激な加速膨張によって、宇宙のエネルギー密度は急激に減少し、宇宙の温度も急激に低下します。しかし、それによってすぐにまた真空の相転移が起こるため、前に説明した潜熱が出てきて、宇宙は熱い火の玉となるのです。これを「再熱化」といいます。 ビッグバン理論では「宇宙が火の玉になる」といわれていますが、実はそれは、宇宙が最初から火の玉として生まれ、そのエネルギーによって爆発的に膨張したのではなく、真空のエネルギーが宇宙を急激に押し広げるとともに相転移によって熱エネルギーに変わり、そのときに火の玉になったということだったのです。 以上が、インフレーション理論が描き出した宇宙のはじまりのシナリオです』、「真空のエネルギーが宇宙を急激に押し広げるとともに相転移によって熱エネルギーに変わり、そのときに火の玉になったということだったのです。 以上が、インフレーション理論が描き出した宇宙のはじまりのシナリオ」、なるほど。
・『数々の難問に、インフレーション理論はどう答える? ではインフレーション理論は、ビッグバン理論がかかえる多様な問題を解決することができるのでしょうか。 まず、「モノポール問題」から見ていきます。モノポール問題とは、モノポール(磁気単極子)というものが理論上、宇宙の中にたくさんできることになってしまうという問題です。このことは、つまるところ力の統一理論から導かれる宇宙像と、現実の観測によって正しいとされているビッグバン理論が描く宇宙像とが矛盾してしまうことを意味しているのです。これでは、ビッグバン理論がつぶれるか、力の統一理論がつぶれるかのどちらかになってしまいます。 宇宙が生まれて以降の発展を示した図「インフレーションによる指数関数的な宇宙膨張」を見てください。 (図:インフレーションによる指数関数的な宇宙膨張 はリンク先参照) この図では、各断面の輪の大きさが宇宙の大きさを表していて、いちばん下の輪が宇宙のはじまりの頃に真空のエネルギーによって加速度的に急激な膨張をした宇宙の大きさです。 数学的にいえば指数関数的な膨張を起こしたことになるために、私はこのモデルを考え出した当初、「指数関数的膨張モデル」と呼んでいました。指数関数的膨張とは、簡単にいえば倍々ゲームで大きくなるということです。ある時間で倍になったものが、また同じだけの時間で倍に、さらに倍に…と大きくなることです。 これは私が高齢の方によく言う冗談ですが、もしもお孫さんが「お小遣いをちょうだい。1日目は1円でいいよ。2日目はその倍の2円。3日目は、その倍の4円と増やしていって、1ヵ月くれたらあとは何もいらないから」とねだってきたとき、最初の額が小さいので欲のない孫だと思って「ああいいよ」と言うと大変なことになります。31日目の額は、2の30乗、つまり10億円を超えてしまうのです。 このような倍々ゲームを100回も繰り返せば、素粒子のような小さな宇宙でも、何億光年もの宇宙にすることができます。 そこでモノポールについて考えると、実は宇宙のはじまりには実際に、多くのモノポールができていたと考えてもよいのです。そこへインフレーションが起きて、たとえばモノポールを含むわずかな空間が1000億光年の彼方に押しやられたとします。すると、1000億光年の彼方には、確かにモノポールは存在することになります。しかし、そんな場所と、われわれの知る宇宙には、直接の因果関係がありません。われわれの知りえる観測可能な宇宙は、せいぜい100億光年とか200億光年ほどの大きさです。 そのようなはるか遠くの宇宙に押しやられたモノポールが、われわれの知りえる宇宙の中にないのは、当然ということになります。つまり、存在はしていても観測できないという矛盾が解決されるのです』、「実は宇宙のはじまりには実際に、多くのモノポールができていたと考えてもよいのです。そこへインフレーションが起きて、たとえばモノポールを含むわずかな空間が1000億光年の彼方に押しやられたとします。すると、1000億光年の彼方には、確かにモノポールは存在することになります。しかし、そんな場所と、われわれの知る宇宙には、直接の因果関係がありません。われわれの知りえる観測可能な宇宙は、せいぜい100億光年とか200億光年ほどの大きさです」、なるほど。
・『ところで、宇宙の年齢はたしか137億年のはずでは… ここで読者のみなさんは「宇宙の年齢はたしか137億年のはずなのに、なぜ1000億光年も先にまで宇宙が広がっているなどと言うのか?」と不審に思われるかもしれません。もっともな疑問です。しかし実は、インフレーション(指数関数的膨張)によって、宇宙は光の速度よりも速く膨張していたことがわかっているのです。なにしろ1ナノメートルよりも小さな宇宙が、わずか10のマイナス35乗秒からマイナス34乗秒後の間に、137億光年よりも大きな宇宙へと膨張するのですから。 実は、指数関数的な急激な膨張とはこのように、「困ったものはすべて宇宙の彼方に押しやることができる」という大変都合のいい話なのです。こうした考えを最初に示したのは私と共同研究者のM・アインホルンなのですが、このあたりのことが意外にも世界的にはあまり知られていないのが残念ではあります』、「インフレーション(指数関数的膨張)によって、宇宙は光の速度よりも速く膨張していたことがわかっているのです。なにしろ1ナノメートルよりも小さな宇宙が、わずか10のマイナス35乗秒からマイナス34乗秒後の間に、137億光年よりも大きな宇宙へと膨張するのですから」、なるほど。
・『その難問、インフレーション理論が解決! インフレーションの効能は、このほかにもいろいろあります。 最初の大きな仕事はなんといっても、素粒子よりも小さい初期宇宙を指数関数的膨張によって一人前の宇宙にして、真空の相転移による潜熱を生じさせ、宇宙を火の玉にしたことでしょう。ビッグバン理論では「特異点から始まった宇宙がなぜ火の玉になったか」を、説明することができなかったのです。 それから、初期宇宙には非常に小さな量子ゆらぎしかなかったのですが、これをインフレーションという急激な膨張によって大きく引き伸ばしてやることで、のちに星や銀河や銀河団を構成するタネをつくれることがわかっています。これによってまた一つビッグバン理論の困難、宇宙構造の起源が説明できないという問題を解決したことになります。 「宇宙がなぜ平坦か」という平坦性問題も、インフレーションモデルが解決します。 たとえば、私たちは丸い地球の上に立っている自分をイメージすることはできますが、「地球が丸い」ということを直接的に認識するのはなかなか難しいはずです。自分の体に比べて地球の半径が非常に大きいために、なかなかわからないのです。もし地球の半径が数キロメートルしかなければ、人間にもすぐに丸いことがわかるでしょう。 実は、宇宙も同様なのです。初期の宇宙が曲がっていたとしても、それがインフレーションによって巨大に引き伸ばされれば、人間には曲がっていることがわからなくなってしまうのです。宇宙はもしかしたら、現在でもわずかに曲がっているかもしれません。しかし、宇宙が指数関数的膨張をしてあまりにも巨大になったために、それを観測することができないのです。これで平坦性問題も説明することができます。 このように、ビッグバン理論におけるさまざまな困難が、インフレーション理論によって解決してしまうのです。 現在では多くの研究者によって、インフレーション理論の改良モデルが数えきれないほど提案されていますが、私とグースらが考えた元祖インフレーション理論と呼ばれているものは、このような姿をしています。 さらに「インフレーション宇宙論」シリーズの連載記事では、宇宙物理学の最前線を紹介していく。 【続き<「何も無いところから宇宙が生まれた」って言うけど、一体どういうこと…第一級の物理学者がわかりやすく解説>を読む】 〈インフレーション宇宙論〉各回記事はこちらから ▽インフレーション宇宙論 ビッグバンの前に何が起こったのか(多くの人に知ってほしい「宇宙のはじまり」の話 提唱者が思いきりやさしく書いた1番わかりやすいインフレーション理論入門 ――宇宙の誕生から終焉まで そしてマルチバースを予言―― 宇宙は火の玉から始まったとするビッグバン理論では、特異点すなわち「神の一撃」を認めざるをえない。物理学の言葉だけで宇宙創生を記述したい、という著者の願いがインフレーション理論を生み、現在では宇宙創生の標準理論として認知された。その内容を万人が理解できるよう書かれた、最も平明なインフレーション理論の入門書! 《目次》 第1章 インフレーション理論以前の宇宙像 第2章 インフレーション理論の誕生 第3章 観測が示したインフレーションの証拠と新たな謎 第4章 インフレーションが予測する宇宙の未来 第5章 インフレーションが予言するマルチバース 第6章 「人間原理」という考え方)』、「宇宙は火の玉から始まったとするビッグバン理論では、特異点すなわち「神の一撃」を認めざるをえない。物理学の言葉だけで宇宙創生を記述したい、という著者の願いがインフレーション理論を生み、現在では宇宙創生の標準理論として認知された。その内容を万人が理解できるよう書かれた、最も平明なインフレーション理論の入門書!」、なるほど。
次に、3月2日付け現代ビジネスが掲載した佐藤勝彦氏による「この世界は「無数にある宇宙」のひとつに過ぎない…物理学者たちが「マルチバース」を信じる「深すぎる理由」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/124963
・『宇宙はどのように始まったのか…… これまで多くの物理学者たちが挑んできた難問だ。火の玉から始まったとするビッグバン理論が有名だが、未だよくわかっていない点も多い。 そこで提唱されたのが「インフレーション理論」である。本連載では、インフレーション理論の世界的権威が、そのエッセンスをわかりやすく解説。宇宙創生の秘密に迫る、物理学の叡智をご紹介する。 *本記事は、佐藤勝彦著『インフレーション宇宙論 ビッグバンの前に何が起こったのか』(ブルーバックス)を抜粋・再編集したものです』、興味深そうだ。
・『ユニバースからマルチバースへ 近年、さまざまな研究の成果から、マルチバース(multiverse)という言葉が流行してきています。宇宙は一つ(uni)ではなく、多数(multi)であるというのです。実は私のインフレーション理論でも多数の宇宙が生まれることは予言されていて、本書でも「子宇宙」「孫宇宙」という言葉がときどき出てきました。そのほかにもさまざまな理論によって、宇宙は多様に存在しているらしいと考えられるようになり、マルチバースという言葉が定着しつつあるのです。 そこで、ここからはマルチバースの話をしていきます。なかには少しイメージするのが難しい内容もあるかもしれませんが、あまり細部にこだわらず気楽に読み進めてください』、「マルチバース(multiverse)という言葉が流行してきています。宇宙は一つ(uni)ではなく、多数(multi)であるというのです」、なるほど。
・『無数の「子宇宙」「孫宇宙」 インフレーション理論はビッグバン理論の困難を解決してきただけではなく、まったく新しい宇宙の描像を描き出してもいます。それは、宇宙が急激な膨張をするとき、早くにインフレーションを起こして膨張している場所と、インフレーションをまだ起こしていない場所とが小さな泡のようにいくつも混在することによって、多数の「子宇宙」や「孫宇宙」が生まれてくるというものです。 これは、私と共同研究者が1982年頃に説いたことなのですが、インフレーションで宇宙が急激な膨張をするとき、宇宙全体が手を携えていっせいに大きくなるとは限りません。互いに連絡がとれないような遠いところまで、同時に、同様にインフレーションが起きるという必然性はないのです。つまり、でこぼこだらけの膨張を起こす可能性は十分にあるわけです。 これは現在の宇宙のような数百億光年という「小さな」スケールの話ではありません。われわれの宇宙を超えた、とてつもなく大きな話です。そういうスケールで見ると、インフレーションを起こして急膨張をしている場所と、インフレーションが終わって緩やかな膨張をしている場所が宇宙にはいくつも混在していると考えられるのです』、「現在の宇宙のような数百億光年という「小さな」スケールの話ではありません。われわれの宇宙を超えた、とてつもなく大きな話です。そういうスケールで見ると、インフレーションを起こして急膨張をしている場所と、インフレーションが終わって緩やかな膨張をしている場所が宇宙にはいくつも混在していると考えられる」、なるほど。
・『「ワームホール」と呼ばれるふしぎな現象も… そうすると、とても不思議な現象が起こることがわかりました。周囲よりも遅れてインフレーションを起こした領域は、先にインフレーションを起こして宇宙規模の大きさを持った周囲の領域から見ると、表面は急激に押し縮められているけれども、その領域自体は光速を超える速さで急激に膨張して見えるということが、相対性理論から導き出されたのです。 まるでブラックホールでもつくっているかのように表面が急激に押し縮められている領域が、全体としては急激に膨張している。一見矛盾するこの問題に、当初、私自身も悩みました。しかし、何度計算しなおしても、まちがいではありません。 ところが、さまざまな可能性を探っているうちに、次のような描像が見えてきたのです。実は、表面を急激に押し縮められている部分は、虫食い穴のような小さな空間になりながら、周囲の空間と、新たにインフレーションを起こした空間をつないでいる。そして、新たにインフレーションを起こした空間は急激に膨張して、やがて新しい宇宙になる、というものです。これならば、周囲から表面を急激に押し縮められている空間が、なおかつ急激に膨張するということが矛盾なく説明できます。 こうして、すでにインフレーションの終わっている領域を親宇宙とするならば、急膨張した場所が子宇宙となり、さらに遅れて孫宇宙が生まれるというように、まん丸い親宇宙から、いくつものマッシュルームでも生えてくるように、無数の子宇宙、孫宇宙が生まれるというモデルができあがったのです。 押し縮められる虫食い穴のような空間のことをワームホールと呼んでいます。 これらの子宇宙、孫宇宙は、ワームホールもやがて消えて、親宇宙とは完全に因果関係の切れた、独立した宇宙になっていきます。 これが、インフレーション理論が予言するマルチバースの考え方です』、「これらの子宇宙、孫宇宙は、ワームホールもやがて消えて、親宇宙とは完全に因果関係の切れた、独立した宇宙になっていきます。 これが、インフレーション理論が予言するマルチバースの考え方です」、なるほど。
・『量子論は必然的に「マルチバース」へ ところで、アレキサンダー・ビレンケンなどが考えた量子論的な宇宙論では、宇宙は「無」から創生されるという話を前にしました。とすると、無の状態から生まれる宇宙は当然ながら、私たちの宇宙だけでなければならない理由はなく、いくらでも別の宇宙ができる可能性があると考えられます。そして無から生まれた多数の宇宙はそれぞれインフレーションを起こし、子宇宙、孫宇宙を生みながら大きくなっていくわけですから、どうしたって宇宙はユニバース(universe=一つの宇宙) ではなく、マルチバース(multiverse=多数の宇宙)にならざるをえない。これが、最近の宇宙論の考え方です。 (図 インフレーションによるマルチバースのモデル はリンク先参照) 無からの創生という考え方だけでもいくらでも宇宙ができますし、インフレーションによっても多重発生をしていくのです。 では、別の宇宙が存在していることが実際にわかるのかと聞かれれば、わからないとしか答えようがありません。というのも、別の宇宙であるということは、その宇宙との間で因果関係が切れているということだからです。因果関係が切れていれば、こちら側の宇宙からいくら観測を試みても、できるはずがないのです。逆にもし、観測ができて存在が証明できれば、因果関係があるということになりますから、それは別の宇宙ではなく同じ宇宙ということになります』、「別の宇宙であるということは、その宇宙との間で因果関係が切れているということだからです。因果関係が切れていれば、こちら側の宇宙からいくら観測を試みても、できるはずがないのです。逆にもし、観測ができて存在が証明できれば、因果関係があるということになりますから、それは別の宇宙ではなく同じ宇宙ということになります」、なるほど。
・『宇宙にも「淘汰」がある? マルチバースにおける物理法則では、こんな奇妙な考え方も出てきています。 無数にある宇宙の、無数にある物理法則は、自然選択で淘汰されるというのです。つまり、あたかも生物における進化論のようなアナロジーが、そのまま宇宙についても適用できるのではないかという考え方です。 何ともすごい着想です。現在の物理法則を持っている宇宙は、生存競争に打ち勝って、いちばん多く存在する宇宙になったのではないかというのです。リー・スモーリンという物理学者が考えたことですが、ここでわかりにくいのは生存競争とは何かということでしょう。 この考え方によれば、重力定数や強い力の定数といった定数ごとに、多様な宇宙があります。その中で宇宙が生まれて死んで、生まれて死んで、を繰り返すうちに、自然淘汰されていく宇宙があり、ある形の宇宙が多くなっていく。そして私たちは、そのいちばん多くなった宇宙に住んでいるのではないかというのです(図「淘汰される宇宙のイメージ」)。 (図:淘汰される宇宙のイメージ はリンク先参照) もちろん、現在の理論でこんなことが言えるわけではありません。そこで、彼はモデルをつくって、仮定をおいて進化を考えました。その仮定とは、一つの宇宙にブラックホールが生まれると、そのブラックホールには別の新しい宇宙が生まれるのだというものです。これは何の根拠もない仮定で、そんなことが証明されたことはありません。私はインフレーション理論に則って、ワームホールができたら別の宇宙ができるという話はしましたが、ブラックホールが生まれたら別の宇宙ができるというような話はないのです。 それはともかく、この仮定に沿って話を続けましょう。ここで、ブラックホールの誕生によって新しくできた宇宙の物理法則は、元の宇宙とは少しだけずれるというのです。言ってみれば、宇宙の物理法則というのは生物の遺伝子と同じようなもので、世代交代するうち突然変異によって少しだけ変化するというわけです。これはまさに、生物の進化の特徴です。 こうして、何世代にもわたるたくさんの宇宙の進化が生物の場合と同じように進めば、いずれはブラックホールをたくさんつくる宇宙が自然選択で栄えることになるといいます。彼の言い方によれば、現在の物理法則がこのような値になっているのは、この物理法則を持つ私たちの宇宙に多くのブラックホールがあるがゆえに、その値になっているというのです。 大変面白いアイデアではありますが、現実の法則でこのような理屈が説明できるわけではありません。いまの時点ではまだ、ひとつの面白いお話ということになると思います。 さらに「インフレーション宇宙論」シリーズの連載記事では、宇宙物理学の最前線を紹介していく。 【続き<「宇宙は人類のために設計されている」説が、あながち間違いとも言えないワケ…物理学から考える「この世界の存在理由」>を読む】 〈インフレーション宇宙論〉各回記事はこちらから インフレーション宇宙論 ビッグバンの前に何が起こったのか』、今後の「インフレーション宇宙論」の展開に期待したい。
第三に、3月2日付け現代ビジネスが掲載した佐藤勝彦氏による「「宇宙は人類のために設計されている」説が、あながち間違いとも言えないワケ…物理学から考える「この世界の存在理由」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/124967
・『宇宙はどのように始まったのか…… これまで多くの物理学者たちが挑んできた難問だ。火の玉から始まったとするビッグバン理論が有名だが、未だよくわかっていない点も多い。 そこで提唱されたのが「インフレーション理論」である。本連載では、インフレーション理論の世界的権威が、そのエッセンスをわかりやすく解説。宇宙創生の秘密に迫る、物理学の叡智をご紹介する。 *本記事は、佐藤勝彦著『インフレーション宇宙論 ビッグバンの前に何が起こったのか』(ブルーバックス)を抜粋・再編集したものです』、興味深そうだ。
・『宇宙は人類のために絶妙にデザインされている? 本連載の締めくくりに、宇宙を考えるうえで避けて通れない「人間原理(Anthropic Principle)」の話をしていきましょう。 現在の宇宙の法則の中には、さまざまな物理定数があります。たとえば強い力、電磁気力、重力などの力の強さもそうです。つまり具体的に決まっている数値のことですね。これらの定数をよく見ると、まるで人類が誕生するように値が調節されているとしか思えないものがあるのです。たとえば、電磁気力の強さを少しでも変えると、生命は生まれなくなってしまいます。強い力の値をちょっと弱くすると、星の中で元素を合成するトリプルアルファ反応というものが起こらなくなります。これは3個のヘリウム4の原子核が結合して炭素12ができる核融合反応ですが、この反応が起きないと、炭素や酸素といった生命に不可欠な元素が生成されなくなるのです。 これらの例に限らず、われわれが住む宇宙は、人類を含めた生命をつくるために絶妙にデザインされているように見えるのです。これは否定しようのない観測事実です。 このような話を聞くと、「ああ、やはり神様は人間を創造するようにこの世界を設計されたんだなあ」と思う人もあるかもしれません。しかし、科学者がそのように考えるわけにはいきませんから、このような物理定数のナゾをどう解決するかが重要な問題になります。人間原理も、この問題への答えとして考えられてきたものなのです。 これまで人間原理については、いろいろな研究者が自分の見解を述べていて、量子脳理論のアイデアでも知られるロジャー・ペンローズはこう言っています。 「神様がわれわれの住んでいる宇宙と同じような宇宙を創り出すためには、途方もなく小さな空間の中の小さな定数が必要である」 つまり、適当に物理定数を決めても、決していまの宇宙はできない。神様はよほど注意深くならなければならない、というのです。そして、どこから出てきた数字かわかりませんが、われわれの住む宇宙がつくれる確率は、10の10の123乗分の1だと、すこぶる具体的な数値を示しています。 この数字はおそらくジョークだとは思いますが、それくらいとてつもない精度で選択をしていかなければ、いまのような宇宙はできっこないというわけです。そして、なぜいまの宇宙がそうなっているかという問題は、人間原理でしか説明できないというのです』、「とてつもない精度で選択をしていかなければ、いまのような宇宙はできっこないというわけです。そして、なぜいまの宇宙がそうなっているかという問題は、人間原理でしか説明できないというのです」、その通りだ。
・『宇宙の法則が少し違ったら人類はどうなっていた? アメリカの理論物理学者テグマークが、電磁気力や、強い力が、われわれの宇宙とは違う多様な値をとった場合を考えたグラフがあります(図「テグマークのグラフ」)。 難しい言葉もありますが、要するにこれによると、2つの力の値が変わると炭素原子が不安定になったり、水素原子が生まれなかったり、重水素が不安定であったりなど、多様な不都合が生じます。その結果、知的生命体が誕生するのに都合のいい領域はごくわずかしか残りません。四つの力のうち、二つの力だけで考えても、これほどまで制限されるのです。 テグマークはまた、空間の次元や時間の次元を変えるという考え方でも生命体存在の可能性を考えています。 時間がわれわれの世界と同じ1次元の場合は、空間が1次元や2次元だと単純すぎて多様な構造が生まれず、一方で空間が4次元にまでなると不安定になるとしています。たとえば原子核のまわりを回っている電子も、次元の大きな世界では不安定になって原子核に落ち込んでしまうようになります。これでは多様な構造を安定してつくることはできません。結局は、3次元が多様な構造をつくるのには適しているというのです。 時間の次元が多い宇宙については、4次元以上だと不安定な宇宙になるのだそうです。しかし、時間の次元が増えるというのはどういうことか私にはわかりません。それこそ腕時計が二つ必要になる世界でしょうか? 冗談はさておき、時間の次元がゼロの場合は、彼も想像不可能としています。 テグマークの主張はともかく、私たち人類はよほどの条件が整わなければこの宇宙に存在できないことは確かなのです』、「私たち人類はよほどの条件が整わなければこの宇宙に存在できないことは確かなのです」、確かに偶然とha
いえ、恐ろしいものだ。
・『人間は「選ばれし存在」か? およそ50年前、プリンストン大学の物理学者ロバート・ディッケは、もし宇宙が現在のようにきわめて平坦でなければ、人間は存在していない、だから人間は選ばれた存在であると言いました。 もし、宇宙を創ったときに、神様がいまよりも弱い勢いで膨張させたとすると、膨張はすぐに止まってしまい、1000万年後あるいは1億年後に膨張は止まって、つぶれてしまう宇宙になります。そういう宇宙では十分に生命は進化できず、人類は生まれないことになってしまいます。 一方、神様が宇宙を膨張させる力が強すぎた場合は、膨張する速度が速すぎて、ガスが十分に固まる前に宇宙が膨張してしまいますから、ガスが固まれません。つまり、星もできません。ですから炭素も酸素もつくられず、生命も人類も生まれてきません。 このように考えると、神様はきわめて慎重に、曲率がゼロになるように宇宙を創造したということになりますが、それは非常に困難なことです。これが「平坦性問題」です。この問題を説明するためにディッケは、人類は曲率がゼロに近いきわめて平坦な宇宙にだけ住むことができる。だからこの宇宙は平坦な宇宙なのだ、と言ったのです。 この平坦性問題は、インフレーション理論によって解決したことも前にお話ししました。ごく簡単に言えば、神様の力を借りなくても、インフレーションさえ起こせば、曲率ゼロの宇宙を創ることができるからです。インフレーションによって一様で平坦な宇宙ができるため、平坦性問題は人間原理を使わなくても、物理学で説明できるようになったのです。 「人間原理」という言葉を最初に使ったのは、ブランドン・カーターです。 読者のみなさんはコペルニクスをご存じでしょう。地球は宇宙の中心にあるのではなく、太陽のまわりを回っているという地動説を考えた人です。このコペルニクスの考え方を太陽系だけに限らず、あらゆる一般的なことに敷衍したものをコペルニクスの原理と言います。人類は世界の中心にいるわけではなく、宇宙においては人類といえどもワンオブゼムの存在であるという考え方です。 カーターは、このコペルニクスの原理に対する逆の考え方として、人間原理という言葉を使ったようです。宇宙は人間を生むようにつくられていると見ることができるとして、人間を特別な存在として考えるべきであるというのです』、「カーターは、このコペルニクスの原理に対する逆の考え方として、人間原理という言葉を使ったようです。宇宙は人間を生むようにつくられていると見ることができるとして、人間を特別な存在として考えるべきであるというのです」、なるほど。
・『強い人間原理、弱い人間原理 やがて人間原理は、「弱い人間原理」と、「強い人間原理」に分かれます。 弱い人間原理とは、いまあるこの宇宙のあり方を決める数値(宇宙の初期条件など)は、なぜ人間が存在するのに都合よく定められているのかを問うものです。そのよい例はディッケの平坦性問題で、人間が宇宙に存在することから、宇宙は平坦になるよう微調整されたとする考え方です。ただし、やはり平坦性問題のように、インフレーション理論を使えば物理法則だけで説明できるものもあります。 これに対し、強い人間原理は、物理学の基本法則・物理定数や、宇宙や空間の次元などは、人間が存在できるようにつくられているというものです。2次元でも4次元でもだめで、3次元でなければならないとテグマークが言うのも、この強い人間原理です。 こうした人間原理が出てくるのは、ある意味で当然のことだと私は思います。なぜなら、いま私たちは物理法則を持っていて、その法則には多様なパラメーター、つまり数値がのぼっていますが、それらがどうしてそんな数値になっているのか、私たちは知らないからです。たとえば電気の力を表す微細構造定数という値は、137.035…分の1という数値になっていますが、なぜ、これが電気の強さになるのかもわかっていないのです。そうである以上、その値が人間が存在できるように決められたという考え方が出てきてもしかたないのです。 将来もしも、超ひも理論がめざす究極の物理法則、この方程式ひとつを解きさえすれば四つの力すべてがわかるという超大統一理論ができたとき、その方程式の中に何ひとつ数字(定数)がなく、すべては幾何学の問題だけに帰して、それだけで自動的に現在ある多様なパラメーターの数値がすべて導き出せるといったことになれば、人間原理など必要ありません。その理論さえあれば、この世界がつくれることになるからです。 しかし、かりに何らかの数字がまだ残っていたとしたら、そのときは問題です。その数値はなぜそうなるのか、説明がつかないからです。そのときは、人間原理のようなものを考えなくてはならないかもしれません。 今後の研究によって、そこがどうなるのかはわかりません。ただ、私は物理学者として、究極の物理法則となる超大統一理論には、そういうパラメーターがいっさい残っていないことが理想だと思っています』、「私は物理学者として、究極の物理法則となる超大統一理論には、そういうパラメーターがいっさい残っていないことが理想だと思っています」、面白い意気込みだ。
・『マルチバースと人間原理 読者のみなさんは、これまでの話をどう思われたでしょうか。「宇宙は人間が生まれるようにつくられている」と主張するかのような考え方など、科学にはほど遠いと思われたのではないでしょうか。たしかに人間原理を疑似科学や宗教的なものと見なしている人もいるようです。しかし、実はホーキングも弱い人間原理を支持しているなど、科学者の間でも人間原理への評価はさまざまに分かれているのです。 私自身はといえば、さきほども述べたように、物理学の法則だけでこの世界のことをすべて説明できれば理想的だと考えています。人間原理という概念を物理学は安易にうけいれるべきではないというのが基本的な立場です。ただ、最近の人間原理の考え方には、科学的に認められるものが生まれてきているとも考えています。 それは、マルチバースの考え方に立った人間原理です。インフレーション理論が予言するように、宇宙が子宇宙、孫宇宙…と無数に生まれているならば、それぞれの宇宙が持つ物理法則もまた無数に存在するはずです。それらの中には、人間が生存するのにちょうどよい物理法則があっても不思議ではありません。そして、私たちの宇宙がたまたま、そういう物理法則を持つ宇宙だったのだ、とする考え方です。 これにはみなさんも納得できるのではないでしょうか。この宇宙を認識する主体である私たち人間は、ほかの宇宙を認識することはできません。だから、たった一つの宇宙がたまたま人間に都合のいいよう絶妙にデザインされていることを不思議に感じますが、実はそれは、無数にある宇宙の中で私たちの宇宙がたまたま、人間が生まれるのに都合のいい宇宙だったにすぎないというわけです。そのような宇宙だからこそ生まれた人間が、この宇宙の物理法則について認識していくと、それは人間が生まれるように都合よくできていた、これは言ってみれば当たり前のことです。そして、そのような私たちの宇宙が、たとえペンローズが言ったように10の10の123乗分の1というわずかな確率でしかつくられないとしても、宇宙が無数にあるのなら、そのうちの一つが私たちの宇宙であっても何も不思議ではありません。 このように、インフレーション理論が予言するマルチバースという宇宙像を前提にすると、人間原理についても論理的な説明が可能になってくるのです。 さらに「インフレーション宇宙論」シリーズの連載記事では、宇宙物理学の最前線を紹介していく。 【初回<「ビッグバン」の前に何が起きていたのか教えよう…「宇宙の起源」のナゾを解く新理論の「スゴすぎる中身」>を読む】 〈インフレーション宇宙論〉各回記事はこちらから インフレーション宇宙論 ビッグバンの前に何が起こったのか』、「宇宙が無数にあるのなら、そのうちの一つが私たちの宇宙であっても何も不思議ではありません。 このように、インフレーション理論が予言するマルチバースという宇宙像を前提にすると、人間原理についても論理的な説明が可能になってくるのです」」、分かったようで分からない話だ。少し難し過ぎたのかも知れない。
先ずは、3月2日付け現代ビジネスが掲載した佐藤勝彦氏による「インフレーション理論による「宇宙誕生のシナリオ」が革新的すぎる… 厳密な計算が示した「衝撃の結論」」を紹介しよう。
・『宇宙はどのように始まったのか…… これまで多くの物理学者たちが挑んできた難問だ。火の玉から始まったとするビッグバン理論が有名だが、未だよくわかっていない点も多い。 そこで提唱されたのが「インフレーション理論」である。本連載では、インフレーション理論の世界的権威が、そのエッセンスをわかりやすく解説。宇宙創生の秘密に迫る、物理学の叡智をご紹介する。 *本記事は、佐藤勝彦著『インフレーション宇宙論 ビッグバンの前に何が起こったのか』(ブルーバックス)を抜粋・再編集したものです』、興味深そうだ。
・『これが「元祖インフレーション理論」だ では、私が1981年に考え出した、元祖インフレーション理論を説明していきましょう。 宇宙の誕生直後、四つの力がそれぞれ、真空の相転移によって枝分かれをしたことはお話ししました。実は、これらの相転移のうち、2番目に起きた相転移によって強い力と電磁気力が枝分かれをするときに、まさに水が氷になるのと同様の現象が起きることがわかったのです。 水から氷に相転移するとき、エネルギーは高い状態から低い状態になります。これは秩序がない状態からある状態に変わるからです。水はH2O分子がランダムに動く秩序のない状態ですが、氷になって分子が結晶格子を組むと、秩序がある状態になります。そして水が氷に相転移するときには、333.5ジュール毎グラムの潜熱が生まれます。これは、秩序が「ない」状態よりも、秩序が「ある」状態のほうがエネルギーが低くなるため、その落差が熱として出てくるわけです。 宇宙は誕生したとき、水と似たような秩序のない状態でした。そして、空っぽのようで実は物理的な実体を持つ真空の空間自体が、実はエネルギーを持っていたのです。このエネルギーのことを「真空のエネルギー」といいます。繰り返しますが生まれたての宇宙は秩序のない状態ですから「真空のエネルギー」は高い状態にありました。 ところで、生まれたての宇宙空間自体にこのようなエネルギーがあるのならば、空間と時間についての方程式であるアインシュタイン方程式にも当然、普通の物質のエネルギーとともに、この真空のエネルギーも代入して計算しなければならないはずです。 そう考えて私が実際に計算してみたところ、この真空のエネルギーは互いに押し合う力として働くということがわかりました。物質のエネルギーのように互いに引き合う力(引力)とは違い、互いに押し合い、空間を押し広げようとする力(斥力)として働くのです。そして、生まれたての宇宙は、この真空のエネルギーの力によって急激な加速膨張をすることが、すぐに計算できたのです』、「生まれたての宇宙は、この真空のエネルギーの力によって急激な加速膨張をすることが、すぐに計算できたのです」、なるほど。
・『膨張を「インフレーション」と命名 さて、真空のエネルギーが空間を急激に押し広げると、宇宙の温度は急激に下がり、真空の相転移が起こります。このとき、まさに水が氷になるときに潜熱が発生するのと同じように、落差のエネルギーは熱のエネルギーとなります。真空のエネルギーが、熱のエネルギーに変わるということです。しかも、水ならば周辺の空間に熱を奪われることで氷になりますが、宇宙空間ではその潜熱が空間内に出てくるため、宇宙全体が火の玉になるほどのエネルギーになるのです。 こうしたことを考え合わせると、次のような宇宙初期のシナリオが描き出されてきました。 宇宙は、真空のエネルギーが高い状態で誕生しました。その直後、10のマイナス44乗秒後に、最初の相転移によって重力がほかの三つの力と枝分かれをします。いわゆる「インフレーション」は、そのあと10のマイナス36乗秒後頃、強い力が残りの二つの力と枝分かれをする相転移のときに起こりました。真空のエネルギーによって急激な加速膨張が起こり、10のマイナス35乗秒からマイナス34乗秒というほんのわずかな時間で、宇宙は急激に大きくなりました。その規模は、10の43乗倍とされています。 想像することが難しいと思いますが、そのような膨張が起きれば、1ナノメートル(1メートルの10億分の1)ほどの宇宙でも、私たちの宇宙(100億光年レベル)よりずっと大きくすることができるのです。 急激な加速膨張によって、宇宙のエネルギー密度は急激に減少し、宇宙の温度も急激に低下します。しかし、それによってすぐにまた真空の相転移が起こるため、前に説明した潜熱が出てきて、宇宙は熱い火の玉となるのです。これを「再熱化」といいます。 ビッグバン理論では「宇宙が火の玉になる」といわれていますが、実はそれは、宇宙が最初から火の玉として生まれ、そのエネルギーによって爆発的に膨張したのではなく、真空のエネルギーが宇宙を急激に押し広げるとともに相転移によって熱エネルギーに変わり、そのときに火の玉になったということだったのです。 以上が、インフレーション理論が描き出した宇宙のはじまりのシナリオです』、「真空のエネルギーが宇宙を急激に押し広げるとともに相転移によって熱エネルギーに変わり、そのときに火の玉になったということだったのです。 以上が、インフレーション理論が描き出した宇宙のはじまりのシナリオ」、なるほど。
・『数々の難問に、インフレーション理論はどう答える? ではインフレーション理論は、ビッグバン理論がかかえる多様な問題を解決することができるのでしょうか。 まず、「モノポール問題」から見ていきます。モノポール問題とは、モノポール(磁気単極子)というものが理論上、宇宙の中にたくさんできることになってしまうという問題です。このことは、つまるところ力の統一理論から導かれる宇宙像と、現実の観測によって正しいとされているビッグバン理論が描く宇宙像とが矛盾してしまうことを意味しているのです。これでは、ビッグバン理論がつぶれるか、力の統一理論がつぶれるかのどちらかになってしまいます。 宇宙が生まれて以降の発展を示した図「インフレーションによる指数関数的な宇宙膨張」を見てください。 (図:インフレーションによる指数関数的な宇宙膨張 はリンク先参照) この図では、各断面の輪の大きさが宇宙の大きさを表していて、いちばん下の輪が宇宙のはじまりの頃に真空のエネルギーによって加速度的に急激な膨張をした宇宙の大きさです。 数学的にいえば指数関数的な膨張を起こしたことになるために、私はこのモデルを考え出した当初、「指数関数的膨張モデル」と呼んでいました。指数関数的膨張とは、簡単にいえば倍々ゲームで大きくなるということです。ある時間で倍になったものが、また同じだけの時間で倍に、さらに倍に…と大きくなることです。 これは私が高齢の方によく言う冗談ですが、もしもお孫さんが「お小遣いをちょうだい。1日目は1円でいいよ。2日目はその倍の2円。3日目は、その倍の4円と増やしていって、1ヵ月くれたらあとは何もいらないから」とねだってきたとき、最初の額が小さいので欲のない孫だと思って「ああいいよ」と言うと大変なことになります。31日目の額は、2の30乗、つまり10億円を超えてしまうのです。 このような倍々ゲームを100回も繰り返せば、素粒子のような小さな宇宙でも、何億光年もの宇宙にすることができます。 そこでモノポールについて考えると、実は宇宙のはじまりには実際に、多くのモノポールができていたと考えてもよいのです。そこへインフレーションが起きて、たとえばモノポールを含むわずかな空間が1000億光年の彼方に押しやられたとします。すると、1000億光年の彼方には、確かにモノポールは存在することになります。しかし、そんな場所と、われわれの知る宇宙には、直接の因果関係がありません。われわれの知りえる観測可能な宇宙は、せいぜい100億光年とか200億光年ほどの大きさです。 そのようなはるか遠くの宇宙に押しやられたモノポールが、われわれの知りえる宇宙の中にないのは、当然ということになります。つまり、存在はしていても観測できないという矛盾が解決されるのです』、「実は宇宙のはじまりには実際に、多くのモノポールができていたと考えてもよいのです。そこへインフレーションが起きて、たとえばモノポールを含むわずかな空間が1000億光年の彼方に押しやられたとします。すると、1000億光年の彼方には、確かにモノポールは存在することになります。しかし、そんな場所と、われわれの知る宇宙には、直接の因果関係がありません。われわれの知りえる観測可能な宇宙は、せいぜい100億光年とか200億光年ほどの大きさです」、なるほど。
・『ところで、宇宙の年齢はたしか137億年のはずでは… ここで読者のみなさんは「宇宙の年齢はたしか137億年のはずなのに、なぜ1000億光年も先にまで宇宙が広がっているなどと言うのか?」と不審に思われるかもしれません。もっともな疑問です。しかし実は、インフレーション(指数関数的膨張)によって、宇宙は光の速度よりも速く膨張していたことがわかっているのです。なにしろ1ナノメートルよりも小さな宇宙が、わずか10のマイナス35乗秒からマイナス34乗秒後の間に、137億光年よりも大きな宇宙へと膨張するのですから。 実は、指数関数的な急激な膨張とはこのように、「困ったものはすべて宇宙の彼方に押しやることができる」という大変都合のいい話なのです。こうした考えを最初に示したのは私と共同研究者のM・アインホルンなのですが、このあたりのことが意外にも世界的にはあまり知られていないのが残念ではあります』、「インフレーション(指数関数的膨張)によって、宇宙は光の速度よりも速く膨張していたことがわかっているのです。なにしろ1ナノメートルよりも小さな宇宙が、わずか10のマイナス35乗秒からマイナス34乗秒後の間に、137億光年よりも大きな宇宙へと膨張するのですから」、なるほど。
・『その難問、インフレーション理論が解決! インフレーションの効能は、このほかにもいろいろあります。 最初の大きな仕事はなんといっても、素粒子よりも小さい初期宇宙を指数関数的膨張によって一人前の宇宙にして、真空の相転移による潜熱を生じさせ、宇宙を火の玉にしたことでしょう。ビッグバン理論では「特異点から始まった宇宙がなぜ火の玉になったか」を、説明することができなかったのです。 それから、初期宇宙には非常に小さな量子ゆらぎしかなかったのですが、これをインフレーションという急激な膨張によって大きく引き伸ばしてやることで、のちに星や銀河や銀河団を構成するタネをつくれることがわかっています。これによってまた一つビッグバン理論の困難、宇宙構造の起源が説明できないという問題を解決したことになります。 「宇宙がなぜ平坦か」という平坦性問題も、インフレーションモデルが解決します。 たとえば、私たちは丸い地球の上に立っている自分をイメージすることはできますが、「地球が丸い」ということを直接的に認識するのはなかなか難しいはずです。自分の体に比べて地球の半径が非常に大きいために、なかなかわからないのです。もし地球の半径が数キロメートルしかなければ、人間にもすぐに丸いことがわかるでしょう。 実は、宇宙も同様なのです。初期の宇宙が曲がっていたとしても、それがインフレーションによって巨大に引き伸ばされれば、人間には曲がっていることがわからなくなってしまうのです。宇宙はもしかしたら、現在でもわずかに曲がっているかもしれません。しかし、宇宙が指数関数的膨張をしてあまりにも巨大になったために、それを観測することができないのです。これで平坦性問題も説明することができます。 このように、ビッグバン理論におけるさまざまな困難が、インフレーション理論によって解決してしまうのです。 現在では多くの研究者によって、インフレーション理論の改良モデルが数えきれないほど提案されていますが、私とグースらが考えた元祖インフレーション理論と呼ばれているものは、このような姿をしています。 さらに「インフレーション宇宙論」シリーズの連載記事では、宇宙物理学の最前線を紹介していく。 【続き<「何も無いところから宇宙が生まれた」って言うけど、一体どういうこと…第一級の物理学者がわかりやすく解説>を読む】 〈インフレーション宇宙論〉各回記事はこちらから ▽インフレーション宇宙論 ビッグバンの前に何が起こったのか(多くの人に知ってほしい「宇宙のはじまり」の話 提唱者が思いきりやさしく書いた1番わかりやすいインフレーション理論入門 ――宇宙の誕生から終焉まで そしてマルチバースを予言―― 宇宙は火の玉から始まったとするビッグバン理論では、特異点すなわち「神の一撃」を認めざるをえない。物理学の言葉だけで宇宙創生を記述したい、という著者の願いがインフレーション理論を生み、現在では宇宙創生の標準理論として認知された。その内容を万人が理解できるよう書かれた、最も平明なインフレーション理論の入門書! 《目次》 第1章 インフレーション理論以前の宇宙像 第2章 インフレーション理論の誕生 第3章 観測が示したインフレーションの証拠と新たな謎 第4章 インフレーションが予測する宇宙の未来 第5章 インフレーションが予言するマルチバース 第6章 「人間原理」という考え方)』、「宇宙は火の玉から始まったとするビッグバン理論では、特異点すなわち「神の一撃」を認めざるをえない。物理学の言葉だけで宇宙創生を記述したい、という著者の願いがインフレーション理論を生み、現在では宇宙創生の標準理論として認知された。その内容を万人が理解できるよう書かれた、最も平明なインフレーション理論の入門書!」、なるほど。
次に、3月2日付け現代ビジネスが掲載した佐藤勝彦氏による「この世界は「無数にある宇宙」のひとつに過ぎない…物理学者たちが「マルチバース」を信じる「深すぎる理由」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/124963
・『宇宙はどのように始まったのか…… これまで多くの物理学者たちが挑んできた難問だ。火の玉から始まったとするビッグバン理論が有名だが、未だよくわかっていない点も多い。 そこで提唱されたのが「インフレーション理論」である。本連載では、インフレーション理論の世界的権威が、そのエッセンスをわかりやすく解説。宇宙創生の秘密に迫る、物理学の叡智をご紹介する。 *本記事は、佐藤勝彦著『インフレーション宇宙論 ビッグバンの前に何が起こったのか』(ブルーバックス)を抜粋・再編集したものです』、興味深そうだ。
・『ユニバースからマルチバースへ 近年、さまざまな研究の成果から、マルチバース(multiverse)という言葉が流行してきています。宇宙は一つ(uni)ではなく、多数(multi)であるというのです。実は私のインフレーション理論でも多数の宇宙が生まれることは予言されていて、本書でも「子宇宙」「孫宇宙」という言葉がときどき出てきました。そのほかにもさまざまな理論によって、宇宙は多様に存在しているらしいと考えられるようになり、マルチバースという言葉が定着しつつあるのです。 そこで、ここからはマルチバースの話をしていきます。なかには少しイメージするのが難しい内容もあるかもしれませんが、あまり細部にこだわらず気楽に読み進めてください』、「マルチバース(multiverse)という言葉が流行してきています。宇宙は一つ(uni)ではなく、多数(multi)であるというのです」、なるほど。
・『無数の「子宇宙」「孫宇宙」 インフレーション理論はビッグバン理論の困難を解決してきただけではなく、まったく新しい宇宙の描像を描き出してもいます。それは、宇宙が急激な膨張をするとき、早くにインフレーションを起こして膨張している場所と、インフレーションをまだ起こしていない場所とが小さな泡のようにいくつも混在することによって、多数の「子宇宙」や「孫宇宙」が生まれてくるというものです。 これは、私と共同研究者が1982年頃に説いたことなのですが、インフレーションで宇宙が急激な膨張をするとき、宇宙全体が手を携えていっせいに大きくなるとは限りません。互いに連絡がとれないような遠いところまで、同時に、同様にインフレーションが起きるという必然性はないのです。つまり、でこぼこだらけの膨張を起こす可能性は十分にあるわけです。 これは現在の宇宙のような数百億光年という「小さな」スケールの話ではありません。われわれの宇宙を超えた、とてつもなく大きな話です。そういうスケールで見ると、インフレーションを起こして急膨張をしている場所と、インフレーションが終わって緩やかな膨張をしている場所が宇宙にはいくつも混在していると考えられるのです』、「現在の宇宙のような数百億光年という「小さな」スケールの話ではありません。われわれの宇宙を超えた、とてつもなく大きな話です。そういうスケールで見ると、インフレーションを起こして急膨張をしている場所と、インフレーションが終わって緩やかな膨張をしている場所が宇宙にはいくつも混在していると考えられる」、なるほど。
・『「ワームホール」と呼ばれるふしぎな現象も… そうすると、とても不思議な現象が起こることがわかりました。周囲よりも遅れてインフレーションを起こした領域は、先にインフレーションを起こして宇宙規模の大きさを持った周囲の領域から見ると、表面は急激に押し縮められているけれども、その領域自体は光速を超える速さで急激に膨張して見えるということが、相対性理論から導き出されたのです。 まるでブラックホールでもつくっているかのように表面が急激に押し縮められている領域が、全体としては急激に膨張している。一見矛盾するこの問題に、当初、私自身も悩みました。しかし、何度計算しなおしても、まちがいではありません。 ところが、さまざまな可能性を探っているうちに、次のような描像が見えてきたのです。実は、表面を急激に押し縮められている部分は、虫食い穴のような小さな空間になりながら、周囲の空間と、新たにインフレーションを起こした空間をつないでいる。そして、新たにインフレーションを起こした空間は急激に膨張して、やがて新しい宇宙になる、というものです。これならば、周囲から表面を急激に押し縮められている空間が、なおかつ急激に膨張するということが矛盾なく説明できます。 こうして、すでにインフレーションの終わっている領域を親宇宙とするならば、急膨張した場所が子宇宙となり、さらに遅れて孫宇宙が生まれるというように、まん丸い親宇宙から、いくつものマッシュルームでも生えてくるように、無数の子宇宙、孫宇宙が生まれるというモデルができあがったのです。 押し縮められる虫食い穴のような空間のことをワームホールと呼んでいます。 これらの子宇宙、孫宇宙は、ワームホールもやがて消えて、親宇宙とは完全に因果関係の切れた、独立した宇宙になっていきます。 これが、インフレーション理論が予言するマルチバースの考え方です』、「これらの子宇宙、孫宇宙は、ワームホールもやがて消えて、親宇宙とは完全に因果関係の切れた、独立した宇宙になっていきます。 これが、インフレーション理論が予言するマルチバースの考え方です」、なるほど。
・『量子論は必然的に「マルチバース」へ ところで、アレキサンダー・ビレンケンなどが考えた量子論的な宇宙論では、宇宙は「無」から創生されるという話を前にしました。とすると、無の状態から生まれる宇宙は当然ながら、私たちの宇宙だけでなければならない理由はなく、いくらでも別の宇宙ができる可能性があると考えられます。そして無から生まれた多数の宇宙はそれぞれインフレーションを起こし、子宇宙、孫宇宙を生みながら大きくなっていくわけですから、どうしたって宇宙はユニバース(universe=一つの宇宙) ではなく、マルチバース(multiverse=多数の宇宙)にならざるをえない。これが、最近の宇宙論の考え方です。 (図 インフレーションによるマルチバースのモデル はリンク先参照) 無からの創生という考え方だけでもいくらでも宇宙ができますし、インフレーションによっても多重発生をしていくのです。 では、別の宇宙が存在していることが実際にわかるのかと聞かれれば、わからないとしか答えようがありません。というのも、別の宇宙であるということは、その宇宙との間で因果関係が切れているということだからです。因果関係が切れていれば、こちら側の宇宙からいくら観測を試みても、できるはずがないのです。逆にもし、観測ができて存在が証明できれば、因果関係があるということになりますから、それは別の宇宙ではなく同じ宇宙ということになります』、「別の宇宙であるということは、その宇宙との間で因果関係が切れているということだからです。因果関係が切れていれば、こちら側の宇宙からいくら観測を試みても、できるはずがないのです。逆にもし、観測ができて存在が証明できれば、因果関係があるということになりますから、それは別の宇宙ではなく同じ宇宙ということになります」、なるほど。
・『宇宙にも「淘汰」がある? マルチバースにおける物理法則では、こんな奇妙な考え方も出てきています。 無数にある宇宙の、無数にある物理法則は、自然選択で淘汰されるというのです。つまり、あたかも生物における進化論のようなアナロジーが、そのまま宇宙についても適用できるのではないかという考え方です。 何ともすごい着想です。現在の物理法則を持っている宇宙は、生存競争に打ち勝って、いちばん多く存在する宇宙になったのではないかというのです。リー・スモーリンという物理学者が考えたことですが、ここでわかりにくいのは生存競争とは何かということでしょう。 この考え方によれば、重力定数や強い力の定数といった定数ごとに、多様な宇宙があります。その中で宇宙が生まれて死んで、生まれて死んで、を繰り返すうちに、自然淘汰されていく宇宙があり、ある形の宇宙が多くなっていく。そして私たちは、そのいちばん多くなった宇宙に住んでいるのではないかというのです(図「淘汰される宇宙のイメージ」)。 (図:淘汰される宇宙のイメージ はリンク先参照) もちろん、現在の理論でこんなことが言えるわけではありません。そこで、彼はモデルをつくって、仮定をおいて進化を考えました。その仮定とは、一つの宇宙にブラックホールが生まれると、そのブラックホールには別の新しい宇宙が生まれるのだというものです。これは何の根拠もない仮定で、そんなことが証明されたことはありません。私はインフレーション理論に則って、ワームホールができたら別の宇宙ができるという話はしましたが、ブラックホールが生まれたら別の宇宙ができるというような話はないのです。 それはともかく、この仮定に沿って話を続けましょう。ここで、ブラックホールの誕生によって新しくできた宇宙の物理法則は、元の宇宙とは少しだけずれるというのです。言ってみれば、宇宙の物理法則というのは生物の遺伝子と同じようなもので、世代交代するうち突然変異によって少しだけ変化するというわけです。これはまさに、生物の進化の特徴です。 こうして、何世代にもわたるたくさんの宇宙の進化が生物の場合と同じように進めば、いずれはブラックホールをたくさんつくる宇宙が自然選択で栄えることになるといいます。彼の言い方によれば、現在の物理法則がこのような値になっているのは、この物理法則を持つ私たちの宇宙に多くのブラックホールがあるがゆえに、その値になっているというのです。 大変面白いアイデアではありますが、現実の法則でこのような理屈が説明できるわけではありません。いまの時点ではまだ、ひとつの面白いお話ということになると思います。 さらに「インフレーション宇宙論」シリーズの連載記事では、宇宙物理学の最前線を紹介していく。 【続き<「宇宙は人類のために設計されている」説が、あながち間違いとも言えないワケ…物理学から考える「この世界の存在理由」>を読む】 〈インフレーション宇宙論〉各回記事はこちらから インフレーション宇宙論 ビッグバンの前に何が起こったのか』、今後の「インフレーション宇宙論」の展開に期待したい。
第三に、3月2日付け現代ビジネスが掲載した佐藤勝彦氏による「「宇宙は人類のために設計されている」説が、あながち間違いとも言えないワケ…物理学から考える「この世界の存在理由」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/124967
・『宇宙はどのように始まったのか…… これまで多くの物理学者たちが挑んできた難問だ。火の玉から始まったとするビッグバン理論が有名だが、未だよくわかっていない点も多い。 そこで提唱されたのが「インフレーション理論」である。本連載では、インフレーション理論の世界的権威が、そのエッセンスをわかりやすく解説。宇宙創生の秘密に迫る、物理学の叡智をご紹介する。 *本記事は、佐藤勝彦著『インフレーション宇宙論 ビッグバンの前に何が起こったのか』(ブルーバックス)を抜粋・再編集したものです』、興味深そうだ。
・『宇宙は人類のために絶妙にデザインされている? 本連載の締めくくりに、宇宙を考えるうえで避けて通れない「人間原理(Anthropic Principle)」の話をしていきましょう。 現在の宇宙の法則の中には、さまざまな物理定数があります。たとえば強い力、電磁気力、重力などの力の強さもそうです。つまり具体的に決まっている数値のことですね。これらの定数をよく見ると、まるで人類が誕生するように値が調節されているとしか思えないものがあるのです。たとえば、電磁気力の強さを少しでも変えると、生命は生まれなくなってしまいます。強い力の値をちょっと弱くすると、星の中で元素を合成するトリプルアルファ反応というものが起こらなくなります。これは3個のヘリウム4の原子核が結合して炭素12ができる核融合反応ですが、この反応が起きないと、炭素や酸素といった生命に不可欠な元素が生成されなくなるのです。 これらの例に限らず、われわれが住む宇宙は、人類を含めた生命をつくるために絶妙にデザインされているように見えるのです。これは否定しようのない観測事実です。 このような話を聞くと、「ああ、やはり神様は人間を創造するようにこの世界を設計されたんだなあ」と思う人もあるかもしれません。しかし、科学者がそのように考えるわけにはいきませんから、このような物理定数のナゾをどう解決するかが重要な問題になります。人間原理も、この問題への答えとして考えられてきたものなのです。 これまで人間原理については、いろいろな研究者が自分の見解を述べていて、量子脳理論のアイデアでも知られるロジャー・ペンローズはこう言っています。 「神様がわれわれの住んでいる宇宙と同じような宇宙を創り出すためには、途方もなく小さな空間の中の小さな定数が必要である」 つまり、適当に物理定数を決めても、決していまの宇宙はできない。神様はよほど注意深くならなければならない、というのです。そして、どこから出てきた数字かわかりませんが、われわれの住む宇宙がつくれる確率は、10の10の123乗分の1だと、すこぶる具体的な数値を示しています。 この数字はおそらくジョークだとは思いますが、それくらいとてつもない精度で選択をしていかなければ、いまのような宇宙はできっこないというわけです。そして、なぜいまの宇宙がそうなっているかという問題は、人間原理でしか説明できないというのです』、「とてつもない精度で選択をしていかなければ、いまのような宇宙はできっこないというわけです。そして、なぜいまの宇宙がそうなっているかという問題は、人間原理でしか説明できないというのです」、その通りだ。
・『宇宙の法則が少し違ったら人類はどうなっていた? アメリカの理論物理学者テグマークが、電磁気力や、強い力が、われわれの宇宙とは違う多様な値をとった場合を考えたグラフがあります(図「テグマークのグラフ」)。 難しい言葉もありますが、要するにこれによると、2つの力の値が変わると炭素原子が不安定になったり、水素原子が生まれなかったり、重水素が不安定であったりなど、多様な不都合が生じます。その結果、知的生命体が誕生するのに都合のいい領域はごくわずかしか残りません。四つの力のうち、二つの力だけで考えても、これほどまで制限されるのです。 テグマークはまた、空間の次元や時間の次元を変えるという考え方でも生命体存在の可能性を考えています。 時間がわれわれの世界と同じ1次元の場合は、空間が1次元や2次元だと単純すぎて多様な構造が生まれず、一方で空間が4次元にまでなると不安定になるとしています。たとえば原子核のまわりを回っている電子も、次元の大きな世界では不安定になって原子核に落ち込んでしまうようになります。これでは多様な構造を安定してつくることはできません。結局は、3次元が多様な構造をつくるのには適しているというのです。 時間の次元が多い宇宙については、4次元以上だと不安定な宇宙になるのだそうです。しかし、時間の次元が増えるというのはどういうことか私にはわかりません。それこそ腕時計が二つ必要になる世界でしょうか? 冗談はさておき、時間の次元がゼロの場合は、彼も想像不可能としています。 テグマークの主張はともかく、私たち人類はよほどの条件が整わなければこの宇宙に存在できないことは確かなのです』、「私たち人類はよほどの条件が整わなければこの宇宙に存在できないことは確かなのです」、確かに偶然とha
いえ、恐ろしいものだ。
・『人間は「選ばれし存在」か? およそ50年前、プリンストン大学の物理学者ロバート・ディッケは、もし宇宙が現在のようにきわめて平坦でなければ、人間は存在していない、だから人間は選ばれた存在であると言いました。 もし、宇宙を創ったときに、神様がいまよりも弱い勢いで膨張させたとすると、膨張はすぐに止まってしまい、1000万年後あるいは1億年後に膨張は止まって、つぶれてしまう宇宙になります。そういう宇宙では十分に生命は進化できず、人類は生まれないことになってしまいます。 一方、神様が宇宙を膨張させる力が強すぎた場合は、膨張する速度が速すぎて、ガスが十分に固まる前に宇宙が膨張してしまいますから、ガスが固まれません。つまり、星もできません。ですから炭素も酸素もつくられず、生命も人類も生まれてきません。 このように考えると、神様はきわめて慎重に、曲率がゼロになるように宇宙を創造したということになりますが、それは非常に困難なことです。これが「平坦性問題」です。この問題を説明するためにディッケは、人類は曲率がゼロに近いきわめて平坦な宇宙にだけ住むことができる。だからこの宇宙は平坦な宇宙なのだ、と言ったのです。 この平坦性問題は、インフレーション理論によって解決したことも前にお話ししました。ごく簡単に言えば、神様の力を借りなくても、インフレーションさえ起こせば、曲率ゼロの宇宙を創ることができるからです。インフレーションによって一様で平坦な宇宙ができるため、平坦性問題は人間原理を使わなくても、物理学で説明できるようになったのです。 「人間原理」という言葉を最初に使ったのは、ブランドン・カーターです。 読者のみなさんはコペルニクスをご存じでしょう。地球は宇宙の中心にあるのではなく、太陽のまわりを回っているという地動説を考えた人です。このコペルニクスの考え方を太陽系だけに限らず、あらゆる一般的なことに敷衍したものをコペルニクスの原理と言います。人類は世界の中心にいるわけではなく、宇宙においては人類といえどもワンオブゼムの存在であるという考え方です。 カーターは、このコペルニクスの原理に対する逆の考え方として、人間原理という言葉を使ったようです。宇宙は人間を生むようにつくられていると見ることができるとして、人間を特別な存在として考えるべきであるというのです』、「カーターは、このコペルニクスの原理に対する逆の考え方として、人間原理という言葉を使ったようです。宇宙は人間を生むようにつくられていると見ることができるとして、人間を特別な存在として考えるべきであるというのです」、なるほど。
・『強い人間原理、弱い人間原理 やがて人間原理は、「弱い人間原理」と、「強い人間原理」に分かれます。 弱い人間原理とは、いまあるこの宇宙のあり方を決める数値(宇宙の初期条件など)は、なぜ人間が存在するのに都合よく定められているのかを問うものです。そのよい例はディッケの平坦性問題で、人間が宇宙に存在することから、宇宙は平坦になるよう微調整されたとする考え方です。ただし、やはり平坦性問題のように、インフレーション理論を使えば物理法則だけで説明できるものもあります。 これに対し、強い人間原理は、物理学の基本法則・物理定数や、宇宙や空間の次元などは、人間が存在できるようにつくられているというものです。2次元でも4次元でもだめで、3次元でなければならないとテグマークが言うのも、この強い人間原理です。 こうした人間原理が出てくるのは、ある意味で当然のことだと私は思います。なぜなら、いま私たちは物理法則を持っていて、その法則には多様なパラメーター、つまり数値がのぼっていますが、それらがどうしてそんな数値になっているのか、私たちは知らないからです。たとえば電気の力を表す微細構造定数という値は、137.035…分の1という数値になっていますが、なぜ、これが電気の強さになるのかもわかっていないのです。そうである以上、その値が人間が存在できるように決められたという考え方が出てきてもしかたないのです。 将来もしも、超ひも理論がめざす究極の物理法則、この方程式ひとつを解きさえすれば四つの力すべてがわかるという超大統一理論ができたとき、その方程式の中に何ひとつ数字(定数)がなく、すべては幾何学の問題だけに帰して、それだけで自動的に現在ある多様なパラメーターの数値がすべて導き出せるといったことになれば、人間原理など必要ありません。その理論さえあれば、この世界がつくれることになるからです。 しかし、かりに何らかの数字がまだ残っていたとしたら、そのときは問題です。その数値はなぜそうなるのか、説明がつかないからです。そのときは、人間原理のようなものを考えなくてはならないかもしれません。 今後の研究によって、そこがどうなるのかはわかりません。ただ、私は物理学者として、究極の物理法則となる超大統一理論には、そういうパラメーターがいっさい残っていないことが理想だと思っています』、「私は物理学者として、究極の物理法則となる超大統一理論には、そういうパラメーターがいっさい残っていないことが理想だと思っています」、面白い意気込みだ。
・『マルチバースと人間原理 読者のみなさんは、これまでの話をどう思われたでしょうか。「宇宙は人間が生まれるようにつくられている」と主張するかのような考え方など、科学にはほど遠いと思われたのではないでしょうか。たしかに人間原理を疑似科学や宗教的なものと見なしている人もいるようです。しかし、実はホーキングも弱い人間原理を支持しているなど、科学者の間でも人間原理への評価はさまざまに分かれているのです。 私自身はといえば、さきほども述べたように、物理学の法則だけでこの世界のことをすべて説明できれば理想的だと考えています。人間原理という概念を物理学は安易にうけいれるべきではないというのが基本的な立場です。ただ、最近の人間原理の考え方には、科学的に認められるものが生まれてきているとも考えています。 それは、マルチバースの考え方に立った人間原理です。インフレーション理論が予言するように、宇宙が子宇宙、孫宇宙…と無数に生まれているならば、それぞれの宇宙が持つ物理法則もまた無数に存在するはずです。それらの中には、人間が生存するのにちょうどよい物理法則があっても不思議ではありません。そして、私たちの宇宙がたまたま、そういう物理法則を持つ宇宙だったのだ、とする考え方です。 これにはみなさんも納得できるのではないでしょうか。この宇宙を認識する主体である私たち人間は、ほかの宇宙を認識することはできません。だから、たった一つの宇宙がたまたま人間に都合のいいよう絶妙にデザインされていることを不思議に感じますが、実はそれは、無数にある宇宙の中で私たちの宇宙がたまたま、人間が生まれるのに都合のいい宇宙だったにすぎないというわけです。そのような宇宙だからこそ生まれた人間が、この宇宙の物理法則について認識していくと、それは人間が生まれるように都合よくできていた、これは言ってみれば当たり前のことです。そして、そのような私たちの宇宙が、たとえペンローズが言ったように10の10の123乗分の1というわずかな確率でしかつくられないとしても、宇宙が無数にあるのなら、そのうちの一つが私たちの宇宙であっても何も不思議ではありません。 このように、インフレーション理論が予言するマルチバースという宇宙像を前提にすると、人間原理についても論理的な説明が可能になってくるのです。 さらに「インフレーション宇宙論」シリーズの連載記事では、宇宙物理学の最前線を紹介していく。 【初回<「ビッグバン」の前に何が起きていたのか教えよう…「宇宙の起源」のナゾを解く新理論の「スゴすぎる中身」>を読む】 〈インフレーション宇宙論〉各回記事はこちらから インフレーション宇宙論 ビッグバンの前に何が起こったのか』、「宇宙が無数にあるのなら、そのうちの一つが私たちの宇宙であっても何も不思議ではありません。 このように、インフレーション理論が予言するマルチバースという宇宙像を前提にすると、人間原理についても論理的な説明が可能になってくるのです」」、分かったようで分からない話だ。少し難し過ぎたのかも知れない。
韓国(尹錫悦大統領)(その2)(韓国「戒厳令」報道で露呈…日本メディアは英米より「圧倒的にレベルが低かった」!「隣国の暴挙」でさえ、まともに報じることができないのか、尹錫悦は「何を間違えた」のか?...お粗末すぎた大統領の自作自演クーデター計画を解説、韓国のレトロな戒厳令騒ぎ つながり強い〝高校閥 の先輩後輩 飲食しながら極秘の話か、ついに職務停止…尹錫悦大統領「5回の談話」の恐るべきKY度 「北京のランダム・ウォーカー」第763回) [世界情勢]
韓国(尹錫悦大統領)については、昨年2月5日に取上げた。今日は、(その2)(韓国「戒厳令」報道で露呈…日本メディアは英米より「圧倒的にレベルが低かった」!「隣国の暴挙」でさえ、まともに報じることができないのか、尹錫悦は「何を間違えた」のか?...お粗末すぎた大統領の自作自演クーデター計画を解説、韓国のレトロな戒厳令騒ぎ つながり強い〝高校閥 の先輩後輩 飲食しながら極秘の話か、ついに職務停止…尹錫悦大統領「5回の談話」の恐るべきKY度 「北京のランダム・ウォーカー」第763回)である。
先ずは、12月7日付け現代ビジネスが掲載した京都大学大学院工学研究科教授の藤井 聡氏による「韓国「戒厳令」報道で露呈…日本メディアは英米より「圧倒的にレベルが低かった」!「隣国の暴挙」でさえ、まともに報じることができないのか」を紹介しよう。
・『尹大統領自身は「憲法に則ったクーデター」 韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は3日午後10時半ごろ、国会での野党について「内乱を企てる明白な反国家行為だ」と指弾し「非常戒厳を宣布する」と表明しました。 そして、戒厳令を受けて「戒厳司令部」を発足し、国会と地方議会、全ての政党活動と集会、デモを禁ずるとの布告を出しました。その上で、司令部の命令で、国会での活動を禁ずるために兵士らが国会議事堂に突入しました。 これは所謂、クーデター(非合法的手段に訴えて政権を奪うこと)です。 21世紀のこの時代に、隣の韓国でクーデターが起こるなど皆様も大層驚いたことだろうと思いますが(ちなみに韓国での戒厳令は、45年ぶりです)、韓国大統領には北朝鮮との有事などを想定し、こうした「戒厳令」を出す権限が与えられているのです。 実際、尹大統領は非常戒厳を宣言した際、国会そのものが「北朝鮮の共産主義勢力」と結託した「恥知らずな親北朝鮮勢力や反国家勢力」である野党議員達に占拠されており、「自由民主主義の基盤であったはずの国会が、それを破壊する怪物と化した」が故に、「北朝鮮に従う勢力を撲滅し、自由憲政秩序を守る」と宣言しています。こうした発言は全て、自らの戒厳令は憲法に乗っ取った正当な政治判断なのだという事を主張するものです。 しかし、このクーデターに対して国民は猛反発します。 司令部が禁じている筈の「デモ」が拡大し、国会議事堂の門に殺到し、議員たちは司令部が同じく禁じている筈の「国会決議」を行い、大統領の措置解除を決定しました。 その結果、尹大統領は「立法府の命令に従う」と述べ、戒厳令をわずか6時間で解除する決定を下しました』、「韓国での戒厳令は、45年ぶりです」、しかし、「このクーデターに対して国民は猛反発します。 司令部が禁じている筈の「デモ」が拡大し、国会議事堂の門に殺到し、議員たちは司令部が同じく禁じている筈の「国会決議」を行い、大統領の措置解除を決定しました。 その結果、尹大統領は「立法府の命令に従う」と述べ、戒厳令をわずか6時間で解除する決定を下しました」、なるほど。
・『国民の7割、今回のクーデターを「内乱罪に該当する」 この顛末を見れば、尹大統領は、この戒厳令が「成功」し、国民が一定程度「受け入れる」と考えていたように思われます。 繰り返しますが、尹大統領が言うように、野党が「恥知らずな親北朝鮮勢力や反国家勢力」であり、「自由民主主義の基盤を破壊する怪物」であるとするなら、戒厳令を出し、国会活動を軍隊で強制的に禁止することが正当化されるのであり、かつ、そうした尹大統領の見解を多くの国民が支持してくれるのなら、その戒厳令は、民主主義的にも正当化され得るからです。 しかし、その尹大統領の目算は完全に外れたわけです。実際、国民の7割が今、「大統領のこの戒厳令は内乱罪に該当する」と回答しているからです。(NHK、12月5日「韓国 大統領の弾劾議案 採決は見通せない状況【5日の動き】」) ですがそんなこと、別にアンケートするまでもなくスグに想像できそうなことです。今年の総選挙で野党が圧倒的な勝利を収め、そして、大統領支持率は2割を割り込んでいるわけですから、自身のクーデターという「トンデモ無い」決断が国民的支持を受ける等、万に一つもあり得ないだろうと、いとも容易く想像できる筈です。 つまり、尹大統領は、妄想でも見ていたかのように、完全に世論を読み誤ったものと推察されます。誠に愚か極まりない話しですが、少なくとも公表された情報から推察するに(無論、新たな情報が明らかになればその限りではありませんが)、その可能性以外思い当たりません』、「尹大統領は、妄想でも見ていたかのように、完全に世論を読み誤ったものと推察されます。誠に愚か極まりない話しですが、少なくとも公表された情報から推察するに・・・、その可能性以外思い当たりません』、なるほど。
・『尹大統領は何故、クーデターに踏み切ったのか? ではなぜ、尹大統領はこんな「少し考えれば誰もが勝算等ない」と分かる悪手であるクーデターに踏み切ったのでしょうか? この点については、日本のNHKやANN、毎日新聞や読売新聞等の大手メディアの報道に目を通しても殆ど何も書かれていません。(NHK、上記記事:毎日新聞、12月4日「韓国戒厳令、2時間半で効力失う 尹大統領は弾劾危機で窮地に」:読売新聞、12月4日「韓国が戒厳令、尹大統領『野党が反国家行為』…戒厳軍が国会に入る」:ANN、12月4日「韓国“大混乱”45年ぶり『戒厳令』なぜ」) せいぜいが、「妻のスキャンダルもあり、支持率が下がっていた」くらいの解説しかありません。しかし当たり前ですが妻のスキャンダルで人気が無くなったからという程度の理由でクーデターを起こすとは到底思えません。 その他の日本の記事を見てみても「韓国の国民性はそんなものだ」というものや、「大統領に進言できる人間がいない」等の、周辺的な情報ばかりで、クーデターが起こる必然性は明確には書かれていません。 そんな中、しっかりと腑に落ちる解説が書かれている記事が二つありました。BBC(12月5日「【解説】 韓国大統領は何を考えていたのか 裏目に出た『非常戒厳』」)とNew York Times(12月4日「戒厳令で露呈した『韓国社会が抱える圧倒的な闇』~ 結局何が突然の戒厳令を招いてしまったのか」)の記事です。 アメリカとイギリスという別々の国の記事ですから、両者は独立に書かれたと考えられますが、両者の解説は驚く程に一致しています。 両記事の内容をまとめると次のようになります。 (1)今回のクーデターは、尹大統領による「権力の掌握」を目的としたものであった。 (2)そもそも、尹大統領は韓国大統領選挙の歴史の中でも最も僅差の勝利で就任した大統領である。しかも、尹大統領の得票の多くが、前大統領の文在寅大統領の批判票であった。つまり、そもそも尹大統領は国民からの強い支持で誕生した大統領ではなかった。大統領就任後も様々な事件やスキャンダルが続き、支持率は2割を切るほどに低い水準が続いていた。 (3)そんな中行われた、今年2024年4月総選挙では、尹大統領の与党「国民の力」は惨敗し、野党「共に民主党」が圧勝した。与党の議席数は全体の三分の一程度に過ぎず、「共に民主党」の半分強の議席数しかなかった。 (4)「共に民主党」と「国民の力」との対立はそもそも根深く極めて深刻な状況であった.そんな中で圧倒的多数野党をとなった「共に民主党」は必然的に大統領の予算や法案に悉く反対し、国会が麻痺する状況となっていた。すなわち、尹大統領は大統領でありながら、自らが思う政治が全くできなくなっていたのである。つまり彼は「権力を掌握できていない」状況が政権誕生以降続き、かつ、その深刻さは今年の選挙を通してますます酷い状況に立ち至っていたのであった。 (5)この「国会運営の行き詰まり」を打開するために、クーデターという乱暴な手段を選択するに至った。 もちろん、「国会運営の行き詰まり」を打開するために軍隊を使うなど常識では到底考えられない暴挙ですが、以上の経緯を踏まえれば、尹大統領はまさに、その許されざる暴挙を選択したのだという実態が浮かび上がってきます。(文化放送、12月5日「韓国、一時『非常戒厳』宣言 藤井氏『国会運営の行き詰まりを打開するためにやったのだとしたら、許しがたい暴挙』」) この全体の基本的経緯を踏まえるなら、「妻のスキャンダル」や「大統領に進言する人間がいなかった」事、さらには、韓国人の国民性等が影響を及ぼしていることが見えてきますが、話しの本筋は以上に述べた(1)~(5)の流れなのです(今後新たな事実が明らかになる可能性も考えられますが、それでもなおこの(1)~(5)の経緯は大筋として正当であることに代わりはないものと考えられます)』、「日本の記事を見てみても「韓国の国民性はそんなものだ」というものや、「大統領に進言できる人間がいない」等の、周辺的な情報ばかりで、クーデターが起こる必然性は明確には書かれていません。 そんな中、しっかりと腑に落ちる解説が書かれている記事が二つありました。BBC(12月5日「【解説】 韓国大統領は何を考えていたのか 裏目に出た『非常戒厳』」)とNew York Times(12月4日「戒厳令で露呈した『韓国社会が抱える圧倒的な闇』~ 結局何が突然の戒厳令を招いてしまったのか」)の記事です」、全く日本のマスコミの取材力のお粗末さには呆れ果てた。
・『韓国の政治はこれからどうなるのか? ……とはいえ、尹大統領は、クーデターの際に宣言したように、野党が本当に「北朝鮮の共産主義勢力」「恥知らずな親北朝鮮勢力や反国家勢力」「自由民主主義の基盤を破壊する怪物」、「北朝鮮に従う勢力」だと認識していた、あるいは、それに準ずる存在であったと認識していたのであろうと思われます。 なぜなら、尹大統領は、国民の反発を受けて戒厳令を解除することを宣言した時でさえ、「弾劾、立法操作、予算操作で国の機能を麻痺させている非道な行為を直ちに止めるよう、国会に求める」と表明していたからです。 そこまで大統領と議会の対立は深刻な状況に立ち至っているわけです。 そんな深刻な対立を抱えた韓国ははたして、これからどうなるのでしょうか…? 大多数の国民、そして、野党は大統領の弾劾を求めていますが、与党は弾劾には反対すると当初表明していました。ただし、その後、与党代表から弾劾賛成の意向が表明されるなど、弾劾濃厚の状況となっています。 しかし仮に尹大統領が弾劾されなかったとしても、支持率の下落、そして、野党の反発はこれまで以上により過激なものとなるのは必至であり、「国会運営の行き詰まり」は、クーデター前よりもさらに酷くなることは確実です。 かくして韓国の政治状況は全く予断を許さない状況にあると言えるでしょう…』、「仮に尹大統領が弾劾されなかったとしても、支持率の下落、そして、野党の反発はこれまで以上により過激なものとなるのは必至であり、「国会運営の行き詰まり」は、クーデター前よりもさらに酷くなることは確実です。 かくして韓国の政治状況は全く予断を許さない状況にあると言えるでしょう」、なるほど。
・『英米に比した日本のオールドメディア「レベルの低さ」 ところで、今回の件はそういう韓国の問題のみならず、欧米に比した日本のマスメディア(所謂オールドメディア、という奴ですね)のレベルの低さを露呈するものでもありました。 何と言っても日本のマスメディアは、公表された事実情報だけを列挙し、一部識者達の声を断片的に挿入しているだけで、英米が的確に伝えている「物事の本質」についての情報を一切提供してはいなかったのです。 今回は「海外の重大ニュース」だということで、日本、米国、イギリスというそれぞれの国が『外国』のニュースを報道するという同一条件で書かれた記事を、横並びに比べることができたが故に、「日本のオールドメディア」のレベルの低さがクッキリと浮かび上がったわけです。 日本では兎に角、我々一人一人が、日本のオールドメディアの情報には十分に注意しつつ(もちろん、SNSにはもっと胡散臭い情報も多数あるでしょうからそれにも警戒しつつ)、個々の報道情報の「真贋」を見極めて行かざるを得ないでしょうね。 是非、これからもメディアやSNS情報には注意して参りましょう。「欧米に比した日本のマスメディア(所謂オールドメディア、という奴ですね)のレベルの低さを露呈するものでもありました。 何と言っても日本のマスメディアは、公表された事実情報だけを列挙し、一部識者達の声を断片的に挿入しているだけで、英米が的確に伝えている「物事の本質」についての情報を一切提供してはいなかったのです」、致命的な欠陥だ。
次に、12月10日付けNewsweek日本版が掲載した米「責任ある外交に関するクインシー研究所」研究員のネーサン・パク氏による「尹錫悦は「何を間違えた」のか?...お粗末すぎた大統領の自作自演クーデター計画を解説」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2024/12/528198.php
・『<深夜の戒厳令を食い止めたのは、独裁政治を経て勝ち取った韓国民主主義の底力> まさか、まさかの一夜だった。確かに野党議員の金民錫(キム・ミンソク)はこの夏から、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が戒厳令を出しかねないと警告していた。しかし誰もが、さすがにそれはないと思っていたし、そう思いたかった』、「野党議員の金民錫(キム・ミンソク)はこの夏から、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が戒厳令を出しかねないと警告していた。しかし誰もが、さすがにそれはないと思っていたし、そう思いたかった」、なるほど。
・『【年表で振り返る】戒厳令とクーデター続きの韓国現代史 もちろん、あの頃から右派で少数与党の尹政権が強権的な傾向を強めていたのは事実。彼の支持率は10%台後半から20%台前半に低迷し、大統領夫妻の不正疑惑も深まるばかりだった。 それで尹はリベラル派の政治家やジャーナリストの事務所や自宅を片っ端から捜索させ、ろくな根拠もないのに野党指導者・李在明(イ・ジェミョン)を刑事告発した。過去の遺物のような軍事パレードもやってみせた。 それでも尹が戒厳令を敷いて自作自演のクーデターをやり、民主的に選ばれた現職大統領が独裁者に変身するなどという金民錫の主張はあまりにも荒唐無稽と思われていた。 金は1987年に全斗煥(チョン・ドゥファン)軍事独裁政権を終わらせた民主化運動の元リーダーだが、それにしても党派色むき出しの発言だと、みんな眉をひそめていた。87年の民主化以降に韓国で戒厳令が敷かれたことは一度もない。 ただし、北朝鮮との軍事衝突で戦時の非常事態となれば戒厳令を出せるという法律は残っていた。) その戒厳令が急に現実となった。12月3日の午後10時23分、尹は予告なしの記者会見を開いた。6分間にわたって声明を読み上げ、「非常戒厳」を宣布すると表明した。 理由はリベラル派の野党「共に民主党」が政権幹部に対して22件もの弾劾訴追案を発議し、来年度予算を大幅に削減すると脅し、国会を「自由民主主義体制を破壊する怪物」に変えたというものだった。 尹は政敵を「親北朝鮮の反国家勢力」と決め付けた。それは韓国の過去の独裁者たちが自らを正当化するために使ったのと同じ表現だった。 1時間後には朴安洙(パク・アンス)陸軍参謀総長が戒厳司令官に任命されていた。戒厳司令部は国会と地方議会に一切の政治活動を禁じ、全ての言論と出版を統制し、市民の集会を禁じると命じた。首都ソウル市内には装甲車やヘリコプターが出現した』、「戒厳司令部は国会と地方議会に一切の政治活動を禁じ、全ての言論と出版を統制し、市民の集会を禁じると命じた。首都ソウル市内には装甲車やヘリコプターが出現した」、いきなりの「戒厳司令部」の出現には心底驚かされた。
・『過去の悪夢がよみがえった 戒厳宣布を伝える国内のニュースキャスターたちは、見るからに身を震わせていた。多くの国民同様、戒厳令下の日々を体験し、知っていたからだ。 韓国で最後に戒厳令が敷かれたのは1979年10月、独裁者・朴正煕(パク・チョンヒ)が殺害されたときだ。その後に全斗煥が権力を掌握したが、戒厳令は1981年1月まで維持された。その間に南西部の光州で戒厳軍の空挺部隊が少なくとも数百、あるいは数千人のデモ隊を虐殺した。) この光州事件は現代韓国史の節目となった。当時のことは今年のノーベル文学賞を受賞した韓江(ハン・ガン)が小説『少年が来る』で詳しく描いている。 しかし2024年の今、国民の大半はあの虐殺も歴史上の出来事、悲劇だけれど昔の話と信じていた。だからみんな、装甲車やヘリコプターが国会を包囲する様子を見て愕然とした。その国会には、多数決で戒厳令を解除する権限があった。 幸い、歴史は繰り返さなかった。理由の1つは、毎度のことながら尹の行動が道化師さながらに拙速かつ無能だったことにある。普通、クーデターで権力奪取を狙うような人間は綿密な台本を用意しておくものだ。テレビを乗っ取り、ネット接続を妨害し、野党指導者を逮捕し、検問所を設ける──。 今回も、そうした計画はあったはずだ。少なくともメディアの統制は目指していた。しかし、当てが外れた。12月3日の深夜にもテレビの取材班は国会議事堂周辺で自由に取材していた。 リベラル派の指導者たちはSNSで大統領への抗議を呼びかけた。主要な野党指導者を逮捕せよという命令は出たらしいが、のろのろしていて逃げられた。 兵士たちは武力行使に及び腰で、非武装のデモ隊に押し戻されるままだった(本稿は戒厳宣布の約24時間後に書いているので、その後にも起きたであろう「まさか」の事態についてはご容赦いただきたい)。) ともかく尹の行動はお粗末すぎた。秘密裏に事を進めつつもキーパーソンは抱き込んでおくというバランス感覚に欠けていた。戒厳宣布を進言したのは金龍顕(キム・ヨンヒョン)国防相とされるが、金の命令に従った軍人はごくわずか。 兵士や警官の大半は動かなかった。与党「国民の力」の重鎮も何も知らされていなかったようで、代表の韓東勲(ハン・ドンフン)はすぐにクーデター非難の声明を出している。 とはいえ、一歩間違えば大混乱と血の海になりかねない場面も多々あった。法律上、国会は多数決で戒厳令を解除することができるが、そのためには議員が集まって投票できる環境が必要だった。 しかし超法規的な戒厳令の発動によって国会は閉鎖され、武装した兵士が議事堂の外をパトロールし、機関銃を備えたヘリコプターが上空を旋回していた。 それでも韓国の議員たちはやり遂げた。議事堂周辺に集まった市民は配備された特殊部隊ともみ合い、兵士や装甲車を止め、議員たちが建物に入る道を開いた。 共に民主党の女性政治家・安貴朎(アン・グィリョン)は、武装した兵士を素手で押しのけて議事堂に入った。党首の李在明は59歳にしては驚くべき運動能力を見せ、兵士たちを避けるために議事堂の壁を乗り越えた。幸いにして、誰も彼に発砲しなかった。) 建物に入った議員とスタッフたちは入り口にバリケードを築き、午前0時49分に開会が宣言された。議長の禹元植(ウ・ウォンシク)は、全ての法的な手続きを踏み、投票結果に疑問の余地が残らないようにしようと強調した。 その間にも空挺部隊が窓ガラスを割って侵入を試みたが、議会スタッフが消火器や携帯電話のフラッシュで応戦し、どうにか押しとどめた。 国会の手続きにのっとって法案をタイプし、提出するのに12分かかった。しかし午前1時1分、300人の国会議員のうち、なんとか議場に入ることのできた190人が全員一致で戒厳令の解除を決議した。 なかには与党・国民の力に属する議員18人も含まれていた。しばらくためらった後、ヘリコプターと装甲車、そして兵士たちは議事堂を離れ始めた。 しかし、尹大統領が国会決議に従う保証はなかった。だから議員たちは議場にとどまり、尹が再び軍を出動させたり、新たな戒厳令を発したりする事態に備えた。 敗北を認め、屈辱にまみれた尹が記者会見に臨み、戒厳令解除を発表したのは午前4時27分だった』、「午前1時1分、300人の国会議員のうち、なんとか議場に入ることのできた190人が全員一致で戒厳令の解除を決議した。 なかには与党・国民の力に属する議員18人も含まれていた。しばらくためらった後、ヘリコプターと装甲車、そして兵士たちは議事堂を離れ始めた」、クーデターは僅差で阻止されたようだ。
・『保守勢力には「恥の上塗り」 現時点では、状況はまだ流動的だ。しかし尹大統領が27年までの任期を務め上げる可能性は低い。野党は尹の即刻辞任を求めたが、応じないとみて弾劾の手続きに入った。) 弾劾には議会(定員300)の3分の2以上の賛成が必要だ。尹の与党は108人の議員を擁し、3分の1をわずかに上回っている。建前上、与党が大統領を支持するのは間違いない。しかし18人の議員が既に戒厳令解除に賛成票を投じている。弾劾決議でも8人以上の造反者が出る可能性は高い。 尹が不名誉な弾劾より辞任を選んでも、たぶん起訴は免れない。韓国には過去3代の大統領のうち、保守系の李明博(イ・ミョンバク)と朴槿恵(パク・クネ)を起訴し、投獄した輝かしい歴史がある。 この先がどう転ぼうと、これだけは言える。韓国の民主主義はそう簡単に負けない。40数年ぶりの戒厳令はたった6時間で、議会の投票によって解除された。一発の銃弾、一滴の血も流れなかった。一発の銃弾でも放たれていたら流れは変わっていただろう。 しかし抗議の民衆は民主主義の規範に従っていたし、軍隊に包囲された議員たちも粛々と投票した。これが民主主義。兵士たちも、その重さを感じていた。 韓国の保守勢力にとっては恥の上塗りとなった。自分たちの担いだ朴大統領を弾劾裁判で失ったのが2017年。家賃の高騰に対する国民の不満を追い風に、奇跡的に大統領府を奪還したのが2022年。そこへ今度の、自作自演のクーデター未遂。 この国の保守勢力はしょせん軍政時代の独裁者の末裔で、何かあればすぐに隠していた専制の牙をむく。そう言われても抗弁できまい。 悲しいかな、保守派の中でもそれなりに分別のある議員たちはまたしても、自分たちの担いだ大統領を弾劾するしかないのだ。 Foreign Policy logoFrom Foreign Policy Magazine)』、「悲しいかな、保守派の中でもそれなりに分別のある議員たちはまたしても、自分たちの担いだ大統領を弾劾するしかないのだ」、なるほど。
・『戒厳令とクーデター続きの韓国現代史 北朝鮮との緊張関係が続く韓国では、建国直後から独裁者たちが立て続けに戒厳令を発令。共産主義の取り締まりを名目に、反対派の市民や学生を弾圧した。 1948年 韓国政府樹立からわずか2カ月後、初代大統領の李承晩が共産主義者鎮圧のため初めて戒厳令を布告。弾圧で数千人の死者が。 1950年 朝鮮戦争中の1950年から1952年まで李承晩が断続的に戒厳令を敷いた。 1960年 反政府デモの高まりに李承晩が再び戒厳令を発令。デモ参加者と警察との衝突で数百人が死亡し、李は辞任を余儀なくされた。 1961年 軍事クーデターで陸軍少将だった朴正煕が政権を掌握。戒厳令発令。63年に大統領に就任した。 1972年 朴正煕が新たなクーデターを実行し、戒厳令を発令。ソウルの街頭に戦車を配備した。72年末に戒厳令は解除されたが、朴はその後何百人もの政敵や民主活動家を投獄した。 1979年 独裁者の朴が暗殺された後、済州島を除く全土に戒厳令を布告。陸軍少将の全斗煥がクーデターで政権を掌握し、後に大統領に就任した。戒厳令は81年に解除されたが、全による軍事独裁体制が87年の民主化まで続いた』、「韓国」では民主主義が着実に根付きつつある。その基盤を揺るがすのが「クーデター騒ぎ」だ。
第三に、12月14日付け産経新聞「韓国のレトロな戒厳令騒ぎ つながり強い〝高校閥〟の先輩後輩 飲食しながら極秘の話か」を紹介しよう。
・『韓国の戒厳令騒ぎに国民のほとんどは「今の時代になぜ?」と驚きあきれているが、外国人記者としては騒ぎの中での韓国的風景が気になる。その一つが戒厳令を画策したのが大統領とその高校同窓生だったという話。組織より人脈重視の韓国では血縁・地縁・学縁が3大人脈だが、今回は〝高校閥〟が事を左右したというのだ。戒厳令もそうだがいかにもレトロ(復古調)で興味をそそられる。 話題の高校はソウルにある冲岩(チュンアム)高校。大統領とその指示で軍隊を動かした国防相(当時)および防諜司令官(旧保安司令官)の3人はこの高校の先輩後輩で、韓国紙の報道によるとこれまで一緒に飲食を共にしながらひそかに戒厳令の話をしていたという。同窓だから極秘の話もできる。学縁でも高校同窓は最もつながりが強いといわれ、お互い無条件で面倒を見合い助け合う。 ところがこの話が伝わるや冲岩高校には非難、抗議の電話が殺到し、在校生も街で通行人から文句を言われる場面も出ている。そこで学校では通学時にそれとわかる制服は着なくてもいいと指示し、登下校時には警察がパトロールしているとか。大統領を輩出して一躍有名になり格が上がったのに、一転して悪の巣窟みたいになってしまった。そのうち大統領以下を同窓会名簿からはずせとなるかもしれない』、いかにも韓国らしいエピソードだ。
第四に、12月17日付け現代ビジネスが掲載した『現代ビジネス』編集次長の近藤 大介氏によ「ついに職務停止…尹錫悦大統領「5回の談話」の恐るべきKY度 「北京のランダム・ウォーカー」第763回」を紹介しよう。
・『尹大統領を巡る状況が二転三転 「事実は韓ドラより奇なり」――今月の韓国政治は、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領を巡る状況が、二転三転。前世紀末に国民が「民主」を闘い取った隣国で、実にダイナミックな権力闘争が展開されている。 まず、12月3日からの状況を簡単に整理してみよう。 12月3日22:30頃 尹錫悦大統領が、国会での野党の行動によって政治が壟断(ろうだん)されているとして、「非常戒厳」を宣言(1回目の談話) 4日1:00頃 国会が「戒厳令の解除」を決議 4日4:30頃 尹錫悦大統領が、「戒厳令の解除」を宣言(2回目の談話) 4日 「共に民主党」など野党6党が、国会に尹錫悦大統領を罷免(ひめん)するための弾劾(だんがい)訴追案を提出 6日 与党「国民の力」韓東勲(ハン・ドンフン)代表が尹錫悦大統領の早急な職務執行停止が必要と発言 7日午前 尹錫悦大統領が、「与党などの決定に従う」と国民向けに謝罪する、3回目の談話を発表 7日 「国民の力」が弾劾訴追案への反対を決める 7日21:30頃 国会で「国民の力」の大部分が決議を欠席し、弾劾訴追案が廃案となる 12日午前 尹錫悦大統領が29分の4回目の談話を発表し、一転して「戒厳の正当性」を主張 12日午後 「共に民主党」など野党6党が再び、国会に尹錫悦大統領の弾劾訴追案を提出13日 「国民の力」韓東勲代表が弾劾訴追案への賛成を呼びかける。この日選出された「国民の力」権性東(クォン・ソンドン)院内代表(党ナンバー2の幹事長)は、断固反対を宣言 14日午後 「国民の力」が弾劾訴追案への反対を決議 14日17:00 弾劾訴追案が可決 14日18:30頃 尹錫悦大統領が「絶対に放棄しない」との5回目の談話を発表 14日19:30頃 尹錫悦大統領の執務停止、韓悳洙(ハン・ドクス)首相が代行』、誠に目まぐるしい状況の変化だ。
・『弾劾訴追案が2回目の採決で可決 激しい抵抗を続けた尹錫悦大統領及び与党「国民の力」だったが、12月14日土曜日夕刻に、「大韓民国の歴史が動いた」(YTNアナウンサーの言葉)。午後5時、ソウル・汝矣島(ヨイド)の国会本会議場の壇上に立った禹元植(ウ・ウォンシク)議長が、宣言した。 「全投票数300、『可』(賛成)204票(ウワーッと歓声が上がる)、『不』(反対)85票、棄権3票、無効8票。弾劾訴追案が可決したことを宣言します」 韓国の国会議員は計300人。内訳は、与党「国民の力」が108人、最大野党「共に民主党」が170人、その他野党が22人だ。弾劾訴追案の可決には、全議席の3分の2にあたる200人の賛成が必要で、そのためには最低8人の与党議員が「造反」する必要があった。 結果は、少なくとも12人の与党議員が造反した。現在の「国民の力」は、尹錫悦大統領及び権性東院内代表の派閥と、韓東勲代表の派閥に分断されつつあるので、後者の一部が造反したということだ。 今後は「国民の力」が、二つの党に分裂する可能性がある。特に、韓代表は国会議員ではないので、指導力は未知数だったが、早速16日に代表を辞任すると表明した。 韓代表は、もともと検事として長年、尹錫悦氏に付き従ってきた経緯があるにもかかわらず、今回は完全に尹大統領と「決別」したので、尹派の仲間からすれば「裏切者」である。「国民の力」の内部に詳しい人物は、韓東勲代表について、こうこき下ろした。 「韓東勲は検事として、2018年に李明博(イ・ミョンバク)元大統領と朴槿恵(パク・クネ)元大統領を投獄し、今度はボスだった尹錫悦大統領を裏切って、投獄に向かわせようとしている。3人もの大統領を葬り去るとは大したタマだが、最後は自分も無傷では済まないだろう。 それくらい、いま『国民の力』の内部で恨みを買っている。ましてやこの先、反対勢力の『共に民主党』が政権を取ったら、真っ先に首根っこを掴まれるだろう』、「韓東勲は検事として、2018年に李明博(イ・ミョンバク)元大統領と朴槿恵(パク・クネ)元大統領を投獄し、今度はボスだった尹錫悦大統領を裏切って、投獄に向かわせようとしている。3人もの大統領を葬り去るとは大したタマだが、最後は自分も無傷では済まないだろう。 それくらい、いま『国民の力』の内部で恨みを買っている」、なるほど。
・『「KY」尹錫悦大統領の完全な一人芝居 ともあれ、14日夜に尹錫悦大統領は職務停止となり、韓悳洙首相が代行し始めた。韓首相が最初に行ったのは、ジョー・バイデン米大統領に報告の電話をして、変わらぬ支持を取り付けることだった。 尹大統領に関しては、憲法裁判所が180日以内に、弾劾訴追に対して「正当性」の結論を出す。「弾劾訴追は不当」と結論づければ、尹錫悦大統領は職務に復帰。「弾劾訴追は妥当」と結論づければ、直ちに失職し、60日以内に新たな大統領選挙を行うという流れだ。 韓国の場合、憲法裁判所の判断となるのは、法的根拠以上に「国民感情」である。例えば、2017年3月には、どう見ても法に照らして、朴槿恵大統領は「極めて白に近い灰色」だったのに、大統領失職を求める「ろうそくデモ」の「大声」に押される形で、失職を決定した。 今回の弾劾も、国民感情としては、圧倒的に「失職賛成」である。韓国ギャラップが13日に発表した最新の世論調査によれば、「弾劾に賛成」が75%で、「反対」は21%。尹大統領の支持率も、過去最低の11%まで下がった。こうした状況が続けば、やはり尹大統領は数ヵ月後に失職する可能性が高いと見てよいだろう。 だが今回、私は尹錫悦大統領に対して、同情する気持ちは起こらない。というのも、今回の一連の騒動は、「KY」(空気を読めない)尹錫悦大統領の完全な一人芝居であり、オウンゴール(自殺点)だからだ。大統領が突然、一人で暴れ出し、一人で転んでいったのだ。その結果、弾劾訴追を受けるのは、自業自得というものだろう。 その間、上述のように「国民向け談話」は、5回に及んだ。私はそのすべてを聞いたが、「KY」感が滲(にじ)み出ていた。 ひと言で言えば、尹大統領が思い描いている「国民の声」と、実際の「国民の声」とが、大きく乖離(かいり)しているのである。尹大統領は、「談話」によって国民の理解が得られると思っていたのだろうが、実際には「談話」を発するたびに、国民は離れていった。「談話」は尹大統領の「KY」ぶりを露呈させただけであり、すべて裏目に出る結果となったのだ。ついには、与党議員の一部まで「造反」し、弾劾訴追案が可決してしまった。』、「「国民向け談話」は、5回に及んだ。私はそのすべてを聞いたが、「KY」感が滲(にじ)み出ていた。 ひと言で言えば、尹大統領が思い描いている「国民の声」と、実際の「国民の声」とが、大きく乖離(かいり)しているのである。尹大統領は、「談話」によって国民の理解が得られると思っていたのだろうが、実際には「談話」を発するたびに、国民は離れていった」、なるほど。
・『突然発表した「戒厳宣言」 まず1回目、3日の夜に突然発表した「戒厳宣言」は、こんな調子だった。 「今日、私たちの国会は犯罪者の巣窟となり、立法独裁を通じて国の司法行政制度を麻痺させ、自由民主主義制度を打倒しようとしている。自由民主の根幹であるはずの国会が、自由民主のシステムを破壊する怪物と化している。 今、韓国は、すぐに崩壊してもおかしくない風前の灯火の運命に直面している。同胞の市民の皆さん、私は、北朝鮮の共産主義勢力の脅威から自由な大韓民国を守り、わが国民の自由と幸福を略奪している北朝鮮のすべての悪徳な反国家勢力を根絶し、自由な憲法秩序を守るために、戒厳令を宣言する。 この非常事態令を通じて、破滅の淵に堕(お)ちた自由な大韓民国を再建し、守っていく。そのために私は、廃墟となった国の犯人と、今まで腐敗を続けてきた反国家勢力を、必ず根絶する」 尹大統領は力強く語ったが、圧倒的多数の韓国国民の反応は、「はっ? 大統領は夜中に何を言っているんだ?」。隣国の緊急ニュースに叩き起こされた私も、同様だった。 韓国の国会が停滞しているのは事実だが、それはそもそも尹錫悦政権2年間の所産である。2022年5月に発足した尹政権の最大の成果は、日韓関係を急速に改善し、日米韓の緊密な連携体制を築いたことだった。 ただ、その強引な姿勢から、国内で多くの反発を招き、国民が望む好景気や高福祉は果たせなかった。今年4月10日の総選挙のキャンペーンでスーパーを視察し、たまたま店頭で大安売りしていたネギを見て、物価の安定を誇るかのような発言をした時には、国民が「ドン引き」した。 その結果、総選挙で大敗を喫した。前述のように300議席中、108議席しか取れなかったのだ。逆に野党は、過半数を取ったばかりか、「ファストトラック」(法案迅速処理)を行使できる全議席の6割も取った。取れなかったのは、大統領の弾劾訴追案を可決できる3分の2だけだった』、「尹政権の最大の成果は、日韓関係を急速に改善し、日米韓の緊密な連携体制を築いたことだった。 ただ、その強引な姿勢から、国内で多くの反発を招き、国民が望む好景気や高福祉は果たせなかった。今年4月10日の総選挙のキャンペーンでスーパーを視察し、たまたま店頭で大安売りしていたネギを見て、物価の安定を誇るかのような発言をした時には、国民が「ドン引き」した。 その結果、総選挙で大敗を喫した。前述のように300議席中、108議席しか取れなかったのだ」、なるほど。
・『国会の停滞は尹大統領の身から出た錆 つまり国会の停滞は、尹大統領の身から出た錆(さび)だったのだ。そうであるならば、石破茂首相ではないが、「少数与党として他党にも丁寧に意見を聴き可能なかぎり幅広い合意形成を図る姿勢」が必要だった。 ところが尹大統領は、「悪いのはすべて野党であり、非常戒厳令を敷けば、国民は野党の悪徳ぶりを理解してくれる」と考えたのである。それは、大いなる誤算というものだった。 韓国国民は、まるで1960年代~1970年代の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領か、1980年代の全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領のような軍事独裁者が、21世紀に亡霊のように飛び出したと、ぶったまげたのである。「尹錫悦大統領はとち狂ったか?」と思い、そんな人間に5200万国民の生殺与奪の権限を与えておくことに、不安を覚えたのである。 それで国会議員が190人、深夜の国会議事堂に駆けつけて、戒厳の解除を決議した。韓国憲法の第77条1項に、大統領の戒厳発令の権限が明記されているが、同5項には、国会が過半数の決議でそれを解除できるとしている。大統領の独裁化を防ぐための項目が作用したのだ』、「国会議員が190人、深夜の国会議事堂に駆けつけて、戒厳の解除を決議した。韓国憲法の第77条1項に、大統領の戒厳発令の権限が明記されているが、同5項には、国会が過半数の決議でそれを解除できるとしている。大統領の独裁化を防ぐための項目が作用したのだ」、なるほど。
・2度目の談話 すると尹大統領は、4日の午前4時半頃になって、虚ろな顔で2度目の「談話」を発表した。 「国会から戒厳解除の要求があり、戒厳の業務に投入した軍を撤収させた。直ちに国務会議を開いて、国会の要求を受け入れて、戒厳令を解除する」 こうして「大統領のクーデター」は、わずか6時間で幕を閉じたのだった。まったくお粗末極まりない「クーデター未遂」だった。 あえて誤解を恐れずに言えば、国家のリーダーというのは、いったん刀を抜いたら、それを振り続けなければならない。前述の朴正煕大統領は18年、全斗煥大統領は8年振り続けた。彼らがそこまで突っ張ったのは、刀を下ろしたとたんに、自己の政権が崩壊することを熟知していたからだ』、「「大統領のクーデター」は、わずか6時間で幕を閉じたのだった。まったくお粗末極まりない「クーデター未遂」だった」、なるほど。
・『3度目の談話 実際、尹大統領は国会での1回目の弾劾訴追案決議が行われた7日午前、「謝罪談話」に追い込まれた。3回目の談話である。 「今回の決定は、大統領としての私の切迫した思いから出したものだ。しかし、それが国民に不安と不便をもたらした。大変申し訳なく思っており、お詫びする。 この宣言によって生じた法的および政治的責任から逃れるつもりはない。また、再び非常戒厳が宣布されることは絶対にないと、はっきり申し上げる。 私の任期を含め、国をどう安定させるか、その決定は、わが党に委ねる。今後の国の運営については、党と政府が責任を負う。国民にご心配をおかけしたことを、改めてお詫びする」 このように、全面敗北を認めたのだった。この談話によって、同日夜に国会で行われた弾劾訴追案の決議に、大部分の与党議員が退席。賛成が3分の2に届かず、廃案となった』、「全面敗北を認めたのだった。この談話によって、同日夜に国会で行われた弾劾訴追案の決議に、大部分の与党議員が退席。賛成が3分の2に届かず、廃案となった」、なるほど。
・『4度目の談話 だが、週が代わって、野党が再び弾劾訴追案の提出を目指すと、尹大統領は、前週とは打って変わって、これに噛みついた。12日午前に、4度目の「談話」を発表したのである。この時のスピーチは、延々29分に及んだ。だいぶ要約するが、以下の通りだ。 「いま野党は、非常戒厳の宣布が内乱罪に該当するとして、狂乱の剣の舞を舞っている。本当にそう(内乱罪)だろうか? 大韓民国の勢力で、中央政府を麻痺させ、憲法に違反しているのは誰なのか? 過去2年半、主要野党は、国民が選んだ大統領を認めず、引きずり下ろそうとしてきた。大統領の任期が始まって以降、大統領を罷免し弾劾するための集会が178回も開催されている。 大統領の国政運営を麻痺させるため、何十人もの政府高官の弾劾を強く求めてきた。彼らの不正行為を調査した大臣、国会議長、および会計検査官を弾劾し、裁判官を威嚇するところまでいった。さらに、彼は違憲の特別検察官法案を27回も提出し、政治プロパガンダ攻勢を開始したのだ。 大きな野党が支配する国会は、自由民主主義の根幹ではなく、自由民主主義の憲法秩序を破壊する怪物と化している。これが国政の麻痺や国家の緊急事態でないとしたら何なのか? いま大きな反政府勢力が、国家安全保障と社会保障を脅かしている。例えば6月には、釜山に停泊している米国の航空母艦をドローンで撮影するために3人の中国人が逮捕された。 しかし現行法では、外国人によるスパイ行為を罰する方法はない。私は刑法のスパイ条項を改正しようと試みたが、最大野党が頑なに阻止しているのだ。 北朝鮮が核兵器やミサイルの脅威、GPS 妨害や汚物気球、スパイ事件など違法な挑発を行っている。それにもかかわらず、主要野党はこれに同意し、さらに北朝鮮の側に立って、対応に苦慮している政府を中傷しただけだ。来年度の検察・警察特別経費の予算もゼロにしてしまった。彼らは、大韓民国をスパイの楽園、 麻薬の巣窟、そしてギャングの国に変えるつもりではないのか?国を滅ぼそうとしている反国家勢力ではないのか? 国家情報院の職員が、選挙管理委員会にハッカーとしてハッキングしてみたところ、好きなだけデータを操作することができた。ファイアウォールは事実上なかった。そのパスワードも、『12345』のように非常にシンプルだった。民主主義の中核である選挙管理のコンピュータ化されたシステムがこれほど混乱しているとしたら、人々はどうして選挙結果を信用できるだろうか? 私は、もはや手をこまねいているわけにはいかないと思った。何かをしなければならないと思ったのだ。 主要野党の党首の有罪判決が差し迫っているため、彼らは大統領を弾劾し、早期選挙を呼びかけることでこれを回避しようとしている。国家制度を壊し、彼らの犯罪を隠蔽することによってでも、彼らは国を支配しようとしている。これは憲法を軽視する行為ではないか。 あなたが私を弾劾しようと、私を捜査しようと、私はそれに立ち向かう」 以上である。尹錫悦大統領の一世一代の「熱いスピーチ」と言ってもよいかもしれない。またその内容も、「正論」と思える部分が少なからずある』、「釜山に停泊している米国の航空母艦をドローンで撮影するために3人の中国人が逮捕された。 しかし現行法では、外国人によるスパイ行為を罰する方法はない。私は刑法のスパイ条項を改正しようと試みたが、最大野党が頑なに阻止しているのだ。 北朝鮮が核兵器やミサイルの脅威、GPS 妨害や汚物気球、スパイ事件など違法な挑発を行っている。それにもかかわらず、主要野党はこれに同意し、さらに北朝鮮の側に立って、対応に苦慮している政府を中傷しただけだ」、「野党」が安全保障上の観点よりも、党利を優先した投票行動をしているのは、困ったことだ。
・『「まるでヒトラーのビデオを見ているよう」 だが、この時点で多くの韓国国民は、尹大統領を「戒厳令を振り回すアブナイ権力者」とみなしていた。そんな人物がこのような熱弁を振るったところで、国民感情には響かない。むしろ「鬼の形相」をした大統領が30分近くも熱弁を振るうのを見て、「やっぱりこの人、ヤバいよ」と、火に油を注いでしまったのだ。 私が韓国の友人に聞いたら、「まるでヒトラーのビデオを見ているようだった」と述べた。実際、前述の韓東勲「国民の力」代表は、この演説の後に、「もうダメだ、(弾劾訴追案に)賛成しよう」と与党議員たちに呼びかけた。 そして14日18時、弾劾訴追案は国会で可決された。その報告が龍山(ヨンサン)の大統領執務室に届けられたら、大統領は職務停止となる』、安全保障上の懸念材料が国民に正しく受け止められず、党利に基づいた発言と受け止められたのは、残念だ。
・『5度目の談話 同日18時半、尹錫悦大統領は、テレビカメラの前で5回目の談話を発表した。この「最後の談話」は、全文を訳す。 「尊敬する国民の皆さん、今日、国会が弾劾訴追を採決するのを見ながら、私が初めて政治への参加を表明した2021年6月29日を思い出した。この国の自由民主主義と、法の支配は壊れていた。自営業者の絶望と 若者の欲求不満が、国中に広がっていた。その熱烈な国民的な志(こころざし)を持って、私は政界入りした。それからは休むことなく全力で取り組んできた。 大統領になって現場の人々に会った時、中小企業の経営者や自営業者が前政権の消極的な政策のために喘(あえ)いでいるのを、若者や一般の人々が不動産ローンのために嘆いているのを見た。しかし、その困難な状況を冷静に聞き、少しずつ問題を解決していった時、何よりも幸せを感じた。 輸出が復活するにつれ、経済は活力を取り戻し、少しずつ温かさが広がっていったのは心強いことだった。崩壊した原子力発電所の生態系を回復し、原子力発電所の輸出を実現した。私たちは、将来に必要な4つの主要な改革を必死に進めたが、以前の政府は選挙に負けることを恐れて実行できなかった。国民のために考え、推進してきた政策が行き詰まったとき、私は胃の調子が悪くなり、夜も眠れなかった。 韓国・米国・日本の協力関係を回復し、世界外交の視野を広げるために、日夜努力した。韓国No.1の営業マンの肩書きを身にまとい、世界中を旅して結果を出した時、言葉では言い表せないほど大きな満足感を感じた。私は疲れを忘れて、韓国の国際的地位が高まり、安全保障と経済が強くなっていくのを見ていた。 いまや、辛いが幸せだったやりがいのある旅が止まってしまった。私の努力が無駄になることが悔しい。私はいま立ち止まるが、この2年半、この国の人々と共に歩んできた未来への旅は、決して止まってはならない。 私は決して放棄しない。私に向けられたすべての叱責、励まし、そして支援を心に抱きながら、最後の瞬間まで国のために最善を尽くす。 公職者の皆さんにお願い申し上げたい。大変な時期だが、皆さんには自分の立場を貫き、揺らぐことなく役割を果たしてほしい。私は、皆さんが大統領代行を中心に協力し、国民の安全と幸福を守るために最善を尽くすことを強く求める。 そして政界にお願い申し上げたい。いまや暴走と対決の政治から、熟議と配慮の政治に変えられるよう、政治文化と制度を改善することに、関心と努力を傾けるよう願う。
・『21世紀の民主主義がもどかしい 同時に、こうも思った。これほど高邁無私なことを考えているのなら、なぜこれまで国民と真摯(しんし)に対話してこなかったのか? あと1時間以内に大統領の職務が止まるという時に述べても、「いまわの際」の「遺言」にしかならないではないか。 今後、憲法裁判所が「弾劾訴追は妥当」との判断を下せば、尹錫悦大統領は「ただの韓国人」となる。いや、「疑惑のデパート」と言われる金建希(キム・ゴンヒ)夫人とともに、「内乱罪」などの罪を着せられて監獄行きは免(まぬか)れないだろう。 そしてかなり高い確率で、尹大統領の最大の政敵である李在明(イ・ジェミョン)「共に民主党」代表が、後釜の大統領に就く。その奔放な物言いから「韓国のトランプ」との異名を取るが、私は「反日モンスター」と呼んでいる。李在明代表に関しては、いま発売している『週刊現代』の巻頭3ページで詳述した。 それにしても、民主主義とは、一体何だろう? 「韓国のCNN」ことYTNの解説者が思わず、「もどかしい」(답답하다)と口走っていた。そう、21世紀の民主主義がもどかしい……。 愛する国民の皆さん、私はわが国民の底力を信じている。われわれ全員が、大韓民国の自由民主主義と繁栄のために力を合わせよう。ありがとう」 以上である。私はYTNの生放送で見ていて、とてもよいことを述べていると感じた。「5つの談話」の中では秀逸だ。) 山上信吾前駐豪大使が書かれた『日本外交の劣化』(文藝春秋)は、今年読んだ本の中で秀逸だった。山上大使のことを「変人扱い」する霞が関関係者もいるが、日本以外の大使というのは、エマニュエル駐日米国大使や呉江浩駐日中国大使らを見ても分かるように、得てして「才能溢れる変人」が多い。 そんな山上大使の「続編」として本書を読んだ。第1章の日豪史は知らないことばかりでフムフム。第2章では、在豪邦人がまもなく10万人を超え、在中邦人を追い越すことなどを知ってヘエー。第3章の外交とメディアは、身につまされることもありイヤハヤ。第4章の日本外交の「宿痾(しゅくあ)」はアチャー。そして第5章の日本外交の再建は、ソーダヨ! 結論として、山上大使の本は「面白くてためになる」(この言葉は弊社の社是でもある)。もしトランプが日本の首相なら、山上大使を駐中国大使に任命していたかもしれないと、読後の妄想が膨らんだ』、「山上信吾前駐豪大使が書かれた『日本外交の劣化』(文藝春秋)では、「在豪邦人がまもなく10万人を超え、在中邦人を追い越すことなどを知ってヘエー」、面白そうで、是非読んでみたい。
先ずは、12月7日付け現代ビジネスが掲載した京都大学大学院工学研究科教授の藤井 聡氏による「韓国「戒厳令」報道で露呈…日本メディアは英米より「圧倒的にレベルが低かった」!「隣国の暴挙」でさえ、まともに報じることができないのか」を紹介しよう。
・『尹大統領自身は「憲法に則ったクーデター」 韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は3日午後10時半ごろ、国会での野党について「内乱を企てる明白な反国家行為だ」と指弾し「非常戒厳を宣布する」と表明しました。 そして、戒厳令を受けて「戒厳司令部」を発足し、国会と地方議会、全ての政党活動と集会、デモを禁ずるとの布告を出しました。その上で、司令部の命令で、国会での活動を禁ずるために兵士らが国会議事堂に突入しました。 これは所謂、クーデター(非合法的手段に訴えて政権を奪うこと)です。 21世紀のこの時代に、隣の韓国でクーデターが起こるなど皆様も大層驚いたことだろうと思いますが(ちなみに韓国での戒厳令は、45年ぶりです)、韓国大統領には北朝鮮との有事などを想定し、こうした「戒厳令」を出す権限が与えられているのです。 実際、尹大統領は非常戒厳を宣言した際、国会そのものが「北朝鮮の共産主義勢力」と結託した「恥知らずな親北朝鮮勢力や反国家勢力」である野党議員達に占拠されており、「自由民主主義の基盤であったはずの国会が、それを破壊する怪物と化した」が故に、「北朝鮮に従う勢力を撲滅し、自由憲政秩序を守る」と宣言しています。こうした発言は全て、自らの戒厳令は憲法に乗っ取った正当な政治判断なのだという事を主張するものです。 しかし、このクーデターに対して国民は猛反発します。 司令部が禁じている筈の「デモ」が拡大し、国会議事堂の門に殺到し、議員たちは司令部が同じく禁じている筈の「国会決議」を行い、大統領の措置解除を決定しました。 その結果、尹大統領は「立法府の命令に従う」と述べ、戒厳令をわずか6時間で解除する決定を下しました』、「韓国での戒厳令は、45年ぶりです」、しかし、「このクーデターに対して国民は猛反発します。 司令部が禁じている筈の「デモ」が拡大し、国会議事堂の門に殺到し、議員たちは司令部が同じく禁じている筈の「国会決議」を行い、大統領の措置解除を決定しました。 その結果、尹大統領は「立法府の命令に従う」と述べ、戒厳令をわずか6時間で解除する決定を下しました」、なるほど。
・『国民の7割、今回のクーデターを「内乱罪に該当する」 この顛末を見れば、尹大統領は、この戒厳令が「成功」し、国民が一定程度「受け入れる」と考えていたように思われます。 繰り返しますが、尹大統領が言うように、野党が「恥知らずな親北朝鮮勢力や反国家勢力」であり、「自由民主主義の基盤を破壊する怪物」であるとするなら、戒厳令を出し、国会活動を軍隊で強制的に禁止することが正当化されるのであり、かつ、そうした尹大統領の見解を多くの国民が支持してくれるのなら、その戒厳令は、民主主義的にも正当化され得るからです。 しかし、その尹大統領の目算は完全に外れたわけです。実際、国民の7割が今、「大統領のこの戒厳令は内乱罪に該当する」と回答しているからです。(NHK、12月5日「韓国 大統領の弾劾議案 採決は見通せない状況【5日の動き】」) ですがそんなこと、別にアンケートするまでもなくスグに想像できそうなことです。今年の総選挙で野党が圧倒的な勝利を収め、そして、大統領支持率は2割を割り込んでいるわけですから、自身のクーデターという「トンデモ無い」決断が国民的支持を受ける等、万に一つもあり得ないだろうと、いとも容易く想像できる筈です。 つまり、尹大統領は、妄想でも見ていたかのように、完全に世論を読み誤ったものと推察されます。誠に愚か極まりない話しですが、少なくとも公表された情報から推察するに(無論、新たな情報が明らかになればその限りではありませんが)、その可能性以外思い当たりません』、「尹大統領は、妄想でも見ていたかのように、完全に世論を読み誤ったものと推察されます。誠に愚か極まりない話しですが、少なくとも公表された情報から推察するに・・・、その可能性以外思い当たりません』、なるほど。
・『尹大統領は何故、クーデターに踏み切ったのか? ではなぜ、尹大統領はこんな「少し考えれば誰もが勝算等ない」と分かる悪手であるクーデターに踏み切ったのでしょうか? この点については、日本のNHKやANN、毎日新聞や読売新聞等の大手メディアの報道に目を通しても殆ど何も書かれていません。(NHK、上記記事:毎日新聞、12月4日「韓国戒厳令、2時間半で効力失う 尹大統領は弾劾危機で窮地に」:読売新聞、12月4日「韓国が戒厳令、尹大統領『野党が反国家行為』…戒厳軍が国会に入る」:ANN、12月4日「韓国“大混乱”45年ぶり『戒厳令』なぜ」) せいぜいが、「妻のスキャンダルもあり、支持率が下がっていた」くらいの解説しかありません。しかし当たり前ですが妻のスキャンダルで人気が無くなったからという程度の理由でクーデターを起こすとは到底思えません。 その他の日本の記事を見てみても「韓国の国民性はそんなものだ」というものや、「大統領に進言できる人間がいない」等の、周辺的な情報ばかりで、クーデターが起こる必然性は明確には書かれていません。 そんな中、しっかりと腑に落ちる解説が書かれている記事が二つありました。BBC(12月5日「【解説】 韓国大統領は何を考えていたのか 裏目に出た『非常戒厳』」)とNew York Times(12月4日「戒厳令で露呈した『韓国社会が抱える圧倒的な闇』~ 結局何が突然の戒厳令を招いてしまったのか」)の記事です。 アメリカとイギリスという別々の国の記事ですから、両者は独立に書かれたと考えられますが、両者の解説は驚く程に一致しています。 両記事の内容をまとめると次のようになります。 (1)今回のクーデターは、尹大統領による「権力の掌握」を目的としたものであった。 (2)そもそも、尹大統領は韓国大統領選挙の歴史の中でも最も僅差の勝利で就任した大統領である。しかも、尹大統領の得票の多くが、前大統領の文在寅大統領の批判票であった。つまり、そもそも尹大統領は国民からの強い支持で誕生した大統領ではなかった。大統領就任後も様々な事件やスキャンダルが続き、支持率は2割を切るほどに低い水準が続いていた。 (3)そんな中行われた、今年2024年4月総選挙では、尹大統領の与党「国民の力」は惨敗し、野党「共に民主党」が圧勝した。与党の議席数は全体の三分の一程度に過ぎず、「共に民主党」の半分強の議席数しかなかった。 (4)「共に民主党」と「国民の力」との対立はそもそも根深く極めて深刻な状況であった.そんな中で圧倒的多数野党をとなった「共に民主党」は必然的に大統領の予算や法案に悉く反対し、国会が麻痺する状況となっていた。すなわち、尹大統領は大統領でありながら、自らが思う政治が全くできなくなっていたのである。つまり彼は「権力を掌握できていない」状況が政権誕生以降続き、かつ、その深刻さは今年の選挙を通してますます酷い状況に立ち至っていたのであった。 (5)この「国会運営の行き詰まり」を打開するために、クーデターという乱暴な手段を選択するに至った。 もちろん、「国会運営の行き詰まり」を打開するために軍隊を使うなど常識では到底考えられない暴挙ですが、以上の経緯を踏まえれば、尹大統領はまさに、その許されざる暴挙を選択したのだという実態が浮かび上がってきます。(文化放送、12月5日「韓国、一時『非常戒厳』宣言 藤井氏『国会運営の行き詰まりを打開するためにやったのだとしたら、許しがたい暴挙』」) この全体の基本的経緯を踏まえるなら、「妻のスキャンダル」や「大統領に進言する人間がいなかった」事、さらには、韓国人の国民性等が影響を及ぼしていることが見えてきますが、話しの本筋は以上に述べた(1)~(5)の流れなのです(今後新たな事実が明らかになる可能性も考えられますが、それでもなおこの(1)~(5)の経緯は大筋として正当であることに代わりはないものと考えられます)』、「日本の記事を見てみても「韓国の国民性はそんなものだ」というものや、「大統領に進言できる人間がいない」等の、周辺的な情報ばかりで、クーデターが起こる必然性は明確には書かれていません。 そんな中、しっかりと腑に落ちる解説が書かれている記事が二つありました。BBC(12月5日「【解説】 韓国大統領は何を考えていたのか 裏目に出た『非常戒厳』」)とNew York Times(12月4日「戒厳令で露呈した『韓国社会が抱える圧倒的な闇』~ 結局何が突然の戒厳令を招いてしまったのか」)の記事です」、全く日本のマスコミの取材力のお粗末さには呆れ果てた。
・『韓国の政治はこれからどうなるのか? ……とはいえ、尹大統領は、クーデターの際に宣言したように、野党が本当に「北朝鮮の共産主義勢力」「恥知らずな親北朝鮮勢力や反国家勢力」「自由民主主義の基盤を破壊する怪物」、「北朝鮮に従う勢力」だと認識していた、あるいは、それに準ずる存在であったと認識していたのであろうと思われます。 なぜなら、尹大統領は、国民の反発を受けて戒厳令を解除することを宣言した時でさえ、「弾劾、立法操作、予算操作で国の機能を麻痺させている非道な行為を直ちに止めるよう、国会に求める」と表明していたからです。 そこまで大統領と議会の対立は深刻な状況に立ち至っているわけです。 そんな深刻な対立を抱えた韓国ははたして、これからどうなるのでしょうか…? 大多数の国民、そして、野党は大統領の弾劾を求めていますが、与党は弾劾には反対すると当初表明していました。ただし、その後、与党代表から弾劾賛成の意向が表明されるなど、弾劾濃厚の状況となっています。 しかし仮に尹大統領が弾劾されなかったとしても、支持率の下落、そして、野党の反発はこれまで以上により過激なものとなるのは必至であり、「国会運営の行き詰まり」は、クーデター前よりもさらに酷くなることは確実です。 かくして韓国の政治状況は全く予断を許さない状況にあると言えるでしょう…』、「仮に尹大統領が弾劾されなかったとしても、支持率の下落、そして、野党の反発はこれまで以上により過激なものとなるのは必至であり、「国会運営の行き詰まり」は、クーデター前よりもさらに酷くなることは確実です。 かくして韓国の政治状況は全く予断を許さない状況にあると言えるでしょう」、なるほど。
・『英米に比した日本のオールドメディア「レベルの低さ」 ところで、今回の件はそういう韓国の問題のみならず、欧米に比した日本のマスメディア(所謂オールドメディア、という奴ですね)のレベルの低さを露呈するものでもありました。 何と言っても日本のマスメディアは、公表された事実情報だけを列挙し、一部識者達の声を断片的に挿入しているだけで、英米が的確に伝えている「物事の本質」についての情報を一切提供してはいなかったのです。 今回は「海外の重大ニュース」だということで、日本、米国、イギリスというそれぞれの国が『外国』のニュースを報道するという同一条件で書かれた記事を、横並びに比べることができたが故に、「日本のオールドメディア」のレベルの低さがクッキリと浮かび上がったわけです。 日本では兎に角、我々一人一人が、日本のオールドメディアの情報には十分に注意しつつ(もちろん、SNSにはもっと胡散臭い情報も多数あるでしょうからそれにも警戒しつつ)、個々の報道情報の「真贋」を見極めて行かざるを得ないでしょうね。 是非、これからもメディアやSNS情報には注意して参りましょう。「欧米に比した日本のマスメディア(所謂オールドメディア、という奴ですね)のレベルの低さを露呈するものでもありました。 何と言っても日本のマスメディアは、公表された事実情報だけを列挙し、一部識者達の声を断片的に挿入しているだけで、英米が的確に伝えている「物事の本質」についての情報を一切提供してはいなかったのです」、致命的な欠陥だ。
次に、12月10日付けNewsweek日本版が掲載した米「責任ある外交に関するクインシー研究所」研究員のネーサン・パク氏による「尹錫悦は「何を間違えた」のか?...お粗末すぎた大統領の自作自演クーデター計画を解説」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2024/12/528198.php
・『<深夜の戒厳令を食い止めたのは、独裁政治を経て勝ち取った韓国民主主義の底力> まさか、まさかの一夜だった。確かに野党議員の金民錫(キム・ミンソク)はこの夏から、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が戒厳令を出しかねないと警告していた。しかし誰もが、さすがにそれはないと思っていたし、そう思いたかった』、「野党議員の金民錫(キム・ミンソク)はこの夏から、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が戒厳令を出しかねないと警告していた。しかし誰もが、さすがにそれはないと思っていたし、そう思いたかった」、なるほど。
・『【年表で振り返る】戒厳令とクーデター続きの韓国現代史 もちろん、あの頃から右派で少数与党の尹政権が強権的な傾向を強めていたのは事実。彼の支持率は10%台後半から20%台前半に低迷し、大統領夫妻の不正疑惑も深まるばかりだった。 それで尹はリベラル派の政治家やジャーナリストの事務所や自宅を片っ端から捜索させ、ろくな根拠もないのに野党指導者・李在明(イ・ジェミョン)を刑事告発した。過去の遺物のような軍事パレードもやってみせた。 それでも尹が戒厳令を敷いて自作自演のクーデターをやり、民主的に選ばれた現職大統領が独裁者に変身するなどという金民錫の主張はあまりにも荒唐無稽と思われていた。 金は1987年に全斗煥(チョン・ドゥファン)軍事独裁政権を終わらせた民主化運動の元リーダーだが、それにしても党派色むき出しの発言だと、みんな眉をひそめていた。87年の民主化以降に韓国で戒厳令が敷かれたことは一度もない。 ただし、北朝鮮との軍事衝突で戦時の非常事態となれば戒厳令を出せるという法律は残っていた。) その戒厳令が急に現実となった。12月3日の午後10時23分、尹は予告なしの記者会見を開いた。6分間にわたって声明を読み上げ、「非常戒厳」を宣布すると表明した。 理由はリベラル派の野党「共に民主党」が政権幹部に対して22件もの弾劾訴追案を発議し、来年度予算を大幅に削減すると脅し、国会を「自由民主主義体制を破壊する怪物」に変えたというものだった。 尹は政敵を「親北朝鮮の反国家勢力」と決め付けた。それは韓国の過去の独裁者たちが自らを正当化するために使ったのと同じ表現だった。 1時間後には朴安洙(パク・アンス)陸軍参謀総長が戒厳司令官に任命されていた。戒厳司令部は国会と地方議会に一切の政治活動を禁じ、全ての言論と出版を統制し、市民の集会を禁じると命じた。首都ソウル市内には装甲車やヘリコプターが出現した』、「戒厳司令部は国会と地方議会に一切の政治活動を禁じ、全ての言論と出版を統制し、市民の集会を禁じると命じた。首都ソウル市内には装甲車やヘリコプターが出現した」、いきなりの「戒厳司令部」の出現には心底驚かされた。
・『過去の悪夢がよみがえった 戒厳宣布を伝える国内のニュースキャスターたちは、見るからに身を震わせていた。多くの国民同様、戒厳令下の日々を体験し、知っていたからだ。 韓国で最後に戒厳令が敷かれたのは1979年10月、独裁者・朴正煕(パク・チョンヒ)が殺害されたときだ。その後に全斗煥が権力を掌握したが、戒厳令は1981年1月まで維持された。その間に南西部の光州で戒厳軍の空挺部隊が少なくとも数百、あるいは数千人のデモ隊を虐殺した。) この光州事件は現代韓国史の節目となった。当時のことは今年のノーベル文学賞を受賞した韓江(ハン・ガン)が小説『少年が来る』で詳しく描いている。 しかし2024年の今、国民の大半はあの虐殺も歴史上の出来事、悲劇だけれど昔の話と信じていた。だからみんな、装甲車やヘリコプターが国会を包囲する様子を見て愕然とした。その国会には、多数決で戒厳令を解除する権限があった。 幸い、歴史は繰り返さなかった。理由の1つは、毎度のことながら尹の行動が道化師さながらに拙速かつ無能だったことにある。普通、クーデターで権力奪取を狙うような人間は綿密な台本を用意しておくものだ。テレビを乗っ取り、ネット接続を妨害し、野党指導者を逮捕し、検問所を設ける──。 今回も、そうした計画はあったはずだ。少なくともメディアの統制は目指していた。しかし、当てが外れた。12月3日の深夜にもテレビの取材班は国会議事堂周辺で自由に取材していた。 リベラル派の指導者たちはSNSで大統領への抗議を呼びかけた。主要な野党指導者を逮捕せよという命令は出たらしいが、のろのろしていて逃げられた。 兵士たちは武力行使に及び腰で、非武装のデモ隊に押し戻されるままだった(本稿は戒厳宣布の約24時間後に書いているので、その後にも起きたであろう「まさか」の事態についてはご容赦いただきたい)。) ともかく尹の行動はお粗末すぎた。秘密裏に事を進めつつもキーパーソンは抱き込んでおくというバランス感覚に欠けていた。戒厳宣布を進言したのは金龍顕(キム・ヨンヒョン)国防相とされるが、金の命令に従った軍人はごくわずか。 兵士や警官の大半は動かなかった。与党「国民の力」の重鎮も何も知らされていなかったようで、代表の韓東勲(ハン・ドンフン)はすぐにクーデター非難の声明を出している。 とはいえ、一歩間違えば大混乱と血の海になりかねない場面も多々あった。法律上、国会は多数決で戒厳令を解除することができるが、そのためには議員が集まって投票できる環境が必要だった。 しかし超法規的な戒厳令の発動によって国会は閉鎖され、武装した兵士が議事堂の外をパトロールし、機関銃を備えたヘリコプターが上空を旋回していた。 それでも韓国の議員たちはやり遂げた。議事堂周辺に集まった市民は配備された特殊部隊ともみ合い、兵士や装甲車を止め、議員たちが建物に入る道を開いた。 共に民主党の女性政治家・安貴朎(アン・グィリョン)は、武装した兵士を素手で押しのけて議事堂に入った。党首の李在明は59歳にしては驚くべき運動能力を見せ、兵士たちを避けるために議事堂の壁を乗り越えた。幸いにして、誰も彼に発砲しなかった。) 建物に入った議員とスタッフたちは入り口にバリケードを築き、午前0時49分に開会が宣言された。議長の禹元植(ウ・ウォンシク)は、全ての法的な手続きを踏み、投票結果に疑問の余地が残らないようにしようと強調した。 その間にも空挺部隊が窓ガラスを割って侵入を試みたが、議会スタッフが消火器や携帯電話のフラッシュで応戦し、どうにか押しとどめた。 国会の手続きにのっとって法案をタイプし、提出するのに12分かかった。しかし午前1時1分、300人の国会議員のうち、なんとか議場に入ることのできた190人が全員一致で戒厳令の解除を決議した。 なかには与党・国民の力に属する議員18人も含まれていた。しばらくためらった後、ヘリコプターと装甲車、そして兵士たちは議事堂を離れ始めた。 しかし、尹大統領が国会決議に従う保証はなかった。だから議員たちは議場にとどまり、尹が再び軍を出動させたり、新たな戒厳令を発したりする事態に備えた。 敗北を認め、屈辱にまみれた尹が記者会見に臨み、戒厳令解除を発表したのは午前4時27分だった』、「午前1時1分、300人の国会議員のうち、なんとか議場に入ることのできた190人が全員一致で戒厳令の解除を決議した。 なかには与党・国民の力に属する議員18人も含まれていた。しばらくためらった後、ヘリコプターと装甲車、そして兵士たちは議事堂を離れ始めた」、クーデターは僅差で阻止されたようだ。
・『保守勢力には「恥の上塗り」 現時点では、状況はまだ流動的だ。しかし尹大統領が27年までの任期を務め上げる可能性は低い。野党は尹の即刻辞任を求めたが、応じないとみて弾劾の手続きに入った。) 弾劾には議会(定員300)の3分の2以上の賛成が必要だ。尹の与党は108人の議員を擁し、3分の1をわずかに上回っている。建前上、与党が大統領を支持するのは間違いない。しかし18人の議員が既に戒厳令解除に賛成票を投じている。弾劾決議でも8人以上の造反者が出る可能性は高い。 尹が不名誉な弾劾より辞任を選んでも、たぶん起訴は免れない。韓国には過去3代の大統領のうち、保守系の李明博(イ・ミョンバク)と朴槿恵(パク・クネ)を起訴し、投獄した輝かしい歴史がある。 この先がどう転ぼうと、これだけは言える。韓国の民主主義はそう簡単に負けない。40数年ぶりの戒厳令はたった6時間で、議会の投票によって解除された。一発の銃弾、一滴の血も流れなかった。一発の銃弾でも放たれていたら流れは変わっていただろう。 しかし抗議の民衆は民主主義の規範に従っていたし、軍隊に包囲された議員たちも粛々と投票した。これが民主主義。兵士たちも、その重さを感じていた。 韓国の保守勢力にとっては恥の上塗りとなった。自分たちの担いだ朴大統領を弾劾裁判で失ったのが2017年。家賃の高騰に対する国民の不満を追い風に、奇跡的に大統領府を奪還したのが2022年。そこへ今度の、自作自演のクーデター未遂。 この国の保守勢力はしょせん軍政時代の独裁者の末裔で、何かあればすぐに隠していた専制の牙をむく。そう言われても抗弁できまい。 悲しいかな、保守派の中でもそれなりに分別のある議員たちはまたしても、自分たちの担いだ大統領を弾劾するしかないのだ。 Foreign Policy logoFrom Foreign Policy Magazine)』、「悲しいかな、保守派の中でもそれなりに分別のある議員たちはまたしても、自分たちの担いだ大統領を弾劾するしかないのだ」、なるほど。
・『戒厳令とクーデター続きの韓国現代史 北朝鮮との緊張関係が続く韓国では、建国直後から独裁者たちが立て続けに戒厳令を発令。共産主義の取り締まりを名目に、反対派の市民や学生を弾圧した。 1948年 韓国政府樹立からわずか2カ月後、初代大統領の李承晩が共産主義者鎮圧のため初めて戒厳令を布告。弾圧で数千人の死者が。 1950年 朝鮮戦争中の1950年から1952年まで李承晩が断続的に戒厳令を敷いた。 1960年 反政府デモの高まりに李承晩が再び戒厳令を発令。デモ参加者と警察との衝突で数百人が死亡し、李は辞任を余儀なくされた。 1961年 軍事クーデターで陸軍少将だった朴正煕が政権を掌握。戒厳令発令。63年に大統領に就任した。 1972年 朴正煕が新たなクーデターを実行し、戒厳令を発令。ソウルの街頭に戦車を配備した。72年末に戒厳令は解除されたが、朴はその後何百人もの政敵や民主活動家を投獄した。 1979年 独裁者の朴が暗殺された後、済州島を除く全土に戒厳令を布告。陸軍少将の全斗煥がクーデターで政権を掌握し、後に大統領に就任した。戒厳令は81年に解除されたが、全による軍事独裁体制が87年の民主化まで続いた』、「韓国」では民主主義が着実に根付きつつある。その基盤を揺るがすのが「クーデター騒ぎ」だ。
第三に、12月14日付け産経新聞「韓国のレトロな戒厳令騒ぎ つながり強い〝高校閥〟の先輩後輩 飲食しながら極秘の話か」を紹介しよう。
・『韓国の戒厳令騒ぎに国民のほとんどは「今の時代になぜ?」と驚きあきれているが、外国人記者としては騒ぎの中での韓国的風景が気になる。その一つが戒厳令を画策したのが大統領とその高校同窓生だったという話。組織より人脈重視の韓国では血縁・地縁・学縁が3大人脈だが、今回は〝高校閥〟が事を左右したというのだ。戒厳令もそうだがいかにもレトロ(復古調)で興味をそそられる。 話題の高校はソウルにある冲岩(チュンアム)高校。大統領とその指示で軍隊を動かした国防相(当時)および防諜司令官(旧保安司令官)の3人はこの高校の先輩後輩で、韓国紙の報道によるとこれまで一緒に飲食を共にしながらひそかに戒厳令の話をしていたという。同窓だから極秘の話もできる。学縁でも高校同窓は最もつながりが強いといわれ、お互い無条件で面倒を見合い助け合う。 ところがこの話が伝わるや冲岩高校には非難、抗議の電話が殺到し、在校生も街で通行人から文句を言われる場面も出ている。そこで学校では通学時にそれとわかる制服は着なくてもいいと指示し、登下校時には警察がパトロールしているとか。大統領を輩出して一躍有名になり格が上がったのに、一転して悪の巣窟みたいになってしまった。そのうち大統領以下を同窓会名簿からはずせとなるかもしれない』、いかにも韓国らしいエピソードだ。
第四に、12月17日付け現代ビジネスが掲載した『現代ビジネス』編集次長の近藤 大介氏によ「ついに職務停止…尹錫悦大統領「5回の談話」の恐るべきKY度 「北京のランダム・ウォーカー」第763回」を紹介しよう。
・『尹大統領を巡る状況が二転三転 「事実は韓ドラより奇なり」――今月の韓国政治は、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領を巡る状況が、二転三転。前世紀末に国民が「民主」を闘い取った隣国で、実にダイナミックな権力闘争が展開されている。 まず、12月3日からの状況を簡単に整理してみよう。 12月3日22:30頃 尹錫悦大統領が、国会での野党の行動によって政治が壟断(ろうだん)されているとして、「非常戒厳」を宣言(1回目の談話) 4日1:00頃 国会が「戒厳令の解除」を決議 4日4:30頃 尹錫悦大統領が、「戒厳令の解除」を宣言(2回目の談話) 4日 「共に民主党」など野党6党が、国会に尹錫悦大統領を罷免(ひめん)するための弾劾(だんがい)訴追案を提出 6日 与党「国民の力」韓東勲(ハン・ドンフン)代表が尹錫悦大統領の早急な職務執行停止が必要と発言 7日午前 尹錫悦大統領が、「与党などの決定に従う」と国民向けに謝罪する、3回目の談話を発表 7日 「国民の力」が弾劾訴追案への反対を決める 7日21:30頃 国会で「国民の力」の大部分が決議を欠席し、弾劾訴追案が廃案となる 12日午前 尹錫悦大統領が29分の4回目の談話を発表し、一転して「戒厳の正当性」を主張 12日午後 「共に民主党」など野党6党が再び、国会に尹錫悦大統領の弾劾訴追案を提出13日 「国民の力」韓東勲代表が弾劾訴追案への賛成を呼びかける。この日選出された「国民の力」権性東(クォン・ソンドン)院内代表(党ナンバー2の幹事長)は、断固反対を宣言 14日午後 「国民の力」が弾劾訴追案への反対を決議 14日17:00 弾劾訴追案が可決 14日18:30頃 尹錫悦大統領が「絶対に放棄しない」との5回目の談話を発表 14日19:30頃 尹錫悦大統領の執務停止、韓悳洙(ハン・ドクス)首相が代行』、誠に目まぐるしい状況の変化だ。
・『弾劾訴追案が2回目の採決で可決 激しい抵抗を続けた尹錫悦大統領及び与党「国民の力」だったが、12月14日土曜日夕刻に、「大韓民国の歴史が動いた」(YTNアナウンサーの言葉)。午後5時、ソウル・汝矣島(ヨイド)の国会本会議場の壇上に立った禹元植(ウ・ウォンシク)議長が、宣言した。 「全投票数300、『可』(賛成)204票(ウワーッと歓声が上がる)、『不』(反対)85票、棄権3票、無効8票。弾劾訴追案が可決したことを宣言します」 韓国の国会議員は計300人。内訳は、与党「国民の力」が108人、最大野党「共に民主党」が170人、その他野党が22人だ。弾劾訴追案の可決には、全議席の3分の2にあたる200人の賛成が必要で、そのためには最低8人の与党議員が「造反」する必要があった。 結果は、少なくとも12人の与党議員が造反した。現在の「国民の力」は、尹錫悦大統領及び権性東院内代表の派閥と、韓東勲代表の派閥に分断されつつあるので、後者の一部が造反したということだ。 今後は「国民の力」が、二つの党に分裂する可能性がある。特に、韓代表は国会議員ではないので、指導力は未知数だったが、早速16日に代表を辞任すると表明した。 韓代表は、もともと検事として長年、尹錫悦氏に付き従ってきた経緯があるにもかかわらず、今回は完全に尹大統領と「決別」したので、尹派の仲間からすれば「裏切者」である。「国民の力」の内部に詳しい人物は、韓東勲代表について、こうこき下ろした。 「韓東勲は検事として、2018年に李明博(イ・ミョンバク)元大統領と朴槿恵(パク・クネ)元大統領を投獄し、今度はボスだった尹錫悦大統領を裏切って、投獄に向かわせようとしている。3人もの大統領を葬り去るとは大したタマだが、最後は自分も無傷では済まないだろう。 それくらい、いま『国民の力』の内部で恨みを買っている。ましてやこの先、反対勢力の『共に民主党』が政権を取ったら、真っ先に首根っこを掴まれるだろう』、「韓東勲は検事として、2018年に李明博(イ・ミョンバク)元大統領と朴槿恵(パク・クネ)元大統領を投獄し、今度はボスだった尹錫悦大統領を裏切って、投獄に向かわせようとしている。3人もの大統領を葬り去るとは大したタマだが、最後は自分も無傷では済まないだろう。 それくらい、いま『国民の力』の内部で恨みを買っている」、なるほど。
・『「KY」尹錫悦大統領の完全な一人芝居 ともあれ、14日夜に尹錫悦大統領は職務停止となり、韓悳洙首相が代行し始めた。韓首相が最初に行ったのは、ジョー・バイデン米大統領に報告の電話をして、変わらぬ支持を取り付けることだった。 尹大統領に関しては、憲法裁判所が180日以内に、弾劾訴追に対して「正当性」の結論を出す。「弾劾訴追は不当」と結論づければ、尹錫悦大統領は職務に復帰。「弾劾訴追は妥当」と結論づければ、直ちに失職し、60日以内に新たな大統領選挙を行うという流れだ。 韓国の場合、憲法裁判所の判断となるのは、法的根拠以上に「国民感情」である。例えば、2017年3月には、どう見ても法に照らして、朴槿恵大統領は「極めて白に近い灰色」だったのに、大統領失職を求める「ろうそくデモ」の「大声」に押される形で、失職を決定した。 今回の弾劾も、国民感情としては、圧倒的に「失職賛成」である。韓国ギャラップが13日に発表した最新の世論調査によれば、「弾劾に賛成」が75%で、「反対」は21%。尹大統領の支持率も、過去最低の11%まで下がった。こうした状況が続けば、やはり尹大統領は数ヵ月後に失職する可能性が高いと見てよいだろう。 だが今回、私は尹錫悦大統領に対して、同情する気持ちは起こらない。というのも、今回の一連の騒動は、「KY」(空気を読めない)尹錫悦大統領の完全な一人芝居であり、オウンゴール(自殺点)だからだ。大統領が突然、一人で暴れ出し、一人で転んでいったのだ。その結果、弾劾訴追を受けるのは、自業自得というものだろう。 その間、上述のように「国民向け談話」は、5回に及んだ。私はそのすべてを聞いたが、「KY」感が滲(にじ)み出ていた。 ひと言で言えば、尹大統領が思い描いている「国民の声」と、実際の「国民の声」とが、大きく乖離(かいり)しているのである。尹大統領は、「談話」によって国民の理解が得られると思っていたのだろうが、実際には「談話」を発するたびに、国民は離れていった。「談話」は尹大統領の「KY」ぶりを露呈させただけであり、すべて裏目に出る結果となったのだ。ついには、与党議員の一部まで「造反」し、弾劾訴追案が可決してしまった。』、「「国民向け談話」は、5回に及んだ。私はそのすべてを聞いたが、「KY」感が滲(にじ)み出ていた。 ひと言で言えば、尹大統領が思い描いている「国民の声」と、実際の「国民の声」とが、大きく乖離(かいり)しているのである。尹大統領は、「談話」によって国民の理解が得られると思っていたのだろうが、実際には「談話」を発するたびに、国民は離れていった」、なるほど。
・『突然発表した「戒厳宣言」 まず1回目、3日の夜に突然発表した「戒厳宣言」は、こんな調子だった。 「今日、私たちの国会は犯罪者の巣窟となり、立法独裁を通じて国の司法行政制度を麻痺させ、自由民主主義制度を打倒しようとしている。自由民主の根幹であるはずの国会が、自由民主のシステムを破壊する怪物と化している。 今、韓国は、すぐに崩壊してもおかしくない風前の灯火の運命に直面している。同胞の市民の皆さん、私は、北朝鮮の共産主義勢力の脅威から自由な大韓民国を守り、わが国民の自由と幸福を略奪している北朝鮮のすべての悪徳な反国家勢力を根絶し、自由な憲法秩序を守るために、戒厳令を宣言する。 この非常事態令を通じて、破滅の淵に堕(お)ちた自由な大韓民国を再建し、守っていく。そのために私は、廃墟となった国の犯人と、今まで腐敗を続けてきた反国家勢力を、必ず根絶する」 尹大統領は力強く語ったが、圧倒的多数の韓国国民の反応は、「はっ? 大統領は夜中に何を言っているんだ?」。隣国の緊急ニュースに叩き起こされた私も、同様だった。 韓国の国会が停滞しているのは事実だが、それはそもそも尹錫悦政権2年間の所産である。2022年5月に発足した尹政権の最大の成果は、日韓関係を急速に改善し、日米韓の緊密な連携体制を築いたことだった。 ただ、その強引な姿勢から、国内で多くの反発を招き、国民が望む好景気や高福祉は果たせなかった。今年4月10日の総選挙のキャンペーンでスーパーを視察し、たまたま店頭で大安売りしていたネギを見て、物価の安定を誇るかのような発言をした時には、国民が「ドン引き」した。 その結果、総選挙で大敗を喫した。前述のように300議席中、108議席しか取れなかったのだ。逆に野党は、過半数を取ったばかりか、「ファストトラック」(法案迅速処理)を行使できる全議席の6割も取った。取れなかったのは、大統領の弾劾訴追案を可決できる3分の2だけだった』、「尹政権の最大の成果は、日韓関係を急速に改善し、日米韓の緊密な連携体制を築いたことだった。 ただ、その強引な姿勢から、国内で多くの反発を招き、国民が望む好景気や高福祉は果たせなかった。今年4月10日の総選挙のキャンペーンでスーパーを視察し、たまたま店頭で大安売りしていたネギを見て、物価の安定を誇るかのような発言をした時には、国民が「ドン引き」した。 その結果、総選挙で大敗を喫した。前述のように300議席中、108議席しか取れなかったのだ」、なるほど。
・『国会の停滞は尹大統領の身から出た錆 つまり国会の停滞は、尹大統領の身から出た錆(さび)だったのだ。そうであるならば、石破茂首相ではないが、「少数与党として他党にも丁寧に意見を聴き可能なかぎり幅広い合意形成を図る姿勢」が必要だった。 ところが尹大統領は、「悪いのはすべて野党であり、非常戒厳令を敷けば、国民は野党の悪徳ぶりを理解してくれる」と考えたのである。それは、大いなる誤算というものだった。 韓国国民は、まるで1960年代~1970年代の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領か、1980年代の全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領のような軍事独裁者が、21世紀に亡霊のように飛び出したと、ぶったまげたのである。「尹錫悦大統領はとち狂ったか?」と思い、そんな人間に5200万国民の生殺与奪の権限を与えておくことに、不安を覚えたのである。 それで国会議員が190人、深夜の国会議事堂に駆けつけて、戒厳の解除を決議した。韓国憲法の第77条1項に、大統領の戒厳発令の権限が明記されているが、同5項には、国会が過半数の決議でそれを解除できるとしている。大統領の独裁化を防ぐための項目が作用したのだ』、「国会議員が190人、深夜の国会議事堂に駆けつけて、戒厳の解除を決議した。韓国憲法の第77条1項に、大統領の戒厳発令の権限が明記されているが、同5項には、国会が過半数の決議でそれを解除できるとしている。大統領の独裁化を防ぐための項目が作用したのだ」、なるほど。
・2度目の談話 すると尹大統領は、4日の午前4時半頃になって、虚ろな顔で2度目の「談話」を発表した。 「国会から戒厳解除の要求があり、戒厳の業務に投入した軍を撤収させた。直ちに国務会議を開いて、国会の要求を受け入れて、戒厳令を解除する」 こうして「大統領のクーデター」は、わずか6時間で幕を閉じたのだった。まったくお粗末極まりない「クーデター未遂」だった。 あえて誤解を恐れずに言えば、国家のリーダーというのは、いったん刀を抜いたら、それを振り続けなければならない。前述の朴正煕大統領は18年、全斗煥大統領は8年振り続けた。彼らがそこまで突っ張ったのは、刀を下ろしたとたんに、自己の政権が崩壊することを熟知していたからだ』、「「大統領のクーデター」は、わずか6時間で幕を閉じたのだった。まったくお粗末極まりない「クーデター未遂」だった」、なるほど。
・『3度目の談話 実際、尹大統領は国会での1回目の弾劾訴追案決議が行われた7日午前、「謝罪談話」に追い込まれた。3回目の談話である。 「今回の決定は、大統領としての私の切迫した思いから出したものだ。しかし、それが国民に不安と不便をもたらした。大変申し訳なく思っており、お詫びする。 この宣言によって生じた法的および政治的責任から逃れるつもりはない。また、再び非常戒厳が宣布されることは絶対にないと、はっきり申し上げる。 私の任期を含め、国をどう安定させるか、その決定は、わが党に委ねる。今後の国の運営については、党と政府が責任を負う。国民にご心配をおかけしたことを、改めてお詫びする」 このように、全面敗北を認めたのだった。この談話によって、同日夜に国会で行われた弾劾訴追案の決議に、大部分の与党議員が退席。賛成が3分の2に届かず、廃案となった』、「全面敗北を認めたのだった。この談話によって、同日夜に国会で行われた弾劾訴追案の決議に、大部分の与党議員が退席。賛成が3分の2に届かず、廃案となった」、なるほど。
・『4度目の談話 だが、週が代わって、野党が再び弾劾訴追案の提出を目指すと、尹大統領は、前週とは打って変わって、これに噛みついた。12日午前に、4度目の「談話」を発表したのである。この時のスピーチは、延々29分に及んだ。だいぶ要約するが、以下の通りだ。 「いま野党は、非常戒厳の宣布が内乱罪に該当するとして、狂乱の剣の舞を舞っている。本当にそう(内乱罪)だろうか? 大韓民国の勢力で、中央政府を麻痺させ、憲法に違反しているのは誰なのか? 過去2年半、主要野党は、国民が選んだ大統領を認めず、引きずり下ろそうとしてきた。大統領の任期が始まって以降、大統領を罷免し弾劾するための集会が178回も開催されている。 大統領の国政運営を麻痺させるため、何十人もの政府高官の弾劾を強く求めてきた。彼らの不正行為を調査した大臣、国会議長、および会計検査官を弾劾し、裁判官を威嚇するところまでいった。さらに、彼は違憲の特別検察官法案を27回も提出し、政治プロパガンダ攻勢を開始したのだ。 大きな野党が支配する国会は、自由民主主義の根幹ではなく、自由民主主義の憲法秩序を破壊する怪物と化している。これが国政の麻痺や国家の緊急事態でないとしたら何なのか? いま大きな反政府勢力が、国家安全保障と社会保障を脅かしている。例えば6月には、釜山に停泊している米国の航空母艦をドローンで撮影するために3人の中国人が逮捕された。 しかし現行法では、外国人によるスパイ行為を罰する方法はない。私は刑法のスパイ条項を改正しようと試みたが、最大野党が頑なに阻止しているのだ。 北朝鮮が核兵器やミサイルの脅威、GPS 妨害や汚物気球、スパイ事件など違法な挑発を行っている。それにもかかわらず、主要野党はこれに同意し、さらに北朝鮮の側に立って、対応に苦慮している政府を中傷しただけだ。来年度の検察・警察特別経費の予算もゼロにしてしまった。彼らは、大韓民国をスパイの楽園、 麻薬の巣窟、そしてギャングの国に変えるつもりではないのか?国を滅ぼそうとしている反国家勢力ではないのか? 国家情報院の職員が、選挙管理委員会にハッカーとしてハッキングしてみたところ、好きなだけデータを操作することができた。ファイアウォールは事実上なかった。そのパスワードも、『12345』のように非常にシンプルだった。民主主義の中核である選挙管理のコンピュータ化されたシステムがこれほど混乱しているとしたら、人々はどうして選挙結果を信用できるだろうか? 私は、もはや手をこまねいているわけにはいかないと思った。何かをしなければならないと思ったのだ。 主要野党の党首の有罪判決が差し迫っているため、彼らは大統領を弾劾し、早期選挙を呼びかけることでこれを回避しようとしている。国家制度を壊し、彼らの犯罪を隠蔽することによってでも、彼らは国を支配しようとしている。これは憲法を軽視する行為ではないか。 あなたが私を弾劾しようと、私を捜査しようと、私はそれに立ち向かう」 以上である。尹錫悦大統領の一世一代の「熱いスピーチ」と言ってもよいかもしれない。またその内容も、「正論」と思える部分が少なからずある』、「釜山に停泊している米国の航空母艦をドローンで撮影するために3人の中国人が逮捕された。 しかし現行法では、外国人によるスパイ行為を罰する方法はない。私は刑法のスパイ条項を改正しようと試みたが、最大野党が頑なに阻止しているのだ。 北朝鮮が核兵器やミサイルの脅威、GPS 妨害や汚物気球、スパイ事件など違法な挑発を行っている。それにもかかわらず、主要野党はこれに同意し、さらに北朝鮮の側に立って、対応に苦慮している政府を中傷しただけだ」、「野党」が安全保障上の観点よりも、党利を優先した投票行動をしているのは、困ったことだ。
・『「まるでヒトラーのビデオを見ているよう」 だが、この時点で多くの韓国国民は、尹大統領を「戒厳令を振り回すアブナイ権力者」とみなしていた。そんな人物がこのような熱弁を振るったところで、国民感情には響かない。むしろ「鬼の形相」をした大統領が30分近くも熱弁を振るうのを見て、「やっぱりこの人、ヤバいよ」と、火に油を注いでしまったのだ。 私が韓国の友人に聞いたら、「まるでヒトラーのビデオを見ているようだった」と述べた。実際、前述の韓東勲「国民の力」代表は、この演説の後に、「もうダメだ、(弾劾訴追案に)賛成しよう」と与党議員たちに呼びかけた。 そして14日18時、弾劾訴追案は国会で可決された。その報告が龍山(ヨンサン)の大統領執務室に届けられたら、大統領は職務停止となる』、安全保障上の懸念材料が国民に正しく受け止められず、党利に基づいた発言と受け止められたのは、残念だ。
・『5度目の談話 同日18時半、尹錫悦大統領は、テレビカメラの前で5回目の談話を発表した。この「最後の談話」は、全文を訳す。 「尊敬する国民の皆さん、今日、国会が弾劾訴追を採決するのを見ながら、私が初めて政治への参加を表明した2021年6月29日を思い出した。この国の自由民主主義と、法の支配は壊れていた。自営業者の絶望と 若者の欲求不満が、国中に広がっていた。その熱烈な国民的な志(こころざし)を持って、私は政界入りした。それからは休むことなく全力で取り組んできた。 大統領になって現場の人々に会った時、中小企業の経営者や自営業者が前政権の消極的な政策のために喘(あえ)いでいるのを、若者や一般の人々が不動産ローンのために嘆いているのを見た。しかし、その困難な状況を冷静に聞き、少しずつ問題を解決していった時、何よりも幸せを感じた。 輸出が復活するにつれ、経済は活力を取り戻し、少しずつ温かさが広がっていったのは心強いことだった。崩壊した原子力発電所の生態系を回復し、原子力発電所の輸出を実現した。私たちは、将来に必要な4つの主要な改革を必死に進めたが、以前の政府は選挙に負けることを恐れて実行できなかった。国民のために考え、推進してきた政策が行き詰まったとき、私は胃の調子が悪くなり、夜も眠れなかった。 韓国・米国・日本の協力関係を回復し、世界外交の視野を広げるために、日夜努力した。韓国No.1の営業マンの肩書きを身にまとい、世界中を旅して結果を出した時、言葉では言い表せないほど大きな満足感を感じた。私は疲れを忘れて、韓国の国際的地位が高まり、安全保障と経済が強くなっていくのを見ていた。 いまや、辛いが幸せだったやりがいのある旅が止まってしまった。私の努力が無駄になることが悔しい。私はいま立ち止まるが、この2年半、この国の人々と共に歩んできた未来への旅は、決して止まってはならない。 私は決して放棄しない。私に向けられたすべての叱責、励まし、そして支援を心に抱きながら、最後の瞬間まで国のために最善を尽くす。 公職者の皆さんにお願い申し上げたい。大変な時期だが、皆さんには自分の立場を貫き、揺らぐことなく役割を果たしてほしい。私は、皆さんが大統領代行を中心に協力し、国民の安全と幸福を守るために最善を尽くすことを強く求める。 そして政界にお願い申し上げたい。いまや暴走と対決の政治から、熟議と配慮の政治に変えられるよう、政治文化と制度を改善することに、関心と努力を傾けるよう願う。
・『21世紀の民主主義がもどかしい 同時に、こうも思った。これほど高邁無私なことを考えているのなら、なぜこれまで国民と真摯(しんし)に対話してこなかったのか? あと1時間以内に大統領の職務が止まるという時に述べても、「いまわの際」の「遺言」にしかならないではないか。 今後、憲法裁判所が「弾劾訴追は妥当」との判断を下せば、尹錫悦大統領は「ただの韓国人」となる。いや、「疑惑のデパート」と言われる金建希(キム・ゴンヒ)夫人とともに、「内乱罪」などの罪を着せられて監獄行きは免(まぬか)れないだろう。 そしてかなり高い確率で、尹大統領の最大の政敵である李在明(イ・ジェミョン)「共に民主党」代表が、後釜の大統領に就く。その奔放な物言いから「韓国のトランプ」との異名を取るが、私は「反日モンスター」と呼んでいる。李在明代表に関しては、いま発売している『週刊現代』の巻頭3ページで詳述した。 それにしても、民主主義とは、一体何だろう? 「韓国のCNN」ことYTNの解説者が思わず、「もどかしい」(답답하다)と口走っていた。そう、21世紀の民主主義がもどかしい……。 愛する国民の皆さん、私はわが国民の底力を信じている。われわれ全員が、大韓民国の自由民主主義と繁栄のために力を合わせよう。ありがとう」 以上である。私はYTNの生放送で見ていて、とてもよいことを述べていると感じた。「5つの談話」の中では秀逸だ。) 山上信吾前駐豪大使が書かれた『日本外交の劣化』(文藝春秋)は、今年読んだ本の中で秀逸だった。山上大使のことを「変人扱い」する霞が関関係者もいるが、日本以外の大使というのは、エマニュエル駐日米国大使や呉江浩駐日中国大使らを見ても分かるように、得てして「才能溢れる変人」が多い。 そんな山上大使の「続編」として本書を読んだ。第1章の日豪史は知らないことばかりでフムフム。第2章では、在豪邦人がまもなく10万人を超え、在中邦人を追い越すことなどを知ってヘエー。第3章の外交とメディアは、身につまされることもありイヤハヤ。第4章の日本外交の「宿痾(しゅくあ)」はアチャー。そして第5章の日本外交の再建は、ソーダヨ! 結論として、山上大使の本は「面白くてためになる」(この言葉は弊社の社是でもある)。もしトランプが日本の首相なら、山上大使を駐中国大使に任命していたかもしれないと、読後の妄想が膨らんだ』、「山上信吾前駐豪大使が書かれた『日本外交の劣化』(文藝春秋)では、「在豪邦人がまもなく10万人を超え、在中邦人を追い越すことなどを知ってヘエー」、面白そうで、是非読んでみたい。
タグ:「山上信吾前駐豪大使が書かれた『日本外交の劣化』(文藝春秋)では、「在豪邦人がまもなく10万人を超え、在中邦人を追い越すことなどを知ってヘエー」、面白そうで、是非読んでみたい。 「尹大統領は、妄想でも見ていたかのように、完全に世論を読み誤ったものと推察されます。誠に愚か極まりない話しですが、少なくとも公表された情報から推察するに・・・、その可能性以外思い当たりません』、なるほど。 「韓国での戒厳令は、45年ぶりです」、しかし、「このクーデターに対して国民は猛反発します。 司令部が禁じている筈の「デモ」が拡大し、国会議事堂の門に殺到し、議員たちは司令部が同じく禁じている筈の「国会決議」を行い、大統領の措置解除を決定しました。 その結果、尹大統領は「立法府の命令に従う」と述べ、戒厳令をわずか6時間で解除する決定を下しました」、なるほど。 「釜山に停泊している米国の航空母艦をドローンで撮影するために3人の中国人が逮捕された。 しかし現行法では、外国人によるスパイ行為を罰する方法はない。私は刑法のスパイ条項を改正しようと試みたが、最大野党が頑なに阻止しているのだ。 北朝鮮が核兵器やミサイルの脅威、GPS 妨害や汚物気球、スパイ事件など違法な挑発を行っている。それにもかかわらず、主要野党はこれに同意し、さらに北朝鮮の側に立って、対応に苦慮している政府を中傷しただけだ」、「野党」が安全保障上の観点よりも、党利を優先した投票行動をしているのは、困っ 「全面敗北を認めたのだった。この談話によって、同日夜に国会で行われた弾劾訴追案の決議に、大部分の与党議員が退席。賛成が3分の2に届かず、廃案となった」、なるほど。 「「大統領のクーデター」は、わずか6時間で幕を閉じたのだった。まったくお粗末極まりない「クーデター未遂」だった」、なるほど。 (その2)(韓国「戒厳令」報道で露呈…日本メディアは英米より「圧倒的にレベルが低かった」!「隣国の暴挙」でさえ、まともに報じることができないのか、尹錫悦は「何を間違えた」のか?...お粗末すぎた大統領の自作自演クーデター計画を解説、韓国のレトロな戒厳令騒ぎ つながり強い〝高校閥 の先輩後輩 飲食しながら極秘の話か、ついに職務停止…尹錫悦大統領「5回の談話」の恐るべきKY度 「北京のランダム・ウォーカー」第763回) 韓国(尹錫悦大統領) 藤井 聡氏による「韓国「戒厳令」報道で露呈…日本メディアは英米より「圧倒的にレベルが低かった」!「隣国の暴挙」でさえ、まともに報じることができないのか」 現代ビジネス 「仮に尹大統領が弾劾されなかったとしても、支持率の下落、そして、野党の反発はこれまで以上により過激なものとなるのは必至であり、「国会運営の行き詰まり」は、クーデター前よりもさらに酷くなることは確実です。 かくして韓国の政治状況は全く予断を許さない状況にあると言えるでしょう」、なるほど。 ~ 結局何が突然の戒厳令を招いてしまったのか」)の記事です」、全く日本のマスコミの取材力のお粗末さには呆れ果てた。 「日本の記事を見てみても「韓国の国民性はそんなものだ」というものや、「大統領に進言できる人間がいない」等の、周辺的な情報ばかりで、クーデターが起こる必然性は明確には書かれていません。 そんな中、しっかりと腑に落ちる解説が書かれている記事が二つありました。BBC(12月5日「【解説】 韓国大統領は何を考えていたのか 裏目に出た『非常戒厳』」)とNew York Times(12月4日「戒厳令で露呈した『韓国社会が抱える圧倒的な闇』 Newsweek日本版 「戒厳司令部は国会と地方議会に一切の政治活動を禁じ、全ての言論と出版を統制し、市民の集会を禁じると命じた。首都ソウル市内には装甲車やヘリコプターが出現した」、いきなりの「戒厳司令部」の出現には心底驚かされた。 是非、これからもメディアやSNS情報には注意して参りましょう。「欧米に比した日本のマスメディア(所謂オールドメディア、という奴ですね)のレベルの低さを露呈するものでもありました。 何と言っても日本のマスメディアは、公表された事実情報だけを列挙し、一部識者達の声を断片的に挿入しているだけで、英米が的確に伝えている「物事の本質」についての情報を一切提供してはいなかったのです」、致命的な欠陥だ。 「野党議員の金民錫(キム・ミンソク)はこの夏から、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が戒厳令を出しかねないと警告していた。しかし誰もが、さすがにそれはないと思っていたし、そう思いたかった」、なるほど。 米「責任ある外交に関するクインシー研究所」研究員のネーサン・パク氏による「尹錫悦は「何を間違えた」のか?...お粗末すぎた大統領の自作自演クーデター計画を解説」 いかにも韓国らしいエピソードだ。 「悲しいかな、保守派の中でもそれなりに分別のある議員たちはまたしても、自分たちの担いだ大統領を弾劾するしかないのだ」、なるほど。 「午前1時1分、300人の国会議員のうち、なんとか議場に入ることのできた190人が全員一致で戒厳令の解除を決議した。 なかには与党・国民の力に属する議員18人も含まれていた。しばらくためらった後、ヘリコプターと装甲車、そして兵士たちは議事堂を離れ始めた」、クーデターは僅差で阻止されたようだ。 産経新聞「韓国のレトロな戒厳令騒ぎ つながり強い〝高校閥〟の先輩後輩 飲食しながら極秘の話か」 「韓国」では民主主義が着実に根付きつつある。その基盤を揺るがすのが「クーデター騒ぎ」だ。 「韓東勲は検事として、2018年に李明博(イ・ミョンバク)元大統領と朴槿恵(パク・クネ)元大統領を投獄し、今度はボスだった尹錫悦大統領を裏切って、投獄に向かわせようとしている。3人もの大統領を葬り去るとは大したタマだが、最後は自分も無傷では済まないだろう。 それくらい、いま『国民の力』の内部で恨みを買っている」、なるほど。 誠に目まぐるしい状況の変化だ。 近藤 大介氏によ「ついに職務停止…尹錫悦大統領「5回の談話」の恐るべきKY度 「北京のランダム・ウォーカー」第763回」 「国会議員が190人、深夜の国会議事堂に駆けつけて、戒厳の解除を決議した。韓国憲法の第77条1項に、大統領の戒厳発令の権限が明記されているが、同5項には、国会が過半数の決議でそれを解除できるとしている。大統領の独裁化を防ぐための項目が作用したのだ」、なるほど。 「尹政権の最大の成果は、日韓関係を急速に改善し、日米韓の緊密な連携体制を築いたことだった。 ただ、その強引な姿勢から、国内で多くの反発を招き、国民が望む好景気や高福祉は果たせなかった。今年4月10日の総選挙のキャンペーンでスーパーを視察し、たまたま店頭で大安売りしていたネギを見て、物価の安定を誇るかのような発言をした時には、国民が「ドン引き」した。 その結果、総選挙で大敗を喫した。前述のように300議席中、108議席しか取れなかったのだ」、なるほど。 「談話」は尹大統領の「KY」ぶりを露呈させただけであり、すべて裏目に出る結果となったのだ。ついには、与党議員の一部まで「造反」し、弾劾訴追案が可決してしまった。』、「「国民向け談話」は、5回に及んだ。私はそのすべてを聞いたが、「KY」感が滲(にじ)み出ていた。 ひと言で言えば、尹大統領が思い描いている「国民の声」と、実際の「国民の声」とが、大きく乖離(かいり)しているのである。尹大統領は、「談話」によって国民の理解が得られると思っていたのだろうが、実際には「談話」を発するたびに、国民は離れていった」、なる 公職者の皆さんにお願い申し上げたい。大変な時期だが、皆さんには自分の立場を貫き、揺らぐことなく役割を果たしてほしい。私は、皆さんが大統領代行を中心に協力し、国民の安全と幸福を守るために最善を尽くすことを強く求める。 そして政界にお願い申し上げたい。いまや暴走と対決の政治から、熟議と配慮の政治に変えられるよう、政治文化と制度を改善することに、関心と努力を傾けるよう願う。 安全保障上の懸念材料が国民に正しく受け止められず、党利に基づいた発言と受け止められたのは、残念だ。 たことだ。