経済学(その7)(2)(内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より2題:精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない、人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは?) [経済政治動向]
昨日に続いて、経済学(その7)(2)(内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より2題:精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない、人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは?)を取上げよう。
先ずは、本年7月31日付け文春オンライン「内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より 精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない。「精神医学と経済政策が似ている」ワケ」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/72390
・『アベノミクスのブレーンとして知られる経済学者の浜田宏一氏。その活躍の裏側で長らく躁うつ病に苦しんできた。さらに回復の途上、実の息子を自死で亡くす。人生とは何か? ともにアメリカで活躍するハーバード大学医学部准教授で小児精神科医の内田舞氏を聞き手に、その波乱に満ちた半生を語る。7月19日に発売になった『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)から、精神医学と経済学の相似性について語られた箇所から一部抜粋してお届けします。(全4回の3回目/最初から読む)』、興味深そうだ。
・『大うつ病と大恐慌――精神医学と経済学は似ている 浜田 イェールの初診の医師から「大うつ病(major depression)ですね」と笑顔なしに診断を伝えられたとき、僕は「経済のほうにも大恐慌(great depression)というのがあります」と答えたのですが、経済学と精神医学にはいろんな意味で似たことがあるように思います。 内田 major depressionとgreat depression! 言葉の面白さに吹き出してしまいました。その笑わない先生もさすがにここは笑ってほしかったですね(笑)。浜田 僕が大学時代に、東大管弦楽団の指揮者で東邦大の薬理学教授であり、宮城道雄賞の受賞者でもあった伊藤隆太先生に作曲を習っていました。その先生が言うには、医学と経済学は「患者(国民経済)の状態について本当はよくわからない時が多いのが似ているのではないか」と。しかし、「この症状がたいしたことはないか、深刻になりそうかは大体の勘で判断はつく」「どの専門医につなげばいいか」ということはわかる、けれども、「この病はAで」とか「Bをすれば治る」などとは必ずしもわかるわけではないというわけです。 とりわけ精神医学の場合はそうだと言えそうですね。いままで体験しなかった形のコロナ禍などを体験する場合には、教科書にも書いていないわけですので、経済政策も完全にこの政策は効果があるとは分からない。そこで試行錯誤で政策も対応していくわけです。経済学でもわからないことだらけなのです。だから研究が楽しみともいえます』、「その先生が言うには、医学と経済学は「患者(国民経済)の状態について本当はよくわからない時が多いのが似ているのではないか」と。しかし、「この症状がたいしたことはないか、深刻になりそうかは大体の勘で判断はつく」「どの専門医につなげばいいか」ということはわかる、けれども、「この病はAで」とか「Bをすれば治る」などとは必ずしもわかるわけではないというわけです。 とりわけ精神医学の場合はそうだと言えそうですね」、なるほど。
・『なぜ経済政策は難しい? アメリカがインフレーションにあえぐ理由 浜田 例えばコロナ禍に対応して人が集まれなくなり、学校も閉鎖になって母親も勤めに出られなくなって勤労者家庭は苦しくなった、そこでバイデン大統領が財政を大盤振る舞いしてそれを救ったのは正しかったと思います。ところがウクライナにロシアが攻め込んで、世界エネルギ―価格が上がったことも手伝って、アメリカはインフレーションになった。 インフレの物価上昇率は収まっていますが、選挙民は、物価の上昇率でなく、よき昔に比べていまの価格がより高いことを気にしている。これがバイデンの次の大統領選挙にも響きそうになった。インフレの要因も絡み合って複雑なので、前にインフレと同じメカニズムで起きているとは限らない。インフレの症状に対して、これをやってみようかあれをやってみようかとさまざまに経済政策を試行錯誤しているわけです。 したがって、どういう政策対応がいいのかも、正解というもの初めからははよくわからない。困っている人にお金を配ったり、財政支出をしたり金融を緩めたりして人助けはするが、インフレが進みそうになれば金融を引き締めたりして対応していくのです。もちろん景気の悪い時に昔の日銀のように金融を引き締め円高にしようとする場合、あるいは震災の時に復興が重要な時の財務省のように財政均衡を優先としたりするような理不尽な政策は経済学の基本原理に反するので学者がとがめるべきなのですが。基本原理については、いまの経済学で素人の人よりは学者のほうがわかっているのはもちろんです』、「景気の悪い時に昔の日銀のように金融を引き締め円高にしようとする場合、あるいは震災の時に復興が重要な時の財務省のように財政均衡を優先としたりするような理不尽な政策は経済学の基本原理に反するので学者がとがめるべきなのですが。基本原理については、いまの経済学で素人の人よりは学者のほうがわかっているのはもちろんです」、実際には日銀や財務省の「理不尽な政策」をとがめた「学者」は多くはなかった。
・『パンデミックと歴史的な日本の円安 浜田 目の前の新しい事象、あるいは新しい政策問題、起きたばかりの災害や感染症などが引き起こす事態については新しいデータを少しずつ学んでいくとともに、そのメカニズムを解明できる経済学をきちんと用意していかねばなりません。このように、昔のモデルでは目の前の新しい状況には対応できないこともあります、しかし細かいモデルの分析とともに、あるいはそれよりもむしろ、経済事象の基本を見据える考察が、我々を救ってくれます。 例えば何年か前に、舞さんのお母さんがアメリカに行かれた際に手をケガされて、緊急で手術をされ大変だったそうですね。手術に何十万もかかったと聞きました。 内田 もう大変でした。ただ転んで手首を骨折しただけなのに、必要な治療に総額でかかった費用は何百万円相当でしたね。クレジットカード付帯の海外旅行保険でカバーされ、自費ではなかったのでよかったのですが、日本とは比べ物にならない高い医療費に一家でショックを受けました。 浜田 それは大変でしたね。こういう個別の例を見ると、当事者にとっては極端な円安の弊害が明らかです。しかし、25年前から現在までの日本経済の歴史を見ると、日本経済は必要以上の円安のためにデフレで苦しんできたのです。必要以上の円高の下では日本物価が例えば米国のそれより高いわけですので、日本で造ったものが海外に売れないわけです。そうして、円高は日銀が金融緩和すれば止めることができたのに、それを日銀がしなかったために日本は20年ものデフレ景気沈滞が続いたというのがわたくしの(おそらく正しい)意見です。 安倍晋三首相の第二次政権(2012―2020)の功績は、とくに日銀総裁に黒田東彦氏を任命して、それまでの円高にあえぐ日本経済を、金融緩和、円安の方針で救ったのです。私も安倍首相の内閣官房参与として、その一翼に参加しました。参加できるまでに、うつが回復していたのを感謝したいと思います。参与として政策に関与したのもうつの一層の回復に役立ったと思えますが、それは後で述べることにします。 繰り返しになりますが、外からは医者は確実に病をどう治せるかを知っているかのように思えますがそうでもないらしい。経済政策も同じで、わからないことがかなり多い。それでも政策当局は精一杯経済を操作していくしかない。完全な治療法はわからなくても、患者が危機に陥らないように手当てをしていかねばならないのに似ています。 経済政策において、時々僕は意見を変えるので評判が悪いこともあります。金融政策を緩めようと言うと前は引き締めしようと言っていたではないかと驚かれたりする。でも状況が変わっている時には対応を変えなければいけないのです。ケインズの言葉に、「状況が変わっているのに同じことを言う人はバカだ」というのがあると言われています。 2008年から2009年にかけてのリーマン危機の下で各国は無価値に近くなった不動産抵当証券を買いまくったわけです。日本には抵当証券の危機はなかったので金融緩和粗品方。そのため強い円高が生じました。そこでアベノミクスで黒田日銀総裁の異次元の金融緩和を行い、円高を阻止しました。これが安倍第二次内閣の特にその前半にアベノミクスが顕著に日本の雇用増加に働いた理由です』、「必要以上の円高の下では日本物価が例えば米国のそれより高いわけですので、日本で造ったものが海外に売れないわけです。そうして、円高は日銀が金融緩和すれば止めることができたのに、それを日銀がしなかったために日本は20年ものデフレ景気沈滞が続いたというのがわたくしの(おそらく正しい)意見です。 安倍晋三首相の第二次政権(2012―2020)の功績は、とくに日銀総裁に黒田東彦氏を任命して、それまでの円高にあえぐ日本経済を、金融緩和、円安の方針で救ったのです。私も安倍首相の内閣官房参与として、その一翼に参加しました・・・そのため強い円高が生じました。そこでアベノミクスで黒田日銀総裁の異次元の金融緩和を行い、円高を阻止しました。これが安倍第二次内閣の特にその前半にアベノミクスが顕著に日本の雇用増加に働いた理由です」、なるほど。
・『新型コロナがもたらした世界経済への影響 浜田 ところが、2020年になると、世界は新型コロナに襲われました。人に会ったり、接触したりすることを避けざるを得なくなりました。そのため大きな生産減、雇用減が各国で起こったわけです。それを救うために、バイデン大統領は、これを大規模の財政政策で解消しようとしました。それは正しかったと思います。ただその結果、アメリカは10パーセントに届くような消費者物価のインフレに見舞われた。そこでアメリカの連邦銀行は、金融を引き締め、金利を上げざるを得なくなった。そして今度はリーマン危機の時と逆のようなことが起きました。日本が金利を上げることができなかったために、円安が生じてしまったのです。舞さんのお母様のエピソードの背景にはこのようなことがあるのです。 ただ植田日銀総裁は、金融を十分に緩和しなかったために雇用が伸びなかった歴史を重視しているのでしょう。円安を止めるのに必要な金融引き締めへの方向転換にはとても慎重に舵をとっています。 内田 なるほど、パンデミックを引き金に、世界経済と連動して歴史的に見ても稀な事態が起きているわけですね。世界的にコロナのような状況が起こることは誰も予想できなかったものの、その場その場で起きたことに反応していかなければならないということですよね。どんな介入においてもリスクとベネフィットがあり、ベネフィットがある中でもリスクが見え隠れした次点で、そのリスクに対応する準備をしなければならない。その際、完全な治療法がなくても、危機に陥らないための対処療法や時間稼ぎも大切という点も納得です。 ただ、パンデミックが終わっても中東やウクライナでの戦争が起こり、またアメリカの利下げも起こりそうにない。素人の感想で申し訳ないのですが、こういった世界的状況のなかで海外の動きによる円安の解消が期待できないのであれば、なおさら日本の内から変わるべき時期なのではないかと思いました。もちろん金融引き締めという直接的な対応も必要であるものの、同時に日本経済そのものが成長して円の価値を上げる必要もあると。 日本の経済成長を妨げる要因として少子化や多様性の欠如などが頻繁にあげられますが、そう考えると、日本の古典的な労働観やジェンダーバイアス、さらに家庭を持ちながら仕事をすることのハードルの高さといった現状の是正こそが、長期的に経済効果をもたらすのかもしれないと考えてしまいます。今こそ多くの人が健康や家庭を犠牲にせずに自分の能力が発揮できるような社会に近づいてほしいですね』、「日本の経済成長を妨げる要因として少子化や多様性の欠如などが頻繁にあげられますが、そう考えると、日本の古典的な労働観やジェンダーバイアス、さらに家庭を持ちながら仕事をすることのハードルの高さといった現状の是正こそが、長期的に経済効果をもたらすのかもしれないと考えてしまいます。今こそ多くの人が健康や家庭を犠牲にせずに自分の能力が発揮できるような社会に近づいてほしいですね」、その通りだ。
・『精神科医と経済学者の試行錯誤のプロセス 内田 ところで、精神医学と経済学は、治療の過程においてその場にある情報を合わせた上での一番いい判断をしながらも、試行錯誤(trial and error)を繰り返すというところが似ていると、以前浜田さんは書かれていましたね。例えば、私が研究をしているテーマの一つに、躁うつ病の発症を予測できるかというものがあります。 先ほども申し上げた通り、うつ状態の患者さんがいらっしゃった場合は、大うつ病なのか躁うつ病なのかがわからないことも多いのです。実は躁うつ病であるにもかかわらず、うつ状態だったので抗うつ薬を使ってみたら、気分が上がりすぎて軽躁状態になってしまい、普段よりもイライラしたり、衝動的なことをしたりしてしまったということは、臨床現場では頻繁にあるシナリオです。そこでの誤診がなるべく減るように、臨床所見、そして脳の構造や機能の違いから、様々な研究手法を使って、うつ病と躁うつ病を見分けるヒントを探しているのです。少しずつですが、すでに実際の臨床現場で使われているヒントも見つかっています。 こういった研究の進歩はあるのですが、それでもうつ状態から躁状態への予期せぬ転換は避けられないものです。だから試行錯誤をするしかない。もし、うつ病の治療のために抗うつ薬を飲んでいて躁状態が出てきたのであれば、抗うつ剤をやめてみましょう、そして躁状態が続くようであれば気分安定剤を試してみましょう、といったように対応を変えなければならない。その状況状況に応じて見えてくる次の段階があるので、そこでまた、その場にあった対応が必要になってくるんですよね。 ちなみに浜田さんの手記には「精神医学とは経済学のようなものだ。断定的な関係がない」という浜田さんの発言に、同僚の方が「でも精神医学は患者を治すことができる。経済学がどうかはわからないけれど」と答えられたというエピソードがありました。これも大変印象的でした。 浜田さんが試行錯誤のプロセスを経て、今もリチウムの服用を続けていらっしゃること。その間、きっと様々な感情の変化と付き合いながらも、しかし当時のような希死念慮や深いうつ状態はその後は経験されずに人生を送られてきたこと。その事実は「精神医学は患者を治すことができる」という言葉が確かに真実であると示してくれるもので、私も医師として勇気づけられる言葉でした。希望をいただきました。 浜田 本書の対談を始める際は、話すなかで悲しいことを思い出してうつまでが再発してしまうのではと、心配でありました。幸い、対話が自分の精神構造を自分で探している過程のように思えてきて、自分の精神状態に対しての認識が深まったように感じています。精神科医の大きな役割も、患者に自分を発見させるところにあると思います。 (内田舞氏の略歴はリンク先参照) (浜田宏一氏の略歴はリンク先参照))』、「同僚の方が「でも精神医学は患者を治すことができる。経済学がどうかはわからないけれど」と答えられたというエピソードがありました。これも大変印象的でした。 浜田さんが試行錯誤のプロセスを経て、今もリチウムの服用を続けていらっしゃること。その間、きっと様々な感情の変化と付き合いながらも、しかし当時のような希死念慮や深いうつ状態はその後は経験されずに人生を送られてきたこと。その事実は「精神医学は患者を治すことができる」という言葉が確かに真実であると示してくれるもので、私も医師として勇気づけられる言葉でした。希望をいただきました」、なるほど。
次に、8月28日付け文春オンライン「郡司 珠子郡司 珠子:アベノミクスのブレーン・浜田宏一氏が経験した双極性障害、息子の自死。人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは? 内田舞×浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)を読む」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/72950
・『アベノミクスのブレーンで経済学者の浜田宏一氏が自身の躁うつ病体験、息子の自死について、浜田氏とつながりのある小児精神科医の内田舞氏と語り合った『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)。渡米前の浜田家の向かいの家に育ち、浜田宏一氏の子どもたちと幼少時の時間を共にした編集者が、夏目漱石の時代から変わらぬその心の葛藤を、そして人生の中で訪れる大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスを本書の中に読む。必読の書評です』、興味深そうだ。
・『渡米前の浜田家とのつながり 浜田宏一はアベノミクスのブレーンとして、経済政策を担った経済学者である。 本書は、宏一の長いうつ闘病をひもとく対談集であると同時に、未来を嘱望された学者が息子を亡くした苦悩の記録でもある。 88歳になる宏一の対談相手に、ハーバード大学医学部の現役精神科医である内田舞が選ばれたのは、単にその職業によるものではない。舞の母・千代子は、娘と同じく精神科医。アメリカでうつを発症した宏一が頼ったのが、同じイェール大学にいた千代子だった。アメリカ人の主治医には語りきれない心の機微を、宏一は母語で打ち明けることができた。 筆者は、渡米前の浜田家の向かいの家に育った。宏一の子どもたちと幼稚園・小学校時代を共にし、海風の吹く庭で木に登り、空き地を走り回った。野生児たちを見守る宏一は、含羞をたたえた品のよい父親だった。 浜田家には、欧米の学問生活のにおいがあった。宏一は、東大経済学部からマサチューセッツ工科大学を経て、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの客員研究員となり、「ゲーム理論を国際間の経済政策の駆け引きに応用する」ことを研究主題としていた。 高校生になるころ、子どもたちもまた欧米へと羽ばたいていった。そこに日本と変わらぬ暮らしがあることを、筆者は疑いもしなかった。だが現実は、おそろしいほど違った。 終身在職兼付きでイェール大学に招聘され、英語で博士課程を教える立場となった宏一は、講義恐怖症から重度のうつを発症。のちに離婚を経験した。 そして、26歳の息子を喪った。同じアメリカで。おそらくは同じ病気で』、「終身在職兼付きでイェール大学に招聘され、英語で博士課程を教える立場となった宏一は、講義恐怖症から重度のうつを発症」、「英語で博士課程を教える」のが「重度のうつを発症」するほど、ストレスがあるもののようだ。
・『精神科医としての注意深い聞き取り、学者らしい入念な語り 1985年、当時の日本経済には破竹の勢いがあった。 アメリカでその日本経済を教えるのだという気負いが、宏一のうつを悪化させた。母語でない言語で学問を教え、高い水準で存在を承認してもらうことに伴う苦しみは、想像を絶するものだった。「頭が破裂しそう」になり、「間違った道を選んだ」という思いが暴走し、希死念慮に囚われ入院を余儀なくされた。 「自分はこの場にふさわしくない」「ダメな人間だ」と思い込んだ過程を、舞は精神科医として注意深く聞き取り、宏一は学者らしい入念さで自分の心に迫っている』、「アメリカでその日本経済を教えるのだという気負いが、宏一のうつを悪化させた。母語でない言語で学問を教え、高い水準で存在を承認してもらうことに伴う苦しみは、想像を絶するものだった。「頭が破裂しそう」になり、「間違った道を選んだ」という思いが暴走し、希死念慮に囚われ入院を余儀なくされた。 「自分はこの場にふさわしくない」「ダメな人間だ」と思い込んだ過程を、舞は精神科医として注意深く聞き取り、宏一は学者らしい入念さで自分の心に迫っている」、なるほど。
・『夏目漱石の時代からの変わらぬ葛藤 自分の問題として能動的に取り組みなさい」というアメリカ医療のスタンスに驚きながらも、「大うつ病」から「双極性Ⅱ型障害」と診断名が変わり、自分に合う薬と出会った宏一は、症状がなくなる経験をする。 医療者としての舞は、宏一の症状のなかに「インポスター症候群」を見る。自分の力で達成したことを自分で評価できなかったり、他人が思う能力に自分が値しないと過小評価したりする症状である。さらに舞は、投薬や通院を「負け」「ずるい」と考える傾向がいまだに根強いことを指摘、「内的評価」を育てることの重要性を説く。 学問の高みは、生半可な努力では通用しない世界だ。スポーツでいえばオリンピック代表。日々の鍛錬の果てに、ようやく場に立つことが許される。その世界を極めながらも、異国にあってマイノリティとならざるを得ぬ、息苦しさ。夏目漱石の時代から変わらぬ葛藤が、そこにある。 一度入り込んだ恐怖、襲いかかる妄念をふり払うのは、容易なことではない。 退院後も治療は続き、宏一は一部の講義を担当できなくなった。そのころ息子・広太郎は3000マイル離れた西海岸で、ガラス作家となっていた。いつしか父と同じように希死念慮に取りつかれるようになり、酷く苦しんでいた息子に、宏一は様々な理由から会いに行くことができなかった。死の一報を受けた日の、身を切るような痛みを、宏一は鮮明に覚えている。 「息子を亡くした苦しみ、そして自分にはうつ体験がありながらそれを防げなかったという後悔から解放されることは一生ない」 家族を亡くした人と気持ちを共有させてほしいという思いから、宏一は辛い経験を詳細に語る。それに対し舞は、精神疾患には遺伝要因が大きくかかわるとしつつも、遺伝子の発現には疾患リスクだけでなく、その人をその人たらしめている様々な美点も含むのだと語る。やんちゃだった広太郎の輝くような笑みは、変わらず周囲の記憶に刻まれている』、「息子を亡くした苦しみ、そして自分にはうつ体験がありながらそれを防げなかったという後悔から解放されることは一生ない」、実に悲痛な体験だ。
・『経済学と精神医学の類似点 宏一の気づきは、経済学と精神医学の類似点へと向かう。 専門家が見れば、症状の深刻度合いはわかるが、病名や治療薬は必ずしも確実ではない。複雑な要因がからみあって生じた症状に対して、試行錯誤を重ね危機に陥らぬよう手当てしていく、そういった点で似かよっているのだ。 病気をきっかけとして宏一は、数理経済学・理論経済学から政策へと視座を変え、日銀の金融政策緩和を提言したことがひとつのきっかけとなって、内閣官房参与となって経済政策を先導することになる。アベノミクスの功罪、回復の過程で気づかされた学問世界の隘路については、本書後半に詳しい』、「病気をきっかけとして宏一は、数理経済学・理論経済学から政策へと視座を変え、日銀の金融政策緩和を提言したことがひとつのきっかけとなって、内閣官房参与となって経済政策を先導することになる」、「視座」変更は初めて知った。
・『大きな災厄のなかでのレジリエンス 読み通すと、光が見えてくる本だ。 宏一の業績は高く評価される。政策論議から怒りを買ったアメリカ政府高官からさえも「学問的成果を尊重する」の一言があり、それが認知療法的に有効だったという。アメリカまで駆けつけてくれた同僚もいる。他人の絶え間ない評価や手助け、そして新しい仕事が、回復の一助となっていくのだ。 宏一には、苦しい時期の彼の口述を手記としてまとめた現在の妻が、また今も各地で、地に足の着いた生活をする家族がいて、交流がある。世に知られた人が立て続けに大きな災厄に見舞われた時に、レジリエンス(弾性)ある身内の存在はどれほどの支えとなっただろうか。そのレジリエンスもまた、宏一を介して培われたものに違いない。 舞は「ラジカル・アクセプタンス」という言葉を最後に引用している。仏教の思想を基とする心理用語で、「起きたことは起きたこと」と、事実をアクセプト(受容)して前に進むことを意味する。 「また自分がどこかで役に立てるだろうと未来を信じること」 「いまどう最善の道を選ぶのか」 宏一は文字に記すことで、長い闘いの果ての精神の有り様を後世に伝えている。 その模索は深く長く、心に響く』、「宏一は文字に記すことで、長い闘いの果ての精神の有り様を後世に伝えている。 その模索は深く長く、心に響く」、貴重な資料になるだろう。
先ずは、本年7月31日付け文春オンライン「内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より 精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない。「精神医学と経済政策が似ている」ワケ」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/72390
・『アベノミクスのブレーンとして知られる経済学者の浜田宏一氏。その活躍の裏側で長らく躁うつ病に苦しんできた。さらに回復の途上、実の息子を自死で亡くす。人生とは何か? ともにアメリカで活躍するハーバード大学医学部准教授で小児精神科医の内田舞氏を聞き手に、その波乱に満ちた半生を語る。7月19日に発売になった『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)から、精神医学と経済学の相似性について語られた箇所から一部抜粋してお届けします。(全4回の3回目/最初から読む)』、興味深そうだ。
・『大うつ病と大恐慌――精神医学と経済学は似ている 浜田 イェールの初診の医師から「大うつ病(major depression)ですね」と笑顔なしに診断を伝えられたとき、僕は「経済のほうにも大恐慌(great depression)というのがあります」と答えたのですが、経済学と精神医学にはいろんな意味で似たことがあるように思います。 内田 major depressionとgreat depression! 言葉の面白さに吹き出してしまいました。その笑わない先生もさすがにここは笑ってほしかったですね(笑)。浜田 僕が大学時代に、東大管弦楽団の指揮者で東邦大の薬理学教授であり、宮城道雄賞の受賞者でもあった伊藤隆太先生に作曲を習っていました。その先生が言うには、医学と経済学は「患者(国民経済)の状態について本当はよくわからない時が多いのが似ているのではないか」と。しかし、「この症状がたいしたことはないか、深刻になりそうかは大体の勘で判断はつく」「どの専門医につなげばいいか」ということはわかる、けれども、「この病はAで」とか「Bをすれば治る」などとは必ずしもわかるわけではないというわけです。 とりわけ精神医学の場合はそうだと言えそうですね。いままで体験しなかった形のコロナ禍などを体験する場合には、教科書にも書いていないわけですので、経済政策も完全にこの政策は効果があるとは分からない。そこで試行錯誤で政策も対応していくわけです。経済学でもわからないことだらけなのです。だから研究が楽しみともいえます』、「その先生が言うには、医学と経済学は「患者(国民経済)の状態について本当はよくわからない時が多いのが似ているのではないか」と。しかし、「この症状がたいしたことはないか、深刻になりそうかは大体の勘で判断はつく」「どの専門医につなげばいいか」ということはわかる、けれども、「この病はAで」とか「Bをすれば治る」などとは必ずしもわかるわけではないというわけです。 とりわけ精神医学の場合はそうだと言えそうですね」、なるほど。
・『なぜ経済政策は難しい? アメリカがインフレーションにあえぐ理由 浜田 例えばコロナ禍に対応して人が集まれなくなり、学校も閉鎖になって母親も勤めに出られなくなって勤労者家庭は苦しくなった、そこでバイデン大統領が財政を大盤振る舞いしてそれを救ったのは正しかったと思います。ところがウクライナにロシアが攻め込んで、世界エネルギ―価格が上がったことも手伝って、アメリカはインフレーションになった。 インフレの物価上昇率は収まっていますが、選挙民は、物価の上昇率でなく、よき昔に比べていまの価格がより高いことを気にしている。これがバイデンの次の大統領選挙にも響きそうになった。インフレの要因も絡み合って複雑なので、前にインフレと同じメカニズムで起きているとは限らない。インフレの症状に対して、これをやってみようかあれをやってみようかとさまざまに経済政策を試行錯誤しているわけです。 したがって、どういう政策対応がいいのかも、正解というもの初めからははよくわからない。困っている人にお金を配ったり、財政支出をしたり金融を緩めたりして人助けはするが、インフレが進みそうになれば金融を引き締めたりして対応していくのです。もちろん景気の悪い時に昔の日銀のように金融を引き締め円高にしようとする場合、あるいは震災の時に復興が重要な時の財務省のように財政均衡を優先としたりするような理不尽な政策は経済学の基本原理に反するので学者がとがめるべきなのですが。基本原理については、いまの経済学で素人の人よりは学者のほうがわかっているのはもちろんです』、「景気の悪い時に昔の日銀のように金融を引き締め円高にしようとする場合、あるいは震災の時に復興が重要な時の財務省のように財政均衡を優先としたりするような理不尽な政策は経済学の基本原理に反するので学者がとがめるべきなのですが。基本原理については、いまの経済学で素人の人よりは学者のほうがわかっているのはもちろんです」、実際には日銀や財務省の「理不尽な政策」をとがめた「学者」は多くはなかった。
・『パンデミックと歴史的な日本の円安 浜田 目の前の新しい事象、あるいは新しい政策問題、起きたばかりの災害や感染症などが引き起こす事態については新しいデータを少しずつ学んでいくとともに、そのメカニズムを解明できる経済学をきちんと用意していかねばなりません。このように、昔のモデルでは目の前の新しい状況には対応できないこともあります、しかし細かいモデルの分析とともに、あるいはそれよりもむしろ、経済事象の基本を見据える考察が、我々を救ってくれます。 例えば何年か前に、舞さんのお母さんがアメリカに行かれた際に手をケガされて、緊急で手術をされ大変だったそうですね。手術に何十万もかかったと聞きました。 内田 もう大変でした。ただ転んで手首を骨折しただけなのに、必要な治療に総額でかかった費用は何百万円相当でしたね。クレジットカード付帯の海外旅行保険でカバーされ、自費ではなかったのでよかったのですが、日本とは比べ物にならない高い医療費に一家でショックを受けました。 浜田 それは大変でしたね。こういう個別の例を見ると、当事者にとっては極端な円安の弊害が明らかです。しかし、25年前から現在までの日本経済の歴史を見ると、日本経済は必要以上の円安のためにデフレで苦しんできたのです。必要以上の円高の下では日本物価が例えば米国のそれより高いわけですので、日本で造ったものが海外に売れないわけです。そうして、円高は日銀が金融緩和すれば止めることができたのに、それを日銀がしなかったために日本は20年ものデフレ景気沈滞が続いたというのがわたくしの(おそらく正しい)意見です。 安倍晋三首相の第二次政権(2012―2020)の功績は、とくに日銀総裁に黒田東彦氏を任命して、それまでの円高にあえぐ日本経済を、金融緩和、円安の方針で救ったのです。私も安倍首相の内閣官房参与として、その一翼に参加しました。参加できるまでに、うつが回復していたのを感謝したいと思います。参与として政策に関与したのもうつの一層の回復に役立ったと思えますが、それは後で述べることにします。 繰り返しになりますが、外からは医者は確実に病をどう治せるかを知っているかのように思えますがそうでもないらしい。経済政策も同じで、わからないことがかなり多い。それでも政策当局は精一杯経済を操作していくしかない。完全な治療法はわからなくても、患者が危機に陥らないように手当てをしていかねばならないのに似ています。 経済政策において、時々僕は意見を変えるので評判が悪いこともあります。金融政策を緩めようと言うと前は引き締めしようと言っていたではないかと驚かれたりする。でも状況が変わっている時には対応を変えなければいけないのです。ケインズの言葉に、「状況が変わっているのに同じことを言う人はバカだ」というのがあると言われています。 2008年から2009年にかけてのリーマン危機の下で各国は無価値に近くなった不動産抵当証券を買いまくったわけです。日本には抵当証券の危機はなかったので金融緩和粗品方。そのため強い円高が生じました。そこでアベノミクスで黒田日銀総裁の異次元の金融緩和を行い、円高を阻止しました。これが安倍第二次内閣の特にその前半にアベノミクスが顕著に日本の雇用増加に働いた理由です』、「必要以上の円高の下では日本物価が例えば米国のそれより高いわけですので、日本で造ったものが海外に売れないわけです。そうして、円高は日銀が金融緩和すれば止めることができたのに、それを日銀がしなかったために日本は20年ものデフレ景気沈滞が続いたというのがわたくしの(おそらく正しい)意見です。 安倍晋三首相の第二次政権(2012―2020)の功績は、とくに日銀総裁に黒田東彦氏を任命して、それまでの円高にあえぐ日本経済を、金融緩和、円安の方針で救ったのです。私も安倍首相の内閣官房参与として、その一翼に参加しました・・・そのため強い円高が生じました。そこでアベノミクスで黒田日銀総裁の異次元の金融緩和を行い、円高を阻止しました。これが安倍第二次内閣の特にその前半にアベノミクスが顕著に日本の雇用増加に働いた理由です」、なるほど。
・『新型コロナがもたらした世界経済への影響 浜田 ところが、2020年になると、世界は新型コロナに襲われました。人に会ったり、接触したりすることを避けざるを得なくなりました。そのため大きな生産減、雇用減が各国で起こったわけです。それを救うために、バイデン大統領は、これを大規模の財政政策で解消しようとしました。それは正しかったと思います。ただその結果、アメリカは10パーセントに届くような消費者物価のインフレに見舞われた。そこでアメリカの連邦銀行は、金融を引き締め、金利を上げざるを得なくなった。そして今度はリーマン危機の時と逆のようなことが起きました。日本が金利を上げることができなかったために、円安が生じてしまったのです。舞さんのお母様のエピソードの背景にはこのようなことがあるのです。 ただ植田日銀総裁は、金融を十分に緩和しなかったために雇用が伸びなかった歴史を重視しているのでしょう。円安を止めるのに必要な金融引き締めへの方向転換にはとても慎重に舵をとっています。 内田 なるほど、パンデミックを引き金に、世界経済と連動して歴史的に見ても稀な事態が起きているわけですね。世界的にコロナのような状況が起こることは誰も予想できなかったものの、その場その場で起きたことに反応していかなければならないということですよね。どんな介入においてもリスクとベネフィットがあり、ベネフィットがある中でもリスクが見え隠れした次点で、そのリスクに対応する準備をしなければならない。その際、完全な治療法がなくても、危機に陥らないための対処療法や時間稼ぎも大切という点も納得です。 ただ、パンデミックが終わっても中東やウクライナでの戦争が起こり、またアメリカの利下げも起こりそうにない。素人の感想で申し訳ないのですが、こういった世界的状況のなかで海外の動きによる円安の解消が期待できないのであれば、なおさら日本の内から変わるべき時期なのではないかと思いました。もちろん金融引き締めという直接的な対応も必要であるものの、同時に日本経済そのものが成長して円の価値を上げる必要もあると。 日本の経済成長を妨げる要因として少子化や多様性の欠如などが頻繁にあげられますが、そう考えると、日本の古典的な労働観やジェンダーバイアス、さらに家庭を持ちながら仕事をすることのハードルの高さといった現状の是正こそが、長期的に経済効果をもたらすのかもしれないと考えてしまいます。今こそ多くの人が健康や家庭を犠牲にせずに自分の能力が発揮できるような社会に近づいてほしいですね』、「日本の経済成長を妨げる要因として少子化や多様性の欠如などが頻繁にあげられますが、そう考えると、日本の古典的な労働観やジェンダーバイアス、さらに家庭を持ちながら仕事をすることのハードルの高さといった現状の是正こそが、長期的に経済効果をもたらすのかもしれないと考えてしまいます。今こそ多くの人が健康や家庭を犠牲にせずに自分の能力が発揮できるような社会に近づいてほしいですね」、その通りだ。
・『精神科医と経済学者の試行錯誤のプロセス 内田 ところで、精神医学と経済学は、治療の過程においてその場にある情報を合わせた上での一番いい判断をしながらも、試行錯誤(trial and error)を繰り返すというところが似ていると、以前浜田さんは書かれていましたね。例えば、私が研究をしているテーマの一つに、躁うつ病の発症を予測できるかというものがあります。 先ほども申し上げた通り、うつ状態の患者さんがいらっしゃった場合は、大うつ病なのか躁うつ病なのかがわからないことも多いのです。実は躁うつ病であるにもかかわらず、うつ状態だったので抗うつ薬を使ってみたら、気分が上がりすぎて軽躁状態になってしまい、普段よりもイライラしたり、衝動的なことをしたりしてしまったということは、臨床現場では頻繁にあるシナリオです。そこでの誤診がなるべく減るように、臨床所見、そして脳の構造や機能の違いから、様々な研究手法を使って、うつ病と躁うつ病を見分けるヒントを探しているのです。少しずつですが、すでに実際の臨床現場で使われているヒントも見つかっています。 こういった研究の進歩はあるのですが、それでもうつ状態から躁状態への予期せぬ転換は避けられないものです。だから試行錯誤をするしかない。もし、うつ病の治療のために抗うつ薬を飲んでいて躁状態が出てきたのであれば、抗うつ剤をやめてみましょう、そして躁状態が続くようであれば気分安定剤を試してみましょう、といったように対応を変えなければならない。その状況状況に応じて見えてくる次の段階があるので、そこでまた、その場にあった対応が必要になってくるんですよね。 ちなみに浜田さんの手記には「精神医学とは経済学のようなものだ。断定的な関係がない」という浜田さんの発言に、同僚の方が「でも精神医学は患者を治すことができる。経済学がどうかはわからないけれど」と答えられたというエピソードがありました。これも大変印象的でした。 浜田さんが試行錯誤のプロセスを経て、今もリチウムの服用を続けていらっしゃること。その間、きっと様々な感情の変化と付き合いながらも、しかし当時のような希死念慮や深いうつ状態はその後は経験されずに人生を送られてきたこと。その事実は「精神医学は患者を治すことができる」という言葉が確かに真実であると示してくれるもので、私も医師として勇気づけられる言葉でした。希望をいただきました。 浜田 本書の対談を始める際は、話すなかで悲しいことを思い出してうつまでが再発してしまうのではと、心配でありました。幸い、対話が自分の精神構造を自分で探している過程のように思えてきて、自分の精神状態に対しての認識が深まったように感じています。精神科医の大きな役割も、患者に自分を発見させるところにあると思います。 (内田舞氏の略歴はリンク先参照) (浜田宏一氏の略歴はリンク先参照))』、「同僚の方が「でも精神医学は患者を治すことができる。経済学がどうかはわからないけれど」と答えられたというエピソードがありました。これも大変印象的でした。 浜田さんが試行錯誤のプロセスを経て、今もリチウムの服用を続けていらっしゃること。その間、きっと様々な感情の変化と付き合いながらも、しかし当時のような希死念慮や深いうつ状態はその後は経験されずに人生を送られてきたこと。その事実は「精神医学は患者を治すことができる」という言葉が確かに真実であると示してくれるもので、私も医師として勇気づけられる言葉でした。希望をいただきました」、なるほど。
次に、8月28日付け文春オンライン「郡司 珠子郡司 珠子:アベノミクスのブレーン・浜田宏一氏が経験した双極性障害、息子の自死。人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは? 内田舞×浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)を読む」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/72950
・『アベノミクスのブレーンで経済学者の浜田宏一氏が自身の躁うつ病体験、息子の自死について、浜田氏とつながりのある小児精神科医の内田舞氏と語り合った『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)。渡米前の浜田家の向かいの家に育ち、浜田宏一氏の子どもたちと幼少時の時間を共にした編集者が、夏目漱石の時代から変わらぬその心の葛藤を、そして人生の中で訪れる大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスを本書の中に読む。必読の書評です』、興味深そうだ。
・『渡米前の浜田家とのつながり 浜田宏一はアベノミクスのブレーンとして、経済政策を担った経済学者である。 本書は、宏一の長いうつ闘病をひもとく対談集であると同時に、未来を嘱望された学者が息子を亡くした苦悩の記録でもある。 88歳になる宏一の対談相手に、ハーバード大学医学部の現役精神科医である内田舞が選ばれたのは、単にその職業によるものではない。舞の母・千代子は、娘と同じく精神科医。アメリカでうつを発症した宏一が頼ったのが、同じイェール大学にいた千代子だった。アメリカ人の主治医には語りきれない心の機微を、宏一は母語で打ち明けることができた。 筆者は、渡米前の浜田家の向かいの家に育った。宏一の子どもたちと幼稚園・小学校時代を共にし、海風の吹く庭で木に登り、空き地を走り回った。野生児たちを見守る宏一は、含羞をたたえた品のよい父親だった。 浜田家には、欧米の学問生活のにおいがあった。宏一は、東大経済学部からマサチューセッツ工科大学を経て、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの客員研究員となり、「ゲーム理論を国際間の経済政策の駆け引きに応用する」ことを研究主題としていた。 高校生になるころ、子どもたちもまた欧米へと羽ばたいていった。そこに日本と変わらぬ暮らしがあることを、筆者は疑いもしなかった。だが現実は、おそろしいほど違った。 終身在職兼付きでイェール大学に招聘され、英語で博士課程を教える立場となった宏一は、講義恐怖症から重度のうつを発症。のちに離婚を経験した。 そして、26歳の息子を喪った。同じアメリカで。おそらくは同じ病気で』、「終身在職兼付きでイェール大学に招聘され、英語で博士課程を教える立場となった宏一は、講義恐怖症から重度のうつを発症」、「英語で博士課程を教える」のが「重度のうつを発症」するほど、ストレスがあるもののようだ。
・『精神科医としての注意深い聞き取り、学者らしい入念な語り 1985年、当時の日本経済には破竹の勢いがあった。 アメリカでその日本経済を教えるのだという気負いが、宏一のうつを悪化させた。母語でない言語で学問を教え、高い水準で存在を承認してもらうことに伴う苦しみは、想像を絶するものだった。「頭が破裂しそう」になり、「間違った道を選んだ」という思いが暴走し、希死念慮に囚われ入院を余儀なくされた。 「自分はこの場にふさわしくない」「ダメな人間だ」と思い込んだ過程を、舞は精神科医として注意深く聞き取り、宏一は学者らしい入念さで自分の心に迫っている』、「アメリカでその日本経済を教えるのだという気負いが、宏一のうつを悪化させた。母語でない言語で学問を教え、高い水準で存在を承認してもらうことに伴う苦しみは、想像を絶するものだった。「頭が破裂しそう」になり、「間違った道を選んだ」という思いが暴走し、希死念慮に囚われ入院を余儀なくされた。 「自分はこの場にふさわしくない」「ダメな人間だ」と思い込んだ過程を、舞は精神科医として注意深く聞き取り、宏一は学者らしい入念さで自分の心に迫っている」、なるほど。
・『夏目漱石の時代からの変わらぬ葛藤 自分の問題として能動的に取り組みなさい」というアメリカ医療のスタンスに驚きながらも、「大うつ病」から「双極性Ⅱ型障害」と診断名が変わり、自分に合う薬と出会った宏一は、症状がなくなる経験をする。 医療者としての舞は、宏一の症状のなかに「インポスター症候群」を見る。自分の力で達成したことを自分で評価できなかったり、他人が思う能力に自分が値しないと過小評価したりする症状である。さらに舞は、投薬や通院を「負け」「ずるい」と考える傾向がいまだに根強いことを指摘、「内的評価」を育てることの重要性を説く。 学問の高みは、生半可な努力では通用しない世界だ。スポーツでいえばオリンピック代表。日々の鍛錬の果てに、ようやく場に立つことが許される。その世界を極めながらも、異国にあってマイノリティとならざるを得ぬ、息苦しさ。夏目漱石の時代から変わらぬ葛藤が、そこにある。 一度入り込んだ恐怖、襲いかかる妄念をふり払うのは、容易なことではない。 退院後も治療は続き、宏一は一部の講義を担当できなくなった。そのころ息子・広太郎は3000マイル離れた西海岸で、ガラス作家となっていた。いつしか父と同じように希死念慮に取りつかれるようになり、酷く苦しんでいた息子に、宏一は様々な理由から会いに行くことができなかった。死の一報を受けた日の、身を切るような痛みを、宏一は鮮明に覚えている。 「息子を亡くした苦しみ、そして自分にはうつ体験がありながらそれを防げなかったという後悔から解放されることは一生ない」 家族を亡くした人と気持ちを共有させてほしいという思いから、宏一は辛い経験を詳細に語る。それに対し舞は、精神疾患には遺伝要因が大きくかかわるとしつつも、遺伝子の発現には疾患リスクだけでなく、その人をその人たらしめている様々な美点も含むのだと語る。やんちゃだった広太郎の輝くような笑みは、変わらず周囲の記憶に刻まれている』、「息子を亡くした苦しみ、そして自分にはうつ体験がありながらそれを防げなかったという後悔から解放されることは一生ない」、実に悲痛な体験だ。
・『経済学と精神医学の類似点 宏一の気づきは、経済学と精神医学の類似点へと向かう。 専門家が見れば、症状の深刻度合いはわかるが、病名や治療薬は必ずしも確実ではない。複雑な要因がからみあって生じた症状に対して、試行錯誤を重ね危機に陥らぬよう手当てしていく、そういった点で似かよっているのだ。 病気をきっかけとして宏一は、数理経済学・理論経済学から政策へと視座を変え、日銀の金融政策緩和を提言したことがひとつのきっかけとなって、内閣官房参与となって経済政策を先導することになる。アベノミクスの功罪、回復の過程で気づかされた学問世界の隘路については、本書後半に詳しい』、「病気をきっかけとして宏一は、数理経済学・理論経済学から政策へと視座を変え、日銀の金融政策緩和を提言したことがひとつのきっかけとなって、内閣官房参与となって経済政策を先導することになる」、「視座」変更は初めて知った。
・『大きな災厄のなかでのレジリエンス 読み通すと、光が見えてくる本だ。 宏一の業績は高く評価される。政策論議から怒りを買ったアメリカ政府高官からさえも「学問的成果を尊重する」の一言があり、それが認知療法的に有効だったという。アメリカまで駆けつけてくれた同僚もいる。他人の絶え間ない評価や手助け、そして新しい仕事が、回復の一助となっていくのだ。 宏一には、苦しい時期の彼の口述を手記としてまとめた現在の妻が、また今も各地で、地に足の着いた生活をする家族がいて、交流がある。世に知られた人が立て続けに大きな災厄に見舞われた時に、レジリエンス(弾性)ある身内の存在はどれほどの支えとなっただろうか。そのレジリエンスもまた、宏一を介して培われたものに違いない。 舞は「ラジカル・アクセプタンス」という言葉を最後に引用している。仏教の思想を基とする心理用語で、「起きたことは起きたこと」と、事実をアクセプト(受容)して前に進むことを意味する。 「また自分がどこかで役に立てるだろうと未来を信じること」 「いまどう最善の道を選ぶのか」 宏一は文字に記すことで、長い闘いの果ての精神の有り様を後世に伝えている。 その模索は深く長く、心に響く』、「宏一は文字に記すことで、長い闘いの果ての精神の有り様を後世に伝えている。 その模索は深く長く、心に響く」、貴重な資料になるだろう。
タグ:(その7)(2)(内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より2題:精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない、人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは?) 経済学 文春オンライン「内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より 精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない。「精神医学と経済政策が似ている」ワケ」 『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書) 「その先生が言うには、医学と経済学は「患者(国民経済)の状態について本当はよくわからない時が多いのが似ているのではないか」と。しかし、「この症状がたいしたことはないか、深刻になりそうかは大体の勘で判断はつく」「どの専門医につなげばいいか」ということはわかる、けれども、「この病はAで」とか「Bをすれば治る」などとは必ずしもわかるわけではないというわけです。 とりわけ精神医学の場合はそうだと言えそうですね」、なるほど。 「景気の悪い時に昔の日銀のように金融を引き締め円高にしようとする場合、あるいは震災の時に復興が重要な時の財務省のように財政均衡を優先としたりするような理不尽な政策は経済学の基本原理に反するので学者がとがめるべきなのですが。基本原理については、いまの経済学で素人の人よりは学者のほうがわかっているのはもちろんです」、実際には日銀や財務省の「理不尽な政策」をとがめた「学者」は多くはなかった。 「必要以上の円高の下では日本物価が例えば米国のそれより高いわけですので、日本で造ったものが海外に売れないわけです。そうして、円高は日銀が金融緩和すれば止めることができたのに、それを日銀がしなかったために日本は20年ものデフレ景気沈滞が続いたというのがわたくしの(おそらく正しい)意見です。 安倍晋三首相の第二次政権(2012―2020)の功績は、とくに日銀総裁に黒田東彦氏を任命して、それまでの円高にあえぐ日本経済を、金融緩和、円安の方針で救ったのです。 私も安倍首相の内閣官房参与として、その一翼に参加しました・・・そのため強い円高が生じました。そこでアベノミクスで黒田日銀総裁の異次元の金融緩和を行い、円高を阻止しました。これが安倍第二次内閣の特にその前半にアベノミクスが顕著に日本の雇用増加に働いた理由です」、なるほど。 「日本の経済成長を妨げる要因として少子化や多様性の欠如などが頻繁にあげられますが、そう考えると、日本の古典的な労働観やジェンダーバイアス、さらに家庭を持ちながら仕事をすることのハードルの高さといった現状の是正こそが、長期的に経済効果をもたらすのかもしれないと考えてしまいます。今こそ多くの人が健康や家庭を犠牲にせずに自分の能力が発揮できるような社会に近づいてほしいですね」、その通りだ。 「同僚の方が「でも精神医学は患者を治すことができる。経済学がどうかはわからないけれど」と答えられたというエピソードがありました。これも大変印象的でした。 浜田さんが試行錯誤のプロセスを経て、今もリチウムの服用を続けていらっしゃること。その間、きっと様々な感情の変化と付き合いながらも、しかし当時のような希死念慮や深いうつ状態はその後は経験されずに人生を送られてきたこと。 その事実は「精神医学は患者を治すことができる」という言葉が確かに真実であると示してくれるもので、私も医師として勇気づけられる言葉でした。希望をいただきました」、なるほど。 文春オンライン「郡司 珠子郡司 珠子:アベノミクスのブレーン・浜田宏一氏が経験した双極性障害、息子の自死。人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは? 内田舞×浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)を読む」 舞の母・千代子は、娘と同じく精神科医。アメリカでうつを発症した宏一が頼ったのが、同じイェール大学にいた千代子だった。 「終身在職兼付きでイェール大学に招聘され、英語で博士課程を教える立場となった宏一は、講義恐怖症から重度のうつを発症」、「英語で博士課程を教える」のが「重度のうつを発症」するほど、ストレスがあるもののようだ。 「アメリカでその日本経済を教えるのだという気負いが、宏一のうつを悪化させた。母語でない言語で学問を教え、高い水準で存在を承認してもらうことに伴う苦しみは、想像を絶するものだった。「頭が破裂しそう」になり、「間違った道を選んだ」という思いが暴走し、希死念慮に囚われ入院を余儀なくされた。 「自分はこの場にふさわしくない」「ダメな人間だ」と思い込んだ過程を、舞は精神科医として注意深く聞き取り、宏一は学者らしい入念さで自分の心に迫っている」、なるほど。 「息子を亡くした苦しみ、そして自分にはうつ体験がありながらそれを防げなかったという後悔から解放されることは一生ない」、実に悲痛な体験だ。 「病気をきっかけとして宏一は、数理経済学・理論経済学から政策へと視座を変え、日銀の金融政策緩和を提言したことがひとつのきっかけとなって、内閣官房参与となって経済政策を先導することになる」、「視座」変更は初めて知った。 「宏一は文字に記すことで、長い闘いの果ての精神の有り様を後世に伝えている。 その模索は深く長く、心に響く」、貴重な資料になるだろう。
経済学(その7)(内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より5題:なぜ、いま心の病を語るのか?、必要な助けを求めるのを躊躇してしまう日本人 状況を改善するために働きかけるアメリカ人、浜田宏一氏がいま語るアベノミクスの功罪、精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない、人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは?) [経済政治動向]
経済学については、本年3月7日に取上げた。今日は、(その7)(内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より5題:なぜ、いま心の病を語るのか?、必要な助けを求めるのを躊躇してしまう日本人 状況を改善するために働きかけるアメリカ人、浜田宏一氏がいま語るアベノミクスの功罪、精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない、人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは?)である。ただし、このうち、精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない、人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは?の2つは明日紹介したい。
先ずは、7月19日付け文春オンライン「内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より:アベノミクスのブレーンとして知られる経済学者の浜田宏一氏は、長らく躁うつ病に苦しんできた。なぜ、いま心の病を語るのか?」を紹介しよう。
・『アベノミクスのブレーンとして知られる経済学者の浜田宏一氏。その活躍の裏側で長らく躁うつ病に苦しんできた。さらに回復の途上、実の息子を自死で亡くす。人生とは何か? ともにアメリカで活躍するハーバード大学医学部准教授で小児精神科医の内田舞氏を聞き手に、その波乱に満ちた半生を語る。7月19日発売の『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)から一部抜粋してお届けします。(全2回の1回目/続きを読む)』、「実の息子を自死で亡くす」、とは初めて知った。
・『なぜ心の病を語るのか 内田 お久しぶりです。浜田さんとは、私と同じく精神科医である私の母を通して知り合いました。私がまだ幼少時、イェール大学のあるアメリカ東部のニューヘイブンに家族で住んでいた頃からのご縁で、また研修医としてイェール大学で過ごした時期にも何度かお会いする機会がありました。 当時、浜田さんはイェール大学経済学部の教授で、ゲーム理論を国際金融の具体的な政策問題に適用して、イェール大に招かれて教えられていました。その後、安倍政権下で内閣参与として日本の経済政策に関わられることになりました。アベノミクスの推進者でいらっしゃることはみなさんご存じの通りで。 浜田 舞さんのお母さまの千代子ドクターとは友達でありながら、同時に千代子先生に精神科医としてアドバイスを仰ぎ、様々な面で助けてもらいました。イェール大学の入院生活を終えた後もうつが続き、どうしても母国語の日本語でないと本心が語れないと感じていた1987年頃に、ちょうど舞さんとご両親がニューヘイブンに越してきて、経済学部の研究員に日本人の精神科医である千代子先生を紹介してもらいました。 千代子先生は当時イェール大学の客員研究員として臨床を勉強されていたので診察を受けることはできなかったのですが、たくさんの相談に乗ってもらったのです。その後もアメリカに主治医がいるものの、少し長めに日本に帰国する機会があったときには、千代子先生に日本の精神科の主治医として診ていただいた。「うつは患者のエネルギーが回復する治りかけが最も自殺のリスクが高く、危ないから油断してはならない」ということを適切な時に言ってくださったりして、本当にお世話になりました。知人にも「私のうつを治してくれた人の一人」と紹介しています。出会った頃の舞さんはまだ小さいかわいいお子さんでした。 内田 浜田さんは社会的には成功されていると映るキャリアのその裏側で、躁うつ病で長らく大変な時期を過ごされてきたんですよね。これまであまりオープンにされてこなかったと思うのですが、今回、お話しになろうと決意されたのはどうしてでしょう。 浜田 拙著『エールの書斎から』(NTT出版)のなかに、そして友人の西部邁さんの追悼文のなかに少しだけは書きましたが、誰かのためになればと、いずれきちんと体験を語りたいと思ってきました。実は息子もうつ病で亡くしていましてね。ただ、私ひとりの闘病記というのは出版社に話をしてみてもなかなか出版はむずかしいらしい。 舞さんは私と同じくアメリカに来られて、こちらでの暮らしも長いです。いまはハーバード大学で小児うつ病センター長をされていて、臨床医でありながら、脳神経科学を通して感情を理解する研究もされている「心の病」のプロフェッショナルです。日本で教育を受け、その後アメリカに学び、暮らし、日本とアメリカの文化の両方を知っているという意味で私とも境遇が似ているところがあります。 そして昨年出版された『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』(文春新書)は、そんな舞さんのアメリカの生活に根差した視点で評判になったように、日本でも積極的に発信されている。精神科医と患者の、しかし主治医と患者という関係ではない、背景に共通点のある二人の対話ならうまく伝わるところもあるのではないかなと』、「精神科医と患者の、しかし主治医と患者という関係ではない、背景に共通点のある二人の対話ならうまく伝わるところもあるのではないかなと」、なるほど。
・『経済学と精神医学は似ている 浜田 さらに、これは追々お話ししてみたいのですが、私は経済学と精神医学、より正確には経済政策と医療にはどこか似たところがあるとも思うわけです。 内田 それは面白い視点ですね。どういうところでしょう? 浜田 英語で「うつ状態」は「ディプレッション(depression)」ですが、経済学では同じ言葉の「ディプレッション(depression)」は「不況」を意味しますから。英語で「大(だい)うつ病」は「メジャー・ディプレッション(major depression)」ですが、「グレート・ディプレッション(great depression)」と言えば「大恐慌」のことですね。わたくしは初診の医者にそう言う元気がありました。 言葉遊びのように聞こえるかもしれませんが(笑)、科学的でありながら、ひとつに解決策が定まらなかったり、患者さんや経済の変化を見ながら修正を重ねるところだったり、技法が科学というよりアートに近いと感じられるところなんかが共通していると思います。それはまた後々お話しすることにしますが、舞さんを聞き手にお迎えしたら、直接の主治医ではないからこそ聞いてもらえることもありそうです。学問や日米文化の比較や社会のことまで、多岐にわたるお話ができるのではないかと。それから、心の病は遺伝も大きいでしょうが、時代や社会など環境とも無縁ではないので、そのあたりも伺いたい。 内田 ありがとうございます。浜田さんのように経済学の研究実績もあって、日本の経済政策にも携わられた方が、ご自身の躁うつの闘病について、また、そこからの回復を語ってくださるのは本当に貴重だと思いますし、今回の対話の機会に感謝しています』、確かに類似点があるのは興味深い。
・『メンタルヘルスの現在地 内田 アメリカでは日常生活のなかでセラピーを受ける人も多いですし、メンタルヘルスで苦しんだ経験や精神科の受診について友達同士で語り合うのもごくごく普通のことになってきました。もちろん今でも偏見がまったくないわけではないにせよ、浜田さんがアメリカで精神科に最初かかられた1980年代半ば頃はおそらく今のようにオープンに語られることはなかったでしょうし、日本においてはなおそうだったのではないでしょうか。 私は小児精神科医で、日ごろは子どもたちのメンタルヘルスの問題を扱っていますが、日本では小児精神科の確立が発達途上であることからも、まだまだ心の不調で医療にかかるのはハードルが高く、正しい知識も十分に伝わっていないのではないかと感じています。 浜田さんがどのように躁うつ病とともに生きてこられたのか、アメリカでどのような治療を受けて何がきっかけで回復に向かわれたのか、そして息子さんをご自分も苦しまれたうつで亡くされるというつらい経験からどう立ち直られたのか。息子さんを亡くされるという体験、また、ご自身の闘病について浜田さんがつづられた手記を私は今回読ませていただきましたが、その手記の内容も交えてお話を伺いながら、心の不調とともに生きることのヒントも探っていけたらと思います。 浜田 手記というのは、いまの私の妻であるキャロリンが私の口述をもとにして2000年頃にまとめてくれたものです。前半の2章は息子の広太郎のこと、後半の2章は入院中のことを含め自分の闘病について語ったものです。自分のこととはいえ今では忘れかけていることもあり、本書が生まれたのはこの手記があったからとも言えます。私のうつ症状の対処に苦労しながらも、こうやって記録に残してくれたことを、妻のキャロリンに感謝します』、「私のうつ症状の対処に苦労しながらも、こうやって記録に残してくれたことを、妻のキャロリンに感謝します」、なるほど。
・『闘病を回顧することの意義 浜田 ところで、舞さんもご存じの私の主治医のボルマー先生に、今回の舞さんとの対話で当時のことを思い出して「またうつの症状が再発しないだろうか」と相談をしたら、「心配はないしないでよい」と言われました。舞さんにはそれどころか、「むしろ改善につながるかもしれない」と背中を押していただきました。 内田 もしかしたら途中でつらかった時期のことを思い出されて感情的になったり悲しくなったりされることもあるかもしれませんが、そのときはもちろん私もサポートしますし、休憩しながらお話しできればと思います。そして、今は以前と比べてもうだいぶうつの状態も安定されていて、ボルマー先生も近くにいらっしゃるからきっと大丈夫だと思います。 さらに、ご闘病を回顧する機会というのはとても大事なものだと思います。当時は気づかなかった気分の悪化のきっかけや回復に役立ったことが具体的に思い起こされたりすることもあるでしょう。また、自分自身がどのようなことに価値を感じて生きてきたのかがはっきりすることもあります。そうした振り返りの過程を経ることで、今まで肩に背負ってきたトラウマや後悔、あるいは気づかずに自分自身に向けていた偏見などから解放されることもあります。この対話がそんなきっかけになってくだされば嬉しく思います。 浜田 私も88才になりますが、人から見れば学者としても政策アドバイザーとしても、大変恵まれた人生に生まれたと思われるかもしれませんね。他人に対してヒントになるかどうかわかりませんが、この本が少しでも人々のうつのつらさを和らげ、あるいは人生に思い悩んでみずから命を絶つ人を減らすことにつながれば嬉しいです。 内田 きっと多くの人を勇気づけてくれる本になることと思います。無理せずゆっくりまいりましょう。 (内田舞氏の略歴はリンク先参照) (浜田宏一氏の略歴はリンク先参照)』、「ご闘病を回顧する機会というのはとても大事なものだと思います。当時は気づかなかった気分の悪化のきっかけや回復に役立ったことが具体的に思い起こされたりすることもあるでしょう。また、自分自身がどのようなことに価値を感じて生きてきたのかがはっきりすることもあります。そうした振り返りの過程を経ることで、今まで肩に背負ってきたトラウマや後悔、あるいは気づかずに自分自身に向けていた偏見などから解放されることもあります」、なるほど。
次に、7月19日付け文春オンライン「内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より:必要な助けを求めるのを躊躇してしまう日本人、状況を改善するために働きかけるアメリカ人ーー病のときに医療とどう向き合うか?」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/72071
・・・・「重いうつ病」という診断 浜田 このような日常を送るにつれうつ気分が進み、「これでは大変」だと思って、イェールの職員のための診療所に行って初診をしてもらいましたら、「重いうつ病」だと診断されました。それまで、うつ的な症状を実は経験しながらも、自分は精神科医とは全く無関係と思っていた私には驚きでした。医者はまったく笑わずこちらを見ていて、まるで患者たちの全手の重荷を背負っているような風情でした。こちらがうつだから冷たく見えただけかもしれませんが。 内田 いただいた手記には、最初は全然笑わないから印象はネガティブだったけれども、でも実際に初診が終わってからは、うつの症状が少し軽減したと書いてありましたね。 浜田 そのように言っていましたか。その医師が今度はある街の精神科医を紹介してくれました。僕が“ケミスト(chemist)”と呼びたくなるような薬一辺倒の人でした。なぜケミストと呼ぶかというと、彼とはわたくしの精神状態を議論した覚えはほとんどなく、私が高コレステロール症といったとたんに抗コレステロール薬の話に花が咲いたことがあったからです。とはいっても彼が入院を勧めてくれたので実は恩人の一人なのですが。パメラーを処方されました。 内田 三環系というひと昔前によく使われていた抗うつ剤ですね。 浜田 でもなかなか良くならなかった。当時、薬を飲みながらも講義はしていたものの、眠気は絶えず襲ってくるし、頭に靄がかかったような感じで全然自信がなくなって、博士課程の院生の授業が教えられなくなったんですね。修士課程の授業には集中できたけれど、博士課程を教えるのはどんどん難しくなっていった。 内田 うつの症状で頭が働かなかったせいもあると思います。また、近年使われている抗うつ薬の副作用はずいぶん減ってきましたが、当時使われていた三環系の薬は頭をぼんやりさせてしまう副作用もあったので、それで頭に靄がかかったように感じられたのかもしれないですね。 浜田 初診の診療所の医者は、「ロラゼパムというマイナー・トランキライザーを処方しますか」と言っていましたが、僕はそのとき「要らない」と言ったんですね。これは大失敗だったのかもしれない。そして彼に紹介された「ケミスト」の先生は、マイナー・トランキライザーは抗うつではなく、むしろ昂うつ剤で、結局はうつを悪化させてしまうので飲まないように、という方針でした。アルコールのような依存性があるからと。すると心の休まる時間が一日中ないのです』、医者によって、処方薬の考え方もずいぶん違うようだ。
・『抗うつ薬に依存性はあるのか 内田 ロラゼパムはベンゾジアゼピンというカテゴリーに入る薬で、ひと昔前は「マイナー・トランキライザー」、直訳すると「少し鎮静化させる薬」と呼ばれておりました。 このカテゴリーの薬は、その場で高まっている感情、特に怒りや不安を下げてくれる薬で、どうしたらいいかわからないと感じるパニック状態などには最もよく効くものです。高所恐怖症の方が飛行機に乗らなければならないとき、先端恐怖症の方が予防接種を受けるときなどに予防的に飲むこともありますね。ただ、確かに依存性があるので、効果のベネフィット(利点)と依存性のリスクのバランスを、その人、その状況によって判断する必要があります。 もちろん依存性は回避したいものですが、ここでは投薬のリスクとともに投薬をしないリスクも考えなければなりません。ついつい副作用や依存性といった投薬のリスクに目が行きがちですが、逆に投薬を避けて、どうしようもない不安に駆られる時間が続いてしまうのもとても苦しいことです。そういった状況では、不安を取り除いてあげることのベネフィットが上回ることも多いのです。 そして、薬というのは処方の仕方次第でリスクを低くおさえることもできます。私自身、医師としては、なるべく低いリスクで一番高いベネフィットをもたらすようなプランを常に考えようとしていますね。さらに、不安とうつは頻繁に共存して、お互いを悪化させ合うものです。高まる不安や強い不快感などをベンゾジアゼピンで取り除くことで、うつ気分が少し改善するということもあるので、マイナー・トランキライザーが必ずしも「うつを悪化させる」わけではないように思えます。 浜田 なるほど、そういう説明は初めて聞きました。 私が経験したうつ病には、「日まわり症状」といって、午前中にうつが強くなって、午後になるとつらさが和らぐサイクルがありました。これは1986年に病院に入ってからのことですが、朝になると今日こそは薬なしで我慢しようと毎日頑張ったわけです。でもうつの状況がよくならず、いよいよその薬(ロラゼパム)を医局室の窓口までもらいに行くとなった時のみじめな感じをよく覚えています』、「依存性は回避したいものですが、ここでは投薬のリスクとともに投薬をしないリスクも考えなければなりません。ついつい副作用や依存性といった投薬のリスクに目が行きがちですが、逆に投薬を避けて、どうしようもない不安に駆られる時間が続いてしまうのもとても苦しいことです。そういった状況では、不安を取り除いてあげることのベネフィットが上回ることも多いのです。 そして、薬というのは処方の仕方次第でリスクを低くおさえることもできます。私自身、医師としては、なるべく低いリスクで一番高いベネフィットをもたらすようなプランを常に考えようとしていますね。さらに、不安とうつは頻繁に共存して、お互いを悪化させ合うものです。高まる不安や強い不快感などをベンゾジアゼピンで取り除くことで、うつ気分が少し改善するということもあるので、マイナー・トランキライザーが必ずしも「うつを悪化させる」わけではないように思えます」、なるほど。
・『薬に頼ること=敗北、ズルという考え方 内田 この薬なしでは一日耐えられなかったという敗北感のような感覚だったのでしょうか。 浜田 まさに敗北感です。しかし、その薬なしでは死んでしまいたい気持ちになることもありました。 内田 そうですか。「薬を飲むこと=敗北」のように捉える見方はいまもありますし、メンタルの不調で薬に頼るのはよくないという考えはうつ病患者さんだけではなく、社会で広く共有されているところがあります。でも、私はそう感じる必要はないと思うのです。 もちろん薬ではなく、心理療法や、趣味、運動や人との交流による気分転換、環境への働きかけなどで抑うつ気分が治るのであれば、その方がいいとは思います。しかしそれらの手段をどんなに試してもよくならないうつ症状もあれば、さらにうつ気分が重症すぎて気分転換すら手につかないという状況もあります。そんなときにもし気持ちを回復させてくれる安全な薬があるのであれば、それは選択肢の一つであってもいいのではないでしょうか。 頭痛がするときには頭を冷やしたり、首の筋肉をもみほぐしたりしますよね。それでも痛みが止まないときには頭痛薬を飲んだり、あるいは頭痛の原因となっている疾患を治療します。それと同じように、抑うつ気分も薬によって症状を軽くすることで心の痛みが軽減することはあるし、うつ病という病の治療に薬が必要なことも多いのです。 それは決して失敗でも敗北でもなく、自分のケアをしているだけなのです。そういった考え方へと少しずつ個人個人、そして社会の認識が変わっていけば、もしかしたらうつ病に苦しむ人がいまより減るかもしれない、現に苦しんでいる人がもう少し早い段階で助けを求められるようになるかもしれない、と思います』、「うつ病という病の治療に薬が必要なことも多いのです。 それは決して失敗でも敗北でもなく、自分のケアをしているだけなのです。そういった考え方へと少しずつ個人個人、そして社会の認識が変わっていけば、もしかしたらうつ病に苦しむ人がいまより減るかもしれない、現に苦しんでいる人がもう少し早い段階で助けを求められるようになるかもしれない、と思います」、なるほど。
・『必要な助けを求めるのを躊躇してしまう日本人 浜田 日本人は特に苦しんでいても、必要な助けを求めるのを躊躇してしまいますね。アメリカだったら、自分がある問題で悩んでいるとなれば、「まずは専門家に相談してみたら」とサポートにつながることを促されたり、あるいは「あなたを困らせている人と交渉してみたら」とその状況を変えるための働きかけを示唆されることが一般的ですよね。でも日本では、「自分に悪いところがないかもまず考えてみなさい」となるのではないでしょうか。 内田 あとは日本では「とにかく耐えなさい」と我慢を強いられることが多いかもしれませんね。 先日、ボストンに住んでいる同世代の日本人の方に街で偶然出会ったときに、その人がご自身の不安について話されたことがありました。そこで私は、認知行動療法をはじめ、不安を和らげるストレスマネージメントやリラクゼーションの方法を少し紹介した後に、「必要であれば、こういう薬も効くよ」と思いつく選択肢をパパッとアドバイスのつもりで伝えたんですね。そうしたら、薬の話をした途端に、「そんなチート(cheat)するのなんて嫌ですよ」という反応が返ってきて。 浜田 ああ、ズルをすると思われたんですか。 内田 不安をコントロールするためにはいろんな手段があって、その一つの中に薬も入っていてもいいと思うんです。でも精神科の治療薬に関しては、必要が生じて頼ることになったとしても、処方されては「負け」あるいは「ずるい」というネガティブな印象がもたれているのだなと感じた会話でした。 浜田 ズルをするということに関して、思い出すことがあります。私がうつになったあとで、日本の尊敬する経済学者から「浜田くんは学問がうまく行かないことをうつのせいにして、言い訳をしている」と言われたことがありました。この言葉にはあとで述べるような経済学、数理経済学の本質にかかわるような問題提起もあるのですが、精神医学上、これはうつ患者に対して言ってはならないことでしょう。私としては、とても辛い経験だったのにもかかわらず、「言い訳」として捉えられてしまった。 内田 それは酷いですね。しかし、残念ながら近年も同じような話をよく耳にします。 例えば、テニスの大坂なおみ選手が自身の抑うつ気分について語り、メンタルヘルスを守るために試合直後の記者会見には出席しないと発言したときには、多くの人が「うつを言い訳にして、義務を放棄している」と彼女を非難しました。あるいは逆に、「うつなのに、ファッション誌の撮影はできるのか」と仕事を選択的にこなせていることを取り上げて、「こういった仕事ができているのであれば、うつではないはずだ」と彼女を嘘つき扱いをしたのです。 うつなどの精神科の病があったとしても、それで社会的機能がすべて失われるわけではなく、むしろうつに苦しむ人のほとんどは仕事や家事育児をこなしながら生きています。たとえば足の怪我をしたときに、長時間の立ち仕事はできなくとも、座りながらの事務作業ならばできるといったこともあるでしょう。しかし痛みが強すぎたら、座りながらの仕事でさえ手につかなくなることもある。同じようにうつも症状によって、できることとできないことがあるのは当然で、重症の場合には生活のすべてに影響が及ぶものなのです。 また、大坂選手は試合後の記者会見を取りやめた理由として、試合が終わったばかりの気持ちが未整理のタイミングで、記者からの批判的な質問に晒される場に自分自身を置きたくないという説明がありました。次の試合が控えていればなおさらです。こういった自尊心を守る選択というのは、うつであったとしてもなかったとしても、あるいは大坂選手のように公の目にさらされるテニスプレーヤーであったとしてもなかったとしても、誰もが自分のためにしていい選択だと思うのです』、「自尊心を守る選択というのは、うつであったとしてもなかったとしても、あるいは大坂選手のように公の目にさらされるテニスプレーヤーであったとしてもなかったとしても、誰もが自分のためにしていい選択だと思うのです」、その通りだ。
・『希死念慮とはーー「この世界から隠れたい」と思うまで(内田 手記の中では、うつの状態が重くなっていくのを感じられる過程も書かれていましたね。当時の奥様に「あんなに大好きだった音楽を楽しめなくなったのはおかしいよね。」と言われたことがうつの重症度を物語っていた、との記述が大変印象的でした。好きだったはずのことも楽しくない、楽しめないというのはうつの大きな特徴ですね。 浜田 はい、大好きだった音楽会も楽しめなくなりました。治療中でも鬱々として音楽会に行きたいと言うと、家内が一緒にニューヨークに日帰りで連れて行ってくれたのを覚えています。 主に天井桟敷でしたが、メトロポリタン・オペラで未見だったオペラの『ボリス・ゴドゥノフ』、モーツアルトの『魔笛』などを見ることができました。また、ベートーヴェンのピアノ協奏曲を全部弾くというシリーズを聴きに行ったこともあります。しかし、うつ気分の中では、アバドとポリーニという大演奏家の演奏を聴いても、ただ機械的に演奏しているように聴こえてしまった。 僕の趣味は童謡やクラシックの作曲なのですが、後に自作集のCDを作っていただいた中野雄先生は、大演奏家でも時々、音楽的センスから言うと冴えない演奏をすることがあると。特にその2人は浮き沈みが高いから、自分のせいだけと考えないほうがいいと後になって言われました。しかし、音楽も楽しめなくなってしまったのはその通りで、「これは重大な事態だ」と自分でも気づくきっかけだったんです。 コネチカット州にノーウィッチという温泉がありまして、日本の温泉とはずいぶん違って、ゆっくり浸かって気分が豊かになるという趣ではないんですが、家内がうつに効くかもと連れて行ってくれました。しかし、ニューヘイブンに戻る帰り道ではまた講義が不安で暗雲に包まれた気持ちになってなかなか心が晴れない。次第に手紙を開けるのさえ、悪い知らせがあるのではないかと怖くなって、ごく限られた親しい人を除いては付き合いを避け、「この世界から隠れたい」という気持ちが強まってきました。 そんなことでだんだん疲れてきて、あるとき夜思い余って一人になったら、自分の頭が破裂しそうだと感じました。これ以上この生活を続けていると自分がだめになるという恐怖にさらされました。自分はいくつもの間違いをおかして人生を台無しにしてしまった、子どもたちや家内の反対にもかかわらず安定した有名大の地位もなげうって間違った道を選んでしまった、そんな間違いをするなんて自分はダメな人間だ、という思考が止まらなくなった。 ジェームズ・トービンという私の先生は、単にノーベル経済学賞授賞者であるだけでなく、経済学史上に残る大先生で、僕のことを心配しては食事に誘って慰めてくれたりもしました。しかし、料理屋で近くの食卓に座る人が、わたくしの講義を批判してくる大学院生に妄想で見えてくることがありました。そうすると、いつしか自殺したいという思いが出てくる。この苦しみはなかなか終わらない。どうしたら無事に自殺できるかまで考えるようになったんです。 (内田舞氏の略歴はリンク先参照) (浜田宏一氏の略歴はリンク先参照)』、「ジェームズ・トービンという私の先生は、単にノーベル経済学賞授賞者であるだけでなく、経済学史上に残る大先生で、僕のことを心配しては食事に誘って慰めてくれたりもしました。しかし、料理屋で近くの食卓に座る人が、わたくしの講義を批判してくる大学院生に妄想で見えてくることがありました。そうすると、いつしか自殺したいという思いが出てくる。この苦しみはなかなか終わらない。どうしたら無事に自殺できるかまで考えるようになったんです」、酷い時だったのだろうが、こんな「希死念慮」は深刻だ。
第三に、7月31日付け文春オンライン「田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より 経済学者・浜田宏一氏がいま語るアベノミクスの功罪。「安倍首相も自民党に残る男性優位の考え方から解放されていなかった」」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/72391
・『・・・アベノミクスが実現したこと、やり残したこと 浜田 さて、戦後の歴史を見ると、円安だった時期のほうが日本経済は生き生きとしていた。円安でエズラ・ヴォ―ゲルから「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とおそらく揶揄をも含めて言われていた日本の成長経路は、日本の貿易相手、欧米の産業にとってはハンディがきつすぎたと思います。そこで円高を是正しようとして、米・英・独・仏そして日本の代表がニューヨークのプラザ・ホテルに集まり各国の金融政策を変えて円高の体制に変えようとしたのが、「プラザ合意」です。 円高を保つには、日本の金融政策を諸国より引き締め気味に保っていかねばなりません。それに最大限の協力をしようとして、そしてまた1990年に向けて起こったバブルの後遺症を警戒しすぎて、引き締め政策を長く続けて円高に続けたのが、日銀総裁の三重野康、松下康雄、速水優、福井俊彦(彼は金融緩和をかなり効果的に続けたのですが、ゼロ金利解除を急ぎすぎた。しかし最後に引き締めました)、そして白川方明の各総裁です。これらの日本銀行総裁は、変動為替制度の下では為替レートが金融政策で操作可能なことを十分に理解しなかったか、理解していても正しい政策を実行できなかったわけです。日本が貿易立国を続けるのを完全に阻害し、平成時代の「デフレと沈滞の20年間」をもたらしたのです。 この状態から日本経済を救ったのが、「アベノミクス」を実践し、そのために最適任の黒田東彦日銀総裁を指名した安倍晋三首相でした。第二次安倍政権は、2012年末から始まりましたが、そのもっとも成果を上げたのは、新コロナ禍のはじまる2019年の終わりごろまででした。年度から年度で見て400万人以上の新雇用が生まれたことが知られています。ところで、私に都合よく統計を見ますと、四半期とのデータで、第二次安倍政権の初め(2013年、1-3月)からコロナ勃発の前年(2019年、10月-12月)を比較すると、かする程度ではありますが、実は550万人の新雇用を生んだのです。550万人と一言で言いますが、後楽園ドーム満員の収容人数が約5万5000人ですから、その100個分の雇用が生まれたわけです。新卒の就職状況も緩和して、大学教授がゼミの学生の就職先を心配しないでよくなった。これは、人々に幸福感をもたらしたといえないでしょうか。 非正規社員の雇用、とくに女性の雇用はめざましく増えた。しかし、日本の支配層にあたる中年の正社員の給与はあまり上がらなかった。よい教育を受けて、正社員でいる人の方が必ずしも生産性が高いとは限らないので、これも自然なことではありますが。ただ、みんながたくさん働いて外国からの企業収益も高まって、国民総所得(GNI)も増えたけれども、人々が豊かになった感覚がないと言われているのは、雇用が増えてもそれは非正規の部分が多くて賃金があまり上昇しなかったことによります。安倍さんは、為替レートが高すぎて日本企業が国内で生産できない苦しみを、金融緩和と円安で解消しまし、女性を含め非正規の人が増えた。日本の労働市場の民主化を助けたのです。労働者全体の平均賃金はあまり増えなかったのですが』、「この状態から日本経済を救ったのが、「アベノミクス」を実践し、そのために最適任の黒田東彦日銀総裁を指名した安倍晋三首相でした」、私は「アベノミクス」や「黒田東彦日銀総裁」を全く評価してない。「第二次安倍政権の初め(2013年、1-3月)からコロナ勃発の前年(2019年、10月-12月)を比較すると、かする程度ではありますが、実は550万人の新雇用を生んだのです・・・非正規社員の雇用、とくに女性の雇用はめざましく増えた。しかし、日本の支配層にあたる中年の正社員の給与はあまり上がらなかった」、なるほど。
・『もっと冒険してアイデアを育てる政策が必要だった 浜田 これはわたくしの反省でもありますが、安倍さんの時代に国民がもっと冒険してアイデアを育て、労働生産性をあげる政策も同時に必要だったんでしょう。各人の得意な点をより伸ばして個性を磨くような教育を普及しなければならなかった。それに、私も2019年の三度目の消費税増税の決断には反対の意見を述べるべきでした。そういった政策の不備もあって、いまも国民に豊かになった感覚がない状態が続いているようなのは残念です。 内田 550万人の新しい雇用というのは歴史的に見ても偉業ですよね。多くの人が働けるようになったことで国全体の生産量や労働生産性も向上し、新卒者の就職の心配も少なくなった。このように日本経済を豊かにしたのは評価されるべきアベノミクスの貢献ではないでしょうか。 浜田 その点を認めないジャーナリズムは間違っています。 内田 日本社会で一人ひとりがそれぞれのユニークな能力を伸ばして冒険ができるような文化が広がることは私も強く願っていますし、先ほど申し上げた通り、私はそれこそが一番長期的に効果のある経済政策なのではないかと思っています』、「浜田 これはわたくしの反省でもありますが、安倍さんの時代に国民がもっと冒険してアイデアを育て、労働生産性をあげる政策も同時に必要だったんでしょう。各人の得意な点をより伸ばして個性を磨くような教育を普及しなければならなかった。それに、私も2019年の三度目の消費税増税の決断には反対の意見を述べるべきでした・・・多くの人が働けるようになったことで国全体の生産量や労働生産性も向上し、新卒者の就職の心配も少なくなった。このように日本経済を豊かにしたのは評価されるべきアベノミクスの貢献ではないでしょうか」、私自身の「アベノミクス」の評価は前述の通り、全く評価してない。
・『何が女性の労働を妨げているのか? 内田 ここで、女性の非正規雇用が増えたということについて質問させてください。もちろん雇用はないよりもあった方がいいので、女性の雇用の受け皿が非正規であれ増えたことは良かったということは間違いないでしょう。しかし、日本の女性の労働者の正社員比率が低く、非正規雇用率が高いことは、やはり男性と比較すると考えさせられるところがあります。男性の非正規雇用も同じく増えているものの、正社員における男性比率が圧倒的に高く、この差異は男女間の大きな賃金格差をはじめとする経済的ジェンダーギャップの大きな要因でもあると語られています。 こう考えると、女性の職が増えたことが事実であっても、低賃金で雇われる女性労働者が増えたことは、誰にとっても暮らしやすくなったとは安易に言えないところもあるのではないかと思うのですが、この点はどのようにお考えでしょうか。 浜田 そうですね。現状を見ると本来なら実現されるべき同一労働、同一賃金の姿はかけ離れた形で雇用全体だけ増えたのを喜んでいていいのかが、正しい意味でのアベノミクス批判として残ります。日本女性の貢献度、活躍度を国際的に比較してみても、各先進国に劣るのをどう考えるかというのが、舞さんの指摘でしょう。 ただ、たんなる雇用量の改善、そして女性雇用量の改善も基本的に重要で、その点ではアベノミクスは当時の状況ではよく機能したことは間違いがないのです。とはいえ、理想の労働市場の姿から言えば、日本の労働市場に男女同一賃金、同一能力=同一賃金の原則が成り立つように変えていかねばならないのです。 内田 そのためには具体的にどういった道筋が考えられるのでしょう? 浜田 手始めとして、いまの女性労働の活用を阻害している、税法にある主婦の年収約130万円近くにある共稼ぎの壁を撤廃する必要があります。これはおそらく、女性をなるべき家庭のとどめようという男性本位のイデオロギーに依拠した法制であると思います。つまり、いま共稼ぎの主婦が年106万円、または約130万円を超えて働こうとすると、それ以下で免除されていた社会保障税を支払わなければならなくなっている。これが、非正規労働の女性の一層長く就業しようとする意欲を妨げています。 したがって、この壁がなかったならば、アベノミクスの女性労働増加はもっと顕著であったと考えられるのです。またこの制度の下では、雇用者も、賃金を増やすと税金も増えますよという形で、女性労働者を安く使うインセンティブが生まれるのです。世界的に見ても、日本で職場での女性の活躍度が低いのはこのような制度的条件、税法上のハンディが女性にはあるからです』、「世界的に見ても、日本で職場での女性の活躍度が低いのはこのような制度的条件、税法上のハンディが女性にはあるからです」、その通りだ。
・『「安倍首相も自民党に残る男性優位の考え方から解放されていなかった」 浜田 要するにアベノミクスの円安誘導とそれにともなう量的改善は有効でしたが、そこで男女の本質的な平等を実現するには、より根本的に法制度を含めた質的改善が必要なのです。このような制度的条件が不備であり、自民党にまだ残る男性優位の考え方から安倍首相も全く解放されていなかったのです。そのあたりにアベノミクスに対する世間の関心が冷えている理由があるのかもしれません。そして以上のことは、アドバイザーとしてのわたくしの自己反省であり、将来に向けては現岸田政権に対する要望でもあります。 内田 アベノミクスが実現した成果は大きいけれども、同時に浜田さんとしてはやり残したと思われる点もあるのですね。日本政府に残る男性優位的な価値観にも踏み込んで具体的に発言してくださってありがとうございます。きっと読者の方もこの箇所を読んでハッとされるのではないかと思います。 男性優位な価値観が自民党政治に留まらず日本社会全体において揺るがないこと、まさにそこが最後の砦だと私もアメリカにいてもどかしく感じるところなのですが、その砦を崩すには日本にどういったことが求められると考えられていますか。 浜田 まずは、日本のように学歴がいいだけで会社にいつまでも勤めていられる制度は、日本経済の成長阻害要因です。男女それぞれの能率の良さで賃金は払われなければなりません。 安倍さんはわたくしとの対談で、安倍家で初めは夫が60万の月給をもらっていたのに、妻が月給10万円で働けるようになったという事態を提起しています。家計は(したがって国民経済も)総合的に改善します。正規雇用と非正規雇用を分ける市場は問題がありますが、失業がなくなるのが第一で、雇用を増やすことにより国民全体が豊かになったことは確かです。そこからさらに男女均等にするには、別の努力が必要ですね』、「さらに男女均等にするには、別の努力が必要ですね」、その通りだが、そんな「努力」が払われるのは、まだこれからだ。
・『「女性の働き方」の問題は男性の問題でもある 内田 私がハーバードの研修医だった頃、指導医から「研修医として果たすべき責任は全員同じで、そして休む権利も同じようにある」と言われたことを思い出します。男性でも女性でも同じ責任を果たす機会が与えられ、果たした責任が同じであれば、同じ給与と待遇を得られるべきでしょう。 また、責任という点で、日本では女性が家事育児を担う時間が男性の5.5倍であるという調査が発表されました。家事育児という誰かがやらなければならない無償労働の責任と評価に不均衡があることも含めて、ジェンダー不平等問題は法や政策を使ったアプローチと同時に、教育や啓発による意識のアップデートも国全体で必要な状況だと感じます。 浜田さんがいい学歴さえあれば会社にずっと勤めていられる日本の労働システムの問題点を挙げられましたが、学歴一つとっても、女の子は男の子に比べて進学を期待されない無意識のバイアスがあったり、あるいは近年露呈したように、医学部入試では男性と同じ点数を取っても女性が入学できないような仕組みも暗黙裡に残されています。あるいは就職してからも、男女に寄せられる期待度には依然として開きがあり、同じ企業の中で学歴も実力も同等かそれ以上であっても、男性に比べて昇進がまわってこないような構造的差別のなかで女性たちは生きています。 また、こういった労働に関わるイシューは「女性の働き方の問題」として扱われがちですが、女性が働きにくい労働環境というのは実は男性をも苦しめているものだと思います。例えば、医学部入試の女性差別問題が発覚した際に、多くの医師が「出産する女性医師が欠けることで病棟は破綻するから、なるべく女性を医師にさせない施策は必要だ」と語りました。 こういった意見を聞いて、私は女性差別は他の問題、具体的には長時間労働の隠れ蓑にされていると思いました。病気や怪我は誰に起こるかわからないし、あるいは休暇は誰でも必要なのに、一人でも欠けたら破綻するほど過酷な職場での長時間労働が当たり前とされていること自体がそもそも問題だと思います。そしてその前提が男性には自明のこととされていていることもまた問題だと思ったのです。医師の過労死や自死率は男女ともに他の職種よりも高いことも考えると、ジェンダーに目が行きがちな話題ですが、同時に根幹にはもっと根深い問題も潜んでいるのですよね。 税制のことも、雇用のことも、全て個人の生活や社会のあり方にまで直接影響することであり、あらゆる角度からのアプローチが必要なのかと思います。 浜田 そうですね。そのためにも、まずは雇用を増やし、次にその雇用の条件や内容を吟味する、などと手を付けられる問題を一つずつこなしていくことが大切ですね。このようにどうしたら国民を豊かにしたらよいかに頭を使っていると、自分がうつ病であるということを忘れてしまうわけですね。 (内田舞氏の略歴はリンク先参照)。 (浜田宏一氏の略歴はリンク先参照)』、「医師の過労死や自死率は男女ともに他の職種よりも高いことも考えると、ジェンダーに目が行きがちな話題ですが、同時に根幹にはもっと根深い問題も潜んでいるのですよね。 税制のことも、雇用のことも、全て個人の生活や社会のあり方にまで直接影響することであり、あらゆる角度からのアプローチが必要なのかと思います」、その通りだ。
なお、精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない、人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは?の2つについては、明日紹介したい。
先ずは、7月19日付け文春オンライン「内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より:アベノミクスのブレーンとして知られる経済学者の浜田宏一氏は、長らく躁うつ病に苦しんできた。なぜ、いま心の病を語るのか?」を紹介しよう。
・『アベノミクスのブレーンとして知られる経済学者の浜田宏一氏。その活躍の裏側で長らく躁うつ病に苦しんできた。さらに回復の途上、実の息子を自死で亡くす。人生とは何か? ともにアメリカで活躍するハーバード大学医学部准教授で小児精神科医の内田舞氏を聞き手に、その波乱に満ちた半生を語る。7月19日発売の『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)から一部抜粋してお届けします。(全2回の1回目/続きを読む)』、「実の息子を自死で亡くす」、とは初めて知った。
・『なぜ心の病を語るのか 内田 お久しぶりです。浜田さんとは、私と同じく精神科医である私の母を通して知り合いました。私がまだ幼少時、イェール大学のあるアメリカ東部のニューヘイブンに家族で住んでいた頃からのご縁で、また研修医としてイェール大学で過ごした時期にも何度かお会いする機会がありました。 当時、浜田さんはイェール大学経済学部の教授で、ゲーム理論を国際金融の具体的な政策問題に適用して、イェール大に招かれて教えられていました。その後、安倍政権下で内閣参与として日本の経済政策に関わられることになりました。アベノミクスの推進者でいらっしゃることはみなさんご存じの通りで。 浜田 舞さんのお母さまの千代子ドクターとは友達でありながら、同時に千代子先生に精神科医としてアドバイスを仰ぎ、様々な面で助けてもらいました。イェール大学の入院生活を終えた後もうつが続き、どうしても母国語の日本語でないと本心が語れないと感じていた1987年頃に、ちょうど舞さんとご両親がニューヘイブンに越してきて、経済学部の研究員に日本人の精神科医である千代子先生を紹介してもらいました。 千代子先生は当時イェール大学の客員研究員として臨床を勉強されていたので診察を受けることはできなかったのですが、たくさんの相談に乗ってもらったのです。その後もアメリカに主治医がいるものの、少し長めに日本に帰国する機会があったときには、千代子先生に日本の精神科の主治医として診ていただいた。「うつは患者のエネルギーが回復する治りかけが最も自殺のリスクが高く、危ないから油断してはならない」ということを適切な時に言ってくださったりして、本当にお世話になりました。知人にも「私のうつを治してくれた人の一人」と紹介しています。出会った頃の舞さんはまだ小さいかわいいお子さんでした。 内田 浜田さんは社会的には成功されていると映るキャリアのその裏側で、躁うつ病で長らく大変な時期を過ごされてきたんですよね。これまであまりオープンにされてこなかったと思うのですが、今回、お話しになろうと決意されたのはどうしてでしょう。 浜田 拙著『エールの書斎から』(NTT出版)のなかに、そして友人の西部邁さんの追悼文のなかに少しだけは書きましたが、誰かのためになればと、いずれきちんと体験を語りたいと思ってきました。実は息子もうつ病で亡くしていましてね。ただ、私ひとりの闘病記というのは出版社に話をしてみてもなかなか出版はむずかしいらしい。 舞さんは私と同じくアメリカに来られて、こちらでの暮らしも長いです。いまはハーバード大学で小児うつ病センター長をされていて、臨床医でありながら、脳神経科学を通して感情を理解する研究もされている「心の病」のプロフェッショナルです。日本で教育を受け、その後アメリカに学び、暮らし、日本とアメリカの文化の両方を知っているという意味で私とも境遇が似ているところがあります。 そして昨年出版された『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』(文春新書)は、そんな舞さんのアメリカの生活に根差した視点で評判になったように、日本でも積極的に発信されている。精神科医と患者の、しかし主治医と患者という関係ではない、背景に共通点のある二人の対話ならうまく伝わるところもあるのではないかなと』、「精神科医と患者の、しかし主治医と患者という関係ではない、背景に共通点のある二人の対話ならうまく伝わるところもあるのではないかなと」、なるほど。
・『経済学と精神医学は似ている 浜田 さらに、これは追々お話ししてみたいのですが、私は経済学と精神医学、より正確には経済政策と医療にはどこか似たところがあるとも思うわけです。 内田 それは面白い視点ですね。どういうところでしょう? 浜田 英語で「うつ状態」は「ディプレッション(depression)」ですが、経済学では同じ言葉の「ディプレッション(depression)」は「不況」を意味しますから。英語で「大(だい)うつ病」は「メジャー・ディプレッション(major depression)」ですが、「グレート・ディプレッション(great depression)」と言えば「大恐慌」のことですね。わたくしは初診の医者にそう言う元気がありました。 言葉遊びのように聞こえるかもしれませんが(笑)、科学的でありながら、ひとつに解決策が定まらなかったり、患者さんや経済の変化を見ながら修正を重ねるところだったり、技法が科学というよりアートに近いと感じられるところなんかが共通していると思います。それはまた後々お話しすることにしますが、舞さんを聞き手にお迎えしたら、直接の主治医ではないからこそ聞いてもらえることもありそうです。学問や日米文化の比較や社会のことまで、多岐にわたるお話ができるのではないかと。それから、心の病は遺伝も大きいでしょうが、時代や社会など環境とも無縁ではないので、そのあたりも伺いたい。 内田 ありがとうございます。浜田さんのように経済学の研究実績もあって、日本の経済政策にも携わられた方が、ご自身の躁うつの闘病について、また、そこからの回復を語ってくださるのは本当に貴重だと思いますし、今回の対話の機会に感謝しています』、確かに類似点があるのは興味深い。
・『メンタルヘルスの現在地 内田 アメリカでは日常生活のなかでセラピーを受ける人も多いですし、メンタルヘルスで苦しんだ経験や精神科の受診について友達同士で語り合うのもごくごく普通のことになってきました。もちろん今でも偏見がまったくないわけではないにせよ、浜田さんがアメリカで精神科に最初かかられた1980年代半ば頃はおそらく今のようにオープンに語られることはなかったでしょうし、日本においてはなおそうだったのではないでしょうか。 私は小児精神科医で、日ごろは子どもたちのメンタルヘルスの問題を扱っていますが、日本では小児精神科の確立が発達途上であることからも、まだまだ心の不調で医療にかかるのはハードルが高く、正しい知識も十分に伝わっていないのではないかと感じています。 浜田さんがどのように躁うつ病とともに生きてこられたのか、アメリカでどのような治療を受けて何がきっかけで回復に向かわれたのか、そして息子さんをご自分も苦しまれたうつで亡くされるというつらい経験からどう立ち直られたのか。息子さんを亡くされるという体験、また、ご自身の闘病について浜田さんがつづられた手記を私は今回読ませていただきましたが、その手記の内容も交えてお話を伺いながら、心の不調とともに生きることのヒントも探っていけたらと思います。 浜田 手記というのは、いまの私の妻であるキャロリンが私の口述をもとにして2000年頃にまとめてくれたものです。前半の2章は息子の広太郎のこと、後半の2章は入院中のことを含め自分の闘病について語ったものです。自分のこととはいえ今では忘れかけていることもあり、本書が生まれたのはこの手記があったからとも言えます。私のうつ症状の対処に苦労しながらも、こうやって記録に残してくれたことを、妻のキャロリンに感謝します』、「私のうつ症状の対処に苦労しながらも、こうやって記録に残してくれたことを、妻のキャロリンに感謝します」、なるほど。
・『闘病を回顧することの意義 浜田 ところで、舞さんもご存じの私の主治医のボルマー先生に、今回の舞さんとの対話で当時のことを思い出して「またうつの症状が再発しないだろうか」と相談をしたら、「心配はないしないでよい」と言われました。舞さんにはそれどころか、「むしろ改善につながるかもしれない」と背中を押していただきました。 内田 もしかしたら途中でつらかった時期のことを思い出されて感情的になったり悲しくなったりされることもあるかもしれませんが、そのときはもちろん私もサポートしますし、休憩しながらお話しできればと思います。そして、今は以前と比べてもうだいぶうつの状態も安定されていて、ボルマー先生も近くにいらっしゃるからきっと大丈夫だと思います。 さらに、ご闘病を回顧する機会というのはとても大事なものだと思います。当時は気づかなかった気分の悪化のきっかけや回復に役立ったことが具体的に思い起こされたりすることもあるでしょう。また、自分自身がどのようなことに価値を感じて生きてきたのかがはっきりすることもあります。そうした振り返りの過程を経ることで、今まで肩に背負ってきたトラウマや後悔、あるいは気づかずに自分自身に向けていた偏見などから解放されることもあります。この対話がそんなきっかけになってくだされば嬉しく思います。 浜田 私も88才になりますが、人から見れば学者としても政策アドバイザーとしても、大変恵まれた人生に生まれたと思われるかもしれませんね。他人に対してヒントになるかどうかわかりませんが、この本が少しでも人々のうつのつらさを和らげ、あるいは人生に思い悩んでみずから命を絶つ人を減らすことにつながれば嬉しいです。 内田 きっと多くの人を勇気づけてくれる本になることと思います。無理せずゆっくりまいりましょう。 (内田舞氏の略歴はリンク先参照) (浜田宏一氏の略歴はリンク先参照)』、「ご闘病を回顧する機会というのはとても大事なものだと思います。当時は気づかなかった気分の悪化のきっかけや回復に役立ったことが具体的に思い起こされたりすることもあるでしょう。また、自分自身がどのようなことに価値を感じて生きてきたのかがはっきりすることもあります。そうした振り返りの過程を経ることで、今まで肩に背負ってきたトラウマや後悔、あるいは気づかずに自分自身に向けていた偏見などから解放されることもあります」、なるほど。
次に、7月19日付け文春オンライン「内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より:必要な助けを求めるのを躊躇してしまう日本人、状況を改善するために働きかけるアメリカ人ーー病のときに医療とどう向き合うか?」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/72071
・・・・「重いうつ病」という診断 浜田 このような日常を送るにつれうつ気分が進み、「これでは大変」だと思って、イェールの職員のための診療所に行って初診をしてもらいましたら、「重いうつ病」だと診断されました。それまで、うつ的な症状を実は経験しながらも、自分は精神科医とは全く無関係と思っていた私には驚きでした。医者はまったく笑わずこちらを見ていて、まるで患者たちの全手の重荷を背負っているような風情でした。こちらがうつだから冷たく見えただけかもしれませんが。 内田 いただいた手記には、最初は全然笑わないから印象はネガティブだったけれども、でも実際に初診が終わってからは、うつの症状が少し軽減したと書いてありましたね。 浜田 そのように言っていましたか。その医師が今度はある街の精神科医を紹介してくれました。僕が“ケミスト(chemist)”と呼びたくなるような薬一辺倒の人でした。なぜケミストと呼ぶかというと、彼とはわたくしの精神状態を議論した覚えはほとんどなく、私が高コレステロール症といったとたんに抗コレステロール薬の話に花が咲いたことがあったからです。とはいっても彼が入院を勧めてくれたので実は恩人の一人なのですが。パメラーを処方されました。 内田 三環系というひと昔前によく使われていた抗うつ剤ですね。 浜田 でもなかなか良くならなかった。当時、薬を飲みながらも講義はしていたものの、眠気は絶えず襲ってくるし、頭に靄がかかったような感じで全然自信がなくなって、博士課程の院生の授業が教えられなくなったんですね。修士課程の授業には集中できたけれど、博士課程を教えるのはどんどん難しくなっていった。 内田 うつの症状で頭が働かなかったせいもあると思います。また、近年使われている抗うつ薬の副作用はずいぶん減ってきましたが、当時使われていた三環系の薬は頭をぼんやりさせてしまう副作用もあったので、それで頭に靄がかかったように感じられたのかもしれないですね。 浜田 初診の診療所の医者は、「ロラゼパムというマイナー・トランキライザーを処方しますか」と言っていましたが、僕はそのとき「要らない」と言ったんですね。これは大失敗だったのかもしれない。そして彼に紹介された「ケミスト」の先生は、マイナー・トランキライザーは抗うつではなく、むしろ昂うつ剤で、結局はうつを悪化させてしまうので飲まないように、という方針でした。アルコールのような依存性があるからと。すると心の休まる時間が一日中ないのです』、医者によって、処方薬の考え方もずいぶん違うようだ。
・『抗うつ薬に依存性はあるのか 内田 ロラゼパムはベンゾジアゼピンというカテゴリーに入る薬で、ひと昔前は「マイナー・トランキライザー」、直訳すると「少し鎮静化させる薬」と呼ばれておりました。 このカテゴリーの薬は、その場で高まっている感情、特に怒りや不安を下げてくれる薬で、どうしたらいいかわからないと感じるパニック状態などには最もよく効くものです。高所恐怖症の方が飛行機に乗らなければならないとき、先端恐怖症の方が予防接種を受けるときなどに予防的に飲むこともありますね。ただ、確かに依存性があるので、効果のベネフィット(利点)と依存性のリスクのバランスを、その人、その状況によって判断する必要があります。 もちろん依存性は回避したいものですが、ここでは投薬のリスクとともに投薬をしないリスクも考えなければなりません。ついつい副作用や依存性といった投薬のリスクに目が行きがちですが、逆に投薬を避けて、どうしようもない不安に駆られる時間が続いてしまうのもとても苦しいことです。そういった状況では、不安を取り除いてあげることのベネフィットが上回ることも多いのです。 そして、薬というのは処方の仕方次第でリスクを低くおさえることもできます。私自身、医師としては、なるべく低いリスクで一番高いベネフィットをもたらすようなプランを常に考えようとしていますね。さらに、不安とうつは頻繁に共存して、お互いを悪化させ合うものです。高まる不安や強い不快感などをベンゾジアゼピンで取り除くことで、うつ気分が少し改善するということもあるので、マイナー・トランキライザーが必ずしも「うつを悪化させる」わけではないように思えます。 浜田 なるほど、そういう説明は初めて聞きました。 私が経験したうつ病には、「日まわり症状」といって、午前中にうつが強くなって、午後になるとつらさが和らぐサイクルがありました。これは1986年に病院に入ってからのことですが、朝になると今日こそは薬なしで我慢しようと毎日頑張ったわけです。でもうつの状況がよくならず、いよいよその薬(ロラゼパム)を医局室の窓口までもらいに行くとなった時のみじめな感じをよく覚えています』、「依存性は回避したいものですが、ここでは投薬のリスクとともに投薬をしないリスクも考えなければなりません。ついつい副作用や依存性といった投薬のリスクに目が行きがちですが、逆に投薬を避けて、どうしようもない不安に駆られる時間が続いてしまうのもとても苦しいことです。そういった状況では、不安を取り除いてあげることのベネフィットが上回ることも多いのです。 そして、薬というのは処方の仕方次第でリスクを低くおさえることもできます。私自身、医師としては、なるべく低いリスクで一番高いベネフィットをもたらすようなプランを常に考えようとしていますね。さらに、不安とうつは頻繁に共存して、お互いを悪化させ合うものです。高まる不安や強い不快感などをベンゾジアゼピンで取り除くことで、うつ気分が少し改善するということもあるので、マイナー・トランキライザーが必ずしも「うつを悪化させる」わけではないように思えます」、なるほど。
・『薬に頼ること=敗北、ズルという考え方 内田 この薬なしでは一日耐えられなかったという敗北感のような感覚だったのでしょうか。 浜田 まさに敗北感です。しかし、その薬なしでは死んでしまいたい気持ちになることもありました。 内田 そうですか。「薬を飲むこと=敗北」のように捉える見方はいまもありますし、メンタルの不調で薬に頼るのはよくないという考えはうつ病患者さんだけではなく、社会で広く共有されているところがあります。でも、私はそう感じる必要はないと思うのです。 もちろん薬ではなく、心理療法や、趣味、運動や人との交流による気分転換、環境への働きかけなどで抑うつ気分が治るのであれば、その方がいいとは思います。しかしそれらの手段をどんなに試してもよくならないうつ症状もあれば、さらにうつ気分が重症すぎて気分転換すら手につかないという状況もあります。そんなときにもし気持ちを回復させてくれる安全な薬があるのであれば、それは選択肢の一つであってもいいのではないでしょうか。 頭痛がするときには頭を冷やしたり、首の筋肉をもみほぐしたりしますよね。それでも痛みが止まないときには頭痛薬を飲んだり、あるいは頭痛の原因となっている疾患を治療します。それと同じように、抑うつ気分も薬によって症状を軽くすることで心の痛みが軽減することはあるし、うつ病という病の治療に薬が必要なことも多いのです。 それは決して失敗でも敗北でもなく、自分のケアをしているだけなのです。そういった考え方へと少しずつ個人個人、そして社会の認識が変わっていけば、もしかしたらうつ病に苦しむ人がいまより減るかもしれない、現に苦しんでいる人がもう少し早い段階で助けを求められるようになるかもしれない、と思います』、「うつ病という病の治療に薬が必要なことも多いのです。 それは決して失敗でも敗北でもなく、自分のケアをしているだけなのです。そういった考え方へと少しずつ個人個人、そして社会の認識が変わっていけば、もしかしたらうつ病に苦しむ人がいまより減るかもしれない、現に苦しんでいる人がもう少し早い段階で助けを求められるようになるかもしれない、と思います」、なるほど。
・『必要な助けを求めるのを躊躇してしまう日本人 浜田 日本人は特に苦しんでいても、必要な助けを求めるのを躊躇してしまいますね。アメリカだったら、自分がある問題で悩んでいるとなれば、「まずは専門家に相談してみたら」とサポートにつながることを促されたり、あるいは「あなたを困らせている人と交渉してみたら」とその状況を変えるための働きかけを示唆されることが一般的ですよね。でも日本では、「自分に悪いところがないかもまず考えてみなさい」となるのではないでしょうか。 内田 あとは日本では「とにかく耐えなさい」と我慢を強いられることが多いかもしれませんね。 先日、ボストンに住んでいる同世代の日本人の方に街で偶然出会ったときに、その人がご自身の不安について話されたことがありました。そこで私は、認知行動療法をはじめ、不安を和らげるストレスマネージメントやリラクゼーションの方法を少し紹介した後に、「必要であれば、こういう薬も効くよ」と思いつく選択肢をパパッとアドバイスのつもりで伝えたんですね。そうしたら、薬の話をした途端に、「そんなチート(cheat)するのなんて嫌ですよ」という反応が返ってきて。 浜田 ああ、ズルをすると思われたんですか。 内田 不安をコントロールするためにはいろんな手段があって、その一つの中に薬も入っていてもいいと思うんです。でも精神科の治療薬に関しては、必要が生じて頼ることになったとしても、処方されては「負け」あるいは「ずるい」というネガティブな印象がもたれているのだなと感じた会話でした。 浜田 ズルをするということに関して、思い出すことがあります。私がうつになったあとで、日本の尊敬する経済学者から「浜田くんは学問がうまく行かないことをうつのせいにして、言い訳をしている」と言われたことがありました。この言葉にはあとで述べるような経済学、数理経済学の本質にかかわるような問題提起もあるのですが、精神医学上、これはうつ患者に対して言ってはならないことでしょう。私としては、とても辛い経験だったのにもかかわらず、「言い訳」として捉えられてしまった。 内田 それは酷いですね。しかし、残念ながら近年も同じような話をよく耳にします。 例えば、テニスの大坂なおみ選手が自身の抑うつ気分について語り、メンタルヘルスを守るために試合直後の記者会見には出席しないと発言したときには、多くの人が「うつを言い訳にして、義務を放棄している」と彼女を非難しました。あるいは逆に、「うつなのに、ファッション誌の撮影はできるのか」と仕事を選択的にこなせていることを取り上げて、「こういった仕事ができているのであれば、うつではないはずだ」と彼女を嘘つき扱いをしたのです。 うつなどの精神科の病があったとしても、それで社会的機能がすべて失われるわけではなく、むしろうつに苦しむ人のほとんどは仕事や家事育児をこなしながら生きています。たとえば足の怪我をしたときに、長時間の立ち仕事はできなくとも、座りながらの事務作業ならばできるといったこともあるでしょう。しかし痛みが強すぎたら、座りながらの仕事でさえ手につかなくなることもある。同じようにうつも症状によって、できることとできないことがあるのは当然で、重症の場合には生活のすべてに影響が及ぶものなのです。 また、大坂選手は試合後の記者会見を取りやめた理由として、試合が終わったばかりの気持ちが未整理のタイミングで、記者からの批判的な質問に晒される場に自分自身を置きたくないという説明がありました。次の試合が控えていればなおさらです。こういった自尊心を守る選択というのは、うつであったとしてもなかったとしても、あるいは大坂選手のように公の目にさらされるテニスプレーヤーであったとしてもなかったとしても、誰もが自分のためにしていい選択だと思うのです』、「自尊心を守る選択というのは、うつであったとしてもなかったとしても、あるいは大坂選手のように公の目にさらされるテニスプレーヤーであったとしてもなかったとしても、誰もが自分のためにしていい選択だと思うのです」、その通りだ。
・『希死念慮とはーー「この世界から隠れたい」と思うまで(内田 手記の中では、うつの状態が重くなっていくのを感じられる過程も書かれていましたね。当時の奥様に「あんなに大好きだった音楽を楽しめなくなったのはおかしいよね。」と言われたことがうつの重症度を物語っていた、との記述が大変印象的でした。好きだったはずのことも楽しくない、楽しめないというのはうつの大きな特徴ですね。 浜田 はい、大好きだった音楽会も楽しめなくなりました。治療中でも鬱々として音楽会に行きたいと言うと、家内が一緒にニューヨークに日帰りで連れて行ってくれたのを覚えています。 主に天井桟敷でしたが、メトロポリタン・オペラで未見だったオペラの『ボリス・ゴドゥノフ』、モーツアルトの『魔笛』などを見ることができました。また、ベートーヴェンのピアノ協奏曲を全部弾くというシリーズを聴きに行ったこともあります。しかし、うつ気分の中では、アバドとポリーニという大演奏家の演奏を聴いても、ただ機械的に演奏しているように聴こえてしまった。 僕の趣味は童謡やクラシックの作曲なのですが、後に自作集のCDを作っていただいた中野雄先生は、大演奏家でも時々、音楽的センスから言うと冴えない演奏をすることがあると。特にその2人は浮き沈みが高いから、自分のせいだけと考えないほうがいいと後になって言われました。しかし、音楽も楽しめなくなってしまったのはその通りで、「これは重大な事態だ」と自分でも気づくきっかけだったんです。 コネチカット州にノーウィッチという温泉がありまして、日本の温泉とはずいぶん違って、ゆっくり浸かって気分が豊かになるという趣ではないんですが、家内がうつに効くかもと連れて行ってくれました。しかし、ニューヘイブンに戻る帰り道ではまた講義が不安で暗雲に包まれた気持ちになってなかなか心が晴れない。次第に手紙を開けるのさえ、悪い知らせがあるのではないかと怖くなって、ごく限られた親しい人を除いては付き合いを避け、「この世界から隠れたい」という気持ちが強まってきました。 そんなことでだんだん疲れてきて、あるとき夜思い余って一人になったら、自分の頭が破裂しそうだと感じました。これ以上この生活を続けていると自分がだめになるという恐怖にさらされました。自分はいくつもの間違いをおかして人生を台無しにしてしまった、子どもたちや家内の反対にもかかわらず安定した有名大の地位もなげうって間違った道を選んでしまった、そんな間違いをするなんて自分はダメな人間だ、という思考が止まらなくなった。 ジェームズ・トービンという私の先生は、単にノーベル経済学賞授賞者であるだけでなく、経済学史上に残る大先生で、僕のことを心配しては食事に誘って慰めてくれたりもしました。しかし、料理屋で近くの食卓に座る人が、わたくしの講義を批判してくる大学院生に妄想で見えてくることがありました。そうすると、いつしか自殺したいという思いが出てくる。この苦しみはなかなか終わらない。どうしたら無事に自殺できるかまで考えるようになったんです。 (内田舞氏の略歴はリンク先参照) (浜田宏一氏の略歴はリンク先参照)』、「ジェームズ・トービンという私の先生は、単にノーベル経済学賞授賞者であるだけでなく、経済学史上に残る大先生で、僕のことを心配しては食事に誘って慰めてくれたりもしました。しかし、料理屋で近くの食卓に座る人が、わたくしの講義を批判してくる大学院生に妄想で見えてくることがありました。そうすると、いつしか自殺したいという思いが出てくる。この苦しみはなかなか終わらない。どうしたら無事に自殺できるかまで考えるようになったんです」、酷い時だったのだろうが、こんな「希死念慮」は深刻だ。
第三に、7月31日付け文春オンライン「田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より 経済学者・浜田宏一氏がいま語るアベノミクスの功罪。「安倍首相も自民党に残る男性優位の考え方から解放されていなかった」」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/72391
・『・・・アベノミクスが実現したこと、やり残したこと 浜田 さて、戦後の歴史を見ると、円安だった時期のほうが日本経済は生き生きとしていた。円安でエズラ・ヴォ―ゲルから「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とおそらく揶揄をも含めて言われていた日本の成長経路は、日本の貿易相手、欧米の産業にとってはハンディがきつすぎたと思います。そこで円高を是正しようとして、米・英・独・仏そして日本の代表がニューヨークのプラザ・ホテルに集まり各国の金融政策を変えて円高の体制に変えようとしたのが、「プラザ合意」です。 円高を保つには、日本の金融政策を諸国より引き締め気味に保っていかねばなりません。それに最大限の協力をしようとして、そしてまた1990年に向けて起こったバブルの後遺症を警戒しすぎて、引き締め政策を長く続けて円高に続けたのが、日銀総裁の三重野康、松下康雄、速水優、福井俊彦(彼は金融緩和をかなり効果的に続けたのですが、ゼロ金利解除を急ぎすぎた。しかし最後に引き締めました)、そして白川方明の各総裁です。これらの日本銀行総裁は、変動為替制度の下では為替レートが金融政策で操作可能なことを十分に理解しなかったか、理解していても正しい政策を実行できなかったわけです。日本が貿易立国を続けるのを完全に阻害し、平成時代の「デフレと沈滞の20年間」をもたらしたのです。 この状態から日本経済を救ったのが、「アベノミクス」を実践し、そのために最適任の黒田東彦日銀総裁を指名した安倍晋三首相でした。第二次安倍政権は、2012年末から始まりましたが、そのもっとも成果を上げたのは、新コロナ禍のはじまる2019年の終わりごろまででした。年度から年度で見て400万人以上の新雇用が生まれたことが知られています。ところで、私に都合よく統計を見ますと、四半期とのデータで、第二次安倍政権の初め(2013年、1-3月)からコロナ勃発の前年(2019年、10月-12月)を比較すると、かする程度ではありますが、実は550万人の新雇用を生んだのです。550万人と一言で言いますが、後楽園ドーム満員の収容人数が約5万5000人ですから、その100個分の雇用が生まれたわけです。新卒の就職状況も緩和して、大学教授がゼミの学生の就職先を心配しないでよくなった。これは、人々に幸福感をもたらしたといえないでしょうか。 非正規社員の雇用、とくに女性の雇用はめざましく増えた。しかし、日本の支配層にあたる中年の正社員の給与はあまり上がらなかった。よい教育を受けて、正社員でいる人の方が必ずしも生産性が高いとは限らないので、これも自然なことではありますが。ただ、みんながたくさん働いて外国からの企業収益も高まって、国民総所得(GNI)も増えたけれども、人々が豊かになった感覚がないと言われているのは、雇用が増えてもそれは非正規の部分が多くて賃金があまり上昇しなかったことによります。安倍さんは、為替レートが高すぎて日本企業が国内で生産できない苦しみを、金融緩和と円安で解消しまし、女性を含め非正規の人が増えた。日本の労働市場の民主化を助けたのです。労働者全体の平均賃金はあまり増えなかったのですが』、「この状態から日本経済を救ったのが、「アベノミクス」を実践し、そのために最適任の黒田東彦日銀総裁を指名した安倍晋三首相でした」、私は「アベノミクス」や「黒田東彦日銀総裁」を全く評価してない。「第二次安倍政権の初め(2013年、1-3月)からコロナ勃発の前年(2019年、10月-12月)を比較すると、かする程度ではありますが、実は550万人の新雇用を生んだのです・・・非正規社員の雇用、とくに女性の雇用はめざましく増えた。しかし、日本の支配層にあたる中年の正社員の給与はあまり上がらなかった」、なるほど。
・『もっと冒険してアイデアを育てる政策が必要だった 浜田 これはわたくしの反省でもありますが、安倍さんの時代に国民がもっと冒険してアイデアを育て、労働生産性をあげる政策も同時に必要だったんでしょう。各人の得意な点をより伸ばして個性を磨くような教育を普及しなければならなかった。それに、私も2019年の三度目の消費税増税の決断には反対の意見を述べるべきでした。そういった政策の不備もあって、いまも国民に豊かになった感覚がない状態が続いているようなのは残念です。 内田 550万人の新しい雇用というのは歴史的に見ても偉業ですよね。多くの人が働けるようになったことで国全体の生産量や労働生産性も向上し、新卒者の就職の心配も少なくなった。このように日本経済を豊かにしたのは評価されるべきアベノミクスの貢献ではないでしょうか。 浜田 その点を認めないジャーナリズムは間違っています。 内田 日本社会で一人ひとりがそれぞれのユニークな能力を伸ばして冒険ができるような文化が広がることは私も強く願っていますし、先ほど申し上げた通り、私はそれこそが一番長期的に効果のある経済政策なのではないかと思っています』、「浜田 これはわたくしの反省でもありますが、安倍さんの時代に国民がもっと冒険してアイデアを育て、労働生産性をあげる政策も同時に必要だったんでしょう。各人の得意な点をより伸ばして個性を磨くような教育を普及しなければならなかった。それに、私も2019年の三度目の消費税増税の決断には反対の意見を述べるべきでした・・・多くの人が働けるようになったことで国全体の生産量や労働生産性も向上し、新卒者の就職の心配も少なくなった。このように日本経済を豊かにしたのは評価されるべきアベノミクスの貢献ではないでしょうか」、私自身の「アベノミクス」の評価は前述の通り、全く評価してない。
・『何が女性の労働を妨げているのか? 内田 ここで、女性の非正規雇用が増えたということについて質問させてください。もちろん雇用はないよりもあった方がいいので、女性の雇用の受け皿が非正規であれ増えたことは良かったということは間違いないでしょう。しかし、日本の女性の労働者の正社員比率が低く、非正規雇用率が高いことは、やはり男性と比較すると考えさせられるところがあります。男性の非正規雇用も同じく増えているものの、正社員における男性比率が圧倒的に高く、この差異は男女間の大きな賃金格差をはじめとする経済的ジェンダーギャップの大きな要因でもあると語られています。 こう考えると、女性の職が増えたことが事実であっても、低賃金で雇われる女性労働者が増えたことは、誰にとっても暮らしやすくなったとは安易に言えないところもあるのではないかと思うのですが、この点はどのようにお考えでしょうか。 浜田 そうですね。現状を見ると本来なら実現されるべき同一労働、同一賃金の姿はかけ離れた形で雇用全体だけ増えたのを喜んでいていいのかが、正しい意味でのアベノミクス批判として残ります。日本女性の貢献度、活躍度を国際的に比較してみても、各先進国に劣るのをどう考えるかというのが、舞さんの指摘でしょう。 ただ、たんなる雇用量の改善、そして女性雇用量の改善も基本的に重要で、その点ではアベノミクスは当時の状況ではよく機能したことは間違いがないのです。とはいえ、理想の労働市場の姿から言えば、日本の労働市場に男女同一賃金、同一能力=同一賃金の原則が成り立つように変えていかねばならないのです。 内田 そのためには具体的にどういった道筋が考えられるのでしょう? 浜田 手始めとして、いまの女性労働の活用を阻害している、税法にある主婦の年収約130万円近くにある共稼ぎの壁を撤廃する必要があります。これはおそらく、女性をなるべき家庭のとどめようという男性本位のイデオロギーに依拠した法制であると思います。つまり、いま共稼ぎの主婦が年106万円、または約130万円を超えて働こうとすると、それ以下で免除されていた社会保障税を支払わなければならなくなっている。これが、非正規労働の女性の一層長く就業しようとする意欲を妨げています。 したがって、この壁がなかったならば、アベノミクスの女性労働増加はもっと顕著であったと考えられるのです。またこの制度の下では、雇用者も、賃金を増やすと税金も増えますよという形で、女性労働者を安く使うインセンティブが生まれるのです。世界的に見ても、日本で職場での女性の活躍度が低いのはこのような制度的条件、税法上のハンディが女性にはあるからです』、「世界的に見ても、日本で職場での女性の活躍度が低いのはこのような制度的条件、税法上のハンディが女性にはあるからです」、その通りだ。
・『「安倍首相も自民党に残る男性優位の考え方から解放されていなかった」 浜田 要するにアベノミクスの円安誘導とそれにともなう量的改善は有効でしたが、そこで男女の本質的な平等を実現するには、より根本的に法制度を含めた質的改善が必要なのです。このような制度的条件が不備であり、自民党にまだ残る男性優位の考え方から安倍首相も全く解放されていなかったのです。そのあたりにアベノミクスに対する世間の関心が冷えている理由があるのかもしれません。そして以上のことは、アドバイザーとしてのわたくしの自己反省であり、将来に向けては現岸田政権に対する要望でもあります。 内田 アベノミクスが実現した成果は大きいけれども、同時に浜田さんとしてはやり残したと思われる点もあるのですね。日本政府に残る男性優位的な価値観にも踏み込んで具体的に発言してくださってありがとうございます。きっと読者の方もこの箇所を読んでハッとされるのではないかと思います。 男性優位な価値観が自民党政治に留まらず日本社会全体において揺るがないこと、まさにそこが最後の砦だと私もアメリカにいてもどかしく感じるところなのですが、その砦を崩すには日本にどういったことが求められると考えられていますか。 浜田 まずは、日本のように学歴がいいだけで会社にいつまでも勤めていられる制度は、日本経済の成長阻害要因です。男女それぞれの能率の良さで賃金は払われなければなりません。 安倍さんはわたくしとの対談で、安倍家で初めは夫が60万の月給をもらっていたのに、妻が月給10万円で働けるようになったという事態を提起しています。家計は(したがって国民経済も)総合的に改善します。正規雇用と非正規雇用を分ける市場は問題がありますが、失業がなくなるのが第一で、雇用を増やすことにより国民全体が豊かになったことは確かです。そこからさらに男女均等にするには、別の努力が必要ですね』、「さらに男女均等にするには、別の努力が必要ですね」、その通りだが、そんな「努力」が払われるのは、まだこれからだ。
・『「女性の働き方」の問題は男性の問題でもある 内田 私がハーバードの研修医だった頃、指導医から「研修医として果たすべき責任は全員同じで、そして休む権利も同じようにある」と言われたことを思い出します。男性でも女性でも同じ責任を果たす機会が与えられ、果たした責任が同じであれば、同じ給与と待遇を得られるべきでしょう。 また、責任という点で、日本では女性が家事育児を担う時間が男性の5.5倍であるという調査が発表されました。家事育児という誰かがやらなければならない無償労働の責任と評価に不均衡があることも含めて、ジェンダー不平等問題は法や政策を使ったアプローチと同時に、教育や啓発による意識のアップデートも国全体で必要な状況だと感じます。 浜田さんがいい学歴さえあれば会社にずっと勤めていられる日本の労働システムの問題点を挙げられましたが、学歴一つとっても、女の子は男の子に比べて進学を期待されない無意識のバイアスがあったり、あるいは近年露呈したように、医学部入試では男性と同じ点数を取っても女性が入学できないような仕組みも暗黙裡に残されています。あるいは就職してからも、男女に寄せられる期待度には依然として開きがあり、同じ企業の中で学歴も実力も同等かそれ以上であっても、男性に比べて昇進がまわってこないような構造的差別のなかで女性たちは生きています。 また、こういった労働に関わるイシューは「女性の働き方の問題」として扱われがちですが、女性が働きにくい労働環境というのは実は男性をも苦しめているものだと思います。例えば、医学部入試の女性差別問題が発覚した際に、多くの医師が「出産する女性医師が欠けることで病棟は破綻するから、なるべく女性を医師にさせない施策は必要だ」と語りました。 こういった意見を聞いて、私は女性差別は他の問題、具体的には長時間労働の隠れ蓑にされていると思いました。病気や怪我は誰に起こるかわからないし、あるいは休暇は誰でも必要なのに、一人でも欠けたら破綻するほど過酷な職場での長時間労働が当たり前とされていること自体がそもそも問題だと思います。そしてその前提が男性には自明のこととされていていることもまた問題だと思ったのです。医師の過労死や自死率は男女ともに他の職種よりも高いことも考えると、ジェンダーに目が行きがちな話題ですが、同時に根幹にはもっと根深い問題も潜んでいるのですよね。 税制のことも、雇用のことも、全て個人の生活や社会のあり方にまで直接影響することであり、あらゆる角度からのアプローチが必要なのかと思います。 浜田 そうですね。そのためにも、まずは雇用を増やし、次にその雇用の条件や内容を吟味する、などと手を付けられる問題を一つずつこなしていくことが大切ですね。このようにどうしたら国民を豊かにしたらよいかに頭を使っていると、自分がうつ病であるということを忘れてしまうわけですね。 (内田舞氏の略歴はリンク先参照)。 (浜田宏一氏の略歴はリンク先参照)』、「医師の過労死や自死率は男女ともに他の職種よりも高いことも考えると、ジェンダーに目が行きがちな話題ですが、同時に根幹にはもっと根深い問題も潜んでいるのですよね。 税制のことも、雇用のことも、全て個人の生活や社会のあり方にまで直接影響することであり、あらゆる角度からのアプローチが必要なのかと思います」、その通りだ。
なお、精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない、人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは?の2つについては、明日紹介したい。
タグ:経済学 (その7)(内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より5題:なぜ、いま心の病を語るのか?、必要な助けを求めるのを躊躇してしまう日本人 状況を改善するために働きかけるアメリカ人、浜田宏一氏がいま語るアベノミクスの功罪、精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない、人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは?) 文春オンライン「内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より:アベノミクスのブレーンとして知られる経済学者の浜田宏一氏は、長らく躁うつ病に苦しんできた。なぜ、いま心の病を語るのか?」 『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書) 「実の息子を自死で亡くす」、とは初めて知った。 「精神科医と患者の、しかし主治医と患者という関係ではない、背景に共通点のある二人の対話ならうまく伝わるところもあるのではないかなと」、なるほど。 確かに類似点があるのは興味深い。 「私のうつ症状の対処に苦労しながらも、こうやって記録に残してくれたことを、妻のキャロリンに感謝します」、なるほど。 「ご闘病を回顧する機会というのはとても大事なものだと思います。当時は気づかなかった気分の悪化のきっかけや回復に役立ったことが具体的に思い起こされたりすることもあるでしょう。また、自分自身がどのようなことに価値を感じて生きてきたのかがはっきりすることもあります。そうした振り返りの過程を経ることで、今まで肩に背負ってきたトラウマや後悔、あるいは気づかずに自分自身に向けていた偏見などから解放されることもあります」、なるほど。 文春オンライン「内田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より:必要な助けを求めるのを躊躇してしまう日本人、状況を改善するために働きかけるアメリカ人ーー病のときに医療とどう向き合うか?」 医者によって、処方薬の考え方もずいぶん違うようだ。 「依存性は回避したいものですが、ここでは投薬のリスクとともに投薬をしないリスクも考えなければなりません。ついつい副作用や依存性といった投薬のリスクに目が行きがちですが、逆に投薬を避けて、どうしようもない不安に駆られる時間が続いてしまうのもとても苦しいことです。そういった状況では、不安を取り除いてあげることのベネフィットが上回ることも多いのです。 そして、薬というのは処方の仕方次第でリスクを低くおさえることもできます。私自身、医師としては、なるべく低いリスクで一番高いベネフィットをもたらすようなプランを常に 考えようとしていますね。さらに、不安とうつは頻繁に共存して、お互いを悪化させ合うものです。高まる不安や強い不快感などをベンゾジアゼピンで取り除くことで、うつ気分が少し改善するということもあるので、マイナー・トランキライザーが必ずしも「うつを悪化させる」わけではないように思えます」、なるほど。 「うつ病という病の治療に薬が必要なことも多いのです。 それは決して失敗でも敗北でもなく、自分のケアをしているだけなのです。そういった考え方へと少しずつ個人個人、そして社会の認識が変わっていけば、もしかしたらうつ病に苦しむ人がいまより減るかもしれない、現に苦しんでいる人がもう少し早い段階で助けを求められるようになるかもしれない、と思います」、なるほど。 「自尊心を守る選択というのは、うつであったとしてもなかったとしても、あるいは大坂選手のように公の目にさらされるテニスプレーヤーであったとしてもなかったとしても、誰もが自分のためにしていい選択だと思うのです」、その通りだ。 「ジェームズ・トービンという私の先生は、単にノーベル経済学賞授賞者であるだけでなく、経済学史上に残る大先生で、僕のことを心配しては食事に誘って慰めてくれたりもしました。しかし、料理屋で近くの食卓に座る人が、わたくしの講義を批判してくる大学院生に妄想で見えてくることがありました。そうすると、いつしか自殺したいという思いが出てくる。この苦しみはなかなか終わらない。どうしたら無事に自殺できるかまで考えるようになったんです」、酷い時だったのだろうが、こんな「希死念慮」は深刻だ。 文春オンライン「田舞+浜田宏一『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)より 経済学者・浜田宏一氏がいま語るアベノミクスの功罪。「安倍首相も自民党に残る男性優位の考え方から解放されていなかった」」 私は「アベノミクス」や「黒田東彦日銀総裁」を全く評価してない。「第二次安倍政権の初め(2013年、1-3月)からコロナ勃発の前年(2019年、10月-12月)を比較すると、かする程度ではありますが、実は550万人の新雇用を生んだのです・・・非正規社員の雇用、とくに女性の雇用はめざましく増えた。しかし、日本の支配層にあたる中年の正社員の給与はあまり上がらなかった」、なるほど。 「浜田 これはわたくしの反省でもありますが、安倍さんの時代に国民がもっと冒険してアイデアを育て、労働生産性をあげる政策も同時に必要だったんでしょう。各人の得意な点をより伸ばして個性を磨くような教育を普及しなければならなかった。それに、私も2019年の三度目の消費税増税の決断には反対の意見を述べるべきでした・・・ 多くの人が働けるようになったことで国全体の生産量や労働生産性も向上し、新卒者の就職の心配も少なくなった。このように日本経済を豊かにしたのは評価されるべきアベノミクスの貢献ではないでしょうか」、私自身の「アベノミクス」の評価は前述の通り、全く評価してない。 「世界的に見ても、日本で職場での女性の活躍度が低いのはこのような制度的条件、税法上のハンディが女性にはあるからです」、その通りだ。 「さらに男女均等にするには、別の努力が必要ですね」、その通りだが、そんな「努力」が払われるのは、まだこれからだ。 「医師の過労死や自死率は男女ともに他の職種よりも高いことも考えると、ジェンダーに目が行きがちな話題ですが、同時に根幹にはもっと根深い問題も潜んでいるのですよね。 税制のことも、雇用のことも、全て個人の生活や社会のあり方にまで直接影響することであり、あらゆる角度からのアプローチが必要なのかと思います」、その通りだ。 なお、精神疾患も国民経済も正しい治療法はすぐには見つからない、人生で大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスとは?の2つについては、明日紹介したい。
日本型経営・組織の問題点(その14)(社員は“マジメで勤勉”なのに 会社はアナログのまま…富士通の「DX請負人」が痛感した日本企業の重大な欠陥 日本企業が時代遅れになった根本原因、なぜ日本の取締役会はリスクテイクを歓迎しないのか、日本は「企業が最も経営破綻しない先進国」のままで良いのか?、なぜ 今『失敗の本質』なのか? これから読むための7つのヒント【書籍オンライン編集部セレクション】) [経済政治動向]
日本型経営・組織の問題点については、2022年4月30日に取上げた。今日は、(その14)(社員は“マジメで勤勉”なのに 会社はアナログのまま…富士通の「DX請負人」が痛感した日本企業の重大な欠陥 日本企業が時代遅れになった根本原因、なぜ日本の取締役会はリスクテイクを歓迎しないのか、日本は「企業が最も経営破綻しない先進国」のままで良いのか?、なぜ 今『失敗の本質』なのか? これから読むための7つのヒント【書籍オンライン編集部セレクション】)である。
先ずは、昨年5月19日付けPRESIDENT Onlineが掲載した立教大学ビジネススクール教授・戦略コンサルタントの田中 道昭氏による「社員は“マジメで勤勉”なのに、会社はアナログのまま…富士通の「DX請負人」が痛感した日本企業の重大な欠陥 日本企業が時代遅れになった根本原因」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/69640?page=1
・『なぜ日本企業のDXはうまくいかないのか。2020年4月、富士通の最高DX責任者になった福田譲氏は、就任してすぐ富士通でDXが進まない最大の原因に気づく。それは、グループ全体を覆う「会社に対する無関心」だった――。(第2回) ※本稿は、Ridgelinez編、田中道昭監修『HUMAN ∞ TRANSFORMATION』(日本経済新聞出版)の一部を再編集したものです』、興味深そうだ。
・『SAPジャパン元社長をDX担当に招き入れた 富士通株式会社の時田隆仁社長(以下、時田と略す)は全社変革を推進する上で、既存の組織や人間関係にとらわれない外部人材の登用を通じて多様性のあるマネジメントチームを組成していく。その中でも変革の核となる全社デジタルトランスフォーメーション(のちにFujitsu Transformation=〔フジトラ〕としてプロジェクト化する)の推進のために外部から招き入れたのが、富士通の現・執行役員EVP、CDXO(最高DX責任者)、CIO(最高情報技術責任者)である福田譲である。 福田は1997年に大学卒業後、ERP(統合基幹業務システム)の世界最大手であるSAPジャパンに入社した。化学・石油の大手メーカーを担当する法人営業のエキスパートとしてキャリアを磨きながら、新規事業開発の担当役員や営業統括本部長を歴任。 14年にはSAPジャパンの代表取締役となり、20年4月に富士通に転じるまで23年間、SAPに在籍していた』、「福田」氏は「14年にはSAPジャパンの代表取締役となり、20年4月に富士通に転じるまで23年間、SAPに在籍」、「富士通」も思い切った移籍人事をしたものだ。
・『各国グループ会社の状況を把握できていない そのSAPジャパン時代に福田は、時田の前任だった前社長の田中達也の依頼で、米国のシリコンバレーを案内したことがあった。SAPは2000年代初め、マイクロソフトに買収されるかという事態に直面したことがあり、世界企業へと脱皮すべく、シリコンバレーに研究所を移して組織変革に弾みをつけたという歴史を持つ企業でもある。 その経緯を説明しながら、富士通の当時の社長である田中にSAPの経営ダッシュボードなどを含めた事業経営の有り様を直接説明した福田は、富士通のグローバル経営の実態を聞き、驚きを禁じ得なかった。 世界的に通用するブランドとポジションを築いていながら、経営者がグローバルの数字を経営の意思決定に繋がる形でタイムリーに把握することができておらず、グループ会社のガバナンスもほとんど利いていないという印象を持ったという』、「富士通の当時の社長である田中にSAPの経営ダッシュボードなどを含めた事業経営の有り様を直接説明した福田は、富士通のグローバル経営の実態を聞き、驚きを禁じ得なかった。 世界的に通用するブランドとポジションを築いていながら、経営者がグローバルの数字を経営の意思決定に繋がる形でタイムリーに把握することができておらず、グループ会社のガバナンスもほとんど利いていないという印象を持った」、なるほど。
・『「富士通でこれなら日本の他の企業は…」 田中の再びの依頼によって、福田は翌年に富士通の取締役全員のシリコンバレー視察を受け入れ、SAPのデータ駆動型経営について改めて説明した。それをきっかけにして富士通が変わることを期待していたからだ。 しかしながら、メディアなどを通じて富士通の変革が進んだという話を聞くことはなかった。 「富士通でこのようなレベルなら、多くの日本企業は相当に危ないのではないか」。 そう思った福田だが、一方で富士通は世界的に競争力のある技術や優良な顧客資産、そして良い人材も持っているとも感じていた。企業としてのカルチャーも、時代錯誤になっている部分はあるが良いものを持っている。社員一人ひとりが「きちっと」している。真面目で勤勉というのは世界的に見ると大変価値があるし、資本主義に傾倒して多くの欧米企業が失ってしまったもの、GAFAM(グーグル、アマゾン・ドット・コム、フェイスブック〔現・メタ〕、アップル、マイクロソフト)にないものがあると考えていた。 福田は富士通を変えられたら多くの日本企業のリファレンスになると考え、時田の招聘しょうへいを受け入れて富士通に転じ、富士通のトランスフォーメーションの指揮を執ることになる』、「福田は富士通を変えられたら多くの日本企業のリファレンスになると考え、時田の招聘しょうへいを受け入れて富士通に転じ、富士通のトランスフォーメーションの指揮を執ることになる」、なるほど。
・『会社に対する無関心レベルが度を越えていた 福田が富士通に入社して最大の問題だとすぐに気づいたのは、グループ全体を覆う「会社に対する無関心」だった。 「会社を変革することに対して、実は抵抗勢力らしき存在がいませんでした。みんなが変革には賛成する一方で、会社に対するエンゲージメントが非常に低く、何のために富士通にいるのか、何のために仕事をしているのかを考えているように見える社員が少なかったのです」と福田は懐述する。 「上司に言われて仕事をしている」「残業代がつかなくなるので、幹部社員になりたくない」という従業員のリアルな声もあった。数万人が参加しているはずの社内SNSで社長の時田がコメントをつけても、「いいね!」などの反応が100に満たない。グループ12万人が閲覧できるはずの社内ポータルにトップメッセージをアップしても、閲覧数が2万~3万しかいかない――。その一方で、社員アンケートを取ると「他の部署が何をやっているのかが見えない」という不満も出てきていた』、「数万人が参加しているはずの社内SNSで社長の時田がコメントをつけても、「いいね!」などの反応が100に満たない。グループ12万人が閲覧できるはずの社内ポータルにトップメッセージをアップしても、閲覧数が2万~3万しかいかない――。その一方で、社員アンケートを取ると「他の部署が何をやっているのかが見えない」という不満も出てきていた」、
「社員」の意向といっても現実にはいい加減だのようだ。
・『経営に関心が向かないような仕組みがあった 社員が会社の成長や未来について、なぜこれほどまでに無関心なのか。 「無関心レベルが想像を超えていた」と福田は当時の状況を振り返るが、徐々に「富士通という組織の中に、会社の経営に関心を向かわせないような仕組みや構造があっただけに過ぎない」と思うようになる。会社が進んでいる方向性について、社員に疑問を抱かせないような環境を会社自身がつくっている、ということに気がついたのだ。 福田のこの気づきは、その後の改革に大いに活かされている。富士通は2020年5月にグループのパーパスを「イノベーションによって社会に信頼をもたらし、世界をより持続可能にしていく」ことと制定し、全社変革の軸として掲げた。 【図表1】富士通グループのパーパス出所=『HUMAN ∞ TRANSFORMATION』 しかしながら、全社変革はトップダウンだけでは実現できない。欠かせないのは、今は無関心な多くの従業員の、多様な個の力による変革をボトムアップで進める意識と意欲だ』、「「富士通という組織の中に、会社の経営に関心を向かわせないような仕組みや構造があっただけに過ぎない」と思うようになる。会社が進んでいる方向性について、社員に疑問を抱かせないような環境を会社自身がつくっている、ということに気がついたのだ」、なるほど。
・『まずは社員個人が生きることの意義を見つめ直す 彼らの心を動かし、行動を起こす原動力は何なのか? その第一歩として、社員個々を理解し、その原動力をドライブする取り組みとして「パーパスカービング」を経営陣主導で開始した。 「パーパスカービング」とは個人が働くことや生きることの意義を改めて見つめ直した上で、企業のパーパスと自己のパーパスを掛け合わせ、そこで生まれる多様な力を変革の原動力にするという取り組みである。パーパスカービングは全社にわたって実施され、何よりもこの後、変革の先鋒に立つべきリーダー層に変化をもたらした。 「変わらない富士通」に諦めの気持ちを持っていたものが、トップファースト(=経営陣から順に)で行われたパーパスカービングの実施によって、時田をはじめとした経営陣の全社変革への本気度を感じることができた。全社を横断して変革を実践するリーダーシップへ、少しずつ意識の変容が見られてきたのである』、「トップファースト(=経営陣から順に)で行われたパーパスカービングの実施によって、時田をはじめとした経営陣の全社変革への本気度を感じることができた。全社を横断して変革を実践するリーダーシップへ、少しずつ意識の変容が見られてきたのである」、なるほど。
・『変革の対象は「聖域」なく選ぶ 富士通は先のパーパスを基に2030年のあるべき姿を設定し、富士通グループ全体で変革を推進するプロジェクトとして「FUJITRA(以下、フジトラ)」を20年10月から開始。プロジェクト名のフジトラとは「Fujitsu+Transformation」を略したもので、社長である時田がCDXO(当時)として、またCIOの福田がその補佐として、パーパスを基点に富士通グループ全体をデジタルの力で変革していくプロジェクトである。そして、経路“相互”依存性を打破するために同時多発的に変革を実践していく。 変革テーマの対象は“聖域”なく選び、事業部門から管理部門まで部門を問わない。上がってきたテーマを分類・分析し、優先順位をつけて同時並行で推進。現在では150ほどのテーマがグループ全体において同時並行で取り組まれている。 「現場が主役・全員参加」というスローガンを掲げ、主要組織、主要グループ会社、リージョンごとにDX責任者(DXO)を配置し、DXO同士が推進するテーマの課題や悩みを相互に共有し、DXOたちによるコミュニティが解決し合うプロジェクト推進の基盤も構築できている。 【図表2】フジトラのプロジェクト体制(2023年3月時点)出所=『HUMAN ∞ TRANSFORMATION』』、「パーパスを基点に富士通グループ全体をデジタルの力で変革していくプロジェクトである。そして、経路“相互”依存性を打破するために同時多発的に変革を実践していく。 変革テーマの対象は“聖域”なく選び、事業部門から管理部門まで部門を問わない。上がってきたテーマを分類・分析し、優先順位をつけて同時並行で推進。現在では150ほどのテーマがグループ全体において同時並行で取り組まれている」、なるほど。
・『ファーストペンギンとしての出島組織をつくる フジトラの本当の目的はデジタル化を進めることではなく、顧客の悩みや社会課題に対して自らが課題を設定し、解決し、新しい変革を起こしていくための意欲と能力を醸成していくことだ。 これは、これまで富士通がやりたくてもできなかったことでもあり、富士通という企業そのものの変革を体現してみせることでもある。 「果たして全社DXプロジェクトだけでそのような姿になれるのか?」「もっと加速させる手段はないのか?」――。その解の1つとして生まれたのが、社外から変革を加速させるDXコンサルティングファームとしてのリッジラインズである。 富士通の抱える変革に向けた課題は、多くの日本企業にも共通しており、富士通でそれらを解決できれば、同じような境遇に置かれている日本企業にとって貴重なリファレンスモデルとなり得る。 しかし同時に、大企業である富士通では新しい施策や実証実験などに向けた意思決定や、必要なタレント・チームの組成がスピード感を持った形で実施できない場合が多い。そのためのファーストペンギン役として出島組織(この場合は資本関係で繋がってはいるが、経営の自主性を高く持てる組織の意)であり、プロフェッショナルファームとしてのリッジラインズの存在が生きてくる』、「ファーストペンギン役として出島組織・・・であり、プロフェッショナルファームとしてのリッジラインズの存在が生きてくる」、なるほど。
・『人を起点にした変革5つのステップ 取り組みの例としては、ジョブ型人事制度を前提にした360度評価や、組織間での人材の移動を柔軟にするプラクティス制、経費精算などの社内のバックオフィス業務をデジタルツールをフル活用して完全自動化する取り組み、新たな知見の創出活動としての「Human & Values Lab.
」などがある。いずれもリッジラインズで始まり、富士通本体でも活用・検討されている取り組みだ。 ここまでの富士通の変革の現場を振り返ると、人を起点とした企業の変革に取り組む際のファーストステップとして捉えることができる』、「ここまでの富士通の変革の現場を振り返ると、人を起点とした企業の変革に取り組む際のファーストステップとして捉えることができる」、なるほど。
・『人起点変革のファーストステップ ステップ① 変革に取り組む明白な理由を示す ステップ② 企業としての新しい目的を設定する ステップ③ 対話を通じて企業の目的と従業員の原動力を共鳴させる ステップ④ 新しい目的や変革に熱意ある現場が行動変容できる環境をつくる ステップ⑤ ファーストペンギンを設定し、変革を加速する まず前提としてあるのは、いかに素晴らしい戦略が描けたとしても、トップから現場に至るまでそこにいる人々の行動変容が起きなければ、外から見ていても会社は変わっていないと思われるし、実際、変わっていないということである。そのため、変革に取り組む理由や自社の目的を従業員一人ひとりが理解し、行動に繋げられるための環境づくりがDXの初期ステップでは肝要となる』、「変革に取り組む理由や自社の目的を従業員一人ひとりが理解し、行動に繋げられるための環境づくりがDXの初期ステップでは肝要となる」、なるほど。
・『「考えたこと」を「実践」に移せる環境を整える 富士通では経営方針説明会においてDX企業への転身を宣言し、全社員に対する強い意識付けを実施した(ステップ①)。続けてパーパスを制定し(ステップ②)、自社が向かう方向性を明確にした上で、対話を通じてパーパスを浸透させていった。それが12万人に向けたメッセージや、パーパスカービングである(ステップ③)。 【図表3】人起点の変革のファーストステップ出所=『HUMAN ∞ TRANSFORMATION』 ここまでくると、ただのスローガンや一過性の取り組みではないということに従業員が気づき始める。本気で取り組みたいという熱意ある現場もちらほら出てくるが、そのときにポイントになるのが、彼らが考え出した新たな施策をすぐに実践できる環境をつくるということだ。 フジトラは全社の変革活動としてそれらを見える化し、活動やその成果がすぐに共有できるような環境を提供した。こうなると、後続が変革に向けて動きやすい状況がつくられ、自発的に挑戦しようとする動きも加速してくる(ステップ④)』、「彼らが考え出した新たな施策をすぐに実践できる環境をつくるということだ。 フジトラは全社の変革活動としてそれらを見える化し、活動やその成果がすぐに共有できるような環境を提供した」、なるほど。
・『出島会社でうまくいったものを本丸に取り込む その頃には抜本的に変化を起こす必要があるテーマや、これまでの常識にとらわれては決して解決できないテーマも明らかになってくる。そこでファーストペンギンを設定し、既存の組織やプロセスの影響を受けにくい状況で試行錯誤をさせ、うまくいったものを「本丸」に取り込んで一気に変革を進めていく。富士通にとっては、リッジラインズがまさしくファーストペンギンであり、出島として新会社を設立したのもそれが狙いの1つであった(ステップ⑤)。 富士通の場合は、これらのステップを経ることによって、変革を推進する人が自ら考え、行動を起こし、成果を生み出していくことが可能になる状態を創り出していった。 繰り返しになるが、変革を起こすのはまぎれもなく人である。リーダー自らが行動を起こし、周囲の行動を変容させていくためのアプローチとして、これらのステップを活用できる』、「変革を起こすのはまぎれもなく人である。リーダー自らが行動を起こし、周囲の行動を変容させていくためのアプローチとして、これらのステップを活用できる」、なるほど。
・『「ただデジタル化すればいい」のではない 日本企業の変革・DXで特に重要となるのはステップ①~③である。アナログ・物理データをデジタルデータ化したり、個別の業務をデジタル化したりするだけでは、トランスフォーメーションとはいえない。 Ridgelinez編、田中道昭監修『HUMAN ∞ TRANSFORMATION』(日本経済新聞出版)Ridgelinez編、田中道昭監修『HUMAN ∞ TRANSFORMATION』(日本経済新聞出版) 組織を横断した全体の業務・製造プロセスのデジタル化・見える化を行い、事業運営やビジネスモデルを変革してこそDXが達成されるといっていいだろう。そのためには、繰り返しになるが自社の(変革の)目的を戦略的に設定し、一人ひとりに理解を促し、浸透させていくことが必要になる。この①~③のステップをおろそかにして、個別の業務におけるツール導入を検討しても、大きなインパクトを出すのは難しい。 そしてこれらのステップは、変革を起こすための序盤に必要なものに過ぎない。活動を更に活性化させていくことで、ムーブメントを起こし全社に広げていくことが重要となる。一過性の取り組みに終わらせることなく、上層部から現場まで巻き込んで変革の理由をそれぞれのレイヤーが「自分事化」し、時に新たな目的を設定し更なる行動に繋げていくこと、このサイクルを継続していくことによって大きな変革を遂げていくことができるようになる』、「活動を更に活性化させていくことで、ムーブメントを起こし全社に広げていくことが重要となる。一過性の取り組みに終わらせることなく、上層部から現場まで巻き込んで変革の理由をそれぞれのレイヤーが「自分事化」し、時に新たな目的を設定し更なる行動に繋げていくこと、このサイクルを継続していくことによって大きな変革を遂げていくことができるようになる」、なるほど。
次に、昨年6月16日付けダイヤモンド・オンライン「ニコン取締役専務執行役員CFOの徳成旨亮氏による「なぜ日本の取締役会はリスクテイクを歓迎しないのか」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/324457
・『三菱UFJおよびニコンのCFOとして、毎年平均100名近い海外機関投資家と面談してきた徳成旨亮氏によると、海外機関投資家との面談で、頻繁に「君たち(日本経済・日本企業・日本人)には『アニマルスピリッツ』はないのか?」と問い質されてきた、という。 海外投資家は、日本の社会や企業経営を、血気が衰え、数値的期待値を最重視しリスクに怯えている状態にあると見ている。結果、日経平均は1989年の最高値を未だ更新できておらず、水準を切り上げ続けている欧米株と比べて魅力がないと言われても仕方がない状況だ。 この現状を打破するにはどうしたらいいか? 徳成氏は、「CFO思考」が「鍵」になるという。 朝倉祐介氏(アニマルスピリッツ代表パートナー)や堀内勉氏(元森ビルCFO)が絶賛する6/7発売の新刊『CFO思考』では、日本経済・日本企業・日本人が「血気と活力」を取り戻し、着実に成長への道に回帰する秘策が述べられている。本書から、一部を特別に公開する』、「日経平均は1989年の最高値を未だ更新できておらず、水準を切り上げ続けている欧米株と比べて魅力がないと言われても仕方がない状況だ」、ここは最近、最高値を更新したが、その後、停滞気味だ。「海外機関投資家との面談で、頻繁に「君たち(日本経済・日本企業・日本人)には『アニマルスピリッツ』はないのか?」と問い質されてきた」、なるほど。
・『「企業の永続性」を「成長」より優先する日本の取締役会 コーポレートガバナンス・コードは、取締役会がCEO以下経営陣の健全なアニマルスピリッツに基づくリスクテイクの提案を歓迎し、その果断な意思決定を支援することを求めています。 しかしながら、2023年時点で、日本企業の取締役会において、CEOをはじめとする経営陣に「もっと積極的にリスクを取れ」と背中を押すような行動を取っているケースはほとんどないものと思われます。 日本の社外取締役は、株主価値向上につながる企業価値向上を最優先に考えるというよりも、企業価値向上につながる行動はCEO以下執行サイドの役割であり、みずからの役割は監査など執行に対するチェック機能にあると認識しているものと考えられます。 ここで、取締役会の構成を見てみると、CEOなどの執行サイドの役員に加え、弁護士や会計士、官僚出身者や企業経営者から構成されているケースが多いことが分かります。 コーポレートガバナンス・コードの補充原則4─11①では、「独立社外取締役には、他社での経営経験を有するものを含めるべき[*1]」だとされており、各社はこぞって他社の社長経験者を社外取締役に迎えています。 その結果、他社の社長、会長経験者で、現在は「相談役」「特別顧問」などに就いておられる方々が、取締役会で中心的役割を担っている、というのが、日本の上場企業の平均的な姿になっています。 CFO仲間の懇談会などでよく聞く話を総合すると、平均的に70歳前後のこうした方々は、長年、企業を率い、後輩に社長のバトンを無事に渡された成功体験から、企業の永続性を優先するお考えをお持ちの方が多いようです。また、中には、「ROEや株主価値を重視すべき」という昨今の風潮に心のどこかで抵抗を感じている方もいらっしゃる、という話も聞きます。 誤解を恐れずに言えば、多くの社外取締役は、会社の継続性を優先し、企業がリスクアペタイトに乏しい状況を容認する、つまりリスクテイクよりは企業の安定性を重視する傾向があると言えます。 このため、ISSやグラス・ルイスなどの議決権行使助言会社が「独立社外取締役を増やせ」といった外形標準的な要求をいくら企業側に突き付け、そのとおりになったとしても、コーポレートガバナンス・コードが期待しているような「社外取締役が中心となってCEOのアニマルスピリッツに火をつけ、リスクテイクの背中を押す」といったシナリオは期待しにくいと言えます。 念のため、私のスタンスをお話しすれば、会社の永続性を重視する、という結論は多くの日本企業にとって妥当なものだと考えています。 同時に、海外投資家と面談してきた経験から、取締役会でもっとリスクテイクによる企業価値の向上策や株価対策が議題として採り上げられても良いとも感じています。 取締役会メンバーに「投資家的目線を持った人材」が複数いて、従業員や地域社会などさまざまなステークホルダーの利害を含む多角的な議論が行われ、その結果として経営方針を導き出すことが──たとえそれが従来と同じ結論だったとしても──重要ではないか、というのが私の考えです』、「取締役会メンバーに「投資家的目線を持った人材」が複数いて、従業員や地域社会などさまざまなステークホルダーの利害を含む多角的な議論が行われ、その結果として経営方針を導き出すことが──たとえそれが従来と同じ結論だったとしても──重要ではないか、というのが私の考えです」、同感である。
・『取締役会に投資家を招く「ボード3.0」という考え方 こうした問題意識は広く認識されつつあり、経済産業省や一部有識者のあいだでは、「ボード3.0」を日本流に応用することがその解決に資するのではないか、と注目されています。 「ボード3.0」とは、2019年にコロンビア・ロースクールのロナルド・ジルソン教授とジェフリー・ゴードン教授が提唱した新しい取締役会のモデルです[*2]。 1960年代までに米国で確立した取締役会のモデルは「アドバイザリーボード」と呼ばれ、取締役会は、経営者本人と企業の顧問法律事務所や取引銀行や投資銀行の担当役員、経営者の知人の他社経営者など「お友達」とも言える人々で構成されていました。 このような取締役会では、リスクアペタイトが旺盛な経営者の欲望を抑制できず、不正や経営破綻につながったことから、このモデルは限界を迎えました。 次に登場したのが、独立社外取締役で構成される監査委員会を活用する「ボード2.0」です。「モニタリングボード」とも呼ばれるこの仕組みは、1970年代から2000年代にかけて徐々に一般的になってきました。日本のコーポレートガバナンス・コードも独立社外取締役が過半数を占め、監査委員会、報酬委員会、指名委員会などを持つ米国の「ボード2.0」をひな型としています。 「ボード2.0」に対しては、米国では課題が指摘されています。CEOほかの執行サイドとの情報格差や管理・監督のためのリソース、またモチベーションの点で社外取締役には限界があり、複雑化する企業経営を十分に監督できないのではないか、という指摘です。 日本企業とは異なり、米国では経営者のアニマルスピリッツやリスクアペタイトは旺盛だけれども、CEOなどの経営陣と社外取締役の情報の非対称性が大きく、経営者の意図を十分咀嚼し議論していく体制が不十分、というわけです。 米国では、アクティビストが株主となり、相当額の投資を背景に大株主としてCEOやCFOとの面談や財務分析を集中して行うことで、経営に深く関与する事例が増えています。 こうなると、その会社のビジネス領域に十分な知見のない社外取締役よりも、洗練されたアクティビストの方が事業をよく理解し戦略の評価能力を有している、という状況になってきます。 こうしたアクティビストから事業売却などの提案を受けた場合、これまでの「独立性」にこだわり過ぎた社外取締役だけでは、賛否を十分に議論できないのではないか、というのがゴードン氏らの指摘です。 「ボード3.0」でゴードン氏らが提唱しているアイデアは、企業価値を持続的に成長させるために、取締役会に、企業が成長することと利害が一致しインセンティブを持つ投資家(プライベートエクイティ・ファンドなど)を迎え、取締役会の情報収集力やアクティビストとの交渉力などを高める、というものです。 実は、米国ではこの「ボード3.0」に対しては批判が多く、2023年の春の時点では、本国での賛同は広がっていません。 むしろ、「ボード3.0」をめぐる議論は、米国本国よりも日本で活発です。 それは、ゴードン氏らが提起した「独立社外取締役の存在だけでは、企業価値の向上につながらない」という論点が、企業業績や株価が低迷している日本でより深刻だからだと考えられます。 しかし、取締役会に投資家を迎え入れるという「ボード3.0」のアイデアが、日本で受け入れられる可能性は米国以上にほとんどありません』、「独立社外取締役で構成される監査委員会を活用する「ボード2.0」です。「モニタリングボード」とも呼ばれるこの仕組みは、1970年代から2000年代にかけて徐々に一般的になってきました。日本のコーポレートガバナンス・コードも独立社外取締役が過半数を占め、監査委員会、報酬委員会、指名委員会などを持つ米国の「ボード2.0」をひな型としています。 「ボード2.0」に対しては、米国では課題が指摘されています。CEOほかの執行サイドとの情報格差や管理・監督のためのリソース、またモチベーションの点で社外取締役には限界があり、複雑化する企業経営を十分に監督できないのではないか、という指摘です・・・「ボード3.0」でゴードン氏らが提唱しているアイデアは、企業価値を持続的に成長させるために、取締役会に、企業が成長することと利害が一致しインセンティブを持つ投資家(プライベートエクイティ・ファンドなど)を迎え、取締役会の情報収集力やアクティビストとの交渉力などを高める、というものです。 実は、米国ではこの「ボード3.0」に対しては批判が多く、2023年の春の時点では、本国での賛同は広がっていません」、なるほど。
・『本書では、日本企業で取締役会がより健全なリスクテイクを行えるようにするための方策を、上記の文章に続いて、この後に提言しています。) 参考文献 *1 「コーポレートガバナンス・コード」東京証券取引所、2021年6月11日 *2 Gilson, R. J., and Gordon, J. N. "Board 3.0 - An Introduction, The Business Lawyer; Vol. 74(2), May 2019, pp.351-366. ※この記事は、書籍『CFO思考』の一部を抜粋・編集して公開しています。 徳成旨亮(とくなり・むねあき) ニコン取締役専務執行役員CFO 慶應義塾大学卒業。ペンシルベニア大学経営大学院(ウォートン・スクール)Advanced Management Program for Overseas Bankers修了。三菱UFJフィナンシャル・グループCFO(最高財務責任者)、米国ユニオンバンク取締役を経て現職。日本IR協議会元理事。米国『インスティテューショナル・インベスター』誌の投資家投票でベストCFO(日本の銀行部門)に2020年まで4年連続選出される(2016年から2019年の活動に対して)。本業の傍ら執筆活動を行い、ペンネーム「北村慶」名義での著書は累計発行部数約17万部。朝日新聞コラム「経済気象台」および日本経済新聞 コラム「十字路」への定期寄稿など、金融・経済リテラシーの啓発活動にも取り組んでいる。本書は本名での初の著作。 【著者からのメッセージ】 私は国内外あわせて毎年平均100名前後の機関投資家の方々と、直接もしくはネット経由で面談し、自社の株式への投資をお願いしてきました。これら多くのグローバル投資家から、私が繰り返し言われてきた言葉があります。それは、 「君たち(日本経済・日本企業・日本人)には『アニマルスピリッツ』はないのか?」 というフレーズです。 経済学者のジョン・メイナード・ケインズによれば、アニマルスピリッツとは、「実現したいことに対する非合理的なまでの期待と熱意」を意味します。海外の投資家たちは、日本の社会全体や企業経営から血気と活力が衰えている、つまり「アニマルスピリッツ」が日本経済から失われていると見ているのです。 この現状を覆すにはどうすればよいか? それが本書のテーマです。その答えは「CFO思考」にあると私は考えています。 「CFO(Chief Financial Officer、最高財務責任者)」と聞くと、数字のプロであり経理や資金調達に責任を負っている「経理・財務担当役員」が思い浮かぶ方も多いと思います。 しかし、欧米で「CFO」といえば、CEO(最高経営責任者)、COO(最高執行責任者)とともに3名で経営の意思決定を行う「Cスイート」の一角を占める重要職です。CFOは、投資家をはじめとする社外の多くのステークホルダー(利害関係者)に対しては、会社を代表してエンゲージメント(深いつながりを持った対話)を行い、社内に対しては、ROE(自己資本利益率)に代表される投資家の期待・資本の論理や、ESG投資家や地域社会など、異なるステークホルダーの要望を社員にもわかるように翻訳して伝え、その期待を踏まえた経営戦略を立て、それを実践するよう組織に影響を与え行動を促す、という役割を担っています。 そして、「アニマルスピリッツ」をCEOなどほかの経営陣と共有し、「数値をベースにした冷静な判断力」を持って考え、企業としての夢の実現に向け行動する、いわば企業成長のエンジンの役割を果たしています。 本書では、従来の日本の経理・財務担当役員に多く見られる「CFOは企業価値保全を第一義にすべきだ」という考え方を「金庫番思考」、「CFOは冷徹な計算と非合理的なまでの熱意を併せ持ち、企業成長のエンジンとなるべき」という考え方を「CFO思考」と呼びます。「『CFO思考』こそが、企業のパーパス(存在意義・目的)を実現させる」。これが本書の結論です。 本書でお話する内容には、企業経営に関するテーマが多く含まれています。同時に、現在、各企業において、経理、予算、財務、税務、IR、サステナビリティ・ESG、DX・ITといった分野で働くビジネスパーソン、もしくはそのような分野に興味がある方々も意識して書き下ろしました。皆さんが担当しておられるこれらの業務において、どのように「CFO思考」を発揮すればよいのかをご紹介しています。 こうした実務に携わっておられる皆さんには、グローバルで活躍できる人材として、将来日本企業と日本経済の成長のエンジンになっていただきたいと考えています。 CFOという仕事の魅力と楽しさが、一人でも多くの読者の皆さんに伝われば、それに勝る喜びはありません』、「現在、各企業において、経理、予算、財務、税務、IR、サステナビリティ・ESG、DX・ITといった分野で働くビジネスパーソン、もしくはそのような分野に興味がある方々も意識して書き下ろしました。皆さんが担当しておられるこれらの業務において、どのように「CFO思考」を発揮すればよいのかをご紹介しています」、彼らの活躍を期待したい。
第三に、昨年8月8日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したビジネス戦略コンサルタント・MPS Consulting代表の鈴木博毅氏による「なぜ、今『失敗の本質』なのか? これから読むための7つのヒント【書籍オンライン編集部セレクション】」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/347959
・『日本人はなぜ、追いつめられると戦略思考ができなくなるのか。旧日本軍の敗戦から今日の企業不祥事・社会問題まで、今も昔も日本的組織が抱える問題には共通点が多い。教条主義、反省部屋、員数主義、上意下達、言葉狩り、責任逃れ……問題解決をはばむ「日本病」の正体とは? 15万部のベストセラーとなった『「超」入門 失敗の本質』の著者が、日本軍の敗因を分析した名著を読み解く。(この記事は、2012年4月5日に公開された記事を一部加筆修正したものです)』、興味深そうだ。
・『『失敗の本質』が指摘した、日本的組織の弱点 「いかなる軍事上の作戦においても、そこには明確な戦略ないし作戦目的が存在しなければならない。目的のあいまいな作戦は、必ず失敗する(中略)。本来、明確な統一的目的なくして作戦はないはずである。ところが、日本軍では、こうしたありうべからざることがしばしば起こった」(文庫版、P268) 上記は1984年に発刊された、『失敗の本質』の第2章からの抜粋です。日本的組織論・戦略論の名著である書籍の言葉は、現代日本の問題、巨大企業の不祥事をそのまま予言しているように響きます。 『失敗の本質~日本軍の組織論的研究』 戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝夫、村井友秀、野中郁次郎・著 左:単行本(ダイヤモンド社) 右:文庫版(中央公論社) 想定外の変化、突然の危機的状況に対する日本の組織の脆弱さは、私たちが今まさに痛感するところです。名著にズバリ「予言された未来」を現代日本は体験しているかのようです。 その『失敗の本質』が今、再び脚光を浴びています。同書は初版以降33年間、毎年売れ続けている驚くべきロングセラー書籍ですが、2011年の大震災後は有識者の記事でも多く引用されました。また、2016年には新東京都知事となった小池百合子氏が同書を座右の書として言及したことで、改めて多くの注目を集めました。 かつて世界市場を席巻した日本製品と日本企業が販売競争に負け、出口の見えない閉塞感と業績。最近では巨大企業の不正発覚から、都庁の意思決定機構の不透明さ。これら日本的組織原理による失敗や破綻、不祥事が改めて『失敗の本質』を手に取る読者を増やしているのです』、「「いかなる軍事上の作戦においても、そこには明確な戦略ないし作戦目的が存在しなければならない。目的のあいまいな作戦は、必ず失敗する(中略)。本来、明確な統一的目的なくして作戦はないはずである。ところが、日本軍では、こうしたありうべからざることがしばしば起こった・・・33年間、毎年売れ続けている驚くべきロングセラー書籍ですが、2011年の大震災後は有識者の記事でも多く引用されました」、なるほど。
・『『失敗の本質』が注目される理由 日本人と日本的組織、5つの弱点 では、なぜ今、『失敗の本質』が注目されているのでしょうか? その理由は約70年前に日本軍が敗北した大東亜戦争末期と、現在の日本が直面する問題、日本的組織の病状があまりにも似ているからでしょう。多くの日本人が、その不気味な類似点に驚き、不安さえ感じているのではないでしょうか。 以下、大東亜戦争末期の日本軍と現代日本に共通する5つの弱点を挙げてみましょう。 (1)あいまいな目的、さらに失敗を方向転換できず破綻する組織(ソ連との国境紛争だったノモンハン事件、ガダルカナル島での戦い、インパール作戦など、日本では戦略目的があいまいなままに戦闘が開始されています。その上、明らかに作戦が失敗しているにもかかわらず、戦力をさらにつぎ込んで、悲劇を拡大しています。 日本軍では目的があいまいなままで「組織内の空気」によって作戦が決定されていきました。そのような非合理な決定が破綻したあとも容易に停止できず、本来チェック機構を有しているはずの組織原理もほとんど機能しませんでした。「だれも過ちを止められないまま」、悲劇的な破綻まで突き進んでしまったのです。 (2)上から下へと「一方通行」の権威主義(どれだけ現場最前線の士気と能力が高くても、戦略や作戦を決める上層部が愚かな判断を続ければ敗北します。上層部が現場の声をまったく活かすことなく失敗を繰り返す姿は、日本軍と現代日本の組織にも共通しています。 (3)リスク管理ができず、人災として被害を拡大させる(企業の不祥事の多くは「問題の芽を放置した」ことで悲劇を迎えます。日本海軍の戦闘機「零戦」には防弾装備がなく、空母も被弾するとすぐに炎上してしまいました。あの時代も現代も、日本人のリスク管理思想には重大な欠陥があるのではないでしょうか。 (4)現実を直視せず、正しい情報が組織全体に伝達されず悲劇を拡大する(ノモンハン事件やインパール作戦では、緒戦の大失敗が組織全体に伝達されず、ある種の隠ぺいによって戦況がわからないままに当初の決断が継続されています。その結果、正しい情報が組織全体に伝達・共有されず、実際の状況がわからないままに作戦が継続され、問題への対策や処置が行なわれずに悲劇を急拡大させました。日本軍では、不都合な問題がこれ以上隠せず、被害の大きさが許容できないレベルになってやっと発覚して、組織に挽回不可能なダメージを与えたのです。 (5)問題の枠組みを新しい視点から理解できない(震災後の2012年に大幅赤字を発表したシャープは、昨年に台湾企業に買収されています。2016年10月には三菱自動車が日産から出資を受け、日産・ルノーアライアンスの一員となることが発表されました。世界的な半導体メーカー同士の競争でも、日本企業は厳しい戦いを強いられています。 日本企業は「高い技術力では負けていない」と言われますが、業績上の敗北は明白です。「技術以外の要素」が勝利に必要なのに、高い技術のみを誇る価値があるのでしょうか。日本軍の世界最大の戦艦「大和」は米軍航空機に撃沈されました。すでに戦艦の巨大さが勝利の要因ではなくなったことに気づけなかったのです』、「大東亜戦争末期の日本軍と現代日本に共通する5つの弱点・・・(1)あいまいな目的、さらに失敗を方向転換できず破綻する組織・・・(2)上から下へと「一方通行」の権威主義・・・(3)リスク管理ができず、人災として被害を拡大させる・・・(4)現実を直視せず、正しい情報が組織全体に伝達されず悲劇を拡大する・・・(5)問題の枠組みを新しい視点から理解できない よくぞこんなにも「共通」するものだと改めて実感する。
・『私たち現代日本人が、『失敗の本質』を読むべき3つの理由 私たちが現在『失敗の本質』を読むべき理由はいくつも挙げることができますが、特に大きな理由を以下に3つ記載します。 (1)巨大組織の不合理な決断と破綻、日本的組織原理の欠点への不満(戦闘員、民間人を含めて300万人以上の日本人が亡くなった大東亜戦争。開戦から1年以降は、転げ落ちるように敗北を重ねて悲惨な結末を迎えました。その当時の日本軍は、国内で最大の組織だったと言われています。そこには日本の頭脳とも言うべきエリートたちが集まっていたにもかかわらず、不合理と悲劇はどんどんと加速していったのです。 とても残念なことですが、現代の巨大組織の不祥事、意思決定の曖昧さ、タテ割り組織の弊害、都合の悪い情報を隠ぺいする行為など、『失敗の本質』で指摘された旧日本軍の悪弊とほとんど同じだと多くの日本人が感じています。 戦後72年を経た今こそ、日本は過去の弱点を克服し、同じ失敗から卒業すべきなのに、かえって「何も変わっていない」と暗澹たる気持ちにさせられる現実が目の前にあるのです。旧日本軍と現代組織の共通するジレンマを知ることは、現在への不満と、新たな突破口を探す圧力の強さを意味しているのではないでしょうか。 (2)大震災と原発事故が教えた日本的なリスク管理の危険性(コンティンジェンシー・プラン(万一の事態に備えた計画)が不在であることは日本軍と現代日本組織に共通する大きな欠陥です。変化の激しい時代に、適切なリスク管理ができないことは、今後さらなる危険を生み出すことにつながります。「想定外」という言葉が、不適切なリスク管理の免罪符となる状況は、そろそろ終わりにすべきではないでしょうか。 廃炉まで30年、あるいはそれ以上かかる可能性も指摘され始めた福島第一原発の現状は、日本的なリスク管理やリスク対処法が、実は危機的な事態にはほとんど機能しないという、残念極まる現実を私たちに突きつけています。日本的なリスク管理の誤りを、より多くの人が認識するために『失敗の本質』は、多くの教訓を含んでおり、新たな悲劇を生まないために学ぶべき要素があると思われるのです。 (3)日本企業の劣勢、突破口が見えない閉塞感の時代(過去に世界市場を席巻した日本企業が、苦戦・敗北をしています。しかし、日本企業も日本人も努力を怠っているわけでは決してありません。だからこそ、既存の戦術に固執して無残に敗北した、日本軍と同じ失敗を疑う必要があるのです。 以下は『失敗の本質』で紹介された2つの概念です。 シングル・ループ学習 = 問題の構造が固定的だと考えること ダブル・ループ学習 = 問題の構造は変化することもあると考えること (例)前者は「高い技術」のみがビジネス唯一の成功要因だと盲信すること。 (例)後者は「技術」以外にもビジネスの成功要因があると考えることです。 昨年には米アマゾンがコンビニ事業へ進出するとのニュースが伝わりました。さらには今後、アマゾンは生鮮食品事業にも参入する可能性があると言われています。世界の最先端企業は、これまでにない発想でビジネス領域を拡大する一方、日本企業の多くは閉塞感を抱えたまま、過去のビジネスモデルから脱却できない現実があります。これをどう打破するか、あらゆる日本企業に共通の課題がここにもあるのです』、「私たち現代日本人が、『失敗の本質』を読むべき3つの理由・・・(1)巨大組織の不合理な決断と破綻、日本的組織原理の欠点への不満・・・(2)大震災と原発事故が教えた日本的なリスク管理の危険性・・・(3)日本企業の劣勢、突破口が見えない閉塞感の時代 確かに「あらゆる日本企業に共通の課題がここにもある」、なるほど。
・『日本的組織原理の欠点を認めて、新たな学習を成し遂げるチャンスへ ビジネス、社会での閉塞感が高まっている中で、巨大組織での意思決定のあいまいさや、企業の相次ぐ不祥事は打開策への希求を強くしていると感じられます。明るい未来が見えないことに、多くの日本人は強い苛立ちを覚えているのではないでしょうか。 日本は経済、政治、社会体制など多くの面で難問を抱えています。この危機的状況から将来の成功を生み出すためには、過去を乗り越えることを目標に、新たな学習を成し遂げることが大切です。名著『失敗の本質』の重要ポイントの一つは“学習棄却”という概念でした。過去を適切に手離すことが新たな成功には不可欠なのです。 そのために重要なことは、日本と日本的組織で繰り返されている失敗を突き止め、再発を防止できる知恵を得ることです。日本軍は大東亜戦争を、極めて日本的な発想で戦い、緒戦の快進撃を除いては敗北を続けたのですから。 日本的組織を分析した『失敗の本質』が、初版からずっとベストセラーであり続けているのは、私たち日本人が知りたい答えを示唆しているからだと思われます。 一方で、名著『失敗の本質』は、33年間読み継がれ、累計70万部のベストセラーであるのに、なぜ私たちは名著の教えを習得できていないのか?『失敗の本質』がやや難解な書籍であり、読み解くことが難しいこともその一因かもしれません』、「日本的組織を分析した『失敗の本質』が、初版からずっとベストセラーであり続けているのは、私たち日本人が知りたい答えを示唆しているからだと思われます。 一方で、名著『失敗の本質』は、33年間読み継がれ、累計70万部のベストセラーであるのに、なぜ私たちは名著の教えを習得できていないのか?『失敗の本質』がやや難解な書籍であり、読み解くことが難しいこともその一因かもしれません」、なるほど。
・『難解な『失敗の本質』を読み解く7つの視点 名著『失敗の本質』をわかりやすいエッセンスとして読み解くためには、以下の7つの視点を使うと、急速に理解が進みます。 (1)「戦略性」(日本人が考えている「戦略性」と米軍が考えた「戦略性」には違いがあります。米軍は一つの作戦、勝利が最終目標の達成につながる効果を発揮したのに対して、日本軍は目の前の戦闘に終始して最終目標の達成に近づくことができませんでした。 (2)「思考法」(大東亜戦争にも現代ビジネスにも共通する「日本人特有の思考法」の存在。練磨と改善には強く、大きな変化や革新が苦手で柔軟な対応ができない。日本海軍の名戦闘機「零戦」は部品1点にも軽量化の工夫が随所に凝らされた、改善努力の結晶でした。しかし、防弾装備を省いてまで実現した軽さが、米軍の進化で空戦の優位を失った時、日本軍は方向転換をする決断ができず、撃墜され続ける状況を変えられませんでした。 (3)「イノベーション」(既存のルールの習熟を目指す日本人の気質は、大きな変化を伴うイノベーションが苦手だと言われています。その気質や思考法がイノベーションを阻害するだけではなく、日本独特の組織の論理が過去の延長線上を好み、変化の芽を潰す傾向があるのもまた事実でしょう。スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツが日本から生まれない理由は、個人の思考法だけではなく、組織の歪んだ論理にもあるはずです。 (4)「型の伝承」(実は創造ではなく「方法」に依存する日本人。私たちの組織文化の中にある型の伝承という思想が、イノベーションの目を潰す悪影響を生んでいる可能性も高いのです。日露戦争で勝利した日本軍は、その戦闘方法を「型として伝承」し学習させたため、大東亜戦争では時代遅れの戦術に固執することになり、戦局の変化に対して新しい創造ができませんでした。 成功を生み出した真の因果関係を探るのではなく、成功した時の「行動」を繰り返して追い込まれていく姿は、ビジネスにおける国際競争で劣勢を挽回できない日本企業に重なります。 (5)「組織運営」(日本軍の上層部は、現場活用が徹底的に下手でした。組織の中央部と現場は緊密さに欠け、権威で現場の柔軟性を押さえ付けました。その結果、硬直的な意思決定を繰り返して敗北したのです。 上層部が頭の中でだけ組み立てた作戦は、現地最前線の過酷な現実の前に簡単に打ち砕かれていきます。一方で、最前線には、戦場の実情を正確に見抜いていた優秀な日本軍人もいたにもかかわらず、活用する能力がまったく欠けているのは、現代日本と日本軍にまさに共通の欠陥です。 (6)「リーダーシップ」(現実を直視しつつ、優れた判断が常に求められる戦場。環境変化を乗り越えて勝つリーダーは、新しく有効な戦略を見つけることが上手く、負けるリーダーは有効性を失った戦略に固執して敗北を重ねます。組織内にいる、勝つ能力を持つ人物を抜擢できることも、優れたリーダーの資質です。組織人事の優劣は、危機を突破して勝利するか、打開策を見つけられずに敗北するかの大差を生み出す要素なのです。 (7)「日本的メンタリティ」(「空気」の存在や、厳しい現実から目を背ける危険な思考への集団感染は、日本軍が悲惨な敗北へと突き進んだ要因の一つと言われます。そして、被害を劇的に増幅する「リスク管理の誤解」は、現代日本でも頻繁に起こっていることですので、皆さんもよく理解されていると思います。 リスクを隠し過小評価することで被害を増大させる日本軍と、リスクを積極的に探り出して徹底周知させて対策を講じる米軍では、時間の経過で戦闘力に大きな差が生まれたのは当然ではないでしょうか。 ここに挙げた7つの視点は、私たち現代日本が今こそ深く理解すべき課題だと感じます。同じ失敗を繰り返して反省する日本の姿にうんざりしている読者の方も多いはず。失敗を再発させず、新たな勝利を掴むための英知が求められているのです。 『失敗の本質』を7つの視点で読み解くことは、名著の新たな学習方法のススメでもあります。今、私たちに最も必要な学びを効率的に進めてはいかがでしょうか。詳しい読み解き方については、拙著『「超」入門 失敗の本質』をお読みいただければ幸いです』、「難解な『失敗の本質』を読み解く7つの視点、(1)「戦略性」・・・(2)「思考法」・・・(3)「イノベーション」・・・(4)「型の伝承」・・・(5)「組織運営」・・・(6)「リーダーシップ」・・・(7)「日本的メンタリティ」・・・、なるほど。
・『好評発売中! 『失敗の本質』著者・野中郁次郎氏推薦!! 「本書は日本の組織的問題を読み解く最適な入門書である」 「超」入門失敗の本質 ~日本軍と現代日本に共通する23の組織的ジレンマ~ 鈴木博毅・著(ダイヤモンド社刊) この連載の著者・鈴木博毅さんのベストセラー『「超」入門失敗の本質』が好評発売中です。名著『失敗の本質』を現代日本の問題と重ね合わせて、23のポイント、7つの視点からダイジェストで学ぶ1冊です。 なぜ日本は同じ過ちを繰り返すのか? なぜ日本は変われないのか? 今も引きずり続ける、旧日本軍と現代の日本企業に共通する組織的ジレンマを読み解きます。ご興味のある方はぜひお買い求めください。 【目次より】 序章日本は「最大の失敗」から本当に学んだのか? 第1章なぜ「戦略」が曖昧なのか? 第2章なぜ「日本的思考」は変化に対応できないのか? 第3章なぜ「イノベーション」が生まれないのか? 第4章なぜ「型の伝承」を優先してしまうのか? 第5章なぜ「現場」を上手に活用できないのか? 第6章なぜ「真のリーダーシップ」が存在しないのか? 第7章なぜ「集団の空気」に支配されるのか? あとがき――新しい時代の転換点を乗り越えるために』、やはりもう一度、『失敗の本質』を読み直してみよう。
先ずは、昨年5月19日付けPRESIDENT Onlineが掲載した立教大学ビジネススクール教授・戦略コンサルタントの田中 道昭氏による「社員は“マジメで勤勉”なのに、会社はアナログのまま…富士通の「DX請負人」が痛感した日本企業の重大な欠陥 日本企業が時代遅れになった根本原因」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/69640?page=1
・『なぜ日本企業のDXはうまくいかないのか。2020年4月、富士通の最高DX責任者になった福田譲氏は、就任してすぐ富士通でDXが進まない最大の原因に気づく。それは、グループ全体を覆う「会社に対する無関心」だった――。(第2回) ※本稿は、Ridgelinez編、田中道昭監修『HUMAN ∞ TRANSFORMATION』(日本経済新聞出版)の一部を再編集したものです』、興味深そうだ。
・『SAPジャパン元社長をDX担当に招き入れた 富士通株式会社の時田隆仁社長(以下、時田と略す)は全社変革を推進する上で、既存の組織や人間関係にとらわれない外部人材の登用を通じて多様性のあるマネジメントチームを組成していく。その中でも変革の核となる全社デジタルトランスフォーメーション(のちにFujitsu Transformation=〔フジトラ〕としてプロジェクト化する)の推進のために外部から招き入れたのが、富士通の現・執行役員EVP、CDXO(最高DX責任者)、CIO(最高情報技術責任者)である福田譲である。 福田は1997年に大学卒業後、ERP(統合基幹業務システム)の世界最大手であるSAPジャパンに入社した。化学・石油の大手メーカーを担当する法人営業のエキスパートとしてキャリアを磨きながら、新規事業開発の担当役員や営業統括本部長を歴任。 14年にはSAPジャパンの代表取締役となり、20年4月に富士通に転じるまで23年間、SAPに在籍していた』、「福田」氏は「14年にはSAPジャパンの代表取締役となり、20年4月に富士通に転じるまで23年間、SAPに在籍」、「富士通」も思い切った移籍人事をしたものだ。
・『各国グループ会社の状況を把握できていない そのSAPジャパン時代に福田は、時田の前任だった前社長の田中達也の依頼で、米国のシリコンバレーを案内したことがあった。SAPは2000年代初め、マイクロソフトに買収されるかという事態に直面したことがあり、世界企業へと脱皮すべく、シリコンバレーに研究所を移して組織変革に弾みをつけたという歴史を持つ企業でもある。 その経緯を説明しながら、富士通の当時の社長である田中にSAPの経営ダッシュボードなどを含めた事業経営の有り様を直接説明した福田は、富士通のグローバル経営の実態を聞き、驚きを禁じ得なかった。 世界的に通用するブランドとポジションを築いていながら、経営者がグローバルの数字を経営の意思決定に繋がる形でタイムリーに把握することができておらず、グループ会社のガバナンスもほとんど利いていないという印象を持ったという』、「富士通の当時の社長である田中にSAPの経営ダッシュボードなどを含めた事業経営の有り様を直接説明した福田は、富士通のグローバル経営の実態を聞き、驚きを禁じ得なかった。 世界的に通用するブランドとポジションを築いていながら、経営者がグローバルの数字を経営の意思決定に繋がる形でタイムリーに把握することができておらず、グループ会社のガバナンスもほとんど利いていないという印象を持った」、なるほど。
・『「富士通でこれなら日本の他の企業は…」 田中の再びの依頼によって、福田は翌年に富士通の取締役全員のシリコンバレー視察を受け入れ、SAPのデータ駆動型経営について改めて説明した。それをきっかけにして富士通が変わることを期待していたからだ。 しかしながら、メディアなどを通じて富士通の変革が進んだという話を聞くことはなかった。 「富士通でこのようなレベルなら、多くの日本企業は相当に危ないのではないか」。 そう思った福田だが、一方で富士通は世界的に競争力のある技術や優良な顧客資産、そして良い人材も持っているとも感じていた。企業としてのカルチャーも、時代錯誤になっている部分はあるが良いものを持っている。社員一人ひとりが「きちっと」している。真面目で勤勉というのは世界的に見ると大変価値があるし、資本主義に傾倒して多くの欧米企業が失ってしまったもの、GAFAM(グーグル、アマゾン・ドット・コム、フェイスブック〔現・メタ〕、アップル、マイクロソフト)にないものがあると考えていた。 福田は富士通を変えられたら多くの日本企業のリファレンスになると考え、時田の招聘しょうへいを受け入れて富士通に転じ、富士通のトランスフォーメーションの指揮を執ることになる』、「福田は富士通を変えられたら多くの日本企業のリファレンスになると考え、時田の招聘しょうへいを受け入れて富士通に転じ、富士通のトランスフォーメーションの指揮を執ることになる」、なるほど。
・『会社に対する無関心レベルが度を越えていた 福田が富士通に入社して最大の問題だとすぐに気づいたのは、グループ全体を覆う「会社に対する無関心」だった。 「会社を変革することに対して、実は抵抗勢力らしき存在がいませんでした。みんなが変革には賛成する一方で、会社に対するエンゲージメントが非常に低く、何のために富士通にいるのか、何のために仕事をしているのかを考えているように見える社員が少なかったのです」と福田は懐述する。 「上司に言われて仕事をしている」「残業代がつかなくなるので、幹部社員になりたくない」という従業員のリアルな声もあった。数万人が参加しているはずの社内SNSで社長の時田がコメントをつけても、「いいね!」などの反応が100に満たない。グループ12万人が閲覧できるはずの社内ポータルにトップメッセージをアップしても、閲覧数が2万~3万しかいかない――。その一方で、社員アンケートを取ると「他の部署が何をやっているのかが見えない」という不満も出てきていた』、「数万人が参加しているはずの社内SNSで社長の時田がコメントをつけても、「いいね!」などの反応が100に満たない。グループ12万人が閲覧できるはずの社内ポータルにトップメッセージをアップしても、閲覧数が2万~3万しかいかない――。その一方で、社員アンケートを取ると「他の部署が何をやっているのかが見えない」という不満も出てきていた」、
「社員」の意向といっても現実にはいい加減だのようだ。
・『経営に関心が向かないような仕組みがあった 社員が会社の成長や未来について、なぜこれほどまでに無関心なのか。 「無関心レベルが想像を超えていた」と福田は当時の状況を振り返るが、徐々に「富士通という組織の中に、会社の経営に関心を向かわせないような仕組みや構造があっただけに過ぎない」と思うようになる。会社が進んでいる方向性について、社員に疑問を抱かせないような環境を会社自身がつくっている、ということに気がついたのだ。 福田のこの気づきは、その後の改革に大いに活かされている。富士通は2020年5月にグループのパーパスを「イノベーションによって社会に信頼をもたらし、世界をより持続可能にしていく」ことと制定し、全社変革の軸として掲げた。 【図表1】富士通グループのパーパス出所=『HUMAN ∞ TRANSFORMATION』 しかしながら、全社変革はトップダウンだけでは実現できない。欠かせないのは、今は無関心な多くの従業員の、多様な個の力による変革をボトムアップで進める意識と意欲だ』、「「富士通という組織の中に、会社の経営に関心を向かわせないような仕組みや構造があっただけに過ぎない」と思うようになる。会社が進んでいる方向性について、社員に疑問を抱かせないような環境を会社自身がつくっている、ということに気がついたのだ」、なるほど。
・『まずは社員個人が生きることの意義を見つめ直す 彼らの心を動かし、行動を起こす原動力は何なのか? その第一歩として、社員個々を理解し、その原動力をドライブする取り組みとして「パーパスカービング」を経営陣主導で開始した。 「パーパスカービング」とは個人が働くことや生きることの意義を改めて見つめ直した上で、企業のパーパスと自己のパーパスを掛け合わせ、そこで生まれる多様な力を変革の原動力にするという取り組みである。パーパスカービングは全社にわたって実施され、何よりもこの後、変革の先鋒に立つべきリーダー層に変化をもたらした。 「変わらない富士通」に諦めの気持ちを持っていたものが、トップファースト(=経営陣から順に)で行われたパーパスカービングの実施によって、時田をはじめとした経営陣の全社変革への本気度を感じることができた。全社を横断して変革を実践するリーダーシップへ、少しずつ意識の変容が見られてきたのである』、「トップファースト(=経営陣から順に)で行われたパーパスカービングの実施によって、時田をはじめとした経営陣の全社変革への本気度を感じることができた。全社を横断して変革を実践するリーダーシップへ、少しずつ意識の変容が見られてきたのである」、なるほど。
・『変革の対象は「聖域」なく選ぶ 富士通は先のパーパスを基に2030年のあるべき姿を設定し、富士通グループ全体で変革を推進するプロジェクトとして「FUJITRA(以下、フジトラ)」を20年10月から開始。プロジェクト名のフジトラとは「Fujitsu+Transformation」を略したもので、社長である時田がCDXO(当時)として、またCIOの福田がその補佐として、パーパスを基点に富士通グループ全体をデジタルの力で変革していくプロジェクトである。そして、経路“相互”依存性を打破するために同時多発的に変革を実践していく。 変革テーマの対象は“聖域”なく選び、事業部門から管理部門まで部門を問わない。上がってきたテーマを分類・分析し、優先順位をつけて同時並行で推進。現在では150ほどのテーマがグループ全体において同時並行で取り組まれている。 「現場が主役・全員参加」というスローガンを掲げ、主要組織、主要グループ会社、リージョンごとにDX責任者(DXO)を配置し、DXO同士が推進するテーマの課題や悩みを相互に共有し、DXOたちによるコミュニティが解決し合うプロジェクト推進の基盤も構築できている。 【図表2】フジトラのプロジェクト体制(2023年3月時点)出所=『HUMAN ∞ TRANSFORMATION』』、「パーパスを基点に富士通グループ全体をデジタルの力で変革していくプロジェクトである。そして、経路“相互”依存性を打破するために同時多発的に変革を実践していく。 変革テーマの対象は“聖域”なく選び、事業部門から管理部門まで部門を問わない。上がってきたテーマを分類・分析し、優先順位をつけて同時並行で推進。現在では150ほどのテーマがグループ全体において同時並行で取り組まれている」、なるほど。
・『ファーストペンギンとしての出島組織をつくる フジトラの本当の目的はデジタル化を進めることではなく、顧客の悩みや社会課題に対して自らが課題を設定し、解決し、新しい変革を起こしていくための意欲と能力を醸成していくことだ。 これは、これまで富士通がやりたくてもできなかったことでもあり、富士通という企業そのものの変革を体現してみせることでもある。 「果たして全社DXプロジェクトだけでそのような姿になれるのか?」「もっと加速させる手段はないのか?」――。その解の1つとして生まれたのが、社外から変革を加速させるDXコンサルティングファームとしてのリッジラインズである。 富士通の抱える変革に向けた課題は、多くの日本企業にも共通しており、富士通でそれらを解決できれば、同じような境遇に置かれている日本企業にとって貴重なリファレンスモデルとなり得る。 しかし同時に、大企業である富士通では新しい施策や実証実験などに向けた意思決定や、必要なタレント・チームの組成がスピード感を持った形で実施できない場合が多い。そのためのファーストペンギン役として出島組織(この場合は資本関係で繋がってはいるが、経営の自主性を高く持てる組織の意)であり、プロフェッショナルファームとしてのリッジラインズの存在が生きてくる』、「ファーストペンギン役として出島組織・・・であり、プロフェッショナルファームとしてのリッジラインズの存在が生きてくる」、なるほど。
・『人を起点にした変革5つのステップ 取り組みの例としては、ジョブ型人事制度を前提にした360度評価や、組織間での人材の移動を柔軟にするプラクティス制、経費精算などの社内のバックオフィス業務をデジタルツールをフル活用して完全自動化する取り組み、新たな知見の創出活動としての「Human & Values Lab.
![[レジスタードトレードマーク]](https://blog.ss-blog.jp/_images_e/219.gif)
・『人起点変革のファーストステップ ステップ① 変革に取り組む明白な理由を示す ステップ② 企業としての新しい目的を設定する ステップ③ 対話を通じて企業の目的と従業員の原動力を共鳴させる ステップ④ 新しい目的や変革に熱意ある現場が行動変容できる環境をつくる ステップ⑤ ファーストペンギンを設定し、変革を加速する まず前提としてあるのは、いかに素晴らしい戦略が描けたとしても、トップから現場に至るまでそこにいる人々の行動変容が起きなければ、外から見ていても会社は変わっていないと思われるし、実際、変わっていないということである。そのため、変革に取り組む理由や自社の目的を従業員一人ひとりが理解し、行動に繋げられるための環境づくりがDXの初期ステップでは肝要となる』、「変革に取り組む理由や自社の目的を従業員一人ひとりが理解し、行動に繋げられるための環境づくりがDXの初期ステップでは肝要となる」、なるほど。
・『「考えたこと」を「実践」に移せる環境を整える 富士通では経営方針説明会においてDX企業への転身を宣言し、全社員に対する強い意識付けを実施した(ステップ①)。続けてパーパスを制定し(ステップ②)、自社が向かう方向性を明確にした上で、対話を通じてパーパスを浸透させていった。それが12万人に向けたメッセージや、パーパスカービングである(ステップ③)。 【図表3】人起点の変革のファーストステップ出所=『HUMAN ∞ TRANSFORMATION』 ここまでくると、ただのスローガンや一過性の取り組みではないということに従業員が気づき始める。本気で取り組みたいという熱意ある現場もちらほら出てくるが、そのときにポイントになるのが、彼らが考え出した新たな施策をすぐに実践できる環境をつくるということだ。 フジトラは全社の変革活動としてそれらを見える化し、活動やその成果がすぐに共有できるような環境を提供した。こうなると、後続が変革に向けて動きやすい状況がつくられ、自発的に挑戦しようとする動きも加速してくる(ステップ④)』、「彼らが考え出した新たな施策をすぐに実践できる環境をつくるということだ。 フジトラは全社の変革活動としてそれらを見える化し、活動やその成果がすぐに共有できるような環境を提供した」、なるほど。
・『出島会社でうまくいったものを本丸に取り込む その頃には抜本的に変化を起こす必要があるテーマや、これまでの常識にとらわれては決して解決できないテーマも明らかになってくる。そこでファーストペンギンを設定し、既存の組織やプロセスの影響を受けにくい状況で試行錯誤をさせ、うまくいったものを「本丸」に取り込んで一気に変革を進めていく。富士通にとっては、リッジラインズがまさしくファーストペンギンであり、出島として新会社を設立したのもそれが狙いの1つであった(ステップ⑤)。 富士通の場合は、これらのステップを経ることによって、変革を推進する人が自ら考え、行動を起こし、成果を生み出していくことが可能になる状態を創り出していった。 繰り返しになるが、変革を起こすのはまぎれもなく人である。リーダー自らが行動を起こし、周囲の行動を変容させていくためのアプローチとして、これらのステップを活用できる』、「変革を起こすのはまぎれもなく人である。リーダー自らが行動を起こし、周囲の行動を変容させていくためのアプローチとして、これらのステップを活用できる」、なるほど。
・『「ただデジタル化すればいい」のではない 日本企業の変革・DXで特に重要となるのはステップ①~③である。アナログ・物理データをデジタルデータ化したり、個別の業務をデジタル化したりするだけでは、トランスフォーメーションとはいえない。 Ridgelinez編、田中道昭監修『HUMAN ∞ TRANSFORMATION』(日本経済新聞出版)Ridgelinez編、田中道昭監修『HUMAN ∞ TRANSFORMATION』(日本経済新聞出版) 組織を横断した全体の業務・製造プロセスのデジタル化・見える化を行い、事業運営やビジネスモデルを変革してこそDXが達成されるといっていいだろう。そのためには、繰り返しになるが自社の(変革の)目的を戦略的に設定し、一人ひとりに理解を促し、浸透させていくことが必要になる。この①~③のステップをおろそかにして、個別の業務におけるツール導入を検討しても、大きなインパクトを出すのは難しい。 そしてこれらのステップは、変革を起こすための序盤に必要なものに過ぎない。活動を更に活性化させていくことで、ムーブメントを起こし全社に広げていくことが重要となる。一過性の取り組みに終わらせることなく、上層部から現場まで巻き込んで変革の理由をそれぞれのレイヤーが「自分事化」し、時に新たな目的を設定し更なる行動に繋げていくこと、このサイクルを継続していくことによって大きな変革を遂げていくことができるようになる』、「活動を更に活性化させていくことで、ムーブメントを起こし全社に広げていくことが重要となる。一過性の取り組みに終わらせることなく、上層部から現場まで巻き込んで変革の理由をそれぞれのレイヤーが「自分事化」し、時に新たな目的を設定し更なる行動に繋げていくこと、このサイクルを継続していくことによって大きな変革を遂げていくことができるようになる」、なるほど。
次に、昨年6月16日付けダイヤモンド・オンライン「ニコン取締役専務執行役員CFOの徳成旨亮氏による「なぜ日本の取締役会はリスクテイクを歓迎しないのか」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/324457
・『三菱UFJおよびニコンのCFOとして、毎年平均100名近い海外機関投資家と面談してきた徳成旨亮氏によると、海外機関投資家との面談で、頻繁に「君たち(日本経済・日本企業・日本人)には『アニマルスピリッツ』はないのか?」と問い質されてきた、という。 海外投資家は、日本の社会や企業経営を、血気が衰え、数値的期待値を最重視しリスクに怯えている状態にあると見ている。結果、日経平均は1989年の最高値を未だ更新できておらず、水準を切り上げ続けている欧米株と比べて魅力がないと言われても仕方がない状況だ。 この現状を打破するにはどうしたらいいか? 徳成氏は、「CFO思考」が「鍵」になるという。 朝倉祐介氏(アニマルスピリッツ代表パートナー)や堀内勉氏(元森ビルCFO)が絶賛する6/7発売の新刊『CFO思考』では、日本経済・日本企業・日本人が「血気と活力」を取り戻し、着実に成長への道に回帰する秘策が述べられている。本書から、一部を特別に公開する』、「日経平均は1989年の最高値を未だ更新できておらず、水準を切り上げ続けている欧米株と比べて魅力がないと言われても仕方がない状況だ」、ここは最近、最高値を更新したが、その後、停滞気味だ。「海外機関投資家との面談で、頻繁に「君たち(日本経済・日本企業・日本人)には『アニマルスピリッツ』はないのか?」と問い質されてきた」、なるほど。
・『「企業の永続性」を「成長」より優先する日本の取締役会 コーポレートガバナンス・コードは、取締役会がCEO以下経営陣の健全なアニマルスピリッツに基づくリスクテイクの提案を歓迎し、その果断な意思決定を支援することを求めています。 しかしながら、2023年時点で、日本企業の取締役会において、CEOをはじめとする経営陣に「もっと積極的にリスクを取れ」と背中を押すような行動を取っているケースはほとんどないものと思われます。 日本の社外取締役は、株主価値向上につながる企業価値向上を最優先に考えるというよりも、企業価値向上につながる行動はCEO以下執行サイドの役割であり、みずからの役割は監査など執行に対するチェック機能にあると認識しているものと考えられます。 ここで、取締役会の構成を見てみると、CEOなどの執行サイドの役員に加え、弁護士や会計士、官僚出身者や企業経営者から構成されているケースが多いことが分かります。 コーポレートガバナンス・コードの補充原則4─11①では、「独立社外取締役には、他社での経営経験を有するものを含めるべき[*1]」だとされており、各社はこぞって他社の社長経験者を社外取締役に迎えています。 その結果、他社の社長、会長経験者で、現在は「相談役」「特別顧問」などに就いておられる方々が、取締役会で中心的役割を担っている、というのが、日本の上場企業の平均的な姿になっています。 CFO仲間の懇談会などでよく聞く話を総合すると、平均的に70歳前後のこうした方々は、長年、企業を率い、後輩に社長のバトンを無事に渡された成功体験から、企業の永続性を優先するお考えをお持ちの方が多いようです。また、中には、「ROEや株主価値を重視すべき」という昨今の風潮に心のどこかで抵抗を感じている方もいらっしゃる、という話も聞きます。 誤解を恐れずに言えば、多くの社外取締役は、会社の継続性を優先し、企業がリスクアペタイトに乏しい状況を容認する、つまりリスクテイクよりは企業の安定性を重視する傾向があると言えます。 このため、ISSやグラス・ルイスなどの議決権行使助言会社が「独立社外取締役を増やせ」といった外形標準的な要求をいくら企業側に突き付け、そのとおりになったとしても、コーポレートガバナンス・コードが期待しているような「社外取締役が中心となってCEOのアニマルスピリッツに火をつけ、リスクテイクの背中を押す」といったシナリオは期待しにくいと言えます。 念のため、私のスタンスをお話しすれば、会社の永続性を重視する、という結論は多くの日本企業にとって妥当なものだと考えています。 同時に、海外投資家と面談してきた経験から、取締役会でもっとリスクテイクによる企業価値の向上策や株価対策が議題として採り上げられても良いとも感じています。 取締役会メンバーに「投資家的目線を持った人材」が複数いて、従業員や地域社会などさまざまなステークホルダーの利害を含む多角的な議論が行われ、その結果として経営方針を導き出すことが──たとえそれが従来と同じ結論だったとしても──重要ではないか、というのが私の考えです』、「取締役会メンバーに「投資家的目線を持った人材」が複数いて、従業員や地域社会などさまざまなステークホルダーの利害を含む多角的な議論が行われ、その結果として経営方針を導き出すことが──たとえそれが従来と同じ結論だったとしても──重要ではないか、というのが私の考えです」、同感である。
・『取締役会に投資家を招く「ボード3.0」という考え方 こうした問題意識は広く認識されつつあり、経済産業省や一部有識者のあいだでは、「ボード3.0」を日本流に応用することがその解決に資するのではないか、と注目されています。 「ボード3.0」とは、2019年にコロンビア・ロースクールのロナルド・ジルソン教授とジェフリー・ゴードン教授が提唱した新しい取締役会のモデルです[*2]。 1960年代までに米国で確立した取締役会のモデルは「アドバイザリーボード」と呼ばれ、取締役会は、経営者本人と企業の顧問法律事務所や取引銀行や投資銀行の担当役員、経営者の知人の他社経営者など「お友達」とも言える人々で構成されていました。 このような取締役会では、リスクアペタイトが旺盛な経営者の欲望を抑制できず、不正や経営破綻につながったことから、このモデルは限界を迎えました。 次に登場したのが、独立社外取締役で構成される監査委員会を活用する「ボード2.0」です。「モニタリングボード」とも呼ばれるこの仕組みは、1970年代から2000年代にかけて徐々に一般的になってきました。日本のコーポレートガバナンス・コードも独立社外取締役が過半数を占め、監査委員会、報酬委員会、指名委員会などを持つ米国の「ボード2.0」をひな型としています。 「ボード2.0」に対しては、米国では課題が指摘されています。CEOほかの執行サイドとの情報格差や管理・監督のためのリソース、またモチベーションの点で社外取締役には限界があり、複雑化する企業経営を十分に監督できないのではないか、という指摘です。 日本企業とは異なり、米国では経営者のアニマルスピリッツやリスクアペタイトは旺盛だけれども、CEOなどの経営陣と社外取締役の情報の非対称性が大きく、経営者の意図を十分咀嚼し議論していく体制が不十分、というわけです。 米国では、アクティビストが株主となり、相当額の投資を背景に大株主としてCEOやCFOとの面談や財務分析を集中して行うことで、経営に深く関与する事例が増えています。 こうなると、その会社のビジネス領域に十分な知見のない社外取締役よりも、洗練されたアクティビストの方が事業をよく理解し戦略の評価能力を有している、という状況になってきます。 こうしたアクティビストから事業売却などの提案を受けた場合、これまでの「独立性」にこだわり過ぎた社外取締役だけでは、賛否を十分に議論できないのではないか、というのがゴードン氏らの指摘です。 「ボード3.0」でゴードン氏らが提唱しているアイデアは、企業価値を持続的に成長させるために、取締役会に、企業が成長することと利害が一致しインセンティブを持つ投資家(プライベートエクイティ・ファンドなど)を迎え、取締役会の情報収集力やアクティビストとの交渉力などを高める、というものです。 実は、米国ではこの「ボード3.0」に対しては批判が多く、2023年の春の時点では、本国での賛同は広がっていません。 むしろ、「ボード3.0」をめぐる議論は、米国本国よりも日本で活発です。 それは、ゴードン氏らが提起した「独立社外取締役の存在だけでは、企業価値の向上につながらない」という論点が、企業業績や株価が低迷している日本でより深刻だからだと考えられます。 しかし、取締役会に投資家を迎え入れるという「ボード3.0」のアイデアが、日本で受け入れられる可能性は米国以上にほとんどありません』、「独立社外取締役で構成される監査委員会を活用する「ボード2.0」です。「モニタリングボード」とも呼ばれるこの仕組みは、1970年代から2000年代にかけて徐々に一般的になってきました。日本のコーポレートガバナンス・コードも独立社外取締役が過半数を占め、監査委員会、報酬委員会、指名委員会などを持つ米国の「ボード2.0」をひな型としています。 「ボード2.0」に対しては、米国では課題が指摘されています。CEOほかの執行サイドとの情報格差や管理・監督のためのリソース、またモチベーションの点で社外取締役には限界があり、複雑化する企業経営を十分に監督できないのではないか、という指摘です・・・「ボード3.0」でゴードン氏らが提唱しているアイデアは、企業価値を持続的に成長させるために、取締役会に、企業が成長することと利害が一致しインセンティブを持つ投資家(プライベートエクイティ・ファンドなど)を迎え、取締役会の情報収集力やアクティビストとの交渉力などを高める、というものです。 実は、米国ではこの「ボード3.0」に対しては批判が多く、2023年の春の時点では、本国での賛同は広がっていません」、なるほど。
・『本書では、日本企業で取締役会がより健全なリスクテイクを行えるようにするための方策を、上記の文章に続いて、この後に提言しています。) 参考文献 *1 「コーポレートガバナンス・コード」東京証券取引所、2021年6月11日 *2 Gilson, R. J., and Gordon, J. N. "Board 3.0 - An Introduction, The Business Lawyer; Vol. 74(2), May 2019, pp.351-366. ※この記事は、書籍『CFO思考』の一部を抜粋・編集して公開しています。 徳成旨亮(とくなり・むねあき) ニコン取締役専務執行役員CFO 慶應義塾大学卒業。ペンシルベニア大学経営大学院(ウォートン・スクール)Advanced Management Program for Overseas Bankers修了。三菱UFJフィナンシャル・グループCFO(最高財務責任者)、米国ユニオンバンク取締役を経て現職。日本IR協議会元理事。米国『インスティテューショナル・インベスター』誌の投資家投票でベストCFO(日本の銀行部門)に2020年まで4年連続選出される(2016年から2019年の活動に対して)。本業の傍ら執筆活動を行い、ペンネーム「北村慶」名義での著書は累計発行部数約17万部。朝日新聞コラム「経済気象台」および日本経済新聞 コラム「十字路」への定期寄稿など、金融・経済リテラシーの啓発活動にも取り組んでいる。本書は本名での初の著作。 【著者からのメッセージ】 私は国内外あわせて毎年平均100名前後の機関投資家の方々と、直接もしくはネット経由で面談し、自社の株式への投資をお願いしてきました。これら多くのグローバル投資家から、私が繰り返し言われてきた言葉があります。それは、 「君たち(日本経済・日本企業・日本人)には『アニマルスピリッツ』はないのか?」 というフレーズです。 経済学者のジョン・メイナード・ケインズによれば、アニマルスピリッツとは、「実現したいことに対する非合理的なまでの期待と熱意」を意味します。海外の投資家たちは、日本の社会全体や企業経営から血気と活力が衰えている、つまり「アニマルスピリッツ」が日本経済から失われていると見ているのです。 この現状を覆すにはどうすればよいか? それが本書のテーマです。その答えは「CFO思考」にあると私は考えています。 「CFO(Chief Financial Officer、最高財務責任者)」と聞くと、数字のプロであり経理や資金調達に責任を負っている「経理・財務担当役員」が思い浮かぶ方も多いと思います。 しかし、欧米で「CFO」といえば、CEO(最高経営責任者)、COO(最高執行責任者)とともに3名で経営の意思決定を行う「Cスイート」の一角を占める重要職です。CFOは、投資家をはじめとする社外の多くのステークホルダー(利害関係者)に対しては、会社を代表してエンゲージメント(深いつながりを持った対話)を行い、社内に対しては、ROE(自己資本利益率)に代表される投資家の期待・資本の論理や、ESG投資家や地域社会など、異なるステークホルダーの要望を社員にもわかるように翻訳して伝え、その期待を踏まえた経営戦略を立て、それを実践するよう組織に影響を与え行動を促す、という役割を担っています。 そして、「アニマルスピリッツ」をCEOなどほかの経営陣と共有し、「数値をベースにした冷静な判断力」を持って考え、企業としての夢の実現に向け行動する、いわば企業成長のエンジンの役割を果たしています。 本書では、従来の日本の経理・財務担当役員に多く見られる「CFOは企業価値保全を第一義にすべきだ」という考え方を「金庫番思考」、「CFOは冷徹な計算と非合理的なまでの熱意を併せ持ち、企業成長のエンジンとなるべき」という考え方を「CFO思考」と呼びます。「『CFO思考』こそが、企業のパーパス(存在意義・目的)を実現させる」。これが本書の結論です。 本書でお話する内容には、企業経営に関するテーマが多く含まれています。同時に、現在、各企業において、経理、予算、財務、税務、IR、サステナビリティ・ESG、DX・ITといった分野で働くビジネスパーソン、もしくはそのような分野に興味がある方々も意識して書き下ろしました。皆さんが担当しておられるこれらの業務において、どのように「CFO思考」を発揮すればよいのかをご紹介しています。 こうした実務に携わっておられる皆さんには、グローバルで活躍できる人材として、将来日本企業と日本経済の成長のエンジンになっていただきたいと考えています。 CFOという仕事の魅力と楽しさが、一人でも多くの読者の皆さんに伝われば、それに勝る喜びはありません』、「現在、各企業において、経理、予算、財務、税務、IR、サステナビリティ・ESG、DX・ITといった分野で働くビジネスパーソン、もしくはそのような分野に興味がある方々も意識して書き下ろしました。皆さんが担当しておられるこれらの業務において、どのように「CFO思考」を発揮すればよいのかをご紹介しています」、彼らの活躍を期待したい。
第三に、昨年8月8日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したビジネス戦略コンサルタント・MPS Consulting代表の鈴木博毅氏による「なぜ、今『失敗の本質』なのか? これから読むための7つのヒント【書籍オンライン編集部セレクション】」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/347959
・『日本人はなぜ、追いつめられると戦略思考ができなくなるのか。旧日本軍の敗戦から今日の企業不祥事・社会問題まで、今も昔も日本的組織が抱える問題には共通点が多い。教条主義、反省部屋、員数主義、上意下達、言葉狩り、責任逃れ……問題解決をはばむ「日本病」の正体とは? 15万部のベストセラーとなった『「超」入門 失敗の本質』の著者が、日本軍の敗因を分析した名著を読み解く。(この記事は、2012年4月5日に公開された記事を一部加筆修正したものです)』、興味深そうだ。
・『『失敗の本質』が指摘した、日本的組織の弱点 「いかなる軍事上の作戦においても、そこには明確な戦略ないし作戦目的が存在しなければならない。目的のあいまいな作戦は、必ず失敗する(中略)。本来、明確な統一的目的なくして作戦はないはずである。ところが、日本軍では、こうしたありうべからざることがしばしば起こった」(文庫版、P268) 上記は1984年に発刊された、『失敗の本質』の第2章からの抜粋です。日本的組織論・戦略論の名著である書籍の言葉は、現代日本の問題、巨大企業の不祥事をそのまま予言しているように響きます。 『失敗の本質~日本軍の組織論的研究』 戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝夫、村井友秀、野中郁次郎・著 左:単行本(ダイヤモンド社) 右:文庫版(中央公論社) 想定外の変化、突然の危機的状況に対する日本の組織の脆弱さは、私たちが今まさに痛感するところです。名著にズバリ「予言された未来」を現代日本は体験しているかのようです。 その『失敗の本質』が今、再び脚光を浴びています。同書は初版以降33年間、毎年売れ続けている驚くべきロングセラー書籍ですが、2011年の大震災後は有識者の記事でも多く引用されました。また、2016年には新東京都知事となった小池百合子氏が同書を座右の書として言及したことで、改めて多くの注目を集めました。 かつて世界市場を席巻した日本製品と日本企業が販売競争に負け、出口の見えない閉塞感と業績。最近では巨大企業の不正発覚から、都庁の意思決定機構の不透明さ。これら日本的組織原理による失敗や破綻、不祥事が改めて『失敗の本質』を手に取る読者を増やしているのです』、「「いかなる軍事上の作戦においても、そこには明確な戦略ないし作戦目的が存在しなければならない。目的のあいまいな作戦は、必ず失敗する(中略)。本来、明確な統一的目的なくして作戦はないはずである。ところが、日本軍では、こうしたありうべからざることがしばしば起こった・・・33年間、毎年売れ続けている驚くべきロングセラー書籍ですが、2011年の大震災後は有識者の記事でも多く引用されました」、なるほど。
・『『失敗の本質』が注目される理由 日本人と日本的組織、5つの弱点 では、なぜ今、『失敗の本質』が注目されているのでしょうか? その理由は約70年前に日本軍が敗北した大東亜戦争末期と、現在の日本が直面する問題、日本的組織の病状があまりにも似ているからでしょう。多くの日本人が、その不気味な類似点に驚き、不安さえ感じているのではないでしょうか。 以下、大東亜戦争末期の日本軍と現代日本に共通する5つの弱点を挙げてみましょう。 (1)あいまいな目的、さらに失敗を方向転換できず破綻する組織(ソ連との国境紛争だったノモンハン事件、ガダルカナル島での戦い、インパール作戦など、日本では戦略目的があいまいなままに戦闘が開始されています。その上、明らかに作戦が失敗しているにもかかわらず、戦力をさらにつぎ込んで、悲劇を拡大しています。 日本軍では目的があいまいなままで「組織内の空気」によって作戦が決定されていきました。そのような非合理な決定が破綻したあとも容易に停止できず、本来チェック機構を有しているはずの組織原理もほとんど機能しませんでした。「だれも過ちを止められないまま」、悲劇的な破綻まで突き進んでしまったのです。 (2)上から下へと「一方通行」の権威主義(どれだけ現場最前線の士気と能力が高くても、戦略や作戦を決める上層部が愚かな判断を続ければ敗北します。上層部が現場の声をまったく活かすことなく失敗を繰り返す姿は、日本軍と現代日本の組織にも共通しています。 (3)リスク管理ができず、人災として被害を拡大させる(企業の不祥事の多くは「問題の芽を放置した」ことで悲劇を迎えます。日本海軍の戦闘機「零戦」には防弾装備がなく、空母も被弾するとすぐに炎上してしまいました。あの時代も現代も、日本人のリスク管理思想には重大な欠陥があるのではないでしょうか。 (4)現実を直視せず、正しい情報が組織全体に伝達されず悲劇を拡大する(ノモンハン事件やインパール作戦では、緒戦の大失敗が組織全体に伝達されず、ある種の隠ぺいによって戦況がわからないままに当初の決断が継続されています。その結果、正しい情報が組織全体に伝達・共有されず、実際の状況がわからないままに作戦が継続され、問題への対策や処置が行なわれずに悲劇を急拡大させました。日本軍では、不都合な問題がこれ以上隠せず、被害の大きさが許容できないレベルになってやっと発覚して、組織に挽回不可能なダメージを与えたのです。 (5)問題の枠組みを新しい視点から理解できない(震災後の2012年に大幅赤字を発表したシャープは、昨年に台湾企業に買収されています。2016年10月には三菱自動車が日産から出資を受け、日産・ルノーアライアンスの一員となることが発表されました。世界的な半導体メーカー同士の競争でも、日本企業は厳しい戦いを強いられています。 日本企業は「高い技術力では負けていない」と言われますが、業績上の敗北は明白です。「技術以外の要素」が勝利に必要なのに、高い技術のみを誇る価値があるのでしょうか。日本軍の世界最大の戦艦「大和」は米軍航空機に撃沈されました。すでに戦艦の巨大さが勝利の要因ではなくなったことに気づけなかったのです』、「大東亜戦争末期の日本軍と現代日本に共通する5つの弱点・・・(1)あいまいな目的、さらに失敗を方向転換できず破綻する組織・・・(2)上から下へと「一方通行」の権威主義・・・(3)リスク管理ができず、人災として被害を拡大させる・・・(4)現実を直視せず、正しい情報が組織全体に伝達されず悲劇を拡大する・・・(5)問題の枠組みを新しい視点から理解できない よくぞこんなにも「共通」するものだと改めて実感する。
・『私たち現代日本人が、『失敗の本質』を読むべき3つの理由 私たちが現在『失敗の本質』を読むべき理由はいくつも挙げることができますが、特に大きな理由を以下に3つ記載します。 (1)巨大組織の不合理な決断と破綻、日本的組織原理の欠点への不満(戦闘員、民間人を含めて300万人以上の日本人が亡くなった大東亜戦争。開戦から1年以降は、転げ落ちるように敗北を重ねて悲惨な結末を迎えました。その当時の日本軍は、国内で最大の組織だったと言われています。そこには日本の頭脳とも言うべきエリートたちが集まっていたにもかかわらず、不合理と悲劇はどんどんと加速していったのです。 とても残念なことですが、現代の巨大組織の不祥事、意思決定の曖昧さ、タテ割り組織の弊害、都合の悪い情報を隠ぺいする行為など、『失敗の本質』で指摘された旧日本軍の悪弊とほとんど同じだと多くの日本人が感じています。 戦後72年を経た今こそ、日本は過去の弱点を克服し、同じ失敗から卒業すべきなのに、かえって「何も変わっていない」と暗澹たる気持ちにさせられる現実が目の前にあるのです。旧日本軍と現代組織の共通するジレンマを知ることは、現在への不満と、新たな突破口を探す圧力の強さを意味しているのではないでしょうか。 (2)大震災と原発事故が教えた日本的なリスク管理の危険性(コンティンジェンシー・プラン(万一の事態に備えた計画)が不在であることは日本軍と現代日本組織に共通する大きな欠陥です。変化の激しい時代に、適切なリスク管理ができないことは、今後さらなる危険を生み出すことにつながります。「想定外」という言葉が、不適切なリスク管理の免罪符となる状況は、そろそろ終わりにすべきではないでしょうか。 廃炉まで30年、あるいはそれ以上かかる可能性も指摘され始めた福島第一原発の現状は、日本的なリスク管理やリスク対処法が、実は危機的な事態にはほとんど機能しないという、残念極まる現実を私たちに突きつけています。日本的なリスク管理の誤りを、より多くの人が認識するために『失敗の本質』は、多くの教訓を含んでおり、新たな悲劇を生まないために学ぶべき要素があると思われるのです。 (3)日本企業の劣勢、突破口が見えない閉塞感の時代(過去に世界市場を席巻した日本企業が、苦戦・敗北をしています。しかし、日本企業も日本人も努力を怠っているわけでは決してありません。だからこそ、既存の戦術に固執して無残に敗北した、日本軍と同じ失敗を疑う必要があるのです。 以下は『失敗の本質』で紹介された2つの概念です。 シングル・ループ学習 = 問題の構造が固定的だと考えること ダブル・ループ学習 = 問題の構造は変化することもあると考えること (例)前者は「高い技術」のみがビジネス唯一の成功要因だと盲信すること。 (例)後者は「技術」以外にもビジネスの成功要因があると考えることです。 昨年には米アマゾンがコンビニ事業へ進出するとのニュースが伝わりました。さらには今後、アマゾンは生鮮食品事業にも参入する可能性があると言われています。世界の最先端企業は、これまでにない発想でビジネス領域を拡大する一方、日本企業の多くは閉塞感を抱えたまま、過去のビジネスモデルから脱却できない現実があります。これをどう打破するか、あらゆる日本企業に共通の課題がここにもあるのです』、「私たち現代日本人が、『失敗の本質』を読むべき3つの理由・・・(1)巨大組織の不合理な決断と破綻、日本的組織原理の欠点への不満・・・(2)大震災と原発事故が教えた日本的なリスク管理の危険性・・・(3)日本企業の劣勢、突破口が見えない閉塞感の時代 確かに「あらゆる日本企業に共通の課題がここにもある」、なるほど。
・『日本的組織原理の欠点を認めて、新たな学習を成し遂げるチャンスへ ビジネス、社会での閉塞感が高まっている中で、巨大組織での意思決定のあいまいさや、企業の相次ぐ不祥事は打開策への希求を強くしていると感じられます。明るい未来が見えないことに、多くの日本人は強い苛立ちを覚えているのではないでしょうか。 日本は経済、政治、社会体制など多くの面で難問を抱えています。この危機的状況から将来の成功を生み出すためには、過去を乗り越えることを目標に、新たな学習を成し遂げることが大切です。名著『失敗の本質』の重要ポイントの一つは“学習棄却”という概念でした。過去を適切に手離すことが新たな成功には不可欠なのです。 そのために重要なことは、日本と日本的組織で繰り返されている失敗を突き止め、再発を防止できる知恵を得ることです。日本軍は大東亜戦争を、極めて日本的な発想で戦い、緒戦の快進撃を除いては敗北を続けたのですから。 日本的組織を分析した『失敗の本質』が、初版からずっとベストセラーであり続けているのは、私たち日本人が知りたい答えを示唆しているからだと思われます。 一方で、名著『失敗の本質』は、33年間読み継がれ、累計70万部のベストセラーであるのに、なぜ私たちは名著の教えを習得できていないのか?『失敗の本質』がやや難解な書籍であり、読み解くことが難しいこともその一因かもしれません』、「日本的組織を分析した『失敗の本質』が、初版からずっとベストセラーであり続けているのは、私たち日本人が知りたい答えを示唆しているからだと思われます。 一方で、名著『失敗の本質』は、33年間読み継がれ、累計70万部のベストセラーであるのに、なぜ私たちは名著の教えを習得できていないのか?『失敗の本質』がやや難解な書籍であり、読み解くことが難しいこともその一因かもしれません」、なるほど。
・『難解な『失敗の本質』を読み解く7つの視点 名著『失敗の本質』をわかりやすいエッセンスとして読み解くためには、以下の7つの視点を使うと、急速に理解が進みます。 (1)「戦略性」(日本人が考えている「戦略性」と米軍が考えた「戦略性」には違いがあります。米軍は一つの作戦、勝利が最終目標の達成につながる効果を発揮したのに対して、日本軍は目の前の戦闘に終始して最終目標の達成に近づくことができませんでした。 (2)「思考法」(大東亜戦争にも現代ビジネスにも共通する「日本人特有の思考法」の存在。練磨と改善には強く、大きな変化や革新が苦手で柔軟な対応ができない。日本海軍の名戦闘機「零戦」は部品1点にも軽量化の工夫が随所に凝らされた、改善努力の結晶でした。しかし、防弾装備を省いてまで実現した軽さが、米軍の進化で空戦の優位を失った時、日本軍は方向転換をする決断ができず、撃墜され続ける状況を変えられませんでした。 (3)「イノベーション」(既存のルールの習熟を目指す日本人の気質は、大きな変化を伴うイノベーションが苦手だと言われています。その気質や思考法がイノベーションを阻害するだけではなく、日本独特の組織の論理が過去の延長線上を好み、変化の芽を潰す傾向があるのもまた事実でしょう。スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツが日本から生まれない理由は、個人の思考法だけではなく、組織の歪んだ論理にもあるはずです。 (4)「型の伝承」(実は創造ではなく「方法」に依存する日本人。私たちの組織文化の中にある型の伝承という思想が、イノベーションの目を潰す悪影響を生んでいる可能性も高いのです。日露戦争で勝利した日本軍は、その戦闘方法を「型として伝承」し学習させたため、大東亜戦争では時代遅れの戦術に固執することになり、戦局の変化に対して新しい創造ができませんでした。 成功を生み出した真の因果関係を探るのではなく、成功した時の「行動」を繰り返して追い込まれていく姿は、ビジネスにおける国際競争で劣勢を挽回できない日本企業に重なります。 (5)「組織運営」(日本軍の上層部は、現場活用が徹底的に下手でした。組織の中央部と現場は緊密さに欠け、権威で現場の柔軟性を押さえ付けました。その結果、硬直的な意思決定を繰り返して敗北したのです。 上層部が頭の中でだけ組み立てた作戦は、現地最前線の過酷な現実の前に簡単に打ち砕かれていきます。一方で、最前線には、戦場の実情を正確に見抜いていた優秀な日本軍人もいたにもかかわらず、活用する能力がまったく欠けているのは、現代日本と日本軍にまさに共通の欠陥です。 (6)「リーダーシップ」(現実を直視しつつ、優れた判断が常に求められる戦場。環境変化を乗り越えて勝つリーダーは、新しく有効な戦略を見つけることが上手く、負けるリーダーは有効性を失った戦略に固執して敗北を重ねます。組織内にいる、勝つ能力を持つ人物を抜擢できることも、優れたリーダーの資質です。組織人事の優劣は、危機を突破して勝利するか、打開策を見つけられずに敗北するかの大差を生み出す要素なのです。 (7)「日本的メンタリティ」(「空気」の存在や、厳しい現実から目を背ける危険な思考への集団感染は、日本軍が悲惨な敗北へと突き進んだ要因の一つと言われます。そして、被害を劇的に増幅する「リスク管理の誤解」は、現代日本でも頻繁に起こっていることですので、皆さんもよく理解されていると思います。 リスクを隠し過小評価することで被害を増大させる日本軍と、リスクを積極的に探り出して徹底周知させて対策を講じる米軍では、時間の経過で戦闘力に大きな差が生まれたのは当然ではないでしょうか。 ここに挙げた7つの視点は、私たち現代日本が今こそ深く理解すべき課題だと感じます。同じ失敗を繰り返して反省する日本の姿にうんざりしている読者の方も多いはず。失敗を再発させず、新たな勝利を掴むための英知が求められているのです。 『失敗の本質』を7つの視点で読み解くことは、名著の新たな学習方法のススメでもあります。今、私たちに最も必要な学びを効率的に進めてはいかがでしょうか。詳しい読み解き方については、拙著『「超」入門 失敗の本質』をお読みいただければ幸いです』、「難解な『失敗の本質』を読み解く7つの視点、(1)「戦略性」・・・(2)「思考法」・・・(3)「イノベーション」・・・(4)「型の伝承」・・・(5)「組織運営」・・・(6)「リーダーシップ」・・・(7)「日本的メンタリティ」・・・、なるほど。
・『好評発売中! 『失敗の本質』著者・野中郁次郎氏推薦!! 「本書は日本の組織的問題を読み解く最適な入門書である」 「超」入門失敗の本質 ~日本軍と現代日本に共通する23の組織的ジレンマ~ 鈴木博毅・著(ダイヤモンド社刊) この連載の著者・鈴木博毅さんのベストセラー『「超」入門失敗の本質』が好評発売中です。名著『失敗の本質』を現代日本の問題と重ね合わせて、23のポイント、7つの視点からダイジェストで学ぶ1冊です。 なぜ日本は同じ過ちを繰り返すのか? なぜ日本は変われないのか? 今も引きずり続ける、旧日本軍と現代の日本企業に共通する組織的ジレンマを読み解きます。ご興味のある方はぜひお買い求めください。 【目次より】 序章日本は「最大の失敗」から本当に学んだのか? 第1章なぜ「戦略」が曖昧なのか? 第2章なぜ「日本的思考」は変化に対応できないのか? 第3章なぜ「イノベーション」が生まれないのか? 第4章なぜ「型の伝承」を優先してしまうのか? 第5章なぜ「現場」を上手に活用できないのか? 第6章なぜ「真のリーダーシップ」が存在しないのか? 第7章なぜ「集団の空気」に支配されるのか? あとがき――新しい時代の転換点を乗り越えるために』、やはりもう一度、『失敗の本質』を読み直してみよう。
タグ:日本型経営・組織の問題点 (その14)(社員は“マジメで勤勉”なのに 会社はアナログのまま…富士通の「DX請負人」が痛感した日本企業の重大な欠陥 日本企業が時代遅れになった根本原因、なぜ日本の取締役会はリスクテイクを歓迎しないのか、日本は「企業が最も経営破綻しない先進国」のままで良いのか?、なぜ 今『失敗の本質』なのか? これから読むための7つのヒント【書籍オンライン編集部セレクション】) PRESIDENT ONLINE 田中 道昭氏による「社員は“マジメで勤勉”なのに、会社はアナログのまま…富士通の「DX請負人」が痛感した日本企業の重大な欠陥 日本企業が時代遅れになった根本原因」 田中道昭監修『HUMAN ∞ TRANSFORMATION』(日本経済新聞出版) 「福田」氏は「14年にはSAPジャパンの代表取締役となり、20年4月に富士通に転じるまで23年間、SAPに在籍」、「富士通」も思い切った移籍人事をしたものだ。 「富士通の当時の社長である田中にSAPの経営ダッシュボードなどを含めた事業経営の有り様を直接説明した福田は、富士通のグローバル経営の実態を聞き、驚きを禁じ得なかった。 世界的に通用するブランドとポジションを築いていながら、経営者がグローバルの数字を経営の意思決定に繋がる形でタイムリーに把握することができておらず、グループ会社のガバナンスもほとんど利いていないという印象を持った」、なるほど。 「福田は富士通を変えられたら多くの日本企業のリファレンスになると考え、時田の招聘しょうへいを受け入れて富士通に転じ、富士通のトランスフォーメーションの指揮を執ることになる」、なるほど。 「数万人が参加しているはずの社内SNSで社長の時田がコメントをつけても、「いいね!」などの反応が100に満たない。グループ12万人が閲覧できるはずの社内ポータルにトップメッセージをアップしても、閲覧数が2万~3万しかいかない――。その一方で、社員アンケートを取ると「他の部署が何をやっているのかが見えない」という不満も出てきていた」、 「社員」の意向といっても現実にはいい加減だのようだ。 「「富士通という組織の中に、会社の経営に関心を向かわせないような仕組みや構造があっただけに過ぎない」と思うようになる。会社が進んでいる方向性について、社員に疑問を抱かせないような環境を会社自身がつくっている、ということに気がついたのだ」、なるほど。 「トップファースト(=経営陣から順に)で行われたパーパスカービングの実施によって、時田をはじめとした経営陣の全社変革への本気度を感じることができた。全社を横断して変革を実践するリーダーシップへ、少しずつ意識の変容が見られてきたのである」、なるほど。 「パーパスを基点に富士通グループ全体をデジタルの力で変革していくプロジェクトである。そして、経路“相互”依存性を打破するために同時多発的に変革を実践していく。 変革テーマの対象は“聖域”なく選び、事業部門から管理部門まで部門を問わない。上がってきたテーマを分類・分析し、優先順位をつけて同時並行で推進。現在では150ほどのテーマがグループ全体において同時並行で取り組まれている」、なるほど。 「ファーストペンギン役として出島組織・・・であり、プロフェッショナルファームとしてのリッジラインズの存在が生きてくる」、なるほど。 「ここまでの富士通の変革の現場を振り返ると、人を起点とした企業の変革に取り組む際のファーストステップとして捉えることができる」、なるほど。 「変革に取り組む理由や自社の目的を従業員一人ひとりが理解し、行動に繋げられるための環境づくりがDXの初期ステップでは肝要となる」、なるほど。 「彼らが考え出した新たな施策をすぐに実践できる環境をつくるということだ。 フジトラは全社の変革活動としてそれらを見える化し、活動やその成果がすぐに共有できるような環境を提供した」、なるほど。 「変革を起こすのはまぎれもなく人である。リーダー自らが行動を起こし、周囲の行動を変容させていくためのアプローチとして、これらのステップを活用できる」、なるほど。 「活動を更に活性化させていくことで、ムーブメントを起こし全社に広げていくことが重要となる。一過性の取り組みに終わらせることなく、上層部から現場まで巻き込んで変革の理由をそれぞれのレイヤーが「自分事化」し、時に新たな目的を設定し更なる行動に繋げていくこと、このサイクルを継続していくことによって大きな変革を遂げていくことができるようになる」、なるほど。 ダイヤモンド・オンライン「ニコン取締役専務執行役員CFOの徳成旨亮氏による「なぜ日本の取締役会はリスクテイクを歓迎しないのか」 三菱UFJおよびニコンのCFO 毎年平均100名近い海外機関投資家と面談 「独立社外取締役で構成される監査委員会を活用する「ボード2.0」です。「モニタリングボード」とも呼ばれるこの仕組みは、1970年代から2000年代にかけて徐々に一般的になってきました。日本のコーポレートガバナンス・コードも独立社外取締役が過半数を占め、監査委員会、報酬委員会、指名委員会などを持つ米国の「ボード2.0」をひな型としています。 「ボード2.0」に対しては、米国では課題が指摘されています。CEOほかの執行サイドとの情報格差や管理・監督のためのリソース、またモチベーションの点で社外取締役には限界が あり、複雑化する企業経営を十分に監督できないのではないか、という指摘です・・・「ボード3.0」でゴードン氏らが提唱しているアイデアは、企業価値を持続的に成長させるために、取締役会に、企業が成長することと利害が一致しインセンティブを持つ投資家(プライベートエクイティ・ファンドなど)を迎え、取締役会の情報収集力やアクティビストとの交渉力などを高める、というものです。 実は、米国ではこの「ボード3.0」に対しては批判が多く、2023年の春の時点では、本国での賛同は広がっていません」、なるほど。 「現在、各企業において、経理、予算、財務、税務、IR、サステナビリティ・ESG、DX・ITといった分野で働くビジネスパーソン、もしくはそのような分野に興味がある方々も意識して書き下ろしました。皆さんが担当しておられるこれらの業務において、どのように「CFO思考」を発揮すればよいのかをご紹介しています」、彼らの活躍を期待したい。 ダイヤモンド・オンライン 鈴木博毅氏による「なぜ、今『失敗の本質』なのか? これから読むための7つのヒント【書籍オンライン編集部セレクション】」 『「超」入門 失敗の本質』の著者 「「いかなる軍事上の作戦においても、そこには明確な戦略ないし作戦目的が存在しなければならない。目的のあいまいな作戦は、必ず失敗する(中略)。本来、明確な統一的目的なくして作戦はないはずである。ところが、日本軍では、こうしたありうべからざることがしばしば起こった・・・33年間、毎年売れ続けている驚くべきロングセラー書籍ですが、2011年の大震災後は有識者の記事でも多く引用されました」、なるほど。 「大東亜戦争末期の日本軍と現代日本に共通する5つの弱点・・・(1)あいまいな目的、さらに失敗を方向転換できず破綻する組織・・・(2)上から下へと「一方通行」の権威主義・・・(3)リスク管理ができず、人災として被害を拡大させる・・・(4)現実を直視せず、正しい情報が組織全体に伝達されず悲劇を拡大する・・・(5)問題の枠組みを新しい視点から理解できない よくぞこんなにも「共通」するものだと改めて実感する。 「私たち現代日本人が、『失敗の本質』を読むべき3つの理由・・・(1)巨大組織の不合理な決断と破綻、日本的組織原理の欠点への不満・・・(2)大震災と原発事故が教えた日本的なリスク管理の危険性・・・(3)日本企業の劣勢、突破口が見えない閉塞感の時代 確かに「あらゆる日本企業に共通の課題がここにもある」、なるほど。 「日本的組織を分析した『失敗の本質』が、初版からずっとベストセラーであり続けているのは、私たち日本人が知りたい答えを示唆しているからだと思われます。 一方で、名著『失敗の本質』は、33年間読み継がれ、累計70万部のベストセラーであるのに、なぜ私たちは名著の教えを習得できていないのか?『失敗の本質』がやや難解な書籍であり、読み解くことが難しいこともその一因かもしれません」、なるほど。 「難解な『失敗の本質』を読み解く7つの視点、(1)「戦略性」・・・(2)「思考法」・・・(3)「イノベーション」・・・(4)「型の伝承」・・・(5)「組織運営」・・・(6)「リーダーシップ」・・・(7)「日本的メンタリティ」・・・、なるほど。 やはりもう一度、『失敗の本質』を読み直してみよう。
日本の構造問題(その32)(「リベラルアーツ」を軽視しすぎた日本社会の代償 「リーダーシップ」と「教養教育」の不可分な関係、なぜ 日本では傑出したリーダーが出にくいのか 日本社会をダメにする「二重の選抜」の非効率) [経済政治動向]
日本の構造問題については、本年3月24日に取上げた。今日は、(その32)(「リベラルアーツ」を軽視しすぎた日本社会の代償 「リーダーシップ」と「教養教育」の不可分な関係、なぜ 日本では傑出したリーダーが出にくいのか 日本社会をダメにする「二重の選抜」の非効率」を紹介しよう。
先ずは、本年5月15日付け東洋経済オンラインが掲載した独立研究者・著作者・パブリックスピーカーの山口 周氏とライプニッツ代表で 多摩大学大学院教授 多摩大学サステナビリティ経営研究所所長の堀内 勉 氏による「「リベラルアーツ」を軽視しすぎた日本社会の代償 「リーダーシップ」と「教養教育」の不可分な関係」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/751904
・『ビジネスエリートにとってリベラルアーツは必須の知識と言われている。そもそもリベラルアーツとは何か。なぜリベラルアーツが必要なのか。 3万5000部超のベストセラー『読書大全』の著者・堀内勉氏と、リベラルアーツに関する著作が多数あり、講演や企業の研修においてリベラルアーツの重要性を訴えている山口周氏が、リベラルアーツや教養をテーマに縦横に語り合う。 堀内:現在、東洋経済で「教養」をテーマにした本の執筆を進めていまして、それで、「リベラルアーツ」をテーマとした講演や著作が多数ある山口さんに、一度、話をお聞きしたいと思っていました。 山口さんの著書に『自由になるための技術 リベラルアーツ』がありますが、最初に「リベラルアーツとは何か」について、お話しいただけますでしょうか』、「山口さんの著書に『自由になるための技術 リベラルアーツ』がありますが、最初に「リベラルアーツとは何か」について、お話しいただけますでしょうか」、なるほど。
・『リベラルアーツとは何か 山口:わかりました。教養とリベラルアーツを一対一対応させてよいのかというところはありますが、リベラルアーツということでは、その狭義の定義は「自由市民のためのアート」ということだと思います。古代ギリシャ時代、労働は奴隷身分が行うことでしたので、自由市民は多くの時間を持て余していたわけです。なので、その時間を有意義に楽しむためには教養が必要ということで、それがリベラルアーツになったと言われています。 上記の本のなかで、京都大学名誉教授の中西輝政先生との対談があって、中西先生いわくリベラルアーツの対義語は何かというと「ディシプリナリー」であると。ディシプリンには「境界」という意味があって、学問はだいたいディシプリンで、つまり、限られた範囲の中で考え研究するものだというわけです。 一方で、「リベラルアーツ」は、そのディシプリンに対してリベラルであるということで、現代のように専門性が細分化・タコツボ化してきて、全体を捉えることが難しくなってきているという時代においては、リベラルアーツは領域を横断しながら全体をつかむための一つの知性でとても重要なものだと。中西先生はそのようにおっしゃっています。 それに対して、教養というと、また少し違うニュアンスがそこに入ってきて、たとえばトーマス・マンの『魔の山』が典型ですが、いわゆる教養小説と言われるものがあります。ドイツ語ではビルドゥングスロマン(Bildungsroman)と言いますが、その言葉には人格を陶冶するというようなニュアンスが入ってきます。 『魔の山』は大学出の若い主人公がサナトリウムに入って、そこで過ごす7年間を描いた物語で、その主人公が人間として成熟していくということを「ビルドゥングする」と言っています。つまり、教養という言葉には、人間として深い洞察力や倫理感、また新しい物事を正しく判断するというための思考力など、そういうものをビルドゥング(構築)していくために必要な知識やたしなみ、作法というニュアンスが含まれるのです。) 堀内:まさに日本の旧制高校の流れですね。戦前はドイツ的な教養主義の影響が大きくて、ドイツのカントやヘーゲルの哲学書を読んで人間として自己の内面を耕し内省することが「教養」と言われていました。 それが、戦後アメリカの占領下になって、アメリカの価値観が広がっていくのにあわせて、教養主義からリベラルアーツへと傾斜していった。しかしながら、日本では両方の流れがまだ生き残っていている、そういう感じではないかと思っています』、「古代ギリシャ時代、労働は奴隷身分が行うことでしたので、自由市民は多くの時間を持て余していたわけです。なので、その時間を有意義に楽しむためには教養が必要ということで、それがリベラルアーツになったと言われています・・・学問はだいたいディシプリンで、つまり、限られた範囲の中で考え研究するものだというわけです。 一方で、「リベラルアーツ」は、そのディシプリンに対してリベラルであるということで、現代のように専門性が細分化・タコツボ化してきて、全体を捉えることが難しくなってきているという時代においては、リベラルアーツは領域を横断しながら全体をつかむための一つの知性でとても重要なものだ・・・ドイツ語ではビルドゥングスロマン(Bildungsroman)と言いますが、その言葉には人格を陶冶するというようなニュアンスが入ってきます。 『魔の山』は大学出の若い主人公がサナトリウムに入って、そこで過ごす7年間を描いた物語で、その主人公が人間として成熟していくということを「ビルドゥングする」と言っています。つまり、教養という言葉には、人間として深い洞察力や倫理感、また新しい物事を正しく判断するというための思考力など、そういうものをビルドゥング(構築)していくために必要な知識やたしなみ、作法というニュアンスが含まれるのです・・・戦前はドイツ的な教養主義の影響が大きくて、ドイツのカントやヘーゲルの哲学書を読んで人間として自己の内面を耕し内省することが「教養」と言われていました。 それが、戦後アメリカの占領下になって、アメリカの価値観が広がっていくのにあわせて、教養主義からリベラルアーツへと傾斜していった。しかしながら、日本では両方の流れがまだ生き残っていている、そういう感じではないかと思っています」、なるほど。
・『ハーバード大学に専門系の学部は存在しない 山口:そうですね。トーマス・マンもヨーロッパの人で、一般にリベラルアーツというとヨーロッパで重んじられていて、アメリカはその反対で実学志向というイメージがあるかと思いますが、私の感覚ではそうではありません。 アメリカの大学ランキングを見ると、ほとんどの年でトップになるのはハーバード大学ですが、そのハーバード大学に法学部や経営学部など専門系の学部はありません。学部ではリベラルアーツ学部しかなく文理融合的な知識を学ばせています。 元々アイビーリーグに属する大学の起源の多くは牧師さんを育てるための学校で、18世紀頃の牧師さんは、社会のありとあらゆることを行っていました。医師でもあり学校の先生でもあり、また政治家のような仕事もしていましたので、社会のあらゆることを知っていなければならなかったのです。 最近、日本の一部の識者が「実学志向のアメリカに倣って、文学部のような人文科学系の学部は廃止してもよい」と言っているようですが、無知とは本当に恐ろしいことで、こうした事実をよく知らないんですね。彼らに日本でよく知られているハーバードのビジネススクールやケネディスクール、メディカルスクールなどはみな大学院ですよと言うと、絶句してしまうわけです。 アメリカでは社会のリーダーになる人は専門バカではいけない、社会のあらゆることにある程度は通じていることが社会の常識になっています。古代ギリシャの時代から「アルス・テクニケ」、つまり専門的な技や知識を磨くことは奴隷の仕事であって、リーダーがするべきことではないと考えられてきたのです。 リーダーは何をするかというと、ハンナ・アーレントの言葉を借りれば「活動」をする、つまり政治的な活動を行うのだと。それが社会のリーダーであり、自由市民が従事する仕事だと考える。そして、そういう人たちは大きな判断、社会に影響のある判断をすることになるので、専門バカでは困る。今の言葉で言うと「システム思考」的な、それをつかさどる基礎的な能力を養うために教養が必要になってくるというわけです。 ハーバード大学だけではなく、PPE(Philosophy、Politics and Economics)を重んじるオックスフォード大学なども同様の考え方だと思います。やはり、社会のリーダーになる人というのは、白黒つかない、非常に多方面の利益というものを考えるものだと。ホッブズの言葉を借りるならば、「社会全体の幸福の最大化」ということを考える人でなければならない。そのような人になるには、多方面にわたる教養が必要だという考えですね。) 堀内:アメリカには、ハーバード大学のような総合大学とは別に、いわゆるリベラルアーツカレッジがありますね。私が懇意にしているグレン・フクシマさんがカリフォルニアのDeep Springs College、先日対談させていただいた斎藤幸平さんがコネチカットのWesleyan Universityといったリベラルアーツカレッジに進学していますが、アメリカには名門と言われるリベラルアーツカレッジがいくつもありますね。 また、アイビーリーグでは、新入生はとにかく寮に入らないといけない所が多い。寮があって、そこに寮監(りょうかん)がいて、チューターがいて、彼ら以外にもさまざまな人が寮にやって来て、毎晩議論をするといった活発な交流がおこなわれています。 山口:そうですね。まさにトーマス・マンの『魔の山』の世界ですよね。 堀内:その伝統はオックスフォード大学やケンブリッジ大学といったイギリスの大学から来ているのだと思いますが、オックスフォード大学では、39のカレッジ(学寮)があって、カレッジは必ず寮と一体になっています。そもそも大学に入学するためには、まずこうしたカレッジに入ることが必要になります』、「社会のリーダーになる人は専門バカではいけない、社会のあらゆることにある程度は通じていることが社会の常識になっています。古代ギリシャの時代から「アルス・テクニケ」、つまり専門的な技や知識を磨くことは奴隷の仕事であって、リーダーがするべきことではないと考えられてきたのです。 リーダーは何をするかというと、ハンナ・アーレントの言葉を借りれば「活動」をする、つまり政治的な活動を行うのだと。それが社会のリーダーであり、自由市民が従事する仕事だと考える。そして、そういう人たちは大きな判断、社会に影響のある判断をすることになるので、専門バカでは困る。今の言葉で言うと「システム思考」的な、それをつかさどる基礎的な能力を養うために教養が必要になってくるというわけです・・・ハーバード大学だけではなく、PPE(Philosophy、Politics and Economics)を重んじるオックスフォード大学なども同様の考え方だと思います。やはり、社会のリーダーになる人というのは、白黒つかない、非常に多方面の利益というものを考えるものだと。ホッブズの言葉を借りるならば、「社会全体の幸福の最大化」ということを考える人でなければならない。そのような人になるには、多方面にわたる教養が必要だという考えですね・・・オックスフォード大学では、39のカレッジ(学寮)があって、カレッジは必ず寮と一体になっています。そもそも大学に入学するためには、まずこうしたカレッジに入ることが必要になります」、なるほど。
・『日本とは異なる欧米エリートのキャリア形成 また、私がゴールドマン・サックスにいたときの経験をお話しすると、インベストメントバンカーには学歴の高い人が多いわけですが、実はアメリカの大学での専攻が歴史や哲学など、経済や経営はまったく勉強していませんという人が多くて驚いた記憶があります。 とにかく最初はリベラルアーツ的なものを学ぶ。そして、次のステージとして、金融で成功したいと思ったら、学部卒で数年働いてある程度の資金を貯めてから、ビジネススクールなどで学ぶ。そうして、20代の後半くらいで専門的・実務的な知識を身に付けたビジネスマンとして、その分野で階段を駆け上がっていく。キャリア形成はそんな感じになっていますね。 山口:まさに、ピーター・ティールなどが典型ですね。彼は大学の学部は哲学科で、その後、大学院はロースクールで学んでいます。スラック(Slack)の創業者のスチュワート・バターフィールドも哲学科の出身です。シリコンバレーのハイテク業界というと、「STEM」という印象がありますけれども、実はそうでもないんですね。 クリスチャン・マスビアウが『センスメイキング』という本で、若い時期の求職においては、STEMの学位は有利に働くかもしれないが、経営者の経歴を見てみると、STEMではなく人文科学系の学位を取っている人のほうが多いというデータがあると書いています。この話をするとSTEM系の人は猛烈にかみついてくるので怖いんですけれども(笑)。 堀内:金融の世界では、「イングランド銀行を潰した男」の異名を取るクオンタム・ファンドで大成功したジョージ・ソロスは、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で哲学の学士と修士を取っています。ジョージ・ソロスと一緒にクオンタム・ファンドを設立したジム・ロジャーズもイエール大学で歴史、オックスフォード大学で哲学の学士を取っています。山口さんがおっしゃるように、日本では早い時期に専門を決めてしまう弊害があるのかもしれません。学生も何を勉強するのかをよく意識しないで大学を決めているので、大学で学ぶことの意義自体がかなり曖昧になってしまっているのだと思います。) 堀内:キャリア形成の話をすると、山口さんは慶応を卒業されて電通に入社されましたが、その前の学歴が日本的ではないと言いますか、とてもユニークですよね。その辺りのお話をお聞かせいただけませんか。 山口:その辺りの話は実はあまり戦略的ではなくて、高校は慶応の付属だったのですが、当時から作曲を勉強していましたので藝大に行こうか迷っていました。 実は慶応の付属から慶応大学を卒業し、その後、藝大に入り直した人――作曲家の千住明さんですが――が遠い知り合いだったこともあってアドバイスを求めたところ、「作曲の勉強は、大学ではそんなに学べるものではないよ」と言われたのです。それで、慶応文学部の美学専攻に進みました。 就職という段になって、どの道に進むかとなったとき、父が興銀に務めていて、当時の興銀は割と身内に甘い会社で「興銀に来るか」と言われたのですが、金融の世界には興味が持てませんでした。それを父に伝えると、「大学時代は音楽を作ってばかりで協調性もないし、おまえみたいな変わり者は電通のような会社が向いているんじゃないか」と言われ、それがきっかけで電通を受けることにしました。 そのなかで、電通の人が「人間が夢中になるものは4つあって、電通はそのすべてがある会社だ」という話をしてくれました。4つというのは、1つ目は研究で、特に広告の世界は人間の感情に関する心理学の研究との接点が多いのだと。2つ目はビジネス、3つ目はアートですね。広告は芸術や創作、表現に関わる仕事だと。そして、4つ目がスポーツで、電通は人が夢中になるものすべてに接点のある会社だという話をしてくれて、ここで働くのは面白いのではと感じたのです。 また、自分自身、大学時代は表現に関わる研究をやってきて、心理学にも興味がありましたので、自分の興味のある領域と、社会の中で接面として接合できる面積が一番大きいのは広告の世界だと期待を膨らませて電通に入社を決めました』、「高校は慶応の付属だったのですが、当時から作曲を勉強していましたので藝大に行こうか迷っていました。 実は慶応の付属から慶応大学を卒業し、その後、藝大に入り直した人――作曲家の千住明さんですが――が遠い知り合いだったこともあってアドバイスを求めたところ、「作曲の勉強は、大学ではそんなに学べるものではないよ」と言われたのです。それで、慶応文学部の美学専攻に進みました・・・電通の人が「人間が夢中になるものは4つあって、電通はそのすべてがある会社だ」という話をしてくれました。4つというのは、1つ目は研究で、特に広告の世界は人間の感情に関する心理学の研究との接点が多いのだと。2つ目はビジネス、3つ目はアートですね。広告は芸術や創作、表現に関わる仕事だと。そして、4つ目がスポーツで、電通は人が夢中になるものすべてに接点のある会社だという話をしてくれて、ここで働くのは面白いのではと感じたのです」、「電通はそのすべてがある会社だ」という話をしてくれました」、いくら学生を引き付けるためとはいえ、なかなか味のある話だ。
・『営業局で実績を上げ外資系コンサルに転職 ところが、入社すると、君は新入社員研修の中で人当たりもいいし、しゃべらせると流暢に人と話ができるから、営業向きだと言われ営業局に配属されたのです。一方で、コミュニケーション下手の同期がクリエイティブ局に配属されて、つくづく人生ってわからないものだなと思いましたね(笑)。 ただ、自分には営業という仕事が合っていたのでしょう。結果も出て、営業の仕事が面白くなってのめり込んでいくようになりました。それで、さらに純度を高めたいという思いからボストンコンサルティンググループ(BCG)に転職したのです。ですので、自分のキャリアは、枝づたいに進んでいくうちに、かなり毛色の違うところに来てしまったという感じですね。 堀内:山口さんが営業向きと言われて、営業をやってみたら面白くなったというのは意外ですね。優秀なコンサルのイメージが強いので、電通でもクリエイティブ出身かと思っていました。 山口:意外かと思われるかもしれませんが、コンサルタントとして活躍している人には、実は哲学科の出身者が多いのです。コンサルの世界で化ける人には学部的な傾向があるという仮説があって、理学系では物理学で、人文科学系では哲学科だと。事実、世界的にBCGのオフィスを見てみると、ユニークな立ち位置をつくれている人はこのどちらかであることが多いのです。 例えば、私が入社したときのBCGの日本代表は御立尚資さんで、彼も京都大学文学部でカート・ヴォネガットの研究をしていましたから、まさにど真ん中の人文系で、その後、ハーバードに行っています。まさにピーター・ティールなんかと同じですよね。) 堀内:少し話が変わりますが、大学の先生など日本の識者の多くは、リベラルアーツや教養が大切で、日本のエリートには深みがないと批評するのをよく耳にします。それは事実だと思いますが、では、どうすればいいのかというと、ほとんど具体的な方法論を持っていません。おそらく、大学の先生自身が実社会での経験がないために、大切だというべき論と実感が結びついていないのではないかと思います。 一方、山口さんはご自身の経験も踏まえたうえでそこに切り込んでいて、リベラルアーツや教養的な考え方を、どのようにビジネスの世界に組み入れて現場の仕事で使えるものにしていくかを実践されているように感じます。それは、ご自身で強く意識されている部分なのでしょうか。 山口:直接的な答えになるかわかりませんが、私はビジネススクールへは行かずにコンサルの世界に入ったので、経営学的な知識が欠損していたわけですね。逆に使えるものは何かと言えば自分が学んできた哲学や美学の知識だったので、コンサルとしてアドバイスをする際には、ギリシャ哲学の知識やシェイクスピア劇の有名なせりふなどを使い倒していくしかなかったのです。しかし、これが他のコンサルタントとは、まったく視点や切り口が異なるということで有利に働きました』、「コンサルタントとして活躍している人には、実は哲学科の出身者が多いのです。コンサルの世界で化ける人には学部的な傾向があるという仮説があって、理学系では物理学で、人文科学系では哲学科だと。事実、世界的にBCGのオフィスを見てみると、ユニークな立ち位置をつくれている人はこのどちらかであることが多いのです・・・経営学的な知識が欠損していたわけですね。逆に使えるものは何かと言えば自分が学んできた哲学や美学の知識だったので、コンサルとしてアドバイスをする際には、ギリシャ哲学の知識やシェイクスピア劇の有名なせりふなどを使い倒していくしかなかったのです。しかし、これが他のコンサルタントとは、まったく視点や切り口が異なるということで有利に働きました」、何が幸いするかはわからないものだ。
・『マネジメント層に不可欠な「教養教育」 堀内:まさにリベラルアーツに関する知識をビジネスに生かしてきたわけですね。 山口:そうだと思います。私は20年間外資系のコンサルティング会社に勤め、最後はパートナーまで務めました。ですので、日本のトップクラスの経営者たちと渡り合って、それなりのインパクトも出してきたという自負はあります。そうした自らの経験を踏まえて、歴史や哲学といったリベラルアーツの知識は、ビジネスの世界において強力な洞察を与えてくれるもので、同時に、正しい意思決定を行う際の助けになるものだと思っています。 現在、日本の企業の多くが「リーダーの育成」で試行錯誤している状況にあります。現場の仕事だけを一生懸命に務めた人が、リーダーや経営層になったときにその責を十分に果たせないという問題が頻発しているのです。 欧米の後追いをしている時代は明確なゴールが見えていましたので、本当の意味での意思決定は求められなかったと言えるのかもしれません。しかし、現代のように先の見えない時代には、大局的で正しい意思決定ができるリーダーの存在が不可欠です。企業の人事部がマネジメント研修などで教養やリベラルアーツを学ぶ機会を増やしているのですが、一朝一夕に解決できる問題ではありません。(後編につづく)』、「そうした自らの経験を踏まえて、歴史や哲学といったリベラルアーツの知識は、ビジネスの世界において強力な洞察を与えてくれるもので、同時に、正しい意思決定を行う際の助けになるものだと思っています。 現在、日本の企業の多くが「リーダーの育成」で試行錯誤している状況にあります。現場の仕事だけを一生懸命に務めた人が、リーダーや経営層になったときにその責を十分に果たせないという問題が頻発しているのです。 欧米の後追いをしている時代は明確なゴールが見えていましたので、本当の意味での意思決定は求められなかったと言えるのかもしれません。しかし、現代のように先の見えない時代には、大局的で正しい意思決定ができるリーダーの存在が不可欠です。企業の人事部がマネジメント研修などで教養やリベラルアーツを学ぶ機会を増やしているのですが、一朝一夕に解決できる問題ではありません」、その通りだ。
次に、5月18日付け東洋経済オンラインが掲載した独立研究者・著作者・パブリックスピーカーの山口 周氏と、ライプニッツ代表・多摩大学大学院教授 多摩大学サステナビリティ経営研究所所長の 堀内 勉氏による「なぜ、日本では傑出したリーダーが出にくいのか 日本社会をダメにする「二重の選抜」の非効率」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/751908
・『ビジネスエリートにとってリベラルアーツは必須の知識と言われている。そもそもリベラルアーツとは何か。なぜリベラルアーツが必要なのか。 前回に続き、3万5000部超のベストセラー『読書大全』の著者・堀内勉氏と、リベラルアーツに関する著作が多数あり、講演や企業の研修においてもリベラルアーツの重要性を訴えている山口周氏が、リベラルアーツや教養をテーマに縦横に語り合う。 堀内:最近、JTCと言われるいわゆるジャパニーズ・トラディショナル・カンパニーでは、若いうちに何らかの選抜が行われ、部長や執行役員レベルになるとだんだん教養が求められていきますよね。私が見てきた狭い世界の話かもしれませんが、その前に実務家としての能力や実績での選抜があるので、山口さんのように教養を身に付けてきた人はその手前でほとんどが淘汰されてしまうような気がします。 淘汰されずに残った人は、若い頃は仕事に必死で教養などを学ぶ時間がなかったような人たちばかりで、急に「これからは会社のマネジメントをするのだからリベラルアーツとか教養を学ばなきゃいけないよ」と言われて、もともと勉強してこなかった人たちだけで突如エグゼクティブプログラムに行かされるような仕組みになっていますよね。でも、急に変わりなさいと言われても今から変わるのは難しいと思うのですが。 山口:社会学者である竹内洋氏(関西大学東京センター長)が『教養主義の没落』の中で書いていることですが、1970年代までは教養主義は大学キャンパスの規範的な文化であって、読書による教養主義というのは、人格の形成や社会の発展のために、学生の間で疑いようのない信念として共有されていたと。京都大学の学生が教養書を何冊読んでいるかという当時の調査では、10日に1冊読む学生が半分以上、ほとんど読まないと答えた学生は1%しかいなかったということです』、「1970年代までは教養主義は大学キャンパスの規範的な文化であって、読書による教養主義というのは、人格の形成や社会の発展のために、学生の間で疑いようのない信念として共有されていたと。京都大学の学生が教養書を何冊読んでいるかという当時の調査では、10日に1冊読む学生が半分以上、ほとんど読まないと答えた学生は1%しかいなかったということです」、「10日に1冊読む学生が半分以上」とは驚かされた。
・『80年代以降、大学がレジャーランド化 大学のレジャーランド化」という言葉について、自身でも調べたのですが、『現代用語の基礎知識』のレジャーランドの項目に、「遊び、学生が遊んで過ごす現在の大学」という説明が入ったのが1985年からです。そのあたりから大学や大学生の意識に変化が起こったと考えられます。 これは、日本の経済というのはほっといても良くなるとか、名のある会社に入って、それなりにやっていれば別荘の一軒ぐらいは持てるようになるみたいな、きわめて楽観的な将来見通しを持つようになったという時代の影響を受けていると思われます。 1980年代半ば以降、まったく教養書を読まず、教養的なことを知らないのを恥ずかしいと思う感覚がエリートからなくなっていくわけです。それで、40代後半~50代になって、君たちもそろそろそれなりの立場なのだから教養を身に付けろと言われて、いきなりアリストテレスなどを読まされてすごく苦労することになっています。) 私が常々指摘していることですが、日本には「二重の選抜」という非効率が存在しています。日本では、大学教育も含めて、まずは現場の担当者として優秀な人物を育て、その優秀な人の中からリーダーを選抜するシステムになっています。大学入試共通テストに代表されるペーパーテストが象徴的ですが、日本では実務の処理能力が最も高い人を選ぶというシステムで動いているわけです』、「日本には「二重の選抜」という非効率が存在しています。日本では、大学教育も含めて、まずは現場の担当者として優秀な人物を育て、その優秀な人の中からリーダーを選抜するシステムになっています」、なるほど。「大学がレジャーランド化」とは言い得て妙だ。
・『数十年かけてリーダー候補を選抜する非効率 官僚の世界やかつての都銀などは、優秀な大学を出たエリートたちが、まずは現場で処理能力を競う仕事をさせられて、その中で高いパフォーマンスを挙げた人が管理者になる。そうした競争というか、スクリーニングが学生の頃から社会的に行われているわけです。 スクリーニングで生き残った者がリーダーに抜擢されると、従来のような処理能力の速さだけではダメだと。大局的な視点でものごとを捉え、倫理観のようなものも含めて、大きな判断ができなければならない。あるいは歴史観や、時代感も持たなくてはならないといったことを言われる。つまり、プロ野球選手として優秀な成績を残してそろそろ引退かという人に、今度はラグビー選手として一流を目指すためトレーニングを行うような非効率なことをしているわけです。 ハーバードやオックスフォード、フランスのバカロレアも、二重の選抜は非効率であるという社会の共通認識があるので、はじめからリーダーになる素養のある人を選抜し、その人たちに対して、徹底したリーダー教育を行っているのです。 堀内:そうしたリーダーになるべき人たちを選抜する試験のあり方が、日本の大学の入試とはまったく違ったものになっているということですね。 山口:はい。たとえばアメリカの大学の入試では何よりも論文を重視し、その中でとりわけリーダーシップを体現した経験を問われます。イギリスもフランスも基本的には最初からエリートを育てる考え方なので、エリートに必要なのはリベラルアーツであると。オックスフォードの看板学部のPPE(Philosophy、Politics and Economics)のPの筆頭というのはポリティクスじゃなくてフィロソフィーですし、バカロレアでは理系・文系問わずに哲学が中心科目として課されています。 当然、社会に出れば若いときはある程度担当者の仕事もやらなくてはいけないわけですが、大前提として、リーダーになる素養を持っている人にそういうトレーニングをしているということです。日本社会はなかなかリーダーが現れないと言われますが、構造的な要因としてスクリーニングシステムが二重に働いていることに難しさがあるのではないかと思っています。) 堀内:つまり、日本ではマネジメントができる人の母数を最初の段階でものすごく絞り込んでしまっているので、優れたリーダーを選抜するための母数も少なくなっているわけですね。 私が36歳でゴールドマンに入社するときの部長面接が後にパートナーになった小高功嗣さんで、彼は年齢でいうと私の2つ年上でした。最終面接ではパートナーに会っていただきますと言われてお会いしたのが、今はマネックス証券会長をされている松本大さんです。そのときに松本さんから、「堀内さんの経歴書を拝見しましたが、私、堀内さんの大学の後輩なんです」と言われてびっくりしました。恥ずかしながら、そのときは30歳でゴールドマンのパートナーになっていた松本さんを知らなかったんですね。 ゴールドマンのパートナーと言えば、日本の銀行だったら常務クラスかそれ以上ですから。30歳なんて、当時の日本の銀行だったら完全な平社員で、ひたすら現場仕事の毎日ですよ。松本さんがゴールドマンでものすごい実績を上げたのは確かなのですが、ソロモンブラザーズから転職してわずか4年足らずでマネジメントに向いているということで、一気にパートナーにまで引き上げられるというスピード感にびっくりしました。 山口:松本さんは外れ値だと思いますけれども。 堀内:たしかに松本さんは外れ値かもしれませんが、そのような人を引き上げるシステムが会社の中にあるわけです。松本さんがどんなに優秀でも、日本の銀行や証券会社では30歳で役員になることはシステム上あり得ないですから』、「ゴールドマンに入社するときの部長面接が後にパートナーになった小高功嗣さんで、彼は年齢でいうと私の2つ年上でした。最終面接ではパートナーに会っていただきますと言われてお会いしたのが、今はマネックス証券会長をされている松本大さんです。そのときに松本さんから、「堀内さんの経歴書を拝見しましたが、私、堀内さんの大学の後輩なんです」と言われてびっくりしました。恥ずかしながら、そのときは30歳でゴールドマンのパートナーになっていた松本さんを知らなかったんですね。 ゴールドマンのパートナーと言えば、日本の銀行だったら常務クラスかそれ以上ですから。30歳なんて、当時の日本の銀行だったら完全な平社員で、ひたすら現場仕事の毎日ですよ。松本さんがゴールドマンでものすごい実績を上げたのは確かなのですが、ソロモンブラザーズから転職してわずか4年足らずでマネジメントに向いているということで、一気にパートナーにまで引き上げられるというスピード感にびっくりしました・・・ゴールドマンのパートナーと言えば、日本の銀行だったら常務クラスかそれ以上ですから。30歳なんて、当時の日本の銀行だったら完全な平社員で、ひたすら現場仕事の毎日ですよ」、確かに。「ゴールドマン」や「ソロモンブラザーズ」の昇進の速さは日本の常識では信じ難い。
・『ビジネス社会における教養教育のあり方 少し話を変えて、ビジネス社会における教養教育について、うかがいたいと思います。山口さんには私が主催している上智大学の「知のエグゼクティブサロン」にリソースパーソンとして来ていただきましたが、私自身も日本や海外の一流大学のエグゼクティブ・マネジメント・プログラムを含めて、今までにいくつかのエグゼクティブプログラムを受講してきました。 それらのプログラムでは、著名な学者や経営者、起業家などが講師となって、「君たちは将来会社を背負って立つ人物なので、幅広い思考を身に付けてほしい」といった話がほとんどです。こうしたいわゆる「すごい人」が自分たちの成功体験や研究してきた知の体系について話をして、受講している人は「この人たち本当にすごいな、自分も頑張らないといけないな……でもやっぱり自分には無理かな」と感心して帰るのです。 私は、そのようなプログラムを「ダウンロード型のプログラム」と言っていますけれども、本当にそれでよいのかと思っています。たとえば、大谷翔平の野球の試合を見に行って、大谷がホームランを打つのを見てすごいなとは思っても、自分が大谷になれるとはとても思えないんですよね。一流オーケストラのコンサートもそうですが、本当に感動するのですが、じゃあ自分があんなふうに演奏できるかなんて考えもしない。同じように、すごい講師が出てくるエグゼクティブプログラムでは、話を聞いた瞬間はアドレナリンが大量に出て、「今日はいい話が聞けて充実した時間だった」となるのですが、その先につながらないのです。) そうした経験を踏まえて、上智大学の「知のエグゼクティブサロン」では完全な水平型のプログラムにしたわけです。そこに講師は存在せず、学者や有識者であるリソースパーソンは問題の投げかけをするだけで、その後はリソースパーソンも我々コーディネーターも学びますし、受講生という立場の参加者もビジネスの立場からアウトプットします。 お互いが違う人生を生きてきて、それぞれそれなりに何十年もやってきたのですから、何かしら相手に与えるものがあるはずなのです。それをお互いに話して、お互いに聞く。哲学的な言い方をすれば、ヘーゲルの弁証法的にお互いもう一段高いところに一緒に上りましょう……そういうコンセプトで行っています。 山口さんはいろいろなところで講師をやられていると思いますが、エグゼクティブ向けの教育についてはどのようなスタンスで臨まれていたり、どのようなプログラムを開発されたりしているのか、そのあたりを教えていただけますか』、私も20年ほど前にあるエクゼクティブ向けのプログラムに参加した。
・『即効性を期待しすぎる日本の人事部 山口:エグゼクティブ向け研修とリベラルアーツということで言えば、有名なのはアスペン研究所ですよね。アスペン・セミナーはとてもいい取り組みなので私自身が行きたいと思うほどですが、日本の一般的な取締役や執行役員クラスに対して、いきなり取り組ませても中途半端な形になってなかなか厳しいだろうという気はします。 特に日本の人事部は、効果を数字で見せてほしいとか、次の日からすぐに使えることを教えてほしいという傾向が強い。リベラルアーツを役員に学んでほしいということで、京都大学の中西輝政先生やAI研究者の新井紀子先生に来てもらってディスカッションを行うプログラムを組んだことがありますが、驚くことに、人事は「即役立つことが学べたか」といったアンケートをとっていました。 当たり前ですが、リベラルアーツは次の日からすぐに仕事に活かせる類いのものではありません。結局、この企業からは「参加者の評価が低いので、この1回でやめにしました」と言われ、そもそも何をしたくてリベラルアーツの研修プログラムを始めたのかと叱責した経験があります。 ですから、プログラムの中身以上にバイヤー、つまりは企業側の問題が大きいと思います。したがって、ダウンロード型、アスペンのプログラム、対話型のどれがいいかということで言えば、参加者のレベルやプログラムそのものよりも、それを差配している人事部門の思惑がすごく気になりますね。) そうした経験を踏まえて、上智大学の「知のエグゼクティブサロン」では完全な水平型のプログラムにしたわけです。そこに講師は存在せず、学者や有識者であるリソースパーソンは問題の投げかけをするだけで、その後はリソースパーソンも我々コーディネーターも学びますし、受講生という立場の参加者もビジネスの立場からアウトプットします。 お互いが違う人生を生きてきて、それぞれそれなりに何十年もやってきたのですから、何かしら相手に与えるものがあるはずなのです。それをお互いに話して、お互いに聞く。哲学的な言い方をすれば、ヘーゲルの弁証法的にお互いもう一段高いところに一緒に上りましょう……そういうコンセプトで行っています。 山口さんはいろいろなところで講師をやられていると思いますが、エグゼクティブ向けの教育についてはどのようなスタンスで臨まれていたり、どのようなプログラムを開発されたりしているのか、そのあたりを教えていただけますか』、「即効性を期待しすぎる日本の人事部」、私も失望した。
・『即効性を期待しすぎる日本の人事部 山口:エグゼクティブ向け研修とリベラルアーツということで言えば、有名なのはアスペン研究所ですよね。アスペン・セミナーはとてもいい取り組みなので私自身が行きたいと思うほどですが、日本の一般的な取締役や執行役員クラスに対して、いきなり取り組ませても中途半端な形になってなかなか厳しいだろうという気はします。 特に日本の人事部は、効果を数字で見せてほしいとか、次の日からすぐに使えることを教えてほしいという傾向が強い。リベラルアーツを役員に学んでほしいということで、京都大学の中西輝政先生やAI研究者の新井紀子先生に来てもらってディスカッションを行うプログラムを組んだことがありますが、驚くことに、人事は「即役立つことが学べたか」といったアンケートをとっていました。 当たり前ですが、リベラルアーツは次の日からすぐに仕事に活かせる類いのものではありません。結局、この企業からは「参加者の評価が低いので、この1回でやめにしました」と言われ、そもそも何をしたくてリベラルアーツの研修プログラムを始めたのかと叱責した経験があります。 ですから、プログラムの中身以上にバイヤー、つまりは企業側の問題が大きいと思います。したがって、ダウンロード型、アスペンのプログラム、対話型のどれがいいかということで言えば、参加者のレベルやプログラムそのものよりも、それを差配している人事部門の思惑がすごく気になりますね』、「参加者のレベルやプログラムそのものよりも、それを差配している人事部門の思惑がすごく気になりますね」、その通りだ。
先ずは、本年5月15日付け東洋経済オンラインが掲載した独立研究者・著作者・パブリックスピーカーの山口 周氏とライプニッツ代表で 多摩大学大学院教授 多摩大学サステナビリティ経営研究所所長の堀内 勉 氏による「「リベラルアーツ」を軽視しすぎた日本社会の代償 「リーダーシップ」と「教養教育」の不可分な関係」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/751904
・『ビジネスエリートにとってリベラルアーツは必須の知識と言われている。そもそもリベラルアーツとは何か。なぜリベラルアーツが必要なのか。 3万5000部超のベストセラー『読書大全』の著者・堀内勉氏と、リベラルアーツに関する著作が多数あり、講演や企業の研修においてリベラルアーツの重要性を訴えている山口周氏が、リベラルアーツや教養をテーマに縦横に語り合う。 堀内:現在、東洋経済で「教養」をテーマにした本の執筆を進めていまして、それで、「リベラルアーツ」をテーマとした講演や著作が多数ある山口さんに、一度、話をお聞きしたいと思っていました。 山口さんの著書に『自由になるための技術 リベラルアーツ』がありますが、最初に「リベラルアーツとは何か」について、お話しいただけますでしょうか』、「山口さんの著書に『自由になるための技術 リベラルアーツ』がありますが、最初に「リベラルアーツとは何か」について、お話しいただけますでしょうか」、なるほど。
・『リベラルアーツとは何か 山口:わかりました。教養とリベラルアーツを一対一対応させてよいのかというところはありますが、リベラルアーツということでは、その狭義の定義は「自由市民のためのアート」ということだと思います。古代ギリシャ時代、労働は奴隷身分が行うことでしたので、自由市民は多くの時間を持て余していたわけです。なので、その時間を有意義に楽しむためには教養が必要ということで、それがリベラルアーツになったと言われています。 上記の本のなかで、京都大学名誉教授の中西輝政先生との対談があって、中西先生いわくリベラルアーツの対義語は何かというと「ディシプリナリー」であると。ディシプリンには「境界」という意味があって、学問はだいたいディシプリンで、つまり、限られた範囲の中で考え研究するものだというわけです。 一方で、「リベラルアーツ」は、そのディシプリンに対してリベラルであるということで、現代のように専門性が細分化・タコツボ化してきて、全体を捉えることが難しくなってきているという時代においては、リベラルアーツは領域を横断しながら全体をつかむための一つの知性でとても重要なものだと。中西先生はそのようにおっしゃっています。 それに対して、教養というと、また少し違うニュアンスがそこに入ってきて、たとえばトーマス・マンの『魔の山』が典型ですが、いわゆる教養小説と言われるものがあります。ドイツ語ではビルドゥングスロマン(Bildungsroman)と言いますが、その言葉には人格を陶冶するというようなニュアンスが入ってきます。 『魔の山』は大学出の若い主人公がサナトリウムに入って、そこで過ごす7年間を描いた物語で、その主人公が人間として成熟していくということを「ビルドゥングする」と言っています。つまり、教養という言葉には、人間として深い洞察力や倫理感、また新しい物事を正しく判断するというための思考力など、そういうものをビルドゥング(構築)していくために必要な知識やたしなみ、作法というニュアンスが含まれるのです。) 堀内:まさに日本の旧制高校の流れですね。戦前はドイツ的な教養主義の影響が大きくて、ドイツのカントやヘーゲルの哲学書を読んで人間として自己の内面を耕し内省することが「教養」と言われていました。 それが、戦後アメリカの占領下になって、アメリカの価値観が広がっていくのにあわせて、教養主義からリベラルアーツへと傾斜していった。しかしながら、日本では両方の流れがまだ生き残っていている、そういう感じではないかと思っています』、「古代ギリシャ時代、労働は奴隷身分が行うことでしたので、自由市民は多くの時間を持て余していたわけです。なので、その時間を有意義に楽しむためには教養が必要ということで、それがリベラルアーツになったと言われています・・・学問はだいたいディシプリンで、つまり、限られた範囲の中で考え研究するものだというわけです。 一方で、「リベラルアーツ」は、そのディシプリンに対してリベラルであるということで、現代のように専門性が細分化・タコツボ化してきて、全体を捉えることが難しくなってきているという時代においては、リベラルアーツは領域を横断しながら全体をつかむための一つの知性でとても重要なものだ・・・ドイツ語ではビルドゥングスロマン(Bildungsroman)と言いますが、その言葉には人格を陶冶するというようなニュアンスが入ってきます。 『魔の山』は大学出の若い主人公がサナトリウムに入って、そこで過ごす7年間を描いた物語で、その主人公が人間として成熟していくということを「ビルドゥングする」と言っています。つまり、教養という言葉には、人間として深い洞察力や倫理感、また新しい物事を正しく判断するというための思考力など、そういうものをビルドゥング(構築)していくために必要な知識やたしなみ、作法というニュアンスが含まれるのです・・・戦前はドイツ的な教養主義の影響が大きくて、ドイツのカントやヘーゲルの哲学書を読んで人間として自己の内面を耕し内省することが「教養」と言われていました。 それが、戦後アメリカの占領下になって、アメリカの価値観が広がっていくのにあわせて、教養主義からリベラルアーツへと傾斜していった。しかしながら、日本では両方の流れがまだ生き残っていている、そういう感じではないかと思っています」、なるほど。
・『ハーバード大学に専門系の学部は存在しない 山口:そうですね。トーマス・マンもヨーロッパの人で、一般にリベラルアーツというとヨーロッパで重んじられていて、アメリカはその反対で実学志向というイメージがあるかと思いますが、私の感覚ではそうではありません。 アメリカの大学ランキングを見ると、ほとんどの年でトップになるのはハーバード大学ですが、そのハーバード大学に法学部や経営学部など専門系の学部はありません。学部ではリベラルアーツ学部しかなく文理融合的な知識を学ばせています。 元々アイビーリーグに属する大学の起源の多くは牧師さんを育てるための学校で、18世紀頃の牧師さんは、社会のありとあらゆることを行っていました。医師でもあり学校の先生でもあり、また政治家のような仕事もしていましたので、社会のあらゆることを知っていなければならなかったのです。 最近、日本の一部の識者が「実学志向のアメリカに倣って、文学部のような人文科学系の学部は廃止してもよい」と言っているようですが、無知とは本当に恐ろしいことで、こうした事実をよく知らないんですね。彼らに日本でよく知られているハーバードのビジネススクールやケネディスクール、メディカルスクールなどはみな大学院ですよと言うと、絶句してしまうわけです。 アメリカでは社会のリーダーになる人は専門バカではいけない、社会のあらゆることにある程度は通じていることが社会の常識になっています。古代ギリシャの時代から「アルス・テクニケ」、つまり専門的な技や知識を磨くことは奴隷の仕事であって、リーダーがするべきことではないと考えられてきたのです。 リーダーは何をするかというと、ハンナ・アーレントの言葉を借りれば「活動」をする、つまり政治的な活動を行うのだと。それが社会のリーダーであり、自由市民が従事する仕事だと考える。そして、そういう人たちは大きな判断、社会に影響のある判断をすることになるので、専門バカでは困る。今の言葉で言うと「システム思考」的な、それをつかさどる基礎的な能力を養うために教養が必要になってくるというわけです。 ハーバード大学だけではなく、PPE(Philosophy、Politics and Economics)を重んじるオックスフォード大学なども同様の考え方だと思います。やはり、社会のリーダーになる人というのは、白黒つかない、非常に多方面の利益というものを考えるものだと。ホッブズの言葉を借りるならば、「社会全体の幸福の最大化」ということを考える人でなければならない。そのような人になるには、多方面にわたる教養が必要だという考えですね。) 堀内:アメリカには、ハーバード大学のような総合大学とは別に、いわゆるリベラルアーツカレッジがありますね。私が懇意にしているグレン・フクシマさんがカリフォルニアのDeep Springs College、先日対談させていただいた斎藤幸平さんがコネチカットのWesleyan Universityといったリベラルアーツカレッジに進学していますが、アメリカには名門と言われるリベラルアーツカレッジがいくつもありますね。 また、アイビーリーグでは、新入生はとにかく寮に入らないといけない所が多い。寮があって、そこに寮監(りょうかん)がいて、チューターがいて、彼ら以外にもさまざまな人が寮にやって来て、毎晩議論をするといった活発な交流がおこなわれています。 山口:そうですね。まさにトーマス・マンの『魔の山』の世界ですよね。 堀内:その伝統はオックスフォード大学やケンブリッジ大学といったイギリスの大学から来ているのだと思いますが、オックスフォード大学では、39のカレッジ(学寮)があって、カレッジは必ず寮と一体になっています。そもそも大学に入学するためには、まずこうしたカレッジに入ることが必要になります』、「社会のリーダーになる人は専門バカではいけない、社会のあらゆることにある程度は通じていることが社会の常識になっています。古代ギリシャの時代から「アルス・テクニケ」、つまり専門的な技や知識を磨くことは奴隷の仕事であって、リーダーがするべきことではないと考えられてきたのです。 リーダーは何をするかというと、ハンナ・アーレントの言葉を借りれば「活動」をする、つまり政治的な活動を行うのだと。それが社会のリーダーであり、自由市民が従事する仕事だと考える。そして、そういう人たちは大きな判断、社会に影響のある判断をすることになるので、専門バカでは困る。今の言葉で言うと「システム思考」的な、それをつかさどる基礎的な能力を養うために教養が必要になってくるというわけです・・・ハーバード大学だけではなく、PPE(Philosophy、Politics and Economics)を重んじるオックスフォード大学なども同様の考え方だと思います。やはり、社会のリーダーになる人というのは、白黒つかない、非常に多方面の利益というものを考えるものだと。ホッブズの言葉を借りるならば、「社会全体の幸福の最大化」ということを考える人でなければならない。そのような人になるには、多方面にわたる教養が必要だという考えですね・・・オックスフォード大学では、39のカレッジ(学寮)があって、カレッジは必ず寮と一体になっています。そもそも大学に入学するためには、まずこうしたカレッジに入ることが必要になります」、なるほど。
・『日本とは異なる欧米エリートのキャリア形成 また、私がゴールドマン・サックスにいたときの経験をお話しすると、インベストメントバンカーには学歴の高い人が多いわけですが、実はアメリカの大学での専攻が歴史や哲学など、経済や経営はまったく勉強していませんという人が多くて驚いた記憶があります。 とにかく最初はリベラルアーツ的なものを学ぶ。そして、次のステージとして、金融で成功したいと思ったら、学部卒で数年働いてある程度の資金を貯めてから、ビジネススクールなどで学ぶ。そうして、20代の後半くらいで専門的・実務的な知識を身に付けたビジネスマンとして、その分野で階段を駆け上がっていく。キャリア形成はそんな感じになっていますね。 山口:まさに、ピーター・ティールなどが典型ですね。彼は大学の学部は哲学科で、その後、大学院はロースクールで学んでいます。スラック(Slack)の創業者のスチュワート・バターフィールドも哲学科の出身です。シリコンバレーのハイテク業界というと、「STEM」という印象がありますけれども、実はそうでもないんですね。 クリスチャン・マスビアウが『センスメイキング』という本で、若い時期の求職においては、STEMの学位は有利に働くかもしれないが、経営者の経歴を見てみると、STEMではなく人文科学系の学位を取っている人のほうが多いというデータがあると書いています。この話をするとSTEM系の人は猛烈にかみついてくるので怖いんですけれども(笑)。 堀内:金融の世界では、「イングランド銀行を潰した男」の異名を取るクオンタム・ファンドで大成功したジョージ・ソロスは、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で哲学の学士と修士を取っています。ジョージ・ソロスと一緒にクオンタム・ファンドを設立したジム・ロジャーズもイエール大学で歴史、オックスフォード大学で哲学の学士を取っています。山口さんがおっしゃるように、日本では早い時期に専門を決めてしまう弊害があるのかもしれません。学生も何を勉強するのかをよく意識しないで大学を決めているので、大学で学ぶことの意義自体がかなり曖昧になってしまっているのだと思います。) 堀内:キャリア形成の話をすると、山口さんは慶応を卒業されて電通に入社されましたが、その前の学歴が日本的ではないと言いますか、とてもユニークですよね。その辺りのお話をお聞かせいただけませんか。 山口:その辺りの話は実はあまり戦略的ではなくて、高校は慶応の付属だったのですが、当時から作曲を勉強していましたので藝大に行こうか迷っていました。 実は慶応の付属から慶応大学を卒業し、その後、藝大に入り直した人――作曲家の千住明さんですが――が遠い知り合いだったこともあってアドバイスを求めたところ、「作曲の勉強は、大学ではそんなに学べるものではないよ」と言われたのです。それで、慶応文学部の美学専攻に進みました。 就職という段になって、どの道に進むかとなったとき、父が興銀に務めていて、当時の興銀は割と身内に甘い会社で「興銀に来るか」と言われたのですが、金融の世界には興味が持てませんでした。それを父に伝えると、「大学時代は音楽を作ってばかりで協調性もないし、おまえみたいな変わり者は電通のような会社が向いているんじゃないか」と言われ、それがきっかけで電通を受けることにしました。 そのなかで、電通の人が「人間が夢中になるものは4つあって、電通はそのすべてがある会社だ」という話をしてくれました。4つというのは、1つ目は研究で、特に広告の世界は人間の感情に関する心理学の研究との接点が多いのだと。2つ目はビジネス、3つ目はアートですね。広告は芸術や創作、表現に関わる仕事だと。そして、4つ目がスポーツで、電通は人が夢中になるものすべてに接点のある会社だという話をしてくれて、ここで働くのは面白いのではと感じたのです。 また、自分自身、大学時代は表現に関わる研究をやってきて、心理学にも興味がありましたので、自分の興味のある領域と、社会の中で接面として接合できる面積が一番大きいのは広告の世界だと期待を膨らませて電通に入社を決めました』、「高校は慶応の付属だったのですが、当時から作曲を勉強していましたので藝大に行こうか迷っていました。 実は慶応の付属から慶応大学を卒業し、その後、藝大に入り直した人――作曲家の千住明さんですが――が遠い知り合いだったこともあってアドバイスを求めたところ、「作曲の勉強は、大学ではそんなに学べるものではないよ」と言われたのです。それで、慶応文学部の美学専攻に進みました・・・電通の人が「人間が夢中になるものは4つあって、電通はそのすべてがある会社だ」という話をしてくれました。4つというのは、1つ目は研究で、特に広告の世界は人間の感情に関する心理学の研究との接点が多いのだと。2つ目はビジネス、3つ目はアートですね。広告は芸術や創作、表現に関わる仕事だと。そして、4つ目がスポーツで、電通は人が夢中になるものすべてに接点のある会社だという話をしてくれて、ここで働くのは面白いのではと感じたのです」、「電通はそのすべてがある会社だ」という話をしてくれました」、いくら学生を引き付けるためとはいえ、なかなか味のある話だ。
・『営業局で実績を上げ外資系コンサルに転職 ところが、入社すると、君は新入社員研修の中で人当たりもいいし、しゃべらせると流暢に人と話ができるから、営業向きだと言われ営業局に配属されたのです。一方で、コミュニケーション下手の同期がクリエイティブ局に配属されて、つくづく人生ってわからないものだなと思いましたね(笑)。 ただ、自分には営業という仕事が合っていたのでしょう。結果も出て、営業の仕事が面白くなってのめり込んでいくようになりました。それで、さらに純度を高めたいという思いからボストンコンサルティンググループ(BCG)に転職したのです。ですので、自分のキャリアは、枝づたいに進んでいくうちに、かなり毛色の違うところに来てしまったという感じですね。 堀内:山口さんが営業向きと言われて、営業をやってみたら面白くなったというのは意外ですね。優秀なコンサルのイメージが強いので、電通でもクリエイティブ出身かと思っていました。 山口:意外かと思われるかもしれませんが、コンサルタントとして活躍している人には、実は哲学科の出身者が多いのです。コンサルの世界で化ける人には学部的な傾向があるという仮説があって、理学系では物理学で、人文科学系では哲学科だと。事実、世界的にBCGのオフィスを見てみると、ユニークな立ち位置をつくれている人はこのどちらかであることが多いのです。 例えば、私が入社したときのBCGの日本代表は御立尚資さんで、彼も京都大学文学部でカート・ヴォネガットの研究をしていましたから、まさにど真ん中の人文系で、その後、ハーバードに行っています。まさにピーター・ティールなんかと同じですよね。) 堀内:少し話が変わりますが、大学の先生など日本の識者の多くは、リベラルアーツや教養が大切で、日本のエリートには深みがないと批評するのをよく耳にします。それは事実だと思いますが、では、どうすればいいのかというと、ほとんど具体的な方法論を持っていません。おそらく、大学の先生自身が実社会での経験がないために、大切だというべき論と実感が結びついていないのではないかと思います。 一方、山口さんはご自身の経験も踏まえたうえでそこに切り込んでいて、リベラルアーツや教養的な考え方を、どのようにビジネスの世界に組み入れて現場の仕事で使えるものにしていくかを実践されているように感じます。それは、ご自身で強く意識されている部分なのでしょうか。 山口:直接的な答えになるかわかりませんが、私はビジネススクールへは行かずにコンサルの世界に入ったので、経営学的な知識が欠損していたわけですね。逆に使えるものは何かと言えば自分が学んできた哲学や美学の知識だったので、コンサルとしてアドバイスをする際には、ギリシャ哲学の知識やシェイクスピア劇の有名なせりふなどを使い倒していくしかなかったのです。しかし、これが他のコンサルタントとは、まったく視点や切り口が異なるということで有利に働きました』、「コンサルタントとして活躍している人には、実は哲学科の出身者が多いのです。コンサルの世界で化ける人には学部的な傾向があるという仮説があって、理学系では物理学で、人文科学系では哲学科だと。事実、世界的にBCGのオフィスを見てみると、ユニークな立ち位置をつくれている人はこのどちらかであることが多いのです・・・経営学的な知識が欠損していたわけですね。逆に使えるものは何かと言えば自分が学んできた哲学や美学の知識だったので、コンサルとしてアドバイスをする際には、ギリシャ哲学の知識やシェイクスピア劇の有名なせりふなどを使い倒していくしかなかったのです。しかし、これが他のコンサルタントとは、まったく視点や切り口が異なるということで有利に働きました」、何が幸いするかはわからないものだ。
・『マネジメント層に不可欠な「教養教育」 堀内:まさにリベラルアーツに関する知識をビジネスに生かしてきたわけですね。 山口:そうだと思います。私は20年間外資系のコンサルティング会社に勤め、最後はパートナーまで務めました。ですので、日本のトップクラスの経営者たちと渡り合って、それなりのインパクトも出してきたという自負はあります。そうした自らの経験を踏まえて、歴史や哲学といったリベラルアーツの知識は、ビジネスの世界において強力な洞察を与えてくれるもので、同時に、正しい意思決定を行う際の助けになるものだと思っています。 現在、日本の企業の多くが「リーダーの育成」で試行錯誤している状況にあります。現場の仕事だけを一生懸命に務めた人が、リーダーや経営層になったときにその責を十分に果たせないという問題が頻発しているのです。 欧米の後追いをしている時代は明確なゴールが見えていましたので、本当の意味での意思決定は求められなかったと言えるのかもしれません。しかし、現代のように先の見えない時代には、大局的で正しい意思決定ができるリーダーの存在が不可欠です。企業の人事部がマネジメント研修などで教養やリベラルアーツを学ぶ機会を増やしているのですが、一朝一夕に解決できる問題ではありません。(後編につづく)』、「そうした自らの経験を踏まえて、歴史や哲学といったリベラルアーツの知識は、ビジネスの世界において強力な洞察を与えてくれるもので、同時に、正しい意思決定を行う際の助けになるものだと思っています。 現在、日本の企業の多くが「リーダーの育成」で試行錯誤している状況にあります。現場の仕事だけを一生懸命に務めた人が、リーダーや経営層になったときにその責を十分に果たせないという問題が頻発しているのです。 欧米の後追いをしている時代は明確なゴールが見えていましたので、本当の意味での意思決定は求められなかったと言えるのかもしれません。しかし、現代のように先の見えない時代には、大局的で正しい意思決定ができるリーダーの存在が不可欠です。企業の人事部がマネジメント研修などで教養やリベラルアーツを学ぶ機会を増やしているのですが、一朝一夕に解決できる問題ではありません」、その通りだ。
次に、5月18日付け東洋経済オンラインが掲載した独立研究者・著作者・パブリックスピーカーの山口 周氏と、ライプニッツ代表・多摩大学大学院教授 多摩大学サステナビリティ経営研究所所長の 堀内 勉氏による「なぜ、日本では傑出したリーダーが出にくいのか 日本社会をダメにする「二重の選抜」の非効率」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/751908
・『ビジネスエリートにとってリベラルアーツは必須の知識と言われている。そもそもリベラルアーツとは何か。なぜリベラルアーツが必要なのか。 前回に続き、3万5000部超のベストセラー『読書大全』の著者・堀内勉氏と、リベラルアーツに関する著作が多数あり、講演や企業の研修においてもリベラルアーツの重要性を訴えている山口周氏が、リベラルアーツや教養をテーマに縦横に語り合う。 堀内:最近、JTCと言われるいわゆるジャパニーズ・トラディショナル・カンパニーでは、若いうちに何らかの選抜が行われ、部長や執行役員レベルになるとだんだん教養が求められていきますよね。私が見てきた狭い世界の話かもしれませんが、その前に実務家としての能力や実績での選抜があるので、山口さんのように教養を身に付けてきた人はその手前でほとんどが淘汰されてしまうような気がします。 淘汰されずに残った人は、若い頃は仕事に必死で教養などを学ぶ時間がなかったような人たちばかりで、急に「これからは会社のマネジメントをするのだからリベラルアーツとか教養を学ばなきゃいけないよ」と言われて、もともと勉強してこなかった人たちだけで突如エグゼクティブプログラムに行かされるような仕組みになっていますよね。でも、急に変わりなさいと言われても今から変わるのは難しいと思うのですが。 山口:社会学者である竹内洋氏(関西大学東京センター長)が『教養主義の没落』の中で書いていることですが、1970年代までは教養主義は大学キャンパスの規範的な文化であって、読書による教養主義というのは、人格の形成や社会の発展のために、学生の間で疑いようのない信念として共有されていたと。京都大学の学生が教養書を何冊読んでいるかという当時の調査では、10日に1冊読む学生が半分以上、ほとんど読まないと答えた学生は1%しかいなかったということです』、「1970年代までは教養主義は大学キャンパスの規範的な文化であって、読書による教養主義というのは、人格の形成や社会の発展のために、学生の間で疑いようのない信念として共有されていたと。京都大学の学生が教養書を何冊読んでいるかという当時の調査では、10日に1冊読む学生が半分以上、ほとんど読まないと答えた学生は1%しかいなかったということです」、「10日に1冊読む学生が半分以上」とは驚かされた。
・『80年代以降、大学がレジャーランド化 大学のレジャーランド化」という言葉について、自身でも調べたのですが、『現代用語の基礎知識』のレジャーランドの項目に、「遊び、学生が遊んで過ごす現在の大学」という説明が入ったのが1985年からです。そのあたりから大学や大学生の意識に変化が起こったと考えられます。 これは、日本の経済というのはほっといても良くなるとか、名のある会社に入って、それなりにやっていれば別荘の一軒ぐらいは持てるようになるみたいな、きわめて楽観的な将来見通しを持つようになったという時代の影響を受けていると思われます。 1980年代半ば以降、まったく教養書を読まず、教養的なことを知らないのを恥ずかしいと思う感覚がエリートからなくなっていくわけです。それで、40代後半~50代になって、君たちもそろそろそれなりの立場なのだから教養を身に付けろと言われて、いきなりアリストテレスなどを読まされてすごく苦労することになっています。) 私が常々指摘していることですが、日本には「二重の選抜」という非効率が存在しています。日本では、大学教育も含めて、まずは現場の担当者として優秀な人物を育て、その優秀な人の中からリーダーを選抜するシステムになっています。大学入試共通テストに代表されるペーパーテストが象徴的ですが、日本では実務の処理能力が最も高い人を選ぶというシステムで動いているわけです』、「日本には「二重の選抜」という非効率が存在しています。日本では、大学教育も含めて、まずは現場の担当者として優秀な人物を育て、その優秀な人の中からリーダーを選抜するシステムになっています」、なるほど。「大学がレジャーランド化」とは言い得て妙だ。
・『数十年かけてリーダー候補を選抜する非効率 官僚の世界やかつての都銀などは、優秀な大学を出たエリートたちが、まずは現場で処理能力を競う仕事をさせられて、その中で高いパフォーマンスを挙げた人が管理者になる。そうした競争というか、スクリーニングが学生の頃から社会的に行われているわけです。 スクリーニングで生き残った者がリーダーに抜擢されると、従来のような処理能力の速さだけではダメだと。大局的な視点でものごとを捉え、倫理観のようなものも含めて、大きな判断ができなければならない。あるいは歴史観や、時代感も持たなくてはならないといったことを言われる。つまり、プロ野球選手として優秀な成績を残してそろそろ引退かという人に、今度はラグビー選手として一流を目指すためトレーニングを行うような非効率なことをしているわけです。 ハーバードやオックスフォード、フランスのバカロレアも、二重の選抜は非効率であるという社会の共通認識があるので、はじめからリーダーになる素養のある人を選抜し、その人たちに対して、徹底したリーダー教育を行っているのです。 堀内:そうしたリーダーになるべき人たちを選抜する試験のあり方が、日本の大学の入試とはまったく違ったものになっているということですね。 山口:はい。たとえばアメリカの大学の入試では何よりも論文を重視し、その中でとりわけリーダーシップを体現した経験を問われます。イギリスもフランスも基本的には最初からエリートを育てる考え方なので、エリートに必要なのはリベラルアーツであると。オックスフォードの看板学部のPPE(Philosophy、Politics and Economics)のPの筆頭というのはポリティクスじゃなくてフィロソフィーですし、バカロレアでは理系・文系問わずに哲学が中心科目として課されています。 当然、社会に出れば若いときはある程度担当者の仕事もやらなくてはいけないわけですが、大前提として、リーダーになる素養を持っている人にそういうトレーニングをしているということです。日本社会はなかなかリーダーが現れないと言われますが、構造的な要因としてスクリーニングシステムが二重に働いていることに難しさがあるのではないかと思っています。) 堀内:つまり、日本ではマネジメントができる人の母数を最初の段階でものすごく絞り込んでしまっているので、優れたリーダーを選抜するための母数も少なくなっているわけですね。 私が36歳でゴールドマンに入社するときの部長面接が後にパートナーになった小高功嗣さんで、彼は年齢でいうと私の2つ年上でした。最終面接ではパートナーに会っていただきますと言われてお会いしたのが、今はマネックス証券会長をされている松本大さんです。そのときに松本さんから、「堀内さんの経歴書を拝見しましたが、私、堀内さんの大学の後輩なんです」と言われてびっくりしました。恥ずかしながら、そのときは30歳でゴールドマンのパートナーになっていた松本さんを知らなかったんですね。 ゴールドマンのパートナーと言えば、日本の銀行だったら常務クラスかそれ以上ですから。30歳なんて、当時の日本の銀行だったら完全な平社員で、ひたすら現場仕事の毎日ですよ。松本さんがゴールドマンでものすごい実績を上げたのは確かなのですが、ソロモンブラザーズから転職してわずか4年足らずでマネジメントに向いているということで、一気にパートナーにまで引き上げられるというスピード感にびっくりしました。 山口:松本さんは外れ値だと思いますけれども。 堀内:たしかに松本さんは外れ値かもしれませんが、そのような人を引き上げるシステムが会社の中にあるわけです。松本さんがどんなに優秀でも、日本の銀行や証券会社では30歳で役員になることはシステム上あり得ないですから』、「ゴールドマンに入社するときの部長面接が後にパートナーになった小高功嗣さんで、彼は年齢でいうと私の2つ年上でした。最終面接ではパートナーに会っていただきますと言われてお会いしたのが、今はマネックス証券会長をされている松本大さんです。そのときに松本さんから、「堀内さんの経歴書を拝見しましたが、私、堀内さんの大学の後輩なんです」と言われてびっくりしました。恥ずかしながら、そのときは30歳でゴールドマンのパートナーになっていた松本さんを知らなかったんですね。 ゴールドマンのパートナーと言えば、日本の銀行だったら常務クラスかそれ以上ですから。30歳なんて、当時の日本の銀行だったら完全な平社員で、ひたすら現場仕事の毎日ですよ。松本さんがゴールドマンでものすごい実績を上げたのは確かなのですが、ソロモンブラザーズから転職してわずか4年足らずでマネジメントに向いているということで、一気にパートナーにまで引き上げられるというスピード感にびっくりしました・・・ゴールドマンのパートナーと言えば、日本の銀行だったら常務クラスかそれ以上ですから。30歳なんて、当時の日本の銀行だったら完全な平社員で、ひたすら現場仕事の毎日ですよ」、確かに。「ゴールドマン」や「ソロモンブラザーズ」の昇進の速さは日本の常識では信じ難い。
・『ビジネス社会における教養教育のあり方 少し話を変えて、ビジネス社会における教養教育について、うかがいたいと思います。山口さんには私が主催している上智大学の「知のエグゼクティブサロン」にリソースパーソンとして来ていただきましたが、私自身も日本や海外の一流大学のエグゼクティブ・マネジメント・プログラムを含めて、今までにいくつかのエグゼクティブプログラムを受講してきました。 それらのプログラムでは、著名な学者や経営者、起業家などが講師となって、「君たちは将来会社を背負って立つ人物なので、幅広い思考を身に付けてほしい」といった話がほとんどです。こうしたいわゆる「すごい人」が自分たちの成功体験や研究してきた知の体系について話をして、受講している人は「この人たち本当にすごいな、自分も頑張らないといけないな……でもやっぱり自分には無理かな」と感心して帰るのです。 私は、そのようなプログラムを「ダウンロード型のプログラム」と言っていますけれども、本当にそれでよいのかと思っています。たとえば、大谷翔平の野球の試合を見に行って、大谷がホームランを打つのを見てすごいなとは思っても、自分が大谷になれるとはとても思えないんですよね。一流オーケストラのコンサートもそうですが、本当に感動するのですが、じゃあ自分があんなふうに演奏できるかなんて考えもしない。同じように、すごい講師が出てくるエグゼクティブプログラムでは、話を聞いた瞬間はアドレナリンが大量に出て、「今日はいい話が聞けて充実した時間だった」となるのですが、その先につながらないのです。) そうした経験を踏まえて、上智大学の「知のエグゼクティブサロン」では完全な水平型のプログラムにしたわけです。そこに講師は存在せず、学者や有識者であるリソースパーソンは問題の投げかけをするだけで、その後はリソースパーソンも我々コーディネーターも学びますし、受講生という立場の参加者もビジネスの立場からアウトプットします。 お互いが違う人生を生きてきて、それぞれそれなりに何十年もやってきたのですから、何かしら相手に与えるものがあるはずなのです。それをお互いに話して、お互いに聞く。哲学的な言い方をすれば、ヘーゲルの弁証法的にお互いもう一段高いところに一緒に上りましょう……そういうコンセプトで行っています。 山口さんはいろいろなところで講師をやられていると思いますが、エグゼクティブ向けの教育についてはどのようなスタンスで臨まれていたり、どのようなプログラムを開発されたりしているのか、そのあたりを教えていただけますか』、私も20年ほど前にあるエクゼクティブ向けのプログラムに参加した。
・『即効性を期待しすぎる日本の人事部 山口:エグゼクティブ向け研修とリベラルアーツということで言えば、有名なのはアスペン研究所ですよね。アスペン・セミナーはとてもいい取り組みなので私自身が行きたいと思うほどですが、日本の一般的な取締役や執行役員クラスに対して、いきなり取り組ませても中途半端な形になってなかなか厳しいだろうという気はします。 特に日本の人事部は、効果を数字で見せてほしいとか、次の日からすぐに使えることを教えてほしいという傾向が強い。リベラルアーツを役員に学んでほしいということで、京都大学の中西輝政先生やAI研究者の新井紀子先生に来てもらってディスカッションを行うプログラムを組んだことがありますが、驚くことに、人事は「即役立つことが学べたか」といったアンケートをとっていました。 当たり前ですが、リベラルアーツは次の日からすぐに仕事に活かせる類いのものではありません。結局、この企業からは「参加者の評価が低いので、この1回でやめにしました」と言われ、そもそも何をしたくてリベラルアーツの研修プログラムを始めたのかと叱責した経験があります。 ですから、プログラムの中身以上にバイヤー、つまりは企業側の問題が大きいと思います。したがって、ダウンロード型、アスペンのプログラム、対話型のどれがいいかということで言えば、参加者のレベルやプログラムそのものよりも、それを差配している人事部門の思惑がすごく気になりますね。) そうした経験を踏まえて、上智大学の「知のエグゼクティブサロン」では完全な水平型のプログラムにしたわけです。そこに講師は存在せず、学者や有識者であるリソースパーソンは問題の投げかけをするだけで、その後はリソースパーソンも我々コーディネーターも学びますし、受講生という立場の参加者もビジネスの立場からアウトプットします。 お互いが違う人生を生きてきて、それぞれそれなりに何十年もやってきたのですから、何かしら相手に与えるものがあるはずなのです。それをお互いに話して、お互いに聞く。哲学的な言い方をすれば、ヘーゲルの弁証法的にお互いもう一段高いところに一緒に上りましょう……そういうコンセプトで行っています。 山口さんはいろいろなところで講師をやられていると思いますが、エグゼクティブ向けの教育についてはどのようなスタンスで臨まれていたり、どのようなプログラムを開発されたりしているのか、そのあたりを教えていただけますか』、「即効性を期待しすぎる日本の人事部」、私も失望した。
・『即効性を期待しすぎる日本の人事部 山口:エグゼクティブ向け研修とリベラルアーツということで言えば、有名なのはアスペン研究所ですよね。アスペン・セミナーはとてもいい取り組みなので私自身が行きたいと思うほどですが、日本の一般的な取締役や執行役員クラスに対して、いきなり取り組ませても中途半端な形になってなかなか厳しいだろうという気はします。 特に日本の人事部は、効果を数字で見せてほしいとか、次の日からすぐに使えることを教えてほしいという傾向が強い。リベラルアーツを役員に学んでほしいということで、京都大学の中西輝政先生やAI研究者の新井紀子先生に来てもらってディスカッションを行うプログラムを組んだことがありますが、驚くことに、人事は「即役立つことが学べたか」といったアンケートをとっていました。 当たり前ですが、リベラルアーツは次の日からすぐに仕事に活かせる類いのものではありません。結局、この企業からは「参加者の評価が低いので、この1回でやめにしました」と言われ、そもそも何をしたくてリベラルアーツの研修プログラムを始めたのかと叱責した経験があります。 ですから、プログラムの中身以上にバイヤー、つまりは企業側の問題が大きいと思います。したがって、ダウンロード型、アスペンのプログラム、対話型のどれがいいかということで言えば、参加者のレベルやプログラムそのものよりも、それを差配している人事部門の思惑がすごく気になりますね』、「参加者のレベルやプログラムそのものよりも、それを差配している人事部門の思惑がすごく気になりますね」、その通りだ。
タグ:「古代ギリシャ時代、労働は奴隷身分が行うことでしたので、自由市民は多くの時間を持て余していたわけです。なので、その時間を有意義に楽しむためには教養が必要ということで、それがリベラルアーツになったと言われています・・・学問はだいたいディシプリンで、つまり、限られた範囲の中で考え研究するものだというわけです。 「山口さんの著書に『自由になるための技術 リベラルアーツ』がありますが、最初に「リベラルアーツとは何か」について、お話しいただけますでしょうか」、なるほど。 『自由になるための技術 リベラルアーツ』 「「リベラルアーツ」を軽視しすぎた日本社会の代償 「リーダーシップ」と「教養教育」の不可分な関係」 堀内 勉 氏 山口 周氏 東洋経済オンライン (その32)(「リベラルアーツ」を軽視しすぎた日本社会の代償 「リーダーシップ」と「教養教育」の不可分な関係、なぜ 日本では傑出したリーダーが出にくいのか 日本社会をダメにする「二重の選抜」の非効率、池上彰が警告「時代に乗り遅れた」日本企業の末路 2040年世界時価総額トップ50に日本は入れるか) 日本の構造問題 一方で、「リベラルアーツ」は、そのディシプリンに対してリベラルであるということで、現代のように専門性が細分化・タコツボ化してきて、全体を捉えることが難しくなってきているという時代においては、リベラルアーツは領域を横断しながら全体をつかむための一つの知性でとても重要なものだ・・・ドイツ語ではビルドゥングスロマン(Bildungsroman)と言いますが、その言葉には人格を陶冶するというようなニュアンスが入ってきます。 『魔の山』は大学出の若い主人公がサナトリウムに入って、そこで過ごす7年間を描いた物語で、その主人公が人間として成熟していくということを「ビルドゥングする」と言っています。つまり、教養という言葉には、人間として深い洞察力や倫理感、また新しい物事を正しく判断するというための思考力など、そういうものをビルドゥング(構築)していくために必要な知識やたしなみ、作法というニュアンスが含まれるのです・・・ 戦前はドイツ的な教養主義の影響が大きくて、ドイツのカントやヘーゲルの哲学書を読んで人間として自己の内面を耕し内省することが「教養」と言われていました。 それが、戦後アメリカの占領下になって、アメリカの価値観が広がっていくのにあわせて、教養主義からリベラルアーツへと傾斜していった。しかしながら、日本では両方の流れがまだ生き残っていている、そういう感じではないかと思っています」、なるほど。 「社会のリーダーになる人は専門バカではいけない、社会のあらゆることにある程度は通じていることが社会の常識になっています。古代ギリシャの時代から「アルス・テクニケ」、つまり専門的な技や知識を磨くことは奴隷の仕事であって、リーダーがするべきことではないと考えられてきたのです。 リーダーは何をするかというと、ハンナ・アーレントの言葉を借りれば「活動」をする、つまり政治的な活動を行うのだと。それが社会のリーダーであり、自由市民が従事する仕事だと考える。 そして、そういう人たちは大きな判断、社会に影響のある判断をすることになるので、専門バカでは困る。今の言葉で言うと「システム思考」的な、それをつかさどる基礎的な能力を養うために教養が必要になってくるというわけです・・・ハーバード大学だけではなく、PPE(Philosophy、Politics and Economics)を重んじるオックスフォード大学なども同様の考え方だと思います。 やはり、社会のリーダーになる人というのは、白黒つかない、非常に多方面の利益というものを考えるものだと。ホッブズの言葉を借りるならば、「社会全体の幸福の最大化」ということを考える人でなければならない。そのような人になるには、多方面にわたる教養が必要だという考えですね・・・オックスフォード大学では、39のカレッジ(学寮)があって、カレッジは必ず寮と一体になっています。そもそも大学に入学するためには、まずこうしたカレッジに入ることが必要になります」、なるほど。 「高校は慶応の付属だったのですが、当時から作曲を勉強していましたので藝大に行こうか迷っていました。 実は慶応の付属から慶応大学を卒業し、その後、藝大に入り直した人――作曲家の千住明さんですが――が遠い知り合いだったこともあってアドバイスを求めたところ、「作曲の勉強は、大学ではそんなに学べるものではないよ」と言われたのです。それで、慶応文学部の美学専攻に進みました・・・ 電通の人が「人間が夢中になるものは4つあって、電通はそのすべてがある会社だ」という話をしてくれました。4つというのは、1つ目は研究で、特に広告の世界は人間の感情に関する心理学の研究との接点が多いのだと。2つ目はビジネス、3つ目はアートですね。広告は芸術や創作、表現に関わる仕事だと。そして、4つ目がスポーツで、電通は人が夢中になるものすべてに接点のある会社だという話をしてくれて、ここで働くのは面白いのではと感じたのです」、「電通はそのすべてがある会社だ」という話をしてくれました」、いくら学生を引き付けるため 「コンサルタントとして活躍している人には、実は哲学科の出身者が多いのです。コンサルの世界で化ける人には学部的な傾向があるという仮説があって、理学系では物理学で、人文科学系では哲学科だと。事実、世界的にBCGのオフィスを見てみると、ユニークな立ち位置をつくれている人はこのどちらかであることが多いのです・・・ 経営学的な知識が欠損していたわけですね。逆に使えるものは何かと言えば自分が学んできた哲学や美学の知識だったので、コンサルとしてアドバイスをする際には、ギリシャ哲学の知識やシェイクスピア劇の有名なせりふなどを使い倒していくしかなかったのです。しかし、これが他のコンサルタントとは、まったく視点や切り口が異なるということで有利に働きました」、何が幸いするかはわからないものだ。 「そうした自らの経験を踏まえて、歴史や哲学といったリベラルアーツの知識は、ビジネスの世界において強力な洞察を与えてくれるもので、同時に、正しい意思決定を行う際の助けになるものだと思っています。 現在、日本の企業の多くが「リーダーの育成」で試行錯誤している状況にあります。現場の仕事だけを一生懸命に務めた人が、リーダーや経営層になったときにその責を十分に果たせないという問題が頻発しているのです。 欧米の後追いをしている時代は明確なゴールが見えていましたので、本当の意味での意思決定は求められなかったと言えるのかもしれません。しかし、現代のように先の見えない時代には、大局的で正しい意思決定ができるリーダーの存在が不可欠です。企業の人事部がマネジメント研修などで教養やリベラルアーツを学ぶ機会を増やしているのですが、一朝一夕に解決できる問題ではありません」、その通りだ。 堀内 勉氏による「なぜ、日本では傑出したリーダーが出にくいのか 日本社会をダメにする「二重の選抜」の非効率」 「1970年代までは教養主義は大学キャンパスの規範的な文化であって、読書による教養主義というのは、人格の形成や社会の発展のために、学生の間で疑いようのない信念として共有されていたと。京都大学の学生が教養書を何冊読んでいるかという当時の調査では、10日に1冊読む学生が半分以上、ほとんど読まないと答えた学生は1%しかいなかったということです」、「10日に1冊読む学生が半分以上」とは驚かされた。 「日本には「二重の選抜」という非効率が存在しています。日本では、大学教育も含めて、まずは現場の担当者として優秀な人物を育て、その優秀な人の中からリーダーを選抜するシステムになっています」、なるほど。「大学がレジャーランド化」とは言い得て妙だ。 「ゴールドマンに入社するときの部長面接が後にパートナーになった小高功嗣さんで、彼は年齢でいうと私の2つ年上でした。最終面接ではパートナーに会っていただきますと言われてお会いしたのが、今はマネックス証券会長をされている松本大さんです。そのときに松本さんから、「堀内さんの経歴書を拝見しましたが、私、堀内さんの大学の後輩なんです」と言われてびっくりしました。 恥ずかしながら、そのときは30歳でゴールドマンのパートナーになっていた松本さんを知らなかったんですね。 ゴールドマンのパートナーと言えば、日本の銀行だったら常務クラスかそれ以上ですから。30歳なんて、当時の日本の銀行だったら完全な平社員で、ひたすら現場仕事の毎日ですよ。松本さんがゴールドマンでものすごい実績を上げたのは確かなのですが、ソロモンブラザーズから転職してわずか4年足らずでマネジメントに向いているということで、一気にパートナーにまで引き上げられるというスピード感にびっくりしました・・・ ゴールドマンのパートナーと言えば、日本の銀行だったら常務クラスかそれ以上ですから。30歳なんて、当時の日本の銀行だったら完全な平社員で、ひたすら現場仕事の毎日ですよ」、確かに。「ゴールドマン」や「ソロモンブラザーズ」の昇進の速さは日本の常識では信じ難い。 私も20年ほど前にあるエクゼクティブ向けのプログラムに参加した。 「即効性を期待しすぎる日本の人事部」、私も失望した。 「参加者のレベルやプログラムそのものよりも、それを差配している人事部門の思惑がすごく気になりますね」、その通りだ。
民主主義(その10)(民主主義幻想が消えた「西洋」が没落する歴史的理由 『西洋の没落』の著者 エマヌエル・トッドの議論、「どうしてあんな候補が当選?」民主主義の“終焉論”と“過剰論”の対立から見える問題点) [経済政治動向]
民主主義については、本年3月6日に取上げた。今日は、(その10)(民主主義幻想が消えた「西洋」が没落する歴史的理由 『西洋の没落』の著者 エマヌエル・トッドの議論、「どうしてあんな候補が当選?」民主主義の“終焉論”と“過剰論”の対立から見える問題点)である。
先ずは、本年3月13日付け東洋経済オンラインが掲載した哲学者・経済学者の的場 昭弘氏による「民主主義幻想が消えた「西洋」が没落する歴史的理由 『西洋の没落』の著者、エマヌエル・トッドの議論」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/740473
・『今からほぼ100年前、1冊の本が書店に並んだ。それはオットー・シュペングラー(1880~1936年)の『西欧の没落』(1918年)である。フランスのアナール学派の創始者の1人でもあるリュシアン・フェーヴル(1878~1956年)は、その本が飛ぶように売れたときの様子をこう述べている。 「ドイツに一冊の書物が現れた。著者は当時無名のシュペングラーで、『西欧の没落』というセンセーショナルなタイトルが付されていた。ライン河畔の本屋の店先に山と積まれていた八折り版が当時飛ぶように売れるさまを今でも眼に浮かべることができる」(リュシアン・フェーヴル『歴史のための闘い』長谷川輝夫訳、平凡社ライブラリー、87ページ)』、「今からほぼ100年前」のベストセラーとは興味深そうだ。
・『ドイツの崩壊と西欧の没落 シュペングラーの名は一躍有名になったが、この書物は、第一次世界大戦の直後に出版されたことで、戦争に病んだ人々の心をとらえたのだ。敗戦に遭遇したドイツの人々の多くは、ドイツの崩壊と西欧の没落を予感し、この書物を我先に買ったのである。もちろんこれは杞憂に終わったとも言える。 それは、西欧の代わりにアメリカという西欧が出現し、それから100年、なんとか西欧の地位を維持することができたからである。 しかし、2024年現在、ガザとウクライナで問題を抱える西欧の人々は、西欧の没落と同じことを考え始めているともいえる。今まで疑っていなかった西欧の自信が揺らぎ始めているのである。 それは西欧の代表でもあったアメリカを含むアングロ=サクソン帝国の世界が崩壊しつつあるかに見えるからである。 前回私はエマヌエル・トッドの『西欧の敗北』という書物を紹介したが、そこに書かれたウクライナとロシアについては言及したが、本題の西欧については言及しなかった。今回はその西欧についての部分を紹介したい。) この書物の最後の方の11章に、なぜ世界の残りの国はロシアを選んだのか」という章がある。その中に地図が掲載されている(307ページ)。そこには、ウクライナ戦争直後の4月7日、国連総会でのロシアに対する制裁決議案に賛成した国と、反対した国が、区分されている。 断固たる非難決議を支持した国と、それ以外の国を分けると、圧倒的に多くの地域が、この決議案に積極的に賛成しているのではないことがわかる。アメリカとEUそして、日本などの一部の国を除いて、多くは、この非難決議案に、同意していないのである』、「国連総会でのロシアに対する制裁決議案に」、「断固たる非難決議を支持した国と、それ以外の国を分けると、圧倒的に多くの地域が、この決議案に積極的に賛成しているのではないことがわかる」、賛成国がそんなに少ないとは衝撃的だ。
・『西欧を支持しなかった国の多さと西欧の誤解 ここからわかることは、いわゆる西欧(ここでは東欧も含まれる)は、人口にして12パーセントであり、残りの88%の非西欧人は西欧と同じようには考えていないということである。 その理由は、非西欧世界の人々にとって、グローバル化とは再植民地化の過程であり、非西欧には西欧とは違う価値基準が存在し、それが西欧と足並みをそろえることを拒否しているからである。 もちろん、ロシア人が彼らに好まれているわけではない。ただロシアは自らの価値を世界の価値だと喧伝もしないし、価値観を押しつけもしていないから、非西欧にとって、それは付き合い安い相手にしかすぎないのだ。 ウクライナ侵攻に関して西欧が盛んに主張していたキャッチフレーズに、「民主主義と自由を守るための闘争」だというものがあった。しかし、トッドは、それに対して、それでは西欧には本当に民主主義国というものあるのか、本当に自由があるのかという問いを発している。) では現状はどうなっているのか。もはや民衆に開かれた民主主義ではなく、一部のエリートに自由に開かれた自由な寡占的(オリガーキー)社会のみが存在していることになる。 しかし他方で、ロシアなどの地域ではかえって民衆の平等が支配し、確かに選ばれた政治家が権威主義的な力をもつことはあるが、それ自体は公平な民主的制度によって担われているともいえる。そうした社会をトッドは、全体主義社会ではなく、権威的民主社会と表現する』、「トッドは、それに対して、それでは西欧には本当に民主主義国というものあるのか、本当に自由があるのかという問いを発している。) では現状はどうなっているのか。もはや民衆に開かれた民主主義ではなく、一部のエリートに自由に開かれた自由な寡占的(オリガーキー)社会のみが存在していることになる・・・他方で、ロシアなどの地域ではかえって民衆の平等が支配し、確かに選ばれた政治家が権威主義的な力をもつことはあるが、それ自体は公平な民主的制度によって担われているともいえる。そうした社会をトッドは、全体主義社会ではなく、権威的民主社会と表現する」、なるほど。
・『「権威主義的民主社会」の浮上 そうなると、自由と民主主義vs全体主義という図式はもろくも崩れ、寡占的自由な社会vs民主的権威主義との対立となり、そもそも西欧が守っているものは、今では自由と民主主義ではなく、寡占的な自由な社会であるというのだ。 今の民主主義社会は、かつては衆愚社会と呼んでいたものですらなく、無能な一部エリートの寡占的社会だというのだ。 こうして西欧の政治家たちやジャーナリストたち、学者たちエリートは、内輪のセレブな社会にいそしんだ結果、ウクライナで起こっていることの判断を間違ったというのだ。 現実に起こっていることから、何を読み取るかではなく、今まで信じて来た安定と平和という価値観から抜けだすこともできず、現状にただ驚き、うろたえ、現実をしっかり見ることもできず、自らが現実の歴史の中にいることを忘れ、歴史の傍観者になっているのだという。 そして「さらに悪いことに、彼らは旅行者として歴史を横断し、ヴァカンス中の夜に「モノポリー」のゲームを楽しむように、言葉でヨーロッパを作りあげ、人々を煙に巻いたのである」(162ページ)。) トッドは、このような状態のことをロシアでは、「マクロン化」(Macroner)という新しい動詞として使われているのだと、紹介している。つまり、「何かしゃべりまくっているが、なにも語っていない」という意味だ。 とりわけ西欧社会を危機に陥れているのは、ロシアや中国が強くなったことではなく、西欧社会の大国アメリカの劣化だという。それはウクライナ戦争報道においても現実を直視せず、希望的観測の報道に終始したニヒリズム的態度に現れているという。 その劣化は、アメリカ人の平均寿命が下がっていることにも現れている。2014年の77.3歳から、2020年の76.3歳に減少しているのだ。自殺、アルコール、戦争などの原因があるにしろ、1人当たりの所得7万5000ドルの国とは思えない水準である。 もちろんGNPなどというものは、ドル計算によるバブル計算にしかすぎない。金融サービスと産業が同じ金額だとしても、それが経済に与える意味はまったく違う。西欧社会は、日本とドイツを除いて産業の割合が低く、それに比べて非西欧ではその率がとても高い。実質的な豊かさを実現できていない、ドルだけもっているバブル社会だともいえる』、「西欧が守っているものは、今では自由と民主主義ではなく、寡占的な自由な社会であるというのだ。 今の民主主義社会は、かつては衆愚社会と呼んでいたものですらなく、無能な一部エリートの寡占的社会だというのだ・・・トッドは、このような状態のことをロシアでは、「マクロン化」(Macroner)という新しい動詞として使われているのだと、紹介している。つまり、「何かしゃべりまくっているが、なにも語っていない」という意味だ。 とりわけ西欧社会を危機に陥れているのは、ロシアや中国が強くなったことではなく、西欧社会の大国アメリカの劣化だという・・・とりわけ西欧社会を危機に陥れているのは、ロシアや中国が強くなったことではなく、西欧社会の大国アメリカの劣化だという。それはウクライナ戦争報道においても現実を直視せず、希望的観測の報道に終始したニヒリズム的態度に現れているという。 その劣化は、アメリカ人の平均寿命が下がっていることにも現れている。2014年の77.3歳から、2020年の76.3歳に減少しているのだ。自殺、アルコール、戦争などの原因があるにしろ、1人当たりの所得7万5000ドルの国とは思えない水準である」、なるほど。
・『オリガーキー民主社会vs権威主義的民主社会 こうした現状の中で、トランプなどの右翼政権があちこちで生まれているのはなぜかという深刻な問題もある。まさにエリートの思考と大衆とのねじれ構造がそこにあるのだが、西欧社会の一般民衆がデモクラシーからネグレクトされていることにも原因がある。 政治家も一流大学を出るエリートも、今や一部のものに限られるようになり、ジャーナリズムも法律も大衆にとって不都合な物になってくる中で、大衆は絶望感に陥っているともいえる。 そして、与えられるメディア情報も事実と真逆の都合のいい情報ばかりと来ている。そうした中で大衆は、エリートが「盲目」であるのと同じく、盲目の状態に追いやられている。) そう考えると、西欧社会が民主主義的だという根拠がどこにあるのかともいえる。そしてその民主主義が、まるで絵に描いた餅であり、現実が完全に裏切られているとすれば、大衆はどう抵抗すればいいのか。まさにそれが西欧社会で分断が生み出されている原因でもある。 刻苦勉励と高尚な意識を持った選ばれしエリートが、たんなる寡占支配の無能のゾンビ(生き返った死者)の集まりになったとき、人々が怒りをもってポピュリズムに流れるのも致し方のないことなのかもしれない』、「トランプなどの右翼政権があちこちで生まれているのはなぜかという深刻な問題もある。まさにエリートの思考と大衆とのねじれ構造がそこにあるのだが、西欧社会の一般民衆がデモクラシーからネグレクトされていることにも原因がある。 政治家も一流大学を出るエリートも、今や一部のものに限られるようになり、ジャーナリズムも法律も大衆にとって不都合な物になってくる中で、大衆は絶望感に陥っているともいえる・・・与えられるメディア情報も事実と真逆の都合のいい情報ばかりと来ている。そうした中で大衆は、エリートが「盲目」であるのと同じく、盲目の状態に追いやられている。) そう考えると、西欧社会が民主主義的だという根拠がどこにあるのかともいえる。そしてその民主主義が、まるで絵に描いた餅であり、現実が完全に裏切られているとすれば、大衆はどう抵抗すればいいのか。まさにそれが西欧社会で分断が生み出されている原因でもある」、なるほど。
・『民主主義という名の西欧の幻想 また非西欧諸国の多くが、民主主義という名の西欧の幻想にうんざりしていることも確かである。民主主義と自由が、新自由主義として新しい植民地主義をそれらの国に強いてきたのだとすれば、非西欧世界が西欧的価値観に対する偽善と嫌悪の意識を持つのも当然かもしれない。 もちろん、トッドの議論は親族構造などの歴史的背景を中心に世界を考察してきた社会学的分析、すなわち各地域の歴史的構造の分析にすぎないのかもしれない。この議論で、深層的構造を説明することは可能だが、突然変化する社会構造を説明することは難しい。 だから、ややもすると極めて保守的な議論になりかねない。新しい平等や自由を求める声が、旧い構造を変化させるのでそれを拒否し、旧い構造の持つプラスの側面を評価すればするだけ、保守的思想こそ重要だということになりかねないからだ。 しかし、人間のあり方がそう簡単に変化しないことも確かだ。各地で起きている西欧的価値観の受容がうまくいっていないことが、まさにそれを証明している。グローバル化の中で人間はよく似てくると同時に、他方でますます異化していくというのも事実だからである。 西欧が没落したかどうか、今のところまだわからないが、西欧の歴史が相対化される時代が始まったことだけは確かであろう。だからこそ、トッド以外に多くの同種の西欧没落論が今あちこちで出版されているのかもしれない。コロナそしてウクライナ、そしてガザ以降、西欧の没落は必然化してきたのかもしれない』、「西欧が没落したかどうか、今のところまだわからないが、西欧の歴史が相対化される時代が始まったことだけは確かであろう。だからこそ、トッド以外に多くの同種の西欧没落論が今あちこちで出版されているのかもしれない。コロナそしてウクライナ、そしてガザ以降、西欧の没落は必然化してきたのかもしれない」、その通りなのかも知れない。
次に、7月9日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した京都文教大学・龍谷大学非常勤講師の中島啓勝氏による「「どうしてあんな候補が当選?」民主主義の“終焉論”と“過剰論”の対立から見える問題点」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/344362
・『古代ギリシアからルーツがある民主主義。その歴史は人類の発展とともにあったと言えよう。しかし、現在はこれまでの常識では考えられないような候補者が当選するなどの事態が起こり、民主主義のあり方に疑問が呈されている。民主主義への“終焉論”と“過剰論”の対立も見られるが、こうした現状と問題点を中島啓勝氏が語る。※本稿は、中島啓勝『ておくれの現代社会論:○○と□□ロジー』(ミネルヴァ書房)の一部を抜粋・編集したものです』、「民主主義への“終焉論”と“過剰論”の対立」とは興味深そうだ。
・『民主主義は「勝利」したが 実際には「敗北」している 政治・社会思想史の研究者である森政稔はその著書『迷走する民主主義』の中で、欧米を中心に近年、民主主義についての悲観論が強まっていると述べている。普通選挙や議会制など、一般的に民主的だとされる政治制度が世界中に広まり、漠然とした観念としての民主主義に対して公然と反対を唱える人は少数派に過ぎないにもかかわらず、民主主義への失望が声高に語られているというのである。 確かに、「選挙なんて行っても仕方ない」と冷笑的なことを口にする人はいくらでもいるだろうが、「だから選挙制度なんてものは無くしてしまおう」とまで主張する人はそうそういないし、「自分は反民主主義者だ」と堂々と宣言する人がいたとしても、それは民主的な社会では言論の自由が守られているから可能なのであって、その意味ではこの自称「反民主主義者」も民主主義の恩恵を大いに受けている。 その理念や制度が広まり常態化したという意味では民主主義は勝利したはずなのに、人々の信頼を失っているという意味では敗北しつつあるという逆説がそこにはある』、「自分は反民主主義者だ」と堂々と宣言する人がいたとしても、それは民主的な社会では言論の自由が守られているから可能なのであって、その意味ではこの自称「反民主主義者」も民主主義の恩恵を大いに受けている。 その理念や制度が広まり常態化したという意味では民主主義は勝利したはずなのに、人々の信頼を失っているという意味では敗北しつつあるという逆説がそこにはある」、なるほど。
・『「民主主義の終焉」論と「民主主義の過剰」論 森は更にこうした悲観論を、「民主主義の終焉」論と「民主主義の過剰」論の2つに分けて説明しているのだが、これは非常に乱暴に言えば前者が「左派」的な視点、後者が「右派」的な視点だと言える。 「民主主義の終焉」論者は、民主主義が高度に発展した資本主義に従属的となっていることを問題視する。「生産者」というよりむしろ「消費者」的主体へと変質した市民が、民主的な手続きを通じて新自由主義的政策を支持することで社会的不平等と格差を広げてしまい、ますます民主主義の力を削いでしまうと主張する。 その一方で、「民主主義の過剰」論者は民主主義と資本主義を表裏一体のものだと捉える。彼らによると、消費社会における欲望の増大や公共心の衰退は、民主化およびそれに伴う社会の平準化によって引き起こされたものである。人々は政府が自分たちの私的欲求を満足させてくれないとクレーマー化するが、かと言って主体的に政治を担うには公共心が欠けているため、不満を一気に解決してくれるような強い権力者を求める。そして、民主主義は結局は独裁へと傾く、と主張するのである。) この2つの立場は、資本主義の暴走と新自由主義的政策を批判する点では共通しているが、民主主義を善玉とするか悪玉に据えるかにおいて鋭く対立しているように見える。 森は両者が用いる民主主義概念の相違にその原因を求めている。つまり、「終焉」論者が民主主義のことを、資本主義に代表される社会的現実に対抗する規範や理念だと考えているのに対して、「過剰」論者は民主主義のことをまさにその社会的現実そのもの、社会が向かっている傾向として見ているという。 それは確かにその通りなのだが、そもそも同じ民主主義という言葉が何故こうも対立的な概念として想起されてしまうのかを、よく考えてみる必要がある』、「こうした悲観論を、「民主主義の終焉」論と「民主主義の過剰」論の2つに分けて説明しているのだが、これは非常に乱暴に言えば前者が「左派」的な視点、後者が「右派」的な視点だと言える。 「民主主義の終焉」論者は、民主主義が高度に発展した資本主義に従属的となっていることを問題視する。「生産者」というよりむしろ「消費者」的主体へと変質した市民が、民主的な手続きを通じて新自由主義的政策を支持することで社会的不平等と格差を広げてしまい、ますます民主主義の力を削いでしまうと主張する。 その一方で、「民主主義の過剰」論者は民主主義と資本主義を表裏一体のものだと捉える。彼らによると、消費社会における欲望の増大や公共心の衰退は、民主化およびそれに伴う社会の平準化によって引き起こされたものである・・・この2つの立場は、資本主義の暴走と新自由主義的政策を批判する点では共通しているが、民主主義を善玉とするか悪玉に据えるかにおいて鋭く対立しているように見える。 森は両者が用いる民主主義概念の相違にその原因を求めている。つまり、「終焉」論者が民主主義のことを、資本主義に代表される社会的現実に対抗する規範や理念だと考えているのに対して、「過剰」論者は民主主義のことをまさにその社会的現実そのもの、社会が向かっている傾向として見ているという」・・・そもそも同じ民主主義という言葉が何故こうも対立的な概念として想起されてしまうのかを、よく考えてみる必要がある」、なるほど。
・『高度に発達した民主国家で「民主主義を守れ」と叫ぶ空虚さ 例えばこれがヨーロッパ社会で階級対立が顕在的であった時代の議論であれば、両陣営がどの社会集団に属しているかによって民主主義に対する心理的距離を説明することはもっと容易であった。 いわゆる「左派」は、恵まれない貧しい者たちを代弁する側としてこれから実現していくべき民主主義の理念を擁護するのが当然だっただろうし、「右派」は自分たちの価値観や既得権益に挑戦してくるこうした勢力を眼前の敵だと見なし、民主主義というものをより実体化した現実として憎んだことだろう。 しかし、現代の欧米諸国や日本ではどうだろうか。グローバルに展開する未曾有の格差社会という現実を顧みると、こうした社会対立がとっくに解消され過去の遺物になったなどという楽観的な見方はできないまでも、少なくとも民主主義に基づいた制度や文化がこれほどまでに社会に定着した時代はないのではないか。 もし仮にそうだとすると、ある意味では非常に奇妙なことに、実は「終焉」論の方がこの争いでは分が悪いように見える。民主化の進んだ社会において、民主的な手続きによって民主主義が縮小していることを「民主主義の終焉」と呼んで嘆いたり批判したりするのは随分と虫のいい話だからだ。 それよりも、民主主義の進展を敵視し警戒してきた「過剰」論の方が、事実認識の面でも思想的一貫性においてもまさっていると言わざるを得ない。それは、民主主義が良いものとされ続けてきたこれまでの一般的通念からすると、あまりにも意外かつ苦々しい結果だと言える。 「終焉」論より「過剰」論の方が説得的であるということは、裏を返せば規範や理念としての民主主義というビジョンが有効性を持たないことを意味している。「民主主義を推進しろ」「民主主義を守れ」とどんなに叫んでも、これほど民主主義が栄えた時代にその声は空しく響かざるを得ない。) しかし、そもそもである。ここで敢えて「終焉」論者の意見に従って、制度的現実としての民主主義が理念としての民主主義を封殺しようとしているとしよう。では、そこで封殺されつつある民主主義の理念とは実際にはどのようなものなのか。より公正な選挙だろうか。より開かれた議論だろうか。それとも、よりいき届いた福祉だろうか』、「民主主義の進展を敵視し警戒してきた「過剰」論の方が、事実認識の面でも思想的一貫性においてもまさっていると言わざるを得ない。それは、民主主義が良いものとされ続けてきたこれまでの一般的通念からすると、あまりにも意外かつ苦々しい結果だと言える。 「終焉」論より「過剰」論の方が説得的であるということは、裏を返せば規範や理念としての民主主義というビジョンが有効性を持たないことを意味している。「民主主義を推進しろ」「民主主義を守れ」とどんなに叫んでも、これほど民主主義が栄えた時代にその声は空しく響かざるを得ない」、なるほど。
・『民主主義自体に崇高な理念などない それは政治参加の「方法」にすぎない ここに民主主義の抱える大きな問題がある。それは、民主主義の理念などと言ってもそれは所詮手続き、つまり「方法」に関する理念に過ぎないという問題である。 当たり前と言えばあまりに当たり前だが、民主主義とはまずは人民の意見を政治に反映し、その決定に人民が従うという政治体制のことであり、人民の意見は多様かつ流動的なのでその政治体制のもとでは政策決定も多様化し流動化する。 だから、公正な選挙を求めることもあれば選挙の停止を求めることもでき、自由な言論を促進することもあれば言論を制限することもでき、福祉を拡充することもあれば福祉を縮小することもできるのである。 しかも、その極端なスイングは、選挙結果を重視し言論の自由を許し人民の福祉が優先されるほど大きくなる。「過剰」論者はこうした民主主義の持つ放埒さに警戒してきたのだ。 それにもかかわらず「終焉」論者は、こうした性質を持つ民主主義を称揚しつつ、それが自己破壊的に作用することを批判するというダブルスタンダードを採ってしまう。話は逆であり、民主主義は自己破壊を許すほど気前の良い「方法」であり、それがここまで普遍化したからこそ自己破壊も徹底的になったのだ。彼らはむしろ自分たちが支持してきた民主主義の理念を誇るべきとさえ言える。 もちろん、「終焉」論者がそのような意見に従うはずはない。 しかし、そうだとすれば彼らが本当に大事だと考えてきたのは民主主義そのものではないと認めるべきだろう。民主主義が(彼らが望む方向で)上手く機能するために必要な規範や理念、民主主義を支える前提こそが大事だったのである。 これは民主主義という「方法」の擁護者の多くもたびたび言及していたことであり、何も目新しい主張ではない。それなのに、ここに来て民主主義に対してここまで失望感が高まっているということは、口ではカッコつけていてもやはり多くの人々は民主主義そのものをいつの間にか理想化してしまっていたのだ』、「民主主義が(彼らが望む方向で)上手く機能するために必要な規範や理念、民主主義を支える前提こそが大事だったのである。 これは民主主義という「方法」の擁護者の多くもたびたび言及していたことであり、何も目新しい主張ではない。それなのに、ここに来て民主主義に対してここまで失望感が高まっているということは、口ではカッコつけていてもやはり多くの人々は民主主義そのものをいつの間にか理想化してしまっていたのだ」、「「民主主義が(彼らが望む方向で)上手く機能するために必要な規範や理念、民主主義を支える前提こそが大事だった」、その通りだ。
先ずは、本年3月13日付け東洋経済オンラインが掲載した哲学者・経済学者の的場 昭弘氏による「民主主義幻想が消えた「西洋」が没落する歴史的理由 『西洋の没落』の著者、エマヌエル・トッドの議論」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/740473
・『今からほぼ100年前、1冊の本が書店に並んだ。それはオットー・シュペングラー(1880~1936年)の『西欧の没落』(1918年)である。フランスのアナール学派の創始者の1人でもあるリュシアン・フェーヴル(1878~1956年)は、その本が飛ぶように売れたときの様子をこう述べている。 「ドイツに一冊の書物が現れた。著者は当時無名のシュペングラーで、『西欧の没落』というセンセーショナルなタイトルが付されていた。ライン河畔の本屋の店先に山と積まれていた八折り版が当時飛ぶように売れるさまを今でも眼に浮かべることができる」(リュシアン・フェーヴル『歴史のための闘い』長谷川輝夫訳、平凡社ライブラリー、87ページ)』、「今からほぼ100年前」のベストセラーとは興味深そうだ。
・『ドイツの崩壊と西欧の没落 シュペングラーの名は一躍有名になったが、この書物は、第一次世界大戦の直後に出版されたことで、戦争に病んだ人々の心をとらえたのだ。敗戦に遭遇したドイツの人々の多くは、ドイツの崩壊と西欧の没落を予感し、この書物を我先に買ったのである。もちろんこれは杞憂に終わったとも言える。 それは、西欧の代わりにアメリカという西欧が出現し、それから100年、なんとか西欧の地位を維持することができたからである。 しかし、2024年現在、ガザとウクライナで問題を抱える西欧の人々は、西欧の没落と同じことを考え始めているともいえる。今まで疑っていなかった西欧の自信が揺らぎ始めているのである。 それは西欧の代表でもあったアメリカを含むアングロ=サクソン帝国の世界が崩壊しつつあるかに見えるからである。 前回私はエマヌエル・トッドの『西欧の敗北』という書物を紹介したが、そこに書かれたウクライナとロシアについては言及したが、本題の西欧については言及しなかった。今回はその西欧についての部分を紹介したい。) この書物の最後の方の11章に、なぜ世界の残りの国はロシアを選んだのか」という章がある。その中に地図が掲載されている(307ページ)。そこには、ウクライナ戦争直後の4月7日、国連総会でのロシアに対する制裁決議案に賛成した国と、反対した国が、区分されている。 断固たる非難決議を支持した国と、それ以外の国を分けると、圧倒的に多くの地域が、この決議案に積極的に賛成しているのではないことがわかる。アメリカとEUそして、日本などの一部の国を除いて、多くは、この非難決議案に、同意していないのである』、「国連総会でのロシアに対する制裁決議案に」、「断固たる非難決議を支持した国と、それ以外の国を分けると、圧倒的に多くの地域が、この決議案に積極的に賛成しているのではないことがわかる」、賛成国がそんなに少ないとは衝撃的だ。
・『西欧を支持しなかった国の多さと西欧の誤解 ここからわかることは、いわゆる西欧(ここでは東欧も含まれる)は、人口にして12パーセントであり、残りの88%の非西欧人は西欧と同じようには考えていないということである。 その理由は、非西欧世界の人々にとって、グローバル化とは再植民地化の過程であり、非西欧には西欧とは違う価値基準が存在し、それが西欧と足並みをそろえることを拒否しているからである。 もちろん、ロシア人が彼らに好まれているわけではない。ただロシアは自らの価値を世界の価値だと喧伝もしないし、価値観を押しつけもしていないから、非西欧にとって、それは付き合い安い相手にしかすぎないのだ。 ウクライナ侵攻に関して西欧が盛んに主張していたキャッチフレーズに、「民主主義と自由を守るための闘争」だというものがあった。しかし、トッドは、それに対して、それでは西欧には本当に民主主義国というものあるのか、本当に自由があるのかという問いを発している。) では現状はどうなっているのか。もはや民衆に開かれた民主主義ではなく、一部のエリートに自由に開かれた自由な寡占的(オリガーキー)社会のみが存在していることになる。 しかし他方で、ロシアなどの地域ではかえって民衆の平等が支配し、確かに選ばれた政治家が権威主義的な力をもつことはあるが、それ自体は公平な民主的制度によって担われているともいえる。そうした社会をトッドは、全体主義社会ではなく、権威的民主社会と表現する』、「トッドは、それに対して、それでは西欧には本当に民主主義国というものあるのか、本当に自由があるのかという問いを発している。) では現状はどうなっているのか。もはや民衆に開かれた民主主義ではなく、一部のエリートに自由に開かれた自由な寡占的(オリガーキー)社会のみが存在していることになる・・・他方で、ロシアなどの地域ではかえって民衆の平等が支配し、確かに選ばれた政治家が権威主義的な力をもつことはあるが、それ自体は公平な民主的制度によって担われているともいえる。そうした社会をトッドは、全体主義社会ではなく、権威的民主社会と表現する」、なるほど。
・『「権威主義的民主社会」の浮上 そうなると、自由と民主主義vs全体主義という図式はもろくも崩れ、寡占的自由な社会vs民主的権威主義との対立となり、そもそも西欧が守っているものは、今では自由と民主主義ではなく、寡占的な自由な社会であるというのだ。 今の民主主義社会は、かつては衆愚社会と呼んでいたものですらなく、無能な一部エリートの寡占的社会だというのだ。 こうして西欧の政治家たちやジャーナリストたち、学者たちエリートは、内輪のセレブな社会にいそしんだ結果、ウクライナで起こっていることの判断を間違ったというのだ。 現実に起こっていることから、何を読み取るかではなく、今まで信じて来た安定と平和という価値観から抜けだすこともできず、現状にただ驚き、うろたえ、現実をしっかり見ることもできず、自らが現実の歴史の中にいることを忘れ、歴史の傍観者になっているのだという。 そして「さらに悪いことに、彼らは旅行者として歴史を横断し、ヴァカンス中の夜に「モノポリー」のゲームを楽しむように、言葉でヨーロッパを作りあげ、人々を煙に巻いたのである」(162ページ)。) トッドは、このような状態のことをロシアでは、「マクロン化」(Macroner)という新しい動詞として使われているのだと、紹介している。つまり、「何かしゃべりまくっているが、なにも語っていない」という意味だ。 とりわけ西欧社会を危機に陥れているのは、ロシアや中国が強くなったことではなく、西欧社会の大国アメリカの劣化だという。それはウクライナ戦争報道においても現実を直視せず、希望的観測の報道に終始したニヒリズム的態度に現れているという。 その劣化は、アメリカ人の平均寿命が下がっていることにも現れている。2014年の77.3歳から、2020年の76.3歳に減少しているのだ。自殺、アルコール、戦争などの原因があるにしろ、1人当たりの所得7万5000ドルの国とは思えない水準である。 もちろんGNPなどというものは、ドル計算によるバブル計算にしかすぎない。金融サービスと産業が同じ金額だとしても、それが経済に与える意味はまったく違う。西欧社会は、日本とドイツを除いて産業の割合が低く、それに比べて非西欧ではその率がとても高い。実質的な豊かさを実現できていない、ドルだけもっているバブル社会だともいえる』、「西欧が守っているものは、今では自由と民主主義ではなく、寡占的な自由な社会であるというのだ。 今の民主主義社会は、かつては衆愚社会と呼んでいたものですらなく、無能な一部エリートの寡占的社会だというのだ・・・トッドは、このような状態のことをロシアでは、「マクロン化」(Macroner)という新しい動詞として使われているのだと、紹介している。つまり、「何かしゃべりまくっているが、なにも語っていない」という意味だ。 とりわけ西欧社会を危機に陥れているのは、ロシアや中国が強くなったことではなく、西欧社会の大国アメリカの劣化だという・・・とりわけ西欧社会を危機に陥れているのは、ロシアや中国が強くなったことではなく、西欧社会の大国アメリカの劣化だという。それはウクライナ戦争報道においても現実を直視せず、希望的観測の報道に終始したニヒリズム的態度に現れているという。 その劣化は、アメリカ人の平均寿命が下がっていることにも現れている。2014年の77.3歳から、2020年の76.3歳に減少しているのだ。自殺、アルコール、戦争などの原因があるにしろ、1人当たりの所得7万5000ドルの国とは思えない水準である」、なるほど。
・『オリガーキー民主社会vs権威主義的民主社会 こうした現状の中で、トランプなどの右翼政権があちこちで生まれているのはなぜかという深刻な問題もある。まさにエリートの思考と大衆とのねじれ構造がそこにあるのだが、西欧社会の一般民衆がデモクラシーからネグレクトされていることにも原因がある。 政治家も一流大学を出るエリートも、今や一部のものに限られるようになり、ジャーナリズムも法律も大衆にとって不都合な物になってくる中で、大衆は絶望感に陥っているともいえる。 そして、与えられるメディア情報も事実と真逆の都合のいい情報ばかりと来ている。そうした中で大衆は、エリートが「盲目」であるのと同じく、盲目の状態に追いやられている。) そう考えると、西欧社会が民主主義的だという根拠がどこにあるのかともいえる。そしてその民主主義が、まるで絵に描いた餅であり、現実が完全に裏切られているとすれば、大衆はどう抵抗すればいいのか。まさにそれが西欧社会で分断が生み出されている原因でもある。 刻苦勉励と高尚な意識を持った選ばれしエリートが、たんなる寡占支配の無能のゾンビ(生き返った死者)の集まりになったとき、人々が怒りをもってポピュリズムに流れるのも致し方のないことなのかもしれない』、「トランプなどの右翼政権があちこちで生まれているのはなぜかという深刻な問題もある。まさにエリートの思考と大衆とのねじれ構造がそこにあるのだが、西欧社会の一般民衆がデモクラシーからネグレクトされていることにも原因がある。 政治家も一流大学を出るエリートも、今や一部のものに限られるようになり、ジャーナリズムも法律も大衆にとって不都合な物になってくる中で、大衆は絶望感に陥っているともいえる・・・与えられるメディア情報も事実と真逆の都合のいい情報ばかりと来ている。そうした中で大衆は、エリートが「盲目」であるのと同じく、盲目の状態に追いやられている。) そう考えると、西欧社会が民主主義的だという根拠がどこにあるのかともいえる。そしてその民主主義が、まるで絵に描いた餅であり、現実が完全に裏切られているとすれば、大衆はどう抵抗すればいいのか。まさにそれが西欧社会で分断が生み出されている原因でもある」、なるほど。
・『民主主義という名の西欧の幻想 また非西欧諸国の多くが、民主主義という名の西欧の幻想にうんざりしていることも確かである。民主主義と自由が、新自由主義として新しい植民地主義をそれらの国に強いてきたのだとすれば、非西欧世界が西欧的価値観に対する偽善と嫌悪の意識を持つのも当然かもしれない。 もちろん、トッドの議論は親族構造などの歴史的背景を中心に世界を考察してきた社会学的分析、すなわち各地域の歴史的構造の分析にすぎないのかもしれない。この議論で、深層的構造を説明することは可能だが、突然変化する社会構造を説明することは難しい。 だから、ややもすると極めて保守的な議論になりかねない。新しい平等や自由を求める声が、旧い構造を変化させるのでそれを拒否し、旧い構造の持つプラスの側面を評価すればするだけ、保守的思想こそ重要だということになりかねないからだ。 しかし、人間のあり方がそう簡単に変化しないことも確かだ。各地で起きている西欧的価値観の受容がうまくいっていないことが、まさにそれを証明している。グローバル化の中で人間はよく似てくると同時に、他方でますます異化していくというのも事実だからである。 西欧が没落したかどうか、今のところまだわからないが、西欧の歴史が相対化される時代が始まったことだけは確かであろう。だからこそ、トッド以外に多くの同種の西欧没落論が今あちこちで出版されているのかもしれない。コロナそしてウクライナ、そしてガザ以降、西欧の没落は必然化してきたのかもしれない』、「西欧が没落したかどうか、今のところまだわからないが、西欧の歴史が相対化される時代が始まったことだけは確かであろう。だからこそ、トッド以外に多くの同種の西欧没落論が今あちこちで出版されているのかもしれない。コロナそしてウクライナ、そしてガザ以降、西欧の没落は必然化してきたのかもしれない」、その通りなのかも知れない。
次に、7月9日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した京都文教大学・龍谷大学非常勤講師の中島啓勝氏による「「どうしてあんな候補が当選?」民主主義の“終焉論”と“過剰論”の対立から見える問題点」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/344362
・『古代ギリシアからルーツがある民主主義。その歴史は人類の発展とともにあったと言えよう。しかし、現在はこれまでの常識では考えられないような候補者が当選するなどの事態が起こり、民主主義のあり方に疑問が呈されている。民主主義への“終焉論”と“過剰論”の対立も見られるが、こうした現状と問題点を中島啓勝氏が語る。※本稿は、中島啓勝『ておくれの現代社会論:○○と□□ロジー』(ミネルヴァ書房)の一部を抜粋・編集したものです』、「民主主義への“終焉論”と“過剰論”の対立」とは興味深そうだ。
・『民主主義は「勝利」したが 実際には「敗北」している 政治・社会思想史の研究者である森政稔はその著書『迷走する民主主義』の中で、欧米を中心に近年、民主主義についての悲観論が強まっていると述べている。普通選挙や議会制など、一般的に民主的だとされる政治制度が世界中に広まり、漠然とした観念としての民主主義に対して公然と反対を唱える人は少数派に過ぎないにもかかわらず、民主主義への失望が声高に語られているというのである。 確かに、「選挙なんて行っても仕方ない」と冷笑的なことを口にする人はいくらでもいるだろうが、「だから選挙制度なんてものは無くしてしまおう」とまで主張する人はそうそういないし、「自分は反民主主義者だ」と堂々と宣言する人がいたとしても、それは民主的な社会では言論の自由が守られているから可能なのであって、その意味ではこの自称「反民主主義者」も民主主義の恩恵を大いに受けている。 その理念や制度が広まり常態化したという意味では民主主義は勝利したはずなのに、人々の信頼を失っているという意味では敗北しつつあるという逆説がそこにはある』、「自分は反民主主義者だ」と堂々と宣言する人がいたとしても、それは民主的な社会では言論の自由が守られているから可能なのであって、その意味ではこの自称「反民主主義者」も民主主義の恩恵を大いに受けている。 その理念や制度が広まり常態化したという意味では民主主義は勝利したはずなのに、人々の信頼を失っているという意味では敗北しつつあるという逆説がそこにはある」、なるほど。
・『「民主主義の終焉」論と「民主主義の過剰」論 森は更にこうした悲観論を、「民主主義の終焉」論と「民主主義の過剰」論の2つに分けて説明しているのだが、これは非常に乱暴に言えば前者が「左派」的な視点、後者が「右派」的な視点だと言える。 「民主主義の終焉」論者は、民主主義が高度に発展した資本主義に従属的となっていることを問題視する。「生産者」というよりむしろ「消費者」的主体へと変質した市民が、民主的な手続きを通じて新自由主義的政策を支持することで社会的不平等と格差を広げてしまい、ますます民主主義の力を削いでしまうと主張する。 その一方で、「民主主義の過剰」論者は民主主義と資本主義を表裏一体のものだと捉える。彼らによると、消費社会における欲望の増大や公共心の衰退は、民主化およびそれに伴う社会の平準化によって引き起こされたものである。人々は政府が自分たちの私的欲求を満足させてくれないとクレーマー化するが、かと言って主体的に政治を担うには公共心が欠けているため、不満を一気に解決してくれるような強い権力者を求める。そして、民主主義は結局は独裁へと傾く、と主張するのである。) この2つの立場は、資本主義の暴走と新自由主義的政策を批判する点では共通しているが、民主主義を善玉とするか悪玉に据えるかにおいて鋭く対立しているように見える。 森は両者が用いる民主主義概念の相違にその原因を求めている。つまり、「終焉」論者が民主主義のことを、資本主義に代表される社会的現実に対抗する規範や理念だと考えているのに対して、「過剰」論者は民主主義のことをまさにその社会的現実そのもの、社会が向かっている傾向として見ているという。 それは確かにその通りなのだが、そもそも同じ民主主義という言葉が何故こうも対立的な概念として想起されてしまうのかを、よく考えてみる必要がある』、「こうした悲観論を、「民主主義の終焉」論と「民主主義の過剰」論の2つに分けて説明しているのだが、これは非常に乱暴に言えば前者が「左派」的な視点、後者が「右派」的な視点だと言える。 「民主主義の終焉」論者は、民主主義が高度に発展した資本主義に従属的となっていることを問題視する。「生産者」というよりむしろ「消費者」的主体へと変質した市民が、民主的な手続きを通じて新自由主義的政策を支持することで社会的不平等と格差を広げてしまい、ますます民主主義の力を削いでしまうと主張する。 その一方で、「民主主義の過剰」論者は民主主義と資本主義を表裏一体のものだと捉える。彼らによると、消費社会における欲望の増大や公共心の衰退は、民主化およびそれに伴う社会の平準化によって引き起こされたものである・・・この2つの立場は、資本主義の暴走と新自由主義的政策を批判する点では共通しているが、民主主義を善玉とするか悪玉に据えるかにおいて鋭く対立しているように見える。 森は両者が用いる民主主義概念の相違にその原因を求めている。つまり、「終焉」論者が民主主義のことを、資本主義に代表される社会的現実に対抗する規範や理念だと考えているのに対して、「過剰」論者は民主主義のことをまさにその社会的現実そのもの、社会が向かっている傾向として見ているという」・・・そもそも同じ民主主義という言葉が何故こうも対立的な概念として想起されてしまうのかを、よく考えてみる必要がある」、なるほど。
・『高度に発達した民主国家で「民主主義を守れ」と叫ぶ空虚さ 例えばこれがヨーロッパ社会で階級対立が顕在的であった時代の議論であれば、両陣営がどの社会集団に属しているかによって民主主義に対する心理的距離を説明することはもっと容易であった。 いわゆる「左派」は、恵まれない貧しい者たちを代弁する側としてこれから実現していくべき民主主義の理念を擁護するのが当然だっただろうし、「右派」は自分たちの価値観や既得権益に挑戦してくるこうした勢力を眼前の敵だと見なし、民主主義というものをより実体化した現実として憎んだことだろう。 しかし、現代の欧米諸国や日本ではどうだろうか。グローバルに展開する未曾有の格差社会という現実を顧みると、こうした社会対立がとっくに解消され過去の遺物になったなどという楽観的な見方はできないまでも、少なくとも民主主義に基づいた制度や文化がこれほどまでに社会に定着した時代はないのではないか。 もし仮にそうだとすると、ある意味では非常に奇妙なことに、実は「終焉」論の方がこの争いでは分が悪いように見える。民主化の進んだ社会において、民主的な手続きによって民主主義が縮小していることを「民主主義の終焉」と呼んで嘆いたり批判したりするのは随分と虫のいい話だからだ。 それよりも、民主主義の進展を敵視し警戒してきた「過剰」論の方が、事実認識の面でも思想的一貫性においてもまさっていると言わざるを得ない。それは、民主主義が良いものとされ続けてきたこれまでの一般的通念からすると、あまりにも意外かつ苦々しい結果だと言える。 「終焉」論より「過剰」論の方が説得的であるということは、裏を返せば規範や理念としての民主主義というビジョンが有効性を持たないことを意味している。「民主主義を推進しろ」「民主主義を守れ」とどんなに叫んでも、これほど民主主義が栄えた時代にその声は空しく響かざるを得ない。) しかし、そもそもである。ここで敢えて「終焉」論者の意見に従って、制度的現実としての民主主義が理念としての民主主義を封殺しようとしているとしよう。では、そこで封殺されつつある民主主義の理念とは実際にはどのようなものなのか。より公正な選挙だろうか。より開かれた議論だろうか。それとも、よりいき届いた福祉だろうか』、「民主主義の進展を敵視し警戒してきた「過剰」論の方が、事実認識の面でも思想的一貫性においてもまさっていると言わざるを得ない。それは、民主主義が良いものとされ続けてきたこれまでの一般的通念からすると、あまりにも意外かつ苦々しい結果だと言える。 「終焉」論より「過剰」論の方が説得的であるということは、裏を返せば規範や理念としての民主主義というビジョンが有効性を持たないことを意味している。「民主主義を推進しろ」「民主主義を守れ」とどんなに叫んでも、これほど民主主義が栄えた時代にその声は空しく響かざるを得ない」、なるほど。
・『民主主義自体に崇高な理念などない それは政治参加の「方法」にすぎない ここに民主主義の抱える大きな問題がある。それは、民主主義の理念などと言ってもそれは所詮手続き、つまり「方法」に関する理念に過ぎないという問題である。 当たり前と言えばあまりに当たり前だが、民主主義とはまずは人民の意見を政治に反映し、その決定に人民が従うという政治体制のことであり、人民の意見は多様かつ流動的なのでその政治体制のもとでは政策決定も多様化し流動化する。 だから、公正な選挙を求めることもあれば選挙の停止を求めることもでき、自由な言論を促進することもあれば言論を制限することもでき、福祉を拡充することもあれば福祉を縮小することもできるのである。 しかも、その極端なスイングは、選挙結果を重視し言論の自由を許し人民の福祉が優先されるほど大きくなる。「過剰」論者はこうした民主主義の持つ放埒さに警戒してきたのだ。 それにもかかわらず「終焉」論者は、こうした性質を持つ民主主義を称揚しつつ、それが自己破壊的に作用することを批判するというダブルスタンダードを採ってしまう。話は逆であり、民主主義は自己破壊を許すほど気前の良い「方法」であり、それがここまで普遍化したからこそ自己破壊も徹底的になったのだ。彼らはむしろ自分たちが支持してきた民主主義の理念を誇るべきとさえ言える。 もちろん、「終焉」論者がそのような意見に従うはずはない。 しかし、そうだとすれば彼らが本当に大事だと考えてきたのは民主主義そのものではないと認めるべきだろう。民主主義が(彼らが望む方向で)上手く機能するために必要な規範や理念、民主主義を支える前提こそが大事だったのである。 これは民主主義という「方法」の擁護者の多くもたびたび言及していたことであり、何も目新しい主張ではない。それなのに、ここに来て民主主義に対してここまで失望感が高まっているということは、口ではカッコつけていてもやはり多くの人々は民主主義そのものをいつの間にか理想化してしまっていたのだ』、「民主主義が(彼らが望む方向で)上手く機能するために必要な規範や理念、民主主義を支える前提こそが大事だったのである。 これは民主主義という「方法」の擁護者の多くもたびたび言及していたことであり、何も目新しい主張ではない。それなのに、ここに来て民主主義に対してここまで失望感が高まっているということは、口ではカッコつけていてもやはり多くの人々は民主主義そのものをいつの間にか理想化してしまっていたのだ」、「「民主主義が(彼らが望む方向で)上手く機能するために必要な規範や理念、民主主義を支える前提こそが大事だった」、その通りだ。
タグ:民主主義 (その10)(民主主義幻想が消えた「西洋」が没落する歴史的理由 『西洋の没落』の著者 エマヌエル・トッドの議論、「どうしてあんな候補が当選?」民主主義の“終焉論”と“過剰論”の対立から見える問題点) 東洋経済オンライン 的場 昭弘氏による「民主主義幻想が消えた「西洋」が没落する歴史的理由 『西洋の没落』の著者、エマヌエル・トッドの議論」 リュシアン・フェーヴル『歴史のための闘い』長谷川輝夫訳、平凡社ライブラリー 「今からほぼ100年前」のベストセラーとは興味深そうだ。 「国連総会でのロシアに対する制裁決議案に」、「断固たる非難決議を支持した国と、それ以外の国を分けると、圧倒的に多くの地域が、この決議案に積極的に賛成しているのではないことがわかる」、賛成国がそんなに少ないとは衝撃的だ。 「トッドは、それに対して、それでは西欧には本当に民主主義国というものあるのか、本当に自由があるのかという問いを発している。) では現状はどうなっているのか。もはや民衆に開かれた民主主義ではなく、一部のエリートに自由に開かれた自由な寡占的(オリガーキー)社会のみが存在していることになる・・・他方で、ロシアなどの地域ではかえって民衆の平等が支配し、確かに選ばれた政治家が権威主義的な力をもつことはあるが、それ自体は公平な民主的制度によって担われているともいえる。そうした社会をトッドは、全体主義社会ではなく、権威 的民主社会と表現する」、なるほど。 「西欧が守っているものは、今では自由と民主主義ではなく、寡占的な自由な社会であるというのだ。 今の民主主義社会は、かつては衆愚社会と呼んでいたものですらなく、無能な一部エリートの寡占的社会だというのだ・・・トッドは、このような状態のことをロシアでは、「マクロン化」(Macroner)という新しい動詞として使われているのだと、紹介している。 つまり、「何かしゃべりまくっているが、なにも語っていない」という意味だ。 とりわけ西欧社会を危機に陥れているのは、ロシアや中国が強くなったことではなく、西欧社会の大国アメリカの劣化だという・・・とりわけ西欧社会を危機に陥れているのは、ロシアや中国が強くなったことではなく、西欧社会の大国アメリカの劣化だという。それはウクライナ戦争報道においても現実を直視せず、希望的観測の報道に終始したニヒリズム的態度に現れているという。 その劣化は、アメリカ人の平均寿命が下がっていることにも現れている。2014年の77.3歳から、2020年の76.3歳に減少しているのだ。自殺、アルコール、戦争などの原因があるにしろ、1人当たりの所得7万5000ドルの国とは思えない水準である」、なるほど。 「トランプなどの右翼政権があちこちで生まれているのはなぜかという深刻な問題もある。まさにエリートの思考と大衆とのねじれ構造がそこにあるのだが、西欧社会の一般民衆がデモクラシーからネグレクトされていることにも原因がある。 政治家も一流大学を出るエリートも、今や一部のものに限られるようになり、ジャーナリズムも法律も大衆にとって不都合な物になってくる中で、大衆は絶望感に陥っているともいえる・・・ 与えられるメディア情報も事実と真逆の都合のいい情報ばかりと来ている。そうした中で大衆は、エリートが「盲目」であるのと同じく、盲目の状態に追いやられている。) そう考えると、西欧社会が民主主義的だという根拠がどこにあるのかともいえる。そしてその民主主義が、まるで絵に描いた餅であり、現実が完全に裏切られているとすれば、大衆はどう抵抗すればいいのか。まさにそれが西欧社会で分断が生み出されている原因でもある」、なるほど。 「西欧が没落したかどうか、今のところまだわからないが、西欧の歴史が相対化される時代が始まったことだけは確かであろう。だからこそ、トッド以外に多くの同種の西欧没落論が今あちこちで出版されているのかもしれない。コロナそしてウクライナ、そしてガザ以降、西欧の没落は必然化してきたのかもしれない」、その通りなのかも知れない。 ダイヤモンド・オンライン 中島啓勝氏による「「どうしてあんな候補が当選?」民主主義の“終焉論”と“過剰論”の対立から見える問題点」 中島啓勝『ておくれの現代社会論:○○と□□ロジー』(ミネルヴァ書房) 「民主主義への“終焉論”と“過剰論”の対立」とは興味深そうだ。 「自分は反民主主義者だ」と堂々と宣言する人がいたとしても、それは民主的な社会では言論の自由が守られているから可能なのであって、その意味ではこの自称「反民主主義者」も民主主義の恩恵を大いに受けている。 その理念や制度が広まり常態化したという意味では民主主義は勝利したはずなのに、人々の信頼を失っているという意味では敗北しつつあるという逆説がそこにはある」、なるほど。 「こうした悲観論を、「民主主義の終焉」論と「民主主義の過剰」論の2つに分けて説明しているのだが、これは非常に乱暴に言えば前者が「左派」的な視点、後者が「右派」的な視点だと言える。 「民主主義の終焉」論者は、民主主義が高度に発展した資本主義に従属的となっていることを問題視する。「生産者」というよりむしろ「消費者」的主体へと変質した市民が、民主的な手続きを通じて新自由主義的政策を支持することで社会的不平等と格差を広げてしまい、ますます民主主義の力を削いでしまうと主張する。 その一方で、「民主主義の過剰」論者は民主主義と資本主義を表裏一体のものだと捉える。彼らによると、消費社会における欲望の増大や公共心の衰退は、民主化およびそれに伴う社会の平準化によって引き起こされたものである・・・この2つの立場は、資本主義の暴走と新自由主義的政策を批判する点では共通しているが、民主主義を善玉とするか悪玉に据えるかにおいて鋭く対立しているように見える。 森は両者が用いる民主主義概念の相違にその原因を求めている。 つまり、「終焉」論者が民主主義のことを、資本主義に代表される社会的現実に対抗する規範や理念だと考えているのに対して、「過剰」論者は民主主義のことをまさにその社会的現実そのもの、社会が向かっている傾向として見ているという」・・・そもそも同じ民主主義という言葉が何故こうも対立的な概念として想起されてしまうのかを、よく考えてみる必要がある」、なるほど。 「民主主義の進展を敵視し警戒してきた「過剰」論の方が、事実認識の面でも思想的一貫性においてもまさっていると言わざるを得ない。それは、民主主義が良いものとされ続けてきたこれまでの一般的通念からすると、あまりにも意外かつ苦々しい結果だと言える。 「終焉」論より「過剰」論の方が説得的であるということは、裏を返せば規範や理念としての民主主義というビジョンが有効性を持たないことを意味している。「民主主義を推進しろ」「民主主義を守れ」とどんなに叫んでも、これほど民主主義が栄えた時代にその声は空しく響かざるを得ない」、 「民主主義が(彼らが望む方向で)上手く機能するために必要な規範や理念、民主主義を支える前提こそが大事だったのである。 これは民主主義という「方法」の擁護者の多くもたびたび言及していたことであり、何も目新しい主張ではない。それなのに、ここに来て民主主義に対してここまで失望感が高まっているということは、口ではカッコつけていてもやはり多くの人々は民主主義そのものをいつの間にか理想化してしまっていたのだ」、 「「民主主義が(彼らが望む方向で)上手く機能するために必要な規範や理念、民主主義を支える前提こそが大事だった」、その通りだ。
資本主義(その11)(資本主義は「加速し続けるランニングマシン」だ 「交換価値」を求め続ける自己増殖システム、渋澤健氏が語る「新しい資本主義」 「外部不経済」どう取り込むか、資本主義とは何か 人間中心に考え直す) [経済政治動向]
資本主義については、昨年5月28日に取上げた。今日は、(その11)(資本主義は「加速し続けるランニングマシン」だ 「交換価値」を求め続ける自己増殖システム、渋澤健氏が語る「新しい資本主義」 「外部不経済」どう取り込むか、資本主義とは何か 人間中心に考え直す)である。
先ずは、昨年5月11日付け東洋経済オンラインが掲載した 経済人類学者のジェイソン・ヒッケル氏による「資本主義は「加速し続けるランニングマシン」だ 「交換価値」を求め続ける自己増殖システム」を紹介しよう。
・『環境破壊、不平等、貧困……今、世界中で多くの人々が、資本主義が抱える問題に気づき始めている。 経済人類学者のジェイソン・ヒッケル氏によれば、資本主義は自然や身体をモノと見なして「外部化」し、搾取することで成立している、「ニーズを満たさないことを目的としたシステム」であるという。 そしてヒッケルは、「アニミズム対二元論」というユニークな視点で、資本主義の歴史とそれが内包する問題を白日の下にさらし、今後、私たちが目指すべき「成長に依存しない世界」を提示する。 今回、日本語版が4月に刊行された『資本主義の次に来る世界』より、一部抜粋、編集のうえ、お届けする』、興味深そうだ。
・『資本主義に対する誤謬 数か月前、わたしは生放送されるテレビ討論会のステージにいた。テーマは資本主義の未来だ。観客(オーディエンス)が注視する中、論敵は立ち上がってこう言った。ーー資本主義自体には、問題はまったくない。問題は、強欲なCEOと金で動く政治家のせいで資本主義が腐敗していることだ。わたしたちがすべきことは腐ったリンゴを取り除くことだ。そうすれば、すべてうまくいく。 資本主義とは、突き詰めれば市場で物を売り買いしている人々のことだ。地元のファーマーズマーケットであれ、モロッコの青空市場(スーク)であれ、彼らは、自分の技能を活かして生計を立てている罪なき人々だ。それのどこが間違っていると言うのか?) 聞こえのいい話だし、筋が通っているように思える。しかし、ファーマーズマーケットやスークの小さな店は、資本主義とは何の関係もない。その喩えは間違っている。しかも資本主義がなぜ生態系を破壊しているのかを理解するためには何の役にも立たない。 資本主義の仕組みを本当に理解したいのであれば、もっと深く掘り下げる必要がある。 その第一歩は、人間の歴史の大半を通じて、経済は「使用価値」〔人間の必要(ニーズ)を満たす有用性〕を中心に回っていたことを理解することだ。 農家が梨を育てたのは、そのみずみずしい甘さが好きだから、あるいは午後の空腹を和らげるためだった。 職人が椅子を作ったのは、ポーチでくつろぐ時やテーブルで食事をとる時に座るためだった。彼らが梨や椅子を売ることにしたのは、庭で使う鍬(くわ)や娘のためのポケットナイフといった別の有用な物を買う資金を得るためだった。 今日でも多くの人はこうした形で経済に参加している。わたしたちが店に行くのは、夕食の材料や冬の寒さをしのぐためのジャケットなど、自分にとって有用な物を買うためだ』、「わたしたちが店に行くのは、夕食の材料や冬の寒さをしのぐためのジャケットなど、自分にとって有用な物を買うためだ」、なるほど。
・『資本家のいない経済システム この種の経済は次のように表すことができる。Cは商品(梨や椅子)、Mはお金を表す。 C1→ M→C2 一見、これは資本主義を「個人間で有用な物を自由に交換すること」として、うまく説明しているように見える。ファーマーズマーケットやスークでの売買と同じだ。 しかし、ここに「資本家」は存在しない。人間の歴史のどの時代、どの場所でも、経済システムはおおむねこのようなものであった。それらと資本主義が異なるのは、資本家にとって価値の意味がまったく異なるからだ。 資本家は梨や椅子の有用性を認めるだろうが、彼らが梨や椅子を生産するのは、午後のおやつや座るための場所を得るためではなく、売って得たお金で他の有用な物を買うためでもない。目的はただ一つ、利益を生むことだ。) このシステムで重要なのは、物の使用価値ではなく、「交換価値」だ。それは次のように説明できる。 プライム(’)は量の増加を表す。 M→C→M’ これは使用価値経済とは正反対だ。だが、ここからが本題だ。 資本主義のもとでは、安定した利益を生むだけでは足りない。目標は、利益を再投資して生産プロセスを拡大し、前年より多くの利益を生むことだ。表すと次のようになる。 M→C→M’→C’→M”→C”→M’”……』、「資本主義のもとでは、安定した利益を生むだけでは足りない。目標は、利益を再投資して生産プロセスを拡大し、前年より多くの利益を生むことだ。表すと次のようになる。 M→C→M’→C’→M”→C”→M’”……」、なるほど。
・『地元のレストランと大企業の違い ここで起きていることを理解するために、2つのタイプの企業を例に挙げよう。 1つは地元のレストランだ。その店は年末の収支決算では黒字になっているが、オーナーは毎年ほぼ同じ利益を出すことで満足している。家賃を支払い、家族を養い、夏の休暇に旅行するには十分な金額だ。 このビジネスは、「賃金を支払い、利益を出す」という資本主義論理の要素になっているかもしれないが、それ自体は資本主義ではない。 なぜなら、その利益は使用価値の概念に基づいているからだ。中小企業の大半はこうしたやり方で経営されており、このような店は資本主義が生まれる数千年前からあった。 では次に、エクソンモービル、フェイスブック、アマゾンといった大企業について考えてみよう。それらの企業の経営のあり方は、地元のレストランが好むような安定した手法ではない。 アマゾンの利益はジェフ・ベゾスの食卓に食べ物を並べるためだけでなく、会社を大きくするために使われる。競合他社を買収し、地元の小売店を廃業に追い込み、新しい国に進出し、より多くの支店をつくり、人々に不必要なものを買わせる広告キャンペーンを打つ。すべては、年々利益を増やし続けるためだ。) これは自己強化のサイクルであり、加速し続けるランニングマシンだ。お金は利益になり、その利益がより多くのお金をもたらし、そのお金がさらに多くの利益になる。 これが資本主義の特徴であることに、わたしたちは気づき始めている。要するに資本家にとって利益は、単に特定の必要(ニーズ)を満たすためのお金ではなく、資本なのだ』、「地元のレストランだ。その店は年末の収支決算では黒字になっているが、オーナーは毎年ほぼ同じ利益を出すことで満足している。家賃を支払い、家族を養い、夏の休暇に旅行するには十分な金額だ。 このビジネスは、「賃金を支払い、利益を出す」という資本主義論理の要素になっているかもしれないが、それ自体は資本主義ではない。 なぜなら、その利益は使用価値の概念に基づいているからだ。中小企業の大半はこうしたやり方で経営されており、このような店は資本主義が生まれる数千年前からあった・・・アマゾンの利益はジェフ・ベゾスの食卓に食べ物を並べるためだけでなく、会社を大きくするために使われる。競合他社を買収し、地元の小売店を廃業に追い込み、新しい国に進出し、より多くの支店をつくり、人々に不必要なものを買わせる広告キャンペーンを打つ。すべては、年々利益を増やし続けるためだ。) これは自己強化のサイクルであり、加速し続けるランニングマシンだ。お金は利益になり、その利益がより多くのお金をもたらし、そのお金がさらに多くの利益になる。 これが資本主義の特徴であることに、わたしたちは気づき始めている。要するに資本家にとって利益は、単に特定の必要(ニーズ)を満たすためのお金ではなく、資本なのだ」、なるほど。
・『資本は永遠に自己増殖を求め続ける 重要なこととして、資本はさらなる資本を生み出すために再投資されなければならない。このプロセスは決して終わらず、ひたすら拡大し続ける。 地元のレストランが具体的な必要を満たすことを目指すのと違って、交換価値を蓄積するこのプロセスに明確な終点は存在しない。 それは根本的に人間の必要という概念から切り離されたものなのだ。 3つ目の公式を見れば、資本はウイルスに少々似たふるまいをすることがわかる。 ウイルスは自己複製するようプログラムされた遺伝子から成るが、それ自体は自己複製できない。自分を複製するには、宿主細胞に感染して、自分のDNAのコピーを作らせなければならない。 そうしてできたコピーが他の細胞に感染し、より多くのコピーを作らせる。ウイルスの唯一の目的は自己増殖だ。 資本もまた自己増殖の遺伝子から成り、ウイルスと同じように、触れるものすべてを自己増殖する自らのコピー、すなわち、より多くの資本に変えようとする。 このシステムは、永遠に拡大し続けるようプログラムされた圧倒的な破壊者、ジャガノート(注)になる』、「資本はさらなる資本を生み出すために再投資されなければならない。このプロセスは決して終わらず、ひたすら拡大し続ける」、なるほど。
(注)ジャガノート:イギリス植民地時代のインドのキリスト教宣教師の報告によって語が伝えられ、上記より転じて「止めることのできない巨大な力」「圧倒的破壊力」といった意味を持つ名詞となった(Wikipedhia))
・次に、一昨年6月16日付け日経ビジネスオンライン「渋澤健氏が語る「新しい資本主義」 「外部不経済」どう取り込むか」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00005/061400231/
・『政府は6月6日、「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画2023改訂版案」を公表した。新しい資本主義は、官民連携による社会課題の解決によって新たな市場の創造と成長が実現し、その果実が国民に広く還元され、成長と分配の好循環を実現することが基本的な考え方だ。この考え方に沿って改訂版案では、転職しやすい労働市場の実現やスタートアップの支援に重点を置く内容となった。 企業が中長期の戦略を考える上でも重要になる「新しい資本主義」の実行計画の改訂版案をどう読み解けばいいのか。政府の新しい資本主義実現会議の有識者構成員でシブサワ・アンド・カンパニー代表取締役の渋澤健氏に聞いた。 政府が「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画2023改訂版案」を公表しました。渋澤さんも新しい資本主義実現会議の有識者構成員として策定に携わった立場ですが、2023改訂版案は何がポイントでしょうか。 渋澤健氏(以下、渋澤氏):そもそもの話ではありますが、「新しい資本主義」は、今の時代に大事なことを提案していると私は思っています。ただ、このメッセージが2021年に当初出たときには「分配政策」と受け取られて、やや残念だった面もあります。その後、政府は「これは成長戦略です。成長と分配の好循環です」と発信し、ある程度認知が広まってきました。 (渋澤健氏の略歴はリンク先参照) とはいえ、成長と分配の好循環も経済としては当たり前で、新しくはありません。今までの資本主義ではいろいろな目詰まりがあるので、それを取り除きましょうという意味では大事なことで、評価はできると思いますが、新しいものはあまりありませんでした。特に当初の議論ですと国内目線だけでした。もちろん国内だけで循環させることはとても大切です。しかし、人口のこれからの長期的なトレンドを見ると国内が小さくなることは明らかで、いくら好循環をつくり出しても限られています。 日本の新しい時代を考えたときに、グローバルの観点の好循環がないと駄目だと思っていました。今年は主要7カ国首脳会議(G7サミット)の議長国だったこともあり、これまでと比べるとその点はしっかりと書かれていると思います。 もう1つは「外部不経済を資本主義に取り込む」というメッセージがはっきりと打ち出された点です。これは当初から岸田首相が打ち出していたメッセージではあるのですが、より明確になったと思います。「外部不経済」というと少し難しい言葉のように思うかもしませんが、環境の問題とか社会の格差といったESGのEとSの部分です。 資本主義が取り残したことを否定するのではなく、資本主義に取り込みましょうというこのメッセージが私は非常に大切だと思っています。新しい資本主義はインクルーシブ(包摂的)な資本主義であると私は考えています。改訂版案では(経済的成長と社会課題解決の両立を目指す)インパクトスタートアップに対する支援策の項目もあります。インパクト投資についての日本の存在感はこの1年間でかなり広まりました。私自身は新しい資本主義の手段はここだと思っています。 人に投資をして社会的課題を解決し、成長するという考え方がよりはっきり打ち出されたように感じます。 渋澤氏:「外部不経済を資本主義に取り込む」を言い換えると、人を中心にしているということだと思います。以前は、賃金を上げるためには労働市場の流動性を高めなければという意見があると、それは分かるが難しいという話になっていました。 しかし、昨年の秋ごろからトーンが変わり、「リスキリングによる能力向上支援」「個々の企業の実態に応じた職務給の導入」「成長分野への労働移動の円滑化」という三位一体の労働市場改革の指針が打ち出されるまでになったことは評価できる点です。) これからこの計画を実行していくに当たり、どういった点が重要になってきますか。 渋澤氏:労働市場の改革で言えば、シームレスな労働移動の円滑化がどこまで制度に落とし込めるか、さらに制度だけではなく、企業の労働の慣習に落とし込めるかが重要です。また同一労働同一賃金の考え方は外国人にも適用されると明示されていることも大きい。 やはり明治維新で渋沢栄一がつくった日本の資本主義を大きく変える機会ということでしょうか。 渋澤氏:そうですね。資本主義はもちろん課題がありますが、課題を解決して新しい環境に適応できます。新しい時代に合わせるといったことはやはり資本主義でないとできないと思います。 あとは企業が変われるかどうかでしょうか。 渋澤氏:変わらない企業は淘汰というかフェードアウトしてしまうのだと思います』、「資本主義が取り残したことを否定するのではなく、資本主義に取り込みましょうというこのメッセージが私は非常に大切だと思っています・・・渋澤氏:労働市場の改革で言えば、シームレスな労働移動の円滑化がどこまで制度に落とし込めるか、さらに制度だけではなく、企業の労働の慣習に落とし込めるかが重要です。また同一労働同一賃金の考え方は外国人にも適用されると明示されていることも大きい。 やはり明治維新で渋沢栄一がつくった日本の資本主義を大きく変える機会ということでしょうか」、なるほど。
・『「人的資本の情報開示」、まずできるところから 2023年3月期の決算から人への投資などを開示することになっていますが、どう開示するのかで行き詰まっているという企業の話も聞きます。 渋澤氏:マニュアルやガイドラインがないとできませんというのは非常に「サラリーマン」的です。日本ではすぐに「How」に行きがちですが、根本としてなぜそれが必要なのか、という議論が浅い気がします。ただ、「どうすればいいんですか」という声が上がってきているということは、以前はそんなことを考えていなかった人たちがどうすればいいか考えているということでもあるので、方向性としてはポジティブです。 そもそも企業の価値はこれですと言い切るのであればそれでいい。単純に株価×株数でいいわけです。それに対して企業の多くの方は「それだけではないです。こういう価値をつくっています」と言うわけです。であれば、それを見せてくださいということだと思います。 ただ、今はまだ社会課題市場や環境課題市場があるわけではないので、市場の数字を見て「はい、これが価値です」と言い切れない。だから企業は「自分たちはこういうところに価値があると思っていて、こういう目標を設定し、このように測定していますが、いかがでしょうか」と資本市場に出していかないといけません。 日本人は真面目なので、できるかできないかをすぐに判断しようとしますが、すべての課題が数値化できるかというとそうではありません。ですから、すべてができるわけではないけれども、できるところからやっていきましょうということです。 日本企業の場合、渋澤さんが言うように「How」が整理されるまで待って、結果的に出遅れてしまっている印象になっています。 渋澤氏:もう本当にそうなんですよ。人を大切にすることは日本企業がずっとやってきたことです。日本企業はもったいなすぎます。日本には大きな伸びしろがあると私は思っています』、「今はまだ社会課題市場や環境課題市場があるわけではないので、市場の数字を見て「はい、これが価値です」と言い切れない。だから企業は「自分たちはこういうところに価値があると思っていて、こういう目標を設定し、このように測定していますが、いかがでしょうか」と資本市場に出していかないといけません・・・人を大切にすることは日本企業がずっとやってきたことです。日本企業はもったいなすぎます。日本には大きな伸びしろがあると私は思っています」、その通りだ。
第三に、昨年12月27日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した多摩大学大学院経営情報学研究科 教授の堀内勉氏へのインタビュー(後編)「資本主義とは何か。人間中心に考え直す」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/336585
・『名著『読書大全』の著者、堀内勉氏が、かつて絶望の淵に立たされた時に読んだヴィクトール・フランクルの『夜と霧』。そこに記された強制収容所での過酷な状況を生き抜いた考え方に、堀内氏は救いを見た。以来、読書は人生を変え、本と真摯(しんし)に向き合うことで、どう生きるかを考えた。その読書論を著した新著『人生を変える読書―人類三千年の叡智を力に変える』 (Gakken)をもとに、ロングインタビューした(Qは聞き手の質問、Aは堀内氏の回答)。前編に続く、後編をお送りします』、興味深そうだ。
・『デフォルトとしての資本主義 Q:前編で伺った、人生を変えた読書を経験した37歳の頃から、堀内さんが思索されているのが、本書の後半で書かれている「資本主義とは何か」だと思います。どのような思考の変遷だったのでしょうか。 A:西洋で言うと、中世はキリスト教が世界観を支配していたわけですね。教会の教えと違うことを言うと、殺されてしまうような時代でした。その後、ルネサンスや宗教改革、科学革命など、いろいろな時代を経て人々の考え方は変化していきました。 18世紀に資本主義が誕生しました。これは、ある意味で宗教のようなものです。この資本主義という人々の考えを大きく規定する枠組みが生まれ、思考から生活までを支配していきました。それへのアンチテーゼとして共産主義が生まれ、さらにそれら両方に対するアンチテーゼとしてナチズムに代表されるファシズムが出てくるわけです。 社会的動物である人間というのは、何らかのパラダイムを共有して、その中で生きていると思うのです。人々の考え方やそれを包含する文化というようなものが相互作用しながら、時代や社会の精神を構築して、その中で生きている。もちろん、細部を見ればそれぞれ考え方が違う人はいて、100%考え方が統一されているわけではありませんが、今日においては社会を強く規定しているオペレーティングシステム(OS)のようなものが資本主義なのではないでしょうか。それは、人々の価値観や行動様式を左右するものです。 現代に生きる私たちは、生まれた瞬間から資本主義社会の中にいて、わざわざ自分はこういう主義主張に従って生きるのだと言わなくても、最初から資本主義のOSに従って生活しています。そこでは、自動的に資本主義的に考えて、資本主義的に行動する。このように、現代において、資本主義という枠組みは、我々にとってのデフォルト状態になっているのです。 つまり、働いて、お金を稼いで、消費するという行動が、デフォルトの状態としてビルトインされている。就職についても、その年齢に達したら、大概の人は就職活動をします。そこでの選択の優先順位は、給与が高い会社が良い会社だということになっています。会社に入ってからは、より良い待遇を求めて出世を目指します。給与の前提になる会社の業績を高めようと考え、皆で収益を成長させていくよう努力するわけです。資本主義のOS上で生きている多くの人は、それに対して根本的な疑問を呈することなく、こうした行動を続けているのです。 私は(前編の)冒頭にお話ししたようなきっかけがあって、「なぜ会社は毎年、成長しないといけないのだろうか?」と、素朴な疑問を持つようになりました。企業で経営計画を立てる際、前年度対比何%増というのが当たり前になっていますが、そもそもなぜ毎年プラス成長が前提になっているのだろうか、と疑問に思うようになったのです。 その前提について、だれも、一度も、何の議論もしない。これは一体どういうことなのだろう、と考えるようになったのです。でもこれは真面目に考えだすと難しい問題で、自分だけではとても手に負えないと思い、知り合いの学者やビジネスパーソンに声をかけて、資本主義研究会というものを立ち上げました。 Q:本書では、「流されるだけの人生から抜け出すために」「基軸がなければ組織に寄りかかるしかない」「人類がつくってきた『考える道筋』」などの節があり、最初に、ソクラテスやプラトン、アリストテレスに始まるギリシャ哲学について多く論じていますね。 A:哲学の意義については話し始めるときりがないので、関心がある方は、本書『人生を考える読書』や、前著『読書大全』を読んでいただければと思います。 若い頃、回し車の中を走るハムスターのように、毎日、会社で懸命に仕事をしていた時は、何も考えていなかったのですが、37歳の時にそこからいったん降りて、「資本主義とは一体なんなのか?」と考え始めたら、そのメカニズムだけでなく、そこで生きている人間の中に根差した何かが見えてきたのです。その根源的なところにあるのが、哲学ですね。 まずは、多くの経済学の学者に話を聞きに行ってみました。でも、驚くことに、資本主義に関する私の素朴な疑問に答えてくれるような先生にはなかなか出会えませんでした。例えて言うなら、自らが自覚しないうちにサッカーフィールドに立っていて、そこでいかに効果的にゴールを決めるか、どうやって相手チームを打ち負かすかという研究に没頭し、そのための戦術を研究している先生は多いのですが、「なぜ相手のゴールにボールを蹴り込まなければいけないのか?」という疑問に答えてくれる人はどこにもいないという感じです。 数学を駆使して、メカニズムとしての経済動向や市場の動きを緻密に研究している先生は多くても、なぜ人々はそうした行動をとらなければならないのか、どうしてそのような社会になっているのかについて、納得のいく説明をしてくれる先生はいませんでした。つまり、経済思想について研究している先生になかなか巡り合えなかったのです』、「数学を駆使して、メカニズムとしての経済動向や市場の動きを緻密に研究している先生は多くても、なぜ人々はそうした行動をとらなければならないのか、どうしてそのような社会になっているのかについて、納得のいく説明をしてくれる先生はいませんでした。つまり、経済思想について研究している先生になかなか巡り合えなかったのです」、なるほど。
・『アダム・スミスの『道徳感情論』と『国富論』 Q:本書の第4章で、模索の結果、アダム・スミスの『道徳感情論』にたどり着いたと、書かれています。 A:そして最後に、大阪大学大学院教授の堂目卓生先生に出会ったのです。堂目先生は、私の話をじっくり聞いた上で、「それはマルクスが感じた根源的な疑問そのものですね」と言われました。 ですから、経済思想については、まずは堂目先生の『アダム・スミス―「道徳感情論」と「国富論」の世界』(中公新書)をお勧めします。近代経済学の祖のアダム・スミスといえば、多くの人が『国富論(諸国民の富)』を思い浮かべます。同書でスミスは、何が国民にとって富に当たるのかを説きました。それも、一国の富ではなく、「諸国民」の富についてです。スミスは、個人が利己的に行動しても、経済は「見えざる手」によってうまく回るということで、市場機能に基づく自由放任主義を唱えています。そのため同書は、今日で言うところの新自由主義的なメッセージを含んだ本だという理解が広まりました。 しかし、それは非常に一面的な理解なのです。スミスを理解するには、『国富論』より17年も前に彼が書いた『道徳感情論』も読む必要があります。同書でスミスは、社会秩序は理性ではなく、道徳感情によって基礎づけられるのだと結論づけました。人間というのは共感する生きものであり、その共感する力が人間の道徳的な観念を形づくり、それが社会を成り立たせているというのです。 スミスは『道徳感情論』を生涯に5回書き直しました。彼の死の直前、1790年の最終版の序論で、1776年に出した『国富論』は彼の道徳哲学の全体構想の一部であったことを明らかにしています。つまり、『国富論』は『道徳感情論』を前提にした経済書であり、単なる自由放任と弱肉強食の書ではないのです。 『道徳感情論』は、古代ギリシャやローマの哲学をはじめ、過去の文献を多く読み解いて引用した上で、自分が生きた18世紀半ばの時代の人々を細かく観察しながら、社会を解説しています。読めば読むほど、「人間とはこういうものだ」ということが深く理解できる書物です。 スミスとともに、やはりマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』も、資本主義について一定の説得力を持って論じていることを付言しておきたいと思います。プロテスタンティズムの中の、特にカルバン派の禁欲の精神と蓄財、神による救済という考え方により、なぜ西洋にだけ資本主義が根付いたのかを明かしています』、「スミスは『道徳感情論』を生涯に5回書き直しました。彼の死の直前、1790年の最終版の序論で、1776年に出した『国富論』は彼の道徳哲学の全体構想の一部であったことを明らかにしています。つまり、『国富論』は『道徳感情論』を前提にした経済書であり、単なる自由放任と弱肉強食の書ではないのです・・・スミスとともに、やはりマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』も、資本主義について一定の説得力を持って論じている」、なるほど。
・『宇沢弘文の『社会的共通資本』の意義 Q:本書で、アダム・スミスの他に一人の学者について一節を設けて論じているのは、「宇沢弘文の『人間のための経済学』」です。 A:宇沢弘文先生は1956年、28歳の時に渡米して、数理経済学の分野で多くの論文を発表し、36歳でシカゴ大学教授に就任します。「ノーベル経済学者に最も近い日本人」とも言われていました。しかし、米国のベトナム戦争に反対して、68年に日本に帰国します。 その後、宇沢先生は東京大学で経済学を教えると同時に、自動車の排気ガスや水俣病などの公害問題、成田空港問題などの解決に向けての社会運動に積極的に関与していきます。 宇沢先生の本も多く読みました。私と同様に、先生も「経済学は人間を幸せにしているのか?」という疑問に行き当たったのではないでしょうか。同書の中では、「なぜ社会の中心に人間が置かれずに、人間が市場経済という鋳型に嵌(は)め込まれなければならないのか?」「資本主義というシステムの中に、人々が本来の人間性を取り戻して平和に暮らせる仕組みを埋め込むことはできないか?」といった問題意識や危機感が見て取れます。 宇沢先生にとって重要なテーマは、いかにして経済学に社会的な観点を導入できるかであり、そこから導き出されたのが「社会的共通資本」の考え方です。それは、「一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置」(『社会的共通資本』岩波新書)です。大気、水道、教育、医療など、市場原理にゆだねてはいけないもののことです。 そして、社会的共通資本の理論によって宇沢先生が守ろうとしていたのは、「人間の尊厳」です。私も、「人間」にもう一度、光を当てて考えないと、資本主義は自壊するのではないかと考えてきたのですが、それは今、地球環境の限界という形で顕在化してきています。 Q:本書では、「『資本主義』社会を『人間』社会として見る」という節を最後の方でまとめられていますね。 A:人類はかつて、有害物質を海にまき散らしても、海はとても大きいからそれを薄めてくれるし、浄化してくれると考えてきました。地球上にはフロンティアがいくらでもあり、ここまでは自分たちの関心事だけれど、その向こう側は放っておいてもなんとかなるという世界観でした。それが今やグローバル化の時代に突入して、実は地球はとても狭く、有限だったということが認識されるようになってきました。その中で、2015年からSDGs(持続可能な開発目標)を国連が提唱し始めます。このSDGsの考え方は、宇沢先生の社会的共通資本に通底するものだと思います。 歴史を振り返ってみると、最初はうまく機能していた社会システムや政治体制も、いつの間にかそれが人間の上位概念になってしまい、それによって人間が疎外され、人間が不幸になっていくということが繰り返されてきました。人類の長い歴史を見てみると、ある「枠組み」に全面的に依存して自ら考えることを放棄してしまうと、人間は必ず不幸になるということがわかります。 ですから、常に、人間の視点から、枠組みを見直し続けていく必要があると思うのです。例えば、共産主義(コミュニズム)というのはソ連の失敗により完全に時代遅れになったと思われていますが、今日、東京大学准教授の斎藤幸平氏のように、コミュニティーを中心にした社会を構築することだとして再定義する動きも見られます。地球環境の限界を世界が認識する中で、脱成長の循環社会のようなものを想定し、提唱しているわけです。彼の著書『人新世の「資本論」』(集英社新書)が話題となり、大ベストセラーになったのは、時代の流れではないかと思うのです。 その意味では、宇沢先生は時代のかなり先を行っていたと言えます。もし彼が今生きていたら、世界が彼の考え方に耳を傾けていたと思うのです。(了)』、「宇沢先生にとって重要なテーマは、いかにして経済学に社会的な観点を導入できるかであり、そこから導き出されたのが「社会的共通資本」の考え方です。それは、「一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置」・・・です。大気、水道、教育、医療など、市場原理にゆだねてはいけないもののことです。 そして、社会的共通資本の理論によって宇沢先生が守ろうとしていたのは、「人間の尊厳」です。私も、「人間」にもう一度、光を当てて考えないと、資本主義は自壊するのではないかと考えてきたのですが、それは今、地球環境の限界という形で顕在化してきています・・・共産主義(コミュニズム)というのはソ連の失敗により完全に時代遅れになったと思われていますが、今日、東京大学准教授の斎藤幸平氏のように、コミュニティーを中心にした社会を構築することだとして再定義する動きも見られます。地球環境の限界を世界が認識する中で、脱成長の循環社会のようなものを想定し、提唱しているわけです。彼の著書『人新世の「資本論」』(集英社新書)が話題となり、大ベストセラーになったのは、時代の流れではないかと思うのです」、その通りなのだろう。
先ずは、昨年5月11日付け東洋経済オンラインが掲載した 経済人類学者のジェイソン・ヒッケル氏による「資本主義は「加速し続けるランニングマシン」だ 「交換価値」を求め続ける自己増殖システム」を紹介しよう。
・『環境破壊、不平等、貧困……今、世界中で多くの人々が、資本主義が抱える問題に気づき始めている。 経済人類学者のジェイソン・ヒッケル氏によれば、資本主義は自然や身体をモノと見なして「外部化」し、搾取することで成立している、「ニーズを満たさないことを目的としたシステム」であるという。 そしてヒッケルは、「アニミズム対二元論」というユニークな視点で、資本主義の歴史とそれが内包する問題を白日の下にさらし、今後、私たちが目指すべき「成長に依存しない世界」を提示する。 今回、日本語版が4月に刊行された『資本主義の次に来る世界』より、一部抜粋、編集のうえ、お届けする』、興味深そうだ。
・『資本主義に対する誤謬 数か月前、わたしは生放送されるテレビ討論会のステージにいた。テーマは資本主義の未来だ。観客(オーディエンス)が注視する中、論敵は立ち上がってこう言った。ーー資本主義自体には、問題はまったくない。問題は、強欲なCEOと金で動く政治家のせいで資本主義が腐敗していることだ。わたしたちがすべきことは腐ったリンゴを取り除くことだ。そうすれば、すべてうまくいく。 資本主義とは、突き詰めれば市場で物を売り買いしている人々のことだ。地元のファーマーズマーケットであれ、モロッコの青空市場(スーク)であれ、彼らは、自分の技能を活かして生計を立てている罪なき人々だ。それのどこが間違っていると言うのか?) 聞こえのいい話だし、筋が通っているように思える。しかし、ファーマーズマーケットやスークの小さな店は、資本主義とは何の関係もない。その喩えは間違っている。しかも資本主義がなぜ生態系を破壊しているのかを理解するためには何の役にも立たない。 資本主義の仕組みを本当に理解したいのであれば、もっと深く掘り下げる必要がある。 その第一歩は、人間の歴史の大半を通じて、経済は「使用価値」〔人間の必要(ニーズ)を満たす有用性〕を中心に回っていたことを理解することだ。 農家が梨を育てたのは、そのみずみずしい甘さが好きだから、あるいは午後の空腹を和らげるためだった。 職人が椅子を作ったのは、ポーチでくつろぐ時やテーブルで食事をとる時に座るためだった。彼らが梨や椅子を売ることにしたのは、庭で使う鍬(くわ)や娘のためのポケットナイフといった別の有用な物を買う資金を得るためだった。 今日でも多くの人はこうした形で経済に参加している。わたしたちが店に行くのは、夕食の材料や冬の寒さをしのぐためのジャケットなど、自分にとって有用な物を買うためだ』、「わたしたちが店に行くのは、夕食の材料や冬の寒さをしのぐためのジャケットなど、自分にとって有用な物を買うためだ」、なるほど。
・『資本家のいない経済システム この種の経済は次のように表すことができる。Cは商品(梨や椅子)、Mはお金を表す。 C1→ M→C2 一見、これは資本主義を「個人間で有用な物を自由に交換すること」として、うまく説明しているように見える。ファーマーズマーケットやスークでの売買と同じだ。 しかし、ここに「資本家」は存在しない。人間の歴史のどの時代、どの場所でも、経済システムはおおむねこのようなものであった。それらと資本主義が異なるのは、資本家にとって価値の意味がまったく異なるからだ。 資本家は梨や椅子の有用性を認めるだろうが、彼らが梨や椅子を生産するのは、午後のおやつや座るための場所を得るためではなく、売って得たお金で他の有用な物を買うためでもない。目的はただ一つ、利益を生むことだ。) このシステムで重要なのは、物の使用価値ではなく、「交換価値」だ。それは次のように説明できる。 プライム(’)は量の増加を表す。 M→C→M’ これは使用価値経済とは正反対だ。だが、ここからが本題だ。 資本主義のもとでは、安定した利益を生むだけでは足りない。目標は、利益を再投資して生産プロセスを拡大し、前年より多くの利益を生むことだ。表すと次のようになる。 M→C→M’→C’→M”→C”→M’”……』、「資本主義のもとでは、安定した利益を生むだけでは足りない。目標は、利益を再投資して生産プロセスを拡大し、前年より多くの利益を生むことだ。表すと次のようになる。 M→C→M’→C’→M”→C”→M’”……」、なるほど。
・『地元のレストランと大企業の違い ここで起きていることを理解するために、2つのタイプの企業を例に挙げよう。 1つは地元のレストランだ。その店は年末の収支決算では黒字になっているが、オーナーは毎年ほぼ同じ利益を出すことで満足している。家賃を支払い、家族を養い、夏の休暇に旅行するには十分な金額だ。 このビジネスは、「賃金を支払い、利益を出す」という資本主義論理の要素になっているかもしれないが、それ自体は資本主義ではない。 なぜなら、その利益は使用価値の概念に基づいているからだ。中小企業の大半はこうしたやり方で経営されており、このような店は資本主義が生まれる数千年前からあった。 では次に、エクソンモービル、フェイスブック、アマゾンといった大企業について考えてみよう。それらの企業の経営のあり方は、地元のレストランが好むような安定した手法ではない。 アマゾンの利益はジェフ・ベゾスの食卓に食べ物を並べるためだけでなく、会社を大きくするために使われる。競合他社を買収し、地元の小売店を廃業に追い込み、新しい国に進出し、より多くの支店をつくり、人々に不必要なものを買わせる広告キャンペーンを打つ。すべては、年々利益を増やし続けるためだ。) これは自己強化のサイクルであり、加速し続けるランニングマシンだ。お金は利益になり、その利益がより多くのお金をもたらし、そのお金がさらに多くの利益になる。 これが資本主義の特徴であることに、わたしたちは気づき始めている。要するに資本家にとって利益は、単に特定の必要(ニーズ)を満たすためのお金ではなく、資本なのだ』、「地元のレストランだ。その店は年末の収支決算では黒字になっているが、オーナーは毎年ほぼ同じ利益を出すことで満足している。家賃を支払い、家族を養い、夏の休暇に旅行するには十分な金額だ。 このビジネスは、「賃金を支払い、利益を出す」という資本主義論理の要素になっているかもしれないが、それ自体は資本主義ではない。 なぜなら、その利益は使用価値の概念に基づいているからだ。中小企業の大半はこうしたやり方で経営されており、このような店は資本主義が生まれる数千年前からあった・・・アマゾンの利益はジェフ・ベゾスの食卓に食べ物を並べるためだけでなく、会社を大きくするために使われる。競合他社を買収し、地元の小売店を廃業に追い込み、新しい国に進出し、より多くの支店をつくり、人々に不必要なものを買わせる広告キャンペーンを打つ。すべては、年々利益を増やし続けるためだ。) これは自己強化のサイクルであり、加速し続けるランニングマシンだ。お金は利益になり、その利益がより多くのお金をもたらし、そのお金がさらに多くの利益になる。 これが資本主義の特徴であることに、わたしたちは気づき始めている。要するに資本家にとって利益は、単に特定の必要(ニーズ)を満たすためのお金ではなく、資本なのだ」、なるほど。
・『資本は永遠に自己増殖を求め続ける 重要なこととして、資本はさらなる資本を生み出すために再投資されなければならない。このプロセスは決して終わらず、ひたすら拡大し続ける。 地元のレストランが具体的な必要を満たすことを目指すのと違って、交換価値を蓄積するこのプロセスに明確な終点は存在しない。 それは根本的に人間の必要という概念から切り離されたものなのだ。 3つ目の公式を見れば、資本はウイルスに少々似たふるまいをすることがわかる。 ウイルスは自己複製するようプログラムされた遺伝子から成るが、それ自体は自己複製できない。自分を複製するには、宿主細胞に感染して、自分のDNAのコピーを作らせなければならない。 そうしてできたコピーが他の細胞に感染し、より多くのコピーを作らせる。ウイルスの唯一の目的は自己増殖だ。 資本もまた自己増殖の遺伝子から成り、ウイルスと同じように、触れるものすべてを自己増殖する自らのコピー、すなわち、より多くの資本に変えようとする。 このシステムは、永遠に拡大し続けるようプログラムされた圧倒的な破壊者、ジャガノート(注)になる』、「資本はさらなる資本を生み出すために再投資されなければならない。このプロセスは決して終わらず、ひたすら拡大し続ける」、なるほど。
(注)ジャガノート:イギリス植民地時代のインドのキリスト教宣教師の報告によって語が伝えられ、上記より転じて「止めることのできない巨大な力」「圧倒的破壊力」といった意味を持つ名詞となった(Wikipedhia))
・次に、一昨年6月16日付け日経ビジネスオンライン「渋澤健氏が語る「新しい資本主義」 「外部不経済」どう取り込むか」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00005/061400231/
・『政府は6月6日、「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画2023改訂版案」を公表した。新しい資本主義は、官民連携による社会課題の解決によって新たな市場の創造と成長が実現し、その果実が国民に広く還元され、成長と分配の好循環を実現することが基本的な考え方だ。この考え方に沿って改訂版案では、転職しやすい労働市場の実現やスタートアップの支援に重点を置く内容となった。 企業が中長期の戦略を考える上でも重要になる「新しい資本主義」の実行計画の改訂版案をどう読み解けばいいのか。政府の新しい資本主義実現会議の有識者構成員でシブサワ・アンド・カンパニー代表取締役の渋澤健氏に聞いた。 政府が「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画2023改訂版案」を公表しました。渋澤さんも新しい資本主義実現会議の有識者構成員として策定に携わった立場ですが、2023改訂版案は何がポイントでしょうか。 渋澤健氏(以下、渋澤氏):そもそもの話ではありますが、「新しい資本主義」は、今の時代に大事なことを提案していると私は思っています。ただ、このメッセージが2021年に当初出たときには「分配政策」と受け取られて、やや残念だった面もあります。その後、政府は「これは成長戦略です。成長と分配の好循環です」と発信し、ある程度認知が広まってきました。 (渋澤健氏の略歴はリンク先参照) とはいえ、成長と分配の好循環も経済としては当たり前で、新しくはありません。今までの資本主義ではいろいろな目詰まりがあるので、それを取り除きましょうという意味では大事なことで、評価はできると思いますが、新しいものはあまりありませんでした。特に当初の議論ですと国内目線だけでした。もちろん国内だけで循環させることはとても大切です。しかし、人口のこれからの長期的なトレンドを見ると国内が小さくなることは明らかで、いくら好循環をつくり出しても限られています。 日本の新しい時代を考えたときに、グローバルの観点の好循環がないと駄目だと思っていました。今年は主要7カ国首脳会議(G7サミット)の議長国だったこともあり、これまでと比べるとその点はしっかりと書かれていると思います。 もう1つは「外部不経済を資本主義に取り込む」というメッセージがはっきりと打ち出された点です。これは当初から岸田首相が打ち出していたメッセージではあるのですが、より明確になったと思います。「外部不経済」というと少し難しい言葉のように思うかもしませんが、環境の問題とか社会の格差といったESGのEとSの部分です。 資本主義が取り残したことを否定するのではなく、資本主義に取り込みましょうというこのメッセージが私は非常に大切だと思っています。新しい資本主義はインクルーシブ(包摂的)な資本主義であると私は考えています。改訂版案では(経済的成長と社会課題解決の両立を目指す)インパクトスタートアップに対する支援策の項目もあります。インパクト投資についての日本の存在感はこの1年間でかなり広まりました。私自身は新しい資本主義の手段はここだと思っています。 人に投資をして社会的課題を解決し、成長するという考え方がよりはっきり打ち出されたように感じます。 渋澤氏:「外部不経済を資本主義に取り込む」を言い換えると、人を中心にしているということだと思います。以前は、賃金を上げるためには労働市場の流動性を高めなければという意見があると、それは分かるが難しいという話になっていました。 しかし、昨年の秋ごろからトーンが変わり、「リスキリングによる能力向上支援」「個々の企業の実態に応じた職務給の導入」「成長分野への労働移動の円滑化」という三位一体の労働市場改革の指針が打ち出されるまでになったことは評価できる点です。) これからこの計画を実行していくに当たり、どういった点が重要になってきますか。 渋澤氏:労働市場の改革で言えば、シームレスな労働移動の円滑化がどこまで制度に落とし込めるか、さらに制度だけではなく、企業の労働の慣習に落とし込めるかが重要です。また同一労働同一賃金の考え方は外国人にも適用されると明示されていることも大きい。 やはり明治維新で渋沢栄一がつくった日本の資本主義を大きく変える機会ということでしょうか。 渋澤氏:そうですね。資本主義はもちろん課題がありますが、課題を解決して新しい環境に適応できます。新しい時代に合わせるといったことはやはり資本主義でないとできないと思います。 あとは企業が変われるかどうかでしょうか。 渋澤氏:変わらない企業は淘汰というかフェードアウトしてしまうのだと思います』、「資本主義が取り残したことを否定するのではなく、資本主義に取り込みましょうというこのメッセージが私は非常に大切だと思っています・・・渋澤氏:労働市場の改革で言えば、シームレスな労働移動の円滑化がどこまで制度に落とし込めるか、さらに制度だけではなく、企業の労働の慣習に落とし込めるかが重要です。また同一労働同一賃金の考え方は外国人にも適用されると明示されていることも大きい。 やはり明治維新で渋沢栄一がつくった日本の資本主義を大きく変える機会ということでしょうか」、なるほど。
・『「人的資本の情報開示」、まずできるところから 2023年3月期の決算から人への投資などを開示することになっていますが、どう開示するのかで行き詰まっているという企業の話も聞きます。 渋澤氏:マニュアルやガイドラインがないとできませんというのは非常に「サラリーマン」的です。日本ではすぐに「How」に行きがちですが、根本としてなぜそれが必要なのか、という議論が浅い気がします。ただ、「どうすればいいんですか」という声が上がってきているということは、以前はそんなことを考えていなかった人たちがどうすればいいか考えているということでもあるので、方向性としてはポジティブです。 そもそも企業の価値はこれですと言い切るのであればそれでいい。単純に株価×株数でいいわけです。それに対して企業の多くの方は「それだけではないです。こういう価値をつくっています」と言うわけです。であれば、それを見せてくださいということだと思います。 ただ、今はまだ社会課題市場や環境課題市場があるわけではないので、市場の数字を見て「はい、これが価値です」と言い切れない。だから企業は「自分たちはこういうところに価値があると思っていて、こういう目標を設定し、このように測定していますが、いかがでしょうか」と資本市場に出していかないといけません。 日本人は真面目なので、できるかできないかをすぐに判断しようとしますが、すべての課題が数値化できるかというとそうではありません。ですから、すべてができるわけではないけれども、できるところからやっていきましょうということです。 日本企業の場合、渋澤さんが言うように「How」が整理されるまで待って、結果的に出遅れてしまっている印象になっています。 渋澤氏:もう本当にそうなんですよ。人を大切にすることは日本企業がずっとやってきたことです。日本企業はもったいなすぎます。日本には大きな伸びしろがあると私は思っています』、「今はまだ社会課題市場や環境課題市場があるわけではないので、市場の数字を見て「はい、これが価値です」と言い切れない。だから企業は「自分たちはこういうところに価値があると思っていて、こういう目標を設定し、このように測定していますが、いかがでしょうか」と資本市場に出していかないといけません・・・人を大切にすることは日本企業がずっとやってきたことです。日本企業はもったいなすぎます。日本には大きな伸びしろがあると私は思っています」、その通りだ。
第三に、昨年12月27日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した多摩大学大学院経営情報学研究科 教授の堀内勉氏へのインタビュー(後編)「資本主義とは何か。人間中心に考え直す」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/336585
・『名著『読書大全』の著者、堀内勉氏が、かつて絶望の淵に立たされた時に読んだヴィクトール・フランクルの『夜と霧』。そこに記された強制収容所での過酷な状況を生き抜いた考え方に、堀内氏は救いを見た。以来、読書は人生を変え、本と真摯(しんし)に向き合うことで、どう生きるかを考えた。その読書論を著した新著『人生を変える読書―人類三千年の叡智を力に変える』 (Gakken)をもとに、ロングインタビューした(Qは聞き手の質問、Aは堀内氏の回答)。前編に続く、後編をお送りします』、興味深そうだ。
・『デフォルトとしての資本主義 Q:前編で伺った、人生を変えた読書を経験した37歳の頃から、堀内さんが思索されているのが、本書の後半で書かれている「資本主義とは何か」だと思います。どのような思考の変遷だったのでしょうか。 A:西洋で言うと、中世はキリスト教が世界観を支配していたわけですね。教会の教えと違うことを言うと、殺されてしまうような時代でした。その後、ルネサンスや宗教改革、科学革命など、いろいろな時代を経て人々の考え方は変化していきました。 18世紀に資本主義が誕生しました。これは、ある意味で宗教のようなものです。この資本主義という人々の考えを大きく規定する枠組みが生まれ、思考から生活までを支配していきました。それへのアンチテーゼとして共産主義が生まれ、さらにそれら両方に対するアンチテーゼとしてナチズムに代表されるファシズムが出てくるわけです。 社会的動物である人間というのは、何らかのパラダイムを共有して、その中で生きていると思うのです。人々の考え方やそれを包含する文化というようなものが相互作用しながら、時代や社会の精神を構築して、その中で生きている。もちろん、細部を見ればそれぞれ考え方が違う人はいて、100%考え方が統一されているわけではありませんが、今日においては社会を強く規定しているオペレーティングシステム(OS)のようなものが資本主義なのではないでしょうか。それは、人々の価値観や行動様式を左右するものです。 現代に生きる私たちは、生まれた瞬間から資本主義社会の中にいて、わざわざ自分はこういう主義主張に従って生きるのだと言わなくても、最初から資本主義のOSに従って生活しています。そこでは、自動的に資本主義的に考えて、資本主義的に行動する。このように、現代において、資本主義という枠組みは、我々にとってのデフォルト状態になっているのです。 つまり、働いて、お金を稼いで、消費するという行動が、デフォルトの状態としてビルトインされている。就職についても、その年齢に達したら、大概の人は就職活動をします。そこでの選択の優先順位は、給与が高い会社が良い会社だということになっています。会社に入ってからは、より良い待遇を求めて出世を目指します。給与の前提になる会社の業績を高めようと考え、皆で収益を成長させていくよう努力するわけです。資本主義のOS上で生きている多くの人は、それに対して根本的な疑問を呈することなく、こうした行動を続けているのです。 私は(前編の)冒頭にお話ししたようなきっかけがあって、「なぜ会社は毎年、成長しないといけないのだろうか?」と、素朴な疑問を持つようになりました。企業で経営計画を立てる際、前年度対比何%増というのが当たり前になっていますが、そもそもなぜ毎年プラス成長が前提になっているのだろうか、と疑問に思うようになったのです。 その前提について、だれも、一度も、何の議論もしない。これは一体どういうことなのだろう、と考えるようになったのです。でもこれは真面目に考えだすと難しい問題で、自分だけではとても手に負えないと思い、知り合いの学者やビジネスパーソンに声をかけて、資本主義研究会というものを立ち上げました。 Q:本書では、「流されるだけの人生から抜け出すために」「基軸がなければ組織に寄りかかるしかない」「人類がつくってきた『考える道筋』」などの節があり、最初に、ソクラテスやプラトン、アリストテレスに始まるギリシャ哲学について多く論じていますね。 A:哲学の意義については話し始めるときりがないので、関心がある方は、本書『人生を考える読書』や、前著『読書大全』を読んでいただければと思います。 若い頃、回し車の中を走るハムスターのように、毎日、会社で懸命に仕事をしていた時は、何も考えていなかったのですが、37歳の時にそこからいったん降りて、「資本主義とは一体なんなのか?」と考え始めたら、そのメカニズムだけでなく、そこで生きている人間の中に根差した何かが見えてきたのです。その根源的なところにあるのが、哲学ですね。 まずは、多くの経済学の学者に話を聞きに行ってみました。でも、驚くことに、資本主義に関する私の素朴な疑問に答えてくれるような先生にはなかなか出会えませんでした。例えて言うなら、自らが自覚しないうちにサッカーフィールドに立っていて、そこでいかに効果的にゴールを決めるか、どうやって相手チームを打ち負かすかという研究に没頭し、そのための戦術を研究している先生は多いのですが、「なぜ相手のゴールにボールを蹴り込まなければいけないのか?」という疑問に答えてくれる人はどこにもいないという感じです。 数学を駆使して、メカニズムとしての経済動向や市場の動きを緻密に研究している先生は多くても、なぜ人々はそうした行動をとらなければならないのか、どうしてそのような社会になっているのかについて、納得のいく説明をしてくれる先生はいませんでした。つまり、経済思想について研究している先生になかなか巡り合えなかったのです』、「数学を駆使して、メカニズムとしての経済動向や市場の動きを緻密に研究している先生は多くても、なぜ人々はそうした行動をとらなければならないのか、どうしてそのような社会になっているのかについて、納得のいく説明をしてくれる先生はいませんでした。つまり、経済思想について研究している先生になかなか巡り合えなかったのです」、なるほど。
・『アダム・スミスの『道徳感情論』と『国富論』 Q:本書の第4章で、模索の結果、アダム・スミスの『道徳感情論』にたどり着いたと、書かれています。 A:そして最後に、大阪大学大学院教授の堂目卓生先生に出会ったのです。堂目先生は、私の話をじっくり聞いた上で、「それはマルクスが感じた根源的な疑問そのものですね」と言われました。 ですから、経済思想については、まずは堂目先生の『アダム・スミス―「道徳感情論」と「国富論」の世界』(中公新書)をお勧めします。近代経済学の祖のアダム・スミスといえば、多くの人が『国富論(諸国民の富)』を思い浮かべます。同書でスミスは、何が国民にとって富に当たるのかを説きました。それも、一国の富ではなく、「諸国民」の富についてです。スミスは、個人が利己的に行動しても、経済は「見えざる手」によってうまく回るということで、市場機能に基づく自由放任主義を唱えています。そのため同書は、今日で言うところの新自由主義的なメッセージを含んだ本だという理解が広まりました。 しかし、それは非常に一面的な理解なのです。スミスを理解するには、『国富論』より17年も前に彼が書いた『道徳感情論』も読む必要があります。同書でスミスは、社会秩序は理性ではなく、道徳感情によって基礎づけられるのだと結論づけました。人間というのは共感する生きものであり、その共感する力が人間の道徳的な観念を形づくり、それが社会を成り立たせているというのです。 スミスは『道徳感情論』を生涯に5回書き直しました。彼の死の直前、1790年の最終版の序論で、1776年に出した『国富論』は彼の道徳哲学の全体構想の一部であったことを明らかにしています。つまり、『国富論』は『道徳感情論』を前提にした経済書であり、単なる自由放任と弱肉強食の書ではないのです。 『道徳感情論』は、古代ギリシャやローマの哲学をはじめ、過去の文献を多く読み解いて引用した上で、自分が生きた18世紀半ばの時代の人々を細かく観察しながら、社会を解説しています。読めば読むほど、「人間とはこういうものだ」ということが深く理解できる書物です。 スミスとともに、やはりマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』も、資本主義について一定の説得力を持って論じていることを付言しておきたいと思います。プロテスタンティズムの中の、特にカルバン派の禁欲の精神と蓄財、神による救済という考え方により、なぜ西洋にだけ資本主義が根付いたのかを明かしています』、「スミスは『道徳感情論』を生涯に5回書き直しました。彼の死の直前、1790年の最終版の序論で、1776年に出した『国富論』は彼の道徳哲学の全体構想の一部であったことを明らかにしています。つまり、『国富論』は『道徳感情論』を前提にした経済書であり、単なる自由放任と弱肉強食の書ではないのです・・・スミスとともに、やはりマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』も、資本主義について一定の説得力を持って論じている」、なるほど。
・『宇沢弘文の『社会的共通資本』の意義 Q:本書で、アダム・スミスの他に一人の学者について一節を設けて論じているのは、「宇沢弘文の『人間のための経済学』」です。 A:宇沢弘文先生は1956年、28歳の時に渡米して、数理経済学の分野で多くの論文を発表し、36歳でシカゴ大学教授に就任します。「ノーベル経済学者に最も近い日本人」とも言われていました。しかし、米国のベトナム戦争に反対して、68年に日本に帰国します。 その後、宇沢先生は東京大学で経済学を教えると同時に、自動車の排気ガスや水俣病などの公害問題、成田空港問題などの解決に向けての社会運動に積極的に関与していきます。 宇沢先生の本も多く読みました。私と同様に、先生も「経済学は人間を幸せにしているのか?」という疑問に行き当たったのではないでしょうか。同書の中では、「なぜ社会の中心に人間が置かれずに、人間が市場経済という鋳型に嵌(は)め込まれなければならないのか?」「資本主義というシステムの中に、人々が本来の人間性を取り戻して平和に暮らせる仕組みを埋め込むことはできないか?」といった問題意識や危機感が見て取れます。 宇沢先生にとって重要なテーマは、いかにして経済学に社会的な観点を導入できるかであり、そこから導き出されたのが「社会的共通資本」の考え方です。それは、「一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置」(『社会的共通資本』岩波新書)です。大気、水道、教育、医療など、市場原理にゆだねてはいけないもののことです。 そして、社会的共通資本の理論によって宇沢先生が守ろうとしていたのは、「人間の尊厳」です。私も、「人間」にもう一度、光を当てて考えないと、資本主義は自壊するのではないかと考えてきたのですが、それは今、地球環境の限界という形で顕在化してきています。 Q:本書では、「『資本主義』社会を『人間』社会として見る」という節を最後の方でまとめられていますね。 A:人類はかつて、有害物質を海にまき散らしても、海はとても大きいからそれを薄めてくれるし、浄化してくれると考えてきました。地球上にはフロンティアがいくらでもあり、ここまでは自分たちの関心事だけれど、その向こう側は放っておいてもなんとかなるという世界観でした。それが今やグローバル化の時代に突入して、実は地球はとても狭く、有限だったということが認識されるようになってきました。その中で、2015年からSDGs(持続可能な開発目標)を国連が提唱し始めます。このSDGsの考え方は、宇沢先生の社会的共通資本に通底するものだと思います。 歴史を振り返ってみると、最初はうまく機能していた社会システムや政治体制も、いつの間にかそれが人間の上位概念になってしまい、それによって人間が疎外され、人間が不幸になっていくということが繰り返されてきました。人類の長い歴史を見てみると、ある「枠組み」に全面的に依存して自ら考えることを放棄してしまうと、人間は必ず不幸になるということがわかります。 ですから、常に、人間の視点から、枠組みを見直し続けていく必要があると思うのです。例えば、共産主義(コミュニズム)というのはソ連の失敗により完全に時代遅れになったと思われていますが、今日、東京大学准教授の斎藤幸平氏のように、コミュニティーを中心にした社会を構築することだとして再定義する動きも見られます。地球環境の限界を世界が認識する中で、脱成長の循環社会のようなものを想定し、提唱しているわけです。彼の著書『人新世の「資本論」』(集英社新書)が話題となり、大ベストセラーになったのは、時代の流れではないかと思うのです。 その意味では、宇沢先生は時代のかなり先を行っていたと言えます。もし彼が今生きていたら、世界が彼の考え方に耳を傾けていたと思うのです。(了)』、「宇沢先生にとって重要なテーマは、いかにして経済学に社会的な観点を導入できるかであり、そこから導き出されたのが「社会的共通資本」の考え方です。それは、「一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置」・・・です。大気、水道、教育、医療など、市場原理にゆだねてはいけないもののことです。 そして、社会的共通資本の理論によって宇沢先生が守ろうとしていたのは、「人間の尊厳」です。私も、「人間」にもう一度、光を当てて考えないと、資本主義は自壊するのではないかと考えてきたのですが、それは今、地球環境の限界という形で顕在化してきています・・・共産主義(コミュニズム)というのはソ連の失敗により完全に時代遅れになったと思われていますが、今日、東京大学准教授の斎藤幸平氏のように、コミュニティーを中心にした社会を構築することだとして再定義する動きも見られます。地球環境の限界を世界が認識する中で、脱成長の循環社会のようなものを想定し、提唱しているわけです。彼の著書『人新世の「資本論」』(集英社新書)が話題となり、大ベストセラーになったのは、時代の流れではないかと思うのです」、その通りなのだろう。
タグ:資本主義 (その11)(資本主義は「加速し続けるランニングマシン」だ 「交換価値」を求め続ける自己増殖システム、渋澤健氏が語る「新しい資本主義」 「外部不経済」どう取り込むか、資本主義とは何か 人間中心に考え直す) 東洋経済オンライン ジェイソン・ヒッケル氏による「資本主義は「加速し続けるランニングマシン」だ 「交換価値」を求め続ける自己増殖システム」 『資本主義の次に来る世界』 「わたしたちが店に行くのは、夕食の材料や冬の寒さをしのぐためのジャケットなど、自分にとって有用な物を買うためだ」、なるほど。 「地元のレストランだ。その店は年末の収支決算では黒字になっているが、オーナーは毎年ほぼ同じ利益を出すことで満足している。家賃を支払い、家族を養い、夏の休暇に旅行するには十分な金額だ。 このビジネスは、「賃金を支払い、利益を出す」という資本主義論理の要素になっているかもしれないが、それ自体は資本主義ではない。 なぜなら、その利益は使用価値の概念に基づいているからだ。中小企業の大半はこうしたやり方で経営されており、このような店は資本主義が生まれる数千年前からあった・・・ アマゾンの利益はジェフ・ベゾスの食卓に食べ物を並べるためだけでなく、会社を大きくするために使われる。競合他社を買収し、地元の小売店を廃業に追い込み、新しい国に進出し、より多くの支店をつくり、人々に不必要なものを買わせる広告キャンペーンを打つ。すべては、年々利益を増やし続けるためだ。) これは自己強化のサイクルであり、加速し続けるランニングマシンだ。お金は利益になり、その利益がより多くのお金をもたらし、そのお金がさらに多くの利益になる。 これが資本主義の特徴であることに、わたしたちは気づき始めている。要する に資本家にとって利益は、単に特定の必要(ニーズ)を満たすためのお金ではなく、資本なのだ」、なるほど。 「資本はさらなる資本を生み出すために再投資されなければならない。このプロセスは決して終わらず、ひたすら拡大し続ける」、なるほど。 (注)ジャガノート:イギリス植民地時代のインドのキリスト教宣教師の報告によって語が伝えられ、上記より転じて「止めることのできない巨大な力」「圧倒的破壊力」といった意味を持つ名詞となった(Wikipedhia)) 日経ビジネスオンライン「渋澤健氏が語る「新しい資本主義」 「外部不経済」どう取り込むか」 「資本主義が取り残したことを否定するのではなく、資本主義に取り込みましょうというこのメッセージが私は非常に大切だと思っています・・・渋澤氏:労働市場の改革で言えば、シームレスな労働移動の円滑化がどこまで制度に落とし込めるか、さらに制度だけではなく、企業の労働の慣習に落とし込めるかが重要です。また同一労働同一賃金の考え方は外国人にも適用されると明示されていることも大きい。 やはり明治維新で渋沢栄一がつくった日本の資本主義を大きく変える機会ということでしょうか」、なるほど。 「今はまだ社会課題市場や環境課題市場があるわけではないので、市場の数字を見て「はい、これが価値です」と言い切れない。だから企業は「自分たちはこういうところに価値があると思っていて、こういう目標を設定し、このように測定していますが、いかがでしょうか」と資本市場に出していかないといけません・・・人を大切にすることは日本企業がずっとやってきたことです。日本企業はもったいなすぎます。日本には大きな伸びしろがあると私は思っています」、その通りだ。 ダイヤモンド・オンライン 堀内勉氏へのインタビュー(後編)「資本主義とは何か。人間中心に考え直す」 新著『人生を変える読書―人類三千年の叡智を力に変える』 (Gakken) 「数学を駆使して、メカニズムとしての経済動向や市場の動きを緻密に研究している先生は多くても、なぜ人々はそうした行動をとらなければならないのか、どうしてそのような社会になっているのかについて、納得のいく説明をしてくれる先生はいませんでした。つまり、経済思想について研究している先生になかなか巡り合えなかったのです」、なるほど。 「スミスは『道徳感情論』を生涯に5回書き直しました。彼の死の直前、1790年の最終版の序論で、1776年に出した『国富論』は彼の道徳哲学の全体構想の一部であったことを明らかにしています。つまり、『国富論』は『道徳感情論』を前提にした経済書であり、単なる自由放任と弱肉強食の書ではないのです・・・スミスとともに、やはりマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』も、資本主義について一定の説得力を持って論じている」、なるほど。 「宇沢先生にとって重要なテーマは、いかにして経済学に社会的な観点を導入できるかであり、そこから導き出されたのが「社会的共通資本」の考え方です。それは、「一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置」・・・です。 大気、水道、教育、医療など、市場原理にゆだねてはいけないもののことです。 そして、社会的共通資本の理論によって宇沢先生が守ろうとしていたのは、「人間の尊厳」です。私も、「人間」にもう一度、光を当てて考えないと、資本主義は自壊するのではないかと考えてきたのですが、それは今、地球環境の限界という形で顕在化してきています・・・ 共産主義(コミュニズム)というのはソ連の失敗により完全に時代遅れになったと思われていますが、今日、東京大学准教授の斎藤幸平氏のように、コミュニティーを中心にした社会を構築することだとして再定義する動きも見られます。地球環境の限界を世界が認識する中で、脱成長の循環社会のようなものを想定し、提唱しているわけです。彼の著書『人新世の「資本論」』(集英社新書)が話題となり、大ベストセラーになったのは、時代の流れではないかと思うのです」、その通りなのだろう。
電子政府(その7)(デジタル庁より「デジタル監視庁」を創設せよ、そういえば「脱印鑑」はどこへ行った~デジタル庁でデジタル化はむしろ事態悪化、事務負担はかえって増えるばかり、あまりに異常なデジタル庁 「日本企業追い出しルール」を突き付ける河野太郎大臣) [経済政治動向]
電子政府については、昨年7月14日に取上げた。今日は、(その7)(デジタル庁より「デジタル監視庁」を創設せよ、そういえば「脱印鑑」はどこへ行った~デジタル庁でデジタル化はむしろ事態悪化、事務負担はかえって増えるばかり、あまりに異常なデジタル庁 「日本企業追い出しルール」を突き付ける河野太郎大臣)である。
先ずは、昨年8月17日付けダイヤモンド・オンラインが記載した元週刊文春・月刊文芸春秋編集長の木俣正剛氏による「デジタル庁より「デジタル監視庁」を創設せよ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/327733
・『マイナンバー騒動が「人為的ミス」で片付けられる怪しさ マイナンバーカード問題が、岸田政権の存続の可能性まで揺さぶっています。 断っておきますが、私はマイナンバー制度一本化に基本的に賛成しています。これが全国民に普及すれば、時として差別につながりかねない戸籍制度などを撤廃できます。本人が住んでもいないところに知らない人の住民票が置かれたままになっているといったこともなくなるでしょう。何よりも、コロナ禍のときのような緊急事態に、国家的補償をする時間が短縮されるはずです。 しかし、残念ながら、現行のマイナンバーカード制度は一度白紙に戻すべきではないか、と考えます。 毎日のように、誤作動や間違った紐付けのケースが報道されます。カード擁護論者は、「そんなことは大きなシステムでは0.01%以下の誤差の範囲内」などと弁明しますが、果たしてそうなのでしょうか。 私はこうしたシステムの事故が人為的ミスとして片づけられることが、まず怪しいと思います。人為的ミスが起こらないように設計することこそ、巨大システムの根本的な設計思想のはずだからです。 たとえば、前の人物がナンバーを打ち込んでいて途中で止めたところ、それが次の登録者のナンバーになってしまったといったミスを人為的ミスとしていますが、次の人物が登録作業に入った瞬間に、前の数字を自動的に消去するシステムにしておくことなどは、巨大システムの常識でしょう。 そして、一番政府に真剣に考えてほしいのは、マイナポイントなどの特典をつけても、なぜ国民の多数が参加しないのか、ということです。この事態こそ、政治家、官僚は胸に手を当てて深刻に考える必要があります。 私に言わせれば、国民が政府を信用していないからです。もし事故が起こって、個人情報が流出し、それによって自分の預金が盗まれたり、病気などの個人情報が漏れたりしたとき、政府はどんな補償をしてくれるのでしょうか。いや、その情報漏れが政府によって起きたことを認めるのでしょうか。 なぜ、そんな疑問を持つかというと、政府や自治体で個人情報漏洩事件が起きても、官僚や政治家が処分を受けたり、逮捕されたりしたなどという話を聞いたことがないからです。) たとえばA元総理の自宅で、突然、押し入れの扉が壊れて中身が飛び出してきた。それが、全部札束だった……。B元幹事長には、業者からの陳情が多く、国会の議員会館に送られてくる贈り物が自室には入り切らず、別室を借りて、荷物部屋になっている……。 こんなケースを山のように私は聞いてきました。そして多くの日本人も、程度の差こそあれ、議員への口利きの話を耳に挟んでいるはずです。安倍晋三・菅義偉と、国会審議を重視せず、司法にまで介入するような政権が長く続き、国政選挙にさえ勝てば何をしてもいいという状態が続きました。 それを否定し、二階幹事長を厳しく批判してスタートしたはずの岸田政権も同じ道をたどっています。日本国民のほとんどは、特に若い人ほど報道の力を信じません。選挙でこの国が変えられるとも思っていません。私は大学で若い学生と接する度に、彼ら、彼女らのこの国への不信感を感じ続けてきました』、「私はこうしたシステムの事故が人為的ミスとして片づけられることが、まず怪しいと思います。人為的ミスが起こらないように設計することこそ、巨大システムの根本的な設計思想のはずだからです。 たとえば、前の人物がナンバーを打ち込んでいて途中で止めたところ、それが次の登録者のナンバーになってしまったといったミスを人為的ミスとしていますが、次の人物が登録作業に入った瞬間に、前の数字を自動的に消去するシステムにしておくことなどは、巨大システムの常識でしょう」、当然だがその通りだ。
・『真のデジタル化を進めるなら「デジタル監視庁」を創設せよ せめて、報道機関がしっかりして、マイナンバーカードの欠陥を糾すことはできないのでしょうか。私は、財務省の力を抑えるために金融庁を設けたように、デジタル化を進めるために「デジタル監視庁」のような組織を設け、国や政権から完全に独立した捜査機関として、個人情報漏洩を厳しく追及するべきだと思います。 マイナンバーで大失敗や隠蔽をやっている人間たちを律し、法で裁けるようにすれば、国民は安心して、マイナンバーに登録すると考えます。たとえば、アメリカでは大量の個人情報流出があって、連邦政府のキャサリン・アーチュレタ人事管理局長が辞任しています。中国のサイバー攻撃により政府職員などの大量の個人情報が盗まれた事件の責任を取り、辞任という形を取りましたが、実際には野党やマスコミの追及が激しく、辞任させるしか鎮静化の方法がなかったからでした。日本にも、こうした厳正さが必要です。 どうして自民党政府は、こんな簡単なことがわからないのでしょうか。それはそうでしょう。戦後の政権のほとんどは自民党政権でした。つまりは行政と立法が同じ人間に支配され、安倍政権では司法さえ支配しようとして、検察のトップ人事にまで介入しかけていました(黒川検事長事件)。 それがいけないことだという自覚さえない議員が多いことに、国民は気付いています。野党は、国民のこの気持ちに配慮した国会運営、選挙戦略を立てるべきなのです。揚げ足取りだけでは、選挙で絶対勝てません』、「アメリカでは大量の個人情報流出があって、連邦政府のキャサリン・アーチュレタ人事管理局長が辞任しています。中国のサイバー攻撃により政府職員などの大量の個人情報が盗まれた事件の責任を取り、辞任という形を取りましたが、実際には野党やマスコミの追及が激しく、辞任させるしか鎮静化の方法がなかったからでした。日本にも、こうした厳正さが必要」、その通りだ。
次に、昨年12月3日付け現代ビジネスが掲載した一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による「そういえば「脱印鑑」はどこへ行った~デジタル庁でデジタル化はむしろ事態悪化、事務負担はかえって増えるばかり」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/120082?imp=0
・『デジタル庁が発足して2年以上たつが、脱印鑑は、進んでいない。それどころか、アナログとデジタルの手段が入り乱れて、事態は悪化している。デジタル庁の存在意義を見直すべきではないか?』、どういうことなのだろう。
・『その昔、「脱印鑑」と言われたことがあった 「脱印鑑」ということが言われたことがある。ずいぶん昔のことだったような気がするので、おそらく、ほとんどの人は忘れてしまっただろう。 そこで改めて説明すると、コロナ禍において在宅勤務が奨励されたが、書類に印鑑を押す必要がある。それだけのために出社しなければならないという事態が頻発して、印鑑を廃止しようという声が高まったのだ。 印鑑が無意味だとは、多くの人がそれまでも日々の仕事の中で嫌というほど感じさせられていたことだ。 印鑑といっても、誰でも手に入る三文判。それを押したところで本人証明にはならないと思うのだが、しかし、規則なので、それがないと書類を受け取ってもらえない。受け取るほうも、一体何のためにこんなことが必要なのかと疑問に思いながらやっていたことなので、脱印鑑は多くの人の賛同を集めた。 そこで、政府も脱印鑑を重要な政策目標として掲げることとした。そして、デジタル庁という役所を新設して、この動きを実現することにした』、「デジタル庁」が「脱印鑑」を「重要な政策目標」としたのは初めて知った。
・『アナログだけより複雑化し悪化している では、脱印鑑は達成されたか? 少なくとも私が見聞きするかぎり、達成されたなどということは、全くない。依然として三文判の押印がなければ、書類を受け付けてくれない。 では、デジタル庁はどうなったのだろうか? コロナ期において、役に立たないアプリを作ったりして話題になったことは覚えているのだが、脱印鑑で何かやったようなことは聞いたことがない。 いや、脱印鑑どころか、事務手続きは、昔より煩雑化したような気がする。 私の場合、次に述べることが、最近ほぼ同時に起きたので、とりわけ強くそれを感じさせられた。 第1は、原稿料を受け取るために、恐ろしく面倒な請求書の作成・送付を要求されたことだ。先方がメールに添付して送ってきた指定形式の請求書に、自筆で署名して押印し、それをPDFにしてメールで返送せよというのだ。 様式自由の請求書に自筆で署名して押印し、郵便で送るのならまだましなのだが、手続きをメールでやりとりしているので、PDFをプリントしたり、それに押印してまたPDFにしたりして、ややこしい。 メールやPDFというデジタルの手段と、自筆署名や押印というアナログな手続きが絡んでいるので、面倒なことになっている。つまり、アナログだけだった時代より、事務手続きがさらに複雑化し、事態が悪化しているのだ。 世の中は依然として何も変わっていない、と言うのではない。繰り返すが、悪化しているのだ』、「メールやPDFというデジタルの手段と、自筆署名や押印というアナログな手続きが絡んでいるので、面倒なことになっている。つまり、アナログだけだった時代より、事務手続きがさらに複雑化し、事態が悪化しているのだ。 世の中は依然として何も変わっていない、と言うのではない。繰り返すが、悪化しているのだ」、事態が「悪化」しているとは酷い。
・『マイナンバーカードで事務負担が増えた もう一つは、やはり原稿料を受け取るために、マイナンバーカードのコピーを送れという要請だ。 この要請自体は、昔からある。そもそも、私がマイナンバーカードを取得したのは、出版社からのこの要請に応じるためだ。 ここでは、つぎのことを要請される。まず、マイナンバーカードの裏表のコピーを取る。それに加え、マイナンバーカードの写真が本人であることを証明する写真付きの証明書(例えば、運転免許証)のコピーを添付せよと要請される。 私は、1980年代にはファックス機、プリンター、コピー機を使っていた。しかし、その後メールを使うようになって、これらはすべて処分してしまった。それからずいぶん時間が経ってからこの手続きを要求されるようになったので、再びプリンターを買わざるをえなくなった。 そもそも、マイナンバーカードは、本人証明をデジタル化するためのものである。ところが。実際には、逆になっている。つまり、マイナンバーカードは信用できないから、他の手段によって、その写真が正しいものであることを証明せよと言うのだ。 そこで、写真付き証明書、コピー機などのアナログ手段を総動員して、デジタル手段であるマイナンバーカードの信憑性を証明することになる。本末転倒もはなはだしい。 それに、マイナンバーカードが信頼できないのなら、そもそも、なぜマイナンバーカードのコピーを要求するのだろうか? これを聞いても、「規則でそうなっているから」という答しか返ってこない。 ここでも、事態は、アナログだけだった時代より、明らかに悪化している。私にとって、マイナンバーカードとは、「面倒なだけで、何の役にも立たないもの」の代名詞だ。 それでも、これまでは、何とか対応してきた。ところが、今回は、返信を書留郵便で送れという要請だった。そのために、わざわざ郵便局まで足を運ばなければならない。 何のためにこういう無駄なことをしなければならないのだろう。送るほうも大変だが、受け取って処理するほうも大変だろう。 こんな馬鹿げたことをやっていて、日本の生産性が上昇するはずがない。 そして、生産性が上がらなければ、日本の賃金が上がらないのも当然のことだ。政府は、賃上げ税制などということを考えるのではなく、無駄に満ちた日本の仕事の現状を合理化することに努めるべきだ。 デジタル庁は、こうした事態をどうして放置しているのだろう? こうしたことがはびこる社会は、デジタル庁の設置趣旨にもとるのではないだろうか?』、「筆者」がマイナンバーカードを取得したのは、出版社からのこの要請に応じるためだ。 ここでは、つぎのことを要請される。まず、マイナンバーカードの裏表のコピーを取る。それに加え、マイナンバーカードの写真が本人であることを証明する写真付きの証明書(例えば、運転免許証)のコピーを添付せよと要請される」、これは「出版社」の手続きが、「マイナンバーカード」を「マイナンバーカード」として、認めてないのと同じだ。私は、「マイナンバーカード」を納税手続きで使っているだけなので、民間企業の利用ではこうしたことがあり得るのかも知れない。本当に馬鹿げたことだ。
・『日本の警察はメール、ネットに手も足も出ない もう一つの例を挙げよう。 前回の本欄で、詐欺サイトについて警察に対処を求めたことを書いた。その際、詐欺広告サイトのURLを通知したいと思い、メールで伝えたいと言った。 ところが、メールの連絡は受け付けないと断られた。警察は、同一署内の各部局間の連絡だけにメールを使っていて、外部との連絡にはメールを使っていないのだそうだ。 そこでやむを得ず、数百字にもなる非常に長いURLを、紙に印刷して郵送することにした。 しかし、これを受け取っても、使うことはできないだろう。何百字もの文字や記号を正しく入力できるなどとは、とても考えられない。 警察はこの件に関して対処できないと言ったが、相手のサイトも開けないのでは、対処できないのは当然のことだ。「日本の警察は、メールやインターネットという手段が使われる世界では、手も足もでない」ということだ。 改めて考え直してみると、これは当たり前のことなのかもしれない。数年前、私は税務署に1枚の書類を送るために、メールで写真を添付しても良いかと尋ねて、断られたことがある。税務署はメールの連絡を受け付けないのだそうだ。 日本政府のこのような信じられない現状に対して、デジタル庁は黙っていてよいのだろうか?』、民間でも、確か銀行や証券会社は、「メール」は受け付けないというクローズドな対応をしていた筈だ。もっとも最近は改善されたのかも知れない。
・『日本のデジタル化とはデジタル庁を作ることなのか? 結局のところ、日本のデジタル化とは、デジタル庁という役所を作ることだけだったのではないかという気がしてくる。 会計検査院は、細かい会計手続きだけを問題にするのでなく、そもそもデジタル庁を作ることが必要だったのか、デジタル庁を作って何が変わったのかを調査すべきだ。 当たり前のことだが、デジタル庁を作ったことが重要なのではなく、作ったデジタル庁が何をしたかが重要なのだ。設立後もう2年以上経つのだから、どんな成果があったかを明らかにするのは当然のことだ。誰もこのことを問題にしないのは、何とも不思議なことだ』、マイナンバーカードの利用促進策は初めに創設した省庁がやれば済むことだ。
・『 日本は1980年代の技術で止まった ファックスを使えるようになって、なんと便利になったのだろうと感じたのは、1980年代のことである。なんと、今から40年以上も前のことだ。日本の事務処理の合理化は、その頃でストップしてしまって、その後、何も進んでない。それどころか、後退している。 これでは、急速に進歩する世界の動きについていけないのは、当然のことだ。世界の中で日本の地位が目に見えて低下していくのは当たり前のことと、絶望的な気持ちになる』、同感であるが、先述の情報セキュリティ上の問題が残ったままでは、一向に改善しない。情報セキュリティ問題と、オープンシステムの在り方として、掘り下げる必要がありそうだ。
第三に、本年1月29日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したイトモス研究所所長の小倉健一氏による「あまりに異常なデジタル庁、「日本企業追い出しルール」を突き付ける河野太郎大臣:国や地方自治体などの公的機関が、その行政業務を行うために必要なコンピューターシステムを共有するための仕組みである「政府(ガバメント)クラウド」。昨年11月、その提供事業者に初めて国内企業が選ばれたが、デジタル庁関係者は「日本企業の参入を妨害する」障壁があるという』、どういうことなのだろう。
・『米IT大手の独壇場に日本企業がついに参入 日本のデジタル産業に、ものすごく大きなニュースが飛び込んできた。「政府(ガバメント)クラウンド」のシステム提供事業者に、国内企業「さくらインターネット」が初めて選定されたのだ。2025年度末までに技術要件をすべて満たすという条件付きでの選定となる。 「ガバメントクラウド」とは、国や地方自治体のような公的機関が、その行政業務を行うために必要なコンピューターシステムを共有するための仕組みのことである。現在、それぞれの行政機関が自分たちだけの個別のコンピューターシステムを持っているが、ガバメントクラウドを利用することで、これらの機関はシステムの運用にかかる費用を減らすことができる。普通のクラウドサービスとは異なり、ガバメントクラウドは特にセキュリティーが高く設計されている点が特徴である。 これまで、このガバメントクラウドの提供事業者は、アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)を中心とする米IT大手の独壇場(というかほぼAWS1社の独壇場)で、〈多額の費用を米側に支払い、国際収支を1.6兆円も悪化させる要因になっていた〉(産経新聞・2023年12月5日)という』、経済安全保障の観点からは、「ガバメントクラウド」は米国の「AWS」ではなく、日本のIT企業とするべきだ。日系業者が準備が出来ていないようであれば、それを待つべきだ。
・『国家機密にあたる情報をアメリカ企業が握る危うさ 貿易の収支だけではない。安全保障上の観点からも、いくらアメリカが同盟国だとはいえ、国家機密にあたる情報をアメリカ企業に握られてしまうのは、非常に危険だとされている。 例えば、ヨーロッパ(EU)では、ガバメントクラウドを2種類に分けて、公開情報などの比較的セキュリティーを考えなくてもいい情報については、自由競争に任せて安い運営会社を選定している。結果として、AWS、マイクロソフト、グーグル、オラクルなどのアメリカ企業が、そのセキュリティーの低い分野でのガバメントクラウドを運用している。しかし、個人情報、国防、外交機密などセキュリティーを高くしないといけない情報については各国が自国企業を選んでいる実態がある。 日本は、アメリカと同じように、というとかなりの誤解を生むのだが、セキュリティーの高い分野も低い分野もアメリカ企業がガバメントクラウドを運営してきた。しかし、いくら「同じ」といっても、日本はアメリカではない。アメリカの企業は当然ながら日本よりもアメリカの法律や行政に従う実態がある』、「日本」も「EU諸国」並に「個人情報、国防、外交機密などセキュリティーを高くしないといけない情報については」「自国企業を選ぶ」ようにすべきだ。
・『アメリカの裁判所が令状を発行するとデータの提供を強制できる アメリカには、米国クラウド法(Clarifying Lawful Overseas Use of Data Act: CLOUD Act)という法律がある。米国クラウド法は、電子データに関する国際的な法的問題について取り決められている。具体的には、アメリカの裁判所によって令状が発行された場合、アメリカの警察や政府機関は直接的に海外の企業にデータの提供を要求できるようになった。これには、メール、ドキュメント、写真などのデジタルデータが含まれている。 この法律は、AWSなどの持っているデジタルデータを、例えば日本やEU諸国のプライバシー関連の法律を超えて、アメリカの都合で、いくらでも見られてしまうという懸念が根強い。日本政府は、デジタル庁(地方公共団体情報システムの ガバメントクラウドの利用に関する基準 【第1.0版】など)がその懸念払拭に努めているが、相当怪しい。やはり機密性の高いデータについては、日本独自の法律が通用する企業が独占的に選定されるように進めていくのが、安全保障上の脅威を取り除くことにつながる。 その意味で、この「さくらインターネット」のガバメントクラウドの選定は、大変歓迎すべきニュースということになる。他にも今回は選定されなかったものの、IIJやソフトバンクも手を挙げていたとされ、今後の参入を期待していよう』、「さくらインターネット」の他、「IIJやソフトバンクも手を挙げていた」のであれば、望ましいことだ。
・『DXの取材のはずがトラクターを補助金で手に入れた話に… しかし、こうした「国産クラウド」を手掛ける会社からは、日本におけるガバメントクランドについての「歪み」を指摘する声が相次いだのも確かだ。 もし、ガバメントクラウドの利用が日本中に増えることになると、過疎地域の地方自治体のDXが進むきっかけになる。最近、岩手県のとある町、過疎を絵に描いたような町へ取材をしに行ったが、町役場においてDXを担える人材など、はっきり言っていない印象だった。筆者はDXの状況を説明してほしいと聞いたが、話の途中で、農薬をまくトラクターを補助金で手に入れた話になっていた…。これは全国の自治体でも同様だろう。 鳥取県庁に至っては、チャットGPTの使用すら禁止してしまった。県知事いわく「ちゃんとじーみーちーに」として、効率化はしないと宣言した。トップのばかげたダジャレで、効率化をやめるという暴挙。鳥取県民に対し心の底から同情を禁じ得ない(現在は暫定利用を開始したらしい。さっさと積極利用すべきだ)が、どこの自治体もDXというと顔を背ける職員は多いだろう。この記事にあっても、2文目に「政府(ガバメント)クラウド」と出てきた時点で、読むのをやめている人もたくさんいるはずだ。私も似たような人種だ。カタカナは日本人の集中力を削いでいると思う』、「鳥取県庁に至っては、チャットGPTの使用すら禁止してしまった。県知事いわく「ちゃんとじーみーちーに」として、効率化はしないと宣言した。トップのばかげたダジャレで、効率化をやめるという暴挙」、「トップのばかげたダジャレで、効率化をやめるという暴挙」には心底驚かされた。
・『デジタル庁には多くの元アマゾン社員がいる 話がそれたが、このガバメントクラウドが活用されれば、中央官庁(総務省など)が最新のDXを駆使することで、地方行政のDXが勝手に最新のものへと更新されていくようになる可能性はある。今は、どこもバラバラですべて使い勝手の悪いものばかりだ。セキュリティーの高いクラウドという概念がないために、インターネットから遮断されたパソコンで個人情報などはバラバラに管理されている。 こうしたバラバラの情報を統合する動きが、法律で義務付けられたことを契機にはじまっているのだが、読売新聞(2023年12月4日)によれば、2025年度末までに完了できないとした自治体は全体の31%にも上っている。アンケートによれば、財政負担が重いのもそうだが、やはりデジタル人材の確保の難しさを挙げている自治体が多かった。 そしてまた、こうした個人情報を統合して預ける先が、米国企業というのは、自治体にとっても恐怖だろう。 この「歪み」、つまり国内企業がガバメントクラウドに参入できにくくしている理由がある。それは「デジタル庁がアマゾンに乗っ取られているからだ」とする関係者は多い。 「デジタル庁と初代デジタル庁大臣だった平井卓也氏とアマゾンの関係は深い。デジタル庁には多くの民間出身職員に元アマゾン社員がいて、幅を利かせている。今回のガバメントクラウドの技術要件はアマゾンの提供するAWSに準拠したものだが、約8割は日本の自治体に必要のないものだ。この無意味な技術要件が、日本企業の参入を妨害しているのは間違いない。当然、コストも上がる」(デジタル庁関係者) 実際に、日経新聞などの取材(2022年4月20日)でも〈「これじゃ米アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)のプレゼン資料そのものだ」。2021年10月、行政向けシステム基盤「ガバメントクラウド」の先行事業の公募で、デジタル庁が求める要件を見たIT(情報技術)企業関係者らは絶句した〉という声が上がっている。猪瀬直樹参議院議員も「ガバメントクラウド担当にアマゾン出身者がいたりする」(note・2023年7月18日)と、デジタル庁にアマゾンが強い影響力を持っているということをうかがわせるエピソードには事欠かない。 国産クラウドの登場を阻んでいるのは、アマゾン出身のデジタル庁職員によるアマゾンルールの適用の押し付けだ。こんな無駄な要件を突きつける、河野太郎デジタル大臣は、もはやアマゾンの奴隷と言っていいだろう』、「デジタル庁と初代デジタル庁大臣だった平井卓也氏とアマゾンの関係は深い。デジタル庁には多くの民間出身職員に元アマゾン社員がいて、幅を利かせている。今回のガバメントクラウドの技術要件はアマゾンの提供するAWSに準拠したものだが、約8割は日本の自治体に必要のないものだ。この無意味な技術要件が、日本企業の参入を妨害しているのは間違いない。当然、コストも上がる」(デジタル庁関係者) 実際に、日経新聞などの取材(2022年4月20日)でも〈「これじゃ米アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)のプレゼン資料そのものだ」。2021年10月、行政向けシステム基盤「ガバメントクラウド」の先行事業の公募で、デジタル庁が求める要件を見たIT(情報技術)企業関係者らは絶句した〉という声が上がっている。猪瀬直樹参議院議員も「ガバメントクラウド担当にアマゾン出身者がいたりする」(note・2023年7月18日)と、デジタル庁にアマゾンが強い影響力を持っているということをうかがわせるエピソードには事欠かない。 国産クラウドの登場を阻んでいるのは、アマゾン出身のデジタル庁職員によるアマゾンルールの適用の押し付けだ。こんな無駄な要件を突きつける、河野太郎デジタル大臣は、もはやアマゾンの奴隷と言っていいだろう」、「河野太郎デジタル大臣は、もはやアマゾンの奴隷と言っていいだろう」、飛んでもないことだ。「アマゾン」と「デジタル庁」の関係は、もっと深く掘り下げて追及すべきだ。
先ずは、昨年8月17日付けダイヤモンド・オンラインが記載した元週刊文春・月刊文芸春秋編集長の木俣正剛氏による「デジタル庁より「デジタル監視庁」を創設せよ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/327733
・『マイナンバー騒動が「人為的ミス」で片付けられる怪しさ マイナンバーカード問題が、岸田政権の存続の可能性まで揺さぶっています。 断っておきますが、私はマイナンバー制度一本化に基本的に賛成しています。これが全国民に普及すれば、時として差別につながりかねない戸籍制度などを撤廃できます。本人が住んでもいないところに知らない人の住民票が置かれたままになっているといったこともなくなるでしょう。何よりも、コロナ禍のときのような緊急事態に、国家的補償をする時間が短縮されるはずです。 しかし、残念ながら、現行のマイナンバーカード制度は一度白紙に戻すべきではないか、と考えます。 毎日のように、誤作動や間違った紐付けのケースが報道されます。カード擁護論者は、「そんなことは大きなシステムでは0.01%以下の誤差の範囲内」などと弁明しますが、果たしてそうなのでしょうか。 私はこうしたシステムの事故が人為的ミスとして片づけられることが、まず怪しいと思います。人為的ミスが起こらないように設計することこそ、巨大システムの根本的な設計思想のはずだからです。 たとえば、前の人物がナンバーを打ち込んでいて途中で止めたところ、それが次の登録者のナンバーになってしまったといったミスを人為的ミスとしていますが、次の人物が登録作業に入った瞬間に、前の数字を自動的に消去するシステムにしておくことなどは、巨大システムの常識でしょう。 そして、一番政府に真剣に考えてほしいのは、マイナポイントなどの特典をつけても、なぜ国民の多数が参加しないのか、ということです。この事態こそ、政治家、官僚は胸に手を当てて深刻に考える必要があります。 私に言わせれば、国民が政府を信用していないからです。もし事故が起こって、個人情報が流出し、それによって自分の預金が盗まれたり、病気などの個人情報が漏れたりしたとき、政府はどんな補償をしてくれるのでしょうか。いや、その情報漏れが政府によって起きたことを認めるのでしょうか。 なぜ、そんな疑問を持つかというと、政府や自治体で個人情報漏洩事件が起きても、官僚や政治家が処分を受けたり、逮捕されたりしたなどという話を聞いたことがないからです。) たとえばA元総理の自宅で、突然、押し入れの扉が壊れて中身が飛び出してきた。それが、全部札束だった……。B元幹事長には、業者からの陳情が多く、国会の議員会館に送られてくる贈り物が自室には入り切らず、別室を借りて、荷物部屋になっている……。 こんなケースを山のように私は聞いてきました。そして多くの日本人も、程度の差こそあれ、議員への口利きの話を耳に挟んでいるはずです。安倍晋三・菅義偉と、国会審議を重視せず、司法にまで介入するような政権が長く続き、国政選挙にさえ勝てば何をしてもいいという状態が続きました。 それを否定し、二階幹事長を厳しく批判してスタートしたはずの岸田政権も同じ道をたどっています。日本国民のほとんどは、特に若い人ほど報道の力を信じません。選挙でこの国が変えられるとも思っていません。私は大学で若い学生と接する度に、彼ら、彼女らのこの国への不信感を感じ続けてきました』、「私はこうしたシステムの事故が人為的ミスとして片づけられることが、まず怪しいと思います。人為的ミスが起こらないように設計することこそ、巨大システムの根本的な設計思想のはずだからです。 たとえば、前の人物がナンバーを打ち込んでいて途中で止めたところ、それが次の登録者のナンバーになってしまったといったミスを人為的ミスとしていますが、次の人物が登録作業に入った瞬間に、前の数字を自動的に消去するシステムにしておくことなどは、巨大システムの常識でしょう」、当然だがその通りだ。
・『真のデジタル化を進めるなら「デジタル監視庁」を創設せよ せめて、報道機関がしっかりして、マイナンバーカードの欠陥を糾すことはできないのでしょうか。私は、財務省の力を抑えるために金融庁を設けたように、デジタル化を進めるために「デジタル監視庁」のような組織を設け、国や政権から完全に独立した捜査機関として、個人情報漏洩を厳しく追及するべきだと思います。 マイナンバーで大失敗や隠蔽をやっている人間たちを律し、法で裁けるようにすれば、国民は安心して、マイナンバーに登録すると考えます。たとえば、アメリカでは大量の個人情報流出があって、連邦政府のキャサリン・アーチュレタ人事管理局長が辞任しています。中国のサイバー攻撃により政府職員などの大量の個人情報が盗まれた事件の責任を取り、辞任という形を取りましたが、実際には野党やマスコミの追及が激しく、辞任させるしか鎮静化の方法がなかったからでした。日本にも、こうした厳正さが必要です。 どうして自民党政府は、こんな簡単なことがわからないのでしょうか。それはそうでしょう。戦後の政権のほとんどは自民党政権でした。つまりは行政と立法が同じ人間に支配され、安倍政権では司法さえ支配しようとして、検察のトップ人事にまで介入しかけていました(黒川検事長事件)。 それがいけないことだという自覚さえない議員が多いことに、国民は気付いています。野党は、国民のこの気持ちに配慮した国会運営、選挙戦略を立てるべきなのです。揚げ足取りだけでは、選挙で絶対勝てません』、「アメリカでは大量の個人情報流出があって、連邦政府のキャサリン・アーチュレタ人事管理局長が辞任しています。中国のサイバー攻撃により政府職員などの大量の個人情報が盗まれた事件の責任を取り、辞任という形を取りましたが、実際には野党やマスコミの追及が激しく、辞任させるしか鎮静化の方法がなかったからでした。日本にも、こうした厳正さが必要」、その通りだ。
次に、昨年12月3日付け現代ビジネスが掲載した一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による「そういえば「脱印鑑」はどこへ行った~デジタル庁でデジタル化はむしろ事態悪化、事務負担はかえって増えるばかり」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/120082?imp=0
・『デジタル庁が発足して2年以上たつが、脱印鑑は、進んでいない。それどころか、アナログとデジタルの手段が入り乱れて、事態は悪化している。デジタル庁の存在意義を見直すべきではないか?』、どういうことなのだろう。
・『その昔、「脱印鑑」と言われたことがあった 「脱印鑑」ということが言われたことがある。ずいぶん昔のことだったような気がするので、おそらく、ほとんどの人は忘れてしまっただろう。 そこで改めて説明すると、コロナ禍において在宅勤務が奨励されたが、書類に印鑑を押す必要がある。それだけのために出社しなければならないという事態が頻発して、印鑑を廃止しようという声が高まったのだ。 印鑑が無意味だとは、多くの人がそれまでも日々の仕事の中で嫌というほど感じさせられていたことだ。 印鑑といっても、誰でも手に入る三文判。それを押したところで本人証明にはならないと思うのだが、しかし、規則なので、それがないと書類を受け取ってもらえない。受け取るほうも、一体何のためにこんなことが必要なのかと疑問に思いながらやっていたことなので、脱印鑑は多くの人の賛同を集めた。 そこで、政府も脱印鑑を重要な政策目標として掲げることとした。そして、デジタル庁という役所を新設して、この動きを実現することにした』、「デジタル庁」が「脱印鑑」を「重要な政策目標」としたのは初めて知った。
・『アナログだけより複雑化し悪化している では、脱印鑑は達成されたか? 少なくとも私が見聞きするかぎり、達成されたなどということは、全くない。依然として三文判の押印がなければ、書類を受け付けてくれない。 では、デジタル庁はどうなったのだろうか? コロナ期において、役に立たないアプリを作ったりして話題になったことは覚えているのだが、脱印鑑で何かやったようなことは聞いたことがない。 いや、脱印鑑どころか、事務手続きは、昔より煩雑化したような気がする。 私の場合、次に述べることが、最近ほぼ同時に起きたので、とりわけ強くそれを感じさせられた。 第1は、原稿料を受け取るために、恐ろしく面倒な請求書の作成・送付を要求されたことだ。先方がメールに添付して送ってきた指定形式の請求書に、自筆で署名して押印し、それをPDFにしてメールで返送せよというのだ。 様式自由の請求書に自筆で署名して押印し、郵便で送るのならまだましなのだが、手続きをメールでやりとりしているので、PDFをプリントしたり、それに押印してまたPDFにしたりして、ややこしい。 メールやPDFというデジタルの手段と、自筆署名や押印というアナログな手続きが絡んでいるので、面倒なことになっている。つまり、アナログだけだった時代より、事務手続きがさらに複雑化し、事態が悪化しているのだ。 世の中は依然として何も変わっていない、と言うのではない。繰り返すが、悪化しているのだ』、「メールやPDFというデジタルの手段と、自筆署名や押印というアナログな手続きが絡んでいるので、面倒なことになっている。つまり、アナログだけだった時代より、事務手続きがさらに複雑化し、事態が悪化しているのだ。 世の中は依然として何も変わっていない、と言うのではない。繰り返すが、悪化しているのだ」、事態が「悪化」しているとは酷い。
・『マイナンバーカードで事務負担が増えた もう一つは、やはり原稿料を受け取るために、マイナンバーカードのコピーを送れという要請だ。 この要請自体は、昔からある。そもそも、私がマイナンバーカードを取得したのは、出版社からのこの要請に応じるためだ。 ここでは、つぎのことを要請される。まず、マイナンバーカードの裏表のコピーを取る。それに加え、マイナンバーカードの写真が本人であることを証明する写真付きの証明書(例えば、運転免許証)のコピーを添付せよと要請される。 私は、1980年代にはファックス機、プリンター、コピー機を使っていた。しかし、その後メールを使うようになって、これらはすべて処分してしまった。それからずいぶん時間が経ってからこの手続きを要求されるようになったので、再びプリンターを買わざるをえなくなった。 そもそも、マイナンバーカードは、本人証明をデジタル化するためのものである。ところが。実際には、逆になっている。つまり、マイナンバーカードは信用できないから、他の手段によって、その写真が正しいものであることを証明せよと言うのだ。 そこで、写真付き証明書、コピー機などのアナログ手段を総動員して、デジタル手段であるマイナンバーカードの信憑性を証明することになる。本末転倒もはなはだしい。 それに、マイナンバーカードが信頼できないのなら、そもそも、なぜマイナンバーカードのコピーを要求するのだろうか? これを聞いても、「規則でそうなっているから」という答しか返ってこない。 ここでも、事態は、アナログだけだった時代より、明らかに悪化している。私にとって、マイナンバーカードとは、「面倒なだけで、何の役にも立たないもの」の代名詞だ。 それでも、これまでは、何とか対応してきた。ところが、今回は、返信を書留郵便で送れという要請だった。そのために、わざわざ郵便局まで足を運ばなければならない。 何のためにこういう無駄なことをしなければならないのだろう。送るほうも大変だが、受け取って処理するほうも大変だろう。 こんな馬鹿げたことをやっていて、日本の生産性が上昇するはずがない。 そして、生産性が上がらなければ、日本の賃金が上がらないのも当然のことだ。政府は、賃上げ税制などということを考えるのではなく、無駄に満ちた日本の仕事の現状を合理化することに努めるべきだ。 デジタル庁は、こうした事態をどうして放置しているのだろう? こうしたことがはびこる社会は、デジタル庁の設置趣旨にもとるのではないだろうか?』、「筆者」がマイナンバーカードを取得したのは、出版社からのこの要請に応じるためだ。 ここでは、つぎのことを要請される。まず、マイナンバーカードの裏表のコピーを取る。それに加え、マイナンバーカードの写真が本人であることを証明する写真付きの証明書(例えば、運転免許証)のコピーを添付せよと要請される」、これは「出版社」の手続きが、「マイナンバーカード」を「マイナンバーカード」として、認めてないのと同じだ。私は、「マイナンバーカード」を納税手続きで使っているだけなので、民間企業の利用ではこうしたことがあり得るのかも知れない。本当に馬鹿げたことだ。
・『日本の警察はメール、ネットに手も足も出ない もう一つの例を挙げよう。 前回の本欄で、詐欺サイトについて警察に対処を求めたことを書いた。その際、詐欺広告サイトのURLを通知したいと思い、メールで伝えたいと言った。 ところが、メールの連絡は受け付けないと断られた。警察は、同一署内の各部局間の連絡だけにメールを使っていて、外部との連絡にはメールを使っていないのだそうだ。 そこでやむを得ず、数百字にもなる非常に長いURLを、紙に印刷して郵送することにした。 しかし、これを受け取っても、使うことはできないだろう。何百字もの文字や記号を正しく入力できるなどとは、とても考えられない。 警察はこの件に関して対処できないと言ったが、相手のサイトも開けないのでは、対処できないのは当然のことだ。「日本の警察は、メールやインターネットという手段が使われる世界では、手も足もでない」ということだ。 改めて考え直してみると、これは当たり前のことなのかもしれない。数年前、私は税務署に1枚の書類を送るために、メールで写真を添付しても良いかと尋ねて、断られたことがある。税務署はメールの連絡を受け付けないのだそうだ。 日本政府のこのような信じられない現状に対して、デジタル庁は黙っていてよいのだろうか?』、民間でも、確か銀行や証券会社は、「メール」は受け付けないというクローズドな対応をしていた筈だ。もっとも最近は改善されたのかも知れない。
・『日本のデジタル化とはデジタル庁を作ることなのか? 結局のところ、日本のデジタル化とは、デジタル庁という役所を作ることだけだったのではないかという気がしてくる。 会計検査院は、細かい会計手続きだけを問題にするのでなく、そもそもデジタル庁を作ることが必要だったのか、デジタル庁を作って何が変わったのかを調査すべきだ。 当たり前のことだが、デジタル庁を作ったことが重要なのではなく、作ったデジタル庁が何をしたかが重要なのだ。設立後もう2年以上経つのだから、どんな成果があったかを明らかにするのは当然のことだ。誰もこのことを問題にしないのは、何とも不思議なことだ』、マイナンバーカードの利用促進策は初めに創設した省庁がやれば済むことだ。
・『 日本は1980年代の技術で止まった ファックスを使えるようになって、なんと便利になったのだろうと感じたのは、1980年代のことである。なんと、今から40年以上も前のことだ。日本の事務処理の合理化は、その頃でストップしてしまって、その後、何も進んでない。それどころか、後退している。 これでは、急速に進歩する世界の動きについていけないのは、当然のことだ。世界の中で日本の地位が目に見えて低下していくのは当たり前のことと、絶望的な気持ちになる』、同感であるが、先述の情報セキュリティ上の問題が残ったままでは、一向に改善しない。情報セキュリティ問題と、オープンシステムの在り方として、掘り下げる必要がありそうだ。
第三に、本年1月29日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したイトモス研究所所長の小倉健一氏による「あまりに異常なデジタル庁、「日本企業追い出しルール」を突き付ける河野太郎大臣:国や地方自治体などの公的機関が、その行政業務を行うために必要なコンピューターシステムを共有するための仕組みである「政府(ガバメント)クラウド」。昨年11月、その提供事業者に初めて国内企業が選ばれたが、デジタル庁関係者は「日本企業の参入を妨害する」障壁があるという』、どういうことなのだろう。
・『米IT大手の独壇場に日本企業がついに参入 日本のデジタル産業に、ものすごく大きなニュースが飛び込んできた。「政府(ガバメント)クラウンド」のシステム提供事業者に、国内企業「さくらインターネット」が初めて選定されたのだ。2025年度末までに技術要件をすべて満たすという条件付きでの選定となる。 「ガバメントクラウド」とは、国や地方自治体のような公的機関が、その行政業務を行うために必要なコンピューターシステムを共有するための仕組みのことである。現在、それぞれの行政機関が自分たちだけの個別のコンピューターシステムを持っているが、ガバメントクラウドを利用することで、これらの機関はシステムの運用にかかる費用を減らすことができる。普通のクラウドサービスとは異なり、ガバメントクラウドは特にセキュリティーが高く設計されている点が特徴である。 これまで、このガバメントクラウドの提供事業者は、アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)を中心とする米IT大手の独壇場(というかほぼAWS1社の独壇場)で、〈多額の費用を米側に支払い、国際収支を1.6兆円も悪化させる要因になっていた〉(産経新聞・2023年12月5日)という』、経済安全保障の観点からは、「ガバメントクラウド」は米国の「AWS」ではなく、日本のIT企業とするべきだ。日系業者が準備が出来ていないようであれば、それを待つべきだ。
・『国家機密にあたる情報をアメリカ企業が握る危うさ 貿易の収支だけではない。安全保障上の観点からも、いくらアメリカが同盟国だとはいえ、国家機密にあたる情報をアメリカ企業に握られてしまうのは、非常に危険だとされている。 例えば、ヨーロッパ(EU)では、ガバメントクラウドを2種類に分けて、公開情報などの比較的セキュリティーを考えなくてもいい情報については、自由競争に任せて安い運営会社を選定している。結果として、AWS、マイクロソフト、グーグル、オラクルなどのアメリカ企業が、そのセキュリティーの低い分野でのガバメントクラウドを運用している。しかし、個人情報、国防、外交機密などセキュリティーを高くしないといけない情報については各国が自国企業を選んでいる実態がある。 日本は、アメリカと同じように、というとかなりの誤解を生むのだが、セキュリティーの高い分野も低い分野もアメリカ企業がガバメントクラウドを運営してきた。しかし、いくら「同じ」といっても、日本はアメリカではない。アメリカの企業は当然ながら日本よりもアメリカの法律や行政に従う実態がある』、「日本」も「EU諸国」並に「個人情報、国防、外交機密などセキュリティーを高くしないといけない情報については」「自国企業を選ぶ」ようにすべきだ。
・『アメリカの裁判所が令状を発行するとデータの提供を強制できる アメリカには、米国クラウド法(Clarifying Lawful Overseas Use of Data Act: CLOUD Act)という法律がある。米国クラウド法は、電子データに関する国際的な法的問題について取り決められている。具体的には、アメリカの裁判所によって令状が発行された場合、アメリカの警察や政府機関は直接的に海外の企業にデータの提供を要求できるようになった。これには、メール、ドキュメント、写真などのデジタルデータが含まれている。 この法律は、AWSなどの持っているデジタルデータを、例えば日本やEU諸国のプライバシー関連の法律を超えて、アメリカの都合で、いくらでも見られてしまうという懸念が根強い。日本政府は、デジタル庁(地方公共団体情報システムの ガバメントクラウドの利用に関する基準 【第1.0版】など)がその懸念払拭に努めているが、相当怪しい。やはり機密性の高いデータについては、日本独自の法律が通用する企業が独占的に選定されるように進めていくのが、安全保障上の脅威を取り除くことにつながる。 その意味で、この「さくらインターネット」のガバメントクラウドの選定は、大変歓迎すべきニュースということになる。他にも今回は選定されなかったものの、IIJやソフトバンクも手を挙げていたとされ、今後の参入を期待していよう』、「さくらインターネット」の他、「IIJやソフトバンクも手を挙げていた」のであれば、望ましいことだ。
・『DXの取材のはずがトラクターを補助金で手に入れた話に… しかし、こうした「国産クラウド」を手掛ける会社からは、日本におけるガバメントクランドについての「歪み」を指摘する声が相次いだのも確かだ。 もし、ガバメントクラウドの利用が日本中に増えることになると、過疎地域の地方自治体のDXが進むきっかけになる。最近、岩手県のとある町、過疎を絵に描いたような町へ取材をしに行ったが、町役場においてDXを担える人材など、はっきり言っていない印象だった。筆者はDXの状況を説明してほしいと聞いたが、話の途中で、農薬をまくトラクターを補助金で手に入れた話になっていた…。これは全国の自治体でも同様だろう。 鳥取県庁に至っては、チャットGPTの使用すら禁止してしまった。県知事いわく「ちゃんとじーみーちーに」として、効率化はしないと宣言した。トップのばかげたダジャレで、効率化をやめるという暴挙。鳥取県民に対し心の底から同情を禁じ得ない(現在は暫定利用を開始したらしい。さっさと積極利用すべきだ)が、どこの自治体もDXというと顔を背ける職員は多いだろう。この記事にあっても、2文目に「政府(ガバメント)クラウド」と出てきた時点で、読むのをやめている人もたくさんいるはずだ。私も似たような人種だ。カタカナは日本人の集中力を削いでいると思う』、「鳥取県庁に至っては、チャットGPTの使用すら禁止してしまった。県知事いわく「ちゃんとじーみーちーに」として、効率化はしないと宣言した。トップのばかげたダジャレで、効率化をやめるという暴挙」、「トップのばかげたダジャレで、効率化をやめるという暴挙」には心底驚かされた。
・『デジタル庁には多くの元アマゾン社員がいる 話がそれたが、このガバメントクラウドが活用されれば、中央官庁(総務省など)が最新のDXを駆使することで、地方行政のDXが勝手に最新のものへと更新されていくようになる可能性はある。今は、どこもバラバラですべて使い勝手の悪いものばかりだ。セキュリティーの高いクラウドという概念がないために、インターネットから遮断されたパソコンで個人情報などはバラバラに管理されている。 こうしたバラバラの情報を統合する動きが、法律で義務付けられたことを契機にはじまっているのだが、読売新聞(2023年12月4日)によれば、2025年度末までに完了できないとした自治体は全体の31%にも上っている。アンケートによれば、財政負担が重いのもそうだが、やはりデジタル人材の確保の難しさを挙げている自治体が多かった。 そしてまた、こうした個人情報を統合して預ける先が、米国企業というのは、自治体にとっても恐怖だろう。 この「歪み」、つまり国内企業がガバメントクラウドに参入できにくくしている理由がある。それは「デジタル庁がアマゾンに乗っ取られているからだ」とする関係者は多い。 「デジタル庁と初代デジタル庁大臣だった平井卓也氏とアマゾンの関係は深い。デジタル庁には多くの民間出身職員に元アマゾン社員がいて、幅を利かせている。今回のガバメントクラウドの技術要件はアマゾンの提供するAWSに準拠したものだが、約8割は日本の自治体に必要のないものだ。この無意味な技術要件が、日本企業の参入を妨害しているのは間違いない。当然、コストも上がる」(デジタル庁関係者) 実際に、日経新聞などの取材(2022年4月20日)でも〈「これじゃ米アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)のプレゼン資料そのものだ」。2021年10月、行政向けシステム基盤「ガバメントクラウド」の先行事業の公募で、デジタル庁が求める要件を見たIT(情報技術)企業関係者らは絶句した〉という声が上がっている。猪瀬直樹参議院議員も「ガバメントクラウド担当にアマゾン出身者がいたりする」(note・2023年7月18日)と、デジタル庁にアマゾンが強い影響力を持っているということをうかがわせるエピソードには事欠かない。 国産クラウドの登場を阻んでいるのは、アマゾン出身のデジタル庁職員によるアマゾンルールの適用の押し付けだ。こんな無駄な要件を突きつける、河野太郎デジタル大臣は、もはやアマゾンの奴隷と言っていいだろう』、「デジタル庁と初代デジタル庁大臣だった平井卓也氏とアマゾンの関係は深い。デジタル庁には多くの民間出身職員に元アマゾン社員がいて、幅を利かせている。今回のガバメントクラウドの技術要件はアマゾンの提供するAWSに準拠したものだが、約8割は日本の自治体に必要のないものだ。この無意味な技術要件が、日本企業の参入を妨害しているのは間違いない。当然、コストも上がる」(デジタル庁関係者) 実際に、日経新聞などの取材(2022年4月20日)でも〈「これじゃ米アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)のプレゼン資料そのものだ」。2021年10月、行政向けシステム基盤「ガバメントクラウド」の先行事業の公募で、デジタル庁が求める要件を見たIT(情報技術)企業関係者らは絶句した〉という声が上がっている。猪瀬直樹参議院議員も「ガバメントクラウド担当にアマゾン出身者がいたりする」(note・2023年7月18日)と、デジタル庁にアマゾンが強い影響力を持っているということをうかがわせるエピソードには事欠かない。 国産クラウドの登場を阻んでいるのは、アマゾン出身のデジタル庁職員によるアマゾンルールの適用の押し付けだ。こんな無駄な要件を突きつける、河野太郎デジタル大臣は、もはやアマゾンの奴隷と言っていいだろう」、「河野太郎デジタル大臣は、もはやアマゾンの奴隷と言っていいだろう」、飛んでもないことだ。「アマゾン」と「デジタル庁」の関係は、もっと深く掘り下げて追及すべきだ。
タグ:電子政府 ダイヤモンド・オンライン (その7)(デジタル庁より「デジタル監視庁」を創設せよ、そういえば「脱印鑑」はどこへ行った~デジタル庁でデジタル化はむしろ事態悪化、事務負担はかえって増えるばかり、あまりに異常なデジタル庁 「日本企業追い出しルール」を突き付ける河野太郎大臣) 木俣正剛氏による「デジタル庁より「デジタル監視庁」を創設せよ」 「私はこうしたシステムの事故が人為的ミスとして片づけられることが、まず怪しいと思います。人為的ミスが起こらないように設計することこそ、巨大システムの根本的な設計思想のはずだからです。 たとえば、前の人物がナンバーを打ち込んでいて途中で止めたところ、それが次の登録者のナンバーになってしまったといったミスを人為的ミスとしていますが、次の人物が登録作業に入った瞬間に、前の数字を自動的に消去するシステムにしておくことなどは、巨大システムの常識でしょう」、当然だがその通りだ。 「アメリカでは大量の個人情報流出があって、連邦政府のキャサリン・アーチュレタ人事管理局長が辞任しています。中国のサイバー攻撃により政府職員などの大量の個人情報が盗まれた事件の責任を取り、辞任という形を取りましたが、実際には野党やマスコミの追及が激しく、辞任させるしか鎮静化の方法がなかったからでした。日本にも、こうした厳正さが必要」、その通りだ。 現代ビジネス 野口 悠紀雄氏による「そういえば「脱印鑑」はどこへ行った~デジタル庁でデジタル化はむしろ事態悪化、事務負担はかえって増えるばかり」 「デジタル庁」が「脱印鑑」を「重要な政策目標」としたのは初めて知った。 「メールやPDFというデジタルの手段と、自筆署名や押印というアナログな手続きが絡んでいるので、面倒なことになっている。つまり、アナログだけだった時代より、事務手続きがさらに複雑化し、事態が悪化しているのだ。 世の中は依然として何も変わっていない、と言うのではない。繰り返すが、悪化しているのだ」、事態が「悪化」しているとは酷い。 「筆者」がマイナンバーカードを取得したのは、出版社からのこの要請に応じるためだ。 ここでは、つぎのことを要請される。まず、マイナンバーカードの裏表のコピーを取る。それに加え、マイナンバーカードの写真が本人であることを証明する写真付きの証明書(例えば、運転免許証)のコピーを添付せよと要請される」、これは「出版社」の手続きが、「マイナンバーカード」を「マイナンバーカード」として、認めてないのと同じだ。私は、「マイナンバーカード」を納税手続きで使っているだけなので、民間企業の利用ではこうしたことがあり得るのかも 知れない。本当に馬鹿げたことだ。 民間でも、確か銀行や証券会社は、「メール」は受け付けないというクローズドな対応をしていた筈だ。もっとも最近は改善されたのかも知れない。 マイナンバーカードの利用促進策は初めに創設した省庁がやれば済むことだ。 同感であるが、先述の情報セキュリティ上の問題が残ったままでは、一向に改善しない。情報セキュリティ問題と、オープンシステムの在り方として、掘り下げる必要がありそうだ。 小倉健一氏による「あまりに異常なデジタル庁、「日本企業追い出しルール」を突き付ける河野太郎大臣:国や地方自治体などの公的機関が、その行政業務を行うために必要なコンピューターシステムを共有するための仕組みである「政府(ガバメント)クラウド」。 経済安全保障の観点からは、「ガバメントクラウド」は米国の「AWS」ではなく、日本のIT企業とするべきだ。日系業者が準備が出来ていないようであれば、それを待つべきだ。 「日本」も「EU諸国」並に「個人情報、国防、外交機密などセキュリティーを高くしないといけない情報については」「自国企業を選ぶ」ようにすべきだ。 「さくらインターネット」の他、「IIJやソフトバンクも手を挙げていた」のであれば、望ましいことだ。 「鳥取県庁に至っては、チャットGPTの使用すら禁止してしまった。県知事いわく「ちゃんとじーみーちーに」として、効率化はしないと宣言した。トップのばかげたダジャレで、効率化をやめるという暴挙」、「トップのばかげたダジャレで、効率化をやめるという暴挙」には心底驚かされた。 「デジタル庁と初代デジタル庁大臣だった平井卓也氏とアマゾンの関係は深い。デジタル庁には多くの民間出身職員に元アマゾン社員がいて、幅を利かせている。今回のガバメントクラウドの技術要件はアマゾンの提供するAWSに準拠したものだが、約8割は日本の自治体に必要のないものだ。この無意味な技術要件が、日本企業の参入を妨害しているのは間違いない。 当然、コストも上がる」(デジタル庁関係者) 実際に、日経新聞などの取材(2022年4月20日)でも〈「これじゃ米アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)のプレゼン資料そのものだ」。2021年10月、行政向けシステム基盤「ガバメントクラウド」の先行事業の公募で、デジタル庁が求める要件を見たIT(情報技術)企業関係者らは絶句した〉という声が上がっている。 猪瀬直樹参議院議員も「ガバメントクラウド担当にアマゾン出身者がいたりする」(note・2023年7月18日)と、デジタル庁にアマゾンが強い影響力を持っているということをうかがわせるエピソードには事欠かない。 国産クラウドの登場を阻んでいるのは、アマゾン出身のデジタル庁職員によるアマゾンルールの適用の押し付けだ。こんな無駄な要件を突きつける、河野太郎デジタル大臣は、もはやアマゾンの奴隷と言っていいだろう」、 「河野太郎デジタル大臣は、もはやアマゾンの奴隷と言っていいだろう」、飛んでもないことだ。「アマゾン」と「デジタル庁」の関係は、もっと深く掘り下げて追及すべきだ。
公務員制度(その7)([新連載]霞が関人材クライシス 若手官僚はなぜ辞めるのか、〈音声入手〉「国交省の人間をまた推薦させて頂きたい」 別法人でも国交省有力OBが“天下り要求” 前理事長は「もうたくさん」、天下りの警察OBに「退職金10億円」払った団体の名前…世間が呆れ返った警察利権の実態とは?) [経済政治動向]
公務員制度については、2021年12月21日に取上げた。今日は、(その7)([新連載]霞が関人材クライシス 若手官僚はなぜ辞めるのか、〈音声入手〉「国交省の人間をまた推薦させて頂きたい」 別法人でも国交省有力OBが“天下り要求” 前理事長は「もうたくさん」、天下りの警察OBに「退職金10億円」払った団体の名前…世間が呆れ返った警察利権の実態とは?)である。
先ずは、2022年5月31日付け日経ビジネスオンライン「[新連載]霞が関人材クライシス 若手官僚はなぜ辞めるのか」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00460/053000001/
・『深夜残業の多いブラック職場、旧態依然とした年功序列型の組織、自己成長の実感が薄い――。悪評が定着した霞が関の不人気は深刻化し、応募者の減少傾向に歯止めがかからない。それでも官僚が今、そして未来の日本を支える頭脳集団であることに変わりない。多岐にわたる関係者と調整し、課題を解決する力は、企業のイノベーションにとっても必要だ。司令塔の地盤沈下が進む国に未来はない。官僚の威信と魅力を取り戻す道を探る。 今後のラインアップ ・霞が関人材クライシス 若手官僚はなぜ辞めるのか(今回) ・ブラック職場とは言わせない 霞が関、働き方改革の最前線 ・立ち上がった民間出身官僚 「個の犠牲」に頼らない風土を ・官僚だってやりたい仕事がある 2割の時間を「本業外」に ・現役官僚座談会「同窓会で給料の話になったらトイレに行く」 ・農水省発、官僚YouTuberの挑戦 「等身大の霞が関」を国民へ ・民間で光る「官僚力」 企業と日本の活力に ・総務省出身のDeNA岡村社長「官僚の総合力、企業経営で生かせ」 など 5月20日、いつにも増して静まり返る財務省を幹部が朝から駆け回っていた。未明に電車内で他の乗客に暴行を振るったとして、総括審議官(当時、20日付で大臣官房付に更迭)の小野平八郎容疑者が逮捕された。その後処理に追われていたのだ。 省内で「周囲に声を荒らげることはなく、仕事もそつなくこなす」(主税局関係者)と評されていた小野氏に何があったのか。 総括審議官は政府の経済財政諮問会議に絡む業務が多い。複数の関係者の話を総合すると、6月上旬に閣議決定される「骨太の方針」について、小野氏は財務省の意向を反映させるため自民党との調整に追われていた。 自民党には財政再建派の「財政健全化推進本部」(額賀福志郎本部長)と、積極財政派の「財政政策検討本部」(西田昌司本部長)がある。国と地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス)を2025年度に黒字化する政府目標の取り扱いを巡って対立しているが、参院選を7月に控える今は、政局化を避けることで内々に合意していることで知られている。 財政健全化推進本部は5月19日、小野氏が作成したドラフトを基に官邸宛ての提言をまとめようとした。しかし財政政策検討本部側に抵抗されて断念。結局、額賀本部長が預かって骨太の方針に押し込む流れになった。 機関決定の見送りは、小野氏にとって財務省から課せられたミッションの失敗を意味する。その日の夜、小野氏は複数の会合を重ねて痛飲したとみられる』、「電車内で他の乗客に暴行を振るったとして、総括審議官(当時、20日付で大臣官房付に更迭)の小野平八郎容疑者が逮捕された・・・機関決定の見送りは、小野氏にとって財務省から課せられたミッションの失敗を意味する。その日の夜、小野氏は複数の会合を重ねて痛飲」、いくら事情があったにせよ、「電車内で他の乗客に暴行を振るった」のはいただけない。
・『「出世しても潰れる」不安 財務省の中堅幹部はこう漏らした。「いくら昇進レースで懸命に勝ち残っても、一寸先は闇ということだ。もちろん許される行為ではないが、霞が関の一員としてむなしいし、正直に言うと少なからず同情できる面もある」 今回の事件が霞が関に広げた波紋は、単なる「有力幹部の不祥事」レベルにとどまらない。特に若いキャリア官僚の間では、「順調に出世して事務次官のポストが見えていても、強いストレスによって潰れてしまう」(総務省課長補佐)という捉え方にみられるように、自らの将来を不安視する向きが強まっている。 働くステージとして、霞が関の人気は右肩下がりが続いてきた。21年の国家公務員総合職(キャリア)の採用試験申込者数は1万7411人と、5年連続で過去最少を更新した。22年春の試験は1万5330人と6年ぶりに増加に転じたものの、底を打って低迷を完全に抜け出すだけの目ぼしい材料はない。 中央省庁は国政の基盤を作る役割を担うだけに、もともと「働きがい」ならどの職種にも勝るとも劣らないはずだ。しかし過酷な残業が、それを打ち消してしまう』、「霞が関の人気は右肩下がりが続いてきた。21年の国家公務員総合職(キャリア)の採用試験申込者数は1万7411人と、5年連続で過去最少を更新した。22年春の試験は1万5330人と6年ぶりに増加に転じたものの、底を打って低迷を完全に抜け出すだけの目ぼしい材料はない」、なるほど。
・『3割が「過労死ライン」 内閣人事局が20年秋に国家公務員約5万人の働き方を調べたところ、20代のキャリア官僚の3割が「過労死ライン」とされる月80時間を超える残業をこなしていた。 19年4月施行の改正労働基準法で、民間企業の時間外労働時間は原則として1カ月当たり45時間以内、特別条項が適用されると1カ月100時間未満、複数にわたる月平均は80時間以内と定められた。 国家公務員は労働基準法の適用対象外だが、人事院の規則に従えば1カ月間の時間外労働は原則45時間以内でなければならない。しかし罰則はなく、国会対応などで業務の比重が高い部署には月100時間未満の超過勤務を認める例外規定もある。 首相官邸は、労働の実態に合わせて超過勤務手当を支払うよう各省庁に求めた。すると22年度の一般会計当初予算は、本省分の残業代として総額約403億円を計上。補正分を含めた前年度より17.5%も膨らんだ。本来はもらえていたはずの残業代が、やっと支払われるようになってきた形だが、旧態依然とした労働環境はなかなか改善できない。 「ブラックな働き方と知りながら、政策を作りたくて入ってきている。昔も今もこれからも、残れるやつだけ残ればいいのが霞が関という世界だ」。ある省で将来の事務次官候補に挙がる課長はこう語り働き方改革の推進に対して難色をあらわにする。 経済産業省で10年代に勤務した一般職の女性は、管理職が部下に「辞めろ、死ね」と怒鳴っていた姿が忘れられない。「経産省を出れば何もできないであろう人が幅を利かす」組織に失望した。若手・中堅を中心に退職者が増えてきたのも、こうした組織風土と無関係ではないだろう』、「国家公務員は労働基準法の適用対象外だが、人事院の規則に従えば1カ月間の時間外労働は原則45時間以内でなければならない。しかし罰則はなく、国会対応などで業務の比重が高い部署には月100時間未満の超過勤務を認める例外規定もある。 首相官邸は、労働の実態に合わせて超過勤務手当を支払うよう各省庁に求めた。すると22年度の一般会計当初予算は、本省分の残業代として総額約403億円を計上。補正分を含めた前年度より17.5%も膨らんだ。本来はもらえていたはずの残業代が、やっと支払われるようになってきた形だが、旧態依然とした労働環境はなかなか改善できない・・・「ブラックな働き方と知りながら、政策を作りたくて入ってきている。昔も今もこれからも、残れるやつだけ残ればいいのが霞が関という世界だ」。ある省で将来の事務次官候補に挙がる課長はこう語り働き方改革の推進に対して難色をあらわにする・・・経済産業省で10年代に勤務した一般職の女性は、管理職が部下に「辞めろ、死ね」と怒鳴っていた姿が忘れられない。「経産省を出れば何もできないであろう人が幅を利かす」組織に失望した。若手・中堅を中心に退職者が増えてきたのも、こうした組織風土と無関係ではないだろう」、なるほど。
・『忙しくても報酬は少ない 日本の国家公務員は、諸外国と比べて仕事量が多いのに、もらえる報酬は少ない。大阪大学大学院法学研究科の北村亘教授が経済協力開発機構(OECD)のデータを基に試算したところ、政府全体の歳出を公務員数で割った数値は日本が他の先進民主主義国より圧倒的に高かった。 国の歳出は規模が大きくなればなるほど、運用が煩雑になり、公務員が担う仕事量は多くなる。北村教授が浮き彫りにしたのは、1人当たりの負担が世界でも群を抜いて大きい日本の国家公務員の姿だった。 一方で、政府の人件費が政府全体の歳出に占める割合をみると、日本が最小クラスであることも分かった(上のグラフを参照)。 北村教授は「予算が膨張する一方で職員の定数が減らされ続けているため、国家公務員の業務は量が増えつつ複雑・高度化している」と指摘。「国家公務員の志願者がさらに減れば質の確保が難しくなり、人数以上の仕事を処理できなくなる」と警鐘を鳴らす』、「政府全体の歳出を公務員数で割った数値は日本が他の先進民主主義国より圧倒的に高かった。 国の歳出は規模が大きくなればなるほど、運用が煩雑になり、公務員が担う仕事量は多くなる。北村教授が浮き彫りにしたのは、1人当たりの負担が世界でも群を抜いて大きい日本の国家公務員の姿だった。 一方で、政府の人件費が政府全体の歳出に占める割合をみると、日本が最小クラスであることも分かった・・・1人当たりの負担が世界でも群を抜いて大きい日本の国家公務員の姿だった。 一方で、政府の人件費が政府全体の歳出に占める割合をみると、日本が最小クラスであることも分かった」、なるほど。
・『極端に減った「ボトムアップ」 霞が関OBも、キャリア官僚の業務スタイルが変わったのを感じ取っている。1993年に通商産業省(現経産省)に入った古谷元さんは、当時を「霞が関が日本を動かしているという自負が強かった」と振り返る。省内にさまざまな人が出入りし、あらゆる先進的な情報が自分の机に座っていれば得られた。夜は仲間と政策を議論し、固まったものが1年たった頃に実現していく。そんなダイナミズムがあった。 米シリコンバレーへの留学を経験し、政府主導の産業育成に疑問を感じて2000年に退職。米コンサルティング大手などで働いていたが、かつての上司から19年初めに連絡があった。「若手の退職が増えているから戻ってきてほしい」。経産省で管理職の公募制度が始まるタイミングに合わせた勧誘に、古谷さんは「民間を知るからこそ分かる政府の役割とやりがいを伝えたい」と一念発起。スタートアップ企業育成の中核となる新規事業創造推進室のトップに就いた。 ところが20年ぶりの現場では、昔のようにボトムアップで政策が日の目を見ることが極端に少なくなっていた。代わりに増えたのは、トップダウンの意思決定。古谷さんからすれば、理由は明らかだった。「とにかく若手の官僚が情報を収集できていない」。延長もあり得る期限付きの復帰だったが、希望せずに霞が関を離れた』、「米シリコンバレーへの留学を経験し、政府主導の産業育成に疑問を感じて2000年に退職。米コンサルティング大手などで働いていたが、かつての上司から19年初めに連絡があった。「若手の退職が増えているから戻ってきてほしい」。経産省で管理職の公募制度が始まるタイミングに合わせた勧誘に、古谷さんは「民間を知るからこそ分かる政府の役割とやりがいを伝えたい」と一念発起。スタートアップ企業育成の中核となる新規事業創造推進室のトップに就いた。 ところが20年ぶりの現場では、昔のようにボトムアップで政策が日の目を見ることが極端に少なくなっていた。代わりに増えたのは、トップダウンの意思決定。古谷さんからすれば、理由は明らかだった。「とにかく若手の官僚が情報を収集できていない」。延長もあり得る期限付きの復帰だったが、希望せずに霞が関を離れた」、「昔のようにボトムアップで政策が日の目を見ることが極端に少なくなっていた。代わりに増えたのは、トップダウンの意思決定」というのは由々しいことだ。
・『東大生は「コンサルか商社」 霞が関の地盤沈下は、エリート層が敬遠するようになった現実とも無関係ではないだろう。象徴的なのが東京大学出身者の動向だ。優秀な学生がこぞって中央省庁入りを目指し、東大が「キャリア官僚の育成機関」とまで言われた時代ではなくなった。 キャリア官僚の採用試験で合格した東大出身者は16年度から減少を続け、20年度には300人台に突入した。法学部2年の男子生徒は「周囲では起業するか、外資系コンサル会社や商社を志望する学生が多くなっている。キャリア官僚も悪くないが、やはり労働環境の悪さがネックになる」と明かす。 「霞が関に入ることを家族に相談したが、全力で止められた」と笑うのは、法学部3年の男子生徒だ。大手IT幹部の父親は、データを示しながら「年収が低いし、下積みの期間が長くて効率が悪い。大企業を目指すか、コンサルで経験を積んで起業すべきだ」と説得したという。 21年は法案や条約の関連文書に多数の誤記が見つかり、組織の劣化が懸念された霞が関。このまま自滅するわけにはいかない──。危機感を高めた霞が関は今、モデルチェンジを急いでいる』、「象徴的なのが東京大学出身者の動向だ。優秀な学生がこぞって中央省庁入りを目指し、東大が「キャリア官僚の育成機関」とまで言われた時代ではなくなった。 キャリア官僚の採用試験で合格した東大出身者は16年度から減少を続け、20年度には300人台に突入した・・・「周囲では起業するか、外資系コンサル会社や商社を志望する学生が多くなっている」、なるほど。
次に、昨年4月19日付け文春オンライン「〈音声入手〉「国交省の人間をまた推薦させて頂きたい」 別法人でも国交省有力OBが“天下り要求” 前理事長は「もうたくさん」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/62252
・『国土交通省の元事務次官らが民間企業「空港施設」(東京都大田区)の役員人事に介入していた問題に続き、国交省の有力OBが、一般財団法人「土地情報センター」(東京都千代田区)の理事長(当時)に対しても、同省出身者を常務理事に据えるよう繰り返し要求していたことが、「週刊文春」が入手した音声データでわかった。国交省は空港施設のケースでは組織としての関与を否定していたが、別法人においても天下りを要求する音声データの存在が発覚し、国交省が有力OBを介する形で、天下りを常態化させている疑いが浮上した。 「空港施設」を巡っては、国交省の元事務次官で東京メトロ会長の本田勝氏が、同省の元東京航空局長で副社長の山口勝弘氏を社長に据えるよう要求していた問題が発覚。さらに「週刊文春」4月6日発売号では、その山口氏が取締役時代、役員が集まる会議で、国交省の意向をちらつかせながら自身を副社長に自薦する発言を重ねていた問題を報じた(音声データを「週刊文春 電子版」で公開中)。その後、山口氏は副社長を辞任。空港施設は第三者による検証委員会を設置し、経緯の調査を進めている。 今回新たに天下り問題が明らかになったのは、一般財団法人「土地情報センター」。1986年、旧国土庁(現国土交通省)所管の公益法人として設立され、2011年からは民間色の強い一般財団法人に移行している。現在の理事長は、国交省元政策統括官の北本政行氏(1983年、旧国土庁入庁)だ。 「土地情報センターの理事長には代々、国交省OBが就いてきました。前理事長の馬場健氏も元本州四国連絡橋公団監理官です。ただ、国からの事業が減る中で、馬場氏は自らの退任前に運営の健全化を図ろうとしていた。特に報酬年1800万円とされる常務理事ポストを無くそうとしていました。このポストも代々、国交省OBが天下りしています」(同センターの職員) 「週刊文春」は、馬場理事長(当時)と、元国交審議官の三澤眞氏が2021年1月25日に電話でやり取りした際の音声データを入手した。 「三澤氏は1970年に旧建設省入省。人事課長を経験し、ナンバー2の国交審議官まで務めた有力OBです。馬場氏より1年先輩にあたります」(国交省関係者)』、「国からの事業が減る中で、馬場氏は自らの退任前に運営の健全化を図ろうとしていた。特に報酬年1800万円とされる常務理事ポストを無くそうとしていました」、「馬場」氏」が「国交省OB」でありながら、天下り先の利益を優先させようとしたのは、大したものだ。
・『空きポストに国交省OBを推薦するやりとり 音声データには、次のように記録されている。 三澤「藤原さんから伺ったんだけれども、今年の夏、理事長交代をされるって。そういう方向ですよね?」 馬場「いま検討中ですね」 「藤原さん」とは、元国土事務次官の藤原良一氏。1960年に旧建設省に入省し、現在も同省出身者に大きな影響力を持つ人物だ。土地情報センターの評議員も務めている。 さらに音声はこう続く。 三澤「そいでね、理事長交代して、仮に北本君が上がるということになった場合、その後任として国交省の人間をまた推薦させて頂きたいんですけど」』、「藤原良一氏」が通常の「国交省」の役人らしい行動だ。
・『馬場氏は運営の健全化のため受け入れを拒否 「北本君」は、現理事長の北本氏。当時はセンターの常務理事だった。三澤氏は、北本氏の理事長昇格に伴って空くことになる常務理事ポストに国交省OBを据えようとしていたのだ。ただ、これに対し、馬場氏は一般財団法人として民間企業との取引も増えるなか、運営の健全化を図るべく、天下りの受け入れを拒否する。 馬場「いや、それはできないですよ」 三澤「いやいやいや、だからどうして?」 馬場「だって、ウチ関係ないですもの、国と」 三澤「だって今まで、理事長と常務っていたわけでしょ?」 馬場「今までとだからもう全然違うんですよ、10年前と今とじゃ」 三澤「今まで、10年前じゃなくて、今現在も理事長と常務がいる」 馬場「刻々と変化してきて、全然もう関係ないですよ、国は」 こうしたやり取りの末、最終的に国交省OBの指定席とされてきた常務理事ポストは空席のまま、2021年6月、馬場氏は退任し、新理事長に北本氏が就任した。 馬場氏に尋ねると、次のように回答した。 「音声は本物ですね。これまでにも国交省OBの常務を迎え入れてきましたが、決算書も作れないし、一生懸命に働いている職員のモチベーションにもかかわる。国交省人事課の要請でOBたちを(センターの)顧問にもして、10年余りで計5000万円以上支払ってきた。もうたくさんですよ」) 「それとなく呟いたことはあるかもしれませんね」 一方、三澤氏は次のように語る。 「確かに一度、電話で話しました。今までも国交省OBが常務に来ていて、役に立つなら引き続き活用してほしいと。馬場君のことは50年ぐらい知っていて、私なりのアドバイスをしていた。一OBとしてそうした意見があるのがそんなにおかしいかなあ。非難に値するという意識は全然ありませんでした」 藤原氏はこう答えた。 「三澤君とは色々な会合で会うから、それとなく(常務理事に国交省OBを起用すべきと)呟いたことはあるかもしれませんね」 土地情報センターは以下のように回答した。 「(三澤氏の電話について)ニュアンスなど詳細は存じ上げませんが、当センターと関わりのない外部の方が繰り返し求めているのであれば、適切ではないと考えます。 (国交省OBの登用について)有力OBからの要求のみを理由として理事長などのポストに国交省出身者を登用することは適切ではないと考えます。民間、官庁OBなど出身を問わず、組織(当センター)に必要な人材を重要なポストに登用すべきであると考えています」 国交省人事課は以下のように回答した。 「(三澤氏の電話について)すでに退職して民間人であるOBの発言や、民間組織の人事についてコメントする立場になく、調査を行うことは考えていません。(国交省として土地情報センターの幹部人事に関与した疑いについては)私どもとしては、そのようなことは確認していません」 三澤氏の発言などから浮かび上がるのは、空港施設のケースに続き、国交省が有力OBを中心に組織として、土地情報センターへの天下りに関与していた疑いだ。国家公務員法は、省庁による天下りのあっせんや現役職員の利害関係企業への求職などを禁じている。そのため、有力OBが天下りの調整にあたるのが常態化している恐れがあるのだ。立憲民主党が省庁幹部の再就職状況を調査するよう衆院に要請するなど、天下りの実態解明を求める声が高まっている中、新たに発覚した音声データの存在を受け、国交省がどのような対応を取るのか、注目される。 4月19日(水)12時配信の「週刊文春 電子版」および4月20日(木)発売の「週刊文春」では、土地情報センターの事業内容や、詳しい音声データの中身などについても報じている。また、「週刊文春 電子版」では、三澤氏と馬場氏のやり取りを収めた音声データを公開している』、「立憲民主党が省庁幹部の再就職状況を調査するよう衆院に要請するなど、天下りの実態解明を求める声が高まっている中、新たに発覚した音声データの存在を受け、国交省がどのような対応を取るのか、注目される」、徹底的に監視してゆく必要がある。
第三に、本年5月16日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した関西学院大学名誉教授・博士(人間科学)・保護司の鮎川 潤氏による「天下りの警察OBに「退職金10億円」払った団体の名前…世間が呆れ返った警察利権の実態とは?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/342846
・『警察庁のキャリア官僚たちはノンキャリアの警察官とは昇進スピードも給料も桁違いだ。しかも、優遇されるのは現役時代だけではなく、退職後の天下り先もよりどりみどり。一流企業に天下る彼らの特権の実態とは。※本稿は、『腐敗する「法の番人」:警察、検察、法務省、裁判所の正義を問う』(平凡社新書、平凡社)の一部を抜粋・編集したものです』、興味深そうだ。
・『総会屋の代替機能として警察OBを迎える企業 日本の警察は二重構造になっている。 警察庁という国家公務員の総合職の試験に合格した数百人のキャリア官僚と、各都道府県の警察本部に所属する約26万人の警察官が存在する。各都道府県の警察本部長、主要な都道府県警察本部の刑事部長、公安部長などの地位は、警察庁からキャリアが派遣されて、ほぼ独占している。 しばしば指摘されるように、警察官の採用試験に合格した巡査は幸運であれば、ごく少数のエリートとして警視、警視正になり署長で定年を迎える。一般的には、巡査部長、警部補で定年退職を迎える者が多い。 都道府県警の警察官として採用された場合であっても、警視正以上の地位に就いた場合は国家公務員となり、給与は国から出される。 こうしたたたき上げの警察官に対して、キャリア官僚は都道府県警察本部の要職と警察庁とを往復しながら、地位を昇っていく。採用されて2年で警部、警視正を経て、20余年で警視長ののち、警視監で定年を迎える者も多い。キャリアは、警察の関連団体、一流企業や金融機関に天下る。 銀行、保険、証券会社などの金融業は言うまでもない。電通や博報堂などの広告業、ゼネコンなどの建築業、富士通などの通信機器・情報産業、不動産業、日本郵便、日立をはじめとする日本を代表するメーカーや企業である。 1981年に商法が改正された。それまで企業は、株主総会を円滑に終了させるために、総会屋に金を払っていたが、そうした行為が禁止され、処罰規定も設けられた。総会屋に代替する機能を果たすものとして、またコンプライアンスを遵守するという趣旨から警察の退職者を一般企業が採用するようになったのだろう』、「1981年に商法が改正された。それまで企業は、株主総会を円滑に終了させるために、総会屋に金を払っていたが、そうした行為が禁止され、処罰規定も設けられた。総会屋に代替する機能を果たすものとして、またコンプライアンスを遵守するという趣旨から警察の退職者を一般企業が採用するようになったのだろう」、「警察」にしてみれば、棚ぼた的に天下り先が増えたことになる。
・『JAFへ天下った警視庁長官 退職金は巨額の10億円 従来からの警察の領域である、交通と防犯の分野に天下る者も多い。 交通関係では、天下りの対象としては財団のウェイトが大きいように見受けられる。 その財団として、日本自動車連盟(JAF)、全日本交通安全協会、交通事故総合分析センター、日本道路交通情報センター、全日本指定自動車教習所協会連合会、空港保安事業センター、日本二輪車安全普及協会、日本自動車交通安全用品協会、道路交通情報通信システムセンター、新交通管理システム協会、日本交通管理技術協会、全国ハイヤー・タクシー連合会、東京ハイヤー・タクシー協会、などの財団法人や社団法人の理事長や専務理事、常務理事として天下っている。 高橋幹夫警察庁長官は日本自動車連盟(JAF)に天下り、その理事長を15年間にわたって務めた。毎年、多額の報酬を受けていたが、死亡退職にあたっては「JAFから10億円近い巨額の退職金を受け取ったことが報じられ、今度は世間を呆れさせた」(寺尾文孝『闇の盾』)。 また、各都道府県や各警察署の交通安全協会は退職警察官の重要な受け入れ先ともなっている。各都道府県の交通安全協会は自動車運転免許に関わる事務手続きや講習などを委託されている。各県にある指定自動車教習所の協会や指定自動車教習所の所長、各県にあるタクシー・ハイヤー協会へ天下る都道府県警察本部や警察署の幹部警察官もいる。 交通に関連する企業としては、トヨタ自動車などの自動車メーカー、ヤナセなどの自動車販売業、JRなどの鉄道・交通業へ天下る(バスと接触事故を起こしたら、バスのほうが無理な車線変更や割り込みをしてきたにもかかわらず、バス会社の『警察から天下ってきた』事故担当者が飛んできて、自分のほうが悪いことにされてしまった、という一般の運転者のぼやきはしばしば聞く)。 さらに、道路交通情報通信システムセンター、新交通管理システム協会、日本交通管理技術協会などの協会から、情報産業との関係が浮かび上がるが、富士通、三菱電機などの情報機器産業への就職もある』、「日本自動車連盟(JAF)に天下り、その理事長を15年間にわたって務めた。毎年、多額の報酬を受けていたが、死亡退職にあたっては「JAFから10億円近い巨額の退職金を受け取ったことが報じられ、今度は世間を呆れさせた」、「理事長を15年間」した上で、「死亡退職」にあたっては、「10億円近い巨額の退職金」とは余りに厚遇が過ぎる。「バスと接触事故を起こしたら、バスのほうが無理な車線変更や割り込みをしてきたにもかかわらず、バス会社の『警察から天下ってきた』事故担当者が飛んできて、自分のほうが悪いことにされてしまった、という一般の運転者のぼやきはしばしば聞く」、行き過ぎた天下りの例だ。「道路交通情報通信システムセンター、新交通管理システム協会、日本交通管理技術協会などの協会から、情報産業との関係が浮かび上がるが、富士通、三菱電機などの情報機器産業への就職もある」、なるほど。
・『セコムの顧問には警察がズラリ ALSOKの創設者は警察官僚 交通関係として警察に特徴的なのは、信号機の設計やメインテナンスがある。 たとえば「東管」という会社には、警察庁として警視監ナンバー3の地位だと言われる警察大学校長で退官した後、JR東海の監査役や道路交通情報通信システムセンターの専務理事を務めた全日本交通安全協会の評議員が、特別顧問になっている。 株式会社となっている各地の空港への天下りもある。 なお、キャリア幹部が天下る保険業のなかでも、自動車保険関係が強い保険会社は、交通に関連する企業と言ってもいいのかもしれない。) また、警備業界の警察キャリアの受け入れも顕著である。警備会社の最大手はセコムで、2022年度では、警察庁長官官房付を本社の顧問に、県警察学校長をその県を含む地方本部の顧問に迎え入れている。前年には、北海道警察の参事官をセコムの北海道本部の顧問に迎えている。 現在、取締役に警察関係者はおらず、監事に元警視総監がいる。この元警視総監は、JAF会長及び全日本指定自動車教習所協会連合会代表理事、保険相互会社嘱託、さらにパチスロなどのゲーム機メーカーのコナミの監査役も務めており、警察が利権を持つとされる交通、防犯、風俗という3領域すべてで役職を得たと言うことができよう。 警備業界の第2位は、綜合警備保障(ALSOK)である。警備会社は全国に1万社以上あると思われるが、セコムと綜合警備保障だけで売り上げの4割以上を占めると言われている。業界第1位のセコムの売上高は1兆円を超え、業界第2位の綜合警備保障の売上高は約5,000億円である。これに対して、3位であるセントラル警備保障は約700億円にすぎない。 綜合警備保障は、そもそも警察官僚によって創設された会社である。創始者の村井順は、「内閣総理大臣官房調査室」を設立し、1964年に東京オリンピック組織委員会事務局へ次長として出向したおりに、今後の警備会社の需要と発展を実感したという。警察庁九州管区警察局長で退職したのち警備会社を興した。 長男が社長を継いだのち、中部管区警察局長で退職した警察官僚が迎えられ、社長を約6年務めた。 なお、この社長となった警察官僚の弟も警察官僚で、警察庁長官の後に内閣官房副長官になった』、「綜合警備保障は、そもそも警察官僚によって創設された会社である。創始者の村井順は、「内閣総理大臣官房調査室」を設立し、1964年に東京オリンピック組織委員会事務局へ次長として出向したおりに、今後の警備会社の需要と発展を実感したという。警察庁九州管区警察局長で退職したのち警備会社を興した。 長男が社長を継いだのち、中部管区警察局長で退職した警察官僚が迎えられ、社長を約6年務めた。 なお、この社長となった警察官僚の弟も警察官僚で、警察庁長官の後に内閣官房副長官になった」、なるほど。
・『駐車監視業務の民間委託は警察官の再雇用先確保のため? 綜合警備保障と警察庁との契約に関して、兄弟の関係がマスメディアの話題になったこともあった。 じつは、創設者の次男も警察官僚であった。複数の県警本部長を務めたのち中部管区警察局長で退職し、預金保険機構理事を1年務めた後、綜合警備保障へ入社し、社長に就いた。この社長が招いた官僚が次の社長になった。) 彼は大蔵省に入省し、財務省関税局長を務めた財務官僚だが、和歌山県警本部長を務めた経歴を持つ。常務として迎えられた後、4年後に社長になり10年間社長を務めた。 セコムと比較すると、綜合警備保障は、創始者とその子が警察官僚であるとともに、警察官僚を積極的に役員として迎え入れており、警察官僚や県警本部長経験者が社長を務めてきたという特徴がある。 2006年に駐車監視業務(駐車違反などの取り締まり)が民営化された際、綜合警備保障は東京都内の数か所の警察署管内を請け負った。しかし、その後は引き受けているようには見えない。 受託は入札制度によっており、2人の巡視員による巡回の仕事で、人件費がかかり、利益が上がらないため撤退したものと推定される。 一方セコムは、人を張り付けたり、巡回させたり、常駐させたりする警備から手を引き、CCTVなどの機械監視へと舵を切った。さらにセンサーを組み込んだり、入退室管理と連動させたりして、異常通報があった場合にのみ警備員が駆け付ける、という省力化した機械警備を発展させようとしている。 そのため、こうした原初的な手間暇がかかって儲からない駐車違反取り締まり業務には見向きもしなかったものと考えられる。 じつは、この駐車監視業務の民間移管は、その企画が発表された当初から、大量に定年退職する警察官の再雇用先を確保するためではないかと言われていた。 あえて言うならば、落札した企業は、儲けるためではなく、退職警察官を救済するために儲からない仕事を受託したという、逆説的な見方も可能と思われる』、「綜合警備保障は、創始者とその子が警察官僚であるとともに、警察官僚を積極的に役員として迎え入れており、警察官僚や県警本部長経験者が社長を務めてきたという特徴がある。 2006年に駐車監視業務(駐車違反などの取り締まり)が民営化された際、綜合警備保障は東京都内の数か所の警察署管内を請け負った。しかし、その後は引き受けているようには見えない。 受託は入札制度によっており、2人の巡視員による巡回の仕事で、人件費がかかり、利益が上がらないため撤退したものと推定される。 一方セコムは、人を張り付けたり、巡回させたり、常駐させたりする警備から手を引き、CCTVなどの機械監視へと舵を切った。さらにセンサーを組み込んだり、入退室管理と連動させたりして、異常通報があった場合にのみ警備員が駆け付ける、という省力化した機械警備を発展させようとしている。 そのため、こうした原初的な手間暇がかかって儲からない駐車違反取り締まり業務には見向きもしなかったものと考えられる・・・駐車監視業務の民間移管は、その企画が発表された当初から、大量に定年退職する警察官の再雇用先を確保するためではないかと言われていた。 あえて言うならば、落札した企業は、儲けるためではなく、退職警察官を救済するために儲からない仕事を受託したという、逆説的な見方も可能と思われる」、「駐車監視業務の民間移管」を「落札した企業は、儲けるためではなく、退職警察官を救済するために儲からない仕事を受託した」のは、確かそうだ。
先ずは、2022年5月31日付け日経ビジネスオンライン「[新連載]霞が関人材クライシス 若手官僚はなぜ辞めるのか」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00460/053000001/
・『深夜残業の多いブラック職場、旧態依然とした年功序列型の組織、自己成長の実感が薄い――。悪評が定着した霞が関の不人気は深刻化し、応募者の減少傾向に歯止めがかからない。それでも官僚が今、そして未来の日本を支える頭脳集団であることに変わりない。多岐にわたる関係者と調整し、課題を解決する力は、企業のイノベーションにとっても必要だ。司令塔の地盤沈下が進む国に未来はない。官僚の威信と魅力を取り戻す道を探る。 今後のラインアップ ・霞が関人材クライシス 若手官僚はなぜ辞めるのか(今回) ・ブラック職場とは言わせない 霞が関、働き方改革の最前線 ・立ち上がった民間出身官僚 「個の犠牲」に頼らない風土を ・官僚だってやりたい仕事がある 2割の時間を「本業外」に ・現役官僚座談会「同窓会で給料の話になったらトイレに行く」 ・農水省発、官僚YouTuberの挑戦 「等身大の霞が関」を国民へ ・民間で光る「官僚力」 企業と日本の活力に ・総務省出身のDeNA岡村社長「官僚の総合力、企業経営で生かせ」 など 5月20日、いつにも増して静まり返る財務省を幹部が朝から駆け回っていた。未明に電車内で他の乗客に暴行を振るったとして、総括審議官(当時、20日付で大臣官房付に更迭)の小野平八郎容疑者が逮捕された。その後処理に追われていたのだ。 省内で「周囲に声を荒らげることはなく、仕事もそつなくこなす」(主税局関係者)と評されていた小野氏に何があったのか。 総括審議官は政府の経済財政諮問会議に絡む業務が多い。複数の関係者の話を総合すると、6月上旬に閣議決定される「骨太の方針」について、小野氏は財務省の意向を反映させるため自民党との調整に追われていた。 自民党には財政再建派の「財政健全化推進本部」(額賀福志郎本部長)と、積極財政派の「財政政策検討本部」(西田昌司本部長)がある。国と地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス)を2025年度に黒字化する政府目標の取り扱いを巡って対立しているが、参院選を7月に控える今は、政局化を避けることで内々に合意していることで知られている。 財政健全化推進本部は5月19日、小野氏が作成したドラフトを基に官邸宛ての提言をまとめようとした。しかし財政政策検討本部側に抵抗されて断念。結局、額賀本部長が預かって骨太の方針に押し込む流れになった。 機関決定の見送りは、小野氏にとって財務省から課せられたミッションの失敗を意味する。その日の夜、小野氏は複数の会合を重ねて痛飲したとみられる』、「電車内で他の乗客に暴行を振るったとして、総括審議官(当時、20日付で大臣官房付に更迭)の小野平八郎容疑者が逮捕された・・・機関決定の見送りは、小野氏にとって財務省から課せられたミッションの失敗を意味する。その日の夜、小野氏は複数の会合を重ねて痛飲」、いくら事情があったにせよ、「電車内で他の乗客に暴行を振るった」のはいただけない。
・『「出世しても潰れる」不安 財務省の中堅幹部はこう漏らした。「いくら昇進レースで懸命に勝ち残っても、一寸先は闇ということだ。もちろん許される行為ではないが、霞が関の一員としてむなしいし、正直に言うと少なからず同情できる面もある」 今回の事件が霞が関に広げた波紋は、単なる「有力幹部の不祥事」レベルにとどまらない。特に若いキャリア官僚の間では、「順調に出世して事務次官のポストが見えていても、強いストレスによって潰れてしまう」(総務省課長補佐)という捉え方にみられるように、自らの将来を不安視する向きが強まっている。 働くステージとして、霞が関の人気は右肩下がりが続いてきた。21年の国家公務員総合職(キャリア)の採用試験申込者数は1万7411人と、5年連続で過去最少を更新した。22年春の試験は1万5330人と6年ぶりに増加に転じたものの、底を打って低迷を完全に抜け出すだけの目ぼしい材料はない。 中央省庁は国政の基盤を作る役割を担うだけに、もともと「働きがい」ならどの職種にも勝るとも劣らないはずだ。しかし過酷な残業が、それを打ち消してしまう』、「霞が関の人気は右肩下がりが続いてきた。21年の国家公務員総合職(キャリア)の採用試験申込者数は1万7411人と、5年連続で過去最少を更新した。22年春の試験は1万5330人と6年ぶりに増加に転じたものの、底を打って低迷を完全に抜け出すだけの目ぼしい材料はない」、なるほど。
・『3割が「過労死ライン」 内閣人事局が20年秋に国家公務員約5万人の働き方を調べたところ、20代のキャリア官僚の3割が「過労死ライン」とされる月80時間を超える残業をこなしていた。 19年4月施行の改正労働基準法で、民間企業の時間外労働時間は原則として1カ月当たり45時間以内、特別条項が適用されると1カ月100時間未満、複数にわたる月平均は80時間以内と定められた。 国家公務員は労働基準法の適用対象外だが、人事院の規則に従えば1カ月間の時間外労働は原則45時間以内でなければならない。しかし罰則はなく、国会対応などで業務の比重が高い部署には月100時間未満の超過勤務を認める例外規定もある。 首相官邸は、労働の実態に合わせて超過勤務手当を支払うよう各省庁に求めた。すると22年度の一般会計当初予算は、本省分の残業代として総額約403億円を計上。補正分を含めた前年度より17.5%も膨らんだ。本来はもらえていたはずの残業代が、やっと支払われるようになってきた形だが、旧態依然とした労働環境はなかなか改善できない。 「ブラックな働き方と知りながら、政策を作りたくて入ってきている。昔も今もこれからも、残れるやつだけ残ればいいのが霞が関という世界だ」。ある省で将来の事務次官候補に挙がる課長はこう語り働き方改革の推進に対して難色をあらわにする。 経済産業省で10年代に勤務した一般職の女性は、管理職が部下に「辞めろ、死ね」と怒鳴っていた姿が忘れられない。「経産省を出れば何もできないであろう人が幅を利かす」組織に失望した。若手・中堅を中心に退職者が増えてきたのも、こうした組織風土と無関係ではないだろう』、「国家公務員は労働基準法の適用対象外だが、人事院の規則に従えば1カ月間の時間外労働は原則45時間以内でなければならない。しかし罰則はなく、国会対応などで業務の比重が高い部署には月100時間未満の超過勤務を認める例外規定もある。 首相官邸は、労働の実態に合わせて超過勤務手当を支払うよう各省庁に求めた。すると22年度の一般会計当初予算は、本省分の残業代として総額約403億円を計上。補正分を含めた前年度より17.5%も膨らんだ。本来はもらえていたはずの残業代が、やっと支払われるようになってきた形だが、旧態依然とした労働環境はなかなか改善できない・・・「ブラックな働き方と知りながら、政策を作りたくて入ってきている。昔も今もこれからも、残れるやつだけ残ればいいのが霞が関という世界だ」。ある省で将来の事務次官候補に挙がる課長はこう語り働き方改革の推進に対して難色をあらわにする・・・経済産業省で10年代に勤務した一般職の女性は、管理職が部下に「辞めろ、死ね」と怒鳴っていた姿が忘れられない。「経産省を出れば何もできないであろう人が幅を利かす」組織に失望した。若手・中堅を中心に退職者が増えてきたのも、こうした組織風土と無関係ではないだろう」、なるほど。
・『忙しくても報酬は少ない 日本の国家公務員は、諸外国と比べて仕事量が多いのに、もらえる報酬は少ない。大阪大学大学院法学研究科の北村亘教授が経済協力開発機構(OECD)のデータを基に試算したところ、政府全体の歳出を公務員数で割った数値は日本が他の先進民主主義国より圧倒的に高かった。 国の歳出は規模が大きくなればなるほど、運用が煩雑になり、公務員が担う仕事量は多くなる。北村教授が浮き彫りにしたのは、1人当たりの負担が世界でも群を抜いて大きい日本の国家公務員の姿だった。 一方で、政府の人件費が政府全体の歳出に占める割合をみると、日本が最小クラスであることも分かった(上のグラフを参照)。 北村教授は「予算が膨張する一方で職員の定数が減らされ続けているため、国家公務員の業務は量が増えつつ複雑・高度化している」と指摘。「国家公務員の志願者がさらに減れば質の確保が難しくなり、人数以上の仕事を処理できなくなる」と警鐘を鳴らす』、「政府全体の歳出を公務員数で割った数値は日本が他の先進民主主義国より圧倒的に高かった。 国の歳出は規模が大きくなればなるほど、運用が煩雑になり、公務員が担う仕事量は多くなる。北村教授が浮き彫りにしたのは、1人当たりの負担が世界でも群を抜いて大きい日本の国家公務員の姿だった。 一方で、政府の人件費が政府全体の歳出に占める割合をみると、日本が最小クラスであることも分かった・・・1人当たりの負担が世界でも群を抜いて大きい日本の国家公務員の姿だった。 一方で、政府の人件費が政府全体の歳出に占める割合をみると、日本が最小クラスであることも分かった」、なるほど。
・『極端に減った「ボトムアップ」 霞が関OBも、キャリア官僚の業務スタイルが変わったのを感じ取っている。1993年に通商産業省(現経産省)に入った古谷元さんは、当時を「霞が関が日本を動かしているという自負が強かった」と振り返る。省内にさまざまな人が出入りし、あらゆる先進的な情報が自分の机に座っていれば得られた。夜は仲間と政策を議論し、固まったものが1年たった頃に実現していく。そんなダイナミズムがあった。 米シリコンバレーへの留学を経験し、政府主導の産業育成に疑問を感じて2000年に退職。米コンサルティング大手などで働いていたが、かつての上司から19年初めに連絡があった。「若手の退職が増えているから戻ってきてほしい」。経産省で管理職の公募制度が始まるタイミングに合わせた勧誘に、古谷さんは「民間を知るからこそ分かる政府の役割とやりがいを伝えたい」と一念発起。スタートアップ企業育成の中核となる新規事業創造推進室のトップに就いた。 ところが20年ぶりの現場では、昔のようにボトムアップで政策が日の目を見ることが極端に少なくなっていた。代わりに増えたのは、トップダウンの意思決定。古谷さんからすれば、理由は明らかだった。「とにかく若手の官僚が情報を収集できていない」。延長もあり得る期限付きの復帰だったが、希望せずに霞が関を離れた』、「米シリコンバレーへの留学を経験し、政府主導の産業育成に疑問を感じて2000年に退職。米コンサルティング大手などで働いていたが、かつての上司から19年初めに連絡があった。「若手の退職が増えているから戻ってきてほしい」。経産省で管理職の公募制度が始まるタイミングに合わせた勧誘に、古谷さんは「民間を知るからこそ分かる政府の役割とやりがいを伝えたい」と一念発起。スタートアップ企業育成の中核となる新規事業創造推進室のトップに就いた。 ところが20年ぶりの現場では、昔のようにボトムアップで政策が日の目を見ることが極端に少なくなっていた。代わりに増えたのは、トップダウンの意思決定。古谷さんからすれば、理由は明らかだった。「とにかく若手の官僚が情報を収集できていない」。延長もあり得る期限付きの復帰だったが、希望せずに霞が関を離れた」、「昔のようにボトムアップで政策が日の目を見ることが極端に少なくなっていた。代わりに増えたのは、トップダウンの意思決定」というのは由々しいことだ。
・『東大生は「コンサルか商社」 霞が関の地盤沈下は、エリート層が敬遠するようになった現実とも無関係ではないだろう。象徴的なのが東京大学出身者の動向だ。優秀な学生がこぞって中央省庁入りを目指し、東大が「キャリア官僚の育成機関」とまで言われた時代ではなくなった。 キャリア官僚の採用試験で合格した東大出身者は16年度から減少を続け、20年度には300人台に突入した。法学部2年の男子生徒は「周囲では起業するか、外資系コンサル会社や商社を志望する学生が多くなっている。キャリア官僚も悪くないが、やはり労働環境の悪さがネックになる」と明かす。 「霞が関に入ることを家族に相談したが、全力で止められた」と笑うのは、法学部3年の男子生徒だ。大手IT幹部の父親は、データを示しながら「年収が低いし、下積みの期間が長くて効率が悪い。大企業を目指すか、コンサルで経験を積んで起業すべきだ」と説得したという。 21年は法案や条約の関連文書に多数の誤記が見つかり、組織の劣化が懸念された霞が関。このまま自滅するわけにはいかない──。危機感を高めた霞が関は今、モデルチェンジを急いでいる』、「象徴的なのが東京大学出身者の動向だ。優秀な学生がこぞって中央省庁入りを目指し、東大が「キャリア官僚の育成機関」とまで言われた時代ではなくなった。 キャリア官僚の採用試験で合格した東大出身者は16年度から減少を続け、20年度には300人台に突入した・・・「周囲では起業するか、外資系コンサル会社や商社を志望する学生が多くなっている」、なるほど。
次に、昨年4月19日付け文春オンライン「〈音声入手〉「国交省の人間をまた推薦させて頂きたい」 別法人でも国交省有力OBが“天下り要求” 前理事長は「もうたくさん」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/62252
・『国土交通省の元事務次官らが民間企業「空港施設」(東京都大田区)の役員人事に介入していた問題に続き、国交省の有力OBが、一般財団法人「土地情報センター」(東京都千代田区)の理事長(当時)に対しても、同省出身者を常務理事に据えるよう繰り返し要求していたことが、「週刊文春」が入手した音声データでわかった。国交省は空港施設のケースでは組織としての関与を否定していたが、別法人においても天下りを要求する音声データの存在が発覚し、国交省が有力OBを介する形で、天下りを常態化させている疑いが浮上した。 「空港施設」を巡っては、国交省の元事務次官で東京メトロ会長の本田勝氏が、同省の元東京航空局長で副社長の山口勝弘氏を社長に据えるよう要求していた問題が発覚。さらに「週刊文春」4月6日発売号では、その山口氏が取締役時代、役員が集まる会議で、国交省の意向をちらつかせながら自身を副社長に自薦する発言を重ねていた問題を報じた(音声データを「週刊文春 電子版」で公開中)。その後、山口氏は副社長を辞任。空港施設は第三者による検証委員会を設置し、経緯の調査を進めている。 今回新たに天下り問題が明らかになったのは、一般財団法人「土地情報センター」。1986年、旧国土庁(現国土交通省)所管の公益法人として設立され、2011年からは民間色の強い一般財団法人に移行している。現在の理事長は、国交省元政策統括官の北本政行氏(1983年、旧国土庁入庁)だ。 「土地情報センターの理事長には代々、国交省OBが就いてきました。前理事長の馬場健氏も元本州四国連絡橋公団監理官です。ただ、国からの事業が減る中で、馬場氏は自らの退任前に運営の健全化を図ろうとしていた。特に報酬年1800万円とされる常務理事ポストを無くそうとしていました。このポストも代々、国交省OBが天下りしています」(同センターの職員) 「週刊文春」は、馬場理事長(当時)と、元国交審議官の三澤眞氏が2021年1月25日に電話でやり取りした際の音声データを入手した。 「三澤氏は1970年に旧建設省入省。人事課長を経験し、ナンバー2の国交審議官まで務めた有力OBです。馬場氏より1年先輩にあたります」(国交省関係者)』、「国からの事業が減る中で、馬場氏は自らの退任前に運営の健全化を図ろうとしていた。特に報酬年1800万円とされる常務理事ポストを無くそうとしていました」、「馬場」氏」が「国交省OB」でありながら、天下り先の利益を優先させようとしたのは、大したものだ。
・『空きポストに国交省OBを推薦するやりとり 音声データには、次のように記録されている。 三澤「藤原さんから伺ったんだけれども、今年の夏、理事長交代をされるって。そういう方向ですよね?」 馬場「いま検討中ですね」 「藤原さん」とは、元国土事務次官の藤原良一氏。1960年に旧建設省に入省し、現在も同省出身者に大きな影響力を持つ人物だ。土地情報センターの評議員も務めている。 さらに音声はこう続く。 三澤「そいでね、理事長交代して、仮に北本君が上がるということになった場合、その後任として国交省の人間をまた推薦させて頂きたいんですけど」』、「藤原良一氏」が通常の「国交省」の役人らしい行動だ。
・『馬場氏は運営の健全化のため受け入れを拒否 「北本君」は、現理事長の北本氏。当時はセンターの常務理事だった。三澤氏は、北本氏の理事長昇格に伴って空くことになる常務理事ポストに国交省OBを据えようとしていたのだ。ただ、これに対し、馬場氏は一般財団法人として民間企業との取引も増えるなか、運営の健全化を図るべく、天下りの受け入れを拒否する。 馬場「いや、それはできないですよ」 三澤「いやいやいや、だからどうして?」 馬場「だって、ウチ関係ないですもの、国と」 三澤「だって今まで、理事長と常務っていたわけでしょ?」 馬場「今までとだからもう全然違うんですよ、10年前と今とじゃ」 三澤「今まで、10年前じゃなくて、今現在も理事長と常務がいる」 馬場「刻々と変化してきて、全然もう関係ないですよ、国は」 こうしたやり取りの末、最終的に国交省OBの指定席とされてきた常務理事ポストは空席のまま、2021年6月、馬場氏は退任し、新理事長に北本氏が就任した。 馬場氏に尋ねると、次のように回答した。 「音声は本物ですね。これまでにも国交省OBの常務を迎え入れてきましたが、決算書も作れないし、一生懸命に働いている職員のモチベーションにもかかわる。国交省人事課の要請でOBたちを(センターの)顧問にもして、10年余りで計5000万円以上支払ってきた。もうたくさんですよ」) 「それとなく呟いたことはあるかもしれませんね」 一方、三澤氏は次のように語る。 「確かに一度、電話で話しました。今までも国交省OBが常務に来ていて、役に立つなら引き続き活用してほしいと。馬場君のことは50年ぐらい知っていて、私なりのアドバイスをしていた。一OBとしてそうした意見があるのがそんなにおかしいかなあ。非難に値するという意識は全然ありませんでした」 藤原氏はこう答えた。 「三澤君とは色々な会合で会うから、それとなく(常務理事に国交省OBを起用すべきと)呟いたことはあるかもしれませんね」 土地情報センターは以下のように回答した。 「(三澤氏の電話について)ニュアンスなど詳細は存じ上げませんが、当センターと関わりのない外部の方が繰り返し求めているのであれば、適切ではないと考えます。 (国交省OBの登用について)有力OBからの要求のみを理由として理事長などのポストに国交省出身者を登用することは適切ではないと考えます。民間、官庁OBなど出身を問わず、組織(当センター)に必要な人材を重要なポストに登用すべきであると考えています」 国交省人事課は以下のように回答した。 「(三澤氏の電話について)すでに退職して民間人であるOBの発言や、民間組織の人事についてコメントする立場になく、調査を行うことは考えていません。(国交省として土地情報センターの幹部人事に関与した疑いについては)私どもとしては、そのようなことは確認していません」 三澤氏の発言などから浮かび上がるのは、空港施設のケースに続き、国交省が有力OBを中心に組織として、土地情報センターへの天下りに関与していた疑いだ。国家公務員法は、省庁による天下りのあっせんや現役職員の利害関係企業への求職などを禁じている。そのため、有力OBが天下りの調整にあたるのが常態化している恐れがあるのだ。立憲民主党が省庁幹部の再就職状況を調査するよう衆院に要請するなど、天下りの実態解明を求める声が高まっている中、新たに発覚した音声データの存在を受け、国交省がどのような対応を取るのか、注目される。 4月19日(水)12時配信の「週刊文春 電子版」および4月20日(木)発売の「週刊文春」では、土地情報センターの事業内容や、詳しい音声データの中身などについても報じている。また、「週刊文春 電子版」では、三澤氏と馬場氏のやり取りを収めた音声データを公開している』、「立憲民主党が省庁幹部の再就職状況を調査するよう衆院に要請するなど、天下りの実態解明を求める声が高まっている中、新たに発覚した音声データの存在を受け、国交省がどのような対応を取るのか、注目される」、徹底的に監視してゆく必要がある。
第三に、本年5月16日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した関西学院大学名誉教授・博士(人間科学)・保護司の鮎川 潤氏による「天下りの警察OBに「退職金10億円」払った団体の名前…世間が呆れ返った警察利権の実態とは?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/342846
・『警察庁のキャリア官僚たちはノンキャリアの警察官とは昇進スピードも給料も桁違いだ。しかも、優遇されるのは現役時代だけではなく、退職後の天下り先もよりどりみどり。一流企業に天下る彼らの特権の実態とは。※本稿は、『腐敗する「法の番人」:警察、検察、法務省、裁判所の正義を問う』(平凡社新書、平凡社)の一部を抜粋・編集したものです』、興味深そうだ。
・『総会屋の代替機能として警察OBを迎える企業 日本の警察は二重構造になっている。 警察庁という国家公務員の総合職の試験に合格した数百人のキャリア官僚と、各都道府県の警察本部に所属する約26万人の警察官が存在する。各都道府県の警察本部長、主要な都道府県警察本部の刑事部長、公安部長などの地位は、警察庁からキャリアが派遣されて、ほぼ独占している。 しばしば指摘されるように、警察官の採用試験に合格した巡査は幸運であれば、ごく少数のエリートとして警視、警視正になり署長で定年を迎える。一般的には、巡査部長、警部補で定年退職を迎える者が多い。 都道府県警の警察官として採用された場合であっても、警視正以上の地位に就いた場合は国家公務員となり、給与は国から出される。 こうしたたたき上げの警察官に対して、キャリア官僚は都道府県警察本部の要職と警察庁とを往復しながら、地位を昇っていく。採用されて2年で警部、警視正を経て、20余年で警視長ののち、警視監で定年を迎える者も多い。キャリアは、警察の関連団体、一流企業や金融機関に天下る。 銀行、保険、証券会社などの金融業は言うまでもない。電通や博報堂などの広告業、ゼネコンなどの建築業、富士通などの通信機器・情報産業、不動産業、日本郵便、日立をはじめとする日本を代表するメーカーや企業である。 1981年に商法が改正された。それまで企業は、株主総会を円滑に終了させるために、総会屋に金を払っていたが、そうした行為が禁止され、処罰規定も設けられた。総会屋に代替する機能を果たすものとして、またコンプライアンスを遵守するという趣旨から警察の退職者を一般企業が採用するようになったのだろう』、「1981年に商法が改正された。それまで企業は、株主総会を円滑に終了させるために、総会屋に金を払っていたが、そうした行為が禁止され、処罰規定も設けられた。総会屋に代替する機能を果たすものとして、またコンプライアンスを遵守するという趣旨から警察の退職者を一般企業が採用するようになったのだろう」、「警察」にしてみれば、棚ぼた的に天下り先が増えたことになる。
・『JAFへ天下った警視庁長官 退職金は巨額の10億円 従来からの警察の領域である、交通と防犯の分野に天下る者も多い。 交通関係では、天下りの対象としては財団のウェイトが大きいように見受けられる。 その財団として、日本自動車連盟(JAF)、全日本交通安全協会、交通事故総合分析センター、日本道路交通情報センター、全日本指定自動車教習所協会連合会、空港保安事業センター、日本二輪車安全普及協会、日本自動車交通安全用品協会、道路交通情報通信システムセンター、新交通管理システム協会、日本交通管理技術協会、全国ハイヤー・タクシー連合会、東京ハイヤー・タクシー協会、などの財団法人や社団法人の理事長や専務理事、常務理事として天下っている。 高橋幹夫警察庁長官は日本自動車連盟(JAF)に天下り、その理事長を15年間にわたって務めた。毎年、多額の報酬を受けていたが、死亡退職にあたっては「JAFから10億円近い巨額の退職金を受け取ったことが報じられ、今度は世間を呆れさせた」(寺尾文孝『闇の盾』)。 また、各都道府県や各警察署の交通安全協会は退職警察官の重要な受け入れ先ともなっている。各都道府県の交通安全協会は自動車運転免許に関わる事務手続きや講習などを委託されている。各県にある指定自動車教習所の協会や指定自動車教習所の所長、各県にあるタクシー・ハイヤー協会へ天下る都道府県警察本部や警察署の幹部警察官もいる。 交通に関連する企業としては、トヨタ自動車などの自動車メーカー、ヤナセなどの自動車販売業、JRなどの鉄道・交通業へ天下る(バスと接触事故を起こしたら、バスのほうが無理な車線変更や割り込みをしてきたにもかかわらず、バス会社の『警察から天下ってきた』事故担当者が飛んできて、自分のほうが悪いことにされてしまった、という一般の運転者のぼやきはしばしば聞く)。 さらに、道路交通情報通信システムセンター、新交通管理システム協会、日本交通管理技術協会などの協会から、情報産業との関係が浮かび上がるが、富士通、三菱電機などの情報機器産業への就職もある』、「日本自動車連盟(JAF)に天下り、その理事長を15年間にわたって務めた。毎年、多額の報酬を受けていたが、死亡退職にあたっては「JAFから10億円近い巨額の退職金を受け取ったことが報じられ、今度は世間を呆れさせた」、「理事長を15年間」した上で、「死亡退職」にあたっては、「10億円近い巨額の退職金」とは余りに厚遇が過ぎる。「バスと接触事故を起こしたら、バスのほうが無理な車線変更や割り込みをしてきたにもかかわらず、バス会社の『警察から天下ってきた』事故担当者が飛んできて、自分のほうが悪いことにされてしまった、という一般の運転者のぼやきはしばしば聞く」、行き過ぎた天下りの例だ。「道路交通情報通信システムセンター、新交通管理システム協会、日本交通管理技術協会などの協会から、情報産業との関係が浮かび上がるが、富士通、三菱電機などの情報機器産業への就職もある」、なるほど。
・『セコムの顧問には警察がズラリ ALSOKの創設者は警察官僚 交通関係として警察に特徴的なのは、信号機の設計やメインテナンスがある。 たとえば「東管」という会社には、警察庁として警視監ナンバー3の地位だと言われる警察大学校長で退官した後、JR東海の監査役や道路交通情報通信システムセンターの専務理事を務めた全日本交通安全協会の評議員が、特別顧問になっている。 株式会社となっている各地の空港への天下りもある。 なお、キャリア幹部が天下る保険業のなかでも、自動車保険関係が強い保険会社は、交通に関連する企業と言ってもいいのかもしれない。) また、警備業界の警察キャリアの受け入れも顕著である。警備会社の最大手はセコムで、2022年度では、警察庁長官官房付を本社の顧問に、県警察学校長をその県を含む地方本部の顧問に迎え入れている。前年には、北海道警察の参事官をセコムの北海道本部の顧問に迎えている。 現在、取締役に警察関係者はおらず、監事に元警視総監がいる。この元警視総監は、JAF会長及び全日本指定自動車教習所協会連合会代表理事、保険相互会社嘱託、さらにパチスロなどのゲーム機メーカーのコナミの監査役も務めており、警察が利権を持つとされる交通、防犯、風俗という3領域すべてで役職を得たと言うことができよう。 警備業界の第2位は、綜合警備保障(ALSOK)である。警備会社は全国に1万社以上あると思われるが、セコムと綜合警備保障だけで売り上げの4割以上を占めると言われている。業界第1位のセコムの売上高は1兆円を超え、業界第2位の綜合警備保障の売上高は約5,000億円である。これに対して、3位であるセントラル警備保障は約700億円にすぎない。 綜合警備保障は、そもそも警察官僚によって創設された会社である。創始者の村井順は、「内閣総理大臣官房調査室」を設立し、1964年に東京オリンピック組織委員会事務局へ次長として出向したおりに、今後の警備会社の需要と発展を実感したという。警察庁九州管区警察局長で退職したのち警備会社を興した。 長男が社長を継いだのち、中部管区警察局長で退職した警察官僚が迎えられ、社長を約6年務めた。 なお、この社長となった警察官僚の弟も警察官僚で、警察庁長官の後に内閣官房副長官になった』、「綜合警備保障は、そもそも警察官僚によって創設された会社である。創始者の村井順は、「内閣総理大臣官房調査室」を設立し、1964年に東京オリンピック組織委員会事務局へ次長として出向したおりに、今後の警備会社の需要と発展を実感したという。警察庁九州管区警察局長で退職したのち警備会社を興した。 長男が社長を継いだのち、中部管区警察局長で退職した警察官僚が迎えられ、社長を約6年務めた。 なお、この社長となった警察官僚の弟も警察官僚で、警察庁長官の後に内閣官房副長官になった」、なるほど。
・『駐車監視業務の民間委託は警察官の再雇用先確保のため? 綜合警備保障と警察庁との契約に関して、兄弟の関係がマスメディアの話題になったこともあった。 じつは、創設者の次男も警察官僚であった。複数の県警本部長を務めたのち中部管区警察局長で退職し、預金保険機構理事を1年務めた後、綜合警備保障へ入社し、社長に就いた。この社長が招いた官僚が次の社長になった。) 彼は大蔵省に入省し、財務省関税局長を務めた財務官僚だが、和歌山県警本部長を務めた経歴を持つ。常務として迎えられた後、4年後に社長になり10年間社長を務めた。 セコムと比較すると、綜合警備保障は、創始者とその子が警察官僚であるとともに、警察官僚を積極的に役員として迎え入れており、警察官僚や県警本部長経験者が社長を務めてきたという特徴がある。 2006年に駐車監視業務(駐車違反などの取り締まり)が民営化された際、綜合警備保障は東京都内の数か所の警察署管内を請け負った。しかし、その後は引き受けているようには見えない。 受託は入札制度によっており、2人の巡視員による巡回の仕事で、人件費がかかり、利益が上がらないため撤退したものと推定される。 一方セコムは、人を張り付けたり、巡回させたり、常駐させたりする警備から手を引き、CCTVなどの機械監視へと舵を切った。さらにセンサーを組み込んだり、入退室管理と連動させたりして、異常通報があった場合にのみ警備員が駆け付ける、という省力化した機械警備を発展させようとしている。 そのため、こうした原初的な手間暇がかかって儲からない駐車違反取り締まり業務には見向きもしなかったものと考えられる。 じつは、この駐車監視業務の民間移管は、その企画が発表された当初から、大量に定年退職する警察官の再雇用先を確保するためではないかと言われていた。 あえて言うならば、落札した企業は、儲けるためではなく、退職警察官を救済するために儲からない仕事を受託したという、逆説的な見方も可能と思われる』、「綜合警備保障は、創始者とその子が警察官僚であるとともに、警察官僚を積極的に役員として迎え入れており、警察官僚や県警本部長経験者が社長を務めてきたという特徴がある。 2006年に駐車監視業務(駐車違反などの取り締まり)が民営化された際、綜合警備保障は東京都内の数か所の警察署管内を請け負った。しかし、その後は引き受けているようには見えない。 受託は入札制度によっており、2人の巡視員による巡回の仕事で、人件費がかかり、利益が上がらないため撤退したものと推定される。 一方セコムは、人を張り付けたり、巡回させたり、常駐させたりする警備から手を引き、CCTVなどの機械監視へと舵を切った。さらにセンサーを組み込んだり、入退室管理と連動させたりして、異常通報があった場合にのみ警備員が駆け付ける、という省力化した機械警備を発展させようとしている。 そのため、こうした原初的な手間暇がかかって儲からない駐車違反取り締まり業務には見向きもしなかったものと考えられる・・・駐車監視業務の民間移管は、その企画が発表された当初から、大量に定年退職する警察官の再雇用先を確保するためではないかと言われていた。 あえて言うならば、落札した企業は、儲けるためではなく、退職警察官を救済するために儲からない仕事を受託したという、逆説的な見方も可能と思われる」、「駐車監視業務の民間移管」を「落札した企業は、儲けるためではなく、退職警察官を救済するために儲からない仕事を受託した」のは、確かそうだ。
タグ:公務員制度 (その7)([新連載]霞が関人材クライシス 若手官僚はなぜ辞めるのか、〈音声入手〉「国交省の人間をまた推薦させて頂きたい」 別法人でも国交省有力OBが“天下り要求” 前理事長は「もうたくさん」、天下りの警察OBに「退職金10億円」払った団体の名前…世間が呆れ返った警察利権の実態とは?) 日経ビジネスオンライン「[新連載]霞が関人材クライシス 若手官僚はなぜ辞めるのか」 「電車内で他の乗客に暴行を振るったとして、総括審議官(当時、20日付で大臣官房付に更迭)の小野平八郎容疑者が逮捕された・・・機関決定の見送りは、小野氏にとって財務省から課せられたミッションの失敗を意味する。その日の夜、小野氏は複数の会合を重ねて痛飲」、いくら事情があったにせよ、「電車内で他の乗客に暴行を振るった」のはいただけない。 「霞が関の人気は右肩下がりが続いてきた。21年の国家公務員総合職(キャリア)の採用試験申込者数は1万7411人と、5年連続で過去最少を更新した。22年春の試験は1万5330人と6年ぶりに増加に転じたものの、底を打って低迷を完全に抜け出すだけの目ぼしい材料はない」、なるほど。 「国家公務員は労働基準法の適用対象外だが、人事院の規則に従えば1カ月間の時間外労働は原則45時間以内でなければならない。しかし罰則はなく、国会対応などで業務の比重が高い部署には月100時間未満の超過勤務を認める例外規定もある。 首相官邸は、労働の実態に合わせて超過勤務手当を支払うよう各省庁に求めた。すると22年度の一般会計当初予算は、本省分の残業代として総額約403億円を計上。補正分を含めた前年度より17.5%も膨らんだ。本来はもらえていたはずの残業代が、やっと支払われるようになってきた形だが、旧態依然と した労働環境はなかなか改善できない・・・「ブラックな働き方と知りながら、政策を作りたくて入ってきている。昔も今もこれからも、残れるやつだけ残ればいいのが霞が関という世界だ」。ある省で将来の事務次官候補に挙がる課長はこう語り働き方改革の推進に対して難色をあらわにする・・・経済産業省で10年代に勤務した一般職の女性は、管理職が部下に「辞めろ、死ね」と怒鳴っていた姿が忘れられない。「経産省を出れば何もできないであろう人が幅を利かす」組織に失望した。若手・中堅を中心に退職者が増えてきたのも、こうした組織風土と無関 係ではないだろう」、なるほど。 「政府全体の歳出を公務員数で割った数値は日本が他の先進民主主義国より圧倒的に高かった。 国の歳出は規模が大きくなればなるほど、運用が煩雑になり、公務員が担う仕事量は多くなる。北村教授が浮き彫りにしたのは、1人当たりの負担が世界でも群を抜いて大きい日本の国家公務員の姿だった。 一方で、政府の人件費が政府全体の歳出に占める割合をみると、日本が最小クラスであることも分かった・・・1人当たりの負担が世界でも群を抜いて大きい日本の国家公務員の姿だった。 一方で、政府の人件費が政府全体の歳出に占める割合をみると、日本が最小クラスであることも分かった」、なるほど。 「米シリコンバレーへの留学を経験し、政府主導の産業育成に疑問を感じて2000年に退職。米コンサルティング大手などで働いていたが、かつての上司から19年初めに連絡があった。「若手の退職が増えているから戻ってきてほしい」。経産省で管理職の公募制度が始まるタイミングに合わせた勧誘に、古谷さんは「民間を知るからこそ分かる政府の役割とやりがいを伝えたい」と一念発起。スタートアップ企業育成の中核となる新規事業創造推進室のトップに就いた。 ところが20年ぶりの現場では、昔のようにボトムアップで政策が日の目を見ることが極端に少なくなっていた。代わりに増えたのは、トップダウンの意思決定。古谷さんからすれば、理由は明らかだった。「とにかく若手の官僚が情報を収集できていない」。延長もあり得る期限付きの復帰だったが、希望せずに霞が関を離れた」、「昔のようにボトムアップで政策が日の目を見ることが極端に少なくなっていた。代わりに増えたのは、トップダウンの意思決定」というのは由々しいことだ。 「象徴的なのが東京大学出身者の動向だ。優秀な学生がこぞって中央省庁入りを目指し、東大が「キャリア官僚の育成機関」とまで言われた時代ではなくなった。 キャリア官僚の採用試験で合格した東大出身者は16年度から減少を続け、20年度には300人台に突入した・・・「周囲では起業するか、外資系コンサル会社や商社を志望する学生が多くなっている」、なるほど。 文春オンライン「〈音声入手〉「国交省の人間をまた推薦させて頂きたい」 別法人でも国交省有力OBが“天下り要求” 前理事長は「もうたくさん」 「国からの事業が減る中で、馬場氏は自らの退任前に運営の健全化を図ろうとしていた。特に報酬年1800万円とされる常務理事ポストを無くそうとしていました」、「馬場」氏」が「国交省OB」でありながら、天下り先の利益を優先させようとしたのは、大したものだ。 「藤原良一氏」が通常の「国交省」の役人らしい行動だ。 「立憲民主党が省庁幹部の再就職状況を調査するよう衆院に要請するなど、天下りの実態解明を求める声が高まっている中、新たに発覚した音声データの存在を受け、国交省がどのような対応を取るのか、注目される」、徹底的に監視してゆく必要がある。 ダイヤモンド・オンライン 鮎川 潤氏による「天下りの警察OBに「退職金10億円」払った団体の名前…世間が呆れ返った警察利権の実態とは?」 『腐敗する「法の番人」:警察、検察、法務省、裁判所の正義を問う』(平凡社新書、平凡社) 「1981年に商法が改正された。それまで企業は、株主総会を円滑に終了させるために、総会屋に金を払っていたが、そうした行為が禁止され、処罰規定も設けられた。総会屋に代替する機能を果たすものとして、またコンプライアンスを遵守するという趣旨から警察の退職者を一般企業が採用するようになったのだろう」、「警察」にしてみれば、棚ぼた的に天下り先が増えたことになる。 「日本自動車連盟(JAF)に天下り、その理事長を15年間にわたって務めた。毎年、多額の報酬を受けていたが、死亡退職にあたっては「JAFから10億円近い巨額の退職金を受け取ったことが報じられ、今度は世間を呆れさせた」、「理事長を15年間」した上で、「死亡退職」にあたっては、「10億円近い巨額の退職金」とは余りに厚遇が過ぎる。 「バスと接触事故を起こしたら、バスのほうが無理な車線変更や割り込みをしてきたにもかかわらず、バス会社の『警察から天下ってきた』事故担当者が飛んできて、自分のほうが悪いことにされてしまった、という一般の運転者のぼやきはしばしば聞く」、行き過ぎた天下りの例だ。「道路交通情報通信システムセンター、新交通管理システム協会、日本交通管理技術協会などの協会から、情報産業との関係が浮かび上がるが、富士通、三菱電機などの情報機器産業への就職もある」、なるほど。 「綜合警備保障は、そもそも警察官僚によって創設された会社である。創始者の村井順は、「内閣総理大臣官房調査室」を設立し、1964年に東京オリンピック組織委員会事務局へ次長として出向したおりに、今後の警備会社の需要と発展を実感したという。警察庁九州管区警察局長で退職したのち警備会社を興した。 長男が社長を継いだのち、中部管区警察局長で退職した警察官僚が迎えられ、社長を約6年務めた。 なお、この社長となった警察官僚の弟も警察官僚で、警察庁長官の後に内閣官房副長官になった」、なるほど。 「綜合警備保障は、創始者とその子が警察官僚であるとともに、警察官僚を積極的に役員として迎え入れており、警察官僚や県警本部長経験者が社長を務めてきたという特徴がある。 2006年に駐車監視業務(駐車違反などの取り締まり)が民営化された際、綜合警備保障は東京都内の数か所の警察署管内を請け負った。しかし、その後は引き受けているようには見えない。 受託は入札制度によっており、2人の巡視員による巡回の仕事で、人件費がかかり、利益が上がらないため撤退したものと推定される。 一方セコムは、人を張り付けたり、巡回させたり、常駐させたりする警備から手を引き、CCTVなどの機械監視へと舵を切った。さらにセンサーを組み込んだり、入退室管理と連動させたりして、異常通報があった場合にのみ警備員が駆け付ける、という省力化した機械警備を発展させようとしている。 そのため、こうした原初的な手間暇がかかって儲からない駐車違反取り締まり業務には見向きもしなかったものと考えられる・・・ 駐車監視業務の民間移管は、その企画が発表された当初から、大量に定年退職する警察官の再雇用先を確保するためではないかと言われていた。 あえて言うならば、落札した企業は、儲けるためではなく、退職警察官を救済するために儲からない仕事を受託したという、逆説的な見方も可能と思われる」、「駐車監視業務の民間移管」を「落札した企業は、儲けるためではなく、退職警察官を救済するために儲からない仕事を受託した」のは、確かそうだ。
公務員制度(その7)([新連載]霞が関人材クライシス 若手官僚はなぜ辞めるのか、〈音声入手〉「国交省の人間をまた推薦させて頂きたい」 別法人でも国交省有力OBが“天下り要求” 前理事長は「もうたくさん」、天下りの警察OBに「退職金10億円」払った団体の名前…世間が呆れ返った警察利権の実態とは?) [経済政治動向]
公務員制度については、2021年12月21日に取上げた。今日は、(その7)([新連載]霞が関人材クライシス 若手官僚はなぜ辞めるのか、〈音声入手〉「国交省の人間をまた推薦させて頂きたい」 別法人でも国交省有力OBが“天下り要求” 前理事長は「もうたくさん」、天下りの警察OBに「退職金10億円」払った団体の名前…世間が呆れ返った警察利権の実態とは?)である。
先ずは、2022年5月31日付け日経ビジネスオンライン「[新連載]霞が関人材クライシス 若手官僚はなぜ辞めるのか」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00460/053000001/
・『深夜残業の多いブラック職場、旧態依然とした年功序列型の組織、自己成長の実感が薄い――。悪評が定着した霞が関の不人気は深刻化し、応募者の減少傾向に歯止めがかからない。それでも官僚が今、そして未来の日本を支える頭脳集団であることに変わりない。多岐にわたる関係者と調整し、課題を解決する力は、企業のイノベーションにとっても必要だ。司令塔の地盤沈下が進む国に未来はない。官僚の威信と魅力を取り戻す道を探る。 今後のラインアップ ・霞が関人材クライシス 若手官僚はなぜ辞めるのか(今回) ・ブラック職場とは言わせない 霞が関、働き方改革の最前線 ・立ち上がった民間出身官僚 「個の犠牲」に頼らない風土を ・官僚だってやりたい仕事がある 2割の時間を「本業外」に ・現役官僚座談会「同窓会で給料の話になったらトイレに行く」 ・農水省発、官僚YouTuberの挑戦 「等身大の霞が関」を国民へ ・民間で光る「官僚力」 企業と日本の活力に ・総務省出身のDeNA岡村社長「官僚の総合力、企業経営で生かせ」 など 5月20日、いつにも増して静まり返る財務省を幹部が朝から駆け回っていた。未明に電車内で他の乗客に暴行を振るったとして、総括審議官(当時、20日付で大臣官房付に更迭)の小野平八郎容疑者が逮捕された。その後処理に追われていたのだ。 省内で「周囲に声を荒らげることはなく、仕事もそつなくこなす」(主税局関係者)と評されていた小野氏に何があったのか。 総括審議官は政府の経済財政諮問会議に絡む業務が多い。複数の関係者の話を総合すると、6月上旬に閣議決定される「骨太の方針」について、小野氏は財務省の意向を反映させるため自民党との調整に追われていた。 自民党には財政再建派の「財政健全化推進本部」(額賀福志郎本部長)と、積極財政派の「財政政策検討本部」(西田昌司本部長)がある。国と地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス)を2025年度に黒字化する政府目標の取り扱いを巡って対立しているが、参院選を7月に控える今は、政局化を避けることで内々に合意していることで知られている。 財政健全化推進本部は5月19日、小野氏が作成したドラフトを基に官邸宛ての提言をまとめようとした。しかし財政政策検討本部側に抵抗されて断念。結局、額賀本部長が預かって骨太の方針に押し込む流れになった。 機関決定の見送りは、小野氏にとって財務省から課せられたミッションの失敗を意味する。その日の夜、小野氏は複数の会合を重ねて痛飲したとみられる』、「電車内で他の乗客に暴行を振るったとして、総括審議官(当時、20日付で大臣官房付に更迭)の小野平八郎容疑者が逮捕された・・・機関決定の見送りは、小野氏にとって財務省から課せられたミッションの失敗を意味する。その日の夜、小野氏は複数の会合を重ねて痛飲」、いくら事情があったにせよ、「電車内で他の乗客に暴行を振るった」のはいただけない。
・『「出世しても潰れる」不安 財務省の中堅幹部はこう漏らした。「いくら昇進レースで懸命に勝ち残っても、一寸先は闇ということだ。もちろん許される行為ではないが、霞が関の一員としてむなしいし、正直に言うと少なからず同情できる面もある」 今回の事件が霞が関に広げた波紋は、単なる「有力幹部の不祥事」レベルにとどまらない。特に若いキャリア官僚の間では、「順調に出世して事務次官のポストが見えていても、強いストレスによって潰れてしまう」(総務省課長補佐)という捉え方にみられるように、自らの将来を不安視する向きが強まっている。 働くステージとして、霞が関の人気は右肩下がりが続いてきた。21年の国家公務員総合職(キャリア)の採用試験申込者数は1万7411人と、5年連続で過去最少を更新した。22年春の試験は1万5330人と6年ぶりに増加に転じたものの、底を打って低迷を完全に抜け出すだけの目ぼしい材料はない。 中央省庁は国政の基盤を作る役割を担うだけに、もともと「働きがい」ならどの職種にも勝るとも劣らないはずだ。しかし過酷な残業が、それを打ち消してしまう』、「霞が関の人気は右肩下がりが続いてきた。21年の国家公務員総合職(キャリア)の採用試験申込者数は1万7411人と、5年連続で過去最少を更新した。22年春の試験は1万5330人と6年ぶりに増加に転じたものの、底を打って低迷を完全に抜け出すだけの目ぼしい材料はない」、なるほど。
・『3割が「過労死ライン」 内閣人事局が20年秋に国家公務員約5万人の働き方を調べたところ、20代のキャリア官僚の3割が「過労死ライン」とされる月80時間を超える残業をこなしていた。 19年4月施行の改正労働基準法で、民間企業の時間外労働時間は原則として1カ月当たり45時間以内、特別条項が適用されると1カ月100時間未満、複数にわたる月平均は80時間以内と定められた。 国家公務員は労働基準法の適用対象外だが、人事院の規則に従えば1カ月間の時間外労働は原則45時間以内でなければならない。しかし罰則はなく、国会対応などで業務の比重が高い部署には月100時間未満の超過勤務を認める例外規定もある。 首相官邸は、労働の実態に合わせて超過勤務手当を支払うよう各省庁に求めた。すると22年度の一般会計当初予算は、本省分の残業代として総額約403億円を計上。補正分を含めた前年度より17.5%も膨らんだ。本来はもらえていたはずの残業代が、やっと支払われるようになってきた形だが、旧態依然とした労働環境はなかなか改善できない。 「ブラックな働き方と知りながら、政策を作りたくて入ってきている。昔も今もこれからも、残れるやつだけ残ればいいのが霞が関という世界だ」。ある省で将来の事務次官候補に挙がる課長はこう語り働き方改革の推進に対して難色をあらわにする。 経済産業省で10年代に勤務した一般職の女性は、管理職が部下に「辞めろ、死ね」と怒鳴っていた姿が忘れられない。「経産省を出れば何もできないであろう人が幅を利かす」組織に失望した。若手・中堅を中心に退職者が増えてきたのも、こうした組織風土と無関係ではないだろう』、「国家公務員は労働基準法の適用対象外だが、人事院の規則に従えば1カ月間の時間外労働は原則45時間以内でなければならない。しかし罰則はなく、国会対応などで業務の比重が高い部署には月100時間未満の超過勤務を認める例外規定もある。 首相官邸は、労働の実態に合わせて超過勤務手当を支払うよう各省庁に求めた。すると22年度の一般会計当初予算は、本省分の残業代として総額約403億円を計上。補正分を含めた前年度より17.5%も膨らんだ。本来はもらえていたはずの残業代が、やっと支払われるようになってきた形だが、旧態依然とした労働環境はなかなか改善できない・・・「ブラックな働き方と知りながら、政策を作りたくて入ってきている。昔も今もこれからも、残れるやつだけ残ればいいのが霞が関という世界だ」。ある省で将来の事務次官候補に挙がる課長はこう語り働き方改革の推進に対して難色をあらわにする・・・経済産業省で10年代に勤務した一般職の女性は、管理職が部下に「辞めろ、死ね」と怒鳴っていた姿が忘れられない。「経産省を出れば何もできないであろう人が幅を利かす」組織に失望した。若手・中堅を中心に退職者が増えてきたのも、こうした組織風土と無関係ではないだろう」、なるほど。
・『忙しくても報酬は少ない 日本の国家公務員は、諸外国と比べて仕事量が多いのに、もらえる報酬は少ない。大阪大学大学院法学研究科の北村亘教授が経済協力開発機構(OECD)のデータを基に試算したところ、政府全体の歳出を公務員数で割った数値は日本が他の先進民主主義国より圧倒的に高かった。 国の歳出は規模が大きくなればなるほど、運用が煩雑になり、公務員が担う仕事量は多くなる。北村教授が浮き彫りにしたのは、1人当たりの負担が世界でも群を抜いて大きい日本の国家公務員の姿だった。 一方で、政府の人件費が政府全体の歳出に占める割合をみると、日本が最小クラスであることも分かった(上のグラフを参照)。 北村教授は「予算が膨張する一方で職員の定数が減らされ続けているため、国家公務員の業務は量が増えつつ複雑・高度化している」と指摘。「国家公務員の志願者がさらに減れば質の確保が難しくなり、人数以上の仕事を処理できなくなる」と警鐘を鳴らす』、「政府全体の歳出を公務員数で割った数値は日本が他の先進民主主義国より圧倒的に高かった。 国の歳出は規模が大きくなればなるほど、運用が煩雑になり、公務員が担う仕事量は多くなる。北村教授が浮き彫りにしたのは、1人当たりの負担が世界でも群を抜いて大きい日本の国家公務員の姿だった。 一方で、政府の人件費が政府全体の歳出に占める割合をみると、日本が最小クラスであることも分かった・・・1人当たりの負担が世界でも群を抜いて大きい日本の国家公務員の姿だった。 一方で、政府の人件費が政府全体の歳出に占める割合をみると、日本が最小クラスであることも分かった」、なるほど。
・『極端に減った「ボトムアップ」 霞が関OBも、キャリア官僚の業務スタイルが変わったのを感じ取っている。1993年に通商産業省(現経産省)に入った古谷元さんは、当時を「霞が関が日本を動かしているという自負が強かった」と振り返る。省内にさまざまな人が出入りし、あらゆる先進的な情報が自分の机に座っていれば得られた。夜は仲間と政策を議論し、固まったものが1年たった頃に実現していく。そんなダイナミズムがあった。 米シリコンバレーへの留学を経験し、政府主導の産業育成に疑問を感じて2000年に退職。米コンサルティング大手などで働いていたが、かつての上司から19年初めに連絡があった。「若手の退職が増えているから戻ってきてほしい」。経産省で管理職の公募制度が始まるタイミングに合わせた勧誘に、古谷さんは「民間を知るからこそ分かる政府の役割とやりがいを伝えたい」と一念発起。スタートアップ企業育成の中核となる新規事業創造推進室のトップに就いた。 ところが20年ぶりの現場では、昔のようにボトムアップで政策が日の目を見ることが極端に少なくなっていた。代わりに増えたのは、トップダウンの意思決定。古谷さんからすれば、理由は明らかだった。「とにかく若手の官僚が情報を収集できていない」。延長もあり得る期限付きの復帰だったが、希望せずに霞が関を離れた』、「米シリコンバレーへの留学を経験し、政府主導の産業育成に疑問を感じて2000年に退職。米コンサルティング大手などで働いていたが、かつての上司から19年初めに連絡があった。「若手の退職が増えているから戻ってきてほしい」。経産省で管理職の公募制度が始まるタイミングに合わせた勧誘に、古谷さんは「民間を知るからこそ分かる政府の役割とやりがいを伝えたい」と一念発起。スタートアップ企業育成の中核となる新規事業創造推進室のトップに就いた。 ところが20年ぶりの現場では、昔のようにボトムアップで政策が日の目を見ることが極端に少なくなっていた。代わりに増えたのは、トップダウンの意思決定。古谷さんからすれば、理由は明らかだった。「とにかく若手の官僚が情報を収集できていない」。延長もあり得る期限付きの復帰だったが、希望せずに霞が関を離れた」、「昔のようにボトムアップで政策が日の目を見ることが極端に少なくなっていた。代わりに増えたのは、トップダウンの意思決定」というのは由々しいことだ。
・『東大生は「コンサルか商社」 霞が関の地盤沈下は、エリート層が敬遠するようになった現実とも無関係ではないだろう。象徴的なのが東京大学出身者の動向だ。優秀な学生がこぞって中央省庁入りを目指し、東大が「キャリア官僚の育成機関」とまで言われた時代ではなくなった。 キャリア官僚の採用試験で合格した東大出身者は16年度から減少を続け、20年度には300人台に突入した。法学部2年の男子生徒は「周囲では起業するか、外資系コンサル会社や商社を志望する学生が多くなっている。キャリア官僚も悪くないが、やはり労働環境の悪さがネックになる」と明かす。 「霞が関に入ることを家族に相談したが、全力で止められた」と笑うのは、法学部3年の男子生徒だ。大手IT幹部の父親は、データを示しながら「年収が低いし、下積みの期間が長くて効率が悪い。大企業を目指すか、コンサルで経験を積んで起業すべきだ」と説得したという。 21年は法案や条約の関連文書に多数の誤記が見つかり、組織の劣化が懸念された霞が関。このまま自滅するわけにはいかない──。危機感を高めた霞が関は今、モデルチェンジを急いでいる』、「象徴的なのが東京大学出身者の動向だ。優秀な学生がこぞって中央省庁入りを目指し、東大が「キャリア官僚の育成機関」とまで言われた時代ではなくなった。 キャリア官僚の採用試験で合格した東大出身者は16年度から減少を続け、20年度には300人台に突入した・・・「周囲では起業するか、外資系コンサル会社や商社を志望する学生が多くなっている」、なるほど。
次に、
先ずは、2022年5月31日付け日経ビジネスオンライン「[新連載]霞が関人材クライシス 若手官僚はなぜ辞めるのか」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00460/053000001/
・『深夜残業の多いブラック職場、旧態依然とした年功序列型の組織、自己成長の実感が薄い――。悪評が定着した霞が関の不人気は深刻化し、応募者の減少傾向に歯止めがかからない。それでも官僚が今、そして未来の日本を支える頭脳集団であることに変わりない。多岐にわたる関係者と調整し、課題を解決する力は、企業のイノベーションにとっても必要だ。司令塔の地盤沈下が進む国に未来はない。官僚の威信と魅力を取り戻す道を探る。 今後のラインアップ ・霞が関人材クライシス 若手官僚はなぜ辞めるのか(今回) ・ブラック職場とは言わせない 霞が関、働き方改革の最前線 ・立ち上がった民間出身官僚 「個の犠牲」に頼らない風土を ・官僚だってやりたい仕事がある 2割の時間を「本業外」に ・現役官僚座談会「同窓会で給料の話になったらトイレに行く」 ・農水省発、官僚YouTuberの挑戦 「等身大の霞が関」を国民へ ・民間で光る「官僚力」 企業と日本の活力に ・総務省出身のDeNA岡村社長「官僚の総合力、企業経営で生かせ」 など 5月20日、いつにも増して静まり返る財務省を幹部が朝から駆け回っていた。未明に電車内で他の乗客に暴行を振るったとして、総括審議官(当時、20日付で大臣官房付に更迭)の小野平八郎容疑者が逮捕された。その後処理に追われていたのだ。 省内で「周囲に声を荒らげることはなく、仕事もそつなくこなす」(主税局関係者)と評されていた小野氏に何があったのか。 総括審議官は政府の経済財政諮問会議に絡む業務が多い。複数の関係者の話を総合すると、6月上旬に閣議決定される「骨太の方針」について、小野氏は財務省の意向を反映させるため自民党との調整に追われていた。 自民党には財政再建派の「財政健全化推進本部」(額賀福志郎本部長)と、積極財政派の「財政政策検討本部」(西田昌司本部長)がある。国と地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス)を2025年度に黒字化する政府目標の取り扱いを巡って対立しているが、参院選を7月に控える今は、政局化を避けることで内々に合意していることで知られている。 財政健全化推進本部は5月19日、小野氏が作成したドラフトを基に官邸宛ての提言をまとめようとした。しかし財政政策検討本部側に抵抗されて断念。結局、額賀本部長が預かって骨太の方針に押し込む流れになった。 機関決定の見送りは、小野氏にとって財務省から課せられたミッションの失敗を意味する。その日の夜、小野氏は複数の会合を重ねて痛飲したとみられる』、「電車内で他の乗客に暴行を振るったとして、総括審議官(当時、20日付で大臣官房付に更迭)の小野平八郎容疑者が逮捕された・・・機関決定の見送りは、小野氏にとって財務省から課せられたミッションの失敗を意味する。その日の夜、小野氏は複数の会合を重ねて痛飲」、いくら事情があったにせよ、「電車内で他の乗客に暴行を振るった」のはいただけない。
・『「出世しても潰れる」不安 財務省の中堅幹部はこう漏らした。「いくら昇進レースで懸命に勝ち残っても、一寸先は闇ということだ。もちろん許される行為ではないが、霞が関の一員としてむなしいし、正直に言うと少なからず同情できる面もある」 今回の事件が霞が関に広げた波紋は、単なる「有力幹部の不祥事」レベルにとどまらない。特に若いキャリア官僚の間では、「順調に出世して事務次官のポストが見えていても、強いストレスによって潰れてしまう」(総務省課長補佐)という捉え方にみられるように、自らの将来を不安視する向きが強まっている。 働くステージとして、霞が関の人気は右肩下がりが続いてきた。21年の国家公務員総合職(キャリア)の採用試験申込者数は1万7411人と、5年連続で過去最少を更新した。22年春の試験は1万5330人と6年ぶりに増加に転じたものの、底を打って低迷を完全に抜け出すだけの目ぼしい材料はない。 中央省庁は国政の基盤を作る役割を担うだけに、もともと「働きがい」ならどの職種にも勝るとも劣らないはずだ。しかし過酷な残業が、それを打ち消してしまう』、「霞が関の人気は右肩下がりが続いてきた。21年の国家公務員総合職(キャリア)の採用試験申込者数は1万7411人と、5年連続で過去最少を更新した。22年春の試験は1万5330人と6年ぶりに増加に転じたものの、底を打って低迷を完全に抜け出すだけの目ぼしい材料はない」、なるほど。
・『3割が「過労死ライン」 内閣人事局が20年秋に国家公務員約5万人の働き方を調べたところ、20代のキャリア官僚の3割が「過労死ライン」とされる月80時間を超える残業をこなしていた。 19年4月施行の改正労働基準法で、民間企業の時間外労働時間は原則として1カ月当たり45時間以内、特別条項が適用されると1カ月100時間未満、複数にわたる月平均は80時間以内と定められた。 国家公務員は労働基準法の適用対象外だが、人事院の規則に従えば1カ月間の時間外労働は原則45時間以内でなければならない。しかし罰則はなく、国会対応などで業務の比重が高い部署には月100時間未満の超過勤務を認める例外規定もある。 首相官邸は、労働の実態に合わせて超過勤務手当を支払うよう各省庁に求めた。すると22年度の一般会計当初予算は、本省分の残業代として総額約403億円を計上。補正分を含めた前年度より17.5%も膨らんだ。本来はもらえていたはずの残業代が、やっと支払われるようになってきた形だが、旧態依然とした労働環境はなかなか改善できない。 「ブラックな働き方と知りながら、政策を作りたくて入ってきている。昔も今もこれからも、残れるやつだけ残ればいいのが霞が関という世界だ」。ある省で将来の事務次官候補に挙がる課長はこう語り働き方改革の推進に対して難色をあらわにする。 経済産業省で10年代に勤務した一般職の女性は、管理職が部下に「辞めろ、死ね」と怒鳴っていた姿が忘れられない。「経産省を出れば何もできないであろう人が幅を利かす」組織に失望した。若手・中堅を中心に退職者が増えてきたのも、こうした組織風土と無関係ではないだろう』、「国家公務員は労働基準法の適用対象外だが、人事院の規則に従えば1カ月間の時間外労働は原則45時間以内でなければならない。しかし罰則はなく、国会対応などで業務の比重が高い部署には月100時間未満の超過勤務を認める例外規定もある。 首相官邸は、労働の実態に合わせて超過勤務手当を支払うよう各省庁に求めた。すると22年度の一般会計当初予算は、本省分の残業代として総額約403億円を計上。補正分を含めた前年度より17.5%も膨らんだ。本来はもらえていたはずの残業代が、やっと支払われるようになってきた形だが、旧態依然とした労働環境はなかなか改善できない・・・「ブラックな働き方と知りながら、政策を作りたくて入ってきている。昔も今もこれからも、残れるやつだけ残ればいいのが霞が関という世界だ」。ある省で将来の事務次官候補に挙がる課長はこう語り働き方改革の推進に対して難色をあらわにする・・・経済産業省で10年代に勤務した一般職の女性は、管理職が部下に「辞めろ、死ね」と怒鳴っていた姿が忘れられない。「経産省を出れば何もできないであろう人が幅を利かす」組織に失望した。若手・中堅を中心に退職者が増えてきたのも、こうした組織風土と無関係ではないだろう」、なるほど。
・『忙しくても報酬は少ない 日本の国家公務員は、諸外国と比べて仕事量が多いのに、もらえる報酬は少ない。大阪大学大学院法学研究科の北村亘教授が経済協力開発機構(OECD)のデータを基に試算したところ、政府全体の歳出を公務員数で割った数値は日本が他の先進民主主義国より圧倒的に高かった。 国の歳出は規模が大きくなればなるほど、運用が煩雑になり、公務員が担う仕事量は多くなる。北村教授が浮き彫りにしたのは、1人当たりの負担が世界でも群を抜いて大きい日本の国家公務員の姿だった。 一方で、政府の人件費が政府全体の歳出に占める割合をみると、日本が最小クラスであることも分かった(上のグラフを参照)。 北村教授は「予算が膨張する一方で職員の定数が減らされ続けているため、国家公務員の業務は量が増えつつ複雑・高度化している」と指摘。「国家公務員の志願者がさらに減れば質の確保が難しくなり、人数以上の仕事を処理できなくなる」と警鐘を鳴らす』、「政府全体の歳出を公務員数で割った数値は日本が他の先進民主主義国より圧倒的に高かった。 国の歳出は規模が大きくなればなるほど、運用が煩雑になり、公務員が担う仕事量は多くなる。北村教授が浮き彫りにしたのは、1人当たりの負担が世界でも群を抜いて大きい日本の国家公務員の姿だった。 一方で、政府の人件費が政府全体の歳出に占める割合をみると、日本が最小クラスであることも分かった・・・1人当たりの負担が世界でも群を抜いて大きい日本の国家公務員の姿だった。 一方で、政府の人件費が政府全体の歳出に占める割合をみると、日本が最小クラスであることも分かった」、なるほど。
・『極端に減った「ボトムアップ」 霞が関OBも、キャリア官僚の業務スタイルが変わったのを感じ取っている。1993年に通商産業省(現経産省)に入った古谷元さんは、当時を「霞が関が日本を動かしているという自負が強かった」と振り返る。省内にさまざまな人が出入りし、あらゆる先進的な情報が自分の机に座っていれば得られた。夜は仲間と政策を議論し、固まったものが1年たった頃に実現していく。そんなダイナミズムがあった。 米シリコンバレーへの留学を経験し、政府主導の産業育成に疑問を感じて2000年に退職。米コンサルティング大手などで働いていたが、かつての上司から19年初めに連絡があった。「若手の退職が増えているから戻ってきてほしい」。経産省で管理職の公募制度が始まるタイミングに合わせた勧誘に、古谷さんは「民間を知るからこそ分かる政府の役割とやりがいを伝えたい」と一念発起。スタートアップ企業育成の中核となる新規事業創造推進室のトップに就いた。 ところが20年ぶりの現場では、昔のようにボトムアップで政策が日の目を見ることが極端に少なくなっていた。代わりに増えたのは、トップダウンの意思決定。古谷さんからすれば、理由は明らかだった。「とにかく若手の官僚が情報を収集できていない」。延長もあり得る期限付きの復帰だったが、希望せずに霞が関を離れた』、「米シリコンバレーへの留学を経験し、政府主導の産業育成に疑問を感じて2000年に退職。米コンサルティング大手などで働いていたが、かつての上司から19年初めに連絡があった。「若手の退職が増えているから戻ってきてほしい」。経産省で管理職の公募制度が始まるタイミングに合わせた勧誘に、古谷さんは「民間を知るからこそ分かる政府の役割とやりがいを伝えたい」と一念発起。スタートアップ企業育成の中核となる新規事業創造推進室のトップに就いた。 ところが20年ぶりの現場では、昔のようにボトムアップで政策が日の目を見ることが極端に少なくなっていた。代わりに増えたのは、トップダウンの意思決定。古谷さんからすれば、理由は明らかだった。「とにかく若手の官僚が情報を収集できていない」。延長もあり得る期限付きの復帰だったが、希望せずに霞が関を離れた」、「昔のようにボトムアップで政策が日の目を見ることが極端に少なくなっていた。代わりに増えたのは、トップダウンの意思決定」というのは由々しいことだ。
・『東大生は「コンサルか商社」 霞が関の地盤沈下は、エリート層が敬遠するようになった現実とも無関係ではないだろう。象徴的なのが東京大学出身者の動向だ。優秀な学生がこぞって中央省庁入りを目指し、東大が「キャリア官僚の育成機関」とまで言われた時代ではなくなった。 キャリア官僚の採用試験で合格した東大出身者は16年度から減少を続け、20年度には300人台に突入した。法学部2年の男子生徒は「周囲では起業するか、外資系コンサル会社や商社を志望する学生が多くなっている。キャリア官僚も悪くないが、やはり労働環境の悪さがネックになる」と明かす。 「霞が関に入ることを家族に相談したが、全力で止められた」と笑うのは、法学部3年の男子生徒だ。大手IT幹部の父親は、データを示しながら「年収が低いし、下積みの期間が長くて効率が悪い。大企業を目指すか、コンサルで経験を積んで起業すべきだ」と説得したという。 21年は法案や条約の関連文書に多数の誤記が見つかり、組織の劣化が懸念された霞が関。このまま自滅するわけにはいかない──。危機感を高めた霞が関は今、モデルチェンジを急いでいる』、「象徴的なのが東京大学出身者の動向だ。優秀な学生がこぞって中央省庁入りを目指し、東大が「キャリア官僚の育成機関」とまで言われた時代ではなくなった。 キャリア官僚の採用試験で合格した東大出身者は16年度から減少を続け、20年度には300人台に突入した・・・「周囲では起業するか、外資系コンサル会社や商社を志望する学生が多くなっている」、なるほど。
次に、
”右傾化”(その17)(大前研一「世界的右傾化はなぜ止まらないのか」…衆愚政治から抜け出すたった一つの解決法 真剣に政治のことを考えないと国が消滅する、もはや「神社本庁・崩壊」の危機...総長の「不正土地取引」に「超有名神社の離脱」と「2000人関係者激怒」が相次いで勃発、ついに「公家家格の頂点」「神社界のボス」も超激怒...ヤバすぎる横暴を続ける現在の「神社本庁」につきつけた「ノー」) [経済政治動向]
”右傾化”については、本年1月26日に取上げた。今日は、(その17)(大前研一「世界的右傾化はなぜ止まらないのか」…衆愚政治から抜け出すたった一つの解決法 真剣に政治のことを考えないと国が消滅する、もはや「神社本庁・崩壊」の危機...総長の「不正土地取引」に「超有名神社の離脱」と「2000人関係者激怒」が相次いで勃発、ついに「公家家格の頂点」「神社界のボス」も超激怒...ヤバすぎる横暴を続ける現在の「神社本庁」につきつけた「ノー」)である。
先ずは、昨年12月27日プレジデント 2024年1月12日号が掲載したビジネス・ブレークスルー大学学長大前 研一氏による「大前研一「世界的右傾化はなぜ止まらないのか」…衆愚政治から抜け出すたった一つの解決法 真剣に政治のことを考えないと国が消滅する」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/77131
・『グローバル経済の恩恵を忘れるな 世界の右傾化が止まらない。2023年11月19日に行われたアルゼンチン大統領選の決選投票で、「アルゼンチンのトランプ」を自称する右派のハビエル・ミレイ下院議員が、左派のセルヒオ・マサ経済大臣を破って当選、12月10日に就任した。その他、各地で極右政党が勢力を伸ばしている。これは世界の破滅につながる道である。 今では知らない人も多いが、20世紀初頭のアルゼンチンは非常に豊かな国だった。肥沃な土壌を活かして農業大国として成長し、最盛期は世界第5位の経済大国になったほどだ。 しかし、世界恐慌以降のアルゼンチンは没落の一途だ。工業化の波に乗りきれず、左派の正義党(ペロン党)による長期政権のバラマキ政策で政府の債務が増大。何度もデフォルトを起こし、今やインフレ率は140%に達した。経済的には、もはや三流国だ。 こうした状況に不満を持つ国民が選んだのが、過激な政策を掲げる野党ラ・リベルタド・アバンザ(自由の前進)を率いるミレイ氏だ。ミレイ氏は銃所持の合法化を訴え、臓器売買を容認する。しかし、急進的な自由主義者なのかというと、宗教的には保守的で、人工妊娠中絶には反対の姿勢を示している。演説会ではチェーンソーを振り回し、筋骨隆々の大型犬マスティフを5匹飼っているという。まさにマッチョを売りにするミニ・トランプだ。 トランプ的な政治家の躍進は、アルゼンチンに限らない。イタリアでは22年10月に極右のジョルジャ・メローニ氏が首相に就任。ドイツでは23年10月、ヘッセン州の州議会選挙で、反移民を掲げる極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が第二党に躍り出た。 フランスではマクロン大統領の支持率が低迷しており、27年の大統領選では親子2代にわたって極右を標榜しているマリーヌ・ル・ペン氏が勝つと分析する評論家が多い。世界が右傾化する流れを決定的なものにしたドナルド・トランプ氏も、4つの刑事裁判を抱えながら依然として一定の支持があり、24年大統領選でふたたび政治の表舞台に出てくる可能性がある。 トランプ的な主張が支持を集める原因は、グローバル経済への「慣れ」だ。) 私が『ボーダレス・ワールド』(プレジデント社)を書いてグローバル経済を提唱したのは、約30年前だ。世界には、「材料」生産の最適地と、それを加工成形して組み立てる「人材」の最適地がある。2つの最適地でモノをつくって自由に輸入できるようすれば、品質のいいものが安く手に入り、世界中の消費者に恩恵をもたらす。このボーダレス経済論は一世を風靡ふうびし、事実、世界経済はその方向で発展していった。 ボーダレス経済論は、価格に敏感な繊維・アパレル業を例にするとわかりやすい。戦後、日本は材料でも人でも世界の繊維産業で最適地だった。自国の繊維産業の衰退を恐れたアメリカは、日米繊維交渉で日本を抑え込もうとした。アメリカを前に日本は屈服せざるをえなかったが、交渉しているうちに日本の人件費が上がり、すでに最適地は韓国に移っていた。その後、最適地は韓国から台湾、インドネシアへと移動を重ね、90年代からは中国だ。 今では中国も人件費が上がり、産業によっては最適地が異なるものの、総じてみれば世界の工場は中国に集まり、そこでつくられた製品を各国が輸入している。そして、消費者は自国でつくるよりも安い価格で製品を手に入れるというのが、ここ30年の流れだった。 90〜00年代は、多くの消費者がグローバル経済の恩恵を実感していた。それが今では当然になり、逆にグローバル経済が右派政治家による排外主義的な主張のやり玉に挙がったとしても、抵抗を覚えなくなってしまったのだ。 トランプ氏は大統領在任中、中国による知的財産権侵害に対する懲罰と称し、対中関税をたびたび引き上げた。懲罰の目的を「自国の産業保護」と謳うたっていたが、これは建前だ。本当は「中国は日本のように尻尾を振らないから、罰を与えて支持者の溜飲を下げる」という、政治的なパフォーマンスなのだ。 実際、トランプ氏による中国の排斥が政治的なパフォーマンスにすぎなかったことは、現状を見ればわかる。トランプ氏は補助金をちらつかせ、メーカーが中国ではなくアメリカに工場をつくるように働きかけた。釣られた台湾の鴻海ホンハイ精密工業は、ウィスコンシン州で工場建設を計画。トップの郭台銘(テリー・ゴウ)氏が現地に来て鍬入れ式まで行ったが、その後頓挫した。 アメリカの執拗な中国叩きにもかかわらず、結局iPhoneなどのスマートフォンは今も中国で組み立てられており、中の部品についても6割が中国製である。アメリカの消費者はその高くなったスマホを喜んで買い、アメリカ政府は高くなった関税をポケットにしまい込んで知らん顔をしている。精巧なサプライチェーンを基盤としたボーダレス経済は、何も変わっていないのだ』、「トランプ氏は大統領在任中、中国による知的財産権侵害に対する懲罰と称し、対中関税をたびたび引き上げた。懲罰の目的を「自国の産業保護」と謳うたっていたが、これは建前だ。本当は「中国は日本のように尻尾を振らないから、罰を与えて支持者の溜飲を下げる」という、政治的なパフォーマンスなのだ。 実際、トランプ氏による中国の排斥が政治的なパフォーマンスにすぎなかったことは、現状を見ればわかる。トランプ氏は補助金をちらつかせ、メーカーが中国ではなくアメリカに工場をつくるように働きかけた。釣られた台湾の鴻海ホンハイ精密工業は、ウィスコンシン州で工場建設を計画。トップの郭台銘(テリー・ゴウ)氏が現地に来て鍬入れ式まで行ったが、その後頓挫した・・・アメリカの執拗な中国叩きにもかかわらず、結局iPhoneなどのスマートフォンは今も中国で組み立てられており、中の部品についても6割が中国製である。アメリカの消費者はその高くなったスマホを喜んで買い、アメリカ政府は高くなった関税をポケットにしまい込んで知らん顔をしている。精巧なサプライチェーンを基盤としたボーダレス経済は、何も変わっていないのだ」、なるほど。
・『愛国者を喜ばせるパフォーマンス 前述のアルゼンチンのミレイ大統領は、新自由主義者らしく国内政策では小さな政府を標榜している。しかし、対外的には保護主義色が強く、選挙期間中は南米の自由貿易協定であるメルコスール(南米南部共同市場)からの離脱をほのめかしていた。ただ、これもおそらくパフォーマンスだ。南米のライバル国であるブラジルが中心的存在を担うメルコスールを抜けると言えば、国内の愛国者たちが喜ぶからだ。 ミレイ大統領は中央銀行の廃止や、ペソを廃止してドル化するといった無茶苦茶な政策も掲げている。 もしペソを廃止してドルを使うなら、ユーロ導入国がマーストリヒト条約に批准するのと同じような図式でアメリカと条約を結ぶ必要がある。ユーロを参考にすると、その導入には①物価安定性②健全な財政とその持続性③為替安定④長期金利の安定性という4つの基準を満たす必要がある。このうち、①と②については次の通りだ。 ①過去1年間の自国のインフレ率が、ユーロ導入国でインフレ率が最も低い3カ国の平均値との格差が1.5%以内 ②財政赤字がGDP比3%以下、債務残高がGDP比60%以下 アメリカが同様の水準をアルゼンチンに求めたら、ドル化の話は瞬時に終わる。140%のインフレ率を一桁台に抑える魔法は存在しない。また、基準を満たすくらいに債務を減らすには、あらゆる行政サービスを削らなくてはならず、国内で暴動が起きるだろう。 ミレイ大統領は経済学部の出身で、大学で教鞭をとっていたほどだから、自分が掲げる政策が実現できないことがわかるはずだ。もし本気なのであれば、頭がおかしいと言わざるをえない』、「ミレイ大統領は中央銀行の廃止や、ペソを廃止してドル化するといった無茶苦茶な政策も掲げている。 もしペソを廃止してドルを使うなら、ユーロ導入国がマーストリヒト条約に批准するのと同じような図式でアメリカと条約を結ぶ必要がある。ユーロを参考にすると、その導入には①物価安定性②健全な財政とその持続性③為替安定④長期金利の安定性という4つの基準を満たす必要がある。このうち、①と②については次の通りだ。 ①過去1年間の自国のインフレ率が、ユーロ導入国でインフレ率が最も低い3カ国の平均値との格差が1.5%以内 ②財政赤字がGDP比3%以下、債務残高がGDP比60%以下 アメリカが同様の水準をアルゼンチンに求めたら、ドル化の話は瞬時に終わる。140%のインフレ率を一桁台に抑える魔法は存在しない。また、基準を満たすくらいに債務を減らすには、あらゆる行政サービスを削らなくてはならず、国内で暴動が起きるだろう」、なるほど。
・『衆愚政治化を止める唯一の方法とは 問題は、現実にありえない政策を掲げる人物を、なぜ国民が選ぶのかだ。トランプ氏は、大統領選で「MAGA」というスローガンを掲げて当選した。Make America Great Again、アメリカをふたたび偉大な国にするという意味だ。実はミレイ大統領も選挙で「MAGA」を掲げて聴衆から喝采を浴びている。アルゼンチンも頭文字がAなので、国名だけを入れ替えてスローガンを拝借したわけだ。 MAGAという主張には、誰も反論のしようがない。アメリカのリベラル派も自国が復活してほしいと願っている。このように誰も文句のない主張をする人を、英語圏では「マザーフッド」と呼ぶ。「母の愛は素晴らしい」といったあたりまえのことを、さも意味のあることのように言うのはバカだと揶揄するときに使う表現である。 MAGAはまさにマザーフッドだが、右傾化を許した国の国民は、マザーフッドだと思わずに素直に心を震わせる。反知性主義とも言われる所以だ。はっきり言えば、衆愚政治化が進んでいる。 衆愚政治から抜け出す道は一つしかない。国民が賢くなることである。 私は学校で政治家の甘言を見抜く政治リテラシーの教育をしたらいいと思う。特定の政治的思想を教えるのではない。右だけではなく左にもポピュリストやアジテーター(扇動者)はいる。「こういうのが還付金詐欺です」と警察が啓蒙するように、ポピュリストの手口を広く教えて、それに惑わされずに自分の頭で考える術を教えるのだ。 残念ながら今のところ学校で「市民術」と言えるような、政治リテラシーを教えている国はない。それならば、右傾化していない国の国民は、なぜ政治的に成熟しているのか。 ポピュリスト勢力の拡大を抑えられている国には、ある共通点がある。ベルギー、シンガポール、ポーランド。これらは国土や人口、資源などの面でハンデを負った小国であり、政治的には大国のはざまで何とか生き抜いてきた歴史を持つ。真剣に政治のことを考えないと国が消滅するおそれがあるので、国民が政治参加に積極的で、お互いに啓発し合うのである。 一方、右傾化しやすいのは、少なくとも一度は栄華を誇った過去があり、現在も何らかの条件に恵まれ、必死にならなくてもとりあえず生きていける国だ。アメリカやヨーロッパの大国、アルゼンチンがまさしく当てはまる。 没落しつつも、まだ経済大国である日本は後者だ。アルゼンチンと同じバラマキ大国である日本も同じ轍を踏むのか。それは、国民の集団知性しだいである』、「トランプ氏は、大統領選で「MAGA」というスローガンを掲げて当選した。Make America Great Again、アメリカをふたたび偉大な国にするという意味だ。実はミレイ大統領も選挙で「MAGA」を掲げて聴衆から喝采を浴びている。アルゼンチンも頭文字がAなので、国名だけを入れ替えてスローガンを拝借したわけだ。 MAGAという主張には、誰も反論のしようがない。アメリカのリベラル派も自国が復活してほしいと願っている。このように誰も文句のない主張をする人を、英語圏では「マザーフッド」と呼ぶ。「母の愛は素晴らしい」といったあたりまえのことを、さも意味のあることのように言うのはバカだと揶揄するときに使う表現である・・・反知性主義とも言われる所以だ。はっきり言えば、衆愚政治化が進んでいる・・・右傾化していない国の国民は、なぜ政治的に成熟しているのか。 ポピュリスト勢力の拡大を抑えられている国には、ある共通点がある。ベルギー、シンガポール、ポーランド。これらは国土や人口、資源などの面でハンデを負った小国であり、政治的には大国のはざまで何とか生き抜いてきた歴史を持つ。真剣に政治のことを考えないと国が消滅するおそれがあるので、国民が政治参加に積極的で、お互いに啓発し合うのである。 一方、右傾化しやすいのは、少なくとも一度は栄華を誇った過去があり、現在も何らかの条件に恵まれ、必死にならなくてもとりあえず生きていける国だ。アメリカやヨーロッパの大国、アルゼンチンがまさしく当てはまる。 没落しつつも、まだ経済大国である日本は後者だ。アルゼンチンと同じバラマキ大国である日本も同じ轍を踏むのか。それは、国民の集団知性しだいである』、「日本も同じ轍を踏むのか」、残念ながらその可能性が高そうだ。
次に、本年4月9日付け現代ビジネス「もはや「神社本庁・崩壊」の危機...総長の「不正土地取引」に「超有名神社の離脱」と「2000人関係者激怒」が相次いで勃発」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/126777?imp=0
・『日本全国の神社のうち約95%が加盟している宗教法人「神社本庁」で内紛が勃発。トップの座を巡り裁判にまで発展している。知っているようで知らない神社の仕組みとともに、その内幕をルポする—』、「神社本庁」といえば、右派勢力の本拠ともいえる団体、興味深そうだ。
・『鶴岡八幡宮、離反の衝撃 全国約8万の神社、約2万人の神職を傘下に治める「神社本庁」が揺れている。 3月5日、「日本三大八幡宮」の一つ、神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮が神社本庁からの離脱を突然表明した。鶴岡八幡宮は源頼朝が1180年に遷座した神社で、鎌倉を代表する観光スポットだ。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が放送された'22年には約586万人もの観光客が訪れた巨大神社である。その鶴岡八幡宮が神社本庁離脱に動いたとあって、神道関係者に衝撃が走った。 三大八幡宮の一つが、なぜ本庁離脱へと踏み切ったのか。混乱のきっかけはいくつかあるが、大きな原因は、'10年から神社本庁の事務方トップを務める田中恆清総長と、その盟友である神道政治連盟の打田文博会長による「不正土地取引」の問題だと見られる。ジャーナリストの伊藤博敏氏が解説する。 「事の発端は、'15年10月に田中氏の了解のもと、神奈川県川崎市にある神社本庁の職員寮『百合丘職舎』を1億8400万円という、不当に安い金額で売却したことです。本来なら3億円は下らないと見られるこの職舎を安値で購入したのは、打田と懇意にしている不動産会社。同社は翌月に物件を転売し、3000万円近い利益を得ている。打田らはこの不動産会社と癒着していた可能性が指摘されているのです」 相場よりも極端に安い価格で売却していたことが神社本庁内の一部で問題視され、'16年には同庁の職員が内部告発し、表沙汰に。結局、告発者が懲戒解雇となり、裁判にまでもつれこんだ。伊藤氏が続ける。 「3年以上続いた裁判は、'21年3月に判決が下り『売却価格は相当低かった。田中氏や打田氏が背任を行ったと信じる相当の理由があった』と、裁判所が告発者の主張が正しいことを認めました」 神社本庁トップによる背任行為が疑われた以上、本来であれば調査のうえで、辞任や降格などの措置が取られるべきだ。ところが、田中氏は総長職を続投。何事もなかったかのようにトップの座に居座り続けているのだ。 こうした独裁的な体質に嫌気がさした鶴岡八幡宮が、神社本庁から脱退を表明したというわけだ。 しかし、なぜ周囲の強烈な反発を招いてもなお田中氏は総長の座を死守するのか。そこには、神社界ならではの特殊な事情が透けて見える。まずは日本人が知っているようで知らない神社の仕組みを見ていこう』、「'15年10月に田中氏の了解のもと、神奈川県川崎市にある神社本庁の職員寮『百合丘職舎』を1億8400万円という、不当に安い金額で売却したことです。本来なら3億円は下らないと見られるこの職舎を安値で購入したのは、打田と懇意にしている不動産会社。同社は翌月に物件を転売し、3000万円近い利益を得ている。打田らはこの不動産会社と癒着していた可能性が指摘されているのです」 相場よりも極端に安い価格で売却していたことが神社本庁内の一部で問題視され、'16年には同庁の職員が内部告発し、表沙汰に。結局、告発者が懲戒解雇となり、裁判にまでもつれこんだ。伊藤氏が続ける。 「3年以上続いた裁判は、'21年3月に判決が下り『売却価格は相当低かった。田中氏や打田氏が背任を行ったと信じる相当の理由があった』と、裁判所が告発者の主張が正しいことを認めました」 神社本庁トップによる背任行為が疑われた以上、本来であれば調査のうえで、辞任や降格などの措置が取られるべきだ。ところが、田中氏は総長職を続投。何事もなかったかのようにトップの座に居座り続けているのだ。 こうした独裁的な体質に嫌気がさした鶴岡八幡宮が、神社本庁から脱退を表明」、「神社本庁トップによる背任行為が」裁判で認定されたにも拘らず、「田中氏は総長職を続投。何事もなかったかのようにトップの座に居座り続けている」、宗教法人のトップとしてあるまじき行為だ。
・『神道体制の起源 そもそも神社が今のような神社本庁を中心とする運営体制になった大元は明治時代に遡る。宗教学者の島田裕巳氏が解説する。 「当時は、神社が国家の宗祀と位置付けられ、神社に特権が与えられていました。国の機関である神祇院が神社を管轄、宮司などの神職は公務員として扱われ、国が給料を出していたのです。 しかし戦後、GHQによって国家と神道の結びつきを断ち切ることを目的とした『神道指令』が出されます。これによって、神道は国家から切り離され、数多くある宗教の一つという扱いになりました」 そこで国家神道とは別の形で神道文化を維持するために立ち上がったのが神社本庁だ。 「このとき、伊勢神宮を本宗(全国の神社の総親神)として頂点に位置付ける現在の神道体制ができあがりました」(島田氏) 神祇院の頃は、税金で組織を維持していたが、神社本庁となってからは国からの支援は受けられない。そのため、神社本庁は、組織維持のために収入を得る必要に迫られた。そこでつくられたのが、伊勢神宮のお札「神宮大麻」だ。 「神社本庁傘下の神社には『天照皇大神宮』と記された神宮大麻が頒布されます。各神社はこれを氏子に売り、代金を神社本庁に上納する仕組みです」(同)』、「戦後、GHQによって国家と神道の結びつきを断ち切ることを目的とした『神道指令』が出されます。これによって、神道は国家から切り離され、数多くある宗教の一つという扱いになりました」 そこで国家神道とは別の形で神道文化を維持するために立ち上がったのが神社本庁だ。 「このとき、伊勢神宮を本宗(全国の神社の総親神)として頂点に位置付ける現在の神道体制ができあがりました」(島田氏) 神祇院の頃は、税金で組織を維持していたが、神社本庁となってからは国からの支援は受けられない。そのため、神社本庁は、組織維持のために収入を
・『宮司では食べていけない 神社本庁が神宮大麻から得られる収入は、10億円近いとされており、神社本庁の資金の源となっている。神社本庁の収入はそれだけではなく、「神職賦課金」という会費を全国の神社から徴収している。その額は在籍している神職の数や階級によって異なってくるが、一人あたり数万円になる。 こうした会費を支払わなければならない「宮司」たちの懐事情は、意外にも厳しい。埼玉県の古尾谷八幡神社の宮司を務める新井俊邦氏は「宮司だけの収入ではとても暮らせません」と語る。 「私は主に奉仕する神社1社に加えて、13社の宮司を兼務しています。私のように10社以上の宮司を兼務している人は決して珍しくなく、日本中にそうした宮司がいます。 14社も兼務していると、収入もそれなりと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。神職としての収入はすべて宗教法人の口座に入金され、そこから給与として報酬を得ていますが、その金額は年間約140万円にしかなりません。宮司だけでは食べていけず、中小企業診断士の資格を取り、コンサルタントの仕事もしています」 地方の神社だけでなく、都市部の神社であっても、「神社の経営は非常に難しい状況に置かれている」と島田氏は言う。 「宗教活動だけで経営が成り立っている神社は数えるほどしかありません。大きな神社ではお賽銭だけでかなりの収入になるところもありますが、そんな神社は稀。お賽銭やご祈祷、お札やお守りの販売といった『社頭収入』だけで神社を維持し続けるのは難しい。大きな神社では、持っている土地を貸したりして収入を得られますが、小さな神社ではそれもできない。 たとえば明治神宮は、コロナの影響で参拝者数が激減。外苑の維持管理費もかさみ、実は経営難に陥りかけている。神宮外苑いちょう並木の問題は、そうした明治神宮が抱える金銭的な問題も背景にあるわけです」 後編記事『ついに「公家家格の頂点」「神社界のボス」も超激怒...ヤバすぎる横暴を続ける現在の「神社本庁」につきつけた「ノー」』ヘ続く』、「私は主に奉仕する神社1社に加えて、13社の宮司を兼務しています。私のように10社以上の宮司を兼務している人は決して珍しくなく、日本中にそうした宮司がいます。 14社も兼務していると、収入もそれなりと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。神職としての収入はすべて宗教法人の口座に入金され、そこから給与として報酬を得ていますが、その金額は年間約140万円にしかなりません。宮司だけでは食べていけず、中小企業診断士の資格を取り、コンサルタントの仕事もしています」 地方の神社だけでなく、都市部の神社であっても、「神社の経営は非常に難しい状況に置かれている」と島田氏は言う・・・」、「「宗教活動だけで経営が成り立っている神社は数えるほどしかありません。大きな神社ではお賽銭だけでかなりの収入になるところもありますが、そんな神社は稀。お賽銭やご祈祷、お札やお守りの販売といった『社頭収入』だけで神社を維持し続けるのは難しい。大きな神社では、持っている土地を貸したりして収入を得られますが、小さな神社ではそれもできない」、なるほど。
第三に、4月9日付け現代ビジネス「ついに「公家家格の頂点」「神社界のボス」も超激怒...ヤバすぎる横暴を続ける現在の「神社本庁」につきつけた「ノー」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/126781?imp=0
・『日本全国の神社のうち約95%が加盟している宗教法人「神社本庁」で内紛が勃発。トップの座を巡り裁判にまで発展している。知っているようで知らない神社の仕組みとともに、その内幕をルポする—。 前編記事『まさかの「神社本庁・崩壊」の危機...総長の「不正土地取引」に「超有名神社の離脱」と「2000人関係者が猛激怒」が相次いで勃発』より続く』、興味深そうだ。
・『総長職への異常な執着 さて、神社本庁の田中総長は京都府八幡市にある石清水八幡宮の宮司を務めている。ところが、神社本庁関係者は「石清水八幡宮も構図は同じで、経営はラクではないはず」と明かす。 「総長職の報酬は年間1000万円以上あるので、田中さんが総長の席にこだわっているのは、権力欲のほかに、金銭的側面もあるのでは、とも見られています」 氏の総長職への執着は異常だ。前述の通り田中氏側の敗訴という判決が下された職員寮の不正土地取引疑惑を巡る裁判の後も、辞任を求める声を無視して総長の座を死守。通常は2期6年で交代となる総長の座を現在14年も続けているのだ。 「'22年6月の役員会で田中総長は5期目に名乗りを上げました。驚くべきことに、この時の役員会で過半数の理事が田中氏続投に賛成票を投じたのです」(神社本庁関係者) 職員寮売却の件でも背任が疑われたというのに、なぜ多くの理事が田中氏を支持したのか。神社本庁関係者が続けて解説する。 「実は役員会は田中さんと、彼の側近で神道政治連盟の打田会長に近い役員らで固められていて、自浄作用が働かない。だから、何年も総長の座を維持し続けることができるのです」 田中氏は三大八幡宮(宇佐、石清水、鶴岡)の社家(神社を世襲する家柄)出身の神職エリート。國學院大學の神道学科を修了し、平安神宮の権禰宜(宮司の補佐役)を経て石清水の宮司となった。若手神職の集まりである神道青年全国協議会の会長を務めたのち、神社本庁副総長となり、総長に昇格する。 その田中氏を副総長時代から支えてきたのが打田氏だ。打田氏は國學院大學の神道学科を修了後、'77年に寒川神社に奉職。'80年に神社本庁に転任し、本庁職員となる。渉外部長として対外人脈を広げつつ、神道政治連盟の事務局長に就任してからは日本会議や政界ともつながりを深めていった』、「職員寮の不正土地取引疑惑を巡る裁判の後も、辞任を求める声を無視して総長の座を死守。通常は2期6年で交代となる総長の座を現在14年も続けているのだ・・・実は役員会は田中さんと、彼の側近で神道政治連盟の打田会長に近い役員らで固められていて、自浄作用が働かない。だから、何年も総長の座を維持し続けることができるのです」 田中氏は三大八幡宮(宇佐、石清水、鶴岡)の社家(神社を世襲する家柄)出身の神職エリート。國學院大學の神道学科を修了し、平安神宮の権禰宜(宮司の補佐役)を経て石清水の宮司となった。若手神職の集まりである神道青年全国協議会の会長を務めたのち、神社本庁副総長となり、総長に昇格する。 その田中氏を副総長時代から支えてきたのが打田氏だ。打田氏は國學院大學の神道学科を修了後、'77年に寒川神社に奉職。'80年に神社本庁に転任し、本庁職員となる」、一旦、要職に着いたら、「神職エリート」として「何年も」その座を「維持し続ける」ようだ。
・『長期政権が叶ったワケ 「田中さんは'04年に副総長になったものの、事務方の本庁職員に人脈があるわけではなく、政界との縁もそれほど深くない。そんな田中さんを資金面、人脈面、政治面で支えたのが打田さんでした」(神社本庁関係者) 打田氏は、'07年には神道政治連盟の幹事長に就任し、本庁人事にも口出しできる存在となった。 「神社本庁を運営する理事たちは有力神社の宮司を務める地方の名士たち。神社本庁内部のことはズブの素人なので、打田さんがアドバイスをして、本庁全体の運営をさばいていた。 さらに打田さんは驚くほど口が達者で、本庁役職員を取り込むのもうまい。自分に近しい職員にはいいポジションをあてがうなど、人事面で優遇する人心掌握にも長けていました」 人事を掌握し、役員会をコントロールすることで、田中氏が総長になる'10年には、神社本庁全体を牛耳る「田中-打田体制」が完成していた。 そして理事の多くを側近らで固めることで、田中氏は4期目、5期目という異例の長期政権を実現していったのだ』、「「神社本庁を運営する理事たちは有力神社の宮司を務める地方の名士たち。神社本庁内部のことはズブの素人なので、打田さんがアドバイスをして、本庁全体の運営をさばいていた。 さらに打田さんは驚くほど口が達者で、本庁役職員を取り込むのもうまい。自分に近しい職員にはいいポジションをあてがうなど、人事面で優遇する人心掌握にも長けていました」 人事を掌握し、役員会をコントロールすることで、田中氏が総長になる'10年には、神社本庁全体を牛耳る「田中-打田体制」が完成していた。 そして理事の多くを側近らで固めることで、田中氏は4期目、5期目という異例の長期政権を実現していったのだ」、なるほど。
・『総長の座を巡って ところがあまりに横暴な行いを看過できず、これに「待った」をかけた人物がいる。神社本庁の象徴としてのトップ・鷹司尚武統理だ。 「鷹司統理は、公家の家格の頂点である『五摂家』の一つ、鷹司家の現当主であり、昭和天皇の第3皇女の養子で、上皇陛下の義理の甥にあたる人物です。神社界の頂点ともいえる伊勢神宮の大宮司も務めたこともあり、まさに『神社界のボス』という存在です」(神社本庁関係者) 田中氏の暴挙を許さなかった鷹司統理は、'22年の役員会で田中氏とは別の理事を指名した。しかし、前述のとおり役員会の結束は固く、田中派の賛成多数で、統理が指名した理事は総長の座を得られなかった。 この総長の座を巡るイス取りゲームは、統理から指名された理事が、総長になれないのはおかしい、と訴え出たことで裁判にまで発展。'22年12月に下された一審では「鷹司統理が原告を次期総長に指名したとしても、役員会が議決により原告を次期総長に決定していない以上、原告は、総長に就任していない」として司法の場でも田中総長側に軍配が上がった。さらに、'23年6月の第二審でも一審が支持され控訴を棄却。田中氏は総長のイスに座り続けている—これが「神社本庁の田中派支配」の実態だ』、「あまりに横暴な行いを看過できず、これに「待った」をかけた人物がいる。神社本庁の象徴としてのトップ・鷹司尚武統理だ。 「鷹司統理は、公家の家格の頂点である『五摂家』の一つ、鷹司家の現当主であり、昭和天皇の第3皇女の養子で、上皇陛下の義理の甥にあたる人物・・・しかし、前述のとおり役員会の結束は固く、田中派の賛成多数で、統理が指名した理事は総長の座を得られなかった。 この総長の座を巡るイス取りゲームは、統理から指名された理事が、総長になれないのはおかしい、と訴え出たことで裁判にまで発展。'22年12月に下された一審では「鷹司統理が原告を次期総長に指名したとしても、役員会が議決により原告を次期総長に決定していない以上、原告は、総長に就任していない」として司法の場でも田中総長側に軍配が上がった。さらに、'23年6月の第二審でも一審が支持され控訴を棄却。田中氏は総長のイスに座り続けている」、なるほど。
・『神社本庁が空中分解する日 同会の呼びかけ人には、鶴岡八幡宮に加え、出雲大社、東京大神宮などが名を連ねる。彼らもまた本庁離脱も辞さない構えだ。前出の島田氏が言う。 「以前から田中体制と険悪な関係にあった香川県の金刀比羅宮は'20年にすでに離脱をしていますが、鶴岡八幡宮も離脱を決断したことで、ほかの神社が追随する可能性があります。神社界は田中総長派と鷹司統理派で二分されている。このままでは神社本庁が空中分解してしまいかねません」 この分断こそが、神社本庁の危機の正体なのだ。 神社本庁に、田中体制に批判が集まっていること、また鶴岡八幡宮が本庁を離脱した経緯について質問書を送ったが、期日までに回答がなかった。 国立歴史民俗博物館名誉教授で社会学博士の新谷尚紀氏は、こうした内紛は「神様への感謝の気持ちが薄れている証拠」だと指摘する。 「神社は、みんなが拝んでご利益をいただく場でもあります。そこにお仕えする人は、奉仕に徹しなくてはいけません。『神様が見ておられる』と思えば、自然とそうなるでしょう。現在の神社本庁はそうした神職の基本に立ち返るべきではないでしょうか」 神社本庁の内紛が収まり、純粋な気持ちで参拝できる日が早く訪れることを願うばかりだ』、「「以前から田中体制と険悪な関係にあった香川県の金刀比羅宮は'20年にすでに離脱をしていますが、鶴岡八幡宮も離脱を決断したことで、ほかの神社が追随する可能性があります。神社界は田中総長派と鷹司統理派で二分されている。このままでは神社本庁が空中分解してしまいかねません・・・「神社は、みんなが拝んでご利益をいただく場でもあります。そこにお仕えする人は、奉仕に徹しなくてはいけません。『神様が見ておられる』と思えば、自然とそうなるでしょう。現在の神社本庁はそうした神職の基本に立ち返るべきではないでしょうか」 神社本庁の内紛が収まり、純粋な気持ちで参拝できる日が早く訪れることを願うばかりだ」、その通りだ。
先ずは、昨年12月27日プレジデント 2024年1月12日号が掲載したビジネス・ブレークスルー大学学長大前 研一氏による「大前研一「世界的右傾化はなぜ止まらないのか」…衆愚政治から抜け出すたった一つの解決法 真剣に政治のことを考えないと国が消滅する」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/77131
・『グローバル経済の恩恵を忘れるな 世界の右傾化が止まらない。2023年11月19日に行われたアルゼンチン大統領選の決選投票で、「アルゼンチンのトランプ」を自称する右派のハビエル・ミレイ下院議員が、左派のセルヒオ・マサ経済大臣を破って当選、12月10日に就任した。その他、各地で極右政党が勢力を伸ばしている。これは世界の破滅につながる道である。 今では知らない人も多いが、20世紀初頭のアルゼンチンは非常に豊かな国だった。肥沃な土壌を活かして農業大国として成長し、最盛期は世界第5位の経済大国になったほどだ。 しかし、世界恐慌以降のアルゼンチンは没落の一途だ。工業化の波に乗りきれず、左派の正義党(ペロン党)による長期政権のバラマキ政策で政府の債務が増大。何度もデフォルトを起こし、今やインフレ率は140%に達した。経済的には、もはや三流国だ。 こうした状況に不満を持つ国民が選んだのが、過激な政策を掲げる野党ラ・リベルタド・アバンザ(自由の前進)を率いるミレイ氏だ。ミレイ氏は銃所持の合法化を訴え、臓器売買を容認する。しかし、急進的な自由主義者なのかというと、宗教的には保守的で、人工妊娠中絶には反対の姿勢を示している。演説会ではチェーンソーを振り回し、筋骨隆々の大型犬マスティフを5匹飼っているという。まさにマッチョを売りにするミニ・トランプだ。 トランプ的な政治家の躍進は、アルゼンチンに限らない。イタリアでは22年10月に極右のジョルジャ・メローニ氏が首相に就任。ドイツでは23年10月、ヘッセン州の州議会選挙で、反移民を掲げる極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が第二党に躍り出た。 フランスではマクロン大統領の支持率が低迷しており、27年の大統領選では親子2代にわたって極右を標榜しているマリーヌ・ル・ペン氏が勝つと分析する評論家が多い。世界が右傾化する流れを決定的なものにしたドナルド・トランプ氏も、4つの刑事裁判を抱えながら依然として一定の支持があり、24年大統領選でふたたび政治の表舞台に出てくる可能性がある。 トランプ的な主張が支持を集める原因は、グローバル経済への「慣れ」だ。) 私が『ボーダレス・ワールド』(プレジデント社)を書いてグローバル経済を提唱したのは、約30年前だ。世界には、「材料」生産の最適地と、それを加工成形して組み立てる「人材」の最適地がある。2つの最適地でモノをつくって自由に輸入できるようすれば、品質のいいものが安く手に入り、世界中の消費者に恩恵をもたらす。このボーダレス経済論は一世を風靡ふうびし、事実、世界経済はその方向で発展していった。 ボーダレス経済論は、価格に敏感な繊維・アパレル業を例にするとわかりやすい。戦後、日本は材料でも人でも世界の繊維産業で最適地だった。自国の繊維産業の衰退を恐れたアメリカは、日米繊維交渉で日本を抑え込もうとした。アメリカを前に日本は屈服せざるをえなかったが、交渉しているうちに日本の人件費が上がり、すでに最適地は韓国に移っていた。その後、最適地は韓国から台湾、インドネシアへと移動を重ね、90年代からは中国だ。 今では中国も人件費が上がり、産業によっては最適地が異なるものの、総じてみれば世界の工場は中国に集まり、そこでつくられた製品を各国が輸入している。そして、消費者は自国でつくるよりも安い価格で製品を手に入れるというのが、ここ30年の流れだった。 90〜00年代は、多くの消費者がグローバル経済の恩恵を実感していた。それが今では当然になり、逆にグローバル経済が右派政治家による排外主義的な主張のやり玉に挙がったとしても、抵抗を覚えなくなってしまったのだ。 トランプ氏は大統領在任中、中国による知的財産権侵害に対する懲罰と称し、対中関税をたびたび引き上げた。懲罰の目的を「自国の産業保護」と謳うたっていたが、これは建前だ。本当は「中国は日本のように尻尾を振らないから、罰を与えて支持者の溜飲を下げる」という、政治的なパフォーマンスなのだ。 実際、トランプ氏による中国の排斥が政治的なパフォーマンスにすぎなかったことは、現状を見ればわかる。トランプ氏は補助金をちらつかせ、メーカーが中国ではなくアメリカに工場をつくるように働きかけた。釣られた台湾の鴻海ホンハイ精密工業は、ウィスコンシン州で工場建設を計画。トップの郭台銘(テリー・ゴウ)氏が現地に来て鍬入れ式まで行ったが、その後頓挫した。 アメリカの執拗な中国叩きにもかかわらず、結局iPhoneなどのスマートフォンは今も中国で組み立てられており、中の部品についても6割が中国製である。アメリカの消費者はその高くなったスマホを喜んで買い、アメリカ政府は高くなった関税をポケットにしまい込んで知らん顔をしている。精巧なサプライチェーンを基盤としたボーダレス経済は、何も変わっていないのだ』、「トランプ氏は大統領在任中、中国による知的財産権侵害に対する懲罰と称し、対中関税をたびたび引き上げた。懲罰の目的を「自国の産業保護」と謳うたっていたが、これは建前だ。本当は「中国は日本のように尻尾を振らないから、罰を与えて支持者の溜飲を下げる」という、政治的なパフォーマンスなのだ。 実際、トランプ氏による中国の排斥が政治的なパフォーマンスにすぎなかったことは、現状を見ればわかる。トランプ氏は補助金をちらつかせ、メーカーが中国ではなくアメリカに工場をつくるように働きかけた。釣られた台湾の鴻海ホンハイ精密工業は、ウィスコンシン州で工場建設を計画。トップの郭台銘(テリー・ゴウ)氏が現地に来て鍬入れ式まで行ったが、その後頓挫した・・・アメリカの執拗な中国叩きにもかかわらず、結局iPhoneなどのスマートフォンは今も中国で組み立てられており、中の部品についても6割が中国製である。アメリカの消費者はその高くなったスマホを喜んで買い、アメリカ政府は高くなった関税をポケットにしまい込んで知らん顔をしている。精巧なサプライチェーンを基盤としたボーダレス経済は、何も変わっていないのだ」、なるほど。
・『愛国者を喜ばせるパフォーマンス 前述のアルゼンチンのミレイ大統領は、新自由主義者らしく国内政策では小さな政府を標榜している。しかし、対外的には保護主義色が強く、選挙期間中は南米の自由貿易協定であるメルコスール(南米南部共同市場)からの離脱をほのめかしていた。ただ、これもおそらくパフォーマンスだ。南米のライバル国であるブラジルが中心的存在を担うメルコスールを抜けると言えば、国内の愛国者たちが喜ぶからだ。 ミレイ大統領は中央銀行の廃止や、ペソを廃止してドル化するといった無茶苦茶な政策も掲げている。 もしペソを廃止してドルを使うなら、ユーロ導入国がマーストリヒト条約に批准するのと同じような図式でアメリカと条約を結ぶ必要がある。ユーロを参考にすると、その導入には①物価安定性②健全な財政とその持続性③為替安定④長期金利の安定性という4つの基準を満たす必要がある。このうち、①と②については次の通りだ。 ①過去1年間の自国のインフレ率が、ユーロ導入国でインフレ率が最も低い3カ国の平均値との格差が1.5%以内 ②財政赤字がGDP比3%以下、債務残高がGDP比60%以下 アメリカが同様の水準をアルゼンチンに求めたら、ドル化の話は瞬時に終わる。140%のインフレ率を一桁台に抑える魔法は存在しない。また、基準を満たすくらいに債務を減らすには、あらゆる行政サービスを削らなくてはならず、国内で暴動が起きるだろう。 ミレイ大統領は経済学部の出身で、大学で教鞭をとっていたほどだから、自分が掲げる政策が実現できないことがわかるはずだ。もし本気なのであれば、頭がおかしいと言わざるをえない』、「ミレイ大統領は中央銀行の廃止や、ペソを廃止してドル化するといった無茶苦茶な政策も掲げている。 もしペソを廃止してドルを使うなら、ユーロ導入国がマーストリヒト条約に批准するのと同じような図式でアメリカと条約を結ぶ必要がある。ユーロを参考にすると、その導入には①物価安定性②健全な財政とその持続性③為替安定④長期金利の安定性という4つの基準を満たす必要がある。このうち、①と②については次の通りだ。 ①過去1年間の自国のインフレ率が、ユーロ導入国でインフレ率が最も低い3カ国の平均値との格差が1.5%以内 ②財政赤字がGDP比3%以下、債務残高がGDP比60%以下 アメリカが同様の水準をアルゼンチンに求めたら、ドル化の話は瞬時に終わる。140%のインフレ率を一桁台に抑える魔法は存在しない。また、基準を満たすくらいに債務を減らすには、あらゆる行政サービスを削らなくてはならず、国内で暴動が起きるだろう」、なるほど。
・『衆愚政治化を止める唯一の方法とは 問題は、現実にありえない政策を掲げる人物を、なぜ国民が選ぶのかだ。トランプ氏は、大統領選で「MAGA」というスローガンを掲げて当選した。Make America Great Again、アメリカをふたたび偉大な国にするという意味だ。実はミレイ大統領も選挙で「MAGA」を掲げて聴衆から喝采を浴びている。アルゼンチンも頭文字がAなので、国名だけを入れ替えてスローガンを拝借したわけだ。 MAGAという主張には、誰も反論のしようがない。アメリカのリベラル派も自国が復活してほしいと願っている。このように誰も文句のない主張をする人を、英語圏では「マザーフッド」と呼ぶ。「母の愛は素晴らしい」といったあたりまえのことを、さも意味のあることのように言うのはバカだと揶揄するときに使う表現である。 MAGAはまさにマザーフッドだが、右傾化を許した国の国民は、マザーフッドだと思わずに素直に心を震わせる。反知性主義とも言われる所以だ。はっきり言えば、衆愚政治化が進んでいる。 衆愚政治から抜け出す道は一つしかない。国民が賢くなることである。 私は学校で政治家の甘言を見抜く政治リテラシーの教育をしたらいいと思う。特定の政治的思想を教えるのではない。右だけではなく左にもポピュリストやアジテーター(扇動者)はいる。「こういうのが還付金詐欺です」と警察が啓蒙するように、ポピュリストの手口を広く教えて、それに惑わされずに自分の頭で考える術を教えるのだ。 残念ながら今のところ学校で「市民術」と言えるような、政治リテラシーを教えている国はない。それならば、右傾化していない国の国民は、なぜ政治的に成熟しているのか。 ポピュリスト勢力の拡大を抑えられている国には、ある共通点がある。ベルギー、シンガポール、ポーランド。これらは国土や人口、資源などの面でハンデを負った小国であり、政治的には大国のはざまで何とか生き抜いてきた歴史を持つ。真剣に政治のことを考えないと国が消滅するおそれがあるので、国民が政治参加に積極的で、お互いに啓発し合うのである。 一方、右傾化しやすいのは、少なくとも一度は栄華を誇った過去があり、現在も何らかの条件に恵まれ、必死にならなくてもとりあえず生きていける国だ。アメリカやヨーロッパの大国、アルゼンチンがまさしく当てはまる。 没落しつつも、まだ経済大国である日本は後者だ。アルゼンチンと同じバラマキ大国である日本も同じ轍を踏むのか。それは、国民の集団知性しだいである』、「トランプ氏は、大統領選で「MAGA」というスローガンを掲げて当選した。Make America Great Again、アメリカをふたたび偉大な国にするという意味だ。実はミレイ大統領も選挙で「MAGA」を掲げて聴衆から喝采を浴びている。アルゼンチンも頭文字がAなので、国名だけを入れ替えてスローガンを拝借したわけだ。 MAGAという主張には、誰も反論のしようがない。アメリカのリベラル派も自国が復活してほしいと願っている。このように誰も文句のない主張をする人を、英語圏では「マザーフッド」と呼ぶ。「母の愛は素晴らしい」といったあたりまえのことを、さも意味のあることのように言うのはバカだと揶揄するときに使う表現である・・・反知性主義とも言われる所以だ。はっきり言えば、衆愚政治化が進んでいる・・・右傾化していない国の国民は、なぜ政治的に成熟しているのか。 ポピュリスト勢力の拡大を抑えられている国には、ある共通点がある。ベルギー、シンガポール、ポーランド。これらは国土や人口、資源などの面でハンデを負った小国であり、政治的には大国のはざまで何とか生き抜いてきた歴史を持つ。真剣に政治のことを考えないと国が消滅するおそれがあるので、国民が政治参加に積極的で、お互いに啓発し合うのである。 一方、右傾化しやすいのは、少なくとも一度は栄華を誇った過去があり、現在も何らかの条件に恵まれ、必死にならなくてもとりあえず生きていける国だ。アメリカやヨーロッパの大国、アルゼンチンがまさしく当てはまる。 没落しつつも、まだ経済大国である日本は後者だ。アルゼンチンと同じバラマキ大国である日本も同じ轍を踏むのか。それは、国民の集団知性しだいである』、「日本も同じ轍を踏むのか」、残念ながらその可能性が高そうだ。
次に、本年4月9日付け現代ビジネス「もはや「神社本庁・崩壊」の危機...総長の「不正土地取引」に「超有名神社の離脱」と「2000人関係者激怒」が相次いで勃発」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/126777?imp=0
・『日本全国の神社のうち約95%が加盟している宗教法人「神社本庁」で内紛が勃発。トップの座を巡り裁判にまで発展している。知っているようで知らない神社の仕組みとともに、その内幕をルポする—』、「神社本庁」といえば、右派勢力の本拠ともいえる団体、興味深そうだ。
・『鶴岡八幡宮、離反の衝撃 全国約8万の神社、約2万人の神職を傘下に治める「神社本庁」が揺れている。 3月5日、「日本三大八幡宮」の一つ、神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮が神社本庁からの離脱を突然表明した。鶴岡八幡宮は源頼朝が1180年に遷座した神社で、鎌倉を代表する観光スポットだ。NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が放送された'22年には約586万人もの観光客が訪れた巨大神社である。その鶴岡八幡宮が神社本庁離脱に動いたとあって、神道関係者に衝撃が走った。 三大八幡宮の一つが、なぜ本庁離脱へと踏み切ったのか。混乱のきっかけはいくつかあるが、大きな原因は、'10年から神社本庁の事務方トップを務める田中恆清総長と、その盟友である神道政治連盟の打田文博会長による「不正土地取引」の問題だと見られる。ジャーナリストの伊藤博敏氏が解説する。 「事の発端は、'15年10月に田中氏の了解のもと、神奈川県川崎市にある神社本庁の職員寮『百合丘職舎』を1億8400万円という、不当に安い金額で売却したことです。本来なら3億円は下らないと見られるこの職舎を安値で購入したのは、打田と懇意にしている不動産会社。同社は翌月に物件を転売し、3000万円近い利益を得ている。打田らはこの不動産会社と癒着していた可能性が指摘されているのです」 相場よりも極端に安い価格で売却していたことが神社本庁内の一部で問題視され、'16年には同庁の職員が内部告発し、表沙汰に。結局、告発者が懲戒解雇となり、裁判にまでもつれこんだ。伊藤氏が続ける。 「3年以上続いた裁判は、'21年3月に判決が下り『売却価格は相当低かった。田中氏や打田氏が背任を行ったと信じる相当の理由があった』と、裁判所が告発者の主張が正しいことを認めました」 神社本庁トップによる背任行為が疑われた以上、本来であれば調査のうえで、辞任や降格などの措置が取られるべきだ。ところが、田中氏は総長職を続投。何事もなかったかのようにトップの座に居座り続けているのだ。 こうした独裁的な体質に嫌気がさした鶴岡八幡宮が、神社本庁から脱退を表明したというわけだ。 しかし、なぜ周囲の強烈な反発を招いてもなお田中氏は総長の座を死守するのか。そこには、神社界ならではの特殊な事情が透けて見える。まずは日本人が知っているようで知らない神社の仕組みを見ていこう』、「'15年10月に田中氏の了解のもと、神奈川県川崎市にある神社本庁の職員寮『百合丘職舎』を1億8400万円という、不当に安い金額で売却したことです。本来なら3億円は下らないと見られるこの職舎を安値で購入したのは、打田と懇意にしている不動産会社。同社は翌月に物件を転売し、3000万円近い利益を得ている。打田らはこの不動産会社と癒着していた可能性が指摘されているのです」 相場よりも極端に安い価格で売却していたことが神社本庁内の一部で問題視され、'16年には同庁の職員が内部告発し、表沙汰に。結局、告発者が懲戒解雇となり、裁判にまでもつれこんだ。伊藤氏が続ける。 「3年以上続いた裁判は、'21年3月に判決が下り『売却価格は相当低かった。田中氏や打田氏が背任を行ったと信じる相当の理由があった』と、裁判所が告発者の主張が正しいことを認めました」 神社本庁トップによる背任行為が疑われた以上、本来であれば調査のうえで、辞任や降格などの措置が取られるべきだ。ところが、田中氏は総長職を続投。何事もなかったかのようにトップの座に居座り続けているのだ。 こうした独裁的な体質に嫌気がさした鶴岡八幡宮が、神社本庁から脱退を表明」、「神社本庁トップによる背任行為が」裁判で認定されたにも拘らず、「田中氏は総長職を続投。何事もなかったかのようにトップの座に居座り続けている」、宗教法人のトップとしてあるまじき行為だ。
・『神道体制の起源 そもそも神社が今のような神社本庁を中心とする運営体制になった大元は明治時代に遡る。宗教学者の島田裕巳氏が解説する。 「当時は、神社が国家の宗祀と位置付けられ、神社に特権が与えられていました。国の機関である神祇院が神社を管轄、宮司などの神職は公務員として扱われ、国が給料を出していたのです。 しかし戦後、GHQによって国家と神道の結びつきを断ち切ることを目的とした『神道指令』が出されます。これによって、神道は国家から切り離され、数多くある宗教の一つという扱いになりました」 そこで国家神道とは別の形で神道文化を維持するために立ち上がったのが神社本庁だ。 「このとき、伊勢神宮を本宗(全国の神社の総親神)として頂点に位置付ける現在の神道体制ができあがりました」(島田氏) 神祇院の頃は、税金で組織を維持していたが、神社本庁となってからは国からの支援は受けられない。そのため、神社本庁は、組織維持のために収入を得る必要に迫られた。そこでつくられたのが、伊勢神宮のお札「神宮大麻」だ。 「神社本庁傘下の神社には『天照皇大神宮』と記された神宮大麻が頒布されます。各神社はこれを氏子に売り、代金を神社本庁に上納する仕組みです」(同)』、「戦後、GHQによって国家と神道の結びつきを断ち切ることを目的とした『神道指令』が出されます。これによって、神道は国家から切り離され、数多くある宗教の一つという扱いになりました」 そこで国家神道とは別の形で神道文化を維持するために立ち上がったのが神社本庁だ。 「このとき、伊勢神宮を本宗(全国の神社の総親神)として頂点に位置付ける現在の神道体制ができあがりました」(島田氏) 神祇院の頃は、税金で組織を維持していたが、神社本庁となってからは国からの支援は受けられない。そのため、神社本庁は、組織維持のために収入を
・『宮司では食べていけない 神社本庁が神宮大麻から得られる収入は、10億円近いとされており、神社本庁の資金の源となっている。神社本庁の収入はそれだけではなく、「神職賦課金」という会費を全国の神社から徴収している。その額は在籍している神職の数や階級によって異なってくるが、一人あたり数万円になる。 こうした会費を支払わなければならない「宮司」たちの懐事情は、意外にも厳しい。埼玉県の古尾谷八幡神社の宮司を務める新井俊邦氏は「宮司だけの収入ではとても暮らせません」と語る。 「私は主に奉仕する神社1社に加えて、13社の宮司を兼務しています。私のように10社以上の宮司を兼務している人は決して珍しくなく、日本中にそうした宮司がいます。 14社も兼務していると、収入もそれなりと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。神職としての収入はすべて宗教法人の口座に入金され、そこから給与として報酬を得ていますが、その金額は年間約140万円にしかなりません。宮司だけでは食べていけず、中小企業診断士の資格を取り、コンサルタントの仕事もしています」 地方の神社だけでなく、都市部の神社であっても、「神社の経営は非常に難しい状況に置かれている」と島田氏は言う。 「宗教活動だけで経営が成り立っている神社は数えるほどしかありません。大きな神社ではお賽銭だけでかなりの収入になるところもありますが、そんな神社は稀。お賽銭やご祈祷、お札やお守りの販売といった『社頭収入』だけで神社を維持し続けるのは難しい。大きな神社では、持っている土地を貸したりして収入を得られますが、小さな神社ではそれもできない。 たとえば明治神宮は、コロナの影響で参拝者数が激減。外苑の維持管理費もかさみ、実は経営難に陥りかけている。神宮外苑いちょう並木の問題は、そうした明治神宮が抱える金銭的な問題も背景にあるわけです」 後編記事『ついに「公家家格の頂点」「神社界のボス」も超激怒...ヤバすぎる横暴を続ける現在の「神社本庁」につきつけた「ノー」』ヘ続く』、「私は主に奉仕する神社1社に加えて、13社の宮司を兼務しています。私のように10社以上の宮司を兼務している人は決して珍しくなく、日本中にそうした宮司がいます。 14社も兼務していると、収入もそれなりと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。神職としての収入はすべて宗教法人の口座に入金され、そこから給与として報酬を得ていますが、その金額は年間約140万円にしかなりません。宮司だけでは食べていけず、中小企業診断士の資格を取り、コンサルタントの仕事もしています」 地方の神社だけでなく、都市部の神社であっても、「神社の経営は非常に難しい状況に置かれている」と島田氏は言う・・・」、「「宗教活動だけで経営が成り立っている神社は数えるほどしかありません。大きな神社ではお賽銭だけでかなりの収入になるところもありますが、そんな神社は稀。お賽銭やご祈祷、お札やお守りの販売といった『社頭収入』だけで神社を維持し続けるのは難しい。大きな神社では、持っている土地を貸したりして収入を得られますが、小さな神社ではそれもできない」、なるほど。
第三に、4月9日付け現代ビジネス「ついに「公家家格の頂点」「神社界のボス」も超激怒...ヤバすぎる横暴を続ける現在の「神社本庁」につきつけた「ノー」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/126781?imp=0
・『日本全国の神社のうち約95%が加盟している宗教法人「神社本庁」で内紛が勃発。トップの座を巡り裁判にまで発展している。知っているようで知らない神社の仕組みとともに、その内幕をルポする—。 前編記事『まさかの「神社本庁・崩壊」の危機...総長の「不正土地取引」に「超有名神社の離脱」と「2000人関係者が猛激怒」が相次いで勃発』より続く』、興味深そうだ。
・『総長職への異常な執着 さて、神社本庁の田中総長は京都府八幡市にある石清水八幡宮の宮司を務めている。ところが、神社本庁関係者は「石清水八幡宮も構図は同じで、経営はラクではないはず」と明かす。 「総長職の報酬は年間1000万円以上あるので、田中さんが総長の席にこだわっているのは、権力欲のほかに、金銭的側面もあるのでは、とも見られています」 氏の総長職への執着は異常だ。前述の通り田中氏側の敗訴という判決が下された職員寮の不正土地取引疑惑を巡る裁判の後も、辞任を求める声を無視して総長の座を死守。通常は2期6年で交代となる総長の座を現在14年も続けているのだ。 「'22年6月の役員会で田中総長は5期目に名乗りを上げました。驚くべきことに、この時の役員会で過半数の理事が田中氏続投に賛成票を投じたのです」(神社本庁関係者) 職員寮売却の件でも背任が疑われたというのに、なぜ多くの理事が田中氏を支持したのか。神社本庁関係者が続けて解説する。 「実は役員会は田中さんと、彼の側近で神道政治連盟の打田会長に近い役員らで固められていて、自浄作用が働かない。だから、何年も総長の座を維持し続けることができるのです」 田中氏は三大八幡宮(宇佐、石清水、鶴岡)の社家(神社を世襲する家柄)出身の神職エリート。國學院大學の神道学科を修了し、平安神宮の権禰宜(宮司の補佐役)を経て石清水の宮司となった。若手神職の集まりである神道青年全国協議会の会長を務めたのち、神社本庁副総長となり、総長に昇格する。 その田中氏を副総長時代から支えてきたのが打田氏だ。打田氏は國學院大學の神道学科を修了後、'77年に寒川神社に奉職。'80年に神社本庁に転任し、本庁職員となる。渉外部長として対外人脈を広げつつ、神道政治連盟の事務局長に就任してからは日本会議や政界ともつながりを深めていった』、「職員寮の不正土地取引疑惑を巡る裁判の後も、辞任を求める声を無視して総長の座を死守。通常は2期6年で交代となる総長の座を現在14年も続けているのだ・・・実は役員会は田中さんと、彼の側近で神道政治連盟の打田会長に近い役員らで固められていて、自浄作用が働かない。だから、何年も総長の座を維持し続けることができるのです」 田中氏は三大八幡宮(宇佐、石清水、鶴岡)の社家(神社を世襲する家柄)出身の神職エリート。國學院大學の神道学科を修了し、平安神宮の権禰宜(宮司の補佐役)を経て石清水の宮司となった。若手神職の集まりである神道青年全国協議会の会長を務めたのち、神社本庁副総長となり、総長に昇格する。 その田中氏を副総長時代から支えてきたのが打田氏だ。打田氏は國學院大學の神道学科を修了後、'77年に寒川神社に奉職。'80年に神社本庁に転任し、本庁職員となる」、一旦、要職に着いたら、「神職エリート」として「何年も」その座を「維持し続ける」ようだ。
・『長期政権が叶ったワケ 「田中さんは'04年に副総長になったものの、事務方の本庁職員に人脈があるわけではなく、政界との縁もそれほど深くない。そんな田中さんを資金面、人脈面、政治面で支えたのが打田さんでした」(神社本庁関係者) 打田氏は、'07年には神道政治連盟の幹事長に就任し、本庁人事にも口出しできる存在となった。 「神社本庁を運営する理事たちは有力神社の宮司を務める地方の名士たち。神社本庁内部のことはズブの素人なので、打田さんがアドバイスをして、本庁全体の運営をさばいていた。 さらに打田さんは驚くほど口が達者で、本庁役職員を取り込むのもうまい。自分に近しい職員にはいいポジションをあてがうなど、人事面で優遇する人心掌握にも長けていました」 人事を掌握し、役員会をコントロールすることで、田中氏が総長になる'10年には、神社本庁全体を牛耳る「田中-打田体制」が完成していた。 そして理事の多くを側近らで固めることで、田中氏は4期目、5期目という異例の長期政権を実現していったのだ』、「「神社本庁を運営する理事たちは有力神社の宮司を務める地方の名士たち。神社本庁内部のことはズブの素人なので、打田さんがアドバイスをして、本庁全体の運営をさばいていた。 さらに打田さんは驚くほど口が達者で、本庁役職員を取り込むのもうまい。自分に近しい職員にはいいポジションをあてがうなど、人事面で優遇する人心掌握にも長けていました」 人事を掌握し、役員会をコントロールすることで、田中氏が総長になる'10年には、神社本庁全体を牛耳る「田中-打田体制」が完成していた。 そして理事の多くを側近らで固めることで、田中氏は4期目、5期目という異例の長期政権を実現していったのだ」、なるほど。
・『総長の座を巡って ところがあまりに横暴な行いを看過できず、これに「待った」をかけた人物がいる。神社本庁の象徴としてのトップ・鷹司尚武統理だ。 「鷹司統理は、公家の家格の頂点である『五摂家』の一つ、鷹司家の現当主であり、昭和天皇の第3皇女の養子で、上皇陛下の義理の甥にあたる人物です。神社界の頂点ともいえる伊勢神宮の大宮司も務めたこともあり、まさに『神社界のボス』という存在です」(神社本庁関係者) 田中氏の暴挙を許さなかった鷹司統理は、'22年の役員会で田中氏とは別の理事を指名した。しかし、前述のとおり役員会の結束は固く、田中派の賛成多数で、統理が指名した理事は総長の座を得られなかった。 この総長の座を巡るイス取りゲームは、統理から指名された理事が、総長になれないのはおかしい、と訴え出たことで裁判にまで発展。'22年12月に下された一審では「鷹司統理が原告を次期総長に指名したとしても、役員会が議決により原告を次期総長に決定していない以上、原告は、総長に就任していない」として司法の場でも田中総長側に軍配が上がった。さらに、'23年6月の第二審でも一審が支持され控訴を棄却。田中氏は総長のイスに座り続けている—これが「神社本庁の田中派支配」の実態だ』、「あまりに横暴な行いを看過できず、これに「待った」をかけた人物がいる。神社本庁の象徴としてのトップ・鷹司尚武統理だ。 「鷹司統理は、公家の家格の頂点である『五摂家』の一つ、鷹司家の現当主であり、昭和天皇の第3皇女の養子で、上皇陛下の義理の甥にあたる人物・・・しかし、前述のとおり役員会の結束は固く、田中派の賛成多数で、統理が指名した理事は総長の座を得られなかった。 この総長の座を巡るイス取りゲームは、統理から指名された理事が、総長になれないのはおかしい、と訴え出たことで裁判にまで発展。'22年12月に下された一審では「鷹司統理が原告を次期総長に指名したとしても、役員会が議決により原告を次期総長に決定していない以上、原告は、総長に就任していない」として司法の場でも田中総長側に軍配が上がった。さらに、'23年6月の第二審でも一審が支持され控訴を棄却。田中氏は総長のイスに座り続けている」、なるほど。
・『神社本庁が空中分解する日 同会の呼びかけ人には、鶴岡八幡宮に加え、出雲大社、東京大神宮などが名を連ねる。彼らもまた本庁離脱も辞さない構えだ。前出の島田氏が言う。 「以前から田中体制と険悪な関係にあった香川県の金刀比羅宮は'20年にすでに離脱をしていますが、鶴岡八幡宮も離脱を決断したことで、ほかの神社が追随する可能性があります。神社界は田中総長派と鷹司統理派で二分されている。このままでは神社本庁が空中分解してしまいかねません」 この分断こそが、神社本庁の危機の正体なのだ。 神社本庁に、田中体制に批判が集まっていること、また鶴岡八幡宮が本庁を離脱した経緯について質問書を送ったが、期日までに回答がなかった。 国立歴史民俗博物館名誉教授で社会学博士の新谷尚紀氏は、こうした内紛は「神様への感謝の気持ちが薄れている証拠」だと指摘する。 「神社は、みんなが拝んでご利益をいただく場でもあります。そこにお仕えする人は、奉仕に徹しなくてはいけません。『神様が見ておられる』と思えば、自然とそうなるでしょう。現在の神社本庁はそうした神職の基本に立ち返るべきではないでしょうか」 神社本庁の内紛が収まり、純粋な気持ちで参拝できる日が早く訪れることを願うばかりだ』、「「以前から田中体制と険悪な関係にあった香川県の金刀比羅宮は'20年にすでに離脱をしていますが、鶴岡八幡宮も離脱を決断したことで、ほかの神社が追随する可能性があります。神社界は田中総長派と鷹司統理派で二分されている。このままでは神社本庁が空中分解してしまいかねません・・・「神社は、みんなが拝んでご利益をいただく場でもあります。そこにお仕えする人は、奉仕に徹しなくてはいけません。『神様が見ておられる』と思えば、自然とそうなるでしょう。現在の神社本庁はそうした神職の基本に立ち返るべきではないでしょうか」 神社本庁の内紛が収まり、純粋な気持ちで参拝できる日が早く訪れることを願うばかりだ」、その通りだ。
タグ:”右傾化” (その17)(大前研一「世界的右傾化はなぜ止まらないのか」…衆愚政治から抜け出すたった一つの解決法 真剣に政治のことを考えないと国が消滅する、もはや「神社本庁・崩壊」の危機...総長の「不正土地取引」に「超有名神社の離脱」と「2000人関係者激怒」が相次いで勃発、ついに「公家家格の頂点」「神社界のボス」も超激怒...ヤバすぎる横暴を続ける現在の「神社本庁」につきつけた「ノー」) プレジデント 2024年1月12日号 「大前研一「世界的右傾化はなぜ止まらないのか」…衆愚政治から抜け出すたった一つの解決法 真剣に政治のことを考えないと国が消滅する」 「トランプ氏は大統領在任中、中国による知的財産権侵害に対する懲罰と称し、対中関税をたびたび引き上げた。懲罰の目的を「自国の産業保護」と謳うたっていたが、これは建前だ。本当は「中国は日本のように尻尾を振らないから、罰を与えて支持者の溜飲を下げる」という、政治的なパフォーマンスなのだ。 実際、トランプ氏による中国の排斥が政治的なパフォーマンスにすぎなかったことは、現状を見ればわかる。 トランプ氏は補助金をちらつかせ、メーカーが中国ではなくアメリカに工場をつくるように働きかけた。釣られた台湾の鴻海ホンハイ精密工業は、ウィスコンシン州で工場建設を計画。トップの郭台銘(テリー・ゴウ)氏が現地に来て鍬入れ式まで行ったが、その後頓挫した・・・アメリカの執拗な中国叩きにもかかわらず、結局iPhoneなどのスマートフォンは今も中国で組み立てられており、中の部品についても6割が中国製である。 アメリカの消費者はその高くなったスマホを喜んで買い、アメリカ政府は高くなった関税をポケットにしまい込んで知らん顔をしている。精巧なサプライチェーンを基盤としたボーダレス経済は、何も変わっていないのだ」、なるほど。 「ミレイ大統領は中央銀行の廃止や、ペソを廃止してドル化するといった無茶苦茶な政策も掲げている。 もしペソを廃止してドルを使うなら、ユーロ導入国がマーストリヒト条約に批准するのと同じような図式でアメリカと条約を結ぶ必要がある。ユーロを参考にすると、その導入には①物価安定性②健全な財政とその持続性③為替安定④長期金利の安定性という4つの基準を満たす必要がある。 このうち、①と②については次の通りだ。 ①過去1年間の自国のインフレ率が、ユーロ導入国でインフレ率が最も低い3カ国の平均値との格差が1.5%以内 ②財政赤字がGDP比3%以下、債務残高がGDP比60%以下 アメリカが同様の水準をアルゼンチンに求めたら、ドル化の話は瞬時に終わる。140%のインフレ率を一桁台に抑える魔法は存在しない。また、基準を満たすくらいに債務を減らすには、あらゆる行政サービスを削らなくてはならず、国内で暴動が起きるだろう」、なるほど。 「トランプ氏は、大統領選で「MAGA」というスローガンを掲げて当選した。Make America Great Again、アメリカをふたたび偉大な国にするという意味だ。実はミレイ大統領も選挙で「MAGA」を掲げて聴衆から喝采を浴びている。アルゼンチンも頭文字がAなので、国名だけを入れ替えてスローガンを拝借したわけだ。 MAGAという主張には、誰も反論のしようがない。アメリカのリベラル派も自国が復活してほしいと願っている。このように誰も文句のない主張をする人を、英語圏では「マザーフッド」と呼ぶ。 「母の愛は素晴らしい」といったあたりまえのことを、さも意味のあることのように言うのはバカだと揶揄するときに使う表現である・・・反知性主義とも言われる所以だ。はっきり言えば、衆愚政治化が進んでいる・・・右傾化していない国の国民は、なぜ政治的に成熟しているのか。 ポピュリスト勢力の拡大を抑えられている国には、ある共通点がある。ベルギー、シンガポール、ポーランド。これらは国土や人口、資源などの面でハンデを負った小国であり、政治的には大国のはざまで何とか生き抜いてきた歴史を持つ。 真剣に政治のことを考えないと国が消滅するおそれがあるので、国民が政治参加に積極的で、お互いに啓発し合うのである。 一方、右傾化しやすいのは、少なくとも一度は栄華を誇った過去があり、現在も何らかの条件に恵まれ、必死にならなくてもとりあえず生きていける国だ。アメリカやヨーロッパの大国、アルゼンチンがまさしく当てはまる。 没落しつつも、まだ経済大国である日本は後者だ。アルゼンチンと同じバラマキ大国である日本も同じ轍を踏むのか。それは、国民の集団知性しだいである』、「日本も同じ轍を踏むのか」、残念ながらその可能性 現代ビジネス「もはや「神社本庁・崩壊」の危機...総長の「不正土地取引」に「超有名神社の離脱」と「2000人関係者激怒」が相次いで勃発」 「神社本庁」といえば、右派勢力の本拠ともいえる団体、興味深そうだ。 「'15年10月に田中氏の了解のもと、神奈川県川崎市にある神社本庁の職員寮『百合丘職舎』を1億8400万円という、不当に安い金額で売却したことです。本来なら3億円は下らないと見られるこの職舎を安値で購入したのは、打田と懇意にしている不動産会社。同社は翌月に物件を転売し、3000万円近い利益を得ている。打田らはこの不動産会社と癒着していた可能性が指摘されているのです」 相場よりも極端に安い価格で売却していたことが神社本庁内の一部で問題視され、'16年には同庁の職員が内部告発し、表沙汰に。結局、告発者が懲戒解雇となり、裁判にまでもつれこんだ。伊藤氏が続ける。 「3年以上続いた裁判は、'21年3月に判決が下り『売却価格は相当低かった。田中氏や打田氏が背任を行ったと信じる相当の理由があった』と、裁判所が告発者の主張が正しいことを認めました」 神社本庁トップによる背任行為が疑われた以上、本来であれば調査のうえで、辞任や降格などの措置が取られるべきだ。ところが、田中氏は総長職を続投。何事もなかったかのようにトップの座に居座り続けているのだ。 こうした独裁的な体質に嫌気がさした鶴岡八幡宮が、神社本庁から脱退を表明」、「神社本庁トップによる背任行為が」裁判で認定されたにも拘らず、「田中氏は総長職を続投。何事もなかったかのようにトップの座に居座り続けている」、宗教法人のトップとしてあるまじき行為だ。 「戦後、GHQによって国家と神道の結びつきを断ち切ることを目的とした『神道指令』が出されます。これによって、神道は国家から切り離され、数多くある宗教の一つという扱いになりました」 そこで国家神道とは別の形で神道文化を維持するために立ち上がったのが神社本庁だ。 「このとき、伊勢神宮を本宗(全国の神社の総親神)として頂点に位置付ける現在の神道体制ができあがりました」(島田氏) 神祇院の頃は、税金で組織を維持していたが、神社本庁となってからは国からの支援は受けられない。そのため、神社本庁は、組織維持のために収入 得る必要に迫られた。そこでつくられたのが、伊勢神宮のお札「神宮大麻」・・・各神社はこれを氏子に売り、代金を神社本庁に上納する仕組みです」、なるほど。 「私は主に奉仕する神社1社に加えて、13社の宮司を兼務しています。私のように10社以上の宮司を兼務している人は決して珍しくなく、日本中にそうした宮司がいます。 14社も兼務していると、収入もそれなりと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。神職としての収入はすべて宗教法人の口座に入金され、そこから給与として報酬を得ていますが、その金額は年間約140万円にしかなりません。宮司だけでは食べていけず、中小企業診断士の資格を取り、コンサルタントの仕事もしています」 地方の神社だけでなく、都市部の神社であっても、「神社の経営は非常に難しい状況に置かれている」と島田氏は言う・・・」、「「宗教活動だけで経営が成り立っている神社は数えるほどしかありません。大きな神社ではお賽銭だけでかなりの収入になるところもありますが、そんな神社は稀。お賽銭やご祈祷、お札やお守りの販売といった『社頭収入』だけで神社を維持し続けるのは難しい。大きな神社では、持っている土地を貸したりして収入を得られますが、小さな神社ではそれもできない」、なるほど。 現代ビジネス「ついに「公家家格の頂点」「神社界のボス」も超激怒...ヤバすぎる横暴を続ける現在の「神社本庁」につきつけた「ノー」」 「職員寮の不正土地取引疑惑を巡る裁判の後も、辞任を求める声を無視して総長の座を死守。通常は2期6年で交代となる総長の座を現在14年も続けているのだ・・・実は役員会は田中さんと、彼の側近で神道政治連盟の打田会長に近い役員らで固められていて、自浄作用が働かない。だから、何年も総長の座を維持し続けることができるのです」 田中氏は三大八幡宮(宇佐、石清水、鶴岡)の社家(神社を世襲する家柄)出身の神職エリート。國學院大學の神道学科を修了し、平安神宮の権禰宜(宮司の補佐役)を経て石清水の宮司となった。若手神職の集まりである神道青年全国協議会の会長を務めたのち、神社本庁副総長となり、総長に昇格する。 その田中氏を副総長時代から支えてきたのが打田氏だ。打田氏は國學院大學の神道学科を修了後、'77年に寒川神社に奉職。'80年に神社本庁に転任し、本庁職員となる」、一旦、要職に着いたら、「神職エリート」として「何年も」その座を「維持し続 ける」ようだ。 「「神社本庁を運営する理事たちは有力神社の宮司を務める地方の名士たち。神社本庁内部のことはズブの素人なので、打田さんがアドバイスをして、本庁全体の運営をさばいていた。 さらに打田さんは驚くほど口が達者で、本庁役職員を取り込むのもうまい。自分に近しい職員にはいいポジションをあてがうなど、人事面で優遇する人心掌握にも長けていました」 人事を掌握し、役員会をコントロールすることで、田中氏が総長になる'10年には、神社本庁全体を牛耳る「田中-打田体制」が完成していた。 そして理事の多くを側近らで固めることで、田中氏は4期目、5期目という異例の長期政権を実現していったのだ」、なるほど。 「あまりに横暴な行いを看過できず、これに「待った」をかけた人物がいる。神社本庁の象徴としてのトップ・鷹司尚武統理だ。 「鷹司統理は、公家の家格の頂点である『五摂家』の一つ、鷹司家の現当主であり、昭和天皇の第3皇女の養子で、上皇陛下の義理の甥にあたる人物・・・しかし、前述のとおり役員会の結束は固く、田中派の賛成多数で、統理が指名した理事は総長の座を得られなかった。 この総長の座を巡るイス取りゲームは、統理から指名された理事が、総長になれないのはおかしい、と訴え出たことで裁判にまで発展。'22年12月に下された一審では「鷹司統理が原告を次期総長に指名したとしても、役員会が議決により原告を次期総長に決定していない以上、原告は、総長に就任していない」として司法の場でも田中総長側に軍配が上がった。さらに、'23年6月の第二審でも一審が支持され控訴を棄却。田中氏は総長のイスに座り続けている」、なるほど。 「「以前から田中体制と険悪な関係にあった香川県の金刀比羅宮は'20年にすでに離脱をしていますが、鶴岡八幡宮も離脱を決断したことで、ほかの神社が追随する可能性があります。神社界は田中総長派と鷹司統理派で二分されている。このままでは神社本庁が空中分解してしまいかねません・・・「神社は、みんなが拝んでご利益をいただく場でもあります。 そこにお仕えする人は、奉仕に徹しなくてはいけません。『神様が見ておられる』と思えば、自然とそうなるでしょう。現在の神社本庁はそうした神職の基本に立ち返るべきではないでしょうか」 神社本庁の内紛が収まり、純粋な気持ちで参拝できる日が早く訪れることを願うばかりだ」、その通りだ。