SSブログ

安倍政権のマスコミへのコントロール(その13)(官邸記者クラブが菅長官に屈する理由 東京新聞・望月記者いじめ2年半―分断越えるため何が必要か、”緊急事態宣言”をあらゆるテレビ局が同時に中継する「大本営発表」日本は大丈夫なのか?、番記者よ 奮起せよ──コラムニスト・小田嶋隆)、新聞・TV「政府の言いなり」の何とも呆れる実態) [メディア]

安倍政権のマスコミへのコントロールについては、1月12日に取上げた。今日は、(その13)(官邸記者クラブが菅長官に屈する理由 東京新聞・望月記者いじめ2年半―分断越えるため何が必要か、”緊急事態宣言”をあらゆるテレビ局が同時に中継する「大本営発表」日本は大丈夫なのか?、番記者よ 奮起せよ──コラムニスト・小田嶋隆)、新聞・TV「政府の言いなり」の何とも呆れる実態)である。

先ずは、2月18日付けYahooニュースが掲載したフリージャーナリストの志葉玲氏による「官邸記者クラブが菅長官に屈する理由、東京新聞・望月記者いじめ2年半―分断越えるため何が必要か」を紹介しよう(付注は省略)。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20200218-00163529/
・『異例の状況が2年半にわたって続いている。政権を厳しく追及することで知られる東京新聞の望月衣塑子記者が、内閣官房長官の会見で質問しようと手をあげても、必ず最後に回され、質問できたとしても2問までという彼女限定の「ルール」が適用されているのだ。先月22日から今月11日までは、望月記者が全く質問できないことが続いた。こうした質問制限に、官邸記者クラブである内閣記者会が関与している、或いは黙認しているという疑惑が持ち上がっている。その背景には「政治家と接近して情報をもらう」という日本の政治報道の取材スタイルが故に、政権側のコントロールを受けやすいという問題がある。メディア関係者らに日本の政治報道の弱点をきいた』、「東京新聞の望月衣塑子記者」は、社会部出身ながら、官邸記者クラブに所属し、忖度しない姿勢を貫いた姿勢が、ドキュメンタリー映画「i 新聞記者ドキュメント」に取上げられことは有名だ。
・『望月記者への質問制限に記者会が関与?  「(官房長官の)番記者たちが『望月が手を挙げても指させない』と内々で決めたとの情報が届いた」―先月29日、東京新聞の望月衣塑子記者が自身のツイッターに投稿。その後、「『内々で決めた』との情報だったが、実際は、私の抗議以降菅官房長官側が激怒し、番記者が指名を促しづらい状況に追い込まれているようだ」と若干軌道修正したものの、彼女に対する質問制限に対し、内閣記者会が少なくとも黙認していることを示唆した。 望月記者の投稿での「私の抗議以降」「菅官房長官側が激怒」とは、先月22日、会見の中で、望月記者が「不当な扱いを受けている」と発言したこと。同日から菅義偉官房長官がオフコン(非公式なオフレコ取材対応)を拒否。匿名の情報提供者によれば、内閣記者会の番記者達は、望月記者の訴えに耳を傾けるどころか、菅官房長官の機嫌を損ねた望月記者を「厄介者」とみなし、会見の幹事社や東京新聞への不満が高まったのだという。望月記者のツイートには、そうした背景があるようだ。望月記者は、この22日以降、会見で手を挙げても指されず1問も質問できなくなることが続いた。 ツイッターでの投稿が騒動となったためか、今月11日から、望月記者は、ようやくまた質問できるようになったものの、 「指名が必ず最後に回され、質問できたとしても2問まで」という、彼女に対する明らかに差別的な扱いは続いている。また、内閣記者会加盟のある新聞社は、筆者の取材に対し「(望月記者が求める状況の改善について)我が社としては改善を求めているが、記者会としては意見をまとめられていない」と白状した。つまり、望月記者の「告発」はそれなりに根拠のあるものだと観るべきだろう』、「記者会としては意見をまとめられていない」、とは「記者会」もだらしない。
・『菅官房長官に屈した内閣記者会  「会見では、記者は自由に質問できる」という建前とは裏腹に、望月記者への質問制限に対し、会見の主催者であるはずの内閣記者会は、何故、菅官房長官側に強く出られないのか。朝日新聞の政治部記者で新聞労連の委員長を務める南彰氏は「取材方法としてオフコン(注)を重視しすぎている日本の政治報道の文化があるのでは」と指摘する。 「日本のメディアでは、政治部記者、特に政府高官に張り付いて取材する番記者の役割は、会見で質問することだけではなく、むしろ、政府高官が宿舎に帰るところ等の非公式な場で、会見では語らない本音や政府内の動きを聞くことだとされています。官邸に集まる情報を握り、安倍首相よりも思想・信条に左右されず記者に対応している菅官房長官は、番記者達から重宝がられているのです」(南委員長)。 だが、政治家に接近し情報をもらうというオフコンを重視し過ぎることは、記者達の立場を弱くすることにもなる。 「2017年8月に、それまで原則として記者側の質問が続く限り打ち切られなかった官房長官会見を、『公務』を口実に打ち切ることを、内閣記者会は受け入れてしまった。それは、望月記者の厳しい追及に追い詰められた菅官房長官がオフコンを拒否するようになり、番記者達も苦しい立場に追いやられたからです」(南委員長)。 「公務」を口実にした会見の打ち切りこそ、望月記者への質問制限として菅官房長官が活用してきたものであるが、それにとどまらず、政権側に都合の悪い質問を避けるために使われてきている。「桜を見る会」の問題が国会で追及されるようになってから、官房長官会見はどんどん短くなり、10分以内で「公務があるので…」と菅官房長官が退散することも幾度もあった。だが、政府のスポークスマンである官房長官の会見も「最重要の公務の一つ」(南委員長)だ。オフコンを重視するあまり、メディアが視聴者や読者の「知る権利」を保障できていない、ということになってはいないか』、「政治家に接近し情報をもらうというオフコンを重視し過ぎることは、記者達の立場を弱くすることにもなる」、「「公務」を口実にした会見の打ち切りこそ、望月記者への質問制限として菅官房長官が活用してきたものであるが、それにとどまらず、政権側に都合の悪い質問を避けるために使われてきている」、記者会見が政府広報の場と化しているのは、問題だ。
(注)オフコン:非公式の囲み会見で、記事化しない「オフレコ」が原則。
・『オフコン重視の弊害、権力に媚びるメディアに  記者達が政権に「忖度」するようになることも、オフコン重視の大きな弊害だ。政権側の機嫌を損ねれば情報が取れなくなることや、政権側との距離が近くなりすぎることから、権力を監視するというジャーナリズムの役割を果たせなくなる。国連「表現の自由」特別報告者のデビッド・ケイ氏が2016年に来日し、日本の報道関係者らに聞き取りした時、同氏が困惑したのは、「メディアの自主規制」を訴える声が多かったことだった。政権側に批判的な報道をしようとすると、同じメディア内の政治部が怒鳴り込んでくるということが多々あるのだ。 内閣官房長官会見に参加していた、あるメディア関係者は「記者達の感覚が麻痺している」と筆者に言う。「以前、私が会見で官房長官を追及しようとした際に、ある全国紙の記者が『望月さんみたいなことをしない方がいい』と言ってきたのです。それはおかしくないかと私が聞き返すと『望月さんが知る権利を行使すれば、記者会の知る権利が阻害される。官邸側が機嫌を損ね、取材に応じる機会が減っている』と、その記者は言ったのです」(同)。 このような権力とメディアの馴れ合いこそ、昨今のメディア不信の原因であろうが、それを反省するどころか、一層の馴れ合いが進んでいる傾向すらある。別のあるメディア関係者が筆者に語ったところによれば、内閣記者会の番記者達の中には、メディア不信について「君たちはよくやっている」と、菅官房長官に慰められている者達もいる有様だというのだ』、「政権側に批判的な報道をしようとすると、同じメディア内の政治部が怒鳴り込んでくるということが多々ある」、政治部記者はまるで官邸の回し者だ。「『望月さんが知る権利を行使すれば、記者会の知る権利が阻害される。官邸側が機嫌を損ね、取材に応じる機会が減っている』と、その記者は言った」、恐ろしいほどの「権力とメディアの馴れ合い」だ。
・『メディアが共闘できる素地を  メディアが本来の役割を果たすには、やはり政権との緊張感が必要だろう。前出の南委員長は「オフレコの取材で話した内容をひっくり返して、自身のSNSで否定する政治家も出てきている。オフコンなどのオフレコ取材を過度に重視する政治報道の在り方を見直すべきなのでしょう」と語る。「責任あるかたちで、公開の会見で、記者側が政権に説明を求めていくことが必要です」(同)。オフレコ取材では、人々に広く知らせるべき重要な事柄であっても報道することができないし、仮にできたとしても責任の所在が問われない。政権とメディアによる「目隠し」の裏で、重要なテーマが語られ、対応が決められていくことは、国民主権の民主主義という観点からすると極めて不健全だ。また、本稿で述べたようにメディアがオフレコ取材を過度に重視していることは、権力側によるメディアの分断にも利用されている。「物陰からのジャーナリズム」から、「開かれた場でのジャーナリズム」となることで、各メディアが「報道の自由」のため、共闘できる素地も生まれるのではないか。 米国では、トランプ大統領にホワイトハウス入館証を取り上げられたCNNのジム・アコスタ記者(動画参照)のために、多くのメディアが主義主張や会社の枠を越えて連帯を表明、トランプ政権も同記者への入館禁止措置を撤回した。また、この件ついては日本からも新聞労連が声明を発表した。筆者も全く同じ思いである。 有権者たる人々の「知る権利」を保障し、権力の暴走を監視するジャーナリズムが健全に機能することは、民主主義国家の根幹を支えるものだ。だからこそ、個々の記者のジャーナリズム精神に期待することのみならず、権力にコントロールされないよう、報道の在り方自体を変革することが必要なのだろう。(了)』、「政権とメディアによる「目隠し」の裏で、重要なテーマが語られ、対応が決められていくことは、国民主権の民主主義という観点からすると極めて不健全だ」、「権力にコントロールされないよう、報道の在り方自体を変革することが必要」、その通りだ。

次に、3月8日付けYahooニュースが掲載した上智大学教授・元日本テレビ「NNNドキュメント」ディレクターの水島宏明氏による「”緊急事態宣言”をあらゆるテレビ局が同時に中継する「大本営発表」日本は大丈夫なのか?」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/mizushimahiroaki/20200408-00172060/
・『戦後、初めてとなる法律(新型コロナ特措法)に基づく首相による「緊急事態宣言」。 すべての国民に告げる安倍首相の記者会見が4月7日19時から行われた。 しかもほとんどの局が「L字画面」と呼ばれる画面の左側と上下側に「緊急事態宣言」などと大きな字でも情報を報道し、緊迫した状況であることを伝えていた。 その様子は公共放送のNHKだけでなく、あらゆる民放テレビでも生中継された』、確かに異様だった。 
・『なぜすべてのテレビが安倍首相の記者会見を生中継したのか?  NHK:16時50分から「ニュース シブ5時」「首都圏ネットワーク」と夕方は緊急事態宣言一色の報道だった。 19時からの「NHKニュース7」では番組開始と同時に行われた安倍首相の緊急記者会見を番組枠を拡大して20時45分まで放送した。 その後で「首都圏ニュース」をはさんで21時からの「ニュースウオッチ9」では首相会見の映像を振り返りながら、安倍首相本人がスタジオに生出演。こちらも番組枠を拡大して22時30分まで放送した。 22時30分からの「クローズアップ現代+」つづく「ニュースきょう一日」とほぼ緊急事態宣言について放送を続けた。 この間、NHKの画面に登場した映像の大半は安倍首相の顔。音声の大半は首相の声だった。  日本テレビ:ふだんは19時前で終了する夕方ニュースの「news every.」を拡大した。19時から安倍首相の記者会見の生中継を中心に「news every.特別版」として放送した。 MCは藤井貴彦アナ。 20時54分からは夜ニュース「news zero速報版」、21時からはMCが有働由美子に替わって「news zero特別版」を放送。23時からはレギュラーの「news zero」の枠で緊急事態宣言について放送した。小池百合子東京都知事や吉村洋文大阪府知事が中継で出演した。  TBS:ふだんは19時前で終了する夕方ニュース「Nスタ」を19時以降も拡大して「Nスタスペシャル 新型コロナウイルスで緊急事態宣言」を20時57分まで放送。安倍首相の記者会見の生中継を中心にして、MCは「Nスタ」の井上貴博アナが務める。スタジオでは「NEWS23」のアンカーマン星浩もコメントする。安倍首相の記者会見の生中継の他に小池都知事の会見映像も入る。  テレビ朝日:ふだんは19時前で終了する夕方ニュース「スーパーJチャンネル」を19時以降も拡大して20時54分まで安倍首相の記者会見の生中継を中心に放送した。MCの渡辺宜嗣アナが進行して埼玉県大野元裕知事の中継インタビューなども入れる。 21時からは「報道ステーション」をいつもより54分早めに開始して「報道ステーション緊急拡大スペシャル」を23時15分まで放送。吉村大阪府知事、小池都知事が生中継で出演する。 フジテレビ:ふだんは19時前で終了する夕方ニュース「Live News it!」を事実上延長した形で「FNN特報 首相が緊急事態宣言を発令」という特番を21時まで放送。夜ニュースの「FNN Live News α」は通常通りに放送した。  テレビ東京:18時55分から2時間スペシャルのバラエティー番組「ありえへん∞世界 埼玉人のありえへん生態を大調査!」を放送したが、その冒頭で「緊急事態発令 池上彰が生解説!」を14分半ほど差し替えて首相会見の中継を入れて池上彰がスタジオで解説した。 さらに22時から「緊急報道スペシャル 安倍総理が生出演『緊急事態で日本は?生活は?』」を放送。MCは「ワールドビジネスサテライト」の大江麻理子アナ。安倍首相がスタジオで生出演した他、中継で神奈川県の黒岩知事も出演した。23時からは「ワールドビジネスサテライト」を放送した』、私も「テレビ東京、お前もか」とガッカリした。 
・『テレビ東京まで緊急特番を放送した。  これはこれまでにない異例なことだった。 2011年の東日本大震災のときはテレビ東京も含めてテレビは「震災特番一色」になったが、テレビ東京まで緊急特番で他のテレビ局と足並みを揃えるのはかなり久しぶりで珍しいことだ。 熊本地震でも西日本豪雨災害も他のテレビ局が「緊急特番」を放送していても、この局だけはバラエティー番組やドラマを放送するなど”独自路線”を貫いてきた。 テレビ東京は、あたかも横並びを嫌って社会が深刻な状況になっても笑いを追求する番組放送に撤する印象だったことでネットでは「さすがテレ東」などと称賛されたりしてきた。 一つには同局の場合は地方局のネットワークが他の民放の系列局に比べて極端に弱いことや報道記者なども数も脆弱で「特番をやりたくてもできない」という事情もあるのが実態だと思われる。 ところがそういうテレビ東京までこの夜は「緊急特番」を放送したのだ。 結果としてNHKからテレビ東京まで横並びで安倍首相の記者会見を放送した。 この記者会見は、緊急事態にあたって政府が国民の私権を一部制限する「緊急事態宣言」を発動するというものだ。 戦前戦中でいえば「宣戦布告」「戦争終了」などの際の国家のトップの行動に近い。かなり権力的な行為なのだ。 だからこそ、このテレビの完全に横並びの感じは実は警戒すべきことなのではないのか? まるで戦時の「大本営発表」のような“体制翼賛”のにおい。 メディアが一気にこうなってしまう日本という国は大丈夫なのか。 筆者は違和感をもった。 もちろん新型コロナウイルスはあらゆる国民にとって一大事であり、感染拡大の防止に努めないと国家も社会も損失が大きいことは重々承知している。 それにしても・・・「大丈夫なのか」という思いをぬぐえないのだ。 だから、ここでは「テレビ報道」を専門とし、日々の放送をチェックしてきた人間として、「気になること」を書いておきたい』、「このテレビの完全に横並びの感じは実は警戒すべきことなのではないのか? まるで戦時の「大本営発表」のような“体制翼賛”のにおい。 メディアが一気にこうなってしまう日本という国は大丈夫なのか」、全く同感である。
・『なぜNHKニュースに安倍首相が生出演するのか?  衆議院選挙や参議院選挙など国政選挙に突入するというタイミングや消費税アップなど何か「政治的な節目」のたびに安倍首相がその日の夕方や夜のNHKのニュース番組に生出演する。 現在は「お約束」のようになっている。 若い視聴者は「首相がNHKに生出演するのは当然のこと」と思っている人が多いかもしれない。 だが、実はこれほど定例行事になったのは比較的最近のことで2012年の第2次安倍政権の登場の後だ。 NHKが安倍首相に出演ほしいと頼んだ?(1) 安倍首相がNHKに出演させろと頼んだのか?(2) これはいったいどっちなのかと筆者に問い合わせてきた人がいる。 こうした場合にニュース番組へ首相の出演がいつもの「お約束」のようになっているのだから疑問に思うのも無理はない。 だが、この疑問に対する答えは実のところ「かなり微妙」なのだ。 もちろん、日本は全体主義の国ではないし、NHKは国営放送ではない(NHKは公共放送である)ので、「首相がオレを出演させろと頼む(あるいは、指示する、命じる)こと」は通常はない。 だから表面的には(あるいは手続き的には)正解は(1)なのだが、NHKをめぐる状況を考えれば、(2)ではないとは100%断言することはできないことも事実なのだ。 もしものことだが、こういう日に安倍首相を出演させないという判断をNHKの側がしたとしよう(現実的にはあまり想像できないが)。 そうするとどうなるのか? 安倍首相は、言うことを聞かないNHKに対して「強制力」を使うことになる。 「オレを生出演させた番組を放送しろ」と指示することが法律上はできるのである。 「新型ウイルス対策特別措置法」という先日成立したばかりの法律でNHKが「指定公共機関」になっているからだ。 政府がこういう放送をしろ、と「命じることができる」のだ』、「「新型ウイルス対策特別措置法」のドサクサ審議にかまけて、飛んでもない条項を入れたものだ。野党は反対しなかったのだろうか。
・『NHKは事実上国営放送なのか?  フリーアナウンサーの久米宏はずっと「NHKは国営放送だから民放にすべきだ」と批判してきた。 彼の指摘は正確ではない。正確には国が直接運営する「国営放送」ではない。 「みなさまから徴収させていただく受信料」で運営されている「公共放送」というのが正確な言い方だ。 だが、久米の表現に「事実上」という言葉をつけるなら、「事実上、国営放送」だという言い方もあながち間違いではない。 いざとなれば「命じることができる」という力関係は、実際に「命じる」という行為がなくても人を従わせることができる。 組織ではわざわざトップが命令・指示する前に、指示される側が「前もって自分から行動しておくこと」が大事だとされる。 親に怒られた子どもが次からは怒られないような行動をとるようになる。 それと同じことが起きているのがNHKである。 NHKは親に怒られる前に怒られないように、親が望むことを先回りしてきちんと行う「よい子」なのだ。 「親」を「政治」や「政権」に読み替えて考えるとわかりやすいだろう。 NHKという組織は職員の身体の隅々にまで「忖度」の体質が染みついているということを職員の人たちから笑い話で聞くことがある。 この組織では「忖度」できる人が出世していくという』、「NHK」では「「忖度」できる人が出世していくという」、大いにありそうなことだ。
・『かんぽ生命をめぐる元総務次官の抗議とNHK会長の謝罪  NHKと政権との関係を象徴的に見せたのが、不正な営業を続けていた「かんぽ生命」(日本郵政グループ)についてNHKの「クローズアップ現代+」の取材のやり方をめぐって、日本郵政の副社長に天下りしていた元総務省事務次官がNHK側に抗議し、NHKの会長人事を決定できるNHK経営委員会にまで圧力をかけて対応の見直しを迫っていた出来事だった。 NHK経営委員会はNHK会長に厳重注意し、その後にNHK会長の謝罪文がNHKの放送部門のトップから「かんぽ生命」側に手渡された。 経営委員たちが番組内容にも事実上口出しをしていたことが判明している。 経営部門(経営委員会がトップ)と執行部門(NHK会長がトップとして番組の放送に責任を持つ)は別で、経営委員会は番組内容に口出ししてはならない建て前になっているが、事実上は「口出し」まで行われていたのである。 NHKの経営委員を決めるのは首相で、安倍首相に近い人物が続々と任命されている。 つまりNHKは「人事」を政治に握られている。 「人事」だけでない。「予算」も「制度」も国会で承認されなければ通常の仕事ができない。 久米宏がよく口にする「NHKは人事も予算も政治に握られている」という表現はわかりやすい』、「NHKは人事も予算も政治に握られている」とは言い得て妙だ。
・『同時配信の実施直前に高市総務相からいちゃもん  今年3月からNHKが総合テレビとEテレで放送する番組は「NHKプラス」というアプリを使えば、ネット上でも視聴できるようになった。 「同時配信」が始まったのである。追いかけ視聴や見逃し視聴も可能になって、非常に便利なものでイギリスなどが10年以上前に行っていたネット上の番組配信が日本でも利用可能な時代に突入した。 国会ではNHKの「同時配信」ができるように放送法を改正する法案が通って、いよいよ実施段階と思われていた昨年末、監督官庁である総務省の高市早苗大臣から「待った」がかかり、さらに運用などの小さな修正が行われた末にようやく実現にこぎつけた。 いざというとき、政府がNHKをめぐる制度にチェックをかけられることを露骨に示した“いちゃもん”だと評された。 NHKという組織が政府の顔色をうかがいながら業務を続けていかなければならないという宿命を背負っているのはこうした事情があったのである』、「高市早苗大臣」も実に嫌味なことをするものだ。
・『“横並び”では民放も「忖度」したのか?  政権の顔色をうかがって行動するのはNHKだけなのか。 民放はもっと自由なのか。 実状はそういうものではない。 そもそもテレビ局が国民の共有財産である電波を優先的に使って放送ができるのは、総務省が免許を割り当ててくれるからである。 5年に1度更新される免許事業なので、民放各社は日頃から総務省の顔色をうかがう構図がある。 新型ウイルス特別措置法をめぐる審議では、いさというときに政府が指示できる「指定公共機関」にNHKだけでなく、民放を入れるのかどうかが議論された。 政府答弁は二転三転したが、最終的な見解は「民放を指定するつもりはない」というものだった。 現在のところ指定公共機関はNHKだけを指定するつもりだが、場合によっては民放も指定に加えることがありうるともとれる、あいまいさを残すもので、すべては政府の裁量次第だという言い方である。 こうなると新型コロナをめぐっては民放経営者も政府の顔色を気にせざるをえないのである』、これでは民放もNHKに右へならいをした訳だ。
・『三原じゅん子議員のツイート  民放テレビが安倍首相の会見をどう放送するのかについて「政治」から注文がつけられたのが3月半ばだった。 自民党で安倍首相に近いとされる三原じゅん子参議院議員が安倍首相が新型コロナウイルスについて2度目の緊急記者会見を行った3月14日、会見の直後に次のようにツイートしたのである。 今、総理の会見が終わりました。 報道の自由は理解しています。 が、この緊急事態での会見にも関わらず民放ではスルー? 連日ワイドショーで専門家という肩書きの方の言葉を伝えるより、総理のお言葉をつたえるべきでは? この日、NHKは生中継を実施し、民放では通常のバラエティー番組やアニメ番組などを放送し、報道番組を放送していたTBSだけが一部を生中継した。 三原議員は大臣などの要職についているわけではないが、「首相の緊急会見は民放も放送するべき」だと安倍首相に近い政治家が考えていることは民放側にも少なからず衝撃を与えた』、「三原じゅん子議員のツイート」は、民放をビビたせるべく、官邸が書かせた可能性もありそうだ。
・『”公共性”のアピール  こうして民放各局も、政府という「親」から怒られる前に「正しい行動をとる」という選択を行った。 安倍首相は民放については「インターネットの時代には民放は制度上なくてもいい」という考えを表明しているとも伝えられるが、そうした中で「民放も NHKと同様に公共性を果たす大事な機関」だとアピールしようとしたことが、すべてのテレビ局「横並び」での中継につながったのではないか。もちろん報道番組としての重要性も考えたに違いないが、他方で民放の存続が頭に過ぎった幹部もいたはずだ。それが筆者の見立てだ』、その通りだろう。
・『NHKだけでなく、民放も「忖度」したのである。  新型コロナ感染の「防止」はもちろん大事だが、メディアが緊急事態にどのようにふるまうのかにも注目すべきだ。 各メディアの姿勢に注目して、かつての「大政翼賛」的な息苦しい社会をつくらないような「防止」にも、私たちは目を光らせていく必要がある』、説得力溢れた主張で、全面的に同意したい。

第三に、3月11日付けGQ「番記者よ、奮起せよ。──コラムニスト・小田嶋隆」を紹介しよう。
https://www.gqjapan.jp/culture/article/20200311-the-barbarism-of-our-strongman-leaders
・『麻生太郎財務大臣兼副総理の会見でのマナーが炎上を招いたのは、すでに昨年の話題だ。なるほど、政府が重要な政治日程を年明けに設定しがちなのは、野党やメディアとの間で日々勃発する軋轢や摩擦を「去年の話題」として自動処理するための悪知恵なのであろう。実際、私が当稿の中で、いまさら麻生氏の会見マナーをつつき回したところで、「このライターさんは、去年の問題をいつまで蒸し返し続けるつもりなのだろう」という印象を与えるだけなのかもしれない。 そんなわけで、例の桜を見る会の問題も、「去年の花見の話をまだ引っ張るのか?」てなことになりつつある。事実、花見関連の闇を追及するあれこれは、新年の話題としては、もはや古くさい。テレビのような旬にこだわるメディアは、敬遠するはずだ。東北での大震災をくぐり抜けてからこっち、政治向きの話題のニュースバリューは、目に見えてその劣化速度を増している。森友&加計の問題も、謎の解明が進んでいないどころか、むしろ問題発覚当時に比べて疑惑が深まっているにもかかわらず、メディアが扱うニュースとしてのバリュー(価値)は、「古い」「飽きた」「またその話ですか?」と、まるでトウの立ったアイドルの離婚スキャンダルみたいに鮮度を喪失している。本来、ニュースの価値は、必ずしも新鮮さや面白さにあるわけではない。価値は、事件そのものの影響力の大きさに求められるはずのものだ。ところが、震災でダメージを受けたわれらメディア享受者たちの好奇心は、絵ヅラとしてセンセーショナルな外形を整えた話題にしか反応しなくなっている』、「メディア享受者たちの好奇心は、絵ヅラとしてセンセーショナルな外形を整えた話題にしか反応しなくなっている」、嘆かわしい限りだ。
・『記者を恫喝するような会見を度々繰り返す麻生太郎副総理兼財務相。写真の着こなしや雰囲気をかつて『ウォール・ストリート・ジャーナル』は「ギャング・スタイル」と評したが、会見スタイルも同様かも。 さてしかし、冒頭で触れた麻生氏の会見マナー(番記者を「返事はどうした?」という言い方で恫喝した件)の話題は、年をまたいで、政権の中枢に波及している。というよりも、麻生氏の横柄さや失礼さは、麻生太郎個人の資質であるよりも、より深く、政権の体質に根ざした、第4次安倍政権の対人感覚の発露であったということだ。菅義偉官房長官は、年明けの最初の仕事として、1月6日放送の「プライムニュース」(BSフジ系)という番組に出演した。官房長官は番組の中で、緊張が高まっている中東地域への自衛隊派遣について問われると「(心配は)していない」と、あっさりと言ってのけている。心配していない? マジか? いや、マジなのだ。自衛隊は予定通り派遣する。この人は本当に心配していないのだ。トランプ大統領によるイランのスレイマニ司令官暗殺をどう評価するのかという質問に対しての回答は、さらにものすごい。菅氏は、「詳細について存じ上げていない」と言っている。すごい。あまりにもすごい 要するにこの人は、昨年末に、例の花見の会前夜の夕食会について「承知していない」という事実上の回答拒否を5回(数えようによっては8回)連発して、それがまんまとまかり通ったことに味をしめたのだな。 さて、以上の状況から判明しているのは、麻生氏の横柄さが、実は菅氏の傲慢さと通底する政権の体質そのものであったということなのだが、それ以上に、われわれが直視せねばならないのは、政権中枢の人間たちによるナメた答弁を、えへらえへらと許容してしまっている番記者の弱腰こそが、現今の状況を招いているという事実なのである。 安倍晋三総理は1月6日の年頭記者会見の中で、「(憲法改正は)必ず私の手で成し遂げる」と、断言している。憲法尊重擁護義務を帯びた国家公務員である内閣総理大臣が、その肩書を背負った会見で、憲法改正の決意を語るのは、端的に憲法違反であり、たとえて言うなら、野球選手が試合中にルールブックの書き換えをしたに等しい暴挙だ。 しかも、私たちの記者諸君は、この発言を許してしまっている。だとすれば、まず、最初に手をつけるべきなのは、腰抜けの番記者たちの粛清なのであろうな、と、私は半ば本気でそう考えている。(小田嶋氏の略歴はリンク先参照)』、「われわれが直視せねばならないのは、政権中枢の人間たちによるナメた答弁を、えへらえへらと許容してしまっている番記者(注)の弱腰こそが、現今の状況を招いているという事実なのである」、全く同感である。
(注)番記者:特定の取材対象者に密着して取材を行う記者のこと(Wikipedia)

第四に、4月27日付け東洋経済オンラインが掲載した取材記者グループの Frontline Pressによる「新聞・TV「政府の言いなり」の何とも呆れる実態」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/347070
・『「お上のお墨付きがないと、今がどういう状態なのか、判断できない」「感染が確認された事業者自身がサイトで発表しているのに、行政が発表していないと掲載しない」――。 新型コロナウイルス感染拡大に関するニュースが大量に飛び交うなか、報道機関の働き手からこんな声が続出している。日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)が実施したアンケートで判明した実態だが、まるで第2次世界大戦の時代を彷彿とさせる“令和の大本営発表”とも呼べる事態ではないか。研究者らの厳しい見方も交えつつ、大メディアがほとんど報じなかったMICアンケートの内容を伝える』、「大メディア」は黙殺したようだが、「報道機関の働き手からこんな声が続出」、とは興味深い。
・『「上から下まで忖度と自主規制。事なかれ主義」  MICは新聞労連や民放労連などを束ねた組織で、マスコミ系の労働関係団体として日本最大規模になる。今回は2月下旬から「報道の危機アンケート」を実施し、214人から有効回答を得た。このうちネットメディアやフリーランスなどは15人しかおらず、回答者の多くは新聞や放送の現場で取材・報道に携わる人たちだ。 「あなたが現在の報道現場で感じている『危機』について教えてください」 その問いに対する自由記述での回答からは、さまざまな“危機”が見える。 ・国会論戦を放送しなかったり、あるいはやっても短い。官邸記者が政権に都合の悪いニュースを潰したり、番組にクレームをつける。これは日常茶飯事。官邸記者が政権のインナーになっている ・ニュースソースが官邸や政権であること。その結果、番組内容が官邸や政権寄りにしかならない。彼らを批判し正していく姿勢がまったくない。というか、たとえあったとしても幹部が握られているので放送されない ・上から下まで、忖度と自主規制。事なかれ主義。サラリーマンばかりで、ジャーナリストはいない ・「過剰な忖度」であると現場の制作者も中間管理職もわかっていながら、面倒に巻き込まれたくないとの「事なかれ主義」が蔓延している』、「官邸記者が政権に都合の悪いニュースを潰したり、番組にクレームをつける。これは日常茶飯事。官邸記者が政権のインナーになっている」、前の記事にも似たような指摘があったが、よくぞ恥ずかし気もなくそんなことが出来るものだ。 
・『こうした最中、首相官邸報道室は4月上旬、官邸記者クラブに対し、新型コロナウイルスの感染防止策として、首相会見に出席する記者を1社1人に限るよう要請した。海外メディアやフリーランスの記者は10席しか割り当てがなく、希望者が多いと抽選となる。MICによると、報道室による要請以前、会見場には130程度の席があったが、現在は29席に絞り込まれている。平日に1日2回開かれる官房長官会見についても、同様に記者数に制限が設けられているという。 ・コロナとの関連で会見がかなり制限され、入ることさえできなくなったものもある。不都合な質問を受けて、できるだけ答えを出したくないという意図も感じる  コロナ禍での官邸取材について、MIC議長の南彰氏(新聞労連委員長、朝日新聞労組出身)はこう話す。 「(緊急事態宣言で)政府に権限を集中させて、その権限が適切に行使されているかをチェックしなければならないときに、チェックする術(すべ)が制限されてしまっている。(官邸会見での記者数の絞り込みには)何社か反対したようですけど、官邸側の要請が強く、『人数制限はのめない』は多数意見にならなかった。危機に便乗した取材制限につながらないようにするは、どうしたらいいか。そこが今、最大の課題です」』、「新型コロナウイルスの感染防止策として、首相会見に出席する記者を1社1人に限るよう要請」、「政府に権限を集中させて、その権限が適切に行使されているかをチェックしなければならないときに、チェックする術が制限」、こんな悪乗りを認めた官邸記者クラブも腑抜けだ。
・『「医療崩壊と書くな」と言われて  コロナ問題に関する回答では、見過ごせない記述も並んでいる。 ・記者勉強会で政府側から「医療崩壊と書かないでほしい」という要請が行われている。医療現場からさまざまな悲鳴が聞こえてきているので、報道が止まるところまでは行っていないが、「感染防止」を理由に対面取材も難しくなっており、当局の発信に報道が流されていく恐れがある ・医療崩壊という言葉についても、政府や自治体の長が「ギリギリ持ちこたえている」と表現すると、それをそのまま検証もせずに垂れ流してしまっている。実際の現場の声よりも、政治家の声を優先して伝えてしまっていることに危機感を持っている。お上のお墨付きがないと、今がどういう状態なのか、判断できない ・感染が確認された事業者自身が貼り紙やサイトで公表しているのに、行政が発表していないと(うちの新聞は)掲載しない) 福島第一原発の事故に関する取材をずっと続けているフリーランス記者の添田孝史氏(元朝日新聞記者)は、アンケートの回答を見て手厳しく語った。 「東日本大震災のときの原発事故でもそうでしたが、行政のトップが『高い放射線量の情報を出すと、パニックを煽るから書くな』と言い、記者クラブの人たちも追随することがありました。危機の際の情報発信にはちゃんとした論文もあって、きちんと情報を出さないほうがむしろパニックを引き起こすんですね。福島の事故から9年経ちますが、本当に学んでいないな、と」』、「「医療崩壊と書くな」と言われて」、それを受け入れたようだは、「きちんと情報を出さないほうがむしろパニックを引き起こす」という「福島の事故」の教訓も忘れているとは情けない。
・『「書くな」と言われたらそれ自体が大ニュース  「コロナのような危機になると、手作りマスク500枚寄付みたいな記事とか、中学生がお小遣いでマスク縫って寄付した話とか、良いお話も載せなきゃという無理矢理感も多いんです。その一方、行政側・政府側が『医療崩壊した』と言わない限りは『医療崩壊』と書かないというのであれば、ジャーナリズムとして仕事の放棄です。自分たちの取材を通して『こういう状態です』とはっきり言えばいいわけで、権威ある人が言うまで書かないというのはおかしい。そもそも『医療崩壊って書くな』って言われたなら、それだけで書けよ、って思う。それ自体が大ニュースです。(MICの)アンケートの回答に書いている場合じゃないだろう、と」 情報メディア法に詳しい田島泰彦・元上智大教授は、こう指摘する。 「記者会見のメンバーがセレクトされるとか(会見の)時間の制約があるとか、会見そのものが非常に一面的な方向になりうるからこそ、従来以上に独自の取材や報道を進めなくてはいけないはずです。それが本来の報道機関の役割なんです」 「普段は見過ごされているけど、今回のような重大な事態になると、報道機関がどれだけ政府の情報に依拠して伝えているかが露骨になる。メディア全体としてみると、かつての『大本営発表』と同じような役割をしてしまっている。そこの部分を本気になって変えていくことをしないといけない。真実を守るため、報道の自由を大事にするということをやっていかないと、最終的には市民から見放される。(今も)極めて厳しい自己批判をしなくちゃいけないと思います」 よく知られているように、日本の新聞やラジオは第2次世界大戦の際、軍部(=大本営)の発表を右から左へと垂れ流したばかりか、むしろ好戦的な紙面を作り、国民を煽った歴史を持つ。田島氏の指摘は、まさに今が大本営発表と同じではないか、という点に主眼がある』、「そもそも『医療崩壊って書くな』って言われたなら、それだけで書けよ、って思う。それ自体が大ニュースです」、「今回のような重大な事態になると、報道機関がどれだけ政府の情報に依拠して伝えているかが露骨になる。メディア全体としてみると、かつての『大本営発表』と同じような役割をしてしまっている」、全く同感である。
・『記者クラブの権力監視が機能していない  こうした指摘に対し、MIC議長の南氏「記者クラブを拠点とした取材スタイルの限界が露呈している」と言う。 「記者クラブを拠点にしながら、番記者制度の下、取材対象に肉薄していろんなことを聞き出してくるスタイル自体が、いちばん権力を監視しなくてはならない時に機能しないことが露呈してしまった。このシステムはずっと問題だと言われてきたけれど、いよいよメディア側も『これでは難しい』と認識できたと思います」 「メディア側も変わらないといけない。(ここ数年の)公文書の問題も含めて、非常に不透明な、情報開示に消極的な権力に対して、どうしっかり説明させていくのか。それも記者クラブに限定せず、社会全体に透明性を持って説明させていくか。それが今、私たちの置かれている状況だし、ここを転換点にしていかないといけない、と」 マスコミで報道に携わる彼ら彼女らの声を、以下ですべて紹介する。「マスコミの報道が劣化している」は言い古された言葉だが、アンケートの回答を読み通すと、その実態に改めて、驚愕するかもしれない。 日本マスコミ文化情報労組会議『報道関係者への「報道の危機」アンケート結果(概要)について』(PDFファイル、2020年4月21日)』、「記者クラブを拠点とした取材スタイルの限界が露呈している」とは言い得て妙だ。「アンケート結果」は下記を参照されたい。
https://toyokeizai.net/sp/vfiles/2020/04/pressenquete.pdf
タグ:「官邸記者クラブが菅長官に屈する理由、東京新聞・望月記者いじめ2年半―分断越えるため何が必要か」 同時配信の実施直前に高市総務相からいちゃもん 政治家に接近し情報をもらうというオフコンを重視し過ぎることは、記者達の立場を弱くすることにもなる 政府高官に張り付いて取材する番記者の役割は、会見で質問することだけではなく、むしろ、政府高官が宿舎に帰るところ等の非公式な場で、会見では語らない本音や政府内の動きを聞くこと このテレビの完全に横並びの感じは実は警戒すべきことなのではないのか? まるで戦時の「大本営発表」のような“体制翼賛”のにおい 志葉玲 yahooニュース かんぽ生命をめぐる元総務次官の抗議とNHK会長の謝罪 戦前戦中でいえば「宣戦布告」「戦争終了」などの際の国家のトップの行動に近い。かなり権力的な行為 取材方法としてオフコン(注)を重視しすぎている日本の政治報道の文化があるのでは NHKは事実上国営放送なのか? 官邸記者クラブに対し、新型コロナウイルスの感染防止策として、首相会見に出席する記者を1社1人に限るよう要請 水島宏明 朝日新聞の政治部記者で新聞労連の委員長を務める南彰氏 菅官房長官に屈した内閣記者会 望月記者への質問制限に記者会が関与? NHKが「指定公共機関」になっている マスコミへのコントロール 新型ウイルス対策特別措置法 国民の私権を一部制限する「緊急事態宣言」を発動 政権とメディアによる「目隠し」の裏で、重要なテーマが語られ、対応が決められていくことは、国民主権の民主主義という観点からすると極めて不健全だ 「i 新聞記者ドキュメント」 「”緊急事態宣言”をあらゆるテレビ局が同時に中継する「大本営発表」日本は大丈夫なのか?」 テレビ東京まで緊急特番を放送した 安倍政権の メディアが共闘できる素地を オフコン重視の弊害、権力に媚びるメディアに メディアが一気にこうなってしまう日本という国は大丈夫なのか なぜNHKニュースに安倍首相が生出演するのか? 「医療崩壊と書くな」と言われて (その13)(官邸記者クラブが菅長官に屈する理由 東京新聞・望月記者いじめ2年半―分断越えるため何が必要か、”緊急事態宣言”をあらゆるテレビ局が同時に中継する「大本営発表」日本は大丈夫なのか?、番記者よ 奮起せよ──コラムニスト・小田嶋隆)、新聞・TV「政府の言いなり」の何とも呆れる実態) 「番記者よ、奮起せよ。──コラムニスト・小田嶋隆」 「公務」を口実にした会見の打ち切りこそ、望月記者への質問制限として菅官房長官が活用してきたものであるが、それにとどまらず、政権側に都合の悪い質問を避けるために使われてきている GQ NHKだけでなく、民放も「忖度」したのである 報道関係者への「報道の危機」アンケート結果 (緊急事態宣言で)政府に権限を集中させて、その権限が適切に行使されているかをチェックしなければならないときに、チェックする術(すべ)が制限されてしまっている 「上から下まで忖度と自主規制。事なかれ主義」 記者クラブの権力監視が機能していない 日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)が実施したアンケート 官邸記者が政権に都合の悪いニュースを潰したり、番組にクレームをつける。これは日常茶飯事。官邸記者が政権のインナーになっている 「書くな」と言われたらそれ自体が大ニュース 「新聞・TV「政府の言いなり」の何とも呆れる実態」 Frontline Press きちんと情報を出さないほうがむしろパニックを引き起こす 三原じゅん子議員のツイート “横並び”では民放も「忖度」したのか? 東洋経済オンライン われわれが直視せねばならないのは、政権中枢の人間たちによるナメた答弁を、えへらえへらと許容してしまっている番記者(注)の弱腰こそが、現今の状況を招いているという事実なのである 記者を恫喝するような会見を度々繰り返す麻生太郎副総理兼財務相 メディア享受者たちの好奇心は、絵ヅラとしてセンセーショナルな外形を整えた話題にしか反応しなくなっている
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。