経済学(その6)(アマゾンが経済学の博士を100人雇う理由、「失われた30年」を いかに克服するか、持続可能な社会に必要な 「新しい公共哲学」とは何か?) [経済政治動向]
経済学については、2022年5月3日に取上げた。今日は、(その6)(アマゾンが経済学の博士を100人雇う理由、「失われた30年」を いかに克服するか、持続可能な社会に必要な 「新しい公共哲学」とは何か?)である。
先ずは、2022年5月9日付け日経ビジネスオンラインが掲載した大阪大学大学院経済学研究科准教授の 」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00448/042500004/
・『最新の経済学は、米グーグルや米アマゾン・ドット・コムをはじめ、多くの米国企業で導入されています。しかし日本に目を向けてみれば、直感や場当たり的、劣化コピー、根性論で進められている仕事も少なくありません。なぜ米国企業は、経済学を積極的に採用しているのか。本当に経済学はビジネスの役に立つのか。役立てるにはどうしたらいいのか。『そのビジネス課題、最新の経済学で「すでに解決」しています。 仕事の「直感」「場当たり的」「劣化コピー」「根性論」を終わらせる』から一部を抜粋し、著者の1人、安田洋祐氏がビジネスと経済学の掛け合わせによる新しい可能性を探ります。2回目は、経済学による、需要分析と利益最大化について』、日本企業が「直感」「場当たり的」「劣化コピー」「根性論」に頼った経営を進めているのは、本当に残念だ。
・『「付加価値を上げる? コストを下げる?」 さて、突然ですが、質問です。会社の利益を増やす方法を「2つ」答えてください──そう聞かれたら何と答えますか。いうまでもなく、利益は売上からコストを差し引いたものです。数式として書くと次のようになります。 利益 = 売上 − コスト …【利益①】 利益を増やすためには、売上を増やすかコストを減らすか(または両方を同時に行うか)しかありません。前者はよりよい製品やサービスを送り出して多くの人に買ってもらうこと、後者はオペレーションを効率化して諸経費を削り利幅を増やすことに対応します。 つまり、商品の「付加価値を高める」か、それとも生産にかかる「コストを下げる」か。この2つは、会社が利益を増やすための基本戦略ともいえるでしょう。 では現実問題として、世の中の企業はどちらの戦略をとることが多いのでしょうか。結論からいうと、「コストを下げる」を選ぶ企業が圧倒的に多いはずです。なぜなら、コストの削減というのはいままでと同じ製品、いままでと同じ売り方のままでもできることだからです。投資や努力、カイゼンなどによってコストを引き下げることに成功すれば、その効果がそのまま利益として跳ね返ってくるのです。 例えば、1個当たり800円の経費をかけて生産し、定価1000円で売っていた商品があるとします。製造・流通過程の至るところで「鬼のコストカット」を断行して、700円でつくれるようになったとしましょう。この商品を同じ定価1000円で売れば、200円だった利幅が300円になりますよね。この差し引き100円分は、コスト削減と同時に確実に実現する利益となります。 これに対して、よりよい商品を生み出して多くの人に買ってもらうというのは、いうほど簡単ではありません。自信をもって売り出した製品やサービスが、箸にも棒にもかからなかった……。企画開発系の仕事に携わるビジネスパーソンであれば、誰しも経験があるはずです。せっかく優れた商品やサービスをつくり出しても、あるいは「つくり出した」という手応えを感じても、それがきちんと売れなければ利益は増えません。 付加価値の創造というのは、コストを下げる場合と違って、利益の改善までに時間がかかり、不確実性も高いのです。付加価値と利益との間には、この意味で大きなギャップがあることが分かります。 言い換えると、すぐに成果が出るコスト削減に対して、付加価値の向上は利益につなげるまでのハードルが高い。結果的に、「まだ見えない商品を新たにつくる」よりも「いま見えているコストを減らす」ほうが取り組みやすいのです。 逆に考えると、付加価値を高めるような投資や取り組みを企業内で加速するためには、「付加価値向上→利益増」を妨げているハードルを引き下げる後押しが必要となります。この点にも、実は武器としての経済学が役に立つことを、次にご紹介しましょう』、「付加価値の創造というのは、コストを下げる場合と違って、利益の改善までに時間がかかり、不確実性も高いのです。付加価値と利益との間には、この意味で大きなギャップがあることが分かります。 言い換えると、すぐに成果が出るコスト削減に対して、付加価値の向上は利益につなげるまでのハードルが高い。結果的に、「まだ見えない商品を新たにつくる」よりも「いま見えているコストを減らす」ほうが取り組みやすいのです」、その通りだ。
・『利益を増やす「第3の道」を探る 利益を増やすためには、「付加価値の向上」と「コストの削減」という2つの方法があることを見てきました。実は、これらとは全く異なる、利益を増やす第3の方法があります。正確にいうと、多くの企業にとって「利益を増やせる可能性が高い」別の方法があるのです。それをお伝えする前に、まずは次の質問にお答えください。 「利益を増やすためには、売上ができるだけ大きくなるように値付けを行うべきである」 この主張は正しいでしょうか、それとも間違っているでしょうか。 先ほどの【利益①】を思い出すと、利益は売上とコストの引き算ですので、売上を最大にすることで利益も最大化されるような気がするかもしれません。しかし、この質問の答えは「間違い」です。その理由を説明するために、【利益①】を、もう少し詳しく書き直してみましょう。それが次の数式になります。 利益 = (価格 − 平均コスト) × 販売量 …【利益②】 この【利益②】は、価格と販売量が明示されているのが大きな特徴です。カッコの中身が商品1つ当たりの利幅(以降は「マージン」と呼びます)で、それにトータルの販売量をかけると利益が求まる、というわけですね。 利益と同様に、売上も価格と販売量のかけ算として次のように表すことができます。 売上 = 価格 × 販売量 …【売上】 一般的に、ほとんどすべての商品は、価格が上がると需要は減ることが知られています。これは「需要法則」と呼ばれ、経済学における最もシンプルかつ普遍的な法則のひとつです。つまり、価格が上がると販売量が減るわけです。これは、【売上】の式において、「販売量の減少に伴うマイナス」を、「価格の上昇というプラス」が上回らない限り、両者のかけ算である売上が増えないことを意味します。 具体的な数値例を用いて考えてみましょう。いま、ある商品の価格を10%上げることで販売量が20%減ったとしましょう。価格が1000円のときには1万個売れていた商品が、価格を1100円に値上げすると8000個しか売れなくなってしまった、という状況をイメージしてください。このとき、売上は1000万円から880万円へと、120万円も減ってしまいます。実に12%減です。売上を増やすという観点からは、値上げは望ましくない状況であることが分かります。 ところが、売上が減る一方で、利益は増える可能性があるのです。これはいったいどういうことなのでしょうか。 いま、商品1個当たりの平均コストが800円だとします。先ほどの【利益②】に、値上げ前と値上げ後の価格、平均コスト、販売量を当てはめて計算すると、利益はそれぞれ次のように求まります。 ・値上げ前の利益 = (1000 − 800)円 × 10000個 = 200万円 ・値上げ後の利益 = (1100 − 800)円 × 8000個 = 240万円 いかがでしょうか。値上げによって利益が200万円から240万円へと、確かに20%も増加していることが確認できるでしょう。一見すると不思議な現象が起きている理由は、マージンの大幅な上昇にあります。値上げ前の200円から値上げ後の300円へと、マージンが一気に50%も増加しているのです。これが、販売量が1万個から8000個へと20%も落ち込んだにもかかわらず、利益が増えたカラクリです。 以上の計算は説明のために用意した架空の数値に基づいたものですが、値上げや値付け(プライシング)の潜在的なパワーを実感された方も多いのではないでしょうか』、「値上げ前の200円から値上げ後の300円へと、マージンが一気に50%も増加しているのです。これが、販売量が1万個から8000個へと20%も落ち込んだにもかかわらず、利益が増えたカラクリです」、確かに「マージン」引上げの効果は大きい。
・『売上か利益か、最大化したいのは? さらに、需要分析からは次のような一般的な教訓も得ることができます。 〈教訓〉利益を増やすためには売上を犠牲にするほど積極的に値上げすべし! もちろん、すでに十分高い価格を付けているような企業は、さらに値上げする必要はありません。また、どの程度の値上げが最適なのかは、企業や商品の置かれた状況によって異なります。 この〈教訓〉のポイントは、仮に値上げを行ったとしても売上が下がらないような価格水準というのは、利益を最大にする価格と比べて例外なく低すぎる、つまり決して最適にならないという点です。この意味で、「利益を増やすためには、強気の値上げが欠かせない」と解釈することもできるでしょう。 ひょっとすると、日本経済がなかなかデフレの罠(わな)から抜け出せない理由のひとつは、こうしたプライシングの重要性が理解されていない、つまり需要分析が多くの企業にとって武器になっていないからかもしれません。 この仮説が正しいかどうかは分かりませんが、自社の製品やサービスが直面している需要を精緻に予測し、プライシング戦略を見直すだけで、(付加価値向上やコスト削減がなくても)利益を改善できる可能性があるのです。 余談ですが、市場に関する公開情報や顧客のデータから需要予測を行っているのが、統計学や計量経済学(エコノメトリクス)を修めたデータサイエンティストたちです。プライシングだけでなく、ウェブサイトのデザインや広告の送り方など、売り方・伝え方を変えたときに潜在的なカスタマーの需要がどう変化するのかを彼らは精緻に分析しています。 近年では、GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)に代表される米国の大手IT企業が、こぞってデータサイエンティストを採用しています。アマゾンでは、経済学博士号をもつ専門家だけでも、100人以上も採用しているといわれています。こうした動きは、需要分析に代表されるデータ分析が、いかに武器として活用されているかを物語っているでしょう』、「仮に値上げを行ったとしても売上が下がらないような価格水準というのは、利益を最大にする価格と比べて例外なく低すぎる、つまり決して最適にならないという点です。この意味で、「利益を増やすためには、強気の値上げが欠かせない」と解釈することもできるでしょう。 ひょっとすると、日本経済がなかなかデフレの罠(わな)から抜け出せない理由のひとつは、こうしたプライシングの重要性が理解されていない、つまり需要分析が多くの企業にとって武器になっていないからかもしれません・・・GAFA・・に代表される米国の大手IT企業が、こぞってデータサイエンティストを採用しています。アマゾンでは、経済学博士号をもつ専門家だけでも、100人以上も採用しているといわれています・・・日本経済がなかなかデフレの罠(わな)から抜け出せない理由のひとつは、こうしたプライシングの重要性が理解されていない、つまり需要分析が多くの企業にとって武器になっていないからかもしれません」、その通りだ。
・『「経済学×ビジネス」で未来は明るい! ここでは、より幅広いビジネスに活用することができる武器として、「需要分析」について、少し大胆に大風呂敷を広げてお話ししました。わたしの専門分野でもあるマーケットデザインでも、あるいはそれ以外の経済学の分野でも、現実のビジネスや生活に役立つサイエンスの蓄積が進んでいます。 人は「よいものさえつくれば自然に売れる」と考えがちです。職人気質が美徳として尊重されている日本では、ことさらこのムードが強いかもしれません。しかし、よいものがつくれても、人に知ってもらわないと世に存在しないのと大差ありません。だから宣伝や広告、マーケティングが大切なわけです。 専門家による研究はその性質上、専門家以外の人が簡単に理解したり、使ったりすることができません。だったら、わたしたち専門家は、受け身で使い手を待っているのではなく、できるだけ使いやすい武器へと加工して、使ってくれる人のところへ、自分から届けに行けばよいと思うのです。 経済学者のみなさん、武器を磨いてビジネスの世界に飛び込んでみませんか? ビジネスパーソンのみなさん、専門家とのコラボを一度はじめてみませんか? 日本で「経済学×ビジネス」のすてきなマッチングが広がることを願っています』、「よいものがつくれても、人に知ってもらわないと世に存在しないのと大差ありません。だから宣伝や広告、マーケティングが大切なわけです。 専門家による研究はその性質上、専門家以外の人が簡単に理解したり、使ったりすることができません。だったら、わたしたち専門家は、受け身で使い手を待っているのではなく、できるだけ使いやすい武器へと加工して、使ってくれる人のところへ、自分から届けに行けばよいと思うのです。 経済学者のみなさん、武器を磨いてビジネスの世界に飛び込んでみませんか? ビジネスパーソンのみなさん、専門家とのコラボを一度はじめてみませんか?」、同感である。
次に、本年2月29日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した慶應義塾大学経済学部教授インタビュー(前編)の小林慶一郎氏による「「失われた30年」を、いかに克服するか」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/339451
・『『日本の経済政策』(中公新書、2024年)は、バブル崩壊から今日までの「失われた30年」の日本経済を精緻に分析し、未来につなぐ教訓を導き出している。『日本経済の罠』(01年)、その増補版文庫(09年、共に加藤創太氏と共著、日本経済新聞出版)と、1990年代から30年間、定期的に日本経済の課題とその処方策を論じてきた著者の小林慶一郎氏に、新書の概要から持続的社会に向けた提言まで幅広く話を聞いた。前編と後編の2回に分けてお送りする(Qは聞き手の質問、Aは小林氏の回答)』、興味深そうだ。
・『経済政策の経緯からみた「日本人の自画像」 Q:『日本の経済政策』は、「失われた30年」の分析を通して、日本経済と社会の根源的課題を明かし、未来に向けた施策を提言する書です。普通の人が読めるように、新書で平易に著されたことも意義深いと思います。また、この間の経済学の発展過程を解説されつつ、通説を覆す論説も興味深く読みました。例えば、1995年ノーベル経済学賞受賞のロバート・ルーカスら合理的期待仮説の学派の人々が、「ケインズ経済学は、政策対象の国民を思考力のある対等な人間とみなしていない」という眼目で批判していると書かれています。イメージは真逆でしたので驚きました。小林教授は、シカゴ大学大学院の院生時代の指導教官がルーカスだったのですね。 A:私は1995年〜98年にシカゴ大学大学院で経済学を学び、PhD.(博士号)を取得したのですが、指導教官がロバート・ルーカスです。ルーカスのパートナーでもあるナンシー・ストーキーやゲイリー・ベッカーからも指導を受けました。ストーキーの専門はマクロ経済学や経済成長論です。ベッカーはミクロ経済学や人的資本(ヒューマン・キャピタル)の理論などが専門で、92年にノーベル経済学賞を受賞しています。私は彼ら3人の指導のもと、人的資本を含めた経済成長の理論を博士論文で書きました(編注:"The Division of Labor, the Extent of the Market, and Economic Growth," (Ph.D. Dissertation), University of Chicago) 本書で示したケインズ経済学への評価は、ルーカスが言ったことではなく、私自身の合理的期待理論の解釈に基づくものです。一般的なイメージは逆ですね。ケインズ経済学は庶民のために財政政策や金融政策を積極的に活用するというイメージで、合理的期待学派は新古典派経済学で市場第一というイメージです。合理的期待学派というと、競争力のない企業は淘汰されても仕方がないというような、人々に対して冷たい印象があると思います。 しかし、実はそうではない、と私は思っています。合理的期待学派は人々がどのように思考しているか、どう経済政策に反応するか、を真剣に考えているのです。 それに対して、教科書に書かれた単純化されたケインズ経済学はその過程を端折っています。教科書的なケインズ経済学で政策を考える論者たちは、「経済政策の対象となる人々」を自分と同じように思考する人間だと見なしていないのです。もちろん意識的にそんなことを言ったりはしませんが、無意識のうちにそういう前提で考えていることが根深い問題なのです。だから結果的に、本書で書いたようないろいろな失敗をしている。政府の政策に対して人々がどう考えるかを突き詰めないという間違いを繰り返しています。 合理的期待理論にも、「人間は完全に合理的だ」と仮定するなど批判されるべき点があることはそのとおりです。しかし、合理的期待学派は、少なくとも何か政策を施行した際に、人々がどう考え、どう反応するかを真剣に見極めようとする姿勢は徹底しているのです。その姿勢が次に論じる「再帰的思考」です。 本書のバックボーンとして、「人々の思考について思考すること」の重要性があります。本書ではこれを再帰的思考という言葉で表しています。簡単に言えば、相手を思いやる、相手の立場になって相手の思考を我がものとして考えようという思考の態度が、再帰的思考です。 「失われた30年」の日本の経済政策の実行において、この再帰的思考ができていなかったというのが私の結論です。不良債権についても、デフレ対策でも、経済政策に国民がどう反応するかを、希望的観測で単純化し、楽観的に考えていた。結果としてそれがことごとく間違いで、反省なく、繰り返されたのだと思います』、「合理的期待学派は、少なくとも何か政策を施行した際に、人々がどう考え、どう反応するかを真剣に見極めようとする姿勢は徹底しているのです。その姿勢が次に論じる「再帰的思考」です。 本書のバックボーンとして、「人々の思考について思考すること」の重要性があります。本書ではこれを再帰的思考という言葉で表しています。簡単に言えば、相手を思いやる、相手の立場になって相手の思考を我がものとして考えようという思考の態度が、再帰的思考です。不良債権についても、デフレ対策でも、経済政策に国民がどう反応するかを、希望的観測で単純化し、楽観的に考えていた。結果としてそれがことごとく間違いで、反省なく、繰り返されたのだと思います」、なるほど
・『「失われた30年」を、いかに克服するか Q:本書の終章が、「縦割り主義から『再帰的思考』へ」という提言になっています。その提言に至る過程が全体で書かれています。そもそも本書の執筆の動機はどこにあったのでしょうか。 A:自分なりに「私たちの時代」の肖像、経済政策の経緯からみた「日本人の自画像」を書いてみたかったのです。 時評は新聞や雑誌で都度発表してきましたが、現時点できちんとまとめてみたいというのが本書の主旨です。自分自身も経済政策の現場にいたことがありますから、その経験も踏まえて、経済政策から見た過去30年を振り返り、私たちの時代は何だったのかを考えたいと思いました。 「失われた30年」の原因を一言で表現すると、「再帰的思考の欠如」になります。再帰的思考とは前述の通り、他者の思考を自分自身が思考する、他者になり切って思考すること。さらに、自分と他者の両者が互いの思考を読み合っていることを知っていて、「私が考えている、と相手が知っていて、相手が知っていることを私が知っていて、さらにそのことを相手が知っている……」という無限ループが起きていること、それを認識した上で意思決定することです。この再帰的思考が、日本の政策の議論には欠落しているのではないかと思うのです』、「再帰的思考とは前述の通り、他者の思考を自分自身が思考する、他者になり切って思考すること。さらに、自分と他者の両者が互いの思考を読み合っていることを知っていて、「私が考えている、と相手が知っていて、相手が知っていることを私が知っていて、さらにそのことを相手が知っている……」という無限ループが起きていること、それを認識した上で意思決定することです。この再帰的思考が、日本の政策の議論には欠落している」、なるほど。
・『最大の失敗は不良債権処理の先送り Q:第5章で、そこまでの章をまとめる形で、「失われた30年」の要因を集約していますが、個々の要因における再帰的思考の欠如について具体的に教えてください。 政策の失敗は30年間で約10〜15年間ごとに現出し、企業経営の課題と複合して、日本経済の長期停滞をもたらしたと思います。 最大の失敗は、1990年代〜2005年と15年間もかかった不良債権処理の遅れです。バブル崩壊による巨額の不良債権問題は、世界各地で起きていますが、他国では通常3年程度で処理されています。 日本での長期化要因は、経営者や為政者の課題先送り意識や慣行にあります。当時、債権者の銀行には「不良債権処理=債権放棄=銀行員失格」、債務者の経営者には「倒産=清算=企業の死」の観念が固まっていて、それを回避したかった。いずれ株価や地価が回復して解決できると思い込み、対応先送りで自分たちは逃げ切れるという姿勢でした。 銀行は債権の一部放棄によって回収額が増える可能性があるとか、企業経営者は倒産後の事業再生や新事業育成で成長を回復するという発想がありませんでした。為政者も同様の精神構造で、有効な政策実施を怠りました。 市場の圧力などから、銀行や証券会社が経営破綻に追い込まれ、その度ごとのびぼう策により、日本経済全体の成長力が失われていきました。この点において、第二の政策失敗があります。過剰債務等で疲弊した企業の金利負担を軽くする金融緩和を長期継続し、低収益性企業の存続を支援しましたが、これは社会全体として一時的な痛み止めになる一方、経済の新陳代謝を妨げ、成長を抑制することになりました。企業は、リストラが回避できても、設備投資や人材育成投資を行えず、日本全体で人的資本の劣化につながりました。 Q:いわゆる「ゾンビ企業」を多く生み出したことで、日本全体での新陳代謝が抑制されてしまったのですね。 A:本書第1章で詳述しましたが、その帰結としての「不良債権処理の後も、長期停滞が続いた理由」を最後にまとめました。「企業間分業の萎縮」と「人的資本の劣化」です。 そのメカニズムは、(1)不良債権の大量発生による企業間の相互不振で、企業間の分業が崩れ、生産性が低下する。(2)低生産性の下で、教育や技術向上など人への投資が低調になり、人的資本が劣化する。(3)不良債権処理が長引いて、人的資本が相当程度に劣化すると、企業間で元通りに分業しても採算性が取れなくなるので、企業はサプライチェーンを再生しない。(4)企業間分業が再生しなければ、経済全体で低生産性が続き、人的資本の劣化が進む。人的資本の劣化が進むと、企業間分業は採算が取れないので再生しない、という悪循環が続く、というものです。 2010年代には、異次元緩和による金利負担の長期低減で、財政規律が緩み、政府債務は膨らみ続けます。企業においては、アニマルスピリットを衰退させ、イノベーションを阻害しました。本書に書きましたが、2021年頃から「低金利政策の長期化は、経済成長率を低下させる」という研究が海外を中心に増えています。 また、人口減少と超高齢化という人口動態も、長期経済低迷の背景にあります。少子・高齢化が進む中で財政・社会保障制度の持続性に国民全体が不安を感じ、貯蓄性向を高めます。多少景気が回復しても、消費を増やそうとは考えません。 Q:2001年に小林教授が加藤創太氏(現在、東京財団政策研究所研究主幹)と共に著した『日本経済の罠』(日本経済新聞社)では、それまでの「失われた10年」を分析しています。同書ではすでに、既存の経済理論や経済政策の限界を示し、「不良債権問題の経済学」「バランスシートの罠」という章を設けて詳述していますが、日本の為政者には受け入れらなかったのでしょうか。 当時の経済学や政策決定過程に限界がありました。過去の失敗の蓄積が将来に影響するという体系になっていなかった。1990年代末になって、ようやくマクロ経済学にバランスシートの要素が入って、過去の失敗の蓄積が将来に影響するという問題を分析できるようになりました。 それ以前は、バランスシート変数の問題に着目したマクロ経済学の研究は、ベン・バーナンキ(プリンストン大学教授、後に米国連邦準備制度理事会(FRB)議長、2022年ノーベル経済学賞受賞)による1930年代の大恐慌の研究などごく少数でした。バーナンキの83年の論文では、大恐慌の悪化原因は、貨幣量の収縮にあるという通説だけではなく、銀行危機で銀行から企業等への信用供与が機能不全となったことで総需要が収縮したことにあると論じています。しかし当時この理論はメジャーではなく、その後、洗練され、99年になって標準的なマクロ経済政策の分析ツールとして認められるようになります。 日本が不良債権で苦しんでいた1990年代初頭にはそういう理論はありませんでした。当時の教科書にあるケインズ経済学ではとにかく財政出動、金融緩和で経済を刺激すれば、景気はそのうち回復すると考えられていたのです。実際、そうした経済対策を展開しました。不良債権処理は確かにやるべきことだが、経済政策とは違うというイメージでした。大問題ではあるけれども、それ自体は経済の先行きにさほど影響を与えないんじゃないかという考えを、当時の経済学者や為政者は持っていたと思います。 Q:2000年以前に私たちが学んだケインズ経済学では、景気悪化時には、中央銀行が低金利政策を実施し、0%近くまで下げても民間投資が動き出さない「流動性の罠」に陥ったら、政府が積極的な財政政策を発動するのが良いと言うものでした。 A:流動性の罠についてはちょっと難しい問題があります。日本の場合、ゼロ金利政策を実施したのが1999年で、流動性の罠に陥ったのがこの頃でした。しかし、財政政策はそれまでに限界まで実施していて、これ以上の財政拡大の余地がないというコンセンサスになっていたと思います。経済理論では、流動性の罠に陥ったら、金融緩和は効かないから財政拡大するということになっていますが、現実には財政は出し尽くしていたので、次に打つ手がない状態だったのです。 そこに、「将来見通しの期待を変える」「インフレ期待を作れば大丈夫」という新しい理論が出てきた。それが、いわゆる「リフレ派」の理論です。それまでのケインズ経済学の教科書には書いていないことを唱えた新しい学派です。 Q:本書第2章で詳述されているように、1998年頃の日本経済については、ポール・クルーグマン(当時マサチューセッツ工科大学教授、2008年にノーベル経済学賞受賞)も、「期待を操作すれば良い」と提言していました。 A:クルーグマンは、日本経済は縮小していくと予想し、その予想のもとでは自然利子率(需要と供給が一致する利子率)はマイナスになっていると主張しました。クルーグマンの議論は、日本経済の長期縮小は受け容れた上で、足下の需要と供給が一致するようにさせるために、将来のインフレ期待(予想)を醸成し、現実の金利をマイナスの自然利子率に近づけて、需要喚起を促す策を提言していました。 2000年くらいまでにはバランスシート問題が米国では認識されていたけど、次善の政策として、リフレのような、期待に働きかけることが有効だと思われていました。不良債権処理は社会全体に大きな痛みを伴うので、アカデミズムから政策提言として不良債権処理の推進案はあまり出てきませんでした。期待に働きかけるリフレ案のほうが誰も傷つけず、痛みを伴わないので、そちらの方が言いやすかったのです。 実際、欧米においても、リフレ政策が望ましいということで、2008年のリーマンショック、10年代の欧州債務危機でも、大規模に金融を緩和しました。ただし、それによって期待が変わったかどうかという点はまだ論争が続いています。理論的に必ず期待を変えられるとは言い切れていません。どんどん金融緩和をやって量的緩和とかフォワードガイダンスをやれば、何がしかインフレ的になるということは各国で経験したけれども、それは政策が効いたからかどうか、疑問視する研究者もいます』、「不良債権処理は社会全体に大きな痛みを伴うので、アカデミズムから政策提言として不良債権処理の推進案はあまり出てきませんでした。期待に働きかけるリフレ案のほうが誰も傷つけず、痛みを伴わないので、そちらの方が言いやすかったのです。 実際、欧米においても、リフレ政策が望ましいということで、2008年のリーマンショック、10年代の欧州債務危機でも、大規模に金融を緩和しました。ただし、それによって期待が変わったかどうかという点はまだ論争が続いています」、なるほど。
・『自然利子率を与件としてはいけない 潜在成長率を高める施策こそ必要 Q:日本では長期間デフレの状態が続いています。本書の第2章「長期化するデフレ」ではその点を論じています。 先日(2024年2月14日)、日本経済新聞の「経済教室」で「政策で期待は操作できたか」というコラムを書きましたが、日本における金融政策と経済変化を見ると、「中央銀行(日本では日本銀行)の約束だけでは期待は動かしにくい」と私は考えています。 日本全体の潜在成長力をフルに発揮させられる金利、つまり総需要と総供給が一致する自然利子率と呼ばれる金利(中立金利)は、年々下がってきています。前述の通り、90年代の終わりからマイナスにある、という人もいました。GDP(国内総生産)が年々縮小しているということです。 この場合、日銀が名目金利をゼロにしても、インフレ率が0%ぐらいだと、実質金利は中立金利より高くなってしまい、国民は将来に備えて貯蓄に走ってしまいます。それを防ぐため、政策でインフレを起こして実質金利を中立金利になるまで下げるべきだというのがリフレ派のロジックです。 政策金利はすでにゼロなので、発行通貨の量を増やしたり、将来にわたってデフレが終息するまで金融緩和を続けることを約束するフォワードガイダンスなどを実施したりしたわけです。これらの金融政策は従来のものではなかったので、「非伝統的政策」と呼ばれています。 将来の金利やインフレに関しての、国民の期待を、政策によって操作しようという考え方です。しかし、繰り返しますが、日本では当局の思惑通りには、すぐに期待は変化しなかった。こうした経済理論と現実の関係は、本書で詳述しました。 Q:本書第2章は、「何が問題だったのか――リフレ政策の副作用」という節で結んでいます。 要は、政策で何を直したいのか、だと思います。当時のデフレ論争ではここがとても狭く捉えられていました。具体的には、「自然利子率(中立金利)は与えられたもの、所与の条件と考えた上で、需要と供給を一致させるためにどんな金融政策をとるべきか」に論争が終始していました。 本来は、自然利子率が低すぎるのであれば、それを高めるために、中長期的にどういう政策を打つかを考えるべきです。それは日本の経済成長率を長期的に高める構造改革をすることです。構造改革による長期成長をメインの政策として、それとセットで短期的な需要と供給をなるべく一致させるような金融・財政政策を補助的に実施する。このように、経済の全体像および中長期的な視点から経済政策を考えるべきだと思います。 Q:自然利子率を高めるには、日本全体の成長性を高める。人口減少下の日本では、生産性を高める政策が望まれるということになるのでしょうか。 A:そうですね。ここまでの話の流れで言えば、日本全体の新陳代謝を高めていくことです。例えば、収益性の高い企業がその成長に必要な人材を確保できるように政策的に促すことです。低生産性の企業が退出や人材放出を行いやすい制度や環境を整えるとか、もっと人材移動が活発化するような法整備を確立するとか、金融面でそうした新陳代謝を促すことなどです。 個人のリスキリングによる生産性向上はすでに行われていますが、社会保障制度の面で将来不安をなくして、転職や消費行動が活性化していく制度設計は大切ですね。 同じく動き始めているDX(デジタル・トランスフォーメーション)やGX(グリーン・トランスフォーメーション)についても、しっかりと結実するように政策のバックアップが必要です。ただ、財政支出がさらに相当必要なため、今日、最も重要な財政の健全化との両立が難しく、その方法を私自身見出せていないので、本書では言及しませんでした。 *明日公開の後編では、世界金融危機の分析、日本の財政危機と対処策、将来に向けた施策の提言をお伝えします。 (小林慶一郎・・・氏の略歴はリンク先参照)』、「日銀が名目金利をゼロにしても、インフレ率が0%ぐらいだと、実質金利は中立金利より高くなってしまい、国民は将来に備えて貯蓄に走ってしまいます。それを防ぐため、政策でインフレを起こして実質金利を中立金利になるまで下げるべきだというのがリフレ派のロジックです。 政策金利はすでにゼロなので、発行通貨の量を増やしたり、将来にわたってデフレが終息するまで金融緩和を続けることを約束するフォワードガイダンスなどを実施したりしたわけです。これらの金融政策は従来のものではなかったので、「非伝統的政策」と呼ばれています。 将来の金利やインフレに関しての、国民の期待を、政策によって操作しようという考え方です。しかし、繰り返しますが、日本では当局の思惑通りには、すぐに期待は変化しなかった・・・日本全体の新陳代謝を高めていくことです。例えば、収益性の高い企業がその成長に必要な人材を確保できるように政策的に促すことです。低生産性の企業が退出や人材放出を行いやすい制度や環境を整えるとか、もっと人材移動が活発化するような法整備を確立するとか、金融面でそうした新陳代謝を促すことなどです」、なるほど。
第三に、3月1日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した小林慶一郎・慶應義塾大学経済学部教授インタビュー(後編)「持続可能な社会に必要な、「新しい公共哲学」とは何か?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/339538
・『『日本の経済政策』(中公新書、2024年)は、バブル崩壊から今日までの「失われた30年」の日本経済を精緻に分析し、未来につなぐ教訓を導き出している。『日本経済の罠』(01年)、その増補版文庫(09年、共に加藤創太氏と共著、日本経済新聞出版)と、1990年代から30年間、定期的に日本経済の課題とその処方策を論じてきた著者の小林慶一郎氏に、新書の概要から持続的社会に向けた提言まで幅広く話を聞いた。前編に続く後編は、今日の日本社会に求められる「新しい公共哲学」へと話は展開する』、興味深そうだ。
・『シャドーバンクなどに新たな危機の懸念がある Q:金融危機発生後の対処で、日本の失敗を米国は研究し、リーマンショック対応に生かしたのでしょうか。 米国の学者や為政者は、日本の失敗を十分に研究していました。その研究から、金融危機に陥った際の政策対応は、Too little(小さ過ぎる)や Too late(遅過ぎる)では最悪になるとわかっていたので、迅速な対応ができました。 リーマンショックは、証券化商品の健全性が問題になりました。証券化商品は金融市場で値付けされるので、返済困難になった債務に基づく証券化商品は価格が暴落し、それを資産に持つ金融機関の損失が早期に明らかになりました。 一方、日本では、銀行が個々の取引先への貸出債権としてバランスシートに抱えていたので、償却という形で自ら損失計上するまで隠すことができました。個々の経営判断で問題の先送りができ、監督官庁が全体像を容易に把握できず、政策対応が遅れました。また、どの銀行がどれだけの不良債権を持ち、どの企業がいくらの過剰債務を抱えているかがわからず、信用不安が広がった面もありました。 バブル崩壊による多額の不良債権の発生で、金融機関のバランスシートが痛み、信用創造機能が低下し、国全体が金融危機に陥るという構図は日本も米国も同じだったのですが、直接金融の比重が大きい米国では発覚が早く、日本の失敗を教訓にして、スピーディな対応で、早期に課題を解決したということです』、この他に、「日本の」会計基準の遅れも「発覚」を遅らせた。
・『持続可能な社会に必要な、「新しい公共哲学」とは何か? Q:米国は、リーマンショックやコロナ禍では果敢に金融緩和を行い、割合と早期に経済が回復しました。一方で、FBR(連邦準備制度理事会)は経済が過熱する懸念があると、金利を上げてそれを抑えるなど、金融政策は柔軟です。また近年、先進国全般に低成長・低インフレ傾向にある中で、米国は現状において金利水準は高めで、FRB元議長のベン・バーナンキは『21世紀の金融政策』(高遠裕子訳、2023年、日本経済新聞出版)で、万が一、経済ショックが起きても、大幅な金融緩和で対処する金利水準での余裕があると書いています。それでも、何が起きるかわからないことを留意しています。 規制体制が十分でないセクター、例えばシャドーバンク(編注:ノンバンクやヘッジファンドなど、証券化のための特別目的事業体など銀行を介さないで金融取引する機関)などに懸念はあると思います。中国における不動産融資の不良債権化などが一例です。 銀行などで問題が起きた際、自己資本比率など規制を厳しくして、次の危機が起きないように備えても、その規制にかからないシャドーバンクを通しての資金調達が拡大するなど、規制強化と新しいビジネスの台頭はイタチごっこのような関係です。リスクをとって、より収益性の高い運用を行う動きは常にあるからです。日本でも、現時点では私たちが気づいていないだけで、伝統的な金融機関の外で問題が蓄積している可能性はあります。 危機に対する経済理論においても、危機防止の規制などの政策においても、まだまだわからない部分があり、私たちは慢心してはいけない。この点は、本書第3章「世界金融危機」の後半で、一連の危機とその対応からの教訓として現時点の考え方をまとめました。 気をつけていても、いつの間にか危機は起こりえます。その際には、問題のある金融機関を見つけて公的資金を注入するとか、不安が広がらないように流動性を高めるとか、思い切った経済政策を展開することです。この点は、地震やコロナ禍など天災発生時の対策と同じです。非常時には、国の借金が増えても、即時かつ十分に対応しないといけない。 Q:第5章後半で、低金利長期化の副作用を指摘しています。日本の金融政策の正常化は今後どのような手順で進めていくべきでしょうか。 A:数カ月で0.25%、数年で1%というように段階的に市場の反応を見ながら、金利を上げていく。将来のクレディブルな経路を示すことです。信頼できる将来像でないと、いくら政府や日銀が将来のバラ色の姿を示しても、意味がありません。 Q:少しインフレ傾向が出てきたからといって、日本銀行が即座に金融緩和をやめてしまったら、それまで言い続けてきた約束を守らないということになるのですね。 A:日銀は、「フォワードガイダンスの条件をクリアしたので政策を変更していいのだ」という明確な理由をきちんと提示できるまでは、現状の政策を続けるだろうと思います。今、そのデータを集めているところだと思います。 この点も本書で書きましたが、「時間整合性」の問題があるのです。デフレの時には物価上昇が安定的に続くまで金融緩和をやめませんと約束するのが最適ですが、インフレになってしまうと、なるべく早めに金融引き締めに移ることが最適な政策になります。事前と事後で、最適な政策が異なるという時間整合性の問題があるのです。市場の信用を失わないように、政策を変更するというのが、今、日銀が直面している最大の難関だと思います』、「「時間整合性」の問題があるのです。デフレの時には物価上昇が安定的に続くまで金融緩和をやめませんと約束するのが最適ですが、インフレになってしまうと、なるべく早めに金融引き締めに移ることが最適な政策になります。事前と事後で、最適な政策が異なるという時間整合性の問題があるのです。市場の信用を失わないように、政策を変更するというのが、今、日銀が直面している最大の難関だと思います」、その通りだ。
・『エレファント・イン・ザ・ルーム 財政危機は放置されている Q:未来に向けた提言となる本書第6章「日本経済のゆくえ」では、最初に、財政赤字の現状と将来予想を示しています。現状は「国の歳出が歳入を構造的に上回っている。景気が良くなっても財政赤字は無くならない」。将来予想は「2014年の財政制度等審議会で財務省が提出した資料(図表1参照)をもとに、経済成長率2%程度で金利が成長率を上回る経済の正常化が果たされたとしても、国の債務はGDP比で2020年240%(2.4倍)が、2050年には500%(5倍)を優に超える(図の青色の線)」ことが示されています』、「経済成長率2%程度で金利が成長率を上回る経済の正常化が果たされたとしても、国の債務はGDP比で2020年240%(2.4倍)が、2050年には500%(5倍)を優に超える」、やはり財政赤字は深刻だ。
・『持続可能な社会に必要な、「新しい公共哲学」とは何か? 債務問題の解決は、長期的に、歳出と歳入をバランスさせていくしかありません。図では、「毎年の財政収支を改善して2060年度に債務比率を100%まで下げるケース(図の赤色の線)」を財政再建案として示していますが、これを実現するには毎年の歳出(国家予算)を70%削減するか、歳入の大幅な増加、例えば消費税率で計算すると追加約30%の引き上げが必要になります。実行となると、とてもハードルの高い解決策です。 財政再建のための方法は、歳出削減、歳入増、あるいはインフレによる事実上の債務削減(その分の国民負担増)があり、財政再建に向けたいくつかの研究を本書では紹介しました。たたし、いずれにしても、今すぐには政治的に実現不可能なので、まずは国全体で財政再建を実現しようというコンセンサスを早急に作らなければいけません。 財政あるいは社会保障制度の持続性については、多くの人が不安を感じています。しかし、現状においては、何もやっていない。いわゆる「エレファント・イン・ザ・ルーム」という状況です(注:エレファント・イン・ザ・ルームとは、部屋の中に大きな象がいるのにみんな黙っているという状態。重要な問題の存在を誰もが認識しているけれど、誰も直視や言及しないことの譬え)。 実は、1990年代の不良債権と、今日の膨大な政府債務への国民の向き合い方は同じです。ある程度の期間は、問題の先送りができるので、今、課題に向き合うべき現在世代は先送りしようとするのです』、「財政あるいは社会保障制度の持続性については、多くの人が不安を感じています。しかし、現状においては、何もやっていない。いわゆる「エレファント・イン・ザ・ルーム」という状況です」、本当に困ったことだ。
・『世代間問題を解くための新しい公共哲学 Q:現在世代が財政再建を先送りすれば、そうしなかった場合に比べて、将来世代の負担が重くなるという類の「世代間問題」や、その問題を克服する思考について、小林教授は『時間の経済学』(ミネルヴァ書房、2019年)で論考を深めていて、それに基づく解決アプローチ案のいくつかが、本書第6章の後半で提示されています。 将来世代のことを考えて政策を作ることを当たり前のことにするのが理想なのですが、まず今やれそうなことの1つとして、独立財政機関の導入を挙げています。関西経済連合会や経済同友会などいくつかの組織から、すでに提言は出ているものです』、「独立財政機関の導入」とはどういうことなのだろう。
・『持続可能な社会に必要な、「新しい公共哲学」とは何か? 独立財政機関とは、30〜50年先などの超長期の将来までの経済・財政の展望を推計し、その結果を財政運営の基礎情報として国民や政府に公開する機関です。推計の信頼性確保のため、政治的な中立性と独立性を保証します。内閣府や財務省などの既存官庁は、政権のために働くことが任務のため、どうしても忖度が働くので、独立機関が必要なのです。 米国の議会予算局や英国の予算責任庁などが代表例です。2010年代に世界で創設が増え、現在のOECD加盟38カ国のうち31カ国で設置されています。増加の背景には、欧州の債務危機があります。2010年代初めギリシャなどで放漫な財政運営が発覚し、欧州債務危機が広がりました。このことを反省し、EUは、長期的な健全財政のために独立財政機関を作ることを加盟各国に求めるEU指令を13年に出しました。 21世紀における独立財政機関の創設の動きは、19世紀末〜20世紀初頭における中央銀行の設立の流れと同様だと思います。当時は大恐慌など経済混乱が各国で何度も発生し、金融の面から安定化を図るべく中央銀行が各国に設立されていきました。以降、景気変動はそれ以前ほどには激しくなっていない。今日の独立財政機関の設立の動きは、財政面での経済不安定化の防止策と言えます。 Q:『時間の経済学』では、現在世代と次世代の利害が対立する世代間問題を、いかに克服したらいいかを探っています。それは財政危機だけでなく、人類が直面する最大危機である地球温暖化なども同様の、これまでとは「構造」が異なる問題です。例えば、課題解決の意思決定に参加できる仕組みとして正当性が確立されてきた現状の議会制民主主義では、世代間問題の当事者である次世代の意見は原理的には反映されない、と指摘されています。そこで、ロールズ、ハイエク、アーレント、ヨナス、ポーコック、サンデルなど現代の政治哲学者たちの思想を展望し、解決の方向性を提示されています。 その内容をこのインタビューで説明するのは時間的に難しいですが、経済成長を前提としたリベラリズムという近現代の思考のままでは、世代間問題は解決できないので、私たちは何か新しい公共哲学を持たなければいけないというのが提言です。新しい公共哲学を持った上で、国を運営し、政策を立てて行く必要があるということです。 功利主義に基づく現代の経済学では、人間は完全に利己的ではなく、弱い「利他性」を持っていると考えます。また、アダム・スミスは、「共感」の作用によって道徳感情の基準(内なる公平な観察者)が形成されるとして、人々の相互作用による人格形成の過程に注目しました。この共感の作用を世代間問題の解決に活用すれば、将来世代に対する利他性を、現在世代の人々の間の共感によって強化することができるはずだと考えます。 前述の独立財政機関や、さらには将来世代の利益を代表することを職務とする公的機関を創設すれば、世間一般からの共感や構成員相互の共感によって、将来世代の利益を増進する方向で、政策決定に影響を与えられるでしょう。 また、この相互作用は、今日しばしば使われる言葉で言えば「承認欲求」につながるでしょうか。私たちが経済を含めていろいろな活動をする際に、そのモチベーションは何かを突き詰めて考えていくと、他者に自分を認めてもらいたいという要素が強いと思うのです。人生の充足感は、承認欲求に根ざす部分が多いものです。 その際に、自分を承認してくれる他者は誰か。自分の周囲の人から承認されることで私たちは満足を得るわけですが、なぜ周囲の人からの承認が価値を持つかと考えると、私たちを承認してくれる人も、だれかから承認されているから、といえます。 私を承認してくれる人は、別の誰かから承認されていて、その誰かもまたさらに別の誰かから承認されています。この連鎖をたどっていくと、現在世代の枠を超えて、究極的には「無限遠の将来世代からの承認」に行きつきます。遠い未来の将来世代から現在の私たちが承認される(だろう)という信念が、私たちの人生に価値を与えていると言えるわけです。こう考えると、現在世代の相互共感を通じて、将来世代のことも深く考えるようになると思うのです。こうした新しい公共哲学を考えたいのです。 短期的には、現在世代の利害関係者(ステークホルダー)や政治から独立し、将来世代の視点を持つ中立的な公的機関の創設が必要であり、長期的には、そうした活動に対する社会全体のコンセンサスを支える公共哲学を確立していくべきだと思うのです。 Q:最後に、中長期的に進めていくべき施策を、国、企業、個人それぞれ、教えてください。 国の施策としては、将来の見通しを持てるように、信頼できる将来像を示すことです。具体的には、財政と社会保障の持続性です。国民をごまかさないで、国民の反応を自分事として想像する、再帰的思考が必要です。 一方で、イノベーションのためには、政府による大型投資も必要です。この点は、財政支出との整合性が問われます。どのような答えを出せるのか、難問で、私自身も即答できませんが、なんとか両立したいところです。 企業の施策としては、30年先、50年先の未来の社会をイメージし、そこからバックキャストして今するべき事業の意義を再確認すること。フューチャー・デザインを経営で実践するということです。考え抜いた末に、もし現状の事業に将来性がないという結論に至ったならば、早く企業を解散する道筋を考えることも経営者の責務です。 個人の施策としては、将来世代の視点を自分のものにして考えることです。すると、将来世代からの感謝や承認がなければ、現代の私たちの人生に生きる意味を見つけられない、となるのではないでしょうか。他者の承認をたどっていくと、無限遠の未来の将来世代からの承認によって、私たちの人生の価値は支えられているという考えにいたるはずです。(了)』、「独立財政機関とは、30〜50年先などの超長期の将来までの経済・財政の展望を推計し、その結果を財政運営の基礎情報として国民や政府に公開する機関です。推計の信頼性確保のため、政治的な中立性と独立性を保証します。内閣府や財務省などの既存官庁は、政権のために働くことが任務のため、どうしても忖度が働くので、独立機関が必要なのです。 米国の議会予算局や英国の予算責任庁などが代表例です・・・経済成長を前提としたリベラリズムという近現代の思考のままでは、世代間問題は解決できないので、私たちは何か新しい公共哲学を持たなければいけないというのが提言です。新しい公共哲学を持った上で、国を運営し、政策を立てて行く必要があるということです。 功利主義に基づく現代の経済学では、人間は完全に利己的ではなく、弱い「利他性」を持っていると考えます。また、アダム・スミスは、「共感」の作用によって道徳感情の基準(内なる公平な観察者)が形成されるとして、人々の相互作用による人格形成の過程に注目しました。この共感の作用を世代間問題の解決に活用すれば、将来世代に対する利他性を、現在世代の人々の間の共感によって強化することができるはずだと考えます」、我が国では、既存の公務員組織とは別に、独立の組織を、財界や労組などを中心に設立することが考えられる。独立性を如何に維持するか、極めて難しい問題だ。
先ずは、2022年5月9日付け日経ビジネスオンラインが掲載した大阪大学大学院経済学研究科准教授の 」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00448/042500004/
・『最新の経済学は、米グーグルや米アマゾン・ドット・コムをはじめ、多くの米国企業で導入されています。しかし日本に目を向けてみれば、直感や場当たり的、劣化コピー、根性論で進められている仕事も少なくありません。なぜ米国企業は、経済学を積極的に採用しているのか。本当に経済学はビジネスの役に立つのか。役立てるにはどうしたらいいのか。『そのビジネス課題、最新の経済学で「すでに解決」しています。 仕事の「直感」「場当たり的」「劣化コピー」「根性論」を終わらせる』から一部を抜粋し、著者の1人、安田洋祐氏がビジネスと経済学の掛け合わせによる新しい可能性を探ります。2回目は、経済学による、需要分析と利益最大化について』、日本企業が「直感」「場当たり的」「劣化コピー」「根性論」に頼った経営を進めているのは、本当に残念だ。
・『「付加価値を上げる? コストを下げる?」 さて、突然ですが、質問です。会社の利益を増やす方法を「2つ」答えてください──そう聞かれたら何と答えますか。いうまでもなく、利益は売上からコストを差し引いたものです。数式として書くと次のようになります。 利益 = 売上 − コスト …【利益①】 利益を増やすためには、売上を増やすかコストを減らすか(または両方を同時に行うか)しかありません。前者はよりよい製品やサービスを送り出して多くの人に買ってもらうこと、後者はオペレーションを効率化して諸経費を削り利幅を増やすことに対応します。 つまり、商品の「付加価値を高める」か、それとも生産にかかる「コストを下げる」か。この2つは、会社が利益を増やすための基本戦略ともいえるでしょう。 では現実問題として、世の中の企業はどちらの戦略をとることが多いのでしょうか。結論からいうと、「コストを下げる」を選ぶ企業が圧倒的に多いはずです。なぜなら、コストの削減というのはいままでと同じ製品、いままでと同じ売り方のままでもできることだからです。投資や努力、カイゼンなどによってコストを引き下げることに成功すれば、その効果がそのまま利益として跳ね返ってくるのです。 例えば、1個当たり800円の経費をかけて生産し、定価1000円で売っていた商品があるとします。製造・流通過程の至るところで「鬼のコストカット」を断行して、700円でつくれるようになったとしましょう。この商品を同じ定価1000円で売れば、200円だった利幅が300円になりますよね。この差し引き100円分は、コスト削減と同時に確実に実現する利益となります。 これに対して、よりよい商品を生み出して多くの人に買ってもらうというのは、いうほど簡単ではありません。自信をもって売り出した製品やサービスが、箸にも棒にもかからなかった……。企画開発系の仕事に携わるビジネスパーソンであれば、誰しも経験があるはずです。せっかく優れた商品やサービスをつくり出しても、あるいは「つくり出した」という手応えを感じても、それがきちんと売れなければ利益は増えません。 付加価値の創造というのは、コストを下げる場合と違って、利益の改善までに時間がかかり、不確実性も高いのです。付加価値と利益との間には、この意味で大きなギャップがあることが分かります。 言い換えると、すぐに成果が出るコスト削減に対して、付加価値の向上は利益につなげるまでのハードルが高い。結果的に、「まだ見えない商品を新たにつくる」よりも「いま見えているコストを減らす」ほうが取り組みやすいのです。 逆に考えると、付加価値を高めるような投資や取り組みを企業内で加速するためには、「付加価値向上→利益増」を妨げているハードルを引き下げる後押しが必要となります。この点にも、実は武器としての経済学が役に立つことを、次にご紹介しましょう』、「付加価値の創造というのは、コストを下げる場合と違って、利益の改善までに時間がかかり、不確実性も高いのです。付加価値と利益との間には、この意味で大きなギャップがあることが分かります。 言い換えると、すぐに成果が出るコスト削減に対して、付加価値の向上は利益につなげるまでのハードルが高い。結果的に、「まだ見えない商品を新たにつくる」よりも「いま見えているコストを減らす」ほうが取り組みやすいのです」、その通りだ。
・『利益を増やす「第3の道」を探る 利益を増やすためには、「付加価値の向上」と「コストの削減」という2つの方法があることを見てきました。実は、これらとは全く異なる、利益を増やす第3の方法があります。正確にいうと、多くの企業にとって「利益を増やせる可能性が高い」別の方法があるのです。それをお伝えする前に、まずは次の質問にお答えください。 「利益を増やすためには、売上ができるだけ大きくなるように値付けを行うべきである」 この主張は正しいでしょうか、それとも間違っているでしょうか。 先ほどの【利益①】を思い出すと、利益は売上とコストの引き算ですので、売上を最大にすることで利益も最大化されるような気がするかもしれません。しかし、この質問の答えは「間違い」です。その理由を説明するために、【利益①】を、もう少し詳しく書き直してみましょう。それが次の数式になります。 利益 = (価格 − 平均コスト) × 販売量 …【利益②】 この【利益②】は、価格と販売量が明示されているのが大きな特徴です。カッコの中身が商品1つ当たりの利幅(以降は「マージン」と呼びます)で、それにトータルの販売量をかけると利益が求まる、というわけですね。 利益と同様に、売上も価格と販売量のかけ算として次のように表すことができます。 売上 = 価格 × 販売量 …【売上】 一般的に、ほとんどすべての商品は、価格が上がると需要は減ることが知られています。これは「需要法則」と呼ばれ、経済学における最もシンプルかつ普遍的な法則のひとつです。つまり、価格が上がると販売量が減るわけです。これは、【売上】の式において、「販売量の減少に伴うマイナス」を、「価格の上昇というプラス」が上回らない限り、両者のかけ算である売上が増えないことを意味します。 具体的な数値例を用いて考えてみましょう。いま、ある商品の価格を10%上げることで販売量が20%減ったとしましょう。価格が1000円のときには1万個売れていた商品が、価格を1100円に値上げすると8000個しか売れなくなってしまった、という状況をイメージしてください。このとき、売上は1000万円から880万円へと、120万円も減ってしまいます。実に12%減です。売上を増やすという観点からは、値上げは望ましくない状況であることが分かります。 ところが、売上が減る一方で、利益は増える可能性があるのです。これはいったいどういうことなのでしょうか。 いま、商品1個当たりの平均コストが800円だとします。先ほどの【利益②】に、値上げ前と値上げ後の価格、平均コスト、販売量を当てはめて計算すると、利益はそれぞれ次のように求まります。 ・値上げ前の利益 = (1000 − 800)円 × 10000個 = 200万円 ・値上げ後の利益 = (1100 − 800)円 × 8000個 = 240万円 いかがでしょうか。値上げによって利益が200万円から240万円へと、確かに20%も増加していることが確認できるでしょう。一見すると不思議な現象が起きている理由は、マージンの大幅な上昇にあります。値上げ前の200円から値上げ後の300円へと、マージンが一気に50%も増加しているのです。これが、販売量が1万個から8000個へと20%も落ち込んだにもかかわらず、利益が増えたカラクリです。 以上の計算は説明のために用意した架空の数値に基づいたものですが、値上げや値付け(プライシング)の潜在的なパワーを実感された方も多いのではないでしょうか』、「値上げ前の200円から値上げ後の300円へと、マージンが一気に50%も増加しているのです。これが、販売量が1万個から8000個へと20%も落ち込んだにもかかわらず、利益が増えたカラクリです」、確かに「マージン」引上げの効果は大きい。
・『売上か利益か、最大化したいのは? さらに、需要分析からは次のような一般的な教訓も得ることができます。 〈教訓〉利益を増やすためには売上を犠牲にするほど積極的に値上げすべし! もちろん、すでに十分高い価格を付けているような企業は、さらに値上げする必要はありません。また、どの程度の値上げが最適なのかは、企業や商品の置かれた状況によって異なります。 この〈教訓〉のポイントは、仮に値上げを行ったとしても売上が下がらないような価格水準というのは、利益を最大にする価格と比べて例外なく低すぎる、つまり決して最適にならないという点です。この意味で、「利益を増やすためには、強気の値上げが欠かせない」と解釈することもできるでしょう。 ひょっとすると、日本経済がなかなかデフレの罠(わな)から抜け出せない理由のひとつは、こうしたプライシングの重要性が理解されていない、つまり需要分析が多くの企業にとって武器になっていないからかもしれません。 この仮説が正しいかどうかは分かりませんが、自社の製品やサービスが直面している需要を精緻に予測し、プライシング戦略を見直すだけで、(付加価値向上やコスト削減がなくても)利益を改善できる可能性があるのです。 余談ですが、市場に関する公開情報や顧客のデータから需要予測を行っているのが、統計学や計量経済学(エコノメトリクス)を修めたデータサイエンティストたちです。プライシングだけでなく、ウェブサイトのデザインや広告の送り方など、売り方・伝え方を変えたときに潜在的なカスタマーの需要がどう変化するのかを彼らは精緻に分析しています。 近年では、GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)に代表される米国の大手IT企業が、こぞってデータサイエンティストを採用しています。アマゾンでは、経済学博士号をもつ専門家だけでも、100人以上も採用しているといわれています。こうした動きは、需要分析に代表されるデータ分析が、いかに武器として活用されているかを物語っているでしょう』、「仮に値上げを行ったとしても売上が下がらないような価格水準というのは、利益を最大にする価格と比べて例外なく低すぎる、つまり決して最適にならないという点です。この意味で、「利益を増やすためには、強気の値上げが欠かせない」と解釈することもできるでしょう。 ひょっとすると、日本経済がなかなかデフレの罠(わな)から抜け出せない理由のひとつは、こうしたプライシングの重要性が理解されていない、つまり需要分析が多くの企業にとって武器になっていないからかもしれません・・・GAFA・・に代表される米国の大手IT企業が、こぞってデータサイエンティストを採用しています。アマゾンでは、経済学博士号をもつ専門家だけでも、100人以上も採用しているといわれています・・・日本経済がなかなかデフレの罠(わな)から抜け出せない理由のひとつは、こうしたプライシングの重要性が理解されていない、つまり需要分析が多くの企業にとって武器になっていないからかもしれません」、その通りだ。
・『「経済学×ビジネス」で未来は明るい! ここでは、より幅広いビジネスに活用することができる武器として、「需要分析」について、少し大胆に大風呂敷を広げてお話ししました。わたしの専門分野でもあるマーケットデザインでも、あるいはそれ以外の経済学の分野でも、現実のビジネスや生活に役立つサイエンスの蓄積が進んでいます。 人は「よいものさえつくれば自然に売れる」と考えがちです。職人気質が美徳として尊重されている日本では、ことさらこのムードが強いかもしれません。しかし、よいものがつくれても、人に知ってもらわないと世に存在しないのと大差ありません。だから宣伝や広告、マーケティングが大切なわけです。 専門家による研究はその性質上、専門家以外の人が簡単に理解したり、使ったりすることができません。だったら、わたしたち専門家は、受け身で使い手を待っているのではなく、できるだけ使いやすい武器へと加工して、使ってくれる人のところへ、自分から届けに行けばよいと思うのです。 経済学者のみなさん、武器を磨いてビジネスの世界に飛び込んでみませんか? ビジネスパーソンのみなさん、専門家とのコラボを一度はじめてみませんか? 日本で「経済学×ビジネス」のすてきなマッチングが広がることを願っています』、「よいものがつくれても、人に知ってもらわないと世に存在しないのと大差ありません。だから宣伝や広告、マーケティングが大切なわけです。 専門家による研究はその性質上、専門家以外の人が簡単に理解したり、使ったりすることができません。だったら、わたしたち専門家は、受け身で使い手を待っているのではなく、できるだけ使いやすい武器へと加工して、使ってくれる人のところへ、自分から届けに行けばよいと思うのです。 経済学者のみなさん、武器を磨いてビジネスの世界に飛び込んでみませんか? ビジネスパーソンのみなさん、専門家とのコラボを一度はじめてみませんか?」、同感である。
次に、本年2月29日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した慶應義塾大学経済学部教授インタビュー(前編)の小林慶一郎氏による「「失われた30年」を、いかに克服するか」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/339451
・『『日本の経済政策』(中公新書、2024年)は、バブル崩壊から今日までの「失われた30年」の日本経済を精緻に分析し、未来につなぐ教訓を導き出している。『日本経済の罠』(01年)、その増補版文庫(09年、共に加藤創太氏と共著、日本経済新聞出版)と、1990年代から30年間、定期的に日本経済の課題とその処方策を論じてきた著者の小林慶一郎氏に、新書の概要から持続的社会に向けた提言まで幅広く話を聞いた。前編と後編の2回に分けてお送りする(Qは聞き手の質問、Aは小林氏の回答)』、興味深そうだ。
・『経済政策の経緯からみた「日本人の自画像」 Q:『日本の経済政策』は、「失われた30年」の分析を通して、日本経済と社会の根源的課題を明かし、未来に向けた施策を提言する書です。普通の人が読めるように、新書で平易に著されたことも意義深いと思います。また、この間の経済学の発展過程を解説されつつ、通説を覆す論説も興味深く読みました。例えば、1995年ノーベル経済学賞受賞のロバート・ルーカスら合理的期待仮説の学派の人々が、「ケインズ経済学は、政策対象の国民を思考力のある対等な人間とみなしていない」という眼目で批判していると書かれています。イメージは真逆でしたので驚きました。小林教授は、シカゴ大学大学院の院生時代の指導教官がルーカスだったのですね。 A:私は1995年〜98年にシカゴ大学大学院で経済学を学び、PhD.(博士号)を取得したのですが、指導教官がロバート・ルーカスです。ルーカスのパートナーでもあるナンシー・ストーキーやゲイリー・ベッカーからも指導を受けました。ストーキーの専門はマクロ経済学や経済成長論です。ベッカーはミクロ経済学や人的資本(ヒューマン・キャピタル)の理論などが専門で、92年にノーベル経済学賞を受賞しています。私は彼ら3人の指導のもと、人的資本を含めた経済成長の理論を博士論文で書きました(編注:"The Division of Labor, the Extent of the Market, and Economic Growth," (Ph.D. Dissertation), University of Chicago) 本書で示したケインズ経済学への評価は、ルーカスが言ったことではなく、私自身の合理的期待理論の解釈に基づくものです。一般的なイメージは逆ですね。ケインズ経済学は庶民のために財政政策や金融政策を積極的に活用するというイメージで、合理的期待学派は新古典派経済学で市場第一というイメージです。合理的期待学派というと、競争力のない企業は淘汰されても仕方がないというような、人々に対して冷たい印象があると思います。 しかし、実はそうではない、と私は思っています。合理的期待学派は人々がどのように思考しているか、どう経済政策に反応するか、を真剣に考えているのです。 それに対して、教科書に書かれた単純化されたケインズ経済学はその過程を端折っています。教科書的なケインズ経済学で政策を考える論者たちは、「経済政策の対象となる人々」を自分と同じように思考する人間だと見なしていないのです。もちろん意識的にそんなことを言ったりはしませんが、無意識のうちにそういう前提で考えていることが根深い問題なのです。だから結果的に、本書で書いたようないろいろな失敗をしている。政府の政策に対して人々がどう考えるかを突き詰めないという間違いを繰り返しています。 合理的期待理論にも、「人間は完全に合理的だ」と仮定するなど批判されるべき点があることはそのとおりです。しかし、合理的期待学派は、少なくとも何か政策を施行した際に、人々がどう考え、どう反応するかを真剣に見極めようとする姿勢は徹底しているのです。その姿勢が次に論じる「再帰的思考」です。 本書のバックボーンとして、「人々の思考について思考すること」の重要性があります。本書ではこれを再帰的思考という言葉で表しています。簡単に言えば、相手を思いやる、相手の立場になって相手の思考を我がものとして考えようという思考の態度が、再帰的思考です。 「失われた30年」の日本の経済政策の実行において、この再帰的思考ができていなかったというのが私の結論です。不良債権についても、デフレ対策でも、経済政策に国民がどう反応するかを、希望的観測で単純化し、楽観的に考えていた。結果としてそれがことごとく間違いで、反省なく、繰り返されたのだと思います』、「合理的期待学派は、少なくとも何か政策を施行した際に、人々がどう考え、どう反応するかを真剣に見極めようとする姿勢は徹底しているのです。その姿勢が次に論じる「再帰的思考」です。 本書のバックボーンとして、「人々の思考について思考すること」の重要性があります。本書ではこれを再帰的思考という言葉で表しています。簡単に言えば、相手を思いやる、相手の立場になって相手の思考を我がものとして考えようという思考の態度が、再帰的思考です。不良債権についても、デフレ対策でも、経済政策に国民がどう反応するかを、希望的観測で単純化し、楽観的に考えていた。結果としてそれがことごとく間違いで、反省なく、繰り返されたのだと思います」、なるほど
・『「失われた30年」を、いかに克服するか Q:本書の終章が、「縦割り主義から『再帰的思考』へ」という提言になっています。その提言に至る過程が全体で書かれています。そもそも本書の執筆の動機はどこにあったのでしょうか。 A:自分なりに「私たちの時代」の肖像、経済政策の経緯からみた「日本人の自画像」を書いてみたかったのです。 時評は新聞や雑誌で都度発表してきましたが、現時点できちんとまとめてみたいというのが本書の主旨です。自分自身も経済政策の現場にいたことがありますから、その経験も踏まえて、経済政策から見た過去30年を振り返り、私たちの時代は何だったのかを考えたいと思いました。 「失われた30年」の原因を一言で表現すると、「再帰的思考の欠如」になります。再帰的思考とは前述の通り、他者の思考を自分自身が思考する、他者になり切って思考すること。さらに、自分と他者の両者が互いの思考を読み合っていることを知っていて、「私が考えている、と相手が知っていて、相手が知っていることを私が知っていて、さらにそのことを相手が知っている……」という無限ループが起きていること、それを認識した上で意思決定することです。この再帰的思考が、日本の政策の議論には欠落しているのではないかと思うのです』、「再帰的思考とは前述の通り、他者の思考を自分自身が思考する、他者になり切って思考すること。さらに、自分と他者の両者が互いの思考を読み合っていることを知っていて、「私が考えている、と相手が知っていて、相手が知っていることを私が知っていて、さらにそのことを相手が知っている……」という無限ループが起きていること、それを認識した上で意思決定することです。この再帰的思考が、日本の政策の議論には欠落している」、なるほど。
・『最大の失敗は不良債権処理の先送り Q:第5章で、そこまでの章をまとめる形で、「失われた30年」の要因を集約していますが、個々の要因における再帰的思考の欠如について具体的に教えてください。 政策の失敗は30年間で約10〜15年間ごとに現出し、企業経営の課題と複合して、日本経済の長期停滞をもたらしたと思います。 最大の失敗は、1990年代〜2005年と15年間もかかった不良債権処理の遅れです。バブル崩壊による巨額の不良債権問題は、世界各地で起きていますが、他国では通常3年程度で処理されています。 日本での長期化要因は、経営者や為政者の課題先送り意識や慣行にあります。当時、債権者の銀行には「不良債権処理=債権放棄=銀行員失格」、債務者の経営者には「倒産=清算=企業の死」の観念が固まっていて、それを回避したかった。いずれ株価や地価が回復して解決できると思い込み、対応先送りで自分たちは逃げ切れるという姿勢でした。 銀行は債権の一部放棄によって回収額が増える可能性があるとか、企業経営者は倒産後の事業再生や新事業育成で成長を回復するという発想がありませんでした。為政者も同様の精神構造で、有効な政策実施を怠りました。 市場の圧力などから、銀行や証券会社が経営破綻に追い込まれ、その度ごとのびぼう策により、日本経済全体の成長力が失われていきました。この点において、第二の政策失敗があります。過剰債務等で疲弊した企業の金利負担を軽くする金融緩和を長期継続し、低収益性企業の存続を支援しましたが、これは社会全体として一時的な痛み止めになる一方、経済の新陳代謝を妨げ、成長を抑制することになりました。企業は、リストラが回避できても、設備投資や人材育成投資を行えず、日本全体で人的資本の劣化につながりました。 Q:いわゆる「ゾンビ企業」を多く生み出したことで、日本全体での新陳代謝が抑制されてしまったのですね。 A:本書第1章で詳述しましたが、その帰結としての「不良債権処理の後も、長期停滞が続いた理由」を最後にまとめました。「企業間分業の萎縮」と「人的資本の劣化」です。 そのメカニズムは、(1)不良債権の大量発生による企業間の相互不振で、企業間の分業が崩れ、生産性が低下する。(2)低生産性の下で、教育や技術向上など人への投資が低調になり、人的資本が劣化する。(3)不良債権処理が長引いて、人的資本が相当程度に劣化すると、企業間で元通りに分業しても採算性が取れなくなるので、企業はサプライチェーンを再生しない。(4)企業間分業が再生しなければ、経済全体で低生産性が続き、人的資本の劣化が進む。人的資本の劣化が進むと、企業間分業は採算が取れないので再生しない、という悪循環が続く、というものです。 2010年代には、異次元緩和による金利負担の長期低減で、財政規律が緩み、政府債務は膨らみ続けます。企業においては、アニマルスピリットを衰退させ、イノベーションを阻害しました。本書に書きましたが、2021年頃から「低金利政策の長期化は、経済成長率を低下させる」という研究が海外を中心に増えています。 また、人口減少と超高齢化という人口動態も、長期経済低迷の背景にあります。少子・高齢化が進む中で財政・社会保障制度の持続性に国民全体が不安を感じ、貯蓄性向を高めます。多少景気が回復しても、消費を増やそうとは考えません。 Q:2001年に小林教授が加藤創太氏(現在、東京財団政策研究所研究主幹)と共に著した『日本経済の罠』(日本経済新聞社)では、それまでの「失われた10年」を分析しています。同書ではすでに、既存の経済理論や経済政策の限界を示し、「不良債権問題の経済学」「バランスシートの罠」という章を設けて詳述していますが、日本の為政者には受け入れらなかったのでしょうか。 当時の経済学や政策決定過程に限界がありました。過去の失敗の蓄積が将来に影響するという体系になっていなかった。1990年代末になって、ようやくマクロ経済学にバランスシートの要素が入って、過去の失敗の蓄積が将来に影響するという問題を分析できるようになりました。 それ以前は、バランスシート変数の問題に着目したマクロ経済学の研究は、ベン・バーナンキ(プリンストン大学教授、後に米国連邦準備制度理事会(FRB)議長、2022年ノーベル経済学賞受賞)による1930年代の大恐慌の研究などごく少数でした。バーナンキの83年の論文では、大恐慌の悪化原因は、貨幣量の収縮にあるという通説だけではなく、銀行危機で銀行から企業等への信用供与が機能不全となったことで総需要が収縮したことにあると論じています。しかし当時この理論はメジャーではなく、その後、洗練され、99年になって標準的なマクロ経済政策の分析ツールとして認められるようになります。 日本が不良債権で苦しんでいた1990年代初頭にはそういう理論はありませんでした。当時の教科書にあるケインズ経済学ではとにかく財政出動、金融緩和で経済を刺激すれば、景気はそのうち回復すると考えられていたのです。実際、そうした経済対策を展開しました。不良債権処理は確かにやるべきことだが、経済政策とは違うというイメージでした。大問題ではあるけれども、それ自体は経済の先行きにさほど影響を与えないんじゃないかという考えを、当時の経済学者や為政者は持っていたと思います。 Q:2000年以前に私たちが学んだケインズ経済学では、景気悪化時には、中央銀行が低金利政策を実施し、0%近くまで下げても民間投資が動き出さない「流動性の罠」に陥ったら、政府が積極的な財政政策を発動するのが良いと言うものでした。 A:流動性の罠についてはちょっと難しい問題があります。日本の場合、ゼロ金利政策を実施したのが1999年で、流動性の罠に陥ったのがこの頃でした。しかし、財政政策はそれまでに限界まで実施していて、これ以上の財政拡大の余地がないというコンセンサスになっていたと思います。経済理論では、流動性の罠に陥ったら、金融緩和は効かないから財政拡大するということになっていますが、現実には財政は出し尽くしていたので、次に打つ手がない状態だったのです。 そこに、「将来見通しの期待を変える」「インフレ期待を作れば大丈夫」という新しい理論が出てきた。それが、いわゆる「リフレ派」の理論です。それまでのケインズ経済学の教科書には書いていないことを唱えた新しい学派です。 Q:本書第2章で詳述されているように、1998年頃の日本経済については、ポール・クルーグマン(当時マサチューセッツ工科大学教授、2008年にノーベル経済学賞受賞)も、「期待を操作すれば良い」と提言していました。 A:クルーグマンは、日本経済は縮小していくと予想し、その予想のもとでは自然利子率(需要と供給が一致する利子率)はマイナスになっていると主張しました。クルーグマンの議論は、日本経済の長期縮小は受け容れた上で、足下の需要と供給が一致するようにさせるために、将来のインフレ期待(予想)を醸成し、現実の金利をマイナスの自然利子率に近づけて、需要喚起を促す策を提言していました。 2000年くらいまでにはバランスシート問題が米国では認識されていたけど、次善の政策として、リフレのような、期待に働きかけることが有効だと思われていました。不良債権処理は社会全体に大きな痛みを伴うので、アカデミズムから政策提言として不良債権処理の推進案はあまり出てきませんでした。期待に働きかけるリフレ案のほうが誰も傷つけず、痛みを伴わないので、そちらの方が言いやすかったのです。 実際、欧米においても、リフレ政策が望ましいということで、2008年のリーマンショック、10年代の欧州債務危機でも、大規模に金融を緩和しました。ただし、それによって期待が変わったかどうかという点はまだ論争が続いています。理論的に必ず期待を変えられるとは言い切れていません。どんどん金融緩和をやって量的緩和とかフォワードガイダンスをやれば、何がしかインフレ的になるということは各国で経験したけれども、それは政策が効いたからかどうか、疑問視する研究者もいます』、「不良債権処理は社会全体に大きな痛みを伴うので、アカデミズムから政策提言として不良債権処理の推進案はあまり出てきませんでした。期待に働きかけるリフレ案のほうが誰も傷つけず、痛みを伴わないので、そちらの方が言いやすかったのです。 実際、欧米においても、リフレ政策が望ましいということで、2008年のリーマンショック、10年代の欧州債務危機でも、大規模に金融を緩和しました。ただし、それによって期待が変わったかどうかという点はまだ論争が続いています」、なるほど。
・『自然利子率を与件としてはいけない 潜在成長率を高める施策こそ必要 Q:日本では長期間デフレの状態が続いています。本書の第2章「長期化するデフレ」ではその点を論じています。 先日(2024年2月14日)、日本経済新聞の「経済教室」で「政策で期待は操作できたか」というコラムを書きましたが、日本における金融政策と経済変化を見ると、「中央銀行(日本では日本銀行)の約束だけでは期待は動かしにくい」と私は考えています。 日本全体の潜在成長力をフルに発揮させられる金利、つまり総需要と総供給が一致する自然利子率と呼ばれる金利(中立金利)は、年々下がってきています。前述の通り、90年代の終わりからマイナスにある、という人もいました。GDP(国内総生産)が年々縮小しているということです。 この場合、日銀が名目金利をゼロにしても、インフレ率が0%ぐらいだと、実質金利は中立金利より高くなってしまい、国民は将来に備えて貯蓄に走ってしまいます。それを防ぐため、政策でインフレを起こして実質金利を中立金利になるまで下げるべきだというのがリフレ派のロジックです。 政策金利はすでにゼロなので、発行通貨の量を増やしたり、将来にわたってデフレが終息するまで金融緩和を続けることを約束するフォワードガイダンスなどを実施したりしたわけです。これらの金融政策は従来のものではなかったので、「非伝統的政策」と呼ばれています。 将来の金利やインフレに関しての、国民の期待を、政策によって操作しようという考え方です。しかし、繰り返しますが、日本では当局の思惑通りには、すぐに期待は変化しなかった。こうした経済理論と現実の関係は、本書で詳述しました。 Q:本書第2章は、「何が問題だったのか――リフレ政策の副作用」という節で結んでいます。 要は、政策で何を直したいのか、だと思います。当時のデフレ論争ではここがとても狭く捉えられていました。具体的には、「自然利子率(中立金利)は与えられたもの、所与の条件と考えた上で、需要と供給を一致させるためにどんな金融政策をとるべきか」に論争が終始していました。 本来は、自然利子率が低すぎるのであれば、それを高めるために、中長期的にどういう政策を打つかを考えるべきです。それは日本の経済成長率を長期的に高める構造改革をすることです。構造改革による長期成長をメインの政策として、それとセットで短期的な需要と供給をなるべく一致させるような金融・財政政策を補助的に実施する。このように、経済の全体像および中長期的な視点から経済政策を考えるべきだと思います。 Q:自然利子率を高めるには、日本全体の成長性を高める。人口減少下の日本では、生産性を高める政策が望まれるということになるのでしょうか。 A:そうですね。ここまでの話の流れで言えば、日本全体の新陳代謝を高めていくことです。例えば、収益性の高い企業がその成長に必要な人材を確保できるように政策的に促すことです。低生産性の企業が退出や人材放出を行いやすい制度や環境を整えるとか、もっと人材移動が活発化するような法整備を確立するとか、金融面でそうした新陳代謝を促すことなどです。 個人のリスキリングによる生産性向上はすでに行われていますが、社会保障制度の面で将来不安をなくして、転職や消費行動が活性化していく制度設計は大切ですね。 同じく動き始めているDX(デジタル・トランスフォーメーション)やGX(グリーン・トランスフォーメーション)についても、しっかりと結実するように政策のバックアップが必要です。ただ、財政支出がさらに相当必要なため、今日、最も重要な財政の健全化との両立が難しく、その方法を私自身見出せていないので、本書では言及しませんでした。 *明日公開の後編では、世界金融危機の分析、日本の財政危機と対処策、将来に向けた施策の提言をお伝えします。 (小林慶一郎・・・氏の略歴はリンク先参照)』、「日銀が名目金利をゼロにしても、インフレ率が0%ぐらいだと、実質金利は中立金利より高くなってしまい、国民は将来に備えて貯蓄に走ってしまいます。それを防ぐため、政策でインフレを起こして実質金利を中立金利になるまで下げるべきだというのがリフレ派のロジックです。 政策金利はすでにゼロなので、発行通貨の量を増やしたり、将来にわたってデフレが終息するまで金融緩和を続けることを約束するフォワードガイダンスなどを実施したりしたわけです。これらの金融政策は従来のものではなかったので、「非伝統的政策」と呼ばれています。 将来の金利やインフレに関しての、国民の期待を、政策によって操作しようという考え方です。しかし、繰り返しますが、日本では当局の思惑通りには、すぐに期待は変化しなかった・・・日本全体の新陳代謝を高めていくことです。例えば、収益性の高い企業がその成長に必要な人材を確保できるように政策的に促すことです。低生産性の企業が退出や人材放出を行いやすい制度や環境を整えるとか、もっと人材移動が活発化するような法整備を確立するとか、金融面でそうした新陳代謝を促すことなどです」、なるほど。
第三に、3月1日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した小林慶一郎・慶應義塾大学経済学部教授インタビュー(後編)「持続可能な社会に必要な、「新しい公共哲学」とは何か?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/339538
・『『日本の経済政策』(中公新書、2024年)は、バブル崩壊から今日までの「失われた30年」の日本経済を精緻に分析し、未来につなぐ教訓を導き出している。『日本経済の罠』(01年)、その増補版文庫(09年、共に加藤創太氏と共著、日本経済新聞出版)と、1990年代から30年間、定期的に日本経済の課題とその処方策を論じてきた著者の小林慶一郎氏に、新書の概要から持続的社会に向けた提言まで幅広く話を聞いた。前編に続く後編は、今日の日本社会に求められる「新しい公共哲学」へと話は展開する』、興味深そうだ。
・『シャドーバンクなどに新たな危機の懸念がある Q:金融危機発生後の対処で、日本の失敗を米国は研究し、リーマンショック対応に生かしたのでしょうか。 米国の学者や為政者は、日本の失敗を十分に研究していました。その研究から、金融危機に陥った際の政策対応は、Too little(小さ過ぎる)や Too late(遅過ぎる)では最悪になるとわかっていたので、迅速な対応ができました。 リーマンショックは、証券化商品の健全性が問題になりました。証券化商品は金融市場で値付けされるので、返済困難になった債務に基づく証券化商品は価格が暴落し、それを資産に持つ金融機関の損失が早期に明らかになりました。 一方、日本では、銀行が個々の取引先への貸出債権としてバランスシートに抱えていたので、償却という形で自ら損失計上するまで隠すことができました。個々の経営判断で問題の先送りができ、監督官庁が全体像を容易に把握できず、政策対応が遅れました。また、どの銀行がどれだけの不良債権を持ち、どの企業がいくらの過剰債務を抱えているかがわからず、信用不安が広がった面もありました。 バブル崩壊による多額の不良債権の発生で、金融機関のバランスシートが痛み、信用創造機能が低下し、国全体が金融危機に陥るという構図は日本も米国も同じだったのですが、直接金融の比重が大きい米国では発覚が早く、日本の失敗を教訓にして、スピーディな対応で、早期に課題を解決したということです』、この他に、「日本の」会計基準の遅れも「発覚」を遅らせた。
・『持続可能な社会に必要な、「新しい公共哲学」とは何か? Q:米国は、リーマンショックやコロナ禍では果敢に金融緩和を行い、割合と早期に経済が回復しました。一方で、FBR(連邦準備制度理事会)は経済が過熱する懸念があると、金利を上げてそれを抑えるなど、金融政策は柔軟です。また近年、先進国全般に低成長・低インフレ傾向にある中で、米国は現状において金利水準は高めで、FRB元議長のベン・バーナンキは『21世紀の金融政策』(高遠裕子訳、2023年、日本経済新聞出版)で、万が一、経済ショックが起きても、大幅な金融緩和で対処する金利水準での余裕があると書いています。それでも、何が起きるかわからないことを留意しています。 規制体制が十分でないセクター、例えばシャドーバンク(編注:ノンバンクやヘッジファンドなど、証券化のための特別目的事業体など銀行を介さないで金融取引する機関)などに懸念はあると思います。中国における不動産融資の不良債権化などが一例です。 銀行などで問題が起きた際、自己資本比率など規制を厳しくして、次の危機が起きないように備えても、その規制にかからないシャドーバンクを通しての資金調達が拡大するなど、規制強化と新しいビジネスの台頭はイタチごっこのような関係です。リスクをとって、より収益性の高い運用を行う動きは常にあるからです。日本でも、現時点では私たちが気づいていないだけで、伝統的な金融機関の外で問題が蓄積している可能性はあります。 危機に対する経済理論においても、危機防止の規制などの政策においても、まだまだわからない部分があり、私たちは慢心してはいけない。この点は、本書第3章「世界金融危機」の後半で、一連の危機とその対応からの教訓として現時点の考え方をまとめました。 気をつけていても、いつの間にか危機は起こりえます。その際には、問題のある金融機関を見つけて公的資金を注入するとか、不安が広がらないように流動性を高めるとか、思い切った経済政策を展開することです。この点は、地震やコロナ禍など天災発生時の対策と同じです。非常時には、国の借金が増えても、即時かつ十分に対応しないといけない。 Q:第5章後半で、低金利長期化の副作用を指摘しています。日本の金融政策の正常化は今後どのような手順で進めていくべきでしょうか。 A:数カ月で0.25%、数年で1%というように段階的に市場の反応を見ながら、金利を上げていく。将来のクレディブルな経路を示すことです。信頼できる将来像でないと、いくら政府や日銀が将来のバラ色の姿を示しても、意味がありません。 Q:少しインフレ傾向が出てきたからといって、日本銀行が即座に金融緩和をやめてしまったら、それまで言い続けてきた約束を守らないということになるのですね。 A:日銀は、「フォワードガイダンスの条件をクリアしたので政策を変更していいのだ」という明確な理由をきちんと提示できるまでは、現状の政策を続けるだろうと思います。今、そのデータを集めているところだと思います。 この点も本書で書きましたが、「時間整合性」の問題があるのです。デフレの時には物価上昇が安定的に続くまで金融緩和をやめませんと約束するのが最適ですが、インフレになってしまうと、なるべく早めに金融引き締めに移ることが最適な政策になります。事前と事後で、最適な政策が異なるという時間整合性の問題があるのです。市場の信用を失わないように、政策を変更するというのが、今、日銀が直面している最大の難関だと思います』、「「時間整合性」の問題があるのです。デフレの時には物価上昇が安定的に続くまで金融緩和をやめませんと約束するのが最適ですが、インフレになってしまうと、なるべく早めに金融引き締めに移ることが最適な政策になります。事前と事後で、最適な政策が異なるという時間整合性の問題があるのです。市場の信用を失わないように、政策を変更するというのが、今、日銀が直面している最大の難関だと思います」、その通りだ。
・『エレファント・イン・ザ・ルーム 財政危機は放置されている Q:未来に向けた提言となる本書第6章「日本経済のゆくえ」では、最初に、財政赤字の現状と将来予想を示しています。現状は「国の歳出が歳入を構造的に上回っている。景気が良くなっても財政赤字は無くならない」。将来予想は「2014年の財政制度等審議会で財務省が提出した資料(図表1参照)をもとに、経済成長率2%程度で金利が成長率を上回る経済の正常化が果たされたとしても、国の債務はGDP比で2020年240%(2.4倍)が、2050年には500%(5倍)を優に超える(図の青色の線)」ことが示されています』、「経済成長率2%程度で金利が成長率を上回る経済の正常化が果たされたとしても、国の債務はGDP比で2020年240%(2.4倍)が、2050年には500%(5倍)を優に超える」、やはり財政赤字は深刻だ。
・『持続可能な社会に必要な、「新しい公共哲学」とは何か? 債務問題の解決は、長期的に、歳出と歳入をバランスさせていくしかありません。図では、「毎年の財政収支を改善して2060年度に債務比率を100%まで下げるケース(図の赤色の線)」を財政再建案として示していますが、これを実現するには毎年の歳出(国家予算)を70%削減するか、歳入の大幅な増加、例えば消費税率で計算すると追加約30%の引き上げが必要になります。実行となると、とてもハードルの高い解決策です。 財政再建のための方法は、歳出削減、歳入増、あるいはインフレによる事実上の債務削減(その分の国民負担増)があり、財政再建に向けたいくつかの研究を本書では紹介しました。たたし、いずれにしても、今すぐには政治的に実現不可能なので、まずは国全体で財政再建を実現しようというコンセンサスを早急に作らなければいけません。 財政あるいは社会保障制度の持続性については、多くの人が不安を感じています。しかし、現状においては、何もやっていない。いわゆる「エレファント・イン・ザ・ルーム」という状況です(注:エレファント・イン・ザ・ルームとは、部屋の中に大きな象がいるのにみんな黙っているという状態。重要な問題の存在を誰もが認識しているけれど、誰も直視や言及しないことの譬え)。 実は、1990年代の不良債権と、今日の膨大な政府債務への国民の向き合い方は同じです。ある程度の期間は、問題の先送りができるので、今、課題に向き合うべき現在世代は先送りしようとするのです』、「財政あるいは社会保障制度の持続性については、多くの人が不安を感じています。しかし、現状においては、何もやっていない。いわゆる「エレファント・イン・ザ・ルーム」という状況です」、本当に困ったことだ。
・『世代間問題を解くための新しい公共哲学 Q:現在世代が財政再建を先送りすれば、そうしなかった場合に比べて、将来世代の負担が重くなるという類の「世代間問題」や、その問題を克服する思考について、小林教授は『時間の経済学』(ミネルヴァ書房、2019年)で論考を深めていて、それに基づく解決アプローチ案のいくつかが、本書第6章の後半で提示されています。 将来世代のことを考えて政策を作ることを当たり前のことにするのが理想なのですが、まず今やれそうなことの1つとして、独立財政機関の導入を挙げています。関西経済連合会や経済同友会などいくつかの組織から、すでに提言は出ているものです』、「独立財政機関の導入」とはどういうことなのだろう。
・『持続可能な社会に必要な、「新しい公共哲学」とは何か? 独立財政機関とは、30〜50年先などの超長期の将来までの経済・財政の展望を推計し、その結果を財政運営の基礎情報として国民や政府に公開する機関です。推計の信頼性確保のため、政治的な中立性と独立性を保証します。内閣府や財務省などの既存官庁は、政権のために働くことが任務のため、どうしても忖度が働くので、独立機関が必要なのです。 米国の議会予算局や英国の予算責任庁などが代表例です。2010年代に世界で創設が増え、現在のOECD加盟38カ国のうち31カ国で設置されています。増加の背景には、欧州の債務危機があります。2010年代初めギリシャなどで放漫な財政運営が発覚し、欧州債務危機が広がりました。このことを反省し、EUは、長期的な健全財政のために独立財政機関を作ることを加盟各国に求めるEU指令を13年に出しました。 21世紀における独立財政機関の創設の動きは、19世紀末〜20世紀初頭における中央銀行の設立の流れと同様だと思います。当時は大恐慌など経済混乱が各国で何度も発生し、金融の面から安定化を図るべく中央銀行が各国に設立されていきました。以降、景気変動はそれ以前ほどには激しくなっていない。今日の独立財政機関の設立の動きは、財政面での経済不安定化の防止策と言えます。 Q:『時間の経済学』では、現在世代と次世代の利害が対立する世代間問題を、いかに克服したらいいかを探っています。それは財政危機だけでなく、人類が直面する最大危機である地球温暖化なども同様の、これまでとは「構造」が異なる問題です。例えば、課題解決の意思決定に参加できる仕組みとして正当性が確立されてきた現状の議会制民主主義では、世代間問題の当事者である次世代の意見は原理的には反映されない、と指摘されています。そこで、ロールズ、ハイエク、アーレント、ヨナス、ポーコック、サンデルなど現代の政治哲学者たちの思想を展望し、解決の方向性を提示されています。 その内容をこのインタビューで説明するのは時間的に難しいですが、経済成長を前提としたリベラリズムという近現代の思考のままでは、世代間問題は解決できないので、私たちは何か新しい公共哲学を持たなければいけないというのが提言です。新しい公共哲学を持った上で、国を運営し、政策を立てて行く必要があるということです。 功利主義に基づく現代の経済学では、人間は完全に利己的ではなく、弱い「利他性」を持っていると考えます。また、アダム・スミスは、「共感」の作用によって道徳感情の基準(内なる公平な観察者)が形成されるとして、人々の相互作用による人格形成の過程に注目しました。この共感の作用を世代間問題の解決に活用すれば、将来世代に対する利他性を、現在世代の人々の間の共感によって強化することができるはずだと考えます。 前述の独立財政機関や、さらには将来世代の利益を代表することを職務とする公的機関を創設すれば、世間一般からの共感や構成員相互の共感によって、将来世代の利益を増進する方向で、政策決定に影響を与えられるでしょう。 また、この相互作用は、今日しばしば使われる言葉で言えば「承認欲求」につながるでしょうか。私たちが経済を含めていろいろな活動をする際に、そのモチベーションは何かを突き詰めて考えていくと、他者に自分を認めてもらいたいという要素が強いと思うのです。人生の充足感は、承認欲求に根ざす部分が多いものです。 その際に、自分を承認してくれる他者は誰か。自分の周囲の人から承認されることで私たちは満足を得るわけですが、なぜ周囲の人からの承認が価値を持つかと考えると、私たちを承認してくれる人も、だれかから承認されているから、といえます。 私を承認してくれる人は、別の誰かから承認されていて、その誰かもまたさらに別の誰かから承認されています。この連鎖をたどっていくと、現在世代の枠を超えて、究極的には「無限遠の将来世代からの承認」に行きつきます。遠い未来の将来世代から現在の私たちが承認される(だろう)という信念が、私たちの人生に価値を与えていると言えるわけです。こう考えると、現在世代の相互共感を通じて、将来世代のことも深く考えるようになると思うのです。こうした新しい公共哲学を考えたいのです。 短期的には、現在世代の利害関係者(ステークホルダー)や政治から独立し、将来世代の視点を持つ中立的な公的機関の創設が必要であり、長期的には、そうした活動に対する社会全体のコンセンサスを支える公共哲学を確立していくべきだと思うのです。 Q:最後に、中長期的に進めていくべき施策を、国、企業、個人それぞれ、教えてください。 国の施策としては、将来の見通しを持てるように、信頼できる将来像を示すことです。具体的には、財政と社会保障の持続性です。国民をごまかさないで、国民の反応を自分事として想像する、再帰的思考が必要です。 一方で、イノベーションのためには、政府による大型投資も必要です。この点は、財政支出との整合性が問われます。どのような答えを出せるのか、難問で、私自身も即答できませんが、なんとか両立したいところです。 企業の施策としては、30年先、50年先の未来の社会をイメージし、そこからバックキャストして今するべき事業の意義を再確認すること。フューチャー・デザインを経営で実践するということです。考え抜いた末に、もし現状の事業に将来性がないという結論に至ったならば、早く企業を解散する道筋を考えることも経営者の責務です。 個人の施策としては、将来世代の視点を自分のものにして考えることです。すると、将来世代からの感謝や承認がなければ、現代の私たちの人生に生きる意味を見つけられない、となるのではないでしょうか。他者の承認をたどっていくと、無限遠の未来の将来世代からの承認によって、私たちの人生の価値は支えられているという考えにいたるはずです。(了)』、「独立財政機関とは、30〜50年先などの超長期の将来までの経済・財政の展望を推計し、その結果を財政運営の基礎情報として国民や政府に公開する機関です。推計の信頼性確保のため、政治的な中立性と独立性を保証します。内閣府や財務省などの既存官庁は、政権のために働くことが任務のため、どうしても忖度が働くので、独立機関が必要なのです。 米国の議会予算局や英国の予算責任庁などが代表例です・・・経済成長を前提としたリベラリズムという近現代の思考のままでは、世代間問題は解決できないので、私たちは何か新しい公共哲学を持たなければいけないというのが提言です。新しい公共哲学を持った上で、国を運営し、政策を立てて行く必要があるということです。 功利主義に基づく現代の経済学では、人間は完全に利己的ではなく、弱い「利他性」を持っていると考えます。また、アダム・スミスは、「共感」の作用によって道徳感情の基準(内なる公平な観察者)が形成されるとして、人々の相互作用による人格形成の過程に注目しました。この共感の作用を世代間問題の解決に活用すれば、将来世代に対する利他性を、現在世代の人々の間の共感によって強化することができるはずだと考えます」、我が国では、既存の公務員組織とは別に、独立の組織を、財界や労組などを中心に設立することが考えられる。独立性を如何に維持するか、極めて難しい問題だ。
タグ:経済学 (その6)(アマゾンが経済学の博士を100人雇う理由、「失われた30年」を いかに克服するか、持続可能な社会に必要な 「新しい公共哲学」とは何か?) 日経ビジネスオンライン 日本企業が「直感」「場当たり的」「劣化コピー」「根性論」に頼った経営を進めているのは、本当に残念だ。 「付加価値の創造というのは、コストを下げる場合と違って、利益の改善までに時間がかかり、不確実性も高いのです。付加価値と利益との間には、この意味で大きなギャップがあることが分かります。 言い換えると、すぐに成果が出るコスト削減に対して、付加価値の向上は利益につなげるまでのハードルが高い。結果的に、「まだ見えない商品を新たにつくる」よりも「いま見えているコストを減らす」ほうが取り組みやすいのです」、その通りだ。 「値上げ前の200円から値上げ後の300円へと、マージンが一気に50%も増加しているのです。これが、販売量が1万個から8000個へと20%も落ち込んだにもかかわらず、利益が増えたカラクリです」、確かに「マージン」引上げの効果は新たかだ。 「仮に値上げを行ったとしても売上が下がらないような価格水準というのは、利益を最大にする価格と比べて例外なく低すぎる、つまり決して最適にならないという点です。この意味で、「利益を増やすためには、強気の値上げが欠かせない」と解釈することもできるでしょう。 ひょっとすると、日本経済がなかなかデフレの罠(わな)から抜け出せない理由のひとつは、こうしたプライシングの重要性が理解されていない、つまり需要分析が多くの企業にとって武器になっていないからかもしれません・・・GAFA・・ に代表される米国の大手IT企業が、こぞってデータサイエンティストを採用しています。アマゾンでは、経済学博士号をもつ専門家だけでも、100人以上も採用しているといわれています・・・日本経済がなかなかデフレの罠(わな)から抜け出せない理由のひとつは、こうしたプライシングの重要性が理解されていない、つまり需要分析が多くの企業にとって武器になっていないからかもしれません」、その通りだ。 「よいものがつくれても、人に知ってもらわないと世に存在しないのと大差ありません。だから宣伝や広告、マーケティングが大切なわけです。 専門家による研究はその性質上、専門家以外の人が簡単に理解したり、使ったりすることができません。だったら、わたしたち専門家は、受け身で使い手を待っているのではなく、できるだけ使いやすい武器へと加工して、使ってくれる人のところへ、自分から届けに行けばよいと思うのです。 経済学者のみなさん、武器を磨いてビジネスの世界に飛び込んでみませんか? ビジネスパーソンのみなさん、専門家とのコ ラボを一度はじめてみませんか?」、同感である。 ダイヤモンド・オンライン 慶應義塾大学経済学部教授インタビュー(前編)の小林慶一郎氏による「「失われた30年」を、いかに克服するか」 「合理的期待学派は、少なくとも何か政策を施行した際に、人々がどう考え、どう反応するかを真剣に見極めようとする姿勢は徹底しているのです。その姿勢が次に論じる「再帰的思考」です。 本書のバックボーンとして、「人々の思考について思考すること」の重要性があります。本書ではこれを再帰的思考という言葉で表しています。簡単に言えば、相手を思いやる、相手の立場になって相手の思考を我がものとして考えようという思考の態度が、再帰的思考です。不良債権についても、デフレ対策でも、経済政策に国民がどう反応するかを、希望的観測で単純 「再帰的思考とは前述の通り、他者の思考を自分自身が思考する、他者になり切って思考すること。さらに、自分と他者の両者が互いの思考を読み合っていることを知っていて、「私が考えている、と相手が知っていて、相手が知っていることを私が知っていて、さらにそのことを相手が知っている……」という無限ループが起きていること、それを認識した上で意思決定することです。この再帰的思考が、日本の政策の議論には欠落している」、なるほど。 「不良債権処理は社会全体に大きな痛みを伴うので、アカデミズムから政策提言として不良債権処理の推進案はあまり出てきませんでした。期待に働きかけるリフレ案のほうが誰も傷つけず、痛みを伴わないので、そちらの方が言いやすかったのです。 実際、欧米においても、リフレ政策が望ましいということで、2008年のリーマンショック、10年代の欧州債務危機でも、大規模に金融を緩和しました。ただし、それによって期待が変わったかどうかという点はまだ論争が続いています」、なるほど。 「日銀が名目金利をゼロにしても、インフレ率が0%ぐらいだと、実質金利は中立金利より高くなってしまい、国民は将来に備えて貯蓄に走ってしまいます。それを防ぐため、政策でインフレを起こして実質金利を中立金利になるまで下げるべきだというのがリフレ派のロジックです。 政策金利はすでにゼロなので、発行通貨の量を増やしたり、将来にわたってデフレが終息するまで金融緩和を続けることを約束するフォワードガイダンスなどを実施したりしたわけです。 これらの金融政策は従来のものではなかったので、「非伝統的政策」と呼ばれています。 将来の金利やインフレに関しての、国民の期待を、政策によって操作しようという考え方です。しかし、繰り返しますが、日本では当局の思惑通りには、すぐに期待は変化しなかった・・・日本全体の新陳代謝を高めていくことです。例えば、収益性の高い企業がその成長に必要な人材を確保できるように政策的に促すことです。低生産性の企業が退出や人材放出を行いやすい制度や環境を整えるとか、もっと人材移動が活発化するような法整備を確立するとか、金融面でそう した新陳代謝を促すことなどです」、なるほど。 小林慶一郎・慶應義塾大学経済学部教授インタビュー(後編)「持続可能な社会に必要な、「新しい公共哲学」とは何か?」 この他に、「日本の」会計基準の遅れも「発覚」を遅らせた。 「「時間整合性」の問題があるのです。デフレの時には物価上昇が安定的に続くまで金融緩和をやめませんと約束するのが最適ですが、インフレになってしまうと、なるべく早めに金融引き締めに移ることが最適な政策になります。事前と事後で、最適な政策が異なるという時間整合性の問題があるのです。市場の信用を失わないように、政策を変更するというのが、今、日銀が直面している最大の難関だと思います」、その通りだ。 「経済成長率2%程度で金利が成長率を上回る経済の正常化が果たされたとしても、国の債務はGDP比で2020年240%(2.4倍)が、2050年には500%(5倍)を優に超える」、やはり財政赤字は深刻だ。 「財政あるいは社会保障制度の持続性については、多くの人が不安を感じています。しかし、現状においては、何もやっていない。いわゆる「エレファント・イン・ザ・ルーム」という状況です」、本当に困ったことだ。 「独立財政機関の導入」とはどういうことなのだろう。 「独立財政機関とは、30〜50年先などの超長期の将来までの経済・財政の展望を推計し、その結果を財政運営の基礎情報として国民や政府に公開する機関です。推計の信頼性確保のため、政治的な中立性と独立性を保証します。内閣府や財務省などの既存官庁は、政権のために働くことが任務のため、どうしても忖度が働くので、独立機関が必要なのです。 米国の議会予算局や英国の予算責任庁などが代表例です・・・ 経済成長を前提としたリベラリズムという近現代の思考のままでは、世代間問題は解決できないので、私たちは何か新しい公共哲学を持たなければいけないというのが提言です。新しい公共哲学を持った上で、国を運営し、政策を立てて行く必要があるということです。 功利主義に基づく現代の経済学では、人間は完全に利己的ではなく、弱い「利他性」を持っていると考えます。また、アダム・スミスは、「共感」の作用によって道徳感情の基準(内なる公平な観察者)が形成されるとして、人々の相互作用による人格形成の過程に注目しました。この共感の作用 を世代間問題の解決に活用すれば、将来世代に対する利他性を、現在世代の人々の間の共感によって強化することができるはずだと考えます」、我が国では、既存の公務員組織とは別に、独立の組織を、財界や労組などを中心に設立することが考えられる。独立性を如何に維持するか、極めて難しい問題だ。
民主主義(その9)(日本が独裁国家に転じれば 国民は幸せになれるのかーーネットで増える「民主主義否定論者」が見落としている事実、【歴史】哲学者プラトンが民主主義を嫌悪していた理由【書籍オンライン編集部セレクション】、ロシア・中国が「民主主義は時代遅れ」と公言「“歴史の終わり”から35年後の危機」【フランシス・フクヤマ】) [経済政治動向]
民主主義については、2021年8月23日に取上げた。今日は、(その9)(日本が独裁国家に転じれば 国民は幸せになれるのかーーネットで増える「民主主義否定論者」が見落としている事実、【歴史】哲学者プラトンが民主主義を嫌悪していた理由【書籍オンライン編集部セレクション】、ロシア・中国が「民主主義は時代遅れ」と公言「“歴史の終わり”から35年後の危機」【フランシス・フクヤマ】)である。
先ずは、昨年12月6日付け現代ビジネスが掲載した経済評論家の加谷 珪一氏による「日本が独裁国家に転じれば、国民は幸せになれるのかーーネットで増える「民主主義否定論者」が見落としている事実」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/120266?imp=0
・『全世界的に非民主的な強権国家の影響力が高まっている。強権的な国家はいわゆる民主主義のコストを負担する必要がなく、経済的に有利な状況にある。日本など民主国家の中からも、こうしたコスト負担を嫌悪する意見が散見されるようになっており、事態を放置すれば民主主義の機能不全につながりかねない』、興味深そうだ。
・『「歴史の終わり」は来なかった 一般的に民主国家を維持するにはかなりの負担がかかるとされている。議会を通じて議論を行なったり、政府が政策について国民に十分に説明し、賛同を得てからでなければ政策を実行に移すことができない。強権的な独裁国家と比べて、合意形成のプロセスに相当な時間や人員を必要とするため、一連の負担のことを「民主主義のコスト」と呼ぶ。 これまでの国際社会は、圧倒的に西側民主国家の影響力が強く、経済規模も大きかった。豊かな先進国は総じて民主国家であり、その圧倒的な経済力を生かし、民主主義のコストを負担するという流れだった。 つまり、経済的豊かさと民主主義はセットであり、そうであればこそ民主主義というのはグローバル社会における完成形と見なされていた。 中高年以上で、一定以上の読書経験を持つ人なら、1990年代前半に出版されたフランシス・フクヤマ氏による「歴史の終わり」がベストセラーになったことを記憶しているだろう。フクヤマ氏は米国人でありながら、欧州のオーソドックスな哲学者であるヘーゲルの弁証法を自在に読み解き、民主主義と自由経済が人類の歴史における最終形になるという鮮やかなロジックを展開した。 知的書物としての内容の素晴らしさという点だけでなく、当時は現実社会もフクヤマ氏の主張に沿って動いているように見えた。 旧ソ連は完全崩壊し、残った共産主義の大国である中国は、凄惨な文化大革命を経て改革開放路線にシフト。共産主義の国でありながら、限りなく資本主義的な制度に舵を切り始めており、時間はかかるものの、民主的な体制に移行していくと多くの人が予想していた(おそらくだが中国人自身もそう思っていたかもしれない)。 だが2000年以降、全世界でIT化が進んだことで、状況が一変した』、「フクヤマ氏は米国人でありながら、欧州のオーソドックスな哲学者であるヘーゲルの弁証法を自在に読み解き、民主主義と自由経済が人類の歴史における最終形になるという鮮やかなロジックを展開した。 知的書物としての内容の素晴らしさという点だけでなく、当時は現実社会もフクヤマ氏の主張に沿って動いているように見えた・・・だが2000年以降、全世界でIT化が進んだことで、状況が一変した」、「2000年以降、全世界でIT化が進んだことで、状況が一変した」とはどういうことなのだろう。
・『インフラがなくても経済成長が可能に 以前の社会では経済成長を実現するには、先進国から多額の投資を受け入れ、鉄道や道路など、生活や産業に必須となるインフラをゼロから作り上げる必要があった。 このため外貨による投資の受け入れが成長の絶対要件となり、こうした投資マネーを受け入れるためには、お金の出し手である西側先進国に対して妥協せざるを得なかった。当然のことながら米国を筆頭とする西側各国は、資金の供出と引き換えに民主化と市場開放を強く要求した。 ところが世界の産業が工業からソフトウェア産業、知識産業に移行したことでこうした巨額の投資が不用となり、十分なインフラが存在しない国でも、急激な経済成長が可能となった。 かつて内戦に明け暮れたカンボジアは、独裁政権でありながらめざましい成長を遂げており、最新のITサービスが次々と立ち上がっている。外に出ると、汚い道路はトゥクトゥクと呼ばれる三輪タクシーで溢れかえっているが、そのトゥクトゥクはアプリを使っていつでも呼び出すことができる。 中国は少し前まではハードウェアの製造が主流だったが、アリババに代表されるネット企業群は米国並みの技術力を持つに至っており、一連のソフトウェア産業が近年の高成長を担ってきた。 民主主義の敗北は統計上の数字にも表れている。図1は世界における民主的な国と非民主的な国の人口推移を示したものである。政治体制については英国エコノミストの調査部門であるEIUが算定した民主主義指数を用いており、同指数の6以上を民主的、6未満を非民主的と分類した。 (図1 民主国家と非民主国家の人口推移 はリンク先参照) 民主的に分類される国の人口と、非民主的な国に人口の両者とも増加という状況だが、非民主的な国のシェアは上昇している。これはあくまで人口なので、この数字が直接的に世界に対する影響力を示しているとは限らない。では、同じような指標でGDP(国内総生産)を比較するとどうなるだろうか』、「非民主的な国のシェアは上昇している。これはあくまで人口なので、この数字が直接的に世界に対する影響力を示しているとは限らない。では、同じような指標でGDP・・・を比較するとどうなるだろうか」、なるほど。
・『強権国家の経済的台頭 図2は同様に、民主主義指数おける分類と各国のGDPを示したものである。ここでは、さらに細かい区分を用い「A:完全な民主国家」「B:欠陥のある民主国家」「C:民主制と独裁制の混合体制」「D:独裁国家」という4つで比較した。 (図2 民主主義指数とGDPの推移 はリンク先参照) 経済力という点で比較すると強権国家の台頭は明らかだ。Aの「完全な民主国家」に属する国のGDPはあまり伸びていないが、独裁国家(D)や欠陥のある民主国家(B)のGDPが大幅に伸び、全体での比率を高めている。 中国は完全な独裁国家でありながら、世界で2番目の経済大国であり、特殊な存在とみなすこともできる。むしろ私たちが注目すべきなのは、2番目のカテゴリーである「欠陥のある民主国家」に属する国々である。このカテゴリーには、シンガポールやインドネシア、タイ、ブラジル、インドといった成長著しい新興国が軒並みカテゴライズされている。 人口のみならず、GDPの絶対値という点でもこれらの国々のプレゼンスは大きく、民主主義のコストの是非について深く考えさせられてしまう。 シンガポールは1人あたりのGDPが日本よりも高く、極めて豊かな国として知られているが、1965年にマレーシアからの独立を果たして以降、建国の父と呼ばれるリー・クアンユー氏とその息子であるリー・シェンロン氏が長く首相を務めるなど、独裁的な国家としての側面も併せ持っている。言論の自由も制限されており、民主主義指数は、「欠陥のある民主国家」の中でも最下位に近い。 一方で手厚い教育制度や、子どもに対して優しい社会環境、外国から優秀な人材を積極的に受け入れる人材戦略など、画期的な政策を実施しており、日本からも子どもの教育目的に多くの人が移住している。 特段、政治に関心を持たず、現実問題として子どもによい教育を施したいと考えるビジネスパーソンからすると、日本とシンガポールとでは社会環境に圧倒的に差があり、同国は魅力的な場所に映る』、「経済力という点で比較すると強権国家の台頭は明らかだ。Aの「完全な民主国家」に属する国のGDPはあまり伸びていないが、独裁国家(D)や欠陥のある民主国家(B)のGDPが大幅に伸び、全体での比率を高めている・・・私たちが注目すべきなのは、2番目のカテゴリーである「欠陥のある民主国家」に属する国々である。このカテゴリーには、シンガポールやインドネシア、タイ、ブラジル、インドといった成長著しい新興国が軒並みカテゴライズされている。 人口のみならず、GDPの絶対値という点でもこれらの国々のプレゼンスは大きく、民主主義のコストの是非について深く考えさせられてしまう」、なるほど。
・『非民主化すれば格差は広がる 先ほど取り上げたカンボジアも、2023年5月、野党を弾圧する中で制限選挙が行われ、与党が圧勝。長く独裁者として君臨してきたフン・セン首相は、息子のフン・マネット氏に首相の座を譲るなど、同族支配が続く。 シンガポールやマレーシアなどの国々はかつて「開発独裁」と呼ばれ、経済成長のために国民の人権が犠牲になっているという批判的ニュアンスで語られていた。その実態は今も変わらないが、日本から教育目的で移住する人が増えるなど、状況は大きく変わった。 各国の国内情勢も同じである。シンガポール国内では、一部の民主主義者が体制批判をしているものの、多くの国民は豊かな暮らしを享受している。政権に対して反発することのリスクを天秤にかけると、批判を行うメリットは乏しい。こうした状況は民主主義にとってやはり脅威といえるだろう。 日本国内では、経済の落ち込みで生活が苦しくなっていることが影響しているのか、ネットなどを中心に民主主義を否定する意見が目立つようになっている。民主主義を否定している人たちは、「民主国家では弱者が過剰に保護される」「合意形成のために経済成長が犠牲になる」などと主張している。 民主主義にそうした面があるのは確かだが、ネットで民主主義否定を声高に叫んでいる人たちは重大な事実を見落としている。 もし日本が非民主的な国になった場合、彼らのほとんどは支配する側ではなく、支配される側に回るのは確実である。しかも被支配者側になってしまえば、内容の如何を問わず、政治体制について批判することは即処罰の対象となり、ネット上で自由に意見を言うことなど出来なくなってしまう。 民主主義の弊害を説く人はどういうわけか、(ネットで自分の意見を口にするなど)自分が支配者側にいるような感覚を持っているのだが、それはあくまで願望に過ぎない。 民主主義はコストがかかりすぎると主張するのは簡単かもしれない。しかしながら、ひとたび非民主的な国に転落すれば、万人に門戸は開かれず、特権的な立場の人とそうでない人の、埋めようのない格差が生じるのが偽らざる現実だろう』、「ネットで民主主義否定を声高に叫んでいる人たちは重大な事実を見落としている。 もし日本が非民主的な国になった場合、彼らのほとんどは支配する側ではなく、支配される側に回るのは確実である。しかも被支配者側になってしまえば、内容の如何を問わず、政治体制について批判することは即処罰の対象となり、ネット上で自由に意見を言うことなど出来なくなってしまう。 民主主義の弊害を説く人はどういうわけか、(ネットで自分の意見を口にするなど)自分が支配者側にいるような感覚を持っているのだが、それはあくまで願望に過ぎない・・・ひとたび非民主的な国に転落すれば、万人に門戸は開かれず、特権的な立場の人とそうでない人の、埋めようのない格差が生じるのが偽らざる現実だろう」、同感である。
次に、本年2月6日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したオーストラリアの政治学者のジョン・キーン氏とジャーナリストの岩本正明氏による「【歴史】哲学者プラトンが民主主義を嫌悪していた理由【書籍オンライン編集部セレクション】」を紹介しよう。
・『ロシア・ウクライナ情勢、中国の経済面・軍事面での台頭と台湾・香港をめぐる緊張、トランプ前大統領の動きをめぐるアメリカ政治の動揺、そして日本で選挙期間中に起こった安倍晋三元首相襲撃事件……これらのことを見て、「このままで民主主義は大丈夫か」と不安になる人は、むしろ常識的な感覚を持っていると言えそうです。自由な選挙、非暴力の議論、権力の濫用のない政治と国民すべてに平等な機会がある中での経済発展のような、民主主義がもたらしてくれることを期待されている価値観が崩れかけています。決められない、豊かさをもたらさない延々と議論が続く民主主義でなく、専制的であっても決断力と行動力のある、強いリーダーがいいと考える国も出てきています。それでも民主主義が優れていると言えるのは、なぜなのでしょう? 困難を極める21世紀の民主主義の未来を語るうえで重要なのは、過去の民主主義の歴史を知ることです。民主主義には4000年もの過去の歴史があり、時に崩壊し、そのたびに進化を繰り返しながら進んできました。刊行された『世界でいちばん短くてわかりやすい 民主主義全史』は、現代に続く確かな民主主義の歴史をコンパクトに、わかりやすく解説しています。オーストラリア・シドニー大学の著者、ジョン・キーン教授が、西欧の価値観に偏りすぎないニュートラルなタッチで語る本書は、現代を生きるための知的教養を求める日本人読者にぴったりの一冊です。同書の中から、学びの多いエピソードを紹介します』、興味深そうだ。
・『ギリシャの民主主義者は無知で貧しい人々? プラトンは民主主義が二面性を有する統治形態──民衆の資産階級に対する力による支配、もしくは同意による支配──だと指摘したが、権力欲に突き動かされた暴力的不正行為こそが、まさにプラトンが想定していたことだった。 プラトンにとっては、民主主義は無知で貧しい人々に迎合することで善良な統治を破壊する、見かけ倒しの発明だった。航海術など存在しないと信じている無能者──操舵手を役立たずのスターゲイザー(星をただ見つめる者)として扱う愚か者──が船員として働く船にたとえている。 プラトンは、劇場支配制という言葉で表現している。大衆が永久不変の政治法則に逆らってあらゆることに口を出す資格を得ることで、公共の利益を気取りながら、力のない者を美辞麗句でそそのかし、力のある者が無法者のように振る舞う統治のあり方を想定していた。デモクラティアとは、表向きは人民が支配しているように見えながら、実際には支配されている偽りの政治なのだ。 プラトンの見解からわかるとおり、アテネの哲学者はそのほとんどが反民主主義者──民主主義によって培われる平等、不確実性、開放性の精神に対して悪意ある反応をする──だった。民主主義について哲学的に語るには富や余暇を必要とし、政治生活の喧騒から距離を置く必要があった。 ところが民主主義は、一般市民には公の生活に身を捧げることを要求した。その結果、公務で忙しいアテネの民主主義者は声を上げる暇がないなかで、敵には、タコのように顔に墨を吹きかけることを許してしまったのだ。汚名を着せることによって民主主義者を沈黙させるというのが、反民主主義者が民主主義を破壊するために採用した、記録に残っている最初の手法だった。敵から言葉を奪う一方、実際の功績に関しては酷評するのだ。 アテネの民主主義者たちは、表現手段として書くという行為をしなかった。そのため歴史的記録という面では、反民主主義者のなすがままだった。こうした理由から、アテネには民主主義を擁護できる偉大な哲学者がいなかったのだ。アテネの民主主義に関するあらゆる文章が、民主主義が持つ目新しさ、特に金持ちの支配に対する大衆の反発を刺激するという側面を敵視していたのも、そうした理由からだ。 民主主義者は、文章によって自らその価値を擁護しなかったことで、大きな代償を払うことになった。自分たちは女神を味方につけていると固く信じ、民主主義がなくなるリスクを過小評価していた。 記録という部分に関しては、民主主義という醜いカブトムシを足で踏みつぶすことを夢見ていた貴族階級のなすがままになった。彼らは邪悪なことを考えていた。民主主義者の言葉を後世に残さないようにするために、誰にも記録させなければいいと考えていたのだ』、「民主主義者は、文章によって自らその価値を擁護しなかったことで、大きな代償を払うことになった。自分たちは女神を味方につけていると固く信じ、民主主義がなくなるリスクを過小評価していた。 記録という部分に関しては、民主主義という醜いカブトムシを足で踏みつぶすことを夢見ていた貴族階級のなすがままになった」、初めて知った。
・『日本人が知らない意外な民主主義の歴史 ●多くの人は、民主主義はギリシャの都市国家で生まれたと思っているが、民主主義の起源は現在の中東、メソポタミアである。 ●民主主義は、常に時の権力者に敵視されてきた。プラトンやアリストテレスをはじめ、多くの哲学者や知識人も、民主主義は乱暴で不確実性の高い良くない政治制度だと考えた。 ●現在、世界最大の民主主義国は、貧困と格差がはびこるインドであり、アフリカのセネガルはイスラム教をベースとした民主主義国家と言える。民主主義はむしろ多様化している。 ●アメリカ型の自由な民主主義は必ずしも民主主義の最終進化形態とはいえない。民主主義は新たな独裁者や専制主義者、ポピュリストたちから挑戦を受け、新たな進化を遂げつつある…… 古代メソポタミア、ギリシャ・アテネ、イギリス、フランス、スペイン、アメリカの選挙民主主義、ファシズム、帝国主義と民主主義、ポピュリストによる民主主義の破壊、アジア、アフリカの民主主義の勃興、ロシア、中国の台頭からフェイクニュースが渦巻く混乱まで、世界の様々な時代・地域で「民主主義」は立ち上がり、そして時に瓦解してきた歴史が描かれています。オーストラリア・シドニー大学のジョン・キーン教授がシンプルにコンパクトに本書『世界でいちばん短くてわかりやすい 民主主義全史』で紹介するエピソードと解説は、欧米中心主義に偏りすぎず、かといってロシア・中国が主張する「特色ある民主主義」のまやかしとは明確に一線を画した、本質的な民主主義観をつかめます。 いま、「民主主義」が注目される時代になった背景には、私たちが抱える不安の存在がありました』、「民主主義の起源は現在の中東、メソポタミアである・・・民主主義は、常に時の権力者に敵視されてきた・・・世界最大の民主主義国は、貧困と格差がはびこるインド・・・民主主義は新たな独裁者や専制主義者、ポピュリストたちから挑戦を受け、新たな進化を遂げつつある・・・いま、「民主主義」が注目される時代になった背景には、私たちが抱える不安の存在がありました」、なるほど。
・『なぜこんなに、民主主義に危うさを感じるようになったのか? その理由とは? 「民主主義」がこれほど注目される時代になったのは、私たちが不安定な時代を生きているという感覚にさいなまれながら、民主主義が劣勢な立場に置かれていると感じているためではないでしょうか。 【政治的に経済的に】中国のような専制、独裁国家のほうが、決められない民主主義国家よりも有利なのではないか? 【広がる格差】格差を生む資本主義と民主主義は、究極的には相性が悪いのではないか? たとえば、民主主義を支持する私たちも、このような疑問で揺らいでいます。それでもなぜ、民主主義を擁護すべきなのでしょうか? ジョン・キーン教授は、このような疑問に明快に応えてくれます。 私たちは、民主主義国家である日本に育ちながら、民主主義のことをあまりに知りません。日本人を含む民主主義国の国民は、中国やロシア、そしてかつての民主主義国に誕生した「まやかしの民主主義国家」を率いる専制主義者からかつてなくプレッシャーを受けています。民主主義の歴史を知る意味はまさにここにあります。 議論、意思決定、代表、選挙、議会、権力、平等、多様性……民主主義の本質に迫る、さまざまなジャンルの読者の関心に応えられる、新しい時代の教養書として読める一冊です』、「私たちは、民主主義国家である日本に育ちながら、民主主義のことをあまりに知りません。日本人を含む民主主義国の国民は、中国やロシア、そしてかつての民主主義国に誕生した「まやかしの民主主義国家」を率いる専制主義者からかつてなくプレッシャーを受けています。民主主義の歴史を知る意味はまさにここにあります」、大いに考え直すべきだろう。
第三に、2月25日付けダイヤモンド・オンラインが転載したAERAdot.「ロシア・中国が「民主主義は時代遅れ」と公言「“歴史の終わり”から35年後の危機」【フランシス・フクヤマ】」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/337848
・『1989年に発表した論文「歴史の終わり?」で、西側諸国の自由民主主義が、人間のイデオロギー的進化の終着点なのではないかとの見方を示した、政治学者のフランシス・フクヤマ氏。彼は、冷戦終結後も争いが絶えない今の状況をどのように見ているのか。2月13日発売の最新刊『人類の終着点――戦争、AI、ヒューマニティの未来』(朝日新書)から一部を抜粋・再編して公開します(Qは聞き手の質問)。 Q:フクヤマさんは1989年、ベルリンの壁崩壊の数カ月前に、「歴史の終わり?」という論文を発表して、脚光を浴びました。この論文のタイトルには「?」(クエスチョンマーク)がついていました。 その後1992年には『歴史の終わり』という書籍も発表して、米国および世界の思想史で大きな節目となり、大きな注目を集めました。その理由は、多くの人がその時代の本質的な要素を内包していると感じたからだ、と私は思います。 もちろん、ソ連の崩壊もありました。論文の言葉を引用します。「冷戦の終結や戦後の歴史の特定の時期の終わりを目の当たりにしているだけではなく、歴史の終わりを目撃しているのだ。すなわち人類のイデオロギー的な進化と人間の統治の最終形態としての西洋の自由民主主義の普遍化なのだ」と。 あなたの当時の意図はどうであれ、この本は「西洋の勝利を正当化するもの」だと受け止められました。世界で大きな出来事が起こるたびに、この論の妥当性についてよく聞かれるとあなたは認めています。 2022年のロシアによるウクライナへの侵攻を目にして、「これは冷戦後の最後の一幕だ」とか「歴史の終わり論の終わり」だと、言う人もいるでしょう。あなたはこの出来事に関して、どのように考えていますか。 フランシス・フクヤマ:あなたのおっしゃることは、多くの点で正しいと思います。2023年の世界において、「自由民主主義が、いかなる場所においても成功をおさめ得る唯一の代替手段だ」と言う人はいないでしょう。長い目で見れば、その主張は正しいかもしれません。しかし過去15年間、グローバル民主主義は後退しています。 権威主義的な二つの大きな勢力、ロシアと中国が自らの国家像を打ち出そうと試みています。「ロシアと中国が」「両国とも「自由民主主義は時代遅れ」とか「死につつあるイデオロギーだ」と公言しています。現在の世界が大きな課題を抱えているのは、間違いありません。1989年や1992年よりも、楽観的にはなれない状況です』「自由民主主義は時代遅れ」とか「死につつあるイデオロギーだ」と公言しています。現在の世界が大きな課題を抱えているのは、間違いありません。1989年や1992年よりも、楽観的にはなれない状況です「過去15年間、グローバル民主主義は後退しています。 権威主義的な二つの大きな勢力、ロシアと中国が自らの国家像を打ち出そうと試みています。両国とも「自由民主主義は時代遅れ」とか「死につつあるイデオロギーだ」と公言しています。現在の世界が大きな課題を抱えているのは、間違いありません。1989年や1992年よりも、楽観的にはなれない状況です」、なるほど。
・『Q:先ほど中国の話題が出ましたが、『歴史の終わり』を発表して以来、中国は自由民主主義になることはなく、非自由主義的で非民主的な体制が続いています。世界中の多くの人が、「民主主義や自由という価値が、中国の挑戦に対して耐え得るのかどうかが不透明だ」と感じています。中国は冷戦後システムの最大の受益者であり、最も成功した独裁国家と言えるでしょう。昨今の中国の挑戦に対して、あなたはどうお考えですか。) フクヤマ:中国の改革の当初から、「それが自由民主主義に対する一番もっともらしく見える代替案だ」と私は主張しました。権威主義的な政治システムに、準市場経済が混じり合っています。それに、これほど短期間で成長した国は他にありません。その規模を考えると、信じられないくらいです。それが歴史的な達成であることは、間違いありません。 一方で、これが持続可能なモデルなのか、はっきりとしていません。今後10年から20年間、中国を脅威とみなし続けることになるのかについても、明確ではありません。なぜなら、政治モデルと経済モデルに大きな問題があると思うからです。 実際に中国の成長率は、大きく鈍化しています。そしてその鈍化は、独裁的な意思決定システムの失敗と、直接関係があるように思えます。習近平氏は、鄧小平氏が始めた「自由経済改革」を支持しているとは思えませんし、その結果、中国経済は不調に陥っています。 経済以外の文化的、政治的な要素で、人々が真に称賛する中国のシステムがあるとは思えませんし、中国の文化は、自国以外に広がってはいません。「中国に住みたくてたまらない」と思う人は多くないでしょう。 経済的に大きく成長したとはいえ、社会的システムの面では優れているかどうかわかりません。今後数年、中国の動向を注視する必要があります。過去30年に比べると、今後10年はそれほど良い状態にはならないでしょう』、「今後10年から20年間、中国を脅威とみなし続けることになるのかについても、明確ではありません。なぜなら、政治モデルと経済モデルに大きな問題があると思うからです。 実際に中国の成長率は、大きく鈍化しています。そしてその鈍化は、独裁的な意思決定システムの失敗と、直接関係があるように思えます・・・今後数年、中国の動向を注視する必要があります。過去30年に比べると、今後10年はそれほど良い状態にはならないでしょう」、なるほど。
・『Q:2019年6月当時、私は朝日新聞のワシントンDC特派員でした。トランプ政権に最も勢いがある時期でした。そのとき一時的に日本に帰国して、大阪でのG20サミットも取材しました。サミット前日、『フィナンシャル・タイムズ』がプーチン大統領の独占インタビューを掲載しました。そこで彼が「自由主義的な価値は時代遅れだ」と述べていたことに、私は衝撃を受けました。その数年後、プーチン氏のロシアはウクライナへの侵攻を開始しました。執拗で強固なプーチン氏の自由主義への攻撃と、ウクライナへの侵攻はどのように関係しているのでしょうか。 ロシア・中国が「民主主義は時代遅れ」と公言「“歴史の終わり”から35年後の危機」【フランシス・フクヤマ】 フクヤマ:プーチンは、ソ連崩壊を決して受け入れることができないのでしょう。彼はそれを「20世紀最大の悲劇だ」と形容しました。彼の外交政策は、可能な限り「ソ連を取り戻すこと」です。 そして、ソ連が失ったものの中で最も大事なのは、ウクライナです。彼は明確にそう述べています。これは、彼の行動が暗示している類のものではありません。彼は、公然と言ってのけたのです。「ウクライナは死活的な領土で、ロシアの一部であり、ロシアから除くことはできない」と。 「1991年以後の欧州の安定を覆す」という彼の野望を行動で示すのが、彼の外交政策です。これが「単に領土をめぐる問題ではない」と考える理由です。ウクライナへの侵攻は、欧州全体の政治的な秩序に対する紛争なのです。 (フランシス・フクヤマ氏の略歴はリンク先参照)』、「プーチンは、ソ連崩壊を決して受け入れることができないのでしょう。彼はそれを「20世紀最大の悲劇だ」と形容しました。彼の外交政策は、可能な限り「ソ連を取り戻すこと」です。 そして、ソ連が失ったものの中で最も大事なのは、ウクライナです。彼は明確にそう述べています。これは、彼の行動が暗示している類のものではありません。彼は、公然と言ってのけたのです。「ウクライナは死活的な領土で、ロシアの一部であり、ロシアから除くことはできない」と・・・ウクライナへの侵攻は、欧州全体の政治的な秩序に対する紛争なのです」、トランプが大統領になれば、ウケライナへの米国の支援はなくなり、ウクライナは不名誉な停戦を余儀なくされる可能性が強まってきた。残念ながら「プーチン」の勝利に終わるのだろうか。腹立たしい限りだ。
先ずは、昨年12月6日付け現代ビジネスが掲載した経済評論家の加谷 珪一氏による「日本が独裁国家に転じれば、国民は幸せになれるのかーーネットで増える「民主主義否定論者」が見落としている事実」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/120266?imp=0
・『全世界的に非民主的な強権国家の影響力が高まっている。強権的な国家はいわゆる民主主義のコストを負担する必要がなく、経済的に有利な状況にある。日本など民主国家の中からも、こうしたコスト負担を嫌悪する意見が散見されるようになっており、事態を放置すれば民主主義の機能不全につながりかねない』、興味深そうだ。
・『「歴史の終わり」は来なかった 一般的に民主国家を維持するにはかなりの負担がかかるとされている。議会を通じて議論を行なったり、政府が政策について国民に十分に説明し、賛同を得てからでなければ政策を実行に移すことができない。強権的な独裁国家と比べて、合意形成のプロセスに相当な時間や人員を必要とするため、一連の負担のことを「民主主義のコスト」と呼ぶ。 これまでの国際社会は、圧倒的に西側民主国家の影響力が強く、経済規模も大きかった。豊かな先進国は総じて民主国家であり、その圧倒的な経済力を生かし、民主主義のコストを負担するという流れだった。 つまり、経済的豊かさと民主主義はセットであり、そうであればこそ民主主義というのはグローバル社会における完成形と見なされていた。 中高年以上で、一定以上の読書経験を持つ人なら、1990年代前半に出版されたフランシス・フクヤマ氏による「歴史の終わり」がベストセラーになったことを記憶しているだろう。フクヤマ氏は米国人でありながら、欧州のオーソドックスな哲学者であるヘーゲルの弁証法を自在に読み解き、民主主義と自由経済が人類の歴史における最終形になるという鮮やかなロジックを展開した。 知的書物としての内容の素晴らしさという点だけでなく、当時は現実社会もフクヤマ氏の主張に沿って動いているように見えた。 旧ソ連は完全崩壊し、残った共産主義の大国である中国は、凄惨な文化大革命を経て改革開放路線にシフト。共産主義の国でありながら、限りなく資本主義的な制度に舵を切り始めており、時間はかかるものの、民主的な体制に移行していくと多くの人が予想していた(おそらくだが中国人自身もそう思っていたかもしれない)。 だが2000年以降、全世界でIT化が進んだことで、状況が一変した』、「フクヤマ氏は米国人でありながら、欧州のオーソドックスな哲学者であるヘーゲルの弁証法を自在に読み解き、民主主義と自由経済が人類の歴史における最終形になるという鮮やかなロジックを展開した。 知的書物としての内容の素晴らしさという点だけでなく、当時は現実社会もフクヤマ氏の主張に沿って動いているように見えた・・・だが2000年以降、全世界でIT化が進んだことで、状況が一変した」、「2000年以降、全世界でIT化が進んだことで、状況が一変した」とはどういうことなのだろう。
・『インフラがなくても経済成長が可能に 以前の社会では経済成長を実現するには、先進国から多額の投資を受け入れ、鉄道や道路など、生活や産業に必須となるインフラをゼロから作り上げる必要があった。 このため外貨による投資の受け入れが成長の絶対要件となり、こうした投資マネーを受け入れるためには、お金の出し手である西側先進国に対して妥協せざるを得なかった。当然のことながら米国を筆頭とする西側各国は、資金の供出と引き換えに民主化と市場開放を強く要求した。 ところが世界の産業が工業からソフトウェア産業、知識産業に移行したことでこうした巨額の投資が不用となり、十分なインフラが存在しない国でも、急激な経済成長が可能となった。 かつて内戦に明け暮れたカンボジアは、独裁政権でありながらめざましい成長を遂げており、最新のITサービスが次々と立ち上がっている。外に出ると、汚い道路はトゥクトゥクと呼ばれる三輪タクシーで溢れかえっているが、そのトゥクトゥクはアプリを使っていつでも呼び出すことができる。 中国は少し前まではハードウェアの製造が主流だったが、アリババに代表されるネット企業群は米国並みの技術力を持つに至っており、一連のソフトウェア産業が近年の高成長を担ってきた。 民主主義の敗北は統計上の数字にも表れている。図1は世界における民主的な国と非民主的な国の人口推移を示したものである。政治体制については英国エコノミストの調査部門であるEIUが算定した民主主義指数を用いており、同指数の6以上を民主的、6未満を非民主的と分類した。 (図1 民主国家と非民主国家の人口推移 はリンク先参照) 民主的に分類される国の人口と、非民主的な国に人口の両者とも増加という状況だが、非民主的な国のシェアは上昇している。これはあくまで人口なので、この数字が直接的に世界に対する影響力を示しているとは限らない。では、同じような指標でGDP(国内総生産)を比較するとどうなるだろうか』、「非民主的な国のシェアは上昇している。これはあくまで人口なので、この数字が直接的に世界に対する影響力を示しているとは限らない。では、同じような指標でGDP・・・を比較するとどうなるだろうか」、なるほど。
・『強権国家の経済的台頭 図2は同様に、民主主義指数おける分類と各国のGDPを示したものである。ここでは、さらに細かい区分を用い「A:完全な民主国家」「B:欠陥のある民主国家」「C:民主制と独裁制の混合体制」「D:独裁国家」という4つで比較した。 (図2 民主主義指数とGDPの推移 はリンク先参照) 経済力という点で比較すると強権国家の台頭は明らかだ。Aの「完全な民主国家」に属する国のGDPはあまり伸びていないが、独裁国家(D)や欠陥のある民主国家(B)のGDPが大幅に伸び、全体での比率を高めている。 中国は完全な独裁国家でありながら、世界で2番目の経済大国であり、特殊な存在とみなすこともできる。むしろ私たちが注目すべきなのは、2番目のカテゴリーである「欠陥のある民主国家」に属する国々である。このカテゴリーには、シンガポールやインドネシア、タイ、ブラジル、インドといった成長著しい新興国が軒並みカテゴライズされている。 人口のみならず、GDPの絶対値という点でもこれらの国々のプレゼンスは大きく、民主主義のコストの是非について深く考えさせられてしまう。 シンガポールは1人あたりのGDPが日本よりも高く、極めて豊かな国として知られているが、1965年にマレーシアからの独立を果たして以降、建国の父と呼ばれるリー・クアンユー氏とその息子であるリー・シェンロン氏が長く首相を務めるなど、独裁的な国家としての側面も併せ持っている。言論の自由も制限されており、民主主義指数は、「欠陥のある民主国家」の中でも最下位に近い。 一方で手厚い教育制度や、子どもに対して優しい社会環境、外国から優秀な人材を積極的に受け入れる人材戦略など、画期的な政策を実施しており、日本からも子どもの教育目的に多くの人が移住している。 特段、政治に関心を持たず、現実問題として子どもによい教育を施したいと考えるビジネスパーソンからすると、日本とシンガポールとでは社会環境に圧倒的に差があり、同国は魅力的な場所に映る』、「経済力という点で比較すると強権国家の台頭は明らかだ。Aの「完全な民主国家」に属する国のGDPはあまり伸びていないが、独裁国家(D)や欠陥のある民主国家(B)のGDPが大幅に伸び、全体での比率を高めている・・・私たちが注目すべきなのは、2番目のカテゴリーである「欠陥のある民主国家」に属する国々である。このカテゴリーには、シンガポールやインドネシア、タイ、ブラジル、インドといった成長著しい新興国が軒並みカテゴライズされている。 人口のみならず、GDPの絶対値という点でもこれらの国々のプレゼンスは大きく、民主主義のコストの是非について深く考えさせられてしまう」、なるほど。
・『非民主化すれば格差は広がる 先ほど取り上げたカンボジアも、2023年5月、野党を弾圧する中で制限選挙が行われ、与党が圧勝。長く独裁者として君臨してきたフン・セン首相は、息子のフン・マネット氏に首相の座を譲るなど、同族支配が続く。 シンガポールやマレーシアなどの国々はかつて「開発独裁」と呼ばれ、経済成長のために国民の人権が犠牲になっているという批判的ニュアンスで語られていた。その実態は今も変わらないが、日本から教育目的で移住する人が増えるなど、状況は大きく変わった。 各国の国内情勢も同じである。シンガポール国内では、一部の民主主義者が体制批判をしているものの、多くの国民は豊かな暮らしを享受している。政権に対して反発することのリスクを天秤にかけると、批判を行うメリットは乏しい。こうした状況は民主主義にとってやはり脅威といえるだろう。 日本国内では、経済の落ち込みで生活が苦しくなっていることが影響しているのか、ネットなどを中心に民主主義を否定する意見が目立つようになっている。民主主義を否定している人たちは、「民主国家では弱者が過剰に保護される」「合意形成のために経済成長が犠牲になる」などと主張している。 民主主義にそうした面があるのは確かだが、ネットで民主主義否定を声高に叫んでいる人たちは重大な事実を見落としている。 もし日本が非民主的な国になった場合、彼らのほとんどは支配する側ではなく、支配される側に回るのは確実である。しかも被支配者側になってしまえば、内容の如何を問わず、政治体制について批判することは即処罰の対象となり、ネット上で自由に意見を言うことなど出来なくなってしまう。 民主主義の弊害を説く人はどういうわけか、(ネットで自分の意見を口にするなど)自分が支配者側にいるような感覚を持っているのだが、それはあくまで願望に過ぎない。 民主主義はコストがかかりすぎると主張するのは簡単かもしれない。しかしながら、ひとたび非民主的な国に転落すれば、万人に門戸は開かれず、特権的な立場の人とそうでない人の、埋めようのない格差が生じるのが偽らざる現実だろう』、「ネットで民主主義否定を声高に叫んでいる人たちは重大な事実を見落としている。 もし日本が非民主的な国になった場合、彼らのほとんどは支配する側ではなく、支配される側に回るのは確実である。しかも被支配者側になってしまえば、内容の如何を問わず、政治体制について批判することは即処罰の対象となり、ネット上で自由に意見を言うことなど出来なくなってしまう。 民主主義の弊害を説く人はどういうわけか、(ネットで自分の意見を口にするなど)自分が支配者側にいるような感覚を持っているのだが、それはあくまで願望に過ぎない・・・ひとたび非民主的な国に転落すれば、万人に門戸は開かれず、特権的な立場の人とそうでない人の、埋めようのない格差が生じるのが偽らざる現実だろう」、同感である。
次に、本年2月6日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したオーストラリアの政治学者のジョン・キーン氏とジャーナリストの岩本正明氏による「【歴史】哲学者プラトンが民主主義を嫌悪していた理由【書籍オンライン編集部セレクション】」を紹介しよう。
・『ロシア・ウクライナ情勢、中国の経済面・軍事面での台頭と台湾・香港をめぐる緊張、トランプ前大統領の動きをめぐるアメリカ政治の動揺、そして日本で選挙期間中に起こった安倍晋三元首相襲撃事件……これらのことを見て、「このままで民主主義は大丈夫か」と不安になる人は、むしろ常識的な感覚を持っていると言えそうです。自由な選挙、非暴力の議論、権力の濫用のない政治と国民すべてに平等な機会がある中での経済発展のような、民主主義がもたらしてくれることを期待されている価値観が崩れかけています。決められない、豊かさをもたらさない延々と議論が続く民主主義でなく、専制的であっても決断力と行動力のある、強いリーダーがいいと考える国も出てきています。それでも民主主義が優れていると言えるのは、なぜなのでしょう? 困難を極める21世紀の民主主義の未来を語るうえで重要なのは、過去の民主主義の歴史を知ることです。民主主義には4000年もの過去の歴史があり、時に崩壊し、そのたびに進化を繰り返しながら進んできました。刊行された『世界でいちばん短くてわかりやすい 民主主義全史』は、現代に続く確かな民主主義の歴史をコンパクトに、わかりやすく解説しています。オーストラリア・シドニー大学の著者、ジョン・キーン教授が、西欧の価値観に偏りすぎないニュートラルなタッチで語る本書は、現代を生きるための知的教養を求める日本人読者にぴったりの一冊です。同書の中から、学びの多いエピソードを紹介します』、興味深そうだ。
・『ギリシャの民主主義者は無知で貧しい人々? プラトンは民主主義が二面性を有する統治形態──民衆の資産階級に対する力による支配、もしくは同意による支配──だと指摘したが、権力欲に突き動かされた暴力的不正行為こそが、まさにプラトンが想定していたことだった。 プラトンにとっては、民主主義は無知で貧しい人々に迎合することで善良な統治を破壊する、見かけ倒しの発明だった。航海術など存在しないと信じている無能者──操舵手を役立たずのスターゲイザー(星をただ見つめる者)として扱う愚か者──が船員として働く船にたとえている。 プラトンは、劇場支配制という言葉で表現している。大衆が永久不変の政治法則に逆らってあらゆることに口を出す資格を得ることで、公共の利益を気取りながら、力のない者を美辞麗句でそそのかし、力のある者が無法者のように振る舞う統治のあり方を想定していた。デモクラティアとは、表向きは人民が支配しているように見えながら、実際には支配されている偽りの政治なのだ。 プラトンの見解からわかるとおり、アテネの哲学者はそのほとんどが反民主主義者──民主主義によって培われる平等、不確実性、開放性の精神に対して悪意ある反応をする──だった。民主主義について哲学的に語るには富や余暇を必要とし、政治生活の喧騒から距離を置く必要があった。 ところが民主主義は、一般市民には公の生活に身を捧げることを要求した。その結果、公務で忙しいアテネの民主主義者は声を上げる暇がないなかで、敵には、タコのように顔に墨を吹きかけることを許してしまったのだ。汚名を着せることによって民主主義者を沈黙させるというのが、反民主主義者が民主主義を破壊するために採用した、記録に残っている最初の手法だった。敵から言葉を奪う一方、実際の功績に関しては酷評するのだ。 アテネの民主主義者たちは、表現手段として書くという行為をしなかった。そのため歴史的記録という面では、反民主主義者のなすがままだった。こうした理由から、アテネには民主主義を擁護できる偉大な哲学者がいなかったのだ。アテネの民主主義に関するあらゆる文章が、民主主義が持つ目新しさ、特に金持ちの支配に対する大衆の反発を刺激するという側面を敵視していたのも、そうした理由からだ。 民主主義者は、文章によって自らその価値を擁護しなかったことで、大きな代償を払うことになった。自分たちは女神を味方につけていると固く信じ、民主主義がなくなるリスクを過小評価していた。 記録という部分に関しては、民主主義という醜いカブトムシを足で踏みつぶすことを夢見ていた貴族階級のなすがままになった。彼らは邪悪なことを考えていた。民主主義者の言葉を後世に残さないようにするために、誰にも記録させなければいいと考えていたのだ』、「民主主義者は、文章によって自らその価値を擁護しなかったことで、大きな代償を払うことになった。自分たちは女神を味方につけていると固く信じ、民主主義がなくなるリスクを過小評価していた。 記録という部分に関しては、民主主義という醜いカブトムシを足で踏みつぶすことを夢見ていた貴族階級のなすがままになった」、初めて知った。
・『日本人が知らない意外な民主主義の歴史 ●多くの人は、民主主義はギリシャの都市国家で生まれたと思っているが、民主主義の起源は現在の中東、メソポタミアである。 ●民主主義は、常に時の権力者に敵視されてきた。プラトンやアリストテレスをはじめ、多くの哲学者や知識人も、民主主義は乱暴で不確実性の高い良くない政治制度だと考えた。 ●現在、世界最大の民主主義国は、貧困と格差がはびこるインドであり、アフリカのセネガルはイスラム教をベースとした民主主義国家と言える。民主主義はむしろ多様化している。 ●アメリカ型の自由な民主主義は必ずしも民主主義の最終進化形態とはいえない。民主主義は新たな独裁者や専制主義者、ポピュリストたちから挑戦を受け、新たな進化を遂げつつある…… 古代メソポタミア、ギリシャ・アテネ、イギリス、フランス、スペイン、アメリカの選挙民主主義、ファシズム、帝国主義と民主主義、ポピュリストによる民主主義の破壊、アジア、アフリカの民主主義の勃興、ロシア、中国の台頭からフェイクニュースが渦巻く混乱まで、世界の様々な時代・地域で「民主主義」は立ち上がり、そして時に瓦解してきた歴史が描かれています。オーストラリア・シドニー大学のジョン・キーン教授がシンプルにコンパクトに本書『世界でいちばん短くてわかりやすい 民主主義全史』で紹介するエピソードと解説は、欧米中心主義に偏りすぎず、かといってロシア・中国が主張する「特色ある民主主義」のまやかしとは明確に一線を画した、本質的な民主主義観をつかめます。 いま、「民主主義」が注目される時代になった背景には、私たちが抱える不安の存在がありました』、「民主主義の起源は現在の中東、メソポタミアである・・・民主主義は、常に時の権力者に敵視されてきた・・・世界最大の民主主義国は、貧困と格差がはびこるインド・・・民主主義は新たな独裁者や専制主義者、ポピュリストたちから挑戦を受け、新たな進化を遂げつつある・・・いま、「民主主義」が注目される時代になった背景には、私たちが抱える不安の存在がありました」、なるほど。
・『なぜこんなに、民主主義に危うさを感じるようになったのか? その理由とは? 「民主主義」がこれほど注目される時代になったのは、私たちが不安定な時代を生きているという感覚にさいなまれながら、民主主義が劣勢な立場に置かれていると感じているためではないでしょうか。 【政治的に経済的に】中国のような専制、独裁国家のほうが、決められない民主主義国家よりも有利なのではないか? 【広がる格差】格差を生む資本主義と民主主義は、究極的には相性が悪いのではないか? たとえば、民主主義を支持する私たちも、このような疑問で揺らいでいます。それでもなぜ、民主主義を擁護すべきなのでしょうか? ジョン・キーン教授は、このような疑問に明快に応えてくれます。 私たちは、民主主義国家である日本に育ちながら、民主主義のことをあまりに知りません。日本人を含む民主主義国の国民は、中国やロシア、そしてかつての民主主義国に誕生した「まやかしの民主主義国家」を率いる専制主義者からかつてなくプレッシャーを受けています。民主主義の歴史を知る意味はまさにここにあります。 議論、意思決定、代表、選挙、議会、権力、平等、多様性……民主主義の本質に迫る、さまざまなジャンルの読者の関心に応えられる、新しい時代の教養書として読める一冊です』、「私たちは、民主主義国家である日本に育ちながら、民主主義のことをあまりに知りません。日本人を含む民主主義国の国民は、中国やロシア、そしてかつての民主主義国に誕生した「まやかしの民主主義国家」を率いる専制主義者からかつてなくプレッシャーを受けています。民主主義の歴史を知る意味はまさにここにあります」、大いに考え直すべきだろう。
第三に、2月25日付けダイヤモンド・オンラインが転載したAERAdot.「ロシア・中国が「民主主義は時代遅れ」と公言「“歴史の終わり”から35年後の危機」【フランシス・フクヤマ】」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/337848
・『1989年に発表した論文「歴史の終わり?」で、西側諸国の自由民主主義が、人間のイデオロギー的進化の終着点なのではないかとの見方を示した、政治学者のフランシス・フクヤマ氏。彼は、冷戦終結後も争いが絶えない今の状況をどのように見ているのか。2月13日発売の最新刊『人類の終着点――戦争、AI、ヒューマニティの未来』(朝日新書)から一部を抜粋・再編して公開します(Qは聞き手の質問)。 Q:フクヤマさんは1989年、ベルリンの壁崩壊の数カ月前に、「歴史の終わり?」という論文を発表して、脚光を浴びました。この論文のタイトルには「?」(クエスチョンマーク)がついていました。 その後1992年には『歴史の終わり』という書籍も発表して、米国および世界の思想史で大きな節目となり、大きな注目を集めました。その理由は、多くの人がその時代の本質的な要素を内包していると感じたからだ、と私は思います。 もちろん、ソ連の崩壊もありました。論文の言葉を引用します。「冷戦の終結や戦後の歴史の特定の時期の終わりを目の当たりにしているだけではなく、歴史の終わりを目撃しているのだ。すなわち人類のイデオロギー的な進化と人間の統治の最終形態としての西洋の自由民主主義の普遍化なのだ」と。 あなたの当時の意図はどうであれ、この本は「西洋の勝利を正当化するもの」だと受け止められました。世界で大きな出来事が起こるたびに、この論の妥当性についてよく聞かれるとあなたは認めています。 2022年のロシアによるウクライナへの侵攻を目にして、「これは冷戦後の最後の一幕だ」とか「歴史の終わり論の終わり」だと、言う人もいるでしょう。あなたはこの出来事に関して、どのように考えていますか。 フランシス・フクヤマ:あなたのおっしゃることは、多くの点で正しいと思います。2023年の世界において、「自由民主主義が、いかなる場所においても成功をおさめ得る唯一の代替手段だ」と言う人はいないでしょう。長い目で見れば、その主張は正しいかもしれません。しかし過去15年間、グローバル民主主義は後退しています。 権威主義的な二つの大きな勢力、ロシアと中国が自らの国家像を打ち出そうと試みています。「ロシアと中国が」「両国とも「自由民主主義は時代遅れ」とか「死につつあるイデオロギーだ」と公言しています。現在の世界が大きな課題を抱えているのは、間違いありません。1989年や1992年よりも、楽観的にはなれない状況です』「自由民主主義は時代遅れ」とか「死につつあるイデオロギーだ」と公言しています。現在の世界が大きな課題を抱えているのは、間違いありません。1989年や1992年よりも、楽観的にはなれない状況です「過去15年間、グローバル民主主義は後退しています。 権威主義的な二つの大きな勢力、ロシアと中国が自らの国家像を打ち出そうと試みています。両国とも「自由民主主義は時代遅れ」とか「死につつあるイデオロギーだ」と公言しています。現在の世界が大きな課題を抱えているのは、間違いありません。1989年や1992年よりも、楽観的にはなれない状況です」、なるほど。
・『Q:先ほど中国の話題が出ましたが、『歴史の終わり』を発表して以来、中国は自由民主主義になることはなく、非自由主義的で非民主的な体制が続いています。世界中の多くの人が、「民主主義や自由という価値が、中国の挑戦に対して耐え得るのかどうかが不透明だ」と感じています。中国は冷戦後システムの最大の受益者であり、最も成功した独裁国家と言えるでしょう。昨今の中国の挑戦に対して、あなたはどうお考えですか。) フクヤマ:中国の改革の当初から、「それが自由民主主義に対する一番もっともらしく見える代替案だ」と私は主張しました。権威主義的な政治システムに、準市場経済が混じり合っています。それに、これほど短期間で成長した国は他にありません。その規模を考えると、信じられないくらいです。それが歴史的な達成であることは、間違いありません。 一方で、これが持続可能なモデルなのか、はっきりとしていません。今後10年から20年間、中国を脅威とみなし続けることになるのかについても、明確ではありません。なぜなら、政治モデルと経済モデルに大きな問題があると思うからです。 実際に中国の成長率は、大きく鈍化しています。そしてその鈍化は、独裁的な意思決定システムの失敗と、直接関係があるように思えます。習近平氏は、鄧小平氏が始めた「自由経済改革」を支持しているとは思えませんし、その結果、中国経済は不調に陥っています。 経済以外の文化的、政治的な要素で、人々が真に称賛する中国のシステムがあるとは思えませんし、中国の文化は、自国以外に広がってはいません。「中国に住みたくてたまらない」と思う人は多くないでしょう。 経済的に大きく成長したとはいえ、社会的システムの面では優れているかどうかわかりません。今後数年、中国の動向を注視する必要があります。過去30年に比べると、今後10年はそれほど良い状態にはならないでしょう』、「今後10年から20年間、中国を脅威とみなし続けることになるのかについても、明確ではありません。なぜなら、政治モデルと経済モデルに大きな問題があると思うからです。 実際に中国の成長率は、大きく鈍化しています。そしてその鈍化は、独裁的な意思決定システムの失敗と、直接関係があるように思えます・・・今後数年、中国の動向を注視する必要があります。過去30年に比べると、今後10年はそれほど良い状態にはならないでしょう」、なるほど。
・『Q:2019年6月当時、私は朝日新聞のワシントンDC特派員でした。トランプ政権に最も勢いがある時期でした。そのとき一時的に日本に帰国して、大阪でのG20サミットも取材しました。サミット前日、『フィナンシャル・タイムズ』がプーチン大統領の独占インタビューを掲載しました。そこで彼が「自由主義的な価値は時代遅れだ」と述べていたことに、私は衝撃を受けました。その数年後、プーチン氏のロシアはウクライナへの侵攻を開始しました。執拗で強固なプーチン氏の自由主義への攻撃と、ウクライナへの侵攻はどのように関係しているのでしょうか。 ロシア・中国が「民主主義は時代遅れ」と公言「“歴史の終わり”から35年後の危機」【フランシス・フクヤマ】 フクヤマ:プーチンは、ソ連崩壊を決して受け入れることができないのでしょう。彼はそれを「20世紀最大の悲劇だ」と形容しました。彼の外交政策は、可能な限り「ソ連を取り戻すこと」です。 そして、ソ連が失ったものの中で最も大事なのは、ウクライナです。彼は明確にそう述べています。これは、彼の行動が暗示している類のものではありません。彼は、公然と言ってのけたのです。「ウクライナは死活的な領土で、ロシアの一部であり、ロシアから除くことはできない」と。 「1991年以後の欧州の安定を覆す」という彼の野望を行動で示すのが、彼の外交政策です。これが「単に領土をめぐる問題ではない」と考える理由です。ウクライナへの侵攻は、欧州全体の政治的な秩序に対する紛争なのです。 (フランシス・フクヤマ氏の略歴はリンク先参照)』、「プーチンは、ソ連崩壊を決して受け入れることができないのでしょう。彼はそれを「20世紀最大の悲劇だ」と形容しました。彼の外交政策は、可能な限り「ソ連を取り戻すこと」です。 そして、ソ連が失ったものの中で最も大事なのは、ウクライナです。彼は明確にそう述べています。これは、彼の行動が暗示している類のものではありません。彼は、公然と言ってのけたのです。「ウクライナは死活的な領土で、ロシアの一部であり、ロシアから除くことはできない」と・・・ウクライナへの侵攻は、欧州全体の政治的な秩序に対する紛争なのです」、トランプが大統領になれば、ウケライナへの米国の支援はなくなり、ウクライナは不名誉な停戦を余儀なくされる可能性が強まってきた。残念ながら「プーチン」の勝利に終わるのだろうか。腹立たしい限りだ。
タグ:だが2000年以降、全世界でIT化が進んだことで、状況が一変した」、「2000年以降、全世界でIT化が進んだことで、状況が一変した」とはどういうことなのだろう。 「フクヤマ氏は米国人でありながら、欧州のオーソドックスな哲学者であるヘーゲルの弁証法を自在に読み解き、民主主義と自由経済が人類の歴史における最終形になるという鮮やかなロジックを展開した。 知的書物としての内容の素晴らしさという点だけでなく、当時は現実社会もフクヤマ氏の主張に沿って動いているように見えた・・・ 加谷 珪一氏による「日本が独裁国家に転じれば、国民は幸せになれるのかーーネットで増える「民主主義否定論者」が見落としている事実」 現代ビジネス (その9)(日本が独裁国家に転じれば 国民は幸せになれるのかーーネットで増える「民主主義否定論者」が見落としている事実、【歴史】哲学者プラトンが民主主義を嫌悪していた理由【書籍オンライン編集部セレクション】、ロシア・中国が「民主主義は時代遅れ」と公言「“歴史の終わり”から35年後の危機」【フランシス・フクヤマ】) 民主主義 「非民主的な国のシェアは上昇している。これはあくまで人口なので、この数字が直接的に世界に対する影響力を示しているとは限らない。では、同じような指標でGDP・・・を比較するとどうなるだろうか」、なるほど。 「経済力という点で比較すると強権国家の台頭は明らかだ。Aの「完全な民主国家」に属する国のGDPはあまり伸びていないが、独裁国家(D)や欠陥のある民主国家(B)のGDPが大幅に伸び、全体での比率を高めている・・・私たちが注目すべきなのは、2番目のカテゴリーである「欠陥のある民主国家」に属する国々である。このカテゴリーには、シンガポールやインドネシア、タイ、ブラジル、インドといった成長著しい新興国が軒並みカテゴライズされている。 人口のみならず、GDPの絶対値という点でもこれらの国々のプレゼンスは大きく、民主主義のコストの是非について深く考えさせられてしまう」、なるほど。 「ネットで民主主義否定を声高に叫んでいる人たちは重大な事実を見落としている。 もし日本が非民主的な国になった場合、彼らのほとんどは支配する側ではなく、支配される側に回るのは確実である。しかも被支配者側になってしまえば、内容の如何を問わず、政治体制について批判することは即処罰の対象となり、ネット上で自由に意見を言うことなど出来なくなってしまう。 民主主義の弊害を説く人はどういうわけか、(ネットで自分の意見を口にするなど)自分が支配者側にいるような感覚を持っているのだが、それはあくまで願望に過ぎない・・・ ひとたび非民主的な国に転落すれば、万人に門戸は開かれず、特権的な立場の人とそうでない人の、埋めようのない格差が生じるのが偽らざる現実だろう」、同感である。 ダイヤモンド・オンライン ジョン・キーン氏 岩本正明氏 「【歴史】哲学者プラトンが民主主義を嫌悪していた理由【書籍オンライン編集部セレクション】」 「民主主義者は、文章によって自らその価値を擁護しなかったことで、大きな代償を払うことになった。自分たちは女神を味方につけていると固く信じ、民主主義がなくなるリスクを過小評価していた。 記録という部分に関しては、民主主義という醜いカブトムシを足で踏みつぶすことを夢見ていた貴族階級のなすがままになった」、初めて知った。 「民主主義の起源は現在の中東、メソポタミアである・・・民主主義は、常に時の権力者に敵視されてきた・・・世界最大の民主主義国は、貧困と格差がはびこるインド・・・民主主義は新たな独裁者や専制主義者、ポピュリストたちから挑戦を受け、新たな進化を遂げつつある・・・いま、「民主主義」が注目される時代になった背景には、私たちが抱える不安の存在がありました」、なるほど。 「私たちは、民主主義国家である日本に育ちながら、民主主義のことをあまりに知りません。日本人を含む民主主義国の国民は、中国やロシア、そしてかつての民主主義国に誕生した「まやかしの民主主義国家」を率いる専制主義者からかつてなくプレッシャーを受けています。民主主義の歴史を知る意味はまさにここにあります」、大いに考え直すべきだろう。 AERAdot.「ロシア・中国が「民主主義は時代遅れ」と公言「“歴史の終わり”から35年後の危機」【フランシス・フクヤマ】」 「自由民主主義は時代遅れ」とか「死につつあるイデオロギーだ」と公言しています。現在の世界が大きな課題を抱えているのは、間違いありません。1989年や1992年よりも、楽観的にはなれない状況です「過去15年間、グローバル民主主義は後退しています。 権威主義的な二つの大きな勢力、ロシアと中国が自らの国家像を打ち出そうと試みています。両国とも「自由民主主義は時代遅れ」とか「死につつあるイデオロギーだ」と公言しています。現在の世界が大きな課題を抱えているのは、間違いありません。1989年や1992年よりも、楽観的 にはなれない状況です」、なるほど。 「今後10年から20年間、中国を脅威とみなし続けることになるのかについても、明確ではありません。なぜなら、政治モデルと経済モデルに大きな問題があると思うからです。 実際に中国の成長率は、大きく鈍化しています。そしてその鈍化は、独裁的な意思決定システムの失敗と、直接関係があるように思えます・・・今後数年、中国の動向を注視する必要があります。過去30年に比べると、今後10年はそれほど良い状態にはならないでしょう」、なるほど。 「プーチンは、ソ連崩壊を決して受け入れることができないのでしょう。彼はそれを「20世紀最大の悲劇だ」と形容しました。彼の外交政策は、可能な限り「ソ連を取り戻すこと」です。 そして、ソ連が失ったものの中で最も大事なのは、ウクライナです。彼は明確にそう述べています。これは、彼の行動が暗示している類のものではありません。彼は、公然と言ってのけたのです。「ウクライナは死活的な領土で、ロシアの一部であり、ロシアから除くことはできない」と・・・ ウクライナへの侵攻は、欧州全体の政治的な秩序に対する紛争なのです」、トランプが大統領になれば、ウケライナへの米国の支援はなくなり、ウクライナは不名誉な停戦を余儀なくされる可能性が強まってきた。残念ながら「プーチン」の勝利に終わるのだろうか。腹立たしい限りだ。
”右傾化”(その16)(神社庁幹部による約3000万円の「横領」が発覚 横領したのは神道政治連盟・打田会長の親族、極右の相次ぐ選挙勝利 マスコミが「ポピュリズム」報道の詭弁で助長する愚行、「世界的右傾化はなぜ止まらないのか」…衆愚政治から抜け出すたった一つの解決法 真剣に政治のことを考えないと国が消滅する) [経済政治動向]
”右傾化”については、昨年5月7日に取上げた。今日は、(その16)(神社庁幹部による約3000万円の「横領」が発覚 横領したのは神道政治連盟・打田会長の親族、極右の相次ぐ選挙勝利 マスコミが「ポピュリズム」報道の詭弁で助長する愚行、「世界的右傾化はなぜ止まらないのか」…衆愚政治から抜け出すたった一つの解決法 真剣に政治のことを考えないと国が消滅する)である。
先ずは、昨年5月20日付け東洋経済オンライン「神社庁幹部による約3000万円の「横領」が発覚 横領したのは神道政治連盟・打田会長の親族」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/673965
・『全国8万社の神社を包括する神社本庁の傘下組織である東京都神社庁(小野貴嗣庁長)の幹部が、複数年にわたって神社庁の口座などから約3000万円を自身の口座に移し、生活費や競馬代として使っていたことがわかった。この幹部は1月に東京都神社庁を解雇されている。 「金銭上の非違行為」(東京都神社庁の庁報『東神』)で解雇されたのは、現在も都内の神社で宮司をしているM氏。複数の関係者によると、M氏による横領が発覚したのは2022年12月。東京都神社庁の口座から別の口座に不自然に現金が移動していることに職員が気づいたという。 発覚後、M氏が東京都神社庁に提出した「事情説明書」によると、生活資金がままならなくなり、「借入だと勝手に考え資金の流用を繰り返してしまいました」としている。妻との不和によるストレスで競馬に費消した旨も書かれている』、「東京都神社庁・・・の幹部が、複数年にわたって神社庁の口座などから約3000万円を自身の口座に移し、生活費や競馬代として使っていた・・・この幹部は1月に東京都神社庁を解雇・・・解雇されたのは、現在も都内の神社で宮司をしているM氏」、「約3000万円」もの金銭を横領、「解雇された」が、「現在も都内の神社で宮司をしている」、とは驚かされた。「約3000万円」は何らかの方法で「弁済」されたのだろうか。下の記事を読むと、うち1900万円は「父親」が「弁済」したようだ。
・『「教誨師」の口座を通して 横領の総額はわかっているだけで約3000万円にのぼる。 2022年12月に発覚した横領額は約1900万円。発覚後、東京都神社庁の小野氏がM氏の父親(都内の宮司)にかけあい、弁済させたという。 だが、2023年に入るとM氏の別の横領も明るみに出る。3月には、新たに630万円が東京都神職教誨師会の口座に移された後、引き出されていたことが発覚した。教誨師(きょうかいし)とは、刑務所などで受刑者に精神的、宗教的な教えを説き、二度と罪を犯さぬよう教えを説く者のことで、M氏は東京都神職教誨師会の事務局長を務めていた。 5月11日の役員会では、さらに約600万円が神職教誨師会の口座から引き出されていたことが確認されたが、損害を被ったのが神社庁か神職教誨師会かははっきりしていない。 神社庁として被害届けを出すべきか、それとも刑事告訴すべきか。5月11日の役員会は紛糾した。「小野庁長はじめ役員が引責辞任するべきではないか」という意見も出たが、この日は組織として被害届けを出す方針だけ固まった。 横領の発覚から5カ月が経過しており、不祥事対応としては遅きに失した感はぬぐえない。) 都内の宮司は「この間、神社庁は『調査中』というばかりで横領の手口や、金が何に使われていたのかなど、ほとんど具体的には説明しなかった。警察に被害届けを出すと決めるまでにどうして5カ月もかかったのか」と首を傾げる。
背景に見え隠れするのが、上部組織である神社本庁で起きている内紛だ』、「刑務所などで受刑者に精神的、宗教的な教えを説き、二度と罪を犯さぬよう教えを説く者のことで、M氏は東京都神職教誨師会の事務局長を務めていた・・・ここからも「630万円」が引き出されたというのは、呆れ果てた。「教誨師」が横領しているのでは、説教を聞かされた「受刑者」も呆れるだろう。
・『神社本庁で起きている泥沼の争い 神社本庁では2022年から2人の宮司が「総長の座」をめぐって争っている。一人は、2期6年が通例であるところ4期12年の長期政権を敷いてきた田中恆清氏(京都・石清水八幡宮宮司)、もう一人が芦原高穂氏(北海道・旭川神社宮司)だ。 経緯は以下の通り。 2022年5月、全国の神社庁長など約170人が集まる評議員会で、神社本庁の宗教的な権威である「統理」に伊勢神宮大宮司を務めた鷹司尚武氏が全会一致で選任された。 鷹司氏はその後の役員会で次期総長に芦原氏を指名。5期15年を目指した田中氏に退任を迫った。 ところが翌6月の役員会では15人中9人が田中氏の続投を支持。結果、宗教的権威である鷹司氏が指名した芦原氏と、宗教法人である神社本庁の役員会が議決した田中氏が、総長の正当性をめぐって争う構図が生まれた。 2022年の7月、神社本庁は芦原氏が宮司をする北海道の旭川地裁に、芦原氏が神社本庁の総長ではないことを確認する仮処分を申し立て、旭川地裁はこれを認めた。一方の芦原氏は東京地裁に地位確認請求訴訟を提起。「真の総長」をめぐる泥沼裁判が始まってしまう。 こうした中、約3000万円もの金を横領していながら東京都神社庁の態度が煮え切らないのは、実は理由がある。それは、M氏が田中氏を支持する神社本庁の中枢と結びついているからだ。 旭川地裁が「芦原氏は総長の地位にはない」という決定をした昨年7月7日、地裁の前に白のベンツが乗りつけた。クルマから出てきたのは神社本庁の吉川通泰副総長と小野貴嗣常務理事。小野氏は東京都神社庁の庁長でもあり「田中総長の長期政権を支えた『ポスト田中』の筆頭格」(有力神社の宮司)と言われる人物だ。 【2023年5月20日7時5分追記】上記の初出時の日付を修正しました。 その2人の後ろから姿を現したのが運転をしていたM氏だ。小野氏の出張に同行するなど行動を共にすることが多く、田中氏の側近である神道政治連盟・打田文博会長の親戚でもあることからM氏は自民党国会議員との接点も多い。 【2023年5月22日11時20分追記】上記と記事の見出しで、初出時の親族を親戚に修正しました。 そうしたM氏のポジションから、「芦原総長」を支持する側からは「横領は本当にこれだけなのか。3000万円もの金の使い道は本当に生活費や競馬だけなのか。徹底した調査がなされているのか疑問だ」という声があがる。 というのも、企業や団体で不祥事が発覚すれば、利害関係のない外部の弁護士や会計士が調査するのが通例だが、今回の調査は東京都神社庁内部のみで行われているからだ。しかもその調査には、「総長をめぐる裁判」において田中氏側の代理人であるだけでなく、東京都神社庁の顧問弁護士であり、M氏と親交のある弁護士が関与している。このような調査で、横領の真相は明らかになるのか。関係者の間では疑念が渦巻いている。 【2023年5月24日13時55分追記】上記を初出時から一部修正しました』、「「真の総長」をめぐる泥沼裁判が始まってしまう。 こうした中、約3000万円もの金を横領していながら東京都神社庁の態度が煮え切らないのは、実は理由がある。それは、M氏が田中氏を支持する神社本庁の中枢と結びついているからだ」、「神社本庁」、「東京都神社庁」は本当にいい加減な組織だ。
・『「話せるときがきたら話します」 5月22日から1週間、神社本庁では全国の宮司・総代が勢揃いする会議が開かれる。田中体制の執行部はM氏の横領についてどんな説明をするのか。 5月中旬、神社で月に一度の月次祭(つきなみさい)を執り行っていたM氏。祭祀終了後、横領について尋ねた。M氏は「今は、否定も肯定もしないことにしています。話せるときがきたら話します。申し訳ありません」と言うばかりだった。 東洋経済は東京都神社庁と神社本庁に「横領額とその内訳」「横領したM氏が神職の資格を剥奪されない理由」「小野庁長の責任」「M氏と親しい弁護士に横領の調査を任せている理由」などを尋ねたが、どちらからも期限までに回答はなかった』、こんないい加減な組織は免税の特権を停止するような荒療治も検討すべきだろう。
次に、昨年12月6日付けNewsweek日本版「極右の相次ぐ選挙勝利、マスコミが「ポピュリズム」報道の詭弁で助長する愚行」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2023/12/post-103179.php
・『<アルゼンチンやオランダで極右が相次ぎ勝利、脅威を喧伝しながらポピュリストの形容により極右を「主流」にしてしまう報道関係者・研究者の罪をあばく> 新たな「ポピュリズムの衝撃」だった。 11月19日に行われたアルゼンチン大統領選決選投票を制した右派のハビエル・ミレイと、11月22日のオランダ総選挙で第1党になった極右政党・自由党を率いるヘールト・ウィルダース。2人の勝利は、弱体化する自由民主主義に襲いかかる「ポピュリズムの波」の象徴だ。 一方、リアリティー番組に出演するイギリス独立党(UKIP)元党首ナイジェル・ファラージュのように、親しみやすい人物として世間に浸透する極右指導者もいる。 この構図には、極右への反応の矛盾がむき出しになっているが、問題はもっと根深い。 娯楽番組などで人間性を強調すれば、極右は「普通」になる。 極右とその脅威を懸念する者にとって、これは自明の理のはずだ。 だが、極右の脅威を大げさに伝えるのも同じくらい有害だ。 反動政治の復活は想定内であり、かなり前から始まっている。それなのに極右が勝利するたび、予想外の新たな現象という分析が出てくる。 「ポピュリズム」も同様だ。 専門的な研究はどれも、彼らの本質はポピュリストではなく、極右にほかならないと指摘する。だがメディアも学者も、ポピュリストと不用意に形容しがちだ。 極右や人種差別主義者の代わりにポピュリストと呼ぶのは、極右の正当化に貢献する行為だ。 この「人民」を語源とする単語は民主的な支持を想起させ、彼らのエリート主義的本質を消し去ってしまう』、ここではトランプは何故か「極右」、「ポピュリズム」とされてないようだ。
・『主流メディアの責任放棄 極右の主流化や正常化というプロセスは、主流そのものと強く結び付いている。 主流に取り込まれることなく、何かが主流化することはあり得ない。 反対姿勢をアピールして自身の責任を否定しながら主張を取り上げ、過剰報道し、正当化してしまう。それが極右主流化のプロセスだ。 主流派メディアは世論形成に重要な役割を持つが、その多くは役割に伴う責任を放棄するか、無視している。編集方針による選択の結果を、無作為の事象と言わんばかりだ。 いい例が2018年から英紙ガーディアンが連載した「新ポピュリズム」特集だ。その出発点は「なぜ突然、ポピュリズムが大ブームになったのか」という問いだった。 ポピュリズムを取り上げた同紙の記事は、1998年には約300件だったが、16年は2000件に増えたという。だがそれは、単純に同誌がポピュリズムという単語を多用するようになったからではないのか? 極右台頭は「サイレント・マジョリティー」や「白人労働層」のせいにされている。 極右は規範や主流の枠外のアウトサイダーと捉えられがちだが、そうした見方は社会の中核に埋め込まれた構造的格差や抑圧を見落としている。 研究者もそうだ。 この5年間に発表された論文2500件以上のタイトルと要旨を分析したところ、選挙や移民を論点にして極右をごまかし、例外扱いする傾向が強かった。 主流化という問題では、主流自体の大きな役割を考慮すべきだ。 世論形成への特権的アクセスを持つメディアや学術研究者は、主流という良識と正義の砦(とりで)の中にいるのではない。彼らが立っているのは、権力が極めて不均衡な形で分配された闘技場だ。 極右にも「一理ある」が、極右には反対──そんな詭弁は許されない』、「この5年間に発表された論文2500件以上のタイトルと要旨を分析したところ、選挙や移民を論点にして極右をごまかし、例外扱いする傾向が強かった。 主流化という問題では、主流自体の大きな役割を考慮すべきだ。 世論形成への特権的アクセスを持つメディアや学術研究者は、主流という良識と正義の砦(とりで)の中にいるのではない。彼らが立っているのは、権力が極めて不均衡な形で分配された闘技場だ。 極右にも「一理ある」が、極右には反対──そんな詭弁は許されない」、手厳しいメディア批判だ。
第三に、昨年12月27日付けプレジデント 2024年1月12日号が掲載したビジネス・ブレークスルー大学学長の大前研一氏による「「世界的右傾化はなぜ止まらないのか」…衆愚政治から抜け出すたった一つの解決法 真剣に政治のことを考えないと国が消滅する」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/77131
・『グローバル経済の恩恵を忘れるな 世界の右傾化が止まらない。2023年11月19日に行われたアルゼンチン大統領選の決選投票で、「アルゼンチンのトランプ」を自称する右派のハビエル・ミレイ下院議員が、左派のセルヒオ・マサ経済大臣を破って当選、12月10日に就任した。その他、各地で極右政党が勢力を伸ばしている。これは世界の破滅につながる道である。 今では知らない人も多いが、20世紀初頭のアルゼンチンは非常に豊かな国だった。肥沃な土壌を活かして農業大国として成長し、最盛期は世界第5位の経済大国になったほどだ。 しかし、世界恐慌以降のアルゼンチンは没落の一途だ。工業化の波に乗りきれず、左派の正義党(ペロン党)による長期政権のバラマキ政策で政府の債務が増大。何度もデフォルトを起こし、今やインフレ率は140%に達した。経済的には、もはや三流国だ。 こうした状況に不満を持つ国民が選んだのが、過激な政策を掲げる野党ラ・リベルタド・アバンザ(自由の前進)を率いるミレイ氏だ。ミレイ氏は銃所持の合法化を訴え、臓器売買を容認する。しかし、急進的な自由主義者なのかというと、宗教的には保守的で、人工妊娠中絶には反対の姿勢を示している。演説会ではチェーンソーを振り回し、筋骨隆々の大型犬マスティフを5匹飼っているという。まさにマッチョを売りにするミニ・トランプだ。 トランプ的な政治家の躍進は、アルゼンチンに限らない。イタリアでは22年10月に極右のジョルジャ・メローニ氏が首相に就任。ドイツでは23年10月、ヘッセン州の州議会選挙で、反移民を掲げる極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が第二党に躍り出た。 フランスではマクロン大統領の支持率が低迷しており、27年の大統領選では親子2代にわたって極右を標榜しているマリーヌ・ル・ペン氏が勝つと分析する評論家が多い。世界が右傾化する流れを決定的なものにしたドナルド・トランプ氏も、4つの刑事裁判を抱えながら依然として一定の支持があり、24年大統領選でふたたび政治の表舞台に出てくる可能性がある。 トランプ的な主張が支持を集める原因は、グローバル経済への「慣れ」だ。) 私が『ボーダレス・ワールド』(プレジデント社)を書いてグローバル経済を提唱したのは、約30年前だ。世界には、「材料」生産の最適地と、それを加工成形して組み立てる「人材」の最適地がある。2つの最適地でモノをつくって自由に輸入できるようすれば、品質のいいものが安く手に入り、世界中の消費者に恩恵をもたらす。このボーダレス経済論は一世を風靡ふうびし、事実、世界経済はその方向で発展していった。 ボーダレス経済論は、価格に敏感な繊維・アパレル業を例にするとわかりやすい。戦後、日本は材料でも人でも世界の繊維産業で最適地だった。自国の繊維産業の衰退を恐れたアメリカは、日米繊維交渉で日本を抑え込もうとした。アメリカを前に日本は屈服せざるをえなかったが、交渉しているうちに日本の人件費が上がり、すでに最適地は韓国に移っていた。その後、最適地は韓国から台湾、インドネシアへと移動を重ね、90年代からは中国だ。 今では中国も人件費が上がり、産業によっては最適地が異なるものの、総じてみれば世界の工場は中国に集まり、そこでつくられた製品を各国が輸入している。そして、消費者は自国でつくるよりも安い価格で製品を手に入れるというのが、ここ30年の流れだった。 90〜00年代は、多くの消費者がグローバル経済の恩恵を実感していた。それが今では当然になり、逆にグローバル経済が右派政治家による排外主義的な主張のやり玉に挙がったとしても、抵抗を覚えなくなってしまったのだ。 トランプ氏は大統領在任中、中国による知的財産権侵害に対する懲罰と称し、対中関税をたびたび引き上げた。懲罰の目的を「自国の産業保護」と謳うたっていたが、これは建前だ。本当は「中国は日本のように尻尾を振らないから、罰を与えて支持者の溜飲を下げる」という、政治的なパフォーマンスなのだ。
実際、トランプ氏による中国の排斥が政治的なパフォーマンスにすぎなかったことは、現状を見ればわかる。トランプ氏は補助金をちらつかせ、メーカーが中国ではなくアメリカに工場をつくるように働きかけた。釣られた台湾の鴻海ホンハイ精密工業は、ウィスコンシン州で工場建設を計画。トップの郭台銘(テリー・ゴウ)氏が現地に来て鍬入れ式まで行ったが、その後頓挫した。 アメリカの執拗な中国叩きにもかかわらず、結局iPhoneなどのスマートフォンは今も中国で組み立てられており、中の部品についても6割が中国製である。アメリカの消費者はその高くなったスマホを喜んで買い、アメリカ政府は高くなった関税をポケットにしまい込んで知らん顔をしている。精巧なサプライチェーンを基盤としたボーダレス経済は、何も変わっていないのだ』、「アメリカの執拗な中国叩きにもかかわらず、結局iPhoneなどのスマートフォンは今も中国で組み立てられており、中の部品についても6割が中国製である。アメリカの消費者はその高くなったスマホを喜んで買い、アメリカ政府は高くなった関税をポケットにしまい込んで知らん顔をしている。精巧なサプライチェーンを基盤としたボーダレス経済は、何も変わっていないのだ」、なるほど。
・『愛国者を喜ばせるパフォーマンス 前述のアルゼンチンのミレイ大統領は、新自由主義者らしく国内政策では小さな政府を標榜している。しかし、対外的には保護主義色が強く、選挙期間中は南米の自由貿易協定であるメルコスール(南米南部共同市場)からの離脱をほのめかしていた。ただ、これもおそらくパフォーマンスだ。南米のライバル国であるブラジルが中心的存在を担うメルコスールを抜けると言えば、国内の愛国者たちが喜ぶからだ。 ミレイ大統領は中央銀行の廃止や、ペソを廃止してドル化するといった無茶苦茶な政策も掲げている。 もしペソを廃止してドルを使うなら、ユーロ導入国がマーストリヒト条約に批准するのと同じような図式でアメリカと条約を結ぶ必要がある。ユーロを参考にすると、その導入には①物価安定性②健全な財政とその持続性③為替安定④長期金利の安定性という4つの基準を満たす必要がある。このうち、①と②については次の通りだ。 ①過去1年間の自国のインフレ率が、ユーロ導入国でインフレ率が最も低い3カ国の平均値との格差が1.5%以内
②財政赤字がGDP比3%以下、債務残高がGDP比60%以下 アメリカが同様の水準をアルゼンチンに求めたら、ドル化の話は瞬時に終わる。140%のインフレ率を一桁台に抑える魔法は存在しない。また、基準を満たすくらいに債務を減らすには、あらゆる行政サービスを削らなくてはならず、国内で暴動が起きるだろう。 ミレイ大統領は経済学部の出身で、大学で教鞭をとっていたほどだから、自分が掲げる政策が実現できないことがわかるはずだ。もし本気なのであれば、頭がおかしいと言わざるをえない』、「ミレイ大統領は中央銀行の廃止や、ペソを廃止してドル化するといった無茶苦茶な政策も掲げている。 もしペソを廃止してドルを使うなら、ユーロ導入国がマーストリヒト条約に批准するのと同じような図式でアメリカと条約を結ぶ必要がある・・・アメリカが同様の水準をアルゼンチンに求めたら、ドル化の話は瞬時に終わる。140%のインフレ率を一桁台に抑える魔法は存在しない。また、基準を満たすくらいに債務を減らすには、あらゆる行政サービスを削らなくてはならず、国内で暴動が起きるだろう。 ミレイ大統領は経済学部の出身で、大学で教鞭をとっていたほどだから、自分が掲げる政策が実現できないことがわかるはずだ。もし本気なのであれば、頭がおかしいと言わざるをえない」、「ミレイ大統領は経済学部の出身で、大学で教鞭をとっていたほどだから、自分が掲げる政策が実現できないことがわかるはずだ」、どういうことなのだろう。南米人らしく無責任なのだろうか。
・『衆愚政治化を止める唯一の方法とは 問題は、現実にありえない政策を掲げる人物を、なぜ国民が選ぶのかだ。トランプ氏は、大統領選で「MAGA」というスローガンを掲げて当選した。Make America Great Again、アメリカをふたたび偉大な国にするという意味だ。実はミレイ大統領も選挙で「MAGA」を掲げて聴衆から喝采を浴びている。アルゼンチンも頭文字がAなので、国名だけを入れ替えてスローガンを拝借したわけだ。 MAGAという主張には、誰も反論のしようがない。アメリカのリベラル派も自国が復活してほしいと願っている。このように誰も文句のない主張をする人を、英語圏では「マザーフッド」と呼ぶ。「母の愛は素晴らしい」といったあたりまえのことを、さも意味のあることのように言うのはバカだと揶揄するときに使う表現である。 MAGAはまさにマザーフッドだが、右傾化を許した国の国民は、マザーフッドだと思わずに素直に心を震わせる。反知性主義とも言われる所以だ。はっきり言えば、衆愚政治化が進んでいる。 衆愚政治から抜け出す道は一つしかない。国民が賢くなることである。 私は学校で政治家の甘言を見抜く政治リテラシーの教育をしたらいいと思う。特定の政治的思想を教えるのではない。右だけではなく左にもポピュリストやアジテーター(扇動者)はいる。「こういうのが還付金詐欺です」と警察が啓蒙するように、ポピュリストの手口を広く教えて、それに惑わされずに自分の頭で考える術を教えるのだ。 残念ながら今のところ学校で「市民術」と言えるような、政治リテラシーを教えている国はない。それならば、右傾化していない国の国民は、なぜ政治的に成熟しているのか。 ポピュリスト勢力の拡大を抑えられている国には、ある共通点がある。ベルギー、シンガポール、ポーランド。これらは国土や人口、資源などの面でハンデを負った小国であり、政治的には大国のはざまで何とか生き抜いてきた歴史を持つ。真剣に政治のことを考えないと国が消滅するおそれがあるので、国民が政治参加に積極的で、お互いに啓発し合うのである。 一方、右傾化しやすいのは、少なくとも一度は栄華を誇った過去があり、現在も何らかの条件に恵まれ、必死にならなくてもとりあえず生きていける国だ。アメリカやヨーロッパの大国、アルゼンチンがまさしく当てはまる。 没落しつつも、まだ経済大国である日本は後者だ。アルゼンチンと同じバラマキ大国である日本も同じ轍を踏むのか。それは、国民の集団知性しだいである』、「誰も文句のない主張をする人を、英語圏では「マザーフッド」と呼ぶ。「母の愛は素晴らしい」といったあたりまえのことを、さも意味のあることのように言うのはバカだと揶揄するときに使う表現である。 MAGAはまさにマザーフッドだが、右傾化を許した国の国民は、マザーフッドだと思わずに素直に心を震わせる。反知性主義とも言われる所以だ。はっきり言えば、衆愚政治化が進んでいる・・・右傾化しやすいのは、少なくとも一度は栄華を誇った過去があり、現在も何らかの条件に恵まれ、必死にならなくてもとりあえず生きていける国だ。アメリカやヨーロッパの大国、アルゼンチンがまさしく当てはまる。 没落しつつも、まだ経済大国である日本は後者だ。アルゼンチンと同じバラマキ大国である日本も同じ轍を踏むのか。それは、国民の集団知性しだいである」、「日本」も「国民の集団知性」には多くを期待できないので、やはり「右傾化しやすい」、或いは既に「右傾化している」のは確かだ。
先ずは、昨年5月20日付け東洋経済オンライン「神社庁幹部による約3000万円の「横領」が発覚 横領したのは神道政治連盟・打田会長の親族」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/673965
・『全国8万社の神社を包括する神社本庁の傘下組織である東京都神社庁(小野貴嗣庁長)の幹部が、複数年にわたって神社庁の口座などから約3000万円を自身の口座に移し、生活費や競馬代として使っていたことがわかった。この幹部は1月に東京都神社庁を解雇されている。 「金銭上の非違行為」(東京都神社庁の庁報『東神』)で解雇されたのは、現在も都内の神社で宮司をしているM氏。複数の関係者によると、M氏による横領が発覚したのは2022年12月。東京都神社庁の口座から別の口座に不自然に現金が移動していることに職員が気づいたという。 発覚後、M氏が東京都神社庁に提出した「事情説明書」によると、生活資金がままならなくなり、「借入だと勝手に考え資金の流用を繰り返してしまいました」としている。妻との不和によるストレスで競馬に費消した旨も書かれている』、「東京都神社庁・・・の幹部が、複数年にわたって神社庁の口座などから約3000万円を自身の口座に移し、生活費や競馬代として使っていた・・・この幹部は1月に東京都神社庁を解雇・・・解雇されたのは、現在も都内の神社で宮司をしているM氏」、「約3000万円」もの金銭を横領、「解雇された」が、「現在も都内の神社で宮司をしている」、とは驚かされた。「約3000万円」は何らかの方法で「弁済」されたのだろうか。下の記事を読むと、うち1900万円は「父親」が「弁済」したようだ。
・『「教誨師」の口座を通して 横領の総額はわかっているだけで約3000万円にのぼる。 2022年12月に発覚した横領額は約1900万円。発覚後、東京都神社庁の小野氏がM氏の父親(都内の宮司)にかけあい、弁済させたという。 だが、2023年に入るとM氏の別の横領も明るみに出る。3月には、新たに630万円が東京都神職教誨師会の口座に移された後、引き出されていたことが発覚した。教誨師(きょうかいし)とは、刑務所などで受刑者に精神的、宗教的な教えを説き、二度と罪を犯さぬよう教えを説く者のことで、M氏は東京都神職教誨師会の事務局長を務めていた。 5月11日の役員会では、さらに約600万円が神職教誨師会の口座から引き出されていたことが確認されたが、損害を被ったのが神社庁か神職教誨師会かははっきりしていない。 神社庁として被害届けを出すべきか、それとも刑事告訴すべきか。5月11日の役員会は紛糾した。「小野庁長はじめ役員が引責辞任するべきではないか」という意見も出たが、この日は組織として被害届けを出す方針だけ固まった。 横領の発覚から5カ月が経過しており、不祥事対応としては遅きに失した感はぬぐえない。) 都内の宮司は「この間、神社庁は『調査中』というばかりで横領の手口や、金が何に使われていたのかなど、ほとんど具体的には説明しなかった。警察に被害届けを出すと決めるまでにどうして5カ月もかかったのか」と首を傾げる。
背景に見え隠れするのが、上部組織である神社本庁で起きている内紛だ』、「刑務所などで受刑者に精神的、宗教的な教えを説き、二度と罪を犯さぬよう教えを説く者のことで、M氏は東京都神職教誨師会の事務局長を務めていた・・・ここからも「630万円」が引き出されたというのは、呆れ果てた。「教誨師」が横領しているのでは、説教を聞かされた「受刑者」も呆れるだろう。
・『神社本庁で起きている泥沼の争い 神社本庁では2022年から2人の宮司が「総長の座」をめぐって争っている。一人は、2期6年が通例であるところ4期12年の長期政権を敷いてきた田中恆清氏(京都・石清水八幡宮宮司)、もう一人が芦原高穂氏(北海道・旭川神社宮司)だ。 経緯は以下の通り。 2022年5月、全国の神社庁長など約170人が集まる評議員会で、神社本庁の宗教的な権威である「統理」に伊勢神宮大宮司を務めた鷹司尚武氏が全会一致で選任された。 鷹司氏はその後の役員会で次期総長に芦原氏を指名。5期15年を目指した田中氏に退任を迫った。 ところが翌6月の役員会では15人中9人が田中氏の続投を支持。結果、宗教的権威である鷹司氏が指名した芦原氏と、宗教法人である神社本庁の役員会が議決した田中氏が、総長の正当性をめぐって争う構図が生まれた。 2022年の7月、神社本庁は芦原氏が宮司をする北海道の旭川地裁に、芦原氏が神社本庁の総長ではないことを確認する仮処分を申し立て、旭川地裁はこれを認めた。一方の芦原氏は東京地裁に地位確認請求訴訟を提起。「真の総長」をめぐる泥沼裁判が始まってしまう。 こうした中、約3000万円もの金を横領していながら東京都神社庁の態度が煮え切らないのは、実は理由がある。それは、M氏が田中氏を支持する神社本庁の中枢と結びついているからだ。 旭川地裁が「芦原氏は総長の地位にはない」という決定をした昨年7月7日、地裁の前に白のベンツが乗りつけた。クルマから出てきたのは神社本庁の吉川通泰副総長と小野貴嗣常務理事。小野氏は東京都神社庁の庁長でもあり「田中総長の長期政権を支えた『ポスト田中』の筆頭格」(有力神社の宮司)と言われる人物だ。 【2023年5月20日7時5分追記】上記の初出時の日付を修正しました。 その2人の後ろから姿を現したのが運転をしていたM氏だ。小野氏の出張に同行するなど行動を共にすることが多く、田中氏の側近である神道政治連盟・打田文博会長の親戚でもあることからM氏は自民党国会議員との接点も多い。 【2023年5月22日11時20分追記】上記と記事の見出しで、初出時の親族を親戚に修正しました。 そうしたM氏のポジションから、「芦原総長」を支持する側からは「横領は本当にこれだけなのか。3000万円もの金の使い道は本当に生活費や競馬だけなのか。徹底した調査がなされているのか疑問だ」という声があがる。 というのも、企業や団体で不祥事が発覚すれば、利害関係のない外部の弁護士や会計士が調査するのが通例だが、今回の調査は東京都神社庁内部のみで行われているからだ。しかもその調査には、「総長をめぐる裁判」において田中氏側の代理人であるだけでなく、東京都神社庁の顧問弁護士であり、M氏と親交のある弁護士が関与している。このような調査で、横領の真相は明らかになるのか。関係者の間では疑念が渦巻いている。 【2023年5月24日13時55分追記】上記を初出時から一部修正しました』、「「真の総長」をめぐる泥沼裁判が始まってしまう。 こうした中、約3000万円もの金を横領していながら東京都神社庁の態度が煮え切らないのは、実は理由がある。それは、M氏が田中氏を支持する神社本庁の中枢と結びついているからだ」、「神社本庁」、「東京都神社庁」は本当にいい加減な組織だ。
・『「話せるときがきたら話します」 5月22日から1週間、神社本庁では全国の宮司・総代が勢揃いする会議が開かれる。田中体制の執行部はM氏の横領についてどんな説明をするのか。 5月中旬、神社で月に一度の月次祭(つきなみさい)を執り行っていたM氏。祭祀終了後、横領について尋ねた。M氏は「今は、否定も肯定もしないことにしています。話せるときがきたら話します。申し訳ありません」と言うばかりだった。 東洋経済は東京都神社庁と神社本庁に「横領額とその内訳」「横領したM氏が神職の資格を剥奪されない理由」「小野庁長の責任」「M氏と親しい弁護士に横領の調査を任せている理由」などを尋ねたが、どちらからも期限までに回答はなかった』、こんないい加減な組織は免税の特権を停止するような荒療治も検討すべきだろう。
次に、昨年12月6日付けNewsweek日本版「極右の相次ぐ選挙勝利、マスコミが「ポピュリズム」報道の詭弁で助長する愚行」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2023/12/post-103179.php
・『<アルゼンチンやオランダで極右が相次ぎ勝利、脅威を喧伝しながらポピュリストの形容により極右を「主流」にしてしまう報道関係者・研究者の罪をあばく> 新たな「ポピュリズムの衝撃」だった。 11月19日に行われたアルゼンチン大統領選決選投票を制した右派のハビエル・ミレイと、11月22日のオランダ総選挙で第1党になった極右政党・自由党を率いるヘールト・ウィルダース。2人の勝利は、弱体化する自由民主主義に襲いかかる「ポピュリズムの波」の象徴だ。 一方、リアリティー番組に出演するイギリス独立党(UKIP)元党首ナイジェル・ファラージュのように、親しみやすい人物として世間に浸透する極右指導者もいる。 この構図には、極右への反応の矛盾がむき出しになっているが、問題はもっと根深い。 娯楽番組などで人間性を強調すれば、極右は「普通」になる。 極右とその脅威を懸念する者にとって、これは自明の理のはずだ。 だが、極右の脅威を大げさに伝えるのも同じくらい有害だ。 反動政治の復活は想定内であり、かなり前から始まっている。それなのに極右が勝利するたび、予想外の新たな現象という分析が出てくる。 「ポピュリズム」も同様だ。 専門的な研究はどれも、彼らの本質はポピュリストではなく、極右にほかならないと指摘する。だがメディアも学者も、ポピュリストと不用意に形容しがちだ。 極右や人種差別主義者の代わりにポピュリストと呼ぶのは、極右の正当化に貢献する行為だ。 この「人民」を語源とする単語は民主的な支持を想起させ、彼らのエリート主義的本質を消し去ってしまう』、ここではトランプは何故か「極右」、「ポピュリズム」とされてないようだ。
・『主流メディアの責任放棄 極右の主流化や正常化というプロセスは、主流そのものと強く結び付いている。 主流に取り込まれることなく、何かが主流化することはあり得ない。 反対姿勢をアピールして自身の責任を否定しながら主張を取り上げ、過剰報道し、正当化してしまう。それが極右主流化のプロセスだ。 主流派メディアは世論形成に重要な役割を持つが、その多くは役割に伴う責任を放棄するか、無視している。編集方針による選択の結果を、無作為の事象と言わんばかりだ。 いい例が2018年から英紙ガーディアンが連載した「新ポピュリズム」特集だ。その出発点は「なぜ突然、ポピュリズムが大ブームになったのか」という問いだった。 ポピュリズムを取り上げた同紙の記事は、1998年には約300件だったが、16年は2000件に増えたという。だがそれは、単純に同誌がポピュリズムという単語を多用するようになったからではないのか? 極右台頭は「サイレント・マジョリティー」や「白人労働層」のせいにされている。 極右は規範や主流の枠外のアウトサイダーと捉えられがちだが、そうした見方は社会の中核に埋め込まれた構造的格差や抑圧を見落としている。 研究者もそうだ。 この5年間に発表された論文2500件以上のタイトルと要旨を分析したところ、選挙や移民を論点にして極右をごまかし、例外扱いする傾向が強かった。 主流化という問題では、主流自体の大きな役割を考慮すべきだ。 世論形成への特権的アクセスを持つメディアや学術研究者は、主流という良識と正義の砦(とりで)の中にいるのではない。彼らが立っているのは、権力が極めて不均衡な形で分配された闘技場だ。 極右にも「一理ある」が、極右には反対──そんな詭弁は許されない』、「この5年間に発表された論文2500件以上のタイトルと要旨を分析したところ、選挙や移民を論点にして極右をごまかし、例外扱いする傾向が強かった。 主流化という問題では、主流自体の大きな役割を考慮すべきだ。 世論形成への特権的アクセスを持つメディアや学術研究者は、主流という良識と正義の砦(とりで)の中にいるのではない。彼らが立っているのは、権力が極めて不均衡な形で分配された闘技場だ。 極右にも「一理ある」が、極右には反対──そんな詭弁は許されない」、手厳しいメディア批判だ。
第三に、昨年12月27日付けプレジデント 2024年1月12日号が掲載したビジネス・ブレークスルー大学学長の大前研一氏による「「世界的右傾化はなぜ止まらないのか」…衆愚政治から抜け出すたった一つの解決法 真剣に政治のことを考えないと国が消滅する」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/77131
・『グローバル経済の恩恵を忘れるな 世界の右傾化が止まらない。2023年11月19日に行われたアルゼンチン大統領選の決選投票で、「アルゼンチンのトランプ」を自称する右派のハビエル・ミレイ下院議員が、左派のセルヒオ・マサ経済大臣を破って当選、12月10日に就任した。その他、各地で極右政党が勢力を伸ばしている。これは世界の破滅につながる道である。 今では知らない人も多いが、20世紀初頭のアルゼンチンは非常に豊かな国だった。肥沃な土壌を活かして農業大国として成長し、最盛期は世界第5位の経済大国になったほどだ。 しかし、世界恐慌以降のアルゼンチンは没落の一途だ。工業化の波に乗りきれず、左派の正義党(ペロン党)による長期政権のバラマキ政策で政府の債務が増大。何度もデフォルトを起こし、今やインフレ率は140%に達した。経済的には、もはや三流国だ。 こうした状況に不満を持つ国民が選んだのが、過激な政策を掲げる野党ラ・リベルタド・アバンザ(自由の前進)を率いるミレイ氏だ。ミレイ氏は銃所持の合法化を訴え、臓器売買を容認する。しかし、急進的な自由主義者なのかというと、宗教的には保守的で、人工妊娠中絶には反対の姿勢を示している。演説会ではチェーンソーを振り回し、筋骨隆々の大型犬マスティフを5匹飼っているという。まさにマッチョを売りにするミニ・トランプだ。 トランプ的な政治家の躍進は、アルゼンチンに限らない。イタリアでは22年10月に極右のジョルジャ・メローニ氏が首相に就任。ドイツでは23年10月、ヘッセン州の州議会選挙で、反移民を掲げる極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が第二党に躍り出た。 フランスではマクロン大統領の支持率が低迷しており、27年の大統領選では親子2代にわたって極右を標榜しているマリーヌ・ル・ペン氏が勝つと分析する評論家が多い。世界が右傾化する流れを決定的なものにしたドナルド・トランプ氏も、4つの刑事裁判を抱えながら依然として一定の支持があり、24年大統領選でふたたび政治の表舞台に出てくる可能性がある。 トランプ的な主張が支持を集める原因は、グローバル経済への「慣れ」だ。) 私が『ボーダレス・ワールド』(プレジデント社)を書いてグローバル経済を提唱したのは、約30年前だ。世界には、「材料」生産の最適地と、それを加工成形して組み立てる「人材」の最適地がある。2つの最適地でモノをつくって自由に輸入できるようすれば、品質のいいものが安く手に入り、世界中の消費者に恩恵をもたらす。このボーダレス経済論は一世を風靡ふうびし、事実、世界経済はその方向で発展していった。 ボーダレス経済論は、価格に敏感な繊維・アパレル業を例にするとわかりやすい。戦後、日本は材料でも人でも世界の繊維産業で最適地だった。自国の繊維産業の衰退を恐れたアメリカは、日米繊維交渉で日本を抑え込もうとした。アメリカを前に日本は屈服せざるをえなかったが、交渉しているうちに日本の人件費が上がり、すでに最適地は韓国に移っていた。その後、最適地は韓国から台湾、インドネシアへと移動を重ね、90年代からは中国だ。 今では中国も人件費が上がり、産業によっては最適地が異なるものの、総じてみれば世界の工場は中国に集まり、そこでつくられた製品を各国が輸入している。そして、消費者は自国でつくるよりも安い価格で製品を手に入れるというのが、ここ30年の流れだった。 90〜00年代は、多くの消費者がグローバル経済の恩恵を実感していた。それが今では当然になり、逆にグローバル経済が右派政治家による排外主義的な主張のやり玉に挙がったとしても、抵抗を覚えなくなってしまったのだ。 トランプ氏は大統領在任中、中国による知的財産権侵害に対する懲罰と称し、対中関税をたびたび引き上げた。懲罰の目的を「自国の産業保護」と謳うたっていたが、これは建前だ。本当は「中国は日本のように尻尾を振らないから、罰を与えて支持者の溜飲を下げる」という、政治的なパフォーマンスなのだ。
実際、トランプ氏による中国の排斥が政治的なパフォーマンスにすぎなかったことは、現状を見ればわかる。トランプ氏は補助金をちらつかせ、メーカーが中国ではなくアメリカに工場をつくるように働きかけた。釣られた台湾の鴻海ホンハイ精密工業は、ウィスコンシン州で工場建設を計画。トップの郭台銘(テリー・ゴウ)氏が現地に来て鍬入れ式まで行ったが、その後頓挫した。 アメリカの執拗な中国叩きにもかかわらず、結局iPhoneなどのスマートフォンは今も中国で組み立てられており、中の部品についても6割が中国製である。アメリカの消費者はその高くなったスマホを喜んで買い、アメリカ政府は高くなった関税をポケットにしまい込んで知らん顔をしている。精巧なサプライチェーンを基盤としたボーダレス経済は、何も変わっていないのだ』、「アメリカの執拗な中国叩きにもかかわらず、結局iPhoneなどのスマートフォンは今も中国で組み立てられており、中の部品についても6割が中国製である。アメリカの消費者はその高くなったスマホを喜んで買い、アメリカ政府は高くなった関税をポケットにしまい込んで知らん顔をしている。精巧なサプライチェーンを基盤としたボーダレス経済は、何も変わっていないのだ」、なるほど。
・『愛国者を喜ばせるパフォーマンス 前述のアルゼンチンのミレイ大統領は、新自由主義者らしく国内政策では小さな政府を標榜している。しかし、対外的には保護主義色が強く、選挙期間中は南米の自由貿易協定であるメルコスール(南米南部共同市場)からの離脱をほのめかしていた。ただ、これもおそらくパフォーマンスだ。南米のライバル国であるブラジルが中心的存在を担うメルコスールを抜けると言えば、国内の愛国者たちが喜ぶからだ。 ミレイ大統領は中央銀行の廃止や、ペソを廃止してドル化するといった無茶苦茶な政策も掲げている。 もしペソを廃止してドルを使うなら、ユーロ導入国がマーストリヒト条約に批准するのと同じような図式でアメリカと条約を結ぶ必要がある。ユーロを参考にすると、その導入には①物価安定性②健全な財政とその持続性③為替安定④長期金利の安定性という4つの基準を満たす必要がある。このうち、①と②については次の通りだ。 ①過去1年間の自国のインフレ率が、ユーロ導入国でインフレ率が最も低い3カ国の平均値との格差が1.5%以内
②財政赤字がGDP比3%以下、債務残高がGDP比60%以下 アメリカが同様の水準をアルゼンチンに求めたら、ドル化の話は瞬時に終わる。140%のインフレ率を一桁台に抑える魔法は存在しない。また、基準を満たすくらいに債務を減らすには、あらゆる行政サービスを削らなくてはならず、国内で暴動が起きるだろう。 ミレイ大統領は経済学部の出身で、大学で教鞭をとっていたほどだから、自分が掲げる政策が実現できないことがわかるはずだ。もし本気なのであれば、頭がおかしいと言わざるをえない』、「ミレイ大統領は中央銀行の廃止や、ペソを廃止してドル化するといった無茶苦茶な政策も掲げている。 もしペソを廃止してドルを使うなら、ユーロ導入国がマーストリヒト条約に批准するのと同じような図式でアメリカと条約を結ぶ必要がある・・・アメリカが同様の水準をアルゼンチンに求めたら、ドル化の話は瞬時に終わる。140%のインフレ率を一桁台に抑える魔法は存在しない。また、基準を満たすくらいに債務を減らすには、あらゆる行政サービスを削らなくてはならず、国内で暴動が起きるだろう。 ミレイ大統領は経済学部の出身で、大学で教鞭をとっていたほどだから、自分が掲げる政策が実現できないことがわかるはずだ。もし本気なのであれば、頭がおかしいと言わざるをえない」、「ミレイ大統領は経済学部の出身で、大学で教鞭をとっていたほどだから、自分が掲げる政策が実現できないことがわかるはずだ」、どういうことなのだろう。南米人らしく無責任なのだろうか。
・『衆愚政治化を止める唯一の方法とは 問題は、現実にありえない政策を掲げる人物を、なぜ国民が選ぶのかだ。トランプ氏は、大統領選で「MAGA」というスローガンを掲げて当選した。Make America Great Again、アメリカをふたたび偉大な国にするという意味だ。実はミレイ大統領も選挙で「MAGA」を掲げて聴衆から喝采を浴びている。アルゼンチンも頭文字がAなので、国名だけを入れ替えてスローガンを拝借したわけだ。 MAGAという主張には、誰も反論のしようがない。アメリカのリベラル派も自国が復活してほしいと願っている。このように誰も文句のない主張をする人を、英語圏では「マザーフッド」と呼ぶ。「母の愛は素晴らしい」といったあたりまえのことを、さも意味のあることのように言うのはバカだと揶揄するときに使う表現である。 MAGAはまさにマザーフッドだが、右傾化を許した国の国民は、マザーフッドだと思わずに素直に心を震わせる。反知性主義とも言われる所以だ。はっきり言えば、衆愚政治化が進んでいる。 衆愚政治から抜け出す道は一つしかない。国民が賢くなることである。 私は学校で政治家の甘言を見抜く政治リテラシーの教育をしたらいいと思う。特定の政治的思想を教えるのではない。右だけではなく左にもポピュリストやアジテーター(扇動者)はいる。「こういうのが還付金詐欺です」と警察が啓蒙するように、ポピュリストの手口を広く教えて、それに惑わされずに自分の頭で考える術を教えるのだ。 残念ながら今のところ学校で「市民術」と言えるような、政治リテラシーを教えている国はない。それならば、右傾化していない国の国民は、なぜ政治的に成熟しているのか。 ポピュリスト勢力の拡大を抑えられている国には、ある共通点がある。ベルギー、シンガポール、ポーランド。これらは国土や人口、資源などの面でハンデを負った小国であり、政治的には大国のはざまで何とか生き抜いてきた歴史を持つ。真剣に政治のことを考えないと国が消滅するおそれがあるので、国民が政治参加に積極的で、お互いに啓発し合うのである。 一方、右傾化しやすいのは、少なくとも一度は栄華を誇った過去があり、現在も何らかの条件に恵まれ、必死にならなくてもとりあえず生きていける国だ。アメリカやヨーロッパの大国、アルゼンチンがまさしく当てはまる。 没落しつつも、まだ経済大国である日本は後者だ。アルゼンチンと同じバラマキ大国である日本も同じ轍を踏むのか。それは、国民の集団知性しだいである』、「誰も文句のない主張をする人を、英語圏では「マザーフッド」と呼ぶ。「母の愛は素晴らしい」といったあたりまえのことを、さも意味のあることのように言うのはバカだと揶揄するときに使う表現である。 MAGAはまさにマザーフッドだが、右傾化を許した国の国民は、マザーフッドだと思わずに素直に心を震わせる。反知性主義とも言われる所以だ。はっきり言えば、衆愚政治化が進んでいる・・・右傾化しやすいのは、少なくとも一度は栄華を誇った過去があり、現在も何らかの条件に恵まれ、必死にならなくてもとりあえず生きていける国だ。アメリカやヨーロッパの大国、アルゼンチンがまさしく当てはまる。 没落しつつも、まだ経済大国である日本は後者だ。アルゼンチンと同じバラマキ大国である日本も同じ轍を踏むのか。それは、国民の集団知性しだいである」、「日本」も「国民の集団知性」には多くを期待できないので、やはり「右傾化しやすい」、或いは既に「右傾化している」のは確かだ。
タグ:”右傾化” (その16)(神社庁幹部による約3000万円の「横領」が発覚 横領したのは神道政治連盟・打田会長の親族、極右の相次ぐ選挙勝利 マスコミが「ポピュリズム」報道の詭弁で助長する愚行、「世界的右傾化はなぜ止まらないのか」…衆愚政治から抜け出すたった一つの解決法 真剣に政治のことを考えないと国が消滅する) 東洋経済オンライン「神社庁幹部による約3000万円の「横領」が発覚 横領したのは神道政治連盟・打田会長の親族」 「東京都神社庁・・・の幹部が、複数年にわたって神社庁の口座などから約3000万円を自身の口座に移し、生活費や競馬代として使っていた・・・この幹部は1月に東京都神社庁を解雇・・・解雇されたのは、現在も都内の神社で宮司をしているM氏」、「約3000万円」もの金銭を横領、「解雇された」が、「現在も都内の神社で宮司をしている」、とは驚かされた。「約3000万円」は何らかの方法で「弁済」されたのだろうか。下の記事を読むと、うち1900万円は「父親」が「弁済」したようだ。 「刑務所などで受刑者に精神的、宗教的な教えを説き、二度と罪を犯さぬよう教えを説く者のことで、M氏は東京都神職教誨師会の事務局長を務めていた・・・ここからも「630万円」が引き出されたというのは、呆れ果てた。「教誨師」が横領しているのでは、説教を聞いた「受刑者」も呆れるだろう。 「刑務所などで受刑者に精神的、宗教的な教えを説き、二度と罪を犯さぬよう教えを説く者のことで、M氏は東京都神職教誨師会の事務局長を務めていた・・・ここからも「630万円」が引き出されたというのは、呆れ果てた。「教誨師」が横領しているのでは、説教を聞かされた「受刑者」も呆れるだろう。 「「真の総長」をめぐる泥沼裁判が始まってしまう。 こうした中、約3000万円もの金を横領していながら東京都神社庁の態度が煮え切らないのは、実は理由がある。それは、M氏が田中氏を支持する神社本庁の中枢と結びついているからだ」、「神社本庁」、「東京都神社庁」は本当にいい加減な組織だ。 こんないい加減な組織は免税の特権を停止するような荒療治も検討すべきだろう。 Newsweek日本版「極右の相次ぐ選挙勝利、マスコミが「ポピュリズム」報道の詭弁で助長する愚行」 ここではトランプは何故か「極右」、「ポピュリズム」とされてないようだ。 「この5年間に発表された論文2500件以上のタイトルと要旨を分析したところ、選挙や移民を論点にして極右をごまかし、例外扱いする傾向が強かった。 主流化という問題では、主流自体の大きな役割を考慮すべきだ。 世論形成への特権的アクセスを持つメディアや学術研究者は、主流という良識と正義の砦(とりで)の中にいるのではない。彼らが立っているのは、権力が極めて不均衡な形で分配された闘技場だ。 極右にも「一理ある」が、極右には反対──そんな詭弁は許されない」、手厳しいメディア批判だ。 プレジデント 2024年1月12日号 大前研一氏による「「世界的右傾化はなぜ止まらないのか」…衆愚政治から抜け出すたった一つの解決法 真剣に政治のことを考えないと国が消滅する」 「アメリカの執拗な中国叩きにもかかわらず、結局iPhoneなどのスマートフォンは今も中国で組み立てられており、中の部品についても6割が中国製である。アメリカの消費者はその高くなったスマホを喜んで買い、アメリカ政府は高くなった関税をポケットにしまい込んで知らん顔をしている。精巧なサプライチェーンを基盤としたボーダレス経済は、何も変わっていないのだ」、なるほど。 「ミレイ大統領は中央銀行の廃止や、ペソを廃止してドル化するといった無茶苦茶な政策も掲げている。 もしペソを廃止してドルを使うなら、ユーロ導入国がマーストリヒト条約に批准するのと同じような図式でアメリカと条約を結ぶ必要がある・・・アメリカが同様の水準をアルゼンチンに求めたら、ドル化の話は瞬時に終わる。140%のインフレ率を一桁台に抑える魔法は存在しない。 また、基準を満たすくらいに債務を減らすには、あらゆる行政サービスを削らなくてはならず、国内で暴動が起きるだろう。 ミレイ大統領は経済学部の出身で、大学で教鞭をとっていたほどだから、自分が掲げる政策が実現できないことがわかるはずだ。もし本気なのであれば、頭がおかしいと言わざるをえない」、「ミレイ大統領は経済学部の出身で、大学で教鞭をとっていたほどだから、自分が掲げる政策が実現できないことがわかるはずだ」、どういうことなのだろう。 南米人らしく無責任なのだろうか。 「誰も文句のない主張をする人を、英語圏では「マザーフッド」と呼ぶ。「母の愛は素晴らしい」といったあたりまえのことを、さも意味のあることのように言うのはバカだと揶揄するときに使う表現である。 MAGAはまさにマザーフッドだが、右傾化を許した国の国民は、マザーフッドだと思わずに素直に心を震わせる。反知性主義とも言われる所以だ。 はっきり言えば、衆愚政治化が進んでいる・・・右傾化しやすいのは、少なくとも一度は栄華を誇った過去があり、現在も何らかの条件に恵まれ、必死にならなくてもとりあえず生きていける国だ。アメリカやヨーロッパの大国、アルゼンチンがまさしく当てはまる。 没落しつつも、まだ経済大国である日本は後者だ。アルゼンチンと同じバラマキ大国である日本も同じ轍を踏むのか。それは、国民の集団知性しだいである」、 「日本」も「国民の集団知性」には多くを期待できないので、やはり「右傾化しやすい」、或いは既に「右傾化している」のは確かだ。
日本の構造問題(その30)(国家の劣化はたった1人の政治家が引き起こす 日本など先進国を没落させる哲学なき政治家の罪、日本の「上級管理職の国際経験」世界最下位 英語力87位が象徴する人材育成の難題) [経済政治動向]
日本の構造問題については、昨年7月29日に取上げた。今日は、(その30)(国家の劣化はたった1人の政治家が引き起こす 日本など先進国を没落させる哲学なき政治家の罪、日本の「上級管理職の国際経験」世界最下位 英語力87位が象徴する人材育成の難題)である。
先ずは、昨年8月15日付け東洋経済オンラインが掲載した哲学者・経済学者の的場 昭弘氏による「国家の劣化はたった1人の政治家が引き起こす 日本など先進国を没落させる哲学なき政治家の罪」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/694294?display=b
・『2023年8月15日、また今年も終戦記念日がやってきた。戦後80年近くにもなろうとしている。もはや戦争を知る戦中世代のほとんどが鬼籍に入りつつある中で、形骸化した終戦記念日が伝統行事のように繰り返されている。 一方で豊かであったあの日本は風前の灯火で、日本の疲弊がはじまって久しい。それを衰退というか、堕落というか。表現はまちまちであろうが、いかに外見を繕ってみたところで、日本が今没落しつつあることは、残念ながらだれも否定できない事実である。 もちろん、これは日本だけに限らない。先進国といわれる国々は、どこも大同小異同じ運命を辿りつつあるのかもしれない』、興味深そうだ。
・『モンテスキューも嘆いた政治の堕落 2016年にフランスで、ニコラ・バベレという人の『ベナン人の手紙』という小説が出版された。その内容は2040年のフランスの話で、フランスは国家衰退の危機に瀕し、IMF(国際通貨基金)から派遣されたアフリカのベナン人が、その衰退したフランスの様子を妻に手紙で語るというものだ。 これは2040年という近未来の話で、その頃はアフリカの国々が勃興し、政治、経済、モラル、文化、あらゆる面で先進国となっていて、フランスは、すべての点で後進国になりさがっているというのである。 その冒頭に、フランスの哲学者であるモンテスキュー(1689~1755年)の『ペルシア人の手紙』(1721年)の154番目の手紙の一節が引用されている。その文章はこうである。 「君も御存じのように僕は長い間インドを歩きまわった。そのくにでは、私は一人の大臣の示した悪例のおかげで、生まれつき寛大な国民が一瞬のうちに最下級の国民から最上級の人たちまで堕落したのを実見に及んでいる。寛大、清廉、無邪気、信仰の徳が永年の間国民性となっていた国民が突然、最下等の国民になってしまった。つまり、弊風が伝搬し最も神聖な人たちさえそれに染まり、最も有徳の人が悪事を働き、ほかの連中もやっているとつまらぬ口実にかくれて、正義の第一原則を破って顧みなくなったのを私は見て来た」(『ペルシア人の手紙』大岩誠訳、岩波文庫下巻、200~201ページ)。 18世紀のモンテスキューも、フランス社会の危機を憂い、ペルシア人の名を借りて当時のフランス王政の堕落を批判したのである。一国の衰退は、政治の悪化で一気に進んでいくというのだ。政治の悪化が、国民のモラル低下を導き、だれもが悪徳の民となり、国は衰退の一途を辿るのである。) この後起こるフランス革命という嵐の中、フランスはその衰退を免れ、再び繁栄の基礎を築いたのだが、その代償はあまりにも大きなものであった。現在のフランスは、どうであろう。政治や経済の混迷とともに、あらゆるものが狂い始めている。今のところ、この衰退を救ってくれる白い騎士たるすぐれた政治家が現れていない。 そのフランスという西欧を範としてきた日本の衰退は、フランス以上に疲弊しているともいえる。政治のモラル低下や腐敗は、もはや事件として取り上げる気も起こらないほど頻繁化し、それとともに経済分野における日本の地盤沈下もとどまることを知らない。 その一方で、日本礼賛論が巷で横行し、国民は相変わらず経済成長日本の時代の夢から出ることができないでいる』、「日本礼賛論が巷で横行し」とあるが、もはやかつてのような勢いはない。
・『未来の世代を苦しめる国家の劣化 こうした衰退を、国家劣化ともいう。モンテスキューによれば、国家劣化は1人の悪徳政治家によって簡単に起こると述べているが、国家は人間と違い1つの世代で死に絶えるのではなく、その次の世代、またその次の世代とずっと受け継がれていくのであるから、ある世代による国家の衰退は次の世代の人々をずっと苦しめ続けるのである。 その意味で、ある世代のたった1人の政治家による悪行は、末代まで影響するといってよい。 ハーバード大学教授のニーアル・ファーガソンは『劣化国家』(櫻井祐子訳、東洋経済新報社、2013年)の中で、この世代間に継続される劣化した国家の問題を、やはり18世紀のイギリスの思想家エドマンド・バーク(1729~1797年)の『フランス革命についての省察』(1790年)の有名な言葉を使って、「世代間の協働事業(パートナーシップ)の崩壊」と述べている。 このバークの言葉とは、次のような言葉である。 「というのは国家は、ただひととき存在して滅んでいく(人間という)粗野な動物的存在だけに役立っているものではないからです。国家はすべての学問についての協働事業によって、すべての技芸についての協働事業によって、すべての徳とすべての完璧さについての協働事業によって作られるのです。こうした協働事業の目的は何世代続いても実現できないものなので、生きているひとびとだけが結ぶ協働事業ではすみません。それは生きているひとびととすでに死んだひとびととの間で、またこれから生まれてくるひとびとの間で結ばれる協働事業なのです」(エドマンド・バーク『フランス革命についての省察』二木麻里訳、光文社古典新訳文庫165ページ。引用訳ではパートナーシップは協力協定となっているが、ここではあえて協働事業と訳しかえてある) なるほど、多額の赤字国債の発行や、国民の財産の多くを破壊する戦争などを、ある世代の政治家が気まぐれに行えば、そのツケは末代まで及ぶといってもよい。だからこそ、今のわれわれの世代だけに国家を劣化させる権利はないのである。すべての世代に豊かな世界をその後の世代に伝える義務が、すべての世代にあるのだ。 これと同じような趣旨のことを、日本を代表する経済学者の1人であった森嶋通夫(1923~2004年)も、『なぜ日本は没落するか』(岩波書店、1999年)と『なぜ日本は行き詰ったか』(同、2004年)という2つの書物で、われわれにすでに20年前に語ってくれていた。 森嶋は2004年に亡くなっているので、この2つの書物は彼のわれわれに残した遺書とも言うべきものである。戦中世代として、われわれ戦後世代に彼が伝えたかったことは、まさにこの「協働事業」という問題である。長い間イギリスで暮らしていた森嶋は、まさにバークの見解に似たことを述べている。 森嶋は、『なぜ日本は没落するか』の中で、2050年の日本を予想している。彼は当時の13歳から18歳の子供たちの様子を見て、50年後日本を背負っている彼らが日本をどう動かしているかという発想から、2050年の日本を予測しようというのだ。 国家は世代によって引き継がれていく。戦後は戦争を遂行した戦前世代が牽引し、そして戦中世代、戦後世代にバトンタッチしてきた。だから今の豊かさは前の世代の豊かさでの結果であり、今の世代は次の世代にその豊かさをバトンタッチしなければならない。こうして連綿と歴史は、世代間で引き継がれていく。 森嶋は、この戦後のバトンタッチこそ大きな問題点を含むものであったという。戦後アメリカによる教育改革は、戦前世代との断絶を生み出したと指摘する。アメリカによる急激なアメリカ流教育は、民主教育を非民主的な戦前、戦中世代が教えるというちぐはぐな問題を生み出した。 それによって戦後民主主義は形骸化し、また戦後世代はそれまであった日本の伝統的儒教的教育を受けられなかったことで、戦後世代はアジア的伝統とも断絶することになったという。戦後世代とは、私のような昭和20年代生まれの世代のことである。そして2050年を担う世代とは、その戦後世代の子供たちや孫の世代のことである』、「戦後アメリカによる教育改革は、戦前世代との断絶を生み出したと指摘する。アメリカによる急激なアメリカ流教育は、民主教育を非民主的な戦前、戦中世代が教えるというちぐはぐな問題を生み出した。 それによって戦後民主主義は形骸化し、また戦後世代はそれまであった日本の伝統的儒教的教育を受けられなかったことで、戦後世代はアジア的伝統とも断絶することになったという」、なるほど。
・『国際的評価を得られない「哲学なき政治家」 菅義偉、安倍晋三、岸田文雄といった政治家はすべて戦後世代である。この戦後世代に欠けているものを、森嶋はエリート意識の欠如、または精神の崩壊といっている。価値判断をもたない無機的な人々を生み出したのは、この戦後の中途半端な教育にあったと述べているが、あながち間違いではない。それが顕著に現れるのは政治という舞台の上である。 政治家は国を代表し、対外折衝をするがゆえに、自ずと国際的評価の対象となる。しかし、日本の政治家の中にそうした国際的評価を得るレベルの政治家が少ないのも、事実である。 私はこうした政治家を「哲学なき政治家」と呼ぶ。森嶋は、政治、産業、教育、金融あらゆる部門にわたって、日本の荒廃を分析しているが、政治家の様子を見ただけでも、日本の荒廃のおよその検討はつく。 冒頭のモンテスキューの言葉が示す通り、1人の悪徳政治家が存在したおかげで、それまで続いた豊かな国家もたちどころに疲弊していったとすれば、そうした政治家にあふれている日本に豊かな未来はないであろう。森嶋は、こう結論づけている。 これは重い言葉だ。森嶋は教育者であり、こうした悲惨な未来を避けるために教育改革を盛んに訴えているが、それには私も賛成だ。 「政治が悪いから国民が無気力であり、国民が無気力だから政治は悪いままでおれるのだ。こういう状態は、今後50年は確実に続くであろう。そのことから私たちが引き出さねばならない結論は、残念ながら、日本の没落である。政治が貧困であるということは、日本経済が経済外的利益を受けないと言うことである。それでも「ええじゃないか、ええじゃないか」と踊り狂うしか慰めがないとしたら、私たちの子供や孫や曾孫があまりにも可哀想だ」(『なぜ日本は没落するか』岩波現代文庫、146ページ)。 偏差値型ロボット教育(受験勉強)と価値判断を欠いた無機的教育(問題意識の欠落)を一刻もはやくなくさねばなるまい。とりわけ海外、欧米偏重ではないアジアとの交流をにらんだ教育体系の確立であろう。日本はアジアから孤立しているばかりではない。憧れている西欧からも利用しやすい愚かなアジアの国としてしか、相手にされていないのだ。 今後世界の中心となるアジア・アフリカの中で活路を見いださねば、未来はないであろう。次の世代のために今こそ立ち上がるべきときである』、「「政治が悪いから国民が無気力であり、国民が無気力だから政治は悪いままでおれるのだ。こういう状態は、今後50年は確実に続くであろう。そのことから私たちが引き出さねばならない結論は、残念ながら、日本の没落である。政治が貧困であるということは、日本経済が経済外的利益を受けないと言うことである。それでも「ええじゃないか、ええじゃないか」と踊り狂うしか慰めがないとしたら、私たちの子供や孫や曾孫があまりにも可哀想だ・・・ 偏差値型ロボット教育(受験勉強)と価値判断を欠いた無機的教育(問題意識の欠落)を一刻もはやくなくさねばなるまい。とりわけ海外、欧米偏重ではないアジアとの交流をにらんだ教育体系の確立であろう。日本はアジアから孤立しているばかりではない。憧れている西欧からも利用しやすい愚かなアジアの国としてしか、相手にされていないのだ」、「憧れている西欧からも利用しやすい愚かなアジアの国としてしか、相手にされていないのだ」、寂しい限りだ。
次に、昨年12月14日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した一橋大学名誉教授の野口悠紀雄氏による「日本の「上級管理職の国際経験」世界最下位、英語力87位が象徴する人材育成の難題」を紹介しよう。
・『世界人材ランキング、日本は43位 目立つ英語力や国際経験の乏しさ EFエデュケーションファースト社が、2023年11月に発表した23年版の「EF EPI英語能力指数ランキング」(注1)では、日本は87位で22年の80位から7ランク低下した。 このランキングは、世界で最も多くの国・地域の成人の英語能力を比較したものだが、日本は「低い英語力」の国に該当すると判定され、アジアの23の国・地域でも15位で、前年の14位からさらに順位を下げた。 またスイスのビジネススクールIMDが9月に発表した23年の世界人材ランキング(注2)でも、日本は前年より2つ順位を下げて世界第43位に位置づけられている。 これは05年の調査開始以来最低の順位だ。中でも「上級管理職の国際経験」への評価は最下位だった。 日本の国際競争力の低下がいわれるなかで、グローバルに活躍するための英語力の低さやビジネスエリートの国際経験の乏しさは改めて人材育成が喫緊の課題であることを浮き彫りにする。だが背景には根深い問題がある』、「中でも「上級管理職の国際経験」への評価は最下位だった。 日本の国際競争力の低下がいわれるなかで、グローバルに活躍するための英語力の低さやビジネスエリートの国際経験の乏しさは改めて人材育成が喫緊の課題であることを浮き彫りにする」、なるほど。
・『深刻な管理職のスキル不足 人材の質の低下、競争力に反映 EFエデュケーションファースト社の英語能力指数ランキングは、113の国・地域から220万人がテストに参加した結果をまとめたものだ。ビジネススクールIMDの人材ランキングは、世界64カ国・地域を対象にしたもので、アジア太平洋の14カ国の中でみると、日本は9位だった。 人材ランキングで日本にとって最も深刻だったのは管理職のスキル不足だ。 IMDの人材調査のレポートでは、「上級管理職の国際経験」は調査対象国で最下位の64位だ。ほかにも、「有能な上級管理職」では62位、「経営の教育」と「語学のスキル」は60位という評価だ。 このように日本企業は管理職の国際経験が乏しいこと、グローバルに活躍し得る語学力に欠けることが問題視されている。そしてIMDは、管理職のスキル不足と人材教育などの体制の不足を日本の課題として挙げている。 成長停滞が長く続くなかで、生産性の向上の必要性がずっと言われてきたが、生産性を上げるための基本は、技術開発を進め新しいビジネスモデルを導入することだ。このためには人材の質を高めることが不可欠だ。 しかしこの二つの人材の質に関する国際比較ランキングで、日本は非常に低い位置にある。アジアの中で日本より低い国は数えるほどしかなくなってしまった。これは誠に深刻な事態と言わざるを得ない。 とりわけ、上級管理職の国際感覚が低いことが問題だ。このため、世界で進む大きな変化に日本が立ち後れるのだと思われる。日本衰退の大きな要因になっていることは否定できない』、「二つの人材の質に関する国際比較ランキングで、日本は非常に低い位置にある。アジアの中で日本より低い国は数えるほどしかなくなってしまった。これは誠に深刻な事態と言わざるを得ない。 とりわけ、上級管理職の国際感覚が低いことが問題だ。このため、世界で進む大きな変化に日本が立ち後れるのだと思われる。日本衰退の大きな要因になっていることは否定できない」、その通りだ。
・『英語力をChatGPTが打破するか? 重要なのは話すより「聞く力」 これらの問題の原因やその対応では、英語の教育や学び方の問題と、企業の人材育成や人事の在り方、さらには大学などの高等教育機関の問題に分けて考えることができる。 まずは英語力の問題だが、日本人の英語力が低いのは昔から言われてきたが、事態を大きく変える可能性として、ChatGPTの登場があげられるのではないか。 ChatGPTの基礎になっているのは、「大規模言語モデル(LLM)」と言われるものだ。これは言語を操ることを主たる目的にしたAIだ。そして、AIにとっては、日本語も英語も区別はない。本質的にマルチリンガルだ。 外国語への翻訳や外国語からの翻訳に関していえば、大規模言語モデルはどんな言葉に関しても、人間の外国語教師や専門家が知っている言葉や表現より多くを知っている。 しかも、個別質問に答えてくれる。いつでもどこでも使える。納得できるまで尋ねられる。それにChatGPTに教えてもらうコストは基本的にはゼロだ。 こうした背景もあり、文部科学省も、2023年7月、中学高校の英語教育にChatGPTを活用して「生徒が苦手とする英語で話す力の底上げを目指す」方針を発表した。 ただし、私はこの方針は間違っていると思う。その理由は実際の場面では、英語を「話す」ことより英語を「聞く」ことの方がはるかに重要だからだ。 聞く能力を高めるための教材、特に専門的な内容のものを入手するのが難しいのだが、例えば、自分の専門分野の日本語の文献をChatGPTで英文にし、それを何度も聞いて暗記するという方法があるのではないか』、「実際の場面では、英語を「話す」ことより英語を「聞く」ことの方がはるかに重要だからだ。 聞く能力を高めるための教材、特に専門的な内容のものを入手するのが難しいのだが、例えば、自分の専門分野の日本語の文献をChatGPTで英文にし、それを何度も聞いて暗記するという方法があるのではないか」、その通りだ。
・『中学生の学習到達度は高い 企業人材は世界最低レベル? 経済協力開発機構(OECD)は、2023年11月5日、81の国・地域で15歳の生徒らを対象に実施した「国際学習到達度調査」(PISA、2022年)の結果を公表した(注3)。 日本は「読解力」が前回18年調査の15位から3位へと順位を上げた。「数学的リテラシー(応用力)」は6位から5位、「科学的リテラシー」は5位から2位へと上昇した。このように、全ての科目で世界のトップレベルを維持している。 この結果を見ると、日本の初等中等教育の水準は、国際的に見て非常に高いことが分かる。 ところが、成人や企業の人材になると、二つの国際比較ランキングではすで見たように世界で最低レベルになる。こうなってしまうのは、企業の人材育成や人事政策、さらに大学などの高等教育に問題があるからだと考えられる』、「日本は「読解力」が前回18年調査の15位から3位へと順位を上げた。「数学的リテラシー(応用力)」は6位から5位、「科学的リテラシー」は5位から2位へと上昇した。このように、全ての科目で世界のトップレベルを維持している。 この結果を見ると、日本の初等中等教育の水準は、国際的に見て非常に高いことが分かる。 ところが、成人や企業の人材になると、二つの国際比較ランキングではすで見たように世界で最低レベルになる。こうなってしまうのは、企業の人材育成や人事政策、さらに大学などの高等教育に問題があるからだと考えられる」、なるほど。
・『組織の階段を登っただけの経営者 企業は評価や人事政策を変えよ 経済成長には人材の育成が不可欠だが、日本には管理職や専門家を養成する教育体制が整っていない。そのために専門的教育が不十分である状態で経営幹部になっている例が多い。 アメリカでは、ビジネススクールやロースクールで高度に専門的な教育を行ない、そこでの成績を採用のみならず、給与や昇進に直接的に結び付けているし、欧州などでも企業に入ってからもビジネススクールなどで学ぶ人も少なくない。 また企業の人材育成やキャリアパスも、日本の場合は経営幹部とは経営を行なう専門家ではなく、ゼネラリストとして組織の階段を登り、「偉くなった」人たちだ。 こうした事情も前述の国際ランキングで日本の上級管理職が低く評価される基本的な原因になっていると考えられる。 また採用時も、日本企業は学歴は見るが、それはどのレベルの大学に入学したかであって、そこでの成績や専門性などを評価しているわけではない。日本企業はこれまで、OJT、つまり現場での実践を通じた人材育成を行なってきた。大学での専門教育を評価し、それに頼ってきたわけではない。 その結果、日本の大学でも十分な専門的教育が行われてきたとは言い難い。これも大きな問題だ。 企業は給与や地位の点で、専門家を正当に評価することが必要であり、その前提としては働く人が専門的な知識やスキルを新たに学ぶためのリスキリングが必要だが、それだけではなく、日本の大学も教育体制を根本から改革することが必要だ。 しかしこれらは、簡単に実現できる課題ではない。大学ファンドや国立大法人法の改正で解決できるレベルの問題ではない。ジョブ型雇用の採用などを含む企業の人事政策や働く人の企業間の流動性の促進など日本社会の基本的な構造を変えることが必要だ。 だがそれなくしては日本の凋落を防ぐことができない。 (注1)「EF EPI 2023 EF 英語能力指数 世界113カ国・地域の英語能力ランキング」 (注2)「IMD/World Talent Ranking 2023」 (注3)「OECD生徒の学習到達度調査 2022年調査(PISA2022)のポイント」』、「企業は給与や地位の点で、専門家を正当に評価することが必要であり、その前提としては働く人が専門的な知識やスキルを新たに学ぶためのリスキリングが必要だが、それだけではなく、日本の大学も教育体制を根本から改革することが必要だ。 しかしこれらは、簡単に実現できる課題ではない。大学ファンドや国立大法人法の改正で解決できるレベルの問題ではない。ジョブ型雇用の採用などを含む企業の人事政策や働く人の企業間の流動性の促進など日本社会の基本的な構造を変えることが必要だ。 だがそれなくしては日本の凋落を防ぐことができない」、その通りだ。
先ずは、昨年8月15日付け東洋経済オンラインが掲載した哲学者・経済学者の的場 昭弘氏による「国家の劣化はたった1人の政治家が引き起こす 日本など先進国を没落させる哲学なき政治家の罪」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/694294?display=b
・『2023年8月15日、また今年も終戦記念日がやってきた。戦後80年近くにもなろうとしている。もはや戦争を知る戦中世代のほとんどが鬼籍に入りつつある中で、形骸化した終戦記念日が伝統行事のように繰り返されている。 一方で豊かであったあの日本は風前の灯火で、日本の疲弊がはじまって久しい。それを衰退というか、堕落というか。表現はまちまちであろうが、いかに外見を繕ってみたところで、日本が今没落しつつあることは、残念ながらだれも否定できない事実である。 もちろん、これは日本だけに限らない。先進国といわれる国々は、どこも大同小異同じ運命を辿りつつあるのかもしれない』、興味深そうだ。
・『モンテスキューも嘆いた政治の堕落 2016年にフランスで、ニコラ・バベレという人の『ベナン人の手紙』という小説が出版された。その内容は2040年のフランスの話で、フランスは国家衰退の危機に瀕し、IMF(国際通貨基金)から派遣されたアフリカのベナン人が、その衰退したフランスの様子を妻に手紙で語るというものだ。 これは2040年という近未来の話で、その頃はアフリカの国々が勃興し、政治、経済、モラル、文化、あらゆる面で先進国となっていて、フランスは、すべての点で後進国になりさがっているというのである。 その冒頭に、フランスの哲学者であるモンテスキュー(1689~1755年)の『ペルシア人の手紙』(1721年)の154番目の手紙の一節が引用されている。その文章はこうである。 「君も御存じのように僕は長い間インドを歩きまわった。そのくにでは、私は一人の大臣の示した悪例のおかげで、生まれつき寛大な国民が一瞬のうちに最下級の国民から最上級の人たちまで堕落したのを実見に及んでいる。寛大、清廉、無邪気、信仰の徳が永年の間国民性となっていた国民が突然、最下等の国民になってしまった。つまり、弊風が伝搬し最も神聖な人たちさえそれに染まり、最も有徳の人が悪事を働き、ほかの連中もやっているとつまらぬ口実にかくれて、正義の第一原則を破って顧みなくなったのを私は見て来た」(『ペルシア人の手紙』大岩誠訳、岩波文庫下巻、200~201ページ)。 18世紀のモンテスキューも、フランス社会の危機を憂い、ペルシア人の名を借りて当時のフランス王政の堕落を批判したのである。一国の衰退は、政治の悪化で一気に進んでいくというのだ。政治の悪化が、国民のモラル低下を導き、だれもが悪徳の民となり、国は衰退の一途を辿るのである。) この後起こるフランス革命という嵐の中、フランスはその衰退を免れ、再び繁栄の基礎を築いたのだが、その代償はあまりにも大きなものであった。現在のフランスは、どうであろう。政治や経済の混迷とともに、あらゆるものが狂い始めている。今のところ、この衰退を救ってくれる白い騎士たるすぐれた政治家が現れていない。 そのフランスという西欧を範としてきた日本の衰退は、フランス以上に疲弊しているともいえる。政治のモラル低下や腐敗は、もはや事件として取り上げる気も起こらないほど頻繁化し、それとともに経済分野における日本の地盤沈下もとどまることを知らない。 その一方で、日本礼賛論が巷で横行し、国民は相変わらず経済成長日本の時代の夢から出ることができないでいる』、「日本礼賛論が巷で横行し」とあるが、もはやかつてのような勢いはない。
・『未来の世代を苦しめる国家の劣化 こうした衰退を、国家劣化ともいう。モンテスキューによれば、国家劣化は1人の悪徳政治家によって簡単に起こると述べているが、国家は人間と違い1つの世代で死に絶えるのではなく、その次の世代、またその次の世代とずっと受け継がれていくのであるから、ある世代による国家の衰退は次の世代の人々をずっと苦しめ続けるのである。 その意味で、ある世代のたった1人の政治家による悪行は、末代まで影響するといってよい。 ハーバード大学教授のニーアル・ファーガソンは『劣化国家』(櫻井祐子訳、東洋経済新報社、2013年)の中で、この世代間に継続される劣化した国家の問題を、やはり18世紀のイギリスの思想家エドマンド・バーク(1729~1797年)の『フランス革命についての省察』(1790年)の有名な言葉を使って、「世代間の協働事業(パートナーシップ)の崩壊」と述べている。 このバークの言葉とは、次のような言葉である。 「というのは国家は、ただひととき存在して滅んでいく(人間という)粗野な動物的存在だけに役立っているものではないからです。国家はすべての学問についての協働事業によって、すべての技芸についての協働事業によって、すべての徳とすべての完璧さについての協働事業によって作られるのです。こうした協働事業の目的は何世代続いても実現できないものなので、生きているひとびとだけが結ぶ協働事業ではすみません。それは生きているひとびととすでに死んだひとびととの間で、またこれから生まれてくるひとびとの間で結ばれる協働事業なのです」(エドマンド・バーク『フランス革命についての省察』二木麻里訳、光文社古典新訳文庫165ページ。引用訳ではパートナーシップは協力協定となっているが、ここではあえて協働事業と訳しかえてある) なるほど、多額の赤字国債の発行や、国民の財産の多くを破壊する戦争などを、ある世代の政治家が気まぐれに行えば、そのツケは末代まで及ぶといってもよい。だからこそ、今のわれわれの世代だけに国家を劣化させる権利はないのである。すべての世代に豊かな世界をその後の世代に伝える義務が、すべての世代にあるのだ。 これと同じような趣旨のことを、日本を代表する経済学者の1人であった森嶋通夫(1923~2004年)も、『なぜ日本は没落するか』(岩波書店、1999年)と『なぜ日本は行き詰ったか』(同、2004年)という2つの書物で、われわれにすでに20年前に語ってくれていた。 森嶋は2004年に亡くなっているので、この2つの書物は彼のわれわれに残した遺書とも言うべきものである。戦中世代として、われわれ戦後世代に彼が伝えたかったことは、まさにこの「協働事業」という問題である。長い間イギリスで暮らしていた森嶋は、まさにバークの見解に似たことを述べている。 森嶋は、『なぜ日本は没落するか』の中で、2050年の日本を予想している。彼は当時の13歳から18歳の子供たちの様子を見て、50年後日本を背負っている彼らが日本をどう動かしているかという発想から、2050年の日本を予測しようというのだ。 国家は世代によって引き継がれていく。戦後は戦争を遂行した戦前世代が牽引し、そして戦中世代、戦後世代にバトンタッチしてきた。だから今の豊かさは前の世代の豊かさでの結果であり、今の世代は次の世代にその豊かさをバトンタッチしなければならない。こうして連綿と歴史は、世代間で引き継がれていく。 森嶋は、この戦後のバトンタッチこそ大きな問題点を含むものであったという。戦後アメリカによる教育改革は、戦前世代との断絶を生み出したと指摘する。アメリカによる急激なアメリカ流教育は、民主教育を非民主的な戦前、戦中世代が教えるというちぐはぐな問題を生み出した。 それによって戦後民主主義は形骸化し、また戦後世代はそれまであった日本の伝統的儒教的教育を受けられなかったことで、戦後世代はアジア的伝統とも断絶することになったという。戦後世代とは、私のような昭和20年代生まれの世代のことである。そして2050年を担う世代とは、その戦後世代の子供たちや孫の世代のことである』、「戦後アメリカによる教育改革は、戦前世代との断絶を生み出したと指摘する。アメリカによる急激なアメリカ流教育は、民主教育を非民主的な戦前、戦中世代が教えるというちぐはぐな問題を生み出した。 それによって戦後民主主義は形骸化し、また戦後世代はそれまであった日本の伝統的儒教的教育を受けられなかったことで、戦後世代はアジア的伝統とも断絶することになったという」、なるほど。
・『国際的評価を得られない「哲学なき政治家」 菅義偉、安倍晋三、岸田文雄といった政治家はすべて戦後世代である。この戦後世代に欠けているものを、森嶋はエリート意識の欠如、または精神の崩壊といっている。価値判断をもたない無機的な人々を生み出したのは、この戦後の中途半端な教育にあったと述べているが、あながち間違いではない。それが顕著に現れるのは政治という舞台の上である。 政治家は国を代表し、対外折衝をするがゆえに、自ずと国際的評価の対象となる。しかし、日本の政治家の中にそうした国際的評価を得るレベルの政治家が少ないのも、事実である。 私はこうした政治家を「哲学なき政治家」と呼ぶ。森嶋は、政治、産業、教育、金融あらゆる部門にわたって、日本の荒廃を分析しているが、政治家の様子を見ただけでも、日本の荒廃のおよその検討はつく。 冒頭のモンテスキューの言葉が示す通り、1人の悪徳政治家が存在したおかげで、それまで続いた豊かな国家もたちどころに疲弊していったとすれば、そうした政治家にあふれている日本に豊かな未来はないであろう。森嶋は、こう結論づけている。 これは重い言葉だ。森嶋は教育者であり、こうした悲惨な未来を避けるために教育改革を盛んに訴えているが、それには私も賛成だ。 「政治が悪いから国民が無気力であり、国民が無気力だから政治は悪いままでおれるのだ。こういう状態は、今後50年は確実に続くであろう。そのことから私たちが引き出さねばならない結論は、残念ながら、日本の没落である。政治が貧困であるということは、日本経済が経済外的利益を受けないと言うことである。それでも「ええじゃないか、ええじゃないか」と踊り狂うしか慰めがないとしたら、私たちの子供や孫や曾孫があまりにも可哀想だ」(『なぜ日本は没落するか』岩波現代文庫、146ページ)。 偏差値型ロボット教育(受験勉強)と価値判断を欠いた無機的教育(問題意識の欠落)を一刻もはやくなくさねばなるまい。とりわけ海外、欧米偏重ではないアジアとの交流をにらんだ教育体系の確立であろう。日本はアジアから孤立しているばかりではない。憧れている西欧からも利用しやすい愚かなアジアの国としてしか、相手にされていないのだ。 今後世界の中心となるアジア・アフリカの中で活路を見いださねば、未来はないであろう。次の世代のために今こそ立ち上がるべきときである』、「「政治が悪いから国民が無気力であり、国民が無気力だから政治は悪いままでおれるのだ。こういう状態は、今後50年は確実に続くであろう。そのことから私たちが引き出さねばならない結論は、残念ながら、日本の没落である。政治が貧困であるということは、日本経済が経済外的利益を受けないと言うことである。それでも「ええじゃないか、ええじゃないか」と踊り狂うしか慰めがないとしたら、私たちの子供や孫や曾孫があまりにも可哀想だ・・・ 偏差値型ロボット教育(受験勉強)と価値判断を欠いた無機的教育(問題意識の欠落)を一刻もはやくなくさねばなるまい。とりわけ海外、欧米偏重ではないアジアとの交流をにらんだ教育体系の確立であろう。日本はアジアから孤立しているばかりではない。憧れている西欧からも利用しやすい愚かなアジアの国としてしか、相手にされていないのだ」、「憧れている西欧からも利用しやすい愚かなアジアの国としてしか、相手にされていないのだ」、寂しい限りだ。
次に、昨年12月14日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した一橋大学名誉教授の野口悠紀雄氏による「日本の「上級管理職の国際経験」世界最下位、英語力87位が象徴する人材育成の難題」を紹介しよう。
・『世界人材ランキング、日本は43位 目立つ英語力や国際経験の乏しさ EFエデュケーションファースト社が、2023年11月に発表した23年版の「EF EPI英語能力指数ランキング」(注1)では、日本は87位で22年の80位から7ランク低下した。 このランキングは、世界で最も多くの国・地域の成人の英語能力を比較したものだが、日本は「低い英語力」の国に該当すると判定され、アジアの23の国・地域でも15位で、前年の14位からさらに順位を下げた。 またスイスのビジネススクールIMDが9月に発表した23年の世界人材ランキング(注2)でも、日本は前年より2つ順位を下げて世界第43位に位置づけられている。 これは05年の調査開始以来最低の順位だ。中でも「上級管理職の国際経験」への評価は最下位だった。 日本の国際競争力の低下がいわれるなかで、グローバルに活躍するための英語力の低さやビジネスエリートの国際経験の乏しさは改めて人材育成が喫緊の課題であることを浮き彫りにする。だが背景には根深い問題がある』、「中でも「上級管理職の国際経験」への評価は最下位だった。 日本の国際競争力の低下がいわれるなかで、グローバルに活躍するための英語力の低さやビジネスエリートの国際経験の乏しさは改めて人材育成が喫緊の課題であることを浮き彫りにする」、なるほど。
・『深刻な管理職のスキル不足 人材の質の低下、競争力に反映 EFエデュケーションファースト社の英語能力指数ランキングは、113の国・地域から220万人がテストに参加した結果をまとめたものだ。ビジネススクールIMDの人材ランキングは、世界64カ国・地域を対象にしたもので、アジア太平洋の14カ国の中でみると、日本は9位だった。 人材ランキングで日本にとって最も深刻だったのは管理職のスキル不足だ。 IMDの人材調査のレポートでは、「上級管理職の国際経験」は調査対象国で最下位の64位だ。ほかにも、「有能な上級管理職」では62位、「経営の教育」と「語学のスキル」は60位という評価だ。 このように日本企業は管理職の国際経験が乏しいこと、グローバルに活躍し得る語学力に欠けることが問題視されている。そしてIMDは、管理職のスキル不足と人材教育などの体制の不足を日本の課題として挙げている。 成長停滞が長く続くなかで、生産性の向上の必要性がずっと言われてきたが、生産性を上げるための基本は、技術開発を進め新しいビジネスモデルを導入することだ。このためには人材の質を高めることが不可欠だ。 しかしこの二つの人材の質に関する国際比較ランキングで、日本は非常に低い位置にある。アジアの中で日本より低い国は数えるほどしかなくなってしまった。これは誠に深刻な事態と言わざるを得ない。 とりわけ、上級管理職の国際感覚が低いことが問題だ。このため、世界で進む大きな変化に日本が立ち後れるのだと思われる。日本衰退の大きな要因になっていることは否定できない』、「二つの人材の質に関する国際比較ランキングで、日本は非常に低い位置にある。アジアの中で日本より低い国は数えるほどしかなくなってしまった。これは誠に深刻な事態と言わざるを得ない。 とりわけ、上級管理職の国際感覚が低いことが問題だ。このため、世界で進む大きな変化に日本が立ち後れるのだと思われる。日本衰退の大きな要因になっていることは否定できない」、その通りだ。
・『英語力をChatGPTが打破するか? 重要なのは話すより「聞く力」 これらの問題の原因やその対応では、英語の教育や学び方の問題と、企業の人材育成や人事の在り方、さらには大学などの高等教育機関の問題に分けて考えることができる。 まずは英語力の問題だが、日本人の英語力が低いのは昔から言われてきたが、事態を大きく変える可能性として、ChatGPTの登場があげられるのではないか。 ChatGPTの基礎になっているのは、「大規模言語モデル(LLM)」と言われるものだ。これは言語を操ることを主たる目的にしたAIだ。そして、AIにとっては、日本語も英語も区別はない。本質的にマルチリンガルだ。 外国語への翻訳や外国語からの翻訳に関していえば、大規模言語モデルはどんな言葉に関しても、人間の外国語教師や専門家が知っている言葉や表現より多くを知っている。 しかも、個別質問に答えてくれる。いつでもどこでも使える。納得できるまで尋ねられる。それにChatGPTに教えてもらうコストは基本的にはゼロだ。 こうした背景もあり、文部科学省も、2023年7月、中学高校の英語教育にChatGPTを活用して「生徒が苦手とする英語で話す力の底上げを目指す」方針を発表した。 ただし、私はこの方針は間違っていると思う。その理由は実際の場面では、英語を「話す」ことより英語を「聞く」ことの方がはるかに重要だからだ。 聞く能力を高めるための教材、特に専門的な内容のものを入手するのが難しいのだが、例えば、自分の専門分野の日本語の文献をChatGPTで英文にし、それを何度も聞いて暗記するという方法があるのではないか』、「実際の場面では、英語を「話す」ことより英語を「聞く」ことの方がはるかに重要だからだ。 聞く能力を高めるための教材、特に専門的な内容のものを入手するのが難しいのだが、例えば、自分の専門分野の日本語の文献をChatGPTで英文にし、それを何度も聞いて暗記するという方法があるのではないか」、その通りだ。
・『中学生の学習到達度は高い 企業人材は世界最低レベル? 経済協力開発機構(OECD)は、2023年11月5日、81の国・地域で15歳の生徒らを対象に実施した「国際学習到達度調査」(PISA、2022年)の結果を公表した(注3)。 日本は「読解力」が前回18年調査の15位から3位へと順位を上げた。「数学的リテラシー(応用力)」は6位から5位、「科学的リテラシー」は5位から2位へと上昇した。このように、全ての科目で世界のトップレベルを維持している。 この結果を見ると、日本の初等中等教育の水準は、国際的に見て非常に高いことが分かる。 ところが、成人や企業の人材になると、二つの国際比較ランキングではすで見たように世界で最低レベルになる。こうなってしまうのは、企業の人材育成や人事政策、さらに大学などの高等教育に問題があるからだと考えられる』、「日本は「読解力」が前回18年調査の15位から3位へと順位を上げた。「数学的リテラシー(応用力)」は6位から5位、「科学的リテラシー」は5位から2位へと上昇した。このように、全ての科目で世界のトップレベルを維持している。 この結果を見ると、日本の初等中等教育の水準は、国際的に見て非常に高いことが分かる。 ところが、成人や企業の人材になると、二つの国際比較ランキングではすで見たように世界で最低レベルになる。こうなってしまうのは、企業の人材育成や人事政策、さらに大学などの高等教育に問題があるからだと考えられる」、なるほど。
・『組織の階段を登っただけの経営者 企業は評価や人事政策を変えよ 経済成長には人材の育成が不可欠だが、日本には管理職や専門家を養成する教育体制が整っていない。そのために専門的教育が不十分である状態で経営幹部になっている例が多い。 アメリカでは、ビジネススクールやロースクールで高度に専門的な教育を行ない、そこでの成績を採用のみならず、給与や昇進に直接的に結び付けているし、欧州などでも企業に入ってからもビジネススクールなどで学ぶ人も少なくない。 また企業の人材育成やキャリアパスも、日本の場合は経営幹部とは経営を行なう専門家ではなく、ゼネラリストとして組織の階段を登り、「偉くなった」人たちだ。 こうした事情も前述の国際ランキングで日本の上級管理職が低く評価される基本的な原因になっていると考えられる。 また採用時も、日本企業は学歴は見るが、それはどのレベルの大学に入学したかであって、そこでの成績や専門性などを評価しているわけではない。日本企業はこれまで、OJT、つまり現場での実践を通じた人材育成を行なってきた。大学での専門教育を評価し、それに頼ってきたわけではない。 その結果、日本の大学でも十分な専門的教育が行われてきたとは言い難い。これも大きな問題だ。 企業は給与や地位の点で、専門家を正当に評価することが必要であり、その前提としては働く人が専門的な知識やスキルを新たに学ぶためのリスキリングが必要だが、それだけではなく、日本の大学も教育体制を根本から改革することが必要だ。 しかしこれらは、簡単に実現できる課題ではない。大学ファンドや国立大法人法の改正で解決できるレベルの問題ではない。ジョブ型雇用の採用などを含む企業の人事政策や働く人の企業間の流動性の促進など日本社会の基本的な構造を変えることが必要だ。 だがそれなくしては日本の凋落を防ぐことができない。 (注1)「EF EPI 2023 EF 英語能力指数 世界113カ国・地域の英語能力ランキング」 (注2)「IMD/World Talent Ranking 2023」 (注3)「OECD生徒の学習到達度調査 2022年調査(PISA2022)のポイント」』、「企業は給与や地位の点で、専門家を正当に評価することが必要であり、その前提としては働く人が専門的な知識やスキルを新たに学ぶためのリスキリングが必要だが、それだけではなく、日本の大学も教育体制を根本から改革することが必要だ。 しかしこれらは、簡単に実現できる課題ではない。大学ファンドや国立大法人法の改正で解決できるレベルの問題ではない。ジョブ型雇用の採用などを含む企業の人事政策や働く人の企業間の流動性の促進など日本社会の基本的な構造を変えることが必要だ。 だがそれなくしては日本の凋落を防ぐことができない」、その通りだ。
タグ:その通りだ。 「企業は給与や地位の点で、専門家を正当に評価することが必要であり、その前提としては働く人が専門的な知識やスキルを新たに学ぶためのリスキリングが必要だが、それだけではなく、日本の大学も教育体制を根本から改革することが必要だ。 しかしこれらは、簡単に実現できる課題ではない。大学ファンドや国立大法人法の改正で解決できるレベルの問題ではない。ジョブ型雇用の採用などを含む企業の人事政策や働く人の企業間の流動性の促進など日本社会の基本的な構造を変えることが必要だ。 だがそれなくしては日本の凋落を防ぐことができない」、 」、なるほど。 「日本は「読解力」が前回18年調査の15位から3位へと順位を上げた。「数学的リテラシー(応用力)」は6位から5位、「科学的リテラシー」は5位から2位へと上昇した。このように、全ての科目で世界のトップレベルを維持している。 この結果を見ると、日本の初等中等教育の水準は、国際的に見て非常に高いことが分かる。 ところが、成人や企業の人材になると、二つの国際比較ランキングではすで見たように世界で最低レベルになる。こうなってしまうのは、企業の人材育成や人事政策、さらに大学などの高等教育に問題があるからだと考えられる 「実際の場面では、英語を「話す」ことより英語を「聞く」ことの方がはるかに重要だからだ。 聞く能力を高めるための教材、特に専門的な内容のものを入手するのが難しいのだが、例えば、自分の専門分野の日本語の文献をChatGPTで英文にし、それを何度も聞いて暗記するという方法があるのではないか」、その通りだ。 「二つの人材の質に関する国際比較ランキングで、日本は非常に低い位置にある。アジアの中で日本より低い国は数えるほどしかなくなってしまった。これは誠に深刻な事態と言わざるを得ない。 とりわけ、上級管理職の国際感覚が低いことが問題だ。このため、世界で進む大きな変化に日本が立ち後れるのだと思われる。日本衰退の大きな要因になっていることは否定できない」、その通りだ。 「中でも「上級管理職の国際経験」への評価は最下位だった。 日本の国際競争力の低下がいわれるなかで、グローバルに活躍するための英語力の低さやビジネスエリートの国際経験の乏しさは改めて人材育成が喫緊の課題であることを浮き彫りにする」、なるほど。 野口悠紀雄氏による「日本の「上級管理職の国際経験」世界最下位、英語力87位が象徴する人材育成の難題」 ダイヤモンド・オンライン 偏差値型ロボット教育(受験勉強)と価値判断を欠いた無機的教育(問題意識の欠落)を一刻もはやくなくさねばなるまい。とりわけ海外、欧米偏重ではないアジアとの交流をにらんだ教育体系の確立であろう。日本はアジアから孤立しているばかりではない。憧れている西欧からも利用しやすい愚かなアジアの国としてしか、相手にされていないのだ」、「憧れている西欧からも利用しやすい愚かなアジアの国としてしか、相手にされていないのだ」、寂しい限りだ。 「「政治が悪いから国民が無気力であり、国民が無気力だから政治は悪いままでおれるのだ。こういう状態は、今後50年は確実に続くであろう。そのことから私たちが引き出さねばならない結論は、残念ながら、日本の没落である。政治が貧困であるということは、日本経済が経済外的利益を受けないと言うことである。それでも「ええじゃないか、ええじゃないか」と踊り狂うしか慰めがないとしたら、私たちの子供や孫や曾孫があまりにも可哀想だ・・・ 「戦後アメリカによる教育改革は、戦前世代との断絶を生み出したと指摘する。アメリカによる急激なアメリカ流教育は、民主教育を非民主的な戦前、戦中世代が教えるというちぐはぐな問題を生み出した。 それによって戦後民主主義は形骸化し、また戦後世代はそれまであった日本の伝統的儒教的教育を受けられなかったことで、戦後世代はアジア的伝統とも断絶することになったという」、なるほど。 「日本礼賛論が巷で横行し」とあるが、もはやかつてのような勢いはない。 的場 昭弘氏による「国家の劣化はたった1人の政治家が引き起こす 日本など先進国を没落させる哲学なき政治家の罪」 東洋経済オンライン 日本の構造問題 (その30)(国家の劣化はたった1人の政治家が引き起こす 日本など先進国を没落させる哲学なき政治家の罪、日本の「上級管理職の国際経験」世界最下位 英語力87位が象徴する人材育成の難題)
2023年の回顧(その1)(政治家だけじゃない「耳を疑った失言集2023」 もはや開き直り…こんな国でいいのか?、「じゃこ天は貧乏くさい」「頭悪いね」…国民の胸に深く刺さった政治家の失言集2023) [経済政治動向]
今日は、2023年の回顧(その1)(政治家だけじゃない「耳を疑った失言集2023」 もはや開き直り…こんな国でいいのか?、「じゃこ天は貧乏くさい」「頭悪いね」…国民の胸に深く刺さった政治家の失言集2023)を紹介しよう。
先ずは、本年12月15日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーライターの鎌田和歌氏による「政治家だけじゃない「耳を疑った失言集2023」、もはや開き直り…こんな国でいいのか?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/335693
・『早いもので2023年ももう師走。今年のニュースを失言とともに振り返りたい。失言といえば政治家に付き物だが、今年は組織や企業、個人からの“失言”も目立った。並べてみると想像以上にヒドイ。その傾向から読み取れる深い教訓とは? 近年では“炎上“する一般人が多い。飲食店で調味料の容器をくわえるような迷惑行為が拡散され、高額な損害賠償を請求されるまでに発展したし、以前からひんしゅくを買っていた迷惑系YouTuberが「私人逮捕」を理由に逮捕された。 失言といえば政治家に付き物だが、今年は政治家以外の人々からの“失言”も目立ったように感じられる。これも、SNSで誰もがスポットライトを浴びる可能性がある時代となったゆえのことなのかもしれない。 また、組織や企業の不祥事が相次ぎ、記者会見や追及の場でのトップによる失言・迷言も生まれた。 年の瀬に、政治家ではない人々の「失言」とともに今年のニュースを振り返ってみたい。なお、2023年の政治家失言まとめは来週に予定している』、興味深そうだ。
・『【ジャニーズ事務所】 「被害者ではない可能性が高い方々が虚偽の話をされているケース」(エンタメ界において今年最大のニュースとなった、旧ジャニーズ事務所で故・ジャニー喜多川氏の長年にわたる性加害が放置されていた問題。 旧ジャニーズ事務所は第三者的立場の有識者からなる調査とその報告会見、さらに謝罪・説明のための記者会見を開いたが、会見の場で記者の「NGリスト」の存在が明らかになるなど、その対応や会見内容に疑問符がついた。 さらに10月9日に発表された声明「故ジャニー喜多川による性加害に関する一部報道と弊社からのお願いについて」の中には、「被害者でない可能性が高い方々が、本当の被害者の方々の証言を使って虚偽の話をされているケースが複数あるという情報にも接しており、これから被害者救済のために使用しようと考えている資金が、そうでない人たちに渡りかねないと非常に苦慮しております」という一文があった。) 被害を名乗り出た人たちは「金目的」といったネット上での誹謗中傷に苦しんでおり、この後、「ジャニーズ性加害問題当事者の会」のメンバーだった男性が自死していたことも明らかになった。 この段階でこのような声明を出すことが果たして本当に必要だったのか。「複数あるという情報にも接しており」とあるが、どの程度の確度での情報だったのか明らかにされていないことも問題を感じる点だ』、「旧ジャニーズ事務所は第三者的立場の有識者からなる調査とその報告会見、さらに謝罪・説明のための記者会見を開いたが、会見の場で記者の「NGリスト」の存在が明らかになるなど、その対応や会見内容に疑問符がついた。 さらに10月9日に発表された声明「故ジャニー喜多川による性加害に関する一部報道と弊社からのお願いについて」の中には、「被害者でない可能性が高い方々が、本当の被害者の方々の証言を使って虚偽の話をされているケースが複数あるという情報にも接しており、これから被害者救済のために使用しようと考えている資金が、そうでない人たちに渡りかねないと非常に苦慮しております」という一文があった。 被害を名乗り出た人たちは「金目的」といったネット上での誹謗中傷に苦しんでおり、この後、「ジャニーズ性加害問題当事者の会」のメンバーだった男性が自死していたことも明らかになった。 この段階でこのような声明を出すことが果たして本当に必要だったのか。「複数あるという情報にも接しており」とあるが、どの程度の確度での情報だったのか明らかにされていないことも問題を感じる点だ」、確かに「旧ジャニーズ事務所」からの情報開示には問題が多かった。
・『【宝塚(阪急電鉄)】「証拠となるものをお見せいただけるよう提案したい」(ジャニーズと同様に、その会見が悪い意味で話題となったのが宝塚歌劇団の記者会見。同劇団では9月末に女優が転落死し、その原因がいじめや嫌がらせ、長時間労働にあったのではないかと報道されていた。 11月に行われた記者会見で、同劇団の次期理事長であり阪急電鉄の取締役でもある村上浩爾氏は再検証を求める遺族に対して「そのように言われているのであれば、証拠となるものをお見せいただけるよう提案したい」と発言。 劇団員の死というあってはならない事態に際してのトップのこの発言は、冷酷を通り越して遺族や世論への好戦的な態度にさえ見えた』、「劇団員の死というあってはならない事態に際してのトップのこの発言は、冷酷を通り越して遺族や世論への好戦的な態度にさえ見えた」、その通りだ。
・『【経団連会長】「何が問題なのか」 12月4日の会見で、自民党への毎年約24億円への政治献金について問われた経団連の十倉雅和会長が放った一言「何が問題なのか」がネットで炎上。 十倉会長はさらに「社会貢献の一つ」「世界各国でも同様のことが行われている」と続けた。 政治献金は利権政治に直結する。さらに利権政治からの脱却を目指すべく導入された政党交付金制度があるにもかかわらず、企業からの献金が今なお廃止されていないことが批判されている。 金持ちのためだけの政治をいつまで続けるのか。開き直りとしか受け取れないこの失言に、庶民の怒りは止まらない』、「十倉会長」も「毎年約24億円への政治献金」の妥当性を説明すべきだ。さらに足元で、安倍派でパーティ券割り当て超過分を無申告で処理していたことが発覚し、国民の怒りは爆発寸前だ。
・『【林真理子・日大理事長】「違法な薬物が見つかったとか、 そういうことは一切ございません」 8月5日に大麻取締法違反で逮捕者が出た日大アメフト部。学生寮へ捜索が入ったのは8月3日だが、その前日の2日、マスコミの囲み取材に答えた林真理子理事長は「違法な薬物が見つかったとか、そういうことは一切ございません」と発言していた。 元を辿れば2018年の「悪質タックル問題」が発端となり、名門とされてきた部の体質が批判された。その記憶が残る中での不祥事だけに、呆れ返る声は大きい。 10月末に日大の対応を検証する第三者委員会は調査報告を発表し、この際の記者会見で、林理事長のコメントについて「失言に近い」と明言している。 また、12月に行われた逮捕された元部員の初公判では、中村敏英監督の「副学長に見つかって良かった」という発言を聞いたこの部員が「もみ消してもらえると思い、安心した」と当時の正直な心境を語ったことも報道された。 巨大組織の不健全な力学は、この際全て明らかになってほしいものだ』、「林真理子理事長」の余りに素人ぽいやり方には、呆れ果てた。
・【ビッグモーター社長】 「ゴルフを愛する人への冒涜」 ちなみに不祥事からの記者会見といえば今年は保険金不正請求が発覚した中古車販売大手のビッグモーター社もかなりインパクトがあった。しかし残念ながら、記憶に残るほどの失言が残っていない。 強いていえば、ゴルフボールを使って車両を損傷させた行為について、兼重宏行社長が「ゴルフを愛する人に対する冒涜だ」と語ったことだろうか。当時の報道でもズレたコメントだと言及されているが、これは失言というより迷言の類かもしれない』、「兼重宏行社長が「ゴルフを愛する人に対する冒涜だ」と語ったこと」は、「失言というより迷言の類かもしれない」、その通りだ。
・【人気ラッパー】「男子生徒はのぞけるならばのぞく」 スマートフォンの普及から増加傾向にあり、今年の刑法改正で「撮影罪」が新設されることになった盗撮問題。教育現場での教師から生徒・児童への盗撮や、生徒同士の盗撮について報道が増える中で、人気ラッパーの投稿が波紋を呼んだ。 発端は、6月下旬に熊本県立高校の修学旅行で複数の男子生徒が女子生徒の入浴を盗撮したり、のぞいていたりしたと報道されたことだった。) このニュースを引用して「のぞこうと思えばのぞけるような露天風呂を選んだ学校が悪い。男子生徒はのぞけるならばのぞく。当たり前だろ。」と投稿したのがラッパーの呂布カルマ。この投稿に共感や理解を示すファンもいた一方で、強い批判も巻き起こった。 これまで未成年同士の性犯罪は「子ども同士のこと」と矮小化される傾向があり、被害者側が泣き寝入りを余儀なくさせられることも珍しくなかった。その背景には「男の子なのだから多少のやんちゃは仕方ない」といった誤った認識と対応があったことは想像に難くない。 呂布が昨年ACジャパンのCM(「寛容ラップ」)に出演して、一般からの知名度・好感度を上げていたことや、10月にはNHKの性教育関連の特番に出演したことも、炎上が長引く理由となった』、私は「「のぞこうと思えばのぞけるような露天風呂を選んだ学校が悪い。男子生徒はのぞけるならばのぞく。当たり前だろ。」と投稿したのがラッパーの呂布カルマ」の意見に賛成だ。
・【アニメーター】「公開型のつつもたせ」 夏に大きく報道されたのが、韓国の人気女性DJが大阪のイベントで観客の男女3人から胸などを触られたと訴えた事件。その後、女性は3人を刑事告発したが、当事者間の和解によって不起訴となったことが報道されている。 この件でネット上では女性の露出度の高い衣装やパフォーマンスを非難する声が多く上がり、日本における性暴力被害者への二次加害として海外でも取り上げられる事態となっていた。 その中で特に話題となったのが、ジブリ作品の監督を務めたこともあるアニメーターの男性が「公開型のつつもたせなのだろう」「音楽フェスの主催者は、彼女の芸に加担しないことだ」などと投稿したこと。 数日後にこの男性は投稿が不適切であったことを認めて謝罪と撤回を行ったが、ネット上ではいまだに女性へ誹謗中傷が多く、日本のネット社会の残念さが浮き彫りになった。 まとめてみると、不祥事を報道された組織の開き直りに近い失言が目立った2023年。あなたの記憶に残る失言はあっただろうか』、「韓国の人気女性DJが大阪のイベントで観客の男女3人から胸などを触られたと訴えた事件」については、私は「女性の露出度の高い衣装やパフォーマンスを非難する声」に同意する。「日本のネット社会の残念さが浮き彫りに」、といわれては面目ないが、本音を隠す必要はないと思う。
次に、12月22日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーライターの鎌田和歌氏による「「じゃこ天は貧乏くさい」「頭悪いね」…国民の胸に深く刺さった政治家の失言集2023」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/336371
・『今年もやってきた、1年を振り返る年末。失言がつきものの政治家たちのご発言、2023年はどのようなものがあっただろうか。改めて並べてみると、耳を疑うようなものばかり。あなたの胸に刺さった「失言」はどれだろうか。 1年を振り返る上で欠かせないのが政治家の失言だ。その年がどんな年だったのか改めて考える良いきっかけにもなる。言葉が商売である代議士のセンセイたちは、たびたびメディアの前でホンネを漏らしてしまう。そしてそれが、普段の行い以上に人となりを感じさせるから面白い。早速今年の失言を振り返ってみよう。(※各見出しの肩書は当時のもの)』、「言葉が商売である代議士のセンセイたちは、たびたびメディアの前でホンネを漏らしてしまう」、興味深そうだ。
・『「女性議員は割と発言しない人が多い」桜田義孝・元五輪相(11月1日) 猪口邦子参議院議員の政治資金パーティーで、「猪口議員は男の人より発言が多い」と、持ち上げる意図で述べられた発言。 すぐに思い出すのが、森喜朗氏の「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」(2021年2月)だろう。女性は話が長いのか、それとも発言しないのかどっちなんだいと言いたくなる。すぐに「女性は」とひとくくりにしてしまう森氏や桜田氏にありがちな傾向に問題がある。 女性の発言が少ない(あるいは話が長く感じられて鬱陶しい)のであれば、そのように決めつけられることが女性の発言を少なくさせたり、あるいは過度に説明せざるを得ない状況を招いたりしているとは考えないのだろうか。 桜田氏は昨年7月にも街頭演説で少子化問題や若者世代の未婚化をめぐり「女性はもっと男の人に寛大になっていただけたらありがたい」と述べ、その見識の古臭さを露呈させてしまっている。 また、今回の失言があったパーティーで桜田氏は「失言をしたことはない。本当のことを言うと『失言』と(周囲が)言う」と重ねたと報道されており、これも森喜朗氏の「女の人はよくしゃべると言っただけだ。本当の話をするので叱られる」(2022年6月)と相似している。 彼らの発言力がもう少し弱まれば、高齢男性政治家以外の多様な皆さんがもっと生き生きと発言できるのではないかと思わざるを得ない』、「桜田氏」と「森喜朗氏」の「発言力がもう少し弱まれば、高齢男性政治家以外の多様な皆さんがもっと生き生きと発言できるのではないかと思わざるを得ない」、その通りだ。
・『「差別がなくなっては困る人たちと戦ってきた」 杉田水脈衆院議員(10月27日) 失言する政治家として、ここ数年名前が挙がらないことがない杉田水脈議員。2022年末には総務政務官に就任したことへの批判が止まらず、辞表を提出していた。 その後しばらく名前を聞かなかったものの、今年後半から自身のYouTubeチャンネルで立て続けに4本のショート動画を更新し、その度に問題視する声が上がった。 発端は9月に札幌法務局から、10月には大阪の法務局から人権侵害の認定を受けたことで、杉田氏は動画の中でこれらに反論を行った。 「杉田水脈は差別主義者か」というタイトルの動画では、「私はアイヌや在日の方々に対する差別はあってはならないと思っています。LGBTや女性に対する差別も当然です」とした上で、「しかし、逆差別、エセ、そしてそれに伴う利権。差別を利用して日本を貶める人たちがいます」と続け、「差別がなくなっては困る人たちと戦ってきました」と述べた。 差別を受けてきたマイノリティが「利権」「逆差別」といった言葉を浴びせられ、差別の存在を訴えること自体を困難にされてきた過去から、何も学んでいないような発言だ。 法務局が人権侵害認定したのは、杉田氏が2016年のネット上に書き込んだ「チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場。完全に品格に問題があります」といった文章だ。こういった表現が、なぜ「差別がなくなっては困る人たち」との戦いなのか。杉田氏が説明することはあるのだろうか』、「こういった表現が、なぜ「差別がなくなっては困る人たち」との戦いなのか。杉田氏が説明することはあるのだろうか」、「杉田氏が説明する」のはおよそ不可能だろう。
・『「支援者がウィシュマさんに淡い期待抱かせた」 梅村みずほ参議院議員(5月12日) 入管難民法改正案の審議で、日本維新の会の梅村みずほ議員の発言に、議場が一時騒然。報道されると市民からの抗議も殺到した。 2021年に名古屋入管で亡くなったスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさん(当時33)について、梅村氏は「資料と映像を総合的に見ると、よかれと思った支援者の一言が、ウィシュマさんに『病気になれば仮釈放してもらえる』という淡い期待を抱かせ、医師から詐病の可能性を指摘される状況へつながった恐れも否定できない」と述べた。 「詐病」は入管における問題についてネット上でよく見かける収容者や支援者への非難だが、ウィシュマさんは実際に亡くなっている。医師の「誤診」を、当事者や支援者に向けるのはお門違いが過ぎるだろう。 梅村氏の発言に根拠がなかったことは、この数日後に行われた遺族弁護団の質問で明らかになっている。この発言が想定以上の反発を招いたためなのか、維新の会はこの後梅村議員を6カ月の党員停止処分とした』、「梅村氏は「資料と映像を総合的に見ると、よかれと思った支援者の一言が、ウィシュマさんに『病気になれば仮釈放してもらえる』という淡い期待を抱かせ、医師から詐病の可能性を指摘される状況へつながった恐れも否定できない」と述べた」、「維新の会はこの後梅村議員を6カ月の党員停止処分とした」、なるほど。
・『「じゃこ天は貧乏くさい」 佐竹敬久・秋田県知事(10月23日) 今どきYouTuberでもこの手の炎上には気をつけているであろうに、なぜ知事が他県の名産品をディスるのか。秋田市内で行われた講演会で、愛媛県名物のじゃこ天について「メインディッシュがいいステーキだと思って開けたらじゃこ天です。貧乏くさい。四国なんか大変ですよ。酒もうまくない」と発言。 直後に記者から問われ「事実だもの」と述べたとも報道されている。「貧乏くさい」は事実というより主観であるし、事実であれば何を言ってもいいわけではないし、開き直りは二重の失言である。 まずいと思ったのかこの2日後の緊急会見で佐竹知事は謝罪。さらに四国4県の知事に対してお詫びの書簡を送付したという。騒動の余波でじゃこ天の売れ行きが伸び、佐竹知事が「地元の居酒屋では注文していないじゃこ天が出されるようになった」と述べたとも報じられた。 クスッとしてしまう展開もあったものの、これ以前にも「比内地鶏は硬い」(8月26日)と言って謝罪するなど、かねてから失言が多いと地元紙は冷ややかに報道した』、「「メインディッシュがいいステーキだと思って開けたらじゃこ天です。貧乏くさい。四国なんか大変ですよ。酒もうまくない」と発言。 直後に記者から問われ「事実だもの」と述べたとも報道されている。「貧乏くさい」は事実というより主観であるし、事実であれば何を言ってもいいわけではないし、開き直りは二重の失言である・・・これ以前にも「比内地鶏は硬い」(8月26日)と言って謝罪するなど、かねてから失言が多いと地元紙は冷ややかに報道した」、なるほど。
・『「ブタ」「早めに封じておかないとね!」 澤田伸・渋谷区副区長(8月頃) 渋谷区の職員120人が閲覧できる公用チャットシステムで、特定の区議を名指しして「ブタ」「早めに封じておかないとね!」などと書き込んでいたことが発覚したのは澤田伸副区長。 書き込みを読んだ職員が匿名で区議団に情報を提供し、区議団が区に調査を要求したという。問題を感じた職員がいたから良かったものの、もし黙認されていたらと想像すると恐ろしい。 実名を挙げて中傷されたのは桑水流(くわずる)弓紀子議員で、区側に厳しい質問を行なっていたといい、副区長は区の職員も全員と同じ意見だと思い込んでいたのかもしれない。実際にチャットには「相手をするのも大変です」と副区長をたしなめるどころか同調するように見える返信もあったという。 澤田副区長は問題が明らかになった翌日にスピード辞職。同じ博報堂出身の澤田氏を登用した長谷部健区長も陳謝した。 「ブタ」についてはもはや、失言を超えた侮辱的な暴言と言ったほうが正しいかもしれない。いい大人がこんな侮辱を、大勢の人が目にする中で書き込んでいたというのが衝撃だ』、「渋谷区の職員120人が閲覧できる公用チャットシステムで、特定の区議を名指しして「ブタ」「早めに封じておかないとね!」などと書き込んでいたことが発覚したのは澤田伸副区長・・・澤田副区長は問題が明らかになった翌日にスピード辞職。同じ博報堂出身の澤田氏を登用した長谷部健区長も陳謝した。 「ブタ」についてはもはや、失言を超えた侮辱的な暴言と言ったほうが正しいかもしれない。いい大人がこんな侮辱を、大勢の人が目にする中で書き込んでいたというのが衝撃だ」、「博報堂出身」がこんな低次元の争いをしたとは世も末だ。
・『「頭悪いね」 谷川弥一衆議院議員(12月10日) 連日大きく報道されている政治資金パーティーをめぐる裏金問題。検察の手がどこまで及ぶかが注目される中、記者からの追及に逆ギレしたのが文科副大臣の経験もある谷川弥一議員。 谷川氏は4000万円超のキックバックが行われたとされており、発覚している中ではかなり高額にあたる1人。記者の前で「適切に対応してまいりたい」というお決まりの文句を読み上げた後、質問を重ねる記者に対して「今言った通り」「頭悪いねえ?言っているじゃないの。質問しても、これ以上、今日 言いませんと言っているじゃない。わからない?」とカメラの前で逆ギレした。 このような態度が国民の反発を招かないと思っているのであれば、政治家としての資質に大きな疑問符がつくと言わざるを得ない。 後援会への説明も全くないといい、後援会会長が「疑惑が事実かどうか明確になって、市民・後援会のみんなに対して安心させてほしい」とするコメントも報道されている』、「お決まりの文句を読み上げた後、質問を重ねる記者に対して「今言った通り」「頭悪いねえ?言っているじゃないの。質問しても、これ以上、今日 言いませんと言っているじゃない。わからない?」とカメラの前で逆ギレした。 このような態度が国民の反発を招かないと思っているのであれば、政治家としての資質に大きな疑問符がつくと言わざるを得ない。 後援会への説明も全くないといい、後援会会長が「疑惑が事実かどうか明確になって、市民・後援会のみんなに対して安心させてほしい」とするコメントも報道されている、テレビのニュースでも観たが、こんな酷い政治家がいるのかと信じ難い思いがした。
・『「LGBT見るのも嫌だ」 荒井勝喜首相秘書官(2月3日) 政治家の発言ではないものの、政治記者が報じて大きく話題になったのが首相秘書官の失言。 同性婚をめぐる記者団の取材に対して、「心の底では嫌だ」「認めたら国を捨てる人が出てくる」「僕だって見るのも嫌だ。隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」「(他の)秘書官もみんな、反対だ」などと述べたとする。 取材は非公式の場だったが、毎日新聞がこれを速報して他紙が続いた。記者が報じなければ問題化されずにすんでしまったかもしれないが、「オフレコ破り」ではないかという意見も飛び交った。 しかし、政治の中枢にいる人々のこのようなホンネを国民が知ることは必要だ。荒井秘書官はこの後、謝罪して発言を撤回したものの更迭となった』、「政治家の発言ではないものの、政治記者が報じて大きく話題になったのが首相秘書官の失言。 同性婚をめぐる記者団の取材に対して、「心の底では嫌だ」「認めたら国を捨てる人が出てくる」「僕だって見るのも嫌だ。隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」「(他の)秘書官もみんな、反対だ」などと述べたとする・・・取材は非公式の場だったが、毎日新聞がこれを速報して他紙が続いた・・・「オフレコ破り」ではないかという意見も飛び交った」、なるほど。
・『「女性ならではの感性」 岸田文雄首相(9月13日) 内閣改造で過去最多タイとなる女性閣僚5人を登用した岸田首相の一言が批判を招いた。 これについては9月15日の記事「岸田首相『女性ならではの感性』に批判殺到、なぜウンザリ発言を繰り返してしまうのか?」で詳述したので繰り返さないが、(https://diamond.jp/articles/-/329017)「男性ならでは」とは言われずに「女性ならでは」ばかりが繰り返されるのはなぜなのかを、構造的な問題として考えてほしい。これに尽きる。 2023年を代表する政治家たちの失言。これ以外にも、あなたの心に残るものはあっただろうか』、記事のポイントは「「女性ならではの感性」は「女性ならではの、しなやかな感性」などとも言われることがあるが、女性が生まれつき、男性よりも「しなやかな感性」を持っているという科学的根拠はない。もしそう見えるとすれば、男性中心社会が女性に対しては「適応力」や「調整力」、あるいは「職場の潤滑油」といったアシスタント的な役割を期待してきたことと無関係ではないはずだ。 さらに言えば、女性登用の際に「女性ならではの感性」に言及する違和感は、これまでも繰り返し指摘されてきたところだ。繰り返し批判され、うんざりの声が噴出してきた表現を、このタイミングで首相が使うガッカリ感がある」、「繰り返し批判され、うんざりの声が噴出してきた表現を、このタイミングで首相が使うガッカリ感」、とは言い得て妙だ。
先ずは、本年12月15日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーライターの鎌田和歌氏による「政治家だけじゃない「耳を疑った失言集2023」、もはや開き直り…こんな国でいいのか?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/335693
・『早いもので2023年ももう師走。今年のニュースを失言とともに振り返りたい。失言といえば政治家に付き物だが、今年は組織や企業、個人からの“失言”も目立った。並べてみると想像以上にヒドイ。その傾向から読み取れる深い教訓とは? 近年では“炎上“する一般人が多い。飲食店で調味料の容器をくわえるような迷惑行為が拡散され、高額な損害賠償を請求されるまでに発展したし、以前からひんしゅくを買っていた迷惑系YouTuberが「私人逮捕」を理由に逮捕された。 失言といえば政治家に付き物だが、今年は政治家以外の人々からの“失言”も目立ったように感じられる。これも、SNSで誰もがスポットライトを浴びる可能性がある時代となったゆえのことなのかもしれない。 また、組織や企業の不祥事が相次ぎ、記者会見や追及の場でのトップによる失言・迷言も生まれた。 年の瀬に、政治家ではない人々の「失言」とともに今年のニュースを振り返ってみたい。なお、2023年の政治家失言まとめは来週に予定している』、興味深そうだ。
・『【ジャニーズ事務所】 「被害者ではない可能性が高い方々が虚偽の話をされているケース」(エンタメ界において今年最大のニュースとなった、旧ジャニーズ事務所で故・ジャニー喜多川氏の長年にわたる性加害が放置されていた問題。 旧ジャニーズ事務所は第三者的立場の有識者からなる調査とその報告会見、さらに謝罪・説明のための記者会見を開いたが、会見の場で記者の「NGリスト」の存在が明らかになるなど、その対応や会見内容に疑問符がついた。 さらに10月9日に発表された声明「故ジャニー喜多川による性加害に関する一部報道と弊社からのお願いについて」の中には、「被害者でない可能性が高い方々が、本当の被害者の方々の証言を使って虚偽の話をされているケースが複数あるという情報にも接しており、これから被害者救済のために使用しようと考えている資金が、そうでない人たちに渡りかねないと非常に苦慮しております」という一文があった。) 被害を名乗り出た人たちは「金目的」といったネット上での誹謗中傷に苦しんでおり、この後、「ジャニーズ性加害問題当事者の会」のメンバーだった男性が自死していたことも明らかになった。 この段階でこのような声明を出すことが果たして本当に必要だったのか。「複数あるという情報にも接しており」とあるが、どの程度の確度での情報だったのか明らかにされていないことも問題を感じる点だ』、「旧ジャニーズ事務所は第三者的立場の有識者からなる調査とその報告会見、さらに謝罪・説明のための記者会見を開いたが、会見の場で記者の「NGリスト」の存在が明らかになるなど、その対応や会見内容に疑問符がついた。 さらに10月9日に発表された声明「故ジャニー喜多川による性加害に関する一部報道と弊社からのお願いについて」の中には、「被害者でない可能性が高い方々が、本当の被害者の方々の証言を使って虚偽の話をされているケースが複数あるという情報にも接しており、これから被害者救済のために使用しようと考えている資金が、そうでない人たちに渡りかねないと非常に苦慮しております」という一文があった。 被害を名乗り出た人たちは「金目的」といったネット上での誹謗中傷に苦しんでおり、この後、「ジャニーズ性加害問題当事者の会」のメンバーだった男性が自死していたことも明らかになった。 この段階でこのような声明を出すことが果たして本当に必要だったのか。「複数あるという情報にも接しており」とあるが、どの程度の確度での情報だったのか明らかにされていないことも問題を感じる点だ」、確かに「旧ジャニーズ事務所」からの情報開示には問題が多かった。
・『【宝塚(阪急電鉄)】「証拠となるものをお見せいただけるよう提案したい」(ジャニーズと同様に、その会見が悪い意味で話題となったのが宝塚歌劇団の記者会見。同劇団では9月末に女優が転落死し、その原因がいじめや嫌がらせ、長時間労働にあったのではないかと報道されていた。 11月に行われた記者会見で、同劇団の次期理事長であり阪急電鉄の取締役でもある村上浩爾氏は再検証を求める遺族に対して「そのように言われているのであれば、証拠となるものをお見せいただけるよう提案したい」と発言。 劇団員の死というあってはならない事態に際してのトップのこの発言は、冷酷を通り越して遺族や世論への好戦的な態度にさえ見えた』、「劇団員の死というあってはならない事態に際してのトップのこの発言は、冷酷を通り越して遺族や世論への好戦的な態度にさえ見えた」、その通りだ。
・『【経団連会長】「何が問題なのか」 12月4日の会見で、自民党への毎年約24億円への政治献金について問われた経団連の十倉雅和会長が放った一言「何が問題なのか」がネットで炎上。 十倉会長はさらに「社会貢献の一つ」「世界各国でも同様のことが行われている」と続けた。 政治献金は利権政治に直結する。さらに利権政治からの脱却を目指すべく導入された政党交付金制度があるにもかかわらず、企業からの献金が今なお廃止されていないことが批判されている。 金持ちのためだけの政治をいつまで続けるのか。開き直りとしか受け取れないこの失言に、庶民の怒りは止まらない』、「十倉会長」も「毎年約24億円への政治献金」の妥当性を説明すべきだ。さらに足元で、安倍派でパーティ券割り当て超過分を無申告で処理していたことが発覚し、国民の怒りは爆発寸前だ。
・『【林真理子・日大理事長】「違法な薬物が見つかったとか、 そういうことは一切ございません」 8月5日に大麻取締法違反で逮捕者が出た日大アメフト部。学生寮へ捜索が入ったのは8月3日だが、その前日の2日、マスコミの囲み取材に答えた林真理子理事長は「違法な薬物が見つかったとか、そういうことは一切ございません」と発言していた。 元を辿れば2018年の「悪質タックル問題」が発端となり、名門とされてきた部の体質が批判された。その記憶が残る中での不祥事だけに、呆れ返る声は大きい。 10月末に日大の対応を検証する第三者委員会は調査報告を発表し、この際の記者会見で、林理事長のコメントについて「失言に近い」と明言している。 また、12月に行われた逮捕された元部員の初公判では、中村敏英監督の「副学長に見つかって良かった」という発言を聞いたこの部員が「もみ消してもらえると思い、安心した」と当時の正直な心境を語ったことも報道された。 巨大組織の不健全な力学は、この際全て明らかになってほしいものだ』、「林真理子理事長」の余りに素人ぽいやり方には、呆れ果てた。
・【ビッグモーター社長】 「ゴルフを愛する人への冒涜」 ちなみに不祥事からの記者会見といえば今年は保険金不正請求が発覚した中古車販売大手のビッグモーター社もかなりインパクトがあった。しかし残念ながら、記憶に残るほどの失言が残っていない。 強いていえば、ゴルフボールを使って車両を損傷させた行為について、兼重宏行社長が「ゴルフを愛する人に対する冒涜だ」と語ったことだろうか。当時の報道でもズレたコメントだと言及されているが、これは失言というより迷言の類かもしれない』、「兼重宏行社長が「ゴルフを愛する人に対する冒涜だ」と語ったこと」は、「失言というより迷言の類かもしれない」、その通りだ。
・【人気ラッパー】「男子生徒はのぞけるならばのぞく」 スマートフォンの普及から増加傾向にあり、今年の刑法改正で「撮影罪」が新設されることになった盗撮問題。教育現場での教師から生徒・児童への盗撮や、生徒同士の盗撮について報道が増える中で、人気ラッパーの投稿が波紋を呼んだ。 発端は、6月下旬に熊本県立高校の修学旅行で複数の男子生徒が女子生徒の入浴を盗撮したり、のぞいていたりしたと報道されたことだった。) このニュースを引用して「のぞこうと思えばのぞけるような露天風呂を選んだ学校が悪い。男子生徒はのぞけるならばのぞく。当たり前だろ。」と投稿したのがラッパーの呂布カルマ。この投稿に共感や理解を示すファンもいた一方で、強い批判も巻き起こった。 これまで未成年同士の性犯罪は「子ども同士のこと」と矮小化される傾向があり、被害者側が泣き寝入りを余儀なくさせられることも珍しくなかった。その背景には「男の子なのだから多少のやんちゃは仕方ない」といった誤った認識と対応があったことは想像に難くない。 呂布が昨年ACジャパンのCM(「寛容ラップ」)に出演して、一般からの知名度・好感度を上げていたことや、10月にはNHKの性教育関連の特番に出演したことも、炎上が長引く理由となった』、私は「「のぞこうと思えばのぞけるような露天風呂を選んだ学校が悪い。男子生徒はのぞけるならばのぞく。当たり前だろ。」と投稿したのがラッパーの呂布カルマ」の意見に賛成だ。
・【アニメーター】「公開型のつつもたせ」 夏に大きく報道されたのが、韓国の人気女性DJが大阪のイベントで観客の男女3人から胸などを触られたと訴えた事件。その後、女性は3人を刑事告発したが、当事者間の和解によって不起訴となったことが報道されている。 この件でネット上では女性の露出度の高い衣装やパフォーマンスを非難する声が多く上がり、日本における性暴力被害者への二次加害として海外でも取り上げられる事態となっていた。 その中で特に話題となったのが、ジブリ作品の監督を務めたこともあるアニメーターの男性が「公開型のつつもたせなのだろう」「音楽フェスの主催者は、彼女の芸に加担しないことだ」などと投稿したこと。 数日後にこの男性は投稿が不適切であったことを認めて謝罪と撤回を行ったが、ネット上ではいまだに女性へ誹謗中傷が多く、日本のネット社会の残念さが浮き彫りになった。 まとめてみると、不祥事を報道された組織の開き直りに近い失言が目立った2023年。あなたの記憶に残る失言はあっただろうか』、「韓国の人気女性DJが大阪のイベントで観客の男女3人から胸などを触られたと訴えた事件」については、私は「女性の露出度の高い衣装やパフォーマンスを非難する声」に同意する。「日本のネット社会の残念さが浮き彫りに」、といわれては面目ないが、本音を隠す必要はないと思う。
次に、12月22日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーライターの鎌田和歌氏による「「じゃこ天は貧乏くさい」「頭悪いね」…国民の胸に深く刺さった政治家の失言集2023」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/336371
・『今年もやってきた、1年を振り返る年末。失言がつきものの政治家たちのご発言、2023年はどのようなものがあっただろうか。改めて並べてみると、耳を疑うようなものばかり。あなたの胸に刺さった「失言」はどれだろうか。 1年を振り返る上で欠かせないのが政治家の失言だ。その年がどんな年だったのか改めて考える良いきっかけにもなる。言葉が商売である代議士のセンセイたちは、たびたびメディアの前でホンネを漏らしてしまう。そしてそれが、普段の行い以上に人となりを感じさせるから面白い。早速今年の失言を振り返ってみよう。(※各見出しの肩書は当時のもの)』、「言葉が商売である代議士のセンセイたちは、たびたびメディアの前でホンネを漏らしてしまう」、興味深そうだ。
・『「女性議員は割と発言しない人が多い」桜田義孝・元五輪相(11月1日) 猪口邦子参議院議員の政治資金パーティーで、「猪口議員は男の人より発言が多い」と、持ち上げる意図で述べられた発言。 すぐに思い出すのが、森喜朗氏の「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」(2021年2月)だろう。女性は話が長いのか、それとも発言しないのかどっちなんだいと言いたくなる。すぐに「女性は」とひとくくりにしてしまう森氏や桜田氏にありがちな傾向に問題がある。 女性の発言が少ない(あるいは話が長く感じられて鬱陶しい)のであれば、そのように決めつけられることが女性の発言を少なくさせたり、あるいは過度に説明せざるを得ない状況を招いたりしているとは考えないのだろうか。 桜田氏は昨年7月にも街頭演説で少子化問題や若者世代の未婚化をめぐり「女性はもっと男の人に寛大になっていただけたらありがたい」と述べ、その見識の古臭さを露呈させてしまっている。 また、今回の失言があったパーティーで桜田氏は「失言をしたことはない。本当のことを言うと『失言』と(周囲が)言う」と重ねたと報道されており、これも森喜朗氏の「女の人はよくしゃべると言っただけだ。本当の話をするので叱られる」(2022年6月)と相似している。 彼らの発言力がもう少し弱まれば、高齢男性政治家以外の多様な皆さんがもっと生き生きと発言できるのではないかと思わざるを得ない』、「桜田氏」と「森喜朗氏」の「発言力がもう少し弱まれば、高齢男性政治家以外の多様な皆さんがもっと生き生きと発言できるのではないかと思わざるを得ない」、その通りだ。
・『「差別がなくなっては困る人たちと戦ってきた」 杉田水脈衆院議員(10月27日) 失言する政治家として、ここ数年名前が挙がらないことがない杉田水脈議員。2022年末には総務政務官に就任したことへの批判が止まらず、辞表を提出していた。 その後しばらく名前を聞かなかったものの、今年後半から自身のYouTubeチャンネルで立て続けに4本のショート動画を更新し、その度に問題視する声が上がった。 発端は9月に札幌法務局から、10月には大阪の法務局から人権侵害の認定を受けたことで、杉田氏は動画の中でこれらに反論を行った。 「杉田水脈は差別主義者か」というタイトルの動画では、「私はアイヌや在日の方々に対する差別はあってはならないと思っています。LGBTや女性に対する差別も当然です」とした上で、「しかし、逆差別、エセ、そしてそれに伴う利権。差別を利用して日本を貶める人たちがいます」と続け、「差別がなくなっては困る人たちと戦ってきました」と述べた。 差別を受けてきたマイノリティが「利権」「逆差別」といった言葉を浴びせられ、差別の存在を訴えること自体を困難にされてきた過去から、何も学んでいないような発言だ。 法務局が人権侵害認定したのは、杉田氏が2016年のネット上に書き込んだ「チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさんまで登場。完全に品格に問題があります」といった文章だ。こういった表現が、なぜ「差別がなくなっては困る人たち」との戦いなのか。杉田氏が説明することはあるのだろうか』、「こういった表現が、なぜ「差別がなくなっては困る人たち」との戦いなのか。杉田氏が説明することはあるのだろうか」、「杉田氏が説明する」のはおよそ不可能だろう。
・『「支援者がウィシュマさんに淡い期待抱かせた」 梅村みずほ参議院議員(5月12日) 入管難民法改正案の審議で、日本維新の会の梅村みずほ議員の発言に、議場が一時騒然。報道されると市民からの抗議も殺到した。 2021年に名古屋入管で亡くなったスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさん(当時33)について、梅村氏は「資料と映像を総合的に見ると、よかれと思った支援者の一言が、ウィシュマさんに『病気になれば仮釈放してもらえる』という淡い期待を抱かせ、医師から詐病の可能性を指摘される状況へつながった恐れも否定できない」と述べた。 「詐病」は入管における問題についてネット上でよく見かける収容者や支援者への非難だが、ウィシュマさんは実際に亡くなっている。医師の「誤診」を、当事者や支援者に向けるのはお門違いが過ぎるだろう。 梅村氏の発言に根拠がなかったことは、この数日後に行われた遺族弁護団の質問で明らかになっている。この発言が想定以上の反発を招いたためなのか、維新の会はこの後梅村議員を6カ月の党員停止処分とした』、「梅村氏は「資料と映像を総合的に見ると、よかれと思った支援者の一言が、ウィシュマさんに『病気になれば仮釈放してもらえる』という淡い期待を抱かせ、医師から詐病の可能性を指摘される状況へつながった恐れも否定できない」と述べた」、「維新の会はこの後梅村議員を6カ月の党員停止処分とした」、なるほど。
・『「じゃこ天は貧乏くさい」 佐竹敬久・秋田県知事(10月23日) 今どきYouTuberでもこの手の炎上には気をつけているであろうに、なぜ知事が他県の名産品をディスるのか。秋田市内で行われた講演会で、愛媛県名物のじゃこ天について「メインディッシュがいいステーキだと思って開けたらじゃこ天です。貧乏くさい。四国なんか大変ですよ。酒もうまくない」と発言。 直後に記者から問われ「事実だもの」と述べたとも報道されている。「貧乏くさい」は事実というより主観であるし、事実であれば何を言ってもいいわけではないし、開き直りは二重の失言である。 まずいと思ったのかこの2日後の緊急会見で佐竹知事は謝罪。さらに四国4県の知事に対してお詫びの書簡を送付したという。騒動の余波でじゃこ天の売れ行きが伸び、佐竹知事が「地元の居酒屋では注文していないじゃこ天が出されるようになった」と述べたとも報じられた。 クスッとしてしまう展開もあったものの、これ以前にも「比内地鶏は硬い」(8月26日)と言って謝罪するなど、かねてから失言が多いと地元紙は冷ややかに報道した』、「「メインディッシュがいいステーキだと思って開けたらじゃこ天です。貧乏くさい。四国なんか大変ですよ。酒もうまくない」と発言。 直後に記者から問われ「事実だもの」と述べたとも報道されている。「貧乏くさい」は事実というより主観であるし、事実であれば何を言ってもいいわけではないし、開き直りは二重の失言である・・・これ以前にも「比内地鶏は硬い」(8月26日)と言って謝罪するなど、かねてから失言が多いと地元紙は冷ややかに報道した」、なるほど。
・『「ブタ」「早めに封じておかないとね!」 澤田伸・渋谷区副区長(8月頃) 渋谷区の職員120人が閲覧できる公用チャットシステムで、特定の区議を名指しして「ブタ」「早めに封じておかないとね!」などと書き込んでいたことが発覚したのは澤田伸副区長。 書き込みを読んだ職員が匿名で区議団に情報を提供し、区議団が区に調査を要求したという。問題を感じた職員がいたから良かったものの、もし黙認されていたらと想像すると恐ろしい。 実名を挙げて中傷されたのは桑水流(くわずる)弓紀子議員で、区側に厳しい質問を行なっていたといい、副区長は区の職員も全員と同じ意見だと思い込んでいたのかもしれない。実際にチャットには「相手をするのも大変です」と副区長をたしなめるどころか同調するように見える返信もあったという。 澤田副区長は問題が明らかになった翌日にスピード辞職。同じ博報堂出身の澤田氏を登用した長谷部健区長も陳謝した。 「ブタ」についてはもはや、失言を超えた侮辱的な暴言と言ったほうが正しいかもしれない。いい大人がこんな侮辱を、大勢の人が目にする中で書き込んでいたというのが衝撃だ』、「渋谷区の職員120人が閲覧できる公用チャットシステムで、特定の区議を名指しして「ブタ」「早めに封じておかないとね!」などと書き込んでいたことが発覚したのは澤田伸副区長・・・澤田副区長は問題が明らかになった翌日にスピード辞職。同じ博報堂出身の澤田氏を登用した長谷部健区長も陳謝した。 「ブタ」についてはもはや、失言を超えた侮辱的な暴言と言ったほうが正しいかもしれない。いい大人がこんな侮辱を、大勢の人が目にする中で書き込んでいたというのが衝撃だ」、「博報堂出身」がこんな低次元の争いをしたとは世も末だ。
・『「頭悪いね」 谷川弥一衆議院議員(12月10日) 連日大きく報道されている政治資金パーティーをめぐる裏金問題。検察の手がどこまで及ぶかが注目される中、記者からの追及に逆ギレしたのが文科副大臣の経験もある谷川弥一議員。 谷川氏は4000万円超のキックバックが行われたとされており、発覚している中ではかなり高額にあたる1人。記者の前で「適切に対応してまいりたい」というお決まりの文句を読み上げた後、質問を重ねる記者に対して「今言った通り」「頭悪いねえ?言っているじゃないの。質問しても、これ以上、今日 言いませんと言っているじゃない。わからない?」とカメラの前で逆ギレした。 このような態度が国民の反発を招かないと思っているのであれば、政治家としての資質に大きな疑問符がつくと言わざるを得ない。 後援会への説明も全くないといい、後援会会長が「疑惑が事実かどうか明確になって、市民・後援会のみんなに対して安心させてほしい」とするコメントも報道されている』、「お決まりの文句を読み上げた後、質問を重ねる記者に対して「今言った通り」「頭悪いねえ?言っているじゃないの。質問しても、これ以上、今日 言いませんと言っているじゃない。わからない?」とカメラの前で逆ギレした。 このような態度が国民の反発を招かないと思っているのであれば、政治家としての資質に大きな疑問符がつくと言わざるを得ない。 後援会への説明も全くないといい、後援会会長が「疑惑が事実かどうか明確になって、市民・後援会のみんなに対して安心させてほしい」とするコメントも報道されている、テレビのニュースでも観たが、こんな酷い政治家がいるのかと信じ難い思いがした。
・『「LGBT見るのも嫌だ」 荒井勝喜首相秘書官(2月3日) 政治家の発言ではないものの、政治記者が報じて大きく話題になったのが首相秘書官の失言。 同性婚をめぐる記者団の取材に対して、「心の底では嫌だ」「認めたら国を捨てる人が出てくる」「僕だって見るのも嫌だ。隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」「(他の)秘書官もみんな、反対だ」などと述べたとする。 取材は非公式の場だったが、毎日新聞がこれを速報して他紙が続いた。記者が報じなければ問題化されずにすんでしまったかもしれないが、「オフレコ破り」ではないかという意見も飛び交った。 しかし、政治の中枢にいる人々のこのようなホンネを国民が知ることは必要だ。荒井秘書官はこの後、謝罪して発言を撤回したものの更迭となった』、「政治家の発言ではないものの、政治記者が報じて大きく話題になったのが首相秘書官の失言。 同性婚をめぐる記者団の取材に対して、「心の底では嫌だ」「認めたら国を捨てる人が出てくる」「僕だって見るのも嫌だ。隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」「(他の)秘書官もみんな、反対だ」などと述べたとする・・・取材は非公式の場だったが、毎日新聞がこれを速報して他紙が続いた・・・「オフレコ破り」ではないかという意見も飛び交った」、なるほど。
・『「女性ならではの感性」 岸田文雄首相(9月13日) 内閣改造で過去最多タイとなる女性閣僚5人を登用した岸田首相の一言が批判を招いた。 これについては9月15日の記事「岸田首相『女性ならではの感性』に批判殺到、なぜウンザリ発言を繰り返してしまうのか?」で詳述したので繰り返さないが、(https://diamond.jp/articles/-/329017)「男性ならでは」とは言われずに「女性ならでは」ばかりが繰り返されるのはなぜなのかを、構造的な問題として考えてほしい。これに尽きる。 2023年を代表する政治家たちの失言。これ以外にも、あなたの心に残るものはあっただろうか』、記事のポイントは「「女性ならではの感性」は「女性ならではの、しなやかな感性」などとも言われることがあるが、女性が生まれつき、男性よりも「しなやかな感性」を持っているという科学的根拠はない。もしそう見えるとすれば、男性中心社会が女性に対しては「適応力」や「調整力」、あるいは「職場の潤滑油」といったアシスタント的な役割を期待してきたことと無関係ではないはずだ。 さらに言えば、女性登用の際に「女性ならではの感性」に言及する違和感は、これまでも繰り返し指摘されてきたところだ。繰り返し批判され、うんざりの声が噴出してきた表現を、このタイミングで首相が使うガッカリ感がある」、「繰り返し批判され、うんざりの声が噴出してきた表現を、このタイミングで首相が使うガッカリ感」、とは言い得て妙だ。
タグ:った男性が自死していたことも明らかになった。 この段階でこのような声明を出すことが果たして本当に必要だったのか。「複数あるという情報にも接しており」とあるが、どの程度の確度での情報だったのか明らかにされていないことも問題を感じる点だ」、確かに「旧ジャニーズ事務所」からの情報開示には問題が多かった。 さらに10月9日に発表された声明「故ジャニー喜多川による性加害に関する一部報道と弊社からのお願いについて」の中には、「被害者でない可能性が高い方々が、本当の被害者の方々の証言を使って虚偽の話をされているケースが複数あるという情報にも接しており、これから被害者救済のために使用しようと考えている資金が、そうでない人たちに渡りかねないと非常に苦慮しております」という一文があった。 被害を名乗り出た人たちは「金目的」といったネット上での誹謗中傷に苦しんでおり、この後、「ジャニーズ性加害問題当事者の会」のメンバーだ 「旧ジャニーズ事務所は第三者的立場の有識者からなる調査とその報告会見、さらに謝罪・説明のための記者会見を開いたが、会見の場で記者の「NGリスト」の存在が明らかになるなど、その対応や会見内容に疑問符がついた。 【ジャニーズ事務所】 「被害者ではない可能性が高い方々が虚偽の話をされているケース」 鎌田和歌氏による「政治家だけじゃない「耳を疑った失言集2023」、もはや開き直り…こんな国でいいのか?」 ダイヤモンド・オンライン (その1)(政治家だけじゃない「耳を疑った失言集2023」 もはや開き直り…こんな国でいいのか?、「じゃこ天は貧乏くさい」「頭悪いね」…国民の胸に深く刺さった政治家の失言集2023) 2023年の回顧 【宝塚(阪急電鉄)】「証拠となるものをお見せいただけるよう提案したい」 「劇団員の死というあってはならない事態に際してのトップのこの発言は、冷酷を通り越して遺族や世論への好戦的な態度にさえ見えた」、その通りだ。 【経団連会長】「何が問題なのか」 「十倉会長」も「毎年約24億円への政治献金」の妥当性を説明すべきだ。さらに足元で、安倍派でパーティ券割り当て超過分を無申告で処理していたことが発覚し、国民の怒りは爆発寸前だ。 【林真理子・日大理事長】「違法な薬物が見つかったとか、 そういうことは一切ございません」 「林真理子理事長」の余りに素人ぽいやり方には、呆れ果てた。 【ビッグモーター社長】 「ゴルフを愛する人への冒涜」 「兼重宏行社長が「ゴルフを愛する人に対する冒涜だ」と語ったこと」は、「失言というより迷言の類かもしれない」、その通りだ。 【人気ラッパー】「男子生徒はのぞけるならばのぞく」 私は「「のぞこうと思えばのぞけるような露天風呂を選んだ学校が悪い。男子生徒はのぞけるならばのぞく。当たり前だろ。」と投稿したのがラッパーの呂布カルマ」の意見に賛成だ。 【アニメーター】「公開型のつつもたせ」 「韓国の人気女性DJが大阪のイベントで観客の男女3人から胸などを触られたと訴えた事件」については、私は「女性の露出度の高い衣装やパフォーマンスを非難する声」に同意する。「日本のネット社会の残念さが浮き彫りに」、といわれては面目ないが、本音を隠す必要はないと思う。 鎌田和歌氏による「「じゃこ天は貧乏くさい」「頭悪いね」…国民の胸に深く刺さった政治家の失言集2023」 「言葉が商売である代議士のセンセイたちは、たびたびメディアの前でホンネを漏らしてしまう」、興味深そうだ。 「桜田氏」と「森喜朗氏」の「発言力がもう少し弱まれば、高齢男性政治家以外の多様な皆さんがもっと生き生きと発言できるのではないかと思わざるを得ない」、その通りだ。 「差別がなくなっては困る人たちと戦ってきた」 杉田水脈衆院議員(10月27日) 「こういった表現が、なぜ「差別がなくなっては困る人たち」との戦いなのか。杉田氏が説明することはあるのだろうか」、「杉田氏が説明する」のはおよそ不可能だろう。 「支援者がウィシュマさんに淡い期待抱かせた」 梅村みずほ参議院議員(5月12日) 「梅村氏は「資料と映像を総合的に見ると、よかれと思った支援者の一言が、ウィシュマさんに『病気になれば仮釈放してもらえる』という淡い期待を抱かせ、医師から詐病の可能性を指摘される状況へつながった恐れも否定できない」と述べた」、「維新の会はこの後梅村議員を6カ月の党員停止処分とした」、なるほど。 「じゃこ天は貧乏くさい」 佐竹敬久・秋田県知事(10月23日) 「「メインディッシュがいいステーキだと思って開けたらじゃこ天です。貧乏くさい。四国なんか大変ですよ。酒もうまくない」と発言。 直後に記者から問われ「事実だもの」と述べたとも報道されている。「貧乏くさい」は事実というより主観であるし、事実であれば何を言ってもいいわけではないし、開き直りは二重の失言である・・・これ以前にも「比内地鶏は硬い」(8月26日)と言って謝罪するなど、かねてから失言が多いと地元紙は冷ややかに報道した」、なるほど。 「ブタ」「早めに封じておかないとね!」 澤田伸・渋谷区副区長(8月頃) 「渋谷区の職員120人が閲覧できる公用チャットシステムで、特定の区議を名指しして「ブタ」「早めに封じておかないとね!」などと書き込んでいたことが発覚したのは澤田伸副区長・・・澤田副区長は問題が明らかになった翌日にスピード辞職。同じ博報堂出身の澤田氏を登用した長谷部健区長も陳謝した。 「ブタ」についてはもはや、失言を超えた侮辱的な暴言と言ったほうが正しいかもしれない。いい大人がこんな侮辱を、大勢の人が目にする中で書き込んでいたというのが衝撃だ」、「博報堂出身」がこんな低次元の争いをしたとは世も末だ。 「頭悪いね」 谷川弥一衆議院議員(12月10日) 「お決まりの文句を読み上げた後、質問を重ねる記者に対して「今言った通り」「頭悪いねえ?言っているじゃないの。質問しても、これ以上、今日 言いませんと言っているじゃない。わからない?」とカメラの前で逆ギレした。 このような態度が国民の反発を招かないと思っているのであれば、政治家としての資質に大きな疑問符がつくと言わざるを得ない。 後援会への説明も全くないといい、後援会会長が「疑惑が事実かどうか明確になって、市民・後援会のみんなに対して安心させてほしい」とするコメントも報道されている、テレビのニュースでも観た が、こんな酷い政治家がいるのかと信じ難い思いがした。 「LGBT見るのも嫌だ」 荒井勝喜首相秘書官(2月3日) 「政治家の発言ではないものの、政治記者が報じて大きく話題になったのが首相秘書官の失言。 同性婚をめぐる記者団の取材に対して、「心の底では嫌だ」「認めたら国を捨てる人が出てくる」「僕だって見るのも嫌だ。隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」「(他の)秘書官もみんな、反対だ」などと述べたとする・・・取材は非公式の場だったが、毎日新聞がこれを速報して他紙が続いた・・・「オフレコ破り」ではないかという意見も飛び交った」、なるほど。 「女性ならではの感性」 岸田文雄首相(9月13日) 記事のポイントは「「女性ならではの感性」は「女性ならではの、しなやかな感性」などとも言われることがあるが、女性が生まれつき、男性よりも「しなやかな感性」を持っているという科学的根拠はない。もしそう見えるとすれば、男性中心社会が女性に対しては「適応力」や「調整力」、あるいは「職場の潤滑油」といったアシスタント的な役割を期待してきたことと無関係ではないはずだ。 さらに言えば、女性登用の際に「女性ならではの感性」に言及する違和感は、これまでも繰り返し指摘されてきたところだ。繰り返し批判され、うんざりの声が噴出してきた表現を、このタイミングで首相が使うガッカリ感がある」、「繰り返し批判され、うんざりの声が噴出してきた表現を、このタイミングで首相が使うガッカリ感」、とは言い得て妙だ。
シェアリングエコノミー(その5)(世界中で労働紛争を巻き起こす「ウーバー」 破壊的モデルの行く末、ライドシェアの安全性は「解決済み」本当に重要なのは“既得権益”の問題だ) [経済政治動向]
シェアリングエコノミーについては、2021年7月30日に取上げた。久しぶりの今日は、(その5)(世界中で労働紛争を巻き起こす「ウーバー」 破壊的モデルの行く末、ライドシェアの安全性は「解決済み」本当に重要なのは“既得権益”の問題だ)である。
先ずは、昨年1月31日付け弁護士ドットコム「世界中で労働紛争を巻き起こす「ウーバー」、破壊的モデルの行く末」を紹介しよう。
https://www.bengo4.com/c_18/n_14055/
・『タクシーではなく、一般のドライバーが自家用車で乗客を運ぶ「ライドシェア」や、空いた時間に自転車で手軽にできるフードデリバリーなど、米ウーバー・テクノロジーズが始めたプラットフォームビジネスは、世界中に大きな広がりを見せている。 ウーバーは、従来型の消費者向けビジネス(B2C)ではなく、余ったリソースを需要とつなぐピア・ツー・ピア(P2P)の考え方を打ち出し、ネット上ではなく、現実世界でサービスを積極展開することにより、各国のタクシー業界などに破壊的インパクトをもたらしてきた。 破壊的インパクトは、既存の業界に対してだけではなく、労働法制に対しても同様だ。各国で、ウーバーのプラットフォーム上で単発で働く「ギグワーカー」たちが「労働者」なのか、「個人事業主」なのか、という紛争が起きている。 ウーバー発祥の国であるアメリカのプラットフォーム労働に詳しい労働法研究者の藤木貴史氏(帝京大学法学部助教)は、「ギグワーカーが組織に雇われている『被用者』と完全に同等に扱われるかどうかの議論こそあるものの、労働法を拡張して、何らかの保護をしようというのが世界の潮流になっている」と語る。詳しく聞いた。Qは聞き手の質問、Aは回答)』、「余ったリソースを需要とつなぐピア・ツー・ピア(P2P)の考え方を打ち出し、ネット上ではなく、現実世界でサービスを積極展開することにより、各国のタクシー業界などに破壊的インパクトをもたらしてきた。 破壊的インパクトは、既存の業界に対してだけではなく、労働法制に対しても同様だ。各国で、ウーバーのプラットフォーム上で単発で働く「ギグワーカー」たちが「労働者」なのか、「個人事業主」なのか、という紛争が起きている。 ウーバー発祥の国であるアメリカのプラットフォーム労働に詳しい労働法研究者の藤木貴史氏・・・は、「ギグワーカーが組織に雇われている『被用者』と完全に同等に扱われるかどうかの議論こそあるものの、労働法を拡張して、何らかの保護をしようというのが世界の潮流になっている」と語る」、なるほど。
・『アメリカやEUで何が起きているのか Q:アメリカでは、ギグワーカーの法的位置付けをめぐって、紛争がたくさん起きていますが、どのように捉えればいいのでしょうか。 A:完全に係争中で、結論らしい結論は出ていません。連邦レベルの最高裁判決が出ると、国として大きく動きますが、高裁レベルの判断すらはっきりとは示されていません。また、各州の裁判所でも判断が揺れています。 Q:アメリカは州単位で法律が異なり、ウーバーが本社を置くカリフォルニア州では、2020年1月に、ギグワーカーも原則被用者として、失業保険や最低賃金などで保護する州法「AB5」(Assembly bill5)が施行される一方、同年11月の住民投票で、ウーバーの運転手や料理宅配などを保護の対象から除外する住民投票が成立し、さらに、2021年8月に、カリフォルニア州の裁判所がこの住民投票が州憲法に違反すると判断するなど、混乱が続いていますが、何が起きているのでしょうか。 この「AB5」というのは、簡単に言えば、役務を提供する個人を被用者と推定する法律です。それを否定するためには、以下の点について、事業者側が立証する必要があります。 (A)個人が管理監督から自由であること (B)個人の提供する役務が、使用者の通常の事業の外にあること (C)個人が、独立性の確立した仕事に従事していること このABCを満たしていることが求められるため、ABCテストと呼ばれています。つまり、このテストのもとでは、被用者と認められやすくなるのですね。 プラットフォーマーの側はこれを嫌がり、多くの資金を投入して、AB5を否定する住民投票の実施を働きかけた、という構図です。住民投票を否定した判決も、法政策的な観点からの判断というより、形式に不備があるという技術的な理由からの判断のようですので、今後の司法の動向は不透明ですね。 司法では判断が揺れていますが、立法レベルでは、ABCテストが他の州でも広がる傾向にあります。もちろん例外もあり、テネシー州やテキサス州など共和党優勢の州では、逆に自営業者と推定しよう、という法律が成立してもいます。 また、アメリカ全体で(連邦レベルで)考えると、共和党のトランプ政権の時には、独立契約者を広く認めようという動きでしたが、民主党のバイデン政権になってから、方向転換をしています。民主党政権が続けば、被用者性をより認める方向にいくでしょう。 UberのYouTubeチャンネル(https://www.youtube.com/watch?v=M_wN2dLoE3Q)より Q:EUでも、欧州委員会が2021年12月、ギグワーカーを雇用関係にあると法的に推定するプラットフォーム労働指令案を提案しました。アメリカと似た傾向だということでしょうか。 A:そうですね。方向性としては似ています。EUの指令については、直接に国内法となるものではありませんが、実現すれば、国内法化する義務が加盟国に課されます』、「アメリカでは・・・完全に係争中で、結論らしい結論は出ていません・・・共和党のトランプ政権の時には、独立契約者を広く認めようという動きでしたが、民主党のバイデン政権になってから、方向転換をしています。民主党政権が続けば、被用者性をより認める方向にいくでしょう」。なるほど。
・『日本のウーバーイーツ配達員はどう位置付けられるか Q:日本でも、ウーバーイーツの配達員でつくるウーバーイーツユニオンが、運営会社に団体交渉を不当に拒否されたとして、東京都労働委員会に救済を申し立てています。ユニオンが、労働組合法上の労働者であるかどうかが注目されていますが、どう考えますか。 A:日本の労働法では「指揮監督」を非常に重視する傾向があって、労働基準法については、労働者として認められにくいと考えられています。ただ、学説では、指揮監督にこだわる必要はないという主張もあります。 一方で、労働組合法については、もう少し広くとらえられるものであり、事業組織への組み入れ、労働条件の一方的・定型的決定、報酬の労務対価性の3点を中心に判断されます。 これだけでは判断できない場合の補完的要素として、業務の依頼に応ずべき関係にあるかとか、緩やかな意味での指揮監督の有無、事業者といえるかどうか、なども加味されます。 Q:労働組合法上の労働者と認められる可能性はあるのでしょうか。 A:当然、個別の証拠によって判断は変わるのでしょうが、今のウーバーイーツの仕組みから考えると、ウーバーイーツは食品配達プラットフォームとして、飲食店から注文者に食品を配達するということをやっていて、それ以外の事業はしていないように思います。 ウーバーは自らの事業を営んでいると評価されますので、そこで働いている人たちは当然、事業組織に組み入れられていると考えざるをえません。そして、報酬の条件も一方的に変更されるようですし、報酬は、配達という労務の対価といえるでしょう。 労働組合法上の労働者性を認めないという結論はナンセンスではないでしょうか。学術的な議論の場でも、そのように考える人が多いように思います。 ウーバーイーツユニオン(2021年5月の記者会見) Q:ウーバー側は、飲食店と配達員と注文者を単にマッチングするだけのプラットフォームだと言っていますが、そういう言い分は通らないのでしょうか。 アメリカでもそういう反論はありますが、そうであれば、プラットフォームの使い方について、コントロールを及ぼしていることについて、説明がつかないと思います。 Q:確かに、配達員はウーバーから提示された仕事を受けるか受けないかの選択はできますが、どんな注文を提示するのか、料金がいくらなのかはウーバー側が決めていますね。 仕事の中身や条件に一切タッチしないのであれば話は別ですが、プラットフォーム側がコントロールを及ぼしている限りは、組織の中に組み入れられているということになります。 配達員がWoltなど、他のサービスと併用していたとしても同じことです。別の組織にも組み入れられているということになるだけです。 Q:ただ、ギグワーカーの皆が保護を求めているわけではないのではないでしょうか。 A:「俺たちは労働者じゃないんだから、ユニオン作るなんてダセーよな」という考え方は、日本だけでなく、アメリカでもあります。アメリカン・ドリームへの憧れが強いことが一つの原因のようです。 しかし、ダサかったとしても、最低限の保護は必要です。また、ダサいと思う人が悪い、という話でもありません。企業に雇われるという働き方の負の面が、そういう忌避感を生じさせてしまっていることについても、向き合う必要があるんでしょうね』、「日本の労働法では「指揮監督」を非常に重視する傾向があって、労働基準法については、労働者として認められにくいと考えられています。ただ、学説では、指揮監督にこだわる必要はないという主張もあります。 一方で、労働組合法については、もう少し広くとらえられるものであり、事業組織への組み入れ、労働条件の一方的・定型的決定、報酬の労務対価性の3点を中心に判断されます。 これだけでは判断できない場合の補完的要素として、業務の依頼に応ずべき関係にあるかとか、緩やかな意味での指揮監督の有無、事業者といえるかどうか、なども加味されます・・・今のウーバーイーツの仕組みから考えると、ウーバーイーツは食品配達プラットフォームとして、飲食店から注文者に食品を配達するということをやっていて、それ以外の事業はしていないように思います。 ウーバーは自らの事業を営んでいると評価されますので、そこで働いている人たちは当然、事業組織に組み入れられていると考えざるをえません。そして、報酬の条件も一方的に変更されるようですし、報酬は、配達という労務の対価といえるでしょう。 労働組合法上の労働者性を認めないという結論はナンセンスではないでしょうか・・・「俺たちは労働者じゃないんだから、ユニオン作るなんてダセーよな」という考え方は、日本だけでなく、アメリカでもあります。アメリカン・ドリームへの憧れが強いことが一つの原因のようです。 しかし、ダサかったとしても、最低限の保護は必要です。また、ダサいと思う人が悪い、という話でもありません。企業に雇われるという働き方の負の面が、そういう忌避感を生じさせてしまっていることについても、向き合う必要があるんでしょうね」、なるほど。
・『被用者でも個人事業主でもない「第3カテゴリー」は必要か Q:イギリスでは、雇用関係にある「被用者」と、個人事業主の「自営業者」の中間的な存在として、被用者よりも保護の範囲が限定された「労働者」というカテゴリーがあり、最高裁の判断として、ウーバーの運転手が「労働者」と認められました。日本でも、このような中間的カテゴリーを作るべきでしょうか。 アメリカも日本と同様に、被用者か自営業者か、という判断しかありません。一方で、イギリスやドイツのように、被用者類似の第三カテゴリーをもうけている国もあります。 ただ、被用者か自営業者であれば、その線引きは1つですが、第三カテゴリーを作った場合、線引きが2つに増えてしまいます。その基準がはっきりしない限り、どれにあたるかわかりにくいですし、これまで被用者として保護されていた人たちが、第三カテゴリーに分類されてしまうリスクもあります。 私は、第三カテゴリーを作るのではなく、あくまで被用者としての保護を広く及ぼすべきだと考えます。自営業者にも労災保険の必要性が検討されているように、被用者だけでなく、働く人全員に与えられるべき保護もあるからです。労働法の条項を整理して、目的ごとに、どこまで適用するのかを考えた方が生産的です』、「イギリスでは、雇用関係にある「被用者」と、個人事業主の「自営業者」の中間的な存在として、被用者よりも保護の範囲が限定された「労働者」というカテゴリーがあり、最高裁の判断として、ウーバーの運転手が「労働者」と認められました・・・私は、第三カテゴリーを作るのではなく、あくまで被用者としての保護を広く及ぼすべきだと考えます。自営業者にも労災保険の必要性が検討されているように、被用者だけでなく、働く人全員に与えられるべき保護もあるからです。労働法の条項を整理して、目的ごとに、どこまで適用するのかを考えた方が生産的です」、なるほど。
・『ウーバー紛争の先にある、新たな法的問題 Q:今はウーバーのようなプラットフォームが目立っていますが、今後、どのようなプラットフォームに注目していますか。 プラットフォーム労働については、ウーバー型とは異なるクラウドソーシング型というものが存在します。ウーバーのように、一つのビジネスに特化するのではなく、プラットフォーム上で多種多様なタイプの業務がやり取りされるものです。 日本では、ランサーズやクラウドワークスのようなサービスを想像するとわかりやすいでしょう。単純な業務だけではなく、専門的な業務も含みます。 そこでは、利用者、労務提供者、プラットフォームの三角関係をどう考えるのか、ということが課題になります。プラットフォームがマネジメント機能を担っていたり、プラットフォーム自体が仕事を受注して、再委託するケースもあります。 ウーバー型のような自営業者の被用者性をめぐる争いは過去にもたくさん起きていて、その都度、被用者性の拡張で対応してきた話ですので、法理論的にはさほど難しいものではありません。 一方、クラウドソーシング型については、三者間での労働をどう捉えるのか。例えば、労災が起きた時の責任を誰がもつのか、社会保険料は誰が払うのかなど、複雑な検討課題があります。使用者が負うべき責任をどのように割り振るかですとか、労働組合を含めた集団的な合意形成の仕組みも、考え直す必要がでてくるでしょう。これからの話ですね』、「ウーバー紛争の先にある、新たな法的問題・・・プラットフォーム労働については、ウーバー型とは異なるクラウドソーシング型というものが存在します。ウーバーのように、一つのビジネスに特化するのではなく、プラットフォーム上で多種多様なタイプの業務がやり取りされるものです。 日本では、ランサーズやクラウドワークスのようなサービスを想像するとわかりやすいでしょう。単純な業務だけではなく、専門的な業務も含みます。 そこでは、利用者、労務提供者、プラットフォームの三角関係をどう考えるのか、ということが課題になります。プラットフォームがマネジメント機能を担っていたり、プラットフォーム自体が仕事を受注して、再委託するケースもあります。 ウーバー型のような自営業者の被用者性をめぐる争いは過去にもたくさん起きていて、その都度、被用者性の拡張で対応してきた話ですので、法理論的にはさほど難しいものではありません・・・一方、クラウドソーシング型については、三者間での労働をどう捉えるのか。例えば、労災が起きた時の責任を誰がもつのか、社会保険料は誰が払うのかなど、複雑な検討課題があります。使用者が負うべき責任をどのように割り振るかですとか、労働組合を含めた集団的な合意形成の仕組みも、考え直す必要がでてくるでしょう。これからの話ですね」、確かに将来的には様々なサービス形態が出現してくる可能性がある。「クラウドソーシング型については、三者間での労働をどう捉えるのか。例えば、労災が起きた時の責任を誰がもつのか、社会保険料は誰が払うのかなど、複雑な検討課題があります。使用者が負うべき責任をどのように割り振るかですとか、労働組合を含めた集団的な合意形成の仕組みも、考え直す必要がでてくるでしょう。これからの話ですね」、いずれにしても、一生懸命働いたのに、「労災」保険が認められないような不利益が生じないよう注視していく必要がある。
次に、本年9月10日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏による「ライドシェアの安全性は「解決済み」本当に重要なのは“既得権益”の問題だ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/328850
・『ライドシェア解禁を巡る議論をよく目にします。私は、長期的な視野で解禁の方向に動いた方が良いと考えます。「ある視点」で考えれば、皆が得する未来を描くことができるからです』、「皆が得する未来を描くことができる」とはどういうことなのだろう。
・『ライドシェアを巡る議論は平行線をたどっている 菅義偉前首相が講演で「ライドシェア」の解禁に向け議論すべきだと発言して以降、日本でもにわかにライドシェア導入議論が始まっています。同じ神奈川県の小泉進次郎氏や河野太郎氏もライドシェアに積極的な発言をしている一方で、自民党のタクシー・ハイヤー議員連盟は導入論に慎重な意見を表明しています。 テレビの報道番組でも何度かこの問題は取り上げられました。私もふたつの番組で業界の代表者と消費者が激しく討論する様子を拝見しましたが、議論は常に平行線になるようです。 消費者の側から見ればそもそもタクシーが捕まらないエリアや時間帯が存在することや、道順がうまく伝わらないことや、近距離だと露骨に嫌な顔をされるなど、タクシーに対する一定の不満が存在します。そういった消費者の中で、アメリカに出かけてライドシェアを体験して、ライドシェアの方がサービスがいいと感じているわけです。 急増するインバウンド客はタクシー不足の原因でもありますが、彼らも言葉が伝わりにくい日本のタクシーよりもライドシェアがいいという意見は根強くあります。 一方で、業界の側は素人が運転手をするライドシェアの危険性を主張します。タクシー会社は法律や国の指導に沿って、2種免許を取得した従業員にさらに研修や管理を行うことで乗客の安全を確保してきました。コストをかけ投資をしているのに、その投資をしなくてもいいライドシェアとの競争は安全性が保たれず不公平だというわけです。 平行線をたどるこの議論がかみ合うためには、+αで新しい視点が必要だと私は考えているのですが、その話の前に両者の議論を確認しておきましょう』、興味深そうだ。
・『「ドライバーの安全性」は議論の争点にはならない タクシー業界の主張する安全性の問題は、実はライドシェア大国のアメリカでは解決されています。タクシー会社が採用や教育、管理で安全を確保する一方で、ライドシェアはユーザーの評価によってドライバーを淘汰させます。 「そんなことを言っても、淘汰される前の運転の荒いドライバーに当たった人はどうなるんだ」 と反論されるかもしれません。 これを言うと野暮かもしれませんが、タクシーの運転も結構荒いと私は思います。 よく交差点で手を挙げた乗客を乗り降りさせているタクシーがいて、急停車したタクシーに後続車が追突しそうになりヒヤリとしたり、交差点が詰まってしまったりしています。ああいった乗り降りに関する違反運転が多いのは、目視した限りで一般のドライバーよりも圧倒的に教育を受けたタクシーの方が多いようです』、「乗り降りに関する違反運転が多いのは、目視した限りで一般のドライバーよりも圧倒的に教育を受けたタクシーの方が多いようです」、その通りだ。
・『タクシー業界の既得権益も尊重する必要がある 一方で、ライドシェア解禁を願う消費者の側の論調にも問題があります。 ライドシェア解禁に反対するタクシー業界の既得権益をもう少し尊重すべきです。あまり認識されていないかもしれませんが、経済学では既得権益をとても重要なことだと教えます。なぜなら既得権益が守られない社会では誰も投資をしなくなるからです。 タクシー業界は本当はそれを主張したいのです。これまで国のルールで莫大な投資をしてきたのに、ライドシェアを解禁したらその投資が回収できない。これは実は正当な主張なのですが、それが世論に通りにくいから安全性の問題に議論をすり替えざるをえないのです。 とはいえ訪日外国人の増加、タクシー運転手の人手不足、過疎化地域などで移動難民の増加など、国内の状況的にはライドシェア解禁の必要性は高まっています。 2010年代にアメリカでウーバーがサービスを提供して以降、わが国でも何度も議論が行われてきたわけですが、アメリカ型のライドシェアは日本では極めて限定的な条件下以外では解禁されていません。 業界ではタクシーが不足するたびにタクシーの供給量を増やして消費者の不満を解消してきたわけですが、この計画経済的な仕組みには根本的な欠陥があって、タクシー会社にとっての経済的なラインを想定すれば台数は必ずピーク需要よりも少なめになりますし、採算に乗らないエリアは切り捨てられます。 ではこのライドシェア解禁議論はどうすれば前に進むのでしょうか。私は今の議論に加えるべきは「時間軸」だと捉えています』、「タクシー業界は・・・これまで国のルールで莫大な投資をしてきたのに、ライドシェアを解禁したらその投資が回収できない。 これは実は正当な主張なのですが、それが世論に通りにくいから安全性の問題に議論をすり替えざるをえないのです・・・訪日外国人の増加、タクシー運転手の人手不足、過疎化地域などで移動難民の増加など、国内の状況的にはライドシェア解禁の必要性は高まっています・・・業界ではタクシーが不足するたびにタクシーの供給量を増やして消費者の不満を解消してきたわけですが、この計画経済的な仕組みには根本的な欠陥があって、タクシー会社にとっての経済的なラインを想定すれば台数は必ずピーク需要よりも少なめになりますし、採算に乗らないエリアは切り捨てられます。 ではこのライドシェア解禁議論はどうすれば前に進むのでしょうか。私は今の議論に加えるべきは「時間軸」だと捉えています」、「時間軸」とはどういうことなのだろう。
・『もしも「5年後にライドシェアを解禁する」なら? 皆が得をするために必要なのは「時間軸」 あくまで仮の想定ではありますが、たとえば、「5年後の2028年に東京都ではライドシェアを解禁する」と決めたとしたらどうでしょうか。 競争を公平にするために、 「その場合、人を乗せて運転する営業車のドライバーに対しては、2年後の2025年からタクシー会社の研修があれば2種免許を不要とする」 そしてさらに、 「タクシー会社は2025年からライドシェア営業も実験的に先行して行うことができる」 といった形の時間軸を加えた解決案が出現したらどうなるのかを考えてみましょう。 仮案とはいえ、このような時間軸のロードマップがあるとタクシー会社側は新しい投資戦略を作ることができます。人材の採用については2年後以降、今よりも難易度がひとつ下がります。ちなみに2種免許を廃止できないのであればライドシェア解禁は無理だと私は思っていますが、ここは異論がある方もいらっしゃるかもしれません。話を続けさせていただきます。 時間軸を設けることによる一番の優位性は、タクシー会社のアプリがウーバーなどの海外アプリに対抗する時間ができることです。仮に今使われているタクシーアプリにアメリカのライドシェアサービスと同じ機能が実装されたとします。 その上で2025年から3年間は、消費者はライドシェアにはタクシーアプリが使えるようになるわけです。たとえばクリスマスの深夜、六本木でどうしてもタクシーが捕まらない場合、タクシーアプリのライドシェア機能で価格を見て「六本木―新宿8000円で」と通常よりも価格を高めにすることでタクシーを捕まえられるかもしれません。 逆にタクシーが空いている時間帯には普段より安くライドシェアタクシーを呼ぶこともできるようにします。この実験期間が3年間あれば、タクシー業界も将来ライドシェアに移行した場合の価格戦略を立てやすくなります。何より日本のライドシェアでは日本のタクシー会社のアプリがデファクトとして先に登録ユーザーを集めることができるのは、競争優位になるでしょう。 私はライドシェア推進派の皆様には、反対派のタクシー業界と対話をするために、こういった既得権益を含めた移行計画を提示すべきだと思います。 あとここは議論が分かれるところだと思いますが、私はライドシェアの本格解禁後(この仮の時間軸では2028年以降)にはライドシェアのドライバーに免許のようなものを新たに与える制度を作る必要はないと考えています。それは最近解禁された電動キックボードの免許議論にも通じる考え方です。 電動キックボードが法改正で無免許でも運転できるようになった結果、交通ルールを守らないユーザーが社会問題になっています。日本人の発想だと講習をきちんと受けさせるべきだと言いますが、それでは警察の外郭団体のブルシットジョブ(余計な仕事)を増やします。 アメリカ人の発想なら違反で捕まった人は次からキックボードを借りられなくすればいい。こういった自然に悪い運転をする人が淘汰されていく仕組みをアメリカのライドシェアは持っています。加えて、万が一事故が起きた時に無保険でも救済されるよう、ライドシェアのプラットフォーム側が保険制度を完備することも必要です。 こういった施策によって、研修よりも淘汰によって安全が保たれる仕組み作りが大切だと私は考えます』、「「タクシー会社は2025年からライドシェア営業も実験的に先行して行うことができる」 といった形の時間軸を加えた解決案が出現したらどうなるのかを考えてみましょう。 仮案とはいえ、このような時間軸のロードマップがあるとタクシー会社側は新しい投資戦略を作ることができます。人材の採用については2年後以降、今よりも難易度がひとつ下がります。ちなみに2種免許を廃止できないのであればライドシェア解禁は無理だと私は思っていますが、ここは異論がある方もいらっしゃるかもしれません。話を続けさせていただきます。 時間軸を設けることによる一番の優位性は、タクシー会社のアプリがウーバーなどの海外アプリに対抗する時間ができることです。仮に今使われているタクシーアプリにアメリカのライドシェアサービスと同じ機能が実装されたとします。 その上で2025年から3年間は、消費者はライドシェアにはタクシーアプリが使えるようになるわけです。たとえばクリスマスの深夜、六本木でどうしてもタクシーが捕まらない場合、タクシーアプリのライドシェア機能で価格を見て「六本木―新宿8000円で」と通常よりも価格を高めにすることでタクシーを捕まえられるかもしれません。 逆にタクシーが空いている時間帯には普段より安くライドシェアタクシーを呼ぶこともできるようにします。この実験期間が3年間あれば、タクシー業界も将来ライドシェアに移行した場合の価格戦略を立てやすくなります。何より日本のライドシェアでは日本のタクシー会社のアプリがデファクトとして先に登録ユーザーを集めることができるのは、競争優位になるでしょう」、この「時間軸」の考え方は有効そうだ。「自然に悪い運転をする人が淘汰されていく仕組みをアメリカのライドシェアは持っています。加えて、万が一事故が起きた時に無保険でも救済されるよう、ライドシェアのプラットフォーム側が保険制度を完備することも必要です。 こういった施策によって、研修よりも淘汰によって安全が保たれる仕組み作りが大切だと私は考えます」、同感である。
・『アメリカでは「無人タクシー」が解禁 このままでは世界に置いていかれる可能性も さて私はライドシェア解禁に向けて実はタクシー業界も行政も早めに動いた方がいいと考えています。というのもこの問題、5年後には新たな問題が加わるからです。 実は昨年、アメリカのサンフランシスコでは無人タクシーが解禁されました。アルファベットの子会社のウェイモと、GMが出資するクルーズがそれぞれサンフランシスコで営業を始めています。日本ではあまり報道されていないこのニュースですが、その意味することは極めて画期的です。 というのもアメリカのサンフランシスコ市は交通環境においては日本の大都市と酷似しているのです。 それは住宅地が入り組んでいたり、道が狭かったり、歩行者が多かったりということなのですが、その環境でアメリカでは自動タクシーの営業サービスが始まっている。ということは世界中でそう遠くない未来に、ロボタクシーが一般的なサービスになっていくはずです。 そうやって世界中でモビリティビジネスが先進的に進化し、そのことによって私たちの移動がもっと自由になり、結果として経済が発展する流れが始まります。 世界がそう変わって、日本だけがまだライドシェア解禁するかどうかで議論が膠着(こうちゃく)している未来は少し問題がありますよね。 そういった意味からも、私はライドシェア解禁議論は長期的には解禁される方向で議論を進めた方がいいと思っています。 そのために時間軸で考えようという今回のアイデア、反論もあろうかと思いますが、日本経済の未来を考えたひとつの提言だとお考えください』、「昨年、アメリカのサンフランシスコでは無人タクシーが解禁されました。アルファベットの子会社のウェイモと、GMが出資するクルーズがそれぞれサンフランシスコで営業を始めています。日本ではあまり報道されていないこのニュースですが、その意味することは極めて画期的です。 というのもアメリカのサンフランシスコ市は交通環境においては日本の大都市と酷似しているのです。 それは住宅地が入り組んでいたり、道が狭かったり、歩行者が多かったりということなのですが、その環境でアメリカでは自動タクシーの営業サービスが始まっている。ということは世界中でそう遠くない未来に、ロボタクシーが一般的なサービスになっていくはずです・・・世界中でそう遠くない未来に、ロボタクシーが一般的なサービスになっていくはずです・・・私はライドシェア解禁議論は長期的には解禁される方向で議論を進めた方がいいと思っています。 そのために時間軸で考えようという今回のアイデア、反論もあろうかと思いますが、日本経済の未来を考えたひとつの提言だとお考えください」、「時間軸で考え」ることがこれだけの重要な意味を持っているとは、新たな発見である。
先ずは、昨年1月31日付け弁護士ドットコム「世界中で労働紛争を巻き起こす「ウーバー」、破壊的モデルの行く末」を紹介しよう。
https://www.bengo4.com/c_18/n_14055/
・『タクシーではなく、一般のドライバーが自家用車で乗客を運ぶ「ライドシェア」や、空いた時間に自転車で手軽にできるフードデリバリーなど、米ウーバー・テクノロジーズが始めたプラットフォームビジネスは、世界中に大きな広がりを見せている。 ウーバーは、従来型の消費者向けビジネス(B2C)ではなく、余ったリソースを需要とつなぐピア・ツー・ピア(P2P)の考え方を打ち出し、ネット上ではなく、現実世界でサービスを積極展開することにより、各国のタクシー業界などに破壊的インパクトをもたらしてきた。 破壊的インパクトは、既存の業界に対してだけではなく、労働法制に対しても同様だ。各国で、ウーバーのプラットフォーム上で単発で働く「ギグワーカー」たちが「労働者」なのか、「個人事業主」なのか、という紛争が起きている。 ウーバー発祥の国であるアメリカのプラットフォーム労働に詳しい労働法研究者の藤木貴史氏(帝京大学法学部助教)は、「ギグワーカーが組織に雇われている『被用者』と完全に同等に扱われるかどうかの議論こそあるものの、労働法を拡張して、何らかの保護をしようというのが世界の潮流になっている」と語る。詳しく聞いた。Qは聞き手の質問、Aは回答)』、「余ったリソースを需要とつなぐピア・ツー・ピア(P2P)の考え方を打ち出し、ネット上ではなく、現実世界でサービスを積極展開することにより、各国のタクシー業界などに破壊的インパクトをもたらしてきた。 破壊的インパクトは、既存の業界に対してだけではなく、労働法制に対しても同様だ。各国で、ウーバーのプラットフォーム上で単発で働く「ギグワーカー」たちが「労働者」なのか、「個人事業主」なのか、という紛争が起きている。 ウーバー発祥の国であるアメリカのプラットフォーム労働に詳しい労働法研究者の藤木貴史氏・・・は、「ギグワーカーが組織に雇われている『被用者』と完全に同等に扱われるかどうかの議論こそあるものの、労働法を拡張して、何らかの保護をしようというのが世界の潮流になっている」と語る」、なるほど。
・『アメリカやEUで何が起きているのか Q:アメリカでは、ギグワーカーの法的位置付けをめぐって、紛争がたくさん起きていますが、どのように捉えればいいのでしょうか。 A:完全に係争中で、結論らしい結論は出ていません。連邦レベルの最高裁判決が出ると、国として大きく動きますが、高裁レベルの判断すらはっきりとは示されていません。また、各州の裁判所でも判断が揺れています。 Q:アメリカは州単位で法律が異なり、ウーバーが本社を置くカリフォルニア州では、2020年1月に、ギグワーカーも原則被用者として、失業保険や最低賃金などで保護する州法「AB5」(Assembly bill5)が施行される一方、同年11月の住民投票で、ウーバーの運転手や料理宅配などを保護の対象から除外する住民投票が成立し、さらに、2021年8月に、カリフォルニア州の裁判所がこの住民投票が州憲法に違反すると判断するなど、混乱が続いていますが、何が起きているのでしょうか。 この「AB5」というのは、簡単に言えば、役務を提供する個人を被用者と推定する法律です。それを否定するためには、以下の点について、事業者側が立証する必要があります。 (A)個人が管理監督から自由であること (B)個人の提供する役務が、使用者の通常の事業の外にあること (C)個人が、独立性の確立した仕事に従事していること このABCを満たしていることが求められるため、ABCテストと呼ばれています。つまり、このテストのもとでは、被用者と認められやすくなるのですね。 プラットフォーマーの側はこれを嫌がり、多くの資金を投入して、AB5を否定する住民投票の実施を働きかけた、という構図です。住民投票を否定した判決も、法政策的な観点からの判断というより、形式に不備があるという技術的な理由からの判断のようですので、今後の司法の動向は不透明ですね。 司法では判断が揺れていますが、立法レベルでは、ABCテストが他の州でも広がる傾向にあります。もちろん例外もあり、テネシー州やテキサス州など共和党優勢の州では、逆に自営業者と推定しよう、という法律が成立してもいます。 また、アメリカ全体で(連邦レベルで)考えると、共和党のトランプ政権の時には、独立契約者を広く認めようという動きでしたが、民主党のバイデン政権になってから、方向転換をしています。民主党政権が続けば、被用者性をより認める方向にいくでしょう。 UberのYouTubeチャンネル(https://www.youtube.com/watch?v=M_wN2dLoE3Q)より Q:EUでも、欧州委員会が2021年12月、ギグワーカーを雇用関係にあると法的に推定するプラットフォーム労働指令案を提案しました。アメリカと似た傾向だということでしょうか。 A:そうですね。方向性としては似ています。EUの指令については、直接に国内法となるものではありませんが、実現すれば、国内法化する義務が加盟国に課されます』、「アメリカでは・・・完全に係争中で、結論らしい結論は出ていません・・・共和党のトランプ政権の時には、独立契約者を広く認めようという動きでしたが、民主党のバイデン政権になってから、方向転換をしています。民主党政権が続けば、被用者性をより認める方向にいくでしょう」。なるほど。
・『日本のウーバーイーツ配達員はどう位置付けられるか Q:日本でも、ウーバーイーツの配達員でつくるウーバーイーツユニオンが、運営会社に団体交渉を不当に拒否されたとして、東京都労働委員会に救済を申し立てています。ユニオンが、労働組合法上の労働者であるかどうかが注目されていますが、どう考えますか。 A:日本の労働法では「指揮監督」を非常に重視する傾向があって、労働基準法については、労働者として認められにくいと考えられています。ただ、学説では、指揮監督にこだわる必要はないという主張もあります。 一方で、労働組合法については、もう少し広くとらえられるものであり、事業組織への組み入れ、労働条件の一方的・定型的決定、報酬の労務対価性の3点を中心に判断されます。 これだけでは判断できない場合の補完的要素として、業務の依頼に応ずべき関係にあるかとか、緩やかな意味での指揮監督の有無、事業者といえるかどうか、なども加味されます。 Q:労働組合法上の労働者と認められる可能性はあるのでしょうか。 A:当然、個別の証拠によって判断は変わるのでしょうが、今のウーバーイーツの仕組みから考えると、ウーバーイーツは食品配達プラットフォームとして、飲食店から注文者に食品を配達するということをやっていて、それ以外の事業はしていないように思います。 ウーバーは自らの事業を営んでいると評価されますので、そこで働いている人たちは当然、事業組織に組み入れられていると考えざるをえません。そして、報酬の条件も一方的に変更されるようですし、報酬は、配達という労務の対価といえるでしょう。 労働組合法上の労働者性を認めないという結論はナンセンスではないでしょうか。学術的な議論の場でも、そのように考える人が多いように思います。 ウーバーイーツユニオン(2021年5月の記者会見) Q:ウーバー側は、飲食店と配達員と注文者を単にマッチングするだけのプラットフォームだと言っていますが、そういう言い分は通らないのでしょうか。 アメリカでもそういう反論はありますが、そうであれば、プラットフォームの使い方について、コントロールを及ぼしていることについて、説明がつかないと思います。 Q:確かに、配達員はウーバーから提示された仕事を受けるか受けないかの選択はできますが、どんな注文を提示するのか、料金がいくらなのかはウーバー側が決めていますね。 仕事の中身や条件に一切タッチしないのであれば話は別ですが、プラットフォーム側がコントロールを及ぼしている限りは、組織の中に組み入れられているということになります。 配達員がWoltなど、他のサービスと併用していたとしても同じことです。別の組織にも組み入れられているということになるだけです。 Q:ただ、ギグワーカーの皆が保護を求めているわけではないのではないでしょうか。 A:「俺たちは労働者じゃないんだから、ユニオン作るなんてダセーよな」という考え方は、日本だけでなく、アメリカでもあります。アメリカン・ドリームへの憧れが強いことが一つの原因のようです。 しかし、ダサかったとしても、最低限の保護は必要です。また、ダサいと思う人が悪い、という話でもありません。企業に雇われるという働き方の負の面が、そういう忌避感を生じさせてしまっていることについても、向き合う必要があるんでしょうね』、「日本の労働法では「指揮監督」を非常に重視する傾向があって、労働基準法については、労働者として認められにくいと考えられています。ただ、学説では、指揮監督にこだわる必要はないという主張もあります。 一方で、労働組合法については、もう少し広くとらえられるものであり、事業組織への組み入れ、労働条件の一方的・定型的決定、報酬の労務対価性の3点を中心に判断されます。 これだけでは判断できない場合の補完的要素として、業務の依頼に応ずべき関係にあるかとか、緩やかな意味での指揮監督の有無、事業者といえるかどうか、なども加味されます・・・今のウーバーイーツの仕組みから考えると、ウーバーイーツは食品配達プラットフォームとして、飲食店から注文者に食品を配達するということをやっていて、それ以外の事業はしていないように思います。 ウーバーは自らの事業を営んでいると評価されますので、そこで働いている人たちは当然、事業組織に組み入れられていると考えざるをえません。そして、報酬の条件も一方的に変更されるようですし、報酬は、配達という労務の対価といえるでしょう。 労働組合法上の労働者性を認めないという結論はナンセンスではないでしょうか・・・「俺たちは労働者じゃないんだから、ユニオン作るなんてダセーよな」という考え方は、日本だけでなく、アメリカでもあります。アメリカン・ドリームへの憧れが強いことが一つの原因のようです。 しかし、ダサかったとしても、最低限の保護は必要です。また、ダサいと思う人が悪い、という話でもありません。企業に雇われるという働き方の負の面が、そういう忌避感を生じさせてしまっていることについても、向き合う必要があるんでしょうね」、なるほど。
・『被用者でも個人事業主でもない「第3カテゴリー」は必要か Q:イギリスでは、雇用関係にある「被用者」と、個人事業主の「自営業者」の中間的な存在として、被用者よりも保護の範囲が限定された「労働者」というカテゴリーがあり、最高裁の判断として、ウーバーの運転手が「労働者」と認められました。日本でも、このような中間的カテゴリーを作るべきでしょうか。 アメリカも日本と同様に、被用者か自営業者か、という判断しかありません。一方で、イギリスやドイツのように、被用者類似の第三カテゴリーをもうけている国もあります。 ただ、被用者か自営業者であれば、その線引きは1つですが、第三カテゴリーを作った場合、線引きが2つに増えてしまいます。その基準がはっきりしない限り、どれにあたるかわかりにくいですし、これまで被用者として保護されていた人たちが、第三カテゴリーに分類されてしまうリスクもあります。 私は、第三カテゴリーを作るのではなく、あくまで被用者としての保護を広く及ぼすべきだと考えます。自営業者にも労災保険の必要性が検討されているように、被用者だけでなく、働く人全員に与えられるべき保護もあるからです。労働法の条項を整理して、目的ごとに、どこまで適用するのかを考えた方が生産的です』、「イギリスでは、雇用関係にある「被用者」と、個人事業主の「自営業者」の中間的な存在として、被用者よりも保護の範囲が限定された「労働者」というカテゴリーがあり、最高裁の判断として、ウーバーの運転手が「労働者」と認められました・・・私は、第三カテゴリーを作るのではなく、あくまで被用者としての保護を広く及ぼすべきだと考えます。自営業者にも労災保険の必要性が検討されているように、被用者だけでなく、働く人全員に与えられるべき保護もあるからです。労働法の条項を整理して、目的ごとに、どこまで適用するのかを考えた方が生産的です」、なるほど。
・『ウーバー紛争の先にある、新たな法的問題 Q:今はウーバーのようなプラットフォームが目立っていますが、今後、どのようなプラットフォームに注目していますか。 プラットフォーム労働については、ウーバー型とは異なるクラウドソーシング型というものが存在します。ウーバーのように、一つのビジネスに特化するのではなく、プラットフォーム上で多種多様なタイプの業務がやり取りされるものです。 日本では、ランサーズやクラウドワークスのようなサービスを想像するとわかりやすいでしょう。単純な業務だけではなく、専門的な業務も含みます。 そこでは、利用者、労務提供者、プラットフォームの三角関係をどう考えるのか、ということが課題になります。プラットフォームがマネジメント機能を担っていたり、プラットフォーム自体が仕事を受注して、再委託するケースもあります。 ウーバー型のような自営業者の被用者性をめぐる争いは過去にもたくさん起きていて、その都度、被用者性の拡張で対応してきた話ですので、法理論的にはさほど難しいものではありません。 一方、クラウドソーシング型については、三者間での労働をどう捉えるのか。例えば、労災が起きた時の責任を誰がもつのか、社会保険料は誰が払うのかなど、複雑な検討課題があります。使用者が負うべき責任をどのように割り振るかですとか、労働組合を含めた集団的な合意形成の仕組みも、考え直す必要がでてくるでしょう。これからの話ですね』、「ウーバー紛争の先にある、新たな法的問題・・・プラットフォーム労働については、ウーバー型とは異なるクラウドソーシング型というものが存在します。ウーバーのように、一つのビジネスに特化するのではなく、プラットフォーム上で多種多様なタイプの業務がやり取りされるものです。 日本では、ランサーズやクラウドワークスのようなサービスを想像するとわかりやすいでしょう。単純な業務だけではなく、専門的な業務も含みます。 そこでは、利用者、労務提供者、プラットフォームの三角関係をどう考えるのか、ということが課題になります。プラットフォームがマネジメント機能を担っていたり、プラットフォーム自体が仕事を受注して、再委託するケースもあります。 ウーバー型のような自営業者の被用者性をめぐる争いは過去にもたくさん起きていて、その都度、被用者性の拡張で対応してきた話ですので、法理論的にはさほど難しいものではありません・・・一方、クラウドソーシング型については、三者間での労働をどう捉えるのか。例えば、労災が起きた時の責任を誰がもつのか、社会保険料は誰が払うのかなど、複雑な検討課題があります。使用者が負うべき責任をどのように割り振るかですとか、労働組合を含めた集団的な合意形成の仕組みも、考え直す必要がでてくるでしょう。これからの話ですね」、確かに将来的には様々なサービス形態が出現してくる可能性がある。「クラウドソーシング型については、三者間での労働をどう捉えるのか。例えば、労災が起きた時の責任を誰がもつのか、社会保険料は誰が払うのかなど、複雑な検討課題があります。使用者が負うべき責任をどのように割り振るかですとか、労働組合を含めた集団的な合意形成の仕組みも、考え直す必要がでてくるでしょう。これからの話ですね」、いずれにしても、一生懸命働いたのに、「労災」保険が認められないような不利益が生じないよう注視していく必要がある。
次に、本年9月10日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏による「ライドシェアの安全性は「解決済み」本当に重要なのは“既得権益”の問題だ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/328850
・『ライドシェア解禁を巡る議論をよく目にします。私は、長期的な視野で解禁の方向に動いた方が良いと考えます。「ある視点」で考えれば、皆が得する未来を描くことができるからです』、「皆が得する未来を描くことができる」とはどういうことなのだろう。
・『ライドシェアを巡る議論は平行線をたどっている 菅義偉前首相が講演で「ライドシェア」の解禁に向け議論すべきだと発言して以降、日本でもにわかにライドシェア導入議論が始まっています。同じ神奈川県の小泉進次郎氏や河野太郎氏もライドシェアに積極的な発言をしている一方で、自民党のタクシー・ハイヤー議員連盟は導入論に慎重な意見を表明しています。 テレビの報道番組でも何度かこの問題は取り上げられました。私もふたつの番組で業界の代表者と消費者が激しく討論する様子を拝見しましたが、議論は常に平行線になるようです。 消費者の側から見ればそもそもタクシーが捕まらないエリアや時間帯が存在することや、道順がうまく伝わらないことや、近距離だと露骨に嫌な顔をされるなど、タクシーに対する一定の不満が存在します。そういった消費者の中で、アメリカに出かけてライドシェアを体験して、ライドシェアの方がサービスがいいと感じているわけです。 急増するインバウンド客はタクシー不足の原因でもありますが、彼らも言葉が伝わりにくい日本のタクシーよりもライドシェアがいいという意見は根強くあります。 一方で、業界の側は素人が運転手をするライドシェアの危険性を主張します。タクシー会社は法律や国の指導に沿って、2種免許を取得した従業員にさらに研修や管理を行うことで乗客の安全を確保してきました。コストをかけ投資をしているのに、その投資をしなくてもいいライドシェアとの競争は安全性が保たれず不公平だというわけです。 平行線をたどるこの議論がかみ合うためには、+αで新しい視点が必要だと私は考えているのですが、その話の前に両者の議論を確認しておきましょう』、興味深そうだ。
・『「ドライバーの安全性」は議論の争点にはならない タクシー業界の主張する安全性の問題は、実はライドシェア大国のアメリカでは解決されています。タクシー会社が採用や教育、管理で安全を確保する一方で、ライドシェアはユーザーの評価によってドライバーを淘汰させます。 「そんなことを言っても、淘汰される前の運転の荒いドライバーに当たった人はどうなるんだ」 と反論されるかもしれません。 これを言うと野暮かもしれませんが、タクシーの運転も結構荒いと私は思います。 よく交差点で手を挙げた乗客を乗り降りさせているタクシーがいて、急停車したタクシーに後続車が追突しそうになりヒヤリとしたり、交差点が詰まってしまったりしています。ああいった乗り降りに関する違反運転が多いのは、目視した限りで一般のドライバーよりも圧倒的に教育を受けたタクシーの方が多いようです』、「乗り降りに関する違反運転が多いのは、目視した限りで一般のドライバーよりも圧倒的に教育を受けたタクシーの方が多いようです」、その通りだ。
・『タクシー業界の既得権益も尊重する必要がある 一方で、ライドシェア解禁を願う消費者の側の論調にも問題があります。 ライドシェア解禁に反対するタクシー業界の既得権益をもう少し尊重すべきです。あまり認識されていないかもしれませんが、経済学では既得権益をとても重要なことだと教えます。なぜなら既得権益が守られない社会では誰も投資をしなくなるからです。 タクシー業界は本当はそれを主張したいのです。これまで国のルールで莫大な投資をしてきたのに、ライドシェアを解禁したらその投資が回収できない。これは実は正当な主張なのですが、それが世論に通りにくいから安全性の問題に議論をすり替えざるをえないのです。 とはいえ訪日外国人の増加、タクシー運転手の人手不足、過疎化地域などで移動難民の増加など、国内の状況的にはライドシェア解禁の必要性は高まっています。 2010年代にアメリカでウーバーがサービスを提供して以降、わが国でも何度も議論が行われてきたわけですが、アメリカ型のライドシェアは日本では極めて限定的な条件下以外では解禁されていません。 業界ではタクシーが不足するたびにタクシーの供給量を増やして消費者の不満を解消してきたわけですが、この計画経済的な仕組みには根本的な欠陥があって、タクシー会社にとっての経済的なラインを想定すれば台数は必ずピーク需要よりも少なめになりますし、採算に乗らないエリアは切り捨てられます。 ではこのライドシェア解禁議論はどうすれば前に進むのでしょうか。私は今の議論に加えるべきは「時間軸」だと捉えています』、「タクシー業界は・・・これまで国のルールで莫大な投資をしてきたのに、ライドシェアを解禁したらその投資が回収できない。 これは実は正当な主張なのですが、それが世論に通りにくいから安全性の問題に議論をすり替えざるをえないのです・・・訪日外国人の増加、タクシー運転手の人手不足、過疎化地域などで移動難民の増加など、国内の状況的にはライドシェア解禁の必要性は高まっています・・・業界ではタクシーが不足するたびにタクシーの供給量を増やして消費者の不満を解消してきたわけですが、この計画経済的な仕組みには根本的な欠陥があって、タクシー会社にとっての経済的なラインを想定すれば台数は必ずピーク需要よりも少なめになりますし、採算に乗らないエリアは切り捨てられます。 ではこのライドシェア解禁議論はどうすれば前に進むのでしょうか。私は今の議論に加えるべきは「時間軸」だと捉えています」、「時間軸」とはどういうことなのだろう。
・『もしも「5年後にライドシェアを解禁する」なら? 皆が得をするために必要なのは「時間軸」 あくまで仮の想定ではありますが、たとえば、「5年後の2028年に東京都ではライドシェアを解禁する」と決めたとしたらどうでしょうか。 競争を公平にするために、 「その場合、人を乗せて運転する営業車のドライバーに対しては、2年後の2025年からタクシー会社の研修があれば2種免許を不要とする」 そしてさらに、 「タクシー会社は2025年からライドシェア営業も実験的に先行して行うことができる」 といった形の時間軸を加えた解決案が出現したらどうなるのかを考えてみましょう。 仮案とはいえ、このような時間軸のロードマップがあるとタクシー会社側は新しい投資戦略を作ることができます。人材の採用については2年後以降、今よりも難易度がひとつ下がります。ちなみに2種免許を廃止できないのであればライドシェア解禁は無理だと私は思っていますが、ここは異論がある方もいらっしゃるかもしれません。話を続けさせていただきます。 時間軸を設けることによる一番の優位性は、タクシー会社のアプリがウーバーなどの海外アプリに対抗する時間ができることです。仮に今使われているタクシーアプリにアメリカのライドシェアサービスと同じ機能が実装されたとします。 その上で2025年から3年間は、消費者はライドシェアにはタクシーアプリが使えるようになるわけです。たとえばクリスマスの深夜、六本木でどうしてもタクシーが捕まらない場合、タクシーアプリのライドシェア機能で価格を見て「六本木―新宿8000円で」と通常よりも価格を高めにすることでタクシーを捕まえられるかもしれません。 逆にタクシーが空いている時間帯には普段より安くライドシェアタクシーを呼ぶこともできるようにします。この実験期間が3年間あれば、タクシー業界も将来ライドシェアに移行した場合の価格戦略を立てやすくなります。何より日本のライドシェアでは日本のタクシー会社のアプリがデファクトとして先に登録ユーザーを集めることができるのは、競争優位になるでしょう。 私はライドシェア推進派の皆様には、反対派のタクシー業界と対話をするために、こういった既得権益を含めた移行計画を提示すべきだと思います。 あとここは議論が分かれるところだと思いますが、私はライドシェアの本格解禁後(この仮の時間軸では2028年以降)にはライドシェアのドライバーに免許のようなものを新たに与える制度を作る必要はないと考えています。それは最近解禁された電動キックボードの免許議論にも通じる考え方です。 電動キックボードが法改正で無免許でも運転できるようになった結果、交通ルールを守らないユーザーが社会問題になっています。日本人の発想だと講習をきちんと受けさせるべきだと言いますが、それでは警察の外郭団体のブルシットジョブ(余計な仕事)を増やします。 アメリカ人の発想なら違反で捕まった人は次からキックボードを借りられなくすればいい。こういった自然に悪い運転をする人が淘汰されていく仕組みをアメリカのライドシェアは持っています。加えて、万が一事故が起きた時に無保険でも救済されるよう、ライドシェアのプラットフォーム側が保険制度を完備することも必要です。 こういった施策によって、研修よりも淘汰によって安全が保たれる仕組み作りが大切だと私は考えます』、「「タクシー会社は2025年からライドシェア営業も実験的に先行して行うことができる」 といった形の時間軸を加えた解決案が出現したらどうなるのかを考えてみましょう。 仮案とはいえ、このような時間軸のロードマップがあるとタクシー会社側は新しい投資戦略を作ることができます。人材の採用については2年後以降、今よりも難易度がひとつ下がります。ちなみに2種免許を廃止できないのであればライドシェア解禁は無理だと私は思っていますが、ここは異論がある方もいらっしゃるかもしれません。話を続けさせていただきます。 時間軸を設けることによる一番の優位性は、タクシー会社のアプリがウーバーなどの海外アプリに対抗する時間ができることです。仮に今使われているタクシーアプリにアメリカのライドシェアサービスと同じ機能が実装されたとします。 その上で2025年から3年間は、消費者はライドシェアにはタクシーアプリが使えるようになるわけです。たとえばクリスマスの深夜、六本木でどうしてもタクシーが捕まらない場合、タクシーアプリのライドシェア機能で価格を見て「六本木―新宿8000円で」と通常よりも価格を高めにすることでタクシーを捕まえられるかもしれません。 逆にタクシーが空いている時間帯には普段より安くライドシェアタクシーを呼ぶこともできるようにします。この実験期間が3年間あれば、タクシー業界も将来ライドシェアに移行した場合の価格戦略を立てやすくなります。何より日本のライドシェアでは日本のタクシー会社のアプリがデファクトとして先に登録ユーザーを集めることができるのは、競争優位になるでしょう」、この「時間軸」の考え方は有効そうだ。「自然に悪い運転をする人が淘汰されていく仕組みをアメリカのライドシェアは持っています。加えて、万が一事故が起きた時に無保険でも救済されるよう、ライドシェアのプラットフォーム側が保険制度を完備することも必要です。 こういった施策によって、研修よりも淘汰によって安全が保たれる仕組み作りが大切だと私は考えます」、同感である。
・『アメリカでは「無人タクシー」が解禁 このままでは世界に置いていかれる可能性も さて私はライドシェア解禁に向けて実はタクシー業界も行政も早めに動いた方がいいと考えています。というのもこの問題、5年後には新たな問題が加わるからです。 実は昨年、アメリカのサンフランシスコでは無人タクシーが解禁されました。アルファベットの子会社のウェイモと、GMが出資するクルーズがそれぞれサンフランシスコで営業を始めています。日本ではあまり報道されていないこのニュースですが、その意味することは極めて画期的です。 というのもアメリカのサンフランシスコ市は交通環境においては日本の大都市と酷似しているのです。 それは住宅地が入り組んでいたり、道が狭かったり、歩行者が多かったりということなのですが、その環境でアメリカでは自動タクシーの営業サービスが始まっている。ということは世界中でそう遠くない未来に、ロボタクシーが一般的なサービスになっていくはずです。 そうやって世界中でモビリティビジネスが先進的に進化し、そのことによって私たちの移動がもっと自由になり、結果として経済が発展する流れが始まります。 世界がそう変わって、日本だけがまだライドシェア解禁するかどうかで議論が膠着(こうちゃく)している未来は少し問題がありますよね。 そういった意味からも、私はライドシェア解禁議論は長期的には解禁される方向で議論を進めた方がいいと思っています。 そのために時間軸で考えようという今回のアイデア、反論もあろうかと思いますが、日本経済の未来を考えたひとつの提言だとお考えください』、「昨年、アメリカのサンフランシスコでは無人タクシーが解禁されました。アルファベットの子会社のウェイモと、GMが出資するクルーズがそれぞれサンフランシスコで営業を始めています。日本ではあまり報道されていないこのニュースですが、その意味することは極めて画期的です。 というのもアメリカのサンフランシスコ市は交通環境においては日本の大都市と酷似しているのです。 それは住宅地が入り組んでいたり、道が狭かったり、歩行者が多かったりということなのですが、その環境でアメリカでは自動タクシーの営業サービスが始まっている。ということは世界中でそう遠くない未来に、ロボタクシーが一般的なサービスになっていくはずです・・・世界中でそう遠くない未来に、ロボタクシーが一般的なサービスになっていくはずです・・・私はライドシェア解禁議論は長期的には解禁される方向で議論を進めた方がいいと思っています。 そのために時間軸で考えようという今回のアイデア、反論もあろうかと思いますが、日本経済の未来を考えたひとつの提言だとお考えください」、「時間軸で考え」ることがこれだけの重要な意味を持っているとは、新たな発見である。
タグ:各国で、ウーバーのプラットフォーム上で単発で働く「ギグワーカー」たちが「労働者」なのか、「個人事業主」なのか、という紛争が起きている。 ウーバー発祥の国であるアメリカのプラットフォーム労働に詳しい労働法研究者の藤木貴史氏・・・は、「ギグワーカーが組織に雇われている『被用者』と完全に同等に扱われるかどうかの議論こそあるものの、労働法を拡張して、何らかの保護をしようというのが世界の潮流になっている」と語る」、なるほど。 「余ったリソースを需要とつなぐピア・ツー・ピア(P2P)の考え方を打ち出し、ネット上ではなく、現実世界でサービスを積極展開することにより、各国のタクシー業界などに破壊的インパクトをもたらしてきた。 破壊的インパクトは、既存の業界に対してだけではなく、労働法制に対しても同様だ。 弁護士ドットコム「世界中で労働紛争を巻き起こす「ウーバー」、破壊的モデルの行く末」 シェアリングエコノミー (その5)(世界中で労働紛争を巻き起こす「ウーバー」 破壊的モデルの行く末、ライドシェアの安全性は「解決済み」本当に重要なのは“既得権益”の問題だ) 「アメリカでは・・・完全に係争中で、結論らしい結論は出ていません・・・共和党のトランプ政権の時には、独立契約者を広く認めようという動きでしたが、民主党のバイデン政権になってから、方向転換をしています。民主党政権が続けば、被用者性をより認める方向にいくでしょう」。なるほど。 「日本の労働法では「指揮監督」を非常に重視する傾向があって、労働基準法については、労働者として認められにくいと考えられています。ただ、学説では、指揮監督にこだわる必要はないという主張もあります。 一方で、労働組合法については、もう少し広くとらえられるものであり、事業組織への組み入れ、労働条件の一方的・定型的決定、報酬の労務対価性の3点を中心に判断されます。 これだけでは判断できない場合の補完的要素として、業務の依頼に応ずべき関係にあるかとか、緩やかな意味での指揮監督の有無、事業者といえるかどうか、なども加 味されます・・・今のウーバーイーツの仕組みから考えると、ウーバーイーツは食品配達プラットフォームとして、飲食店から注文者に食品を配達するということをやっていて、それ以外の事業はしていないように思います。 ウーバーは自らの事業を営んでいると評価されますので、そこで働いている人たちは当然、事業組織に組み入れられていると考えざるをえません。そして、報酬の条件も一方的に変更されるようですし、報酬は、配達という労務の対価といえるでしょう。 労働組合法上の労働者性を認めないという結論はナンセンスではないでしょうか・・ ・「俺たちは労働者じゃないんだから、ユニオン作るなんてダセーよな」という考え方は、日本だけでなく、アメリカでもあります。アメリカン・ドリームへの憧れが強いことが一つの原因のようです。 しかし、ダサかったとしても、最低限の保護は必要です。また、ダサいと思う人が悪い、という話でもありません。企業に雇われるという働き方の負の面が、そういう忌避感を生じさせてしまっていることについても、向き合う必要があるんでしょうね」、なるほど。 「イギリスでは、雇用関係にある「被用者」と、個人事業主の「自営業者」の中間的な存在として、被用者よりも保護の範囲が限定された「労働者」というカテゴリーがあり、最高裁の判断として、ウーバーの運転手が「労働者」と認められました・・・私は、第三カテゴリーを作るのではなく、あくまで被用者としての保護を広く及ぼすべきだと考えます。自営業者にも労災保険の必要性が検討されているように、被用者だけでなく、働く人全員に与えられるべき保護もあるからです。労働法の条項を整理して、目的ごとに、どこまで適用するのかを考えた方が生産 的です」、なるほど。 「ウーバー紛争の先にある、新たな法的問題・・・プラットフォーム労働については、ウーバー型とは異なるクラウドソーシング型というものが存在します。ウーバーのように、一つのビジネスに特化するのではなく、プラットフォーム上で多種多様なタイプの業務がやり取りされるものです。 日本では、ランサーズやクラウドワークスのようなサービスを想像するとわかりやすいでしょう。単純な業務だけではなく、専門的な業務も含みます。 そこでは、利用者、労務提供者、プラットフォームの三角関係をどう考えるのか、ということが課題になります。プラットフォームがマネジメント機能を担っていたり、プラットフォーム自体が仕事を受注して、再委託するケースもあります。 ウーバー型のような自営業者の被用者性をめぐる争いは過去にもたくさん起きていて、その都度、被用者性の拡張で対応してきた話ですので、法理論的にはさほど難しいものではありません・・・一方、クラウドソーシング型については、三者間での労働をどう捉えるのか。例えば、労災が起きた時の責任を誰がもつのか、 社会保険料は誰が払うのかなど、複雑な検討課題があります。使用者が負うべき責任をどのように割り振るかですとか、労働組合を含めた集団的な合意形成の仕組みも、考え直す必要がでてくるでしょう。これからの話ですね」、確かに将来的には様々なサービス形態が出現してくる可能性がある。「クラウドソーシング型については、三者間での労働をどう捉えるのか。例えば、労災が起きた時の責任を誰がもつのか、社会保険料は誰が払うのかなど、複雑な検討課題があります。使用者が負うべき責任をどのように割り振るかですとか、労働組合を含めた集団的な 合意形成の仕組みも、考え直す必要がでてくるでしょう。これからの話ですね」、いずれにしても、一生懸命働いたのに、「労災」保険が認められないような不利益が生じないよう注視していく必要がある。 ダイヤモンド・オンライン 鈴木貴博氏による「ライドシェアの安全性は「解決済み」本当に重要なのは“既得権益”の問題だ」 「皆が得する未来を描くことができる」とはどういうことなのだろう。 「乗り降りに関する違反運転が多いのは、目視した限りで一般のドライバーよりも圧倒的に教育を受けたタクシーの方が多いようです」、その通りだ。 「タクシー業界は・・・これまで国のルールで莫大な投資をしてきたのに、ライドシェアを解禁したらその投資が回収できない。 これは実は正当な主張なのですが、それが世論に通りにくいから安全性の問題に議論をすり替えざるをえないのです・・・訪日外国人の増加、タクシー運転手の人手不足、過疎化地域などで移動難民の増加など、国内の状況的にはライドシェア解禁の必要性は高まっています・・・業界ではタクシーが不足するたびにタクシーの供給量を増やして消費者の不満を解消してきたわけですが、この計画経済的な仕組みには根本的な欠陥があっ て、タクシー会社にとっての経済的なラインを想定すれば台数は必ずピーク需要よりも少なめになりますし、採算に乗らないエリアは切り捨てられます。 ではこのライドシェア解禁議論はどうすれば前に進むのでしょうか。私は今の議論に加えるべきは「時間軸」だと捉えています」、「時間軸」とはどういうことなのだろう。 「「タクシー会社は2025年からライドシェア営業も実験的に先行して行うことができる」 といった形の時間軸を加えた解決案が出現したらどうなるのかを考えてみましょう。 仮案とはいえ、このような時間軸のロードマップがあるとタクシー会社側は新しい投資戦略を作ることができます。人材の採用については2年後以降、今よりも難易度がひとつ下がります。 ちなみに2種免許を廃止できないのであればライドシェア解禁は無理だと私は思っていますが、ここは異論がある方もいらっしゃるかもしれません。話を続けさせていただきます。 時間軸を設けることによる一番の優位性は、タクシー会社のアプリがウーバーなどの海外アプリに対抗する時間ができることです。仮に今使われているタクシーアプリにアメリカのライドシェアサービスと同じ機能が実装されたとします。 その上で2025年から3年間は、消費者はライドシェアにはタクシーアプリが使えるようになるわけです。たとえばクリスマスの深夜、六本木 でどうしてもタクシーが捕まらない場合、タクシーアプリのライドシェア機能で価格を見て「六本木―新宿8000円で」と通常よりも価格を高めにすることでタクシーを捕まえられるかもしれません。 逆にタクシーが空いている時間帯には普段より安くライドシェアタクシーを呼ぶこともできるようにします。この実験期間が3年間あれば、タクシー業界も将来ライドシェアに移行した場合の価格戦略を立てやすくなります。何より日本のライドシェアでは日本のタクシー会社のアプリがデファクトとして先に登録ユーザーを集めることができるのは、競争優位に なるでしょう」、この「時間軸」の考え方は有効そうだ。「自然に悪い運転をする人が淘汰されていく仕組みをアメリカのライドシェアは持っています。加えて、万が一事故が起きた時に無保険でも救済されるよう、ライドシェアのプラットフォーム側が保険制度を完備することも必要です。 こういった施策によって、研修よりも淘汰によって安全が保たれる仕組み作りが大切だと私は考えます」、同感である。 「昨年、アメリカのサンフランシスコでは無人タクシーが解禁されました。アルファベットの子会社のウェイモと、GMが出資するクルーズがそれぞれサンフランシスコで営業を始めています。日本ではあまり報道されていないこのニュースですが、その意味することは極めて画期的です。 というのもアメリカのサンフランシスコ市は交通環境においては日本の大都市と酷似しているのです。 それは住宅地が入り組んでいたり、道が狭かったり、歩行者が多かったりということなのですが、その環境でアメリカでは自動タクシーの営業サービスが始まっている。ということは世界中でそう遠くない未来に、ロボタクシーが一般的なサービスになっていくはずです・・・世界中でそう遠くない未来に、ロボタクシーが一般的なサービスになっていくはずです・・・私はライドシェア解禁議論は長期的には解禁される方向で議論を進めた方がいいと思っています。 そのために時間軸で考えようという今回のアイデア、反論もあろうかと思いますが、日本経済の未来を考えたひとつの提言だとお考えください」、「時間軸で考え」ることがこれだけの重要な意味を持っているとは、新たな発見である。
民主主義(その9)(「若者よ 選挙に行くな」CMを支持する、納税額が低いと選挙権ナシ?高学歴なら複数投票OK?超有名思想家が下した結論とは) [経済政治動向]
民主主義については、2021年8月23日に取上げた。久しぶりの今日は、(その9)(「若者よ 選挙に行くな」CMを支持する、納税額が低いと選挙権ナシ?高学歴なら複数投票OK?超有名思想家が下した結論とは)である。
先ずは、本年4月12日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏による「「若者よ、選挙に行くな」CMを支持する」を紹介しよう。
・『統一地方選挙での若者の投票を呼びかける風刺動画が物議を醸している。「若者よ、選挙に行くな」と題したこの動画は、逆説的に若者が選挙で投票する大切さを説いているのだが、賛否両論が噴出している。筆者としては、この取り組みを支持したい』、興味深そうだ、
・『表現が痩せると発想も細る 表現の自由の範囲は、社会が許容できるギリギリまで広げておく方がいい。社会的圧力によってであれ、それを恐れた自主規制によってであれ、表現を制限していると表現力が痩せる。表現力が痩せると、やがては物事を発想する力も細っていく。これは、まことにつまらないことだ。いわゆる「ポリコレ」や「言葉狩り」をやり過ぎすることの最大の弊害だろう。 ちょうどいい検討例が現れた。趣旨としては今春の統一地方選挙で若者に選挙に行こうと呼びかける、インターネット動画のCM「若者よ、選挙に行くな」(笑下村塾作成)が物議を醸している。 皮肉が利いていていいではないかという声もあれば、若者と高齢者の対立をあおるので好ましくないといった意見もある。 動画を何度か観てみたが、結論は、「この程度は、全く問題ないではないか」だ。この程度の表現を抑圧したがるような、不寛容でおぞましくお節介な社会には「絶対に」なってほしくない。率直に言って、動画としての出来映えは今一つだと思ったのだが、内容はなかなか味わい深い。主たるメッセージが「若者は選挙に行った方がいい」という話なのは誤解のされようがないし、考える価値のある問題を複数提起している。 このCMの内容が気に入らない人も、少なからずいることだろう。もちろん、批判はあっていい。ただし、「こういうものは出すべきではない」という意見はできるだけ控えるべきだ。文句があるなら、もっとセンスのいい作品を作って対抗すればいい。 筆者としては、今回の「若者よ、選挙に行くな」CMのような表現やメッセージが、今後もどんどん登場することを期待したい。 「もっとやれ!」と言っておく』、「表現の自由の範囲は、社会が許容できるギリギリまで広げておく方がいい。社会的圧力によってであれ、それを恐れた自主規制によってであれ、表現を制限していると表現力が痩せる。表現力が痩せると、やがては物事を発想する力も細っていく。これは、まことにつまらないことだ。いわゆる「ポリコレ」や「言葉狩り」をやり過ぎすることの最大の弊害だろう」、「文句があるなら、もっとセンスのいい作品を作って対抗すればいい。 筆者としては、今回の「若者よ、選挙に行くな」CMのような表現やメッセージが、今後もどんどん登場することを期待したい。「もっとやれ!」と言っておく」、なるほど。「若者よ、選挙に行くな」CMのURLはhttps://www.youtube.com/watch?v=RF8I4LHej5E
・『若者にとっての「コスパ」を訴えよ 高齢者は、そもそも数が多く、しかも投票率が高いので、政治に彼らの意見が反映しやすいのは事実だ。これを指摘して、若者に投票を促すことは悪いことではない。事実を指摘して、良い行動を推奨している。 一方、より現実的な問題として、若者の投票率が上がっても選挙の結果は大きく変わらず、従って、世の中を変えるに至らないという調査や指摘が少なくない。例えば、多くの若者が読んでいると思われる経済学者・成田悠輔氏の『22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる』(ソフトバンク新書)には詳細で説得的な分析が提示されている。 また、そもそも多くの社会的な意思決定を行うために、選挙で代表を選んで物事を決めようとする現在のシステム自体に相当な無理があることも事実だ。 こうした構造を考えたときに、若者が、自分が選挙に行っても何も変わらないだろうと予想を形成すること自体は大きく間違ってはいない。 では、この構造も含めて現状に不満を持っている場合に、若者はどうしたらいいのか。これが次の問題だろう。) 方法としては、ツイッターでのつぶやきから革命まで幅広い手段がある。ただ、行使できる影響力の期待値と手段のコストを考えると、今のところ最も「コスパ」のいい手段は、おそらく同じ意見の持ち主に声を掛けつつ選挙に行くことだろう。 若者の投票行動が変わると、少なくとも一部の政治家は焦り、一部は迎合しようとし、何らかの影響があるはずだ。また、選挙区によっては、本当に結果が変わるだろう。効果の期待値は、十分大きくはないかもしれないが、ゼロではない。コストは少々の時間と手間だ。逮捕などのリスクはない。 例えば、CMの続編を作るなら、「若者が選挙に行っても、選挙結果が変わる確率は小さいかもしれないわね」(女1)、「でも、あんたたち、革命なんか起こす元気もないし、面倒くさいんでしょう」(女2)、「今のところ意見を反映させる一番コスパのいい手段は選挙に行くことなんだよ。ダメ元でも、できることからやってみようよ」(男)、といったせりふを付け加えるのはいかがだろうか。 CMの出演者3人はプロの役者さんなので憎まれ役は平気だろう。しかし、ただ嫌われただけのキャラクターにしておくのは惜しい。それぞれの役者さんが、本当は若者のことを気に掛けていてアドバイスを送るような続編があってもいいのではないか』、「現状に不満を持っている場合に、若者はどうしたらいいのか。これが次の問題だろう。) 方法としては、ツイッターでのつぶやきから革命まで幅広い手段がある。ただ、行使できる影響力の期待値と手段のコストを考えると、今のところ最も「コスパ」のいい手段は、おそらく同じ意見の持ち主に声を掛けつつ選挙に行くことだろう。 若者の投票行動が変わると、少なくとも一部の政治家は焦り、一部は迎合しようとし、何らかの影響があるはずだ。また、選挙区によっては、本当に結果が変わるだろう。効果の期待値は、十分大きくはないかもしれないが、ゼロではない。コストは少々の時間と手間だ。逮捕などのリスクはない・・・CMの出演者3人はプロの役者さんなので憎まれ役は平気だろう。しかし、ただ嫌われただけのキャラクターにしておくのは惜しい。それぞれの役者さんが、本当は若者のことを気に掛けていてアドバイスを送るような続編があってもいいのではないか」、なるほど。
・『財政赤字の世代負担に関する「誤解」を考えるきっかけにも CMの中に、「日本の借金が増えているって? でも、どーせ返すのは未来の子どもたちだろう?」という財務省が喜びそうなせりふがあるが、この意見は、将来世代が現在世代から資産を受け継ぐことを見落とした俗論である。 「財政赤字は将来世代の負担だ」と言って、「そうだ!」とうなずくか否かは、政治家が、経済を理解している人なのか、単に話を刷り込まれただけの拡声器なのかを判別するいいリトマス試験紙だ。読者も用いるといい。 家計の貸し借りと、国の借金は性質が異なる。国の借金が海外からのものでない限り、国の借金は、例えば国債という資産として国民に保有されていて、これは次世代に相続される。国の借金が、本質的な意味で将来世代の負担になるのは、それが非効率的に使われて、モノや労働力などを含めた広義の資源の無駄になる場合だ。) 仮に、若者嫌いで意地悪な高齢者がいて、自分が保有する資産を次世代に相続するのが嫌だとばかりに国債を換金して消費に回したとすると、その消費は経済を活性化させるだろうから、むしろ次世代にとっての恩恵になり得る。 ただし、国の借金が手放しで褒められるものでないことは事実だ。一つには、政府は決してお金の使い方がうまい主体ではないから、大きな借り入れが自由にできることは上記の意味での本質的な負担を作る補助要因になり得る。また、国民の間に作った大規模な貸し借りが好ましくない形の再分配効果をもたらす可能性がある。 例えば、こうしたことを教えるために、「若者は選挙に行くな」CMを高校の授業で生徒に見せたりするのもいいのではないか』、「家計の貸し借りと、国の借金は性質が異なる。国の借金が海外からのものでない限り、国の借金は、例えば国債という資産として国民に保有されていて、これは次世代に相続される。国の借金が、本質的な意味で将来世代の負担になるのは、それが非効率的に使われて、モノや労働力などを含めた広義の資源の無駄になる場合だ」、なるほど。
・『「憲法を変える」の位置付けに驚く CMは次に、新型コロナウイルスへの政府の対応が、若者に冷たく(修学旅行がない)、高齢者優遇的(旅行の補助は暇のある高齢者の方が利用しやすい)であったことを指摘する。 考えるべき素材として悪くないテーマだろう。世代の利害対立があることと、意思表示をしないとますます不利になりかねないことなどを考えさせる。 筆者が大いに驚いたのは、次のせりふだった。こわもての方の女性が次のように言う。 「同性婚? ベーシックインカム? 憲法を変える? そんなことしたら社会が変わっちゃうじゃない」 いかにも若者が口にしそうなテーマを三つ挙げたのだろう。先進7カ国(G7)の中で唯一日本だけで認められない同性婚が挙がるのはいい。次に、ベーシックインカムがここまで市民権を得た言葉になったかと思うと、これは感慨深い。だが、この並びで「憲法を変える」が出てくると、時代は変わったのだと改めて思う。) 30年くらい前の感覚では、古い世代は、かつての日本へのノスタルジーと「アメリカに押しつけられた憲法」への反発などから改憲にシンパシーを持ち(だから憲法改正が長らく自民党の党是の一つなのだろう)、一方、当時の若い世代や革新的な勢力は新憲法(現行の日本国憲法)を民主的な新しい時代のものなので擁護したいと考えるといったポジショニングだった。 ところが今の感覚では、若い世代こそが憲法を変えたがっている、ということらしい。 確かに、いわゆる「革新」という言葉は近年いかにも古びて聞こえる。全く魅力を感じない。「改革」ならまだ幾らかは新しく、「革新」と言ってしまうと残念なまでに古臭い。ことの良しあしは別として、現在の野党は、こうした感覚の変化に対応しないと、支持世代の老化とともにそのまま衰退してしまいそうだ』、「今の感覚では、若い世代こそが憲法を変えたがっている、ということらしい。 確かに、いわゆる「革新」という言葉は近年いかにも古びて聞こえる。全く魅力を感じない。「改革」ならまだ幾らかは新しく、「革新」と言ってしまうと残念なまでに古臭い。ことの良しあしは別として、現在の野党は、こうした感覚の変化に対応しないと、支持世代の老化とともにそのまま衰退してしまいそうだ」、なるほど。
・『動画の続編にも反論作品にも期待したい CMはもう少し続いて、「ネットなら投票するのにって、ずっとネットで言ってなさい」などという名ぜりふもあるが、続きは動画を見ていただきたい。 主たるメッセージを伝えるだけでなく、その他にも考えさせる部分があるのは、いいメッセージだろう。 CMは全体を通じて、個人を侮辱するとか、特定の人を傷つけるような内容ではない。それなりの「毒」は盛られているが、注目されないよりも注目される方がいいので、許される範囲だろう。いいCMだったと思うし、続編的な作品にも期待したい。 ただ、繰り返しになるが、このCMが気に入らない人もいるだろう。センスのいい作品での反論にも大いに期待している』、「CMは全体を通じて、個人を侮辱するとか、特定の人を傷つけるような内容ではない。それなりの「毒」は盛られているが、注目されないよりも注目される方がいいので、許される範囲だろう。いいCMだったと思うし、続編的な作品にも期待したい」、同感である。
次に、11月20日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した九州大学名誉教授の関口正司氏による「納税額が低いと選挙権ナシ?高学歴なら複数投票OK?超有名思想家が下した結論とは」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/330415
・『与野党ともに次の総選挙の準備を進めている昨今、19世紀イギリスの思想家J・S・ミルが提唱した選挙制度の精神が光を放ち始めた。『自由論』で他者や社会を害しない範囲での幸福追求を論じたミルは、『代議制統治論』で他者への権力行使につながる投票行動を重視し、当時としても新奇な提言をおこなっている。「1票の格差」など問題山積の日本の選挙の指針となるか。本稿は、関口正司『J・S・ミル 自由を探求した思想家』(中央公論新社)の一部を抜粋・編集したものです』、興味深そうだ。
・『多数派による専制を避けるにはヘア式投票制で死票を最小限に ジョン・スチュアート・ミル(1806~1873)は、非常に多様なテーマに関心を寄せたイギリス人の思想家だった。著作の範囲は、政治や行政や法律から、経済や社会、歴史や文学、道徳(倫理)や哲学などにまでおよんでいる。成熟期のミルの著作として『自由論』はよく知られているが、『代議制統治論』もまた代表的な1冊である。 『代議制統治論』は1861年4月に公刊された。全部で18章からなる大著で、選挙制度や議会、中央の行政、地方自治、インド統治など、当時のイギリスの政治体制全般にかかわる多様なテーマが取り上げられている。 代表者を選出する選挙人の資格という問題についてミルが行っている議論の中で、特に具体的な制度にかかわる提言を読むと、多くの読者が違和感を抱くかもしれない。 ミルによれば、代表民主政の正しい理解とは、国民の全員が等しく代表され、そのようにして選ばれた代表者たちによって国民全員が統治される、ということである。ところが、国民の中の多数者だけが代表されれば少数者が代表される機会が確保されなくてもよい、という誤った代表民主政のとらえ方が世の中では横行している。 この誤ったとらえ方では、(1)代表を実質的に選んでいる多数者や選ばれた代表者たちの知的レベルの低さ、(2)多数者による(代表をつうじた)排他的な階級利益(邪悪な利益)の追求という、2つの深刻な弊害は手つかずのまま放置されてしまう。 これらの弊害を防止するためには、あるいは可能な限り軽減するためには、代表民主政の正しい理解に即した制度、つまり平等の原則にもとづいた制度を導入する必要がある。 平等の原則からミルが強く推奨しているのは、ヘア式投票制である。これは、少数者の代表を応分に確保するために死票をできるだけ減らす工夫をした投票制度である。 選挙人は、自分の代表としたい複数の候補者を、順位をつけて投票する。地元だけでなくどの地域の候補者に投票してもよい。1人の候補者だけに投票してもよい。投票してよい候補者数は技術的問題がなければ無制限でかまわない。 当選票数は、全国の選挙人総数を議員の総定数で割算して出す。自分の投票した候補者の第1位が、自分の票を加算しなくても当選票数に達していれば、第2位に指名した候補者に票がまわることになる。以下、議員の総定員が満たされるまでこのような割り振りが繰り返される。実際には、見かけほど複雑な仕組みではない。) 選挙の平等の原則から必然的に帰結するのは、原則として成人の国民全員に選挙人の資格を与えることである。ミルはさらに、別の重要な道徳的問題もあるとして、次のように力説している。 ……他の人々と同じように自分にも利害がある事柄の処理について、自分の意見を顧慮してもらうという通常の特権を与えないことは、より大きな害悪の防止のためでないならば、人格にかかわる不正である。その人が支払うことを強制され、戦うことを強制されるかもしれず、黙って従うように求められるのであれば、それが何のためであるかを示してもらう法的な資格がある。同意を求められ、その人の意見を価値以上にではないにせよ、価値相応に受け止めてもらう法的な資格がある。……人は誰でも、何の相談もなく自分の運命を左右する無制限の権力を他人からふるわれるときには、自分で気づいていようといまいと、人格を貶められているのである。 人格的尊厳という点で、イギリスのような高度な文明国の国民には、男女を問わず、選挙資格を与えるべきである。特に、女性への選挙資格の付与は、ミルが強く主張した点だった』、「『代議制統治論』は1861年4月に公刊された。全部で18章からなる大著で、選挙制度や議会、中央の行政、地方自治、インド統治など、当時のイギリスの政治体制全般にかかわる多様なテーマが取り上げられている。 代表者を選出する選挙人の資格という問題についてミルが行っている議論の中で、特に具体的な制度にかかわる提言を読むと、多くの読者が違和感を抱くかもしれない。 ミルによれば、代表民主政の正しい理解とは、国民の全員が等しく代表され、そのようにして選ばれた代表者たちによって国民全員が統治される、ということである。ところが、国民の中の多数者だけが代表されれば少数者が代表される機会が確保されなくてもよい、という誤った代表民主政のとらえ方が世の中では横行している。 この誤ったとらえ方では、(1)代表を実質的に選んでいる多数者や選ばれた代表者たちの知的レベルの低さ、(2)多数者による(代表をつうじた)排他的な階級利益(邪悪な利益)の追求という、2つの深刻な弊害は手つかずのまま放置されてしまう。 これらの弊害を防止するためには、あるいは可能な限り軽減するためには、代表民主政の正しい理解に即した制度、つまり平等の原則にもとづいた制度を導入する必要がある・・・平等の原則からミルが強く推奨しているのは、ヘア式投票制である。これは、少数者の代表を応分に確保するために死票をできるだけ減らす工夫をした投票制度である。 選挙人は、自分の代表としたい複数の候補者を、順位をつけて投票する。地元だけでなくどの地域の候補者に投票してもよい。1人の候補者だけに投票してもよい。投票してよい候補者数は技術的問題がなければ無制限でかまわない。 当選票数は、全国の選挙人総数を議員の総定数で割算して出す。自分の投票した候補者の第1位が、自分の票を加算しなくても当選票数に達していれば、第2位に指名した候補者に票がまわることになる。以下、議員の総定員が満たされるまでこのような割り振りが繰り返される。実際には、見かけほど複雑な仕組みではない」、「死票をできるだけ減らす工夫をした投票制度」とは興味深い。
・『政策判断能力なき者や低額納税者への平等な投票資格付与は選挙を歪める ただし、平等な選挙資格と言っても無条件ではない。投票は公共の利益に判断を下す行為だから、判断を下すのに欠かせない識字能力が要件となる。また、公金の処理にかかわる判断でもあり、歳出と納税者の負担との関係を意識している必要があるから、タダ乗り的投票をさせないために、一定程度の納税をしていることも条件になる。 これらの要件は現代ではほとんど問題外とされているが、ミルがこのような制限を求める主張の根拠(判断能力や責任の自覚)については、あらためて正面から考えてみる必要があるように思える。 ところで、平等な選挙の確保は重要であるとはいえ、代表者議会の知的レベルの確保と階級利益追求の防止という2つの課題は依然として残されている。選挙民や議員の多数派に良識や中庸や自制を期待すれば十分だというのでは、ミルの言葉を借りれば「立憲的統治の哲学は無用の長物にすぎない」。権力を悪用させない国制上の仕組みが必要である。 そのためミルは、これら2つの課題への対応策として、選挙の平等という原則の一線を越える提言にまであえて踏み込んでいく。つまり、選挙人の中の高い知性を持った層に複数票を与える、という提言である。) こういう提言を市民が受け容れること、つまり、「善良で賢明な人々にはより大きな影響力を持つ資格がある、と市民が考えることは、市民にとって有益なのだから、国家がこの信念を公言し、国の制度に体現させることは重要である」とミルは論じている。 なぜ、このような趣旨の制度が必要かと言えば、それが実際に知性の確保に役立つばかりではない。無知と知性を同等に扱わないという制度の精神が国民に影響を与えるからである。また、複数投票が与えられるのは少数者に限定されていて、この仕組みで少数者だけで国政を左右することはないと想定されていた。 それでもなお、「善良で賢明な人々」の影響力確保のために、高学歴や知的職業への従事者に複数投票権を認めるというミルの主張を目にすると、おそらく多くの読者は違和感を覚えるだろう。筆者としても、平等選挙の精神を健全に保つためには、不公平感を与えることなしに、すぐれた人の知見を国政に活かす別の方法を探究した方が得策に思える。 その一方で、平等選挙の原則を一貫して重視するのであれば、いわゆる「1票の格差」と呼ばれている今日の事態についても、きちんと答えを出す必要があるとも感じる。そういう意味で、今もなお示唆的な議論だと言えるだろう』、「「善良で賢明な人々」の影響力確保のために、高学歴や知的職業への従事者に複数投票権を認めるというミルの主張を目にすると、おそらく多くの読者は違和感を覚えるだろう。筆者としても、平等選挙の精神を健全に保つためには、不公平感を与えることなしに、すぐれた人の知見を国政に活かす別の方法を探究した方が得策に思える。 その一方で、平等選挙の原則を一貫して重視するのであれば、いわゆる「1票の格差」と呼ばれている今日の事態についても、きちんと答えを出す必要があるとも感じる」、なるほど。
・『他者に対する権力行使である投票を秘密のうちに行うのは正しいのか ミルが「制度の精神」との関連で取り上げているテーマで、もう一つ注目されるのは、秘密投票(バロット)の問題である。 イギリスでは、1872年に秘密投票法が制定されるまで、庶民院や地方自治体の選挙は、自分が支持する候補者の名前を声を出して示すといった方法による公開投票だった。 ベンサムや父親のジェイムズ・ミルなどの哲学的急進派は、公開投票は地元有力者の圧力や買収の温床であり、旧来の地主支配体制を支える柱の一つだとみなし、秘密投票を政治改革の重要な項目の一つとしていた。ミルも、支持の立場を維持していた。 ミルがこの立場を変えたのは、1850年代になってからである。フランス2月革命の後、ルイ・ボナパルトが制度上は民主的な選挙によって大統領に選出されたことが、少なからず影響していると推測される。 ミルによれば、秘密投票は「制度の精神、つまり制度が市民の心に与える印象が、制度の働きの中で最も重要な部分を占める事例の一つ」である。その印象とは、人に知られることなく自分自身のために自分の都合に合わせて投票してよいのだ、という印象である。こうした印象は、投票を私的な権利だとみなす誤解につながる。しかし、投票は権利ではない。それは信託(trust)である。ミルは次のように力説している。) 権利の観念をどう定義し理解するとしても、人は誰も、他者に対して権力を行使する権利を(純粋に法律的な意味を別とすれば)持つことはできない。そうした権力はすべて、持つことが許されるとすれば、道徳的には、最も完全な意味で信託である。ところが、選挙人としてであれ代表としてであれ、政治的な役割を果たすということは、他者に対する権力行使なのである。 自分に権利のある家や債券を処分するとき、自由に思い通り処分してよい。権利の観念とはそうしたものである。投票も、権利であるなら同じように受け止められるだろう。 しかし、投票を家や債券と同様に自由に売ることは許されない。その意味で、投票は特殊な権利だと感じられている。この感覚は、鈍らせるのではなく、いっそう強化する必要がある。 投票の重要な意義は、たしかに自分の利益や自由を不当な侵害から守るのに役立つという点にある。しかし、投票は同時に、他者の未来も左右する。投票は社会全体に対する権力行使になる。 だから、投票は自分だけにかかわる自己決定と自己責任の問題ではなく、社会全体に対して責任を負うべき公共的行為である。投票者は、そうした権力を社会全体から信託されている。だから、投票を売ってはいけないのである。 ミルの考えでは、公開投票であれば、投票者は他者の視線を意識することで、投票の公共的理由について多少は考えざるをえなくなる。申し開きが立たないような利己的で浅ましい理由では、自分の体面が保てなくなるからである。人目を気にしたり見栄を張ったりといった同調志向の心理も、こういう公共的な効用がある場合には、ミルは活用に躊躇しない。 もっとも、公開投票が、ミルの期待しているとおりの効果を持つのかどうか、また、公開投票のメリットは、買収や強要を助長するというデメリットを上回るのかどうかといった点は、状況次第であるように思える。しかし、ここで目を向ける価値があるのは、その点よりも、制度の精神という問題の捉え方である。 投票制度の精神を問題にするとき、ミルが大前提にしていたのは、他者に権力を行使する権利は道徳的には絶対ありえない、という強い信念だった。だから、ミルは法律で定められた権利という文脈を除いて、権利という言葉は使わない。結論で賛否が分かれるとしても、じっくり議論する価値のある重要な問題である』、「投票の重要な意義は、たしかに自分の利益や自由を不当な侵害から守るのに役立つという点にある。しかし、投票は同時に、他者の未来も左右する。投票は社会全体に対する権力行使になる。 だから、投票は自分だけにかかわる自己決定と自己責任の問題ではなく、社会全体に対して責任を負うべき公共的行為である。投票者は、そうした権力を社会全体から信託されている。だから、投票を売ってはいけないのである」、「投票制度」について、ここまで深い考察をしているとはさすがだ。こうした原論的考察の重要性を再認識させられた。
先ずは、本年4月12日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏による「「若者よ、選挙に行くな」CMを支持する」を紹介しよう。
・『統一地方選挙での若者の投票を呼びかける風刺動画が物議を醸している。「若者よ、選挙に行くな」と題したこの動画は、逆説的に若者が選挙で投票する大切さを説いているのだが、賛否両論が噴出している。筆者としては、この取り組みを支持したい』、興味深そうだ、
・『表現が痩せると発想も細る 表現の自由の範囲は、社会が許容できるギリギリまで広げておく方がいい。社会的圧力によってであれ、それを恐れた自主規制によってであれ、表現を制限していると表現力が痩せる。表現力が痩せると、やがては物事を発想する力も細っていく。これは、まことにつまらないことだ。いわゆる「ポリコレ」や「言葉狩り」をやり過ぎすることの最大の弊害だろう。 ちょうどいい検討例が現れた。趣旨としては今春の統一地方選挙で若者に選挙に行こうと呼びかける、インターネット動画のCM「若者よ、選挙に行くな」(笑下村塾作成)が物議を醸している。 皮肉が利いていていいではないかという声もあれば、若者と高齢者の対立をあおるので好ましくないといった意見もある。 動画を何度か観てみたが、結論は、「この程度は、全く問題ないではないか」だ。この程度の表現を抑圧したがるような、不寛容でおぞましくお節介な社会には「絶対に」なってほしくない。率直に言って、動画としての出来映えは今一つだと思ったのだが、内容はなかなか味わい深い。主たるメッセージが「若者は選挙に行った方がいい」という話なのは誤解のされようがないし、考える価値のある問題を複数提起している。 このCMの内容が気に入らない人も、少なからずいることだろう。もちろん、批判はあっていい。ただし、「こういうものは出すべきではない」という意見はできるだけ控えるべきだ。文句があるなら、もっとセンスのいい作品を作って対抗すればいい。 筆者としては、今回の「若者よ、選挙に行くな」CMのような表現やメッセージが、今後もどんどん登場することを期待したい。 「もっとやれ!」と言っておく』、「表現の自由の範囲は、社会が許容できるギリギリまで広げておく方がいい。社会的圧力によってであれ、それを恐れた自主規制によってであれ、表現を制限していると表現力が痩せる。表現力が痩せると、やがては物事を発想する力も細っていく。これは、まことにつまらないことだ。いわゆる「ポリコレ」や「言葉狩り」をやり過ぎすることの最大の弊害だろう」、「文句があるなら、もっとセンスのいい作品を作って対抗すればいい。 筆者としては、今回の「若者よ、選挙に行くな」CMのような表現やメッセージが、今後もどんどん登場することを期待したい。「もっとやれ!」と言っておく」、なるほど。「若者よ、選挙に行くな」CMのURLはhttps://www.youtube.com/watch?v=RF8I4LHej5E
・『若者にとっての「コスパ」を訴えよ 高齢者は、そもそも数が多く、しかも投票率が高いので、政治に彼らの意見が反映しやすいのは事実だ。これを指摘して、若者に投票を促すことは悪いことではない。事実を指摘して、良い行動を推奨している。 一方、より現実的な問題として、若者の投票率が上がっても選挙の結果は大きく変わらず、従って、世の中を変えるに至らないという調査や指摘が少なくない。例えば、多くの若者が読んでいると思われる経済学者・成田悠輔氏の『22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる』(ソフトバンク新書)には詳細で説得的な分析が提示されている。 また、そもそも多くの社会的な意思決定を行うために、選挙で代表を選んで物事を決めようとする現在のシステム自体に相当な無理があることも事実だ。 こうした構造を考えたときに、若者が、自分が選挙に行っても何も変わらないだろうと予想を形成すること自体は大きく間違ってはいない。 では、この構造も含めて現状に不満を持っている場合に、若者はどうしたらいいのか。これが次の問題だろう。) 方法としては、ツイッターでのつぶやきから革命まで幅広い手段がある。ただ、行使できる影響力の期待値と手段のコストを考えると、今のところ最も「コスパ」のいい手段は、おそらく同じ意見の持ち主に声を掛けつつ選挙に行くことだろう。 若者の投票行動が変わると、少なくとも一部の政治家は焦り、一部は迎合しようとし、何らかの影響があるはずだ。また、選挙区によっては、本当に結果が変わるだろう。効果の期待値は、十分大きくはないかもしれないが、ゼロではない。コストは少々の時間と手間だ。逮捕などのリスクはない。 例えば、CMの続編を作るなら、「若者が選挙に行っても、選挙結果が変わる確率は小さいかもしれないわね」(女1)、「でも、あんたたち、革命なんか起こす元気もないし、面倒くさいんでしょう」(女2)、「今のところ意見を反映させる一番コスパのいい手段は選挙に行くことなんだよ。ダメ元でも、できることからやってみようよ」(男)、といったせりふを付け加えるのはいかがだろうか。 CMの出演者3人はプロの役者さんなので憎まれ役は平気だろう。しかし、ただ嫌われただけのキャラクターにしておくのは惜しい。それぞれの役者さんが、本当は若者のことを気に掛けていてアドバイスを送るような続編があってもいいのではないか』、「現状に不満を持っている場合に、若者はどうしたらいいのか。これが次の問題だろう。) 方法としては、ツイッターでのつぶやきから革命まで幅広い手段がある。ただ、行使できる影響力の期待値と手段のコストを考えると、今のところ最も「コスパ」のいい手段は、おそらく同じ意見の持ち主に声を掛けつつ選挙に行くことだろう。 若者の投票行動が変わると、少なくとも一部の政治家は焦り、一部は迎合しようとし、何らかの影響があるはずだ。また、選挙区によっては、本当に結果が変わるだろう。効果の期待値は、十分大きくはないかもしれないが、ゼロではない。コストは少々の時間と手間だ。逮捕などのリスクはない・・・CMの出演者3人はプロの役者さんなので憎まれ役は平気だろう。しかし、ただ嫌われただけのキャラクターにしておくのは惜しい。それぞれの役者さんが、本当は若者のことを気に掛けていてアドバイスを送るような続編があってもいいのではないか」、なるほど。
・『財政赤字の世代負担に関する「誤解」を考えるきっかけにも CMの中に、「日本の借金が増えているって? でも、どーせ返すのは未来の子どもたちだろう?」という財務省が喜びそうなせりふがあるが、この意見は、将来世代が現在世代から資産を受け継ぐことを見落とした俗論である。 「財政赤字は将来世代の負担だ」と言って、「そうだ!」とうなずくか否かは、政治家が、経済を理解している人なのか、単に話を刷り込まれただけの拡声器なのかを判別するいいリトマス試験紙だ。読者も用いるといい。 家計の貸し借りと、国の借金は性質が異なる。国の借金が海外からのものでない限り、国の借金は、例えば国債という資産として国民に保有されていて、これは次世代に相続される。国の借金が、本質的な意味で将来世代の負担になるのは、それが非効率的に使われて、モノや労働力などを含めた広義の資源の無駄になる場合だ。) 仮に、若者嫌いで意地悪な高齢者がいて、自分が保有する資産を次世代に相続するのが嫌だとばかりに国債を換金して消費に回したとすると、その消費は経済を活性化させるだろうから、むしろ次世代にとっての恩恵になり得る。 ただし、国の借金が手放しで褒められるものでないことは事実だ。一つには、政府は決してお金の使い方がうまい主体ではないから、大きな借り入れが自由にできることは上記の意味での本質的な負担を作る補助要因になり得る。また、国民の間に作った大規模な貸し借りが好ましくない形の再分配効果をもたらす可能性がある。 例えば、こうしたことを教えるために、「若者は選挙に行くな」CMを高校の授業で生徒に見せたりするのもいいのではないか』、「家計の貸し借りと、国の借金は性質が異なる。国の借金が海外からのものでない限り、国の借金は、例えば国債という資産として国民に保有されていて、これは次世代に相続される。国の借金が、本質的な意味で将来世代の負担になるのは、それが非効率的に使われて、モノや労働力などを含めた広義の資源の無駄になる場合だ」、なるほど。
・『「憲法を変える」の位置付けに驚く CMは次に、新型コロナウイルスへの政府の対応が、若者に冷たく(修学旅行がない)、高齢者優遇的(旅行の補助は暇のある高齢者の方が利用しやすい)であったことを指摘する。 考えるべき素材として悪くないテーマだろう。世代の利害対立があることと、意思表示をしないとますます不利になりかねないことなどを考えさせる。 筆者が大いに驚いたのは、次のせりふだった。こわもての方の女性が次のように言う。 「同性婚? ベーシックインカム? 憲法を変える? そんなことしたら社会が変わっちゃうじゃない」 いかにも若者が口にしそうなテーマを三つ挙げたのだろう。先進7カ国(G7)の中で唯一日本だけで認められない同性婚が挙がるのはいい。次に、ベーシックインカムがここまで市民権を得た言葉になったかと思うと、これは感慨深い。だが、この並びで「憲法を変える」が出てくると、時代は変わったのだと改めて思う。) 30年くらい前の感覚では、古い世代は、かつての日本へのノスタルジーと「アメリカに押しつけられた憲法」への反発などから改憲にシンパシーを持ち(だから憲法改正が長らく自民党の党是の一つなのだろう)、一方、当時の若い世代や革新的な勢力は新憲法(現行の日本国憲法)を民主的な新しい時代のものなので擁護したいと考えるといったポジショニングだった。 ところが今の感覚では、若い世代こそが憲法を変えたがっている、ということらしい。 確かに、いわゆる「革新」という言葉は近年いかにも古びて聞こえる。全く魅力を感じない。「改革」ならまだ幾らかは新しく、「革新」と言ってしまうと残念なまでに古臭い。ことの良しあしは別として、現在の野党は、こうした感覚の変化に対応しないと、支持世代の老化とともにそのまま衰退してしまいそうだ』、「今の感覚では、若い世代こそが憲法を変えたがっている、ということらしい。 確かに、いわゆる「革新」という言葉は近年いかにも古びて聞こえる。全く魅力を感じない。「改革」ならまだ幾らかは新しく、「革新」と言ってしまうと残念なまでに古臭い。ことの良しあしは別として、現在の野党は、こうした感覚の変化に対応しないと、支持世代の老化とともにそのまま衰退してしまいそうだ」、なるほど。
・『動画の続編にも反論作品にも期待したい CMはもう少し続いて、「ネットなら投票するのにって、ずっとネットで言ってなさい」などという名ぜりふもあるが、続きは動画を見ていただきたい。 主たるメッセージを伝えるだけでなく、その他にも考えさせる部分があるのは、いいメッセージだろう。 CMは全体を通じて、個人を侮辱するとか、特定の人を傷つけるような内容ではない。それなりの「毒」は盛られているが、注目されないよりも注目される方がいいので、許される範囲だろう。いいCMだったと思うし、続編的な作品にも期待したい。 ただ、繰り返しになるが、このCMが気に入らない人もいるだろう。センスのいい作品での反論にも大いに期待している』、「CMは全体を通じて、個人を侮辱するとか、特定の人を傷つけるような内容ではない。それなりの「毒」は盛られているが、注目されないよりも注目される方がいいので、許される範囲だろう。いいCMだったと思うし、続編的な作品にも期待したい」、同感である。
次に、11月20日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した九州大学名誉教授の関口正司氏による「納税額が低いと選挙権ナシ?高学歴なら複数投票OK?超有名思想家が下した結論とは」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/330415
・『与野党ともに次の総選挙の準備を進めている昨今、19世紀イギリスの思想家J・S・ミルが提唱した選挙制度の精神が光を放ち始めた。『自由論』で他者や社会を害しない範囲での幸福追求を論じたミルは、『代議制統治論』で他者への権力行使につながる投票行動を重視し、当時としても新奇な提言をおこなっている。「1票の格差」など問題山積の日本の選挙の指針となるか。本稿は、関口正司『J・S・ミル 自由を探求した思想家』(中央公論新社)の一部を抜粋・編集したものです』、興味深そうだ。
・『多数派による専制を避けるにはヘア式投票制で死票を最小限に ジョン・スチュアート・ミル(1806~1873)は、非常に多様なテーマに関心を寄せたイギリス人の思想家だった。著作の範囲は、政治や行政や法律から、経済や社会、歴史や文学、道徳(倫理)や哲学などにまでおよんでいる。成熟期のミルの著作として『自由論』はよく知られているが、『代議制統治論』もまた代表的な1冊である。 『代議制統治論』は1861年4月に公刊された。全部で18章からなる大著で、選挙制度や議会、中央の行政、地方自治、インド統治など、当時のイギリスの政治体制全般にかかわる多様なテーマが取り上げられている。 代表者を選出する選挙人の資格という問題についてミルが行っている議論の中で、特に具体的な制度にかかわる提言を読むと、多くの読者が違和感を抱くかもしれない。 ミルによれば、代表民主政の正しい理解とは、国民の全員が等しく代表され、そのようにして選ばれた代表者たちによって国民全員が統治される、ということである。ところが、国民の中の多数者だけが代表されれば少数者が代表される機会が確保されなくてもよい、という誤った代表民主政のとらえ方が世の中では横行している。 この誤ったとらえ方では、(1)代表を実質的に選んでいる多数者や選ばれた代表者たちの知的レベルの低さ、(2)多数者による(代表をつうじた)排他的な階級利益(邪悪な利益)の追求という、2つの深刻な弊害は手つかずのまま放置されてしまう。 これらの弊害を防止するためには、あるいは可能な限り軽減するためには、代表民主政の正しい理解に即した制度、つまり平等の原則にもとづいた制度を導入する必要がある。 平等の原則からミルが強く推奨しているのは、ヘア式投票制である。これは、少数者の代表を応分に確保するために死票をできるだけ減らす工夫をした投票制度である。 選挙人は、自分の代表としたい複数の候補者を、順位をつけて投票する。地元だけでなくどの地域の候補者に投票してもよい。1人の候補者だけに投票してもよい。投票してよい候補者数は技術的問題がなければ無制限でかまわない。 当選票数は、全国の選挙人総数を議員の総定数で割算して出す。自分の投票した候補者の第1位が、自分の票を加算しなくても当選票数に達していれば、第2位に指名した候補者に票がまわることになる。以下、議員の総定員が満たされるまでこのような割り振りが繰り返される。実際には、見かけほど複雑な仕組みではない。) 選挙の平等の原則から必然的に帰結するのは、原則として成人の国民全員に選挙人の資格を与えることである。ミルはさらに、別の重要な道徳的問題もあるとして、次のように力説している。 ……他の人々と同じように自分にも利害がある事柄の処理について、自分の意見を顧慮してもらうという通常の特権を与えないことは、より大きな害悪の防止のためでないならば、人格にかかわる不正である。その人が支払うことを強制され、戦うことを強制されるかもしれず、黙って従うように求められるのであれば、それが何のためであるかを示してもらう法的な資格がある。同意を求められ、その人の意見を価値以上にではないにせよ、価値相応に受け止めてもらう法的な資格がある。……人は誰でも、何の相談もなく自分の運命を左右する無制限の権力を他人からふるわれるときには、自分で気づいていようといまいと、人格を貶められているのである。 人格的尊厳という点で、イギリスのような高度な文明国の国民には、男女を問わず、選挙資格を与えるべきである。特に、女性への選挙資格の付与は、ミルが強く主張した点だった』、「『代議制統治論』は1861年4月に公刊された。全部で18章からなる大著で、選挙制度や議会、中央の行政、地方自治、インド統治など、当時のイギリスの政治体制全般にかかわる多様なテーマが取り上げられている。 代表者を選出する選挙人の資格という問題についてミルが行っている議論の中で、特に具体的な制度にかかわる提言を読むと、多くの読者が違和感を抱くかもしれない。 ミルによれば、代表民主政の正しい理解とは、国民の全員が等しく代表され、そのようにして選ばれた代表者たちによって国民全員が統治される、ということである。ところが、国民の中の多数者だけが代表されれば少数者が代表される機会が確保されなくてもよい、という誤った代表民主政のとらえ方が世の中では横行している。 この誤ったとらえ方では、(1)代表を実質的に選んでいる多数者や選ばれた代表者たちの知的レベルの低さ、(2)多数者による(代表をつうじた)排他的な階級利益(邪悪な利益)の追求という、2つの深刻な弊害は手つかずのまま放置されてしまう。 これらの弊害を防止するためには、あるいは可能な限り軽減するためには、代表民主政の正しい理解に即した制度、つまり平等の原則にもとづいた制度を導入する必要がある・・・平等の原則からミルが強く推奨しているのは、ヘア式投票制である。これは、少数者の代表を応分に確保するために死票をできるだけ減らす工夫をした投票制度である。 選挙人は、自分の代表としたい複数の候補者を、順位をつけて投票する。地元だけでなくどの地域の候補者に投票してもよい。1人の候補者だけに投票してもよい。投票してよい候補者数は技術的問題がなければ無制限でかまわない。 当選票数は、全国の選挙人総数を議員の総定数で割算して出す。自分の投票した候補者の第1位が、自分の票を加算しなくても当選票数に達していれば、第2位に指名した候補者に票がまわることになる。以下、議員の総定員が満たされるまでこのような割り振りが繰り返される。実際には、見かけほど複雑な仕組みではない」、「死票をできるだけ減らす工夫をした投票制度」とは興味深い。
・『政策判断能力なき者や低額納税者への平等な投票資格付与は選挙を歪める ただし、平等な選挙資格と言っても無条件ではない。投票は公共の利益に判断を下す行為だから、判断を下すのに欠かせない識字能力が要件となる。また、公金の処理にかかわる判断でもあり、歳出と納税者の負担との関係を意識している必要があるから、タダ乗り的投票をさせないために、一定程度の納税をしていることも条件になる。 これらの要件は現代ではほとんど問題外とされているが、ミルがこのような制限を求める主張の根拠(判断能力や責任の自覚)については、あらためて正面から考えてみる必要があるように思える。 ところで、平等な選挙の確保は重要であるとはいえ、代表者議会の知的レベルの確保と階級利益追求の防止という2つの課題は依然として残されている。選挙民や議員の多数派に良識や中庸や自制を期待すれば十分だというのでは、ミルの言葉を借りれば「立憲的統治の哲学は無用の長物にすぎない」。権力を悪用させない国制上の仕組みが必要である。 そのためミルは、これら2つの課題への対応策として、選挙の平等という原則の一線を越える提言にまであえて踏み込んでいく。つまり、選挙人の中の高い知性を持った層に複数票を与える、という提言である。) こういう提言を市民が受け容れること、つまり、「善良で賢明な人々にはより大きな影響力を持つ資格がある、と市民が考えることは、市民にとって有益なのだから、国家がこの信念を公言し、国の制度に体現させることは重要である」とミルは論じている。 なぜ、このような趣旨の制度が必要かと言えば、それが実際に知性の確保に役立つばかりではない。無知と知性を同等に扱わないという制度の精神が国民に影響を与えるからである。また、複数投票が与えられるのは少数者に限定されていて、この仕組みで少数者だけで国政を左右することはないと想定されていた。 それでもなお、「善良で賢明な人々」の影響力確保のために、高学歴や知的職業への従事者に複数投票権を認めるというミルの主張を目にすると、おそらく多くの読者は違和感を覚えるだろう。筆者としても、平等選挙の精神を健全に保つためには、不公平感を与えることなしに、すぐれた人の知見を国政に活かす別の方法を探究した方が得策に思える。 その一方で、平等選挙の原則を一貫して重視するのであれば、いわゆる「1票の格差」と呼ばれている今日の事態についても、きちんと答えを出す必要があるとも感じる。そういう意味で、今もなお示唆的な議論だと言えるだろう』、「「善良で賢明な人々」の影響力確保のために、高学歴や知的職業への従事者に複数投票権を認めるというミルの主張を目にすると、おそらく多くの読者は違和感を覚えるだろう。筆者としても、平等選挙の精神を健全に保つためには、不公平感を与えることなしに、すぐれた人の知見を国政に活かす別の方法を探究した方が得策に思える。 その一方で、平等選挙の原則を一貫して重視するのであれば、いわゆる「1票の格差」と呼ばれている今日の事態についても、きちんと答えを出す必要があるとも感じる」、なるほど。
・『他者に対する権力行使である投票を秘密のうちに行うのは正しいのか ミルが「制度の精神」との関連で取り上げているテーマで、もう一つ注目されるのは、秘密投票(バロット)の問題である。 イギリスでは、1872年に秘密投票法が制定されるまで、庶民院や地方自治体の選挙は、自分が支持する候補者の名前を声を出して示すといった方法による公開投票だった。 ベンサムや父親のジェイムズ・ミルなどの哲学的急進派は、公開投票は地元有力者の圧力や買収の温床であり、旧来の地主支配体制を支える柱の一つだとみなし、秘密投票を政治改革の重要な項目の一つとしていた。ミルも、支持の立場を維持していた。 ミルがこの立場を変えたのは、1850年代になってからである。フランス2月革命の後、ルイ・ボナパルトが制度上は民主的な選挙によって大統領に選出されたことが、少なからず影響していると推測される。 ミルによれば、秘密投票は「制度の精神、つまり制度が市民の心に与える印象が、制度の働きの中で最も重要な部分を占める事例の一つ」である。その印象とは、人に知られることなく自分自身のために自分の都合に合わせて投票してよいのだ、という印象である。こうした印象は、投票を私的な権利だとみなす誤解につながる。しかし、投票は権利ではない。それは信託(trust)である。ミルは次のように力説している。) 権利の観念をどう定義し理解するとしても、人は誰も、他者に対して権力を行使する権利を(純粋に法律的な意味を別とすれば)持つことはできない。そうした権力はすべて、持つことが許されるとすれば、道徳的には、最も完全な意味で信託である。ところが、選挙人としてであれ代表としてであれ、政治的な役割を果たすということは、他者に対する権力行使なのである。 自分に権利のある家や債券を処分するとき、自由に思い通り処分してよい。権利の観念とはそうしたものである。投票も、権利であるなら同じように受け止められるだろう。 しかし、投票を家や債券と同様に自由に売ることは許されない。その意味で、投票は特殊な権利だと感じられている。この感覚は、鈍らせるのではなく、いっそう強化する必要がある。 投票の重要な意義は、たしかに自分の利益や自由を不当な侵害から守るのに役立つという点にある。しかし、投票は同時に、他者の未来も左右する。投票は社会全体に対する権力行使になる。 だから、投票は自分だけにかかわる自己決定と自己責任の問題ではなく、社会全体に対して責任を負うべき公共的行為である。投票者は、そうした権力を社会全体から信託されている。だから、投票を売ってはいけないのである。 ミルの考えでは、公開投票であれば、投票者は他者の視線を意識することで、投票の公共的理由について多少は考えざるをえなくなる。申し開きが立たないような利己的で浅ましい理由では、自分の体面が保てなくなるからである。人目を気にしたり見栄を張ったりといった同調志向の心理も、こういう公共的な効用がある場合には、ミルは活用に躊躇しない。 もっとも、公開投票が、ミルの期待しているとおりの効果を持つのかどうか、また、公開投票のメリットは、買収や強要を助長するというデメリットを上回るのかどうかといった点は、状況次第であるように思える。しかし、ここで目を向ける価値があるのは、その点よりも、制度の精神という問題の捉え方である。 投票制度の精神を問題にするとき、ミルが大前提にしていたのは、他者に権力を行使する権利は道徳的には絶対ありえない、という強い信念だった。だから、ミルは法律で定められた権利という文脈を除いて、権利という言葉は使わない。結論で賛否が分かれるとしても、じっくり議論する価値のある重要な問題である』、「投票の重要な意義は、たしかに自分の利益や自由を不当な侵害から守るのに役立つという点にある。しかし、投票は同時に、他者の未来も左右する。投票は社会全体に対する権力行使になる。 だから、投票は自分だけにかかわる自己決定と自己責任の問題ではなく、社会全体に対して責任を負うべき公共的行為である。投票者は、そうした権力を社会全体から信託されている。だから、投票を売ってはいけないのである」、「投票制度」について、ここまで深い考察をしているとはさすがだ。こうした原論的考察の重要性を再認識させられた。
タグ:「「善良で賢明な人々」の影響力確保のために、高学歴や知的職業への従事者に複数投票権を認めるというミルの主張を目にすると、おそらく多くの読者は違和感を覚えるだろう。筆者としても、平等選挙の精神を健全に保つためには、不公平感を与えることなしに、すぐれた人の知見を国政に活かす別の方法を探究した方が得策に思える。 その一方で、平等選挙の原則を一貫して重視するのであれば、いわゆる「1票の格差」と呼ばれている今日の事態についても、きちんと答えを出す必要があるとも感じる」、なるほど。 若者の投票行動が変わると、少なくとも一部の政治家は焦り、一部は迎合しようとし、何らかの影響があるはずだ。また、選挙区によっては、本当に結果が変わるだろう。効果の期待値は、十分大きくはないかもしれないが、ゼロではない。コストは少々の時間と手間だ。逮捕などのリスクはない・・・CMの出演者3人はプロの役者さんなので憎まれ役は平気だろう。しかし、ただ嫌われただけのキャラクターにしておくのは惜しい。それぞれの役者さんが、本当は若者のことを気に掛けていてアドバイスを送るような続編があってもいいのではないか」、なるほど 「若者よ、選挙に行くな」CM 「家計の貸し借りと、国の借金は性質が異なる。国の借金が海外からのものでない限り、国の借金は、例えば国債という資産として国民に保有されていて、これは次世代に相続される。国の借金が、本質的な意味で将来世代の負担になるのは、それが非効率的に使われて、モノや労働力などを含めた広義の資源の無駄になる場合だ」、なるほど。 「若者よ、選挙に行くな」CMのURLはhttps://www.youtube.com/watch?v=RF8I4LHej5E ミルによれば、代表民主政の正しい理解とは、国民の全員が等しく代表され、そのようにして選ばれた代表者たちによって国民全員が統治される、ということである。ところが、国民の中の多数者だけが代表されれば少数者が代表される機会が確保されなくてもよい、という誤った代表民主政のとらえ方が世の中では横行している。 山崎 元氏による「「若者よ、選挙に行くな」CMを支持する」 「『代議制統治論』は1861年4月に公刊された。全部で18章からなる大著で、選挙制度や議会、中央の行政、地方自治、インド統治など、当時のイギリスの政治体制全般にかかわる多様なテーマが取り上げられている。 代表者を選出する選挙人の資格という問題についてミルが行っている議論の中で、特に具体的な制度にかかわる提言を読むと、多くの読者が違和感を抱くかもしれない。 「投票制度」について、ここまで深い考察をしているとはさすがだこうした原論的考察の重要性を再認識させられた。 関口正司氏による「納税額が低いと選挙権ナシ?高学歴なら複数投票OK?超有名思想家が下した結論とは」 「今の感覚では、若い世代こそが憲法を変えたがっている、ということらしい。 確かに、いわゆる「革新」という言葉は近年いかにも古びて聞こえる。全く魅力を感じない。「改革」ならまだ幾らかは新しく、「革新」と言ってしまうと残念なまでに古臭い。ことの良しあしは別として、現在の野党は、こうした感覚の変化に対応しないと、支持世代の老化とともにそのまま衰退してしまいそうだ」、なるほど。 「表現の自由の範囲は、社会が許容できるギリギリまで広げておく方がいい。社会的圧力によってであれ、それを恐れた自主規制によってであれ、表現を制限していると表現力が痩せる。表現力が痩せると、やがては物事を発想する力も細っていく。これは、まことにつまらないことだ。いわゆる「ポリコレ」や「言葉狩り」をやり過ぎすることの最大の弊害だろう」、「文句があるなら、もっとセンスのいい作品を作って対抗すればいい。 平等の原則からミルが強く推奨しているのは、ヘア式投票制である。これは、少数者の代表を応分に確保するために死票をできるだけ減らす工夫をした投票制度である。 選挙人は、自分の代表としたい複数の候補者を、順位をつけて投票する。地元だけでなくどの地域の候補者に投票してもよい。1人の候補者だけに投票してもよい。投票してよい候補者数は技術的問題がなければ無制限でかまわない。 当選票数は、全国の選挙人総数を議員の総定数で割算して出す。自分の投票した候補者の第1位が、自分の票を加算しなくても当選票数に達していれば、第2位 https://www.youtube.com/watch?v=RF8I4LHej5E 「CMは全体を通じて、個人を侮辱するとか、特定の人を傷つけるような内容ではない。それなりの「毒」は盛られているが、注目されないよりも注目される方がいいので、許される範囲だろう。いいCMだったと思うし、続編的な作品にも期待したい」、同感である。 「投票の重要な意義は、たしかに自分の利益や自由を不当な侵害から守るのに役立つという点にある。しかし、投票は同時に、他者の未来も左右する。投票は社会全体に対する権力行使になる。 だから、投票は自分だけにかかわる自己決定と自己責任の問題ではなく、社会全体に対して責任を負うべき公共的行為である。投票者は、そうした権力を社会全体から信託されている。だから、投票を売ってはいけないのである」、 に指名した候補者に票がまわることになる。以下、議員の総定員が満たされるまでこのような割り振りが繰り返される。実際には、見かけほど複雑な仕組みではない」、「死票をできるだけ減らす工夫をした投票制度」とは興味深い。 この誤ったとらえ方では、(1)代表を実質的に選んでいる多数者や選ばれた代表者たちの知的レベルの低さ、(2)多数者による(代表をつうじた)排他的な階級利益(邪悪な利益)の追求という、2つの深刻な弊害は手つかずのまま放置されてしまう。 これらの弊害を防止するためには、あるいは可能な限り軽減するためには、代表民主政の正しい理解に即した制度、つまり平等の原則にもとづいた制度を導入する必要がある・・・ 関口正司『J・S・ミル 自由を探求した思想家』(中央公論新社) 「現状に不満を持っている場合に、若者はどうしたらいいのか。これが次の問題だろう。) 方法としては、ツイッターでのつぶやきから革命まで幅広い手段がある。ただ、行使できる影響力の期待値と手段のコストを考えると、今のところ最も「コスパ」のいい手段は、おそらく同じ意見の持ち主に声を掛けつつ選挙に行くことだろう。 ダイヤモンド・オンライン (その9)(「若者よ 選挙に行くな」CMを支持する、納税額が低いと選挙権ナシ?高学歴なら複数投票OK?超有名思想家が下した結論とは) 民主主義
シェアリングエコノミー(その5)(世界中で労働紛争を巻き起こす「ウーバー」 破壊的モデルの行く末、ライドシェアの安全性は「解決済み」本当に重要なのは“既得権益”の問題だ) [経済政治動向]
シェアリングエコノミーについては、2021年7月30日に取上げた。今日は、(その5)(世界中で労働紛争を巻き起こす「ウーバー」 破壊的モデルの行く末、ライドシェアの安全性は「解決済み」本当に重要なのは“既得権益”の問題だ)である。
先ずは、2022年1月31日付け弁護士ドットコムが掲載した弁護士ドットコムニュース編集長の新志 有裕氏による「世界中で労働紛争を巻き起こす「ウーバー」、破壊的モデルの行く末」を紹介しよう。
https://www.bengo4.com/topics/author/1/
・『タクシーではなく、一般のドライバーが自家用車で乗客を運ぶ「ライドシェア」や、空いた時間に自転車で手軽にできるフードデリバリーなど、米ウーバー・テクノロジーズが始めたプラットフォームビジネスは、世界中に大きな広がりを見せている。 ウーバーは、従来型の消費者向けビジネス(B2C)ではなく、余ったリソースを需要とつなぐピア・ツー・ピア(P2P)の考え方を打ち出し、ネット上ではなく、現実世界でサービスを積極展開することにより、各国のタクシー業界などに破壊的インパクトをもたらしてきた。 破壊的インパクトは、既存の業界に対してだけではなく、労働法制に対しても同様だ。各国で、ウーバーのプラットフォーム上で単発で働く「ギグワーカー」たちが「労働者」なのか、「個人事業主」なのか、という紛争が起きている。 ウーバー発祥の国であるアメリカのプラットフォーム労働に詳しい労働法研究者の藤木貴史氏(帝京大学法学部助教)は、「ギグワーカーが組織に雇われている『被用者』と完全に同等に扱われるかどうかの議論こそあるものの、労働法を拡張して、何らかの保護をしようというのが世界の潮流になっている」と語る。詳しく聞いた。(Qは聞き手の質問、Aは回答者の回答)』、興味深そうだ。
・『アメリカやEUで何が起きているのか Q:アメリカでは、ギグワーカーの法的位置付けをめぐって、紛争がたくさん起きていますが、どのように捉えればいいのでしょうか。 A:完全に係争中で、結論らしい結論は出ていません。連邦レベルの最高裁判決が出ると、国として大きく動きますが、高裁レベルの判断すらはっきりとは示されていません。また、各州の裁判所でも判断が揺れています。 Q:アメリカは州単位で法律が異なり、ウーバーが本社を置くカリフォルニア州では、2020年1月に、ギグワーカーも原則被用者として、失業保険や最低賃金などで保護する州法「AB5」(Assembly bill5)が施行される一方、同年11月の住民投票で、ウーバーの運転手や料理宅配などを保護の対象から除外する住民投票が成立し、さらに、2021年8月に、カリフォルニア州の裁判所がこの住民投票が州憲法に違反すると判断するなど、混乱が続いていますが、何が起きているのでしょうか。 この「AB5」というのは、簡単に言えば、役務を提供する個人を被用者と推定する法律です。それを否定するためには、以下の点について、事業者側が立証する必要があります。 (A)個人が管理監督から自由であること (B)個人の提供する役務が、使用者の通常の事業の外にあること (C)個人が、独立性の確立した仕事に従事していること このABCを満たしていることが求められるため、ABCテストと呼ばれています。つまり、このテストのもとでは、被用者と認められやすくなるのですね。 プラットフォーマーの側はこれを嫌がり、多くの資金を投入して、AB5を否定する住民投票の実施を働きかけた、という構図です。住民投票を否定した判決も、法政策的な観点からの判断というより、形式に不備があるという技術的な理由からの判断のようですので、今後の司法の動向は不透明ですね。 司法では判断が揺れていますが、立法レベルでは、ABCテストが他の州でも広がる傾向にあります。もちろん例外もあり、テネシー州やテキサス州など共和党優勢の州では、逆に自営業者と推定しよう、という法律が成立してもいます。 また、アメリカ全体で(連邦レベルで)考えると、共和党のトランプ政権の時には、独立契約者を広く認めようという動きでしたが、民主党のバイデン政権になってから、方向転換をしています。民主党政権が続けば、被用者性をより認める方向にいくでしょう。 UberのYouTubeチャンネル(https://www.youtube.com/watch?v=M_wN2dLoE3Q)より Q:EUでも、欧州委員会が2021年12月、ギグワーカーを雇用関係にあると法的に推定するプラットフォーム労働指令案を提案しました。アメリカと似た傾向だということでしょうか。 A:そうですね。方向性としては似ています。EUの指令については、直接に国内法となるものではありませんが、実現すれば、国内法化する義務が加盟国に課されます』、「民主党政権が続けば、被用者性をより認める方向にいくでしょう・・・EUでも、欧州委員会が2021年12月、ギグワーカーを雇用関係にあると法的に推定するプラットフォーム労働指令案を提案しました。アメリカと似た傾向だということでしょうか。 A:そうですね。方向性としては似ています」、なるほど。
・『日本のウーバーイーツ配達員はどう位置付けられるか Q:日本でも、ウーバーイーツの配達員でつくるウーバーイーツユニオンが、運営会社に団体交渉を不当に拒否されたとして、東京都労働委員会に救済を申し立てています。ユニオンが、労働組合法上の労働者であるかどうかが注目されていますが、どう考えますか。 日本の労働法では「指揮監督」を非常に重視する傾向があって、労働基準法については、労働者として認められにくいと考えられています。ただ、学説では、指揮監督にこだわる必要はないという主張もあります。 一方で、労働組合法については、もう少し広くとらえられるものであり、事業組織への組み入れ、労働条件の一方的・定型的決定、報酬の労務対価性の3点を中心に判断されます。 これだけでは判断できない場合の補完的要素として、業務の依頼に応ずべき関係にあるかとか、緩やかな意味での指揮監督の有無、事業者といえるかどうか、なども加味されます。 Q:労働組合法上の労働者と認められる可能性はあるのでしょうか。 A:当然、個別の証拠によって判断は変わるのでしょうが、今のウーバーイーツの仕組みから考えると、ウーバーイーツは食品配達プラットフォームとして、飲食店から注文者に食品を配達するということをやっていて、それ以外の事業はしていないように思います。 ウーバーは自らの事業を営んでいると評価されますので、そこで働いている人たちは当然、事業組織に組み入れられていると考えざるをえません。そして、報酬の条件も一方的に変更されるようですし、報酬は、配達という労務の対価といえるでしょう。 労働組合法上の労働者性を認めないという結論はナンセンスではないでしょうか。学術的な議論の場でも、そのように考える人が多いように思います。 ウーバーイーツユニオン(2021年5月の記者会見) Q:ウーバー側は、飲食店と配達員と注文者を単にマッチングするだけのプラットフォームだと言っていますが、そういう言い分は通らないのでしょうか。 A:アメリカでもそういう反論はありますが、そうであれば、プラットフォームの使い方について、コントロールを及ぼしていることについて、説明がつかないと思います。 Q:確かに、配達員はウーバーから提示された仕事を受けるか受けないかの選択はできますが、どんな注文を提示するのか、料金がいくらなのかはウーバー側が決めていますね。 A:仕事の中身や条件に一切タッチしないのであれば話は別ですが、プラットフォーム側がコントロールを及ぼしている限りは、組織の中に組み入れられているということになります。 配達員がWoltなど、他のサービスと併用していたとしても同じことです。別の組織にも組み入れられているということになるだけです。 Q:ただ、ギグワーカーの皆が保護を求めているわけではないのではないでしょうか。 A:「俺たちは労働者じゃないんだから、ユニオン作るなんてダセーよな」という考え方は、日本だけでなく、アメリカでもあります。アメリカン・ドリームへの憧れが強いことが一つの原因のようです。 しかし、ダサかったとしても、最低限の保護は必要です。また、ダサいと思う人が悪い、という話でもありません。企業に雇われるという働き方の負の面が、そういう忌避感を生じさせてしまっていることについても、向き合う必要があるんでしょうね』、「日本の労働法では「指揮監督」を非常に重視する傾向があって、労働基準法については、労働者として認められにくいと考えられています・・・労働組合法については、もう少し広くとらえられるものであり、事業組織への組み入れ、労働条件の一方的・定型的決定、報酬の労務対価性の3点を中心に判断されます。 これだけでは判断できない場合の補完的要素として、業務の依頼に応ずべき関係にあるかとか、緩やかな意味での指揮監督の有無、事業者といえるかどうか、なども加味されます。 Q:労働組合法上の労働者と認められる可能性はあるのでしょうか。 A:当然、個別の証拠によって判断は変わるのでしょうが、今のウーバーイーツの仕組みから考えると、ウーバーイーツは食品配達プラットフォームとして、飲食店から注文者に食品を配達するということをやっていて、それ以外の事業はしていないように思います。 ウーバーは自らの事業を営んでいると評価されますので、そこで働いている人たちは当然、事業組織に組み入れられていると考えざるをえません。そして、報酬の条件も一方的に変更されるようですし、報酬は、配達という労務の対価といえるでしょう」、「プラットフォーム側がコントロールを及ぼしている限りは、組織の中に組み入れられているということになります。 配達員がWoltなど、他のサービスと併用していたとしても同じことです。別の組織にも組み入れられているということになるだけです・・・「俺たちは労働者じゃないんだから、ユニオン作るなんてダセーよな」という考え方は、日本だけでなく、アメリカでもあります。アメリカン・ドリームへの憧れが強いことが一つの原因のようです。 しかし、ダサかったとしても、最低限の保護は必要です。また、ダサいと思う人が悪い、という話でもありません。企業に雇われるという働き方の負の面が、そういう忌避感を生じさせてしまっていることについても、向き合う必要があるんでしょうね」、なるほど。
・『被用者でも個人事業主でもない「第3カテゴリー」は必要か Q:イギリスでは、雇用関係にある「被用者」と、個人事業主の「自営業者」の中間的な存在として、被用者よりも保護の範囲が限定された「労働者」というカテゴリーがあり、最高裁の判断として、ウーバーの運転手が「労働者」と認められました。日本でも、このような中間的カテゴリーを作るべきでしょうか。 A:アメリカも日本と同様に、被用者か自営業者か、という判断しかありません。一方で、イギリスやドイツのように、被用者類似の第三カテゴリーをもうけている国もあります。 ただ、被用者か自営業者であれば、その線引きは1つですが、第三カテゴリーを作った場合、線引きが2つに増えてしまいます。その基準がはっきりしない限り、どれにあたるかわかりにくいですし、これまで被用者として保護されていた人たちが、第三カテゴリーに分類されてしまうリスクもあります。 私は、第三カテゴリーを作るのではなく、あくまで被用者としての保護を広く及ぼすべきだと考えます。自営業者にも労災保険の必要性が検討されているように、被用者だけでなく、働く人全員に与えられるべき保護もあるからです。労働法の条項を整理して、目的ごとに、どこまで適用するのかを考えた方が生産的です』、「イギリスやドイツのように、被用者類似の第三カテゴリーをもうけている国もあります。 ただ、被用者か自営業者であれば、その線引きは1つですが、第三カテゴリーを作った場合、線引きが2つに増えてしまいます。その基準がはっきりしない限り、どれにあたるかわかりにくいですし、これまで被用者として保護されていた人たちが、第三カテゴリーに分類されてしまうリスクもあります。 私は、第三カテゴリーを作るのではなく、あくまで被用者としての保護を広く及ぼすべきだと考えます」、なるほど。
・『ウーバー紛争の先にある、新たな法的問題 Q:今はウーバーのようなプラットフォームが目立っていますが、今後、どのようなプラットフォームに注目していますか。 A:プラットフォーム労働については、ウーバー型とは異なるクラウドソーシング型というものが存在します。ウーバーのように、一つのビジネスに特化するのではなく、プラットフォーム上で多種多様なタイプの業務がやり取りされるものです。 日本では、ランサーズやクラウドワークスのようなサービスを想像するとわかりやすいでしょう。単純な業務だけではなく、専門的な業務も含みます。 そこでは、利用者、労務提供者、プラットフォームの三角関係をどう考えるのか、ということが課題になります。プラットフォームがマネジメント機能を担っていたり、プラットフォーム自体が仕事を受注して、再委託するケースもあります。 ウーバー型のような自営業者の被用者性をめぐる争いは過去にもたくさん起きていて、その都度、被用者性の拡張で対応してきた話ですので、法理論的にはさほど難しいものではありません。 一方、クラウドソーシング型については、三者間での労働をどう捉えるのか。例えば、労災が起きた時の責任を誰がもつのか、社会保険料は誰が払うのかなど、複雑な検討課題があります。使用者が負うべき責任をどのように割り振るかですとか、労働組合を含めた集団的な合意形成の仕組みも、考え直す必要がでてくるでしょう。これからの話ですね』、「プラットフォーム労働」は、「ウーバーのように、一つのビジネスに特化するのではなく、プラットフォーム上で多種多様なタイプの業務がやり取りされるものです。 日本では、ランサーズやクラウドワークスのようなサービスを想像するとわかりやすいでしょう。単純な業務だけではなく、専門的な業務も含みます。 そこでは、利用者、労務提供者、プラットフォームの三角関係をどう考えるのか、ということが課題になります。プラットフォームがマネジメント機能を担っていたり、プラットフォーム自体が仕事を受注して、再委託するケースもあります。 ウーバー型のような自営業者の被用者性をめぐる争いは過去にもたくさん起きていて、その都度、被用者性の拡張で対応してきた話ですので、法理論的にはさほど難しいものではありません。 一方、クラウドソーシング型については、三者間での労働をどう捉えるのか。例えば、労災が起きた時の責任を誰がもつのか、社会保険料は誰が払うのかなど、複雑な検討課題があります。使用者が負うべき責任をどのように割り振るかですとか、労働組合を含めた集団的な合意形成の仕組みも、考え直す必要がでてくるでしょう。これからの話ですね」、なるほど。
次に、本年9月10日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏による「ライドシェアの安全性は「解決済み」本当に重要なのは“既得権益”の問題だ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/328850
・『ライドシェア解禁を巡る議論をよく目にします。私は、長期的な視野で解禁の方向に動いた方が良いと考えます。「ある視点」で考えれば、皆が得する未来を描くことができるからです』、興味深そうだ。
・『ライドシェアを巡る議論は平行線をたどっている 菅義偉前首相が講演で「ライドシェア」の解禁に向け議論すべきだと発言して以降、日本でもにわかにライドシェア導入議論が始まっています。同じ神奈川県の小泉進次郎氏や河野太郎氏もライドシェアに積極的な発言をしている一方で、自民党のタクシー・ハイヤー議員連盟は導入論に慎重な意見を表明しています。 テレビの報道番組でも何度かこの問題は取り上げられました。私もふたつの番組で業界の代表者と消費者が激しく討論する様子を拝見しましたが、議論は常に平行線になるようです。 消費者の側から見ればそもそもタクシーが捕まらないエリアや時間帯が存在することや、道順がうまく伝わらないことや、近距離だと露骨に嫌な顔をされるなど、タクシーに対する一定の不満が存在します。そういった消費者の中で、アメリカに出かけてライドシェアを体験して、ライドシェアの方がサービスがいいと感じているわけです。 急増するインバウンド客はタクシー不足の原因でもありますが、彼らも言葉が伝わりにくい日本のタクシーよりもライドシェアがいいという意見は根強くあります。 一方で、業界の側は素人が運転手をするライドシェアの危険性を主張します。タクシー会社は法律や国の指導に沿って、2種免許を取得した従業員にさらに研修や管理を行うことで乗客の安全を確保してきました。コストをかけ投資をしているのに、その投資をしなくてもいいライドシェアとの競争は安全性が保たれず不公平だというわけです。 平行線をたどるこの議論がかみ合うためには、+αで新しい視点が必要だと私は考えているのですが、その話の前に両者の議論を確認しておきましょう』、確かに論点を再確認する必要はありそうだ。
・『「ドライバーの安全性」は議論の争点にはならない タクシー業界の主張する安全性の問題は、実はライドシェア大国のアメリカでは解決されています。タクシー会社が採用や教育、管理で安全を確保する一方で、ライドシェアはユーザーの評価によってドライバーを淘汰させます。 「そんなことを言っても、淘汰される前の運転の荒いドライバーに当たった人はどうなるんだ」 と反論されるかもしれません。 これを言うと野暮かもしれませんが、タクシーの運転も結構荒いと私は思います。 よく交差点で手を挙げた乗客を乗り降りさせているタクシーがいて、急停車したタクシーに後続車が追突しそうになりヒヤリとしたり、交差点が詰まってしまったりしています。ああいった乗り降りに関する違反運転が多いのは、目視した限りで一般のドライバーよりも圧倒的に教育を受けたタクシーの方が多いようです』、乗客の急な停車要求に応えるため「乗り降りに関する違反運転が多い」のは当然だ。
・『タクシー業界の既得権益も尊重する必要がある 一方で、ライドシェア解禁を願う消費者の側の論調にも問題があります。 ライドシェア解禁に反対するタクシー業界の既得権益をもう少し尊重すべきです。あまり認識されていないかもしれませんが、経済学では既得権益をとても重要なことだと教えます。なぜなら既得権益が守られない社会では誰も投資をしなくなるからです。 タクシー業界は本当はそれを主張したいのです。これまで国のルールで莫大な投資をしてきたのに、ライドシェアを解禁したらその投資が回収できない。これは実は正当な主張なのですが、それが世論に通りにくいから安全性の問題に議論をすり替えざるをえないのです。 とはいえ訪日外国人の増加、タクシー運転手の人手不足、過疎化地域などで移動難民の増加など、国内の状況的にはライドシェア解禁の必要性は高まっています。 2010年代にアメリカでウーバーがサービスを提供して以降、わが国でも何度も議論が行われてきたわけですが、アメリカ型のライドシェアは日本では極めて限定的な条件下以外では解禁されていません。 業界ではタクシーが不足するたびにタクシーの供給量を増やして消費者の不満を解消してきたわけですが、この計画経済的な仕組みには根本的な欠陥があって、タクシー会社にとっての経済的なラインを想定すれば台数は必ずピーク需要よりも少なめになりますし、採算に乗らないエリアは切り捨てられます。 ではこのライドシェア解禁議論はどうすれば前に進むのでしょうか。私は今の議論に加えるべきは「時間軸」だと捉えています』、「時間軸」を加えたら整理できるのだろうか。
・『もしも「5年後にライドシェアを解禁する」なら? 皆が得をするために必要なのは「時間軸」(あくまで仮の想定ではありますが、たとえば、 「5年後の2028年に東京都ではライドシェアを解禁する」 と決めたとしたらどうでしょうか。 競争を公平にするために、「その場合、人を乗せて運転する営業車のドライバーに対しては、2年後の2025年からタクシー会社の研修があれば2種免許を不要とする」 そしてさらに、「タクシー会社は2025年からライドシェア営業も実験的に先行して行うことができる」 といった形の時間軸を加えた解決案が出現したらどうなるのかを考えてみましょう。 仮案とはいえ、このような時間軸のロードマップがあるとタクシー会社側は新しい投資戦略を作ることができます。人材の採用については2年後以降、今よりも難易度がひとつ下がります。ちなみに2種免許を廃止できないのであればライドシェア解禁は無理だと私は思っていますが、ここは異論がある方もいらっしゃるかもしれません。話を続けさせていただきます。 時間軸を設けることによる一番の優位性は、タクシー会社のアプリがウーバーなどの海外アプリに対抗する時間ができることです。仮に今使われているタクシーアプリにアメリカのライドシェアサービスと同じ機能が実装されたとします。 その上で2025年から3年間は、消費者はライドシェアにはタクシーアプリが使えるようになるわけです。たとえばクリスマスの深夜、六本木でどうしてもタクシーが捕まらない場合、タクシーアプリのライドシェア機能で価格を見て「六本木―新宿8000円で」と通常よりも価格を高めにすることでタクシーを捕まえられるかもしれません。 逆にタクシーが空いている時間帯には普段より安くライドシェアタクシーを呼ぶこともできるようにします。この実験期間が3年間あれば、タクシー業界も将来ライドシェアに移行した場合の価格戦略を立てやすくなります。何より日本のライドシェアでは日本のタクシー会社のアプリがデファクトとして先に登録ユーザーを集めることができるのは、競争優位になるでしょう。 私はライドシェア推進派の皆様には、反対派のタクシー業界と対話をするために、こういった既得権益を含めた移行計画を提示すべきだと思います。 あとここは議論が分かれるところだと思いますが、私はライドシェアの本格解禁後(この仮の時間軸では2028年以降)にはライドシェアのドライバーに免許のようなものを新たに与える制度を作る必要はないと考えています。それは最近解禁された電動キックボードの免許議論にも通じる考え方です。 電動キックボードが法改正で無免許でも運転できるようになった結果、交通ルールを守らないユーザーが社会問題になっています。日本人の発想だと講習をきちんと受けさせるべきだと言いますが、それでは警察の外郭団体のブルシットジョブ(余計な仕事)を増やします。 アメリカ人の発想なら違反で捕まった人は次からキックボードを借りられなくすればいい。こういった自然に悪い運転をする人が淘汰されていく仕組みをアメリカのライドシェアは持っています。加えて、万が一事故が起きた時に無保険でも救済されるよう、ライドシェアのプラットフォーム側が保険制度を完備することも必要です。 こういった施策によって、研修よりも淘汰によって安全が保たれる仕組み作りが大切だと私は考えます』、「研修よりも淘汰によって安全が保たれる仕組み作りが大切」、同感である。
・『アメリカでは「無人タクシー」が解禁 このままでは世界に置いていかれる可能性も さて私はライドシェア解禁に向けて実はタクシー業界も行政も早めに動いた方がいいと考えています。というのもこの問題、5年後には新たな問題が加わるからです。 実は昨年、アメリカのサンフランシスコでは無人タクシーが解禁されました。アルファベットの子会社のウェイモと、GMが出資するクルーズがそれぞれサンフランシスコで営業を始めています。日本ではあまり報道されていないこのニュースですが、その意味することは極めて画期的です。 というのもアメリカのサンフランシスコ市は交通環境においては日本の大都市と酷似しているのです。 それは住宅地が入り組んでいたり、道が狭かったり、歩行者が多かったりということなのですが、その環境でアメリカでは自動タクシーの営業サービスが始まっている。ということは世界中でそう遠くない未来に、ロボタクシーが一般的なサービスになっていくはずです。 そうやって世界中でモビリティビジネスが先進的に進化し、そのことによって私たちの移動がもっと自由になり、結果として経済が発展する流れが始まります。 世界がそう変わって、日本だけがまだライドシェア解禁するかどうかで議論が膠着(こうちゃく)している未来は少し問題がありますよね。 そういった意味からも、私はライドシェア解禁議論は長期的には解禁される方向で議論を進めた方がいいと思っています。 そのために時間軸で考えようという今回のアイデア、反論もあろうかと思いますが、日本経済の未来を考えたひとつの提言だとお考えください』、「アメリカのサンフランシスコ市は交通環境においては日本の大都市と酷似しているのです。 それは住宅地が入り組んでいたり、道が狭かったり、歩行者が多かったりということなのですが、その環境でアメリカでは自動タクシーの営業サービスが始まっている。ということは世界中でそう遠くない未来に、ロボタクシーが一般的なサービスになっていくはずです・・・世界がそう変わって、日本だけがまだライドシェア解禁するかどうかで議論が膠着している未来は少し問題がありますよね。 そういった意味からも、私はライドシェア解禁議論は長期的には解禁される方向で議論を進めた方がいいと思っています。 そのために時間軸で考えようという今回のアイデア・・・日本経済の未来を考えたひとつの提言だとお考えください」、「時間軸で考えよう」が漸く理解できた。同感である。
先ずは、2022年1月31日付け弁護士ドットコムが掲載した弁護士ドットコムニュース編集長の新志 有裕氏による「世界中で労働紛争を巻き起こす「ウーバー」、破壊的モデルの行く末」を紹介しよう。
https://www.bengo4.com/topics/author/1/
・『タクシーではなく、一般のドライバーが自家用車で乗客を運ぶ「ライドシェア」や、空いた時間に自転車で手軽にできるフードデリバリーなど、米ウーバー・テクノロジーズが始めたプラットフォームビジネスは、世界中に大きな広がりを見せている。 ウーバーは、従来型の消費者向けビジネス(B2C)ではなく、余ったリソースを需要とつなぐピア・ツー・ピア(P2P)の考え方を打ち出し、ネット上ではなく、現実世界でサービスを積極展開することにより、各国のタクシー業界などに破壊的インパクトをもたらしてきた。 破壊的インパクトは、既存の業界に対してだけではなく、労働法制に対しても同様だ。各国で、ウーバーのプラットフォーム上で単発で働く「ギグワーカー」たちが「労働者」なのか、「個人事業主」なのか、という紛争が起きている。 ウーバー発祥の国であるアメリカのプラットフォーム労働に詳しい労働法研究者の藤木貴史氏(帝京大学法学部助教)は、「ギグワーカーが組織に雇われている『被用者』と完全に同等に扱われるかどうかの議論こそあるものの、労働法を拡張して、何らかの保護をしようというのが世界の潮流になっている」と語る。詳しく聞いた。(Qは聞き手の質問、Aは回答者の回答)』、興味深そうだ。
・『アメリカやEUで何が起きているのか Q:アメリカでは、ギグワーカーの法的位置付けをめぐって、紛争がたくさん起きていますが、どのように捉えればいいのでしょうか。 A:完全に係争中で、結論らしい結論は出ていません。連邦レベルの最高裁判決が出ると、国として大きく動きますが、高裁レベルの判断すらはっきりとは示されていません。また、各州の裁判所でも判断が揺れています。 Q:アメリカは州単位で法律が異なり、ウーバーが本社を置くカリフォルニア州では、2020年1月に、ギグワーカーも原則被用者として、失業保険や最低賃金などで保護する州法「AB5」(Assembly bill5)が施行される一方、同年11月の住民投票で、ウーバーの運転手や料理宅配などを保護の対象から除外する住民投票が成立し、さらに、2021年8月に、カリフォルニア州の裁判所がこの住民投票が州憲法に違反すると判断するなど、混乱が続いていますが、何が起きているのでしょうか。 この「AB5」というのは、簡単に言えば、役務を提供する個人を被用者と推定する法律です。それを否定するためには、以下の点について、事業者側が立証する必要があります。 (A)個人が管理監督から自由であること (B)個人の提供する役務が、使用者の通常の事業の外にあること (C)個人が、独立性の確立した仕事に従事していること このABCを満たしていることが求められるため、ABCテストと呼ばれています。つまり、このテストのもとでは、被用者と認められやすくなるのですね。 プラットフォーマーの側はこれを嫌がり、多くの資金を投入して、AB5を否定する住民投票の実施を働きかけた、という構図です。住民投票を否定した判決も、法政策的な観点からの判断というより、形式に不備があるという技術的な理由からの判断のようですので、今後の司法の動向は不透明ですね。 司法では判断が揺れていますが、立法レベルでは、ABCテストが他の州でも広がる傾向にあります。もちろん例外もあり、テネシー州やテキサス州など共和党優勢の州では、逆に自営業者と推定しよう、という法律が成立してもいます。 また、アメリカ全体で(連邦レベルで)考えると、共和党のトランプ政権の時には、独立契約者を広く認めようという動きでしたが、民主党のバイデン政権になってから、方向転換をしています。民主党政権が続けば、被用者性をより認める方向にいくでしょう。 UberのYouTubeチャンネル(https://www.youtube.com/watch?v=M_wN2dLoE3Q)より Q:EUでも、欧州委員会が2021年12月、ギグワーカーを雇用関係にあると法的に推定するプラットフォーム労働指令案を提案しました。アメリカと似た傾向だということでしょうか。 A:そうですね。方向性としては似ています。EUの指令については、直接に国内法となるものではありませんが、実現すれば、国内法化する義務が加盟国に課されます』、「民主党政権が続けば、被用者性をより認める方向にいくでしょう・・・EUでも、欧州委員会が2021年12月、ギグワーカーを雇用関係にあると法的に推定するプラットフォーム労働指令案を提案しました。アメリカと似た傾向だということでしょうか。 A:そうですね。方向性としては似ています」、なるほど。
・『日本のウーバーイーツ配達員はどう位置付けられるか Q:日本でも、ウーバーイーツの配達員でつくるウーバーイーツユニオンが、運営会社に団体交渉を不当に拒否されたとして、東京都労働委員会に救済を申し立てています。ユニオンが、労働組合法上の労働者であるかどうかが注目されていますが、どう考えますか。 日本の労働法では「指揮監督」を非常に重視する傾向があって、労働基準法については、労働者として認められにくいと考えられています。ただ、学説では、指揮監督にこだわる必要はないという主張もあります。 一方で、労働組合法については、もう少し広くとらえられるものであり、事業組織への組み入れ、労働条件の一方的・定型的決定、報酬の労務対価性の3点を中心に判断されます。 これだけでは判断できない場合の補完的要素として、業務の依頼に応ずべき関係にあるかとか、緩やかな意味での指揮監督の有無、事業者といえるかどうか、なども加味されます。 Q:労働組合法上の労働者と認められる可能性はあるのでしょうか。 A:当然、個別の証拠によって判断は変わるのでしょうが、今のウーバーイーツの仕組みから考えると、ウーバーイーツは食品配達プラットフォームとして、飲食店から注文者に食品を配達するということをやっていて、それ以外の事業はしていないように思います。 ウーバーは自らの事業を営んでいると評価されますので、そこで働いている人たちは当然、事業組織に組み入れられていると考えざるをえません。そして、報酬の条件も一方的に変更されるようですし、報酬は、配達という労務の対価といえるでしょう。 労働組合法上の労働者性を認めないという結論はナンセンスではないでしょうか。学術的な議論の場でも、そのように考える人が多いように思います。 ウーバーイーツユニオン(2021年5月の記者会見) Q:ウーバー側は、飲食店と配達員と注文者を単にマッチングするだけのプラットフォームだと言っていますが、そういう言い分は通らないのでしょうか。 A:アメリカでもそういう反論はありますが、そうであれば、プラットフォームの使い方について、コントロールを及ぼしていることについて、説明がつかないと思います。 Q:確かに、配達員はウーバーから提示された仕事を受けるか受けないかの選択はできますが、どんな注文を提示するのか、料金がいくらなのかはウーバー側が決めていますね。 A:仕事の中身や条件に一切タッチしないのであれば話は別ですが、プラットフォーム側がコントロールを及ぼしている限りは、組織の中に組み入れられているということになります。 配達員がWoltなど、他のサービスと併用していたとしても同じことです。別の組織にも組み入れられているということになるだけです。 Q:ただ、ギグワーカーの皆が保護を求めているわけではないのではないでしょうか。 A:「俺たちは労働者じゃないんだから、ユニオン作るなんてダセーよな」という考え方は、日本だけでなく、アメリカでもあります。アメリカン・ドリームへの憧れが強いことが一つの原因のようです。 しかし、ダサかったとしても、最低限の保護は必要です。また、ダサいと思う人が悪い、という話でもありません。企業に雇われるという働き方の負の面が、そういう忌避感を生じさせてしまっていることについても、向き合う必要があるんでしょうね』、「日本の労働法では「指揮監督」を非常に重視する傾向があって、労働基準法については、労働者として認められにくいと考えられています・・・労働組合法については、もう少し広くとらえられるものであり、事業組織への組み入れ、労働条件の一方的・定型的決定、報酬の労務対価性の3点を中心に判断されます。 これだけでは判断できない場合の補完的要素として、業務の依頼に応ずべき関係にあるかとか、緩やかな意味での指揮監督の有無、事業者といえるかどうか、なども加味されます。 Q:労働組合法上の労働者と認められる可能性はあるのでしょうか。 A:当然、個別の証拠によって判断は変わるのでしょうが、今のウーバーイーツの仕組みから考えると、ウーバーイーツは食品配達プラットフォームとして、飲食店から注文者に食品を配達するということをやっていて、それ以外の事業はしていないように思います。 ウーバーは自らの事業を営んでいると評価されますので、そこで働いている人たちは当然、事業組織に組み入れられていると考えざるをえません。そして、報酬の条件も一方的に変更されるようですし、報酬は、配達という労務の対価といえるでしょう」、「プラットフォーム側がコントロールを及ぼしている限りは、組織の中に組み入れられているということになります。 配達員がWoltなど、他のサービスと併用していたとしても同じことです。別の組織にも組み入れられているということになるだけです・・・「俺たちは労働者じゃないんだから、ユニオン作るなんてダセーよな」という考え方は、日本だけでなく、アメリカでもあります。アメリカン・ドリームへの憧れが強いことが一つの原因のようです。 しかし、ダサかったとしても、最低限の保護は必要です。また、ダサいと思う人が悪い、という話でもありません。企業に雇われるという働き方の負の面が、そういう忌避感を生じさせてしまっていることについても、向き合う必要があるんでしょうね」、なるほど。
・『被用者でも個人事業主でもない「第3カテゴリー」は必要か Q:イギリスでは、雇用関係にある「被用者」と、個人事業主の「自営業者」の中間的な存在として、被用者よりも保護の範囲が限定された「労働者」というカテゴリーがあり、最高裁の判断として、ウーバーの運転手が「労働者」と認められました。日本でも、このような中間的カテゴリーを作るべきでしょうか。 A:アメリカも日本と同様に、被用者か自営業者か、という判断しかありません。一方で、イギリスやドイツのように、被用者類似の第三カテゴリーをもうけている国もあります。 ただ、被用者か自営業者であれば、その線引きは1つですが、第三カテゴリーを作った場合、線引きが2つに増えてしまいます。その基準がはっきりしない限り、どれにあたるかわかりにくいですし、これまで被用者として保護されていた人たちが、第三カテゴリーに分類されてしまうリスクもあります。 私は、第三カテゴリーを作るのではなく、あくまで被用者としての保護を広く及ぼすべきだと考えます。自営業者にも労災保険の必要性が検討されているように、被用者だけでなく、働く人全員に与えられるべき保護もあるからです。労働法の条項を整理して、目的ごとに、どこまで適用するのかを考えた方が生産的です』、「イギリスやドイツのように、被用者類似の第三カテゴリーをもうけている国もあります。 ただ、被用者か自営業者であれば、その線引きは1つですが、第三カテゴリーを作った場合、線引きが2つに増えてしまいます。その基準がはっきりしない限り、どれにあたるかわかりにくいですし、これまで被用者として保護されていた人たちが、第三カテゴリーに分類されてしまうリスクもあります。 私は、第三カテゴリーを作るのではなく、あくまで被用者としての保護を広く及ぼすべきだと考えます」、なるほど。
・『ウーバー紛争の先にある、新たな法的問題 Q:今はウーバーのようなプラットフォームが目立っていますが、今後、どのようなプラットフォームに注目していますか。 A:プラットフォーム労働については、ウーバー型とは異なるクラウドソーシング型というものが存在します。ウーバーのように、一つのビジネスに特化するのではなく、プラットフォーム上で多種多様なタイプの業務がやり取りされるものです。 日本では、ランサーズやクラウドワークスのようなサービスを想像するとわかりやすいでしょう。単純な業務だけではなく、専門的な業務も含みます。 そこでは、利用者、労務提供者、プラットフォームの三角関係をどう考えるのか、ということが課題になります。プラットフォームがマネジメント機能を担っていたり、プラットフォーム自体が仕事を受注して、再委託するケースもあります。 ウーバー型のような自営業者の被用者性をめぐる争いは過去にもたくさん起きていて、その都度、被用者性の拡張で対応してきた話ですので、法理論的にはさほど難しいものではありません。 一方、クラウドソーシング型については、三者間での労働をどう捉えるのか。例えば、労災が起きた時の責任を誰がもつのか、社会保険料は誰が払うのかなど、複雑な検討課題があります。使用者が負うべき責任をどのように割り振るかですとか、労働組合を含めた集団的な合意形成の仕組みも、考え直す必要がでてくるでしょう。これからの話ですね』、「プラットフォーム労働」は、「ウーバーのように、一つのビジネスに特化するのではなく、プラットフォーム上で多種多様なタイプの業務がやり取りされるものです。 日本では、ランサーズやクラウドワークスのようなサービスを想像するとわかりやすいでしょう。単純な業務だけではなく、専門的な業務も含みます。 そこでは、利用者、労務提供者、プラットフォームの三角関係をどう考えるのか、ということが課題になります。プラットフォームがマネジメント機能を担っていたり、プラットフォーム自体が仕事を受注して、再委託するケースもあります。 ウーバー型のような自営業者の被用者性をめぐる争いは過去にもたくさん起きていて、その都度、被用者性の拡張で対応してきた話ですので、法理論的にはさほど難しいものではありません。 一方、クラウドソーシング型については、三者間での労働をどう捉えるのか。例えば、労災が起きた時の責任を誰がもつのか、社会保険料は誰が払うのかなど、複雑な検討課題があります。使用者が負うべき責任をどのように割り振るかですとか、労働組合を含めた集団的な合意形成の仕組みも、考え直す必要がでてくるでしょう。これからの話ですね」、なるほど。
次に、本年9月10日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏による「ライドシェアの安全性は「解決済み」本当に重要なのは“既得権益”の問題だ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/328850
・『ライドシェア解禁を巡る議論をよく目にします。私は、長期的な視野で解禁の方向に動いた方が良いと考えます。「ある視点」で考えれば、皆が得する未来を描くことができるからです』、興味深そうだ。
・『ライドシェアを巡る議論は平行線をたどっている 菅義偉前首相が講演で「ライドシェア」の解禁に向け議論すべきだと発言して以降、日本でもにわかにライドシェア導入議論が始まっています。同じ神奈川県の小泉進次郎氏や河野太郎氏もライドシェアに積極的な発言をしている一方で、自民党のタクシー・ハイヤー議員連盟は導入論に慎重な意見を表明しています。 テレビの報道番組でも何度かこの問題は取り上げられました。私もふたつの番組で業界の代表者と消費者が激しく討論する様子を拝見しましたが、議論は常に平行線になるようです。 消費者の側から見ればそもそもタクシーが捕まらないエリアや時間帯が存在することや、道順がうまく伝わらないことや、近距離だと露骨に嫌な顔をされるなど、タクシーに対する一定の不満が存在します。そういった消費者の中で、アメリカに出かけてライドシェアを体験して、ライドシェアの方がサービスがいいと感じているわけです。 急増するインバウンド客はタクシー不足の原因でもありますが、彼らも言葉が伝わりにくい日本のタクシーよりもライドシェアがいいという意見は根強くあります。 一方で、業界の側は素人が運転手をするライドシェアの危険性を主張します。タクシー会社は法律や国の指導に沿って、2種免許を取得した従業員にさらに研修や管理を行うことで乗客の安全を確保してきました。コストをかけ投資をしているのに、その投資をしなくてもいいライドシェアとの競争は安全性が保たれず不公平だというわけです。 平行線をたどるこの議論がかみ合うためには、+αで新しい視点が必要だと私は考えているのですが、その話の前に両者の議論を確認しておきましょう』、確かに論点を再確認する必要はありそうだ。
・『「ドライバーの安全性」は議論の争点にはならない タクシー業界の主張する安全性の問題は、実はライドシェア大国のアメリカでは解決されています。タクシー会社が採用や教育、管理で安全を確保する一方で、ライドシェアはユーザーの評価によってドライバーを淘汰させます。 「そんなことを言っても、淘汰される前の運転の荒いドライバーに当たった人はどうなるんだ」 と反論されるかもしれません。 これを言うと野暮かもしれませんが、タクシーの運転も結構荒いと私は思います。 よく交差点で手を挙げた乗客を乗り降りさせているタクシーがいて、急停車したタクシーに後続車が追突しそうになりヒヤリとしたり、交差点が詰まってしまったりしています。ああいった乗り降りに関する違反運転が多いのは、目視した限りで一般のドライバーよりも圧倒的に教育を受けたタクシーの方が多いようです』、乗客の急な停車要求に応えるため「乗り降りに関する違反運転が多い」のは当然だ。
・『タクシー業界の既得権益も尊重する必要がある 一方で、ライドシェア解禁を願う消費者の側の論調にも問題があります。 ライドシェア解禁に反対するタクシー業界の既得権益をもう少し尊重すべきです。あまり認識されていないかもしれませんが、経済学では既得権益をとても重要なことだと教えます。なぜなら既得権益が守られない社会では誰も投資をしなくなるからです。 タクシー業界は本当はそれを主張したいのです。これまで国のルールで莫大な投資をしてきたのに、ライドシェアを解禁したらその投資が回収できない。これは実は正当な主張なのですが、それが世論に通りにくいから安全性の問題に議論をすり替えざるをえないのです。 とはいえ訪日外国人の増加、タクシー運転手の人手不足、過疎化地域などで移動難民の増加など、国内の状況的にはライドシェア解禁の必要性は高まっています。 2010年代にアメリカでウーバーがサービスを提供して以降、わが国でも何度も議論が行われてきたわけですが、アメリカ型のライドシェアは日本では極めて限定的な条件下以外では解禁されていません。 業界ではタクシーが不足するたびにタクシーの供給量を増やして消費者の不満を解消してきたわけですが、この計画経済的な仕組みには根本的な欠陥があって、タクシー会社にとっての経済的なラインを想定すれば台数は必ずピーク需要よりも少なめになりますし、採算に乗らないエリアは切り捨てられます。 ではこのライドシェア解禁議論はどうすれば前に進むのでしょうか。私は今の議論に加えるべきは「時間軸」だと捉えています』、「時間軸」を加えたら整理できるのだろうか。
・『もしも「5年後にライドシェアを解禁する」なら? 皆が得をするために必要なのは「時間軸」(あくまで仮の想定ではありますが、たとえば、 「5年後の2028年に東京都ではライドシェアを解禁する」 と決めたとしたらどうでしょうか。 競争を公平にするために、「その場合、人を乗せて運転する営業車のドライバーに対しては、2年後の2025年からタクシー会社の研修があれば2種免許を不要とする」 そしてさらに、「タクシー会社は2025年からライドシェア営業も実験的に先行して行うことができる」 といった形の時間軸を加えた解決案が出現したらどうなるのかを考えてみましょう。 仮案とはいえ、このような時間軸のロードマップがあるとタクシー会社側は新しい投資戦略を作ることができます。人材の採用については2年後以降、今よりも難易度がひとつ下がります。ちなみに2種免許を廃止できないのであればライドシェア解禁は無理だと私は思っていますが、ここは異論がある方もいらっしゃるかもしれません。話を続けさせていただきます。 時間軸を設けることによる一番の優位性は、タクシー会社のアプリがウーバーなどの海外アプリに対抗する時間ができることです。仮に今使われているタクシーアプリにアメリカのライドシェアサービスと同じ機能が実装されたとします。 その上で2025年から3年間は、消費者はライドシェアにはタクシーアプリが使えるようになるわけです。たとえばクリスマスの深夜、六本木でどうしてもタクシーが捕まらない場合、タクシーアプリのライドシェア機能で価格を見て「六本木―新宿8000円で」と通常よりも価格を高めにすることでタクシーを捕まえられるかもしれません。 逆にタクシーが空いている時間帯には普段より安くライドシェアタクシーを呼ぶこともできるようにします。この実験期間が3年間あれば、タクシー業界も将来ライドシェアに移行した場合の価格戦略を立てやすくなります。何より日本のライドシェアでは日本のタクシー会社のアプリがデファクトとして先に登録ユーザーを集めることができるのは、競争優位になるでしょう。 私はライドシェア推進派の皆様には、反対派のタクシー業界と対話をするために、こういった既得権益を含めた移行計画を提示すべきだと思います。 あとここは議論が分かれるところだと思いますが、私はライドシェアの本格解禁後(この仮の時間軸では2028年以降)にはライドシェアのドライバーに免許のようなものを新たに与える制度を作る必要はないと考えています。それは最近解禁された電動キックボードの免許議論にも通じる考え方です。 電動キックボードが法改正で無免許でも運転できるようになった結果、交通ルールを守らないユーザーが社会問題になっています。日本人の発想だと講習をきちんと受けさせるべきだと言いますが、それでは警察の外郭団体のブルシットジョブ(余計な仕事)を増やします。 アメリカ人の発想なら違反で捕まった人は次からキックボードを借りられなくすればいい。こういった自然に悪い運転をする人が淘汰されていく仕組みをアメリカのライドシェアは持っています。加えて、万が一事故が起きた時に無保険でも救済されるよう、ライドシェアのプラットフォーム側が保険制度を完備することも必要です。 こういった施策によって、研修よりも淘汰によって安全が保たれる仕組み作りが大切だと私は考えます』、「研修よりも淘汰によって安全が保たれる仕組み作りが大切」、同感である。
・『アメリカでは「無人タクシー」が解禁 このままでは世界に置いていかれる可能性も さて私はライドシェア解禁に向けて実はタクシー業界も行政も早めに動いた方がいいと考えています。というのもこの問題、5年後には新たな問題が加わるからです。 実は昨年、アメリカのサンフランシスコでは無人タクシーが解禁されました。アルファベットの子会社のウェイモと、GMが出資するクルーズがそれぞれサンフランシスコで営業を始めています。日本ではあまり報道されていないこのニュースですが、その意味することは極めて画期的です。 というのもアメリカのサンフランシスコ市は交通環境においては日本の大都市と酷似しているのです。 それは住宅地が入り組んでいたり、道が狭かったり、歩行者が多かったりということなのですが、その環境でアメリカでは自動タクシーの営業サービスが始まっている。ということは世界中でそう遠くない未来に、ロボタクシーが一般的なサービスになっていくはずです。 そうやって世界中でモビリティビジネスが先進的に進化し、そのことによって私たちの移動がもっと自由になり、結果として経済が発展する流れが始まります。 世界がそう変わって、日本だけがまだライドシェア解禁するかどうかで議論が膠着(こうちゃく)している未来は少し問題がありますよね。 そういった意味からも、私はライドシェア解禁議論は長期的には解禁される方向で議論を進めた方がいいと思っています。 そのために時間軸で考えようという今回のアイデア、反論もあろうかと思いますが、日本経済の未来を考えたひとつの提言だとお考えください』、「アメリカのサンフランシスコ市は交通環境においては日本の大都市と酷似しているのです。 それは住宅地が入り組んでいたり、道が狭かったり、歩行者が多かったりということなのですが、その環境でアメリカでは自動タクシーの営業サービスが始まっている。ということは世界中でそう遠くない未来に、ロボタクシーが一般的なサービスになっていくはずです・・・世界がそう変わって、日本だけがまだライドシェア解禁するかどうかで議論が膠着している未来は少し問題がありますよね。 そういった意味からも、私はライドシェア解禁議論は長期的には解禁される方向で議論を進めた方がいいと思っています。 そのために時間軸で考えようという今回のアイデア・・・日本経済の未来を考えたひとつの提言だとお考えください」、「時間軸で考えよう」が漸く理解できた。同感である。
タグ:シェアリングエコノミー (その5)(世界中で労働紛争を巻き起こす「ウーバー」 破壊的モデルの行く末、ライドシェアの安全性は「解決済み」本当に重要なのは“既得権益”の問題だ) 弁護士ドットコム 新志 有裕氏による「世界中で労働紛争を巻き起こす「ウーバー」、破壊的モデルの行く末」 「民主党政権が続けば、被用者性をより認める方向にいくでしょう・・・EUでも、欧州委員会が2021年12月、ギグワーカーを雇用関係にあると法的に推定するプラットフォーム労働指令案を提案しました。アメリカと似た傾向だということでしょうか。 A:そうですね。方向性としては似ています」、なるほど。 「日本の労働法では「指揮監督」を非常に重視する傾向があって、労働基準法については、労働者として認められにくいと考えられています・・・労働組合法については、もう少し広くとらえられるものであり、事業組織への組み入れ、労働条件の一方的・定型的決定、報酬の労務対価性の3点を中心に判断されます。 これだけでは判断できない場合の補完的要素として、業務の依頼に応ずべき関係にあるかとか、緩やかな意味での指揮監督の有無、事業者といえるかどうか、なども加味されます。 Q:労働組合法上の労働者と認められる可能性はあるのでしょうか。 A:当然、個別の証拠によって判断は変わるのでしょうが、今のウーバーイーツの仕組みから考えると、ウーバーイーツは食品配達プラットフォームとして、飲食店から注文者に食品を配達するということをやっていて、それ以外の事業はしていないように思います。 ウーバーは自らの事業を営んでいると評価されますので、そこで働いている人たちは当然、事業組織に組み入れられていると考えざるをえません。そして、報酬の条件も一方的に変更されるようですし、報酬は、配達という労務の対価といえるでしょう」、「プラットフォーム側がコントロールを及ぼしている限りは、組織の中に組み入れられているということになります。 配達員がWoltなど、他のサービスと併用していたとしても同じことです。別の組織にも組み入れられているということになるだけです・・・「俺たちは労働者じゃないんだから、ユニオン作るなんてダセーよな」という考え方は、日本だけでなく、アメリカでもあります。アメリカン・ドリームへの憧れが強いことが一つの原因のようです。 しかし、ダサかったとしても、最低限の保護は必要です。また、ダサいと思う人が悪い、という話でもありません。企業に雇われるという働き方の負の面が、そういう忌避感を生じさせてしまっていることについても、向 き合う必要があるんでしょうね」、なるほど。 「イギリスやドイツのように、被用者類似の第三カテゴリーをもうけている国もあります。 ただ、被用者か自営業者であれば、その線引きは1つですが、第三カテゴリーを作った場合、線引きが2つに増えてしまいます。その基準がはっきりしない限り、どれにあたるかわかりにくいですし、これまで被用者として保護されていた人たちが、第三カテゴリーに分類されてしまうリスクもあります。 私は、第三カテゴリーを作るのではなく、あくまで被用者としての保護を広く及ぼすべきだと考えます」、なるほど。 「プラットフォーム労働」は、「ウーバーのように、一つのビジネスに特化するのではなく、プラットフォーム上で多種多様なタイプの業務がやり取りされるものです。 日本では、ランサーズやクラウドワークスのようなサービスを想像するとわかりやすいでしょう。単純な業務だけではなく、専門的な業務も含みます。 そこでは、利用者、労務提供者、プラットフォームの三角関係をどう考えるのか、ということが課題になります。プラットフォームがマネジメント機能を担っていたり、プラットフォーム自体が仕事を受注して、再委託するケースもあります。 ウーバー型のような自営業者の被用者性をめぐる争いは過去にもたくさん起きていて、その都度、被用者性の拡張で対応してきた話ですので、法理論的にはさほど難しいものではありません。 一方、クラウドソーシング型については、三者間での労働をどう捉えるのか。例えば、労災が起きた時の責任を誰がもつのか、社会保険料は誰が払うのかなど、複雑な検討課題があります。使用者が負うべき責任をどのように割り振るかですとか、労働組合を含めた集団的な合意形成の仕組みも、考え直す必要がでてくるでしょう。これからの話ですね」、なるほど。 ダイヤモンド・オンライン 鈴木貴博氏による「ライドシェアの安全性は「解決済み」本当に重要なのは“既得権益”の問題だ」 確かに論点を再確認する必要はありそうだ。 乗客の急な停車要求に応えるため「乗り降りに関する違反運転が多い」のは当然だ。 既得権益が守られない社会では誰も投資をしなくなるからです 「時間軸」を加えたら整理できるのだろうか。 「研修よりも淘汰によって安全が保たれる仕組み作りが大切」、同感である。 「アメリカのサンフランシスコ市は交通環境においては日本の大都市と酷似しているのです。 それは住宅地が入り組んでいたり、道が狭かったり、歩行者が多かったりということなのですが、その環境でアメリカでは自動タクシーの営業サービスが始まっている。ということは世界中でそう遠くない未来に、ロボタクシーが一般的なサービスになっていくはずです・・・世界がそう変わって、日本だけがまだライドシェア解禁するかどうかで議論が膠着している未来は少し問題がありますよね。 そういった意味からも、私はライドシェア解禁議論は長期的には解禁される方向で議論を進めた方がいいと思っています。 そのために時間軸で考えようという今回のアイデア・・・日本経済の未来を考えたひとつの提言だとお考えください」、「時間軸で考えよう」が漸く理解できた。同感である。
日本の構造問題(その29)(「このままだと日本経済は沈没するぞ」 海外投資家が三菱UFJのCFOに放った厳しすぎる本音、「誹謗中傷大国ニッポン」ゆがんだ正義を振りかざす日本人がいなくならない理由、世界競争力ランキングで日本は35位と過去最低に 「凋落」に耳をふさぐ本当の深刻さ) [経済政治動向]
日本の構造問題については、本年5月13日に取上げた。今日は、(その29)(「このままだと日本経済は沈没するぞ」 海外投資家が三菱UFJのCFOに放った厳しすぎる本音、「誹謗中傷大国ニッポン」ゆがんだ正義を振りかざす日本人がいなくならない理由、世界競争力ランキングで日本は35位と過去最低に 「凋落」に耳をふさぐ本当の深刻さ)である。
先ずは、本年6月3日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した前三菱UFJのCFOの徳成旨亮氏による「「このままだと日本経済は沈没するぞ」 海外投資家が三菱UFJのCFOに放った厳しすぎる本音」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/323717
・『毎年平均100名近い海外機関投資家と面談しているニコン現CFOの徳成旨亮氏によると、海外機関投資家との面談で、頻繁に「君たち(日本経済・日本企業・日本人)には『アニマルスピリッツ』はないのか?」と問い質されてきた、という。 海外投資家は、日本の社会や企業経営を、血気が衰え、数値的期待値を最重視しリスクに怯えている状態にあると見ている。結果、日経平均は1989年の最高値を未だ更新できておらず、水準を切り上げ続けている欧米株と比べて魅力がないと言われても仕方がない状況だ。 この現状を打破するにはどうしたらいいか? 徳成氏は、「CFO思考」が「鍵」になるという。 朝倉祐介氏(シニフィアン共同代表)や堀内勉氏(元森ビルCFO)が絶賛する6/7発売の新刊『CFO思考』では、日本経済・日本企業・日本人が「血気と活力」を取り戻し、着実に成長への道に回帰する秘策が述べられている。本書から、一部を特別に公開する』、「日経平均は1989年の最高値を未だ更新できておらず」とあるが、6月13日にバブル後最高値を更新した。
・『「君のオフィスの設定温度は何度だ?」 2015年7月、私は三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)のCFOとなって初めての海外IRを行いました。海外IRとは、諸外国に点在する投資家を訪ねて面談し、自社の戦略をアピールして最終的に株式を買ってもらう、あるいは既存株主には買い増しまたは保有継続してもらうことを目的とする活動です。 私は過去にも同社の財務企画部長として海外投資家と面談した経験がありました。その延長線上で準備した財務計数や中期経営計画に関する膨大な英文のQ&A(模範回答集)を機中で勉強しながら、最初の訪問地ロサンゼルス(LA)に向かいました。 真夏のLAで最初に訪問したのは、中堅のファンドでした。その対話の第一問がこれでした。 「君のオフィスの設定温度は何度だ?」 一瞬、質問の真意が掴めず返答に困った私に対し、そのファンドマネージャーは続けました。 「どうせ『地球にやさしく』なんていう御託を並べて、28℃設定にしてるんだろう。グーグルやアマゾンのオフィスは何度か知っているか? 21℃だぞ。人間は少し寒いくらいのほうが頭が働くんだ」 唖然としている私に彼はたたみかけます。 「君の会社は、日本の最優秀と言われる大学の卒業生のなかから、さらに優秀と言われる学生を採用しているんだろう。そうした若者のアニマルスピリッツを掻き立て、その能力を最大限に活かすことこそが、経営者の役割ではないのか? 日本は少子高齢化でこれからどんどん人口が減り人口オーナス(注:人口ボーナスの逆)で経済成長は鈍化する。そうしたなかで君の会社のような企業が、優秀な人材の能力を最大限活かさないでどうする。 有能な人材は経営にとっては資源であり資本だ。『地球にやさしく』なんて言って地球の資源を心配している場合か? 地球に負荷をかけてもいいから、最高の職場環境を準備して、自分の会社の人材に最高のパフォーマンスを出させるべきじゃないのか? このままだと、地球が滅びるはるか手前で日本経済は沈没するぞ」 このファンドマネージャーは日本株の運用を数十年も行ってきた業界では名の知れた人物で、妻は日本人、趣味は京都の寺院の庭巡りという日本通の方です。 その彼が日本の将来を憂えて、安易に平等主義やきれいごとに流れるのではなく、有為な人材には最高の職場環境を用意し、必要な教育・研修の機会を与え、同時にとことん負荷をかけて高い成果やアウトプットを求め、アニマルスピリッツを刺激する処遇制度を用意し、企業価値を高めることが企業経営者の責務ではないか? そうした議論をふっかけてきたわけです』、「日本の将来を憂えて、安易に平等主義やきれいごとに流れるのではなく、有為な人材には最高の職場環境を用意し、必要な教育・研修の機会を与え、同時にとことん負荷をかけて高い成果やアウトプットを求め、アニマルスピリッツを刺激する処遇制度を用意し、企業価値を高めることが企業経営者の責務ではないか?」との「ファンドマネージャー」の指摘は的確だ。
・『「アニマルスピリッツが失われている」と日本は見られている 2020年9月、経済産業省は「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」の報告書(研究会で座長を務めた一橋大学名誉教授の伊藤邦雄氏にちなみ、通称「人材版伊藤レポート」と呼ばれる)を公表し、「人材」を「資本」ととらえ、人的資本の価値を創造することによって企業価値を創造していく、という概念を打ち出しましたが、その5年以上前に、西海岸の投資家から同様の課題を突き付けられたわけです。 この「オフィスの設定温度論争」をしかけてきた投資家を含め、資本市場の最前線で過去面談したグローバル投資家から、私が繰り返し言われてきた言葉があります。「君たち(日本企業、日本の経営者、日本人)には、『アニマルスピリッツ』はないのか?」というフレーズです。 アニマルスピリッツとは何か? それは、「実現したいことに対する非合理的なまでの期待と熱意」のことです。 英国の経済学者ジョン・メイナード・ケインズの代表的著書である『雇用・利子および貨幣の一般理論』のなかに、不確実な状況下における意思決定に関する次のようなくだりがあります[*1]。 投機による不安定性のほかにも、人間性の特質にもとづく不安定性……(中略)……おのずと湧きあがる楽観に左右されるという事実に起因する不安定がある。……(中略)……その決意のおそらく大部分は、ひとえに血気(アニマルスピリッツ)と呼ばれる、不活動よりは活動に駆り立てる人間本来の衝動の結果として行われるのであって、数量化された利得に数量化された確率を掛けた加重平均の結果として行われるものではない。……(中略)……企業活動が将来利得の正確な計算にもとづくものでないのは、南極探検の場合と大差ない。こうして、もし血気が衰え、人間本来の楽観が萎えしぼんで、数学的期待に頼るほかわれわれに途がないとしたら、企業活動は色あせ、やがて死滅してしまうだろう。……(中略) 将来のはるか先まで見はるかすような期待に依拠する企業活動は、社会全体に利益をもたらすと言ってさしつかえない。だが、個人の企業心が本領を発揮するのは合理的計算が血気によって補完、支援され……(中略)……る場合だけであることは、疑いもなく経験の教えるとおりである。 つまり、企業活動の本質は、利益の見込みやリスクの確率に基づくものでなく、人間が本来持つ将来に対する期待や自然発生的な衝動にある、とケインズは言い、そうした人間の特質を「アニマルスピリッツ」と称しています。ケインズは、「企業活動は、南極探検と大差ない」とまで言っているのです。 日本の現状は、まさに「企業活動は色あせ、やがて死滅してしまう」状況に近づきつつある可能性があります。日銀が各企業の最大の株主となり、企業の新陳代謝がなく、社会全体や企業経営から血気が衰え、数値的期待値を最重視しリスクに怯えている状態、つまり「アニマルスピリッツ」が失われている状態にあると、海外投資家は見ているのです。 もちろん、日本がこうなったことにはやむを得ない事情もあります。人口減少や高齢化というデモグラフィック(人口統計学的)な変化は抗しがたいものがあり、縮小する市場のなかで仮に「アニマルスピリッツ」を無邪気にふるって失敗すると回復が困難であることは事実です。 パイが広がらないなかでは、無理をせず、安全を第一とする考え方には合理性があります。そうして、社会も企業も個人もリスク回避的になり、安全運転を重視して、成長戦略よりもコスト削減を優先してきた結果、今日の低成長と国際的な地位低下を招いたと考えられます。 また、こうした思考方法が数十年の長きにわたり続いたことから、世代を超えて、日本人および社会全体から「アニマルスピリッツ」が失われていったのだと考えることができます。 特に、本来楽観的思考やチャレンジ意欲をより持っているはずの若者世代が、人口減少や高齢化に伴う将来の生活不安、特に年金制度への不信から保守的になり、リスク回避的な行動を取るようになっていったことは、日本社会の活力をさらに失わせています。 ※この記事は、書籍『CFO思考』の一部を抜粋・編集して公開しています (徳成旨亮氏の略歴はリンク先参照)』、「人間性の特質にもとづく不安定性……(中略)……おのずと湧きあがる楽観に左右されるという事実に起因する不安定がある。……(中略)……その決意のおそらく大部分は、ひとえに血気(アニマルスピリッツ)と呼ばれる、不活動よりは活動に駆り立てる人間本来の衝動の結果として行われるのであって、数量化された利得に数量化された確率を掛けた加重平均の結果として行われるものではない」、「社会も企業も個人もリスク回避的になり、安全運転を重視して、成長戦略よりもコスト削減を優先してきた結果、今日の低成長と国際的な地位低下を招いたと考えられます。 また、こうした思考方法が数十年の長きにわたり続いたことから、世代を超えて、日本人および社会全体から「アニマルスピリッツ」が失われていったのだと考えることができます。 特に、本来楽観的思考やチャレンジ意欲をより持っているはずの若者世代が、人口減少や高齢化に伴う将来の生活不安、特に年金制度への不信から保守的になり、リスク回避的な行動を取るようになっていったことは、日本社会の活力をさらに失わせています」、なるほど。
・『【著者からのメッセージ】 私は国内外あわせて毎年平均100名前後の機関投資家の方々と、直接もしくはネット経由で面談し、自社の株式への投資をお願いしてきました。これら多くのグローバル投資家から、私が繰り返し言われてきた言葉があります。それは、「君たち(日本経済・日本企業・日本人)には『アニマルスピリッツ』はないのか?」 というフレーズです。 経済学者のジョン・メイナード・ケインズによれば、アニマルスピリッツとは、「実現したいことに対する非合理的なまでの期待と熱意」を意味します。海外の投資家たちは、日本の社会全体や企業経営から血気と活力が衰えている、つまり「アニマルスピリッツ」が日本経済から失われていると見ているのです。 この現状を覆すにはどうすればよいか? それが本書のテーマです。その答えは「CFO思考」にあると私は考えています。 「CFO(Chief Financial Officer、最高財務責任者)」と聞くと、数字のプロであり経理や資金調達に責任を負っている「経理・財務担当役員」が思い浮かぶ方も多いと思います。 しかし、欧米で「CFO」といえば、CEO(最高経営責任者)、COO(最高執行責任者)とともに3名で経営の意思決定を行う「Cスイート」の一角を占める重要職です。CFOは、投資家をはじめとする社外の多くのステークホルダー(利害関係者)に対しては、会社を代表してエンゲージメント(深いつながりを持った対話)を行い、社内に対しては、ROE(自己資本利益率)に代表される投資家の期待・資本の論理や、ESG投資家や地域社会など、異なるステークホルダーの要望を社員にもわかるように翻訳して伝え、その期待を踏まえた経営戦略を立て、それを実践するよう組織に影響を与え行動を促す、という役割を担っています。 そして、「アニマルスピリッツ」をCEOなどほかの経営陣と共有し、「数値をベースにした冷静な判断力」を持って考え、企業としての夢の実現に向け行動する、いわば企業成長のエンジンの役割を果たしています。 本書では、従来の日本の経理・財務担当役員に多く見られる「CFOは企業価値保全を第一義にすべきだ」という考え方を「金庫番思考」、「CFOは冷徹な計算と非合理的なまでの熱意を併せ持ち、企業成長のエンジンとなるべき」という考え方を「CFO思考」と呼びます。「『CFO思考』こそが、企業のパーパス(存在意義・目的)を実現させる」。これが本書の結論です。 本書でお話する内容には、企業経営に関するテーマが多く含まれています。同時に、現在、各企業において、経理、予算、財務、税務、IR、サステナビリティ・ESG、DX・ITといった分野で働くビジネスパーソン、もしくはそのような分野に興味がある方々も意識して書き下ろしました。皆さんが担当しておられるこれらの業務において、どのように「CFO思考」を発揮すればよいのかをご紹介しています。 こうした実務に携わっておられる皆さんには、グローバルで活躍できる人材として、将来日本企業と日本経済の成長のエンジンになっていただきたいと考えています。 CFOという仕事の魅力と楽しさが、一人でも多くの読者の皆さんに伝われば、それに勝る喜びはありません』、「従来の日本の経理・財務担当役員に多く見られる「CFOは企業価値保全を第一義にすべきだ」という考え方を「金庫番思考」、「CFOは冷徹な計算と非合理的なまでの熱意を併せ持ち、企業成長のエンジンとなるべき」という考え方を「CFO思考」と呼びます」、「CFOは、投資家をはじめとする社外の多くのステークホルダー(利害関係者)に対しては、会社を代表してエンゲージメント・・・を行い、社内に対しては、ROE(自己資本利益率)に代表される投資家の期待・資本の論理や、ESG投資家や地域社会など、異なるステークホルダーの要望を社員にもわかるように翻訳して伝え、その期待を踏まえた経営戦略を立て、それを実践するよう組織に影響を与え行動を促す、という役割を担っています。 そして、「アニマルスピリッツ」をCEOなどほかの経営陣と共有し、「数値をベースにした冷静な判断力」を持って考え、企業としての夢の実現に向け行動する、いわば企業成長のエンジンの役割を果たしています」、こうした真のCFOがもっと増えてほしいものだ。
次に、7月20日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「「誹謗中傷大国ニッポン」ゆがんだ正義を振りかざす日本人がいなくならない理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/326334
・『この先も誹謗中傷はなくならないワケ 「誹謗中傷もうやめよう」「他人をおとしめるのはかっこ悪いよ」――。 そんな呼びかけが、ネットやSNSにあふれている。先日、タレントのryuchellさんが急逝されたことを受けて、生前、本人がネットやSNSで誹謗中傷を受けていたことが原因ではないかという臆測が広がったからだ。 もちろん、死の真相は永遠にわからない。ただ、芸能人や有名人がネットやSNSですさまじい誹謗中傷を受けていることも紛れもない事実であり、実際に過去には女性プロレスラーの方が、心ない誹謗中傷が原因で死に追いやられている。そのため、かねて「日本のSNSは匿名性が高いので誹謗中傷が悪質すぎる」という意見があり、それが今回再注目されている形だ。 ただ、残念ながら、いくらこのような呼びかけしたところで、日本から「誹謗中傷」が消えることはないだろう。誹謗中傷している人は自分が誹謗中傷をしているという自覚はない。むしろ、相手の間違いを指摘して言動を正してやっている、くらいにさえ思っている。 なぜこういう「ゆがんだ正義心」が生まれるのか。いろいろな意見があるだろうが、筆者は日本人が100年以上受けてきた「教育」の弊害だと考えている。 我々は物心ついた時から「ルールやマナーを守れ」「みんなに迷惑をかけるな」ということを骨の髄まで叩き込まれる。教育基本法や学校教育法の中に「規範意識の育成」ということが掲げられているからだ。もちろん、この方針自体は悪くない。 問題は「規範意識」に熱が入りすぎて「過剰」になってしまっていることだ。 ご存じの方も多いだろうが、日本の学校教育は世界的に見るとかなり特殊だ。異常に厳しいブラック校則、同じ制服、同じカバンの強制、軍隊的な部活動、そしてクラス内での「班」行動などなど、他国の子どもと比べて「規範意識の育成」を徹底的に叩き込まれる機会が多い。この「規範意識=絶対正義」という極端な教育方針を改めない限り、「誹謗中傷」は絶対になくならない。 一体なぜか』、「なぜこういう「ゆがんだ正義心」が生まれるのか。いろいろな意見があるだろうが、筆者は日本人が100年以上受けてきた「教育」の弊害だと考えている。 我々は物心ついた時から「ルールやマナーを守れ」「みんなに迷惑をかけるな」ということを骨の髄まで叩き込まれる。教育基本法や学校教育法の中に「規範意識の育成」ということが掲げられているからだ。もちろん、この方針自体は悪くない。 問題は「規範意識」に熱が入りすぎて「過剰」になってしまっていることだ。 ご存じの方も多いだろうが、日本の学校教育は世界的に見るとかなり特殊だ。異常に厳しいブラック校則、同じ制服、同じカバンの強制、軍隊的な部活動、そしてクラス内での「班」行動などなど、他国の子どもと比べて「規範意識の育成」を徹底的に叩き込まれる機会が多い。この「規範意識=絶対正義」という極端な教育方針を改めない限り、「誹謗中傷」は絶対になくならない」、なるほど。
・『匿名性が大好きな日本人の醜い現実 理由を説明する前に、大前提として日本の状況を振り返っていこう。今、日本は「誹謗中傷大国」と呼んでも差し支えないほど、社会に誹謗中傷があふれている。 もちろん、SNSで他人を心ない言葉で侮辱する行為というのは幅広い国や社会で確認されているが、日本の場合はその「量」と「陰湿さ」が抜きん出ているのだ。 まず、「量」に関しては、日本人はTwitterが世界一好きということが大きい。 22年1月の国別ユーザー数では、首位アメリカ(7690万人)に次いで日本は5895万人で世界第2位なのだが、ヘビーユーザーが圧倒的に多い。イーロン・マスク氏が先日、日本のユーザーの利用時間が世界一だとして「1人当たりの使用量だと米国の約3倍です」と述べたように、朝から晩までTwitterに何かを発信している人が世界一多いのだ。 「量」が世界一ならば当然、誹謗中傷も世界一多くなるだろう。 「なぜそんなことが言える!愛犬や赤ちゃんの写真とか好きな推しについてつぶやいている人が多いだけかもしれないだろ」と反論したくなる人も多いだろうが、その可能性は低い。日本は世界でも有数の「匿名SNS大国」でもあるからだ。 9年前のデータだが、平成26年度の情報通信白書によれば、日本のTwitterの匿名利用の割合は75.1%で、アメリカは35.7%、フランスは45%、韓国は31.5%となっている。日本人が匿名性を好む傾向は今もそれほど変わっていない。 このような「匿名文化」が誹謗中傷の「陰湿さ」に拍車をかけているのは、もはや説明の必要がないだろう。「死ね」「消えろ」「顔を見るのも不快」「気持ち悪い」などという心ない言葉を家族や隣近所、会社の同僚や上司の前で平気で言える人は少ない。しかし、自分の名前も素性も知らない人たちの前で、しかも見ず知らずの他人に対してならば、いくらでも罵詈雑言が吐けるという人はいる。 社会的地位も脅かされない、人間関係も崩れもないという「安全地帯」にいるからこそ、心ゆくまで陰湿な誹謗中傷ができて、相手を自殺に追い込むほどの粘着さも発揮してしまう、という部分は確かに存在しているのだ。 その醜悪な現実がうかがえるのが、「世界一の削除要求・開示請求」だ』、「「量」に関しては、日本人はTwitterが世界一好きということが大きい。 22年1月の国別ユーザー数では、首位アメリカ(7690万人)に次いで日本は5895万人で世界第2位なのだが、ヘビーユーザーが圧倒的に多い。イーロン・マスク氏が先日、日本のユーザーの利用時間が世界一だとして「1人当たりの使用量だと米国の約3倍です」と述べたように、朝から晩までTwitterに何かを発信している人が世界一多いのだ。 「量」が世界一ならば当然、誹謗中傷も世界一多くなるだろう」、「「匿名文化」が誹謗中傷の「陰湿さ」に拍車をかけているのは、もはや説明の必要がないだろう。「死ね」「消えろ」「顔を見るのも不快」「気持ち悪い」などという心ない言葉を家族や隣近所、会社の同僚や上司の前で平気で言える人は少ない。しかし、自分の名前も素性も知らない人たちの前で、しかも見ず知らずの他人に対してならば、いくらでも罵詈雑言が吐けるという人はいる。 社会的地位も脅かされない、人間関係も崩れもないという「安全地帯」にいるからこそ、心ゆくまで陰湿な誹謗中傷ができて、相手を自殺に追い込むほどの粘着さも発揮してしまう、という部分は確かに存在しているのだ。 その醜悪な現実がうかがえるのが、「世界一の削除要求・開示請求」だ」、なるほど。
・『過剰な規範意識によって「逸脱する人」を許せない Twitter社によれば、2021年上半期(1~6月)に削除要求は世界で4万3387件で、うち日本が1万8518件と4割強を占めて世界最多となった。さらに、政府機関以外から寄せられたアカウントの情報開示請求は全世界で460件で、うち日本が241件と5割強を占めている。 もちろん、「削除要求・開示請求=誹謗中傷」ではない。ただ、誹謗中傷が問題になってからというもの、メディアや弁護士など専門家が対策のひとつとして削除要求や開示請求について言及をしていることを踏まえると、この突出した件数に、日本特有の誹謗中傷カルチャーが大きく影響していると考えるべきではないか。 では、なぜこんなことになってしまったのかというと、冒頭で申し上げた「規範意識の育成」をやりすぎってしまった「副作用」だと筆者は考えている。 繰り返しになるが、この教育方針自体は素晴らしい。社会で生きていくうえでルールやマナーを守るのは当然だ。しかし、日本のようにこの教育があまりに過剰になって、国民の規範意識が高くなりすぎると、社会に「対立と分断」を招いてしまう。 「ルールやマナーを守らない人」「みんなに迷惑をかける人」への激しい怒りや憎悪が芽生えてしまうのだ。わかりやすいケースが戦時中の「非国民」へのすさまじい誹謗中傷とリンチだ。 この手の話になると、「当時の日本人は軍部が怖くてしかたなく戦時体制に従った」みたいな歴史観を語る人がいるが、それは新聞メディアが自分たちの責任を回避するために、戦後にねつ造したストーリーだ。メディアだけではなく大多数の国民は自分の意志で率先して戦争に賛成していた。真珠湾攻撃をした際は、サッカーW杯で優勝したように国民はお祭り騒ぎだった。 もちろん、反戦を訴える人もいたが、かなりマイノリティで、日米開戦を回避しようとした軍人や役人は国民から「弱腰」となじられ、家族が襲撃される恐れもあったほどだ。 では、なぜこんなに当時の日本人は戦争に協力的だったのかというと、軍にマインドコントロールをされていたから…なんて大層な話ではなく、ごくシンプルに「教育」の成果だ』、「「規範意識の育成」をやりすぎってしまった「副作用」だと筆者は考えている。 繰り返しになるが、この教育方針自体は素晴らしい。社会で生きていくうえでルールやマナーを守るのは当然だ。しかし、日本のようにこの教育があまりに過剰になって、国民の規範意識が高くなりすぎると、社会に「対立と分断」を招いてしまう。 「ルールやマナーを守らない人」「みんなに迷惑をかける人」への激しい怒りや憎悪が芽生えてしまうのだ。わかりやすいケースが戦時中の「非国民」へのすさまじい誹謗中傷とリンチだ」、「なぜこんなに当時の日本人は戦争に協力的だったのかというと、軍にマインドコントロールをされていたから…なんて大層な話ではなく、ごくシンプルに「教育」の成果だ」、なるほど。
・『ルールを守れないものは「非国民」、武器はSNSに変わり… 近代化した日本の教育のベースとなった「教育勅語」でも、実は「規範意識の育成」は大きな柱となっている。と言っても、時代背景が違うので当時はこれを「遵法」と呼んだ。「法律や規則を守り社会の秩序に従おう」という意味だ。 戦前・戦中の子どもは「教育勅語」を暗唱させられて、この「遵法」を骨の髄まで叩き込まれた。すると、どういう大人に成長するのかというと、国が定めた法律やルールを守ることが「正義」であり、それができない者は「非国民」として怒りや憎悪を抱く人になってしまう。「規範意識」が膨張して、「社会秩序を乱す悪」を制裁するための誹謗中傷や暴力は許される、という感じで、「正義の暴走」が始まるのだ。 例えば、満州事変直後の1931年9月20日、東京・麻布で2人の男が「若し戦時召集があっても応ずるな」とビラを巻いて演説をした。戦後の映画やテレビではこういう「非国民」を処罰するのは、警察や憲兵として描かれるが、現実は違う。 「付近の住民は時節柄とて憤慨し二三十名が棍棒や薪を持って『非国民を殴り殺せ』と追跡したが何れへか逃走した」(読売新聞1931年9月21日) そういう「正義の私的制裁」が日本中であふれかえった。 規範意識が強くなりすぎた “正義の日本人”は、「ルールに従わない人」「みんなに迷惑をかける人」に対しては、これほど冷酷・残酷になれるものなのだ。 このような「非国民へのリンチ」を生んだ「遵法教育」は戦後GHQの監督下になると「規範意識の育成」という呼び方に変えられて、教育基本法や学校教育法に盛り込まれて現在に至る。見た目は“化粧”されているが、本質的なところでは同じ教育が続いているので当然、「非国民へのリンチ」も健在だ。しかし、さすがに今はこん棒で殴り殺すというわけにはいかない。そこで「武器」をSNSに変えて、「死ね」「消えろ」というナイフのように鋭い言葉で相手の「心」をメッタ刺しするようになった、というのが筆者の考えだ』、「「教育勅語」でも、実は「規範意識の育成」は大きな柱となっている。と言っても、時代背景が違うので当時はこれを「遵法」と呼んだ。「法律や規則を守り社会の秩序に従おう」という意味だ。 戦前・戦中の子どもは「教育勅語」を暗唱させられて、この「遵法」を骨の髄まで叩き込まれた。すると、どういう大人に成長するのかというと、国が定めた法律やルールを守ることが「正義」であり、それができない者は「非国民」として怒りや憎悪を抱く人になってしまう。「規範意識」が膨張して、「社会秩序を乱す悪」を制裁するための誹謗中傷や暴力は許される、という感じで、「正義の暴走」が始まるのだ」、「見た目は“化粧”されているが、本質的なところでは同じ教育が続いているので当然、「非国民へのリンチ」も健在だ。しかし、さすがに今はこん棒で殴り殺すというわけにはいかない。そこで「武器」をSNSに変えて、「死ね」「消えろ」というナイフのように鋭い言葉で相手の「心」をメッタ刺しするようになった、というのが筆者の考えだ」、なるほど。
・『旧統一教会へのバッシングも「誹謗中傷」? そんな「非国民へのリンチ」の中で、今もっともわかりやすいのが、旧統一教会へのバッシングだ。SNSでは、「旧統一教会を叩きつぶせ!」「旧統一教会はクソ」「寄生虫カルトはとっとと死ね」などの攻撃的な言葉が飛び交っている。投稿している人たちは「非国民」を叩きつぶすことで、「正義」を執行しているつもりだろうが、信者の皆さんからすれば、これは理不尽極まりない「誹謗中傷」以外の何ものでもない。 なぜか。勘違いをしている人も多いが、実はあの教団はまだ「犯罪者集団」でもなんでもないからだ。オウム真理教のように信者や幹部が刑事事件で逮捕されたわけではない。かつて入信していたけれど、信仰がなくなった人や、信者ではない家族が「被害」を訴えて民事訴訟をしているだけだ。 霊感商法での高額献金が問題だというが、神や仏の話を説きつつ高額のお布施を求めない宗教の方が少ない。創価学会でも、幸福の科学でも、高額献金をした信者など山ほどいる。そして、その後にだまされたと被害を訴える人も必ず一定数、存在するものなのだ。 反日教義を掲げて日本から金をむしりとっているから解散させろ、というが、日本で荒稼ぎしている韓流タレントでも、日本人も愛用するサムスンなど韓国メーカーの人々も、韓国にいる時は、同胞たちの前で当たり前のように「岸田を呼んで戦争責任を取らせろ」くらいのことは言うだろう。特に韓鶴子氏くらいの世代の韓国人ならば、あのような反日発言は「平常運転」だ。 教団をかばっているわけではなく、他の新興宗教や韓国人にも確認される現象を、さもこの世で旧統一教会だけしかやっていない異常のことのように語っていることに違和感を覚えるし、それを指摘してはいけないというムードが、不気味だと言っているのだ。 宗教法人としていろいろな問題があることは間違いない。ただ、その問題と、「つぶせ」「死ね」とか誹謗中傷することや、国家権力によって強制的に解散をさせることは、まったく別の話だと言いたいのだ。そのあたりは、弁護士の橋下徹氏の7月14日のツイートが端的に説明しているので、引用させていただく。 <民法上の使用者責任だけではなかなか解散できないというのが文化庁のこれまでの解釈。僕はそれに賛成。この程度で団体が解散させられるなら電通もADKも不祥事を起こした会社は皆解散させられてしまう。組織中枢部の団体活動にまつわる刑法違反に匹敵する違法性が必要。その証拠がないから文化庁は苦労している> 筆者はこの「違法性」がしっかりと立証されていないにもかかわらず、「山上徹也が気の毒」という同情論や、一部のジャーナリストや弁護士の皆さんたちの主張だけで、なんとなく「違法性あり」になっている「正義の暴走」ともいうムードが薄気味悪いと思っている。 旧統一教会の関連組織である「国際勝共連合」に潜入したドキュメンタリー「反日と愛国」を制作したのもそれが理由だ。 規範意識の高い人ほど、旧統一教会が許せないだろう。メディアはこの1年、「反日カルト」だと繰り返し報じてきたので、ピュアな“正義の人”ほど、「この地球上から根絶したい」と激しい憎悪が湧き上がっていることだろう。 だが、筆者のドキュメンタリーを見ていただければわかるように、皆さんが「つぶせ」「死ね」となじっている「非国民」たちは、ごく普通の市民だ。うつろな目でブツブツ教義を唱えているような人でもなければ、日本転覆を狙う悪の組織の人でもない。悩みながら信仰を続けている普通の新興宗教の信者なのだ。 そのような人々を糾弾して、教団を解体して強制的に信仰をやめさせても、新たな「対立と分断」を生むだけだ。むしろ、山上徹也のように「暴力で世界を変えられる」という愚かな勘違いした人を量産していくことにしかならない。 もし「誹謗中傷」を本気で防ぎたいのなら日本の「過剰な規範意識教育」と、それが引き起こす「正義の暴走」についてしっかりと考えるべきではないか』、「もし「誹謗中傷」を本気で防ぎたいのなら日本の「過剰な規範意識教育」と、それが引き起こす「正義の暴走」についてしっかりと考えるべきではないか」、その通りだ。
第三に、7月27日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した一橋大学名誉教授の野口悠紀雄氏による「世界競争力ランキングで日本は35位と過去最低に、「凋落」に耳をふさぐ本当の深刻さ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/326703
・『アジア太平洋地域では11位 日本より低いのは3カ国だけ スイスのビジネススクール・国際経営開発研究所(IMD)が、世界64カ国を対象にした2023年の「世界競争力ランキング」を6月20日、発表した。日本は、総合指標で昨年より一つ順位を下げ、過去最低の世界第35位になった。 とりわけアジア太平洋地域での日本の競争力の凋落ぶりは驚くばかりだ。ここでの日本の順位は、14カ国・地域中で第11位だ。アジア太平洋地域で日本より下位は、インド、フィリピン、モンゴルだけだ。 ところが、このニュースはあまり話題になっていない。日本の地位がこのように低いことは、もうニュースバリューがなくなってしまったのだろうか? もちろん、これは日本人にとって愉快なニュースではない。知らないで済ませればそうしたいと考える日本人も少なくないかもしれない。しかし、だからと言って、このニュースに耳を塞いではならない。 1990年代の中頃までは世界でトップを争っていた日本が、なぜここまで凋落したのか。それには明確な理由がある』、「1990年代の中頃までは世界でトップを争っていた日本が、なぜここまで凋落したのか。それには明確な理由がある」、どんな理由なのだろう。
・『マレーシアやタイなども日本より競争力は上位 アジア太平洋地域での第1位は、シンガポール(世界第4位)だ。続いて第2位が台湾(世界第6位)、第3位が香港(世界第7位)だ。そして中国は第5位(世界第21位)、韓国は第7位(世界第28位)だ。 日本より上位には、これらのほかに、マレーシア、タイ、インドネシアなどの諸国がある。日本より下位にあるのはインドなど3カ国だけだ。 1989年の第1回目のランキングでは日本は世界第1位だった。その後、低下はしたものの96年までは5位以内を保っていた。しかしそれ以降、順位を下げ、2023年は過去最低の順位となったのだ』、「日本より上位には、これらのほかに、マレーシア、タイ、インドネシアなどの諸国がある。日本より下位にあるのはインドなど3カ国だけだ」、酷い凋落ぶりだ。
・『目立つ「政府の効率性」と「ビジネスの効率性」の低さ このランキングは、以上で見た総合指標以外に、次の四つの指標で評価が行われている。 「経済状況」(国内経済、雇用動向、物価などのマクロ経済評価)では、日本は世界第26位だ(前年は第20位)。 「政府の効率性」(政府の政策が競争力に寄与している度合い)は、2010年以降、第40位前後で低迷しているが、今年は第42位にまで下がった(同第39位)。 「インフラ」(基礎的、技術的、科学的、人的資源が企業ニーズを満たしている度合い)では、第23位(同第22位)だった。 「ビジネスの効率性」は、昨年の第51位から第47位に上がったが、低い順位であることに変わりはない。 このように、「政府の政策が適切でないためにビジネスの効率性が低下する。その結果、全体としての競争力が低下する」という状況に、日本が落ち込んでしまっていることが分かる』、「「政府の政策が適切でないためにビジネスの効率性が低下する。その結果、全体としての競争力が低下する」という状況に、日本が落ち込んでしまっていることが分かる」、「政府」の責任は重大だ。
・『マイナ問題や防衛費・少子化財源 政府の能力低下浮き彫りに 政府の政策が適切でなく、政府が非効率的であることはさまざまな面について指摘される。ここ数カ月のマイナンバーカードを巡る政府の迷走ぶりを見ていると、いまの日本政府は基本的なことが実行できないことがよく分かる。 今後、マイナ保険証に関してさらに大きな混乱が発しないかと懸念される。 デジタル化が経済の効率化のために必要なことは明らかだ。しかし、それを実現するための基本的な制度を日本政府は整備することができないのだ。 マイナ保険証のような技術的問題だけでなく、政治的な政策判断の問題もある。少子化対策のように効果が疑わしい政策に多額の資金を投入しようとしている。しかも、そのための財源措置を行なっていない。防衛費も増額はするが、安定した財源の手当てがされていない。 日本政府は迷走しているとしか言いようがない。 そして、このような無責任な政府に対して野党が有効なチェック機能を果たしていない。日本の野党勢力は2010年頃に政権を取って政権担当能力がないことを露呈してしまった。その後は批判勢力としてさえも機能していない。民主主義国家で、野党がこれだけ弱いのは世界でも珍しい状況ではないだろうか?』、「デジタル化・・・を実現するための基本的な制度を日本政府は整備することができないのだ。 マイナ保険証のような技術的問題だけでなく、政治的な政策判断の問題もある。少子化対策のように効果が疑わしい政策に多額の資金を投入しようとしている。しかも、そのための財源措置を行なっていない。防衛費も増額はするが、安定した財源の手当てがされていない。 日本政府は迷走しているとしか言いようがない。 そして、このような無責任な政府に対して野党が有効なチェック機能を果たしていない」、「日本政府は迷走」、「野党が有効なチェック機能を果たしていない」、その通りだ。
・『高齢化は続く、諦めてはいけない IT化でアイルランドは世界2位に われわれの世代は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と世界から賞賛された時代を経験した。だから、日本がインドネシアやマレーシアに抜かれてしまったと聞けば、異常事態だと捉える。そして早急に対処が必要だと考える。 しかし、いまの日本では諦めムードが一般化してしまったようだ。「世界競争力ランキング 2023」のニュースは日本ではほとんど話題にならなかった。しかし、実はこれこそが最も危険なことだ。 なぜなら日本経済の今後を考えると、少子化対策を行なっても、そしてそれが仮に効果を発揮して出生率が上昇したとしても、日本の人口高齢化は間違いなく進行するからだ。 それによって経済の効率性は低下せざるをない。その厳しい条件下で人々の雇用と生活を支え、社会保障制度を維持していくためには、生産性を引き上げて日本の競争力を増強することがどうしても必要だ。だから決して諦めてはならない。いまの状況は当たり前のことではなく、何とかして克服しなければならないのだ。 実際、一度は衰退したにもかかわらず、復活した国は、現代世界にも幾らもある。その典型がアイルランドだ。アイルランドは製造業への転換に立ち遅れ、1970年代頃までヨーロッパで最も貧しい国の一つだった。 しかし、IT化に成功して90年代以降、奇跡的な経済成長を実現した。2023年の世界競争ランキングで同国は世界第2位だ』、「アイルランド」は「IT化に成功して90年代以降、奇跡的な経済成長を実現した。2023年の世界競争ランキングで同国は世界第2位だ」、ただ、日本経済ははるかに規模が大きいのが難しいところだ。
・『日本人の基礎学力は世界のトップクラス 競争力ランキングが落ちたとはいえ、日本人の基本的な能力がわずか30年間でこれほど急激に落ちてしまったはずはない。OECDが行なっているPISAという小中学生を対象にした学力テストの結果を見ると、これが分かる。 2018年調査(現時点で結果が公表されている最新の調査)では、数学的リテラシーは世界第6位、科学的リテラシーは第5位だった。読解力が前回から下がったものの、OECD平均得点を大きく上回っている。 このように、日本人の基礎的な能力は依然として世界トップクラスなのである。日本人は、このように高い潜在的能力を持ちながら、それを発揮できない経済・社会環境に置かれてしまっているのだ』、「日本人は、このように高い潜在的能力を持ちながら、それを発揮できない経済・社会環境に置かれてしまっているのだ」、困ったことだ。
・『責任は誤った「円安政策」に 政策如何で状況変えられる 言い換えれば、日本が凋落した原因は1990年代の中頃以降に取られた政策の誤りにある。90年代の中頃以降、政策面で何が起こったかは明らかだ。「円安政策」を進めたのだ。 これによって企業のイノベーション意欲が減退した。企業がイノベーションの努力を怠ったために、日本人が能力を発揮する機会を失ってしまった。これこそが日本経済衰退の基本的なメカニズムだ。 この意味で、いまの日本経済の状態は異常なのだ。そしてこの状況は政策のいかんによって変えられるものだ』、日銀は昨日、イールドカーブ・コントロール(YCC)の運用を柔軟化した。これにより「円安」には歯止めがかかる可能性もある。しばらく、今後の展開には注目したい。
先ずは、本年6月3日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した前三菱UFJのCFOの徳成旨亮氏による「「このままだと日本経済は沈没するぞ」 海外投資家が三菱UFJのCFOに放った厳しすぎる本音」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/323717
・『毎年平均100名近い海外機関投資家と面談しているニコン現CFOの徳成旨亮氏によると、海外機関投資家との面談で、頻繁に「君たち(日本経済・日本企業・日本人)には『アニマルスピリッツ』はないのか?」と問い質されてきた、という。 海外投資家は、日本の社会や企業経営を、血気が衰え、数値的期待値を最重視しリスクに怯えている状態にあると見ている。結果、日経平均は1989年の最高値を未だ更新できておらず、水準を切り上げ続けている欧米株と比べて魅力がないと言われても仕方がない状況だ。 この現状を打破するにはどうしたらいいか? 徳成氏は、「CFO思考」が「鍵」になるという。 朝倉祐介氏(シニフィアン共同代表)や堀内勉氏(元森ビルCFO)が絶賛する6/7発売の新刊『CFO思考』では、日本経済・日本企業・日本人が「血気と活力」を取り戻し、着実に成長への道に回帰する秘策が述べられている。本書から、一部を特別に公開する』、「日経平均は1989年の最高値を未だ更新できておらず」とあるが、6月13日にバブル後最高値を更新した。
・『「君のオフィスの設定温度は何度だ?」 2015年7月、私は三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)のCFOとなって初めての海外IRを行いました。海外IRとは、諸外国に点在する投資家を訪ねて面談し、自社の戦略をアピールして最終的に株式を買ってもらう、あるいは既存株主には買い増しまたは保有継続してもらうことを目的とする活動です。 私は過去にも同社の財務企画部長として海外投資家と面談した経験がありました。その延長線上で準備した財務計数や中期経営計画に関する膨大な英文のQ&A(模範回答集)を機中で勉強しながら、最初の訪問地ロサンゼルス(LA)に向かいました。 真夏のLAで最初に訪問したのは、中堅のファンドでした。その対話の第一問がこれでした。 「君のオフィスの設定温度は何度だ?」 一瞬、質問の真意が掴めず返答に困った私に対し、そのファンドマネージャーは続けました。 「どうせ『地球にやさしく』なんていう御託を並べて、28℃設定にしてるんだろう。グーグルやアマゾンのオフィスは何度か知っているか? 21℃だぞ。人間は少し寒いくらいのほうが頭が働くんだ」 唖然としている私に彼はたたみかけます。 「君の会社は、日本の最優秀と言われる大学の卒業生のなかから、さらに優秀と言われる学生を採用しているんだろう。そうした若者のアニマルスピリッツを掻き立て、その能力を最大限に活かすことこそが、経営者の役割ではないのか? 日本は少子高齢化でこれからどんどん人口が減り人口オーナス(注:人口ボーナスの逆)で経済成長は鈍化する。そうしたなかで君の会社のような企業が、優秀な人材の能力を最大限活かさないでどうする。 有能な人材は経営にとっては資源であり資本だ。『地球にやさしく』なんて言って地球の資源を心配している場合か? 地球に負荷をかけてもいいから、最高の職場環境を準備して、自分の会社の人材に最高のパフォーマンスを出させるべきじゃないのか? このままだと、地球が滅びるはるか手前で日本経済は沈没するぞ」 このファンドマネージャーは日本株の運用を数十年も行ってきた業界では名の知れた人物で、妻は日本人、趣味は京都の寺院の庭巡りという日本通の方です。 その彼が日本の将来を憂えて、安易に平等主義やきれいごとに流れるのではなく、有為な人材には最高の職場環境を用意し、必要な教育・研修の機会を与え、同時にとことん負荷をかけて高い成果やアウトプットを求め、アニマルスピリッツを刺激する処遇制度を用意し、企業価値を高めることが企業経営者の責務ではないか? そうした議論をふっかけてきたわけです』、「日本の将来を憂えて、安易に平等主義やきれいごとに流れるのではなく、有為な人材には最高の職場環境を用意し、必要な教育・研修の機会を与え、同時にとことん負荷をかけて高い成果やアウトプットを求め、アニマルスピリッツを刺激する処遇制度を用意し、企業価値を高めることが企業経営者の責務ではないか?」との「ファンドマネージャー」の指摘は的確だ。
・『「アニマルスピリッツが失われている」と日本は見られている 2020年9月、経済産業省は「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」の報告書(研究会で座長を務めた一橋大学名誉教授の伊藤邦雄氏にちなみ、通称「人材版伊藤レポート」と呼ばれる)を公表し、「人材」を「資本」ととらえ、人的資本の価値を創造することによって企業価値を創造していく、という概念を打ち出しましたが、その5年以上前に、西海岸の投資家から同様の課題を突き付けられたわけです。 この「オフィスの設定温度論争」をしかけてきた投資家を含め、資本市場の最前線で過去面談したグローバル投資家から、私が繰り返し言われてきた言葉があります。「君たち(日本企業、日本の経営者、日本人)には、『アニマルスピリッツ』はないのか?」というフレーズです。 アニマルスピリッツとは何か? それは、「実現したいことに対する非合理的なまでの期待と熱意」のことです。 英国の経済学者ジョン・メイナード・ケインズの代表的著書である『雇用・利子および貨幣の一般理論』のなかに、不確実な状況下における意思決定に関する次のようなくだりがあります[*1]。 投機による不安定性のほかにも、人間性の特質にもとづく不安定性……(中略)……おのずと湧きあがる楽観に左右されるという事実に起因する不安定がある。……(中略)……その決意のおそらく大部分は、ひとえに血気(アニマルスピリッツ)と呼ばれる、不活動よりは活動に駆り立てる人間本来の衝動の結果として行われるのであって、数量化された利得に数量化された確率を掛けた加重平均の結果として行われるものではない。……(中略)……企業活動が将来利得の正確な計算にもとづくものでないのは、南極探検の場合と大差ない。こうして、もし血気が衰え、人間本来の楽観が萎えしぼんで、数学的期待に頼るほかわれわれに途がないとしたら、企業活動は色あせ、やがて死滅してしまうだろう。……(中略) 将来のはるか先まで見はるかすような期待に依拠する企業活動は、社会全体に利益をもたらすと言ってさしつかえない。だが、個人の企業心が本領を発揮するのは合理的計算が血気によって補完、支援され……(中略)……る場合だけであることは、疑いもなく経験の教えるとおりである。 つまり、企業活動の本質は、利益の見込みやリスクの確率に基づくものでなく、人間が本来持つ将来に対する期待や自然発生的な衝動にある、とケインズは言い、そうした人間の特質を「アニマルスピリッツ」と称しています。ケインズは、「企業活動は、南極探検と大差ない」とまで言っているのです。 日本の現状は、まさに「企業活動は色あせ、やがて死滅してしまう」状況に近づきつつある可能性があります。日銀が各企業の最大の株主となり、企業の新陳代謝がなく、社会全体や企業経営から血気が衰え、数値的期待値を最重視しリスクに怯えている状態、つまり「アニマルスピリッツ」が失われている状態にあると、海外投資家は見ているのです。 もちろん、日本がこうなったことにはやむを得ない事情もあります。人口減少や高齢化というデモグラフィック(人口統計学的)な変化は抗しがたいものがあり、縮小する市場のなかで仮に「アニマルスピリッツ」を無邪気にふるって失敗すると回復が困難であることは事実です。 パイが広がらないなかでは、無理をせず、安全を第一とする考え方には合理性があります。そうして、社会も企業も個人もリスク回避的になり、安全運転を重視して、成長戦略よりもコスト削減を優先してきた結果、今日の低成長と国際的な地位低下を招いたと考えられます。 また、こうした思考方法が数十年の長きにわたり続いたことから、世代を超えて、日本人および社会全体から「アニマルスピリッツ」が失われていったのだと考えることができます。 特に、本来楽観的思考やチャレンジ意欲をより持っているはずの若者世代が、人口減少や高齢化に伴う将来の生活不安、特に年金制度への不信から保守的になり、リスク回避的な行動を取るようになっていったことは、日本社会の活力をさらに失わせています。 ※この記事は、書籍『CFO思考』の一部を抜粋・編集して公開しています (徳成旨亮氏の略歴はリンク先参照)』、「人間性の特質にもとづく不安定性……(中略)……おのずと湧きあがる楽観に左右されるという事実に起因する不安定がある。……(中略)……その決意のおそらく大部分は、ひとえに血気(アニマルスピリッツ)と呼ばれる、不活動よりは活動に駆り立てる人間本来の衝動の結果として行われるのであって、数量化された利得に数量化された確率を掛けた加重平均の結果として行われるものではない」、「社会も企業も個人もリスク回避的になり、安全運転を重視して、成長戦略よりもコスト削減を優先してきた結果、今日の低成長と国際的な地位低下を招いたと考えられます。 また、こうした思考方法が数十年の長きにわたり続いたことから、世代を超えて、日本人および社会全体から「アニマルスピリッツ」が失われていったのだと考えることができます。 特に、本来楽観的思考やチャレンジ意欲をより持っているはずの若者世代が、人口減少や高齢化に伴う将来の生活不安、特に年金制度への不信から保守的になり、リスク回避的な行動を取るようになっていったことは、日本社会の活力をさらに失わせています」、なるほど。
・『【著者からのメッセージ】 私は国内外あわせて毎年平均100名前後の機関投資家の方々と、直接もしくはネット経由で面談し、自社の株式への投資をお願いしてきました。これら多くのグローバル投資家から、私が繰り返し言われてきた言葉があります。それは、「君たち(日本経済・日本企業・日本人)には『アニマルスピリッツ』はないのか?」 というフレーズです。 経済学者のジョン・メイナード・ケインズによれば、アニマルスピリッツとは、「実現したいことに対する非合理的なまでの期待と熱意」を意味します。海外の投資家たちは、日本の社会全体や企業経営から血気と活力が衰えている、つまり「アニマルスピリッツ」が日本経済から失われていると見ているのです。 この現状を覆すにはどうすればよいか? それが本書のテーマです。その答えは「CFO思考」にあると私は考えています。 「CFO(Chief Financial Officer、最高財務責任者)」と聞くと、数字のプロであり経理や資金調達に責任を負っている「経理・財務担当役員」が思い浮かぶ方も多いと思います。 しかし、欧米で「CFO」といえば、CEO(最高経営責任者)、COO(最高執行責任者)とともに3名で経営の意思決定を行う「Cスイート」の一角を占める重要職です。CFOは、投資家をはじめとする社外の多くのステークホルダー(利害関係者)に対しては、会社を代表してエンゲージメント(深いつながりを持った対話)を行い、社内に対しては、ROE(自己資本利益率)に代表される投資家の期待・資本の論理や、ESG投資家や地域社会など、異なるステークホルダーの要望を社員にもわかるように翻訳して伝え、その期待を踏まえた経営戦略を立て、それを実践するよう組織に影響を与え行動を促す、という役割を担っています。 そして、「アニマルスピリッツ」をCEOなどほかの経営陣と共有し、「数値をベースにした冷静な判断力」を持って考え、企業としての夢の実現に向け行動する、いわば企業成長のエンジンの役割を果たしています。 本書では、従来の日本の経理・財務担当役員に多く見られる「CFOは企業価値保全を第一義にすべきだ」という考え方を「金庫番思考」、「CFOは冷徹な計算と非合理的なまでの熱意を併せ持ち、企業成長のエンジンとなるべき」という考え方を「CFO思考」と呼びます。「『CFO思考』こそが、企業のパーパス(存在意義・目的)を実現させる」。これが本書の結論です。 本書でお話する内容には、企業経営に関するテーマが多く含まれています。同時に、現在、各企業において、経理、予算、財務、税務、IR、サステナビリティ・ESG、DX・ITといった分野で働くビジネスパーソン、もしくはそのような分野に興味がある方々も意識して書き下ろしました。皆さんが担当しておられるこれらの業務において、どのように「CFO思考」を発揮すればよいのかをご紹介しています。 こうした実務に携わっておられる皆さんには、グローバルで活躍できる人材として、将来日本企業と日本経済の成長のエンジンになっていただきたいと考えています。 CFOという仕事の魅力と楽しさが、一人でも多くの読者の皆さんに伝われば、それに勝る喜びはありません』、「従来の日本の経理・財務担当役員に多く見られる「CFOは企業価値保全を第一義にすべきだ」という考え方を「金庫番思考」、「CFOは冷徹な計算と非合理的なまでの熱意を併せ持ち、企業成長のエンジンとなるべき」という考え方を「CFO思考」と呼びます」、「CFOは、投資家をはじめとする社外の多くのステークホルダー(利害関係者)に対しては、会社を代表してエンゲージメント・・・を行い、社内に対しては、ROE(自己資本利益率)に代表される投資家の期待・資本の論理や、ESG投資家や地域社会など、異なるステークホルダーの要望を社員にもわかるように翻訳して伝え、その期待を踏まえた経営戦略を立て、それを実践するよう組織に影響を与え行動を促す、という役割を担っています。 そして、「アニマルスピリッツ」をCEOなどほかの経営陣と共有し、「数値をベースにした冷静な判断力」を持って考え、企業としての夢の実現に向け行動する、いわば企業成長のエンジンの役割を果たしています」、こうした真のCFOがもっと増えてほしいものだ。
次に、7月20日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「「誹謗中傷大国ニッポン」ゆがんだ正義を振りかざす日本人がいなくならない理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/326334
・『この先も誹謗中傷はなくならないワケ 「誹謗中傷もうやめよう」「他人をおとしめるのはかっこ悪いよ」――。 そんな呼びかけが、ネットやSNSにあふれている。先日、タレントのryuchellさんが急逝されたことを受けて、生前、本人がネットやSNSで誹謗中傷を受けていたことが原因ではないかという臆測が広がったからだ。 もちろん、死の真相は永遠にわからない。ただ、芸能人や有名人がネットやSNSですさまじい誹謗中傷を受けていることも紛れもない事実であり、実際に過去には女性プロレスラーの方が、心ない誹謗中傷が原因で死に追いやられている。そのため、かねて「日本のSNSは匿名性が高いので誹謗中傷が悪質すぎる」という意見があり、それが今回再注目されている形だ。 ただ、残念ながら、いくらこのような呼びかけしたところで、日本から「誹謗中傷」が消えることはないだろう。誹謗中傷している人は自分が誹謗中傷をしているという自覚はない。むしろ、相手の間違いを指摘して言動を正してやっている、くらいにさえ思っている。 なぜこういう「ゆがんだ正義心」が生まれるのか。いろいろな意見があるだろうが、筆者は日本人が100年以上受けてきた「教育」の弊害だと考えている。 我々は物心ついた時から「ルールやマナーを守れ」「みんなに迷惑をかけるな」ということを骨の髄まで叩き込まれる。教育基本法や学校教育法の中に「規範意識の育成」ということが掲げられているからだ。もちろん、この方針自体は悪くない。 問題は「規範意識」に熱が入りすぎて「過剰」になってしまっていることだ。 ご存じの方も多いだろうが、日本の学校教育は世界的に見るとかなり特殊だ。異常に厳しいブラック校則、同じ制服、同じカバンの強制、軍隊的な部活動、そしてクラス内での「班」行動などなど、他国の子どもと比べて「規範意識の育成」を徹底的に叩き込まれる機会が多い。この「規範意識=絶対正義」という極端な教育方針を改めない限り、「誹謗中傷」は絶対になくならない。 一体なぜか』、「なぜこういう「ゆがんだ正義心」が生まれるのか。いろいろな意見があるだろうが、筆者は日本人が100年以上受けてきた「教育」の弊害だと考えている。 我々は物心ついた時から「ルールやマナーを守れ」「みんなに迷惑をかけるな」ということを骨の髄まで叩き込まれる。教育基本法や学校教育法の中に「規範意識の育成」ということが掲げられているからだ。もちろん、この方針自体は悪くない。 問題は「規範意識」に熱が入りすぎて「過剰」になってしまっていることだ。 ご存じの方も多いだろうが、日本の学校教育は世界的に見るとかなり特殊だ。異常に厳しいブラック校則、同じ制服、同じカバンの強制、軍隊的な部活動、そしてクラス内での「班」行動などなど、他国の子どもと比べて「規範意識の育成」を徹底的に叩き込まれる機会が多い。この「規範意識=絶対正義」という極端な教育方針を改めない限り、「誹謗中傷」は絶対になくならない」、なるほど。
・『匿名性が大好きな日本人の醜い現実 理由を説明する前に、大前提として日本の状況を振り返っていこう。今、日本は「誹謗中傷大国」と呼んでも差し支えないほど、社会に誹謗中傷があふれている。 もちろん、SNSで他人を心ない言葉で侮辱する行為というのは幅広い国や社会で確認されているが、日本の場合はその「量」と「陰湿さ」が抜きん出ているのだ。 まず、「量」に関しては、日本人はTwitterが世界一好きということが大きい。 22年1月の国別ユーザー数では、首位アメリカ(7690万人)に次いで日本は5895万人で世界第2位なのだが、ヘビーユーザーが圧倒的に多い。イーロン・マスク氏が先日、日本のユーザーの利用時間が世界一だとして「1人当たりの使用量だと米国の約3倍です」と述べたように、朝から晩までTwitterに何かを発信している人が世界一多いのだ。 「量」が世界一ならば当然、誹謗中傷も世界一多くなるだろう。 「なぜそんなことが言える!愛犬や赤ちゃんの写真とか好きな推しについてつぶやいている人が多いだけかもしれないだろ」と反論したくなる人も多いだろうが、その可能性は低い。日本は世界でも有数の「匿名SNS大国」でもあるからだ。 9年前のデータだが、平成26年度の情報通信白書によれば、日本のTwitterの匿名利用の割合は75.1%で、アメリカは35.7%、フランスは45%、韓国は31.5%となっている。日本人が匿名性を好む傾向は今もそれほど変わっていない。 このような「匿名文化」が誹謗中傷の「陰湿さ」に拍車をかけているのは、もはや説明の必要がないだろう。「死ね」「消えろ」「顔を見るのも不快」「気持ち悪い」などという心ない言葉を家族や隣近所、会社の同僚や上司の前で平気で言える人は少ない。しかし、自分の名前も素性も知らない人たちの前で、しかも見ず知らずの他人に対してならば、いくらでも罵詈雑言が吐けるという人はいる。 社会的地位も脅かされない、人間関係も崩れもないという「安全地帯」にいるからこそ、心ゆくまで陰湿な誹謗中傷ができて、相手を自殺に追い込むほどの粘着さも発揮してしまう、という部分は確かに存在しているのだ。 その醜悪な現実がうかがえるのが、「世界一の削除要求・開示請求」だ』、「「量」に関しては、日本人はTwitterが世界一好きということが大きい。 22年1月の国別ユーザー数では、首位アメリカ(7690万人)に次いで日本は5895万人で世界第2位なのだが、ヘビーユーザーが圧倒的に多い。イーロン・マスク氏が先日、日本のユーザーの利用時間が世界一だとして「1人当たりの使用量だと米国の約3倍です」と述べたように、朝から晩までTwitterに何かを発信している人が世界一多いのだ。 「量」が世界一ならば当然、誹謗中傷も世界一多くなるだろう」、「「匿名文化」が誹謗中傷の「陰湿さ」に拍車をかけているのは、もはや説明の必要がないだろう。「死ね」「消えろ」「顔を見るのも不快」「気持ち悪い」などという心ない言葉を家族や隣近所、会社の同僚や上司の前で平気で言える人は少ない。しかし、自分の名前も素性も知らない人たちの前で、しかも見ず知らずの他人に対してならば、いくらでも罵詈雑言が吐けるという人はいる。 社会的地位も脅かされない、人間関係も崩れもないという「安全地帯」にいるからこそ、心ゆくまで陰湿な誹謗中傷ができて、相手を自殺に追い込むほどの粘着さも発揮してしまう、という部分は確かに存在しているのだ。 その醜悪な現実がうかがえるのが、「世界一の削除要求・開示請求」だ」、なるほど。
・『過剰な規範意識によって「逸脱する人」を許せない Twitter社によれば、2021年上半期(1~6月)に削除要求は世界で4万3387件で、うち日本が1万8518件と4割強を占めて世界最多となった。さらに、政府機関以外から寄せられたアカウントの情報開示請求は全世界で460件で、うち日本が241件と5割強を占めている。 もちろん、「削除要求・開示請求=誹謗中傷」ではない。ただ、誹謗中傷が問題になってからというもの、メディアや弁護士など専門家が対策のひとつとして削除要求や開示請求について言及をしていることを踏まえると、この突出した件数に、日本特有の誹謗中傷カルチャーが大きく影響していると考えるべきではないか。 では、なぜこんなことになってしまったのかというと、冒頭で申し上げた「規範意識の育成」をやりすぎってしまった「副作用」だと筆者は考えている。 繰り返しになるが、この教育方針自体は素晴らしい。社会で生きていくうえでルールやマナーを守るのは当然だ。しかし、日本のようにこの教育があまりに過剰になって、国民の規範意識が高くなりすぎると、社会に「対立と分断」を招いてしまう。 「ルールやマナーを守らない人」「みんなに迷惑をかける人」への激しい怒りや憎悪が芽生えてしまうのだ。わかりやすいケースが戦時中の「非国民」へのすさまじい誹謗中傷とリンチだ。 この手の話になると、「当時の日本人は軍部が怖くてしかたなく戦時体制に従った」みたいな歴史観を語る人がいるが、それは新聞メディアが自分たちの責任を回避するために、戦後にねつ造したストーリーだ。メディアだけではなく大多数の国民は自分の意志で率先して戦争に賛成していた。真珠湾攻撃をした際は、サッカーW杯で優勝したように国民はお祭り騒ぎだった。 もちろん、反戦を訴える人もいたが、かなりマイノリティで、日米開戦を回避しようとした軍人や役人は国民から「弱腰」となじられ、家族が襲撃される恐れもあったほどだ。 では、なぜこんなに当時の日本人は戦争に協力的だったのかというと、軍にマインドコントロールをされていたから…なんて大層な話ではなく、ごくシンプルに「教育」の成果だ』、「「規範意識の育成」をやりすぎってしまった「副作用」だと筆者は考えている。 繰り返しになるが、この教育方針自体は素晴らしい。社会で生きていくうえでルールやマナーを守るのは当然だ。しかし、日本のようにこの教育があまりに過剰になって、国民の規範意識が高くなりすぎると、社会に「対立と分断」を招いてしまう。 「ルールやマナーを守らない人」「みんなに迷惑をかける人」への激しい怒りや憎悪が芽生えてしまうのだ。わかりやすいケースが戦時中の「非国民」へのすさまじい誹謗中傷とリンチだ」、「なぜこんなに当時の日本人は戦争に協力的だったのかというと、軍にマインドコントロールをされていたから…なんて大層な話ではなく、ごくシンプルに「教育」の成果だ」、なるほど。
・『ルールを守れないものは「非国民」、武器はSNSに変わり… 近代化した日本の教育のベースとなった「教育勅語」でも、実は「規範意識の育成」は大きな柱となっている。と言っても、時代背景が違うので当時はこれを「遵法」と呼んだ。「法律や規則を守り社会の秩序に従おう」という意味だ。 戦前・戦中の子どもは「教育勅語」を暗唱させられて、この「遵法」を骨の髄まで叩き込まれた。すると、どういう大人に成長するのかというと、国が定めた法律やルールを守ることが「正義」であり、それができない者は「非国民」として怒りや憎悪を抱く人になってしまう。「規範意識」が膨張して、「社会秩序を乱す悪」を制裁するための誹謗中傷や暴力は許される、という感じで、「正義の暴走」が始まるのだ。 例えば、満州事変直後の1931年9月20日、東京・麻布で2人の男が「若し戦時召集があっても応ずるな」とビラを巻いて演説をした。戦後の映画やテレビではこういう「非国民」を処罰するのは、警察や憲兵として描かれるが、現実は違う。 「付近の住民は時節柄とて憤慨し二三十名が棍棒や薪を持って『非国民を殴り殺せ』と追跡したが何れへか逃走した」(読売新聞1931年9月21日) そういう「正義の私的制裁」が日本中であふれかえった。 規範意識が強くなりすぎた “正義の日本人”は、「ルールに従わない人」「みんなに迷惑をかける人」に対しては、これほど冷酷・残酷になれるものなのだ。 このような「非国民へのリンチ」を生んだ「遵法教育」は戦後GHQの監督下になると「規範意識の育成」という呼び方に変えられて、教育基本法や学校教育法に盛り込まれて現在に至る。見た目は“化粧”されているが、本質的なところでは同じ教育が続いているので当然、「非国民へのリンチ」も健在だ。しかし、さすがに今はこん棒で殴り殺すというわけにはいかない。そこで「武器」をSNSに変えて、「死ね」「消えろ」というナイフのように鋭い言葉で相手の「心」をメッタ刺しするようになった、というのが筆者の考えだ』、「「教育勅語」でも、実は「規範意識の育成」は大きな柱となっている。と言っても、時代背景が違うので当時はこれを「遵法」と呼んだ。「法律や規則を守り社会の秩序に従おう」という意味だ。 戦前・戦中の子どもは「教育勅語」を暗唱させられて、この「遵法」を骨の髄まで叩き込まれた。すると、どういう大人に成長するのかというと、国が定めた法律やルールを守ることが「正義」であり、それができない者は「非国民」として怒りや憎悪を抱く人になってしまう。「規範意識」が膨張して、「社会秩序を乱す悪」を制裁するための誹謗中傷や暴力は許される、という感じで、「正義の暴走」が始まるのだ」、「見た目は“化粧”されているが、本質的なところでは同じ教育が続いているので当然、「非国民へのリンチ」も健在だ。しかし、さすがに今はこん棒で殴り殺すというわけにはいかない。そこで「武器」をSNSに変えて、「死ね」「消えろ」というナイフのように鋭い言葉で相手の「心」をメッタ刺しするようになった、というのが筆者の考えだ」、なるほど。
・『旧統一教会へのバッシングも「誹謗中傷」? そんな「非国民へのリンチ」の中で、今もっともわかりやすいのが、旧統一教会へのバッシングだ。SNSでは、「旧統一教会を叩きつぶせ!」「旧統一教会はクソ」「寄生虫カルトはとっとと死ね」などの攻撃的な言葉が飛び交っている。投稿している人たちは「非国民」を叩きつぶすことで、「正義」を執行しているつもりだろうが、信者の皆さんからすれば、これは理不尽極まりない「誹謗中傷」以外の何ものでもない。 なぜか。勘違いをしている人も多いが、実はあの教団はまだ「犯罪者集団」でもなんでもないからだ。オウム真理教のように信者や幹部が刑事事件で逮捕されたわけではない。かつて入信していたけれど、信仰がなくなった人や、信者ではない家族が「被害」を訴えて民事訴訟をしているだけだ。 霊感商法での高額献金が問題だというが、神や仏の話を説きつつ高額のお布施を求めない宗教の方が少ない。創価学会でも、幸福の科学でも、高額献金をした信者など山ほどいる。そして、その後にだまされたと被害を訴える人も必ず一定数、存在するものなのだ。 反日教義を掲げて日本から金をむしりとっているから解散させろ、というが、日本で荒稼ぎしている韓流タレントでも、日本人も愛用するサムスンなど韓国メーカーの人々も、韓国にいる時は、同胞たちの前で当たり前のように「岸田を呼んで戦争責任を取らせろ」くらいのことは言うだろう。特に韓鶴子氏くらいの世代の韓国人ならば、あのような反日発言は「平常運転」だ。 教団をかばっているわけではなく、他の新興宗教や韓国人にも確認される現象を、さもこの世で旧統一教会だけしかやっていない異常のことのように語っていることに違和感を覚えるし、それを指摘してはいけないというムードが、不気味だと言っているのだ。 宗教法人としていろいろな問題があることは間違いない。ただ、その問題と、「つぶせ」「死ね」とか誹謗中傷することや、国家権力によって強制的に解散をさせることは、まったく別の話だと言いたいのだ。そのあたりは、弁護士の橋下徹氏の7月14日のツイートが端的に説明しているので、引用させていただく。 <民法上の使用者責任だけではなかなか解散できないというのが文化庁のこれまでの解釈。僕はそれに賛成。この程度で団体が解散させられるなら電通もADKも不祥事を起こした会社は皆解散させられてしまう。組織中枢部の団体活動にまつわる刑法違反に匹敵する違法性が必要。その証拠がないから文化庁は苦労している> 筆者はこの「違法性」がしっかりと立証されていないにもかかわらず、「山上徹也が気の毒」という同情論や、一部のジャーナリストや弁護士の皆さんたちの主張だけで、なんとなく「違法性あり」になっている「正義の暴走」ともいうムードが薄気味悪いと思っている。 旧統一教会の関連組織である「国際勝共連合」に潜入したドキュメンタリー「反日と愛国」を制作したのもそれが理由だ。 規範意識の高い人ほど、旧統一教会が許せないだろう。メディアはこの1年、「反日カルト」だと繰り返し報じてきたので、ピュアな“正義の人”ほど、「この地球上から根絶したい」と激しい憎悪が湧き上がっていることだろう。 だが、筆者のドキュメンタリーを見ていただければわかるように、皆さんが「つぶせ」「死ね」となじっている「非国民」たちは、ごく普通の市民だ。うつろな目でブツブツ教義を唱えているような人でもなければ、日本転覆を狙う悪の組織の人でもない。悩みながら信仰を続けている普通の新興宗教の信者なのだ。 そのような人々を糾弾して、教団を解体して強制的に信仰をやめさせても、新たな「対立と分断」を生むだけだ。むしろ、山上徹也のように「暴力で世界を変えられる」という愚かな勘違いした人を量産していくことにしかならない。 もし「誹謗中傷」を本気で防ぎたいのなら日本の「過剰な規範意識教育」と、それが引き起こす「正義の暴走」についてしっかりと考えるべきではないか』、「もし「誹謗中傷」を本気で防ぎたいのなら日本の「過剰な規範意識教育」と、それが引き起こす「正義の暴走」についてしっかりと考えるべきではないか」、その通りだ。
第三に、7月27日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した一橋大学名誉教授の野口悠紀雄氏による「世界競争力ランキングで日本は35位と過去最低に、「凋落」に耳をふさぐ本当の深刻さ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/326703
・『アジア太平洋地域では11位 日本より低いのは3カ国だけ スイスのビジネススクール・国際経営開発研究所(IMD)が、世界64カ国を対象にした2023年の「世界競争力ランキング」を6月20日、発表した。日本は、総合指標で昨年より一つ順位を下げ、過去最低の世界第35位になった。 とりわけアジア太平洋地域での日本の競争力の凋落ぶりは驚くばかりだ。ここでの日本の順位は、14カ国・地域中で第11位だ。アジア太平洋地域で日本より下位は、インド、フィリピン、モンゴルだけだ。 ところが、このニュースはあまり話題になっていない。日本の地位がこのように低いことは、もうニュースバリューがなくなってしまったのだろうか? もちろん、これは日本人にとって愉快なニュースではない。知らないで済ませればそうしたいと考える日本人も少なくないかもしれない。しかし、だからと言って、このニュースに耳を塞いではならない。 1990年代の中頃までは世界でトップを争っていた日本が、なぜここまで凋落したのか。それには明確な理由がある』、「1990年代の中頃までは世界でトップを争っていた日本が、なぜここまで凋落したのか。それには明確な理由がある」、どんな理由なのだろう。
・『マレーシアやタイなども日本より競争力は上位 アジア太平洋地域での第1位は、シンガポール(世界第4位)だ。続いて第2位が台湾(世界第6位)、第3位が香港(世界第7位)だ。そして中国は第5位(世界第21位)、韓国は第7位(世界第28位)だ。 日本より上位には、これらのほかに、マレーシア、タイ、インドネシアなどの諸国がある。日本より下位にあるのはインドなど3カ国だけだ。 1989年の第1回目のランキングでは日本は世界第1位だった。その後、低下はしたものの96年までは5位以内を保っていた。しかしそれ以降、順位を下げ、2023年は過去最低の順位となったのだ』、「日本より上位には、これらのほかに、マレーシア、タイ、インドネシアなどの諸国がある。日本より下位にあるのはインドなど3カ国だけだ」、酷い凋落ぶりだ。
・『目立つ「政府の効率性」と「ビジネスの効率性」の低さ このランキングは、以上で見た総合指標以外に、次の四つの指標で評価が行われている。 「経済状況」(国内経済、雇用動向、物価などのマクロ経済評価)では、日本は世界第26位だ(前年は第20位)。 「政府の効率性」(政府の政策が競争力に寄与している度合い)は、2010年以降、第40位前後で低迷しているが、今年は第42位にまで下がった(同第39位)。 「インフラ」(基礎的、技術的、科学的、人的資源が企業ニーズを満たしている度合い)では、第23位(同第22位)だった。 「ビジネスの効率性」は、昨年の第51位から第47位に上がったが、低い順位であることに変わりはない。 このように、「政府の政策が適切でないためにビジネスの効率性が低下する。その結果、全体としての競争力が低下する」という状況に、日本が落ち込んでしまっていることが分かる』、「「政府の政策が適切でないためにビジネスの効率性が低下する。その結果、全体としての競争力が低下する」という状況に、日本が落ち込んでしまっていることが分かる」、「政府」の責任は重大だ。
・『マイナ問題や防衛費・少子化財源 政府の能力低下浮き彫りに 政府の政策が適切でなく、政府が非効率的であることはさまざまな面について指摘される。ここ数カ月のマイナンバーカードを巡る政府の迷走ぶりを見ていると、いまの日本政府は基本的なことが実行できないことがよく分かる。 今後、マイナ保険証に関してさらに大きな混乱が発しないかと懸念される。 デジタル化が経済の効率化のために必要なことは明らかだ。しかし、それを実現するための基本的な制度を日本政府は整備することができないのだ。 マイナ保険証のような技術的問題だけでなく、政治的な政策判断の問題もある。少子化対策のように効果が疑わしい政策に多額の資金を投入しようとしている。しかも、そのための財源措置を行なっていない。防衛費も増額はするが、安定した財源の手当てがされていない。 日本政府は迷走しているとしか言いようがない。 そして、このような無責任な政府に対して野党が有効なチェック機能を果たしていない。日本の野党勢力は2010年頃に政権を取って政権担当能力がないことを露呈してしまった。その後は批判勢力としてさえも機能していない。民主主義国家で、野党がこれだけ弱いのは世界でも珍しい状況ではないだろうか?』、「デジタル化・・・を実現するための基本的な制度を日本政府は整備することができないのだ。 マイナ保険証のような技術的問題だけでなく、政治的な政策判断の問題もある。少子化対策のように効果が疑わしい政策に多額の資金を投入しようとしている。しかも、そのための財源措置を行なっていない。防衛費も増額はするが、安定した財源の手当てがされていない。 日本政府は迷走しているとしか言いようがない。 そして、このような無責任な政府に対して野党が有効なチェック機能を果たしていない」、「日本政府は迷走」、「野党が有効なチェック機能を果たしていない」、その通りだ。
・『高齢化は続く、諦めてはいけない IT化でアイルランドは世界2位に われわれの世代は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と世界から賞賛された時代を経験した。だから、日本がインドネシアやマレーシアに抜かれてしまったと聞けば、異常事態だと捉える。そして早急に対処が必要だと考える。 しかし、いまの日本では諦めムードが一般化してしまったようだ。「世界競争力ランキング 2023」のニュースは日本ではほとんど話題にならなかった。しかし、実はこれこそが最も危険なことだ。 なぜなら日本経済の今後を考えると、少子化対策を行なっても、そしてそれが仮に効果を発揮して出生率が上昇したとしても、日本の人口高齢化は間違いなく進行するからだ。 それによって経済の効率性は低下せざるをない。その厳しい条件下で人々の雇用と生活を支え、社会保障制度を維持していくためには、生産性を引き上げて日本の競争力を増強することがどうしても必要だ。だから決して諦めてはならない。いまの状況は当たり前のことではなく、何とかして克服しなければならないのだ。 実際、一度は衰退したにもかかわらず、復活した国は、現代世界にも幾らもある。その典型がアイルランドだ。アイルランドは製造業への転換に立ち遅れ、1970年代頃までヨーロッパで最も貧しい国の一つだった。 しかし、IT化に成功して90年代以降、奇跡的な経済成長を実現した。2023年の世界競争ランキングで同国は世界第2位だ』、「アイルランド」は「IT化に成功して90年代以降、奇跡的な経済成長を実現した。2023年の世界競争ランキングで同国は世界第2位だ」、ただ、日本経済ははるかに規模が大きいのが難しいところだ。
・『日本人の基礎学力は世界のトップクラス 競争力ランキングが落ちたとはいえ、日本人の基本的な能力がわずか30年間でこれほど急激に落ちてしまったはずはない。OECDが行なっているPISAという小中学生を対象にした学力テストの結果を見ると、これが分かる。 2018年調査(現時点で結果が公表されている最新の調査)では、数学的リテラシーは世界第6位、科学的リテラシーは第5位だった。読解力が前回から下がったものの、OECD平均得点を大きく上回っている。 このように、日本人の基礎的な能力は依然として世界トップクラスなのである。日本人は、このように高い潜在的能力を持ちながら、それを発揮できない経済・社会環境に置かれてしまっているのだ』、「日本人は、このように高い潜在的能力を持ちながら、それを発揮できない経済・社会環境に置かれてしまっているのだ」、困ったことだ。
・『責任は誤った「円安政策」に 政策如何で状況変えられる 言い換えれば、日本が凋落した原因は1990年代の中頃以降に取られた政策の誤りにある。90年代の中頃以降、政策面で何が起こったかは明らかだ。「円安政策」を進めたのだ。 これによって企業のイノベーション意欲が減退した。企業がイノベーションの努力を怠ったために、日本人が能力を発揮する機会を失ってしまった。これこそが日本経済衰退の基本的なメカニズムだ。 この意味で、いまの日本経済の状態は異常なのだ。そしてこの状況は政策のいかんによって変えられるものだ』、日銀は昨日、イールドカーブ・コントロール(YCC)の運用を柔軟化した。これにより「円安」には歯止めがかかる可能性もある。しばらく、今後の展開には注目したい。
タグ:日本の構造問題 (その29)(「このままだと日本経済は沈没するぞ」 海外投資家が三菱UFJのCFOに放った厳しすぎる本音、「誹謗中傷大国ニッポン」ゆがんだ正義を振りかざす日本人がいなくならない理由、世界競争力ランキングで日本は35位と過去最低に 「凋落」に耳をふさぐ本当の深刻さ) ダイヤモンド・オンライン 徳成旨亮氏による「「このままだと日本経済は沈没するぞ」 海外投資家が三菱UFJのCFOに放った厳しすぎる本音」 「日経平均は1989年の最高値を未だ更新できておらず」とあるが、6月13日にバブル後最高値を更新した。 「日本の将来を憂えて、安易に平等主義やきれいごとに流れるのではなく、有為な人材には最高の職場環境を用意し、必要な教育・研修の機会を与え、同時にとことん負荷をかけて高い成果やアウトプットを求め、アニマルスピリッツを刺激する処遇制度を用意し、企業価値を高めることが企業経営者の責務ではないか?」との「ファンドマネージャー」の指摘は的確だ。 「人間性の特質にもとづく不安定性……(中略)……おのずと湧きあがる楽観に左右されるという事実に起因する不安定がある。……(中略)……その決意のおそらく大部分は、ひとえに血気(アニマルスピリッツ)と呼ばれる、不活動よりは活動に駆り立てる人間本来の衝動の結果として行われるのであって、数量化された利得に数量化された確率を掛けた加重平均の結果として行われるものではない」、 「社会も企業も個人もリスク回避的になり、安全運転を重視して、成長戦略よりもコスト削減を優先してきた結果、今日の低成長と国際的な地位低下を招いたと考えられます。 また、こうした思考方法が数十年の長きにわたり続いたことから、世代を超えて、日本人および社会全体から「アニマルスピリッツ」が失われていったのだと考えることができます。 特に、本来楽観的思考やチャレンジ意欲をより持っているはずの若者世代が、人口減少や高齢化に伴う将来の生活不安、特に年金制度への不信から保守的になり、リスク回避的な行動を取るようになっていったことは、日本社会の活力をさらに失わせています」、なるほど。 「従来の日本の経理・財務担当役員に多く見られる「CFOは企業価値保全を第一義にすべきだ」という考え方を「金庫番思考」、「CFOは冷徹な計算と非合理的なまでの熱意を併せ持ち、企業成長のエンジンとなるべき」という考え方を「CFO思考」と呼びます」、 「CFOは、投資家をはじめとする社外の多くのステークホルダー(利害関係者)に対しては、会社を代表してエンゲージメント・・・を行い、社内に対しては、ROE(自己資本利益率)に代表される投資家の期待・資本の論理や、ESG投資家や地域社会など、異なるステークホルダーの要望を社員にもわかるように翻訳して伝え、その期待を踏まえた経営戦略を立て、それを実践するよう組織に影響を与え行動を促す、という役割を担っています。 そして、「アニマルスピリッツ」をCEOなどほかの経営陣と共有し、「数値をベースにした冷静な判断力」を持って考え、企業としての夢の実現に向け行動する、いわば企業成長のエンジンの役割を果たしています」、こうした真のCFOがもっと増えてほしいものだ。 窪田順生氏による「「誹謗中傷大国ニッポン」ゆがんだ正義を振りかざす日本人がいなくならない理由」 「なぜこういう「ゆがんだ正義心」が生まれるのか。いろいろな意見があるだろうが、筆者は日本人が100年以上受けてきた「教育」の弊害だと考えている。 我々は物心ついた時から「ルールやマナーを守れ」「みんなに迷惑をかけるな」ということを骨の髄まで叩き込まれる。教育基本法や学校教育法の中に「規範意識の育成」ということが掲げられているからだ。もちろん、この方針自体は悪くない。 問題は「規範意識」に熱が入りすぎて「過剰」になってしまっていることだ。 ご存じの方も多いだろうが、日本の学校教育は世界的に見るとかなり特殊だ。異常に厳しいブラック校則、同じ制服、同じカバンの強制、軍隊的な部活動、そしてクラス内での「班」行動などなど、他国の子どもと比べて「規範意識の育成」を徹底的に叩き込まれる機会が多い。この「規範意識=絶対正義」という極端な教育方針を改めない限り、「誹謗中傷」は絶対になくならない」、なるほど。 「「量」に関しては、日本人はTwitterが世界一好きということが大きい。 22年1月の国別ユーザー数では、首位アメリカ(7690万人)に次いで日本は5895万人で世界第2位なのだが、ヘビーユーザーが圧倒的に多い。イーロン・マスク氏が先日、日本のユーザーの利用時間が世界一だとして「1人当たりの使用量だと米国の約3倍です」と述べたように、朝から晩までTwitterに何かを発信している人が世界一多いのだ。 「量」が世界一ならば当然、誹謗中傷も世界一多くなるだろう」、「「匿名文化」が誹謗中傷の「陰湿さ」に拍車をかけているのは、もはや説明の必要がないだろう。「死ね」「消えろ」「顔を見るのも不快」「気持ち悪い」などという心ない言葉を家族や隣近所、会社の同僚や上司の前で平気で言える人は少ない。しかし、自分の名前も素性も知らない人たちの前で、しかも見ず知らずの他人に対してならば、いくらでも罵詈雑言が吐けるという人はいる。 社会的地位も脅かされない、人間関係も崩れもないという「安全地帯」にいるからこそ、心ゆくまで陰湿な誹謗中傷ができて、相手を自殺に追い込むほどの粘着さも発揮してしまう、という部分は確かに存在しているのだ。 その醜悪な現実がうかがえるのが、「世界一の削除要求・開示請求」だ」、なるほど。 「「規範意識の育成」をやりすぎってしまった「副作用」だと筆者は考えている。 繰り返しになるが、この教育方針自体は素晴らしい。社会で生きていくうえでルールやマナーを守るのは当然だ。しかし、日本のようにこの教育があまりに過剰になって、国民の規範意識が高くなりすぎると、社会に「対立と分断」を招いてしまう。 「ルールやマナーを守らない人」「みんなに迷惑をかける人」への激しい怒りや憎悪が芽生えてしまうのだ。わかりやすいケースが戦時中の「非国民」へのすさまじい誹謗中傷とリンチだ」、「なぜこんなに当時の日本人は戦争に協力的だったのかというと、軍にマインドコントロールをされていたから…なんて大層な話ではなく、ごくシンプルに「教育」の成果だ」、なるほど。 「「教育勅語」でも、実は「規範意識の育成」は大きな柱となっている。と言っても、時代背景が違うので当時はこれを「遵法」と呼んだ。「法律や規則を守り社会の秩序に従おう」という意味だ。 戦前・戦中の子どもは「教育勅語」を暗唱させられて、この「遵法」を骨の髄まで叩き込まれた。すると、どういう大人に成長するのかというと、国が定めた法律やルールを守ることが「正義」であり、それができない者は「非国民」として怒りや憎悪を抱く人になってしまう。 「規範意識」が膨張して、「社会秩序を乱す悪」を制裁するための誹謗中傷や暴力は許される、という感じで、「正義の暴走」が始まるのだ」、「見た目は“化粧”されているが、本質的なところでは同じ教育が続いているので当然、「非国民へのリンチ」も健在だ。しかし、さすがに今はこん棒で殴り殺すというわけにはいかない。そこで「武器」をSNSに変えて、「死ね」「消えろ」というナイフのように鋭い言葉で相手の「心」をメッタ刺しするようになった、というのが筆者の考えだ」、なるほど。 「もし「誹謗中傷」を本気で防ぎたいのなら日本の「過剰な規範意識教育」と、それが引き起こす「正義の暴走」についてしっかりと考えるべきではないか」、その通りだ。 野口悠紀雄氏による「世界競争力ランキングで日本は35位と過去最低に、「凋落」に耳をふさぐ本当の深刻さ」 2023年の「世界競争力ランキング」 「1990年代の中頃までは世界でトップを争っていた日本が、なぜここまで凋落したのか。それには明確な理由がある」、どんな理由なのだろう。 「日本より上位には、これらのほかに、マレーシア、タイ、インドネシアなどの諸国がある。日本より下位にあるのはインドなど3カ国だけだ」、酷い凋落ぶりだ。 「「政府の政策が適切でないためにビジネスの効率性が低下する。その結果、全体としての競争力が低下する」という状況に、日本が落ち込んでしまっていることが分かる」、「政府」の責任は重大だ。 「デジタル化・・・を実現するための基本的な制度を日本政府は整備することができないのだ。 マイナ保険証のような技術的問題だけでなく、政治的な政策判断の問題もある。少子化対策のように効果が疑わしい政策に多額の資金を投入しようとしている。しかも、そのための財源措置を行なっていない。防衛費も増額はするが、安定した財源の手当てがされていない。 日本政府は迷走しているとしか言いようがない。 そして、このような無責任な政府に対して野党が有効なチェック機能を果たしていない」、「日本政府は迷走」、「野党が有効なチェック機能を果たしていない」、その通りだ。 「アイルランド」は「IT化に成功して90年代以降、奇跡的な経済成長を実現した。2023年の世界競争ランキングで同国は世界第2位だ」、ただ、日本経済ははるかに規模が大きいのが難しいところだ。 「日本人は、このように高い潜在的能力を持ちながら、それを発揮できない経済・社会環境に置かれてしまっているのだ」、困ったことだ。 日銀は昨日、イールドカーブ・コントロール(YCC)の運用を柔軟化した。これにより「円安」には歯止めがかかる可能性もある。しばらく、今後の展開には注目したい。
電子政府(その6)(デジタル人材必読 電子立国エストニアはこれだけすごい 安全保障によって鍛えられた歴史、役所のDXはなぜ難しい?行政にはびこる「絶対間違えられない」の呪縛、役所に残る「メールよりFAX」信仰 時代錯誤な住民の行政批判もDXの壁に) [経済政治動向]
電子政府については、2021年11月1日に取上げた。今日は、(その6)(デジタル人材必読 電子立国エストニアはこれだけすごい 安全保障によって鍛えられた歴史、役所のDXはなぜ難しい?行政にはびこる「絶対間違えられない」の呪縛、役所に残る「メールよりFAX」信仰 時代錯誤な住民の行政批判もDXの壁に)である。
先ずは、昨年2月2日付けWedge ONLINEが掲載した中曽根康弘世界平和研究所 主任研究員の大澤 淳氏による「デジタル人材必読 電子立国エストニアはこれだけすごい 安全保障によって鍛えられた歴史」を紹介しよう。
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/25609
・『バルト三国の一番北に位置するエストニアは、森と湖が国土の大半を占める平坦な国である。人口約132万人、国土面積は約4万5000平方キロメートルで、例えるなら、関東地方と新潟県を合わせた広さの土地に、さいたま市と同じ人口が暮らしている。 1918年にロシアから独立したが、40年にソビエト連邦に占領・編入された苦難の歴史がある。89年の東欧の民主化の波をうけ、91年に独立を回復した。 エストニアの首都タリンは、写真のように中世ハンザ都市の面影を強く残していて、観光で訪れる日本人が持つ第一印象は恐らく、「おとぎ話の舞台のような北欧」というものであろう。世界遺産に登録されているタリンの旧市街を歩けば、ドイツ騎士団領時代に建設された丸い塔が特徴のヴィル門や、ロシア統治時代に建設されたタマネギ型のドームが印象的なアレクサンドル・ネフスキー大聖堂があり、大国に翻弄されてきたこの国の歴史を感じることができる』、普段縁がない「エストニア」とは興味深そうだ。
・『道路にパーキング・メーターがない理由 街の中を一見しただけでは、この小国エストニアが、世界最先端の「電子立国」であることを見逃してしまうだろう。だが、街路で目をこらして見ると、世界の大都市によくあるパーキング・メーターがないことに気がつく。 駐車スペースと思われる道端には、駐車区域コードと駐車料金が記載されたPのマークの看板が設置されている。看板には、「m-pakimine」すなわち「モバイル・パーキング」との表示がある。 駐車するドライバーは、スマホから位置情報アプリかショートメッセージサービス(SMS)で区域コードを送信して駐車登録を行い、出発する際に駐車登録を解除する。小銭を取り出して料金を支払う必要はなく、月末に携帯電話料金と共に利用者の銀行口座から引き落とされる。m-パーキングでは、利用者の本人確認、車両登録情報、位置情報、携帯電話情報、銀行口座情報のデータが、瞬時に行政機関や通信事業者のサーバー間で交換されている』、「モバイル・パーキング」は確かに便利そうだ。
・『北欧の「電子立国」エストニア エストニアは、「e-Estonia」を掲げ、世界で最先端の「電子立国」を実現している。電子サービスは、m-パーキング以外にも、e-タックス、e-スクール、e-チケット、i-投票、e-警察、e-司法、e-医療、e-処方箋、e-土地登記簿、e-ビジネス(企業登録)、e-バンキングなどほぼすべての公的サービスに広がっている。 例えば、申告の95%がオンラインで行われているe-タックスでは、納税者の1年間の収入・控除などが自動集計され、納税者はシステムにログインして、自分のデータを確認・修正して電子署名を承認するだけで、3〜5分で申告が終了する。その他、処方箋の98%、銀行取引の99.8%、駐車料金の90%がオンライン経由で行われており、行政サービスの99%はオンラインで提供され、24時間365日利用可能である』、「行政サービスの99%はオンラインで提供され、24時間365日利用可能である」、これは便利だ。
・『「電子立国」を支える2つの基盤技術 エストニアの「電子立国」を支える最も重要な基盤が、安全なeID(デジタル身分証)と安全が担保されたX-Road(データ交換基盤)である。エストニアのIDカードは、日本のマイナンバーカードと同様のもので、個人識別コード、eID(デンタル本人確認証明書、暗号化証明書、電子署名証明書)が格納されている。 2002年に導入されたeIDは、プラステック製のIDカード専用の読取り装置か携帯電話のSIM(モバイルIDを入れた特別なもの)経由でも利用が可能である』、「eIDは、プラステック製のIDカード専用の読取り装置か携帯電話のSIM・・・経由でも利用が可能」、なるほど。
・『普及のためなら高齢者に何度も説明 このIDカードの普及率はなんと驚きの98%である。筆者はエストニア政府の担当者に「普及の秘訣は何ですか。高齢の方にどうやって納得してもらったのですか?」と質問する機会があったが、「落伍者を一人も出さないという目標を掲げ、街頭での普及活動に加え、高齢者のご家族にも説明を手伝ってもらい、必要なら担当者が何度も森の中のお宅に出向いて説明した」との答えが返ってきた。 エストニアの「電子立国」は、とことん国民に寄り添い、国民生活を楽に、便利にすることに主眼が置かれている。カードの普及率を上げることが目的化し、2兆円近い税金を使ってポイントで釣る日本のやり方は、再考の余地がある。 「電子立国」のもう1つの基盤X-Roadは、規格化された分散型のデータ交換基盤で、01年に政府により導入された。データベースを統合して1つにすると効率的だが、天変地異やサイバー攻撃で破壊されてしまえば、すべてのデータが消失するリスクがある。そのため、データベースを分散し、データベース間を安全につなぐことにしたのである。 X-Roadはインターネット通信プロトコル(TCP/IP)ベースで、インターネットを介してデータを交換する。そのため、データベースとX-Roadの間にセキュリティサーバーを置き、交換されるデータを暗号化して通信を行っている。また、それぞれのデータベースへのアクセスには、正当なアクセスであるユーザー認証を認証局から得る必要があり、不正なアクセスや情報漏洩が起こらない仕組みを構築している。昨今セキュリティ業界では「ゼロトラスト(何も信用せずにセキュリティ対策を講ずる)」が流行だが、エストニアのX-Roadは、20年前からゼロトラストの思想で設計されている』、「エストニアのX-Roadは、20年前からゼロトラストの思想で設計されている」、ずいぶん先進的だったようだ。
・『基盤を支える「暗号アルゴリズム」 「電子立国」の基盤であるeIDとX-Roadの安心・安全を担保しているのが、権限を持つ本人であるかどうかをデジタルで証明する技術(アナログ社会の日本ならハンコと印鑑と印鑑証明にあたる)と、漏洩や改ざんされずにデータをやりとりできる技術(封書と書留にあたる)となる。この2つの技術の土台となるのが、「暗号アルゴリズム」である。 「暗号アルゴリズム」は、情報の暗号化や復号を行うための手順や計算式を定めたルールのことで、忍者の「山」「川」といった合言葉や真珠湾攻撃の開戦を指示した暗号電報「ニイタカヤマノボレ」も事前に意味が合意されたルールであり、暗号アルゴリズムの一種である。例をあげて簡単に説明すれば、文字を2文字後ろにずらすルール(アルゴリズム)を使うと、「ABC」という通信は「CDE」となり、「DOG(犬)」という内容も「FQI」という全く意味不明の通信となり、アルゴリズムを知らない他人には通信内容がわからなくなる。) 現在では、上記の例のようなルール(鍵)を共有する「共通鍵暗号」と、暗号化ルール(公開鍵)と複合化ルール(秘密鍵)をセットにした「公開鍵暗号」の両方が使われている。公開鍵暗号は、ルールを事前に共有しなくても暗号通信のやりとりができるため、ネット時代のデジタル社会を支える技術基盤になっており、エストニアでも公開鍵基盤が政府によって運営されている』、なるほど。
・『起源はソビエト支配時代の研究開発 人口132万人の小国エストニアが、最先端の「暗号アルゴリズム」を用いた「電子立国」を、どのようにして世界に先駆けて実現できたのか。その答えは、ソビエト支配時代の科学技術開発にさかのぼる。 もともと、エストニアの首都タリンには、1918年にタリン工科大学が設立され、電気工学などの学問が盛んであった。そのような人的基盤を元に、60年にサイバネティクス研究所が設立された。同研究所では、自動制御、プログラミング、アルゴリズム、ソフトウェア開発が行われ、70年代末には500人の研究者が在籍していた。 エストニアのコンピューター科学の父といわれるEnn Tõugu教授も、当時研究所の一員で、ソフトウェア工学を研究する研究室を78年に研究所内に開いている。このサイバネティクス研究所は、閉鎖的なソビエトの科学技術開発の中で、珍しく西側に交流の窓が開かれており、スウェーデンやフィンランドの研究者との交流を通じて、エストニアが最先端のコンピューター科学の技術力を保持する母体となった。このサイバネティクス研究所からは、暗号アルゴリズムを専門とするCybernetica社が民間企業として97年に独立し、政府と一体となってエストニアのX-Roadや認証技術の開発を担っている』、「サイバネティクス研究所は、閉鎖的なソビエトの科学技術開発の中で、珍しく西側に交流の窓が開かれており、スウェーデンやフィンランドの研究者との交流を通じて、エストニアが最先端のコンピューター科学の技術力を保持する母体となった」、こうした恵まれた基盤があったようだ。
・『安全保障が鍛える「電子立国」の技術 このエストニアの「電子立国」の基盤技術は、その後厳しい安全保障環境の中で鍛えられていくこととなる。30カ国が加盟する北大西洋条約機構(NATO)の中でも、国境を直にロシアと接しているのは、エストニアも含めわずか5カ国にすぎず、その中でもエストニア−ロシア国境が294キロと最も長い。エストニアはNATOの最前線に位置するが、それはサイバー空間でも同じである。 2007年4月、エストニア政府、議会、金融機関、メディアなどがDDoS(分散型サービス拒否)を用いた機能妨害型のサイバー攻撃に襲われ、市民生活に大きな影響が生じた。一国を標的とした世界初めての大規模なサイバー攻撃で、世界に衝撃が走った。 エストニア政府はこのサイバー攻撃の教訓から、X-Roadで交換される重要なデータについて、「データの完全性(データが改ざんされていないこと)」をブロックチェーン技術で担保する技術開発を、翌08年に着手した。現在、この技術が、医療、土地登記、企業登記、政府公告などで使われている』、「エストニア政府はこのサイバー攻撃の教訓から、X-Roadで交換される重要なデータについて、「データの完全性・・・」をブロックチェーン技術で担保する技術開発を、翌08年に着手した。現在、この技術が、医療、土地登記、企業登記、政府公告などで使われている」、「サイバー攻撃の教訓から」、「ブロックチェーン技術で担保する技術」で鉄壁の防護体制を築いたとは大したものだ。
・『領土が侵略されてもデータは守る 14年には、ロシアがウクライナを侵攻し、クリミア半島を奪取した。クリミア紛争では、サイバー戦と軍事侵攻が同時に行われ、「ハイブリッド戦」が注目されるようになった。これを受け、エストニア政府は、「電子立国」の究極の安全保障政策として、Data Embassy(データ大使館)構想を15年から実行に移している。) 先に述べたように、エストニアは歴史的に何度も大国の侵略に遭い、国土を蹂躙された経験を有している。そのため万が一、「物理的に領土が侵略されても、国民とその財産である国民のデータを守る覚悟」をもって、Data Embassy構想を進めている。 Data Embassyは、国外の第三国との間で、外交使節に関するウィーン条約第22条(使節団の公館は不可侵)の覚え書きを交換し、当該国に設置するサーバーにも公館不可侵の原則を適用してもらい、エストニア政府が保管する国民のデータのバックアップを、当該国のサーバー(Data Embassy)に保存するという構想である。 17年にルクセンブルグとの間で覚書が調印され、最初のData Embassyがルクセンブルク国内のデータセンターに設置された。その他にも、場所は明らかにされていないが、複数の国で同様のData Embassyが設置されている』、「Data Embassyは、国外の第三国との間で、外交使節に関するウィーン条約第22条・・・の覚え書きを交換し、当該国に設置するサーバーにも公館不可侵の原則を適用してもらい、エストニア政府が保管する国民のデータのバックアップを、当該国のサーバー(Data Embassy)に保存するという構想である。 17年にルクセンブルグとの間で覚書が調印され、最初のData Embassyがルクセンブルク国内のデータセンターに設置された」、「データ大使館」とは興味深い発想だ。
・『持つべき安全保障への覚悟 筆者がエストニアを訪問した際に、この構想についての「覚悟」を説明してくれたエストニア政府高官は、「攻めてくるのは隣の大きな熊(ロシア)ですよね?」という私の質問に対して、「明日にも宇宙人がやってくるかもしれないでしょ」といたずらっぽい目をして答えてくれた。 「どんなことがあっても、サイバー空間で国家を存続させる」と語る彼の口調からは、エストニアが置かれた安全保障環境の厳しさと、それに立ち向かって、国民の生命と財産を技術で守り抜くという真剣な覚悟が痛いほど伝わってきた。「電子立国」を成り立たせるために、そういった安全保障の覚悟があることをわれわれ日本人は真摯に受け止める必要がある。 『Wedge』2021年12月号で「日常から国家まで 今日はあなたが狙われる」を特集しております。 いまやすべての人間と国家が、サイバー攻撃の対象となっている。国境のないネット空間で、日々ハッカーたちが蠢き、さまざまな手で忍び寄る。その背後には誰がいるのか。彼らの狙いは何か。その影響はどこまで拡がるのか─。われわれが日々使うデバイスから、企業の情報・技術管理、そして国家の安全保障へ。すべてが繋がる便利な時代に、国を揺るがす脅威もまた、すべてに繋がっている。 特集はWedge Online Premiumにてご購入することができます』、「エストニアが置かれた安全保障環境の厳しさと、それに立ち向かって、国民の生命と財産を技術で守り抜くという真剣な覚悟」、我々も見習うべきだろう。
次に、昨年5月4日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの酒井真弓氏による「役所のDXはなぜ難しい?行政にはびこる「絶対間違えられない」の呪縛」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/302583
・『日本の役所には「自分たちは間違えてはいけない、間違わないために前例を踏襲する」という考えが浸透している。実際には日々テクノロジーの進化によって、より良いモノや手法が生まれているのに、「間違ったことをしてはいけない」という概念にとらわれすぎて、前例踏襲主義から抜け出せない。そんな行政を変える動きが、少しずつだが生まれている』、「前例踏襲主義から抜け出」そうとする動きが出てきたとは結構なことだ。
・『牧島かれんデジタル大臣が語った「無謬性神話からの脱却とアジャイル」とは 「無謬(むびゅう)性神話からの脱却」 牧島かれんデジタル大臣は、柔軟に政策の見直し・改善を行っていく「アジャイル型政策形成・評価の在り方に関するワーキンググループ」の立ち上げに際し、そう語った。 無謬とは、理論や判断に間違いがないこと。日本の政府や官僚組織には無意識のうちにこの無謬性神話にとりつかれている人が多い。自分たちは間違えてはいけない、間違わないために前例をきちんと守る……。 一方、アジャイルとは、「仕様や設計には変更がある」ということを前提に、最初から厳格な仕様を決めず、より良い姿を目指して臨機応変に形を変えていく開発スタイルだ。初めに仕様を決め、決められた工程を順に進めていくウォーターフォール型と比較して、市場環境やニーズの変化に柔軟に対応できるとして、取り入れる企業も増えている。 行政で働く人たちにも「本当はこうしたい」という思いがある。しかし、「間違ったことをしてはいけない」という概念にとらわれすぎて、前例踏襲主義から抜け出せない。リスクを取って変えたところで、失敗したら評価が下がる。時には建設的とは言えない批判に日常業務が圧迫されることもある。重要な決断が先延ばしにされ、新型コロナのような緊急事態での対応を遅らせる元凶は、無謬性を追い求めるがゆえの硬直した考え方にある。 時代の流れは速く、複雑性も増している。まずはスピード感を持って政策を投入し、EBPM(エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング:証拠に基づく政策立案)に則って早い段階で見直し、改善を重ねていくこともできるのではないか。) 無謬性神話から脱却して、アジャイルで政策を形成し、評価するというのは非常に難しい。しかし牧島さんは、「コロナ禍でアジャイルのモデルケースができた」と語る。ワクチン接種記録システム(VRS)によって接種状況が可視化され、実際の数字と現場の声を掛け合わせ、柔軟に改善を図ることができたという。こうした動きは、霞が関のみならず、企業のDXにも一石を投じるもののように思う』、「「コロナ禍でアジャイルのモデルケースができた」と語る。ワクチン接種記録システム(VRS)によって接種状況が可視化され、実際の数字と現場の声を掛け合わせ、柔軟に改善を図ることができたという」、なるほど。
・『ある地方自治体の行政パーソンの胸の内 牧島さんの話に深く共感する人がいた。 民間企業から、ある地方自治体のIT担当者に転身したAさんは、一歩引いた目線で「間違いがないことは、行政パーソンが一番大事にしていること。理念に近い」と語る。一方で、IT担当者として何かを変えようとすると、その無謬性が足かせになることがあるという。Aさんは「中の人」になって初めて、行政パーソンが抱える苦しさを知ったという。 まず、着任して早々、Aさんは驚いた。仕事で使うパソコンから、直接インターネットに接続できなかったのだ』、「行政」だけでなく、銀行・証券でも「直接インターネットに接続でき」る端末は例外的だ。
・『自治体がインターネットにつながらなくなった理由 これは、2016年に始まった「三層の対策」(三層分離)に起因する。三層の対策とは、2015年、日本年金機構が不正アクセスを受け、個人情報の一部が流出した事件を機に、総務省の要請によって進められたセキュリティ強化策だ。自治体のネットワークを、通常業務で使用するLGWAN(総合行政ネットワーク)接続系、マイナンバーに関わる業務を行うための個人番号利用事務系、インターネット接続系の3つに分離し、セキュリティを高めるといったアプローチだ。 狙い通り、インシデント数は大幅に減少した。しかし、全国約1700の自治体のほとんどが、業務端末から直接インターネットに接続できなくなり、業務効率の低下につながってしまった。 2016年といえば、世間では若年層のスマホ保有率が8割を超え、クラウドも当たり前の時代にシフトしていた。そんな中、自治体はインターネットからある意味切り離され、情報収集したくても、手間がかかるようになってしまったのだ。 三層の対策は、2020年に総務省が見直しを表明したものの、各自治体に深く影響が残っている。今は、世界中で何十億人が使うアプリと、行政のアプリのUI/UXが同じ土俵で比べられてしまう時代だ。行政パーソンもそれをひしひしと感じている。しかし、多くの自治体は、直接インターネットに接続できないがゆえ、クラウドサービスの利用に制約がかかっている状態。UI/UXを改善する以前に、自分たちが優れたサービスを使って、「今どきのワークスタイルとはこういうものだ」と実感するのも難しいのが実情なのだ。 Aさんは、「インターネット接続の課題が改善されない限り、自治体のDXは進まない」と語る。いくら民間から新しい風を入れ、改善に動いても、技術的な制約によって早々に足止めをくらってしまう。これは、どの自治体にも共通する課題だ。それに、「インターネット」を他に置き換えれば、多くの企業で同じような現象が起きているのではないだろうか』、「多くの自治体は、直接インターネットに接続できないがゆえ、クラウドサービスの利用に制約がかかっている状態。UI/UXを改善する以前に、自分たちが優れたサービスを使って、「今どきのワークスタイルとはこういうものだ」と実感するのも難しいのが実情なのだ」、なるほど。
・『ミスをすることが、なぜこんなにも重いのか AさんがIT担当者として初めに着手したのは、メールの誤送信対策として続けてきたPPAP(パスワード付き圧縮ファイル)と送信遅延の廃止だった。 次にAさんは、Bcc強制変換を廃止しようとした。Bcc強制変換とは、宛先に大量の外部宛てメールアドレスを指定した場合、強制的に「Bcc」(ブラインドカーボンコピー。複数の利用者宛にメールを同時送信する際、受取人以外の送信先メールアドレスを伏せること)に自動変換する機能のことだ。誤送信や個人情報漏えいを防ぐために導入している自治体は多いのだが、受信側は、返信の際に一つ一つメールアドレスを入れ直す必要があり、かなりの手間がかかっていた。 Aさんは、Bcc強制変換の廃止も受け入れられるだろうと思っていた。しかし、役所内からは「個人情報の保護を優先すべきだ」という声が上がった。自分たちの利便性向上よりも、セキュリティや個人情報保護を優先する背景には、「ミスによって市民からの信頼を失ってはならない」という責任感が垣間見えた。改革には、そこで働く人たちが大切にしてきたことへの共感やリスペクトが必要だ。Aさんにとってはこれが、行政パーソンが何を大事に業務に取り組んできたかを最初に実感した出来事だったという。 「民間企業として自治体と仕事をしてきたので、自治体の働き方、考え方についてそこそこ理解しているつもりでした。しかし、この一年で、何も分かっていなかったということがよく分かりました。本当のところは、中に入ってみないと分からないものですね」(Aさん)) 無謬性にとらわれているのは行政だけではない。Aさんは今、一部の業務がスマホでもできるよう準備を進めているのだが、業務時間中にスマホを見ていると、市民から「仕事中にスマホを触るとは何事だ」と電話が入ったという。 適切な時代認識を持たない一部の市民やメディアが本質からずれた批判をすることで、行政はさらに息苦しくなっていく。自分たちは間違えてはいけない。それが根底にあるからこそ真に受けて、変わることをやめてしまう』、「一部の市民やメディアが本質からずれた批判をすることで、行政はさらに息苦しくなっていく」、仮にそうした「本質からずれた批判」を受けたら、「行政」は遠慮せずに堂々と申し開きをすべきだ。
・『役所の変革こそ一筋縄ではいかない 行政を取材すると、「役所の変革こそ一筋縄ではいかない」という声を聞く。何かを変えようとすれば、受け継いだ政策をまずは「是」とするのが役人のイロハだと、役人としての資質を問われることになる。 冒頭の答弁で、牧島かれんデジタル大臣は、「企業の常識が霞が関の常識になっていない」と指摘した。「まずはデジタル庁が無謬性にとらわれず、新たなショーケースとなり、他の省庁にも展開しやすくしていきたい」という。 適切な時代認識とともに、世の中の当たり前を霞が関の当たり前に。そして、自治体の当たり前に。今がその分水嶺だ』、「「まずはデジタル庁が無謬性にとらわれず、新たなショーケースとなり・・・」とあるが、現実にはマイナンバーカ-ド問題で、てんやわんやでそれどころではなさそうだ。
第三に、昨年5月11日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの酒井真弓氏による「役所に残る「メールよりFAX」信仰、時代錯誤な住民の行政批判もDXの壁に」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/302975
・『日本のDXが進まないと言われて久しいが、一般企業以上に進んでいないのが行政のDXだ。行政のDXを妨げる要因はどこにあるのか。「役所は遅れている」と批判する前に、自治体を取り巻く閉塞感の正体と、私たち住民ができることを考えてみたい』、興味深そうだ。
・『90年代のパソコン環境のままで、時が止まっている 前回、『役所のDXはなぜ難しい?行政にはびこる「絶対間違えられない」の呪縛』では、実例を踏まえ、行政のDXを妨げる要因に触れた。まずは、なぜ多くの自治体が、いまだに電話やFAX、紙をベースに業務を進めているのか考えてみたい。 1995年、Windows 95によってパソコン画面に色や絵が表示されるようになり、1996年にはInternet ExplorerやOutlook Expressが登場し、今に続くコミュニケーションの基礎ができあがった。自治体のIT環境やベースとなる考え方は、ほとんどこの時点で止まっている。この時期に決められたルール、導入した機器やソフトウエアが脈々と受け継がれているのだ。 市や町では、パソコンが1人1台支給されていないケースもある。支給されていたとしても、すぐにフリーズしてしまうような古いパソコンを大切に使い続けていたりする。ウェブ会議用のカメラが付いていないことも多く、ウェブ会議ツールのライセンスが部署ごとにしか発行されていなかったりもする。自治体とのウェブ会議では一つの画面に何人か収まっていることがあるのだが、そういう理由かもしれない。) 加えて、前回も紹介したインターネット接続の課題だ。2016年に総務省の要請で始まったセキュリティー強化策「三層の対策」により、全国約1700ほとんどの自治体が、業務で使うパソコンから直接インターネットに接続できなくなった。一般企業では考えられないことだが、行政のDXを考える上では念頭に置くべき制約だ。 三層の対策は、2020年に総務省から見直しが表明されているものの、現場では尾を引いている。過度なセキュリティー対策に加え、「インターネットは危険なもの」という認識から迷信も根強く残る。一部の自治体で「メールよりFAXのほうが安全」と言われるのもその一つだ』、「FAX」信仰の強さには、「メールよりFAXのほうが安全」との「迷信」が影響しているとは、やれやれだ。
・『自治体のDXを妨げる4つの要因 一方で、自治体で働く人の多くが、私生活ではデジタルに慣れ親しんでいる。ギャップを知っているからこそ、庁内のパソコンを積極的に使おうとは思わない。すぐにフリーズするから最低限の機能を残して停止するし、会議は紙の資料で進んでいく。税金を使っている以上は最低限のスペックでというが、最低限のスペックとは時代とともに変化するものだ。民間企業の「普通」を享受することは、決してぜいたくではない。 自治体のDXを妨げる要因をかなり抽象化すると、大きく以下の4つに分けられそうだ。 (1)前時代的なIT環境(予算や政策との兼ね合いもある) (2)失敗を恐れる文化(4の原因となる場合もある) (3)年功序列・終身雇用(長い下積みや人材流動性の低さ) (4)意思決定と事業推進の遅さ(3による中間管理職層の厚さもその理由) これらは互いに影響し合っている。いくら(2)(3)(4)の改善に動いても、インターネット接続の課題を解決しない限り、技術的制約によって足止めをくらってしまう。民間から優秀なIT人材を採用しても、実力を発揮する以前の問題で去っていくということが起こり得るのだ』、「いくら(2)(3)(4)の改善に動いても、インターネット接続の課題を解決しない限り、技術的制約によって足止めをくらってしまう」、つまり(1)の問題が大きいようだ。
・『安易な行政批判やクレームがもたらすもの 既存のやり方を否定することが改善につながるかというと、そうではない。「間違ったことをして信頼を失ってはいけない」というコンテクストに背を向けて、失敗を恐れる文化を頭ごなしに批判したり、アジャイルを訴えたりしても、平行線をたどるのは目に見えている。 また、前回の記事では、Aさんが、スマホでも一部の業務が進められるよう準備を始めたところ、市民から「仕事中にスマホを触るとは何事だ」とクレームが入ったというエピソードを紹介した。 行政のDXが進まない原因は、適切な時代認識を持たない一部の住民やメディアにもある。民間企業なら無視できることも、行政では難しい。自己流の正義を振りかざす人たちは、自分たちの声で進化が止まってしまう可能性を考えたことがあるだろうか。どうか仕事の邪魔をしないであげてほしい。 実は地方公共団体の職員数は、1994年をピークに大幅に削減されている。これには地方財政の健全化、定員や給与の適正化、民間委託の推進などが関係しているが、今後は、なり手の減少によって行政サービスの維持すら厳しくなる自治体も出てくるだろう。業務効率化は急務だ。 事実、多くの自治体が人材確保に苦労している。「なりたい職業ランキング」では常に上位、人気の職業という印象の公務員だが、近年、定員割れや内定辞退が相次いでいる。北海道庁では、2017年から2年連続で内定辞退率が6割を超えて話題となった。コロナ禍で志願者は微増しているものの、一時的である可能性は高い。 さらに定着率を高めるには、働く人たちの満足度を高める必要がある。昨今、一部の民間企業では、従業員満足度の向上が生産性を高めるとして、EX(Employee Experience)の改善に取り組んでいる。行政には、地域や住民に貢献したいと志して入った人が多いだろう。だが、人を幸せにする前に、役所で働く人たち自身が幸せであってほしい。ただの「やりがい搾取」ではなく、働く環境や評価、待遇など、後回しにしてきた多くのことを見直す時期にさしかかっているのだ』、「働く環境や評価、待遇など、後回しにしてきた多くのことを見直す時期にさしかかっているのだ」、その通りだ。
・『役所から見て、住民は「顧客」なのか? 行政で働く人は、住民を「顧客」と表現することがある。これは、行政サービスをより良くするために必要な心がけかもしれない。だが、筆者はスマートシティーを取材して「それって本当はちょっと違うのかも」と思った。 スマートシティーを推進する静岡県浜松市は、「アジャイル型の街づくり」を掲げ、トライ&エラーを繰り返すことで変化に強い街づくりを進めている。担当者は、「まずはベータ版でPoC(概念実証)を回し、市民の皆さんの反応を見て改善していきたい」と語ってくれた。 はっとした。スマートシティーとはコミュニティーであって、住民がサービスを享受するだけのお客様では成立しないのだ。自治体も同じだ。私たち住民の理解と協力なしに、行政のDXは成し遂げられない』、「自治体も同じだ。私たち住民の理解と協力なしに、行政のDXは成し遂げられない」、その通りだ。
・『必要なのは住民と自治体の共創、自治体自身がもっと発信すべき 国内でも、住民と自治体の共創が少しずつ始まっている。代表的なのが、市民が協力して主体的に行政サービスの課題を解決していく「Civic Tech」だ。 行政側では、経済産業省の「PoliPoli Gov」や、デジタル庁の「アイデアボックス」、香川県高松市の「たかまつアイデアFACTORY」など、住民の声を可視化する取り組みが始まっている。重要なのは、意見募集にとどまらず、改善に向けた対応、結果や展望も含め、行政側の活動も可視化されることだ。こうした動きが見えないと、住民が主体性を保ち続けるのは難しい。 何より自治体は、自分たちを取り巻く課題を自ら発信してほしい。本当の共創は、住民が課題を知るところから始まる。批判を恐れて言えないとか、「自治体ってこういうものだから」と諦めてしまっている部分もあると思う。それでも、自治体は何に苦しみ、本当はどうしたいのか教えてほしい。そうでなければ、味方になってくれる人を振り向かせることすらできないのだから』、「何より自治体は、自分たちを取り巻く課題を自ら発信してほしい。本当の共創は、住民が課題を知るところから始まる。批判を恐れて言えないとか、「自治体ってこういうものだから」と諦めてしまっている部分もあると思う。それでも、自治体は何に苦しみ、本当はどうしたいのか教えてほしい。そうでなければ、味方になってくれる人を振り向かせることすらできないのだから」、同感である。
先ずは、昨年2月2日付けWedge ONLINEが掲載した中曽根康弘世界平和研究所 主任研究員の大澤 淳氏による「デジタル人材必読 電子立国エストニアはこれだけすごい 安全保障によって鍛えられた歴史」を紹介しよう。
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/25609
・『バルト三国の一番北に位置するエストニアは、森と湖が国土の大半を占める平坦な国である。人口約132万人、国土面積は約4万5000平方キロメートルで、例えるなら、関東地方と新潟県を合わせた広さの土地に、さいたま市と同じ人口が暮らしている。 1918年にロシアから独立したが、40年にソビエト連邦に占領・編入された苦難の歴史がある。89年の東欧の民主化の波をうけ、91年に独立を回復した。 エストニアの首都タリンは、写真のように中世ハンザ都市の面影を強く残していて、観光で訪れる日本人が持つ第一印象は恐らく、「おとぎ話の舞台のような北欧」というものであろう。世界遺産に登録されているタリンの旧市街を歩けば、ドイツ騎士団領時代に建設された丸い塔が特徴のヴィル門や、ロシア統治時代に建設されたタマネギ型のドームが印象的なアレクサンドル・ネフスキー大聖堂があり、大国に翻弄されてきたこの国の歴史を感じることができる』、普段縁がない「エストニア」とは興味深そうだ。
・『道路にパーキング・メーターがない理由 街の中を一見しただけでは、この小国エストニアが、世界最先端の「電子立国」であることを見逃してしまうだろう。だが、街路で目をこらして見ると、世界の大都市によくあるパーキング・メーターがないことに気がつく。 駐車スペースと思われる道端には、駐車区域コードと駐車料金が記載されたPのマークの看板が設置されている。看板には、「m-pakimine」すなわち「モバイル・パーキング」との表示がある。 駐車するドライバーは、スマホから位置情報アプリかショートメッセージサービス(SMS)で区域コードを送信して駐車登録を行い、出発する際に駐車登録を解除する。小銭を取り出して料金を支払う必要はなく、月末に携帯電話料金と共に利用者の銀行口座から引き落とされる。m-パーキングでは、利用者の本人確認、車両登録情報、位置情報、携帯電話情報、銀行口座情報のデータが、瞬時に行政機関や通信事業者のサーバー間で交換されている』、「モバイル・パーキング」は確かに便利そうだ。
・『北欧の「電子立国」エストニア エストニアは、「e-Estonia」を掲げ、世界で最先端の「電子立国」を実現している。電子サービスは、m-パーキング以外にも、e-タックス、e-スクール、e-チケット、i-投票、e-警察、e-司法、e-医療、e-処方箋、e-土地登記簿、e-ビジネス(企業登録)、e-バンキングなどほぼすべての公的サービスに広がっている。 例えば、申告の95%がオンラインで行われているe-タックスでは、納税者の1年間の収入・控除などが自動集計され、納税者はシステムにログインして、自分のデータを確認・修正して電子署名を承認するだけで、3〜5分で申告が終了する。その他、処方箋の98%、銀行取引の99.8%、駐車料金の90%がオンライン経由で行われており、行政サービスの99%はオンラインで提供され、24時間365日利用可能である』、「行政サービスの99%はオンラインで提供され、24時間365日利用可能である」、これは便利だ。
・『「電子立国」を支える2つの基盤技術 エストニアの「電子立国」を支える最も重要な基盤が、安全なeID(デジタル身分証)と安全が担保されたX-Road(データ交換基盤)である。エストニアのIDカードは、日本のマイナンバーカードと同様のもので、個人識別コード、eID(デンタル本人確認証明書、暗号化証明書、電子署名証明書)が格納されている。 2002年に導入されたeIDは、プラステック製のIDカード専用の読取り装置か携帯電話のSIM(モバイルIDを入れた特別なもの)経由でも利用が可能である』、「eIDは、プラステック製のIDカード専用の読取り装置か携帯電話のSIM・・・経由でも利用が可能」、なるほど。
・『普及のためなら高齢者に何度も説明 このIDカードの普及率はなんと驚きの98%である。筆者はエストニア政府の担当者に「普及の秘訣は何ですか。高齢の方にどうやって納得してもらったのですか?」と質問する機会があったが、「落伍者を一人も出さないという目標を掲げ、街頭での普及活動に加え、高齢者のご家族にも説明を手伝ってもらい、必要なら担当者が何度も森の中のお宅に出向いて説明した」との答えが返ってきた。 エストニアの「電子立国」は、とことん国民に寄り添い、国民生活を楽に、便利にすることに主眼が置かれている。カードの普及率を上げることが目的化し、2兆円近い税金を使ってポイントで釣る日本のやり方は、再考の余地がある。 「電子立国」のもう1つの基盤X-Roadは、規格化された分散型のデータ交換基盤で、01年に政府により導入された。データベースを統合して1つにすると効率的だが、天変地異やサイバー攻撃で破壊されてしまえば、すべてのデータが消失するリスクがある。そのため、データベースを分散し、データベース間を安全につなぐことにしたのである。 X-Roadはインターネット通信プロトコル(TCP/IP)ベースで、インターネットを介してデータを交換する。そのため、データベースとX-Roadの間にセキュリティサーバーを置き、交換されるデータを暗号化して通信を行っている。また、それぞれのデータベースへのアクセスには、正当なアクセスであるユーザー認証を認証局から得る必要があり、不正なアクセスや情報漏洩が起こらない仕組みを構築している。昨今セキュリティ業界では「ゼロトラスト(何も信用せずにセキュリティ対策を講ずる)」が流行だが、エストニアのX-Roadは、20年前からゼロトラストの思想で設計されている』、「エストニアのX-Roadは、20年前からゼロトラストの思想で設計されている」、ずいぶん先進的だったようだ。
・『基盤を支える「暗号アルゴリズム」 「電子立国」の基盤であるeIDとX-Roadの安心・安全を担保しているのが、権限を持つ本人であるかどうかをデジタルで証明する技術(アナログ社会の日本ならハンコと印鑑と印鑑証明にあたる)と、漏洩や改ざんされずにデータをやりとりできる技術(封書と書留にあたる)となる。この2つの技術の土台となるのが、「暗号アルゴリズム」である。 「暗号アルゴリズム」は、情報の暗号化や復号を行うための手順や計算式を定めたルールのことで、忍者の「山」「川」といった合言葉や真珠湾攻撃の開戦を指示した暗号電報「ニイタカヤマノボレ」も事前に意味が合意されたルールであり、暗号アルゴリズムの一種である。例をあげて簡単に説明すれば、文字を2文字後ろにずらすルール(アルゴリズム)を使うと、「ABC」という通信は「CDE」となり、「DOG(犬)」という内容も「FQI」という全く意味不明の通信となり、アルゴリズムを知らない他人には通信内容がわからなくなる。) 現在では、上記の例のようなルール(鍵)を共有する「共通鍵暗号」と、暗号化ルール(公開鍵)と複合化ルール(秘密鍵)をセットにした「公開鍵暗号」の両方が使われている。公開鍵暗号は、ルールを事前に共有しなくても暗号通信のやりとりができるため、ネット時代のデジタル社会を支える技術基盤になっており、エストニアでも公開鍵基盤が政府によって運営されている』、なるほど。
・『起源はソビエト支配時代の研究開発 人口132万人の小国エストニアが、最先端の「暗号アルゴリズム」を用いた「電子立国」を、どのようにして世界に先駆けて実現できたのか。その答えは、ソビエト支配時代の科学技術開発にさかのぼる。 もともと、エストニアの首都タリンには、1918年にタリン工科大学が設立され、電気工学などの学問が盛んであった。そのような人的基盤を元に、60年にサイバネティクス研究所が設立された。同研究所では、自動制御、プログラミング、アルゴリズム、ソフトウェア開発が行われ、70年代末には500人の研究者が在籍していた。 エストニアのコンピューター科学の父といわれるEnn Tõugu教授も、当時研究所の一員で、ソフトウェア工学を研究する研究室を78年に研究所内に開いている。このサイバネティクス研究所は、閉鎖的なソビエトの科学技術開発の中で、珍しく西側に交流の窓が開かれており、スウェーデンやフィンランドの研究者との交流を通じて、エストニアが最先端のコンピューター科学の技術力を保持する母体となった。このサイバネティクス研究所からは、暗号アルゴリズムを専門とするCybernetica社が民間企業として97年に独立し、政府と一体となってエストニアのX-Roadや認証技術の開発を担っている』、「サイバネティクス研究所は、閉鎖的なソビエトの科学技術開発の中で、珍しく西側に交流の窓が開かれており、スウェーデンやフィンランドの研究者との交流を通じて、エストニアが最先端のコンピューター科学の技術力を保持する母体となった」、こうした恵まれた基盤があったようだ。
・『安全保障が鍛える「電子立国」の技術 このエストニアの「電子立国」の基盤技術は、その後厳しい安全保障環境の中で鍛えられていくこととなる。30カ国が加盟する北大西洋条約機構(NATO)の中でも、国境を直にロシアと接しているのは、エストニアも含めわずか5カ国にすぎず、その中でもエストニア−ロシア国境が294キロと最も長い。エストニアはNATOの最前線に位置するが、それはサイバー空間でも同じである。 2007年4月、エストニア政府、議会、金融機関、メディアなどがDDoS(分散型サービス拒否)を用いた機能妨害型のサイバー攻撃に襲われ、市民生活に大きな影響が生じた。一国を標的とした世界初めての大規模なサイバー攻撃で、世界に衝撃が走った。 エストニア政府はこのサイバー攻撃の教訓から、X-Roadで交換される重要なデータについて、「データの完全性(データが改ざんされていないこと)」をブロックチェーン技術で担保する技術開発を、翌08年に着手した。現在、この技術が、医療、土地登記、企業登記、政府公告などで使われている』、「エストニア政府はこのサイバー攻撃の教訓から、X-Roadで交換される重要なデータについて、「データの完全性・・・」をブロックチェーン技術で担保する技術開発を、翌08年に着手した。現在、この技術が、医療、土地登記、企業登記、政府公告などで使われている」、「サイバー攻撃の教訓から」、「ブロックチェーン技術で担保する技術」で鉄壁の防護体制を築いたとは大したものだ。
・『領土が侵略されてもデータは守る 14年には、ロシアがウクライナを侵攻し、クリミア半島を奪取した。クリミア紛争では、サイバー戦と軍事侵攻が同時に行われ、「ハイブリッド戦」が注目されるようになった。これを受け、エストニア政府は、「電子立国」の究極の安全保障政策として、Data Embassy(データ大使館)構想を15年から実行に移している。) 先に述べたように、エストニアは歴史的に何度も大国の侵略に遭い、国土を蹂躙された経験を有している。そのため万が一、「物理的に領土が侵略されても、国民とその財産である国民のデータを守る覚悟」をもって、Data Embassy構想を進めている。 Data Embassyは、国外の第三国との間で、外交使節に関するウィーン条約第22条(使節団の公館は不可侵)の覚え書きを交換し、当該国に設置するサーバーにも公館不可侵の原則を適用してもらい、エストニア政府が保管する国民のデータのバックアップを、当該国のサーバー(Data Embassy)に保存するという構想である。 17年にルクセンブルグとの間で覚書が調印され、最初のData Embassyがルクセンブルク国内のデータセンターに設置された。その他にも、場所は明らかにされていないが、複数の国で同様のData Embassyが設置されている』、「Data Embassyは、国外の第三国との間で、外交使節に関するウィーン条約第22条・・・の覚え書きを交換し、当該国に設置するサーバーにも公館不可侵の原則を適用してもらい、エストニア政府が保管する国民のデータのバックアップを、当該国のサーバー(Data Embassy)に保存するという構想である。 17年にルクセンブルグとの間で覚書が調印され、最初のData Embassyがルクセンブルク国内のデータセンターに設置された」、「データ大使館」とは興味深い発想だ。
・『持つべき安全保障への覚悟 筆者がエストニアを訪問した際に、この構想についての「覚悟」を説明してくれたエストニア政府高官は、「攻めてくるのは隣の大きな熊(ロシア)ですよね?」という私の質問に対して、「明日にも宇宙人がやってくるかもしれないでしょ」といたずらっぽい目をして答えてくれた。 「どんなことがあっても、サイバー空間で国家を存続させる」と語る彼の口調からは、エストニアが置かれた安全保障環境の厳しさと、それに立ち向かって、国民の生命と財産を技術で守り抜くという真剣な覚悟が痛いほど伝わってきた。「電子立国」を成り立たせるために、そういった安全保障の覚悟があることをわれわれ日本人は真摯に受け止める必要がある。 『Wedge』2021年12月号で「日常から国家まで 今日はあなたが狙われる」を特集しております。 いまやすべての人間と国家が、サイバー攻撃の対象となっている。国境のないネット空間で、日々ハッカーたちが蠢き、さまざまな手で忍び寄る。その背後には誰がいるのか。彼らの狙いは何か。その影響はどこまで拡がるのか─。われわれが日々使うデバイスから、企業の情報・技術管理、そして国家の安全保障へ。すべてが繋がる便利な時代に、国を揺るがす脅威もまた、すべてに繋がっている。 特集はWedge Online Premiumにてご購入することができます』、「エストニアが置かれた安全保障環境の厳しさと、それに立ち向かって、国民の生命と財産を技術で守り抜くという真剣な覚悟」、我々も見習うべきだろう。
次に、昨年5月4日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの酒井真弓氏による「役所のDXはなぜ難しい?行政にはびこる「絶対間違えられない」の呪縛」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/302583
・『日本の役所には「自分たちは間違えてはいけない、間違わないために前例を踏襲する」という考えが浸透している。実際には日々テクノロジーの進化によって、より良いモノや手法が生まれているのに、「間違ったことをしてはいけない」という概念にとらわれすぎて、前例踏襲主義から抜け出せない。そんな行政を変える動きが、少しずつだが生まれている』、「前例踏襲主義から抜け出」そうとする動きが出てきたとは結構なことだ。
・『牧島かれんデジタル大臣が語った「無謬性神話からの脱却とアジャイル」とは 「無謬(むびゅう)性神話からの脱却」 牧島かれんデジタル大臣は、柔軟に政策の見直し・改善を行っていく「アジャイル型政策形成・評価の在り方に関するワーキンググループ」の立ち上げに際し、そう語った。 無謬とは、理論や判断に間違いがないこと。日本の政府や官僚組織には無意識のうちにこの無謬性神話にとりつかれている人が多い。自分たちは間違えてはいけない、間違わないために前例をきちんと守る……。 一方、アジャイルとは、「仕様や設計には変更がある」ということを前提に、最初から厳格な仕様を決めず、より良い姿を目指して臨機応変に形を変えていく開発スタイルだ。初めに仕様を決め、決められた工程を順に進めていくウォーターフォール型と比較して、市場環境やニーズの変化に柔軟に対応できるとして、取り入れる企業も増えている。 行政で働く人たちにも「本当はこうしたい」という思いがある。しかし、「間違ったことをしてはいけない」という概念にとらわれすぎて、前例踏襲主義から抜け出せない。リスクを取って変えたところで、失敗したら評価が下がる。時には建設的とは言えない批判に日常業務が圧迫されることもある。重要な決断が先延ばしにされ、新型コロナのような緊急事態での対応を遅らせる元凶は、無謬性を追い求めるがゆえの硬直した考え方にある。 時代の流れは速く、複雑性も増している。まずはスピード感を持って政策を投入し、EBPM(エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング:証拠に基づく政策立案)に則って早い段階で見直し、改善を重ねていくこともできるのではないか。) 無謬性神話から脱却して、アジャイルで政策を形成し、評価するというのは非常に難しい。しかし牧島さんは、「コロナ禍でアジャイルのモデルケースができた」と語る。ワクチン接種記録システム(VRS)によって接種状況が可視化され、実際の数字と現場の声を掛け合わせ、柔軟に改善を図ることができたという。こうした動きは、霞が関のみならず、企業のDXにも一石を投じるもののように思う』、「「コロナ禍でアジャイルのモデルケースができた」と語る。ワクチン接種記録システム(VRS)によって接種状況が可視化され、実際の数字と現場の声を掛け合わせ、柔軟に改善を図ることができたという」、なるほど。
・『ある地方自治体の行政パーソンの胸の内 牧島さんの話に深く共感する人がいた。 民間企業から、ある地方自治体のIT担当者に転身したAさんは、一歩引いた目線で「間違いがないことは、行政パーソンが一番大事にしていること。理念に近い」と語る。一方で、IT担当者として何かを変えようとすると、その無謬性が足かせになることがあるという。Aさんは「中の人」になって初めて、行政パーソンが抱える苦しさを知ったという。 まず、着任して早々、Aさんは驚いた。仕事で使うパソコンから、直接インターネットに接続できなかったのだ』、「行政」だけでなく、銀行・証券でも「直接インターネットに接続でき」る端末は例外的だ。
・『自治体がインターネットにつながらなくなった理由 これは、2016年に始まった「三層の対策」(三層分離)に起因する。三層の対策とは、2015年、日本年金機構が不正アクセスを受け、個人情報の一部が流出した事件を機に、総務省の要請によって進められたセキュリティ強化策だ。自治体のネットワークを、通常業務で使用するLGWAN(総合行政ネットワーク)接続系、マイナンバーに関わる業務を行うための個人番号利用事務系、インターネット接続系の3つに分離し、セキュリティを高めるといったアプローチだ。 狙い通り、インシデント数は大幅に減少した。しかし、全国約1700の自治体のほとんどが、業務端末から直接インターネットに接続できなくなり、業務効率の低下につながってしまった。 2016年といえば、世間では若年層のスマホ保有率が8割を超え、クラウドも当たり前の時代にシフトしていた。そんな中、自治体はインターネットからある意味切り離され、情報収集したくても、手間がかかるようになってしまったのだ。 三層の対策は、2020年に総務省が見直しを表明したものの、各自治体に深く影響が残っている。今は、世界中で何十億人が使うアプリと、行政のアプリのUI/UXが同じ土俵で比べられてしまう時代だ。行政パーソンもそれをひしひしと感じている。しかし、多くの自治体は、直接インターネットに接続できないがゆえ、クラウドサービスの利用に制約がかかっている状態。UI/UXを改善する以前に、自分たちが優れたサービスを使って、「今どきのワークスタイルとはこういうものだ」と実感するのも難しいのが実情なのだ。 Aさんは、「インターネット接続の課題が改善されない限り、自治体のDXは進まない」と語る。いくら民間から新しい風を入れ、改善に動いても、技術的な制約によって早々に足止めをくらってしまう。これは、どの自治体にも共通する課題だ。それに、「インターネット」を他に置き換えれば、多くの企業で同じような現象が起きているのではないだろうか』、「多くの自治体は、直接インターネットに接続できないがゆえ、クラウドサービスの利用に制約がかかっている状態。UI/UXを改善する以前に、自分たちが優れたサービスを使って、「今どきのワークスタイルとはこういうものだ」と実感するのも難しいのが実情なのだ」、なるほど。
・『ミスをすることが、なぜこんなにも重いのか AさんがIT担当者として初めに着手したのは、メールの誤送信対策として続けてきたPPAP(パスワード付き圧縮ファイル)と送信遅延の廃止だった。 次にAさんは、Bcc強制変換を廃止しようとした。Bcc強制変換とは、宛先に大量の外部宛てメールアドレスを指定した場合、強制的に「Bcc」(ブラインドカーボンコピー。複数の利用者宛にメールを同時送信する際、受取人以外の送信先メールアドレスを伏せること)に自動変換する機能のことだ。誤送信や個人情報漏えいを防ぐために導入している自治体は多いのだが、受信側は、返信の際に一つ一つメールアドレスを入れ直す必要があり、かなりの手間がかかっていた。 Aさんは、Bcc強制変換の廃止も受け入れられるだろうと思っていた。しかし、役所内からは「個人情報の保護を優先すべきだ」という声が上がった。自分たちの利便性向上よりも、セキュリティや個人情報保護を優先する背景には、「ミスによって市民からの信頼を失ってはならない」という責任感が垣間見えた。改革には、そこで働く人たちが大切にしてきたことへの共感やリスペクトが必要だ。Aさんにとってはこれが、行政パーソンが何を大事に業務に取り組んできたかを最初に実感した出来事だったという。 「民間企業として自治体と仕事をしてきたので、自治体の働き方、考え方についてそこそこ理解しているつもりでした。しかし、この一年で、何も分かっていなかったということがよく分かりました。本当のところは、中に入ってみないと分からないものですね」(Aさん)) 無謬性にとらわれているのは行政だけではない。Aさんは今、一部の業務がスマホでもできるよう準備を進めているのだが、業務時間中にスマホを見ていると、市民から「仕事中にスマホを触るとは何事だ」と電話が入ったという。 適切な時代認識を持たない一部の市民やメディアが本質からずれた批判をすることで、行政はさらに息苦しくなっていく。自分たちは間違えてはいけない。それが根底にあるからこそ真に受けて、変わることをやめてしまう』、「一部の市民やメディアが本質からずれた批判をすることで、行政はさらに息苦しくなっていく」、仮にそうした「本質からずれた批判」を受けたら、「行政」は遠慮せずに堂々と申し開きをすべきだ。
・『役所の変革こそ一筋縄ではいかない 行政を取材すると、「役所の変革こそ一筋縄ではいかない」という声を聞く。何かを変えようとすれば、受け継いだ政策をまずは「是」とするのが役人のイロハだと、役人としての資質を問われることになる。 冒頭の答弁で、牧島かれんデジタル大臣は、「企業の常識が霞が関の常識になっていない」と指摘した。「まずはデジタル庁が無謬性にとらわれず、新たなショーケースとなり、他の省庁にも展開しやすくしていきたい」という。 適切な時代認識とともに、世の中の当たり前を霞が関の当たり前に。そして、自治体の当たり前に。今がその分水嶺だ』、「「まずはデジタル庁が無謬性にとらわれず、新たなショーケースとなり・・・」とあるが、現実にはマイナンバーカ-ド問題で、てんやわんやでそれどころではなさそうだ。
第三に、昨年5月11日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの酒井真弓氏による「役所に残る「メールよりFAX」信仰、時代錯誤な住民の行政批判もDXの壁に」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/302975
・『日本のDXが進まないと言われて久しいが、一般企業以上に進んでいないのが行政のDXだ。行政のDXを妨げる要因はどこにあるのか。「役所は遅れている」と批判する前に、自治体を取り巻く閉塞感の正体と、私たち住民ができることを考えてみたい』、興味深そうだ。
・『90年代のパソコン環境のままで、時が止まっている 前回、『役所のDXはなぜ難しい?行政にはびこる「絶対間違えられない」の呪縛』では、実例を踏まえ、行政のDXを妨げる要因に触れた。まずは、なぜ多くの自治体が、いまだに電話やFAX、紙をベースに業務を進めているのか考えてみたい。 1995年、Windows 95によってパソコン画面に色や絵が表示されるようになり、1996年にはInternet ExplorerやOutlook Expressが登場し、今に続くコミュニケーションの基礎ができあがった。自治体のIT環境やベースとなる考え方は、ほとんどこの時点で止まっている。この時期に決められたルール、導入した機器やソフトウエアが脈々と受け継がれているのだ。 市や町では、パソコンが1人1台支給されていないケースもある。支給されていたとしても、すぐにフリーズしてしまうような古いパソコンを大切に使い続けていたりする。ウェブ会議用のカメラが付いていないことも多く、ウェブ会議ツールのライセンスが部署ごとにしか発行されていなかったりもする。自治体とのウェブ会議では一つの画面に何人か収まっていることがあるのだが、そういう理由かもしれない。) 加えて、前回も紹介したインターネット接続の課題だ。2016年に総務省の要請で始まったセキュリティー強化策「三層の対策」により、全国約1700ほとんどの自治体が、業務で使うパソコンから直接インターネットに接続できなくなった。一般企業では考えられないことだが、行政のDXを考える上では念頭に置くべき制約だ。 三層の対策は、2020年に総務省から見直しが表明されているものの、現場では尾を引いている。過度なセキュリティー対策に加え、「インターネットは危険なもの」という認識から迷信も根強く残る。一部の自治体で「メールよりFAXのほうが安全」と言われるのもその一つだ』、「FAX」信仰の強さには、「メールよりFAXのほうが安全」との「迷信」が影響しているとは、やれやれだ。
・『自治体のDXを妨げる4つの要因 一方で、自治体で働く人の多くが、私生活ではデジタルに慣れ親しんでいる。ギャップを知っているからこそ、庁内のパソコンを積極的に使おうとは思わない。すぐにフリーズするから最低限の機能を残して停止するし、会議は紙の資料で進んでいく。税金を使っている以上は最低限のスペックでというが、最低限のスペックとは時代とともに変化するものだ。民間企業の「普通」を享受することは、決してぜいたくではない。 自治体のDXを妨げる要因をかなり抽象化すると、大きく以下の4つに分けられそうだ。 (1)前時代的なIT環境(予算や政策との兼ね合いもある) (2)失敗を恐れる文化(4の原因となる場合もある) (3)年功序列・終身雇用(長い下積みや人材流動性の低さ) (4)意思決定と事業推進の遅さ(3による中間管理職層の厚さもその理由) これらは互いに影響し合っている。いくら(2)(3)(4)の改善に動いても、インターネット接続の課題を解決しない限り、技術的制約によって足止めをくらってしまう。民間から優秀なIT人材を採用しても、実力を発揮する以前の問題で去っていくということが起こり得るのだ』、「いくら(2)(3)(4)の改善に動いても、インターネット接続の課題を解決しない限り、技術的制約によって足止めをくらってしまう」、つまり(1)の問題が大きいようだ。
・『安易な行政批判やクレームがもたらすもの 既存のやり方を否定することが改善につながるかというと、そうではない。「間違ったことをして信頼を失ってはいけない」というコンテクストに背を向けて、失敗を恐れる文化を頭ごなしに批判したり、アジャイルを訴えたりしても、平行線をたどるのは目に見えている。 また、前回の記事では、Aさんが、スマホでも一部の業務が進められるよう準備を始めたところ、市民から「仕事中にスマホを触るとは何事だ」とクレームが入ったというエピソードを紹介した。 行政のDXが進まない原因は、適切な時代認識を持たない一部の住民やメディアにもある。民間企業なら無視できることも、行政では難しい。自己流の正義を振りかざす人たちは、自分たちの声で進化が止まってしまう可能性を考えたことがあるだろうか。どうか仕事の邪魔をしないであげてほしい。 実は地方公共団体の職員数は、1994年をピークに大幅に削減されている。これには地方財政の健全化、定員や給与の適正化、民間委託の推進などが関係しているが、今後は、なり手の減少によって行政サービスの維持すら厳しくなる自治体も出てくるだろう。業務効率化は急務だ。 事実、多くの自治体が人材確保に苦労している。「なりたい職業ランキング」では常に上位、人気の職業という印象の公務員だが、近年、定員割れや内定辞退が相次いでいる。北海道庁では、2017年から2年連続で内定辞退率が6割を超えて話題となった。コロナ禍で志願者は微増しているものの、一時的である可能性は高い。 さらに定着率を高めるには、働く人たちの満足度を高める必要がある。昨今、一部の民間企業では、従業員満足度の向上が生産性を高めるとして、EX(Employee Experience)の改善に取り組んでいる。行政には、地域や住民に貢献したいと志して入った人が多いだろう。だが、人を幸せにする前に、役所で働く人たち自身が幸せであってほしい。ただの「やりがい搾取」ではなく、働く環境や評価、待遇など、後回しにしてきた多くのことを見直す時期にさしかかっているのだ』、「働く環境や評価、待遇など、後回しにしてきた多くのことを見直す時期にさしかかっているのだ」、その通りだ。
・『役所から見て、住民は「顧客」なのか? 行政で働く人は、住民を「顧客」と表現することがある。これは、行政サービスをより良くするために必要な心がけかもしれない。だが、筆者はスマートシティーを取材して「それって本当はちょっと違うのかも」と思った。 スマートシティーを推進する静岡県浜松市は、「アジャイル型の街づくり」を掲げ、トライ&エラーを繰り返すことで変化に強い街づくりを進めている。担当者は、「まずはベータ版でPoC(概念実証)を回し、市民の皆さんの反応を見て改善していきたい」と語ってくれた。 はっとした。スマートシティーとはコミュニティーであって、住民がサービスを享受するだけのお客様では成立しないのだ。自治体も同じだ。私たち住民の理解と協力なしに、行政のDXは成し遂げられない』、「自治体も同じだ。私たち住民の理解と協力なしに、行政のDXは成し遂げられない」、その通りだ。
・『必要なのは住民と自治体の共創、自治体自身がもっと発信すべき 国内でも、住民と自治体の共創が少しずつ始まっている。代表的なのが、市民が協力して主体的に行政サービスの課題を解決していく「Civic Tech」だ。 行政側では、経済産業省の「PoliPoli Gov」や、デジタル庁の「アイデアボックス」、香川県高松市の「たかまつアイデアFACTORY」など、住民の声を可視化する取り組みが始まっている。重要なのは、意見募集にとどまらず、改善に向けた対応、結果や展望も含め、行政側の活動も可視化されることだ。こうした動きが見えないと、住民が主体性を保ち続けるのは難しい。 何より自治体は、自分たちを取り巻く課題を自ら発信してほしい。本当の共創は、住民が課題を知るところから始まる。批判を恐れて言えないとか、「自治体ってこういうものだから」と諦めてしまっている部分もあると思う。それでも、自治体は何に苦しみ、本当はどうしたいのか教えてほしい。そうでなければ、味方になってくれる人を振り向かせることすらできないのだから』、「何より自治体は、自分たちを取り巻く課題を自ら発信してほしい。本当の共創は、住民が課題を知るところから始まる。批判を恐れて言えないとか、「自治体ってこういうものだから」と諦めてしまっている部分もあると思う。それでも、自治体は何に苦しみ、本当はどうしたいのか教えてほしい。そうでなければ、味方になってくれる人を振り向かせることすらできないのだから」、同感である。
タグ:大澤 淳氏による「デジタル人材必読 電子立国エストニアはこれだけすごい 安全保障によって鍛えられた歴史」 「行政サービスの99%はオンラインで提供され、24時間365日利用可能である」、これは便利だ。 「モバイル・パーキング」は確かに便利そうだ。 Wedge Online (その6)(デジタル人材必読 電子立国エストニアはこれだけすごい 安全保障によって鍛えられた歴史、役所のDXはなぜ難しい?行政にはびこる「絶対間違えられない」の呪縛、役所に残る「メールよりFAX」信仰 時代錯誤な住民の行政批判もDXの壁に) 電子政府 普段縁がない「エストニア」とは興味深そうだ。 「eIDは、プラステック製のIDカード専用の読取り装置か携帯電話のSIM・・・経由でも利用が可能」、なるほど。 「エストニアのX-Roadは、20年前からゼロトラストの思想で設計されている」、ずいぶん先進的だったようだ。 「サイバネティクス研究所は、閉鎖的なソビエトの科学技術開発の中で、珍しく西側に交流の窓が開かれており、スウェーデンやフィンランドの研究者との交流を通じて、エストニアが最先端のコンピューター科学の技術力を保持する母体となった」、こうした恵まれた基盤があったようだ。 「エストニア政府はこのサイバー攻撃の教訓から、X-Roadで交換される重要なデータについて、「データの完全性・・・」をブロックチェーン技術で担保する技術開発を、翌08年に着手した。現在、この技術が、医療、土地登記、企業登記、政府公告などで使われている」、「サイバー攻撃の教訓から」、「ブロックチェーン技術で担保する技術」で鉄壁の防護体制を築いたとは大したものだ。 「Data Embassyは、国外の第三国との間で、外交使節に関するウィーン条約第22条・・・の覚え書きを交換し、当該国に設置するサーバーにも公館不可侵の原則を適用してもらい、エストニア政府が保管する国民のデータのバックアップを、当該国のサーバー(Data Embassy)に保存するという構想である。 17年にルクセンブルグとの間で覚書が調印され、最初のData Embassyがルクセンブルク国内のデータセンターに設置された」、「データ大使館」とは興味深い発想だ。 「エストニアが置かれた安全保障環境の厳しさと、それに立ち向かって、国民の生命と財産を技術で守り抜くという真剣な覚悟」、我々も見習うべきだろう。 ダイヤモンド・オンライン 酒井真弓氏による「役所のDXはなぜ難しい?行政にはびこる「絶対間違えられない」の呪縛」 「前例踏襲主義から抜け出」そうとする動きが出てきたとは結構なことだ。 「「コロナ禍でアジャイルのモデルケースができた」と語る。ワクチン接種記録システム(VRS)によって接種状況が可視化され、実際の数字と現場の声を掛け合わせ、柔軟に改善を図ることができたという」、なるほど。 「行政」だけでなく、銀行・証券でも「直接インターネットに接続でき」る端末は例外的だ。 「多くの自治体は、直接インターネットに接続できないがゆえ、クラウドサービスの利用に制約がかかっている状態。UI/UXを改善する以前に、自分たちが優れたサービスを使って、「今どきのワークスタイルとはこういうものだ」と実感するのも難しいのが実情なのだ」、なるほど。 「一部の市民やメディアが本質からずれた批判をすることで、行政はさらに息苦しくなっていく」、仮にそうした「本質からずれた批判」を受けたら、「行政」は遠慮せずに堂々と申し開きをすべきだ。 「「まずはデジタル庁が無謬性にとらわれず、新たなショーケースとなり・・・」とあるが、現実にはマイナンバーカ-ド問題で、てんやわんやでそれどころではなさそうだ。 酒井真弓氏による「役所に残る「メールよりFAX」信仰、時代錯誤な住民の行政批判もDXの壁に」 「FAX」信仰の強さには、「メールよりFAXのほうが安全」との「迷信」が影響しているとは、やれやれだ。 「いくら(2)(3)(4)の改善に動いても、インターネット接続の課題を解決しない限り、技術的制約によって足止めをくらってしまう」、つまり(1)の問題が大きいようだ。 「働く環境や評価、待遇など、後回しにしてきた多くのことを見直す時期にさしかかっているのだ」、その通りだ。 「自治体も同じだ。私たち住民の理解と協力なしに、行政のDXは成し遂げられない」、その通りだ。 「何より自治体は、自分たちを取り巻く課題を自ら発信してほしい。本当の共創は、住民が課題を知るところから始まる。批判を恐れて言えないとか、「自治体ってこういうものだから」と諦めてしまっている部分もあると思う。それでも、自治体は何に苦しみ、本当はどうしたいのか教えてほしい。そうでなければ、味方になってくれる人を振り向かせることすらできないのだから」、同感である。