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東京オリンピック(五輪)(その15)(「わきまえる」は「自粛警察」に相通ずる日本的考え方、「東京五輪に中国製ワクチンを」IOC会長の暴走のウラにある"中国の恩" 次の北京冬季五輪への"布石"か、「すべてが密室で決まる利権の祭典」日本人の東京五輪離れが起きた根本原因 「法」と「報」が機能していない、養老孟司「解剖学的視点で見ると『オリンピックは現代の歪み』だ」)  [社会]

東京オリンピック(五輪)については、2月21日に取上げた。今日は、(その15)(「わきまえる」は「自粛警察」に相通ずる日本的考え方、「東京五輪に中国製ワクチンを」IOC会長の暴走のウラにある"中国の恩" 次の北京冬季五輪への"布石"か、「すべてが密室で決まる利権の祭典」日本人の東京五輪離れが起きた根本原因 「法」と「報」が機能していない、養老孟司「解剖学的視点で見ると『オリンピックは現代の歪み』だ」)である。

先ずは、2月25日付けAERAdotが掲載したジャーナリストの池上彰氏と漫画家のヤマザキマリ氏の対談「「わきまえる」は「自粛警察」に相通ずる日本的考え方」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/aera/2021022400005.html?page=1
・『森喜朗氏の女性蔑視発言の中で、注目を集めた「わきまえる」という言葉。コロナ禍での「自粛警察」にも通ずる。そうした風潮を打破するために今、求められることとは。AERA 2021年3月1日号で、池上彰さんとヤマザキマリさんが語り合った。 池上彰:非常に身につまされたのはオリンピックの組織委員会の方々は皆さん、「わきまえておられる」んですよね。ツイッターでは「わきまえない女」っていうハッシュタグもついたりしましたけど、あの「わきまえておられる」っていうのが実に日本的です。 私も含めて男たちって、会議の終わりの時間が近づいてきて、話が長くなっちゃいけないからこのへんで早く終えようという時に、言いたいことがあっても黙ってさっさと終わらせようっていうところがあると思うんです。そういうのをわきまえるって言われてしまうのかなと。わきまえちゃいけないんだなって、身につまされたんです。 ヤマザキマリ:わきまえるという言葉はなかなか難しいですね。人々全体の価値観が統一しないとうまく稼働しないでしょう。イタリア人の場合、少なくとも私の周りの人は誰もわきまえてないですから(笑)。欧米は思ったことを言わないと潰されてしまう社会ですから、黙っていても始まらない。わきまえるという感覚には、あ・うんで理解するみたいなことに近いものがあるじゃないですか。 池上:そうですね。 ヤマザキ:私はイタリア暮らしが長いこともあって、思ったことは全部吐露してしまう傾向があります。一応根本的には日本人ですから、場合によってはわきまえる気持ちは稼働させますが、でもやっぱりこれはおかしいとなればそれに対して、きちんと意思表示はしないと体内に毒素をため込むようで気持ちが悪い。私以外にもそういう日本人の友人はいますし、そういう人は決して少なくないと思うんです。まあそれでこの社会でやっていくにはなかなか難しい部分もありますね。でしゃばりは世界中にいるけど、日本はちょっと声をあげただけでそういう捉えられ方をしてしまう。まさにわきまえてない迷惑な人として』、「わきまえるという言葉はなかなか難しいですね。人々全体の価値観が統一しないとうまく稼働しないでしょう。イタリア人の場合、少なくとも私の周りの人は誰もわきまえてないですから(笑)。欧米は思ったことを言わないと潰されてしまう社会ですから、黙っていても始まらない」、「私はイタリア暮らしが長いこともあって、思ったことは全部吐露してしまう傾向があります。一応根本的には日本人ですから、場合によってはわきまえる気持ちは稼働させますが、でもやっぱりこれはおかしいとなればそれに対して、きちんと意思表示はしないと体内に毒素をため込むようで気持ちが悪い」、「きちんと意思表示はしないと体内に毒素をため込むようで気持ちが悪い」とは言い得て妙だ。
・『池上:わきまえるでいうと、今のコロナの中で日本の場合はヨーロッパのようなロックダウンをしないわけです。「緊急事態宣言です、みんなで努力をして抑えましょう」って自粛を呼びかけますよね。それって、ある意味「わきまえてくださいね」って政府が言っているようにも思えるんですよね。 ヤマザキ:そうですね。欧米社会は多民族国家で多様な宗教観もありますし、様々な倫理観や価値観があるから、みんなの気持ちが一斉にまとまることはまずありません。だからイタリアではコロナの初期のロックダウン時には、「みんなそれぞれ考え方が違うでしょうけど、今回ばかりは、悪いけどそうしないと大変なことになります」という示唆のある提示をコンテ元首相がしたわけです。 池上:だからロックダウンしても「冗談じゃない」と外へ飛び出したり、マスクを強制するなって言ったりする人たちがいるわけですよね。日本人が見ていると、本当にわきまえない人たちってヨーロッパにはいっぱいいるんだなって思いますよね。 ヤマザキ:どうしてわきまえないかっていうと、日本のような個人の考え方を抑制する「世間体の戒律」がないからなんでしょうね。日本にはキリスト教国やイスラム教国のような宗教的な戒律はありませんが、流動的な世間体の戒律っていうのがありますよね。「自粛警察」もそう。正義感から、他人の行動を監視して世間的な戒律にそぐわない行為をしている人を批判するということでしょうが、わきまえるっていう言葉が妙にマッチするような気がします。 池上:ヨーロッパで自粛警察なんて言葉、生まれないでしょう。 ヤマザキ:生まれないですね。それがあるとしたらイスラム圏ですよ。例えばホメイニ政権以降のイランでの宗教警察です。街の中でちょっとでも西洋かぶれした服装や態度を取っている若者たちがいれば、見せしめも含めて厳しく取り締まられますが、日本の世間的戒律における自粛警察にも、ちょっとそれに近いものを感じますよね。暗黙の暴力行為で戒める』、「(ヨーロッパ人が)どうしてわきまえないかっていうと、日本のような個人の考え方を抑制する「世間体の戒律」がないからなんでしょうね。日本にはキリスト教国やイスラム教国のような宗教的な戒律はありませんが、流動的な世間体の戒律っていうのがありますよね。「自粛警察」もそう。正義感から、他人の行動を監視して世間的な戒律にそぐわない行為をしている人を批判するということでしょうが、わきまえるっていう言葉が妙にマッチするような気がします」、「世間体の戒律」とは上手い表現だ。
・『引き出しに収める作業  池上:自粛警察って要するに、わきまえない人間を摘発することのような気がするんです。だから森さんの「皆さん、わきまえておられて」というのと、コロナ禍の自粛警察って相通ずるような気がします。 同じように、日本には「空気を読む」っていう言葉もありますよね。これは言語化しないで「空気」を読んで判断しましょうというわけです。これも日本独特だなと思うんです。 ヤマザキ:そうなんです。そこなんですよ。言語化って、考え方が自分のものとして、きちんと引き出しの中に収まる作業だと思うんですよね。考えた事柄はアナログなまま放置しておかずに言語というデジタルに置き換えないと身につかない。 それをないがしろにして、ただただアナログな感覚だけでやり取りしていくというのは、江戸時代ならともかく、世界とこれだけ繋がってしまった現代の日本ではあまりもう通用しないのかもしれない。むしろ落語などを聞いていると、まだ江戸時代のほうが、みんな思ったことをしっかり言語化できていたのがわかります。しかもそこには洒落という寛容な精神性もあった。でも今の日本では思ったことを言語化するのはよくないことと捉えている風潮があるどころか、言葉の性質が制限されすぎて、かつては使えていたのに今は使えない言葉がたくさんある。このコロナ禍では、世間の戒律や空気に従うだけで、社会の風潮に対して批判的考えを持たないそんな現代の特徴があらわになった気がしています』、「今の日本では思ったことを言語化するのはよくないことと捉えている風潮があるどころか、言葉の性質が制限されすぎて、かつては使えていたのに今は使えない言葉がたくさんある。このコロナ禍では、世間の戒律や空気に従うだけで、社会の風潮に対して批判的考えを持たないそんな現代の特徴があらわになった気がしています」、なるほど由々しい傾向だ。
・『言語化されない表出  池上:私もものすごく反省してることがあるんです。最近何かあると「なんだかなー」って言っているんです。なんだかなーっていうのは、つまり否定的な、それはいけないんじゃないかと思ってるっていうことを表出しているわけですが、言語化はされていないんですよね。 ヤマザキ:確かに言語化されてないですね。そんなのを2500年前のソクラテス先生が聞いたら怒られてしまいますよ。何やってんだって(笑)』、確かに現在の日本人の「言語化されてない」表現は、「ソクラテス」から怒られるのは必至だ。

次に、3月22日付けPRESIDENT Onlineが掲載したジャーナリストのさかい もとみ氏による「「東京五輪に中国製ワクチンを」IOC会長の暴走のウラにある"中国の恩" 次の北京冬季五輪への"布石"か」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/44405
・『突如浮上した「東京五輪に中国製ワクチン」  今夏に迫る東京オリンピック・パラリンピックの催行可否が議論されている中、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は、中国製ワクチンを大会に導入する考えを突如ぶちあげた。予想外の展開に日本側は困惑、組織委員会の武藤敏郎事務総長は「事前に話は全く聞いていない。ワクチン接種は国による決定事項だ」とコメントするのが精いっぱいだった。 のちに触れるが、五輪参加にワクチン接種は義務付けられていない。選手や関係者にとっては強制接種に迫られるとの誤解を招きかねない会長発言の背景には何があるのか。公式資料と関係者への取材をもとに現状を探ってみることにしたい。 バッハ会長の発言は3月11日、IOCの定例総会の席上で飛び出した。東京五輪実施に向けたオンラインでの5者会談で、事前打ち合わせが全くない中、「中国オリンピック委員会から、今夏開催予定の東京五輪・パラリンピックと2022年冬季北京五輪・パラリンピックの参加者にワクチンを提供するとの申し出があった」と述べた。 これを受け、「ワクチン未接種の選手・役員は、中国製ワクチンを打つよう求められる」と受け取った報道が世界を駆け巡った。中国とIOCの癒着を疑う意見も重なり、日本のみならず、世界各国のメディアが会長発言の真相を追う記事を一斉に報じた』、結果論にはなるが、中国の「ワクチン」外交活発化を踏まえれば、日本としては、「IOC」への「働きかけ」に対して事前に備えておくべきだった。
・『ワクチン接種は「推奨および支援します」  まず、IOCはワクチンへの対応をどう考えているのだろうか。先に刊行された「東京五輪出場選手向けの参加マニュアル」に当たる「公式プレイブック アスリート/チーム役員」を読むと次のような記述がある。 「IOCはオリンピックチームとパラリンピックチームにワクチン接種を呼びかけます」「日本入国前に自国のワクチン接種ガイドラインに従って自国でワクチン接種を受けることを推奨および支援します」 さらには、「日本の皆さんには、(東京五輪が=編集部注)大会参加者だけでなく日本人自身をも保護するためにあらゆる措置が施されていると確信をもってもらうべきと考えています」と、東京五輪が日本国内でのコロナウイルス拡散の原因にならないよう配慮を重ねているという姿勢もみられる。 結論として「大会参加に際しワクチン接種は義務ではありません」と明示している。 IOCはプレイブックについて、アスリート/選手向けのほか、国際競技連盟向け、各国のプレス(取材者、カメラマン等)向け、そしてスポンサーであるマーケティングパートナー向けの計4バージョンを編纂している。 目下、アスリート/選手向けのみ日本語版が用意されており、制限なく誰でも読めるようになっている。これを読むと、大会関係者が守るべき日本滞在中のコロナ感染(拡散予防)対策は細かく明示されており、ちまたで叫ばれている「選手の隔離対策は本当に万全なのか?」といった疑問への回答に当たる記述もまとめられている』、「IOC]が「「東京五輪出場選手向けの参加マニュアル」で、「日本入国前に自国のワクチン接種ガイドラインに従って自国でワクチン接種を受けることを推奨および支援します」、としているのであれば、中国の無償供与はIOCにとっても好都合だ。
・『IOCが無視できない「中国の恩」  バッハ会長は今回の発言に先立ち行われた会長選挙で、94票のうち93票の信任票を得て、会長に再任された。2期目を磐石とするため、是が非でも東京開催を諦めないことを訴え続ける必要があったとみられる。 この再選の裏には、2022年に北京で冬季五輪を控えている中国の存在が大きい。 バッハ氏は2013年、ジャック・ロゲ前会長から会長職を引き継いだ。2022年冬季五輪の開催地を決めた2015年は、立候補を目指すとされていた有力都市が次々と脱落。結果的に北京の立候補を受けることができ、一息つける格好となった。巨額な費用負担を理由に五輪招致を断念する都市が増える中、「困っているIOCを中国が救った」ともいえる』、「バッハ会長」が「中国」に大きな恩義を感じているのであれば、日本側としてはますます「中国」の出方を予測して、備えておくべきだった。
・『騒ぎの幕引きを図るが…  中国の大手企業は次々と五輪事業のスポンサーとなっており、事実上、中国が金銭面でもIOCを支えている。こうした背景もあり、ビジネス面で中国と太いパイプを持つバッハ氏が会長選挙で無投票再選するのは当然の結果だったかもしれない。 中国への配慮とはいえ、会長の発言はいかにも舌足らずだった。「選手の日本上陸後、中国製ワクチンを全員に打つ」と受けとられても仕方なく、報道もこれをそのまま伝えざるを得なかった。 その後の補足説明で、「中国製ワクチンは承認済みの国に対してのみ供与する」と明確に方針を述べた。丸川珠代五輪担当相も「承認された国で判断することだろうと思う」と足並みをそろえ、騒ぎの幕引きを図った。 ひとまず「日本に持ち込んで打つ」との誤解はいったん解けたが、中国の協力を受けながらワクチン接種を進めるとの発表もあり、引き続き会長と中国との間に「強固な関係」がある疑念は残る』、「疑念は残る」とソフトな表現になっているが、実態は「疑念」が強まったの方が適切だろう。
・『来冬の北京五輪は義務付けになるか  ワクチン接種は目下、先進国を中心に進んでいるのみで、発展途上国の中には1本もワクチンが届いていない国もある。先進国の中にも、「高齢者など高リスク者への接種を進めるべきだ」との流れからアスリートの接種は後回しにしている例もみられる。現状、接種を前提に東京五輪参加を打ち出すのは不可能だ。 だが、中国オリンピック委員会がIOCに持ちかけた提案が本当なら、来冬の北京五輪では、中国製ワクチンの接種が義務となるかもしれない。それは次のような例から感じられる。 中国は3月15日、日本を含む各国駐在の中国大使館を通じて、同国で就労するビジネスパーソンらに対し、入国に対する新たなガイドラインを発表した。 中国への再入国を希望する就労者はこれまで、現地自治体や関係当局から特別な許可証を得た上で、ビザを再申請。許可が出たのちにようやく渡航できるという煩雑な手続きが必要だった。ところが、ここへきて「中国製ワクチン接種済みの申請者に対しては、提出書類の簡略化を認める」と公言した。 言うまでもなく、日本は中国製ワクチンに対する使用承認を与えていない。一方で「中国に一日も早く戻って仕事をしたい」という要望を持つ企業関係者も少なくない。経済界から中国製ワクチンの国内承認を進めろという動きが沸き起こる可能性もあり、ワクチン外交を推し進める中国の動向は引き続き注視する必要があるだろう』、警告は遅きに失したようだ。
・『「北京ボイコット」を阻止したい事情  これほどまでに中国が五輪のワクチン導入にこだわる理由は、一部の国で北京五輪をボイコットしようとする動きがあり、ワクチン供与をチラつかせながら各国がボイコットに傾くのを阻止したい思惑があるからだ。 新疆ウイグル自治区で少数民族ウイグル族への弾圧が繰り返し行われているとする疑念をめぐっては、これまでに米国、カナダ、オランダの議会が中国政府による同自治区での所業を「ジェノサイド(大量虐殺)」とみなす段階にまでエスカレートしている。 中国当局がウイグルだけでなく、香港でも民主派勢力の完全追放にかかる中、人権を踏みにじるといったさまざまな行いに対する批判は、中国自らが相応な自制をしない限り、批判は高まることはあっても下火になる可能性は低い。 中国政府は何としても北京五輪を成功させたい。史上初の夏冬両大会を催行した都市として歴史に残すという目的はともかく、国威向上のためには是が非でも米国をはじめとする各国からの参加を得たい。そして、それはボイコットによる参加国の大幅減少という惨状を見たくないIOCも同じだ』、1980年のモスクワオリンピック はソ連のアフガニスタン侵攻で、「日本」を含む西側諸国が「ボイコット」したのは記憶に新しいところだ。
・『会長発言でバレてしまった  ニューヨークタイムズは、「バッハ会長は、中国によるワクチン提供について、実際の接種に向けたプログラム、調達されるワクチンの量、そしてかかる費用についての詳細はほとんど述べていない」とした上で、「ワクチン購入代金は、バッハ政権下で中国との緊密な関係を保ってきたIOCにとって、大した支出にはならないだろう」と報じている。 IOCと中国双方の最大課題である「参加辞退国の続出を避ける」という点で目的が合致した結果、「拙速なワクチン提供方針の発表」につながったと見ることもできる。これまで述べたように、IOCに対し中国の「強大な力」が働いていることは間違いなく、バッハ会長が「中国によるワクチン提供」を口にしたことで、中国のワクチン外交推進にIOCが積極的に参加していることがバレてしまう格好となった』、その通りだ。
・『日本は振り回されてはいけない  中国はこれまでに、北京五輪へのボイコットを検討する国々に釘を刺すため、中国共産党系のメディアは「どこかの国がボイコットすれば北京は必ず報復する」と警告している。 一部の国では中国にとやかく言われるのが厄介なので、東京五輪に参加する関係者全員にワクチンを打つことを検討している動きもある。加えてIOCが「中国製ワクチン」に対するお墨付きを与えたことで、中国政府は自国の活動への後押しになると感じているはずだ。そして、北京五輪が最終的に開催されたならば、中国に「巨大なプロパガンダの勝利」をもたらすことになるだろう。 来年の北京大会を実施する中国をひいきする一方、目前の課題である東京大会を潰すわけにもいかないIOC。これがバッハ会長の暴走発言につながったのか。中国当局とIOCの巧妙な仕掛けによる「ワクチン浸透策」に日本は安易に振り回されないようにすべきだ』、「ワクチン」早期確保に失敗した「日本」にとっては、「負け惜しみに聞こえる。

第三に、3月28日付けPRESIDENT Onlineが掲載したノンフィクションライターの木村 元彦氏による「「すべてが密室で決まる利権の祭典」日本人の東京五輪離れが起きた根本原因 「法」と「報」が機能していない」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/44519
・『東京オリンピック・パラリンピックは本当に開催できるのか。ノンフィクション作家の木村元彦さんは「8割の人が中止や延期を望んでおり、日本人の心が五輪から離れている。ステークホルダー・エンゲージメントという考え方から読み解くと、2つの致命的な原因が見えてくる」という』、「ステークホルダー・エンゲージメント」とは何なんだろう。
・『分断の背景にあるもの  東京五輪の延期が決定して、ほぼ一年が経過した。「何が何でも開催する」という掛け声は勇ましくもそこに民意は無く、日本経済新聞の世論調査(2月1日付)では相変わらず回答者の約8割が中止か延期を望んでいるという。 本来、オリンピック好きと言われる日本の人々の心がなぜここまで五輪から乖離してしまったのか。 コロナ禍における日常生活の苦しさから、五輪の受益者である富裕層と、そうではない大多数の人々とのギャップが露見したことが大きい。「これは私たちが愛した五輪ではない」という意識が分断をもたらしたとも言える。 何が足りていなかったのかと考えるときに、私にはスポーツ法が専門の早稲田大学松本泰介准教授が発した「ステークホルダー・エンゲージメント」という言葉が最も腑に落ちた。松本氏によれば「ステークホルダー・エンゲージメント」とは、「プロジェクトの議論や意思決定のプロセスにおいて利害関係者の存在をそこに置かなくてはいけない」という意味のガバナンス論の専門用語だ。 「東京五輪のような膨大な税金を使った国家プロジェクトになれば、利害関係者は国民規模にまで及びます。ときに透明性という言葉も使われますが、単なる一方的、事後的な情報開示だけでなく、どう巻き込むのか、もっと広範な意味を持ちます。ところが、今のスポーツ界はいろんな決め事が、関係団体ではなく、ほとんど政治的な案件として、関係団体の目の届かないところで決定されて来ました」(松本氏)』、「今のスポーツ界はいろんな決め事が、関係団体ではなく、ほとんど政治的な案件として、関係団体の目の届かないところで決定されて来ました」、その通りだろう。
・『「法」と「報」の機能不全  象徴的なのは、安倍晋三前首相が五輪開催の延期を発表したことだった、と松本氏は指摘する。 「契約関係から言えば、これは当然、日本のスポーツ界全体を代表してJOC(日本オリンピック委員会)も含めて行うべきことです。ところがJOCは蚊帳の外に置かれてしまった。米国でUSOPC(米国オリンピック・パラリンピック委員会)が同じようなことをされたら、大問題になりますよ」 本来、当事者であるはずのJOCの山下泰裕会長は延期を知らされることもなく、今年になって発足したいわゆる四者会議(IOC会長、大会組織委会長、東京都知事、五輪担当相が参加)からも外されている。かように重要なことなのに誰も何も言わない。 ガバナンスが崩壊していることに神経がマヒしている。ステークホルダー・エンゲージメントは手間がかかるし、ひとつの正解は無いかもしないが、重要なのはそこでの納得である。プロセスに納得すれば、たとえ運営での不手際などがあっても「私たちの五輪」だという意識が働く。 機能していないのはガナバンスのみならず、報道を担うメディアも同様である。「法」と「報」が機能していないことが、五輪離れを加速させた』、「本来、当事者であるはずのJOCの山下泰裕会長は延期を知らされることもなく、今年になって発足したいわゆる四者会議・・・からも外されている」、言われてみれば、確かに不自然だ。 
・『機能不全の「法」……無視される選手たちの声  2月3日、大会組織委の森喜朗会長(当時)がJOCの臨時評議員会で女性蔑視発言をした。翌日から森氏の処遇の検討と再発防止を求める署名運動がネット上で起こり、約2週間で15万筆超が集まった。署名は組織委に提出された。 これこそがステークホルダーの動きと言って良いであろう。 今回の東京五輪はもはや、選手のためでも自分たちのためでもなく、一部の人たちの利権でしかないことが、あらわになってきた。その中で「オリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、(中略)などの理由による、 いかなる種類の差別も受けることなく、 確実に享受されなければならない」というオリンピック憲章の根本原則は、開催国に暮らす人々の最後の拠り所であったと言えよう。 それを実現する立場にある組織委のトップが自ら貶める発言をした以上、「わきまえて」などいられない。動いたのは「私たちの五輪」をまだあきらめてはいない、スポーツに希望を見出していた人たちであろう。いくらカネ集めと政治に能力があろうとも五輪精神を蔑ろにする人間はNOなのだ。 アスリートも声を上げた。女子100mハードルの日本記録保持者である寺田明日香選手は2月5日、ツイッターで「#わきまえない女」というハッシュタグとともに、こんな投稿をした。(投稿文はリンク先参照) さらに「選手は組織委やJOCの言いなりでないことを示したかった」と発言。この言葉の持つ意味は大きい。組織委もJOCも選手のための組織であるはずだが、被支配の関係にあるという意識を選手たちに持たせてしまっている。 JOCはIOCの意向もあり、各NF(競技団体)に選手の声をくみ上げるアスリート委員会の設置を義務付けている。 しかし、コロナ禍での五輪の在り方はどうあるべきか、アンケートを取るなどの行為は一度もしていない。上意下達であり続けることに現役選手が不信を隠さず、声をあげるのは必然である。世界的にも火のついた世論は収まらなかった』、「組織委もJOCも選手のための組織であるはずだが、被支配の関係にあるという意識を選手たちに持たせてしまっている」、確かに問題だ。
・『機能不全の「報」……追認するだけの報道機関  森氏がIOCからダメを出されるという事態に陥って、次に起きたのが、その森氏による日本サッカー協会元会長・川淵三郎氏への「後継指名」だった。それも唐突に2月11日にメディアによって発表された。 ガバナンス以前の社会通念から見ても、問題を起こして辞任する人が正当なプロセスを吹っ飛ばして後継指名するなど、言語道断である。スポーツ界の常識は社会の非常識になる。ところが、これを伝える報道は、あたかも決まったかのような論調だった。 スポーツ紙に至っては、川淵氏の自宅前での囲み取材から「森氏が涙を流すのを見た川淵氏がもらい泣きして引き受けた」と、まるで義理人情の美談として扱う有り様だった。記事で読む限り、この囲み取材の中で「こんな後継者の決め方で良いのですか?」と聞いた記者がひとりもいなかったとしか思えない。 私にはデジャブが2つある。一つは06年、日本サッカー協会会長だった川淵氏が、惨敗したW杯ドイツ大会直後の記者会見で「あ、オシムって言っちゃったね」と口を滑らせるかたちで次期代表監督候補の名前を出してしまったときのことである。 この会見は、黄金世代を擁しながら2敗1分グループリーグ敗退という結果を招いた責任、技術委員会が別の人物を推薦したにも関わらずジーコ氏を監督に任命した責任を追及するはずのものだった。しかし、川淵氏の発言で空気が一変。翌日の各紙にはすべて「次期代表監督にオシム」という見出しが躍った。 このときも「会長、今はその話ではないでしょう」と疑義を呈する記者はいなかった』、「追認するだけの報道機関」、確かに情けない。
・『あっと言う間に既成事実化された後任人事  私がたまさかその半年前にオシム氏に関する著作を出版していたことから、直後からメディアに頻繁にコメントを求められたが、「良かったですね。川淵会長は木村さんの『オシムの言葉』を読んで次期監督に選んだと言っていましたよ」と伝えてくる記者がほとんどだった。ああ、スポーツライターは舐められているのだ、と憤怒に駆られた。 「会長はお目が高い」と言うとでも思ったのだろうか。ここで起きたのは、代表監督選考と要請のプロセスを経ずしてのモラルハザードである。以降私は、オシム氏についてのコメントは出すが、それは川淵会長のこの横紙破りに対する批判と必ずセットにして欲しいと伝えて対応した。それでもオシム氏の代表監督就任はあっと言う間に既成事実化されてしまった。当時と同じではないか。 もうひとつは我那覇和樹選手(現福井ユナイテッド)のドーピング冤罪事件におけるミスリードである。詳細は、『07年我那覇和樹を襲った冤罪事件。「言わないと一生後悔する」』(sportiva、2019年02月08日) を参照していただきたい。 川淵氏はこのときも、事実確認前にもかかわらずスポーツ紙に対し、我那覇選手の懲罰処分の内容にまで言及するという極めて軽率な発言をした。選手を守るべき競技団体のトップとしてはあらざる行為だった。 (この冤罪を看過すれば、選手たちに正当な医療行為ができなくなるとして立ち上がったサンフレッチェ広島の寛田司ドクター(当時)は「協会のトップによるあの発言がマスコミに出たことで、Jリーグももう過ちを認めて引き返すことがなくなった」と回顧する)) 今回もまたプロセスを飛ばしての密室人事が既成事実化されかけた。後押ししたのは再びマスメディアである。残る人生のベストを尽くすと意欲を見せていた川淵氏であるが、官邸からのストップ(一説にはIOCが止めたという報道もある)がかかり、2月11日の午後10時には、就任を固辞したとされる。 しかし、翌12日のテレビのワイドショーでは、「世界が注視している中での人選は正当な手続きで行われるべきではないか」という議論の無いまま、またも「新会長の川淵さんはどんな人?」というテーマに終始した』、「オシム」問題はともかく、「我那覇和樹を襲った冤罪事件」での「川淵氏」の姿勢は酷いと、初めて知り、幻滅した。
・『「密室の後継者選び」の真相  私はまた、その2月11日に気になる情報を目にした。同日午前中にスポーツ法学会の境田正樹弁護士が「今日15時から森さん、川淵さん、と私で会うことになりました」と自らが密室での後継者選びを繋ぐことを発信していたのである。境田氏はスポーツ界のガバナンスの強化をする立場の人間である。 境田氏が森氏、川淵氏を会長として適任と思うのであれば、それもまたひとつの意見ではあろうが、「組織委員会の会長は理事会から選ばれる」という定款があるにも関わらず、ガバナンスをアドバイスする立場の人間が、後継指名をする森氏の仲介者として間に入って動いた。 しかも直後に「川淵さんに何とか引き受けて頂きました」というようなワードを発信。これらが流れて私のところにも送られて来たのだ。「引き受けて頂いた」というのは主語が境田氏になるが、字義通りならば、明らかにガバナンス違反にあたる。 なぜ、境田氏はかような行動をとったのか。三者(実際はもうひとり九州のラグビー関係者も同席していたということであるが)の会談の中で何が話し合われたのか、境田氏にインタビューを申し込んだ』(Qは聞き手の質問)、「スポーツ法学会の境田正樹弁護士」が「明らかにガバナンス違反」を犯したというのも、驚かされた。
・『森・川淵両氏の仲介人の弁明  Q:今回の世論の猛反発というのは、川淵さん自身に対してというよりも、決め方のプロセスだったと思います。「評議員でしかない俺が特筆されているような形で名前があがるっていうのは、俺自身もおかしいと思ってた」と本人がおっしゃっています。しかし、人事自体があたかも決まったかのように発信されました。 【境田】僕も予想外で、当然、川淵さんと僕と、(11日午後)3時から森さんのところで会ったときには、これはまだ全然、内々の話で、これからいろんな手続きが進むということはお伝えしていました。 森さんも川淵さんに対して、今回の話は、候補にあがってからの話だから、これは内々だよというのは、言っているんですよ。なので、三者会談が終わった後、ご自宅の前で、川淵さんが記者の前で既に会長就任をしたら、というご発言までされたことは、想定外でしたね。 ただ、3人で会うっていうことは、どうも別の人が記者に既に話しておられたそうで、それで記者も川淵さんのご自宅前に集まっていたみたいですね』、「森さんも川淵さんに対して、今回の話は、候補にあがってからの話だから、これは内々だよというのは、言っているんですよ」、なのに決定事項のように話した「川淵」氏はどういう神経の持ち主なのだろう。ボケてしまったのだろうか。
・『「もしも選ばれたときにお願いします」  F:境田さんは、森さんから川淵さんとの会合のセッティングを頼まれたときに「こういう決め方はよくないんじゃないですか」とは言わなかったんですか? 【境田】いえ、私も法律家なので、これから会長選考プロセスがあることは百も承知です。森さんの意向とは関係なく、会長選考委員会が最終的に会長を推薦するというのは当然の話ですよ。ただ、選ぼうとするときに、誰も候補者が出ないってわけにはいかないでしょうと。 だから「もしも選ばれたときにお願いします」っていうお話をしたに過ぎないし、3人で会ったときにも、もちろんそういう話はしていたのですよ。そのことは、実は、川淵さんも囲み取材の冒頭で話をしているのです。なので、今回のもろもろの批判は、川淵さんがマスコミに話した発言の一部を切り取ってメディアがそのように評価をしている、とも言えるかもしれませんね。 F:私は記者に対しても腹が立っていて。「こんな決め方、組織委の定款と違うじゃないですか!」と言う人間がなぜいなかったのか。川淵さんも「自分が特筆されているのはおかしい」って話しているわけだから、そういう質問が出れば自制がきいたんじゃないかと思うんですよ。 【境田】先ほど言いましたように、「もしも今後、会長に選ばれたらの話だよ」とは川淵さんは言っているんですよ。11日の5時ぐらいの会見の冒頭でね。ただ、その時点で、「決まったらこうする」とか、まだ言う必要のないことまでおっしゃたのは事実ですね』、なるほど。 
・『ガバナンスを確保するために最善の方法」 F:境田さんは後継指名人事に加担する気は無かったということですか。 【境田】僕はそこに介入するとか、加担するとかのつもりは全く無くて、2人に面識のあるというところにおいて間に入って、会談の場をセットした。将来的にもし選ばれたときにはお願いしますっていう話はしたという、そこだけですね。僕ね、木村さんにはね、この件の本当に根っこのところをわかってもらいたいんですよ。 我那覇の事件を通じて思ったのが、スポーツ団体がちゃんとガバナンスを構築できていないとあんな不幸なことが起きるということ。なので、2019年には、スポーツ庁でスポーツ団体向けのガバナンスコードの立案に関わりましたし、その遵守を求めて、スポーツ団体にガバナンス改革に取り組んでもらっているわけです。 今回も、組織委員会というスポーツ団体のトップが変わらなければいけないという緊急事態下で、組織委員会のガバナンスを確保するために最善の方法は何かと考えた末に取った行動であったことをご理解頂ければと思います。 ただ、この15年近く、いろいろなスポーツ政策の立案やスポーツ団体の改革に関わってきた原点には我那覇(冤罪)事件があります。我那覇事件をもう一度起こさないため、いわば、我那覇への償いなんですよ』、しかし、結果的に「川淵」氏の言動で問題を起こしたことには、一端の責任もありそうだ。
・『後継人事は、結局自民党内の「玉突き人事」  候補者検討委員会が出した組織委会長の後継の結論は、橋本聖子五輪担当相だった。 一方でその五輪担当相の後釜には、選択的夫婦別姓に反対する丸川珠代氏が就いた。ジェンダー平等をうたうオリンピック憲章とは相いれないスタンスである。これもまたステークホルダーを巻き込んだ議論の結果とは到底言えず、自民党内の玉突き人事である。 3月16日、宮城県は確保した五輪の都市ボランティア約1700人の内、コロナへの不安などで600人近くが参加を辞退する動きがあることを発表した。辞退の増加には、二階幹事長などのボランティア軽視の発言も無関係ではないだろう。 ここまでの五輪離れから、一度、地に落ちた信頼と信用を取り戻すには、再度、「これこそが自分たちの平和の祭典」という意識をもたらす改革が不可欠であろう。 スポーツメディアもまた「密室に詳しい人」「密室に入れる人」を持ち上げ、次は誰かという人事当てクイズをするのではなく、その決定プロセスに上辺だけでなくガバナンスや透明性が効いているか、常にチェックを怠らぬことが肝要である。 セクシャルハラスメントも、ドメスティックバイオレンスも言語化することで問題解決が認識できた。 ステークホルダー・エンゲージメント。流行らせるべきワードである』、同感である。

第四に、3月27日付けAERAdotが掲載した解剖学者の養老孟司氏による「「解剖学的視点で見ると『オリンピックは現代の歪み』だ」」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/wa/2021032500028.html
・『3月25日に東京五輪の聖火リレーが始まった。しかし、本当に開催できるのか。解剖学者の養老孟司さんに話を聞いた。 私の場合、最初から東京五輪というものに気乗りがしていませんでした。石原慎太郎さんが東京都知事のときにオリンピックを東京に招致する構想が打ち出された時点で、やめればいいと思っていた。あれも老害の一つだったんじゃないでしょうか。政治家たちが五輪に固執しているのは、1964年東京五輪の成功体験が残っている年齢層の願望が強く働いているのではないかと思っています。 前回の東京五輪開催時、私は20代でした。一番印象に残っているのは、エチオピアのマラソン選手アベベの姿です。ところが何年か後、五輪が開催される競技場のトラックにポリウレタンを何層構造かにして埋め込んで、反発を良くするうんぬんという話になってきた。ちょうど、筋肉増強剤などを使ったドーピングの取り締まりが厳しくなったころです。人体への規制を厳しくする代わりに、周りの設備などを改良することで記録を更新しようとし始めた。水泳の水着に対する議論もありましたよね。 人工的なグラウンドによって世界記録を出すとか、あまり意味がないような気がしますね。いつの間にか、どこからが自然で、どこからが人工なのか、線引きがわからなくなってしまった。 解剖学からみると、五輪型の身体の使い方はノーマルではないのです。ヒトの身体は競争するようにできていません。虎が追いかけてくるわけでもないのに必死に100メートルを走ってどうするんだと、いつも思っています。 教科書などで皮膚を剥いだ人体の絵を見たことがありますよね。様々な部位の筋肉が描かれていますが、これらの大きさはひとりでに決まっているのです。ですが、五輪選手はその標準から外れている。例えば、水泳選手は肩幅が標準よりも広いなど、特定の筋肉が大きくなってしまっている。 私が適当な運動だと思うのは、本来の筋肉の大きさが保たれ、まんべんなく体を使っている状態。人間の身体は自然が時間をかけてつくり上げてきたわけで、人が意識して設計したわけではない。それを現代人は歪めてきた。五輪を見ていると、現代人の歪みの一部を見ている気がします。 世界一になるために一生懸命に練習する選手は「自分に勝つ」と、自分自身までをも敵にしてしまっている。身体がもう嫌だって悲鳴をあげているのに、なぜそこまで無理をしなければならないのか。よくわかりません』、「解剖学からみると、五輪型の身体の使い方はノーマルではないのです。ヒトの身体は競争するようにできていません。虎が追いかけてくるわけでもないのに必死に100メートルを走ってどうするんだと、いつも思っています」、「人間の身体は自然が時間をかけてつくり上げてきたわけで、人が意識して設計したわけではない。それを現代人は歪めてきた。五輪を見ていると、現代人の歪みの一部を見ている気がします。 世界一になるために一生懸命に練習する選手は「自分に勝つ」と、自分自身までをも敵にしてしまっている。身体がもう嫌だって悲鳴をあげているのに、なぜそこまで無理をしなければならないのか。よくわかりません」、いずれも「養老」氏ならではの鋭い指摘だ。こういう冷めた見方は清涼剤になる。 
タグ:養老孟司 池上彰 東京オリンピック ヤマザキマリ PRESIDENT ONLINE (五輪) 木村 元彦 AERAdot さかい もとみ (その15)(「わきまえる」は「自粛警察」に相通ずる日本的考え方、「東京五輪に中国製ワクチンを」IOC会長の暴走のウラにある"中国の恩" 次の北京冬季五輪への"布石"か、「すべてが密室で決まる利権の祭典」日本人の東京五輪離れが起きた根本原因 「法」と「報」が機能していない、養老孟司「解剖学的視点で見ると『オリンピックは現代の歪み』だ」) 「「わきまえる」は「自粛警察」に相通ずる日本的考え方」 わきまえるという言葉はなかなか難しいですね。人々全体の価値観が統一しないとうまく稼働しないでしょう。イタリア人の場合、少なくとも私の周りの人は誰もわきまえてないですから(笑)。欧米は思ったことを言わないと潰されてしまう社会ですから、黙っていても始まらない」 「私はイタリア暮らしが長いこともあって、思ったことは全部吐露してしまう傾向があります。一応根本的には日本人ですから、場合によってはわきまえる気持ちは稼働させますが、でもやっぱりこれはおかしいとなればそれに対して、きちんと意思表示はしないと体内に毒素をため込むようで気持ちが悪い」 「きちんと意思表示はしないと体内に毒素をため込むようで気持ちが悪い」とは言い得て妙だ (ヨーロッパ人が)どうしてわきまえないかっていうと、日本のような個人の考え方を抑制する「世間体の戒律」がないからなんでしょうね。日本にはキリスト教国やイスラム教国のような宗教的な戒律はありませんが、流動的な世間体の戒律っていうのがありますよね。「自粛警察」もそう。正義感から、他人の行動を監視して世間的な戒律にそぐわない行為をしている人を批判するということでしょうが、わきまえるっていう言葉が妙にマッチするような気がします」、「世間体の戒律」とは上手い表現だ 「今の日本では思ったことを言語化するのはよくないことと捉えている風潮があるどころか、言葉の性質が制限されすぎて、かつては使えていたのに今は使えない言葉がたくさんある。このコロナ禍では、世間の戒律や空気に従うだけで、社会の風潮に対して批判的考えを持たないそんな現代の特徴があらわになった気がしています」、なるほど由々しい傾向だ 確かに現在の日本人の「言語化されてない」表現は、「ソクラテス」から怒られるのは必至だ 「「東京五輪に中国製ワクチンを」IOC会長の暴走のウラにある"中国の恩" 次の北京冬季五輪への"布石"か」 突如浮上した「東京五輪に中国製ワクチン」 結果論にはなるが、中国の「ワクチン」外交活発化を踏まえれば、日本としては、「IOC」への「働きかけ」に対して事前に備えておくべきだった 「IOC]が「「東京五輪出場選手向けの参加マニュアル」で、「日本入国前に自国のワクチン接種ガイドラインに従って自国でワクチン接種を受けることを推奨および支援します」、としているのであれば、中国の無償供与はIOCにとっても好都合だ。 「バッハ会長」が「中国」に大きな恩義を感じているのであれば、日本側としてはますます「中国」の出方を予測して、備えておくべきだった。 「疑念は残る」とソフトな表現になっているが、実態は「疑念」が強まったの方が適切だろう。 警告は遅きに失したようだ 1980年のモスクワオリンピック はソ連のアフガニスタン侵攻で、「日本」を含む西側諸国が「ボイコット」したのは記憶に新しいところだ 「ワクチン」早期確保に失敗した「日本」にとっては、「負け惜しみに聞こえる。 「「すべてが密室で決まる利権の祭典」日本人の東京五輪離れが起きた根本原因 「法」と「報」が機能していない」 ステークホルダー・エンゲージメント 「今のスポーツ界はいろんな決め事が、関係団体ではなく、ほとんど政治的な案件として、関係団体の目の届かないところで決定されて来ました」、その通りだろう 「本来、当事者であるはずのJOCの山下泰裕会長は延期を知らされることもなく、今年になって発足したいわゆる四者会議 からも外されている」、言われてみれば、確かに不自然だ 「組織委もJOCも選手のための組織であるはずだが、被支配の関係にあるという意識を選手たちに持たせてしまっている」、確かに問題だ 「追認するだけの報道機関」、確かに情けない。 「オシム」問題はともかく、「我那覇和樹を襲った冤罪事件」での「川淵氏」の姿勢は酷いと、初めて知り、幻滅した 「スポーツ法学会の境田正樹弁護士」が「明らかにガバナンス違反」を犯したというのも、驚かされた 「森さんも川淵さんに対して、今回の話は、候補にあがってからの話だから、これは内々だよというのは、言っているんですよ」、なのに決定事項のように話した「川淵」氏はどういう神経の持ち主なのだろう。ボケてしまったのだろうか しかし、結果的に「川淵」氏の言動で問題を起こしたことには、一端の責任もありそうだ ステークホルダー・エンゲージメント。流行らせるべきワードである』、同感である 「「解剖学的視点で見ると『オリンピックは現代の歪み』だ」」 「解剖学からみると、五輪型の身体の使い方はノーマルではないのです。ヒトの身体は競争するようにできていません。虎が追いかけてくるわけでもないのに必死に100メートルを走ってどうするんだと、いつも思っています」 「人間の身体は自然が時間をかけてつくり上げてきたわけで、人が意識して設計したわけではない。それを現代人は歪めてきた。五輪を見ていると、現代人の歪みの一部を見ている気がします。 世界一になるために一生懸命に練習する選手は「自分に勝つ」と、自分自身までをも敵にしてしまっている。身体がもう嫌だって悲鳴をあげているのに、なぜそこまで無理をしなければならないのか。よくわかりません」、いずれも「養老」氏ならではの鋭い指摘だ。こういう冷めた見方は清涼剤になる。
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自殺(その3)(コロナ脳のマスコミが無視する「自殺率急増」という不都合な真実、日本人女性の自殺がコロナ禍で増えている背景 経済的、精神的な影響が女性たちを襲っている、「心が追い込まれるとき」人が抱える4つの感覚 なぜ自殺急増?自衛隊メンタル教官が分析する) [社会]

自殺については、昨年10月13日に取上げた。今日は、(その3)(コロナ脳のマスコミが無視する「自殺率急増」という不都合な真実、日本人女性の自殺がコロナ禍で増えている背景 経済的、精神的な影響が女性たちを襲っている、「心が追い込まれるとき」人が抱える4つの感覚 なぜ自殺急増?自衛隊メンタル教官が分析する)である。

先ずは、本年2月13日付けエコノミストOnlineが掲載した漫画家の小林よしのり氏による「コロナ脳のマスコミが無視する「自殺率急増」という不都合な真実(小林よしのり)」を紹介しよう。
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20210209/se1/00m/020/002000c
・『日本国内で初めて新型コロナ感染者が確認されたのは昨年1月16日。新コロは「上陸1年」を迎えた。 マスコミは今も新コロの感染者(正確には陽性者)と死者の数をこの日からの「累計」で報じ続けているが、それはおかしい。 1年たったのだから「年間」の数字を確定させ、それ以降は「2年目」の数字として別に集計しなければ、インフルエンザなどとの正確な比較ができなくなってしまう。 今回確定した、日本の新コロ年間感染者数は31万3844人、死者4379人だ。 インフルエンザの年間推計患者数約1000万人、間接死込みの死者数約1万人に比べて、あまりにも少ない。 しかもインフルは症状が出て医療機関を受診した「患者数」であるのに対して、新コロの「感染者」は検査を拡大できるだけ拡大し、無症状者まで徹底的にあぶり出した数字で、死者も「死因を問わず」死亡時に検査陽性であれば全て「コロナ死」に計上しており、水増しに水増しを重ねた数字なのに、それでもインフルとは比較にならないほど少ないのだ。 その一方で、恐るべきニュースがあった。東京都健康長寿医療センターなどの調査によると、昨年7月から10月までのいわゆる「第2波」の間、自殺率が前年同期比で16%増加。特に女性は37%の増加で男性の5倍、20歳未満の子供は49%も増えたという。 新型コロナウイルス感染症では、いまだに20歳未満の子供は一人も死んでいないのに、子供の自殺率は49%も上昇していたのである! いわゆる「コロナ禍」とは「ウイルス禍」ではなく、殊更に恐怖をあおり立てた「マスコミ禍」「専門家禍」であり、定見もなくこれに流された「政治禍」だったことが、これだけでも明らかである』、「20歳未満の子供は一人も死んでいないのに、子供の自殺率は49%も上昇」、確かに不思議だ。「マスコミ禍」「専門家禍」の可能性もあるが、子供の場合は親が自宅にいるようになった、お祭りなど発散する機会が少なくなった、など要因は様々だろう。

次に、3月1日付け東洋経済オンラインが転載したThe New York Times「日本人女性の自殺がコロナ禍で増えている背景 経済的、精神的な影響が女性たちを襲っている」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/414038
・『昨年の春に日本が新型コロナウイルスへの対抗策を強化してから間もなく、橋本なずなさんはパニック発作に苦しめられるようになった。橋本さんが個人トレーナーとして働いていた大阪のスポーツジムは業務を停止し、友人たちは政府の要請に従ってステイホームしていた。 孤独になることをおそれて、橋本さんは付き合ってほんの数カ月の男性に電話をして、来てくれるよう頼んだ。そのときでさえ、橋本さんは涙が止まらないことがあった。橋本さんはその年の初めに鬱の診断を受けており、そのことも悪循環となった。「私はもともと小さな世界に住んでいましたが」と、橋本さんは語る。「さらに小さくなってしまったと感じました」。 7月になる頃までには、橋本さんはほかにどうしようもないと感じ、自殺を試みた。恋人が橋本さんを発見して救急車を呼び、一命を取り留めた。今、橋本さんは自分の経験を公に話している。日本でメンタルヘルスについて語ることに付きまとう悪いイメージを払拭したいと望んでいるのだ』、勤務先の「大阪のスポーツジムは業務を停止」、「その年の初めに鬱の診断を受けており」、「自殺を試みた。恋人が橋本さんを発見して救急車を呼び、一命を取り留めた」、これだけは幸運だったようだ。
・『女性の自殺件数は深刻なほど上昇  パンデミックが日本の多くの地域を襲う中、女性に対するプレッシャーが強まっている。多くの国でそうであるように、この国でもより多くの女性が職を失っている。 東京では、約5人に1人の女性が一人暮らしをしており、外出を自粛し、高齢家族を訪れてはいけない、という強い要請が孤独感をより加速させている。家庭を持つ女性も、家事や子育てにおける根深い不平等に苦労したり、DVや性的暴行の増加に苦しめられたりしている。 パンデミックの精神的および身体的な苦痛により、日本人女性の自殺件数は深刻なほど急増している。昨年、日本では6976人の女性が自ら命を絶っており、2019年に比べ約15%増えた。10年以上ぶりとなる前年比増加だ。 それぞれの自殺や自殺未遂の背景には一人ひとりの複雑に絡み合う事情に根ざした悲劇がある。しかし、女性の自殺者数は昨年7カ月連続で拡大しており、世界最高レベルの自殺率の減少に努めてきた政府関係者やメンタルヘルスの専門家の懸念するところとなっている(昨年の自殺者の数は男性のほうが多かったが、男性の自殺者数は2019年からは減少している。男女合わせると、自殺者数は4%弱の増加となった)。 この状況は日本にとっての長年の課題をさらに強めている。「我慢すること」が美とされる社会の中、メンタルヘルスの問題について語ることは依然として難しい。 社会的結束にもとづく文化や、マスク着用・政府要請に対する社会的プレッシャーが強い文化は、コロナ禍ストレスを増幅させる要因にもなっている。老人や子どもの世話をするのはまず女性であると見なされがちで、これができなかったり、コロナウイルスに感染してしまった場合、世間体が悪くなるおそれもある。 「女性がウイルス予防の重荷を背負っている」と、特定非営利活動法人メンタルケア協議会の西村由紀理事は語る。「女性は家族の健康の面倒を見なければならず、清潔面の管理もしなければならず、それができない場合は恥をかく可能性がある」』、「社会的結束にもとづく文化や、マスク着用・政府要請に対する社会的プレッシャーが強い文化は、コロナ禍ストレスを増幅させる要因にもなっている」、困ったことだ。「「女性は家族の健康の面倒を見なければならず、清潔面の管理もしなければならず、それができない場合は恥をかく可能性がある」、確かにその通りだ。
・『感染者が責められやすい風潮  広く報道された情報によると、30代の女性がコロナウイルス感染からの回復後に自宅で命を絶ったという。日本のメディアは彼女の書き置きに飛びついた。そこには他人に感染させて迷惑をかけてしまった可能性に対する苦悩がつづられていた。一方、専門家は恥辱感が彼女の絶望を後押ししていたのかについては、疑問を投げかけている。 「残念なことだが、現在の風潮では被害者を責めがちだ」と、早稲田大学で自殺の研究をしている実証政治経済学の上田路子准教授は語る。上田准教授は昨年の調査で、40%の回答者がウイルスに感染してしまった場合の社会的なプレッシャーを心配しているということを見い出した。 「もしあなたが "私たちの一員" でないのであれば、私たちは基本的にあなたをサポートはしないし、メンタルヘルスの問題を抱えている人は私たちの一員ではない、ということなのです」と上田准教授は指摘する。 専門家たちは命を絶つ芸能人や映画が昨年相次いだことが、模倣的な自殺の連続に拍車を掛けたのではないかとも懸念している。受賞歴のある人気女優の竹内結子さんが9月下旬に亡くなった後、その後数カ月の間に自らの命を絶った女性の数は前年比90%近く急増している。 竹内さんの死後間もなく、ナオさん(30)はブログの執筆を始めた。彼女は長きにわたって鬱や摂食障害と闘っており、その歴史をつづるためだ。ナオさんは3年前の自身の自殺未遂について率直に書いた。 メンタルヘルスの苦悩についてこのようにオープンに語ることは、依然として日本では比較的珍しいことである。芸能人の自殺によってナオさん(名字は本人の希望によりプライバシー保護のため非公表)は、パンデミックの最中に、感情的に最悪の状態に陥ったら自分はどういう反応をするだろうか、と考えたという。 「家で、1人で過ごしていると、社会から疎外されていると強く感じます。そしてその感覚は本当に苦しいものです」と、ナオさんは語る。「もし自分が今そういう状況にいたら、と想像してみると、自殺未遂はもっと早期に発生していたと思います。そしておそらく、自殺に成功してしまっていただろうと思います」』、「専門家たちは命を絶つ芸能人や映画が昨年相次いだことが、模倣的な自殺の連続に拍車を掛けたのではないかとも懸念」、私には理解し難い行動だ。「もしあなたが "私たちの一員" でないのであれば、私たちは基本的にあなたをサポートはしないし、メンタルヘルスの問題を抱えている人は私たちの一員ではない、ということなのです」、予想以上に冷淡なようだ。
・『「心の病」につきまとうタブー  自身の体験についてつづったナオさんは、今では結婚しているが、絶望を感じている誰かの助けになりたかったのだと語る。多くの人たちが友人や仕事仲間から隔離されている時期であれば特にそうだ。 「誰かが自分と同じような状況を経験したことがある、あるいは、経験中であることを知り、そして専門家の助けを求めて実際に役立ったということがわかれば、自分も同じようにしよう、と励ませると思ったのです」と、ナオさんは話す。日本で心の病につきまとうタブーを取り除く手助けをしたいとナオさんは言う。 ナオさんの夫はコンサルタント会社で初めて彼女と出会ったとき、ナオさんがいかに長時間労働や過酷な職場の風潮に苦しんできたかを見ていた。その後ナオさんは仕事を辞め、浮き草のようになってしまったと感じた。 コロナ禍で女性のほうが不釣り合いに仕事を失い、苦しんでいる。こうした女性たちの多くは、レストランやバー、ホテルといった新型コロナの影響を最も受けている業界の従業員である。 働く女性の約半数がパートタイムや契約社員であり、事業が停滞しているときには企業は真っ先にそうした従業員を解雇する。昨年1?9月までに約144万人のそうした人々が職を失った。半数以上が女性だ。 ナオさんは治療を受けるために、自らコンサルティング会社を辞めたが、今後は家賃が払えなくなる、といった不安にさいなまれたことを覚えている。ナオさんと現在は夫である婚約者が結婚の計画を前倒しにすると決めた時、ナオさんの父親は彼女が「わがままだ」と責めた。「すべてを失ったと感じました」とナオさんは振り返る。 そうした感覚が鬱の引き金となり、自殺未遂につながったと言う。精神病院でしばらく過ごして治療を継続した後、ナオさんは自信を取り戻し、週4日間の仕事を見つけた。出版社のデジタル部門の仕事だ。そして現在は、仕事量をコントロールすることができているという。 過去にも日本の自殺率は、経済危機時に急増している。1990年代のバブルの崩壊後や、2008年の世界的景気後退後もそうだった。 過去の経済危機では、職を失うなどの影響を最も受けたのは男性で、男性の自殺が増えていた。歴史的に見ると、日本では男性の自殺件数は女性の件数を上回っており、その比率は少なくとも2対1となっている。「彼らは仕事や財産を失ったことに絶望を感じていた」と、社会疫学を専門とする大阪大学国際公共政策研究科の松林哲也教授は語る』、「過去の経済危機では、職を失うなどの影響を最も受けたのは男性で、男性の自殺が増えていた。歴史的に見ると、日本では男性の自殺件数は女性の件数を上回っており、その比率は少なくとも2対1」、なるほど。
・『命を絶った女性の3分の2以上が失業中  松林教授によると、昨年失業率が最高となった都道府県では、40歳以下の女性の自殺の増加が最も多かったという。2020年に命を絶った女性の3分の2以上が失業中だった。 40歳以下の女性では、自殺は昨年25%近く上昇した。また昨年、命を絶った女子高生の数は2倍に上っている。 冒頭の橋本さんの場合、恋人に経済的に依存しているという不安が絶望感につながっていた。個人トレーナーとして勤務していたジムが営業を再開したとき、橋本さんは復職できるほど感情的に安定しているとは感じていなかった。そして、感情的、経済的に恋人に依存していることに罪悪感を感じたという。 橋本さんは勤務先で、建設業界で働く男性(23)と出会った。男性は橋本さんの顧客だった。自分の鬱がどうにもならなくなってきていることを打ち明けたのは、2人が付き合い始めてからわずか3カ月後のことだった。治療費を払うことができず、ひどい不安発作にも苦しめられた。 自殺未遂をしたとき橋本さんは、これで恋人が自分の世話をする責任から解放できる、としか考えることができなかった。「彼の重荷を取り除きたかったのです」と橋本さんは言う。 失職していない人であっても、多くのストレスに見舞われる可能性がある。パンデミックが起きる前は、在宅勤務は日本ではめずらしかった。それが突然、遠く離れた上司のご機嫌をとるだけでなく、子どもたちの安全や衛生対策を考えなければならなくなった。子どもたちもウイルスに弱い、高齢の両親を守ることを考えなければいけないケースもある。 「人とかかわることができなかったり、ストレスを共有することができなかったりすれば(プレッシャーを感じたり、うつ状態になることは)驚きに値しない」と、京都外国語大学社会学部の根本宮美子教授は語る』、なるほど。
・『女性や若年層が助けを求められるように  自殺未遂を乗り越えた橋本さんは今、ほかの人が自らの感情的な問題を語ることを学んだり、専門家につなげる手助けをしたいと考えている。橋本さんの恋人は、彼女がオープンに鬱のことを話してくれたことを感謝していると言う。 「彼女は自分が必要としていることや、何が間違っているのかを本当に打ち明けてくれるタイプの人です。なので、彼女を支えることはとても容易なことです。彼女自身が必要としていることを声に出してくれるからです」 2人は共同で「Bloste(ブロステ)」という名前のアプリを開発した(「ストレスを発散する」=「blow off steam」の略)。このアプリでは、カウンセリングを求めている人と、セラピストをマッチングができる。 橋本さんはキャリアの長いセラピストだけでなく、キャリアを始めたばかりの人の双方を採用しようと考えている。若い依頼者が支払いやすい料金を設定する可能性が高い人を求めているからだ。最終的には、橋本さん自身も特に女性を対象としたセラピストとして訓練を受けたいと考えている。 「日本では主に女性のキャリアアップや経済面での福祉に焦点が置かれていますが、私は女性のメンタルヘルスを重視したいと考えています」』、「2人は共同で「Bloste(ブロステ)」という名前のアプリを開発した」、大したものだ。今後も自らの体験をもとに「セラピスト」活動を展開してほしいものだ。

第三に、3月4日付け東洋経済オンラインが掲載した心理カウンセラー・メンタルレスキュー協会理事長の下園 壮太氏による「「心が追い込まれるとき」人が抱える4つの感覚 なぜ自殺急増?自衛隊メンタル教官が分析する」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/414025
・『厚生労働省は1月22日、2020年は自殺者数が11年ぶりに増え、2万919人(速報値)だったと発表した。とくに女性は6976人で前年より885人(14.5%)も増加した。新型コロナウイルスによる生活の変化が自殺増加の背景にあるとみられている。 コロナ禍による生活困窮など経済的な原因が大きいと考えられているが、精神面での要因を指摘するのが、自衛隊で長年メンタル教官を務めてきた下園壮太氏。ロングセラー『自衛隊メンタル教官が教える心の疲れをとる技術』の著書もある下園氏に、長引くコロナ禍がメンタルに及ぼす影響とその対処法について話を伺った』、興味深そうだ。
・『うつになる要素が今あふれている  まずお話ししたいのは、コロナ禍がもたらした生活の変化は、うつになりやすい要素があふれている、ということです。そのことについて、順を追って説明していきましょう。 (1)コロナ禍は「ステルス疲労」をもたらす  コロナ禍による生活の変化により、「本人にとって自覚しづらい疲労=ステルス疲労」がたまっていくことがあります。 たとえば、テレワーク。「新しい生活様式」という言葉も使われ、通勤時間が減って楽になった、嫌いな上司にも直接会わなくていいから気楽だ、といったプラスの面が強調され、いいことずくめのように感じられます。 ところが実際は、初めてのテレワークではオンライン会議への準備や慣れるまでエネルギーを使いますし、通勤がなくなり、よいことばかりのように感じられても、外出しないことによるストレスも感じています。 そもそも、人間にとってあらゆる「変化」はストレスです。結婚、引っ越し、異動、転勤、転職など、あらゆる変化は、たとえそれがプラスの変化であっても、新しいことに対応して慣れるためにエネルギーを使うという意味で、疲れるのです。 ただ、転勤といった1つだけの要素であれば、通常は2~3カ月で慣れて、疲労も取れて新生活になじむことができます。ところがコロナ禍によって、この1年は新たな変化の連続でした。突然の緊急事態宣言、学校や保育園の休校・休園、テレワーク、マスクやトイレットペーパーの品切れ、自粛警察……などなど。 緊急事態宣言が解除されたと思ったら、今度はGO TO TRAVELやGO TO EATの推奨。そしてまた、再度の緊急事態宣言……。ブレーキとアクセルを次々と踏みかえるような、まさしく変化にあふれた1年で、気づかないうちに、多くの人に自分では自覚しにくいステルス疲労がたまっています』、「コロナ禍は「ステルス疲労」をもたらす」とは言い得て妙だ。
・『(2)「生命直結の不安」という特徴  新型コロナウイルスは生命に直結する「不安」をもたらします。高齢者や持病を持っていない人でも、感染に関する恐怖はあり、その不安はさまざまな報道によって、日々、大きくなったり、小さくなったり揺れ動いています。 明日のプレゼンで失敗するかも、といった不安とは質の違う、自分や家族の生命に関する不安に1年間さらされ続けるというのも、疲労を蓄積させます。) (3)「我慢」がエネルギーを消耗させる  緊急事態宣言にともなう「自粛」の要請により、これまで好きだったことを「我慢」しなければなりません。人間は「我慢」することにも、精神的エネルギーを多く使います。 (4)「不安の感受性」の個人差  コロナ禍では、感染への不安の強弱が人によって大きく異なります。「不安の感受性」の個人差が大きいからこそ、周りの人はどう思っているのか、余計に気を遣って観察したり、話をしたりしないといけません。他者の考え方、行動にこれまで以上に気を遣わなければならず、その結果、疲労がじわじわとたまっていきます。 (5)みんな同じつらさを抱えているのに、というプレッシャー  コロナ禍は日本中、世界中の人に降りかかっている災禍です。医療従事者をはじめ、多くの人が頑張っているのに、自分みたいに恵まれている立場の人間が疲れたなんて言っていられない。そのように感じる人も多いのです。 疲れやつらさを感じていても、それを口に出しにくい、出しているような状況ではない、と自分の心にふたをしてしまうことで、ますますつらさは増していきます。 (1)から(5)まで見てきましたが、ステルス疲労は新型コロナウイルスの症状の特徴として言われている「ハッピー・ハイポキシア(幸せな低酸素状態)」に似ていると思います。 「ハッピー・ハイポキシア」とは、血液中の酸素濃度が96~98%あるのが正常な状態のところ、70%を切るような濃度でも苦しさを感じずに話をできる状態の患者さんを指す言葉です。つまり、酸素濃度が足りていなくても自覚症状がないのです。しかし、この間に病状は進行して、急激に重症化するケースも多いのです。 「ステルス疲労」も見えず、感じず、自覚していないうちに心の中で疲労が蓄積して、うつ病になったり、最悪の場合、自殺に至ってしまうという意味で、非常に注意を要するものです』、「ステルス疲労は新型コロナウイルスの症状の特徴として言われている「ハッピー・ハイポキシア」に似ている」、恐ろしいことだ。
・『雑談の減少の影響  新型コロナウイルスによる生活の変化が負担感をもたらすものの一つに「雑談の減少」があります。女性は1日に約2万語の単語を発し、その量が6000語に減るとストレスを感じるという研究結果もあります(男性は1日に約7000語。アメリカ、メリーランド大学)。 テレワークが進むと必然的に雑談の量は減ります。Zoomなどのオンラインの打ち合わせや会議は、目的を持って行うもので、雑談はなかなかしにくいものです。発言がかぶってしまうと、聞こえなくなったりもします。そうなると、どうしても言葉を発する量が減ってしまいます。 私はうつ病になりやすい、「4つの痛いところ」があると思っています。 (1)負担感、(2)無力感、(3)自責感、(4)不安感 です。新型コロナウイルスはステルス疲労で(1)負担感を高めます。そして、長引くウイルスの流行は自分や人間社会が頑張ってもウイルスにはなかなか勝てないという(2)無力感を強め、自分が無自覚に病気を人にうつしているかもしれないという(3)自責感も刺激します。 そして、雇用や収入などへの(4)不安感も、コロナウイルス終息の先行きが不透明なことから、強まっていきます。 (1)から(4)の「4つの痛いところ」が揃ったとき、これから先、生きていてもよいことなんてないし、自分は誰にも貢献できないし、誰にも構ってもらえない。私なんかいないほうがいい、という「死にたい気持ち」が出てきてしまいやすいのです』、「女性は1日に約2万語の単語を発し・・・男性は1日に約7000語」、やはり「女性」のおしゃべりは万国共通のようだ。
・『コロナ禍を生き抜くためにやってほしい3つのこと  これからも続くコロナ禍を生き抜くためには、まずこれまで述べてきたメカニズムを理解し、自分が疲労している、ということを知っておくことが大事です。疲労していて当たり前なんだと、まず自分の疲労を自覚してください。自覚してはじめて、「疲労をとろう、自分を労わろう」という気持ちが生まれてきます。 疲労を自覚したうえで、(1)休む、(2)不安情報から離れる、(3)体を動かすの3つを心がけてください。 疲れたら(1)休むのが一番です。普段より1時間、睡眠を長くとるようにするとか、何もしないぼーっとする時間を増やすとか、好きな映画を見るとか、心身を意識して休ませるようにしてください。 コロナ禍で高まる不安を鎮めるためには、(2)不安情報からも離れましょう。テレビのワイドショーを1日中つけていると、ずっと不安な気持ちになってしまいます。ネットでコロナ情報を検索し続けるのもよくないです。情報は新聞からとか、このニュース番組だけ見ると決めて、不安情報に接する時間を減らしてください。 コロナ禍で外出自粛が増えると、家にこもりがちになります。人間は動物、動くものですので、動かなくなると、どうしてもうつっぽい気分になりやすくなります。ですから、無理のない範囲で、毎日散歩するとか、スーパーに買い物に行くなど、(3)外に出て体を動かすことを心がけてください。 疲労を自覚し、(1)から(3)の対策を実行する人が増えることで、コロナ禍によるメンタルクライシスを乗り越える人が増えると信じています』、確かに「(1)から(3)の対策」は有効なようだ。「メンタルクライシス」に陥っていなくてもお勧めしたい。
タグ:自殺 東洋経済オンライン The New York Times 小林よしのり 下園 壮太 エコノミストOnline (その3)(コロナ脳のマスコミが無視する「自殺率急増」という不都合な真実、日本人女性の自殺がコロナ禍で増えている背景 経済的、精神的な影響が女性たちを襲っている、「心が追い込まれるとき」人が抱える4つの感覚 なぜ自殺急増?自衛隊メンタル教官が分析する) 「コロナ脳のマスコミが無視する「自殺率急増」という不都合な真実(小林よしのり)」 「20歳未満の子供は一人も死んでいないのに、子供の自殺率は49%も上昇」、確かに不思議だ。「マスコミ禍」「専門家禍」の可能性もあるが、子供の場合は親が自宅にいるようになった、お祭りなど発散する機会が少なくなった、など要因は様々だろう 「日本人女性の自殺がコロナ禍で増えている背景 経済的、精神的な影響が女性たちを襲っている」 勤務先の「大阪のスポーツジムは業務を停止」、「その年の初めに鬱の診断を受けており」、「自殺を試みた。恋人が橋本さんを発見して救急車を呼び、一命を取り留めた」、これだけは幸運だったようだ。 女性の自殺件数は深刻なほど上昇 「社会的結束にもとづく文化や、マスク着用・政府要請に対する社会的プレッシャーが強い文化は、コロナ禍ストレスを増幅させる要因にもなっている」、困ったことだ 「「女性は家族の健康の面倒を見なければならず、清潔面の管理もしなければならず、それができない場合は恥をかく可能性がある」、確かにその通りだ 感染者が責められやすい風潮 「専門家たちは命を絶つ芸能人や映画が昨年相次いだことが、模倣的な自殺の連続に拍車を掛けたのではないかとも懸念」、私には理解し難い行動だ 「もしあなたが "私たちの一員" でないのであれば、私たちは基本的にあなたをサポートはしないし、メンタルヘルスの問題を抱えている人は私たちの一員ではない、ということなのです」、予想以上に冷淡なようだ 「心の病」につきまとうタブー 「過去の経済危機では、職を失うなどの影響を最も受けたのは男性で、男性の自殺が増えていた。歴史的に見ると、日本では男性の自殺件数は女性の件数を上回っており、その比率は少なくとも2対1」、なるほど 命を絶った女性の3分の2以上が失業中 女性や若年層が助けを求められるように 「2人は共同で「Bloste(ブロステ)」という名前のアプリを開発した」、大したものだ。今後も自らの体験をもとに「セラピスト」活動を展開してほしいものだ 「「心が追い込まれるとき」人が抱える4つの感覚 なぜ自殺急増?自衛隊メンタル教官が分析する」 うつになる要素が今あふれている 「コロナ禍は「ステルス疲労」をもたらす」とは言い得て妙だ。 (2)「生命直結の不安」という特徴 (3)「我慢」がエネルギーを消耗させる (4)「不安の感受性」の個人差 (5)みんな同じつらさを抱えているのに、というプレッシャー 「ステルス疲労は新型コロナウイルスの症状の特徴として言われている「ハッピー・ハイポキシア」に似ている」、恐ろしいことだ 雑談の減少の影響 「女性は1日に約2万語の単語を発し・・・男性は1日に約7000語」、やはり「女性」のおしゃべりは万国共通のようだ コロナ禍を生き抜くためにやってほしい3つのこと (1)休む (2)不安情報から離れる (3)体を動かす 確かに「(1)から(3)の対策」は有効なようだ。「メンタルクライシス」に陥っていなくてもお勧めしたい
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教育(その23)(理不尽な校則 なぜ変わらないのか ――コロナ禍の校則緩和から「学校依存社会」を読み解く、性の問題を なぜ中高できっちり教えないといけないのか?【APU出口学長×スタンフォード星校長5】、「数学嫌いの若者」が生みだされ続ける根本原因 小学校時代の算数の教え方がその後を左右する) [社会]

教育については、昨年12月2日に取上げた。今日は、(その23)(理不尽な校則 なぜ変わらないのか ――コロナ禍の校則緩和から「学校依存社会」を読み解く、性の問題を なぜ中高できっちり教えないといけないのか?【APU出口学長×スタンフォード星校長5】、「数学嫌いの若者」が生みだされ続ける根本原因 小学校時代の算数の教え方がその後を左右する)である。

先ずは、本年1月3日付けYahooニュースが掲載した名古屋大学大学院教育発達科学研究科・准教授の内田良氏による「理不尽な校則 なぜ変わらないのか ――コロナ禍の校則緩和から「学校依存社会」を読み解く」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20210103-00215871/
・『2020年、学校教育はコロナ禍にあって、臨時休校や9月入学、校内の感染リスクなどが話題になった。じつはその陰で、少しずつ動いてきたことがある。「校則」の緩和だ。マスクは、白色以外は禁じられていたが、コロナ禍のマスク不足で多様な色が認められるようになった。一方で、マスクが手に入りやすくなった今日、徐々に揺り戻しの動きもみられる。なぜ学校は、厳しい校則を維持しようとするのか』、「せっかくの「校則」の緩和」、が「徐々に揺り戻しの動きもみられる」、とは残念だが、その背景は何なのだろう。
・『コロナ禍で緩和されたマスクがカラフルに  日本では新型コロナウイルスの感染拡大の危機感が高まり始めた2月頃から、マスク不足が伝えられるようになった。そのなかにあって、学校で教師からマスクの色は白のみとの指示を受けたという嘆きが多く聞かれた。 たとえば札幌市では分散登校時に白色以外の色や柄を注意する学校があったといい(北海道新聞 2020年3月25日付)、また佐賀市では「そのマスクってピンクじゃない? 白はないの?」と、生徒が教師から注意を受けたという(共同通信 2020年4月23日付)。コロナ禍でマスクが品薄であったとしても、感染症対策(安全の確保)よりも色指定(見た目に関するルール)が優先された。 ただそれはむしろ一部の学校であり、大多数の学校ではマスクの色柄は自由化された。いまや学校では子供も教師も、じつに多様なマスクを使用するようになった』、「コロナ禍でマスクが品薄」を契機に「色柄は自由化」とは望ましいが、あくまで「品薄」が前提のようだ。
・『教室でコートの着用可  この季節、防寒対策なしには生活できない。だが学校では、コートやマフラーなど防寒具の着用が禁止されていることも少なくない。宮崎県では高校37校中15校でコートやジャンパーなどの着用が禁止されているという(NHK宮崎放送局 2020年4月13日付)。 通学時の着用は認められているけれども、教室内での着用が禁止されている例は全国的にも多い。室内で防寒具を着用していることが「マナー違反」とみなされたり、そもそも制服以外のものを身に着けていることが「不要な装飾」とみなされたりする。 これが、コロナ禍で教室の換気が求められたことにより、状況が変わった。さすがに寒かろうと、教室内での防寒具の着用が認められるようになったのである。 文部科学省の「学校における新型コロナウイルス感染症に関する衛生管理マニュアル」(2020.12.3 Ver.5)においても、「室温低下による健康被害の防止」として、「児童生徒等に暖かい服装を心がけるよう指導し、学校内での保温・防寒目的の衣服の着用について柔軟に対応しましょう」と記されており、子供の感覚を重視した提案がなされている』、「コロナ禍で教室の換気が求められたこと」で、「教室内での防寒具の着用が認められるようになった」、、当然のことだ。
・『私服登校がOKに  「制服」(標準服)という、容易には変えがたいルールも、緩和された。 6月に全国で学校が再開された際に、ウイルスが付着する可能性を考慮して、毎日洗濯することが難しい制服ではなく、ジャージや体操服、さらには私服での登校を認めた学校がある。私服登校がつづく岐阜県立加納高校では、「コロナ禍をきっかけに通学服を考えた体験は、生徒にとって大いに刺激となった」として、「当たり前だと思って着ていた制服を、自分で考え選んでいいという発想が新しかった」という生徒の声が報じられている(岐阜新聞 2020年11月24日付)。 また、熱中症対策としても、制服以外の服装を推奨した学校もある。登下校時はもちろんのこと、エアコンが稼働していても教室は暑く、さらには換気により室温が下がりにくくなるため、できるだけ涼しくて過ごしやすい服装がよいとの判断があった。 2020年はコロナ対策や熱中症対策として、子供の安全・安心をベースに、さまざまな校則が緩和された。問題は、この先どうなるかである。 熱中症対策としてのみ、校則を緩和したケースでは、9月が過ぎたころには多くが元に戻った。校則の緩和は、猛暑という一時的な出来事への一時的な対応にすぎない。そして、すっかり定着したと思われていたカラフルなマスクも、私が聞いたところでは、一部の学校で「白色」への揺り戻しが生じている』、「カラフルなマスクも、私が聞いたところでは、一部の学校で「白色」への揺り戻しが生じている」、残念なことだ。
・『校則は本当に「理不尽」なのか  「人権侵害」を超えた議論  さて、学校はなぜ厳しい校則を復活させようとするのか。そもそもなぜ、厳しい校則を好むのか。 そこに言及するに先だって、校則問題の論じ方について、私なりの方針を示しておきたい。 1) 学校批判のみに終わらない  これは私自身の反省でもある。私は長らく、理不尽な校則を「人権侵害」「管理主義」として、ただただ学校のみを一方的に非難してきた。だが後に詳述するように、「学校依存社会」において、校則は保護者・地域住民を含めた社会全体の問題としてとらえる必要がある。 2) 学校側には理由がある  校則をめぐる議論では、「説明がつかない校則が多い」という主張がしばしば展開される。だが現実には、(仮に瞬時には説明がつかないとしても、)学校からは相応の回答が得られる。どこまで回答内容が妥当であるかはともかくも、学校目線では説明がついているところにこそ、校則問題の難しさがある。校則の見直しには、学校目線からの内在的な理解が不可欠である。 3) 教師の負担を考える  今日の学校教育の課題を考えるにあたっては、教師の負担を抜きに語ってはならない。「校則の見直し」と「教師の負担軽減」の両立をさぐる論理が求められる。教育社会学者の山本宏樹氏(東京電機大学・准教授)が指摘するように、ここ数年の「『ブラック校則』追放運動が一面的な教師批判になるのではなく、教師の『ブラック労働』問題と同時並行的に議論されている点」(「これからの校則の話をしよう」)を前面に押し出しながら、校則を見直していく必要がある』、「内田良氏」の見方は、現実に向き合うなかで、多面的・マイルドになったようだ。
・『古くて新しい問題  いま話題になっている校則問題の直接的な発端は、2017年にさかのぼる。 同年10月に、大阪府内の公立高校に通う女子生徒が、生まれつきの茶色い髪を黒く染めるよう学校から強要されたとして、大阪府に対し損害賠償を求める訴えを起こした。この訴えが火付け役となって、理不尽な校則に対する関心が一気に高まった。 厳しい校則というものは、教育界では「過去のこと」と思われてきた。子供たちは数十年前に比べれば、自由な学校生活を享受しているだろう、という印象だ。 校内暴力が吹き荒れた1980年代に、生徒を取り締まるための手段として、厳格な校則が適用された。そして1990年7月に神戸市内の高校で起きた女子生徒の校門圧死事件は、管理教育の象徴としての校則の是非を、世に問うた。 それ以降、校則問題の議論は下火になっていった。ところが現実には、むしろ校則はその厳格さが強化されているようにさえ見える。校則は、古くて新しい問題である』、「校則はその厳格さが強化されているようにさえ見える」、というのは大いに問題だ。
・『高校野球部で丸刈りの割合が高まる  朝日新聞社が、日本高校野球連盟と共同で実施した調査によると、連盟に加盟している高校のうち髪型を「丸刈り」と決めているのは、2003年が46.4%であったのに対し、2018年には76.8%にまで増加している【図1】(朝日新聞 2018年6月16日付)。丸刈り強要こそ「過去のこと」という印象が強いけれども、むしろ2003年と比べると息を吹き返していることがわかる。 図1:高校野球部における丸刈りの割合 ※『朝日新聞』(2018年6月16日付)に掲載されている図をもとに筆者が作成。調査ではいずれの年も、約4000校が回答し、回答率は98%~100%である。 また荻上チキ氏らが2018年に実施したウェブ調査では、「下着の色が決められている」「整髪料を使ってはいけない」など多くの質問項目で、若年世代のほうが経験ありとの回答を示している(『ブラック校則』、東洋館出版社)。 先の黒髪強要訴訟を受けて朝日新聞社がおこなった調査からは、東京都立高校の約6割で、髪の毛が茶色だったり縮れていたりする生徒に対して、それが生まれつきのものであることを示す「地毛証明書」を提出させていることが明らかとなった(朝日新聞 2017年5月1日付)。理不尽な校則は、けっして消滅していない。それどころか、強化あるいは拡張していることが複数の調査からうかがえる』、「東京都立高校の約6割で」、「「地毛証明書」を提出させているとは、信じられないほど酷い話だ。
・『部屋のほこりを取り除くかのように  1980~1990年代にかけて校則問題の議論をリードした坂本秀夫氏は、校則違反を「部屋のほこり」にたとえて次のように説明している。 規則をきびしくすればするほど違反が目立つ。これはきれいな部屋ほど細かなほこりも目立つのと同じである。自由服ならば多少はでな服装も目立たない。だがセーラー服や黒いツメ襟制服で細かな規定をすればするほどわずかな違反も目立ってくる。この取締りのなかにのめり込んでいけばいくほどアラが見えてくるから生徒不信におちいってしまうのである。(坂本秀夫『「校則」の研究』三一書房、218頁) 自由なカラフルな服装のなかでは、白かグレーは目立たない。色どころか、何を着用しているのかさえ、ほとんど気にならない。だが細かい規則をひとたび運用し始めると、小さなちがいが目立ってくる。そして規則がある以上は、その小さなことに指導を入れなければならない。 きれいになればなるほど、あるいは統一感が出てくれば出てくるほど、さらに微細な差異が目に付くようになる。こうしてその微細な差異への指導が入ることになる』、「校則違反を「部屋のほこり」にたとえて」、と絶妙な比喩だ 。
・『なぜ変わらないのか 説明がつかないものは改めるべき?  校則が厳格化されてきたところだけを切り取るならば、学校は子供の人権を積極的に侵害するようになってきたとも言える。学校はそこまでして、子供を痛めつけたいということなのだろうか。 2020年の7月、東京の都立高校におけるツーブロック(注)禁止が話題となった。都議会議員の池川友一氏が委員会にて、ツーブロック禁止の理由を教育長に問うたところ、教育長は「外見等が原因で事件や事故に遭うケースなどがございますため、生徒を守る趣旨から定めている」と答えた(BuzzFeed News 2020年7月14日付)。 人権を侵害しているのではない。むしろ、生徒を危険から守るためという、教育上の真っ当な目的があったということだ。 髪型も、マスクも、防寒具も、服装も、多様なものを認めてしまえば、「華美」になったり、「マナー」に反したり、「中高生らしさ」が失われてしまったり、さらには、子供が事件や事故に巻き込まれたり、学校の秩序が乱れたり・・・と、たくさんの不安が浮上してくる。それらのリスクから子供を守るために、厳しい校則が適用されている。 なお、「華美」「マナー」「中高生らしさ」という視点と、「事件」「事故」という視点は、風紀(前者)と安全(後者)という意味で、異質なもののように見える。だが事故防止策がとられるとしても「風紀」の維持は大前提である(例:自転車事故の防止にカラフルなヘルメットは許されない)。 学校側の対応をひと言で表現すれば、学校は平穏な日常の「乱れ」を、先手を打って防いでいる。校則をめぐる議論では「説明がつかないものは改めるべき」という意見がしばしば聞かれるが、学校側からすれば、校則には真っ当な存在理由がある。 厳しい校則は、「乱れ」の観点から説明が可能であり、子供の安全・安心を願って定められている。だからこそ、容易には変えられないのだ』、「学校は平穏な日常の「乱れ」を、先手を打って防いでいる」、先手が行き過ぎ、過剰な介入になる場合もありそうだ。
(注)ツーブロック:男性の髪型
・『保護よる支持  保護者においても、総じて校則は受け入れられている。 内閣府が実施した保護者対象の全国調査(2014年実施、子どもの保護者2,487名が回答(回収率は93.1%))に、「我が国の子育てや教育の現状について考えたとき、あなたはどのようなことが問題だと思いますか」という質問がある。選択肢として「テレビやインターネットなどのメディアなどから、子どもたちが悪い影響を受けること」「子どもたちの遊び場が少ないこと」「学校の規則が厳し過ぎること」など計16項目(複数選択可)が用意されており、もっとも割合が高かったのは「テレビやインターネットなどのメディアなどから、子どもたちが悪い影響を受けること」(55.8%)であった。 計16項目のうち、「その他」「特に問題とすべきことはない」をのぞいた14項目でみると、「学校の規則が厳し過ぎること」はもっとも割合が低かった(2.7%)。過去の調査(2006年調査、2000年調査)においても、「学校の規則が厳し過ぎること」に対する関心は低く、いずれの年も質問項目のなかで最小値をとった【図2】。 厳しい校則というのはいまに始まったものではなく、2000年から2014年にかけても存在していたはずである。だが、保護者において校則に対する問題意識は、きわめて低い。基本的に校則は支持されていると言える』、なるほど。
・『生徒による支持  生徒自身も、校則には肯定的である。 福岡県の高校2年生を対象に、2001年、2007年、2013年と3時点にわたって実施された調査では、「学校で集団生活をおくる以上、校則を守るのは当然のことだ」という質問への回答が、3時点で大きく変化している。 全体(男子・女子)の傾向として、「そう思う」「どちらかといえばそう思う」という肯定的な傾向が、2013年では87.9%に達している。大多数の生徒が校則を守ることは当然と考えている。しかもそれは2001年の68.3%から、約20%もの大幅な増加である。さらには「どちらかといえばそう思う」はほとんど変化がなく、「そう思う」というより積極的な回答が増えている。【図3】。 以上のように、子供も保護者も、現状の校則を支持している。そして、学校側においても、学校なりに子供の安全・安心を考えて校則が運用されている。 個々別々の校則をとりあげれば、理不尽なものも見つかるけれども、総じて、学校・生徒・保護者の三者ともに、今日の校則に親和的な態度を有している。これが、校則の見直しを難しくしている最大の要因である。 図3:「校則を守るのは当然のことだ」に対する態度(高校生調査)※平野孝典「規範に同調する高校生」(友枝敏雄編『リスク社会を生きる若者たち』大阪大学出版会)に掲載されている図をもとに筆者が作成』、「生徒」から支持されているとはいっても、それは生徒の主体性のなさを表しており、やはり問題だ。
・『校則が照らし出す「学校依存社会」  家庭の時間まで拘束する――「4時禁」という行動規制(ちょうど一年前の冬、「4時禁」という校則が注目を集めた。 「4時禁」とは「4時まで外出禁止」の略称で、学校が午前中で終わって子供が帰宅した際に、午後4時までは家から出てはならないというルールである。岐阜県の塾経営者が話題の火付け役となった。 「4時禁」という名称が全国的にどこまで共有されているかはわからないものの、時間指定して帰宅後の行動を規制する校則は、岐阜県以外の地域にも存在する。岐阜県内では、違反すると反省文を提出させられるケースもあったという(NHK 2020年2月10日付)。 学校の門を出てしまえば、子供がどのような行動をとろうと自由である。まして帰宅後ともなれば、そこでの行動を制約する権限は、学校にはない。それにもかかわらず、自宅待機を命じられ、違反すれば反省文を書かされることさえあるとは、理不尽の極みのように思える。 帰宅後の行動規制は、「4時禁」に限られない。家族旅行であっても事前に学校の承認が必要であったり、友人宅での外泊を禁止したり、夏休み期間中のお祭り会場に教師がパトロールと称してやって来たり、コロナ禍の休校期間中に教師が商店街を見回ったりと、保護者の管理下にあるはずの子供の自由時間に、学校が当然であるかのように介入してくる』、信じられないような過剰介入・「越権行為」だ。
・『越権行為の背景  明らかな越権行為を、なぜ学校がおこなってしまうのか。私が学校関係者に話を聴いていくなかで、私たち第三者には見えない学校の姿が浮かび上がってきた。 学校の授業が早く終わり、生徒は昼には校門を出る。そのまま友だちとフードコートに向かい、昼食をとり長時間にわたっておしゃべりしたり、勉強をしたりする。それを見た店員や地域住民が、学校に苦情の電話をかけてくる。そして、教師がフードコートまで足を運んでお詫びをする。 校門を出た時点で生徒は保護者に返されたはずなのだけれども、謝りに行くのは教師である。そこに保護者の姿はない。こんなことがつづけば、一律に「4時禁」を発動したくもなる。 週末に生徒が、道路のガードレールに落書きをした。それを教師が消しに行く。友人宅での外泊時に友人間のトラブルが起きた。教師がその解決に時間を割く。こんなことがつづけば、一律に生徒の行動を規制したくもなる。 「そんなの、放置すればいい」と思う人もいるかもしれない。でも学校外でのいざこざが、学校のなかに持ち込まれてきては、学校の日常がまわらなくなる』、私も「放置すればいい」と思う。
・『「学校依存社会」の時代  社会科学の領域に、「学校化社会」という言葉がある。哲学者のイヴァン・イリイチ氏は、学校的な価値が制度に組み込まれた社会(例:学校を卒業すれば一人前とみなされる社会)を「学校化社会」と呼び、そのあり方を批判的に考察した(『脱学校の社会』、東京創元社)。また社会学者の宮台真司氏(東京都立大学・教授)は、偏差値重視の学校的価値が社会の隅々にまで浸透した社会をそう呼んだ(『学校的日常を生きぬけ』、教育史料出版会)。いずれも、学校の価値観が社会で支配的な位置を占めていることに対する危機感から生まれた言葉だ。 「4時禁」をはじめとする学校の越権行為も、よく似た状況である。すなわち、学校こそが子供の行動を取り締まり、それを保護者や地域住民も当然のこととみなしている。こうした、社会の構成員が子供の広範な管理を学校に求めようとする社会を、私は「学校依存社会」と呼びたい。 「学校依存社会」の恐ろしいところは、依存していることがもはや当たり前になっていて、そこに気づけないことである。越権行為による介入を受けている家庭でさえも、そして負担を強いられている教師でさえも、それを自明視している。 学校がその権限を逸脱してまで、子供の生活圏内に介入すべき理由はない。学校は、ときに体罰まで行使しながら、警察や司法、福祉などの業務を引き受け、丸抱えしてきた(丸抱えさせられてきた)。校則はその厳しさを増大させながら、領分を拡大させていった。これでは、今日話題となっている学校の長時間労働はけっして解消しない。 だからと言って、現実に起きてしまったトラブルを放置するわけにはいかない。業務を担ってきた教師の「後任」はだれなのか。どこまで介入すべきなのか。今後、包括的な視野からの検討が必要であるものの、まずもってその前提として「学校依存社会」から校則を読み解いていかなければならない』、「学校は、ときに体罰まで行使しながら、警察や司法、福祉などの業務を引き受け、丸抱えしてきた(丸抱えさせられてきた)。校則はその厳しさを増大させながら、領分を拡大させていった」、非常に深い分析だ。現状は過度な役割分担で、やはり本来の姿に戻すべきだろう。
・『「乱れ」と呼ぶか、「多様性」と呼ぶか  ここまで、厳しい校則の現状とそれが維持される背景を示してきた。学校による「人権侵害」のひと言では片付けられない、根深い課題が見えてきたのではないかと思う。 さて、話を冒頭に戻そう。 新型コロナウイルスの感染拡大という甚大な災禍によって、校則が変わらざるをえなくなった。マスクがカラフルになり、教室でコートが着られるようになり、私服の学校生活まで誕生した。 学校は、風紀や秩序の「乱れ」をとても恐れている。コロナ禍で校則がゆるくなり、はたして子供は乱れ、学校は荒れ放題となってしまっただろうか。 私の目には、子供の生活がカラフルにそして多様になっただけのように見える。実際に現場からは、「マスクどころか服装を自由にしても、何も起きなかった」という声も、私の元に届いている。私たちが恐れていた子供の「乱れ」とは、ただの「多様性」だったのではないか。 厳格なルールにより「正しさ」(例:白色のマスク)が定義されるからこそ、同時にその裏返しとして「乱れ」(例:ピンク色のマスク)が定義される。ただの「多様性」だとすれば、「正しさ」も「乱れ」もなく、さまざまな個人が存在しているだけだ。そこには、「正しさ」の管理コストも発生しない。 もちろん、明らかなトラブルが起きたときに、私はそれを「多様性」と呼びたいのではない。トラブルには、教師の「後任」を交えた個別対応が必要であることは言うまでもない。 後に、それでもあえて、校則は学校が決めているということを付記しておきたい。校則は、変えようと思えば、学校で変えることができる。 頭のてっぺんから足の先まで、学校が、子供の身なりや持ち物を規定する。 子供にもう少しだけ、「選ぶ」機会と「考える」機会があってもよいのではないだろうか。子供をもう少しだけ、「信じる」ことがあってもよいのではないだろうか。 そして、みんなでこの社会の子供を育てていくのだという思いを、共有できないものだろうか。 新型コロナウイルスという甚大な災禍が、大きな岩を動かした。あとはこの岩を、みんなで動かしつづけることだ。元に戻るわけにはいかない』、「みんなでこの社会の子供を育てていくのだ」、との考えの下で、学校、家庭、地域社会の役割分担を改めて見直し、再構築してゆくべきだろう。

次に、1月10日付けダイヤモンド・オンライン「性の問題を、なぜ中高できっちり教えないといけないのか?【APU出口学長×スタンフォード星校長5】」を紹介しよう。
・『世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”、稀代の読書家として知られる出口治明APU(立命館アジア太平洋大学)学長。世界史を背骨に日本人が最も苦手とする「哲学と宗教」の全史を初めて体系的に解説した『哲学と宗教全史』がついに10万部を突破。ビジネス書大賞2020特別賞(ビジネス教養部門)を受賞。池谷裕二氏(脳研究者・東京大学教授)から「初心者でも知の大都市で路頭に迷わないよう、周到にデザインされ、読者を思索の快楽へと誘う。世界でも選ばれた人にしか書けない稀有な本」、宮部みゆき氏(小説家)から「本書を読まなくても単位を落とすことはありませんが、よりよく生きるために必要な大切なものを落とす可能性はあります」、なかにし礼氏(直木賞作家・作詞家)から「読み終わったら、西洋と東洋の哲学と宗教の大河を怒濤とともに下ったような快い疲労感が残る。世界に初めて登場した名著である」と絶賛された本が、12/25「日経新聞」に掲載された。だがこの本、A5判ハードカバー、468ページ、2400円+税という近年稀に見るスケールの本だ。 一方、スタンフォード大学・オンラインハイスクールはオンラインにもかかわらず、全米トップ10の常連で、2020年は全米の大学進学校1位。世界最高峰の中1から高3の天才児、計900人(30ヵ国)がリアルタイムのオンラインセミナーで学んでいるが、そのトップが星友啓校長だ。 星校長の処女作『スタンフォード式生き抜く力』も神田昌典氏(マーケティングの世界的権威・ECHO賞国際審査員)から「現代版『武士道』(新渡戸稲造著)というべき本。新しい世界に必要な教育が日本人によって示されたと記憶される本になる」と大絶賛。発売直後に2万部の重版が決まった。 今回、APUの出口学長とスタンフォード大学・オンラインハイスクールの星校長が初めてオンラインで対談。紆余曲折のまさかの人生で両校トップになった二人は、教育について、ビジネスについて、何を語ったのか。注目の初対談の続きをお届けしよう。(構成・藤吉豊)』、「出口」氏と「星」氏の対談とは興味深そうだ。
・『中等・高等教育の目的は2つしかない  星友啓(以下、星):出口先生は、中等・高等教育の分野における学校の役割、教育の目的をどのようにお考えですか? 出口治明(以下、出口):中等・高等教育の目的は、2つしかないと思っています。 ひとつ目は、「最低限の武器を与える」ことです。 武器とは、社会を生き抜くための基礎的知識です。 政治、民主主義、お金、経済、性(SEX)の問題など、社会の根幹をなすしくみについて教えるのが教育です。 現在の日本の教育ではこれらすべてが十分教えられてはいませんが、特に性の問題が海外と比べて遅れています。ここをしっかり教えないといけない。 なぜなら、性暴力や望まない妊娠・人工中絶などの問題は学校でしっかりと性教育ができていないことに一因があるからです。 大人になって社会に出て自分ひとりで社会と向き合ったとき、武器がなければ、負けてしまいます。 2つ目は、「自分の頭で考える力を養うこと」です。 17世紀の哲学者、パスカルが述べたように、「人間は考える葦」です。 人間の人間たるゆえんは、自分の頭で考えること。自分の頭で考え、自分の言葉で、「こう思う」と自分の意見を言える人間になること。自分の頭で考え、人とは違うアイデアを生み出す力を育てることが教育の目的です。 社会に出て独り立ちしていくときに困らない「ベーシックな知識」を徹底的にたたき込む。それから、「考える方法論」を教えることに教育の目的は尽きる気がします。 星:同感です。先生のおっしゃるところを伺っていて、たとえば、アメリカの哲学者ジョーン・デューイの教育哲学を思い出していました。 教育の目的の一つは子どもたちを社会の一員として育てていくことです。 そのため、学校の中で民主的な考えやプロセスを体験できるようにする必要があります。 また、逆に学校は社会の民主的なプロセスの一部であり、その学校の中で社会を知る機会をつくることが必要だというのです。 現在の社会では、学校で学ばれていることと社会を生き抜くための力にまだまだ大きなギャップがあります。学校と社会がそうした分断をなくせるように、社会のコンテキストの中で教育を捉え直していく必要があります』、「現在の日本の教育ではこれらすべてが十分教えられてはいませんが、特に性の問題が海外と比べて遅れています。ここをしっかり教えないといけない。 なぜなら、性暴力や望まない妊娠・人工中絶などの問題は学校でしっかりと性教育ができていないことに一因があるからです」、との「出口」氏の指摘には同感である。
・『互いの個性を認め合いながら  出口:ホモ・サピエンスの歴史を20万年の流れの中で見ていくと、産業革命以前の教育は、人生が教育であり、生活が教育であり、教育は生きることの一部になっていました。 たとえば、鍛冶屋さんになりたいと思ったら鍛冶屋さんに弟子入りし、朝から晩まで仕事をする。そこで鍛冶屋の仕事を教えてもらう。そこで受けた教育は、彼自身の生活であり、人生そのものです。 ところが、「産業革命」と「ネーション・ステート(国民国家)」という2つのイノベーションが当時の社会を一変させました。 産業革命は、均質な労働者を必要とします。どこの工場にも最低限のマニュアルがある。労働者には最低限、識字能力が求められるし、部品の数を数える計数能力も必要です。そこで、「学校を整備しなければならない」というニーズが生まれてきました。 一律の学校教育は、均質な労働力を確保するために一番効率がよかったわけです。 そして、学校という仕組みは国民国家の国民皆兵にも最適でした。 つまり、産業革命によって、人生や生活と教育が最終的に切り離されたのです。 ですが、「本来的には、教育は人生そのものである」という考え方を忘れてはいけないと思います。 ベーシックな教育が行き渡っていない段階では、全国一律の学校制度の中で主要科目を教えるのが効率的です。 でも、それがある程度行き渡ってきたら、分散させ、自由に、それぞれの個性に応じて勉強させなければいけない。 僕は、「個性は性差や年齢差を超える」と思っています。 人間はいろいろな意味で、グラデーションの中で生きているのですから、男性の特性はこう、女性の特性はこう、日本人はこう、外国人がこうという二項対立で考えるのではなく、「違う個性を持つ人たちがグラデーションで集まって世界をつくっている」ということを決して忘れてはならないと思います。 星:今後社会が進む方向性は、やはり分散化だと思います。 分散化というのは、分断とは違います。出口先生がおっしゃるように、性別、年齢、国籍、文化、価値観など、さまざまなバックグラウンドを許容しつつ、お互いを認め合いながら一体化を目指していくことがますます大事になるはずです。(了)』、両氏の見方は深いだけに説得力がある。「個性は性差や年齢差を超える」、「今後社会が進む方向性は、やはり分散化」、同感である。

第三に、2月26日付け東洋経済オンラインが掲載した桜美林大学リベラルアーツ学群教授の芳沢 光雄氏による「「数学嫌いの若者」が生みだされ続ける根本原因 小学校時代の算数の教え方がその後を左右する」を紹介しよう。
・『筆者は1978年から5つの大学での専任教員、5つの大学での講師を合わせて約1万5000人対象(文系・理系は半々)に授業をしてきた。また、1990年代半ばから数学嫌いの改善を主な目的として、全国の小・中・高校などでも約1万5000人を対象に出前授業をしてきたことになる。 そして現在、「小学校時代の算数の教え方次第で人生の進路は決まる」という考えをもっている。本稿では主に、その訳を説明しよう』、「小学校時代の算数の教え方次第で人生の進路は決まる」との見解は興味深い。
・『間違った整数の覚え方  ここに多くの男の子と女の子がいるとき、「その人数は男子が多いか、女子が多いか、それとも同数か。それぞれの人数を数えないで答えられるか」という質問には、男子と女子が一人ずつ手をつないでもらえればわかる。余った方が多く、余った人がいなければ同数だからである。 この発想は「1対1の対応」と言われ、整数の概念が生まれる前は、トークンと呼ばれる粘土細工によって物品の管理に用いられていた(紀元前8000年~紀元前3000年頃)。また現在では、数学の集合について語るときの基礎として重要な働きをしている。 筆者は大学院生の頃を中心に家庭教師を散々行って成功した思い出が多いものの、わずかであるが小学生の算数で失敗の経験もある。 それには共通の特徴があり、最初の面談のときに、親御さんから「うちの子どもは小学校の入学前から数字をよく覚えていて、50ぐらいまでスラスラ言えたほどです。それがどうも伸びなくて……」と言われたことである。 そして、お子さんに指導を始めてすぐに気づくことは、親御さんの整数の教え方が根本的に誤っていたのである。単に「イチ、ニ、サン、シ……」と鳥のオウムに暗唱させるような教え方で、50ぐらいまで覚えさせていたのである。 本来ならば、同じ3ならば3人、3枚、3個というものは1対1の対応がつくように、3という抽象的な数を理解できる例を一緒に示す必要がある。それを完全に省略して教えてしまったために、お子さんは整数に関して強い苦手意識をもってしまったのである。 余談であるがオウムの名誉のために述べておくと、かつてアレックス君というオウムが6までの整数を正しく認識していたことは有名である。 小学校の算数教育で必ず登場することに「九九」がある。3×4=12の「サンシジュウニ」ならば、3+3+3+3=12を示した後に暗記させるものである。ところが、困った指導が一部で行われて、3×4=12のような意味を示す前に九九を全部暗唱させていたのである。 今年度の本務校ゼミナール学生もそのような指導を小学校で受けた思い出が鮮明に残っていて、「なんの言葉なのかサッパリわからないまま、ただただ暗記させられました。疑問に思って学習塾に通っていた友人に尋ねたところ、3×4=12の意味があって「サンシジュウニ」があることが納得できました」と説明したのである。 筆者は「九九の暗記は大切」という考えをもっている。しかし、九九を導く式の理解を省略して覚えてもつらい気持ちしか残らないことは明らかである』、「困った指導が一部で行われて、3×4=12のような意味を示す前に九九を全部暗唱させていたのである」、それは酷い話だ。
・『「比と割合」の意味を理解していない  また、算数の教育で最も重要と考える「比と割合」すなわち「%」の概念の教育では、「基準とする対象を1あるいは100%とすると、比べられる対象はどのくらいになるか」という理解がまず大切であるものの、そのような理解を省略して、それらの関係式の暗記だけの教育が広まっている。 これに関しては学習塾関係者も危惧の念を述べているが、以下のような呆れた事実が結果として表れている。暗記だけの学びは忘れるのが早く、一旦忘れると手も足も出ないことに注意したい。 2012年の全国学力テスト(全国学力・学習状況調査)に出題された小学6年生対象の問題で、「赤いテープの長さは120cmで、赤いテープの長さは白いテープの長さの0.6倍」を示す図を選ぶ4択問題の正解率が34.3%であった。 2012年度の全国学力テストから加わった理科の中学分野(中学3年対象)で、10%の食塩水を1000グラムつくるのに必要な食塩と水の質量をそれぞれ求めさせる問題が出題された。 これに関して、「食塩100グラム」「水900グラム」と正しく答えられたのは52.0%にすぎなかった。1983年に、同じ中学3年を対象にした全国規模の学力テストで、食塩水を1000グラムではなく100グラムにした同一の問題が出題され、この時の正解率は69.8%だった。 理解を無視した暗記だけの算数・数学の学びは中学や高校でもますます盛んになっている(拙著『AI時代に生きる数学力の鍛え方』(東洋経済新報社)参照)。背景には、社会全体に「結果さえ良ければそれでよし」というプロセス軽視の風潮もあるだろう。それが算数・数学の学びの世界にも浸透してしまったと考える。かつて、「算数・数学は最後の答えが合っても途中の式をしっかり書かなくてはダメ」と散々言われた時代を懐かしく思い出すのである。) 筆者は22年間の理学部数学科での教員生活を経て、2007年から現在の本務校のリベラルアーツ学群に勤めているが、しばらくの間は補職として就職委員長を歴任した。当時は学生の就職状況が悪く、算数・数学を苦手とする学生に、関連する非言語問題対策として何らかのサポートをすべきという思いから、後期の毎週木曜日の夜に「就活の算数」ボランティア授業を行った。 筆者の手当て一切ナシは当然として、学生も単位認定一切ナシでも、3年間で約1000人の学生が授業に参加した。昼の正規の授業と合わせて週に10コマ近く行っていたが、それによる疲れはまったく感じない充実した授業であり、昔の寺子屋を想像したほどである。 実はその授業を通して重要なことを学んだ。苦手意識をもつ数学嫌いの学生の多くは、上述したように小学生の頃から理解を無視した暗記の算数・数学教育を受けてきたことである。何人もの学生から、「こんなに理由を説明してくださる先生に教えてもらったことは人生で初めてです」と伝えてもらった。このような話は、数学科の教員時代には一回も聞いたことがなかったことである』、「理解を無視した暗記だけの算数・数学の学びは中学や高校でもますます盛んになっている」、「社会全体に「結果さえ良ければそれでよし」というプロセス軽視の風潮もあるだろう。それが算数・数学の学びの世界にも浸透してしまったと考える」、いくら「プロセス軽視の風潮」とはいっても、「算数・数学の学びの世界にも浸透」、とは本当に由々しいことだ。
・『「数学嫌いの若者」が生まれる経緯  かつて、女性タレントとして活躍された東大工学部卒の方が、テレビの対談番組で「私が習った小学校算数の授業では、先生が考える楽しさを皆に教えたので、クラスの児童全員が算数は好きでした」と述べられたことが忘れられない。 あえて極論を述べると、「子どもの将来の方向は、保護者を含む小学算数の教え方一つで決まるのではないか。もちろん本人の努力もあるが、数学嫌いの若者は教育の犠牲者の面が大きいのではないか」と筆者は言いたいのである。 理解無視の算数の暗記教育と結果だけ問うマークシート式問題が遠因と考えるが、中学数学での作図文や証明文の指導が昔と比べて相当減っている。 その結果として、2014年に行われた千葉県立高校入試の国語で地図を見ながら道案内する文を書く問題が出題されたが、半数が0点だったこと。PISA調査(OECDの生徒の学習到達度調査)で、日本の子どもたちは科学的文献に対して自らの考えを述べる論述力に弱点があること。等々が表面化している。 ひと頃はAIに関して、「人間の仕事はほとんどAIに奪われてしまう」という負のイメージが主であったが、昨年あたりから、両者の良い関係を模索する意見が目に見えて増えている。実際、人間とAIの関係を考えてみると、AIが得意とすることは処理回数と記憶である。 その一方で、人間が得意とすることは、試行錯誤したり考えたりして、斬新な応用や発想を思いつくことである。それゆえ、人間は理解の学びが大切であるが、現在の日本の数学教育を見渡すと上述してきたように、理解を軽視した暗記だけの学びが盛んになっている。) 2019年に経済産業省のレポート「数理資本主義の時代~数学パワーが世界を変える」が発表され、前後に経団連も数学を学ぶことの意義を強調している。しかし、一向に目立った動きが見えない背景には、2015年度のTIMSS(国際数学・理科教育動向調査)でも発表されているように、日本では「数学は嫌いで役に立たない」と思う青少年の割合が極めて高いのである。 この状況は以前からであり、一向に改善されない。だからこそ、あの「ゆとり教育」が導入されてしまったのであり、算数・数学の「好き嫌い」と「役立つ」という点の意識改革は極めて重要な課題である。そこで筆者は、1990年代半ばから精力的に全国の小中高校約200校で出前授業を行ってきた』、「日本では「数学は嫌いで役に立たない」と思う青少年の割合が極めて高いのである」、由々しいことだ。筆者の「出前授業」の努力には頭が下がる。
・『出前授業をする目的  筆者の出前授業は、現在の本務校に移ってきてからはだいぶ減ったものの細々と続けている。その特徴は、いわゆるSSH(スーパーサイエンスハイスクール)指定校の東京都立戸山高校、山梨県立甲府南高校、静岡県立磐田南高校、あるいは愛媛県立松山東高校(旧制松山中学)のような優秀な高校生を対象にしたもののほか、小中学校や児童養護施設や問題の多い高校などにも手弁当で積極的に訪ねたことである。 背景には、「算数・数学が好き」な生徒をより「好き」にさせるだけでなく、「算数・数学が嫌い」や「恵まれない環境」の生徒に少しでも数学への興味関心をもたせたいという目的があったからである。拙著『AI時代に生きる数学力の鍛え方』では、さまざまな出前授業で生徒から喜んでもらった題材も数多く紹介した。 出前授業と合わせて、教員研修会での講演も積極的にお引き受けしてきた。これも1990年代半ばから約200カ所で行ってきたが、とくに昨年は沖縄県の算数・数学の先生方対象の大きな研修会や長野県の高校の校長先生方を対象の講演会がコロナで中止になったことは、いまだに残念に思う。それは、本稿で述べてきた内容を直接語ることを予定していたからである。 筆者は本務校の定年退職まであと2年となったが、コロナさえ収まれば、出前授業や教員研修会に積極的に出かけたいと思っている。そして、70歳になってからの定年退職後は、前半で紹介したオウムのアレックス君を超える算数犬を、1対1の対応の概念から育てる夢を実現したいと思っている』、「算数犬」がきっと素晴らしいパフォーマンスを示すであろうことを期待している。
タグ:教育 東洋経済オンライン yahooニュース ダイヤモンド・オンライン 芳沢 光雄 内田良 (その23)(理不尽な校則 なぜ変わらないのか ――コロナ禍の校則緩和から「学校依存社会」を読み解く、性の問題を なぜ中高できっちり教えないといけないのか?【APU出口学長×スタンフォード星校長5】、「数学嫌いの若者」が生みだされ続ける根本原因 小学校時代の算数の教え方がその後を左右する) 「理不尽な校則 なぜ変わらないのか ――コロナ禍の校則緩和から「学校依存社会」を読み解く」 「せっかくの「校則」の緩和」、が「徐々に揺り戻しの動きもみられる」、とは残念だが、その背景は何なのだろう コロナ禍で緩和されたマスクがカラフルに 「コロナ禍でマスクが品薄」を契機に「色柄は自由化」とは望ましいが、あくまで「品薄」が前提のようだ 教室でコートの着用可 「コロナ禍で教室の換気が求められたこと」で、「教室内での防寒具の着用が認められるようになった」、、当然のことだ 私服登校がOKに 「カラフルなマスクも、私が聞いたところでは、一部の学校で「白色」への揺り戻しが生じている」、残念なことだ 校則は本当に「理不尽」なのか 「内田良氏」の見方は、現実に向き合うなかで、多面的・マイルドになったようだ。 古くて新しい問題 「校則はその厳格さが強化されているようにさえ見える」、というのは大いに問題だ 高校野球部で丸刈りの割合が高まる 「東京都立高校の約6割で」、「「地毛証明書」を提出させているとは、信じられないほど酷い話だ 部屋のほこりを取り除くかのように 「校則違反を「部屋のほこり」にたとえて」、と絶妙な比喩だ なぜ変わらないのか 説明がつかないものは改めるべき? 「学校は平穏な日常の「乱れ」を、先手を打って防いでいる」、先手が行き過ぎ、過剰な介入になる場合もありそうだ 保護よる支持 生徒による支持 信じられないような過剰介入・「越権行為」だ。 越権行為の背景 私も「放置すればいい」と思う 「学校依存社会」の時代 「学校は、ときに体罰まで行使しながら、警察や司法、福祉などの業務を引き受け、丸抱えしてきた(丸抱えさせられてきた)。校則はその厳しさを増大させながら、領分を拡大させていった」、非常に深い分析だ。現状は過度な役割分担で、やはり本来の姿に戻すべきだろう。 「乱れ」と呼ぶか、「多様性」と呼ぶか 「みんなでこの社会の子供を育てていくのだ」、との考えの下で、学校、家庭、地域社会の役割分担を改めて見直し、再構築してゆくべきだろう。 「性の問題を、なぜ中高できっちり教えないといけないのか?【APU出口学長×スタンフォード星校長5】」 「出口」氏と「星」氏の対談とは興味深そうだ 中等・高等教育の目的は2つしかない 「現在の日本の教育ではこれらすべてが十分教えられてはいませんが、特に性の問題が海外と比べて遅れています。ここをしっかり教えないといけない。 なぜなら、性暴力や望まない妊娠・人工中絶などの問題は学校でしっかりと性教育ができていないことに一因があるからです」、との「出口」氏の指摘には同感である 互いの個性を認め合いながら 両氏の見方は深いだけに説得力がある。「個性は性差や年齢差を超える」、「今後社会が進む方向性は、やはり分散化」、同感である 「「数学嫌いの若者」が生みだされ続ける根本原因 小学校時代の算数の教え方がその後を左右する」 「小学校時代の算数の教え方次第で人生の進路は決まる」との見解は興味深い 間違った整数の覚え方 「困った指導が一部で行われて、3×4=12のような意味を示す前に九九を全部暗唱させていたのである」、それは酷い話だ。 「比と割合」の意味を理解していない 「理解を無視した暗記だけの算数・数学の学びは中学や高校でもますます盛んになっている」 「社会全体に「結果さえ良ければそれでよし」というプロセス軽視の風潮もあるだろう。それが算数・数学の学びの世界にも浸透してしまったと考える」、いくら「プロセス軽視の風潮」とはいっても、「算数・数学の学びの世界にも浸透」、とは本当に由々しいことだ 「数学嫌いの若者」が生まれる経緯 「日本では「数学は嫌いで役に立たない」と思う青少年の割合が極めて高いのである」、由々しいことだ。筆者の「出前授業」の努力には頭が下がる 出前授業をする目的 「算数犬」がきっと素晴らしいパフォーマンスを示すであろうことを期待している
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日本のスポーツ界(その31)(弟子・正代が優勝争いの最中 時津風親方の5夜連続「雀荘通い」、中学生の首を絞めて意識不明 暴力的な柔道指導を問題視しなかった「全柔連」は変われるのか、森辞任の陰で「不適切会計の理事」が生き延びたレスリング協会《スポーツ界お歴々の馴れ合いは終わらない?) [社会]

日本のスポーツ界については、昨年11月6日に取上げた。今日は、(その31)(弟子・正代が優勝争いの最中 時津風親方の5夜連続「雀荘通い」、中学生の首を絞めて意識不明 暴力的な柔道指導を問題視しなかった「全柔連」は変われるのか、森辞任の陰で「不適切会計の理事」が生き延びたレスリング協会《スポーツ界お歴々の馴れ合いは終わらない?)である。

先ずは、本年1月27日付け文春オンライン「弟子・正代が優勝争いの最中 時津風親方の5夜連続「雀荘通い」写真」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/43087
・『新型コロナの感染が広がり、力士65人が休場する厳戒態勢の中で開催された大相撲初場所。1月24日に千秋楽を迎えたが、優勝を争っていた大関・正代の師匠、時津風親方(元時津海・47)が場所中に連日、雀荘に通っていたことが「週刊文春」の取材で分かった。 1月18日、時津風親方は午後6時過ぎに両国国技館から車で帰宅すると、午後7時前に再び車で部屋を出発。港区赤坂の繁華街にあるコインパーキングに車を止めると、コンビニのATMで現金を下ろした後、雑居ビル内にある雀荘に入っていった。結局、親方はこの雀荘に1月18日から22日まで5夜連続で通い、部屋に帰るのは午後11時前後。そのうち3回はコンビニのATMで金を下ろしていた。 日本相撲協会はコロナ対策のガイドラインを策定しており、本場所中の不要不急の外出は、親方も含めた全協会員に対して禁止している。さらに協会が作成した感染予防を啓蒙するポスターにも、行ってはいけない場所として「雀荘」と明記されている。 時津風親方は昨年9月の秋場所前、不要不急の外出が禁止されている中で宮城県に旅行し、居酒屋で会食した上にゴルフコンペに参加。さらに福岡市にも滞在するなど、相撲協会のコロナ対策ガイドラインに違反し、10月1日に委員から年寄への2階級降格処分を受けていた。さらに2010年には野球賭博にも関与し、同じく2階級降格処分を下されている。 1月26日、相撲部屋から出てきた時津風親方を直撃。場所中に雀荘通いをしていたかと問うと、「行ってない、行ってない」と答え、車で走り去った。 小誌の直撃直後、時津風親方は複数の関係者に相談。同日夕方には相撲協会に呼び出され、事情聴取を受けた。協会関係者が明かす。「その晩、時津風は『はめられた』、『おれはもうクビよ』と周囲に話していたそうです」 だが、親方の「乱倫」はこれだけではなかった。弟子の正代が大栄翔と優勝争いを繰り広げる中、複数回、ある風俗店に通っていたのだ。 1月28日(木)発売の「週刊文春」では、時津風親方の評判、正代との師弟関係、通っていた風俗店、千秋楽翌日の“密会デート”など角界屈指の「名門」時津風部屋で何が起きていたのかを詳報する』、昨日のNHKニュースでは、 日本相撲協会は、時津風親方に「退職勧告」の懲戒処分したようだ 。「正代が大栄翔と優勝争いを繰り広げる中、複数回、ある風俗店に通っていた」とは開いた口が塞がらない。

次に、2月11日付け文春オンライン「中学生の首を絞めて意識不明 暴力的な柔道指導を問題視しなかった「全柔連」は変われるのか」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/43396
・『2月9日、不適切な柔道指導にともなう事故をめぐって、福岡市で柔道教室に通っていた男性・勇樹さん(20)とその父親の正雄さん(50)が、全日本柔道連盟(東京都文京区、山下泰裕会長)を訴えていた裁判(東京地裁)で和解が成立した。正雄さんと代理人が司法記者クラブで会見に臨んだ。正雄さんは和解内容に十分な満足感は得ておらず、「まだスタートラインに立っていない」としながらも、全柔連の今後の対応に期待する姿勢を示した。 原告側によると、勇樹さんは指導者の男性から暴力的な指導を受けたことについて、全柔連のコンプライアンスホットラインに通報。しかし、全柔連は「問題ない」と判断していた。コンプライアンスホットラインは、2013年に発覚した女子柔道の国際試合強化選手への暴力やハラスメント事件を受けてできたもの。代理人は「今回の裁判は、なんのための内部通報制度かを問うもの」と位置付けている』、せっかく作った「コンプライアンスホットライン」も有名無実のようだ。
・『「まいった」の意思表示も無視して絞め技をかけた  勇樹さんは中学2年生だった2014年10月20日、柔道場で乱取り稽古をしていた。そのとき、指導者による首を絞める「片羽絞め」を受け、一時的に意識を失った。絞め技は頚動脈を圧迫して、脳への血流を遮断、意識を失わせるものだった。中学生から使用可能な技だが、意識がなくなる前に、技をかけられた側がタップすれば一本負けとなる。しかし、一度受けるだけでも脳にダメージが残るリスクもある危険な技でもある。 このとき、指導者の男性は、稽古前の勇樹さんに「先週の金曜日に小学生を相手にお前は絞め技を使っただろう」と詰問した。それに対して、勇樹さんは「まったくやっていない」などと否定した。乱取り稽古が始まると、普段は稽古をしない指導者の男性が勇樹さんの相手となり、そのときに絞め落とされ、5秒ほど気を失った。「まいった」の意思表示でもあるタップを無視した。蘇生措置をした後、勇樹さんが意識を取り戻すと、指導者の男性は「これが絞め技ということだ」と言い放ち、再び絞め技をかけた。勇樹さんがタップすると、指導者の男性は「まだ決まっていない。タップが早すぎる」と言った。その後、勇樹さんは3、4秒、意識不明となった。 正雄さんは「一連の実力行使が制裁目的であることは明らか。全柔連倫理規定に抵触する行為である」と主張していた』、「小学生を相手にお前は絞め技を使っただろう」、というのはこれだけでは理解できない。
・『「救急車を呼んでください」と訴えたが...  このとき、勇樹さんが小学生に絞め技をしたと指導者が思ったのは、理由があった。小学生に絞め技をしたと言ってきたのは、女子小学生だった。勇樹さんは当時、初心者。柔道場には20人の子どもがいたが、中学生は3人だけ。女子小学生からすれば、いじめの格好のターゲットになっていた。無視され、バイキン扱いもされた。そのため、一時的に道場に行かなくなることがあった。ただし、この当時、勇樹さんも実力をつけて、いじめに対して、柔道の技で対抗をした。こうした背景について、指導者の男性は聞き取りもしなかった。 勇樹さんは全身がしびれ、頭痛がし、息ができず、話もできない。水筒の蓋も開けられない状態になった。練習が続けられず、休憩した。休んでいる姿を見つけた指導者の男性は「誰に断って休んでいるんだ」と言い、別の指導者も「こんなの大丈夫」「そんな演技をしているんだったら学校に言いつけてやる」と怒鳴りつけた。そんな状態で、その別の指導者は、ランニングを指導したが、勇樹さんはゆっくり歩いていた。勇樹さんは「救急車を呼んでください」と訴えたが、無視された。 勇樹さんは以前の筆者の取材に「指導で絞められた経験はありますが、落とされたのは初めて。直後は泣いていました。怖かったし、何が起きたのかわからないでいました。誰も助けにきてくれない。“なんで落とされたのか”など、いろんな思いが混ざっていました。怖かったと思いましたし、理不尽だとも思いました」と答えていた』、「勇樹さん」と「女子小学生」の間に何があったのか、肝心な部分の説明がないのは不親切だ。
・『「最高裁で、指導者の違法性が確定しても、全柔連は動かない」  帰宅後、正雄さんは異変に気がついた。そのため、市立急患診療センターに連れて行くと、脳神経外科の受診を勧められ、受診すると「血管迷走神経性失神および前頸部擦過傷」と診断された。さらに午後4時ごろ、別の脳神経外科クリニックへ行くと、手がコの字になっていたことをあげて、医師は「過度のストレスによるもの。すごく怖い体験をしたはずだ」と指摘した。 こうした指導者の行為に対して、勇樹さんと父親の正雄さんは、14年11月、福岡県柔道協会に相談。12月には全柔連のコンプライアンスホットラインに通報していた。また、同時並行で、翌15年2月、勇樹さんと正雄さんが原告となり、指導者の男性に対して損害賠償を求めて提訴した。福岡地裁、福岡高裁ともに原告が勝訴。被告が最高裁に上告したものの、18年6月、上告申立てを不受理。最高裁は「指導者の行為」について「行き過ぎ」であり、違法であると認めた。 「なかなか一中学生が裁判を起こせるものではない。それに、最高裁で、指導者の違法性が確定しても、全柔連は動かない」(代理人) この判決を受けて、勇樹さんと正雄さんは、全柔連のコンプライアンスホットラインに相談をしたが、全柔連は福岡県柔道協会に調査を依頼し、「問題はない」と判断していた。この調査方法をめぐって、二人は全柔連に対して、慰謝料として330万円の請求をしていた。「(通報は)福岡県柔道協会の対応をめぐるもの。にもかかわらず、全柔連が当の協会に丸投げをしたのがおかしい」(代理人)』、「全柔連は福岡県柔道協会に調査を依頼し、「問題はない」と判断していた」、当事者の「福岡県柔道協会」が「問題はない」というのは当然だが、そんな馬鹿な「調査を依頼」は全く無意味だ。
・『主な和解内容は4つ  今回の会見にて、正雄さんは「全柔連という巨大な敵に対して闘ってきた。これまで突き詰められるところまで突き詰めてきた。この和解内容の評価は、関係規則を改正する1年後に決まる。本当のスタートラインはその後。私たちは、まだスタートラインに立っていない」と話した。 主な和解内容は、以下の通り。 (1)全柔連のコンプライアンスホットラインについて、加盟団体に調査、処分を委ねる場合の具体的な基準を定め、関係規則を1年以内に改正する (2)意識を喪失させることを目的として絞め技をかけるなどの指導に名を借りた暴力を含め、暴力事件が起きないように、柔道指導者をはじめとするすべての柔道関係者に指針を示すなどして注意喚起し、暴力の根絶に努める (3)通報者と対象者の言い分が異なる場合、双方の言い分を十分に聴取し、通報者に対して適切な事情聴取、情報提供を行う (4)改正した関係規則はウェブサイトへ掲載するなど適切な方法で公開する  なお、原告が求めていた損害賠償を放棄した』、なるほど。
・『「柔道界には隠蔽体質があり、表になかなか出てこない。まずは証拠を集めること」  一方、全柔連への期待も寄せる。20年9月、兵庫県宝塚市の中学校で、冷凍庫に保管していたアイスクリームを無断で食べたとして、柔道部の顧問が生徒2人に校内の武道場で技をかけ、けがを負わせた。生徒が意識を失った後も顔を平手打ちし、目覚めさせ、さらに暴行を続けた。この事件で顧問は傷害罪で起訴された。県教委も懲戒免職処分とした。全柔連は、この元顧問を除名処分とした。正雄さんは「全柔連も変わり始めているのではないか。暴力の根絶には期待したい」と述べた。 暴力的な指導の被害者であった勇樹さん自身はどう思っているのか。正雄さんがLINEで和解を伝えると、「長い間、お疲れ様。十分満足している」との返信があった。正雄さんはこう話す。 「(LINEの返事は)短い文でした。この通りの気持ちかはわからない。基本的には、この裁判は私が仕切った。一度、和解か判決かを(息子に)聞いたことがある。その時は、判決まで闘って欲しいとの気持ちだった。息子は陳述書を書いたが、過去の嫌な記憶を思い出してしまったので、闘うのは限界だったと思う。ただ、息子の中にも過去のこと、終わったことという考えもあったかもしれない。ここで引き際という判断もあったのではないか」 事件から7年間の闘いが終わったことになる。父親として共に闘ってきた。 「息子には負けたまま、負け犬のまま終わってほしくなかった。そのことに意味があると思っている。彼がどう捉えたのかわからないが、メッセージとして伝わっていればいい。その意味では満足している」 また、同じように指導者による暴力的な指導やハラスメントを受けている当事者に対しては、「少なくとも柔道に関しては一つの道筋を作った。次に必要なものは証拠。柔道界には隠蔽体質があり、表になかなか出てこない。苦しんでいる人がいるならば、まずは証拠を集めること。そうすれば、次の闘いができる。苦しいかもしれないけれど、自らを奮い立たせてほしい」と助言した』、何やら甘い幕引きだが、スポーツ関係者の限界なのかも知れない。

第三に、2月13日付け文春オンライン「森辞任の陰で「不適切会計の理事」が生き延びたレスリング協会《スポーツ界お歴々の馴れ合いは終わらない?」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/43432
・『東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(83)が、“女性蔑視発言”の責任をとり、会長を辞任する方向で調整に入った。2月12日に緊急会合を開き、辞任を表明するという。 森氏の処遇について「スポーツマンシップに悖る行為をしたのですから、引責辞任は当然ですよ。それに比べて……」と嘆息する人物がいる。日本レスリング協会関係者のAさんだ』、「森氏」は辞任、後任は橋本聖子前担当大臣が就任した。
・『行為の悪質さに比べて軽すぎる処遇  「今年1月27日、2020年に不適切な会計処理を報じられたレスリング協会副会長兼専務理事(当時)の高田裕司氏(66)の処分がついに決まったんです。1月18日にオンラインで行われた臨時理事会では『辞任は免れない』との意見が大多数でしたし、高田氏も『こういうことを起こして申し訳ない』と責任を認め、自身の進退を協会に委ねていたので、てっきり辞任するものだと思っていました。 ですがフタを開けてみれば、単なるヒラ理事への降格。副会長兼専務理事の役職を解くにとどまったんです。高田氏の行為はアスリートたちを裏切る悪質な行為だった。それに比べてあまりに軽すぎる処遇で、協会内では不満が噴出しています」』、どんな「悪質な行為」があったのだろう。
・『国から支払われる専任コーチの報酬を強制的に「寄付金」として集金  高田氏の「悪質な行為」が白日の下にさらされたのは2020年8月12日。共同通信が《コーチ報酬、不適切に会計処理か 国庫補助金、日本レスリング協会》と報じたのだ。全国紙記者が解説する。 「報じられたのは2020年でしたが、不適切な会計処理があったのは2012年のロンドン五輪前後までの約3年間。高田氏はレスリング協会の専任コーチに国から支払われる報酬の一部を、『協会へ寄付するように』と半ば強制的に集金し、16人から計1400万円を集めていたのです。それを被害者でもあった元コーチが告発した。告発を受けて、JOCが日本レスリング協会に調査と報告を命じました」 調査で明らかになったのは、高田氏が集めた「寄付金」の不可解な使い途だった。別の協会関係者Bさんが語る。》』、なるほど。
・『贈り物は「二束三文」の代物だった  「高田氏は、専任コーチから寄付を募る際、『がんばってくれた役員や指導者に何か贈り物をする』と話していたんです。それで1400万円もの金額を集めたわけですから、協会内では『高級時計でもプレゼントするつもりじゃないのか』と噂が流れました。実際に役員らに高田氏から“贈り物”があったのですが、中身は五輪マークや英国の国旗が入った指輪。めちゃくちゃ軽くて、明らかな安物でした。受け取った1人が興味本位で質屋に持ち込んだのですが、『二束三文』と言われたそうです。 国から支払われる専任コーチの報酬を協会に寄付させる行為は、会計検査院が2012年にJOC加盟の12団体に対し『不適切』と指摘しています。指摘を受けて、コーチに寄付をさせていた全日本柔道連盟では、当時の会長が辞任に追い込まれる事態に発展しました。しかし高田氏は会計検査院の目をすり抜けながら寄付をさせていたのです」』、「全日本柔道連盟」と実質的には同様の行為をしたのに、「目をすり抜け」たから軽い処分で済ませるとは酷い話だ。しかも、差額を自分で使ってしまったのであれば、横領罪にも問われかけない極めて悪質だ。
・『大学の特待生から“奨学金のピンハネ”も  この他にも高田氏は、「週刊新潮」(2020年3月19日号)に、以前監督を務めていた山梨学院大学レスリング部(現在は総監督)においても、特待生に対し“奨学金のピンハネ”をしていたと報じられている。 記事によると、大学側から毎月10万円の奨学金を受ける選手に対し、高田氏は「全部持っていたら使ってしまうだろう。俺が管理する」と月4万円を“管理”していた。しかし口座を調べると、数十万円が複数回引き出され、残金がほとんどないことが判明したのだ。約130万円が闇に消えていたことになる。 「高田氏は当初『通帳はないし金もない』としらを切っていたのですが、被害選手とその父親が抗議するとやっと返金されました。しかしこの件が『週刊新潮』で報じられると高田氏が激怒。選手を呼び出し、『これ以上しゃべるな』と迫ったんです。しかし、この“脅迫”ともとれる行為についても『デイリー新潮』(2020年4月18日)が報じました。私たちもこの報道を見て本当に驚きましたよ。高田氏は選手としては著名な方ですが、今は憤りしかない」(同前)』、「高田氏」を刑事告発するような勇気ある人間はいないのだろうか。
・『日本レスリング協会は“馴れ合い”が横行する“お友達協会”  それでも今回、高田氏が辞任を免れたのはなぜなのか。冒頭の日本レスリング協会関係者Aさんは「日本レスリング協会は“お友達協会”ですから」と肩を落とす。 日本レスリング協会の上層部は2003年から変わっていません。福田富昭会長をはじめ、同じ面子がずっと幹部として居座り続けているんです。そのせいで“馴れ合い”が横行しているんですよ。 JOCから命じられた高田氏への調査でも、当初、協会は高田氏と関係の深い元コーチら一部にだけ聞き取り調査を行い、協会側に都合の良いような話を報告書にまとめたのです。もちろん、そんなものが通用するわけがなく、JOC側から突き返されたそうですが……」』、「日本レスリング協会の上層部は2003年から変わっていません」、新陳代謝がない組織は腐敗し易いようだ。ガバナンスが全く効いていないようだ。所轄官庁は文句を言うべきだ。
・『協会上層部が優先するのは、アスリートではなく自分たち  レスリングの名門・至学館大学の谷岡郁子学長から、高田氏を擁護する発言が飛び出したこともあったという。 「高田氏の処遇が話し合われた1月18日の臨時理事会で、多くの参加者が『辞任はやむなし』と見解を示すなか、『高田さんはレスリング協会の功労者だ』と谷岡氏が高田氏を援護したんです。というのも、高田氏と谷岡氏は子ども同士が結婚している親戚関係。身内擁護の発言に多くの参加者が驚きました。しかし結局、高田氏が辞任することはなかった。 谷岡学長は、2018年にもパワハラを告発したレスリングの伊調馨選手に対し『そもそも伊調馨さんは選手なんですか?』と発言し、加害者側である栄和人監督を擁護して炎上した過去があります。レスリング協会上層部が優先するのは、アスリートではなく自分たちなんですよ」(同前) 6月にはレスリング協会の理事改選が予定されている。高田氏や日本レスリング協会が、改選を待たずに自ら進退を決められるか。“五輪のドン”であった森喜朗氏が辞任を決めたいま、レスリング協会の“マットの外”での勝負に注目が集まっている』、「高田氏と谷岡氏は子ども同士が結婚している親戚関係」にあるのであれば、「高田氏」の処分を決める「臨時理事会」で「谷岡氏」は本来、出席すべきではない、少なくとも発言権はない筈だ。それにしても「レスリング協会」は公益法人としての体をなしてないので、解体的再編成が必要だ。
タグ:日本のスポーツ界 文春オンライン (その31)(弟子・正代が優勝争いの最中 時津風親方の5夜連続「雀荘通い」、中学生の首を絞めて意識不明 暴力的な柔道指導を問題視しなかった「全柔連」は変われるのか、森辞任の陰で「不適切会計の理事」が生き延びたレスリング協会《スポーツ界お歴々の馴れ合いは終わらない?) 「弟子・正代が優勝争いの最中 時津風親方の5夜連続「雀荘通い」写真」 日本相撲協会はコロナ対策のガイドラインを策定しており、本場所中の不要不急の外出は、親方も含めた全協会員に対して禁止 行ってはいけない場所として「雀荘」と明記 時津風親方に「退職勧告」の懲戒処分 「正代が大栄翔と優勝争いを繰り広げる中、複数回、ある風俗店に通っていた」とは開いた口が塞がらない 「中学生の首を絞めて意識不明 暴力的な柔道指導を問題視しなかった「全柔連」は変われるのか」 せっかく作った「コンプライアンスホットライン」も有名無実のようだ。 「まいった」の意思表示も無視して絞め技をかけた 「小学生を相手にお前は絞め技を使っただろう」、というのはこれだけでは理解できない 「救急車を呼んでください」と訴えたが.. 「勇樹さん」と「女子小学生」の間に何があったのか、肝心な部分の説明がないのは不親切だ 「最高裁で、指導者の違法性が確定しても、全柔連は動かない」 「全柔連は福岡県柔道協会に調査を依頼し、「問題はない」と判断していた」、当事者の「福岡県柔道協会」が「問題はない」というのは当然だが、そんな馬鹿な「調査を依頼」は全く無意味だ 主な和解内容は4つ 「柔道界には隠蔽体質があり、表になかなか出てこない。まずは証拠を集めること」 何やら甘い幕引きだが、スポーツ関係者の限界なのかも知れない 「森辞任の陰で「不適切会計の理事」が生き延びたレスリング協会《スポーツ界お歴々の馴れ合いは終わらない?」 「森氏」は辞任、後任は橋本聖子前担当大臣が就任した 行為の悪質さに比べて軽すぎる処遇 国から支払われる専任コーチの報酬を強制的に「寄付金」として集金 贈り物は「二束三文」の代物だった 「全日本柔道連盟」と実質的には同様の行為をしたのに、「目をすり抜け」たから軽い処分で済ませるとは酷い話だ。しかも、差額を自分で使ってしまったのであれば、横領罪にも問われかけない極めて悪質だ 大学の特待生から“奨学金のピンハネ”も 「高田氏」を刑事告発するような勇気ある人間はいないのだろうか。 日本レスリング協会は“馴れ合い”が横行する“お友達協会” 「日本レスリング協会の上層部は2003年から変わっていません」、新陳代謝がない組織は腐敗し易いようだ。ガバナンスが全く効いていないようだ。所轄官庁は文句を言うべきだ 協会上層部が優先するのは、アスリートではなく自分たち 「高田氏と谷岡氏は子ども同士が結婚している親戚関係」にあるのであれば、「高田氏」の処分を決める「臨時理事会」で「谷岡氏」は本来、出席すべきではない、少なくとも発言権はない筈だ それにしても「レスリング協会」は公益法人としての体をなしてないので、解体的再編成が必要だ。
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東京オリンピック(五輪)(その14)(五輪中止を全否定したIOCが進める「開催シナリオ」驚きの中身 デッドラインは「3月中旬」か、山口香JOC理事「国民が五輪開催のリスクを負うことが問題」契約の不透明さに疑義、東京五輪強行開催なら損失は「中止の試算4.5兆円」超え…閉会後の日本を待つ最悪シナリオ) [社会]

昨日に続いて、東京オリンピック(五輪)(その14)(五輪中止を全否定したIOCが進める「開催シナリオ」驚きの中身 デッドラインは「3月中旬」か、山口香JOC理事「国民が五輪開催のリスクを負うことが問題」契約の不透明さに疑義、東京五輪強行開催なら損失は「中止の試算4.5兆円」超え…閉会後の日本を待つ最悪シナリオ)を取上げよう。

先ずは、2月3日付けPRESIDENT Onlineが掲載したジャーナリストのさかい もとみ氏による「五輪中止を全否定したIOCが進める「開催シナリオ」驚きの中身 デッドラインは「3月中旬」か」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/42955
・『大会中止か、それともしないのか?(7月23日の東京オリンピック開幕まであと半年を切った。新型コロナの感染拡大による経済の悪化に加え、患者対応で医療機関は崩壊の危機にある。 年明けに共同通信が行った世論調査によると「中止すべきだ」が35.3%、「再延期すべきだ」が44.8%で、7月開催への反対意見は全体の80.1%に達した。「五輪などやるなら、その予算をコロナ対策に」と訴える声は日に日に増している、というのが現状だろう。 年が明けてから、五輪の中止、あるいは延期の方向を示す外国メディアの報道がちらほらと聞こえてくるようになった。そんな中、大きな衝撃を与えたのは1月21日、英国の老舗新聞タイムズによる「連立与党幹部の話として、大会を中止せざるを得ないと非公式に結論」という報道だった。与党内の誰かが喋ったとされたことから、東京都はもとより、政府高官が「誤報だ」と火消しに走る、という異例の事態となったのは記憶に新しい。 ところが、組織委員会の森喜朗会長は1月28日、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長とのテレビ電話会議の際、「誰一人として反対意見はなかった」とバッハ氏の発言を紹介。開催に向けて引き続き準備を進めると改めて意欲を示している。 IOCら五輪関係者はいったいどのようなシナリオを用意しているのか。五輪ロンドン大会の開催をきっかけに、各国の競技関係者に接触する機会を持つようになった筆者が現地での取材をもとに考察したい』、「森」辞任前の記事だが、そのまま通用する内容なので、紹介した次第。それにしても「タイムズ」は誰から聞いたのだろう。
・『開催に立ちはだかる「3つの大問題」  言うまでもなく、五輪開催にはいくつかの高いハードルがある。その中でも大きく3つの問題に分けられるだろう。 まず1つは、五輪前の最終予選が延期に追い込まれていることだ。例えば水泳アーティスティックスイミング(AS、旧名シンクロナイズドスイミング)の五輪本大会に向けた最終予選は3月初旬の東京開催を断念、5月に延期されることが決まった。一部の代表チームは最終予選に向けた事前キャンプのため、2月中旬の日本入国を目指していたが、大会延期に合わせてこちらもキャンセルとなった。 組織委の発表によると、海外から各国の代表選手が訪日し、五輪最終予選を戦うものとしては、4月中旬に水泳のダイビング(飛び込み)競技の大会が組まれている。ただ、変異株の市中感染が疑われる状況で、選手の日本入国は果たして許されるべきことなのだろうか。 日本の外国人入国にかかる水際対策は「水漏れ」と揶揄やゆされているが、入国にはそれなりの制限がかかっている。代表選手であろうとも日本へのビザなし渡航はできず、事前に各国にある日本大使館等でビザ取得が求められる。 その上、選手らの日本滞在中の行動は全てビザ取得時の事前申告通りにしか動けない格好となっており、観光や街歩きの禁止はもとより、宿泊施設から近所のコンビニに出かけることさえも不可、と厳しく規制されている。まるで見張り付きの行動が求められるほか、五輪本番では過去の大会のように開催都市での滞在を楽しんだり、自国の他の競技の選手を応援したりといった楽しみもないといわれている』、「選手らの日本滞在中の行動は全てビザ取得時の事前申告通りにしか動けない格好となっており、観光や街歩きの禁止はもとより、宿泊施設から近所のコンビニに出かけることさえも不可、と厳しく規制されている」、そんなに厳格だとは初めて知った。外国人選手も気の毒だ。
・『参加選手はまだ6割しか決まっていない  現在IOCが感染対策として提案しているプランでは、選手は自分の出場種目開催の5日前をメドに選手村に入り、出番が終わったら2~3日以内に退去が命じられるという。関係者はこうしたややこしいロジスティクスの問題への対策にも追われることになる。 選手の宿泊施設では警備員やバリケードを導入する構想もあり、計画上では「選手や関係者が日本の一般市民にウイルスをまき散らさない」という予防策が採られている。これでもなお、「最大のパフォーマンスを五輪の場で出せ」と言われるのはとても酷なことに違いない。 2つ目は、国内の厳しいコロナ感染状況である。4月以降、五輪最終予選やプレ大会がいくつか予定されているが、感染状況次第では、またも延期や中止が起こり得る。いくら日本側がプランしても、国際競技連盟や参加国が難色を示しては実施が難しい。 そしてもちろん、日本だけでなく、全世界のコロナウイルスの感染状況も気にしなくてはならない。IOCによると、現時点で、参加枠で選手が確定しているのは全体の61%ほどにすぎないという。全体の15%は競技ごとの世界ランキングで五輪参加枠が埋まるというが、残りの25%ほどはこれから選手選出が進められる。世界的に各競技で予選実施が止まっている中、向こう数カ月で決めるのは前途多難な課題と言える』、「現時点で、参加枠で選手が確定しているのは全体の61%ほどにすぎない」、これから決まる割合がかなりあるのは初めて知った。
・『ワクチン接種は予定通り進むのか  3つ目の問題は、五輪開催に欠かせないワクチン接種だ。欧米先進国を中心に、早いところでは昨年末からすでに接種が始まっている。ただ、英国製のワクチンが欧州連合(EU)諸国に事前の契約通り届かなかった例もあり、各国とも予定通り接種が進むとは思えない。 IOCは1月26日、「出場選手や関係者に訪日前のワクチン接種を推奨する」と述べた。しかし、そもそもワクチンの健康上への影響が完全に分かっていないという事情もあり、こうした方針に異を唱える選手らも出てきている。また、そもそも7月までにワクチンが届かない国も途上国を中心に出てくる可能性が高い。 一方で、日本ではここへきて「60代以上の高齢者等には6月いっぱいで接種を終える(1月25日、産経新聞)」という、いかにも五輪の開催日程を意識した接種スケジュールが浮上した。開催となれば、6月中旬には選手や関係者が各国から日本に上陸してくる。しかし、ワクチン接種が先行する国々でも予定通り進んでいるところはほぼないという状況で、日本だけ順調に進むと楽観的に考えるのは無理がある』、「ワクチン接種」は我が国がむしろ他の欧米主要国より遅れ気味だ。PCR検査は入国時やその他にも適宜行われるべきだ。
・『IOCの重鎮は「無観客開催」を示唆  こうした状況をくんだ悲観論が飛び出す中、五輪界の超大物とも言える人物がついに口を開いた。IOC委員で、ワールドアスレティックス(世界陸連、旧国際陸上競技連盟)のセバスチャン・コー会長は、先のタイムズ紙の報道が出るや否や、ロンドンの地元スポーツメディアに「開催するしないのうわさがあれこれ出てくることこそ、トレーニングを進める選手にとって不利益なこと」と発言。「タイムズ紙の記事を即刻、官邸が否定したことは重要」と述べた。 コー氏は2012年のロンドン五輪組織委の委員長だった。コー氏と面談したことがある東京都や五輪開催自治体の関係者も少なくない。 ちなみにコー氏は、旧ソ連のアフガニスタン侵攻を理由に米国や日本がボイコットした、あの1980年モスクワ五輪の陸上競技での金メダリストだ。自身と同年代の欧米各国の選手が五輪の舞台に立てなかった中、英国は出場を強行。コー氏の話が説得力を持つのは、「TOKYOの中止で、今の選手たちに、モスクワ大会に出られなかった選手らが受けたあの苦しみを味わせたくない」という意識が働いているのかもしれない。 コー氏は「(東京五輪が)仮に無観客で開催されることになっても、それに文句を言う人はいないだろう」と発言。バッハ会長もその後追認するような発言を行っている』、「無観客で開催」言及するとは、積極的なようだ。
・『「何としても開催したい」シナリオは  では今後、開催を前提に起こり得る筆者の想定をいくつか述べておこう。 まず、いくつかの国が「選手を東京に送ってこない」まま開催に踏み切る可能性だ。自国が鎖国またはそれに近い状況にあるからと、泣く泣くこうした判断に至る国もあるだろう。現在、東京への出場を予定している国と地域は206あるが、これが果たしてどのくらい残るのか。 その他、可能性は低いが、全くないとも言い切れない想定が2つある。 一つは、一部の競技・種目の開催地を分散し、他国での遠隔実施になるケース。コロナの規制上、渡航できないことで、やむなく別会場を設定するというもの。 もう一つは、最終選考ができないことなどを理由に「一部の競技が中止となる」というパターン。各競技によって複雑な選考形態があり、五輪本戦までに終わる見込みがなく、競技を辞退せざるを得ないというものだ。ただし、人気種目の陸上や水泳はここに当てはまらない可能性が高い』、そこまで無理をして「開催」した形にする必要はないのではなかろうか。
・『国連機関のお墨付きと保険金の存在  五輪関係者が開催に自信を見せる理由はまだある。IOCは、五輪中止を判断するには国際連合か国際保健機関(WHO)の意見を参考にする考えを明らかにしているが、逆に言えば国連機関からの正式な勧告などがない限り、開催する方針は変わらないとも読める。 フィナンシャルタイムズ(FT)は、東京駐在の五輪グローバルスポンサー2社のアドバイザーの話として「IOCがもし東京五輪を取りやめるなら、国連かWHOに正式な勧告を出すよう特別な要請を行うだろう」とした上で、「こうした勧告があれば、五輪がキャンセルになった際、IOCが取り損なう放送権収入は保険金で補塡ほてんされるほか、開催都市の東京都もIOCへのキャンセル料の支払いを逃れられるだろう」と報道。 このアドバイザー氏の意見として「こうした背景から、IOCも東京都もこうした機関からの正式勧告が出るまで中止を言い出すわけがない」と伝えている。 保険契約を取り巻く実態は1月28日、報道各社が保険ブローカーの見解として一斉に報じた。それによると「IOCは夏季五輪に約8億ドル(840億円)、東京五輪組織委は6億5000万ドル(680億円)の保険をかけていると推定」とあり、中止となっても保険金による補塡はあるようだ。しかし、昨年12月に発表された組織委の予算総額は1兆6440億円に達しており、保険金が出ても10%に満たない』、「五輪中止を判断するには国際連合か国際保健機関(WHO)の意見を参考にする考え」があるのであれば、「IOCも東京都もこうした機関からの正式勧告が出るまで中止を言い出すわけがない」のは確かだ。
・『3月中旬までに「最終決断」か  「そこまでしてでも五輪をやるのか?」といったような想定を述べたが、とはいえ、中止か開催かの決断はいずれ必要だ。 先のFT紙は、東京に駐在する外交官らの話として「自国の政府に、選手遠征のための予算請求を組める日程的限界は3月末まで」と伝えた。 大会前の大イベントと目される聖火リレーが開始されるのは3月25日だ。昨年は、聖火そのものが日本に到着したものの、リレーが動き出す直前で延期が決まった。ちなみに、今年の聖火リレー開始より前に、国内での五輪最終予選の実施予定は組まれていない。 こうした状況からみて、中止なのか、このまま開催なのかの決断時期は3月中旬ごろだろうか。 国内の新型コロナ感染は収束のメドが立っていない上、医療崩壊の懸念も目前の問題として解決が求められている。橋本聖子五輪相は大会期間中に「1万人の医療従事者に交代で従事してもらう」という案も示しているが、目下の状況では国民にも関係者にもこうした案に対するコンセンサスを得るのは難しい。 日本のみならず、世界各国の人々が目前の生活もままならない状況にある中、観客と選手両方が納得する結論をIOCは出せるのか。デッドラインはすぐそこまで迫っている』、「ワクチン接種」が遅れている状況からは、無理をせず、「国際連合か国際保健機関(WHO)」から「中止」の意見を出してもらうのが、最もよさそうだ。

次に、2月10日付けYahooニュース「山口香JOC理事「国民が五輪開催のリスクを負うことが問題」契約の不透明さに疑義」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/takaokondo/20210210-00221417/
・『1年の延期を経て、東京オリンピック・パラリンピック  以下、東京五輪と表記)の開幕まであと5カ月。果たして開催できるのか? それとも中止にすべきなのか? 延期も考えられるのか? 1年前に「延期すべき」と声を上げたJOC(日本オリンピック委員会)理事・山口香氏は、いまの状況をどう見ているのだろうか。アスリートたちへの思いも含めて話をうかがった(Qは聞き手の質問、Aは山口氏の回答)』、「山口香氏」の略歴は記事の終わりにある。
・『開催でリスクを負うのは私たち日本国民  Q:東京五輪は今年開催できるのでしょうか。 A:「厳しい状況にはあると言わざるを得ません。国民は疲弊し、医療現場はひっ迫…去年よりも状況が悪くなっているという実感です。世論調査によると、国民の約8割が『五輪を開催すべきではない』と考えています。このことは重要視すべきです。 また、去年と今年ではコロナに対する認識も世界的に変わってきています。去年のいま頃は、未知のウイルスに世界中が怯えていました。コロナの全容が見えなかったからです。でもいまは、『若い人たちは、それほど重症化しない』ことなどが少しずつ分かってきています。各競技の大会も開かれるようになり、新生活様式も世界的に定着してきました。ただ、そのことが五輪を、ややこしくしていると感じます」 Q:といいますと。 A:「もし、今年の五輪の開催地が東京ではなくてパリだったらどうでしょう。私はスポーツ関係者として選手たちを送り出すと思います。リスクはゼロではないですよ、それでも4年間がんばってきたんだから、夢を叶えさせてあげたい。日本国民のほとんどが、そう思いますよね。『気を付けて行ってきてね。私たちはテレビで応援しているから』と。そして帰国した時は2週間の隔離生活をする。ならば、日本に大きな影響はないわけです。 今年開催した場合、他国から東京に選手が来ないんじゃないかとも言われていますけど、そんなことはないと思います。実際、IOC(国際オリンピック委員会)も、そのことは不安視していないでしょう。日本は世界から見れば、感染を辛うじて食い止めている国であり、多くの国が選手を派遣してくれると思います。つまり、選手を送り出す国にためらいはないけれど、受け入れる側は大変なわけです。問題は日本国民であり、五輪を開催することでリスクを負うのは私たち日本国民だということです」 Q:受け入れ側には感染対策の徹底が求められます。 A:「IOCのバッハ会長は『選手の安心・安全は担保します』と言っていますから、アスリートたちにはリスクが少ないかもしれない。でも、五輪後の日本は、どうなるのでしょうか。変異種を含めたウイルスが一気に持ち込まれて、冬に向かって感染が再拡大する可能性も十分に考えられます。そうした事態をみんなが恐れていて、そのことが世論調査『反対8割』として表れているんだと思います。現時点で『開催国・日本の立場に寄り添う』という発想がIOCは希薄です。だから日本も、そのことをしっかりと訴えていく必要があります」 Q:日本人のIOC委員は国内世論を伝えていないのでしょうか。 A:「もし伝わっていたらIOCから『大会中止は考えていない』とか『光明が差した』といったコメントは出されないと思います。それに五輪に関してオープンにされていないことが、あまりにも多いんです。 たとえば今回、『IOCが中止を発表するか、東京が返上するか、それによって違約金の問題が生じるからチキンレースだ』みたいに言われていますよね。でも本当のところは私も知りません。なぜならば、IOCと東京都が、どのような契約を結んでいるかがオープンにされていないからです。こんな状況下では開催できないと東京が返上した時に、どれだけの違約金を支払うのかは契約時に決まっているはずです。それを国民にオープンにするべきではないでしょうか。 それが開示されたならば国民の判断材料になります。コロナ対策費と比べてどうなのか、五輪を開催すべきかやめるべきなのかを、お金=税金の観点からも考えることができます。なのに、この部分が国民に知らされていないのはおかしいんですよ」 Q:五輪に関してはブラックボックス化されていることが多くあるように思います。今回を機に、もっとオープンにされるべきですね。 A:「ええ。私は今回の五輪に関しては、日本国民の思いが大事だと思っています。IOCから押し付けられるものではないでしょう。そのために、判断材料となる正確な情報が国や組織委員会から発信されるべきなんです」』、「IOCと東京都が、どのような契約を結んでいるかがオープンにされていないからです。こんな状況下では開催できないと東京が返上した時に、どれだけの違約金を支払うのかは契約時に決まっているはずです。それを国民にオープンにするべきではないでしょうか」、こんあ重要なことを隠しているとは初めて知った。当然、「オープンにするべき」だ。
・『アスリートは「恵まれている」自覚を  Q:山口さんもソウル五輪・女子柔道の銅メダリストです。選手たちの思いにも触れたいのですが、体操の内村航平選手は「できないではなく、どうやったら開催できるかを考えてほしい」と発言していました。一方で「こんな時期に開かなくても」と話す選手もいます。 「いま、開催するかしないかに関してのコメントをアスリートに求めるのは酷ですよね。『この状況下では無理だと思う』と言えば、スポーツ界から反感を買うし、『やらせてください』と言っても世間から、こんな時に何を言ってるんだと怒られてしまう。だから、アスリートを矢面に立たせてはいけません。言いにくいことを言って悪者になるのは、JOCやその関係者、私たちの役目だと思っています。こんな状況になってしまいかわいそうです」 Q:そうですね。 A:「でも、それとは別にアスリートたちに噛みしめてもらいたいこともあります。『自分たちは恵まれている』という認識ですね。たとえば、プロ野球選手、Jリーガー、大相撲の力士、あるいは柔道の強化選手にしても、彼らは合宿をする際にはPCR検査を受けることができ、安全な状態を担保された上で、練習や試合ができているんです。それは一般の人たちからしたら、まず得られない手厚い保護だということを自覚すべきでしょう。 私たちは、アスリートたちのパフォーマンスからエネルギーを与えられることが多々あります。最近でいえば、卓球(全日本選手権決勝)の石川佳純さんと伊藤美誠さんの試合や柔道(東京五輪代表決定戦)の阿部一二三と丸山城志郎の試合は私も心を動かされました。でも、だからといって、手厚い保護を受けることは、当たり前ではないんです」 Q:みんなにエネルギーを与えるのは、スポーツだけではなく、芸術、エンタテインメントなどもあります。 A:「そうですよね。だから、こんな状況だからこそ、アスリートたちには考えてもらいたいんです。自分にとって五輪とは何なのか、スポーツとは何なのかを。もともとは好きで自分のためにスポーツをやってきたわけですよね。その頂点を目指すのであれば、世界選手権もあります。では、自分にとって五輪とは何なのか。五輪に出られる出られないではなく、もう少し深い部分まで考えて、答えを持って欲しいと思います」 Q:最後に伝えたいことはありますか。 A:「物議を醸している森会長の発言については、森会長はJOCの名誉委員としてご出席され、発言の場がJOCの評議員会であったことを考えれば、JOC自体が責任を重く受け止めて謝罪し、今後の取り組みについての考えを示していくべきだと思います。コロナ以前の問題として五輪が理念を失くしてしまえば必要のないイベントになってしまいますから」 ■山口香(やまぐち・かおり)(1964年12月28日生まれ。東京都豊島区出身。6歳で柔道を始め、13歳の時に全日本体重別選手権で優勝して以来10連覇。1984年の世界選手権で日本女子として初制覇した。1988年ソウル五輪で銅メダル獲得。翌年現役引退。現在は筑波大学の体育系教授の傍ら、JOCの理事などを務める。)』、「いま、開催するかしないかに関してのコメントをアスリートに求めるのは酷ですよね」、その通りだ。「IOCと東京都」の「契約」を明らかにした上で、中止させる方向で、国際機関に働きかけるべきだろう。

第三に、2月20日付けYahooニュースが転載した日刊ゲンダイ「東京五輪強行開催なら損失は「中止の試算4.5兆円」超え…閉会後の日本を待つ最悪シナリオ」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7fa0c543b1ba602de5fdadb630b0ba92e8e4f0f2
・『「東京大会を国民の皆さま方が安心し、やってよかったと思ってもらえる大会にすることが私にとっての務めと決意した」 東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子新会長(56)が19日、組織委本部で職員を前に挨拶。「国民に信頼され、安心と安全の東京大会が開催できるように全力を尽くす」と言った。 とはいえ、現状は「安心」「安全」「信頼」とはかけ離れている。世界のコロナ禍は沈静化の気配が見えず、日本も緊急事態宣言の期間を1カ月延長した。森喜朗前組織委会長(83)の舌禍もあり、ネット上を中心に五輪中止論があふれている。橋本新会長は森氏を組織委の役職に就けない方針を固めたというが、新会長は同氏の「娘」を自任するだけに、これで影響力がなくなるとは思えない。あくまで事態の沈静化を図るのが目的だろう。 五輪中止ならば約4.5兆円の経済損失(関大名誉教授・宮本勝浩氏の試算)につながるともいわれており、五輪スポンサーの巨大メディアは連日のように、これを引き合いに出している。しかし、一連の報道に異を唱えるのは、スポーツジャーナリストの谷口源太郎氏だ。 「都や、組織委は『アスリートファースト』と言っていますが、五輪は金稼ぎの道具になっている。金のために国民の命を危険にさらして開催するのは、国際社会において日本の立場をおとしめる行為ですよ。失う国際的な信用を修復させるのは、簡単なことではありません。これは数字に表れる経済損失よりもはるかに大きい損失です」 強行開催することでむしろ、4.5兆円を上回る損失を被るというのだが、具体的にどんな損失が考えられるのか。 「私も東京五輪に関わっているので、公式回答では『やった方が良い』としか答えられませんが……」と、五輪と経済効果に詳しい専門家は匿名を条件にこう言った。 「経済効果として、五輪開催後の外国人観光客の増加が挙げられます。しかし、そもそもの大前提として『開催がきっかけで観光客が激増する』というわけではありません。まず、大会前には外国人観光客を受け入れる土壌の整備が不可欠です。そして、開催を通じていかに国際交流が大事なのかということを人々が共有し、『大会後も継続していこう』と観光地や地域みんなで努力する姿勢があって初めて、観光業における五輪のレガシーになるのです」』、現在の感染状況を前提にすると、「外国人観光客」には残念ながら殆ど期待できないようだ。
・『「開催しないと日本崩壊」はまやかし  東京都は五輪招致が決定した翌2014年に「外国人旅行者の受入環境整備方針」を打ち立て、一気呵成に都の観光インフラを構築。政府も観光立国を目指して予算を割き、諸外国のビザ取得制限の緩和や、地方空港への国際チャーター便に対する支援などを推し進めた。 その結果、東京五輪開催が決まった13年は約1000万人だった訪日外国人数が、18年には3000万人を突破。これは政府が当初、30年に実現目標としていた数字だ。増加の要因には格安航空会社の普及も含まれるが、外国人観光客を受け入れる現場の努力に下支えされてこそのものだ。 「観光業における経済効果の面で安心安全な大会を成功できるなら、五輪はやるに越したことはない。感染者を出さず可能な限り大会を盛り上げて『コロナ禍でもできるメガイベントのモデルケース』となれば、世界に向けた大きな宣伝につながるからです」(前出の専門家) とはいえ、森前会長の言った「コロナがどういう形でも必ずやる」では、「安心安全」という大会運営の根幹が崩れかねない。五輪を強行開催し、選手たちから感染者が出たら、あるいは、開催後にコロナ感染者が増加したら国民感情はどうなるか。五輪が直接的な原因かは別として「やっぱり外国人が来たから」と思うはずだ。この専門家はそこから引き起こされる最悪のシナリオを憂慮している。 「インバウンド振興が潰れかねません。先ほど、『五輪後の努力も大事』と言いましたが、コロナ禍がひどくなった状況下で政府や都が観光事業を推し進めようとしても、骨組みである民意や現場の協力は得にくくなる。負のレガシーだけが残って観光立国の計画が停滞し、インバウンドの土壌が激減したら、本末転倒です。中長期的に見たら(五輪中止で試算される)4.5兆円よりもはるかに大きな経済損失を招く可能性があります。そもそも4.5兆円にしても、マクロ経済の視点で見ると、それほど大きな金額ではありません。『開催しないと日本崩壊』という論調も耳にしますが、まやかしです。損をする業界はごく限られています。コロナや経済などさまざまな側面がありますが、正直、今年は無理に開催しなくても……。どうしてもやるなら、無観客ですかね」 前出の谷口氏は「現状、外国では感染が拡大している地域もありますし、ワクチン確保の問題ひとつを取っても国同士の貧富の差が可視化されている。それなのに『自国だけ良ければ』と開催するのは身勝手すぎる考え方ではないでしょうか。五輪の存在意義ともかけ離れてしまう」と危惧する。 アスリートや目先の利益のためだけに大きなリスクを負う必要があるとは思えないのだ』、オリンピック競技はアスリートだけでなく、観客も熱狂ぶりをテレビで観戦するところにあるので、「無観客」での開催は白けるだけで、避けるべきだ。感染リスクを考慮すれば、無理に開催する必要は全くないと思われる。
タグ:東京オリンピック yahooニュース 日刊ゲンダイ PRESIDENT ONLINE (五輪) さかい もとみ (その14)(五輪中止を全否定したIOCが進める「開催シナリオ」驚きの中身 デッドラインは「3月中旬」か、山口香JOC理事「国民が五輪開催のリスクを負うことが問題」契約の不透明さに疑義、東京五輪強行開催なら損失は「中止の試算4.5兆円」超え…閉会後の日本を待つ最悪シナリオ) 「五輪中止を全否定したIOCが進める「開催シナリオ」驚きの中身 デッドラインは「3月中旬」か」 開催に立ちはだかる「3つの大問題」 「選手らの日本滞在中の行動は全てビザ取得時の事前申告通りにしか動けない格好となっており、観光や街歩きの禁止はもとより、宿泊施設から近所のコンビニに出かけることさえも不可、と厳しく規制されている」、そんなに厳格だとは初めて知った。外国人選手も気の毒だ 参加選手はまだ6割しか決まっていない 「現時点で、参加枠で選手が確定しているのは全体の61%ほどにすぎない」、これから決まる割合がかなりあるのは初めて知った ワクチン接種は予定通り進むのか 「ワクチン接種」は我が国がむしろ他の欧米主要国より遅れ気味だ。PCR検査は入国時やその他にも適宜行われるべきだ IOCの重鎮は「無観客開催」を示唆 「何としても開催したい」シナリオは そこまで無理をして「開催」した形にする必要はないのではなかろうか 国連機関のお墨付きと保険金の存在 「五輪中止を判断するには国際連合か国際保健機関(WHO)の意見を参考にする考え」があるのであれば、「IOCも東京都もこうした機関からの正式勧告が出るまで中止を言い出すわけがない」のは確かだ 3月中旬までに「最終決断」か 「ワクチン接種」が遅れている状況からは、無理をせず、「国際連合か国際保健機関(WHO)」から「中止」の意見を出してもらうのが、最もよさそうだ 「山口香JOC理事「国民が五輪開催のリスクを負うことが問題」契約の不透明さに疑義」 開催でリスクを負うのは私たち日本国民 「IOCと東京都が、どのような契約を結んでいるかがオープンにされていないからです。こんな状況下では開催できないと東京が返上した時に、どれだけの違約金を支払うのかは契約時に決まっているはずです。それを国民にオープンにするべきではないでしょうか」、こんあ重要なことを隠しているとは初めて知った。当然、「オープンにするべき」だ。 アスリートは「恵まれている」自覚を 「いま、開催するかしないかに関してのコメントをアスリートに求めるのは酷ですよね」、その通りだ。「IOCと東京都」の「契約」を明らかにした上で、中止させる方向で、国際機関に働きかけるべきだろう 「東京五輪強行開催なら損失は「中止の試算4.5兆円」超え…閉会後の日本を待つ最悪シナリオ」 現在の感染状況を前提にすると、「外国人観光客」には残念ながら殆ど期待できないようだ。 「開催しないと日本崩壊」はまやかし オリンピック競技はアスリートだけでなく、観客も熱狂ぶりをテレビで観戦するところにあるので、「無観客」での開催は白けるだけで、避けるべきだ。感染リスクを考慮すれば、無理に開催する必要は全くないと思われる
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東京オリンピック(五輪)(その13)五輪組織委トップ交代問題(「森喜朗会長辞任」を叫ぶだけでは何も変わらない 長老支配を一掃する根本議論とは、菅首相“推し”も処遇 文春砲で最後まで渋った橋本聖子”新会長”「議員辞職はしなくていい」と説得、女性蔑視発言、「橋本新会長で決着」の光と影 セクハラ疑惑より深刻な橋本新会長のある悩み) [社会]

東京オリンピック(五輪)については、昨年7月13日に取上げた。今日は、(その13)五輪組織委トップ交代問題(「森喜朗会長辞任」を叫ぶだけでは何も変わらない 長老支配を一掃する根本議論とは、菅首相“推し”も処遇 文春砲で最後まで渋った橋本聖子”新会長”「議員辞職はしなくていい」と説得、女性蔑視発言、「橋本新会長で決着」の光と影 セクハラ疑惑より深刻な橋本新会長のある悩み)である。この他話題は明日、取上げる予定である。

先ずは、本年2月11日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「「森喜朗会長辞任」を叫ぶだけでは何も変わらない、長老支配を一掃する根本議論とは」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/262439
・『森喜朗会長が晒される批判の嵐 辞職したら何が変わるのか  最近、「傘寿」を超えたご長寿のおじいちゃんたちが、相次いで「やめろコール」の嵐に晒されている。もちろん筆頭は、女性蔑視発言で国内外から批判されている、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の森喜朗会長、御歳83歳。 当初は「逆ギレ会見」でいつものようにウヤムヤにできるかと思われたが、五輪ボランティアの大量辞退や、IOCが手の平返しで厳しい批判を始めたことで、「このまま五輪の顔として居座り続けさせたら、日本が女性蔑視の国だと世界にアピールすることになる」と、辞任を求める声が日増しに高まっており、国会でも追及される事態になっているのだ。 また、そんな森氏をフォローした自民党の二階俊博幹事長、御歳81歳に対しても、ネットやSNSで「頼むから引退してくれ」という声が多く挙がっている。ボランティア大量辞退の動きを、「瞬間的」「おやめになりたいというのだったら、新たなボランディアを募集する」と一蹴したことで、「ボランィアを使い捨てのコマのように思っているのでは」と怒りを買ったのだ。 高齢者の暴言を別の高齢者が擁護をしようと、ご本人としては気の利いたことを言ったつもりが、これまた耳を疑うような暴言で両者揃って大炎上という、「老老介護」ならぬ「老老擁護」の難しさを、改めて世に知らしめた形となったのだ。 さらに、政界では二階氏と熾烈なパワーゲームを繰り広げていると言われる麻生太郎・財務相兼副総理、御歳80歳に対しても、少し前に「やめろコール」が起きている。「一律10万円」再給付を全否定したことで、「これだけ国民が苦しんでいることを理解できないなら、政治家なんてやめるべき」という庶民の怒りが爆発しているのだ。 ただ、個人的にはこういうムードはあまりよろしくないと感じている。「敬老」の観点で申し上げているのではない。やらかしてしまった人間をマスコミと世論で吊し上げることに一生懸命になり過ぎて、そういう個人を生み出している組織や社会の構造的な問題などの根本的な議論にまで至らない。「上を下への大騒ぎをするけれど何も変わらない」というパターンが、日本ではよくあるのだ。 今回の「3人の暴言ご長寿」へのバッシングからも、同じ匂いがプンプン漂ってくるのだ。 たとえば、高まる国内外からの批判を受けて、森氏が会長を辞任したとしよう。あるいは、国民の批判を受けて、二階氏や麻生氏が政界から身を引いたとしよう。では、そこで日本社会は何かが劇的に変わるのだろうか。 森氏が組織委員会から消えれば、世界経済フォーラム(WEF)の「ジェンダーギャップ指数2020」で153カ国中121位という日本の男女格差が、急に解消されるのだろうか。二階氏や麻生氏が権力の座を退けば、菅政権のコロナ対応が急激に改善するのだろうか』、「老老擁護」とは言い得て妙だ。「「森喜朗会長辞任」を叫ぶだけでは何も変わらない」、その通りだ。
・『新たな長老を担ぎ出そうとする「政治ムラ」の恩恵に浴する人々  筆者は、それほど大きく事態は変わらないと思っている。 今回、森氏が引退しようとしたところ、周囲から引き止める声が多く挙がったことからもわかるように、「五輪ムラ」や「政治ムラ」の中には、森氏や二階氏や麻生氏という「長老支配」の恩恵にあずかる人たちがゴマンと存在している。 それはつまり、もし森氏や二階氏や麻生氏がいなくなっても、ムラの構成員たちは彼らとよく似た「長老」を選び出し、新たに担ぎ上げることにしかならないということだ。 「そんなの、やってみないとわからないだろ」と思う人もいるだろうが、閉鎖的な政治コミュニティの中で、こうした現状維持の力学が働くことは、世界中の研究機関で科学的に証明されている。 たとえば、米メリーランド大学の中には、米国政府が助成するテロ組織の研究拠点があり、国際社会の中でテロを仕掛ける指導者やメンバーなどの膨大なビックデータを集めて、テロネットワークを「見える化」している。 その中で、試しにあるテロ指導者を「排除」してみると、興味深い現象が起きた。テロネットワークの中で、その指導者の座にすぐ新たな後継者がついて、米国に対する脅威度が減るどころか、さらに高まったのだ。後継者は自分のカラーを出すため、前の指導者より過激な行動に走ることも多いからだ。 これこそ、米国がテロ指導者を次々と殺害・拘束しても、反米テロが根絶できない根本的な理由だ。テロを解決するには、個人を排除するよりも、テロを引き起こす構造的な問題に目を向けなくてはいけないのだ。 これは政治だけではなく、日本社会のあらゆるところで噴出している「老害」や「長老支配」という問題にも、そのまま当てはまる。森氏や二階氏や麻生氏という高齢リーダーを叩いて、権力の座から引きずり下ろしたところで、日本は世界一の高齢化社会なので、後継者は山ほどいる。次から次へと「第二の森喜朗」「第二の二階俊博」が現れてくるのだ。 それはつまり、テロ指導者を次々と排除しても、テロを撲滅できないのと同じで、問題を起こした高齢リーダーを次々と引退に追い込んでも、長老支配を撲滅できないということでもあるのだ』、この記事は後任に橋本氏が決まる前だが、橋本氏は「森氏」の「傀儡」ともいわれるだけに、全体の論旨には影響しないと思われる。
・『高齢者の「政治免許返納」を真剣に検討すべきでは  では、どうすればいいのか。いろいろなご意見があるだろうか、個人的には、高齢者の「政治免許返納」を真剣に検討すべきではないかと思っている。 70歳など、ある程度の年齢までいった高齢の方は、議員などの政治の表舞台から潔く引退していただく。さらに、五輪のような税金が投入されるような公共事業への関与も遠慮していただく。つまり、税金を費やす政治の「プレーヤー」になる資格(ライセンス)を自主的に返納してもらうような制度を、新たに設けるのだ。 「高齢者差別だ!」「高齢者の自由を奪う、重大な人権侵害だ」と不快になるシニアも多いかもしれない。しかし、選挙権を奪うといった話ではないし、どうしても政治をしたいというのであれば、ご自身のお金で政治団体を立ち上げるなどして、いくらでも活動をしていただければいい。もちろん、民間企業や団体で政治活動をすることもできるので、それまでの経験や調整力を活かせばいい。 ただ、議員や公共事業の要職は勘弁していただきたいというだけだ。森氏のように、無報酬であれだけ献身的に活動していても、結局は組織委員会を「長老」が支配する閉鎖的なムラ社会にしてしまったように、高齢政治家が長期間権力を握り続けても、国民にとっては「害」の方が大きいからだ』、「高齢政治家が長期間権力を握り続けても、国民にとっては「害」の方が大きいからだ」、その通りだ。「高齢者の「政治免許返納」」はなかなか面白いアイデアだ。
・『高齢者の自由は運転免許返納によりすでに制限され始めている  また、「高齢者の自由を奪うのか」と言われそうだが、すでに我々は社会にもたらす甚大な被害と天秤にかけて、高齢者の自由を制限し始めている。そう、「高齢者の運転免許返納」だ。 アクセルとブレーキの区別がつかなくなっているほどのご長寿ドライバーが、日本全国でさまざまな暴走事故を起こしていることを受けて、運転に自信がなくなった方や、公共交通機関で移動できる方たちには、自主的に「運転する資格」を放棄していただいているのは、ご存じの通りだ。 理屈としては、これとまったく同じだ。今の日本の政治は、権力の座に長く座り続けた結果、周囲から誰も諫める者がいなくなっている高齢政治家が「暴走」をして、日本全体に不利益を与えるような「事故」が続発している状況だ。この構造的な問題を解決するためには、高齢政治家の皆さんに自主的に「政治プレーヤーになる資格」を返納していただくほうがいい。 そもそも世界的には議員はボランティアで、自身が掲げる政策を実現すれば、さっさと引退して第二の人生を送るというスタイルの方が一般的だ。日本のように、何十年も高給をもらう「職業議員」が政治を続け、挙句の果てに息子や孫に世襲させたり、80歳を過ぎても政界に居座り続けたり、などというスタイルの方が「異常」なのだ。高齢者の「政治免許返納」は、そんな日本の悪しき慣習にメスを入れることができるかもしれない。 もちろん、それが並大抵のことではないということはよくわかる。実は日本では、戦前から「高齢政治家」をどうやって引退させるかということに、頭を悩ませてきた』、確かにその通りだ。
・『実は戦前からあった政界における「老害」問題  関東大震災が起き、まだその傷跡も癒えぬ1923年12月26日、後に「議会政治の父」と呼ばれる尾崎行雄は、こんな演説をしている。 「由来老人は決断力を欠くから老人に政治を任せるのは甚だ誤つている」「自分は老人でいながら老人排斥するのは可笑しいと思はれるかも知れぬが私は老人内部の裏切り者となっても飽くまで老人に政治を委ねるべきではないこと主張したい」(読売新聞 1923年12月26日) その後、海軍の山本権兵衛元帥は、陸海軍で武功のあった大将や中将を終身現役として扱う慣例が時代遅れだとして、「停年制」を提案する。閉鎖的なムラ社会の中で、長く居座る政治プレーヤーが「老害化」することは、高齢化社会が到来するはるか以前から、日本の課題だったのだ。 これは、戦後も変わらない。公職追放によって一時だけ政治家の若返りが進んだが、基本的に日本の政治は「長老支配」が延々と続いている。1980年代になると、あまりにも前近代的ということで、「70歳定年制」が唱えられたが、案の定形骸化した。70歳を超えても「余人をもって変え難い」などと言われて、次々と特例扱いで選挙の公認を与えてきたのだ。そしてズルズルと後ろ倒しされ、今では「73歳定年制」なのだが、これもグダグダになる可能性が高い。 先月19日、自民党青年局のトップ・牧島かれん衆議院議員が、二階幹事長に「73歳定年制の厳守」を申し入れたのだが、早くも党内の70代のベテラン議員たちが二階氏にこの「廃止」を要請している。 こういう歴史から我々が学ぶことは、権力の座についた高齢者は自分の意志でそれを手放すことはできない、という事実だ。「まだまだやり残したことがある」「高齢者の声を代弁したい」「自分はやめてもいいが、周囲から慰留された」などなど、いろいろな言い訳で「政治プレーヤー」をズルズルと続けてしまう。だからこそ、社会が高齢者の「政治免許返納」のような仕組みを考え、自主的に退けるような環境をつくることが必要なのだ。 また、このような制度をつくることは、回りまわって「高齢者のため」にもなる。 「高齢者運転免許返納」のきっかけにもなった、池袋暴走事故を起こした飯塚幸三被告、御歳89が、一昨日遺族の賠償請求に対して争う姿勢を見せたというニュースが報じられ、ネットやSNSでは再び「なぜマスコミはこいつをもっと糾弾しないのだ」などと、国民の怒りが爆発している。 なぜ争うのかというと、公判で本人が述べたように「自分が悪い」とは思っていないからだ。これは、森氏、二階氏、麻生氏なども共通するが、歳をとるとなかなか自分の非を認めて真摯に謝罪をすることが難しいのだ。 批判をしているわけではない。人間、80年も生きれば、そう簡単に考え方や生き方を変えることはできない、という現実を指摘したいだけだ』、「歳をとるとなかなか自分の非を認めて真摯に謝罪をすることが難しい」、その通りだ。
・『悪いのは「老い」ではない 長老支配というシステムである  このような「周囲の苦言に耳を貸さない高齢リーダー」が世に溢れれば、若い人たちの高齢者への憎悪はさらに強まる。社会保障の不平等さも取り沙汰される中で、個人攻撃だけではなく、高齢者全体への敵意にもつながってしまう恐れがある。こういう不毛な世代間闘争を避けるためにも、「高齢リーダー」にはある一定の時期に自主的に身を引いていただくシステムが必要だ。 我々が憎むべきは「老い」ではなく、高齢政治家をズルズルと権力の座に居座り続けさせ、「裸の王様」にして、終いには「暴走」までさせてしまう、「長老支配」というシステムである。この醜悪な現実を、今こそ国民全員で直視すべきではないか』、私も立派な高齢者だが、全く同感である。

次に、2月18日付けAERAdot「菅首相“推し”も処遇、文春砲で最後まで渋った橋本聖子”新会長”「議員辞職はしなくていい」と説得〈週刊朝日〉」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/wa/2021021800032.html?page=1
・『女性蔑視発言で森喜朗元首相が辞任後、迷走していた東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長選びにようやく決着がついた。 菅義偉首相の“ご指名”だった橋本聖子五輪担当相が要請を受け入れる意向を固め、18日中にも橋本新会長が誕生する。 候補者検討委員会周辺から昨日朝は日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長の名前があがり、夜になると橋本氏と二転三転した会長人事。その裏側を官邸関係者が語る。 「菅首相は女性を会長にとの思いだった。当初から橋本氏を第一候補にしていた。橋本氏なら菅首相がコントロールできる。コロナ禍にあって、オリンピックが開催できる確約はない。開催できないことも想定した場合、泥をかぶらねばならず、政治家でなければ難しいという理由もあった」 だが、橋本氏はすぐには首を縦には振らなかった。参院議員5期を務める橋本氏は、森氏の要請で政界に転出した。橋本氏も森氏について「お父さんです」と公の場で語るほど、心酔していた。自民党幹部がこう語る。 「橋本氏が消極的だった理由は、森氏の存在です。会長辞任後、森氏は川淵三郎氏を後継指名したのに官邸に潰された。それなのに自分がすぐ引き受けるのはと迷っていた。さらに組織委員会の会長になれば、大臣だけではなく、議員辞職をも求められる可能性があるのも懸念していた。だが、そこを自民党が調整して、大臣は辞任、議員辞職はせずという方向で話をつけた。ただ、自民党に離党ついては今後の調整だ。それでもなかなか踏ん切りがつかなかった。橋本氏は文春砲に高橋大輔との“ハグ&キス”写真を派手に報じられていたので、火だるまになるのを恐れたんだろう」』、昨日の日経新聞によれば、「橋本氏」は「自民党」を離党するが、「議員辞職はせず」となったようだ。
・『それに黙っていなかったのが、菅首相だ。次期会長を巡っても、菅VS小池という構図が浮かび上がった。 「山下氏の会長案は、菅氏と小池氏が対立した際の妥協案で昨日の朝、飛び出した」(前出の官邸関係者) 今回の後継選びでプラスとなったのが、候補者検討委員会を非公開にしていたことだ。選考過程がオープンになっていないため、菅首相の意向を反映しやすく、最終的には橋本氏という流れとなった。 「菅首相は本音では小池さんが大嫌い。これを機に政治的立場を有利にしようという小池氏の魂胆に反撃したいとの思いがあった。菅首相は低迷する支持率を、アップさせるためにはなんとしてもオリンピックを実現したい。その勢いで解散総選挙に打って出る構想を描いている。小池氏がこれ以上、目立つと、自身の立場が危うい。今回は菅首相が小池氏に電話で根回しして橋本会長にこぎつけた」(前出の自民党幹部) だが、森氏に近い橋本氏には「森院政」との批判も少なくない。 選考過程の非公開を問題にする理事もいる。オリンピックまであと5か月、橋本氏の手腕が問われる。(本誌取材班)』、「今回の後継選びでプラスとなったのが、候補者検討委員会を非公開にしていたことだ。選考過程がオープンになっていないため、菅首相の意向を反映しやすく、最終的には橋本氏という流れとなった」、これでは密室政治との批判も当然だ。

第三に、2月20日付け東洋経済オンライン「女性蔑視発言、「橋本新会長で決着」の光と影 セクハラ疑惑より深刻な橋本新会長のある悩み」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/412803
・『東京五輪組織委員会会長だった森喜朗元首相の女性蔑視発言による会長交代騒動が2月18日、橋本聖子前五輪担当相の新会長就任で決着した。 森氏の後継指名が批判され、就任辞退に追い込まれた川淵三郎初代Jリーグチェアマンのほか、山下泰裕JOC(日本オリンピック委員会)会長らさまざまな後継候補が浮かんでは消えた。 半月にも及んだ混迷の末、女性で、若く、「五輪の申し子」と呼ばれる橋本氏に白羽の矢が立った。ただ、その結末には功罪が入り混じり、国民も期待と不安に揺れている』、なるほど。
・『開催の可否は聖火リレー開始までに  五輪憲章による「政治からの中立」とはかけ離れ、戦前・戦後の五輪史に絡み続けてきたのが政治だ。今回、「火中の栗」を拾わされた橋本氏がにじませた苦悩は、政治介入をめぐって建前と本音の交錯する五輪の実相も浮き彫りにしている。 2月18日に橋本新会長の就任が決まったことを受け、菅義偉首相は後任の五輪担当相に、女性で同相経験者の丸川珠代参院議員の再登板を決めた。これにより、森発言に端を発した五輪ホスト国の混乱は幕引きとなり、東京五輪開催実現に向けて心機一転での再出発となる。 しかし、新型コロナで1年延期された東京五輪まで、残りわずか5カ月余。国内でも中止・再延期論が圧倒的多数となる中、福島を起点とした聖火リレー開始前の3月下旬までに、国際オリンピック委員会(IOC)との協議で開催の可否や観客の有無などを決めなければならない。 政府や組織委はこれまで、困難な交渉を森前会長にすべて委ねてきた。今後も森氏の水面下での協力は不可欠なうえ、橋本新会長は森氏を父とも慕っている。森氏の影響力は残るとみられるが、表舞台から去った森氏による「院政批判」も免れない。 会長就任にあたり、橋本氏は「身の引き締まる思い。全力で東京大会の成功に向けて邁進する」と表明。丸川五輪相も就任会見で「主催都市あっての五輪。小池百合子都知事との連携は非常に重要だ」と述べ、女性トリオによる緊密な連携をアピールした。 IOCと組織委などの最終的な事務協議は進行中で、2月22日の週にもバッハ会長と小池、橋本、丸川3氏による4者協議が開催されるとみられる』、なるほど。
・『退任後も続く森氏の「院政」  国際的にも注目される4者協議の日本側代表がそろって女性となったことで、政府与党内には「日本の女性差別イメージが払拭される」との期待も広がる。その一方、組織委やJOC幹部が森前会長の手腕と業績を称えたことで、「今後も森さんの院政が続く」(自民幹部)との見方が支配的だ。 橋本氏は森氏の存在について、「森先生は政治の師匠で特別の存在」と強調。週明けにも引き継ぎを受ける考えを示した。安倍晋三前首相に近く、「安倍チルドレン」と呼ばれる丸川氏も、森氏が事実上のオーナーとされる細田派のメンバーだ。このため、「表紙を変えても中身は変わらない」とする批判は今後も付きまとう。 今回の大混乱の原因は、森氏の女性蔑視発言を、組織委と菅首相らが謝罪と撤回で乗り切れると読み、IOCの決着表明で一件落着するとみたことにある。 菅首相は、大先輩である森氏の首に鈴をつける度胸に欠け、森氏が謝罪会見で火に油を注いだ時も、橋本氏を通じて間接的に「あってはならない発言」などと伝えただけ。その結果、森氏は川淵氏後継に動き、川淵氏の就任宣言と森氏の相談役就任に踏み込んだことで、菅首相の政治介入で就任辞退に追い込まれた。 橋本氏は1964年の東京五輪開幕(10月10日)の5日前に北海道で生まれ、父親が聖火にちなんで聖子と名付けたのは有名な話だ。 スピードスケートと自転車で夏冬計7回の五輪出場を果たし、「五輪の申し子」と呼ばれる。現役選手時代の1995年に、当時自民党幹事長だった森氏の後押しで参院議員に初当選。JOC副会長など五輪関係団体幹部を歴任した後、2019年9月に五輪担当相として初入閣。2020年9月発足の菅内閣でも再任した』、今回の騒ぎは、「菅首相は、大先輩である森氏の首に鈴をつける度胸に欠け、森氏が謝罪会見で火に油を注いだ時も、橋本氏を通じて間接的に「あってはならない発言」などと伝えただけ」、結局 「菅首相」の手綱さばきの悪さが事態をこじらせたようだ。
・『7年前のセクハラ疑惑には淡々と  18日に行われた就任記者会見の冒頭、橋本氏は緊張した表情で、メモを見ながら決意と抱負を述べた。その後の質疑では、「五輪担当相を全うしたい気持ちが強く、直前まで(会長就任の打診を受けるか)非常に悩んだ」と明かした。 7年前の「セクハラ疑惑」について問われると、「私自身の軽率な行動について、7年前も今も深く反省している。厳しい声を受け止め、自ら身を正して(組織委会長としての)責務を果たしたい」と淡々とした口調で語った。 会長就任に伴う自民党離党や議員辞職の可能性については、「これまでスポーツは超党派で対応してきた」と、踏み込んだ発言は避けた。ただ、「(政治介入との)疑念は持たれないようにしたい」と状況次第で離党する意向もにじませた。 政府与党内では「橋本氏にとって、セクハラ疑惑より離党や議員辞職の方が深刻な問題」(自民幹部)との見方が多い。というのも、比例代表選出の橋本氏は公選法上、離党すれば議員辞職問題に直面するからだ。 議員辞職した場合、組織委会長として現在の多額な議員歳費に見合う報酬を受け取ることは難しい。森氏は無報酬をアピールしており、組織委も対応に苦慮しそうだ。 与党内には「辞職しても次の参院選で復活すればいい」(自民選対)との声も出るが、「身分保障に不安があれば職務遂行の支障になりかねない」(閣僚経験者)との不安もぬぐえない。) そうしたことも踏まえ、橋本氏はいったんは自民党を離党しない考えを示した。しかし、野党側が反発。小池都知事も19日の会見で「(離党など)分かりやすい形がインターナショナル(国際的)」と発言したことで、橋本氏も同日に自民党執行部に離党届を提出した。 橋本氏の会長就任について安倍前首相は18日、「火中の栗を拾っていただくことになったが、バッハ会長をはじめIOCとの信頼もある」と、その手腕への期待を示した。だが、野党は、橋本氏が議員と会長を兼務した場合、「政治的中立性の観点から疑問がある」(立憲民主幹部)と指摘している』、「離党」しても「議員辞職」しなくて済む便法でもあったのだろうか。
・『橋本氏の現職議員兼任を問題視も  そうした中、橋本氏と太いパイプを持つIOCのバッハ会長は「(橋本氏の会長就任は)最適な人選だ。IOCとオリンピックの改革のテーマの1つであるジェンダーの平等に重要なシグナルを送るものだ」などと高く評価する声明を出した。 IOCのマリソル・カサード委員も「政治家であり、五輪選手でもあるという、ほかに代わりはいない人」と歓迎してみせた。しかし、「IOCは各国組織委への政治的関与には極めて敏感」(関係者)とされ、今後のIOC内部の協議で、橋本氏が現職政治家であることについて疑問の声が出る可能性がある。 菅首相は18日、橋本氏の会長就任について、「国民の皆さんや世界から歓迎される安全安心の大会に向けて全力を尽くしていただきたい」と五輪成功へ強い期待を表明。丸川氏起用に関しても、「女性として若い発想で安全安心の大会をぜひ実現してほしい」と語った。 国内では橋本氏に期待する声が多く、森氏の院政や会長としての指導力などへの不安・疑問の声は少ない。テレビ各局の街頭インタビューでも、「女性で若い」ことを評価、歓迎する声が相次いだ。 ただ、女性蔑視発言をした森氏に絡め、国際社会での日本のジェンダー意識への批判や疑問はなお根強い。ジェンダーギャップ指数で153カ国中121位と、G7最下位に甘んじるのが日本の実態だ。 コロナ禍の収束がなお見通せない中、五輪開催への国民の機運を高められなければ、「最悪の場合、敗戦処理を強いられるのが会長職」(自民長老)。悲願である東京五輪開催と日本の汚名返上という「国家的重荷」を背負わされた橋本氏の前途は、「文字通りいばらの道」(有力閣僚)になりそうだ』、やはり「五輪」「中止」の「敗戦処理」をさせられるのだろうか。
タグ:東洋経済オンライン 東京オリンピック ダイヤモンド・オンライン 窪田順生 (五輪) AERAdot (その13)五輪組織委トップ交代問題(「森喜朗会長辞任」を叫ぶだけでは何も変わらない 長老支配を一掃する根本議論とは、菅首相“推し”も処遇 文春砲で最後まで渋った橋本聖子”新会長”「議員辞職はしなくていい」と説得、女性蔑視発言、「橋本新会長で決着」の光と影 セクハラ疑惑より深刻な橋本新会長のある悩み) 「「森喜朗会長辞任」を叫ぶだけでは何も変わらない、長老支配を一掃する根本議論とは」 森喜朗会長が晒される批判の嵐 辞職したら何が変わるのか 「老老擁護」とは言い得て妙だ。「「森喜朗会長辞任」を叫ぶだけでは何も変わらない」、その通りだ。 新たな長老を担ぎ出そうとする「政治ムラ」の恩恵に浴する人々 この記事は後任に橋本氏が決まる前だが、橋本氏は「森氏」の「傀儡」ともいわれるだけに、全体の論旨には影響しないと思われる 高齢者の「政治免許返納」を真剣に検討すべきでは 「高齢政治家が長期間権力を握り続けても、国民にとっては「害」の方が大きいからだ」、その通りだ。「高齢者の「政治免許返納」」はなかなか面白いアイデアだ 高齢者の自由は運転免許返納によりすでに制限され始めている 実は戦前からあった政界における「老害」問題 「歳をとるとなかなか自分の非を認めて真摯に謝罪をすることが難しい」、その通りだ。 悪いのは「老い」ではない 長老支配というシステムである 我々が憎むべきは「老い」ではなく、高齢政治家をズルズルと権力の座に居座り続けさせ、「裸の王様」にして、終いには「暴走」までさせてしまう、「長老支配」というシステムである。この醜悪な現実を、今こそ国民全員で直視すべきではないか』、私も立派な高齢者だが、全く同感である 「菅首相“推し”も処遇、文春砲で最後まで渋った橋本聖子”新会長”「議員辞職はしなくていい」と説得〈週刊朝日〉」 昨日の日経新聞によれば、「橋本氏」は「自民党」を離党するが、「議員辞職はせず」となったようだ 「今回の後継選びでプラスとなったのが、候補者検討委員会を非公開にしていたことだ。選考過程がオープンになっていないため、菅首相の意向を反映しやすく、最終的には橋本氏という流れとなった」、これでは密室政治との批判も当然だ 「女性蔑視発言、「橋本新会長で決着」の光と影 セクハラ疑惑より深刻な橋本新会長のある悩み」 開催の可否は聖火リレー開始までに 退任後も続く森氏の「院政」 今回の騒ぎは、「菅首相は、大先輩である森氏の首に鈴をつける度胸に欠け、森氏が謝罪会見で火に油を注いだ時も、橋本氏を通じて間接的に「あってはならない発言」などと伝えただけ」、結局 「菅首相」の手綱さばきの悪さが事態をこじらせたようだ 7年前のセクハラ疑惑には淡々と 「離党」しても「議員辞職」しなくて済む便法でもあったのだろうか 橋本氏の現職議員兼任を問題視も やはり「五輪」「中止」の「敗戦処理」をさせられるのだろうか
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司法の歪み(その15)(広島地検の若手検事はなぜ自ら命を絶ったのか 過去2年で4人が自殺、問われる検察組織の実態、【スクープ】第二の村木事件 元検察事務官が訴える検察の「証拠」改ざん〈週刊朝日〉、1年で20件以上も訴えられる編集長が証言台から見た「裁判官たちの素顔」) [社会]

司法の歪みについては、昨年7月1日に取上げた。今日は、(その15)(広島地検の若手検事はなぜ自ら命を絶ったのか 過去2年で4人が自殺、問われる検察組織の実態、【スクープ】第二の村木事件 元検察事務官が訴える検察の「証拠」改ざん〈週刊朝日〉、1年で20件以上も訴えられる編集長が証言台から見た「裁判官たちの素顔」)である。

先ずは、本年1月6日付け東洋経済オンラインが掲載したジャーナリストの竹中 明洋氏による「広島地検の若手検事はなぜ自ら命を絶ったのか 過去2年で4人が自殺、問われる検察組織の実態」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/401223
・『2019年12月10日。広島地検で29歳の若手検事が自ら命を絶った。「河井案里氏陣営疑惑で、同地検が捜査着手」と報じられる約20日前のことだ。 この若手検事は検事に任官された後、東京地検で新任検事としての勤務を終え、広島地検に配属された「新任明け」の検事だった。当時、公判部に所属していて、河井事件には直接関わっていない』、「29歳」で「自殺」とは悲惨だ。
・『「司法修習生以下」と叱責  関係者によると、検事はその日、担当する事件の公判が午後に予定されていたが、出勤時間になっても地検に姿を見せなかった。不審に思った事務官が自宅に向かうと、すでにぐったりした状態で亡くなっていた。状況から自殺は明らかだったという。部屋には、「検察官にあるまじき行為をして申し訳ありません」とのメモも残されていた。 若手検事はなぜ、自ら命を絶ったのか。親しい友人とのLINEのやりとりの中に、それを示唆するメッセージが残されていた。 「久し振りに決裁で、(上司である次席検事から)色々言われたわ。『お前がそもそもこの事件を理解してなくて証拠構造整理できてねーじゃねーか。お前は今までどういうつもりで公判検事やってきてんだ』とか。机バンバンみたいな感じになったわ。『話にならない。』と」(2019年12月2日) この日、若手検事の様子を間近に見ていた同僚がいる。同じ公判部で机を並べていた橋詰悠佑氏だ。同氏は2020年7月に検事を退官し、現在は都内で弁護士として活動している。 「苦労して書き上げ、部長もOKを出した論告(検察官の意見陳述)を(広島地検のナンバー2である)次席検事に決裁を求めに行ったところ、激しい叱責を受けたそうです。彼は自席に戻るなり、司法修習生以下と言われたと、悔しそうに言っていました」 厳しい司法試験をパスし、誇りを持って仕事に臨んでいた若手検事。直属の上司である公判部長の決裁は通ったはずなのに、その上の次席検事から厳しい叱責を受けたことに、強いわだかまりと無力感を覚えたのだろうか。友人に送ったメッセージでは、心の内をこう吐露している。 「P(検事)なったの間違ったかな。ダメだ」(2019年12月4日) 「泣きすぎだな。」(同6日) 「明日からに、怖さを感じている俺は、もはや末期なんだろうか」(同8日)』、「直属の上司である公判部長の決裁は通ったはずなのに、その上の次席検事から厳しい叱責を受けた」、「次席検事」はよほど偏屈な人物のようだ。
・『調査結果に職員から不満の声  広島地検は若手検事の死を受けて内部調査に乗り出し、総務部長がヒアリングを始めた。しかし、身内による調査に疑問の声が上がったため、代わって上級庁にあたる広島高検が、公判部をはじめとして関係職員へヒアリングなどを行った。 自殺した広島地検の若手検事のLINEには、生々しいやりとりが残されていた(遺族提供、プライバシー保護のため一部をモザイク処理しています) 地検の職員らにその結果が伝えられたのは、2020年3月のことだった。地検の総務部長らが現場職員に口頭で「原因はよくわからない。体調不良を訴えていたので、それが原因かもしれない」と説明した。 橋詰氏によれば、この説明に対し、「誰がこんな結果に納得するのか」と不満の声を上げる地検の職員が少なくなかったという。 公判部に所属する検事は、刑事部で起訴された事件を引き継ぎ、被告が犯した罪に相応する判決を得るために裁判に立ち会い、事件の立証をするのが仕事だ。裁判所に起訴事実を認めてもらうため、十分な論理構成を整えた書類を作成しなくてはならない。とりわけ被告側が争う姿勢を見せた場合は、それを覆すだけの準備が必要で、業務量もおのずから増えていく。橋詰氏が言う。 「亡くなった検事は作業に手のかかる事案を数多く担当していました。勤務時間は公判部でも相当多かったはずです。それでも当時の公判部長は、『何とかしてね』という趣旨を言うだけで、業務を割り振るなどの配慮はありませんでした。私も、彼の様子がおかしかったことをもっと深刻に受け止めるべきでした」 元検察官で、広島地検の特別刑事部長、長崎地検の次席検事なども務めた郷原信郎弁護士が指摘する。 「広島地検くらいの規模で、公判部長がいったん決裁したものに次席が直接叱責を加えるというのは、私が長崎で次席をやっていた経験からすると、ありえないことです。まして亡くなった検事は新任明けの若手です。思うような仕事ができていないと感じたら、上司は叱責するより、サポートするべきではないか」』、「広島高検」が調査したとはいえ、結果は初めから決まり切っていたような紋切り型だ。「郷原信郎」氏のコメントは同感である。
・『勤務時間は「手書き」で申告  検察官は、1人ひとりの検事が検察権を行使できる「独任制官庁」であるとされている。郷原氏によると、そのため、検事は任官とともに管理職相当となり、勤務時間を自己管理することが求められる。とくに2009年に裁判員制度が始まってからは、裁判の期間中、連日証人尋問が続き、公判部の検事の負担も大きくなりがちだという。 一方、広島地検では勤務時間を手書きで申告していたため、「過小申告はざらで、深夜まで仕事をしたり、休日に職場に出たりしても正確に(勤務時間を)申告できる人は少なかったのではないか」(橋詰氏)という ビジネスパーソンらの自殺問題に取り組む神田東クリニックの公認心理師、佐倉健史氏はこう話す。 「上意下達と言われる職場では、若い人は自分の仕事のペースがつかめない。結局、睡眠時間を削ることになり、メンタルへの影響も大きくなります。最高裁の判例(2000年の電通事件判決)では、予見可能性があったのに、社員が自殺する危機回避努力を怠ったとして、会社の安全配慮義務違反が認められています。パワハラは論外ですが、判例に照らしても、本人の変化に上司は気づくべきです。検察のように、外からの目が入りにくく、中からも声を上げにくい職場では、幹部の評価制度に踏み込んでいかないと、職場文化は変わらないかもしれません」 実は検事の自殺は、今回ばかりではない。検察官の数は全国で2000人に満たないが、橋詰氏が調べたところ、2018年~2019年の2年間だけでも4人の検事が自ら命を絶ち、過去10年間にさかのぼればその数はさらに増える。 例えば、2012年4月に大阪地検堺支部、2018年1月には徳島地検、同年10月には福岡地検小倉支部で若い検事が自殺しており、2019年1月には高知地検中村支部で支部長を務める検事が自殺している。橋詰氏によれば、その中には異動希望を無視されたうえ、上司に意見すると、「検察官を辞めてしまえ」という趣旨の発言を受けた検事もいるという。 警察庁の統計によると、近年、勤務上の問題を理由とした自殺は減少傾向にある。2011年に全国で2689人にのぼったその数は、2019年には1949人にまで減っている。パワハラの問題が厳しく問い直され、各企業で労務管理の見直しが進んだ結果とされる。 佐倉氏は、「検察内部で複数の自殺者が出ている中で、それを組織としていかに受け止め、いかに改善しようとするのかを組織内外に示し、実行して検証していく姿勢が問われる」と指摘する』、「最高裁の判例(2000年の電通事件判決)では、予見可能性があったのに、社員が自殺する危機回避努力を怠ったとして、会社の安全配慮義務違反が認められています」、にも拘わらず、検察内ではこうした考え方とは無縁のようだ。「2018年~2019年の2年間だけでも4人の検事が自ら命を絶ち」、司法試験を優秀な成績で通った若手検事が、自殺に追い込まれているのは国家的損失である。
・『遺族は公務災害の申し立てへ  亡くなった若手検事の父親が取材に応じ、こう話す。 「息子が職場で使用していたパソコンや遺品の確認は私たちが立ち会うこともなく行われ、息子の同僚に当時の状況について話を聞きたいと申し出ましたが、認められませんでした。検察による調査にあたってLINEのやりとりを提出し、『叱責をする前に決裁した直属の上司を交えて議論すべきだったのではないか』と文書で指摘しましたが、広島高検の総務部長からは『自ら命を絶った原因はよくわからない』との説明を口頭で受けただけでした」 こうした対応に納得できない思いを持つ父親は、近く一般企業の労災にあたる「公務災害」の認定を求めて広島地検に申し立てを行う予定だという。 「上司から必要な指導を受けることは当然あると思いますが、息子は上司にいい加減な態度で臨む人間では決してありません。いったい何があったのか、事実をはっきりさせたい。検察にもしっかりとした対応を取ってもらいたいと考えています」(父親) 今回の件について、亡くなった検事の勤務実態がどうなっていたのか、パワハラはなかったのかなどについて広島地検に取材を申し入れたが、同地検の広報官は質問状の受け取りすら拒否し、「当庁からは一切、お答えいたしかねます」とするのみだった。 一方、法務省刑事局は取材に対して、「個人のプライバシーに関わる事例であり、お答えは差し控えさせていただいております。(労務管理については)各検察庁において、法令等に基づいて適切に行っているものと承知しています」と回答した』、「「公務災害」の認定を求めて広島地検に申し立てを行う予定」、「地検」は立場上もこれを否定するだろうが、その場合、どこが判断するのだろう。

次に、1月8日付けAERAdot「【スクープ】第二の村木事件 元検察事務官が訴える検察の「証拠」改ざん〈週刊朝日〉」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/wa/2021010600066.html?page=1
・『「桜を見る会」疑惑で安倍前首相を不起訴にして批判された検察庁。その検察で違法捜査や証拠改ざん疑惑が浮上している。元検察事務官が訴える「第二の村木厚子(元厚生労働事務次官)事件」とは? 検察の不正義を暴く。 「長く仕えた検察がここまでひどいとは、思いもしませんでした」怒りに口元を震わすのは、元神戸地検の検察事務官、Aさん(58)。 Aさんは2012年3月、検察事務官を務めていた神戸地検を分限免職処分となった。わかりやすくいえば「クビ」だ。 Aさんはそれまで11回も検察庁から表彰を受けていた優秀な事務官だった。なぜ、こんな仕打ちを受けたのか? 「検察が法を無視して一般の検察事務官である私に違法なことをさせていたのです。それが分限免職処分の引き金になった。その後、検察は証拠改ざんまでして裁判に出してきました」 09年4月だった。神戸地検の刑事部に配属されたAさんは、当時の刑事部長から呼ばれて、「これから一任事件をやってもらいます」と声をかけられたという。一任事件とは何か? 検察事務官も検事、副検事と同様に、被疑者や参考人などの取り調べ、供述調書の作成などが可能だ。その場合、検察庁法などで定められた検察官事務取扱検察事務官(以下、検取)という資格を得て、検事や副検事の指導・監督のもとに捜査に加わることとなる。 だが、Aさんの場合は異なっていた。 「いきなり、副検事から警察で捜査した記録などを渡されて『これをやってください』と命じられました。本来、検事、副検事がやらねばならないものを、検取でもない検察事務官が、最後まで一任されたというものでした」 つまり、警察から検察庁に送致された事件の捜査、取り調べ、起訴か不起訴かの判断まで、すべて検察事務官が担当して判断しろと指示されたという。 Aさんが見せてくれた検察事務官当時のロッカーは大量の刑事記録の書類であふれていた。 10年1月の兵庫県警からの<送致書>には、手書きで<部長決裁まで任>と記されていた。同年2月にAさんが作成したのは、事件を捜査・検討して不起訴とした<不起訴裁定書>。そこには<主任検察官>としてAさんの印鑑が押印されている』、「本来、検事、副検事がやらねばならないものを、検取でもない検察事務官が、最後まで一任されたというもの」、全く不当極まる。
・『仕事量が急増したことと、重責を担わされたことで、Aさんは精神を病み、同年3月には、10日間ほど病気休暇をとった。 「検事や副検事からは、何の指示もサポートもありません。起訴か不起訴かを決する、本来、検察事務官に与えられていない責務を求められたことで精神状態もおかしくなってしまった。何度も一任事件をやめさせてほしいと訴えたが、無視された。それをきっかけに上司と対立、言い争うようになった」(Aさん) そして上司との対立からAさんの勤務評定は5段階の最低「E」まで落とされた。さらに職場対立で大声を出し、秩序を乱したという理由で、神戸地検はAさんを分限免職処分に踏み切った。 Aさんはこれを不服として12年5月、人事院に分限免職処分の取り消し審査請求を起こした。Aさんが神戸地検在籍時に刑事部長だった田辺信好弁護士(元岡山地検検事正)は、13年5月に人事院で証人となったときにこう証言している。 「(神戸地検が主張する)一般の検察事務官に包括的に事件処理をということは、権限を認めること。丸投げです。私の在籍時はなかったが、検察庁によっては忙しいというところは、違法だがルーズになっていたのが実態ではないか。主任検察官のところにAさんの印鑑があるというのは、ありえない」 地方の検察庁で部長経験もある、元東京地検特捜部の郷原信郎弁護士もこう指摘する。 ある地検の交通部にいたとき、誰がやっても結論は同じという事案はある程度、検察事務官に任せました。もちろん、最後は私自身が報告を受け、処理内容をチェックしていました。今回のような検察事務官への一任は、ありえないことだ」 しかし、神戸地検は「一任事件」についてはAさんの検取の適格を見極めるために指導の一環でやらせていたなどと主張。人事院はAさんの訴えを却下して、分限免職処分を認めた。 そこで同年6月にAさんは民事訴訟を提訴。処分の取り消しを求めて現在、裁判中だ。 その裁判で神戸地検が請求した証拠に重大な問題があることがわかった。人事院での審査の際、前出の刑事部長ら神戸地検の5人が証言した。16年3月、神戸地検はその「反訳書」(録音文字起こし)を裁判で証拠請求した』、「郷原信郎弁護士もこう指摘する。 ある地検の交通部にいたとき、誰がやっても結論は同じという事案はある程度、検察事務官に任せました。もちろん、最後は私自身が報告を受け、処理内容をチェックしていました。今回のような検察事務官への一任は、ありえないことだ」、「Aさんは民事訴訟を提訴。処分の取り消しを求めて現在、裁判中だ」、なるほど。
・『「反訳書を見ていると明らかに内容が違っていることに気づいた。そこで反訳書と審査の録音を突き合わせたところ、4人の証言内容がおかしいことがわかった。多くの箇所で言葉を削除したり、話していない言葉が付け加えられたりしていた。検察が証拠を改ざんするなんて、信じられませんでした」(Aさん) 改めて本誌でも、入手した人事院での審査時の証言の録音と「反訳書」を照らし合わせてみた。Aさんの弁護士が「一任事件」の違法性について質問している回答が削除されていた。また、聞いていない架空の「質問」が記されていたり、検察の主張に正当性を与える意味合いの文言が加筆されていた。 Aさん側は裁判で神戸地検の「反訳書」について“改ざん”を主張し、録音に沿った書き起こし文書を裁判所に提出した。すると、神戸地検は1年以上も経過した17年7月に「要約書」として訂正してきたという。 検察の証拠の改ざんで記憶に新しいのは、無罪判決を受けた元厚労事務次官の村木厚子氏の事件だ。その捜査の際、大阪地検特捜部によって、証拠品のフロッピーディスクのデータが改ざんされていることがわかり、検察の信頼は地に堕ちた。特捜部長ら3人が逮捕され、有罪となった。 Aさんの弁護人はこう憤慨する。 「Aさんから反訳書の問題を指摘され、腰を抜かすほど驚きました。まさに証拠を“改ざん”して裁判に出してきた。中身はミスとは言い難いもので、A4サイズ1枚分ほども証言を削除している部分もあった。意図的に思えました」 検察裏金問題を告発した、元大阪高検公安部長の三井環氏もかつて神戸地検に在籍した。 「検取でない検察事務官に、一任事件として起訴か不起訴かまでやらせるなんて、神戸地検でも他の検察庁でも聞いたことがない。事実なら違法です。人事院証言の反訳を都合よく書き換えて裁判に出したのは、検察の証拠“改ざん”。村木事件と構造は同じではないのか。虚偽公文書作成罪に該当する」(三井氏) 神戸地検にAさんの件について質問状を送ったが、こう回答があった。 「裁判継続中ですので、回答は差し控えさせていただきます」 裁判の行方が注目される。(今西憲之)』、「民事訴訟」の方は、「神戸地検の「反訳書」について“改ざん”」があったのであれば、問題なく勝訴するだろうが、「神戸地検」の違法性について、検察審査会にかけるべきだろう。

第三に、2月17日付け東洋経済オンラインが掲載した元週刊文春・月刊文芸春秋編集長の木俣正剛氏による「1年で20件以上も訴えられる編集長が証言台から見た「裁判官たちの素顔」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/262991
・『文芸春秋に入社して2018年に退社するまで40年間。『週刊文春』『文芸春秋』編集長を務め、週刊誌報道の一線に身を置いてきた筆者が語る「あの事件の舞台裏」。今では週刊誌が訴えられるのは珍しくはありませんが、私が初めて証言台に立った頃は名誉棄損で訴えられることは少なかった時代です。証言台から見た裁判官たちについて語ります』、「証言台から見た裁判官たち」とは興味深そうだ。
・『コクリコクリと居眠りする裁判官たち  裁判官というと、みなさん、とても温厚で公正で、紳士的な人物像を想像していると思います。また、権力欲などとはほど遠い聖人君子が「判決を下す」という風に考えがちでしょう。そういう裁判官も大勢います。しかし、私が法廷で見た裁判官の姿は少し違いました。 もちろん、私は週刊誌の編集長。人の不幸をネタにして儲けるろくでもない人種であり、ある時期など1年で20件以上の訴訟を抱えるなど、普通の人からは考えられない経歴を持っていたので、裁判官も違う目で私を見たのかもしれません。 初めて法廷で証言台にたったのは「被告人」としてでした。ある百貨店が主催する古美術品の展覧会に出品されていた茶道具が「贋作だ」という記事を書き、百貨店側に訴えられたのです。 私は30歳前半。まだ週刊誌をめぐる名誉毀損裁判も少なかったころの話です。 型通りに宣誓して、証言台に立ちました。びっくりしたのは、証言を始めると、3人いる裁判官のうち1人が明らかに寝ていたことです。コクリコクリと。もう1人も、ほとんど目をつぶっていて、寝ているようにしか見えません。) 「正しい記事を書いているのに、なぜ訴えるのか」と、まだ若い私は証言しました。訴える人間の会社内での立場や、こんなどうでもいい裁判に立ち会わされる裁判官の気持ちなど想像する余裕もなく、居眠りしている裁判官のことを顧問弁護士にグチりました。 弁護士いわく「そのために、速記をとっているんですから(笑い)」「あんまりカリカリしないで、裁判官の心証が大事です」「木俣さんは、アタマにくると早口になります。反対尋問(原告側、つまり百貨店側の弁護士から私に質問する時間)のときは、ゆっくりしゃべってください。時間は決まっていますから、ゆっくりしゃべれば、それだけ相手がイヤな質問を投げる時間が減ります」などなどを教えられました。しかし、やはり早口になってしまったらしく、顧問弁護士に後ろから、「ゆっくり、ゆっくり」といわれたことを思い出します。 この裁判、実は「贋作だ」と週刊文春に証言した古美術の専門家が、百貨店側の証人として出廷し、「本物だ」と証言する予想外の展開になりました』、嘘みたいな話だ。
・『記事のニュースソースが原告側の証人としてまさかの出廷  驚いたのは、裁判官たちが「専門家」という人たちが出廷したとたん、ものすごく信頼したことでした。「専門家」が出廷してから、明らかに法廷の空気が変わりました。専門家は文春にウソを言ったのか、法廷でウソをいっているのか――。彼がニュースソースとは明かせない文春側弁護人は、なんとか裁判官にそのことをわからせようと、いろいろな質問を浴びせます。 彼の週刊文春での証言を読み上げ、「この証言は、あなたもどこかで話したことがありませんか? 」と聞くと、「知らない」としらを切る専門家に、今度は「この発言をした人はこの法廷のどこかにいるはずなのですが、わかりませんか」と裁判官にも匂わせますが、裁判官はまったく気づきません。 結果的には、裁判には勝訴しました。ギリギリまで「専門家」に言いたい放題証言させて、贋作記事がウソだと言わせた後、文春の取材時に取材班が隠して録音していたテープを出したのです。本来隠し撮りテープは違法であり(当時はそれほど厳しくなかったのですが)法廷の証拠にはなりにくいのですが、本人が法廷でまったく違う証言をするなら話は別です。 「裁判官の驚いた顔、そして、騙されたと知って怒り狂っていた顔を木俣さんに見せたかった」と、顧問弁護士たちが教えてくれました』、この決定的場面に「木俣」氏は出席せず、「弁護士」任せにしていたので、伝聞情報になったようだ。
・『女性弁護士だから勝てた? 勘ぐりたくなるような裁判も  裁判も人間がやるものです。好き嫌いや心証が大事なんだなあ、と段々わかり始めたころ、ある人に出会いました。若い女性弁護士さんです。 「木俣さんが法廷で証言するのを司法修習生(司法試験に合格し、検事、弁護士、裁判官になる前に受ける研修)として、法廷の裁判官席の横で聞いていたことがあります。あのとき、木俣さんの顧問弁護士は女性弁護士でしたよね。すごく裁判官に人気があって、法廷の後、みんなべた褒めしているので、絶対、文春が勝つと思っていました」 女性だから勝てたのではなく、女性弁護士の弁護術がよかったのだと思います。しかし、そんな風に勘繰りたくなるほど、最初から判決が決まっているような雰囲気の裁判があるのは事実です。 百貨店相手の牧歌的裁判の時代は終わり、「悪徳週刊誌に厳罰を」という風潮の裁判が増える時代になりました。ある裁判では、一審で敗訴して控訴したところ、編集長の給料が裁判所から差し押さえられたことがあります。 確かに、マルチ商法の会社などで騙された消費者が訴えて勝訴しても、会社側は控訴したまま逃げ散って、賠償金が支払われないケースがあります。この例に倣っての「差し押さえ」ですが、現実に週刊誌の敗訴では(大体、会社と編集長が被告人です)、賠償金は全額会社が支払います。一応、文春はマルチなどとは違う会社のはずですが、原告がよほど文春のことを嫌いだったか、あるいは裁判官が嫌いだったのか――。 差し押さえ命令が下され、その編集長は生活にとって必要最低限の二十数万円を除いた給料を差し押さえられて、賠償金として積み立てすることになってしまいました(以降、控訴するときは、すぐに賠償金を供託金として納め、そんなことが起こらないようになっています)』、「差し押さえ命令が下され、その編集長は生活にとって必要最低限の二十数万円を除いた給料を差し押さえられて、賠償金として積み立てすることになってしまいました」、その当時は、訟をためらわせる要因になり得たようだ。
・『週刊誌編集長にとって3月の恒例? 東京地検からの「怖い電話」  給料を差し押さえされるのもイヤですが、先方は自宅を調べて、段々自宅あてに訴状が届くようになりました。これもなんだか犯罪者になったようで、気持ちのいいものではありません。 そして3月になると、週刊誌編集長には恒例となる1本の電話がある役所からきます。のんびり出社すると、机の上にメモが。「東京地検からお電話で、○○○までお電話ください」というものです。 エエッ!天下の東京地検です。ビクビクしながら電話をすると、検事さんが名前を名乗り、「人事異動の時期がきたので、あなた相手に提起された刑事訴訟の事務的処理をしなければなりません。そのため、あなたの戸籍上の正式な住所と生年月日を教えてください」という調査が始まります。親切な検事さんだと、誰から訴えられていたかも教えてくれました。 民事訴訟は公開されていますが、刑事は当然ながら秘密裏に捜査が行われるので、まったく事前にはわかりません。しかし、これも牧歌的な時代の話。すぐに「その程度では甘い」という指摘を受け、検察審査会にもう一度訴えがいくため、弁護士さんに話をして調書として検察に提出したり、編集長が直接検事に取り調べを受け調書をまかれたりする、という事態にもなりました。 週刊誌編集長はなかなかストレスがたまる仕事です。しかし、一番感謝すべきは文春の顧問弁護士の方々。本当に何度も助けていただきました』、確かに「文春砲」のように取材先が否定するような秘密などをスクープしたりする雑誌の「編集長」は、裁判になることを覚悟の上で、真剣勝負しているので、読者も興味をそそられるのだろう。
タグ:東洋経済オンライン AERAdot 司法の歪み 木俣正剛 (その15)(広島地検の若手検事はなぜ自ら命を絶ったのか 過去2年で4人が自殺、問われる検察組織の実態、【スクープ】第二の村木事件 元検察事務官が訴える検察の「証拠」改ざん〈週刊朝日〉、1年で20件以上も訴えられる編集長が証言台から見た「裁判官たちの素顔」) 竹中 明洋 「広島地検の若手検事はなぜ自ら命を絶ったのか 過去2年で4人が自殺、問われる検察組織の実態」 広島地検で29歳の若手検事が自ら命を絶った 広島地検に配属された「新任明け」の検事 「司法修習生以下」と叱責 「直属の上司である公判部長の決裁は通ったはずなのに、その上の次席検事から厳しい叱責を受けた」、「次席検事」はよほど偏屈な人物のようだ。 調査結果に職員から不満の声 「広島高検」が調査したとはいえ、結果は初めから決まり切っていたような紋切り型だ。「郷原信郎」氏のコメントは同感である 勤務時間は「手書き」で申告 「最高裁の判例(2000年の電通事件判決)では、予見可能性があったのに、社員が自殺する危機回避努力を怠ったとして、会社の安全配慮義務違反が認められています」、にも拘わらず、検察内ではこうした考え方とは無縁のようだ 「2018年~2019年の2年間だけでも4人の検事が自ら命を絶ち」、司法試験を優秀な成績で通った若手検事が、自殺に追い込まれているのは国家的損失である 遺族は公務災害の申し立てへ 「「公務災害」の認定を求めて広島地検に申し立てを行う予定」、「地検」は立場上もこれを否定するだろうが、その場合、どこが判断するのだろう 「【スクープ】第二の村木事件 元検察事務官が訴える検察の「証拠」改ざん〈週刊朝日〉」 「郷原信郎弁護士もこう指摘する。 ある地検の交通部にいたとき、誰がやっても結論は同じという事案はある程度、検察事務官に任せました。もちろん、最後は私自身が報告を受け、処理内容をチェックしていました。今回のような検察事務官への一任は、ありえないことだ」 「Aさんは民事訴訟を提訴。処分の取り消しを求めて現在、裁判中だ」 「民事訴訟」の方は、「神戸地検の「反訳書」について“改ざん”」があったのであれば、問題なく勝訴するだろうが、「神戸地検」の違法性について、検察審査会にかけるべきだろう。 「1年で20件以上も訴えられる編集長が証言台から見た「裁判官たちの素顔」」 「証言台から見た裁判官たち」 コクリコクリと居眠りする裁判官たち 記事のニュースソースが原告側の証人としてまさかの出廷 この決定的場面に「木俣」氏は出席せず、「弁護士」任せにしていたので、伝聞情報になったようだ 女性弁護士だから勝てた? 勘ぐりたくなるような裁判も 差し押さえ命令が下され、その編集長は生活にとって必要最低限の二十数万円を除いた給料を差し押さえられて、賠償金として積み立てすることになってしまいました」、その当時は、訟をためらわせる要因になり得たようだ 週刊誌編集長にとって3月の恒例? 東京地検からの「怖い電話」 確かに「文春砲」のように取材先が否定するような秘密などをスクープしたりする雑誌の「編集長」は、裁判になることを覚悟の上で、真剣勝負しているので、読者も興味をそそられるのだろう。
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宗教(その5)(創価学会60余年の「政治秘史」 池田大作氏による“天下取り構想”の実像、創価学会「記念の年・2020年」に露呈した最強教団の構造的危機、実は善人とは限らない「日本の神様」驚きの正体 一神教の世界とは大きく異なる東洋の思想) [社会]

宗教については、昨年9月13日に取上げた。今日は、(その5)(創価学会60余年の「政治秘史」 池田大作氏による“天下取り構想”の実像、創価学会「記念の年・2020年」に露呈した最強教団の構造的危機、実は善人とは限らない「日本の神様」驚きの正体 一神教の世界とは大きく異なる東洋の思想)である。

先ずは、昨年12月23日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したジャーナリストの高橋篤史氏による「創価学会60余年の「政治秘史」、池田大作氏による“天下取り構想”の実像」を紹介しよう。
・『1954年11月、創価学会の第2代会長の戸田城聖氏が「文化部」を設置し政治活動に乗り出してから、はや六十余年がたった。その間、池田大作氏が検挙された“大阪事件”などを経て、今や公明党は政権与党の座に就いている。特集『創価学会 90年目の9大危機』(全16回)の#15では、その知られざる政治史をジャーナリスト、高橋篤史氏が斬る』、「60余年の」歴史で何があったのか、振り返る意味は大きそうだ。
・『1954年に創価学会が政治活動を開始 2年後の56年に参議院議員に当選  第2代会長・戸田城聖の下、創価学会が「文化部」を設置して政治活動に乗り出したのは1954年11月のことである。 当時、学会は「折伏大行進」をスローガンに信者数を急激に伸ばし始めていた。とはいえ、同年末の世帯数はまだ16万世帯。現在の公称世帯数の50分の1にすぎなかった。 翌55年4月、学会は早くも議会に足掛かりを得る。理事長としてナンバー2の座にあった小泉隆が東京都議会議員、財務部長の森田悌二が横浜市議会議員にそれぞれ当選。さらに56年7月には、青年部を率いた辻武寿ら3人が参議院議員に当選し国政への進出を果たした。 当時、学会は日蓮正宗の在家信徒団体の中でも最も急進的な勢力だった。他宗教・他宗派を「邪宗」と決め付け、道場破りまがいの攻撃に明け暮れていた。もともと日蓮正宗の宗祖である鎌倉時代の高僧、日蓮は「立正安国論」で知られるように政治への関与に積極的だった。仏教経典の一つ、法華経を基にした政治こそが国家安寧をもたらすと説いたのである。 そのため学会の政治進出は必然の流れであり、「広宣流布」、つまりは信者を獲得し日蓮正宗の教えを広めるための有力な手段と位置付けられた。目標としたのは「王仏冥合」の実現であり、その象徴となる「国立戒壇」の建立である。 前者は日蓮仏法が世俗の法律(=王法)の基礎となる政治体制の実現であり、後者は総本山、大石寺に安置され信仰の対象となってきた「弘安2年の大御本尊」(文字曼荼羅を板に彫刻したもの)を収める国立施設を造るものだ。 初期の頃、急進勢力である学会の選挙活動はたびたび警察沙汰となった。57年には当時、渉外部長兼参謀室長だった池田大作氏ら数十人が公職選挙法違反で大阪府警に検挙されている(大阪事件)。池田氏が保釈された日に開かれた集会の場で政治活動の意義を問われた戸田はこう明言していた。 「日蓮大聖人様が国立戒壇を作らにゃあならんとこう仰せられた。それを今実行しようとしているだけなんだ。何も政権なんかに関係ないよこっちは」(57年7月21日付「聖教新聞」) 大阪事件では数十人に有罪判決が下った一方、池田氏は無罪となった。このことはその後、同氏のカリスマ性を高めるまたとない逸話に転化していくことになる』、「初期の頃、急進勢力である学会の選挙活動はたびたび警察沙汰となった。57年には当時、渉外部長兼参謀室長だった池田大作氏ら数十人が公職選挙法違反で大阪府警に検挙されている(大阪事件)」、現在の大人しい姿勢からは考えられないような激しさだ。
・『「王仏冥合の大理念」から一転 文言の削除、国立戒壇論の撤回へ  58年4月に戸田が死去すると、学会きっての選挙のプロである池田氏は総務に就任し、組織を事実上取り切る立場となった。そして60年5月、32歳の若さで第3代会長に就任する。政治活動は一段の加速を見せた。61年11月に政治団体「公明政治連盟」を事実上結成、翌62年7月には参議院内に会派「公明会」を立ち上げた。そして64年11月、公明政治連盟を「公明党」として政党に格上げする。 この時点でもなお学会と党は一体だ。党委員長に就いた原島宏治は学会理事長を兼ね、党副委員長の辻と書記長の北条浩(後に第4代会長)は学会副理事長だった。党の綱領が高々と掲げたのは「王仏冥合の大理念」。紛うことなき宗教政党だった。 そんな中、池田氏は重要方針を発表していた。前述した「政権なんかに関係ないよ」との発言に見られる戸田の参議院・地方議会専念論を引っ込め、衆議院進出を宣言したのである。ある種の天下取りに向けた動きだ。 67年1月の総選挙で公明党は25人の当選を果たす。さらに69年12月の総選挙では47人にほぼ倍増、第3党に躍進した。当然、他党の警戒感は増す。そんな中で起きたのが言論出版妨害問題だった。 学会批判本の出版を巡り、学会副会長昇格を控えた秋谷栄之助氏(後に第5代会長)ら幹部が著者や出版社などに圧力をかけたのが事の発端だ。国会では政教一致批判が巻き起こり、世間一般にも広がった。学会の政治活動は大きな転機を迎えることとなる。 70年5月、池田氏は言論問題を謝罪するとともに学会と党の人事・組織分離を約束。党の綱領から王仏冥合の文言を削除、国立戒壇論を撤回した。この後、学会幹部が議員を兼ねることはなくなった。中央官僚や弁護士など世間的に見栄えが良い人物を信者の中から選抜し、緻密な選挙戦術で当選に導く方式が確立されていく。 今日、学会は反戦平和の団体とみなされることが多いが、それは言論問題以降、ソフト路線にかじを切る中、意図的に打ち出したイメージ戦略の側面が強い。会長就任前の59年12月、日米安全保障条約の問題が沸騰する中、池田氏は信者に向けこう発言していた。 「安保改定に賛成するか、反対するか、別に御書(=日蓮が書き残した文献)に書いてないんです(笑い)。……それよりか、もっと本質的に大事なことは、邪宗改定であると叫んでおきたいのであります。(大拍手)」(60年6月4日付聖教新聞)』、「党の綱領から王仏冥合の文言を削除、国立戒壇論を撤回した」のは、「国会では政教一致批判」が背景だったようだ。「反戦平和の団体とみなされることが多いが、それは言論問題以降、ソフト路線にかじを切る中、意図的に打ち出したイメージ戦略の側面が強い」、なるほど。
・『政治活動の目的は組織拡大と防衛のため 「党より学会が上」の不都合な真実  あくまで政治活動の底流にあるのは組織拡大や組織防衛だ。言論問題後の71年1月、外郭企業の社長を集めた「金剛会」の場で池田氏はこう種明かしをしている。 「公害問題とか社会問題を取り上げるのは折伏の為なんだよ」 また、同年7月、池田氏は同じ場でこんな本音を漏らしている。 「公明党と学会との関係は、絶対にこちらが上だ。世間は馬鹿だから、議員が偉いと思っている」 この間の人事・組織分離方針により党内では衆院議員1期生である竹入義勝氏や矢野絢也氏の力が強まり、遠心力が働いた。74年暮れに学会が共産党との間で秘密裏に結んだ協定(創共協定)は、イメージ戦略と党に対するけん制を兼ねた池田氏一流の権力掌握術だったとみることも可能だ。 結局、協定は竹入・矢野両氏らの反発で空文化したが、30年後に突如始まった両氏に対する批判キャンペーンは「党より学会が上」という不都合な真実を如実に物語っている。 池田氏の天下取り構想は93年8月に発足した細川非自民連立政権への公明党の参画で一部実現したわけだが、同年暮れごろから再び政教一致批判が巻き起こる。後に「四月会」と呼ばれることになる動きが亀井静香氏ら自民党の中から起きたのである。 池田氏の国会喚問まで取り沙汰されたこのバッシングに対し、学会側は青年部長だった谷川佳樹氏(現主任副会長)が中心となった緊急集会を開くなど防戦を強いられた。このときのトラウマが自民党との接近を生んだとの見方は少なくない。 94年12月、再び野党となった公明党は解党し新進党に合流。その後、紆余曲折の末、98年11月に再結成される。直後から学会内では「天鼓」なる怪文書がばらまかれ始め、翌年7月まで15回にもわたり浅見茂副会長への批判がなされた。 当時、実力者だった同氏は新進党路線(つまりは非自民路線)を主導していたとされるが、天鼓事件を機に失脚。そして99年10月、公明党は自民党、自由党との連立政権に参画し、今日まで続く自公連立路線が始まることになった。 この間、学会の教学面では大事件があった。90年に勃発した宗門との全面戦争がそれだ。91年11月、学会は宗門から破門され、完全にたもとを分かつ。これにより大石寺への登山など主たる宗教行事はなくなり、池田氏のカリスマ性のみが際立つ学会からは日蓮仏法さえ後退していった。代わりに組織の求心力を維持する最大の仕掛けとなったのが選挙活動だ。 「選挙への関心は高いが、政策への関心は低い」(元学会本部職員)――。今日、一般信者はこう評されることが多い。当初の政治目標や教学を失い、組織防衛の本能だけが染み付いた選挙マシン――。それが創価学会である』、「選挙への関心は高いが、政策への関心は低い」、「組織防衛の本能だけが染み付いた選挙マシン」、政治勢力としては歪な構造を抱えているようだ。

次に、本年1月4日付けダイヤモンド・オンライン「創価学会「記念の年・2020年」に露呈した最強教団の構造的危機」を紹介しよう』、興味深そうだ。。
・『『週刊ダイヤモンド』1月9日号の第一特集は「創価学会 90年目の9大危機」です。昨年11月18日、会員世帯数827万(公称)を誇る巨大宗教団体、創価学会が創立90周年の節目を迎えました。ですが、“勝利”への道は決して平たんではありません。「100年目の学会は、今とは全く違う姿になっているだろう」と嘆く学会員は少なくないのです。90年目を迎えた学会が直面する危機を明らかにします。(ダイヤモンド編集部「創価学会取材班」)』、「90年目の9大危機」、とは興味深そうだ。
・『創立90周年の節目を迎えた創価学会に迫りくる弱体化  2020年は、会員世帯数827万(公称)を誇る巨大宗教団体、創価学会にとって極めて特別な年であった。5月3日に池田大作名誉会長の会長就任60周年、そして11月18日には創立90周年という大きな節目を迎えたからだ。 学会の機関紙「聖教新聞」は創立記念日の翌日の1面で、「2030年の創立100周年へ、共に励まし、勝利の行進!」と高らかに宣言した。だが、“勝利”への道は決して平たんではない。20年は同時に、コロナ禍によって対面を主としてきた学会員の活動が大幅に制限され、また、当の聖教新聞からして自力配達を断念するなど、教勢の衰えが露呈した一年でもあったからだ。実際、「次の節目となる100周年での学会は、今と全く違う姿になっているだろう」と嘆く学会員は少なくない。 世間の目は、希代のカリスマである池田氏が存命なのか否かに注がれがちだが、それはもはや現在の学会を見る上で本質ではない。 池田氏が表舞台から姿を消したのは2010年までさかのぼる。これまで、学会執行部はカリスマ頼みから脱却すべく、極めて官僚的な「集団指導体制」への移行を着々と進めてきた。実際、19年に再任された現会長(4期目)の原田稔氏を池田氏と同様に考える学会員は皆無に近い。 この池田氏の神格化の集大成ともいえるのが、17年11月に制定された学会の新たな最高規約「会憲」だ。その中で、故牧口常三郎初代会長、故戸田城聖第2代会長、そして、存命する第3代会長、池田氏の3人を「広宣流布の永遠の会長」と位置付け、その敬称を「先生」で統一。さらに、翌18年9月8日には、聖教新聞紙上で四半世紀にわたって連載された池田氏の小説『新・人間革命』が完結を迎え、「カリスマ時代の終わり」を学会員に印象付けた。 つまり、池田氏の“神格化”は、とうに完了したとみるべきなのだ。その意味で、卒寿を迎えた学会が現在直面している危機は、ポストXデー、池田氏の死による求心力の低下などではなく、より根深い構造的な問題である。 ダイヤモンド編集部は学会を襲う危機を九つに分類してその内実を追ったが、それらは個別に独立した問題ではなく、その根底にほぼ共通の原因がある。すなわち、少子高齢化に核家族化、世代間の価値観の断絶といった、日本社会全体が直面している危機だ。) 大阪商業大学が例年実施している「生活と意識についての国際比較調査」に、「信仰する宗教(本人)」という質問項目がある。その質問で「創価学会」を選んだ人の割合は、2000年以降、ほぼ2%台前半で安定推移してきた。ところが、最新の18年調査ではその割合が1.4%へと急落した』、「「信仰する宗教(本人)」・・・の質問で「創価学会」を選んだ人の割合は、2000年以降、ほぼ2%台前半で安定推移してきた。ところが、最新の18年調査ではその割合が1.4%へと急落した」、「聖教新聞からして自力配達を断念」、とは深刻な党勢の弱まりだ。
・『実際の学会員数は177万人? 有識者が衝撃の試算  著名な宗教学者、島田裕巳氏は20年に上梓した著書『捨てられる宗教』(SB新書)の中で、先の調査に基づいて日本の総人口に占める実際の学会員数を177万人と算出した。この数字はそれ以前と比べると、一気に100万人ほど学会員が減ったことを示す。 島田氏はダイヤモンド編集部の取材に、「18年調査の1.4%という数字は単年の結果で、より正確な分析には今後の調査を待つ必要がある」としつつ、こう続けた。 「それまで2%台前半という数値で安定していた理由は、信仰2世、3世など世代交代に成功したためとみられるが、学会入会者は、半世紀以上前の1960年代が特に多い。それ故、当時の入会者の死亡や高齢化により、ある時を境に急減しても不思議ではない」 そして、20年9月、その学会に“神風”が吹いた。菅義偉政権の発足である。菅首相と学会の佐藤浩副会長には、菅氏の官房長官時代から“盟友”と称されるほど太いパイプがあることはよく知られている。 「菅政権の発足で、安倍晋三前首相時代以上に、自公連立は強固になるだろう」と、複数の学会幹部や学会に詳しいジャーナリストは口をそろえる。だが、その言葉にはただし書きがある。それは「学会の集票力が維持される限りにおいて」だ。前出の島田氏は言う。 「19年の参院選では、(学会の支持団体である)公明党の得票数は16年の参院選と比べて100万票以上減らしており、学会員数の減少と関係している可能性が高い。信仰2世や3世は、価値観もかつての学会員とは大きく異なる。21年の衆院選は、公明党の“歴史的大敗”となりかねない」 最強といわれてきた集票力に陰りが見えれば、20年以上にわたる自公連立の土台が崩れる。そして、もしそうなれば、Xデー以上に学会の教勢に致命的なダメージとなるだろう。学会に残された猶予はおそらく想像以上に少ない。学会が直面する9つの危機を具体的に明らかにする』、「21年の衆院選は、公明党の“歴史的大敗”となりかねない」、とは「衆院選」の数少ない楽しみの1つだ。
・『創価学会への理解なしには日本の政治・社会は分析不可能  特集では、数兆円規模と言われる「S(創価)経済圏」に迫る危機や、コロナで急ブレーキがかかった学会活動の苦境、混迷の度を深めるカリスマ不在の後継者争いの行方、配達の外部委託に踏み切った聖教新聞の裏事情、さらには「歴史的大敗」も懸念される次期衆院選のゆくえなど、盛りだくさんのテーマに迫ります。 そのほか、学会本部も存在を知らないであろう往年の池田氏や大幹部、第2代会長の戸田城聖氏の縁者などの秘蔵写真を発掘、学会のキーマンを網羅した内部文書なども大公開します。 そして、インタビューには、昨年10月、600ページに及ぶ大著『池田大作研究』を上梓した作家、佐藤優氏が登場。「学会が世界宗教化する理由」を語ってもらいました。 その佐藤氏は「学会を知り、理解しなければ、日本の政治や社会を分析することはできない」と断言します。学会員もそうでない人も必読です。 (ダイヤモンド編集部「創価学会取材班」』、一頃は「向かうところ敵なし」だった「創価学会」を取り巻く環境は、厳しさを増したようだ。

第三に、1月19日付け東洋経済オンラインが掲載した宗教学者/作家の島田 裕巳氏による「実は善人とは限らない「日本の神様」驚きの正体 一神教の世界とは大きく異なる東洋の思想」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/403893
・『子供が生まれたときの初参りや七五三、必勝悲願や安全祈願など、神社は私たちの日常の暮らしの中にしっかりと根づいている。「神社について知ることは日本を知ること」と説くのは宗教学者の島田裕巳氏だ。では、日本における「神」とは何か。島田氏の新著『教養として学んでおきたい神社』を一部抜粋・再編集して掲載する』、「島田氏」の「見解」とは興味深そうだ。
・『本居宣長が定義した日本の神様  日本における神の定義として最も有名なものは、江戸時代に国学者の本居宣長が行ったものである。宣長は、当時、読むことが難しくなっていた古事記の注釈を試み、それを『古事記伝』という書物にまとめている。その第3巻の最初の部分で、神とは何かについて述べている。それは、次のようなものである。 凡(すべ)て迦微(かみ)とは古御典等(いにしえのみふみども)に見えたる天地の諸(もろもろ)の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊(みたま)をも申し、又人はさらにも云(い)はず、鳥獣(とりけもの)木草のたぐひ海山など、其与(そのほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏き(かしこ)物を迦微とは云なり。〔すぐれたるとは、尊きこと、善きこと、功(いさお)しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの、奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏きをば神と云なり。 宣長は、同じ『古事記伝』の第6巻で、「貴きも賤きも善も悪も、死ぬればみな此ノ夜見ノ国に往」くとし、誰もが死んだら、伊邪那美命(いざなみのみこと)が赴いた黄泉(よみ)の国(夜見ノ国)へ赴くとしていた。 そのうえで、「世ノ中の諸の禍事をなしたまふ禍津日ノ神(まがつひのかみ)は、もはら此ノ夜見ノ国の穢より成坐るぞかし」と述べている。 世の中に悪をもたらすのは、古事記に登場する禍津日ノ神であるとされる。この神は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉の国から戻ってけがれをはらったときに生まれている』、「すぐれたるとは、尊きこと、善きこと、功(いさお)しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの、奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏きをば神と云なり」、誠に不思議な定義だ。
・『神学者や哲学者を苦しめる一神教の難問  一神教の世界には、実は重大な問題が存在している。それは、絶対の善である神が創造した世界に、なぜ悪が存在するのかという問題である。神が善であるなら、その創造にかかる世界に悪が存在するはずはない。 ところが、現実には、さまざまな悪が存在している。この問題をどのように解決すればいいのだろうか。少し考えてみれば分かるが、問いとしてとてつもなく難しい。神学者や哲学者は、この難問に苦しめられてきた。 その点、宣長が考えたような形で神をとらえれば、そうした難問にぶちあたらない。日本では特別な働きをしたものが神として祀られてきた。 宣長が『古事記伝』の執筆を開始したのは、明和元(1764)年のことで、書き上げたのは寛政10(1798)年のことだった。脱稿までに34年の歳月が流れている。宣長は71歳で亡くなっており、人生の半分を『古事記伝』執筆に費やしたことになる。 宣長は、中国文明の影響を受ける前の日本人の精神性を古事記に求め、そこに記されたことを真実として受けとめている。 死者は黄泉の国に赴くと古事記に書かれている以上、宣長としては、それを受け入れるしかなかった。この世に悪が生じる原因を、古事記が禍津日ノ神に求めるなら、そう考えるしかなかった。宣長にとっては、古事記に書かれていることがそのまま真実だったのである。 しかし、これはあまりに受動的な考え方である。また、これでは死んだ後のことについていっさい希望を抱くことはできない。死後は、仏教が説く浄土に赴くこととは比べようもないほど惨めなものになってしまう。 また、この世で悪いことに遭遇したとしても、それは悪神の仕業で、人間の側からすれば、どうしようもなかった。宣長は、禍津日ノ神の引き起こす悪事をいかに防ぐかということについて、何の示唆も与えてはくれなかった。この宣長の考え方が、どの程度、日本の社会に受け入れられたかは判断が難しいところである。 まず、死後、自分は黄泉の国に赴くと考えている人は少ないだろう。また、何か悪いことが起こったとき、それを禍津日ノ神の仕業と考える人はいないはずだ。そもそも禍津日ノ神のことは一般には知られていない。 ただ、宣長が、優れたものである神が、善もなせば、悪もなすと考えたところは興味深い。だからこそ私たちは、悪いことが起こっても、それを受け入れるしかないというのだ。 そこからは、「諸行無常」ということばが思い起こされる。これは仏教の用語だが、この世にあるものは変転をくり返していく。仏教ではそれを法としてとらえる。宇宙の法則だとしているのである』、「一神教の世界には、実は重大な問題が存在している。それは、絶対の善である神が創造した世界に、なぜ悪が存在するのかという問題」、確かに難問だ。「宣長が、優れたものである神が、善もなせば、悪もなすと考えたところは興味深い。だからこそ私たちは、悪いことが起こっても、それを受け入れるしかないというのだ」、なるほど。
・『仏教と国学の考え方の違いと共通点  悪の起こる原因を法に求めるのか、それとも悪神に求めるのか。その点で、仏教の考え方と宣長の国学の考え方とは異なる。だが、悪に対して、人間にはなすすべがないとしているところでは、両者は共通している。 一神教の世界では、この世に起こるあらゆる事柄は神によって定められたことで、そこには意味があるとされる。 これに対して、国学も仏教も、そこに意味があるとは考えない。それが、一神教の西洋とは異なる、多神教の東洋の思想ということになる。 日本では、多くの神が祀られているわけだが、なかには疫病をもたらしたり、たたりを引き起こしたりしたことがきっかけになっているものが少なくない。 左遷されたまま亡くなった菅原道真が天神として祀られたことがすぐに思い起こされるだろうが、天照大神(あまてらすおおかみ)であっても、最初は宮中に祀られていて、疫病などを引き起こしたことで、伊勢に祀られることとなったのだ。 日本の神は、単純に善なる存在とは言い切れないところがある。善をなそうと、悪をなそうと、他よりすぐれた特別な働きを示したものが、神として祀られてきたからである。 神社のことを考えるうえで、こうした日本の神のあり方を無視することはできない。神に善と悪の両方の側面があることで、祀り方、いかに祀るかが重要なものになってくる。その点を念頭において、私たちは神社のことを考えていかなければならないのである』、「日本の神は、単純に善なる存在とは言い切れないところがある。善をなそうと、悪をなそうと、他よりすぐれた特別な働きを示したものが、神として祀られてきたからである」、ただ、多くの日本人は「宣長の国学の考え方」ではなく、「仏教の考え方」に依っているのではなかろうか。
タグ:宗教 東洋経済オンライン 島田裕巳 ダイヤモンド・オンライン 島田 裕巳 (その5)(創価学会60余年の「政治秘史」 池田大作氏による“天下取り構想”の実像、創価学会「記念の年・2020年」に露呈した最強教団の構造的危機、実は善人とは限らない「日本の神様」驚きの正体 一神教の世界とは大きく異なる東洋の思想) 高橋篤史 「創価学会60余年の「政治秘史」、池田大作氏による“天下取り構想”の実像」 特集『創価学会 90年目の9大危機』(全16回)の#15では、その知られざる政治史をジャーナリスト、高橋篤史氏が斬る』 1954年に創価学会が政治活動を開始 2年後の56年に参議院議員に当選 「折伏大行進」をスローガンに信者数を急激に伸ばし始めていた 学会は日蓮正宗の在家信徒団体の中でも最も急進的な勢力 他宗教・他宗派を「邪宗」と決め付け、道場破りまがいの攻撃に明け暮れていた 日蓮は「立正安国論」で知られるように政治への関与に積極的 学会の政治進出は必然の流れであり、「広宣流布」、つまりは信者を獲得し日蓮正宗の教えを広めるための有力な手段と位置付けられた 目標としたのは「王仏冥合」の実現であり、その象徴となる「国立戒壇」の建立 57年には当時、渉外部長兼参謀室長だった池田大作氏ら数十人が公職選挙法違反で大阪府警に検挙されている(大阪事件) 初期の頃、急進勢力である学会の選挙活動はたびたび警察沙汰となった。57年には当時、渉外部長兼参謀室長だった池田大作氏ら数十人が公職選挙法違反で大阪府警に検挙されている(大阪事件) 「王仏冥合の大理念」から一転 文言の削除、国立戒壇論の撤回へ 「国会では政教一致批判」が背景だ 「反戦平和の団体とみなされることが多いが、それは言論問題以降、ソフト路線にかじを切る中、意図的に打ち出したイメージ戦略の側面が強い 政治活動の目的は組織拡大と防衛のため 池田氏の国会喚問まで取り沙汰されたこのバッシングに対し、学会側は青年部長だった谷川佳樹氏(現主任副会長)が中心となった緊急集会を開くなど防戦を強いられた。このときのトラウマが自民党との接近を生んだとの見方は少なくない 選挙への関心は高いが、政策への関心は低い 「組織防衛の本能だけが染み付いた選挙マシン」、政治勢力としては歪な構造を抱えているようだ 「創価学会「記念の年・2020年」に露呈した最強教団の構造的危機」を紹介しよう』 「創価学会 90年目の9大危機」 創立90周年の節目を迎えた創価学会に迫りくる弱体化 「「信仰する宗教(本人)」・・・の質問で「創価学会」を選んだ人の割合は、2000年以降、ほぼ2%台前半で安定推移してきた。ところが、最新の18年調査ではその割合が1.4%へと急落した 「聖教新聞からして自力配達を断念」、とは深刻な党勢の弱まりだ 実際の学会員数は177万人? 有識者が衝撃の試算 『捨てられる宗教』 際の学会員数を177万人と算出した。この数字はそれ以前と比べると、一気に100万人ほど学会員が減ったことを示す 21年の衆院選は、公明党の“歴史的大敗”となりかねない」、とは「衆院選」の数少ない楽しみの1つだ 創価学会への理解なしには日本の政治・社会は分析不可能 『池田大作研究』を上梓した作家、佐藤優氏 「学会が世界宗教化する理由」 一頃は「向かうところ敵なし」だった「創価学会」を取り巻く環境は、厳しさを増したようだ 「実は善人とは限らない「日本の神様」驚きの正体 一神教の世界とは大きく異なる東洋の思想」 本居宣長が定義した日本の神様 すぐれたるとは、尊きこと、善きこと、功(いさお)しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの、奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏きをば神と云なり」、誠に不思議な定義だ 神学者や哲学者を苦しめる一神教の難問 一神教の世界には、実は重大な問題が存在している。それは、絶対の善である神が創造した世界に、なぜ悪が存在するのかという問題」、確かに難問だ 「宣長が、優れたものである神が、善もなせば、悪もなすと考えたところは興味深い。だからこそ私たちは、悪いことが起こっても、それを受け入れるしかないというのだ 仏教と国学の考え方の違いと共通点 日本の神は、単純に善なる存在とは言い切れないところがある。善をなそうと、悪をなそうと、他よりすぐれた特別な働きを示したものが、神として祀られてきたからである」 ただ、多くの日本人は「宣長の国学の考え方」ではなく、「仏教の考え方」に依っているようだ
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大学(その8)(地方私大はなぜ「留学生ばかり」になるのか? 「生き残り戦略」の難しい舵取り 大月隆寛、財力がある家庭の子ほど「東大」に進学する現実 大学受験ではずっと「公平さ」が問われてきた) [社会]

大学については、」昨年12月16日に取上げた。今日は、(その8)(地方私大はなぜ「留学生ばかり」になるのか? 「生き残り戦略」の難しい舵取り 大月隆寛、財力がある家庭の子ほど「東大」に進学する現実 大学受験ではずっと「公平さ」が問われてきた)である。

先ずは、12月31日付けYahooニュースが転載した弁護士ドットコム「地方私大はなぜ「留学生ばかり」になるのか? 「生き残り戦略」の難しい舵取り 大月隆寛」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a542383e34fd53f46c031d8a73657365ba27c390
・『NHK『BSマンガ夜話』の司会などで知られる民俗学者の大月隆寛氏が、勤務先だった札幌国際大からの懲戒解雇を不当として、裁判で争っている。背景には、留学生の受け入れをめぐる経営側との対立がある。 同大は、2018年度の留学生が3人だったところ、2019年度には65人(全入学者の約15%に相当)を入学させた。定員充足率が上がり、私学助成が千数百万円増額された。 ただ、地元誌の北方ジャーナルによると、この65人中40人近くが、文部科学省が留学生の目安としてあげる日本語能力試験のレベル「N2」相当に達しておらず、教員から苦情が出ることもあったという(2020年5月号)』、「留学生」が「2018年度の」「3人」から「2019年度には65人」と急増したようだが、体制整備の方は大丈夫なのだろうか。「定員充足率が上がり、私学助成が千数百万円増額」、計算式ではそうなるのだろうが、「留学生」で水増ししているのに、「私学助成が千数百万円増額」とは釈然としない。
・『大学側は適正と主張「在籍管理なくして、受け入れはできない」  留学生をめぐっては、東京福祉大で2019年に大量失踪が発覚。日本語能力に関係ない受け入れが問題視された。 一方、札幌国際大は2019年度に入学した留学生の合格率は70%台だったとし、選抜は適切だと説明する。2020年度入学の合格率は50%を切っていた(65人が入学)といい、これに対して日本人学生の合格率はほぼ全入に近い。 また、北海道新聞によると、告発を受けて調査した札幌入管は、試験問題の一部使い回しなどについて指導はしたものの、9月15日付で「法令違反は認められない」旨の通知を出している(2020年9月18日付)。 「勉強せず、働いてばかりということは防がなくてはならない。授業を休めば連絡を入れるし、アルバイトも週28時間の規定を超えないようチェックしている。日本語を学ぶ授業もある。在籍管理なくして、受け入れはできないと考えています」(札幌国際大担当者) 大学側が受験生の日本語能力をどのように認識していたかなどについては裁判で明らかになるとみられるが、地方私大が意識してアジア系の留学生を受け入れているのは事実だ。 大月氏は、留学生受け入れの是非はおくとしたうえで、次のように主張する。 「札幌国際大の場合、中国系の留学生は、富裕層の子どもが多く、もはや少し前までのような労働目当ては少ない。とはいえ、大学で正規に学べるだけの日本語能力が不足しているのなら、まずは準備教育として学内に留学生別科を置き、日本語を教えるべき」 地方私大の現状について、大月氏に寄稿してもらった』、興味深そうだ。
・『地方私大、積極的に留学生を取り込む  少子化に伴う経営難で、国内の大学はいずこも大きな荒波に巻き込まれています。定員割れを補い、各種公的な助成金を穴埋めするためのあの手この手の一環で、外国人留学生を受け入れて何とかしようとする施策もここ10年ほどの間、政府の「留学生30万人計画」に後押しされて全国の大学、殊に苦境がより深刻な地方の私大では積極的に行われてきていました。 それにつけ込んだ業者の類も跋扈、いわゆる留学生ブローカー的な人がたがそれらの需要を満たす構造も作り上げられてゆき、「留学生」というたてつけでの実質労働力が国内にあふれることになった。 そのような中、2019年、東京都内の東京福祉大学の留学生が大量に行方不明になっていることが発覚、これら留学生をめぐる制度の運用のずさんさが露わになり、「大学の責任は重大」として研究生の受け入れを当面停止するよう文科省と出入国在留管理庁が協力して指導を行う事態になったことなどもあり、これまでのような形での留学生の大幅受け入れを前提とした政策の事実上の「見直し」が文科省から発表されたのが2020年の秋。 加えて、安全保障面からそれら留学生も含めた在留外国人に関する政策の大きな方針転換が国策レベルでも打ち出され、いずれにせよ今世紀に入ってこのかた、わが国の大学や専門学校を中心に拡大してきた留学生ビジネスのあり方を洗い直し、健全化する動きが加速化されているのは確かです。 【編注:コロナ禍での移動制限もあり、萩生田光一文科相は30万人計画を「やり直し」と表現。また、2021年度から安全保障の観点から留学生ビザの厳格化の方針が報じられている】』、「大学や専門学校を中心に拡大してきた留学生ビジネスのあり方を洗い直し、健全化する動きが加速化されているのは確かです」、遅きに失したきらいはあるが、望ましい方向だ。
・『「留学生だのみ」の北海道  一方、ご当地北海道は、中国人にも人気の観光地である種のブランドにもなっています。その中で、中国・瀋陽に提携する日本語学校を設立、留学生ビジネスで大きく業績を伸ばしていた京都育英館という日本語学校が、苫小牧駒澤大学、稚内北星大学を事実上買収、その他高校にも手を出して、いずれも中国人留学生の受け皿としての意味あいを強めた再編を始めています。 【編注:京都育英館系列の学校は、東大や京大などの難関大や大学院に留学生を合格させることで知られている】 また、これも関西を地盤とした滋慶学園という専門学校を中心とした学校法人が、札幌学院大学と協力して市内新札幌の再開発事業と連携、新たなキャンパスを作り、そこに相乗りのような形で看護医療系の専門学校を新設して、留学生含みの道内進出の橋頭堡を作り始めています。 さらには、同じく札幌郊外にある北海道文教大学も、既存の外国語学部を国際学部に改編して明らかに留学生を視野に入れた手直しをしたりと、どこも背に腹は代えられないということなのでしょうか、相変わらず外国人留学生を織り込んだ生き残り策をあれこれ講じているようです。 そんな中、留学生を送り込むに際してブローカー的な動きをした国内外の人がたと共に、どうやら霞が関界隈の影までもちらほらしているのは、何より自分をむりやり懲戒解雇に処した札幌国際大学の理事会のメンバーに、かの文科省天下り問題で物議を醸した前川喜平元文科次官の片腕だったとされる嶋貫和男氏の名前があることなどからも、期せずして明るみに出始めていますし、また、政権与党の二階俊博幹事長周辺につながる公明党なども含めた中央政界のからみなども陰に陽に見え隠れしている。 たかだか地方の小さな私大の内紛に等しいような騒動であるはずのできごとが、北海道に対する外国勢力からの「浸透」政策の一環でもあるような可能性までも含めた、意外にも大きな話につながっていることも、どうやら考えねばならなくなってきているようにも思えます。 単に自分の懲戒解雇の件に関してならば、法廷で公正な判断をしてさえもらえればしかるべき結果になるだろう、それくらい理不尽で論外な処分だと思っていますし、その意味で割と呑気に構えているつもりなのです。 ただ、はっきり言っておきたいのは、公益法人である大学という機関がこのような異常とも言える処分をくだすにいたった、その背景の詳細とその是非について、法と正義に基づいたまっとうな判断を下してもらいたいこと、そしてその過程で、いまどきの大学の中がどうなっているのか、そこでどれだけ無理無体なことがうっかりと日々起こり得るようになっているのかについて、世間の方々にも広く知っていただきたいと思っています。 【筆者の大月氏の略歴はリンク先参照】』、「公明党なども含めた中央政界のからみなども陰に陽に見え隠れ」、気になるところだが、「留学生」に依存した歪な大学が正常化に向かうことを期待したい。

次に、1月7日付け東洋経済オンラインが掲載した京都女子大学客員教授、京都大学名誉教授 の橘木 俊詔氏による「財力がある家庭の子ほど「東大」に進学する現実 大学受験ではずっと「公平さ」が問われてきた」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/401178
・『教育機会の平等・均等路線の先で混迷を極める入試改革。京都女子大学客員教授で、京都大学名誉教授の橘木俊詔氏は、その状況に「繕われた公平さに意味などない」「世界で通用する大学やエリートを生み出せるのか」と警鐘を鳴らします。橘木氏が上梓した『大学はどこまで「公平」であるべきか――一発試験依存の罪』を一部抜粋・再構成してお届けします。 新刊『大学はどこまで「公平」であるべきか』でたびたび触れたが、大学改革論議のキーワードの1つが「公平さ」であった。 これはつまり大学入試において、いかに受験生が公平に試験を受けられ、かつ公平に判定されるか、ということを指していた。 もちろん筆者も「入学試験が公平に実施されるべき」という点に異論はない。しかし、そもそも入試改革を巡る論点がなぜ「公平さ」に集中するようになったのか。その歴史を振り返って考えてみたい』、さすがに学者らしいアプローチだ。
・『出世に「家系」が不可欠だった日本  学校(中等教育、高等教育)において入試が導入されたのは明治時代、学校制度が整備された頃までさかのぼる。明治18(1885)年に森有礼が初代の文部大臣として就任すると高等学校令、中学校令などの学校令を公布。諸々の学校の設立・整備に着手した。 その中の1つとして、帝国大学(今の東京大学)や旧制高等学校で入学者を選抜する入試が導入された。 当時の帝国大学出身者は、高等文官試験に合格すれば、基本的にはそのままエリート官僚となっていった。なお学校令交付前は、当時の雄藩(薩摩、長州、土佐など)出身の旧武士の子弟が、コネを使うことで各省に入省し官僚になることができた。 さらに江戸時代にさかのぼれば、各地の藩校ではこの藩士の息子が優先的に入学できて、他の職業の子弟では多くの場合、入学できなかった。 このように江戸時代や明治時代の初期は、出世するには「家系」が大切で、かつ、どの藩の出身かという「藩閥」が幅を利かせていた時代であった。しかしこれでは雄藩以外で育った有能な人を排除することになるので、不公平であり、彼らを排除するのは国家の損失と考えられたのである。 慶應義塾の創設者・福沢諭吉が記した『学問のすゝめ』には「『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』と云へり」という一文が記されている。あまりに有名なこの言葉だが、実は社会一般の「公平さ」を論じつつ、下級藩士出身だった諭吉が「上級藩士の子弟ばかりが有利な人生を送ることができる」事実を嘆いてのものだったとされる。 たとえば同書の「中津の旧友に贈る文」(9編・10編)の中では、「わが国士族以上の人、数千百年の旧習に慣れて、衣食の何ものたるを知らず、富有のよりて来たるところを弁ぜず、傲然(ごうぜん)みずから無為に食して、これを天然の権義と思い、その状あたかも沈湎冒色、前後を忘却する者のごとし。」(『日本の名著33福沢諭吉』中公バックス、中央公論社)と記している。 こうした世の中の不公平を是正するためにも、政治家や教育界を中心に、旧制高校や帝国大学、各省庁に入るさいのコネによる入学、入省を排除し、公平な試験を課して有能な人を選抜する方策を導入するべし、という機運が社会全体で高まっていく』、「『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』と云へり」・・・実は社会一般の「公平さ」を論じつつ、下級藩士出身だった諭吉が「上級藩士の子弟ばかりが有利な人生を送ることができる」事実を嘆いてのものだったとされる」、初めて知った。
・『試験に合格すればエリートになれる  そして『近代日本の官僚―維新官僚から学歴エリートへ』(清水唯一朗著、中公新書)などによれば、その主張は「学力を問うべき」というのが中心で、つまりは試験の得点で合否を決めよ、というものであった。学力到達度は数字で表せるので、これが誰をも「不公平」に扱うことがない制度であると信じたのだろう。 なお、日本国内初の近代的大学とされる東京大学、そのホームページに掲載された『東京大学百年史』によれば、大学自体の創立は1877年とされるが、その前身の1つである東京開成学校でもすでに入試は行われていたとされる。 つまり明治維新が始まってすぐの1870年代頃から試験に合格した学問的な優秀者のみが、旧制高校や帝国大学で学ぶ資格があるとされ、その後、高等文官試験に合格すれば高級官僚として働く資格がある、というふうに社会的にみなされるようになった。) 明治時代初期の頃の日本はまだ旧国家であり、近代国家になるには官僚のみならず、医師、技術者、法曹人、教員といった、特殊技能や専門的知識を身につけた人々を多く必要としていた。 そして、こうした職業の従事者を育てるには高い学問知識を備えることが不可欠だったのである。社会の上層部に行きたいと思う人は学校で勉強に励み、できるだけいい学校に行くことがその最短距離になっていった。 その通過点や到達点が帝国大学(現・東京大学)であり、高級官僚である。1886年の帝国大学令の施行によって帝国大学卒業生には学位が授与されることになり、帝大出身者は官僚の世界のみならず世間一般からもエリートとして遇されるようになった。そこから、「勉強の良くできる人が社会のエリートになる」という既成事実が生まれていく。 これがいわゆる「学歴社会」の萌芽である。こうした歴史のもとで「学力試験には公平性がある」という認識が既成事実となり、あらゆる社会の基本や前提になっていく。 すると、人々の関心は「どういう試験を行えば、受験生を公平に処遇できるか」に限定されていってしまう。そしてその先で「マークシート式と記述式、どちらが公平か」、「民間業者に試験の運用を任せることが公平か」といった議論が生じた、というのが今日の「大学入試」を取り巻く現状である。 こうして考えると、不幸なことに「技術的な公平さ」に議論が集中しすぎて、より本質的な問題がさほど語られていない印象があり、筆者としては「公平さ」に関してはいくつかの重要な論点が放置されているように感じている』、鋭い指摘だ。
・『「教育の機会平等」という原則の意味  まず考えなければならないのは「教育の機会平等」という原則の意味である。 この原則そのものは、多くの人も容認するところと思う。これはつまり「親の出身や経済状況によって、子弟の教育に不平等、あるいは不公平があってはならない」ということ、そして「教育を受けたいと思う人に対し、社会はその達成への障害を与えてはならない」ということを指し示したものと考えられる。 ただ、『大学はどこまで「公平」であるべきか』を通じて、アメリカでは日本より奨学金制度は充実しているとはいえ、学費がべらぼうに高く、親が豊かであるなど経済的なベースがないと、そもそも大学進学を断念せねばならないケースがあると記した。これなどは、まさに日本でいう「教育の機会平等」の原則に沿わない不平等なケースだろう。 一昔前の日本であれば、学費は高くなかった。たとえば筆者が大学に入学した1967年当時、国立大学の授業料は年1万2000円にすぎず、学費そのものの壁はそこまで高くなかった。 そして今では授業料はもちろん、かかる生活費も高くなり、進学先が国立大学であろうと、奨学金を受けようと、極度の貧困家庭において子弟を大学進学させるのは困難となった。一方で豊かな家庭ほど、レベルの高い大学への進学を果たせるのがあたり前になりつつある。 2020年初頭からの新型コロナウイルスの広がりにより、アルバイトの口が減るなどし、「大学生活をあきらめる」という判断を下す学生が出てきていることが新聞などを通じて報道されている。 文部科学省は慌てて2020年4月から奨学支援制度を拡充。授業料減免や返済不要の奨学金を拡大することを発表したが、これなども教育の機会不平等、あるいは不公平にまつわる話題だろう。 ただ大学進学に先立って、名門・有名大学への進学を目指すなら、今や高校どころか、小中学校の時から準備せねばならない。そして水準の高い学校へ進学するには、普段から塾に通ったり、家庭教師についてもらったりする必要も生じてくる。 しかし学校外教育に資金を出せるのは、当然だが、家計が豊かな家庭に限られてしまう』、「文部科学省は慌てて2020年4月から奨学支援制度を拡充。授業料減免や返済不要の奨学金を拡大することを発表」、実効性ある措置が必要だろう。ただ、「小中学校」からの準備を含めて考えると、「日本」でも「「教育の機会平等」の原則」が崩れつつあるようだ。
・『東大生の高すぎる世帯年収  たとえば、東京大学在校生の家庭環境について調べた「2018年学生生活実態調査の結果」では、その世帯年収について「950万円以上」が60.8%にまで達し、メディアを通じて話題になっていたのは記憶に新しいところだ。 ちなみに「平成30年国民生活基礎調査の概況」(厚生労働省)によれば、2017年の日本全体の平均世帯年収は551.6万円。単純に比較はできないものの、東京大学合格者を輩出した家の多くが、日本の平均世帯年収よりずっと高い所得である、ということは言えるだろう。 つまり、今の日本での「教育の機会不平等」「不公平」とは、そのまま家計の経済的豊かさに帰因していることが分かる。このような中で、もともとの「教育の機会平等」という言葉が持っていた意味は、すっかり変容したと言わざるをえない』、「今の日本での「教育の機会不平等」「不公平」」が世代を超えて引き継がれれば、社会の分断が進み、経済は活力を失っていくだろう。
タグ:大学 東洋経済オンライン yahooニュース 弁護士ドットコム 橘木 俊詔 「留学生30万人計画」 (その8)(地方私大はなぜ「留学生ばかり」になるのか? 「生き残り戦略」の難しい舵取り 大月隆寛、財力がある家庭の子ほど「東大」に進学する現実 大学受験ではずっと「公平さ」が問われてきた) 「地方私大はなぜ「留学生ばかり」になるのか? 「生き残り戦略」の難しい舵取り 大月隆寛」 民俗学者の大月隆寛氏が、勤務先だった札幌国際大からの懲戒解雇を不当として、裁判で争っている 背景には、留学生の受け入れをめぐる経営側との対立 2018年度の留学生が3人だったところ、2019年度には65人 員充足率が上がり、私学助成が千数百万円増額 「留学生」で水増ししているのに、「私学助成が千数百万円増額」とは釈然としない 大学側は適正と主張「在籍管理なくして、受け入れはできない」 『地方私大、積極的に留学生を取り込む それにつけ込んだ業者の類も跋扈、いわゆる留学生ブローカー的な人がたがそれらの需要を満たす構造も作り上げられてゆき、「留学生」というたてつけでの実質労働力が国内にあふれることになった 東京福祉大学の留学生が大量に行方不明になっていることが発覚、これら留学生をめぐる制度の運用のずさんさが露わになり 大学や専門学校を中心に拡大してきた留学生ビジネスのあり方を洗い直し、健全化する動きが加速化されているのは確かです」、遅きに失したきらいはあるが、望ましい方向だ 「留学生だのみ」の北海道 公明党なども含めた中央政界のからみなども陰に陽に見え隠れ」、気になるところだが、「留学生」に依存した歪な大学が正常化に向かうことを期待したい 「財力がある家庭の子ほど「東大」に進学する現実 大学受験ではずっと「公平さ」が問われてきた」 『大学はどこまで「公平」であるべきか――一発試験依存の罪』 大学改革論議のキーワードの1つが「公平さ」 出世に「家系」が不可欠だった日本 『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』と云へり」 実は社会一般の「公平さ」を論じつつ、下級藩士出身だった諭吉が「上級藩士の子弟ばかりが有利な人生を送ることができる」事実を嘆いてのものだったとされる」、初めて知った 試験に合格すればエリートになれる 「勉強の良くできる人が社会のエリートになる」という既成事実が生まれていく。 これがいわゆる「学歴社会」の萌芽 「公平さ」に関してはいくつかの重要な論点が放置されている 「教育の機会平等」という原則の意味 文部科学省は慌てて2020年4月から奨学支援制度を拡充。授業料減免や返済不要の奨学金を拡大することを発表」、実効性ある措置が必要だろう。ただ、「小中学校」からの準備を含めて考えると、「日本」でも「「教育の機会平等」の原則」が崩れつつあるようだ 東大生の高すぎる世帯年収 今の日本での「教育の機会不平等」「不公平」」が世代を超えて引き継がれれば、社会の分断が進み、経済は活力を失っていくだろう
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夫婦別姓(その1)(小田嶋氏:人の結婚に介入したがる彼らは何者なんだ?、「夫婦別姓」反対派の主張がよくわからない訳 「古きよき日本」という意味不明の幻想のせい?、「選択的夫婦別姓」文言削除のウラにあった「自民党女性議員の攻防」) [社会]

今日は、夫婦別姓(その1)(小田嶋氏:人の結婚に介入したがる彼らは何者なんだ?、「夫婦別姓」反対派の主張がよくわからない訳 「古きよき日本」という意味不明の幻想のせい?、「選択的夫婦別姓」文言削除のウラにあった「自民党女性議員の攻防」)を取上げよう。

先ずは、昨年1月24日付け日経ビジネスオンラインが掲載したコラムニストの小田嶋 隆氏による「人の結婚に介入したがる彼らは何者なんだ?」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00054/?P=1
・『議院の代表質問で、心ない野次が飛んだようで、その時の様子が早速新聞記事になっている。 「心ある野次」といったようなものがあるのかどうかはともかくとして、今回のこの野次に関しては、野次を飛ばした行為そのものよりも、野次の内容をくわしく分析せねばならない。 記事によれば、1月22日の衆議院で、国民民主党の玉木雄一郎代表が選択的夫婦別姓の導入を求める発言をしたタイミングで、 「それなら結婚しなくていい」という趣旨の野次が「自民党席の女性議員から飛んできた」のだという。 なるほど、心ない野次だ。 しかしながら、心ない野次を飛ばす人間にも、やはり心はあるわけで、今回は、その彼または彼女の「心」について考えてみたい。 選択的夫婦別姓については、これまで、ほかのところにも何回か寄稿したことがあって、その度に同じことを書いている気がしている。もっとも、夫婦別姓のような隅々まで論点のはっきりしている話題については、あえて別の角度から主張を展開することや、別の書き方で読者を説得しようとすることの方が、かえってむずかしいとも言える。ひとつの問題について、毎度同じ展開で同じ内容の話を繰り返すのは、当然といえば当然のなりゆきではある。段ボールの底に隠れているかもしれない腐ったミカンを早めに取り除いておくべきであることについて、特段に新奇な見解はないし、取り除く方法に関して斬新な手段を考案すべきだという話でもない。あたりまえのことを伝えるためには、あたりまえの言い方であたりまえな言葉を根気よく繰り返すほかにどうしようもない。 野次を飛ばした議員が、男性であったのか女性であったのかは、この際、主要な論点ではない。たいした問題でもない。個人的には、あえて積極的に無視すべきポイントだと考えている。 というのも、ここのところのジェンダーロールをつつきまわすと、別の問題が立ち上がってきてしまって、非常にぐあいがよろしくないからだ。ぐあいがよろしくないというのはつまり、夫婦別姓をめぐる論争をさらなる混乱に陥れようと画策している人々に塩を送る結果になるということだ。なので、野次発信者の性別や姓名を云々する話題には踏み込まない。 ただ、その野次が、自民党議員の席から飛んできたことには、やはり注目しておかねばならない。 理由は、自民党が、日本で一番たくさんの支持者を集めている政党だからだ。 その唯一絶対とも言える国民的な与党たる自民党の議員が集まっている席の中にあって、野次を飛ばした議員さんは、選択的夫婦別姓についての自分の率直な考えが、そのまま「国民の内なる声」だという自信を抱いていたからこそ、あえてそれを不規則発言として声に出してアピールしたのだと思う』、「小田嶋氏」の「コラム」は昨年の途中から有料になったので、紹介できないが、これは無料版だ。「野次」を飛ばした犯人は、例の悪名高い「杉田水脈衆議院議員」のようだ。
・『彼または彼女は、自分の野次が「非常識」で「空気を読まない」「異端の」声だとは、ついぞ考えなかった。むしろ、玉木氏の要望への痛烈な反撃である自分の言葉が、少なくとも自民党議員の「総意」ないしは、「安倍総理を中心とする党中枢のメンバーの主張を集約したコメント」であると強く確信しているがゆえに、あの場で、玉木氏に届く声量で、 「それなら結婚しなくていい」 という主張を呼ばわったはずなのである。 野党が導入を求めている選択的夫婦別姓は、その名が示す通り、結婚するカップルに対して、夫婦別姓を「選択的」に容認することを旨とする民法第750条の改正案だ。 ここでいう「選択的」の意味は、具体的には、新たに結婚する夫婦が「夫婦別姓」と「夫婦同姓」のうちのどちらでも好きな方を選択できるということで、実質的には「自由選択」を許す手続きだ。 思うに、読解力の高くない人々は、ここのところを誤解している。 「選択的夫婦別姓」という字面(じづら)から、いきなり「夫婦別姓がベースになる」というイメージを受け取って、その「新しい夫婦の誰もが夫婦別姓で結婚する」イメージに対して反発を抱いたうえで反対に回っている人々が、おそらく日本人のうちの3割かそこいらはいるのではなかろうかと思うのだ。 でなくても、この問題を 「夫婦別姓と夫婦同姓とどっちがいいのかしら?」 というざっくりした二択の問題としてとらえてしまっている人は少なくないはずだ。でもって、 「別姓っていうのも色々と不便そうだし、だいいち子どもがどっちについていいかわからなくてかわいそうじゃない? 私は別姓には反対だわ」 てなことを考えて、選択的夫婦別姓に反対している、と、そういう人たちが一定数いると私は想像している。 違うのである。 私たちは 「夫婦別姓と夫婦同姓のどちらが望ましいのか」 を問われているのではない。われわれは 「夫婦同姓を強制されるべきなのか、それとも、別姓婚を選びたい人に選択の自由を容認するのか」 の二択を問われている。 もっといえば、選択的夫婦別姓がわれわれに問うているのは、 「強制vs自由」のどちらを選ぶかなのであって、それゆえ、最終的にこの問題は、 「他人の別姓婚を許すのか」という問いかけに還元される 論理が飛躍したと思っている読者がいるかもしれない。でなくても、ややこしくなっている』、誤解に基づいて「選択的夫婦別姓に反対している、と、そういう人たちが一定数いる」、というのは残念なことだ。
・『話を整理する。 まず夫婦同姓による同姓婚を望むカップルは、現在の制度であれ、選択的夫婦別姓制度が導入された改正民法下であれ、どっちにしても同姓婚を貫徹することができる。同姓婚を禁じる法律はどこにも存在しない。ということは、彼らは自分たちの結婚に関して、選択的夫婦別姓制度を導入した民法改正案に反対する理由を持っていない。そういうことになる。 次に、夫婦別姓で結婚することを願っているカップルは、現状の民法のもとでは、望み通りの形態で結婚することができない。しかし、民法が改正されて選択的夫婦別姓制度が導入されれば、別姓婚で入籍することができる。ということは、彼らには、選択的夫婦別姓制度を組み込んだ民法の改正案を支持する理由がある。 さて、それでは、選択的夫婦別姓制度を組み込んだ民法改正案に反対する理由を持っているのは、具体的にはいったいどんな人たちなのだろうか。つらつら考えるに、それは、 「自分たち以外の他人が夫婦別姓で結婚することを容認したくない人たち」ということになる。 自分たち自身のことであれば、どっちの法律であれ、同姓婚の自由は保障されている。 とすれば、反対する理由は、他人の結婚に対してだけということになる。 まさかとは思うが、そんなケツメドの小さい人たちが、日本人の多数派なのだろうか? 答えを先に言うと、そんなことはない。 自民党の多数派は、選択的夫婦別姓に反対しているかもしれないし、自民党の支持母体である日本会議はもっと露骨に反対運動を展開している。 でも、一般国民の多数派が、この期に及んで他人の夫婦が別姓で一緒になることにいちいち反対しているのかというと、そんなことはない。 われわれは、いくらなんでもそこまで頑迷ではない。 法務省が公開している、《選択的夫婦別氏制度(いわゆる選択的夫婦別姓制度)について》というページにくわしいデータが掲載されている。 そのページのリンク先にある 「選択的夫婦別氏制度に関する調査結果の推移(総数比較)」と題されたグラフを見ると、この件についてのこの四半世紀ほどの世論の推移が一覧できる。 平成29年(2017年)のデータでは、「夫婦は必ず、同じ名字(姓)を名乗るべきであり、法律を改める必要はない」と回答した人は29.3%に過ぎない。 対して 「法律を改めてもかまわない」は、42.5%、 「夫婦は必ず同じ名字(姓)を名乗るべきだが、婚姻前の氏を通称として使 えるように法律を改めることはかまわない」が24.4%、「わからない」が、3.8%となっている。 これを見ると、民意は、夫婦別姓を容認している』、「民意は、夫婦別姓を容認している」のに、反対している自民党右派の勢力はそんなに強いのだろうか。
・『ちなみに年代別のデータを見ると、平成29年の数字で、 「法律を改めてもかまわない」とした人は、 18~29歳で50.2%、30~39歳で52.5%と、過半数を上回っている。 つまり、少なくともこれから結婚する可能性が高い世代である20代から40歳ぐらいまでの日本人は、圧倒的に別姓婚を容認する法改正を支持しているのである。 さて、こういう数字を見せられると、国民政党である自民党が、どうしてあえて民意に逆らってまで夫婦同姓一択の強圧的な結婚制度の維持に拘泥しているのかが、あらためて不思議に思えてくる。いったい彼らは何を恐れているのだろうか。あるいは、恐れていることとは別に、彼らなりの狙いがあるということなのだろうか? どうしてあの人たちは他人の結婚に介入したがるのだろうか。あらためて考えてみるに、不思議な心理だ。見も知らぬ他人の別姓婚を、なんとしても許したくないと考えているあの人たちは、いったいどういう理由で、他人の名乗り方を自分たちがコントロールできると思い込んでいるのであろうか。 仮に、近い将来、選択的夫婦別姓制度が実現したのだとして、おそらく8割以上の新婚夫婦は、これまで通り同姓での結婚を選択するはずだ。あるいは、同じ名字で結婚することを願うカップルの割合は、9割を超えるかもしれない。 とすると、別姓に反対している人たちは、くだくだしい各種の改姓手続きの煩雑さをきらって、とりあえず別姓での入籍を選ぼうとしているカップルや、仕事上の継続性を重んじる理由から互いに旧姓のままで暮らす結婚生活を選択する若い二人を、いかなる理由において排除せんとするのであろうか。 よくあるのは、「日本人の家族観が破壊されるから」「家族の絆があやうくなるから」という回答なのだが、これらにしたところで「他人の家族観」「他人の絆」に過ぎない。 自分自身が自分たちの固有の家族の家族観を死守したいのであれば、同姓の結婚と同姓の家族を死守すれば良い。それだけの話だ。あるいは、自分たちの家族が同姓でなくなった瞬間に絆を失ってしまうと考える向きの人たちは、他人はどうあれ、自分たちだけは同じ名字を守り通せば良い。誰も文句はつけないはずだし、法律も同姓婚の自由は完全に保障している。 もしかすると、日本中誰も彼も同じような家族であり続けないと、日本の家族観が崩壊してしまうと、彼らはそういう順序でものを考える人々であるのだろうか。 それほどまでに、彼らの中の「家族」というのは、脆いものなのだろうか。 たとえば、離婚して旧姓に戻るシングルマザーの家庭や、外国人のパートナーと暮らしている未入籍の同居家族や、複数の性的マイノリティーによる戸籍上は他人であるに過ぎないカップルや、適齢期を過ぎたと判断されがちな年齢の独身独居生活者は、彼らの判断基準からすると、日本の伝統的な家族観を破壊している破壊分子ってなことになるのだろうか』、「保守派」の「家族」感は現実離れした曖昧で観念的なもののようだ。
・『私の住んでいる東京の北東部の地域話をすれば、私が育った50年前とは、まるで様子の違う町になっている。 この20年ほど、独身の外国人に加えて、家族で暮らす外国人が目に見えて増えた。 それゆえ、私の母校の小学校には、カタカナの名前の子どもたちがたくさん通っている。 両親が揃っていない家庭から学校に通っている子どもたちも少なくない。 これは、崩壊だろうか? 私たちの町では、なにか間違ったことが進行していて、われわれのコミュニティーは壊滅寸前なのだろうか? 私は必ずしもそうは思っていない。 むしろ、目の前にある「リアル」が、これほどまでに変容しつつあるのに、それを直視しようとせずに、あいも変わらずサザエさん一家だの、三丁目の夕日だのを「日本の家族の理想」として引用している政治家の頭の中身の方がどうかしているのだと、少なくとも私はそう思っている。 安倍総理大臣は、その著書『新しい国へ―美しい国へ・完全版』(文春新書)の中で、自身がかつて自民党の「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」の座長をつとめた経験を示唆しつつ、 《子どもたちにしっかりした家族のモデルを示すことは、教育の使命ではないだろうか。》と言い、また 《家族が崩壊しつつある、と言われて久しい。離婚率が上がり、シングルマザーやシングルファーザーに育てられた子や再婚家庭の子も増えている。現実問題として、少年院に収容されている少年たちの九割近くが、家庭に問題を抱えているといわれる。》 という問題意識を明らかにしつつ、最終的に 《家族のかたちは、理想どおりにはいかない。それでも、「お父さんとお母さんと子どもがいて、おじいちゃんもおばあちゃんも含めてみんな家族だ」という家族観と、「そういう家族が仲良く暮らすのがいちばんの幸せだ」という価値観は、守り続けていくべきだと思う。》 と結論づけている。 家族を大切にする考え方に異存はない。 ただ、その「家族」なり「家族観」なりを防衛するために、日本中の家族が、どれもこれも同じスタンダードで再生産される粒ぞろいの斉一的な家族単位であることが望ましいというふうには私は考えない。 自分の家族について自分が思うことと、他人の家族に関して他人が考えるところは、おのずと違っている。あたりまえの話だ。とすれば、自分自身の個人的な「家族観」とやらを守るために、他人の家族のあり方に注文をつける態度は、少なくとも私には思いもよらぬことだ。失礼にもほどがある。 不思議なのは、日本の伝統的な家族観を守るためには、伝統的家族観を守りたいと思っていない人たちに対しても伝統的家族観を守ることを強制しないといけないと思い込んでいる人たちがいることだ。 彼らは、いったい何者なんだろう? そういえば、百田尚樹さんの著書『日本国紀』の帯には、 「私たちは何者なのか」というキャッチコピーが大書されていた。 せっかくなので、この場を借りて、私も問うておきたい。 あんたたちは何者なんだ?』、「自分自身の個人的な「家族観」とやらを守るために、他人の家族のあり方に注文をつける態度は、少なくとも私には思いもよらぬことだ。失礼にもほどがある」、同感である。

次に、12月17日付け東洋経済オンラインが転載した「ニューズウィーク日本版」ウェブ編集部の在米作家の冷泉彰彦氏による「「夫婦別姓」反対派の主張がよくわからない訳 「古きよき日本」という意味不明の幻想のせい?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/395956
・『「古きよき日本」という幻想が崩れるのが苦痛だという、極めて概念的な原理主義ならその理屈は理解できるが……。 自民党内の保守派は「選択式夫婦別姓制度」について頑強に反対しています。しかし時代が少しずつ進むなかで、有権者の世代交代が起きてくると、選挙に落ちては大変ですから多くの議員は徐々に態度を軟化させてきました。これを受けて、最高裁大法廷で審理されることになったので、判例変更となるかもしれません。 報道によれば、別姓反対派は、この11月に自民党内の議員連盟として「『絆』を紡ぐ会」というのを結成したそうです(発起人は高市早苗議員、山谷えり子議員、片山さつき議員など)。その会は12月3日に、下村博文政調会長に対して、選択的夫婦別姓の導入には慎重に対応するとともに、旧姓の通称使用を拡充するよう求める提言書を手渡したそうです。 提言書の中では、夫婦同姓は「子育てや夫婦親族相互扶助の環境づくりの土台」として、別姓に関しては「子どもたちの心への影響を考えれば慎重になるべきだ」としていると報じられています。 この問題で、今ひとつわからないのは、こうした反対派の本音です。今となっては、イデオロギーによる勢力争いになっているので、高齢保守票を抱えた選挙区の議員、組織票がなく高齢保守票にも手を伸ばさざるをえない議員などは、立場を硬化して票を固めるしかないのかもしれません』、「『絆』を紡ぐ会」には、大蔵省に1番で入ったというれる秀才の「片山さつき議員」がいるとなると、全く理解不能だ。
・『子供への「いい影響」の不可解  ですが、とくにこの問題については、とにかく反対派の理屈と心情が見えないのです。例えば、似たような保守派の主張として、婚外子(非嫡出子)の相続差別肯定という問題があります。これは既に最高裁判決が出て民法も改正されていますが、一時は差別を肯定する保守派が頑強に法改正反対を叫んでいました。 この問題では「ほかの女性との間で子供を作る男性の正妻は、じっと耐えて家を守っているので、少なくとも自分の子供と婚外子とは相続で差をつけなくては我慢がならない」という「イエ」や「正妻」の立場からの議論というように考えれば理解はできます。間違っていますし、すでに是正もされた問題ですが、当時の反対論は何を根拠にしていたのかはイメージできるわけです。 ところが、夫婦別姓反対論というのは、その根拠が見えません。例えば、今回の「会」の主張では、「通称として旧姓利用を拡大すべき」としながら「戸籍だけは同姓」にするというのが、「子どもたちの心への影響」にとって大切というのですが、まったく意味不明です。 お母さんは旧姓を通称として学会発表をしたり、それこそ国会議員として活躍したり、ビジネスの交渉をまとめたりしているが、家にいるときは夫婦同姓の戸籍謄本を見せて育てると、子どもにいい影響があるなどという理屈は、やはり理解不能でしょう』、同感である。
・『アメリカ宗教保守との類似  ひとつ想像できるのは、「嫁」が旧姓で学術やビジネスの世界で活躍すると、自分や息子がみじめになると勝手に思い込んで「嫁」の悪口を言う姑が、せめて戸籍だけでも自分の「家」に入って同姓にしてくれていると多少態度が落ち着くようになり、孫への悪影響が減るというストーリーはあるかもしれません。ですが、そうした個別で個人的な心情が政治的な主張に発展するというのは不自然です。 考えられるのは、「古きよき日本」という意味不明の幻想があって、その幻想が1つひとつ崩れていくのが苦痛だという、極めて概念的な原理主義ということです。であれば、アメリカの宗教保守票とか、イスラム圏の原理主義的な心情と同種のものとして頭では理解できます。 それが心情のレベルまで食い込んでいるので票になるということなのでしょうが、それでも、どうしてこの問題なのかというのは、やはり納得がいきません。「日本の家族」を守り、「子どもの心情」に寄り添いたいのであれば、「ローテーション目的だけの転勤や単身赴任」「長時間労働」「儀礼や社交目的の宿泊出張」などをやめるか減らすほうがはるかに大切だと思うのです』、「「古きよき日本」という意味不明の幻想があって、その幻想が1つひとつ崩れていくのが苦痛だという、極めて概念的な原理主義ということです。であれば、アメリカの宗教保守票とか、イスラム圏の原理主義的な心情と同種のものとして頭では理解できます」、大変興味深いアナロジーだ。「「日本の家族」を守り、「子どもの心情」に寄り添いたいのであれば、「ローテーション目的だけの転勤や単身赴任」「長時間労働」「儀礼や社交目的の宿泊出張」などをやめるか減らすほうがはるかに大切だと思うのです」、極めて説得y的だ。

第三に、12月22日付け現代ビジネス「「選択的夫婦別姓」文言削除のウラにあった「自民党女性議員の攻防」」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78495?imp=0
・『「おはようございます。 ご報告が遅くなりました。 最終的に男女共同参画基本計画案から「夫婦別姓」の文言も削除させました。一安心です。」 12月17日早朝、杉田水脈衆議院議員はツイッターでこう発信した。 (杉田水脈氏のツイッターはリンク先参照) 杉田氏は、朝日新聞の「夫婦別姓の表現、自民が変更 反対派の異論受け大幅後退」との見出しの記事を紹介した上で、 「この記事の最後に、制度導入をめざす「選択的夫婦別姓・全国陳情アクション」の事務局長の言葉が載っています。 「反対した自民党議員も、どんな支持層からの反対の声があったのかを明らかにするべきだ」 私に多く寄せられたのは支持団体ではなく、一般の皆さまの声です。」としている。 「一般の皆様の声」というなら、昨今の世論調査等を見れば賛成派が多数。しかし、杉田氏のツイッターへのコメント欄を見れば、反対派が圧倒的。杉田氏にとって「一般の皆様」とは、自分の支持者のみであることがわかる』、「杉田氏にとって「一般の皆様」とは、自分の支持者のみであることがわかる」、同感だ。
・『「削除」は最高裁判断への布石か  しかし、今回なぜ自民党は「夫婦別姓」の文字を削減したのか、いや、誰に「削除させられた」のだろうか。 それは杉田氏らの貢献というよりは、直前の12月9日に最高裁が、夫婦別姓を求める2つの特別抗告審を大法廷に回付すると決めたことが大きいのではないか。 これまでの家族法が現在生きている人々の生活と齟齬を来していて、そうしたルールを変えようとするとき、自民党が動くことはない。 それは、「女性活躍」を促す外圧(1975年国連後援第1回世界女性会議)や「憲法違反」判決(2013年、2016年最高裁)を使って、「自分たちは反対したが、世界情勢や司法判断でこうならざるを得なかったのだ」と、自らの責任を回避するためである。) 2016年には最高裁で違憲判断が出なかった夫婦別姓だが、今回は後ほど述べるように何らかの判断が出る可能性も少なくない。 もし今回でなくても時代の趨勢は既に決している。いずれにせよ数年後には司法判断が出るであろう。そうなれば夫婦別姓はいやでも法的対処が必要となる。どうせ改正されるのであれば、まずは「反対」を主張しておこう。 文言を削除するぐらいオーバーに主張した方が良い。そうやっておけば支持者は納得し、地盤固めになるという魂胆なのである。 たとえば、婚外子差別や再婚禁止期間。どちらも立法での対応が求められていたが、自民党政権では何も動く気配はなかった。 しかし、2007年に無戸籍問題が社会問題化され、その救済とともに再婚禁止期間を100日に短縮する特例法が、与党自民党・公明党PTから出された。 ところが、たまたまそのときの法務大臣はバックラッシュ期に日本会議等で活躍した長勢甚遠氏で、彼はこの特例法を潰しにかかり、法案は幻と消える。 しかし、それなりの力業で潰したものが、その後遠からぬ時期に最高裁で「違憲」とされ、立法府での法改正を迫られることになった。そうなると今度はしれっと、あっさり改正は実現、ほぼ議論はなかったのである。本気で闘う議員などいない。 「憲法違反」と言えば、支援者とて納得せざるを得ない。結局、保守系議員にとっては「闘ったふり」をすることが大事。ファイティングポーズを取ったか否かが評価につながる。 法改正が実現しても、彼らがかつて主張していた「婚外子の相続分差別がなくなると不倫が増える」「妻の地位が脅かされる」「家族の絆が失われた」などという話はついぞ聞かれない。保守派が主張していたことに、エビデンスはないのである』、「「憲法違反」と言えば、支援者とて納得せざるを得ない。結局、保守系議員にとっては「闘ったふり」をすることが大事。ファイティングポーズを取ったか否かが評価につながる」、自民党右派の行動原理が分かったような気がする。
・『閣僚経験女性議員たちの闘い  さて、この選択的夫婦別姓議論で注目すべきは、法案そのものの行方もさることながら、閣僚経験のある女性議員たちの党内での動きである。 「ガースー」総理が、どうやら器ではないことがはっきりしてくるにつれて、「ポストガースー」の動きも盛んになってくるだろう。 その際に「飛び道具」もしくは「瓢箪から駒」で女性総理誕生も全くありえない話ではないだろうし、「副総理」等の役職に抜擢ということもあるのではないだろうか。 野田聖子幹事長代理は、「セクハラ対策とか選択的夫婦別姓は、女性政策だとは思っていない。この国の国策だと思っている。岩盤規制とよく言われているが、これを変えていかないと次の日本は出現しない」と、自らの政策の柱であることを常々発信している。 また、保守派で「安倍ガールズ」稲田朋美元防衛庁長官が賛成に舵を切る一方、同じく古参の「安倍ガールズ」高市早苗元総務大臣は反対を主張している。それぞれの主張を注意深く見ていくと、実はこれが将来の総裁選への布石とも見えてくる。 たとえば、稲田朋美衆議院議員。「女性がいない民主主義」を連発し、寡婦控除の見直し等で尽力し、防衛大臣時代の苦い経験から女性を味方につけて一気に再起してきた。しかし、夫婦別姓に関しては「賛成」の立場を取りつつも、実は保守派に対して十分に「言い訳」できる立ち位置にいるのだ』、「稲田朋美衆議院議員」はなかなか巧に振舞っているようだ。
・『「稲田議員が夫婦別姓容認」は虚偽か  稲田朋美氏の秘書で、元宝塚市会議員の大河内茂太氏がFacebook(公開)で、稲田氏の選択的夫婦別姓について言及している。以下、大河内氏の投稿である。 稲田朋美に対抗して作られた「(絆)議連は、子供の姓をどちらにするのかで家庭内で混乱や対立が生じる事態などを危惧。旧姓の通称使用の拡大などを検討する方針」とのこと。 (1)選択的夫婦別姓反対 (2)選択的夫婦別姓賛成 (3)婚前氏続称制度 稲田の提唱する「婚前氏続称制度」は、選択的夫婦別姓とは異なります。 夫婦は同氏(ファミリーネーム)を選び戸籍に明記するため、子供はその氏しか名乗れないし、その氏しか相続できません。この点は現状のままです。したがって子供が名乗るべき氏について「混乱や対立」は生じません。 「婚前氏続称制度」は、旧姓を使い続けたい人は戸籍にその旨を記載することで、旧姓(婚前氏)に限って法的に使えるようにし、不便を解消します。 その反面、旧姓に限らずおおよそ通称と名のつくものは、極力使用できなくします。その先鞭となる制度です。通称という得体の知れないものを極力排除することで社会の混乱を防ぎます。 具体的には述べませんが、この「通称使用の弊害の防止」は、保守が大歓迎する制度のはずです。(中略)稲田朋美は「伝統と創造」を掲げて政治活動を行なっている。 本来、保守主義は多様性や改革に寛容な思想です。自分が間違っているかもしれないという謙虚な気持ちから伝統を重んじると同時に、多様性や漸次的な改革にも肯定的なのです。 ここが自分の知性を信じ切る高慢な革新主義者との大きな違い。 いつの時代も変えるべきではないもの(私個人的にはそれは男系の皇位継承だと思っている)と、漸次的に改革しても良いものがある。 さて、稲田は最近、LGBTや夫婦別姓について肯定的な発言を続けており、保守界隈からは非難轟々なのですが、ちょっと待ってもらいたい。 男色が普通のことだった戦国時代や江戸時代に家族の形は壊れたのですか?それは共産党の陰謀だったのですか? 明治になるまで庶民は姓を名乗れず、武家は夫婦別姓でしたし、つい最近まで事実上の一夫多妻が普通でしたが、家族は崩壊していたのでしょうか? なお、稲田が提唱する婚前氏続称制度はファミリーネームはあくまで一つで子供もそれを名乗り継承する制度です。 絶対に死守すべき「伝統」と漸次的に改革しても良い「創造」を分けましょう。 稲田は「伝統」を死守し、多様性に寛容な真の保守主義者です。 大河内氏は、こうした稲田氏の主張に共鳴する後援者からの声を紹介している。 國體護持を掲げる稲田代議士を敵視する左翼勢力は、「稲田議員が夫婦別姓容認」等と虚偽の報道を流し、保守層の分断工作を画策しています。 保守を標榜される皆様に於かれては、決して報道を鵜呑みにしたりメディアに踊らされる事無きよう、真実を理解しましょう。 つまり、保守派は報道を鵜呑みにしてはいけない。「稲田議員が夫婦別姓容認」等とは虚偽報道だと言っているのだ。一方で、リベラル派が自分たちの主張に寄ったと誤解するならそれでいい、とも読み取ることができる』、「稲田の提唱する「婚前氏続称制度」は、選択的夫婦別姓とは異なります」、確かなようだ。
・『「婚前氏続称制度」は「あだ名制度」  稲田氏が主張する「婚前氏続称制度」が、既に定着している「婚氏続称制度」を元にしていることは間違いないだろう。 婚氏続称とは、離婚後に婚姻時に使用していた氏を呼称上の氏(あだ名)としてそのまま使い続けられるというものだ。実はこれは、1人の人間に「民法上の氏」と「呼称上の氏」が二重に存在するという摩訶不思議な制度なのだが、婚前氏続称は、婚氏続称を拡大していくということだと理解できる。 シミュレーションしてみよう。 たとえば、「松尾」という女性と「佐藤」という男性が結婚する。妻はいったん夫の氏「佐藤」を選択するが、その後、婚前の氏である「松尾」を使用する届けを出し、戸籍にはその旨が記載され、「呼称上の氏」として民法上「松尾」は本名扱いになり、パスポートも銀行口座も「松尾」で使用できることになる。 ただ、この「呼称上の氏」というのは、本名扱いをされてはいるが、いったん夫の氏を選んでいる以上、「あだ名」という側面が強い。つまり、「松尾礼子」さんは「松尾(っち)礼子」。一度強制的に一つの氏を選んだ以上、「本名」と「本名扱い」の差はやはり存在するのである。 そもそも「一つの氏を選ぶ」ことに対する違和感や尊厳を傷つけられると感じる多くの「松尾っち」の気持を、自民党の誰がどう理解しているのであろうか。 やはり閣僚経験者の片山さつき衆議院議員は、「明治以来ある戸籍法で、戸籍の公称をどうするのかの話があって、そこを検証しないで、ここだけいじろうとか、法改正を出そうとすること自体が過去自民党が長く積み上げてきた議論からして非常におかしい」と発言している。 「婚前氏続称制度」での二重氏の問題をどうクリアしているのか、聞いてみたいところだ。) ただ、今回の最高裁大法廷は、「婚氏続称」が戸籍法で規定されていることに関し、離婚後だけでなく婚姻するときにも認めないと、制度的公平性が保たれないという角度からも審議される。 「松尾」「佐藤」の例で言うならば、現行では婚姻時に「佐藤」を選んだ場合、離婚後も「佐藤」を使い続けることはできるが、民法上の氏はもとの「松尾」に戻る。つまり続称として「佐藤」を選択した場合でも、民法上は「松尾」なのである。それを認めているなら、そもそも「井戸(っち)」「山崎(っち)」として婚姻できるはず、という論法だ。 私という1人の人間は「佐藤」か「佐藤(っち)」か、「松尾」か「松尾(っち)」か、「井戸」か「井戸(っち)」なのか——。説明するだけでややこしい。 一部の学者が、民法や戸籍法にこのような二重氏が生じること自体がおかしいと主張しても、戸籍の専門家以外は問題の中身を理解するのが難しく、一般の国民は二重氏という矛盾を考えないように仕向けられているとも言える。 これを改めるには、そもそも婚姻時に一つの氏を選ばなければならない現行の婚姻制度を見直し、選択的夫婦別姓を導入することが、実は最も簡単な解決なのである。 ただ、選択的夫婦別姓推進派も、文言削除されたことに対して、目立つような反対の声を上げてはいない。それは冒頭に指摘したように、司法も含めた「外圧」を見極めた上で行動することが、自民党という組織の中で多数派を占めていくための戦術だからである。総理は能力で決まるのではない。彼女たちは、菅総理誕生でまざまざと見せつけられたのだ。 選択的夫婦別姓は、70代、80代の男性議員が力を持つ組織の中で、女性議員が権力の座へと向かう際の試金石、もしくはガラスの天井そのものなのである』、「女性議員が権力の座へと向かう」のが誰になるのか、注目したい。
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