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東芝問題(その44)(「東芝劇場」ついに終幕への全“迷走劇” 名門企業を凋落に至らしめた「戦犯」とは、「東芝」バラバラ解体ショーで終幕か 「戦犯」に翻弄され非上場化を選んだ名門企業の今後、泥沼にハマった東芝は何をしくじったのか…大前研一「復活は厳しいが活路が残っている理由」 日本を代表する企業の大失敗から何を学ぶか、東芝の「失敗の本質」とは?上場廃止後の再建タイムリミットは3~5年か) [企業経営]

東芝問題については、昨年6月13日に取上げた。今日は、(その44)(「東芝劇場」ついに終幕への全“迷走劇” 名門企業を凋落に至らしめた「戦犯」とは、「東芝」バラバラ解体ショーで終幕か 「戦犯」に翻弄され非上場化を選んだ名門企業の今後、泥沼にハマった東芝は何をしくじったのか…大前研一「復活は厳しいが活路が残っている理由」 日本を代表する企業の大失敗から何を学ぶか、東芝の「失敗の本質」とは?上場廃止後の再建タイムリミットは3~5年か)である。

先ずは、本年8月3日付けデイリー新潮「「東芝劇場」ついに終幕への全“迷走劇” 名門企業を凋落に至らしめた「戦犯」とは」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/08031040/?all=1
・『超掘り出し物  「東芝」の創業は1875年。日本初の電信設備メーカーとして設立された名門企業が、遂に株式市場から撤退せざるを得なくなった。国内投資ファンドの「日本産業パートナーズ(JIP)」による買収提案を受け入れ、非上場化する道を選んだのだ。2015年の不正会計事件以来、混乱続きだった「東芝劇場」終幕までの舞台裏を紹介する。 JIP陣営によるTOB(株式公開買い付け)は1株4620円。M&Aアナリストによると、TOBの成立は既定路線だという。 「買収総額はおよそ2兆円。そのうち、4000億円超が“アクティビスト”の手に渡る。東芝の第三者割当増資を引き受けたとき、アクティビストの取得価格は1株2628円(後の株式併合を加味した値)。TOB価格との差が1992円という超掘り出し物だったわけです」 結果として、9.90%を保有する筆頭株主のアクティビスト「エフィッシモ・キャピタル・マネジメント」は850億円もの利益を手にする算段だ。 「22年6月、東芝の株価は最高値の5938円をつけました。それに比べれば、TOB価格は22%も割安。英投資ファンド“CVCキャピタル・パートナーズ”を皮切りに、米投資ファンドなどが次々と東芝の買収に名乗りを上げた。しかし、いずれも不発でした。アクティビストは出資者から一刻も早いキャッシュアウトを迫られ、最後に残ったJIPのTOBには応じるはずです」』、「「買収総額はおよそ2兆円。そのうち、4000億円超が“アクティビスト”の手に渡る。東芝の第三者割当増資を引き受けたとき、アクティビストの取得価格は1株2628円(後の株式併合を加味した値)。TOB価格との差が1992円という超掘り出し物だったわけです」 結果として、9.90%を保有する筆頭株主のアクティビスト「エフィッシモ・キャピタル・マネジメント」は850億円もの利益を手にする算段だ」、なるほど。
・『経産省主導  では、結局、東芝凋落の「戦犯」は誰なのか。 東芝は不正会計事件に続き、米原子力子会社「ウェスチングハウス」の経営破綻で1兆2400億円を超える巨額赤字を計上。17年12月、6000億円に上る第三者割当増資を実施し、その代償として60社ものアクティビストを含む投資ファンドを引き入れる結果に。だが21年1月、東芝が債務超過で降格した東証二部(当時)から一部へと返り咲くと、投資ファンドの多くは利益確定のうえ、株主名簿から消えていった。 「それでも、東芝からなおも搾り取れると踏んだエフィッシモなどは居座り続け、経営陣との対立を深めました。防衛関連や原発事業を手掛ける東芝は、いわば“国策企業”。ゆえに、経産省主導のもと、アクティビスト退治の切り札が送り込まれた。その人物が、三井住友銀行元副頭取でCVCキャピタル日本法人の会長を務めていた車谷暢昭元社長でした」(つづく)』、「経産省主導のもと、アクティビスト退治の切り札が送り込まれた。その人物が、三井住友銀行元副頭取でCVCキャピタル日本法人の会長を務めていた車谷暢昭元社長でした」、ただ、「車谷」氏の起用は結果的には失敗だったようだ。

次にこの続きを、8月10日付けデイリー新潮「「東芝」バラバラ解体ショーで終幕か 「戦犯」に翻弄され非上場化を選んだ名門企業の今後」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/08101040/?all=1
・『アクティビスト退治の切り札  迷走の果てに終幕を迎える「東芝劇場」。その一部始終は、「戦犯」の存在抜きには語れない。なにより、第一の戦犯は経産省である。M&Aアナリストが前回(「週刊新潮」2023年8月3日号「MONEY」欄)からの解説を続ける。 「経産省の水野弘道参与(当時)が“米ハーバード大学基金”に圧力をかけ、2020年7月開催の株主総会における議決権行使を見送らせました。クビのかかった車谷暢昭元社長への助太刀が目的でした。経産省は組織ぐるみでアクティビスト対策に介入していたわけです」 だがそれは、東芝のコーポレートガバナンス不全をあからさまにし、逆にアクティビストにつけ入る隙を与える結果となった。 続く、第二の戦犯は車谷元社長。車谷元社長は経産省からアクティビスト退治の切り札として送り込まれたはずが、公私混同が問題視され、アクティビスト対策にも失敗。より一層対決姿勢を深める結果を招いた。 車谷元社長は、窮余の一策として英投資ファンド「CVCキャピタル・パートナーズ」による東芝のTOB(株式公開買い付け)を打ち出した。非上場化によって、対立するアクティビストとの決着を図ろうとしたのだ。 「とはいえ、利己主義的に東芝を“身売り”する姿勢は批判を浴び、結局、事実上のクビに。反面、車谷元社長の奸計は、東芝が“売り物”であることを世間に知らしめた。以後、アクティビストが要求する株主還元策の第一候補は非上場化に傾きました」』、「第一の戦犯は経産省である。M&Aアナリストが前回・・・」、からの解説を続ける。 「経産省の水野弘道参与(当時)が“米ハーバード大学基金”に圧力をかけ、2020年7月開催の株主総会における議決権行使を見送らせました。クビのかかった車谷暢昭元社長への助太刀が目的でした。経産省は組織ぐるみでアクティビスト対策に介入していたわけです」、 だがそれは、東芝のコーポレートガバナンス不全をあからさまにし、逆にアクティビストにつけ入る隙を与える結果となった」、「経産省は組織ぐるみでアクティビスト対策に介入していた」とは政府系機関とは思えないような露骨なやり方だ。
・『会社分割案  その流れに抗うための策が「会社分割案」だった。この案は、東芝の法務部と経営企画部のGM(ゼネラルマネジャー)二人が中心となって編み出された。発電事業と半導体事業の新会社2社を設立し、東芝本体はフラッシュメモリー製造の「キオクシア」などの株式を保有する会社として存続させる。そのうえで、既存株主に新会社2社の株式を割り当て、2年後をメドに上場させる計画を立てた。 当時、東芝の株価は4500円前後。3社合算で6000円台に膨れ上がらせることで、アクティビストを黙らせるという狙いがあった。 この会社分割案をめぐり東芝をさらなる混乱に陥れたアクティビストこそ、第三の戦犯である。 「週刊新潮」2023年8月10日号「MONEY」欄の有料版では、次々と登場する戦犯に翻弄され続けた東芝の内情と今後の展望を詳報する』、「この会社分割案をめぐり東芝をさらなる混乱に陥れたアクティビストこそ、第三の戦犯である」、なるほど。

第三に、11月17日付けプレジデント 2023年12月1日号にビジネス・ブレークスルー大学学長の大前 研一氏が掲載した「泥沼にハマった東芝は何をしくじったのか…大前研一「復活は厳しいが活路が残っている理由」 日本を代表する企業の大失敗から何を学ぶか」を紹介しよう。
・『東芝の舵取りを誤った3人の「迷」経営者  東芝は9月21日、投資ファンドの日本産業パートナーズなどを中心とした国内連合によるTOB(株式公開買い付け)が成立したことを発表した。11月22日の臨時株主総会を経て、12月20日に非上場化される予定だ。日本を代表する電機メーカーの凋落は、多角化に走った日本企業を考察する絶好のケーススタディになるだろう。 東芝の混迷が表面化したきっかけは、2015年に発覚した不正会計問題だ。混乱の最中、06年に買収した原子力発電プラントメーカー、米ウェスチングハウスが巨額の損失を出してしまい、17年に経営破綻。東芝も17年3月期に9656億円の最終赤字を計上した。 このときは増資で上場廃止を免れたものの、こんどは株主となったアクティビスト(物言う株主)と再建方針を巡って対立。今回、TOBで非上場化するのも経営へのアクティビストの影響力を排除するためだった。TOB成立でようやく東芝は再建に向けて動き出せるが、8年に及ぶ混乱の代償は大きく、ライバルの日立製作所に大きく水をあけられてしまった。 なぜ東芝は業績不振に陥ったのか。原因を事業構造や経営環境に求める向きもあるが、東芝に関しては人の問題が大きい。経営者がまともなら、このような大惨事には至らなかった。 東芝に混乱をもたらした責任者の筆頭は、1996年に社長に就任した西室泰三氏である。日米経済摩擦が激しかった87年に発生した、東芝機械製の工作機械が第三国経由でソビエト連邦に渡ったことを巡る「東芝機械ココム違反事件」で、西室氏は頭角を現した。事件後にアメリカで巻き起こった東芝バッシングの火消しで、駐在歴が長く、英語が堪能な西室氏が活躍したのだ。 西室氏は経営の本流ではなかったものの、ココム違反事件での対応が評価されて社長になった。西室氏は権力の維持に熱心で、社長就任後は実力のある後継候補を次々に閑職かんしょくへ追いやった。かわりに言いなりになる人間を重用し、社長退任後も院政を敷き、その体制が不正会計発覚まで続いた。 西室氏の言いなりの筆頭が、2代後の社長を務めた西田厚聰あつとし氏だ。東芝はかつての名社長、土光敏夫氏が会社を率いて以来、その母校である東京工業大学閥が強い。しかし、西田氏は東京大学出身で、イラン現地法東芝はかつての名社長、土光敏夫氏が会社を率いて以来、その母校である東京工業大学閥が強い。しかし、西田氏は東京大学出身で、イラン現地人に入社した傍流だ。しかし本流でないことが、西室院政にとっては都合がよかった。 西田氏はパソコン事業部の部長時代にラップトップPCを開発した男として知られ、本人もそれを売り文句にしていた。ただ、真相は違う』、「東芝に混乱をもたらした責任者の筆頭は、1996年に社長に就任した西室泰三氏である・・・「東芝機械ココム違反事件」で、西室氏は頭角を現した。事件後にアメリカで巻き起こった東芝バッシングの火消しで、駐在歴が長く、英語が堪能な西室氏が活躍したのだ。 西室氏は経営の本流ではなかったものの、ココム違反事件での対応が評価されて社長になった。西室氏は権力の維持に熱心で、社長就任後は実力のある後継候補を次々に閑職かんしょくへ追いやった。かわりに言いなりになる人間を重用し、社長退任後も院政を敷き、その体制が不正会計発覚まで続いた。 西室氏の言いなりの筆頭が、2代後の社長を務めた西田厚聰あつとし氏だ。東芝はかつての名社長、土光敏夫氏が会社を率いて以来、その母校である東京工業大学閥が強い。しかし、西田氏は東京大学出身で、イラン現地法東芝はかつての名社長、土光敏夫氏が会社を率いて以来、その母校である東京工業大学閥が強い。しかし、西田氏は東京大学出身で、イラン現地人に入社した傍流だ。しかし本流でないことが、西室院政にとっては都合がよかった。 西田氏はパソコン事業部の部長時代にラップトップPCを開発した男として知られ、本人もそれを売り文句にしていた。ただ、真相は違う」、なるほど。
・『マッキンゼーのプレゼンを後ろで聞いていた東芝社員  85年、私がいたマッキンゼーに東芝から「アメリカでIBMに勝てない。パソコンのマーケティングを手伝ってほしい」と依頼がきた。私はマッキンゼーのロサンゼルス事務所に話を振ったが、向こうのチームがリサーチ後に出した結論は「勝ち目がないからやめたほうがいい」。これに西田氏は激怒し、マッキンゼーに契約打ち切りを通告。 そのプレゼンに参加していた私は、東芝の強みである液晶と小型化を活かしたPCを開発すれば対IBMで勝機があると、慌てて説明を付け加えた。 当時、PCはデスクトップが標準。コンパックが販売していたポータブルPCは重厚で携帯性が悪く、私はトランスポータブルと呼んでいた。私の提案は、手のひらや膝(lap)の上(top)に置ける「ラップトップ(laptop)」を開発してはどうかというもの。クビになるのを避けるため、プレゼン中に私がその場で思いついたコンセプトだ。 しかし、私が提案をしたところで西田氏の怒りは収まらず、結局マッキンゼーは追い出されてしまった。しかしその1年後、プレゼンを後ろで聞いていた東芝社員が、私のところへやってきて「大前さんのいうラップトップをつくってみました。これで合っていますか」と試作品を見せにきた。これがのちに「ダイナブック」ブランドで世界を席巻することになる、ラップトップPCの第1号である。 西田氏はそうした経緯に触れず、長らくラップトップPCを自分の手柄のように吹聴していたが、さすがに気が引けたのか。死の直前に受けたインタビューの内容が『テヘランからきた男』(小学館)で語られているが、ラップトップPCが私のアイデアだったことを白状している。余談が長くなったが、つまり西田氏は自分の経歴を平気で脚色して生きていけるタイプの人なのだ。 西田氏の後任が、原子力畑で育った佐々木則夫氏。東芝は白熱灯の時代から米GEとのつながりが深く、GEが開発した沸騰水型原子炉(BWR)の製造をしていた。ほかには加水圧型原子炉(PWR)があるが、そちらは三菱重工業がウェスチングハウスと技術提携して運用していた。ウェスチングハウスを手に入れれば、巨艦三菱重工に一矢報いることができる。佐々木氏はそう考え、英国核燃料会社からウェスチングハウスの原子力部門を買収した。 ところが、デューデリジェンスが甘かった。ウェスチングハウスの子会社ストーン・アンド・ウェブスターが受注工事で大幅な損失を出しており、買収した東芝も煽あおりを食らった。これが、17年にウェスチングハウスが経営破綻へと至る端緒なのだ。 おそらく佐々木氏はウェスチングハウス買収の失敗を隠そうとしたのだろう。会長になっていた西田氏はそれを暴こうとして、内ゲバが始まった。 トップ2人が醜みにくく応酬する状況は、東芝にとって最悪である。しかし、新設した「名誉顧問」に退いて院政を敷く西室氏には好都合で、高みの見物を決め込んでいた。危急存亡の状況で経営の舵取りをするべき3人が、会社の将来そっちのけで権力闘争した結果、東芝は急速に凋落していったのだ』、「85年、私がいたマッキンゼーに東芝から「アメリカでIBMに勝てない。パソコンのマーケティングを手伝ってほしい」と依頼がきた。私はマッキンゼーのロサンゼルス事務所に話を振ったが、向こうのチームがリサーチ後に出した結論は「勝ち目がないからやめたほうがいい」。これに西田氏は激怒し、マッキンゼーに契約打ち切りを通告。 そのプレゼンに参加していた私は、東芝の強みである液晶と小型化を活かしたPCを開発すれば対IBMで勝機があると、慌てて説明を付け加えた。 当時、PCはデスクトップが標準。コンパックが販売していたポータブルPCは重厚で携帯性が悪く、私はトランスポータブルと呼んでいた。私の提案は、手のひらや膝(lap)の上(top)に置ける「ラップトップ(laptop)」を開発してはどうかというもの。クビになるのを避けるため、プレゼン中に私がその場で思いついたコンセプトだ。 しかし、私が提案をしたところで西田氏の怒りは収まらず、結局マッキンゼーは追い出されてしまった。しかしその1年後、プレゼンを後ろで聞いていた東芝社員が、私のところへやってきて「大前さんのいうラップトップをつくってみました。これで合っていますか」と試作品を見せにきた。これがのちに「ダイナブック」ブランドで世界を席巻することになる、ラップトップPCの第1号である。 西田氏はそうした経緯に触れず、長らくラップトップPCを自分の手柄のように吹聴していたが、さすがに気が引けたのか。死の直前に受けたインタビュー・・・でラップトップPCが私のアイデアだったことを白状している」、なるほど。
・『復活の鍵を握るのは東芝伝統の「闇開発」  東芝の失敗から学ぶべきもう一つの教訓は、業績不振に陥った後、投資銀行に相談してはいけないということだ。 投資銀行は、M&Aの成功報酬で取引金額の一定割合を手数料として取る。大きな取引ほど儲かるので、高く売れる事業、つまり儲かる事業の売却に積極的になる。 不正会計が発覚した当時、東芝でもっとも将来性があったのは、東芝メディカルシステムズの医療機器事業だった。世界の医療機器市場はGE、独シーメンス、蘭フィリップスの3強で寡占しているのだが、東芝メディカルは超音波や画像診断機器などの分野で3強に比肩していた。しかし、そんな虎の子の子会社を、16年3月にキヤノンへ売却してしまった。同年6月には、東芝ブランドを長らく支えていた白物家電事業を手放した。分社化していた東芝ライフスタイルの株式を、中国の美的集団に譲渡したのだ。このときはテレビなどの映像機器事業を残したが、それも18年に中国のハイセンスに売ってしまった。 厳しい競争環境下にある家電事業の売却はまだ理解できるが、世界的競争力を有していた半導体メモリの子会社、東芝メモリの売却はナンセンス過ぎる。 18年6月に東芝は、米投資ファンドのベインキャピタルと韓国半導体メーカーSKハイニックスが出資するSPC、そして東芝(再出資)、HOYAからなる日米韓連合に東芝メモリを売却。キオクシアとして再出発した。半導体事業は、売却当時の18年3月期で東芝の営業利益の約9割を稼いでいたのだが、まさに大黒柱を手放したことになる。そのキオクシアは米ウエスタンデジタルとの統合を目指しているものの、SKハイニックスの反対に遭って交渉が白紙化するなど、難しい立場に置かれてしまっている。 投資銀行は、残った事業で顧客企業がどうやってメシを食べていくのかということまで考えない。自身が儲けるために、一番「おいしい」ところから売っていく。東芝が上場廃止するまでの流れは、経営不振に陥った日本の大企業が投資銀行に相談したときによく起きるパターンそのままだった。 東芝が凋落した原因は人にあったが、業績悪化後になかなか復活できないのは、投資銀行に相談したせいである。多角化経営をする日本企業は、これを他山の石とすべきだろう。 さて、東芝の将来はどうか。東芝は現在黒字転換しているが、業績は相変わらずパッとしない。残った事業の中にも、エレベーターや防衛関連など強いものがないわけではない。ただ、エレベーターは競争が厳しく、防衛関連は安定して稼げるものの利益率は低い。 期待したいのは、東芝伝統の「闇開発」だ。かつての東芝は、いい意味でいい加減な会社だった。誰から指示されるでもなく、エンジニアが新しい技術製品を開発するのだ。西田氏に取り込まれたラップトップPCも社員が勝手に開発したものだったし、半導体のフラッシュメモリも舛岡ますおか富士雄氏が自由に研究して発明した産物だ。日本語ワープロのJW-10も、森健一氏らによる“密造酒”だ。東芝の発明する力は混乱の中でも引き継がれていて、量子コンピュータの暗号通信で本質的な技術の特許を取ったりしているし、今でも英ケンブリッジ大学近くの研究所では革新的な研究が続けられている。 ただ、新しい技術が実用化されるのは先の話。それまでは残された事業で地道に稼ぐしかない。困難な再建になるだろうが、東芝が持っている強みを活かして立ち直ってほしいものだ』、「東芝の失敗から学ぶべきもう一つの教訓は、業績不振に陥った後、投資銀行に相談してはいけないということだ。 投資銀行は、M&Aの成功報酬で取引金額の一定割合を手数料として取る。大きな取引ほど儲かるので、高く売れる事業、つまり儲かる事業の売却に積極的になる。 不正会計が発覚した当時、東芝でもっとも将来性があったのは、東芝メディカルシステムズの医療機器事業だった。世界の医療機器市場はGE、独シーメンス、蘭フィリップスの3強で寡占しているのだが、東芝メディカルは超音波や画像診断機器などの分野で3強に比肩していた。しかし、そんな虎の子の子会社を、16年3月にキヤノンへ売却してしまった・・・東芝ブランドを長らく支えていた白物家電事業を手放した。分社化していた東芝ライフスタイルの株式を、中国の美的集団に譲渡したのだ。このときはテレビなどの映像機器事業を残したが、それも18年に中国のハイセンスに売ってしまった・・・世界的競争力を有していた半導体メモリの子会社、東芝メモリの売却はナンセンス過ぎる。 18年6月に東芝は、米投資ファンドのベインキャピタルと韓国半導体メーカーSKハイニックスが出資するSPC、そして東芝(再出資)、HOYAからなる日米韓連合に東芝メモリを売却。キオクシアとして再出発した。半導体事業は、売却当時の18年3月期で東芝の営業利益の約9割を稼いでいたのだが、まさに大黒柱を手放したことになる。そのキオクシアは米ウエスタンデジタルとの統合を目指しているものの、SKハイニックスの反対に遭って交渉が白紙化するなど、難しい立場に置かれてしまっている・・・期待したいのは、東芝伝統の「闇開発」だ。かつての東芝は、いい意味でいい加減な会社だった。誰から指示されるでもなく、エンジニアが新しい技術製品を開発するのだ。西田氏に取り込まれたラップトップPCも社員が勝手に開発したものだったし、半導体のフラッシュメモリも舛岡ますおか富士雄氏が自由に研究して発明した産物だ。日本語ワープロのJW-10も、森健一氏らによる“密造酒”だ。東芝の発明する力は混乱の中でも引き継がれていて、量子コンピュータの暗号通信で本質的な技術の特許を取ったりしているし、今でも英ケンブリッジ大学近くの研究所では革新的な研究が続けられている。 ただ、新しい技術が実用化されるのは先の話。それまでは残された事業で地道に稼ぐしかない。困難な再建になるだろうが、東芝が持っている強みを活かして立ち直ってほしいものだ」、まだ「闇開発」のような美風が残っているようであれば、大いに活用してほしい。

第四に、12月4日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した多摩大学特別招聘教授の真壁昭夫氏による「東芝の「失敗の本質」とは?上場廃止後の再建タイムリミットは3~5年か」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/334875
・『東芝は12月20日に株式上場を廃止する予定だ。かつてわが国を代表する超名門企業だった東芝は、確かに世界トップレベルの製造技術を持っていた。しかしなぜ、自力での事業運営に行き詰まったのだろうか。そして今後の東芝は、どのように再建するのだろうか』、興味深そうだ。
・『東芝が12月20日に上場廃止へ  11月22日、東芝は臨時の株主総会を開き、株式非公開化に向けた株式併合などの議案が承認された。賛成割合は96.81%だった。12月20日に東京証券取引所への株式上場が廃止される予定だ。投資ファンドである日本産業パートナーズ(JIP)、出資した20を超える企業の下、東芝は本格的に再建を目指すことになる。 かつてわが国を代表する超名門企業だった東芝。なぜ、自力での事業運営に行き詰まったのだろうか。東芝は確かに、世界トップレベルの製造技術を持っていた。また、世界で初めてノート(ラップトップ)型のパソコンを開発した実績もある。 いろいろな出来事を突き詰めると結局、東芝の経営陣は、大切な経営資源(ヒト・モノ・カネ)を有効に生かすことができなかった。収益獲得を過度に重視した結果、無理を重ね、ついには不正会計にまで手を染めた。それでも東芝は上場維持にこだわり、第三者割当増資を実施した。その後、物言う株主(アクティビスト・ファンド)に翻弄(ほんろう)され続けた。 今後の東芝は、どのように再建するのだろうか。まずは、収益の柱を見つけることが重要だ。経営資源を、人工知能、脱炭素、半導体など成長期待の高い分野に再配分することも不可欠だ。成長戦略の実行が遅れれば、投資ファンドであるJIPと東芝経営陣の間に不協和音が生じ、再び経営が迷走することも懸念される』、「まずは、収益の柱を見つけることが重要だ。経営資源を、人工知能、脱炭素、半導体など成長期待の高い分野に再配分することも不可欠だ。成長戦略の実行が遅れれば、投資ファンドであるJIPと東芝経営陣の間に不協和音が生じ、再び経営が迷走することも懸念される」、なるほど。
・『超名門企業が陥った経営の失敗  企業経営とは本来、社会、経済の変化を機敏に察知し、より高い成長が期待できる分野にヒト・モノ・カネのリソースを再配分し、より長期的な収益を増やすことが求められる。そのために利害関係者である株主、従業員、地域社会、取引先などとの調整を絶え間なく行う必要がある。 いつからか東芝の経営者は、そうした役割を十分に発揮することができなかった。高い製造技術、優秀な人材、豊富な資金があっても、経営の失敗が続くと企業は立ち行かなくなる。 1875年(明治8年)の創業以来、東芝は重電・家電分野で多くの新しい製品を発表した。自社での研究開発、海外企業との提携などを通して製造技術を磨き、社会の厚生を高める。対価として収益を得る――。そうしたビジネスの基本姿勢により、東芝は魅力的な商品を生み出した。 象徴的な商品は、ノートパソコンだ。1985年、東芝は欧州市場で「T1100」を発売した。当時はNEC「98」シリーズなどのデスクトップ型パソコンが主流だったが、東芝は、中長期的に情報通信分野ではデータ処理速度の向上が加速し、モバイル型のデバイス需要が高まると考え、先手を打ったのだ。そうして、94~2000年まで東芝の「ダイナブック」はノートパソコン市場で世界トップシェアを手に入れた。 東芝は、新しい記憶媒体であるNAND型フラッシュメモリーの開発も進めた。NAND型のフラッシュメモリーは、スマホのデータ記憶装置として世界中で需要が急拡大した。また、パソコンの記憶装置として用いられている、ソリッド・ステート・ドライブ(SSD)に関しても東芝の貢献は大きい。 1990年代に米国でIT革命が起きて以降、世界のデジタル化は加速している。そうした時代の到来を、東芝はかなり早い段階から予見していたといえるだろう』、「「ダイナブック」はノートパソコン市場で世界トップシェアを手に入れた」、「NAND型のフラッシュメモリーは、スマホのデータ記憶装置として世界中で需要が急拡大」。「ソリッド・ステート・ドライブ(SSD)に関しても東芝の貢献は大きい」、当時は最先端を走っていた。
・『業態の転換を自ら拒んだ東芝  デジタル時代の到来を、かなり早い段階から予見していた面もあった東芝。ところが、経営陣は重電・家電の両分野で、過去の発想に固執した。ある意味、業態の転換を拒んだといっても過言ではないだろう。 そして、2015年に発覚した不正会計問題は、その後の同社の運命を決定付ける一大不祥事となった。東芝は、事業環境の変化に対応するよりも、ノートパソコンなど既存事業の収益を過剰に追求したのだ。不正会計問題をきっかけに東芝の企業イメージは悪化し、顧客離れが加速、業績は低迷した。さらにとどめを刺したのが16年、米原子力大手ウエスチングハウス(2006年に約6000億円で買収)の損失発生だ。東芝は債務超過に陥った。 結果論にはなるが、東芝は、不正会計問題やウエスチングハウスに起因する1.4兆円の損失発生のタイミングで、一連の経営の失敗を認めるべきだった。総合電機メーカーとしてのビジネスモデルの限界を理解し、社会インフラや半導体、医療、量子コンピューティングなど中長期的な成長の可能性が高い分野に経営資源を再配分すべきだった。 当時の東芝は、抜本的な事業構造の改革よりも、上場維持にこだわった。17年には第三者割当増資を実施し、海外ファンドなどから6000億円を調達した。公募ではなく、第三者割当増資になったのは、多くの投資家が東芝の先行きを不安視したからだろう。 第三者割当増資により上場は維持できたものの、その後、経営の混乱に拍車がかかった。医療機器や半導体事業の売却などによって収益は減少し、リストラによって組織体制も縮小均衡に向かった。一方、出資に応じたファンドは株主への価値還元(自社株買いや増配)を要求した。業績が悪化する中での自社株買い資金の捻出は、追加的に経営体力をそいだ。 こうして東芝は事実上、アクティビスト・ファンドに翻弄された。分社化など生き残りをかけた改革案の実行も遅れた。最終的に東芝の事業運営は行き詰まった』、「経営陣は重電・家電の両分野で、過去の発想に固執した。ある意味、業態の転換を拒んだといっても過言ではないだろう。 そして、2015年に発覚した不正会計問題は、その後の同社の運命を決定付ける一大不祥事となった。東芝は、事業環境の変化に対応するよりも、ノートパソコンなど既存事業の収益を過剰に追求したのだ。不正会計問題をきっかけに東芝の企業イメージは悪化し、顧客離れが加速、業績は低迷した。さらにとどめを刺したのが16年、米原子力大手ウエスチングハウス(2006年に約6000億円で買収)の損失発生だ。東芝は債務超過に陥った。 結果論にはなるが、東芝は、不正会計問題やウエスチングハウスに起因する1.4兆円の損失発生のタイミングで、一連の経営の失敗を認めるべきだった。総合電機メーカーとしてのビジネスモデルの限界を理解し、社会インフラや半導体、医療、量子コンピューティングなど中長期的な成長の可能性が高い分野に経営資源を再配分すべきだった」、その通りだ。
・『再建に不可欠な新たな収益の柱  これから東芝は、上場廃止によって不特定多数の株主の目にさらされることがなくなり、経営陣は多様な利害を調整しやすくなる。事業運営のスピードも高まるだろう。経営陣は、非上場化のベネフィットを最大限に活用し、安定的に収益を獲得できる事業体制を確立することが求められる。 直近の経営状況は、既存の事業領域の中でも相対的にエネルギー、インフラ事業の収益が安定している。さらに事業運営の効率性を高め、収益率を引き上げる必要がある。また、コスト削減のため再度リストラを実施する可能性は高い。その上で、経営陣は成長期待の高い分野へヒト・モノ・カネを再配分することになる。 改革を加速することで、経営陣は再建を主導するJIPなどの期待に応えなければならない。JIPは、3~5年程度で東芝を再上場させることを念頭に置いているようだ。投資ファンドのビジネスモデル上、JIPは資金の提供者に期待される利得を提供する必要があるからだ。 東芝の成長戦略の実行に時間がかかり収益力の回復が遅れると、JIPとの関係も不安定化する恐れがある。もし、そんなことが起きれば20を超える出資企業の足並みは乱れ、東芝の業績回復も難しくなるだろう。 近視眼的に既存分野での収益拡大を過剰に追求した結果、業績が悪化し経営体力を失った東芝。本来、経営の基本的な役割は、成長期待の高い分野に経営資源を再配分し、高付加価値なモノやサービスを創出する体制を強化することだ。経営が失敗すると、どれほどの名門企業も破綻は免れない。東芝の失敗は、日本経済にとって重要な教訓になるはずだ』、「経営の基本的な役割は、成長期待の高い分野に経営資源を再配分し、高付加価値なモノやサービスを創出する体制を強化することだ。経営が失敗すると、どれほどの名門企業も破綻は免れない。東芝の失敗は、日本経済にとって重要な教訓になるはずだ」、同感である。 
タグ:東芝問題 (その44)(「東芝劇場」ついに終幕への全“迷走劇” 名門企業を凋落に至らしめた「戦犯」とは、「東芝」バラバラ解体ショーで終幕か 「戦犯」に翻弄され非上場化を選んだ名門企業の今後、泥沼にハマった東芝は何をしくじったのか…大前研一「復活は厳しいが活路が残っている理由」 日本を代表する企業の大失敗から何を学ぶか、東芝の「失敗の本質」とは?上場廃止後の再建タイムリミットは3~5年か) デイリー新潮「「東芝劇場」ついに終幕への全“迷走劇” 名門企業を凋落に至らしめた「戦犯」とは」 「「買収総額はおよそ2兆円。そのうち、4000億円超が“アクティビスト”の手に渡る。東芝の第三者割当増資を引き受けたとき、アクティビストの取得価格は1株2628円(後の株式併合を加味した値)。TOB価格との差が1992円という超掘り出し物だったわけです」 結果として、9.90%を保有する筆頭株主のアクティビスト「エフィッシモ・キャピタル・マネジメント」は850億円もの利益を手にする算段だ」、なるほど。 「経産省主導のもと、アクティビスト退治の切り札が送り込まれた。その人物が、三井住友銀行元副頭取でCVCキャピタル日本法人の会長を務めていた車谷暢昭元社長でした」、ただ、「車谷」氏の起用は結果的には失敗だったようだ。 デイリー新潮「「東芝」バラバラ解体ショーで終幕か 「戦犯」に翻弄され非上場化を選んだ名門企業の今後」 「第一の戦犯は経産省である。M&Aアナリストが前回・・・」、からの解説を続ける。 「経産省の水野弘道参与(当時)が“米ハーバード大学基金”に圧力をかけ、2020年7月開催の株主総会における議決権行使を見送らせました。クビのかかった車谷暢昭元社長への助太刀が目的でした。経産省は組織ぐるみでアクティビスト対策に介入していたわけです」 だがそれは、東芝のコーポレートガバナンス不全をあからさまにし、逆にアクティビストにつけ入る隙を与える結果となった」、「経産省は組織ぐるみでアクティビスト対策に介入していた」とは政府系機関とは思えないような露骨なやり方だ。 「この会社分割案をめぐり東芝をさらなる混乱に陥れたアクティビストこそ、第三の戦犯である」、なるほど。 プレジデント 2023年12月1日号 大前 研一氏が掲載した「泥沼にハマった東芝は何をしくじったのか…大前研一「復活は厳しいが活路が残っている理由」 日本を代表する企業の大失敗から何を学ぶか」 「東芝に混乱をもたらした責任者の筆頭は、1996年に社長に就任した西室泰三氏である・・・「東芝機械ココム違反事件」で、西室氏は頭角を現した。事件後にアメリカで巻き起こった東芝バッシングの火消しで、駐在歴が長く、英語が堪能な西室氏が活躍したのだ。 西室氏は経営の本流ではなかったものの、ココム違反事件での対応が評価されて社長になった。西室氏は権力の維持に熱心で、社長就任後は実力のある後継候補を次々に閑職かんしょくへ追いやった。 かわりに言いなりになる人間を重用し、社長退任後も院政を敷き、その体制が不正会計発覚まで続いた。 西室氏の言いなりの筆頭が、2代後の社長を務めた西田厚聰あつとし氏だ。東芝はかつての名社長、土光敏夫氏が会社を率いて以来、その母校である東京工業大学閥が強い。しかし、西田氏は東京大学出身で、イラン現地法東芝はかつての名社長、土光敏夫氏が会社を率いて以来、その母校である東京工業大学閥が強い。 しかし、西田氏は東京大学出身で、イラン現地人に入社した傍流だ。しかし本流でないことが、西室院政にとっては都合がよかった。 西田氏はパソコン事業部の部長時代にラップトップPCを開発した男として知られ、本人もそれを売り文句にしていた。ただ、真相は違う」、なるほど。 「85年、私がいたマッキンゼーに東芝から「アメリカでIBMに勝てない。パソコンのマーケティングを手伝ってほしい」と依頼がきた。私はマッキンゼーのロサンゼルス事務所に話を振ったが、向こうのチームがリサーチ後に出した結論は「勝ち目がないからやめたほうがいい」。これに西田氏は激怒し、マッキンゼーに契約打ち切りを通告。 そのプレゼンに参加していた私は、東芝の強みである液晶と小型化を活かしたPCを開発すれば対IBMで勝機があると、慌てて説明を付け加えた。 当時、PCはデスクトップが標準。コンパックが販売していたポータブルPCは重厚で携帯性が悪く、私はトランスポータブルと呼んでいた。私の提案は、手のひらや膝(lap)の上(top)に置ける「ラップトップ(laptop)」を開発してはどうかというもの。クビになるのを避けるため、プレゼン中に私がその場で思いついたコンセプトだ。 しかし、私が提案をしたところで西田氏の怒りは収まらず、結局マッキンゼーは追い出されてしまった。しかしその1年後、プレゼンを後ろで聞いていた東芝社員が、私のところへやってきて「大前さんのいう ラップトップをつくってみました。これで合っていますか」と試作品を見せにきた。これがのちに「ダイナブック」ブランドで世界を席巻することになる、ラップトップPCの第1号である。 西田氏はそうした経緯に触れず、長らくラップトップPCを自分の手柄のように吹聴していたが、さすがに気が引けたのか。死の直前に受けたインタビュー・・・でラップトップPCが私のアイデアだったことを白状している」、なるほど。 「東芝の失敗から学ぶべきもう一つの教訓は、業績不振に陥った後、投資銀行に相談してはいけないということだ。 投資銀行は、M&Aの成功報酬で取引金額の一定割合を手数料として取る。大きな取引ほど儲かるので、高く売れる事業、つまり儲かる事業の売却に積極的になる。 不正会計が発覚した当時、東芝でもっとも将来性があったのは、東芝メディカルシステムズの医療機器事業だった。世界の医療機器市場はGE、独シーメンス、蘭フィリップスの3強で寡占しているのだが、東芝メディカルは超音波や画像診断機器などの分野で3強に比肩していた。 しかし、そんな虎の子の子会社を、16年3月にキヤノンへ売却してしまった・・・東芝ブランドを長らく支えていた白物家電事業を手放した。分社化していた東芝ライフスタイルの株式を、中国の美的集団に譲渡したのだ。このときはテレビなどの映像機器事業を残したが、それも18年に中国のハイセンスに売ってしまった・・・世界的競争力を有していた半導体メモリの子会社、東芝メモリの売却はナンセンス過ぎる。 18年6月に東芝は、米投資ファンドのベインキャピタルと韓国半導体メーカーSKハイニックスが出資するSPC、そして東芝(再出資)、HOYAからなる日米韓連合に東芝メモリを売却。キオクシアとして再出発した。半導体事業は、売却当時の18年3月期で東芝の営業利益の約9割を稼いでいたのだが、まさに大黒柱を手放したことになる。そのキオクシアは米ウエスタンデジタルとの統合を目指しているものの、SKハイニックスの反対に遭って交渉が白紙化するなど、難しい立場に置かれてしまっている・・・ 期待したいのは、東芝伝統の「闇開発」だ。かつての東芝は、いい意味でいい加減な会社だった。誰から指示されるでもなく、エンジニアが新しい技術製品を開発するのだ。西田氏に取り込まれたラップトップPCも社員が勝手に開発したものだったし、半導体のフラッシュメモリも舛岡ますおか富士雄氏が自由に研究して発明した産物だ。日本語ワープロのJW-10も、森健一氏らによる“密造酒”だ。東芝の発明する力は混乱の中でも引き継がれていて、量子コンピュータの暗号通信で本質的な技術の特許を取ったりしているし、今でも英ケンブリッジ大学近く の研究所では革新的な研究が続けられている。 ただ、新しい技術が実用化されるのは先の話。それまでは残された事業で地道に稼ぐしかない。困難な再建になるだろうが、東芝が持っている強みを活かして立ち直ってほしいものだ」、まだ「闇開発」のような美風が残っているようであれば、大いに活用してほしい。 ダイヤモンド・オンライン 真壁昭夫氏による「東芝の「失敗の本質」とは?上場廃止後の再建タイムリミットは3~5年か」 「まずは、収益の柱を見つけることが重要だ。経営資源を、人工知能、脱炭素、半導体など成長期待の高い分野に再配分することも不可欠だ。成長戦略の実行が遅れれば、投資ファンドであるJIPと東芝経営陣の間に不協和音が生じ、再び経営が迷走することも懸念される」、なるほど。 「「ダイナブック」はノートパソコン市場で世界トップシェアを手に入れた」、「NAND型のフラッシュメモリーは、スマホのデータ記憶装置として世界中で需要が急拡大」。「ソリッド・ステート・ドライブ(SSD)に関しても東芝の貢献は大きい」、当時は最先端を走っていた。 「経営陣は重電・家電の両分野で、過去の発想に固執した。ある意味、業態の転換を拒んだといっても過言ではないだろう。 そして、2015年に発覚した不正会計問題は、その後の同社の運命を決定付ける一大不祥事となった。東芝は、事業環境の変化に対応するよりも、ノートパソコンなど既存事業の収益を過剰に追求したのだ。不正会計問題をきっかけに東芝の企業イメージは悪化し、顧客離れが加速、業績は低迷した。 結果論にはなるが、東芝は、不正会計問題やウエスチングハウスに起因する1.4兆円の損失発生のタイミングで、一連の経営の失敗を認めるべきだった。総合電機メーカーとしてのビジネスモデルの限界を理解し、社会インフラや半導体、医療、量子コンピューティングなど中長期的な成長の可能性が高い分野に経営資源を再配分すべきだった」、その通りだ。 「経営の基本的な役割は、成長期待の高い分野に経営資源を再配分し、高付加価値なモノやサービスを創出する体制を強化することだ。経営が失敗すると、どれほどの名門企業も破綻は免れない。東芝の失敗は、日本経済にとって重要な教訓になるはずだ」、同感である。
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村上ファンド関連(その4)(村上ファンド系が専門商社リューサン株を大量取得…不可解な買い占めに飛び交う憶測、SBI新生銀行の非上場化前に大株主として村上世彰氏登場 波乱を呼ぶ“化かし合い合戦”の行方、コスモ 「伝家の宝刀」封印し村上氏とバトル2幕へ 「MOM決議」でなく「普通決議」で12月14日に対決) [企業経営]

村上ファンド関連については、2017年7月3日に取上げた。今日は、(その4)(村上ファンド系が専門商社リューサン株を大量取得…不可解な買い占めに飛び交う憶測、SBI新生銀行の非上場化前に大株主として村上世彰氏登場 波乱を呼ぶ“化かし合い合戦”の行方、コスモ 「伝家の宝刀」封印し村上氏とバトル2幕へ 「MOM決議」でなく「普通決議」で12月14日に対決)である。

先ずは、7月20日付け日刊ゲンダイが掲載した経済ジャーナリストの重道武司氏による「村上ファンド系が専門商社リュ(注:正しくはョ)ーサン株を大量取得…不可解な買い占めに飛び交う憶測」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/326208
・『約3年半前の“悪夢”を想起させられている業界関係者も少なくあるまい。旧村上ファンドが今度は東証プライム上場のエレクトロニクス専門商社、リョーサンに食いついた。 買収防衛策導入への賛否を巡り一敗地にまみれた形となったコスモエネルギーホールディングスの株主総会からわずか5日後の6月27日、関東財務局に大量保有報告書を提出。傘下の投資会社による発行済みリョーサン株5.29%の保有を明らかにするや、矢継ぎ早に株式を買い増し、同月末までに7.53%を握ったのだ。 エクセル解体劇──。村上氏とエレ商社の関係性といえば、何と言っても因縁深いのはこの「事件」だろう。当時の東証1部上場だったエクセル株の4割弱を買い集めた上、現金対価による株式交換でいったん傘下企業を完全子会社化。事業用資産以外を現物配当で吸い上げた末、事業そのものは2020年4月、同業の加賀電子に売り飛ばしてしまった一件だ。 リョーサンにも先行きこうした「悲惨な運命が待ち構えているのではないか」と半導体系商社幹部の一人は首をすくめる。) もっとも今回の村上氏側の動きはやや不可解で腑に落ちない。というのもリョーサンは村上氏が株を買い漁る前の今年5月中旬、同業の菱洋エレクトロと2024年4月をメドとした経営統合で基本合意しているからだ。 しかも菱洋エレクトロはこれに先立ち今年2月から3月にかけて市場などでリョーサン株を買い集め20.08%を取得。持ち分法適用会社化している。そのうえ統合の中身の詰めは現在進行形で、統合の形態も決まってなければ、統合比率も決まっていない。統合比率の算定に当たって仮にリョーサンの企業価値が低く見積もられるようなことになれば村上氏側には損失が生じるか割を食うリスクも潜んでいることになる。 「投資及び状況に応じて経営陣への助言、重要提案行為を行うこと」。大量保有報告書の中で村上氏側はリョーサン株の保有目的をこう記している。「経営統合」を上回るような重要提案がそうそうあるとは考えにくいが、一癖も二癖もある村上氏のこと、「何かとんでもない隠し玉があるのでは」というのが市場関係者らの見立てだ』、「リョーサンは村上氏が株を買い漁る前の今年5月中旬、同業の菱洋エレクトロと2024年4月をメドとした経営統合で基本合意・・・菱洋エレクトロはこれに先立ち今年2月から3月にかけて市場などでリョーサン株を買い集め20.08%を取得。持ち分法適用会社化・・・そのうえ統合の中身の詰めは現在進行形で、統合の形態も決まってなければ、統合比率も決まっていない・・・統合比率の算定に当たって仮にリョーサンの企業価値が低く見積もられるようなことになれば村上氏側には損失が生じるか割を食うリスクも潜んでいる」、なるほど。

次に、10月5日付け日刊ゲンダイが掲載した経済ジャーナリストの重道武司氏による「SBI新生銀行の非上場化前に大株主として村上世彰氏登場 波乱を呼ぶ“化かし合い合戦”の行方」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/330083
・『「キツネとタヌキの化かし合いのようなものでは」。金融関係者らの間ではこんな皮肉も漏れる。 公的資金の完済に向けてSBI新生銀行の非上場化という“奇策”に打って出たネット金融大手、SBIホールディングス(HD)の北尾吉孝会長兼社長。これに対し旧村上ファンド代表の村上世彰氏が一本のくさびを打ち込んだ。 SBI新生銀が上場廃止となる直前になって同行株を一挙に大量取得。発行株の9.75%、2000万株を握る大株主として登場してきたのだ。 SBI新生銀株は9月1日の同行臨時株主総会で株式併合が承認され、今月2日付でそれが実施されている。2000万株を1株に併合するもので、2億株を超えていた発行株数は10株に収斂された。株主をSBIHDと国(預金保険機構と整理回収機構)の2者に絞り込むことで経営の自由度を高めるとともに、両者間のみの協議で公的資金の具体的な返済方法を策定。完済に道筋をつけるのが狙いだった。 だが村上氏が2000万株を握ったことで、株式併合後も村上氏がSBI新生銀1株を保有する株主として残ったことになる。「村上氏がどんなリターンを期待しているのかは不明だが、公的資金の早期返済とSBI新生銀の企業価値向上を進めていく上で一つの波乱要素となりかねない」。SBIHD関係者の一人は警戒感を募らせる。) 村上氏による株式取得は同氏の傘下にあるエスグラントコーポレーション(東京・渋谷)を通じて展開された。9月21日に市場外で1855万株を、株式併合に伴う「端株」の強制買い取り価格と同額の1株当たり2800円で買い付け。総額519億円余りを投じた計算になる。 保有目的はエスグラント社が提出した大量保有報告書によれば「投資及び状況に応じて経営陣に助言、重要提案行為を行うこと」。再編のにおいでも嗅ぎつけたのではないか──というのが金融筋の見立てだ。 公的資金の返済スキームの一つとしてM&Aを駆使する案も検討されているとみられているためだ。銀行株はどこも割安。これを買収して純資産と買収額の差額である「負ののれん益」を稼ぎ出し、返済原資に充てる作戦だ』、「SBI新生銀株は9月1日の同行臨時株主総会で株式併合が承認され、今月2日付でそれが実施されている。2000万株を1株に併合するもので、2億株を超えていた発行株数は10株に収斂された。株主をSBIHDと国(預金保険機構と整理回収機構)の2者に絞り込むことで経営の自由度を高めるとともに、両者間のみの協議で公的資金の具体的な返済方法を策定。完済に道筋をつけるのが狙いだった。 だが村上氏が2000万株を握ったことで、株式併合後も村上氏がSBI新生銀1株を保有する株主として残ったことになる・・・公的資金の早期返済とSBI新生銀の企業価値向上を進めていく上で一つの波乱要素となりかねない・・・銀行株はどこも割安。これを買収して純資産と買収額の差額である「負ののれん益」を稼ぎ出し、返済原資に充てる作戦だ」、どうなるのだろう。

第三に、10月30日付け東洋経済オンライン「コスモ、「伝家の宝刀」封印し村上氏とバトル2幕へ 「MOM決議」でなく「普通決議」で12月14日に対決」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/711165
・『バトル第2幕の火ぶたが切って落とされる。 石油大手のコスモエネルギーホールディングス(以下、コスモ)は10月24日、村上世彰氏の影響下にある旧村上ファンドに対抗して買収防衛策を発動するための臨時株主総会を12月14日に開くと発表した。 村上氏側はコスモ株を約20%保有し、さらに特別決議(議決権の3分の1)の拒否権に迫る24.56%までコスモ株を買い増す意向を示している』、興味深そうだ。
・『取締役9人全員が村上氏側の買い増しに「否」  臨時株主総会で「発動議案」が可決されると、村上氏側が実際に市場内で株を買い進めた場合に、取締役会の決議を経て新株予約権を一般株主に無償で割り当てることができる。新株予約権が行使されれば、村上氏側の持ち株比率が引き下げられることになる。 7月27日に村上氏側は株の買い増しを表明し、その大規模買付行為等趣旨説明書を提出した。その後、コスモ側と村上氏側で書面による質疑応答の応酬が続いた。 買収防衛策の対応方針では、趣旨説明書を受け取って60営業日以内に取締役会が買い増しに関する評価をするよう定められている。期限を迎えた10月24日の取締役会ではコスモの取締役9人全員が村上氏側の買い増しに「否」の判断を下し、株主の意思を問う臨時総会の開催が決まった。) 村上氏側はこれまでに再生可能エネルギー事業の独立や製油所の閉鎖統合、ENEOSや出光興産の傘下入りの提案などを示唆してきた。旧村上ファンドのシティインデックスイレブンスのリリースによると、6月29日に企業価値向上のための「ある提案」をコスモ側に行ったが、その後進展がなく、趣旨説明書の提出に至ったという。 「ある提案」の内容について村上氏側もコスモ側も明らかにしてない。コスモ関係者は「村上世彰氏が事業再編に関する独自案を持ち込み、受け入れなければ株を買い増すとのことだったが、(村上氏)本人が絡むような提案でコスモが受け入れるのは難しかった」と話す。 一方、コスモ幹部は「石油事業や石油開発事業は非常に収益力が高まっている。製油所の統合や事業譲渡が行われると、一般株主は『収益力のないコスモ』の株主になってしまう。どちらの言うことが株主にとって利益になるか、判断してもらう」と話し、対決姿勢を鮮明にする』、「「ある提案」の内容について村上氏側もコスモ側も明らかにしてない。コスモ関係者は「村上世彰氏が事業再編に関する独自案を持ち込み、受け入れなければ株を買い増すとのことだったが、(村上氏)本人が絡むような提案でコスモが受け入れるのは難しかった」と話す。 一方、コスモ幹部は「石油事業や石油開発事業は非常に収益力が高まっている。製油所の統合や事業譲渡が行われると、一般株主は『収益力のないコスモ』の株主になってしまう。どちらの言うことが株主にとって利益になるか、判断してもらう」と話し、対決姿勢を鮮明にする」、なるほど。
・『株主から「MOMはやりすぎ」の声も臨時株主総会開催は規定路線で、焦点はむしろ、臨時総会での採決方法だった。 6月の定時株主総会で買収防衛策の「是非」を諮った際は、「村上氏側が市場内で急速にコスモ株を買い進める蓋然性が高く、一般株主が意図せず株を売り急ぐ『強圧性』が生じる」として、村上氏側の議決権を除外する奇策を導入した。 少数株主の権利を守るため大株主を除いて賛否を問う「MOM(マジョリティー・オブ・マイノリティー)」という手法だが、これは株主平等の原則を脅かしかねない「伝家の宝刀」(証券市場関係者)でもある。 2021年に東京機械製作所が買収防衛策の決議で導入し、その是非が最高裁判所まで争われ認められた経緯がある。経済産業省の「企業買収における行動指針」では、MOM決議は「例外的かつ限定的な場合に限られる」とする。 実際、6月には株主から「MOMはやりすぎ」「今後どんなにいい株主提案も、経営側が気に入らなければMOM決議を採用されてしまう」などの声が相次いだ。) MOM決議による議案への賛成率は59.54%で可決された。だが、仮にMOM決議で除かれたシティ側の議決権を反対票に、コスモ側の役員持ち株会などの議決権を賛成票に加えると、賛成比率は約45.89%にとどまり否決されていたことになる(旧村上ファンドの推計)。村上氏側は「買収防衛策の決議は実質的に否決だったと評価すべき」とした。 こうした経緯から12月の臨時総会でコスモが再びMOMを導入するのかが注目されていた。だが、今回、コスモはMOMを導入せず、普通決議で採決を行うことを明らかにした。 「6月はシティが所定の手続きに従わずに買い増しを進めた場合、強圧性にさらされるということでMOM決議にした。今回は(村上氏側が)手続きを踏んで趣旨説明書を出していることを含め総合的に勘案して普通決議にした」(コスモ幹部) 株主の売り急ぎを誘発する「強圧性」には、一般株主が十分な検討ができないほど短期で買い上げる「時間的切迫性」のほか、「過少な情報」「市場内での買い上がり」「部分買い付けであること」や「実施主体の不透明さ」などがあげられる』、「MOM決議による議案への賛成率は59.54%で可決された。だが、仮にMOM決議で除かれたシティ側の議決権を反対票に、コスモ側の役員持ち株会などの議決権を賛成票に加えると、賛成比率は約45.89%にとどまり否決されていたことになる(旧村上ファンドの推計)。村上氏側は「買収防衛策の決議は実質的に否決だったと評価すべき」とした」、確かに厳密に分析すると、「決議は実質的に否決だった」というのも筋が通る。 「こうした経緯から12月の臨時総会でコスモが再びMOMを導入するのかが注目されていた。だが、今回、コスモはMOMを導入せず、普通決議で採決を行うことを明らかにした。 「6月はシティが所定の手続きに従わずに買い増しを進めた場合、強圧性にさらされるということでMOM決議にした。今回は(村上氏側が)手続きを踏んで趣旨説明書を出していることを含め総合的に勘案して普通決議にした」(コスモ幹部) 株主の売り急ぎを誘発する「強圧性」には、一般株主が十分な検討ができないほど短期で買い上げる「時間的切迫性」のほか、「過少な情報」「市場内での買い上がり」「部分買い付けであること」や「実施主体の不透明さ」などがあげられる」、「今回は」「普通決議にした」、大丈夫なのだろうか。
・『村上氏側「コスモ社は当然の判断をしたにすぎない」  村上氏側は2024年7月までに約5%買い増すことを表明していて、時間的切迫性は遠のいている。ただ、「情報開示は依然不十分で、村上氏らの属性、市場買い上がりであることなどの問題は残る。理屈上はMOMを使うことは十分できる状況だ」(コスモ関係者)という。 コスモ幹部は、「前回は『MOM決議を行うことに反対』という株主が一定数いた。MOMでなければ議案(の性質)が違う。当然普通決議で勝てると思って議案をかけている」と自信をのぞかせる。 村上氏側は10月24日、「コスモ社が本総会においてMOM決議を強行した場合は経済産業省の指針に反することが明らかであって、MOM決議としなかったことについて、コスモ社は当然の判断をしたにすぎない」とするコメントを発表。そのうえで、PBR(株価純資産倍率)1倍割れの是正を促すなど、対立姿勢を鮮明にしている 村上氏側は「(買収防衛策発動議案が)普通決議で可決された場合は、買い付けは行わない」とする。コスモの企業価値を上げるのは現経営陣か、村上氏側か。決着は真っ向勝負でつけられる』、「村上氏側は「(買収防衛策発動議案が)普通決議で可決された場合は、買い付けは行わない」とする。コスモの企業価値を上げるのは現経営陣か、村上氏側か。決着は真っ向勝負でつけられる」、軍配はどちらに上がるのだろうか。
タグ:「「ある提案」の内容について村上氏側もコスモ側も明らかにしてない。コスモ関係者は「村上世彰氏が事業再編に関する独自案を持ち込み、受け入れなければ株を買い増すとのことだったが、(村上氏)本人が絡むような提案でコスモが受け入れるのは難しかった」と話す。 一方、コスモ幹部は「石油事業や石油開発事業は非常に収益力が高まっている。製油所の統合や事業譲渡が行われると、一般株主は『収益力のないコスモ』の株主になってしまう。どちらの言うことが株主にとって利益になるか、判断してもらう」と話し、対決姿勢を鮮明にする」、なるほ 日刊ゲンダイ 東洋経済オンライン「コスモ、「伝家の宝刀」封印し村上氏とバトル2幕へ 「MOM決議」でなく「普通決議」で12月14日に対決」 ・・・公的資金の早期返済とSBI新生銀の企業価値向上を進めていく上で一つの波乱要素となりかねない・・・銀行株はどこも割安。これを買収して純資産と買収額の差額である「負ののれん益」を稼ぎ出し、返済原資に充てる作戦だ」、どうなるのだろう。 「SBI新生銀株は9月1日の同行臨時株主総会で株式併合が承認され、今月2日付でそれが実施されている。2000万株を1株に併合するもので、2億株を超えていた発行株数は10株に収斂された。株主をSBIHDと国(預金保険機構と整理回収機構)の2者に絞り込むことで経営の自由度を高めるとともに、両者間のみの協議で公的資金の具体的な返済方法を策定。完済に道筋をつけるのが狙いだった。 だが村上氏が2000万株を握ったことで、株式併合後も村上氏がSBI新生銀1株を保有する株主として残ったことになる (その4)(村上ファンド系が専門商社リューサン株を大量取得…不可解な買い占めに飛び交う憶測、SBI新生銀行の非上場化前に大株主として村上世彰氏登場 波乱を呼ぶ“化かし合い合戦”の行方、コスモ 「伝家の宝刀」封印し村上氏とバトル2幕へ 「MOM決議」でなく「普通決議」で12月14日に対決) 「村上氏側は「(買収防衛策発動議案が)普通決議で可決された場合は、買い付けは行わない」とする。コスモの企業価値を上げるのは現経営陣か、村上氏側か。決着は真っ向勝負でつけられる」、軍配はどちらに上がるのだろうか。 村上ファンド関連 重道武司氏による「SBI新生銀行の非上場化前に大株主として村上世彰氏登場 波乱を呼ぶ“化かし合い合戦”の行方」 」「普通決議にした」、大丈夫なのだろうか。 「リョーサンは村上氏が株を買い漁る前の今年5月中旬、同業の菱洋エレクトロと2024年4月をメドとした経営統合で基本合意・・・菱洋エレクトロはこれに先立ち今年2月から3月にかけて市場などでリョーサン株を買い集め20.08%を取得。持ち分法適用会社化・・・そのうえ統合の中身の詰めは現在進行形で、統合の形態も決まってなければ、統合比率も決まっていない・・・統合比率の算定に当たって仮にリョーサンの企業価値が低く見積もられるようなことになれば村上氏側には損失が生じるか割を食うリスクも潜んでいる」、なるほど。 重道武司氏による「村上ファンド系が専門商社リュ(注:正しくはョ)ーサン株を大量取得…不可解な買い占めに飛び交う憶測」 OMを導入せず、普通決議で採決を行うことを明らかにした。 「6月はシティが所定の手続きに従わずに買い増しを進めた場合、強圧性にさらされるということでMOM決議にした。今回は(村上氏側が)手続きを踏んで趣旨説明書を出していることを含め総合的に勘案して普通決議にした」(コスモ幹部) 株主の売り急ぎを誘発する「強圧性」には、一般株主が十分な検討ができないほど短期で買い上げる「時間的切迫性」のほか、「過少な情報」「市場内での買い上がり」「部分買い付けであること」や「実施主体の不透明さ」などがあげられる」、「今回は 「MOM決議による議案への賛成率は59.54%で可決された。だが、仮にMOM決議で除かれたシティ側の議決権を反対票に、コスモ側の役員持ち株会などの議決権を賛成票に加えると、賛成比率は約45.89%にとどまり否決されていたことになる(旧村上ファンドの推計)。村上氏側は「買収防衛策の決議は実質的に否決だったと評価すべき」とした」、確かに厳密に分析すると、「決議は実質的に否決だった」というのも筋が通る。 「こうした経緯から12月の臨時総会でコスモが再びMOMを導入するのかが注目されていた。だが、今回、コスモはM ど。
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東芝問題(その44)(「東芝社長をクビにした「社内アンケート」 幹部の5割以上が信任せず、「東芝劇場」ついに終幕への全“迷走劇” 名門企業を凋落に至らしめた「戦犯」とは、東芝は「高学歴依存」から今度こそ脱却できるか「デジタルがわかる初めての社長」への期待) [企業経営]

東芝問題については、昨年6月13日に取上げた。今日は、(その44)(「東芝社長をクビにした「社内アンケート」 幹部の5割以上が信任せず、「東芝劇場」ついに終幕への全“迷走劇” 名門企業を凋落に至らしめた「戦犯」とは、東芝は「高学歴依存」から今度こそ脱却できるか「デジタルがわかる初めての社長」への期待)である。

先ずは、本年5月4日付けデイリー新潮「「東芝社長をクビにした「社内アンケート」 幹部の5割以上が信任せず」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2021/05040556/?all=1
・『〈再生ミッションを成し遂げ、天命は果たせました〉 4月14日、社長辞任にあたって車谷暢昭(くるまたにのぶあき)氏(63)が出したコメントを東芝社員はどんな思いで受け止めたか。同氏をトップに戴いた3年間、東芝がずっと苦慮してきたのが株主との関係だ。 速報裏報酬で「お金の入った封筒を渡された」 東芝の関係者が言う。 「2017年、当社は約6千億円の増資に踏み切り、60社の投資ファンドが株主になりました。彼らの要求は厳しく、株主総会を乗り切るのが大変だったのです」 そのことを象徴するのが昨年、経産省の参与(当時)が大株主(ハーバード大基金)に議決権を行使しないよう圧力をかけたと報じられた件だ。これを問題視したエフィッシモ・キャピタル・マネージメント(筆頭株主)が調査委員会の設置を求め、臨時株主総会が開かれた。 「エフィッシモは旧村上ファンド系で、スタンドプレーが多い。ところが、3月の臨時総会では彼らの提案が可決された。株主の大半が車谷さんにNGを出したということです」(同)』、「2017年、当社は約6千億円の増資に踏み切り、60社の投資ファンドが株主になりました。彼らの要求は厳しく、株主総会を乗り切るのが大変だったのです」、ここが「投資ファンド」の言いなりになった分水嶺だ。「「エフィッシモは旧村上ファンド系で・・・3月の臨時総会では彼らの提案が可決された。株主の大半が車谷さんにNGを出した」、なるほど。
・『だが、そも車谷氏の手法に、もっとも否定的だったのは部下たちである。 「東芝では16年から社長に対する信任調査を実施しています。事業部長や関連会社の社長らが回答するアンケートですが、かつて“チャレンジ”と称して社員らに無茶な利益目標を強いるパワハラが横行し不正会計を止められなかった反省から、現場の役職者がトップを評価する制度を導入したのです」(同) 意外な結果が出たのは1月のこと。約120名を対象に行われた信任調査で、車谷氏に2割を超える「×」がつけられたのだ。 「そこで念のため執行役や事業部長クラスを対象に、2月にもアンケートを行った。すると『×』が5割以上も。この結果を受けて東芝の指名委員会(社外取締役で構成)が、車谷氏に“次の社長指名はない”と伝えたのが3月25日。そこで4月19日に取締役会で社長交代を正式決定する予定が組まれたのです」(同) ところが、その矢先にCVCキャピタルから買収の提案である。車谷氏は同ファンドの元日本法人代表だ。 「車谷氏が東芝に残るための画策だったのは明白。社内外の反発は必至でした」(同) もはや、車谷氏が株主からも社内からも見放されていたのは間違いない』、「約120名を対象に行われた信任調査で、車谷氏に2割を超える「×」がつけられた・・・念のため執行役や事業部長クラスを対象に、2月にもアンケートを行った。すると『×』が5割以上も」、「その矢先にCVCキャピタルから買収の提案である。車谷氏は同ファンドの元日本法人代表だ。 「車谷氏が東芝に残るための画策だったのは明白。社内外の反発は必至でした」(同) もはや、車谷氏が株主からも社内からも見放されていたのは間違いない」、保身のため、出身「ファンド」に買収提案させるとは、お粗末の極みだ。

次に、8月3日付けデイリー新潮「「東芝劇場」ついに終幕への全“迷走劇” 名門企業を凋落に至らしめた「戦犯」とは」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/08031040/?all=1
・『超掘り出し物  「東芝」の創業は1875年。日本初の電信設備メーカーとして設立された名門企業が、遂に株式市場から撤退せざるを得なくなった。国内投資ファンドの「日本産業パートナーズ(JIP)」による買収提案を受け入れ、非上場化する道を選んだのだ。2015年の不正会計事件以来、混乱続きだった「東芝劇場」終幕までの舞台裏を紹介する。 JIP陣営によるTOB(株式公開買い付け)は1株4620円。M&Aアナリストによると、TOBの成立は既定路線だという。 「買収総額はおよそ2兆円。そのうち、4000億円超が“アクティビスト”の手に渡る。東芝の第三者割当増資を引き受けたとき、アクティビストの取得価格は1株2628円(後の株式併合を加味した値)。TOB価格との差が1992円という超掘り出し物だったわけです」 結果として、9.90%を保有する筆頭株主のアクティビスト「エフィッシモ・キャピタル・マネジメント」は850億円もの利益を手にする算段だ。 「22年6月、東芝の株価は最高値の5938円をつけました。それに比べれば、TOB価格は22%も割安。英投資ファンド“CVCキャピタル・パートナーズ”を皮切りに、米投資ファンドなどが次々と東芝の買収に名乗りを上げた。しかし、いずれも不発でした。アクティビストは出資者から一刻も早いキャッシュアウトを迫られ、最後に残ったJIPのTOBには応じるはずです」』、「「買収総額はおよそ2兆円。そのうち、4000億円超が“アクティビスト”の手に渡る。東芝の第三者割当増資を引き受けたとき、アクティビストの取得価格は1株2628円(後の株式併合を加味した値)。TOB価格との差が1992円という超掘り出し物だったわけです」 結果として、9.90%を保有する筆頭株主のアクティビスト「エフィッシモ・キャピタル・マネジメント」は850億円もの利益を手にする算段だ」、なるほど。
・『経産省主導  では、結局、東芝凋落の「戦犯」は誰なのか。 東芝は不正会計事件に続き、米原子力子会社「ウェスチングハウス」の経営破綻で1兆2400億円を超える巨額赤字を計上。17年12月、6000億円に上る第三者割当増資を実施し、その代償として60社ものアクティビストを含む投資ファンドを引き入れる結果に。だが21年1月、東芝が債務超過で降格した東証二部(当時)から一部へと返り咲くと、投資ファンドの多くは利益確定のうえ、株主名簿から消えていった。 「それでも、東芝からなおも搾り取れると踏んだエフィッシモなどは居座り続け、経営陣との対立を深めました。防衛関連や原発事業を手掛ける東芝は、いわば“国策企業”。ゆえに、経産省主導のもと、アクティビスト退治の切り札が送り込まれた。その人物が、三井住友銀行元副頭取でCVCキャピタル日本法人の会長を務めていた車谷暢昭元社長でした」(つづく) 「週刊新潮」2023年7月27日号「MONEY」欄の有料版では、東芝の混乱ぶりと東芝を凋落に至らしめた「戦犯」について詳報する。)「週刊新潮」2023年7月27日号「MONEY」欄の有料版では、東芝の混乱ぶりと東芝を凋落に至らしめた「戦犯」について詳報する』、「経産省主導のもと、アクティビスト退治の切り札が送り込まれた。その人物が、三井住友銀行元副頭取でCVCキャピタル日本法人の会長を務めていた車谷暢昭元社長」、彼が「アクティビスト退治の切り札」だったとは初めて知った。本格的な「退治」はもっとあとの最近だ。

第三に、9月30日付け東洋経済オンラインが掲載した流通科学大学特任教授・事業構想大学院大学客員教授の長田 貴仁氏による「 東芝は「高学歴依存」から今度こそ脱却できるか「デジタルがわかる初めての社長」への期待」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/705005
・『「東芝」と聞いて多くの人は何を頭に思い浮かべるだろうか。経営混乱だろう。東芝が経営不振に陥ってからの8年間、耳にするのは経営再建に関するニュースばかり。メーカーであることを忘れてしまうほど、本業に関する話題で盛り上がることはなかった。 ところが、9月21日に発表された日本産業パートナーズと企業連合による株式の公開買い付け(TOB)成立により大きく風向きが変わった。12月にも上場廃止になる見通しだ』、興味深そうだ。
・『東芝でデジタルがわかる初めての社長  TOB開始を発表した8月7日、島田太郎社長兼CEOは記者会見で「中長期の戦略をしっかり実行できるようになる。東芝は革新的な技術があるが、ビジネスとして成立させるには一定の時間がいる」と強調した。 2022年6月に発表した経営方針では、2030年度に売上高5兆円、営業利益6000億円を目標に掲げた。データサービスをその牽引車にする。長い歴史を持つインフラ事業から生じるデータを駆使することで、巨大テック企業5社GAFAMや、中国IT大手のようなプラットフォーマーに近いビジネスモデルを構築しようとしている。島田氏は社長就任時に自ら口にした「東芝でデジタルがわかる初めての社長」として長所を最大限に発揮する意向だ。 ハード主体の電機メーカーだったソニーグループが、2021年度に「ゲーム」「音楽」「映画」など3領域から成るエンターテインメント分野が連結売上高全体の50%を超えたように、東芝は「デジタルが分かる会社」に変身できるだろうか。 思い起こせば、ソニーがハードとソフトの両輪経営を構想し始めたのは創業者の盛田昭夫氏である。) 平井一夫前CEOがエンターテインメント畑出身だったことから、その手腕が注目されたが、盛田氏が大きな時代の変化を見通す先見性を発揮し、ソフトがわかる歴代CEOが着々と地歩を固めてきたからこそ、平井氏が果実を手にすることができたのだ。 では、東芝は「デジタルがわかる会社」へ転換するための下地づくりが長い年月をかけて行われていたのだろうか。 東芝は約150年にわたり、 発電などのエネルギー事業、水処理などのインフラ事業、社会・情報インフラ事業に携わってきた。今、エネルギーやインフラの分野では、再生可能エネルギーの普及やインフラ老朽化への対応などが求められている。東芝はここでデータの力を生かそうとしているのだ。 一方、経営危機に直面し、虎の子だった医療機器や半導体メモリーなどの事業を次々と売却、分離してしまった。こうした中で、「残された事業で何ができるのか」と危ぶまれる声も聞かれるようになったが、残された事業にも、POS(販売時点情報管理)のように大きな市場シェア(日本:約50%、海外:約20%)を占めている強いインフラ・ビジネスがある。スマートフォンと連動することで、データを活用した新たなビジネスモデルが構築できそうだ』、「平井一夫前CEOがエンターテインメント畑出身だったことから、その手腕が注目されたが、盛田氏が大きな時代の変化を見通す先見性を発揮し、ソフトがわかる歴代CEOが着々と地歩を固めてきたからこそ、平井氏が果実を手にすることができたのだ」、「東芝は約150年にわたり、 発電などのエネルギー事業、水処理などのインフラ事業、社会・情報インフラ事業に携わってきた・・・経営危機に直面し、虎の子だった医療機器や半導体メモリーなどの事業を次々と売却、分離してしまった。こうした中で、「残された事業で何ができるのか」と危ぶまれる声も聞かれるようになったが、残された事業にも、POS・・・のように大きな市場シェア(日本:約50%、海外:約20%)を占めている強いインフラ・ビジネスがある。スマートフォンと連動することで、データを活用した新たなビジネスモデルが構築できそうだ」、なるほど。
・『デジタルの波を「感知」するのが遅れた  ただ、悔やまれるのは、なぜ、もっと早くデジタルの大きな波を「感知」し、自社の強みを「捕捉」しなかったか、である。そして新規事業を立ち上げ主力事業に育てる「変革」をもっと早い段階から手を打ってこなかったのか。 ソニーに比べれば、東芝にリロケーションの下地はあったものの、具体的にビジネスモデルとして構築しようとする動きは見られなかった。サイバー技術とフィジカル技術を融合した「サイバー・フィジカル・システム(CPS)」と称し、やっと全社的に重い腰を上げたのは、退任に追い込まれた車谷暢昭前社長の頃からだ。 74年ぶりに非上場化するというコーポレートガバナンスの抜本的変化に伴い、既存の宝の山にすがる重い腰の企業文化も、世の中のきなうねりを敏感に感知、捕捉し、素早く動き変革できる企業文化に大きく変わるかもしれない。その象徴の1つとして想定されるのが「脱高学歴」である。) かつて、「野武士の日立」「公家の東芝」と呼ばれた時代があった。無骨な感じの日立製作所に対し、東芝のどことなくおっとりした企業文化を表現した比喩といえよう。もっとも、東芝は日立と同様、メーカーなので工場など多くの現場労働者を抱えている。 ところがその一方、経営層や中間管理職に目を向けると高学歴の従業員が目立つ。東芝は石坂泰三氏、土光敏夫氏(いずれも経団連会長)、岡村正氏(日本商工会議所会頭)を輩出してきたことから、この印象をさらに強いものにした。まさに東芝は、日本を代表する名門大企業だった』、「サイバー技術とフィジカル技術を融合した「サイバー・フィジカル・システム(CPS)」と称し、やっと全社的に重い腰を上げたのは、退任に追い込まれた車谷暢昭前社長の頃からだ」、「経営層や中間管理職に目を向けると高学歴の従業員が目立つ。東芝は石坂泰三氏、土光敏夫氏(いずれも経団連会長)、岡村正氏・・・を輩出してきたことから、この印象をさらに強いものにした。まさに東芝は、日本を代表する名門大企業だった」、なるほど。
・『1990年代まで東大・東工大卒の社長が続いた  東芝のトップには東京大学や東京工業大学の出身者が就任していたが、潮目が変わったのは、慶應義塾大学経済学部卒の西室泰三氏が1996年に、社長に就任したときからだった。同社としては初めての私立大学文系出身の社長である。 その後、後継者となった岡村正氏は東大法学部卒だが、相変わらず西室氏が実権を掌握した。同氏が高く評価していた後継社長の西田厚聰氏は、早稲田大学政治経済学部を経て、東大大学院法学研究科に進み、イランの現地法人に入社し、31歳で本社に入社した。過去の東芝では考えられない異色と言える経歴だった。 9電力会社が最大得意先である東芝らしいエピソードを西田氏から聞いたことがある。 「西室会長に、経歴には早稲田卒、東大大学院修了のどちらを書いたほうがいいでしょうか、と相談すると、『早稲田卒と東大卒双方のお客さんと縁ができますから、両方とも書いておけばいいでしょう』とアドバイスを受けました」 西田氏の後任になったのが、西田氏と確執が深まっていった佐々木則夫氏。早大理工学部卒である。続く田中久雄氏は神戸商科大学(現兵庫県立大学)商経学部卒、室町正志氏は早大理工学部卒と、脱「東大・東工大依存」が図られているかのように見えた。 ところが再び、綱川智氏(東大教養学部卒)、外部から登用された車谷暢昭氏(東大経済学部卒)と東大卒が続く。車谷氏が突然退任に追い込まれ、綱川氏が再登板する。) なぜ、経営危機に直面した時に東大卒が続いたのだろうか。一般的に日本の高学歴型大企業で見られる現象としては、とりあえず「東大卒」を社長に据えておけば、詳しく説明をせずとも、現場だけでなく高学歴社員まで納得するという思いこみがあるからではないか。 そのような企業文化の中では、「東大出の頭のいい人だから、無難に危機を脱してくれるのではないか」という論拠のない期待が高まりがちである。結果論になるが、この2人の東大卒社長の下では、改革は大きく進展しなかった』、「潮目が変わったのは、慶應義塾大学経済学部卒の西室泰三氏が1996年に、社長に就任したときからだった。同社としては初めての私立大学文系出身の社長である・・・「西室会長に、経歴には早稲田卒、東大大学院修了のどちらを書いたほうがいいでしょうか、と相談すると、『早稲田卒と東大卒双方のお客さんと縁ができますから、両方とも書いておけばいいでしょう』とアドバイスを受けました」、「綱川智氏(東大教養学部卒)、外部から登用された車谷暢昭氏(東大経済学部卒)と東大卒が続く・・・なぜ、経営危機に直面した時に東大卒が続いたのだろうか。一般的に日本の高学歴型大企業で見られる現象としては、とりあえず「東大卒」を社長に据えておけば、詳しく説明をせずとも、現場だけでなく高学歴社員まで納得するという思いこみがあるからではないか」、なるほど。
・『ニュースリリースに学歴を書かなかった  とはいえ、「東大卒=失敗」という明確な因果関係があるわけではない(1人や2人の談話をうまくつなげて一般化しようとするのは、経営学者の端くれとしても慎みたい)。 危機を打開しなくてはならないときには、従業員に対して変化の認識を意識させ、改革の動機付けをする必要がある。過去の経営者と同じような背景を持つ人がトップに座っても、危機感は熟成されない。 そこで、非常時には、うちの会社も変わったなと思われる人がトップに就くといいだろう。革命家のイメージを社員に与えることで、改革しなくてはならないという雰囲気が盛り上がる。 車谷氏が退任を迫られ、皮肉にも、その後任として車谷氏がスカウトしてきた島田氏が新社長に就任する。島田氏は甲南大学理工学部卒だが、就任時、メディア向けに発表した略歴には学歴が書かれていなかった。日本の大企業が発表するニュースリリースでは、めずらしいケースだ。 このため、さまざまな臆測が飛んだ。仕事の実績よりも30数年前に卒業した大学を気にするあたりは、偏差値至上主義になってしまった日本らしい悪しき風潮だ(誤解を招いてはいけないので補足しておく。甲南大学は独自の文化を誇るすばらしい大学であり、経済界で活躍しているOB・OGも多い)。) 島田氏は、シーメンス日本法人の専務から転じて2018年10月東芝に入社。コーポレートデジタル事業責任者、2019年4月執行役常務、2020年4月執行役上席常務を経て2022年3月から社長を務めている。 島田氏の学歴、キャリアは東芝において革命的変化である。上場廃止後の東芝の経営でも革命的変化を起こすか否かが見ものである。企業統治しか話題に上らなくなってしまった東芝が、本来の「技術の東芝」に再生するだろうか。 9月には、経営方針に掲げるデジタル化を通じたカーボンニュートラル・サーキュラーエコノミーの実現を加速するために、ドイツのデュッセルドルフに新しい技術拠点「リジェネラティブ・イノベーションセンター」を開所。ドイツ語に堪能な技術者である島田社長にとっては、「自ら牛耳れる」戦略拠点になりそうだ』、「後任として車谷氏がスカウトしてきた島田氏が新社長に就任する。島田氏は甲南大学理工学部卒だが、就任時、メディア向けに発表した略歴には学歴が書かれていなかった。日本の大企業が発表するニュースリリースでは、めずらしいケースだ」、「島田氏は、シーメンス日本法人の専務から転じて2018年10月東芝に入社。コーポレートデジタル事業責任者、2019年4月執行役常務、2020年4月執行役上席常務を経て2022年3月から社長を務めている。 島田氏の学歴、キャリアは東芝において革命的変化である。上場廃止後の東芝の経営でも革命的変化を起こすか否かが見ものである」、「経営方針に掲げるデジタル化を通じたカーボンニュートラル・サーキュラーエコノミーの実現を加速するために、ドイツのデュッセルドルフに新しい技術拠点「リジェネラティブ・イノベーションセンター」を開所。ドイツ語に堪能な技術者である島田社長にとっては、「自ら牛耳れる」戦略拠点になりそうだ」、なるほど。
・『東芝社員マインドも変えられるか  島田社長は「東芝には私より頭の良い人はいっぱいいる」と自覚していると思われる。自分より優秀な人に活躍してもらうよう苦心するだろう。変革を実現するためには、知らぬ間に「学歴の天井」を感じて萎縮していた社員にも最大限の実力を発揮してもらわなければならない。 それには飛び越えなくてはならないハードルがいくつもある。そのような中にあって、TOBに際し受けた多額融資の金利負担増加が懸念される。想定以上に事業が悪化すれば「物言う金融機関」が事業や資産の売却を迫るかもしれない。 一般的には、上場廃止は失格の烙印が押されたと見られるが、島田社長はメーカー本来の仕事ができるとワクワクしている。そのような人にとっては、学歴などどうでもいいことなのだ。そして、いい結果を出し続けることができれば、高学歴会社の東芝社員にとっても、学歴が意味なきものに見え、よりそれぞれが能力を発揮しやすい環境が作られることになるのではないか。 「脱高学歴会社」という視点から評価しても、島田氏の社長就任は高く評価できる。改革がうまくいけば、東芝は学歴社会終焉のロールモデルを築けるかもしれない。島田氏が社長就任発表時の略歴に卒業大学名を書かなかったのは、このメッセージが含まれていたとも読み取れる』、「いい結果を出し続けることができれば、高学歴会社の東芝社員にとっても、学歴が意味なきものに見え、よりそれぞれが能力を発揮しやすい環境が作られることになるのではないか。 「脱高学歴会社」という視点から評価しても、島田氏の社長就任は高く評価できる。改革がうまくいけば、東芝は学歴社会終焉のロールモデルを築けるかもしれない」、今後の展開が楽しみだ。
タグ:「東芝は約150年にわたり、 発電などのエネルギー事業、水処理などのインフラ事業、社会・情報インフラ事業に携わってきた・・・経営危機に直面し、虎の子だった医療機器や半導体メモリーなどの事業を次々と売却、分離してしまった。こうした中で、「残された事業で何ができるのか」と危ぶまれる声も聞かれるようになったが、残された事業にも、POS・・・のように大きな市場シェア(日本:約50%、海外:約20%)を占めている強いインフラ・ビジネスがある。 「平井一夫前CEOがエンターテインメント畑出身だったことから、その手腕が注目されたが、盛田氏が大きな時代の変化を見通す先見性を発揮し、ソフトがわかる歴代CEOが着々と地歩を固めてきたからこそ、平井氏が果実を手にすることができたのだ」、 長田 貴仁氏による「 東芝は「高学歴依存」から今度こそ脱却できるか「デジタルがわかる初めての社長」への期待」 島田氏の学歴、キャリアは東芝において革命的変化である。上場廃止後の東芝の経営でも革命的変化を起こすか否かが見ものである」、「経営方針に掲げるデジタル化を通じたカーボンニュートラル・サーキュラーエコノミーの実現を加速するために、ドイツのデュッセルドルフに新しい技術拠点「リジェネラティブ・イノベーションセンター」を開所。ドイツ語に堪能な技術者である島田社長にとっては、「自ら牛耳れる」戦略拠点になりそうだ」、なるほど。 東洋経済オンライン 「経産省主導のもと、アクティビスト退治の切り札が送り込まれた。その人物が、三井住友銀行元副頭取でCVCキャピタル日本法人の会長を務めていた車谷暢昭元社長」、彼が「アクティビスト退治の切り札」だったとは初めて知った。本格的な「退治」はもっとあとの最近だ。 「「買収総額はおよそ2兆円。そのうち、4000億円超が“アクティビスト”の手に渡る。東芝の第三者割当増資を引き受けたとき、アクティビストの取得価格は1株2628円(後の株式併合を加味した値)。TOB価格との差が1992円という超掘り出し物だったわけです」 結果として、9.90%を保有する筆頭株主のアクティビスト「エフィッシモ・キャピタル・マネジメント」は850億円もの利益を手にする算段だ」、なるほど。 デイリー新潮「「東芝劇場」ついに終幕への全“迷走劇” 名門企業を凋落に至らしめた「戦犯」とは」 「車谷氏が東芝に残るための画策だったのは明白。社内外の反発は必至でした」(同) もはや、車谷氏が株主からも社内からも見放されていたのは間違いない」、保身のため、出身「ファンド」に買収提案させるとは、お粗末の極みだ。 「約120名を対象に行われた信任調査で、車谷氏に2割を超える「×」がつけられた・・・念のため執行役や事業部長クラスを対象に、2月にもアンケートを行った。すると『×』が5割以上も」、「その矢先にCVCキャピタルから買収の提案である。車谷氏は同ファンドの元日本法人代表だ。 「後任として車谷氏がスカウトしてきた島田氏が新社長に就任する。島田氏は甲南大学理工学部卒だが、就任時、メディア向けに発表した略歴には学歴が書かれていなかった。日本の大企業が発表するニュースリリースでは、めずらしいケースだ」、「島田氏は、シーメンス日本法人の専務から転じて2018年10月東芝に入社。コーポレートデジタル事業責任者、2019年4月執行役常務、2020年4月執行役上席常務を経て2022年3月から社長を務めている。 「潮目が変わったのは、慶應義塾大学経済学部卒の西室泰三氏が1996年に、社長に就任したときからだった。同社としては初めての私立大学文系出身の社長である・・・「西室会長に、経歴には早稲田卒、東大大学院修了のどちらを書いたほうがいいでしょうか、と相談すると、『早稲田卒と東大卒双方のお客さんと縁ができますから、両方とも書いておけばいいでしょう』とアドバイスを受けました」、 「2017年、当社は約6千億円の増資に踏み切り、60社の投資ファンドが株主になりました。彼らの要求は厳しく、株主総会を乗り切るのが大変だったのです」、ここが「投資ファンド」の言いなりになった分水嶺だ。「「エフィッシモは旧村上ファンド系で・・・3月の臨時総会では彼らの提案が可決された。株主の大半が車谷さんにNGを出した」、なるほど。 デイリー新潮「「東芝社長をクビにした「社内アンケート」 幹部の5割以上が信任せず」 (その44)(「東芝社長をクビにした「社内アンケート」 幹部の5割以上が信任せず、「東芝劇場」ついに終幕への全“迷走劇” 名門企業を凋落に至らしめた「戦犯」とは、東芝は「高学歴依存」から今度こそ脱却できるか「デジタルがわかる初めての社長」への期待) 東芝問題 「綱川智氏(東大教養学部卒)、外部から登用された車谷暢昭氏(東大経済学部卒)と東大卒が続く・・・なぜ、経営危機に直面した時に東大卒が続いたのだろうか。一般的に日本の高学歴型大企業で見られる現象としては、とりあえず「東大卒」を社長に据えておけば、詳しく説明をせずとも、現場だけでなく高学歴社員まで納得するという思いこみがあるからではないか」、なるほど。 「サイバー技術とフィジカル技術を融合した「サイバー・フィジカル・システム(CPS)」と称し、やっと全社的に重い腰を上げたのは、退任に追い込まれた車谷暢昭前社長の頃からだ」、「経営層や中間管理職に目を向けると高学歴の従業員が目立つ。東芝は石坂泰三氏、土光敏夫氏(いずれも経団連会長)、岡村正氏・・・を輩出してきたことから、この印象をさらに強いものにした。まさに東芝は、日本を代表する名門大企業だった」、なるほど。 スマートフォンと連動することで、データを活用した新たなビジネスモデルが構築できそうだ」、なるほど。 「いい結果を出し続けることができれば、高学歴会社の東芝社員にとっても、学歴が意味なきものに見え、よりそれぞれが能力を発揮しやすい環境が作られることになるのではないか。 「脱高学歴会社」という視点から評価しても、島田氏の社長就任は高く評価できる。改革がうまくいけば、東芝は学歴社会終焉のロールモデルを築けるかもしれない」、今後の展開が楽しみだ。
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ゴーン問題(その4)(終わらないゴーン事件:第9回 判決 日産が元役員の“ほぼシロ”判決に浴びせた言葉、ゴーン被告を「仏検察が国際手配」 フランスで出廷が避けられない理由、日産元COOの志賀氏に直撃 「ゴーン変節」の時期とルノー・日産連合の行方) [企業経営]

ゴーン問題については、2021年11月21日に取上げた。久しぶりの今日は、(その4)(終わらないゴーン事件:第9回 判決 日産が元役員の“ほぼシロ”判決に浴びせた言葉、ゴーン被告を「仏検察が国際手配」 フランスで出廷が避けられない理由、日産元COOの志賀氏に直撃 「ゴーン変節」の時期とルノー・日産連合の行方)である。

先ずは、2021年11月14日付け東洋経済オンライン「終わらないゴーン事件:第9回 判決 日産が元役員の“ほぼシロ”判決に浴びせた言葉」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/577356
・『一審判決に対し、日産の元役員であるグレッグ・ケリー氏の弁護団は即日控訴の意向を示した。 3月3日午前10時、東京地方裁判所104号法廷。そこには判決の言い渡しを受ける日産自動車元役員であるグレッグ・ケリー被告が座っていた。 金融商品取引法違反(虚偽有価証券報告書提出罪)に対する判決は、懲役6カ月、執行猶予3年だった。 下津健司裁判長は「平成30年12月10日付け起訴状記載の公訴事実第1及び第2の1ないし4並びに平成31年1月11日付け追記訴状記載の公訴事実第1及び第2の各事実について、被告人グレゴリー・ルイス・ケリーは無罪」と述べ、少し間を置いてこう付け加えた。 「つまり2010年度~2016年度は無罪、2017年度は有罪ということです」』、「2010年度~2016年度は無罪、2017年度は有罪」、どういうことなのだろう。
・『日産が判決に対してコメント  裁判の争点は、有価証券報告書にカルロス・ゴーン元CEOの役員報酬を実際よりもかなり少なく、しかも故意に記載して関東財務局に提出したのかどうかだった。 罪が問われる対象期間は日産が2011年度~2017年度、ケリー氏が2010年度~2017年度まで。1億円以上の報酬を得ている役員の氏名と報酬額を開示することが内閣府令で義務付けられたのは2010年度から。日産の対象期間が1年少ないのは時効が成立しているためだ(海外生活が長いケリー氏には時効が成立していない)。 容疑を認めていた日産には、検察の求刑どおり罰金2億円の判決が下った。無罪を主張し続けたケリー氏に検察は懲役2年を求刑したが、判決は懲役6カ月。しかも執行猶予がついた。 ケリー氏は判決の言い渡し後、「裁判所が(中略)1年分について(2017年度)だけ有罪としたことは理解できません」とのコメントを発表。弁護団も「最後の1年について有罪とした点は、明らかに誤っているため承服できない。控訴する」とし、完全な無罪判決の獲得を狙う。 日産は判決の翌日である3月4日にリリースを出し、罰金2億円の判決は「正当なご判断」とし、控訴はしないとした。 一方、ケリー氏の名前を挙げ「客観的な裏付け証拠がないと判断された年度があることについては予想外でした」と言及した。つまり、日産としては2010年度~2016年度分についてケリー氏が無罪となった点に不満げなようだ。 東京地検は控訴していない。森本宏次席検事は3月9日の定例会見で、「無罪部分を有罪にできるかや、1審判決を承服できるかなどを高検と協議し、意見が一致したら控訴する」と述べるにとどまる。控訴期限は3月17日だ』、「日産としては2010年度~2016年度分についてケリー氏が無罪となった点に不満げなようだ」、なるほど。
・『未払報酬は「存在した」  裁判での最大論点はゴーン氏への「未払報酬」が存在したかどうかだった。 実は、金融商品取引法や開示府令には、「いかなる決定がなされれば役員報酬として開示しなければならないかについて、具体的な規定があるわけではない」(下津裁判長)。 そこで下津裁判長はほかの裁判官と協議し、①報酬を決定する正当な権限を有する者が、②所定の手続きに従って報酬額を決定し、③所定の部署で報酬額を継続的に管理していれば、当然開示すべきとした。 これを本件に当てはめると、日産ではゴーン氏に他の取締役から役員報酬の決定が事実上一任されていたといえる。つまり、①の「正当な権限を有する者」はゴーン氏だ。 ②の「所定の手続き」はどうか。 手続き上は、ゴーン氏はほかのもう一人の代表取締役と協議して自身の報酬を決めることになっていた。だが、「本件当時のゴーン以外の代表取締役であった小枝(至元共同代表)、志賀(俊之元COO・副会長)、西川(廣人元社長兼CEO)は、協議を行わないことについて特段の異議を差し挟まず、ゴーン単独で決定することを容認していた」(判決)。 だから、「具体的な協議を行わなくても、協議を行ったとする慣行が確立していた」とした。このことから、②の所定の手続きも満たしていると裁判所は判断した。 ③の「継続的な管理」については、秘書室で、「報酬総額」、「実際に支払われた報酬額」「それらを差し引いた未払報酬額」を1円単位で管理。毎年、3月から4月にかけてゴーン氏へ報酬計算書を提示していた。 以上から①~③の条件を満たしていると判断し、裁判所は「ゴーンの開示すべき未払報酬が存在することが認められる」と結論づけ、主犯はゴーン氏だとした。 未払報酬は存在し、その主犯がゴーン氏だとなると、次の焦点は共犯者だ。 判決は、2010年度~2016年度まではゴーン氏と大沼敏明秘書室長との共謀が成立していたが、ケリー氏との共謀はなかったと認定した。未払い報酬を記した文書の作成をケリー氏に指示されたとする大沼氏の供述は客観的に裏付けられず、検察と日本版司法取引をした大沼氏の証言を「信用できない」と退けた。 ゴーン氏は「報酬総額」などの情報管理を大沼氏のみに指示。これらの情報はトップシークレット扱いで、ほかの取締役に知らされていなかった。報酬総額は、秘書室のスタッフ数名が知るのみでそれも断片的だった。経理部には有価証券報告書の提出直前に、それらの情報のうち「実際に支払われた報酬額」だけが一方的に伝えられただけだった。 ケリー氏が「2017年度のみ有罪」とされたのは、有価証券報告書を提出する前日に「ミーティングで未払報酬の資料をケリー氏に見せた」という大沼氏の供述が、秘書室スタッフの証言など客観証拠から裏付けられると裁判所が認めたからだ。 しかし、ケリー氏は「見せられた記憶はない」「ミーティングは10分程度の簡単なものだった」と否定している。2審ではこの点が最大の争点になりそうだ』、「ケリー氏が「2017年度のみ有罪」とされたのは、有価証券報告書を提出する前日に「ミーティングで未払報酬の資料をケリー氏に見せた」という大沼氏の供述が、秘書室スタッフの証言など客観証拠から裏付けられると裁判所が認めたからだ。 しかし、ケリー氏は「見せられた記憶はない」「ミーティングは10分程度の簡単なものだった」と否定している」、「2審ではこの点が最大の争点になりそうだ」、真相はどちらなのだろう。
・『最大焦点はゴーン裁判  執行猶予がついたことから自由の身となり、ケリー氏は早々に日本を発ちアメリカへ行った。2審では被告に出廷義務がなく、ケリー氏を法廷で見ることはないだろう。 日産とケリー氏の1審が終わったが、はたして、海外逃亡したゴーン被告の裁判はどうなるのか。 東京地検の森本次席検事は3月9日の定例会見で「公判を一番受けるべきはゴーン被告。引き続きゴーン被告に日本で裁判を受けさせたい気持ちに変わりはない」と語気を強めた。そして、ほかの国で裁判を受ける可能性については、「国籍のある国で裁判を受けるのは可能。ゴーン被告は『レバノンで受けたい』と言っているそうだが、ちゃんとした裁判が開かれるはずがない」と、いつになく饒舌だった。 これまで、日本での裁判を「あきらめていない」と繰り返してきた検察だが、逃亡したゴーンを日本に連れ戻すどんな奥の手を持っているのだろうか。 2018年11月の逮捕から3年余り。ゴーン事件は何も片づいていない』、「ゴーン事件は何も片づいていない」、このまま時間だけが無駄に経過していくのだろう。

次に、昨年4月26日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した事件ジャーナリストの戸田一法氏による「ゴーン被告を「仏検察が国際手配」、フランスで出廷が避けられない理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/302353
・『日本からレバノンに逃亡した元日産自動車会長のカルロス・ゴーン被告(68)=金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)、会社法違反(特別背任)の罪で起訴=に対し、フランスの検察当局は21日、自動車大手ルノーの資金を不正に流用した疑惑を巡り国際逮捕状を発布した。ゴーン被告は日本の司法制度を「不公正」と批判する一方、フランスの司法制度は「信頼できる」と捜査を歓迎。訴追されても「自らの無罪を立証できる」と強弁していた。 ※ゴーン元会長は日本の司法的な立場は「被告」、フランス検察当局から見ると「容疑者」になりますが、本稿では被告と統一します※』、「フランスの検察当局」が「国際逮捕状を発布」、したことで事態は動き出すのだろうか。
・『「フランスに行くか」の質問に明言を避けたゴーン被告  米紙ウォール・ストリート・ジャーナル電子版によると、国際逮捕状が発布されたのはゴーン被告とオマーンの自動車販売代理店スハイル・バハワン自動車(SBA)の現オーナーと元取締役ら計5人。 AFP通信によると、ルノーと日産の企業連合統括会社とSBAで交わされた計約1500万ユーロ(約21億円)の金銭授受を巡り、不正な流用や贈収賄、マネーロンダリングの疑いが持たれているという。) 容疑はヨットの購入やベルサイユ宮殿での結婚披露宴など、個人的な目的でルノーの資金を流用したとされる。ゴーン被告は容疑を否定しているようだと伝えている。 ゴーン被告は22日、フランスのニュース専門テレビBFMのインタビューに応じ「ルノーの資金を不法に得たり、流用したりしたことはない」と主張。その上で「判決が出たわけではなく、無罪を主張する準備ができている」と述べたが、フランスに行くつもりがあるか問われ「レバノン当局に出国を禁じられている」と明言を避けた。 全国紙社会部デスクによると、フランス検察当局は2020年2月、検察よりも権限が強い予審判事に指揮を委ね、本格捜査に着手。予審判事らは21年5~6月、ベイルートを訪れ、ゴーン被告を事情聴取していた』、「予審判事らは21年5~6月、ベイルートを訪れ、ゴーン被告を事情聴取」、「ベイルート」は「フランス」の影響力が強いようだ。「ゴーン被告は」「フランスに行くつもりがあるか問われ「レバノン当局に出国を禁じられている」と明言を避けた」、なるほど。
・『東京地裁の判決では「ゴーン被告が主犯」と認定  ゴーン被告の日本での起訴内容は、日産の元代表取締役グレッグ・ケリー被告(65)と共謀し、10~17年度の役員報酬総額が計約170億円だったのに、支払い済みの計約79億円だけを記載した有報を関東財務局に提出。退任後、相談役か顧問として受け取る未払いの報酬約91億円を除外したとされる(金融商品取引法違反)。 08年には私的な投資で生じた約18億5000万円の評価損を日産に付け替えたほか、09年にはこの投資に関する信用保証で協力してもらったサウジアラビア人実業家の会社に、日産子会社「中東日産」から計約12億8000万円余りを入金させたなどとしている(会社法違反)。 ゴーン被告の逃亡により“主役不在”で開かれた金融商品取引法違反事件を巡るケリー被告と法人としての日産の公判は60回を超え、東京地裁は3月3日、ケリー被告の起訴内容に「慎重に検討する必要」があるとして大半を無罪としながら、一部重要な点を重視し懲役6カ月、執行猶予3年(求刑懲役2年)、日産には求刑通り罰金2億円の判決を言い渡した。 判決によると、ゴーン被告の高額な報酬を開示せずに維持するため、支払い済みの報酬だけを有報に記載するよう元秘書室長に指示。未払い分を隠しながら報酬額の計算書なども作成させ、ゴーン被告は1円単位で把握していた。 その上で「犯行はゴーン被告の利益のためになされ、ケリー被告に直接的な利得はなかった。本件の主犯はゴーン被告だ」と認定。背景に「長期の独裁体制で醸成された日産の企業体質があった」と指摘した。 つまり、ケリー被告(被告・検察側の双方が控訴)と法人としての日産(確定)の判決で、ゴーン被告の有罪が認定されたわけだ。 ゴーン被告は共同通信のオンライン取材に応じ「日本の司法や協力した日産の体面を保つための判断だ」と批判。主犯とされたことには「不在の私に是が非でも罪を着せたいようだ。司法のごう慢さを示している」と主張した』、「判決で」「「犯行はゴーン被告の利益のためになされ、ケリー被告に直接的な利得はなかった。本件の主犯はゴーン被告だ」と認定。背景に「長期の独裁体制で醸成された日産の企業体質があった」と指摘した。 つまり、ケリー被告(被告・検察側の双方が控訴)と法人としての日産(確定)の判決で、ゴーン被告の有罪が認定」、なるほど。
・『ゴーン被告の裏切りでとばっちりを受けた人たち  前述のデスクによると、実は金融証券取引法違反事件では、検察側の完全勝利は厳しいかもしれないという予想はあったという。今回、ケリー被告が無罪となった部分は、司法取引した元秘書室長の証言に対する信用性を否定した結果だが、ほかにも過去に未払い報酬の不記載について違法かどうかの判例がなく、将来的に顧問や相談役として就任できないなど何らかの理由で報酬を受け取れなくなった場合はどうなるのか――など、予測不能な点があったという。 ただ、日産に対する判決が司法判断として確定したわけで、二審東京高裁がケリー被告に無罪を出してしまうと整合性が取れなくなる。元秘書室長の証言を追認して完全有罪か、一審を追認するのではないかとみられる。) ゴーン被告については、日産側から資料の提供を受けている会社法違反事件の方が有罪は堅いとみられていたが、公判が開かれる見通しはなく、もちろん判決が出る可能性もまずないだろう。 しかし、東京地裁判決が指摘した通り、ケリー被告には「直接的な利得」はなかったのだが、受けたとばっちりは軽くない。 日産は1月19日、ケリー被告が金融商品取引法違反事件に関与して損害を与えたとして、約14億円の賠償を求めて横浜地裁に提訴した。日産は金融庁から約24億円の課徴金納付を命じられ、既に納付した14億円について賠償を求めたのだ。 ケリー被告は二審で有罪になっても最高裁まで争うとみられるが、判決が確定すれば損害賠償が認められる可能性は高い。ケリー被告側は全面的に争うとみられ、第1回口頭弁論は5月12日に指定された。 ゴーン被告のとばっちりを受けたのはケリー被告だけではない。19年12月にレバノンへの逃亡を手助けしたとして、犯人隠避の罪に問われた米陸軍特殊部隊グリーンベレーの元隊員とその息子は昨年7月、実刑判決が確定し、塀の向こう側に落ちた。 事件を担当していた弘中惇一郎弁護士(ゴーン被告の逃亡後、辞任)も、裏切られた一人だ。数々の裁判で無罪判決を勝ち取るなど「無罪請負人」の異名を取り、保釈を認めさせたのは弘中氏の手腕と関係者をうならせたが、とんだ恥をかかされてしまったわけだ』、「日産に対する判決が司法判断として確定したわけで、二審東京高裁がケリー被告に無罪を出してしまうと整合性が取れなくなる。元秘書室長の証言を追認して完全有罪か、一審を追認するのではないかとみられる」、「弘中惇一郎弁護士」が「「無罪請負人」の異名を取り、保釈を認めさせたのは弘中氏の手腕と関係者をうならせたが、とんだ恥をかかされてしまった」、ついてなかったと諦めるしかなさそうだ。
・『フランスで出廷して戦うのかレバノンでさえずり続けるのか  ゴーン被告の両親はレバノン人で、同国では「ビジネスの成功者」「経営のカリスマ」として英雄だった。しかし、現在では威光は地に落ち、政府に匿(かくま)われた「国際的なお尋ね者」に成り下がってしまった。 日本の司法への不信感を理由に国外逃亡を企てたわけだが、感情的な発言ばかりが目立ち、主張する無罪の合理的な理由を明らかにしていない。 ゴーン被告のパスポートはレバノン政府の管理下にあり、それが本人が主張する「出国を禁じられている」という発言の根拠とみられるが、前述のデスクによると、法治国家であれば「公判に出廷する権利を行使し、身の潔白を主張して無罪を勝ち取るため出国したい」という意向を示してパスポートの返還を求めれば、拒否する理由はないはずだという。 日仏両国の検察当局からかけられた疑惑が、いずれも事実なら「守銭奴」のそしりを免れない。 自ら「信頼できる」と語ったフランス当局に「無罪」を追認させるために、法廷で正々堂々と戦うのか。それとも安全な場所から、さえずり続けるだけなのか。 後者なら、自らの罪と向き合わず、ただ刑務所行きを恐れる臆病者・卑怯者でしかない。今後は国内外のメディアは耳を貸さず、冷笑するだけだろう』、「ゴーン被告のパスポートはレバノン政府の管理下にあり、それが本人が主張する「出国を禁じられている」という発言の根拠とみられるが、前述のデスクによると、法治国家であれば「公判に出廷する権利を行使し、身の潔白を主張して無罪を勝ち取るため出国したい」という意向を示してパスポートの返還を求めれば、拒否する理由はないはずだという」、「日仏両国の検察当局からかけられた疑惑が、いずれも事実なら「守銭奴」のそしりを免れない。 自ら「信頼できる」と語ったフランス当局に「無罪」を追認させるために、法廷で正々堂々と戦うのか。それとも安全な場所から、さえずり続けるだけなのか。 後者なら、自らの罪と向き合わず、ただ刑務所行きを恐れる臆病者・卑怯者でしかない。今後は国内外のメディアは耳を貸さず、冷笑するだけだろう」、その通りだ。

第三に、本年4月11日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した佃モビリティ総研代表の佃 義夫氏による「「日産元COOの志賀氏に直撃、「ゴーン変節」の時期とルノー・日産連合の行方」を紹介しよう」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/321011
・『日産元COOが語るゴーンの変節 「規模を追うことが野望に」  志賀俊之氏といえば、かつて日産自動車のCOO(最高執行責任者)を2005年4月から13年11月まで務め、10~12年には日本自動車工業会会長として東日本大震災を受けた困難な時期の日本自動車産業を引っ張った人物だ。 現在、官民ファンドのINCJ(旧産業革新機構)の代表取締役会長・CEOとして日本のスタートアップ企業などの支援を手掛けている。日産COOや自工会会長を歴任した志賀氏と筆者は、筆者が現役のときから深い付き合いがある。今回、この100年に一度の大変革期に日本自動車産業が進むべき道というテーマで、インタビューを実施した。 だが、その前に志賀氏の古巣である日産と仏ルノーが今年2月初めに、両社が15%ずつを出資し合う対等の資本関係にすることで合意したという大きなニュースが飛び込んできたタイミングでもあるので、まずはインタビューの前編として、四半世紀にわたる日産・ルノー提携が「新連合」として再出発したことの背景や今後の行方について語ってもらった(Qは聞き手の質問)。 Q:今年(23年)に入り、トヨタ自動車の豊田章男社長の交代をはじめとして、スバル・マツダ・いすゞ自動車もトップ交代を発表するなど自動車業界の大変革期における新たな動きが活発化しています。中でも、自動車産業界として最大の出来事ともいうべきなのが、2月に入ってからの「日産・ルノーの対等出資合意」というニュースでした。ここは何としても志賀さんに聞かねば、ということで。 志賀俊之・元日産COO(以下、志賀氏) そう、確かにトヨタの豊田章男さんの社長交代発表から日本電産の関潤さん(日産出身)の台湾・鴻海精密工業(ホンハイ)のEV責任者入りまで、ずいぶん多くのメディアからコメントを求められましたよ(笑)。日産とルノーの15%ずつ双方出資合意の件も、もちろんのことでした。ただ、多くが「日産はルノーと不平等条約を結んでここまで来たが(どう思うか)」という質問でしたが、そうではないんですよ』、「「日産はルノーと不平等条約を結んでここまで来たが(どう思うか)」という質問でしたが、そうではないんですよ」、どういうことなのだろう。
・『1999年3月に日産・ルノーが資本提携契約を結んだときに、私が交渉をやって締結に持ち込んだ役割をしただけに、不平等条約からの解放という“悲願達成”で喜んでいるだろうとのコメントを取りたかったのでしょうが、それは違う。 当時、倒産しかかっていた日産を、ルノーは助けてくれたのです。その後も、ルノーに搾取されてきたという見方もあるけど、それは大株主に還元してきただけのこと。「ルノーが日産をいじめてきた」みたいに見るのは、いかがなものかということなんです。 Q:確かに私も、石原俊さんが社長の頃から日産を長くウオッチしてきましたし、1990年代末に社長だった塙義一さんの苦悩もよく知っています。99年3月の塙さんとルイ・シュバイツァールノー会長(当時)の両トップの提携会見にも出席して取材しています。その後、資本提携で派遣されたカルロス・ゴーン元会長が業績をV字回復させたことで“日産の救世主”となりゴーン氏の長期政権が続いたわけですが、プロ経営者としての力量が誰しも認めた中で一転して“逮捕から逃亡”という結末となりました。いつからゴーン経営は“変節”したんですかね。 志賀氏 私は2005年にCOOに就任してから13年11月に日産の現役を降りたんですが、ゴーン“変節”は14年頃からなんですね。ルノーは4年ごとにCEOを交代するのですが、18年にゴーンはマクロン仏大統領から「(会長を)またやってくれ」と言われて、ルノー・日産を「世界最大のグループ」にする野心を明確に打ち出してきた。 それ以前からも、私が日産COOを降りる前の最後のアライアンスコンベンションでゴーンが「巨人を目指す」というスピーチをしたんです。その頃からゴーンはおかしくなった。規模を追うことがゴーンの野望となったんですね。それから三菱自動車工業さんも傘下(16年10月)に収めたんです』、「私が日産COOを降りる前の最後のアライアンスコンベンションでゴーンが「巨人を目指す」というスピーチをしたんです。その頃からゴーンはおかしくなった。規模を追うことがゴーンの野望となった」、なるほど。
・『筆者が現役記者として取材した中で、20世紀の日本自動車産業をリードしたのは、まさしくT(トヨタ)・N(日産)だった。さらに言えば、筆頭代表格はトヨタよりむしろ日産であったが、いわゆる「旧日産」は、長く抱えていた内部の労使対立問題などにより、次第にトヨタにリーダーの座を追い上げられ、追い抜かれて、90年代後半には業績不振で膨大な有利子負債を抱えるに至った。 時の塙義一日産社長は、自力再生の道は困難として外資との提携の道を探った。米フォードや独ダイムラーとも水面下で交渉したが、最終的な資本提携先に選んだのが仏ルノーだった。その交渉実務を担当していたのが志賀氏で、両社は99年3月27日、東京・経団連会館で資本提携記者会見を開いた。その提携内容は、ルノーが6430億円を出資して日産を傘下に収めルノーからCOO、カルロス・ゴーンを派遣するというものだった(筆者はこの一連の動きをまとめた『トヨタの野望、日産の決断―日本車の存亡を賭けて―』を99年6月にダイヤモンド社から上梓)』、「筆頭代表格はトヨタよりむしろ日産であったが、いわゆる「旧日産」は、長く抱えていた内部の労使対立問題などにより、次第にトヨタにリーダーの座を追い上げられ、追い抜かれて、90年代後半には業績不振で膨大な有利子負債を抱えるに至った」、確かにかつては「日産」の方が「トヨタ」を上回っていた。「日産」が「最終的な資本提携先に選んだのが仏ルノーだった。その交渉実務を担当していたのが志賀氏で、両社は99年3月27日・・・資本提携記者会見を開いた。その提携内容は、ルノーが6430億円を出資して日産を傘下に収めルノーからCOO、カルロス・ゴーンを派遣するというもの」、「ルノー」が「救世主」として登場したのを、思い出した。
・『ゴーン政権は日産のV字回復後も長く継続し、三菱自を傘下に収めて3社トップに君臨した。だが、ゴーンは18年11月に金融商品取引法違反で逮捕され被告の身となり、19年12月にはレバノンに逃亡した。 23年2月、ルノー・日産の資本関係はルノーが43%出資を15%に引き下げ双方15%ずつの対等となることで合意した。 Q:99年6月にルノーからゴーンCOO(当時)が派遣され、リストラ断行を含めた「日産リバイバルプラン(NRP)」が実行されました。ゴーン氏は「日産の救世主」と呼ばれ、05年にルノー社長CEOにも就任し日産社長CEOと兼ねたことで、志賀さんをCOOに抜てきしました。 以来、志賀さんはゴーンの右腕としてCOOを続けたわけですが、志賀さんが言うように、どうも志賀さんがCOOを降りた頃からゴーン政権はおかしくなっていったと私も感じます。ゴーン長期政権が前半と後半で大きく変貌したことが、今回のルノー・日産の資本関係見直しにつながっているのでしょうね』、「志賀さんがCOOを降りた頃からゴーン政権はおかしくなっていったと私も感じます。志賀氏 実際、経営者としてのゴーンのマネジメントのすごさは目の当たりにしてきたのですが、私自身、反省するところは反省していますし、忸怩(じくじ)たる思いもあります。すでに19年1月に日産の取締役も退任してからは内情に口を挟むようなことは一切していないが、日産の将来、方向に期待するものは当然大きいですよね」、なるほど。
・『ルノーの事業再編の新戦略は「相当、的を射ている」  Q:2月6日にロンドンで日産とルノーの日産株出資引き下げの資本関係見直し合意の会見が行われました。99年に資本提携して以来続いてきた“親子”の関係が、双方15%ずつ出資の対等の関係となる。昨年来の交渉が長引いてきてようやく合意に達したわけですが、これはルノーの事業構造改革の一環であるルノーの電気自動車(EV)新会社に日産が最大15%出資し、グループの三菱自も参画を検討することが条件であり、会見は3社トップの合同によるものでした。志賀さんはこれをどう受け止めたのですか。 志賀氏 ルノーのルカ・デメオCEOの戦略を最初に聞いたときは、相当、的を射ているなと思ったんですよ。やはりトヨタとEV事業で先行する米テスラの時価総額を見ても大きな開きが出ている。私は現在、投資ファンドの世界に身を置いていますが、いまや伝統的な自動車メーカー(OEM)に対して投資家は新たに金を入れようとはしません。将来成長に目を向けないと、投資家から金が回ってこない。 EVやソフトウエアに投資家は関心を持っているのです。ルノーが事業を5つに再編しEV事業などを分社化する事業構造改革は、将来に向けてのフォーメーションとして好感を持って受け止めました。 もう一つは、43年間の日産での経験から言うと、自動車産業は20年前に「国際化」から「グローバル化」へと進んで(生産や経営が)フラット化されたのですが、ルノーの新戦略は、世界中に工場を造って大量生産でばらまくようなグローバリゼーションのビジネスモデルは終焉を迎えたことを象徴しています。ゴーンは最後に“量”を求めたが、むしろ今は地域ごと、国ごとの戦略が求められています』、「伝統的な自動車メーカー(OEM)に対して投資家は新たに金を入れようとはしません。将来成長に目を向けないと、投資家から金が回ってこない。 EVやソフトウエアに投資家は関心を持っているのです。ルノーが事業を5つに再編しEV事業などを分社化する事業構造改革は、将来に向けてのフォーメーションとして好感を持って受け止めました」、なるほど。
・『ルノー・日産というクローズな関係だけでなく、新たな提携関係が求められてきたということでしょう。「400万台クラブ」や「1000万台クラブ」なんてなくなり、ルノー・日産の資本関係の見直しも起こるべくして起こったといえます。 Q:ルノーもフランス、というより欧州における立ち位置や業績面の打開が求められて事業構造改革に踏み切ったということもあるのでしょう。これを受けて日産サイドはルノーEV新会社「アンペア」への出資を決める一方で、ルノーとの資本関係を15%ずつ出資する対等関係を認めさせました。今後、日産はどうなるのですかね。 志賀氏 先述したように私は19年に日産取締役を退任してから経営とコンタクトしていないし距離を置いているのですが、“感じ”としては、従来の資本関係で日産は結構窮屈だったことも事実です。 例えば「e-POWER」(エンジンで発電しモーターで駆動する日産独自のパワートレイン)なんかは早く日本市場に出したかったのだけど、アライアンスではルノーのハイブリッドが承認されていて日産(の技術)がなかなか使えない状況もあったのです。いわば、日産の技術力が縛られていたものもある。そうした、縛られてギクシャクしてやりづらかったものが解放されるとなれば、自由度が増していいものを出していけることになります。 もちろん、二十数年間やってきたアライアンスの経験の中ではいいものもいっぱいあるし、この変革の時代だからこそスピードを上げて、日産の技術力を生かし共にやってほしいとの期待感を持っていますね。 Q:三菱自動車はどうなんですかね。私は三菱自も長らく取材してその変遷もしっかり見てきましたが、1970年に三菱重工業から独立して以降、三菱グループにおける“親の役”は同社でした。しかし、18年に三菱商事が三菱重工から株を買い取り保有比率を20%に引き上げてから、ここへ来て三菱商事が後見人の立場に代わってきた。いまは日産が三菱自を傘下に収めているけど、一時は三菱商事がルノー保有の日産株を半分買い取る構想も水面下であったと聞きます。それぞれの歴史の変化の中で、3社連合において三菱自はどうするのですかね』、「従来の資本関係で日産は結構窮屈だったことも事実です。 例えば「e-POWER」(エンジンで発電しモーターで駆動する日産独自のパワートレイン)なんかは早く日本市場に出したかったのだけど、アライアンスではルノーのハイブリッドが承認されていて日産(の技術)がなかなか使えない状況もあったのです。いわば、日産の技術力が縛られていたものもある。そうした、縛られてギクシャクしてやりづらかったものが解放されるとなれば、自由度が増していいものを出していけることになります」、「二十数年間やってきたアライアンスの経験の中ではいいものもいっぱいあるし、この変革の時代だからこそスピードを上げて、日産の技術力を生かし共にやってほしいとの期待感を持っていますね」、なるほど。
・『志賀氏 三菱自動車さんは、この3社連合の新たな関係をうまく利用していけばいいと思いますよ。何と言っても東南アジアは、三菱自の“牙城”です。これは間違いない。私もかつて日産で東南アジアを経験(ジャカルタ事務所長などを経験)していますから。ここは、日産は弱いしルノーもほとんどやっていないけど、市場の成長性は高い。そうはいっても販売地域は東南アジアだけではないので、欧州はルノーを、米国は日産を活用すればいい。 三菱自動車の3社連合のポジションは、CASE投資が必要なところでいいとこ取りをすればいいと思いますよ。 Q:いずれにしても今回のルノー・日産・三菱自の3社連合は、新たな関係で再出発ということですが、いろいろな課題を抱えていますね。かつては「ルノー・日産統合論」から「日産・ホンダ合併案」、「三菱商事のルノー保有株半分買い取り案」などが水面下で揺れ動きましたが、今回実に23年ぶりに対等な形の日仏新連合になったということで、どうなるか注目されます。 志賀氏 自動車産業の大変革の中で、この日仏アライアンスが新たなスタートに立ったということですし、敵は新興メーカーやソニー・ホンダのような新しいフォーメーション、“アップルカー”などになる。日産もその意味ではこれからですよ。株価の低迷などまだまだ課題は山積してますし、次のレベルの変革に期待しています』、「東南アジアは、三菱自の“牙城”です。これは間違いない」、「欧州はルノーを、米国は日産を活用すればいい」、「自動車産業の大変革の中で、この日仏アライアンスが新たなスタートに立ったということですし、敵は新興メーカーやソニー・ホンダのような新しいフォーメーション、“アップルカー”などになる。日産もその意味ではこれからですよ。株価の低迷などまだまだ課題は山積してますし、次のレベルの変革に期待しています」、今後の「日産」の「変革」に期待したい。
タグ:ゴーン問題 (その4)(終わらないゴーン事件:第9回 判決 日産が元役員の“ほぼシロ”判決に浴びせた言葉、ゴーン被告を「仏検察が国際手配」 フランスで出廷が避けられない理由、日産元COOの志賀氏に直撃 「ゴーン変節」の時期とルノー・日産連合の行方) 東洋経済オンライン「終わらないゴーン事件:第9回 判決 日産が元役員の“ほぼシロ”判決に浴びせた言葉」 「2010年度~2016年度は無罪、2017年度は有罪」、どういうことなのだろう。 「日産としては2010年度~2016年度分についてケリー氏が無罪となった点に不満げなようだ」、なるほど。 「ケリー氏が「2017年度のみ有罪」とされたのは、有価証券報告書を提出する前日に「ミーティングで未払報酬の資料をケリー氏に見せた」という大沼氏の供述が、秘書室スタッフの証言など客観証拠から裏付けられると裁判所が認めたからだ。 しかし、ケリー氏は「見せられた記憶はない」「ミーティングは10分程度の簡単なものだった」と否定している」、「2審ではこの点が最大の争点になりそうだ」、真相はどちらなのだろう。 「ゴーン事件は何も片づいていない」、このまま時間だけが無駄に経過していくのだろう。 ダイヤモンド・オンライン 戸田一法氏による「ゴーン被告を「仏検察が国際手配」、フランスで出廷が避けられない理由」 「フランスの検察当局」が「国際逮捕状を発布」、したことで事態は動き出すのだろうか。 「予審判事らは21年5~6月、ベイルートを訪れ、ゴーン被告を事情聴取」、「ベイルート」は「フランス」の影響力が強いようだ。「ゴーン被告は」「フランスに行くつもりがあるか問われ「レバノン当局に出国を禁じられている」と明言を避けた」、なるほど。 「判決で」「「犯行はゴーン被告の利益のためになされ、ケリー被告に直接的な利得はなかった。本件の主犯はゴーン被告だ」と認定。背景に「長期の独裁体制で醸成された日産の企業体質があった」と指摘した。 つまり、ケリー被告(被告・検察側の双方が控訴)と法人としての日産(確定)の判決で、ゴーン被告の有罪が認定」、なるほど。 「日産に対する判決が司法判断として確定したわけで、二審東京高裁がケリー被告に無罪を出してしまうと整合性が取れなくなる。元秘書室長の証言を追認して完全有罪か、一審を追認するのではないかとみられる」、「弘中惇一郎弁護士」が「「無罪請負人」の異名を取り、保釈を認めさせたのは弘中氏の手腕と関係者をうならせたが、とんだ恥をかかされてしまった」、ついてなかったと諦めるしかなさそうだ。 「ゴーン被告のパスポートはレバノン政府の管理下にあり、それが本人が主張する「出国を禁じられている」という発言の根拠とみられるが、前述のデスクによると、法治国家であれば「公判に出廷する権利を行使し、身の潔白を主張して無罪を勝ち取るため出国したい」という意向を示してパスポートの返還を求めれば、拒否する理由はないはずだという」、「日仏両国の検察当局からかけられた疑惑が、いずれも事実なら「守銭奴」のそしりを免れない。 自ら「信頼できる」と語ったフランス当局に「無罪」を追認させるために、法廷で正々堂々と戦うのか。それとも安全な場所から、さえずり続けるだけなのか。 後者なら、自らの罪と向き合わず、ただ刑務所行きを恐れる臆病者・卑怯者でしかない。今後は国内外のメディアは耳を貸さず、冷笑するだけだろう」、その通りだ。 佃 義夫氏による「「日産元COOの志賀氏に直撃、「ゴーン変節」の時期とルノー・日産連合の行方」 「「日産はルノーと不平等条約を結んでここまで来たが(どう思うか)」という質問でしたが、そうではないんですよ」、どういうことなのだろう。 「私が日産COOを降りる前の最後のアライアンスコンベンションでゴーンが「巨人を目指す」というスピーチをしたんです。その頃からゴーンはおかしくなった。規模を追うことがゴーンの野望となった」、なるほど。 「筆頭代表格はトヨタよりむしろ日産であったが、いわゆる「旧日産」は、長く抱えていた内部の労使対立問題などにより、次第にトヨタにリーダーの座を追い上げられ、追い抜かれて、90年代後半には業績不振で膨大な有利子負債を抱えるに至った」、確かにかつては「日産」の方が「トヨタ」を上回っていた。 「日産」が「最終的な資本提携先に選んだのが仏ルノーだった。その交渉実務を担当していたのが志賀氏で、両社は99年3月27日・・・資本提携記者会見を開いた。その提携内容は、ルノーが6430億円を出資して日産を傘下に収めルノーからCOO、カルロス・ゴーンを派遣するというもの」、「ルノー」が「救世主」として登場したのを、思い出した。 「志賀さんがCOOを降りた頃からゴーン政権はおかしくなっていったと私も感じます。志賀氏 実際、経営者としてのゴーンのマネジメントのすごさは目の当たりにしてきたのですが、私自身、反省するところは反省していますし、忸怩(じくじ)たる思いもあります。すでに19年1月に日産の取締役も退任してからは内情に口を挟むようなことは一切していないが、日産の将来、方向に期待するものは当然大きいですよね」、なるほど。 「伝統的な自動車メーカー(OEM)に対して投資家は新たに金を入れようとはしません。将来成長に目を向けないと、投資家から金が回ってこない。 EVやソフトウエアに投資家は関心を持っているのです。ルノーが事業を5つに再編しEV事業などを分社化する事業構造改革は、将来に向けてのフォーメーションとして好感を持って受け止めました」、なるほど。 「従来の資本関係で日産は結構窮屈だったことも事実です。 例えば「e-POWER」(エンジンで発電しモーターで駆動する日産独自のパワートレイン)なんかは早く日本市場に出したかったのだけど、アライアンスではルノーのハイブリッドが承認されていて日産(の技術)がなかなか使えない状況もあったのです。いわば、日産の技術力が縛られていたものもある。そうした、縛られてギクシャクしてやりづらかったものが解放されるとなれば、自由度が増していいものを出していけることになります」、 「二十数年間やってきたアライアンスの経験の中ではいいものもいっぱいあるし、この変革の時代だからこそスピードを上げて、日産の技術力を生かし共にやってほしいとの期待感を持っていますね」、なるほど。 「東南アジアは、三菱自の“牙城”です。これは間違いない」、「欧州はルノーを、米国は日産を活用すればいい」、「自動車産業の大変革の中で、この日仏アライアンスが新たなスタートに立ったということですし、敵は新興メーカーやソニー・ホンダのような新しいフォーメーション、“アップルカー”などになる。日産もその意味ではこれからですよ。株価の低迷などまだまだ課題は山積してますし、次のレベルの変革に期待しています」、今後の「日産」の「変革」に期待したい。
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企業不祥事(その27)(吉野家「生娘をシャブ漬け戦略」騒動、実は再発防止が難しい3つの理由、「様々な人がいるんだと意識して欲しい」氏名で“外国人”と判断の吉野家がようやく謝罪 女子学生が取材に語った本音「結構ショックを受けてしまって…」、「お湯入れ替え問題」福岡・5代目旅館社長のズサン管理&放言も…地元の反応は“宝であり誇り”、電通 レナウンに共通する大企業の残念な実像 大企業ほど経営が緩く 不祥事を起こしやすい) [企業経営]

企業不祥事については、昨年4月28日に取上げた。今日は、(その27)(吉野家「生娘をシャブ漬け戦略」騒動、実は再発防止が難しい3つの理由、「様々な人がいるんだと意識して欲しい」氏名で“外国人”と判断の吉野家がようやく謝罪 女子学生が取材に語った本音「結構ショックを受けてしまって…」、「お湯入れ替え問題」福岡・5代目旅館社長のズサン管理&放言も…地元の反応は“宝であり誇り”、電通 レナウンに共通する大企業の残念な実像 大企業ほど経営が緩く 不祥事を起こしやすい)である。

先ずは、昨年4月22日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏による「吉野家「生娘をシャブ漬け戦略」騒動、実は再発防止が難しい3つの理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/302094
・『吉野家の騒動には一段深い闇がある  今回は、吉野家の伊東正明常務取締役が解任された事件の話です。早稲田大学の社会人講座で、吉野家が女性顧客層を拡大する着眼点について「生娘をシャブ漬け戦略」と説明したことがSNSで拡散し、「人権・ジェンダー問題の観点から到底許容することはできない」として同氏は解任されました。 これを受けて吉野家は、コンプライアンスの対策を強化することでこのようなことが起きないようにすることを約束しています。ここまでは誰も異論がない話です。 一方で、吉野家が受けた被害は甚大です。本来はブランド構築を確固たるものとする役割のマーケティング戦略の専門家に、吉野家ブランドが地に落とされるほどのダメージを与えられて、彼に出ていってもらうことになってしまったわけです。 この問題、「起きたことを悪い」と断罪するのは比較的簡単で、実際に吉野家はそう対処しています。一方で、「どうすれば二度と起きなくなるのか?」を考えると、簡単な問題ではないことがわかります。吉野家だけではなく、「自分の企業でこういった問題が起きないようにするにはどうすればいいのか?」を考えだすと対策を絞ることが難しいのです。 そのことを理解していただくために、この記事では三つの問題提起をしてみたいと思います。問題を簡単な順番に並べると、 (1)「SNS時代だから発言には気をつけろ」という認識は正しいのか? (2)おじさんが幹部にいる限りこのような不祥事はなくならないのか? (3)呼び方が「女性エントリーユーザーを吉野家ファンにする戦略」だったらよかったのか? という問題提起です。順に解説してみたいと思います』、「伊東正明常務取締役」はマーケティングのプロで、「早稲田の社会人講座で今回のような話をした」、聴衆へのサービスのつもりで口が滑ったのだろうが、それにしても不用意過ぎる。
・『SNS時代に合わせた公式発言では本音が伝わりにくい  まず1番目の「SNS時代だ」という認識をしっかりさせたうえで、「発言に気をつければいいのか?」という問題です。 今回の吉野家のように、企業は再発を防止するためにすでに力を入れているはずのコンプライアンス研修をさらに社内で徹底します。していい発言としてはいけない発言を教え込むわけです。 その際におそらくは少し困ったことが起きるでしょう。これまでの一般的なコンプライアンス研修では、「していい発言としてはいけない発言の境目」として「相手から不快だという反応が返ったら謝罪し、二度と同じ発言はしない」というガイドラインがありました。 際どいジョークと差別はそもそも紙一重の関係にありますし、社内で恋愛感情が芽生えた場合にそれを表現することは相手によっては不快感を感じることもあるわけです。口にしてしまったことで相手が「不快だ」と返したらこれまでは「謝罪して二度と言わない」のがルールということでOKだったのです。しかし、そこに「SNS時代では」という前提が加わると問題が変化します。 というのは「不快だ」と思った相手が本人に直接伝えるのではなく、SNSに「不快なことが起きた」と投稿するわけです。それを読んだ多数の人がさらに不快になる。そして不快なことをしでかした役員や社員とは別に、不快なことを言った人物が在籍する会社の商品の不買運動が起きる。これがSNS時代です。 要するにSNS時代を考慮すると、してはいけない発言は言わないように指導しないと会社を守ることができなくなる。今回のように明らかに不適切な発言例は言ってはいけないと指導するとして、それだけでなく微妙だと思ったら言ってはいけない。判断がつかない場合は言ってはいけない。とにかく言ってはいけないと指導することが会社の方針になってしまうわけです。 1番目の問題点をまとめると「SNS時代だから発言に気をつけろ」と指導することで、責任ある立場の人はポリティカルコレクトな発言(=社会の特定のグループのメンバーに不快感・不利益を与えないように意図した発言)しかできなくなる。このルールを一番守っている人が日本の場合は首相と官房長官ですが、要するにそのような公式発言しかできなくなる。その何が問題なのかというと、本音がまったく伝わらないわけです。それでいいのか?というのが最初の問題提起です』、「責任ある立場の人はポリティカルコレクトな発言・・・しかできなくなる」、その通りだ。
・『いくら企業が対策をしても不適切発言はゼロにはできない  2番目の問題提起は「おじさんが幹部にいる限り、こういった問題はなくならない」という考えです。そもそもこの問題、おじさんを問題にすること自体ジェンダー問題だという別の論点にもつながります。これも検討すべき点ではありますが、この記事では「現実の日本社会では女性蔑視発言をするのは、ほぼおじさんだ」という前提でスルーさせていただきます。 ここでの問題は、「いくら研修をしてもこういったおじさんはゼロにはならない」ということです。ゼロにならないからには毎回処分をし続けるしかないのです。たとえはどんどん悪くなりますが、これはいじめをゼロにする問題や交通事故死をゼロにする問題と同じです。 学校でのいじめ問題は、以前は文部省の方針で「学校にはいじめによる自殺は存在しない」ことになっていました。そのため、いじめによる自殺があったと報告しようとする校長を組織的に抑え込んでは、“いじめゼロ”にする都道府県ばかりでした。学校のいじめが減り始めたのは文科省がその方針を変えてからですが、ゼロには遠いというのが現実です。 たとえゼロにならないとしても、なくす努力が重要です。交通事故死もなくならないのはわかっているけれども、それがなるべく少なくなるようにルールを周知させ、免許更新のたびに研修を徹底するというのが現在の方針です。それでも無謀運転はなくならないのと同じで、大企業の幹部による不適切発言は今後もなくならないでしょう。 でも、今回わかったことは「おじさん幹部の不適切な行動ひとつで、株主が壊滅的なダメージを受ける」ということです。減らす努力は当然するとして、一度起きたらどうしようもない状態になるのだとしたらどうすればいいのか?が大問題です。 たとえば社内の監視システムを構築して、あぶないおじさん幹部をあぶりだして部長以上には昇進させないとか、部長以上になってしまっている場合には早めに左遷すべきなのかどうか? そしてこういった対策に企業が踏み込むべきなのかどうかというのが2番目の問題です。 ここまでの二つの問題は、「とはいえ、企業としては取り組む以外にない」というのが過半数の意見なのだと思います』、「企業としては取り組む以外にない」、というのが正直なところだろう。
・『表現を変えていたら不祥事は問題にならなかったのか?  では、3番目の問題はどうでしょうか? 呼び方が「“女性エントリーユーザーを吉野家ファンにする戦略”という表現だったら、今回の不祥事は問題にはならない」でよかったのか?という問題です。 「生娘」といういかにも時代錯誤で差別的な表現がアウトで、ここは「女性エントリーユーザー」というべき。また、「シャブ漬け」という表現は犯罪を想起させる完全にアウトな表現で、ここは「ファンにする」という表現が正しい。これはまずもって安全な話法です。 プロのマーケッターが早稲田の社会人講座で今回のような話をした事実から考察すれば、その背景には科学的な証拠として15歳から19歳の間であれば女性客は吉野家ファンになりやすい。これが20代になると格段に難しくなるといった事実があったのでしょう。 たとえそれが事実でも、その事象を「おいしいものを男性におごってもらうようになった後では吉野家ファンにするのは困難だ」と説明するのは、ジェンダー問題上よくないという批判も見受けられました。 その批判の意図は理解できます。しかし、仮に吉野家がマーケティング調査として20代女性を対象にしっかりとしたフォーカスインタビューを行ったところ、上記と同じ証言が有意な数得られたとしたらどうなのでしょうか? 外資系企業でマーケティングをたたき込まれたマーケッターなら、普通そこまでちゃんとやります。 もし、それが事実だった場合にも社会人講座でそれを披露する際にはもっと穏当な表現に直す必要があるという主張もあるかもしれません。ただこの論点は、「たとえ表現を変えたとしても戦略として企業がやってもいいのかどうか」という問題を内包しています。 一見問題がなさそうな話から説明させていただきます。プロのマーケッターは多くの商材で「ある年齢を超えるとファン化するのが難しい」ことを知っていて、「その年齢になる以前に商品を使わせてファンにする」というマーケティング戦略を日常的に採用しています。 大手消費財メーカーの女性の生理用品ブランドでは、小学生に無償で商品を配る戦略を採用しています。大半のファミレスは、来店した子どもにおもちゃをプレゼントして喜んでもらう戦略を採用しています。ここまでは読者の皆さんも、「別にやってもいいんじゃないか」と考えるのではないでしょうか。 ところが、今は問題がないと思われても、いつかこれが社会問題になる日が来るかもしれません。 アメリカで問題になったのは、飲料メーカーが予算の足りない公立学校に資金援助をする見返りに自販機を校内に設置させていた戦略でした。糖分を欲しがる子どものうちに炭酸飲料のファンにしようという戦略です。 アメリカではそもそも糖尿病や肥満を引き起こす可能性のある商品について、未成年を対象に強いファンにする戦略は社会問題であると考える層が増え始めています。「若年のエントリーユーザーをファンにする戦略」はそれ自体が微妙な問題をはらんでいるのです。 要するにガイドラインというものは、時代とともに変わるのです。今回の吉野家の問題、起きた事件自体は問題外だとしても、二度と起こさない対策については考えれば考えるほど奥の深い問題に私には思えるのです。 断罪するのは容易でも、二度と起こさないことは非常に難しい。しかし経営者は、その問題に取り組まなければならない。21世紀の企業経営はかくのごとく大変なのです』、「「若年のエントリーユーザーをファンにする戦略」はそれ自体が微妙な問題をはらんでいるのです。 要するにガイドラインというものは、時代とともに変わるのです。今回の吉野家の問題、起きた事件自体は問題外だとしても、二度と起こさない対策については考えれば考えるほど奥の深い問題に私には思えるのです。 断罪するのは容易でも、二度と起こさないことは非常に難しい。しかし経営者は、その問題に取り組まなければならない。21世紀の企業経営はかくのごとく大変なのです」、同感である。

次に、5月10日付けTBS NEWS DIG「「様々な人がいるんだと意識して欲しい」氏名で“外国人”と判断の吉野家がようやく謝罪 女子学生が取材に語った本音「結構ショックを受けてしまって…」」を紹介しよう。
・『牛丼チェーンの吉野家が日本人の女子大学生を名前だけで“外国人”と判断して会社説明会への参加を断っていた問題。吉野家は5月9日になって学生にメールと電話で謝罪しましたが、問題の本質はどこにあったのでしょうか? ■「私が日本国籍を持っていることを伝える気力もなくなった」(吉野家に会社説明会への参加を断られたAさん:メールをもらったときは驚きとショックとあと少し怒りの気持ちもありました。 こう話すのは、現在就職活動中の大学4年生のAさん。 5月1日、吉野家の会社説明会に応募したところ“外国籍”であることを理由に参加を断られました。吉野家から届いたメールには・・・   吉野家採用担当からAさんに届いたメール「外国籍の方の就労ビザの取得が大変難しく、ご縁があり内定となりました場合も、ご入社できない可能性がございます。今回のご予約はキャンセルとさせていただきますことをご了承ください」 吉野家は断った理由を「以前、外国籍の学生に内定を出した際、就労ビザが取れずに内定を取り消さざるを得なかった」と説明。ところが、Aさんは日本生まれ、日本育ちの日本人でした。では、なぜ参加を断られたのでしょうか?吉野家の判断基準はこうです。吉野家への取材の回答「氏名、住所、学校などの情報から総合的に判断しています」 実は、Aさんは父親が海外出身・母親は日本人。苗字は父親の姓と同じカタカナ表記。 一方で、ファーストネームは日本でも一般的に使われている名前です。そして国籍は、母親と同じ日本国籍です。 吉野家に会社説明会への参加を断られたAさん:(名前が)カタカナであるだけで勝手に外国籍と判断されてしまうのだと悲しくなった。結構ショックを受けてしまって、返信したり、私が日本国籍を持っていることを伝える気力もなくなった』、「(名前が)カタカナであるだけで勝手に外国籍と判断されてしまうのだ」、これは「吉野家」担当者の手抜きなのだろうが、あり得る話だ。
・『「見せかけのグローバル企業」 専門家が吉野家の対応に苦言  人材マネジメントに詳しい専門家は、吉野家の対応について苦言を呈します。学習院大学 守島基博教授:重要なのは本人がちゃんとビザを取っているのか。もしくは取れる可能性があるのかを確認すること。(確認を)やっていなかったというのが今回の非常に大きな間違いだった。 吉野家も取材に対して「まずは連絡をするはずが、その作業を怠り申込情報のみで判断した」と確認不足を認めました。 学習院大学 守島教授:ダイバーシティ(=多様性)というポリシーを掲げることと、それを実際に各部門が実践していくことには大きな違いがある。海外に店舗を出していたり、ポリシーを作っているだけでは、見せかけのグローバル企業であって、真の意味でのグローバル企業にはなっていかない』、「海外に店舗を出していたり、ポリシーを作っているだけでは、見せかけのグローバル企業であって、真の意味でのグローバル企業にはなっていかない」、その通りだ。
・『「様々な人がいることを意識して欲しい」  一方、こうした問題は吉野家に限ったことではないと話す人もいます。 多様性に関する執筆を多く行っていて、ドイツにもルーツを持つコラムニストのサンドラさんです。数年前に、信用金庫で口座を作ろうとした時のこと・・・サンドラ ヘフェリンさん:窓口の方が、私の持ってきた書類や日本のパスポートをまったく見ないで私の顔を見ながら、『最近は口座を作って売り飛ばしちゃう人が多いんですよ』と話をされた。 また、子どもの頃から話せる日本語について“日本語お上手ですね”と誤解されることもしばしば。もどかしさを感じることもあるといいます。 では、私たちは何に気を付ければいいのでしょうか? サンドラさん:人の見た目や氏名だけでその人を判断しないこと。見た目が外国人風で、名前がカタカナでもその人は日本国籍かもしれないし、逆もしかりで見た目は“普通の”日本人であっても、実際には外国籍かもしれない。日本人というのは日本人風の見た目で日本国籍で、名前も日本風の名前という考え方は一回置いておいて、一人一人をじっくり見ていく必要がある。9日午後、Aさんのもとには吉野家から電話で謝罪がありました。 吉野家に会社説明会への参加を断られたAさん:確認不足のまま一方的に説明会をキャンセルしたことへのお詫びだった。ハーフの方や外国籍の方は、日本に以前よりも多くいるので、様々な人がいるということを意識して頂けると嬉しい』、「日本人というのは日本人風の見た目で日本国籍で、名前も日本風の名前という考え方は一回置いておいて、一人一人をじっくり見ていく必要がある」、その通りだ。

第三に、本年3月2日付け日刊ゲンダイ「「お湯入れ替え問題」福岡・5代目旅館社長のズサン管理&放言も…地元の反応は“宝であり誇り”」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/319461
・『1865年創業の福岡県の老舗旅館で、週1回以上必要な湯の取り換えを年2回しか行わず、基準値を大きく上回るレジオネラ属菌が検出された問題。5代目社長の「謝罪会見」は、火に油を注ぐ「炎上会見」となったが、地元の反応は意外なものだった。 「博多の奥座敷」といわれ、万葉集にも登場する二日市温泉(福岡県筑紫野市)で、160年近く営業を続けてきた「大丸別荘」。 昨年11月、保健所の抜き打ち検査を受け、県が定める基準値の最大3700倍のレジオネラ属菌が検出された。 先月28日、記者会見に臨んだ山田真社長(70)は「そこまで怖い菌という認識があまりなく、その辺にいくらでもいるというふうに私の知識ではなっていた。仮に亡くなられた方がいてもコロナじゃないですけど、もともと基礎疾患があるとか、たまたまきっかけにというとあれなんでしょうけど、そんな捉え方をしていました」と釈明。保健所に提出した浴場の管理表については、「私の指示で、湯の塩素濃度などを改ざんした」と言い放ち、法令違反の認識に関しては「もちろん、ありました」と開き直った。) 昭和天皇、岸信介、吉永小百合らが宿泊した西日本屈指の湯宿にしては、あまりにもズサンな管理体制。しかも無責任で身勝手な主張を繰り返した経営者に対し、世間からバッシングが巻き起こった。筑紫野市観光協会には観光客から「違う宿に宿泊する予定だが、大丈夫か、泉源は一緒じゃないのか」といった問い合わせや「監督責任はどうなっているんだ」「ホームページから削除しろ」という批判が相次いでいるという。山田社長は現在も観光協会会長の職にある』、3月12日付けYahooニュースによれば、「大丸別荘社長が遺書を残して死亡「それでも“不衛生温泉”は消えない」専門家が指摘するずさんな検査体制」、自殺で幕を引きたかったのだろうが、「老舗旅館」の従業員はたまったものではない。
・『元環境衛生同業組合常務理事なのに…  山田社長は県旅館環境衛生同業組合常務理事だった1998年、県から「観光功労者」として表彰されているが、そんな立場にありながら県の条例に違反し、衛生管理を怠っていたのだからタチが悪い。これだけデタラメぶりが明らかになると、経営的にも大打撃だろうが、風評被害は二日市温泉全体に及ぶ可能性もある。 ところが、複数の地元住民に話を聞くと、意外な反応が返ってきた。 「築紫野で生まれ育った地元のシンボルの老舗旅館の跡継ぎとして、何不自由ない生活を送ってきたので何をしゃべればいいか、世間からの風当たりなんて予想してないんです。確かに会見を見れば、悪い印象を持たれるでしょうし、あの内容はマズい。でも『指示をした』『塩素を入れなかったのは、嫌いだから』と、思ったことを悪気もなく口にしてしまう。怒りというより、とにかく残念です。大丸別荘はこれまで長い間、地元に貢献してくれたわけですし、二日市の宝であり、誇りです。二度とこんなことが起こらないように反省すべきところは反省して、あとは皆で支えていかなければと、仲間と話し合っているところです」 山田社長は会見で「こんな恥ずべき行為をしたことをご先祖様に申し訳なく思う」と淡々と話していたが、まず謝罪すべきはこんな事態に陥っても、支えてくれる地元住民にだろう』、「山田社長」自殺を踏まえて、「地元」としても存続のあり方を検討する可能性がある。

第四に、4月8日付け東洋経済オンラインが掲載した 作家・ジャーナリスト の金田 信一郎氏による「電通、レナウンに共通する大企業の残念な実像 大企業ほど経営が緩く、不祥事を起こしやすい」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/663169
・『新しいコラムを始めるにあたって、主旨を説明しておきたい。30年以上にわたって企業を取材してきた中で、「ヤバい」と感じた会社や仕事を取り上げていこうと思う。 ご存じのとおり、「ヤバい」には2つの意味がある。 ①危ない。不都合が予想される。 ②すごい。心情がひどく揺さぶられる。 このコラムでも、「いいケース」と「悪いケース」の両方を取り上げていきたい。ただ、企業に対して「ヤバい」という言葉が使われるとき、多くは①を意味する。 「うちの会社、最近、ヤバくてさ」 そういう振りの話は、ほぼ例外なく①のケースである。みなさんの会社はどうだろうか。会社はもちろん、役所や学校、病院でも状況は似かよっているはずだ。 ヤバいのである。 ダラダラと無意味な会議が繰り返され、ろくに仕事もしないゴマスリが出世していく。「時短」と「コスト削減」が毎年のように繰り返される。そして商品やサービスの質が徐々に落ちていく……。 当てはまることはないだろうか? あなたの職場を見たことはないが、おそらく「あるある」だ。 「とんでもないことを言うな。うちの会社は違うぞ」。経営者から、そんな声が聞こえる。そういう社長に限って現場が見えていない。 そもそも経営トップになる人の質が、この30年でかなり劣化してしまった。それは、「ヤバい職場」化と連動している。 根本的な問題に、人口減少による市場の縮小がある。萎縮しがちな状況に、日本企業の減点主義がからまって、マネジメント層が「勝負企画」にゴーサインを出せなくなっている。それよりは、部下を叱咤し、コスト削減で数字を絞り出したほうがいい。ただ最近ではパワハラやブラックとの批判を受ける危険がある。となると、会議で予定を埋めて、実際は何もしないのがいちばん安全なのだ。 こうなると、管理職は実績では差がつかず、上に取り入った者ばかりが昇進してしまう。社長ポストは、そうして社内政治を切り抜けた先の最終地点となっている。 だが、困ったことにトップに就いた瞬間、勘違いをして権力を濫用するケースが後を絶たない。しかも社内に反対者はいない。周りは、減点を恐れて何もしない管理職ばかりなのだから。 私はこうした企業の姿を、想像で書いているのではない。日経グループの記者を30年もやっていたので、主要企業にはほぼ足を踏み入れている。そして1つの結論に至った。 「大企業ほど経営が緩くなり、不祥事を起こしやすい」と。 そんなバカな、と思うかもしれないが、実際の経済ニュースを見ればうなずけるはずだ。トヨタが不正車検をし、日産の会長は逮捕の末に逃亡、東芝は会社を挙げて不正会計に手を染め、シャープは台湾企業に身売りする。 こうした大企業のもろさを、私は入社直後から気づかされた』、「萎縮しがちな状況に、日本企業の減点主義がからまって、マネジメント層が「勝負企画」にゴーサインを出せなくなっている。それよりは、部下を叱咤し、コスト削減で数字を絞り出したほうがいい。ただ最近ではパワハラやブラックとの批判を受ける危険がある。となると、会議で予定を埋めて、実際は何もしないのがいちばん安全なのだ。 こうなると、管理職は実績では差がつかず、上に取り入った者ばかりが昇進してしまう。社長ポストは、そうして社内政治を切り抜けた先の最終地点となっている」、「困ったことにトップに就いた瞬間、勘違いをして権力を濫用するケースが後を絶たない。しかも社内に反対者はいない。周りは、減点を恐れて何もしない管理職ばかりなのだから。 私はこうした企業の姿を、想像で書いているのではない。日経グループの記者を30年もやっていたので、主要企業にはほぼ足を踏み入れている。そして1つの結論に至った。「大企業ほど経営が緩くなり、不祥事を起こしやすい」」、「管理職は実績では差がつかず、上に取り入った者ばかりが昇進してしまう。社長ポストは、そうして社内政治を切り抜けた先の最終地点となっている」、その通りだ。
・『ヒット商品が見当たらない大企業  新人記者としてアパレル業界の担当となった私は、小さな衣料メーカーの革新的な商品開発を取材していた。すると、先輩からこう突っ込まれた。 「その会社、聞いたことないなあ。売り上げはいくらあるんだ」「5億円ぐらいはあります」「アホか。そんなチンケな会社に紙面は割けねえだろ。少なくとも100億企業に行け」 そこで、私は業界トップ企業に向かった。それがレナウンだった。ところが、ヒット商品が見当たらない。本業の衣料品開発をそっちのけにして、資金運用(当時は「財テク」と呼んだ)で利益を稼ごうとしていたからだ。流行に左右されるアパレル事業は当たり外れが激しい。失点を恐れる幹部は腰が引け、挑戦しようとしない。 だが、金融で利益を出し続けられるはずもなく、巨額の赤字に陥る。そのとき、ブランドを創り出す人材もノウハウも失っていた。そこで、英国の高級ブランドを買収したが、さっぱり売れず、破綻への道を転がり落ちていった。 7年前、『失敗の研究 巨大組織が崩れるとき』で、大企業の「恐竜化」を指摘した。大企業は肥満化、迷宮化、官僚化など多くの病を抱えており、その合併症で有機的に動かない巨大組織と化している。時代の変化に対応できず、恐竜のごとく倒れてしまう。 早く対処しなければ、そこに働く優秀な社員たちが、その能力と時間を浪費することになる』、「7年前、『失敗の研究 巨大組織が崩れるとき』で、大企業の「恐竜化」を指摘した。大企業は肥満化、迷宮化、官僚化など多くの病を抱えており、その合併症で有機的に動かない巨大組織と化している。時代の変化に対応できず、恐竜のごとく倒れてしまう。 早く対処しなければ、そこに働く優秀な社員たちが、その能力と時間を浪費することになる」、「7年前」から指摘していたとは大したものだが、「恐竜のごとく倒れてしまう」タイミングがそれだけ近づいたことになる。
・『「泥臭い営業会社」という実像  最近のニュースでは、電通が恐竜化の典型例と言える。 五輪汚職事件の中心人物、高橋治之氏は同社専務だった。そして辞めてなお現役の電通社員に五輪組織委員会を手伝わせていた。贈収賄事件でスポンサーから流れたカネは、電通子会社を通じて、高橋氏関連の会社に渡っていた。 ここで疑問が生じる。なぜ電通の優秀な社員たちが、元専務の犯罪的スキームに協力したのか? それは前述した大企業の力学そのものと言える。目眩(くらま)しになっているのは、広告代理店のクリエーティブなイメージかもしれない。ところが電通という企業の本質をたどると、「泥臭い営業会社」という実像が見えてくる。そして、古い体質を引きずったまま現代に生き延びてしまっている。 1901年に通信社として創業。戦時の産業統制下で広告専業となったことが飛躍の契機だった。昔の地方新聞は都心で営業する体力がなく、広告欄はスカスカだった。そこに電通が大企業の広告をあっせんした。この手法をラジオやテレビにも拡大することで、民放の「広告収入による無料放送」を実現させた。かくして電通があらゆるメディアの広告枠を買い切り、企業に割り当てていく。本質は、広告枠を売買するブローカーなのだ。 高橋氏は、ブローカーの手法を国際スポーツの世界に持ち込んだ。広告スポンサーを抱えているから、スポーツ団体も高橋氏に頭が上がらない。高橋氏が引っ張ってくるスポンサーがあるからこそ、世界的な大会を開催できるわけだ。 部下は、そんな上司の手足となって、舞台装置を動かす役割を演じてしまう。それに逆らうことは、電通モデルの否定であり、組織の規律を乱す者とされるからだ。 その高橋氏は逮捕されても、容疑をいっさい認めていない。自身は電通時代からブローカー役しか果たしていないから、こう思っているだろう。「カネは自分のもの。だが、責任は他人のもの」と。「責任を負う」という発想がないのだから、白状のしようがない。そんな人物に、検察は仰天していることだろう。 旧態依然とした組織の殻を壊す──このコラムの究極の目標だ。それは社員の解放でもある。現場が動きやすい組織体に変貌しなければ、日本に未来はない。【情報提供をお願いします】東洋経済ではあなたの周りの「ヤバい会社」「ヤバい仕事」の情報を募っています。ご協力いただける方はこちらへ』、「電通」の「本質は、広告枠を売買するブローカーなのだ」、「その高橋氏は逮捕されても、容疑をいっさい認めていない。自身は電通時代からブローカー役しか果たしていないから、こう思っているだろう。「カネは自分のもの。だが、責任は他人のもの」と。「責任を負う」という発想がないのだから、白状のしようがない。そんな人物に、検察は仰天していることだろう」、「高橋」が「電通時代からブローカー役しか果たしていないから、こう思っているだろう。「カネは自分のもの。だが、責任は他人のもの」と。「責任を負う」という発想がないのだから、白状のしようがない。そんな人物に、検察は仰天していることだろう」、なるほど切れ味鋭い解釈だ。今後の寄稿が楽しみだ。
タグ:「高橋」が「電通時代からブローカー役しか果たしていないから、こう思っているだろう。「カネは自分のもの。だが、責任は他人のもの」と。「責任を負う」という発想がないのだから、白状のしようがない。そんな人物に、検察は仰天していることだろう」、なるほど切れ味鋭い解釈だ。今後の寄稿が楽しみだ。 「海外に店舗を出していたり、ポリシーを作っているだけでは、見せかけのグローバル企業であって、真の意味でのグローバル企業にはなっていかない」、その通りだ。 「「若年のエントリーユーザーをファンにする戦略」はそれ自体が微妙な問題をはらんでいるのです。 要するにガイドラインというものは、時代とともに変わるのです。今回の吉野家の問題、起きた事件自体は問題外だとしても、二度と起こさない対策については考えれば考えるほど奥の深い問題に私には思えるのです。 断罪するのは容易でも、二度と起こさないことは非常に難しい。しかし経営者は、その問題に取り組まなければならない。21世紀の企業経営はかくのごとく大変なのです」、同感である。 (その27)(吉野家「生娘をシャブ漬け戦略」騒動、実は再発防止が難しい3つの理由、「様々な人がいるんだと意識して欲しい」氏名で“外国人”と判断の吉野家がようやく謝罪 女子学生が取材に語った本音「結構ショックを受けてしまって…」、「お湯入れ替え問題」福岡・5代目旅館社長のズサン管理&放言も…地元の反応は“宝であり誇り”、電通 レナウンに共通する大企業の残念な実像 大企業ほど経営が緩く 不祥事を起こしやすい) 「7年前、『失敗の研究 巨大組織が崩れるとき』で、大企業の「恐竜化」を指摘した。大企業は肥満化、迷宮化、官僚化など多くの病を抱えており、その合併症で有機的に動かない巨大組織と化している。時代の変化に対応できず、恐竜のごとく倒れてしまう。 早く対処しなければ、そこに働く優秀な社員たちが、その能力と時間を浪費することになる」、「7年前」から指摘していたとは大したものだが、「恐竜のごとく倒れてしまう」タイミングがそれだけ近づいたことになる。 日刊ゲンダイ「「お湯入れ替え問題」福岡・5代目旅館社長のズサン管理&放言も…地元の反応は“宝であり誇り”」 「困ったことにトップに就いた瞬間、勘違いをして権力を濫用するケースが後を絶たない。しかも社内に反対者はいない。周りは、減点を恐れて何もしない管理職ばかりなのだから。 私はこうした企業の姿を、想像で書いているのではない。日経グループの記者を30年もやっていたので、主要企業にはほぼ足を踏み入れている。そして1つの結論に至った。「大企業ほど経営が緩くなり、不祥事を起こしやすい」」、 「企業としては取り組む以外にない」、というのが正直なところだろう。 「日本人というのは日本人風の見た目で日本国籍で、名前も日本風の名前という考え方は一回置いておいて、一人一人をじっくり見ていく必要がある」、その通りだ。 「山田社長」自殺を踏まえて、「地元」としても存続のあり方を検討する可能性がある。 鈴木貴博氏による「吉野家「生娘をシャブ漬け戦略」騒動、実は再発防止が難しい3つの理由」 「伊東正明常務取締役」はマーケティングのプロで、「早稲田の社会人講座で今回のような話をした」、聴衆へのサービスのつもりで口が滑ったのだろうが、それにしても不用意過ぎる。 TBS NEWS DIG「「様々な人がいるんだと意識して欲しい」氏名で“外国人”と判断の吉野家がようやく謝罪 女子学生が取材に語った本音「結構ショックを受けてしまって…」」 「(名前が)カタカナであるだけで勝手に外国籍と判断されてしまうのだ」、これは「吉野家」担当者の手抜きなのだろうが、あり得る話だ。 「管理職は実績では差がつかず、上に取り入った者ばかりが昇進してしまう。社長ポストは、そうして社内政治を切り抜けた先の最終地点となっている」、その通りだ。 「責任ある立場の人はポリティカルコレクトな発言・・・しかできなくなる」、その通りだ。 3月12日付けYahooニュースによれば、「大丸別荘社長が遺書を残して死亡「それでも“不衛生温泉”は消えない」専門家が指摘するずさんな検査体制」、自殺で幕を引きたかったのだろうが、「老舗旅館」の従業員はたまったものではない。 「萎縮しがちな状況に、日本企業の減点主義がからまって、マネジメント層が「勝負企画」にゴーサインを出せなくなっている。それよりは、部下を叱咤し、コスト削減で数字を絞り出したほうがいい。ただ最近ではパワハラやブラックとの批判を受ける危険がある。となると、会議で予定を埋めて、実際は何もしないのがいちばん安全なのだ。 こうなると、管理職は実績では差がつかず、上に取り入った者ばかりが昇進してしまう。社長ポストは、そうして社内政治を切り抜けた先の最終地点となっている」、 企業不祥事 ダイヤモンド・オンライン 東洋経済オンライン 金田 信一郎氏による「電通、レナウンに共通する大企業の残念な実像 大企業ほど経営が緩く、不祥事を起こしやすい」 「電通」の「本質は、広告枠を売買するブローカーなのだ」、「その高橋氏は逮捕されても、容疑をいっさい認めていない。自身は電通時代からブローカー役しか果たしていないから、こう思っているだろう。「カネは自分のもの。だが、責任は他人のもの」と。「責任を負う」という発想がないのだから、白状のしようがない。そんな人物に、検察は仰天していることだろう」、
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事業再生(その3)(旧日産系マレリ再建に「自動車部品企業の悲哀」 親会社に翻弄された末路、HIS創業者が退任へ…カリスマ起業家と呼ばれた澤田秀雄氏の落日とつまずきの始まり) [企業経営]

事業再生については、昨年3月23日に取上げた。今日は、(その3)(旧日産系マレリ再建に「自動車部品企業の悲哀」 親会社に翻弄された末路、HIS創業者が退任へ…カリスマ起業家と呼ばれた澤田秀雄氏の落日とつまずきの始まり)である。

先ずは、昨年6月15日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した佃モビリティ総研代表の佃 義夫氏による「旧日産系マレリ再建に「自動車部品企業の悲哀」、親会社に翻弄された末路」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/304792
・『マレリの再建計画が判明も 業績復活は前途多難  自動車部品メーカーの大手の「マレリホールディングス(マレリ)」が、業績悪化によって私的整理の一つである事業再生ADR(裁判以外の紛争解決)制度を申請してから3カ月が経過した。親会社である米投資ファンドのKKRを支援企業として、6月中の再建計画同意を目指しているが、その道のりは遠い。 マレリは、日産自動車系列のサプライヤーである旧カルソニックカンセイが、2019年に欧米フィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)の部品部門だったマニエッティ・マレリを買収統合して誕生した。 鳴り物入りのメガサプライヤーとしてスタートを切ったが、コロナ禍や半導体不足による完成車メーカー(OEM)の減産が続く中で、合併によるスケールメリットを生かせず、むしろ売上高1兆円を超える規模が重荷となってのしかかった。) 21年12月期まで4期連続の赤字となり、約1兆1000億円規模の債権額を抱えて3月1日に事業再生ADR制度の利用を申請した。それから3カ月をかけて支援企業の選定に向けた入札を実施。手を挙げた外資もあったが交渉が難航し、結果的に親会社のKKRを支援企業とする再建案が5月末の債権者会議で説明された。 それによると、KKRが6億5000万ドル(約870億円)の第三者割当増資を引き受ける方針を提示。さらに、債権額のカット率を約42%とし、金額にして約4500億円の債権放棄を求めることを金融機関に示したという。 KKRは、マレリのスポンサーになることについて「自動車産業を取り巻く環境は厳しいが、世界的なメガサプライヤーとして躍進できるよう取り組むマレリを引き続き支援する」とコメントしている。 だが、元々リスクを伴うマレリ買収を主導したのはKKR自身だ。それに対して金融機関から不満もくすぶっている。OEMの生産体制の完全復活も見通せない中、再建は一筋縄ではいかないだろう』、「元々リスクを伴うマレリ買収を主導したのはKKR自身」、「それに対して金融機関から不満もくすぶっている」、これはこじれそうな再生案だ。
・『コロナ禍や半導体不足での自動車減産が追い打ち  近年、曙ブレーキ工業やサンデンといった自動車サプライヤーで事業再生ADR申請の事例が相次いでいる。「100年に一度の自動車大変革」といわれる時代にあって、部品企業は非常に厳しい立場に立たされているのだ。) マレリの場合も同様だ。世界の自動車部品業界は、大きな構造改革により、生き残りへ向けた厳しい時代を迎えており、ティア2、ティア3だけでなくメガサプライヤーも含めて、試練の局面に立たされている。 元々、旧カルソニックカンセイは日産の“部品御三家”の一つに数えられた主力サプライヤーであったし、日産のカルロス・ゴーン元会長も一連の“系列切り”の一方で、逆に2005年に日産が出資を41.9%に引き上げて連結子会社としたほどの企業だった。 しかし、日産の業績が陰りを見せ始めていた17年に、同社は旧カルソニックカンセイの持ち分をKKRに売却してしまう。さらにKKR主導でFCAの部品部門を約7200億円で19年に買収・統合して「マレリ」に社名変更した経緯がある。 当時FCAは、仏のルノーのライバルである仏グループPSAとの統合を進める過程で、部品部門の売却意向があった。カルソニックカンセイとの統合は渡りに船だったのだろう。なお、FCAとPSAの方は、21年1月に統合を完了させ「ステランティス」が誕生している。 親会社のKKRは、旧マレリ統合によるスケールメリットを狙ったのだろうが、むしろ買収費用が巨額の債務となって負担になり、そこにコロナ禍や半導体不足などの世界的な自動車減産が追い打ちをかけた。主要取引先である日産が業績不振で、生産台数が減少したことも大きい。 また、旧マレリとの統合後も、ライティング、エレクトロニクス、パワートレインなどの製品群が加わったものの、同社の高コスト体質からの脱却や大規模リストラが遅れているといった問題点が指摘されている』、「買収費用が巨額の債務となって負担になり、そこにコロナ禍や半導体不足などの世界的な自動車減産が追い打ちをかけた」、「親会社のKKR」の甘い経営判断が一因となったようだ。
・『日産系列最大のサプライヤー かつての栄光むなしく  旧カルソニックカンセイの歴史をたどると、1938年創業の日本ラジエーター製造(日ラジ。その後、カルソニックに社名変更)と、56年創業の関東精器(その後カンセイに社名変更)が2000年に対等合併して誕生した。カルソニックはラジエーターから空調システムや熱交換器、コンプレッサーなどを、カンセイは計器メーターなどの部品を手掛ける企業であり、共に日産の有力部品サプライヤーとして成長してきた。 筆者は、かつて自動車部品を担当していた頃に日ラジを取材したことがある。当時の日産宝会(日産と取引の部品企業群)のリーダー役が、日産の専務から日ラジに転じた太田寿吉社長(当時)だった。太田氏は、石原俊日産元社長と日産の同期入社でもある。 宝会の加盟部品各社が日産の購買担当を「東銀座様(当時の日産の本社所在地)」とあがめる中で、日ラジは他社に先駆けて米国進出も果たし、米ゼネラル・モーターズとの取引を広げて同社と合弁工場を展開するほどだった。 その後、業績破綻により日産が仏ルノーの傘下に入る中、2000年にはカルソニックとカンセイの合併統合が行われた。日産がゴーン体制に移行し“系列解体”が進められたが、カルソニックカンセイは重要なサプライヤーとして解体の対象外となり、05年にはむしろ日産が出資比率を引き上げて連結子会社としたことは、先述した通りだ。 3月1日のADR申請から3カ月、元の親会社の日産からの支援を期待する声もあったが、日産自体が経営再建の過程にあってそれどころではない。KKRはインド財閥で傘下に自動車部品を抱えるサンバルダナ・マザーソン・グループと共同で支援企業とする意向が報じられていたが、マザーソンは条件が合わずに撤退してしまった。結果的に支援企業がKKRだけとなってしまったのだ。) 5月末の債権者会議でのKKR主導の再建案には、みずほ銀行などの金融機関から不満も漏れており、OEMの減産も続いているため先行きは不透明だ。 マレリのケースは、過去日産系で最有力だったサプライヤーが独立系サプライヤーの道を歩まざるを得なかった流れに翻弄(ほんろう)された悲哀を象徴しているが、一方でサプライヤーの生き残り方に一石を投じるものでもある。 世界を見ると、ボッシュやコンチネンタルなど独メガサプライヤーが強さを見せており、日本でもデンソーなどメガサプライヤーとして世界で勝負できる部品企業があるが、マレリは対照的な結果となってしまった。 さらに、ティア1に対し、ティア2~ティア3の部品企業群は日本国内でも9割、6000社を数える。「100年に一度の自動車大変革時代」におけるCASE新技術対応は、部品企業の生き残りへ大きなテーマを与えてきている。 昨今のコロナ禍、半導体不足、アジア部品供給不足による世界的な自動車減産が続き、サプライチェーンの重要性が増す。マレリを奇貨として部品企業の生きざまが問われている』、「5月末の債権者会議でのKKR主導の再建案には、みずほ銀行などの金融機関から不満も漏れており」、もう一度、冷静に「マレリ」、「金融機関」で話し合う必要がありそうだ。なお、11月4日付け日経新聞によれば、「マレリ」のデビッド・スランプ社長兼CEOは、インタビューで、「マレリ、成長投資2600億円 工場閉鎖で黒字化目指す」としている。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC274BH0X21C22A0000000/

次に、本年2月4日付け日刊ゲンダイが掲載した金融ジャーナリストの小林佳樹氏による「HIS創業者が退任へ…カリスマ起業家と呼ばれた澤田秀雄氏の落日とつまずきの始まり」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/318241
・『カリスマ起業家として一世を風靡したエイチ・アイ・エス創業者の澤田秀雄会長兼グループCEO(最高経営責任者)が、2月1日付で代表権のない取締役最高顧問に退いた。コロナ禍で打撃を受けた海外旅行事業が復調の兆しが見えたことを受け、退任を決意したとされるが、背後には資本性資金を供与した日本政策投資銀行など取引銀行団の圧力があったとされる。 澤田氏がエイチ・アイ・エスを立ち上げたのは1990年のことだ。当時、ソフトバンクの孫正義氏、パソナの南部靖之氏とともに「ベンチャー三銃士」ともてはやされた。 その原点は、大阪市立生野工業高校を卒業し、旧西ドイツのマインツ大学に留学していた時、アルバイトで稼いだ金で世界を回り、その経験を生かして80年に東京・新宿西口に旅行会社「インターナショナルツアーズ」を設立したことにある。格安航空券を販売し、ホテルとセットにした個人旅行は大当たりし、95年には株式上場にこぎつけた。 その後、ホテル事業にも進出し、新規参入航空会社「スカイマークエアラインズ」(現スカイマーク)の設立や、協立証券(現HSホールディングス)の買収を手掛けた。そして2010年に18年連続赤字だったテーマパーク「ハウステンボス」(長崎県佐世保市)の社長に就任、半年で黒字化させる離れ業を演じた。 しかし、すべてはコロナ禍で暗転した。コロナ禍で海外旅行客は途絶え、ハウステンボスの入場者数も激減、エイチ・アイ・エスは赤字に転落したのだ。資金繰りに窮した澤田氏は政府に泣きつき、日本政策投資銀行からファンドを活用した優先株を受ける。しかし、これがつまずきの始まりとなった。 「政投銀が優先株を供与したことで、エイチ・アイ・エスは国が潰さない銘柄となったことを受け、民間金融機関も協調融資を行った。しかし、これには2期連続赤字となれば融資を一括返済しなければならない財務制限条項が付いていました」(メガバンク幹部)というのだ』、「コロナ禍で海外旅行客は途絶え、ハウステンボスの入場者数も激減、エイチ・アイ・エスは赤字に転落したのだ。資金繰りに窮した澤田氏は政府に泣きつき、日本政策投資銀行からファンドを活用した優先株を受ける。しかし、これがつまずきの始まりとなった。 「政投銀が優先株を供与したことで、エイチ・アイ・エスは国が潰さない銘柄となったことを受け、民間金融機関も協調融資を行った。しかし、これには2期連続赤字となれば融資を一括返済しなければならない財務制限条項が付いていました」、「財務制限条項」に抵触はよくあることだ。
・『銀行団主導で“虎の子”ハウステンボスも売却  コロナ禍は想定を超えて長引き、行動制限は長期化し、赤字は続いた。さらに子会社によるGoToトラベルの給付金不正受給も重なる。財務制限条項に抵触しないためには22年10月期の黒字化が必達だった。 そのデッドラインを前に、エイチ・アイ・エスは虎の子のハウステンボスを香港ファンドに666億円で売却するとともに、247億円の資本を1億円に減資する道に踏み込んだ。ハウステンボス売却で得た特別利益と減資で累損を一掃する荒療治だ。陰で主導したのは政投銀をはじめとする銀行団だった。澤田氏は最後までハウステンボスの売却に反対したというが……。落日の感が強い』、「虎の子のハウステンボスを香港ファンドに666億円で売却するとともに、247億円の資本を1億円に減資する道に踏み込んだ。ハウステンボス売却で得た特別利益と減資で累損を一掃する荒療治だ。陰で主導したのは政投銀をはじめとする銀行団だった。澤田氏は最後までハウステンボスの売却に反対したというが……。落日の感が強い」、これから「澤田氏」の大きな顔をしばらく見られないと思うと、一抹の寂しさもあるが、冷徹な企業再生の論理の前にはやむを得ないようだ。 
タグ:(その3)(旧日産系マレリ再建に「自動車部品企業の悲哀」 親会社に翻弄された末路、HIS創業者が退任へ…カリスマ起業家と呼ばれた澤田秀雄氏の落日とつまずきの始まり) 事業再生 ダイヤモンド・オンライン 佃 義夫氏による「旧日産系マレリ再建に「自動車部品企業の悲哀」、親会社に翻弄された末路」 「元々リスクを伴うマレリ買収を主導したのはKKR自身」、「それに対して金融機関から不満もくすぶっている」、これはこじれそうな再生案だ。 「買収費用が巨額の債務となって負担になり、そこにコロナ禍や半導体不足などの世界的な自動車減産が追い打ちをかけた」、「親会社のKKR」の甘い経営判断が一因となったようだ。 「5月末の債権者会議でのKKR主導の再建案には、みずほ銀行などの金融機関から不満も漏れており」、もう一度、冷静に「マレリ」、「金融機関」で話し合う必要がありそうだ。なお、11月4日付け日経新聞によれば、「マレリ」のデビッド・スランプ社長兼CEOは、インタビューで、「マレリ、成長投資2600億円 工場閉鎖で黒字化目指す」としている。 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC274BH0X21C22A0000000/ 日刊ゲンダイ 小林佳樹氏による「HIS創業者が退任へ…カリスマ起業家と呼ばれた澤田秀雄氏の落日とつまずきの始まり」 「コロナ禍で海外旅行客は途絶え、ハウステンボスの入場者数も激減、エイチ・アイ・エスは赤字に転落したのだ。資金繰りに窮した澤田氏は政府に泣きつき、日本政策投資銀行からファンドを活用した優先株を受ける。しかし、これがつまずきの始まりとなった。 「政投銀が優先株を供与したことで、エイチ・アイ・エスは国が潰さない銘柄となったことを受け、民間金融機関も協調融資を行った。しかし、これには2期連続赤字となれば融資を一括返済しなければならない財務制限条項が付いていました」、「財務制限条項」に抵触はよくあることだ。 「虎の子のハウステンボスを香港ファンドに666億円で売却するとともに、247億円の資本を1億円に減資する道に踏み込んだ。ハウステンボス売却で得た特別利益と減資で累損を一掃する荒療治だ。陰で主導したのは政投銀をはじめとする銀行団だった。澤田氏は最後までハウステンボスの売却に反対したというが……。落日の感が強い」、これから「澤田氏」の大きな顔をしばらく見られないと思うと、一抹の寂しさもあるが、冷徹な企業再生の論理の前にはやむを得ないようだ。
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ソニーの経営(その11)(ソニーのデジカメ 初の大ヒットはちょっと意外なあのカメラ、大ヒットと大炎上をデジカメ「P1」で味わう) [企業経営]

昨日に続いて、ソニーの経営を取上げよう。今日は、(その11)(ソニーのデジカメ 初の大ヒットはちょっと意外なあのカメラ、大ヒットと大炎上をデジカメ「P1」で味わう)である。これは、「ソニー」のモノづくりの牙城であるデジカメ部門を歴史の一端を見るため取上げた。

先ずは、1月31日付け日経ビジネスオンラインが掲載したソニーグループ代表執行役副会長の石塚 茂樹 他1名による対談「ソニーのデジカメ、初の大ヒットはちょっと意外なあのカメラ」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00533/012500001/
・『(石塚氏の略歴はリンク先参照) 糸口は故・小田嶋隆さんと“スシ”でした  2022年秋、石塚さんが故・小田嶋隆さんのコラムを惜しむメッセージを編集部にくださったのをご縁に、インタビューする機会をいただいた(小田嶋さんが書いていた「ソニーへの手紙」)。 石塚さんはソニーのデジタルカメラ部門を長年率いてきた方、という予備知識はあったので、話のネタにと思って仕込んできた自分のデジカメを、インタビューの終わりに出してみた。 「実はこんなものを持っているんですが」 「おっ、“スシ”じゃねえか!」 ソニー サイバーショットDSC-U10 画素数は130万、ちゃんとオートフォーカスで背面液晶も装備。かわいいったらありゃしません。とても処分できず、家の引き出しにしまってありました。 「スシ? スシってあの寿司ですか?」「そうそう。当時(2002年発売)、欧州に持っていったら、このホワイトのモデルがちょうどシャリに見えるっていうんで、現地の人が『スシ、スシ』って喜んでね」 「じゃあひとつ、板前風の写真を撮らせていただいてもいいでしょうか」 「こんな感じ? へい、お待ち!」 石塚さんの意外なノリの良さにびっくりしつつ、脳内ではとっくに枯れたと思っていた「ソニーファン」魂と好奇心がシンクロし始めた。小田嶋さんのコラムを面白がる余裕、節度を持ちつつも歯切れのいい物言い。この人ならきっと……。「よろしかったら、石塚さんを通して、ソニーのデジタルカメラのこれまでの歴史を振り返る企画をやらせてもらえませんでしょうか」。気が付いたら口説き始めていたのだった。 以上が本連載開始の経緯です。ソニーの「ものづくり」の牙城として今も高い利益を稼ぎ出しているデジタルカメラの来し方を、開発の最前線に立ち続けた技術者、そしてスマホ来襲の中でデジカメを生き残らせた経営者でもある石塚さんに、根掘り葉掘り伺っていく。その中から、日本のメーカー、そして日本の技術者が、再び輝く手がかりを掘り出せたらと祈っています。そしてホンネを申せば、ソニーのデジカメの戦いの歴史って、すごく面白そうではないですか!(Qは聞き手の質問) Q:ずうずうしいお願いに応えていただいて本当にありがとうございます。何か、資料までご用意いただいたそうで。 石塚:共有画面、映っていますか。ソニーのデジタルカメラの歩みを振り返ろうということですよね。じゃ、さっそく。ソニーのカメラと言えば、まず「マビカ」。 Q:ありました。この新聞広告は覚えています。「カメラなのにフィルムがいらないんだ、テレビで見るんだ、その手があったか!」と驚きました。 石塚:開発発表は1981年でした。ちょうど私がソニーに入社した年です。正確には「デジタル」カメラではなくて、2インチのフロッピーディスクにアナログで記録する電子カメラなんですよね。発売は88年でした。 Q:テレビには、カメラ本体からビデオ出力するんですか。 石塚:再生用のアダプターがあったんです。 Q:今見直すと、アップルの「QuickTake 100」に似ていなくもないですね。あれはチノン製でしたっけ。 石塚:これはキヤノンとの共同開発でした。私はマビカには関わっていないので、全部聞いた話なんですけれども、キヤノンで社長を務められた真栄田雅也さん。 Q:はい、2022年にお亡くなりになった。1981年当時、マビカの開発発表がキヤノンに与えたショックを「日経クロステック」で語られていました。 (日経クロステックの記事はこちら) 石塚:僕がデジカメを担当するようになってから、実は真栄田さんとは親交があったんですよ。カメラ業界でのお付き合いはもちろん、たまに飲んだり、ゴルフをしたり。亡くなられてから、偲ぶ会がありまして、そこに彼の遺品が置いてあったんですね。真栄田さんはもともとメカニカル系のばりばりのエンジニアで、遺品のノートには電子スチルカメラの図面が描かれていました。 Q:キヤノン側でのご担当だったということですね。几帳面な方ですね。 石塚:そうそう。僕なんかは20代のころの仕事の記録なんて何も残っていないんだけれども、真栄田さんは非常に緻密で、きちんとした方だったんです。 Q:「フィルムが要らない」というインパクトはありながら、マビカはあっさり消えちゃいましたけれど。 石塚:うん。マビカは80年代の前半にカメラ業界、フィルム業界を震撼させたソニーの発明、だったんだけれども、ビジネス的にはまったく成功せず終わったんですよ。 でも、このマビカのアイデアはその後、ソニーのデジカメの初ヒットにつながりました。この機種のヒットがあったからこそ、ソニーのデジカメは今に至っていると思います。 Q:あっ、「サイバーショットF1」ですね! あれはかっこよかったです。 DSC-F1(1996年10月)「サイバーショット」シリーズ初代。レンズ部が回転して自撮りができる 石塚:いや、サイバーショットじゃないんですけど(笑)。 Q:あれ? 石塚:97年に出した「デジタルマビカ」というのがあるんです。MVC-FD5とFD7。 MVC-FD7(1997年7月) フロッピーにデジタル画像を記録する「デジタルマビカ」。10倍ズームレンズ付きで、世界で大ヒットを飛ばす Q:あっ、これ、ありましたね。3.5インチのフロッピーディスクに記録するやつですよね? 当時自分はパソコン誌「日経クリック」の編集をやっていて、これを見て、でかいわ、ごついわで「なんてダサいんだ」と……ごめんなさい。 石塚:いえいえ(笑)。その通りだと思います』、知り合った「糸口は故・小田嶋隆さんと“スシ”でした」というのはさもありなんだ。「マビカは80年代の前半にカメラ業界、フィルム業界を震撼させたソニーの発明、だったんだけれども、ビジネス的にはまったく成功せず終わったんですよ。 でも、このマビカのアイデアはその後、ソニーのデジカメの初ヒットにつながりました。この機種のヒットがあったからこそ、ソニーのデジカメは今に至っていると思います」、「なんてダサいんだ」、でも「世界で大ヒット」になったようだ。
・『「ダサい」デジタルマビカはどうして売れた  Q:これ、売れたんですか。 石塚:めちゃめちゃ売れました。 Q:正直、すごく意外です。でかいし、重いし、ダサ……すみません。 石塚:96年の10月ぐらいだったかな、当時の上司が「3.5インチのフロッピーを使ったカメラを造ってよ」と、僕と僕の相棒に言ってきたんです。「出そうよ、とにかく早く出そうよ、なぜかって? だって誰でもできるんだから」と。 Q:誰でもできるようなものなんですか? 石塚:「その辺に売っているパソコン用のフロッピーディスクドライブを買ってきて、それにビデオカメラ用のレンズとイメージセンサーと電池をくっつけたら、カメラになっちゃうじゃないか。誰かが出す前に、さっさと造ってよ」てな感じで。とにかくよそより先に出さないと意味がないと急(せ)かされて、半年とちょっとで造って、97年の夏に売り出して、大ヒットしました。 フロッピーはパソコン用、バッテリーは、私はパーソナルビデオ事業部で、8ミリハンディカムの設計をやっていたので、そこからみんな持ってきて。FD7の10倍光学ズームもハンディカムの流用です。とにかくありものを組み合わせたので、早く出せたけれど、外観はおっしゃる通り厚ぼったくてぼてっとして、日本人にはウケない。 Q:でしたよね。 石塚:だけど、米国でバカ売れしたんですよ。特に10倍ズームのFD7が。 Q:どうしてそんなに売れたんでしょう。) 石塚:デジタルマビカが何に使われたかって、業務用だったんです、例えば、自動車の保険会社さんとか不動産屋さんとか、写真が必要な仕事ってあるじゃないですか。もちろん、当時もデジカメはたくさん出ていたんですが、ほとんどの機種は内蔵メモリーに記録して、パソコンにケーブルで接続して読み出していましたよね。 Q:そうそう、そうでした! しかも専用ソフトが必要だったりしました。 石塚:ところが、デジタルマビカはフロッピーディスク記録で、当時のパソコンはフロッピーディスクドライブがほぼ標準装備だった。だから、デジタルマビカなら、撮って、ディスクを抜いて、パソコンに差し込めばいい。画像データもJPEG形式だから、専用ソフトは不要でダブルクリックすれば開ける。徹底的にシンプルなコンセプトが、「仕事で使う」人たちに受けて、成功したんです。 Q:なるほど。画質はさておき、とにかくデータのハンドリングが楽で、仕事ならそれで十分。 石塚:そうそう。ものすごくもうかって。これに味をしめて、2号機はちゃんとまじめにデジタルマビカ専用のフロッピーディスクドライブも開発したんですよ。 Q:専用……と言いますと。 石塚:初号機はドライブが流用品だったので、書き込みが遅いし、分厚かった。そこで某メーカーと組んで、倍速化と薄型化を。 Q:ああ、そういえばシャッターを切ると、ジコジコのんびりフロッピーに書き込んでましたね。そもそもフロッピーって、書き込みも読み出しも遅くて。 石塚:FD7の画素数は41万(有効38万)で、解像度はVGA(640×480ピクセル)、ファイルサイズも、大きくてせいぜい100キロバイト前後だからこそ、フロッピーディスク記録が成り立ったわけです。フロッピー1枚にかろうじて20枚程度でしたか。「せめてフィルム1本分くらいは記録できるようにしよう」と、圧縮率もそこそこ高くしてね。 Q:もはやこの辺も解説が要りそうですが、当時、カメラ用フィルム1本で撮れる写真の枚数は24枚が主流でした』、「「誰かが出す前に、さっさと造ってよ」てな感じで。とにかくよそより先に出さないと意味がないと急(せ)かされて、半年とちょっとで造って、97年の夏に売り出して、大ヒットしました」、「自動車の保険会社さんとか不動産屋さんとか、写真が必要な仕事ってあるじゃないですか。もちろん、当時もデジカメはたくさん出ていたんですが、ほとんどの機種は内蔵メモリーに記録して、パソコンにケーブルで接続して読み出していましたよね・・・ところが、デジタルマビカはフロッピーディスク記録で、当時のパソコンはフロッピーディスクドライブがほぼ標準装備だった。だから、デジタルマビカなら、撮って、ディスクを抜いて、パソコンに差し込めばいい。画像データもJPEG形式だから、専用ソフトは不要でダブルクリックすれば開ける。徹底的にシンプルなコンセプトが、「仕事で使う」人たちに受けて、成功したんです」、思いもかけないニーズにマッチして「成功した」とは面白いこともあるものだ。
・『パソコン店でフロッピーをこっそり読ませる  石塚:とにかくやっつけで造ったので、カメラの性能としてはお世辞にもいいとは言えない。ストロボなんてもう、「光ればいいんだ」という感じだったんですね。だから、顔が白飛びする、赤目にもなる(網膜にストロボ光が反射する「赤目現象」)。クレームが来ると、今では考えられない対応ですが「そういうときは発光部にティッシュを張ってください」とか言ってね。 Q:調光機能がない。「光るンです」だったわけですか。 石塚:当時の我々は怖いもの知らずです。90年代のデジカメって、カメラの置き換えというよりは、パソコンのペリフェラル、周辺機器だったということもありますね。 Q:そうでした。カメラ雑誌じゃなくて、私がいたパソコン誌が取り上げるアイテム。 石塚:なので、特に米国で売るときは、カメラやハンディカムとかを売っている店じゃなくて、パソコン中心の「PCデポ」とか「コンプUSA」とか、そういうところで主に売ろうとしていました。一方で、とにかく簡単なのが売りでしたから、万一これで撮った画像ファイルが開けないパソコンがあったら大変。だから僕は世界中のパソコン店に行って、展示してあるパソコンに何気なく写真入りのフロッピーをぶち込んで、開くかどうか試していました。 Q:うわ(笑)。でもJPEG形式で記録しても開けない可能性ってあったんですか。 石塚:うん、簡単に造れると言いましたけれども、一応、うちのエンジニアが小さなOSを作って、MS-DOSでもWindowsでもMacでもちゃんと開けるような形式で記録していたんです。でも、例外が発生する可能性は潰せないので、地道にテストしていました。 Q:しかし、言われてみれば当時の環境だったら「フロッピーディスク記録のデジカメ」というのは“冴えたやりかた”でしたね。マネするところが出てきてもおかしくなさそうです。 石塚:1つエピソードを言うと、某カメラメーカーの方にずっと後になってから聞いたら、「実はうちも開発していた」と。ところが、ソニーが出しちゃったものだから、二番煎じになっちゃうとよろしくないというのでやめたらしいんです。Q:「あっという間に造って出した」のは結果的に正解だった、ということですね。 上司の方の考えはまさにその通り、大正解だった。 石塚:と、デジタルマビカはデジカメとしての性能はほどほどでしたが、汎用性、使い勝手に集中したことで、米国と欧州で大ヒットして。 Q:海外市場で「デジカメと言えばソニー」というイメージをつくったと。 石橋:いや、それは言い過ぎですね。一般ユーザーよりも業務用として売れましたし、売れた地域も申し上げた通りばらつきがありましたから。ただ、「ソニーのデジカメ」についての一定の存在感を市場に確立したのは確かです。 Q:なるほど。 石塚:その後、2号機ぐらいまでは売れたかな。ご存じの通りデジカメが高画素化して、データサイズが大きくなるとフロッピーディスクでは記録できなくなって、8cm CD-Rに記録するモデルを出すんですが、最大の特徴である、データのハンドリングの良さを失って、消えていくんです。 Q:さっき先走りましたけれど、私には「ソニーのデジカメ」と言えば、サイバーショット初号機、F1のイメージが強いんです。あちらはどうだったんでしょう。 石塚:こちらは私は関わっていませんでした。コンセプトは回転レンズに代表されるように、フィルムカメラでは絶対できない、「撮る、見る、飛ばす」を実現しようというものです。撮って、見てというのは液晶で見て、飛ばすというのはIrDA(赤外線通信)のことで、パソコン、そしてプリンターに送ることもできました。 Q:めっちゃ未来的、いかにもソニー。 石塚:とてもとんがった商品で、話題になったんですけれども、これはあんまり売れなかったのです。 Q:そうなんですか。どうしてでしょう。 石塚:売れなかった理由は、記録メモリーが内蔵式だったこと、そして電池が持たなくて、「サイバーちょっと」と言われていたんですよね。 Q:そういえば当時そんなあだ名も聞いたかもしれない。 石塚:さらにビジネス的なことを言うと、材料費がものすごく高くて。 販売価格が9万円くらいでしたっけ、けっこう高級機でしたよね。 石塚:それでも逆ざやだったかもしれません。あまりうまくいかなかった。 Q:すみません。実はF1って大ヒット商品だと思っていましたが』、「デジタルマビカについて、某カメラメーカーの方が、「実はうちも開発していた」が、「ソニーが出しちゃったものだから、二番煎じになっちゃうとよろしくないというのでやめたらしい」、製品開発にはタイムんぐも重要なようだ。「デジタルマビカはデジカメとしての性能はほどほどでしたが、汎用性、使い勝手に集中したことで、米国と欧州で大ヒット」、「「ソニーのデジカメ」についての一定の存在感を市場に確立した」、見事だ。「サイバーショット初号機、F1」「「撮る、見る、飛ばす」を実現しようというものです。撮って、見てというのは液晶で見て、飛ばすというのはIrDA(赤外線通信)のことで、パソコン、そしてプリンターに送ることもできました。 Q:めっちゃ未来的、いかにもソニー」しかし、「あんまり売れなかった」、「売れなかった理由は、記録メモリーが内蔵式だったこと、そして電池が持たなくて、「サイバーちょっと」と言われていたんですよね・・・さらにビジネス的なことを言うと、材料費がものすごく高くて。 販売価格が9万円くらいでしたっけ、けっこう高級機でしたよね。 石塚:それでも逆ざやだったかもしれません。あまりうまくいかなかった」、時代の先を行き過ぎていたのかも知れない。
・『日本と海外で評価ポイントが逆  石塚:いえ、日本では売れました。ですが、海外では全然売れなかった。電池の持ちもありますが、IrDAが普及していなくて、ケーブルだとRS232Cで通信速度がすごく遅いんですよね。だから内蔵メモリーのデータをパソコンへ吸い出すのに手間がかかった。 Q:見た目は最高、機能もすごい、だけど使い勝手が悪い。デジタルマビカの正反対ですね。 石塚:そう。日本で評価されるポイントと海外のそれとは逆だった、とも言えます。 Q:そういえば、サイバーショットF1のほうがデジタルマビカより先に出ていたわけですが、マビカを「サイバーショット」というシリーズの中に入れなかったのはわざとですか。 石塚:うん、実はネーミングに内部の論争がありまして。 Q:ありそうです。 石塚:販売会社は「サイバーショットにしてほしい」と言っていましたね。「マビカなんか、売れなかったから印象が悪い」とか。でも当時の僕のボスがこだわって、「いや、デジタルマビカだ」と。フロッピーディスク記録というイメージを打ち出した「マビカ」は、逆にアセットになるはずだ、と考えていたようです。 Q:なるほど。 石塚:それからもう1つ「サイバーショットプロ」というシリーズが出ます。DSC-D700。業務用っぽいカメラです。 石塚:ファインダーはプリズムが入っていて、見た目も一眼っぽいやつなんですけれども。これはこれでまた別の、業務用の機材を造っていた厚木の部隊が開発しました。これも材料費が高いわりには全然売れなくて。 Q:いろいろな背景を持つチームがそれぞれ自分の得意技でデジカメを出していたわけですか。そういえば、音楽用のMD(ミニディスク)が使えるサイバーショットもありませんでしたか。 石塚:はい、DSC-MD1ですね。F1と同じ部隊が開発しました。) Q:当時としてはMDは大容量メディアだし、面白い試みです。一方で戦線がぜんぜん整理されていない印象があるのも、デジカメ草創期ならではでしょうか。やりたい人がやりたい仕事をやる、という。こういうのもメーカーにとって1つの理想のような気もするんですけれど。特に当時のソニーは、まだまだこういう「やりたい放題」が似合う会社、でしたよね。 石塚:確かに、このあたりはソニーらしいっちゃらしいんです。けれどもだいたい一発屋で失敗して終わるという。MDも1号機が出て、あとが続きませんでした。 さすがに上層部が「お前らいいかげんにしろ、1カ所でやれ」と言って、デジタルマビカが一番成功していたので、そこに統合されたわけです。当時はやりたい人がやりたいようにやっていたんだけれども、採算をちゃんと考えなかったり、品質が悪かったり、一言で言えばバランスが非常に悪かった。 Q:そんな中で目立ったヒットがデジタルマビカだった。1つ質問いいですか』、「やりたい人がやりたい仕事をやる、という。こういうのもメーカーにとって1つの理想のような気もするんですけれど。特に当時のソニーは、まだまだこういう「やりたい放題」が似合う会社、でしたよね。 石塚:確かに、このあたりはソニーらしいっちゃらしいんです。けれどもだいたい一発屋で失敗して終わるという。MDも1号機が出て、あとが続きませんでした。 さすがに上層部が「お前らいいかげんにしろ、1カ所でやれ」と言って、デジタルマビカが一番成功していたので、そこに統合されたわけです。当時はやりたい人がやりたいようにやっていたんだけれども、採算をちゃんと考えなかったり、品質が悪かったり、一言で言えばバランスが非常に悪かった。 Q:そんな中で目立ったヒットがデジタルマビカだった」、いかにも「ソニー」らしい開発スタイルだ。
・『こだわり・わりきり・おもいきり  石塚:はい、どうぞ。 Q:出来合いのものをがっちゃんこして造ったそのデジタルマビカですが、これをやらせたボスの方は、どうしてこれを作りたかったんでしょう? 「俺が使いたいものが欲しい」みたいな感じだったんでしょうか。 石塚:「自分が使いたい」と「売れるもの」でしたね。事業部長をやって、役員、副会長をやったNさんという、ちょっと変わったおじさんなんですけれども。 Q:……石塚さんが変わったおじさんという人。 石塚:商品開発を考えるのが得意で、僕も好きで自分でもやっていましたけれども、この人に教えられたところもあって。シンプルなものが好きなんですね。どういうことかというと、要するに「セールストークは簡単なほうがいい」と。シンプル・イズ・ベストということで、だから、ケーブルなんか絶対に付けるな、専用ソフトは同梱するな、そこにこだわれ、とね。 Q:そうか、シンプルさは売る側が手間を惜しむと実現できない。 石塚:そうそう。これは余談だけれど、社内で僕がこの15年ぐらい言っているフィロソフィーがあって、「こだわり、わりきり、おもいきり」というんです。だから、こだわるところにはこだわるけれども、それ以外の余分な要素は切り捨てて、割り切れ。決めたら、思いきりやれ、という。それは最初のヒットになった、デジタルマビカの教訓なのかもしれません。 Q:おお。すごく含蓄があるんですね、このデジタルカメラに。 石塚:だから、さっきのご質問への回答を改めて言うと、上司の気持ちは「ものすごく使いやすいものを造ろう」ということになるかもしれないですね。 まずフロッピーディスクって、当時はただ同然、とは言わないまでも、コンビニに行って小銭で買えた。どこでも買えてしかも安い。当時、他のリムーバブルメディアってすごく高かったですよね。そしてカメラ本体も、大きくて無骨でとんがったことはできないけれど、どこをどうすればどうなるかがすごく分かりやすい。そして、パソコンとの親和性も最高だと。 Q:なるほど、どこをとっても使いやすい。 石塚:米国向けのセールスマニュアルには「イージー」という言葉がたくさん入っていましたよ。説明書を読まなくてもすぐ使えちゃうというね。 Q:使いやすさにこだわり、デザインや機能は割り切り、イージーを思いきり全面展開して売る、という。外にいる私たちは「他がやらないことや見た目にこだわって、でも使いにくくて壊れやすい」のがソニーらしさ、くらいに思っていましたが。 石塚:(苦笑して)それだとビジネスとしては続かない。デジタルマビカは既存技術の寄せ集めといえば寄せ集め。でも、結局、フロッピーディスク記録のデジタルカメラでビジネスができたのは、ソニーだけだったわけです』、「「セールストークは簡単なほうがいい」と。シンプル・イズ・ベストということで、だから、ケーブルなんか絶対に付けるな、専用ソフトは同梱するな、そこにこだわれ、とね」、「「こだわり、わりきり、おもいきり」・・・こだわるところにはこだわるけれども、それ以外の余分な要素は切り捨てて、割り切れ。決めたら、思いきりやれ、という。それは最初のヒットになった、デジタルマビカの教訓なのかもしれません」、凄い「フィロソフィー」だ。「米国向けのセールスマニュアルには「イージー」という言葉がたくさん入っていましたよ。説明書を読まなくてもすぐ使えちゃうというね。 Q:使いやすさにこだわり、デザインや機能は割り切り、イージーを思いきり全面展開して売る、という・・・デジタルマビカは既存技術の寄せ集めといえば寄せ集め。でも、結局、フロッピーディスク記録のデジタルカメラでビジネスができたのは、ソニーだけだったわけです」、なるほど。
・『独自性を出すのに「世界一」「新技術」は必須、ではない  Q:確かに。あ、カセットテープのウォークマンもそういえばそういう、既存品のがっちゃんこプロダクトですね。でも「誰もやらないこと」だし、投資額もきっとしたいたことはなかった、んでしょうね。 石塚:だと思います。 Q:誰もやらないこと」を実現するのがソニーらしさだとすれば、このデジタルマビカは「誰もやったことがないほど分かりやすい」、ソニーらしいデジタルカメラ、ということですか。なるほど。 石塚:違う言い方をするなら、誰もやらないことをやるためには、「新技術」「世界初」だけがその方法ではない、ということですね。無論、新技術、世界初、というのは技術者としてとてもいい手段、目標だと思います。でも、それにはお金も時間もかかる。そして、もうけることと両立しないと、やりたいこともできなくなってしまうわけです。技術者は自分の好きなことを続けるために、ちゃんともうけることも考えねばならない。 Q:比べるのも申し訳ありませんが、本もそうなんです。好きなものを作るだけなら楽ですが、売れないと次が出せないから、「好きなものをどう見せれば売れるのか」を、毎回うんうん考えるという。 石塚:それで、売れることだけをつい考えちゃったりしません? Q:しますします(笑)。 石塚:そうなると本末転倒で。だから「人のやらない、やりたいこと」と「売れること」のせめぎ合いを常に強いられるんですよね。 Q:その辺の苦しさと面白さを、これからお話しいただければと思います』、「ウォークマンもそういえばそういう、既存品のがっちゃんこプロダクトですね。でも「誰もやらないこと」だし、投資額もきっとしたいたことはなかった」、「誰もやらないことをやるためには、「新技術」「世界初」だけがその方法ではない、ということですね。無論、新技術、世界初、というのは技術者としてとてもいい手段、目標だと思います。でも、それにはお金も時間もかかる。そして、もうけることと両立しないと、やりたいこともできなくなってしまうわけです。技術者は自分の好きなことを続けるために、ちゃんともうけることも考えねばならない」、「売れることだけをつい考えちゃったりしません?・・・そうなると本末転倒で。だから「人のやらない、やりたいこと」と「売れること」のせめぎ合いを常に強いられるんですよね。 Q:その辺の苦しさと面白さを、これからお話しいただければと思います」、次回が楽しみだ。

次に、この続きを、2月7日付け日経ビジネスオンラインが掲載したソニーグループ代表執行役副会長 石塚 茂樹 他1名の対談「大ヒットと大炎上をデジカメ「P1」で味わう」を紹介しよう(Qは聞き手の質問)。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00533/020300002/
・『メモリースティック登場  Q:前回は、ソニーのデジタルカメラを世界に広げたのは、フロッピーディスク記録の「デジタルマビカ」(MVC-FD5、FD7、1997年発売)だったという、意外なお話を伺いました。日本にいると、「ソニーのデジカメ」といえば初代サイバーショットの「DSC-F1」(1996年発売)の印象が強いんですが。 ソニーグループ副会長・石塚茂樹さん(以下、石塚):F1は日本では売れました。しかし海外では、電池が持たないこと、内蔵メモリーしかないので、パソコンに画像データを転送するのに時間がかかること、などが響いて全然売れませんでした。もう一つ、回転レンズで自撮りができるのが大きな特徴だったのですが、これは単焦点なので、ズームができない。 Q:F1はその後も独特のデザイン、質感で「Fシリーズ」としてサイバーショットの一角を支え続けます。現在の視点で見ても古びないですね。ガジェットの楽しさにあふれていて。 石塚:F1はマイナーチェンジを重ねつつ、記録メディア「メモリースティック」を搭載し、バッテリー容量を増やした「DSC-F55K」で、仕切り直しを図りました。 DSC-F55K(1999年) 電池の持ち、パソコンへの転送が面倒、といったDSC-F1の欠点を潰したモデル。ソニーが開発した記録メディア「メモリースティック」(写真右側)を初めて搭載したデジカメでもある。 Q:そうだ、メモリースティックがこの頃登場するんですね。当時のデジカメ用の記録メディアとしては、東芝が始めたスマートメディア、そしてコンパクトフラッシュがありましたよね。 石塚:現場はスマートメディアを使おうと言っていたんですけれど、うちの上層部はまた……。 Q:また? 石塚:「人のやらないことをやるのが、ソニーだ」みたいな感じで、軍門に下るなとか、自分たちでやれとか。それでメモリースティックの採用ということに。それ自体は正しいと思うんですけれど、ね。 全社横断組織の「メモリースティック事業センター」が設立されて、僕もメンバーになったんですが、これもまた大変でした。カメラで撮ってメモリースティックに記録しても「相手」がいないとどうしようもないわけです。そこで、パソコンにつなぐアダプターやリーダーを作ったり、フォトフレームを作ったり、プリンターに入れたりと、色々な「相手」を開発したんです。でも後々、メモリースティックはサイバーショットにとって足かせになるんですね。ソニーしかやっていないから。 Q:結局、ファミリーができなかったんでしたっけ。 石塚:大きなファミリーはできませんでした。 Q:それはつらい。規格競争はソニーにとって鬼門の印象があります』、「当時のデジカメ用の記録メディアとしては、東芝が始めたスマートメディア、そしてコンパクトフラッシュがありましたよね・・・現場はスマートメディアを使おうと言っていたんですけれど、うちの上層部はまた……・・・「人のやらないことをやるのが、ソニーだ」みたいな感じで、軍門に下るなとか、自分たちでやれとか。それでメモリースティックの採用ということに。それ自体は正しいと思うんですけれど、ね」、 Q:結局、ファミリーができなかったんでしたっけ。 石塚:大きなファミリーはできませんでした。 Q:それはつらい。規格競争はソニーにとって鬼門の印象』、「カメラで撮ってメモリースティックに記録しても「相手」がいないとどうしようもないわけです。そこで、パソコンにつなぐアダプターやリーダーを作ったり、フォトフレームを作ったり、プリンターに入れたりと、色々な「相手」を開発したんです。でも後々、メモリースティックはサイバーショットにとって足かせになるんですね。ソニーしかやっていないから」、確かに「規格競争はソニーにとって鬼門の印象」、その通りだ。
・『どうして仲間づくりがうまくないのか  石塚:うん、僕がソニーのビデオテレビ事業部(ベータマックスの事業担当)に入社した時期(1981年)って、ベータマックス対VHSの競争が盛んだった頃なんですね。 ベータのソニー対VHSの松下電器産業・日本ビクター(現パナソニック・JVCケンウッド)、家庭用ビデオデッキの規格争い。1984年ごろにベータの敗色が濃厚になってきて、最終モデル(SL-200D)の発売が93年ですから、この頃は完全に決着がついてますね。 石塚:なのに、また似たようなことをやっているという個人的な思いはありました。あくまで個人的な感想ですが……。のちに、シェアを伸ばしてきた後発の「SDカード」に対抗すべく、「メモリースティックDuo」という小さいやつを作るんですけれども、それでもやっぱりそこが足かせでデジカメのシェアが伸び悩みました。 僕は、2000年代の後半だったかな、ひそかにプロジェクトを興して、ソニーのデジカメにメディアが両方、SDカードと、メモリースティックDuoが挿さるようにしたんですよ。そこからシェアがぐっと伸びたんです。 Q:ユーザーは素直に反応するんですね。ファミリーづくりがうまくないのはなぜでしょう。 石塚:「マネをしない」「人のやらないことをやる」という企業カルチャーは、独自性によって商品を差異化するには大きなプラスでした。一方で、独自性をビジネス面や顧客価値・満足度とどうバランスを取るか、が、常にマネジメントのテーマになっていたのだと思います。前回の「こだわり、わりきり、おもいきり」に通じるものがありますね。 Q:確かに。そう考えると、現場よりマネジメントのほうが「独自性」にこだわりすぎて、わりきれなかった、ということが一因だったように思えます。 石塚:ずいぶん余談が長くなっちゃいましたが(笑)、F55Kはそこそこ売れました。そして、2000年に「DSC-P1」が出ます。これは自分にとって忘れられない思い出があるデジカメです。(ソニーのプレスリリースはこちら) DSC-P1(2000年10月20日発売) 小型ながら3倍光学ズーム、当時としては高画素・高画質、そしてメモリースティック搭載と機能に妥協がなく、大ヒットとなった。 石塚:1998年に、僕がいたデジタルマビカと他のデジカメ開発部隊が一緒になったお話は前回しましたね。そこで開発を率いる立場(パーソナルビデオカンパニー パーソナルビデオ2部 担当部長)になった僕は「とにかくヒットモデルを作ろう」と言って、このP1に取り組んだんです。 Q:一発、大きく当てることを最初から狙ったモデル。) 石塚:ええ、サイバーショットでは「ヒットモデルプロジェクト」を何年かごとに発動しています。開発のリソースを集中して、新規の専用デバイスを起こしていくんですね。その際にはモデル名に“1”というエースナンバーを付けて気合を入れるのが我々の伝統です』、「「マネをしない」「人のやらないことをやる」という企業カルチャーは、独自性によって商品を差異化するには大きなプラスでした。一方で、独自性をビジネス面や顧客価値・満足度とどうバランスを取るか、が、常にマネジメントのテーマになっていたのだと思います。前回の「こだわり、わりきり、おもいきり」に通じるものがありますね。 Q:確かに。そう考えると、現場よりマネジメントのほうが「独自性」にこだわりすぎて、わりきれなかった、ということが一因だったように思えます」、「マネジメントのほう」に責任があるようだ。「サイバーショットでは「ヒットモデルプロジェクト」を何年かごとに発動しています。開発のリソースを集中して、新規の専用デバイスを起こしていくんですね。その際にはモデル名に“1”というエースナンバーを付けて気合を入れるのが我々の伝統です」、「エースナンバーを付けて気合を入れる」、とは興味深い。
・『フラッグシップ機のナンバーを背負って  Q:おー、フラッグシップ機の称号。ベータマックスにも「F1」がありましたし、最近だとミラーレス一眼の「α1」とかですね。 石塚:そうそう。 Q:商品力をぐっと上げる専用のデバイスを新規開発して、宣伝広告にも力を入れてヒットを狙う。毎年やると大変だけど、大きく当てればそのマイナーチェンジでしばらく稼げる。その間に次を仕込む。そんな感じですか。 石塚:そうです。そして自分が手がける製品としては、P1がその1回目でした。レンズを新規で起こしたり、それから、液晶も小さな1.5インチという、すごく小さいのを作ったりしたんですね。 Q:1.5インチというと横幅約3.3センチというところでしょうか。本体がこれだけ小さければ無理もないですね。そして、デザインがガラッと変わりました。 石塚:どうしてこんなに横長かという話をすると、大前提として「よそのカメラと違うデザインにしよう」という意図がありました。そしてとにかく小さくしたい。背を低くしたい。 我々はメモリースティックをメディアとして使うわけですが、そこが一つの切り口になるわけです。コンパクトフラッシュとか、他のメディアは形状が正方形に近く、一辺が高いので、P1の背の低さに対抗できない。横にして入れたら分厚くなっちゃいますしね。そこで、とにかく押しつぶして横長にしたんです。メモリースティックは横長なので。 Q:ちなみに、ライバルとなるSDカード(SDメモリーカード)の発売は2000年第2四半期からでした。 石塚:そうすると、結果的にストロボと光学ファインダーが横に並んでしまいました。これがまた、後にカメラメーカーさんから「ソニーさん、これはご法度です」と、言われてしまうことになるんです。 Q:どうしてご法度なんですか。 石塚:カメラメーカーさんの常識から見ると許せないのは、まずファインダーというのは本来、レンズの光軸と合ってないといけないんです。だから、普通はレンズの真上かちょっとだけ斜め上にあるんですよ。横に置くと、撮れる画像と視野が変わっちゃうから。 Q:ああ、今でも本体の横に出せる「バリアングル液晶」にダメ出しする方は多いですね。あれと同じ理由ですね』、「結果的にストロボと光学ファインダーが横に並んでしまいました。これがまた、後にカメラメーカーさんから「ソニーさん、これはご法度です」と、言われてしまうことになるんです」、「カメラメーカーさんの常識から見ると許せないのは、まずファインダーというのは本来、レンズの光軸と合ってないといけないんです。だから、普通はレンズの真上かちょっとだけ斜め上にあるんですよ。横に置くと、撮れる画像と視野が変わっちゃうから」、なるほど。
・『社内の雰囲気は「やっちゃえ、ソニー!」  石塚:あと、ストロボの位置もレンズの光軸上にあるべきだと。レンズの横でストロボを使うと、横からライトが当たったことになっちゃうんですよ。 Q:だから本来はレンズの上、一眼レフならペンタプリズムがある軍艦部にストロボがないといけない。でも、場所がないから横に並べちゃったと。 石塚:そうそう。理屈はその通りなんですよ。禁じ手をやってしまったと。だけど、当時の僕、そして我々というのは「とにかく人と違うものをやる」と。「やっちゃえ、ソニー」みたいな感じで。 Q:やっちゃえ、ソニー(笑)。これは「割り切り」ってことですね。 石塚:それで、やっちゃうわけです(笑)。結果はどうかというと、P1は世界中で大ヒットしました。 Q:カメラの常識は障害にならなかったわけですね。当時すでにSシリーズが市場に投入されていましたが、その最上位機種であるS70と同等の性能(334万画素で光学式3倍ズーム搭載)を持ちながら、圧倒的にコンパクト。これは売れるわけです。 石塚:そうなんです。そして大ヒットしたが故に、僕は自分史上最大の試練に直面することになるわけですが。 Q:それはどういう……。 石塚:どういうって、「日経ビジネス」のおかげですよ(笑)。 Q:ええと?』、「場所がないから横に並べちゃったと・・・理屈はその通りなんですよ。禁じ手をやってしまったと。だけど、当時の僕、そして我々というのは「とにかく人と違うものをやる」と。「やっちゃえ、ソニー」みたいな感じで」、「これは「割り切り」ってことですね」、なるほど。
・『バッテリー関連の不具合で大クレーム発生  石塚:P1はバッテリー関連のトラブルを起こしました。それがきっかけで、日経ビジネスの「1万人アフターサービス調査」(2003年3月10日号)で、ソニーが前年の1位から最下位に転落するんです。 (編注:このトラブルについてのソニーの説明はこちらの平成15年4月15日の箇所を参照) Q:うわ、そうでしたか。どうしてそんなことが? 石塚:今だから言えるんですが、P1のバッテリーは、自分も関わった「RUVI(ルビ)」という乾電池2本で動作するビデオカメラ用に開発したものでした。RUVIは全然売れませんでしたが、乾電池2本サイズとコンパチのバッテリーは、P1にもってこいで、これ幸いと採用したんです。 Q:なるほど。ありそうなお話です。 石塚:でも、ビデオカメラとデジカメとでは用途がまったく違うんですよ。 Q:と言いますと。 石塚:ビデオカメラは、運動会とかイベントの際に引っ張り出されるけれど、デジカメは日常的に使われますよね。デイリーユースの商品に使うには、このバッテリーは耐久性が足りなかった。具体的には、冬に寒くなって電池の化学反応が鈍くなると、所期の性能が出なくなる。ところが、RUVIは売れなかったし、使われ方もデイリーユースとまでは残念ながらいかなかったのでしょう、クレームも上がってこなかった。 Q:なるほど。ところが、P1は大ヒットしたし、日常的に使われるから。 石塚:そうです。2002年冬になって大クレームが来ました。当時「2ちゃんねる」でいくつもスレッドが立つ大炎上になりました。もしかしたら初めて「ネットで炎上」した電気製品かもしれません。なので、経験知や免疫がなかった。 日経ビジネスでそれが取り上げられ、最終的には(全世界で)無償点検・サービスを実施することになりました。詳しく調査すると、バッテリーだけでなく、P1本体の消費電力やソフトウェア、充電アダプターなど複合的な原因がわかりました。自分のソニー人生最大の試練でしたし、そこから学ばせていただくことが、ものすごく多かった体験となりました。 Q:よろしかったら、別途詳しく聞かせていただけますか? 石塚:3時間くらいかかっちゃいますけれど、いいですか(笑)。 Q:望むところでございます。(つづきます)』、「2002年冬になって大クレームが来ました・・・もしかしたら初めて「ネットで炎上」した電気製品かもしれません。なので、経験知や免疫がなかった。 日経ビジネスでそれが取り上げられ、最終的には(全世界で)無償点検・サービスを実施することになりました。詳しく調査すると、バッテリーだけでなく、P1本体の消費電力やソフトウェア、充電アダプターなど複合的な原因がわかりました。自分のソニー人生最大の試練でしたし、そこから学ばせていただくことが、ものすごく多かった体験となりました」、「初めて「ネットで炎上」した電気製品かもしれません。なので、経験知や免疫がなかった」、「自分のソニー人生最大の試練でしたし、そこから学ばせていただくことが、ものすごく多かった体験となりました」、さぞかし大変な思いをしたものと、同情申し上げる。今後の対談の続きも、適宜、紹介していくつもりだ。
タグ:日経ビジネスオンライン 石塚 茂樹 他1名による対談「ソニーのデジカメ、初の大ヒットはちょっと意外なあのカメラ」 知り合った「糸口は故・小田嶋隆さんと“スシ”でした」というのはさもありなんだ。「マビカは80年代の前半にカメラ業界、フィルム業界を震撼させたソニーの発明、だったんだけれども、ビジネス的にはまったく成功せず終わったんですよ。 でも、このマビカのアイデアはその後、ソニーのデジカメの初ヒットにつながりました。この機種のヒットがあったからこそ、ソニーのデジカメは今に至っていると思います」、「なんてダサいんだ」、でも「世界で大ヒット」になったようだ。 「「誰かが出す前に、さっさと造ってよ」てな感じで。とにかくよそより先に出さないと意味がないと急(せ)かされて、半年とちょっとで造って、97年の夏に売り出して、大ヒットしました」、「自動車の保険会社さんとか不動産屋さんとか、写真が必要な仕事ってあるじゃないですか。もちろん、当時もデジカメはたくさん出ていたんですが、ほとんどの機種は内蔵メモリーに記録して、パソコンにケーブルで接続して読み出していましたよね・・・ところが、デジタルマビカはフロッピーディスク記録で、当時のパソコンはフロッピーディスクドライブがほぼ 標準装備だった。だから、デジタルマビカなら、撮って、ディスクを抜いて、パソコンに差し込めばいい。画像データもJPEG形式だから、専用ソフトは不要でダブルクリックすれば開ける。徹底的にシンプルなコンセプトが、「仕事で使う」人たちに受けて、成功したんです」、思いもかけないニーズにマッチして「成功した」とは面白いこともあるものだ。 「デジタルマビカについて、某カメラメーカーの方が、「実はうちも開発していた」が、「ソニーが出しちゃったものだから、二番煎じになっちゃうとよろしくないというのでやめたらしい」、製品開発にはタイムんぐも重要なようだ。 「デジタルマビカはデジカメとしての性能はほどほどでしたが、汎用性、使い勝手に集中したことで、米国と欧州で大ヒット」、「「ソニーのデジカメ」についての一定の存在感を市場に確立した」、見事だ。「サイバーショット初号機、F1」「「撮る、見る、飛ばす」を実現しようというものです。撮って、見てというのは液晶で見て、飛ばすというのはIrDA(赤外線通信)のことで、パソコン、そしてプリンターに送ることもできました。 Q:めっちゃ未来的、いかにもソニー」しかし、「あんまり売れなかった」、「売れなかった理由は、記録メモリーが内蔵式だったこと、そして電池が持たなくて、「サイバーちょっと」と言われていたんですよね・・・さらにビジネス的なことを言うと、材料費がものすごく高くて。 販売価格が9万円くらいでしたっけ、けっこう高級機でしたよね。 石塚:それでも逆ざやだったかもしれません。あまりうまくいかなかった」、時代の先を行き過ぎていたのかも知れない。 「やりたい人がやりたい仕事をやる、という。こういうのもメーカーにとって1つの理想のような気もするんですけれど。特に当時のソニーは、まだまだこういう「やりたい放題」が似合う会社、でしたよね。 石塚:確かに、このあたりはソニーらしいっちゃらしいんです。けれどもだいたい一発屋で失敗して終わるという。MDも1号機が出て、あとが続きませんでした。 さすがに上層部が「お前らいいかげんにしろ、1カ所でやれ」と言って、デジタルマビカが一番成功していたので、そこに統合されたわけです。当時はやりたい人がやりたいようにやっていたんだけれども、採算をちゃんと考えなかったり、品質が悪かったり、一言で言えばバランスが非常に悪かった。 Q:そんな中で目立ったヒットがデジタルマビカだった」、いかにも「ソニー」らしい開発スタイルだ。 「やりたい人がやりたい仕事をやる、という。こういうのもメーカーにとって1つの理想のような気もするんですけれど。特に当時のソニーは、まだまだこういう「やりたい放題」が似合う会社、でしたよね。 石塚:確かに、このあたりはソニーらしいっちゃらしいんです。けれどもだいたい一発屋で失敗して終わるという。MDも1号機が出て、あとが続きませんでした。 さすがに上層部が「お前らいいかげんにしろ、1カ所でやれ」と言って、デジタルマビカが一番成功していたので、そこに統合されたわけです。 当時はやりたい人がやりたいようにやっていたんだけれども、採算をちゃんと考えなかったり、品質が悪かったり、一言で言えばバランスが非常に悪かった。 Q:そんな中で目立ったヒットがデジタルマビカだった」、いかにも「ソニー」らしい開発スタイルだ。 「「セールストークは簡単なほうがいい」と。シンプル・イズ・ベストということで、だから、ケーブルなんか絶対に付けるな、専用ソフトは同梱するな、そこにこだわれ、とね」、「「こだわり、わりきり、おもいきり」・・・こだわるところにはこだわるけれども、それ以外の余分な要素は切り捨てて、割り切れ。決めたら、思いきりやれ、という。それは最初のヒットになった、デジタルマビカの教訓なのかもしれません」、凄い「フィロソフィー」だ。 「米国向けのセールスマニュアルには「イージー」という言葉がたくさん入っていましたよ。説明書を読まなくてもすぐ使えちゃうというね。 Q:使いやすさにこだわり、デザインや機能は割り切り、イージーを思いきり全面展開して売る、という・・・デジタルマビカは既存技術の寄せ集めといえば寄せ集め。でも、結局、フロッピーディスク記録のデジタルカメラでビジネスができたのは、ソニーだけだったわけです」、なるほど。 「ウォークマンもそういえばそういう、既存品のがっちゃんこプロダクトですね。でも「誰もやらないこと」だし、投資額もきっとしたいたことはなかった」、「誰もやらないことをやるためには、「新技術」「世界初」だけがその方法ではない、ということですね。無論、新技術、世界初、というのは技術者としてとてもいい手段、目標だと思います。でも、それにはお金も時間もかかる。そして、もうけることと両立しないと、やりたいこともできなくなってしまうわけです。技術者は自分の好きなことを続けるために、ちゃんともうけることも考えねばならない 」、「売れることだけをつい考えちゃったりしません?・・・そうなると本末転倒で。だから「人のやらない、やりたいこと」と「売れること」のせめぎ合いを常に強いられるんですよね。 Q:その辺の苦しさと面白さを、これからお話しいただければと思います」、次回が楽しみだ。 石塚 茂樹 他1名の対談「大ヒットと大炎上をデジカメ「P1」で味わう」 「当時のデジカメ用の記録メディアとしては、東芝が始めたスマートメディア、そしてコンパクトフラッシュがありましたよね・・・現場はスマートメディアを使おうと言っていたんですけれど、うちの上層部はまた……・・・「人のやらないことをやるのが、ソニーだ」みたいな感じで、軍門に下るなとか、自分たちでやれとか。それでメモリースティックの採用ということに。それ自体は正しいと思うんですけれど、ね」、 「カメラで撮ってメモリースティックに記録しても「相手」がいないとどうしようもないわけです。そこで、パソコンにつなぐアダプターやリーダーを作ったり、フォトフレームを作ったり、プリンターに入れたりと、色々な「相手」を開発したんです。でも後々、メモリースティックはサイバーショットにとって足かせになるんですね。ソニーしかやっていないから」、確かに「規格競争はソニーにとって鬼門の印象」、その通りだ。 「「マネをしない」「人のやらないことをやる」という企業カルチャーは、独自性によって商品を差異化するには大きなプラスでした。一方で、独自性をビジネス面や顧客価値・満足度とどうバランスを取るか、が、常にマネジメントのテーマになっていたのだと思います。前回の「こだわり、わりきり、おもいきり」に通じるものがありますね。 Q:確かに。そう考えると、現場よりマネジメントのほうが「独自性」にこだわりすぎて、わりきれなかった、ということが一因だったように思えます」、「マネジメントのほう」に責任があるようだ。 「サイバーショットでは「ヒットモデルプロジェクト」を何年かごとに発動しています。開発のリソースを集中して、新規の専用デバイスを起こしていくんですね。その際にはモデル名に“1”というエースナンバーを付けて気合を入れるのが我々の伝統です」、「エースナンバーを付けて気合を入れる」、とは興味深い。 「結果的にストロボと光学ファインダーが横に並んでしまいました。これがまた、後にカメラメーカーさんから「ソニーさん、これはご法度です」と、言われてしまうことになるんです」、「カメラメーカーさんの常識から見ると許せないのは、まずファインダーというのは本来、レンズの光軸と合ってないといけないんです。だから、普通はレンズの真上かちょっとだけ斜め上にあるんですよ。横に置くと、撮れる画像と視野が変わっちゃうから」、なるほど。 「場所がないから横に並べちゃったと・・・理屈はその通りなんですよ。禁じ手をやってしまったと。だけど、当時の僕、そして我々というのは「とにかく人と違うものをやる」と。「やっちゃえ、ソニー」みたいな感じで」、「これは「割り切り」ってことですね」、なるほど。 「2002年冬になって大クレームが来ました・・・もしかしたら初めて「ネットで炎上」した電気製品かもしれません。なので、経験知や免疫がなかった。 日経ビジネスでそれが取り上げられ、最終的には(全世界で)無償点検・サービスを実施することになりました。詳しく調査すると、バッテリーだけでなく、P1本体の消費電力やソフトウェア、充電アダプターなど複合的な原因がわかりました。自分のソニー人生最大の試練でしたし、そこから学ばせていただくことが、ものすごく多かった体験となりました」、 「初めて「ネットで炎上」した電気製品かもしれません。なので、経験知や免疫がなかった」、「自分のソニー人生最大の試練でしたし、そこから学ばせていただくことが、ものすごく多かった体験となりました」、さぞかし大変な思いをしたものと、同情申し上げる。今後の対談の続きも、適宜、紹介していくつもりだ。
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ソニーの経営(その10)(EVAで「失われた15年」を作り出したソニーは ROIC導入でどのように復活したか、ソニー復活の集大成となるか?十時新社長の「本当の実力」) [企業経営]

ソニーの経営については、昨年3月27日に取上げた。今日は、(その10)(EVAで「失われた15年」を作り出したソニーは ROIC導入でどのように復活したか、ソニー復活の集大成となるか?十時新社長の「本当の実力」)である。なお、タイトルから「問題」は削除した。

先ずは、昨年3月25日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した米国公認会計士でビジネス・ブレークスルー(BBT)大学大学院客員教授の大津広一氏による「EVAで「失われた15年」を作り出したソニーは、ROIC導入でどのように復活したか」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/299929
・『「資本コスト」「コーポレートガバナンス改革」「ROIC」といった言葉を新聞で見ない日は少ない。伊藤レポートやコーポレートガバナンス・コード発表以来、企業には「資本コスト」を強く意識した経営が求められている。では、具体的に何をすればいいのか。どの経営指標を採用し、どのように設定のロジックを公表すれば、株主や従業員が納得してくれるのだろうか? そこで役立つのが『企業価値向上のための経営指標大全』だ。「ニトリ驚異の『ROA15%』の源泉は『仕入原価』にあり」「M&Aを繰り返すリクルートがEBITDAを採用すると都合がいいのはなぜか?」といった生きたケーススタディを用いながら、無数の経営指標の根幹をなす主要指標10を網羅的に解説している。すでに役員向け研修教材として続々採用が決まっている。 そんな『経営指標大全』から、その一部を特別に公開する』、興味深そうだ。
・『EVAを使いこなせなかったソニーの「恨み節」  2000年代初頭、花王と並んでEVA(経済付加価値)採用企業としてもっとも著名であった日本企業は、おそらくソニー(現ソニーグループ)であろう。当時の会長兼グループCEOの出井伸之氏が肝いりで始めたソニーのEVAは、ソニーの先端的なイメージと重なり、経営指標として大きな脚光を浴びた。総合電機業界の多くの企業がEVA、またはそれに準ずる経営指標を導入する流れを作り出したといっても過言でない。 しかし、ソニーはその後の業績の急速な悪化により、2003年にはソニーショックと呼ばれるソニー株の暴落を引き起こした。道半ばで2005年6月に退任した出井氏とともに、EVAはソニーから完全に姿を消した。 出井氏は退任後に出版したソニー時代を振り返る著書『迷いと決断』の中で、EVAに対する思いを2ページにもわたって以下のように綴っている(*1)』、導入した「出井伸之氏」による「思い」とは、興味深そうだ。
・『理解されなかったEVA  ソニーのように、全く性質の異なる事業をいくつも抱えている企業にとっては、それぞれの事業を出来るだけ公平に評価するための「共通の尺度」が求められます。 そこで私は、EVA(経済的付加価値)という指標の導入を試みました。EVAはアメリカ生まれのコンセプトですが、ソニーのような複合企業には大変適した尺度です。複数の性質の異なる事業を1つの企業が統治している場合に、通常のバランスシートでは内実が見えにくいので、事業ごとに「仮想的に」バランスシートを分離して評価してみようというのが、このEVAの考え方です。 EVAで重要視されるのは「資本コスト」。平たく言えば、その事業にどれだけの資本が投入され、どれだけのスピードでその資本が回転して、どれだけの利益を生み出しているか、という点です。例えば、パソコンなどの組み立て産業には、投下資本はあまり必要ありませんが、販売・サポートなどには沢山の人手が必要になります。反対に、半導体の生産には大きな設備投資が必要で、変化のスピードも速いので、短期に資本を償却してしまいます。こうした性質の異なる事業を、「売上げ」と「利益率」という2つの尺度だけで評価するのではなく、売上げを立てるためにどれだけの「資本」が必要だったのかに注目したのがEVAなのです。 大規模な投資が必要な事業では資本回収のスピードを速くするなど、EVAは具体的施策にも直結する優れた指標なのです。またこれは、事業の性格を責任者に理解させ、事業のスピードアップを促すためのもので、毎月の売上げ数値の競争を誘発するような性質のものではありません。ところが、この基本が理解されずに、「ソニーはEVAを指標に使っているから長期的な投資が出来なくなった」などと、頓珍漢な批判が内部からも出されたりしたのは残念なことでした。 出井氏が記述している大部分は、EVAが資本コストを重視した、いかに優れた経営指標であるかという点と、特にソニーのように事業が多岐にわたる企業にもっとも適した経営指標であるという点であろう。これらはなんら否定するものではない。しかし、出井氏がこの文章の中でもっとも言いたかったのは、最後の一文ではないかと考える。「ソニーはEVAを指標に使っているから長期的な投資が出来なくなった」などと、頓珍漢な批判が内部からも出されたりしたのは残念なことでした。 EVAを短期的に上げることは非常に簡単である。儲かっている事業において、できるだけ投資を抑制すればよい。そうすることで、NOPAT(税引後営業利益)から差し引く投下資本は減少し、EVAは上昇する。それで部門の評価や部門長の賞与が決まるとあっては、事業責任者がそうした行動に偏向することは否めない。 安定した事業環境にあれば、すべてをEVAで意思決定する経営も悪くないが、大きな市場や技術の変化が起きているときには最大の注意を要する。将来の果実をつかむための先行投資を禁止する指標となってしまうからだ。 おそらくソニーは過度にEVAを重視した経営、短期的な評価もEVAに基づいて決定されるといった経営をやりすぎたのであろう。それを社員は指摘していたのだから、「頓珍漢な批判」で片づけられる代物でない。 経営指標でありながら、過度にやりすぎてはいけない。まるで矛盾するような示唆だが、ブラウン管から液晶へとテレビの市場や技術が大きな変化を遂げており、サムスン電子をはじめとしたライバル企業が虎視眈々と巨額の設備投資を液晶に向けて行っている下で、EVAを軸にして短期的に業績を評価する企業であっては、取り返しのつかない事態を引き起こす。短期の果実を得た代償として、長期的な優位性を失うトリガーとして、ソニーのEVAは寄与してしまったのではないだろうか。 これはEVAの限界ではなく、本書で紹介しているすべての経営指標の限界である。会計数値に基づいて計算する経営指標である以上、単年度ベースでの算出が基本となる。それが金科玉条だと言われれば、短期的な費用や投資の抑制によって、目標は達成できてしまうだろう。ROE、ROA、ROIC、営業利益、フリー・キャッシュフロー……、すべて同一である。 市場や技術、顧客といった環境変化によって大きな先行投資が必要とされる企業や部門にあっては、経営指標のターゲットの時期や水準の設定において、熟考しなくてはならないことの示唆を与える。イメージセンサーに代表されるソニーの世界的にシェアの高い半導体事業を捕まえて、ソニーの資産が膨らんでいるのは問題だ、などと批判する人があれば、事業内容をまったく理解していない「頓珍漢な批判」と一蹴されることだろう。 5年後のターゲットとしての設定や、3年間累計としての設定など、手法はいくらでもある。経営指標が社員の行動特性を導くのだから、社員に期待する行動特性を見据えたターゲットの設定が不可欠である』、「会計数値に基づいて計算する経営指標である以上、単年度ベースでの算出が基本となる。それが金科玉条だと言われれば、短期的な費用や投資の抑制によって、目標は達成できてしまうだろう。ROE、ROA、ROIC、営業利益、フリー・キャッシュフロー……、すべて同一である。 市場や技術、顧客といった環境変化によって大きな先行投資が必要とされる企業や部門にあっては、経営指標のターゲットの時期や水準の設定において、熟考しなくてはならないことの示唆を与える。イメージセンサーに代表されるソニーの世界的にシェアの高い半導体事業を捕まえて、ソニーの資産が膨らんでいるのは問題だ、などと批判する人があれば、事業内容をまったく理解していない「頓珍漢な批判」と一蹴されることだろう。 5年後のターゲットとしての設定や、3年間累計としての設定など、手法はいくらでもある。経営指標が社員の行動特性を導くのだから、社員に期待する行動特性を見据えたターゲットの設定が不可欠である」、その通りだ。
・『ROICの流行は「EVA経営」の再来  さて、出井氏が書籍の中で語っていた文章に今一度目をやり、「EVA」の個所を「ROIC」に置き換えて読んでみてほしい。いかがだろう。まったく違和感なく、文章としてすべて成立していることが確認できよう。 EVAが悪者だという方がもしあれば、それはROICが悪者だと言っていることに等しい。もちろん短期的にはROICやEVAを重視しない成長著しい企業であればそれでも良かろう。しかし第7章で触れたROIC導入を進める日本企業の増大は、形を変えた「EVA経営の再来」と見ることもできるのである。 かくいうソニーもまた、ROIC経営で復活を遂げた企業である。ソニーは2015年に発表した第二次中期計画(2015~17年度)において、図表1の1枚のスライドを示し、ROE重視の経営と、そのためのROICによる事業管理を明確化した。 図表1 ソニーグループのROEとROIC重視の経営 事業領域1 成長牽引領域 “成長に向けた施策と集中的な投資により、売上成長と利益を実現” デバイス、ゲーム&ネットワークサービス、映画、音楽  事業領域2 安定収益領域  “大規模な投資は行わず、着実な利益計上、キャッシュフロー創出を目指す” イメージング・プロダクツ&ソリューション、ビデオ&サウンド  事業領域3 事業変動リスクコントロール領域 “事業の変動性や競争環境を踏まえ、リスクの低減と収益性を最優先” モバイル・コミュニケーション、テレビ  EVA時代と異なるのは、事業を大きく3つの領域に切り分け、P/L(売上、利益)とB/S(投下資本)に関する方向性について、対外的に明示したことであろう。時間軸は記載されていないものの、デバイス、ゲーム、映画、音楽が含まれる成長牽引領域は、投下資本を積極的に増加するとしており、短期的にはROICは悪化することもいとわない方針とも読み取れる。 イメージング(主にカメラ)やビデオが含まれる安定収益領域は、売上は横ばい、利益は微増、投下資本は微減と、正に「安定」であることを求めており、過度な成長や投資は、もはや期待していない。 そして最大の特徴は、事業変動リスクコントロール領域と呼ばれる3つめの領域に、従来のソニーの中心事業でもあったモバイルとテレビが含まれていることである。売上と投下資本は減少させ、利益は黒字化・改善を目指すとされている。 これら市場にはアップルやサムスン電子など、世界で強力なライバルが出現し、2015年時点ではソニーはどちらも赤字が継続する事業であった。もはや規模やシェアの競争では勝ちえない。選択と集中やコストの徹底的な削減、アセットライトの推進によって、確実にROICを生み出す事業にしていきたいという意思表明である。 ソニーのモバイルやテレビに携わる社員からすれば、もはや投資はできるだけ抑制して利益を出しなさいという、ショッキングな経営方針かもしれない。しかし長年にわたって赤字を計上してきた事業であり、ソニー全社のROEへの強いコミットメントに基づいて各事業に対して求められたROIC経営である。 EVA時代はすべてまとめてEVA、かつ足元からの単年度ベースで厳しく管理、といった印象であったが、ROIC経営では、各事業においてどのようにROICを作り出していくのかが経営方針として明示された。社員は自分たちの各事業において何を実行し、どういった数値を作り出すことが求められ、そして実現した際に評価されるのか。道筋は明らかになったものと推察する。 EVAで失われた15年を作り出したソニーが、実質的には同じ経営指標であるROICで復活を果たした。経営指標そのものが良い者、悪い者では決してない。すべてはその運用の仕方だということを明示する好例であろう。 ROIC経営の浸透によって、EVAは影を潜めた印象にあるが、本質的にはROIC経営が目指すところとまったく同一である。資本コストはパーセントで示されるので、同じパーセントであるROICのほうが比較上もわかりやすいというメリットはあるだろう。また、ROICは必ずしも資本コストという言葉を使わなくても、「目標10%」のように具体的な数値で目標を設定してしまっても構わない。 これに対してEVAは計算式の中にWACC(加重平均資本コスト)が存在するため、WACCの設定に苦慮し、計算されたEVAも実額なのでこれを時系列での成長率や、将来予測EVAの現在価値で考えるなど、もう一段の手間を要する。一般の社員からすれば、EVAよりROICのほうが理解しやすい、という面は否めない。 しかし、出井氏の文章で試みたように、EVAをROICと置き換えても意味はすべて通じる。両者の目指す姿、すなわち資本コストに基づいて事業を評価し、企業価値の向上を実現するための経営指標という点において、両者は寸分たがわないのだ。 姿を消したと思われた日本のEVA経営は、ROIC経営という形で、現在進行系で隆盛を極めているのである』、「EVAで失われた15年を作り出したソニーが、実質的には同じ経営指標であるROICで復活を果たした。経営指標そのものが良い者、悪い者では決してない。すべてはその運用の仕方だということを明示する好例であろう。 ROIC経営の浸透によって、EVAは影を潜めた印象にあるが、本質的にはROIC経営が目指すところとまったく同一である」、「姿を消したと思われた日本のEVA経営は、ROIC経営という形で、現在進行系で隆盛を極めているのである」、なるほど。

次に、本年2月3日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した早稲田大学大学院経営管理研究科教授の長内 厚氏による「ソニー復活の集大成となるか?十時新社長の「本当の実力」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/317118
・『十時新社長に期待する「戦略家」としての手腕  ソニーグループは同社の十時裕樹副社長兼CFOを、4月1日付で社長に昇格させる人事を発表した。この人事は2000年代以降のソニーの経営不振とその後のリカバリーという、一連のイベントの集大成といえるかもしれない。 イノベーションとは、新たな組み合わせやアイデアで新製品や新事業を起こすことであるが、イノベーションの定義には「経済的な収益が得られるもの」ということがある。それが単なる発明(インベンション)とイノベーションとの違いだ。 20世紀はエレクトロニクスの技術の変化が大きく、新たな発明が新たな機能や性能を生み出し、インベンションを起こすだけでも企業に収益がもたらされてきた。そのため、日本企業の多くのイノベーション施策の焦点が技術開発だけに絞られてきた。しかし2000年代以降、技術がデジタル化すると機能・性能は一気に上昇し、機能・性能だけでは製品の差別化が難しくなった。 またデジタル化は、ソフトウエア、半導体中心の開発となり、莫大な固定費をカバーするために、よりオープンな環境で競合企業とも協業しながら、自社の収益の最大化を考えなければならない状況を生み出した。この状況をいち早く予見したのが、ソニー創業者の井深大氏である。 ソニーは1982年にCDを発売し、デジタル技術に率先して取り組んだイメージがあるが、井深氏はデジタルが嫌いであったという。嫌いというより、デジタルのリスクを理解していたというべきかもしれない。デジタルになると高品質なものが大量に複製される。そうした厳しい環境の中でどのようにビジネスをすべきか、覚悟をもってデジタルには取り組まなければならないというのが井深氏の考えであった。 つまり2000年代以降のエレクトロニクス産業は、素朴に技術開発を行うだけではなく、きちんとした戦略的な取り組みが重要になったのだが、技術一辺倒できた日本企業はそうした状況になかなか適合できなかったといえる。) その点でいえば、十時氏は一貫して戦略家であった。十時氏といえば、ソニー銀行を作ったことで知られるが、生命保険会社をグループに持つとはいえ、まったく知見のないところから新銀行を作り、他社と差別化し、ソニー銀行をソニーの金融グループの中核企業に育て上げた手腕は十時氏の戦略家としての実力と言える』、「十時氏は「吉田氏」と同様に財務部門出身である。個別の技術部門出身とは異なり広い視野で考える訓練を積んできたのが、実った可能性がある。
・『イノベーションを語る上で重要な価値創造と価値獲得のフェーズ  先にイノベーションには経済的収益が必要と述べたが、MITスローンマネジメントスクールでは、イノベーションを価値創造と価値獲得のフェーズに分けて説明している。価値創造とは、どのような製品や事業を新たに生み出すか、何を作るかの話である。一方価値獲得は、想像した価値からどのように収益化を生み出すかという議論である。 たとえば、最近のソニーの好調な事業のひとつにCMOSイメージセンサーがある。なにかと昨今話題の半導体産業で、日本がほぼ唯一グローバルにトップをとることができている半導体製品である。これも、単に優れた半導体製品を作れば自動的にトップになれるというものではない。 日本の多くの新規半導体企業が「いたずらに数を追わず製品力で差をつける」としながら競争に敗れたのも、まさに数を追わないその姿勢に問題があった。ソニーは近年のリカバリーの中で、多くの事業を整理し、ただ単に数を追うだけのビジネスからは撤退している。しかし半導体については、いまだにしっかりとした設備投資を続け、数を追っている。これは、半導体が装置産業であり「1位企業総どり」の事業であるからだ。 そうした中で、しっかりと設備投資を続けていること、またそうした事業の展開について適切なタイミングで的確な情報をステークホルダーに提供していることも、最近のソニーの特徴であり、それはCFOとしての十時氏の力量によるところが大きい。歴史的に直接金融の比率が高いソニーにおいて、こうした的確な情報開示によって、ステークホルダーからの信認を得ることは非常に重要だ』、「歴史的に直接金融の比率が高いソニーにおいて、こうした的確な情報開示によって、ステークホルダーからの信認を得ることは非常に重要だ」、その通りだ。
・『堅実で地味に見える十時氏だからこそ求められる理由  ただ、派手なプレゼンテーションと「感動」というキーワードで新たなソニーの方向性を打ち出した平井一夫前会長や、昨今のCESにおけるEVのプレゼンなどで注目を集めた吉田憲一郎会長に比べると、十時氏は堅実で地味に見えるかもしれない。しかし、それこそが今のソニーのマネジメントに求められるものであろう。 一言で戦略といっても環境に応じてやらなければならないことや、そこで必要な組織や人材は異なる。ハーバード大学の故ウィリアム・J・アバナシー教授は、不確実性の高低によってイノベーションの性質が異なることを発見した。簡単に言えば、不確実性が高い局面では効率よりも効果を重視して、新たな価値創造が求められるのに対し、不確実性が低い局面では、効率性を重視して確実な価値獲得が必要だということだ。 この議論に組織論における「探索と活用」という議論を組み合わせて、異なるイノベーションの局面ごとに必要な組織形態があることを示したのが、マイケル・L・タッシュマン氏とチャールズ・A・オライリー氏の示した「両利きの組織」の議論である。 2000年代以降、ソニーがタービュラントな環境に巻き込まれ、新たな方向性を打ち出すためには平井氏のような探索型、効果重視のマネジメントが重要であったといえる。吉田氏が打ち出した人に近づく、あるいは動くものを作るという方向性で、aiboやドローン、EVに進出したのも探索型の戦略である。 しかし、これらは価値創造、価値獲得のフレームワークでいえば、価値創造の話である。ソニーは歴史的に価値創造が得意な会社だ。テープレコーダー、トランジスタラジオ、トリニトロンカラーテレビなど、20世紀は技術に裏付けられた価値創造だけで持続的に収益を得ることができていた。しかし、先に述べたように今日の経営環境では、それだけではメーカーの経営は成り立たない。 今求められるのは、平井氏以降に打ち出された新たな事業や製品を着実に成長させ、しっかりと価値獲得に結び付けることだ。言い方は悪いが、ソニーにはこれまで「作りっぱなし」にしてきた失敗の過去がある。出井伸之会長時代の多くの新事業もその多くは先見性があり、しっかりと育てていれば今日のソニーの中核ビジネスに育っていたはずのものも多くあった。しかし、価値創造中心のソニーの経営の中では、しっかりと育て、収益を獲得するプロセスが不十分であった』、「今求められるのは、平井氏以降に打ち出された新たな事業や製品を着実に成長させ、しっかりと価値獲得に結び付けることだ。言い方は悪いが、ソニーにはこれまで「作りっぱなし」にしてきた失敗の過去がある」、「価値創造中心のソニーの経営の中では、しっかりと育て、収益を獲得するプロセスが不十分であった」、なるほど。
・『ソニーの弱点だった「価値獲得」を実現できるか  十時氏は、ソニー銀行を育てた後、ISPのSo-netでコーポレートベンチャーキャピタルを担当、その後、不振の携帯電話事業の立て直しを指揮するなど、事業を育てることに長けた人材だ。ソニーの中では珍しく、価値獲得のプロセスを堅実に担える人材であるともいえる。 現在のソニーを立て直した経営者が、平井氏、吉田氏、十時氏の三銃士であることに、多くの人は異論がないと思われるが、3人の共通点は、ソニーの周縁の事業で社長として経営を行ってきたことである。単に技術を知っている、特定の事業で成果を上げたというだけでなく、企業の経営者として組織を運営してきた、戦略の力を持った人材がトップに就いたというのが、ソニーのリカバリーの大きな要因と言えよう。 今後のソニーに対する期待は、着実に事業を成長させることができる十時氏によって、EVなどの新事業を成長させ、しっかりと価値獲得に結び付けることであり、このプロセスこそが今までのソニーの弱点であり、今後期待すべきところといえる。その意味で、十時氏の社長就任はソニーのリカバリーの集大成といえる。 一方で課題はある。現在は、ドローンやEVなどの新事業を効率よく成長させるという、両利きの探索と活用でいえば活用が重要な局面であり、十時氏の本領が発揮されるタイミングである。しかし、どの事業も成長の後には成熟化が待っている。効率と活用がメインの時であっても、次の探索のフェーズに備えて、新たな種まきは必要となる。そうした探索型の次世代のリーダーを育て、経営チームに加えていくことが、十時体制のもう一つの役割といえよう』、「平井」氏は国際基督教大学出身で英語が流暢、ストリンガー氏により引き上げられた人物。「今後のソニーに対する期待は、着実に事業を成長させることができる十時氏によって、EVなどの新事業を成長させ、しっかりと価値獲得に結び付けることであり、このプロセスこそが今までのソニーの弱点であり、今後期待すべきところといえる。その意味で、十時氏の社長就任はソニーのリカバリーの集大成といえる。 一方で課題はある。現在は、ドローンやEVなどの新事業を効率よく成長させるという、両利きの探索と活用でいえば活用が重要な局面であり、十時氏の本領が発揮されるタイミングである。しかし、どの事業も成長の後には成熟化が待っている・・・次の探索のフェーズに備えて、新たな種まきは必要となる。そうした探索型の次世代のリーダーを育て、経営チームに加えていくことが、十時体制のもう一つの役割といえよう」、同感である。
タグ:ソニーの経営 (その10)(EVAで「失われた15年」を作り出したソニーは ROIC導入でどのように復活したか、ソニー復活の集大成となるか?十時新社長の「本当の実力」) ダイヤモンド・オンライン 大津広一氏による「EVAで「失われた15年」を作り出したソニーは、ROIC導入でどのように復活したか」 経営指標大全 導入した「出井伸之氏」による「思い」とは、興味深そうだ。 「会計数値に基づいて計算する経営指標である以上、単年度ベースでの算出が基本となる。それが金科玉条だと言われれば、短期的な費用や投資の抑制によって、目標は達成できてしまうだろう。ROE、ROA、ROIC、営業利益、フリー・キャッシュフロー……、すべて同一である。 市場や技術、顧客といった環境変化によって大きな先行投資が必要とされる企業や部門にあっては、経営指標のターゲットの時期や水準の設定において、熟考しなくてはならないことの示唆を与える。 イメージセンサーに代表されるソニーの世界的にシェアの高い半導体事業を捕まえて、ソニーの資産が膨らんでいるのは問題だ、などと批判する人があれば、事業内容をまったく理解していない「頓珍漢な批判」と一蹴されることだろう。 5年後のターゲットとしての設定や、3年間累計としての設定など、手法はいくらでもある。経営指標が社員の行動特性を導くのだから、社員に期待する行動特性を見据えたターゲットの設定が不可欠である」、その通りだ。 「EVAで失われた15年を作り出したソニーが、実質的には同じ経営指標であるROICで復活を果たした。経営指標そのものが良い者、悪い者では決してない。すべてはその運用の仕方だということを明示する好例であろう。 ROIC経営の浸透によって、EVAは影を潜めた印象にあるが、本質的にはROIC経営が目指すところとまったく同一である」、「姿を消したと思われた日本のEVA経営は、ROIC経営という形で、現在進行系で隆盛を極めているのである」、なるほど。 長内 厚氏による「ソニー復活の集大成となるか?十時新社長の「本当の実力」」 「十時氏は「吉田氏」と同様に財務部門出身である。個別の技術部門出身とは異なり広い視野で考える訓練を積んできたのが、実った可能性がある。 「歴史的に直接金融の比率が高いソニーにおいて、こうした的確な情報開示によって、ステークホルダーからの信認を得ることは非常に重要だ」、その通りだ。 「今求められるのは、平井氏以降に打ち出された新たな事業や製品を着実に成長させ、しっかりと価値獲得に結び付けることだ。言い方は悪いが、ソニーにはこれまで「作りっぱなし」にしてきた失敗の過去がある」、「価値創造中心のソニーの経営の中では、しっかりと育て、収益を獲得するプロセスが不十分であった」、なるほど。 「平井」氏は国際基督教大学出身で英語が流暢、ストリンガー氏により引き上げられた人物。「今後のソニーに対する期待は、着実に事業を成長させることができる十時氏によって、EVなどの新事業を成長させ、しっかりと価値獲得に結び付けることであり、このプロセスこそが今までのソニーの弱点であり、今後期待すべきところといえる。その意味で、十時氏の社長就任はソニーのリカバリーの集大成といえる。 一方で課題はある。現在は、ドローンやEVなどの新事業を効率よく成長させるという、両利きの探索と活用でいえば活用が重要な局面であり、十時氏の本領が発揮されるタイミングである。しかし、どの事業も成長の後には成熟化が待っている・・・次の探索のフェーズに備えて、新たな種まきは必要となる。そうした探索型の次世代のリーダーを育て、経営チームに加えていくことが、十時体制のもう一つの役割といえよう」、同感である。
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倒産・経営破綻(その2)(なぜ倒産? 経営者が「しなくていい自己破産」をしてしまう理由、コロナ禍なのに企業倒産は過去50年で最低…そのツケを銀行に押しつける「私的整理徳政令」はやるべきか 中小企業救済は岸田政権の最優先課題だが…、国がゼロゼロ融資の債務減免「令和の徳政令」実施へ 救われる企業の「ボーダーライン」は?) [企業経営]

倒産・経営破綻については、5月24日に取上げた。今日は、(その2)(なぜ倒産? 経営者が「しなくていい自己破産」をしてしまう理由、コロナ禍なのに企業倒産は過去50年で最低…そのツケを銀行に押しつける「私的整理徳政令」はやるべきか 中小企業救済は岸田政権の最優先課題だが…、国がゼロゼロ融資の債務減免「令和の徳政令」実施へ 救われる企業の「ボーダーライン」は?)である。

先ずは、6月24日付け日経ビジネスオンライン「なぜ倒産? 経営者が「しなくていい自己破産」をしてしまう理由」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00087/061300295/
・『近年、話題になった倒産劇から普遍の失敗の法則を探る『なぜ倒産 令和・粉飾編 ― 破綻18社に学ぶ失敗の法則』が刊行された。刊行に合わせて、ある会社の実例から教訓を引き出す。 前回、前々回に引き続き、日経ビジネスのある編集部員が個人的によく知る、新興のファブレスメーカー、Xサイエンス社(仮名)の倒産劇を紹介する。社長のXさん(仮名)は、会社の破産と同時に自己破産し、貯金もマイホームも失った。しかし、企業再生の専門家によれば「自己破産する必要は100%なかった」という。なぜか? ※ 前々回:売上高が伸びていたのに倒産。某メーカーが破産に至った分岐点 ※ 前回:社長が語った倒産劇。なぜ一足飛びに「破産」を選んでしまったか? 前回、前々回と、記者の私が個人的に知るファブレスメーカーXサイエンス社の倒産劇と、経営者Xさんの自己破産について紹介してきました。 なぜ、私がこのような記事を書きたかったかというと、経営破綻や企業再生を取材するなかで、専門家から見て「破産する必要がないのに破産してしまう会社」や「自己破産する必要がないのに自己破産してしまう社長」に出会うことがあり、残念に思うからです。Xサイエンス社のケースもそうでした。会社や個人が特定されるのを避けるため、取材対象者と私自身の名前を伏せ、事実関係の一部を変えてご紹介することを、引き続きご了承ください。 前回、破産前後のXさんについてお伝えしました。売り上げは伸びていたものの、大口の仕入れ先からの供給が途絶えて、会社を破産させる決意をしたXさん。その後のエピソードというと、例えば……。 取引先に迷惑をかけないように、仕入れ先の工場と得意先の国内大手メーカーが直接、取引できるように両社をつないだこと。ご自身は現金99万円を残して個人資産のほぼすべてを失ったこと。Xサイエンス社に残された資産をできるだけ高く売る「換価作業」に約3カ月間、力を尽くしたこと。そのかいあって、Xサイエンス社の破産弁済率が30%を超え、破産にしては債権者に多くの弁済ができたこと。換価作業を終えた後、自責の念からうつ状態に陥り、引きこもってしまったこと……。 これらのエピソードのなかに「それなら会社を破産させなくてもよかったのではないか」と、専門家たちが注目したポイントが2点あります。皆さまは、どう思われるでしょうか』、先ずは詳細を知る必要がある。
・『売り上げは伸びていたが、供給が途絶えた  1つは、仕入れ先の工場と得意先の国内大手メーカーをつないだ、というところです。 ファブレスメーカーのXサイエンス社は、海外の現地資本の工場から半製品を仕入れ、現地で最終加工を施し、商品を完成させていました。この最終加工を任せていたY社との取引が続けられなくなり、Xさんは破産を決意したのでした。売り上げが伸びていても、仕入れの大半を頼っていたY社からの供給が途絶えた以上、事業継続は不可能という判断でした。 ところが、そのXさんが、Y社の仕入れ先である海外の工場と得意先をつないだといいます。これは、XさんがY社の仕入れ先との間にパイプを持っていたことを意味します。 それならば、Y社を介さない直接取引に切り替えて、事業を継続できたのではないか……。企業再生のプロからは、そんな疑問が提示されました。しかし、Xさんによると、自社商品にはその特性上、高い品質基準が求められ、その基準を満たせる取引先がほかになかったのだそうです。直接取引に切り替えることについてはXさんも以前から考えていて、いろいろと検討していました。しかし、品質基準に対する解が最後まで見つからなかったのでした。一方、得意先の国内大手メーカーには、この問題をクリアするだけの経営資源があったので、現地工場とつないだのだということでした』、「自社商品にはその特性上、高い品質基準が求められ、その基準を満たせる取引先がほかになかったのだそうです」、「品質基準に対する解が最後まで見つからなかったのでした。一方、得意先の国内大手メーカーには、この問題をクリアするだけの経営資源があったので、現地工場とつないだのだということでした」、なるほど。
・『得意先にとって「大事な取引先」だったか?  では、この国内大手メーカーにスポンサーになってもらうことで、事業継続はできなかったのか。別の専門家からは、そんな疑問の声も上がりました。この打ち手については、Xさんは「思いつきもしなかった」そうですが、すごく突飛(とっぴ)な話ではありません。代替の利かない重要な商品の仕入れ先であれば、大手の取引先が資金を出して守ってくれるというケースは存在します。 ただし、この場合、大手企業はまず、そこまでして守る必要がある仕入れ先であるかどうかを考えると、専門家は指摘します。そして「ほかに仕入れ先がないのか。探せ」という指示が現場に飛びます。その結果「ほかに仕入れ先がない」となってから支援を検討することになるので、よほどの独自性がある会社でないと難しいといいます。Xサイエンス社が納めていた商品の場合、Xさんが知る限り、少なくとも国内に1社は代替できる企業があったそうです。そう考えると、この方法も現実的ではなかったのかもしれません。 それにしても破産する必要があったのかと、専門家たちが首をかしげるのは、Xさんのエピソードのなかにもう1つのポイントがあったからです』、どういうことだろう。
・『「破産弁済率30%以上」が意味すること  2つ目のポイントは、破産弁済率が30%以上という数字でした。専門家から見るとかなり高い水準で「そこまで弁済できるなら、何かほかにやりようがあったのではないかと、つい思ってしまう」ということでした。 さて、最後に自己破産についてです。会社の破産については「もしかしたら避けられなかったのかもしれない」とおっしゃる専門家も、Xさんの自己破産については「100%する必要がなかった」と、断言されました。 Xさんにとっては酷な話です。今では倒産後のショックから脱し、生活の再建も進んでいますが、自己破産した直後、Xさんに残されたのは、わずかな日用品と現金99万円でした。その99万円も、税金や国民健康保険の保険料などを払うと、すぐ底を突き、ほぼ無一文になりました。しかし、そこまで追いつめられる必要など、なかったというのです。今回、この記事を書きたいとXさんにご相談したところ、「ほかの経営者の方々の学びになるなら」とご快諾いただきました。この場を借りて、Xさんにお礼を申し上げます。 会社が倒産したときに、経営者が自己破産してしまうのは、経営者保証をしているからです。Xさんのケースもそうでした。経営者保証というのは、会社が金融機関から借り入れをするとき、経営者個人が会社の連帯保証人になることです。本来、法人と個人は別の法人格ですが、経営者保証があると、会社と経営者個人の運命が一体になってしまいます。そのために、業績が悪化した企業の経営者が人生に絶望して自死するといったことも過去にはたびたび起きていて、問題視されることも多い慣行です。 そこで2013年に公表され、翌14年から適用が始まったのが、「経営者保証に関するガイドライン」です。原文は、こちら(https://www.zenginkyo.or.jp/adr/sme/guideline/)にありますが、ざっくりといえば、一定の要件を満たす場合、経営者保証を解除してほしいと経営者が申し入れたら、金融機関はしっかり対応しなくてはいけませんよ、ということです』、「Xさんのケースも」「経営者保証をして」いたのであれば、「一定の要件を満たす場合、経営者保証を解除してほしいと経営者が申し入れたら、金融機関はしっかり対応しなくてはいけません」、解除される可能性もあったことになる。
・『ガイドラインに、効力はあるのか?  このガイドラインのなかで、会社が法的債務整理の手続きをしている場合も、経営者が誠実に資力を開示している場合などは、残存する保証債務の免除要請について誠実に対応しなければならないと定められています(https://www.zenginkyo.or.jp/fileadmin/res/abstract/adr/sme/guideline_leaf.pdfなどを、ご参照ください)。 つまり、Xさんの場合も「金融機関に申し入れる」ということさえしていれば、経営者保証を免除してもらえる可能性は十分にあったと専門家は指摘します。破産手続きをしている最中でも、免除してもらえたはずだといいます。免除されれば、自己破産までする必要はなかったはずです。しかし、残念ながら「金融機関に申し入れる」ということができませんでした。 「経営者保証に関するガイドライン」には法的な拘束力はなく、あくまで「中小企業、経営者、金融機関共通の自主的なルール」(中小企業庁のホームページ)です。「関係者が自発的に尊重し、遵守することが期待されている」(同)という位置付けです。 専門家によると「このガイドラインの要請を、金融機関はある程度は認識している」そうです。あとは弁護士さんが間に入って、このガイドラインを盾に取り仕切ってくれるかどうかが重要、ということでした。 「察するに、金融機関には、経営者が自己破産したほうが楽と思ってしまう担当者もいるのではないか」と指摘する専門家もいます。経営者保証を解除するまでには手続きが多く、書類仕事だけでも大変です。だから、金融機関が自己破産を回避する手を打ってくれることを期待していては、Xさんのような悲劇が繰り返されることは避けがたいといいます。経営者サイドから自発的に働きかけていく姿勢が必要です。 特に2022年の夏を迎えようとする今、「経営者保証に関するガイドライン」の存在に注目することには大きな意味があります』、「経営者保証を解除するまでには手続きが多く、書類仕事だけでも大変です。だから、金融機関が自己破産を回避する手を打ってくれることを期待していては、Xさんのような悲劇が繰り返されることは避けがたい」、金融機関が「手続き」の大変さから消極的とは困ったことだ。やはり「経営者サイドから自発的に働きかけていく姿勢が必要です」。
・『コロナ禍から正常化に向かうときのリスク  Xサイエンス社のように、実質的な債務超過に陥った企業には、よほどのことがない限りは、金融機関は融資しないと専門家はいいます。では、この「よほどのこと」というのが何かというと、例えば、新型コロナウイルス禍です。 コロナ禍の間は、債務超過でも融資が下りていた企業が多くありました。しかし、現在、コロナ禍で制限されていた経済活動が正常化されつつあります。そうすると、これらの企業に対する特例措置も解除されていくわけで、普通に考えれば、倒産が増加するはずです。それに伴い、経営者の自己破産が増えることは、絶対に避けたいところです。だから、特に経営者の方々には、いざというときのために「経営者保証に関するガイドライン」の存在を忘れないでほしいのです。 さらに企業再生の専門家たちが注意を促すのが、経済産業省が金融庁、財務省と連携して策定し、今年(22年)3月に発表した「中小企業活性化パッケージ」です(詳しくは、https://www.meti.go.jp/press/2021/03/20220304006/20220304006.html)。このなかで、「中小企業の再チャレンジの総合的支援策」として、「個人破産回避に向けたルールの明確化」が掲げられています。そして、「経営者保証に関するガイドラインに基づき債務整理を行った場合、保証人は個人破産しない」ことも、明記されています。 これらの情報を1つの糧として、絶えず変化する経営環境を力強く生き抜いていきましょう』、弁護士と付き合いのない企業の場合でも、取引金融機関と相談したり、経営者仲間と情報交換するなど、可能な限りの努力で「個人破産」を回避してほしいものだ。

次に、10月18日付けPRESIDENT Originalが掲載した経済ジャーナリストの森岡 英樹氏による「コロナ禍なのに企業倒産は過去50年で最低…そのツケを銀行に押しつける「私的整理徳政令」はやるべきか 中小企業救済は岸田政権の最優先課題だが…」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/62618
・『企業の“コロナ倒産”がここへきて急増中  企業倒産がじわじわと増加しつつある。東京商工リサーチが10月11日に発表した全国の4~9月の倒産件数は前年同期比6.94%増の3141件と、3年ぶりに増加した。9月単月では前年同月比18.61%増の599件と今年に入って最多で、6カ月連続で前年を上回った。 倒産が急増した最大の理由は、新型コロナウイルス感染拡大に対応して導入した実質無利子・無担保融資(いわゆるゼロゼロ融資)の返済が本格的に始まったことにある。 ゼロゼロ融資は、コロナ禍で売り上げが減った中小企業を対象に、金融機関が担保なしで融資する制度で、借り手が本来金融機関に支払う利子を3年間、国や都道府県が負担する仕組み。もし返済できない場合は信用保証協会が返済を肩代わりする。2020年3月にスタートし、民間金融機関の受け付けは昨年3月まで、政府系金融機関は今年9月末で終了した。 このゼロゼロ融資の効果は絶大で、コロナ禍にもかかわらず21年度の企業倒産は半世紀ぶりに6000件を下回るなど歴史的低水準に抑えられてきた。しかし、ゼロゼロ融資は最長5年まで元金の返済開始を猶予でき、最初の3年間は利払いも実質免除する仕組みで、「元金返済の猶予期間を3年以内に設定しているところが多い」(メガバンク幹部)とされる。 その猶予期間が過ぎ、返済が本格化する中、大幅な円安や燃料費・原材料費の高騰が重なり、倒産に追い込まれる企業が増えているのだ』、「ゼロゼロ融資は最長5年まで元金の返済開始を猶予でき、最初の3年間は利払いも実質免除する仕組みで、「元金返済の猶予期間を3年以内に設定しているところが多い」・・・とされる。 その猶予期間が過ぎ、返済が本格化する中、大幅な円安や燃料費・原材料費の高騰が重なり、倒産に追い込まれる企業が増えている」、大変だ。
・『岸田首相は倒産回避策を打ち出す予定  同時に、信用保証協会の返済肩代わり(代位弁済)も急増している。8月の代位弁済は前月比26%増の266億円で、前年同月を上回るのは12カ月連続だ。 中小企業庁によれば、ゼロゼロ融資の実行額は今年6月末で約234万件、42兆円に及ぶ。「ゼロゼロ融資という巨大な融資の塊を、企業倒産を回避しながらどうソフトランディングさせるか。返済猶予や返済条件の緩和には従来より前向き、かつ柔軟に対応しているが、債権放棄(私的整理)となると次元が異なる」(メガバンク幹部)という。 そこで、政府は10月末の総合経済対策で、岸田文雄首相が掲げる「新しい資本主義」の追加策を打ち出す。その柱のひとつに、経営不振に陥った企業が債務を圧縮する私的整理をすべての債権者が同意しなくても進められるようにする条件緩和策が盛り込まれる予定だ』、「私的整理をすべての債権者が同意しなくても進められるようにする条件緩和策が盛り込まれる予定」、これは大変なことだ。
・『メガバンク幹部は「本音ではやりたくない」  冒頭で紹介したように、コロナ禍で倒産寸前の企業の救済策として意図されるものだが、はたしてワークするのかは未知数。なにより肝心の銀行界の姿勢は及び腰だ。「政治的な要請で応じざるを得ないが、本音ではやりたくない」(メガバンク幹部)と冷ややかな声が聞かれる。 そもそも私的整理は、債権者である銀行が債務者(企業)の借り入れ負担を軽減するために債権放棄する枠組みだ。法的整理(倒産)を回避して、生かしながら再生させる手法であり、債権放棄の割合を銀行間で調整する機能がある。メインバンクや準メインバンクは他の債権者よりも重い負担を負うことになるが、融資銀行がおしなべて債権放棄という形で応分の負担を強いられることに変わりはない。 その私的整理の条件を緩和して、(企業が)利用しやすくするのが今回の措置なので、銀行がいい顔しないのは当然。しかも、私的整理では債権者全員の賛成が前提条件だったが、改正ではすべての銀行が同意しなくても利用できるということで、私的整理を申し出る企業が増えることは確実。融資する銀行が身構えるのも無理はない』、政府が人気取りのために、「私的整理では債権者全員の賛成が前提条件」を外すというのは、乱暴だ。
・『債権放棄を多数決で決めることのリスク  さらに、その実効性にも疑問符が付く。というのも、従来、私的整理する際にすべての債権者の合意を前提にしてきたのは、債権放棄後の再生過程で、すべての融資銀行で残高維持などの協力が不可欠なためだ。反対する銀行があれば、再生に非協力になったり、融資のメイン寄せ(足抜け)に動いたりしかねず、再生が頓挫しかねないリスクがあるのだ。 この点についてメガバンク幹部は次のように指摘する。「いわゆる多数決方式だと、その効果として迅速な債務整理が可能になる点が指摘されている。他方、法的手続きに拠よらない私的整理は、事業者、金融機関双方にとって経済合理性があることを前提として、関係者の合意に基づいて手続きを進めるのが基本的な枠組みであり、関係者が一丸となって再建計画を実行していくことに大きな意義、メリットがある。 それを多数決によって結論を得る場合、意思に反して債権放棄を迫られることになった債権者からは、その後の再建に向けた協力が得られず、かえって再建に支障が出る事態も想定されるのではないか」というのだ。 その懸念がまさに顕在化したのが、大手自動車部品メーカー・マレリホールディングスの再建だった』、「多数決によって結論を得る場合、意思に反して債権放棄を迫られることになった債権者からは、その後の再建に向けた協力が得られず、かえって再建に支障が出る事態も想定されるのではないか」、その通りで、政府の考え方は余りに安易だ。
・『過去最大規模の「負債額1兆円」の倒産劇  マレリが私的整理のひとつである事業再生ADR(裁判外紛争解決手続)の申請を行ったのは今年3月。親会社である米投資ファンドのKKRをスポンサー企業として、融資金融機関に約4500億円の債権放棄を求めていた。しかし、債権放棄の配分について全債権者の合意が得られず、結局、法的整理で民事再生の一種である簡易再生に向けた手続きに移行した。負債総額は1兆円を超え、製造業では過去最大規模の倒産劇となった。 今回の私的整理の条件緩和は、こうしたリスクを軽減し、ADR等の私的整理をまとめやすくするのが目的だが、裏を返せば、再建案に不満をもった債権者を多数決という形で強引に再建策履行に引っ張り込むことを意味する。「いったん、私的整理が成立して再建案が動き出しても、途中で債権者間の足並みが揃そろわず計画が宙に浮く事態も想定される」(地銀幹部)と危惧されている』、「マレリが私的整理のひとつである事業再生ADR(裁判外紛争解決手続)の申請を行ったのは今年3月。親会社である米投資ファンドのKKRをスポンサー企業として、融資金融機関に約4500億円の債権放棄を求めていた。しかし、債権放棄の配分について全債権者の合意が得られず、結局、法的整理で民事再生の一種である簡易再生に向けた手続きに移行した」、「今回の私的整理の条件緩和は、こうしたリスクを軽減し、ADR等の私的整理をまとめやすくするのが目的だが、裏を返せば、再建案に不満をもった債権者を多数決という形で強引に再建策履行に引っ張り込むことを意味する。「いったん、私的整理が成立して再建案が動き出しても、途中で債権者間の足並みが揃そろわず計画が宙に浮く事態も想定される」(地銀幹部)と危惧されている」、その通りだ。
・『中小企業の経営はブラックボックスが多い  だが、泣く子と地頭(政府)にはかなわない。銀行は企業救済を優先する政治的な要請を汲んで、3月に全国銀行協会が中小企業の事業再生手続きを定める新しい指針「中小企業版:私的整理ガイドライン(指針)」をまとめた。 弁護士や会計士など第三者支援専門家が中立的な立場から再生計画を策定・評価することで、中小企業の私的整理をやりやすくするもので、「コロナ後を見据え、中小企業が抱え込んだ過剰な債務を解消する手段となる」(メガバンク幹部)とされた。 しかし、具体的に企業の債務整理に踏み切るにはいくつかの壁が立ちはだかる。最大の壁と目されているのが税制だ。中小企業は決算の正確性に乏しく、財務状況の実態把握も難しいという難点がある。赤字で法人税を含めほとんど納税していない中小企業が少なくないことも税当局の不信感となっている。仮に私的整理のガイドラインが整備されても、国税当局から繰越欠損金の存在を否認されるケースが多数出かねないと予想される。 新指針で、弁護士や会計士などの専門的な第三者が再生計画の策定・評価に加わるのは、こうしたリスクを軽減するためだ。また、再生計画で債務超過の解消期間を従来の3年から原則5年に延ばすほか、経営者の退任を必須としていた条件を見直し、経営責任をただしつつも引き続き経営を担えるよう配慮している』、「中小企業は決算の正確性に乏しく、財務状況の実態把握も難しいという難点がある。赤字で法人税を含めほとんど納税していない中小企業が少なくないことも税当局の不信感となっている。仮に私的整理のガイドラインが整備されても、国税当局から繰越欠損金の存在を否認されるケースが多数出かねないと予想される。 新指針で、弁護士や会計士などの専門的な第三者が再生計画の策定・評価に加わるのは、こうしたリスクを軽減するためだ」、「中小企業」は「決算の正確性に乏し」いのは本当に困ったことだ。「弁護士や会計士などの専門的な第三者が再生計画の策定・評価に加わるのは、こうしたリスクを軽減するためだ」、なるほど。
・『“選挙対策“を銀行が丸ごとのむとは思えない  中小企業の経営は、トップの経験や人脈などに依存する部分が大きい。その継承は容易なことではない。属人的な要素が大きいためだ。コロナ禍にあってさらにその重要性は高まっている。今回の中小企業の事業再生に向けた新しい指針で、トップが引き続き経営を担える余地を残したことは高く評価できるのだが……。 政府は今月末の経済対策を受けて、2023年の通常国会に「私的整理円滑化法案」の提出を目指すという。岸田政権は10月で発足から1年を迎えたが、支持率は40%を下回る低空飛行。「来年春には統一地方選挙が控えている。コロナ禍で苦しむ地方の中小企業救済は政治の最優先課題となる」(同)とみられており、事実上、中小企業の負債を一部免除する「私的整理徳政令」は一丁目一番地の施策といっていい。 だが、コロナ禍に苦しむ企業を助けるといえば聞こえはいいが、実際は銀行の負担が増え、融資する銀行の足並みを揃えることはなかなか難しい。結局、形は作れど、魂が入らず、有形無実化しかねないリスクもある』、「私的整理徳政令」が出来れば、金融機関側としては、中小企業貸出に当たっては、そうしたリスクを織り込んで、金利など取引条件を厳しくせざるを得ないだろう。

第三に、11月1日付けダイヤモンド・オンライン「国がゼロゼロ融資の債務減免「令和の徳政令」実施へ、救われる企業の「ボーダーライン」は?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/311979
・『債務減免を含む事業再生――。ゼロゼロ融資で膨れ上がった債務の負担を軽減するため、政府は「令和の徳政令」を実行しようとしている。もちろん全ての企業が債務減免されるわけではない。倒産を回避して生き残らせる企業の“選別”が始まろうとしている。徳政令の恩恵にあずかれる企業と、そうではない企業の境目は?特集『選別開始!倒産危険度ランキング2022』(全20回以上)の#2では、倒産回避の最後の秘策ともいえる徳政令の行方に迫る』、興味深そうだ。
・『総合経済対策に明記された「債務減免」 中小企業支援の「令和の徳政令」が始まる  債務減免を含めた事業再生・再チャレンジを支援する――。 10月28日に政府が閣議決定した物価高克服・経済再生実現のための総合経済対策。エネルギー価格の高騰を受け、1家庭当たり約4.5万円となる電気やガス、ガソリン代の負担軽減策に話題が集まる中、中小企業の支援策に絡みひっそりと記されたこんな一文がひそかな注目を集めている。 債務減免とはすなわち借金の棒引き。「令和の徳政令」が実行されようとしているのだ。 新型コロナウイルスの感染拡大で、多くの企業の経営環境が悪化したにもかかわらず、2021年の企業の倒産件数は歴史的な低水準で推移した。これは実質無利子・無担保で融資を受けられるゼロゼロ融資をはじめとする、手厚い支援があったからだ。 自治体が最初の3年間の利子を負担し、元本は信用保証協会が保証してくれるゼロゼロ融資は、民間の金融機関にとって焦げ付きリスクなしで収入を得られるおいしいビジネスだった。だから、金融機関はカネを貸しまくった。 ゼロゼロ融資の申請基準を満たさない企業の業績を改ざんして不正融資をしたとして、9月30日に東海財務局から行政処分を受けた中日信用金庫のような悪質な例もある。 これまでに実行されたゼロゼロ融資は約244万件、総額で約42兆円にまで達した。このうち約23兆円が民間分だ。 一時的な企業の延命につながったゼロゼロ融資にも弊害があった。 東京商工リサーチが10月に約5200社を対象に実施した調査によれば、中小企業の33.0%、実に3社に1社が「過剰債務」と回答している。つまり、カネを借り過ぎたのだ。 そしてゼロゼロ融資の返済が一部の企業で始まり、23年7月~24年4月には民間のゼロゼロ融資の返済開始のピークを迎えようとしている。 そんな中、不穏な予兆が出始めている。帝国データバンクによれば、22年4~9月に倒産した企業のうち、ゼロゼロ融資など「コロナ融資後」の倒産件数は202件で、前年同期の約2.6倍に上った。(コロナ融資後倒産件数の推移のグラフはリンク先参照) 返済が本格化する来年以降、カネを借り過ぎて首が回らない企業の倒産が増加することは目に見えている。統一地方選挙が実施される23年に、大倒産時代の到来を食い止める最後の“秘策”が、債務減免なのだ。 令和の徳政令で救われるのはどんな企業か。そのヒントが、総合経済対策に債務減免などを盛り込むよう提言した自由民主党金融調査会が10月13日にまとめた緊急決議に隠されている。 決議をひもといた上でキーパーソンに取材をすると、債務減免のスキームが浮かび上がってきた。幾つかの業種は重点的に債務減免を受けられそうだ。そして、債務減免を受けられるかどうかは「ある型」にはまるか否かでチェックされそうで、企業の取捨選択が23年春までに始まる可能性が出てきた』、「債務減免を受けられるかどうかは「ある型」にはまるか否かでチェックされそうで、企業の取捨選択が23年春までに始まる可能性」、なるほど。
・『地域交通、宿泊・観光、飲食、小売り…支援が優先される“徳政令救済6業種”  「金融機関よりコロナ関連融資の返済を強く迫られ、厳しい経営環境に立たされている」「無利子無担保融資などの返済に当たっては、金融機関に柔軟に返済計画の見直しや相談に応じてもらえるよう、金融機関に対して国から重ねて働きかけてほしい」 自民党金融調査会の決議はこのような企業からの声を紹介した上で、コロナ禍や物価高騰で苦しむ事業者として、地域交通(旅客運送業)、宿泊・観光業、飲食業、小売業、医療・福祉業、冠婚葬祭業の6業種に言及した。 自民党金融調査会の片山さつき会長は、こうした業種の収益悪化の背景には、コロナ禍に伴う緊急事態宣言やロシアによるウクライナ侵攻などがあるとして、「経営者の責任の範囲では負えないリスクだ」と支援を強化する意図を説明。「最も深刻なのは地方の交通関連企業だ」と指摘した。 つまり、上記に挙げた業種こそが、債務減免も含めた支援策が優先される、“徳政令救済6業種”なのだ。 支援に当たっては、地域企業の事業再生を支援する官民ファンドの地域経済活性化支援機構(REVIC)や中小企業基盤整備機構の企業再生ファンドを活用する方針だ。REVICは前身の企業再生支援機構時代に日本航空の再生を手掛けている。 官民ファンドが企業の債務を金融機関から買い取り、過剰債務分については債務減免や債務の株式化(DES)などで債務を圧縮して企業の負担を軽減。さらに新たな資金を貸し出し、企業の事業再生を支援する構想だ。 現在、REVICの政府保証枠は2兆円だが、これを例えば3兆円に拡大するとともに、地域交通機関を対象とした特別な支援部門を立ち上げ、機能を強化する方針だ。 片山氏によれば、ゼロゼロ融資42兆円のうち、返済に問題が起きそうな貸出先は平均すると2割程度。また東日本大震災で被災し、過剰債務を負った中小企業を支援するために設立された東日本大震災事業者再生支援機構の債権カット率の平均が3~4割だったことから、今回の債務減免は「2兆~3兆円規模」になると片山氏はみる。 債務減免まで踏み込む理由について、片山氏は、「重過ぎる債務を圧縮しないと、経済が回復しても必要な投資ができず、飛び上がれない」と説明。その一方で、「何の改善のない“ゾンビ企業”を支援しても効果はない」とも断じた』、「ゼロゼロ融資42兆円のうち、返済に問題が起きそうな貸出先は平均すると2割程度。また東日本大震災で被災し、過剰債務を負った中小企業を支援するために設立された東日本大震災事業者再生支援機構の債権カット率の平均が3~4割だったことから、今回の債務減免は「2兆~3兆円規模」になると片山氏はみる」、「「重過ぎる債務を圧縮しないと、経済が回復しても必要な投資ができず、飛び上がれない」と説明」、「債務減免は「2兆~3兆円規模」」というのはやはり金融機関にとっては、思い負担だ。
・『23年春までに事業再生の「型」を確立 債務減免を受けられる企業の選別が始まる  どれだけ債務減免をすればいいのか。どんな事業再生プランならば支援できるのか。この「相場観」を確立するため、23年春までに主要業種について事業再生の「型」を確立するよう、金融庁に指示をしているという。 つまり、事業再生の型が完成し、ゼロゼロ融資の返済が本格化する23年に始まるのは企業の選別だ。国が理想とする型に当てはまる再生プランが描ければ債務減免などの恩恵が受けられ、そうでなければ救済されず、倒産・廃業という終わりが近づく。 ゼロゼロ融資を巡っては債務減免の他にも、借り換え需要の増加に備え、新たな資金需要に対応する制度を創設することが総合経済対策に盛り込まれた。 こうした中小企業の支援策について語った片山氏のインタビューの全文は、本特集#3『中小企業「債務減免規模は2~3兆円」、片山さつき氏が明かす“令和の徳政令”の理由』でお届けする。 企業の倒産は当事者や巻き込まれた関係者にとっては悲劇だが、時代に合わない企業を退場させ、経済を新陳代謝させる効果もある。 ゼロゼロ融資などのコロナ支援について、「戦後ここまで企業に優しい政策はなく、緊急避難として一定の効果はあった。しかし、出口戦略が描けず、結局最後は債務減免ではモラルハザードだ」とある信用調査会社の幹部は嘆く。 倒産件数が歴史的な低水準から増加に転じたとはいえ、リーマンショックなどかつての不況期と比べたらまだ半分以下にとどまっている。選挙対策として倒産件数を少なくするために徳政令が使われるのであれば、日本経済の弱体化を後押しするだけだ』、「ゼロゼロ融資などのコロナ支援について、「戦後ここまで企業に優しい政策はなく、緊急避難として一定の効果はあった。しかし、出口戦略が描けず、結局最後は債務減免ではモラルハザードだ」、「選挙対策として倒産件数を少なくするために徳政令が使われるのであれば、日本経済の弱体化を後押しするだけだ」、同感である。 
タグ:倒産・経営破綻 (その2)(なぜ倒産? 経営者が「しなくていい自己破産」をしてしまう理由、コロナ禍なのに企業倒産は過去50年で最低…そのツケを銀行に押しつける「私的整理徳政令」はやるべきか 中小企業救済は岸田政権の最優先課題だが…、国がゼロゼロ融資の債務減免「令和の徳政令」実施へ 救われる企業の「ボーダーライン」は?) 日経ビジネスオンライン「なぜ倒産? 経営者が「しなくていい自己破産」をしてしまう理由」 先ずは詳細を知る必要がある。 「自社商品にはその特性上、高い品質基準が求められ、その基準を満たせる取引先がほかになかったのだそうです」、「品質基準に対する解が最後まで見つからなかったのでした。一方、得意先の国内大手メーカーには、この問題をクリアするだけの経営資源があったので、現地工場とつないだのだということでした」、なるほど。 どういうことだろう。 「Xさんのケースも」「経営者保証をして」いたのであれば、「一定の要件を満たす場合、経営者保証を解除してほしいと経営者が申し入れたら、金融機関はしっかり対応しなくてはいけません」、解除される可能性もあったことになる。 「経営者保証を解除するまでには手続きが多く、書類仕事だけでも大変です。だから、金融機関が自己破産を回避する手を打ってくれることを期待していては、Xさんのような悲劇が繰り返されることは避けがたい」、金融機関が「手続き」の大変さから消極的とは困ったことだ。やはり「経営者サイドから自発的に働きかけていく姿勢が必要です」。 弁護士と付き合いのない企業の場合でも、取引金融機関と相談したり、経営者仲間と情報交換するなど、可能な限りの努力で「個人破産」を回避してほしいものだ。 PRESIDENT Original 森岡 英樹氏による「コロナ禍なのに企業倒産は過去50年で最低…そのツケを銀行に押しつける「私的整理徳政令」はやるべきか 中小企業救済は岸田政権の最優先課題だが…」 「ゼロゼロ融資は最長5年まで元金の返済開始を猶予でき、最初の3年間は利払いも実質免除する仕組みで、「元金返済の猶予期間を3年以内に設定しているところが多い」・・・とされる。 その猶予期間が過ぎ、返済が本格化する中、大幅な円安や燃料費・原材料費の高騰が重なり、倒産に追い込まれる企業が増えている」、大変だ。 「私的整理をすべての債権者が同意しなくても進められるようにする条件緩和策が盛り込まれる予定」、これは大変なことだ。 政府が人気取りのために、「私的整理では債権者全員の賛成が前提条件」を外すというのは、乱暴だ。 「多数決によって結論を得る場合、意思に反して債権放棄を迫られることになった債権者からは、その後の再建に向けた協力が得られず、かえって再建に支障が出る事態も想定されるのではないか」、その通りで、政府の考え方は余りに安易だ。 「マレリが私的整理のひとつである事業再生ADR(裁判外紛争解決手続)の申請を行ったのは今年3月。親会社である米投資ファンドのKKRをスポンサー企業として、融資金融機関に約4500億円の債権放棄を求めていた。しかし、債権放棄の配分について全債権者の合意が得られず、結局、法的整理で民事再生の一種である簡易再生に向けた手続きに移行した」、 「今回の私的整理の条件緩和は、こうしたリスクを軽減し、ADR等の私的整理をまとめやすくするのが目的だが、裏を返せば、再建案に不満をもった債権者を多数決という形で強引に再建策履行に引っ張り込むことを意味する。「いったん、私的整理が成立して再建案が動き出しても、途中で債権者間の足並みが揃そろわず計画が宙に浮く事態も想定される」(地銀幹部)と危惧されている」、その通りだ。 「中小企業は決算の正確性に乏しく、財務状況の実態把握も難しいという難点がある。赤字で法人税を含めほとんど納税していない中小企業が少なくないことも税当局の不信感となっている。仮に私的整理のガイドラインが整備されても、国税当局から繰越欠損金の存在を否認されるケースが多数出かねないと予想される。 新指針で、弁護士や会計士などの専門的な第三者が再生計画の策定・評価に加わるのは、こうしたリスクを軽減するためだ」、「中小企業」は「決算の正確性に乏し」いのは本当に困ったことだ。「弁護士や会計士などの専門的な第三者が再生計画の策定・評価に加わるのは、こうしたリスクを軽減するためだ」、なるほど。 「私的整理徳政令」が出来れば、金融機関側としては、中小企業貸出に当たっては、そうしたリスクを織り込んで、金利など取引条件を厳しくせざるを得ないだろう。 ダイヤモンド・オンライン「国がゼロゼロ融資の債務減免「令和の徳政令」実施へ、救われる企業の「ボーダーライン」は?」 「債務減免を受けられるかどうかは「ある型」にはまるか否かでチェックされそうで、企業の取捨選択が23年春までに始まる可能性」、なるほど。 「ゼロゼロ融資42兆円のうち、返済に問題が起きそうな貸出先は平均すると2割程度。また東日本大震災で被災し、過剰債務を負った中小企業を支援するために設立された東日本大震災事業者再生支援機構の債権カット率の平均が3~4割だったことから、今回の債務減免は「2兆~3兆円規模」になると片山氏はみる」、「「重過ぎる債務を圧縮しないと、経済が回復しても必要な投資ができず、飛び上がれない」と説明」、「債務減免は「2兆~3兆円規模」」というのはやはり金融機関にとっては、思い負担だ。 「ゼロゼロ融資などのコロナ支援について、「戦後ここまで企業に優しい政策はなく、緊急避難として一定の効果はあった。しかし、出口戦略が描けず、結局最後は債務減免ではモラルハザードだ」、「選挙対策として倒産件数を少なくするために徳政令が使われるのであれば、日本経済の弱体化を後押しするだけだ」、同感である。
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積水ハウス事件(その5)(【衝撃の地面師事件の真相】積水ハウスは地主本人からの警告書を「怪文書」と見なしてスルーした 短期集中連載・第5回、仲介業者の住所は「元衆議院議員」の事務所!? 謎が謎を呼ぶ積水ハウスの「巨額地面師詐欺事件」 短期集中連載・第6回、社長が会長を追い落とすクーデターに発展!積水ハウス「巨額地面師詐欺事件」の醜悪な結末 短期集中連載・最終回) [企業経営]

積水ハウス事件については、2020年5月12日に取上げた。今日は、(その5)(【衝撃の地面師事件の真相】積水ハウスは地主本人からの警告書を「怪文書」と見なしてスルーした 短期集中連載・第5回、仲介業者の住所は「元衆議院議員」の事務所!? 謎が謎を呼ぶ積水ハウスの「巨額地面師詐欺事件」 短期集中連載・第6回、社長が会長を追い落とすクーデターに発展!積水ハウス「巨額地面師詐欺事件」の醜悪な結末 短期集中連載・最終回)である。

先ずは、10月7日付け現代ビジネスが掲載したノンフィクション作家の森 功氏による「【衝撃の地面師事件の真相】積水ハウスは地主本人からの警告書を「怪文書」と見なしてスルーした 短期集中連載・第5回」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/100703?imp=0
・『ハウスメーカー、デベロッパーとして国内最大手の積水ハウスが、50億円以上ものカネを騙し取られた2018年の「地面師詐欺」事件は、いまも多くの謎に包まれている。15人以上の逮捕者を出す大捕物になったものの、不起訴になった容疑者も多数いて、公判でもすべてが明らかになったとは言い難い。 この事件の取材の第一人者であるノンフィクション作家・森功氏がこのほど上梓した文庫『地面師 他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団』には、知られざる数々の事実が記されている。今回、同文庫の内容を7回連続で公開する。 第1回「あの積水ハウスが50億円以上だまし取られた…! 衝撃の『地面師詐欺』の語られなかった真相」 第2回「あの積水ハウスが50億円以上だまし取られた…! 暗躍した2人の『スター地面師』の正体」 第3回「不動産業者、銀行員、デベロッパー社員必読! 積水ハウスをだました地面師グループの詳細な手口」 第4回「積水ハウスはなぜ詐欺のターゲットにされたのか? 大物地面師2人の生々しい謀議を再現する」』、信じ難い事件で、興味深そうだ。
・『常務が「前倒し」した決済  4月20日、小山と生田が海喜館の売買条件について積水ハウス側の部長や部長代理と具体的な交渉に移る。そこで、60億円の売却金額で話が折り合い、契約の条件として、4日後の24日までに追加の手付金12億円を支払うことも決めた。残る48億円の支払いについては、7月末の決済とした。 なお、海喜館の購入代金はのちに70億円と公表されている。それは積水ハウス側がニセ海老澤佐妃子に対し、旅館売却後の住まい用などとして、自社のマンション購入を薦め、それらの取引額が含まれているからだ。さらに取引の過程で積水側は、70億円のうち63億円を先払いしたと発表したが、そこの疑問については後述する。 4月24日、西新宿のホウライビルにある積水ハウスの事業所で12億円の手付金が支払われた。紛れもない正式な取引だ。ビルの5階にある東京マンション事業部会議室に関係者全員が顔をそろえ、小山たちは海喜館の不動産権利証を用意した。海老澤佐妃子が半世紀も前に両親から譲り受けた書類だと前置きしたそれは、赤茶けていて、ところどころ破れかけていた。 「ほう、これはめずらしい。ずいぶん、古い権利証ですな」 積水ハウスの担当者は、前のめりになってそう漏らし、書類を本物だと思いこんだ。すぐに手付金として12億円の預金小切手を振り出し、ニセ佐妃子に手渡した。これにより売買予約の登記手続きができる。この時点で地面師グループの犯行は、50%以上進んだといえた。 だが、そこに思わぬ邪魔が入った』、「赤茶けていて、ところどころ破れかけていた」「不動産権利証」の真偽を、「前のめりになっ」た担当者が確認しなかったのは手落ちだ。
・『本社に届いた警告を「怪文書」扱い  〈積水は騙されている〉 そう記された内容証明郵便が5月10日、積水ハウス本社に届いた。差出人は海老澤佐妃子となっており、海喜館を連絡先としている。相手は佐妃子のなりすましなので取引を中止せよ、という内容だ。いわゆる警告文のような体裁である。さらに翌11日、似たような内容証明郵便が送り付けられ、文書は合計4通におよんだ。 ところが積水ハウスでは、これを怪文書扱いし、スルーした。先のニセ佐妃子、羽毛田の代理人弁護士が作成した〈事実経過報告〉には、関係者が集まり、文書に関する対処を検討している様が記されている。積水ハウス側の取引責任者は常務執行役の三谷和司だ。三谷たち積水ハウス側はとうぜんのごとく小山や羽毛田たちを呼び出した。羽毛田の弁護士による〈事実経過報告〉は、〈平成29年5月23日(火)午後3時 事務所会議室〉の出来事として、次のように書く。 〈三谷常務から海老澤と名乗る人物に対し、「積水ハウスに宛て去る4月24日の売買契約を締結したこともないし、それに基づく所有権移転請求権仮登記を承諾したこともないという海老澤佐妃子の、記名かつ佐妃子という印鑑を押印した怪文書的な通知書が4通ほど来ているが」と言ってその4通の通知書の写を机に提示し、「これはあなたが出したものではないのですね」と問い質すと、海老澤を名乗る人物は「私はこのようなものを出したことはありません」と答えた〉』、「本社に届いた警告」「4通」を「怪文書扱い」した「三谷常務」の取り扱いは問題だ。
・『現金はどこに流れたか?  そうして6月1日の決済日に備えて、手続きを進めていった。先の5月23日付のニセ海老澤側弁護士の〈報告〉にはこうもある。 〈海老澤を名乗る人物は、自分は5月21日日曜日に海喜館に入って残置物を点検したが、欲しいものはないので全て処分してもらっても構わないような話をした。この三谷常務執行役員とのセッティングは前日の昼過ぎ頃までに小山氏から、海老澤佐妃子と、積水ハウス株式会社との間で打ち合せをしたいので、会議室を貸してほしいし、T(原文では当該の弁護士の実名)も同席して欲しいという申し入れに基づいてなされたものであった〉 売買代金60億円のうち、手付金を差し引いた残金の48億円の処理については、次のように記している。 〈この確約書の差し入れを受け、積水ハウス側は4月24日の売買契約書に基づく決済時期が7月末日になっていたのを第3者による契約履行の妨害が考えられ、それを回避するためにできる限り早めたいということになり、変更契約を締結し直して、6月1日には本登記と引換えに売買残代金約48億円を一部留保して決済するという方針が決まった〉 一方、民事訴訟における生田側の準備書面によれば、残金である48億円の支払いの大半が預金小切手でなされていた、と詳細に記されている。小切手はぜんぶで5枚あったという。 一、海老澤佐妃子手元分 三六億七九二四万四〇〇〇円 二、弁護士費用 一〇〇〇万円 三、土地調査費用 七五万六〇〇〇円 四、解体工事代着手金 一〇〇〇万円 五、別途契約金 七億四九七〇万八〇〇〇円  最も大きな海老澤佐妃子への支払いについては、およそ37億円の支払いのうち、28億3884万4000円が銀行口座に入金されている。むろん入金先は地面師たちが偽造書類を使って新たに作成したニセ佐妃子の口座だ。その他、残りはさらに5000万円から3億3000万円までの範囲で6つに細かく分散されて入金されている。そこから、いったん地面師グループにおける「銀行屋」、つまり金融ブローカーが、積水ハウスの振り出した小切手を現金化する役割を担った。最終的にそれらの現金がどこに流れたか。それが捜査の焦点になる。 第6回につづく』、「決済時期が7月末日になっていたのを第3者による契約履行の妨害が考えられ、それを回避するためにできる限り早めたいということになり、変更契約を締結し直して、6月1日には本登記と引換えに売買残代金約48億円を一部留保して決済するという方針が決まった」、「決済時期」を早めるというのも、相手を混乱させる詐欺の手口なのかも知れない。

次に、10月8日付け現代ビジネスが掲載したノンフィクション作家の森 功氏による「仲介業者の住所は「元衆議院議員」の事務所!? 謎が謎を呼ぶ積水ハウスの「巨額地面師詐欺事件」 短期集中連載・第6回」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/100779?imp=0
・『60億円の行方  とどのつまり60億円あまりを手にしたのは誰か。 そこが事件解明の焦点になる。事件はこれで終わらない。「調査対策委員会」の事件の経緯概要はこう続く。 〈売買契約締結後、本件不動産の取引に関連した複数のリスク情報が、当社の複数の部署に、訪問、電話、文書通知等の形で届くようになりましたが、当社の関係部署は、これらのリスク情報を取引妨害の嫌がらせの類であると判断していました。そのため、本件不動産の所有権移転登記を完全に履行することによって、これらが鎮静化することもあるだろうと考え、6月1日に残代金支払いを実施し、所有権移転登記申請手続を進めましたが、6月9日に、登記申請却下の通知が届き、A氏の詐称が判明しました。当社は、直ちにA氏との間での留保金の相殺手続を実施し、実質的被害額は約55億5千万円となりました〉 そもそも積水ハウスが17年8月に公表した詐欺の被害額は63億円だった。総額70億円の取引総額からすると、7億円も少ない。さらに次の調査委員会で特定した〈実質的被害額〉となると、そこからさらに8億円近く減り、55億5000万円としている。その分、積水ハウスが被害を免れていることになるが、実質的な被害とは何を意味するのか。そこには妙なカラクリがある。 前述したように、積水ハウスと地面師グループとの取引は、五反田駅前の海喜館だけではなかった。海老澤佐妃子のなりすましは、なぜかこれとは別に積水ハウスのマンションを購入する契約を結んでいる。それが中野区にある「グランドメゾン江古田の杜」という名称の分譲マンションだ。積水側は地面師詐欺に遭っている取引の渦中、このマンションの一一戸の部屋を海老澤のなりすまし役に売るべく、交渉を重ねて契約までしているのである』、「海老澤佐妃子のなりすましは、なぜかこれとは別に積水ハウスのマンションを購入する契約を結んでいる。それが中野区にある「グランドメゾン江古田の杜」という名称の分譲マンション」、不思議だ。
・『金額の誤差が意味するもの  積水ハウスでは63億円を払い込み総額とし、手付金を14億円として残りの49億円を契約当日の2017年6月1日に払ったとする。その金額が先の民事訴訟や〈事実経過報告〉のそれと微妙にずれている。民事訴訟では売買代金を60億円、手付金を12億円としてきた。 一方、積水側は払い込んだ63億円からニセ佐妃子に売ったマンションの売買代金を差し引いた金額の55億5000万円について、実質的な詐欺の被害額として発表している。これらの誤差は何を意味するのか。先の不動産業者が指摘する。 「マンションの売買を担当したのは、東京マンション事業部であり、その際、ニセの海老澤佐妃子が担当者と直接契約しています。つまりニセモノが積水ハウスに何度も足を運んでいて、なりすましに気づいていないということになる。そんな話がありえるでしょうか。積水ハウスが発表した第三者委員会の調査報告書ではこの点がすっぽり隠されています。それは隠さなければならない事情があったからではないか」 積水側が海喜館の購入代金を支払うついでに、せっかくだから分譲マンション販売の営業をかけた。表面的に見れば、単なる営業努力の成果のように感じる。が、こと地面師案件だけにそう単純とは言い切れないかもしれない』、「積水側が海喜館の購入代金を支払うついでに、せっかくだから分譲マンション販売の営業をかけた。表面的に見れば、単なる営業努力の成果のように感じる。が、こと地面師案件だけにそう単純とは言い切れないかもしれない」、なるほど。
・『不自然な取引の理由とは...  ニセ地主を仕立て上げる地面師事件では、なりすまし役と買い手の接触をできるだけ減らすのが彼らの常道である。 理由はニセモノだとバレないようにするためだ。ニセ地主を取引現場に登場させるのは、たいてい一度きりで、取引の細かいやり取りについては、手馴れた地面師グループの交渉役がおこなう。 だが、積水ハウス事件では、肝心かなめの旅館の売買とは別に、なりすまし役がマンションの購入契約を結んでいる。それ自体が極めて奇異なのである。積水ハウスは取引総額70億円のうちマンションの内金6億7390万円を差し引いたおよそ63億円をまるまる騙しとられているのではないか。 そんな疑いも浮かぶ。発表した被害額との差を含め、不自然な取引や微妙な金額の誤差の裏には、表沙汰にできない何らかの理由があるのではないか。 事件は日本を代表する住宅建設会社の経営を揺らした。騙されたその責任をめぐり、会社のツートップが反目し、あげくにクーデター騒動に発展する。第7回につづく』、「地面師事件では、なりすまし役と買い手の接触をできるだけ減らすのが彼らの常道」、「ニセ地主を取引現場に登場させるのは、たいてい一度きりで、取引の細かいやり取りについては、手馴れた地面師グループの交渉役がおこなう。 だが、積水ハウス事件では、肝心かなめの旅館の売買とは別に、なりすまし役がマンションの購入契約を結んでいる。それ自体が極めて奇異なのである」、「不自然な取引や微妙な金額の誤差の裏には、表沙汰にできない何らかの理由があるのではないか」、どんな「理由」なのだろうか。

第三に、この続きを、10月9日付け現代ビジネスが掲載したノンフィクション作家の森 功氏による「社長が会長を追い落とすクーデターに発展!積水ハウス「巨額地面師詐欺事件」の醜悪な結末 短期集中連載・最終回」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/100815?imp=0
・▽会長追い落としクーデターの「舞台裏」  それは、事件から半年あまり経った2018年1月24日の出来事だった。 「ではこれより取締役会を開催します」 午後2時ちょうど、大阪市北区の積水ハウス本社で、会長の和田勇が議長として、重役会の開催宣言をした。76歳(取締役会当時。以下同)の和田は細身の身体に似合わないハリのある声をしている。取締役会のメインテーマが、東京・五反田の海喜館をめぐる地面師詐欺なのは言うまでもない。和田はすぐにその議題に入った。 「本日、調査対策委員会が進めてきた調査報告書が提出されました。執行の責任者には極めて重い責任があります」 積水ハウスでは事件を公表したひと月後の9月、社外監査役と社外取締役らで調査対策委員会を立ち上げ、事件の経緯を調べてきた。その調査結果の報告がなされたのが、この日だったのである。和田を含めた9人の社内役員に加え、2人の社外取締役を加えた11人の内外の重役が会議に参加していた。 「したがって最初に、最も重い責任者である阿部俊則社長の退任を求めます」 和田はそう切り出した。社長解任の緊急動議である。戸建て住宅のハウスメーカーとしてスタートした積水ハウスは、近年のマンションやリゾート施設の開発、さらには海外事業も手掛け、業績を伸ばしてきた。 その立て役者が和田であり、実力会長として業界に名を馳せてきた。10歳違いの阿部を社長に引き立て、バックアップしてきたともいえる。いわば2人は師弟関係にあったのだが、その弟分の社長をばっさり切り捨てようとしたことになる。それほど事件の衝撃は大きかった』、「和田」「会長」は、「弟分の社長をばっさり切り捨てようとした」。
・『阿部社長の「反撃」  半面、実は社長の解任については、本番の前に開かれた社外取締役会でも諮られていたので、すでに情報が漏れ伝わっていた。そのため出席した重役たちのあいだにはさほどの驚きも、混乱もない。 まるで予定されていた行事であるかのように、採決へと進んだ。事前におこなわれた社外取締役2人の協議では、阿部の退任に異論はなく、和田の申し出が了承されていたからでもある。解任動議の当事者である阿部は、ひとり会議室をあとにし、10人の重役による社長退任の決議が粛々とおこなわれた。 しかしその緊急動議の採決は予想外の結果に終わった。賛成5に対して反対も5――。数だけでみると真っ二つに割れているように思えるが、阿部を外した10人の出席者の内実は、社外の2人と会長である和田以外に2人の賛成しか取り付けられなかったことになる。むろん過半数にも達していない。そのため、社長の解任動議は流れてしまう。 すると今度は、会議室に呼び戻された社長の阿部が反撃に出た。 「私は混乱を招いた(取締役会の)議長解任を提案します。新たな議長として、稲垣士郎副社長を提案します」 すでにこの時点で勝敗は、決していたともいえる。単純に計算すると、内外11人の全取締役のうち、和田派は5人、一方の阿部派は本人を入れると6人だ。その計算どおり、議長交代が6対5で可決された。そして返す刀で阿部が立ちあがって告げた。 「ここで、会長である和田氏の解任を提案します」 こうなると、退席した和田の一票が減る。そうして10人の重役の投票により、会長の解任動議が6対4で可決されたのである。 社長の阿部は、もとよりこの日のクーデターを想定して動いてきたに違いない。08年に社長の座に就いて以来10年ものあいだ、会長の和田の顔色をうかがいながら、経営にあたってきた。とりわけ東京の不動産ブームに乗り、マンション事業を推し進めてきたが、まさにそこで躓いたのである。 危機感を抱いた阿部は取締役会に先立つ17年12月には、マンション事業部本部長を務めてきた常務執行役の三谷和司に詰め腹を切らせた。東京シャーメゾン事業本部長で同じ常務の堀内容介にマンション事業を兼務させ、法務部長や不動産部長の部長職を解くといった更迭人事に手を付けていった。 そうしておいて自らは、和田に代わって会長に就任すべく、事件直後から動いた。 「今度の件で、君に社長を任せたい、と思っているのだけど、どうかな」 そう囁かれたのが、常務執行役の仲井嘉浩だった。仲井は阿部にとってひと回り以上年齢が下の52歳で、和田からするとふた回り違う。大幅な若返り人事でもある。なにより社長の椅子を約束する打診を断るはずもなかった』、「社長の解任動議は流れてしまう」、「すると今度は、会議室に呼び戻された社長の阿部が反撃に出た」、「「今度の件で、君に社長を任せたい、と思っているのだけど、どうかな」 そう囁かれたのが、常務執行役の仲井嘉浩だった。仲井は阿部にとってひと回り以上年齢が下の52歳で、和田からするとふた回り違う。大幅な若返り人事でもある。なにより社長の椅子を約束する打診を断るはずもなかった』、凄いドロドロした「クーデター」騒ぎだ。
・『主犯格を取り逃がす  こうして和田退任のレールを敷いた上で臨んだのが、先の取締役会だったのである。阿部会長、仲井社長という新たな布陣を決めた重役会のあと、阿部が会見に臨んだ。 「五反田の件の責任はどうなるのですか。今度の社長人事はその結果でしょうか」 そう尋ねる質問が相次いだ。それは無理もない。五反田の海喜館取引に積極的に乗り出したのが、当の阿部だった。自ら現地の視察にも訪れ、社内では社長案件と呼ばれてきた。が、阿部は自らの取り組みはむろん、取締役会でのクーデターのことなどおくびにも出さず、こう言い張った。 「それは関係ありません。(若返りのための)人事刷新です」 3月5日には、個人株主が阿部を善管注意義務違反などで訴え、損害賠償と遅延損害金の支払いを求める請求をおこなった。そのあたりから、警視庁による本格的な捜査が始まる。「2017年度内の3月中には、地面師グループをいっせい摘発できるのではないか」 取材してきた記者のあいだではそう事件の早期解明が囁かれた。17年8月以来、ずっと燻ってきた事件摘発の期待が高まったが、警視庁の捜査はそこからずれ込んでいく。 「8月末の新捜査二課長への交代を待って、9月はじめの捜査着手ではないか」 「すでに事件は警視総監マターなので、三浦正充さんが総監に着任する九月半ばかな」 そんなさまざまな検挙情報が駆け巡ってきた末、ついに警視庁は10月16日、海喜館を舞台に暗躍した地面師グループ8人の逮捕にこぎ着けたのである。 これだけの一斉検挙となると、一つの警察署には収容できない。身柄の拘束先は、当人の住居や留置所の空き状況によって異なった。逮捕第一陣となった8人の氏名と逮捕時の年齢、留置した警察署を改めて挙げると、生田剛(46)が渋谷署、近藤久美(35)が原宿署、佐藤隆(67)が赤坂署、永田浩資(54)が目白署、小林護(54)が代々木署、秋葉紘子(74)が原宿署、羽毛田正美(63)が東京湾岸署、常世田吉弘(67)が戸塚署だ。 事件におけるそれぞれの役割を記すと、IKUTAホールディングスの生田と近藤が積水ハウスとの取引窓口で、佐藤は小山とともに行動してきた首謀者の手下、小林は運転手役だ。指定暴力団住吉会の重鎮だった小林楠扶の息子であり、そのことも一部で話題になった。また秋葉は犯行における重要な役回りをした。持ち主のなりすまし役を引き込む手配師である。その秋葉から旅館の持ち主、海老澤佐妃子のなりすまし役に任命されたのが羽毛田で、彼女の内縁の夫役が常世田だ。 警視庁は逮捕予定者を15人前後と定め、捜査に着手した。この第一陣の8人が逮捕された4日後の20日、逃げていた佐々木利勝(59)を逮捕し、三田署に留置した。佐々木は地主のニセ振込口座づくりを担い、9人目の逮捕者となる。27日には連絡係の岡本吉弘(42)が出頭し、29日、11人目の逮捕者となったのがあの北田文明だった。その後の三木勝博(63)、武井美幸(57)と合わせると、警視庁はここまでで13人に縄を打ったことになる。 だがその実、あろうことか、警視庁は肝心の主犯格の一人であるカミンスカスこと旧姓小山操(58)を取り逃がしている』、「記者会見」での「質問」に対し、「五反田の海喜館取引に積極的に乗り出したのが、当の阿部だった。自ら現地の視察にも訪れ、社内では社長案件と呼ばれてきた。が、阿部は自らの取り組みはむろん、取締役会でのクーデターのことなどおくびにも出さず、こう言い張った。「それは関係ありません。(若返りのための)人事刷新です」、よくぞこんな答弁で乗り切ったものだ。「警視庁は肝心の主犯格の一人であるカミンスカスこと旧姓小山操(58)を取り逃がしている」、情けない限りだ。
・『なぜ取り逃がしたのか  第一陣検挙の3日前にあたる10月13日1時15分、NHKをはじめとしたマスコミ環視のなか、小山は羽田空港からフィリピン航空ファーストクラスに乗り、悠々と高飛びした。事情通によれば、その経緯は以下の通りだという。 「何度も取り調べを受け、捜査が迫っているのを知った小山は当初、仲間の三木と関釜フェリーに乗って下関から韓国の釜山に渡ろうとした。航空便より船便のほうが港の監視態勢が緩いと考えたからです。しかし三木に誘いを断られたあげく、早朝の船便に間に合わず、いったんは韓国行きを断念した。しかし、いよいよ捜査の手が近づくと、愛人のいるフィリピンに向かうことを思い立ったのです。はじめ成田空港からJAL便に乗ろうとしたところ、日本の航空会社は警察に通報する危険性が高いと思い直し、羽田から出ているフィリピン航空に切り替えたと聞いています」 関釜フェリーの件はマスコミにも漏れていなかったようだが、そのあとの足取りはしっかり新聞やテレビ、週刊誌の記者にとらえられ、報じられている。警視庁にとっては大失態であるが、新聞やテレビがさほど問題にしないのは、捜査当局から睨まれ、警察情報からシャットアウトされるのを恐れるからだろう。 記者がそこまでつかんでいるのに、なぜ警視庁は肝心の主犯を取り逃がしてしまったのか。 「そのせいで、犯行グループに内通している警視庁OBがいたのではないか、とも囁かれています」(事情通) むろん小山は国際指名手配され、その後逮捕された。 事件の奥行きはもっと深い。これまで書いてきたように、積水ハウス事件を企画・立案したのは、小山ではなく、内田マイクであり、北田文明である。たとえば第一陣の逮捕組である永田は内田の連絡役であり、55億5000万円を振り分けるための銀行口座を用意して9人目の逮捕者となった佐々木は、北田の指示を仰いできた。それぞれ、内田グループ、北田グループとして、他の地面師事件でも名前が挙がってきた。さらに積水ハウスの預金小切手を現金化する役割を担った土井淑雄(63)という存在も明らかになっている。私が北田と遭遇した時に取材をしていた、あの地面師である。土井は事件のなかで金融チームを結成し、現金を振り分ける役割を担ってきたとされる。 入院していた地主の海老澤佐妃子は、この決済直後の6月24日に病院で息を引き取った。地面師たちはそこを狙いすましたかのようでもある。 なかでも内田と北田という二人の大物地面師は積水ハウス事件を計画立案した。そして警視庁は11月20日、14人目の積水事件犯として内田を逮捕した。文字どおり神出鬼没の詐欺集団を率いてきた大物2人を手中に収めた。 だが、経営トップの“クーデター騒動”にまで発展した事件で騙しとられた55億5000万円は、闇の住人たちの手で分配され、すでに溶けてなくなったとみたほうがいい』、「小山は国際指名手配され、その後逮捕された。 事件の奥行きはもっと深い。これまで書いてきたように、積水ハウス事件を企画・立案したのは、小山ではなく、内田マイクであり、北田文明である。たとえば第一陣の逮捕組である永田は内田の連絡役であり、55億5000万円を振り分けるための銀行口座を用意して9人目の逮捕者となった佐々木は、北田の指示を仰いできた。それぞれ、内田グループ、北田グループとして、他の地面師事件でも名前が挙がってきた。さらに積水ハウスの預金小切手を現金化する役割を担った土井淑雄(63)という存在も明らかになっている」、これだと「積水ハウス」は被害者ということになるが、「阿部」会長は本当に潔白なのだろうか。表向き一件落着のように見えるが、今後も注目していきたい。
タグ:森 功氏による「【衝撃の地面師事件の真相】積水ハウスは地主本人からの警告書を「怪文書」と見なしてスルーした 短期集中連載・第5回」 現代ビジネス 積水ハウス事件 (その5)(【衝撃の地面師事件の真相】積水ハウスは地主本人からの警告書を「怪文書」と見なしてスルーした 短期集中連載・第5回、仲介業者の住所は「元衆議院議員」の事務所!? 謎が謎を呼ぶ積水ハウスの「巨額地面師詐欺事件」 短期集中連載・第6回、社長が会長を追い落とすクーデターに発展!積水ハウス「巨額地面師詐欺事件」の醜悪な結末 短期集中連載・最終回) 信じ難い事件で、興味深そうだ。 「赤茶けていて、ところどころ破れかけていた」「不動産権利証」の真偽を、「前のめりになっ」た担当者が確認しなかったのは手落ちだ。 「本社に届いた警告」「4通」を「怪文書扱い」した「三谷常務」の取り扱いは問題だ。 「決済時期が7月末日になっていたのを第3者による契約履行の妨害が考えられ、それを回避するためにできる限り早めたいということになり、変更契約を締結し直して、6月1日には本登記と引換えに売買残代金約48億円を一部留保して決済するという方針が決まった」、「決済時期」を早めるというのも、相手を混乱させる詐欺の手口なのかも知れない。 森 功氏による「仲介業者の住所は「元衆議院議員」の事務所!? 謎が謎を呼ぶ積水ハウスの「巨額地面師詐欺事件」 短期集中連載・第6回」 「海老澤佐妃子のなりすましは、なぜかこれとは別に積水ハウスのマンションを購入する契約を結んでいる。それが中野区にある「グランドメゾン江古田の杜」という名称の分譲マンション」、不思議だ。 「積水側が海喜館の購入代金を支払うついでに、せっかくだから分譲マンション販売の営業をかけた。表面的に見れば、単なる営業努力の成果のように感じる。が、こと地面師案件だけにそう単純とは言い切れないかもしれない」、なるほど。 「地面師事件では、なりすまし役と買い手の接触をできるだけ減らすのが彼らの常道」、「ニセ地主を取引現場に登場させるのは、たいてい一度きりで、取引の細かいやり取りについては、手馴れた地面師グループの交渉役がおこなう。 だが、積水ハウス事件では、肝心かなめの旅館の売買とは別に、なりすまし役がマンションの購入契約を結んでいる。それ自体が極めて奇異なのである」、「不自然な取引や微妙な金額の誤差の裏には、表沙汰にできない何らかの理由があるのではないか」、どんな「理由」なのだろうか。 森 功氏による「社長が会長を追い落とすクーデターに発展!積水ハウス「巨額地面師詐欺事件」の醜悪な結末 短期集中連載・最終回」 「和田」「会長」は、「弟分の社長をばっさり切り捨てようとした」。 凄いドロドロした「クーデター」騒ぎだ。 「記者会見」での「質問」に対し、「五反田の海喜館取引に積極的に乗り出したのが、当の阿部だった。自ら現地の視察にも訪れ、社内では社長案件と呼ばれてきた。が、阿部は自らの取り組みはむろん、取締役会でのクーデターのことなどおくびにも出さず、こう言い張った 「それは関係ありません。(若返りのための)人事刷新です」、よくぞこんな答弁で乗り切ったものだ。「警視庁は肝心の主犯格の一人であるカミンスカスこと旧姓小山操(58)を取り逃がしている」、情けない限りだ。 「小山は国際指名手配され、その後逮捕された。 事件の奥行きはもっと深い。これまで書いてきたように、積水ハウス事件を企画・立案したのは、小山ではなく、内田マイクであり、北田文明である。たとえば第一陣の逮捕組である永田は内田の連絡役であり、55億5000万円を振り分けるための銀行口座を用意して9人目の逮捕者となった佐々木は、北田の指示を仰いできた。 それぞれ、内田グループ、北田グループとして、他の地面師事件でも名前が挙がってきた。さらに積水ハウスの預金小切手を現金化する役割を担った土井淑雄(63)という存在も明らかになっている」、これだと「積水ハウス」は被害者ということになるが、「阿部」会長は本当に潔白なのだろうか。表向き一件落着のように見えるが、今後も注目していきたい。
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