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スポーツ界(その32)(“パワハラ問題”で評判が暴落中…柔道・山下泰裕氏の知られざる“沖縄ランドリー事件”、破綻したサッカー欧州スーパーリーグ構想の背後にJPモルガンのなぜ、「女性アスリートの盗撮」規制の緩すぎる実態とは) [社会]

スポーツ界については、2月23日に取上げた。今日は、(その32)(“パワハラ問題”で評判が暴落中…柔道・山下泰裕氏の知られざる“沖縄ランドリー事件”、破綻したサッカー欧州スーパーリーグ構想の背後にJPモルガンのなぜ、「女性アスリートの盗撮」規制の緩すぎる実態とは)である。なお、タイトルから「日本の」を削除した。

先ずは、3月5日付け文春オンライン「“パワハラ問題”で評判が暴落中…柔道・山下泰裕氏の知られざる“沖縄ランドリー事件”」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/43824
・『現役時代に203連勝の大記録を樹立し、1984年ロス五輪では無差別級で金メダルを獲得。柔道界の“英雄”山下泰裕JOC会長(63)の株が、ここにきて暴落中だ。きっかけは会長を兼務する、足元の全日本柔道連盟(全柔連)での“パワハラ問題”である。 柔道担当記者が語る。 「昨年4月に事務局で発生したコロナのクラスターを調査する過程で、前事務局長が威圧的な言動を繰り返していた疑惑が浮上した。コンプライアンス委員会はパワハラを認定し、昨年11月に山下会長ら執行部に報告書を提出。ところが前事務局長が退職して調査ができないことを理由に公表せず、放置していたのです」 疑惑について説明する会見で、山下会長は“隠蔽”を強く否定。「(パワハラの)問題そのものに気づかなかった」「JOCに全精力を傾注しなければいけない状況になり、全柔連のことに注意を払えなくなった」などと釈明した。この“責任転嫁”ともとれる発言に、リーダーとしての資質を問う声が上がっている。 「JOC会長就任は森喜朗氏の後押しがあったと言われるだけに、森氏の“女性蔑視発言”にも当初は東京五輪組織委会長の続投を支持していた。その後、後任候補検討委員会を非公開にするように進言。JOCの理事会を非公開化した前例もあり、情報の透明化を避けようとする考え方の持ち主なのです」(前出・記者) また、国民栄誉賞の肩書まであるにもかかわらず、地位に恋々とする一面も』、「JOCに全精力を傾注しなければいけない状況になり、全柔連のことに注意を払えなくなった」、よくぞこんなお粗末な言い訳をするものだ。そんなことでは「JOC会長」も不適任だ。
・『対立していた相手にもあっさり懐柔  「2007年、国際柔道連盟の理事選で再選を目指した際、彼は対立していた会長派から『会長を支持するなら対抗馬を降ろす』と持ち掛けられた。しかし『自らの保身の為に信念を曲げることは出来ない』と会長の強権的姿勢を批判して出馬し、落選。にも関わらず、数年後には会長からの特別指名をあっさり受諾して理事の座に戻ったのです。今では対抗する素振りも全く見せず、懐柔されてしまっています」(全柔連関係者) 都合が悪いことについて他人事になる姿勢は今回だけではない。リオ五輪前の16年1月、男子日本代表の沖縄合宿で同じホテルに居合わせた宿泊客が言う。 「ランドリーの床に柔道着が散乱していたので、チーム関係者に伝えたところ、朝食会場で井上康生監督から4、5分ほど丁寧な謝罪を受けました。ところが一緒にいた山下氏はこちらをチラチラ見ながらも我関せずで、黙々と食事を続けていた。トップなのに当事者意識が全くない態度に、彼の人間性を見た思いでした」 あるインタビューで得意技は「開き直り」と語っていた山下氏。そんな大技を乱発されてはたまらない』、森喜朗氏にとっては、使い易さで「会長」にしたのだろうが、「トップなのに当事者意識が全くない」ようでは、「会長」失格だ。

次に、4月29日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクション・ライターの藤江直人氏による「破綻したサッカー欧州スーパーリーグ構想の背後にJPモルガンのなぜ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/269800
・『早ければ来夏からのスタートを目指して、ヨーロッパサッカー界を代表するビッグクラブが集結していた「ヨーロッパスーパーリーグ」構想があっけなく崩壊した。サッカー熱の低い米国の大手投資銀行が動いた背景とは』、熟読してなかったので、よく理解できないままだったので、助かりそうだ。
・『欧州トップのクラブが続々集結 創設チームは昇降格なしの皮算用  唐突に打ち上げられた、季節外れの豪華絢爛な花火が、瞬く間に夜空の彼方へ消えてしまった――。ヨーロッパサッカー界を発信源として世界中を揺るがせながら、発表から48時間とたたないうちに崩壊したサッカーの「ヨーロッパスーパーリーグ」構想を例えると、こうなるだろうか。 騒動の火ぶたが切られたのは、日本時間の4月19日未明だった。レアル・マドリードやバルセロナ、マンチェスター・ユナイテッド、ACミランなど日本でもなじみのあるヨーロッパのビッグクラブが、新たなリーグ戦を創設する構想に合意したと電撃的に発表した。 中心として動いていたのは、日本代表MF久保建英の保有権を持つクラブとしても知られる、スペインのレアル・マドリードだった。スーパーリーグを運営する新たな組織のトップに就任した、同クラブのフロレンティーノ・ペレス会長は共同声明の中でこんな言葉をつづった。 「サッカーは40億人以上のファンを抱える、ただ一つのグローバルなスポーツであり、われわれのようなビッグクラブには、サッカーを愛するファンが求めるものに応じる責務がある」 創設で合意したのは、スペイン勢がレアル・マドリード、バルセロナ、アトレティコ・マドリード。イタリア勢がACミラン、インテル、ユベントス。そしてイングランド勢がマンチェスター・ユナイテッド、マンチェスター・シティ、リバプール、アーセナル、チェルシー、トッテナムだった。 さらに三つの強豪クラブを加えた15クラブを創設メンバーとして固定。前シーズンの成績に応じて5クラブが入れ替わる形で参加し、8月から翌年5月にかけた戦いで頂点を目指す。試合は原則として平日に開催され、参戦するクラブは週末に各国のリーグ戦も並行して戦っていく』、ドイツやフランスは入ってないようだ。
・『欧州ビッグクラブと関係深いJPモルガン 米国式に倣い、クラブ固定で安定収入狙う  現存するヨーロッパチャンピオンズリーグとほぼ同じ方式として対峙する一方で、大きく異なっているのが、参戦クラブの固定化だ。昇降格がない=一定収入の保証となり、実際に各クラブには3億5000万ユーロ(約457億円)に上る参加ボーナスが約束されている、と報じるヨーロッパのメディアもあった。 金額に関する情報が錯綜した中で、いずれにしても巨額となる運営資金の源泉を探っていくと、アメリカの金融大手、JPモルガン・チェースの存在に行き着く。彼らの莫大な融資が担保されていたからこそ、昨春から続く新型コロナウイルス禍で未曽有の減収を余儀なくされていたビッグクラブが、いっせいに飛びつく状況を生み出した。 もっとも、ここで素朴な疑問が残る。ヨーロッパサッカー界に生まれようとしていた新たな動きに、今年1~3月に143億ドル(約1兆5600億円)と四半期として過去最高の最終利益を上げた、アメリカのJPモルガンがなぜメインスポンサーとして関わっていたのか、だ。 接点の一端はイングランドの名門、マンチェスター・ユナイテッドに見られる。2013年から同クラブの実質的なトップを務めているイギリス出身の実業家、エド・ウッドワードCEO兼上級副会長は、JPモルガン・チェースのM&A部門でらつ腕を振るったキャリアを持つ。 マンチェスター・ユナイテッドは05年までに、アメリカのグレイザー家によって買収された。その過程でアドバイザーとして、JPモルガン・チェースが持つ豊富なノウハウを提供したウッドワード氏が、買収完了後にマンチェスター・ユナイテッドへ転職した。 この一件にとどまらず、JPモルガンは早い段階からヨーロッパサッカー界を、投資に見合ったリターンが望める新たな標的に据えて関係を深めてきた。現在はスーパーリーグ創設で合意したクラブの多くを顧客に持ち、特に中心的存在を担うペレス会長とは昵懇の仲にあるとされている。 加えて、今ではマンチェスター・ユナイテッドに加えてリバプール、アーセナル、ミランのオーナーをアメリカ人の実業家が務めている。アメリカ式プロスポーツの運営方式をヨーロッパに導入する舞台が整った状況で、新型コロナウイルス禍が背中を押した。 アメリカ式プロスポーツとは、野球のMLBやバスケットボールのNBAに代表される昇降格のない舞台が前提となる。00年代初頭から新たなリーグ戦の必要性を訴えてきたペレス会長も、JPモルガンという後ろ盾を得て、ついに時が来たと先頭に立ったのだろう』、「JPモルガン・チェース・・・の莫大な融資が担保されていたからこそ、昨春から続く新型コロナウイルス禍で未曽有の減収を余儀なくされていたビッグクラブが、いっせいに飛びつく状況を生み出した」、万一の場合のバックアップとしてならあり得るが、恒常的な「融資」は考え難い。「アメリカ式プロスポーツ」のような「昇降格のない」、を導入しようとは驚いだ。
・『英ウィリアム王子、ジョンソン首相も批判 競技団体とファンから総スカンで瓦解  しかし、結果から先に言えば、JPモルガンは日本時間4月23日に、スーパーリーグからの撤退を示唆する緊急声明を発表した。JPモルガンの口座解約を個人や企業に求める抗議活動がヨーロッパで広まった中で、声明には構想が瓦解した理由が凝縮されていた。 「この取引が、サッカー界からどのように見られ、将来へどのような影響を与えるのか、という点についてわれわれは明らかに判断を見誤っていた。今回の一件から学んでいきたい」 若い世代へ訴求性を高める手段として、ペレス会長は前後半の90分間で行われている現行の試合を、NBAに倣ってクオーター制に変える私案も披露していた。これが、古き良き伝統を大切にするヨーロッパ、とりわけサッカーの母国という自負を抱くイングランドで猛反発を受けた。 スーパーリーグに参戦を表明した6クラブの公認サポーター団体だけでなく、イングランド・サッカー協会の総裁であるイギリスのウィリアム王子までもが激しく批判。ボリス・ジョンソン首相は、法整備を含めてあらゆる手段を行使して構想を阻止すると明言し、現役の選手や監督からも反対する声が上がった。 かねてペレス会長らと水面下で調整の場を設けてきた、ヨーロッパサッカー連盟(UEFA)も黙ってはいなかった。3カ国のサッカー協会やリーグ機構との共同で発表した声明の中で、スーパーリーグを「私利私欲に基づいた、冷笑的なプロジェクト」と一刀両断した上でこうつづった。 「Enough is enough(いい加減にしろ)」 国際サッカー連盟(FIFA)も同調した中で、UEFAは、スーパーリーグに参加したクラブは各国内、ヨーロッパ、世界レベルで行われるすべての大会から除外されると警告。所属選手が母国の代表チームにおける出場機会をも失う可能性があるとまで踏み込んでいた。 激しい批判にさらされた状況下で、ロシア資本のマンチェスター・シティとカタール資本のチェルシーが脱退を表明。発表から2日とたたないうちに、残る4つのイングランド勢も追随し、マンチェスター・ユナイテッドに至ってはキーマンのウッドワードCEOが年内限りで辞任すると発表した。 脱退の連鎖はイタリア勢と、スペインのアトレティコ・マドリードにまで伝播。レアル・マドリードとバルセロナだけが残った中で、スーパーリーグ参戦へのオファーを拒否したとされるドイツの強豪、バイエルン・ミュンヘンは声明の中でヨーロッパサッカー界が歩むべき道を説いた。 「新型コロナが生み出した各クラブの財政的問題を、スーパーリーグが解決するとは思わない。むしろヨーロッパのすべてのクラブが連帯してコスト構造の改造を、特に選手の報酬やエージェント費用がコロナ禍における収益と見合ったものにするように取り組む必要がある」 アメリカ資本がからんだ性急なスーパーリーグ構想は完全に崩壊したが、騒動の発端は今に始まったものではない。チャンピオンズリーグの拡大など、増収を第一に掲げる施策を採ってきたUEFAと、有力選手を数多く抱えるビッグクラブとの軋轢は、形を変えて繰り広げられていくだろう』、「スーパーリーグ参戦へのオファーを拒否したとされるドイツの強豪、バイエルン・ミュンヘン」、なるほど拒否していたとはさすがだ。それにしても、「JPモルガン」がこんなピエロのような役割を演じるとは、呆れ果てた。流産したからよかったが、仮に業界が割れる形で、発足していたら、それはそれで欧州サッカー界に深い分断をもたらしていただろう。

第三に、5月18日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した事件ジャーナリストの戸田一法氏による「「女性アスリートの盗撮」規制の緩すぎる実態とは」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/271130
・『テレビで放映された女性アスリートの画像をアダルトサイトに無断で転載したとして、警視庁は著作権法違反(公衆送信権の侵害)の疑いで、京都府精華町の自称ウェブデザイナー小山幸祐容疑者(37)を逮捕した。競技会場で性的な意図で画像や動画を撮影されたり、インターネットで拡散されたりする被害は、競技団体やアスリートにとって悩みの種。日本オリンピック委員会(JOC)が対策に乗り出し、警視庁に被害を相談してきたが、摘発に至ったのは初めて。この事件を契機に、規制の強化につながる可能性はあるのか』、興味深そうだ。
・『苦肉の策だった「著作権法違反」  全国紙社会部デスクによると、小山容疑者の逮捕容疑は2019年5月18日、テレビのスポーツ番組で放映された複数の女性アスリートが競技している映像を、静止画としてピックアップ。そのうちの画像39点を自分が運営するサイトに無断で転載した上、不特定多数のネット利用者が閲覧できる状態にしてテレビ局の著作権を侵害した疑い。 このサイトは「アスリート」という項目で、「放送事故」「エロハプニングシーン」など性的なイメージのコメントを掲載。ほかにも女性の裸などわいせつな画像を集めた計九つのサイトを運営し、11年2月~今年3月までの約10年間で計約1億2000万円の広告収入を得ていた。サイトは無料で、目的は広告収入だったとみられ、最近では月に100万円以上の収入があったという。) 小山容疑者は逮捕前の任意聴取に「違法性は認識していたが、サイトの収入で生活しており金が目的だった」と説明。9日の逮捕直後は「悪いこととは分かっていたが、まさか逮捕されるとは思わなかった」と供述し、その後は黙秘に転じたという。 逮捕容疑となったサイトの画像そのものは、わいせつ性が認められなかった。警視庁はアスリートを被害者とする名誉毀損(きそん)容疑での立件も検討したが、画像の内容から困難と判断したもようだ。 実は現在、こうした画像や動画を拡散させる行為をダイレクトに取り締まる法律はない。可能性としてはアスリートの肖像権を侵害し、氏名などの個人情報を付けて性的なコメントを拡散する行為は、場合によっては名誉毀損罪のほか、侮辱罪に該当する可能性はあると思う。今回、そこまで踏み込むのが難しかったのだろう。 今回のケースを著作権法違反で立件したのは、実は苦肉の策だったのかもしれない』、「苦肉の策」かも知れないが、なかなか上手い手だ。「月に100万円以上の収入」とは上手い儲け手段にもなっているようだ。
・『刑法で禁止されていないアスリートの「盗撮」  一方、アスリートに限らず「盗撮行為」は刑法で禁止するものがなく、各都道府県の「迷惑防止条例」で取り締まっているのが現実だ。しかも、一般的に盗撮とは、衣服で隠されている下着や体、プライベートな空間を隠し撮りする行為を指す。公開の場でユニホームを着用しているアスリートを撮影する行為は、条例でも取り締まることは不可能だろう。 女性アスリートの画像や動画を巡っては昨年8月、日本陸上競技連盟のアスリート委員会に、日本代表の経験もある複数の現役選手から「胸やお尻をアップにした写真を無断で撮影され、SNSで拡散された」との相談があった。 これがきっかけとなり11月、JOC、日本スポーツ協会、日本障がい者スポーツ協会、日本スポーツ振興センター、大学スポーツ協会、全国高等学校体育連盟、日本中学校体育連盟の7団体が「アスリートの盗撮、写真・動画の悪用、悪質なSNS投稿は卑劣な行為」とする声明を発表。JOCは公式サイトに被害の通報窓口を設け、これまで約1000件の届け出があった。 声明発表後に、警視庁サイドからJOCに協力の申し出があり、担当者が捜査員に情報を提供。その中には、小山容疑者のサイト関連が4件含まれていたという。 スポーツを専門にしてきた全国紙写真部デスクによると、こうした被害はネットが普及し始めた約20年前から急増。それ以前は「カメラ小僧」などと呼ばれるマニアが、高校野球のチアリーダーを盗撮して雑誌に投稿するようなケースが一般的だった。 しかし、うまく撮影できると「自慢したい」という心理が働くのか、ネット普及後は「お宝」など目を引くタイトルで画像や動画を拡散するように。さらにはDVDが販売される被害も確認され、各競技団体は危機感を募らせた。 最近は競技会場で「盗撮を発見次第、警察へ通報いたします」などと呼び掛ける看板を設置するなどしているが、アスリートの家族や純粋なファン、メディアの撮影もあり、カメラの持ち込みや撮影を規制するのは不可能だ。 最近はスマートフォンの撮影機能が高性能になっていることもあり、瞬時に撮影してバッグに隠されると手の打ちようがない』、「スマートフォンの撮影機能が高性能に」、伝達手段として「SNS」が普及、などを考慮すると、「JOCは公式サイトに被害の通報窓口を設け、これまで約1000件の届け出があった」、というのも氷山の\一角だろう。
・『競技団体と撮影者で続くいたちごっこ  最近では、赤外線カメラを使いユニホームどころかアンダーウエアまで透過撮影するカメラが登場。こうなると競技団体は放置できない。体操は04年から観客の撮影を原則禁止、フィギュアスケートは05年に全面的に禁止した。当たり前だが、家族や関係者からは「なぜ、自分の娘を撮影できないのか」などという抗議もあったらしい。 スポーツ用品メーカーがそうした透過撮影を防止する特殊素材の開発に着手したが、これは「アスリートを卑劣な盗撮から守る」という熱意によるという。 あまり知られていないが、新潟市で昨年9月、無観客で開催された日本学生陸上競技対校選手権大会(日本インカレ、大学陸上競技部の対校試合)で、ライブ配信された応援メッセージに、性的な投稿が相次いだ。出場したアスリートは「友人の指摘で気付いた」「これを親に見られたらきつい」と肩を落としていたという。 実はこうした被害は実業団や大学生などトップアスリートに限らず、高校生や中学生の大会のほか、小学生の運動会にも不審者が出没する。実際、筆者の娘が小学生だった頃、運動会を保護者ではない人物が撮影しており、保護者や教員ともちょっとしたもめごとになったことがあった。 この記事を書くため、アスリートと性的なキーワードでネット検索したところ、驚くほど大量の画像と動画がヒットした。目を背けたくなるような卑猥(ひわい)なコメントが付けられているものもあり、中には児童のものも含まれていた。) 前述の通り、体操やフィギュアスケートは撮影禁止という「強硬手段」に打って出たが、ほかはほとんどが、競技会場の見回りや撮影を許可制にするなどが精いっぱい。対策を取っても、それをかいくぐろうとする撮影者といたちごっこが続いているのが現状だ。 前述の写真部デスクによれば、「以前、競技団体に取材した際に聞いた話」として、将来が有望とされていた高校生が、卑猥なコメントを付けられた自分の動画があることを知人に指摘され、ショックで競技を辞めたケースがあったと明かした。 ロイター通信によると先月、体操の欧州選手権大会で、ドイツのチームがレオタードではなく、足首まで覆う「ボディースーツ」で演技し、注目された。ドイツの競技団体は「画像や動画の拡散に抗議する意味を込めた」と説明。こうした被害は日本だけではないことを示唆しているが、アスリートがこうしたことを危惧する状況は、やはり「おかしい」と言わざるを得ない。 海外では韓国やフランスなどで、性的な目的での無断撮影や拡散が法律で禁じられている。19年には韓国で開催された水泳の世界選手権大会で、女性選手を盗撮したとして、30代の日本人男性が摘発された。 日本でも法務省の性犯罪に関する刑事法検討会で「盗撮罪」創設が議論されているが、チアリーディングなど公開の場で「見せる」ことを目的とした競技や、純粋に競技を撮影したいという善意のファンまで規制するのか――といった線引きが難しい問題もある。 しかし、女性アスリートが安心して競技に専念できるよう、法整備が必要なのは論をまたないだろう』、「体操やフィギュアスケートは撮影禁止という「強硬手段」に打って出た」、それ以外はまだ我慢しているのだろう。ただ、法技術的には極めて難しいのに、「法整備が必要なのは論をまたない」などと主張するのは、無責任だ。
タグ:スポーツ界 レアル・マドリード ダイヤモンド・オンライン 藤江直人 文春オンライン 戸田一法 (その32)(“パワハラ問題”で評判が暴落中…柔道・山下泰裕氏の知られざる“沖縄ランドリー事件”、破綻したサッカー欧州スーパーリーグ構想の背後にJPモルガンのなぜ、「女性アスリートの盗撮」規制の緩すぎる実態とは) 「“パワハラ問題”で評判が暴落中…柔道・山下泰裕氏の知られざる“沖縄ランドリー事件”」 「JOCに全精力を傾注しなければいけない状況になり、全柔連のことに注意を払えなくなった」、よくぞこんなお粗末な言い訳をするものだ。そんなことでは「JOC会長」も不適任だ。 森喜朗氏にとっては、使い易さで「会長」にしたのだろうが、「トップなのに当事者意識が全くない」ようでは、「会長」失格だ。 「破綻したサッカー欧州スーパーリーグ構想の背後にJPモルガンのなぜ」 サッカーの「ヨーロッパスーパーリーグ」構想 中心として動いていたのは ドイツやフランスは入ってないようだ。 「JPモルガン・チェース・・・の莫大な融資が担保されていたからこそ、昨春から続く新型コロナウイルス禍で未曽有の減収を余儀なくされていたビッグクラブが、いっせいに飛びつく状況を生み出した」、万一の場合のバックアップとしてならあり得るが、恒常的な「融資」は考え難い。 「アメリカ式プロスポーツ」のような「昇降格のない」、を導入しようとは驚いだ。 英ウィリアム王子、ジョンソン首相も批判 競技団体とファンから総スカンで瓦解 「スーパーリーグ参戦へのオファーを拒否したとされるドイツの強豪、バイエルン・ミュンヘン」、なるほど拒否していたとはさすがだ それにしても、「JPモルガン」がこんなピエロのような役割を演じるとは、呆れ果てた。流産したからよかったが、仮に業界が割れる形で、発足していたら、それはそれで欧州サッカー界に深い分断をもたらしていただろう。 「「女性アスリートの盗撮」規制の緩すぎる実態とは」 「苦肉の策」かも知れないが、なかなか上手い手だ。 「月に100万円以上の収入」とは上手い儲け手段にもなっているようだ。 「スマートフォンの撮影機能が高性能に」、伝達手段として「SNS」が普及、などを考慮すると、「JOCは公式サイトに被害の通報窓口を設け、これまで約1000件の届け出があった」、というのも氷山の\一角だろう 「体操やフィギュアスケートは撮影禁止という「強硬手段」に打って出た」、それ以外はまだ我慢しているのだろう。ただ、法技術的には極めて難しいのに、「法整備が必要なのは論をまたない」などと主張するのは、無責任だ。
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人権(その6)(体重20キロ減、吐血でも見殺し 女性死亡の入管の闇が深すぎる、スカート男児は奇妙? 報ステCM叩きと大人たちの不始末、ジェノサイド条約 日本未加盟なぜ 見直す動きも) [社会]

人権については、1月23日に取上げた。今日は、(その6)(体重20キロ減、吐血でも見殺し 女性死亡の入管の闇が深すぎる、スカート男児は奇妙? 報ステCM叩きと大人たちの不始末、ジェノサイド条約 日本未加盟なぜ 見直す動きも)である。

先ずは、3月17日付けYahooニュースが掲載したフリージャーナリスト(環境、人権、戦争と平和)の志葉玲氏による「体重20キロ減、吐血でも見殺し、女性死亡の入管の闇が深すぎる」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20210317-00227820/
・『またしても、法務省・出入国在留管理庁(入管庁)で重大な人権侵害だ。迫害から逃れてきた難民や、家族が日本にいるなど、母国に戻れない人々の事情を考慮せず、法務省・入管庁は、その収容施設に「収容」している。こうした収容施設では、暴力や虐待、セクハラ等、非収容者に対する非人道的な扱いが常に問題となり続け、被収容者が死亡する事件も毎年のように発生している。今月6日にも、スリランカ人女性が名古屋入管の収容施設で死亡。深刻な体調不良を本人や支援団体が訴えていたにもかかわらず、女性を収容していた名古屋入管側が適切な医療を受けさせなかったことで、痛ましい結果を招いた可能性が高いという。本件について、今月12日、参議院議員の石川大我氏が国会で法務省・入管庁側を問いただした』、どういうことなのだろう。
・『倒れても、まともな薬すら与えない、点滴も認めず  今月12日の国会での石川大我参議院議員と佐々木聖子入管庁長官のやり取りによると、亡くなった女性は30代で、母国で大学を卒業後、英語の堪能さを活かし、日本の子ども達に英語を教えたいとの夢を持って2017年に来日。専門学校に通っていたのだという。ところが、両親からの仕送りが途絶え学費が払えなくなり、留学生ビザが失効。さらにコロナ禍で母国へ帰るに帰れず、昨年8月、名古屋入管に収容されてしまったのだという。その後、女性の体調は悪化。今年1月の時点で、既に深刻な状態だったという。 石川議員「お亡くなりになられる前の面会の記録がありまして、支援者の方の許可を得て、プライバシーを守りながらお話をしたいと思いますが(中略)1月には体重が12キロ減、これ30代の女性の方ですからね、12キロ減るというのはかなりしんどいと思います。喉に違和感があり御飯が食べられない、施設の看護師に相談をすると、適度な運動や胃のマッサージをするようにと言われた。12キロ減って、適度な運動や胃のマッサージをしろ、これ適切ですか」 佐々木長官「今お尋ねの点を含めまして、亡くなられた方の診療経過あるいは健康状態の推移につきまして現在調査中でございます」 石川議員「1月下旬になると足の痛み、胃の痛み、舌がしびれるなど訴え、とうとう血を吐いてしまう、死にそうというふうに面会される支援者の方に訴える、この後も嘔吐、吐血。そのときに入管職員何と言ったか、迷惑だからといって単独房に移されたと、そういうふうに証言しています。目まい、胸の動悸、手足のしびれ、施設内の診療所で処方されたのはビタミン剤とロキソニンですよ。ビタミン剤と痛み止め、これだけで本当に(医療が)充実していると言えるんでしょうか。まともな体制でしょうか」 佐々木長官「その経緯につきましても調査中でございます。先ほど申しましたように、不断にこの医療体制については充実させていきたいと考えています」 石川議員「先月ですけれども、2月になると彼女は車椅子でとうとう面会に現れるようになるということです。食べられない、薬を飲んでも戻す、歩けないという状態、ここでやっと外部の病院での内視鏡検査。その後、点滴を打たせてほしいと言ったにもかかわらず、長い時間が掛かるという理由で入管職員が認めずに、一緒に帰ってしまった。このこと、ありますでしょうか?」 佐々木長官「その経緯につきましても、正確に把握するべく調査中です」 石川議員「(面会記録を)読んでいて本当につらくなるんです。とうとう面会には車椅子で出てくる、そして(嘔吐、吐血するので)バケツを抱えてくるという状態、歩けない状態で、職員はコロナを理由に介助しない、胃がねじれるように痛い、歩けないのに歩けと言われる(中略)担当職員、コロナだから入院できない、病気じゃない、仮病だと言う。そして、2月下旬、とうとう20キロ痩せてしまう、おなかが痛い、口から血が出て倒れても助けてもらえないので床に転んだまま寝た、こんなこともあったというふうに述べております。3月、今月です。頭がしびれる、手足がちゃんと動かないなどの危険な状態になる、熱はずっと37度から38度です。支援者は、このままでは死んでしまう、すぐに入院させるべきだと申し入れますが、職員は拒否、予定は決まっていると答えるのみ。これ、本当にひどくないですか」 *今月12日の参院予算委員会質疑より抜粋』、「佐々木長官」は2回の答弁とも、「調査中」と逃げているが、こ質問は事前通告されていなかったのだろうか。「質問者」の「石川議員」も調査終了の目途を聞きただして、調査終了後に改めて再質問したい旨を主張すべきだ。
・『独立した詳細な調査が必要  石川議員の追及に「調査中」との答弁を繰り返した佐々木長官であったが、今国会では法務省・入管庁による入管法の「改正」案が審議される見込みだ。この入管法「改正」の争点として、収容の是非を司法に判断させることや収容期間に上限を設定すること等の国連人権理事会の恣意的拘禁作業部会の勧告を、取り入れるか否かがある。 亡くなったスリランカ人女性も、体調悪化が著しくなった時点で、収容施設から仮放免され入院できたなら、命を落とさずにすんだのかもしれない。つまり、本件の調査は入管法「改正」の国会審議にも直接影響を与え得るものなのだが、入管側が、のらりくらり「調査中」だと言い続けて報告を先延ばしする可能性もある。石川議員も「まさか法案の審査の後にこの報告が上がる、そんなことはないですね」と質疑の中で釘を刺したが、佐々木長官は「正確性を期した上で、できるだけ早く調査を遂げます」と述べるにとどまっている。 もう一つ問われるのが、「調査」の独立性だ。入管施設内での被収容者の死亡については、2019年6月に大村入管センター(長崎県)で長期収容されていたナイジェリア人男性がハンガーストライキ中に餓死した件に関して、入管庁は同年10月に調査報告書をまとめているが、その内容は入管庁の立場を擁護するもので、餓死事件以前から、大村入管センターでの長期収容に懸念を表明していた九州弁護士会連合会は餓死事件の調査報告書を批判。独立した第三者による調査が必要だとの声明を発表している(関連情報)。 石川議員も12日の国旗質疑で、名古屋入管でのスリランカ人女性の死亡について「第三者による調査委員会つくる必要がある」「外部の調査が必要なんじゃないですか」と繰り返し問い、田所嘉徳法務副大臣に「(事情を知る)支援者にお話を聞く、そういった予定はありますか」と重ねて確認。田所副大臣は「必要があればしっかりと現地を見て、完全なものにするようにしたいというふうに思っております」と答弁し、言質を引き出したかたちだ』、事実関係は「調査中」とはいえ、余りに酷い人権侵害だ。「入管法の「改正」案が審議される見込み」なのであれば、石川議員は「第三者による調査委員会」設置を審議に応じる条件とするなり、もっと強気に出るべきだ。なお、「国連人権理事会の恣意的拘禁作業部会の勧告」については、あっさり済ませているが、昨年10月21日付け日本弁護士連合会による「入管収容について国連人権理事会の恣意的拘禁作業部会の意見を真摯に受け止め、国際法を遵守するよう求める会長声明」によれば、「日本では入管収容に関して差別的対応が常態化しているとまで指摘された。条約機関からの度重なる勧告を軽んじるような態度を指摘されたことを、日本政府は真摯に受け止めるべき」と強い調子で政府に迫っている。
https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2020/201021.html
・『入管関係で20人が死亡している!  入管の収容施設内または業務下での死亡者は、この20年余りで20人に上る*。その死因で目立つのは適切な医療を受けさせなかったことであり、今回亡くなってしまった女性の件、と同根の問題である。石川議員が指摘するように、入管法「改正」の国会審議の後に、今回の死亡事件の調査報告がまとめられるのでは論外だ。むしろ、入管法「改正」の審議を一旦停止してでも、まずは死亡事件についての、詳細かつ独立した調査が行われるべきなのであろう。 (了)』、「入管法「改正」の審議を一旦停止してでも、まずは死亡事件についての、詳細かつ独立した調査が行われるべき」、当然の主張で賛成である。

次に、3月30日付け日経ビジネスオンラインが掲載した健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏による「スカート男児は奇妙? 報ステCM叩きと大人たちの不始末」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00122/
・『3月22日に「報道ステーション」(テレビ朝日系列)が公開したウェブ用CMに批判が殺到し、削除される事態になった。もうすでにあちこちのメディアで色々な人が色々な意見を書いているのだが、多くの人たちから意見を聞かれたので、お答えする。 まずは、ご覧になっていない方のために、簡単に内容を説明します。 CMは20代と思われる会社員の女性が、「先輩が産休あけて赤ちゃん連れてきてたんだけど、もうすっごいかわいくって」「どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかって今、スローガン的にかかげている時点で、何それ、時代遅れって感じ」「化粧水買っちゃたの。すごいいいやつ」「それにしても消費税高くなったよね。国の借金って減ってないよね?」などと視聴者に話しかけるもので、最後は「こいつ報ステみてるな」というテロップで終わるものだった』、なるほど。
・『「男性たちの声」なぜ取り上げない?  公開直後から批判が殺到し、私も知人から「これひどくないですか?」との連絡をもらい、はじめてCMの存在も炎上していることも知った。 で、早速CMを見たところ……正直、よく分からなかった。ただ、「なんで、こんなに上から目線なんだろう?」という気持ちの悪さだけは強烈に残った。 一方、SNSでは「ジェンダー平等を終わったことにしてる」「女性をバカにしてる」という意見が数多く見られ、番組側が慌てて火消しに走ったことも、逆に火に油を注ぐことになった。 「意図をきちんとお伝えすることができなかった」「不快な思いをされた方がいらしたことを重く受け止める」といった謝罪文のコメントが、「人のせいにするな!」と大ブーイングを食らったのだ。 もし、CMに登場するのが「男性の会社員」だったら、どうだったのだろうか? もし、CM最後のテロップが「報ステで一緒に考えよう!」でも、炎上したのだろうか? 結論を申し上げれば、「デキの悪いCMだった」ということに尽きる。作った人には申し訳ないけれども、とにかくデキが悪かった。だいたい森喜朗氏の発言以降、メディアはこぞって「女性たちの声」を取り上げるが、ジェンダー平等=女性の問題ではない。なぜ、「男性たちの声」を取り上げないんだ? ジェンダー(gender)とは、「社会的・文化的につくられる性別」であり、ジェンダー平等とは「男女の社会的・文化的役割の違いや男女間の関係性」を示すものだ。 生物学的な性別(sex)に分けて考える問題ではない。 というわけで、今回は「ジェンダー」について、あれこれ考えてみようと思う。 その前に……、今回の報ステのCM問題で連絡してくれた人たちの多くは、私を「報ステ」のOGと勘違いしていたようだが、私が気象予報士第1号として出演していたのは久米宏さんの「ニュースステーション」。同じテレビ朝日だが、制作会社も違う別番組だ。しかも、20年以上も前の大昔の話なのであしからず。 では、本題。 先週、日本経済新聞に、「ジェンダー」を考える上で非常に大切な問題が取り上げられていたので紹介する(3月24日付夕刊「幼児の性自認、悩む対応 『女の子の格好』でいじめ」)。 記事によれば、市立保育園に通う6歳の園児が、「おとこおんな」などと他の園児からいじめを受け、保育園に行けなくなってしまったという』、「性自認」が「幼児」から始まっているとは驚いた。
・『ときに残酷「子どもたちの世界」 いじめにあった園児は戸籍上は男だが、自身の性別に違和感があった。 そこで19年4月に年中クラスへ途中入園した際、女の子の服装で登園したところ、他の園児にからかわれたり、暴言や暴力を受けたりしたそうだ。 保育園の先生たちは子どもたちに、「心と体の性にずれがある人がいる」「お友達の気持ちを大事にしてね」といった話をしたそうだが、いじめは止まらなかった。いじめは約1年半続き、園児は不登園になった。 そこで両親が市に相談したところ、「いじめ防止対策推進法」の対象が小学生以上であることから、市は「いじめにはならない」と回答。両親が継続的に訴えたことで、20年11月に「年齢的なことを除けばいじめに当たり、対応は不適切だった」と謝罪したという。 いじめの対象を「小学生以上」と線引きしていること自体、私には理解できないのだが、「子どもの社会」は、ときに残酷すぎるほど残酷である。6歳の園児の苦しみは、私たち大人の想像をはるかに超えるものだったに違いない。しかも、子どものときにつけられた心の傷は、大人になってもなかなか癒えるものではない。 紙面には、園児が書いた、受けたいじめのメモが掲載されていた 。「ぼこぼこ」「なかまはずれ」「あちいけ」「びりびり」とつづらないと息もできないくらい、園児は声にならない悲鳴をあげていたのだと思う。つたない文字を見るだけで胸が痛む。こちら(3月24日付記事「幼児の性別違和、どう対応 いじめ防止法は対象外」)からもご覧いただけるので、ぜひとも見てほしい』、「いじめ防止法」が「いじめの対象を「小学生以上」と線引きしている」とはいえ、当初「市は「いじめにはならない」と回答」、とはお粗末だ。
・『性別違和感、幼児からの例  性自認の問題を取り上げると、「でも、生物学的には男と女は全く違うし」といった具合に、「生物学的=絶対的」というニュアンスの意見が出るが、染色体は実にきまぐれで、簡単に男女の二分法で分けられない多様性を持ち合わせている。 「生物学的にXX=雌、XY=雄」しか存在しないというのは間違いで、性染色体にはXXYや、XXXYというケースが相当数存在することが分かっているのだ。 特に「XXY」はクラインフェルター症候群と呼ばれ、男性600人に1人の割合で発生している(2000人に1人という説もある)。気付かずに生活している場合もあり、実態はもっと多い可能性がある。 また、LGBTという言葉が一般化してきたことで、教育現場でも性同一性障害を中心に子どもの性を巡る課題が顕在化し始めていることは、みなさんもご承知の通りだが、文部科学省の2014年の調査では「600件以上の事例」が報告されている(「学校における性同一性障害に関する調査」)。 かつては「性を巡る問題」は思春期以降を中心に捉えられる傾向にあった。しかし、近年、性的マイノリティーの当事者たちが、「自分の性に違和感を抱き始めたのは幼児の頃だった」と語る研究が散見され、幼児の性自認に関する研究も少しずつ蓄積されるようになった。 岡山大学の中塚幹也教授が、岡山大学ジェンダークリニックの1999~2010年の受診者を対象に行った調査では、性別違和を自覚し始めた時期について、全体の56.5%(1167 症例中 660例)が「小学校入学以前」と答えている。 そもそも社会的動物である人間には、「社会的役割を演じつつ自己を確立する」というプロセスが組み込まれている。発達心理学用語ではこれを「社会化」と呼ぶ。 社会化の過程では、世間に流布されている「ジェンダー・ステレオタイプ」を植え付けられるので、社会化はジェンダー化の過程といっても過言ではない。一般的には、子どもがジェンダーを自覚し、ジェンダー・ステレオタイプのまなざしを取得するのは2歳ごろだと考えられている。 ある実験では、「生後12カ月の赤ちゃんが遊んでいるビデオ」を3歳の子どもに見せ、赤ちゃんの印象を聞くことで、ジェンダー・ステレオタイプの有無を調べた。その際、1つのグループには「右側の赤ちゃんは女の子、左側の赤ちゃんは男の子」と伝え、もう1つのグループには「右側は男の子、左側は女の子」と逆パターンを告げられていた(ビデオの赤ちゃんは同一)』、「性染色体にはXXYや、XXXYというケースが相当数存在することが分かっているのだ」、なるほど「性染色体」から「LGBT]になる因子を持っているようだ。「子どもがジェンダーを自覚し、ジェンダー・ステレオタイプのまなざしを取得するのは2歳ごろだと考えられている」、ずいぶん早いようだ。
・『平等とは自由であること  その結果、どちらのグループも「女の子」と告げられた赤ちゃんには、「弱い、遅い、無口、やさしい」という感想が、一方、「男の子」とされた赤ちゃんには「強い、すばやい、騒々しい、元気」という感想が多く聞かれたという(「生まれる――つくられる男と女」細辻恵子)。 また、他の実験では3歳、5歳、7歳の子どもの比較で、もっとも柔軟性がないのが5歳で、7歳になると、男でも女でも、いろいろな人がいると認識できるようになることが確認されている。 当たり前のことだが、女児であれ男児であれ、無口な幼児はいるし、やさしさに性差があるわけじゃない。ところが、つい私たちは「男の子と女の子では赤ちゃんのときから違うのよね~」「男の子と女の子とでは泣き方も違うしね~」などと、当たり前のように言ってしまうし、そう実感する。 私自身、CA(キャビンアテンダント)をやっているときに、「男の子と女の子って、小さいときから違うんだなぁ」と思うことが度々あった。女の子の場合、私たちの首元のスカーフを興味深そうに触ったり、「きれい」とピンク色の唇に顔を近づけたりするのだ。一方、男の子は食事のサービスのときに使うカートに興味を示すことが多かった。……いや、正確にはそう「私」が感じていただけかもしれないのだ。 いずれにせよ、「社会化」の過程には、家庭や保育園・幼稚園などでの大人の接し方や、周りの子どもたちとの関係など、環境要因が色濃く影響する。ジェンダー・ステレオタイプは、大人が植え付けたもの。そのことを踏まえて「私」たちはジェンダー問題と向き合わなくてはならない。 つまり、幼児が「おとこおんな」とからかわれたり、「なかまはずれ」や「ぼこぼこ」にされたりするのは、大人社会の責任なのだ。 ジェンダー教育先進国スウェーデンでは、「平等とは自由であること」という考え方に基づき、1991年に平等法を制定し、真の平等の実現に向けさまざまなプロジェクトが実施されてきた。 その中の1つに、イェヴレボリ県のプレスクール(1~5歳対象)で行われた、ジェンダー・エクイティ(=ジェンダー平等)のアクション・リサーチがある。 ※アクション・リサーチとは、自分たちが直面している問題の解決に向けて、研究者と当事者の人々とが共同で取り組む研究方法。全ての人の「参加」に価値を置く』、「ジェンダー教育先進国スウェーデンでは、「平等とは自由であること」という考え方に基づき、1991年に平等法を制定し、真の平等の実現に向けさまざまなプロジェクトが実施」、さすが進んでいる。
・『学習で進む「性別役割への同化」  このリサーチでは、「まずは現状を把握しよう」と教師たちは自分たちの行動を録画し、「子どもたちと何を話し、どういう態度で接し、どういう経験をさせているか?」を分析した(An equality project:Experiences from an equality project ago the pre-school Bjorntomtens/Tittmyran in Gable, Sweden.)。 録画前、教師たちは「子どもに対して男女関係なく平等に対応している」と確信していたという。ところが、記録された動画には、教師たちが全く想像していなかった「自分たちの言動」が映し出されショックを受けた。 教師たちは一様に、女の子は「かわいい良い子」とみなし、自分の助手のように扱い、休憩時間になると「おとなしい女の子」か「けんかっ早い男の子」の近くに座り、男の子には「早く着替えなさい」と促し、女の子には自分のペースでゆっくり着替えさせるなど、男女で異なる対応をしていたのだ。 一方、子どもたちの観察記録からは、男の子が大人と距離を置き、独立心を教師にアピールしていたのに対し、女の子は大人たちの体に触れ、おしゃべりをし、かわいらしく振るまい、教師の手伝いを積極的に受け入れていることが分かった。 「男女関係なく平等に対応している」という確信とはほど遠い現実を知った教師たちは、何度も何度も録画し、議論を重ね、「自分たちの子どもへの接し方の違いが、こどもの大人への接し方の性差を生んでいる」とし、「教育は差異を前提にして行うべきもので、一人ひとりを尊重することが極めて重要」と結論づけた。 女の子と男の子では、ホルモン、性器、染色体など身体的・遺伝的に異なっているけど、性別役割への同化は学習によるものだとしたのだ。 スウェーデンでは、子どもたちを「男の子」「女の子」ではなく「おともだち」と呼んだり、同性カップルや一人親家庭、子どもができなくて寂しがっているオス同士の動物カップルの絵本を読ませたりするなど、徹底したジェンダーフリーの教育を行っている。 もっとも「ジェンダーフリーの行き過ぎは不自然」との意見もある。ジェンダーの問題はとてもとても、本当にとっても難しい問題なのだ。 しかし、人は外見、体格、生活状況、趣味、言語などでさまざまな違いがあり、それは決して「性差」だけによるものではない。全ての人に「自由と幸せになる権利」がある。 ズボンが好きな女の子を社会は受け入れているのだから、スカートが好きな男の子がいてもいい。 「ジェンダーの問題については世界的に見ても立ち遅れが指摘される中、議論を超えて実践していく時代にあるという考えをお伝えしようとした」(by 報ステ)のなら、もっとデキのいいCMを作って、世間をさすが!と言わせてくださいな』、「人は外見、体格、生活状況、趣味、言語などでさまざまな違いがあり、それは決して「性差」だけによるものではない。全ての人に「自由と幸せになる権利」がある。 ズボンが好きな女の子を社会は受け入れているのだから、スカートが好きな男の子がいてもいい」、同感である。

第三に、5月5日付けYahooニュースが時事通信を転載した「ジェノサイド条約、日本未加盟なぜ 見直す動きも」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a172ae6506700022b7099c583931f74083a3fe47
・『中国・新疆ウイグル自治区での人権弾圧をきっかけに「ジェノサイド条約」が注目されている。日本は国内法に処罰規定がないことを理由に加盟していないが、国際情勢や世論の変化を受け、批准に向けた機運も生まれつつある(Qは聞き手の質問、Aは回答)。 Q:最近「ジェノサイド条約」が話題になるね。 A:米国が中国政府による新疆ウイグル自治区での人権侵害を「ジェノサイド(集団虐殺)」と認定したのを機に関心が高まった。欧州連合(EU)なども加わり、日本を除く先進7カ国(G7)が対中制裁を科している。 Q:同自治区で何が起きているの。 A:NPO法人「日本ウイグル協会」は、ウイグル族の施設収容や強制労働、拷問、強制不妊手術、親子の引き離しなどが行われていると主張しているよ。中国政府は「世紀のうそ」と否定しているけど、中国の公式統計でも2014年以降、同自治区で不妊手術が急増したことが明らかになった。 Q:日本政府の対応は。 A:中国に対する「深刻な懸念」を表明している。ただ日本は海外で情報収集や分析を行う機関を持たないこともあり、迫害の事実認定には慎重だ。 Q:ジェノサイド条約ってどんな条約? A:特定の国や民族、人種、宗教集団の構成員に対し、(1)殺害する(2)肉体的、精神的危害を加える(3)過重労働など肉体的破壊をもたらす生活を強いる(4)出生を妨げる(5)子を集団から引き離す―ことを「ジェノサイド」と定義。締約国には被害防止や加害者処罰の義務が課せられる。19年7月現在、中国や北朝鮮を含む152カ国・地域が批准しているよ。 Q:日本は入っていないと聞いたけど、どうして。 A:条約ではジェノサイドやその共謀、扇動も処罰対象だけど、日本にはこれらを罰する法律がないんだ。政府は、日本社会でジェノサイドが起こることは想定しづらいとして、法整備の必要性は乏しいと考えてきたようだ。 Q:新しく法律をつくればいいのに。 A:刑法など関連法規の改正が必要になる。膨大な作業になる上、立法事実を説明しにくいから政府は消極的なんだ。政府内には、日本がウイグル問題をジェノサイドと認定すれば、「中国が仕返しに旧日本軍による南京事件もジェノサイドと言ってくるかもしれない」と懸念する声もあるよ。 Q:では何もしないの。 A:与野党から政府に条約批准を求める声が上がり始めた。外務省幹部も「何もしないわけにはいかない」と関係省庁との検討を始める考えを示していて、今後機運が高まる可能性があるよ』、「政府は、日本社会でジェノサイドが起こることは想定しづらいとして、法整備の必要性は乏しいと考えてきたようだ」、しかし、現実には、関東大震災時の朝鮮人虐殺もあった訳で、政府の「何もしたくない」との姿勢を言い訳しているのに過ぎない。「外務省幹部も「何もしないわけにはいかない」と関係省庁との検討を始める考えを示していて」、日本が国際社会で孤立しないためにも、早急に「検討を始める」べきだ。
タグ:人権 yahooニュース 時事通信 日本弁護士連合会 日経ビジネスオンライン 志葉玲 河合 薫 (その6)(体重20キロ減、吐血でも見殺し 女性死亡の入管の闇が深すぎる、スカート男児は奇妙? 報ステCM叩きと大人たちの不始末、ジェノサイド条約 日本未加盟なぜ 見直す動きも) 「体重20キロ減、吐血でも見殺し、女性死亡の入管の闇が深すぎる」 スリランカ人女性が名古屋入管の収容施設で死亡 深刻な体調不良を本人や支援団体が訴えていたにもかかわらず、女性を収容していた名古屋入管側が適切な医療を受けさせなかったことで、痛ましい結果 「佐々木長官」は2回の答弁とも、「調査中」と逃げているが、こ質問は事前通告されていなかったのだろうか。「質問者」の「石川議員」も調査終了の目途を聞きただして、調査終了後に改めて再質問したい旨を主張すべきだ 「入管収容について国連人権理事会の恣意的拘禁作業部会の意見を真摯に受け止め、国際法を遵守するよう求める会長声明」 日本では入管収容に関して差別的対応が常態化しているとまで指摘された。条約機関からの度重なる勧告を軽んじるような態度を指摘されたことを、日本政府は真摯に受け止めるべき 「入管法「改正」の審議を一旦停止してでも、まずは死亡事件についての、詳細かつ独立した調査が行われるべき」、当然の主張で賛成である 「スカート男児は奇妙? 報ステCM叩きと大人たちの不始末」 「性自認」が「幼児」から始まっているとは驚いた。 「いじめ防止法」が「いじめの対象を「小学生以上」と線引きしている」とはいえ、当初「市は「いじめにはならない」と回答」、とはお粗末だ 「性染色体にはXXYや、XXXYというケースが相当数存在することが分かっているのだ」、なるほど「性染色体」から「LGBT]になる因子を持っているようだ 「子どもがジェンダーを自覚し、ジェンダー・ステレオタイプのまなざしを取得するのは2歳ごろだと考えられている」、ずいぶん早いようだ。 「ジェンダー教育先進国スウェーデンでは、「平等とは自由であること」という考え方に基づき、1991年に平等法を制定し、真の平等の実現に向けさまざまなプロジェクトが実施」、さすが進んでいる。 「人は外見、体格、生活状況、趣味、言語などでさまざまな違いがあり、それは決して「性差」だけによるものではない。全ての人に「自由と幸せになる権利」がある。 ズボンが好きな女の子を社会は受け入れているのだから、スカートが好きな男の子がいてもいい」、同感である。 「ジェノサイド条約、日本未加盟なぜ 見直す動きも」 日本は国内法に処罰規定がないことを理由に加盟していないが、国際情勢や世論の変化を受け、批准に向けた機運も生まれつつある 「政府は、日本社会でジェノサイドが起こることは想定しづらいとして、法整備の必要性は乏しいと考えてきたようだ」、しかし、現実には、関東大震災時の朝鮮人虐殺もあった訳で、政府の「何もしたくない」との姿勢を言い訳しているのに過ぎない。「外務省幹部も「何もしないわけにはいかない」と関係省庁との検討を始める考えを示していて」、日本が国際社会で孤立しないためにも、早急に「検討を始める」べきだ。
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いじめ問題(その10)(《不都合メモをシュレッダー》加古川中2いじめ自殺訴訟 市側の“開き直り”は法廷で通用するか、いじめで1年半の刑期と約100万円の罰金…フランスの学校が子どもを守る「これだけの対策」、「ふざけんな」「おぞましい」旭川少女イジメ凍死 ついに「臨時保護者会」開催も怒号飛び交う90分に《教育委員会は「重大事態」認定》 爆破予告でパトカーも出動 旭川14歳少女イジメ凍死事件 #10) [社会]

いじめ問題については、2019年12月30日に取上げた。その後もいじめは相次いだが、私がいささか食傷気味で取上げるのを控えてきたが、余りに酷い事件があったので、今日は、(その10)(《不都合メモをシュレッダー》加古川中2いじめ自殺訴訟 市側の“開き直り”は法廷で通用するか、いじめで1年半の刑期と約100万円の罰金…フランスの学校が子どもを守る「これだけの対策」、「ふざけんな」「おぞましい」旭川少女イジメ凍死 ついに「臨時保護者会」開催も怒号飛び交う90分に《教育委員会は「重大事態」認定》 爆破予告でパトカーも出動 旭川14歳少女イジメ凍死事件 #10)である。

先ずは、本年2月15日付け文春オンライン「《不都合メモをシュレッダー》加古川中2いじめ自殺訴訟 市側の“開き直り”は法廷で通用するか」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/43447
・『すべてを闇に葬りたかったと思われても仕方がない。いじめを苦にした中学2年生の女子生徒の訴えを何度も見逃した挙げ句、生徒が自殺した後も事実を隠蔽し続け、「法的責任はない」と言い張る学校と教育委員会がまた一つ、問題になっている。 2016年9月、兵庫県加古川市で市立中学2年だったAさん(当時14歳)がいじめを苦に自殺した。その後に明らかになったのは、Aさんや他の生徒が再三にわたって教師にいじめを訴え、「死にたい」というメッセージを送り続けていたにもかかわらず、学校側が一貫して「ただの生徒間のトラブル」と無視を決め込んでいた事実だった。地元記者が言う。 「さらに問題になったのが、いじめ発覚後の学校の対応です。Aさんへのいじめは主に所属していた剣道部で深刻でした。Aさんの訴えを受けて、剣道部の顧問は部員たちにメモ用紙を渡していじめについて書かせましたが、あろうことかそのメモを副顧問がシュレッダーで廃棄したのです。いじめの事実を校長にも報告していませんでした」』、「メモ」には「いじめ」の実態が書かれていたので、「シュレッダーで廃棄した」可能性が高い。それにしても、悪質だ。
・『廃棄のメモ「紛失した」とごまかし  Aさんがいじめを受け始めたのは、中学1年の頃からだ。部活やクラス内で無視や仲間はずれにされ、無力感に苛まれるようになった。「うざい」などの暴言を日常的に受け、「死ね」と書かれたメモを渡されることもあった。 一方で、Aさんは何度もSOSを発した。1年生の秋には両親経由で部活の顧問に相談し、冬以降には担任への連絡ノートに「しんどい」と書き続けた。2年生になってからも、全校生徒向けのアンケートで「友だちにバカにされることがある」「無視されることがある」などのいじめ関連の全5項目で「あてはまる」と答え、周囲にも「死にたい」とこぼしていた。だが、学校側は何の反応もしなかった。 前述のメモ廃棄は、1年生だった15年11月に両親の訴えを受けて剣道部の顧問が行った調査で起きた。加古川市関係者が明かす。 「メモには、複数の部員らが見聞きした悪口や舌打ちの場面など、いじめの内容が書かれていたようです。ただ、事を大きくしたくない顧問や副顧問は『お互いさまやろ』の一言で片付け、メモを捨て去りました。そして、その後に市が設置したいじめの第三者委員会に副顧問は『メモは紛失した』と答えています。ウソにウソを塗り重ねたわけです」』、「顧問や副顧問は『お互いさまやろ』の一言で片付け、メモを捨て去りました」、「剣道部の顧問は部員たちにメモ用紙を渡していじめについて書かせました」のは、何のためだったのだろう。
・『「調査に協力する生徒への圧力と受け取られても仕方ない」  学校側の隠蔽体質は一貫していた。Aさんの自殺後、学校側はAさんらがいじめの事実を書いたアンケートの存在を遺族である両親に伝えず、自殺の事実そのものも公表しなかった。両親は16年10月に真相究明を訴えて加古川市に第三者委員会の設置を求めたが、アンケートの存在は、その外部調査の過程で知らされたという。 さらに今年1月、メモのシュレッダー廃棄が明るみになった後も学校側は「廃棄したかは答えられない」と事実を伏せた。 「実は自殺があった2年後、遺族にメモの所在を聞かれた副顧問が『僕がシュレッダーにかけた』と説明していたんです。それでも学校は廃棄を認めませんでした。遺族はこのやり取りを録音しており、その音声データが報道されて初めてしぶしぶ認めました」(学校関係者) 第三者委員会の調査による生徒への聴き取りで廃棄されたメモの内容は大半が復元できたものの、その中でも学校側の調査妨害とも取れる行為があったという。 「第三者委はAさんへのいじめを知る他の生徒らにも話を聞いていましたが、学校側は調査を受けた生徒を呼び出し、何をしゃべったかを聞き回っていたのです。調査に協力する生徒への圧力と受け取られても仕方ありません」(同前) こうした経緯について、文春オンライン編集部を通じて加古川市教育委員会に質問状を送ったところ、教育委員会は隠蔽と圧力を否定した。 「メモは副顧問が廃棄したが、話し合いでAさんと他の部員との関係は改善していました。いじめを隠蔽しようとしたものとは認められません。 第三者委員会の調査について生徒に聞き回ったという事実自体、市教委として確認できておりません。学校関係者からの聞き取りも行いましたが、かかる事実の存在を否定しております。市としては第三者委員会の調査に協力する姿勢を示してきたものであり、圧力という表現は極めて心外であります」 だが、「極めて心外」な対応を受け、怒りが冷めないのは遺族だろう。娘のいじめに関する調査と再発防止を求め続けてきたAさんの両親はその後、加古川市教委と全面的に対立せざるを得なくなっている。理由は「市教委への不信」だ』、「学校側は調査を受けた生徒を呼び出し、何をしゃべったかを聞き回っていた」、こんな明白な隠蔽工作まで行うとは、教育者失格だ。
・『「娘は学校に殺されたも同然」  第三者委員会は17年12月に出した報告書で、Aさんの死がいじめによる自殺だったと認め、「Aさんがアンケートでいじめを訴えたときに学校がきちんと対応していれば、Aさんは自殺せずに済んだと考えるのが合理的」と学校の落ち度を指摘。Aさんの父親もこのとき、「教師たちはいじめを疑うことすらせず、娘の『絶望の中にいる』というシグナルを無視した。娘は学校に殺されたも同然だ」という手記を公表している。 県教委は報告を受け18年11月になって剣道部の顧問や元担任、校長らに懲戒処分を下した。だが、その内容は校長に戒告、担任らに訓告。メモを廃棄した顧問ら2人は「厳重注意」という軽いものだった』、「第三者委員会」が「報告書で、Aさんの死がいじめによる自殺だったと認め、「Aさんがアンケートでいじめを訴えたときに学校がきちんと対応していれば、Aさんは自殺せずに済んだと考えるのが合理的」と学校の落ち度を指摘」、「学校側」の責任は重大だ。
・『加古川市「法的責任はない」と遺族と法廷闘争  加古川市側の「誠意がない」対応に業を煮やした両親は昨年、市に7700万円の損害賠償を求める提訴に踏み切った。不信感を抱きながらも和解の道を探り続けた末の法廷闘争だった。 だが、市教委はここでも「調査から得られた事実や過去の裁判例などに照らせば、市側に法的責任は認められない」と、遺族の感情を刺激するコメントを公表。岡田康裕市長も、メモの廃棄を「理解できないことではない。紛失も廃棄も大差ない」と隠蔽行為を問題視しない姿勢を見せている。 両親はすぐに「市教委の対応に誠意を感じなかった。娘の身に起きた悲しい事件を二度と起こさないためにも市教委の改革が必要。争い事が大嫌いであった亡き娘は、訴訟を一番嫌がっていると思うと忸怩たる思い」と怒りをあらわにした。 前述の市関係者は言う。「遺族は娘さんを失っただけでも相当なショックを受けている。そのうえ、市との和解協議でも決裂し、『法的責任は認められない』なんてコメントを出されてしまった。市がケンカを売ったとしか思えない」 両親が苦悩の末に起こした裁判は2月10日、神戸地裁姫路支部で初めての口頭弁論が開かれ、Aさんの父親は「ただの言い逃れに終始する加古川市教育委員会には反省の気持ちを微塵も感じず、許すことはできない」と改めて憤った。それに対し、事実を闇に葬り続けた市が見せたのは、「請求棄却」を求めて争う姿勢。遺族を悲しませる対応を、どこまで続けるつもりだろうか』、「加古川」市議会がこの問題を取上げてないのであれば、情けない。「加古川市」や「市長」も「教育委員会」に和解を指導すべきだ。

次に、4月25日付け現代ビジネス「いじめで1年半の刑期と約100万円の罰金…フランスの学校が子どもを守る「これだけの対策」」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/82393?imp=0
・『旭川女子中学生いじめ凍死事件について詳細ないきさつが報道されている。そこには恐ろしいほどの被害生徒と母親の孤立が描かれている。学校には助けてくれる人はおらず、他に助けてくれる機関もなく、警察が関わっても加害者のうち誰も罪を問われず問題は続いた。被害生徒はPTSDと診断され、ここ1年は引きこもっていたが特段支援機関が関わった様子もない。校長先生は「子どもは失敗する存在です」と取材に答えているそうだ。 フランスでは違反行為をしたときに責任を問う年齢制限はない。何歳であっても加害者は子ども専門裁判所に呼び出される。被害届や被害者の訴えの有無は問わない。教育的施設への入所や社会奉仕活動の参加義務と国への罰金、そして被害者への償い金が課される。筆者は中高生で百万円近い借金を国に負って被害者に償った加害児童に出会っている。 何歳であっても「悪いことをしたら責任をとらなければならない」というルールの中で子どもたちは育っている。 厳罰化を求めているのではない。ルールがあることは安心感を生む。理不尽な思いをする人を出さずに済む。加害者も被害者も生まないようにルールとセットで子どもをケアする仕組みが必要なことは言うまでもない。 前回の記事でフランスでは学校内に児童福祉の様々な専門職を配置し、子どもたちの「うまくいっていないことがあるかもしれない」というサインに気づきケアすることを求めていると書いた。それは、いじめがあったかどうかを争点にするのとは大きく違う視点である』、「フランスでは学校内に児童福祉の様々な専門職を配置し、子どもたちの「うまくいっていないことがあるかもしれない」というサインに気づきケアすることを求めている」、日本との違いは大きい。
・『いじめが起きるとはどういうことか  フランスの学校は子どもが安心して通える環境を重視し、嫌がらせや暴力、先生へ暴言を吐いたりすると中学生でも退学・転校処分になってしまう。 「敬意を欠いた態度」など軽度であれば「1〜8日間の学校立ち入り禁止」処分とされ、学校の代わりに市のサポート機関に通い心理士や指導員のもと過ごす。 トラブルがあったりして警告を受けた子どもは退学にならないよう「ティーンエイジャーの家」でケアを受けることもある。 そこは心理士のフォローを受けるだけでなく、怒りのコントロールやコミュニケーションスキルなど特別なプログラムをもうけている。 勉強に身が入らなくなったり誰かにちょっかいを出したり反抗的な態度をとるといった症状は、家庭での悩み、学校での人間関係、進路や将来や男女関係についての悩み、全てが関連し合ったなかで表れる。言葉にできていなかった複雑な気持ちを抱えている症状の表れなのだ。それに対しケアをしないままでいるといじめで被害者を出してしまったり、学校に行きたくない子どもが出てしまう。 心理士と一緒にスポーツなどする中で、うまく自分の気持ちを言葉にできなかった子どももLINEのようなSNSツールで夜中に長いメッセージを送るようになることが多いと言う。心理士は次に会ったときにその内容について話し合う。 加害者の退学処分についてはメディアでも現場でも度々論争になっている。 調査先の中学校の校長先生は「学校を移ることで新しく中学生活をやり直すことができ、嫌がらせをしなくなる子どもがほとんどで、かつその過程でサポート機関で手厚いケアを受けるので生徒にとってプラスに働くことが多い」と話す。 「いじめがあったかどうか」ではなく、嫌がらせをしたり、ちょっかいを出す子どもがいたら、その子どもの「うまくいっていないことがある症状」と捉えて家族丸ごとケアし、改善しない場合は環境自体を変える』、「「いじめがあったかどうか」ではなく、嫌がらせをしたり、ちょっかいを出す子どもがいたら、その子どもの「うまくいっていないことがある症状」と捉えて家族丸ごとケアし、改善しない場合は環境自体を変える」、との考え方は日本も学ぶべきだ。
・『「警察・司法・教育」がセットで子どもを守る  フランスでも学校での嫌がらせは問題の1つであるが、子どもを守るために警察・司法・教育がセットになって動いている。警察の特別部隊である未成年保護班は年間7万件の未成年間の嫌がらせを扱っている。 筆者はパリの北にあるセーヌ・サン・ドニ県の中学校で警察が毎年全クラスで行っている講習に同行した。 「学校ハラスメントは6〜18ヶ月の刑期と94万円の罰金」「サイバーハラスメントは18ヶ月の刑期と94万円の罰金」と生徒たちに法律を確認し、実際に警察署で対応した事例を紹介して生徒たちと話し合う。 警察からは事例を紹介し「クラスメイトの着替えを盗撮してSNSにアップした」「仲間の喧嘩をSNSに載せて、映っている加害者も、撮影し投稿した人も処罰された」「SNSにクラスメイトのことを『バカ』と書いたり噂話を書き込み裁判所で『法律の確認』を受けた」件について意見を求め、生徒からは自身が見聞きした事例について「こういう場合は罪になる?」「どう対応するべき?」と質問が相次いだ。 校長は、学内外で生徒間のトラブルがあり病院に連れて行く必要があったとき、生徒が暴力を受けたとわかったとき、親から学校への攻撃的な発言があったときなど警察と県の担当部署へ規定の書式に書きEメールで報告する義務がある。 受け取った警察は校長に即日電話し、未成年の被害者がいる場合は子ども専門裁判官に連絡し行政上の記録に止めるか捜査を開始するか指示を受け、未成年の被害者がいない場合は学校内で対応するか警察が動くか決める。 警察には未成年保護班(県によっては家族保護班)という特別部隊があり、彼らは小さい子どもやティーンエイジャーの聞き取りと支援について専門的な訓練を受けている。 手続きについても特別な配慮がなされ、例えば聞き取りは全てビデオで録画し、後で文字化する。どんなに小さくても子ども1人で警察の聴取を受けるが、警察は話を聞きながら書く必要がないので子どもは自分の話を聞いてもらえていると感じることができるし、事情聴取を短時間で済ませることができる。ビデオに撮ることで、子どもの様子を心理士などが観察し判断材料にすることもできる。 児童ポルノのサイトの取り締まりもしており、子どものふりをして違反者の証拠集めをすることもあるという。筆者が調査した市の未成年保護班は5人ともポニーテールやショートカットにタトゥーの入った快活な女性たちだった。チームで撮った写真がいくつも壁に飾られている。 未成年保護班に集まる情報については、被害者がいる限り被害届がなくても子ども専門裁判官に連絡の上、指示があれば捜査を開始する。子ども専門裁判官が指揮官で未成年保護の要であり、警察が裁判官の目となって指示を受けた内容について調査する。 必要があればソーシャルワーク的支援や、家出用シェルターなど他の専門機関につなぐコーディネーターの役割も果たす。また警察署にはソーシャルワーカーも心理士もいる(未成年保護班の家出対応については「絶望した若者たちは『家出』する…フランスの『ここにいたい』と思える場所」を参照)。 子ども専門裁判官は「即座に対応します。子どもに関する事件について情報が来たときに、些細な事件だからといって対応しないことはありません。一回の嫌がらせでも裁判所で対応することで、再度同じことが起きたり悪化することを防ぐのです。大きな問題は、その前に何度も出来事が起きる中で発展して起きているので、なるべく早く対応することが重要です」と言う。) 日本では学校内のトラブルに警察が介入することを教育的ではないという意見もある。その結果教師に加害生徒のケアも被害生徒のケアも求めている。 しかし、フランスの調査先の警察官は「私の3歳の息子が幼稚園でスカートめくりをしたと校長に本人と両親揃って呼び出され法律の確認を受けました。息子はその一件で遊びでは済まされないことを理解しやめたので、きちんと場を設けてダメだと伝えてよかったと思います」と言う。 そしてこうも話す――「クラス内で暴力を伴わない子ども同士のいざこざがあり、被害を受けたという生徒が転校依頼をした機会に初めて警察に届出があったことがあったが、すでにその時には転校依頼をした生徒は元気がなくなっていました。そのような場合、学校がその責任を問われることになってしまいます。日頃から細かいことも警察に伝えて警察が被害者と加害者に聞き取りをしてケアにつなげ適切な対応ができていれば被害者を出さずに済んだはずだったのに残念です。子どもの人権を守る意識をもっと共有していきたいです」』、「「警察・司法・教育」がセットで子どもを守る」、というのは、「法律」を身近なものにするいい試みで、日本でも検討すべきだ。
・『「勉強支援、社会的支援、家族支援」  学校から一時立ち入り禁止処分や退学処分になった子どもに集中的な個別支援をする市のサポート機関は市役所内にあり、子どもに担当心理士がつき、様々な支援を組み合わせて子どもの周りに「勉強支援、社会的支援、家族支援」のバランスのいいコーディネートがされるようにする。 サポート機関の所長は「まず1つめの課題は親との話し合いです。親が協力的でない、問題を見ようとしない場合、子どもの不具合の解決は難しいからです」「子どもに障害やケアの必要性があるのに親が認めないことはよくあります」「いくら子どもの周りにサポート体制ができても、親が教育的な関わりをせず家にルールがないような状況や親の気まぐれで子どもが振り回されるようでは、子どもは何度も築きかけたものを崩されることになります」と言う。 子どもに「なぜ処分を受けたのか」を理解できるように心理士がサポートし、トラブルが起きたときの自分について理解し解決方法をとれるように支える。特に「助けを求められるようになる」ことを学ぶことが重要であるとする。 「自分でコントロールできないことがある、ときがある」「判断を間違えるときがある」と自覚できるようになるステップから「この人に助けを求めよう、相談しよう」と行動できることを目指す。 筆者が訪問したときには友達に携帯電話を取られ腹を立ててつかみかかったところで仲介に入った職員を強く押してしまったという生徒が来ていた。どうして携帯電話でそこまで怒ったのか、携帯電話との付き合い方についてのプログラムを受けていた。) 思春期トラブルを専門とする「ティーンエイジャーの家」の心理士は、子どもが友達にちょっかいを出してしまい心理ケアを受けるようになり、その親に会うと、親の方が調子が悪いということがよくあると言う。 子どもは数回のセッションで問題が改善されても、親の方は気づきに時間を要し、子どもより長く通い考えの整理をすることが度々ある。感情のコントロールを練習するセッションにおいても親の方が改善まで回数を重ねる必要があるそうだ。 けれど親の調子が悪い場合はそれを改善しない限り子どももやがてまたバランスを崩す可能性がある。まず「一回来てすぐにまた来たいと思ってもらえること」そして「大人にとっても通い続けたくなる工夫」が腕の見せどころであると言う。 子どもの中には「麻薬の売買や売春の方が学校より効率が良く成功できる」と考えている場合もあるため、社会構造の抱える問題について、不平等や差別についての話にも時間を費やす。 なるべくたくさん刺激を受け広い世界を知ること、お金を稼ぐ体験をすること、刑務所に行かないで済む人生について考える機会を持つようにしていると言う。 それでも誘われてついて行く子どももいるがしっかり出会って話し合っていれば、いずれやめたいときに相談に来るそうだ。 性ビジネス、リスクを伴う性行動、薬物について、テロ組織への勧誘についてなどの情報は現実に流れている。子どもが出会うかもしれないそれらの情報について話し合っておく機会がなければ、子どもにとって「門戸が開かれている」も同然であると中学校の校長は言う(「閉じられている」の間違いでは?)。 これらは同じ状況の中で起きる。サポート体制が整っていない環境の中で、自信喪失し、情報が十分なく、自分で思考する訓練も足りていないと「これが最善の方法なんじゃないか」と考えてしまう。 本人の中に「差別されている意識」や「社会の中で持っているものが少ない方だという意識」が言語化されず話し合われないときに「こっちに来ればこんなことができる」という誘いがあると「この人が答えをくれるかもしれない」と感じついて行ってしまう。 リスクに関する正しい情報を得ていることも重要だが、それ以上に重要なのは自信や自尊心が育っていることだと言う。 不安定な状況だと特に勧誘に乗りやすいので子どもの周りに話し合える大人を長い時間をかけて関係構築しておくこと、家族や学校などと断絶することがなければ孤立もしないので家族と学校と子どもとの関係性が維持されるよう尽力している』、「市のサポート機関は市役所内にあり、子どもに担当心理士がつき、様々な支援を組み合わせて子どもの周りに「勉強支援、社会的支援、家族支援」のバランスのいいコーディネートがされるようにする」、なかなかいい制度のようだ。「子どもは数回のセッションで問題が改善されても、親の方は気づきに時間を要し、子どもより長く通い考えの整理をすることが度々ある」、確かに「親」の方が厄介なケースもありそうだ。
・『問題を起こす子どもにこそ最高の人材を  「子どもを守ること」「子どもを教育し育てること」を国が引き受けて専門職を配置し専門機関を用意しているフランスと、保護者と学校に対応を任せている日本。 フランスで未成年の被害者加害者が少ないわけではない。仕組みがあっても全員がケアを享受しているとも限らない。 それでも、子どもたちを守り支える枠組みがあることは社会全体にとってプラスであると思う。枠組みがあることで子どもたちは自分たちが守られているという安心感があり、相談すれば応えてくれる大人がいることを知っている。 加害生徒にとっては警察と司法の介入によっていけないことはいけないと理解する機会があり、特別機関での家族丸ごとの支援やケアを受け、親と先生以外の頼れる大人にも出会える可能性がある。 「人は常に自分が考えうる最善の行動をとっている」とフランスのソーシャルワーカー養成校では学ぶ。いじめも不登校も、その子どもにとっては最善の選択だった、それだけの背景を整理しケアする役割は十分訓練を受けた専門職にしか担えない。 フランスのある中学校の校長は「問題を起こす子どもはそれだけケアを必要としていることを問題として表現しているのだから、最高の人材を雇って最高の教育をすることが求められている」と言う。 日本でも全ての役割を教師に押し付けるのではなく、子どもや親に自己責任を押し付けるのでもなく、子どたちが安心して楽しく通える「子どもを守り支える学校」を整備する方向に議論が進むことを願う。 注:筆者はパリ市と、郊外のセーヌ・サン・ドニ県で調査している。他の県で運用が同じとは限らない』、「「子どもを守ること」「子どもを教育し育てること」を国が引き受けて専門職を配置し専門機関を用意しているフランスと、保護者と学校に対応を任せている日本」、つくづく「日本」とは冷たい国だと思う。「「人は常に自分が考えうる最善の行動をとっている」とフランスのソーシャルワーカー養成校では学ぶ。いじめも不登校も、その子どもにとっては最善の選択だった、それだけの背景を整理しケアする役割は十分訓練を受けた専門職にしか担えない」、ずいぶん進んだ考え方だ。日本も謙虚に学ぶ必要がありそうだ。

第三に、4月30日付け文春オンライン「「ふざけんな」「おぞましい」旭川少女イジメ凍死 ついに「臨時保護者会」開催も怒号飛び交う90分に《教育委員会は「重大事態」認定》 爆破予告でパトカーも出動 旭川14歳少女イジメ凍死事件 #10」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/45235
・『旭川14歳少女イジメ凍死事件がついに国会審議の俎上に載せられた。4月26日、萩生田光一文科大臣は音喜多駿参議院議員の質問にこう答えた。 「本事案については、文科省として4月23日に旭川市教育委員会及び北海道教育委員会に対し、事実関係等の確認を行い、遺族に寄り添った対応を行うことなど指導、助言を行った」』、「文科大臣」がここまで踏み込んだ答弁をするとは、異例中の異例だ。
・『萩生田大臣は「事案が進まなければ政務三役が現場に入る」  今年3月、旭川で当時14歳の廣瀬爽彩(さあや)さんが凍死して見つかった事件の背景に凄惨なイジメがあったことについて、「文春オンライン」では4月15日からこれまで9本の記事を掲載し、詳報を続けてきた。爽彩さんが通っていたY中学校では、これまで「イジメはなかった」としていたが、報道を受けて22日には旭川市がイジメの再調査に乗り出すことを公表。だが、冒頭の発言の後、萩生田大臣はさらに、 「文科省としても必要な指導、助言を行っていくことが重要であると考えており、今後なかなか事案が進まないということであれば、文科省の職員を現地に派遣する。或いは私を含めた政務三役が現場に入って直接お話する。ただ、一義的には少し時間がかかり過ぎじゃないかと」 と述べ、旭川市の対応に釘をさした。旭川市の再調査の発表を踏まえたうえで、その調査に迅速な対応がとられない場合は、本省の職員あるいは政務三役を直接現地に派遣する可能性に言及したわけだが、これは「イジメ対応としては、かなり踏み込んだ発言」(全国紙政治部デスク)と見られている』、「本省の職員あるいは政務三役を直接現地に派遣する可能性に言及」、そこまで「言及」せざるを得ないほど、「旭川市」の対応が酷かったようだ。
・『4月26日に開かれたY中学校の臨時保護者説明会  しかし、その一方で、渦中の旭川市の教育現場では、いまだに煮え切らない対応が続いている。取材班は4月26日、萩生田大臣の答弁が行われた同日の夜に臨時に開催されたY中学校の保護者説明会の様子を取材。保護者説明会では、学校側は相変わらずの隠ぺい体質を貫き、イジメの実態については何も明らかにしなかった。保護者達は反発し、怒号が飛び交う「大荒れ」の展開となった――。 ※本記事では廣瀬爽彩さんの母親の許可を得た上で、爽彩さんの実名と写真を掲載しています。この件について、母親は「爽彩が14年間、頑張って生きてきた証を1人でも多くの方に知ってほしい。爽彩は簡単に死を選んだわけではありません。名前と写真を出すことで、爽彩がイジメと懸命に闘った現実を多くの人たちに知ってほしい」との強い意向をお持ちでした。編集部も、爽彩さんが受けた卑劣なイジメの実態を可能な限り事実に忠実なかたちで伝えるべきだと考え、実名と写真の掲載を決断しました。 「文春オンラインの報道が出てから学校には問い合わせの電話が殺到。取材活動も過熱し、地元メディアがY中学校の生徒に直接コンタクトしようと声がけをするなど保護者から不安の声が上がっていました。学校側が自主的に説明の場を設けたというより、開かざるを得なかったというのが本当のところです」(Y中学校関係者)』、なるほど。
・『平日夜にもかかわらず保護者100名が詰めかけた  19時から校内の体育館で行われた保護者会では厳戒態勢が敷かれた。体育館の入口では教員らが在校生名簿と保護者の名前を照合し、部外者を完全にシャットアウト。不測の事態に備えて、パトカー数台が警戒に当たるなど、学校周辺には異様な雰囲気が漂っていた。 平日の夜にも拘わらず、体育館には100名ほどの保護者が詰めかけた。取材班は出席した複数の保護者から現場の様子を聞き取った。 パイプ椅子に座った保護者の前に校長と教頭が立ち、体育館の横の壁に沿ってPTA会長、教育委員会のカウンセラー、爽彩さんの当時の担任教師を含めた各学年の教員20名ほどが直立不動の姿勢で並んでいたという』、「平日の夜にも拘わらず、体育館には100名ほどの保護者が詰めかけた」、父兄の関心は高そうだ。
・『当時別の中学校在籍だった校長が、何度も頭を下げて説明  19時、開始の時刻を過ぎると、重々しい空気の中、校長がまずマイクを取った後、深々と頭を下げ、爽彩さんに向けたお悔やみの言葉を口にした。なお、この校長は昨年4月にY中学校に赴任したばかり。爽彩さんがイジメを受けた2019年は市内の別の中学校に在籍していた。校長はこう述べた。 「本校の対応に対するご意見やご指摘が続いており、生徒や保護者の皆様にはご不安な思いやご心配をおかけしております。そのような中、生徒の不安解消や、安心安全を確保するために、その一助になることを願い、本会を開催させていただきました」 校長は何度も頭を下げ、今後の措置として、在校生の心のケアのために個別面談を実施することや教育委員会からスクールカウンセラーを招聘することなどを説明したという』、「スクールカウンセラーを招聘」、当然のことだ。
・『対応していた教頭、当時の担任教師は同様の言葉を述べるのみ  続いて、6月に起きたウッペツ川飛び込み事件(#3参照)の後から、爽彩さんの家族への対応窓口となった教頭と、当時の担任教師が、揃って同様の言葉を述べた。 「本校に在籍していた生徒が亡くなったことに関しまして、心から残念であり、言葉になりません。ご冥福をお祈り申し上げます。また、ご遺族の方にはお悔やみを申し上げます。本校生徒の保護者の皆さんにご心配、ご不安な思いをさせておりますことに、お詫び申し上げます。報道に関する部分につきましては、今後予定させていただいている第三者委員会において、誠心誠意対応させていただきます。今、私ができることですが、保護者の皆様にできることに一生懸命努力していきたいと考えています。よろしくお願いいたします」』、「第三者委員会」を口実に、当日の答弁を事実上拒否するとは汚い。
・『質疑応答で担任教師は下を向くだけ  その後、20分ほどで学校側の説明は終わり、次に保護者による質疑応答の時間となった。最初にマイクを持ったのは同校に3年生の子供を通わせている母親だった。この子供のクラス担任を今務めているのは、爽彩さんの母親がイジメの相談をしてもまともに取り合わなかった当時の担任教師である。質問した母親はまず「亡くなった子の担任だった先生に何を子供は相談するのか? 担任を代えてください」と訴え、涙で声を震わせながらこう続けた。 「担任の先生が(爽彩さんの母親からイジメの)相談を受けたときに『今日わたしデートですから、明日にしてもらえませんか』って言ったというのが報道で出ていますよね。小耳に挟んだ話ですけど、先生がお友達にLINEで『今日親から相談されたけど彼氏とデートだから断った』って送ったっていう話をちらっと聞いたんですよ。本当に腹が立ちました。そういうことも言ったかどうか全部はっきりして欲しいです」 当時の担任教師は前に立っていた同僚の後ろに隠れるようにして、下を向くだけで、一言も答えない。代わりに校長が「いまの質問にここで即答はできない。申し訳ございません。検討します」と答えた』、「担任の先生が(爽彩さんの母親からイジメの)相談を受けたときに『今日わたしデートですから、明日にしてもらえませんか』って言った」、事実であれば、開いた口が塞がらない。
・『「報道されている言葉が本当であれば、ふざけんなって思います」  爽彩さんが加害生徒から受けた凄惨なイジメの実態を報じた文春オンラインの記事について、その真偽を問う質問も集中した。 「報道されていることは事実なんですか? 過剰なんでしょうか? 子供に『お母さん私どうしたらいいの?』と言われて正直悩みました。先生方は命の大切さとおっしゃっていましたが、言葉の重みというものも子供達に伝えて欲しいです。報道されている先生が発した言葉が本当であれば、ふざけんなって思います。今回報道されなかったら誰も何もしなかったのか」(在校生の母親) 校長はこう答えた。「言葉の重みというものにつきましては、本当に重く受け止めて参りたいと思っております。今回の報道に関わる部分ですけれども、当時の学校の対応に関わる部分の中で、食い違っている部分もあります。その部分も含めてこの後の第三者による調査の中でしっかりと検証されていくと思っております」』、「第三者委員会」が「保護者会」で答弁しない口実に使われたようだ。
・『学校側はイジメについて子供たちに「話はしていない」  爽彩さんが受けたイジメの事実について、これまでY中学校は保護者、在校生らに詳しい説明をしてこなかった。ネットで事件を知った子供から事件について聞かされた保護者たちは混乱していた。質疑応答は白熱していった。 「今回の件について、生徒たちには学校からどのように説明しているのでしょうか。子供に質問された時に私たち親はなんて答えればいいんでしょうか、教えてください!」(在校生の母親) 「今回の件につきましては、先ほども申し上げましたように、今後第三者による調査によりまして学校の対応を含めて色々な面が明らかになったら、今後学校としてどういうふうにして受け止めて、指導にいかしていかなければならない。そのことをしっかりと受け止めて参りたいと思っております」(校長) 「スマホ、タブレット、パソコンでどんどん情報が入ってきて、子供たちは私が教えなくてもネットを見て知っていくという状態です。学校側は今日この説明会があるまで子供たちに対して何の説明をして、どういう対応をしたんですか?」(3年生の母親) 「この事案に関わるお話は公表できない事になっておりますので、お話はしておりません。学校が行っている対応は警察と連携しながら登下校の時に巡回をしていただくとかですね、安全安心に関わる部分の対応を行ってきているところであります」(校長)』、「「スマホ、タブレット、パソコンでどんどん情報が入ってきて、子供たちは私が教えなくてもネットを見て知っていくという状態」、なのに、「第三者委員会」が調査結果を公表するまでは、学校は生徒に何も話せないというのは、余りに官僚的過ぎる対応だ。
・『「Y中学校を爆破する」と脅迫電話が…  実はこの日の朝、何者かが市役所に「Y中学校を爆破する」と脅迫電話をかけてきたという。そのため、市は警察と相談し、この日は学校周辺をパトカー数台が一日中警戒に当たるなど、終日緊張感に包まれていた。保護者からはこの点についても不安の声が出た。 「今日、爆破予告が入っていたというのは本当ですか?」(1年生の母親) 「今お話にありました爆破予告と言いますか、そういうような愉快犯は市役所の方にそういう情報が入っていたということは聞いております」(校長) 「私は不安を抱えたまま子供を送り出しましたし、学校に行った子供も不安だったと思います。そういう(爆破予告の)事実があったら、まず(爆弾が校内にないか)確認して大丈夫なのか、少し登校時間をずらすとかできないのか、せっかくメールを登録しているのでご連絡いただきたいです」(1年生の母親) 「わかりました。警察、教育委員会と連携してですね、施設も一度全部点検していただいて、安心だということでこのまま対応させていただいております」(校長)』、官僚的対応だ。
・『学校側の煮え切らない態度に、飛び交う怒号  いつしか会場には怒号が飛び交うようになっていたという。学校側の煮え切らない態度に怒り、途中退席する保護者も大勢出るなど、保護者会は大荒れとなった。保護者の非難の矛先はイジメ問題の当事者でありながら、今回の保護者会には姿を現さなかった前校長や当時対応にあたった現教頭に向けられた。 「2年前にいた校長先生は、今日この場にいらしてないんですか? なぜですか?」(1年生の母親) 「来ておりません。お気持ちはよくわかるんですけども、いま本校の職員でないので、そのような状況にはならなかったです。大変申し訳ございません」(校長) 「最初に、報道に対しての説明をするという話で開始しましたよね。SNSでの誹謗中傷、(子供は)当然みんなSNSや報道も見ている。文春オンラインの記事の内容を見て僕は涙が出た。この学校に子供を通わす親として、本当に大丈夫なのかと。それに事件に関して何の説明もない。『第三者委員会』を繰り返して、あのおぞましい行為をイジメじゃなかったと判断している学校。この中途半端な説明会でどれだけみんなが納得すると思いますか。そしてやるからにはきちんと記者会見して、イジメはなかったと言えるくらい胸張っていてくださいよ。教頭先生、生徒のスマホ画面をカメラで撮ったそうじゃないですか。これも第三者委員会じゃなくては分からないことなんでしょうか」(在校生の父親)』、「保護者会」の余りの官僚的で、「飛び交う怒号」も当然だ。
・『教頭は「私自身は法に反することはしていない」と主張  「……」(教頭) 「今あったお話にこの場でお答えできないことが本当に心苦しいですけども、私どももお話できない状況になっておりますので本当に申し訳ございません」(校長) 「教頭先生にお話はしていただけないのでしょうか?」(在校生の母親) すると、教頭はこう答えた。 「私の方からお話できることは、第三者委員会の調査の中では、私の知っていることは全て誠実にお伝えさせていただきたいと思っております。1つだけ今回の報道等に関することは、個別の案件に関わることですのでお答えすることができませんが、私自身は法に反することはしていないということはお伝えさせていただきたいと思います。このあと捜査を受けることになるか分かりませんけども、しっかりと対応していきたいと思っております。現段階では私のお話は以上です」(教頭)』、「教頭」は「第三者委員会の調査の中で」話すので、「保護者会」では話せないとしながら、「私自身は法に反することはしていないということはお伝えさせていただきたいと思います」、と虫のいい自己主張だけはするというのは、余りに勝手過ぎる。
・『教頭、担任教師は一度も頭を下げることはなかった  1時間30分に渡って行われた保護者会は20時30分に終了。20名を超える保護者から学校側に厳しい意見が突き付けられたが、学校は「第三者委員会の調査」を理由にほとんどの回答を拒否。保護者からは「何のための保護者会だったのか」「まったく意味がなかった」などの声が洩れたという。 事件当時を知らない校長は何度も陳謝し、保護者に頭を下げたが、爽彩さんや母親が必死に助けを求めた教頭、担任教師は一度も頭を下げることはなかったという。 爽彩さんの遺族は、文春オンラインの取材に対して以下のコメントを寄せた。 「事前に連絡はなく、説明会のことは知りませんでした。どんな説明会だったのかはわかりませんが、ほかの関係のない子供たちが巻き込まれてしまっているのは、とても辛いです。学校に対しては、イジメと向き合って、第三者委員会の調査に誠実に向き合っていただきたいです」 保護者会の翌日の4月27日、旭川市教育委員会は定例会議で「女子生徒がイジメにより重大な被害を受けた疑いがある」と、いじめ防止対策推進法上の「重大事態」に認定。5月にも第三者委員会による本格的な調査を始めると発表した。Y中学校の誠実な対応が求められるだろう。 4月30日(金)21時~の「文春オンラインTV」では担当記者が本件について詳しく解説、Y中学校でおこなわれた保護者会の音声の一部も公開する』、文科大臣までが乗り出した騒動、「旭川市」はどう決着をつけてゆくのか、大いに注目される。 
タグ:いじめ問題 現代ビジネス 文春オンライン (その10)(《不都合メモをシュレッダー》加古川中2いじめ自殺訴訟 市側の“開き直り”は法廷で通用するか、いじめで1年半の刑期と約100万円の罰金…フランスの学校が子どもを守る「これだけの対策」、「ふざけんな」「おぞましい」旭川少女イジメ凍死 ついに「臨時保護者会」開催も怒号飛び交う90分に《教育委員会は「重大事態」認定》 爆破予告でパトカーも出動 旭川14歳少女イジメ凍死事件 #10) 「《不都合メモをシュレッダー》加古川中2いじめ自殺訴訟 市側の“開き直り”は法廷で通用するか」 いじめを苦にした中学2年生の女子生徒の訴えを何度も見逃した挙げ句、生徒が自殺した後も事実を隠蔽し続け、「法的責任はない」と言い張る学校と教育委員会がまた一つ、問題に 「メモ」には「いじめ」の実態が書かれていたので、「シュレッダーで廃棄した」可能性が高い。それにしても、悪質だ 「顧問や副顧問は『お互いさまやろ』の一言で片付け、メモを捨て去りました」、「剣道部の顧問は部員たちにメモ用紙を渡していじめについて書かせました」のは、何のためだったのだろう。 「学校側は調査を受けた生徒を呼び出し、何をしゃべったかを聞き回っていた」、こんな明白な隠蔽工作まで行うとは、教育者失格だ。 「第三者委員会」が「報告書で、Aさんの死がいじめによる自殺だったと認め、「Aさんがアンケートでいじめを訴えたときに学校がきちんと対応していれば、Aさんは自殺せずに済んだと考えるのが合理的」と学校の落ち度を指摘」、「学校側」の責任は重大だ。 「加古川」市議会がこの問題を取上げてないのであれば、情けない。「加古川市」や「市長」も「教育委員会」に和解を指導すべきだ。 「いじめで1年半の刑期と約100万円の罰金…フランスの学校が子どもを守る「これだけの対策」」 「フランスでは学校内に児童福祉の様々な専門職を配置し、子どもたちの「うまくいっていないことがあるかもしれない」というサインに気づきケアすることを求めている」、日本との違いは大きい。 「「いじめがあったかどうか」ではなく、嫌がらせをしたり、ちょっかいを出す子どもがいたら、その子どもの「うまくいっていないことがある症状」と捉えて家族丸ごとケアし、改善しない場合は環境自体を変える」、との考え方は日本も学ぶべきだ。 「「警察・司法・教育」がセットで子どもを守る」、というのは、「法律」を身近なものにするいい試みで、日本でも検討すべきだ。 「市のサポート機関は市役所内にあり、子どもに担当心理士がつき、様々な支援を組み合わせて子どもの周りに「勉強支援、社会的支援、家族支援」のバランスのいいコーディネートがされるようにする」、なかなかいい制度のようだ 「子どもは数回のセッションで問題が改善されても、親の方は気づきに時間を要し、子どもより長く通い考えの整理をすることが度々ある」、確かに「親」の方が厄介なケースもありそうだ。 「「子どもを守ること」「子どもを教育し育てること」を国が引き受けて専門職を配置し専門機関を用意しているフランスと、保護者と学校に対応を任せている日本」、つくづく「日本」とは冷たい国だと思う。 「「人は常に自分が考えうる最善の行動をとっている」とフランスのソーシャルワーカー養成校では学ぶ。いじめも不登校も、その子どもにとっては最善の選択だった、それだけの背景を整理しケアする役割は十分訓練を受けた専門職にしか担えない」、ずいぶん進んだ考え方だ。日本も謙虚に学ぶ必要がありそうだ。 「「ふざけんな」「おぞましい」旭川少女イジメ凍死 ついに「臨時保護者会」開催も怒号飛び交う90分に《教育委員会は「重大事態」認定》 爆破予告でパトカーも出動 旭川14歳少女イジメ凍死事件 #10」 「文科大臣」がここまで踏み込んだ答弁をするとは、異例中の異例だ 「本省の職員あるいは政務三役を直接現地に派遣する可能性に言及」、そこまで「言及」せざるを得ないほど、「旭川市」の対応が酷かったようだ 「平日の夜にも拘わらず、体育館には100名ほどの保護者が詰めかけた」、父兄の関心は高そうだ。 「スクールカウンセラーを招聘」、当然のことだ。 「第三者委員会」を口実に、当日の答弁を事実上拒否するとは汚い。 「担任の先生が(爽彩さんの母親からイジメの)相談を受けたときに『今日わたしデートですから、明日にしてもらえませんか』って言った」、事実であれば、開いた口が塞がらない。 「第三者委員会」が「保護者会」で答弁しない口実に使われたようだ。 「「スマホ、タブレット、パソコンでどんどん情報が入ってきて、子供たちは私が教えなくてもネットを見て知っていくという状態」、なのに、「第三者委員会」が調査結果を公表するまでは、学校は生徒に何も話せないというのは、余りに官僚的過ぎる対応だ。 官僚的対応だ 「保護者会」の余りの官僚的で、「飛び交う怒号」も当然だ。 「教頭」は「第三者委員会の調査の中で」話すので、「保護者会」では話せないとしながら、「私自身は法に反することはしていないということはお伝えさせていただきたいと思います」、と虫のいい自己主張だけはするというのは、余りに勝手過ぎる。 文科大臣までが乗り出した騒動、「旭川市」はどう決着をつけてゆくのか、大いに注目される。
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介護(その6)(「人に迷惑をかけるな」という呪いと自助社会の絶望感、老人ホームに捨てられた「元一流企業上級管理職老人」の悲惨な最期 「老人ホームに向かない人」の典型例とは) [社会]

介護については、2020年5月5日に取上げた。7久しぶりの今日は、(その6)(「人に迷惑をかけるな」という呪いと自助社会の絶望感、老人ホームに捨てられた「元一流企業上級管理職老人」の悲惨な最期 「老人ホームに向かない人」の典型例とは)である。

先ずは、昨年9月15日付け日経ビジネスオンラインが掲載した健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏による「「人に迷惑をかけるな」という呪いと自助社会の絶望感」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00091/
・『書こうか書くまいか散々悩んだ結果、やはり書こうと思う。 なぜ、悩んだのか? 一つには、何から書いていいか分からないほど、「絶望」に近い感情を抱いたこと。そして、もう一つは、どうしたら伝えたいことが伝わるか、最善の方法が見つからなかったからだ。 が、今書いておかないと後悔しそうなので、書きます。 テーマは「人さまに迷惑をかけるな!」といったところだろうか。 まずは、遡ること14年前に起きた、忘れることのできない“ある事件”からお話しする。 2006年2月1日、京都市伏見区の河川敷で、認知症を患う母親(当時86歳)を1人で介護していた男性(当時54歳)が、母親の首を絞めて殺害した。自分も包丁で首を切り、自殺を図ったが、通行人に発見され、未遂に終わった。 男性は両親と3人で暮らしていたが、1995年に父親が他界。その頃から、母親に認知症の症状があらわれはじめる。一方、男性は98年にリストラで仕事を失い、親子は親族の好意で家賃を半額にしてもらい、月3万円のアパートに引っ越した。 その後、男性は非正規で働くことになるが、母親の認知症は悪化。昼夜逆転の生活になり、男性は慢性的な睡眠不足に陥ることになる。 しかし、生活費のためには仕事を辞めることはできない。そこで男性は介護保険を申請し、母親は自宅近くの施設でデイケアサービスを受け、男性はどんなに寝不足でも朝には会社に行き、仕事と母の介護に追われる日々を過ごすようになる。心身ともに疲弊しても、決して仕事を休むことはなかったそうだ』、「父親が他界。その頃から、母親に認知症の症状があらわれはじめる」、よくあるパターンだ。
・『仕事と介護の両立求めて職安へ  そんなある日、男性が仕事に行っている日中に、外出した母親が道に迷って警察に保護された。その後も同様の事態が繰り返し起きたため、男性は仕事を休職して、介護に専念することになった。 収入が途絶えて生活が困窮する中、男性は「せめて復職するまで生活保護を受給できないか?」と役所に相談した。ところが、職員から「あなたはまだ働ける身体なのだから頑張って」と諭され、生活保護支給を断念する。当時の報道によれば、「休職中だったため認められなかった」という。 母親の症状はさらに進み、男性は仕事を辞め、再び役所に「生活が持ち直せるまで、しばらくの間だけでも生活保護を受給できないか」と相談した。しかし役所側は、「失業保険の受給」を理由に拒否。男性は母親のデイサービスを打ち切るなど、介護保険の自己負担をギリギリまで抑えながら、介護と両立できる仕事を求めて職安通いをするが、仕事は見つからなかった。 なんとかカードローンなどで生活費を工面したが、限度額を超え、男性は追い詰められるようになる。自分の食事を2日に1回にして、母親の食事を優先し、この頃から心中を考えるようになったそうだ。 そして、2006年真冬のその日、手元のわずかな小銭でパンとジュースを買い、母親との最後の食事を済ませ、思い出のある場所を見せておこうと母親の車椅子を押しながら河原町かいわいを歩き、河川敷へ向かった。 男性「もう生きられへんのやで。ここで終わりや」 母親「そうか、あかんのか……。一緒やで。お前と一緒や」 男性「すまんな。すまんな」 母親「こっちに来い。お前はわしの子や。わしがやったる」 男性はこの会話を最後に、母親を殺害し、自らも包丁で切りつけるなどして意識を失った。数時間後、通行人が2人を発見し、男性だけが命を取りとめたという。 この事件は、4月19日、京都地裁で初公判が開かれ、地域の住民や関係者から126人分の嘆願書が提出され、メディアの注目を集めた。……覚えている人も多いかもしれない』、本当に悲惨な事件だ。
・『裁かれたのは被告だけではない  何よりも衝撃的だったのは、6月21日に行われた3回目の公判で、裁判官が被告人質問で男性に「同じような事件が後を絶たないのはなぜか」と聞いた際の答えだ。 「できるだけ人に迷惑をかけないように生きようとすれば、自分の持っている何かをそぎ落として生きていかなければならないのです。限界まで来てしまったら、自分の命をそぐしかないのです」(毎日新聞大阪社会部取材班『介護殺人 ~追いつめられた家族の告白~』(新潮文庫)より)。 結局、京都地裁は男性に懲役2年6カ月、執行猶予3年(求刑は懲役3年)を言い渡し、裁判官は国にこう、苦言を呈した。 「裁かれているのは被告だけではない。介護制度や生活保護のあり方も問われている」と。 そして男性に、「痛ましく悲しい事件だった。今後あなた自身は生き抜いて、絶対に自分をあやめることのないよう、母のことを祈り、母のためにも幸せに生きてください」と語りかけたという。 繰り返すがこの事件が起きたのは、2006年1月である。この事件の6年前、国は介護保険を導入した。しかし、介護保険の効果について分析した研究では、「支援が必要な高齢者に対するケアの充実が図られたが、介護殺人の件数が減少する傾向は一切認められていない」ことが分かっている(湯原悦子氏の論文「日本における介護に関わる要因が背景に見られる 高齢者の心中や殺人に関する研究の動向」より)。 また、1998年から2015年までに発生した介護殺人の件数は716件で、件の事件のあった2006年は49件と過去最悪を記録。その後、2008年には54件発生するなど、50件前後で推移している(湯原悦子氏の論文「介護殺人事件から見いだせる介護支援の必要性」より)。) 私は、件の事件が起きた当時、介護現場の調査研究のヒアリングを行っていたので、この事件の裁判の内容は鮮明に記憶している。が、実はこの事件には続きがあった。 2014年8月、男性は琵琶湖に飛び込んで自ら命を絶っていたことが、毎日新聞大阪社会部の取材で分かったのである。 これは2016年4月にNHKがドキュメンタリー番組で報じ、2019年5月に毎日新聞大阪社会部取材班が出版した書籍『介護殺人 ~追いつめられた家族の告白~』に詳しく記されている。取材班は、「当事者が胸の内に封印している事実こそが、本質を照らし出す」と考え、介護殺人の加害者の取材を進めた。その過程で、件の男性が亡くなっていたことを知ったそうだ。 取材を重ねたどり着いた、男性の身元引き受け人の親戚の言葉。それはとてつもなく重くて、「社会とは何か?」を考えさせるものだった』、「裁かれているのは被告だけではない。介護制度や生活保護のあり方も問われている」との判決は、その通りだ。「介護殺人の件数」が年「50件前後で推移」、予想以上に多いのに驚かされた。
・『不器用な人をも救う「公の何か」  「困った人を救う制度がないわけではないし、私は何でも行政が悪いとも思いません。でも、A(件の男性)のように制度を使いたいけど使えない、あるいは使わない人間もいるということですかね。そんな不器用な人にも手を差しのべる公の何かがあれば、とは感じます」(『介護殺人 ~追いつめられた家族の告白~』より) ……さて、私が何を言わんとしているのか、お分かりいただけたでしょうか? そう。これが「自助、共助、公助、そして絆」の顛末(てんまつ)である。 ご承知のとおり、自民党総裁になった菅義偉官房長官は、出馬表明した際に出演したテレビ番組で、「自助・共助・公助。この国づくりを行っていきたいと思います」と述べた。 私はこの発言を聞いたとき、一瞬耳を疑った。でもって「……台風が来ているからだよね? 自然災害が増えているから、自助、共助、公助なんて言ってるんだよね?」と、マジで思った。 だが、そうではなかった。 菅氏は、「まずは自分のできることを自分でやり、無理な場合は家族や地域で支え合い、それでもダメな場合は国が守る」と繰り返した。自助・共助・公助は、40年前の1970年代に掲げられた「日本型福祉社会」の基本理念だ。それを、新時代を迎えようとしている“今”、自らの政策の柱に掲げたのである。 日本型福祉社会は、1979年の大平正芳首相のときに発表された自民党の政策研修叢書で発表されたもので、その骨子は、以下のように菅氏の発言と重なっている。 自ら働いて自らの生活を支え、自らの健康は自ら維持するという「自助」を基本とする →「まずは自分のできることを自分でやる」(菅氏) これを生活のリスクを相互に分散する「共助」が補完する →「無理な場合は家族や地域で支えう」(菅氏) その上で、自助や共助では対応できない困窮などの状況に対し、所得や生活水準・家庭状況などの受給要件を定めた上で必要な生活保障を行う公的扶助や社会福祉などを「公助」として位置付ける →「それでもダメな場合は国が守る」(菅氏)』、「自助・共助・公助は、40年前の1970年代に掲げられた「日本型福祉社会」の基本理念だ」、ずいぶん古いものを持ち出したものだ。
・『社会が変わっても変わらない「日本型社会福祉]  つまり、自助の精神は古くから日本社会に根付く、「人さまに迷惑かけてはいけない」という考え方に通じるもので、北欧に代表される「政府型」や、米国に代表される「民間(市場)型」ではない。「とにもかくにも、“家族”でよろしく!」という独自路線の福祉政策が、日本型の福祉社会だ。 当時の日本社会の典型的な家族モデルは「夫婦と子供2人の4人家族」であり、働く人の9割以上が正社員で、介護は嫁の仕事だった。人口はピラミッド型で、「介護」という言葉が社会保障の議論の中に出てこない時代である。 そのときの仕組みを国は維持し続けている。これまでも書いてきた通り、どんなに「家族のカタチ、雇用のカタチ、人口構成のカタチ」が変わっても日本型福祉政策は踏襲され続けてきてしまったのだ。 1986年に『厚生白書 昭和61年版』として発表された、社会保障制度の基本原則では、上記の「日本型福祉社会」の視点をさらに明確化し、「『健全な社会』とは、個人の自立・自助が基本で、それを家庭、地域社会が支え、さらに公的部門が支援する『三重構造』の社会である」と明記。2006年に政府がまとめた「今後の社会保障の在り方について」でも、40年前と全く同じことが書かれている。 一方で、世界人権宣言にある「家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する」という条文と同様の内容の一文は、自民党の改憲草案にはなく、現行憲法にない「家族の尊重、家族の相互の助け合い」が追加された。 いわずもがな、日本は1970年にすでに高齢化社会(65歳以上の人口が、全人口に対して7%超)に突入し、95年には高齢社会(同14%超)、2007年には超高齢社会(同21%超)になっている。 家族に介護を押しつける仕組みそのものに無理があることは明白なのに、少子高齢社会に向き合わず、問題を解決しようとする活発な議論すらしてこなかった。その間、家族のカタチも雇用のカタチも変わったのに、「とにかくまずは自分のことは自分で守れ!」を貫いた。 要するに、「自分で守れなければ残念だけど仕方ないね。国は最低限のことはするけれど、生活の質や尊厳までは守りません」と切り捨てていることに等しい。 このような考え方が「人さまに迷惑をかけてはいけない」という呪縛を生んでいる、そう思えてならないのである』、同感だ。
・『「それでもダメな場合は国が守る」と言うが…  介護殺人に関する研究は1980年代から徐々に増え、2000年代に入り急増している。 研究手法はさまざまだが時代を経ても一貫して、「介護殺人の背後には経済的困窮がある」こと、「家族中心主義は社会からの孤立につながる」こと、「自立自助の原則は結果として介護する人を追い詰める」ことが指摘されている。 人は言う。「なんで相談してくれなかったのか?」と。 だが、経済的にも精神的にも追い詰められると、相談する余裕すらなくなるのだ。 菅氏は言う。「それでもダメな場合は国が守る」と。 件の介護殺人を犯した男性を、果たして国は守ったのだろうか。 生きるとは、何か? ただ単に寝る家があり、餓死しなけりゃいいってことか。 金もない、人に頼ることもはばかられる、勇気を出してSOSを出しても断られれば、残るのは「絶望」だけ。生きるには「光」が必要なのだ。 1980年代から研究者たちが、「介護する人たちへの支援」を訴え続けているのに、その声は聞こえてないということだろうか。 「雇用があることが何よりも大事」と言うけれど、日本の貧困層の9割は、働けど働けど楽にならないワーキングプアだ。ワーキングプア世帯は推計で247万世帯、北海道の全世帯数に相当するという試算もある(日本総合研究所「中高年ワーキングプアの現状と課題 ―キャリアアップ・就労支援制度に新しい視点を」)。 さらに、シングルマザーの就業率は先進国でもっとも高い84.5%なのに、3人に2人が貧困というパラドクスも存在する(経済協力開発機構(OECD)の報告より)。 「できるだけ人に迷惑をかけないように生きようとすれば、自分の持っている何かをそぎ落として生きていかなければならないのです。限界まで来てしまったら、自分の命をそぐしかないのです」 という男性の言葉の意味を、「自助」を社会福祉の前面に掲げる人たちは、どう受け止めているのか、教えてほしい。 このような問題を取り上げると、「結果の平等」を追求するような政策は、「堕落の構造」を生むと反論する人たちがいるが、堕落とは何なのか? 菅氏は、テレビ番組に出演した際、「自助、共助、公助」をつっこまれるたびに、「『そして、絆』ってありますよ!」と何度も繰り返していたけど、絆って何? ホントなんなのだろう? どうか今一度、立ち止まって、1970年代の社会福祉の理念を踏襲し続けることの是非を考え、見直してほしい』、「「介護殺人の背後には経済的困窮がある」こと、「家族中心主義は社会からの孤立につながる」こと、「自立自助の原則は結果として介護する人を追い詰める」ことが指摘されている」、「今一度、立ち止まって、1970年代の社会福祉の理念を踏襲し続けることの是非を考え、見直してほしい」、その通りだ。

次に、昨年12月29日付け現代ビジネスが掲載した株式会社ASFON TRUST NETWORK 常務取締役の小嶋 勝利氏による「老人ホームに捨てられた「元一流企業上級管理職老人」の悲惨な最期 「老人ホームに向かない人」の典型例とは」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78868?imp=0
・『半ば捨てられるように老人ホームへ  Aさんは、一流大学を卒業後、一流大手機械メーカーに就職、その能力を高く評価され、最後は部長職で定年を迎えました。定年後も、会社の功労者として子会社に転籍し手腕を発揮、70歳を過ぎるまで仕事の第1線で活躍されたといいます。 その後、長年連れ添った奥様が病気で他界、独立した子供たちとは距離を置くようになり、長年住み慣れた郊外の一戸建てで1人、静かに老後を過ごしていました。ところが、80歳で脳梗塞を発症、一命はとりとめたものの右半身に麻痺が残りました。そして、広い自宅での独居生活が困難になり「老人ホームへ入居」という運びになったのです。 老人ホームでの生活ぶりをお話しする前に、脳梗塞後発症後に起きた事実について説明しておきます。 病院を退院後、半身麻痺になったAさんをどうするかの親族会議が開かれ、結果、長男夫婦が同居することになりました。長男夫婦がAさんの自宅に移り住み、同居生活が始まります。 要介護4の認定を受けていたAさんの日常介護は、訪問介護や通所介護の事業者が担います。右半身は麻痺をしていますが、それ以外は特に悪いところはなく、頭も鮮明です。発語にも生活に支障をきたすような問題はありませんでした。 しかしです。同居生活がスタートしてから1年後、Aさんは、半ば捨てられるように、老人ホームに入居することになったのです。理由は一体、何だったのでしょうか? それは、長男の奥様や在宅介護を支えている介護事業者に対する暴言と暴力でした。自由に動く左手と左足で、長男の奥様や介護職員に対して「殴る」「蹴る」の暴力を振るい、さらには、相手を馬鹿にするような罵声を浴びせるという言動が出現したのです。 最初は、皆、「病気がそうさせているのだから仕方がない」「身体の自由が利かないのだからストレスもたまるはずだ」と考え、どちらかと言うと同情的でした。幾度となく担当ケアマネジャー主催のカンファレンスが開かれ、その都度、関係者間では「支えていく」ことを確認しました。しかし、物事には限度があります。度を超えてしまうと、そうは割り切れません。 まず初めに、「Aさんの対応をするなら事業所を辞めたい」という退職希望の介護職員が続出します。ついに、介護事業者からも介護職員の職場環境を考えた場合、「これ以上、Aさんにサービスを提供することは難しい」と言ってサービス辞退の申し出がありました。 さらに追い打ちをかけたのは、介護事業者から見放され、同居していた長男の奥様が、様々な心労から精神を病み、入院治療をしなければならなくなったことです。長男は、このことに怒り心頭、担当ケアマネも長男が納得できる代替え案を提案できず、結局、Aさんを老人ホームへ入居させるという結論に至ったのです』、「介護事業者から見放され、同居していた長男の奥様が、様々な心労から精神を病み、入院治療をしなければならなくなった」、いくら「脳梗塞」で「半身麻痺」とはいえ、「Aさん」の態度は余りに酷過ぎ、「Aさんを老人ホームへ入居させる」のもやむを得ない。
・『Aさんのケアプラン  老人ホームへ入居の申し込みをしに来た長男は、Aさんのことを「いくら恨んでも恨み足りない。親子の縁を切りたい」と訴え、自分たちがこの1年間、どれだけ苦しんだかという説明を蕩々と繰り返したといいます。 そして、ホームとAさんの身元引受人契約を締結した際、「Aさんの取り扱いは、ホームに一切任せる。死んだ場合のみ連絡すること。遺体を引き取ります」という約束をして帰っていきました。 後日、Aさんの入居時調査を担当した介護職員の報告によると、Aさんは、男尊女卑の思想が強く、女性は自分の奴隷であるというような趣旨の発言があったといいます。そして、リクエストに応えることができない女性に罰を与えることは当然である、とも言っていたというのです。 介護業界では、女性を敵に回したらお終いです。なぜなら、介護の現場は圧倒的に女性の力で支えられているからです。 おそらく、Aさんの場合、暴力もそうですが、この「暴言」こそが多くの女性から見放された最大の原因だと思います。何しろ、それまで元気だった長男の奥様が精神病院に入院しなければならなくなったほどなのですから。 この老人ホームでは、介護職員らによるAさんのケアプラン作成を目的としたカンファレンスにおいて、以下のことが協議・決定されました。 元エリートでプライドが高く、頭もしっかりしている。しかし、身体には麻痺があるため、自由に動けないというジレンマが、従来から持っている気質をより増大させ、自分の思うようにならないことが起きると、暴言や暴行となって外部へ責任転嫁されている(「お前が悪いからだ」という思考)。 よって、しばらくの間は、先ず、介護対応は男性職員が担当することとし、介護支援において「何をすると、どのような反応になるのか」をきめ細かく記録に残し、様子を観察していくこととなりました。 なお、夜勤帯については、女性しか配置できない日があるため、例外とするということになりました』、「男尊女卑の思想が強く、女性は自分の奴隷であるというような趣旨の発言があった・・・リクエストに応えることができない女性に罰を与えることは当然である」、ここまでくると、酷過ぎる。
・『「煮ようと焼こうと好きにしてくれ!」  しかし、トラブルはすぐに発生しました。夜勤時、排泄を介助した女性介護職員に対し、暴力事件を起こしたのです。 何でも、トイレ内でのズボンの下ろし方が気に食わないという理由で、自由が利く方の手で女性介護職員の顔を殴りつけ、足蹴りにしたというのです。不意を突かれた女性職員は、殴られた拍子に手すりに顔をぶつけ、口腔内から出血してしまいました。傷害事件です。 翌日、この話を聞いた一部の女性介護職員からは「冗談じゃない!」と怒りの声が上がり、施設長に対し「即刻退去させるべきだ」「そんな人の介護はできない」と言って、Aさんの介護を拒否する意思表示なされます。 通常、このようなケースでは、本人と話をした上で、家族を呼び、再発防止策を考えるのですが、本人は一向に悪びれることはなく、仕事ができない女性に罰を与えただけだと、当の女性職員が聞けば怒り心頭となる発言をしたのです。 身元引受人である長男からは、「死んだとき以外は連絡不要だと言ったはずだ。煮ようと焼こうと、ホームの好きにしてくれ!」といって電話を切られてしまいました。 それからしばらくの間、男女を問わず、一部の理解ある職員による介護支援が続きます。もちろん大小さまざまな事件が多発しましたが、その都度、一部の介護職員による“神対応”ともいえる応対でしのいでいました。 しかし、多くの介護職員は、過度の緊張を強いられるため、Aさんの介護支援に対して前向きになれず、徐々にAさんはホーム内で孤立していくことになります。さらに、Aさんの暴言、暴行は介護職員のみならず、他の女性入居者にも向けられるようになり、「怖いおじいさん」といって入居者からも避けられるようになります。 そうするうちに、1日のほとんどを居室内で過ごし、食事や入浴も拒絶するケースが増え、次第に、居室内からまったく出てこない日も多くなっていきました。 長男に相談しても、「このまま居室内で死んでしまえばいい」と言われる始末。地方にいる長女に連絡しても、「父の好きなようにさせてください」という回答しか返ってきません。 入居から1年後、Aさんは入院先の病院で一人静かに亡くなりました。心筋梗塞だったといいます。立ち会った介護職員の報告によると、長男は事務的に葬儀業者に火葬の手配を行い、葬儀などは一切せず、先祖代々のお寺に納骨すると言っていたそうです』、「「怖いおじいさん」といって入居者からも避けられるようになります。 そうするうちに、1日のほとんどを居室内で過ごし、食事や入浴も拒絶するケースが増え、次第に、居室内からまったく出てこない日も多くなっていきました」、「入院先の病院で」、「心筋梗塞」で「一人静かに亡くなりました」、運動不足で孤立したらあり得る死因だ。
・『「老人ホームに向かない人」の典型例  今回ご紹介した話は、「老人ホームに向いていない人」の典型的な事例なのですが、皆さんはどのように感じましたでしょうか? この事例を通して私が皆さんに理解して欲しいことは、ただ一つです。それは、家族と友好的な関係性が構築できていない高齢者は、老人ホーム入居には向いていないということです。 しかし、現実的には、家族から嫌われているため老人ホームに入居しているケースが少なくありません。つまり、老人ホーム生活に向いていない人が、老人ホームに一定数入居している、ということになります。 第1回目の今回は、老人ホーム入居に向いている人、向いていない人の中で、家族との関係性に着目した話をしました。老後は、老人ホームで快適に過ごしたいーーそう考えている方は、どうぞ、家族と友好的な関係を構築するように努めてください。家族から嫌われる人は、他人からも嫌われます。当たり前と言えば当たりの話です。 なお、家族がいない自分は老人ホーム入居に向いていないのでは? という心配もあると思いますが、初めから家族がいない人は、別の問題はあったにせよ、このような心配は概ねありません。あくまでも、家族がいるにもかかわらず、とうケースの話です。 老人ホームは、その使い方、自身の運用の仕方によっては、毒にも薬にもなるところです。このことを、どうぞ、覚えておいてください』、「老人ホーム生活に向いていない人」もかなり多いようだ。早目に、家族が注意しておくことも必要なのだろう。ただ、注意しても効き目がないかも知れない。
タグ:介護 日経ビジネスオンライン 現代ビジネス 河合 薫 (その6)(「人に迷惑をかけるな」という呪いと自助社会の絶望感、老人ホームに捨てられた「元一流企業上級管理職老人」の悲惨な最期 「老人ホームに向かない人」の典型例とは) 「「人に迷惑をかけるな」という呪いと自助社会の絶望感」 「父親が他界。その頃から、母親に認知症の症状があらわれはじめる」、よくあるパターンだ。 本当に悲惨な事件だ 「裁かれているのは被告だけではない。介護制度や生活保護のあり方も問われている」との判決は、その通りだ。 「介護殺人の件数」が年「50件前後で推移」、予想以上に多いのに驚かされた。 「自助・共助・公助は、40年前の1970年代に掲げられた「日本型福祉社会」の基本理念だ」、ずいぶん古いものを持ち出したものだ。 このような考え方が「人さまに迷惑をかけてはいけない」という呪縛を生んでいる、そう思えてならないのである』、同感だ 「「介護殺人の背後には経済的困窮がある」こと、「家族中心主義は社会からの孤立につながる」こと、「自立自助の原則は結果として介護する人を追い詰める」ことが指摘されている」、「今一度、立ち止まって、1970年代の社会福祉の理念を踏襲し続けることの是非を考え、見直してほしい」、その通りだ 小嶋 勝利 「老人ホームに捨てられた「元一流企業上級管理職老人」の悲惨な最期 「老人ホームに向かない人」の典型例とは」 「介護事業者から見放され、同居していた長男の奥様が、様々な心労から精神を病み、入院治療をしなければならなくなった」、いくら「脳梗塞」で「半身麻痺」とはいえ、「Aさん」の態度は余りに酷過ぎ、「Aさんを老人ホームへ入居させる」のもやむを得ない。 「男尊女卑の思想が強く、女性は自分の奴隷であるというような趣旨の発言があった・・・リクエストに応えることができない女性に罰を与えることは当然である」、ここまでくると、酷過ぎる 「「怖いおじいさん」といって入居者からも避けられるようになります。 そうするうちに、1日のほとんどを居室内で過ごし、食事や入浴も拒絶するケースが増え、次第に、居室内からまったく出てこない日も多くなっていきました」 「入院先の病院で」、「心筋梗塞」で「一人静かに亡くなりました」、運動不足で孤立したらあり得る死因だ。 「老人ホーム生活に向いていない人」もかなり多いようだ。早目に、家族が注意しておくことも必要なのだろう。ただ、注意しても効き目がないかも知れない
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教育(その24)(萩生田文科大臣「人権・人格を否定する校則は望ましくない」 校則のHP公開にも前向きな姿勢、男性教師による女子生徒の下着チェックは犯罪の可能性が、千代田区の名門公立中学校で通知表に「1」を連発した新校長の主張) [社会]

教育については、3月1日に取上げた。今日は、(その24)(萩生田文科大臣「人権・人格を否定する校則は望ましくない」 校則のHP公開にも前向きな姿勢、男性教師による女子生徒の下着チェックは犯罪の可能性が、千代田区の名門公立中学校で通知表に「1」を連発した新校長の主張)である。

先ずは、3月21日付けYahooニュース「萩生田文科大臣「人権・人格を否定する校則は望ましくない」。校則のHP公開にも前向きな姿勢」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/murohashiyuki/20210321-00228000/
・『社会的な関心の高まりを受けて、いわゆる「ブラック校則」と呼ばれる、人権侵害にも近い理不尽な校則の見直しが急速に進んでいる。 鹿児島市教育委員会によると、新年度中の2022年3月までに、鹿児島市内のすべての市立小中学校で、下着の色を白に限定している校則が見直される。(毎日新聞) 長野県では、長野県高等学校長会が昨年9月、県内の公立と私立の高校あわせて106校の校長などを対象に調査を行い、3割を超える高校が校則をすでに見直したか見直しを進める予定だと回答。 校長会は「県内は制服がない高校が多く、厳しすぎる校則はないと思われるが、今後、生徒も交えた議論の場を設け、校長だけではなく、みんなで校則について考えていきたい」としている。(NHK NEWS WEB)』、「ブラック校則」には腹が立つが、文科相と共産党議員の論議とは興味深そうだ。
・『校則などが原因で不登校になった児童生徒の数は合計5572人  3月16日には、参議院・文教科学委員会で日本共産党の吉良よし子議員が理不尽な校則問題を取り上げ質問。 (以下、参議院インターネット審議中継より文字起こし) 吉良よし子参院議員:昨日の朝、日本テレビの情報番組、『スッキリ』という番組で、一部の小学校で体操服の下の肌着着用が禁止されていて、男性教師が女子児童の胸の成長をチェックしてOKを出せば着用が認められると報道がされました。かなり衝撃が広がっています。 この肌着禁止ルール、なおかつ男性教師による身体のチェック、あまりにひどいと思うんですが、いかがでしょうか。 萩生田光一文科大臣:小学校ですか?首を傾げる次第です。 吉良議員:首を傾げる、本当にひどい事態だと思います。こうした肌着禁止のみならず、下着の色を指定してしまう、髪型、髪の色まで細かく指定するような、人権侵害とも言える理不尽な校則、巷では「ブラック校則」などとも言われている校則について今日は取り上げたいと思います。 先月大阪府立高校の黒染め強要の大阪地裁判決が出されました。ここでは黒染めを強要した学校側の校則や指導は適法とされました。この判決にも衝撃が広がっているわけですが、髪の色は黒だと決めつける校則や黒染めを強要する指導というのはどちらも理不尽だし、人権侵害だと思います。 ただこういう、髪の色を黒と決めつける指導はかなり他(の学校)でも見られるわけで、2020年3月に我が党都議団が都立高校全191校の校則について情報公開請求で調査したところ、全日制177校中、頭髪に関する規定がある学校は155校、84.7%にも上ります。学校がふさわしくないと判断した頭髪はNG、ドライヤーによる色落ちを禁止している学校までありました。 さらに、髪の色の制限に関わって話題になっているのが「地毛証明書」です。黒髪ストレートではない生徒については保護者のサインや押印を添えて、生まれつき癖毛とか髪の色が明るいと証明させる、届出させるというものです。これを我が党都議団が調査したところ、全日制都立高校の45%、約半数で提出を求めていて、一つ一つ見たところ、中にはカラースケール5を超えている入学予定者は入学まで改善をして来いと、黒染めを強要するものもありました。 問題はこれらの校則や地毛証明書というのは生徒たちの生来の髪の毛が黒髪ストレートだと前提にしてしまっていることだと思うんです。それ以外の髪だと普通じゃないんだと言ってしまう。これは差別人権侵害だと思うし、この多様化の時代に黒髪ストレート以外は排除しますというようなことはあってはならないんじゃないかと思うんです。以前、2017年に当時の林文科大臣に確認したところ、『生徒指導において生まれ持った個性を尊重することは当然だ』という答弁がありました。これは今も認識変わらないでしょうか?生まれ持った個性を尊重することは当然、ということでよろしいですね? 萩生田大臣:生徒指導では一人一人の人格を尊重し、個性の伸長を図りながら社会的資質やご努力を高める教育活動だと思います。また生徒指導にあたっては、児童生徒の持つそれぞれの特徴や傾向をよく理解し、把握するといった深い児童生徒理解が不可欠であると考えております。 このような人格の尊重や深い児童生徒理解の重要性に鑑みれば、一般論として生まれ持った個性を尊重することは当然のことだと考えております。 吉良議員:当然だというご答弁でした。頭髪に関する校則について引き続き申し上げますが、髪の色だけじゃないんですね。髪型についても細かく決める校則が多数あるわけです。中には、髪を伸ばす場合は結びなさい、ただし2つ結びは禁止とか。合理性のないものもかなりあるんです。昨年3月、ツーブロックと呼ばれる髪型を禁止する校則について我が党の池川都議がなぜダメなのか質した際に、都の教育長はツーブロックは事件、事故に巻き込まれる可能性があるからだと。これはとても合理的な理由だと私は思えない。むしろタイなどではツーブロックは普通の髪型で、タイから日本に来た学生が学校でダメだと言われて戸惑ったという話も聞いています。 校則だけでなく、それに伴う指導もあって、その指導も問題だと思います。黒染め指導がその代表ですが、昨年9月、我が党の千葉県議団が行った調査では、千葉県内の県立高校138校のうち、黒染め指導が行われたのは105校、違反した生徒にその場で黒スプレーを吹きかける指導を行った学校が25校、指導対象となった生徒は210人です。相談をした当時、高校1年生の女子生徒は学校の指導に従って黒染めして行ったのに、黒染めが不十分だと教師4人に囲まれて、ビニールを被せられ、黒スプレーを噴霧される指導を受けて、彼女は恐怖で学校に行かれなくなったと話しています。 ここで確認したいんですが、小中高の不登校生徒のうち、その要因として、校則や学校の決まりが含まれている児童生徒の数、合計数を教えてください。 瀧本初等中等教育局長:文部科学省において行われました、令和元年度の児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査によれば、小中高の不登校生徒のうち、不登校の主たる要因として、または、主たる要因以外の要因で、学校の決まり等をめぐる問題として挙げている児童生徒の数は合計で5572名となっております』、「これらの校則や地毛証明書というのは生徒たちの生来の髪の毛が黒髪ストレートだと前提にしてしまっていることだと思うんです。それ以外の髪だと普通じゃないんだと言ってしまう。これは差別人権侵害だと思うし、この多様化の時代に黒髪ストレート以外は排除しますというようなことはあってはならないんじゃないかと思うんです」、その通りだ。「高校1年生の女子生徒は学校の指導に従って黒染めして行ったのに、黒染めが不十分だと教師4人に囲まれて、ビニールを被せられ、黒スプレーを噴霧される指導を受けて、彼女は恐怖で学校に行かれなくなったと話しています」、学校による明確な人権侵害だ。「小中高の不登校生徒のうち、不登校の主たる要因として、または、主たる要因以外の要因で、学校の決まり等をめぐる問題として挙げている児童生徒の数は合計で5572名」、こんなにも犠牲者が多いとは心底驚いた。
・『「校則って見直せるものなんだよ」と周知していただきたい  吉良議員:5572人と、かなりいるわけです。ちなみにこの調査は子どもたち本人による回答ではなく、学校側がこうだろうと思って回答したものなので、本人が回答したらもっと増える可能性もあります。 こうやって子どもたちを精神的に追い詰める、不登校につながるような指導はあってはならないと思います。千葉だけでなく、不登校の生徒がせっかく登校してきて、服装違反で学校に入れてもらえなかった、コロナで学校に行けずやっと行けたのに、すぐに女子生徒が男性の教師から下着の色を指摘されてそれ以来学校に行けなくなったという事例もあります。 大臣、このように不登校になるように精神的に追い詰める、自尊感情の低下を招くような指導あってはならないと思いますが、いかがでしょうか。 萩生田大臣:児童生徒への指導にあたり、例えば体罰や不適切な言動が許されないのは当然ですが、それらに至らなくとも児童生徒の特性や発達の段階を十分に考慮することなく、厳しい指導を行うことは児童生徒の自尊感情の低下などを招き、児童生徒を精神的に追い詰めることにつながりかねないと考えます。このため、校則による指導も含め、生徒指導にあたっては、児童生徒の持つそれぞれの特徴や傾向をよく理解し、個々の児童生徒の特性や発達の段階に応じた指導を行うことが必要であると認識しています。 吉良議員:やはり、児童生徒の事情に応じて、自尊感情を低下させない指導というのは欠かせないと思います。同時に、やっぱり理不尽な校則そのものの見直しも必要だと思います。先ほどのツーブロックしかり、2つ結びがダメというのもしかり、合理的な説明ができないようなもの、人権侵害につながるようなものは、見直さなきゃいけないと。これも2018年当時の林大臣に聞いたんですが、その際にも学校を取り巻く社会環境や児童生徒の状況の変化に応じて絶えず積極的に見直す必要があると。見直しの際には、児童生徒、保護者が何らかの形で参加した上で、決定していくことが望ましい。そういう答弁もいただいております。その後、この間、こうした理不尽な校則について全国的に見直す動きが広がっているわけです。 事例を紹介します。長崎県教育委員会。教師が一人一人の下着の色をチェックするような人権侵害にあたる校則や指導は見直すように、と通知を出しました。 また佐賀県教育委員会は2020年3月に県立学校に対して、校則を見直す際に、児童生徒保護者らに意見を求めるように、と通知を出しています。 熊本市教育委員会では、教職員、児童生徒、保護者へのアンケートを取って、社会環境や人権の観点から、校則の見直しを進めるよう、HPで周知を進めております。 このように、生徒や保護者の声を反映しながら、校則の見直しを進めていくことは良いことですし、大いに全国に進めていくべきと思いますが、大臣いかがでしょうか? 瀧本局長:一般的に校則については各学校がそれぞれの教育目標を達成するために、学校や地域の実態に応じて必要かつ合理的な範囲で定めるものと考えております。また校則に基づき、具体的にどのような手段を用いて指導を行うかについても各学校で必要かつ合理的な範囲で適切に判断されるものと考えております。他方、校則の内容については、学校を取り巻く社会環境や児童生徒の状況の変化に応じて絶えず積極的に見直す必要があると考えております。 校則の見直しは最終的には校長の権限において適切に判断されるべき事柄ではありますが、見直しの際には児童生徒が話し合う機会を設けたり、保護者からの意見を聴取したりするなど、児童生徒や保護者が何らかの形で参加する例もございます。この点に関して昨今の、委員からもご紹介がありましたが、各地での校則の見直しに関する取り組み、あるいは報道についても承知しています。こうした校則の見直しに関する考え方は、生徒指導担当者向けの会議等において周知を行ってきているところであります。文部科学省としては引き続き、さまざまな機会を捉えてその周知徹底に努めてまいりたいと思います。 吉良議員:積極的に見直していくべきだということでしたが、ぜひ大臣にも答弁頂きたいです。全国で見直しの動きが広がっていること、それ自体は良い流れだとご認識でしょうか? 萩生田大臣:実は文科省の記者会見でも度々この校則のことが出ます。私がこの校則は良いとか悪いとか言うのはなるべく控えているんですけれど、先生がいみじくも仰ったように、時代や社会の変化で、率直に申し上げて、下着の色を確認するというのはあり得ない、と思います。したがって、そういった時代の変化や価値観の変化によって、見直しをそれぞれの学校が行っていくことは決して悪いことじゃないと思っています。 一度決めたからと言って、一語一句変えない、と言うのは今の民主主義に合わないと思います。それは国際ルールも憲法も同じだと思っていまして、それぞれの学校の判断で行って頂ければどうかなと思います。 吉良議員:見直すことは悪いことじゃないと、言っていただきました。ちなみに見直しが進んでいる学校がある一方で、いまだに生徒会等で生徒が話し合おうとしたら、「いや校則の議論はしてはいけないんだ」とか「触れてはいけない」と言われたり、校則について意見を言った瞬間、内申に響くぞ、と脅されたりする学校もまだまだあると聞いています。やはり、先ほど大臣仰っていましたが、校則を見直すことは悪いことじゃないと、むしろ積極的に見直していく必要のあるものだと、先ほど局長答弁されました。そのことをぜひ周知していただきたいと思うんですが、改めてどうでしょうか? 瀧本局長:校則の見直しについてはこれまでも通知あるいは先ほど申し上げたように、毎年開催しております生徒指導の担当者の会議等においても、繰り返し見直しについては呼びかけているところでございますし、あるいは委員からご紹介いただいたような、校則の見直しの他にも、自治体によってさまざまな見直しの取り組みが行われている事例がございますので、そうした取り組みについてもある意味で横展開を図りながら、それぞれの自治体におきます、見直しの参考としてご提供するなど、校則の見直しを促しているところであります。 吉良議員:自治体に周知は取り組んでいるということでしたが、もっと子どもたち、児童生徒自身にも、「校則って見直せるものなんだよ」と周知していただきたい。この学校に入ったら、この校則に従わないといけないんだと、この(黒)髪の色に染めなきゃいけないんだと、思い込まされる、というのはやはりツラいものだと思います。 おかしいなと思ったら意見して良いし、変えられるんだ、とぜひ学校現場の子どもたちに伝えていただきたいと思うんですが、大臣いかがでしょうか? 萩生田大臣:なかなか入学前に自分が受験する志望校の校則まで見て判断することってなかなかないんだと思います。だから入ってみたら、理想と違う窮屈な思いがあって、これは自分が考えてた学生生活と違う思いもきっとあると思うので、そういう意味では各学校があらかじめ校則を公開しておく、というのは受験生が学校を選択する上でも、悪いことじゃないんじゃないかと思います。 他方、私立のように建学の精神があったりすると、一般的な価値観じゃなくて、例えば創設者の信仰ですとか、そういったものでそれぞれ学校のルールが違ってなんでそんなものが校則になるんだろうなと、他所から見るとすごい違和感を感じるんだけど、その学校の中では非常に大事な価値観というのもきっとあるんだと思うので、一概に文部科学省が間に入って「変えていいんですよ」と言うことよりも、それぞれの現場の判断で行うことが望ましいんじゃないかと私は思います。 決して、否定はしませんけれど、通知を出して積極的に校則改正をするように文部科学大臣通知みたいのは、馴染まないと思いますので、まさにこれトレンドで、時代に合っていないおかしな校則を変えようよと、高校生や中学生が声を上げることは私は学校の中で良いことだと思いますので、それを見守りたいなと思います』、(校則を)「いまだに生徒会等で生徒が話し合おうとしたら、「いや校則の議論はしてはいけないんだ」とか「触れてはいけない」と言われたり、校則について意見を言った瞬間、内申に響くぞ、と脅されたりする学校もまだまだあると聞いています」、いまどきこんな学校があること自体が驚きだ。
・『萩生田文科大臣「人権・人格を否定する校則は望ましくない」  吉良議員:次に聞きたいこともご答弁頂いたんですけれど、校則の見直しを進めるために校則の公開がかなり効果的でして、岐阜県では全ての県立高校の校則をHPで公開したことをきっかけとなって、在校生のみならず受験生や保護者、また地域の人々の間での議論が広がって、結果、岐阜県教育委員会が下着の色を指定するとか生活上の旅行の許可制を見直すことになりました。やはり公開はかなり重要なことですし、大臣仰ったように、入学前にこの学校の校則なあにと知らないというのも問題ですので、一覧できるように各学校で公開進めるようにぜひ大臣からも言って頂きたいし、加えて、先ほど問いたかったのは、単純に学校現場だけじゃなくて、文科省のHPそのほかの方法で子どもたちに向けて、校則というのは変わっちゃいけないものじゃないんだと、見直しができるものなんだと、周知してはいかがか、ということなんですけれど、そこいかがでしょうか? 瀧本局長:まず公開の点についてお答え申し上げます。ご指摘の通り、各学校におきます、校則の公開も見直しにあたって児童生徒や保護者からの意見聴取を行うなど、児童生徒や保護者が何らかの形で参加するプロセスの一つの手段と考えられます。校則の見直しは最終的には校長の権限において適切に判断されるべき事柄ではありますが、見直しの際には児童生徒が話し合う機会を設けたり、あるいは保護者から意見を聴取したりするなど、何らかの形で参加する例もございます。 このことについては先ほど申し上げた通り、生徒指導担当者向けの会議において周知を行っているところでございますが、引き続き様々な機会を捉えて周知徹底に努めてまいりたいと思います。 また校則の内容、あるいは、必要性について、児童生徒本人や保護者との間で共通理解を持つことが重要でございますので、入学時までにあらかじめ校則を周知していく必要があろうかと思っております。 また先ほど委員から岐阜県の取り組みがご紹介ございましたが、校則の見直しに関して、校則を各県立高等学校のHPに掲載することなど周知をし、それに基づいて見直しの取り組みが進んでいる、あるいは再点検を行うということを私どもも把握しているところでございます。こうした取り組み事例を含め、全国の生徒指導担当者向けの会議等においてこうした事例があることについてはご紹介してまいりたいと思います。 吉良議員:ぜひ積極的に周知して頂きたいと思います。このコロナ禍で、毎日洗濯できない制服の衛生面を気にする生徒への配慮から、制服と私服の選択制にする学校も増えています。そのもとで、#学校ゆるくていいじゃんという声がネット上で広がっていて、制服と私服の選択制という署名が立ち上がったら2万件近く署名が集まっているようです。それから佐賀県弁護士会、福岡弁護士会なども独自に校則を調査して提言を出すなど、本当に全国で校則、学校のあり方の見直しが進んでいるので、ぜひそれを止めない、むしろ進めて頂きたいと重ねて申し上げたいと思います。 そしてこの校則問題で確認したいのは、先ほど来、大臣、文科省はこの校則の見直しについて、社会環境の変化等に合わせて見直すようにと仰っているんですが、それだけじゃなくて、何よりもまず校則によって、人権侵害をしてはならない、人権侵害の校則は見直しの対象だと言うべきじゃないかと思うんです。下着の色もそうですし、頭髪、服装の自由を制限するということも基本的に人権の制限につながるものであるわけです。学校長の権限で校則決められると言いますが、憲法で守られている基本的な人権を校則で侵害して良いということには絶対ならないと思います。ぜひ大臣、改めて基本的な人権侵害の校則はあってはならないとはっきり仰っていただけないでしょうか? 萩生田大臣:児童生徒への指導に当たり、先ほど申し上げた体罰等は当然許されないわけですけど、児童生徒の特性や発達の段階を十分に考慮することなく、厳しい指導、児童生徒の自尊感情の低下などを招き、児童生徒を精神的に追い詰めるような指導はあってはならないと思います。すなわち、人権、人格を否定するような校則は望ましいものではないと思います。他方、それを文科大臣が変えろというのはなかなか建て付けとして難しいものもありますので、各学校でぜひ考えて頂きたいなと思っています。 昨年の11月に大学が対面授業を何%やっているのか公表しまして、ずいぶん私立大学の関係者には怒られたんですが、高校3年生からは自分が受験しようと思っている学校がこういう時にどういう対応をするのかがよくわかったというお返事を随分頂きまして、公表してよかったと私個人では思っています。 すなわち、校則も学校の個性の一つだと思いますので、入学前にチェックできるような仕組み、例えば制服が気に入ってその学校に行くという子もいる。そういうのと同じように、学校の個性であると思いますので、そういう意味では公開を前提にしたらより学校が皆さんからわかりやすく入ってもらえるし、入った後にこんなはずじゃなかったとなる子が減ることにもつながりますので、そこは大いに考えていきたいと思います。 吉良議員:人権、人格を否定するような校則は望ましいものではない、と答弁ありました。これは大事な答弁だと思います。また校則の公開についても前向きなご答弁を頂いたわけですから、ぜひこの機会に多様性、人権尊重する学校現場にしていくように心から強くお願い申しまして質問を終わります』、「萩生田大臣:児童生徒への指導に当たり、先ほど申し上げた体罰等は当然許されないわけですけど、児童生徒の特性や発達の段階を十分に考慮することなく、厳しい指導、児童生徒の自尊感情の低下などを招き、児童生徒を精神的に追い詰めるような指導はあってはならないと思います・・・他方、それを文科大臣が変えろというのはなかなか建て付けとして難しいものもありますので、各学校でぜひ考えて頂きたいなと思っています」、「文科大臣が変えろというのはなかなか建て付けとして難しいものもあります」、と一歩引いた立場に身を置いているのは、教育の国家統制を避けるのが背景にあるのだろうか。もっと積極的な姿勢を示してもよいのではなかろうか。

次に、4月11日付け日刊ゲンダイが掲載した髙橋裕樹弁護士による「男性教師による女子生徒の下着チェックは犯罪の可能性が」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/287771
・『「女子生徒が廊下に1列に並ばされて、シャツの胸を開けて下着をチェックされる」「男女一緒の体育館で下着の色をチェックされる」「違反した生徒は学校で下着を脱がされる」「男性教師が女子の下着のチェックをする」……。 これは福岡県弁護士会がこのほど発表した調査結果です。市立中学校の校則調査のため、昨年、生徒や保護者からヒアリングしたら、こんな驚くべきことが明らかになったというのです。 男性教師が女子生徒の下着を確認しているという配慮のなさだけでなく、そもそも何のための校則なのかなど突っ込みどころ満載のため、この記事に対する驚きの声がニュースのコメント欄やSNSに数多く投稿されました。 この記事の内容が事実であれば、その男性教師の行為は、場合によっては準強制わいせつ罪(刑法178条)や監護者わいせつ罪(刑法179条1項)、各都道府県の青少年健全育成条例違反(みだらな性交等の禁止)などに該当する可能性もあります』、「市立中学校」で「男性教師が女子の下着のチェックをする」、とはまさに犯罪的行為だ。女性教師も誰も声を上げないとは情けない。よく父兄から文句が出なかったものだ。
・『また男性教師の下着チェックにより不登校になった女子生徒もいたとのことです。生徒がPTSDやうつ病などの精神疾患を患ってしまった場合には、不法行為に基づく損害賠償請求(民法709条)をすることもできます。男性教師が学校の関与なく独断で下着チェックを行っていたとは通常考えにくいので、男性教師だけでなく、下着チェックをさせた、もしくは黙認していた学校(公立中学校なら県や市、私立中学校なら学校法人)に対しても損害賠償請求ができる可能性があります。 学校側は、校則を盾にして「下着のチェックに違法性はない」などと反論するかもしれません。しかし、下着のチェックは、髪形や服装以上に規制の必要性も相当性もありません。時代錯誤のホコリをかぶった校則に正当性が認められる可能性は低いのではないでしょうか。 女子生徒に限らず、男子生徒に対する下着チェックなども当然違法になり得ます。生徒に対するわいせつな意図を持った教師の職業動機となり得る校則は、できる限り排除されるべきです。 このような下着チェックのような時代錯誤の校則が、子供の学校にないか、実行されていないか、チェックする必要があります』、「男性教師の下着チェックにより不登校になった女子生徒もいた」、「下着チェックをさせた、もしくは黙認していた学校」だけでなく、教育委員会も責任重大だ。

第三に、4月13日付けNEWSポストセブン「千代田区の名門公立中学校で通知表に「1」を連発した新校長の主張」を紹介しよう。
https://www.news-postseven.com/archives/20210413_1649683.html?DETAIL
・『「髪型も服装も自由」「宿題なし」「中間・期末テスト廃止」──こんな改革を行なう公立中学がある。都内の千代田区立麹町中学校だ。先進的な教育を行なう同校に、ある異変が起きている。 「これまでの通知表は『3』や『4』が並んでいたのに、校長が変わると『1』ばかりに……」「ずっと『5』を取っていた科目が『2』になったので驚きました」 そう困惑するのは、3月まで麹町中に子供を通わせていた保護者たちだ。 永田町や霞が関に近い麹町中は古くから名門として知られ、麹町中から都立屈指の進学校・日比谷高校へと進むのが“エリートコース”とされていた。OBには岸田文雄・元外相やアナウンサーの露木茂氏などがいる。 そんな麹町中に革命をもたらしたのが、2014年に赴任した工藤勇一・前校長だ。 それまで都や区の教育委員会の職員だった工藤前校長は、赴任するや担任制度や宿題、定期テストを廃止。生徒の自主性を重んじる改革を断行し、一躍“教育界の風雲児”に。4冊の著書を出版したほか「教育再生実行会議」の有識者メンバーにも名を連ねている。 中でも注目されたのが、「単元テスト」の導入だ。 麹町中では宿題や定期テストの代わりに、授業の進捗ごとに単元テストと呼ばれる小テストを受ける。点数が低ければ、納得のいく点数に到達するまで何度でも再テストを受けることができる。 この方式は、「通知表の評価が上がりやすい」とある教育関係者が言う。 「ほかの公立中学は一発勝負の中間・期末テストの成績で判断されますが、麹町中は繰り返し再テストを受けて好成績を収めれば高評価が得やすい。 都の教育委員会は毎年、各公立中学の成績割合を公開しており、2019年の麹町中は生徒の45%が数学で『5』を、英語を除く他教科でも生徒の50%超が『4』以上を取っていた。工藤氏は雑誌のインタビューなどでも『生徒全員に5を付けて何が悪いのか』と公言しており、わざわざ住民票を学区内に移す“越境入学者”も絶えなかった」(同前) だが、冒頭の保護者のひとりは、「昨年3月に工藤先生が退任してから学校の印象は一変した」と話す』、「工藤勇一・前校長」による「改革」は確かに画期的だ。
・『署名運動の動きも  工藤前校長の退任後、2020年4月に新校長に就任したのは、元新宿区教育委員会職員の長田和義氏。工藤前校長とは旧知の間柄で、宿題や定期テスト廃止など工藤体制下で行なわれた改革路線を引き継いだが、生徒の通知表には変化があった。 「2020年の1学期から、『1』が複数付くようになりました。子供に理由を尋ねたら、『授業態度で成績を決められたみたい』と言っていた」(同前) 別の保護者もこう語る。「いままではどんなに苦手な科目でも『3』でしたが、昨年は複数科目で『2』が付いたので、目を疑いましたね。単元テストの結果が悪いわけでもなく、学校側に理由を聞きに行ったら、『授業に対する積極性や関心度を考慮した』と説明されて……。子供はきちんと授業に出ていたし、工藤校長時代はこんな成績が付くことはなかった。内申点が下がって志望校を変更した生徒さんも少なくなかったと聞きます」 工藤校長はいわゆる“やんちゃ”な子ほど目にかけるタイプで、校長室に呼んで親身に相談にのっていたという。 「でも、新校長は生徒と距離があった。成績についても、工藤校長は頑張れば頑張った分評価する“加点式”でしたが、いまは“減点式”というか、生徒の素行や態度が成績に直結する印象です。そういう学校ではないから入学させた保護者も多く、昨年末には不満を持つ保護者の間で署名運動を起こそうという動きがありました。コロナで立ち消えになっちゃいましたけど」(別の保護者) こうした声をどう受け止めるか。現在は横浜創英中学・高校で校長を務める工藤前校長に聞いた。 「後任の長田校長は新宿区教育委員会時代の部下で信頼しているし、僕の改革路線をしっかり継承していると聞いています。生徒の成績は基本的には単元テストを元にして、関心度や積極性など授業態度はプラスαの部分。生徒の学び合いを促進するなど、授業に積極的な姿勢があれば加点されることはありますが、態度が悪いからマイナスというのは考えられない」) 現職の長田校長もこう反論する。 「基本的に工藤校長時代のやり方を踏襲しています。単元テストが良ければ、それなりに成績に反映される仕組みです。恣意的な判断で『1』を付けることはないし、成績評価は公平を期している」 通知表に「1」や「2」が増えた点について問うと、こう答えた。 「うーん、個別のものになりますので何とも状況が……。即答はできないですね」(同前) 新学期の始まりとともに深まる対立を横目に、成績評価の“変化”にはさまざまな意見があるようだが、ある在校生の保護者はこう話した。 「確かに、うちの子も成績は下がった。ただ、工藤先生時代がちょっと異常だったというか、新校長になって、“普通の学校”に戻りつつあるだけなのかもしれません」 この通知表騒動に“正答”はあるのか。 取材協力/赤石晋一郎(ジャーナリスト)』、「長田校長」からは「「1」や「2」が増えた点について」、明確な回答はなかったようだ。「工藤前校長」も後輩をかばっているだけだ。内申書に影響するだけに見逃せないが、「不満を持つ保護者の間で署名運動を起こそうという動きがありました。コロナで立ち消えになっちゃいました」、「コロナで立ち消えに」というのであれば、それほど深刻な問題ではなかったようだ。
タグ:教育 yahooニュース 日刊ゲンダイ 麹町中学校 Newsポストセブン 髙橋裕樹弁護士 (その24)(萩生田文科大臣「人権・人格を否定する校則は望ましくない」 校則のHP公開にも前向きな姿勢、男性教師による女子生徒の下着チェックは犯罪の可能性が、千代田区の名門公立中学校で通知表に「1」を連発した新校長の主張) 「萩生田文科大臣「人権・人格を否定する校則は望ましくない」。校則のHP公開にも前向きな姿勢」 「ブラック校則」には腹が立つが、文科相と共産党議員の論議とは興味深そうだ。 「これらの校則や地毛証明書というのは生徒たちの生来の髪の毛が黒髪ストレートだと前提にしてしまっていることだと思うんです。それ以外の髪だと普通じゃないんだと言ってしまう。これは差別人権侵害だと思うし、この多様化の時代に黒髪ストレート以外は排除しますというようなことはあってはならないんじゃないかと思うんです」、その通りだ 「高校1年生の女子生徒は学校の指導に従って黒染めして行ったのに、黒染めが不十分だと教師4人に囲まれて、ビニールを被せられ、黒スプレーを噴霧される指導を受けて、彼女は恐怖で学校に行かれなくなったと話しています」、学校による明確な人権侵害だ 「小中高の不登校生徒のうち、不登校の主たる要因として、または、主たる要因以外の要因で、学校の決まり等をめぐる問題として挙げている児童生徒の数は合計で5572名」、こんなにも犠牲者が多いとは心底驚いた (校則を)「いまだに生徒会等で生徒が話し合おうとしたら、「いや校則の議論はしてはいけないんだ」とか「触れてはいけない」と言われたり、校則について意見を言った瞬間、内申に響くぞ、と脅されたりする学校もまだまだあると聞いています」、いまどきこんな学校があること自体が驚きだ。 「萩生田大臣:児童生徒への指導に当たり、先ほど申し上げた体罰等は当然許されないわけですけど、児童生徒の特性や発達の段階を十分に考慮することなく、厳しい指導、児童生徒の自尊感情の低下などを招き、児童生徒を精神的に追い詰めるような指導はあってはならないと思います 他方、それを文科大臣が変えろというのはなかなか建て付けとして難しいものもありますので、各学校でぜひ考えて頂きたいなと思っています 「文科大臣が変えろというのはなかなか建て付けとして難しいものもあります」、と一歩引いた立場に身を置いているのは、教育の国家統制を避けるのが背景にあるのだろうか。もっと積極的な姿勢を示してもよいのではなかろうか。 「男性教師による女子生徒の下着チェックは犯罪の可能性が」 「市立中学校」で「男性教師が女子の下着のチェックをする」、とは酷い話だ。よく父兄から文句が出なかったものだ。 「男性教師の下着チェックにより不登校になった女子生徒もいた」、「下着チェックをさせた、もしくは黙認していた学校」だけでなく、教育委員会も責任重大だ。 「千代田区の名門公立中学校で通知表に「1」を連発した新校長の主張」 「髪型も服装も自由」「宿題なし」「中間・期末テスト廃止」 工藤勇一・前校長 中でも注目されたのが、「単元テスト」の導入 新校長に就任したのは、元新宿区教育委員会職員の長田和義氏。工藤前校長とは旧知の間柄 「2020年の1学期から、『1』が複数付くようになりました。子供に理由を尋ねたら、『授業態度で成績を決められたみたい』と言っていた」(同前) 現職の長田校長 基本的に工藤校長時代のやり方を踏襲 通知表に「1」や「2」が増えた点について問うと、こう答えた。 「うーん、個別のものになりますので何とも状況が……。即答はできないですね」 「長田校長」からは「「1」や「2」が増えた点について」、明確な回答はなかったようだ。「工藤前校長」も後輩をかばっているだけだ。内申書に影響するだけに見逃せないが、「不満を持つ保護者の間で署名運動を起こそうという動きがありました。コロナで立ち消えになっちゃいました」、「コロナで立ち消えに」というのであれば、それほど深刻な問題ではなかったようだ
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情報セキュリティー・サイバー犯罪(その6)(楽天「転職元の機密流出で社員逮捕」仰天の弁明 真っ向からぶつかるソフトバンクと楽天の主張、LINE個人情報問題でユーザーにとっての「本当の不利益」とは何か、「何を今さら」前からわかっていたLINEの危うさ) [社会]

情報セキュリティー・サイバー犯罪については、2月16日に取上げた。今日は、(その6)(楽天「転職元の機密流出で社員逮捕」仰天の弁明 真っ向からぶつかるソフトバンクと楽天の主張、LINE個人情報問題でユーザーにとっての「本当の不利益」とは何か、「何を今さら」前からわかっていたLINEの危うさ)である。

先ずは、1月13日付け東洋経済オンラインが掲載した ITジャーナリストの本田 雅一氏による「楽天「転職元の機密流出で社員逮捕」仰天の弁明 真っ向からぶつかるソフトバンクと楽天の主張」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/403493
・『なんともお粗末な、産業スパイが疑われる事件が発覚した。 2019年12月31日までソフトバンクに在籍していたエンジニアが、最新の5Gネットワークに関する営業秘密を不正に持ち出し、翌日の2020年1月1日には競合の楽天モバイルに転職していたという事件だ。 ソフトバンクは情報の不正持ち出しを2020年2月に察知し、警視庁に相談。警視庁は1年近い捜査を経て、2021年1月12日に合場邦章容疑者を不正競争防止法違反の容疑で逮捕した。 執筆時点では、合場容疑者がどのような意図で流出した情報を使おうとしていた(使った)のか、詳しい動機や使途についてはわかっていない。 なお、この逮捕に際し、ソフトバンク、楽天モバイルの両社は、現時点で両社が把握している情報や見解をニュースリリースで発表しているが、その主張は正反対のものだ。 ソフトバンクは5Gを含む回線インフラ構築に関する技術情報が持ち出されたと主張しているが、楽天モバイルは技術情報は含まれていないと(執筆時点の発表では)主張している。 この事件を「お粗末」と表現したのは、その手法が‟産業スパイ”というにはあまりにも稚拙であることに加え、ソフトバンクの情報管理体制、楽天モバイルの広報対応ともに疑問符をつけざるをえないものだったからだ。【2020年1月12日19時45分追記】初出時、ソフトバンクの社名表記に誤りがありましたので修正しました』、両社の体制には「疑問符をつけざるをえない」、というのは確かだ。
・『遠隔接続で添付ファイルを自分自身にメール  合場容疑者はソフトバンクに在籍する最終日に社内サーバーに接続し、メールの添付ファイルとして自分自身が設定していたメールアドレスに送信していた。 あくまでも一般論だが、企業で使われているメールサーバーは情報流出や不正使用を防止するため、何らかの監視機能が設定されていることが多い。携帯電話事業者など情報機密が多い企業ならばなおさらのことだ。 機密情報へのアクセス記録やファイルを添付しての社外への送信などが行われれば、それらを察知することは可能であり、たとえすぐさま察知できなかったとしても、後日、記録を検証することで不正持ち出しがどのように行われたのか、簡単に把握できてしまう。 エンジニアである合場容疑者が、これほど安易で発覚しやすい手法で情報を盗み出したことは驚きだが、一方でこれほど安易な方法で情報を流出させたソフトバンクの情報システムにも驚かされる。) ソフトバンクによると持ち出された情報は「4Gおよび5Gネットワーク用の基地局設備や、基地局同士や基地局と交換機を結ぶ固定通信網に関する技術情報」で、こうした技術情報を楽天モバイルが利用しないよう情報の利用停止や廃棄を求める民事訴訟を起こすことを発表している。 しかし、そのような重要情報をメール添付で簡単に送信できていたこと自体が、衝撃的と言わざるをえない。添付ファイルのスキャン、重要書類の添付を上長の許可制にするなどの対策を施していなかったということだろう。 また、最終営業日を過ぎている大晦日という間際のタイミングに、退職予定者が機密情報にアクセスできる状態だったことにも疑問を持つ。エンジニアの転職の場合、転職先に制約が設けられていないならば、退職が決まってからの一定期間、情報を遮断するといった措置を取るものだ。ところが、ソフトバンクは、そうした基本的な情報管理ルールもできていたかったことを示している。 無論、ソフトバンク自身も、自社のシステム、セキュリティーポリシーについては深く反省しているようだ。ニュースリリースの中で2020年3月以降、以下のような対策を行ったとしている。 +情報資産管理の再強化(管理ポリシーの厳格化、棚卸しとアクセス権限の再度見直し) +退職予定者の業務用情報端末によるアクセス権限の停止や利用の制限の強化 +全役員と全社員向けのセキュリティー研修(未受講者は重要情報資産へのアクセス不可) +業務用OA端末の利用ログ全般を監視するシステムの導入 もし自社システムに照らし合わせて不安を感じるならば、今回のケースを他山の石として、システム運用やセキュリティーポリシーについて見直すのもいいだろう』、「ソフトバンクは、そうした基本的な情報管理ルールもできていたかったことを示している」、本当にお粗末の極みだ。
・『真っ向からぶつかるソフトバンクと楽天の主張  一方、楽天モバイルはモバイル通信インフラ整備を急いでいる時期であり、合場容疑者が持っていただろうネットワーク構築ノウハウの詰まった情報を欲していた可能性があり、翌日から在籍していることからも、何らかの形でソフトバンクの情報が使われた可能性はある。 そうした疑いを受けないためにも、雇用する側(つまり楽天モバイル側)が自社の評判を傷つけないためにも、競合で働いていたエンジニアを雇用する際には、一定の冷却期間を置いたり情報管理の面でクリーンであるための対策を行うべきだが、楽天モバイルにはそのような節度が欠けていた。 明らかになっている事実関係だけをみれば、自社のインフラ整備を加速させるためにライバル社からエンジニアを情報とともに引き抜いたと思われても仕方がない。この件は氷山の一角で、さまざまな場面でライバルに追いつくために同様の手法を使っていたと受けとめられることは避けられない。 「楽天モバイル」というブランドにダーティーなイメージがつけば、同社が信頼を回復するまでには大きな努力が必要となる。 ブランドへの大きなダメージを緩和するには、真摯な姿勢で今回の事件に向き合うことが重要なことは言うまでもない。ところが、楽天モバイルが出したニュースリリースは驚くべきものだった。 「事態の解明に向け、警察の捜査に全面的に協力していくとともに、厳粛に対処してまいります」と結んでいるものの「弊社では、社内調査を徹底しており、現時点までに、当該従業員が前職により得た営業情報を弊社業務に利用していたという事実は確認されておりません。また5Gに関する技術情報も含まれておりません」と、楽天モバイル側に瑕疵はなく、情報も一切活用していないばかりか、そもそも技術情報があるという事実はないと主張していたのだ。 しかし、この主張が文面どおりならば矛盾が生じる。 情報を持ち出された側は(アクセス履歴やサーバーのログなどから)技術情報が持ち出されたと主張し、警視庁もそれを確信したうえで逮捕したにもかかわらず、持ち出したエンジニアを雇用した側は技術情報がないと主張しているからだ』、「楽天モバイル」が「5G」構築で遅れていたとしても、こんなにストレートに「ライバル社からエンジニアを情報とともに引き抜いた」とすれば、余りにお粗末すぎるやり方だ。。
・『楽天モバイル声明に内在する矛盾  最も大きな疑問は、合場容疑者が持ち込んだ情報について、楽天モバイルは内容を把握しているのではないか、と思わせる文章になっていることだ。 楽天モバイルは「当該従業員が前職により得た営業情報を弊社業務に利用していたという事実は確認されておりません」と主張しているが、営業情報を保有していない、あるいは把握していないという表現はしていない。 そのうえで「5Gに関する技術情報も含まれておりません」とある。このように言い切るためには、持ち出された営業情報の内容を把握できていなければならない。さらに深読みするならば、4G(LTE)に関する技術情報は含まれていた、とも受け取れる表現だ。 ソフトバンクが民事訴訟を起こせば、さまざまな事実が明らかになっていくだろうが、楽天モバイルの声明はダメージコントロールをするどころか、ダメージをさらに深くしてしまう要素が散りばめられている。 機密情報を持つエンジニアの転職には、どんな業種であっても(事の大きさの違いこそあれ)問題が存在するものだ。このため転職時のルールをあらかじめ設けている企業も少なくない。 今回は電子的な文書での持ち出しというわかりやすい形だったが、ノウハウや人脈といった「その人自身に紐づいている価値」までは持ち出し不可にはできない。昨今、注目が急速に高まっているという話題、問題では決してないものの、今回の事件は企業内の情報をどのように運用するべきか、改めての議論を巻き起こすだろう。 今後の成り行き、より詳細な経緯についても注目していきたい』、「合場邦章容疑者を不正競争防止法違反の容疑で逮捕」、この刑事裁判の場で真実が明らかになれば、「ソフトバンク」があえて「民事訴訟」を起こすまでもないだろう。「楽天」は大丈夫だろうか。

次に、3月26日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏による「LINE個人情報問題でユーザーにとっての「本当の不利益」とは何か」を紹介しよう』。
https://diamond.jp/articles/-/266589
・『何がいけなかったのか? LINE個人情報問題の真の論点  世の中には時間がたつにつれ、「いったい何が問題だったのか?」ということがわかりにくくなることがあります。LINEの個人情報管理に関する問題もその1つで、公表されてから1週間がたちました。大きく2つの点が問題とされました。 1つは、2018年8月から2021年2月まで、業務委託先の中国企業の4人の技術者に、国内サーバにある個人情報へのアクセス権限が与えられていたことです。LINEによれば、業務に必要な範囲でアクセス権限をつけて管理していたもので、当該期間で計32回のアクセスがあったそうです。現時点で、すでにこの権限は停止されています。 もう1つは、韓国のサーバに会員が投稿した画像・動画などのデータを保管していたことです。この件についてもLINEは、国内サーバにデータを完全移管すると表明しました。 ちなみにこれらの問題の発覚後、政府や自治体などはLINEの利用を停止しています。一方で、企業の公式アカウントや個人ユーザーがLINE離れをしているようには見えません。LINEの情報管理は、具体的に何がいけなかったのでしょうか。 1つめの問題の論点は明確です。中国の国家情報法により、民間企業を通じて利用者のデータが当局に渡るリスクがある。だから安全保障上、中国企業のエンジニアに日本人の個人情報を扱う権限を与えてはいけないのだ、というのが問題の本質です。 LINEはプライバシーポリシーで、データを国外で処理することがあることは明示していましたが、国名の明記はしてきませんでした。法律上問題はなくても、政治上大問題だということで、国会で論議になっているわけです。 2つ目の問題は、あまり論理的ではなくデリケートな心理問題のようです。私たちは画像や動画などの個人データを、クラウドを通じて保存することに慣れています。クラウドの先にあるサーバがどこの国にあるのか、日頃それほど心配して生活しているわけではありません。 クラウドの名前がiCloudやGoogleドライブだったら、なんとなくではありますが、自分のデータはアメリカに行っているような気がします。LINEはもともと韓国の会社(今は日本企業が買収)だったので、サーバが韓国にあるというのは、消費者心理としてはべつに不思議でも何でもないと私は思いました。 アメリカも韓国も同盟国なので、公式には問題がないはずですが、現実には大問題とされ、LINEはサーバを国内に完全移管する方針を表明しました。なぜ韓国はダメで、アメリカはいいのか。誰も説明してくれない、よくわからない問題となっています。 LINEの出澤剛社長は「信頼を裏切ることになり非常に重く受け止める」と述べ、「法的にどうこうではなく、ユーザーが感じる気持ち悪さに対応するセンスや配慮がなかった」とこの問題を説明しました。ビジネスパーソンらしい機微が感じられる謝罪です』、「サーバが韓国にあるというのは、消費者心理としてはべつに不思議でも何でもない」、にも拘わらず、「サーバを国内に完全移管する方針を表明」、とはやはり「ユーザーが感じる気持ち悪さに対応」したのだろう。
・『日本の企業やユーザーが不利益を被る3つのポイント  では実際のところ、今回の騒動は日本の企業やLINEユーザーに、どのような不利益をもたらしかねないのでしょうか。大きくくくれば3つ、リスクの問題、コストの問題、そして技術力不足の問題があります。 リスクの問題としては、中国企業に個人情報を扱わせていたら国家情報法の餌食になるというものですが、これが現実には防ぎ切れない話だというのが、厄介なポイントです。 今回はLINEの判断により、今後LINE経由で私たちの個人情報が中国政府には渡らないことになるわけです。ところがグローバル経済では、他にいくらでも中国企業に依存しているITサービスは存在しています。 たとえば、大連でコンタクトセンターを運営している企業や、中国製のスマホを販売している携帯電話会社などは、私たちのリスクをどう守るつもりなのか。考えれば考えるほど、問題は果てしなくなります。 1つわかりやすい例を挙げれば、今や女子中高生の多くがTikTokを使っているので、家族に女子中高生がいる官僚や大企業幹部の個人情報は、厳密に言えば一般人よりも危ないわけです。米国のトランプ前大統領が中国企業をバッシングするときに指摘していたのもそういうことで、言い出したらきりがないことから、バイデン政権下ではTikTokを問題にしないことにしました。これはそういうレベルの問題なので、あまり政治家の皆さんもLINE問題をつつかないほうがいいと私には思えます。 それよりも切実な問題は、2番目のコストです。日本は電力が高いです。昔から電気をたくさん使う業界は、積極的に海外移転するのがセオリーでした。アルミの製造はその最たる例だし、最近だとビットコインのマイニングも日本では行いません。それと同じで、電気をたくさん食うサーバは電気の安い国に移転するほうが安上がりです。 それが今回の問題で、LINEは国内に移管することを約束してしまった。LINEを保有するZホールディングスの株価が3月24日に続落したのは、23日にそう表明したことで巨額なコスト増への懸念が広まったことが原因とされました。移管するなら電力の安いアメリカだったのではないか、と個人的には思います』、「TikTok」がどうなったのかと思ったら、「言い出したらきりがないことから、「バイデン政権下ではTikTokを問題にしないことにしました」、そんな経緯があったとは初めて知った。「サーバ」を「電気」が高い「国内に移管することを約束」、「株価」も下落する訳だ。
・『高度なIT開発を日本企業に任せたら、どうなるか  そして3番目に、最も厄介なのが、国内におけるIT技術力不足の問題です。そもそも日本企業のIT開発において、中国にその一部を委託するのは、かつてのように国内のコストが課題だからではなく、国内の技術力では開発できないからという課題の方が、近年では大きくなってきています。 これは開発ジャンルにもよりますが、機械学習による画像解析や自動化のような仕組みづくりは、本当は中国のエンジニアに任せたほうが品質の高いものができます。いまだにローテクのATMが突然使えなくなるのが、日本の実力です。LINEが中国の関連会社に委託していたのは、コンテンツ監視業務やその自動化だったそうです。 「試しに」と思って、私はつい数日前、それほど有名ではない公人の顔写真にセリフを重ねたLINEスタンプをつくって、LINEに申請してみました。最初から公開するつもりはなかった単なる実験でしたが、深夜に申請を上げ、朝起きてみたらすでに申請は却下されていました。 人間が目視でチェックしていたら、あの写真が私ではないことを、この短時間で判別することはできないはずです。LINEの運営がしっかりしていることを再認識する一方で、今後こういった高度なIT開発を日本企業に担当させたらどうなるのか、という問題意識を持ちました。 これら3つの不利益が問題だとすると、「LINEにデータの管理不備があった」というのは簡単ですが、国として「信頼回復に努めてほしい」という際に、本当にどこまで何をすべきなのかを指示することがとても難しいと思います。これはデリケートで、かつ多方面に影響を及ぼす問題なのです』、確かに「国内におけるIT技術力不足」問題を考慮すると、「デリケートで、かつ多方面に影響を及ぼす問題」のようだ。

第三に、4月5日付けJBPressが掲載した経済評論家の加谷 珪一氏による「「何を今さら」前からわかっていたLINEの危うさ」を紹介しよう。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64760
・『メッセージアプリ「LINE」の利用者情報が、システムの開発を受託している中国の関連会社で閲覧できる状態だったことが朝日新聞の報道で明らかとなった。同社は中国からのアクセスを遮断するとともに、データをすべて国内に移管する方針を発表したが、IT業界の事情に多少詳しい人からすれば、世論の反応も含めて「何を今さら」という感想を持ったことだろう。しかしながら、周回遅れとはいえこうした問題が議論されることになったこと自体は評価してよいかもしれない』、事情通の人には「何を今さら」だったのかも知れないが、私は世論と同じく怒りを覚えた。
・『LINEはれっきとした外資系企業だった  LINEでは、開発や運用を迅速に進めるため中国を含む海外拠点を活用している。中国の関連会社にシステム開発の一部を任せているほか、業務委託先の中にも中国の現地法人がある。業務委託先の現地法人では、タイムラインやオープンチャットなどの公開投稿にスパム行為などがないかをチェックしていたとされる。 LINE側の説明によると、中国の関連会社に在籍する中国人スタッフが、ライン利用者の名前や電話番号、メールアドレス、利用者が保存した画像といった個人情報にアクセス可能な状況が2年6カ月ほど続いていたという。 同社のプライバシーポリシーでは、個人情報のデータを第三国に移転する可能性があることについては記載されていたが、国内に保管されている個人情報に海外からアクセスできることについては記述がなかった。 一連の事態を受けてLINEでは、中国からの個人情報へのアクセスを遮断すると同時に、開発や保守に関する中国での業務を取りやめる方針を明らかにした。加えて、日本と韓国に分散して保有していたデータを順次、日本国内のサーバーに移管する方針を表明している。 いずれについても違法行為ではないが、利用者からすれば、どこでどのようにデータが扱われているのか分からないというのは不安要素が大きい。今後のデータの扱いに関して明確な方向性が示されたことは評価してよいだろう。だが、LINEに関する一連の出来事は、IT業界の事情を多少でも知っている人からすれば、以前から分かっていたことであり、周回遅れという印象は否めない。 LINEは今年(2021年)3月にヤフーとの経営統合が実現し、両社はZホールディングス(ソフトバンクグループ)の100%子会社となった。ソフトバンクグループの傘下に入ったことで、LINEはようやく日本企業になったわけだが、従来のLINEはれっきとした韓国資本の会社であった。 LINEはもともと韓国のIT企業ネイバー(NAVER)の子会社として日本で業務をスタートし、2016年に東証一部に上昇を果たした。登記は日本で行われ、経営トップこそ日本人が就任していたが、所有者が韓国企業である以上、LINEは韓国系企業であり、経営陣も多くが韓国人で占められていた。 韓国系の企業である以上、データが韓国で管理される可能性があるのは当然のことであり、アジアを中心にグローバル展開している現実を考えれば、日本と韓国以外の第三国の企業が運営に関与する確率も高くなる』、確かに言われてみれば、その通りだ。
・『今回の一件はソフトバンクグループの功績  筆者は、市場は可能な限りオープンな方がよいと考えており、外資系企業が積極的に日本市場に進出したり、日本の証券市場で上場することは、日本の国力を高める源泉になると評価している。ネイバーという韓国企業が、日本市場を選択し、LINEが日本で上場を果たしたことには大きな意義がある。 だが、国益のために積極的に外資系企業を呼び込むことと、外資系企業と国内企業を同一視することは根本的に意味が違う。LINEが日本国内で急成長した時期、データが韓国で管理されることについて危惧する声が一部から出たことがあったが、こうした指摘に対しては、どういうワケかバッシングまで行われる始末だった。LINEは日本のサービスであり、韓国のものではないという意見である。 こうした意見を声高に主張していた人たちの属性を見ると、結構な割合で、いわゆる嫌韓・嫌中系の人たちがいたことは非常に興味深い。彼等にとっては、自分たちが好んで使っているサービスが、韓国や中国の技術で作られているという現実が我慢ならないようなのである。LINEはメッセージングサービスのほかに、コンテンツ配信サービスなども提供しているが、LINEが提供しているコンテンツ配信サービスは、同じ系統の人たちに大人気の内容である。一般メディアによる報道も、LINEは日本が生み出した宝であるといったトーンの記事が異様なまでに多かった。 しかし、どれだけ「ジャパン」を強調し、日本の技術であると声高に叫んだところで、同社が外資系企業である以上、日本側が同社の経営をコントロールすることはできない。今回、LINEはデータの国内移管を表明したが、こうした対策が迅速に発表されたのも、同社がソフトバンクグループ入りしたことと決して無関係ではない(そもそも問題が発覚したのも、経営統合に関する協議がきっかけだと報道されている)。その意味で、LINEを本当の意味で日本企業にしたのはソフトバンクグループであり、同社を率いる孫正義氏は極めて大きな国益をもたらしたと考えてよいだろう』、「問題が発覚したのも、経営統合に関する協議がきっかけ」、だったとすれば、「経営統合」発表時にこの問題も発表した方がよかった。
・『LINEの個人情報問題は氷山の一角  LINEが今後の対策を迅速に表明したことで、同社固有の問題は一段落すると思われるが、これは日本全体からすれば氷山の一角に過ぎない。個人情報がずさんな形で管理され、外国から容易にアクセスされているケースは無数にあると考えるのが自然だ。 それほど大きな話題にはなっていないが、LINEの問題が報道される1カ月ほど前、日本国民全員に付与されているマイナンバーが中国に流出した可能性が国会で指摘されている。 問題を明らかにしたのは立憲民主党の長妻昭副代表で、長妻氏は2月17日の衆院予算委員会において「マイナンバーを含む日本人の個人情報が中国のネット上に流出している」と発言。これに対して日本年金機構の水島藤一郎理事長は奇妙な答弁を行っている。 長妻氏によると、個人情報が漏れていることを通報するメールが年金機構に送られたとのことであり、同氏がメールの真偽について正したところ、水島氏は、名前や年収、配偶者の年収、生年月日など、記載されている個人情報は「正しい」としながらも、マイナンバー部分については「それが正しいということを確定的に申し上げるわけにまいりません」と述べた。 日本年金機構は、個人データの入力を民間事業者に委託しており、委託を受けた国内の事業者が中国に再委託していたことが明らかとなっている。個人情報の流出はないと年金機構では説明してきたが、今回の一件との関係は不明である。もし流出が事実であれば、極めて重大な事案であるはずだが、国内の反応は驚くほど静かである。 菅政権はデジタル化が遅れているとの指摘を受けて、デジタル庁を創設。デジタル政府の構築を急ぐ方針を掲げている。だが、仮に年金機構のデータ漏洩が事実であれば、それ以前の問題であり、マイナンバーの制度そのものを再構築する必要性すら議論される可能性がある。 加えて言うと、行政のデジタル化に際しては各種クラウドサービスの積極的な利用も視野に入っている。物理的にサーバーを設置するよりもクラウドを活用した方がセキュリティを含め、あらゆる面で有利であることは自明の理だが、日本の場合、致命的な問題がある。それは、十分な技術力を持ったクラウド事業者が国内に存在しないという現実である。 行政組織のシステムをクラウドに移管する場合には、どうしても外国企業を選択せざるを得ず、そうなってしまえばデータを100%日本側が管理することは原理的に不可能になる。外国に行政の中枢データを握られるというリスクを承知した上で、技術力の高い海外クラウドを利用するのか、セキュリティレベルが低いというリスクを理解した上で、国内事業者を選択するのかという大きな決断を迫られることになる。 現時点ですべてを満たす解は存在しておらず、日本は厳しい選択をする必要があるのだが、最大の問題はこうした状態であることが、日本国内では十分に認知されていないことである。このまま、場当たり的にデジタル化を進めれば、いずれ大きな問題として顕在化するだろう』、「十分な技術力を持ったクラウド事業者が国内に存在しない」、のであれば、「外国に行政の中枢データを握られるというリスクを承知した上で、技術力の高い海外クラウドを利用する」、ただし、「外国」としては、中国は不可、欧米が望ましい。
タグ:東洋経済オンライン 鈴木貴博 ダイヤモンド・オンライン JBPRESS 本田 雅一 加谷 珪一 情報セキュリティー・サイバー犯罪 (その6)(楽天「転職元の機密流出で社員逮捕」仰天の弁明 真っ向からぶつかるソフトバンクと楽天の主張、LINE個人情報問題でユーザーにとっての「本当の不利益」とは何か、「何を今さら」前からわかっていたLINEの危うさ) 「楽天「転職元の機密流出で社員逮捕」仰天の弁明 真っ向からぶつかるソフトバンクと楽天の主張」 両社の体制には「疑問符をつけざるをえない」、というのは確かだ。 「ソフトバンクは、そうした基本的な情報管理ルールもできていたかったことを示している」、本当にお粗末の極みだ 「楽天モバイル」が「5G」構築で遅れていたとしても、こんなにストレートに「ライバル社からエンジニアを情報とともに引き抜いた」とすれば、余りにお粗末すぎるやり方だ。 「合場邦章容疑者を不正競争防止法違反の容疑で逮捕」、この刑事裁判の場で真実が明らかになれば、「ソフトバンク」があえて「民事訴訟」を起こすまでもないだろう。「楽天」は大丈夫だろうか。 「LINE個人情報問題でユーザーにとっての「本当の不利益」とは何か」 「サーバが韓国にあるというのは、消費者心理としてはべつに不思議でも何でもない」、にも拘わらず、「サーバを国内に完全移管する方針を表明」、とはやはり「ユーザーが感じる気持ち悪さに対応」したのだろう。 「TikTok」がどうなったのかと思ったら、「言い出したらきりがないことから、「バイデン政権下ではTikTokを問題にしないことにしました」、そんな経緯があったとは初めて知った 「サーバ」を「電気」が高い「国内に移管することを約束」、「株価」も下落する訳だ。 確かに「国内におけるIT技術力不足」問題を考慮すると、「デリケートで、かつ多方面に影響を及ぼす問題」のようだ。 「「何を今さら」前からわかっていたLINEの危うさ」 事情通の人には「何を今さら」だったのかも知れないが、私は世論と同じく怒りを覚えた 確かに言われてみれば、その通りだ 「問題が発覚したのも、経営統合に関する協議がきっかけ」、だったとすれば、「経営統合」発表時にこの問題も発表した方がよかった 「十分な技術力を持ったクラウド事業者が国内に存在しない」、のであれば、「外国に行政の中枢データを握られるというリスクを承知した上で、技術力の高い海外クラウドを利用する」、ただし、「外国」としては、中国は不可、欧米が望ましい
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女性活躍(その20)(優秀な女性が会社を辞める「育児より重大な理由」とは、丸川珠代氏、山田真貴子氏…「わきまえる女たち」が築き上げた罪の重さ わきまえてきた歴史を振り返る、小田嶋氏:告発する人間を異端視する世界) [社会]

女性活躍については、昨年11月5日に取上げた。今日は、(その20)(優秀な女性が会社を辞める「育児より重大な理由」とは、丸川珠代氏、山田真貴子氏…「わきまえる女たち」が築き上げた罪の重さ わきまえてきた歴史を振り返る、小田嶋氏:告発する人間を異端視する世界)である。

先ずは、昨年10月22日付けPRESIDENT WOMANが掲載したゴールドマン・サックス証券副会長のキャシー 松井氏による「優秀な女性が会社を辞める「育児より重大な理由」とは」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/39665
・『ウーマノミクス」の発表以来、日本の明るい未来のためには女性活躍が欠かせないと主張し続けてきた、ゴールドマン・サックス証券副会長のキャシー松井さんのところには、さまざまな企業のトップから、女性リーダーの育成方法に関する相談が数多く寄せられます。優秀な女性社員を育て、会社に愛着を持って長く働いてもらうためには? 女性自身が、やりがいを持って働ける環境をつくるには? コツを聞きました』、「キャシー 松井氏」は証券ストラテジストから出世の階段を駆け上がった有名人だ。
・『日本人女性が辞める理由は「育児」よりも「仕事への不満」(日本株ストラテジストの私が「働く女性が増えれば、経済にもプラスになる」という「ウーマノミクス」のリポートを書いたのは1999年。2013年に安倍晋三前首相の経済政策「アベノミクス」の成長戦略のひとつである女性活躍の裏付けに「ウーマノミクス」が使われたことで、いろいろな企業のトップから話を聞かせてほしいという依頼が増えました。 ここ数年でジェンダーや多様性の重要さは浸透してきたものの、実際に企業のトップと話してみると、相変わらず「女性は使いにくい」「せっかく『幹部候補に』と育てて昇進させても辞めてしまう」といった悩みが聞かれます。 しかし、アメリカの非営利シンクタンク、センター・フォー・ワーク・ライフ・ポリシー(CWCP)が行った、日本人女性とアメリカ人女性を対象にした調査によると、仕事を辞めたアメリカ人女性の74%が育児を理由に挙げていたのに対して、日本人女性の場合は育児を理由に挙げたのは32%と半分以下。一方、仕事に不満を感じて退職したアメリカ人女性は26%なのに対し、日本人女性は63%だったのです』、「日本」では「育児」が問題になる前に「仕事に不満を感じて退職」してしまうのかも知れない。
・『子育てインフラ整備“だけ”では、女性リーダーは増えない  日本人女性が仕事を辞める理由は、育児よりも、仕事への不満のほうが多かったのです。 だとすれば、保育園などの子育てインフラが整備されるだけでは、女性の退職は減らないでしょう。政府の介入しにくい、職場の課題の方が大きい。もちろん、子育てインフラの問題や、家庭内での役割分担、ステレオタイプなどの問題はまだまだ大きいですが、企業が女性にやりがいを持って働いてもらえるようにならないと、女性のリーダーは増えません』、その通りだ。
・『男性と同じやり方ではダメ  私はアメリカやアジアを中心に、世界中の企業で多くの女性社員を見てきましたが、仕事の能力については男女差よりも、圧倒的に個人差が大きいと感じています。 しかし、女性社員にやりがいを持って長く働いてもらおうとするときには、男性社員と同じやり方をしているだけではうまくいかないことが多いように感じます。昇進に対する意欲、評価に対する受け止め方、自己PRの仕方などで、女性は男性とは異なる傾向があるからです。そしてそのやり方には、ちょっとしたコツがあるのです。 私自身がやってきたことや、ゴールドマン・サックスがやってきたことの中から、参考になりそうなものをいくつかご紹介しましょう。 コツ① 男性よりも少し多めに励ます(「とても優秀な女性に昇進の打診をしても、本人が断ってくる」と嘆く経営者や管理職の人がよくいます。これは、決して女性にやる気がないわけではありません。能力はあるのに遠慮してしまう。日本だけでなく、海外でもよくみられる傾向です。こうした場合、私は必ず「一度打診して断られただけであきらめたんですか?」と聞くのですが、するとだいたい「そうです」と言われます。 こういう場合の私の提案は、もう一度打診してみることです。そして2回目の打診では、その人の直接の上司ではなく、そのまた上の上司から話してもらうことをお勧めします。その際には、「あなたをこのポストに推薦している理由は、こんなふうにたくさんあります。絶対大丈夫だと思ったからこそ推薦したんです。必ず私たちもサポートするから、もう一度考えてみたらどうですか」と話してもらいます。 これを読んでいる女性読者の中にも、心当たりがあるという人は多いのではないでしょうか。自分を過小評価してしまったり、遠慮してしまったり。あと一歩がなかなか踏み出せない。女性は男性よりも、少しだけ多めに励まし、背中を押してあげる必要があるのです』、「コツ①男性よりも少し多めに励ます」、というの確かに有効そうだ。
・『コツ② 能力の高い女性にはライフイベント前にタフな仕事を  ハイポテンシャルな女性には、結婚や出産、介護など、重要なライフイベントの前に、なるべくタフな仕事、つまり「チャレンジングだが、十分なサポートさえあればできる」というレベルの仕事を与えることをお勧めしています。 結婚や出産、子育て、介護などのライフイベントが起きたときに、女性が仕事を辞めずに続けられるかどうか、大きな力になるのは、仕事に対するモチベーションの高さです。仕事がおもしろくなかったり、自分は会社に必要とされていないと思うと、プライベートで変化があったとき、「無理に仕事を続ける必要はない」「家族の方を大事にすべきかも」と考えてしまう可能性があります。 仕事を続けるかどうか迷ったときに「やっぱり仕事を続けたい」と思えるモチベーションを持つには、「自分は周りから期待されている」「ここで仕事をしていれば成長できる」「私にしかできない仕事がある」と思えなければいけません。だからこそ、特に能力の高い女性には、あえてタフな仕事を任せるべきだと思うのです。 時々、「女性に優しい企業」といった言葉を聞きますが、この言い方は誤解を招くので良くないように思います。「女性が働きやすい」と言いたいのだろうと思いますが、女性に優しくし過ぎるのは良くありません。例えば、子どもがいる女性に対して「子育てで大変だろうから、大変なプロジェクトを任せるのはやめてあげよう」といった、間違った配慮。これは本当の優しさではありません。女性を、挑戦の機会から遠ざけてしまうことになるからです。 女性の側は、自分が必要とされているという実感が得られませんし、仕事におもしろさややりがいも感じられなくなってしまう。それに、男性社員と同等のレベルのタフな仕事、タフな挑戦、タフな評価をしていかないと、管理職にふさわしい女性社員もなかなか生まれません』、「コツ② 能力の高い女性にはライフイベント前にタフな仕事を」も、よく考えられた仕組みだ。
・『コツ③ 「スポンサー制度」を導入する  最近は多くの企業で、メンター制度を取り入れていると思いますが、ポテンシャルの高い、幹部候補となる女性にはそれを一歩進めて、「スポンサー制度」を採り入れてはどうでしょうか。 当社の場合、女性社員1人に対してスポンサーとして、その女性の所属部署ではないところにいる幹部クラスの社員が2人つきます。スポンサーになった人は、女性の上司から、本人の強みや成果、どんな改善余地があるかをヒアリングし、本人ともしっかり話をしてキャリアについてアドバイスします。例えばもし、彼女の能力が高く、成果も上げているけれど、担当している仕事の範囲が狭すぎるのであれば、「もう少し大きな仕事を担当してみては」「違うオフィスへの転勤を考えてみては」などと提案します。 スポンサーのもう一つの重要な役割は、その女性社員の成果や能力を宣伝して、自分の人脈を使って昇進のバックアップすることです。メンターが、女性社員を励まして主体的に行動を促す後方支援的な存在なのに対して、スポンサーは、より高みから女性社員を引き上げる存在と言えるでしょう。 男性の場合は、喫煙所や飲み会などで、若いうちからスポンサーの役割を担ってくれるような幹部と知り合う機会が多いのですが、女性はこうした機会が少ないものです。また、先ほども述べた通り、女性の場合はいくら優秀であっても、自分の業績や能力をPRするのが苦手な人が多い。そこを補完するのがスポンサー制度です。 スポンサーがついたからといって、その女性が昇進する保証は全くありません。ただ、スポンサーがついた女性は、「私は会社から必要とされている。会社は評価してくれている。私のためにこんなに時間を割いてくれた人がいる。頑張らなくては」と感じるようになります。先ほど、「女性は多めに励まして」と言いましたが、理由は同じです。こうして、“抱きしめられた”経験があれば、彼女が会社を辞めずに活躍し続ける可能性は高くなるでしょう』、「コツ③ 「スポンサー制度」もいい仕組みだ。
・『コツ④ 女性のネットワークづくりを支援する  会社が、女性のネットワークづくりを支援することも大切です。 当社では、幹部候補となる女性を対象としたスポンサー制度よりももっと若い、20代後半から30代前半くらいの女性社員を対象とした、「ウーマンズ・キャリア・ストラテジーズ・イニシアチブ」というプログラムを設けています。一般の企業でいう課長職手前くらいの女性に向けた、リーダーシップやネットワーキング、プレゼンテーションスキルなどを学ぶトレーニングプログラムです。 これは単に、キャリアアップに必要なスキルを身に付けてもらうためだけのものではありません。日本だけでなく、インドやシンガポール、中国などアジア太平洋全般にわたって、さまざまな国や地域の人と一緒に受講するのですが、同じ会社で頑張る同世代の女性のネットワークづくりも目的の一つです。視野が広がり、励みにもなりますし、将来に向けて長く大きな財産になります。特に、女性の少ない業界・業種で働く女性にとっては、こうしたネットワークの有無が、働き続けるうえでの大きな支えになります。実際、ゴールドマン・サックスではこのプログラムを始めてから、女性社員の離職率が低下しました』、「コツ④ 女性のネットワークづくりを支援する」、もいい制度だ。「ゴールドマン・サックスではこのプログラムを始めてから、女性社員の離職率が低下」、も当然だろう。
・『自分で自分の背中を押して 自分を過小評価してしまう、業績などをPRするのが苦手、などの傾向は、心当たりがあるという人も多いのではないかと思います。だとすれば、みなさんにとって、自分がやりがいを持って働き続けるには何が必要でしょうか。もし、「自分は会社から評価されていないのでは」「必要とされていないのでは」と考えることがあれば、実はそうではないことを知ってほしいと思います。社内に女性のネットワークがなければ、自分で作ってみるのも良いでしょう。そして、昇進の打診があれば、ぜひ自分で自分の背中を押して、チャレンジしてみてください。 ここでご紹介したコツが、今の職場について「何となく働きにくい」と思っている方、子育てや介護などに直面して仕事を続けるか心が揺れている方にとって、今の職場に何が足りないのか、どうしたら改善し、働き続けたいと思えるようになるのかを、見つけるヒントになればうれしいです。そしてもちろん、女性の部下の育成に悩んでいる人にも、参考にしてほしいと思います。(キャシー 松井氏の略歴はリンク先参照)』、説得力のある主張で、女性の活躍を真剣に取り組んでいる企業には、貴重なアドバイスになった筈だ。

次に、3月15日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリスト/前Business Insider Japan統括編集長の浜田 敬子氏による「丸川珠代氏、山田真貴子氏…「わきまえる女たち」が築き上げた罪の重さ わきまえてきた歴史を振り返る」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81137?imp=0
・『「わきまえる」とは何か  森喜朗・元東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の発言から1ヵ月余りが経ったが、あの発言によって日本のジェンダーギャップの実態や構造や背景が次々と明らかになって、議論は沈静化するどころか広がっている。 中でも今回得心がいったのが、日本の企業や組織で働いている女性には大きく分けて2種類いるということ、つまり「わきまえる女」と「わきまえない女」がいるということだ。森氏の「わきまえる」発言で、「そうかー、あの何とも言えない圧力は『わきまえろ』ということだったのね」と胸にストンと落ちた女性たちは多かったのではないだろうか。 そしてこの森発言の余波が収まらないのは、その後に起きたさまざまなこと、例えば森氏の後任をめぐる選考過程、選択的夫婦別姓制度をめぐっての女性議員の反応、全く別事件だけど総務省の接待疑惑…などで「わきまえた」女たちのサンプルを見せつけられたからだ。 「わきまえる」体験は、同調圧力の強い日本の組織で働く人であれば、男女限らずあるだろう。私だって、もちろんある。会議で「発言しないように」と言われて、その後発言をやめたこともある(「森会長だけじゃない…『会議は発言する場じゃない』と言われてきた現実」の記事に詳しい)』、「「わきまえる」体験は、同調圧力の強い日本の組織で働く人であれば、男女限らずあるだろう」、その通りだ。
・『それ以前も「おかしいな」  「ちょっと違うな」と思っても意見を飲み込んだことなんて、数えきれないくらいある。そのときも気持ちは、ひと言で言えば「保身」だ。この会社で、この組織で「面倒臭い女」と思われたくない、その想いがわきまえさせてしまう。 この記事で「会議で発言するな」と言われた体験や会食政治について考察した 「わきまえる女」と「わきまえない女」は綺麗に分かれた2種類の人間というより、時と場合によって2つを行き来したり、どちらかが極端に出たり、「わきまえた」側から「わきまえない」側に移行したりするものだと思う。 そう思うのも私自身、ある時から「わきまえる」ことは決して自分一人の問題でなく、周囲に与える影響が大きい、もっと言えば「罪深い」と感じるようになり、徐々にわきまえることを辞めたからだ。特に後輩世代の女性たちに与える影響が大きいと感じるようになったのだ。 改めて「わきまえること」の罪について考えてみたいと思う』、「私自身、ある時から「わきまえる」ことは決して自分一人の問題でなく、周囲に与える影響が大きい、もっと言えば「罪深い」と感じるようになり、徐々にわきまえることを辞めた」、なるほど。 
・『「女はわきまえるもの」という考えを固定化する  まさに森氏は、「組織委員会に女性は7人くらいおりますが、皆さん、わきまえておられて」と発言したわけだが、女性がわきまえて発言を慎めば、ただでさえ年長者が持っている「女性というものは男性より、一歩引いているもの」というステレオタイプな考えをより強固にしてしまう。 もともと年功序列的な日本の組織では女性だけでなく、男性の若手に対しても「わきまえろ」的空気は蔓延していて、発言するのはなかなか勇気のいることだ。 森氏はラグビー協会の女性理事たちが積極的に発言していることを「女性は会議での発言が長い」と批判したが、そうした場面、女性たちに出会ったことがなかったのだろう。出会わなければ、考え方は変わらない。つまりいつまでも発言を慎んでいたら、女性というものは発言しないものという固定観念を強固にする方に加担してしまうのだ』、「もともと年功序列的な日本の組織では女性だけでなく、男性の若手に対しても「わきまえろ」的空気は蔓延していて、発言するのはなかなか勇気のいることだ」、同感である。
・『わきまえた女しか登用されなくなる  「わきまえない」とは、自分が持った違和感や反論を口にすることだ。今日本の組織で意思決定層にいる年配の男性たちは、これまでの自分たちの仕事を「成功体験」として捉えている。新参者である女性がこれまでの手法や慣例に異議を申し立てたら、自分や自分の「成功」が否定された、と思うのだろう。異議を口にする側は決して個人を批判している訳ではないのに、なぜか男性側(意思決定層にいる女性も含む)は「自分が攻撃された」と感じてしまいがちだ。 多様性の本質的な意味や効果をわかっているリーダーは、あえて自分とは違う意見や価値観、経験を持った人を側に置いてその意見に耳を傾けるが、わきまえた集団の中で出世したリーダーはそうした「耳の痛い」意見を傾聴するトレーニングができていない。 とはいえ、第2次安倍政権で女性活躍推進法が施行され、世界的にも多様性に欠ける企業は成長性がないとして投資家サイドからも見放される流れになっている中では、女性登用は「しなければならない」命題。どうせ登用しなければいけないのなら、組織の調和を乱さず、異を唱えないわきまえた女性の方が面倒臭くない、という意識が働き、結果「わきまえた女」が登用される連鎖が続く。 橋本聖子氏が森氏の後任に選ばれた時に、「女性だったら、能力や適性がなくてもいいのか」という議論になったが、私はむしろ「森氏は父」とまで言った橋本氏が「わきまえてきた娘」から脱皮できるかに注目していた。 残念ながら今の日本型組織で全くわきまえずにきた女性がいきなり抜擢されることはほぼ無いと言っていい。であれば、女性たちはポジションに就くまでは戦略的にしたたかに「わきまえ」、権限を得たら改革を実践する戦法は現実的だと思う。橋本氏も五輪組織委会長就任後に、「女性の理事を40%増やす」だけでなく、「そこから何を打ち出せるか」と話している。 私は森氏発言後、上野千鶴子さんにインタビューしたのだが、「一匹狼」的に組織内で闘ってきた印象の強かった上野さんでさえ、東大教授就任後、組織で生き残るため、そして自分の目的を達成するためには、「根回し」なども厭わなかったという。 「組織で働いて組織で何かやろうと思ったら1人じゃどうにもならないんです。だから根回しと忖度もしましたよ(中略)。でもそれは組織で生きる人間としては当たり前のことで。ただ上の人に黙って従うということはしませんでした」(上野さん)(ビジネスインサイダー「上野千鶴子氏は組織をどう生き抜いたのか。孤立しないためにやった“根回し”(後編)」より)』、「上野千鶴子氏」も「根回しと忖度もしましたよ」、さもありなんだ。
・『女は納得しているというアリバイに使われる  男性だって、今のご時世、真正面から女性の意見に反対を唱えにくい。「ジェンダー問題に理解がない」「女性蔑視だ」と思われることを恐れるから。その時に使われるのが「わきまえた女」たちの意見だ。男性が自分の意見を補強するときに、彼女たちの意見を使う。「ほら、こういう意見だって女性の中にはあるんだから」と言われ、口をつぐんだこともある。「わきまえた女性」の存在が、「女性にはこういう意見もある」とアリバイに使われてしまうのだ。 それを強く感じるのが、選択的夫婦別姓制度についてだ。導入に反対し、地方議会の議員に反対するよう働きかけていた国会議員50人の中には、丸川珠代・男女共同参画・女性活躍担当大臣(よりにもよってなぜ彼女がこのポジションなのかと思うが)や高市早苗・前総務相など女性議員もいる。丸川氏は国会で、大臣として戸籍名(大塚)をサインしなければならなかった苦労まで語っているのに、なぜ導入に反対するのか、理解に苦しむし、肝心な理由を明らかにしない。 しかし、こういう女性たちが何人かいるだけで、「旧姓の通称使用でいいじゃない」「彼女たちはうまくやっているじゃない」とアリバイに使われてしまうのだ』、「「わきまえた女性」の存在が、「女性にはこういう意見もある」とアリバイに使われてしまうのだ」、その通りだ。
・『わきまえた女は過剰適応し、先鋭化する  先の丸川氏で言えば、最近、国会での「大笑いシーン」が波紋を呼んだ。選択的夫婦別姓制度について、福島瑞穂氏が「丸川というのは旧姓ですよね。家族で姓が違うじゃないですか。家族の一体感、ないですか?」と丸川氏に質問したところ、何がおかしいのか全くわからない文脈で、大笑いしたのだ。私はこの映像を見たときゾッとした。 丸川氏は2007年、当時首相だった安倍氏に見出され政界入りした。元アナウンサーという経歴だからか、安倍氏の“寵愛”を受けていたからか、選挙の応援演説など当選回数が浅いうちから目立つ場所に立ち続けてきた。環境相や五輪担当相を歴任し、今回も橋本聖子氏の後任として五輪担当相に再任、男女共同参画相にも就くなど、自民党内での出世街道まっしぐらだ。 丸川氏にゾッとしたのは、今回が初めてではない。自民党が下野した野党時代、丸川氏はヤジを飛ばすことで有名だった。2010年3月、参院厚生労働委員会で、子ども手当法案が強行採決された時、「この愚か者めが!」「このくだらん選択をしたバカ者どもを絶対忘れん!」 という彼女の大声が国会中継で流れたことが話題になった。 のちに、テレビ朝日時代の彼女を知る人に聞いたのだが、テレ朝時代はそんな片鱗はなかったという。その人も彼女の変化に驚いていた。 女性が出世するためには、残念ながらまだまだ実力や地位にある男性たちに引き上げてもらわなければならない。だから引き上げてくれた人に恩義を感じるという気持ちはわからないでもない。でも男性以上に、女性の方が引き上げてくれた男性に過剰になびき、その男性の意見を代弁し、どんどん先鋭化していくーー丸川氏を見ていて、この人は誰の価値観を代弁しているのだろうかと思ってしまうのだ』、「自民党が下野した野党時代、丸川氏はヤジを飛ばすことで有名だった」、初めて知った。
・『わきまえてエラくなった女をみて、管理職を躊躇する  もう1人、この間「わきまえた女」のサンプルとして登場したのが、総務省接待問題で7万円もの高額接待を受けた山田真貴子・前内閣広報官だ。出身母体の総務省では事務次官に次ぐポストの審議官まで上りつめ、安倍首相時代には初の女性首相秘書官にも抜擢された。その山田氏の言動に驚いたのは、高額接待を受けていたこともさることながら、「飲み会を断らない」と豪語したことだ。 今、女性たちを管理職に登用しようにも、女性たち側が躊躇するという悩みは企業の人事に共通する。経済同友会の櫻田謙悟代表幹事は、女性管理職が少ない理由について、「女性側にも全く問題がないわけではない」とし、自らチャンスを取りに行く人が少ないと指摘した。 だが、私が多くの後輩世代の女性たちと話して感じるのは、それは女性側の問題ではない、ということだ。 私自身、管理職と子育ての両立をするために、実家の両親を東京に呼び寄せ、子育てを全面的に手伝ってもらったが、そのこと自体が後輩世代にどれだけのプレッシャーを与えたのか、と後になって反省した。先輩世代が親やシッターをフル活用して仕事をしている姿を見て、同じようにしなければ私も好きな週刊誌の仕事はとても続けられないと思って選択した苦肉の策ではあったものの、「あそこまでしなければ管理職は務まらないのか」という間違ったメッセージを送ってしまい、管理職への心のハードルをあげてしまったのでは、と思っている。実際、私の3つ下の後輩は、同じように実家から親を東京に呼び寄せた。 バブル世代、均等法世代の私たちと違って、後輩世代は自分たち夫婦で子育てもしながら、その範囲で仕事も頑張りたいと思っている。 「飲み会を断らない」山田氏にもお子さんがいたと聞く。おそらく飲み会だけでなく、残業も厭わず働いてきたのだろう。その間、子育てはどうしていたのだろう。山田氏の働き方を見て、ああいう風になりたいと思っていた女性たちはどれだけいるのだろうか。むしろあそこまでしなければ出世できないなら、と諦めていく女性たちの姿が私には容易に想像できる。 せっかく出世したのなら、もっとポジションを生かしてできることは他にあったのではないか。夜の高額な接待に出かけるより、子育てや介護など家族の事情でどうしても働く時間に制約がある人でも能力を発揮しやすいような職場づくり、働き方の改革は、実はトップや管理職にしかできない』、「せっかく出世したのなら、もっとポジションを生かしてできることは他にあったのではないか」、正論ではあるが、与えられた職務を遂行するだけの方が樂なのではあるまいか。
・『空気を読みすぎて時代が読めなくなる  山田氏を見ていてもう一つ思ったことは、「わきまえ続けてると、組織内の空気は読めるけど、時代が読めなくなる」ということだった。 ひたすら所属する組織の文化に適応し、上司や引き立ててくれる実力者の気持ちを忖度するようになると、その組織の論理にズッポリと染まってしまう。 その「飲み会を絶対断らない」発言は10年も前のものではない。2020年の、しかも若者に向けた動画でのメッセージだった。聞いた若者たちはどう思っただろう。男女問わずドン引きだったのではないか。就職先を選ぶにも、ワーク・ライフ・バランスを重視するという今の若者たちのことを山田氏は知らなかったのだろうか。そんな人が組織のトップにいれば、若手の官僚が長時間労働の中でやりがいを喪失して、早期に退職していく、という現実が改善されないのも無理はない、と思った』、「「わきまえ続けてると、組織内の空気は読めるけど、時代が読めなくなる」、確かにその通りなのだろう。
・『わきまえる踏み絵を踏むかどうか  拙著『働く女子と罪悪感』にも書いたエピソードなのだが、私はAERAの編集長になる際に「反省文」を役員に書かされたことがある。時と場合によって「わきまえ」てきたが、それでも時々は上司や経営層に意見も言ってきた。反省文を書くよう要求したその人はむしろ「良かれ」と思って私に忠告してくれたのだ。 「社長は浜田を編集長にすることにまだ不安を思っている」 その理由は私の能力というよりも、「言うことを聞く」かどうか、つまり自分たちのコントロールが効くかどうかが不安だったのだ。だから、「反省文」を書いて忠誠を示せ、ということだったのだろう。男性はこうやって忠誠の「踏み絵」をいろんな形で踏まされてきたのか。わきまえた女には必要ないのだろうが、わきまえない、わきまえなさそうな女が「男村」に入るときはこうした儀式が必要なのだとも思った。 結局、私は反省文を書いた。この時書いてしまった苦い思いが、私にわきまえることを辞めさせる一つのきっかけとなった』、筆者が「AERAの編集長」だったとは初めて知ったが、「「反省文」を書いて忠誠を示」した、朝日でもそこまでするのかと驚かされた。

第三に、3月26日付け日経ビジネスオンラインが掲載したコラムニストの小田嶋 隆氏による「告発する人間を異端視する世界」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00113/
・『先週から今週にかけて、似たような事件が3件続発した。 「似たような事件」とは言っても、細かく見て行けば、背景は微妙に違っている。個々の事件が明るみに出した問題点も、それぞれに異なっている。ところが、3つの話題を伝える報道記事をひとつのテーブルの上に並べてみると、あらまあびっくり、なんとも見事な「女性蔑視連続事件」とでも言うべきひとつのシリーズが出来上がってしまっている。ここのところがポイントだ。 つまり、われわれは、それぞれに異なった別々の出来事が、ほとんどまるで同じひとつの事件であるように見えてしまうメディア環境の中で暮らしている。このことは、われわれの感覚が粗雑になっているということでもあれば、メディアによる報道がそれだけ劣化してきているということでもある。 今回は、この1週間ほどに相次いで発覚した3つの炎上案件をひとまとめに扱うことで、それらの出来事に共通の背景を与えている「気分」に迫りたいと思っている。 個人的には、個々の事件の個別の影響よりも、3つの事件が相次いで報じられたことがもたらすであろうひとまとまりの副作用に、強い憂慮の念を抱いている。 その「副作用」とは、ごく大雑把に言えば、「また女性さまがらみの怒られ案件かよ」「つまりアレだ。オレらがさつな男どもは、弱者さまの強権ぶりにはまるで太刀打ちできないってことだわな」「女性のみなさんのお気持ちに配慮できない男はパージされて、立場と職を失うことになるのだからして、おまいらも注意したほうがいいぞwww」 てな調子で拡散しつつある陰にこもった反発の気分のことだ。 ぜひ注意せねばならないのは、そもそもこの3つの事件は、その同じ「気分」(「女性」「フェミニズム」「ジェンダー平等」「弱者利権」「リベラリズム」「ポリティカル・コレクトネス(PC)」「キャンセル・カルチャー」などなどへの漠然とした反発)が惹起した感情的な暴発を含んでいる点だ。 それはつまり、「反フェミニズム」「反リベラル」「反PC」「嫌キャンセル・カルチャー」は、先週から今週にかけて報じられた3つの事件の原因でもあれば結果でもあるわけで、してみると、この先、この反動形成による無限ループは、バカにならない圧力を生み出しかねない。 以下に、「3つの事件」についてのごく大まかな解説と、その事件を扱った記事へのリンクを紹介しておく。 1.タレントの渡辺直美さんを「オリンピッグ」(←五輪の豚?)とする演出案を提案していた旨を報じられたクリエイティブディレクターの佐々木宏氏が、3月18日に東京五輪・パラリンピック大会開閉会式の演出リーダーを辞任する意向を表明し、了承された。「東京五輪パラ関係者また「退場」、女性タレントをブタに例える」 2.ベストセラー『応仁の乱』の著者として知られる国際日本文化研究センター助教の呉座勇一氏が、女性研究者らを中傷する投稿をしたとしてツイッター上で謝罪した問題で、日文研が謝罪コメントを発表した。「呉座勇一氏の投稿『到底容認されない発言』 日文研謝罪」 3.テレビ朝日で放映中の「報道ステーション」が、3月24日、ネット上で「女性蔑視ではないか」という指摘が相次いでいたウェブCMを取り下げ、謝罪した。「『女性蔑視』指摘受けた報道ステーションのウェブCM、テレビ朝日が取り下げ」 当稿では、ひとつひとつの事件の詳細に立ち入ることはしないつもりだ。書くことはいくらでもあるのだが、いちいち追いかけていたらキリがないし、また、おそらく、個々の事件に詳しく触れた原稿を書けば書いたで、過半の読者はうんざりするはずだからだ。 「またかよ」と。 なので、今回はその「またかよ」という気分そのものを主題に持って来つつ、その気分を読み解く作業に行数を費やすつもりでいる』、「この先、この反動形成による無限ループは、バカにならない圧力を生み出しかねない」、というのは鋭い指摘だ。
・『とはいえ、3つの事件を、このまま、見出しを紹介したのみで処理し去るのは、釈然としない(もちろん「釈然としない」のは私の側の気分の話で、読者がどう思うのかは私にはわからない)ので、以下、箇条書きの範囲内で感想を述べておく。 1.当件の主たる問題点は、渡辺直美さんに対して発動された女性蔑視演出案ではない。むしろ、悪質なのは、佐々木宏氏(ならびにその背後で権力を振るっていた森喜朗前東京五輪・パラリンピック組織委員会会長)による、五輪演出チーム排除&演出利権横奪の経緯だ。「文春砲」の記事の焦点もそこにある。女性蔑視または容姿差別演出のプランは、「キャッチーな見出し」「使い勝手の良い追及ツール」として機能した可能性が考えられる。 2.呉座氏による一連のツイッター投稿は、たしかにひどいものではあった。とはいえ、もっと凶悪なツイートを連発している投稿者はいくらでもいる。では、どうして呉座氏だけが告発され、炎上し、責任を取らされたのかといえば、彼が「実名身バレ」の、一種「堂々たる」設定で、無防備な中傷ネタを発信していたからだ。 つまりこの事件の本質は、投稿の悪質さそのものよりも、「鍵アカウント」(相互承認したアカウント同士が内輪で楽しむ設定のツイッター利用)の防御力を過信した、呉座氏のネットリテラシーの貧困さ(←「鍵アカウント」であっても、フォロワーが3000人以上もいれば、事実上は公開設定と変わらない。こんなことはツイッター利用者にとっては常識以前の話だ)に求めなければならない。 してみると呉座氏をして裸の王様(かわいそうな呉座先生は自分が全裸で公共の場を歩いていることに最後まで無自覚だった)たらしめていたのは、匿名&随時逃亡準備完了の状態で誹謗中傷投稿を楽しみつつ、生身の実名アカウントである呉座氏のあまりにもナイーブな本音投稿を囃し立てていた取り巻き連中(←だってじきに炎上することは誰の目にも明らかだったわけだから)だったわけで、主たる罪もまた彼らにある。呉座氏は、ある意味で、被害者ですらあった。 例によって、一連の炎上騒動を呉座氏の投稿を告発した女性研究者に帰責するテの立論が一部でやりとりされているが、それらの言説が悪辣な論理のすり替えであることは、この場を借りて明言しておく。被害を訴えただけの被害者がどうしてトラブルの責任を負わなければならないというのだろうか。 ついでに言えばだが、当件においても、「女性蔑視」「女性差別」は、「キャッチーな見出し」「使い勝手の良い追及ツール」として用いられていた側面が大きい。事件の本質は「匿名逆張り論客によるアカデミズムならびに社会への復讐」と、「その彼らによる著名アカウントを利用した小遣い稼ぎ」だ。 匿名ネット論客の彼らが無傷なのは、彼らが匿名であるからというよりは「無名」(つまり、誹謗中傷された側の人間が、手間とカネをかけて告発するコストに見合うだけの内実を、彼らがあらかじめ持っていないということ)だからで、さらに言えば、彼らが「無敵の人」(←失うものを持っていない)だからだ。その点、呉座先生は失うものをあまりにも多く持っていた。 3.まず、素材としてのウェブCM自体が、多くの論者によって指摘されている通り、どうにもぞんざいな制作物だった。「ジェンダー平等」という言葉の扱いが無神経かつ浅薄であることはもとより、動画の末尾の部分で表示される「こいつ報ステみてるな」というテロップが、それまで画面に向かってひとりしゃべりを続けていた女性に対して失礼極まりない点も無視できない。総体として、若い女性を軽佻かつ無自覚な人間として扱っているところに、制作者の偏見が覆いようもなく露呈している。 ただ、より深刻なのは、報道機関であるテレビ朝日が、まっとうな謝罪のテンプレートを世間に示すことができなかった点だ。常日頃は、不祥事に関わった人物や組織に謝罪や弁明を求める役割をこなしている報道機関なればこそ、自分が謝罪せねばならない場面に立たされた時には、世の模範になる百点満点の謝罪を提示せねばならなかったはずだ。 ところが、テレビ朝日の謝罪は、謝罪会見すら開かない、半端な書き置き(←テキストファイルでさえない、お詫び文書の画像ファイルをウェブ上に掲示しただけだった。お詫びの文言をテキストでなく、画像で提供したということはつまり、「引用するな」ということですよね? 一体どこまで視聴者をバカにしているのでしょうか)を残したのみの、ミもフタもない逃走劇だった。こんな謝罪をしているようでは、今後、他者の責任を追及する取材は永久に不可能になると思われる。 もうひとつ、当該CMの制作責任者ならびに制作過程と、CM制作をめぐる議論および承認に至る経緯を公開していない点も、報道機関としてなさけないの一語に尽きる。思うに、現場のニュース制作者たちは、公開前にこのCMを見せられていないはずだ(逆に言えば、見せられていれば黙っていたはずがないし、見せられて黙っていたのだとすれば、いよいよ完全にどうしようもない)。だとすると、番組をめぐるガバナンスが機能しているのかどうかが、大きな疑問として浮かび上がることになる。今後の一番の注目点はそこだと思う』、「テレビ朝日の謝罪」は、「今後、他者の責任を追及する取材は永久に不可能になると思われる。 もうひとつ、当該CMの制作責任者ならびに制作過程と、CM制作をめぐる議論および承認に至る経緯を公開していない点も、報道機関としてなさけないの一語に尽きる」、驕り高ぶった姿勢のままだったようだ。
・『ひとことだけのつもりが、けっこう長くなってしまった。 ともあれ、上記の3つの女性蔑視案件の報道を受けて、現在、ネット上では「反作用」とも言うべき怨嗟の声が反響している。 ネット上だけではない。 既存メディアの中にも、世間の反発の気分に乗っかることで、部数やページビューを稼ごうとする動きが顕在化しはじめている。 たとえば、この記事 などは、キャンセル・カルチャー(←社会の中で抗議活動や不買運動が過剰な力を発揮する現象)への反発をそのまま書き起こしたテキストと言って良い。 記事(といっても、昨今目立つ、テレビ番組内のコメントを書き起こしただけのいわゆる「コタツ記事」なのだが)の中で、北村弁護士は、《 -略- 「今回辞任されるのは、ものすごい生きづらくなってきたなって世の中が。森(喜朗)さんの発言はボクも納得できなかったけど、世間からの叩かれ方がある意味、異常といえるぐらいすごかったんですね。ああいう状況に陥ると考えて辞任されたのかなと思うと、悪いことは悪いけど、異常にバッシングする雰囲気は少し抑えた方がいいのかなと思います」 -略-》と言っている。 たしかに、氏が指摘している通り、本来内輪のやりとりであるはずの「企画段階の演出案のLINE送信」が、商業誌の誌面で暴露されていることは、一見、由々しき事態に見える。また、企画段階でボツになった演出案が問題視されて、責任者の辞任につながっている流れも、この部分だけをとらえてみれば、不気味極まりない「密告屋社会の到来」てな話になるのだろう。 しかしながら、前述した通り、本件のキモは女性蔑視演出案ではなく、週刊文春の有料記事を最後まで読めばわかるが、あくまでも「佐々木氏とその周辺の人々が、進行中だった五輪演出チームの演出プランに不当に介入し、結果として演出リーダーの地位を横奪するに至ったその経緯と手口」だ。 もうひとつ言っておくなら、北村氏の言う 《ものすごい生きづらくなってきたなって世の中が》 という感慨は、これまで、女性蔑視ネタの笑いや、容姿差別的な企画案を臆面もなく口外してきた側の人間であればこそ抱くことのできるお気楽な嘆き以上のものではない。 これまで、その「抑圧者」「差別者」「権力者」たちがのびのびと 「生きやすく」暮らしてきた社会は、とりもなおさず、その彼らの差別や虐待のターゲットになってきた人々にとっては、抑圧そのものだったわけで、その差別や虐待が許されなくなって 「不用意な差別ネタをうっかり口にできなくなってしまった世の中」が、到来したのだとすれば、その社会は、むしろ、被抑圧者にとっては、のびのびと生きやすくなっているはずだ……という、そこのところをおさえておかないとこの話の全体像は完結しない。つまり、北村弁護士は、ご自身が生きやすく生きていたこれまでの生き方を自省すべき時期に立ち至っていることを自覚すべきなのだ。まあ、余計なお世話ではある』、「本件のキモは女性蔑視演出案ではなく、週刊文春の有料記事を最後まで読めばわかるが、あくまでも「佐々木氏とその周辺の人々が、進行中だった五輪演出チームの演出プランに不当に介入し、結果として演出リーダーの地位を横奪するに至ったその経緯と手口」だ、確かにこの問題については、その後の追及の動きはなさそうだ。
・『ほかにもたとえば、産経新聞のこの記事 などは、苦情社会の息苦しさを代弁した典型例だろう。 これも、「一理ある」と言えばその通りなのだが、 《エンターテインメントの世界で活躍する渡辺さん本人が寄せたコメントの全文を読むと、侮辱されたとは思っていないのも分かる。》 という増田明美さんによる要約は、端的に間違っている。 渡辺直美さんは、事務所を通して出した公式コメントの中では、ご自身の感情を明らかにすることは控えている。 しかし、YouTubeチャンネルでの言及を報じた記事によると 《-略- 一部で「芸人だったらやるでしょ」という声も受けたといい、「もしもその演出プランが採用されて、私のところに来たら私は絶対に断るし、その演出を私は批判すると思う。目の前でちゃんと言うと思う」と断言し「だって普通に考えて面白くないし、意図がわからない」と説明していた。-略-》 と、ここでは演出への感情を表明している。 何が言いたいのかを説明する。 3連続で炎上した女性蔑視案件の報道を受けて、いま、世間では 「苦情を言う人」「抗議する人々」「不満を述べる人間」「怒りを表明する者」「群れ集って抗議行動を起こす団体」 に対する、忌避感が急速に高まっている。 「あーあ、めんどうくさい人たちだなあ」てな調子で 「わきまえない女たち」への嫌悪感が増幅しているというふうに言い換えても良い。 昨年来、もっぱら海の向こうから伝わって来ていた「#MeToo」やBLMの運動への反発を核としてひとつの勢力を形成しはじめていたネット言論が、ここへ来て、いよいよ形をなしはじめている感じだ。 その感情をひとことで表現すれば、あるいは 「うっせえわ」ということになるのだろうか。 面白いのは、この「うっせえわ」の声が、権力や、政治や、体制には決して向かわないことだ。 「うっせえわ」という、この穏やかならぬ感情は、むしろ、もっぱら、権力や体制や政治に抗議する人々に向けての叫びとして、ぶつけられはじめている。 私は、このことにとても強い警戒感を抱いている。 もっとも、こんなことを言っている私とて、個人的な感情としては、機嫌の悪い人よりは機嫌の良い人の方が好きだ。怒っている人よりはニコニコしている人々と付き合いたいものだとも考えている。 ただ、人はいつも機嫌良く暮らせるわけではない。 特に、現実に苦しんでいる人は、そうそうニコニコばかりもしていられない。当然だ。 だからこそ、他人の不機嫌や怒りに耳を傾ける態度を持たないと、世の中は、恵まれた人だけが得をする場所になってしまう、と、少なくとも私はそう考えている次第なのだ。 「いつもニコニコしている人」には、二通りのパターンがある。 ひとつは「他者に不機嫌な顔を見せないマナーが身についている極めて人間のできた人々」で、もうひとつの類型は「単に恵まれた人たち」だ。 「いつもニコニコしていること」を個人の目標として掲げることは、決して悪いことではない。むしろ、素晴らしいことでさえある。 しかしながら、その一方で、「いつもニコニコしていること」を、他人に求めることは、時に、あからさまな抑圧になる』、「この「うっせえわ」の声が、権力や、政治や、体制には決して向かわないことだ。 「うっせえわ」という、この穏やかならぬ感情は、むしろ、もっぱら、権力や体制や政治に抗議する人々に向けての叫びとして、ぶつけられはじめている」、ネット右翼系なのだろうか。
・『であるから、渡辺直美さんが、例の「オリンピッグ」の演出に対して最初に出した公式コメント(←全方位的に誰も責めていない極めて穏当で抑制の利いた文案でした)を、過剰に賞賛する各方面の声に、私は、強い違和感を抱いたのだ。 なので、ツイッター上に 《個人的には、渡辺直美さんのコメントへの過剰な賞賛がSNS上でこれ見よがしに拡散されていることと、伊藤詩織さんへの不当なバッシングが一向に衰えないことは、ひとつながりの出来事なのだと思っている。要するにうちの国の男たちは「屈辱の中にあって笑顔を絶やさない女性」が大好きなのだね。》という発信をした。 このツイートには、賛同と反発の両方の反応があった。 ……それはつまり、わざわざ発信者に反発の意思を伝えてくる人間が、それなりの人数として存在していたということは 「わりと反発された」と受け止めなければならないのだろう。 ひるがえって、渡辺直美さんのコメントを手放しで賞賛しているツイートには盛大な「いいね」が付けられている。 ということは、やはり人々は、機嫌の良い人々によるポジティブな発信の方を好んでいるわけだ。 ケチをつけるために取り上げたと思われるのは心外なので、以下、概要だけを引用する次第なのだが、つい先日、ある人気アカウントが投稿した 「不機嫌な態度をとるほうが、得する世界が終わりになるといいな」 という意味のシンプルなツイートが、丸一日ほどのうちに約13万件の「いいね」を獲得するという“事件”があった。 この事実に、私は静かに打ちのめされている。 人々はどうやら「キャンセル・カルチャー」にうんざりしはじめている。 のみならず、抗議や告発をめんどうくさがりはじめている。 この流れは、もはやキャンセルできないのかもしれない。 もっとも、「不機嫌な態度をとるほうが、得する世界が終わりになるといいな」 というこのシンプルな言明が人々の心をとらえたのは、必ずしも、抗議する人々への忌避感からではないのだろう。 むしろ「威張り散らす権力者」や、「意味なくにらみつけてくるおっさん」や、 「やたらとカリカリしている顧客」 が醸しているいやーな感じを的確に言語化してくれたツイートへの賛意が、約13万件の「いいね」であったと考える方が自然だ』、なるほど。
・『とはいえ、コロナ禍の渦中で抑圧を感じているわれら日本人が、ギスギスした世間の空気にうんざりしていることもまた事実ではある。 そんな中で、たとえば 「プロテストする人々」「抗議する女性」「声をあげる人間」 として活動せざるを得ないフェミニズムの活動家は、どうしても嫌われ役を自ら進んで担うことになる。 フェミニストだけではない。 差別や偏見にさらされていたり、パワハラやモラハラの被害に苦しんでいたりする人々は、その自分たちへの不当な抑圧や攻撃に、反撃し、反発し、抵抗する行為を通じて、結局のところ世間に嫌われる役回りを演じることになる。 なんと理不尽ななりゆきではないか。 告発者として振る舞うことのコストは、社会が抑圧的であればあるほど、無制限に上昇する。 告発者は、ただただ身に降りかかる火の粉を振り払っているだけなのに 「密告者」「チクリ屋」「金棒引き」 などとされ、さらなる迫害を受けることになる。 今回のように、女性蔑視をめぐって、3つの異なった場面で、3件のよく似た告発案件が報道されたりすると、「抗議者」「告発者」は、SNS上では、それこそゲシュタポじみた扱いを受けるに至る。 「企画をツブし、担当者のクビを飛ばし、人々を黙らせ、CMを引き上げさせ、ている《女性》という人たちのどこが一体弱者なんだ?」 「女性蔑視案件って、事実上は万能首切りツールじゃないか」 「っていうか、秘密警察ムーブだわな」 「魔女狩りだよね。魔女による」「魔女を魔女だと言った男は魔女だ式の?」 なんとも悲しい反応だ。 一定の地位や権力を持った人々は、抗議されたり告発されたりすることをひたすらに恐れている。 であるから、彼らは抗議や告発や怒りを外部化しようとする。 ちょっとわかりにくい話をしている。 私は、抗議され、告発され、怒りを向けられている側の人々が、その抗議や告発や怒りに直面したがらない傾向についてのお話をしている。 では、彼らはどんなふうにそれらを処理するのだろうか。 彼らは、自分たちに向けられた、抗議・告発・怒号が、自分たちの行動や言葉に由来する反応だとは考えない。 彼らは、それらを、抗議・告発・激怒している側の感情の問題として定義し直す。まるで魔法みたいな論理だ。 次に、彼らは告発の主客を転倒させる。 自分が告発者を怒らせたというふうには考えない。 その代わりに、自分が告発者の怒りの対象になったと言い換えることで、自分を「透明な存在」に置き換えつつ、告発を、相手側の感情の問題として外部化するのである。 その魔法みたいな理屈のひとつの成果が 「怒られが発生した」というネットスラングだ。 彼らは自分が怒らせたとは考えない』、「彼らは告発の主客を転倒させる。 自分が告発者を怒らせたというふうには考えない。 その代わりに、自分が告発者の怒りの対象になったと言い換えることで、自分を「透明な存在」に置き換えつつ、告発を、相手側の感情の問題として外部化するのである。 その魔法みたいな理屈のひとつの成果が 「怒られが発生した」」、全く卑怯な姿勢だ。
・『「怒られ」という現象が、天から降ってきた一種の不可抗力として自分たちの居住空間の中に突如出現したテイで、彼らは、 「怒られが発生した」と語るのである。 要するに、こうやって、彼らはあらゆる抗議から身を遠ざけ、すべての感情を他者の理不尽な情動の結果として退け、それらを「お気持ち」と呼んで嘲笑することで、マジメに取り合わない体制を固めている。 「キャンセル・カルチャー」という言い方でひとくくりにしてしまうと、議論が雑になってしまうので、ここは慎重にまとめることにする。 正義が告発側にあるのかどうかは、実際にはケース・バイ・ケースで、一概には言えない。 抗議する者を常に正義の側として定義する乱暴な決めつけから出発すると、世に言われる「キャンセル・カルチャー」のネガティブな面が社会を害する場合も当然あるはずだ。 ただ、今回の3例について言うなら、非は、おおむね女性蔑視を発動したとして退場を余儀なくされた側にあると言って良い。その点では、正しい側が正しく評価されたわけだ。 SNSで散発的にやりとりされている議論を眺めていると、事態が一件落着したかに見えているにもかかわらず、告発者へのリンチがはじまりそうな気配は、一向に衰えていない。 とても不気味だ。 長い原稿になってしまった。 この長くまとまりのない原稿で私が言いたかったのは、 「告発する人間を異端視する世界が終わりになりますように」 ということだ。 私は、自分の言葉で何かや誰かを告発することはないと思うのだが、機嫌の良い人のつぶやきよりは、告発する人の言葉に耳を傾ける人間でありたいと思っている。まあ、いつもそうできるとは限らないのだが』、「告発する人の言葉に耳を傾ける人間でありたいと思っている」、同感である。
タグ:日経ビジネスオンライン 現代ビジネス 女性活躍 PRESIDENT WOMAN 小田嶋 隆 (その20)(優秀な女性が会社を辞める「育児より重大な理由」とは、丸川珠代氏、山田真貴子氏…「わきまえる女たち」が築き上げた罪の重さ わきまえてきた歴史を振り返る、小田嶋氏:告発する人間を異端視する世界) キャシー 松井 「優秀な女性が会社を辞める「育児より重大な理由」とは」 日本人女性が辞める理由は「育児」よりも「仕事への不満」 「日本」では「育児」が問題になる前に「仕事に不満を感じて退職」してしまうのかも知れない。 企業が女性にやりがいを持って働いてもらえるようにならないと、女性のリーダーは増えません 「コツ①男性よりも少し多めに励ます」、というの確かに有効そうだ。 「コツ② 能力の高い女性にはライフイベント前にタフな仕事を」も、よく考えられた仕組みだ 「コツ③ 「スポンサー制度」もいい仕組みだ 「コツ④ 女性のネットワークづくりを支援する」、もいい制度だ。「ゴールドマン・サックスではこのプログラムを始めてから、女性社員の離職率が低下」、も当然だろう 説得力のある主張で、女性の活躍を真剣に取り組んでいる企業には、貴重なアドバイスになった筈だ。 浜田 敬子 「丸川珠代氏、山田真貴子氏…「わきまえる女たち」が築き上げた罪の重さ わきまえてきた歴史を振り返る」 「「わきまえる」体験は、同調圧力の強い日本の組織で働く人であれば、男女限らずあるだろう」、その通りだ 「私自身、ある時から「わきまえる」ことは決して自分一人の問題でなく、周囲に与える影響が大きい、もっと言えば「罪深い」と感じるようになり、徐々にわきまえることを辞めた」、なるほど 「もともと年功序列的な日本の組織では女性だけでなく、男性の若手に対しても「わきまえろ」的空気は蔓延していて、発言するのはなかなか勇気のいることだ」、同感である。 「上野千鶴子氏」も「根回しと忖度もしましたよ」、さもありなんだ。 「「わきまえた女性」の存在が、「女性にはこういう意見もある」とアリバイに使われてしまうのだ」、その通りだ 「自民党が下野した野党時代、丸川氏はヤジを飛ばすことで有名だった」、初めて知った。 「せっかく出世したのなら、もっとポジションを生かしてできることは他にあったのではないか」、正論ではあるが、与えられた職務を遂行するだけの方が樂なのではあるまいか。 「「わきまえ続けてると、組織内の空気は読めるけど、時代が読めなくなる」、確かにその通りなのだろう。 筆者が「AERAの編集長」だったとは初めて知ったが、「「反省文」を書いて忠誠を示」した、朝日でもそこまでするのかと驚かされた 「告発する人間を異端視する世界」 先週から今週にかけて、似たような事件が3件続発した 「この先、この反動形成による無限ループは、バカにならない圧力を生み出しかねない」、というのは鋭い指摘だ 「テレビ朝日の謝罪」は、「今後、他者の責任を追及する取材は永久に不可能になると思われる。 もうひとつ、当該CMの制作責任者ならびに制作過程と、CM制作をめぐる議論および承認に至る経緯を公開していない点も、報道機関としてなさけないの一語に尽きる」、驕り高ぶった姿勢のままだったようだ 「本件のキモは女性蔑視演出案ではなく、週刊文春の有料記事を最後まで読めばわかるが、あくまでも「佐々木氏とその周辺の人々が、進行中だった五輪演出チームの演出プランに不当に介入し、結果として演出リーダーの地位を横奪するに至ったその経緯と手口」だ、確かにこの問題については、その後の追及の動きはなさそうだ 「この「うっせえわ」の声が、権力や、政治や、体制には決して向かわないことだ。 「うっせえわ」という、この穏やかならぬ感情は、むしろ、もっぱら、権力や体制や政治に抗議する人々に向けての叫びとして、ぶつけられはじめている」、ネット右翼系なのだろうか。 「彼らは告発の主客を転倒させる。 自分が告発者を怒らせたというふうには考えない。 その代わりに、自分が告発者の怒りの対象になったと言い換えることで、自分を「透明な存在」に置き換えつつ、告発を、相手側の感情の問題として外部化するのである。 その魔法みたいな理屈のひとつの成果が 「怒られが発生した」」、全く卑怯な姿勢だ 「告発する人の言葉に耳を傾ける人間でありたいと思っている」、同感である。
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東京オリンピック(五輪)(その15)(「わきまえる」は「自粛警察」に相通ずる日本的考え方、「東京五輪に中国製ワクチンを」IOC会長の暴走のウラにある"中国の恩" 次の北京冬季五輪への"布石"か、「すべてが密室で決まる利権の祭典」日本人の東京五輪離れが起きた根本原因 「法」と「報」が機能していない、養老孟司「解剖学的視点で見ると『オリンピックは現代の歪み』だ」)  [社会]

東京オリンピック(五輪)については、2月21日に取上げた。今日は、(その15)(「わきまえる」は「自粛警察」に相通ずる日本的考え方、「東京五輪に中国製ワクチンを」IOC会長の暴走のウラにある"中国の恩" 次の北京冬季五輪への"布石"か、「すべてが密室で決まる利権の祭典」日本人の東京五輪離れが起きた根本原因 「法」と「報」が機能していない、養老孟司「解剖学的視点で見ると『オリンピックは現代の歪み』だ」)である。

先ずは、2月25日付けAERAdotが掲載したジャーナリストの池上彰氏と漫画家のヤマザキマリ氏の対談「「わきまえる」は「自粛警察」に相通ずる日本的考え方」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/aera/2021022400005.html?page=1
・『森喜朗氏の女性蔑視発言の中で、注目を集めた「わきまえる」という言葉。コロナ禍での「自粛警察」にも通ずる。そうした風潮を打破するために今、求められることとは。AERA 2021年3月1日号で、池上彰さんとヤマザキマリさんが語り合った。 池上彰:非常に身につまされたのはオリンピックの組織委員会の方々は皆さん、「わきまえておられる」んですよね。ツイッターでは「わきまえない女」っていうハッシュタグもついたりしましたけど、あの「わきまえておられる」っていうのが実に日本的です。 私も含めて男たちって、会議の終わりの時間が近づいてきて、話が長くなっちゃいけないからこのへんで早く終えようという時に、言いたいことがあっても黙ってさっさと終わらせようっていうところがあると思うんです。そういうのをわきまえるって言われてしまうのかなと。わきまえちゃいけないんだなって、身につまされたんです。 ヤマザキマリ:わきまえるという言葉はなかなか難しいですね。人々全体の価値観が統一しないとうまく稼働しないでしょう。イタリア人の場合、少なくとも私の周りの人は誰もわきまえてないですから(笑)。欧米は思ったことを言わないと潰されてしまう社会ですから、黙っていても始まらない。わきまえるという感覚には、あ・うんで理解するみたいなことに近いものがあるじゃないですか。 池上:そうですね。 ヤマザキ:私はイタリア暮らしが長いこともあって、思ったことは全部吐露してしまう傾向があります。一応根本的には日本人ですから、場合によってはわきまえる気持ちは稼働させますが、でもやっぱりこれはおかしいとなればそれに対して、きちんと意思表示はしないと体内に毒素をため込むようで気持ちが悪い。私以外にもそういう日本人の友人はいますし、そういう人は決して少なくないと思うんです。まあそれでこの社会でやっていくにはなかなか難しい部分もありますね。でしゃばりは世界中にいるけど、日本はちょっと声をあげただけでそういう捉えられ方をしてしまう。まさにわきまえてない迷惑な人として』、「わきまえるという言葉はなかなか難しいですね。人々全体の価値観が統一しないとうまく稼働しないでしょう。イタリア人の場合、少なくとも私の周りの人は誰もわきまえてないですから(笑)。欧米は思ったことを言わないと潰されてしまう社会ですから、黙っていても始まらない」、「私はイタリア暮らしが長いこともあって、思ったことは全部吐露してしまう傾向があります。一応根本的には日本人ですから、場合によってはわきまえる気持ちは稼働させますが、でもやっぱりこれはおかしいとなればそれに対して、きちんと意思表示はしないと体内に毒素をため込むようで気持ちが悪い」、「きちんと意思表示はしないと体内に毒素をため込むようで気持ちが悪い」とは言い得て妙だ。
・『池上:わきまえるでいうと、今のコロナの中で日本の場合はヨーロッパのようなロックダウンをしないわけです。「緊急事態宣言です、みんなで努力をして抑えましょう」って自粛を呼びかけますよね。それって、ある意味「わきまえてくださいね」って政府が言っているようにも思えるんですよね。 ヤマザキ:そうですね。欧米社会は多民族国家で多様な宗教観もありますし、様々な倫理観や価値観があるから、みんなの気持ちが一斉にまとまることはまずありません。だからイタリアではコロナの初期のロックダウン時には、「みんなそれぞれ考え方が違うでしょうけど、今回ばかりは、悪いけどそうしないと大変なことになります」という示唆のある提示をコンテ元首相がしたわけです。 池上:だからロックダウンしても「冗談じゃない」と外へ飛び出したり、マスクを強制するなって言ったりする人たちがいるわけですよね。日本人が見ていると、本当にわきまえない人たちってヨーロッパにはいっぱいいるんだなって思いますよね。 ヤマザキ:どうしてわきまえないかっていうと、日本のような個人の考え方を抑制する「世間体の戒律」がないからなんでしょうね。日本にはキリスト教国やイスラム教国のような宗教的な戒律はありませんが、流動的な世間体の戒律っていうのがありますよね。「自粛警察」もそう。正義感から、他人の行動を監視して世間的な戒律にそぐわない行為をしている人を批判するということでしょうが、わきまえるっていう言葉が妙にマッチするような気がします。 池上:ヨーロッパで自粛警察なんて言葉、生まれないでしょう。 ヤマザキ:生まれないですね。それがあるとしたらイスラム圏ですよ。例えばホメイニ政権以降のイランでの宗教警察です。街の中でちょっとでも西洋かぶれした服装や態度を取っている若者たちがいれば、見せしめも含めて厳しく取り締まられますが、日本の世間的戒律における自粛警察にも、ちょっとそれに近いものを感じますよね。暗黙の暴力行為で戒める』、「(ヨーロッパ人が)どうしてわきまえないかっていうと、日本のような個人の考え方を抑制する「世間体の戒律」がないからなんでしょうね。日本にはキリスト教国やイスラム教国のような宗教的な戒律はありませんが、流動的な世間体の戒律っていうのがありますよね。「自粛警察」もそう。正義感から、他人の行動を監視して世間的な戒律にそぐわない行為をしている人を批判するということでしょうが、わきまえるっていう言葉が妙にマッチするような気がします」、「世間体の戒律」とは上手い表現だ。
・『引き出しに収める作業  池上:自粛警察って要するに、わきまえない人間を摘発することのような気がするんです。だから森さんの「皆さん、わきまえておられて」というのと、コロナ禍の自粛警察って相通ずるような気がします。 同じように、日本には「空気を読む」っていう言葉もありますよね。これは言語化しないで「空気」を読んで判断しましょうというわけです。これも日本独特だなと思うんです。 ヤマザキ:そうなんです。そこなんですよ。言語化って、考え方が自分のものとして、きちんと引き出しの中に収まる作業だと思うんですよね。考えた事柄はアナログなまま放置しておかずに言語というデジタルに置き換えないと身につかない。 それをないがしろにして、ただただアナログな感覚だけでやり取りしていくというのは、江戸時代ならともかく、世界とこれだけ繋がってしまった現代の日本ではあまりもう通用しないのかもしれない。むしろ落語などを聞いていると、まだ江戸時代のほうが、みんな思ったことをしっかり言語化できていたのがわかります。しかもそこには洒落という寛容な精神性もあった。でも今の日本では思ったことを言語化するのはよくないことと捉えている風潮があるどころか、言葉の性質が制限されすぎて、かつては使えていたのに今は使えない言葉がたくさんある。このコロナ禍では、世間の戒律や空気に従うだけで、社会の風潮に対して批判的考えを持たないそんな現代の特徴があらわになった気がしています』、「今の日本では思ったことを言語化するのはよくないことと捉えている風潮があるどころか、言葉の性質が制限されすぎて、かつては使えていたのに今は使えない言葉がたくさんある。このコロナ禍では、世間の戒律や空気に従うだけで、社会の風潮に対して批判的考えを持たないそんな現代の特徴があらわになった気がしています」、なるほど由々しい傾向だ。
・『言語化されない表出  池上:私もものすごく反省してることがあるんです。最近何かあると「なんだかなー」って言っているんです。なんだかなーっていうのは、つまり否定的な、それはいけないんじゃないかと思ってるっていうことを表出しているわけですが、言語化はされていないんですよね。 ヤマザキ:確かに言語化されてないですね。そんなのを2500年前のソクラテス先生が聞いたら怒られてしまいますよ。何やってんだって(笑)』、確かに現在の日本人の「言語化されてない」表現は、「ソクラテス」から怒られるのは必至だ。

次に、3月22日付けPRESIDENT Onlineが掲載したジャーナリストのさかい もとみ氏による「「東京五輪に中国製ワクチンを」IOC会長の暴走のウラにある"中国の恩" 次の北京冬季五輪への"布石"か」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/44405
・『突如浮上した「東京五輪に中国製ワクチン」  今夏に迫る東京オリンピック・パラリンピックの催行可否が議論されている中、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は、中国製ワクチンを大会に導入する考えを突如ぶちあげた。予想外の展開に日本側は困惑、組織委員会の武藤敏郎事務総長は「事前に話は全く聞いていない。ワクチン接種は国による決定事項だ」とコメントするのが精いっぱいだった。 のちに触れるが、五輪参加にワクチン接種は義務付けられていない。選手や関係者にとっては強制接種に迫られるとの誤解を招きかねない会長発言の背景には何があるのか。公式資料と関係者への取材をもとに現状を探ってみることにしたい。 バッハ会長の発言は3月11日、IOCの定例総会の席上で飛び出した。東京五輪実施に向けたオンラインでの5者会談で、事前打ち合わせが全くない中、「中国オリンピック委員会から、今夏開催予定の東京五輪・パラリンピックと2022年冬季北京五輪・パラリンピックの参加者にワクチンを提供するとの申し出があった」と述べた。 これを受け、「ワクチン未接種の選手・役員は、中国製ワクチンを打つよう求められる」と受け取った報道が世界を駆け巡った。中国とIOCの癒着を疑う意見も重なり、日本のみならず、世界各国のメディアが会長発言の真相を追う記事を一斉に報じた』、結果論にはなるが、中国の「ワクチン」外交活発化を踏まえれば、日本としては、「IOC」への「働きかけ」に対して事前に備えておくべきだった。
・『ワクチン接種は「推奨および支援します」  まず、IOCはワクチンへの対応をどう考えているのだろうか。先に刊行された「東京五輪出場選手向けの参加マニュアル」に当たる「公式プレイブック アスリート/チーム役員」を読むと次のような記述がある。 「IOCはオリンピックチームとパラリンピックチームにワクチン接種を呼びかけます」「日本入国前に自国のワクチン接種ガイドラインに従って自国でワクチン接種を受けることを推奨および支援します」 さらには、「日本の皆さんには、(東京五輪が=編集部注)大会参加者だけでなく日本人自身をも保護するためにあらゆる措置が施されていると確信をもってもらうべきと考えています」と、東京五輪が日本国内でのコロナウイルス拡散の原因にならないよう配慮を重ねているという姿勢もみられる。 結論として「大会参加に際しワクチン接種は義務ではありません」と明示している。 IOCはプレイブックについて、アスリート/選手向けのほか、国際競技連盟向け、各国のプレス(取材者、カメラマン等)向け、そしてスポンサーであるマーケティングパートナー向けの計4バージョンを編纂している。 目下、アスリート/選手向けのみ日本語版が用意されており、制限なく誰でも読めるようになっている。これを読むと、大会関係者が守るべき日本滞在中のコロナ感染(拡散予防)対策は細かく明示されており、ちまたで叫ばれている「選手の隔離対策は本当に万全なのか?」といった疑問への回答に当たる記述もまとめられている』、「IOC]が「「東京五輪出場選手向けの参加マニュアル」で、「日本入国前に自国のワクチン接種ガイドラインに従って自国でワクチン接種を受けることを推奨および支援します」、としているのであれば、中国の無償供与はIOCにとっても好都合だ。
・『IOCが無視できない「中国の恩」  バッハ会長は今回の発言に先立ち行われた会長選挙で、94票のうち93票の信任票を得て、会長に再任された。2期目を磐石とするため、是が非でも東京開催を諦めないことを訴え続ける必要があったとみられる。 この再選の裏には、2022年に北京で冬季五輪を控えている中国の存在が大きい。 バッハ氏は2013年、ジャック・ロゲ前会長から会長職を引き継いだ。2022年冬季五輪の開催地を決めた2015年は、立候補を目指すとされていた有力都市が次々と脱落。結果的に北京の立候補を受けることができ、一息つける格好となった。巨額な費用負担を理由に五輪招致を断念する都市が増える中、「困っているIOCを中国が救った」ともいえる』、「バッハ会長」が「中国」に大きな恩義を感じているのであれば、日本側としてはますます「中国」の出方を予測して、備えておくべきだった。
・『騒ぎの幕引きを図るが…  中国の大手企業は次々と五輪事業のスポンサーとなっており、事実上、中国が金銭面でもIOCを支えている。こうした背景もあり、ビジネス面で中国と太いパイプを持つバッハ氏が会長選挙で無投票再選するのは当然の結果だったかもしれない。 中国への配慮とはいえ、会長の発言はいかにも舌足らずだった。「選手の日本上陸後、中国製ワクチンを全員に打つ」と受けとられても仕方なく、報道もこれをそのまま伝えざるを得なかった。 その後の補足説明で、「中国製ワクチンは承認済みの国に対してのみ供与する」と明確に方針を述べた。丸川珠代五輪担当相も「承認された国で判断することだろうと思う」と足並みをそろえ、騒ぎの幕引きを図った。 ひとまず「日本に持ち込んで打つ」との誤解はいったん解けたが、中国の協力を受けながらワクチン接種を進めるとの発表もあり、引き続き会長と中国との間に「強固な関係」がある疑念は残る』、「疑念は残る」とソフトな表現になっているが、実態は「疑念」が強まったの方が適切だろう。
・『来冬の北京五輪は義務付けになるか  ワクチン接種は目下、先進国を中心に進んでいるのみで、発展途上国の中には1本もワクチンが届いていない国もある。先進国の中にも、「高齢者など高リスク者への接種を進めるべきだ」との流れからアスリートの接種は後回しにしている例もみられる。現状、接種を前提に東京五輪参加を打ち出すのは不可能だ。 だが、中国オリンピック委員会がIOCに持ちかけた提案が本当なら、来冬の北京五輪では、中国製ワクチンの接種が義務となるかもしれない。それは次のような例から感じられる。 中国は3月15日、日本を含む各国駐在の中国大使館を通じて、同国で就労するビジネスパーソンらに対し、入国に対する新たなガイドラインを発表した。 中国への再入国を希望する就労者はこれまで、現地自治体や関係当局から特別な許可証を得た上で、ビザを再申請。許可が出たのちにようやく渡航できるという煩雑な手続きが必要だった。ところが、ここへきて「中国製ワクチン接種済みの申請者に対しては、提出書類の簡略化を認める」と公言した。 言うまでもなく、日本は中国製ワクチンに対する使用承認を与えていない。一方で「中国に一日も早く戻って仕事をしたい」という要望を持つ企業関係者も少なくない。経済界から中国製ワクチンの国内承認を進めろという動きが沸き起こる可能性もあり、ワクチン外交を推し進める中国の動向は引き続き注視する必要があるだろう』、警告は遅きに失したようだ。
・『「北京ボイコット」を阻止したい事情  これほどまでに中国が五輪のワクチン導入にこだわる理由は、一部の国で北京五輪をボイコットしようとする動きがあり、ワクチン供与をチラつかせながら各国がボイコットに傾くのを阻止したい思惑があるからだ。 新疆ウイグル自治区で少数民族ウイグル族への弾圧が繰り返し行われているとする疑念をめぐっては、これまでに米国、カナダ、オランダの議会が中国政府による同自治区での所業を「ジェノサイド(大量虐殺)」とみなす段階にまでエスカレートしている。 中国当局がウイグルだけでなく、香港でも民主派勢力の完全追放にかかる中、人権を踏みにじるといったさまざまな行いに対する批判は、中国自らが相応な自制をしない限り、批判は高まることはあっても下火になる可能性は低い。 中国政府は何としても北京五輪を成功させたい。史上初の夏冬両大会を催行した都市として歴史に残すという目的はともかく、国威向上のためには是が非でも米国をはじめとする各国からの参加を得たい。そして、それはボイコットによる参加国の大幅減少という惨状を見たくないIOCも同じだ』、1980年のモスクワオリンピック はソ連のアフガニスタン侵攻で、「日本」を含む西側諸国が「ボイコット」したのは記憶に新しいところだ。
・『会長発言でバレてしまった  ニューヨークタイムズは、「バッハ会長は、中国によるワクチン提供について、実際の接種に向けたプログラム、調達されるワクチンの量、そしてかかる費用についての詳細はほとんど述べていない」とした上で、「ワクチン購入代金は、バッハ政権下で中国との緊密な関係を保ってきたIOCにとって、大した支出にはならないだろう」と報じている。 IOCと中国双方の最大課題である「参加辞退国の続出を避ける」という点で目的が合致した結果、「拙速なワクチン提供方針の発表」につながったと見ることもできる。これまで述べたように、IOCに対し中国の「強大な力」が働いていることは間違いなく、バッハ会長が「中国によるワクチン提供」を口にしたことで、中国のワクチン外交推進にIOCが積極的に参加していることがバレてしまう格好となった』、その通りだ。
・『日本は振り回されてはいけない  中国はこれまでに、北京五輪へのボイコットを検討する国々に釘を刺すため、中国共産党系のメディアは「どこかの国がボイコットすれば北京は必ず報復する」と警告している。 一部の国では中国にとやかく言われるのが厄介なので、東京五輪に参加する関係者全員にワクチンを打つことを検討している動きもある。加えてIOCが「中国製ワクチン」に対するお墨付きを与えたことで、中国政府は自国の活動への後押しになると感じているはずだ。そして、北京五輪が最終的に開催されたならば、中国に「巨大なプロパガンダの勝利」をもたらすことになるだろう。 来年の北京大会を実施する中国をひいきする一方、目前の課題である東京大会を潰すわけにもいかないIOC。これがバッハ会長の暴走発言につながったのか。中国当局とIOCの巧妙な仕掛けによる「ワクチン浸透策」に日本は安易に振り回されないようにすべきだ』、「ワクチン」早期確保に失敗した「日本」にとっては、「負け惜しみに聞こえる。

第三に、3月28日付けPRESIDENT Onlineが掲載したノンフィクションライターの木村 元彦氏による「「すべてが密室で決まる利権の祭典」日本人の東京五輪離れが起きた根本原因 「法」と「報」が機能していない」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/44519
・『東京オリンピック・パラリンピックは本当に開催できるのか。ノンフィクション作家の木村元彦さんは「8割の人が中止や延期を望んでおり、日本人の心が五輪から離れている。ステークホルダー・エンゲージメントという考え方から読み解くと、2つの致命的な原因が見えてくる」という』、「ステークホルダー・エンゲージメント」とは何なんだろう。
・『分断の背景にあるもの  東京五輪の延期が決定して、ほぼ一年が経過した。「何が何でも開催する」という掛け声は勇ましくもそこに民意は無く、日本経済新聞の世論調査(2月1日付)では相変わらず回答者の約8割が中止か延期を望んでいるという。 本来、オリンピック好きと言われる日本の人々の心がなぜここまで五輪から乖離してしまったのか。 コロナ禍における日常生活の苦しさから、五輪の受益者である富裕層と、そうではない大多数の人々とのギャップが露見したことが大きい。「これは私たちが愛した五輪ではない」という意識が分断をもたらしたとも言える。 何が足りていなかったのかと考えるときに、私にはスポーツ法が専門の早稲田大学松本泰介准教授が発した「ステークホルダー・エンゲージメント」という言葉が最も腑に落ちた。松本氏によれば「ステークホルダー・エンゲージメント」とは、「プロジェクトの議論や意思決定のプロセスにおいて利害関係者の存在をそこに置かなくてはいけない」という意味のガバナンス論の専門用語だ。 「東京五輪のような膨大な税金を使った国家プロジェクトになれば、利害関係者は国民規模にまで及びます。ときに透明性という言葉も使われますが、単なる一方的、事後的な情報開示だけでなく、どう巻き込むのか、もっと広範な意味を持ちます。ところが、今のスポーツ界はいろんな決め事が、関係団体ではなく、ほとんど政治的な案件として、関係団体の目の届かないところで決定されて来ました」(松本氏)』、「今のスポーツ界はいろんな決め事が、関係団体ではなく、ほとんど政治的な案件として、関係団体の目の届かないところで決定されて来ました」、その通りだろう。
・『「法」と「報」の機能不全  象徴的なのは、安倍晋三前首相が五輪開催の延期を発表したことだった、と松本氏は指摘する。 「契約関係から言えば、これは当然、日本のスポーツ界全体を代表してJOC(日本オリンピック委員会)も含めて行うべきことです。ところがJOCは蚊帳の外に置かれてしまった。米国でUSOPC(米国オリンピック・パラリンピック委員会)が同じようなことをされたら、大問題になりますよ」 本来、当事者であるはずのJOCの山下泰裕会長は延期を知らされることもなく、今年になって発足したいわゆる四者会議(IOC会長、大会組織委会長、東京都知事、五輪担当相が参加)からも外されている。かように重要なことなのに誰も何も言わない。 ガバナンスが崩壊していることに神経がマヒしている。ステークホルダー・エンゲージメントは手間がかかるし、ひとつの正解は無いかもしないが、重要なのはそこでの納得である。プロセスに納得すれば、たとえ運営での不手際などがあっても「私たちの五輪」だという意識が働く。 機能していないのはガナバンスのみならず、報道を担うメディアも同様である。「法」と「報」が機能していないことが、五輪離れを加速させた』、「本来、当事者であるはずのJOCの山下泰裕会長は延期を知らされることもなく、今年になって発足したいわゆる四者会議・・・からも外されている」、言われてみれば、確かに不自然だ。 
・『機能不全の「法」……無視される選手たちの声  2月3日、大会組織委の森喜朗会長(当時)がJOCの臨時評議員会で女性蔑視発言をした。翌日から森氏の処遇の検討と再発防止を求める署名運動がネット上で起こり、約2週間で15万筆超が集まった。署名は組織委に提出された。 これこそがステークホルダーの動きと言って良いであろう。 今回の東京五輪はもはや、選手のためでも自分たちのためでもなく、一部の人たちの利権でしかないことが、あらわになってきた。その中で「オリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、(中略)などの理由による、 いかなる種類の差別も受けることなく、 確実に享受されなければならない」というオリンピック憲章の根本原則は、開催国に暮らす人々の最後の拠り所であったと言えよう。 それを実現する立場にある組織委のトップが自ら貶める発言をした以上、「わきまえて」などいられない。動いたのは「私たちの五輪」をまだあきらめてはいない、スポーツに希望を見出していた人たちであろう。いくらカネ集めと政治に能力があろうとも五輪精神を蔑ろにする人間はNOなのだ。 アスリートも声を上げた。女子100mハードルの日本記録保持者である寺田明日香選手は2月5日、ツイッターで「#わきまえない女」というハッシュタグとともに、こんな投稿をした。(投稿文はリンク先参照) さらに「選手は組織委やJOCの言いなりでないことを示したかった」と発言。この言葉の持つ意味は大きい。組織委もJOCも選手のための組織であるはずだが、被支配の関係にあるという意識を選手たちに持たせてしまっている。 JOCはIOCの意向もあり、各NF(競技団体)に選手の声をくみ上げるアスリート委員会の設置を義務付けている。 しかし、コロナ禍での五輪の在り方はどうあるべきか、アンケートを取るなどの行為は一度もしていない。上意下達であり続けることに現役選手が不信を隠さず、声をあげるのは必然である。世界的にも火のついた世論は収まらなかった』、「組織委もJOCも選手のための組織であるはずだが、被支配の関係にあるという意識を選手たちに持たせてしまっている」、確かに問題だ。
・『機能不全の「報」……追認するだけの報道機関  森氏がIOCからダメを出されるという事態に陥って、次に起きたのが、その森氏による日本サッカー協会元会長・川淵三郎氏への「後継指名」だった。それも唐突に2月11日にメディアによって発表された。 ガバナンス以前の社会通念から見ても、問題を起こして辞任する人が正当なプロセスを吹っ飛ばして後継指名するなど、言語道断である。スポーツ界の常識は社会の非常識になる。ところが、これを伝える報道は、あたかも決まったかのような論調だった。 スポーツ紙に至っては、川淵氏の自宅前での囲み取材から「森氏が涙を流すのを見た川淵氏がもらい泣きして引き受けた」と、まるで義理人情の美談として扱う有り様だった。記事で読む限り、この囲み取材の中で「こんな後継者の決め方で良いのですか?」と聞いた記者がひとりもいなかったとしか思えない。 私にはデジャブが2つある。一つは06年、日本サッカー協会会長だった川淵氏が、惨敗したW杯ドイツ大会直後の記者会見で「あ、オシムって言っちゃったね」と口を滑らせるかたちで次期代表監督候補の名前を出してしまったときのことである。 この会見は、黄金世代を擁しながら2敗1分グループリーグ敗退という結果を招いた責任、技術委員会が別の人物を推薦したにも関わらずジーコ氏を監督に任命した責任を追及するはずのものだった。しかし、川淵氏の発言で空気が一変。翌日の各紙にはすべて「次期代表監督にオシム」という見出しが躍った。 このときも「会長、今はその話ではないでしょう」と疑義を呈する記者はいなかった』、「追認するだけの報道機関」、確かに情けない。
・『あっと言う間に既成事実化された後任人事  私がたまさかその半年前にオシム氏に関する著作を出版していたことから、直後からメディアに頻繁にコメントを求められたが、「良かったですね。川淵会長は木村さんの『オシムの言葉』を読んで次期監督に選んだと言っていましたよ」と伝えてくる記者がほとんどだった。ああ、スポーツライターは舐められているのだ、と憤怒に駆られた。 「会長はお目が高い」と言うとでも思ったのだろうか。ここで起きたのは、代表監督選考と要請のプロセスを経ずしてのモラルハザードである。以降私は、オシム氏についてのコメントは出すが、それは川淵会長のこの横紙破りに対する批判と必ずセットにして欲しいと伝えて対応した。それでもオシム氏の代表監督就任はあっと言う間に既成事実化されてしまった。当時と同じではないか。 もうひとつは我那覇和樹選手(現福井ユナイテッド)のドーピング冤罪事件におけるミスリードである。詳細は、『07年我那覇和樹を襲った冤罪事件。「言わないと一生後悔する」』(sportiva、2019年02月08日) を参照していただきたい。 川淵氏はこのときも、事実確認前にもかかわらずスポーツ紙に対し、我那覇選手の懲罰処分の内容にまで言及するという極めて軽率な発言をした。選手を守るべき競技団体のトップとしてはあらざる行為だった。 (この冤罪を看過すれば、選手たちに正当な医療行為ができなくなるとして立ち上がったサンフレッチェ広島の寛田司ドクター(当時)は「協会のトップによるあの発言がマスコミに出たことで、Jリーグももう過ちを認めて引き返すことがなくなった」と回顧する)) 今回もまたプロセスを飛ばしての密室人事が既成事実化されかけた。後押ししたのは再びマスメディアである。残る人生のベストを尽くすと意欲を見せていた川淵氏であるが、官邸からのストップ(一説にはIOCが止めたという報道もある)がかかり、2月11日の午後10時には、就任を固辞したとされる。 しかし、翌12日のテレビのワイドショーでは、「世界が注視している中での人選は正当な手続きで行われるべきではないか」という議論の無いまま、またも「新会長の川淵さんはどんな人?」というテーマに終始した』、「オシム」問題はともかく、「我那覇和樹を襲った冤罪事件」での「川淵氏」の姿勢は酷いと、初めて知り、幻滅した。
・『「密室の後継者選び」の真相  私はまた、その2月11日に気になる情報を目にした。同日午前中にスポーツ法学会の境田正樹弁護士が「今日15時から森さん、川淵さん、と私で会うことになりました」と自らが密室での後継者選びを繋ぐことを発信していたのである。境田氏はスポーツ界のガバナンスの強化をする立場の人間である。 境田氏が森氏、川淵氏を会長として適任と思うのであれば、それもまたひとつの意見ではあろうが、「組織委員会の会長は理事会から選ばれる」という定款があるにも関わらず、ガバナンスをアドバイスする立場の人間が、後継指名をする森氏の仲介者として間に入って動いた。 しかも直後に「川淵さんに何とか引き受けて頂きました」というようなワードを発信。これらが流れて私のところにも送られて来たのだ。「引き受けて頂いた」というのは主語が境田氏になるが、字義通りならば、明らかにガバナンス違反にあたる。 なぜ、境田氏はかような行動をとったのか。三者(実際はもうひとり九州のラグビー関係者も同席していたということであるが)の会談の中で何が話し合われたのか、境田氏にインタビューを申し込んだ』(Qは聞き手の質問)、「スポーツ法学会の境田正樹弁護士」が「明らかにガバナンス違反」を犯したというのも、驚かされた。
・『森・川淵両氏の仲介人の弁明  Q:今回の世論の猛反発というのは、川淵さん自身に対してというよりも、決め方のプロセスだったと思います。「評議員でしかない俺が特筆されているような形で名前があがるっていうのは、俺自身もおかしいと思ってた」と本人がおっしゃっています。しかし、人事自体があたかも決まったかのように発信されました。 【境田】僕も予想外で、当然、川淵さんと僕と、(11日午後)3時から森さんのところで会ったときには、これはまだ全然、内々の話で、これからいろんな手続きが進むということはお伝えしていました。 森さんも川淵さんに対して、今回の話は、候補にあがってからの話だから、これは内々だよというのは、言っているんですよ。なので、三者会談が終わった後、ご自宅の前で、川淵さんが記者の前で既に会長就任をしたら、というご発言までされたことは、想定外でしたね。 ただ、3人で会うっていうことは、どうも別の人が記者に既に話しておられたそうで、それで記者も川淵さんのご自宅前に集まっていたみたいですね』、「森さんも川淵さんに対して、今回の話は、候補にあがってからの話だから、これは内々だよというのは、言っているんですよ」、なのに決定事項のように話した「川淵」氏はどういう神経の持ち主なのだろう。ボケてしまったのだろうか。
・『「もしも選ばれたときにお願いします」  F:境田さんは、森さんから川淵さんとの会合のセッティングを頼まれたときに「こういう決め方はよくないんじゃないですか」とは言わなかったんですか? 【境田】いえ、私も法律家なので、これから会長選考プロセスがあることは百も承知です。森さんの意向とは関係なく、会長選考委員会が最終的に会長を推薦するというのは当然の話ですよ。ただ、選ぼうとするときに、誰も候補者が出ないってわけにはいかないでしょうと。 だから「もしも選ばれたときにお願いします」っていうお話をしたに過ぎないし、3人で会ったときにも、もちろんそういう話はしていたのですよ。そのことは、実は、川淵さんも囲み取材の冒頭で話をしているのです。なので、今回のもろもろの批判は、川淵さんがマスコミに話した発言の一部を切り取ってメディアがそのように評価をしている、とも言えるかもしれませんね。 F:私は記者に対しても腹が立っていて。「こんな決め方、組織委の定款と違うじゃないですか!」と言う人間がなぜいなかったのか。川淵さんも「自分が特筆されているのはおかしい」って話しているわけだから、そういう質問が出れば自制がきいたんじゃないかと思うんですよ。 【境田】先ほど言いましたように、「もしも今後、会長に選ばれたらの話だよ」とは川淵さんは言っているんですよ。11日の5時ぐらいの会見の冒頭でね。ただ、その時点で、「決まったらこうする」とか、まだ言う必要のないことまでおっしゃたのは事実ですね』、なるほど。 
・『ガバナンスを確保するために最善の方法」 F:境田さんは後継指名人事に加担する気は無かったということですか。 【境田】僕はそこに介入するとか、加担するとかのつもりは全く無くて、2人に面識のあるというところにおいて間に入って、会談の場をセットした。将来的にもし選ばれたときにはお願いしますっていう話はしたという、そこだけですね。僕ね、木村さんにはね、この件の本当に根っこのところをわかってもらいたいんですよ。 我那覇の事件を通じて思ったのが、スポーツ団体がちゃんとガバナンスを構築できていないとあんな不幸なことが起きるということ。なので、2019年には、スポーツ庁でスポーツ団体向けのガバナンスコードの立案に関わりましたし、その遵守を求めて、スポーツ団体にガバナンス改革に取り組んでもらっているわけです。 今回も、組織委員会というスポーツ団体のトップが変わらなければいけないという緊急事態下で、組織委員会のガバナンスを確保するために最善の方法は何かと考えた末に取った行動であったことをご理解頂ければと思います。 ただ、この15年近く、いろいろなスポーツ政策の立案やスポーツ団体の改革に関わってきた原点には我那覇(冤罪)事件があります。我那覇事件をもう一度起こさないため、いわば、我那覇への償いなんですよ』、しかし、結果的に「川淵」氏の言動で問題を起こしたことには、一端の責任もありそうだ。
・『後継人事は、結局自民党内の「玉突き人事」  候補者検討委員会が出した組織委会長の後継の結論は、橋本聖子五輪担当相だった。 一方でその五輪担当相の後釜には、選択的夫婦別姓に反対する丸川珠代氏が就いた。ジェンダー平等をうたうオリンピック憲章とは相いれないスタンスである。これもまたステークホルダーを巻き込んだ議論の結果とは到底言えず、自民党内の玉突き人事である。 3月16日、宮城県は確保した五輪の都市ボランティア約1700人の内、コロナへの不安などで600人近くが参加を辞退する動きがあることを発表した。辞退の増加には、二階幹事長などのボランティア軽視の発言も無関係ではないだろう。 ここまでの五輪離れから、一度、地に落ちた信頼と信用を取り戻すには、再度、「これこそが自分たちの平和の祭典」という意識をもたらす改革が不可欠であろう。 スポーツメディアもまた「密室に詳しい人」「密室に入れる人」を持ち上げ、次は誰かという人事当てクイズをするのではなく、その決定プロセスに上辺だけでなくガバナンスや透明性が効いているか、常にチェックを怠らぬことが肝要である。 セクシャルハラスメントも、ドメスティックバイオレンスも言語化することで問題解決が認識できた。 ステークホルダー・エンゲージメント。流行らせるべきワードである』、同感である。

第四に、3月27日付けAERAdotが掲載した解剖学者の養老孟司氏による「「解剖学的視点で見ると『オリンピックは現代の歪み』だ」」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/wa/2021032500028.html
・『3月25日に東京五輪の聖火リレーが始まった。しかし、本当に開催できるのか。解剖学者の養老孟司さんに話を聞いた。 私の場合、最初から東京五輪というものに気乗りがしていませんでした。石原慎太郎さんが東京都知事のときにオリンピックを東京に招致する構想が打ち出された時点で、やめればいいと思っていた。あれも老害の一つだったんじゃないでしょうか。政治家たちが五輪に固執しているのは、1964年東京五輪の成功体験が残っている年齢層の願望が強く働いているのではないかと思っています。 前回の東京五輪開催時、私は20代でした。一番印象に残っているのは、エチオピアのマラソン選手アベベの姿です。ところが何年か後、五輪が開催される競技場のトラックにポリウレタンを何層構造かにして埋め込んで、反発を良くするうんぬんという話になってきた。ちょうど、筋肉増強剤などを使ったドーピングの取り締まりが厳しくなったころです。人体への規制を厳しくする代わりに、周りの設備などを改良することで記録を更新しようとし始めた。水泳の水着に対する議論もありましたよね。 人工的なグラウンドによって世界記録を出すとか、あまり意味がないような気がしますね。いつの間にか、どこからが自然で、どこからが人工なのか、線引きがわからなくなってしまった。 解剖学からみると、五輪型の身体の使い方はノーマルではないのです。ヒトの身体は競争するようにできていません。虎が追いかけてくるわけでもないのに必死に100メートルを走ってどうするんだと、いつも思っています。 教科書などで皮膚を剥いだ人体の絵を見たことがありますよね。様々な部位の筋肉が描かれていますが、これらの大きさはひとりでに決まっているのです。ですが、五輪選手はその標準から外れている。例えば、水泳選手は肩幅が標準よりも広いなど、特定の筋肉が大きくなってしまっている。 私が適当な運動だと思うのは、本来の筋肉の大きさが保たれ、まんべんなく体を使っている状態。人間の身体は自然が時間をかけてつくり上げてきたわけで、人が意識して設計したわけではない。それを現代人は歪めてきた。五輪を見ていると、現代人の歪みの一部を見ている気がします。 世界一になるために一生懸命に練習する選手は「自分に勝つ」と、自分自身までをも敵にしてしまっている。身体がもう嫌だって悲鳴をあげているのに、なぜそこまで無理をしなければならないのか。よくわかりません』、「解剖学からみると、五輪型の身体の使い方はノーマルではないのです。ヒトの身体は競争するようにできていません。虎が追いかけてくるわけでもないのに必死に100メートルを走ってどうするんだと、いつも思っています」、「人間の身体は自然が時間をかけてつくり上げてきたわけで、人が意識して設計したわけではない。それを現代人は歪めてきた。五輪を見ていると、現代人の歪みの一部を見ている気がします。 世界一になるために一生懸命に練習する選手は「自分に勝つ」と、自分自身までをも敵にしてしまっている。身体がもう嫌だって悲鳴をあげているのに、なぜそこまで無理をしなければならないのか。よくわかりません」、いずれも「養老」氏ならではの鋭い指摘だ。こういう冷めた見方は清涼剤になる。 
タグ:養老孟司 池上彰 東京オリンピック ヤマザキマリ PRESIDENT ONLINE (五輪) 木村 元彦 AERAdot さかい もとみ (その15)(「わきまえる」は「自粛警察」に相通ずる日本的考え方、「東京五輪に中国製ワクチンを」IOC会長の暴走のウラにある"中国の恩" 次の北京冬季五輪への"布石"か、「すべてが密室で決まる利権の祭典」日本人の東京五輪離れが起きた根本原因 「法」と「報」が機能していない、養老孟司「解剖学的視点で見ると『オリンピックは現代の歪み』だ」) 「「わきまえる」は「自粛警察」に相通ずる日本的考え方」 わきまえるという言葉はなかなか難しいですね。人々全体の価値観が統一しないとうまく稼働しないでしょう。イタリア人の場合、少なくとも私の周りの人は誰もわきまえてないですから(笑)。欧米は思ったことを言わないと潰されてしまう社会ですから、黙っていても始まらない」 「私はイタリア暮らしが長いこともあって、思ったことは全部吐露してしまう傾向があります。一応根本的には日本人ですから、場合によってはわきまえる気持ちは稼働させますが、でもやっぱりこれはおかしいとなればそれに対して、きちんと意思表示はしないと体内に毒素をため込むようで気持ちが悪い」 「きちんと意思表示はしないと体内に毒素をため込むようで気持ちが悪い」とは言い得て妙だ (ヨーロッパ人が)どうしてわきまえないかっていうと、日本のような個人の考え方を抑制する「世間体の戒律」がないからなんでしょうね。日本にはキリスト教国やイスラム教国のような宗教的な戒律はありませんが、流動的な世間体の戒律っていうのがありますよね。「自粛警察」もそう。正義感から、他人の行動を監視して世間的な戒律にそぐわない行為をしている人を批判するということでしょうが、わきまえるっていう言葉が妙にマッチするような気がします」、「世間体の戒律」とは上手い表現だ 「今の日本では思ったことを言語化するのはよくないことと捉えている風潮があるどころか、言葉の性質が制限されすぎて、かつては使えていたのに今は使えない言葉がたくさんある。このコロナ禍では、世間の戒律や空気に従うだけで、社会の風潮に対して批判的考えを持たないそんな現代の特徴があらわになった気がしています」、なるほど由々しい傾向だ 確かに現在の日本人の「言語化されてない」表現は、「ソクラテス」から怒られるのは必至だ 「「東京五輪に中国製ワクチンを」IOC会長の暴走のウラにある"中国の恩" 次の北京冬季五輪への"布石"か」 突如浮上した「東京五輪に中国製ワクチン」 結果論にはなるが、中国の「ワクチン」外交活発化を踏まえれば、日本としては、「IOC」への「働きかけ」に対して事前に備えておくべきだった 「IOC]が「「東京五輪出場選手向けの参加マニュアル」で、「日本入国前に自国のワクチン接種ガイドラインに従って自国でワクチン接種を受けることを推奨および支援します」、としているのであれば、中国の無償供与はIOCにとっても好都合だ。 「バッハ会長」が「中国」に大きな恩義を感じているのであれば、日本側としてはますます「中国」の出方を予測して、備えておくべきだった。 「疑念は残る」とソフトな表現になっているが、実態は「疑念」が強まったの方が適切だろう。 警告は遅きに失したようだ 1980年のモスクワオリンピック はソ連のアフガニスタン侵攻で、「日本」を含む西側諸国が「ボイコット」したのは記憶に新しいところだ 「ワクチン」早期確保に失敗した「日本」にとっては、「負け惜しみに聞こえる。 「「すべてが密室で決まる利権の祭典」日本人の東京五輪離れが起きた根本原因 「法」と「報」が機能していない」 ステークホルダー・エンゲージメント 「今のスポーツ界はいろんな決め事が、関係団体ではなく、ほとんど政治的な案件として、関係団体の目の届かないところで決定されて来ました」、その通りだろう 「本来、当事者であるはずのJOCの山下泰裕会長は延期を知らされることもなく、今年になって発足したいわゆる四者会議 からも外されている」、言われてみれば、確かに不自然だ 「組織委もJOCも選手のための組織であるはずだが、被支配の関係にあるという意識を選手たちに持たせてしまっている」、確かに問題だ 「追認するだけの報道機関」、確かに情けない。 「オシム」問題はともかく、「我那覇和樹を襲った冤罪事件」での「川淵氏」の姿勢は酷いと、初めて知り、幻滅した 「スポーツ法学会の境田正樹弁護士」が「明らかにガバナンス違反」を犯したというのも、驚かされた 「森さんも川淵さんに対して、今回の話は、候補にあがってからの話だから、これは内々だよというのは、言っているんですよ」、なのに決定事項のように話した「川淵」氏はどういう神経の持ち主なのだろう。ボケてしまったのだろうか しかし、結果的に「川淵」氏の言動で問題を起こしたことには、一端の責任もありそうだ ステークホルダー・エンゲージメント。流行らせるべきワードである』、同感である 「「解剖学的視点で見ると『オリンピックは現代の歪み』だ」」 「解剖学からみると、五輪型の身体の使い方はノーマルではないのです。ヒトの身体は競争するようにできていません。虎が追いかけてくるわけでもないのに必死に100メートルを走ってどうするんだと、いつも思っています」 「人間の身体は自然が時間をかけてつくり上げてきたわけで、人が意識して設計したわけではない。それを現代人は歪めてきた。五輪を見ていると、現代人の歪みの一部を見ている気がします。 世界一になるために一生懸命に練習する選手は「自分に勝つ」と、自分自身までをも敵にしてしまっている。身体がもう嫌だって悲鳴をあげているのに、なぜそこまで無理をしなければならないのか。よくわかりません」、いずれも「養老」氏ならではの鋭い指摘だ。こういう冷めた見方は清涼剤になる。
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自殺(その3)(コロナ脳のマスコミが無視する「自殺率急増」という不都合な真実、日本人女性の自殺がコロナ禍で増えている背景 経済的、精神的な影響が女性たちを襲っている、「心が追い込まれるとき」人が抱える4つの感覚 なぜ自殺急増?自衛隊メンタル教官が分析する) [社会]

自殺については、昨年10月13日に取上げた。今日は、(その3)(コロナ脳のマスコミが無視する「自殺率急増」という不都合な真実、日本人女性の自殺がコロナ禍で増えている背景 経済的、精神的な影響が女性たちを襲っている、「心が追い込まれるとき」人が抱える4つの感覚 なぜ自殺急増?自衛隊メンタル教官が分析する)である。

先ずは、本年2月13日付けエコノミストOnlineが掲載した漫画家の小林よしのり氏による「コロナ脳のマスコミが無視する「自殺率急増」という不都合な真実(小林よしのり)」を紹介しよう。
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20210209/se1/00m/020/002000c
・『日本国内で初めて新型コロナ感染者が確認されたのは昨年1月16日。新コロは「上陸1年」を迎えた。 マスコミは今も新コロの感染者(正確には陽性者)と死者の数をこの日からの「累計」で報じ続けているが、それはおかしい。 1年たったのだから「年間」の数字を確定させ、それ以降は「2年目」の数字として別に集計しなければ、インフルエンザなどとの正確な比較ができなくなってしまう。 今回確定した、日本の新コロ年間感染者数は31万3844人、死者4379人だ。 インフルエンザの年間推計患者数約1000万人、間接死込みの死者数約1万人に比べて、あまりにも少ない。 しかもインフルは症状が出て医療機関を受診した「患者数」であるのに対して、新コロの「感染者」は検査を拡大できるだけ拡大し、無症状者まで徹底的にあぶり出した数字で、死者も「死因を問わず」死亡時に検査陽性であれば全て「コロナ死」に計上しており、水増しに水増しを重ねた数字なのに、それでもインフルとは比較にならないほど少ないのだ。 その一方で、恐るべきニュースがあった。東京都健康長寿医療センターなどの調査によると、昨年7月から10月までのいわゆる「第2波」の間、自殺率が前年同期比で16%増加。特に女性は37%の増加で男性の5倍、20歳未満の子供は49%も増えたという。 新型コロナウイルス感染症では、いまだに20歳未満の子供は一人も死んでいないのに、子供の自殺率は49%も上昇していたのである! いわゆる「コロナ禍」とは「ウイルス禍」ではなく、殊更に恐怖をあおり立てた「マスコミ禍」「専門家禍」であり、定見もなくこれに流された「政治禍」だったことが、これだけでも明らかである』、「20歳未満の子供は一人も死んでいないのに、子供の自殺率は49%も上昇」、確かに不思議だ。「マスコミ禍」「専門家禍」の可能性もあるが、子供の場合は親が自宅にいるようになった、お祭りなど発散する機会が少なくなった、など要因は様々だろう。

次に、3月1日付け東洋経済オンラインが転載したThe New York Times「日本人女性の自殺がコロナ禍で増えている背景 経済的、精神的な影響が女性たちを襲っている」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/414038
・『昨年の春に日本が新型コロナウイルスへの対抗策を強化してから間もなく、橋本なずなさんはパニック発作に苦しめられるようになった。橋本さんが個人トレーナーとして働いていた大阪のスポーツジムは業務を停止し、友人たちは政府の要請に従ってステイホームしていた。 孤独になることをおそれて、橋本さんは付き合ってほんの数カ月の男性に電話をして、来てくれるよう頼んだ。そのときでさえ、橋本さんは涙が止まらないことがあった。橋本さんはその年の初めに鬱の診断を受けており、そのことも悪循環となった。「私はもともと小さな世界に住んでいましたが」と、橋本さんは語る。「さらに小さくなってしまったと感じました」。 7月になる頃までには、橋本さんはほかにどうしようもないと感じ、自殺を試みた。恋人が橋本さんを発見して救急車を呼び、一命を取り留めた。今、橋本さんは自分の経験を公に話している。日本でメンタルヘルスについて語ることに付きまとう悪いイメージを払拭したいと望んでいるのだ』、勤務先の「大阪のスポーツジムは業務を停止」、「その年の初めに鬱の診断を受けており」、「自殺を試みた。恋人が橋本さんを発見して救急車を呼び、一命を取り留めた」、これだけは幸運だったようだ。
・『女性の自殺件数は深刻なほど上昇  パンデミックが日本の多くの地域を襲う中、女性に対するプレッシャーが強まっている。多くの国でそうであるように、この国でもより多くの女性が職を失っている。 東京では、約5人に1人の女性が一人暮らしをしており、外出を自粛し、高齢家族を訪れてはいけない、という強い要請が孤独感をより加速させている。家庭を持つ女性も、家事や子育てにおける根深い不平等に苦労したり、DVや性的暴行の増加に苦しめられたりしている。 パンデミックの精神的および身体的な苦痛により、日本人女性の自殺件数は深刻なほど急増している。昨年、日本では6976人の女性が自ら命を絶っており、2019年に比べ約15%増えた。10年以上ぶりとなる前年比増加だ。 それぞれの自殺や自殺未遂の背景には一人ひとりの複雑に絡み合う事情に根ざした悲劇がある。しかし、女性の自殺者数は昨年7カ月連続で拡大しており、世界最高レベルの自殺率の減少に努めてきた政府関係者やメンタルヘルスの専門家の懸念するところとなっている(昨年の自殺者の数は男性のほうが多かったが、男性の自殺者数は2019年からは減少している。男女合わせると、自殺者数は4%弱の増加となった)。 この状況は日本にとっての長年の課題をさらに強めている。「我慢すること」が美とされる社会の中、メンタルヘルスの問題について語ることは依然として難しい。 社会的結束にもとづく文化や、マスク着用・政府要請に対する社会的プレッシャーが強い文化は、コロナ禍ストレスを増幅させる要因にもなっている。老人や子どもの世話をするのはまず女性であると見なされがちで、これができなかったり、コロナウイルスに感染してしまった場合、世間体が悪くなるおそれもある。 「女性がウイルス予防の重荷を背負っている」と、特定非営利活動法人メンタルケア協議会の西村由紀理事は語る。「女性は家族の健康の面倒を見なければならず、清潔面の管理もしなければならず、それができない場合は恥をかく可能性がある」』、「社会的結束にもとづく文化や、マスク着用・政府要請に対する社会的プレッシャーが強い文化は、コロナ禍ストレスを増幅させる要因にもなっている」、困ったことだ。「「女性は家族の健康の面倒を見なければならず、清潔面の管理もしなければならず、それができない場合は恥をかく可能性がある」、確かにその通りだ。
・『感染者が責められやすい風潮  広く報道された情報によると、30代の女性がコロナウイルス感染からの回復後に自宅で命を絶ったという。日本のメディアは彼女の書き置きに飛びついた。そこには他人に感染させて迷惑をかけてしまった可能性に対する苦悩がつづられていた。一方、専門家は恥辱感が彼女の絶望を後押ししていたのかについては、疑問を投げかけている。 「残念なことだが、現在の風潮では被害者を責めがちだ」と、早稲田大学で自殺の研究をしている実証政治経済学の上田路子准教授は語る。上田准教授は昨年の調査で、40%の回答者がウイルスに感染してしまった場合の社会的なプレッシャーを心配しているということを見い出した。 「もしあなたが "私たちの一員" でないのであれば、私たちは基本的にあなたをサポートはしないし、メンタルヘルスの問題を抱えている人は私たちの一員ではない、ということなのです」と上田准教授は指摘する。 専門家たちは命を絶つ芸能人や映画が昨年相次いだことが、模倣的な自殺の連続に拍車を掛けたのではないかとも懸念している。受賞歴のある人気女優の竹内結子さんが9月下旬に亡くなった後、その後数カ月の間に自らの命を絶った女性の数は前年比90%近く急増している。 竹内さんの死後間もなく、ナオさん(30)はブログの執筆を始めた。彼女は長きにわたって鬱や摂食障害と闘っており、その歴史をつづるためだ。ナオさんは3年前の自身の自殺未遂について率直に書いた。 メンタルヘルスの苦悩についてこのようにオープンに語ることは、依然として日本では比較的珍しいことである。芸能人の自殺によってナオさん(名字は本人の希望によりプライバシー保護のため非公表)は、パンデミックの最中に、感情的に最悪の状態に陥ったら自分はどういう反応をするだろうか、と考えたという。 「家で、1人で過ごしていると、社会から疎外されていると強く感じます。そしてその感覚は本当に苦しいものです」と、ナオさんは語る。「もし自分が今そういう状況にいたら、と想像してみると、自殺未遂はもっと早期に発生していたと思います。そしておそらく、自殺に成功してしまっていただろうと思います」』、「専門家たちは命を絶つ芸能人や映画が昨年相次いだことが、模倣的な自殺の連続に拍車を掛けたのではないかとも懸念」、私には理解し難い行動だ。「もしあなたが "私たちの一員" でないのであれば、私たちは基本的にあなたをサポートはしないし、メンタルヘルスの問題を抱えている人は私たちの一員ではない、ということなのです」、予想以上に冷淡なようだ。
・『「心の病」につきまとうタブー  自身の体験についてつづったナオさんは、今では結婚しているが、絶望を感じている誰かの助けになりたかったのだと語る。多くの人たちが友人や仕事仲間から隔離されている時期であれば特にそうだ。 「誰かが自分と同じような状況を経験したことがある、あるいは、経験中であることを知り、そして専門家の助けを求めて実際に役立ったということがわかれば、自分も同じようにしよう、と励ませると思ったのです」と、ナオさんは話す。日本で心の病につきまとうタブーを取り除く手助けをしたいとナオさんは言う。 ナオさんの夫はコンサルタント会社で初めて彼女と出会ったとき、ナオさんがいかに長時間労働や過酷な職場の風潮に苦しんできたかを見ていた。その後ナオさんは仕事を辞め、浮き草のようになってしまったと感じた。 コロナ禍で女性のほうが不釣り合いに仕事を失い、苦しんでいる。こうした女性たちの多くは、レストランやバー、ホテルといった新型コロナの影響を最も受けている業界の従業員である。 働く女性の約半数がパートタイムや契約社員であり、事業が停滞しているときには企業は真っ先にそうした従業員を解雇する。昨年1?9月までに約144万人のそうした人々が職を失った。半数以上が女性だ。 ナオさんは治療を受けるために、自らコンサルティング会社を辞めたが、今後は家賃が払えなくなる、といった不安にさいなまれたことを覚えている。ナオさんと現在は夫である婚約者が結婚の計画を前倒しにすると決めた時、ナオさんの父親は彼女が「わがままだ」と責めた。「すべてを失ったと感じました」とナオさんは振り返る。 そうした感覚が鬱の引き金となり、自殺未遂につながったと言う。精神病院でしばらく過ごして治療を継続した後、ナオさんは自信を取り戻し、週4日間の仕事を見つけた。出版社のデジタル部門の仕事だ。そして現在は、仕事量をコントロールすることができているという。 過去にも日本の自殺率は、経済危機時に急増している。1990年代のバブルの崩壊後や、2008年の世界的景気後退後もそうだった。 過去の経済危機では、職を失うなどの影響を最も受けたのは男性で、男性の自殺が増えていた。歴史的に見ると、日本では男性の自殺件数は女性の件数を上回っており、その比率は少なくとも2対1となっている。「彼らは仕事や財産を失ったことに絶望を感じていた」と、社会疫学を専門とする大阪大学国際公共政策研究科の松林哲也教授は語る』、「過去の経済危機では、職を失うなどの影響を最も受けたのは男性で、男性の自殺が増えていた。歴史的に見ると、日本では男性の自殺件数は女性の件数を上回っており、その比率は少なくとも2対1」、なるほど。
・『命を絶った女性の3分の2以上が失業中  松林教授によると、昨年失業率が最高となった都道府県では、40歳以下の女性の自殺の増加が最も多かったという。2020年に命を絶った女性の3分の2以上が失業中だった。 40歳以下の女性では、自殺は昨年25%近く上昇した。また昨年、命を絶った女子高生の数は2倍に上っている。 冒頭の橋本さんの場合、恋人に経済的に依存しているという不安が絶望感につながっていた。個人トレーナーとして勤務していたジムが営業を再開したとき、橋本さんは復職できるほど感情的に安定しているとは感じていなかった。そして、感情的、経済的に恋人に依存していることに罪悪感を感じたという。 橋本さんは勤務先で、建設業界で働く男性(23)と出会った。男性は橋本さんの顧客だった。自分の鬱がどうにもならなくなってきていることを打ち明けたのは、2人が付き合い始めてからわずか3カ月後のことだった。治療費を払うことができず、ひどい不安発作にも苦しめられた。 自殺未遂をしたとき橋本さんは、これで恋人が自分の世話をする責任から解放できる、としか考えることができなかった。「彼の重荷を取り除きたかったのです」と橋本さんは言う。 失職していない人であっても、多くのストレスに見舞われる可能性がある。パンデミックが起きる前は、在宅勤務は日本ではめずらしかった。それが突然、遠く離れた上司のご機嫌をとるだけでなく、子どもたちの安全や衛生対策を考えなければならなくなった。子どもたちもウイルスに弱い、高齢の両親を守ることを考えなければいけないケースもある。 「人とかかわることができなかったり、ストレスを共有することができなかったりすれば(プレッシャーを感じたり、うつ状態になることは)驚きに値しない」と、京都外国語大学社会学部の根本宮美子教授は語る』、なるほど。
・『女性や若年層が助けを求められるように  自殺未遂を乗り越えた橋本さんは今、ほかの人が自らの感情的な問題を語ることを学んだり、専門家につなげる手助けをしたいと考えている。橋本さんの恋人は、彼女がオープンに鬱のことを話してくれたことを感謝していると言う。 「彼女は自分が必要としていることや、何が間違っているのかを本当に打ち明けてくれるタイプの人です。なので、彼女を支えることはとても容易なことです。彼女自身が必要としていることを声に出してくれるからです」 2人は共同で「Bloste(ブロステ)」という名前のアプリを開発した(「ストレスを発散する」=「blow off steam」の略)。このアプリでは、カウンセリングを求めている人と、セラピストをマッチングができる。 橋本さんはキャリアの長いセラピストだけでなく、キャリアを始めたばかりの人の双方を採用しようと考えている。若い依頼者が支払いやすい料金を設定する可能性が高い人を求めているからだ。最終的には、橋本さん自身も特に女性を対象としたセラピストとして訓練を受けたいと考えている。 「日本では主に女性のキャリアアップや経済面での福祉に焦点が置かれていますが、私は女性のメンタルヘルスを重視したいと考えています」』、「2人は共同で「Bloste(ブロステ)」という名前のアプリを開発した」、大したものだ。今後も自らの体験をもとに「セラピスト」活動を展開してほしいものだ。

第三に、3月4日付け東洋経済オンラインが掲載した心理カウンセラー・メンタルレスキュー協会理事長の下園 壮太氏による「「心が追い込まれるとき」人が抱える4つの感覚 なぜ自殺急増?自衛隊メンタル教官が分析する」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/414025
・『厚生労働省は1月22日、2020年は自殺者数が11年ぶりに増え、2万919人(速報値)だったと発表した。とくに女性は6976人で前年より885人(14.5%)も増加した。新型コロナウイルスによる生活の変化が自殺増加の背景にあるとみられている。 コロナ禍による生活困窮など経済的な原因が大きいと考えられているが、精神面での要因を指摘するのが、自衛隊で長年メンタル教官を務めてきた下園壮太氏。ロングセラー『自衛隊メンタル教官が教える心の疲れをとる技術』の著書もある下園氏に、長引くコロナ禍がメンタルに及ぼす影響とその対処法について話を伺った』、興味深そうだ。
・『うつになる要素が今あふれている  まずお話ししたいのは、コロナ禍がもたらした生活の変化は、うつになりやすい要素があふれている、ということです。そのことについて、順を追って説明していきましょう。 (1)コロナ禍は「ステルス疲労」をもたらす  コロナ禍による生活の変化により、「本人にとって自覚しづらい疲労=ステルス疲労」がたまっていくことがあります。 たとえば、テレワーク。「新しい生活様式」という言葉も使われ、通勤時間が減って楽になった、嫌いな上司にも直接会わなくていいから気楽だ、といったプラスの面が強調され、いいことずくめのように感じられます。 ところが実際は、初めてのテレワークではオンライン会議への準備や慣れるまでエネルギーを使いますし、通勤がなくなり、よいことばかりのように感じられても、外出しないことによるストレスも感じています。 そもそも、人間にとってあらゆる「変化」はストレスです。結婚、引っ越し、異動、転勤、転職など、あらゆる変化は、たとえそれがプラスの変化であっても、新しいことに対応して慣れるためにエネルギーを使うという意味で、疲れるのです。 ただ、転勤といった1つだけの要素であれば、通常は2~3カ月で慣れて、疲労も取れて新生活になじむことができます。ところがコロナ禍によって、この1年は新たな変化の連続でした。突然の緊急事態宣言、学校や保育園の休校・休園、テレワーク、マスクやトイレットペーパーの品切れ、自粛警察……などなど。 緊急事態宣言が解除されたと思ったら、今度はGO TO TRAVELやGO TO EATの推奨。そしてまた、再度の緊急事態宣言……。ブレーキとアクセルを次々と踏みかえるような、まさしく変化にあふれた1年で、気づかないうちに、多くの人に自分では自覚しにくいステルス疲労がたまっています』、「コロナ禍は「ステルス疲労」をもたらす」とは言い得て妙だ。
・『(2)「生命直結の不安」という特徴  新型コロナウイルスは生命に直結する「不安」をもたらします。高齢者や持病を持っていない人でも、感染に関する恐怖はあり、その不安はさまざまな報道によって、日々、大きくなったり、小さくなったり揺れ動いています。 明日のプレゼンで失敗するかも、といった不安とは質の違う、自分や家族の生命に関する不安に1年間さらされ続けるというのも、疲労を蓄積させます。) (3)「我慢」がエネルギーを消耗させる  緊急事態宣言にともなう「自粛」の要請により、これまで好きだったことを「我慢」しなければなりません。人間は「我慢」することにも、精神的エネルギーを多く使います。 (4)「不安の感受性」の個人差  コロナ禍では、感染への不安の強弱が人によって大きく異なります。「不安の感受性」の個人差が大きいからこそ、周りの人はどう思っているのか、余計に気を遣って観察したり、話をしたりしないといけません。他者の考え方、行動にこれまで以上に気を遣わなければならず、その結果、疲労がじわじわとたまっていきます。 (5)みんな同じつらさを抱えているのに、というプレッシャー  コロナ禍は日本中、世界中の人に降りかかっている災禍です。医療従事者をはじめ、多くの人が頑張っているのに、自分みたいに恵まれている立場の人間が疲れたなんて言っていられない。そのように感じる人も多いのです。 疲れやつらさを感じていても、それを口に出しにくい、出しているような状況ではない、と自分の心にふたをしてしまうことで、ますますつらさは増していきます。 (1)から(5)まで見てきましたが、ステルス疲労は新型コロナウイルスの症状の特徴として言われている「ハッピー・ハイポキシア(幸せな低酸素状態)」に似ていると思います。 「ハッピー・ハイポキシア」とは、血液中の酸素濃度が96~98%あるのが正常な状態のところ、70%を切るような濃度でも苦しさを感じずに話をできる状態の患者さんを指す言葉です。つまり、酸素濃度が足りていなくても自覚症状がないのです。しかし、この間に病状は進行して、急激に重症化するケースも多いのです。 「ステルス疲労」も見えず、感じず、自覚していないうちに心の中で疲労が蓄積して、うつ病になったり、最悪の場合、自殺に至ってしまうという意味で、非常に注意を要するものです』、「ステルス疲労は新型コロナウイルスの症状の特徴として言われている「ハッピー・ハイポキシア」に似ている」、恐ろしいことだ。
・『雑談の減少の影響  新型コロナウイルスによる生活の変化が負担感をもたらすものの一つに「雑談の減少」があります。女性は1日に約2万語の単語を発し、その量が6000語に減るとストレスを感じるという研究結果もあります(男性は1日に約7000語。アメリカ、メリーランド大学)。 テレワークが進むと必然的に雑談の量は減ります。Zoomなどのオンラインの打ち合わせや会議は、目的を持って行うもので、雑談はなかなかしにくいものです。発言がかぶってしまうと、聞こえなくなったりもします。そうなると、どうしても言葉を発する量が減ってしまいます。 私はうつ病になりやすい、「4つの痛いところ」があると思っています。 (1)負担感、(2)無力感、(3)自責感、(4)不安感 です。新型コロナウイルスはステルス疲労で(1)負担感を高めます。そして、長引くウイルスの流行は自分や人間社会が頑張ってもウイルスにはなかなか勝てないという(2)無力感を強め、自分が無自覚に病気を人にうつしているかもしれないという(3)自責感も刺激します。 そして、雇用や収入などへの(4)不安感も、コロナウイルス終息の先行きが不透明なことから、強まっていきます。 (1)から(4)の「4つの痛いところ」が揃ったとき、これから先、生きていてもよいことなんてないし、自分は誰にも貢献できないし、誰にも構ってもらえない。私なんかいないほうがいい、という「死にたい気持ち」が出てきてしまいやすいのです』、「女性は1日に約2万語の単語を発し・・・男性は1日に約7000語」、やはり「女性」のおしゃべりは万国共通のようだ。
・『コロナ禍を生き抜くためにやってほしい3つのこと  これからも続くコロナ禍を生き抜くためには、まずこれまで述べてきたメカニズムを理解し、自分が疲労している、ということを知っておくことが大事です。疲労していて当たり前なんだと、まず自分の疲労を自覚してください。自覚してはじめて、「疲労をとろう、自分を労わろう」という気持ちが生まれてきます。 疲労を自覚したうえで、(1)休む、(2)不安情報から離れる、(3)体を動かすの3つを心がけてください。 疲れたら(1)休むのが一番です。普段より1時間、睡眠を長くとるようにするとか、何もしないぼーっとする時間を増やすとか、好きな映画を見るとか、心身を意識して休ませるようにしてください。 コロナ禍で高まる不安を鎮めるためには、(2)不安情報からも離れましょう。テレビのワイドショーを1日中つけていると、ずっと不安な気持ちになってしまいます。ネットでコロナ情報を検索し続けるのもよくないです。情報は新聞からとか、このニュース番組だけ見ると決めて、不安情報に接する時間を減らしてください。 コロナ禍で外出自粛が増えると、家にこもりがちになります。人間は動物、動くものですので、動かなくなると、どうしてもうつっぽい気分になりやすくなります。ですから、無理のない範囲で、毎日散歩するとか、スーパーに買い物に行くなど、(3)外に出て体を動かすことを心がけてください。 疲労を自覚し、(1)から(3)の対策を実行する人が増えることで、コロナ禍によるメンタルクライシスを乗り越える人が増えると信じています』、確かに「(1)から(3)の対策」は有効なようだ。「メンタルクライシス」に陥っていなくてもお勧めしたい。
タグ:自殺 東洋経済オンライン The New York Times 小林よしのり 下園 壮太 エコノミストOnline (その3)(コロナ脳のマスコミが無視する「自殺率急増」という不都合な真実、日本人女性の自殺がコロナ禍で増えている背景 経済的、精神的な影響が女性たちを襲っている、「心が追い込まれるとき」人が抱える4つの感覚 なぜ自殺急増?自衛隊メンタル教官が分析する) 「コロナ脳のマスコミが無視する「自殺率急増」という不都合な真実(小林よしのり)」 「20歳未満の子供は一人も死んでいないのに、子供の自殺率は49%も上昇」、確かに不思議だ。「マスコミ禍」「専門家禍」の可能性もあるが、子供の場合は親が自宅にいるようになった、お祭りなど発散する機会が少なくなった、など要因は様々だろう 「日本人女性の自殺がコロナ禍で増えている背景 経済的、精神的な影響が女性たちを襲っている」 勤務先の「大阪のスポーツジムは業務を停止」、「その年の初めに鬱の診断を受けており」、「自殺を試みた。恋人が橋本さんを発見して救急車を呼び、一命を取り留めた」、これだけは幸運だったようだ。 女性の自殺件数は深刻なほど上昇 「社会的結束にもとづく文化や、マスク着用・政府要請に対する社会的プレッシャーが強い文化は、コロナ禍ストレスを増幅させる要因にもなっている」、困ったことだ 「「女性は家族の健康の面倒を見なければならず、清潔面の管理もしなければならず、それができない場合は恥をかく可能性がある」、確かにその通りだ 感染者が責められやすい風潮 「専門家たちは命を絶つ芸能人や映画が昨年相次いだことが、模倣的な自殺の連続に拍車を掛けたのではないかとも懸念」、私には理解し難い行動だ 「もしあなたが "私たちの一員" でないのであれば、私たちは基本的にあなたをサポートはしないし、メンタルヘルスの問題を抱えている人は私たちの一員ではない、ということなのです」、予想以上に冷淡なようだ 「心の病」につきまとうタブー 「過去の経済危機では、職を失うなどの影響を最も受けたのは男性で、男性の自殺が増えていた。歴史的に見ると、日本では男性の自殺件数は女性の件数を上回っており、その比率は少なくとも2対1」、なるほど 命を絶った女性の3分の2以上が失業中 女性や若年層が助けを求められるように 「2人は共同で「Bloste(ブロステ)」という名前のアプリを開発した」、大したものだ。今後も自らの体験をもとに「セラピスト」活動を展開してほしいものだ 「「心が追い込まれるとき」人が抱える4つの感覚 なぜ自殺急増?自衛隊メンタル教官が分析する」 うつになる要素が今あふれている 「コロナ禍は「ステルス疲労」をもたらす」とは言い得て妙だ。 (2)「生命直結の不安」という特徴 (3)「我慢」がエネルギーを消耗させる (4)「不安の感受性」の個人差 (5)みんな同じつらさを抱えているのに、というプレッシャー 「ステルス疲労は新型コロナウイルスの症状の特徴として言われている「ハッピー・ハイポキシア」に似ている」、恐ろしいことだ 雑談の減少の影響 「女性は1日に約2万語の単語を発し・・・男性は1日に約7000語」、やはり「女性」のおしゃべりは万国共通のようだ コロナ禍を生き抜くためにやってほしい3つのこと (1)休む (2)不安情報から離れる (3)体を動かす 確かに「(1)から(3)の対策」は有効なようだ。「メンタルクライシス」に陥っていなくてもお勧めしたい
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教育(その23)(理不尽な校則 なぜ変わらないのか ――コロナ禍の校則緩和から「学校依存社会」を読み解く、性の問題を なぜ中高できっちり教えないといけないのか?【APU出口学長×スタンフォード星校長5】、「数学嫌いの若者」が生みだされ続ける根本原因 小学校時代の算数の教え方がその後を左右する) [社会]

教育については、昨年12月2日に取上げた。今日は、(その23)(理不尽な校則 なぜ変わらないのか ――コロナ禍の校則緩和から「学校依存社会」を読み解く、性の問題を なぜ中高できっちり教えないといけないのか?【APU出口学長×スタンフォード星校長5】、「数学嫌いの若者」が生みだされ続ける根本原因 小学校時代の算数の教え方がその後を左右する)である。

先ずは、本年1月3日付けYahooニュースが掲載した名古屋大学大学院教育発達科学研究科・准教授の内田良氏による「理不尽な校則 なぜ変わらないのか ――コロナ禍の校則緩和から「学校依存社会」を読み解く」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20210103-00215871/
・『2020年、学校教育はコロナ禍にあって、臨時休校や9月入学、校内の感染リスクなどが話題になった。じつはその陰で、少しずつ動いてきたことがある。「校則」の緩和だ。マスクは、白色以外は禁じられていたが、コロナ禍のマスク不足で多様な色が認められるようになった。一方で、マスクが手に入りやすくなった今日、徐々に揺り戻しの動きもみられる。なぜ学校は、厳しい校則を維持しようとするのか』、「せっかくの「校則」の緩和」、が「徐々に揺り戻しの動きもみられる」、とは残念だが、その背景は何なのだろう。
・『コロナ禍で緩和されたマスクがカラフルに  日本では新型コロナウイルスの感染拡大の危機感が高まり始めた2月頃から、マスク不足が伝えられるようになった。そのなかにあって、学校で教師からマスクの色は白のみとの指示を受けたという嘆きが多く聞かれた。 たとえば札幌市では分散登校時に白色以外の色や柄を注意する学校があったといい(北海道新聞 2020年3月25日付)、また佐賀市では「そのマスクってピンクじゃない? 白はないの?」と、生徒が教師から注意を受けたという(共同通信 2020年4月23日付)。コロナ禍でマスクが品薄であったとしても、感染症対策(安全の確保)よりも色指定(見た目に関するルール)が優先された。 ただそれはむしろ一部の学校であり、大多数の学校ではマスクの色柄は自由化された。いまや学校では子供も教師も、じつに多様なマスクを使用するようになった』、「コロナ禍でマスクが品薄」を契機に「色柄は自由化」とは望ましいが、あくまで「品薄」が前提のようだ。
・『教室でコートの着用可  この季節、防寒対策なしには生活できない。だが学校では、コートやマフラーなど防寒具の着用が禁止されていることも少なくない。宮崎県では高校37校中15校でコートやジャンパーなどの着用が禁止されているという(NHK宮崎放送局 2020年4月13日付)。 通学時の着用は認められているけれども、教室内での着用が禁止されている例は全国的にも多い。室内で防寒具を着用していることが「マナー違反」とみなされたり、そもそも制服以外のものを身に着けていることが「不要な装飾」とみなされたりする。 これが、コロナ禍で教室の換気が求められたことにより、状況が変わった。さすがに寒かろうと、教室内での防寒具の着用が認められるようになったのである。 文部科学省の「学校における新型コロナウイルス感染症に関する衛生管理マニュアル」(2020.12.3 Ver.5)においても、「室温低下による健康被害の防止」として、「児童生徒等に暖かい服装を心がけるよう指導し、学校内での保温・防寒目的の衣服の着用について柔軟に対応しましょう」と記されており、子供の感覚を重視した提案がなされている』、「コロナ禍で教室の換気が求められたこと」で、「教室内での防寒具の着用が認められるようになった」、、当然のことだ。
・『私服登校がOKに  「制服」(標準服)という、容易には変えがたいルールも、緩和された。 6月に全国で学校が再開された際に、ウイルスが付着する可能性を考慮して、毎日洗濯することが難しい制服ではなく、ジャージや体操服、さらには私服での登校を認めた学校がある。私服登校がつづく岐阜県立加納高校では、「コロナ禍をきっかけに通学服を考えた体験は、生徒にとって大いに刺激となった」として、「当たり前だと思って着ていた制服を、自分で考え選んでいいという発想が新しかった」という生徒の声が報じられている(岐阜新聞 2020年11月24日付)。 また、熱中症対策としても、制服以外の服装を推奨した学校もある。登下校時はもちろんのこと、エアコンが稼働していても教室は暑く、さらには換気により室温が下がりにくくなるため、できるだけ涼しくて過ごしやすい服装がよいとの判断があった。 2020年はコロナ対策や熱中症対策として、子供の安全・安心をベースに、さまざまな校則が緩和された。問題は、この先どうなるかである。 熱中症対策としてのみ、校則を緩和したケースでは、9月が過ぎたころには多くが元に戻った。校則の緩和は、猛暑という一時的な出来事への一時的な対応にすぎない。そして、すっかり定着したと思われていたカラフルなマスクも、私が聞いたところでは、一部の学校で「白色」への揺り戻しが生じている』、「カラフルなマスクも、私が聞いたところでは、一部の学校で「白色」への揺り戻しが生じている」、残念なことだ。
・『校則は本当に「理不尽」なのか  「人権侵害」を超えた議論  さて、学校はなぜ厳しい校則を復活させようとするのか。そもそもなぜ、厳しい校則を好むのか。 そこに言及するに先だって、校則問題の論じ方について、私なりの方針を示しておきたい。 1) 学校批判のみに終わらない  これは私自身の反省でもある。私は長らく、理不尽な校則を「人権侵害」「管理主義」として、ただただ学校のみを一方的に非難してきた。だが後に詳述するように、「学校依存社会」において、校則は保護者・地域住民を含めた社会全体の問題としてとらえる必要がある。 2) 学校側には理由がある  校則をめぐる議論では、「説明がつかない校則が多い」という主張がしばしば展開される。だが現実には、(仮に瞬時には説明がつかないとしても、)学校からは相応の回答が得られる。どこまで回答内容が妥当であるかはともかくも、学校目線では説明がついているところにこそ、校則問題の難しさがある。校則の見直しには、学校目線からの内在的な理解が不可欠である。 3) 教師の負担を考える  今日の学校教育の課題を考えるにあたっては、教師の負担を抜きに語ってはならない。「校則の見直し」と「教師の負担軽減」の両立をさぐる論理が求められる。教育社会学者の山本宏樹氏(東京電機大学・准教授)が指摘するように、ここ数年の「『ブラック校則』追放運動が一面的な教師批判になるのではなく、教師の『ブラック労働』問題と同時並行的に議論されている点」(「これからの校則の話をしよう」)を前面に押し出しながら、校則を見直していく必要がある』、「内田良氏」の見方は、現実に向き合うなかで、多面的・マイルドになったようだ。
・『古くて新しい問題  いま話題になっている校則問題の直接的な発端は、2017年にさかのぼる。 同年10月に、大阪府内の公立高校に通う女子生徒が、生まれつきの茶色い髪を黒く染めるよう学校から強要されたとして、大阪府に対し損害賠償を求める訴えを起こした。この訴えが火付け役となって、理不尽な校則に対する関心が一気に高まった。 厳しい校則というものは、教育界では「過去のこと」と思われてきた。子供たちは数十年前に比べれば、自由な学校生活を享受しているだろう、という印象だ。 校内暴力が吹き荒れた1980年代に、生徒を取り締まるための手段として、厳格な校則が適用された。そして1990年7月に神戸市内の高校で起きた女子生徒の校門圧死事件は、管理教育の象徴としての校則の是非を、世に問うた。 それ以降、校則問題の議論は下火になっていった。ところが現実には、むしろ校則はその厳格さが強化されているようにさえ見える。校則は、古くて新しい問題である』、「校則はその厳格さが強化されているようにさえ見える」、というのは大いに問題だ。
・『高校野球部で丸刈りの割合が高まる  朝日新聞社が、日本高校野球連盟と共同で実施した調査によると、連盟に加盟している高校のうち髪型を「丸刈り」と決めているのは、2003年が46.4%であったのに対し、2018年には76.8%にまで増加している【図1】(朝日新聞 2018年6月16日付)。丸刈り強要こそ「過去のこと」という印象が強いけれども、むしろ2003年と比べると息を吹き返していることがわかる。 図1:高校野球部における丸刈りの割合 ※『朝日新聞』(2018年6月16日付)に掲載されている図をもとに筆者が作成。調査ではいずれの年も、約4000校が回答し、回答率は98%~100%である。 また荻上チキ氏らが2018年に実施したウェブ調査では、「下着の色が決められている」「整髪料を使ってはいけない」など多くの質問項目で、若年世代のほうが経験ありとの回答を示している(『ブラック校則』、東洋館出版社)。 先の黒髪強要訴訟を受けて朝日新聞社がおこなった調査からは、東京都立高校の約6割で、髪の毛が茶色だったり縮れていたりする生徒に対して、それが生まれつきのものであることを示す「地毛証明書」を提出させていることが明らかとなった(朝日新聞 2017年5月1日付)。理不尽な校則は、けっして消滅していない。それどころか、強化あるいは拡張していることが複数の調査からうかがえる』、「東京都立高校の約6割で」、「「地毛証明書」を提出させているとは、信じられないほど酷い話だ。
・『部屋のほこりを取り除くかのように  1980~1990年代にかけて校則問題の議論をリードした坂本秀夫氏は、校則違反を「部屋のほこり」にたとえて次のように説明している。 規則をきびしくすればするほど違反が目立つ。これはきれいな部屋ほど細かなほこりも目立つのと同じである。自由服ならば多少はでな服装も目立たない。だがセーラー服や黒いツメ襟制服で細かな規定をすればするほどわずかな違反も目立ってくる。この取締りのなかにのめり込んでいけばいくほどアラが見えてくるから生徒不信におちいってしまうのである。(坂本秀夫『「校則」の研究』三一書房、218頁) 自由なカラフルな服装のなかでは、白かグレーは目立たない。色どころか、何を着用しているのかさえ、ほとんど気にならない。だが細かい規則をひとたび運用し始めると、小さなちがいが目立ってくる。そして規則がある以上は、その小さなことに指導を入れなければならない。 きれいになればなるほど、あるいは統一感が出てくれば出てくるほど、さらに微細な差異が目に付くようになる。こうしてその微細な差異への指導が入ることになる』、「校則違反を「部屋のほこり」にたとえて」、と絶妙な比喩だ 。
・『なぜ変わらないのか 説明がつかないものは改めるべき?  校則が厳格化されてきたところだけを切り取るならば、学校は子供の人権を積極的に侵害するようになってきたとも言える。学校はそこまでして、子供を痛めつけたいということなのだろうか。 2020年の7月、東京の都立高校におけるツーブロック(注)禁止が話題となった。都議会議員の池川友一氏が委員会にて、ツーブロック禁止の理由を教育長に問うたところ、教育長は「外見等が原因で事件や事故に遭うケースなどがございますため、生徒を守る趣旨から定めている」と答えた(BuzzFeed News 2020年7月14日付)。 人権を侵害しているのではない。むしろ、生徒を危険から守るためという、教育上の真っ当な目的があったということだ。 髪型も、マスクも、防寒具も、服装も、多様なものを認めてしまえば、「華美」になったり、「マナー」に反したり、「中高生らしさ」が失われてしまったり、さらには、子供が事件や事故に巻き込まれたり、学校の秩序が乱れたり・・・と、たくさんの不安が浮上してくる。それらのリスクから子供を守るために、厳しい校則が適用されている。 なお、「華美」「マナー」「中高生らしさ」という視点と、「事件」「事故」という視点は、風紀(前者)と安全(後者)という意味で、異質なもののように見える。だが事故防止策がとられるとしても「風紀」の維持は大前提である(例:自転車事故の防止にカラフルなヘルメットは許されない)。 学校側の対応をひと言で表現すれば、学校は平穏な日常の「乱れ」を、先手を打って防いでいる。校則をめぐる議論では「説明がつかないものは改めるべき」という意見がしばしば聞かれるが、学校側からすれば、校則には真っ当な存在理由がある。 厳しい校則は、「乱れ」の観点から説明が可能であり、子供の安全・安心を願って定められている。だからこそ、容易には変えられないのだ』、「学校は平穏な日常の「乱れ」を、先手を打って防いでいる」、先手が行き過ぎ、過剰な介入になる場合もありそうだ。
(注)ツーブロック:男性の髪型
・『保護よる支持  保護者においても、総じて校則は受け入れられている。 内閣府が実施した保護者対象の全国調査(2014年実施、子どもの保護者2,487名が回答(回収率は93.1%))に、「我が国の子育てや教育の現状について考えたとき、あなたはどのようなことが問題だと思いますか」という質問がある。選択肢として「テレビやインターネットなどのメディアなどから、子どもたちが悪い影響を受けること」「子どもたちの遊び場が少ないこと」「学校の規則が厳し過ぎること」など計16項目(複数選択可)が用意されており、もっとも割合が高かったのは「テレビやインターネットなどのメディアなどから、子どもたちが悪い影響を受けること」(55.8%)であった。 計16項目のうち、「その他」「特に問題とすべきことはない」をのぞいた14項目でみると、「学校の規則が厳し過ぎること」はもっとも割合が低かった(2.7%)。過去の調査(2006年調査、2000年調査)においても、「学校の規則が厳し過ぎること」に対する関心は低く、いずれの年も質問項目のなかで最小値をとった【図2】。 厳しい校則というのはいまに始まったものではなく、2000年から2014年にかけても存在していたはずである。だが、保護者において校則に対する問題意識は、きわめて低い。基本的に校則は支持されていると言える』、なるほど。
・『生徒による支持  生徒自身も、校則には肯定的である。 福岡県の高校2年生を対象に、2001年、2007年、2013年と3時点にわたって実施された調査では、「学校で集団生活をおくる以上、校則を守るのは当然のことだ」という質問への回答が、3時点で大きく変化している。 全体(男子・女子)の傾向として、「そう思う」「どちらかといえばそう思う」という肯定的な傾向が、2013年では87.9%に達している。大多数の生徒が校則を守ることは当然と考えている。しかもそれは2001年の68.3%から、約20%もの大幅な増加である。さらには「どちらかといえばそう思う」はほとんど変化がなく、「そう思う」というより積極的な回答が増えている。【図3】。 以上のように、子供も保護者も、現状の校則を支持している。そして、学校側においても、学校なりに子供の安全・安心を考えて校則が運用されている。 個々別々の校則をとりあげれば、理不尽なものも見つかるけれども、総じて、学校・生徒・保護者の三者ともに、今日の校則に親和的な態度を有している。これが、校則の見直しを難しくしている最大の要因である。 図3:「校則を守るのは当然のことだ」に対する態度(高校生調査)※平野孝典「規範に同調する高校生」(友枝敏雄編『リスク社会を生きる若者たち』大阪大学出版会)に掲載されている図をもとに筆者が作成』、「生徒」から支持されているとはいっても、それは生徒の主体性のなさを表しており、やはり問題だ。
・『校則が照らし出す「学校依存社会」  家庭の時間まで拘束する――「4時禁」という行動規制(ちょうど一年前の冬、「4時禁」という校則が注目を集めた。 「4時禁」とは「4時まで外出禁止」の略称で、学校が午前中で終わって子供が帰宅した際に、午後4時までは家から出てはならないというルールである。岐阜県の塾経営者が話題の火付け役となった。 「4時禁」という名称が全国的にどこまで共有されているかはわからないものの、時間指定して帰宅後の行動を規制する校則は、岐阜県以外の地域にも存在する。岐阜県内では、違反すると反省文を提出させられるケースもあったという(NHK 2020年2月10日付)。 学校の門を出てしまえば、子供がどのような行動をとろうと自由である。まして帰宅後ともなれば、そこでの行動を制約する権限は、学校にはない。それにもかかわらず、自宅待機を命じられ、違反すれば反省文を書かされることさえあるとは、理不尽の極みのように思える。 帰宅後の行動規制は、「4時禁」に限られない。家族旅行であっても事前に学校の承認が必要であったり、友人宅での外泊を禁止したり、夏休み期間中のお祭り会場に教師がパトロールと称してやって来たり、コロナ禍の休校期間中に教師が商店街を見回ったりと、保護者の管理下にあるはずの子供の自由時間に、学校が当然であるかのように介入してくる』、信じられないような過剰介入・「越権行為」だ。
・『越権行為の背景  明らかな越権行為を、なぜ学校がおこなってしまうのか。私が学校関係者に話を聴いていくなかで、私たち第三者には見えない学校の姿が浮かび上がってきた。 学校の授業が早く終わり、生徒は昼には校門を出る。そのまま友だちとフードコートに向かい、昼食をとり長時間にわたっておしゃべりしたり、勉強をしたりする。それを見た店員や地域住民が、学校に苦情の電話をかけてくる。そして、教師がフードコートまで足を運んでお詫びをする。 校門を出た時点で生徒は保護者に返されたはずなのだけれども、謝りに行くのは教師である。そこに保護者の姿はない。こんなことがつづけば、一律に「4時禁」を発動したくもなる。 週末に生徒が、道路のガードレールに落書きをした。それを教師が消しに行く。友人宅での外泊時に友人間のトラブルが起きた。教師がその解決に時間を割く。こんなことがつづけば、一律に生徒の行動を規制したくもなる。 「そんなの、放置すればいい」と思う人もいるかもしれない。でも学校外でのいざこざが、学校のなかに持ち込まれてきては、学校の日常がまわらなくなる』、私も「放置すればいい」と思う。
・『「学校依存社会」の時代  社会科学の領域に、「学校化社会」という言葉がある。哲学者のイヴァン・イリイチ氏は、学校的な価値が制度に組み込まれた社会(例:学校を卒業すれば一人前とみなされる社会)を「学校化社会」と呼び、そのあり方を批判的に考察した(『脱学校の社会』、東京創元社)。また社会学者の宮台真司氏(東京都立大学・教授)は、偏差値重視の学校的価値が社会の隅々にまで浸透した社会をそう呼んだ(『学校的日常を生きぬけ』、教育史料出版会)。いずれも、学校の価値観が社会で支配的な位置を占めていることに対する危機感から生まれた言葉だ。 「4時禁」をはじめとする学校の越権行為も、よく似た状況である。すなわち、学校こそが子供の行動を取り締まり、それを保護者や地域住民も当然のこととみなしている。こうした、社会の構成員が子供の広範な管理を学校に求めようとする社会を、私は「学校依存社会」と呼びたい。 「学校依存社会」の恐ろしいところは、依存していることがもはや当たり前になっていて、そこに気づけないことである。越権行為による介入を受けている家庭でさえも、そして負担を強いられている教師でさえも、それを自明視している。 学校がその権限を逸脱してまで、子供の生活圏内に介入すべき理由はない。学校は、ときに体罰まで行使しながら、警察や司法、福祉などの業務を引き受け、丸抱えしてきた(丸抱えさせられてきた)。校則はその厳しさを増大させながら、領分を拡大させていった。これでは、今日話題となっている学校の長時間労働はけっして解消しない。 だからと言って、現実に起きてしまったトラブルを放置するわけにはいかない。業務を担ってきた教師の「後任」はだれなのか。どこまで介入すべきなのか。今後、包括的な視野からの検討が必要であるものの、まずもってその前提として「学校依存社会」から校則を読み解いていかなければならない』、「学校は、ときに体罰まで行使しながら、警察や司法、福祉などの業務を引き受け、丸抱えしてきた(丸抱えさせられてきた)。校則はその厳しさを増大させながら、領分を拡大させていった」、非常に深い分析だ。現状は過度な役割分担で、やはり本来の姿に戻すべきだろう。
・『「乱れ」と呼ぶか、「多様性」と呼ぶか  ここまで、厳しい校則の現状とそれが維持される背景を示してきた。学校による「人権侵害」のひと言では片付けられない、根深い課題が見えてきたのではないかと思う。 さて、話を冒頭に戻そう。 新型コロナウイルスの感染拡大という甚大な災禍によって、校則が変わらざるをえなくなった。マスクがカラフルになり、教室でコートが着られるようになり、私服の学校生活まで誕生した。 学校は、風紀や秩序の「乱れ」をとても恐れている。コロナ禍で校則がゆるくなり、はたして子供は乱れ、学校は荒れ放題となってしまっただろうか。 私の目には、子供の生活がカラフルにそして多様になっただけのように見える。実際に現場からは、「マスクどころか服装を自由にしても、何も起きなかった」という声も、私の元に届いている。私たちが恐れていた子供の「乱れ」とは、ただの「多様性」だったのではないか。 厳格なルールにより「正しさ」(例:白色のマスク)が定義されるからこそ、同時にその裏返しとして「乱れ」(例:ピンク色のマスク)が定義される。ただの「多様性」だとすれば、「正しさ」も「乱れ」もなく、さまざまな個人が存在しているだけだ。そこには、「正しさ」の管理コストも発生しない。 もちろん、明らかなトラブルが起きたときに、私はそれを「多様性」と呼びたいのではない。トラブルには、教師の「後任」を交えた個別対応が必要であることは言うまでもない。 後に、それでもあえて、校則は学校が決めているということを付記しておきたい。校則は、変えようと思えば、学校で変えることができる。 頭のてっぺんから足の先まで、学校が、子供の身なりや持ち物を規定する。 子供にもう少しだけ、「選ぶ」機会と「考える」機会があってもよいのではないだろうか。子供をもう少しだけ、「信じる」ことがあってもよいのではないだろうか。 そして、みんなでこの社会の子供を育てていくのだという思いを、共有できないものだろうか。 新型コロナウイルスという甚大な災禍が、大きな岩を動かした。あとはこの岩を、みんなで動かしつづけることだ。元に戻るわけにはいかない』、「みんなでこの社会の子供を育てていくのだ」、との考えの下で、学校、家庭、地域社会の役割分担を改めて見直し、再構築してゆくべきだろう。

次に、1月10日付けダイヤモンド・オンライン「性の問題を、なぜ中高できっちり教えないといけないのか?【APU出口学長×スタンフォード星校長5】」を紹介しよう。
・『世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”、稀代の読書家として知られる出口治明APU(立命館アジア太平洋大学)学長。世界史を背骨に日本人が最も苦手とする「哲学と宗教」の全史を初めて体系的に解説した『哲学と宗教全史』がついに10万部を突破。ビジネス書大賞2020特別賞(ビジネス教養部門)を受賞。池谷裕二氏(脳研究者・東京大学教授)から「初心者でも知の大都市で路頭に迷わないよう、周到にデザインされ、読者を思索の快楽へと誘う。世界でも選ばれた人にしか書けない稀有な本」、宮部みゆき氏(小説家)から「本書を読まなくても単位を落とすことはありませんが、よりよく生きるために必要な大切なものを落とす可能性はあります」、なかにし礼氏(直木賞作家・作詞家)から「読み終わったら、西洋と東洋の哲学と宗教の大河を怒濤とともに下ったような快い疲労感が残る。世界に初めて登場した名著である」と絶賛された本が、12/25「日経新聞」に掲載された。だがこの本、A5判ハードカバー、468ページ、2400円+税という近年稀に見るスケールの本だ。 一方、スタンフォード大学・オンラインハイスクールはオンラインにもかかわらず、全米トップ10の常連で、2020年は全米の大学進学校1位。世界最高峰の中1から高3の天才児、計900人(30ヵ国)がリアルタイムのオンラインセミナーで学んでいるが、そのトップが星友啓校長だ。 星校長の処女作『スタンフォード式生き抜く力』も神田昌典氏(マーケティングの世界的権威・ECHO賞国際審査員)から「現代版『武士道』(新渡戸稲造著)というべき本。新しい世界に必要な教育が日本人によって示されたと記憶される本になる」と大絶賛。発売直後に2万部の重版が決まった。 今回、APUの出口学長とスタンフォード大学・オンラインハイスクールの星校長が初めてオンラインで対談。紆余曲折のまさかの人生で両校トップになった二人は、教育について、ビジネスについて、何を語ったのか。注目の初対談の続きをお届けしよう。(構成・藤吉豊)』、「出口」氏と「星」氏の対談とは興味深そうだ。
・『中等・高等教育の目的は2つしかない  星友啓(以下、星):出口先生は、中等・高等教育の分野における学校の役割、教育の目的をどのようにお考えですか? 出口治明(以下、出口):中等・高等教育の目的は、2つしかないと思っています。 ひとつ目は、「最低限の武器を与える」ことです。 武器とは、社会を生き抜くための基礎的知識です。 政治、民主主義、お金、経済、性(SEX)の問題など、社会の根幹をなすしくみについて教えるのが教育です。 現在の日本の教育ではこれらすべてが十分教えられてはいませんが、特に性の問題が海外と比べて遅れています。ここをしっかり教えないといけない。 なぜなら、性暴力や望まない妊娠・人工中絶などの問題は学校でしっかりと性教育ができていないことに一因があるからです。 大人になって社会に出て自分ひとりで社会と向き合ったとき、武器がなければ、負けてしまいます。 2つ目は、「自分の頭で考える力を養うこと」です。 17世紀の哲学者、パスカルが述べたように、「人間は考える葦」です。 人間の人間たるゆえんは、自分の頭で考えること。自分の頭で考え、自分の言葉で、「こう思う」と自分の意見を言える人間になること。自分の頭で考え、人とは違うアイデアを生み出す力を育てることが教育の目的です。 社会に出て独り立ちしていくときに困らない「ベーシックな知識」を徹底的にたたき込む。それから、「考える方法論」を教えることに教育の目的は尽きる気がします。 星:同感です。先生のおっしゃるところを伺っていて、たとえば、アメリカの哲学者ジョーン・デューイの教育哲学を思い出していました。 教育の目的の一つは子どもたちを社会の一員として育てていくことです。 そのため、学校の中で民主的な考えやプロセスを体験できるようにする必要があります。 また、逆に学校は社会の民主的なプロセスの一部であり、その学校の中で社会を知る機会をつくることが必要だというのです。 現在の社会では、学校で学ばれていることと社会を生き抜くための力にまだまだ大きなギャップがあります。学校と社会がそうした分断をなくせるように、社会のコンテキストの中で教育を捉え直していく必要があります』、「現在の日本の教育ではこれらすべてが十分教えられてはいませんが、特に性の問題が海外と比べて遅れています。ここをしっかり教えないといけない。 なぜなら、性暴力や望まない妊娠・人工中絶などの問題は学校でしっかりと性教育ができていないことに一因があるからです」、との「出口」氏の指摘には同感である。
・『互いの個性を認め合いながら  出口:ホモ・サピエンスの歴史を20万年の流れの中で見ていくと、産業革命以前の教育は、人生が教育であり、生活が教育であり、教育は生きることの一部になっていました。 たとえば、鍛冶屋さんになりたいと思ったら鍛冶屋さんに弟子入りし、朝から晩まで仕事をする。そこで鍛冶屋の仕事を教えてもらう。そこで受けた教育は、彼自身の生活であり、人生そのものです。 ところが、「産業革命」と「ネーション・ステート(国民国家)」という2つのイノベーションが当時の社会を一変させました。 産業革命は、均質な労働者を必要とします。どこの工場にも最低限のマニュアルがある。労働者には最低限、識字能力が求められるし、部品の数を数える計数能力も必要です。そこで、「学校を整備しなければならない」というニーズが生まれてきました。 一律の学校教育は、均質な労働力を確保するために一番効率がよかったわけです。 そして、学校という仕組みは国民国家の国民皆兵にも最適でした。 つまり、産業革命によって、人生や生活と教育が最終的に切り離されたのです。 ですが、「本来的には、教育は人生そのものである」という考え方を忘れてはいけないと思います。 ベーシックな教育が行き渡っていない段階では、全国一律の学校制度の中で主要科目を教えるのが効率的です。 でも、それがある程度行き渡ってきたら、分散させ、自由に、それぞれの個性に応じて勉強させなければいけない。 僕は、「個性は性差や年齢差を超える」と思っています。 人間はいろいろな意味で、グラデーションの中で生きているのですから、男性の特性はこう、女性の特性はこう、日本人はこう、外国人がこうという二項対立で考えるのではなく、「違う個性を持つ人たちがグラデーションで集まって世界をつくっている」ということを決して忘れてはならないと思います。 星:今後社会が進む方向性は、やはり分散化だと思います。 分散化というのは、分断とは違います。出口先生がおっしゃるように、性別、年齢、国籍、文化、価値観など、さまざまなバックグラウンドを許容しつつ、お互いを認め合いながら一体化を目指していくことがますます大事になるはずです。(了)』、両氏の見方は深いだけに説得力がある。「個性は性差や年齢差を超える」、「今後社会が進む方向性は、やはり分散化」、同感である。

第三に、2月26日付け東洋経済オンラインが掲載した桜美林大学リベラルアーツ学群教授の芳沢 光雄氏による「「数学嫌いの若者」が生みだされ続ける根本原因 小学校時代の算数の教え方がその後を左右する」を紹介しよう。
・『筆者は1978年から5つの大学での専任教員、5つの大学での講師を合わせて約1万5000人対象(文系・理系は半々)に授業をしてきた。また、1990年代半ばから数学嫌いの改善を主な目的として、全国の小・中・高校などでも約1万5000人を対象に出前授業をしてきたことになる。 そして現在、「小学校時代の算数の教え方次第で人生の進路は決まる」という考えをもっている。本稿では主に、その訳を説明しよう』、「小学校時代の算数の教え方次第で人生の進路は決まる」との見解は興味深い。
・『間違った整数の覚え方  ここに多くの男の子と女の子がいるとき、「その人数は男子が多いか、女子が多いか、それとも同数か。それぞれの人数を数えないで答えられるか」という質問には、男子と女子が一人ずつ手をつないでもらえればわかる。余った方が多く、余った人がいなければ同数だからである。 この発想は「1対1の対応」と言われ、整数の概念が生まれる前は、トークンと呼ばれる粘土細工によって物品の管理に用いられていた(紀元前8000年~紀元前3000年頃)。また現在では、数学の集合について語るときの基礎として重要な働きをしている。 筆者は大学院生の頃を中心に家庭教師を散々行って成功した思い出が多いものの、わずかであるが小学生の算数で失敗の経験もある。 それには共通の特徴があり、最初の面談のときに、親御さんから「うちの子どもは小学校の入学前から数字をよく覚えていて、50ぐらいまでスラスラ言えたほどです。それがどうも伸びなくて……」と言われたことである。 そして、お子さんに指導を始めてすぐに気づくことは、親御さんの整数の教え方が根本的に誤っていたのである。単に「イチ、ニ、サン、シ……」と鳥のオウムに暗唱させるような教え方で、50ぐらいまで覚えさせていたのである。 本来ならば、同じ3ならば3人、3枚、3個というものは1対1の対応がつくように、3という抽象的な数を理解できる例を一緒に示す必要がある。それを完全に省略して教えてしまったために、お子さんは整数に関して強い苦手意識をもってしまったのである。 余談であるがオウムの名誉のために述べておくと、かつてアレックス君というオウムが6までの整数を正しく認識していたことは有名である。 小学校の算数教育で必ず登場することに「九九」がある。3×4=12の「サンシジュウニ」ならば、3+3+3+3=12を示した後に暗記させるものである。ところが、困った指導が一部で行われて、3×4=12のような意味を示す前に九九を全部暗唱させていたのである。 今年度の本務校ゼミナール学生もそのような指導を小学校で受けた思い出が鮮明に残っていて、「なんの言葉なのかサッパリわからないまま、ただただ暗記させられました。疑問に思って学習塾に通っていた友人に尋ねたところ、3×4=12の意味があって「サンシジュウニ」があることが納得できました」と説明したのである。 筆者は「九九の暗記は大切」という考えをもっている。しかし、九九を導く式の理解を省略して覚えてもつらい気持ちしか残らないことは明らかである』、「困った指導が一部で行われて、3×4=12のような意味を示す前に九九を全部暗唱させていたのである」、それは酷い話だ。
・『「比と割合」の意味を理解していない  また、算数の教育で最も重要と考える「比と割合」すなわち「%」の概念の教育では、「基準とする対象を1あるいは100%とすると、比べられる対象はどのくらいになるか」という理解がまず大切であるものの、そのような理解を省略して、それらの関係式の暗記だけの教育が広まっている。 これに関しては学習塾関係者も危惧の念を述べているが、以下のような呆れた事実が結果として表れている。暗記だけの学びは忘れるのが早く、一旦忘れると手も足も出ないことに注意したい。 2012年の全国学力テスト(全国学力・学習状況調査)に出題された小学6年生対象の問題で、「赤いテープの長さは120cmで、赤いテープの長さは白いテープの長さの0.6倍」を示す図を選ぶ4択問題の正解率が34.3%であった。 2012年度の全国学力テストから加わった理科の中学分野(中学3年対象)で、10%の食塩水を1000グラムつくるのに必要な食塩と水の質量をそれぞれ求めさせる問題が出題された。 これに関して、「食塩100グラム」「水900グラム」と正しく答えられたのは52.0%にすぎなかった。1983年に、同じ中学3年を対象にした全国規模の学力テストで、食塩水を1000グラムではなく100グラムにした同一の問題が出題され、この時の正解率は69.8%だった。 理解を無視した暗記だけの算数・数学の学びは中学や高校でもますます盛んになっている(拙著『AI時代に生きる数学力の鍛え方』(東洋経済新報社)参照)。背景には、社会全体に「結果さえ良ければそれでよし」というプロセス軽視の風潮もあるだろう。それが算数・数学の学びの世界にも浸透してしまったと考える。かつて、「算数・数学は最後の答えが合っても途中の式をしっかり書かなくてはダメ」と散々言われた時代を懐かしく思い出すのである。) 筆者は22年間の理学部数学科での教員生活を経て、2007年から現在の本務校のリベラルアーツ学群に勤めているが、しばらくの間は補職として就職委員長を歴任した。当時は学生の就職状況が悪く、算数・数学を苦手とする学生に、関連する非言語問題対策として何らかのサポートをすべきという思いから、後期の毎週木曜日の夜に「就活の算数」ボランティア授業を行った。 筆者の手当て一切ナシは当然として、学生も単位認定一切ナシでも、3年間で約1000人の学生が授業に参加した。昼の正規の授業と合わせて週に10コマ近く行っていたが、それによる疲れはまったく感じない充実した授業であり、昔の寺子屋を想像したほどである。 実はその授業を通して重要なことを学んだ。苦手意識をもつ数学嫌いの学生の多くは、上述したように小学生の頃から理解を無視した暗記の算数・数学教育を受けてきたことである。何人もの学生から、「こんなに理由を説明してくださる先生に教えてもらったことは人生で初めてです」と伝えてもらった。このような話は、数学科の教員時代には一回も聞いたことがなかったことである』、「理解を無視した暗記だけの算数・数学の学びは中学や高校でもますます盛んになっている」、「社会全体に「結果さえ良ければそれでよし」というプロセス軽視の風潮もあるだろう。それが算数・数学の学びの世界にも浸透してしまったと考える」、いくら「プロセス軽視の風潮」とはいっても、「算数・数学の学びの世界にも浸透」、とは本当に由々しいことだ。
・『「数学嫌いの若者」が生まれる経緯  かつて、女性タレントとして活躍された東大工学部卒の方が、テレビの対談番組で「私が習った小学校算数の授業では、先生が考える楽しさを皆に教えたので、クラスの児童全員が算数は好きでした」と述べられたことが忘れられない。 あえて極論を述べると、「子どもの将来の方向は、保護者を含む小学算数の教え方一つで決まるのではないか。もちろん本人の努力もあるが、数学嫌いの若者は教育の犠牲者の面が大きいのではないか」と筆者は言いたいのである。 理解無視の算数の暗記教育と結果だけ問うマークシート式問題が遠因と考えるが、中学数学での作図文や証明文の指導が昔と比べて相当減っている。 その結果として、2014年に行われた千葉県立高校入試の国語で地図を見ながら道案内する文を書く問題が出題されたが、半数が0点だったこと。PISA調査(OECDの生徒の学習到達度調査)で、日本の子どもたちは科学的文献に対して自らの考えを述べる論述力に弱点があること。等々が表面化している。 ひと頃はAIに関して、「人間の仕事はほとんどAIに奪われてしまう」という負のイメージが主であったが、昨年あたりから、両者の良い関係を模索する意見が目に見えて増えている。実際、人間とAIの関係を考えてみると、AIが得意とすることは処理回数と記憶である。 その一方で、人間が得意とすることは、試行錯誤したり考えたりして、斬新な応用や発想を思いつくことである。それゆえ、人間は理解の学びが大切であるが、現在の日本の数学教育を見渡すと上述してきたように、理解を軽視した暗記だけの学びが盛んになっている。) 2019年に経済産業省のレポート「数理資本主義の時代~数学パワーが世界を変える」が発表され、前後に経団連も数学を学ぶことの意義を強調している。しかし、一向に目立った動きが見えない背景には、2015年度のTIMSS(国際数学・理科教育動向調査)でも発表されているように、日本では「数学は嫌いで役に立たない」と思う青少年の割合が極めて高いのである。 この状況は以前からであり、一向に改善されない。だからこそ、あの「ゆとり教育」が導入されてしまったのであり、算数・数学の「好き嫌い」と「役立つ」という点の意識改革は極めて重要な課題である。そこで筆者は、1990年代半ばから精力的に全国の小中高校約200校で出前授業を行ってきた』、「日本では「数学は嫌いで役に立たない」と思う青少年の割合が極めて高いのである」、由々しいことだ。筆者の「出前授業」の努力には頭が下がる。
・『出前授業をする目的  筆者の出前授業は、現在の本務校に移ってきてからはだいぶ減ったものの細々と続けている。その特徴は、いわゆるSSH(スーパーサイエンスハイスクール)指定校の東京都立戸山高校、山梨県立甲府南高校、静岡県立磐田南高校、あるいは愛媛県立松山東高校(旧制松山中学)のような優秀な高校生を対象にしたもののほか、小中学校や児童養護施設や問題の多い高校などにも手弁当で積極的に訪ねたことである。 背景には、「算数・数学が好き」な生徒をより「好き」にさせるだけでなく、「算数・数学が嫌い」や「恵まれない環境」の生徒に少しでも数学への興味関心をもたせたいという目的があったからである。拙著『AI時代に生きる数学力の鍛え方』では、さまざまな出前授業で生徒から喜んでもらった題材も数多く紹介した。 出前授業と合わせて、教員研修会での講演も積極的にお引き受けしてきた。これも1990年代半ばから約200カ所で行ってきたが、とくに昨年は沖縄県の算数・数学の先生方対象の大きな研修会や長野県の高校の校長先生方を対象の講演会がコロナで中止になったことは、いまだに残念に思う。それは、本稿で述べてきた内容を直接語ることを予定していたからである。 筆者は本務校の定年退職まであと2年となったが、コロナさえ収まれば、出前授業や教員研修会に積極的に出かけたいと思っている。そして、70歳になってからの定年退職後は、前半で紹介したオウムのアレックス君を超える算数犬を、1対1の対応の概念から育てる夢を実現したいと思っている』、「算数犬」がきっと素晴らしいパフォーマンスを示すであろうことを期待している。
タグ:教育 東洋経済オンライン yahooニュース ダイヤモンド・オンライン 芳沢 光雄 内田良 (その23)(理不尽な校則 なぜ変わらないのか ――コロナ禍の校則緩和から「学校依存社会」を読み解く、性の問題を なぜ中高できっちり教えないといけないのか?【APU出口学長×スタンフォード星校長5】、「数学嫌いの若者」が生みだされ続ける根本原因 小学校時代の算数の教え方がその後を左右する) 「理不尽な校則 なぜ変わらないのか ――コロナ禍の校則緩和から「学校依存社会」を読み解く」 「せっかくの「校則」の緩和」、が「徐々に揺り戻しの動きもみられる」、とは残念だが、その背景は何なのだろう コロナ禍で緩和されたマスクがカラフルに 「コロナ禍でマスクが品薄」を契機に「色柄は自由化」とは望ましいが、あくまで「品薄」が前提のようだ 教室でコートの着用可 「コロナ禍で教室の換気が求められたこと」で、「教室内での防寒具の着用が認められるようになった」、、当然のことだ 私服登校がOKに 「カラフルなマスクも、私が聞いたところでは、一部の学校で「白色」への揺り戻しが生じている」、残念なことだ 校則は本当に「理不尽」なのか 「内田良氏」の見方は、現実に向き合うなかで、多面的・マイルドになったようだ。 古くて新しい問題 「校則はその厳格さが強化されているようにさえ見える」、というのは大いに問題だ 高校野球部で丸刈りの割合が高まる 「東京都立高校の約6割で」、「「地毛証明書」を提出させているとは、信じられないほど酷い話だ 部屋のほこりを取り除くかのように 「校則違反を「部屋のほこり」にたとえて」、と絶妙な比喩だ なぜ変わらないのか 説明がつかないものは改めるべき? 「学校は平穏な日常の「乱れ」を、先手を打って防いでいる」、先手が行き過ぎ、過剰な介入になる場合もありそうだ 保護よる支持 生徒による支持 信じられないような過剰介入・「越権行為」だ。 越権行為の背景 私も「放置すればいい」と思う 「学校依存社会」の時代 「学校は、ときに体罰まで行使しながら、警察や司法、福祉などの業務を引き受け、丸抱えしてきた(丸抱えさせられてきた)。校則はその厳しさを増大させながら、領分を拡大させていった」、非常に深い分析だ。現状は過度な役割分担で、やはり本来の姿に戻すべきだろう。 「乱れ」と呼ぶか、「多様性」と呼ぶか 「みんなでこの社会の子供を育てていくのだ」、との考えの下で、学校、家庭、地域社会の役割分担を改めて見直し、再構築してゆくべきだろう。 「性の問題を、なぜ中高できっちり教えないといけないのか?【APU出口学長×スタンフォード星校長5】」 「出口」氏と「星」氏の対談とは興味深そうだ 中等・高等教育の目的は2つしかない 「現在の日本の教育ではこれらすべてが十分教えられてはいませんが、特に性の問題が海外と比べて遅れています。ここをしっかり教えないといけない。 なぜなら、性暴力や望まない妊娠・人工中絶などの問題は学校でしっかりと性教育ができていないことに一因があるからです」、との「出口」氏の指摘には同感である 互いの個性を認め合いながら 両氏の見方は深いだけに説得力がある。「個性は性差や年齢差を超える」、「今後社会が進む方向性は、やはり分散化」、同感である 「「数学嫌いの若者」が生みだされ続ける根本原因 小学校時代の算数の教え方がその後を左右する」 「小学校時代の算数の教え方次第で人生の進路は決まる」との見解は興味深い 間違った整数の覚え方 「困った指導が一部で行われて、3×4=12のような意味を示す前に九九を全部暗唱させていたのである」、それは酷い話だ。 「比と割合」の意味を理解していない 「理解を無視した暗記だけの算数・数学の学びは中学や高校でもますます盛んになっている」 「社会全体に「結果さえ良ければそれでよし」というプロセス軽視の風潮もあるだろう。それが算数・数学の学びの世界にも浸透してしまったと考える」、いくら「プロセス軽視の風潮」とはいっても、「算数・数学の学びの世界にも浸透」、とは本当に由々しいことだ 「数学嫌いの若者」が生まれる経緯 「日本では「数学は嫌いで役に立たない」と思う青少年の割合が極めて高いのである」、由々しいことだ。筆者の「出前授業」の努力には頭が下がる 出前授業をする目的 「算数犬」がきっと素晴らしいパフォーマンスを示すであろうことを期待している
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