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景気動向(その2)(「日本の実質GDPはコロナ禍前より減少 なぜ米国は成長するのにマイナス成長か?) [経済]

景気動向については、2021年11月10日に取上げた。今日は、(その2)(日本の実質GDPはコロナ禍前より減少 なぜ米国は成長するのにマイナス成長か?)である。

本年3月7日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した一橋大学名誉教授の野口悠紀雄氏による「日本の実質GDPはコロナ禍前より減少、なぜ米国は成長するのにマイナス成長か?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/339932
・『2019~23年の実質GDP米国は5%増、日本は1%減少  2023年の国内総生産(GDP)が2月15日に発表され、日本の名目GDPは米ドル換算でドイツに抜かれて世界4位に転落、55年ぶりに日独が逆転した。 だが、アメリカとの間でも、新型コロナウイルスの感染拡大という異常な事態での経済パフォーマンスが顕著に異なるものとなった。それまでもあった日米の違いがはっきりと現れた。 この期間を通じてアメリカ経済は成長したのに対して、日本経済はマイナス成長に陥ったのだ。 IMF(国際通貨基金)のデータによれば、コロナがほぼ収束した2023年の日本の実質GDPは、コロナ禍前の19年の0.989倍になった。つまり約1%減少した。それに対して、アメリカでは1.051倍になった。つまり、約5%増加した(注)。減少と増加では、天と地ほどの隔たりがある。 3月中旬に自動車・電機大手の集中回答が予定される今春闘での高い賃上げが成長をけん引するかのように言われている。だがそれは誤解だ。 仮に春闘で連合が要求する「5%賃上げ」が実現することになっても、根本的な問題は解決しない』、「2019~23年の実質GDP米国は5%増、日本は1%減少」、成長率格差は顕著だ。
・『実質賃金下落が実質消費を減らした 増えたのは在庫投資と政府支出だけ  日本の場合、需要面のGDP構成項目を見ると、図表1の通りだ。さまざまな項目が落ち込んでいる。国内需要項目で増えたのは在庫投資と政府消費支出だけだ。 在庫投資の増加は、簡単にいえば「売れ残り」だが、家計消費の落ち込みは物価上昇によって実質賃金が下落したことによってもたらされた。家計消費支出はGDPの約半分を占めているので、これがGDP成長率に与えた効果は大きい。 (表1:日本のGDPの需要項目別成長率 はリンク先参照) これに対してアメリカでは、インフレによって実質賃金が一時的に低下したが、再び増加に転じ、GDPが増えた』、「アメリカでは・・・実質賃金が一時的に低下したが、再び増加に転じ、GDPが増えた」、のに対し日本では「実質賃金下落」が「実質消費を減らし」続けた。
・『日銀は円安を阻止し物価上昇を抑えるべきだった  今回のインフレ局面はアメリカに端を発したものであり、それはコロナ回復期の需要増大によってもたらされた。その後、ウクライナ戦争による穀物・エネルギー価格の急騰もあってインフレは加速。それが日本に輸入されたのだが、これを日本側で食い止めるのは不可能だったと考えられるかもしれない。 しかし、遮断する方策はあった。日本銀行が金利を上げて円安を阻止し、円ベースでの輸入物価の上昇を食い止めれば、国内物価への波及を抑えられ、実質賃金の下落も、消費支出の減少も抑えることができただろう、 しかし実際には、日銀は市場の圧力に抗して、2022年12月まで長期金利の抑圧をやめなかった。それがGDPマイナス成長をもたらした最大の原因だ。 アメリカで20年に大規模な金融緩和を行なったが、FRB(連邦準備制度理事会)はインフレが一時的でないと認識するや、政策転換して金融引き締めを行なった』、金融政策は為替動向に割り当てるべきではないとの伝統的考え方に加えて、景気の腰はまだ弱いとの判断が制約になったことは確かだ、ただ、為替動向についての日銀総裁の余りにつれないコメントが円安を煽ったことも事実で、学者とはいえ総裁にはもう少し巧みな対応を期待したい。
・『「春闘賃上げ率5%」でも問題解決しない 消費者物価上昇がベアの伸びを上回る可能性(いまの日本経済浮揚の最重要課題は賃金の引き上げだとする意見が多い。そして、そのきっかけとして、春闘での高い賃上げ率が必要だとする意見が多い。連合は5%を超える賃上げを目指すとしており、経営者側でも高い賃上げを支持示する声が強い。 賃金の引き上げはもちろん重要な課題だ。しかし、これで問題が解決できるわけではない。 注意すべきことが二つある。第1は、仮に春闘で5%の賃上げが実現したところで、経済全体の賃上げ率は、それよりずっと低くなることだ。 なぜなら、5%はベースアップ(ベア)だけではなく、定期昇給分(定昇)も含む数字だからだ。これらのうち経済全体の賃上げ率に影響するのはベアの部分だけだ。 これは次のように考えれば理解できるだろう。ある企業で、入社する従業員と退社する従業員の数が釣り合い、その結果、年齢別の従業員数が、毎年変わらないとする。すると、個々の従業員の給与は、ベアだけでなく定昇によっても増える。 しかし退社する人もいるので、企業全体として見た場合の給与総額の増加率はベアに相当する部分だけしか増えない。企業の負担もベア相当分だけだ。どの企業についてもこれが言えるとすれば、経済全体としての給与総額の増加率は平均的なベア増加率に等しいことになる。 個々の従業員の立場から見ると、ベアも定昇も享受する。しかしそれは、20代から50代前半までの人に限られたことだ。この年齢階級の人は、年をとるに従って、子供の教育などに要する生活費が多くなる。それに応じて給与を上げるというのが定期昇給の意味だ。 したがって、生活が豊かになるわけではないと言える。しかもこれは50代前半までのことであって、それ以降になれば多くの企業では給与は減少する。 こうしたことを考えれば、日本人の給与を評価するには、春闘賃上げ率でなく、中小企業なども含めた経済全体の賃金上昇率、あるいはベースアップ率を見るのが適切だと言える。 2023年春闘での賃上げ率は3.6%だったが、このうちベアは2%程度だったとみられる。消費者物価の上昇率がこれを超えたために、実質賃金が下落したのだ。 2024年の春闘での連合の目標である「5%以上」の内訳は、定昇2%、ベアが3%以上だ。 仮にこれが実現でき、かつ消費者物価の上昇率が今後、高まるようなことがなければ、少なくとも春闘参加企業については、実質賃金下落の状態から脱却できるだろう。 ただし、物価上昇が収束するかどうかは分からない。 消費者物価指数の上昇率は依然として高止まりしており、生鮮食品を除く総合指数の対前年同月比は依然として2%台であり、23年平均では3.1%の上昇率だ。 これでは、実質賃金が有意にプラスになるのは期待できない』、「日本人の給与を評価するには、春闘賃上げ率でなく、中小企業なども含めた経済全体の賃金上昇率、あるいはベースアップ率を見るのが適切だと言える・・・2023年春闘での賃上げ率は3.6%だったが、このうちベアは2%程度だったとみられる。消費者物価の上昇率がこれを超えたために、実質賃金が下落したのだ。 2024年の春闘での連合の目標である「5%以上」の内訳は、定昇2%、ベアが3%以上だ。 仮にこれが実現でき、かつ消費者物価の上昇率が今後、高まるようなことがなければ、少なくとも春闘参加企業については、実質賃金下落の状態から脱却できるだろう。 ただし、物価上昇が収束するかどうかは分からない」、なるほど。
・『アメリカで物価上昇率が高いのは経済成長率が高いことの結果  注意すべき第2点は、経済全体が成長する必要性だ。賃金だけが他の経済変数と独立に上がることはない。経済全体がバランスを取って成長する必要がある。 賃金が経済成長を牽引するのではない。経済を牽引するのは新しい技術やビジネスモデルだ。それらが、新しいタイプの企業活動を実現し経済が成長する。その結果として賃金が上がるのだ。 アメリカの場合、先進的な部門ほど賃金上昇率が高く、賃金の水準も高く、また成長率も高い。これらの分野が先導することによってアメリカ経済全体が成長している。 そして、賃金が上昇することによって物価が上昇している。 だから、古典的な意味でのフィリップスカーブの関係が成り立っていると考えて良い。 つまり、物価上昇率が高いのは経済成長率が高いことの結果であり、したがって望ましいことと考えられるわけだ。 ただ、2021年以降は、コロナからの回復という特殊条件によって、物価上昇率があまりに高まったために実質賃金が低下し、その結果、金融引き締めが必要になったのだ。 注目すべきは、アメリカがこの間に数々の技術革新を実現していることだ。コロナ禍の下では、リモートワークのために、IT機器などに関する新しい需要が掘り起こされ、ズームなどが普及した。そして最近では生成AIの目覚ましい発展がある。 コロナ回復期の賃金上昇がインフレを引き起こしたのは事実だが、背後には、IT産業の顕著な成長があったのだ。こうした基本的条件があるため、いったん下落した実質賃金が、早期にプラスの伸びに回復した』、「経済を牽引するのは新しい技術やビジネスモデルだ。それらが、新しいタイプの企業活動を実現し経済が成長する。その結果として賃金が上がるのだ。 アメリカの場合、先進的な部門ほど賃金上昇率が高く、賃金の水準も高く、また成長率も高い。これらの分野が先導することによってアメリカ経済全体が成長している・・・物価上昇率が高いのは経済成長率が高いことの結果であり、したがって望ましいことと考えられるわけだ・・・コロナ回復期の賃金上昇がインフレを引き起こしたのは事実だが、背後には、IT産業の顕著な成長があったのだ。こうした基本的条件があるため、いったん下落した実質賃金が、早期にプラスの伸びに回復した」、やはり「アメリカ」「経済」は力強い。
・『技術革新が起らない日本で目覚ましい賃金上昇はありえない  日本の場合には、物価が外生的な原因で上昇し、それに追いつくために賃金引上げが必要になった。しかし十分に引き上げられないため、実質賃金が下落した。これは、アメリカのメカニズムとは大きく違う。 日本に欠けているのは、アメリカで起ったような技術革新だ。産業構造が古いままであり、新しい時代に対応する経済活動が始まっていない。コロナ禍でデジタル化の遅れが痛感されたが、いまだにファクスが使われ、捺印なしには事務処理が進まない。 そのため、GDPが減少している。こうした中で賃金だけが目覚ましく上昇することなどはあり得ない。 (注)IMF、世界経済見通し(WEO)のデータによる。2023年の値はIMFの推計値』、「日本に欠けているのは、アメリカで起ったような技術革新だ。産業構造が古いままであり、新しい時代に対応する経済活動が始まっていない。コロナ禍でデジタル化の遅れが痛感されたが、いまだにファクスが使われ、捺印なしには事務処理が進まない。 そのため、GDPが減少している。こうした中で賃金だけが目覚ましく上昇することなどはあり得ない」、強く同意する。 
タグ:「2019~23年の実質GDP米国は5%増、日本は1%減少」、成長率格差は顕著だ。 野口悠紀雄氏による「日本の実質GDPはコロナ禍前より減少、なぜ米国は成長するのにマイナス成長か?」 ダイヤモンド・オンライン (その2)(「日本の実質GDPはコロナ禍前より減少 なぜ米国は成長するのにマイナス成長か?) 景気動向 「アメリカでは・・・実質賃金が一時的に低下したが、再び増加に転じ、GDPが増えた」、のに対し日本では「実質賃金下落」が「実質消費を減らし」続けた。 金融政策は為替動向に割り当てるべきではないとの伝統的考え方に加えて、景気の腰はまだ弱いとの判断が制約になったことは確かだ、ただ、為替動向についての日銀総裁の余りにつれないコメントが円安を煽ったことも事実で、学者とはいえ総裁にはもう少し巧みな対応を期待したい。 「日本人の給与を評価するには、春闘賃上げ率でなく、中小企業なども含めた経済全体の賃金上昇率、あるいはベースアップ率を見るのが適切だと言える・・・2023年春闘での賃上げ率は3.6%だったが、このうちベアは2%程度だったとみられる。消費者物価の上昇率がこれを超えたために、実質賃金が下落したのだ。 2024年の春闘での連合の目標である「5%以上」の内訳は、定昇2%、ベアが3%以上だ。 仮にこれが実現でき、かつ消費者物価の上昇率が今後、高まるようなことがなければ、少なくとも春闘参加企業については、実質賃金下落の 状態から脱却できるだろう。 ただし、物価上昇が収束するかどうかは分からない」、なるほど。 「経済を牽引するのは新しい技術やビジネスモデルだ。それらが、新しいタイプの企業活動を実現し経済が成長する。その結果として賃金が上がるのだ。 アメリカの場合、先進的な部門ほど賃金上昇率が高く、賃金の水準も高く、また成長率も高い。これらの分野が先導することによってアメリカ経済全体が成長している・・・物価上昇率が高いのは経済成長率が高いことの結果であり、したがって望ましいことと考えられるわけだ・・・コロナ回復期の賃金上昇がインフレを引き起こしたのは事実だが、背後には、IT産業の顕著な成長があったのだ。こうした基 本的条件があるため、いったん下落した実質賃金が、早期にプラスの伸びに回復した」、やはり「アメリカ」「経済」は力強い。 「日本に欠けているのは、アメリカで起ったような技術革新だ。産業構造が古いままであり、新しい時代に対応する経済活動が始まっていない。コロナ禍でデジタル化の遅れが痛感されたが、いまだにファクスが使われ、捺印なしには事務処理が進まない。 そのため、GDPが減少している。こうした中で賃金だけが目覚ましく上昇することなどはあり得ない」、強く同意する。
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資本主義(その11)(資本主義は「加速し続けるランニングマシン」だ 「交換価値」を求め続ける自己増殖システム、トマ・ピケティ氏とは? 資本主義と格差問題への提言を考える、崩壊している資本主義の後に来るものは何なのか 「ラグビーワールドカップ」でわかる国家の行方) [経済]

資本主義については、本年5月28日に取上げた。今日は、(その11)(資本主義は「加速し続けるランニングマシン」だ 「交換価値」を求め続ける自己増殖システム、トマ・ピケティ氏とは? 資本主義と格差問題への提言を考える、崩壊している資本主義の後に来るものは何なのか 「ラグビーワールドカップ」でわかる国家の行方)である。

先ずは、5月11日付け東洋経済オンラインが掲載した経済人類学者のジェイソン・ヒッケル氏による「資本主義は「加速し続けるランニングマシン」だ 「交換価値」を求め続ける自己増殖システム」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/663945
・『環境破壊、不平等、貧困……今、世界中で多くの人々が、資本主義が抱える問題に気づき始めている。 経済人類学者のジェイソン・ヒッケル氏によれば、資本主義は自然や身体をモノと見なして「外部化」し、搾取することで成立している、「ニーズを満たさないことを目的としたシステム」であるという。 そしてヒッケルは、「アニミズム対二元論」というユニークな視点で、資本主義の歴史とそれが内包する問題を白日の下にさらし、今後、私たちが目指すべき「成長に依存しない世界」を提示する。 今回、日本語版が4月に刊行された『資本主義の次に来る世界』より、一部抜粋、編集のうえ、お届けする』、興味深そうだ。
・『資本主義に対する誤謬  数か月前、わたしは生放送されるテレビ討論会のステージにいた。テーマは資本主義の未来だ。観客(オーディエンス)が注視する中、論敵は立ち上がってこう言った。――資本主義自体には、問題はまったくない。問題は、強欲なCEOと金で動く政治家のせいで資本主義が腐敗していることだ。わたしたちがすべきことは腐ったリンゴを取り除くことだ。そうすれば、すべてうまくいく。 資本主義とは、突き詰めれば市場で物を売り買いしている人々のことだ。地元のファーマーズマーケットであれ、モロッコの青空市場(スーク)であれ、彼らは、自分の技能を活かして生計を立てている罪なき人々だ。それのどこが間違っていると言うのか?) 聞こえのいい話だし、筋が通っているように思える。しかし、ファーマーズマーケットやスークの小さな店は、資本主義とは何の関係もない。その喩えは間違っている。しかも資本主義がなぜ生態系を破壊しているのかを理解するためには何の役にも立たない。 資本主義の仕組みを本当に理解したいのであれば、もっと深く掘り下げる必要がある。 その第一歩は、人間の歴史の大半を通じて、経済は「使用価値」〔人間の必要(ニーズ)を満たす有用性〕を中心に回っていたことを理解することだ。 農家が梨を育てたのは、そのみずみずしい甘さが好きだから、あるいは午後の空腹を和らげるためだった。 職人が椅子を作ったのは、ポーチでくつろぐ時やテーブルで食事をとる時に座るためだった。彼らが梨や椅子を売ることにしたのは、庭で使う鍬(くわ)や娘のためのポケットナイフといった別の有用な物を買う資金を得るためだった。 今日でも多くの人はこうした形で経済に参加している。わたしたちが店に行くのは、夕食の材料や冬の寒さをしのぐためのジャケットなど、自分にとって有用な物を買うためだ』、「経済は「使用価値」〔人間の必要(ニーズ)を満たす有用性〕を中心に回っていたことを理解することだ」、「わたしたちが店に行くのは、夕食の材料や冬の寒さをしのぐためのジャケットなど、自分にとって有用な物を買うためだ」、なるほど。
・『資本家のいない経済システム  この種の経済は次のように表すことができる。Cは商品(梨や椅子)、Mはお金を表す。 C1→ M→C2 一見、これは資本主義を「個人間で有用な物を自由に交換すること」として、うまく説明しているように見える。ファーマーズマーケットやスークでの売買と同じだ。 しかし、ここに「資本家」は存在しない。人間の歴史のどの時代、どの場所でも、経済システムはおおむねこのようなものであった。それらと資本主義が異なるのは、資本家にとって価値の意味がまったく異なるからだ。 資本家は梨や椅子の有用性を認めるだろうが、彼らが梨や椅子を生産するのは、午後のおやつや座るための場所を得るためではなく、売って得たお金で他の有用な物を買うためでもない。目的はただ一つ、利益を生むことだ。) このシステムで重要なのは、物の使用価値ではなく、「交換価値」だ。それは次のように説明できる。 プライム(’)は量の増加を表す。 M→C→M’ これは使用価値経済とは正反対だ。だが、ここからが本題だ。 資本主義のもとでは、安定した利益を生むだけでは足りない。目標は、利益を再投資して生産プロセスを拡大し、前年より多くの利益を生むことだ。表すと次のようになる。 M→C→M’→C’→M”→C”→M’”……』、「資本主義のもとでは、安定した利益を生むだけでは足りない。目標は、利益を再投資して生産プロセスを拡大し、前年より多くの利益を生むことだ」、なるほど。 
・『地元のレストランと大企業の違い  ここで起きていることを理解するために、2つのタイプの企業を例に挙げよう。 1つは地元のレストランだ。その店は年末の収支決算では黒字になっているが、オーナーは毎年ほぼ同じ利益を出すことで満足している。家賃を支払い、家族を養い、夏の休暇に旅行するには十分な金額だ。 このビジネスは、「賃金を支払い、利益を出す」という資本主義論理の要素になっているかもしれないが、それ自体は資本主義ではない。 なぜなら、その利益は使用価値の概念に基づいているからだ。中小企業の大半はこうしたやり方で経営されており、このような店は資本主義が生まれる数千年前からあった。 では次に、エクソンモービル、フェイスブック、アマゾンといった大企業について考えてみよう。それらの企業の経営のあり方は、地元のレストランが好むような安定した手法ではない。 アマゾンの利益はジェフ・ベゾスの食卓に食べ物を並べるためだけでなく、会社を大きくするために使われる。競合他社を買収し、地元の小売店を廃業に追い込み、新しい国に進出し、より多くの支店をつくり、人々に不必要なものを買わせる広告キャンペーンを打つ。すべては、年々利益を増やし続けるためだ。) これは自己強化のサイクルであり、加速し続けるランニングマシンだ。お金は利益になり、その利益がより多くのお金をもたらし、そのお金がさらに多くの利益になる。 これが資本主義の特徴であることに、わたしたちは気づき始めている。要するに資本家にとって利益は、単に特定の必要(ニーズ)を満たすためのお金ではなく、資本なのだ』、「地元のレストランだ。その店は年末の収支決算では黒字になっているが、オーナーは毎年ほぼ同じ利益を出すことで満足している。家賃を支払い、家族を養い、夏の休暇に旅行するには十分な金額だ。 このビジネスは、「賃金を支払い、利益を出す」という資本主義論理の要素になっているかもしれないが、それ自体は資本主義ではない。 なぜなら、その利益は使用価値の概念に基づいているからだ。中小企業の大半はこうしたやり方で経営されており、このような店は資本主義が生まれる数千年前からあった」、「・・・アマゾンといった大企業について考えてみよう。それらの企業の経営のあり方は、地元のレストランが好むような安定した手法ではない。 アマゾンの利益はジェフ・ベゾスの食卓に食べ物を並べるためだけでなく、会社を大きくするために使われる。競合他社を買収し、地元の小売店を廃業に追い込み、新しい国に進出し、より多くの支店をつくり、人々に不必要なものを買わせる広告キャンペーンを打つ。すべては、年々利益を増やし続けるためだ。) これは自己強化のサイクルであり、加速し続けるランニングマシンだ。お金は利益になり、その利益がより多くのお金をもたらし、そのお金がさらに多くの利益になる。 これが資本主義の特徴である」、なるほど。
・『資本は永遠に自己増殖を求め続ける  重要なこととして、資本はさらなる資本を生み出すために再投資されなければならない。このプロセスは決して終わらず、ひたすら拡大し続ける。 地元のレストランが具体的な必要を満たすことを目指すのと違って、交換価値を蓄積するこのプロセスに明確な終点は存在しない。 それは根本的に人間の必要という概念から切り離されたものなのだ。 3つ目の公式を見れば、資本はウイルスに少々似たふるまいをすることがわかる。 ウイルスは自己複製するようプログラムされた遺伝子から成るが、それ自体は自己複製できない。自分を複製するには、宿主細胞に感染して、自分のDNAのコピーを作らせなければならない。 そうしてできたコピーが他の細胞に感染し、より多くのコピーを作らせる。ウイルスの唯一の目的は自己増殖だ。 資本もまた自己増殖の遺伝子から成り、ウイルスと同じように、触れるものすべてを自己増殖する自らのコピー、すなわち、より多くの資本に変えようとする。 このシステムは、永遠に拡大し続けるようプログラムされた圧倒的な破壊者、ジャガノート(注)になる』、「資本はさらなる資本を生み出すために再投資されなければならない。このプロセスは決して終わらず、ひたすら拡大し続ける」、「ウイルスの唯一の目的は自己増殖だ。 資本もまた自己増殖の遺伝子から成り、ウイルスと同じように、触れるものすべてを自己増殖する自らのコピー、すなわち、より多くの資本に変えようとする」、なるほど。
(注)ジャガノート:「止めることのできない巨大な力」「圧倒的破壊力」(Wikipedia)

次に、6月12日付け日経ビジネスオンライン「トマ・ピケティ氏とは? 資本主義と格差問題への提言を考える」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00081/010500499/
・『著書『21世紀の資本』で注目を集めたフランスの経済学者トマ・ピケティ氏。資本主義世界が自然発生的に格差を生み出すというピケティ氏の指摘は世界中で大きな反響を呼び、日本でも「ピケティ現象」を巻き起こした。ここではピケティ氏が指摘した格差問題について、過去記事から振り返っていく』、興味深そうだ。
・『資本主義が生む格差社会を指摘するトマ・ピケティ氏  トマ・ピケティ氏は、1971年生まれのフランスの経済学者だ。ピケティ氏が2013年に出版した『21世紀の資本』(英語版と日本語版は14年出版)は学術書としては異例の大ベストセラーとなり、ノーベル賞学者や米国の元財務長官からも絶賛された。 『21世紀の資本』でピケティ氏は、世界の約300年間の財務データから「資本主義の世界は格差を自然発生的に生み出す可能性がある」ことを実証した。そして格差是正のため国境を越えた「資産への累進課税」制度の導入を訴えている。 こうした提言は日本でも反響を呼び、15年にピケティ氏が初来日した際は「ピケティ現象」と呼ばれるブームを巻き起こした。 この記事ではピケティ氏が指摘する国内外の格差問題を取り上げた過去記事や、ピケティ氏のインタビュー記事を紹介していく』、「格差是正のため国境を越えた「資産への累進課税」制度の導入を訴えている」、筋が通った主張だ。
・『「市場で再分配が可能」という前提を疑え  ピケティ氏の『21世紀の資本』などをきっかけに、日本でも経済格差への新たな認識が広がりつつある。その認識とは、資本主義世界では政府による適切な介入や「何らかの大きな変革」がない限り、格差はますます拡大していくというものだ』、「再分配」は政府の役割だ。
・『「市場で再分配が可能」という前提を疑え  日本を含め、いま世界各国で貧富の格差や不平等への関心が高まっている。その認識とは、資本主義世界では政府による適切な介入や「何らかの大きな変革」がない限り、格差はますます拡大していくというものだ』、「政府による適切な介入」が必要だ。
・『「税金格差解消への処方箋」  社会問題となっている格差の中には「徴税の格差」もある。年収1000万円前後の給与所得者という「取りやすいところから取る」税制システムは日本の産業競争力にも影響すると考えられており、ピケティ氏の提言をきっかけに注目を集める「富裕税」の検討を求める声も上がりつつある』、「「取りやすいところから取る」税制システム」からの脱却が必要だ。
・『ピケティ氏×吉川洋教授「富の集中より重要な問題がある」  ピケティ氏は「高所得層には正直、あまり関心がない」と語る。世界中の格差問題において、高所得層の富のシェアがどの程度増えるかより、低所得層のシェアが減っていくことのほうが問題と考えているためだという』、「低所得層のシェアが減っていくことのほうが問題と考えている」、その通りだ。
・『文革から半世紀の分配政策  海外に目を向けると、特に格差の拡大が課題になっているのが中国だ。習近平(シー・ジンピン)氏は「共同富裕」を掲げて社会主義路線への回帰を進めるものの、上位1%の富裕層が国全体の富の約30%を占めるなど、格差は米国と同水準にまで広がっているという』、「上位1%の富裕層が国全体の富の約30%を占めるなど、格差は米国と同水準にまで広がっている」、中国は予想以上に「格差」が大きいようだ。
・中国が「新常態」に突き進む必然  ピケティ氏も「中国には経済が発展するほど格差が広がってしまう歴史的な構造要因がある」と指摘する。その上で「今のところ中国には格差を解消する手段がない。あったとしても不十分」とし、「税制度を改正して所得、不動産、相続に関する税の累進性を強化」することを提言している』、「税の累進性を強化」は格差解消の有力な手段だ。
・『「想定外」を生んだ米国の必然  格差問題が深刻な米国では、その影響が大統領選にまで及んでいる。16年にトランプ氏が「想定外」の勝利を収めた背景には、日本、韓国、中国などとの国際競争に苦しめられた白人低所得者層の怒りがあるという指摘もある』、その通りだ。
・『コロナ禍で広がる格差をどう是正するか  新型コロナウイルス禍において格差はますます広がっている。GAFA(米グーグル、米アップル、米フェイスブック=現メタ、米アマゾン・ドット・コム)に代表されるグローバルIT企業の時価総額は異常なほどの上昇を見せる中、観光業界や外食業界など対面サービスを基本とするサービス業では致命的なダメージを受ける企業が相次いでいるためだ』、「格差是正」は確かに重要な課題だ。
・『最後に  ピケティ氏が指摘した格差は、その後も解消に至らないどころか、コロナ禍でますます拡大している。格差問題の放置は経済界、ひいては国力にも深刻な影響を与えるだけに、ピケティ氏が提唱した累進課税制度はもちろん、ベーシックインカム(最低所得保障)などさまざまな政策の検討が必要だ。日本政府の動きにも引き続き注目していきたい』、「日本政府」は「格差問題」には残念ながら冷淡だ。
・『「市場で再分配が可能」という前提を疑え 「税金格差」解消への処方箋 ピケティ教授×吉川洋教授「富の集中より重要な問題がある」 文革から半世紀の分配政策 中国が「新常態」に 突き進む必然 「想定外」を生んだ米国の必然 コロナ禍で広がる格差をどう是正するか  さらに詳しい記事や、会員限定のコンテンツがすべて読める有料会員のお申し込みはこちら)』、「再分配」は政府の重要な役割で、「市場」に任せる訳にはいかない。

第三に、10月22日付け東洋経済オンラインが掲載した財務省出身で慶應義塾大学大学院教授の小幡 績氏による「崩壊している資本主義の後に来るものは何なのか 「ラグビーワールドカップ」でわかる国家の行方」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/710010
・『今回は、ラグビーワールドカップの話から始める。 この連載は競馬をこよなく愛するエコノミスト3人による持ち回り連載です(最終ページには競馬の予想が載っています)。記事の一覧はこちら フランス大会も、準決勝が終われば、あとは10月29日の決勝(日本時間)を残すだけである。 私の印象に残っているのは、15日に行われた準々決勝の「アイルランド対ニュージーランド」。最後の10分、とくに約5分間の息もつかせぬ連続攻撃のアイルランド、しのぎ続けるニュージーランドの死闘はすばらしかった』、日本のマスコミは「日本」の対戦中心の偏った報道だ。
・『なぜ「つまらない日本戦」に国民の多くが感動したのか  一方、日本はアルゼンチンに負けてグループステージでの敗退となったが、これがつまらない試合だった。双方ノックオンなどミスの嵐だった。後半、疲れた日本は、底力の違いで完敗した。某民放のテレビ中継が、アナウンサーも解説者も騒ぎ立てる応援をしているのを見て、げんなりしてしまった。 しかし、このように日本戦がつまらなかったと言っているのは、日本では私だけで、多くの国民は感動の嵐に包まれたようだ。いったいなぜだろうか。 それは、私は「ラグビーの試合を見ていた」が、日本の国民の多くは「ワールドカップにおける日本を応援したいだけだったから」である。つまり、試合の内容など二の次、ラグビーでもサッカーでもバスケットボールでも何でもいい。日本代表が世界と戦っていればいいのである。 もちろん、オリンピックはこの状況が最高に盛り上がるイベントである。人間の肉体の限界を見たいのではなく、日本の選手が金メダルをとるのを見たいのである。 しかし、今後はこんな古臭い国家への愛着などとっくに消えうせ、これからはスポーツそのものを見ることだけに集中するような、成熟したエンターテインメント消費活動の形になっていくだろう。 と信じたいが、実際はむしろ逆だ。 ラグビーワールドカップは、年を追うごとに世界的な盛り上がりを高めているし、バスケットボールのワールドカップも始まった。もはや、3月にワールドベースボールクラシックで日本が優勝して国民が感動したのが忘れられかけているぐらい、毎日毎日、スポーツ観戦というエンターテインメント分野において、国家代表を応援して楽しむという消費活動がますます盛んになっているようだ』、「毎日毎日、スポーツ観戦というエンターテインメント分野において、国家代表を応援して楽しむという消費活動がますます盛んになっているようだ」、なるほど。
・『「国家代表が対決する世界大会」はすばらしいビジネス  なぜか。もちろん、それは、主催者側と広告代理店などのイベント屋が努力して動員を仕掛けているからである。この「国家代表が対決する世界大会」というイベントは盛り上がるし、何より儲かる。 なぜなら、すべての試合に一定数以上の観客が集まるからである。すなわち、日本戦であれば、日本の消費者は見る。フランス開催でフランス戦なら、スタジアムは超満員である。 しかし、スポーツだけを見るとなると、「日本対チリ戦」などという結果が見えている実力差のある試合など、ほとんど誰も見ない。「結局、今大会で楽しめた試合は『アイルランド対ニュージーランド戦』だけだった」ともなりかねない。 オリンピックの柔道なら、決勝戦だけ見ればいい。しかし、それではほとんどの試合がガラガラになってしまう。視聴率もゼロになってしまう。 一方、日本を応援して熱狂したい人々は、日本戦はすべて見る。ラグビーとしては接戦でなくとも、応援しているチームが圧倒的に勝つのを見るのは爽快である。だから、むしろみんな見るし、満足度も高い。盛り上がる。 各国代表それぞれに各国民がいるから、すべての試合がそうなる。だから、すべての試合で儲かる。そして、決勝戦はもちろん儲かる。すばらしいビジネスである。 オリンピックはまさにすばらしい発明である。1984年のロサンゼルスオリンピックは「商業五輪」の原点と言われるが、2002年のソルトレークシティーオリンピックなどは、IOC(国際オリンピック委員会)の理事のほとんどが賄賂をもらっていることが判明したにもかかわらず、公務員でないため罪にならず、辞職で済んでしまった。 2021年の東京オリンピックでも壮大な汚職が明らかになったが、大半の人々はオリンピックというエンターテインメントを失いたくないから、都合の悪い事件は忘れてしまい、オリンピックは依然盛り上がる。2030年の冬季オリンピックは、再びソルトレークシティーになる可能性もあるようだ。) つまり、国というのは、ビジネスにとって非常に便利なものなのである。国民国家とは、共同体という世界から抜け出すために生み出されたものであるにもかかわらず、なぜか強い「共同体的な」意識として、ビジネス界の権力者によって都合よく利用できるものとなっている』、「2021年の東京オリンピックでも壮大な汚職が明らかになったが、大半の人々はオリンピックというエンターテインメントを失いたくないから、都合の悪い事件は忘れてしまい、オリンピックは依然盛り上がる」、「国民国家とは、共同体という世界から抜け出すために生み出されたものであるにもかかわらず、なぜか強い「共同体的な」意識として、ビジネス界の権力者によって都合よく利用できるものとなっている」、なるほど。
・『なぜ国民国家が生まれ、今も残り続けているのか  そう考えると、国、国民国家というものはわれわれを知らず知らずのうちに不幸にしているものなのではないか。マルクス的な表現になるが、われわれを気づかないうちに搾取する手段にすぎないのではないか。 なぜ、こんな国民国家というものが生まれ、永続的と思えるまでに残り続けているのか。現代のわれわれから見ると、近代資本主義が誕生したときに、国民国家を受け入れてしまった近代欧州の人々は愚かだったのではないか。 すなわち、「ムラ」という共同体に所属するということは、中世の欧州では逃れられないしがらみでがんじがらめになることだと思われていた。それゆえ、中世の共同体的な社会から抜け出したのはすばらしいことのはずなのに、近代資本主義社会が始まると、中世までの共同体とは別の共同体にすぎない国民国家という新しいシステムに、なぜ「彼ら」は喜んで属してきたのだろうか。 しかし、逆に過去の「彼ら」からも、われわれは以下のような批判を受けるだろう。 君ら現代人こそ愚かではないか。オリンピックやワールドカップで、国別対抗世界選手権の祭りに動員され、金(カネ)を直接的(税金など)、間接的(CMを見ることにより洗脳される)に搾取されているのに、むしろそれを喜び、興奮している。馬鹿ではなかろうか、と。 しかも、21世紀の君たちは、もはや国民国家など必要ないはずだ。近代においては国民国家という枠組みがなければ、すぐに近隣の国民国家に取り込まれてしまう。国民国家という枠組みを超えた「帝国」に支配されてしまう。 国民国家は、自衛のための最強・最善の手段だったのだ。われわれはそういう必要性に基づき、国民国家を受け入れたのだ。君たちは国民国家というものを忘れている。いや、税金を取られたり、マスクをすることを強いられたり、面倒なことを強制される邪魔なものだと思っている。) しかし、法律には服さなければならず、それにもかかわらず、その法律を制定する議員たちも、そのトップの首相や大統領も、信用できない。好きでないどころか、支持すらできない。 不幸にも、19世紀か20世紀前半であるかのように勘違いした君主(あるいは帝国の皇帝)が武力で攻め込んできて、初めて国民国家の枠組みが必要であることを思い出す。しかし、そういう事件のない国の、平和ボケの人々や企業は、国境は邪魔で「なければいいのに」と思っている。国は経済活動を制約するだけの邪魔なものにすぎない。 それにもかかわらず、国民たちは、邪魔でいやなものだと思っている国民国家というものを、憂さ晴らしに(その憂鬱も国民国家という枠組みからきているかもしれないのに)、エンターテインメントの道具として、手っ取り早くストレス発散できる道具として活用している。 オリンピック、ワールドカップを楽しく使って、それが終わったら、首相の文句をいい、国というしがらみなんてなければいいのに、国籍なんて邪魔だという思いに戻る』、「平和ボケの人々や企業は、国境は邪魔で「なければいいのに」と思っている。国は経済活動を制約するだけの邪魔なものにすぎない。 それにもかかわらず、国民たちは、邪魔でいやなものだと思っている国民国家というものを、憂さ晴らしに・・・エンターテインメントの道具として、手っ取り早くストレス発散できる道具として活用している。 オリンピック、ワールドカップを楽しく使って、それが終わったら、首相の文句をいい、国というしがらみなんてなければいいのに、国籍なんて邪魔だという思いに戻る」、なるほど。
・『「近代資本主義」の本質とは何か  しかし実際には、たまに役に立つと思って利用しているワールドカップのときも、ビジネス権力を持つイベント会社やIOCに経済的に搾取されているだけなのだ。 こう考えてくると、戦争のために国民国家は必要なだけで、それ以外の局面では邪魔なだけになっているのではないか?人々を不幸にしているだけではないのか? 国民国家とは戦争のための動員手段であるというのは、高校の世界史教科書には出てこないが、それに近い常識であるから、今さらここで強調すべきことではない。 今、重要なのは、戦争以外の国家としての活動の意義を見いださない国民が大多数となっており、彼らはたまに国民のメリットを味わうが、そのときこそ国家君主による戦争への動員と同様に、ビジネス権力者によって搾取される被害が甚大になっていることに気づいていない、ということだ。 この事実こそが強調するように、国民国家という枠組みを利用して、ビジネス権力者が消費者かつ労働者である「国民」と名づけられた市民を搾取するというのが、近代資本主義の本質(の少なくとも1つ)なのである。) これは、さらに壮大な近代資本主義の構造を示唆している。すなわち、「国民国家」を要素の1つとして成立している近代資本主義とは、「ビジネス権力者」、もっと伝統的な言葉を使えば「資本家」が、国家を利用して、資本をさらに増大するシステムとして利用されてきたもののことである。 国民国家同士が戦争をすれば、兵隊と武器が必要となり、それらを調達するには金(カネ)が必要となる。そのカネを供給することで、資本家は戦争の勝敗を決定した。どの国家も資本を渇望したから、国家と資本の力関係は資本に圧倒的に有利だった。 だから、資本は増大し、戦争は続いた。経済成長も兵隊を増やし、兵隊となりうる国民の満足度、現代で言えば従業員満足度を上げるための手段であったから、資本は武器調達や傭兵というような目に見える資本調達を超えて、国家の命運を左右した』、「国民国家同士が戦争をすれば、兵隊と武器が必要となり、それらを調達するには金(カネ)が必要となる。そのカネを供給することで、資本家は戦争の勝敗を決定した。どの国家も資本を渇望したから、国家と資本の力関係は資本に圧倒的に有利だった。 だから、資本は増大し、戦争は続いた。経済成長も兵隊を増やし、兵隊となりうる国民の満足度、現代で言えば従業員満足度を上げるための手段であったから、資本は武器調達や傭兵というような目に見える資本調達を超えて、国家の命運を左右した」、なるほど。
・『近代資本主義、国民国家、民主主義が機能不全に  そして、これは武力による戦争以外でも同じことで、金融市場とは、まさに資本をどれだけ呼び込めるか、味方につけられるかで勝負は決まってきた。これがすべての面で成立してきた。 さらにいえば、民主主義というものもきれいなものとして人々に教え込まれているが、見方を変えれば、王侯貴族・旧領主層からブルジョワジーが権力を奪うために、民衆を「国民」と名付けて動員した仕組みと捉えられる。だからこそ、資本主義と民主主義は手に手を取って、同時期に発展してきたのである。 近代資本主義とは、市民を国民国家という形で君主が自分の国のために動員し、その国家を利用して資本が増殖していくという現象のことだった。市民は国家に搾取され、国家は資本に搾取された。そして、19世紀には資本家が労働者を搾取していることに悲鳴が上がったが、現代においては消費者は資本に直接搾取されても無自覚になってしまっているのである。 今や、近代資本主義と国民国家、この2つのシステムは同時に崩壊しかかっている。さらに民主主義も、明らかに機能不全に陥っている。) システムには寿命がある。しかも、資本主義は資本家たちが利用する中で形づくられてきたもので、制度設計をされて設置されたものではない。便宜上、システムと呼んで議論してきたが、それはシステムではなく、「設計図のない、事実上の擬似システム」にすぎないのである。だから、自然に経年劣化で崩壊していく。それが今起きているのだろう。 では、そのあとはどうなるのか。大混乱、アナーキズム(無政府主義)、カオス(渾沌状態)となるのだろうか。 私は、違うと思う。 人々は、ラグビーワールドカップで自国チームの選手を応援するのが大好きだ。しかし、国の代表選手は国籍は無関係に選ぶことができる。すなわち、(1)その国・地域で出生、(2)両親または祖父母のうち1人がその国・地域生まれ、(3)直前の5年間継続居住(2021年末までは3年間だった)、(4)通算10年居住――のうち、どれか1つを満たせば、その国の代表選手になれる。 しかも、1回限りではあるが、選手は所属する国を変更できるのである。つまり、過去にA国代表だった選手が、B国代表として出場でき、A国を倒して、B国の国民から喝采を浴びるのである。滅茶苦茶だ。しかし、国民たちは誰もそんなことは気にしない。この形での日本代表を喜んで応援するのである』、「システムには寿命がある。しかも、資本主義は資本家たちが利用する中で形づくられてきたもので、制度設計をされて設置されたものではない。便宜上、システムと呼んで議論してきたが、それはシステムではなく、「設計図のない、事実上の擬似システム」にすぎないのである。だから、自然に経年劣化で崩壊していく。それが今起きているのだろう。 では、そのあとはどうなるのか。大混乱、アナーキズム(無政府主義)、カオス(渾沌状態)となるのだろうか。 私は、違うと思う。 人々は、ラグビーワールドカップで自国チームの選手を応援するのが大好きだ。しかし、国の代表選手は国籍は無関係に選ぶことができる・・・しかも、1回限りではあるが、選手は所属する国を変更できるのである。つまり、過去にA国代表だった選手が、B国代表として出場でき、A国を倒して、B国の国民から喝采を浴びるのである。滅茶苦茶だ。しかし、国民たちは誰もそんなことは気にしない。この形での日本代表を喜んで応援するのである」、なるほど。
・『疲弊した資本主義の次に来るもの  これは何を意味するか。人々は、共同体に所属するのが大好きなのである。ただし、ご都合主義のいいとこ取りで、勝手に自由自在に共同体を都合よく変形し、次々と乗り換えるのである。SNSコミュニティーなどを見てもわかるように、便利な共同体を自由自在に好きなときに(大概は一時的にのみ)利用したいのである。 したがって、次の社会体制は、柔軟なローカルコミュニティー、国家は要らないが、ローカルでフレキシブルにしがらみと共感をバランスよく使い分けられる、小さな共同体から構成されるものとなるだろう。 国民国家は要らない。便利な共同体は要る。その結果、「コンビニエンス・コミュニティー・システム」という社会が、資本主義の次に来ることになるだろう。 (本編はここで終了です。この後は競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)』、「次の社会体制は、柔軟なローカルコミュニティー、国家は要らないが、ローカルでフレキシブルにしがらみと共感をバランスよく使い分けられる、小さな共同体から構成されるものとなるだろう。 国民国家は要らない。便利な共同体は要る。その結果、「コンビニエンス・コミュニティー・システム」という社会が、資本主義の次に来ることになるだろう」、小幡氏らしいユニークな問題提起だ。私自身は途中からついてゆけなくなった。ただ、頭の体操としては、極めて興味深いと感じる。
タグ:「再分配」は政府の重要な役割で、「市場」に任せる訳にはいかない。 「政府による適切な介入」が必要だ。 「再分配」は政府の役割だ。 「格差是正のため国境を越えた「資産への累進課税」制度の導入を訴えている」、筋が通った主張だ。 日経ビジネスオンライン「トマ・ピケティ氏とは? 資本主義と格差問題への提言を考える」 (その11)(資本主義は「加速し続けるランニングマシン」だ 「交換価値」を求め続ける自己増殖システム、トマ・ピケティ氏とは? 資本主義と格差問題への提言を考える、崩壊している資本主義の後に来るものは何なのか 「ラグビーワールドカップ」でわかる国家の行方) (注)ジャガノート:「止めることのできない巨大な力」「圧倒的破壊力」(Wikipedia) 「資本はさらなる資本を生み出すために再投資されなければならない。このプロセスは決して終わらず、ひたすら拡大し続ける」、「ウイルスの唯一の目的は自己増殖だ。 資本もまた自己増殖の遺伝子から成り、ウイルスと同じように、触れるものすべてを自己増殖する自らのコピー、すなわち、より多くの資本に変えようとする」、なるほど。 がより多くのお金をもたらし、そのお金がさらに多くの利益になる。 これが資本主義の特徴である」、なるほど。 「・・・アマゾンといった大企業について考えてみよう。それらの企業の経営のあり方は、地元のレストランが好むような安定した手法ではない。 アマゾンの利益はジェフ・ベゾスの食卓に食べ物を並べるためだけでなく、会社を大きくするために使われる。競合他社を買収し、地元の小売店を廃業に追い込み、新しい国に進出し、より多くの支店をつくり、人々に不必要なものを買わせる広告キャンペーンを打つ。すべては、年々利益を増やし続けるためだ。) これは自己強化のサイクルであり、加速し続けるランニングマシンだ。お金は利益になり、その利益 「地元のレストランだ。その店は年末の収支決算では黒字になっているが、オーナーは毎年ほぼ同じ利益を出すことで満足している。家賃を支払い、家族を養い、夏の休暇に旅行するには十分な金額だ。 このビジネスは、「賃金を支払い、利益を出す」という資本主義論理の要素になっているかもしれないが、それ自体は資本主義ではない。 なぜなら、その利益は使用価値の概念に基づいているからだ。中小企業の大半はこうしたやり方で経営されており、このような店は資本主義が生まれる数千年前からあった」、 「資本主義のもとでは、安定した利益を生むだけでは足りない。目標は、利益を再投資して生産プロセスを拡大し、前年より多くの利益を生むことだ」、なるほど。 資本主義 「システムには寿命がある。しかも、資本主義は資本家たちが利用する中で形づくられてきたもので、制度設計をされて設置されたものではない。便宜上、システムと呼んで議論してきたが、それはシステムではなく、「設計図のない、事実上の擬似システム」にすぎないのである。だから、自然に経年劣化で崩壊していく。それが今起きているのだろう。 では、そのあとはどうなるのか。大混乱、アナーキズム(無政府主義)、カオス(渾沌状態)となるのだろうか。 「経済は「使用価値」〔人間の必要(ニーズ)を満たす有用性〕を中心に回っていたことを理解することだ」、「わたしたちが店に行くのは、夕食の材料や冬の寒さをしのぐためのジャケットなど、自分にとって有用な物を買うためだ」、なるほど。 「日本政府」は「格差問題」には残念ながら冷淡だ。 「格差是正」は確かに重要な課題だ。 「税の累進性を強化」は格差解消の有力な手段だ。 『資本主義の次に来る世界』 「低所得層のシェアが減っていくことのほうが問題と考えている」、その通りだ。 「「取りやすいところから取る」税制システム」からの脱却が必要だ。 ジェイソン・ヒッケル氏による「資本主義は「加速し続けるランニングマシン」だ 「交換価値」を求め続ける自己増殖システム」 小幡氏らしいユニークな問題提起だ。私自身は途中からついてゆけなくなった。ただ、頭の体操としては、極めて興味深いと感じる。 東洋経済オンライン 小幡 績氏による「崩壊している資本主義の後に来るものは何なのか 「ラグビーワールドカップ」でわかる国家の行方」 「次の社会体制は、柔軟なローカルコミュニティー、国家は要らないが、ローカルでフレキシブルにしがらみと共感をバランスよく使い分けられる、小さな共同体から構成されるものとなるだろう。 国民国家は要らない。便利な共同体は要る。その結果、「コンビニエンス・コミュニティー・システム」という社会が、資本主義の次に来ることになるだろう」、 私は、違うと思う。 人々は、ラグビーワールドカップで自国チームの選手を応援するのが大好きだ。しかし、国の代表選手は国籍は無関係に選ぶことができる・・・しかも、1回限りではあるが、選手は所属する国を変更できるのである。つまり、過去にA国代表だった選手が、B国代表として出場でき、A国を倒して、B国の国民から喝采を浴びるのである。滅茶苦茶だ。しかし、国民たちは誰もそんなことは気にしない。この形での日本代表を喜んで応援するのである」、なるほど。 「上位1%の富裕層が国全体の富の約30%を占めるなど、格差は米国と同水準にまで広がっている」、中国は予想以上に「格差」が大きいようだ。 「国民国家同士が戦争をすれば、兵隊と武器が必要となり、それらを調達するには金(カネ)が必要となる。そのカネを供給することで、資本家は戦争の勝敗を決定した。どの国家も資本を渇望したから、国家と資本の力関係は資本に圧倒的に有利だった。 だから、資本は増大し、戦争は続いた。経済成長も兵隊を増やし、兵隊となりうる国民の満足度、現代で言えば従業員満足度を上げるための手段であったから、資本は武器調達や傭兵というような目に見える資本調達を超えて、国家の命運を左右した」、なるほど。 オリンピック、ワールドカップを楽しく使って、それが終わったら、首相の文句をいい、国というしがらみなんてなければいいのに、国籍なんて邪魔だという思いに戻る」、なるほど。 「平和ボケの人々や企業は、国境は邪魔で「なければいいのに」と思っている。国は経済活動を制約するだけの邪魔なものにすぎない。 それにもかかわらず、国民たちは、邪魔でいやなものだと思っている国民国家というものを、憂さ晴らしに・・・エンターテインメントの道具として、手っ取り早くストレス発散できる道具として活用している。 「国民国家とは、共同体という世界から抜け出すために生み出されたものであるにもかかわらず、なぜか強い「共同体的な」意識として、ビジネス界の権力者によって都合よく利用できるものとなっている」、なるほど。 「2021年の東京オリンピックでも壮大な汚職が明らかになったが、大半の人々はオリンピックというエンターテインメントを失いたくないから、都合の悪い事件は忘れてしまい、オリンピックは依然盛り上がる」、 「毎日毎日、スポーツ観戦というエンターテインメント分野において、国家代表を応援して楽しむという消費活動がますます盛んになっているようだ」、なるほど。 日本のマスコミは「日本」の対戦中心の偏った報道だ。
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資本主義(その10)(岸田首相の“新しい資本主義”に「今更感」が強い理由 何が足りない?、世界の富を独占する「上位0.1%の超金持ち」は“善良”なのか? 哲学者・斎藤幸平が考える 資本主義の限界の克服法、「資本主義体制のまま 気候変動を解決できるか」と問われて…世界が注目する論客 ルトガー・ブレグマンの回答は?) [経済]

資本主義については、昨年3月5日に取上げた。今日は、(その10)(岸田首相の“新しい資本主義”に「今更感」が強い理由 何が足りない?、世界の富を独占する「上位0.1%の超金持ち」は“善良”なのか? 哲学者・斎藤幸平が考える 資本主義の限界の克服法、「資本主義体制のまま 気候変動を解決できるか」と問われて…世界が注目する論客 ルトガー・ブレグマンの回答は?)である。

先ずは、昨年6月14日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した立命館大学政策科学部教授の上久保誠人氏による「岸田首相の“新しい資本主義”に「今更感」が強い理由、何が足りない?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/304720
・『岸田文雄首相が掲げる経済政策「新しい資本主義」の実行計画の骨子が明らかになった。だが筆者は、その内容に違和感を覚えた。決して目新しいものではなく、以前から認識されていながら有効な手を打てなかった「古い政策課題」ばかりが並んでいたからだ。新政策はなぜ新規性がなく、どのような視点が欠けているのか』、興味深そうだ。
・『「新しい資本主義」に目新しさは全くない  岸田文雄首相が掲げる経済政策「新しい資本主義」の実行計画と「骨太の方針」が6月上旬に閣議決定された。岸田首相は「新しい資本主義」について、「一言で言うならば、資本主義のバージョンアップ」と説明している。 だが、この経済政策は目新しさが全くない。この連載では、自民党はほとんど全ての政策分野に取り組んでいながら、それが「Too Little(少なすぎる)」「Too Late(遅すぎる)」「Too Old(古すぎる)」ことが問題だと批判してきた(本連載第290回)。「新しい資本主義」は、そのことをあらためて痛感させる内容だった。 「新しい資本主義」の実行計画と「骨太の方針」の根幹をなすのは、「人」「科学技術・イノベーション」「スタートアップ」「グリーン・デジタル」の4分野に重点的に投資するという方針だ。 「人」への投資では、これまで以上に「賃上げ」に取り組むとともに、非正規雇用も含めた約100万人に向けて能力開発や再就職の支援を行うとしている。 ただし、この「賃上げ」については、安倍晋三政権期(第2次)にさんざん民間企業に呼び掛けたが、思うような成果を上げられなかったことを忘れてはいけない(第80回・p6)。) 当時は「アベノミクス」による「円安」によって輸出企業の利益が増え、「失われた20年」という長期経済停滞から脱することができた。だが、従業員の賃金は一向に上がらなかった。アベノミクスの最も批判される部分だ(第163回)。 第2次安倍政権の約8年弱の期間、グローバリゼーションによる厳しい競争にさらされた企業は内部留保をため込むばかりで、賃上げを行わなかった。また、一部の企業は年功序列の雇用慣行を廃し、終身雇用の正社員を減らして非正規雇用を増やすことでコストダウンを続けた。 正規・非正規雇用の格差問題が国会で議論されたのは、2001年~06年の小泉純一郎政権期までさかのぼる。だが、この問題は長年解決せず、21年4月にようやく、全ての企業を対象とした「同一労働同一賃金」の原則に基づく政策が打ち出された。 だが、政策の裏をかき、正社員の賃金を下げて非正規雇用に合わせることで同一賃金とする企業が少なくなかった。その結果、格差は縮まらず、賃金も一向に上がってこなかった。 「新しい資本主義」の実行計画には、そうした過去の過ちを繰り返さないという視点も盛り込むべきではないだろうか』、「第2次安倍政権の約8年弱の期間、グローバリゼーションによる厳しい競争にさらされた企業は内部留保をため込むばかりで、賃上げを行わなかった。また、一部の企業は年功序列の雇用慣行を廃し、終身雇用の正社員を減らして非正規雇用を増やすことでコストダウンを続けた」、「「同一労働同一賃金」の原則に基づく政策が打ち出された。 だが、政策の裏をかき、正社員の賃金を下げて非正規雇用に合わせることで同一賃金とする企業が少なくなかった。その結果、格差は縮まらず、賃金も一向に上がってこなかった」、その通りだ。
・『AI投資においては米国の事例を他山の石とすべき  「科学技術・イノベーション」への投資では、大学を支援する10兆円規模のファンドを立ち上げ、人工知能(AI)や量子技術などの高度な研究活動に投資するとしている。加えて、AIの活用や研究開発を国家戦略に据え、科学技術投資の抜本拡充を図る方針だ。 しかし、AIを国家戦略に据えることは、諸外国では10年以上前から取り組まれており、目新しさはない(第113回)。そして、AIの研究や利活用を進めたとしても、必ずしも全国民が得をするとは限らないという結果も出ている。 例えば、米国ではバラク・オバマ政権期(09~17年)から、AI活用を国家戦略に据えてきた。オバマ政権は「製造業を国内に残す唯一の方法は、諸外国に比べて高い生産性を実現することだ」と主張し、多数の雇用を生み出す製造業の米国回帰をAI導入によって目指そうとした。 当時の米国は、工場のオペレーションや製造ラインを、AIを搭載した次世代ロボットに置き換えて自動化することを試みた。安い労働コストを求めて海外に移転した工場を米国に戻すべく、自動化によって人件費を低減しようとしたのだ。 その一方で、「製品設計」「工程管理」「製品の販売」「マーケティング」といった付加価値の高い分野では、優秀な人材の雇用を生み出そうとした。また、これらの作業を担う高度人材を育てるための教育を充実させた。 続くドナルド・トランプ政権期(17~21年)でも、この国家戦略は粛々と続いていた。トランプ氏が「アメリカ・ファースト(米国第一主義)」を打ち出し、国内外の企業に対して、工場を米国に移転させることを強く要求したのは周知の通りだ(第150回)。) 当時、多くの企業がトランプ大統領に従い、工場を米国に移転させた。トランプ政権期、コロナ禍が起こるまでは米国経済は非常に好調だった。しかし、好調な経済にもかかわらず、労働者の雇用は増えなかった。 工場の多くが自動化されたことで、未熟練労働者の働き口がなくなったのだ。そのため、石炭や鉄鋼といった産業の衰退が進む「ラストベルト」地域の労働者が、「トランプ大統領はうそつきだ」と反発する事態を招いた。 だが今の日本は、米国の事例を他山の石としておらず、いまだにAIを「未熟練労働者の代替」だと位置付けている印象だ。かといって、米国のように国を挙げて工場の全面自動化を進めてきたわけでもなく、全てが中途半端である。 その要因はいくつか考えられる。一つは年功序列・終身雇用が今も根強く残り、非正規社員を切り捨ててでも正社員の雇用を守ろうとする企業が多いこと。もう一つは、1980年代に通商産業省(当時)主導で、欧米に先駆けて初期のAIを導入するプロジェクトを推進し、失敗した悪夢があることだ。 もし岸田首相が、新政策によってこうした状況を変えたいのであれば、単にAI関連の研究活動に投資するだけでは不十分だ。過去の失敗事例を踏まえて「AIの発展に伴う雇用面のデメリット」という視点を盛り込み、それに対する改善策を併せて議論すべきではないだろうか』、「今の日本は、米国の事例を他山の石としておらず、いまだにAIを「未熟練労働者の代替」だと位置付けている印象だ。かといって、米国のように国を挙げて工場の全面自動化を進めてきたわけでもなく、全てが中途半端である。 その要因はいくつか考えられる。一つは年功序列・終身雇用が今も根強く残り、非正規社員を切り捨ててでも正社員の雇用を守ろうとする企業が多いこと。もう一つは、1980年代に通商産業省(当時)主導で、欧米に先駆けて初期のAIを導入するプロジェクトを推進し、失敗した悪夢があることだ」、「もし岸田首相が、新政策によってこうした状況を変えたいのであれば、単にAI関連の研究活動に投資するだけでは不十分だ。過去の失敗事例を踏まえて「AIの発展に伴う雇用面のデメリット」という視点を盛り込み、それに対する改善策を併せて議論すべきではないだろうか」、その通りである。
・『日本のスタートアップ投資も遅れており自慢できるレベルではない  実行計画における「スタートアップ」の項目では、新興企業への投資額を5年で10倍に増やすことを視野に入れた「5カ年計画」を年末に策定するとしている。 だが、日本政府のスタートアップ支援は他の先進国に比べて相当に遅れており、今さら「新しいことをやっている」とアピールしていることに違和感を覚えざるを得ない。 というのも、私が大学生だった約35年前、すでに「米国の大学では、最も優秀な学生は起業する」と聞いたものだった。 例えば、大学を中退したスティーブ・ジョブズが、ビデオゲーム会社アタリを経てAppleを共同で創業したのが1976年。ビル・ゲイツがハーバード大学を休学し、Microsoftを共同経営でスタートさせたのは75年だった。 80年代、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれ、日本型の年功序列・終身雇用の企業システムは世界に称賛された時期があった。米国経済は停滞し、日本に追い越されるのではないかと言われていた。 だが、その時期の若者の起業によって生まれた萌芽は、90年代以降、米国経済を劇的に復活させた「IT革命」に結実した。 前述のスティーブ・ジョブズらに加えて、Googleを起業したラリー・ペイジやセルゲイ・ブリン、Facebookを起業したマーク・ザッカーバーグ、Amazon.comを起業したジェフ・ベゾスらが登場して、「GAFAM」と呼ばれる国際的巨大IT企業群が次々と米国で台頭したのだ。 それに伴って、世界における「時価総額ランキング」の顔ぶれも変動。かつて上位を占めていた日本企業は、今では上記の巨大IT企業群に取って代わられてしまった。 企業の開業率でも明確な差がついており、欧米諸国では10%前後に上るのに対し、日本では4.2%にとどまっている(19年時点)。 また、スタートアップに対するM&A(企業の合併・買収)も同様で、18年時点での日本における件数はわずか15件。米国の約1%にすぎなかったという(産経新聞『スタートアップ支援、政府に司令塔、新しい資本主義実現会議、実行計画に反映へ』2022年4月12日)。 米国のみならず中国でも、AlibabaをはじめとするIT大手の成長は著しく、星の数ほどのスタートアップが今も誕生していることはいうまでもない。 岸田首相は、今年を「スタートアップ創出元年」とする意向だという。だが、「元年」だといっていること自体が、世界からすれば笑いもののレベルなのだ。 これだけ後れを取っている中、投資額を増やすだけで、世界と伍して戦えるスタートアップが出てくるのか。教育面など、他の領域においても抜本的なテコ入れが不可欠である』、「岸田首相は、今年を「スタートアップ創出元年」とする意向だという。だが、「元年」だといっていること自体が、世界からすれば笑いもののレベルなのだ」、宏池会出身者とは思えないようなお粗末な経済知識だ。
・『脱炭素シフトの潮流の中で 日本のエネルギー企業は遅れている  「グリーン・デジタル」投資では、「脱炭素社会」の実現のために、今後10年間に官民協調で150兆円の関連投資を行う計画だ。だが、これも胸を張って自慢するような話ではない。 というのも、現在、化石燃料を扱う企業に対して「ダイベストメント(投資撤退)」を宣言する世界の投資家・金融機関が急増している(週刊エコノミストOnline『沸騰!脱炭素マネー:環境対応が遅れる日本企業から投資家が資金を引き揚げている……石油メジャーでさえ「最エネ転換」を宣言 環境対応できない企業には淘汰の道が待っている』)。 そして、石油資源開発(JAPEX)、中国電力、INPEX(旧国際石油開発帝石)、電源開発(J-POWER)、北陸電力、北海道電力、出光興産、ENEOSホールディングスなどの日本企業が、「脱炭素事業戦略」が遅れていることを理由として、ダイベストメントされる事例が増えている。いまだに、石炭火力発電所を多く運用しているからだ。 加えて、日本は「再生可能エネルギー」への取り組みが遅れている。それは、安倍政権以降、東日本大震災によって国内の全基が停止した原子力発電所の再稼働を最優先する方向でエネルギー政策を進めてきたからである』、多くの「日本企業が、「脱炭素事業戦略」が遅れていることを理由として、ダイベストメントされる事例が増えている。いまだに、石炭火力発電所を多く運用しているからだ。 加えて、日本は「再生可能エネルギー」への取り組みが遅れている」、みっともない限りだ。
・『岸田首相の“新しい資本主義”に「今更感」が強い理由、何が足りない?  一方、海外では、ただでさえ強大な力を持っていた「石油メジャー」が再生可能エネルギーに取り組み、「総合エネルギー企業」とでも呼ぶべき企業体への変貌を遂げている。 例えば英BPは、再生可能エネルギーの発電所などを中心とした脱炭素関連事業の年間投資額を、30年までに現状の10倍となる約50億ドル(約5300億円)に拡大する計画だ。水素やCCUS(二酸化炭素の貯蔵・利用)事業も手掛けながら、石油・天然ガスの生産量を削減し、30年までに二酸化炭素排出量を最大40%削減する方針である。 日本のエネルギー企業がダイベストメントされる一方で、海外大手はさらに先に進もうとしているのだ。この差を埋めるにはどうすべきか、日本では官民連携でより深い議論を行うべきではないか』、「日本のエネルギー企業がダイベストメントされる一方で、海外大手はさらに先に進もうとしているのだ」、「岸田首相」はもっと危機感をもって打開策を立案すべきだ。
・『全てが中途半端な自民党政治は厳しく批判されるべき  この連載では、自民党の最大の特徴を「キャッチ・オール・パーティー(包括政党)」だと指摘してきた(第169回・p3)。要は、政策の「総合商社」か「デパート」のようなものであり、一応全ての政策課題に対応している。「新しい資本主義」も、現在の全ての政策課題を一覧に並べたようなものだ。 だが、残念なことに、重点投資4分野は新しい政策課題ではない。以前から認識されていながら、有効な手を打てなかった「古い政策課題」ばかりだ。 それらの課題解決のためのプロセスを決めて、予算を組んで実行して取り組むのは悪いことではない。 だが、そもそも欧米や中国などが何年も前に済ませていることを、「新しいことをやります」と胸を張ってアピールするような自民党や官僚組織の姿勢は、真摯(しんし)さも謙虚さも著しく欠いている。 岸田首相は“どや顔”で計画を発表するだけでなく、「なぜ、これまで長年にわたって有効な手を打てなかったのか」「今回の施策は、従来とどう違うのか」といったポイントが国民に伝わるよう、より詳細な説明を行うべきではないだろうか』、「そもそも欧米や中国などが何年も前に済ませていることを、「新しいことをやります」と胸を張ってアピールするような自民党や官僚組織の姿勢は、真摯(しんし)さも謙虚さも著しく欠いている。 岸田首相は“どや顔”で計画を発表するだけでなく、「なぜ、これまで長年にわたって有効な手を打てなかったのか」「今回の施策は、従来とどう違うのか」といったポイントが国民に伝わるよう、より詳細な説明を行うべきではないだろうか」、全く同感である。「岸田首相」にはもっと真摯に経済政策に向き合ってほしいものだ。

次に、本年3月13日付け文春オンラインが掲載した「哲学者」の斎藤幸平氏と「歴史家」のルトガー・ブレグマン 特別対談 #1「世界の富を独占する「上位0.1%の超金持ち」は“善良”なのか? 哲学者・斎藤幸平が考える、資本主義の限界の克服法」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/61174
・『暴走する資本主義にノーを突きつけ、『人新世の「資本論」』でマルクス主義を21世紀に復活させた斎藤幸平さん。危機意識を共有できる同世代として対話を重ねてきたのが、オランダ出身34歳の歴史家ルトガー・ブレグマンさんだ。 ブレグマンさんは、世界46カ国ベストセラー『Humankind 希望の歴史」で科学に裏付けられた“性善説”を提唱。世界が注目する気鋭の論者ふたりによる、来日特別対談!(全2回の1回目/続きを読む) ルトガー・ブレグマン(以下、ブレグマン) 日本で50万部近いセールスを記録した『人新世の「資本論」』のなかで、斎藤さんは大胆なアイデアを唱えていますね。行きすぎた資本主義の限界や気候危機を乗り越えるため、マルクス主義の立場から経済における「脱成長」が必要である、と。現行のシステムを大胆に変えるべく、いわば“ユートピア”を提案しているのですね。 斎藤幸平(以下、斎藤) はい、理想(ユートピア)を持たなければ、大きな社会変革はできませんから。とはいえ、困難も感じています。「資本主義が危機に瀕しているのは分かるが、『脱成長』は現実的でない」と批判されることもしばしばです。今日は、ポスト資本主義や新たな社会の可能性について、同世代のブレグマンさんと話し合えることを楽しみにしています』、興味深そうだ。
・『人間は本質的に善良である?  ブレグマン こちらこそ。最新刊『Humankind 希望の歴史』のなかで、私も斎藤さんに負けないラディカルな考えを展開してます――「ほとんどの人間は本質的に善良である」。そんなはずはない、と驚かれる人も多いかも知れません。しかしこれは、人類学、歴史学、心理学、社会学などにおける最新の研究からも証明されている事実なのです。 世界的ベストセラー『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリ氏も、「わたしの人間観を、一新させてくれた」という応援の言葉を寄せてくれました。私はこの「新しい人間観」に基づいて、今後の社会や未来をつくっていくべきだと考えています。 斎藤 ブレグマンさんも私と同じく、現行のシステムとは違う新たな“ユートピア”の重要性を感じているのですね。 ブレグマン ええ。でも、それに対して、「無理に決まっている」「過激過ぎる」「現状を破壊する気か」と言ってくる人もやはりいます。ただし気候変動ひとつ取っても、科学的な見地からも、待ったなしなのは明らかなのですが……。』、「ほとんどの人間は本質的に善良である」、私は本当だろうかと、懐疑的だ。
・『なぜ善良な人々が戦争するのか  斎藤 おっしゃる通りです。ただし私自身、じつはブレグマンさんの説への疑問もあるんです。 「ほとんどの人間は本質的に善良である」というあなたの主張にもかかわらず、今この瞬間にも、ウクライナでは戦争が起きています。なぜなのでしょうか。 ブレグマン 確かにヨーロッパの歴史は戦争にまみれています。とくに20世紀の前半は二度の大戦が起こり悲惨でした。 しかし、私が言いたいのはこうです――「ほとんどの人間は善良だ。しかし、権力は腐敗する」。 ウクライナ戦争も、権力を持った独裁的な人間が始めました。まさに私の住んでいる欧州で起きています。だからこそ、民主主義の大切さ、自由に集まり自由に発言できることの大切さを痛感しています。ウクライナは、民主主義のために戦っているのです。 同じようなことが、第二次世界大戦でも起きました。ナチスドイツは、ロンドンを空爆したらイギリスが降参すると思いました。しかし空爆を受けたことで、逆にロンドン市民は頑張り士気は高まったのです。ヒトラーと同じくプーチンも、ウクライナを攻撃すれば、士気を挫くことができると思いました。けれどもご存知の通り、ウクライナは善戦しています。 そもそも、いわゆる“戦争”が起き始めたのは人類史において最近のことなんですよ。農耕文化や定住の始まりが、そのきっかけになったとの研究もあります。 なぜ善良な人々が戦争するのかについては、仲間への共感、社会的な同調という観点からも説明が可能です』、「なぜ善良な人々が戦争するのかについては、仲間への共感、社会的な同調という観点からも説明が可能です」、ふーん。
・『スーパーリッチな人々の実態は  斎藤 仲間や家族を敵から守るために、人間は残虐になってしまうということですね。まさに人間性の持つジレンマです。 一方で「腐敗した権力」という言葉から私が連想するのが、世界の上位0.1パーセントを占めるような現代のスーパーリッチな人たちです。彼らは、他の人の生活を想像し、共感する力に欠けているように思えます。地球環境に悪影響を与えるプライベートジェットやクルーズ船を所持したりと、まるで地球は我々のものだと言わんばかりです。 人権を侵害する独裁者に制限を加えるように、スーパーリッチたちにも制限を加えるべきではないでしょうか。 ブレグマン 私は、スーパーリッチや世界的エリートが集うダボス会議へ出席したことがあります。しかし彼らが傲慢で自己中心的かというと、実際はフレンドリーで人柄もあたたかいのです。そして彼らは、ネットフリックスで放映されている「OUR PLANET 私たちの地球」という環境ドキュメンタリー番組を観て、この地球が破壊されている、と共感して涙を流しているんです。 でも私は、そんなあなたたちが地球を破壊しているのですよ、と言いたい(笑)。だって、1500機ものプライベートジェットでダボス会議に参加しているのですから。 もともと人間は、映画「ダークナイト」のジョーカーのような、悪それ自体を楽しむような邪悪な存在ではありません。にもかかわらず、戦争や環境破壊などが起きてしまうのは、本当に悲劇的ですよね』、「もともと人間は、映画「ダークナイト」のジョーカーのような、悪それ自体を楽しむような邪悪な存在ではありません。にもかかわらず、戦争や環境破壊などが起きてしまうのは、本当に悲劇的ですよね」、「悲劇的ですよね」で逃げて済む問題ではない。正面から捉えるべきだ。
・『「SDGsは大衆のアヘン」なのか  斎藤 共感する能力というのは、人間の強みでもあり、弱点でもあるということでしょうか。 ブレグマン はい。共感する能力、そして集団の一員でありたいという願望は、私たちのDNAに備わっています。日本は文化的にも、とくにその傾向が強いと感じています。人と違う意見を表明して目立ってしまうと、社会的なペナルティを受けるという現象も、日本においては顕著ですね。 とはいえ、おかしいことにおかしいと声を上げないと社会は進歩しません。18世紀に奴隷制廃止のため、19世紀に女性解放のために声を上げて戦った人々には、“嫌われる勇気”がありました。彼ら彼女らは当時、変人扱いされましたし、生きているあいだに目に見える成果を得られなかったかも知れません。でも、そんなペナルティにもかかわらず、声を上げたのです。 斎藤 全く同感です。その意味で、グレタ・トゥンベリさんは本当に勇敢ですね。地球環境が危機的状況にあることを世界に知らしめて、私たちの考えを根本から変えてくれたのですから。 けれども状況はあまり変わっていません。二酸化炭素の排出量は減っていない。私は『人新世の「資本論」』の冒頭で「SDGsは大衆のアヘンだ」と述べましたが、再生可能エネルギーに投資したり電気自動車を作ったりすれば環境によいことをしている、と私たちは安心しがちです。しかしやっていることは、今までと同じくお金儲けなのではないでしょうか。 世界が直面している危機に対しては、もっとほかにするべきことがあります。たとえばコロナ禍の際には、人々の命を守るためにロックダウンや市場介入が実現しました。これらは、政治家や科学者が必要だと提唱したからです。同じような大胆な政策を、環境問題についても行うべきです』、「「SDGsは大衆のアヘンだ」と述べましたが、再生可能エネルギーに投資したり電気自動車を作ったりすれば環境によいことをしている、と私たちは安心しがちです。しかしやっていることは、今までと同じくお金儲けなのではないでしょうか」、「SDGsは大衆のアヘンだ」とは言い得て妙だ。
・『資本主義の限界を克服する方法  ブレグマン だからこそ斎藤さんは、資本主義の限界を克服するために、脱成長を唱えているのですね。 斎藤 はい。脱成長については、マスコミや研究者のあいだでも、多くの反対意見があります。けれども『人新世の「資本論」』への読者からの反響は大きく、とくに若い世代からの支持を感じています。また、企業のSDGs担当者のなかにも、「自分がやっている仕事は、まやかしなのでないか」との矛盾した思いを私に打ち明ける人もいます。大企業に勤める人々も「じつは斎藤さんと、全く同じ意見です」「でも、大胆な変革の仕方が分からない」と悩んでいるのには驚きました。 ブレグマン なるほど、そうなのですね。僭越かも知れませんが、日本社会については部外者ながらに感じていることがあります。それは、無駄な仕事がとても多いということです。人類学者のデヴィッド・グレーバーが“ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)”と呼ぶような「社会に何の貢献もしていない仕事」ですね。 たとえば私が日本の空港に着いたときに驚いたのが、「階段」「注意」と書かれたボードを持って立っている空港スタッフがいたことです。人間が看板の代わりをさせられているんです。 日本には、誰もが何でもいいから仕事をしないといけないという強迫観念があるよう感じます』、確かに「日本」には「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」がある。
・『日本人は明らかに働き過ぎ  斎藤 日本でも、コロナ禍で『ブルシット・ジョブ』がよく読まれました。われわれはコロナを経て、“ブルシット・ジョブ”と“エッセンシャル・ワーク”の違いに気づいたのだと思います。“エッセンシャル・ワーク”は人間の生存に不可欠な仕事です。たとえば看護師や保育士、介護士などですね。自らがコロナに感染する危険をおかして、われわれを守ってくれています。 一方、デヴィッド・グレーバーはとくに、広告、金融、コンサルティングなどに“クソどうでもいい仕事”が多いと指摘しています。これらの仕事は、コロナからわれわれを守ってはくれません。にもかかわらず、広告、金融、コンサルティングの仕事のほうが高収入です。看護や介護などのエッセンシャル・ワーカーにもっと高い賃金を払うなど、資本主義の枠内でも出来ることはあると思うのです。 ブレグマン 私が思うに、ひとくちに資本主義と言っても、「日本の資本主義」と「オランダの資本主義」は、大分違うと感じています。たとえば労働時間を見てみましょう。オランダでは週35時間労働です。一方で日本は、残業も含めると週60時間、70時間の労働も珍しくないようですね。日本人は明らかに働き過ぎです。まずは現行の資本主義の枠内でも、変えるべきことはあるのではないでしょうか。 (ヨーロッパ文芸フェスティバル2022 オープニング対談にて収録)』、「デヴィッド・グレーバーはとくに、広告、金融、コンサルティングなどに“クソどうでもいい仕事”が多いと指摘しています。これらの仕事は、コロナからわれわれを守ってはくれません。にもかかわらず、広告、金融、コンサルティングの仕事のほうが高収入です」、これはどうみても暴論に近い、何が“クソどうでもいい仕事”かは、そんなに簡単には決められない筈だ。

第三に、この続きを、3月13日付け文春オンラインが掲載した:「哲学者」の斎藤幸平氏と「歴史家」のルトガー・ブレグマン 特別対談 #2「「資本主義体制のまま、気候変動を解決できるか」と問われて…世界が注目する論客、ルトガー・ブレグマンの回答は?」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/61175
・暴走する資本主義にノーを突きつけ、『人新世の「資本論」』でマルクス主義を21世紀に復活させた斎藤幸平さん。危機意識を共有できる同世代として対話を重ねてきたのが、オランダ出身34歳の歴史家ルトガー・ブレグマンさんだ。 ブレグマンさんは、世界46カ国ベストセラー『Humankind 希望の歴史』で科学に裏付けられた“性善説“を提唱。世界が注目する気鋭の論者ふたりによる、来日特別対談!(全2回の2回目/最初から読む)』、興味深そうだ。
・『小さなグループが世界を変える  ルトガー・ブレグマン(以下、ブレグマン) 「世界を変えるのは小さなグループだ」――これは文化人類学者マーガレット・ミードの言葉にありますし、過去の歴史からも明らかです。良い例でいうと、奴隷解放や女性の権利獲得運動が挙げられます。ともに最初は少数の人々によって始められて広まっていったんです。悪い例ですと、ナチスドイツです。ヒトラーとその周辺の人たちによって、“悪への道”が始まったのです。 いまの世界が直面している行き過ぎた資本主義や、気候変動問題をどう解決していくか。斎藤さんも、小さなグループが世界を変えると主張をなさっていますよね』、「小さなグループが世界を変える」、もう少し説明が必要だ。
・『日本の同調圧力の強さ  斎藤幸平(以下、斎藤) はい、政治学者エリカ・チェノウェスの研究にならって、3.5パーセントの人々が世界を変える、と主張しています。歴史を振り返ると、少数派の人たちが命を懸けたから、社会はよい方向に変わってきました。ただしその際には、多数派の人々が少数派の人々に対して、オープンなマインドを持つ必要があります。ヨーロッパでは、マイノリティの意見からも学ぼうという姿勢があるように感じます。一方で、日本では、なかなか当事者が声を上げても、マジョリティが耳を貸さないことが多い。 ブレグマン あくまで部外者としての私の意見ですが、日本の同調圧力が強いことも関係しているのではないでしょうか。たとえば法律で義務付けられていないにもかかわらず、人混みのない屋外でもマスクを着用し続ける。また、長時間労働も当たり前となっているようですね。しかし、「屋外でマスクをつける根拠はなかった」「週に70時間も働きたくないのは自分だけじゃなかった」とみなが気づけば、事態は急速に変化する気もしています。 革命が起きるときは、1人が2人、2人が4人にと一挙に増えるものです。斎藤さんの『人新世の「資本論」』は、50万部近く売れていると聞きました。しかも若い人たちに読まれているということに、日本における変革への大きな可能性を感じています』、「斎藤さんの『人新世の「資本論」』は、50万部近く売れている」、「日本における変革への大きな可能性を感じています」、大げさ過ぎる印象だ。
・『資本主義体制のまま、気候変動は解決できるか  斎藤 多くの日本人は、現在の経済システムに満足していません。でも他に選択肢はないと思っているから、現行システムを続けているのです。そして、人口問題や、労働環境、気候危機も解決できないと諦めてしまっている。 この状況を変えるために、『人新世の「資本論」』は、とにかく別の未来がありうるということを示すことを目指しました。でもそうしたことをやろうと思ったのも、資本主義への疑問、脱成長への共感が、欧州はじめ各国でも広まりつつあるのに触れたからです。 ブレグマンさんは脱成長についてどう考えますか? 資本主義体制のまま気候変動を解決できると思っていますか?』、どうなのだろう。 
・『テクノロジーには可能性がある  ブレグマン 脱成長についてはじつは私自身、矛盾した思いを抱いています。たとえば資本主義の象徴のひとつである広告について言うと、昔の公共空間には存在しなかった種類の広告は、なくてもよいかも知れません。公共空間(コモン)を取り戻そうという斎藤さんの考えには同感です。 ただし政治的なスローガンとして「脱成長」を掲げるのは、得策ではないかもしれません。「脱成長させますから、私に投票してください」と言うよりも、「成長させます」「豊かにさせます」と言った方が、人々からの支持が集まりますから。 また、ここは斎藤さんと意見が違うかも知れないの ですが、私自身はテクノロジーには可能性があると思います。太陽光や風力発電なども技術の進歩があり、安価に利用できるようなりました。家畜の牛を食べることは環境に悪いかも知れません。1キロの牛肉を得るために、25キロの飼料が必要です。そのため、健康によくて美味しくて安価な代用肉のイノベーションが必要とされているのです』、「テクノロジーには可能性がある」、「政治的なスローガンとして「脱成長」を掲げるのは、得策ではないかもしれません。「脱成長させますから、私に投票してください」と言うよりも、「成長させます」「豊かにさせます」と言った方が、人々からの支持が集まりますから」、なるほど。
・『間接民主主義は「じつは浅い考え」  斎藤 私も技術革新の必要性を否定しているわけではありません。けれども、技術がいくら発展しても、資本主義が大型化や計画的陳腐化を繰り返し、資源やエネルギーを浪費する限りで、環境危機を解決することができないのではないか。「成長しよう」「もっと豊かになろう」という人気取りを繰り返すことも、自分が次の選挙で勝つための無責任なスローガンだと、多くの人は気がつくようになっているのではないでしょうか。 この点と関連して、もう一つ聞きたいのですが、資本主義の危機と並んで、民主主義の危機も深刻な問題です。今、日本では、AIやアルゴリズムを使った「無意識民主主義」という議論が注目を集めています。民主主義というシステムについてはどう思われますか。 ブレグマン 政治家を選ぶために数年ごとに選挙する間接民主主義は、じつは浅い考えです。そもそも選挙は、簡単に操られてしまいますから。じつは古代ギリシャの民主主義は真逆でした。選挙は非民主主義的だと思われていたんです。そのため代表は、抽選によって選ばれていました。 間接民主主義を超えようとする試みは、現代でもあります。ラテンアメリカの一部の国では、市民が予算の使い方を決めるなど新しい試みを行い、うまくいっているそうです。市民を大人として扱えば大人として振る舞う、市民を無能として扱えば無能になるんです。だからこそ私は、ほとんどの人間は基本的に善であり、内なる力を秘めているという「新しい人間観」に基づいて社会設計をすべきと考えているんです。ちなみ にAIやアルゴリズムを使った資本主義や民主主義については、誰が設計するのか、という問題があります。 ) 斎藤 私の本でも、バルセロナのミュニシパリズム(地域自治主義)を紹介しています。スペインでは消費問題相が脱成長を唱えています。より厳しい気候変動の時代を生きることになる若い世代がこの動きをとくに支持しています。そう考えると、10年か15年後には政治勢力図も変わるかも知れません。 新しい経済の尺度も必要ですね。GDPだけではなく、環境への影響や人間の幸福度、社会の安全性などを測る尺度などです。たとえばGPI(世界平和度指数)を見ると、アメリカはナンバーワンではなく、ヨーロッパ諸国の方がランキングは高いのです。世界の見方を変える必要があります』、「民主主義の危機も深刻な問題です。今、日本では、AIやアルゴリズムを使った「無意識民主主義」という議論が注目を集めています。民主主義というシステムについてはどう思われますか。 ブレグマン 政治家を選ぶために数年ごとに選挙する間接民主主義は、じつは浅い考えです。そもそも選挙は、簡単に操られてしまいますから。じつは古代ギリシャの民主主義は真逆でした。選挙は非民主主義的だと思われていたんです。そのため代表は、抽選によって選ばれていました。 間接民主主義を超えようとする試みは、現代でもあります。ラテンアメリカの一部の国では、市民が予算の使い方を決めるなど新しい試みを行い、うまくいっているそうです」、「古代ギリシャの民主主義は真逆でした。選挙は非民主主義的だと思われていたんです。そのため代表は、抽選によって選ばれていました」、というのは興味深い。「バルセロナのミュニシパリズム(地域自治主義)を紹介しています。スペインでは消費問題相が脱成長を唱えています。より厳しい気候変動の時代を生きることになる若い世代がこの動きをとくに支持しています。そう考えると、10年か15年後には政治勢力図も変わるかも知れません」、なるほど。
・『高齢権力者が支配する日本の停滞  ブレグマン 歴史を見ると、大胆な変革には時間がかかることが多いです。奴隷制度の廃止には2世紀以上かかりました。米国での女性解放運動も1世紀かかりました。 これは一般論なのですが、ほとんどの人は30歳を過ぎると変化を好まなくなる傾向があります。日本は高齢権力者が支配している社会なので、とくに停滞しています。 けれども気候変動を回避するために残されている時間は短い。なので、つい悲観的になってしまいます。もしこのまま気温が2度、3度と上がったときに、科学者が示す未来予測は恐ろしいものです。多くの死者が出るかも知れませんし、エコシステムも壊されるでしょう。じつは私の住むオランダは、国土の一番低いところが海抜より7メートル低いんです。ですから地球温暖化への危機感も半端ではないのです。 斎藤 だからこそユートピア的な思想が必要ですね。戦争やパンデミックは、地球環境やわれわれの生活を悪化させてしまう。もし希望を捨てて受け身になれば、さらに悪いかたちの戦争、差別や暴力が生まれるのではないでしょうか。これらのバックラッシュに負けないように、民主主義を打ち立てないと。その意味で、今日ユートピア主義というのは現実主義なのです。 (ヨーロッパ文芸フェスティバル2022 オープニング対談にて収録)』、「私の住むオランダは、国土の一番低いところが海抜より7メートル低いんです。ですから地球温暖化への危機感も半端ではないのです」、「オランダ」の環境意識の高さには、国土の低さが影響しているとは初めて知った。「戦争やパンデミックは、地球環境やわれわれの生活を悪化させてしまう。もし希望を捨てて受け身になれば、さらに悪いかたちの戦争、差別や暴力が生まれるのではないでしょうか。これらのバックラッシュに負けないように、民主主義を打ち立てないと。その意味で、今日ユートピア主義というのは現実主義なのです」、「今日ユートピア主義というのは現実主義なのです」、逆説的だが、説得力がある。
タグ:資本主義 (その10)(岸田首相の“新しい資本主義”に「今更感」が強い理由 何が足りない?、世界の富を独占する「上位0.1%の超金持ち」は“善良”なのか? 哲学者・斎藤幸平が考える 資本主義の限界の克服法、「資本主義体制のまま 気候変動を解決できるか」と問われて…世界が注目する論客 ルトガー・ブレグマンの回答は?) ダイヤモンド・オンライン 上久保誠人氏による「岸田首相の“新しい資本主義”に「今更感」が強い理由、何が足りない?」 「第2次安倍政権の約8年弱の期間、グローバリゼーションによる厳しい競争にさらされた企業は内部留保をため込むばかりで、賃上げを行わなかった。また、一部の企業は年功序列の雇用慣行を廃し、終身雇用の正社員を減らして非正規雇用を増やすことでコストダウンを続けた」、「「同一労働同一賃金」の原則に基づく政策が打ち出された。 だが、政策の裏をかき、正社員の賃金を下げて非正規雇用に合わせることで同一賃金とする企業が少なくなかった。その結果、格差は縮まらず、賃金も一向に上がってこなかった」、その通りだ。 「今の日本は、米国の事例を他山の石としておらず、いまだにAIを「未熟練労働者の代替」だと位置付けている印象だ。かといって、米国のように国を挙げて工場の全面自動化を進めてきたわけでもなく、全てが中途半端である。 その要因はいくつか考えられる。一つは年功序列・終身雇用が今も根強く残り、非正規社員を切り捨ててでも正社員の雇用を守ろうとする企業が多いこと。もう一つは、1980年代に通商産業省(当時)主導で、欧米に先駆けて初期のAIを導入するプロジェクトを推進し、失敗した悪夢があることだ」、 「もし岸田首相が、新政策によってこうした状況を変えたいのであれば、単にAI関連の研究活動に投資するだけでは不十分だ。過去の失敗事例を踏まえて「AIの発展に伴う雇用面のデメリット」という視点を盛り込み、それに対する改善策を併せて議論すべきではないだろうか」、その通りである。 「岸田首相は、今年を「スタートアップ創出元年」とする意向だという。だが、「元年」だといっていること自体が、世界からすれば笑いもののレベルなのだ」、宏池会出身者とは思えないようなお粗末な経済知識だ。 多くの「日本企業が、「脱炭素事業戦略」が遅れていることを理由として、ダイベストメントされる事例が増えている。いまだに、石炭火力発電所を多く運用しているからだ。 加えて、日本は「再生可能エネルギー」への取り組みが遅れている」、みっともない限りだ。 「日本のエネルギー企業がダイベストメントされる一方で、海外大手はさらに先に進もうとしているのだ」、「岸田首相」はもっと危機感をもって打開策を立案すべきだ。 「そもそも欧米や中国などが何年も前に済ませていることを、「新しいことをやります」と胸を張ってアピールするような自民党や官僚組織の姿勢は、真摯(しんし)さも謙虚さも著しく欠いている。 岸田首相は“どや顔”で計画を発表するだけでなく、「なぜ、これまで長年にわたって有効な手を打てなかったのか」「今回の施策は、従来とどう違うのか」といったポイントが国民に伝わるよう、より詳細な説明を行うべきではないだろうか」、全く同感である。「岸田首相」にはもっと真摯に経済政策に向き合ってほしいものだ。 文春オンライン 斎藤幸平氏 ルトガー・ブレグマン 特別対談 #1「世界の富を独占する「上位0.1%の超金持ち」は“善良”なのか? 哲学者・斎藤幸平が考える、資本主義の限界の克服法」 『Humankind 希望の歴史」 「ほとんどの人間は本質的に善良である」、私は本当だろうかと、懐疑的だ。 「なぜ善良な人々が戦争するのかについては、仲間への共感、社会的な同調という観点からも説明が可能です」、ふーん。 「もともと人間は、映画「ダークナイト」のジョーカーのような、悪それ自体を楽しむような邪悪な存在ではありません。にもかかわらず、戦争や環境破壊などが起きてしまうのは、本当に悲劇的ですよね」、「悲劇的ですよね」で逃げて済む問題ではない。正面から捉えるべきだ。 「「SDGsは大衆のアヘンだ」と述べましたが、再生可能エネルギーに投資したり電気自動車を作ったりすれば環境によいことをしている、と私たちは安心しがちです。しかしやっていることは、今までと同じくお金儲けなのではないでしょうか」、「SDGsは大衆のアヘンだ」とは言い得て妙だ。 確かに「日本」には「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」がある。 「デヴィッド・グレーバーはとくに、広告、金融、コンサルティングなどに“クソどうでもいい仕事”が多いと指摘しています。これらの仕事は、コロナからわれわれを守ってはくれません。にもかかわらず、広告、金融、コンサルティングの仕事のほうが高収入です」、これはどうみても暴論に近い、何が“クソどうでもいい仕事”かは、そんなに簡単には決められない筈だ。 ルトガー・ブレグマン 特別対談 #2「「資本主義体制のまま、気候変動を解決できるか」と問われて…世界が注目する論客、ルトガー・ブレグマンの回答は?」 「小さなグループが世界を変える」、もう少し説明が必要だ。 「斎藤さんの『人新世の「資本論」』は、50万部近く売れている」、「日本における変革への大きな可能性を感じています」、大げさ過ぎる印象だ。 どうなのだろう。 「テクノロジーには可能性がある」、「政治的なスローガンとして「脱成長」を掲げるのは、得策ではないかもしれません。「脱成長させますから、私に投票してください」と言うよりも、「成長させます」「豊かにさせます」と言った方が、人々からの支持が集まりますから」、なるほど。 「民主主義の危機も深刻な問題です。今、日本では、AIやアルゴリズムを使った「無意識民主主義」という議論が注目を集めています。民主主義というシステムについてはどう思われますか。 ブレグマン 政治家を選ぶために数年ごとに選挙する間接民主主義は、じつは浅い考えです。そもそも選挙は、簡単に操られてしまいますから。じつは古代ギリシャの民主主義は真逆でした。選挙は非民主主義的だと思われていたんです。そのため代表は、抽選によって選ばれていました。 間接民主主義を超えようとする試みは、現代でもあります。ラテンアメリカの一部の国では、市民が予算の使い方を決めるなど新しい試みを行い、うまくいっているそうです」、「古代ギリシャの民主主義は真逆でした。選挙は非民主主義的だと思われていたんです。そのため代表は、抽選によって選ばれていました」、というのは興味深い。「バルセロナのミュニシパリズム(地域自治主義)を紹介しています。スペインでは消費問題相が脱成長を唱えています。 より厳しい気候変動の時代を生きることになる若い世代がこの動きをとくに支持しています。そう考えると、10年か15年後には政治勢力図も変わるかも知れません」、なるほど。 「私の住むオランダは、国土の一番低いところが海抜より7メートル低いんです。ですから地球温暖化への危機感も半端ではないのです」、「オランダ」の環境意識の高さには、国土の低さが影響しているとは初めて知った。 「戦争やパンデミックは、地球環境やわれわれの生活を悪化させてしまう。もし希望を捨てて受け身になれば、さらに悪いかたちの戦争、差別や暴力が生まれるのではないでしょうか。これらのバックラッシュに負けないように、民主主義を打ち立てないと。その意味で、今日ユートピア主義というのは現実主義なのです」、「今日ユートピア主義というのは現実主義なのです」、逆説的だが、説得力がある。
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資本主義(その10)(岸田首相の“新しい資本主義”に「今更感」が強い理由 何が足りない?、市場原理主義という“怪物”に戦いを挑み続けた「日本人経済学者」がいた…! いま 宇沢弘文が注目を集めるわけ、資本主義が静かに衰退を始めていると言えるワケ 「世界経済の3つの謎」をどう考えばいいのか) [経済]

資本主義については、3月5日に取上げた。今日は、(その10)(岸田首相の“新しい資本主義”に「今更感」が強い理由 何が足りない?、市場原理主義という“怪物”に戦いを挑み続けた「日本人経済学者」がいた…! いま 宇沢弘文が注目を集めるわけ、資本主義が静かに衰退を始めていると言えるワケ 「世界経済の3つの謎」をどう考えばいいのか)である。

先ずは、6月14日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した立命館大学政策科学部教授の上久保誠人氏による「岸田首相の“新しい資本主義”に「今更感」が強い理由、何が足りない?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/304720
・『岸田文雄首相が掲げる経済政策「新しい資本主義」の実行計画の骨子が明らかになった。だが筆者は、その内容に違和感を覚えた。決して目新しいものではなく、以前から認識されていながら有効な手を打てなかった「古い政策課題」ばかりが並んでいたからだ。新政策はなぜ新規性がなく、どのような視点が欠けているのか』、「決して目新しいものではなく、以前から認識されていながら有効な手を打てなかった「古い政策課題」ばかりが並んでいた」、羊頭狗肉の酷い話だ。
・『「新しい資本主義」に目新しさは全くない  岸田文雄首相が掲げる経済政策「新しい資本主義」の実行計画と「骨太の方針」が6月上旬に閣議決定された。岸田首相は「新しい資本主義」について、「一言で言うならば、資本主義のバージョンアップ」と説明している。 だが、この経済政策は目新しさが全くない。この連載では、自民党はほとんど全ての政策分野に取り組んでいながら、それが「Too Little(少なすぎる)」「Too Late(遅すぎる)」「Too Old(古すぎる)」ことが問題だと批判してきた(本連載第290回)。「新しい資本主義」は、そのことをあらためて痛感させる内容だった。 「新しい資本主義」の実行計画と「骨太の方針」の根幹をなすのは、「人」「科学技術・イノベーション」「スタートアップ」「グリーン・デジタル」の4分野に重点的に投資するという方針だ。 「人」への投資では、これまで以上に「賃上げ」に取り組むとともに、非正規雇用も含めた約100万人に向けて能力開発や再就職の支援を行うとしている。 ただし、この「賃上げ」については、安倍晋三政権期(第2次)にさんざん民間企業に呼び掛けたが、思うような成果を上げられなかったことを忘れてはいけない(第80回・p6)。 当時は「アベノミクス」による「円安」によって輸出企業の利益が増え、「失われた20年」という長期経済停滞から脱することができた。だが、従業員の賃金は一向に上がらなかった。アベノミクスの最も批判される部分だ(第163回)。 第2次安倍政権の約8年弱の期間、グローバリゼーションによる厳しい競争にさらされた企業は内部留保をため込むばかりで、賃上げを行わなかった。また、一部の企業は年功序列の雇用慣行を廃し、終身雇用の正社員を減らして非正規雇用を増やすことでコストダウンを続けた。 正規・非正規雇用の格差問題が国会で議論されたのは、2001年~06年の小泉純一郎政権期までさかのぼる。だが、この問題は長年解決せず、21年4月にようやく、全ての企業を対象とした「同一労働同一賃金」の原則に基づく政策が打ち出された。 だが、政策の裏をかき、正社員の賃金を下げて非正規雇用に合わせることで同一賃金とする企業が少なくなかった。その結果、格差は縮まらず、賃金も一向に上がってこなかった。 「新しい資本主義」の実行計画には、そうした過去の過ちを繰り返さないという視点も盛り込むべきではないだろうか』、「「同一労働同一賃金」の原則に基づく政策が打ち出された。政策の裏をかき、正社員の賃金を下げて非正規雇用に合わせることで同一賃金とする企業が少なくなかった。その結果、格差は縮まらず、賃金も一向に上がってこなかった」、「「新しい資本主義」の実行計画には、そうした過去の過ちを繰り返さないという視点も盛り込むべきではないだろうか」、その通りである。
・『AI投資においては米国の事例を他山の石とすべき  科学技術・イノベーション」への投資では、大学を支援する10兆円規模のファンドを立ち上げ、人工知能(AI)や量子技術などの高度な研究活動に投資するとしている。加えて、AIの活用や研究開発を国家戦略に据え、科学技術投資の抜本拡充を図る方針だ。 しかし、AIを国家戦略に据えることは、諸外国では10年以上前から取り組まれており、目新しさはない(第113回)。そして、AIの研究や利活用を進めたとしても、必ずしも全国民が得をするとは限らないという結果も出ている。 例えば、米国ではバラク・オバマ政権期(09~17年)から、AI活用を国家戦略に据えてきた。オバマ政権は「製造業を国内に残す唯一の方法は、諸外国に比べて高い生産性を実現することだ」と主張し、多数の雇用を生み出す製造業の米国回帰をAI導入によって目指そうとした。 当時の米国は、工場のオペレーションや製造ラインを、AIを搭載した次世代ロボットに置き換えて自動化することを試みた。安い労働コストを求めて海外に移転した工場を米国に戻すべく、自動化によって人件費を低減しようとしたのだ。 その一方で、「製品設計」「工程管理」「製品の販売」「マーケティング」といった付加価値の高い分野では、優秀な人材の雇用を生み出そうとした。また、これらの作業を担う高度人材を育てるための教育を充実させた。 続くドナルド・トランプ政権期(17~21年)でも、この国家戦略は粛々と続いていた。トランプ氏が「アメリカ・ファースト(米国第一主義)」を打ち出し、国内外の企業に対して、工場を米国に移転させることを強く要求したのは周知の通りだ(第150回)。) 当時、多くの企業がトランプ大統領に従い、工場を米国に移転させた。トランプ政権期、コロナ禍が起こるまでは米国経済は非常に好調だった。しかし、好調な経済にもかかわらず、労働者の雇用は増えなかった。 工場の多くが自動化されたことで、未熟練労働者の働き口がなくなったのだ。そのため、石炭や鉄鋼といった産業の衰退が進む「ラストベルト」地域の労働者が、「トランプ大統領はうそつきだ」と反発する事態を招いた。 だが今の日本は、米国の事例を他山の石としておらず、いまだにAIを「未熟練労働者の代替」だと位置付けている印象だ。かといって、米国のように国を挙げて工場の全面自動化を進めてきたわけでもなく、全てが中途半端である。 その要因はいくつか考えられる。一つは年功序列・終身雇用が今も根強く残り、非正規社員を切り捨ててでも正社員の雇用を守ろうとする企業が多いこと。もう一つは、1980年代に通商産業省(当時)主導で、欧米に先駆けて初期のAIを導入するプロジェクトを推進し、失敗した悪夢があることだ。 もし岸田首相が、新政策によってこうした状況を変えたいのであれば、単にAI関連の研究活動に投資するだけでは不十分だ。過去の失敗事例を踏まえて「AIの発展に伴う雇用面のデメリット」という視点を盛り込み、それに対する改善策を併せて議論すべきではないだろうか』、「1980年代に通商産業省(当時)主導で、欧米に先駆けて初期のAIを導入するプロジェクトを推進し、失敗した悪夢がある」、初めて知った。「単にAI関連の研究活動に投資するだけでは不十分だ。過去の失敗事例を踏まえて「AIの発展に伴う雇用面のデメリット」という視点を盛り込み、それに対する改善策を併せて議論すべき」、その通りだ。
・『日本のスタートアップ投資も遅れており自慢できるレベルではない  実行計画における「スタートアップ」の項目では、新興企業への投資額を5年で10倍に増やすことを視野に入れた「5カ年計画」を年末に策定するとしている。 だが、日本政府のスタートアップ支援は他の先進国に比べて相当に遅れており、今さら「新しいことをやっている」とアピールしていることに違和感を覚えざるを得ない。 というのも、私が大学生だった約35年前、すでに「米国の大学では、最も優秀な学生は起業する」と聞いたものだった。 例えば、大学を中退したスティーブ・ジョブズが、ビデオゲーム会社アタリを経てAppleを共同で創業したのが1976年。ビル・ゲイツがハーバード大学を休学し、Microsoftを共同経営でスタートさせたのは75年だった。 80年代、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれ、日本型の年功序列・終身雇用の企業システムは世界に称賛された時期があった。米国経済は停滞し、日本に追い越されるのではないかと言われていた。 だが、その時期の若者の起業によって生まれた萌芽は、90年代以降、米国経済を劇的に復活させた「IT革命」に結実した。 前述のスティーブ・ジョブズらに加えて、Googleを起業したラリー・ペイジやセルゲイ・ブリン、Facebookを起業したマーク・ザッカーバーグ、Amazon.comを起業したジェフ・ベゾスらが登場して、「GAFAM」と呼ばれる国際的巨大IT企業群が次々と米国で台頭したのだ。) それに伴って、世界における「時価総額ランキング」の顔ぶれも変動。かつて上位を占めていた日本企業は、今では上記の巨大IT企業群に取って代わられてしまった。 企業の開業率でも明確な差がついており、欧米諸国では10%前後に上るのに対し、日本では4.2%にとどまっている(19年時点)。 また、スタートアップに対するM&A(企業の合併・買収)も同様で、18年時点での日本における件数はわずか15件。米国の約1%にすぎなかったという(産経新聞『スタートアップ支援、政府に司令塔、新しい資本主義実現会議、実行計画に反映へ』2022年4月12日)。 米国のみならず中国でも、AlibabaをはじめとするIT大手の成長は著しく、星の数ほどのスタートアップが今も誕生していることはいうまでもない。 岸田首相は、今年を「スタートアップ創出元年」とする意向だという。だが、「元年」だといっていること自体が、世界からすれば笑いもののレベルなのだ。 これだけ後れを取っている中、投資額を増やすだけで、世界と伍して戦えるスタートアップが出てくるのか。教育面など、他の領域においても抜本的なテコ入れが不可欠である』、「岸田首相は、今年を「スタートアップ創出元年」とする意向」、これは「岸田首相」オリジナルではなく、官邸の経産省出身官僚の考えだろうが、いまさら「創出元年」でもあるまい。
・『脱炭素シフトの潮流の中で日本のエネルギー企業は遅れている  「グリーン・デジタル」投資では、「脱炭素社会」の実現のために、今後10年間に官民協調で150兆円の関連投資を行う計画だ。だが、これも胸を張って自慢するような話ではない。 というのも、現在、化石燃料を扱う企業に対して「ダイベストメント(投資撤退)」を宣言する世界の投資家・金融機関が急増している(週刊エコノミストOnline『沸騰!脱炭素マネー:環境対応が遅れる日本企業から投資家が資金を引き揚げている……石油メジャーでさえ「最エネ転換」を宣言 環境対応できない企業には淘汰の道が待っている』)。 そして、石油資源開発(JAPEX)、中国電力、INPEX(旧国際石油開発帝石)、電源開発(J-POWER)、北陸電力、北海道電力、出光興産、ENEOSホールディングスなどの日本企業が、「脱炭素事業戦略」が遅れていることを理由として、ダイベストメントされる事例が増えている。いまだに、石炭火力発電所を多く運用しているからだ。 加えて、日本は「再生可能エネルギー」への取り組みが遅れている。それは、安倍政権以降、東日本大震災によって国内の全基が停止した原子力発電所の再稼働を最優先する方向でエネルギー政策を進めてきたからである。 岸田首相の“新しい資本主義”に「今更感」が強い理由、何が足りない? 一方、海外では、ただでさえ強大な力を持っていた「石油メジャー」が再生可能エネルギーに取り組み、「総合エネルギー企業」とでも呼ぶべき企業体への変貌を遂げている。 例えば英BPは、再生可能エネルギーの発電所などを中心とした脱炭素関連事業の年間投資額を、30年までに現状の10倍となる約50億ドル(約5300億円)に拡大する計画だ。水素やCCUS(二酸化炭素の貯蔵・利用)事業も手掛けながら、石油・天然ガスの生産量を削減し、30年までに二酸化炭素排出量を最大40%削減する方針である。 日本のエネルギー企業がダイベストメントされる一方で、海外大手はさらに先に進もうとしているのだ。この差を埋めるにはどうすべきか、日本では官民連携でより深い議論を行うべきではないか』、「日本のエネルギー企業がダイベストメントされる一方で、海外大手はさらに先に進もうとしているのだ。この差を埋めるにはどうすべきか」、マスコミももっと政策を掘り下げて報道すべきだろう。
・『全てが中途半端な自民党政治は厳しく批判されるべき  この連載では、自民党の最大の特徴を「キャッチ・オール・パーティー(包括政党)」だと指摘してきた(第169回・p3)。要は、政策の「総合商社」か「デパート」のようなものであり、一応全ての政策課題に対応している。「新しい資本主義」も、現在の全ての政策課題を一覧に並べたようなものだ。 だが、残念なことに、重点投資4分野は新しい政策課題ではない。以前から認識されていながら、有効な手を打てなかった「古い政策課題」ばかりだ。 それらの課題解決のためのプロセスを決めて、予算を組んで実行して取り組むのは悪いことではない。 だが、そもそも欧米や中国などが何年も前に済ませていることを、「新しいことをやります」と胸を張ってアピールするような自民党や官僚組織の姿勢は、真摯(しんし)さも謙虚さも著しく欠いている。 岸田首相は“どや顔”で計画を発表するだけでなく、「なぜ、これまで長年にわたって有効な手を打てなかったのか」「今回の施策は、従来とどう違うのか」といったポイントが国民に伝わるよう、より詳細な説明を行うべきではないだろうか』、「「なぜ、これまで長年にわたって有効な手を打てなかったのか」「今回の施策は、従来とどう違うのか」といったポイントが国民に伝わるよう、より詳細な説明を行うべき」、同感である。

次に、10月14日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの佐々木 実氏による「市場原理主義という“怪物”に戦いを挑み続けた「日本人経済学者」がいた…! いま、宇沢弘文が注目を集めるわけ」を紹介しよう。
・『戦後日本を代表する経済学者にして思想家、宇沢弘文(うざわ・ひろふみ)。 格差の増大や環境破壊など、資本主義が持つ「陰」の部分に1970年代から気づいていた宇沢は、「社会的共通資本」という概念をベースに、万人が幸福に暮らすことを目指す、新たな資本主義の枠組みを構築しようとしていた。 その思想は半世紀後の現在、再び大きな注目を集めるようになっている。 そもそも、我々はなぜこのような市場原理主義が幅を利かせるような世界に住んでいるのか。 資本主義の世界に暮らす我々の誰もが幸せに生きられるような社会はどうやって創り出せるのか。 今の時代だからこそ読むべき思想家を100ページ程度で語る「現代新書100(ハンドレッド)」シリーズの最新刊、『今を生きる思想 宇沢弘文 新たなる資本主義の道を求めて』から、「はじめに」をご紹介する』、「宇沢は、「社会的共通資本」という概念をベースに、万人が幸福に暮らすことを目指す、新たな資本主義の枠組みを構築しようとしていた」、構築中に倒れられたのは、かえすがえすも残念だ。
・『「資本主義」という問い  資本主義のあり方をめぐって、世界で大きな潮流の変化が起きはじめている。 アメリカの主要企業の経営者をメンバーとするビジネス・ラウンドテーブル(BRT)が「株主資本主義からステークホルダー資本主義への転換」を掲げたのは2019年8月のことだった。株主の利益を極大化することだけを考えるのではなく、顧客や従業員、取引先、地域社会などにも配慮した経営に舵を切ると宣言したのだった。 翌年はじめのダボス会議でさっそく取り上げられ、「ステークホルダー資本主義」はビジネス界の合言葉のように広まった。 日本では、政府が長年にわたって株主資本主義を核とするアメリカ型資本主義をお手本に「改革」を進めてきた。アメリカ財界のステークホルダー資本主義宣言が影響を与えないはずはない。 岸田文雄首相が「新しい資本主義」を唱え、政府に「新しい資本主義実現会議」まで設けたのも、そうした流れの一環と捉えることができる。 株主の利益だけを追い求める企業活動は、所得格差の拡大を通じて、著しく不平等な社会をつくりだすことになった。環境への配慮を欠いた生産活動は、地球温暖化など深刻な環境問題をもたらしている。 そうした反省の気運が、ビジネスの現場で市場原理主義を主導してきた経営者にさえ生まれている。 ESG投資の爆発的な流行も、資本主義の見直しという文脈で理解できる。 ESG投資は、環境(Environment)、社会(Social)、企業統治(Governance)に配慮しているかどかを基準に、投資先の企業を選別する。国連で2015年に採択されたSDGs(持続可能な開発目標)と理念を共有する投資活動といってもいい。 ESGやSDGsが国際的な支持を得ているのは、これまでの資本主義が環境問題をないがしろにしてきたことの裏返しである』、「ESGやSDGsが国際的な支持を得ているのは、これまでの資本主義が環境問題をないがしろにしてきたことの裏返し」、その通りだ。
・『市場原理主義の教祖  いま起きている変化は、長らく世界を牽引してきた市場原理主義が急速に支持を失っていることを物語っている。 市場原理主義の教祖的存在だったのが、アメリカのノーベル賞経済学者ミルトン・フリードマン(1912─2006)である。 小さな政府、国営・公営事業の民営化、規制の緩和・撤廃を唱えるフリードマンは、1980年代以降の市場原理主義の潮流をつくりだした立役者である。ロナルド・レーガン大統領のブレインとなり、イギリスのマーガレット・サッチャー首相からも支持された。狭い学界ではなく、現実の政治に働きかけることで、世界最強のインフルエンサーとなったのである。 フリードマンの特徴は、市場機構への絶対的な信頼と、政府機能(公的部門)への徹底した不信だ。彼の資本主義観は『資本主義と自由』(日経BP社)のつぎの文章によくあらわれている。 「市場が広く活用されるようになれば、そこで行われる活動に関しては無理に合意を強いる必要がなくなるので、社会の絆がほころびるおそれは減る。市場で行われる活動の範囲が拡がるほど、政治の場で決定し合意を形成しなければならない問題は減る。そしてそういう問題が減れば減るほど、自由な社会を維持しつつ合意に達する可能性は高まっていく」 民主主義的な意思決定を、市場での取引が代替できるという見解である。市場領域をひろげていけば、「社会の絆がほころびるおそれは減る」とフリードマンは言っているが、むしろ、あらゆる領域を市場化すれば、「社会の絆」に頼る必要などなくなるという考え方である。 「市場=社会」がフリードマンの理想社会であるようだ』、「あらゆる領域を市場化すれば、「社会の絆」に頼る必要などなくなる」、さすが「市場原理主義の教祖」らしい考え方だ。
・『フリードマンに恐れられた日本人  市場原理主義の思想潮流が世界を覆う前、1960年代からフリードマンと直接対決を繰り広げていた日本人がいたことはあまり知られていない。本書の主人公、宇沢弘文(1928─2014)である。 宇沢は1964年にシカゴ大学の教授に就任し、市場原理主義の総本山「シカゴ学派」の領袖であるフリードマンと同僚になった。市場原理主義が世界を席巻するよりずっと前から、フリードマンに面と向かって異議を唱えていたのである。 シカゴ大学でフリードマンと対峙していたころ、宇沢はアメリカ経済学界で一二を争う若手理論家とみなされていた。フリードマンは著名ではあったが、最先端の理論づくりの現場にかぎれば、16歳も若い宇沢のほうが勢いがあり影響力をもっていた。 アメリカ経済学界での評価が絶頂にあるとき、宇沢はベトナム戦争に異を唱えて突然、アメリカを去った。フリードマンは、帰国後の宇沢が日本語で書いた文章も英語に翻訳させて丹念にチェックしていた。宇沢がフリードマンの学説を批判することに、過剰なほど神経を尖らせていたのである。 アメリカを去ったあと、宇沢はアメリカの経済学者についてこんな総括をしている。 「事実、アメリカの経済学者は、市場機構について一種の信念に近いような考え方をもっているともいえる。利潤追求は各人の行動を規定するもっとも重要な、ときとしては唯一の動機であると考え、価格機構を通じてお互いのコンフリクトを解決することが最良の方法であるという信念である。新古典派理論はこのような信念を正当化するものにすぎないともいえるのであって、理論的な帰結からこのような信念が生れるのではない。この現象はとくにいわゆるシカゴ学派に属する人々について顕著にみられるが、これは必らずしもシカゴ学派に限定されるものではなく、広くアメリカの経済学者一般に共通であるともいえよう」(『自動車の社会的費用』岩波新書) 宇沢が指摘しているのは、市場原理主義的な傾向はフリードマン率いるシカゴ学派に顕著にみられるけれども、しかしそれは、アメリカの経済学者一般に共通している信念だということである。フリードマンひとりを批判して済む問題ではないということだ』、「シカゴ大学でフリードマンと対峙していたころ、宇沢はアメリカ経済学界で一二を争う若手理論家とみなされていた。フリードマンは著名ではあったが、最先端の理論づくりの現場にかぎれば、16歳も若い宇沢のほうが勢いがあり影響力をもっていた。 アメリカ経済学界での評価が絶頂にあるとき、宇沢はベトナム戦争に異を唱えて突然、アメリカを去った」、「宇沢が指摘しているのは、市場原理主義的な傾向はフリードマン率いるシカゴ学派に顕著にみられるけれども、しかしそれは、アメリカの経済学者一般に共通している信念だということである。」、なるほど。
・『社会的共通資本の思想的源流  宇沢は、半世紀も先取りして、行き過ぎた市場原理主義を是正するための、新たな経済学づくりに挑んだ。 すべての人々の人間的尊厳が守られ、魂の自立が保たれ、市民的権利が最大限に享受できる。そのような社会を支える経済体制を実現するため、「社会的共通資本の経済学」を構築した。 この小著では、経済学の専門的な話はできるだけ避け、宇沢が「社会的共通資本」という概念をつくりだした経緯や思想的な背景に焦点をあててみたい。 宇沢が環境問題の研究を始めたのは半世紀も前であり、地球温暖化の問題に取り組んだのは30年あまり前からだった。先見の明というより、問題を見定める際の明確な基準、つまり、思想があったからこそ、いち早く問題の所在に気づくことができたのである』、「宇沢が環境問題の研究を始めたのは半世紀も前であり、地球温暖化の問題に取り組んだのは30年あまり前からだった。先見の明というより、問題を見定める際の明確な基準、つまり、思想があったからこそ、いち早く問題の所在に気づくことができたのである」、さすがである。
・『不安定化する世界  ロシアがウクライナに侵略して戦争が始まったとき、欧州のある金融機関が、武器を製造する企業への投資をESG投資に分類し直すという動きがあった。 ふつう、ESG投資家は人道主義の観点から、軍需産業への投資には抑制的だ。しかし、アメリカなどがウクライナに武器を供与する現実を目の当たりにして、「防衛産業への投資は民主主義や人権を守るうえで重要である」と態度を豹変させたのである。 ESGやSDGsに先駆けて「持続可能な社会」の条件を探求した宇沢なら、このようなESG投資を認めることは絶対にあり得ない。思想が許さないからだ。 「ステークホルダー資本主義」「ESG投資」「SDGs」を叫んでみたところで、一本筋の通った思想がなければ、結局は換骨奪胎され、より歪な形で市場原理主義に回収されてしまうのがオチだ。 資本主義見直しの潮流が始まった直後、世界はコロナ・パンデミックに襲われ、ウクライナの戦争に直面した。危機に危機が折り重なって、社会は混沌の度を深めている。 宇沢の思想に共鳴するかしないかが問題なのではない。 生涯にわたって資本主義を問いつづけた経済学者の思考の軌跡は、かならずや混沌から抜け出すヒントを与えるはずである』、「ESGやSDGsに先駆けて「持続可能な社会」の条件を探求した宇沢なら、このようなESG投資を認めることは絶対にあり得ない。思想が許さないからだ」、「生涯にわたって資本主義を問いつづけた経済学者の思考の軌跡は、かならずや混沌から抜け出すヒントを与えるはずである」、そうした論考が出てくることを大いに期待したい。

第三に、12月10日付け東洋経済オンラインが掲載した 慶應義塾大学大学院准教授の小幡 績氏による「資本主義が静かに衰退を始めていると言えるワケ 「世界経済の3つの謎」をどう考えばいいのか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/638766
・『資本主義は崩壊しないが、今、静かに衰退を始めている。 「近代資本主義が終わった」と歴史的に認識されるのは、22世紀かもしれない。だがそのとき、「衰退が始まったのは21世紀初頭からだった」と明らかになるだろう』、興味深そうだ。
・『「近代資本主義の終焉」でとらえる「世界経済3つの謎」  この連載は競馬をこよなく愛するエコノミスト3人による持ち回り連載です(最終ページには競馬の予想が載っています)。記事の一覧はこちら なぜ、資本主義が衰退を始めていると言い切れるのか。それは、そう考えれば、現在の経済的な常識、経済学では説明できないことの多くが、一貫したストーリーとして描くことができるからだ。 現在、世界経済は3つの大きな謎に包まれている。 第1に、2008年の世界金融危機(リーマンショック)後、長期停滞論が台頭してきた。先進国の成長経済は終わってしまったのか。21世紀に入って、なぜ急に成長が終わってしまったのか。これが第1の謎である。 第2の謎は、なぜ急にインフレーションが起きたのか、ということだ。 先進国経済は、低成長かつ不況でありながら、インフレーションが40年ぶりの水準まで高まっている。不況にもかかわらず、賃金は上昇している。失業率は低いままである。なぜ、低成長かつ不況なのに、インフレーションが起きているのか。賃金が上昇し、失業率が低いのはなぜか。これが第2の謎である。 第3は、格差拡大の謎である。1970年代までは、格差といえば南北問題であり、先進国と発展途上国の所得格差の拡大であった。経済理論では、途上国が安価な労働力で生産を拡大し、自由貿易が行われれば、キャッチアップがすぐに実現するはずであった。 実際には、そうはならなかった。20世紀末には、国家間の格差が理論と異なり現実には解消されないことが、開発経済学における最大の謎であった。ところが、21世紀になると、多くの途上国が著しい経済成長を遂げ、新興国と呼ばれるようになった。突然、21世紀にはキャッチアップが実現し、謎でなくなった。その一方で、1973年のオイルショック以降、国内の格差が拡大を始め、21世紀にはその差を急激に広げてきた。 なぜ、21世紀になって、20世紀には起こりえないと思われていた国家間の経済格差が急に縮小し、一方で、1973年以降、国内の格差が急激に拡大したのか。これが第3の謎である。 これらは、近代資本主義が終わろうとしている、ととらえれば、構造的に説明できる。) 近代資本主義は事実上、1492年に始まった。クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸に流れ着いた年である。コロンブスだけでなく、金(カネ)を稼ごうと、多くの西欧の冒険家が世界へ渡っていった。いわゆる大航海時代の始まりだ。近代資本主義とは、移動、拡大、膨張の時代のことである』、「近代資本主義とは、移動、拡大、膨張の時代のこと」、「大航海時代の始まり」、なるほど。
・『「2つの外部」が近代資本主義を動かした  西欧諸国は、略奪、征服、交換で、そのほかの地域から富を奪った。奪った分だけ経済は拡大した。 閉じていた経済では、技術革新があっても、品質が改良されるだけで、その改良分を以前よりも多く払うことはできない。所得は変わっていないから、その財に払える価格は前と同一で、その場合、経済的には価値は同じ(不変)となり、経済は拡大しない。よって経済成長もない。これが、中世までの繰り返しの循環経済である。 それが1492年以降、外部が生まれたことで、外部からの富の流入が経済の拡大をもたらした。所得が増えたから、払う総額も増えた。これに呼応して、売れる商品を作り始めた。 そして、17世紀には、さらなる経済のテイクオフ(離陸)が起きた。ぜいたくの始まりである。ヴェルナー・ゾンバルトが『恋愛と贅沢と資本主義』で主張する、近代資本主義の本格的な始まりのメカニズムである。伴侶や恋人を見せびらかすための宮廷でのパーティというものが「発明」されたことによる需要増加である。 それまでは、妻や恋人は人目につかないように隠していたが、彼女たちを着飾らせて、躍らせて、みなに見せびらかす、ということが始まったのである。ヴェルサイユ宮殿は、ルイ14世が妾のラ・ヴァリエールのために造り、そこは豪華絢爛に飾り付けられ、パーティが行われたと言われる。「国王に負けじ」とそのほかの貴族たちも妻や妾を着飾らせ、パーティで見せびらかした。女たちも、影の存在から一躍主役として舞台に踊り出た。ぜいたくは無限に膨らんだ。 これこそが、近代資本主義を膨張軌道に乗せた、循環経済の外部からの有効需要の注入であった。2つの外部の存在が、近代資本主義を動かしたのである。) 略奪、交換の対象となる外部の経済。植民地の経済。ここからの富の流入が新しい需要になって、経済を膨張させた。中南米の銀山からのマネーの流入がインフレを起こしたといわれるが、銀はマネーであると同時に、銀という富だったから、現在の中央銀行のマネーサプライと異なり、実体経済をも膨張させたのである。 そして、西欧の各国内でも、循環経済の外から富が流入した。国王や領主貴族がため込んだ富を、ぜいたくとして消費した。宮廷の周りの職人たちは、宮廷のぜいたく需要で所得を得た。これが支出され、経済は循環でなく膨張を始めた。 革命が起きても、この膨張は止まらなかった。何より、ブルジョワジーたちが堂々と貴族のマネを行ったからである。ぜいたくは、経済の富裕層全体に広がった。経済の膨張、つまり、バブルは始まった。近代資本主義というバブルは完全にテイクオフしたのである』、「閉じていた経済では、技術革新があっても、品質が改良されるだけで、その改良分を以前よりも多く払うことはできない。所得は変わっていないから、その財に払える価格は前と同一で、その場合、経済的には価値は同じ(不変)となり、経済は拡大しない。よって経済成長もない。これが、中世までの繰り返しの循環経済」、「1492年以降、外部が生まれたことで、外部からの富の流入が経済の拡大をもたらした。所得が増えたから、払う総額も増えた・・・17世紀には、さらなる経済のテイクオフ(離陸)が起きた。ぜいたくの始まりである」、「ぜいたく」が「経済成長」をもたらしたとは初めて知った。
・『19世紀の途中まで富の投入は限定的だった  しかし、ここに、さらなる深い謎が生まれる。それならば「なぜ19世紀後半まで経済成長が起きなかったのか。同様に、なぜ19世紀半ばまで人口もはっきりとは増加しなかったのか。産業革命は18世紀にとっくに始まっているのに、数多くの技術革新が起きたのに、なぜ本格的な人口増加や経済成長が始まらなかったのか」ということだ。 上述の需要増加は、第1が外部からの略奪品、交易品であるが、これらは庶民のための必需品ではなく、富裕層のための嗜好品あるいは交換用の商品や商品作物である。第2のぜいたく需要は、まさにぜいたく品である。これらの獲得、生産のために資源と労働が投入された。 つまり、富は、衣食住という生存維持水準の必需品需要を満たすためには投入されなかったのである。だから人口は増えなかった。作物の収量が増えても、人口増加は一時的で、いわゆるマルサスのわな、つまり、食料生産の増加と人口増加のスピードは、前者が算術級数的であるのに対し、後者が幾何級数的であり、圧倒的に大きいから、すぐに食料が不足するようになった。その結果、人口が増え続けることはなかったのである。 一方、ぜいたく品の生産は増え、富裕層の消費は増えていった。しかし、経済全体で見れば、それは限られていた。だから、経済成長も人口増加も全体としては起きなかったのである。) これが一気に変化したのが、19世紀後半である。19世紀前半に多くの必需品に関する発明が行われた。電信、電気、そして電話。蒸気機関は内燃機関となり、内燃機関が動力として使われるようになった。これが欧米の経済を一新した。 では、それまでのぜいたく品生産、ぜいたく品需要と何が違ったのか。これらの技術革新は、交通・通信革命であったのだ。また、それ以前の技術革新とは何が違ったのか。それらの技術革新は時間を節約したのである。人々の時間に余剰をもたらしたのである。 ぜいたく品の生産、資源をぜいたく品に変えること、これはただの変形にすぎない。普通の服がきれいな服、豪華な服に変わるだけである。しかし、交通・通信革命で移動や意思疎通の時間を大幅に短縮することに成功すると、生産のための最大のリソースである時間が余る。これが新たな財の生産に向かい、経済全体の生産量は飛躍的に増加したのである』、「これらの技術革新は、交通・通信革命であったのだ。また、それ以前の技術革新とは何が違ったのか。それらの技術革新は時間を節約したのである。人々の時間に余剰をもたらしたのである」、「交通・通信革命で移動や意思疎通の時間を大幅に短縮することに成功すると、生産のための最大のリソースである時間が余る。これが新たな財の生産に向かい、経済全体の生産量は飛躍的に増加したのである」、なるほど。
・『一段と時間の節約が進んだ20世紀  さらに、20世紀になると、家事労働革命が起きる。水をくみに行かずに上下水道により家庭に水が届き、廃棄が行われる。洗濯機、掃除機、冷蔵庫により、それまでほとんどの時間を家事に使っていたのが、ほかの仕事ができるようになる。ミシンの普及により裁縫の時間も激減する。 また、農作業の時間が増え、賃金がもらえる仕事ができるようになる。農業にも動力が使われるようになり、生産力が増加する。冷蔵船のさらなる発達により、植民地から食料、とりわけ肉が輸入できるようになる。このように、衣食住の効率が大幅に上昇し、庶民の時間も余るようになる。それが労働投入増となる。よって生産力は急増する。 そして、自動車の普及である。移動時間が減る。馬のための施設、土地、汚物処理が要らなくなる。土地が余り、時間が余り、労働が増える。生産力が急増する。 これで、99%の庶民も含む社会全体の人々の生活水準が上昇し、市場向けの生産のための労働力の投入量が急増したのである。これで経済は急成長を始めた。そして、人口も、マルサスのわなを超えて増加を続けるようになった。これが、19世紀後半からの高成長時代の第1の経済成長である。 では、次の第2の成長とは何か。それは、庶民の時間が余るということである。 第1の成長と同じに見えるが、まったく違う。逆側である。すなわち、庶民は家事労働などから解放され、農作業の時間も増やし、賃金を得ることのできる外での労働時間も増やし、所得を増やした。さらなる技術進歩による必需品の効率的な生産がさらに進んだ。この効率化により、さらに庶民の時間が余った。 そして、余暇が生まれた。娯楽、レジャーの誕生である。庶民が、かつての国王、貴族のぜいたく、ブルジョワのぜいたく、それにならって、余った時間を消費活動に費やすようになった。エンターテインメント消費が誕生した。 これで消費が爆発した。庶民までがぜいたく品を消費するようになった。つまり、技術革新により必需品の生産の効率化が進み、時間が余り、第1には労働投入時間の増加となり所得を増やしたが、第2には、余った時間をぜいたく消費に充てるようになり、消費が増大したのである。 まず供給力が増え、次に需要が増えたのである。ここに成長は加速した。これがアメリカの20世紀の成長であり、日本の高度成長である』、「エンターテインメント消費が誕生した。 これで消費が爆発した。庶民までがぜいたく品を消費するようになった。つまり、技術革新により必需品の生産の効率化が進み、時間が余り、第1には労働投入時間の増加となり所得を増やしたが、第2には、余った時間をぜいたく消費に充てるようになり、消費が増大したのである。 まず供給力が増え、次に需要が増えたのである。ここに成長は加速した。これがアメリカの20世紀の成長であり、日本の高度成長である」、このように歴史的に整理されると理解し易い。
・『「新しい」が価値そのものになった  しかし、これはオイルショックで止まった。必需品生産の効率化、必需品の技術革新による進歩が一巡して終わったのである。 いや、本来は、さらなる必需品の技術進歩も、物理的、技術的には可能だった。しかし、それは経済的には合理的ではなかった。なぜなら、すべての人々がぜいたく品の消費を始めたからだ。ぜいたく品は好奇心をひきつけ、目新しさが欲望を刺激したからだ。 新しいぜいたく品、イノベーションという名の下に、次々と新製品を売りつけるほうが手っ取り早く売れた、儲かったからである。必需品はみなが経験済みである。だから、本当に進歩しているか、必要な新製品か、誰にでもわかるから、ごまかしが利かない。役に立つ技術進歩が難しいのである。 一方、新しい製品は、要は新しければよかった。役に立たなくても、エンターテインメントだから、必要でないものであり、ただ楽しむもの、物欲を満たすものであればよかったから、生み出すのは簡単だった。 ここに広告やマーケティングが発達し、ブランド戦略が発達した。差別化というのが、企業の最も重要なキーワードとなった。必需品であれば、差別化というものは存在しなかった。差は関係なく、絶対的に役に立つかどうかがすべてであったからだ。 これが、現在の第3の経済成長段階である。次から次へと新製品が生み出され、「新しい」ということが価値そのものとなったのである。 そして現在、これは最終段階を迎えている。なぜなら、人々は「新しい」こと自体に価値を見いださなくなってきたからである。つまり、「新しい」ものに飽きたのである。「新しいもの」を消費することは「新しく」ないのである。新しいものを消費することの繰り返しに飽きたのである。 これに企業はどう対応したか。 新しいぜいたく品を売りつけても、人々は飽きている。あるいは、すぐ次の新しいものに移る。賞味期限が短くなっている。これでは、持続的に儲けられない。 そこで、単なるぜいたく品ではなく、ぜいたく品を必需品に仕立て上げ、すべての人々に永続的に消費させるようにしたのである。必需品たるぜいたく品、やめられないぜいたく品、そう、すべては「麻薬」になったのである』、「「新しい」ものに飽きたのである」、「これに企業はどう対応したか。 新しいぜいたく品を売りつけても、人々は飽きている。あるいは、すぐ次の新しいものに移る。賞味期限が短くなっている。これでは、持続的に儲けられない。 そこで、単なるぜいたく品ではなく、ぜいたく品を必需品に仕立て上げ、すべての人々に永続的に消費させるようにしたのである。必需品たるぜいたく品、やめられないぜいたく品、そう、すべては「麻薬」になった」、なにやら健全とはほど遠い姿だ。
・『かくして「麻薬」は途上国へ  現在の経済成長は、次々と新しい麻薬を生み出して、本当は必要のないぜいたく品を必需品に仕立て上げて、消費を増大させ続けようと、企業がしのぎを削っているのである。 それが、テレビ番組であり、ゲームであり、スマートフォンであり、SNSであり、動画投稿である。スマホは便利だが、本当の必需品は電話やメールだけといってもいいくらいである。仕事や家族間の連絡が取れれば十分だ。しかし、スマホのほとんどの機能、99.9%はそれ以外のエンターテインメント、暇つぶし、寂しさを紛らわすためにある。 麻薬経済の到来である。ということは、みなが中毒になり、社会はおかしくなる。近代資本主義社会は衰退せざるをえなくなるだろう。 このように考えてくると、冒頭の3つの謎がわかるはずだ。第1の先進国が低成長となった理由は明らかだ。新しいぜいたく品を人々は必要としなくなったのであり、麻薬にも限界があるから、消費はこれ以上増えないのだ。だから、量的拡大という経済成長は起きない。 第2に、経済が拡大しないのに、働き手が不足し、インフレが起きるのはなぜか。ぜいたく品と麻薬の生産にかまけたため、必需品の生産が手薄になり、必需品を提供する労働力も不足するようになったからである。しかし、必需品は儲からないから、それを生産する企業は増えない。よって、食料、資源、単純労働、サービス労働の価格高騰が起きる。 第3に、富裕層は、必需品が高くなっても購入できるから問題ないが、貧困層は生活に苦しむ。実質的な格差が拡大する。新しい製品への開発投資に金が向かわないから、投資はほとんどが金融市場に向かう。金融市場に多額の資金が流入すれば、当然値上がりする。バブルになる。富裕層は、資産を増大させる。 ただし、これは評価額にすぎず、このバブルが持続不可能になったときに崩壊する。ただし、庶民にも投資を勧める社会となっているから、ババをつかまされるのは庶民かもしれない。暗号資産でそれは始まっているが、ほかのリスク資産にも波及するだろう。よって、国内の富裕層と貧困層の格差は広がる。 一方、途上国はまだ前述の経済成長の第1段階および第2段階だったから、高成長が続いた。必需品が普及し、効率化する過程にあった。だから、国家間の格差は縮まったのである。 しかし、まもなく彼らも麻薬経済の第3段階の成長局面に入ってくるだろう。そして、世界全体で近代資本主義は衰退していくのである。(今回は競馬コーナーはお休みです。ご了承ください)』、「麻薬経済の到来である。ということは、みなが中毒になり、社会はおかしくなる。近代資本主義社会は衰退せざるをえなくなるだろう」、ここまでくると、ついていけない。ここまでは、それなりに、刺激的だったが、ここからは余りに奇想天外だ。「麻薬経済」なら「衰退せざるをえなくなる」というのは理解はできるが、次の社会の方向性を示さずに、終わるのはいただけない。小幡氏も時には、駄作もあるようだ。
タグ:「岸田首相は、今年を「スタートアップ創出元年」とする意向」、これは「岸田首相」オリジナルではなく、官邸の経産省出身官僚の考えだろうが、いまさら「創出元年」でもあるまい。 「1980年代に通商産業省(当時)主導で、欧米に先駆けて初期のAIを導入するプロジェクトを推進し、失敗した悪夢がある」、初めて知った。「単にAI関連の研究活動に投資するだけでは不十分だ。過去の失敗事例を踏まえて「AIの発展に伴う雇用面のデメリット」という視点を盛り込み、それに対する改善策を併せて議論すべき」、その通りだ。 「「同一労働同一賃金」の原則に基づく政策が打ち出された。政策の裏をかき、正社員の賃金を下げて非正規雇用に合わせることで同一賃金とする企業が少なくなかった。その結果、格差は縮まらず、賃金も一向に上がってこなかった」、「「新しい資本主義」の実行計画には、そうした過去の過ちを繰り返さないという視点も盛り込むべきではないだろうか」、その通りである。 「決して目新しいものではなく、以前から認識されていながら有効な手を打てなかった「古い政策課題」ばかりが並んでいた」、羊頭狗肉の酷い話だ。 上久保誠人氏による「岸田首相の“新しい資本主義”に「今更感」が強い理由、何が足りない?」 ダイヤモンド・オンライン 資本主義 (その10)(岸田首相の“新しい資本主義”に「今更感」が強い理由 何が足りない?、市場原理主義という“怪物”に戦いを挑み続けた「日本人経済学者」がいた…! いま 宇沢弘文が注目を集めるわけ、資本主義が静かに衰退を始めていると言えるワケ 「世界経済の3つの謎」をどう考えばいいのか) 「日本のエネルギー企業がダイベストメントされる一方で、海外大手はさらに先に進もうとしているのだ。この差を埋めるにはどうすべきか」、マスコミももっと政策を掘り下げて報道すべきだろう。 「「なぜ、これまで長年にわたって有効な手を打てなかったのか」「今回の施策は、従来とどう違うのか」といったポイントが国民に伝わるよう、より詳細な説明を行うべき」、同感である。 現代ビジネス 佐々木 実氏による「市場原理主義という“怪物”に戦いを挑み続けた「日本人経済学者」がいた…! いま、宇沢弘文が注目を集めるわけ」 「宇沢は、「社会的共通資本」という概念をベースに、万人が幸福に暮らすことを目指す、新たな資本主義の枠組みを構築しようとしていた」、構築中に倒れられたのは、かえすがえすも残念だ。 「ESGやSDGsが国際的な支持を得ているのは、これまでの資本主義が環境問題をないがしろにしてきたことの裏返し」、その通りだ。 「あらゆる領域を市場化すれば、「社会の絆」に頼る必要などなくなる」、さすが「市場原理主義の教祖」らしい考え方だ。 「シカゴ大学でフリードマンと対峙していたころ、宇沢はアメリカ経済学界で一二を争う若手理論家とみなされていた。フリードマンは著名ではあったが、最先端の理論づくりの現場にかぎれば、16歳も若い宇沢のほうが勢いがあり影響力をもっていた。 アメリカ経済学界での評価が絶頂にあるとき、宇沢はベトナム戦争に異を唱えて突然、アメリカを去った」、「宇沢が指摘しているのは、市場原理主義的な傾向はフリードマン率いるシカゴ学派に顕著にみられるけれども、しかしそれは、アメリカの経済学者一般に共通している信念だということである。」、 「宇沢が環境問題の研究を始めたのは半世紀も前であり、地球温暖化の問題に取り組んだのは30年あまり前からだった。先見の明というより、問題を見定める際の明確な基準、つまり、思想があったからこそ、いち早く問題の所在に気づくことができたのである」、さすがである。 「ESGやSDGsに先駆けて「持続可能な社会」の条件を探求した宇沢なら、このようなESG投資を認めることは絶対にあり得ない。思想が許さないからだ」、「生涯にわたって資本主義を問いつづけた経済学者の思考の軌跡は、かならずや混沌から抜け出すヒントを与えるはずである」、そうした論考が出てくることを大いに期待したい。 東洋経済オンライン 小幡 績 「資本主義が静かに衰退を始めていると言えるワケ 「世界経済の3つの謎」をどう考えばいいのか」 「近代資本主義とは、移動、拡大、膨張の時代のこと」、「大航海時代の始まり」、なるほど。 「閉じていた経済では、技術革新があっても、品質が改良されるだけで、その改良分を以前よりも多く払うことはできない。所得は変わっていないから、その財に払える価格は前と同一で、その場合、経済的には価値は同じ(不変)となり、経済は拡大しない。よって経済成長もない。これが、中世までの繰り返しの循環経済」、 「1492年以降、外部が生まれたことで、外部からの富の流入が経済の拡大をもたらした。所得が増えたから、払う総額も増えた・・・17世紀には、さらなる経済のテイクオフ(離陸)が起きた。ぜいたくの始まりである」、「ぜいたく」が「経済成長」をもたらしたとは初めて知った。 「これらの技術革新は、交通・通信革命であったのだ。また、それ以前の技術革新とは何が違ったのか。それらの技術革新は時間を節約したのである。人々の時間に余剰をもたらしたのである」、「交通・通信革命で移動や意思疎通の時間を大幅に短縮することに成功すると、生産のための最大のリソースである時間が余る。これが新たな財の生産に向かい、経済全体の生産量は飛躍的に増加したのである」、なるほど。 「エンターテインメント消費が誕生した。 これで消費が爆発した。庶民までがぜいたく品を消費するようになった。つまり、技術革新により必需品の生産の効率化が進み、時間が余り、第1には労働投入時間の増加となり所得を増やしたが、第2には、余った時間をぜいたく消費に充てるようになり、消費が増大したのである。 まず供給力が増え、次に需要が増えたのである。ここに成長は加速した。これがアメリカの20世紀の成長であり、日本の高度成長である」、このように歴史的に整理されると理解し易い。 「「新しい」ものに飽きたのである」、「これに企業はどう対応したか。 新しいぜいたく品を売りつけても、人々は飽きている。あるいは、すぐ次の新しいものに移る。賞味期限が短くなっている。これでは、持続的に儲けられない。 そこで、単なるぜいたく品ではなく、ぜいたく品を必需品に仕立て上げ、すべての人々に永続的に消費させるようにしたのである。必需品たるぜいたく品、やめられないぜいたく品、そう、すべては「麻薬」になった」、なにやら健全とはほど遠い姿だ。 「麻薬経済の到来である。ということは、みなが中毒になり、社会はおかしくなる。近代資本主義社会は衰退せざるをえなくなるだろう」、ここまでくると、ついていけない。ここまでは、それなりに、刺激的だったが、ここからは余りに奇想天外だ。「麻薬経済」なら「衰退せざるをえなくなる」というのは理解はできるが、次の社会の方向性を示さずに、終わるのはいただけない。小幡氏も時には、駄作もあるようだ。
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格差問題(その9)(日本人は賃金格差の原因をイマイチわかってない いかに労働規制で対処しても問題は解決されない、データで解明「コロナで階級社会化が加速」の衝撃 打撃を最も受けたのは非正規の若者と女性、「正社員を引きずり下ろしたい」"みんなで豊かになる"物語を失った日本の末路 年収400万が高級取りの時代) [経済]

格差問題については、昨年6月28日に取り上げたままだった。今日は、(その9)(日本人は賃金格差の原因をイマイチわかってない いかに労働規制で対処しても問題は解決されない、データで解明「コロナで階級社会化が加速」の衝撃 打撃を最も受けたのは非正規の若者と女性、「正社員を引きずり下ろしたい」"みんなで豊かになる"物語を失った日本の末路 年収400万が高級取りの時代)である。

先ずは、昨年10月18日付け東洋経済オンラインが掲載した大蔵省出身で一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による「日本人は賃金格差の原因をイマイチわかってない いかに労働規制で対処しても問題は解決されない」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/461635
・『所得格差をもたらす大きな原因の1つは、賃金格差だ。日本では、企業規模別に大きな賃金格差がある。それは、資本装備率が企業規模別に大きく異なることが原因になっている。この問題を解決しない事後的な所得再分配政策では、いつになっても同じ政策から脱却できない。 昨今の経済現象を鮮やかに斬り、矛盾を指摘し、人々が信じて疑わない「通説」を粉砕する──。野口悠紀雄氏による連載第54回』、興味深そうだ。
・『賃金格差は、単純な再分配政策では解決できない  岸田内閣は、所得再分配を経済政策の柱にしている。 所得格差を生む原因としては、さまざまなものがある。 第1に、相続等によって生じる資産保有額の違いは、所得格差の大きな原因だ。 第2に、何らかの理由で働くことができず、収入の途を断たれている人々がいる。 こうしたことを原因として生じる所得格差に対しては、税制や財政支出での対応が必要だ。 所得格差を生む第3の原因は、賃金格差だ。 後述するように、現在の日本では、大企業と零細企業の間に大きな賃金格差がある。あるいは、正規雇用者と非正規雇用者の間に賃金格差がある。 所得格差の大部分は、こうした賃金格差によって生じている。 したがって、分配を重視するのであれば、賃金格差の問題を避けて通ることはできない。賃金格差是正のための政策は、分配政策のなかで中心的な比重を占めるべきものだ。 ところで、賃金格差については、事後的な再分配政策をいくら手厚く行っても、問題を解決したことにはならない。 なぜなら、事後的な再分配政策だけでは、賃金格差を生んでいる原因を是正することはできないからだ。 格差の原因を直さない限り、いつになっても同じような再分配政策から脱却できない。 したがって、賃金格差問題については、その原因を正しく把握し、対策を講じる必要がある。 以下では、賃金格差がどのような原因で生じているのか、それを是正するにはどのような措置が必要なのかを考えることとしよう。 法人企業統計調査(金融業、保険業以外の業種)によって、2020年度における企業規模別の賃金(従業員一人あたりの給与・賞与の合計)を見ると、図表1のとおりだ。 (外部配信先では図表を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください) 資本金10億円以上の企業(「大企業」と呼ぶ)の賃金は575万円であり、資本金1000万円未満の企業(「零細企業」と呼ぶ)の236万円の2.4倍にもなる。 日本の高度成長期において、「二重構造」ということが言われた。経済成長を牽引する製造業の大企業と、中小零細企業や農業との間で、生産性や賃金に大きな格差があるという問題だ。 日本経済は、現在でもこれと同じような問題を抱えていることになる』、「賃金格差については、事後的な再分配政策をいくら手厚く行っても、問題を解決したことにはならない」、累進税制などの「再分配政策」には技術的な限界でもあるのだろうか。
・『賃金格差の原因は、資本装備率の差  上記のような賃金格差の原因としてまず考えられるのは、分配率(付加価値に占める賃金の比率)だ。そこで分配率を企業規模別に見ると、図表1のw/v欄に示すとおりだ。 分配率は、むしろ大企業の場合に低い。したがって、分配率の差が賃金格差の原因とは考えられない。 ただし、零細企業の分配率は低い。これについては後述する。 賃金格差の原因として第2に考えられるのは、資本装備率の差だ。ここで、「資本装備率」とは、従業員一人あたりの有形固定資産だ(なお、法人企業統計調査は、これを「労働装備率」と称している)。 この値は、大企業が2887万円であるのに対して、零細企業では790万円と、大企業の3.7分の1でしかない。 このように、資本装備率において、企業規模別に顕著な差があり、大企業が高く、零細企業が低い。 これが賃金格差の基本的な原因と考えられる。 法人企業全体での有形固定資本は490兆円だ。そのうち43.6%を占める213兆円が、従業員数では全体の18.6%でしかない大企業に保有されているのである。) 賃金や資本装備率などを産業別に見ると、図表2のとおりだ。 製造業と非製造業を比較すると、あまり大きな差はないが、製造業がやや高めだ。 問題は、宿泊・飲食サービスなど対人サービス業における賃金が低いことだ。 ただし、これは、宿泊・飲食サービスでは、零細企業が多いためかもしれない。そこで、従業員数や付加価値において大企業が占める比率を産業別に見ると、図表3のとおりだ。 従業員数で見ても付加価値で見ても、製造業では大企業の占める比率が高いのに対して、非製造業では製造業より大企業の比率が低い。 そして、宿泊・飲食サービス業では、従業員数で見ても付加価値で見ても、大企業の比率がかなり低い。 したがって、産業別に資本装備率や一人あたり賃金の差が生じる基本的な原因は、大企業の比率が産業別に異なることだと考えることができる。 つまり、賃金格差をもたらしている基本的な原因は、企業規模の違いなのだ』、「資本装備率において、企業規模別に顕著な差があり、大企業が高く、零細企業が低い。 これが賃金格差の基本的な原因と考えられる」、には違和感がある。「資本装備率」が高いのであれば、「資本」の取り分が大きくなるのは理解できるが、「労働」の取り分が大きくなるのは理解できない。ただ、「資本装備率」が「企業規模」を表しているので、「基本的な原因は、企業規模の違いなのだ」との判断はその通りだ。
・『理論値との比較  以上で述べた観察結果を、理論モデルの結果と照合してみよう。 「コブ=ダグラス」と呼ばれる生産関数を想定し、産出の労働弾力性をaとする。ここで、「産出の労働弾力性がaである」とは、労働力がx倍に増加したとき、付加価値生産額がxのa乗倍だけ増加することを意味する。 このモデルから、つぎの結論が得られる(証明略)。 (1)労働分配率(付加価値生産額に占める賃金所得の比率)は、aに等しくなる。 (2)資本装備率をkで表すと、賃金は、kの(1-a)乗に比例する。) このモデルにしたがって理論値を計算すると、図表4のようになる。ここでaとしては、全産業の労働分配率の値0.538(図表1参照)を用いた。 理論値は、実際の賃金の傾向をかなりよく説明している。 つまり、資本装備率の差が賃金格差をもたらすと考えてよいことになる。 ただし、詳しく見ると、資本金5000万円未満の企業につき、現実値は理論値より小さめになる。 これは、このサイズの企業では、労働組合が組織されておらず、交渉力が乏しいためかもしれない。そうであれば、政策的に介入の余地がある』、なるほど。
・『原因と結果を取り違えてはならない  賃金格差が生じる原因として、しばしば非正規労働者の存在が指摘される。「非正規労働者が多いから、賃金が低くなる」という意見だ。 表面的には確かにそのとおりなのだが、これは、原因と結果を取り違えた議論だ。 因果関係としては、零細企業では、生産性が低いために非正規労働者に頼らざるをえないのだ。 だから、「同一労働、同一賃金」を導入し、非正規労働者の労働条件を正規並みにしたとしても、問題は解決できない。そうすれば、非正規労働が削減されるだけの結果にしかならない。 また、賃金格差を解消するために最低賃金を引き上げるべきだと言われることがある。 しかし、そうしたところで問題の解決にはならない。雇用が縮小するだけのことだ。 低賃金を生み出している原因を解決しない限り、いかに労働規制で対処しても、問題は解決されない。 中小零細企業の賃金を大企業並みに引き上げるためには、中小零細企業の資本装備率を高める必要がある。 そのために、中小零細企業に対する政策融資措置が必要だ』、「最低賃金を引き上げるべき」との主張の代表格は、英国人アナリストのデービッド・アトキンソン氏だ。野口氏氏は「雇用が縮小するだけのこと」としているが、私にはどちらが正しいのかは判断できない。

次に、11月30日付け東洋経済オンラインが掲載した早稲田大学人間科学学術院教授の橋本 健二氏による「データで解明「コロナで階級社会化が加速」の衝撃 打撃を最も受けたのは非正規の若者と女性」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/470173
・『コロナ禍で最も経済的な打撃を受けたのは誰なのか。「非正規の若者と女性」と指摘するのが、階級・格差社会を研究する早稲田大学教授の橋本健二氏だ。橋本氏は、かつて「一億総中流」と呼ばれた日本社会に階級性があることを指摘。さらに非正規雇用で所得の低い「アンダークラス」が出現していることを明らかにした。 貧困に陥った若者たちの実態に4日連続で迫る特集「見過ごされる若者の貧困」1日目の第4回は、コロナ禍が格差に与えた影響について、橋本氏がデータで解明する。 【特集のそのほかの記事】第1回:「時給高いから上京」の21歳女性を襲った"想定外" 第2回:「コロナで路上生活」38歳元派遣の"10年前の後悔" 第3回:「親が学費負担放棄」学生を絶望させる新たな貧困  1947年に発表されたアルベール・カミュの小説『ペスト』と、1722年に出版された、『ロビンソン・クルーソー』の作者であるダニエル・デフォーの実録小説『ペスト』(原題は『ペストの年の記録』)の2冊はいずれも、その事実を描いている。 ごく簡単に要約すると、カミュの『ペスト』には、次のように書かれている。 ペストが流行し始めると、必需品への投機が始まったため価格が高騰し、富裕な家庭は何ひとつ不自由しないのに、貧しい家庭は苦しい生活を強いられるようになった。 また看護人や墓掘り人など、感染の危険の多い職業に就く人々は次々に死んでいったが、人手不足になることはなかった。なぜなら、ペストの蔓延による経済組織の破壊によって生まれた多数の失業者が、下層の仕事を担うようになったからだ、と』、世の中はこんな非常事態でも需給バランスが取れるように動いたことに強い印象を受けた。
・『被害にあったのは必ずしも貧困層ではない  デフォーの『ペスト』は、1665年のロンドンでのペストの大流行に題材をとっているが、やはりペストが人々の間の格差をきわだたせたことを克明に描いている。 流行の初期には、まず郊外に疎開先をもつ一部の富裕層が、真っ先に脱出した。豊かな市民や役人たちは、自分や家族はできるだけ家から外に出ないようにして、奉公人を生活必需品の買い物に行かせていたが、往来を駆けずりまわった奉公人たちは感染し、さらに感染を広げていった。死体の運搬や埋葬のために雇われていた者たちが病気になったり死んだりすると、仕事にあぶれた貧乏人たちが代わりに雇われた。 さらに、次のような注目すべき事実も描かれている。ペスト禍で真っ先に生活が困窮したのは、装飾品や衣服、家具など不要不急のものを製造する職人たちと、これらを扱う商売人たちだった、というのである。 料亭、居酒屋その他の飲食店での酒宴は禁止され、過度の飲酒は悪疫伝播の原因だとして厳重に取り締まられ、夜9時過ぎの料亭、居酒屋、コーヒーハウスへの出入りは禁止された。 ここで被害を被ったのは、必ずしも貧困層というわけではなく、自分で事業を営む人々であり、しかもその被害は、感染によるものではなく、事業が痛手を受けたことによるものである。これらの人々のもとで働いていた職人や店員も、仕事を失ったはずだ。 これは現代の日本と、まったくといっていいほど同じである。 政府は必需品ではないものを扱う小売店と飲食店に、強い制限を発動した。しかし、大企業と大型店の攻勢、新興国からの輸入の拡大によって多くの商工業の自営業者が淘汰されてしまった今日、生き残っているのは、大企業では扱いにくい個性的な商品や趣味性の高い商品、つまり必需品ではないものを扱う業者、そして飲食業者である。これらが直撃を受けた。 またこれらの商品を扱う小売店や飲食店は、非正規労働者の多い業種である。だから経営する旧中間階級とともに、非正規労働者が直撃を受けた。 以上からわかったことを整理すると、感染症は、すべての人々に平等に襲いかかるのではない。階級によって影響に差があるのだ。そしてこの階級性には、2つの要素がある。 1つは、感染リスクの違いである。仕事の種類によって、感染リスクの高い場所に近づく必要性は異なる。だから感染リスクは、階級によって異なるのである。 もう1つは、経済的なメカニズムから受ける影響の違いである。物価の上昇から受ける影響は、豊かな階級では小さく、貧しい階級では大きい。感染症の拡大は仕事に影響するが、その影響は階級によって異なる』、「感染症は、すべての人々に平等に襲いかかるのではない。階級によって影響に差があるのだ」、「感染リスクは、階級によって異なる」、「物価の上昇から受ける影響は、豊かな階級では小さく、貧しい階級では大きい」、なるほど。
・『現代資本主義社会を構成する4つの階級  それではデータを使って、コロナ禍がそれぞれの階級にどのような影響を与えたのか、確かめてみよう。ここでは、資本家階級、新中間階級、旧中間階級、労働者階級、アンダークラスの階級5分類を用いる。まずはその説明をしよう。 資本主義社会の最も基本的な階級は、生産手段を所有する経営者である資本家階級と、資本家階級に雇われて働く労働者階級である。しかし現実の社会には、その間に2つの中間階級が存在している。 1つは商工業の自営業者や自営農民などの「旧中間階級」である。これらの人々は生産手段を所有しているが、その量が小さいため、自分や家族でこの生産手段を使い、現場で働いている。このように資本家階級と労働者階級の性質を兼ね備えた人々であり、しかも資本主義の成立以前から存在する古い階級であることから、旧中間階級と呼ばれる。 もう1つは、雇用されて専門職・管理職・上級事務職などとして働く「新中間階級」だ。雇用されて働く労働者階級を管理したり、生産手段全体の管理・運用を行ったりするような仕事は、もともと資本家階級が担っていたが、企業規模が大きくなると一部の労働者に委ねられるようになる。 そうした人々は、労働者階級と同様に被雇用者でありながら、労働者階級の上に立つようになる。このように労働者階級と資本家階級の中間に位置する階級であり、しかも資本主義の発展とともに新しく生まれた階級であることから、新中間階級と呼ばれる。 こうして現代資本主義社会は、資本家階級、新中間階級、旧中間階級、労働者階級の4つの階級から構成されるようになった。) だが、近年になって大きな変化が生じてきた。労働者階級の内部に、従来から存在してきた正規雇用の労働者階級とは異質の、むしろ別の階級とみなすのがふさわしい下層階級が形成されてきたからである。 非正規労働者のなかでも、以前から数が多かったパート主婦は、家計補助のために働くことが多いから、必ずしも貧困に陥りやすいわけではない。しかし近年は、それ以外、つまり男性と配偶者のない女性の非正規労働者が激増している。 雇用が不安定で、賃金が低く、労働者階級としての最低条件すら満たされないこれらの人々は、アンダークラス、あるいはプレカリアートなどと呼ばれてきた。ここでは単刀直入なわかりやすさから、アンダークラスと呼ぶことにしたい。そしてアンダークラスが1つの階級として確立した社会を、新・階級社会と呼ぶことにしたい。 <日本の新・階級構造> 資本家階級:経営者、役員 新中間階級:被雇用の専門職、管理職、上級事務職 旧中間階級:商工業の自営業者、家族従業者、農民 労働者階級:被雇用の単純事務職、販売職、サービス職、その他マニュアル労働者 アンダークラス:非正規労働者(パート、アルバイト、派遣社員) 次の表は、5つの階級の経済状態、そして2020年4月の緊急事態宣言以降に、それぞれの仕事に起こった変化をまとめたものである。 (※外部配信先では図をすべて閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください) これを見ると、コロナ禍で大きなインパクトを受けたのは、弱い立場のアンダークラス、そして以前から衰退が続いてきた零細な商工業者の階級である旧中間階級であることがわかる。 世帯年収は、資本家階級が1100万円と最も多く、これに新中間階級が816万円で続いている。旧中間階級は678万円にとどまり、644万円の労働者階級と大差がないが、2019年と比べると127万円も減った。そして、アンダークラスは393万円と最も低い。 なお2020年の個人年収は、資本家階級が818万円、新中間階級が561万円、旧中間階級が413万円、労働者階級が463万円、アンダークラスが216万円である。アンダークラスの収入がきわめて低く、労働者階級」との比較でも、半分以下にとどまっている』、「アンダークラス」では世帯年収」、「個人年収」とも群を抜いて低いようだ。
・『旧中間階級とアンダークラスは貧困率も高い  貧困率はどうか。資本家階級が7.5%、新中間階級が5.2%と低く、労働者階級も9.5%にとどまるが、旧中間階級は20.4%、アンダークラスは38.0%と高い。 次に、仕事の上での変化を見ると、どの階級も勤務日数や労働時間、そして収入を減らしている人が多いが、階級による違いも大きい。最も影響を受けたのは旧中間階級とアンダークラスで、それぞれ42.0%、29.1%が収入を、そして34.9%、37.2%が勤務日数や労働時間を減らしている。 興味深いのは、勤務日数や労働時間が減ったという人の中で、収入が減ったとする人の比率である。新中間階級では勤務日数や労働時間が減ったという人のうち、収入が減ったのは37.0%である。この比率は労働者階級では52.1%と半数を超え、アンダークラスと旧中間階級は、それぞれ61.6%、67.3%と、明らかに高い。新中間階級は、仕事が減っても会社組織に守られて収入が減らないことが多いのである。 さらに在宅勤務などの勤務形態の変更を経験したのは、新中間階級が最も多く25.4%、もっとも少ないのは旧中間階級で4.3%、ほかはいずれも10%台の前半である。新中間階級は在宅勤務によって感染のリスクを減らすことができたということがわかる。 貧困率が最も高いアンダークラスでは、内部での格差も見逃せない。次の表は、アンダークラスに起こった仕事上の変化を、年齢別に見たものだ。 まず勤務先が休業したという人の比率を見ると、20~39歳の若者が16.8%と高く、40歳以上(8.3%)の2倍となっている。コロナ禍は明らかに、若者の仕事により強く影響したのである。 しかし勤務日数や労働時間、そして収入の変化を見ると、様相が異なる。勤務日数や労働時間が減ったという人は、どちらの年齢層も36.5%で違いがない。収入が減った人の比率は、20~39歳の若者が25.1%にとどまるのに対して、40歳以上では31.8%に上っている』、「新中間階級は在宅勤務によって感染のリスクを減らすことができた」、「アンダークラスでは」、「コロナ禍は明らかに、若者の仕事により強く影響」したが、「収入が減った人の比率は・・・40歳以上では31.8%と「若者」より多いようだ。
・『若者は転職や副業で何とかしのいでいる?  なぜこんな結果になるのか。その理由は、転職した人の比率と副業を始めた人の比率を見ればわかる。20~39歳の若者は9.0%までが転職しているのに、40歳以上で転職したのはわずか0.5%である。また若者の4.8%が副業を始めているが、40歳以上ではこの比率が2.6%にとどまる。 どうやら若者たちは、コロナ禍によって勤め先が休業するなど、大きな影響を受けはしたのだが、転職や副業によって何とかしのいでいるらしいのである。これも若さゆえだろう。ちなみに転職した若者の比率を男女別に見ると、男性4.9%、女性11.3%となっており、女性のほうが苦労したことがうかがえる。 これに対して40歳以上の人々は、仕事が減ったにもかかわらず転職も副業もしなかったために収入が減っているのだが、実はここには男女差がある。収入が減った人の比率は男性では24.7%にとどまるのに対して、女性では36.1%と明らかに多いのである。 中年男性アンダークラスがある程度まで守られているのに対して、中年女性アンダークラスは、放置されているようである。詳しいことはわからないが、おそらく休業補償などの制度が男性のほうにより多く適用されているのだろう。 このようにコロナ禍は、従来からあった階級間の格差をより際立たせた。アンダークラスと旧中間階級がより大きなインパクトを受け、さらにアンダークラスの内部を見ると、若者と女性が受けたインパクトが大きい。 弱者がより大きな影響を被り、格差が拡大した。コロナ禍は日本の社会に、大きな傷跡を残したといわなければならない。この傷を癒やし、さらに格差を縮小して災禍に強い社会をつくりだすことが、今後の日本社会には求められる』、「コロナ禍は、従来からあった階級間の格差をより際立たせた。アンダークラスと旧中間階級がより大きなインパクトを受け、さらにアンダークラスの内部を見ると、若者と女性が受けたインパクトが大きい。 弱者がより大きな影響を被り、格差が拡大した」、「格差を縮小して災禍に強い社会をつくりだすことが、今後の日本社会には求められる」、同感である。

第三に、本年1月19日付けPRESIDENT Onlineが掲載した文筆家・ラジオパーソナリティーの御田寺 圭氏による「「正社員を引きずり下ろしたい」"みんなで豊かになる"物語を失った日本の末路 年収400万が高級取りの時代」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/53872
・『日本郵政グループが、正社員と非正社員の待遇格差を縮めるために「正社員の休暇を減らす」ことを労働組合に提案した。文筆家の御田寺圭さんは「『みんなで豊かになる』という物語は失われてしまった。今は『平等に貧しくなる』方が説得力をもつ時代になっている」という』、「今は『平等に貧しくなる』方が説得力をもつ時代になっている」、寂しい限りだ。
・『日本郵政が「格差を縮めるため」に選んだ方法  フェアなことは、いいことだ――と、だれもが考える時代だ。 フェアネスが尊重されることに、だれも異論を挿まず、賛意を示す。そんな時代だからこそ、こんな結論が導かれた。 日本郵政グループが、2020年10月の最高裁判決で「正社員と非正社員の待遇に不合理な格差がある」と認定された労働条件について、格差を縮める見直しを労働組合に提案したことがわかった。正社員の休暇を減らす内容が含まれており、労組側には反対意見がある。 会社側が見直しを提案したのは、夏期・冬期の有給休暇、年始(1月2~3日)の祝日給、有給の病気休暇の3点。夏冬の有休は現在、郵便業務につく正社員で夏と冬に3日ずつ、アソシエイト社員(期間雇用から無期雇用に切り替えられた社員)で1日ずつだが、期間雇用社員はゼロ。会社提案は、期間雇用社員に夏冬1日ずつ与える一方、正社員は2日ずつに減らす内容で、正社員にとっては不利益な変更になる。 朝日新聞「『正社員の休暇減らす』日本郵政、待遇格差認定の判決受け提案」(2022年1月6日)より引用』、既得権を切り下げられる「労組」はどうするのだろう。
・『「正社員の待遇を、非正社員並みに下げます」  正社員と非正社員の待遇格差があることを批判され、ついには最高裁判決によってその是正を求められてきた日本郵政は、こともあろうに「正社員の待遇を非正社員に近づける(下方修正する)」ことによってその格差を「是正」しようと提案した。 これには少なからず疑問や批判の声が寄せられた。たしかに、これはこれで、不合理な格差を埋める「フェア」な施策であるというわけだが、求められていたのは「非正社員の待遇を正社員並みに近づけること」であるだろう。 しかしながら、日本郵政側がそれを理解していなかったわけではない。もちろん、なにかの気の迷いによって、本末転倒な解決案を出してきたわけでもない。むしろ、これこそが現代社会の時代精神を反映したある種の「総意」であると考えたからこそ、労働組合に対してこの案を堂々と提起したのである』、「「正社員の待遇を非正社員に近づける・・・」ことによってその格差を「是正」しようと提案」、には驚かされた。
・『「若者にとって年収400万円は高給取り」  この社会では「きっといつか、自分も(あの人たちのように)いい暮らしができるようになる」という物語にリアリティを感じることができない人がどんどん増えている。 今年、賃金が上がると思うかNHKの世論調査で聞いたところ「上がる」と答えた人が21%、「上がらない」と答えた人が72%でした。 NHK「ことし賃金は『上がる』21% 『上がらない』72% NHK世論調査」(2022年1月12日)より引用 自分の人生も暮らし向きも上向かず、いつまでも現状がくすぶったまま維持され、低空飛行を続けていくことなる――という閉塞的な未来のビジョンの方が、現代社会ではよほど想像することがたやすい。とくにそれは若者層に顕著になっている。先日にもツイッターでは「若者にとって年収400万円は高給取りとみなされている」とするツイートが大きな波紋を呼んだ。 今日の若者たちにとってみれば「年収400万円は高給取り」というのはまったく冗談ではない。国税庁「民間給与実態統計調査」によれば、20~24歳の男性の平均給与は277万円、25~29歳でも393万円だ。年収400万円が現実的な数字となってくるのは30代からになる。※編集部註:初出時は厚生労働省「賃金構造基本統計調査」の結果を記していましたが、国税庁「民間給与実態統計調査」に差し替えます。(1月20日17時58分追記)』、「今日の若者たちにとってみれば「年収400万円は高給取り」というのはまったく冗談ではない」、てっきり「冗談」だと思っていたが、そうでもないとは改めて驚かされた。
・『「今日よりも明日がいい日になる」「来年は今年よりも給料が大幅に上がっている」「ボーナスをあてにして大きな買い物ができる」 ひと昔前の時代であれば、とくに違和感なく受け入れられてきたこうした一般的な感覚が、現代社会の働き盛りの人びとにとってはそうではない。本当にそのような時代が実在していたのか疑わしい、さながら異世界や別の世界線にある日本社会を語っているかのような感覚に陥ってしまう』、「ひと昔前の時代であれば、とくに違和感なく受け入れられてきたこうした一般的な感覚が、現代社会の働き盛りの人びとにとってはそうではない。本当にそのような時代が実在していたのか疑わしい」、時代の変化は予想以上だ。
・『磯野家も野原家も「圧倒的な勝ち組」に見える  漫画『サザエさん』の磯野家やフグ田家、あるいは『クレヨンしんちゃん』の野原家は当初、ごく平凡な中流家庭つまり「庶民階級」の姿を想定して描写されたし、そのような庶民の描かれ方に人びとは疑問をもたなかった。しかし、いまの20代や30代からすれば、かれらを「ごく平凡な庶民の姿」とみなす人はそれほど多くはないだろう。むしろ圧倒的な勝ち組・富裕層の家庭としてみなすようになっている。 都心もしくは首都圏に一戸建てのマイホームやマイカーを所持し、子どもを複数人育てる――これらは『サザエさん』や『クレヨンしんちゃん』がはじまった時代には「ふつうの一般家庭の姿」として受け入れられていた。だが、もはやその「ふつう」は、はるか遠い高みへと消え去ってしまった。私たちはどんどん貧しくなっていく国に生きている。 『サザエさん』や『クレヨンしんちゃん』で描かれたサラリーマンの暮らし向きは、もはや現代人にとっては「在りし日の懐かしい風景」ではなく、ある種の「(心情的に受け入れがたい描写としての)ファンタジー」なのである』、「漫画『サザエさん』の磯野家やフグ田家、あるいは『クレヨンしんちゃん』の野原家は当初、ごく平凡な中流家庭つまり「庶民階級」の姿を想定して描写された」、「しかし、いまの20代や30代からすれば、かれらを「ごく平凡な庶民の姿」とみなす人はそれほど多くはないだろう。むしろ圧倒的な勝ち組・富裕層の家庭としてみなすようになっている」、「圧倒的な勝ち組・富裕層の家庭としてみなすようになっている」、信じられないような時代の断絶を感じる。
・『正社員は「いつかなれるもの」ではなくなった  磯野家や野原家が庶民ではなく「勝ち組」の既得権益者側に見える――このようなコンテクストを踏まえれば、正社員として働き大小さまざまな恩恵を享受できていることが「ふつうである」という前提を、もはや全社会的に共有することが難しくなっていることが見えてくる。つまり、同じ会社で働く非正規雇用者からすれば、正社員は「いつか自分がそうなりえる姿」ではなくて、一生交わることのない並行世界の住人にしか思えないのだ。 近頃において「無駄を省く(既得権益者の利権を削る)」といったスタンスの党派が喝采されるのも「自分はそのような粛清の刃を向けられる側の世界の住人ではないし、これからもずっとそうである」という感覚を少なくない人が共有しているからだ。 自分が踏み入れることのない並行世界の人びとだけが「おいしい思い」をしている姿を見るのは、不公平というか差別的にすら思える。「正社員/恵まれている人の待遇を削ったら、まわりまわって自分にも損がある」――というマクロ経済学的な知見に裏付けられた正論には、もはや多くの人がリアリティや説得力を感じられなくなっている。「どうせ自分はずっとこのままなのに、どうして同じような仕事をしているあいつらは(大したことをしていないなのに)給料が高いのか。それは不当だ。差別だ」という不公平感の方が優勢になる』、「同じ会社で働く非正規雇用者からすれば、正社員は「いつか自分がそうなりえる姿」ではなくて、一生交わることのない並行世界の住人にしか思えないのだ」、「一生交わることのない並行世界の住人」とは言い得て妙だ。
・『「みんなで豊かになる」という物語の死  自分がけっしてその領域に足を踏み入れることはない「別世界」で暮らす人びとの待遇が引き下げられることは、自分にとってなんの痛みもないどころか、かえって社会がより「公平」に近づいて歓迎されるべき「善行」だ――とすら考えられるようになる。 「いま恵まれている人を引き下げたら、自分がその立場に行けたときに損をする。だから少しでもだれかが得する方向に働きかけよう」という、互助的な規範意識が、機能不全に陥ろうとしている。「みんなが苦しい時代に、おいしい思いをしているのは不当な既得権益者に違いないのだから、かれらにメスを入れて闇を暴き、引きずり下ろす! それが民意である!」――というスタンスを明確にする、いわゆるポピュリズム政党が市民社会からの喝采を浴びますます勢いに乗るのは偶然ではない。 この社会が「みんなで豊かになる」という社会的合意(あるいは共同幻想)を喪失してしまっていることの裏返しでもある』、「互助的な規範意識が、機能不全」、「「みんなが苦しい時代に、おいしい思いをしているのは不当な既得権益者に違いないのだから、かれらにメスを入れて闇を暴き、引きずり下ろす! それが民意である!、なんとも世知辛い世の中になったものだ。
・『「平等に貧しくなろう」が説得力をもつ社会  世の中で「豊かな人」を見かけても、「羨ましいが、きっと自分にもいつかはその番が巡ってくるだろう」と肯定的に考えられなくなった。そうではなくて「豊かな人は、自分たちから富を奪っている収奪者だからこそ豊かなのだ」という感覚が支配していくようになった。 日本郵政の経営陣は、この社会が左右だけではなくて上下に分断されている空気を素直に読み込んだからこそ、「正社員の《特権》を解体して、フェアな待遇に改定しましょう」と持ち掛けた。こうした提言がたとえネットでは批判殺到でも、実社会においてはこの種の提案を支持する人が今日には一定数いることは明らかだ。 「みんなで豊かになる」という物語をだれも信じられなくなった。無理もない。いつか自分が豊かになると信じて待つには「失われた30年」はあまりにも長すぎたからだ。 「みんなで豊かになる」という美しい物語が死んだ。 その代わりにやってきたのが「平等に貧しくなろう」であった。 みんながつらくて苦しい時代には、いつか自分たち全員が慈悲深い神によって掬いあげられる日がやってくる物語よりも、「豊かさ」を享受している者を引きずり下ろす物語の方が、はるかに説得力があった』、「「豊かさ」を享受している者を引きずり下ろす物語の方が、はるかに説得力があった」、嫌な時代になったものだ。
タグ:格差問題 (その9)(日本人は賃金格差の原因をイマイチわかってない いかに労働規制で対処しても問題は解決されない、データで解明「コロナで階級社会化が加速」の衝撃 打撃を最も受けたのは非正規の若者と女性、「正社員を引きずり下ろしたい」"みんなで豊かになる"物語を失った日本の末路 年収400万が高級取りの時代) 東洋経済オンライン 野口 悠紀雄氏による「日本人は賃金格差の原因をイマイチわかってない いかに労働規制で対処しても問題は解決されない」 「賃金格差については、事後的な再分配政策をいくら手厚く行っても、問題を解決したことにはならない」、累進税制などの「再分配政策」には技術的な限界でもあるのだろうか。 「資本装備率において、企業規模別に顕著な差があり、大企業が高く、零細企業が低い。 これが賃金格差の基本的な原因と考えられる」、には違和感がある。「資本装備率」が高いのであれば、「資本」の取り分が大きくなるのは理解できるが、「労働」の取り分が大きくなるのは理解できない。ただ、「資本装備率」が「企業規模」を表しているので、「基本的な原因は、企業規模の違いなのだ」との判断はその通りだ。 「最低賃金を引き上げるべき」との主張の代表格は、英国人アナリストのデービッド・アトキンソン氏だ。野口氏氏は「雇用が縮小するだけのこと」としているが、私にはどちらが正しいのかは判断できない。 橋本 健二氏による「データで解明「コロナで階級社会化が加速」の衝撃 打撃を最も受けたのは非正規の若者と女性」 世の中はこんな非常事態でも需給バランスが取れるように動いたことに強い印象を受けた。 「感染症は、すべての人々に平等に襲いかかるのではない。階級によって影響に差があるのだ」、「感染リスクは、階級によって異なる」、「物価の上昇から受ける影響は、豊かな階級では小さく、貧しい階級では大きい」、なるほど。 「アンダークラス」では世帯年収」、「個人年収」とも群を抜いて低いようだ。 「新中間階級は在宅勤務によって感染のリスクを減らすことができた」、「アンダークラスでは」、「コロナ禍は明らかに、若者の仕事により強く影響」したが、「収入が減った人の比率は・・・40歳以上では31.8%と「若者」より多いようだ。 「コロナ禍は、従来からあった階級間の格差をより際立たせた。アンダークラスと旧中間階級がより大きなインパクトを受け、さらにアンダークラスの内部を見ると、若者と女性が受けたインパクトが大きい。 弱者がより大きな影響を被り、格差が拡大した」、「格差を縮小して災禍に強い社会をつくりだすことが、今後の日本社会には求められる」、同感である。 PRESIDENT ONLINE 御田寺 圭氏による「「正社員を引きずり下ろしたい」"みんなで豊かになる"物語を失った日本の末路 年収400万が高級取りの時代」 「今は『平等に貧しくなる』方が説得力をもつ時代になっている」、寂しい限りだ。 既得権を切り下げられる「労組」はどうするのだろう。 「「正社員の待遇を非正社員に近づける・・・」ことによってその格差を「是正」しようと提案」、には驚かされた。 「今日の若者たちにとってみれば「年収400万円は高給取り」というのはまったく冗談ではない」、てっきり「冗談」だと思っていたが、そうでもないとは改めて驚かされた。 「ひと昔前の時代であれば、とくに違和感なく受け入れられてきたこうした一般的な感覚が、現代社会の働き盛りの人びとにとってはそうではない。本当にそのような時代が実在していたのか疑わしい」、時代の変化は予想以上だ。 「漫画『サザエさん』の磯野家やフグ田家、あるいは『クレヨンしんちゃん』の野原家は当初、ごく平凡な中流家庭つまり「庶民階級」の姿を想定して描写された」、「しかし、いまの20代や30代からすれば、かれらを「ごく平凡な庶民の姿」とみなす人はそれほど多くはないだろう。むしろ圧倒的な勝ち組・富裕層の家庭としてみなすようになっている」、「圧倒的な勝ち組・富裕層の家庭としてみなすようになっている」、信じられないような時代の断絶を感じる。 「同じ会社で働く非正規雇用者からすれば、正社員は「いつか自分がそうなりえる姿」ではなくて、一生交わることのない並行世界の住人にしか思えないのだ」、「一生交わることのない並行世界の住人」とは言い得て妙だ。 「互助的な規範意識が、機能不全」、「「みんなが苦しい時代に、おいしい思いをしているのは不当な既得権益者に違いないのだから、かれらにメスを入れて闇を暴き、引きずり下ろす! それが民意である!、なんとも世知辛い世の中になったものだ。 「「豊かさ」を享受している者を引きずり下ろす物語の方が、はるかに説得力があった」、嫌な時代になったものだ。
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資本主義(その9)(セドラチェクvs斎藤幸平「成長と分配のジレンマ」 「成長至上」と「脱成長」の狭間の資本主義論、大テーマを掲げた割には内容が小粒 「改革」なき「新しい資本主義」、大前研一「"新しい資本主義"が危険である これだけの理由」 賃上げするほど格差は拡大する) [経済]

資本主義については、昨年12月9日に取上げた。今日は、(その9)(セドラチェクvs斎藤幸平「成長と分配のジレンマ」 「成長至上」と「脱成長」の狭間の資本主義論、大テーマを掲げた割には内容が小粒 「改革」なき「新しい資本主義」、大前研一「"新しい資本主義"が危険である これだけの理由」 賃上げするほど格差は拡大する)である。

先ずは、本年1月1日付け東洋経済オンラインが掲載した NHK「欲望の資本主義」プロデューサー/東京藝術大学客員の丸山 俊一 氏による「セドラチェクvs斎藤幸平「成長と分配のジレンマ」 「成長至上」と「脱成長」の狭間の資本主義論」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/477941
・『今、資本主義をめぐる議論が熱い。 「成長至上」のあり方を否定することにおいてはともに一致しつつも、現状を打開する方策、システムのあり方について意見を異にし、対立する2人が出会った。かたや思春期に共産主義を経験、その苦い記憶からそこに帰ることなく資本主義において解決策を探し続けるチェコの奇才アナリストと、アメリカでマルクスに出会い、脱成長の可能性に魅せられた夢見る俊英学者との対論だ。 『欲望の資本主義5:格差拡大 社会の深部に亀裂が走る時』など、書籍化もされている新春恒例の番組「欲望の資本主義」。元日放送の「BS1スペシャル 欲望の資本主義2022 成長と分配のジレンマを超えて」での、トーマス・セドラチェク氏と斎藤幸平氏によるチェコと東京を結ぶ熱い議論は、3時間を超えるものとなった。その冒頭部分をお聞きいただこう』、「番組」は見逃したので、有難い。
・『社会主義を支持する欧米の若者たち  斎藤幸平(以下、斎藤):セドラチェクさんの『善と悪の経済学』を読みましたが、経済成長を時に鈍化させる必要性をあなたは説いていますよね?私も著書『人新世の「資本論」』の中で脱成長について議論し、その議論は今では日本でも多くの人に受け入れられています。 今日は「脱成長は可能なのか」について議論したいのですが、いちばんのポイントは、脱成長は資本主義の中で可能なのか、あるいは資本主義を超えた先の脱成長をめざすべきなのか、だと思います。その点について、じっくり話し合えればと思います。 セドラチェク:私の国は長く共産主義を経験しましたから、その点についても話せますね。それに、この問題を環境問題に結び付けた形で議論することも可能です。なぜなら、あなたのマルクス主義に基づきつつも現実的でエコロジカルな視点に、私はとても興味があるからです。すばらしい議論ができるでしょう。 斎藤:ええ。同意できる点と異なる点と……、議論を楽しみにしています。 セドラチェク:頭脳明晰な友人とのおしゃべりは、最高の夜の過ごし方ですからね。 斎藤:ありがとうございます。ではまず、最初にアメリカのバーニー・サンダースやイギリスのジェレミー・コービンといった「社会主義」を掲げる政治家の人気について話したいと思います。彼らを最も情熱的に支持しているのが若者だというのは、注目すべき点です。「ジェネレーション・レフト」とも呼ばれる、ミレニアル世代やZ世代がますます社会主義的な考え方に興味を持つようになっている。 その背景には、資本主義が、「みんなを豊かにする」という約束を果たせなくなっているという問題があります。つまり、経済を成長させることで、あらゆる人により豊かな生活をもたらすという約束です。 若者たちが直面しているのは、深刻な経済的不平等です。若い世代の多くの人たちは、不安定で低賃金の職にしかありつけていません。学費の高い英米の若者たちは、就職後も学生ローンの返済で苦しんでいますし、ニューヨークやロンドンなどの大都市の家賃は高騰するばかりです。今の資本主義を続けることは、若い世代にとっては経済破綻を意味します。 ソ連が崩壊して30年経ち、再びある種の社会主義的な考え方に若者が共鳴するのには、十分な理由があると私は思っていますが、その点、どんなふうに捉えていらっしゃいますか?』、「今の資本主義を続けることは、若い世代にとっては経済破綻を意味します。 ソ連が崩壊して30年経ち、再びある種の社会主義的な考え方に若者が共鳴するのには、十分な理由があると私は思っています」(斎藤)。
・『食べ物の棚が空っぽの社会主義時代のチェコ  セドラチェク:サンダース現象の盛り上がりについては、私が住む欧州の視点からは、率直なところ理解に苦しみます。なぜなら私たちは資本主義を違う方法でも利用できると知っているからです。実際、過去35年の全人口の富の増加のデータを見ると、欧州に鉄のカーテンがあった時代、つまり昔の社会主義時代と比べると興味深い傾向があります。 欧州の富裕層の富はそれほど増えず、200%増加した程度です。倍になったのは大きいですが、アメリカに比べればそれほどではありません。ましてやロシアとは比べ物になりません。チェコも貧困層や中流階級の人々さえも過去30年間の資本主義の恩恵を受けています。 ですからヨーロッパの若者は、左派に対してそれほどの情熱を持っていないでしょう。とくに社会主義の時代に空っぽの棚を経験している、ここ中欧では。私は子どもの頃、フィンランドに住んでいたこともあり、鉄のカーテン 両側から見ることができました。あるとき、祖母がフィンランドに来たことがありました。彼女が亡くなった後に、遺品を整理していたら食べ物の写真が20枚ほど出てきましたよ。彼女にとっては食べ物でいっぱいの棚がたくさんあるのが珍しかったのでしょうね。 斎藤:欧州の中流階級がそれほど貧しくなっていないという点は注目すべきですね。若者たちも、史上最悪の状況に置かれているというわけではありません。 しかしながら、欧州においてさえ社会主義など、脱資本主義への関心が高まっているのは事実で、先に挙げたコービンだけでなく、ギリシャのヤニス・バルファキスなどの躍進にも表れています。 こうした現状を理解するために、もう1つ重要なポイントは、私たちが「人新世の危機」に直面しているということではないでしょうか?「人新世」とは、人類の経済活動が巨大になり、今後数千年も続くような地球全体の変化をもたらし、地質学的に大きな影響力を与えている時代のことです。つまり、資本主義が地球を壊すほどの環境危機を引き起こしているのです。そのうち最も深刻な危機が気候変動です。 コロナのパンデミックは、「人新世の危機」を象徴していますが、問題は新型コロナの感染爆発は最後の危機ではなく、むしろスタートだという点です。コロナ禍は、気候変動が引き起こす慢性的緊急事態へのリハーサルでしかないのです』、これに対し「セドラチェク」は、「欧州の富裕層の富はそれほど増えず、200%増加した程度です・・・アメリカに比べればそれほどではありません・・・チェコも貧困層や中流階級の人々さえも過去30年間の資本主義の恩恵を受けています。 ですからヨーロッパの若者は、左派に対してそれほどの情熱を持っていないでしょう」と、社会主義から「資本主義」に体制転換したことから、「資本主義」の問題点には余り関心がないようだ。
・『パンデミックは来る気候危機の予告編  セドラチェク:私はデモ版と呼んでいます。予告編ですね。 斎藤:ええ、気候危機の予告編です。摂氏2度上がった世界を想像してください。すぐにその時はやって来ます。台風やハリケーン、山火事、干ばつが増え、海面上昇も起き、人間の手に負えなくなります。そして確実に水不足や食糧危機が起き、多数の難民が生まれます。社会に大きなマイナスの影響も生まれ、排外主義や極左運動等を生み、戦争や紛争につながるのです。 そう考えれば、Z世代の不安や怒りは理解できるでしょう。彼らは近い将来に起きる危機を非常に恐れているのです。 そして若い世代は、気候危機に対する説得力のある、魅力的な解決策を提供できない現在のシステムに失望しています。そしてもし既存のシステムが解決策を提供できないならば、今のシステムの外に求めるべきだと考えています。 だから、社会主義が次なるシステムの候補に上がっているわけです。 セドラチェク:気候危機が、人々が解くべき重要な問いであることには同意します。私たちはその解決策を知りません。この惑星でこんなことが起きたのは初めてですからね。この状況は私たちが1989年に資本主義を導入すべく共産主義から離脱したときの状況と少し似ています。当時教科書がなく、どうすべきかわかりませんでしたから。確かに気候変動の原因は、普通に考えれば、資本主義です。) セドラチェク:しかし私は、資本主義自体の問題ではないと考えるのです。なぜそう思うのかと言えば、解決策を見つける国は、いつも西側の資本主義国だからです。中国の共産主義によって発案された解決策はありません。 実際、現在議論されているCOPでの温室効果ガス削減目標に関しては、皮肉にも中国が最も後ろ向きで自らが出す公害の割合を減らす覚悟ができていないのです。公共の利益を考えるべきは、ほかでもない社会主義あるいは共産主義政党のはずでしょう?ちなみに、私は過去の経験から2カ月ほど前に挑発的な論文を書いたのですが、その内容は「資本主義は共産主義ほど環境を破壊しない」というものでした。 私はこのチェコの地で育ち、革命が起きた時は12歳でした。そして30年……、共産主義による40年間にわたる環境破壊の後始末をするのに、資本主義社会で30年かかったわけです。私にとっては皮肉でした。なぜなら子どもの頃こう思っていたからです。「私欲や利益、利己主義に左右されず、中央計画経済が実行され、民衆の幸福と公共の利益の実現のみを役割とする政治体制なのに、なぜ?」と。 公共の利益の例として私たちが吸う空気に勝るものがあるでしょうか?私たちは同じ空気を吸っています。しかし、共産主義はその空気を守ることができませんでした。利己主義で利益を追求し、無秩序で組織化されておらず、命令でなく報奨金のみによって動くフィンランドの資本主義の人々ほどもね。これは大きな逆説です。フィンランドのビジネスマンは環境を守ろうと意図していたわけではなく、スープやジャガイモなどを売って儲けたかっただけにもかかわらず、旧チェコスロバキアほど環境を悪化させなかったのです』、「私たちは同じ空気を吸っています。しかし、共産主義はその空気を守ることができませんでした」、その通りだ。
・『資本主義システムではない新しいシステム  斎藤:チェコスロバキアなどの東側諸国のほうが、資本主義の西側諸国よりも大気汚染など環境に悪影響を与えていたとおっしゃいましたね。その点は理解します。 しかしながら、東西両陣営、どちらの体制の国々も果てしない経済成長を求めていたこと、そしてどちらも、生態系への影響を無視して近代化を求めていた、という点が最大のポイントです。東西ともに、成長を追求し、環境を破壊したという、その点においては、まったく同じ穴の狢だったわけです。) 斎藤:生産における古い社会主義的管理体制が非効率的で環境を破壊するものだったという点は理解しています。しかし、当時そうだったというだけであって、未来の環境を考えた場合、社会的に生産を管理・規制する必要があり、そのほうが環境にいいという可能性までも否定するものではありません。 なぜなら、市場で無秩序な競争を行い、際限のない資本増殖を追求する資本主義システムのもとでは、環境危機を悪化させるばかりで、危機を解決に導くことなどできないからです。現に気候変動問題は、ソ連崩壊後にますます悪化しています。私たちは環境危機の原因である、資本主義システムではない新しいシステムを作らなくてはなりません。 残念ながら、利潤を求め、経済を成長させるということは、ほぼ例外なく物・資源・エネルギーの消費の増大を伴うのです。成長と環境に悪い消費を短期間で切り離すことは至難の業です。 EUやアメリカは“緑の”資本主義をスローガンに掲げ、技術革新によって、経済成長と環境への悪影響を切り離す、デカップリングを目指していますが、技術的にそれが実現する保障はありません。しかし、気候危機を解決するには「今後30年のうちに解決しなければ、ポイント・オブ・ノーリターンを迎えてしまう」という深刻なタイムリミットもあります。二酸化炭素排出量を、大急ぎで大幅に削減し、ゼロにせねばならないのです。 ですから、実現の保証が定かでない技術革新だけに期待をかけて、経済成長を求めている場合ではないのです。例えば国家権力によって悪質な産業は止めることなども選択肢にせねばなりません。今われわれは、コロナのパンデミックよりも大きな問題に本当は直面しているのです』、「二酸化炭素排出量を、大急ぎで大幅に削減し、ゼロにせねばならない」という「コロナのパンデミックよりも大きな問題に本当は直面している」、その通りだ。
・『パンデミックによる「資本主義の中の社会主義」  斎藤:ただ、パンデミックから私たちが学んだこともあります。つまり、われわれは緊急モードになって、やろうと思えばロックダウンもできるし、マスクやワクチンなど、どうしても必要なモノを作るよう市場に呼びかけることもできるという点です。ロックダウン中はお金を配るよう政府に要求することもできます。 こうしたコロナ対策が証明したのは、どれほど素早くわれわれが自らの行動を変えられるか、そして政府は実際、国民の命を守るために動けるのだということです。これは、われわれの政治や経済に関する想像力が広がった経験だと考えています。 市場の規制を撤廃し民営化を進める新自由主義が国民の命を守り、生活をより豊かにする最も効率的な方法だと言われてきました。しかし、そうした社会がもたらしたパンデミックと気候危機という矛盾に直面し、より社会的規制や共同生産の可能性を模索せねばならなくなったのです。 当然、旧社会主義国の失敗を繰り返してはなりませんけどね。 セドラチェク:パンデミックが想像力を広げたことには同意します。この間、世界中が共産主義になったとも言えますからね。誇張した表現ですが。 斎藤:危機の時代にはみな社会主義者になるというジョークが昔からありますからね。 セドラチェク:そのとおりです。皆いくらかの給付金を受け取ったわけで、もしもパンデミックが続いても、何年かは持ちこたえられるでしょう』、「コロナ対策が証明したのは、どれほど素早くわれわれが自らの行動を変えられるか、そして政府は実際、国民の命を守るために動けるのだということです。こは、われわれの政治や経済に関する想像力が広がった経験だと考えています」、同感である。
・『資本主義国家と共産主義国家の違い  セドラチェク:しかしここで考えねばならないのは、持ちこたえられるのも、今私たちが豊かだからということです。共産主義の末期ではムリでした。1980年代にパンデミックはありませんでしたが、それでも店の棚に食料はありませんでした。飢餓にある人もいたのです。 「BS1スペシャル欲望の資本主義2022成長と分配のジレンマを超えて」は、NHK BS1にて2022年1月1日22:00~放送予定(写真:NHK) フィンランドのような中央計画経済とは無縁の社会が、なぜチェコスロバキアなどの中央計画経済の国々よりも当時繁栄していたのか、私にとってこれは最大の謎でした。西側のほとんどの国々では、なぜか生態系、自然へのダメージが共産主義体制の国々より大幅に少なかったのです。これはちょっと皮肉です。言葉を額面どおり受け取るなら、共産主義のほうがマシなはずですから。リーダーが「明日からCO2の排出量を減らすぞ、煙突にフィルターをつける」と宣言できるはずだからです。 ところが実際は違いました。1988年、革命が本格化する前に、チェコスロバキアの北部の町々で政権に対する抗議運動がありました。あまりの空気の悪さで、息が吸えなかったのです。民衆は共産主義体制を批判し始め、その運動が首都プラハまで波及して知識人による反乱となりました。始まりは環境問題だったのです。 当時リーダーたちを批判することは禁じられていました。これが資本主義国家と共産主義国家の違いだと思います。資本主義国家は批判に対してお金を払い、批判を求め、変化を求めるのです。 新しい制度が必要だという点ではまったく同感です。しかし私は、資本主義の中で模索します。 あくまで資本主義内での問題解決を考えるセドラチェクと、コミュニズムの実現を目指す斎藤の議論は、いよいよ核心へと入っていく……。どこまでわかり合え、どこからが異なるのか? 成長、分配、生産性……、さまざまな言葉が行き交う今、資本主義の曲がり角にあって進むべき道は? このほかにも世界各地のさまざまな経済のフロントランナーたちが登場、資本主義の可能性と限界に迫る、2017年からの新春恒例の企画ならではの、骨太でスリリングな議論が番組では展開される』、「チェコ」など東欧の民主主義「革命」も「始まりは環境問題だった」、忘れていた重要なポイントを思い出させてくれた。

次に、1月13日付け東洋経済Plus「大テーマを掲げた割には内容が小粒 「改革」なき「新しい資本主義」」を紹介しよう。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/29328
・『岸田文雄首相の掲げる「新しい資本主義」の評判がエコノミストの間で芳しくない。大テーマを掲げた割にはその内容が小粒で、新味に欠けるからだ。 首相が年頭所感で説明する「新しい資本主義」はこうだ。成長については「デジタル化」「気候変動」「経済安全保障」「イノベーション・科学技術」などの社会課題をエンジンとする。分配については、格差に向き合い、「企業による賃上げ」や「人的投資の強化」を行う。これを次の成長につなげ、「成長と分配の好循環」を生むことで、経済の持続可能性を追求する──。 これでは、巷間(こうかん)いわれるようにアベノミクスと変わらない。 成長のエンジンとは産業戦略にすぎない。政府がテーマを並べて税制優遇や補助金で企業の投資を誘導する、従来型の手法だ。これまでも繰り返されてきたが、イノベーションの活性化にはつながらなかった。 本来、イノベーションは企業の側から自発的に生まれる。政府の役割は、それを阻害するような規制・制度を見直し、既得権を持つ者による不当な取引慣行を排除することだ。民間のイノベーションが乏しいことが、日本の問題だ。 分配についても、「企業による賃上げ」を「賃上げ税制」という企業への優遇措置に頼ろうというのでは、アベノミクス下の官製春闘と同様に持続性はないだろう』、「分配についても、「企業による賃上げ」を「賃上げ税制」という企業への優遇措置に頼ろうというのでは、アベノミクス下の官製春闘と同様に持続性はない」、その通りだ。 
・『30年近く沈み続けて  首相は「すべてを市場や競争に任せるのではなく」、「新自由主義から決別すること」が「先進国共通の課題だ」と語る。確かに日本でも株主至上主義を促すコーポレートガバナンス・コードの導入や法人税引き下げなどの新自由主義的政策は導入された。だが、すべてを市場や競争に任せてはいない。 単純化していえば、米国ではイノベーションが活発な反面、起業家やCEO(最高経営責任者)が、突出した報酬に加えて株主利益や減税の恩恵も手にした。一部の勝者への富の集中で格差は拡大した。 日本の場合は、潜在成長率が低下してほぼゼロになる中で、中間層から下層に滑り落ちる人が増え、格差が拡大した。その背景には、新卒一括採用・終身雇用制、正社員の解雇規制がある。企業は景気に応じて調整しやすくコスト負担の少ない非正規雇用を増やした。 企業に補助金や税制優遇を与えて雇用を守ってもらう政策を変えなかったことで、低成長・低採算の産業が温存され、人材もそこに縛られて低賃金から脱却できない。結果的に、守られない非正規雇用も拡大した。これを続けるのか。 潜在成長率を引き上げるには、パッチワーク的修正でなく、経済全体の枠組み変更の必要がある。 中心に据えるべきは労働市場の改革で、ドイツや北欧の例に倣って積極的労働市場政策に転換することだ。企業倒産や解雇を容認することで、企業や事業の新陳代謝を促す。セーフティーネットとしては個人を対象とする失業手当や再就職支援、そのための職業教育などを手厚くすることで、成長分野への労働移動を促す。国内で成長の可能性が見えてくれば、企業も投資を活発化させる。 また、家計が安心して消費を増やすためには、持続可能な社会保障、財政の姿を示すことが必要で、財源の議論は避けて通れない。 ばらまき政策が多いのは、今夏の参院選で過半数を握るためで、それまでは財源など不人気な議論は封印されているのだという解釈がもっぱらだ。だが、長期化した安倍政権も改革への取り組みは希薄だった。首相が「規制改革」や「既得権益の打破」といった言葉を避けていてよいものか』、「潜在成長率が低下してほぼゼロになる中で、中間層から下層に滑り落ちる人が増え、格差が拡大した。その背景には、新卒一括採用・終身雇用制、正社員の解雇規制がある。企業は景気に応じて調整しやすくコスト負担の少ない非正規雇用を増やした。 企業に補助金や税制優遇を与えて雇用を守ってもらう政策を変えなかったことで、低成長・低採算の産業が温存され、人材もそこに縛られて低賃金から脱却できない。結果的に、守られない非正規雇用も拡大した。これを続けるのか。 潜在成長率を引き上げるには、パッチワーク的修正でなく、経済全体の枠組み変更の必要がある」、同感である。「首相が「規制改革」や「既得権益の打破」といった言葉を避け」るべきではない。

第三に、プレジデント 2022年3月4日号が掲載したビジネス・ブレークスルー大学学長の大前 研一氏による「大前研一「"新しい資本主義"が危険である、これだけの理由」 賃上げするほど格差は拡大する」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/54516
・『賃上げするほど格差は拡大する  給料を上げた企業は税金が安くなる「賃上げ促進税制」が2022年4月からスタートする。大企業と中堅企業の場合、前年度比で3%以上給料をアップすれば法人税が15%控除され、4%以上は25%控除される。中小企業の場合は、1.5%以上アップすると15%控除、2.5%以上は30%控除だ。 賃上げ税制は、岸田文雄首相が設置した「新しい資本主義実現会議」が提案した。競争原理を重視した新自由主義では格差が拡大したから、新自由主義にかわる「新しい資本主義」を目指すという。賃上げ税制は、これを実現する具体策の1つというわけだ。 この政策を本気で「資本主義」だと考えているとしたら、岸田政権は危険だと思う。「政府が賃金をコントロールするのは、資本主義ではないのではないか?」と首をかしげたのは、私だけではないだろう。 資本主義の基本は、自由なマーケットだ。マーケットで競争が起こり、強い企業が生き残る。経営者は競争を通して、商品の価格や従業員の人数、給与を決めていく。競争に勝利した企業は、利益を将来の事業に再投資して、さらに強くなる』、「賃上げ税制」「を本気で「資本主義」だと考えているとしたら、岸田政権は危険だと思う。「政府が賃金をコントロールするのは、資本主義ではないのではないか?」と首をかしげた」、確かにその通りだ。
・『介入しないことが資本主義  私が「3C」と提唱したとおり、強い企業は、顧客(Customer)、組織(Company)、競争相手(Competitor)の「3つのC」を考えて、マーケットが好む商品を提供する。現在のボーダーレス社会では、世界で最も安くて良質な材料を仕入れ、人件費が安く良質な労働力がある場所で生産し、高く買ってくれる場所で販売する。“世界最適化”は自由なマーケットを前提に成り立っている。政府はマーケットに自由な選択を与え、介入しないことが資本主義なのだ。 企業に「賃上げしたら税金を安くするよ」というのは、マーケットへの介入だ。資本主義でもなければ自由主義でもない。岸田首相の「新しい資本主義」は、すでに失敗が証明されている全体主義、あるいは計画経済の発想だ。 さらに、腰が抜けるほどびっくりした政策がある。4月以降、賃上げを表明した企業は、公共工事などの政府調達の入札で優遇するというのだ。 政府調達の財源は税金だ。企業努力をせずに賃上げだけをして人件費が増えれば、入札価格は高くなる。入札の原則は「一円でも安く」することなのに、入札価格が高い企業のほうを優遇して税金を多く払うというのは、犯罪的行為だ。 そして、「上に政策あれば下に対策あり」という言葉のとおり、合理的な経営者はきっとこう考えるだろう。 「人件費を高くするくらいなら、賃金が安い海外に、仕事をアウトソーシングしよう。その分、国内の従業員は減らす。社内には特に優秀な人間だけ残して、賃上げする。これで人件費は抑えられ、法人税の負担は減り、公共事業も受注しやすくなる」 このように、賃金と雇用は相反関係だ。賃金を上げて人件費の負担が増えれば、雇用は減る。従って、分配を訴える「新しい資本主義」こそ、実態は国内の雇用減少を促す格差拡大政策なのだ。 やはり岸田首相の「新しい資本主義」は、21世紀の経済原則を理解していない。 1980年に出版された『第三の波』で、アルビン・トフラーが脱工業化社会と情報化社会を予測した。実際にIT革命は起こり、世界中で生産性が高まった。しかし日本では、いまだに生産性が向上せず平均賃金は韓国以下。DXが進まず、仕事を奪われないようにDXに抵抗する人たちもいる。 例は、建築確認申請だ。住宅やビルを建てる際に自治体に提出する建築確認申請はIT化されていない。数十ページの申請書を風呂敷に包んで持っていき、最大35日以内に審査されることになっている。2005年に耐震強度偽装の姉歯事件が起きたあとは、高いビルは第三者機関の審査が必要となり、最大70日まで審査期間は延びた。申請にかかる手間と時間は膨大だ。) しかし、シンガポールではIT化され、CADの設計データなど、デジタルの資料を提出すれば、30分ほどで許可が下りる。生産性の差は歴然だ。 日本でIT化できないのは、第一に役所の抵抗があるからだ。私の知人が、北海道で建築基準法の電算化を試みたことがある。基準がわからない点があるからと道庁で尋ねると、担当者から「そんなことはやめろ。俺たちの仕事がなくなるじゃないか」と言われたそうだ。役所の担当者は裁量権を残したいというのだ。私の友人は役所の役に立つと思って相談したのに「担当者になじられてえらい目に遭った」と話していた。 医療分野でも、日本のDXはずいぶん遅れている。 たとえば米国の医療系IT企業プラクティス・フュージョンは、電子カルテを管理するクラウドサービスを無料で提供している。約16万の開業医と提携し、総合医療の巨大プラットフォームを構築して米国の医療システムを激変させた。患者は自分の診療データや処方箋をスマホで受け取り、薬を買える近所の薬局も表示される。アマゾンに処方箋を転送すれば、早ければその日のうちに配達される。 中国には、平安ピンアン保険グループのオンライン診療アプリ「平安グッドドクター」がある。病院や薬局、検診センターと連携し、ユーザーは24時間いつでもスマホのチャットで診察してもらえる。対面の診察が必要なら、提携する医療機関を紹介してくれる。 日本でも、メドレーなどの医療系ITベンチャーがオンライン診療に取り組んできたが、いまだに認められていない。新型コロナの影響で、かかりつけ医のオンライン診療がようやく許可された段階だ。カルテも米中とは違って、患者のものになっていない。 建築、医療のほかにも、役所の規制や抵抗によって、DXが進まない分野は数多くある。日本政府がなすべきことは、計画経済的な「賃上げ」ではなく、21世紀の経済に合った規制撤廃・緩和なのだ』、「政府はマーケットに自由な選択を与え、介入しないことが資本主義なのだ」、「日本でIT化できないのは、第一に役所の抵抗があるからだ。私の知人が、北海道で建築基準法の電算化を試みたことがある。基準がわからない点があるからと道庁で尋ねると、担当者から「そんなことはやめろ。俺たちの仕事がなくなるじゃないか」と言われたそうだ」、こんなことでは電子政府など単なる掛け声に過ぎないようだ。
・『今の小学生たちはAIに負ける  実は、DXなど既存業務の生産性向上は、IT革命の前半戦にすぎない。遅くとも45年に、AI(人工知能)が人類の知能を超えると予測されている、シンギュラリティ(技術的特異点)だ。 IT革命の後半戦はそこからはじまり、人員削減どころではない恐ろしい変化が起こる。IT化による生産性向上が“IT経済”だとすれば、次にシンギュラリティによって“サイバー経済”が到来する。 サイバー経済が進むと、まず学校の先生たちは大量に失業する。文部科学省の学習指導要領どおりに教え続けるなら、人間の教師は、予備校ナンバーワン講師のように、教えることの達人が各科目に1人ずついればいい。生徒はスマホで達人の授業を聞き、疑問が生まれたらAIに質問すればいいのだ。 教師だけでなく、「師業」「士業」の多くは同じ道をたどる。医師、弁護士、会計士などの高給なプロフェッショナル職種は、専門的な知識を多く知っていることに価値があったが、サイバー社会では知識や判断はAIに勝てない。 米国やカナダの弁護士は、裁判の戦術がすでにAI化している。「このケースでは、ここを攻めて、ここは守れ」といった指示がAIから出されるのだ。若い弁護士とベテラン弁護士の差はほとんどなくなった。AIの活躍は、医師や会計士でも起き始めている』、「サイバー経済が進むと、まず学校の先生たちは大量に失業する」、「「師業」「士業」の多くは同じ道をたどる。医師、弁護士、会計士などの高給なプロフェッショナル職種は、専門的な知識を多く知っていることに価値があったが、サイバー社会では知識や判断はAIに勝てない」、確かに「人員削減どころではない恐ろしい変化が起こる」。
・『見えないものを見る力  シンギュラリティが予測される45年は、いまの小学生たちが30歳前後で働き盛りの頃だ。文科省の指導要領は、シンギュラリティなど想定せず、記憶に偏重したカリキュラムのままだ。スマホで検索すれば数秒でわかることを覚えさせ、試験ではスマホは使用禁止で、自分の記憶が頼りだ。社会に出てから役に立たないことを頭にたたき込んでいる。 サイバー社会で“飯のタネ”になるのは、人間にしかできないことに限られる。コンピュータは記憶(記録)や大量の情報処理は得意だが、「0から1」の発想は苦手だ。従って、見えないものを見る力、構想力が鍵だ。 ただし、AIに勝つのは40人に1人くらいで十分だろう。あとの39人は、AIに勝った天才が納めた税金で生活する。普段の仕事は、介護や看護、ハンディキャップがある人の支援など、エッセンシャルワーカーとして社会的な役割を担う。 シンギュラリティで失業しない仕事はほかにもある。日本人が得意とするスポーツや芸術などの分野は、AIには真似できない。たとえば、海外のオーケストラやバレエ団では、日本人が数多く活躍している。料理人も世界中にいる。世界の上位に日本人がいるのは、観るもの、聴くもの、味わうものなど感性が発揮される分野だろう。 起業や経営にも構想力が求められる。ビジネスの構想力を鍛えるのに最も効果的なのは、起業家の話を聞いて刺激を受けることだ。ヤマハの川上源一さん、YKKの吉田忠雄さんなどの起業家の本を読むのもいい。 サイバー経済の世界は、正解がない。政府は国民の邪魔をしないように、規制を撤廃するのが仕事だ。政府がいう「新しい資本主義」は絶望的に時代錯誤な政策なのだ』、「文科省の指導要領は、シンギュラリティなど想定せず、記憶に偏重したカリキュラムのままだ。スマホで検索すれば数秒でわかることを覚えさせ、試験ではスマホは使用禁止で、自分の記憶が頼りだ。社会に出てから役に立たないことを頭にたたき込んでいる」、こんな時代遅れの教育をさせる「文科省の指導要領」の罪は大きい。「サイバー経済の世界は、正解がない。政府は国民の邪魔をしないように、規制を撤廃するのが仕事だ。政府がいう「新しい資本主義」は絶望的に時代錯誤な政策なのだ」、同感である。
タグ:資本主義 (その9)(セドラチェクvs斎藤幸平「成長と分配のジレンマ」 「成長至上」と「脱成長」の狭間の資本主義論、大テーマを掲げた割には内容が小粒 「改革」なき「新しい資本主義」、大前研一「"新しい資本主義"が危険である これだけの理由」 賃上げするほど格差は拡大する) 東洋経済オンライン 丸山 俊一 氏による「セドラチェクvs斎藤幸平「成長と分配のジレンマ」 「成長至上」と「脱成長」の狭間の資本主義論」 「番組」は見逃したので、有難い。 「今の資本主義を続けることは、若い世代にとっては経済破綻を意味します。 ソ連が崩壊して30年経ち、再びある種の社会主義的な考え方に若者が共鳴するのには、十分な理由があると私は思っています」(斎藤) これに対し「セドラチェク」は、「欧州の富裕層の富はそれほど増えず、200%増加した程度です・・・アメリカに比べればそれほどではありません・・・チェコも貧困層や中流階級の人々さえも過去30年間の資本主義の恩恵を受けています。 ですからヨーロッパの若者は、左派に対してそれほどの情熱を持っていないでしょう」と、社会主義から「資本主義」に体制転換したことから、「資本主義」の問題点には余り関心がないようだ。 「私たちは同じ空気を吸っています。しかし、共産主義はその空気を守ることができませんでした」、その通りだ。 「二酸化炭素排出量を、大急ぎで大幅に削減し、ゼロにせねばならない」という「コロナのパンデミックよりも大きな問題に本当は直面している」、その通りだ。 「コロナ対策が証明したのは、どれほど素早くわれわれが自らの行動を変えられるか、そして政府は実際、国民の命を守るために動けるのだということです。こは、われわれの政治や経済に関する想像力が広がった経験だと考えています」、同感である。 「チェコ」など東欧の民主主義「革命」も「始まりは環境問題だった」、忘れていた重要なポイントを思い出させてくれた。 東洋経済Plus「大テーマを掲げた割には内容が小粒 「改革」なき「新しい資本主義」」 「分配についても、「企業による賃上げ」を「賃上げ税制」という企業への優遇措置に頼ろうというのでは、アベノミクス下の官製春闘と同様に持続性はない」、その通りだ。 「潜在成長率が低下してほぼゼロになる中で、中間層から下層に滑り落ちる人が増え、格差が拡大した。その背景には、新卒一括採用・終身雇用制、正社員の解雇規制がある。企業は景気に応じて調整しやすくコスト負担の少ない非正規雇用を増やした。 企業に補助金や税制優遇を与えて雇用を守ってもらう政策を変えなかったことで、低成長・低採算の産業が温存され、人材もそこに縛られて低賃金から脱却できない。結果的に、守られない非正規雇用も拡大した。これを続けるのか。 潜在成長率を引き上げるには、パッチワーク的修正でなく、経済全体の枠組 プレジデント 2022年3月4日号 大前 研一氏による「大前研一「"新しい資本主義"が危険である、これだけの理由」 賃上げするほど格差は拡大する」 「賃上げ税制」「を本気で「資本主義」だと考えているとしたら、岸田政権は危険だと思う。「政府が賃金をコントロールするのは、資本主義ではないのではないか?」と首をかしげた」、確かにその通りだ。 「日本でIT化できないのは、第一に役所の抵抗があるからだ。私の知人が、北海道で建築基準法の電算化を試みたことがある。基準がわからない点があるからと道庁で尋ねると、担当者から「そんなことはやめろ。俺たちの仕事がなくなるじゃないか」と言われたそうだ」、こんなことでは電子政府など単なる掛け声に過ぎないようだ。 「サイバー経済が進むと、まず学校の先生たちは大量に失業する」、「「師業」「士業」の多くは同じ道をたどる。医師、弁護士、会計士などの高給なプロフェッショナル職種は、専門的な知識を多く知っていることに価値があったが、サイバー社会では知識や判断はAIに勝てない」、確かに「人員削減どころではない恐ろしい変化が起こる」。 「文科省の指導要領は、シンギュラリティなど想定せず、記憶に偏重したカリキュラムのままだ。スマホで検索すれば数秒でわかることを覚えさせ、試験ではスマホは使用禁止で、自分の記憶が頼りだ。社会に出てから役に立たないことを頭にたたき込んでいる」、こんな時代遅れの教育をさせる「文科省の指導要領」の罪は大きい。「サイバー経済の世界は、正解がない。政府は国民の邪魔をしないように、規制を撤廃するのが仕事だ。政府がいう「新しい資本主義」は絶望的に時代錯誤な政策なのだ」、同感である。
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資本主義(その8)(「無形資産」の時代に新しく資本家になる人の特徴 必要なのは工場でも土地でもない多様な可能性、「新しい資本主義」とは何か? それは「データ資本主義」「資本なき資本主義」である 検討するまでもない。なのに日本は未だ、日本人が知らない「脱成長でも豊かになれる」根拠 若き経済思想家・斎藤幸平が語る貧困解決策) [経済]

資本主義については、11月4日に取上げた。今日は、(その8)(「無形資産」の時代に新しく資本家になる人の特徴 必要なのは工場でも土地でもない多様な可能性、「新しい資本主義」とは何か? それは「データ資本主義」「資本なき資本主義」である 検討するまでもない。なのに日本は未だ、日本人が知らない「脱成長でも豊かになれる」根拠 若き経済思想家・斎藤幸平が語る貧困解決策)である。

先ずは、11月16日付け東洋経済オンラインが掲載した NHK「欲望の資本主義」プロデューサー/東京藝術大学客員の丸山 俊一氏による「「無形資産」の時代に新しく資本家になる人の特徴 必要なのは工場でも土地でもない多様な可能性」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/468550
・『人が持つ技術や能力などの人的資産、デジタルソフトウェアなど、モノとしての実体が存在しない「無形資産」。肥大化する無形資産は、私たちの生活にどのような影響を与えるのか。 NHK「欲望の資本主義2021」での発言や『無形資産が経済を支配する』(共著)が話題のジョナサン・ハスケル教授に、無形資産の肥大化の影響を聞いた。番組の未公開部分も多数収録した『欲望の資本主義5:格差拡大 社会の深部に亀裂が走る時』から、一部を抜粋してお届けする(Qは聞き手の質問)』、興味深そうだ。
・『無形資産は格差を拡大も縮小もさせる  Q:世界的に人々の間で格差が広がっていますが、無形資産と格差はどのような関係にあるのでしょうか。無形資産の肥大化は資本家と中産階級、労働者階級といった階層構造にも影響を与えていますか。 ※無形資産=モノとしての実体が存在しない資産。特許や著作権などの知的資産、人が持つ技術や能力などの人的資産が代表例。その他、ブランド力などの市場関連資産、顧客情報・顧客基盤などの顧客関連資産や、企業文化、経営能力、人工知能システムなどのデジタルソフトウェアなど、多くの無形資産があると考えられている  ハスケル:無形資産が肥大化するという経済のトレンドは格差を拡大していくはずです。なぜなら、無形資産には、容易に規模を拡大できるという経済特性があるからです。 例えば、「ハリー・ポッター」シリーズはイギリスの大変重要な輸出品ですが、仮に私がその著者であったとしたら、その小説を世界中に売ることができます。 しかし、私が車を作って売っているとしたら、何度も繰り返して一台の車を売り続けることはできません。 つまり、「ハリー・ポッター」という知的財産を所有している人が得る利益は、有形資産を売買している人々が得る利益に比べて非常に大きくなり、それが格差に反映されるのです。そうした無形資産の肥大化とグローバリゼーションやインターネットが組み合わさって、格差を広げているのだと私は考えています。 Q:将来にわたって、格差は拡大し続けるということでしょうか。 ハスケル:それは予測の難しい問題です。無形資産は反対方向に働く二つの力を内包しているからです。とても興味深い特徴です。 先ほど申し上げたとおり、無形資産には規模を拡大しやすいという特徴があり、それは格差を拡大する方向に働く力です。 一方で、無形資産には、『無形資産が経済を支配する』で私たちが「スピルオーバー(波及)」と呼んだもう一つの特性があります。 自動車の作り方を完全に真似するのは大変難しいことですが、デザインを真似るのはとても簡単です。例えば、アイフォン(iPhone)の発売から1年半も経たないうちに、世界中のスマートフォンはどれも、アイフォンそっくりのデザインになっていました。それが、私たちがスピルオーバーと呼ぶ現象です。 これはほんの一例ですが、デザインという無形資産が他者に波及したのです。それには大きな投資は要りません。つまり、スピルオーバーの観点からは、無形資産には平等化を進める力があるとも言えるのです。それは、格差を広げる力とは逆方向に働く力です。 理由はわかりませんが、現時点では格差を広げる方向の力が、反対方向に働く力よりも強いようです。それが、将来的にどう変化するのかを予測するのは非常に難しく、まだ答えは出ていません。 いずれにせよ、無形資産には格差を広げる方向に働く力と、縮める方向に働く力という、逆方向に向かう二つの力があることは確かです』、「無形資産には格差を広げる方向に働く力と、縮める方向に働く力という、逆方向に向かう二つの力がある」、「現時点では格差を広げる方向の力が、反対方向に働く力よりも強いようです」、なるほど。
・『ICT革命が無形資産を肥大化  Q:無形資産が経済を支配するようになった、あるいは将来的にそうなるとすれば、転換点はどこにあるのでしょうか。著書『無形資産が経済を支配する』では「1990年代半ばに、アメリカで無形資産への投資が有形資産への投資を上回った」と指摘しておられますが、それが変化を加速させたとお考えですか。 ハスケル:私たちが収集しているデータによれば、開発途上国でもその傾向は強くなっていますが、先進国ではそれよりずっと、無形資産への投資が急増しています。データは、アメリカがその動きをリードしてきたことを示しています。ご指摘のとおり、アメリカでは1990年代の初めに無形資産への投資が有形資産への投資を上回りました。 この時期はICT(情報通信技術)革命が急速に拡大した時期と重なりますから、その影響を強く受けた変化であったことは間違いありません。インターネットが登場し、コンピューターが私たちの日常生活の一部になりました。コンピューターは有形資産のハードウェアですが、無形資産であるソフトウェアがなければそれを利用することはできません。 インターネットを構築するシステムも、通信システムも、ハードウェアとソフトウェアの両者で成り立っています。そのため、ハードウェアへの投資に加え、ソフトウェア=無形資産への投資が必要になり、その規模は有形資産への投資を上回る規模となりました。それが1990年代に起こったできごとの一つです。) さらに、ICT革命に伴い、1990年代には、ICT業界だけでなく、他の多くの業界でも無形資産への投資が広がりました。アメリカを筆頭に、他の国々でも小売や金融、旅行などさまざまな業界で、コンピューターとソフトウェアを使った業務形態の変化が始まりました。 例えば、銀行や旅行会社、航空会社は業務のオンライン化を推進しました。無形資産とは無縁と考えられていた運輸業界までもが、業務形態を変えるために無形資産への投資を余儀なくされたのです。 産業構造における無形資産への投資は、革命と呼べるような劇的な変化で、ICT業界にとどまらず、幅広い産業分野にまたがる現象になっていったのです。 Q:そして、その傾向は、今日まで続いているということですね。 ハスケル:さまざまな局面で増減を示しながらも、大きな潮流としてはそのとおりです。1990年代前半にアメリカで無形資産への投資が有形資産の投資を上回って以降、他の諸国にも同様の傾向は波及し、無形資産への投資でアメリカを追い上げました。それは今も続いています。 2008年に端を発した金融危機以降は無形資産への投資が鈍化しましたが、世界的に長期的な増加傾向であることは間違いありません』、「1990年代前半にアメリカで無形資産への投資が有形資産の投資を上回って以降、他の諸国にも同様の傾向は波及し、無形資産への投資でアメリカを追い上げました。それは今も続いています」、なるほど。
・『芸術家が資本家になる  Q:現在、新型コロナウイルスの影響で、社会のデジタル化に拍車がかかっています。無形資産の増大は、経済にどのような影響を与えるとお考えですか。 ハスケル:コロナ禍において無形資産が経済発展をもたらす可能性はいくつかあると思います。一つは、状況改善につながる良い変化を生む可能性です。 例えば、私はこれまで週5日出勤することや、通勤に長時間かけることにストレスを感じ、違和感を抱いていました。一方で、コロナ禍でのロックダウンによって通勤しなくてよくなった今、それにも違和感があり望ましくないと感じています。私としては、その中間がよいと思っているのです。コロナをきっかけに、それが実現するかもしれません。 これが無形資産とどう関係するのか考えてみましょう。ホワイトカラーや専門職の人々の多くがリモートで仕事ができるのは、通信手段や機器の発達のおかげです。パソコンやインターネットを使ったオンライン会議で、場所に縛られずに仕事ができるからです。 しかし、現状では、多くの人はそのような働き方ができません。接客などリモートでは難しい仕事があるのはもちろんですが、企業の事業マネージメントの制約でリモートワークが進まないケースも多く見られます。) リモートワークをさらに広げるには、多くの企業がビジネスモデルを転換させなければなりません。今までのやり方を大きく変える必要があるのです。同じ場所に集まっている人たちではなく、それぞれ離れた場所にいる人たちをマネージングしなければなりません。 リモートであっても、労働者の意欲を向上させたり、仕事に集中させたり、社内のイノベーションや協力体制を維持したりする方法を探るのです。 コロナを経済成長のきっかけにするためには、このような新たなマネージメント技術やビジネスモデルといった無形資産に大きな投資をする必要があります』、「コロナを経済成長のきっかけにするためには、このような新たなマネージメント技術やビジネスモデルといった無形資産に大きな投資をする必要があります」、その通りだ。
・『「ハリー・ポッター」のストーリーこそが資本  Q:資本主義の形や社会は変わるのでしょうか。 ハスケル:無形資産が支配する経済では、資本家の富を生み出す源が変わります。保有する資本そのものが変わるためです。 もう一度、「ハリー・ポッター」の話に戻ってみます。原作者はイギリス人作家のJ・K・ローリングですが、彼女は工場も土地も所有していません。過去の資本家たちが富を築く基盤としたものを何も持っていないのです。 ローリングが保有しているのは無形資産です。具体的には、自らが生み出した素晴らしいストーリーが資本です。資本主義社会の中で、他の資本家とは異なる形態の資本を保有しているのです。 もちろん、世界的な大ベストセラーは、いわゆる無形資産の中でもかなり特殊な例です。検討すべきなのは、もっと幅広い意味で資本的な無形資産を持つ人々が、どのような可能性を秘めているかということです。 例えば、コンピューター・プログラミングの技術や、優れたデザインを生み出す才能、研究開発の能力なども無形資産と言えますが、当然のことながら、無形資産の経済は、それだけでは成り立ちません。 とりわけ重要なのは、これらの作業をコーディネートできる人材や、企業などの大きな組織の中でマネージメントができる人材です。フェイスブックやグーグルのような大企業で、創造力にあふれた人たちをまとめられる人材ですね。 そうした人材が保有していると考えられる無形資産は、優れたプログラミング能力やエンジニアリング能力ではなく、人間関係のマネージングや、クリエーティブな人たちのマネージングに長けた能力です。 無形資産の経済では、このように例えば知性のような無形の資産を持つ人が資本家になることが考えられるのです。それは詩人かもしれませんし、歴史家かもしれません。古代ギリシャや日本の古典を研究する学者かもしれません。多様な可能性を持った面白い資本家が誕生するかもしれないのです』、「創造力にあふれた人たちをまとめられる人材ですね。 そうした人材が保有していると考えられる無形資産は・・・人間関係のマネージングや、クリエーティブな人たちのマネージングに長けた能力です」、「多様な可能性を持った面白い資本家が誕生するかもしれない」、面白い時代になったものだ。

次に、11月21日付け現代ビジネスが掲載した大蔵省出身で一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による「「新しい資本主義」とは何か? それは「データ資本主義」「資本なき資本主義」である 検討するまでもない。なのに日本は未だ」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/89435?imp=0
・『グーグルなど巨大IT企業は、工場や機械などの「資本」でなく、情報やデータを用いて経済価値を生み出している。こうした部門がアメリカ経済を牽引している。日本再生に必要なのは、「資本なき資本主義」に向けて産業構造を変えることだ』、「資本なき資本主義」とは面白い概念だ。
・『世界はすでに「新しい資本主義」に変わっている  岸田文雄内閣は、「新しい資本主義」が何かを決めるために、「新しい資本主義実現会議」を作って検討するのだと言う。 新しい資本主義が何かと検討するのは、大変結構なことだ。しかし、この答えは、いまさら改めて検討するまでもなく、明らかである。それは「資本なき資本主義」だ。「データ資本主義」といってもよい。 これは、単なる概念上のものではない。すでに現実世界を大きく変えてしまっている。世界がこの方向に向けて大きく転換したにもかかわらず、日本経済は「古い資本主義」から脱却できないでいる。日本経済が停滞するのは、このためだ』、「日本経済は「古い資本主義」から脱却できないでいる。日本経済が停滞するのは、このためだ」、意外な「日本経済」「停滞」要因だ。
・『GAMMAの時価総額は、日本の上場企業全体の1.4倍!  「新しい資本主義」がどんなものかを見るには、アメリカの巨大IT企業が行なっていることを見ればよい。 これらの企業群はGAFA+Mとよばれてきた(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン・ドット・コム、マイクロソフト)。そのなかのフェイスブックが「メタ・プラットフォーム」と社名を変えたので、GAMMAと言うべきかもしれない。ここでは、その呼び名を用いることにしよう。 GAMMAの驚くべき成長は、その時価総額が日本企業の総額の1.4倍になってしまったことを見ても、明らかだ。具体的には、次の通りだ。 GAMMA5社の時価総額合計は、9.4兆ドルだ(2021年11月13日)。1ドル=114円で換算すると1072兆円になる。他方で、東証上場企業の時価総額合計は、2021年10月末で、762兆円だ。GAMMAの雇用者は、124万人だ。これらの人々だけで、日本の上場企業全体が作り出した1.4倍の価値を作り出したことになる』、「GAMMAの時価総額は、日本の上場企業全体の1.4倍」とは確かにすごいことだ。
・『「資本なき資本主義」は「データ資本主義」  これまでの経済においては、工場や機械設備あるいは店舗などの資本設備が、経済的価値を産み出してきた。そのために、「資本主義」と呼ばれた。ところが、新しい資本主義において価値を産み出すのは、これらのものではない。 実際、GAMMA企業は、基本的には工場も店舗も機械設備も持っていない。その代わりに「データ」を持っている。そして、これが経済的な価値を産み出している。 データといっても、これまでのデータでなく、「ビックデータ」と呼ばれる極めて規模の大きなデータだ。そして、それらがこれらの企業の収益の基本的な源泉になっている。このために「データ資本主義」と呼ばれることもある。 先に「資本なき資本主義」と言ったが、正確にいうと、資本がまったく不必要になったわけではない。工場や店舗など目に見える資本(有形固定資産)の重要性が減少し、その代わりに、情報やデータなどの見えない資本(無形資産)が重要性を増したということだ(ただし、企業会計では、ビッグデータの価値のほとんどを資産としてカウントしていない)。 「データ資本主義」をもう広く捉えれば、「情報資本主義」ということになる。あるいは、「デジタル資本主義」といってもよい』、「工場や店舗など目に見える資本(有形固定資産)の重要性が減少し、その代わりに、情報やデータなどの見えない資本(無形資産)が重要性を増したということだ」、確かにその通りだ。
・『「情報・データ処理サービス」部門の驚異的発展  ところで、GAMMA企業は、アメリカ経済のなかでどのような位置を占めているのだろうか? GAMMAの従業員数は、124万人だ(2019年)。ここからアマゾン(80万人)を除くと、44万人になる。一方、アメリカ商務省の統計には「情報・データ処理サービス」という産業分類があり、この部門の雇用者は、45.4万人だ(2019年)。 両者はほぼ一致している。したがって、「情報・データ処理サービス」とは、GAMMAからアマゾンを除いたものと考えることができるだろう。 この部門の2020年の1人あたり賃金は、18万3801ドルだ。1ドル=114円で換算すれば、2095万円になる。全産業の平均賃金7万1456ドル(814.6万円)の2.6倍だ。しかも、2013年から61%増という驚異的な伸び率だ。 日本の平均賃金は371万円(法人企業統計調査。金融業を除く全産業平均)であるから、その5.6倍ということになる。「情報・データ処理サービス」という産業分類は、日本には存在しない。 アメリカの場合にも、昔からあった分類ではない。比較的最近時点に作られたものだ。 「資本なき資本主義」の成長は、統計項目の立て方にも影響するほど顕著なものとなっているのだ』、「GAMMAからアマゾンを除いた:」「情報・データ処理サービス」「部門の2020年の1人あたり賃金は、18万3801ドルだ・・・2095万円・・・全産業の平均賃金7万1456ドル(814.6万円)の2.6倍」、やはりかなり高いようだ。
・『「データ資本主義」雇用者は全体の15%。製造業の2倍  ただしそうはいっても、「情報・データ処理サービス」の雇用者45.4万人は、アメリカ経済全体の雇用者1億3217万人の0.3%でしかない。だから、アメリカ経済の中のごく一部のことだと思われるかもしれない。 しかし、情報を中心とした経済活動を行なっているのは、「情報・データ処理サービス」部門だけではない。同様の経済活動を行なっている部門が他にもある。それは次の部門だ(カッコ内は雇用者数、万人)。 ・第1は、「情報」(253)。「情報・データ処理サービス」は、ここに含まれる。 ・第2は、「金融・保険」(635)。この部門は、店舗などがあるから、厳密には「資本なき」とはいえないが、データを扱っているという意味で「データ資本主義」の範疇に入れられるだろう ・第3は、「専門的、科学技術的サービス」(911)。 ・第4は 、 「 企業経営」(226)。アメリカでは、「企業経営」が独立した1つの産業分類になっている。 これらが、広い意味での「データ資本主義」の範疇に入るものだ。 以上4部門の雇用者を合計すると、2026万人となる。これは、雇用者総数の15.3%であり、製造業の1184万人(9.0%)の2倍近い。 アメリカの産業がすでに「資本なき資本主義」に向けて大きく変貌していることが分かる。 さらに注目すべきは、この分野への雇用者の顕著な移動が生じていることだ。2013年から2020年の雇用者の増加率を見ると、つぎのとおりだ。 産業全体で5.33%であるのに対して、「情報」は3.9%(うち、「情報・データ処理サービス」44.2%)、「金融・保険」は11.1%、「専門的、科学技術的サービス」は17.0%、「企業経営」14.4%。 これに対して、製造業は0.83%という低い伸び率だ。 このように、アメリカの産業別雇用は大きく変化している。日本の経済が停滞を続けている理由は、このような産業構造の転換ができていないことだ』、「4部門の雇用者を合計すると、2026万人となる。これは、雇用者総数の15.3%であり、製造業の1184万人(9.0%)の2倍近い。 アメリカの産業がすでに「資本なき資本主義」に向けて大きく変貌していることが分かる」、羨ましいようなすごいダイナミズムだ。
・『製造業も「工場なし」に移行  アメリカの変貌は、以上で述べたことだけではない。製造業でも生じている。それは、「ファブレス」(工場がない)という形態への移行である。その典型がアップルだ。同社は工場を持っていない。半導体のクアルコムやエヌビディアもそうだ。  これらの企業は、製造工程を、鴻海やTSMCなどEMS(電子機器受託サービス)とよばれる企業に任せている。 そして、開発、設計、販売など、付加価値の高い仕事に集中している。つまり、製造業も、情報産業になっているのだ。そのために高収益化している。アップルの驚異的な成長の基本的な要因は、ファブレス化なのである。 製造業においても、経済価値を生み出しているのは、いまや工場や機械ではない。開発や設計などになっている。つまり、「工場という資本のない製造業」に移行しているのだ』、「「工場という資本のない製造業」に移行」、確かに日本の立ち遅れは明らかだ。
・『政府の役割は補助金をバラまくことではない  デジタル化が重要と言われる。確かにその通りだ。しかし、必要なのは、ファックスをメールに切り替えることだけではない。あるいは、印鑑を電子署名にすることだけではない。経済と産業構造全体を変革していくことが重要なのだ。そうでなければ、日本の再生はありえない そのために政府が行なうべきことは何か? これまで見たアメリカ産業構造の転換は、アメリカ政府が主導し補助金を出すことによって実現したものではない。マーケットの力が実現したものだ。 政府が行うべきは、成長をリードすることではない。人気取りのバラマキ政策を行うことでもない。半導体の工場を日本に誘致するために補助金を出すことでもない。 そうではなく、成長を阻害している要因を取り除くことだ。とりわけ重要なのは、古い体制の既得権益と戦うことだ』、「政府が行うべきは、成長をリードすることではない。人気取りのバラマキ政策を行うことでもない。半導体の工場を日本に誘致するために補助金を出すことでもない。 そうではなく、成長を阻害している要因を取り除くことだ」、痛烈な政府批判で、まさに正論だ。

第三に、12月2日付け東洋経済オンライン「日本人が知らない「脱成長でも豊かになれる」根拠 若き経済思想家・斎藤幸平が語る貧困解決策」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/471566
・『「格差社会や気候変動の根本原因は資本主義にある」と指摘し、晩年マルクスの思想を援用し「脱資本主義」「脱成長」を説く斎藤幸平氏(34)。マルクス研究における最高峰の賞「ドイッチャー記念賞」を日本人初、史上最年少で受賞した気鋭の経済思想家は、同世代や近い世代の若者の貧困をどう見ているのか。 貧困に陥った若者たちの実態に4日連続で迫る特集「見過ごされる若者の貧困」4日目の第2回は、その解決策を斎藤氏に聞いた(1~3日目の記事はこちらからご覧ください)(Qは聞き手の質問、Aは斎藤氏の回答)。 【4日目のそのほかの記事】第1回:竹中平蔵「私が弱者切り捨て論者というのは誤解」 第3回:コロナで生活苦しい人に「使ってほしい制度」8つ』、興味深そうだ。
・『コロナ禍で格差拡大の構図がはっきりした  Q:コロナ禍で、厳しい状況に置かれる若者が増えています。 A:確かに、コロナ禍によって経済格差の拡大に拍車がかかり、そのシワ寄せは若い世代に行っています。ただ、日本での経済格差の拡大はバブル崩壊以降、ずっと起こっていることです。 終身雇用・年功序列型賃金を前提とした日本型雇用システムが収縮して、非正規雇用が増加し、雇用が不安定化。正社員になれても、労働者を使い捨てる、いわゆるブラック企業も増え、労働状況は極めて悪化していきました。 貯蓄ゼロ世帯(2人以上世帯)は1987年に3.3%だったのが、2017年には31.2%にまで増え、ここ30年間の上昇傾向は明らかです。とりわけ深刻なのが20代、30代の単身世帯で、貯蓄ゼロ世帯が激増し、多くの人が、基本的な生活を維持していくことすら困難な状況に陥っています。 Q:すでにあった格差がさらに広がっているということですか。 A:富裕層を見れば、アベノミクス下での日本では年間所得が1億円以上の世帯が1万以上増えました。世界的にも(アマゾン創業者の)ジェフ・ベソスや(テスラCEOの)イーロン・マスクら大富豪トップ8人は、この5年間でそれぞれ資産を2倍以上に増やしています。 株価も日米ともにコロナ禍でGDPが大幅に下がったにもかかわらず、歴史的な高値を記録しました。富める者たちは安全なテレワークで働きながら、株高を利用して資産を運用し、さらに富を増やしているわけです。 一方、経済が落ち込み、非正規雇用を中心に多くの人が失業しました。仕事があったとしても、テレワークができない介護・保育・医療などに従事するエッセンシャルワーカーたちは健康を危険にさらしながら、低賃金、過重労働を強いられています。 困っている側がますます困窮する一方、持てる側はさらに富を増やしていく。その格差拡大の構図がはっきりしたのがこのコロナ禍だと思います。 Q:その根本的な原因は資本主義にあるとお考えですか。 A:はい、資本主義が原因です。トマ・ピケティが指摘するように、資本主義では、労働者の所得の増大率よりも、資産を持っている人たちのリターンのほうがつねに大きい。 その格差を緩和するために、第2次世界大戦後は、経済のパイを大きくしながら、給料を上げるなどして労働分配率を高め、大きくなった部分を労働者に再配分するモデルが目指されてきました。 いわゆる「ケインズの時代」で、1970年代ぐらいまでは、先進国の労働者たちは豊かになり続けていた。マルクスの言う、貧しくなった労働者が革命を起こす、という流れではなかった。ですが、それは資本主義の歴史における、むしろ例外的な時期ではないかと言われ始めています。 そうした高度成長期が終わり、1980年代以降、とくに21世紀に入ってからは、パイ自体がなかなか大きくならなくなった。規制緩和をしたり、民営化したり、さまざまな金融政策もするわけですが、それでもかつてのようには経済が成長しない。 そこでゼロサムゲームで労働者と資本の間で取り合いが始まる。資本側が労働者の面倒を見なくなり、労働者側は取り分を奪われてしまう。それが新自由主義です』、「ゼロサムゲームで労働者と資本の間で取り合いが始まる。資本側が労働者の面倒を見なくなり、労働者側は取り分を奪われてしまう。それが新自由主義です」、その通りだ。 
・『マルクスが唱えた窮乏化法則が当てはまっている  先進国全般で労働者の賃金が下がり、競争が激化し、雇用も不安定化している。ギグエコノミーのような、アプリ一つで注文が来たときだけ「働き」が成立する、超不安定雇用まで蔓延しています。 (斎藤氏の略歴はリンク先参照) 資本主義の発展とともに労働者がどんどん貧しく苦しくなるという、かつてマルクスが唱えた窮乏化法則が、現在の状況に当てはまっている。 しかも、資本主義によって人間性が破壊されるだけでなく、地球環境問題も修復不可能な状態になりつつある。 人類の経済活動の痕跡が地層に残る時代という意味をもつ「人新世」という地質学の用語があり、国連なども使用するようになっていますが、そこに含意されているのは資本主義が引き起こした深刻な環境危機です。 Q:コロナ禍も「人新世」の産物だと指摘されています。 A:はい。気候変動をはじめとする環境危機をとりわけ加速させたのが、冷戦終結後のグローバル化です。この30年間で資本主義が世界中を覆い、ファストファッションで安い洋服が買え、ファストフードでは300円でご飯が食べられるようになった。 けれども、その安い農産物・畜産品を生産するために、手つかずだった自然、とくに中南米、東南アジアの熱帯雨林まで乱開発をし、人々の生活も自然環境も破壊していった。 こうした過程で、未知のウイルスを持った動物が森から追い出されて人間の生活圏に入ってくる。さらに複雑な生態系を壊してブタだけを育てるようなモノカルチャーは、ウイルスが変異しやすい環境を作り出す。このようなことを続けていれば、未知のウイルスがグローバルなパンデミックを起こすはずだと以前から警告されていました。 もちろん、グローバル化した世界ではウイルスの移動も早く、爆発的なスピード広がり、世界を大混乱に陥れたわけです。) Q:コロナ禍でも気候変動でも危機が起きたときシワ寄せが行くのは貧しい層です。 A:もちろんコロナ禍の被害も甚大ですが、気候危機の被害の深刻さに比べれば、リハーサルにすぎません。コロナ禍での緊急事態は何カ月かの期間限定ですが、気候変動はもはや不可逆的な変化で、これから毎年のようにスーパー台風がやってくる。いわば慢性的な緊急事態が続き、世界中で水不足や食料不足などが次々、起こります。すでにアフリカの人たちは飢饉に苦しんでいます。 格差があると危機に対応できないということが一つの認識になりつつあるわけですが、それはどこか遠い国の出来事ではなく、日本の経済的弱者や中間層も遅かれ早かれ、同様に苦しむようになるでしょう。 Q:この状態を脱するためにはどうすればよいのでしょうか。 A:繰り返しますが、経済格差も気候変動も、引き起こしたのは資本主義です。このことを前提にして、新しい経済システムづくりをしていかなければいけないと考えています。 『人新世の「資本論」』(集英社新書)で論じたことですが、2つの危機をのりこえるには、「脱成長」型の社会に移行しなくてはなりません。 私たちはお金を手に入れるために、あまりにも働きすぎ、あまりにもモノを作りすぎ、その結果、健康を害し、環境を破壊している。そうしたサイクルそのものから抜け出すべきなのです』、「コロナ禍の被害も甚大ですが、気候危機の被害の深刻さに比べれば、リハーサルにすぎません。コロナ禍での緊急事態は何カ月かの期間限定ですが、気候変動はもはや不可逆的な変化で、これから毎年のようにスーパー台風がやってくる。いわば慢性的な緊急事態が続き、世界中で水不足や食料不足などが次々、起こります」、確かに緊急の課題だ。「私たちはお金を手に入れるために、あまりにも働きすぎ、あまりにもモノを作りすぎ、その結果、健康を害し、環境を破壊している。そうしたサイクルそのものから抜け出すべきなのです」、なるほど。
・『人間誰もが必要とするものを「コモン」化する  無限の利潤獲得を目的とする資本主義のために働くのではなく、自然環境も人間の身体も有限であることを前提に、持続可能なペースで幸福を追求する。労働者も環境も食いつぶすような経済システムとは手を切り、経済自体をスケールダウン、スローダウンさせていく。それが脱成長です。 そこに向かう過程として、人間誰もが必要とするもの、たとえば水道、電力、住宅や医療・教育などを共有財産にして、人々の手で管理し、無償もしくは、安価に提供する「コモン」化が必要だと考えています。 なぜ安価にできるかといえば、たとえばパリ市は民営だった水道を「市民営化」という形で「コモン」化をしましたが、民営時代は経営陣の高額報酬や株主配当、不透明な経営で料金が高騰していたのです。生きるのに必要なものを脱民営化・脱商品化し、人々の手でマネージメントしていくことで費用を下げていくことができるのです。足りなければ、そこに公的資金をもっと入れていったほうがいい。 かつては少しずつ上がる給料で家のローンや子どもの教育費用、医療費、老後の資金を賄っていた。企業からのお金に依存して、人生設計を行ってきたのです。今の問題は、日本型の安定雇用が壊れたに、教育なり医療なりに多額のお金がかかる制度がそのまま残っていること。当然収支が合わないわけです。 また、失職して収入を失うと同時に、家も子どもの教育も老後も、すべてを失う仕組みは、今ある仕事にすがりつかせる強制力として働く。いわば貨幣の支配です。 その支配を和らげるためにも、生活の基盤となるシステムを安価にし、収入に依存せず、皆がある程度平等な機会を持てる社会にしていく。コモン化によって、貨幣の動きや市場経済に依存しない領域が増えていくことが、すなわち脱成長経済です。) 資本主義は技術を発展させて生産効率を上げ、さらに大量に作ろうというモデルです。ですが、高めた生産力については違う使い方をして、今までと同じ量を作り、その分労働時間を減らす。そうすれば過剰な生産が減り、環境にも優しい。 経済成長を何らかの方法で回復させることで、男性正社員を優遇してきた日本型雇用にすがりつこうとするのは論外です。かつての社会は、女性に家事や子育てを押し付け、パートとして差別的な雇用を採用してきました。労働時間の短縮は、家事や子育てなどもより平等に行う社会の条件です。そうした共通経験が、環境に優しいエッセンシャルワークやケアを重視する社会の価値観を生み出していくのではないでしょうか。 人々が市場から稼ぐプレッシャーから解放され、同時に、環境にも優しいケアを中心とした社会ができていく。それがコモン型の社会、「脱成長コミュニズム」です。 Q:海外ではそういった取り組みが進んでいると聞きます。 A:例えばバルセロナでは、この数年で安価に住める公営住宅を大幅に拡充しました。また町の中に、スーパーブロックと呼ばれる自動車が入れないエリアを広げる計画を進めています。 公共交通を拡充し、車を使うインセンティブを下げてCO2の排出量を減らすのと同時に、それまで車に占有されていた道路を、近隣住民が使える共有スペース、「コモン」に転換していく』、「人間誰もが必要とするもの、たとえば水道、電力、住宅や医療・教育などを共有財産にして、人々の手で管理し、無償もしくは、安価に提供する「コモン」化が必要だ」、現在のPFIなどの民営化とは逆の発想だ。
・『格差と気候変動を同時に解決する新たな道筋  車の移動は不平等です。何百万円という車を買える人たちが道路を特権的に占拠し、事故が起これば運転する人ではなく歩行者が死ぬという、極めて暴力的な構造がある。それを是正して、自転車と公共交通機関を優先した、より平等で誰もが安全に移動できる街づくりをする。それはCO2の排出を抑えた、地球にとっても優しい社会になる。格差と気候変動を同時に解決する新たな道筋になるわけです。 これまで経済の成長だけを考えていたところに、環境とか、「コモン」を拡大して不平等を解消する視点を取り入れることで、私たちの考え方自体が大きく変わる。我慢と捉えられがちだった環境対策のイメージがむしろ生活の豊かさに結びついていく。そんな発想の転換もできるんじゃないかと考えています。 Q:そのためには財源が必要になってきますが。 A:経済格差の是正を同時に進めるためにも、大企業や富裕層への課税を強化すべきです。金融資産課税でもいいし、不動産などの資産に直接、富裕税として課税をしてもいい。ここまで下げられてきた法人税や所得税ももっと上げていけばいい。 とにかく、大胆に格差を是正し、社会を平等にしていく必要がある。先進国の貧困問題は、富が偏りすぎているせいで、サービスや必需品にアクセスできない人が多いだけなので、格差是正が実現すれば、今ある貧困問題はかなりの部分が解決すると考えています。) Q:ベーシックインカムについてはどうお考えですか。 A:今の日本で議論されているベーシックインカムは、例えば月7万円を配る代わりに社会保障をすべて削る、究極の「自己責任社会」になりかねない。さらに「ベーシックインカムの分給料を下げる」という企業側の要求もはねのけられず、結局ますますお金に依存する社会になることを危惧しています。 ですので、私はベーシックインカムよりもベーシックサービス、必要なものを無償化して現物給付で渡す「コモン化」の道を選びたい。それによって貨幣の支配を弱め、市場に頼らずに生きていける領域を増やしていくほうがよいと考えています。 Q:日本の若者は、自分が苦しい状況にあっても、今の社会のあり方を肯定している人も多い。海外では2011年に起こったニューヨーク「ウォール街を占拠せよ」運動や、グレタ・トゥーンベリさんの気候危機への問題提起など、「ジェネレーション・レフト(左翼世代)」と呼ばれる若い世代の社会に対する動きが見られますが、日本の現状をどう見ていますか。 A:雇用が崩れ、教育・医療など必要な支出の負担が重くなる中、何とかお金を稼がなくては、というマインドが一部の若い人たちの間に広がっています。本来は「もっと普通に暮らせるようにしろ」と怒るべきなのに、日本人は自助、自力で何とかするようにすり込まれている。資本の側から見れば非常に扱いやすい。 再配分が機能する、フェアな社会にすることに想像力が働かず、既存のシステムの中で自分だけは生き残ろうという思想が強固になっているのは、非常に残念です。でもそれも仕方のない話で、希望が持てる社会運動もないし、訴えかけて応えてくれる政党もない。 Q:それはある意味必然的なことだと。 A:だからこそ私は『人新世の「資本論」』を書きました。まずは「今のこの社会はおかしい」と言ったり考えたりするためのボキャブラリーやツールを提唱したかった。私の専門は経済思想ですが、哲学や思想には、生きづらさや閉塞感を言語化し、批判するための言葉や、認識のフレームワークを与える力があるからです』、「まずは「今のこの社会はおかしい」と言ったり考えたりするためのボキャブラリーやツールを提唱したかった」、大いにやってくれることを期待している。これにより、それに「応えてくれる政党」も出てくるだろう。
・『世界中の若者たちが異議申し立てをしている  今、世界中で若者たちが怒っています。1990年代にはすでに、気候危機は確実に起こると言われていた。にもかかわらず、この30年間資本主義は世界中をマーケットにして富むものを富ませる一方で、地球環境をもはや待ったなしにまでさせてしまった。 そのツケを払わされる10代、20代の世界中の若者たちが今、絶望と同時に怒りをもって、新自由主義、さらに資本主義自体に異議申し立てをしています。現在の社会システムを抜本的に変えなければ、見捨てられるのは自分たちだと。 それに呼応して、アメリカのサンダースやオカシオ=コルテスのように、資本主義の行き詰まりを批判する政治家も出て、社会を動かし始めている。 日本では岸田さんが総裁就任前に新自由主義批判、金融資産課税などを持ち出していましたが、結局腰砕けに終わった。 政治も経済も、全体の状況を大きく動かしていくためには、やはり若者をはじめとしたさまざまな人たちが声を上げて、変化を求める運動が不可欠です。「今の社会はおかしい。変えていくべきだ」と、声を上げてほしいと思います』、今の日本人が大人し過ぎるのは情けない。「声を上げる」ようにするには、何が必要なのだろうか、私にも皆目見当がつかない。
タグ:資本主義 (その8)(「無形資産」の時代に新しく資本家になる人の特徴 必要なのは工場でも土地でもない多様な可能性、「新しい資本主義」とは何か? それは「データ資本主義」「資本なき資本主義」である 検討するまでもない。なのに日本は未だ、日本人が知らない「脱成長でも豊かになれる」根拠 若き経済思想家・斎藤幸平が語る貧困解決策) 東洋経済オンライン 丸山 俊一 「「無形資産」の時代に新しく資本家になる人の特徴 必要なのは工場でも土地でもない多様な可能性」 「無形資産には格差を広げる方向に働く力と、縮める方向に働く力という、逆方向に向かう二つの力がある」、「現時点では格差を広げる方向の力が、反対方向に働く力よりも強いようです」、なるほど。 「1990年代前半にアメリカで無形資産への投資が有形資産の投資を上回って以降、他の諸国にも同様の傾向は波及し、無形資産への投資でアメリカを追い上げました。それは今も続いています」、なるほど。 「コロナを経済成長のきっかけにするためには、このような新たなマネージメント技術やビジネスモデルといった無形資産に大きな投資をする必要があります」、その通りだ。 「創造力にあふれた人たちをまとめられる人材ですね。 そうした人材が保有していると考えられる無形資産は・・・人間関係のマネージングや、クリエーティブな人たちのマネージングに長けた能力です」、「多様な可能性を持った面白い資本家が誕生するかもしれない」、面白い時代になったものだ。 現代ビジネス 野口 悠紀雄 「「新しい資本主義」とは何か? それは「データ資本主義」「資本なき資本主義」である 検討するまでもない。なのに日本は未だ」 「資本なき資本主義」とは面白い概念だ。 「日本経済は「古い資本主義」から脱却できないでいる。日本経済が停滞するのは、このためだ」、意外な「日本経済」「停滞」要因だ。 「GAMMAの時価総額は、日本の上場企業全体の1.4倍」とは確かにすごいことだ。 「工場や店舗など目に見える資本(有形固定資産)の重要性が減少し、その代わりに、情報やデータなどの見えない資本(無形資産)が重要性を増したということだ」、確かにその通りだ。 「GAMMAからアマゾンを除いた:」「情報・データ処理サービス」「部門の2020年の1人あたり賃金は、18万3801ドルだ・・・2095万円・・・全産業の平均賃金7万1456ドル(814.6万円)の2.6倍」、やはりかなり高いようだ。 「4部門の雇用者を合計すると、2026万人となる。これは、雇用者総数の15.3%であり、製造業の1184万人(9.0%)の2倍近い。 アメリカの産業がすでに「資本なき資本主義」に向けて大きく変貌していることが分かる」、羨ましいようなすごいダイナミズムだ。 「「工場という資本のない製造業」に移行」、確かに日本の立ち遅れは明らかだ。 「政府が行うべきは、成長をリードすることではない。人気取りのバラマキ政策を行うことでもない。半導体の工場を日本に誘致するために補助金を出すことでもない。 そうではなく、成長を阻害している要因を取り除くことだ」、痛烈な政府批判で、まさに正論だ。 東洋経済オンライン「日本人が知らない「脱成長でも豊かになれる」根拠 若き経済思想家・斎藤幸平が語る貧困解決策」 マルクスの思想を援用し「脱資本主義」「脱成長」を説く斎藤幸平氏 「ゼロサムゲームで労働者と資本の間で取り合いが始まる。資本側が労働者の面倒を見なくなり、労働者側は取り分を奪われてしまう。それが新自由主義です」、その通りだ。 「コロナ禍の被害も甚大ですが、気候危機の被害の深刻さに比べれば、リハーサルにすぎません。コロナ禍での緊急事態は何カ月かの期間限定ですが、気候変動はもはや不可逆的な変化で、これから毎年のようにスーパー台風がやってくる。いわば慢性的な緊急事態が続き、世界中で水不足や食料不足などが次々、起こります」、確かに緊急の課題だ。「私たちはお金を手に入れるために、あまりにも働きすぎ、あまりにもモノを作りすぎ、その結果、健康を害し、環境を破壊している。そうしたサイクルそのものから抜け出すべきなのです」、なるほど。
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資本主義(その7)(「分配政策」だけでは 「20年後の生活水準」がいまより2割低下する 日本に必要なのは相当な生産性向上政策、岸田首相の「新しい資本主義」がキモいとしか言えないこれだけの理由、「新しい資本主義」は「新しいバブル」にすぎない 「中間層」を増やすことは本当に可能なのか?) [経済]

資本主義については、9月19日に取上げたばかりだが、今日は、(その7)(「分配政策」だけでは 「20年後の生活水準」がいまより2割低下する 日本に必要なのは相当な生産性向上政策、岸田首相の「新しい資本主義」がキモいとしか言えないこれだけの理由、「新しい資本主義」は「新しいバブル」にすぎない 「中間層」を増やすことは本当に可能なのか?)である。

先ずは、10月17日付け現代ビジネスが掲載した一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による「「分配政策」だけでは、「20年後の生活水準」がいまより2割低下する 日本に必要なのは相当な生産性向上政策」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/88257?imp=0
・『高齢化が進展する中で適切な再分配を行うためには、就業者1人当たりの生産物が増えなければならない。日本では、過去20年間以上にわたって1人当たり実質賃金が増えていないので、これは容易ならざる課題だ。賃金のこれまでの傾向が続けば、再分配後の1人当たり所得は、現状より2割ほど減ってしまう。だから、分配政策とともに、強力な成長戦略がどうしても必要だ』、「賃金のこれまでの傾向が続けば、再分配後の1人当たり所得は、現状より2割ほど減ってしまう」、とは大変だ。
・『再分配のためには元手が必要  岸田文雄内閣は、「分配なくして成長なし」としている。 分配問題は確かに重要だ。経済が成長してもその成果にあずかれない人が大勢いる。コロナ禍では、株価が上昇して資産層が裕福になったにもかかわらず、収入の途を絶たれた人がたくさん生じた。分配問題の重要性は、これまでになく重要になった。 しかし、再分配するためには、元手が必要だ。分配をいかに適正化したところで、全体のパイが自動的に増えるわけではない。元手が増えなければ、貧しさを分かち合うことになってしまう。 日本の場合には、人口の高齢化によって働く人の数が減るので、再分配をする元手が減る危険が高い。そうなると、仮にそれらが適正に再分配されたとしても、1人当たりの所得が減少してしまうのだ。 以下では、この問題を定量的に検討することにしよう。 ここでの基本的な想定は、就業者が働き、その一部が税や社会保険料の形で徴収され、それが給付金や社会保障給付の形で再分配されるということだ。所得再分配はさまざまな形で行われているが、額的に最も大きいのは、財政制度を通じるこのような再分配だ。 なお、年金は、受給者が過去に積み立てた保険料で支払われているように見えるが、実際には、その年々の生産物が財政制度を通じて再分配されている』、なるほど。
・『高齢化のため就業者人口が減って従属人口が増える  日本の高齢化は今後も続く。そして、2040年ごろにピークに達する。この時期を乗り越えられるかどうかが、大きな問題だ。 国立社会保障・人口問題研究所の推計(中位推計)によると、2020年と2040年の人口の状況はつぎのとおりだ。 ・総人口は、12533万人から11092万人へと、0.885倍になる。 ・15~64歳人口は、7406万人から5978万人へと0.807倍になる。 簡単化のため、15歳から64歳までの人口の中で就業者となる人の比率は、現在と変らないものとしよう。そして、0歳から15歳、および65歳以上の人口は働かないものとする(この年齢階層の人口を「従属人口」とよぶ)。 すると、就業者数は2020年の80.7%に減少することになる』、なるほど。
・『労働生産性が20年間で9.7%成長しなければならない  以上を前提すると、次の結論がえられる。 2040年における再分配後の1人当たり所得を2020年と同額にするためには、2040年における就業者1人当たりの所得が、2020年より9.7%ほど増加しなくてはならない。つまり、再分配後の所得で現状を維持するだけのためにも、かなりの高成長を実現しなければならないのだ。 こうした結果になるのは、つぎのように考えれば分かるだろう。 2040年を 2020年と比べると、総人口は、0.885倍になるので、総所得が0.885倍になる。他方、就業者は前述のように0.807倍になる。だから、就業者1人当たりの生産額は、0.885÷0.807=1.097倍にならなければならない。つまり、現在より9.7%ほど増えなければならない。分配率が変わらないとすれば、実質賃金が9.7%上昇しなければならない』、あくまで逆算だが、そうなのだろう。
・『過去20年間の実質賃金減少トレンドを一変させる必要  では、実質賃金をこのように上昇させることが可能だろうか? 毎月勤労統計調査によると、実質賃金指数(現金給与総額、5人以上の事業所)は、2000年の113.3から2020年の98.8まで、12.8%ほど下落している。 これとは別に、法人企業統計と消費者物価指数から計算すると、1995年度から2020年度の期間で11.2%ほど下落している。 これらを考慮すると、上述のように実質賃金を今後20年間で9.7%引上げるのは、かなり大変なことだと言わざるを得ない。 現在の状況が続けば今後も実質賃金が下落する可能性が高いので、それを一変させるために、これまでとは異なる強力な成長戦略を実施する必要がある。 そうしないかぎり、いかに分配を適正化したところで、「貧しさを分かち合う」という結果になってしまうのだ』、「これまでとは異なる強力な成長戦略を実施」、「しないかぎり、いかに分配を適正化したところで、「貧しさを分かち合う」という結果になってしまう」、その通りのようだ。
・『実質賃金が増えないと1人当たり所得は約9%減少する  では、実質賃金が今後も伸びないとすれば、どうなるだろうか? その場合には、国民1人あたりの再分配後の所得は、現在より8.8%減少する。 こうした結果になるのは、つぎのように考えれば理解できるだろう。 2040年を2020年と比べると、就業者人口は0.807倍になるのだから、総生産額は0.807倍になる。他方、総人口は0.885倍になる。だから1人あたりの分配後所得は、0.807÷0.885=0.912になる。 つまり、約9%減少する』、働き手が減っても、労働生産性が上がれば、「実質賃金」も上がり易くなるのではなかろうか。
・『成長政策をとらなければ生活水準が2割低下する  就業者の場合、実質賃金は不変なのだが、税・社会保険料が引上げられ、手取りがいまより約9%ほど減ってしまうのだ。 一方、再分配を受ける側では、年金や医療費がいまより約9%減らされることになる。 つまり、再分配のための財源措置が今より強化されるにもかかわらず、再分配された効果は現在よりも小さくなるのだ。 以上は実質賃金がいまと不変の場合だが、今後減少することも十分ありうる。そうであれば、再分配後の所得がもっと減る。 上に見た毎月勤労統計調査による実質賃金指数の下落傾向が、今後も続くとしよう、つまり、20年間で生産性が0.872倍になるとしよう。 その場合に 2040年を2020年と比べると、就業者人口は0.807倍になり、生産性が0.872倍になるのだから、総生産額は0.704倍になる。他方、総人口は0.885倍になる。だから1人あたりの分配後所得は、0.704÷0.885=0.795になる。つまり、現在より2割ほど低下するのだ。 生活水準がいまの8割に低下して、「等しからざるを憂えず」と言っていられるだろうか? 国民の不満は高まるのではないだろうか? なお、以上では再分配はすべての年齢層に対して行なうものとした。実際の再分配政策は、就業者から退職後の人口に対してなされるものが多い。これに関しては、より少ない就業者でより多い高齢者を賄わなければならなくなるので、結論は上記よりも厳しくなる』、「1人あたりの分配後所得は、・・・つまり、現在より2割ほど低下するのだ・・・「等しからざるを憂えず」と言っていられるだろうか? 国民の不満は高まるのではないだろうか」、確かに不満が高まらざるを得ないだろう。
・『人口ボーナス期の社会保障制度が重荷になっている  日本が直面している事態の本質は、就業人口の減少率が人口全体の減少率よりも高いことである。これは、「人口オーナス」と呼ばれる現象だ。このために、再分配政策を行なっても、その効果が弱まってしまう。 就業人口の増加率が人口全体の増加率より高い場合には、これとはちょうど逆のことが起きる。これは、「人口ボーナス」と呼ばれる現象である。 日本の高度成長期は人口ボーナス期であった。そして、高度成長期の終わりに、「福祉元年」の掛け声で、社会保障制度が大幅かつ安易に拡大された。その制度がいま重荷になっている。 人口オーナス期に必要とされるのは、まず第1に、人口ボーナス期に作られた再分配制度を見直すことだ。さらに、再分配と同時に、強力な成長政策を実施することだ』、「人口ボーナス期に作られた再分配制度を見直すこと・・・再分配と同時に、強力な成長政策を実施すること」、急務だ。
・『分配政策の柱である金融所得課税から早くも撤退  「分配なければ成長なし」は魅力的なキャッチフレーズだ。しかし、以上で見たように、分配政策だけでは十分ではない。分配政策とともに、強力な生産性向上政策がどうしても必要だ。 現実には、実効性のある成長戦略を打ち出せないないのを隠蔽するために、分配が強調される危険がある。 一方で、分配政策の実効も難しい。金融資産所得への課税強化は分配政策の柱になるもので、岸田首相の総裁選では、この実現を掲げていた。しかし、早くもこれからの撤退を表明した。 したがって、分配問題も解決できず、成長もできないという結果に陥りかねない』、「金融所得課税」を強化しようとすれば、株価下落が不可避になるので、「岸田首相」も結局、断念したようだ。

次に、10月20日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏による「岸田首相の「新しい資本主義」がキモいとしか言えないこれだけの理由」を紹介しよう。
・『岸田文雄首相が、自由民主党総裁選の選挙戦中から掲げるキャッチフレーズである「新しい資本主義」が、なんとも「気持ち悪い」。心情としては「キモい!」と叫びたいくらいだ。筆者がそう感じるさまざまな理由をお伝えしたい』、興味深そうだ。
・『岸田首相の得体が知れない思い込み 日本に「新自由主義」のレッテル貼り  いい年をした書き手(筆者自身のことだ)が、記事の文章で「キモい!」というカジュアルな言葉を使うのはいかがなものかとも思う。であるのだが、岸田文雄首相が掲げる「新しい資本主義」に対する気持ち悪さは、「気持ちが悪く思えます」といったゆっくりしたテンポではなく、「キモい!」と、最短の秒数でこの気味の悪さを伝えたい。 気持ちの悪さには複数の要因があるのだが、一番不気味なのは、「新しい資本主義」という言葉を唱えている本人が、その内容を分かっていないのではないかと思われることだ。しかも、その当の人物が、わが国の首相なのだ。国民は不安になる。 岸田氏は、新しい資本主義について、さまざまに表現してきたが、まず、言っていることが意味不明だし、次には、言っている内容がブレている。つまりは、何をしようとしているのかが分からない。しかし、やみくもに何かを変えようとしている。 岸田氏は、例えば、「新自由主義からの転換」という言葉を使った。しかし、日本はいつ新自由主義になったのか。「転換」という言葉を使うからには、彼の認識では、現状は新自由主義なのだろう。 しかし、たかだか郵政民営化くらいのプロジェクトが中途で挫折してぐずぐずになるような、利権維持と非効率性の中で漂うこの国の一体どこが新自由主義なのか。電波オークションもなければ、農地の株式会社保有さえ実現しない。 このような日本に「新自由主義」というレッテル貼りをして、意見を言ったような気分になることができる精神構造を、不気味だと思わないことは難しい。しかも、彼は左派政党の党首ではなくて、自由民主党の総裁なのだ』、「岸田氏」は安部・菅時代を通じて長いこと考える時間があった割には、考えに深みを感じさせず、幻滅した。
・『「新しい資本主義実現会議」は中身がないと断言できる根拠  岸田氏が、「新しい資本主義」について確たる具体的な内容を持っていなかったことは、「新しい資本主義実現会議」という何とも奇妙な有識者会議が、総選挙を前にした内閣府の下に設立されたことに如実に表れている。 内閣府が10月15日に発表した文書を見ると、会議の開催について、「新しい資本主義実現本部の下、『成長と分配の好循環』と『コロナ後の新しい社会の開拓』をコンセプトとした新しい資本主義を実現していくため、それに向けたビジョンを示し、その具体化を進めるため、新しい資本主義実現会議を開催する」とある。 中身が何もないので、「それに向けたビジョン」などという、この種の文章としては世にも情けない言葉を使う以外に書きようがなかったのだろう』、「中身が何もないので、「それに向けたビジョン」などという、この種の文章としては世にも情けない言葉を使う以外に書きようがなかったのだろう」、鋭い読みだ。
・『成長と分配の好循環を「これから検討」 それでは絶望的に中身がない  そもそも、「新しい資本主義」などという偉そうな言葉を使う以上、そのビジョンは言っている本人が明確に提示して方向性を示すべきだ。「成長と分配の好循環」にも「コロナ後の新しい社会の開拓」にも、願望はあっても中身がない。 「成長と分配の好循環」は与党も野党も望んでいることであり、「どう実現しようとするのか」を論じる以外にお互いを区別するポイントはない。それをこれから有識者会議で検討しようというのだから、岸田首相自身には絶望的なまでに中身がない。 また、今後の社会が、「コロナが起こってからの社会」であることは間違いないのだが、「新しい社会の開拓」とだけ言われても、現状の社会を否定する意味しかない。 会議に参加する有識者さんたちは、推察するに「何かお役に立てたらいい」というくらいの善意から参加されるのだろうが、会議自体が時間と手間の無駄になるだろうと予想する。有識者さんたちにとって指名を受けたことは不名誉ではないだろうから、会議自体の存在はいいとするとしよう。 それにしても(この種の会議の出席謝礼は極めて安いので、お金はそれほど無駄になってはいまい)、サラリーマンの立場から推察して何とも気の毒でならないのは、会議の事務局を務める官僚さんたちだ。このような無意味な会議の成果をどのように着地させるといいのか、想像しただけで目が回りそうになる』、「新しい資本主義実現会議」の事務局の官僚もなんとか格好をつけないといけないので、ご苦労なことだ。
・『財務次官の「バラマキ合戦」批判で緊縮財政へ傾斜しないかが当面の心配  岸田氏が中身を十分把握せずに、思いつきか言葉の勢いで「新しい資本主義」という言葉を唱えたことは、まあいいとしよう。わが国の政治家にはよくあることだ。岸田氏の症状はかなり重いとは思うが、「ネクタイを締めた、しゃべる空箱」のような政治家は与野党を問わず少なくない。 気持ちが悪いのは、「新しい資本主義」を唱える岸田氏が、現状の経済政策の何を変えようとしているのかが分からないことだ。少なくとも何かを変えなければ「新しい」とは言えないのだから、彼は何かをしようとしているらしい。 首相就任前に強調していた金融所得課税の見直し(=税率引き上げ)は、一転して当面封印するようだ。封印自体は結果的に正しいのだが、これだけ簡単に意見が変わると有権者は、衆議院選挙で岸田総裁の自民党に何を期待して投票したらいいのかが分からなくなる。 当面の心配は緊縮財政への傾斜だ。次の衆議院選挙を経ても、おそらく岸田氏が首相だろうが、政治家が掲げる政策を「バラマキ合戦」と批判した財務官僚のような人に感化されて、プライマリーバランス(基礎的財政収支)の目標にこだわるような愚策に陥ることが心配だ。 何が「新自由主義」なのかも、たぶん「資本主義」が何のことなのかも分かっていない首相が、立派に聞こえる言葉の響きだけで「プライマリーバランス」や「財政再建」に共感する心配が大いにある。しかし、これらは、現在こだわるべき概念ではない』、確かに元財務大臣だけに、「「プライマリーバランス」や「財政再建」に共感する」可能性もある。
・『岸田首相への最大の不安は金融政策 23年の日銀正副総裁の人事は心もとない  もっと大きな心配は、金融政策に対する影響だ。岸田首相が、これまでの日本銀行の金融緩和政策を「古い資本主義」だと認識して、変えようとする心配がある。2023年の3月に予定されている日銀の正副総裁の人事を、資本主義の何たるかを分かっていない岸田首相が、「人の話をよく聞いて」、つまり周囲の誰かに影響されて決めるのだとすると、何とも心もとない。 中身がないのに「新しい何々」と言いたがることの他に、「人の話を聞くのが得意だ」と自称する性格的特性も国民を不安にさせる。他人に影響されやすいということだからだ。岸田氏は、リーダーには最も不向きなキャラクターなのではないだろうか。 ただし、岸田首相に対する不安と同時に、野党に対する心配も述べておくのがフェアだろう。例えば、岸田氏が捨てた金融所得課税の見直し(=税率引き上げ)を、いまだに格差対策の政策として掲げる立憲民主党には、岸田氏の「新しい資本主義」の気持ち悪さとはまた別の、「反資本主義」の不気味さがある』、「「人の話を聞くのが得意だ」と自称する性格的特性も国民を不安にさせる」、同感である。
・『与野党の党首討論会で考える「バラマキ合戦」の優劣  衆議院選挙の日程が決まり、各党の経済政策が発表されている。財務次官が「バラマキ合戦」と呼ぶ部分について、18日に日本記者クラブで行われた各党党首の討論会をベースに整理すると、以下の通りだ(「日本経済新聞」10月19日朝刊を参照)。 ・自民党:数十兆円の対策とだけ言っていて、何に使うのかを提示しない ・公明党:高校3年生までの子どもに10万円の給付を行うと言っている ・立憲民主党:1000万円程度までの所得の人への所得税免除と、低所得者への12万円給付、加えて消費税率の時限的な5%への引き下げ ・共産党:減収した人に10万円の給付と、消費税率の5%への引き下げ ・日本維新の会:消費税率を2年間を目安に5%へ引き下げと、年金保険料をゼロに ・国民民主党:一律10万円の給付と、低所得者には追加で10万円の現金給付。さらに経済回復まで消費税率を5%に ・れいわ新選組:消費税廃止と毎月一人20万円給付 ・社民党:3年間消費税ゼロと10万円の特別給付金 ・NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で(NHK党):10万円以上相当の期限付き電子マネーの給付) まず岸田氏の自民党は、政権党だけに言質を与えたくないということなのかもしれないが、具体案を示さないのはよくない。これで首相が岸田氏では、心配かつ不気味だ。 野党各党が主張する現金給付については、所得制限を設けようとすると手間が掛かるし、国民の経済行動がゆがむ(例えば一時的に所得を抑えようとするなど)副作用がある点に注意が必要だ。 また給付金は、生活への支援や国民の安心感の上でも、1回限りのものよりも継続的に効果のある形のものがいい』、その通りだ。
・『日本維新の会が挙げた「年金保険料の無料化」を推す理由  最も筋が良いと思うのは、日本維新の会が挙げた、年金保険料の無料化だ(基礎年金部分の完全税負担化という意味だろう)。富の再分配効果と行政効率化(例えば、国民年金保険料の徴収が要らなくなる)の効果が大きい。低所得者・現役世代への効果が大きく、所得税率の高い人への効果が小さいし、将来はこの財源となる税金の負担を通じて、それなりに大きな「再分配」の流れができる。 増税には、超富裕層に対する所得税の累進税率の引き上げと、広く薄く課税するような資産課税の強化がいい。投資の利益への課税を狙った金融所得課税の見直しは、リスクマネー供給を阻害するのでよくない。 なお、国民年金保険料のような「一律の負担」が低所得者に厳しく、極めて逆進的であることの解決には、財源を税金にすることが優れている。この点では、NHK党あたりがNHK受信料の税負担化を主張しないのは少し不思議だ。 もっとも、低所得層でテレビを持たなかったり、受信料は不払いだったりする人が多ければ、「再分配」の効果はそれほど大きくないかもしれない。それでも、受信料徴収のコストが回避できて、国民の費用負担がより公平になる(税制全体が公平だとして)ことの効果は小さくあるまい。 野党が足並みをそろえつつある消費税率の引き下げは、それ自体の効果として悪くない。ただ、時限的なものだと税率変更を巡る買い控えや消費の集中など、税率変更の際に起こる混乱が気になる。 筆者なら、消費税率はそのままに、基礎年金を全額国庫負担にする方を採りたい。再分配の効果が大きいし、世の中の事務作業が増える消費税率の変更よりも、公的年金にかける手間が減る点で「年金保険料ゼロ」はいい。 岸田首相に、「良いバラマキ」と「悪いバラマキ」を見分ける眼力があるとは思えないが、経済政策の中身はどの道まだ決まっていないのだろうから、「年金保険料ゼロ」をぜひお勧めしたい』、私は「維新の会」は嫌いだが、この「年金保険料の無料化」は確かにいい政策だ。

第三に、10月31日付け東洋経済オンラインが掲載した財務省出身で 慶應義塾大学大学院准教授の小幡 績氏による「「新しい資本主義」は「新しいバブル」にすぎない 「中間層」を増やすことは本当に可能なのか?」を紹介しよう。
・『「新しい資本主義」は岸田文雄政権の経済政策のキャッチコピーで、これまでの経済財政諮問会議に代わって、新しい資本主義実現会議がスタートしたようだ』、興味深そうだ。
・『「新しい」とは何を意味するのか?  もちろん、中身は新しくも何もない。「成長を実現し、それを分配する」ということにすぎない。これまで、すべての政権の成長戦略が成長を実現したことはないから、成長から分配という戦略であれば、成長が政策的な戦略では実現できないから、今回も何も起きるはずがない。 しかし、そんなわかりきったことをいまさら批判するほど私もヒマではない。問題は、キャッチコピーが、GDPと株価から「新しい」資本主義に変わったことだ。つまり、時代は、今までと違う資本主義を求めているということが、政治家にすら伝わってきた、ということであり、いよいよ社会は、資本主義から次の「新しい」時代に向かっている、向かいたいと思っている、ということを示しているのである。 この「新しい」とは何を意味するのか? 岸田政権の政治的な主張は、新自由主義からの決別ということらしいが、そもそも新自由主義という言葉自体が政治的で、学問的にも経済的にも何の意味もない。要は「今までの利益、株価一辺倒から社会、環境とのバランスを重視した経営への移行、競争至上主義から長期的な持続性重視への緩やかな移行」ということだ。 つまり、新しい資本主義とは、ESG、SDGsと実質的には同じことであり、それに格差問題への対応で分配を重視するという政治的なテイストをまぶしたものである。 リーマンショック以後の、強欲資本主義批判は、ウォールストリートとメインストリートの格差、トマ・ピケティの格差拡大批判と、格差攻撃に向かっていたのだが、それがここ5年は急激に環境・持続可能性という方向に舵が切られている。格差といまだに騒いでいるのは、日本ぐらいで、こちらも格差是正と言いながら、欧米のように富裕層から奪ってくるのではなく、分厚い中間層を作り、経済成長を取り戻す、という方向で議論されている。これらのことは何を意味するのだろうか? それは、また「新しい」バブルが始まったのである』、「また「新しい」バブルが始まった」、とはどういうことだろう。
・『新たな「ESG、SDGsバブル」の始まり  リーマンショックで世界金融バブルが崩壊したが、その処理を先送りするために「量的金融緩和バブル」が世界中の金融市場を覆った。これが崩壊しそうになったときに、コロナショックが起き、世界的に限界を超えた金融緩和が行われた。さらに前代未聞の財政出動が行われ、コロナショックバブルが起きた。 このバブルが崩壊するのも時間の問題になった。そしてついに財政破綻から、1990年の社会主義諸国の市場経済化により始まった中期的なバブルにおける短期的なバブルの連鎖も持続不可能になり、バブルの大崩壊になることが確実になってきた。そこへ、最後のあがき、として、これまでの資本主義を否定するかのようにみせかけて、資本主義を延命させようとしたバブルが登場したのである。それがESG、SDGsバブルである。 これまでの資本主義は限界を迎えた。しかし、それを捨てることはできないから、修正を行い持続可能にすることにした。それがESG、SDGsである。実質的には延命にすぎないが、名目的には持続可能な資本主義に修正して、永続的な資本主義の発展を目指すということである。 しかし、それは論理的にも現実的にも不可能だ。なぜか。 環境問題、資源問題の制約に直面してしまったため、脱炭素ということになっているが、炭素は最も効率的であったから使ってきたのであって、すぐに他の資源の制約に直面する。これがすでに直面している現実的な問題である。 水素を作るには電力を大量に必要とする。しかし、火力抜きの電力は世界的に不足している。エネルギー効率は悪い。だから、すぐに水素はうまくいかなくなる。太陽光というのも非常に効率の悪いシステムで、そもそも資源を大量に消費し、パネルを設置し、その接地面の土地は生態系的には有効に利用されない。しかも、そのパネルは持続性がないから、大量の廃棄物が出る。これをフィルムに置き換える技術が生まれているが、それでも資源効率、エネルギー効率は悪い。温暖化対策の決め手、避けては通れないのは、電力消費量を世界で大幅に削減することである。電力を生み出すために資源と環境に負担をかけているのだから、その根源である電力消費を激減させなければ問題は解決しようがない。本当は日本の出番だが、世界は日本を無視し、電力消費削減の必要性は軽視する。なぜか。 それは、資本主義にとって都合が悪いからである。 電力消費を減らすということは、経済拡大を犠牲にするということである。しかも、スマホ、コンピューター駆使の社会で、電力消費は増える一方である。世界中の眠らないサーバーで、電力は世界中で24時間365日大量に消費されている。電力消費総量の大幅削減は、経済の拡大を確実に抑制する。だから、それは避けるのである。 脱炭素で別のエネルギーになるのであれば、経済拡大は止まることはない。さらに、あわよくばもうけのチャンスになる。新エネルギーのためには大規模な投資が必要だから、これは、経済規模大幅拡大につながる。そこで、こぞって新エネルギーを持てはやし、現実のエネルギー効率はないがしろにされているのである。そして、この流れが生まれてしまえば、四の五の言わず、この流れに乗ったもの勝ちだ。だから我先にと、このマーケットに殺到している』、「最後のあがき、として、これまでの資本主義を否定するかのようにみせかけて、資本主義を延命させようとしたバブルが登場したのである。それがESG、SDGsバブルである」、確かにその通りだ。「電力消費総量の大幅削減は、経済の拡大を確実に抑制する。だから、それは避けるのである。 脱炭素で別のエネルギーになるのであれば、経済拡大は止まることはない。さらに、あわよくばもうけのチャンスになる。新エネルギーのためには大規模な投資が必要だから、これは、経済規模大幅拡大につながる。そこで、こぞって新エネルギーを持てはやし、現実のエネルギー効率はないがしろにされているのである」、なるほど。
・『「ブレーキ」VS「アクセル」のせめぎ合いが10年続く  これはどこかで見た景色だ。そう。バブルそのものである。脱炭素バブル、SDGsバブル、ESGバブルである。これで、もう一度バブルの恩恵に授かろうとしていたのだ。 しかし、早くも困難に直面している。資源価格が高騰して、早くも現実世界に引き戻されつつある。金融市場は、自分たちで自己実現バブルを作ればよいが、実体経済、実社会での生活はそうはいかない。急激すぎる、無理な脱炭素の動きにブレーキが今後かかっていくだろう。一方、金融市場や投資家たちは、その現実を無視してバブルを膨らませ続けようとするだろう。そのせめぎあいが、今後10年は続くだろう。 日本は、この脱炭素バブル、環境バブルに乗り遅れている。なぜなら、日本は、この問題で世界では圧倒的に進んでおり、現実をよく知ったうえで、現実的な環境対応を行ってきた実績がありすぎたからだ。 バブルは実体のないものほど乗りやすい。バブルが膨らみやすい。日本は、環境問題では、実体がありすぎ、実績がありすぎて、現実的すぎて、バブルに乗るにはためらいがあったため、乗り遅れてしまったのだ。そして、今でも半信半疑、躊躇しながらバブルに乗るかどうかを迷っている。どうせバブルに乗るのであれば、早いほうがいいのだが、もう遅い。資本主義最後のバブルゲームには乗り遅れてしまったのだ。だから、このバブルが崩壊して、世界が現実に引き戻されたときに出番が来るだろう。その時まで、じっと備えておくのが正しい戦略だが、そう肝を据えられるかどうか。日本の政治には無理な気配があり、一番遅れてバブルに乗ろうとしたのが前菅義偉政権であり、この点では岸田政権も同じであろう。 日本は、経済成長(正確には短期的なGDPの増大)において、この10年、欧米諸国に見劣りしている。そこで「GDP増加を目指して、分厚い中間層を作る」という宣言を出したのが、岸田政権の「新しい」資本主義である。日本は資本主義の持続性よりも、そもそも資本主義がきちんと成り立っていない。利益追求、リスクテイクが足りない。そして需要が足りない。だから、起業家と分厚い中間層が必要だ。日本の経済論壇やメディアは、これを大前提として議論をしている』、「日本は、この脱炭素バブル、環境バブルに乗り遅れている。なぜなら、日本は、この問題で世界では圧倒的に進んでおり、現実をよく知ったうえで、現実的な環境対応を行ってきた実績がありすぎたからだ」、「このバブルが崩壊して、世界が現実に引き戻されたときに出番が来るだろう。その時まで、じっと備えておくのが正しい戦略だが、そう肝を据えられるかどうか。日本の政治には無理な気配があり、一番遅れてバブルに乗ろうとしたのが前菅義偉政権であり、この点では岸田政権も同じであろう」、「脱炭素」や「環境」もバブルとは、さすが鋭い指摘だ。
・『「新しく」もないただの資本主義  しかし、こちらは、「新しく」もないただの資本主義である。起業家とは何か。利益を独占するために、既存の利益独占者を倒そうと立ち上がる人々である。しかし、彼らは成功すれば新しい独占者になる。大企業からプラットフォーマーへと、さらに独占力を強めるだけである。資本主義はそのまま拡大するだけであり、格差はさらに拡大する。 一方、中間層を増やすというのは、これらの独占者、大企業にせよプラットフォーマーにせよ、それらを利用できる消費者と労働者を増やすということにすぎない。低所得者が多いと、独占者は彼らの消費から利益を得ることができない。だから彼らにも、必需品以外の嗜好品を買わせてマーケットを拡大しよう。スマホを世の中の全員に持たせよう。そして、消費を把握し、さらに贅沢を覚えさせ、ゲームをやらせ、消費を増やさせよう。 これは21世紀に始まった、資本主義は、BOPビジネス、ボトムオブピラミッドまたはベースオブピラミッドという概念をもちろん利用した(作成した)。要は、動員である。資本主義とはバブルであり、バブルも資本主義も、人々と物とそして社会を流動化して、動員するシステムである。分厚い中間層というのは、動員する消費者と労働者を増やすためのものである。すなわち、これらは、ごく普通の資本主義である。これまでの路線を強化するだけのことである。あるいは高成長期の動員メカニズムの復活を目指すことである。世界は、アフリカ、貧困層という最後のフロンティアまでを食い尽くしてしまったため、最後の手段、「新しい」資本主義という名の新しいESGバブルを作り、日本は、古きよき時代の普通のバブル、普通の資本主義の再興を目指しているというのが、今なのだ。 しかし、これは理論的に破綻している。なぜなら、資本主義が行き詰ったから、新しい資本主義を目指したのであり、それが同じバブルであり、同じ資本主義であれば、持続不可能であることは自明だからだ。 したがって、新しい資本主義は実現しない。そして、バブルも新しい資本主義も破綻する。そして、その後にやってくるものは、近代資本主義の前の世界、中世だ。そして、それは「新しい」中世である。 「新しい」中世とは、持続的な世界である。 近代資本主義が、流動化、市場化、変動、拡大、バブルという世界であるのに対して、「新しい」中世は、固定化、関係取引、安定化、日常の繰り返し、循環経済という世界である。 資本主義がグローバル化、世界市場の一体化、膨張の世界であったのに対して、「新しい」中世は、ローカル化、多様化からの独自化、持続的な安定状態の世界である。 イノベーションという名の下、新しいぜいたく品(嗜好品、エンターテインメント品、装飾品、ブランド)を次々と繰り出し、欲望を刺激する世界から、必需品の繰り返しからの改善、改良、高品質化により、質の高い必需品に囲まれる世界になる。 過去の中世においても、農業生産力の上昇、開墾、新しい農法の発明、さまざまな技術の発明の元が蓄積された時代であった。それが、1492年以降、大航海時代が幕を開け、拡大、争奪、支配、膨張、戦い、競争の世界の中で、流動化が進み、その動員により、バブルが花開き、刺激的な消費による快楽を享受してきた。それを使い尽くしたので、今度は、再び、蓄積の時代に戻るのである』、「資本主義とはバブルであり、バブルも資本主義も、人々と物とそして社会を流動化して、動員するシステムである」、「資本主義が行き詰ったから、新しい資本主義を目指したのであり、それが同じバブルであり、同じ資本主義であれば、持続不可能であることは自明だからだ。 したがって、新しい資本主義は実現しない。そして、バブルも新しい資本主義も破綻する」、「その後にやってくるものは、近代資本主義の前の世界、中世だ。そして、それは「新しい」中世である。 「新しい」中世とは、持続的な世界である。 近代資本主義が、流動化、市場化、変動、拡大、バブルという世界であるのに対して、「新しい」中世は、固定化、関係取引、安定化、日常の繰り返し、循環経済という世界である。 資本主義がグローバル化、世界市場の一体化、膨張の世界であったのに対して、「新しい」中世は、ローカル化、多様化からの独自化、持続的な安定状態の世界である」、「新しい資本主義は実現しない」はいいとしても、「「新しい」中世」にまではついてゆけない。
・『「新しい」中世の始まりの気配はここかしこに  中世のような社会階級の固定化は復活しないだろう。いったん流動化した社会は、そこは元には戻らない。しかし、新しく分断された社会が成立していくだろう。分厚い中間層、格差社会という言葉は、資本主義の下で、富だけが人々の間の差をあらわすものであったことから生まれたものである。金持ちの貴族と貧乏な貴族は争ったが、貧しい武士と豊かな商人とは別の世界に生きていた。それぞれが独自の幸せと安定性と日常を繰り返す、「新しい」中世社会が成立するだろう。 中世の王や宗教の権威は、近代になって、ブルジョワジーの資本、カネの力に屈し、世の中を支配する力は富に変わった。「新しい」中世では、何が支配力になるかは、まだ不明である。知識、人間力など美しい言葉は考えうるが、これは不明である。 ただ、「新しい」中世の始まりの気配はここかしこにある。社会の分断、多様化、相互理解の不可能性、グローバリゼーションからローカライゼーション、覇権国家の非存在、Gゼロの世界の到来など、あらゆる兆候がある。 「新しい資本主義」という言葉が政治家のキャッチコピーになるのも、その兆候のひとつである』、「「新しい」中世」は仮説としては面白い。「「新しい資本主義」という言葉が政治家のキャッチコピーになるのも、その兆候のひとつ」、ここまで論理補強の材料とするとはさすがだ。

なお、明日から8日まで更新を休むので、9日にご期待を!
タグ:資本主義 (その7)(「分配政策」だけでは 「20年後の生活水準」がいまより2割低下する 日本に必要なのは相当な生産性向上政策、岸田首相の「新しい資本主義」がキモいとしか言えないこれだけの理由、「新しい資本主義」は「新しいバブル」にすぎない 「中間層」を増やすことは本当に可能なのか?) 現代ビジネス 野口 悠紀雄 「「分配政策」だけでは、「20年後の生活水準」がいまより2割低下する 日本に必要なのは相当な生産性向上政策」 「賃金のこれまでの傾向が続けば、再分配後の1人当たり所得は、現状より2割ほど減ってしまう」、とは大変だ。 あくまで逆算だが、そうなのだろう。 「これまでとは異なる強力な成長戦略を実施」、「しないかぎり、いかに分配を適正化したところで、「貧しさを分かち合う」という結果になってしまう」、その通りのようだ。 働き手が減っても、労働生産性が上がれば、「実質賃金」も上がり易くなるのではなかろうか。 「1人あたりの分配後所得は、・・・つまり、現在より2割ほど低下するのだ・・・「等しからざるを憂えず」と言っていられるだろうか? 国民の不満は高まるのではないだろうか」、確かに不満が高まらざるを得ないだろう。 「人口ボーナス期に作られた再分配制度を見直すこと・・・再分配と同時に、強力な成長政策を実施すること」、急務だ。 「金融所得課税」を強化しようとすれば、株価下落が不可避になるので、「岸田首相」も結局、断念したようだ。 ダイヤモンド・オンライン 山崎 元 「岸田首相の「新しい資本主義」がキモいとしか言えないこれだけの理由」 「岸田氏」は安部・菅時代を通じて長いこと考える時間があった割には、考えに深みを感じさせず、幻滅した。 「中身が何もないので、「それに向けたビジョン」などという、この種の文章としては世にも情けない言葉を使う以外に書きようがなかったのだろう」、鋭い読みだ。 「新しい資本主義実現会議」の事務局の官僚もなんとか格好をつけないといけないので、ご苦労なことだ。 確かに元財務大臣だけに、「「プライマリーバランス」や「財政再建」に共感する」可能性もある。 「「人の話を聞くのが得意だ」と自称する性格的特性も国民を不安にさせる」、同感である。 私は「維新の会」は嫌いだが、この「年金保険料の無料化」は確かにいい政策だ。 東洋経済オンライン 小幡 績 「「新しい資本主義」は「新しいバブル」にすぎない 「中間層」を増やすことは本当に可能なのか?」 「また「新しい」バブルが始まった」、とはどういうことだろう。 「最後のあがき、として、これまでの資本主義を否定するかのようにみせかけて、資本主義を延命させようとしたバブルが登場したのである。それがESG、SDGsバブルである」、確かにその通りだ。「電力消費総量の大幅削減は、経済の拡大を確実に抑制する。だから、それは避けるのである。 脱炭素で別のエネルギーになるのであれば、経済拡大は止まることはない。さらに、あわよくばもうけのチャンスになる。新エネルギーのためには大規模な投資が必要だから、これは、経済規模大幅拡大につながる。そこで、こぞって新エネルギーを持てはやし、現 「日本は、この脱炭素バブル、環境バブルに乗り遅れている。なぜなら、日本は、この問題で世界では圧倒的に進んでおり、現実をよく知ったうえで、現実的な環境対応を行ってきた実績がありすぎたからだ」、「このバブルが崩壊して、世界が現実に引き戻されたときに出番が来るだろう。その時まで、じっと備えておくのが正しい戦略だが、そう肝を据えられるかどうか。日本の政治には無理な気配があり、一番遅れてバブルに乗ろうとしたのが前菅義偉政権であり、この点では岸田政権も同じであろう」、「脱炭素」や「環境」もバブルとは、さすが鋭い指摘だ 「資本主義とはバブルであり、バブルも資本主義も、人々と物とそして社会を流動化して、動員するシステムである」、「資本主義が行き詰ったから、新しい資本主義を目指したのであり、それが同じバブルであり、同じ資本主義であれば、持続不可能であることは自明だからだ。 したがって、新しい資本主義は実現しない。そして、バブルも新しい資本主義も破綻する」、「その後にやってくるものは、近代資本主義の前の世界、中世だ。そして、それは「新しい」中世である。 「新しい」中世とは、持続的な世界である。 近代資本主義が、流動化、市場化、 「「新しい」中世」は仮説としては面白い。「「新しい資本主義」という言葉が政治家のキャッチコピーになるのも、その兆候のひとつ」、ここまで論理補強の材料とするとはさすがだ。 なお、明日から8日まで更新を休むので、9日にご期待を!
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資本主義(その6)(世界的経済学者の資本主義論:これならあり得る資本主義終焉シナリオ 資本主義を攻撃するなら ターゲットはここだ、貧困がなくならないのは 皆の財産を誰かが奪っているからでは? 究極の格差解決法、私たちが働いた稼ぎを横取りする「職場の独裁権力」を倒すには 会社を所有すべきなのは 本当は誰なのか) [経済]

資本主義については、9月5日に取上げたばかりだが、今日は、(その6)(世界的経済学者の資本主義論:これならあり得る資本主義終焉シナリオ 資本主義を攻撃するなら ターゲットはここだ、貧困がなくならないのは 皆の財産を誰かが奪っているからでは? 究極の格差解決法、私たちが働いた稼ぎを横取りする「職場の独裁権力」を倒すには 会社を所有すべきなのは 本当は誰なのか)である。筆者のヤニス・バルファキス氏は、経済学部教授として長年にわたり、英国、オーストラリア、ギリシャ、米国で教鞭。2015年、ギリシャ経済危機のさなかにチプラス政権の財務大臣に就任。緊縮財政策を迫るEUに対して大幅な債務減免を主張し、注目。2016年、DiEM25((Democracy in Europe Movement 2025:民主的ヨーロッパ運動2025)を共同で設立。2018年、米国の上院議員バーニー・サンダース氏らとともにプログレッシブ・インターナショナル(Progressive International)を立ち上げる。世界中の人々に向けて、民主主義の再生を語り続けている。

先ずは、9月6日付け現代ビジネスが掲載したヤニス・バルファキス氏による「ベストセラー経済学者が描く、これならあり得る資本主義終焉シナリオ 資本主義を攻撃するなら、ターゲットはここだ」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/86799
・『資本主義論にまったく新たな視野を提供する本をお届けする。経済思想家・経済学者 にしてギリシャ元財務大臣でもあったヤニス・バルファキスの新著『クソったれ資本主義が倒れたあとの、もう一つの世界』だ。 資本主義は、経済成長によって社会に富をもたらす最良の経済制度だというが、現代の許容しがたいほどの格差と貧困の元凶でもあり、そのダークサイドは拡大する一方だ。では、仮にこの忌々しい資本主義が消滅したら、その後の経済社会は、「新たな ユートピア」となるのか、「進化形の共産主義 」になるのか、あるいは誰も見たことのないカタチなのか。その答えを導き出すためにバルファキスが採用した著述スタイルは、なんと「経済SF小説」だった。 物語は、語り手「私(ヤンゴ)」 が、無二の友人だったアイリスの埋葬に立ち会う場面から始まる。時は2035年。アイリスががんで亡くなる直前、「私」 は日記を預かっていた。この中身を書籍にして世の人たちに知らしめてほしい、と。 日記を読んだ「私」は驚愕した。アイリスたちが、「私」の仲間の1人であるコスタのつくり出したマシン「HALPEVAN」によって、「もう一つの世界」につながり、そこで暮らす自分たちの分身と言葉を交わした2025年の記録の一部始終が綴られていたからだ。銀行も株式市場もなく、企業の利益を独占する資本家もいない、テクノ封建主義が行き過ぎた現代社会とはまったくちがう公平な制度の中で、人々は生きていた。 このパラレルワールドへの分岐点は2008年だった。そう、リーマンショックがあった年だ。2011年に「ウォール街を占拠せよ」と叫んだ、強欲な資本家と政治家に対する民衆の抗議活動はほどなく終わったが、「もう一つの世界」では別の発展をたどることになっていたのだ。一体、何が起きてそうなったのか? では、目の前の常識が根本から覆る物語の旅に出ることにしよう。語り手以外の登場人物は3人+3人。過激なリベラリスト&フェミニストのアイリスと「もう一つの世界」に生きる分身サイリス、元リーマン・ブラザーズのリバタリアンの金融エンジニアにして現代資本主義の申し子イヴァと分身イヴ、ギリシャ・クレタ島出身の天才エンジニアだが大企業に絶望し 世捨て人となったコスタと分身コスティだ。 3人の中で最初に「もう一つの世界」の分身に出会ったのは、パラレルワールドにつながるマシン「HALPEVAN」の開発者であるコスタだった。分身コスティから明かされた驚愕の出来事を、まずは資本主義を打倒するまでの経緯からお読みいただきたい。今回はその1回目だ』、ありきたりの資本主義論ではなく、興味深そうだ。
・『2008年から2011年、世界を変えた3年間  コスティから届いた報告を使えば、もう一つの世界の存在について、アイリスとイヴァを説得しやすかった。とはいえ、いちばんの問題はその世界が出現した経緯の説明だろう。それが難しい理由のひとつは、彼らの世界が現在、極めてうまくいっていることをコスティがしきりに話したがり、彼の言葉を借りれば「世界を変えた3年間」、すなわち2008年から2011年までの話をあまりしたがらなかったからだ。そのため、コスタにはふたりに話せることがあまりなかった。コスティが送ってきた情報の断片を使ってコスタにできることは、最初から説明することだった。あの誰でもよく知っている「ウォール街を占拠せよ運動」である』、なるほど。
・『「大量破壊金融商品」を狙え!  もう一つの世界でも、同じように「ウォール街を凍結せよ運動」が発生した。だが、世界中に広がった時には「資本主義を凍結せよ」、略してOCという名前で呼ばれた。当時、コスタはウォール街で起きた占拠運動と、世界各地で起きた同様の運動に大いに興奮した。スペインでは怒れる者たちの抗議デモが発生し、債務危機と緊縮財政に憤った数万人の若者が街の広場を占拠した。 ギリシャでは2011年春の3ヵ月間、やはり緊縮財政に異議を唱える市民がアテネ市内のシンタグマ広場を占拠した。2016年にはパリで「立ち上がる夜運動」が起こり、労働法の改正案に腹を立てた労働者がレピュブリーク広場で市民討論会を開いた。ところが、ああ、運動は起きるのも速かったが、勢いが衰えるのも速かった。特に2009年初めに、発足直後のオバマ政権がウォール街に屈したあとでは。2015年夏に、ギリシャの左派政権が「国境なき寡頭政」に屈したあとでは。OCと「ウォール街を占拠せよ運動」との大きな違いは、広場や通りや建物などの特定の場所を占拠しても無駄だと、OC反逆者が理解していたことだった。 「資本主義は場所には存在しない。時間と金融取引のなかに存在する」即席のリーダーのひとりであるエスメラルダは言った。 彼女が率いたグループは「クラウドショーターズ」と呼ばれた。コスティによれば、彼らこそ、金融資本主義の脆弱さと、攻撃対象を狙い撃ちしたデジタル反逆の威力、このふたつを初めて見せつけたグループだという。彼らの最初の成功は「大量破壊金融商品」に狙いを定めた時だった。2008年に世界金融危機を引き起こす一因となったCDO、つまり「債務担保証券」である。 CDOとは、複数の社債やローンを束ねて、これを担保資産に発行される証券を指す。リーマン・ブラザーズでCDOの製造に関与していたイヴァは、その仕組みを知り尽くしていた。こんなふうに想像すればわかりやすいだろう。CDOの組成者が、小さな債務を箱のなかにたくさん投入する。ジルが地元銀行から借りた住宅ローンのうちの数ポンド。トヨタが日本の年金基金に支払う積立金の一部。ギリシャの銀行がドイツの銀行から借りた融資のうちの数ユーロ。アメリカ政府がJPモルガンに支払う債務のうちの数ドルなど。どのCDOもさまざまなタイプの無数の担保資産から成り、それぞれ債務不履行リスクも利回りも違う』、「発足直後のオバマ政権がウォール街に屈した」とは、危機に陥ったリーマン・ブラザーズの救済に失敗、7000億ドルの公的資金投入で市場鎮静化を図ったことを指す。「国境なき寡頭政」とは、ドイツを中心とするEU体制のこと。「CDO」は確かに「大量破壊金融商品」となった。
・『欲に目が眩み、みずからカモになった銀行  CDOの最大のセールスポイントは、その証券化商品が「安全だ」という虚構にあった。そして、CDOは多様な人や組織の多様な債務で構成されるため、複数債務が同時に焦げつく恐れはない、という謳い文句で売りに出された。さらには、どのCDOも極めて複雑であり、どんな人にも─組成者自身にも─その価値が評価できず、販売価格については上限がないも同然だった。CDOを組成し、売却し、取引する者はただ市場の決定に委ね、市場のほうでもよくわかっていると断言できる者はいなかった。 CDOは、ジェイムズ・ボンド映画に登場する悪党の発明品だ。ペテンそのものだ。まったく不透明な紙切れでありながら、安全で大きな利益を生むように思えた。その安心感によって、CDOの組成者の予想をはるかに超える勢い─と、はるかに高値─で購入者が群がった。その高値に驚く銀行家の様子を見て、さらに注文が殺到し、価格が急騰した。 莫大なマネーを生み出したことから、CDOを組成した銀行家は、騙されやすいカモに不良債権を売りつけるという、本来の目的をすぐに忘れた。自分たちが売り出したCDOでほかの投資家が儲けると、指をくわえて見ていることができず、リーマン・ブラザーズのような銀行は欲に目が眩んで、みずからのCDOを買い戻し始めた。買い戻せば買い戻すほど、すでに高い価格はますます高騰し、手元のCDOの価値も跳ね上がり、ボーナスも跳ね上がった。その儲けに狂乱状態に陥った銀行は、巨額の資金を互いに貸し付け合い、より多くのCDOを買い漁った。 要するに、銀行はみずからが仕掛けた罠に頭から飛び込んでいったのだ。そしてCDO内の不良債権がすべて焦げ付き、2008年に市場が暴落すると、投資銀行はみずから掘った底なしの穴に落ちた。その様子を目の当たりにした政治家と、連邦準備制度理事会(FRB)やイングランド銀行、欧州中央銀行(ECB)などの世界のおもな中央銀行は、慌てて金融機関を救済しようとした。その時だった。エスメラルダ率いるクラウドショーターズが、ストライキを呼びかけたのは』、「銀行はみずからが仕掛けた罠に頭から飛び込んでいったのだ。そしてCDO内の不良債権がすべて焦げ付き、2008年に市場が暴落すると、投資銀行はみずから掘った底なしの穴に落ちた」、その通りだ。その後の「クラウドショーターズ」の話は筆者のフィクションである。
・『水道料金の支払いを2ヵ月遅らせるだけでいい  エスメラルダはイヴァと同じように大手金融機関で働いていたが、世界金融危機が起きる直前に退職していた。そのため、業界の裏の事情を熟知していた。クラウドショーターズは彼女の専門知識を活かして、中央銀行の目論見を外科的かつスタイリッシュに阻んだ。ほとんどの人が理解していないことを、彼らは理解していた。なにもかも民営化したことから、資本主義は「金融ゲリラ攻撃」に極めて脆弱になっていた。特にエスメラルダが理解していたのは、単純な債権からCDOをつくり出す、「証券化」と呼ばれる不遜で皮肉なプロセスが、武力によらない草の根革命にとって絶好の攻撃対象だったことだ。 電気やガスなどの公益事業会社が民営化された結果、各家庭や中小企業に送られた電話や水道、電気料金の請求書はすべて、民間企業に支払う債務となった。だがそれらの民間企業は当の債務を、とっくの昔にどこかの金融機関に転売していた。それでは、その金融機関は具体的になにを購入したのか。市井の人たちが生み出す将来の収入の流れを回収する権利である。そして、その権利を使って彼らはなにをしたのか。その収入源を小さく切り刻んでいろいろなCDOに紛れ込ませ、さらに別の─それこそ世界中の!─金融機関に売却したのだ。 エスメラルダとその仲間には、CDOの中身を特定する優れた技術的能力があった。苦心してソフトウエアを書き上げると、各CDOのどの債務がどの世帯の債務なのか、その請求書や債務の支払期限はいつなのか、誰に対する債務なのか、特定のCDOを誰がその時々で保有していたのかを正確に突き止めた。その膨大なデータベースをもとに、エスメラルダたちは各世帯に連絡を取った。彼らのほとんどが激しい怒りを爆発させた。大手投資銀行のやり口にも。投資銀行家が待ち望んでいる救済措置に対しても。そこでエスメラルダたちは、費用がかからず、攻撃対象を絞った短期の支払い遅延ストライキに突入するよう、怒れる世帯に呼びかけた。エスメラルダはその運動を、クラウドショーティング(大衆による短期支払い遅延運動)と呼んだ。 クラウドショーターズが市民に呼びかけた檄文は、シンプルだった。実際、エスメラルダがヨークシャー地方の住民に呼びかけた初期の檄文は、プラーク(銘板)となってロンドンの国会議事堂を飾っている。 私たちに力を貸してほしい。あなたがその日の食事をテーブルに載せるのにも苦労しているというのに、そのあなたの法外な水道料金の請求書で利益を得ている者どもを、引きずり下ろすために。水道料金の支払いを2ヵ月間、遅らせるだけでいい。遅延料金の心配はいらない。クラウドファンディングで集めて私たちが補てんする。団結すれば揺るがず、分裂すれば倒れる! 同様のプラークはワシントンDCの議会議事堂のエントランスも、アテネのシンタグマ広場に面した国会議事堂も飾っている』、「水道料金の支払いを2ヵ月遅らせる」、ようなことが起きれば、確かに金融市場は大混乱する。
・『ゴールドマン・サックスを終わらせる  その呼びかけは瞬く間に拡散した。英国中の、やがて世界中の人びとがクラウドショーターズの活動を熱心に見守り、その訴えに従った。綿密に連携を図った支払い遅延ストライキは次々にCDO市場の崩壊を招き、その影響はおもな証券取引所にも及んだ。3週間もしないうちに中央銀行は悟った。民営化した公益事業会社が破綻の危機に瀕して、救済措置を必要としているというのに、金融機関が抱える数兆ドルの債務を救うわけにはいかない。 ほんの数ヵ月のあいだに2度も3度も続けて、数兆ドルをウォール街に投入するよう連邦議会を説得するのは不可能であり、アメリカ政府は、ゴールドマン・サックスやJPモルガンといった、金融業界の巨獣の歴史を終わらせるより仕方なかった。すさまじい波紋が生じた。アメリカの銀行を凌ぐ業績悪化によって、欧州の銀行も営業を停止する。ロンドンの金融街がメルトダウンを起こす。各国政府は、ガスや水道などの破綻した民間企業の再国営化を余儀なくされる。FRB、ECB、イングランド銀行、日本銀行、さらには中国人民銀行までが金融業界の空白に介入して、市民に銀行口座を提供せざるを得なかった。 エスメラルダとクラウドショーターズは、グローバル金融の衰退に大きな役割を果たしたものの、彼らだけでOC革命の炎を燃え上がらせることはできなかった。すでに崩壊の道をたどっていたウォール街の息の根を止めることはできたが、資本主義の凍結はそう簡単ではなかった。そこで重要な役割を担ったのが、別のテクノ反逆者たちだった。(翻訳/江口泰子))』、何が「資本主義の凍結」をもたらしたのだろう。

次に、4番目の記事、9月10日付け現代ビジネス「貧困がなくならないのは、皆の財産を誰かが奪っているからでは? ベストセラー経済学者が構想する究極の格差解決法」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87011
・(冒頭の部分は初めの記事と同じなので紹介を省略)ヒエラルキーのない会社の仕組み、大株主が存在できない社会に続き、今回は国民全員が中央銀行に口座を持つ仕組みをお読みいただこう(資本主義が打倒されるまでの経緯の1回目はこちら、2回目はこちらを!)。
・『中央銀行が全市民に配当を払う  コスティの世界では、中央銀行は毎月、市民の年齢に応じて一定額を「配当」口座に振り込む。そのおもな原資は企業から国への支払いだ。実のところ、国はあらゆる企業が納める総収入の5パーセントで、全市民に対する社会給付を賄っている。「相続」が赤ん坊の誕生とともにまとめて振り込まれるいっぽう、「配当」は誕生から毎月振り込まれて、赤ん坊が子どもになり、やがて10代を経て成人するまで市民を貧困から守ってくれる。 「配当」のおかげで、市民は貧困に陥る不安が取り除かれるだけでなく、生活保護を受ける際の屈辱もなければ、容赦ない審査や手続きもない。事業活動に関心はないが社会に貴重な貢献をもたらす者に、「配当」は充分な収入を保証する。なかにはその価値を市場が正しく評価できないような、たとえば介護部門や環境保全、非商業的な芸術といった活動も含まれる。「怠惰な生活を送る権利のためにもだよ」コスティが、挑発するようにつけ加えた』、「配当」はベーシックインカムのようなものらしい。
・『「税金なし、生活保護なし」でも貧困から脱出できる  「配当」の特長のなかでもコスティが特に高く評価していたのは、貧困世帯を永続的に貧困に閉じ込めておくセーフティネットから、彼らを解放することだ。貧困者を搦め捕る「安全網」のかわりに、「配当」は堅固なプラットフォームとして機能する。 貧しい者や恵まれない者も2本の足で立って、よりよい生活が始められる。若者はいろいろな職種を試すことができ、シュメール時代の陶芸から天体物理学まで、「それじゃ食べていけない」といわれる知識を学ぶこともできる。コスタの世界では当たり前になったギグ・エコノミーのような搾取は、「配当」があるだけで不可能になる。実際、ギグ・エコノミーは、収容所群島ならぬ「ゼロ時間契約群島」を生み出してきた。 これまでさまざまなタイプのベーシックインカムが提案され、そのうちの多くが1970年代以降に登場したことは、コスタも知っていた。だが、コスタはどの案にもあまり賛成ではなかった。多くの左派と同じように彼もまた、怠惰に暮らす権利は基本的にブルジョア階級のものだと考えていた。とはいえ、コスタの最大の懸念は、勤勉なプロレタリア階級の税金を、一日中テレビの前に座って過ごす怠け者のために使えば、社会の分断を招くだけではないか、という点にあった。「労働者階級の連帯とは対極を成す」と、コスタは言った。 「だけど、君は忘れてるんじゃないか。ここでは誰も所得税も消費税も支払わない。『配当』とは、社会の資本を共同所有する全市民に対するリターンなんだよ」 確かにコスタはその点を見落としていた。実際、「配当」に対するコスタの評価が急上昇したのは、コスティの世界には税金がふたつしかないと彼が説明した時だった。つまり法人税と土地税だけだ。所得税はない。売上税も付加価値税もない。収入に対して誰も税金を支払わない。財かサービスかを問わず、なにを購入しようと誰も国に1ペニーも支払わない。 コスタにはすぐに理解しがたかった。だが、いったん合点がいくと「配当」は実に理にかなっていた。そこには、1970〜80年代に提案されたベーシックインカムとは明らかな違いがあったのだ。つまり「配当」の原資は税金ではなかった。コスティの世界の「配当」とは、市民が集団的に生産する資本ストックの共同所有者として、市民一人ひとりが受け取る「本来の配当」だったのだ。たとえ彼らのしていることが、一般的には仕事と認めがたいものであっても、やはり市民全員に受け取る権利があった』、「配当」が「市民が集団的に生産する資本ストックの共同所有者として、市民一人ひとりが受け取る「本来の配当」」であれば、確かに「ベーシックインカムとは明らかな違いがあった」。
・『稼ぐだけ稼いで配当を払わないのがビッグテック  オーストリアの哲学者ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは、驚くような名言を残している。「私的言語は成り立たない」。本来、言語は集団的にしか生み出されない。アイリスはよく、富もまた同じだと指摘した。資本主義者と不労所得収入者が喧伝した「富は個人が生み出し、徴税を通して国が集産化する」という通説とは完全に矛盾し、「富は言語と同じく集団的にしか生み出されない」とアイリスは主張したのだ。そして「その後初めて、私物化する権力を持つ者によって私物化される」。 その考えを敷衍するためにアイリスは、近代以前の資本のかたちを例に挙げた。農地や作物のタネといった資本は、数世代にわたる小作農の労働によって集団的に発達し、それを地主が占有した。今日、アップルやサムスン、グーグル、マイクロソフトのデバイスが基盤とするインフラや部品はもともと、政府の助成金を使って開発するか、共有のアイデアを利用することで可能になったものだ。共有のアイデアは、民話や民謡と同じように社会のなかで発達した。 社会的に生み出されたそれらの資本を、ビッグテックはなにもかも貪欲に占有し、しかもその過程で莫大なカネを稼ぎながら、社会にはなんの配当も支払ってこなかった。それどころか、私たちがグーグルで検索するたび、アプリを使ってフェイスブックのなかを見てまわるたび、インスタグラムに写真を投稿するたびに、そのデータによってビッグテックの資本ストックが増大する。配当をすべて搔き集めているのは、いったい誰なのだ? この問題の解決策として、コスタが長く考えていた方法がふたつあった。ひとつは、ビッグテックの課税率を引き上げる。もっと過激なふたつ目は、グーグルなどのビッグテックをいっそ国営化する。だがコスティの説明を聞いたいま、「配当」は徴税や国営化よりもはるかに優れた方法に思えた。資本ストックに対するリターンを共有する権利が、誰の手にも入るのだ。 企業の資本はそもそも市民の共同投資であり、企業活動はその上に成り立っている。リターンは共同投資の反映にすぎない。そして、それぞれの企業がそのようなかたちで社会に負う社会資本の量を、正確に弾き出すのは不可能であるため、企業の収入から社会に還元する割合を決める唯一の方法は、民主的な決定ということになる。すなわち法的ルールによって、企業収入の一部(コスティの会社の場合は5パーセント)が自動的に中央銀行に徴収される。それを原資として、一部が赤ん坊全員の「相続」と市民全員の「配当」として振り込まれる。コスティや彼の同僚が企業収入の一部を基本給のかたちで平等に分け合うように、社会もまた企業の資本配当の一部を、基本所得(ベーシックインカム)のかたちで平等に分け合うのだ。 なんてすばらしいアイデアなんだ! コスタは感心した。本能的な懐疑心は、この時点でほとんど払拭されていた。とはいえ、疑問は尽きなかった。株式市場を通じた投資がなく、起業にあたって資金調達ができないのなら、コスティが勤めるような会社はどうやって創業されたのか。そして、もしコスティが会社を辞めて、新たな就職先を探す時にはどうするのか? まったくの手ぶらで会社を去るはめになるのだろうか』、「農地や作物のタネといった資本は、数世代にわたる小作農の労働によって集団的に発達し、それを地主が占有した」、「今日、アップルやサムスン、グーグル、マイクロソフトのデバイスが基盤とするインフラや部品はもともと、政府の助成金を使って開発するか、共有のアイデアを利用することで可能になったものだ。共有のアイデアは、民話や民謡と同じように社会のなかで発達した。 社会的に生み出されたそれらの資本を、ビッグテックはなにもかも貪欲に占有し、しかもその過程で莫大なカネを稼ぎながら、社会にはなんの配当も支払ってこなかった」、言われてみれば、その通りだ。
・『株式市場がない世界  事業には人材と資源が必要だ。コスティの世界の新規採用システムには、確かに自発性や民主的な特徴はあるにせよ、コスタの世界のシステムとさほど大きな違いはない。ところが、資源の配分においては著しい違いがあった。 コスタが労働市場から自分を解放する前、彼が勤めた会社はどこも、企業に対する忠誠心を示す踏み絵として、事実上、自社株の購入を迫った。そして入社すると、実際に株式購入選択権を提示された。これは、あらかじめ定めた低価格で自社株を購入できる、合法的だが取り消しの利く権利だ。取締役や従業員を裕福にする強力なツールである反面、懲罰的な仕掛けでもある。おいしそうなニンジンを鼻先にぶらさげておいて、上司が絶妙なタイミングでその餌を引っ込めることもできる。 いっぽう、コスティの世界は対照的だった。コスティは採用が決まったその日に株式を1株、当然のように与えられた。もちろん無料で。なんの条件もなく。学生が図書館のカードを手渡されるか、新入社員がセキュリティ用の社員証を支給されるように。企業の株を余分に購入しようなどという考えは、コスティには思い浮かばなかった。実際、1人1株制度は非常に評判がよく、株を売ったり買ったりするという考えは、議決権か愛する赤ん坊を売買するのと同じくらい言語道断なものだった。 それに対して、コスタの世界では株式市場を通じて、個人の銀行口座のものであれ、大きな年金基金のものであれ、保有資産を投資に活用でき、その重要なメカニズムを使って企業が生まれ、大きく成長できた。だが株式市場がないコスティの世界では、どうやって保有資産を活用するのだろうか。企業はどうやって資金調達するのか。蓄えたおカネが投資にまわる仕組みは? 労働者が働いて生み出したおカネは、どのように新たな機械類に、新たな生産手段に生まれ変わるのだろうか。 「個人のパーキャプ口座から、企業に直接貸し付けるんだ」コスティが言った』、「パーキャプ口座」とは何なのだろう。
・『基本給と「配当」で生活し「積立」を企業に貸す  コスティは採用が決まると、彼のパーキャプ口座の資産を企業に貸し付けてはどうかと持ちかけられた。コスティに企業の所有権は購入できない。だが企業に、それも特に自分が働く企業に貸し付けることはでき、また積極的にそう勧められる。新しく働く会社に貸し付ける動機は、次のふたつからだ。 まずは相互の関係性を深めるため。もうひとつはより実際的な話であり、もし自社で働く者から貸し付けを受けないならば、企業は赤の他人の貸し付けに頼らなければならず、下手をすると、リスクと金利の高いプレミアム貸し付けを利用しなければならないからだ。もちろん新卒のパーキャプ口座の「積立」に、なにほどの残高があるわけではない。だが「相続」から貸し付けることもできた。この世に生まれるとともに社会が用意してくれた資金を、初めて活用する機会というわけだ。 よその企業に貸し付けることもでき、コスティもその方法を選んだ。コスティは長年、基本給と「配当」だけで生計を立て、「積立」に振り込まれたボーナスには手をつけず、その分を複数の企業に貸し付けてきた。コスティが選んだのは、製品やサービスを幅広い地域社会に提供している企業だった。支援の必要があるとコスティが感じた企業であり、コスティは利息を受け取った。会社を辞める時には、自分のパーキャプをそのまま「持ち運ぶ」ことができ、転職先の企業に貸し付けることも可能だった。そのような単純な貯蓄の自由市場を介して、企業は市民のパーキャプ口座を活用でき、市民のほうでも流動性の高い市場にアクセスして、パーキャプの残高をうまく運用できた。 それでは、会社を辞める時にはどうするのか。それについては極めてシンプルだ。仕事を終了して、パーキャプとともに会社を去る。解雇の場合はもちろんもっと痛みを伴う。新人を募集する際には、誰でもほかのメンバーを招いて即席の人事委員会を設置した。それと同じように解雇の場合にも、誰でも調査委員会を設置して、業績が悪いか不正行為の疑われる同僚を追放するかどうかを検討する。調査委員会はあらゆる関係者から話を聞いたあとで、完全に透明性の保たれた状況でその頭の痛い問題について審議し、全員の投票で決定を下す。 この世に誕生すると同時にパーキャプ口座が与えられるおかげで、いろいろなことが容易になる。企業に入る際にも離職の際にもパーキャプは持ち運べる。自分の意志で辞めた時でも解雇された時でも、企業には高額の退職金や補償金を支払う法的な義務はない。もちろんコスティの貢献を認めた場合か、解雇に伴う不快感を慰めるために、同僚が彼らの基本給かボーナスの一部を慰労金のようなかたちで、コスティに譲るよう可決することは可能だ。だがそうでないなら、コスティはただ自分のパーキャプとともに会社を去る。基本給と「配当」で生活し「積立」を企業に貸す コスティは採用が決まると、彼のパーキャプ口座の資産を企業に貸し付けてはどうかと持ちかけられた。コスティに企業の所有権は購入できない。だが企業に、それも特に自分が働く企業に貸し付けることはでき、また積極的にそう勧められる。新しく働く会社に貸し付ける動機は、次のふたつからだ。 まずは相互の関係性を深めるため。もうひとつはより実際的な話であり、もし自社で働く者から貸し付けを受けないならば、企業は赤の他人の貸し付けに頼らなければならず、下手をすると、リスクと金利の高いプレミアム貸し付けを利用しなければならないからだ。もちろん新卒のパーキャプ口座の「積立」に、なにほどの残高があるわけではない。だが「相続」から貸し付けることもできた。この世に生まれるとともに社会が用意してくれた資金を、初めて活用する機会というわけだ。 よその企業に貸し付けることもでき、コスティもその方法を選んだ。コスティは長年、基本給と「配当」だけで生計を立て、「積立」に振り込まれたボーナスには手をつけず、その分を複数の企業に貸し付けてきた。コスティが選んだのは、製品やサービスを幅広い地域社会に提供している企業だった。支援の必要があるとコスティが感じた企業であり、コスティは利息を受け取った。会社を辞める時には、自分のパーキャプをそのまま「持ち運ぶ」ことができ、転職先の企業に貸し付けることも可能だった。そのような単純な貯蓄の自由市場を介して、企業は市民のパーキャプ口座を活用でき、市民のほうでも流動性の高い市場にアクセスして、パーキャプの残高をうまく運用できた。 それでは、会社を辞める時にはどうするのか。それについては極めてシンプルだ。仕事を終了して、パーキャプとともに会社を去る。解雇の場合はもちろんもっと痛みを伴う。新人を募集する際には、誰でもほかのメンバーを招いて即席の人事委員会を設置した。それと同じように解雇の場合にも、誰でも調査委員会を設置して、業績が悪いか不正行為の疑われる同僚を追放するかどうかを検討する。調査委員会はあらゆる関係者から話を聞いたあとで、完全に透明性の保たれた状況でその頭の痛い問題について審議し、全員の投票で決定を下す。 この世に誕生すると同時にパーキャプ口座が与えられるおかげで、いろいろなことが容易になる。企業に入る際にも離職の際にもパーキャプは持ち運べる。自分の意志で辞めた時でも解雇された時でも、企業には高額の退職金や補償金を支払う法的な義務はない。もちろんコスティの貢献を認めた場合か、解雇に伴う不快感を慰めるために、同僚が彼らの基本給かボーナスの一部を慰労金のようなかたちで、コスティに譲るよう可決することは可能だ。だがそうでないなら、コスティはただ自分のパーキャプとともに会社を去る』、「パーキャプ口座」は必ずしも自分が勤務する「企業」のものでなくてもいいのであれば、その「企業」の「パーキャプ口座」自体を売買の対象にしてもよさそうなものだ。
・『パートナーと仲違いした時は入札で会社所有者を決める  コスティは限られた行数のなかで、会社法の重要なふたつの特徴について教えてくれた。ひとつは、小規模の法人かパートナーシップを解消する際の手続きについてだ。ふたりのパートナー(共同経営者)が仲違いして、お互い目も合わせなくなった時、過半数の投票を行なっても、どちらが会社を所有し、どちらが辞めるのかを決定できない。そこでその場合は、シュートアウト条項を用いる。 具体的に言えば、自分がその企業を引き続き所有する際の金額を書き入れた紙を封印して、双方が提出する。その際、入札額の高かったほうが企業を所有することになる。しかしながら、その者は落札額と同額を、みずからのパーキャプから企業に貸し付けなければならず、落札額に応じて国税も支払う。シュートアウト条項は、その会社の債務返済能力と社会貢献能力をより高く評価するパートナーのほうが、引き続き会社を所有するようにつくられている。 そして、コスティが詳しく教えてくれた会社法のふたつ目の特徴は、コスタの懸念に充分に応えるものだった。すなわち、企業は自社で働く者以外─消費者、地域社会、社会全体─の利益をどう考えているのか。(翻訳/江口泰子)』、「シュートアウト条項」はよく考えられているようだ。

第三に、9番目の記事、9月16日付け現代ビジネス「私たちが働いた稼ぎを横取りする「職場の独裁権力」を倒すには 会社を所有すべきなのは、本当は誰なのか」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87220
・(冒頭の部分は初めの記事と同じなので紹介を省略)分身コスティから明かされた、資本主義打倒後の世界。それは、ピラミッド構造ではないフラット組織の会社、大株主が存在できない経済、国民全員が中央銀行に口座を持つ仕組み、そして銀行がない社会だった。それらの報告をコスタから聞いたアイリスとイヴァの議論は、資本主義の正体を暴き出すものになった。その物語をお読みいただこう(資本主義が打倒されるまでの経緯の1回目はこちら、2回目はこちらを!)。
・『資本主義の破壊力から自然環境を守る方法とは?  資本主義が誘発する気候変動は、アイリスとコスタ以上にイヴァを動揺させた。ふたりと違ってイヴァには息子がいる。その息子に自分が滅びゆく地球を遺すように感じていたのだ。それを除けば、資本主義を葬っても、いいことはなにひとつない。資本主義が気候と自然に及ぼす破滅的な影響を無効にするためには、巨額の資金が不可欠だ。株式市場には、グリーン投資に資金を供給する仕組みが必要であり、二酸化炭素や私たちの暮らしを脅かす環境汚染物質に、適正な税金をかける必要がある。 「忘れちゃったの、イヴァ? 古いことわざにもあるでしょ、馬に鞭は打てないって」アイリスが指摘した』、なるほど。
・『女王も国家も巨大企業を支配できない  株式保有とうまく管理された株式市場は、歴史に勢いを吹き込んだ。東インド会社において、所有と事業活動とを切り離したことが、可変的で圧倒的な力を解放した。やがて歯止めがきかなくなり、大英帝国をも凌ぐ力を持ち、株主の利益だけに責任を負った。国内において、東インド会社の官僚制は女王陛下の政府を腐敗させ、大きな支配を及ぼした。海外においては、総勢20万人の私兵がアジア諸国や大西洋に浮かぶ島々の、それまでなんの問題もなく機能していた経済を破壊し、現地の人びとを確実に、システマチックに搾取した。 とはいえ、東インド会社が特殊だったわけではない。その後、東インド会社をテンプレートに多くの会社が生まれた。そのうちのひとつアングロ・ペルシアン石油(現BP)は、1953年に米英の秘密情報機関と協力して、イラン最後の民主政権の転覆を図った。あるいは、アメリカのコングロマリットであるITT(国際電話電信会社)は、1973年にチリで発生した軍事クーデターで重要な役割を果たした。もっと最近の例をあげれば、アマゾン、フェイスブック、グーグル、エクソンモービルなどがそうだ。これらの巨大企業相手に、どんな国民国家の支配も実質的に及ばない。 リベラルは馬脚をあらわした。権力の過度の集中を見て見ぬ振りをした時、リベラルの本性が露になったとアイリスは非難する。東インド会社の支配下にある社会の自由は、全体主義政権の支配下にある社会の自由と変わらない。つまり、そこに自由などない。だからこそ、りんごの売買と株式の売買とは似て非なるものだ。大量のりんごは最悪の場合でも、大量の腐ったサイダーを生産するだけだが、流動性の高い株式に投資する巨額の資金は、市場にも国家にもコントロールできない、悪魔のような力を解放しかねない』、「ITT・・・は、1973年にチリで発生した軍事クーデターで重要な役割を果たした」、左翼政権を残忍な方法で倒した裏に「ITT」がいたとは初めて知った。「権力の過度の集中を見て見ぬ振りをした時、リベラルの本性が露になったとアイリスは非難する。東インド会社の支配下にある社会の自由は、全体主義政権の支配下にある社会の自由と変わらない。つまり、そこに自由などない」、なるほど。
・『巨大企業に「ご近所」はない  「リベラリズムの致命的な偽善は」アイリスはさらに非難する。「近所の肉屋、パン屋、ビール醸造者の存在を喜んでおきながら、恥ずべき東インド会社やフェイスブック、アマゾンを擁護したこと。これらの巨大企業にご近所はない。パートナーもいない。道徳感情にも配慮せず、競合を破滅させるためには手段も選ばない。パートナーシップを匿名の株主に替えることで、私たちはリバイアサン(怪物)を生み出してしまった。それがついには、イヴァ、あなたのようなリベラルが大切だとおっしゃる、あらゆる価値を台なしにして否定したのよ」 話しているあいだに、自分の言葉につい感情が昂ったこともあり、アイリスはコスティが描き出す世界について、思わず熱っぽく語っていた。 「藁にもすがろうってわけね、アイリス」イヴァの顔には憐れみの表情がありありと浮かんでいた。「市場の美点は、最も適した組織のかたちが生き残る自然の生息環境だってこと。それ以外は架空の世界でしか生き残れない。1人1株の原則に基づく民主的な企業が、どんな意味でも優れているのなら、いま、ここに存在しているはず。ところが実際、それはコスタが空想する報告のなかにしかない」 それを合図にコスタが口を開いた。「ある環境で進化したシステムが証明するのは、そのシステムが、その環境でみずからを複製するのが得意だということだけだ。僕たちが暮らしたくなるようなシステムを生むわけでもない。さらに重要なことに、より長く生き残る能力を表しているわけでもない。環境は変わる。時に急激に、時にシステム自体が及ぼす悪影響によって。ほかのシステムを打ち負かすことは、それらのシステムと調和して生きる以上に、自己破壊を招くかもしれない。 ウイルスがいい例だ。エボラウイルスは感染力と複製力が極めて強く、宿主の致死率は、たとえば新型コロナウイルスと比べてもはるかに高い。新型コロナウイルスは「比較的無害」でありながら、2020年に資本主義を屈服させた。問題は、株式取引と資本主義がこれまでほかのシステムを打ち負かしてきたかどうかではない。そのふたつの影響として、宿主である社会が果たして生き残れるのかどうかなんだよ! そして、それについて言えば、君たちふたりがまだ考えていない、別の要素も考慮に入れるべきだ」 「へえ、そうなの?」とイヴァ。「まあ、そう言うんなら、ご親切に教えてくださらない? 私たちが見落としたという、その要素を」 「テクノロジーだよ、もちろん」それがコスタの答えだった』、なるほど。
・『株式市場とテクノロジーが出会って生み出したもの  「もし今日の株式市場の影響を正しく評価するのならば」コスタが続ける。「アイリスが指摘したように、17世紀に株式市場が誕生したことだけや、あるいはイヴァ、君が披露したように、株式市場が広く浸透したという事実だけで捉えることはできない。株式市場の進化を、環境との関係も踏まえて考えなければ。取引可能な株の導入のおかげで、企業は理論上、制限がなくなったのかもしれない。ところが、実際に制限がなくなったのは、ある技術が発明されたあとだ。1864年に英国の理論物理学者ジェイムズ・クラーク・マクスウェルが発見して、活用した電磁気学が可能にした技術だよ。 さて、僕は確信を持ってこう認めるが、もしマクスウェルがかの電磁方程式を考え出したのが、たとえば15世紀だったなら、ほんのひと握りの数学者仲間が大いに刺激を受けて終わりだっただろう。それ以上のことはなにも起こらない。ところが、トーマス・エジソンがマクスウェルの方程式を使って送電網を開発したからこそ、世界に電力を供給することになった。エジソンにそのような偉業が達成できたのも、株式市場を介して巨額の資金を調達できたからだ。君に言う必要もないだろうがね、イヴァ。ニューヨークのパールストリートにエジソンが開設した世界初の発電所は、株主が所有していた」 「まさにそれが私の言いたかったことよ」イヴァがにっこり微笑んだ。「マクスウェルの方程式がなければ、発電も電話も、レーダーもレーザーも、デジタルのものはなにひとつなかったに違いない。だけど株式市場がなかったら、GEやベル電話会社、アマゾンなどのネットワーク企業が必要とする巨額の資金は調達できず、科学者の描いた設計図は、ダ・ヴィンチのヘリコプターの設計図とともに、博物館に展示されて終わりだった。だからこそ、株式市場を禁じた先進社会を思い描くなんて、まったくどうかしてる」 「ちょっと待って、イヴァ」コスタが口を挟んだ。「株式市場が技術と遭遇して、どちらも変化を遂げた。お互いに変化して共進化を遂げた。そして、新たなものを生み出した。ガルブレイスの言うテクノストラクチャーだ。そしてそのプロセスのなかで、株式市場と技術はそのふたつの環境も変えたんだ」』、「「マクスウェルの方程式がなければ、発電も電話も、レーダーもレーザーも、デジタルのものはなにひとつなかったに違いない。だけど株式市場がなかったら、GEやベル電話会社、アマゾンなどのネットワーク企業が必要とする巨額の資金は調達できず、科学者の描いた設計図は、ダ・ヴィンチのヘリコプターの設計図とともに、博物館に展示されて終わりだった」、なかなか面白い見方だ。「株式市場が技術と遭遇して、どちらも変化を遂げた・・・ガルブレイスの言うテクノストラクチャーだ。そしてそのプロセスのなかで、株式市場と技術はそのふたつの環境も変えたんだ」、なるほど。
・『規律と美徳を破壊したものの正体  歴史を猛烈な勢いで前に進めた本当の原動力は株式市場ではない、とコスタは言った。エジソンが抱いたような壮大な野心に融資するためには、株式市場は流動性がまったく足りなかった。コスタが改めてイヴァに指摘したように、20世紀の変わり目にあれだけの発電所、送電網、工場や配電網の建設を賄うだけの資金は、銀行にも株式市場にも調達できなかった。あれだけ大きな規模のプロジェクトを軌道に乗せるためには、同じくらい大きな規模の信用ネットワークが必要だったのだ。 株式保有と技術は手を取り合って、株主が所有する巨大銀行の誕生を促した。巨大銀行は、新たな種類の巨大債務を生み出し、新たな巨大企業に積極的に融資した。そしてそれは、世のトーマス・エジソンやヘンリー・フォードたちに対する、巨額の当座貸越のかたちを取った。もちろん、彼らが借りた資金は実際には存在しない─まだ、この時点では。それどころか、彼らは巨大企業を築く資金を、その巨大企業が将来、生み出す利益から前借りしているようなものだった。 その信用供与枠が生んだ大量の資金は、製鋼法のベッセマー転炉やパイプライン、機械、送信機を製造し、ケーブルを設置しただけではない。企業の吸収合併にも使われて、もとの巨大ネットワーク企業を凌ぐカルテルが誕生した。民間とはいえ、旧ソ連のような「計画化体制」が登場して世界中に広がり、大企業家や金融業界の大物が手を組み、みずからのためにみずからが思い描く未来をつくり上げた。それがガルブレイスの言う、大企業のなかの専門家集団「テクノストラクチャー」である。コスティの世界でテクノ・サンディカリストたちが引きずり下ろそうとしたのも、そのテクノストラクチャーだった。 コスタが説明する。「テクノストラクチャーは、20世紀のあいだに何度も制御不能な状態に肥大し、市場の規律や公共の美徳といった考えを圧倒した。ウイルスと同じように、テクノストラクチャーも繰り返し宿主を病気にした。彼らが民間債務を貪欲に求めたことから、1929年に株価が暴落し、1930年代には大恐慌が発生して、第2次世界大戦の悲劇を招いた。その影響を受けて、戦後の各国政府は巨大銀行を去勢し、テクノストラクチャーを鎖につないだ。ところが1970年代初めになると、彼らは軛を逃れて、国の制約を振り払った。やがて彼らを支援し、扇動したのが、サッチャー首相とレーガン大統領が起こした政治的反乱だったんだよ』、「ウイルスと同じように、テクノストラクチャーも繰り返し宿主を病気にした。彼らが民間債務を貪欲に求めたことから、1929年に株価が暴落し、1930年代には大恐慌が発生して、第2次世界大戦の悲劇を招いた。その影響を受けて、戦後の各国政府は巨大銀行を去勢し、テクノストラクチャーを鎖につないだ。ところが1970年代初めになると、彼らは軛を逃れて、国の制約を振り払った。やがて彼らを支援し、扇動したのが、サッチャー首相とレーガン大統領が起こした政治的反乱だったんだよ」、「サッチャー」「レーガン」革命についてのユニークな解釈だ。
・『地球という惑星の正気を取り戻すには  こうして、テクノストラクチャーは再び支配力を掌中に収めたんだ。そして、将来価値を略奪する彼らの試みは新たな高みに達し、2008年にまたもや世界金融恐慌を招いた。今回は一掃すべき世界戦争の瓦礫はなく、中央銀行が大量のお札を刷り、そのぴかぴかの公的資金を注入されてテクノストラクチャーは素早く復活した。だけどその頃にはウイルスはその宿主をひどく病気にして、みずからの環境を略奪してしまい、完全な回復は望めなかった。肥大して、炎症を起こしたテクノストラクチャーは、新たな流動性を真の生産力に、質のいい仕事に、カーボンニュートラルな経済に転換できなかった。 その状況の恐ろしい危険を身に沁みて理解するためには、環境の略奪によって発生した2020年の本物のウイルスが必要だった。それでもなお、その時もまた、各国政府はテクノストラクチャーに巨額の資金をつぎ込むことが妥当だと考えた。彼らがまるで救命ボートででもあるかのように、病気の原因にしがみついたんだ。 2023年になる頃には、テクノストラクチャーと寡頭政の支配者たちは、この地球を─制御不能に陥った環境危機と社会危機に捕らわれたこの惑星を─ますます牛耳っていた。だからこそ僕が危惧するのは、地球という惑星の正気を取り戻すためには、株の取引を禁止するだけでは不充分ではないか、ということなんだ」(翻訳/江口泰子)→次回に続く』、「各国政府はテクノストラクチャーに巨額の資金をつぎ込むことが妥当だと考えた。彼らがまるで救命ボートででもあるかのように、病気の原因にしがみついたんだ。 2023年になる頃には、テクノストラクチャーと寡頭政の支配者たちは、この地球を─制御不能に陥った環境危機と社会危機に捕らわれたこの惑星を─ますます牛耳っていた」、「テクノストラクチャーと寡頭政の支配者たち」はまだ強力なようだ。崩すきっかけは何なのだろう。これ以降で、参考になる記事が出たら紹介したい。
タグ:資本主義 (その6)(世界的経済学者の資本主義論:これならあり得る資本主義終焉シナリオ 資本主義を攻撃するなら ターゲットはここだ、貧困がなくならないのは 皆の財産を誰かが奪っているからでは? 究極の格差解決法、私たちが働いた稼ぎを横取りする「職場の独裁権力」を倒すには 会社を所有すべきなのは 本当は誰なのか) ヤニス・バルファキス 英国、オーストラリア、ギリシャ、米国で教鞭。2015年、ギリシャ経済危機のさなかにチプラス政権の財務大臣に就任。緊縮財政策を迫るEUに対して大幅な債務減免を主張し、注目 2016年、DiEM25((Democracy in Europe Movement 2025:民主的ヨーロッパ運動2025)を共同で設立。2018年、米国の上院議員バーニー・サンダース氏らとともにプログレッシブ・インターナショナル(Progressive International)を立ち上げる。世界中の人々に向けて、民主主義の再生を語り続けている 現代ビジネス 「ベストセラー経済学者が描く、これならあり得る資本主義終焉シナリオ 資本主義を攻撃するなら、ターゲットはここだ」 ありきたりの資本主義論ではなく、興味深そうだ。 「発足直後のオバマ政権がウォール街に屈した」とは、危機に陥ったリーマン・ブラザーズの救済に失敗、7000億ドルの公的資金投入で市場鎮静化を図ったことを指す。 「国境なき寡頭政」とは、ドイツを中心とするEU体制のこと。「CDO」は確かに「大量破壊金融商品」となった。 「銀行はみずからが仕掛けた罠に頭から飛び込んでいったのだ。そしてCDO内の不良債権がすべて焦げ付き、2008年に市場が暴落すると、投資銀行はみずから掘った底なしの穴に落ちた」、その通りだ。その後の「クラウドショーターズ」の話は筆者のフィクションである。 「水道料金の支払いを2ヵ月遅らせる」、ようなことが起きれば、確かに金融市場は大混乱する。 何が「資本主義の凍結」をもたらしたのだろう。 「貧困がなくならないのは、皆の財産を誰かが奪っているからでは? ベストセラー経済学者が構想する究極の格差解決法」 「配当」はベーシックインカムのようなものらしい。 「配当」が「市民が集団的に生産する資本ストックの共同所有者として、市民一人ひとりが受け取る「本来の配当」」であれば、確かに「ベーシックインカムとは明らかな違いがあった」。 「農地や作物のタネといった資本は、数世代にわたる小作農の労働によって集団的に発達し、それを地主が占有した」、「今日、アップルやサムスン、グーグル、マイクロソフトのデバイスが基盤とするインフラや部品はもともと、政府の助成金を使って開発するか、共有のアイデアを利用することで可能になったものだ。共有のアイデアは、民話や民謡と同じように社会のなかで発達した。 社会的に生み出されたそれらの資本を、ビッグテックはなにもかも貪欲に占有し、しかもその過程で莫大なカネを稼ぎながら、社会にはなんの配当も支払ってこなかった」、 「パーキャプ口座」とは何なのだろう。 「パーキャプ口座」は必ずしも自分が勤務する「企業」のものでなくてもいいのであれば、その「企業」の「パーキャプ口座」自体を売買の対象にしてもよさそうなものだ。 「シュートアウト条項」はよく考えられているようだ。 「私たちが働いた稼ぎを横取りする「職場の独裁権力」を倒すには 会社を所有すべきなのは、本当は誰なのか」 「ITT・・・は、1973年にチリで発生した軍事クーデターで重要な役割を果たした」、左翼政権を残忍な方法で倒した裏に「ITT」がいたとは初めて知った。「権力の過度の集中を見て見ぬ振りをした時、リベラルの本性が露になったとアイリスは非難する。東インド会社の支配下にある社会の自由は、全体主義政権の支配下にある社会の自由と変わらない。つまり、そこに自由などない」、なるほど。 「「マクスウェルの方程式がなければ、発電も電話も、レーダーもレーザーも、デジタルのものはなにひとつなかったに違いない。だけど株式市場がなかったら、GEやベル電話会社、アマゾンなどのネットワーク企業が必要とする巨額の資金は調達できず、科学者の描いた設計図は、ダ・ヴィンチのヘリコプターの設計図とともに、博物館に展示されて終わりだった」、なかなか面白い見方だ。「株式市場が技術と遭遇して、どちらも変化を遂げた・・・ガルブレイスの言うテクノストラクチャーだ。そしてそのプロセスのなかで、株式市場と技術はそのふたつの環 「各国政府はテクノストラクチャーに巨額の資金をつぎ込むことが妥当だと考えた。彼らがまるで救命ボートででもあるかのように、病気の原因にしがみついたんだ。 2023年になる頃には、テクノストラクチャーと寡頭政の支配者たちは、この地球を─制御不能に陥った環境危機と社会危機に捕らわれたこの惑星を─ますます牛耳っていた」、「テクノストラクチャーと寡頭政の支配者たち」はまだ強力なようだ。崩すきっかけは何なのだろう。これ以降で、参考になる記事が出たら紹介したい。
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資本主義(その5)(「炎と猫と資本主義」に見る「2021年欲望の行方」 異色TV番組の背景「資本のない資本主義」の時代、「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」私有財産に定率の税(富のCOST)を課すと効率的な市場が生まれる、斎藤幸平さんが勧める思想・教養書5冊2題:#1「みんな頑張って働いているのに幸せそうに見えない」、#2コロナ対策で政府が供給した巨額のお金はどこへ消えたか? 銀行も証券会社も退職した“森ビル”元幹部が語る資本主義の“限界”) [経済]

資本主義については、昨年10月14日に取上げた。今日は、(その5)(「炎と猫と資本主義」に見る「2021年欲望の行方」 異色TV番組の背景「資本のない資本主義」の時代、「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」私有財産に定率の税(富のCOST)を課すと効率的な市場が生まれる、斎藤幸平さんが勧める思想・教養書5冊2題:#1「みんな頑張って働いているのに幸せそうに見えない」、#2コロナ対策で政府が供給した巨額のお金はどこへ消えたか? 銀行も証券会社も退職した“森ビル”元幹部が語る資本主義の“限界”)である。

先ずは、本年1月1日付け東洋経済オンラインが掲載したNHKエンタープライズ制作本部番組開発エグゼクティブ・プロデューサーの丸山 俊一氏による「「炎と猫と資本主義」に見る「2021年欲望の行方」 異色TV番組の背景「資本のない資本主義」の時代」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/398342
・『資本主義が抱える本質的な問題を世界の知性とともに多角的に考察する番組「欲望の資本主義」。新春恒例となった異色の教養エンタメ番組で、『欲望の資本主義4スティグリッツ×ファーガソン不確実性への挑戦』など、書籍化もされている。今回特に注目されるのが「無形資産」と格差拡大だ。コロナ禍でデジタルテクノロジー主導の経済がますます存在感を増している中、日本と世界はどこへ向かうのかを追った元日放送の「BS1スペシャル欲望の資本主義2021~格差拡大社会の深部に亀裂が走る時~」の見どころをお届けする。 一方、そうしたバーチャルな経済が増殖する中で注目されている番組が、「ネコメンタリー」と「魂のタキ火」だ。一見、つながりのないように見える3番組に通底する問題意識について、番組を企画したNHKエンタープライズ番組開発エグゼクティブプロデューサーの丸山俊一氏に伺った』、残念ながら両方とも見逃したので、この記事はとりわけ興味深い。
・『火が、炎が、人々の心を開放する  「魂のタキ火」なる番組を始めた。 冒頭からカメラはひたすら燃える火を捉え、炎のアップの映像が延々と続く。ナレーションはない。パチパチと薪がはぜる音、風の音、遠く過ぎゆく電車の音もうっすらと鼓膜に響く。そして画面には、炎が相変わらず揺れ続ける……。 いったいこれは「番組」なのか、たまたまテレビを点けて、この映像に遭遇した方はその唐突な出会いに一瞬戸惑われることだろう。しかし同時に、少しずつ時の流れの感じ方が変わり、感覚の変容を覚えるという方も少なくない。 そのうちに炎の向こうから 聞こえてくる、とりとめのない言葉、素朴な声、洒脱な会話……。ようやく、さまざまなジャンルの3人のゲストたちがタキ火を囲み、言葉を交わすさまが描き出される。台本はもちろんない。炎を囲むことで、たまたま居合わせたかのような3人に、日常から少し自由になって、心の底に眠る思いを吐露してもらおうというわけだ。 そして、もう1つ特筆すべき点があるとすれば、「主役は炎とあなたです」というコピーを番組HPにも沿わせているように、ゲストの皆さんの話から刺激を受けた視聴者の方々も、自由に想像力の世界に遊んでほしいという思いがそこにはある。 話の行間から想起された思いを、それぞれが炎に投影させる。もちろん番組というものはどなたにもどのようにでも自由に見ていただくもの、すべての企画が「主役はあなた」なのだが、そのことをあらためてど真ん中に考えた企画だともいえるのかもしれない。 こんな番組を毎週火曜の夜にお送りしているわけだが、別に奇をてらって考えたわけではない。企画したのは1年以上前のこと、さらに言えば30年以上前と言ったら呆れられるだろうか。 駆け出しのディレクターだった頃、ひたすら滝や炎をカメラが捉える番組は……などと口にして、プロデューサーたちに「テーマは何か?それで何を狙うのか?」と問い詰められ、言葉に窮した記憶がある。 ゆらめく炎、流れ落ちる滝、寄せては返す波、木々を揺らす風……、 そうした揺らぎを捉えた映像は今でこそ、このYouTube時代、「癒やし」の名の下に広がりを見せ珍しくなくなり、「コンテンツ」として立派に成立する時代となった。 皮肉なことにこのコロナによる不透明な状況の中、「安らぎ、静かな落ち着けるひととき」とご好評をいただいている。 なぜ今、火、炎なのか?つかまえられない揺らぎを宿し、すべてを燃やし尽くす炎は、原初の存在、文明の始まりでもある。そして「町の火を消してはならない」などと表現されるように、小さくともその存在をなくすべきではないものにたとえられることがある。 怖くて偉大で大切さの象徴たる火は、私たちの本能を刺激する。そしてそれは、実は現代社会の大いなる欠落の象徴でもあるのではないだろうか?』、「すべての企画が「主役はあなた」なのだが、そのことをあらためてど真ん中に考えた企画だともいえるのかもしれない」、その通りなのだろう。
・『デジタルテクノロジーが招く無形資産の時代  現代の社会をあらためてフラットに眺めたとき、デジタルテクノロジーの進化、デジタル技術がもたらした変貌ぶりは見落とすわけにはいかないだろう。この四半世紀の間、IT、ビッグデータ、AI、そして今DXと語られる資本主義の「最前線」は、その多くをデジタル技術に負い、人々のコミュニケーション様式も、ビジネスの作法も、生活スタイルも大きく変わった。 人々の心、精神、思考などのかけがえのない人間らしさとされてきたものも、いつの間にか易々と数量化、データ化され、アルゴリズムで表現できるというストーリーがまことしやかに語られるようになった。 本当に人間のすべてがデジタルに解析できるか否か、その問題を今ここで俎上に乗せようとは思わないが、ここで重要なのは、それが錯覚であれ、あたかもすべてが解析されてしまうかのごとき感覚を持つ人間の性である。そしてそれは、自らの精神による主体性への懐疑を生み、ある種の無力感を生んでいるようにも思える。 ちなみに私はそれを「デジタル・アパシー」と勝手に呼んでいるのだが、悲喜劇的な事態ではある。私たちの生活を豊かにするための手段だったはずの技術がいつの間にか目的化、人間がシステムに合わせている倒錯的な状況は、日常さまざまなところで多くの人々が経験しているのではないだろうか? 自分で設定したパスワードが思い出せずに冷や汗をかくぐらいはご愛嬌だが、「人が選択するよりデータに基づく選択のほうが正しい」「AIに人生の目的を設定してもらうほうが楽だ」といった声まで聞くようになると、少し恐ろしくなる。実際、現在のデジタルテクノロジーによる資本主義は私たちに不思議な「夢」を見させるのだ。それは、希望なのか?悪夢なのか?そこでも私たちは立ち止まり、安易な二元論の選択に乗らないことだ。 2016年春に始まり、翌年以降新春恒例の番組となった「欲望の資本主義」の中にあっても、このデジタルテクノロジー主導の経済の変化については、毎年重要な問題の1つとしてきた。新たに2021年元日にお送りする新作も、この混迷する状況の中にあって技術の問題は避けて通れそうにない。 もちろん今回はパンデミックという思わぬ事態の影響から語り始めることになるが、コロナが浮き彫りにしたのは従来からの本質的な問題であり、構図は変わらず、状況をさらに加速させただけともいえる。デジタル資本主義による格差の拡大、ゲーム、オンラインなどの伸び……、失業、倒産などの憂き目に遭う人々を尻目に、ネット空間の中の「バーチャル」経済は躍進する。 そこで注目を浴びているのが「無形資産」なる概念だ』、「私たちの生活を豊かにするための手段だったはずの技術がいつの間にか目的化、人間がシステムに合わせている倒錯的な状況は、日常さまざまなところで多くの人々が経験しているのではないだろうか?』、確かにその通りだ。
・『「無形資産」が生み出す渦巻きその力が及ぶのは…?  「見えない資産」とも言われ、英インペリアル・カレッジ・ビジネススクールのジョナサン・ハスケル教授らによって示された「無形資産」なる概念が、現代の資本主義にあっては企業価値を左右するものになっている。 無形資産とは、モノとして実態の存在しない資産だ。例えば特許や商標権や著作権などの知的資産、人々の持つ技術や能力などの人的資産、企業文化や経営管理プロセスなどがこれにあたる。 これは実体を伴わない資産であることから、会計制度上では原則として資産として計上することはできなくなっているが、そこを見直していく気運も高まっているようだ。現金、証券、商品、不動産など実態の存在する資産である「有形資産」とは異なり、計測の仕方が難しいであろうことは想像にかたくない。 しかし、この文字どおり形を持たない資産、ソフト、ブランド、アイデアなどが、今、経済を動かす主力となっている。GAFAの強大化に象徴されるように、その求心力になっているのは、情報であり、インテリジェンスであり、未来への可能性なのだ。) 今、人々はモノではなく夢に投資する。そしてそれは、「見えない資本」による資本主義、一見「資本のない」資本主義が世界に、ネット空間を介して広がっていることを物語る。確かに古くはすでに1970年代から『脱工業社会の到来』(ダニエル・ベル)、『第三の波』(アルビン・トフラー)など、モノの生産を主軸とする工業化の後にやってくる経済の潮流について語られ日本のビジネス論壇でも話題となっていたが、その引き起こす変化、与える影響の大きさが、今切実なものとなってきているということだろう。 商品は、情報、知識、感性……、さらに進めば、共感、感情、精神、イメージ……。デジタルテクノロジーの複製技術は、そうした「幻影」も「複製」「増幅」「拡散」させていくことにも長けている。コロナの中、人々が直接の接触を避け、いよいよネットの海の中に埋没する時代に、「無形資産」は大きな渦巻きの中心にあるかのようだ。そこから生み出される波は、現代社会の岸壁にも打ち寄せ、徐々に浸食、いつの間にか社会の構図を変えていくように見える。変化は静かに確実に押し寄せる』、「いよいよネットの海の中に埋没する時代に、「無形資産」は大きな渦巻きの中心にあるかのようだ」、上手いこと言うものだ。
・『現代はトキ消費、イミ消費の時代  モノからコト、コトからトキ、あるいはイミへ……。現代はトキ消費、イミ消費の時代ともいわれるようになってからもすでに久しい。ユーザーのゲーム内での滞留「時間」を重視しある種の「囲い込み」を狙う戦略や、人々が商品に見いだすそれぞれの物語における「意味」の発見にこそ付加価値があるとする発想がそうしたトレンドを支えている。そこで商品となっているのは、「アイデア」であり、「創造性」であり、「人生の時間」なのだ。 それはある意味、従来の生産手段に囚われることなく、無限の「生産」「消費」を可能にする資本主義ともいえる。しかし同時に、フランスの知性ダニエル・コーエンがかつて番組内でも用いた表現を引けば、すべてのプレーヤーに「創造的であれ、さもなければ、死だ!」(「欲望の資本主義2018」)と宣言するような過酷な社会でもあるのだ。 そこには功罪、光と影がある。資本主義の常として、成長が、生産性の向上が至上命題となるとき、このデジタルテクノロジー主導の「資本のない」資本主義にあっての「成長」とは?「生産性」とは? 工業化の時代と同じように「成長」も「生産性」も定義できないとするならば、私たちはどこかで間違ったのか?それは資本主義がはらむ根源的な不安定性なのか?それとも……?まるでメビウスの輪のように反転しながら原点へと回帰しつつ、問いは続く。 コロナが加速化させるのは、単に格差問題というにとどまらず、こうした社会の歪な構造変化なのではないだろうか?「富を生む構造」を経済理論のみならず、社会哲学的にも解明する必要があるゆえんである。そしてそれは、「経済」現象を抽象化することに対して極めて注意深くあらねばならない探究であると、あらためて思う。 そして、この「無形資産」にこそ、ある意味究極的な「欲望の資本主義」の課題がある。毎回冒頭に「やめられない、止まらない、欲望が欲望を生む……」というナレーションをリフレインしてきたが、それは強欲批判というより、際限なく自己増殖する人の欲望、資本の運動性に着目しての表現だった。 「未来の可能性」という幻想を貨幣に抱くのと同様、「無形資産」=形なきものへの欲望も始末に負えなさそうだ。「夢」なしでも「夢」だけでも生きられない人間の性。世界を覆う自然の脅威の中、「欲望が欲望を生む」資本主義は、社会は、どこへ向かうのか?) 今回の「欲望の資本主義2021」では、こうした状況を、先にあげたジョナサン・ハスケル他、ノーベル賞受賞の重鎮でいつもユニークな視点を世に問うているイェール大学のロバート・シラー教授、フランスの異才エマニュエル・トッド氏、さらに経済発展や民主制の研究で世界的に知られ最近は新たな経済学のスタンダードとなる教科書を執筆した気鋭のマサチューセッツ工科大学のダロン・アセモグル教授、マイク・サヴィジ氏、グレン・ワイル氏ほかさまざまな世界の知性へのインタビューに、多面的な考察を織り成し考えていく。 無形資産が生み出す異形の資本主義。その運動性を渦巻きにたとえて表現してみたわけだが、渦であるなら中心もあるはずだ。台風ならば、中心は無風にして穏やかな青空が広がっているだろう。 その新たな資本主義の「台風の目」に、冒頭で触れた、静かに揺れて燃える炎をイメージすると言ったら、驚かれるだろうか?現代に至るまで高度な文明を発展させてきた人類は、今その原点に帰りたいと、どこかで無意識に思っていると見えなくもないのだから』、「現代に至るまで高度な文明を発展させてきた人類は、今その原点に帰りたいと、どこかで無意識に思っていると見えなくもないのだから」、なるほど。
・『炎と猫と資本主義欲望の行方は?  意識か無意識か、原点への回帰を志向する現代人。その視点で、もう1つ重なる問題意識で発案した企画がある。 「ネコメンタリー猫も、杓子も。」まさに「猫も杓子も」猫ブームの中、「もの書く人」と愛猫の日常をそっとカメラで記録、その関係性を描き出そうという一風変わった、柔らかなタッチのドキュメンタリーを「ネコメンタリー」と名付けた。漱石以来、多くの作家たちが猫に投影させてきたさまざまな心情が、現代の「もの書く人」と愛猫の姿を通して描かれる。 幼さと老成が同居し、あくまでもマイペースでアマノジャクな存在である猫は、ものごとをさまざまな角度から切りとろうと企む作家、表現者たちと、もともと相性がいい。 とはいえ、この何年にもわたる猫ブームの中、その関係性から現代の何が見えてくるのか?現代人が猫という存在に何を託しているのか?あらためて映像を通して考察しようというわけだ。そこにも、野生への憧憬であり、文明化の中である種の欠落を埋めようとする私たち自身の姿が見え隠れするように思われるのだ。漱石以来の、私たちの猫への想いの投影は続く。 企画のテーマは、いつも時代との対話だと思っている。日々、日常の些末な一場面から大衆的な人気を獲得する社会風俗まで、聖俗、硬軟、すべてつながっている。そうしたあらゆるものを同時代の現象として捉え、みなさんとともに考えるきっかけとすることができるのが、映像という媒体の可能性だといつも思う。 炎を眺め、猫と戯れながら、資本主義の本質へ……。 2021年が始まる』、「幼さと老成が同居し、あくまでもマイペースでアマノジャクな存在である猫は、ものごとをさまざまな角度から切りとろうと企む作家、表現者たちと、もともと相性がいい」、このシリーズも見逃したのは本当に残念だ。

次に、5月6日付けダイヤモンド・オンライン「「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」私有財産に定率の税(富のCOST)を課すと効率的な市場が生まれる【橘玲の日々刻々】」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/270251
・『「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」などというと、なにを血迷ったことをと思われるだろうが、エリック・A・ポズナーとE・グレン・ワイルは『ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀』(東洋経済新報社)でそう主張している。それもポズナーは著名な法学者、ワイルは未来を嘱望される経済学者だ。原題は“RADICAL MARKET: Uprooting Capitalism and Democcy for a Just Society(公正な社会のために、資本主義と民主政を根底から覆す)”  この大胆(ラディカル)な理論を紹介する前に、著者たちのバックグラウンドについて触れておこう。 エリック・ポズナーは55歳で、シカゴ大学ロースクールの特別功労教授。法や慣習(社会規範)をゲーム理論を用いて分析する「法と経済学」を専門にしている。名前に見覚えがあると思ったら、保守系リバタリアンの法学者で、共和党を支持しながら、ドラッグ合法化や同性婚、中絶の権利を認めるリチャード・ポズナー(連邦巡回区控訴裁判所判事)の息子だった。 リチャード・ポズナーには、『ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学』(東洋経済新報社)など、経済学者ゲイリー・ベッカーとの多数の共著がある(もともとは2人でブログを書いていた)。ノーベル経済学賞を受賞したベッカーは「20世紀後半でもっとも重要な社会科学者」とされ、ミルトン・フリードマンらとともにシカゴ経済学派(新自由主義経済学)を牽引し、レーガン政権の政策に大きな影響を与えた。 もう一人の著者であるグレン・ワイルは1985年生まれの若干36歳で、プリンストン大学で博士号を取得、ハーバード大学、シカゴ大学での教職を経て、現在はマイクロソフト・リサーチ社の首席研究員だ(マイクロソフトCEOのサティア・ナデラが本書の推薦文を書いている)。イェール大学で「デジタルエコノミーをデザインする」というコースを教えてもいる。 Wikipediaのワイルの人物紹介では、「両親は民主党支持のリベラルだったが、アイン・ランドとミルトン・フリードマンの著作に触れてから市場原理主義(free market principles)に傾倒していく」とされている。 本書の謝辞には、「グレン(・ワイル)にとっては、この非常に大胆なアイデアを追求すれば、研究者としてのキャリアを犠牲にするリスクがあり、出版するのも困難だったのだが、そんな状況の中でゲイリー・ベッカー(略)が強く背中を押してくれた」とある。ベッカーは2014年に世を去っているから、シカゴ大学で最晩年のリバタリアン経済学者の知己を得たのだろう。リチャード・ポズナーの息子エリックとも、ベッカーの縁で知り合ったのかもしれない。 このようなことをわざわざ書いたのは、グレン・ワイルが考案した「ラディカル・マーケット」のデザイン(設計)が、一見、リバタリアニズムの対極にあるからだ。なんといっても、ワイルは私有財産を否定しており、それによって「共同体(コミュニティ)」を再生しようとしている。孫のような若者のそんなラディカルなアイデアを、新自由主義経済学の大御所ベッカーが後押ししたというのはなんとも興味深い』、「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」、「グレン・ワイルが考案した「ラディカル・マーケット」のデザイン(設計)が、一見、リバタリアニズムの対極にあるからだ。なんといっても、ワイルは私有財産を否定しており、それによって「共同体(コミュニティ)」を再生しようとしている」、とは面白い。 
・『「真の市場ルール」を阻む「私有財産」という障害  ポズナーとワイルは、現代の先進国が抱える問題は「スタグネクオリティ(stagnequality)」だという。スタグネーションstagnationは「景気停滞」のことで、これにインフレ(inflation)を組み合わせると、経済活動の停滞と物価の持続的上昇が併存する「スタグフレーション(stagflation)」になる。 それに対して景気停滞に「不平等inequality」を組み合わせた造語がstagnequalityで、「経済成長の減速と格差の拡大が同時に進行すること」だ。その結果、アメリカではリベラル(民主党支持)と保守(共和党支持)が2つの部族(党派)に分かれ、互いに憎悪をぶつけあっている。 この混乱を目の当たりにして、近年では右も左も「グローバル資本主義」を諸悪の根源として、資本主義以前の人間らしい共同体(コミューン、コモンズ、共通善)をよみがえらせるべく「共同体主義(コミュニタリアニズム)」を唱えている。 だが著者たちは、こうした「道徳と互酬性、個人的評判による統治(モラル・エコノミー)」は、狩猟採集社会や中世の身分制社会ではそれなりに機能したかもしれないが、現代の巨大化・複雑化した資本主義+自由市場経済では役に立たないという。「取引の範囲が広がり、規模が大きくなると、モラル・エコノミーは崩れてしまう」からで、「大規模な経済を組織するアプローチとして、市場経済に対抗する選択肢はない」のだ。  「脱資本主義」の代わりに提案されるのが「メカニカル・デザイン」で、「オークションを生活に取り込む」よう市場を再設計することだ。なぜならオークションこそが、市場を通した資源配分の機能をもっとも効果的にはたらかせる方法だから。これはオークションをデザインした経済学者ウィリアム・ヴィックリーの思想を現代によみがえらせることでもある。 著者たちは、「真に競争的で、開かれた、自由な市場を創造すれば、劇的に格差を減らすことができて、繁栄を高められるし、社会を分断しているイデオロギーと社会の対立も解消できる」として、これを「市場原理主義」ではなく「市場急進主義」と呼ぶ。真の市場ルールは「自由」「競争」「開放性」で、次のように定義される。 +自由:自由市場では、個人がほしいと思う商品があるとき、その商品の売り手が手放す代償として十分な金額を支払う限り、それを購入することができる。また、個人が仕事をしたり、商品を売り出したりするときには、こうしたサービスが他の市民に生み出す価値どおりの対価を受け取らなければいけない。そのような市場では、他者の自由を侵害しない限りにおいて、あらゆる個人に最大限の自由が与えられる。 +競争:競争市場では、個人は自分が支払う価格や受け取る価格を与えられたものとして受け入れなければいけない。経済学者のいう「市場支配力」を行使して価格を操作することはできない。 +開放性:開かれた市場では、すべての人が、国籍、ジェンダー・アイデンティティ、肌の色、信条に関係なく、市場交換のプロセスに加わることができて、お互いが利益を得る機会を最大化できる。 そんなことは当たり前だと思うだろうが、じつは「真の市場ルール」を阻む重大な障害がある。それが「私有財産」だ。 私的所有権こそが自由な市場取引の基礎だとされているが、「再開発や道路の拡張を阻む頑迷な地権者」を考えれば、いちがいにそうともいえないことがわかる。この地権者は、開発業者が「十分な金額」を払うといっても拒否し、「市場支配力」を行使して適正な取引を妨害し、「お互いが利益を得る」機会をつぶしているのだ。 これはけっして奇矯な主張ではなく、アダム・スミスやジェレミー・ベンサム、ジェーミズ・ミルなどは封建領主の特権と慣習が財産の効率的な利用の障害だと考えていた。「限界革命」を主導した「近代経済学の3人の父」のうち、ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズは「財産とは、独占の別名にすぎない」と述べ、私有財産制を深く疑っていた。レオン・ワルラスも「土地は個人の所有物であると断じることは、土地が社会にとって最も有益な形で使われなくなり、自由競争の恩恵を受けられなくなることだ」と書いている。 ワルラスは、「土地は国家が所有して、その土地が生み出す超過利潤は「社会的配当」として、直接、あるいは公共財の提供を通じた形のいずれかの方法で公共に還元するべきだ」と述べ、これを「総合的社会主義」と呼んだ。マルキシズムとのちがいは、ワルラスが中央計画を「計画者自身が独占的な封建領主になるおそれがある」として敵視し、「土地は競争を通じて社会が管理するようにし、その土地が生み出す収益は社会が享受したい」と考えていたことだ。  「私有財産否定」はマルクス経済学の専売特許ではなく、近代経済学のなかにもその思想は脈々と流れているのだ』、「レオン・ワルラスも「土地は個人の所有物であると断じることは、土地が社会にとって最も有益な形で使われなくなり、自由競争の恩恵を受けられなくなることだ」と書いている。 ワルラスは、「土地は国家が所有して、その土地が生み出す超過利潤は「社会的配当」として、直接、あるいは公共財の提供を通じた形のいずれかの方法で公共に還元するべきだ」と述べ、これを「総合的社会主義」と呼んだ」、恥ずかしながら初めて知った。

第三に、7月19日付け文春オンラインが掲載した斎藤 幸平氏と堀内 勉氏による対談「「みんな頑張って働いているのに幸せそうに見えない」 斎藤幸平がマルクスから見つけた、労働問題の“答え” 斎藤幸平さんが勧める思想・教養書5冊 #1」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/47022
・『晩期マルクスの思想の新解釈から、気候変動などの環境危機を脱するヒントを探り、30万部のベストセラーとなった『人新世の「資本論」』(集英社)の著者の斎藤幸平さん。そして、不安定な時代を生き抜くためのブックガイドである『読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊』(日経BP)を上梓した堀内勉さん。「知の水先案内人」であるお二人に、先行きの見えない時代を生き延びるための教養・ビジネス書について語っていただいた。(全2回の1回目) 斎藤幸平(以下、斎藤) 堀内さんは、日本興業銀行でMOF担(旧大蔵省担当)をなさり、ゴールドマン・サックス証券に転職、森ビルのCFO(最高財務責任者)も務めたというご経歴ですよね。まさに資本主義の最前線でキャリアを積まれたわけです。一方、私は『人新世の「資本論」』で痛烈に資本主義を批判し、脱成長まで提案している。そんな私ですが、さまざまな名著をベースにして、今日は堀内さんといろいろお話ししたいと思っています』、キャリアが好対照の人物の対談とは興味深そうだ。
・『これからの社会が生き延びるために読むべき本(堀内勉(以下、堀内)  「堀内さんはずっとエリート街道を歩まれてきましたよね」と言われることがあるのですが、実際は挫折の連続で、結局はシステムの歯車として働いていたに過ぎません。とても充実した人生と言えるようなものではなく、自分の仕事に対する疑問を払拭できず、銀行も証券会社も退職することになります。そして、自分を取り巻くシステムである資本主義について、独学で研究を始めました。 しかしながら、「資本主義」という人間存在そのものに関わるテーマは壮大過ぎて、ビジネスや経済の分野からだけでは解明できない。必然的に、哲学、歴史、科学へと関心領域が広がっていき、古典から現代の名著まで200冊を紹介してまとめた『読書大全』まで書いてしまいました。 こうした私の目に、改めて資本主義のその先を展望する斎藤さんの著作『人新世の「資本論」』は、とても新鮮に映りました。特に、斎藤さんが次にどのような社会を構想なされているのかとても興味があります。本日は、われわれがこれからの社会が生き延びるために読むべき本を挙げつつ、資本主義のその先を考えていければと思います』、なるほど。
・『資本主義における労働は不断の競争に駆り立てる  斎藤  となれば、まず取り上げたいのは、マルクスですね。『資本論』でもいいのですが、今日は『経済学・哲学草稿』(カール・マルクス著)、いわゆる「経哲草稿」を紹介したい。これは彼が20代のときに書いた若さみなぎる作品で、まさに資本主義の歯車として働くことの「疎外感」を論じたものです。その中で彼は、資本主義における労働は、お互いを不断の競争に駆り立てる楽しくないものだ、と述べています。競争の激化によって、労働が、ご飯とお金を得るためだけの手段になっていて、人間が持っている様々な能力を失っていき、貧しい人生を送らざるをえない。本来の人間らしい自己実現や豊かさからは、程遠くなっていることを批判したのです。 私は大学生の頃にこの本を読んだのですが、みんな頑張って働いているのに幸せそうに見えないという、自分自身が社会に対して感じていた違和感をずばり見事に説明してくれていることに感銘を受けました。 堀内 サラリーマンとして経済社会を生きていた昔の私も、まさに同じ疎外感を感じていました』、「資本主義の歯車として働くことの「疎外感」」、は多くが一度は感じるものだ。
・『社会や地球環境を維持するには相互扶助が必要  斎藤 私たちの人生の時間の多くは労働にあてられるので、労働が疎外されていれば、幸せになれないのはいわば当然です。でも、こうした競争システムは人間の本性だから、仕方がないと割り切らなくてはならないのでしょうか。その問いに答えてくれるのが『相互扶助論』(ピョートル・クロポトキン著)です。競争によって自然淘汰されて人間が生き延びてきたというダーウィン的な理解は間違っていて、むしろ自然の脅威を前にして人間はお互いに助け合って進化してきた、とこの本は、主張しています。人間の本質には、相互扶助が間違いなくあるというわけです。 ところが、資本主義社会、とりわけ新自由主義がいまだに猛威をふるう世界では、過当な競争ばかりがもてはやされています。クロポトキンの問いかけは、新自由主義のもとで相互扶助が忘れられたせいで、私たちの社会を発展させていくための可能性が抑圧されているのではないか、ということです。事実コロナ禍でも明らかとなっているように、社会や地球環境を維持していくには、相互扶助が絶対に必要です』、「クロポトキンの問いかけは、新自由主義のもとで相互扶助が忘れられたせいで、私たちの社会を発展させていくための可能性が抑圧されているのではないか、ということです」、同感だ。
・『エリート職に多い“ブルシット・ジョブ”  斎藤 労働の疎外との関連で、3冊目に挙げたいのは『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(デヴィッド・グレーバー著)。昨年亡くなった文化人類学者の著作で、世界的なベストセラーになっていますが、これはマルクスの疎外論を現代に蘇らせたといってもいいでしょう。 堀内 ブルシット・ジョブとは、ホワイトカラーによくある意味のない仕事のことですね。弁護士、コンサルタント、広告代理店など高給なエリート職に多いそうです。今振り返ってみると、私の仕事も銀行勤めのときは95パーセントがペーパーワークやハンコ仕事などの、何の付加価値も生み出していないブルシット・ジョブでした。でも、頑張ってエリートコースに乗るためには、意味のないことを承知で取り組まなければならなかったのです』、人間の緊張感は長続きしないので、「行勤めのときは95パーセントがペーパーワークやハンコ仕事などの、何の付加価値も生み出していないブルシット・ジョブでした」、というのは丁度いいのかも知れない。
・『重要な仕事なのに軽視されている「ケア労働」「ケア階級」  斎藤 グレーバーは、そんなブルシット・ジョブと対比して、エッセンシャルワーカーが担う「ケア労働」「ケア階級」を重視しています。そして、介護や看護、教育や清掃、バスや鉄道の運転手などのケア労働は、われわれの社会を支えている重要な仕事なのに、報酬も社会的地位も低いことを指摘します。私自身も、コロナ禍のもとエッセンシャルワーカーの方々に過剰な負荷をかけているのを心苦しく思っています。 この問題とつながるのが、『ケアするのは誰か? 新しい民主主義のかたちへ』(ジョアン・C・トロント著)です。これまでは、男性中心の製造業や金融が高く評価され、ケア労働は女性に押しつけられてきましたが、ケアこそが人間の本質的な活動であり、社会の中心に据えられるべきである、とこの本は訴えています。ちょうど私自身もコロナ禍で子育てをしながら、その負担をしばしばパートナーに押し付けてきたという自覚と反省を深めました。 それ以外にも、健全な民主主義が機能するためには、ケアが必要というトロントの視点が重要です。民主主義とは他者を論破し、支配するものではなく、意見の違う他者の存在を尊重し、様々な困難を抱えている人々の問題解決に共に取り組むことだからです』、なるほど。
・『いま求められる新しいモデル  堀内 今はケアも商品化されていて、お金持ちであればなんでもお金で買えますという社会になっていますね。けれども一方で、お金を稼ぐしか自分を守る術がないというのは、恐ろしいなと感じます。かつてのサラリーマンは会社に守られていましたが、いまや日本の会社システム自体が壊れはじめています。もはやわれわれには、愕然とするくらい拠って立つものがない。そのため、地域社会をはじめとするコミュニティを取り戻そうという動きも出てきていますね。 斎藤 まさにその通りです。さらに言うと、男性正社員中心の会社コミュニティや、若者を排除し女性に負担を強いるような年長男性のための地域コミュニティとは違った、新しいモデルが求められています。いま注目しているのが、バルセロナ市政などが旗振り役になっているミュニシパリズム(自治体主義)です。これは5冊目に挙げた『なぜ、脱成長なのか』(ヨルゴス・カリス他著)にくわしいです。 堀内 ミュニシパリズム、ですか』、どんなものなのだろう。
・『人々の〈コモン〉(共有財産)を増やそうとする挑戦  斎藤 EUという巨大組織の新自由主義的な動きに対抗して、住民のための街づくりをしようという革新的な自治体の運動のことです。 たとえば、スペインのバルセロナは、リーマンショックで打撃を受け、さらにはオーバーツーリズムによる物価上昇で市民は疲弊していましたが、大企業に地域の富を吸い取られるだけの社会を変えたいという市民運動が巻き起こり、その運動をベースにした地域政党の女性市長が2期目に入っています。 『人新世の「資本論」』でも紹介していますが、彼らの取り組みはたとえば、水道の再公営化を目指すことだったり、民泊に規制をかけ公営住宅を増やすことだったりします。人々の〈コモン〉(共有財産)を増やそうとする挑戦ですね。また、気候危機に関しても独自の非常事態宣言を発出し、二酸化炭素排出量削減のために、飛行場の拡張や高速道路の新設を禁止し、市内中心部でも自動車の進入できないスーパーブロックを拡充するなど、将来世代のための革新的なチャレンジをしています。 こうした試みの知恵をアムステルダムなど別の大都市とも共有しながら進めているのがミュニシパリズムです。 堀内 戦後、アメリカという教師を表面的に真似して、トクヴィルが『アメリカのデモクラシー』で指摘したように、資本主義の本場であるアメリカでもそれなりにコミュニティが残っているのに、それ以上にコミュニティを消失してしまった戦後の日本に戦慄していたのですが、バルセロナの話を聞いて希望を持ちました』、「コミュニティ」の「消失」は「日本」が一番酷いようなので、その再構築が必要なようだ。

第四に、この続きを、7月19日付け文春オンライン「コロナ対策で政府が供給した巨額のお金はどこへ消えたか? 銀行も証券会社も退職した“森ビル”元幹部が語る資本主義の“限界” 堀内勉さんが勧めるビジネス・経済書5冊 #2」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/47023
・『「みんな頑張って働いているのに幸せそうに見えない」 斎藤幸平がマルクスから見つけた、労働問題の“答え” から続く 晩期マルクスの思想の新解釈から、気候変動などの環境危機を脱するヒントを探り、30万部のベストセラーとなった『 人新世の「資本論」 』(集英社)の著者の斎藤幸平さん。そして、不安定な時代を生き抜くためのブックガイドである『 読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊 』(日経BP)を上梓した堀内勉さん。「知の水先案内人」であるお二人に、先行きの見えない時代を生き延びるための教養・ビジネス書について語っていただいた。(全2回の2回目) 斎藤 『 人新世の「資本論」 』にもくわしく書いた通り、今まさに資本主義の限界や気候変動という危機的な状況にあります。興銀、ゴールドマン・サックス、森ビルCFOの経歴を持つ堀内さんに、是非お聞きしたいことがあります。果たして資本主義サイドには、われわれサイドへの歩み寄り、もしくは変革の動きはあるのでしょうか』、どうなのだろう。
・『「人間らしさ」に即した見方こそ経済社会の出発点  堀内 はい。じつはビジネスや経済の領域においても、人間らしさを考えることに注目が集まっています。私が『 読書大全 』のなかで最初に紹介した『 道徳感情論 』(アダム・スミス著)から説明させてください。アダム・スミスが前提としているのは、古典的な経済学で想定される単なる合理的経済人ではなく、相手に「共感」や「同感」するリアルな人間です。スミスは、秩序というものは抽象的な「べき論」ではなく、相手との生身のやりとりや共感を通して出来ていくのだ、とします。だから、トマス・ホッブズが言うように、「法という社会契約を結ばないと、血で血を洗う『万人の万人に対する闘争』になる」と、ことさらに言い立てる必要はない。これはいわゆるイギリス経験論の考え方ですが、人間をきめ細かくかつ深く観察している。私はこうした人間の現実に即した見方こそが、すべての経済社会の出発点であるべきだと思っています。 2冊目は『 プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 』(マックス・ヴェーバー著)です。ここでは、プロテスタンティズムの世俗的禁欲主義が、資本主義の精神に合致していることが、逆説的に説明されています。これが現代の労働観のもととなっている一方で、いまや当時の宗教色は完全に失われ、利潤追求だけが自己目的化しています。3冊目は『 経済学は人びとを幸福にできるか 』(宇沢弘文著)です。シカゴ大学で数理経済学者として大活躍していた宇沢先生。けれども日本帰国後は、リアルな人間がどうしたら幸せになれるかを考える、より現場に近い活動家としての経済学者に変わっていくのです』、「宇沢先生」が「日本帰国後は、リアルな人間がどうしたら幸せになれるかを考える、より現場に近い活動家としての経済学者に変わっていく」、変わらなかったらシカゴ学派のゴリゴリのままだったのだろう。
・『現在のSDGsに通じる考え方  斎藤 宇沢さんは、社会的共通資本という概念も提案していますね。私の考える〈コモン〉(共有財産)とも近い考え方です。 堀内 はい。水や空気や山などの自然、道路や電力などのインフラ、教育や医療などの制度を、社会的共通資本と呼んでいます。これらは、国家や市場に任せるのではなく、専門的知見があり、職業倫理をもった専門家が管理・運営すべき、と言っています。現在のSDGs(持続可能な開発目標)の考え方にも通じるものですね。 そんな宇沢先生と対極にあるのが、新自由主義の象徴とされる経済学者ミルトン・フリードマンです。フリードマンは、人間の自由の重要性を強調して、全てを市場にまかせるべきだとして、「べき論」を追求します。人間のリアリティを超越して、市場という万能のシステムを作ってそれをうまく動かせば世の中がうまく回る、と提唱しています。けれどもこうした考えだと、そこに組み込まれる個々の人間は、必ず疎外されてしまいます。 斎藤 まさに、マルクスが指摘した疎外に通じますね』、「市場という万能のシステムを作ってそれをうまく動かせば世の中がうまく回る、と提唱しています。けれどもこうした考えだと、そこに組み込まれる個々の人間は、必ず疎外されてしまいます」、その通りだ。
・『人間的なものに目を向けるという教育  堀内 4冊目は『 イノベーション・オブ・ライフ 』(クレイトン・M・クリステンセン他著)です。イノベーションのジレンマで有名なハーバード・ビジネス・スクール(HBS)の教授が、最終講義で学生に伝えたメッセージです。クリステンセン教授は、エンロンのCEOになったHBSの同級生が不正会計事件を起こして刑務所に入ったことに衝撃を受けたそうです。それだけでなく、職業的な成功にもかかわらず不幸になる卒業生が同校にはあまりに多い。本当の人生の意味を問いかけたこの本もひとつのきっかけとなり、リーマンショック後、HBSは徳や人格を重視する人格教育へ舵を切ったそうです。 斎藤 人間的なものに目を向けるという教育ですね。堀内さんは、人間のリアリティをきめ細かく観察するビジネス書・経済書の系譜が好きなのですね。 堀内 ええ。人間へのリアリティが前提にないと、どんなシステムを作っても必ず人間疎外が起きます。そして、システムをうまく利用する数パーセントだけが勝ち組になり、残りの大半の人たちは負け組になる。 斎藤 市場というシステムが暴走すると、働いている労働者たちの幸福も、人間として持っている資質も、歪められてしまいますよね。資本主義を野放しにすれば、暴利をむさぼる人たちばかりになってしまう傾向がある』、「資本主義を野放しにすれば、暴利をむさぼる人たちばかりになってしまう傾向がある」、その通りだ。
・『いくらお金を刷っても富裕層へ流れてしまう構造  堀内 5冊目『 21世紀の資本 』(トマ・ピケティ著)がその答えとなると思います。今の資本主義が暴走している理由は、「金融」資本主義だからです。お金がお金を勝手に稼ぐこのシステムが異常なのです。今回、コロナ対策として各国政府が巨大な予算を組み、市中に流しました。けれどもリーマンショックのときと同じで、いくらお金を刷ってもそれが満遍なく人びとに行き渡ることはなく、ほとんどが富裕層へと流れていってしまう構造になっています。富裕層は低率のキャピタルゲイン課税の恩恵を受けているだけでなく、ほとんどがタックスヘイブン(租税回避地)を使っているので、実際の税率がすごく低い。ピケティは、国際的な課税条約を締結して税逃れを取り締まるべきだと主張しています。 斎藤 逆に言うと、金融資本主義の部分を取り払えば、今よりもすごく細った資本主義になって、もはや資本主義ではないものになるんじゃないかな、と思いませんか。 堀内 そうだと思います。暴走しない控えめな「資本主義」ですね』、「暴走しない控えめな「資本主義」」とは面白い表現だ。
・『もっと平等になるのも悪くない  斎藤 それを私は、社会主義と呼んでいます。ピケティが昨年刊行した本、そのタイトルがなんとTime for Socialism。もちろん、ソ連時代に戻ろう、すべて計画経済にしよう、と言っているわけではありません。働いていない人たちが不労所得を得て、そのお金を倍増させる。実体経済と関係ないところで、実際のニーズを満たさないものを大量に買って地球環境を破壊している。それはもうやめにして、人々の生活を安定させたり、意味のないものを作るのをやめて労働時間を減らして人間らしい生活を送った方がいい。そのためにもっと平等になるのも悪くないよ、ということです。 堀内 資本主義サイドからも、格差拡大や地球環境破壊を食い止めようという問題意識から、SDGs、ESG投資、サステナブル経営、パーパス経営などの動きが出ています。 斎藤 私自身はSDGs企業の9割はウォッシュ(まやかし)と思っていますが、残りの1割に期待しています。資本主義の真ん中を歩んできた堀内さんと、マルクス研究者の私とでは、バックグラウンドがかなり違います。でも、堀内さんが思い描かれている社会は、ソーシャリズム的な理念に近いと感じました。僕の本のなかでは、それを〈コモン〉に基づく社会、つまりコミュニズムと呼んでいます。立場は違えど、意外に共通点もあるのかも知れませんね』、「SDGs企業の9割はウォッシュ(まやかし)と思っていますが、残りの1割に期待しています」、「堀内さんが思い描かれている社会は、ソーシャリズム的な理念に近いと感じました」、確かに「斎藤」氏と「堀内」氏の理想が近いのには驚かされた。 
タグ:「SDGs企業の9割はウォッシュ(まやかし)と思っていますが、残りの1割に期待しています」、「堀内さんが思い描かれている社会は、ソーシャリズム的な理念に近いと感じました」、確かに「斎藤」氏と「堀内」氏の理想が近いのには驚かされた。 「暴走しない控えめな「資本主義」」とは面白い表現だ。 「資本主義を野放しにすれば、暴利をむさぼる人たちばかりになってしまう傾向がある」、その通りだ。 「宇沢先生」が「日本帰国後は、リアルな人間がどうしたら幸せになれるかを考える、より現場に近い活動家としての経済学者に変わっていく」、変わらなかったらシカゴ学派のゴリゴリのままだったのだろう。 「コロナ対策で政府が供給した巨額のお金はどこへ消えたか? 銀行も証券会社も退職した“森ビル”元幹部が語る資本主義の“限界” 堀内勉さんが勧めるビジネス・経済書5冊 #2」 「コミュニティ」の「消失」は「日本」が一番酷いようなので、その再構築が必要なようだ。 人間の緊張感は長続きしないので、「行勤めのときは95パーセントがペーパーワークやハンコ仕事などの、何の付加価値も生み出していないブルシット・ジョブでした」、というのは丁度いいのかも知れない。 「クロポトキンの問いかけは、新自由主義のもとで相互扶助が忘れられたせいで、私たちの社会を発展させていくための可能性が抑圧されているのではないか、ということです」、同感だ。 「資本主義の歯車として働くことの「疎外感」」、は多くが一度は感じるものだ。 キャリアが好対照の人物の対談とは興味深そうだ。 「「みんな頑張って働いているのに幸せそうに見えない」 斎藤幸平がマルクスから見つけた、労働問題の“答え” 斎藤幸平さんが勧める思想・教養書5冊 #1」 斎藤 幸平氏と堀内 勉氏による対談 文春オンライン 「レオン・ワルラスも「土地は個人の所有物であると断じることは、土地が社会にとって最も有益な形で使われなくなり、自由競争の恩恵を受けられなくなることだ」と書いている。 ワルラスは、「土地は国家が所有して、その土地が生み出す超過利潤は「社会的配当」として、直接、あるいは公共財の提供を通じた形のいずれかの方法で公共に還元するべきだ」と述べ、これを「総合的社会主義」と呼んだ」、恥ずかしながら初めて知った。 「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」、「グレン・ワイルが考案した「ラディカル・マーケット」のデザイン(設計)が、一見、リバタリアニズムの対極にあるからだ。なんといっても、ワイルは私有財産を否定しており、それによって「共同体(コミュニティ)」を再生しようとしている」、とは面白い。 「「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」私有財産に定率の税(富のCOST)を課すと効率的な市場が生まれる【橘玲の日々刻々】」 ダイヤモンド・オンライン 「幼さと老成が同居し、あくまでもマイペースでアマノジャクな存在である猫は、ものごとをさまざまな角度から切りとろうと企む作家、表現者たちと、もともと相性がいい」、このシリーズも見逃したのは本当に残念だ。 「現代に至るまで高度な文明を発展させてきた人類は、今その原点に帰りたいと、どこかで無意識に思っていると見えなくもないのだから」、なるほど。 「いよいよネットの海の中に埋没する時代に、「無形資産」は大きな渦巻きの中心にあるかのようだ」、上手いこと言うものだ 「私たちの生活を豊かにするための手段だったはずの技術がいつの間にか目的化、人間がシステムに合わせている倒錯的な状況は、日常さまざまなところで多くの人々が経験しているのではないだろうか?』、確かにその通りだ 「すべての企画が「主役はあなた」なのだが、そのことをあらためてど真ん中に考えた企画だともいえるのかもしれない」、その通りなのだろう。 残念ながら両方とも見逃したので、この記事はとりわけ興味深い。 丸山 俊一 「「炎と猫と資本主義」に見る「2021年欲望の行方」 異色TV番組の背景「資本のない資本主義」の時代」 東洋経済オンライン (その5)(「炎と猫と資本主義」に見る「2021年欲望の行方」 異色TV番組の背景「資本のない資本主義」の時代、「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」私有財産に定率の税(富のCOST)を課すと効率的な市場が生まれる、斎藤幸平さんが勧める思想・教養書5冊2題:#1「みんな頑張って働いているのに幸せそうに見えない」、#2コロナ対策で政府が供給した巨額のお金はどこへ消えたか? 銀行も証券会社も退職した“森ビル”元幹部が語る資本主義の“限界”) 資本主義
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