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国家主義的経済政策:携帯料金引下げ問題(その3)(日本人はドコモの高い携帯料金に甘んじている 菅首相が圧力をかけるのは間違っている?、菅政権 携帯料金値下げの先にある「強権的国家」の可能性、携帯料金引き下げ 側近が語る菅政権の真意 坂井学・官房副長官「健全な競争環境が必要だ」) [経済政策]

国家主義的経済政策:携帯料金引下げ問題については、2016年1月6日に取上げたままだった。今日は、(その3)(日本人はドコモの高い携帯料金に甘んじている 菅首相が圧力をかけるのは間違っている?、菅政権 携帯料金値下げの先にある「強権的国家」の可能性、携帯料金引き下げ 側近が語る菅政権の真意 坂井学・官房副長官「健全な競争環境が必要だ」)である。なお、これまで「安倍首相の携帯料金引下げ検討指示」は、「携帯料金引下げ問題」に変更した。

先ずは、本年10月4日付け東洋経済オンラインが掲載した財務省出身で慶應義塾大学大学院准教授の小幡 績氏による「日本人はドコモの高い携帯料金に甘んじている 菅首相が圧力をかけるのは間違っている?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/379409
・『アメリカ大統領選挙戦は、9月29日に注目の第1回大統領候補者討論会が行われ、子供に見せられないような「子供の喧嘩以下の痴態」が世界中に放映された。 この連載は競馬をこよなく愛するエコノミスト3人による持ち回り連載です(最終ページには競馬の予想が載っています)。 これから大統領選挙までかんべえ氏(双日総研チーフストラテジスト吉崎達彦氏)が毎週書いて、私は2021年にバブルが崩壊してから毎週書く方がよい、などと思ったりもする。 それはさておき、今回は大統領選挙に比べたらまったく重要でないのに、日本の国民と菅義偉首相が重大な関心を持っている、携帯電話料金の引き下げ問題の話をしよう』、「小幡 績氏」の切れ味鋭い分析が楽しみだ。
・『携帯キャリア大手3社に問題はあるのか?  菅首相や武田良太総務相などが携帯電話料金の引き下げについて各社に圧力をかけるのは、憲法違反ではないか。 「自主的に料金を下げるよう努力を促しているに過ぎない」といった異論があるかもしれないが、私に言わせれば財産権の侵害であり、民間企業のビジネスの自由を奪う行為である。携帯キャリア大手3社は訴訟を起こし、最高裁判所まで争ったらよい。 そもそも、日本の携帯電話料金の何が問題なのか?結局のところ 1)価格が高すぎる 2)事実上、3社の寡占で独占的な立場を利用して価格を高く釣り上げている3)その結果、3社の利益水準が異常に膨らんでいる ということらしい。しかし、間違いだ。すべて問題はない。 3から逆順に見ていこう。儲け過ぎることで、社会的に制裁を受ける必要があるのであれば、資本主義は成り立たない。利益の最大化を使命として成立している企業が存在することは不可能になる。共産主義になるしかない。 しかし、実は、これが日本企業の利益率が低い理由の1つである。 投資家からも、メディアからも「日本企業は欧米企業に比べて利益率が低すぎる。儲ける力が弱すぎる」と攻撃されてきた。 あたかも、日本企業がサボっているような攻撃のされ方だったが、本当の理由は、儲けると叩かれるから、目立たない程度に利益を抑える癖がついてしまっていたのだ。出る杭は打たれる。儲ける企業も打たれる。みんなで儲けが少なければ、みんなで少しだけ批判を受ければ済む。それなら、後者に甘んじる。合理的だ。 そもそも、日本の携帯キャリアが儲け過ぎなら、アメリカのアップルはどうなるんだ?フェイスブックもグーグル(アルファベット)も、だ。それならば、彼らに対してこそ、菅首相は攻撃すべきではないか。しかも、彼らは、本国アメリカでは一定の法人税を納めるが、自国以外ではとことん租税回避行動をとり、法人税をほとんど払っていない、という批判が日本以外の世界中でなされている。そちらが先ではないか?』、「儲けると叩かれるから、目立たない程度に利益を抑える癖がついてしまっていた」、というのは儲け過ぎ批判の矢面に立ったかつての銀行界でも見られたが、いまや「儲け」を小さくみせるなど夢のまた夢だ。
・『独禁法違反と言えるのか?  2の「独占的な地位を利用して価格を高く釣り上げている」は、問題の本質だ。これが事実なら、こうした事態は放置できない。 しかし、これはまさに法律違反の問題である。首相が批判するのではなく、公約にするのではなく、有罪であることを立証すればよいのであり、それをしないのは、行政府の怠慢であり、政権の不作為である。政権が自慢することでなく、むしろ政権を攻撃する材料となるはずだ。 担当は、独立した組織としての公正取引委員会であり、独占禁止法違反で排除措置命令などの強い措置を取ればいいだけのことだ。違反状態でそれをしないのならば、それは公正取引委員会の大失策であり、政権の大失策である。 では、なぜこれまで問題にならなかったのか?それは、独占禁止法違反ではなかったからである。 3社に独占力はない。確かに3社の寡占状態ではあるが、ついこの前までは、NTTドコモ、au の2強をソフトバンクが追い上げる、という状態だった。ソフトバンクは「つながりにくい」などといったサービスの品質の批判を受けながらも、2社よりも安い価格で攻撃を仕掛け、3強の一角まで浮上してきたのである。そして、「3強」のポジションを獲得するや否や、利益率優先に切り替え、価格戦争は事実上やめてしまったに等しいのである。したがって、そもそも、断然1位のドコモが独占力を発揮して、価格を支配している、という状況ではなかったのである。 では、今は、3社が共謀をして、あるいは実は実質的なカルテル(協定などによって価格や数量などを相互に取り決める行為)などを行っているのだろうか? もちろん、その可能性はゼロではない。しかし、それならば首相が政治的な公約をする問題ではなく、法律にのっとり、正々堂々と、公正取引委員会が前出のように「排除措置命令」を出し、その行為をやめさせ、かつ課徴金を課せばよいことである。繰り返しになるが、それをする義務が公取にはある。それを「公取に行わせる使命」が政権にはある。だから、それは、政権公約にはなりようがなく、法律を公正にしっかりと運用するということに過ぎない』、同感である。
・『「価格が高すぎる問題」は存在しない  実際、日本ではいわゆる格安スマホがあふれている。なかには質の悪いものもあるが、質のよいものもある。実際、私も10年近く格安スマホを使っているがサービスには満足しており、携帯電話代が高いとは一度も思ったことがない。むしろ、過去、アメリカなどの携帯電話代のほうが非常に高く、回線を保有することができなかったという記憶しかない。 つまり、1の「価格は高すぎる」という問題は存在しないのである。日本の携帯電話代は国際的には高くない。むしろどちらかというと安い方なのだ。それなのに、世間だけでなく首相あるいは総務省などが「日本の携帯電話料金が世界的にもっとも高い」と主張し、それを示すグラフなどをメディアにあふれさせているのは、なぜなのだろうか? それは、このデータやグラフが、意図的にミスリードするように作られているからである。あるいはミスリードするために、ひとつのカテゴリーの数字をことさら取り上げているからである。 端的には、スマートフォンのデータ容量「月20ギガバイト」の価格比較の数字である。しかも、それはメインブランド、すなわち最もユーザシェアの高い事業者の料金プランでの比較だ。それによると、ロンドン、パリ、デュッセルドルフの約2倍、ソウルの約1.3倍、値段が高くて有名なニューヨークよりも(わずかに)高いのが東京、ということになっている。 これは、どういう意味か。) 気づかれた方も多いと思うが、要は「ドコモのこの料金プランが高い」ということに過ぎないのである。 東京中心なら、格安スマホを選んでも十分に使えるし、私の使っているIIJのサービスならドコモ(またはau)の設備を使っているから、品質はドコモと変わらないといってもいいが価格は半分以下だ。音声通話をほとんど使わなければ、3分の1以下である。 つまり、日本のスマホ通信料金が高いのは、日本の消費者が「ドコモが大好きだから」なのである。 高いのがいやなら、乗り換えればよい。しかし、それをしない。なぜか。いろいろな理由があると思うが、最大の理由は、ドコモのサービスが「良すぎる」からである。どこにでもドコモショップがあり、何か困ったら何でも助けてくれる。SIMカードを入れたり、新しいスマホの操作を教えてくれたり、至れり尽くせりだ』、「ドコモのサービスが「良すぎる」から」、やや違和感がある。むしろ、「ドコモ」が自分に都合がいい「サービス」に取り込もうとしているから」と考えるべきではないか。
・『日本の価格が高いのは消費者が望んでいるから  これほどのサービスを考えれば、価格が高いとはまったく言えない。実際、総務省の委託調査でも詳細をよく読めば、ドコモに限らずシェア上位のキャリアの平均値を見ても、要は「通信の質は世界有数であり、世界的にも通信の質と価格は比例するので高品質を考えれば日本の携帯通信費は高いとは言えない」、というものになっている。 しかも、通信の品質以外のサービスにおいては、ドコモは間違いなく世界一のサービスであり、私に言わせれば、世界一の過剰なサービス、無駄なサービスを提供しているのである。 だが私は無駄だと思っても、スマホユーザーの大多数はそれを好み、あるいは他社に変えるほど悪くはないなどの消極的な理由から、それを選んでいる。結局、日本の携帯通信価格が高いのは「消費者が望んでいるから」という結論になるのである。 しかし、唯一残された謎は、人々が「望んだ結果」になっているのに、それを首相が「高すぎる」に等しい発言をしたら、人々はそれを絶賛していることである。本当に、日本はミステリー、エキゾチックジャパンだ(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承下さい)』、「スマホユーザーの大多数はそれ(世界一の過剰なサービス、無駄なサービス)を好み、あるいは他社に変えるほど悪くはないなどの消極的な理由から、それを選んでいる。結局、日本の携帯通信価格が高いのは「消費者が望んでいるから」という結論になるのである」、「ユーザー」に個々の選択肢を詳しく説明した上で、選択させているのではなく、よさそうに見えるサービスのパッケージを押し付けているのが実態とすれば、「「消費者が望んでいるから」という結論」には若干の無理がありそうだ。

次に、10月6日付けNEWSポストセブン「菅政権 携帯料金値下げの先にある「強権的国家」の可能性」を紹介しよう。
https://www.news-postseven.com/archives/20201006_1600677.html?DETAIL
・『2019年4月1日、当時の菅義偉官房長官(71才)は、首相官邸で新しい元号を発表した。あれから1年半、「令和おじさん」は国のトップに立った──。 安倍晋三前首相の突然の退任表明を受けて行われた自民党総裁選で、岸田文雄前政調会長と石破茂元幹事長を大差で退け、9月16日に晴れて第99代内閣総理大臣に就任し菅義偉氏。目玉政策であるかのように打ち出しているものの中には、数々の問題点が見え隠れする。『総理の影 菅義偉の正体』(小学館)の著者でジャーナリストの森功さんはこう言う。 「菅首相は『デジタル庁の創設』や『行政の縦割り打破』、『規制改革』を掲げています。いずれも謳い文句としては上々ですが、実際に何をやりたいかが見えてこない。 コロナの給付金が遅れたのはマイナンバーが普及していなかったからだといいますが、それなら、マイナンバーを銀行口座とひもづけて普及させる法律をつくればいいだけ。河野太郎行革相の『縦割り110番』が話題ですが、あれも昔からある陳情システムをキャッチーにしただけで、“自分たちだけでは何をやるべきかわからないから110番で募集しているのではないか”とも勘ぐれる。 縦割りや規制にはそれなりの意味があるのでむやみに壊すべきではないし、加計学園問題のように、規制改革が特定の関係者の利益につながるリスクもある」 こうした“国民ウケする”政策のせいで、いま以上に「弱者に優しくない社会」が訪れる可能性は高い。菅首相の「天敵」とさえ呼ばれる東京新聞記者の望月衣塑子さんはこう指摘する。 「菅さんは中小企業や地銀の再編を掲げていますが、それらが弱体化しているいま、強引に再編を進めれば、下位3割の中小企業が切り捨てられるともいわれています。しかも、菅さんが週1度は一緒に食事をするほど心酔しているといわれる竹中平蔵さんは、最近、“年金をやめて生活保護費を大幅に下げ、全国民に一律7万円支給しろ”と言い出しました。もし菅さんがこれに従ってしまったら、低所得者の負担は増すばかりです。 少子化対策として新婚世帯に60万円給付や不妊治療の保険適用検討を打ち出しているものの、LGBTQなどのジェンダー格差を埋めることに関心があるわけではまったくなく、“労働力”としての子供を求めているところが薄っぺらい。菅さんの政策は、“本当の弱者”に対する優しさがありません」(望月さん) 富国強兵の時代のごとく「産めよ増やせよ」では、多様化が進むいまの時代にそぐわない。中途半端なお金をバラまくよりも、非正規雇用をなくして賃金を上げる方が有効ではないか。 このままでは、国民の多くが、自分たちが支持した首相にあっさり裏切られる可能性もある。 経済評論家の浜矩子さんは、「そもそも私たちの生活にどう影響するかを考えるのがムダ」と断じる。つまり、それほど菅首相の掲げる政策は、国民の実生活にそぐうものではないというのだ。 「菅さんが縦割り行政の打破や規制改革をするのは、強いものがより強くなる社会をつくりたいからです。そのためのイメージ戦略に過ぎません。携帯電話の料金が4割下がる代償として、菅さんの思い通りに動く強権的な国家に引きずり込まれるかもしれない。かわいらしい令和おじさんの顔をして、パンケーキをもぐもぐする裏には怖い顔が隠れていると思った方がいい」(浜さん)』、「菅さんが縦割り行政の打破や規制改革をするのは、強いものがより強くなる社会をつくりたいからです。そのためのイメージ戦略に過ぎません」、との浜氏の指摘は本質を突いている。
・『安倍政権の継承を明言しただけに、残された課題も多い。 安倍前首相は「スガちゃんは外交できるのかな?」とこぼしたというが、痛いところを突かれた感じがしたのは菅首相自身だろう。いま、必死に米国のトランプ大統領や中国の習近平国家主席など、次々に世界の首脳と電話会談をしているのは、「おれにも外交はできる」と懸命にアピールしているようにとれる。 「安倍さんが隠蔽してきたモリ・カケ・サクラも心配です。菅さんは官房長官だったので、知らないではすまされない。今後の政権運営の大きな不安材料」(菅首相を知る関係者) 10月下旬には臨時国会が開かれる予定で、まず不妊治療やデジタル庁など、国民ウケする施策を進めるだろう。実績をつくった先に、来年の東京五輪が見えているはずだ。そこまで持ちこたえれば、明るい話題で切り抜けられると考えているのだろう。 「菅さんは政治信念に基づいて権力をつかみ、邪魔になるものを徹底的に排除します。だから長く政権を取ると独裁化が進む恐れがある。スピード感ある仕事人で、猪突猛進に目の前の壁を壊す強さは認めますが、その先にどういう日本を描いているかが見えてこない。弱肉強食の社会が進む、そこがいちばんの怖さです」(望月さん) 叩き上げの苦労人なのか、トップに立ってはいけない強権のナンバー2なのか。 いまはまだ、自分を総理にしてくれた二階俊博幹事長らから言われたことを、顔色を見ながら粛々とやっているだけかもしれない。 スイーツ好きを公言し、なんとなく憎めない苦労人の「令和おじさん」は、本当に支持し続けるに値する人物か否か、国民は目をそらさずに追っていく必要があるだろう』、目下、学術会議が指名した人物のうち6名の委員任命拒否問題で予想以上に手こずっているようだ。やはり「トップに立ってはいけない強権のナンバー2」のようだ。

第三に、11月4日付け東洋経済オンライン「携帯料金引き下げ、側近が語る菅政権の真意 坂井学・官房副長官「健全な競争環境が必要だ」」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/386130
・『9月に発足した菅政権が目玉政策の1つとして打ち出しているのが、携帯電話料金の値下げだ。 だが、政府が民間サービスの価格に直接介入することは原則許されないはずだ。では、菅政権はどういう形で携帯電話料金を値下げするのか。また、菅首相はなぜ、携帯料金の値下げにこだわるのか。 菅首相の側近で、通信分野に詳しい坂井学内閣官房副長官に聞いた(Qは聞き手の質問、Aは坂井氏の回答』、この問題の表裏を知り尽くした坂井氏は最適任のようだ。
・『家族4人なら月1万円の値下げ  Q:総務省は10月27日、モバイル市場の適正化に向けたアクションプランを発表し、翌28日にはKDDIとソフトバンクがそれぞれのサブブランド(UQモバイルとワイモバイル)において、「20GBで4000円前後」という新プランを発表しました。こうした動きをどうみますか? A:基本的には評価したい。20GBという、今までプランがなかった容量のところに新しいプランがつくられて、これまでの大容量の料金と比べると45%前後値段が下がっている。 新しい値段でサービスが提供されたことは、ユーザーにとっても選択肢が広がることになる。 Q:今回はサブブランドに新プランが加わっただけで、値下げとは言えないとの声もあります。新プランで提示された料金水準に納得しているのでしょうか。 A:2~3GBではなく、20GBの大容量で5000円を切る金額は、私は値下げだと思っている。50GB使う人の値段は下がらないが、これまで20GBしか使わない人はプランがないために50GBで契約していた。20GBのプランで十分なわけで、家族4人分であれば1万円を超える月々の値下げになる。かなり値が下がった実感はあると思う。 (新プランが出てきた背景には)楽天の存在もある。楽天はいま5Gで月額2980円というプランなので、そこも大きいだろう。いずれにせよ、(国の方針に)何も反応しないよりは、政府の「お願い」に配慮していただいた対応なので、(菅)総理も評価していると思う。 Q:携帯料金を国際比較する際に引き合いに出されるのはNTTドコモの料金ですが、ドコモにはサブブランドがありません。 ワイモバイルとUQモバイルが同じようなプラン、サービスで4000円前後の価格帯を示している。そのあたりでドコモも(何らかの形での料金引き下げを)お考えなのではないのかなと、私は思っている。 Q:NTTとNTTドコモの統合でドコモに値下げ余地も生まれるということですが、統合の背景に「官邸の意向」があったのではないかとの臆測もあります。 A:おっしゃる意味がわからない。NTTに「統合しろ」なんて考えもないし、言ってもいない。 結果として、いままでより4割ほど安い値段で20GBという大容量を利用できるプランを出していただければ、十分値下げとみなしうるし、評価できるとの思いは(政府内に)あったとは思う。ただ、政府にはどのような手段、どのような形でという意向はまったくない』、ガードが堅いのは役人の典型のようだ。
・『携帯料金はもっと安くできる  Q:2018年に菅官房長官(当時)は、「携帯料金は4割安くなる」と発言しました。背景には何があるのでしょうか。 A:菅総理は総務大臣の前に、テレコム系の副大臣をやっていて、その頃からずっと(携帯料金を)追いかけてきた。総務大臣の頃も「携帯料金が高い」ということを発言している。 2年前の発言は、ぽっと誰かに言われて出たものではない。あのタイミングで確信をもったので話をした。発言を聞いたとき、私は「これは本気だ」と思った。総理は誰よりも情熱をもって、(携帯市場を)健全なマーケットにしたいと思っている。 情報通信網は生活のインフラになっていて、公共財のような意味を持つ。一方で、(NTTやKDDIなどの)キャリアは、電波という国民の財産を独占してビジネスを行っている。料金はもっと安くできるのに、努力しないのはけしからんというのがまずあった。 さらに、3社が3社とも同じような利益率をあげている。構造をみていくと、キャリアと端末メーカーに「ウィンウィン」の関係がある。しかし、消費者はその関係に入っていない。(携帯)ショップでも、販売員が売りたくない売り方、勧めたくない勧め方を消費者にしているケースがある。総理にはキャリアや端末メーカーなどが消費者を向かず、のけ者にしているのはおかしいという意識がある。 民間企業がいくらの値段をつけるか、行政には強制力がない。お願いベースでこういうことが望ましいと言ってきたが、どこまで値下げしろと強制的に言うことはない。料金は適正利潤をのせて決まるし、のせてもらうのはかまわない。ただ、それが適正かどうかだ。 競争原理が働かない中で、その上乗せ(幅)が適切ではなかったりする。健全な競争環境の中で競争原理が働くのが何より大事なことで、その環境を整えることが何よりも必要だ。健全な環境で競争原理が働けば、自然に適切な値段に収斂していく。 Q:坂井副長官は7月、携帯料金値下げに向けた提言書を自民党有志としてまとめ、菅官房長官(当時)に提出しました。報告書のポイントはどこにありますか。 A:いくつかあるが、一番真剣に考えてもらいたいのは、国内外の各キャリアのサービスを比較する指標や数字がないということだ。それでは、ユーザーがどのサービスが優れているのか、適切に評価できない。 ユーザーごとに、「通話が切れにくい」「データの通信速度が速い」など(キャリアに)求めるものが違う。単純な値段は海外が安いが、サービスの優劣は単純に値段だけでは決められないところがある。料金プランも複雑になりすぎていて、どれが得なのかわからない。 自分がどんな使い方をしているのかわからない人も多い。そうした人にもわかりやすい指標ができないかと考えている。そうした指標をつくるための情報をキャリアが出したがらない。企業秘密もあるが、役所に工夫してもらって何とか実現させたい』、「ユーザーがどのサービスが優れているのか、適切に評価」できるような「わかりやすい指標」は、確かにいいアイデアだ。実現に向け努力してもらいたい。
・『eSIMやSIMフリーが今後の課題に  Q:携帯電話市場の競争環境の整備について、今後課題になることは何ですか。 A:キャリア間の流動性は課題の一つだ。提言書で求めている「eSIM」(内蔵SIM=料金の安い事業者に乗り換える手間が簡略化できる)は、アクションプランでずいぶん取り上げてもらった。このあたりも3大キャリアは乗り気ではない。キャリアにしてみると、ユーザーにはなるべく動いてもらわないほうがいい。 SIMフリーも課題だ。端末を購入するとき、ローンを組むとロックがかかったままとなり、100日後に(SIMロックを)解除するための手続きをしなければならない。これを100日後に自動でできるようにするべきだという話をしている。端末の中古市場を整備していく必要もあるだろう。 公正取引委員会は携帯市場で競争原理が公正に働いているか、調査を始めたと発表した。公取委の判断も横目で見ながら、競争環境の整備についてしっかりフォローしていかなければならない。 (政権では)総理の強い意思が共有されている。総理は武田良太総務大臣、通信政策トップの谷脇康彦総務審議官に指示を出して、施策はよく進んでいる。私もお手伝いできるところはしていきたい』、「公取委」による監視は、やはり本筋なので、しっかりやってもらいたい。
タグ:東洋経済オンライン 小幡 績 Newsポストセブン 国家主義的経済政策 携帯料金引下げ問題 (その3)(日本人はドコモの高い携帯料金に甘んじている 菅首相が圧力をかけるのは間違っている?、菅政権 携帯料金値下げの先にある「強権的国家」の可能性、携帯料金引き下げ 側近が語る菅政権の真意 坂井学・官房副長官「健全な競争環境が必要だ」) 「日本人はドコモの高い携帯料金に甘んじている 菅首相が圧力をかけるのは間違っている?」 携帯キャリア大手3社に問題はあるのか? 1)価格が高すぎる 2)事実上、3社の寡占で独占的な立場を利用して価格を高く釣り上げている 3)その結果、3社の利益水準が異常に膨らんでいる 儲けると叩かれるから、目立たない程度に利益を抑える癖がついてしまっていた 独禁法違反と言えるのか? 「価格が高すぎる問題」は存在しない 「ドコモのサービスが「良すぎる」から」、やや違和感がある。むしろ、「ドコモ」が自分に都合がいい「サービス」に取り込もうとしているから」と考えるべきではないか 日本の価格が高いのは消費者が望んでいるから よさそうに見えるサービスのパッケージを押し付けているのが実態とすれば、「「消費者が望んでいるから」という結論」には若干の無理がありそうだ 「菅政権 携帯料金値下げの先にある「強権的国家」の可能性」 菅さんが縦割り行政の打破や規制改革をするのは、強いものがより強くなる社会をつくりたいからです。そのためのイメージ戦略に過ぎません 学術会議が指名した人物のうち6名の委員任命拒否問題で予想以上に手こずっている 「携帯料金引き下げ、側近が語る菅政権の真意 坂井学・官房副長官「健全な競争環境が必要だ」」 携帯料金はもっと安くできる ユーザーがどのサービスが優れているのか、適切に評価」できるような「わかりやすい指標」 eSIMやSIMフリーが今後の課題に 「公取委」による監視は、やはり本筋なので、しっかりやってもらいたい
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民間デジタル化促進策(その1)(日本のITが時代遅れになる根本原因はSIベンダーの言いなり体制 メインフレーム時代以来の強固な縦割り、印鑑さよならで思い出す金融業界の逸話 「押す角度・直径」に文化あり、日本の医療をGAFAに牛耳られない為に必要な策 個別商品・サービスでなくエコシステムがカギ) [経済政策]

一昨日から「デジタル化」関連を取上げているが、今日は、民間デジタル化促進策(その1)(日本のITが時代遅れになる根本原因はSIベンダーの言いなり体制 メインフレーム時代以来の強固な縦割り、印鑑さよならで思い出す金融業界の逸話 「押す角度・直径」に文化あり、日本の医療をGAFAに牛耳られない為に必要な策 個別商品・サービスでなくエコシステムがカギ)である。

先ずは、9月13日付け現代ビジネスが掲載した大蔵省出身で早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による「日本のITが時代遅れになる根本原因はSIベンダーの言いなり体制 メインフレーム時代以来の強固な縦割り」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/75498?imp=0
・『日本のIT化が信じられないほど遅れていることを、コロナが暴露した。 なぜこうしたことになってしまうのか? その大きな理由として、政府や企業の情報システムが抱えた日本特有の問題がある。 発注側が評価能力をもたないため、SIベンダーのいいなりになり、古いシステムが温存されてしまうのだ』、野口氏の手厳しい指摘をみてみよう。
・『日本ではSIerの役割が重要  日本のITシステムで重要な意味を持つのが、SIer(Systems Integrator)とよばれる業者だ。 この役割を知るには、コンピュータシステムの歴史を知っている必要がある。ごく簡単に要約しておこう。 1980年代までの日本では、メインフレームやオフィスコンピュータが主流だった。メインフレームとは、大組織の基幹業務用などに使用される大型コンピュータ。オフィスコンピュータとは、中小企業の財務会計や給与計算を行うための小型のコンピュータだ。 1990年代にIT革命が起り、PC(パソコン)やワークステーション、サーバなどが使われるようになった。 ここで、ワークステーションは、PCよりも高性能のコンピュータ。サーバとは、ネットワーク上で、他のコンピュータ(クライアント)から要求や指示を受け、情報処理を行なうコンピュータだ。 データベースサーバ、Webサーバ、メールサーバなどがある。このシステムを「オープンシステム」と呼ぶ。 メインフレームの場合には、1社のみのハードウェアおよびソフトウェアで構成されることが多かった。それに対してオープンシステムでは、マルチベンダーとなる場合が多い。「ITベンダー」とは、企業が必要とする情報機器やソフトウェア、システム、サービスなどを販売する企業のことだ。 様々なベンダーのソフトウェアやハードウェアを統合する事業者のことを、システムインテグレーター(SIer)と呼ぶ。有力なSIerとして、富士通、日立製作所、NTTデータ、NTTコミュニケーションズ、NEC、IBM、日鉄ソリューションズなどがある。 ITベンダーとSIベンダーとSIerの違いについて、明確な定義はない。経済産業省の『DXレポート』は、「ベンダー企業」という名称を用いている』、なるほど。
・『日本企業や官庁はSIerに丸投げ  経済産業省『DXレポート』によると、諸外国の場合には、ユーザ組織が社内に IT エンジニアを抱えて、開発を主導している。このため、他のエンジニアへのノウハウの伝播が容易で、ノウハウが組織内に蓄積する。 それに対して日本では、ITエンジニアが、ユーザー組織ではなくSIerやベンダー企業に所属している。 このため、多くの場合、組織と結びついたSIerに丸投げしている。「昔から付き合いがあるから」というだけでずっと同じところに頼み続ける。したがって、関係が固定的になり、いったんシステムを作ると、もう動かせなくなる。 SIerとしては、技術の新しい動向をフォローすることよりも、固定的な顧客を逃がさないことのほうが重要だ。 また、ユーザー組織には、ITシステムに関するノウハウが蓄積しにくい。 SIerは安定した収入が見込めるので、組織とのもたれ合いの関係となる。SIer業界は多重下請け構造(5次下請けのさらに下まであるという)になっている。業者は中間マージンで稼いでおり、末端のエンジニアたちは搾取される構造になっているという。 これが、諸外国とは異なる「日本の特殊なITシステムの構造」だ。 8月30日公開の「日本政府がテレビ会議をできない『理不尽すぎる理由』」において、政府LANの統合問題は、2000年代半ばと10年代半ばの2度浮上したが、「自前の通信ネットワークに手を突っ込まれたくない各省庁の拒否反応と、甘い汁を吸ってきた納入業者の抵抗のために頓挫した」と書いた。 また、9月6日の「厚?労働省のITシステムは、なぜこうも不具合が多いのか?」において、「厚労省はシステムの運営をSlerに任せきり。SIerは維持管理で稼ぐことに執着する」と書いた。 発注側で評価する能力がないから、古いシステム が温存され、コストが嵩み、効率が下がる。そして、SIer は、独自システムの維持に執着するのだ』、「発注側で評価する能力がないから、古いシステム が温存され、コストが嵩み、効率が下がる。そして、SIer は、独自システムの維持に執着するのだ」、日本の非効率の典型だ。
・『縦割り社会の弊害が現れている  日本は縦割り社会と言われる。日本の組織(とくに大企業や官庁)は、あらゆる面で閉鎖的だ。日本の組織はタコ壺なのだ。 そのことが、従来は、人事について言われてきた。終身雇用制で、組織間の人材の移動が少ないという問題だ これまで述べてきたように、同様のことが情報システムについても言える。 企業は独自の閉鎖的な情報システムを持つ。だからシステムも企業ごとにバラバラになる。もともと、中央省庁は縦割り、自治体はバラバラなので、省庁や自治体がバラバラに情報システムを構築する。 大型コンピュータの時代にはこうなっても仕方なかった。しかし、インターネットでは、組織間の繋がりが重要なのだ。 日本政府がテレビ会議を満足にできないのは、省庁ごとのシステムがバラバラだからだ。給付金オンライン申請ができないのは、自治体システムと繋がっていないからだ』、「省庁や自治体がバラバラに情報システムを構築する」、少なくとも「自治体」が統一的な情報システムを構築するだけで、膨大な経費削減につながる筈だ。
・『組織のトップが方向づけの能力を持たない  本来なら、こうした状態を矯正する力が働かなければならない。その役割を果たすべきは、組織のトップだ。 すでに見たように、日本におけるデジタル化の問題とは、単に紙をデジタルにするということだけでない。日本組織のタコ壺構造 をどうするかという問題なのだ。このためには、組織のリーダーが問題を理解している必要がある。 経済産業省『DXレポート』によると、アメリカのCIOは、ベンダー企業を客観的に評価できることが重要な責務であると思っており、役に立つベンダー企業はどこかと常に見ている。世の中の有名なベンダー企業を使うよりも、世に知られていないが、新たな価値を提供できるベンダー企業を使って結果を出すことが自らの評価につながる環境に置かれている。 ところが、日本の組織のトップは、有名なベンダー企業に頼んだから大丈夫という考えに陥りがちだ。 目を覆いたくなる状況は、「日本政府がテレビ会議をできない『理不尽すぎる理由』」で述べたとおりだ。 歴代の経団連会長はパソコンを使っていなかった、サイバーセキュリティ担当大臣もそうだった。これではITシステムの方向づけなど、できるはずがない。 そして、「組織のトップはITの細かいことなど知らなくてよい」と、多くの人が考えている。これでは、日本の現状が変わるはずはない。 日本政府も、自治体システムの標準仕様統一を義務付ける新法を制定する検討に入った。 「自治体にシステムをわかる職員が少なく、ベンダー主導となってきた。そのため、各自治体が独自仕様のシステムを構築し、国や自治体のデータ連携が進まず、新型コロナウイルス対応では給付金の支給遅れなどを招いた。これを改革するのだ」と説明されている(「自治体システム仕様統一 デジタル化へ新法で義務付け」日本経済新聞、8月3日)。 まっくその通りだ。しかし、トップがこのような状態で、果たしてうまく進むのだろうか?』、「日本の組織のトップは、有名なベンダー企業に頼んだから大丈夫という考えに陥りがちだ」、典型的な責任回避スタイルだ。「「組織のトップはITの細かいことなど知らなくてよい」と、多くの人が考えている」、こうしたトップのIT軽視が、部下たちにも伝わる筈だ。
・『台湾は日本の遥か先を行く  日本と対照的なのが台湾だ。 オードリー・タン(唐鳳)デジタル担当相が指揮して作ったマスク供給システムで、マスク不足のパニックを防いだ。 このシステムでは、個人情報保護が要求され、しかも、行政機関や流通の情報も連携させなければならず、難度が高いものだった。タンは市民エンジニアの協力で、わずか3日でこれを作った。 タンは2016年に台湾史上最年少となる35歳で入閣した。この人は天才プログラマーと言われるが、その経歴は、日本の常識から言えば、型破りそのものだ。14歳で中学を退学して15歳で起業。そして、33歳で現場から引退した。 こうした人材を登用し、思うままの活動をさせる蔡英文総統の洞察力と指導力にも敬服せざるを得ない。 そして台湾は、新型コロナウィルスの感染拡大を抑え、被害を最小限に抑え込むことに成功している。 中国は強権によって感染を抑え込んだのだが、台湾は、知恵によって抑え込んでいる。 台湾は日本の遥か先を行っている』、「オードリー・タン」氏を「登用し、思うままの活動をさせる蔡英文総統の洞察力と指導力にも敬服せざるを得ない」、同感である。

次に、10月14日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏による「印鑑さよならで思い出す金融業界の逸話、「押す角度・直径」に文化あり」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/251190
・『筆者は約40年間サラリーマンを務め、金融業界に長く身を置いてきた。そのため、直接ないしは間接的に印鑑(ハンコ)に関するさまざまなエピソードを見聞きしてきた。今や、行政やビジネスの手続きから除外されていく運命にあると思われる印鑑だが、その押す角度や判の直径が9ミリか11ミリかといったささいなことに、会社の文化や思いが込められていた。今回はそうした金融業界の印鑑にまつわる逸話をご覧に入れたい』、タイムリーな寄稿、さすがだ。
・『印鑑と共にあったサラリーマン生活前半 金融業界ならではの思い出は数多い  筆者は、ざっと40年間サラリーマンであるが、サラリーマン生活の前半は印鑑と共にあった。ハンコを巡る思い出は数多い。 最初の就職先に入社した日の社内事務の多くに、シャチハタの印鑑を使用した。朝は出勤すると出勤簿にシャチハタを押印するところから一日が始まる。新入社員である筆者の世話役の女性社員(筆者の数歳年上)の押したシャチハタの印影を見て、「シャチハタも使い込むと貫禄が出ますね」と言ったところ、「今年の新人は可愛くない」という評判がチーム内に一斉に広まった。 素朴な感想を述べたのだったが、彼女の年齢を揶揄(やゆ)したように聞こえたのだろう。そういう気持ちが一切なかったわけでもないから、仕方がない。 社内の決裁文書には印鑑が使われた。投資案件を決済する投融資委員会の文書には12?13個の印影が並んだ。決済に意見としては反対だが、形式的に賛成する場合には、逆さまにハンコを押す場合がある、と先輩社員から聞いていたが、実際に逆さまの印影は見たことがなかった気がする。) その代わり、この会社には同じ賛成でも「異議なし」と「やむなし」の2種類の書き方があって、「ホンネ」の表現手段があった。どちらも賛成なのだから、意味のないことなのだが、「やむなし」と書くと社内で感情的な対立が生まれることがあり、覚悟が必要だった。 筆者は財務部員だったので、取引先の銀行員に「うちの会社は決裁文書にこんなにたくさんハンコが並ぶのです」と愚痴を言ったら、「うちの銀行は大抵の書類に30個に近い二十数個はハンコが並びますよ」と言われて、驚いた。 十数年後に、その銀行の子会社である運用会社に転職したところ、本当に20個以上のハンコがきれいに並んでいた。「客先を訪問した報告書」のような決済文書でない書類にも「見た」という印としてハンコを押す。 銀行から出向してきた部下が、「ハンコは、少し左斜めに傾けて押すといいと支店長に教わりました」と言う。左側に上席者のハンコが並ぶので、左に傾けて押すと「礼をしているように見えるから」という理由だった。 ドラマ「半沢直樹」(TBS系)でも、過去の決裁文書にあるハンコが問題になって「法律には時効があるが、銀行員に時効はない」という半沢の台詞が印象的だった。ハンコを押した文書には、「それを見て、同意した」という責任が伴うとされる文化だったので、どこの銀行でも印鑑は厳格に管理するように要求されていたはずだ。銀行員の印鑑に対する思いは特別だ。 合併した銀行では、出身行のハンコ文化の違いが問題になることがあったという。旧A銀行では、一般行員は直径9ミリの印鑑を使うが、課長になると11ミリの少し大きな印鑑を使う風習があった。A行出身の課長Xさんは、11ミリの印鑑を押印していたのだが、旧B行(筆者の勤めた会社の親銀行だ)ではハンコをきっちり並べて整然と押す風習があった。そのため、ある時B行の出身者に「あなたのハンコは大きくてスペースを取るし、しかも押し方が乱暴なので、それでどれだけの人が迷惑していると思っているのですか」と注意されたという。 外資系の銀行に転職したXさんは、「この一件でばかばかしくなって、私はあの銀行を辞めた」と言っていた。それが本当の転職理由ではないにしても、ハンコの使い方は銀行の文化に関わる問題だったのだろう。A行の出身者が「付き合いきれない」と思う気持ちも分かるし、B行の出身者が本気で腹を立てる気持ちも分かる。 ハンコには、あたかも自分の分身であるかのような、何らかの「思い」が込められるケースがあることは確かだ』、「ハンコには、あたかも自分の分身であるかのような、何らかの「思い」が込められるケースがある」、その通りだ。
・『ハンコで「助かった」ある女性の話  投資に興味がある人の集まりで、ある女性の話が記憶に残った。銀行の支店に出向いた際に応接室へ通されて、投資商品のセールスを受けたのだという。最初は担当者と差し向かいであったが、後から支店長も加わって、2人からステレオの音響のように説得を受けたという。その女性は、「今日はハンコを持っていないので、明日また来る」と言ってその場を逃れたという。 実際には印鑑を持っていたとのことなので、その女性の方が銀行員たちよりも一枚上手だったということだ。 他にもハンコのエピソードはあるのだが、意思表示の確認方法が印鑑のシステムであることが役に立ったという事例は、上記の女性のケース以外に思い浮かばない。ただし、このケースはハンコを押すことが役に立ったのではなく、「ハンコがない」という芝居が役に立ったのだから、ハンコ本来の使い方が優れていることの例証にはならない。 意思表示の確認方法がハンコでなくては困るという話は出てきそうにない。 電子的な署名技術もあるし、それ以前にサインで困らない。筆者は、外資系の会社に4社勤めたことがある。いずれの会社もハンコではなくサインを使っていたが、それで困ることは何もなかった。 ただし、ハンコをサインに変えても、本人が紙に対して直接作業を行わなければならない事態は改善しない。「決済のハンコを押すためにだけ出社する管理職」のような不便を解消することにはならない』、「「今日はハンコを持っていないので、明日また来る」と言ってその場を逃れた」ケースでは、「担当者」や「支店長」の営業姿勢の甘さが印象深い。
・『ハンコをなくしただけでは不十分 紙のやりとりを減らせるか  ある種の後進性の象徴である印鑑を、行政やビジネスの手続きから除外していくことについては、合理的な反論はできそうにない。筆者も賛成である。 ただ、ハンコをなくしただけでは「生産性」は十分向上しない。 行政的な手続きや契約書、請求書、領収書といったビジネス上の手続きが全て紙なしで電子的に行うことができて、紙の文書を保存する必要もない、という状況をなるべく早く達成したい。 ことビジネスだけを考えるとしても、紙の文書を作成する手間や郵送等で届けるコスト、さらに保管のスペースなど、仕事に紙が関わることによって発生する時間と金銭の無駄は膨大だ。もちろん、紙の文書に押印やサインするための通勤のコストも含まれる。 一気に行うことができて効果が大きいのは、やはり行政のデジタル化だろう。技術的にできない理由は思い浮かばない。政府の意思決定だけで行うことができるし、行政に関わる手続きがオンラインで行えるようになると、民間への波及効果も大きい。 記録の安全性は全て相対的なものだが、本人の確認や記録の保存などは複数のデジタル技術を組み合わせると、紙と印鑑よりもずっと堅牢なシステムを作ることが可能なはずだ。紙は散逸したり燃えたりすることがあるし、印鑑も(サインも)偽造が可能だ。 各種の役所の窓口に、番号札を持って人が並ぶ事態を数年でなくしたいものだ。 紙による手続きや記録の保存などは、中小規模の事情者などを対象に例外としてしばらく認めておくといい。デジタルな方法の方が便利になってコストが下がると、中小事業者も仕事のやり方を変えない理由はない』、大賛成である。

第三に、10月18日付け東洋経済オンラインが掲載した立教大学ビジネススクール教授の田中 道昭氏による「日本の医療をGAFAに牛耳られない為に必要な策 個別商品・サービスでなくエコシステムがカギ」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/381666
・『デジタル庁の創設により加速すると期待される日本のデジタルトランスフォーメーション(DX)。「日本がデジタル化で遅れる決定的な構造要因国家・産業・企業における競争戦略を考える」(2020年10月3日配信)に続いて、特に「ヘルスケア分野」におけるデジタルトランスフォーメーションに着目して解説します。 なぜヘルスケア分野に注目するのか。医療・介護産業はマクロとミクロが表裏一体であり、規制業種としてマクロの影響を強く受ける点が特徴です。そしてヘルスケア分野に注目する最大の理由は、菅政権の目玉として語られる規制改革(行革)、コロナ対策を含む医療政策(厚生労働)、デジタル庁(IT)の3つを三位一体に結びつけるものこそ、ヘルスケア分野でのDXだからです』、興味深そうだ。
・『テクノロジーの活用で日本を「健康先進国」へ  まず現行の医療政策の方向性を確認しておきます。具体的には地域医療構想、保健医療2035、未来投資会議の3つが示唆を与えてくれます。 地域医療構想は、厚生労働省によると「2025年に向け、病床の機能分化・連携を進めるために、医療機能ごとに2025年の医療需要と病床の必要性を推計し、定めるもの」としています。少子高齢化を受け、高齢者医療ニーズも医療費も高まるなか、全国341の「構想区域」ごとに2025年における必要な病床数を高度急性期・急性期・回復期・慢性期の4つにわけて推計、効率的な医療体制の実現につなげます。 一方、保健医療2035は「2035年、日本は健康先進国へ」という前向きなメッセージを掲げるものです。急激な少子高齢化などさまざまな課題に直面しながらも、国民の健康増進、保健医療システムの持続可能性の確保、保健医療分野における国際的な貢献、地域づくりなどの分野における戦略的な取り組みを検討します。 そして未来投資会議は、国の成長戦略につながる投資活動を政府と民間の有識者が議論する機関として誕生しました。議長は安倍晋三・前首相本人でした。菅新政権発足後、10月9日に「未来投資会議を廃止し、成長戦略会議に衣替えする」との発表がありましたが、今後、会議体自体は進化していくものの、大きな政策には変更はないと考えられます。ここでも「健康・医療・介護」は大きなテーマ。技術革新やデータの利活用による国民の健康維持・増進、医療・介護の質向上、医療従事者の働き方改革などが議論されました。 以上から読み取れるのは、国は医療の「成長産業化」に舵を切った、ということです。従来は、高齢化の進行、生産年齢人口の減少などを背景に、医療費削減をはじめとする「下りのエスカレーター」に乗るかのような医療政策に焦点が置かれました。それをテクノロジーによって「上りのエスカレーター」に乗り換えようとしている。ヘルスケア分野のDXを成功させることで、日本を健康先進国とする。これはすでに重要な国策です。 次に、マクロからミクロへと目を転じましょう。コロナ以前からヘルスケア産業にはさまざまな変化が生じていました。キーワードとしては、個別化医療、デジタル化、サービス化、未病・予防、異業種からの参入、などが挙げられます。 個別化医療とは、遺伝子情報や生活習慣、バイタルデータ等のデータを利活用することで患者個人に最適化された医療サービスを提供するものです。オンライン診療やAI創薬を始め、デジタル化はあらゆる領域に及んでいます。従来どおりの医療ではなく、より広範な「医療サービス」を異業種からの参入組が提供する事例も目立ちます。未病・予防とは、「病気を治す」より「病気を防ぐ」「健康を維持する」ことに重きを置く医療のこと。医療費削減はもちろん国民の健康増進のためにも重要な取り組みです。 なかでも見逃せないのは異業種からの参入です。医療単独で見るなら「下りのエスカレーター」にある産業かもしれませんが、美容産業や健康産業までを含んだ広義のヘルスケア産業として見るならまだまだ成長トレンドにある。そう期待する異業種のプレーヤーが増えているのです。特に目立つのはGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)に代表されるテクノロジー企業。アメリカではすでにGAFAの動きが活発であり、こぞってヘルスケアに参入しています。 そしてwithコロナの世界において、こうした変化はさらに加速しました。なかでもDXの加速は特筆すべきものがあります。マイクロソフトのサティア・ナデラCEOは2020年4月の決算発表において「この2カ月で2年分のデジタルトランスフォーメーションが起きた」と語りました。感染拡大防止策として非接触・非対面が推奨されたことで、リモート化、オンライン化、モビリティ化、分散化が一気に進んだのです。 仮にコロナが収束してもこれらの多くは「ニューノーマル」として維持されるはずです。そしてDX化の波にのるかたちで、テクノロジー企業も躍進を遂げました』、「医療費削減をはじめとする「下りのエスカレーター」に乗るかのような医療政策に焦点が置かれました。それをテクノロジーによって「上りのエスカレーター」に乗り換えようとしている」、本当かと思ったら、「医療単独で見るなら「下りのエスカレーター」にある産業かもしれませんが、美容産業や健康産業までを含んだ広義のヘルスケア産業として見るならまだまだ成長トレンドにある。そう期待する異業種のプレーヤーが増えているのです」、と言い訳をしているようだ。
・『デジタルでのエコシステムの構築が戦いの主戦場  テクノロジー企業はあくまで異業種であり、既存のヘルスケア産業に巨大なインパクトを与えることなどできない。そう考える人もいるかもしれません。確かに1つひとつのサービスを見れば、既存のヘルスケア産業に一日の長があるとも言えます。ですが、彼らはそもそも、1つひとつのサービスのシェアを奪おうとはしていません。彼らがターゲットにしているのは、ヘルスケア産業の「エコシステム」そのものです。 ここで紹介したいのはノキアの事例です。かつて「携帯電話といえばノキア」「フィンランドの奇跡」「技術の神童」と称賛されていた同社ですが、アップルのiPhoneの登場により倒産危機に追い込まれました。そこからの劇的な復活劇も興味深いのですが、ここで強調したいのは「グローバルトップ企業が異業種からの参入組により倒産寸前まで追い込まれた」という事実です。 つまりノキアには、日本のヘルスケア産業の「反面教師」としてベンチマークする価値があるのです。iPhoneが登場した当初、ノキア役員会は「iPhoneは競合ではない」とし、警戒しませんでした。ノキアのみならず、NECや東芝、富士通、ソニーなど、日本の携帯電話メーカーも同意見だったと思います。そこに落とし穴がありました。彼らは「新たな競争の脅威を予測しそこなう/甘くみる」という失敗を犯したのです。アップルはスマホというデバイスで勝負をしかけたのではありませんでした。 そのことにノキアが気づいたのは、iPhoneの勝利が決定的になったあとのことでした。そのとき、ノキアのCEOは全社員に向けてこんなメールを送りました。「競合他社のデバイスが私たちの市場シェアを奪っているのではありません。エコシステム全体で市場シェアを奪っているのです」。ここでの競合他社とはアップルであり、グーグルのことです。 ノキアも日本の電機メーカーものちにスマホを発売しましたが、そのときすでにアップルやグーグルはスマホのエコシステム全体を握っていました。つまり、スマホのハードのみならず、スマホのOS、アプリ、サービス等を含めたエコシステム全体を支配していたのです。単なるデバイスメーカーでは、勝ち目はありません』、「日本の電機メーカーものちにスマホを発売しましたが、そのときすでにアップルやグーグルはスマホのエコシステム全体を握っていました。つまり、スマホのハードのみならず、スマホのOS、アプリ、サービス等を含めたエコシステム全体を支配していたのです。単なるデバイスメーカーでは、勝ち目はありません」、「エコシステム全体を支配」が勝敗の鍵を握るようだ。
・『アップルがヘルスケア産業を破壊する  ノキアの事例から得られる示唆は次のようなものです。テクノロジー企業はエコシステム全体で異業種に勝負をしかけてくる。そしてエコシステムを構築したプレーヤーは産業に破壊的なイノベーションをもたらすことになる。現に、ヘルスケア市場においても同じことが起きています。ノキアの例におけるデバイスにあたるものは、医療機関、医療機器、医薬品、診療所、ドクター、看護師、メディカルのスタッフなど。そしてエコシステムとは、それらを包含するハード、OS、アプリ、ソフト、サービス等の全体、あるいはヘルスケア産業のバリューチェーンにおける多階層のレイヤー構造としましょう。 具体例としてアップルを取り上げます。私は自著『GAFA×BATH』(日本経済新聞出版社)において、アップルはかつてiPodで音楽市場を破壊したように、今度は「アップルウォッチでヘルスケア市場を破壊する」「メディカルビジネスのプラットフォーマーになる」と論じました。どういうことでしょうか。アップルウォッチはシリーズ4から心電図機能を搭載しており、もはや「医療機器」といっても差し支えありません。 またiPhoneに標準搭載されているアプリ「ヘルスケア」は通常「歩数」「エクササイズ時間」等が表示されるものですが、アップルウォッチと併用すると「心拍数」「心拍変動」まで表示され、異常が検知されるとリアルタイムでメッセージが届く仕組みになっています。もっとも、ここで論じたいのはこうした高機能なデバイス単独ではありません。より重要なのは、こうしたデバイスを組み込んだアップルのヘルスケア戦略であり、エコシステムのほうです。 上の図は、将来展開されるアップルのヘルスケア戦略を公開情報から筆者が予想したものです(図はリンク先参照)・・・』、確かに「アップルのヘルスケア戦略」は壮大だ。
・『アップルウォッチなどがヘルスキットに?  アップルのヘルスケア戦略を支えるのは、スマートヘルスケアのエコシステムとしての「ヘルスキット」です。ヘルスキットにはアップルウォッチやiPhoneなどのアップル製品から取得された個人の医療・健康データのほか、将来的には病院のカルテ情報などが蓄えられていきます。利用者はiPhoneに標準搭載されている健康管理アプリ「ヘルスケア」で自分のデータをチェックできるほか、将来的には医療機関との間でやりとりできるようになります。 アップルは、このエコシステムを自社商品のみならず、多くの企業が展開するヘルスケア関連のIoT機器製品群にも公開していくと考えられます。今後、アップルウォッチやiPhoneは、スマートヘルスケアのプラットフォームとしても成長し、そこではさまざまなヘルスケア関連の商品・サービス・コンテンツが展開されることになるでしょう。 それだけではありません。私は、アップルは今後、ヘルスキット、アップルウォッチ、iPhoneを基軸とし、「アップルクリニック」を事業展開すると予想しています。つまりリアルな病院やクリニックです。これが突飛な予想だとは思いません。アップルは自社製品を生かした社員用クリニックを展開してもいるのです。社員用クリニックから得られた知見をもとに高速PDCAを回し、一般向けの事業展開へとつなげる可能性は否定できません。 さらに付け加えるなら、ヘルスケアにおいて何よりも問われる信頼性や安心感においても、アップルは定評があります。健康情報はユーザーの個人情報にあたりますが、アップルはかねてから個人のプライバシーを重視し、個人データの利活用をしないことを宣言しており、そもそもできるだけ個人のプライバシー情報は個人のスマホのなかだけにとどめる「データミニマイゼーション」という概念をプライバシーポリシーの中核に据えている企業でもあるのです。かつて音楽産業をiPodで破壊したように、今度のアップルはiPhoneとアップルを起点に、ヘルスケア産業を破壊しようとしているのです。 DXの世界においてはエコシステムを構築したプレーヤーが勝利するのがゲームのルールです。かつてスマホ産業において、日本の電機メーカーはデバイスメーカーとして戦い、敗れました。そしてヘルスケア産業においても、やはりテクノロジー企業はエコシステムでの勝負をしかけてきています。 スマホ産業の二の舞にならないために、日本はどうすればいいのでしょう。ヘルスケア産業を成長産業に転換するためにも、テクノロジー企業にエコシステムの構築を主導されるわけにはいきません。世界をリードするヘルスケアエコシステムを、日本が自前で構築する必要があります。 ここからは私の意見を交えて展開しますが、私が提言したいのが、規制改革(行革)、コロナ対策(厚生労働)、デジタル庁(IT)を三位一体とするDXです。すなわちヘルスケアDXであり、ヘルスケアエコシステムの構築です(図はリンク先参照)。 ここでいう三位一体とは何でしょうか。医療政策においては、コロナ危機や同様の感染症リスク等への対応、医療費抑制、何よりも国民の保健・医療・生活の向上を推進していきます。規制改革は、オンライン診療、遠隔診療、AR/VR診療・医療、遠隔医療、医療分野でのアンビエントコンピューティング等実現のための規制緩和などを指します。デジタル政策においては、後述するシステム(利便性)×セキュリティー(安全性)×プライバシー(個人の尊厳)のバランスを図ることが肝要になります』、「ヘルスケア産業を成長産業に転換するためにも、テクノロジー企業にエコシステムの構築を主導されるわけにはいきません。世界をリードするヘルスケアエコシステムを、日本が自前で構築する必要があります」、急に愛国的なトーンになったことには違和感がある。
・『個人のIDが肝になる  この三位一体と実現するヘルスケアエコシステムとして私が提言するのが下の図です(図はリンク先参照)。 そもそもエコシステムは、複数の階層(レイヤー)が積み重なり、各階層にさまざまなプレーヤーが参画するところに特徴があります。私が提案するヘルスケアエコシステムは、底辺にマイナンバー/PHR(IDレイヤー)を置きます。これがすべての階層を支えるインフラです。PHRとはパーソナル・ヘルス・レコードの略称で、これまで複数の病院や薬局などに散らばっていた個人の健康関連の情報を一箇所に集約する仕組みをいいます。個人が自分のデータにアクセスし、健康管理や治療、予防・未病対策に活用することが狙いです。またPHRはマイナンバーと同じく個人のIDとしての役割を果たすものでもあります。 このIDを起点にすべてのサービスを構築していきます。例えば、医療ポイントによる決済・支払い・入金です(医療ポイントレイヤー)。決済・支払い・入金サービスもエコシステムのなかにビルトインされているのです「医療ポイント」としたのは、今回のドコモ口座など電子決済の不正取引問題を背景に、銀行口座と決済・支払い・入金用アプリを紐付けることに抵抗感を覚える人が一定数存在するためです。そこで決済・支払い・入金などは医療ポイントでまかなえる選択肢を用意し、銀行口座と決済・支払い・入金用アプリを紐付けるかどうかは個人の判断に任せることにします。 医療・健康データ(モバイルデバイスレイヤー)は、前述のアップルのエコシステムの事例でいうと、標準搭載のヘルスケアアプリに歩数などが集積するiPhone、心電図機能に血中酸素濃度センサーまで搭載するに至ったiPhoneなどがあたります。健康データを超えて医療データまでを集積するデバイスを、GAFAに委ねるのではなく、日本独自に、国と企業が一体になって推進していくのが望ましいと私は考えます。 その上に、電子カルテデータ(医療機関レイヤー)があります。現状、多くの医療機関に電子カルテが導入されていますが、問題はそのデータが医療機関ごとに分断されていること。そのバラバラの電子カルテデータを、このレイヤーで統一、連携できるようにします。) 健康サービスデータ(サービスレイヤー)は、さらにその上に乗る医療機関サービス、行政サービス、健康・保健サービス、医薬品・医療機器などのデータが直接的に蓄積されるインフラの役割を果たします。医療機関サービスはその名の通り、病院やクリニックなどで提供されるサービスのこと。行政サービスは保健所を含む、医療や介護に関わる行政サービス全般を指します。健康・保健サービスは、フィットネスジムなど民間のヘルスケアサービス全般。医薬品・医療機器は、医薬品メーカーや医療機器メーカーが提供するサービスであり、それらが集積しているデータのことです。 これら各レイヤーがマイナンバー/PHR(IDレイヤー)の上に構築されると、誰がどのようなヘルスケアサービスを受けているのか把握できるようになるとともに、そこで蓄積されたさまざまなデータが、各サービスの改善、そしてユーザーにとっての利便性向上のために活用できるようになります。 こうしたエコシステムの構築にあたって、最も重要であり、しかし見落とされがちなのは「ユーザー起点」であることです。行政や医療機関の業務効率化にも貢献できるエコシステムであるのは事実ですが、なによりも個人の利便性を向上させるものであることを、忘れてはいけません。アマゾンは「地球上で最も顧客第一主義の会社」になることをミッションとしていますが、これについてジェフ・ベゾスCEOは「顧客をその人の宇宙の中心に置いてあげる」と表現しています』、「エコシステムの構築にあたって、最も重要であり、しかし見落とされがちなのは「ユーザー起点」であること」、なるほど。
・『便利さ、使いやすさを何よりも意識する  つまり個人にとっての便利さ、使いやすさを何よりも意識するということ。PCにしろスマホにしろ、すべてのITサービスにユーザーフレンドリーが厳しく問われる昨今です。私たちがすっかり慣れ親しんでいる「ワンクリックで買い物ができるECサイト」「サクサク動くスマホ」と同等のユーザビリティがなければ、どれだけ高機能でも、そのエコシステムは利用者を集められないのです。 と同時に、前稿でも指摘したシステム(利便性)×プライバシー(個人の尊厳)×セキュリティー(安全性)の三位一体のバランスには、最新の注意が払われなければなりません。システムに蓄積されるデータを利活用されるにしても、それは企業の利益追求より、「個人が自分の健康情報を把握できる」というユーザーの利便性が優先されるべきです。それらデータは個人情報にあたるため、扱いには万全のセキュリティーが求められます。さらに、他人の目にさらされてはいけないという意味で、プライバシー(個人の尊厳)が絶対的に守られなければなりません。良い例に韓国のマイマンバー制度があります。個人情報へのアクセスは、政府機関からのアクセスであってもすべてアクセスログがとられ、アクセス違反があれば違反度合いに応じて厳しく処罰されます。 また個人情報へのアクセスは個人のポータルサイトから確認でき、住民票が発行されるとプッシュ通知が来る仕組みに。こうしてシステム(利便性)×プライバシー(個人の尊厳)×セキュリティー(安全性)の三位一体を構築してこそ、利便性の追求も加速できるのです。大切なのは部分最適ではなく、三位一体の全体最適だと言えます』、「便利さ、使いやすさを何よりも意識する」といっても、「セキュリティー」や「プライバシー」の確保と相反することもある筈だ。
・『医療機関のマインドセットを刷新する  最後に、DXに直面するヘルスケアの現場には「マインドセット」の刷新を求めたいと思います。大きな示唆を与えてくれる本を紹介します。『心をつなぐ医療機関UCLAヘルスケアシステム患者満足度95%へと導いた最強のリーダーシップ』(ジョゼフ・ミケーリ著、月沢李歌子訳、日本経済新聞出版)です。アメリカの医療機関UCLAヘルスシステムは、独自の行動原則やマネジメントにより極めて高い患者満足度を実現したことで知られています。なかでも有名なのは「CICARE」と呼ばれるバリュー(価値観)です。CICAREとは、各バリューの頭文字をとったものです。 ここから読み取れるのは、テクノロジー企業と同様の、徹底的な顧客(=患者)至上主義です。私は、それこそ日本のヘルスケア、特に医療の現場に欠けているものだと痛感した経験があります。アメリカに留学したときのことです。ある日病院を訪れた私は、診察室で「きょうはドクターの〇〇、看護師の〇〇、〇〇のチームで医療サービスを提供します」といった自己紹介を受けました。その挨拶1つで、どれだけの信頼感、安心感が生まれたかわかりません。 いわば、アメリカの医療機関は「サービス従事者」としての意識が高い。もちろん高い専門性を持ったプロフェッショナルとして非常にリスペクトされているのですが、同時に医療をサービス業と考え、患者を第一に考える価値観がありました。残念ながら、こうしたサービス従事者としての意識が、日本の医療現場には希薄です。 医療はサービス業である。DXが進み、異業種からの参入組も増えてくると、そのことに日本の医療機関も直面せざるをえなくなるでしょう。これからコンペティターとなるのは、医療機関ではなく、アップルを始めとするテクノロジー企業であり、彼らほど顧客第一主義を追求しているプレーヤーはいないからです。前回も触れたように、DXの本質は「企業DNAをスタートアップ企業のようなDNAに刷新すること」にあります。テクノロジー企業の侵攻に対抗するためにも、まずはマインドセットを刷新し、「医療もまた顧客を第一に考えるサービス産業である」という原点に立ち返るのが望ましいのです』、総論的には同意するが、一部の医療機関が顧客サービス向上のコンサルティングを受けて、職員が患者をXX様といったように馬鹿丁寧に接しているのには驚かされた。サービスの本質とは関係ない行き過ぎは、微笑ましいが、無駄の骨頂である。はき違えずに本質的改善を期待したい。
タグ:東洋経済オンライン 野口 悠紀雄 ダイヤモンド・オンライン 現代ビジネス 山崎 元 民間デジタル化促進策 (その1)(日本のITが時代遅れになる根本原因はSIベンダーの言いなり体制 メインフレーム時代以来の強固な縦割り、印鑑さよならで思い出す金融業界の逸話 「押す角度・直径」に文化あり、日本の医療をGAFAに牛耳られない為に必要な策 個別商品・サービスでなくエコシステムがカギ) 「日本のITが時代遅れになる根本原因はSIベンダーの言いなり体制 メインフレーム時代以来の強固な縦割り」 日本ではSIerの役割が重要 日本企業や官庁はSIerに丸投げ 発注側で評価する能力がないから、古いシステム が温存され、コストが嵩み、効率が下がる。そして、SIer は、独自システムの維持に執着するのだ 縦割り社会の弊害が現れている 省庁や自治体がバラバラに情報システムを構築する 組織のトップが方向づけの能力を持たない 日本の組織のトップは、有名なベンダー企業に頼んだから大丈夫という考えに陥りがちだ 「組織のトップはITの細かいことなど知らなくてよい」と、多くの人が考えている」、こうしたトップのIT軽視が、部下たちにも伝わる筈だ 台湾は日本の遥か先を行く 「オードリー・タン」氏を「登用し、思うままの活動をさせる蔡英文総統の洞察力と指導力にも敬服せざるを得ない」 「印鑑さよならで思い出す金融業界の逸話、「押す角度・直径」に文化あり」 印鑑と共にあったサラリーマン生活前半 金融業界ならではの思い出は数多い ハンコには、あたかも自分の分身であるかのような、何らかの「思い」が込められるケースがある ハンコで「助かった」ある女性の話 ハンコをなくしただけでは不十分 紙のやりとりを減らせるか 田中 道昭 「日本の医療をGAFAに牛耳られない為に必要な策 個別商品・サービスでなくエコシステムがカギ」 テクノロジーの活用で日本を「健康先進国」へ 医療費削減をはじめとする「下りのエスカレーター」に乗るかのような医療政策に焦点が置かれました。それをテクノロジーによって「上りのエスカレーター」に乗り換えようとしている 「医療単独で見るなら「下りのエスカレーター」にある産業かもしれませんが、美容産業や健康産業までを含んだ広義のヘルスケア産業として見るならまだまだ成長トレンドにある。そう期待する異業種のプレーヤーが増えているのです」 デジタルでのエコシステムの構築が戦いの主戦場 日本の電機メーカーものちにスマホを発売しましたが、そのときすでにアップルやグーグルはスマホのエコシステム全体を握っていました。つまり、スマホのハードのみならず、スマホのOS、アプリ、サービス等を含めたエコシステム全体を支配していたのです。単なるデバイスメーカーでは、勝ち目はありません アップルがヘルスケア産業を破壊する アップルのヘルスケア戦略 アップルウォッチなどがヘルスキットに? ヘルスケア産業を成長産業に転換するためにも、テクノロジー企業にエコシステムの構築を主導されるわけにはいきません。世界をリードするヘルスケアエコシステムを、日本が自前で構築する必要があります 個人のIDが肝になる エコシステムの構築にあたって、最も重要であり、しかし見落とされがちなのは「ユーザー起点」であること 利さ、使いやすさを何よりも意識する 医療機関のマインドセットを刷新する
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電子政府(その2)(政府CIO補佐官に聞く 行政のデジタル化が進まない理由と脱却のシナリオ、:菅政権新設の「デジタル庁」は20年来の公約違反を解消せよ…! 全行政手続きオンライン化はどうなった) [経済政策]

電子政府については、7月4日に取上げた。今日は、(その2)(政府CIO補佐官に聞く 行政のデジタル化が進まない理由と脱却のシナリオ、:菅政権新設の「デジタル庁」は20年来の公約違反を解消せよ…! 全行政手続きオンライン化はどうなった)を紹介しよう。

先ずは、8月6日付けITmediaビジネスオンライン「政府CIO補佐官に聞く、行政のデジタル化が進まない理由と脱却のシナリオ 」を紹介しよう。
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2008/06/news041.html
・『全国民に一律10万円を給付する特別定額給付金を巡り、いくつかの自治体でトラブルが報告されている。給付に時間がかかるといったものから、二重払いするミスまで、人海戦術で解決しようという動きを垣間見るに、現場の疲弊ぶりは相当なものと推測される。 いち国民としては、「戸籍もあるし、銀行口座引き落としで納税もしている。国や自治体は当然そういったデータを使って、スムーズに給付できるはずだ」と思ってしまうが、実はここに落とし穴がある。 例えば、行政機関が保有する住民の氏名データは、制度上、漢字のみでフリガナは便宜上登録されているにすぎない。一方、全銀ファイルの氏名はカナしか存在しない。そのため、突合でエラーになることがある。制度がもはや社会の実態に即していないのだ。何らかのユニークキーによってデータが一元的に整理されていれば、ここまでの混乱はなかったかもしれない』、「行政機関が保有する住民の氏名データは、制度上、漢字のみでフリガナは便宜上登録されているにすぎない」、初めて知った。「全銀ファイルの氏名はカナしか存在しない」、各銀行プロパーのシステムで漢字も入っているが、共通の「全銀ファイル」では「氏名はカナしか存在しない」ということのようだ。
・『この国の制度は、100年前からほとんど変わっていない  コロナ禍で、広く国民が実感することとなったデジタル化の遅れ。それもそのはず、今の行政の基礎が出来上がったのは100年前の明治時代。私たちは100年前からずっと、窓口へ行き、手書きで書類を埋め、ハンコを押してきた。もちろん、自動処理などは想定されていない。 デジタル化が進まないのは、日本の閣僚にオードリー・タン氏のような天才エンジニアがいないからではない。最も足かせとなっているのは、100年にわたって蓄積されてきた戸籍、商業登記といった紙の処理を前提とした業務と膨大なデータ。それを社会の変化に応じて改善してこなかった歴史だ。 このことは、グローバル社会における日本の競争力にも暗い影を落としている。例えば、海外の投資家が日本企業に投資しようとする場合、資本金や業績、社長、株主といったデータをもとに投資先を選定する。それらが整理されていなければ、有望な投資先は世界中にあるのだから、日本企業には投資しない。逆に日本から海外に投資する場合も、米国企業に投資すべきか、アフリカ企業に投資すべきか判断しやすくしたい。日本が競争力を取り戻すためには、国際社会の要請に応え、流通するデータを整備することが不可欠なのだ』、「最も足かせとなっているのは、100年にわたって蓄積されてきた戸籍、商業登記といった紙の処理を前提とした業務と膨大なデータ。それを社会の変化に応じて改善してこなかった歴史だ」、その通りなのだろう。
・『日本はまだ、デジタル社会の基盤ができていない  「行政がデータの整備を先延ばしにしてきたことが、民間のデータ活用にも影響を及ぼしている」と語るのは、データマネジメントの専門家で、政府CIO補佐官を務める下山紗代子氏だ。 「企業が、行政のデータソースを組み合わせて1つのデータにするとき、統一のコードが入っていないので、どれとどれが同一の情報なのかすぐに判断できません。そのため、多くの企業が多大なコストをかけてデータを整備するところから始めます。それが終わってようやくデータ活用のスタートラインに立てる。それが実情なのです」(下山氏) 行政はこれまで、「データを活用する」という発想が希薄だった。そのため、サービスを立ち上げるごとにデータを整備し、終了とともにデータを消去したり、再利用不可能な状態で保管するといった非効率的な運用をしてきたという。行政が一元管理するデータソースや標準化されたデータを提供できれば、企業のデータ活用のハードルは格段に下がるはずだ。 下山氏は、政府CIO補佐官の活動以外に、シビックテック「Code for Japan」(オープンデータやオープンソースを活用して東京都の「新型コロナ感染症対策サイト」を開発し、話題となった)にもコミットし、東京都以外の自治体も同様のサイトが運用できるよう、総務省や内閣官房などと連携し、自治体とシビックテックをつなぐ標準のデータテンプレートを整備した。下山氏は、このようなデータを巡る地道な活動が、デジタル社会の礎になると考えている。 2020年3月に発表された「デジタル・ガバメント実現のためのグランドデザイン」では、行政のデジタル化を実現するための方向性が示されている。52ページにわたるその文書では、「データファースト」をはじめ、「ユーザー体験の向上」「政府情報システムのクラウド化・共通部品化」といった、これまでのお役所らしからぬフレーズが並ぶ。 歴史をひもとくと、日本の高度経済成長の裏には、国土交通省の「全国総合開発計画」があった。工業団地や住宅地といった社会基盤を整備することで、人が集まり、ビジネスが生まれ、日本の競争力は高まっていった。今の日本は、デジタル社会の競争力獲得に向けた基盤づくりに、ようやく本腰を入れた段階だと言えよう』、「行政はこれまで、「データを活用する」という発想が希薄だった。そのため、サービスを立ち上げるごとにデータを整備し、終了とともにデータを消去したり、再利用不可能な状態で保管するといった非効率的な運用をしてきた」、驚くべき非効率だ。「デジタル・ガバメント実現のためのグランドデザイン」で少しでも前進することを期待したい。
・『デジタル技術を使いこなせないと揶揄(やゆ)される日本の現在地  「政府のIT予算は、年間5000億円にも上りますが、デジタルによる本格的な業務改革に政府CIO補佐官がかかわるようになったのは、ごく最近のことです」――そう明かすのは、内閣官房 政府CIO上席補佐官の平本健二氏だ。 政府CIO補佐官とは、各省庁のIT部門と連携して行政サービスの開発などに当たる民間出身のIT専門家だ。以前は、大規模システムのプロジェクトマネジメントを経験した年齢の高い人が中心で、仕様書のレビューや相談役のような役割を担っていた。しかし、クラウド、AI、IoTといった新たな技術の実用化が進むと、個々の技術への深い造詣が求められるようになっていった。ある種の権威や経験がほとんど意味を成さなくなってからは、平均年齢も若くなり、現在の最年少政府CIO補佐官は20代後半だ。 前述の、「デジタル・ガバメント実現のためのグランドデザイン」(以下、「グランドデザイン」)は、初めて政府CIO補佐官が中心となって策定された。 「戦略はホチキス」といわれる。いろいろな人が文書を持ち寄ってホチキスで留めれば戦略になるという皮肉だが、行政職員が持ち寄る戦略は実現可能性を重視するため、どうしても現在のケーパビリティから思考してしまい、予測不能なデジタル社会の未来を描くには適さない。その点、今回の「グランドデザイン」は、IT専門家が考える「日本のあるべき未来」とその「道筋」が具体的に示されており、100年続いてきた制度の壁を超える意欲が込められている。ここからは、政府CIO補佐官たちと「グランドデザイン」を読み解いていく』、「現在の最年少政府CIO補佐官は20代後半だ」、こんなに若いのであれば、現場の言いなりになってしまうのではなかろうか。
・『サービスデザイン思考で、使いにくい行政サービスを変える  行政のデジタルサービスを、「使いにくい」と感じる人は少なくないだろう。現にある自治体では、オンラインでの特別定額給付金申請において約6割に不備があり、郵送での申請に一本化する事態となった。 LINE AIカンパニーCEOで、サービスデザインの専門家として政府CIO補佐官に加わった砂金信一郎氏は、行政のデジタルサービスが使いにくい理由をこう指摘する。 「ネット企業が提供するオンライン申請フォームは、ランディングページから何人が遷移し、どの項目で何回エラーが発生し、最終的にどれくらいが申し込み完了に至ったかというデータを計測しながら、UI/UX(注)の改善を図っています。一方、行政のオンライン申請フォームは、使いにくさを定量的に測る習慣がありませんでした」(砂金氏) 行政のデジタルサービスは、平均的なユーザーを想定し、単一的なUIを提供してきた。UXという考え方は、そもそも存在すらしていなかっただろう。行政側は、「使いにくくても使わせる」ではなく、「誰もが簡単に使えるサービスの提供」へと早急に発想を転換する必要がある』、(注)UI/UX:ユーザーインターフェイス(UI)とユーザーエクスペリエンス(UX)。後者は経験や体験とされるが、確定した定義はない(Wikipedia)。
・『行政のサービスも「出して終わり」ではない  使いにくい行政サービスと、洗練された民間サービスの違いは、運用開始後の対応にも現れる。行政サービスも「出して終わり」ではなく、プライバシーへの配慮を大前提としつつ、ユーザーの使い勝手を把握し、継続的に改善していく必要がある。 砂金氏は現在、経済産業省が運営するオンライン補助金申請サービス「jGrants」のUI/UX改善に取り組んでいる。目的は、補助金を必要とする事業者がつまずくことなくスムーズに申請できるようにすることだ。調達仕様書では、「申請完了率の向上」と「申請完了までの時間短縮」を成功指標として掲げている。これは、行政職員が「使いやすくなった」と感じれば良しとされてきたこれまでのサービス開発に、NOを突きつけるものだ。 「こういった取り組みはまだ始まったばかりですが、うまくいけば、他の省庁や自治体のオンライン申請フォームにも横展開していきたい」(砂金氏)』、「ユーザーの使い勝手を把握し、継続的に改善していく」、結構なことだ。
・『外部委託先への丸投げを是正する  さらに砂金氏は、「行政のサービス開発をベンダーや外部委託先に丸投げしている現状も問題だ」と指摘する。 「他国を見ていると、自分たちのシステムは自分たちで作るというのが基本姿勢です。ところが日本の場合、行政機関側にエンジニアが一人もいないというプロジェクトも少なくありません。仕様書通りに納品されたらお金を払って終わり――まずはその状態を是正しないと、良いサービスは作れません」(砂金氏) 新たな問題は、ベンダーや外部委託先との既存の契約が、アジャイル開発に適したものになっていないということだ。 アジャイル開発とは、多くの先進企業が採用するソフトウェア開発手法の1つで、ニーズの変化に柔軟に対応できることが特徴だ。計画段階では厳密な仕様を決めず、だいたいの仕様と要求だけを決めておく。その上で、動作するソフトウェアを短期間で作り上げ、検証し、改善するといったサイクルを繰り返していく。「グランドデザイン」でも、アジャイル開発の推進が掲げられている。 しかし、「仕様書通りに納品されたらお金が支払われる――という既存の契約条件では、アジャイル開発の推進は難しいのです。なぜなら、アジャイル開発の特性として、最初に作ろうとしていたものと、最後に出来上がったものが違う可能性があるからです」(砂金氏) 違う=より良いサービスになったからいいじゃないか、では通らない。行政の財務会計担当者からは、「違うものが納品されたのに、なぜお金を払わなきゃいけないんだ」といわれることがあるという。 「周囲の理解がないままテクノロジーの論理だけで進めても、誰もついてきてくれないという例ですね。現場の理解を得ながら、これからの時代に合った契約内容や調達仕様書を作っていくのも政府CIO補佐官の役割です」(砂金氏)』、「仕様書通りに納品されたらお金が支払われる――という既存の契約条件では、アジャイル開発の推進は難しいのです。なぜなら、アジャイル開発の特性として、最初に作ろうとしていたものと、最後に出来上がったものが違う可能性があるからです」、「アジャイル開発」の料金はどう決めるのだろう。
・『民間サービスとの融合で、さらに便利に  「グランドデザイン」では、今後、行政と民間のサービスを融合することで、使いやすいサービスを提供していくと示されている。ここで鍵となるのは、行政サービスのAPI(注)化と、そのAPIの質向上だ。 APIを活用すれば、これまでの行政の調達スタイルと違い、行政と民間はそれぞれ独自にサービス開発を進められる。必要に応じ、APIを介してそれらを連携すれば、さらに高度なサービスを生み出せる可能性がある。また、連携の自由度は、さまざまな企業の参入、競争にもつながる。これが結果として、ユーザーの利便性向上につながると期待されているのだ。 みずほフィナンシャルグループで金融APIを公開し、スタートアップや異業種との連携を進めている大久保光伸氏は、政府CIO補佐官としてもこの領域に力を入れている。 「政府にはAPIの簡単なガイドブックはあるのですが、標準化できるようなAPIの基準がないので、民間のAPI事例を政府側に反映することにしたのです」(大久保氏) 民間の第一線で起こるムーブメントや成功事例を積極的に取り入れるなど、デジタル社会に向けて、行政も大きく変わろうとしている』、(注)API:アプリケーションプログラミングインタフェース、広義ではソフトウェアコンポーネント同士が互いに情報をやりとりするのに使用するインタフェースの仕様(Wikipedia)。
・『政府CIO補佐官が、霞が関に染まらないために  組織が変わるとき、そこには大なり小なり痛みが伴う。ましてや、100年続いたやり方や価値観を大きく変えようとなれば、反発ややりづらさもあるだろう。そこで、民間からやってきた政府CIO補佐官が霞が関でも力を発揮できるよう、土壌づくりに奔走する人がいる。経済産業省 デジタル化推進マネジャーの酒井一樹氏は、政府CIO補佐官と行政職員との橋渡し役だ。 「政府CIO補佐官たちが魂を込めて仕様を策定したのに、サービスが出来上がるころには魂が抜けてしまう、といったことは往々にしてあります。現場にマインドまできちんと伝えていく必要があります」(酒井氏) 政府CIO補佐官は、行政にどっぷりつかりながらも、IT専門家としての視点や独立性を保つ必要がある。しかし、鳴り物入りで入った政府CIO補佐官の中にも、独特の雰囲気に飲まれ、霞が関に染まっていく者が出てくるという。 「『自分も霞が関曼荼羅(パワーポイント1枚に全て入っているようなビジーなポンチ絵)が描けるようになりたい』とか言うようになったらマズいです。そんなのは描けなくていいんだよと伝えます。過渡期だからこそ、ビジョンやミッションにもとづいたチームビルディングやコミュニティー作りが重要なのです」(酒井氏)』、「鳴り物入りで入った政府CIO補佐官の中にも、独特の雰囲気に飲まれ、霞が関に染まっていく者が出てくるという」、人間である以上、ある程度やむを得ないのかも知れない。
・『外から批判するだけじゃカッコ悪い  一連の試みに対し、訳知り顔で「エストニアのX-roadを買ってくればいいじゃないか」と言う人もいるという。しかし、電子国家エストニアも一朝一夕にできたわけではない。長い間、地道にデータを整備し、土台があるからこそ使いやすい行政サービスが構築できたのだ。 「いつの時代でも、ツールだけなら最先端のものを買ってこれます。しかし、燃料がないところにポルシェを買ってきても意味がないのと同じように、それを生かすためのデータがなければ意味がない。データの整備は10年かかる。欧米はこれから2年でツールの整備し、2030年をターゲットにデジタル国家を目指している。日本もこの2年が勝負です」(平本氏) データの整備は、地味で目立たず手間のかかる仕事だ。しかし、予算がない、面倒くさいと言い訳をしてまた先延ばしにするのなら、日本はこれからもIT後進国への道を歩み続けることになる。 「行政サービスを使いにくいと批判するだけなら誰にでもできます。でも、それだけじゃ何も変わらないし、エンジニアとしてカッコ悪いなと感じている方は、ぜひ政府CIO補佐官に名乗りを上げてほしいです」(砂金氏) デジタル社会は、行政がエンジニアを大量採用したり、外部委託先が考えを改めてくれたらすぐにやってくるものではない。日本のIT業界に横たわる「分厚い壁」を取り払うことが、デジタル社会の実現を推し進めることにつながる。 「日本のIT業界は、SIをはじめエンタープライズ系の方々と、アプリなどを提供するWebサービス系の方々との間に文化的な隔たりがあります。お互いがお互いを小馬鹿にする場面も見られ、非常に良くありません。エンタープライズ系の方には、こんなのお遊びだと思わずに、アプリの裏側でどれだけ高度な処理がなされているのか興味を持ってほしい。Webサービス系の方には、社会を支えるミッションクリティカルなシステムに関心を持って近寄ってみてほしい。デジタル社会の実現に向けて、日本のIT業界はどうしていくべきか、皆で考える時期に来ています」(砂金氏) 行政やエンタープライズがデータを整備し、Webサービス系やシビックテックがインタフェースを作る、そのうち人材も交わっていき……といったように、尊敬と信頼にもとづく協業関係をIT業界全体で醸成できるかどうかが試されている』、「欧米はこれから2年でツールの整備し、2030年をターゲットにデジタル国家を目指している。日本もこの2年が勝負です」、「欧米」も「2030年をターゲットにデジタル国家を目指している」、とは初めて知った。「日本のIT業界は、SIをはじめエンタープライズ系の方々と、アプリなどを提供するWebサービス系の方々との間に文化的な隔たりがあります。お互いがお互いを小馬鹿にする場面も見られ、非常に良くありません」、狭い世界で、お互いに足の引っ張り合いをするのは、止めにしたいものだ。

次に、9月27日付け現代ビジネスが掲載した大蔵省出身で早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による「菅政権新設の「デジタル庁」は20年来の公約違反を解消せよ…! 全行政手続きオンライン化はどうなった」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/75891?imp=0
・『「行政手続きのすべてをオンライン化する」という2001年の公約が、いまだに実現されていない。デジタル庁の最初の仕事は、この公約違反状態を解消することだ。 その試金石は、外国では広く行われている運転免許証書き換えのオンライン化だ。それがすぐには難しいとしても、せめて自主返納 はオンライン化すべきだ。それさえできないのでは、事態は絶望的だ』、「「行政手続きのすべてをオンライン化する」という2001年の公約が、いまだに実現されていない」、初めて知った。
・『20年間放置されている公約  デジタル庁設置は、菅義偉内閣の目玉政策だ。 政府内部の仕事のオンライン化がもちろん必要だ。定額給付金でオンライン申請が混乱したこと、テレビ会議が満足にできなかったこと、そして感染者情報把握にいまだにファクスを使っていることなどが問題視された。そうした状況を改善することは、1日も早く必要なことだ。 国民の側からいえば、行政手続きのオンライン化を是非進めて欲しい。 「2003年までに、国が提供する実質的にすべての行政手続きをインターネット経由で可能とする」。これは、政府の「eJapan 戦略」が2001年に決めたことだ。そのための法律まで作った。 では、この公約はどの程度実現できたか? 現在、政府手続きでオンライン化されているのは、わずか5%だ。ほぼ20年間の公約違反状態! かくも長きにわたって、オンライン化は絵に描いた餅にすぎなかったのだ。行政手続きには、いまだに紙の書類とハンコが要求される。このため、在宅勤務が完結しない。 スイスのビジネススクールIMDが今年の6月に発表した「IMD世界競争力ランキング2020」で、日本は34位だった。これは、過去最低だ。日本は、1992年までは首位にいた。 デジタル技術では、日本は62位だった。対象は63の国・地域だから、最後から2番目ということになる。 デジタル庁 の最初の仕事は、上記の公約違反を早急に解消することだ。そのためにまず必要なのは反省だ。2001年 eJapan戦略の公約がなぜ実現できなかったのか? どこが問題だったのか? 政府は、この検証報告を2ヶ月以内にまとめるべきだ。反省なくして失敗を克服することはできない』、全く同感である。
・『運転免許証書き換えのオンライン化を  行政手続きのオンライン化ができるかどうかの試金石は、運転免許証更新のオンライン化 だ。これができなければ、他のすべてをオンライン化できても、デジタル化は失敗といわざるをえない。 もともと、日本の運転免許証は、欧米に比べて厳格過ぎる。国によって交通事情は異なるから単純な比較はできないが、アメリカのカリフォルニア州では極めて簡単だ。私は、自分の車を試験場まで自分で運転して行って試験を受けた。 最初に免許を取得する場合はやむを得ないとしても、更新の手続きは、簡略化し、オンライン化すべきだ。視力検査は眼科医でできる。高齢者の認知テストもオンラインでできるはずだ。 私は、20年ほど前に、カリフォルニアの免許証を日本から更新したことがある。2013年1月にEU基準での改正となるまでは、ドイツやフランスの免許証は更新なしで、無期限に使えるものだった。改正後も、15年の期限だ。そして、更新もオンラインでできる国が多い。 世界的標準である更新のオンライン化が日本では簡単にはできないというのなら、せめて、運転免許証の自主返納 はオンライン でできるようにしてほしい。なぜ試験所や警察に出頭する必要があるのか、まったく理解できない。 運転免許証の自主返納 では、何の試験も必要ない。本人確認と免許証の真正性が確保できればよい。これができなければ、他の手続きの オンライン化 ができるはずはない。 テストケースとして、まずこれをやってはどうか? これができれば、多くの人が歓迎するだろう。これさえできないというのであれば、事態は絶望的だ。デジタル庁など作っても、予算の無駄使いでしかない』、「運転免許証の自主返納 では・・・本人確認と免許証の真正性が確保できればよい。これができなければ、他の手続きの オンライン化 ができるはずはない」、その通りだ。
・『スマートフォンアプリ化では情報漏出の危険  運転免許証について、デジタル化との関連で政府は何をしようとしているか? 報道によると、運転免許証とマイナンバーの紐付けを行うことを検討しているそうだ。スマートフォンのアプリに保存することで、偽造防止や利用者の利便性向上につなげるのだという。 しかし、スマートフォンのアプリに保存することで利便性が向上するだろうか? その逆に、リスクが高まるのではないだろうか? 万一、スマートフォンを紛失した場合に、情報が漏出する危険がある。また、最近起こっているデジタル決済での預金不正引出し事件を考えると、スマートフォンを紛失しなくとも情報が漏出する危険がある  雇用調整助成金の申請システムなど、政府が作ったオンラインシステムには、情報漏洩事故を起こしたものがある。これを考えても、あまり信頼できない。私なら、こうした問題の深刻さを考えて、とてもこのアプリはダウンロードできない。 国民が望んでいるのは、こうしたことではなく、デジタル化による手続きの簡略化なのだ』、その通りだ。
・『デジタル化とは既得権の切崩し  運転免許証のデジタル化が難しいのは、日本では免許証交付と更新が産業化してしまっているからだ。教習所を含めて、巨額の収入をあげ、膨大な職員を養っている。 高齢者の更新の場合には、安全確保の名目の下に、必要性の極めて疑わしい研修が義務付けられている。多くの人は、金を払ってもよいから教習所まで出向く時間はなしにしてほしいと思っているだろう。そして、コロナ下では、3密を回避したいと、切に願っているだろう。 しかし、これらをデジタル化すれば、現在の利権の多くは失われてしまう。だから決して簡単なことではないのだ。 この問題に限らず、日本におけるデジタル化とは、技術の問題というよりは、利権と既得権を切崩せるかという問題なのだ。これは、決して容易でない。一朝一夕に実現することではない』、「日本におけるデジタル化とは、技術の問題というよりは、利権と既得権を切崩せるかという問題なのだ。これは、決して容易でない。一朝一夕に実現することではない」、本質をズバリと突いた的確な指摘だ。私も「高齢者」「講習」を受けさせられたが、単なる「教習所」救済策との印象を強く抱いた。
・『まだファクスを使っている!  もう1つの問題は、仮にデジタル化しても、述べた適切なシステム作れるかどうかだ。これについて以下に述べよう。 9月6日公開の「厚生労働省のITシステムは、なぜこうも不具合が多いのか?」で述べたように、コロナ感染の状況を調査するためのシステムは、混迷を極めている。 最初は、NESIDという仕組みで情報を収集していた。これは、医療機関から保健所にファクスで感染届けを送り、それを保健所が集計して都道府県などに送るというシステムだった。ところが、感染が拡大してくると、ファクスではとても処理できなくなる。 そこで、HER-SYSというオンラインシステムが導入された。これは、発生、感染者の経過、濃厚接触者など、必要なデータをすべて処理するものだ。これによって、保健所の負担軽減を目指した。また、国や都道府県、保健所が情報を共有し、対策に生かすことが期待された。5月下旬から導入が始まり、保健所を設置する全国155自治体すべてに入力・閲覧権限が与えられた。 ところが、感染者が多い都市部で、この利用が広がっていないというのだ。9月21日の朝日新聞の記事「HER-SYS 道半ば」が伝えるところによると、東京都では、依然、保健所が医療機関から発生届をファクスで受け取り、HER-SYSに入力している。 横浜市も医療機関による入力は2割に満たず、残りは保健所の職員が打ち込む。大阪府でも保健所が発生届を入力している。保健所の業務量は、増えるだけだという』、「横浜市も医療機関による入力は2割に満たず、残りは保健所の職員が打ち込む」、「医療機関」の多くは既に独自のシステムをもっており、「HER-SYS」へ入力すると二度手間になるからだろう。
・『デジタル化すればよいわけではない  なぜこんなことになってしまうのだろう? 細かい理由はいろいろあるが、要するに、「HER-SYS使いにくいから、保健所や公共団体にそっぽを向かれている」という単純なことのようだ。「HER-SYSは予算の無駄使い」と言わざるをえない。 いまもっとも緊急に必要な情報がこの有様だ。 「データに基づく判断が重要だ」とはしばしば言われる。まったくそのとおりだ。しかし、現在の日本では、データが迅速に得られず、信頼もできない、という状態なのだ。 接触感染アプリは、HER-SYSの情報をもとにして通知を行っている。HER-SYSが以上のような状況なので、接触感染アプリもほとんど役に立たないシステムになってしまっている。 これからも分かるように、「デジタル化すれば、それでよい」というものではない。使いやすく、効率的な仕組みでなければならない。 ついでに言えば、政府の統計サイトの使いにくさに、私は毎日のように悩まされている。利用者の観点など、まったく考慮されていない。使い方の説明をいくらよんでも分からない。 こうした状況を改善するには、9月13日公開の「日本のITが時代遅れになる根本原因はSIベンダーの言いなり体制」で指摘したように、ベンダーとの癒着を排し、丸投げを是正する必要があ(注:「る」が抜けている)。 しかし、そのためには、発注者が問題を理解する必要がある。これも容易なことではない。 デジタル庁の発足は「来年中」だという。コロナ関連の事案については、残念ながら、間に合わないだろう』、「ベンダーとの癒着を排し、丸投げを是正する」には「発注者が問題を理解する必要がある」のは確かだ。
タグ:電子政府 野口 悠紀雄 現代ビジネス (その2)(政府CIO補佐官に聞く 行政のデジタル化が進まない理由と脱却のシナリオ、:菅政権新設の「デジタル庁」は20年来の公約違反を解消せよ…! 全行政手続きオンライン化はどうなった) ITmediaビジネスオンライン 「政府CIO補佐官に聞く、行政のデジタル化が進まない理由と脱却のシナリオ 」 行政機関が保有する住民の氏名データは、制度上、漢字のみでフリガナは便宜上登録されているにすぎない 全銀ファイルの氏名はカナしか存在しない 最も足かせとなっているのは、100年にわたって蓄積されてきた戸籍、商業登記といった紙の処理を前提とした業務と膨大なデータ。それを社会の変化に応じて改善してこなかった歴史だ 日本はまだ、デジタル社会の基盤ができていない 行政はこれまで、「データを活用する」という発想が希薄だった。そのため、サービスを立ち上げるごとにデータを整備し、終了とともにデータを消去したり、再利用不可能な状態で保管するといった非効率的な運用をしてきた デジタル技術を使いこなせないと揶揄(やゆ)される日本の現在地 現在の最年少政府CIO補佐官は20代後半だ サービスデザイン思考で、使いにくい行政サービスを変える 行政のサービスも「出して終わり」ではない ユーザーの使い勝手を把握し、継続的に改善していく 外部委託先への丸投げを是正する 民間サービスとの融合で、さらに便利に API:アプリケーションプログラミングインタフェース 政府CIO補佐官が、霞が関に染まらないために 外から批判するだけじゃカッコ悪い 欧米」も「2030年をターゲットにデジタル国家を目指している 「菅政権新設の「デジタル庁」は20年来の公約違反を解消せよ…! 全行政手続きオンライン化はどうなった」 「行政手続きのすべてをオンライン化する」という2001年の公約が、いまだに実現されていない 20年間放置されている公約 2001年 eJapan戦略の公約がなぜ実現できなかったのか? どこが問題だったのか? 政府は、この検証報告を2ヶ月以内にまとめるべきだ 運転免許証書き換えのオンライン化を 運転免許証の自主返納 では 本人確認と免許証の真正性が確保できればよい。これができなければ、他の手続きの オンライン化 ができるはずはない スマートフォンアプリ化では情報漏出の危険 デジタル化とは既得権の切崩し 日本におけるデジタル化とは、技術の問題というよりは、利権と既得権を切崩せるかという問題なのだ。これは、決して容易でない。一朝一夕に実現することではない まだファクスを使っている! HER-SYS デジタル化すればよいわけではない ベンダーとの癒着を排し、丸投げを是正する 発注者が問題を理解する必要がある
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電子契約・電子署名(その1)(在宅勤務を阻む「ハンコ問題」、激論の舞台裏 デジタル化を突き付けられた日本の課題、「脱ハンコ」は「脱中央集権」で国民の信頼を得なければ成功しない いまだに響く住基ネットの失敗、「ハンコ警察」の大誤解、ムダな印鑑を一掃しても社会の効率は良くならない) [経済政策]

今日は、菅内閣発足以来、注目されている電子契約・電子署名(その1)(在宅勤務を阻む「ハンコ問題」、激論の舞台裏 デジタル化を突き付けられた日本の課題、「脱ハンコ」は「脱中央集権」で国民の信頼を得なければ成功しない いまだに響く住基ネットの失敗、「ハンコ警察」の大誤解、ムダな印鑑を一掃しても社会の効率は良くならない)を取上げよう。

先ずは、4月25日付け東洋経済オンライン「在宅勤務を阻む「ハンコ問題」、激論の舞台裏 デジタル化を突き付けられた日本の課題」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/346741
・『緊急事態宣言が出ている中で、捺印のために社員に長時間の通勤を求めるのはいかがなものか――。 フリマアプリを手がけるメルカリは4月8日、取引先との契約締結時に必要な捺印や署名の手続きを電子契約サービスに切り替える方針を発表した。同社の櫻井由章・執行役員CLO(最高法務責任者)はその背景について、冒頭のように話す。 メルカリは新型コロナウイルスの感染拡大を受け、2月中旬から全社員が在宅勤務に移行している。現状は特定の社員が週に1回、捺印のために出社している。メルカリ社内で行われる契約書の捺印は1カ月に約400件に上る。このうち約9割で物理的な捺印が必要な状況だったという』、「メルカリ」では「現状は特定の社員が週に1回、捺印のために出社」、「契約書の捺印は1カ月に約400件」、やはり負担になるようだ。
・『大臣発言の2日後に印鑑廃止を決断  契約先はフリマアプリ事業の取引先のほか、スマホ決済サービス「メルペイ」で取引のある銀行や加盟店などさまざまだ。出社時には1日で100件近い捺印をこなすことになる。「ハンコを個人の自宅に持ち帰るのは現実的ではない。契約書をその人の自宅に郵送するとなると紛失したり、同居する家族が見てしまったりするリスクがある」(櫻井氏)。 メルカリ社内の一部の部署ではすでに電子契約を導入していたが、今回の在宅勤務移行を受け、全社への導入を急いでいる。ただ、電子契約は契約の相手先の了承を得られなければ実現しない。「取引先によっては契約書の原本への捺印を義務づける規則がある」(同)。そのため、同社では社印の捺印ではなく、権限者の署名や電子署名へ変更すべく取引先の理解を求めている。 電子契約の導入を進めるのはメルカリだけではない。IT大手やベンチャー企業を中心に、導入の動きが急速に広がっている。4月17日にはGMOインターネットが、レンタルサーバーなど自社サービスの顧客の手続きで印鑑を完全に廃止し、取引先との契約も電子契約のみにすると発表した。 政府の竹本直一IT担当大臣が4月14日の記者会見で、在宅勤務の中での押印問題について問われ、対応策としては「民間で話し合ってもらうしかない」と発言。これを受けた形でGMOの熊谷正寿社長が翌日、「決めました。GMOは印鑑を廃止します」と自身のツイッターに投稿。その2日後に正式発表に至った。 そもそも電子契約とは何なのか。ハンコを用いた契約では、締結する当事者同士が契約書に捺印していた。一方で電子契約は、改ざん不可能な「電子署名」と、誰がいつ契約に同意して署名したかを電子的に刻印する「タイムスタンプ」の2つからなる。それぞれに専門業者がおり、電子契約サービス各社はこうした業者からシステムを仕入れ、使いやすくなるよう設計・開発している。 国内で電子契約を導入しているのはまだ8万社程度にすぎない。このうち約8割となる6万5000社に導入し、シェアトップを走るのが、弁護士ドットコムの電子契約サービス「クラウドサイン」だ。コロナの影響で在宅勤務に移行する企業が増えた3月は、前年同月比で導入社数が1.7倍以上、契約送信件数は2倍以上に増えたという。先述のメルカリが全社導入を進めているのもクラウドサインだ』、「電子契約は契約の相手先の了承を得られなければ実現しない」、「電子契約は、改ざん不可能な「電子署名」と、誰がいつ契約に同意して署名したかを電子的に刻印する「タイムスタンプ」の2つからなる。それぞれに専門業者がおり、電子契約サービス各社はこうした業者からシステムを仕入れ、使いやすくなるよう設計・開発している」、「シェアトップを走るのが、弁護士ドットコムの電子契約サービス「クラウドサイン」、なるほど。
・『野村HDやサントリーが相次いで導入  クラウドサインはその名の通り、クラウド型のサービスで、契約書をクラウドサイン上にアップロードすると、契約相手にメールが届く。相手方が承認すれば契約完了だ。他社サービスも同様だが、契約書を送信する側がサービスを利用していれば、受信する側が導入する必要はない。クラウドサインの場合、月額の固定料金と契約の送信1件当たりの従量課金がかかる。 弁護士ドットコムの橘大地・取締役クラウドサイン事業部長は、「以前は業務効率化やコスト削減のために導入したいという声が最も多かったが、足元は急な在宅勤務への移行で、明日から導入したいという問い合わせが急増している」と話す。また、導入企業の大半を占めるのは中小企業だったが、「最近は大企業での全社導入がトレンドだ」(橘氏)という。具体的には、野村ホールディングスやサントリーホールディングス、KDDIなどが名を連ねる。 電子契約を取り巻く法制度は、ハンコでの契約と異なる。契約当事者同士が裁判になった際の証拠の有効性を規定する電子署名法や、税務上必要な書類の電子管理を定めた電子帳簿保存法などがある。前者ではきちんと電子署名が記録されているか、後者では国内で認定されたタイムスタンプが正確に記録されているかが求められている。 「安心安全な電子署名を普及させたい」と話すのは、2019年末に電子契約サービス「Great Sign(グレート・サイン)」を開始したベンチャー企業「TREASURY(トレジャリー)」の山下誠路社長だ。グレート・サインでは、何らかの障害で電子署名がきちんと記録されなかった場合にアラートを出すなど、正確性にこだわる。 「他社のサービスでは電子署名がついていないのに課金されたり、その契約書が何カ月も放置されていたりする。タイムスタンプがつくまでに時間がかかる業者もある。署名の見方を知らない人も多い。いざ裁判になって電子署名の証明書が無効だったときのリスクは大きい」(山下氏)。 民間企業の動きを受け、政府与党も動き出した。自民党の行政改革推進本部規制改革チームは4月6日、新型コロナウイルスに対応するデジタル規制改革についての緊急提言を安倍首相に申し入れた。この中に「押印原則の徹底的見直し」も盛り込まれた。 規制改革チームの座長を務める同党の小林史明衆院議員は、「今回の改革には、押印が必要な手続きがあったとして、そもそもそれは必要なものなのか、本当に印鑑が必要なのか、印鑑証明のある実印を必要としない手続きにおける認証の有効性はどうなのか、という3つの観点がある。政治・行政が規制を見直すのと同時に、民間に対してもメッセージを出すことで、商慣習を変えるきっかけにしたい」と話す』、「押印原則の徹底的見直し」は是非とも実現すべきだろう。
・『電子契約とハンコは共存できるか  2019年末に施行したデジタル手続法を受け、国は行政手続きのオンライン化を進めている。小林議員によると、2019年来精査してきた2万近い手続きのうち、印鑑証明のある実印が必要な手続きはわずか200弱。残りは一般的な印鑑や署名、本人確認書類を求めるものだったという。 小林議員は「3月末に行う手続きを今デジタル化しても恩恵を受けるのは来年だ。4~6月に迫っている手続きの見直しを優先的にやっている。民間企業からも聞き取りを行い、ニーズの高いところの優先順位を上げていく」と語る。 では、こうした動きをハンコ業界はどう受け止めているのか。「今の流れは必然的なことだとは思うが、ハンコだけを悪としてとらえないでほしい。非常時だからこそ民間同士で信頼関係があれば、今回はハンコではなく、メールで同意したことにすることもできるはず」。そう話すのは、ハンコの製造業者などで構成する業界団体・全日本印章業協会の徳井孝生会長だ。 自身もハンコの製造・販売業を札幌市内で営む徳井氏は、「職人が手で仕上げたものほど偽造しづらく、法人の実印には強くおすすめしている。(電子契約はパソコンやスマートフォンなど)機器を使いこなせない人、経済的に購入できない人を置き去りにしてしまう。ハンコを希望する人が1人でもいるのであれば(電子とハンコは)共存していくべき」と訴える。 コロナをきっかけに、あらゆる手続きや業務のデジタル化が注目されることになった。日本特有の商慣習で、伝統のあるハンコが悪者になった感があるが、コロナを起点に、日々の業務の効率化を考えさせられたことは間違いない』、「(電子とハンコは)共存していくべき」、立場上やむを得ないのかも知れないが、どう考えても無理がありそうだ。

次に、10月18日付け現代ビジネスが掲載した大蔵省出身で早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による「「脱ハンコ」は「脱中央集権」で国民の信頼を得なければ成功しない いまだに響く住基ネットの失敗」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/76445?imp=0
・『「脱ハンコ」の手段はマイナンバーカードだが  菅義偉政権は、脱ハンコを進める方針だ。「脱ハンコフィーバーはいいことだ」と私は思う。 しかし、脱ハンコのためには、文書が正しいことを、別の手段で証明する必要がある。「ハンコは無駄だからやめにしよう」というだけでは、不十分なのだ。  住基ネットの概要 総務省HPより(リンク先参照) 脱ハンコは、「電子署名」によってなされる。これについて、日本はすでに住基ネットで失敗している。その後継者がマイナンバーカードだ。 したがって、「脱ハンコ」を進めるというのは、「マイナンバーカードの活用をはかる。その利用範囲を広げる」ということだ。これを進めるには、なぜ住基ネットが失敗したかの反省から始める必要がある』、日本の行政機構は無謬性の建前に縛られて、過去の政策を殆ど反省しないのは大いに問題だ。
・『住基ネットは無残な失敗に終わった  住民基本台帳ネットワーク(「住基ネット」)は、2002年8月5日に 第1次稼動し、2003年8月25日から本格稼働が始まった。これは、日本における初めての総背番号制だ。 住民基本台帳の情報をデータベース化し、各市町村のデータをネットワークでつないだ。住民基本台帳は、氏名、生年月日、性別、住所などが記載された住民票を編成したもので、住民に関する事務処理の基礎となる。電子証明書が格納された「住基カード」が発行された。 住基ネットには、2002年から毎年130億円が使われ、13年間で2100億円。自治体の初期費用・維持費用も合わせると1兆円近い税金が使われた。 それにもかかわらず住基カードは普及せず、カードの交付枚数は710万枚(2015年3月)にとどまった。普及率は5.5%にすぎなかった。 そして、2015年末に更新手続きが終わった。つまり、住基ネットは、無残な失敗に終わったのだ』、「1兆円近い税金が使われた」にも拘らず、「無残な失敗に終わった」とはやれやれだ。
・『ほとんど使い途がなかったから使われなかった  国民の側からみて、住基カードで何が便利になったのだろうか? 総務省の説明を読むと、まず、「パスポート申請に住民票の写しの提出が不要となる」としてある。 しかし、それでは窓口にいかないで済むのかといえば、依然として「戸籍謄本・抄本」などの書類が必要とされた。つまり、市町村役場やパスポートセンターの窓口に足を運ぶ必要があったのだ。 あるいは、「従来は、住んでいる市町村でしか交付を受けられなかった住民票の写しを、住基カードの提示で、全国どこの市町村でも交付を受けることができるようになった」とされた。 また、「引っ越しの場合、従来は、それまで住んでいた市町村で転出届の手続をし、転出証明書の交付を受けた上で、引っ越し先の市町村で転入届を行う必要があった。それが、住基カードの交付を受けていると、郵送またはインターネットにより住んでいる市町村に提出すれば、転出証明書がなくても引っ越し先の市町村において転入届を行うことができるようになった」とされていた。 確かに、従来より手続きは少なくなるだろう。しかし、パスポート申請や住民票の写し取得は、頻繁に利用するサービスではない。引っ越しも、一生に数回というのが普通だ。 こうしたことのために住基カードを持つ必要があるのかどうか、疑問だ。少なくとも、生活に重大な支障が出るようなことはない。また、膨大なコストをかけてシステムを構築するメリットがあるかどうか、疑問だ。 「自宅でいつでもPCとインターネットを通じて申請や届出をすることが可能となった」との説明もあったのだが、こうした感激的な効果はなかったのだ』、確かに「住基カード」は存在意義が問われる存在だった。
・『国民は何を心配したか?  どんなメリットがあるのかが、はっきりしない。それなのに、なぜ政府は熱心に導入しようとするのか? この裏には何かあるのではないか? 多くの国民が、このように考えた。 とくに問題とされたのは、国民監視やプライバシー侵害、情報流出の危険性だ。そして、「監視・徴税強化社会はNO」とのスローガンの下で、各地で違憲訴訟などの住基ネット訴訟が相次いだ。 これに対しては、2008年に最高裁が住基ネット合憲の判決を下した。その理由の要旨は、住基ネットが扱う情報は「秘匿性の高い情報とはいえない」、住基ネットの仕組みは「外部からの不正アクセスで情報が容易に漏えいする具体的危険はない」とのことだ。 ところで、「メリットがはっきりしないのに導入に熱心」というのは、マイナンバーカードでも同じだ。これについては、10月11日の「『脱ハンコ』、面倒になっては本末転倒〜使えるサービスほとんどなし」述べた。 なぜ導入したいのか? 真の目的は何なのか? 課税強化か? 国民監視か? それほどでなくても、「ITベンダーと利権確保か? 天下り先確保が本当の目的か?」等々の疑念が出てくる。 政府は、これらの1つ1つに、誠実に答える必要がある。マイナンバーカードのような仕組みは、国民の国に対する信頼がなければ、成功しない。 住基ネットの場合、世論の反対が強く、政府が望んだ民間情報とのひも付けができなかった。そのため、使い途がなく、それが上記のような疑念を増幅させるという悪循環に陥ったのだ』、「マイナンバーカード」も運転免許証や健康保険証を組み込むようだが、私は紛失や情報漏洩の場合のリスクが飛躍的に大きくなるので、反対である。
・『認証局という中央集権的組織が裏に控える  住基ネットやマイナンバーカードが疑いの目で見られる大きな理由は、それが中央集権型の仕組みだからだ。 現在の電子署名は、背後に「認証局」と呼ばれる中央集権的な組織が控えている。ここが、電子署名の正当性を証明する。 電子署名が普及しない大きな原因は、認証局から電子証明を貰うのが簡単ではないことだ。このため「クラウド署名」のような便宜的方法が使われる。 「住民基本台帳カード」の場合には、「地方自治情報センター」と呼ばれる組織が認証局となっていた。マイナンバーカード の場合にも認証局がある。それは、「地方公共団体情報システム機構(JIS)」と呼ばれる組織だ。これは、実は、『地方自治情報センター』が名称を変えたものだ。 なお、2016年1月18日から19日にかけて、地方公共団体情報システム機構で障害が起こり、一部の自治体でカード交付ができなくなったことがある』、なるほど。
・『中央集権的でない「脱ハンコ」はありうる  以上で述べたことをまとめよう。 「脱ハンコ」のためには、電子署名のシステムを導入しなければならない。住基ネットはそのための仕組みであったし、その失敗を受けて作られたマイナンバーカードも、電子署名のためのものだ。 それを支えているのは、認証局を中心とする中央集権組織だ。中央集権的組織が支える仕組みだから、国民監視やプライバシー侵害、情報流出の危険性などを、原理的に否定することはできない。 では、脱ハンコの実現のためには、そうした危険のあるものを受入れざるをえないのか? そうではない。マイナンバーカードなどに対してなされている批判に応え、かつ電子署名を簡単に行なうための仕組みは、原理的には存在する。まだ実用段階になっていなが、そのための仕組みが開発されつつある。 それは、中央集権的機構のかわりにブロックチェーンを用いるものだ。ブロックチェーンを用いて分散IDと呼ばれる仕組みを作れば、認証局なしの電子署名システムができる。これは、「Trusted Web」と呼ばれる仕組みだ。 内閣が主催する「デジタル市場競争会議」が2020 年 6 月 16 日に公表した『デジタル市場競争に係る中期展望レポート(案)~ Society 5.0 におけるデジタル市場のあり方~』も、分散IDの重要性に言及している。 住基ネットが出発した2002年には、こうした技術はなかった。しかし、その後ブロックチェーン技術が発達し、こうした仕組みの構築が可能となりつつある。 新しい技術を積極的に導入し、プライバシー侵害や国民管理を防ぐ努力がなされるべきだ』、確かに「ブロックチェーンを用いて分散IDと呼ばれる仕組み」を作る方法は分散型で合理的だ。

第三に、10月22日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「「ハンコ警察」の大誤解、ムダな印鑑を一掃しても社会の効率は良くならない」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/251968
・『ハンコ撲滅の「正義のお仕置き」で大炎上する企業が続出か?  先日、ある有名な企業が炎上した。 きっかけは、この会社を辞めた人間によるSNSへの投稿だった。この企業、対外的には電子契約や電子署名などを積極的に採用していくと触れ回っていたが、実際の社内では、デジタルに弱い経営陣や取引先に確認をしてもらうための決済書類で、ハンコ文化がバリバリに残っていた。その結果、デジタル対応とアナログ対応の両方を相手によって使い分けなくてはならず、社員の負担が増えているという。 辞めた社員は、こうした内部事情を暴露してしまったのだ。それを受けてSNS上には「ハンコ警察」が登場、この企業を厳しく断罪した。 《こんな時代にムダなハンコを社員に強いるなんてブラックだ!》《若い社員がジジイ連中に合わせるのではなく、ジジイ側がもっと勉強して時代に合わせろ!》という感じで、世代間論争まで勃発。さらに、これをマスコミやワイドショーが取り上げたことで、株価にまで影響が出始めた。ついにはこの企業は、社長の謝罪会見にまで追い込まれてしまったのである――。 「えっ!?そんなこと、あったっけ?」と戸惑う方も多いだろう。誤解をさせて申し訳ない。この炎上話は実はまったくのフィクションである。 ただ、2020年10月時点で与太話であっても、近い将来こうした「ハンコ警察」による正義のお仕置きで、大炎上する企業が出てこないとは言い切れない。ご存じのように、菅政権が行政手続きのハンコを99%廃止するなど、「ムダなハンコ」を一掃する動きが加速する中で、ハンコは「ムダの象徴」として風当たりがかなり強くなっているからだ。 「いやいや、今、河野太郎さんたちが進めているのは、あくまでムダなハンコ業務であって、印鑑そのものを失くせなどと言っているわけじゃない。さすがにみんな、それくらいの違いはわかってるって」という冷めた声が聞こえてきそうだ。しかし、ここ最近起きているギスギスした人間トラブルを見ていただきたい。) 悪質なあおり運転、芸能人への度を越した誹謗中傷、他県ナンバー狩り、自粛警察、マスク警察……我々の社会には、自分の「正義」から少しでも外れたことをする他人を激しく攻撃して、この世から消えろと言わんばばかりに徹底的に追い込む人が、かなりいらっしゃるのだ。 ならば、「脱ハンコ」という社会正義実現のために、それを邪魔する人を監視・排除しようとする「はんこ警察」が登場したって、何も不思議ではないではないか。 実際、すでにSNSやネットには「脱ハンコに反対する人=既得権益にしがみつく人」といった構図で批判をする人はチラホラと現れてきており、印章産業が盛んな山梨の長崎幸太郎県知事や印章業界で働く人々は、過度な「脱ハンコ」ムーブメントが盛り上がることで、日本社会の非効率的な面などのさまざまな弊害が全てハンコのせいにされ、スケープゴートにされるのではないかという危機感を抱いている』、「「脱ハンコ」という社会正義実現のために、それを邪魔する人を監視・排除しようとする「はんこ警察」が登場したって、何も不思議ではないではないか」、マスクと違って、迷惑になる訳ではないので、出現しないことを願う。
・『「脱ハンコ」に過度な期待が持てない理由  では、「ハンコ警察」がはんこを使う人たちを叩くような殺伐とした社会にならないためには、どうすればいいのだろうか。 個人的には、「脱ハンコ」「ハンコ廃止」というものに過度な期待を持たせないということが、極めて重要になってくるのではないかと考えている。確かに、「スタンプラリー」などと揶揄される、役所などの非効率極まりないハンコ業務をなくしてデジタル化すれば、作業効率が上がるのは間違いない。役所とやりとりをする企業のデジタル化も促進されるだろう。 が、それがそのまま日本社会の効率を良くするのかというと、その効果は限定的だ。実は日本のハンコというものは、諸外国の「サイン」にあたる承認機能だけではなく、我々の社会の中で非常に大きな社会的機能を担っているからだ。 それは「身分証明」である。 たとえば、銀行で口座を開設するためには、免許や保険証などの本人確認書類だけではなく、印鑑が必要だ。ネットバンキングだけの場合は印鑑不要ということもあるが、それでも窓口での手続きや収納サービスを利用すれば、印鑑を求められるケースが圧倒的に多い。 このときのいわゆる「銀行印」は、シャチハタなどがダメなことからもわかるように、単なる「サイン」のような意味合いではない。大きな額の取引をする際に、本人であることを確認することも目的としている。だから、届出をしたときの「銀行印」と捺印したものに少しでも誤差があれば認められない。承認ではなく、完全に「身分証明」としての用途を期待されているわけだ。 財産を管理するための「身分証明」ということなので、当然、財産に影響を及ぼすような高い買い物をする場合も、このようなハンコが必要となる。だから、住宅ローンを組むのにも、賃貸を借りるのにも、そして自動車を購入するのにも、「実印」の捺印と印鑑証明の提出が求められるのだ。 公共料金のようなものを引き落とす手続きをするには、印鑑が必要になる場合も多い。アルバイトで採用される際にも、いまだに印鑑の持参を求めるところはたくさんある』、「承認ではなく、完全に「身分証明」としての用途を期待されている」、確かにその通りなのだろう。
・『組織からハンコを追い出しても社会ではハンコがないと生きられない  つまり、どんなに役所や企業の中からハンコを追い出したところで、組織から一歩外に飛び出して個人に戻れば、「ハンコID」がないことには経済活動もままならないというのが、日本社会の現実なのだ。 この大きな矛盾を解消しない限り、日本社会の効率など良くなるわけがない。つまり、我々が本当に問題視しなくてはいけないのはハンコ文化ではなく、「実印」「銀行印」に象徴される「ハンコによる身分証明」という慣習なのだ。 これは、ハンコ文化のある他国を見ても明らかだろう。ご存知のように、ハンコ文化というのは東アジア地域に限定されたもので、日本以外は中国、韓国、台湾に定着している。が、これらの国のハンコは、「社会の効率が悪いのはハンコ文化のせいだ」など目の敵にされていない。 ハンコ文化の源流である中国では、政府や企業が発行する書類に社印のようなものを押す慣習があるが、個人で印鑑を使うようなシーンはない。銀行口座を開設するときなども、身分証明書の提示とサインだけなので、印鑑は日本でいうところの「木彫りの熊」のような鑑賞用とされている』、「我々が本当に問題視しなくてはいけないのはハンコ文化ではなく、「実印」「銀行印」に象徴される「ハンコによる身分証明」という慣習なのだ」、その通りなのかも知れない。
・『中国、台湾、韓国では脱ハンコと効率アップは無関係  戦前、日本が統治していた影響で印鑑登録制度が残る台湾では、すでに電子署名法により、印鑑と手書きの電子サインの両立が可能になっているので、「脱ハンコで効率アップだ!」などという議論はされてない。同じく日本の印鑑登録制度を引きずる韓国でも、脱ハンコの動きが進められているが、それは印鑑の偽造が横行したという不正行為対策という意味合いが強く、「効率アップ」は目的としていない。 なぜこれらの国では、日本のように「ハンコ=ムダの象徴」という位置づけにならないのかというと、「ハンコによる身分証明」という慣習がないからだ。 韓国と台湾には、確かに日本統治のなごりで印鑑登録制度はあるが、それとは別に身分証明の制度がある。台湾は顔写真付きの国民身分証が発行され、今後はこれに運転免許やスマホのデータを連動したデジタルIDになっていくという。韓国でも出生した段階で住民登録番号が付与されるので、これが本人確認に用いられる。 中国も同様で、国民1人1人に固有の番号が記載された身分証明書が存在して、公的サービスを受けたり、鉄道のチケットを購入したりする際に、切符の偽造・転売対策でこれを提示する。 さて、ここまでお話をすれば、もうおわかりいただけたことだろう。中国、台湾、韓国にはハンコ文化があっても、日本のように「効率」の問題が取り沙汰されないのは、日本以外の国ではほぼ当たり前に普及している国民識別番号制度によって、「本人確認」という作業がシステム化されているからなのだ。 それは言い換えれば、政府がハンコを目の敵にして「脱ハンコ」「ハンコ廃止」などと声高に叫ばなくとも、他国で当たり前になっている「国民識別番号制度」が普及するだけで、日本社会でいろいろと言われている問題は、かなり改善される可能性が高いということだ。 少なくとも、コロナの給付金を払うのに3ヵ月かかりましたとか、年金の記録が消えてしまいましたというような、台湾などのデジタル行政の進む国から憐れみの目で見られるような今の状況は、大きく変わるはずだ。 が、ご承知のように、ハンコ文化の迫害は進んでも、日本で「国民識別番号制度」が普及する気配はない。社会保障や税金の分野で個人を特定するマイナンバーカードでさえ、9月時点で普及率は全国で2割弱にとどまっている』、「他国で当たり前になっている「国民識別番号制度」が普及するだけで、日本社会でいろいろと言われている問題は、かなり改善される可能性が高い」、「ハンコ文化の迫害は進んでも、日本で「国民識別番号制度」が普及する気配はない」、菅政権も「ハンコ」よりも「マイナンバー」の普及をもっと明確に打ち出すべきだろう。
・『日本ではなぜハンコしか「本人確認」の方法がないのか  世界では番号1つで公的・私的サービスの本人確認ができるのが当たり前の状況の中で、なぜ日本だけがこんな状況なのかというと、左派勢力やマスコミが中心となって「国民総背番号制」という言葉をつくり、激しく反対をしてきたからだ。 実は日本でも、北欧の福祉国家が導入したのと同時期の1970年、佐藤栄作内閣で「国民識別番号制度」を導入すべきだという議論がなされたことがある。さまざまな保障や福祉サービスをワンストップで受けるには、このシステムははるかに効率がいいからだ。 しかし、これに「プライバシーが丸裸だ」「軍国主義に逆戻り」「囚人みたいで嫌だ」と猛烈に反対したのが、労組、マスコミ、そしてえらい学者センセイたちだった。 「総背番号制 反対へ国民運動 学者・文化人ら旗揚げ」(1972年11月16日 朝日新聞) こうして立ち上げられたのが、「国民総背番号制に反対しプライバシーを守る中央会議」だ。労組と学者、文化人を中心に、この団体は「プライバーを守れ」というかけ声のもとで勢力を拡大。1985年4月になるとさらに活動の幅を広げて、外国人登録法による指名捺印制度の廃止も訴えた。 このときに代表委員として法務大臣や警察庁長官、政令指定都市の市長などに声明を送ったのは、名古屋大学教授の北川隆吉氏である。多くの業績を残した社会学者だ。 そんな立派な学者だからだろう、「学者の国会」と呼ばれた日本学術会議の会員も務めた過去があり、指紋捺印の反対運動の3年後、1988年6月には再び日本学術会議第14期会員に選ばれた。 政府、特に法務官僚や警察官僚からすれば、国が進めたい政策をことごとく邪魔する北川氏が日本学術会議会員に戻ってくるということを、苦々しく思っていたはずだ。が、どうすることもできない。その5年前の中曽根内閣時代に、「形だけの任命をしていく」と国会答弁をしてしまっているからだ。 今回の学術会議への人事介入の黒幕であると報じられた杉田和博官房副長官も、おそらくその1人だったはずだ。この時期の杉田氏は、警備・公安畑でキャリアを積み、外国人犯罪や不法滞在を扱う外事課長も務めていた。まさしく指紋捺印制度の成立へ向けて動いていた側の人間だ。 こういう過去から続く因縁が、菅政権で一気に爆発してしまったのかもしれない』、これは少々うがち過ぎの感がある。「総背番号制」に反対してきたのは左派としているが、左派に政策を左右するほどの力はなく、中小企業経営者の強烈な反対の方が影響力が大きかった筈だ。
・『うまくいかない社会の問題を全てハンコ文化のせいにする愚  話が脇に逸れてしまったが、このような経緯からもわかるように、日本が他国と比べて様々な分野で効率が悪いのは「ハンコ文化」のせいではない。諸外国が公的サービスを効率化するためなどの名目で続々と導入していた「国民識別番号制度」に反対する一部の人々によって、「国民総番号制」という恐怖訴求ワードが広められたことで、行政サービスの効率化に頑なに背を向けていたからなのだ。 そういう本質的なところをうやむやにして、社会の中でうまく回っていない問題をすべて「ハンコ」に押し付けるというのは、あまりにも理不尽であるし、なんの問題解決にもつながらない。ハンコを使っている人間を目にするとイライラするという「ハンコ警察」予備軍の方には、ぜひともそれを知っていただきたい。 「国民総番号制度」の長きにわたる反対運動を振り返ってみてもわかるように、立派な学者センセイたちが反対の声をあげたからといって、それが必ずしも国民の幸せにつながるわけではないのだ。学者と政府が対立すると、我々は条件反射で「政府が悪い」という印象を受けがちだが、歴史を振り返れば「学者が暴走をする」ということもたくさんあった。特に自粛警察などと同じく、声高に「我こそは正義だ」と胸を張るような学者はちょっと危険だ。 そのような意味では、今回も立派な学者センセイたちが「学術会議に人事介入をしたら学問の自由を奪われる!」「この国家の暴走を放っておいたら、全体主義へまっしぐらだ」などと喉を枯らしていることも、一歩引いて見る必要があるのではないか。 「立派な学者センセイがそう言っているのだから」と鵜呑みにするのではなく、本当にそれが国民のためになる話なのかを、歴史に学んで冷静に考えてみたい』、「社会の中でうまく回っていない問題をすべて「ハンコ」に押し付けるというのは、あまりにも理不尽であるし、なんの問題解決にもつながらない」、同感である。「マイナンバーカード」に運転免許証などを組み込むのは前述の通り反対だが、「マイナンバー」を核に所得や資産の把握を進め、公正な課税体系を目指してもらいたい。
タグ:住基カード 東洋経済オンライン GMOインターネット 野口 悠紀雄 ダイヤモンド・オンライン 窪田順生 現代ビジネス 電子署名 メルカリ 電子契約 (その1)(在宅勤務を阻む「ハンコ問題」、激論の舞台裏 デジタル化を突き付けられた日本の課題、「脱ハンコ」は「脱中央集権」で国民の信頼を得なければ成功しない いまだに響く住基ネットの失敗、「ハンコ警察」の大誤解、ムダな印鑑を一掃しても社会の効率は良くならない) 「在宅勤務を阻む「ハンコ問題」、激論の舞台裏 デジタル化を突き付けられた日本の課題」 現状は特定の社員が週に1回、捺印のために出社 契約書の捺印は1カ月に約400件 大臣発言の2日後に印鑑廃止を決断 電子契約は契約の相手先の了承を得られなければ実現しない 自社サービスの顧客の手続きで印鑑を完全に廃止し、取引先との契約も電子契約のみにする 電子契約は、改ざん不可能な「電子署名」と、誰がいつ契約に同意して署名したかを電子的に刻印する「タイムスタンプ」の2つからなる それぞれに専門業者がおり 弁護士ドットコムの電子契約サービス「クラウドサイン」 野村HDやサントリーが相次いで導入 押印原則の徹底的見直し 電子契約とハンコは共存できるか (電子とハンコは)共存していくべき」、立場上やむを得ないのかも知れないが、どう考えても無理がありそうだ 「「脱ハンコ」は「脱中央集権」で国民の信頼を得なければ成功しない いまだに響く住基ネットの失敗」 「脱ハンコ」の手段はマイナンバーカードだが なぜ住基ネットが失敗したかの反省から始める必要がある 住基ネットは無残な失敗に終わった 1兆円近い税金が使われた 無残な失敗に終わった ほとんど使い途がなかったから使われなかった 国民は何を心配したか? 「マイナンバーカード」も運転免許証や健康保険証を組み込むようだが、私は紛失や情報漏洩の場合のリスクが飛躍的に大きくなるので、反対である 認証局という中央集権的組織が裏に控える 中央集権的でない「脱ハンコ」はありうる ブロックチェーンを用いて分散IDと呼ばれる仕組み Trusted Web 「「ハンコ警察」の大誤解、ムダな印鑑を一掃しても社会の効率は良くならない」 ハンコ撲滅の「正義のお仕置き」で大炎上する企業が続出か? 「脱ハンコ」という社会正義実現のために、それを邪魔する人を監視・排除しようとする「はんこ警察」が登場したって、何も不思議ではないではないか 「脱ハンコ」に過度な期待が持てない理由 承認ではなく、完全に「身分証明」としての用途を期待されている 組織からハンコを追い出しても社会ではハンコがないと生きられない 我々が本当に問題視しなくてはいけないのはハンコ文化ではなく、「実印」「銀行印」に象徴される「ハンコによる身分証明」という慣習なのだ 中国、台湾、韓国では脱ハンコと効率アップは無関係 他国で当たり前になっている「国民識別番号制度」が普及するだけで、日本社会でいろいろと言われている問題は、かなり改善される可能性が高い ハンコ文化の迫害は進んでも、日本で「国民識別番号制度」が普及する気配はない 日本ではなぜハンコしか「本人確認」の方法がないのか うまくいかない社会の問題を全てハンコ文化のせいにする愚 社会の中でうまく回っていない問題をすべて「ハンコ」に押し付けるというのは、あまりにも理不尽であるし、なんの問題解決にもつながらない マイナンバーカード」に運転免許証などを組み込むのは前述の通り反対だが、「マイナンバー」を核に所得や資産の把握を進め、公正な課税体系を目指してもらいたい
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インバウンド戦略(その13)(コロナショック「インバウンド7割減」の衝撃度 観光客の約半分を占める中韓の減少が直撃、苦境下の「人気観光地」がいまするべきこと 『観光公害』著者が説く観光地の現状と対策、D・アトキンソン「日本の観光業復活は『検査』に懸かっている」) [経済政策]

インバウンド戦略については、昨年8月1日に取上げたままだった。コロナ禍にある今日は、(その13)(コロナショック「インバウンド7割減」の衝撃度 観光客の約半分を占める中韓の減少が直撃、苦境下の「人気観光地」がいまするべきこと 『観光公害』著者が説く観光地の現状と対策、D・アトキンソン「日本の観光業復活は『検査』に懸かっている」)である。なお、タイトルから「ビジット・ジャパン」はカットした。

先ずは、3月25日付け東洋経済オンライン「コロナショック「インバウンド7割減」の衝撃度 観光客の約半分を占める中韓の減少が直撃」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/339124
・『「数字としては非常に厳しい。状況はさらに厳しくなる」――。観光庁の田端浩長官は3月19日、霞が関の国土交通省で開かれた定例会見で「厳しい」という単語を繰り返した。 この日に発表された2020年2月の訪日外国人観光客数は、新型肺炎の影響で108万5100人(前年同月比58.3%減)と、東日本大震災直後だった2011年4月の同62.5%に次ぐ大幅な減少を記録した。 打撃となったのは、2019年の年間客数約3188万人のうち5割近くを占めた中国と韓国からの訪日客の減少だ。1月27日以降、政府が団体海外旅行を禁止した中国からの2月の訪日客は8万7200人と、2019年2月の72万3617人から9割近い減少となった』、「訪日外国人観光客数の前年同月比」は、4月から8月まで99.7~99.9%減少と落ち込みが続いている。
・『韓国の訪日客は約8割減  2019年夏から歴史認識や安全保障をめぐる問題で緊張が高まり、前年比で60%以上減少する月が続いていた韓国からの訪日客も、14万3900人(同79.9%減)といっそうの減速を見せている。ほかにも台湾や香港、アメリカなど日本への訪日客が多い国で軒並み2桁の減少率となった。 安倍晋三政権の下でビザの発給要件緩和や免税対象品の拡大により、2012年に836万人にすぎなかった訪日観光客数を足元で3000万人台に拡大し、2020年には4000万人の達成も視野に入れていた。 だが、もはや4000万人の目標達成は絶望的で、新型肺炎の収束見込みも立たないことから、激減がいつまで続くかもわからない。観光庁も「具体的に(訪日観光客の修正目標を)述べるのはなかなか困難な状況にある」(田端長官)というほかない。 観光需要の急減を受け、早くもエイチ・アイ・エスや帝国ホテルなど、旅行・宿泊業を中心に業績予想の下方修正が相次ぐ。さらに、クルーズ会社や着物レンタル会社など、倒産に追い込まれる零細観光業者も出てきた。 3月24日に日本百貨店協会が発表した2020年2月の訪日外国人客向けの売上高(全国91店を対象とする免税売上高)は、新型肺炎の影響に春節期間のズレ(2019年は2月だったが2020年は1月)も重なり、前年同月比65.4%減の約110億円と大幅減に終わった。 田端長官は事態の収束までは「国内での感染(拡大の)防止が最大の支援策」としたうえで、日本人の観光需要回復に力を入れる考えを示した。 2019年の訪日外国人による旅行消費額が4.8兆円なのに対し、日本人の国内旅行消費額は21.9兆円と4.6倍の規模を誇る。世界各国で出国の自粛措置が取られ、日本も水際対策を強化している。それだけに、観光庁としては、移動に制限のかからない日本人の国内旅行が比較的早く回復するとみている』、なるほど。
・『過去の知見をどれだけ生かせるか  3月19日の定例会見で田端長官は今後の対応について、「(2003年の)SARSや(2009年の)新型インフルエンザ流行のときも影響を受けたが、それらを乗り越えてきた。感染症の流行があったときに、どういう仕掛けをし、どんな施策で(観光需要が)回復したかという知見はある。それを基に準備を進めていく」と語った。 課題は日本人の観光需要を喚起するためのマーケティングの切り替えだ。従来、人口減少で日本人旅行客の市場規模が頭打ちになっているため、観光庁は外国人による訪日旅行の需要喚起に注力してきた。日本各地の観光地でも、外国人観光客の拡大を前提に、外国人のニーズに沿ったコンセプトの客室仕様を採用したホテルなどが増えつつある。 外国人観光客の取り込みに注力してきた観光行政が、こうした業態も含めて日本人の観光を増やす効果的なキャンペーンやプロモーションを打てるのか。強烈な逆風が吹き付ける中、観光行政の手腕が問われる』、政府はその後、コロナ禍が収まってないにも拘らず、GO TOトラベル キャンペーンで、国内旅行の喚起に躍起だ。

次に、4月13日付け東洋経済オンライン「苦境下の「人気観光地」がいまするべきこと 『観光公害』著者が説く観光地の現状と対策」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/343679
・『つい最近まで、訪日観光客の急激な増加による公共交通機関の大混雑やゴミ・騒音の問題など、いわゆる「オーバーツーリズム」に悩まされてきた人気観光地。それが一転して、苦しい状況に陥っている。 新型コロナウイルスの感染拡大によって世界的に移動が制限され、観光客が蒸発。収束の見通しが立っていないからだ。 このピンチを、今後のオーバーツーリズム解消のチャンスに変える戦略はあるのか。「コロナ後」を見据えて、観光地はどうあるべきか。 『観光公害』(祥伝社新書)の著者で、城西国際大学観光学部の佐滝剛弘教授に聞いた(インタビューは4月6日に実施)(Qは聞き手の質問、Aは佐滝氏の回答)』、興味深そうだ。
・『今回は戦後初めて直面する大打撃  Q:現在の観光地はどのような状況ですか。 A:3月下旬に訪れた京都と広島はホテルがガラガラで、外国人の姿もほとんど見かけなかったが、日本人の若い人がけっこういた。卒業旅行で海外にいけなくなった学生などが、「仕方ないから京都に行くか」と訪れていたのだろう。ハワイ気分を味わいたいのか、石垣島や宮古島もそこそこ混雑していた。 すべてが真っ暗な状況ではなく、地域によって多少の差があった。ただ、4月7日に緊急事態宣言が発令されて、様相がガラッと変わりそうだ。 今回のコロナ危機では日本人が旅行しないうえ、海外からも観光客が来ない。修学旅行需要や出張などのビジネス需要もない。しかも、いつ収束するかまったくメドが立たない。前例のない危機だ。東日本大震災やリーマンショックのときもひどかったが、全世界的に旅行ができなくなったわけではない。今回は、戦後初めて直面する大打撃だ。 Q:海外の有名観光地も、打撃を受けているのでしょうか。 A:アメリカやヨーロッパの多くの都市では、完全にロックダウンしている。交通機関は減便され、ありとあらゆる施設が閉まっている。欧米だけでなくアジア各国や、マチュピチュやナスカの地上絵があるペルーをはじめとする中南米など、観光業で成り立っている国でも感染が拡大してきて、日本以上に悲惨な状況になっている。 一方、海外では雇用や賃金を保障するなど国の支援が大きいので、観光業に携わる人の苦境度で言うと、見た目ほどではないかもしれない。日本では旅館や観光バス業界など、明日つぶれてもおかしくないところがたくさんある。観光業に従事する個人への影響度は、日本のほうがひどいかもしれない。 日本はつぶれるところがいくつか出てくる可能性があるので、もしかしたら回復は遅れる。日本は完全に観光客が止まっているわけではないが、実は海外より危ないかもしれない。) Q:経営が厳しくなっているところが多そうですね。 A:(新型コロナウイルスが流行する前は)人がたくさん来て、儲かっているように見えていたが、観光業は全体的に薄利多売だ。だから少しの期間でも、観光客が来なくなると苦しい。宿泊施設も運送業も、レジャー施設も相当厳しいのではないか。 例えば、JAL(日本航空)やANA(全日本空輸)などの基幹となる交通インフラを助けるのは理解を得られやすいと思う。しかし、税金で民間のホテルやレジャー施設を助けることになると、抵抗がある人は少なくないと思う。しかし、そこで働いている人たちは、ぎりぎりの賃金で生活をしのいでいる人が多く、このまま助けがないと、多くの人が苦境に陥るだろう』、日本では、前述のGO TOトラベル キャンペーン程度だが、低価格旅行はこれに入らないので、実効性は疑問だ。
・『海外では大事にされている観光産業  Q:日本と海外で、公的支援に対する考え方の違いがあるのでしょうか。 A:海外の多くの国では観光業の位置づけが高い。GDPに占める割合も大きく、観光産業が大事だという認識が国民全体に共有されている。欧米のほとんどの国では観光は産業の大きな柱だし、文化の保護や活用という観点からも大事にされている。 日本では、自治体の観光セクションは教育や福祉などと比べても地味な部署で、けっして花形の部署ではない。国の省庁においても「文化省」も「観光省」もなく、文化庁と観光庁どまりだ。つまり、役所の中でも一段下に見られている。製造業と同じぐらい大事な産業だととらえている人は少なく、こういう危機のときに公的に支援してもらえる確率も低い。 Q:拡大を続けてきたクルーズ船も、イメージが悪化して打撃が大きそうです。 A:船内ですべて楽しめるというクルーズ船の良さが裏目に出た。限られた空間だからこそ、感染が拡大してしまった。ダイヤモンド・プリンセス号の感染拡大は海外のどこでもトップニュースになって、「クルーズ船はこういうときに弱い」ということが、衝撃的な映像として世界に流れてしまった。 あのインパクトは当分消えないし、コロナが収束したとしても、クルーズ船に以前のように観光客が戻るかどうかはわからない。 Q:博多や長崎といったクルーズ船が寄港していた観光地も、影響を受けているのでしょうか。 A:もちろん一定の影響はあるが、クルーズ船は一見華やかに見えて、実は寄港先にあまりお金を落としていない。夕食を食べてお酒を飲み、宿泊施設に泊まることが最も観光地にお金を落とすのに、それら全部を船の中で済ませてしまう。しかも一気に何千人も来て、渋滞を起こしたりお店に殺到したりして、すぐに引き揚げていく。究極の「一見さん観光」だ。 クルーズ船が来るのは悪いことではないが、力を入れすぎていた観光地もある。1週間に1隻ぐらい来るならまだしも、自治体の予算で港を整備して2隻も3隻も同時に泊められるようにしようとする港もあるが、オーバーツーリズムを引き起こしかねないリスクがある』、「クルーズ船」誘致のため「自治体の予算で港を整備して2隻も3隻も同時に泊められるようにしようとする港もある」、いまや「オーバーツーリズム」を懸念するよりも、船が殆ど来てくれず、大赤字になることを心配すべきだ。
・『大事なのはリスクの分散  Q:いわゆる「オーバーツーリズム」になっていた観光地が、閑散としている今だからこそできる対策はありますか。 A:今回、早々と倒産した事業所の多くは、お客さんを中国人に絞っていたところ。そのため、コロナの蔓延がまず中国で始まったために影響を受けた。もう少しいろんなお客さんを受け入れたり、半分は日本人のために部屋をあけておいたりしたところは、急激にひどくはなっていない。 中国人の団体旅行客と契約したら部屋が毎日100%埋まるので、経営者にとってはある意味楽だった。それに乗っかったところが、最初につぶれた。今回はコロナだったが、2019年は韓国との関係悪化によって韓国に頼っていた九州などの観光地の一部は打撃を受けた。そういったリスクは今後も起こりうる。 Q:リスクの分散が大事だと。 A:今回はすべての国で移動が制限され、国内の客も来られないので、分散していてもダメだったかもしれないが、少なくとも倒産を遅らせることはできた。ブームに乗って、そこだけをターゲットに商売をするのは危なかったし、そのことがオーバーツーリズムを引き起こしていた。日本人の観光客が来ても、「外国人ばかりじゃないか」と不満を抱かれ、敬遠され始めていたところが実際に各地にあった。 これだけ長期間休業することは、平常時ならやりたくてもできない、天から与えられた「シンキングタイム」といえる。各施設が今後どういう戦略で臨んでいくのか、もう一度考え直す機会だ。リスクの分散に加え、先延ばしにしていた安全面などの対策が打てるかもしれない。 まだ危機の途中なので、どうしたら成功するのかはわからない。いったん収束した時点できちんと検証しないといけない。今回のケースが今後の教科書になる。 Q:コロナが収束した後、観光客はすぐに戻るものでしょうか。 A:少なくとも半年ぐらいは、宿泊や交通も含めて相当厳しい状況が続くだろう。夏休みも、国内外を自由に旅行できるかどうか。相当難しいと思う・・・収束したときに、旅行にお金をかけられる人がどれだけの割合になるかも問題だ。日本では不景気になると、真っ先にフリーランスや契約職員、アルバイトが切られて、正社員だけが守られる。今回の危機で「自分はクビにならない。ボーナスは多少下がるかもしれないけど、生活できなくなることはない」と安心している層と、すでに仕事がなくなって困っている層と、ここ十数年で進んだ社会の二極分化によって、完全に分かれてしまっている。 経済的に困っていない大企業の人は、収まればまたすぐに海外や国内に旅行するだろう。だが、経済的なダメージを受けた人はお金が多少入っても、まず家賃や子供の学費に回さなければいけない。旅行は二の次、三の次になる。コロナが収束したとしても、V字回復するかどうか、確証はない。 人は少しでも余裕ができれば、旅行に行きたいものだ。ひとたび旅の楽しさを知った人は、観光客として戻ると思う。ただ戻り方が、場所や人々の経済的な余力によって、まだら模様になるのは間違いない』、ウィズコロナといっても、感染拡大防止と「旅行」を両立させるのは至難の技だ。
・『日本の魅力がなくなったわけではない  Q:インバウンドの今後の見通しは? A:長期的なトレンドとしては、日本に来たいという人はこれからも絶対に増える。中国人の中にはまだ日本に来られない所得層の人がたくさんいて、これから豊かになっていく。東南アジアもそうだ。 今は一時的に落ち込んでいるが、これを機に日本に誰も来なくなるということには絶対にならない。日本の魅力がなくなったわけではないので、これからもラーメンやすしを食べに、あるいは桜や紅葉を見に観光客は来る。 ただ、数さえ来ればいいということを繰り返してはいけない。なるべく違う観光地に誘導するような施策をもっと強くして、日本全体で受け入れるようにしないといけない。「訪日客が戻ったはいいが、また京都は大混雑している」という事態にするべきではない。) Q:外国人観光客向けになってしまった施設は、今後どのような対策が必要なのでしょうか。 A:大阪の黒門市場や京都の錦市場は、ここ10年で完全に外国人のための商店街になってしまった。地元の人は「もう行きたくない」と言っている。行っても買いたいものが手前に置いていない。日本人も外国人も一緒に楽しめる場であるべきで、そこで交流が生まれればいい。今は外国人向けに偏ってしまって、日本人の客を失っている。 外国人しか行かない店に行っても、本来面白くないはずだ。私たちも海外に行って、地元の人がおいしそうに食べているレストランで食べるから楽しいのであって、周囲が観光客だけのお店に行っても、本物を味わったことにはならない。本当のおもてなしを私たちはもう一度取り戻さないといけないと思う。 「おもてなし」の掛け声を背景に、観光地では英語と韓国語、中国語を併記した4カ国語で表示するところが多いが、これもやりすぎだ。私たちがパリやロンドンに行って日本語の看板が至る所にあっても、決して楽しいとは思わない。片言の言葉で苦労しながら道を尋ねたり、料理を注文したりするのが旅の楽しみだと思う』、「4カ国語で表示するところが多いが、これもやりすぎだ」、「やりすぎ」ではなく、まだまだ少ないと思う。「片言の言葉で苦労しながら・・・」は、私個人的には同意できるが、観光客に押し付けるのは問題だ。
・『インバウンドは最大の安全保障  Q:真の意味で旅行客に喜んでもらうために、どうしたらいいか考えるべきだと。 A:その通り。厳しい指摘もしたが、外国人が日本にたくさん来ることには基本的に賛成だ。日本の文化を知ったり、日本に来たときに親切にされたりした経験は、日本のファンになってもらうという意味で、最大の安全保障になる。一度でもその国で親切にされたことがある人、おいしいものを食べた人、豊かな文化に触れた人が、その国と戦争したいと思うだろうか。観光というソフトパワーは、軍備の整備などよりもはるかに日本の平和に資する。 日本人に親切にしてもらった、お店で現地の人と親しく話をした外国人観光客が、たくさん日本に来て、素敵な思い出を胸に戻っていく。そういう人が中国や韓国、東南アジア、ヨーロッパに増えることは、間違いなくいいことだ。だからこそ、日本人も海外にたくさん行ってほしいし、海外の人も日本に来てほしい。 観光業の従事者は、当座をしのぐことで精いっぱいかもしれないが、コロナ後を見据えたリスクの分散を考えておく必要がある。そうしないと、また同じ危機がやってきたときに生き残れない』、第一の記事にもあったが、観光地も「外国人観光客」が殆どいない今こそ、本当に必要な「おもてなし」とは何かもう一度、冷静に考え直す好機にしてもらいたいものだ。

第三に、9月4日付けNewswek日本版が掲載し元外資系証券会社のアナリストで小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏による「D・アトキンソン「日本の観光業復活は『検査』に懸かっている」」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2020/09/d_1.php
・『<世界の観光業はコロナ禍で大打撃を受けているが、人が旅をやめることはない。今後は富裕層から順に回復していくだろう。ただし、日本は「観光立国4条件」を満たす国だが決定的な問題がある。本誌「コロナと脱グローバル化 11の予測」より> コロナ禍で脱グローバル化が起こるという議論があるようだが、そんなことは起こり得ないだろう。これまでにもペストやコレラなど、パンデミック(世界的大流行)は何度も起こったが、グローバル化が止まったことはかつて一度もなかった。 観光には「人の移動」が前提となるが、人類はある意味で、地球に誕生してからずっと移動してきた。アフリカにいた人類の祖先が気候変動の影響で絶滅の危機に瀕し、住む土地を求めてアジアやヨーロッパに移動したという世界史的事実が正しいとすれば、人間というのは移動する動物だ。つまり、人類の歴史は「観光」から始まったとも言える。 とはいえ、新型コロナウイルスが蔓延し、どの国でも観光業は止まっている。渡航が制限され、今年1~4月の国際観光収益は1950億ドルもの損失だ。グローバル化の潮流は変わらないが、影響は確かにある。世界観光機関は2017年、30年までに世界で18億人が外国旅行をすると予想していた。だが観光業は成長著しく、最近までその数は20億人を超えるのではないかと言われていた。この20億人はさすがに達成が難しくなり、当初の18億人程度にとどまるのではないか。 コロナ禍が世界の観光業にどのように影響するかといえば、業界の調整が進むとみている。調整される対象は「格安」だ。格安運賃の航空会社や、ぎりぎりの採算で経営している宿泊業などは生き残るのが難しい。私は最近、日本には低単価・低付加価値の企業が多過ぎて、これらの企業の生産性を上げなければならないと各地で訴えているが、それと通じるところがある。 【関連記事】「日本企業は今の半分に減るべきだ」デービッド・アトキンソン大胆提言』、アトキンソン氏は政府の成長戦略会議の委員になったようだ。「パンデミック・・・は何度も起こったが、グローバル化が止まったことはかつて一度もなかった・・・人類はある意味で、地球に誕生してからずっと移動してきた」、さすが説得力がある。
・『復活のためにPCR検査を  私は「おもてなし」などといった曖昧な概念に頼った日本の観光政策に疑問を抱き、15年に『新・観光立国論』、17年に『世界一訪れたい日本のつくりかた』(いずれも東洋経済新報社)という本を上梓した。観光大国になるには気候・自然・文化・食事の4条件を満たす必要があるが、日本はそれら全てを備えた国であり、データに基づいた政策を立てて実行すれば、世界有数の観光大国になれると訴えた。 ここ数年、日本の観光政策は随分と是正されてきていたと考えている。訪日観光客数も、15年の1974万人から19年には3188万人へと目覚ましい伸びを見せていた。世界で観光業の再開がいつ始まるかは政治的判断に左右されるので、私には分からない。それでも、日本が観光立国の4条件を満たしていることは今後も変わらない。) だが、観光業がどの程度回復するかという範囲に関しては、問題が2つある。1つは需要ではなく供給の問題。先ほど述べたように、格安航空会社などが倒産する可能性がある。 もう1つは感情・心理的な問題で、これはたぶん日本に特有だろう。政府はこの夏「Go Toトラベル」キャンペーンを打ち出したが、東京からは来てほしくないという感情が地方で爆発してしまった。全員が感染者であるわけがないのに、一緒くたにされて怖がられた。客観性も根拠もない暴論だが、とりわけ日本では起こりがちだ。 理由は明快で、PCR検査の体制が整っていないから。陽性なのか陰性なのかが分からないから、東京から来る人は全員感染者と捉えられてしまう。大きな批判を受けたGo Toキャンペーンの最大の問題は、その時期ではない。問題の本質は、検査体制などの不備だったと思う。 ただし、外国から日本に来る人は、出発前と到着後の少なくとも2回検査される。そうすると将来的に、国内に住む日本人より、海外の外国人に来てもらうほうが実は観光地にとってリスクが少ないという皮肉な状況になりかねない。インバウンドにせよアウトバウンドにせよ、あるいは国内旅行にせよ、検査が旅行の条件になるはずだ。究極的には観光業の回復は検査に懸かっている。 国同士の交渉次第だが、世界の観光業ではまずプライベートジェットで来るような富裕層、その後ビジネス客、FIT(海外個人旅行)の順に制限が緩和されていくだろう。あとは格安の団体旅行、つまりマスマーケットがどれだけ回復するか。クルーズ船は最後ではないか。 富裕層誘致の戦略に関しては、コロナ禍以前から日本は力を入れ始めていた。中国などアジアからの訪日客を大幅に増やす戦略を世界中から満遍なく来てもらう戦略に変え、大きな成果を上げていた。今後の課題は、欧米やオセアニアなど遠方から来る人と、世界の富裕層をいかに増やしていくかだ。遠方からの観光客は長く滞在し、多くのお金を落とすことがデータから分かっている』、「インバウンドにせよアウトバウンドにせよ、あるいは国内旅行にせよ、検査が旅行の条件になるはずだ。究極的には観光業の回復は検査に懸かっている」、「今後の課題は、欧米やオセアニアなど遠方から来る人と、世界の富裕層をいかに増やしていくかだ」、同感である。
・『「超過死亡」のデータ公表も  政府は20年に訪日客4000万人、消費額8兆円、そして30年には6000万人、15兆円という目標を掲げていた。人数だけを目標に据えるのではなく、観光客1人当たりの消費額を上げる戦略だ。実際その成果は上がり始めていて、訪日客数に占めるアジアの比率は昨年まで2年連続で下がっていた(例えば18年、アジアからの観光客は対前年比8.3%増だったのに対し、ヨーロッパは12.7%増、北米は10.4%増、オセアニアは11.7%増)。 【関連記事】日本の観光地、なぜこれほど「残念」なのか 優先すべきは情報発信より中身の「整備」) 富裕層についても、国立公園を中心に50カ所に世界水準のホテルを造るという戦略を打ち出していた。日本の強みである自然を生かした観光政策で、3密を避けるのにうってつけで、コロナ禍においても有望だ。 繰り返しになるが、そのためにも検査が不可欠だ。観光客を迎えるに当たって、いくら日本ではコロナが蔓延していないと言っても、データなしには信じてもらえない。 検査数が少ないこと、死亡数が過去の平均的水準をどれだけ上回っているかを示す「超過死亡」をタイムリーに公表していないこと。この2つが日本の決定的な問題だ。仮に検査体制をすぐに整えるのが難しくても、超過死亡のデータはもっと迅速に公表できるのではないか。このデータがあれば、コロナによる死亡者は最大でもこの人数だと示せる。国際的な比較ができる重要な指標だが、なかなか公表されない。 コロナ禍においても、グローバル化は止まらず、観光は死なない。だがウイルスと共存していくこれからの世界で、観光業の再生には賢い工夫が求められ、その実行には政治的判断が深く関わっている』、説得力溢れた主張だ。「超過死亡」については、国立感染症研究所の感染症疫学センターが公表しているが、素人が見ても難しくてよく理解できない。
タグ:東洋経済オンライン パンデミック デービッド・アトキンソン インバウンド戦略 (その13)(コロナショック「インバウンド7割減」の衝撃度 観光客の約半分を占める中韓の減少が直撃、苦境下の「人気観光地」がいまするべきこと 『観光公害』著者が説く観光地の現状と対策、D・アトキンソン「日本の観光業復活は『検査』に懸かっている」) 「コロナショック「インバウンド7割減」の衝撃度 観光客の約半分を占める中韓の減少が直撃」 韓国の訪日客は約8割減 過去の知見をどれだけ生かせるか GO TOトラベル キャンペーン 「苦境下の「人気観光地」がいまするべきこと 『観光公害』著者が説く観光地の現状と対策」 『観光公害』 佐滝剛弘 今回は戦後初めて直面する大打撃 海外では大事にされている観光産業 国の省庁においても「文化省」も「観光省」もなく、文化庁と観光庁どまりだ。つまり、役所の中でも一段下に見られている 船内ですべて楽しめるというクルーズ船の良さが裏目に出た 限られた空間だからこそ、感染が拡大 コロナが収束したとしても、クルーズ船に以前のように観光客が戻るかどうかはわからない 寄港先にあまりお金を落としていない。夕食を食べてお酒を飲み、宿泊施設に泊まることが最も観光地にお金を落とすのに、それら全部を船の中で済ませてしまう 自治体の予算で港を整備して2隻も3隻も同時に泊められるようにしようとする港もある オーバーツーリズム 大事なのはリスクの分散 平常時ならやりたくてもできない、天から与えられた「シンキングタイム」 もう一度考え直す機会だ。リスクの分散に加え、先延ばしにしていた安全面などの対策が打てるかもしれない 日本の魅力がなくなったわけではない 4カ国語で表示するところが多いが、これもやりすぎだ」、「やりすぎ」ではなく、まだまだ少ない 片言の言葉で苦労しながら 観光客に押し付けるのは問題 インバウンドは最大の安全保障 観光地も「外国人観光客」が殆どいない今こそ、本当に必要な「おもてなし」とは何かもう一度、冷静に考え直す好機にしてもらいたいものだ Newswek日本版 「D・アトキンソン「日本の観光業復活は『検査』に懸かっている」」 世界の観光業はコロナ禍で大打撃を受けているが、人が旅をやめることはない。今後は富裕層から順に回復していくだろう。ただし、日本は「観光立国4条件」を満たす国だが決定的な問題がある。本誌「コロナと脱グローバル化 11の予測」より 成長戦略会議の委員 は何度も起こったが、グローバル化が止まったことはかつて一度もなかった 人類はある意味で、地球に誕生してからずっと移動してきた 復活のためにPCR検査を インバウンドにせよアウトバウンドにせよ、あるいは国内旅行にせよ、検査が旅行の条件になるはずだ。究極的には観光業の回復は検査に懸かっている 今後の課題は、欧米やオセアニアなど遠方から来る人と、世界の富裕層をいかに増やしていくかだ 「超過死亡」のデータ公表も 「超過死亡」については、国立感染症研究所の感染症疫学センターが公表
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異次元緩和政策(その34)(「やめておけ マイナス金利」 欧州金融界 逆効果示唆する調査、コロナが拍車かける財政ファイナンスの「今そこにある弊害」、「誰が首相になっても解決策はない」出口のない異次元緩和の末路 菅政権は「火中の栗を拾う内閣」) [経済政策]

異次元緩和政策については、8月5日に取上げた。今日は、(その34)(「やめておけ マイナス金利」 欧州金融界 逆効果示唆する調査、コロナが拍車かける財政ファイナンスの「今そこにある弊害」、「誰が首相になっても解決策はない」出口のない異次元緩和の末路 菅政権は「火中の栗を拾う内閣」)である。三番目の記事は必読である。なお、タイトル冒頭の「日銀の」はカットした。

先ずは、9月20日付けNewsweek日本版がロイター記事を転載した「「やめておけ、マイナス金利」 欧州金融界、逆効果示唆する調査」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2020/09/post-94486_1.php
・『欧州中央銀行(ECB)がマイナス金利政策を採用して6年。同様の政策に突き進もうと考えている中央銀行に対し、行動ファイナンスの権威らが発しているメッセージはこうだ。「やめておけ。その価値はない」 現在、政策金利がゼロ以上、0.25%以下なのは米国、英国、ノルウェー、オーストラリア、ニュージーランド、イスラエル、カナダ。従ってこれら諸国の中から、新型コロナウイルス蔓延による景気悪化に対処しようとマイナス金利政策を実施する中銀が1、2行出てくる可能性がある。 英国の短期金融市場は、イングランド銀行(中銀)が来年、政策金利をマイナスに引き下げることを織り込んでおり、ニュ-ジーランド準備銀行(中銀)はすでに銀行に対し、マイナス金利に備えるよう求めている。 しかし新たな研究により、前々から一部の中銀当局者が恐れていたことが裏付けられたようだ。つまりマイナス金利は効果がないばかりか、逆効果かもしれない。 イスラエルの国家債務管理部門を統括するリオル・ダビドプル氏は「もっと資金を借り入れてリスク性資産への投資を増やすよう、人々の背中を押したいのであれば、マイナス金利よりもゼロ金利の方がむしろ効率的だ」と話す。 ダビドプル氏は先月、行動・実験経済学ジャーナル誌で共著の論文を公表した。それによると、リスクを取る行動と資金を借り入れる行動を促す効果が最も強く表れたのは、金利が1%から0%に下がった時だった。 米国やオーストラリアの中銀が今年実施した利下げは、おおむねこの線に沿っている。 ダビドプル氏らの調査は、マイナス金利への消費者の反応を調べる貴重なものだ。経済学を学ぶ大学生205人を4グループに分け、各々1万シェケル(2921ドル、約30万6700円)を与えて、無リスクの銀行預金と株式などリスク性資産に振り分けさせる。 当初の金利設定はプラス2%からマイナス1%の範囲でグループごとに異なるが、いずれも1%ポイントの利下げを行う。利下げ後、参加者は投資のためにいくら借り入れたいかを聞かれる。 ダビドプル氏によると、金利がマイナス1%に下がったグループは、借り入れをむしろ1.75%縮小したのに対し、金利が0%に下がったグループは20%増やした。 同氏は「0%という数字自体が、人々に特別な意味を持った」と述べ、金利がマイナス圏に入った途端にレバレッジ(投資のための借り入れ)は下がると説明した。 ECBの元エコノミストで現在はソシエテ・ジェネラルで働くアナトリ・アネンコフ氏はこの理由について、マイナス金利が「一種の緊急事態」を想起させるからだと言う。 「人々はお金を使うのではなく貯蓄するかもしれないので、望むような効果が得られない可能性がある」 実際にユーロ圏の貯蓄率は、2014年にマイナス金利政策が実施された後に一瞬下がったが、その後はマイナス金利が深掘りされても上昇し続けた』、「リスクを取る行動と資金を借り入れる行動を促す効果が最も強く表れたのは、金利が1%から0%に下がった時だった」、との「マイナス金利」否定論が出てきたとは興味深い。
・『ゼロに戻したスウェーデン  ユーロ圏と日本はマイナス金利を採用して何年にもなるが、インフレ率も成長率も回復していない、という指摘は以前から批判派の間で出ていた。 スウェーデンのルンド大学・経済経営学部のフレデリク・N・G・アンデション准教授は、同国経済ではマイナス金利のコストが便益を上回ったようだと言う。 同国中銀は昨年、主要政策金利を引き上げて0%に戻した。 アンデション氏はマイナス金利問題を詳細に研究した。金利がマイナスに下がった時、借り入れは確かに増えたが、資金は主に住宅投資に回り、不動産市場と家計債務を増大させた。 「お金を借り、自動車か何か、国内総生産(GDP)が増えるものを買うといった状況は見られなかった。住宅を買うためにお金を借りても景気刺激効果は得られない」 同氏によると、企業オーナーも投資を控えた。これは、マイナス金利が「危機の兆候」と受け止められる、というアネンコフ氏の指摘と呼応する』、「スウェーデン」では「マイナス金利のコストが便益を上回った」ので「ゼロに戻した」、という実例まで出てきたようだ。
・『銀行は手数料を課すか  ドイツのミュンスター大学がボランティア「投資家」300人超を対象に実施した実験では、銀行預金のような無リスク金利がマイナスになった時、リスクを取る行動に変化が生じる可能性が高いことが分かった。 Hannes Mohrschladt準教授によると、マイナス金利政策下で銀行が預金者に手数料を課すことはまれだが、ECBが追加利下げを行えば起こり得る。 ただ準教授は、利下げが「株式と不動産市場の価格をさらに押し上げる可能性」をECBは警戒すべきだと言う。 ルンド大のアンデション氏は、エビデンスを踏まえると、成長を押し上げるために中銀がマイナス金利政策を採用する必要はなさそうだと話す。「私なら、やめておけと言う。その価値はないと」』、ECBや日銀はどうするのだろう。

次に、10月1日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したBNPパリバ証券経済調査本部長チーフエコノミストの河野龍太郎氏による「コロナが拍車かける財政ファイナンスの「今そこにある弊害」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/249897
・『危機下では容認される財政ファイナンス インフレ率も高まらず  欧州を代表する知識人のイワン・クラステフは、パンデミック危機は我々がこれまで不可能と考えていたことを可能にした、と論じる。例えば、反移民を掲げる欧州の右派ポピュリストが夢見たよりも、はるかに完全な国境の封鎖を一時的にせよ可能にした。 これになぞらえて言えば、MMT(現代貨幣理論)論者が夢見た中央銀行の財政ファイナンス(国債購入)による大規模財政以上のものを先進各国が実施した。さらに言えば、それでもインフレ率は低いままである。 日本を除くと、今回のパンデミック危機で、中銀の財政ファイナンスによる大規模財政を問題視する人はあまり多くはない。各国ともマクロ経済が大幅に落ち込み、家計の所得サポートや企業の資金繰り支援は不可欠だと多くの人は考えている。 追加財政に伴い大量の国債が発行されており、中央銀行が何もせず、長期金利が跳ね上がって、資本市場の不安定化でマクロ経済に悪影響が及べば大問題である。これを避けるには、財政ファイナンスが不可欠である。 また、各国とも需給ギャップが大幅に悪化し、物価にも大きな下押し圧力が加わっている。それ故、中央銀行がゼロ金利政策を行うだけでなく、大量の国債購入で長期金利を低く抑え込むことは、マクロ安定化政策の観点からも整合的である。 しかし、日本では財政ファイナンスを大きな問題と受け止める人が少なくない。何が最大の問題なのか。それが本稿のテーマである』、河野氏はどうみているのだろう。
・『日銀の長短金利操作政策が政府の財政膨張を支える皮肉  実のところ、制度的には、日本銀行は財政ファイナンスとは、最も距離を置いているともいえる。なぜなら、2016年9月にYCC(イールドカーブ・コントロール、長短金利操作)を導入し、10年金利を操作目標のゼロ%程度に誘導していたからである。 YCCを導入したのは、財政ファイナンスのためではなく、インフレを醸成することが目的だった。実効下限制約に直面しているが、グローバル経済が持ち直し、海外の長期金利が上昇した際、国内の長期金利をゼロ%に抑え込めば、円安進展など景気刺激効果を得られる。 政府の財政政策にかかわらず、長期金利に上昇圧力が加われば、国債購入を積極化させ、逆に低下圧力が強まれば、国債購入を減額する。財政と関わりなく、政治的に独立した中央銀行が長期金利目標を運営する。 しかし、逆説的だが、このYCCこそが、暗黙裡であるにせよ金融政策の公的債務管理への統合を可能にしている。フォワードガイダンス効果を最大限発揮させるスキームという点では評価できるが、大規模な追加財政が繰り返されるようになれば、マネー・プリンティングの装置になりかねないと、導入当時、筆者は懸念した。 振り返れば、過去数年、経済が完全雇用に到達しても、先行きが不安だからといって、消費増税の先送りが繰り返された。また、景気が足踏みすれば、赤字国債の増発で追加財政が打たれ、景気が良い時も赤字国債を発行するのではないと言い訳し、増えた税収を追加財政に振り向けた。 本来、こうした政治的な財政膨張圧力をけん制するのが、長期金利の上昇である。しかし、政治的に独立した中央銀行がインフレ目標の達成のために、YCCを通じ国債を大量購入するから、政治的な財政膨張圧力への歯止め効果がなくなった。これが筆者の「逆説的」の意味するところである。 もちろん、現在は、パンデミック危機であるのだから、追加財政が繰り返されるのはやむを得ない。また、パンデミック危機でなくても、経済が不況に陥れば、金融政策が実効下限制約に直面しているのだから、マクロ安定化政策として追加財政が発動されるのもやむを得ない。 マクロ経済の平準化は重要である。問題なのは、完全雇用となっても、長期金利が低く抑え込まれているため、追加財政が繰り返されていることである。また、同じように、パンデミック危機だといって、何でもありの政策が実行され、繰り返されることも問題である』、「YCCを導入したのは、財政ファイナンスのためではなく、インフレを醸成することが目的だった」、のは事実であるが、結果的には「財政ファイナンス」をしているのと同じだ。
・『超低金利と追加財政継続が低採算の企業を生き残らせ潜在成長率が低下  財政健全化や金融正常化を標榜する人は、一般に、財政ファイナンスが続けられると、いずれ高率のインフレが訪れると懸念する。 ただ、冒頭で論じた通り、今回のパンデミック危機で、需給ギャップは大幅に落ち込んでいる。また、企業は数年に一度繰り返す大きな経済危機に備え、どうやら今後も無形資産投資や人的資本投資を抑え込み、貯蓄を続けるようである。政府の追加財政は、企業の貯蓄増加の一部を吸収する程度であって、インフレが容易に上昇するとは思われない。 インフレが上昇しないのなら、中銀の財政ファイナンスで大規模な追加財政を繰り返しても、問題ないのではないか、とMMT論者から反論されそうである。「財政健全化を訴える人々は、30年間、狼が来ると繰り返したが、結局、やってこなかった」と。 財政ファイナンスを続けると、高率のインフレが訪れるから問題という主流派経済学の主張を繰り返すだけでは、MMT論者の主張に打ち負かされるのではないかと、筆者は心配している。 インフレという狼はなかなかやって来ないが、別の狼は既に訪れており、さらにもう1匹、別の狼が我々の近くをうろついているのではないだろうか。既に訪れている狼とは潜在成長率の低下であり、近くをうろついている別の狼とは金融システムの不安定化である。 まず、好不況にかかわらず、インフレ率が低いことを理由に、景気循環を超えて、超低金利政策が固定化され、追加財政が繰り返されると、どうなるか。大盤振る舞いのマクロ安定化政策なしには存続できない低採算の企業や投資プロジェクトばかりが増えていく。 つまり、生産性上昇率は悪化し、潜在成長率が低下する。過去10年あまり、成長戦略が遅々として進んでいないのは事実だが、その間、反・成長戦略が取られたわけではなかった。 にもかかわらず、潜在成長率の低下が続いているのは、本来、資源配分の効率性を追求すべき完全雇用局面においても、財政ファイナンス、すなわち超金融緩和政策が固定化され、追加財政が繰り返されてきたからではないのか。過度なマクロ安定化政策が潜在成長率を低下させているのである』、「過度なマクロ安定化政策が潜在成長率を低下させている」、その通りだ。ただ、「インフレという狼はなかなかやって来ない」、については、円が信認を失って、暴落すれば、「長期金利」の暴騰や輸入「インフレ」がやってくる筈だ。これについては、もう少しうしろで述べているようだ。
・『長期金利上昇抑制のために国債購入する日銀 公的債務膨張続き高まる金融システムへの懸念  潜在成長率を低下させているのは、資源配分のゆがみだけではない。所得分配のゆがみも潜在成長率の低下をもたらしている可能性がある。これまでの議論は、超金融緩和の固定化が財政膨張を助長したということだった。 それでは、なぜ超金融緩和が固定化されたのか。内需主導の景気回復が期待できないため、輸出セクターをサポートすべく、円高回避を最重要課題に、完全雇用となっても超金融緩和が続けられたのである。 円安のサポートで、輸出が増えると生産が増え、企業業績が改善し、最後には雇用者所得の増加とともに個人消費の回復にも火が付くかもしれない。しかし、である。過去4半世紀、個人消費にまで回復が及んだケースは一度もなかったというのが実態である。 本来、完全雇用になれば、金融市場を通じ、企業業績の改善が家計にも及んでくるはずである。企業部門の回復の恩恵が家計に伝わるのは、雇用を通じたものだけではない。市場金利が上昇すれば、家計の利子所得が増える。さらに市場金利の上昇が円高傾向をもたらし、輸入物価の下落を通じて、家計の実質購買力を改善させる。 しかし、完全雇用になっても、円高を恐れ超金融緩和が固定化された。一貫して家計を痛めつける政策を続けているのだから、個人消費が回復しなかったのも当然であろう。一方で、優遇された輸出部門は、人的資本投資も無形資産投資も怠り、キャッシュフローをため込んできた。 このように超金融緩和政策が固定化され、追加財政が繰り返される過程で、潜在成長率の低下という狼が既に日本経済に深く入り込んでいた。潜在成長率の低下の過程では、インフレ率はむしろ低下した。 そして、公的債務が未曽有の水準まで膨張することは、金融システムの不安定化というもう1匹の狼を引き寄せた。企業部門、あるいは家計部門であっても過剰債務が膨らめば、金融システムを不安定化させる。このことは、公的部門であったとしても変わらない。 まず、大量の国債発行が続けば、インフレが上昇しなくても、リスクプレミアムが上昇し、長期金利に上昇圧力がかかる。それが顕在化し、長期金利が急騰すれば、金融市場が動揺し、マクロ経済が不安定化する。 それ故、日本銀行は未然に防ぐべく、金利政策を駆使し、長期国債を大量に購入する。ただ、長期国債と交換するのは日銀当座預金であり、統合政府の負債は急激に短期化し、財務構造が不安定化する。 厄介なのは、赤字国債を幾ら発行しても日銀が長期金利を抑え込むとなると、財政コストの意識は希薄化し、ますます財政の中銀依存が強まることである。我々は既にこの過程にあると考えられる。 さらなる問題は、この悪循環によって、前述した通り、潜在成長率は一段の低下が続くことである。日銀の国債管理がうまくいけばいくほど、危機のマグマがため込まれ、制御不可能な公的債務の膨張に向かう』、その通りだ。
・『政府と日銀は財政政策と金融政策の一体化認め財政規律回復の枠組み提示を  これまで多くの人が最も懸念していたインフレという狼はなお不在だが、潜在成長率の低下という狼は既に長年にわたって日本経済を疲弊させ、それが足元のインフレをむしろ低下させたことで、我々は安心して公的債務の膨張を甘受してきた。 また、金融システムの不安定化というもう1匹の狼を日銀が抑え込もうとすること自体も、人々の財政コストに対する意識を希薄化させ、さらなる公的債務の膨張を助長し、潜在成長率の低下という狼をますます勢いづかせる。 もちろん、高率のインフレが訪れるリスクもゼロとはいえない。例えば、大幅な通貨安が訪れた場合、金融政策は既に公的債務に割り当てられているから、それを止められず、円安とインフレのスパイラルが進むリスクはある。 仮に高率のインフレを抑え込むために、日銀が利上げを行うと、未曽有の公的債務を抱えているため、財政の持続可能性が著しく脅かされるとともに、金融市場も大きく動揺し、マクロ経済が不安定化する。物価安定と金融システムの安定という中央銀行の2大目標の間で齟齬(そご)が生じる。 この時、我々は物価安定より金融システムやマクロ経済の安定を優先せざるを得ない。優先されるといっても、高率のインフレの下で達成されるレベルの金融システムやマクロ経済の安定性は、我々が慣れ親しんできた安定に比べるとはるかに質の劣ったものとなるであろう。 念のために言っておくと、仮に日本銀行がここで論じた財政ファイナンスの弊害を強く認識しても、現在の統治機構の枠組みの中では、パンデミック危機が解消した暁においても、公的債務が既に大幅に膨張しているため、長期国債の購入を減らし、長期金利の上昇を受け入れるわけにはいかないと思われる。 そもそも低いインフレ率と低い成長率の解消が容易ではないため、インフレーション・ターゲットの下では、金融引き締めを正当化するのは難しい。その結果、財政の中銀依存はますます進み、いや応なしに公的債務管理に組み込まれる。 筆者の見立てでは、もはや良い悪いの問題ではなく、日銀は事実上の公的債務管理に組み込まれており、そこから逃れることはまず不可能だろう。 この期に及んで、日銀首脳が財政ファイナンスではない、と繰り返すのは、建前上の問題だけでなく、問題のレベルが、中央銀行単独で解決可能な次元をはるかに超えているからではないのか。異次元の財政ファイナンスの領域に入っている。 筆者自身は、政府と中央銀行が、財政政策と金融政策の一体運営が事実上始まっていることを認めた上で、その副作用として弛緩(しかん)した財政規律を回復させる枠組みを作ることが不可欠だと考えている。 そこに至るまでの第一歩として、財政ファイナンスによって膨らんだ公的債務の最大の問題が潜在成長率の低下と金融システムの不安定化であり、特に前者については既に顕在化していることを我々は認識しなければならない。 公的債務膨張の弊害は高率のインフレだと繰り返していると、意図せずしてMMT理論を実践し、制御不能な公的債務を抱えることになりかねない』、「日銀は事実上の公的債務管理に組み込まれており、そこから逃れることはまず不可能だろう」、同感である。「弛緩した財政規律を回復させる枠組みを作ることが不可欠」、その通りだが、実際には難しい課題だ。

第三に、10月1日付けPRESIDENT Onlineが掲載したフジマキ・ジャパン代表取締役の藤巻 健史氏による「「誰が首相になっても解決策はない」出口のない異次元緩和の末路 菅政権は「火中の栗を拾う内閣」」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/39142
・『日本の財政は火の車だ。モルガン銀行(現・JPモルガン・チェース銀行)元日本代表の藤巻健史氏は「自民党総裁選が行われたが、政治家は誰も財政問題を語ろうとしなかった。無責任にも、臭いものには蓋をしているようだ」という――』、財務大臣経験者の岸田氏までが「財政問題を語ろうとしなかった」のにはガッカリした。
・『財政問題を語る政治家はどこにもいなかった  将来の首相を決める自民党総裁選で、どうして、どの候補者も、現在の日本の財政危機、日銀危機に触れなかったのだろうか? コロナとともに、最大の国難であると思うのだが。 臭いものには蓋か? 国民の目を逸らすためか? 回避不可能だから、国民には知らしむべからず、なのか? それとも政治家が経済・金融をわかっていないせいか? はたまた能天気のせいだろうか? 安倍晋三前首相の病状がどの程度だか知る由もないが、首相の座を降りたのは、年末にかけて行われる来年度の予算編成に向けてストレスが極限化したせいではと邪推している。 総裁就任前に出演したテレビ番組で菅総理が「行政改革を徹底して行った上で、消費税は引き上げざるを得ない」と発言した。一晩で撤回したものの、官房長官として安倍氏のそばにいて、財政の厳しさを痛感したが故ではなかろうか? 麻生太郎財務大臣や麻生派の河野太郎氏が出馬しなかったのも、財務省から、財政の厳しさについて十分なレクチャーを受けていたので、貧乏くじを引くのを回避したせいではなかろうか?(賢明だと思う) それほどに財政は逼迫ひっぱくしている』、「菅総理が・・・一晩で撤回した」、のもガッカリだ。
・『菅首相発言が一晩で一変したのも理解できる  そう考えると、菅内閣は、「借金踏み倒し」を実行する政権であり、火中の栗を拾う政権となると考える。 「消費税は、いずれは上げなければならない」が「安倍首相も今後10年ぐらい上げる必要はないと述べている。私も同じ考えだ」と菅首相発言が一晩で一変したのも理解できる。再スタートを切る前の政権の首相発言は、反故になっても、誰も文句を言わないからだ。 日本は、他国と違い、平時から借金を積み上げ、財政ファイナンスを行ってきた。それが故に、現在、世界ダントツの財政赤字国家であり、中央銀行は世界ダントツのメタボになってしまっている。 家庭であれ、国であれ、借金は、満期日には返さねばならない。返さなければ家庭は自己破産で、国家はデフォルトだ。したがって借金が大きくなると、家庭であれ、国であれ、資金繰りは自転車操業となる。 新しい借金と満期が来た借金の返済原資を調達しなければならないからだ。満期日に返したお金を再度貸してくれる人もいるだろうが、貸す、貸さないは貸主の権利ではあるが、義務ではない』、「国家はデフォルトだ」とあるが、ハイパーインフレで債務負担を軽減することも可能だ。
・『増税議論を避け、先送りを続けた自民党政権  ここで国と家計が違うところは、国には、巨大になった借金を問答無用で貸してくれる日銀がいることだ。それが2013年4月から始めた異次元緩和である。 これは国の借金を中央銀行が紙幣を刷ってファイナンスするという意味で、過去ハイパーインフレを引き起こした財政ファイナンスそのものだ。まさに財政破綻の先送り政策だった。これ故に日本は、財政赤字の巨大化とともに日銀のバランスシートもメタボになり、両者とも世界最大になってしまったのだ。 ちなみに、中央銀行が日銀のように紙幣を刷る権限が無いユーロ圏諸国は、中央銀行のバランスシートは拡大しないが、財政破綻を先送りできないので、財政破綻の恐怖につねにおびえている。 「財政赤字」「中央銀行のメタボぶり」は両者とも対GDP(国内総生産)比で測る。税収は、GDPにほぼ比例して増えるからだ。したがって「対GDP比の累積財政字額」とは「税金で財政赤字を解消できる難易度ランキング」であり、「対GDP比の中央銀行資産規模」とは「(金融引き締め時に必要な)税金で中央銀行バランスシートを縮小できる難易度ランキング」である。 要は、財政再建と、金融政策の機能回復には、日本は、世界ダントツの大増税が必要になったということなのだ』、「中央銀行が日銀のように紙幣を刷る権限が無いユーロ圏諸国は、中央銀行のバランスシートは拡大しない」、というのは筆者の誤解で、資産規模は膨らんでいる。「財政再建と、金融政策の機能回復には、日本は、世界ダントツの大増税が必要になった」、その通りだ。
・『かつて財政危機は官民で共有されていた  第2次安倍政権発足以前は、それでも、将来の大増税を回避しようとする試みは行われていた。1997年には橋本龍太郎内閣が「財政構造改革法案」を成立させた。第2条に「財政が極めて危機的な状況にある」と記されたこの法案により、橋本内閣は、財政再建への意欲を示した。 ただ、残念ながら、この年は三洋証券・山一証券・北海道拓殖銀行等が破綻し、財政再建どころではないと、この法案は骨抜きになり、後継の小渕恵三内閣の時、実質廃案となってしまった。 民主党の野田佳彦政権は、東日本大震災に対し、「復興税」という臨時増税を行い、その財源を明確にした。借金が大きくなることへの恐怖、自制心はまだ存在していたのだ。財政危機に対しての警戒警報記事も頻繁に新聞紙面をにぎわした。 ところが第2次安倍内閣の「異次元緩和」発動で、その財政再建の試みはぶち壊しとなった。通常、財政赤字が拡大すると長期金利が上昇し、長期国債市場が「政治家さんよ、そんなにお金をばらまくと長期金利が上昇して景気が失速しますよ」と、大きな警戒警報を鳴らす。しかし異次元緩和で、長期国債の爆買いをするから、いくらばらまいても警戒警報が鳴らない』、確かに「異次元緩和」以降の安倍政権の財政ばらまきぶりは酷かった。
・『「異次元緩和」の発動で失われた危機感  以前は、財政法第5条で本来発行できない赤字国債を、特別公債法案という財政法の上位法を毎年、成立させ、赤字国債を発行して、急場をしのいでいた。その法案を通すために毎年、与党は首相の首を差し出していたが、今では、一度、この法案を通せば5年間、赤字国債を発行できるようにした。 これでは赤字国債削減への首相のモチベーションは落ちる(第2次安倍政権が長期政権になり得たのも、これが主因だと私は考えている)。 又、「統合政府で考えると、財政は健全だ」という財政楽観論者の存在や「借金を拡大しても財政出動をすべきだ」等の財政出動派の存在が赤字を極大化させてしまった。この結果、第2次安倍政権は、尋常な方法での財政再建を放棄してしまったといえる』、「第2次安倍政権は、尋常な方法での財政再建を放棄してしまった」、長続きの秘訣のようだ。
・『「誰が首相になっても解決策はない。だから臭いものには蓋」  巨額になった借金を解消する手法は「大増税」か「借金踏み倒し」しかないが、大増税を放棄すれば、「借金踏み倒し」しか道はない。 「借金踏み倒し」は歴史的には、しばしば起こる。鎌倉時代・江戸時代は「徳政令」「棄捐令」だったが、今の世の中では、さすがにこのような過激な政策はとれないだろう。となると、実質、「借金踏み倒し策」であるハイパーインフレ策しかない。 1000兆円超の借金は、タクシー初乗り1兆円時代には、実質無きに等しくなるからだ。インフレとは債権者(国民)から債務者(国)への富の移行という意味で、大増税と同じである。したがってハイパーインフレとは国にとっては究極の財政再建策だが、国民にとっては地獄となる。 菅政権は安倍政権を継承するという。実は誰が総理になっても、この機に至っては、継承せざるを得ない。異次元緩和をやめると新首相が発言したとたんにXデーが到来するからだ。 年間発行国債の7~8割をも買っている日銀が購入をやめる(=異次元緩和をやめる)と、長期国債の値段は急落(=長期金利は急騰)する。政府は高い金利では国債発行などできないから予算が組めない。資金繰り倒産だ。莫大な国債を保有する日銀も巨額な評価損を抱え、債務超過になり円は暴落してしまう。ハイパーインフレ一直線だ。 したがって、この論考の最初の質問に対する回答は「誰が首相になっても解決策はない。だから臭いものには蓋」がその回答だと私は思っている』、「異次元緩和をやめると新首相が発言したとたんにXデーが到来」、強力な麻薬のようだ。「誰が首相になっても解決策はない。だから臭いものには蓋」、とは言い得て妙だ。
・『「コロナのせい」ではない、人災だ  「今はインフレでもないのにハイパーインフレなど起こるわけがない」という方がいる。しかしインフレ/デフレとハイパーインフレでは発生原因が違う。インフレ/デフレはモノの需給で起こるが、ハイパーインフレは中央銀行が信用を失墜させた時に起きる。通貨の価値が失墜するからだ。一晩で起こりうる。 ストーブに紙幣をくべているハイパーインフレのようすの写真を本で見た方もいらっしゃるとかと思うが、これはマキの供給不足の現象ではない。紙屑となった紙幣では誰もモノを売ってくれない。したがってストーブにまきの代わりに紙幣をくべたのだ。 国のリーダーはXデーの当事者にはなりたくないものだ。したがって、異次元緩和という安倍政権の政策継承によって、菅政権は、粛々とXデーに向かって進んでいくだろう。 そしてある日突然、日銀が債務超過になり、市場が混乱すると思っている。人はそれを「市場の暴力」と呼ぶだろうし、政権や日銀は「コロナのせい」にするだろう。しかしその「市場の反乱」は借金を世界最大減まで膨らませ、異次元緩和で危機を先延ばしにした人災である。 国を頼りにせず、ドルを買って自衛せよと私が申し上げている理由がここにある』、「インフレ/デフレはモノの需給で起こるが、ハイパーインフレは中央銀行が信用を失墜させた時に起きる。通貨の価値が失墜するからだ。一晩で起こりうる」、本質を突いた鋭い指摘だ。「異次元緩和という安倍政権の政策継承によって、菅政権は、粛々とXデーに向かって進んでいくだろう。 そしてある日突然、日銀が債務超過になり、市場が混乱する」、まさに破局だ。二番目の河野氏は勤務先を忖度して思い切ったことは言い難いが、忖度が必要ない「藤巻氏」は、危機をズバリと指摘するとはさすがだ。
タグ:ロイター 河野龍太郎 ダイヤモンド・オンライン PRESIDENT ONLINE 藤巻 健史 Newsweek日本版 異次元緩和政策 (その34)(「やめておけ マイナス金利」 欧州金融界 逆効果示唆する調査、コロナが拍車かける財政ファイナンスの「今そこにある弊害」、「誰が首相になっても解決策はない」出口のない異次元緩和の末路 菅政権は「火中の栗を拾う内閣」) 「「やめておけ、マイナス金利」 欧州金融界、逆効果示唆する調査」 行動ファイナンスの権威 イスラエルの国家債務管理部門を統括するリオル・ダビドプル氏 「もっと資金を借り入れてリスク性資産への投資を増やすよう、人々の背中を押したいのであれば、マイナス金利よりもゼロ金利の方がむしろ効率的だ」 リスクを取る行動と資金を借り入れる行動を促す効果が最も強く表れたのは、金利が1%から0%に下がった時 ゼロに戻したスウェーデン マイナス金利のコストが便益を上回った 銀行は手数料を課すか ルンド大のアンデション氏 成長を押し上げるために中銀がマイナス金利政策を採用する必要はなさそうだと話す。「私なら、やめておけと言う。その価値はないと 「コロナが拍車かける財政ファイナンスの「今そこにある弊害」」 危機下では容認される財政ファイナンス インフレ率も高まらず 日銀の長短金利操作政策が政府の財政膨張を支える皮肉 YCCを導入したのは、財政ファイナンスのためではなく、インフレを醸成することが目的だった」、のは事実であるが、結果的には「財政ファイナンス」をしているのと同じだ 超低金利と追加財政継続が低採算の企業を生き残らせ潜在成長率が低下 過度なマクロ安定化政策が潜在成長率を低下させている 長期金利上昇抑制のために国債購入する日銀 公的債務膨張続き高まる金融システムへの懸念 日銀の国債管理がうまくいけばいくほど、危機のマグマがため込まれ、制御不可能な公的債務の膨張に向かう 政府と日銀は財政政策と金融政策の一体化認め財政規律回復の枠組み提示を 日銀は事実上の公的債務管理に組み込まれており、そこから逃れることはまず不可能だろう 弛緩した財政規律を回復させる枠組みを作ることが不可欠 「「誰が首相になっても解決策はない」出口のない異次元緩和の末路 菅政権は「火中の栗を拾う内閣」」 財政問題を語る政治家はどこにもいなかった 菅総理が 一晩で撤回した 菅首相発言が一晩で一変したのも理解できる 「国家はデフォルトだ」とあるが、ハイパーインフレで債務負担を軽減することも可能だ 増税議論を避け、先送りを続けた自民党政権 中央銀行が日銀のように紙幣を刷る権限が無いユーロ圏諸国は、中央銀行のバランスシートは拡大しない」、というのは筆者の誤解で、資産規模は膨らんでいる 財政再建と、金融政策の機能回復には、日本は、世界ダントツの大増税が必要になった かつて財政危機は官民で共有されていた 「異次元緩和」の発動で失われた危機感 第2次安倍政権は、尋常な方法での財政再建を放棄してしまった 「誰が首相になっても解決策はない。だから臭いものには蓋」 異次元緩和をやめると新首相が発言したとたんにXデーが到来 誰が首相になっても解決策はない。だから臭いものには蓋 「コロナのせい」ではない、人災だ インフレ/デフレはモノの需給で起こるが、ハイパーインフレは中央銀行が信用を失墜させた時に起きる。通貨の価値が失墜するからだ。一晩で起こりうる 異次元緩和という安倍政権の政策継承によって、菅政権は、粛々とXデーに向かって進んでいくだろう。 そしてある日突然、日銀が債務超過になり、市場が混乱する
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働き方改革(その29)(ヤフーの副業募集に「4500人殺到」の舞台裏 「フル在宅」でコロナ対応機能を70以上投入、コロナ禍に乗じた「ジョブ型雇用」礼賛を待ち受ける 修羅の道、小田嶋氏:君、最近休みをとったのはいつだね?) [経済政策]

働き方改革については、7月28日に取上げた。今日は、(その29)(ヤフーの副業募集に「4500人殺到」の舞台裏 「フル在宅」でコロナ対応機能を70以上投入、コロナ禍に乗じた「ジョブ型雇用」礼賛を待ち受ける 修羅の道、小田嶋氏:君、最近休みをとったのはいつだね?)である。

先ずは、8月20日付け東洋経済オンライン「ヤフーの副業募集に「4500人殺到」の舞台裏 「フル在宅」でコロナ対応機能を70以上投入」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/369924
・『コロナ禍でデジタルトランスフォーメーション(DX)需要が高まり、追い風を受けるIT・ネット大手。中でもZホールディングス(ZHD)は、2020年4~6月の決算で前年同期比4割増の営業利益をたたき出す好調ぶり。中核企業のヤフーは、ネット広告事業では広告主の出稿意欲低下の影響を受けた一方、傘下のZOZO、アスクルを含むネット通販(EC)事業が大きく拡大したほか、100億円単位の全社的なコスト抑制も効いた。 ヤフーはこの間、通常のサービス開発とは別で70以上の「対コロナ」のサービスや機能をリリースしている。混雑情報、教育系コンテンツなど、種類もさまざまだ。また、「無制限リモートワーク」と称す新しい勤務体制への移行も実施、副業人材を今後100人単位で受け入れることも打ち出した。反響は大きく、すでに日本全国、さらに世界から4500人以上の応募を得ているという。 世界に目を転じれば、米中間ではテック企業を巡る摩擦が加速度的に高まっている。LINEとの経営統合で「東アジアにテック業界の“第三極”を作る」と目標を掲げるZHDは、未来をどう描くのか。川邊健太郎社長に聞いた(Qは聞き手の質問、Aは川邊社長の回答』、「副業人材を今後100人単位で受け入れる」のに対し、「4500人以上の応募を得ている」とはさすがだ。
・『下は15歳から上は80歳までが応募  Q:7月に行った副業人材の募集には、大きな反響があったそうですね。 A:すでに4500人以上の応募があった。「100人採用」と大々的に打ち出したので、当然ある程度の反応はあると思っていたけど、想像以上だ。応募は全都道府県、海外からも来ており、職種も大手企業の要職経験者、フリーランス、学生、市長さんなどさまざまだ。年齢も、下は15歳から上は80歳まで幅広い。 Q:なぜこのタイミングで募集に踏み切ったのでしょう。 A:実は社外からの副業受け入れの前に、ヤフー社員に対して「うちは副業を許可しているので、この制度をもっと活用してほしい」と呼びかけた。新型コロナでここ数カ月、期せずしてリモートワーク前提の勤務体制としてきたが、ヤフーでは社員のパフォーマンスが非常に上がっている。通常サービスの開発に遅れが出なかったのに加え、コロナ対応のサービスや機能を70以上世に出せたことからも明らかだ。 通勤時間を削減でき、余裕を持って働ける社員が増えているのなら、もちろんそのパワーをヤフーのために使ってもらうのもいい。だけど、自分自身の成長のために他社の仕事にもチャレンジしたいなら、それも素晴らしいこと。こういうニーズはほかの会社で働く人たちにも生まれているのではないかと思い、今回の募集につながっている。 Q:「戦略アドバイザー」「事業プランアドバイザー」という職種での募集ですが、具体的にどんな仕事を依頼する想定ですか。 A:ヤフーが手がけるのは消費者向けサービスなので、いろいろな立場や考え方の人が寄ってたかって意見を言ってくださるほうが魅力を高められる。 オープンイノベーションを意識した開発は従前から行っていて、オフィス内に設置したコラボレーションスペース「LODGE(ロッジ)」がその役割を担っていた。今は感染防止のために閉鎖してしまっているので、それをオンラインに「引っ越し」させたいとの思いもある。 実際の業務内容は各人と話しながら決めていきたいが、CSO(最高戦略責任者)の安宅(和人氏)やCOO(最高執行責任者)の小澤(隆生氏)のもとで、新しいサービスや企画の立案、既存サービスへの改善提案などに携わってもらいたいと思っている。 Q:社内では「無制限リモートワーク」という新しい勤務体制を推進されています。 前提としてヤフーの働き方改革の経緯を話すと、宮坂(学)前社長体制の時から、人事評価を「ペイ・フォー・タイム」ではなく「ペイ・フォー・パフォーマンス」にしていこうと動いてきた。パフォーマンスを評価するのであれば、働く場所は関係ない。社内では「どこでもオフィス」という、月間5日までオフィス外での勤務をOKとする制度も運用してきた。 ただ、8年くらいこの制度を運用する中で感じたのは、放っておくと皆会社に来てしまって全然「どこでも化」が進まないということ。結局、オフィスがいちばん生産性高く仕事できると思うからだろう。 コロナ感染者が多く発生している今だけでなく、今後の災害対応力や創造性を高める意味でも、社員にはマインドを変えてもらいたい。そういう思いで、リモートワークの回数制限撤廃、コアタイムの廃止、通勤定期券代の支給停止(実費支給)などを打ち出した』、「社外からの副業受け入れの前に、ヤフー社員に対して「うちは副業を許可しているので、この制度をもっと活用してほしい」と呼びかけた。新型コロナでここ数カ月、期せずしてリモートワーク前提の勤務体制としてきたが、ヤフーでは社員のパフォーマンスが非常に上がっている」、さすがだ。「人事評価を・・・「ペイ・フォー・パフォーマンス」にしていこうと動いてきた・・・社内では「どこでもオフィス」という、月間5日までオフィス外での勤務をOKとする制度も運用してきた」、「8年くらいこの制度を運用する中で感じたのは、放っておくと皆会社に来てしまって全然「どこでも化」が進まないということ。結局、オフィスがいちばん生産性高く仕事できると思うからだろう」、やはり「ヤフー社員」でも「「どこでも化」が進まない」、というのは、興味深い。
・『機動的に組織を組み替えた  Q:コロナ対応で70以上の新サービス・機能をリリースしたとのことですが、どのように進めてきたのでしょうか。 A:ヤフーではこれまでも地震、台風などの自然災害が起こった時、被災した方々の役に立つような情報やサービスの提供を積極的に行ってきた。 ヤフーニュース内には新型コロナ関連の生活情報をまとめた特設ページを用意している(出所:ヤフーニュース) ただ今回は局所的な災害と違い、全国的、全世界的に広がっている感染症で、誰が被害に遭うかわからない状態。落ち着いて対応するためには社員の安全確保が必要なので、まずはフルリモートでしっかり業務を行える環境を整備し、そこからあらゆるサービス作りに着手した。 災害時のニーズは日々刻々と変わっていく。東日本大震災の時には、被災状況の把握から、計画停電について、放射能汚染についてへと関心が移っていった。こういう変化はヤフー検索のデータに如実に現れる。これにヤフーニュースのアクセス動向なども掛け合わせてニーズを読み取り、優先順位の高いものを判断して機能開発を進めた。 Q:具体的に、今回のケースでは? A:最初は衛生物資の不足が問題になったので、EC部隊を中心に商品情報の面などで対応した。その後は憶測やフェイク情報の拡散が深刻化したため、提携媒体とともに正確な情報提供を行うページ作りに腐心した。 そうこうしているうちに、今度はステイホーム期間が長くなりそうということで、教育系コンテンツなどを拡充していった。その後は「新しい生活様式」の助けになるよう、混雑予測などのサービスに注力している。 ヤフートラベルのように需要が蒸発してしまったサービスもあるので、そこに携わっていたエンジニアを引っこ抜いて忙しい部門の開発に当たってもらうなど、機動的に組織を組み替えながら現在に至っている』、「ヤフー」のような「検索」中心のポータルサイトは、ニーズの変化が把握し易いので、人的資源の振り分けを弾力的に変更できるのは、大きな強味のようだ。

次に、8月28日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏による「コロナ禍に乗じた「ジョブ型雇用」礼賛を待ち受ける、修羅の道」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/247113
・『コロナ禍でにわかに高まる「日本型雇用」の見直し機運  今年の春闘で経団連の会長が「日本型雇用制度を見直す」と提言した流れで、この夏、日本企業が次々とジョブ型雇用の導入を発表したことに、注目が集まっています。具体的には日立製作所、富士通、KDDIなどの企業が、ジョブ型雇用の導入を表明しています。 もともとは、働き方改革を進めなければいけないという理念から提言された日本型雇用制度の見直しですが、その中でジョブ型雇用への移行が注目される背景には、コロナ禍によるリモートワークの普及が一因として存在します。 そもそも旧来の日本型雇用は「メンバーシップ型雇用」と呼ばれていて、「うちの会社の社員になれ」と言われて雇用された従業員が、「君は営業、君は開発、君は企画」というように、就職した後に配属が決まる仕組みでした。 その後もキャリア形成の途中で、「そろそろ君も他の職種を経験したほうがいい」と言われて、社内の全然違う部署に異動するような人事が、当たり前のように行われてきました。日本型の雇用とは、その会社のことをよく理解しているジェネラリストを育成する仕組みでした。 一方で今注目を浴びているジョブ型雇用は、欧米の企業で多く見られる採用方法で、最初から営業、開発、企画といった職種(ジョブ)ごとに雇用を行い、専門家として育成する仕組みです。 これは、働く側の若い人材にとっては合理的な制度です。自分が何の専門家になるのかが社会人になった当初から明確なので、何を学び、何を磨けばいいのかがはっきりします。ジョブディスクリプションといって、その仕事が何をしなければいけないのかが明確になっていることから、自分が仕事で貢献できているかどうかもよくわかります。 メンバーシップ型の会社では、特に若いうちは色々な雑用を頼まれます。「あの会議、代わりに出ておいてくれ」「出荷の仕事が遅れているから、今日は職場全員で残業して」といった話が当然のようにあるのですが、ジョブ型の会社では「担当ではないので」「私の本来の仕事が遅れてしまいますから」などと断ることができるようになります。結果として、ワークライフバランスもとりやすくなるわけです。 利点をまとめるといいことに思えるこのジョブ型雇用への移行ですが、「なぜこのタイミングで推進するのか」を考えると、どうも「光」だけではなく「影」の事情がそこにあるように思えて、仕方ありません。 要するに、経団連が打ち出しているのは日本型雇用の見直しなのですが、その文脈でジョブ型を取り上げると、「使えない中高年社員のリストラにつながるのではないか」という懸念が、当然のように持ち上がるのです』、「ジョブ型雇用」に必要な「ジョブディスクリプション」は、実際には難しい作業で、どこまで仕上がっているのかも疑問だ。
・『仕事がなくなったらあぶれた社員は会社に残れない?  たとえば、こういうことです。今後大企業では、これまで当たり前のようにあった仕事がなくなるケースが出てきます。大きなレベルでいえば、「工場がアジアに移転するので閉鎖される」「不振の外食部門から撤退する」「営業をより営業力のある外部の販売会社に委託する」いったケースがあります。もっと小さなレベルでは、「業務を見直したらこの仕事は3人で十分だとわかった」といったケースもあります。 メンバーシップ型の雇用の場合は、社員に仕事を割り当てるので、このように仕事がなくなっても、あぶれた社員を他の仕事にあてることになります。しかしジョブ型雇用の場合は、本来的には仕事に必要な専門スキルを持った社員をあてる仕組みなので、仕事がなくなれば、必然的にそのなくなった仕事を専門とする社員はあぶれます。 もちろん、日本の法律では、大企業がジョブ型に移行したからといって、仕事がなくなった社員を簡単に解雇することはできません。ただ法律論的には、ジョブ型が定着した企業で、その担当するジョブ自体がなくなった場合は解雇が適法だ、という判決が下される可能性が出てくるそうです。 ジョブ型雇用におけるジョブディスクリプションは、通常は部門、職種、キャリアレベルというように、いくつかの切り口で細分化されます。通信機部門の営業の中堅社員に求められるジョブは、半導体部門の営業の新卒社員に求められるものとは内容が違います。 大企業の中では、ジョブは最終的には2万種くらいに細分化されて、それぞれ何を達成しなければいけないかが明文化されていきます。どのように明文化するかは企業次第ですが、問題はそこに書かれるスキルの難易度になると思われます。 その内容次第で、仕事がなくなった中高年社員が「別のジョブに掲げられているスキルを自分は持っていない」「自分にもできる他のジョブは、給料レベルが格段に下がってしまう」といった事態が起きかねません。 日本の大企業では、ジョブ型への移行をまず管理職から始めるケースが目立ちます。組合員ではなくかつ中高年が多い管理職から制度を導入するということなので、会社によって社員側は、制度が悪用されないかどうか、どうしても不安になるわけです』、「日本の大企業では、ジョブ型への移行をまず管理職から始めるケースが目立ちます」、しかし、「使えない中高年社員のリストラにつながる」ような動きがあれば、その後の一般社員への展開は難しくなる可能性があるだろう。
・『評価を気にする中高年社員がサービス残業を抱え込んで自滅  2017年に国会で大議論の末に廃案となり、2018年の国会で復活した「高度プロフェッショナル制度」でも懸念された話ですが、ジョブ型雇用になると「ジョブディスクリプションで求められているジョブが達成できていない」と評価されることを恐れた中高年が、実質的に青天井のサービス残業を抱え込んで自滅するようなケースも危惧されます。 これは、もともとジョブ型雇用になっている公立学校の教師において、どんどんジョブの内容が増え、労働時間が青天井になっているのと仕組みは同じです。 しかし、メンバーシップ型の雇用なら問題がないのかというと、そうでもありません。むしろ、従来型の日本式雇用でも色々と試行錯誤したうえで、やるところまでやってきたという感じなのです。 たとえば西暦2000年頃、メンバーシップ型の日本の大企業では、仕事がなくなってあぶれた社員を配置転換するケースがよくありました。間接部門の仕事が大幅に見直された大企業で、あぶれた社員がすべて営業に異動させられるケース、ハードウェアの開発技術者が大量に不要となり、ソフトウェアエンジニアに配転させられたケースなどです。 同じホワイトカラーだから内勤から営業への配転でも大丈夫だろう、同じ技術者だから回路設計からソフトウェア開発に仕事が変わっても大丈夫だろうというのは、本当は無理な話です。これらの会社では、営業のノルマがきつくて辞めたり、ソフトウェア技術を一から学ぶことを断念して辞めたりする中高年の社員が続出しました。違うジョブへの配転は、20年前にリストラの手法としてすでに試されてきたのです』、「ジョブ型雇用になると「ジョブディスクリプションで求められているジョブが達成できていない」と評価されることを恐れた中高年が、実質的に青天井のサービス残業を抱え込んで自滅するようなケースも危惧されます」、大いに警戒すべきだろう。
・『大企業に透けて見える「狙い」 待ち受けるのは修羅の道か  そういうことを試行してきた大企業が、今度はジョブ型雇用に移行するという新しいキーワードを出してきた。そうした「影の狙い」が、どうしても透けて見えてしまうのです。 ジョブ型雇用に移行すると、どうしても考慮しなければいけないのが、ジョブによって給料が異なるという事実です。これは、ジョブ型雇用のメリットの1つである「他の企業への転職がしやすくなる」ということの裏返しなのです。 たとえば、マーケティングの専門家というジョブの給料に、自分の会社と競合他社で大きな差があれば、社員が辞めてしまうことになる。なので、高度に専門的なジョブの給料は市場価格に合わせる必要が出てきます。 昨今の例でいえば、一流大学の大学院でAIのエンジニアとして学んできた新卒は、1000万円を超える報酬を用意しなければ採用できない、といった話につながります。 一方で、ジョブ型に移行すれば同一労働同一賃金も実現しなければいけません。このように、ジョブ型雇用への移行を礼賛していると、結局のところ日本型雇用のさまざまなひずみが表面に出てくることになるのです。 ジョブ型雇用を宣言した企業が、実際にその仕組みをつくり上げ、運用に移行するまでには、だいたい4~5年はかかるものです。そして、その行きつくところ、つまり2025年頃に向かって雇用改革が辿る道は、社員にとっても経営にとっても「修羅の道」なのです』、「ジョブ型雇用への移行を礼賛していると、結局のところ日本型雇用のさまざまなひずみが表面に出てくることになる」、「ジョブ型雇用を宣言した企業が、実際にその仕組みをつくり上げ、運用に移行するまでには、だいたい4~5年はかかる・・・その行きつくところ、つまり2025年頃に向かって雇用改革が辿る道は、社員にとっても経営にとっても「修羅の道」なのです」、同感である。

第三に、8月21日付け日経ビジネスオンラインが掲載したコラムニストの小田嶋 隆氏による「君、最近休みをとったのはいつだね?」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00081/?P=1
・『夏休みを含めて4週連続でお休みをとりました。 なので、当欄への登場は約一ヶ月ぶりということになる。 これほど長い間原稿を書く作業から遠ざかったのは、久しぶりのことだ。 休みについては、読者の皆様の中にも、新型コロナウイルス騒動がはじまってからこっち、不本意ながらの休業や、余儀ない形での自宅待機も含めて、あらためて考える機会を持った方も少なくないはずだ。 そこで、今回は、仕事と休養についてあれこれ思うところを書いておくことにする。 このたびのコロナ禍は、政府ならびに労使双方の団体が企図していた「働き方改革」を、強力に推し進める触媒になるはずだ。コロナの影響にポジティブな面があるのだとしたら、おそらくその点だけだろう。 われわれは、予期せぬなりゆきで、自分たちの働きぶりと休み方について、あらためて自省する機会を与えられている。別の言い方をすれば、走っている時には決して思い浮かべることのできないタイプのアイディアを、結実させるための時間を獲得したわけだ。 こじつけに聞こえるかもしれないが、その点を気に病む必要はない。アイディアというのは、そもそもこじつけなのだ。 まず私自身の話をする。 私は、元来、忙しい男ではない。 レギュラーの働き方からすると、執筆に充てる日は、週のうちの3日ほどに限られる。残りの日はぶらぶらしている。 このスケジュールは、30年来変わっていない。 20代の一番忙しかった頃は、主に税金を支払うために設立していた会社を回すために、ひと夏泊まり込みで働いたこともあったが、それ以外では、週に4日以上働いた経験は持っていないと申し上げて良いかと思う。 毎度残念に思うのは、他人にこの話(働くのは週に3日ですねというお話)をすると、ほぼ必ず 「良いご身分ですね」という感じの反応が返ってくることだ。 なんというのか、自慢話をカマしたと思われてしまうらしいのだ。 なるほど。 なので、そういう人たちに向けては、あらためて、 「でもまあ、フリーランスの仕事には、休みなんてありませんよ」 という方向の話し方で軌道修正をすることにしている。 これも、言葉どおりの意味ではないものの、あながちウソでもない。 執筆日のみを働いた日として算入すると、たしかに労働に充てる日は週に3日ということになる。しかし、あれこれと原稿のネタを考える作業もまた原稿執筆には不可欠な時間であることを考慮に入れれば、完全な休養日は一年のうちに何日もないという計算の仕方も可能になる。 要するに「働く」という言葉の定義次第で、勤務日なり休日なりの日数は、かなり大幅に変わってしまうということだ』、「このたびのコロナ禍は、政府ならびに労使双方の団体が企図していた「働き方改革」を、強力に推し進める触媒になるはずだ」、鋭い指摘だ。「「働く」という言葉の定義次第で、勤務日なり休日なりの日数は、かなり大幅に変わってしまう」、その通りだろう。
・『そのこととは別に、この場を借りてぜひ強調しておきたいのは、原稿を書く仕事をはじめてからこっちの約40年間、私にとって経済的不安を感じなかった日々がほとんど存在しなかったということだ。 原稿を書く仕事に限らず、フリーランスで働いている人間はおおむね似たようなものだと思う。われわれには、忙しい時期もあれば、ヒマな時期もある。で、どの稼業でも同じことだが、ヒマな時は収入途絶の不安にさいなまれるし、忙しい時期には神経が摩耗することになっている。どっちにしても優雅なご身分というには程遠い境地だ。 興味深いのは、今回のコロナ禍による全世界的な経済の停滞が、結果として、勤め人と呼ばれる人々の労働観を、かなり根本的な次元で変容させてしまっていることだ。 思うに、アンダーコロナのテレワークを機に、日本の勤め人の労働観は、「ヒマならヒマで不安だし、忙しいなら忙しいで神経がもたない」という、われらフリーランスの労働哲学に限りなく近似してきている。 東京を含む全都道府県に緊急事態宣言が発出されていた4月から5月に至るひと月半ほどの間、ツイッター上には、 「満員電車に乗らずに済む生活がこれほど快適だったとは」「オレ、宣言が解除されても、またあの電車に詰め込まれて会社に行く自信ないなあ」「さんざんテレワークでの会議を経験してわかったことは、会議の時間のうちの半分は無駄だったということと、会議に参加しているメンバーのうちの半分は不要だったということだな」「出勤という所作が慣性の法則によって達成されている、等速直線運動であることがよくわかった」「働きたくないという自分の内なる声の正しさを知った」 という感じの感慨があふれ返ることになった。 で、私は、5月11日のツイッターに 《「出勤したくない気持ち」をネタにした自虐ツイートを「大人のユーモア」だと思いこんでいるアカウントが散見されますが、コロナ下の収入減に苦しむ多くの日本人には、その種のボヤキは出勤しなくても月々の定額の給料が保証されている一流企業の正規雇用者が特権を謳歌しているようにしか見えません。 午前10:41 - 2020年5月29日》《まあ、一種の王朝文学なのだろうね 午前11:05 - 2020年5月29日》 というスレッドを書き込んだ次第なのだが、実際、この時点では、半月やそこら休んでも給料の目減りを心配せずに済む一流企業の正規雇用者と、今日の収入の途絶がそのまま明日の暮らしの逼迫につながる日銭商売の人間との間に、巨大な格差が露呈しているように見えた』、「アンダーコロナのテレワークを機に、日本の勤め人の労働観は、「ヒマならヒマで不安だし、忙しいなら忙しいで神経がもたない」という、われらフリーランスの労働哲学に限りなく近似してきている」、面白い指摘だ。
・『で、5月時点のタイムラインには、思わぬ「休暇」の到来を寿いでいるお気楽な殿上人の感慨と、今日のコメの算段に苦しむ底辺民の悲鳴が交錯する事態を迎えていた次第なのだが、この状態もそれほど長続きしたわけではなかった。 というのも、棚ぼたの「休暇」に浮かれる気分は、ほんの二週間ほどで雲散霧消して、ほどなく、ほとんどの日本人が、先行きへの不安に思いを馳せはじめる重苦しい日々が到来することになったからだ。 いったいにわれわれはバカンスを楽しむようには設計されていない。 というよりも、平均的な日本人は、一週間以上の「休暇」には、不安を抱くべく条件付けられている。つまり、われら21世紀の日本人は、それほどまでに勤勉の呪いに深く囚われた人々なのである。 もっとも、いま私が言っている「日本人は勤勉だ」という定説も、昨今では、どうやらそのまま無邪気に押し通せるひとつ話ではなくなってきている。 5年ほど前だったか、主要な職業生活のうちの十数年をアメリカのいくつかの州で過ごした知り合いが、こんな話をしてくれたことがある。 「勤勉の呪いというのは、別に日本人に限った話じゃないぞ」「そうか?」「うん。オレの知る限りでは、アメリカのエリートは日本の平均的なサラリーマンなんかよりずっと猛烈に働いてるぞ」「うーん。オレの予断とずいぶん印象が違うんだが」「っていうか、日本人の不思議なところは、たいして出世してるわけでもない並レベルの勤め人が、わりとムキになって働いてるところだと思う」「並レベル?」「うん。アメリカだと年収5万ドル以下の勤労者はスキあらば怠けようとしてる印象だったな」 なるほど。 アメリカのエリートと非エリートがどんなふうに働いているものなのかはともかくとして、私の観察範囲では、うちの国の勤労者たちは、そろそろアンダーコロナの働き方に不安をおぼえはじめている。「業種とか職種にもよるんだろうけど、テレワークって、格差拡大の口実になると思うな」 「というよりもテレワーク下の成果主義は、経営側に有利な形でしか解釈されないってことだよ」 「それもあるけど、ちょっと長い目で見ると、地域の経済と関係のないグローバル企業だけが生き残る結果にならないか?」 「どっちにしても現場軽視てなことにはなるだろうな」 ひとつ注意を促しておかねばならないのは、私が話を聞いている範囲の人間は、ほぼ私と同世代の勤め人に限られるということだ。 つまり、私の耳にはいってくる情報は、「勝ち逃げ」組(役員待遇もしくは、退職金を満額もらって悠々自適)発のお話にしても、そうでない組(起業、子会社出向、転職などなど)のご発言にしても、今回のコロナによる経済の停滞をどことなく他人事として見ている引退老人の感慨だということだ。その意味で、われわれの話は、どの角度から評価しても、そんなに深刻な話にはならないものなのかもしれない。 おそらく、40代から50代にかけての働き盛りの勤労者は、このたびのコロナ禍を、もう少しきびしい試練として受けとめているはずだ。 20代の就活世代にとっては、さらに憂鬱な話題に属する話なのかもしれない』、「今回のコロナによる経済の停滞をどことなく他人事として見ている引退老人の感慨」、私もこの部類だが、若い世代は大変だろうと同情している。
・『いずれにせよ、世界中の人間が、働き方と暮らし方を見直さなければならない局面で、考えこんでしまっている。 私自身、いまだに答えを見いだせずにいる。 ただ、これまでと同じようには行かないのだろうなということを、噛み締めているばかりだ。 ネット上では、8月の17日に、安倍晋三首相が慶応大学病院で日帰り検診を受けたことについて、麻生太郎副総理が記者団に対して 「147 日間休まず連続で働いたら、普通だったら体調おかしくなるんじゃないの」「あなたも147日間、休まず働いてみたことありますか。140日休まないで働いたことないだろう。140日働いたこともない人が、働いた人のこと言ったって分かんないわけですよ」などと発言したことに反発の声があがっている。 いちいちツッコむのも面倒なのだが、麻生さんの発言は、その横柄さもさることながら、以下の点から批判されて当然の物言いだったと思う。 特定の経験を踏んでいない人間による批判を封じたら、たとえば政治家への批判は政治家にしか許されないことになる。 そもそも147連勤の数え方が恣意的すぎる。たった30分の執務を一日の勤務と数えることが可能なら、300連勤を超える勤労者も珍しくない。
総理の働きぶりが日数として足りていないことを批判している人間はほとんどいない。多くの批判は、国会を召集しないことに集中している。 動画を見て私が驚愕したのは、麻生さんの発言のバカバカしさそのものよりも、それに反論した記者が一人もいないことに対してだった。実際、記者団は、借りてきた猫みたいにおとなしく、麻生さんの言葉に耳を傾けている。 発言の後、誰も一言たりとも抗弁をしていない。 「にゃあ」と鳴いた記者が、あるいは何人かいたかもしれない。 こんな人たちを記者と呼んで良いものなのだろうか。 私の基準では、彼らは「働いて」いなかった。 あんな話の聞き方をしている記者を、私は勤労に従事する人間として認める気持ちにはなれない。あたりまえだ。あんなものは御用聞きに過ぎない。 彼らは働いていない。ただ出勤しているだけだ。 テレワークの反対。出勤怠業。英語ではどう言うのだろう』、「動画を見て私が驚愕したのは、麻生さんの発言のバカバカしさそのものよりも、それに反論した記者が一人もいないことに対してだった」、「あんな話の聞き方をしている記者を、私は勤労に従事する人間として認める気持ちにはなれない。あたりまえだ。あんなものは御用聞きに過ぎない」、全く同感である。
・『どこかで読んだ話だったのか、あるいは誰かに聞いた話だったのか、出典を忘れてしまったのだが、「とある大富豪が体調を崩して入院した時の話」というのを思い出したので、以下、ご紹介する。記憶から引用する話なので、正確なところは必ずしもはっきりしないのだが、おおむねこんな話だった。 富豪は、特別室を訪れた主治医にこう尋ねた。 「君、最近休みをとったのはいつだね?」 一人目の医師は、「二ヶ月前です」と答えて、その場で担当を外された。 二人目の医師は、「昨日までバカンスをとっていました」と答えた。富豪はにっこりして握手を求めた。 「よろしい、君に執刀してもらおう」 この富豪のエピソードを踏まえて話をするなら、私は、はじめから 「仮に147日間にわたって一日たりとも休暇をとっていない政治家がいるのだとしたら、私はその愚かな政治家の判断を金輪際信用しないだろう」という原稿を書くべきだったのかもしれない。 実際、適切な休暇を自分に与えることすらできない人間が、適切な仕事をこなせるはずはないのだし、適切な判断を下せる道理もないからだ。 なんというのか、政権中枢に近い人たちがこの数日繰り返している 「こんなに働いているのだから多少体調を崩すのは当然だ」「こんなに休んでいない首相をもっと評価してくれ」「これほど苦しい体調の中で、これほどまでに頑張っている安倍さんをもっと尊敬しても良いのではないか」という感じのアピールのあまりといえばあまりのバカバカしさに、私は静かにがっかりしている。うちの国では、頂点のそのまたトップに位置する人間からして 「いっしょうけんめいにがんばっている」みたいな中学生じみた弁解から外に出られずにいる。 なんとバカな国ではあるまいか。 誰も睡眠不足の医師に執刀してほしいとは思わない。 同様にして、私は、休暇をとる判断さえ下せないリーダーにお国の舵取りを任せたいとは考えない。 私自身は、自分が仕事をこなせる状態にないと判断したら、その時は、迷わずに休むことにしている。 疲れている人間の仕事の質は、より勤勉に働くことによってではなく、休みをとることによって回復する。当たり前の話だが、このことをきちんと自分の働き方に適用できる人間は思いのほか少ない。これができないとフリーランスで仕事を続けることはできない。 最後に、蛇足として、総理には衷心から休暇の取得を進言しておきたい。 副総理には、私から特段にお伝えする言葉はない。 お好きになさってください。ではまた来週』、「うちの国では、頂点のそのまたトップに位置する人間からして 「いっしょうけんめいにがんばっている」みたいな中学生じみた弁解から外に出られずにいる。 なんとバカな国ではあるまいか」、安部ヨイショ論への小気味いい痛烈な批判だ。安部首相も後継がほぼ菅氏に固まり、旧悪を暴かれずに済むので、一安心だろう。
タグ:東洋経済オンライン 鈴木貴博 日経ビジネスオンライン ダイヤモンド・オンライン 働き方改革 小田嶋 隆 (その29)(ヤフーの副業募集に「4500人殺到」の舞台裏 「フル在宅」でコロナ対応機能を70以上投入、コロナ禍に乗じた「ジョブ型雇用」礼賛を待ち受ける 修羅の道、小田嶋氏:君、最近休みをとったのはいつだね?) 「ヤフーの副業募集に「4500人殺到」の舞台裏 「フル在宅」でコロナ対応機能を70以上投入」 「副業人材を今後100人単位で受け入れる」のに対し、「4500人以上の応募を得ている」 下は15歳から上は80歳までが応募 「ペイ・フォー・パフォーマンス」にしていこうと動いてきた 8年くらいこの制度を運用する中で感じたのは、放っておくと皆会社に来てしまって全然「どこでも化」が進まないということ。結局、オフィスがいちばん生産性高く仕事できると思うからだろう 機動的に組織を組み替えた 「コロナ禍に乗じた「ジョブ型雇用」礼賛を待ち受ける、修羅の道」 コロナ禍でにわかに高まる「日本型雇用」の見直し機運 仕事がなくなったらあぶれた社員は会社に残れない? 日本の大企業では、ジョブ型への移行をまず管理職から始めるケースが目立ちます 使えない中高年社員のリストラにつながる」ような動きがあれば、その後の一般社員への展開は難しくなる可能性 評価を気にする中高年社員がサービス残業を抱え込んで自滅 ジョブ型雇用になると「ジョブディスクリプションで求められているジョブが達成できていない」と評価されることを恐れた中高年が、実質的に青天井のサービス残業を抱え込んで自滅するようなケースも危惧されます 大企業に透けて見える「狙い」 待ち受けるのは修羅の道か ジョブ型雇用への移行を礼賛していると、結局のところ日本型雇用のさまざまなひずみが表面に出てくることになる ジョブ型雇用を宣言した企業が、実際にその仕組みをつくり上げ、運用に移行するまでには、だいたい4~5年はかかる その行きつくところ、つまり2025年頃に向かって雇用改革が辿る道は、社員にとっても経営にとっても「修羅の道」なのです 「君、最近休みをとったのはいつだね?」 このたびのコロナ禍は、政府ならびに労使双方の団体が企図していた「働き方改革」を、強力に推し進める触媒になるはずだ 「働く」という言葉の定義次第で、勤務日なり休日なりの日数は、かなり大幅に変わってしまう アンダーコロナのテレワークを機に、日本の勤め人の労働観は、「ヒマならヒマで不安だし、忙しいなら忙しいで神経がもたない」という、われらフリーランスの労働哲学に限りなく近似してきている 今回のコロナによる経済の停滞をどことなく他人事として見ている引退老人の感慨 動画を見て私が驚愕したのは、麻生さんの発言のバカバカしさそのものよりも、それに反論した記者が一人もいないことに対してだった あんな話の聞き方をしている記者を、私は勤労に従事する人間として認める気持ちにはなれない。あたりまえだ。あんなものは御用聞きに過ぎない うちの国では、頂点のそのまたトップに位置する人間からして 「いっしょうけんめいにがんばっている」みたいな中学生じみた弁解から外に出られずにいる。 なんとバカな国ではあるまいか
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政府財政問題(その3)(MMT理論の致命的破綻と日本がMMT理論にもっともふさわしくない理由、「MMTの導入」で高齢者の暮らしは「インフレ税」破綻する=岩村充×小林慶一郎【週刊エコノミストOnline】) [経済政策]

政府財政問題については、昨年4月24日に取上げた。久しぶりの今日は、(その3)(小幡 績MMT理論の致命的破綻と日本がMMT理論にもっともふさわしくない理由、「MMTの導入」で高齢者の暮らしは「インフレ税」破綻する=岩村充×小林慶一郎【週刊エコノミストOnline】)である。

先ずは、昨年7月25日付けNewsweek日本版が掲載した財務省出身で慶応義塾大学準教授の小幡 績氏による「MMT理論の致命的破綻と日本がMMT理論にもっともふさわしくない理由」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/obata/2019/07/mmt-1_1.php
・『<MMT理論が肯定的に評価される日本だが、インフレの起きない日本経済との相性はむしろ最悪だ>  世界的に、いまだにMMT理論が話題になっているのは日本だけだ。そしてそれ以上に日本が特殊なのは、MMT理論に対して一定の肯定的な評価があることである。 日本がMMTにもっとも相応しくない経済である(社会、政治的状況ではなく、「経済」が、である)にも関わらず、このような現象が起きているのは極めて危険だ。 サマーズもスティグリッツも日本に関心がないからこの問題に気づいていないし、ケルトン(注)は理解力不足でMMT理論の本質を理解していないから、問題を正反対に捉えている。 つまり、日本人たちをせせら笑うように、インフレが20年間も起こせなかった日本で、インフレの心配ばかりの質問を受けるとは、と皮肉った。 ケルトンは何もわかっていない。インフレが起きない国でこそ、MMT理論はもっとも危険なのだ』、「MMT理論」の「主唱者」を「理解力不足でMMT理論の本質を理解していない」とは、ずいぶん思い切って批判したものだ。
(注)ケルトン:ニューヨーク州立大学のステファニー・ケルトン教授で、MMT(現代貨幣)理論の主唱者(Wikipedia)。
・『財政赤字を気にしない日本人  インフレが起こる国であれば、MMT理論(というよりは現在の論者が提唱する財政支出の大規模な拡大)は問題ない。支出が多すぎれば、インフレをもたらし、すぐに財政支出の拡大が経済に悪影響をもたらすことが認知され、財政支出が極端に過度になる前に止まる。 しかし、インフレが起きにくいとしたらどうだろう。 財政支出は無限に膨らみかねない。だから、日本でMMTは危険なのだ。 日本ではインフレが起きにくい。だから、財政支出が課題となっても、現在世代の人々はそれが経済を傷めていることに気づかない。 これがMMT理論の最大の問題点である。 MMTの問題点はインフレになることではない。インフレにならない場合に起こる、過剰な財政支出による資源の浪費(経済学的に言えば、非効率な配分)なのだ。 インフレが起きるのはむしろ歓迎だ。ハイパーインフレにならないほうがいいが、まったくインフレが起きず、永遠に無駄遣いが続き、日本経済がゼロになってしまうよりは、早くハイパーインフレで財政支出ができなくなり、政府の倒産(デフォルト)という形で、日本経済が完全になくなる前に再スタートが切れたほうがよい。企業が最後まで無理をして、破産するよりも生きているうちに倒産して、新しい経営者の下で再生を図ったほうが良いのと同じである。 したがって、インフレになる、という批判はMMTに対してまったく的外れであり、むしろ彼らの主張を正当化するものであるから、サマーズやステグリッツも、日本の批判者もケルトンをやっつけ切れないのである。ましてやハイパーインフレでも実は意味がある可能性があるから、まったく理論的にも彼らは破綻しない。 しかし、彼ら、つまりMMTを主張する人々が気づいていないのは、インフレになるかどうかではなく、その財政支出が効率的なものであるかどうか、財政支出をするべきかどうか、というところが最大のポイントだということだ。しかも、其の点においてMMT理論は理論的に破綻していることに気づいていない。 ケルトンは、日本ではインフレが起きないのだから心配することはない、と言っていることから、彼女こそがMMT理論をもっとも理解していないことは明らかだが、MMT理論自体はそれほどおかしくない、と言っている人々も間違っており、MMT理論には根本的な欠陥がある。 すなわち、MMT理論から出てくる財政支出を拡大すべきだ、という主張は、その支出が有効なものか立証されていない。MMT理論は正しくないという指摘に対し、それは財政支出が効率的になればよいと言って反論するだろうが、実は、MMT理論自体が、財政支出が効率的な水準になることを阻害するどころか、そのメカニズムを破壊するところから理論をはじめているところに致命的な欠陥がある。すなわち、国債は中央銀行が引き受けるメカニズムになっており、国債市場が機能しないようになっているところである。 この金利が上昇することを無視するか、上昇しないという前提では、現在の支出が過度に膨らみ、将来の資源を奪うことになるのである。つまり、異常な低金利で無駄な投資が行われ、資本が残っていれば、将来のもっと有効な技術に投資され、もっと大きなリターンが得られた投資が行われる機会を奪うのである』、「インフレになる、という批判はMMTに対してまったく的外れであり、むしろ彼らの主張を正当化するものであるから、サマーズやステグリッツも、日本の批判者もケルトンをやっつけ切れないのである」、「サマーズやステグリッツ」も論拠が間違っていると正面から批判するとは、いかにも「小幡」氏らしい。「国債は中央銀行が引き受けるメカニズムになっており、国債市場が機能しないようになっているところである。 この金利が上昇することを無視するか、上昇しないという前提では、現在の支出が過度に膨らみ、将来の資源を奪うことになる」、これは分かり易い批判だ。
・『ポピュリストが支持する訳  異常な低金利で財政支出を過度にすることは、現在の民間投資を阻害するクラウディングアウトを起こすのであるが、さらに深刻な問題は、異時点間の資源配分を阻害し、将来の投資機会を奪うことにあるのである。金利とは現在と将来の資本の相対価格であるから、この金利市場の価格付け機能を破壊、あるいは無視すれば、そうなることは必然であり、無駄な支出が現在過度に行われることになるのである。 もっと理論的に厳密に言えば、国債金利を内生化していないために、貨幣量は内生化されていると主張しているが、金利が内生化されれば、内生化された貨幣量はもっと低い水準に決まるはずである、ということになる。 したがって、MMT理論は金利市場を無視、あるいは意図的に消去し、あるいは破壊することによって、理論的にさえ破綻しているのである。 しかし、だからこそ、金利市場を破壊して、将来の投資機会や資本を現在使ってしまおうとするポピュリズムエコノミストに支持されるのである』、「さらに深刻な問題は、異時点間の資源配分を阻害し、将来の投資機会を奪うことにあるのである。金利とは現在と将来の資本の相対価格であるから、この金利市場の価格付け機能を破壊、あるいは無視すれば、そうなることは必然であり、無駄な支出が現在過度に行われることになる」、その通りなのだろう。

次に、6月17日付けエコノミストOnline「「MMTの導入」で高齢者の暮らしは「インフレ税」破綻する=岩村充×小林慶一郎【週刊エコノミストOnline】を紹介しよう。
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20190625/se1/00m/020/060000c
・『「現代貨幣理論(MMT)」に対しては批判も巻き起こる。既存の理論との相違点はどこにあるのか。金融論を専門に物価と財政との関係を論じる岩村充・早稲田大学大学院経営管理研究科教授と、マクロ経済学が専門で財政の持続可能性を論じてきた小林慶一郎・東京財団政策研究所研究主幹が意見を交わした。(司会=藤枝克治・本誌編集長/構成=黒崎亜弓・ジャーナリスト)(Qは司会者の質問)』、小幡氏とは違って、より詳しくみていくようだ。
・『成長率と金利、逆転の謎  Q:日本でMMTは「インフレが起きていなければ、財政赤字は問題ない」とする点が注目されている。国の借金が膨らんでも本当に問題ないのか。 小林 日本の場合、国と地方を合わせた公的債務残高の対国内総生産(GDP)比率は約240%だが、どの水準に達すると危機が起こるのか、その上限は理論的に分かっていない。 岩村 経験的には、インフレによらず収束できたのは、19世紀のイギリスにおける同比250%が最大値ではないか。100年かけて4分の1に減らした。ただし、途中でインドを併合したことで分母のGDPが増えている。財政再建の努力だけではなく、「銃口で生み出したのだ」とも言える。 小林 債務残高比率がどのように推移するのかは、名目金利と名目経済成長率との関係によって変わる。分子の債務残高は名目金利で増え、分母のGDPは名目成長率で増えるからだ。 理論的には、名目金利が名目経済成長率を上回る。定常状態で名目金利は、名目経済成長率と時間選好率、すなわち将来の消費より現在の消費を好む程度との和になるからだ。その結果、プライマリーバランス(借り入れ以外の歳入から債務返済以外の歳出を差し引いた収支)が均衡していても、債務残高がGDPよりも拡大するので、債務残高比率が高まっていく。 ただ、歴史的には名目成長率と名目金利の相対関係は時によって入れ替わっている。英米の過去200年を見ても、名目金利が名目成長率よりも低い状態が長く続いている時があった。金利が成長率より低く、プライマリーバランスが均衡していれば、債務残高比率は下がっていく。 金利が成長率よりも低い状態がなぜ続くのか、その影響はどうか、について国際通貨基金(IMF)でも研究を開始するという。日本も低金利国の一つに挙げられている』、「金利が成長率よりも低い状態がなぜ続くのか、その影響はどうか」について、「IMF」が「研究を開始」、その成果が楽しみだ。
・『日本の現状は「バブル」  Q:日本では日銀が国債を買い入れることで、金利を低く抑えているのではないか。MMTの提唱者であるニューヨーク州立大のケルトン教授は、日本は膨大な債務を抱えながら低金利でインフレが起きていないことから「MMTの有益な実例だ」と述べている。 小林 意図してやっているわけではないだろうが、結果としては低金利のもとで政府債務が膨らみ続けている。私は、何らかのバブルによって、謎の状態が起きているのだと思う。 日銀が国債を買い続けたとしても、それを上回って民間の投資家が売れば金利は上がる(債券価格は下がる)はずだ。日銀が全部買って市場から国債がなくなったとすれば、今度は貨幣の価値が下がる、つまり物価水準が上がるはずだが、そういうことも起きていない。 それは人々が国債の価値を高く思い込んでいるか、あるいは将来的に大幅な増税や歳出削減が行われると考えているか、いずれかでしか説明がつかない。 合理的ではないバブル的な予想が広く共有されることは起こりうる。国債のバブルか、財政行動についてのバブルか。いずれにしてもバブルだから、崩壊する可能性を抱え続けている』、「国債のバブルか、財政行動についてのバブルか。いずれにしてもバブルだから、崩壊する可能性を抱え続けている」、その通りなのだろう。
・『低金利で富は株主へ  岩村 経済が成長している以上、その果実は誰かのものにはなっているはずだ。成長率が多少ともプラスであるにもかかわらず、借入金利がゼロあるいはマイナスだとしたら、それは株式投資を有利なものにしているはずだ。 理論的に株価収益率は、金利に市場リスクを上乗せした水準になるが、日本で株主資本利益率(ROE)の目標に掲げられている8%は高すぎるのではないか。総資産利益率(ROA)が上がる以上にROEを上げようとすることは、負債への配当が均衡よりも低くなるという予想を作り出し、金利を押し下げることにつながる。 株式の高収益率の背後にある低金利が、一方で財政を維持可能なものにしているとしたら皮肉な話だ。今の政策は預金者や年金生活者から株主への富の移転を起こそうとしているという面があるわけだ。ちなみに、株主たちの半数近くは外国人である。どうやら安倍政権と黒田日銀は外国人に優しい政策がお好きなようだ』、「今の政策は預金者や年金生活者から株主への富の移転を起こそうとしているという面がある」、「株主たちの半数近くは外国人である。どうやら安倍政権と黒田日銀は外国人に優しい政策がお好きなようだ」、なるほど。
・『倒産しない政府の行く末  Q:MMTでは債務残高の問題の前に、財政破綻の可能性自体を否定している。 岩村 MMTは「自国通貨建てで資金調達している国は財政破綻しない」というが、これは当たり前のことだ。「自己資本比率100%の会社は絶対に倒産しない」ことと本質的に同じだ。 MMTが貨幣を「政府が納税の際に受け取ってくれるから貨幣である」と位置づけ、「政府と中央銀行の財務を区別することに意味はない」と言うのもその通りだ。 そこで、政府と中央銀行を連結した統合政府のバランスシート(貸借対照表)を見ると、自国通貨建て債務である貨幣や市中発行の国債は、会社の株式にあたる。非自国通貨建て債務は会社の外部借り入れと同等だ。 会社が「借金さえしなければつぶれない」と言ってどんどん株券を刷れば、その分、お金が入ってきてモノが買える。だが、会社の事業活動の中身が変わらなければ、株価は下がり、刷った株券で買えるモノの量は減っていく。 最初は増資した分、お金が入ってくるのでうまくいくような気がするが、それは既存の株主から分け与えられた富を無償で得たかのように錯覚しているだけだ。最後に株価がゼロになってしまえば、会社は倒産しないが、何も活動できなくなる。 統合政府でも同じことだ。株券ならぬ貨幣をどんどん発行しても、世の人々が長期的な問題に気付かなければ、貨幣と実物財との交換比率である物価はしばらく動くまい。だが、いつかは気付かれ物価も動き出すだろう。株価が下落するのと同様に、貨幣価値が下がっていくことになる。貨幣価値がゼロになっても、MMTが言う通り政府は確かに破綻しないが、何も仕事をできなくなり、その存在自体が無意味になるだろう』、「いつかは気付かれ物価も動き出すだろう・・・貨幣価値がゼロになっても、MMTが言う通り政府は確かに破綻しないが、何も仕事をできなくなり、その存在自体が無意味になるだろう」、この際の「物価」の動きは政策でのコントロールは出来ないだろう。
・『資産と債務は相殺できない  小林 関連した論点を挙げると、政府が持つ資産と比較して、債務は「問題ない」とも言われる。つまり、政府は借金もあるが、道路やダムといった実物資産を多く持っているから、差し引きの債務は実は小さいという議論だ。 IMFが昨年、財政報告書で各国の債務と資産を示している。これによると、確かに日本は国と地方が持つ資産と債務がほぼ一致している。ただし、政府の持つ実物資産の価値とは、将来にわたって生み出す行政サービスの現在価値であって、借金を返すために資産を売ろうとすれば、この価格では売れない。債務の返済可能性を考えるうえでは不適切な評価額だ。IMFもそう注記している。 岩村 行政サービスに必要な資産を売ってしまったら、政府が政府でなくなってしまう。 債務が過大かどうかは、将来にわたって生み出すと予想されるキャッシュフロー(収入と支出の差)とのバランスを実質的に見て判断されるものだ。政府と中央銀行を連結した統合政府において、将来にかけてのキャッシュフローに対する予想と債務が均衡するように、現在から将来にかけての物価水準が決まる。これが「物価水準の財政理論(FTPL)」の考え方だ(図)。 重要なのは、貨幣量で示された名目値ではなく、実質的な価値でバランスを見ることだ。実質価値で見れば、成長経済と非成長経済では、何%の債務が許容されるのかという数字は当然異なる。 実質的な経済成長を左右するのは人口動態と技術革新が主だが、たとえば今、政府がお金を借りて保育園を作り、経済規模が半分になった時点で返そうとすれば、経済に占める相対的な価値は2倍になってしまう。そこまで増税するというのは無理な話だろう。成長率を大きく引き上げることになるような政府の活動分野をMMT論者たちが「発見」したというのなら話は別だが、そんな分野があるのなら通常の財政政策で対応した方がよい。 Q:MMTではインフレが一定水準を超えたら、政府は支出を減らしたり、増税したりして貨幣を減らせばいいという。 小林 懸念されるのは、急激な予想の変化だ。今の物価水準は国債あるいは財政行動へのバブル的予想によって保たれているのだから、予想が急激に変われば、皆が早く貨幣を手放そうとする。景気の過熱がなくても、物価や金利が急に上がることは当然起こりうる。その時になって財政緊縮を行っても手遅れだ。消費税を50%にするなど、よほど極端な対策を打たなければ、国民や市場の予想の変化を止めることはできなくなってしまうだろう。 急に予想が変化した時に、物価をソフトランディングさせる方法は分かっていない。MMT論者はインフレを抑えることができると言うだけであって、どうすればコントロールできるのか具体的な方法は示していない』、「急に予想が変化した時に、物価をソフトランディングさせる方法は分かっていない」、重要なMMT理論の欠陥だ。
・『広がる金融財政拡張論  岩村 インフレはコントロールはできないし、予想も外れるものだから、行きすぎた時には戻ることのできるような仕組みを考えた上で政策を行った方がいい。 MMT論者は、貨幣を政府の債務だと認識しているのに、インフレの可能性について聞かれると、「貨幣を吸収すれば物価は調整できる」と言い逃れる。合理的期待論に論破された素朴派ケインジアン財政政策論と、貨幣量の操作だけで物価を動かすことができないことを証明してくれたリフレ論との、無原則なゴッタ煮というほかはない。 小林 MMTで「需要不足の時にインフレの心配はいらない」と主張している点は、日本は拡張的な金融財政政策をすべきだと主張するケインジアンの経済学者らとも共通する。ただ、彼らは財政再建は需要不足が解消された後で行えばいいとして、長期的に財政を均衡させること自体の必要性は認めている。 岩村 MMTは財政を「打ち出の小づち」のように言うが、結局のところ、インフレによって債務は軽減されるというインフレ税論なのだと思う。 彼らは、すぐにインフレが起こるわけではないと言っているようだが、それはインフレ税の負担を後世代に転嫁したいと言うのと同じだ』、「MMT」論者は、「すぐにインフレが起こるわけではないと言っているようだが、それはインフレ税の負担を後世代に転嫁したいと言うのと同じだ」、重要な欠陥の1つだ。
・『「インフレ税」で苦しむ人  小林 インフレ税は、債権者から政府など債務者への大規模な所得移転だ。債権者とは、主に金融資産を取り崩して生活する高齢者で、彼らの生活を破綻させる。社会の厚生と公平さの観点から大きな問題だ。 インフレ税に苦しむ将来の高齢者とは我々自身のことかもしれないし、目の前にいる私の子供かもしれない。そういう想像力と覚悟を持った議論になっているのか、ということが問題なのだ。 (本誌初出 対談 岩村充×小林慶一郎 「国の借金は本当に問題ないのか」2019年6月25日)』、「インフレ税に苦しむ将来の高齢者とは我々自身のことかもしれないし、目の前にいる私の子供かもしれない。そういう想像力と覚悟を持った議論になっているのか、ということが問題なのだ」、その通りなのだろう。「小幡」氏の批判とは違うが、相違を同一平面に分割することは、残念ながら小生の能力を超えているようだ。
タグ:小幡 績 小林慶一郎 Newsweek日本版 岩村充 政府財政問題 エコノミストOnline (その3)(MMT理論の致命的破綻と日本がMMT理論にもっともふさわしくない理由、「MMTの導入」で高齢者の暮らしは「インフレ税」破綻する=岩村充×小林慶一郎【週刊エコノミストOnline】) 「MMT理論の致命的破綻と日本がMMT理論にもっともふさわしくない理由」 MMT理論が肯定的に評価される日本だが、インフレの起きない日本経済との相性はむしろ最悪だ 財政赤字を気にしない日本人 インフレになる、という批判はMMTに対してまったく的外れであり、むしろ彼らの主張を正当化するものであるから、サマーズやステグリッツも、日本の批判者もケルトンをやっつけ切れないのである 国債は中央銀行が引き受けるメカニズムになっており、国債市場が機能しないようになっているところである。 この金利が上昇することを無視するか、上昇しないという前提では、現在の支出が過度に膨らみ、将来の資源を奪うことになる ポピュリストが支持する訳 さらに深刻な問題は、異時点間の資源配分を阻害し、将来の投資機会を奪うことにあるのである。金利とは現在と将来の資本の相対価格であるから、この金利市場の価格付け機能を破壊、あるいは無視すれば、そうなることは必然であり、無駄な支出が現在過度に行われることになる 「「MMTの導入」で高齢者の暮らしは「インフレ税」破綻する=岩村充×小林慶一郎【週刊エコノミストOnline】 成長率と金利、逆転の謎 金利が成長率よりも低い状態がなぜ続くのか、その影響はどうか」について、「IMF」が「研究を開始 日本の現状は「バブル」 国債のバブルか、財政行動についてのバブルか。いずれにしてもバブルだから、崩壊する可能性を抱え続けている 低金利で富は株主へ 今の政策は預金者や年金生活者から株主への富の移転を起こそうとしているという面がある 株主たちの半数近くは外国人である。どうやら安倍政権と黒田日銀は外国人に優しい政策がお好きなようだ 倒産しない政府の行く末 資産と債務は相殺できない 急に予想が変化した時に、物価をソフトランディングさせる方法は分かっていない 広がる金融財政拡張論 すぐにインフレが起こるわけではないと言っているようだが、それはインフレ税の負担を後世代に転嫁したいと言うのと同じだ 「インフレ税」で苦しむ人 インフレ税に苦しむ将来の高齢者とは我々自身のことかもしれないし、目の前にいる私の子供かもしれない。そういう想像力と覚悟を持った議論になっているのか、ということが問題なのだ
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日銀の異次元緩和政策(その33)(日銀の量的緩和がもたらす致命的な3つの害悪 もはや「新次元の金融政策」に転換すべき時だ、独立した中央銀行が直面する 物価安定目標がもたらす罠) [経済政策]

日銀の異次元緩和政策については、5月13日に取上げた。今日は、(その33)(日銀の量的緩和がもたらす致命的な3つの害悪 もはや「新次元の金融政策」に転換すべき時だ、独立した中央銀行が直面する 物価安定目標がもたらす罠)である。

先ずは、6月10日付け東洋経済オンラインが掲載した財務省出身で慶應義塾大学大学院准教授 の小幡 績氏による「日銀の量的緩和がもたらす致命的な3つの害悪 もはや「新次元の金融政策」に転換すべき時だ」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/355472
・『前回の「安倍政権の経済政策は、日本を必ず弱体化させる」では、新型コロナショックに対する大規模な景気刺激策やマクロの需要喚起策は不要であり、無効であることを述べた。 では、金融政策はどうか。同じである。需要刺激策としての、金融政策は不要である。なぜ不要なのか。何をすればいいのか』、「小幡氏」の切れ味鋭い批判をみてみよう。
・『「イールドカーブコントロール」は矛盾をはらむ  まず、日銀が当たり前のようにやっている長期国債の買い入れから見ていこう。これも本来は不要である。 国債買い入れの目的は、金利を低下させることである。だが、本来であれば、これは短期金利のコントロールのための手段である。だから、伝統的には世界中の中央銀行が長期国債を買い入れることはせず、超短期のコール市場の金利のコントロールの補助として、短期国債を買い入れてきたのである。むしろ、本来の呼び方である「オペ」(オペレーション)という言葉がふさわしい。 しかし、リーマンショック以降、世界では量的緩和が長期国債の買い入れを意味するものとして定着してしまった(もともと「量」とは民間銀行の日銀への当座預金の量であり、長期国債の買い入れとは無関係である)。 ただ、現実的な効果としては強力で、民間における投資活動への直接的な金利の影響は、長期金利によるものであるから、短期金利をコントロールして長期金利に間接的に影響を与えるという、伝統的な金融政策を超える絶大な力を持った。 再び、しかし、日銀は、この強力な手段も使い果たしてしまい、長期金利を直接目標にしてコントロールを図る、イールドカーブコントロールに移行した。目標を「10年物の金利をゼロとする」と宣言してしまっているから、長期金利低下効果(上昇させる場合も今後ありうるから正確な用語としてはターゲット効果)はさらにより直接的である。 実は、これは長期国債の買い入れ目標額とは矛盾があった。買い入れ額と金利の2つのターゲットがあるのは両立し得ないからだ。その矛盾は、今回コロナショック対応として、買い入れ額の目標額を中断し無制限に買い入れるとしたことで、図らずも矛盾が解消した。その結果、現在は10年物国債の利回りをゼロに、という目標と長期国債の買い入れ額は無制限とする、という2つの長期国債に関する政策があり、一方で、短期金利はマイナス0.1%というマイナス金利政策も残っている。 これをどうするか。基本的な考え方はリスクを減らす、ということである。これに尽きる。そのためにどうするか』、どのような「リスク」があるのだろう。
・『「長期国債買い入れ無制限」はリスクが高い  まず、マイナス金利は無用の長物なので、廃止する。今後の金融機関の最大のリスクは、直接であれ間接であれ、新型コロナショックで不良債権が増加することである。これに対する資本強化という意味では、マイナス金利は害でしかない。もともと効果がなく弊害だけのものなので、この際、廃止する。 次に「長期金利ターゲットのゼロ%付近」は維持する。これは金融政策として本質的な意味を持つ直接長期金利をコントロールするものだからである。それを人々が将来に対する予想が冷静にできないときに変更することは適切でなく、リスクを高めるだけだ。 しかし、「長期国債買い入れ額無制限」は変更する。名目は同じであるが、この政策の実質的な意味を変更する。変更する理由は、現在の日本経済において、金融政策にとどまらず、すべての政策の中で、これこそがもっともリスクの高いものだからだ。 なぜか。 「無制限」という言葉は「額を決めない」、というものとはまったく異なっており「無限」と誤解される、または「確信犯的に解釈されるもの」だからである。 すでにそれは始まっている。中央銀行は、財政ファイナンスではない(政府の借金を直接引き受けているのではない)と強調しつつも、政府の発行する国債の新発市場において、円滑な取引が行われるよう全力を挙げる、というような趣旨の説明をしている。 特に、アメリカのFRB(米連邦準備制度理事会)は顕著だ。長期国債の保有残高を減らしていたところからのスタートだったこともあるが、グラフをみると、まさに保有残高が、スカイロケットのように、連邦政府の発行額に連動して増えている。実質的には、アメリカも日本も財政ファイナンスを行っているのは誰の目にも明らかであり、建前として、否定しているだけのことだ。 問題は、それが長期にわたるのか、コロナショックへの緊急避難的な一時的なものにとどまるのか、ということだ。 まだアメリカはメリハリが利いている。だから建前を捨てる勢いで、実質的な財政ファイナンスになってもいいから、全力で買い支える。しかし、タイミングが来たらすぐに止める、というスタンスだろう。 一方、日本は、これまでも、財政ファイナンスではないと強く否定してきた。それでいながら、政府の政策や意向に合わせて、大量の国債購入を続けてきた。それだけでなく、加速度的に拡大してきた。 建前はかろうじて守られているものの、この7年間、実質財政ファイナンスを行ってきた。景気がよくなっても、出口には向かわず、国債保有残高を増やし続けた』、「日本」では「この7年間、実質財政ファイナンスを行ってきた」だけに、「「長期国債買い入れ無制限」はリスクが高い」、同感だ。
・『なし崩し的に政府に押し込まれる可能性が高い  この経緯からすると、足元では、財政出動の規模がアメリカ政府よりも日本政府のほうが小さいことから、実質的な財政ファイナンスであると半ば認めたような米FRBのようなスタンスはとらないだろう。だが、いや、だからこそ、なし崩し的に政府に押し込まれる可能性が高い。 実際、MMT(現代貨幣理論)という、世界的には眉唾物の経済理論およびさらに悪いことにそれに基づいた、かつ誤った拡大解釈で「インフレにならなければ、いくらでも財政赤字は増えてかまわない。それどころかインフレにならないのだから、財政赤字を増やさなければならない」、という暴論が、日本だけで蔓延していた。これが、さらに力を増して、加速している雰囲気が、ネット論壇(そういうものが存在するとすれば)に見られる。 しかも、コロナ対策としては、国民が「とにかく何でも金を配れ」、という雰囲気にあることから、歯止めが利かなくなる恐れがある。これが財政破綻を招き、日本経済と日本社会を真の危機に陥れる、というのが、現在の日本における最大のリスクである。 したがって、無制限の国債購入という文言を変更する必要がある。無制限ではなく、国債購入の方針として、量の明示はしない、という見解を公式に発表する。それが現在の日銀の最優先課題である。 論理的には非常に明快だ。イールドカーブコントロールで、長期金利をゼロに固定する目標がある、だから、量はそれに応じて結果として決まってくる。しかも目安を設けることですら、かえって、政策の予見不可能性を増やし、リスクを増やすことになる。イールドカーブコントロールだけに、「名実ともに一本化します」、と宣言すればよい。 「コロナショックが連鎖的な倒産を招き、危機が拡大したらどうするのか」、という質問にも、そのときは量のターゲットは関係ない。「10年物の利回りをゼロにするまで、買い入れるだけのことです」、と答えるだけのことだ』、「MMT」の「誤った拡大解釈で「インフレにならなければ、いくらでも財政赤字は増えてかまわない。それどころかインフレにならないのだから、財政赤字を増やさなければならない」、という暴論が、日本だけで蔓延していた」、確かにリスクの火種は強い。
・『「建前」を再度前面に押し出す効果がある  むしろ、逆側からの質問があるだろう。結局、ほとんど変化がないのだから、「実質的に変更なし」と言えばいいのではないか、という疑問があるはずだ。 そのとおりかもしれない。だが、単純だが、変更すればもっとも重要な直接的な効果として、無制限の買い入れというイメージを払拭し、財政ファイナンスはしない、という建前を再度前面に押し出す、ということである。 それでも政府の要求や世論(エコノミストを含む)からの圧力により、実質財政ファイナンスに陥る可能性も十分にある。しかし、それは残念だが仕方がない。ただ、無制限を残したままでは抵抗もできず、正論として議論することもできず、ただ財政ファイナンスになってしまうし、可能性も高くなってしまうだろう。それを抑えるということだ。 しかし、ここで議論したいのは、もっと理論的なことだ。 それは、「量的緩和」を理論的にも廃止するべきだ、ということだ。すなわち、金融政策において、「量」という概念を消去することである。「量的緩和」および「量」のターゲット一般を撲滅するということである。 なぜ廃止すべきなのか。 それは、間違っているからだ。 そもそも、金融政策は経済学の教科書では、量をターゲットにしたものは出てこない。すべて金利だ。中央銀行の金融政策とは、金利を上げ下げするものである。さらに、実体経済に影響するのは、金利だけだ。したがって、20世紀にはいわずもがなだったのだが、金融政策とは「金利を動かす政策」なのである。 日本銀行が量的緩和を2001年に発明してしまったため、話がややこしくなった。だが、やはりこれは理論的には誤りで、今回を契機に廃止するべきである。 私の主張は、理論的には「間違いだ」、と言われる可能性がある。なぜなら、数式だけを見れば、手段が金利であれ、マネーの量であれ、資金の需給で金利が決まるのであれば、金利を操作変数かつ直接ターゲットにするのと、資金量を操作変数として金利をターゲットにするのと結果は同じだからだ。 しかし、狭い意味での理論、数式モデルの上ではそうかもしれないが、現実の金融市場と金融政策の関係から行くと、量を操作変数またはターゲットをすることで、大きな害が生まれる』、どういうことだろうか。
・『「量」の「3つの害悪」とは?  量をターゲットとすることで、生じる害悪は3つある。 第1に、「貨幣数量説」が当てはまるかのような錯覚を生み出すことだ。 実は、これはもともとの金融政策の狙いとして、経済学の教科書に書いてある。つまり、金融緩和をしたところで、経済主体はそれを予想して行動を変えてしまうから、効果はないはずだ。 もし効果があるとすれば、経済主体が貨幣錯覚に陥って、目の前の価格変化にだけ気を取られて、経済全体の物価水準も上昇して、実質価格は変化していないことに気づかない場合だけだ。金融政策が、効果があるとすると、この貨幣錯覚しかない、というような文脈で語られる。つまり「貨幣錯覚を狙って金融政策をする」というのは、理論的にはあり得る。 しかし、現実には、これは害悪でしかない。市場と経済にリスクをもたらすだけの政策となってしまう。なぜなら、錯覚を起こそうとしても、起こせるかどうか不確実であり、さらに問題なのは、起こしたい錯覚は起こせず、起こしたくない錯覚が制御できないほどに起きてしまう可能性があるからだ。) 端的な例で言えば、異次元緩和においては、実体経済において貨幣錯覚を起こし、物価水準を上昇させたかったわけであるが、人々の消費行動は変化しなかった。一方、資産市場では錯覚は起こる必要はなかったのだが、量的緩和の拡大ということが、マネーが市場にあふれるという想像を膨らませ、リスク資産価格が急上昇した。 これは株価と地価を上げるために金融緩和をしたのなら、成功ということになる。しかし、実体経済に物価を通じて影響を与えようとしたのだとすると失敗である。資産価格が金融緩和によって上がり始めると、供給したマネーは上昇の流れのできたリスク資産市場に回ってしまうからだ。要は、バブルの流れができてしまうと、その後の金融緩和はすべてバブルを膨らませる方へ向かってしまうからである。 誠実な中央銀行はバブルを起こさないように努めるから、これは失敗といえる。政府の圧力で株価上昇のために金融政策を行ったのであれば(アベノミクスやトランプ政策はその可能性が大きいが)、中央銀行としては、政府の圧力に屈したことになり、独立性を自ら放棄するものであり、将来の金融政策に対して禍根を残すことになるから、大失敗である』、「バブルの流れができてしまうと、その後の金融緩和はすべてバブルを膨らませる方へ向かってしまう・・・誠実な中央銀行はバブルを起こさないように努めるから、これは失敗といえる」、その通りだ。
・『「人々は催眠術にかかる」と本気で思っていた人たち  第2の害悪は、資産バブルリスクとも関係するが、「期待に働きかける」というアプローチは危険だということである。期待にアプローチする手法は、論理的にも望ましくない。市場の現実としても政策運営の考え方としても、リスクが大きすぎる。 日銀の異次元緩和においては、インフレ期待を起こすことによって実体経済における現実のインフレを起こそうとした。しかし、実際には、現実のインフレが起こせないどころか、インフレ期待すら高めることはできなかった。前代未聞の国債買い入れ、株式の大量購入を行っても、だ。 理由は簡単で、インフレ期待がどのように起きるか、誰にもわかっていないからである。中央銀行がインフレを起こす、あるいはインフレが起きるまで金融緩和を続ける、という呪文を唱えると、人々は催眠術にかかったかのように、物価が上がると信じ込むはずだ、ということを、冗談ではなく、本気で信じていたようだ。それは黒田東彦総裁だけでなく、アメリカの著名経済学者たちもそうだったから、こちらのような普通の人間としては驚くばかりであった。だが、普通の感覚がない人たちには、普通の世界で何が起こるのかわからないのだろう。 そもそも、インフレそのものの生成構造もわからない。しかも、それはマクロ的な概念であるから、ミクロに生きる個々の経済主体にはわかりようがない。その経済主体がどのようにインフレに対して期待を形成するかはさらに謎というか、わかりようがない。本人たちもわからないし、背景となる構造もわからないし、何もわからないなかで、中央銀行が「インフレを起こします」、と宣言すれば、人々が起きると信じて、起きる前提で行動し、さらに、その行動がインフレを実際に起こす、ということが起きるはずがない。「起きる」と考えるほうが、どうかしている。 期待に働きかけるアプローチは効果がゼロであり、混乱させるという意味では、大きなマイナスである。「期待を動かせる」と期待させることにより、混乱が広がる。混乱に乗じて、乱高下で儲ける投機家たちが資産市場を荒らす。最悪である。異次元緩和という短期決戦のコストのかかる政策で効果がゼロというだけで、十分悪い政策ということだが、さらに投機家による資産市場の不安定化、というのは非常に大きな害である。 第3に、インフレが最終的な目標であるような誤解を与えることだ。金利がターゲットであれば、金利がコントロールできていればよい、ということになる。 一方、金利をターゲットにするのが直接的な目的であるし、手段も持っているということで、何の紛れも誤解も生じない。ところが、国債の買い入れ量をターゲットにすると、それにより金利をコントロールするのであれば、回りくどすぎて、あえてやる必要がないはずで、何か別の目的があるはずだ、ということになる。さらに、デフレ、物価上昇ということを強調しすぎたこととあいまって、国債の買い入れ量をターゲットにして、物価を引き上げるということが最終目標のようなイメージが形成されてしまうことだ。 実際、メディアやエコノミストの議論も、「日銀がインフレを起こせない」ということに異次元緩和の最初の5年は終始してしまった。黒田総裁が2期目になって、ようやく「それは不可能、夢物語、最初から虚構だった・・・」、いずれの解釈をとるにせよ、要は「インフレは起こせないし、起きないし、そしてそれは重要でない」、というコンセンサスが確立した』、「インフレ期待がどのように起きるか、誰にもわかっていないからである。中央銀行がインフレを起こす、あるいはインフレが起きるまで金融緩和を続ける、という呪文を唱えると、人々は催眠術にかかったかのように、物価が上がると信じ込むはずだ、ということを、冗談ではなく、本気で信じていたようだ」、確かに暴論が大手を振って通用していた。「期待に働きかけるアプローチは効果がゼロであり、混乱させるという意味では、大きなマイナスである。「期待を動かせる」と期待させることにより、混乱が広がる。混乱に乗じて、乱高下で儲ける投機家たちが資産市場を荒らす。最悪である」、同感だ。
・『「インフレ夢物語」終了後、ただの市場の材料に  そうなると、今度は、量を買い入れる、ということは「物価ではなく、金(カネ)が資産市場へ流れ込むかどうか」ということになり、株式市場の材料にだけされることになった。まったく金融政策として意味がない。無意味なものになってしまったのである。 これと関連して、株式とJ-REITの買い入れも、資産市場のリスクを増やすだけのもので、金融政策としては誤りである。日銀の説明としては、リスクプレミアムに働きかけるということだが、目的が物価にせよ、需要喚起にせよ、リスクプレミアムに働きかけても、実体経済は動かない。 なぜなら、実体経済におけるリスクプレミアムが低下すれば、リスクの高い設備投資、新しい事業への参入が起きるという因果関係が成立しなければ、株式市場のリスクプレミアムの縮小が金融政策として意味のあるものにはなりえない。実際、株式を日銀が購入することで、直接的に株価が上昇するきっかけをつくることにはなったが、これが実体経済にどのように影響したかは、議論が分かれるところである。 まず、個人投資家のキャピタルゲイン、あるいは株式含み益による資産効果で、個人消費が増えるというルートがある。しかし、これは将来株価が下落してしまえば、逆資産効果が働くことになるため、効果としてはニュートラルである。日銀の買い入れにより株価を押し上げるのであれば、永遠に買い続ける必要があり、それは不可能である。 次に、企業の投資が積極的になるという効果がある。ただし、アメリカの研究でもわかっていることだが、株価上昇に対して、実物の設備投資を増やすのは、もともと株価と設備投資が従来から連動していた企業に限られる。あるいは、株式で実物投資のための資金調達を主に行っている企業に限られる。しかし、このような企業は日本においては極めて少ない。ほとんどが銀行借り入れか社債または自己資金である。 唯一、効果が認められるのは、企業買収M&Aである。株価が高くなると、株式交換での企業買収が容易になるので、より積極的になる。これは実際に影響があったように見受けられる。ただし、「日本市場だけではジリ貧」というムードにより、海外企業の買収にあせって参入した企業も多く見られたので、一長一短とも言える。 総括すると、株式およびJ-REITの日銀の買い入れは、資産市場の価格を直接押し上げる効果を狙っていない限り、実体経済に対する政策としては意味がないことになる。一方、株価対策の政策としては成功したといえる。金融政策でそれをやるべきかどうかはかなり疑問だが、成功は成功だ。 ここでの問題は、今後、どうするかである。 出口戦略も深刻な問題だ(株式は国債と違って満期がないため、どこかで売却しないといけない)。 問題は「いつ買い入れをやめるべきか」、ということである。 今しかない』、思い切った提言だ。
・『今こそ「本質的な政策」に転換すべき時  国債買い入れ額の量的な目標(あるいは目処)の撤廃と合わせて、こちらも量の目標を撤廃して「無制限」に近い、額は決めないこととする。なぜなら、もともとの目的がリスクプレミアムの低下を促すことにあるから、これが金利のターゲットと同じ役割を果たすはずであり、買い入れ額の目標やメドとは対立する。ここで、リスクプレミアムを低下させる、という本質のほうに一本化するのである。 そもそも、日銀がいつ株式ETF(上場投資信託)を買い入れるか、というのは投資家(投機家)の間で常に憶測を呼んでいた。「午前中に下がったときに買う」とか、「日経平均株価が1万8000円を割ったら買う」とか、まさに適当に(願望で)憶測し、それをニュースメディアに分析として憶測を流布していた。それを明確化することになる。 すなわち、リスクプレミアムが高まったら、それに働きかけるために、買い入れを行うということである。それ以外の時には買わないということである。 こうなると、暴落のときの最後の買い手としての出動となり、中央銀行というよりは、まさに政府ファンドによるPKO(株価維持政策)になってしまうが、リスクプレミアムの低下を促すという目的からすれば、「8兆円買い入れる」と量のメドを設定するよりは正論である。 ここに、日銀の金融政策は大きく転換する。 「量」はすべて廃棄するのである。「量的緩和」を廃棄するのであり、量的・質的金融緩和から、普通の金融緩和に戻るのである。量という目標が異常であるから、あえて量的・質的といわなければいけなかったが、量がなくなれば、それはもちろん質的に金融政策を見るのであるから、質的、という言葉も要らないのである。 これは原点回帰であるが、21世紀の日銀の政策としては、大転換である。量を捨てて、金利という価格に戻り、インフレ、物価は指標であり、金利とリスクプレミアムを直接のターゲットとするのである。 これこそが、単なる出口戦略にとどまらない、新しい日常的な金融市場と経済に対応する、新次元の金融政策である』、「量を捨てて、金利という価格に戻り、インフレ、物価は指標であり、金利とリスクプレミアムを直接のターゲットとするのである。 これこそが、単なる出口戦略にとどまらない、新しい日常的な金融市場と経済に対応する、新次元の金融政策である」、画期的な提言で、全面的に賛成したい。

次に、8月5日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したBNPパリバ証券経済調査本部長チーフエコノミストの河野龍太郎氏による「独立した中央銀行が直面する、物価安定目標がもたらす罠」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/245011
・『低インフレゆえに日本銀行が金融緩和を続けバブルを醸成した80年代  人はとかく忘れやすい動物だ。 物価安定は大事だが、金融政策運営において、過度にインフレ率にウエートを置き過ぎると金融的不均衡の蓄積につながり、結果として、低い潜在成長率をもたらし経済厚生を引き下げる、というのが80年代後半のバブルの教訓だったはずだ。 インフレ率が低いから中央銀行が国債購入を続けるというのは、結果として、財政の中央銀行依存をさらに強め、一段と低い成長率をもたらすことになるのではないか。 インフレーション・ターゲット論が唱えられ始めた初期の頃、多くの人が懸念したのは、インフレ目標の達成にこだわるあまり、金融を引き締め過ぎることで実体経済を悪化させ、完全雇用を維持できなくなることだった。 そうした批判に対し、主流派経済学は、インフレーション・ターゲットは政策決定の透明性と説明責任を高めるためのツールであって、物価安定のための厳格なルールではなく、雇用など実体経済に十分配慮した「限定された裁量」であると解説していた。 しかし、主要中央銀行が導入する頃には、すっかりインフレの時代は終わっていた。過去20~30年にわたって繰り返された問題は、インフレ目標を達成するために、金融を引き締め過ぎることの弊害ではなかった。 掲げた目標まで現実のインフレ率が上がらないため、金融緩和を続けることで、金融的不均衡が蓄積され、結果として低い潜在成長率と低いインフレ率がもたらされたことだった。 実は、インフレーション・ターゲット前史の日本銀行が最初にこの問題に直面した。1980年代後半に低インフレの下で、日本銀行は金融緩和を続け、それがバブルの醸成につながった。 もちろん、プラザ合意後の急激な円高を回避するため、あるいは、ブラックマンデー後の国際金融の安定を図るため、日本銀行が強い緩和プレッシャーを受けたのは事実である。 しかし、当時、インフレ率そのものが極度に低かったから、物価安定を重視してきた日銀は利上げを正当化することができなかったのである』、忘れ易い我々にとって、金融政策を振り返る意味は大きい。
・『追加財政繰り返すも潜在成長率低下で過剰ストック・債務解消せず金融危機へ  バブルが崩壊すると、金融システムに大打撃をもたらし、信用配分が機能しなくなるため、潜在成長率の足を大きく引っ張るとともに、総需要の低迷でインフレ率は低下した。 金融機関に貸出債権の厳格な資産査定を迫り、必要な引き当てを要請し、金融機関の資本が不足する場合には、市場で調達するか、それが不可能な場合には、公的資金を注入する。そのような処方箋が現在の金融論の教科書には書いてある。 しかし、当時は中々、そうした結論には至らなかった。90年代初頭のバブル崩壊後に選択されたのは、総需要の急激な落ち込みを回避するために、財政、金融政策で、総需要をかさ上げし、バブル期に積み上がった過剰ストックや過剰債務を、時間をかけて解消することだった。潜在成長率が低下しているという認識がなかったため、誤った政策が選択されたのである。 先送り政策(forbearance policy)が選択され、問題企業を整理しない、というメッセージが政策当局者から発せられたと確信した民間金融機関は、追い貸しを続けた。そのことは、成長しない分野に経済資源を滞留させることを意味した。 競争力を維持するための研究開発投資や人的資本投資は削られ、潜在成長率は低下の一途をたどり、インフレ率も低下が続いた。低迷する民間支出を補うために、伝統的な追加財政が繰り返されるが、そのことも成長分野への経済資源の移行を阻害した。 伝統的な公共投資が選択されたのは、総需要かさ上げの即効性が重視されたこともあるが、過剰ストックと過剰債務を抱えた建設業、不動産業、小売業へのミルク補給になると考えられたからでもある。潜在成長率とインフレ率の低下が続いたため、周知の通り、過剰ストックと過剰債務は解消されず、90年代の終わりには、金融危機が訪れた』、「先送り政策
」は必ずしも悪くなかったが、1997年の橋本内閣による消費増税・社会保障負担の引き上げが、回復しかけた日本経済を不況に引きずり込んだというのが、私の認識である。
・『有効性を失った金融緩和 財政依存高まり いわゆる“日本化”が定着  実際には、それ以前の90年代半ばに、自然利子率の低下とインフレ率の低下から、金融緩和は既に有効性を失っていた。不良債権問題で、金融緩和のトランスミッション(波及経路)・メカニズムが毀損したことも無視できないが、同時に、名目金利の実効下限制約から、実質金利を自然利子率以下に下げられなくなっていたのである。 総需要を十分刺激できず、総供給を下回る状況が続くと、問題を抱えていなかったはずの企業も、生産性を向上させるための物的投資や無形資産投資、その源泉である人的資本投資を躊躇するようになる。そのことはITデジタル革命が始まった90年代後半に、日本企業がビジネスモデルを変革するチャンスを逸した点で日本経済への大きな打撃となった。 マクロ安定化政策については、金融政策にもはや効果が期待できないから、追加財政が繰り返される。そのことは経済低迷を一時的に避けることができるとしても、TFP(全要素生産性)上昇率の回復を妨げ、潜在成長率と自然利子率の一段の低下をもたらすから、総需要ショックに脆弱になり、追加財政にますます頼るようになる。 これらの結果、低成長、低インフレ、低金利、膨張する公的債務といういわゆるジャパニフィケーション(日本化)が90年代後半以降に定着していった。 一度、金融的不均衡を醸成すると、容易に抜け出せないネガティブ・スパイラルに陥る。そのことを強く反省した日銀が2006年3月の量的緩和解除の際、インフレ目標の前身である「物価安定の理解」とともに、金融政策の運営方針を決定する際の観点として導入したのが第一の柱(蓋然性の高い見通しが物価安定の下での持続的な経済成長の経路をたどっているか)と第二の柱(金融的不均衡など、第一の柱で取り上げる見通し以外の金融政策を運営する上でのさまざまなリスク)だった。 それは、物価安定を目標としつつ金融政策運営を行うものの、金融的不均衡の蓄積が始まると、たとえインフレ率が低くても、政策変更を行うことが意図されていた。政治的独立性を与えられた専門家集団が同じ失敗を繰り返すのは許されない。 インフレーション・ターゲット固有の弱点を補うスキームが組み込まれていたのである。当時、2%インフレが掲げられなかったのは、そもそも日本ではゼロインフレが長く続き、一気にインフレ予想を引き上げる手段が存在しないと認識されていたからである。名目金利が実効下限制約に直面していることは変わりなかった』、「名目金利の実効下限制約から、実質金利を自然利子率以下に下げられなくなっていたのである。 総需要を十分刺激できず、総供給を下回る状況が続くと、問題を抱えていなかったはずの企業も、生産性を向上させるための物的投資や無形資産投資、その源泉である人的資本投資を躊躇するようになる」、これ以降の認識は、河野氏と概ね同じである。
・『日本企業は10年に1度の危機に備えて IT投資・人的投資抑制し資本確保  結局、運が悪かったのか、それとも企業経営が悪かったのか、あるいは、政策運営がやはり悪かったのか。ジャパニフィケーションをさらに強固にするショックが立て続けに日本を襲った。 まず時計の針を90年代末に戻すと、金融システムの瓦解で貸し渋りが一気に広がり、企業は手元資金をため込むことの重要性を認識する。その後、ITブームで輸出が急伸し、日本経済は一息ついたと思われたが、今度はITバブルが崩壊し、マクロ経済は再び不安定化、日銀は2001年3月に量的緩和を導入せざるを得なくなった。 この間の不確実性に直面した日本企業は、棄損した資本を修復するため、コストカットの追求を続け、人的投資も物的投資も無形資産投資も抑え込んだ。 前述した通り、ようやく2006年3月に量的緩和が解除されるが、それを可能にしたグローバル経済の活況は、後知恵で考えると、米国を中心としたクレジット・バブルの急膨張がもたらしたものだった。 欧米からの強い需要と超円安を背景に、輸出セクターは、借り入れを増やし、国内で生産拠点を増やした。超円安が進んでいたのは、欧米経済がバブルで沸いていたからでもあるが、それだけでなく、その間も日銀が超低金利政策を続けることで、円安圧力を醸成したからである。 しかし、クレジット・バブルが崩壊すると、海外需要は蒸発し、円高進展も相まって、日本の輸出企業は存続が危ぶまれるほどの資金不足に直面した。いまだに政策当局者すら気が付いていないが、時間軸政策(フォワードガイダンス)による円安効果は、不況期に円高という形で完全に相殺される。 過去10年間、日本企業がもうかっても賃金を増やさず、ITデジタル投資も積極化しなかったのは、10年に一度やってくる危機が大きなトラウマになっていたからである。それ故、日銀が異次元緩和の笛を吹いても、多くの企業は、それに踊らされることはなかった。 元々、実効下限制約に直面していたのだから、いかに大規模な量的政策を追求しても、もはや金融政策には継続的にインフレを押し上げる効果は残っていなかった。企業は貯蓄を続け、人件費を抑えたために、個人消費に波及することもなかった。 例外は、グローバル経済の拡大と円安傾向の継続を背景にインバウンド・ブームが起こり、宿泊関連や都市再開発関連で過大な投資を進めたことである。2010年代後半は、AIによるディープラーニングやリモート技術などITデジタル革命が新たなフェーズに突入したが、日本の産業界はそれらと無縁なままであった』、「10年に一度やってくる危機が大きなトラウマになっていた」、といえば聞こえはいいが、本当は経営者が企業家精神を失ってしまったためではなかろうか。
・『パンデミック危機で日本企業はさらに資本積み上げ強まる“日本化”  そこに今回のパンデミック危機が訪れた。日本企業が恐れていた10年に一度の危機が訪れたのである。過大な債務を抱えていた欧米企業にとっては、売り上げ激減は直ちに存続問題をもたらした。 各国の政府、中央銀行は流動性支援とは言うが、売り上げが激減したのであるから、実際に不足しているのは流動性ではなく、資本である。ただ、日本の大企業については、むしろ過大な資本を積み上げていたため、ショックが集中する一部のセクターを除くと、多くが問題を乗り切ることが可能なようにみえる。 ショックが集中した小売業や外食産業で早くも業界再編が始まっているのは、厚い資本を持つ企業が存在することの表れであろう。大企業が倒産を避けられれば、失業の大幅な増加も避けられる。 マクロ経済の短期的な落ち込みが避けられるのは明らかに望ましいことだが、そのことは、過去20年の停滞をもたらしたジャパニフィケーションをより強固にする可能性が高い。 日本生産性本部の調査によると、パンデミック危機でリモートワークに移行した企業で、生産性が低下したと認識する従業員が過半を占めていた。言うまでもなく、前述したITデジタル投資の不足がその背景にある。 パンデミック危機をきっかけにITデジタル投資の必要性に気づいた企業も少なくないが、これが方向転換につながるかと問われると、疑問を持たざるを得ない。厚い資本のおかげで乗り切った今回の危機が誤った成功体験となり、企業は次なる危機に備え、成長のための人的資本投資やITデジタル投資を抑え、貯蓄を続ける恐れがある。 慢性的人手不足で、人的資本投資は多少再開されつつあったが、今後も総需要の回復が限られるため、その流れが滞る可能性が高い。民間投資は増えず、賃金も抑え込まれるため、消費回復も遅れる。マクロ経済の低迷が続くため、追加財政が繰り返され、政府部門の拡大で、ますます、潜在成長率が低下する。 公的債務の膨張が続くため、効率性の悪化で、いずれインフレが上昇し、ジャパニフィケーションは続かないと考える人も少なくない。ただ、低い経済の稼働率が続くため、経済が回復を始めても、まず訪れるのは物価下落圧力である。 また、企業も家計も支出を行わず、予備的動機で貯蓄を続けるとすれば、追加財政はそれを吸収するにすぎないから、インフレ圧力は簡単には生じない。パンデミック危機の収束が遅れ、追加財政が繰り返されても、それは家計や企業の貯蓄となる。 流動性制約に直面する家計は、支出に振り向けるであろうが、多くは本来得られるはずだった所得が補填されるだけだから、追加的な支出に振り向けられるわけではない。資金の多くは金融機関を通じて、国債購入に向かう。金利上昇圧力が高まれば、中央銀行が購入するが、それは統合政府で見れば、国債と当座預金を交換するに過ぎない』、「厚い資本のおかげで乗り切った今回の危機が誤った成功体験となり、企業は次なる危機に備え、成長のための人的資本投資やITデジタル投資を抑え、貯蓄を続ける恐れがある」、困った悪弊だ。
・『公的債務拡大がもたらすもう一つの罠 潜在成長率のさらなる低下  財政ファイナンスという批判に対し、日銀は、政治的に独立した機関として、あくまで低いインフレ、低い成長率に対して、YCC(イールドカーブコントロール)を通じ低い金利に誘導すべく長期国債を購入していると論じる。 パンデミック危機は、少なくとも国内的には、誰か特定の主体に責任がある訳でないため、社会基盤を守るため、家計や企業をサポートし拡張財政を継続することに反対は出ていない。 追加財政がもたらす金利上昇を中央銀行が放置すれば、総需要はさらに悪化し、インフレ目標の到達はますます遅れる。それ故、独立した中央銀行が自らの目標を達成すべく、YCCを通じて国債購入を続けている、という日銀の説明には一理ある。 しかし、である。過去25年間もそうであったように、潜在成長率や自然利子率が低迷を続けているのだから、仮に国債購入を続けたとしても、インフレ率をそもそも引き上げることはできない。 ジャパニフィケーションが続く中で、物価安定を理由に国債の大量購入を続けることは、財政の中央銀行依存をますます強め、制御できない公的債務の膨張をもたらすリスクを高めるだけである。ジャパニフィケーションの下で、中銀の独立性を強調するだけでは、一国経済が財政膨張の罠に陥る。 公的債務の膨張で筆者がより強く懸念しているのは、高率のインフレが訪れることではない。究極的にはFTPL(物価水準の財政理論)的なメカニズムでインフレが訪れる可能性は排除できないが、それ以前にまず確実に生じることは、資源配分をますます歪め、一段と低い潜在成長率をもたらすことである。 潜在成長率が低下すれば、ますます、追加財政が繰り返され、同時に財政の中銀依存はさらに増す。物価安定を強調し、国債購入を続けるだけでは、バブル時と同じ過ちを繰り返すことになりはしないか。 既に公的債務が未曽有の水準に膨らんでいるため、金融市場に大きなショックが訪れた際、これまで以上に、中央銀行は財政の持続可能性に配慮した行動を取らなければならない。一国経済の安定を考えると、物価安定より金融市場の安定を優先せざるを得ない状況にあることは明らかである。 低いインフレ率を解消するために漫然と国債購入を続けるのではなく、制御不能な公的債務の膨張を回避することと、潜在成長率の一段の低下を避けることを意識し、自覚的に国債管理の一翼を担うことが重要ではあるまいか。既に金融政策と財政政策の境界は曖昧になっているが、規律を組み込んだ一体運営のための枠組みを考えるべきだと思われる』、「物価安定より金融市場の安定を優先せざるを得ない状況」、には違和感がある。「物価」に上がる気配が出てきた瞬間に、長期金利は急騰する筈で、「物価安定」の維持が、「金融市場の安定」につながる筈だ。どちらを「優先」するか、といった問題ではないと思う。
タグ:日銀 東洋経済オンライン 河野龍太郎 ダイヤモンド・オンライン 小幡 績 異次元緩和政策 (その33)(日銀の量的緩和がもたらす致命的な3つの害悪 もはや「新次元の金融政策」に転換すべき時だ、独立した中央銀行が直面する 物価安定目標がもたらす罠) 「日銀の量的緩和がもたらす致命的な3つの害悪 もはや「新次元の金融政策」に転換すべき時だ」 「イールドカーブコントロール」は矛盾をはらむ 「長期国債買い入れ無制限」はリスクが高い 「無制限」という言葉は「額を決めない」、というものとはまったく異なっており「無限」と誤解される、または「確信犯的に解釈されるもの」だからである この7年間、実質財政ファイナンスを行ってきた なし崩し的に政府に押し込まれる可能性が高い 「MMT」の「誤った拡大解釈で「インフレにならなければ、いくらでも財政赤字は増えてかまわない。それどころかインフレにならないのだから、財政赤字を増やさなければならない」、という暴論が、日本だけで蔓延していた」 「建前」を再度前面に押し出す効果がある 「量」の「3つの害悪」とは? 第1に、「貨幣数量説」が当てはまるかのような錯覚を生み出すこと バブルの流れができてしまうと、その後の金融緩和はすべてバブルを膨らませる方へ向かってしまう 「人々は催眠術にかかる」と本気で思っていた人たち インフレ期待がどのように起きるか、誰にもわかっていないからである。中央銀行がインフレを起こす、あるいはインフレが起きるまで金融緩和を続ける、という呪文を唱えると、人々は催眠術にかかったかのように、物価が上がると信じ込むはずだ、ということを、冗談ではなく、本気で信じていたようだ 期待に働きかけるアプローチは効果がゼロであり、混乱させるという意味では、大きなマイナスである。「期待を動かせる」と期待させることにより、混乱が広がる。混乱に乗じて、乱高下で儲ける投機家たちが資産市場を荒らす。最悪である 「インフレ夢物語」終了後、ただの市場の材料に 出口戦略も深刻な問題 問題は「いつ買い入れをやめるべきか」、ということである。 今しかない 今こそ「本質的な政策」に転換すべき時 量を捨てて、金利という価格に戻り、インフレ、物価は指標であり、金利とリスクプレミアムを直接のターゲットとするのである。 これこそが、単なる出口戦略にとどまらない、新しい日常的な金融市場と経済に対応する、新次元の金融政策である 「独立した中央銀行が直面する、物価安定目標がもたらす罠」 低インフレゆえに日本銀行が金融緩和を続けバブルを醸成した80年代 追加財政繰り返すも潜在成長率低下で過剰ストック・債務解消せず金融危機へ 有効性を失った金融緩和 財政依存高まり いわゆる“日本化”が定着 日本企業は10年に1度の危機に備えて IT投資・人的投資抑制し資本確保 パンデミック危機で日本企業はさらに資本積み上げ強まる“日本化” 厚い資本のおかげで乗り切った今回の危機が誤った成功体験となり、企業は次なる危機に備え、成長のための人的資本投資やITデジタル投資を抑え、貯蓄を続ける恐れがある 公的債務拡大がもたらすもう一つの罠 潜在成長率のさらなる低下 物価安定より金融市場の安定を優先せざるを得ない状況
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アベノミクス(その34)(日本経済の没落を招いた安倍政権の「利権トライアングル」、コロナの後に必ずくる「日銀リスク」というアベノミクスのツケ 円をドルに換えておいたほうがいい、"アホノミクス"…安倍晋三が日本国民を見捨てたとき コロナ大恐慌を自ら悪化させる気か) [経済政策]

アベノミクスについては、1月11日に取上げた。今日は、(その34)(日本経済の没落を招いた安倍政権の「利権トライアングル」、コロナの後に必ずくる「日銀リスク」というアベノミクスのツケ 円をドルに換えておいたほうがいい、"アホノミクス"…安倍晋三が日本国民を見捨てたとき コロナ大恐慌を自ら悪化させる気か)である。

先ずは、4月28日付け日刊ゲンダイが掲載した元経産官僚の古賀茂明氏による「日本経済の没落を招いた安倍政権の「利権トライアングル」」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/272471
・『なぜ日本の経済が、ここまで没落したのか。 それは、安倍政権が総理関心事項である安保・外交やアベ友案件では強権発動で官僚を無理やり従わせるのに、行政改革や規制改革、IT化などには無関心で官僚丸投げだからだ。その結果、自民党族議員、官僚、業界の利権トライアングルがフル稼働し、成長のための改革が進まないのだ。 それを象徴するのが、世界銀行の「ビジネス環境ランキング」。その国での事業のしやすさの順位を示すものだ。安倍政権になってから、順位は下がり、2020年版ランキングでは世界29位。ロシアに抜かれ、中国も31位と背後に迫る。アジアでも7位。上位を占めるシンガポール、香港、韓国などに大きく離されてしまった。 その原因のひとつは、法人設立、納税などの手続きが煩雑なことだ。そこで情報通信技術の活用で効率化しようと19年に提出された「デジタル手続法」。お役所仕事の象徴「はんこ不要」を目指したが、印鑑業界と族議員の反対で止められた』、「印鑑業界」が象牙取引の規制に反対するのはともかく、「デジタル手続法」を流産させるほどの政治力があったとは驚きだ。
・『ビジョンなき亡国政権は交代しかない  この関連で呆れる話は山ほどある。桜田義孝・元サイバーセキュリティー担当相は、パソコン使用経験なし、USBメモリーも知らずで世界を笑わせた。竹本直一IT担当相は79歳。しかも「はんこ議連」のトップと、こちらも笑わせる。北村誠吾規制改革担当相も73歳。国会でまともな答弁ができず、審議中断は日常茶飯事だ。IT化や規制改革が進まなくて当然だろう。 新型コロナウイルス対策でも、安倍政権の官僚丸投げ利権体質があらわになった。人工呼吸器の増産が遅れるのは、厚労省利権の規制を緩和しなかったためだ。最近緩和されたが2カ月は遅れをとった。 院内感染防止に不可欠な遠隔診療を初診から認めることにも、医師会と厚労省が利権のために反対し、最近ようやく認められた。こちらは安倍政権発足当初からの課題だから、7年遅れと言った方がいい』、「竹本直一IT担当相は79歳。しかも「はんこ議連」のトップ」、恐るべき政治力というより、こんな人物を大臣にした安部首相のやる気のなさの方が問題だ。
・『副作用が懸念されるアビガン(抗インフルエンザ剤)の使用をことさら推奨する安倍総理の背後には、アベ友経営者がいるという話もある。 理美容業界への休業要請で大モメしたのも、業界と癒着した安倍側近議員たちの影響だ。 一方、今国会で審議中の国家公務員法改正案では、公務員の定年を65歳まで延長する。60歳まで役職定年なしで昇給継続、60から65歳までは最高給料の7割保証と、アベ友案件で服従・忖度した官僚たちに破格のご褒美だ。 こんな政権の下では、コロナ禍から立ち上がった後も、日本経済がどこへ向かうのか全く見えない。「ビジョンなき亡国のアベノミクス」から脱却するには、「政権交代」しかない。(おわり)』、幸い安部政権も満身創痍で退陣も時間の問題のようだ。

次に、5月28日付けPRESIDENT Onlineが掲載した元米モルガン銀行日本代表の藤巻健史氏による「コロナの後に必ずくる「日銀リスク」というアベノミクスのツケ 円をドルに換えておいたほうがいい」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/35653
・『今年3月末の国の借金は約1114兆円となった。元米モルガン銀行日本代表の藤巻健史氏は「毎年10兆円ずつ返しても111年かかる。日銀はアベノミクスの第一の矢として大胆な金融緩和に突き進んだが、その結果、歯止めの利かない事態に陥っている」という――』、「藤巻」氏は維新の会から参議院議員となり、昨年落選。伝説の「ディーラー」の見解とは興味深そうだ。
・『日銀の「Mr.時期尚早」、元ディーラーの「ハイパーフジマキ」  国会議員時代、黒田東彦日銀総裁に「異次元緩和からの出口を教えてください」と何度も聞いたが「時期尚早」との答えばかりだった。そこで私は総裁のことを「Mr.時期尚早」と揶揄していた。その私は、世間では「ハイパーフジマキ」と揶揄されているそうだ。 「政府も日銀もこんなことをするとハイパーインフレが来る」と言いまくっているからだ。私が、ハイパーインフレが来る、と主張している理由は、1000兆円を超える国の巨額な借金はもう尋常な方法では返済できないと思うからだ。 「年収が630万円の家庭が毎年1000万円使って借金を1億1140万円まで貯めたら、まず自己破産です」と話すと「国は家庭とは違う。徴税権がある」との返事が返ってくる。しかし、いくら国に徴税権があるといっても、ここまで借金が溜まると返せるとは思えない。 先日発表された今年3月末の国の借金総額は1114兆5400億円。これは毎年10兆円ずつ返したとしても111年かかる額だ。今年の税収+税外収入予想は70兆円だから歳出を60兆円に抑えて10兆円を浮かし、それで返済しても111年かかる。 しかも111年間は金利がゼロ%のままで支払金利額が増えず、かつ社会保障費も今後増えないという前提つきでの話だ。歳出を60兆円に抑えても111年かかるのに、今年度の歳出は当初予算で102.6兆円、第1次補正後で128兆円にものぼる』、「国に徴税権があるといっても」、政治的に行使できないのであれば、言い訳に過ぎない。
・『借金大国に残された2つの最終手段  これでは200年たっても、300年たっても返せっこない。となると残る手段は「借金踏み倒し」しかない。 「国の借金は国民の財産だから問題ない」と主張する人がいるが、鎌倉幕府や江戸幕府のことを考えて欲しい。彼らは、財政が苦しくなると、徳政令を発動して豪商からの借金を踏み倒した。幕府の借金は無くなるが豪商の資産もなくなった。 まさか現在の政府が徳政令など発令するとは思わないが、ハイパーインフレなら大いに可能性がある。ハイパーインフレは債権者から債務者への富の移行という意味で徳政令と同じである。 タクシー初乗りが100万円というハイパーインフレが来ると、10年間で一所懸命1000万円の預金を貯めた人(債権者)は10回タクシーに乗ると預金が無くなる。一方1114兆円の借金をもつ日本一の借金王である国は大いに楽になる。 タクシー初乗り100万円時代の1114兆円はたいした額ではない。なにせタクシーに人が乗るたびに10万円の消費税収があるのだから』、「ハイパーインフレ」は、日本円に対する投資家や国民の信認が揺らぎ、ドルやユーロなどへの乗り換えが発生し、輸入インフレが進み、国民は塗炭の苦しみに陥る恐ろしい現象だ。
・『財政楽観論者と大政翼賛会の宣伝読本の共通点  近年にもハイパーインフレで国民が財産を失い、財政再建に貢献した例がある。戦争中の戦時国債がそれだ。以下は、戦時中に大政翼賛会が国債購入促進のために、隣組に150万冊配った宣伝読本『戦費と国債』からの抜粋だ。 (問)国債がこんなに激増して財政が破綻はたんする心配はないか。 (答)国債がたくさん増えても全部国民が消化する限り、少しも心配は無いのです。国債は国家の借金、つまり国民全体の借金ですが、同時に国民がその貸し手でありますから、国が利子を支払ってもその金が国の外に出て行く訳ではなく国内で広く国民の懐に入っていくのです。(中略)従って相当多額の国債を発行しても、経済の基礎がゆらぐような心配は全然無いのであります。 最近よく聞く財政楽観者からの発言と全く同じだが、この戦時国債はハイパーインフレで紙くず同然となった。 ここまでの議論は、こうならざるを得ないという「べき論」に過ぎないのだが、実は政府・日銀は「ハイパーインフレへの道」をすでに歩み始めている。2013年4月に異次元緩和という財政ファイナンスを始めてしまったからだ』、「大政翼賛会」の『戦費と国債』の記述は、確かに「財政楽観論者」の主張と瓜二つだ。
・『白川日銀から180度の路線転換をした黒田総裁  2013年4月12日、黒田日銀総裁は、就任直後の読売国際経済懇話会で講演し、以下の発言をした。 「日本銀行による多額の国債買入れが、内外の投資家から、ひとたび『財政ファイナンス』(※)と受け取られれば、国債市場は不安定化し、長期金利が実態から乖離して上昇する可能性があります。これは、金融政策の効果を減殺するだけでなく、金融システムや経済全体に悪影響を及ぼしかねません」) その講演をしたご本人が率いる日銀が、国債爆買いを継続し、なんと今では発行国債の半分近くを保有するに至ってしまったのだ。 一方、前日本銀行総裁時代の白川総裁がフランス銀行「Financial Stability Review」(2012年4月号)に掲載した論文の邦訳(2012年4月21日)を見てみよう。 「歴史的にみれば、中央銀行による財政ファイナンスがインフレをもたらした事例は少なくない。例えば、1920年代前半のオーストリア、ハンガリー、ポーランド、ドイツのハイパーインフレ、第二次大戦後1950年頃までの日本のインフレは、いずれも、中央銀行の財政ファイナンスが原因となっている。そうした経験に学んできたからこそ、現在は中央銀行の独立性が重要という考え方が確立されており、多くの国で中央銀行による財政ファイナンスは認められていない」 黒田日銀が押し進めた「発行国債の半分近くを中央銀行が購入してしまった状態」を財政ファイナンスと言わずになんというのだろうか? この財政ファイナンスにより、日銀のバランスシートは巨大化した。それも世界断トツのメタボぶりだ。 私は、異次元緩和を開始するまでの日銀だったら、ハイパーインフレの心配など全くしない。物価のコントロールは日銀の主たる業務の一つで、そのための武器(=インフレへのブレーキ)を持っていたからだ』、確かに「黒田日銀」の「異次元緩和」は「財政ファイナンス」そのものだ。
・『出口論なき黒田日銀の金融緩和  異次元緩和を開始したことで日銀はそのブレーキを失ってしまった。ブレーキが無いから、冒頭に書いたように、黒田日銀総裁は「金融緩和からの出口論」を封じていたのだ。封じていたというより、無いものは答えられなかった、と言った方が正しいかもしれない。 それでも何とか答え始めたのが「ジャブジャブにした資金の回収」と「政策金利の引き上げ」だ。量の縮小の困難さに関しては前回、詳しく書いた。 政策金利の引き上げも非常に難しい。伝統的金融政策下での政策金利引き上げは簡単だった。中央銀行が民間銀行市場に供給する資金の量を少し減らすだけでよい。これは中央銀行当座預金残高が法定準備金とほぼ同額だったから出来た操作だ。 今のように銀行間市場にお金がジャブジャブしており、中央銀行当座預金残高が法定準備金よりはるかに多い状態では当時の手法での金利操作は不可能なのだ。 多くの中央銀行が異次元緩和を始め、銀行間市場にお金をジャブジャブに供給し始めた時、我々金融界の人々は「将来、どうやって利上げするんだろうね、後は野となれ山となれ政策かね?」と話しあったものだ。誰も手法を思いつかなったのだ』、その通りだ。
・『FRBが見つけ出した付利金利引き上げという新技  しかしFRB(米連邦準備制度)が見つけ出した。私も「さすがFRB」と感心したものだ。その手法とは民間銀行が預けてある当座預金の付利金利を引き上げるというものだ。中央銀行当座預金に1%付利すれば1%以下で企業に融資をする民間銀行はない。 中央銀行に預ければ1%の金利をもらえるのに、面倒くさい事務や信用リスクを取ってまで1%以下で企業に貸す理由など無いからだ。実際FRBは2015年暮れから2019年にかけて、その手法で政策金利を引き上げていった。しかし、それはFRBだからこそ出来たのであり日銀には不可能だ。 2015年のFRBの受取利息は1136億ドル(12.2兆円)もあった。保有債券の利回りが高かった(2018年1~6月は2.6%)からだ。保有国債の利回りが極めて低く(2019年9月末0.26%)利息収入が1兆4千億円しかない日銀とは大違いだったのだ。 FRBはこのように高い収入があったがゆえに中央銀行当座預金への付利金利を引きあげても損の垂れ流しを心配する必要が無かった。もっとも利上げとともに純利益は減少していき、2015年の999億ドル(10兆7千億円)から2018年には631億ドル(6.8兆円)まで減少した。 しかし減少したところで、まだ631億ドルも余裕がある。なお保有債券は、長期固定金利債が主なので金利収入は金利上昇期でも変わらずだ。実際、2015年の金利収入は1136億ドル。2018年のそれは1123億ドルと変わりない。 問題は日銀だ。日銀当座預金残高は395兆円(2020年3月末現在)。1%政策金利を上げるごとに金利支払いは3.95兆円ずつ増える。年間の利息入収入は1兆4000億円にすぎない。 FRBの例でみたように保有国債が長期固定金利だから収入サイドは、しばらくの間、ほとんど増えない。引当金勘定+準備金は9.4兆円しかない。1%の政策金利上げなら2年間、2%の政策金利上げなら1年間で債務超過になってしまう』、FRBは3月16日に 1%緊急利下げでゼロ金利復活させたので、「付利金利引き上げという新技」は封印した筈だ。日銀は、確かに「1%の政策金利上げなら2年間、2%の政策金利上げなら1年間で債務超過になってしまう」、全く余裕がない状態だ。
・『コロナ禍が過ぎ去っても日銀リスクが残り続ける  この問題は、日銀が先頭ではあるものの、どの中央銀行も大小の差こそあれ抱えている。景気回復期には、金融緩和の解消で政策金利の引き上げが必要になるからだ。 ところが日銀に関して言えば、コロナ禍が終わるのを待つまでもなく、今日、明日にでも大きな問題が発生する可能性がある。世界で最も脆弱な中央銀行なのだ。世界最大のメタボで保有資産も価格変動の大きいものばかりだから当然だ。 日銀が486兆円も保有して国債の平均利回りは0.26%(2019年9月末)に過ぎない。現在、ほぼ0.0%の10年金利が0.3%まで上昇すると評価損が発生する。0.3%など私がトレーダーだった時には1晩で動く金利幅だ。しかも保有額が大きいだけに、長期金利がさらに上昇すると、評価損はうなぎのぼりだ。 国会で金利が1%並行(=どの期間も1%)して上昇すると、どのくらいの評価損が出るのか聞いたところ、1%で24.6兆円。2%で44.6兆円、5%で88.3兆円、1980年のように11%まで10年金利が上がるなら140兆円、評価益が下がるとのことだった(459兆円保有していた2018年5月末時点)。当時、国債の含み益は9.6兆円だったから、当然、巨大評価損が発生する。 これを追求したところ、黒田日銀総裁はじめ幹部は皆「日銀は償却原価法(簿価会計の一種。国債の時価評価が損益に反映されない方式)を採用しているから評価損は表面化しない」と答弁された。 簿価会計など前世紀の遺物である欧米系金融機関にそんなロジックが通用するのだろうか? 簿価会計でOKならば山一証券もリーマンブラザーズも倒産などしていない』、会計上は「日銀」には「評価損は表面化しない」とはいえ、市場参加者は日銀は実質的に債務超過に陥っていると考え、日銀に厳しい対応を取る筈だ。
・『日本売りのリスクを過小評価してはいけない  私が勤めていた米銀では、会長のボーナス、ディーラーのボーナス、そして取引相手先の信用リスクの判断もすべて時価評価で決定していた。 そして邦銀から転職して驚いたのは、米銀は世界中の国に対しても中央銀行に対しても倒産の可能性があるとして取引限度枠を設けていたということだ。当然、日本国にも日銀相手にもある。 短期間の債務超過ならばともかく、当面純資産に戻らないとなると、欧米金融機関の審査部が判断したら、日銀に対する信用枠(=取引枠)は縮小もしくは廃止されるだろう。 債務超過とは民間で言えば倒産状態である。どの銀行も損を被りたくないのだから取引中止は当然のアクションだ。そうなると外資はドルを売ってくれなくなる。為替とは日銀当座預金を通じての取引だからだ。取引枠が無くなり日銀当座預金に円を置けない、すなわち円という対価を受け取れないのだから、外銀がドルを売ってくれるはずがない。 基軸通貨ドルとの関係を遮断された通貨など世界から相手にされない。円をドルに換え原油を買うことも、海外農産物を買うことも出来なくなる。円の暴落、ハイパーインフレ一直線となる。もちろん日本売りの発生だ。このリスクは過小評価しないほうがいい』、その通りだ。
・『債務超過になっても大丈夫な中央銀行の条件、日銀は……  長期金利が0.3%上昇すれば、このような事態は起きる。コロナ禍の最中に起こらなくとも、景気回復時には長期金利は間違いなく0.3%を超えて上昇するだろう。 世界中の金利が上昇を始めた時に、日銀はいつまで長期金利を抑え込めるのか? 黒田総裁は毎日ドキドキだろうと思料する。この厳しい現実は、見たくもない現実かもしれないが、起こりうる現実だ。 それならば、日銀はすべての国債を買ってしまえばいいではないか? という疑問があるかもしれない。しかしそんなことをしたら日銀当座預金残高は1000兆円にも膨れ上がる。未来永劫に政策金利を上げなくて済むのなら話は別だが、政策金利を1%上げるごとに日銀は支払金利を10兆円ずつ払わなければならなくなる。巨大な損のたれ流しだ。 そんなことが予想される中央銀行の通貨を外国人は信用しない。円の暴落、ハイパーインフレへの道筋は変わらない。なお、金融学的に中央銀行が債務超過になっても大丈夫なのは3つの条件が必要とされている。 1.債務超過は一時的であると国民が信じる 2.債務超過の原因が金融システムの救済であり、金融政策は厳格に運営されていると信じる 3.財政が緊縮に向かっている  日銀の状態は、残念ながらこの条件をどれも満たしていない。この状態では政府・日銀は全く頼りにならない。だからこそ私は保険として多少なりとも、円をドルに換えておいたほうがいいと皆さんにお勧めしている。 それにしても、世界最悪の財政状態を長年放置し、禁じ手中の禁じ手を行うことで危機を先延ばししてしまった政府・日銀の政策ミスはくれぐれも残念でならない。せめて後世の教訓にしなければならない』、「長期金利が0.3%上昇すれば、このような事態は起きる。コロナ禍の最中に起こらなくとも、景気回復時には長期金利は間違いなく0.3%を超えて上昇するだろう」、安部首相が退陣して済む問題ではない。アベノミクスを賞賛した学者やマスコミの責任も重大だ。

第三に、5月29日付けプレジデント Digitalが掲載した文筆家の古谷 経衡氏による「"アホノミクス"…安倍晋三が日本国民を見捨てたとき コロナ大恐慌を自ら悪化させる気か」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/35754
・『大恐慌をさらに悪化させたとされる清算主義  “恐慌によって腐った部分を経済システムから一掃してしまえば、生計費も下がり、人々はよく働くようになり、価値が適正水準に調整され、無能な連中がだめにしてしまった事業を再建する企業家も現れるだろう” これは1929年の世界恐慌時、米フーバー政権下で財務長官を務めたアンドリュー・メロンの言である(*「清算主義」対「リフレーション」の構図は正しいか?、田淵太一、東亞經濟研究會、2003)。要するにメロンは、大不況で「潰れるべきモノ(企業や人)」が淘汰されてしまえば、その代わりに優秀な企業や人が勃興するので、却って経済には良いと説いたのである。この考え方は「清算主義」と呼ばれ、これによってフーバー政権は世界恐慌時に何ら有効な経済対処を取らなかった。このことが、大恐慌をさらに悪化させたとされる。 この「清算主義」的発想は、安倍政権にも根強く存在すると私は見る』、安倍政権だけでなく、小泉政権の時も顕著だった。2000年に銀行団がそごう向けの債権放棄で合意したのに、大物政治家が苦言を呈したことで、法的処理(民事再生法)させられた例もある。「"アホノミクス"」は浜矩子氏も多用している。
・『「もたない会社は潰すから」自民党の正体見たり  自民党の安藤裕衆院議員が4月11日、ある自民党大物議員からの伝聞として〈自民党が冷たくなったよねというのはその通りで、提言の話で「損失補償、粗利補償しないと、企業は絶対潰れますよ」という話をある幹部にしたときに、「もたない会社は潰すから」と言うわけですよ〉と右派系ネット番組で発言したのだ。安藤議員はその後、日刊ゲンダイの取材に対してこの発言を釈明したが、自民党の正体見たりという実感がする。 第2次安倍政権が政権を握って早8年強。田中・竹下系の経世会の領袖だった小渕恵三首相が急逝(2000年)し、「密室内閣」と揶揄された森喜朗内閣に政権が交代すると、民主党時代の約3年半・麻生太郎内閣の約1年間を除けば日本はずっと、自民党清和会内閣が実に15年以上続いている状況である。かつて「クリーンなタカ派、ダーティーなハト派」と指摘されたように、ハト派で鳴らした田中・竹下系の派閥にはロッキードやリクルート事件は言うに及ばず、腐敗や疑獄が付きまとった。 一方清和会は典型的な親米タカ派路線だが、元来代議士一家や土着の資産家が多いので疑獄系の醜聞は比較的少ないように思える。こういった意味では、15年以上続いてきた清和会内閣で「政治とカネ」の問題は徐々にだがクリーンになっていったことは間違いない。しかしながら一方で、清和会による自民党支配は自民党という大衆政党の性質を一変させた。』、「清和会は典型的な親米タカ派路線だが、元来代議士一家や土着の資産家が多いので疑獄系の醜聞は比較的少ないように思える」、安部政権には例外的に疑獄系の醜聞もあるようだ。
・『大企業と都市部の中産階級さえ確保できれば政権維持できる  それまで、地方の職能団体(農協、漁協、郵便局、中小自営業者等)から支持を受け「一票の格差」を逆手にとって衆議院で過半数を保ち続けてきた田中・竹下系の性質からがらりと一変し、清和会は大企業、都市部の中産階級をその支持基盤として小選挙区下、一挙に大勝を重ねてきた。それまで自民党の伝統的な支持基盤だった地方の職能を「抵抗勢力」と名付けて敵視した小泉純一郎内閣以降、この傾向はますます揺らがない。 よって現在の清和会内閣は、かつての田中・竹下系内閣では「聖域」とされた農業分野までその構造改革のメスを入れている。代表的なものがTPP推進(―皮肉にもトランプ政権の意向により断念する格好となったが)だ。現在の自民党は、地方の足腰の弱い職能団体に利益を再分配するという構造は希薄で、大企業と都市部の中産階級さえ確保できれば政権党を維持できるという体制が出来上がっている』、言われてみれば、その通りなのだろう。
・『公明党の最終カードをちらつかせた強硬論  ここに清算主義の根本がある。足腰の弱い、支援なくば恐慌下で潰れてしまうような企業や人は、田中・竹下系の内閣では重要な票田だったが、清和会内閣ではそうではない。清和会内閣で一貫して法人税減税が行われてきたのはその派閥の性質によるところが多い。法人税減税は中小零細企業よりも大企業にとってより便益となるからである。 このような状況下で再分配傾向の薄い清和会内閣の補助・助力として期待されていたのが小渕恵三内閣時代から連立を組む公明党の存在である。公明党は元来、その支持母体・創価学会を中心として、大都市部の低所得者層や零細自営業者を支持基盤としており、田中・竹下系の政権と政策的に相性が良い。 公明党が初めて連立を組んだのが経世会の小渕内閣であったこともその証左である。ところが前述のとおり、小渕首相が急逝して「棚ぼた」的に清和会・文教族の森喜朗が首班につくと、公明党は政策的に肌が合わない自民党・清和会との連立を、実に20年の長きにわたって強いられたのであった。もっともこの部分には公明党の政権権力への拘泥があったし、また公明党の支持基盤自体が経済成長によって中産階級に成長した側面もあった。とはいえ今回のコロナ騒動で、当初「困窮世帯に限定して30万円」としたものを「一律10万円給付」に転換させたのは、公明党による「連立離脱」という最終カードをちらつかせた強硬論に官邸が押されたからと言えよう』、「清和会」と「公明党」はもともと相性が良くなかったとは初めて知った。
・『安倍晋三の経済対策はどれも後付け・小出し  大企業と都市部の中産階級の支持を受ける清和会内閣は、根底に「弱い者は潰れてしまっても、その溝を優秀な会社や起業家が埋めるので構わない」という清算主義的観念があるとはすでに述べた。コロナ禍で様々な経済対策が打ち出され、またされる予定だが、どれも後付け・小出しであり、「強者の発想」に拘泥する清和会内閣の根底に変化はないように思える。 東証一部上場企業では繊維業のレナウンがコロナ禍で倒産したが、この会社の倒産はコロナ禍以前からの経営基盤弱体をその始祖としていた。多くの大企業は、コロナ禍での一時的な利益の激減すらも内部留保や大規模融資によって概ね乗り切るだろう。それもこれも、2000年の森喜朗内閣から計15年以上も、大企業を支持基盤とした大企業優遇政策が清和会内閣によって実行されてきたからだ』、「「強者の発想」に拘泥する清和会内閣の根底に変化はないように思える」、鋭い指摘だ。
・『経済成長を支えた「非合理的不採算企業」  清和会内閣が支配する以前、田中・竹下系内閣が一時期自民党派閥の頂点として君臨してきた時代、「本来、市場の摂理に任せておけば倒産するべき不採算企業を、公的助成や支援で温存してきたために、日本経済の生産性は低くなっている」という批判が跋扈ばっこした。こういった批判が、のちの構造改革路線・新自由主義路線につながることとなる。 しかし50年代~70年代前半の高度成長下、いわゆる「非合理的不採算企業」は都市部・農村部を問わずいたるところに存在した。従業員が10人未満の下請け町工場が工業地帯には乱立し、都市下層民の雇用を支えた。当然、ひとたび不況の風が吹くとそれらの企業は倒産し、不況が収まると類似企業が息を吹き返した。こういった企業は、あきらかに「非合理的不採算企業」だが、当時はこういった企業の近代化の必要性は唱えられど、「潰れるべき企業は潰れてしまって構わない」という意識は希薄だった。なぜなら経済全体が成長していたし、そういった経済成長はとどのつまり大企業の下請けとして機能していた「非合理的不採算企業」が支えていたからである』、中小企業向け融資への返済繰り延べを認めた中小企業金融円滑化法は、清和会以外の流れなのだろう。
・『今こそ必要なのは迅速かつ大胆な支援である  ところが経済成長が一服して日本経済に成長余地が無くなると、こういった「非合理的不採算企業」への補助や支援は無駄だ、というように言われるようになった。市場原理という競争社会の中では、こういった企業は自然淘汰されていくべきだ、という考え方が主流になり出した。しかし現代的市場経済は、すべてにおいて市場原理主義を肯定しているわけではない。外部から見て不採算、非合理的と見なされる企業や人にも、社会の中で一定の役割を担い、ややもすればそこから大発明や天才が輩出されることもある。すべての企業や人を合理的か否か、不採算か否か、で決めてしまえば、小説も演劇も音楽も一切必要が無い、ということになる。 しかし社会の構造はそうなってはいない。たとえ一見不採算でも非合理的でも、社会の構成員として一定の役割を果たしている企業や人を、市場原理の名のもとに切り捨ててよい法は無いのである。清和会内閣として最も「長寿」を誇る第2次安倍内閣には、この視点が欠落しているように思えてならない。今こそ必要なのは「市場原理に任せておけば淘汰されかねない企業や人」への迅速かつ大胆な支援である。ここを怠ると、大変なしっぺ返しを食らうであろう』、同感である。
タグ:藤巻健史 日刊ゲンダイ ハイパーインフレ 大政翼賛会 古賀茂明 PRESIDENT ONLINE アベノミクス 財政ファイナンス 古谷 経衡 プレジデント Digital (その34)(日本経済の没落を招いた安倍政権の「利権トライアングル」、コロナの後に必ずくる「日銀リスク」というアベノミクスのツケ 円をドルに換えておいたほうがいい、"アホノミクス"…安倍晋三が日本国民を見捨てたとき コロナ大恐慌を自ら悪化させる気か) 「日本経済の没落を招いた安倍政権の「利権トライアングル」」 安倍政権が総理関心事項である安保・外交やアベ友案件では強権発動で官僚を無理やり従わせるのに、行政改革や規制改革、IT化などには無関心で官僚丸投げだからだ 世界銀行の「ビジネス環境ランキング」 2020年版ランキングでは世界29位。ロシアに抜かれ、中国も31位と背後に迫る 「デジタル手続法」 印鑑業界と族議員の反対で止められた ビジョンなき亡国政権は交代しかない 桜田義孝・元サイバーセキュリティー担当相は、パソコン使用経験なし、USBメモリーも知らずで世界を笑わせた 竹本直一IT担当相は79歳。しかも「はんこ議連」のトップ 北村誠吾規制改革担当相も73歳。国会でまともな答弁ができず、審議中断は日常茶飯事 「コロナの後に必ずくる「日銀リスク」というアベノミクスのツケ 円をドルに換えておいたほうがいい」 日銀の「Mr.時期尚早」、元ディーラーの「ハイパーフジマキ」 ハイパーインフレが来る、と主張している理由は、1000兆円を超える国の巨額な借金はもう尋常な方法では返済できないと思うからだ 国に徴税権があるといっても 政治的に行使できないのであれば、言い訳に過ぎない 借金大国に残された2つの最終手段 「借金踏み倒し」 財政楽観論者と大政翼賛会の宣伝読本の共通点 『戦費と国債』 「財政楽観論者」の主張と瓜二つだ 白川日銀から180度の路線転換をした黒田総裁 出口論なき黒田日銀の金融緩和 FRBが見つけ出した付利金利引き上げという新技 コロナ禍が過ぎ去っても日銀リスクが残り続ける 会計上は「日銀」には「評価損は表面化しない」とはいえ、市場参加者は日銀は実質的に債務超過に陥っていると考え、日銀に厳しい対応を取る筈 日本売りのリスクを過小評価してはいけない 基軸通貨ドルとの関係を遮断された通貨など世界から相手にされない 円の暴落、ハイパーインフレ一直線 債務超過になっても大丈夫な中央銀行の条件、日銀は… 1.債務超過は一時的であると国民が信じる 2.債務超過の原因が金融システムの救済であり、金融政策は厳格に運営されていると信じる 3.財政が緊縮に向かっている 長期金利が0.3%上昇すれば、このような事態は起きる。コロナ禍の最中に起こらなくとも、景気回復時には長期金利は間違いなく0.3%を超えて上昇するだろう 安部首相が退陣して済む問題ではない。アベノミクスを賞賛した学者やマスコミの責任も重大だ 「"アホノミクス"…安倍晋三が日本国民を見捨てたとき コロナ大恐慌を自ら悪化させる気か」 大恐慌をさらに悪化させたとされる清算主義 “恐慌によって腐った部分を経済システムから一掃してしまえば、生計費も下がり、人々はよく働くようになり、価値が適正水準に調整され、無能な連中がだめにしてしまった事業を再建する企業家も現れるだろう 「清算主義」的発想は、安倍政権にも根強く存在 「もたない会社は潰すから」自民党の正体見たり 自民党清和会内閣が実に15年以上続いている状況 「クリーンなタカ派、ダーティーなハト派」 清和会は典型的な親米タカ派路線だが、元来代議士一家や土着の資産家が多いので疑獄系の醜聞は比較的少ないように思える 大企業と都市部の中産階級さえ確保できれば政権維持できる 公明党の最終カードをちらつかせた強硬論 安倍晋三の経済対策はどれも後付け・小出し 「強者の発想」に拘泥する清和会内閣の根底に変化はないように思える 経済成長を支えた「非合理的不採算企業」 今こそ必要なのは迅速かつ大胆な支援である 今こそ必要なのは「市場原理に任せておけば淘汰されかねない企業や人」への迅速かつ大胆な支援
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