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格差問題(その9)(日本人は賃金格差の原因をイマイチわかってない いかに労働規制で対処しても問題は解決されない、データで解明「コロナで階級社会化が加速」の衝撃 打撃を最も受けたのは非正規の若者と女性、「正社員を引きずり下ろしたい」"みんなで豊かになる"物語を失った日本の末路 年収400万が高級取りの時代) [経済]

格差問題については、昨年6月28日に取り上げたままだった。今日は、(その9)(日本人は賃金格差の原因をイマイチわかってない いかに労働規制で対処しても問題は解決されない、データで解明「コロナで階級社会化が加速」の衝撃 打撃を最も受けたのは非正規の若者と女性、「正社員を引きずり下ろしたい」"みんなで豊かになる"物語を失った日本の末路 年収400万が高級取りの時代)である。

先ずは、昨年10月18日付け東洋経済オンラインが掲載した大蔵省出身で一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による「日本人は賃金格差の原因をイマイチわかってない いかに労働規制で対処しても問題は解決されない」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/461635
・『所得格差をもたらす大きな原因の1つは、賃金格差だ。日本では、企業規模別に大きな賃金格差がある。それは、資本装備率が企業規模別に大きく異なることが原因になっている。この問題を解決しない事後的な所得再分配政策では、いつになっても同じ政策から脱却できない。 昨今の経済現象を鮮やかに斬り、矛盾を指摘し、人々が信じて疑わない「通説」を粉砕する──。野口悠紀雄氏による連載第54回』、興味深そうだ。
・『賃金格差は、単純な再分配政策では解決できない  岸田内閣は、所得再分配を経済政策の柱にしている。 所得格差を生む原因としては、さまざまなものがある。 第1に、相続等によって生じる資産保有額の違いは、所得格差の大きな原因だ。 第2に、何らかの理由で働くことができず、収入の途を断たれている人々がいる。 こうしたことを原因として生じる所得格差に対しては、税制や財政支出での対応が必要だ。 所得格差を生む第3の原因は、賃金格差だ。 後述するように、現在の日本では、大企業と零細企業の間に大きな賃金格差がある。あるいは、正規雇用者と非正規雇用者の間に賃金格差がある。 所得格差の大部分は、こうした賃金格差によって生じている。 したがって、分配を重視するのであれば、賃金格差の問題を避けて通ることはできない。賃金格差是正のための政策は、分配政策のなかで中心的な比重を占めるべきものだ。 ところで、賃金格差については、事後的な再分配政策をいくら手厚く行っても、問題を解決したことにはならない。 なぜなら、事後的な再分配政策だけでは、賃金格差を生んでいる原因を是正することはできないからだ。 格差の原因を直さない限り、いつになっても同じような再分配政策から脱却できない。 したがって、賃金格差問題については、その原因を正しく把握し、対策を講じる必要がある。 以下では、賃金格差がどのような原因で生じているのか、それを是正するにはどのような措置が必要なのかを考えることとしよう。 法人企業統計調査(金融業、保険業以外の業種)によって、2020年度における企業規模別の賃金(従業員一人あたりの給与・賞与の合計)を見ると、図表1のとおりだ。 (外部配信先では図表を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください) 資本金10億円以上の企業(「大企業」と呼ぶ)の賃金は575万円であり、資本金1000万円未満の企業(「零細企業」と呼ぶ)の236万円の2.4倍にもなる。 日本の高度成長期において、「二重構造」ということが言われた。経済成長を牽引する製造業の大企業と、中小零細企業や農業との間で、生産性や賃金に大きな格差があるという問題だ。 日本経済は、現在でもこれと同じような問題を抱えていることになる』、「賃金格差については、事後的な再分配政策をいくら手厚く行っても、問題を解決したことにはならない」、累進税制などの「再分配政策」には技術的な限界でもあるのだろうか。
・『賃金格差の原因は、資本装備率の差  上記のような賃金格差の原因としてまず考えられるのは、分配率(付加価値に占める賃金の比率)だ。そこで分配率を企業規模別に見ると、図表1のw/v欄に示すとおりだ。 分配率は、むしろ大企業の場合に低い。したがって、分配率の差が賃金格差の原因とは考えられない。 ただし、零細企業の分配率は低い。これについては後述する。 賃金格差の原因として第2に考えられるのは、資本装備率の差だ。ここで、「資本装備率」とは、従業員一人あたりの有形固定資産だ(なお、法人企業統計調査は、これを「労働装備率」と称している)。 この値は、大企業が2887万円であるのに対して、零細企業では790万円と、大企業の3.7分の1でしかない。 このように、資本装備率において、企業規模別に顕著な差があり、大企業が高く、零細企業が低い。 これが賃金格差の基本的な原因と考えられる。 法人企業全体での有形固定資本は490兆円だ。そのうち43.6%を占める213兆円が、従業員数では全体の18.6%でしかない大企業に保有されているのである。) 賃金や資本装備率などを産業別に見ると、図表2のとおりだ。 製造業と非製造業を比較すると、あまり大きな差はないが、製造業がやや高めだ。 問題は、宿泊・飲食サービスなど対人サービス業における賃金が低いことだ。 ただし、これは、宿泊・飲食サービスでは、零細企業が多いためかもしれない。そこで、従業員数や付加価値において大企業が占める比率を産業別に見ると、図表3のとおりだ。 従業員数で見ても付加価値で見ても、製造業では大企業の占める比率が高いのに対して、非製造業では製造業より大企業の比率が低い。 そして、宿泊・飲食サービス業では、従業員数で見ても付加価値で見ても、大企業の比率がかなり低い。 したがって、産業別に資本装備率や一人あたり賃金の差が生じる基本的な原因は、大企業の比率が産業別に異なることだと考えることができる。 つまり、賃金格差をもたらしている基本的な原因は、企業規模の違いなのだ』、「資本装備率において、企業規模別に顕著な差があり、大企業が高く、零細企業が低い。 これが賃金格差の基本的な原因と考えられる」、には違和感がある。「資本装備率」が高いのであれば、「資本」の取り分が大きくなるのは理解できるが、「労働」の取り分が大きくなるのは理解できない。ただ、「資本装備率」が「企業規模」を表しているので、「基本的な原因は、企業規模の違いなのだ」との判断はその通りだ。
・『理論値との比較  以上で述べた観察結果を、理論モデルの結果と照合してみよう。 「コブ=ダグラス」と呼ばれる生産関数を想定し、産出の労働弾力性をaとする。ここで、「産出の労働弾力性がaである」とは、労働力がx倍に増加したとき、付加価値生産額がxのa乗倍だけ増加することを意味する。 このモデルから、つぎの結論が得られる(証明略)。 (1)労働分配率(付加価値生産額に占める賃金所得の比率)は、aに等しくなる。 (2)資本装備率をkで表すと、賃金は、kの(1-a)乗に比例する。) このモデルにしたがって理論値を計算すると、図表4のようになる。ここでaとしては、全産業の労働分配率の値0.538(図表1参照)を用いた。 理論値は、実際の賃金の傾向をかなりよく説明している。 つまり、資本装備率の差が賃金格差をもたらすと考えてよいことになる。 ただし、詳しく見ると、資本金5000万円未満の企業につき、現実値は理論値より小さめになる。 これは、このサイズの企業では、労働組合が組織されておらず、交渉力が乏しいためかもしれない。そうであれば、政策的に介入の余地がある』、なるほど。
・『原因と結果を取り違えてはならない  賃金格差が生じる原因として、しばしば非正規労働者の存在が指摘される。「非正規労働者が多いから、賃金が低くなる」という意見だ。 表面的には確かにそのとおりなのだが、これは、原因と結果を取り違えた議論だ。 因果関係としては、零細企業では、生産性が低いために非正規労働者に頼らざるをえないのだ。 だから、「同一労働、同一賃金」を導入し、非正規労働者の労働条件を正規並みにしたとしても、問題は解決できない。そうすれば、非正規労働が削減されるだけの結果にしかならない。 また、賃金格差を解消するために最低賃金を引き上げるべきだと言われることがある。 しかし、そうしたところで問題の解決にはならない。雇用が縮小するだけのことだ。 低賃金を生み出している原因を解決しない限り、いかに労働規制で対処しても、問題は解決されない。 中小零細企業の賃金を大企業並みに引き上げるためには、中小零細企業の資本装備率を高める必要がある。 そのために、中小零細企業に対する政策融資措置が必要だ』、「最低賃金を引き上げるべき」との主張の代表格は、英国人アナリストのデービッド・アトキンソン氏だ。野口氏氏は「雇用が縮小するだけのこと」としているが、私にはどちらが正しいのかは判断できない。

次に、11月30日付け東洋経済オンラインが掲載した早稲田大学人間科学学術院教授の橋本 健二氏による「データで解明「コロナで階級社会化が加速」の衝撃 打撃を最も受けたのは非正規の若者と女性」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/470173
・『コロナ禍で最も経済的な打撃を受けたのは誰なのか。「非正規の若者と女性」と指摘するのが、階級・格差社会を研究する早稲田大学教授の橋本健二氏だ。橋本氏は、かつて「一億総中流」と呼ばれた日本社会に階級性があることを指摘。さらに非正規雇用で所得の低い「アンダークラス」が出現していることを明らかにした。 貧困に陥った若者たちの実態に4日連続で迫る特集「見過ごされる若者の貧困」1日目の第4回は、コロナ禍が格差に与えた影響について、橋本氏がデータで解明する。 【特集のそのほかの記事】第1回:「時給高いから上京」の21歳女性を襲った"想定外" 第2回:「コロナで路上生活」38歳元派遣の"10年前の後悔" 第3回:「親が学費負担放棄」学生を絶望させる新たな貧困  1947年に発表されたアルベール・カミュの小説『ペスト』と、1722年に出版された、『ロビンソン・クルーソー』の作者であるダニエル・デフォーの実録小説『ペスト』(原題は『ペストの年の記録』)の2冊はいずれも、その事実を描いている。 ごく簡単に要約すると、カミュの『ペスト』には、次のように書かれている。 ペストが流行し始めると、必需品への投機が始まったため価格が高騰し、富裕な家庭は何ひとつ不自由しないのに、貧しい家庭は苦しい生活を強いられるようになった。 また看護人や墓掘り人など、感染の危険の多い職業に就く人々は次々に死んでいったが、人手不足になることはなかった。なぜなら、ペストの蔓延による経済組織の破壊によって生まれた多数の失業者が、下層の仕事を担うようになったからだ、と』、世の中はこんな非常事態でも需給バランスが取れるように動いたことに強い印象を受けた。
・『被害にあったのは必ずしも貧困層ではない  デフォーの『ペスト』は、1665年のロンドンでのペストの大流行に題材をとっているが、やはりペストが人々の間の格差をきわだたせたことを克明に描いている。 流行の初期には、まず郊外に疎開先をもつ一部の富裕層が、真っ先に脱出した。豊かな市民や役人たちは、自分や家族はできるだけ家から外に出ないようにして、奉公人を生活必需品の買い物に行かせていたが、往来を駆けずりまわった奉公人たちは感染し、さらに感染を広げていった。死体の運搬や埋葬のために雇われていた者たちが病気になったり死んだりすると、仕事にあぶれた貧乏人たちが代わりに雇われた。 さらに、次のような注目すべき事実も描かれている。ペスト禍で真っ先に生活が困窮したのは、装飾品や衣服、家具など不要不急のものを製造する職人たちと、これらを扱う商売人たちだった、というのである。 料亭、居酒屋その他の飲食店での酒宴は禁止され、過度の飲酒は悪疫伝播の原因だとして厳重に取り締まられ、夜9時過ぎの料亭、居酒屋、コーヒーハウスへの出入りは禁止された。 ここで被害を被ったのは、必ずしも貧困層というわけではなく、自分で事業を営む人々であり、しかもその被害は、感染によるものではなく、事業が痛手を受けたことによるものである。これらの人々のもとで働いていた職人や店員も、仕事を失ったはずだ。 これは現代の日本と、まったくといっていいほど同じである。 政府は必需品ではないものを扱う小売店と飲食店に、強い制限を発動した。しかし、大企業と大型店の攻勢、新興国からの輸入の拡大によって多くの商工業の自営業者が淘汰されてしまった今日、生き残っているのは、大企業では扱いにくい個性的な商品や趣味性の高い商品、つまり必需品ではないものを扱う業者、そして飲食業者である。これらが直撃を受けた。 またこれらの商品を扱う小売店や飲食店は、非正規労働者の多い業種である。だから経営する旧中間階級とともに、非正規労働者が直撃を受けた。 以上からわかったことを整理すると、感染症は、すべての人々に平等に襲いかかるのではない。階級によって影響に差があるのだ。そしてこの階級性には、2つの要素がある。 1つは、感染リスクの違いである。仕事の種類によって、感染リスクの高い場所に近づく必要性は異なる。だから感染リスクは、階級によって異なるのである。 もう1つは、経済的なメカニズムから受ける影響の違いである。物価の上昇から受ける影響は、豊かな階級では小さく、貧しい階級では大きい。感染症の拡大は仕事に影響するが、その影響は階級によって異なる』、「感染症は、すべての人々に平等に襲いかかるのではない。階級によって影響に差があるのだ」、「感染リスクは、階級によって異なる」、「物価の上昇から受ける影響は、豊かな階級では小さく、貧しい階級では大きい」、なるほど。
・『現代資本主義社会を構成する4つの階級  それではデータを使って、コロナ禍がそれぞれの階級にどのような影響を与えたのか、確かめてみよう。ここでは、資本家階級、新中間階級、旧中間階級、労働者階級、アンダークラスの階級5分類を用いる。まずはその説明をしよう。 資本主義社会の最も基本的な階級は、生産手段を所有する経営者である資本家階級と、資本家階級に雇われて働く労働者階級である。しかし現実の社会には、その間に2つの中間階級が存在している。 1つは商工業の自営業者や自営農民などの「旧中間階級」である。これらの人々は生産手段を所有しているが、その量が小さいため、自分や家族でこの生産手段を使い、現場で働いている。このように資本家階級と労働者階級の性質を兼ね備えた人々であり、しかも資本主義の成立以前から存在する古い階級であることから、旧中間階級と呼ばれる。 もう1つは、雇用されて専門職・管理職・上級事務職などとして働く「新中間階級」だ。雇用されて働く労働者階級を管理したり、生産手段全体の管理・運用を行ったりするような仕事は、もともと資本家階級が担っていたが、企業規模が大きくなると一部の労働者に委ねられるようになる。 そうした人々は、労働者階級と同様に被雇用者でありながら、労働者階級の上に立つようになる。このように労働者階級と資本家階級の中間に位置する階級であり、しかも資本主義の発展とともに新しく生まれた階級であることから、新中間階級と呼ばれる。 こうして現代資本主義社会は、資本家階級、新中間階級、旧中間階級、労働者階級の4つの階級から構成されるようになった。) だが、近年になって大きな変化が生じてきた。労働者階級の内部に、従来から存在してきた正規雇用の労働者階級とは異質の、むしろ別の階級とみなすのがふさわしい下層階級が形成されてきたからである。 非正規労働者のなかでも、以前から数が多かったパート主婦は、家計補助のために働くことが多いから、必ずしも貧困に陥りやすいわけではない。しかし近年は、それ以外、つまり男性と配偶者のない女性の非正規労働者が激増している。 雇用が不安定で、賃金が低く、労働者階級としての最低条件すら満たされないこれらの人々は、アンダークラス、あるいはプレカリアートなどと呼ばれてきた。ここでは単刀直入なわかりやすさから、アンダークラスと呼ぶことにしたい。そしてアンダークラスが1つの階級として確立した社会を、新・階級社会と呼ぶことにしたい。 <日本の新・階級構造> 資本家階級:経営者、役員 新中間階級:被雇用の専門職、管理職、上級事務職 旧中間階級:商工業の自営業者、家族従業者、農民 労働者階級:被雇用の単純事務職、販売職、サービス職、その他マニュアル労働者 アンダークラス:非正規労働者(パート、アルバイト、派遣社員) 次の表は、5つの階級の経済状態、そして2020年4月の緊急事態宣言以降に、それぞれの仕事に起こった変化をまとめたものである。 (※外部配信先では図をすべて閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください) これを見ると、コロナ禍で大きなインパクトを受けたのは、弱い立場のアンダークラス、そして以前から衰退が続いてきた零細な商工業者の階級である旧中間階級であることがわかる。 世帯年収は、資本家階級が1100万円と最も多く、これに新中間階級が816万円で続いている。旧中間階級は678万円にとどまり、644万円の労働者階級と大差がないが、2019年と比べると127万円も減った。そして、アンダークラスは393万円と最も低い。 なお2020年の個人年収は、資本家階級が818万円、新中間階級が561万円、旧中間階級が413万円、労働者階級が463万円、アンダークラスが216万円である。アンダークラスの収入がきわめて低く、労働者階級」との比較でも、半分以下にとどまっている』、「アンダークラス」では世帯年収」、「個人年収」とも群を抜いて低いようだ。
・『旧中間階級とアンダークラスは貧困率も高い  貧困率はどうか。資本家階級が7.5%、新中間階級が5.2%と低く、労働者階級も9.5%にとどまるが、旧中間階級は20.4%、アンダークラスは38.0%と高い。 次に、仕事の上での変化を見ると、どの階級も勤務日数や労働時間、そして収入を減らしている人が多いが、階級による違いも大きい。最も影響を受けたのは旧中間階級とアンダークラスで、それぞれ42.0%、29.1%が収入を、そして34.9%、37.2%が勤務日数や労働時間を減らしている。 興味深いのは、勤務日数や労働時間が減ったという人の中で、収入が減ったとする人の比率である。新中間階級では勤務日数や労働時間が減ったという人のうち、収入が減ったのは37.0%である。この比率は労働者階級では52.1%と半数を超え、アンダークラスと旧中間階級は、それぞれ61.6%、67.3%と、明らかに高い。新中間階級は、仕事が減っても会社組織に守られて収入が減らないことが多いのである。 さらに在宅勤務などの勤務形態の変更を経験したのは、新中間階級が最も多く25.4%、もっとも少ないのは旧中間階級で4.3%、ほかはいずれも10%台の前半である。新中間階級は在宅勤務によって感染のリスクを減らすことができたということがわかる。 貧困率が最も高いアンダークラスでは、内部での格差も見逃せない。次の表は、アンダークラスに起こった仕事上の変化を、年齢別に見たものだ。 まず勤務先が休業したという人の比率を見ると、20~39歳の若者が16.8%と高く、40歳以上(8.3%)の2倍となっている。コロナ禍は明らかに、若者の仕事により強く影響したのである。 しかし勤務日数や労働時間、そして収入の変化を見ると、様相が異なる。勤務日数や労働時間が減ったという人は、どちらの年齢層も36.5%で違いがない。収入が減った人の比率は、20~39歳の若者が25.1%にとどまるのに対して、40歳以上では31.8%に上っている』、「新中間階級は在宅勤務によって感染のリスクを減らすことができた」、「アンダークラスでは」、「コロナ禍は明らかに、若者の仕事により強く影響」したが、「収入が減った人の比率は・・・40歳以上では31.8%と「若者」より多いようだ。
・『若者は転職や副業で何とかしのいでいる?  なぜこんな結果になるのか。その理由は、転職した人の比率と副業を始めた人の比率を見ればわかる。20~39歳の若者は9.0%までが転職しているのに、40歳以上で転職したのはわずか0.5%である。また若者の4.8%が副業を始めているが、40歳以上ではこの比率が2.6%にとどまる。 どうやら若者たちは、コロナ禍によって勤め先が休業するなど、大きな影響を受けはしたのだが、転職や副業によって何とかしのいでいるらしいのである。これも若さゆえだろう。ちなみに転職した若者の比率を男女別に見ると、男性4.9%、女性11.3%となっており、女性のほうが苦労したことがうかがえる。 これに対して40歳以上の人々は、仕事が減ったにもかかわらず転職も副業もしなかったために収入が減っているのだが、実はここには男女差がある。収入が減った人の比率は男性では24.7%にとどまるのに対して、女性では36.1%と明らかに多いのである。 中年男性アンダークラスがある程度まで守られているのに対して、中年女性アンダークラスは、放置されているようである。詳しいことはわからないが、おそらく休業補償などの制度が男性のほうにより多く適用されているのだろう。 このようにコロナ禍は、従来からあった階級間の格差をより際立たせた。アンダークラスと旧中間階級がより大きなインパクトを受け、さらにアンダークラスの内部を見ると、若者と女性が受けたインパクトが大きい。 弱者がより大きな影響を被り、格差が拡大した。コロナ禍は日本の社会に、大きな傷跡を残したといわなければならない。この傷を癒やし、さらに格差を縮小して災禍に強い社会をつくりだすことが、今後の日本社会には求められる』、「コロナ禍は、従来からあった階級間の格差をより際立たせた。アンダークラスと旧中間階級がより大きなインパクトを受け、さらにアンダークラスの内部を見ると、若者と女性が受けたインパクトが大きい。 弱者がより大きな影響を被り、格差が拡大した」、「格差を縮小して災禍に強い社会をつくりだすことが、今後の日本社会には求められる」、同感である。

第三に、本年1月19日付けPRESIDENT Onlineが掲載した文筆家・ラジオパーソナリティーの御田寺 圭氏による「「正社員を引きずり下ろしたい」"みんなで豊かになる"物語を失った日本の末路 年収400万が高級取りの時代」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/53872
・『日本郵政グループが、正社員と非正社員の待遇格差を縮めるために「正社員の休暇を減らす」ことを労働組合に提案した。文筆家の御田寺圭さんは「『みんなで豊かになる』という物語は失われてしまった。今は『平等に貧しくなる』方が説得力をもつ時代になっている」という』、「今は『平等に貧しくなる』方が説得力をもつ時代になっている」、寂しい限りだ。
・『日本郵政が「格差を縮めるため」に選んだ方法  フェアなことは、いいことだ――と、だれもが考える時代だ。 フェアネスが尊重されることに、だれも異論を挿まず、賛意を示す。そんな時代だからこそ、こんな結論が導かれた。 日本郵政グループが、2020年10月の最高裁判決で「正社員と非正社員の待遇に不合理な格差がある」と認定された労働条件について、格差を縮める見直しを労働組合に提案したことがわかった。正社員の休暇を減らす内容が含まれており、労組側には反対意見がある。 会社側が見直しを提案したのは、夏期・冬期の有給休暇、年始(1月2~3日)の祝日給、有給の病気休暇の3点。夏冬の有休は現在、郵便業務につく正社員で夏と冬に3日ずつ、アソシエイト社員(期間雇用から無期雇用に切り替えられた社員)で1日ずつだが、期間雇用社員はゼロ。会社提案は、期間雇用社員に夏冬1日ずつ与える一方、正社員は2日ずつに減らす内容で、正社員にとっては不利益な変更になる。 朝日新聞「『正社員の休暇減らす』日本郵政、待遇格差認定の判決受け提案」(2022年1月6日)より引用』、既得権を切り下げられる「労組」はどうするのだろう。
・『「正社員の待遇を、非正社員並みに下げます」  正社員と非正社員の待遇格差があることを批判され、ついには最高裁判決によってその是正を求められてきた日本郵政は、こともあろうに「正社員の待遇を非正社員に近づける(下方修正する)」ことによってその格差を「是正」しようと提案した。 これには少なからず疑問や批判の声が寄せられた。たしかに、これはこれで、不合理な格差を埋める「フェア」な施策であるというわけだが、求められていたのは「非正社員の待遇を正社員並みに近づけること」であるだろう。 しかしながら、日本郵政側がそれを理解していなかったわけではない。もちろん、なにかの気の迷いによって、本末転倒な解決案を出してきたわけでもない。むしろ、これこそが現代社会の時代精神を反映したある種の「総意」であると考えたからこそ、労働組合に対してこの案を堂々と提起したのである』、「「正社員の待遇を非正社員に近づける・・・」ことによってその格差を「是正」しようと提案」、には驚かされた。
・『「若者にとって年収400万円は高給取り」  この社会では「きっといつか、自分も(あの人たちのように)いい暮らしができるようになる」という物語にリアリティを感じることができない人がどんどん増えている。 今年、賃金が上がると思うかNHKの世論調査で聞いたところ「上がる」と答えた人が21%、「上がらない」と答えた人が72%でした。 NHK「ことし賃金は『上がる』21% 『上がらない』72% NHK世論調査」(2022年1月12日)より引用 自分の人生も暮らし向きも上向かず、いつまでも現状がくすぶったまま維持され、低空飛行を続けていくことなる――という閉塞的な未来のビジョンの方が、現代社会ではよほど想像することがたやすい。とくにそれは若者層に顕著になっている。先日にもツイッターでは「若者にとって年収400万円は高給取りとみなされている」とするツイートが大きな波紋を呼んだ。 今日の若者たちにとってみれば「年収400万円は高給取り」というのはまったく冗談ではない。国税庁「民間給与実態統計調査」によれば、20~24歳の男性の平均給与は277万円、25~29歳でも393万円だ。年収400万円が現実的な数字となってくるのは30代からになる。※編集部註:初出時は厚生労働省「賃金構造基本統計調査」の結果を記していましたが、国税庁「民間給与実態統計調査」に差し替えます。(1月20日17時58分追記)』、「今日の若者たちにとってみれば「年収400万円は高給取り」というのはまったく冗談ではない」、てっきり「冗談」だと思っていたが、そうでもないとは改めて驚かされた。
・『「今日よりも明日がいい日になる」「来年は今年よりも給料が大幅に上がっている」「ボーナスをあてにして大きな買い物ができる」 ひと昔前の時代であれば、とくに違和感なく受け入れられてきたこうした一般的な感覚が、現代社会の働き盛りの人びとにとってはそうではない。本当にそのような時代が実在していたのか疑わしい、さながら異世界や別の世界線にある日本社会を語っているかのような感覚に陥ってしまう』、「ひと昔前の時代であれば、とくに違和感なく受け入れられてきたこうした一般的な感覚が、現代社会の働き盛りの人びとにとってはそうではない。本当にそのような時代が実在していたのか疑わしい」、時代の変化は予想以上だ。
・『磯野家も野原家も「圧倒的な勝ち組」に見える  漫画『サザエさん』の磯野家やフグ田家、あるいは『クレヨンしんちゃん』の野原家は当初、ごく平凡な中流家庭つまり「庶民階級」の姿を想定して描写されたし、そのような庶民の描かれ方に人びとは疑問をもたなかった。しかし、いまの20代や30代からすれば、かれらを「ごく平凡な庶民の姿」とみなす人はそれほど多くはないだろう。むしろ圧倒的な勝ち組・富裕層の家庭としてみなすようになっている。 都心もしくは首都圏に一戸建てのマイホームやマイカーを所持し、子どもを複数人育てる――これらは『サザエさん』や『クレヨンしんちゃん』がはじまった時代には「ふつうの一般家庭の姿」として受け入れられていた。だが、もはやその「ふつう」は、はるか遠い高みへと消え去ってしまった。私たちはどんどん貧しくなっていく国に生きている。 『サザエさん』や『クレヨンしんちゃん』で描かれたサラリーマンの暮らし向きは、もはや現代人にとっては「在りし日の懐かしい風景」ではなく、ある種の「(心情的に受け入れがたい描写としての)ファンタジー」なのである』、「漫画『サザエさん』の磯野家やフグ田家、あるいは『クレヨンしんちゃん』の野原家は当初、ごく平凡な中流家庭つまり「庶民階級」の姿を想定して描写された」、「しかし、いまの20代や30代からすれば、かれらを「ごく平凡な庶民の姿」とみなす人はそれほど多くはないだろう。むしろ圧倒的な勝ち組・富裕層の家庭としてみなすようになっている」、「圧倒的な勝ち組・富裕層の家庭としてみなすようになっている」、信じられないような時代の断絶を感じる。
・『正社員は「いつかなれるもの」ではなくなった  磯野家や野原家が庶民ではなく「勝ち組」の既得権益者側に見える――このようなコンテクストを踏まえれば、正社員として働き大小さまざまな恩恵を享受できていることが「ふつうである」という前提を、もはや全社会的に共有することが難しくなっていることが見えてくる。つまり、同じ会社で働く非正規雇用者からすれば、正社員は「いつか自分がそうなりえる姿」ではなくて、一生交わることのない並行世界の住人にしか思えないのだ。 近頃において「無駄を省く(既得権益者の利権を削る)」といったスタンスの党派が喝采されるのも「自分はそのような粛清の刃を向けられる側の世界の住人ではないし、これからもずっとそうである」という感覚を少なくない人が共有しているからだ。 自分が踏み入れることのない並行世界の人びとだけが「おいしい思い」をしている姿を見るのは、不公平というか差別的にすら思える。「正社員/恵まれている人の待遇を削ったら、まわりまわって自分にも損がある」――というマクロ経済学的な知見に裏付けられた正論には、もはや多くの人がリアリティや説得力を感じられなくなっている。「どうせ自分はずっとこのままなのに、どうして同じような仕事をしているあいつらは(大したことをしていないなのに)給料が高いのか。それは不当だ。差別だ」という不公平感の方が優勢になる』、「同じ会社で働く非正規雇用者からすれば、正社員は「いつか自分がそうなりえる姿」ではなくて、一生交わることのない並行世界の住人にしか思えないのだ」、「一生交わることのない並行世界の住人」とは言い得て妙だ。
・『「みんなで豊かになる」という物語の死  自分がけっしてその領域に足を踏み入れることはない「別世界」で暮らす人びとの待遇が引き下げられることは、自分にとってなんの痛みもないどころか、かえって社会がより「公平」に近づいて歓迎されるべき「善行」だ――とすら考えられるようになる。 「いま恵まれている人を引き下げたら、自分がその立場に行けたときに損をする。だから少しでもだれかが得する方向に働きかけよう」という、互助的な規範意識が、機能不全に陥ろうとしている。「みんなが苦しい時代に、おいしい思いをしているのは不当な既得権益者に違いないのだから、かれらにメスを入れて闇を暴き、引きずり下ろす! それが民意である!」――というスタンスを明確にする、いわゆるポピュリズム政党が市民社会からの喝采を浴びますます勢いに乗るのは偶然ではない。 この社会が「みんなで豊かになる」という社会的合意(あるいは共同幻想)を喪失してしまっていることの裏返しでもある』、「互助的な規範意識が、機能不全」、「「みんなが苦しい時代に、おいしい思いをしているのは不当な既得権益者に違いないのだから、かれらにメスを入れて闇を暴き、引きずり下ろす! それが民意である!、なんとも世知辛い世の中になったものだ。
・『「平等に貧しくなろう」が説得力をもつ社会  世の中で「豊かな人」を見かけても、「羨ましいが、きっと自分にもいつかはその番が巡ってくるだろう」と肯定的に考えられなくなった。そうではなくて「豊かな人は、自分たちから富を奪っている収奪者だからこそ豊かなのだ」という感覚が支配していくようになった。 日本郵政の経営陣は、この社会が左右だけではなくて上下に分断されている空気を素直に読み込んだからこそ、「正社員の《特権》を解体して、フェアな待遇に改定しましょう」と持ち掛けた。こうした提言がたとえネットでは批判殺到でも、実社会においてはこの種の提案を支持する人が今日には一定数いることは明らかだ。 「みんなで豊かになる」という物語をだれも信じられなくなった。無理もない。いつか自分が豊かになると信じて待つには「失われた30年」はあまりにも長すぎたからだ。 「みんなで豊かになる」という美しい物語が死んだ。 その代わりにやってきたのが「平等に貧しくなろう」であった。 みんながつらくて苦しい時代には、いつか自分たち全員が慈悲深い神によって掬いあげられる日がやってくる物語よりも、「豊かさ」を享受している者を引きずり下ろす物語の方が、はるかに説得力があった』、「「豊かさ」を享受している者を引きずり下ろす物語の方が、はるかに説得力があった」、嫌な時代になったものだ。
タグ:格差問題 (その9)(日本人は賃金格差の原因をイマイチわかってない いかに労働規制で対処しても問題は解決されない、データで解明「コロナで階級社会化が加速」の衝撃 打撃を最も受けたのは非正規の若者と女性、「正社員を引きずり下ろしたい」"みんなで豊かになる"物語を失った日本の末路 年収400万が高級取りの時代) 東洋経済オンライン 野口 悠紀雄氏による「日本人は賃金格差の原因をイマイチわかってない いかに労働規制で対処しても問題は解決されない」 「賃金格差については、事後的な再分配政策をいくら手厚く行っても、問題を解決したことにはならない」、累進税制などの「再分配政策」には技術的な限界でもあるのだろうか。 「資本装備率において、企業規模別に顕著な差があり、大企業が高く、零細企業が低い。 これが賃金格差の基本的な原因と考えられる」、には違和感がある。「資本装備率」が高いのであれば、「資本」の取り分が大きくなるのは理解できるが、「労働」の取り分が大きくなるのは理解できない。ただ、「資本装備率」が「企業規模」を表しているので、「基本的な原因は、企業規模の違いなのだ」との判断はその通りだ。 「最低賃金を引き上げるべき」との主張の代表格は、英国人アナリストのデービッド・アトキンソン氏だ。野口氏氏は「雇用が縮小するだけのこと」としているが、私にはどちらが正しいのかは判断できない。 橋本 健二氏による「データで解明「コロナで階級社会化が加速」の衝撃 打撃を最も受けたのは非正規の若者と女性」 世の中はこんな非常事態でも需給バランスが取れるように動いたことに強い印象を受けた。 「感染症は、すべての人々に平等に襲いかかるのではない。階級によって影響に差があるのだ」、「感染リスクは、階級によって異なる」、「物価の上昇から受ける影響は、豊かな階級では小さく、貧しい階級では大きい」、なるほど。 「アンダークラス」では世帯年収」、「個人年収」とも群を抜いて低いようだ。 「新中間階級は在宅勤務によって感染のリスクを減らすことができた」、「アンダークラスでは」、「コロナ禍は明らかに、若者の仕事により強く影響」したが、「収入が減った人の比率は・・・40歳以上では31.8%と「若者」より多いようだ。 「コロナ禍は、従来からあった階級間の格差をより際立たせた。アンダークラスと旧中間階級がより大きなインパクトを受け、さらにアンダークラスの内部を見ると、若者と女性が受けたインパクトが大きい。 弱者がより大きな影響を被り、格差が拡大した」、「格差を縮小して災禍に強い社会をつくりだすことが、今後の日本社会には求められる」、同感である。 PRESIDENT ONLINE 御田寺 圭氏による「「正社員を引きずり下ろしたい」"みんなで豊かになる"物語を失った日本の末路 年収400万が高級取りの時代」 「今は『平等に貧しくなる』方が説得力をもつ時代になっている」、寂しい限りだ。 既得権を切り下げられる「労組」はどうするのだろう。 「「正社員の待遇を非正社員に近づける・・・」ことによってその格差を「是正」しようと提案」、には驚かされた。 「今日の若者たちにとってみれば「年収400万円は高給取り」というのはまったく冗談ではない」、てっきり「冗談」だと思っていたが、そうでもないとは改めて驚かされた。 「ひと昔前の時代であれば、とくに違和感なく受け入れられてきたこうした一般的な感覚が、現代社会の働き盛りの人びとにとってはそうではない。本当にそのような時代が実在していたのか疑わしい」、時代の変化は予想以上だ。 「漫画『サザエさん』の磯野家やフグ田家、あるいは『クレヨンしんちゃん』の野原家は当初、ごく平凡な中流家庭つまり「庶民階級」の姿を想定して描写された」、「しかし、いまの20代や30代からすれば、かれらを「ごく平凡な庶民の姿」とみなす人はそれほど多くはないだろう。むしろ圧倒的な勝ち組・富裕層の家庭としてみなすようになっている」、「圧倒的な勝ち組・富裕層の家庭としてみなすようになっている」、信じられないような時代の断絶を感じる。 「同じ会社で働く非正規雇用者からすれば、正社員は「いつか自分がそうなりえる姿」ではなくて、一生交わることのない並行世界の住人にしか思えないのだ」、「一生交わることのない並行世界の住人」とは言い得て妙だ。 「互助的な規範意識が、機能不全」、「「みんなが苦しい時代に、おいしい思いをしているのは不当な既得権益者に違いないのだから、かれらにメスを入れて闇を暴き、引きずり下ろす! それが民意である!、なんとも世知辛い世の中になったものだ。 「「豊かさ」を享受している者を引きずり下ろす物語の方が、はるかに説得力があった」、嫌な時代になったものだ。
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資本主義(その9)(セドラチェクvs斎藤幸平「成長と分配のジレンマ」 「成長至上」と「脱成長」の狭間の資本主義論、大テーマを掲げた割には内容が小粒 「改革」なき「新しい資本主義」、大前研一「"新しい資本主義"が危険である これだけの理由」 賃上げするほど格差は拡大する) [経済]

資本主義については、昨年12月9日に取上げた。今日は、(その9)(セドラチェクvs斎藤幸平「成長と分配のジレンマ」 「成長至上」と「脱成長」の狭間の資本主義論、大テーマを掲げた割には内容が小粒 「改革」なき「新しい資本主義」、大前研一「"新しい資本主義"が危険である これだけの理由」 賃上げするほど格差は拡大する)である。

先ずは、本年1月1日付け東洋経済オンラインが掲載した NHK「欲望の資本主義」プロデューサー/東京藝術大学客員の丸山 俊一 氏による「セドラチェクvs斎藤幸平「成長と分配のジレンマ」 「成長至上」と「脱成長」の狭間の資本主義論」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/477941
・『今、資本主義をめぐる議論が熱い。 「成長至上」のあり方を否定することにおいてはともに一致しつつも、現状を打開する方策、システムのあり方について意見を異にし、対立する2人が出会った。かたや思春期に共産主義を経験、その苦い記憶からそこに帰ることなく資本主義において解決策を探し続けるチェコの奇才アナリストと、アメリカでマルクスに出会い、脱成長の可能性に魅せられた夢見る俊英学者との対論だ。 『欲望の資本主義5:格差拡大 社会の深部に亀裂が走る時』など、書籍化もされている新春恒例の番組「欲望の資本主義」。元日放送の「BS1スペシャル 欲望の資本主義2022 成長と分配のジレンマを超えて」での、トーマス・セドラチェク氏と斎藤幸平氏によるチェコと東京を結ぶ熱い議論は、3時間を超えるものとなった。その冒頭部分をお聞きいただこう』、「番組」は見逃したので、有難い。
・『社会主義を支持する欧米の若者たち  斎藤幸平(以下、斎藤):セドラチェクさんの『善と悪の経済学』を読みましたが、経済成長を時に鈍化させる必要性をあなたは説いていますよね?私も著書『人新世の「資本論」』の中で脱成長について議論し、その議論は今では日本でも多くの人に受け入れられています。 今日は「脱成長は可能なのか」について議論したいのですが、いちばんのポイントは、脱成長は資本主義の中で可能なのか、あるいは資本主義を超えた先の脱成長をめざすべきなのか、だと思います。その点について、じっくり話し合えればと思います。 セドラチェク:私の国は長く共産主義を経験しましたから、その点についても話せますね。それに、この問題を環境問題に結び付けた形で議論することも可能です。なぜなら、あなたのマルクス主義に基づきつつも現実的でエコロジカルな視点に、私はとても興味があるからです。すばらしい議論ができるでしょう。 斎藤:ええ。同意できる点と異なる点と……、議論を楽しみにしています。 セドラチェク:頭脳明晰な友人とのおしゃべりは、最高の夜の過ごし方ですからね。 斎藤:ありがとうございます。ではまず、最初にアメリカのバーニー・サンダースやイギリスのジェレミー・コービンといった「社会主義」を掲げる政治家の人気について話したいと思います。彼らを最も情熱的に支持しているのが若者だというのは、注目すべき点です。「ジェネレーション・レフト」とも呼ばれる、ミレニアル世代やZ世代がますます社会主義的な考え方に興味を持つようになっている。 その背景には、資本主義が、「みんなを豊かにする」という約束を果たせなくなっているという問題があります。つまり、経済を成長させることで、あらゆる人により豊かな生活をもたらすという約束です。 若者たちが直面しているのは、深刻な経済的不平等です。若い世代の多くの人たちは、不安定で低賃金の職にしかありつけていません。学費の高い英米の若者たちは、就職後も学生ローンの返済で苦しんでいますし、ニューヨークやロンドンなどの大都市の家賃は高騰するばかりです。今の資本主義を続けることは、若い世代にとっては経済破綻を意味します。 ソ連が崩壊して30年経ち、再びある種の社会主義的な考え方に若者が共鳴するのには、十分な理由があると私は思っていますが、その点、どんなふうに捉えていらっしゃいますか?』、「今の資本主義を続けることは、若い世代にとっては経済破綻を意味します。 ソ連が崩壊して30年経ち、再びある種の社会主義的な考え方に若者が共鳴するのには、十分な理由があると私は思っています」(斎藤)。
・『食べ物の棚が空っぽの社会主義時代のチェコ  セドラチェク:サンダース現象の盛り上がりについては、私が住む欧州の視点からは、率直なところ理解に苦しみます。なぜなら私たちは資本主義を違う方法でも利用できると知っているからです。実際、過去35年の全人口の富の増加のデータを見ると、欧州に鉄のカーテンがあった時代、つまり昔の社会主義時代と比べると興味深い傾向があります。 欧州の富裕層の富はそれほど増えず、200%増加した程度です。倍になったのは大きいですが、アメリカに比べればそれほどではありません。ましてやロシアとは比べ物になりません。チェコも貧困層や中流階級の人々さえも過去30年間の資本主義の恩恵を受けています。 ですからヨーロッパの若者は、左派に対してそれほどの情熱を持っていないでしょう。とくに社会主義の時代に空っぽの棚を経験している、ここ中欧では。私は子どもの頃、フィンランドに住んでいたこともあり、鉄のカーテン 両側から見ることができました。あるとき、祖母がフィンランドに来たことがありました。彼女が亡くなった後に、遺品を整理していたら食べ物の写真が20枚ほど出てきましたよ。彼女にとっては食べ物でいっぱいの棚がたくさんあるのが珍しかったのでしょうね。 斎藤:欧州の中流階級がそれほど貧しくなっていないという点は注目すべきですね。若者たちも、史上最悪の状況に置かれているというわけではありません。 しかしながら、欧州においてさえ社会主義など、脱資本主義への関心が高まっているのは事実で、先に挙げたコービンだけでなく、ギリシャのヤニス・バルファキスなどの躍進にも表れています。 こうした現状を理解するために、もう1つ重要なポイントは、私たちが「人新世の危機」に直面しているということではないでしょうか?「人新世」とは、人類の経済活動が巨大になり、今後数千年も続くような地球全体の変化をもたらし、地質学的に大きな影響力を与えている時代のことです。つまり、資本主義が地球を壊すほどの環境危機を引き起こしているのです。そのうち最も深刻な危機が気候変動です。 コロナのパンデミックは、「人新世の危機」を象徴していますが、問題は新型コロナの感染爆発は最後の危機ではなく、むしろスタートだという点です。コロナ禍は、気候変動が引き起こす慢性的緊急事態へのリハーサルでしかないのです』、これに対し「セドラチェク」は、「欧州の富裕層の富はそれほど増えず、200%増加した程度です・・・アメリカに比べればそれほどではありません・・・チェコも貧困層や中流階級の人々さえも過去30年間の資本主義の恩恵を受けています。 ですからヨーロッパの若者は、左派に対してそれほどの情熱を持っていないでしょう」と、社会主義から「資本主義」に体制転換したことから、「資本主義」の問題点には余り関心がないようだ。
・『パンデミックは来る気候危機の予告編  セドラチェク:私はデモ版と呼んでいます。予告編ですね。 斎藤:ええ、気候危機の予告編です。摂氏2度上がった世界を想像してください。すぐにその時はやって来ます。台風やハリケーン、山火事、干ばつが増え、海面上昇も起き、人間の手に負えなくなります。そして確実に水不足や食糧危機が起き、多数の難民が生まれます。社会に大きなマイナスの影響も生まれ、排外主義や極左運動等を生み、戦争や紛争につながるのです。 そう考えれば、Z世代の不安や怒りは理解できるでしょう。彼らは近い将来に起きる危機を非常に恐れているのです。 そして若い世代は、気候危機に対する説得力のある、魅力的な解決策を提供できない現在のシステムに失望しています。そしてもし既存のシステムが解決策を提供できないならば、今のシステムの外に求めるべきだと考えています。 だから、社会主義が次なるシステムの候補に上がっているわけです。 セドラチェク:気候危機が、人々が解くべき重要な問いであることには同意します。私たちはその解決策を知りません。この惑星でこんなことが起きたのは初めてですからね。この状況は私たちが1989年に資本主義を導入すべく共産主義から離脱したときの状況と少し似ています。当時教科書がなく、どうすべきかわかりませんでしたから。確かに気候変動の原因は、普通に考えれば、資本主義です。) セドラチェク:しかし私は、資本主義自体の問題ではないと考えるのです。なぜそう思うのかと言えば、解決策を見つける国は、いつも西側の資本主義国だからです。中国の共産主義によって発案された解決策はありません。 実際、現在議論されているCOPでの温室効果ガス削減目標に関しては、皮肉にも中国が最も後ろ向きで自らが出す公害の割合を減らす覚悟ができていないのです。公共の利益を考えるべきは、ほかでもない社会主義あるいは共産主義政党のはずでしょう?ちなみに、私は過去の経験から2カ月ほど前に挑発的な論文を書いたのですが、その内容は「資本主義は共産主義ほど環境を破壊しない」というものでした。 私はこのチェコの地で育ち、革命が起きた時は12歳でした。そして30年……、共産主義による40年間にわたる環境破壊の後始末をするのに、資本主義社会で30年かかったわけです。私にとっては皮肉でした。なぜなら子どもの頃こう思っていたからです。「私欲や利益、利己主義に左右されず、中央計画経済が実行され、民衆の幸福と公共の利益の実現のみを役割とする政治体制なのに、なぜ?」と。 公共の利益の例として私たちが吸う空気に勝るものがあるでしょうか?私たちは同じ空気を吸っています。しかし、共産主義はその空気を守ることができませんでした。利己主義で利益を追求し、無秩序で組織化されておらず、命令でなく報奨金のみによって動くフィンランドの資本主義の人々ほどもね。これは大きな逆説です。フィンランドのビジネスマンは環境を守ろうと意図していたわけではなく、スープやジャガイモなどを売って儲けたかっただけにもかかわらず、旧チェコスロバキアほど環境を悪化させなかったのです』、「私たちは同じ空気を吸っています。しかし、共産主義はその空気を守ることができませんでした」、その通りだ。
・『資本主義システムではない新しいシステム  斎藤:チェコスロバキアなどの東側諸国のほうが、資本主義の西側諸国よりも大気汚染など環境に悪影響を与えていたとおっしゃいましたね。その点は理解します。 しかしながら、東西両陣営、どちらの体制の国々も果てしない経済成長を求めていたこと、そしてどちらも、生態系への影響を無視して近代化を求めていた、という点が最大のポイントです。東西ともに、成長を追求し、環境を破壊したという、その点においては、まったく同じ穴の狢だったわけです。) 斎藤:生産における古い社会主義的管理体制が非効率的で環境を破壊するものだったという点は理解しています。しかし、当時そうだったというだけであって、未来の環境を考えた場合、社会的に生産を管理・規制する必要があり、そのほうが環境にいいという可能性までも否定するものではありません。 なぜなら、市場で無秩序な競争を行い、際限のない資本増殖を追求する資本主義システムのもとでは、環境危機を悪化させるばかりで、危機を解決に導くことなどできないからです。現に気候変動問題は、ソ連崩壊後にますます悪化しています。私たちは環境危機の原因である、資本主義システムではない新しいシステムを作らなくてはなりません。 残念ながら、利潤を求め、経済を成長させるということは、ほぼ例外なく物・資源・エネルギーの消費の増大を伴うのです。成長と環境に悪い消費を短期間で切り離すことは至難の業です。 EUやアメリカは“緑の”資本主義をスローガンに掲げ、技術革新によって、経済成長と環境への悪影響を切り離す、デカップリングを目指していますが、技術的にそれが実現する保障はありません。しかし、気候危機を解決するには「今後30年のうちに解決しなければ、ポイント・オブ・ノーリターンを迎えてしまう」という深刻なタイムリミットもあります。二酸化炭素排出量を、大急ぎで大幅に削減し、ゼロにせねばならないのです。 ですから、実現の保証が定かでない技術革新だけに期待をかけて、経済成長を求めている場合ではないのです。例えば国家権力によって悪質な産業は止めることなども選択肢にせねばなりません。今われわれは、コロナのパンデミックよりも大きな問題に本当は直面しているのです』、「二酸化炭素排出量を、大急ぎで大幅に削減し、ゼロにせねばならない」という「コロナのパンデミックよりも大きな問題に本当は直面している」、その通りだ。
・『パンデミックによる「資本主義の中の社会主義」  斎藤:ただ、パンデミックから私たちが学んだこともあります。つまり、われわれは緊急モードになって、やろうと思えばロックダウンもできるし、マスクやワクチンなど、どうしても必要なモノを作るよう市場に呼びかけることもできるという点です。ロックダウン中はお金を配るよう政府に要求することもできます。 こうしたコロナ対策が証明したのは、どれほど素早くわれわれが自らの行動を変えられるか、そして政府は実際、国民の命を守るために動けるのだということです。これは、われわれの政治や経済に関する想像力が広がった経験だと考えています。 市場の規制を撤廃し民営化を進める新自由主義が国民の命を守り、生活をより豊かにする最も効率的な方法だと言われてきました。しかし、そうした社会がもたらしたパンデミックと気候危機という矛盾に直面し、より社会的規制や共同生産の可能性を模索せねばならなくなったのです。 当然、旧社会主義国の失敗を繰り返してはなりませんけどね。 セドラチェク:パンデミックが想像力を広げたことには同意します。この間、世界中が共産主義になったとも言えますからね。誇張した表現ですが。 斎藤:危機の時代にはみな社会主義者になるというジョークが昔からありますからね。 セドラチェク:そのとおりです。皆いくらかの給付金を受け取ったわけで、もしもパンデミックが続いても、何年かは持ちこたえられるでしょう』、「コロナ対策が証明したのは、どれほど素早くわれわれが自らの行動を変えられるか、そして政府は実際、国民の命を守るために動けるのだということです。こは、われわれの政治や経済に関する想像力が広がった経験だと考えています」、同感である。
・『資本主義国家と共産主義国家の違い  セドラチェク:しかしここで考えねばならないのは、持ちこたえられるのも、今私たちが豊かだからということです。共産主義の末期ではムリでした。1980年代にパンデミックはありませんでしたが、それでも店の棚に食料はありませんでした。飢餓にある人もいたのです。 「BS1スペシャル欲望の資本主義2022成長と分配のジレンマを超えて」は、NHK BS1にて2022年1月1日22:00~放送予定(写真:NHK) フィンランドのような中央計画経済とは無縁の社会が、なぜチェコスロバキアなどの中央計画経済の国々よりも当時繁栄していたのか、私にとってこれは最大の謎でした。西側のほとんどの国々では、なぜか生態系、自然へのダメージが共産主義体制の国々より大幅に少なかったのです。これはちょっと皮肉です。言葉を額面どおり受け取るなら、共産主義のほうがマシなはずですから。リーダーが「明日からCO2の排出量を減らすぞ、煙突にフィルターをつける」と宣言できるはずだからです。 ところが実際は違いました。1988年、革命が本格化する前に、チェコスロバキアの北部の町々で政権に対する抗議運動がありました。あまりの空気の悪さで、息が吸えなかったのです。民衆は共産主義体制を批判し始め、その運動が首都プラハまで波及して知識人による反乱となりました。始まりは環境問題だったのです。 当時リーダーたちを批判することは禁じられていました。これが資本主義国家と共産主義国家の違いだと思います。資本主義国家は批判に対してお金を払い、批判を求め、変化を求めるのです。 新しい制度が必要だという点ではまったく同感です。しかし私は、資本主義の中で模索します。 あくまで資本主義内での問題解決を考えるセドラチェクと、コミュニズムの実現を目指す斎藤の議論は、いよいよ核心へと入っていく……。どこまでわかり合え、どこからが異なるのか? 成長、分配、生産性……、さまざまな言葉が行き交う今、資本主義の曲がり角にあって進むべき道は? このほかにも世界各地のさまざまな経済のフロントランナーたちが登場、資本主義の可能性と限界に迫る、2017年からの新春恒例の企画ならではの、骨太でスリリングな議論が番組では展開される』、「チェコ」など東欧の民主主義「革命」も「始まりは環境問題だった」、忘れていた重要なポイントを思い出させてくれた。

次に、1月13日付け東洋経済Plus「大テーマを掲げた割には内容が小粒 「改革」なき「新しい資本主義」」を紹介しよう。
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/29328
・『岸田文雄首相の掲げる「新しい資本主義」の評判がエコノミストの間で芳しくない。大テーマを掲げた割にはその内容が小粒で、新味に欠けるからだ。 首相が年頭所感で説明する「新しい資本主義」はこうだ。成長については「デジタル化」「気候変動」「経済安全保障」「イノベーション・科学技術」などの社会課題をエンジンとする。分配については、格差に向き合い、「企業による賃上げ」や「人的投資の強化」を行う。これを次の成長につなげ、「成長と分配の好循環」を生むことで、経済の持続可能性を追求する──。 これでは、巷間(こうかん)いわれるようにアベノミクスと変わらない。 成長のエンジンとは産業戦略にすぎない。政府がテーマを並べて税制優遇や補助金で企業の投資を誘導する、従来型の手法だ。これまでも繰り返されてきたが、イノベーションの活性化にはつながらなかった。 本来、イノベーションは企業の側から自発的に生まれる。政府の役割は、それを阻害するような規制・制度を見直し、既得権を持つ者による不当な取引慣行を排除することだ。民間のイノベーションが乏しいことが、日本の問題だ。 分配についても、「企業による賃上げ」を「賃上げ税制」という企業への優遇措置に頼ろうというのでは、アベノミクス下の官製春闘と同様に持続性はないだろう』、「分配についても、「企業による賃上げ」を「賃上げ税制」という企業への優遇措置に頼ろうというのでは、アベノミクス下の官製春闘と同様に持続性はない」、その通りだ。 
・『30年近く沈み続けて  首相は「すべてを市場や競争に任せるのではなく」、「新自由主義から決別すること」が「先進国共通の課題だ」と語る。確かに日本でも株主至上主義を促すコーポレートガバナンス・コードの導入や法人税引き下げなどの新自由主義的政策は導入された。だが、すべてを市場や競争に任せてはいない。 単純化していえば、米国ではイノベーションが活発な反面、起業家やCEO(最高経営責任者)が、突出した報酬に加えて株主利益や減税の恩恵も手にした。一部の勝者への富の集中で格差は拡大した。 日本の場合は、潜在成長率が低下してほぼゼロになる中で、中間層から下層に滑り落ちる人が増え、格差が拡大した。その背景には、新卒一括採用・終身雇用制、正社員の解雇規制がある。企業は景気に応じて調整しやすくコスト負担の少ない非正規雇用を増やした。 企業に補助金や税制優遇を与えて雇用を守ってもらう政策を変えなかったことで、低成長・低採算の産業が温存され、人材もそこに縛られて低賃金から脱却できない。結果的に、守られない非正規雇用も拡大した。これを続けるのか。 潜在成長率を引き上げるには、パッチワーク的修正でなく、経済全体の枠組み変更の必要がある。 中心に据えるべきは労働市場の改革で、ドイツや北欧の例に倣って積極的労働市場政策に転換することだ。企業倒産や解雇を容認することで、企業や事業の新陳代謝を促す。セーフティーネットとしては個人を対象とする失業手当や再就職支援、そのための職業教育などを手厚くすることで、成長分野への労働移動を促す。国内で成長の可能性が見えてくれば、企業も投資を活発化させる。 また、家計が安心して消費を増やすためには、持続可能な社会保障、財政の姿を示すことが必要で、財源の議論は避けて通れない。 ばらまき政策が多いのは、今夏の参院選で過半数を握るためで、それまでは財源など不人気な議論は封印されているのだという解釈がもっぱらだ。だが、長期化した安倍政権も改革への取り組みは希薄だった。首相が「規制改革」や「既得権益の打破」といった言葉を避けていてよいものか』、「潜在成長率が低下してほぼゼロになる中で、中間層から下層に滑り落ちる人が増え、格差が拡大した。その背景には、新卒一括採用・終身雇用制、正社員の解雇規制がある。企業は景気に応じて調整しやすくコスト負担の少ない非正規雇用を増やした。 企業に補助金や税制優遇を与えて雇用を守ってもらう政策を変えなかったことで、低成長・低採算の産業が温存され、人材もそこに縛られて低賃金から脱却できない。結果的に、守られない非正規雇用も拡大した。これを続けるのか。 潜在成長率を引き上げるには、パッチワーク的修正でなく、経済全体の枠組み変更の必要がある」、同感である。「首相が「規制改革」や「既得権益の打破」といった言葉を避け」るべきではない。

第三に、プレジデント 2022年3月4日号が掲載したビジネス・ブレークスルー大学学長の大前 研一氏による「大前研一「"新しい資本主義"が危険である、これだけの理由」 賃上げするほど格差は拡大する」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/54516
・『賃上げするほど格差は拡大する  給料を上げた企業は税金が安くなる「賃上げ促進税制」が2022年4月からスタートする。大企業と中堅企業の場合、前年度比で3%以上給料をアップすれば法人税が15%控除され、4%以上は25%控除される。中小企業の場合は、1.5%以上アップすると15%控除、2.5%以上は30%控除だ。 賃上げ税制は、岸田文雄首相が設置した「新しい資本主義実現会議」が提案した。競争原理を重視した新自由主義では格差が拡大したから、新自由主義にかわる「新しい資本主義」を目指すという。賃上げ税制は、これを実現する具体策の1つというわけだ。 この政策を本気で「資本主義」だと考えているとしたら、岸田政権は危険だと思う。「政府が賃金をコントロールするのは、資本主義ではないのではないか?」と首をかしげたのは、私だけではないだろう。 資本主義の基本は、自由なマーケットだ。マーケットで競争が起こり、強い企業が生き残る。経営者は競争を通して、商品の価格や従業員の人数、給与を決めていく。競争に勝利した企業は、利益を将来の事業に再投資して、さらに強くなる』、「賃上げ税制」「を本気で「資本主義」だと考えているとしたら、岸田政権は危険だと思う。「政府が賃金をコントロールするのは、資本主義ではないのではないか?」と首をかしげた」、確かにその通りだ。
・『介入しないことが資本主義  私が「3C」と提唱したとおり、強い企業は、顧客(Customer)、組織(Company)、競争相手(Competitor)の「3つのC」を考えて、マーケットが好む商品を提供する。現在のボーダーレス社会では、世界で最も安くて良質な材料を仕入れ、人件費が安く良質な労働力がある場所で生産し、高く買ってくれる場所で販売する。“世界最適化”は自由なマーケットを前提に成り立っている。政府はマーケットに自由な選択を与え、介入しないことが資本主義なのだ。 企業に「賃上げしたら税金を安くするよ」というのは、マーケットへの介入だ。資本主義でもなければ自由主義でもない。岸田首相の「新しい資本主義」は、すでに失敗が証明されている全体主義、あるいは計画経済の発想だ。 さらに、腰が抜けるほどびっくりした政策がある。4月以降、賃上げを表明した企業は、公共工事などの政府調達の入札で優遇するというのだ。 政府調達の財源は税金だ。企業努力をせずに賃上げだけをして人件費が増えれば、入札価格は高くなる。入札の原則は「一円でも安く」することなのに、入札価格が高い企業のほうを優遇して税金を多く払うというのは、犯罪的行為だ。 そして、「上に政策あれば下に対策あり」という言葉のとおり、合理的な経営者はきっとこう考えるだろう。 「人件費を高くするくらいなら、賃金が安い海外に、仕事をアウトソーシングしよう。その分、国内の従業員は減らす。社内には特に優秀な人間だけ残して、賃上げする。これで人件費は抑えられ、法人税の負担は減り、公共事業も受注しやすくなる」 このように、賃金と雇用は相反関係だ。賃金を上げて人件費の負担が増えれば、雇用は減る。従って、分配を訴える「新しい資本主義」こそ、実態は国内の雇用減少を促す格差拡大政策なのだ。 やはり岸田首相の「新しい資本主義」は、21世紀の経済原則を理解していない。 1980年に出版された『第三の波』で、アルビン・トフラーが脱工業化社会と情報化社会を予測した。実際にIT革命は起こり、世界中で生産性が高まった。しかし日本では、いまだに生産性が向上せず平均賃金は韓国以下。DXが進まず、仕事を奪われないようにDXに抵抗する人たちもいる。 例は、建築確認申請だ。住宅やビルを建てる際に自治体に提出する建築確認申請はIT化されていない。数十ページの申請書を風呂敷に包んで持っていき、最大35日以内に審査されることになっている。2005年に耐震強度偽装の姉歯事件が起きたあとは、高いビルは第三者機関の審査が必要となり、最大70日まで審査期間は延びた。申請にかかる手間と時間は膨大だ。) しかし、シンガポールではIT化され、CADの設計データなど、デジタルの資料を提出すれば、30分ほどで許可が下りる。生産性の差は歴然だ。 日本でIT化できないのは、第一に役所の抵抗があるからだ。私の知人が、北海道で建築基準法の電算化を試みたことがある。基準がわからない点があるからと道庁で尋ねると、担当者から「そんなことはやめろ。俺たちの仕事がなくなるじゃないか」と言われたそうだ。役所の担当者は裁量権を残したいというのだ。私の友人は役所の役に立つと思って相談したのに「担当者になじられてえらい目に遭った」と話していた。 医療分野でも、日本のDXはずいぶん遅れている。 たとえば米国の医療系IT企業プラクティス・フュージョンは、電子カルテを管理するクラウドサービスを無料で提供している。約16万の開業医と提携し、総合医療の巨大プラットフォームを構築して米国の医療システムを激変させた。患者は自分の診療データや処方箋をスマホで受け取り、薬を買える近所の薬局も表示される。アマゾンに処方箋を転送すれば、早ければその日のうちに配達される。 中国には、平安ピンアン保険グループのオンライン診療アプリ「平安グッドドクター」がある。病院や薬局、検診センターと連携し、ユーザーは24時間いつでもスマホのチャットで診察してもらえる。対面の診察が必要なら、提携する医療機関を紹介してくれる。 日本でも、メドレーなどの医療系ITベンチャーがオンライン診療に取り組んできたが、いまだに認められていない。新型コロナの影響で、かかりつけ医のオンライン診療がようやく許可された段階だ。カルテも米中とは違って、患者のものになっていない。 建築、医療のほかにも、役所の規制や抵抗によって、DXが進まない分野は数多くある。日本政府がなすべきことは、計画経済的な「賃上げ」ではなく、21世紀の経済に合った規制撤廃・緩和なのだ』、「政府はマーケットに自由な選択を与え、介入しないことが資本主義なのだ」、「日本でIT化できないのは、第一に役所の抵抗があるからだ。私の知人が、北海道で建築基準法の電算化を試みたことがある。基準がわからない点があるからと道庁で尋ねると、担当者から「そんなことはやめろ。俺たちの仕事がなくなるじゃないか」と言われたそうだ」、こんなことでは電子政府など単なる掛け声に過ぎないようだ。
・『今の小学生たちはAIに負ける  実は、DXなど既存業務の生産性向上は、IT革命の前半戦にすぎない。遅くとも45年に、AI(人工知能)が人類の知能を超えると予測されている、シンギュラリティ(技術的特異点)だ。 IT革命の後半戦はそこからはじまり、人員削減どころではない恐ろしい変化が起こる。IT化による生産性向上が“IT経済”だとすれば、次にシンギュラリティによって“サイバー経済”が到来する。 サイバー経済が進むと、まず学校の先生たちは大量に失業する。文部科学省の学習指導要領どおりに教え続けるなら、人間の教師は、予備校ナンバーワン講師のように、教えることの達人が各科目に1人ずついればいい。生徒はスマホで達人の授業を聞き、疑問が生まれたらAIに質問すればいいのだ。 教師だけでなく、「師業」「士業」の多くは同じ道をたどる。医師、弁護士、会計士などの高給なプロフェッショナル職種は、専門的な知識を多く知っていることに価値があったが、サイバー社会では知識や判断はAIに勝てない。 米国やカナダの弁護士は、裁判の戦術がすでにAI化している。「このケースでは、ここを攻めて、ここは守れ」といった指示がAIから出されるのだ。若い弁護士とベテラン弁護士の差はほとんどなくなった。AIの活躍は、医師や会計士でも起き始めている』、「サイバー経済が進むと、まず学校の先生たちは大量に失業する」、「「師業」「士業」の多くは同じ道をたどる。医師、弁護士、会計士などの高給なプロフェッショナル職種は、専門的な知識を多く知っていることに価値があったが、サイバー社会では知識や判断はAIに勝てない」、確かに「人員削減どころではない恐ろしい変化が起こる」。
・『見えないものを見る力  シンギュラリティが予測される45年は、いまの小学生たちが30歳前後で働き盛りの頃だ。文科省の指導要領は、シンギュラリティなど想定せず、記憶に偏重したカリキュラムのままだ。スマホで検索すれば数秒でわかることを覚えさせ、試験ではスマホは使用禁止で、自分の記憶が頼りだ。社会に出てから役に立たないことを頭にたたき込んでいる。 サイバー社会で“飯のタネ”になるのは、人間にしかできないことに限られる。コンピュータは記憶(記録)や大量の情報処理は得意だが、「0から1」の発想は苦手だ。従って、見えないものを見る力、構想力が鍵だ。 ただし、AIに勝つのは40人に1人くらいで十分だろう。あとの39人は、AIに勝った天才が納めた税金で生活する。普段の仕事は、介護や看護、ハンディキャップがある人の支援など、エッセンシャルワーカーとして社会的な役割を担う。 シンギュラリティで失業しない仕事はほかにもある。日本人が得意とするスポーツや芸術などの分野は、AIには真似できない。たとえば、海外のオーケストラやバレエ団では、日本人が数多く活躍している。料理人も世界中にいる。世界の上位に日本人がいるのは、観るもの、聴くもの、味わうものなど感性が発揮される分野だろう。 起業や経営にも構想力が求められる。ビジネスの構想力を鍛えるのに最も効果的なのは、起業家の話を聞いて刺激を受けることだ。ヤマハの川上源一さん、YKKの吉田忠雄さんなどの起業家の本を読むのもいい。 サイバー経済の世界は、正解がない。政府は国民の邪魔をしないように、規制を撤廃するのが仕事だ。政府がいう「新しい資本主義」は絶望的に時代錯誤な政策なのだ』、「文科省の指導要領は、シンギュラリティなど想定せず、記憶に偏重したカリキュラムのままだ。スマホで検索すれば数秒でわかることを覚えさせ、試験ではスマホは使用禁止で、自分の記憶が頼りだ。社会に出てから役に立たないことを頭にたたき込んでいる」、こんな時代遅れの教育をさせる「文科省の指導要領」の罪は大きい。「サイバー経済の世界は、正解がない。政府は国民の邪魔をしないように、規制を撤廃するのが仕事だ。政府がいう「新しい資本主義」は絶望的に時代錯誤な政策なのだ」、同感である。
タグ:資本主義 (その9)(セドラチェクvs斎藤幸平「成長と分配のジレンマ」 「成長至上」と「脱成長」の狭間の資本主義論、大テーマを掲げた割には内容が小粒 「改革」なき「新しい資本主義」、大前研一「"新しい資本主義"が危険である これだけの理由」 賃上げするほど格差は拡大する) 東洋経済オンライン 丸山 俊一 氏による「セドラチェクvs斎藤幸平「成長と分配のジレンマ」 「成長至上」と「脱成長」の狭間の資本主義論」 「番組」は見逃したので、有難い。 「今の資本主義を続けることは、若い世代にとっては経済破綻を意味します。 ソ連が崩壊して30年経ち、再びある種の社会主義的な考え方に若者が共鳴するのには、十分な理由があると私は思っています」(斎藤) これに対し「セドラチェク」は、「欧州の富裕層の富はそれほど増えず、200%増加した程度です・・・アメリカに比べればそれほどではありません・・・チェコも貧困層や中流階級の人々さえも過去30年間の資本主義の恩恵を受けています。 ですからヨーロッパの若者は、左派に対してそれほどの情熱を持っていないでしょう」と、社会主義から「資本主義」に体制転換したことから、「資本主義」の問題点には余り関心がないようだ。 「私たちは同じ空気を吸っています。しかし、共産主義はその空気を守ることができませんでした」、その通りだ。 「二酸化炭素排出量を、大急ぎで大幅に削減し、ゼロにせねばならない」という「コロナのパンデミックよりも大きな問題に本当は直面している」、その通りだ。 「コロナ対策が証明したのは、どれほど素早くわれわれが自らの行動を変えられるか、そして政府は実際、国民の命を守るために動けるのだということです。こは、われわれの政治や経済に関する想像力が広がった経験だと考えています」、同感である。 「チェコ」など東欧の民主主義「革命」も「始まりは環境問題だった」、忘れていた重要なポイントを思い出させてくれた。 東洋経済Plus「大テーマを掲げた割には内容が小粒 「改革」なき「新しい資本主義」」 「分配についても、「企業による賃上げ」を「賃上げ税制」という企業への優遇措置に頼ろうというのでは、アベノミクス下の官製春闘と同様に持続性はない」、その通りだ。 「潜在成長率が低下してほぼゼロになる中で、中間層から下層に滑り落ちる人が増え、格差が拡大した。その背景には、新卒一括採用・終身雇用制、正社員の解雇規制がある。企業は景気に応じて調整しやすくコスト負担の少ない非正規雇用を増やした。 企業に補助金や税制優遇を与えて雇用を守ってもらう政策を変えなかったことで、低成長・低採算の産業が温存され、人材もそこに縛られて低賃金から脱却できない。結果的に、守られない非正規雇用も拡大した。これを続けるのか。 潜在成長率を引き上げるには、パッチワーク的修正でなく、経済全体の枠組 プレジデント 2022年3月4日号 大前 研一氏による「大前研一「"新しい資本主義"が危険である、これだけの理由」 賃上げするほど格差は拡大する」 「賃上げ税制」「を本気で「資本主義」だと考えているとしたら、岸田政権は危険だと思う。「政府が賃金をコントロールするのは、資本主義ではないのではないか?」と首をかしげた」、確かにその通りだ。 「日本でIT化できないのは、第一に役所の抵抗があるからだ。私の知人が、北海道で建築基準法の電算化を試みたことがある。基準がわからない点があるからと道庁で尋ねると、担当者から「そんなことはやめろ。俺たちの仕事がなくなるじゃないか」と言われたそうだ」、こんなことでは電子政府など単なる掛け声に過ぎないようだ。 「サイバー経済が進むと、まず学校の先生たちは大量に失業する」、「「師業」「士業」の多くは同じ道をたどる。医師、弁護士、会計士などの高給なプロフェッショナル職種は、専門的な知識を多く知っていることに価値があったが、サイバー社会では知識や判断はAIに勝てない」、確かに「人員削減どころではない恐ろしい変化が起こる」。 「文科省の指導要領は、シンギュラリティなど想定せず、記憶に偏重したカリキュラムのままだ。スマホで検索すれば数秒でわかることを覚えさせ、試験ではスマホは使用禁止で、自分の記憶が頼りだ。社会に出てから役に立たないことを頭にたたき込んでいる」、こんな時代遅れの教育をさせる「文科省の指導要領」の罪は大きい。「サイバー経済の世界は、正解がない。政府は国民の邪魔をしないように、規制を撤廃するのが仕事だ。政府がいう「新しい資本主義」は絶望的に時代錯誤な政策なのだ」、同感である。
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資本主義(その8)(「無形資産」の時代に新しく資本家になる人の特徴 必要なのは工場でも土地でもない多様な可能性、「新しい資本主義」とは何か? それは「データ資本主義」「資本なき資本主義」である 検討するまでもない。なのに日本は未だ、日本人が知らない「脱成長でも豊かになれる」根拠 若き経済思想家・斎藤幸平が語る貧困解決策) [経済]

資本主義については、11月4日に取上げた。今日は、(その8)(「無形資産」の時代に新しく資本家になる人の特徴 必要なのは工場でも土地でもない多様な可能性、「新しい資本主義」とは何か? それは「データ資本主義」「資本なき資本主義」である 検討するまでもない。なのに日本は未だ、日本人が知らない「脱成長でも豊かになれる」根拠 若き経済思想家・斎藤幸平が語る貧困解決策)である。

先ずは、11月16日付け東洋経済オンラインが掲載した NHK「欲望の資本主義」プロデューサー/東京藝術大学客員の丸山 俊一氏による「「無形資産」の時代に新しく資本家になる人の特徴 必要なのは工場でも土地でもない多様な可能性」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/468550
・『人が持つ技術や能力などの人的資産、デジタルソフトウェアなど、モノとしての実体が存在しない「無形資産」。肥大化する無形資産は、私たちの生活にどのような影響を与えるのか。 NHK「欲望の資本主義2021」での発言や『無形資産が経済を支配する』(共著)が話題のジョナサン・ハスケル教授に、無形資産の肥大化の影響を聞いた。番組の未公開部分も多数収録した『欲望の資本主義5:格差拡大 社会の深部に亀裂が走る時』から、一部を抜粋してお届けする(Qは聞き手の質問)』、興味深そうだ。
・『無形資産は格差を拡大も縮小もさせる  Q:世界的に人々の間で格差が広がっていますが、無形資産と格差はどのような関係にあるのでしょうか。無形資産の肥大化は資本家と中産階級、労働者階級といった階層構造にも影響を与えていますか。 ※無形資産=モノとしての実体が存在しない資産。特許や著作権などの知的資産、人が持つ技術や能力などの人的資産が代表例。その他、ブランド力などの市場関連資産、顧客情報・顧客基盤などの顧客関連資産や、企業文化、経営能力、人工知能システムなどのデジタルソフトウェアなど、多くの無形資産があると考えられている  ハスケル:無形資産が肥大化するという経済のトレンドは格差を拡大していくはずです。なぜなら、無形資産には、容易に規模を拡大できるという経済特性があるからです。 例えば、「ハリー・ポッター」シリーズはイギリスの大変重要な輸出品ですが、仮に私がその著者であったとしたら、その小説を世界中に売ることができます。 しかし、私が車を作って売っているとしたら、何度も繰り返して一台の車を売り続けることはできません。 つまり、「ハリー・ポッター」という知的財産を所有している人が得る利益は、有形資産を売買している人々が得る利益に比べて非常に大きくなり、それが格差に反映されるのです。そうした無形資産の肥大化とグローバリゼーションやインターネットが組み合わさって、格差を広げているのだと私は考えています。 Q:将来にわたって、格差は拡大し続けるということでしょうか。 ハスケル:それは予測の難しい問題です。無形資産は反対方向に働く二つの力を内包しているからです。とても興味深い特徴です。 先ほど申し上げたとおり、無形資産には規模を拡大しやすいという特徴があり、それは格差を拡大する方向に働く力です。 一方で、無形資産には、『無形資産が経済を支配する』で私たちが「スピルオーバー(波及)」と呼んだもう一つの特性があります。 自動車の作り方を完全に真似するのは大変難しいことですが、デザインを真似るのはとても簡単です。例えば、アイフォン(iPhone)の発売から1年半も経たないうちに、世界中のスマートフォンはどれも、アイフォンそっくりのデザインになっていました。それが、私たちがスピルオーバーと呼ぶ現象です。 これはほんの一例ですが、デザインという無形資産が他者に波及したのです。それには大きな投資は要りません。つまり、スピルオーバーの観点からは、無形資産には平等化を進める力があるとも言えるのです。それは、格差を広げる力とは逆方向に働く力です。 理由はわかりませんが、現時点では格差を広げる方向の力が、反対方向に働く力よりも強いようです。それが、将来的にどう変化するのかを予測するのは非常に難しく、まだ答えは出ていません。 いずれにせよ、無形資産には格差を広げる方向に働く力と、縮める方向に働く力という、逆方向に向かう二つの力があることは確かです』、「無形資産には格差を広げる方向に働く力と、縮める方向に働く力という、逆方向に向かう二つの力がある」、「現時点では格差を広げる方向の力が、反対方向に働く力よりも強いようです」、なるほど。
・『ICT革命が無形資産を肥大化  Q:無形資産が経済を支配するようになった、あるいは将来的にそうなるとすれば、転換点はどこにあるのでしょうか。著書『無形資産が経済を支配する』では「1990年代半ばに、アメリカで無形資産への投資が有形資産への投資を上回った」と指摘しておられますが、それが変化を加速させたとお考えですか。 ハスケル:私たちが収集しているデータによれば、開発途上国でもその傾向は強くなっていますが、先進国ではそれよりずっと、無形資産への投資が急増しています。データは、アメリカがその動きをリードしてきたことを示しています。ご指摘のとおり、アメリカでは1990年代の初めに無形資産への投資が有形資産への投資を上回りました。 この時期はICT(情報通信技術)革命が急速に拡大した時期と重なりますから、その影響を強く受けた変化であったことは間違いありません。インターネットが登場し、コンピューターが私たちの日常生活の一部になりました。コンピューターは有形資産のハードウェアですが、無形資産であるソフトウェアがなければそれを利用することはできません。 インターネットを構築するシステムも、通信システムも、ハードウェアとソフトウェアの両者で成り立っています。そのため、ハードウェアへの投資に加え、ソフトウェア=無形資産への投資が必要になり、その規模は有形資産への投資を上回る規模となりました。それが1990年代に起こったできごとの一つです。) さらに、ICT革命に伴い、1990年代には、ICT業界だけでなく、他の多くの業界でも無形資産への投資が広がりました。アメリカを筆頭に、他の国々でも小売や金融、旅行などさまざまな業界で、コンピューターとソフトウェアを使った業務形態の変化が始まりました。 例えば、銀行や旅行会社、航空会社は業務のオンライン化を推進しました。無形資産とは無縁と考えられていた運輸業界までもが、業務形態を変えるために無形資産への投資を余儀なくされたのです。 産業構造における無形資産への投資は、革命と呼べるような劇的な変化で、ICT業界にとどまらず、幅広い産業分野にまたがる現象になっていったのです。 Q:そして、その傾向は、今日まで続いているということですね。 ハスケル:さまざまな局面で増減を示しながらも、大きな潮流としてはそのとおりです。1990年代前半にアメリカで無形資産への投資が有形資産の投資を上回って以降、他の諸国にも同様の傾向は波及し、無形資産への投資でアメリカを追い上げました。それは今も続いています。 2008年に端を発した金融危機以降は無形資産への投資が鈍化しましたが、世界的に長期的な増加傾向であることは間違いありません』、「1990年代前半にアメリカで無形資産への投資が有形資産の投資を上回って以降、他の諸国にも同様の傾向は波及し、無形資産への投資でアメリカを追い上げました。それは今も続いています」、なるほど。
・『芸術家が資本家になる  Q:現在、新型コロナウイルスの影響で、社会のデジタル化に拍車がかかっています。無形資産の増大は、経済にどのような影響を与えるとお考えですか。 ハスケル:コロナ禍において無形資産が経済発展をもたらす可能性はいくつかあると思います。一つは、状況改善につながる良い変化を生む可能性です。 例えば、私はこれまで週5日出勤することや、通勤に長時間かけることにストレスを感じ、違和感を抱いていました。一方で、コロナ禍でのロックダウンによって通勤しなくてよくなった今、それにも違和感があり望ましくないと感じています。私としては、その中間がよいと思っているのです。コロナをきっかけに、それが実現するかもしれません。 これが無形資産とどう関係するのか考えてみましょう。ホワイトカラーや専門職の人々の多くがリモートで仕事ができるのは、通信手段や機器の発達のおかげです。パソコンやインターネットを使ったオンライン会議で、場所に縛られずに仕事ができるからです。 しかし、現状では、多くの人はそのような働き方ができません。接客などリモートでは難しい仕事があるのはもちろんですが、企業の事業マネージメントの制約でリモートワークが進まないケースも多く見られます。) リモートワークをさらに広げるには、多くの企業がビジネスモデルを転換させなければなりません。今までのやり方を大きく変える必要があるのです。同じ場所に集まっている人たちではなく、それぞれ離れた場所にいる人たちをマネージングしなければなりません。 リモートであっても、労働者の意欲を向上させたり、仕事に集中させたり、社内のイノベーションや協力体制を維持したりする方法を探るのです。 コロナを経済成長のきっかけにするためには、このような新たなマネージメント技術やビジネスモデルといった無形資産に大きな投資をする必要があります』、「コロナを経済成長のきっかけにするためには、このような新たなマネージメント技術やビジネスモデルといった無形資産に大きな投資をする必要があります」、その通りだ。
・『「ハリー・ポッター」のストーリーこそが資本  Q:資本主義の形や社会は変わるのでしょうか。 ハスケル:無形資産が支配する経済では、資本家の富を生み出す源が変わります。保有する資本そのものが変わるためです。 もう一度、「ハリー・ポッター」の話に戻ってみます。原作者はイギリス人作家のJ・K・ローリングですが、彼女は工場も土地も所有していません。過去の資本家たちが富を築く基盤としたものを何も持っていないのです。 ローリングが保有しているのは無形資産です。具体的には、自らが生み出した素晴らしいストーリーが資本です。資本主義社会の中で、他の資本家とは異なる形態の資本を保有しているのです。 もちろん、世界的な大ベストセラーは、いわゆる無形資産の中でもかなり特殊な例です。検討すべきなのは、もっと幅広い意味で資本的な無形資産を持つ人々が、どのような可能性を秘めているかということです。 例えば、コンピューター・プログラミングの技術や、優れたデザインを生み出す才能、研究開発の能力なども無形資産と言えますが、当然のことながら、無形資産の経済は、それだけでは成り立ちません。 とりわけ重要なのは、これらの作業をコーディネートできる人材や、企業などの大きな組織の中でマネージメントができる人材です。フェイスブックやグーグルのような大企業で、創造力にあふれた人たちをまとめられる人材ですね。 そうした人材が保有していると考えられる無形資産は、優れたプログラミング能力やエンジニアリング能力ではなく、人間関係のマネージングや、クリエーティブな人たちのマネージングに長けた能力です。 無形資産の経済では、このように例えば知性のような無形の資産を持つ人が資本家になることが考えられるのです。それは詩人かもしれませんし、歴史家かもしれません。古代ギリシャや日本の古典を研究する学者かもしれません。多様な可能性を持った面白い資本家が誕生するかもしれないのです』、「創造力にあふれた人たちをまとめられる人材ですね。 そうした人材が保有していると考えられる無形資産は・・・人間関係のマネージングや、クリエーティブな人たちのマネージングに長けた能力です」、「多様な可能性を持った面白い資本家が誕生するかもしれない」、面白い時代になったものだ。

次に、11月21日付け現代ビジネスが掲載した大蔵省出身で一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による「「新しい資本主義」とは何か? それは「データ資本主義」「資本なき資本主義」である 検討するまでもない。なのに日本は未だ」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/89435?imp=0
・『グーグルなど巨大IT企業は、工場や機械などの「資本」でなく、情報やデータを用いて経済価値を生み出している。こうした部門がアメリカ経済を牽引している。日本再生に必要なのは、「資本なき資本主義」に向けて産業構造を変えることだ』、「資本なき資本主義」とは面白い概念だ。
・『世界はすでに「新しい資本主義」に変わっている  岸田文雄内閣は、「新しい資本主義」が何かを決めるために、「新しい資本主義実現会議」を作って検討するのだと言う。 新しい資本主義が何かと検討するのは、大変結構なことだ。しかし、この答えは、いまさら改めて検討するまでもなく、明らかである。それは「資本なき資本主義」だ。「データ資本主義」といってもよい。 これは、単なる概念上のものではない。すでに現実世界を大きく変えてしまっている。世界がこの方向に向けて大きく転換したにもかかわらず、日本経済は「古い資本主義」から脱却できないでいる。日本経済が停滞するのは、このためだ』、「日本経済は「古い資本主義」から脱却できないでいる。日本経済が停滞するのは、このためだ」、意外な「日本経済」「停滞」要因だ。
・『GAMMAの時価総額は、日本の上場企業全体の1.4倍!  「新しい資本主義」がどんなものかを見るには、アメリカの巨大IT企業が行なっていることを見ればよい。 これらの企業群はGAFA+Mとよばれてきた(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン・ドット・コム、マイクロソフト)。そのなかのフェイスブックが「メタ・プラットフォーム」と社名を変えたので、GAMMAと言うべきかもしれない。ここでは、その呼び名を用いることにしよう。 GAMMAの驚くべき成長は、その時価総額が日本企業の総額の1.4倍になってしまったことを見ても、明らかだ。具体的には、次の通りだ。 GAMMA5社の時価総額合計は、9.4兆ドルだ(2021年11月13日)。1ドル=114円で換算すると1072兆円になる。他方で、東証上場企業の時価総額合計は、2021年10月末で、762兆円だ。GAMMAの雇用者は、124万人だ。これらの人々だけで、日本の上場企業全体が作り出した1.4倍の価値を作り出したことになる』、「GAMMAの時価総額は、日本の上場企業全体の1.4倍」とは確かにすごいことだ。
・『「資本なき資本主義」は「データ資本主義」  これまでの経済においては、工場や機械設備あるいは店舗などの資本設備が、経済的価値を産み出してきた。そのために、「資本主義」と呼ばれた。ところが、新しい資本主義において価値を産み出すのは、これらのものではない。 実際、GAMMA企業は、基本的には工場も店舗も機械設備も持っていない。その代わりに「データ」を持っている。そして、これが経済的な価値を産み出している。 データといっても、これまでのデータでなく、「ビックデータ」と呼ばれる極めて規模の大きなデータだ。そして、それらがこれらの企業の収益の基本的な源泉になっている。このために「データ資本主義」と呼ばれることもある。 先に「資本なき資本主義」と言ったが、正確にいうと、資本がまったく不必要になったわけではない。工場や店舗など目に見える資本(有形固定資産)の重要性が減少し、その代わりに、情報やデータなどの見えない資本(無形資産)が重要性を増したということだ(ただし、企業会計では、ビッグデータの価値のほとんどを資産としてカウントしていない)。 「データ資本主義」をもう広く捉えれば、「情報資本主義」ということになる。あるいは、「デジタル資本主義」といってもよい』、「工場や店舗など目に見える資本(有形固定資産)の重要性が減少し、その代わりに、情報やデータなどの見えない資本(無形資産)が重要性を増したということだ」、確かにその通りだ。
・『「情報・データ処理サービス」部門の驚異的発展  ところで、GAMMA企業は、アメリカ経済のなかでどのような位置を占めているのだろうか? GAMMAの従業員数は、124万人だ(2019年)。ここからアマゾン(80万人)を除くと、44万人になる。一方、アメリカ商務省の統計には「情報・データ処理サービス」という産業分類があり、この部門の雇用者は、45.4万人だ(2019年)。 両者はほぼ一致している。したがって、「情報・データ処理サービス」とは、GAMMAからアマゾンを除いたものと考えることができるだろう。 この部門の2020年の1人あたり賃金は、18万3801ドルだ。1ドル=114円で換算すれば、2095万円になる。全産業の平均賃金7万1456ドル(814.6万円)の2.6倍だ。しかも、2013年から61%増という驚異的な伸び率だ。 日本の平均賃金は371万円(法人企業統計調査。金融業を除く全産業平均)であるから、その5.6倍ということになる。「情報・データ処理サービス」という産業分類は、日本には存在しない。 アメリカの場合にも、昔からあった分類ではない。比較的最近時点に作られたものだ。 「資本なき資本主義」の成長は、統計項目の立て方にも影響するほど顕著なものとなっているのだ』、「GAMMAからアマゾンを除いた:」「情報・データ処理サービス」「部門の2020年の1人あたり賃金は、18万3801ドルだ・・・2095万円・・・全産業の平均賃金7万1456ドル(814.6万円)の2.6倍」、やはりかなり高いようだ。
・『「データ資本主義」雇用者は全体の15%。製造業の2倍  ただしそうはいっても、「情報・データ処理サービス」の雇用者45.4万人は、アメリカ経済全体の雇用者1億3217万人の0.3%でしかない。だから、アメリカ経済の中のごく一部のことだと思われるかもしれない。 しかし、情報を中心とした経済活動を行なっているのは、「情報・データ処理サービス」部門だけではない。同様の経済活動を行なっている部門が他にもある。それは次の部門だ(カッコ内は雇用者数、万人)。 ・第1は、「情報」(253)。「情報・データ処理サービス」は、ここに含まれる。 ・第2は、「金融・保険」(635)。この部門は、店舗などがあるから、厳密には「資本なき」とはいえないが、データを扱っているという意味で「データ資本主義」の範疇に入れられるだろう ・第3は、「専門的、科学技術的サービス」(911)。 ・第4は 、 「 企業経営」(226)。アメリカでは、「企業経営」が独立した1つの産業分類になっている。 これらが、広い意味での「データ資本主義」の範疇に入るものだ。 以上4部門の雇用者を合計すると、2026万人となる。これは、雇用者総数の15.3%であり、製造業の1184万人(9.0%)の2倍近い。 アメリカの産業がすでに「資本なき資本主義」に向けて大きく変貌していることが分かる。 さらに注目すべきは、この分野への雇用者の顕著な移動が生じていることだ。2013年から2020年の雇用者の増加率を見ると、つぎのとおりだ。 産業全体で5.33%であるのに対して、「情報」は3.9%(うち、「情報・データ処理サービス」44.2%)、「金融・保険」は11.1%、「専門的、科学技術的サービス」は17.0%、「企業経営」14.4%。 これに対して、製造業は0.83%という低い伸び率だ。 このように、アメリカの産業別雇用は大きく変化している。日本の経済が停滞を続けている理由は、このような産業構造の転換ができていないことだ』、「4部門の雇用者を合計すると、2026万人となる。これは、雇用者総数の15.3%であり、製造業の1184万人(9.0%)の2倍近い。 アメリカの産業がすでに「資本なき資本主義」に向けて大きく変貌していることが分かる」、羨ましいようなすごいダイナミズムだ。
・『製造業も「工場なし」に移行  アメリカの変貌は、以上で述べたことだけではない。製造業でも生じている。それは、「ファブレス」(工場がない)という形態への移行である。その典型がアップルだ。同社は工場を持っていない。半導体のクアルコムやエヌビディアもそうだ。  これらの企業は、製造工程を、鴻海やTSMCなどEMS(電子機器受託サービス)とよばれる企業に任せている。 そして、開発、設計、販売など、付加価値の高い仕事に集中している。つまり、製造業も、情報産業になっているのだ。そのために高収益化している。アップルの驚異的な成長の基本的な要因は、ファブレス化なのである。 製造業においても、経済価値を生み出しているのは、いまや工場や機械ではない。開発や設計などになっている。つまり、「工場という資本のない製造業」に移行しているのだ』、「「工場という資本のない製造業」に移行」、確かに日本の立ち遅れは明らかだ。
・『政府の役割は補助金をバラまくことではない  デジタル化が重要と言われる。確かにその通りだ。しかし、必要なのは、ファックスをメールに切り替えることだけではない。あるいは、印鑑を電子署名にすることだけではない。経済と産業構造全体を変革していくことが重要なのだ。そうでなければ、日本の再生はありえない そのために政府が行なうべきことは何か? これまで見たアメリカ産業構造の転換は、アメリカ政府が主導し補助金を出すことによって実現したものではない。マーケットの力が実現したものだ。 政府が行うべきは、成長をリードすることではない。人気取りのバラマキ政策を行うことでもない。半導体の工場を日本に誘致するために補助金を出すことでもない。 そうではなく、成長を阻害している要因を取り除くことだ。とりわけ重要なのは、古い体制の既得権益と戦うことだ』、「政府が行うべきは、成長をリードすることではない。人気取りのバラマキ政策を行うことでもない。半導体の工場を日本に誘致するために補助金を出すことでもない。 そうではなく、成長を阻害している要因を取り除くことだ」、痛烈な政府批判で、まさに正論だ。

第三に、12月2日付け東洋経済オンライン「日本人が知らない「脱成長でも豊かになれる」根拠 若き経済思想家・斎藤幸平が語る貧困解決策」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/471566
・『「格差社会や気候変動の根本原因は資本主義にある」と指摘し、晩年マルクスの思想を援用し「脱資本主義」「脱成長」を説く斎藤幸平氏(34)。マルクス研究における最高峰の賞「ドイッチャー記念賞」を日本人初、史上最年少で受賞した気鋭の経済思想家は、同世代や近い世代の若者の貧困をどう見ているのか。 貧困に陥った若者たちの実態に4日連続で迫る特集「見過ごされる若者の貧困」4日目の第2回は、その解決策を斎藤氏に聞いた(1~3日目の記事はこちらからご覧ください)(Qは聞き手の質問、Aは斎藤氏の回答)。 【4日目のそのほかの記事】第1回:竹中平蔵「私が弱者切り捨て論者というのは誤解」 第3回:コロナで生活苦しい人に「使ってほしい制度」8つ』、興味深そうだ。
・『コロナ禍で格差拡大の構図がはっきりした  Q:コロナ禍で、厳しい状況に置かれる若者が増えています。 A:確かに、コロナ禍によって経済格差の拡大に拍車がかかり、そのシワ寄せは若い世代に行っています。ただ、日本での経済格差の拡大はバブル崩壊以降、ずっと起こっていることです。 終身雇用・年功序列型賃金を前提とした日本型雇用システムが収縮して、非正規雇用が増加し、雇用が不安定化。正社員になれても、労働者を使い捨てる、いわゆるブラック企業も増え、労働状況は極めて悪化していきました。 貯蓄ゼロ世帯(2人以上世帯)は1987年に3.3%だったのが、2017年には31.2%にまで増え、ここ30年間の上昇傾向は明らかです。とりわけ深刻なのが20代、30代の単身世帯で、貯蓄ゼロ世帯が激増し、多くの人が、基本的な生活を維持していくことすら困難な状況に陥っています。 Q:すでにあった格差がさらに広がっているということですか。 A:富裕層を見れば、アベノミクス下での日本では年間所得が1億円以上の世帯が1万以上増えました。世界的にも(アマゾン創業者の)ジェフ・ベソスや(テスラCEOの)イーロン・マスクら大富豪トップ8人は、この5年間でそれぞれ資産を2倍以上に増やしています。 株価も日米ともにコロナ禍でGDPが大幅に下がったにもかかわらず、歴史的な高値を記録しました。富める者たちは安全なテレワークで働きながら、株高を利用して資産を運用し、さらに富を増やしているわけです。 一方、経済が落ち込み、非正規雇用を中心に多くの人が失業しました。仕事があったとしても、テレワークができない介護・保育・医療などに従事するエッセンシャルワーカーたちは健康を危険にさらしながら、低賃金、過重労働を強いられています。 困っている側がますます困窮する一方、持てる側はさらに富を増やしていく。その格差拡大の構図がはっきりしたのがこのコロナ禍だと思います。 Q:その根本的な原因は資本主義にあるとお考えですか。 A:はい、資本主義が原因です。トマ・ピケティが指摘するように、資本主義では、労働者の所得の増大率よりも、資産を持っている人たちのリターンのほうがつねに大きい。 その格差を緩和するために、第2次世界大戦後は、経済のパイを大きくしながら、給料を上げるなどして労働分配率を高め、大きくなった部分を労働者に再配分するモデルが目指されてきました。 いわゆる「ケインズの時代」で、1970年代ぐらいまでは、先進国の労働者たちは豊かになり続けていた。マルクスの言う、貧しくなった労働者が革命を起こす、という流れではなかった。ですが、それは資本主義の歴史における、むしろ例外的な時期ではないかと言われ始めています。 そうした高度成長期が終わり、1980年代以降、とくに21世紀に入ってからは、パイ自体がなかなか大きくならなくなった。規制緩和をしたり、民営化したり、さまざまな金融政策もするわけですが、それでもかつてのようには経済が成長しない。 そこでゼロサムゲームで労働者と資本の間で取り合いが始まる。資本側が労働者の面倒を見なくなり、労働者側は取り分を奪われてしまう。それが新自由主義です』、「ゼロサムゲームで労働者と資本の間で取り合いが始まる。資本側が労働者の面倒を見なくなり、労働者側は取り分を奪われてしまう。それが新自由主義です」、その通りだ。 
・『マルクスが唱えた窮乏化法則が当てはまっている  先進国全般で労働者の賃金が下がり、競争が激化し、雇用も不安定化している。ギグエコノミーのような、アプリ一つで注文が来たときだけ「働き」が成立する、超不安定雇用まで蔓延しています。 (斎藤氏の略歴はリンク先参照) 資本主義の発展とともに労働者がどんどん貧しく苦しくなるという、かつてマルクスが唱えた窮乏化法則が、現在の状況に当てはまっている。 しかも、資本主義によって人間性が破壊されるだけでなく、地球環境問題も修復不可能な状態になりつつある。 人類の経済活動の痕跡が地層に残る時代という意味をもつ「人新世」という地質学の用語があり、国連なども使用するようになっていますが、そこに含意されているのは資本主義が引き起こした深刻な環境危機です。 Q:コロナ禍も「人新世」の産物だと指摘されています。 A:はい。気候変動をはじめとする環境危機をとりわけ加速させたのが、冷戦終結後のグローバル化です。この30年間で資本主義が世界中を覆い、ファストファッションで安い洋服が買え、ファストフードでは300円でご飯が食べられるようになった。 けれども、その安い農産物・畜産品を生産するために、手つかずだった自然、とくに中南米、東南アジアの熱帯雨林まで乱開発をし、人々の生活も自然環境も破壊していった。 こうした過程で、未知のウイルスを持った動物が森から追い出されて人間の生活圏に入ってくる。さらに複雑な生態系を壊してブタだけを育てるようなモノカルチャーは、ウイルスが変異しやすい環境を作り出す。このようなことを続けていれば、未知のウイルスがグローバルなパンデミックを起こすはずだと以前から警告されていました。 もちろん、グローバル化した世界ではウイルスの移動も早く、爆発的なスピード広がり、世界を大混乱に陥れたわけです。) Q:コロナ禍でも気候変動でも危機が起きたときシワ寄せが行くのは貧しい層です。 A:もちろんコロナ禍の被害も甚大ですが、気候危機の被害の深刻さに比べれば、リハーサルにすぎません。コロナ禍での緊急事態は何カ月かの期間限定ですが、気候変動はもはや不可逆的な変化で、これから毎年のようにスーパー台風がやってくる。いわば慢性的な緊急事態が続き、世界中で水不足や食料不足などが次々、起こります。すでにアフリカの人たちは飢饉に苦しんでいます。 格差があると危機に対応できないということが一つの認識になりつつあるわけですが、それはどこか遠い国の出来事ではなく、日本の経済的弱者や中間層も遅かれ早かれ、同様に苦しむようになるでしょう。 Q:この状態を脱するためにはどうすればよいのでしょうか。 A:繰り返しますが、経済格差も気候変動も、引き起こしたのは資本主義です。このことを前提にして、新しい経済システムづくりをしていかなければいけないと考えています。 『人新世の「資本論」』(集英社新書)で論じたことですが、2つの危機をのりこえるには、「脱成長」型の社会に移行しなくてはなりません。 私たちはお金を手に入れるために、あまりにも働きすぎ、あまりにもモノを作りすぎ、その結果、健康を害し、環境を破壊している。そうしたサイクルそのものから抜け出すべきなのです』、「コロナ禍の被害も甚大ですが、気候危機の被害の深刻さに比べれば、リハーサルにすぎません。コロナ禍での緊急事態は何カ月かの期間限定ですが、気候変動はもはや不可逆的な変化で、これから毎年のようにスーパー台風がやってくる。いわば慢性的な緊急事態が続き、世界中で水不足や食料不足などが次々、起こります」、確かに緊急の課題だ。「私たちはお金を手に入れるために、あまりにも働きすぎ、あまりにもモノを作りすぎ、その結果、健康を害し、環境を破壊している。そうしたサイクルそのものから抜け出すべきなのです」、なるほど。
・『人間誰もが必要とするものを「コモン」化する  無限の利潤獲得を目的とする資本主義のために働くのではなく、自然環境も人間の身体も有限であることを前提に、持続可能なペースで幸福を追求する。労働者も環境も食いつぶすような経済システムとは手を切り、経済自体をスケールダウン、スローダウンさせていく。それが脱成長です。 そこに向かう過程として、人間誰もが必要とするもの、たとえば水道、電力、住宅や医療・教育などを共有財産にして、人々の手で管理し、無償もしくは、安価に提供する「コモン」化が必要だと考えています。 なぜ安価にできるかといえば、たとえばパリ市は民営だった水道を「市民営化」という形で「コモン」化をしましたが、民営時代は経営陣の高額報酬や株主配当、不透明な経営で料金が高騰していたのです。生きるのに必要なものを脱民営化・脱商品化し、人々の手でマネージメントしていくことで費用を下げていくことができるのです。足りなければ、そこに公的資金をもっと入れていったほうがいい。 かつては少しずつ上がる給料で家のローンや子どもの教育費用、医療費、老後の資金を賄っていた。企業からのお金に依存して、人生設計を行ってきたのです。今の問題は、日本型の安定雇用が壊れたに、教育なり医療なりに多額のお金がかかる制度がそのまま残っていること。当然収支が合わないわけです。 また、失職して収入を失うと同時に、家も子どもの教育も老後も、すべてを失う仕組みは、今ある仕事にすがりつかせる強制力として働く。いわば貨幣の支配です。 その支配を和らげるためにも、生活の基盤となるシステムを安価にし、収入に依存せず、皆がある程度平等な機会を持てる社会にしていく。コモン化によって、貨幣の動きや市場経済に依存しない領域が増えていくことが、すなわち脱成長経済です。) 資本主義は技術を発展させて生産効率を上げ、さらに大量に作ろうというモデルです。ですが、高めた生産力については違う使い方をして、今までと同じ量を作り、その分労働時間を減らす。そうすれば過剰な生産が減り、環境にも優しい。 経済成長を何らかの方法で回復させることで、男性正社員を優遇してきた日本型雇用にすがりつこうとするのは論外です。かつての社会は、女性に家事や子育てを押し付け、パートとして差別的な雇用を採用してきました。労働時間の短縮は、家事や子育てなどもより平等に行う社会の条件です。そうした共通経験が、環境に優しいエッセンシャルワークやケアを重視する社会の価値観を生み出していくのではないでしょうか。 人々が市場から稼ぐプレッシャーから解放され、同時に、環境にも優しいケアを中心とした社会ができていく。それがコモン型の社会、「脱成長コミュニズム」です。 Q:海外ではそういった取り組みが進んでいると聞きます。 A:例えばバルセロナでは、この数年で安価に住める公営住宅を大幅に拡充しました。また町の中に、スーパーブロックと呼ばれる自動車が入れないエリアを広げる計画を進めています。 公共交通を拡充し、車を使うインセンティブを下げてCO2の排出量を減らすのと同時に、それまで車に占有されていた道路を、近隣住民が使える共有スペース、「コモン」に転換していく』、「人間誰もが必要とするもの、たとえば水道、電力、住宅や医療・教育などを共有財産にして、人々の手で管理し、無償もしくは、安価に提供する「コモン」化が必要だ」、現在のPFIなどの民営化とは逆の発想だ。
・『格差と気候変動を同時に解決する新たな道筋  車の移動は不平等です。何百万円という車を買える人たちが道路を特権的に占拠し、事故が起これば運転する人ではなく歩行者が死ぬという、極めて暴力的な構造がある。それを是正して、自転車と公共交通機関を優先した、より平等で誰もが安全に移動できる街づくりをする。それはCO2の排出を抑えた、地球にとっても優しい社会になる。格差と気候変動を同時に解決する新たな道筋になるわけです。 これまで経済の成長だけを考えていたところに、環境とか、「コモン」を拡大して不平等を解消する視点を取り入れることで、私たちの考え方自体が大きく変わる。我慢と捉えられがちだった環境対策のイメージがむしろ生活の豊かさに結びついていく。そんな発想の転換もできるんじゃないかと考えています。 Q:そのためには財源が必要になってきますが。 A:経済格差の是正を同時に進めるためにも、大企業や富裕層への課税を強化すべきです。金融資産課税でもいいし、不動産などの資産に直接、富裕税として課税をしてもいい。ここまで下げられてきた法人税や所得税ももっと上げていけばいい。 とにかく、大胆に格差を是正し、社会を平等にしていく必要がある。先進国の貧困問題は、富が偏りすぎているせいで、サービスや必需品にアクセスできない人が多いだけなので、格差是正が実現すれば、今ある貧困問題はかなりの部分が解決すると考えています。) Q:ベーシックインカムについてはどうお考えですか。 A:今の日本で議論されているベーシックインカムは、例えば月7万円を配る代わりに社会保障をすべて削る、究極の「自己責任社会」になりかねない。さらに「ベーシックインカムの分給料を下げる」という企業側の要求もはねのけられず、結局ますますお金に依存する社会になることを危惧しています。 ですので、私はベーシックインカムよりもベーシックサービス、必要なものを無償化して現物給付で渡す「コモン化」の道を選びたい。それによって貨幣の支配を弱め、市場に頼らずに生きていける領域を増やしていくほうがよいと考えています。 Q:日本の若者は、自分が苦しい状況にあっても、今の社会のあり方を肯定している人も多い。海外では2011年に起こったニューヨーク「ウォール街を占拠せよ」運動や、グレタ・トゥーンベリさんの気候危機への問題提起など、「ジェネレーション・レフト(左翼世代)」と呼ばれる若い世代の社会に対する動きが見られますが、日本の現状をどう見ていますか。 A:雇用が崩れ、教育・医療など必要な支出の負担が重くなる中、何とかお金を稼がなくては、というマインドが一部の若い人たちの間に広がっています。本来は「もっと普通に暮らせるようにしろ」と怒るべきなのに、日本人は自助、自力で何とかするようにすり込まれている。資本の側から見れば非常に扱いやすい。 再配分が機能する、フェアな社会にすることに想像力が働かず、既存のシステムの中で自分だけは生き残ろうという思想が強固になっているのは、非常に残念です。でもそれも仕方のない話で、希望が持てる社会運動もないし、訴えかけて応えてくれる政党もない。 Q:それはある意味必然的なことだと。 A:だからこそ私は『人新世の「資本論」』を書きました。まずは「今のこの社会はおかしい」と言ったり考えたりするためのボキャブラリーやツールを提唱したかった。私の専門は経済思想ですが、哲学や思想には、生きづらさや閉塞感を言語化し、批判するための言葉や、認識のフレームワークを与える力があるからです』、「まずは「今のこの社会はおかしい」と言ったり考えたりするためのボキャブラリーやツールを提唱したかった」、大いにやってくれることを期待している。これにより、それに「応えてくれる政党」も出てくるだろう。
・『世界中の若者たちが異議申し立てをしている  今、世界中で若者たちが怒っています。1990年代にはすでに、気候危機は確実に起こると言われていた。にもかかわらず、この30年間資本主義は世界中をマーケットにして富むものを富ませる一方で、地球環境をもはや待ったなしにまでさせてしまった。 そのツケを払わされる10代、20代の世界中の若者たちが今、絶望と同時に怒りをもって、新自由主義、さらに資本主義自体に異議申し立てをしています。現在の社会システムを抜本的に変えなければ、見捨てられるのは自分たちだと。 それに呼応して、アメリカのサンダースやオカシオ=コルテスのように、資本主義の行き詰まりを批判する政治家も出て、社会を動かし始めている。 日本では岸田さんが総裁就任前に新自由主義批判、金融資産課税などを持ち出していましたが、結局腰砕けに終わった。 政治も経済も、全体の状況を大きく動かしていくためには、やはり若者をはじめとしたさまざまな人たちが声を上げて、変化を求める運動が不可欠です。「今の社会はおかしい。変えていくべきだ」と、声を上げてほしいと思います』、今の日本人が大人し過ぎるのは情けない。「声を上げる」ようにするには、何が必要なのだろうか、私にも皆目見当がつかない。
タグ:資本主義 (その8)(「無形資産」の時代に新しく資本家になる人の特徴 必要なのは工場でも土地でもない多様な可能性、「新しい資本主義」とは何か? それは「データ資本主義」「資本なき資本主義」である 検討するまでもない。なのに日本は未だ、日本人が知らない「脱成長でも豊かになれる」根拠 若き経済思想家・斎藤幸平が語る貧困解決策) 東洋経済オンライン 丸山 俊一 「「無形資産」の時代に新しく資本家になる人の特徴 必要なのは工場でも土地でもない多様な可能性」 「無形資産には格差を広げる方向に働く力と、縮める方向に働く力という、逆方向に向かう二つの力がある」、「現時点では格差を広げる方向の力が、反対方向に働く力よりも強いようです」、なるほど。 「1990年代前半にアメリカで無形資産への投資が有形資産の投資を上回って以降、他の諸国にも同様の傾向は波及し、無形資産への投資でアメリカを追い上げました。それは今も続いています」、なるほど。 「コロナを経済成長のきっかけにするためには、このような新たなマネージメント技術やビジネスモデルといった無形資産に大きな投資をする必要があります」、その通りだ。 「創造力にあふれた人たちをまとめられる人材ですね。 そうした人材が保有していると考えられる無形資産は・・・人間関係のマネージングや、クリエーティブな人たちのマネージングに長けた能力です」、「多様な可能性を持った面白い資本家が誕生するかもしれない」、面白い時代になったものだ。 現代ビジネス 野口 悠紀雄 「「新しい資本主義」とは何か? それは「データ資本主義」「資本なき資本主義」である 検討するまでもない。なのに日本は未だ」 「資本なき資本主義」とは面白い概念だ。 「日本経済は「古い資本主義」から脱却できないでいる。日本経済が停滞するのは、このためだ」、意外な「日本経済」「停滞」要因だ。 「GAMMAの時価総額は、日本の上場企業全体の1.4倍」とは確かにすごいことだ。 「工場や店舗など目に見える資本(有形固定資産)の重要性が減少し、その代わりに、情報やデータなどの見えない資本(無形資産)が重要性を増したということだ」、確かにその通りだ。 「GAMMAからアマゾンを除いた:」「情報・データ処理サービス」「部門の2020年の1人あたり賃金は、18万3801ドルだ・・・2095万円・・・全産業の平均賃金7万1456ドル(814.6万円)の2.6倍」、やはりかなり高いようだ。 「4部門の雇用者を合計すると、2026万人となる。これは、雇用者総数の15.3%であり、製造業の1184万人(9.0%)の2倍近い。 アメリカの産業がすでに「資本なき資本主義」に向けて大きく変貌していることが分かる」、羨ましいようなすごいダイナミズムだ。 「「工場という資本のない製造業」に移行」、確かに日本の立ち遅れは明らかだ。 「政府が行うべきは、成長をリードすることではない。人気取りのバラマキ政策を行うことでもない。半導体の工場を日本に誘致するために補助金を出すことでもない。 そうではなく、成長を阻害している要因を取り除くことだ」、痛烈な政府批判で、まさに正論だ。 東洋経済オンライン「日本人が知らない「脱成長でも豊かになれる」根拠 若き経済思想家・斎藤幸平が語る貧困解決策」 マルクスの思想を援用し「脱資本主義」「脱成長」を説く斎藤幸平氏 「ゼロサムゲームで労働者と資本の間で取り合いが始まる。資本側が労働者の面倒を見なくなり、労働者側は取り分を奪われてしまう。それが新自由主義です」、その通りだ。 「コロナ禍の被害も甚大ですが、気候危機の被害の深刻さに比べれば、リハーサルにすぎません。コロナ禍での緊急事態は何カ月かの期間限定ですが、気候変動はもはや不可逆的な変化で、これから毎年のようにスーパー台風がやってくる。いわば慢性的な緊急事態が続き、世界中で水不足や食料不足などが次々、起こります」、確かに緊急の課題だ。「私たちはお金を手に入れるために、あまりにも働きすぎ、あまりにもモノを作りすぎ、その結果、健康を害し、環境を破壊している。そうしたサイクルそのものから抜け出すべきなのです」、なるほど。
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資本主義(その7)(「分配政策」だけでは 「20年後の生活水準」がいまより2割低下する 日本に必要なのは相当な生産性向上政策、岸田首相の「新しい資本主義」がキモいとしか言えないこれだけの理由、「新しい資本主義」は「新しいバブル」にすぎない 「中間層」を増やすことは本当に可能なのか?) [経済]

資本主義については、9月19日に取上げたばかりだが、今日は、(その7)(「分配政策」だけでは 「20年後の生活水準」がいまより2割低下する 日本に必要なのは相当な生産性向上政策、岸田首相の「新しい資本主義」がキモいとしか言えないこれだけの理由、「新しい資本主義」は「新しいバブル」にすぎない 「中間層」を増やすことは本当に可能なのか?)である。

先ずは、10月17日付け現代ビジネスが掲載した一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による「「分配政策」だけでは、「20年後の生活水準」がいまより2割低下する 日本に必要なのは相当な生産性向上政策」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/88257?imp=0
・『高齢化が進展する中で適切な再分配を行うためには、就業者1人当たりの生産物が増えなければならない。日本では、過去20年間以上にわたって1人当たり実質賃金が増えていないので、これは容易ならざる課題だ。賃金のこれまでの傾向が続けば、再分配後の1人当たり所得は、現状より2割ほど減ってしまう。だから、分配政策とともに、強力な成長戦略がどうしても必要だ』、「賃金のこれまでの傾向が続けば、再分配後の1人当たり所得は、現状より2割ほど減ってしまう」、とは大変だ。
・『再分配のためには元手が必要  岸田文雄内閣は、「分配なくして成長なし」としている。 分配問題は確かに重要だ。経済が成長してもその成果にあずかれない人が大勢いる。コロナ禍では、株価が上昇して資産層が裕福になったにもかかわらず、収入の途を絶たれた人がたくさん生じた。分配問題の重要性は、これまでになく重要になった。 しかし、再分配するためには、元手が必要だ。分配をいかに適正化したところで、全体のパイが自動的に増えるわけではない。元手が増えなければ、貧しさを分かち合うことになってしまう。 日本の場合には、人口の高齢化によって働く人の数が減るので、再分配をする元手が減る危険が高い。そうなると、仮にそれらが適正に再分配されたとしても、1人当たりの所得が減少してしまうのだ。 以下では、この問題を定量的に検討することにしよう。 ここでの基本的な想定は、就業者が働き、その一部が税や社会保険料の形で徴収され、それが給付金や社会保障給付の形で再分配されるということだ。所得再分配はさまざまな形で行われているが、額的に最も大きいのは、財政制度を通じるこのような再分配だ。 なお、年金は、受給者が過去に積み立てた保険料で支払われているように見えるが、実際には、その年々の生産物が財政制度を通じて再分配されている』、なるほど。
・『高齢化のため就業者人口が減って従属人口が増える  日本の高齢化は今後も続く。そして、2040年ごろにピークに達する。この時期を乗り越えられるかどうかが、大きな問題だ。 国立社会保障・人口問題研究所の推計(中位推計)によると、2020年と2040年の人口の状況はつぎのとおりだ。 ・総人口は、12533万人から11092万人へと、0.885倍になる。 ・15~64歳人口は、7406万人から5978万人へと0.807倍になる。 簡単化のため、15歳から64歳までの人口の中で就業者となる人の比率は、現在と変らないものとしよう。そして、0歳から15歳、および65歳以上の人口は働かないものとする(この年齢階層の人口を「従属人口」とよぶ)。 すると、就業者数は2020年の80.7%に減少することになる』、なるほど。
・『労働生産性が20年間で9.7%成長しなければならない  以上を前提すると、次の結論がえられる。 2040年における再分配後の1人当たり所得を2020年と同額にするためには、2040年における就業者1人当たりの所得が、2020年より9.7%ほど増加しなくてはならない。つまり、再分配後の所得で現状を維持するだけのためにも、かなりの高成長を実現しなければならないのだ。 こうした結果になるのは、つぎのように考えれば分かるだろう。 2040年を 2020年と比べると、総人口は、0.885倍になるので、総所得が0.885倍になる。他方、就業者は前述のように0.807倍になる。だから、就業者1人当たりの生産額は、0.885÷0.807=1.097倍にならなければならない。つまり、現在より9.7%ほど増えなければならない。分配率が変わらないとすれば、実質賃金が9.7%上昇しなければならない』、あくまで逆算だが、そうなのだろう。
・『過去20年間の実質賃金減少トレンドを一変させる必要  では、実質賃金をこのように上昇させることが可能だろうか? 毎月勤労統計調査によると、実質賃金指数(現金給与総額、5人以上の事業所)は、2000年の113.3から2020年の98.8まで、12.8%ほど下落している。 これとは別に、法人企業統計と消費者物価指数から計算すると、1995年度から2020年度の期間で11.2%ほど下落している。 これらを考慮すると、上述のように実質賃金を今後20年間で9.7%引上げるのは、かなり大変なことだと言わざるを得ない。 現在の状況が続けば今後も実質賃金が下落する可能性が高いので、それを一変させるために、これまでとは異なる強力な成長戦略を実施する必要がある。 そうしないかぎり、いかに分配を適正化したところで、「貧しさを分かち合う」という結果になってしまうのだ』、「これまでとは異なる強力な成長戦略を実施」、「しないかぎり、いかに分配を適正化したところで、「貧しさを分かち合う」という結果になってしまう」、その通りのようだ。
・『実質賃金が増えないと1人当たり所得は約9%減少する  では、実質賃金が今後も伸びないとすれば、どうなるだろうか? その場合には、国民1人あたりの再分配後の所得は、現在より8.8%減少する。 こうした結果になるのは、つぎのように考えれば理解できるだろう。 2040年を2020年と比べると、就業者人口は0.807倍になるのだから、総生産額は0.807倍になる。他方、総人口は0.885倍になる。だから1人あたりの分配後所得は、0.807÷0.885=0.912になる。 つまり、約9%減少する』、働き手が減っても、労働生産性が上がれば、「実質賃金」も上がり易くなるのではなかろうか。
・『成長政策をとらなければ生活水準が2割低下する  就業者の場合、実質賃金は不変なのだが、税・社会保険料が引上げられ、手取りがいまより約9%ほど減ってしまうのだ。 一方、再分配を受ける側では、年金や医療費がいまより約9%減らされることになる。 つまり、再分配のための財源措置が今より強化されるにもかかわらず、再分配された効果は現在よりも小さくなるのだ。 以上は実質賃金がいまと不変の場合だが、今後減少することも十分ありうる。そうであれば、再分配後の所得がもっと減る。 上に見た毎月勤労統計調査による実質賃金指数の下落傾向が、今後も続くとしよう、つまり、20年間で生産性が0.872倍になるとしよう。 その場合に 2040年を2020年と比べると、就業者人口は0.807倍になり、生産性が0.872倍になるのだから、総生産額は0.704倍になる。他方、総人口は0.885倍になる。だから1人あたりの分配後所得は、0.704÷0.885=0.795になる。つまり、現在より2割ほど低下するのだ。 生活水準がいまの8割に低下して、「等しからざるを憂えず」と言っていられるだろうか? 国民の不満は高まるのではないだろうか? なお、以上では再分配はすべての年齢層に対して行なうものとした。実際の再分配政策は、就業者から退職後の人口に対してなされるものが多い。これに関しては、より少ない就業者でより多い高齢者を賄わなければならなくなるので、結論は上記よりも厳しくなる』、「1人あたりの分配後所得は、・・・つまり、現在より2割ほど低下するのだ・・・「等しからざるを憂えず」と言っていられるだろうか? 国民の不満は高まるのではないだろうか」、確かに不満が高まらざるを得ないだろう。
・『人口ボーナス期の社会保障制度が重荷になっている  日本が直面している事態の本質は、就業人口の減少率が人口全体の減少率よりも高いことである。これは、「人口オーナス」と呼ばれる現象だ。このために、再分配政策を行なっても、その効果が弱まってしまう。 就業人口の増加率が人口全体の増加率より高い場合には、これとはちょうど逆のことが起きる。これは、「人口ボーナス」と呼ばれる現象である。 日本の高度成長期は人口ボーナス期であった。そして、高度成長期の終わりに、「福祉元年」の掛け声で、社会保障制度が大幅かつ安易に拡大された。その制度がいま重荷になっている。 人口オーナス期に必要とされるのは、まず第1に、人口ボーナス期に作られた再分配制度を見直すことだ。さらに、再分配と同時に、強力な成長政策を実施することだ』、「人口ボーナス期に作られた再分配制度を見直すこと・・・再分配と同時に、強力な成長政策を実施すること」、急務だ。
・『分配政策の柱である金融所得課税から早くも撤退  「分配なければ成長なし」は魅力的なキャッチフレーズだ。しかし、以上で見たように、分配政策だけでは十分ではない。分配政策とともに、強力な生産性向上政策がどうしても必要だ。 現実には、実効性のある成長戦略を打ち出せないないのを隠蔽するために、分配が強調される危険がある。 一方で、分配政策の実効も難しい。金融資産所得への課税強化は分配政策の柱になるもので、岸田首相の総裁選では、この実現を掲げていた。しかし、早くもこれからの撤退を表明した。 したがって、分配問題も解決できず、成長もできないという結果に陥りかねない』、「金融所得課税」を強化しようとすれば、株価下落が不可避になるので、「岸田首相」も結局、断念したようだ。

次に、10月20日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏による「岸田首相の「新しい資本主義」がキモいとしか言えないこれだけの理由」を紹介しよう。
・『岸田文雄首相が、自由民主党総裁選の選挙戦中から掲げるキャッチフレーズである「新しい資本主義」が、なんとも「気持ち悪い」。心情としては「キモい!」と叫びたいくらいだ。筆者がそう感じるさまざまな理由をお伝えしたい』、興味深そうだ。
・『岸田首相の得体が知れない思い込み 日本に「新自由主義」のレッテル貼り  いい年をした書き手(筆者自身のことだ)が、記事の文章で「キモい!」というカジュアルな言葉を使うのはいかがなものかとも思う。であるのだが、岸田文雄首相が掲げる「新しい資本主義」に対する気持ち悪さは、「気持ちが悪く思えます」といったゆっくりしたテンポではなく、「キモい!」と、最短の秒数でこの気味の悪さを伝えたい。 気持ちの悪さには複数の要因があるのだが、一番不気味なのは、「新しい資本主義」という言葉を唱えている本人が、その内容を分かっていないのではないかと思われることだ。しかも、その当の人物が、わが国の首相なのだ。国民は不安になる。 岸田氏は、新しい資本主義について、さまざまに表現してきたが、まず、言っていることが意味不明だし、次には、言っている内容がブレている。つまりは、何をしようとしているのかが分からない。しかし、やみくもに何かを変えようとしている。 岸田氏は、例えば、「新自由主義からの転換」という言葉を使った。しかし、日本はいつ新自由主義になったのか。「転換」という言葉を使うからには、彼の認識では、現状は新自由主義なのだろう。 しかし、たかだか郵政民営化くらいのプロジェクトが中途で挫折してぐずぐずになるような、利権維持と非効率性の中で漂うこの国の一体どこが新自由主義なのか。電波オークションもなければ、農地の株式会社保有さえ実現しない。 このような日本に「新自由主義」というレッテル貼りをして、意見を言ったような気分になることができる精神構造を、不気味だと思わないことは難しい。しかも、彼は左派政党の党首ではなくて、自由民主党の総裁なのだ』、「岸田氏」は安部・菅時代を通じて長いこと考える時間があった割には、考えに深みを感じさせず、幻滅した。
・『「新しい資本主義実現会議」は中身がないと断言できる根拠  岸田氏が、「新しい資本主義」について確たる具体的な内容を持っていなかったことは、「新しい資本主義実現会議」という何とも奇妙な有識者会議が、総選挙を前にした内閣府の下に設立されたことに如実に表れている。 内閣府が10月15日に発表した文書を見ると、会議の開催について、「新しい資本主義実現本部の下、『成長と分配の好循環』と『コロナ後の新しい社会の開拓』をコンセプトとした新しい資本主義を実現していくため、それに向けたビジョンを示し、その具体化を進めるため、新しい資本主義実現会議を開催する」とある。 中身が何もないので、「それに向けたビジョン」などという、この種の文章としては世にも情けない言葉を使う以外に書きようがなかったのだろう』、「中身が何もないので、「それに向けたビジョン」などという、この種の文章としては世にも情けない言葉を使う以外に書きようがなかったのだろう」、鋭い読みだ。
・『成長と分配の好循環を「これから検討」 それでは絶望的に中身がない  そもそも、「新しい資本主義」などという偉そうな言葉を使う以上、そのビジョンは言っている本人が明確に提示して方向性を示すべきだ。「成長と分配の好循環」にも「コロナ後の新しい社会の開拓」にも、願望はあっても中身がない。 「成長と分配の好循環」は与党も野党も望んでいることであり、「どう実現しようとするのか」を論じる以外にお互いを区別するポイントはない。それをこれから有識者会議で検討しようというのだから、岸田首相自身には絶望的なまでに中身がない。 また、今後の社会が、「コロナが起こってからの社会」であることは間違いないのだが、「新しい社会の開拓」とだけ言われても、現状の社会を否定する意味しかない。 会議に参加する有識者さんたちは、推察するに「何かお役に立てたらいい」というくらいの善意から参加されるのだろうが、会議自体が時間と手間の無駄になるだろうと予想する。有識者さんたちにとって指名を受けたことは不名誉ではないだろうから、会議自体の存在はいいとするとしよう。 それにしても(この種の会議の出席謝礼は極めて安いので、お金はそれほど無駄になってはいまい)、サラリーマンの立場から推察して何とも気の毒でならないのは、会議の事務局を務める官僚さんたちだ。このような無意味な会議の成果をどのように着地させるといいのか、想像しただけで目が回りそうになる』、「新しい資本主義実現会議」の事務局の官僚もなんとか格好をつけないといけないので、ご苦労なことだ。
・『財務次官の「バラマキ合戦」批判で緊縮財政へ傾斜しないかが当面の心配  岸田氏が中身を十分把握せずに、思いつきか言葉の勢いで「新しい資本主義」という言葉を唱えたことは、まあいいとしよう。わが国の政治家にはよくあることだ。岸田氏の症状はかなり重いとは思うが、「ネクタイを締めた、しゃべる空箱」のような政治家は与野党を問わず少なくない。 気持ちが悪いのは、「新しい資本主義」を唱える岸田氏が、現状の経済政策の何を変えようとしているのかが分からないことだ。少なくとも何かを変えなければ「新しい」とは言えないのだから、彼は何かをしようとしているらしい。 首相就任前に強調していた金融所得課税の見直し(=税率引き上げ)は、一転して当面封印するようだ。封印自体は結果的に正しいのだが、これだけ簡単に意見が変わると有権者は、衆議院選挙で岸田総裁の自民党に何を期待して投票したらいいのかが分からなくなる。 当面の心配は緊縮財政への傾斜だ。次の衆議院選挙を経ても、おそらく岸田氏が首相だろうが、政治家が掲げる政策を「バラマキ合戦」と批判した財務官僚のような人に感化されて、プライマリーバランス(基礎的財政収支)の目標にこだわるような愚策に陥ることが心配だ。 何が「新自由主義」なのかも、たぶん「資本主義」が何のことなのかも分かっていない首相が、立派に聞こえる言葉の響きだけで「プライマリーバランス」や「財政再建」に共感する心配が大いにある。しかし、これらは、現在こだわるべき概念ではない』、確かに元財務大臣だけに、「「プライマリーバランス」や「財政再建」に共感する」可能性もある。
・『岸田首相への最大の不安は金融政策 23年の日銀正副総裁の人事は心もとない  もっと大きな心配は、金融政策に対する影響だ。岸田首相が、これまでの日本銀行の金融緩和政策を「古い資本主義」だと認識して、変えようとする心配がある。2023年の3月に予定されている日銀の正副総裁の人事を、資本主義の何たるかを分かっていない岸田首相が、「人の話をよく聞いて」、つまり周囲の誰かに影響されて決めるのだとすると、何とも心もとない。 中身がないのに「新しい何々」と言いたがることの他に、「人の話を聞くのが得意だ」と自称する性格的特性も国民を不安にさせる。他人に影響されやすいということだからだ。岸田氏は、リーダーには最も不向きなキャラクターなのではないだろうか。 ただし、岸田首相に対する不安と同時に、野党に対する心配も述べておくのがフェアだろう。例えば、岸田氏が捨てた金融所得課税の見直し(=税率引き上げ)を、いまだに格差対策の政策として掲げる立憲民主党には、岸田氏の「新しい資本主義」の気持ち悪さとはまた別の、「反資本主義」の不気味さがある』、「「人の話を聞くのが得意だ」と自称する性格的特性も国民を不安にさせる」、同感である。
・『与野党の党首討論会で考える「バラマキ合戦」の優劣  衆議院選挙の日程が決まり、各党の経済政策が発表されている。財務次官が「バラマキ合戦」と呼ぶ部分について、18日に日本記者クラブで行われた各党党首の討論会をベースに整理すると、以下の通りだ(「日本経済新聞」10月19日朝刊を参照)。 ・自民党:数十兆円の対策とだけ言っていて、何に使うのかを提示しない ・公明党:高校3年生までの子どもに10万円の給付を行うと言っている ・立憲民主党:1000万円程度までの所得の人への所得税免除と、低所得者への12万円給付、加えて消費税率の時限的な5%への引き下げ ・共産党:減収した人に10万円の給付と、消費税率の5%への引き下げ ・日本維新の会:消費税率を2年間を目安に5%へ引き下げと、年金保険料をゼロに ・国民民主党:一律10万円の給付と、低所得者には追加で10万円の現金給付。さらに経済回復まで消費税率を5%に ・れいわ新選組:消費税廃止と毎月一人20万円給付 ・社民党:3年間消費税ゼロと10万円の特別給付金 ・NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で(NHK党):10万円以上相当の期限付き電子マネーの給付) まず岸田氏の自民党は、政権党だけに言質を与えたくないということなのかもしれないが、具体案を示さないのはよくない。これで首相が岸田氏では、心配かつ不気味だ。 野党各党が主張する現金給付については、所得制限を設けようとすると手間が掛かるし、国民の経済行動がゆがむ(例えば一時的に所得を抑えようとするなど)副作用がある点に注意が必要だ。 また給付金は、生活への支援や国民の安心感の上でも、1回限りのものよりも継続的に効果のある形のものがいい』、その通りだ。
・『日本維新の会が挙げた「年金保険料の無料化」を推す理由  最も筋が良いと思うのは、日本維新の会が挙げた、年金保険料の無料化だ(基礎年金部分の完全税負担化という意味だろう)。富の再分配効果と行政効率化(例えば、国民年金保険料の徴収が要らなくなる)の効果が大きい。低所得者・現役世代への効果が大きく、所得税率の高い人への効果が小さいし、将来はこの財源となる税金の負担を通じて、それなりに大きな「再分配」の流れができる。 増税には、超富裕層に対する所得税の累進税率の引き上げと、広く薄く課税するような資産課税の強化がいい。投資の利益への課税を狙った金融所得課税の見直しは、リスクマネー供給を阻害するのでよくない。 なお、国民年金保険料のような「一律の負担」が低所得者に厳しく、極めて逆進的であることの解決には、財源を税金にすることが優れている。この点では、NHK党あたりがNHK受信料の税負担化を主張しないのは少し不思議だ。 もっとも、低所得層でテレビを持たなかったり、受信料は不払いだったりする人が多ければ、「再分配」の効果はそれほど大きくないかもしれない。それでも、受信料徴収のコストが回避できて、国民の費用負担がより公平になる(税制全体が公平だとして)ことの効果は小さくあるまい。 野党が足並みをそろえつつある消費税率の引き下げは、それ自体の効果として悪くない。ただ、時限的なものだと税率変更を巡る買い控えや消費の集中など、税率変更の際に起こる混乱が気になる。 筆者なら、消費税率はそのままに、基礎年金を全額国庫負担にする方を採りたい。再分配の効果が大きいし、世の中の事務作業が増える消費税率の変更よりも、公的年金にかける手間が減る点で「年金保険料ゼロ」はいい。 岸田首相に、「良いバラマキ」と「悪いバラマキ」を見分ける眼力があるとは思えないが、経済政策の中身はどの道まだ決まっていないのだろうから、「年金保険料ゼロ」をぜひお勧めしたい』、私は「維新の会」は嫌いだが、この「年金保険料の無料化」は確かにいい政策だ。

第三に、10月31日付け東洋経済オンラインが掲載した財務省出身で 慶應義塾大学大学院准教授の小幡 績氏による「「新しい資本主義」は「新しいバブル」にすぎない 「中間層」を増やすことは本当に可能なのか?」を紹介しよう。
・『「新しい資本主義」は岸田文雄政権の経済政策のキャッチコピーで、これまでの経済財政諮問会議に代わって、新しい資本主義実現会議がスタートしたようだ』、興味深そうだ。
・『「新しい」とは何を意味するのか?  もちろん、中身は新しくも何もない。「成長を実現し、それを分配する」ということにすぎない。これまで、すべての政権の成長戦略が成長を実現したことはないから、成長から分配という戦略であれば、成長が政策的な戦略では実現できないから、今回も何も起きるはずがない。 しかし、そんなわかりきったことをいまさら批判するほど私もヒマではない。問題は、キャッチコピーが、GDPと株価から「新しい」資本主義に変わったことだ。つまり、時代は、今までと違う資本主義を求めているということが、政治家にすら伝わってきた、ということであり、いよいよ社会は、資本主義から次の「新しい」時代に向かっている、向かいたいと思っている、ということを示しているのである。 この「新しい」とは何を意味するのか? 岸田政権の政治的な主張は、新自由主義からの決別ということらしいが、そもそも新自由主義という言葉自体が政治的で、学問的にも経済的にも何の意味もない。要は「今までの利益、株価一辺倒から社会、環境とのバランスを重視した経営への移行、競争至上主義から長期的な持続性重視への緩やかな移行」ということだ。 つまり、新しい資本主義とは、ESG、SDGsと実質的には同じことであり、それに格差問題への対応で分配を重視するという政治的なテイストをまぶしたものである。 リーマンショック以後の、強欲資本主義批判は、ウォールストリートとメインストリートの格差、トマ・ピケティの格差拡大批判と、格差攻撃に向かっていたのだが、それがここ5年は急激に環境・持続可能性という方向に舵が切られている。格差といまだに騒いでいるのは、日本ぐらいで、こちらも格差是正と言いながら、欧米のように富裕層から奪ってくるのではなく、分厚い中間層を作り、経済成長を取り戻す、という方向で議論されている。これらのことは何を意味するのだろうか? それは、また「新しい」バブルが始まったのである』、「また「新しい」バブルが始まった」、とはどういうことだろう。
・『新たな「ESG、SDGsバブル」の始まり  リーマンショックで世界金融バブルが崩壊したが、その処理を先送りするために「量的金融緩和バブル」が世界中の金融市場を覆った。これが崩壊しそうになったときに、コロナショックが起き、世界的に限界を超えた金融緩和が行われた。さらに前代未聞の財政出動が行われ、コロナショックバブルが起きた。 このバブルが崩壊するのも時間の問題になった。そしてついに財政破綻から、1990年の社会主義諸国の市場経済化により始まった中期的なバブルにおける短期的なバブルの連鎖も持続不可能になり、バブルの大崩壊になることが確実になってきた。そこへ、最後のあがき、として、これまでの資本主義を否定するかのようにみせかけて、資本主義を延命させようとしたバブルが登場したのである。それがESG、SDGsバブルである。 これまでの資本主義は限界を迎えた。しかし、それを捨てることはできないから、修正を行い持続可能にすることにした。それがESG、SDGsである。実質的には延命にすぎないが、名目的には持続可能な資本主義に修正して、永続的な資本主義の発展を目指すということである。 しかし、それは論理的にも現実的にも不可能だ。なぜか。 環境問題、資源問題の制約に直面してしまったため、脱炭素ということになっているが、炭素は最も効率的であったから使ってきたのであって、すぐに他の資源の制約に直面する。これがすでに直面している現実的な問題である。 水素を作るには電力を大量に必要とする。しかし、火力抜きの電力は世界的に不足している。エネルギー効率は悪い。だから、すぐに水素はうまくいかなくなる。太陽光というのも非常に効率の悪いシステムで、そもそも資源を大量に消費し、パネルを設置し、その接地面の土地は生態系的には有効に利用されない。しかも、そのパネルは持続性がないから、大量の廃棄物が出る。これをフィルムに置き換える技術が生まれているが、それでも資源効率、エネルギー効率は悪い。温暖化対策の決め手、避けては通れないのは、電力消費量を世界で大幅に削減することである。電力を生み出すために資源と環境に負担をかけているのだから、その根源である電力消費を激減させなければ問題は解決しようがない。本当は日本の出番だが、世界は日本を無視し、電力消費削減の必要性は軽視する。なぜか。 それは、資本主義にとって都合が悪いからである。 電力消費を減らすということは、経済拡大を犠牲にするということである。しかも、スマホ、コンピューター駆使の社会で、電力消費は増える一方である。世界中の眠らないサーバーで、電力は世界中で24時間365日大量に消費されている。電力消費総量の大幅削減は、経済の拡大を確実に抑制する。だから、それは避けるのである。 脱炭素で別のエネルギーになるのであれば、経済拡大は止まることはない。さらに、あわよくばもうけのチャンスになる。新エネルギーのためには大規模な投資が必要だから、これは、経済規模大幅拡大につながる。そこで、こぞって新エネルギーを持てはやし、現実のエネルギー効率はないがしろにされているのである。そして、この流れが生まれてしまえば、四の五の言わず、この流れに乗ったもの勝ちだ。だから我先にと、このマーケットに殺到している』、「最後のあがき、として、これまでの資本主義を否定するかのようにみせかけて、資本主義を延命させようとしたバブルが登場したのである。それがESG、SDGsバブルである」、確かにその通りだ。「電力消費総量の大幅削減は、経済の拡大を確実に抑制する。だから、それは避けるのである。 脱炭素で別のエネルギーになるのであれば、経済拡大は止まることはない。さらに、あわよくばもうけのチャンスになる。新エネルギーのためには大規模な投資が必要だから、これは、経済規模大幅拡大につながる。そこで、こぞって新エネルギーを持てはやし、現実のエネルギー効率はないがしろにされているのである」、なるほど。
・『「ブレーキ」VS「アクセル」のせめぎ合いが10年続く  これはどこかで見た景色だ。そう。バブルそのものである。脱炭素バブル、SDGsバブル、ESGバブルである。これで、もう一度バブルの恩恵に授かろうとしていたのだ。 しかし、早くも困難に直面している。資源価格が高騰して、早くも現実世界に引き戻されつつある。金融市場は、自分たちで自己実現バブルを作ればよいが、実体経済、実社会での生活はそうはいかない。急激すぎる、無理な脱炭素の動きにブレーキが今後かかっていくだろう。一方、金融市場や投資家たちは、その現実を無視してバブルを膨らませ続けようとするだろう。そのせめぎあいが、今後10年は続くだろう。 日本は、この脱炭素バブル、環境バブルに乗り遅れている。なぜなら、日本は、この問題で世界では圧倒的に進んでおり、現実をよく知ったうえで、現実的な環境対応を行ってきた実績がありすぎたからだ。 バブルは実体のないものほど乗りやすい。バブルが膨らみやすい。日本は、環境問題では、実体がありすぎ、実績がありすぎて、現実的すぎて、バブルに乗るにはためらいがあったため、乗り遅れてしまったのだ。そして、今でも半信半疑、躊躇しながらバブルに乗るかどうかを迷っている。どうせバブルに乗るのであれば、早いほうがいいのだが、もう遅い。資本主義最後のバブルゲームには乗り遅れてしまったのだ。だから、このバブルが崩壊して、世界が現実に引き戻されたときに出番が来るだろう。その時まで、じっと備えておくのが正しい戦略だが、そう肝を据えられるかどうか。日本の政治には無理な気配があり、一番遅れてバブルに乗ろうとしたのが前菅義偉政権であり、この点では岸田政権も同じであろう。 日本は、経済成長(正確には短期的なGDPの増大)において、この10年、欧米諸国に見劣りしている。そこで「GDP増加を目指して、分厚い中間層を作る」という宣言を出したのが、岸田政権の「新しい」資本主義である。日本は資本主義の持続性よりも、そもそも資本主義がきちんと成り立っていない。利益追求、リスクテイクが足りない。そして需要が足りない。だから、起業家と分厚い中間層が必要だ。日本の経済論壇やメディアは、これを大前提として議論をしている』、「日本は、この脱炭素バブル、環境バブルに乗り遅れている。なぜなら、日本は、この問題で世界では圧倒的に進んでおり、現実をよく知ったうえで、現実的な環境対応を行ってきた実績がありすぎたからだ」、「このバブルが崩壊して、世界が現実に引き戻されたときに出番が来るだろう。その時まで、じっと備えておくのが正しい戦略だが、そう肝を据えられるかどうか。日本の政治には無理な気配があり、一番遅れてバブルに乗ろうとしたのが前菅義偉政権であり、この点では岸田政権も同じであろう」、「脱炭素」や「環境」もバブルとは、さすが鋭い指摘だ。
・『「新しく」もないただの資本主義  しかし、こちらは、「新しく」もないただの資本主義である。起業家とは何か。利益を独占するために、既存の利益独占者を倒そうと立ち上がる人々である。しかし、彼らは成功すれば新しい独占者になる。大企業からプラットフォーマーへと、さらに独占力を強めるだけである。資本主義はそのまま拡大するだけであり、格差はさらに拡大する。 一方、中間層を増やすというのは、これらの独占者、大企業にせよプラットフォーマーにせよ、それらを利用できる消費者と労働者を増やすということにすぎない。低所得者が多いと、独占者は彼らの消費から利益を得ることができない。だから彼らにも、必需品以外の嗜好品を買わせてマーケットを拡大しよう。スマホを世の中の全員に持たせよう。そして、消費を把握し、さらに贅沢を覚えさせ、ゲームをやらせ、消費を増やさせよう。 これは21世紀に始まった、資本主義は、BOPビジネス、ボトムオブピラミッドまたはベースオブピラミッドという概念をもちろん利用した(作成した)。要は、動員である。資本主義とはバブルであり、バブルも資本主義も、人々と物とそして社会を流動化して、動員するシステムである。分厚い中間層というのは、動員する消費者と労働者を増やすためのものである。すなわち、これらは、ごく普通の資本主義である。これまでの路線を強化するだけのことである。あるいは高成長期の動員メカニズムの復活を目指すことである。世界は、アフリカ、貧困層という最後のフロンティアまでを食い尽くしてしまったため、最後の手段、「新しい」資本主義という名の新しいESGバブルを作り、日本は、古きよき時代の普通のバブル、普通の資本主義の再興を目指しているというのが、今なのだ。 しかし、これは理論的に破綻している。なぜなら、資本主義が行き詰ったから、新しい資本主義を目指したのであり、それが同じバブルであり、同じ資本主義であれば、持続不可能であることは自明だからだ。 したがって、新しい資本主義は実現しない。そして、バブルも新しい資本主義も破綻する。そして、その後にやってくるものは、近代資本主義の前の世界、中世だ。そして、それは「新しい」中世である。 「新しい」中世とは、持続的な世界である。 近代資本主義が、流動化、市場化、変動、拡大、バブルという世界であるのに対して、「新しい」中世は、固定化、関係取引、安定化、日常の繰り返し、循環経済という世界である。 資本主義がグローバル化、世界市場の一体化、膨張の世界であったのに対して、「新しい」中世は、ローカル化、多様化からの独自化、持続的な安定状態の世界である。 イノベーションという名の下、新しいぜいたく品(嗜好品、エンターテインメント品、装飾品、ブランド)を次々と繰り出し、欲望を刺激する世界から、必需品の繰り返しからの改善、改良、高品質化により、質の高い必需品に囲まれる世界になる。 過去の中世においても、農業生産力の上昇、開墾、新しい農法の発明、さまざまな技術の発明の元が蓄積された時代であった。それが、1492年以降、大航海時代が幕を開け、拡大、争奪、支配、膨張、戦い、競争の世界の中で、流動化が進み、その動員により、バブルが花開き、刺激的な消費による快楽を享受してきた。それを使い尽くしたので、今度は、再び、蓄積の時代に戻るのである』、「資本主義とはバブルであり、バブルも資本主義も、人々と物とそして社会を流動化して、動員するシステムである」、「資本主義が行き詰ったから、新しい資本主義を目指したのであり、それが同じバブルであり、同じ資本主義であれば、持続不可能であることは自明だからだ。 したがって、新しい資本主義は実現しない。そして、バブルも新しい資本主義も破綻する」、「その後にやってくるものは、近代資本主義の前の世界、中世だ。そして、それは「新しい」中世である。 「新しい」中世とは、持続的な世界である。 近代資本主義が、流動化、市場化、変動、拡大、バブルという世界であるのに対して、「新しい」中世は、固定化、関係取引、安定化、日常の繰り返し、循環経済という世界である。 資本主義がグローバル化、世界市場の一体化、膨張の世界であったのに対して、「新しい」中世は、ローカル化、多様化からの独自化、持続的な安定状態の世界である」、「新しい資本主義は実現しない」はいいとしても、「「新しい」中世」にまではついてゆけない。
・『「新しい」中世の始まりの気配はここかしこに  中世のような社会階級の固定化は復活しないだろう。いったん流動化した社会は、そこは元には戻らない。しかし、新しく分断された社会が成立していくだろう。分厚い中間層、格差社会という言葉は、資本主義の下で、富だけが人々の間の差をあらわすものであったことから生まれたものである。金持ちの貴族と貧乏な貴族は争ったが、貧しい武士と豊かな商人とは別の世界に生きていた。それぞれが独自の幸せと安定性と日常を繰り返す、「新しい」中世社会が成立するだろう。 中世の王や宗教の権威は、近代になって、ブルジョワジーの資本、カネの力に屈し、世の中を支配する力は富に変わった。「新しい」中世では、何が支配力になるかは、まだ不明である。知識、人間力など美しい言葉は考えうるが、これは不明である。 ただ、「新しい」中世の始まりの気配はここかしこにある。社会の分断、多様化、相互理解の不可能性、グローバリゼーションからローカライゼーション、覇権国家の非存在、Gゼロの世界の到来など、あらゆる兆候がある。 「新しい資本主義」という言葉が政治家のキャッチコピーになるのも、その兆候のひとつである』、「「新しい」中世」は仮説としては面白い。「「新しい資本主義」という言葉が政治家のキャッチコピーになるのも、その兆候のひとつ」、ここまで論理補強の材料とするとはさすがだ。

なお、明日から8日まで更新を休むので、9日にご期待を!
タグ:資本主義 (その7)(「分配政策」だけでは 「20年後の生活水準」がいまより2割低下する 日本に必要なのは相当な生産性向上政策、岸田首相の「新しい資本主義」がキモいとしか言えないこれだけの理由、「新しい資本主義」は「新しいバブル」にすぎない 「中間層」を増やすことは本当に可能なのか?) 現代ビジネス 野口 悠紀雄 「「分配政策」だけでは、「20年後の生活水準」がいまより2割低下する 日本に必要なのは相当な生産性向上政策」 「賃金のこれまでの傾向が続けば、再分配後の1人当たり所得は、現状より2割ほど減ってしまう」、とは大変だ。 あくまで逆算だが、そうなのだろう。 「これまでとは異なる強力な成長戦略を実施」、「しないかぎり、いかに分配を適正化したところで、「貧しさを分かち合う」という結果になってしまう」、その通りのようだ。 働き手が減っても、労働生産性が上がれば、「実質賃金」も上がり易くなるのではなかろうか。 「1人あたりの分配後所得は、・・・つまり、現在より2割ほど低下するのだ・・・「等しからざるを憂えず」と言っていられるだろうか? 国民の不満は高まるのではないだろうか」、確かに不満が高まらざるを得ないだろう。 「人口ボーナス期に作られた再分配制度を見直すこと・・・再分配と同時に、強力な成長政策を実施すること」、急務だ。 「金融所得課税」を強化しようとすれば、株価下落が不可避になるので、「岸田首相」も結局、断念したようだ。 ダイヤモンド・オンライン 山崎 元 「岸田首相の「新しい資本主義」がキモいとしか言えないこれだけの理由」 「岸田氏」は安部・菅時代を通じて長いこと考える時間があった割には、考えに深みを感じさせず、幻滅した。 「中身が何もないので、「それに向けたビジョン」などという、この種の文章としては世にも情けない言葉を使う以外に書きようがなかったのだろう」、鋭い読みだ。 「新しい資本主義実現会議」の事務局の官僚もなんとか格好をつけないといけないので、ご苦労なことだ。 確かに元財務大臣だけに、「「プライマリーバランス」や「財政再建」に共感する」可能性もある。 「「人の話を聞くのが得意だ」と自称する性格的特性も国民を不安にさせる」、同感である。 私は「維新の会」は嫌いだが、この「年金保険料の無料化」は確かにいい政策だ。 東洋経済オンライン 小幡 績 「「新しい資本主義」は「新しいバブル」にすぎない 「中間層」を増やすことは本当に可能なのか?」 「また「新しい」バブルが始まった」、とはどういうことだろう。 「最後のあがき、として、これまでの資本主義を否定するかのようにみせかけて、資本主義を延命させようとしたバブルが登場したのである。それがESG、SDGsバブルである」、確かにその通りだ。「電力消費総量の大幅削減は、経済の拡大を確実に抑制する。だから、それは避けるのである。 脱炭素で別のエネルギーになるのであれば、経済拡大は止まることはない。さらに、あわよくばもうけのチャンスになる。新エネルギーのためには大規模な投資が必要だから、これは、経済規模大幅拡大につながる。そこで、こぞって新エネルギーを持てはやし、現 「日本は、この脱炭素バブル、環境バブルに乗り遅れている。なぜなら、日本は、この問題で世界では圧倒的に進んでおり、現実をよく知ったうえで、現実的な環境対応を行ってきた実績がありすぎたからだ」、「このバブルが崩壊して、世界が現実に引き戻されたときに出番が来るだろう。その時まで、じっと備えておくのが正しい戦略だが、そう肝を据えられるかどうか。日本の政治には無理な気配があり、一番遅れてバブルに乗ろうとしたのが前菅義偉政権であり、この点では岸田政権も同じであろう」、「脱炭素」や「環境」もバブルとは、さすが鋭い指摘だ 「資本主義とはバブルであり、バブルも資本主義も、人々と物とそして社会を流動化して、動員するシステムである」、「資本主義が行き詰ったから、新しい資本主義を目指したのであり、それが同じバブルであり、同じ資本主義であれば、持続不可能であることは自明だからだ。 したがって、新しい資本主義は実現しない。そして、バブルも新しい資本主義も破綻する」、「その後にやってくるものは、近代資本主義の前の世界、中世だ。そして、それは「新しい」中世である。 「新しい」中世とは、持続的な世界である。 近代資本主義が、流動化、市場化、 「「新しい」中世」は仮説としては面白い。「「新しい資本主義」という言葉が政治家のキャッチコピーになるのも、その兆候のひとつ」、ここまで論理補強の材料とするとはさすがだ。 なお、明日から8日まで更新を休むので、9日にご期待を!
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資本主義(その6)(世界的経済学者の資本主義論:これならあり得る資本主義終焉シナリオ 資本主義を攻撃するなら ターゲットはここだ、貧困がなくならないのは 皆の財産を誰かが奪っているからでは? 究極の格差解決法、私たちが働いた稼ぎを横取りする「職場の独裁権力」を倒すには 会社を所有すべきなのは 本当は誰なのか) [経済]

資本主義については、9月5日に取上げたばかりだが、今日は、(その6)(世界的経済学者の資本主義論:これならあり得る資本主義終焉シナリオ 資本主義を攻撃するなら ターゲットはここだ、貧困がなくならないのは 皆の財産を誰かが奪っているからでは? 究極の格差解決法、私たちが働いた稼ぎを横取りする「職場の独裁権力」を倒すには 会社を所有すべきなのは 本当は誰なのか)である。筆者のヤニス・バルファキス氏は、経済学部教授として長年にわたり、英国、オーストラリア、ギリシャ、米国で教鞭。2015年、ギリシャ経済危機のさなかにチプラス政権の財務大臣に就任。緊縮財政策を迫るEUに対して大幅な債務減免を主張し、注目。2016年、DiEM25((Democracy in Europe Movement 2025:民主的ヨーロッパ運動2025)を共同で設立。2018年、米国の上院議員バーニー・サンダース氏らとともにプログレッシブ・インターナショナル(Progressive International)を立ち上げる。世界中の人々に向けて、民主主義の再生を語り続けている。

先ずは、9月6日付け現代ビジネスが掲載したヤニス・バルファキス氏による「ベストセラー経済学者が描く、これならあり得る資本主義終焉シナリオ 資本主義を攻撃するなら、ターゲットはここだ」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/86799
・『資本主義論にまったく新たな視野を提供する本をお届けする。経済思想家・経済学者 にしてギリシャ元財務大臣でもあったヤニス・バルファキスの新著『クソったれ資本主義が倒れたあとの、もう一つの世界』だ。 資本主義は、経済成長によって社会に富をもたらす最良の経済制度だというが、現代の許容しがたいほどの格差と貧困の元凶でもあり、そのダークサイドは拡大する一方だ。では、仮にこの忌々しい資本主義が消滅したら、その後の経済社会は、「新たな ユートピア」となるのか、「進化形の共産主義 」になるのか、あるいは誰も見たことのないカタチなのか。その答えを導き出すためにバルファキスが採用した著述スタイルは、なんと「経済SF小説」だった。 物語は、語り手「私(ヤンゴ)」 が、無二の友人だったアイリスの埋葬に立ち会う場面から始まる。時は2035年。アイリスががんで亡くなる直前、「私」 は日記を預かっていた。この中身を書籍にして世の人たちに知らしめてほしい、と。 日記を読んだ「私」は驚愕した。アイリスたちが、「私」の仲間の1人であるコスタのつくり出したマシン「HALPEVAN」によって、「もう一つの世界」につながり、そこで暮らす自分たちの分身と言葉を交わした2025年の記録の一部始終が綴られていたからだ。銀行も株式市場もなく、企業の利益を独占する資本家もいない、テクノ封建主義が行き過ぎた現代社会とはまったくちがう公平な制度の中で、人々は生きていた。 このパラレルワールドへの分岐点は2008年だった。そう、リーマンショックがあった年だ。2011年に「ウォール街を占拠せよ」と叫んだ、強欲な資本家と政治家に対する民衆の抗議活動はほどなく終わったが、「もう一つの世界」では別の発展をたどることになっていたのだ。一体、何が起きてそうなったのか? では、目の前の常識が根本から覆る物語の旅に出ることにしよう。語り手以外の登場人物は3人+3人。過激なリベラリスト&フェミニストのアイリスと「もう一つの世界」に生きる分身サイリス、元リーマン・ブラザーズのリバタリアンの金融エンジニアにして現代資本主義の申し子イヴァと分身イヴ、ギリシャ・クレタ島出身の天才エンジニアだが大企業に絶望し 世捨て人となったコスタと分身コスティだ。 3人の中で最初に「もう一つの世界」の分身に出会ったのは、パラレルワールドにつながるマシン「HALPEVAN」の開発者であるコスタだった。分身コスティから明かされた驚愕の出来事を、まずは資本主義を打倒するまでの経緯からお読みいただきたい。今回はその1回目だ』、ありきたりの資本主義論ではなく、興味深そうだ。
・『2008年から2011年、世界を変えた3年間  コスティから届いた報告を使えば、もう一つの世界の存在について、アイリスとイヴァを説得しやすかった。とはいえ、いちばんの問題はその世界が出現した経緯の説明だろう。それが難しい理由のひとつは、彼らの世界が現在、極めてうまくいっていることをコスティがしきりに話したがり、彼の言葉を借りれば「世界を変えた3年間」、すなわち2008年から2011年までの話をあまりしたがらなかったからだ。そのため、コスタにはふたりに話せることがあまりなかった。コスティが送ってきた情報の断片を使ってコスタにできることは、最初から説明することだった。あの誰でもよく知っている「ウォール街を占拠せよ運動」である』、なるほど。
・『「大量破壊金融商品」を狙え!  もう一つの世界でも、同じように「ウォール街を凍結せよ運動」が発生した。だが、世界中に広がった時には「資本主義を凍結せよ」、略してOCという名前で呼ばれた。当時、コスタはウォール街で起きた占拠運動と、世界各地で起きた同様の運動に大いに興奮した。スペインでは怒れる者たちの抗議デモが発生し、債務危機と緊縮財政に憤った数万人の若者が街の広場を占拠した。 ギリシャでは2011年春の3ヵ月間、やはり緊縮財政に異議を唱える市民がアテネ市内のシンタグマ広場を占拠した。2016年にはパリで「立ち上がる夜運動」が起こり、労働法の改正案に腹を立てた労働者がレピュブリーク広場で市民討論会を開いた。ところが、ああ、運動は起きるのも速かったが、勢いが衰えるのも速かった。特に2009年初めに、発足直後のオバマ政権がウォール街に屈したあとでは。2015年夏に、ギリシャの左派政権が「国境なき寡頭政」に屈したあとでは。OCと「ウォール街を占拠せよ運動」との大きな違いは、広場や通りや建物などの特定の場所を占拠しても無駄だと、OC反逆者が理解していたことだった。 「資本主義は場所には存在しない。時間と金融取引のなかに存在する」即席のリーダーのひとりであるエスメラルダは言った。 彼女が率いたグループは「クラウドショーターズ」と呼ばれた。コスティによれば、彼らこそ、金融資本主義の脆弱さと、攻撃対象を狙い撃ちしたデジタル反逆の威力、このふたつを初めて見せつけたグループだという。彼らの最初の成功は「大量破壊金融商品」に狙いを定めた時だった。2008年に世界金融危機を引き起こす一因となったCDO、つまり「債務担保証券」である。 CDOとは、複数の社債やローンを束ねて、これを担保資産に発行される証券を指す。リーマン・ブラザーズでCDOの製造に関与していたイヴァは、その仕組みを知り尽くしていた。こんなふうに想像すればわかりやすいだろう。CDOの組成者が、小さな債務を箱のなかにたくさん投入する。ジルが地元銀行から借りた住宅ローンのうちの数ポンド。トヨタが日本の年金基金に支払う積立金の一部。ギリシャの銀行がドイツの銀行から借りた融資のうちの数ユーロ。アメリカ政府がJPモルガンに支払う債務のうちの数ドルなど。どのCDOもさまざまなタイプの無数の担保資産から成り、それぞれ債務不履行リスクも利回りも違う』、「発足直後のオバマ政権がウォール街に屈した」とは、危機に陥ったリーマン・ブラザーズの救済に失敗、7000億ドルの公的資金投入で市場鎮静化を図ったことを指す。「国境なき寡頭政」とは、ドイツを中心とするEU体制のこと。「CDO」は確かに「大量破壊金融商品」となった。
・『欲に目が眩み、みずからカモになった銀行  CDOの最大のセールスポイントは、その証券化商品が「安全だ」という虚構にあった。そして、CDOは多様な人や組織の多様な債務で構成されるため、複数債務が同時に焦げつく恐れはない、という謳い文句で売りに出された。さらには、どのCDOも極めて複雑であり、どんな人にも─組成者自身にも─その価値が評価できず、販売価格については上限がないも同然だった。CDOを組成し、売却し、取引する者はただ市場の決定に委ね、市場のほうでもよくわかっていると断言できる者はいなかった。 CDOは、ジェイムズ・ボンド映画に登場する悪党の発明品だ。ペテンそのものだ。まったく不透明な紙切れでありながら、安全で大きな利益を生むように思えた。その安心感によって、CDOの組成者の予想をはるかに超える勢い─と、はるかに高値─で購入者が群がった。その高値に驚く銀行家の様子を見て、さらに注文が殺到し、価格が急騰した。 莫大なマネーを生み出したことから、CDOを組成した銀行家は、騙されやすいカモに不良債権を売りつけるという、本来の目的をすぐに忘れた。自分たちが売り出したCDOでほかの投資家が儲けると、指をくわえて見ていることができず、リーマン・ブラザーズのような銀行は欲に目が眩んで、みずからのCDOを買い戻し始めた。買い戻せば買い戻すほど、すでに高い価格はますます高騰し、手元のCDOの価値も跳ね上がり、ボーナスも跳ね上がった。その儲けに狂乱状態に陥った銀行は、巨額の資金を互いに貸し付け合い、より多くのCDOを買い漁った。 要するに、銀行はみずからが仕掛けた罠に頭から飛び込んでいったのだ。そしてCDO内の不良債権がすべて焦げ付き、2008年に市場が暴落すると、投資銀行はみずから掘った底なしの穴に落ちた。その様子を目の当たりにした政治家と、連邦準備制度理事会(FRB)やイングランド銀行、欧州中央銀行(ECB)などの世界のおもな中央銀行は、慌てて金融機関を救済しようとした。その時だった。エスメラルダ率いるクラウドショーターズが、ストライキを呼びかけたのは』、「銀行はみずからが仕掛けた罠に頭から飛び込んでいったのだ。そしてCDO内の不良債権がすべて焦げ付き、2008年に市場が暴落すると、投資銀行はみずから掘った底なしの穴に落ちた」、その通りだ。その後の「クラウドショーターズ」の話は筆者のフィクションである。
・『水道料金の支払いを2ヵ月遅らせるだけでいい  エスメラルダはイヴァと同じように大手金融機関で働いていたが、世界金融危機が起きる直前に退職していた。そのため、業界の裏の事情を熟知していた。クラウドショーターズは彼女の専門知識を活かして、中央銀行の目論見を外科的かつスタイリッシュに阻んだ。ほとんどの人が理解していないことを、彼らは理解していた。なにもかも民営化したことから、資本主義は「金融ゲリラ攻撃」に極めて脆弱になっていた。特にエスメラルダが理解していたのは、単純な債権からCDOをつくり出す、「証券化」と呼ばれる不遜で皮肉なプロセスが、武力によらない草の根革命にとって絶好の攻撃対象だったことだ。 電気やガスなどの公益事業会社が民営化された結果、各家庭や中小企業に送られた電話や水道、電気料金の請求書はすべて、民間企業に支払う債務となった。だがそれらの民間企業は当の債務を、とっくの昔にどこかの金融機関に転売していた。それでは、その金融機関は具体的になにを購入したのか。市井の人たちが生み出す将来の収入の流れを回収する権利である。そして、その権利を使って彼らはなにをしたのか。その収入源を小さく切り刻んでいろいろなCDOに紛れ込ませ、さらに別の─それこそ世界中の!─金融機関に売却したのだ。 エスメラルダとその仲間には、CDOの中身を特定する優れた技術的能力があった。苦心してソフトウエアを書き上げると、各CDOのどの債務がどの世帯の債務なのか、その請求書や債務の支払期限はいつなのか、誰に対する債務なのか、特定のCDOを誰がその時々で保有していたのかを正確に突き止めた。その膨大なデータベースをもとに、エスメラルダたちは各世帯に連絡を取った。彼らのほとんどが激しい怒りを爆発させた。大手投資銀行のやり口にも。投資銀行家が待ち望んでいる救済措置に対しても。そこでエスメラルダたちは、費用がかからず、攻撃対象を絞った短期の支払い遅延ストライキに突入するよう、怒れる世帯に呼びかけた。エスメラルダはその運動を、クラウドショーティング(大衆による短期支払い遅延運動)と呼んだ。 クラウドショーターズが市民に呼びかけた檄文は、シンプルだった。実際、エスメラルダがヨークシャー地方の住民に呼びかけた初期の檄文は、プラーク(銘板)となってロンドンの国会議事堂を飾っている。 私たちに力を貸してほしい。あなたがその日の食事をテーブルに載せるのにも苦労しているというのに、そのあなたの法外な水道料金の請求書で利益を得ている者どもを、引きずり下ろすために。水道料金の支払いを2ヵ月間、遅らせるだけでいい。遅延料金の心配はいらない。クラウドファンディングで集めて私たちが補てんする。団結すれば揺るがず、分裂すれば倒れる! 同様のプラークはワシントンDCの議会議事堂のエントランスも、アテネのシンタグマ広場に面した国会議事堂も飾っている』、「水道料金の支払いを2ヵ月遅らせる」、ようなことが起きれば、確かに金融市場は大混乱する。
・『ゴールドマン・サックスを終わらせる  その呼びかけは瞬く間に拡散した。英国中の、やがて世界中の人びとがクラウドショーターズの活動を熱心に見守り、その訴えに従った。綿密に連携を図った支払い遅延ストライキは次々にCDO市場の崩壊を招き、その影響はおもな証券取引所にも及んだ。3週間もしないうちに中央銀行は悟った。民営化した公益事業会社が破綻の危機に瀕して、救済措置を必要としているというのに、金融機関が抱える数兆ドルの債務を救うわけにはいかない。 ほんの数ヵ月のあいだに2度も3度も続けて、数兆ドルをウォール街に投入するよう連邦議会を説得するのは不可能であり、アメリカ政府は、ゴールドマン・サックスやJPモルガンといった、金融業界の巨獣の歴史を終わらせるより仕方なかった。すさまじい波紋が生じた。アメリカの銀行を凌ぐ業績悪化によって、欧州の銀行も営業を停止する。ロンドンの金融街がメルトダウンを起こす。各国政府は、ガスや水道などの破綻した民間企業の再国営化を余儀なくされる。FRB、ECB、イングランド銀行、日本銀行、さらには中国人民銀行までが金融業界の空白に介入して、市民に銀行口座を提供せざるを得なかった。 エスメラルダとクラウドショーターズは、グローバル金融の衰退に大きな役割を果たしたものの、彼らだけでOC革命の炎を燃え上がらせることはできなかった。すでに崩壊の道をたどっていたウォール街の息の根を止めることはできたが、資本主義の凍結はそう簡単ではなかった。そこで重要な役割を担ったのが、別のテクノ反逆者たちだった。(翻訳/江口泰子))』、何が「資本主義の凍結」をもたらしたのだろう。

次に、4番目の記事、9月10日付け現代ビジネス「貧困がなくならないのは、皆の財産を誰かが奪っているからでは? ベストセラー経済学者が構想する究極の格差解決法」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87011
・(冒頭の部分は初めの記事と同じなので紹介を省略)ヒエラルキーのない会社の仕組み、大株主が存在できない社会に続き、今回は国民全員が中央銀行に口座を持つ仕組みをお読みいただこう(資本主義が打倒されるまでの経緯の1回目はこちら、2回目はこちらを!)。
・『中央銀行が全市民に配当を払う  コスティの世界では、中央銀行は毎月、市民の年齢に応じて一定額を「配当」口座に振り込む。そのおもな原資は企業から国への支払いだ。実のところ、国はあらゆる企業が納める総収入の5パーセントで、全市民に対する社会給付を賄っている。「相続」が赤ん坊の誕生とともにまとめて振り込まれるいっぽう、「配当」は誕生から毎月振り込まれて、赤ん坊が子どもになり、やがて10代を経て成人するまで市民を貧困から守ってくれる。 「配当」のおかげで、市民は貧困に陥る不安が取り除かれるだけでなく、生活保護を受ける際の屈辱もなければ、容赦ない審査や手続きもない。事業活動に関心はないが社会に貴重な貢献をもたらす者に、「配当」は充分な収入を保証する。なかにはその価値を市場が正しく評価できないような、たとえば介護部門や環境保全、非商業的な芸術といった活動も含まれる。「怠惰な生活を送る権利のためにもだよ」コスティが、挑発するようにつけ加えた』、「配当」はベーシックインカムのようなものらしい。
・『「税金なし、生活保護なし」でも貧困から脱出できる  「配当」の特長のなかでもコスティが特に高く評価していたのは、貧困世帯を永続的に貧困に閉じ込めておくセーフティネットから、彼らを解放することだ。貧困者を搦め捕る「安全網」のかわりに、「配当」は堅固なプラットフォームとして機能する。 貧しい者や恵まれない者も2本の足で立って、よりよい生活が始められる。若者はいろいろな職種を試すことができ、シュメール時代の陶芸から天体物理学まで、「それじゃ食べていけない」といわれる知識を学ぶこともできる。コスタの世界では当たり前になったギグ・エコノミーのような搾取は、「配当」があるだけで不可能になる。実際、ギグ・エコノミーは、収容所群島ならぬ「ゼロ時間契約群島」を生み出してきた。 これまでさまざまなタイプのベーシックインカムが提案され、そのうちの多くが1970年代以降に登場したことは、コスタも知っていた。だが、コスタはどの案にもあまり賛成ではなかった。多くの左派と同じように彼もまた、怠惰に暮らす権利は基本的にブルジョア階級のものだと考えていた。とはいえ、コスタの最大の懸念は、勤勉なプロレタリア階級の税金を、一日中テレビの前に座って過ごす怠け者のために使えば、社会の分断を招くだけではないか、という点にあった。「労働者階級の連帯とは対極を成す」と、コスタは言った。 「だけど、君は忘れてるんじゃないか。ここでは誰も所得税も消費税も支払わない。『配当』とは、社会の資本を共同所有する全市民に対するリターンなんだよ」 確かにコスタはその点を見落としていた。実際、「配当」に対するコスタの評価が急上昇したのは、コスティの世界には税金がふたつしかないと彼が説明した時だった。つまり法人税と土地税だけだ。所得税はない。売上税も付加価値税もない。収入に対して誰も税金を支払わない。財かサービスかを問わず、なにを購入しようと誰も国に1ペニーも支払わない。 コスタにはすぐに理解しがたかった。だが、いったん合点がいくと「配当」は実に理にかなっていた。そこには、1970〜80年代に提案されたベーシックインカムとは明らかな違いがあったのだ。つまり「配当」の原資は税金ではなかった。コスティの世界の「配当」とは、市民が集団的に生産する資本ストックの共同所有者として、市民一人ひとりが受け取る「本来の配当」だったのだ。たとえ彼らのしていることが、一般的には仕事と認めがたいものであっても、やはり市民全員に受け取る権利があった』、「配当」が「市民が集団的に生産する資本ストックの共同所有者として、市民一人ひとりが受け取る「本来の配当」」であれば、確かに「ベーシックインカムとは明らかな違いがあった」。
・『稼ぐだけ稼いで配当を払わないのがビッグテック  オーストリアの哲学者ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインは、驚くような名言を残している。「私的言語は成り立たない」。本来、言語は集団的にしか生み出されない。アイリスはよく、富もまた同じだと指摘した。資本主義者と不労所得収入者が喧伝した「富は個人が生み出し、徴税を通して国が集産化する」という通説とは完全に矛盾し、「富は言語と同じく集団的にしか生み出されない」とアイリスは主張したのだ。そして「その後初めて、私物化する権力を持つ者によって私物化される」。 その考えを敷衍するためにアイリスは、近代以前の資本のかたちを例に挙げた。農地や作物のタネといった資本は、数世代にわたる小作農の労働によって集団的に発達し、それを地主が占有した。今日、アップルやサムスン、グーグル、マイクロソフトのデバイスが基盤とするインフラや部品はもともと、政府の助成金を使って開発するか、共有のアイデアを利用することで可能になったものだ。共有のアイデアは、民話や民謡と同じように社会のなかで発達した。 社会的に生み出されたそれらの資本を、ビッグテックはなにもかも貪欲に占有し、しかもその過程で莫大なカネを稼ぎながら、社会にはなんの配当も支払ってこなかった。それどころか、私たちがグーグルで検索するたび、アプリを使ってフェイスブックのなかを見てまわるたび、インスタグラムに写真を投稿するたびに、そのデータによってビッグテックの資本ストックが増大する。配当をすべて搔き集めているのは、いったい誰なのだ? この問題の解決策として、コスタが長く考えていた方法がふたつあった。ひとつは、ビッグテックの課税率を引き上げる。もっと過激なふたつ目は、グーグルなどのビッグテックをいっそ国営化する。だがコスティの説明を聞いたいま、「配当」は徴税や国営化よりもはるかに優れた方法に思えた。資本ストックに対するリターンを共有する権利が、誰の手にも入るのだ。 企業の資本はそもそも市民の共同投資であり、企業活動はその上に成り立っている。リターンは共同投資の反映にすぎない。そして、それぞれの企業がそのようなかたちで社会に負う社会資本の量を、正確に弾き出すのは不可能であるため、企業の収入から社会に還元する割合を決める唯一の方法は、民主的な決定ということになる。すなわち法的ルールによって、企業収入の一部(コスティの会社の場合は5パーセント)が自動的に中央銀行に徴収される。それを原資として、一部が赤ん坊全員の「相続」と市民全員の「配当」として振り込まれる。コスティや彼の同僚が企業収入の一部を基本給のかたちで平等に分け合うように、社会もまた企業の資本配当の一部を、基本所得(ベーシックインカム)のかたちで平等に分け合うのだ。 なんてすばらしいアイデアなんだ! コスタは感心した。本能的な懐疑心は、この時点でほとんど払拭されていた。とはいえ、疑問は尽きなかった。株式市場を通じた投資がなく、起業にあたって資金調達ができないのなら、コスティが勤めるような会社はどうやって創業されたのか。そして、もしコスティが会社を辞めて、新たな就職先を探す時にはどうするのか? まったくの手ぶらで会社を去るはめになるのだろうか』、「農地や作物のタネといった資本は、数世代にわたる小作農の労働によって集団的に発達し、それを地主が占有した」、「今日、アップルやサムスン、グーグル、マイクロソフトのデバイスが基盤とするインフラや部品はもともと、政府の助成金を使って開発するか、共有のアイデアを利用することで可能になったものだ。共有のアイデアは、民話や民謡と同じように社会のなかで発達した。 社会的に生み出されたそれらの資本を、ビッグテックはなにもかも貪欲に占有し、しかもその過程で莫大なカネを稼ぎながら、社会にはなんの配当も支払ってこなかった」、言われてみれば、その通りだ。
・『株式市場がない世界  事業には人材と資源が必要だ。コスティの世界の新規採用システムには、確かに自発性や民主的な特徴はあるにせよ、コスタの世界のシステムとさほど大きな違いはない。ところが、資源の配分においては著しい違いがあった。 コスタが労働市場から自分を解放する前、彼が勤めた会社はどこも、企業に対する忠誠心を示す踏み絵として、事実上、自社株の購入を迫った。そして入社すると、実際に株式購入選択権を提示された。これは、あらかじめ定めた低価格で自社株を購入できる、合法的だが取り消しの利く権利だ。取締役や従業員を裕福にする強力なツールである反面、懲罰的な仕掛けでもある。おいしそうなニンジンを鼻先にぶらさげておいて、上司が絶妙なタイミングでその餌を引っ込めることもできる。 いっぽう、コスティの世界は対照的だった。コスティは採用が決まったその日に株式を1株、当然のように与えられた。もちろん無料で。なんの条件もなく。学生が図書館のカードを手渡されるか、新入社員がセキュリティ用の社員証を支給されるように。企業の株を余分に購入しようなどという考えは、コスティには思い浮かばなかった。実際、1人1株制度は非常に評判がよく、株を売ったり買ったりするという考えは、議決権か愛する赤ん坊を売買するのと同じくらい言語道断なものだった。 それに対して、コスタの世界では株式市場を通じて、個人の銀行口座のものであれ、大きな年金基金のものであれ、保有資産を投資に活用でき、その重要なメカニズムを使って企業が生まれ、大きく成長できた。だが株式市場がないコスティの世界では、どうやって保有資産を活用するのだろうか。企業はどうやって資金調達するのか。蓄えたおカネが投資にまわる仕組みは? 労働者が働いて生み出したおカネは、どのように新たな機械類に、新たな生産手段に生まれ変わるのだろうか。 「個人のパーキャプ口座から、企業に直接貸し付けるんだ」コスティが言った』、「パーキャプ口座」とは何なのだろう。
・『基本給と「配当」で生活し「積立」を企業に貸す  コスティは採用が決まると、彼のパーキャプ口座の資産を企業に貸し付けてはどうかと持ちかけられた。コスティに企業の所有権は購入できない。だが企業に、それも特に自分が働く企業に貸し付けることはでき、また積極的にそう勧められる。新しく働く会社に貸し付ける動機は、次のふたつからだ。 まずは相互の関係性を深めるため。もうひとつはより実際的な話であり、もし自社で働く者から貸し付けを受けないならば、企業は赤の他人の貸し付けに頼らなければならず、下手をすると、リスクと金利の高いプレミアム貸し付けを利用しなければならないからだ。もちろん新卒のパーキャプ口座の「積立」に、なにほどの残高があるわけではない。だが「相続」から貸し付けることもできた。この世に生まれるとともに社会が用意してくれた資金を、初めて活用する機会というわけだ。 よその企業に貸し付けることもでき、コスティもその方法を選んだ。コスティは長年、基本給と「配当」だけで生計を立て、「積立」に振り込まれたボーナスには手をつけず、その分を複数の企業に貸し付けてきた。コスティが選んだのは、製品やサービスを幅広い地域社会に提供している企業だった。支援の必要があるとコスティが感じた企業であり、コスティは利息を受け取った。会社を辞める時には、自分のパーキャプをそのまま「持ち運ぶ」ことができ、転職先の企業に貸し付けることも可能だった。そのような単純な貯蓄の自由市場を介して、企業は市民のパーキャプ口座を活用でき、市民のほうでも流動性の高い市場にアクセスして、パーキャプの残高をうまく運用できた。 それでは、会社を辞める時にはどうするのか。それについては極めてシンプルだ。仕事を終了して、パーキャプとともに会社を去る。解雇の場合はもちろんもっと痛みを伴う。新人を募集する際には、誰でもほかのメンバーを招いて即席の人事委員会を設置した。それと同じように解雇の場合にも、誰でも調査委員会を設置して、業績が悪いか不正行為の疑われる同僚を追放するかどうかを検討する。調査委員会はあらゆる関係者から話を聞いたあとで、完全に透明性の保たれた状況でその頭の痛い問題について審議し、全員の投票で決定を下す。 この世に誕生すると同時にパーキャプ口座が与えられるおかげで、いろいろなことが容易になる。企業に入る際にも離職の際にもパーキャプは持ち運べる。自分の意志で辞めた時でも解雇された時でも、企業には高額の退職金や補償金を支払う法的な義務はない。もちろんコスティの貢献を認めた場合か、解雇に伴う不快感を慰めるために、同僚が彼らの基本給かボーナスの一部を慰労金のようなかたちで、コスティに譲るよう可決することは可能だ。だがそうでないなら、コスティはただ自分のパーキャプとともに会社を去る。基本給と「配当」で生活し「積立」を企業に貸す コスティは採用が決まると、彼のパーキャプ口座の資産を企業に貸し付けてはどうかと持ちかけられた。コスティに企業の所有権は購入できない。だが企業に、それも特に自分が働く企業に貸し付けることはでき、また積極的にそう勧められる。新しく働く会社に貸し付ける動機は、次のふたつからだ。 まずは相互の関係性を深めるため。もうひとつはより実際的な話であり、もし自社で働く者から貸し付けを受けないならば、企業は赤の他人の貸し付けに頼らなければならず、下手をすると、リスクと金利の高いプレミアム貸し付けを利用しなければならないからだ。もちろん新卒のパーキャプ口座の「積立」に、なにほどの残高があるわけではない。だが「相続」から貸し付けることもできた。この世に生まれるとともに社会が用意してくれた資金を、初めて活用する機会というわけだ。 よその企業に貸し付けることもでき、コスティもその方法を選んだ。コスティは長年、基本給と「配当」だけで生計を立て、「積立」に振り込まれたボーナスには手をつけず、その分を複数の企業に貸し付けてきた。コスティが選んだのは、製品やサービスを幅広い地域社会に提供している企業だった。支援の必要があるとコスティが感じた企業であり、コスティは利息を受け取った。会社を辞める時には、自分のパーキャプをそのまま「持ち運ぶ」ことができ、転職先の企業に貸し付けることも可能だった。そのような単純な貯蓄の自由市場を介して、企業は市民のパーキャプ口座を活用でき、市民のほうでも流動性の高い市場にアクセスして、パーキャプの残高をうまく運用できた。 それでは、会社を辞める時にはどうするのか。それについては極めてシンプルだ。仕事を終了して、パーキャプとともに会社を去る。解雇の場合はもちろんもっと痛みを伴う。新人を募集する際には、誰でもほかのメンバーを招いて即席の人事委員会を設置した。それと同じように解雇の場合にも、誰でも調査委員会を設置して、業績が悪いか不正行為の疑われる同僚を追放するかどうかを検討する。調査委員会はあらゆる関係者から話を聞いたあとで、完全に透明性の保たれた状況でその頭の痛い問題について審議し、全員の投票で決定を下す。 この世に誕生すると同時にパーキャプ口座が与えられるおかげで、いろいろなことが容易になる。企業に入る際にも離職の際にもパーキャプは持ち運べる。自分の意志で辞めた時でも解雇された時でも、企業には高額の退職金や補償金を支払う法的な義務はない。もちろんコスティの貢献を認めた場合か、解雇に伴う不快感を慰めるために、同僚が彼らの基本給かボーナスの一部を慰労金のようなかたちで、コスティに譲るよう可決することは可能だ。だがそうでないなら、コスティはただ自分のパーキャプとともに会社を去る』、「パーキャプ口座」は必ずしも自分が勤務する「企業」のものでなくてもいいのであれば、その「企業」の「パーキャプ口座」自体を売買の対象にしてもよさそうなものだ。
・『パートナーと仲違いした時は入札で会社所有者を決める  コスティは限られた行数のなかで、会社法の重要なふたつの特徴について教えてくれた。ひとつは、小規模の法人かパートナーシップを解消する際の手続きについてだ。ふたりのパートナー(共同経営者)が仲違いして、お互い目も合わせなくなった時、過半数の投票を行なっても、どちらが会社を所有し、どちらが辞めるのかを決定できない。そこでその場合は、シュートアウト条項を用いる。 具体的に言えば、自分がその企業を引き続き所有する際の金額を書き入れた紙を封印して、双方が提出する。その際、入札額の高かったほうが企業を所有することになる。しかしながら、その者は落札額と同額を、みずからのパーキャプから企業に貸し付けなければならず、落札額に応じて国税も支払う。シュートアウト条項は、その会社の債務返済能力と社会貢献能力をより高く評価するパートナーのほうが、引き続き会社を所有するようにつくられている。 そして、コスティが詳しく教えてくれた会社法のふたつ目の特徴は、コスタの懸念に充分に応えるものだった。すなわち、企業は自社で働く者以外─消費者、地域社会、社会全体─の利益をどう考えているのか。(翻訳/江口泰子)』、「シュートアウト条項」はよく考えられているようだ。

第三に、9番目の記事、9月16日付け現代ビジネス「私たちが働いた稼ぎを横取りする「職場の独裁権力」を倒すには 会社を所有すべきなのは、本当は誰なのか」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87220
・(冒頭の部分は初めの記事と同じなので紹介を省略)分身コスティから明かされた、資本主義打倒後の世界。それは、ピラミッド構造ではないフラット組織の会社、大株主が存在できない経済、国民全員が中央銀行に口座を持つ仕組み、そして銀行がない社会だった。それらの報告をコスタから聞いたアイリスとイヴァの議論は、資本主義の正体を暴き出すものになった。その物語をお読みいただこう(資本主義が打倒されるまでの経緯の1回目はこちら、2回目はこちらを!)。
・『資本主義の破壊力から自然環境を守る方法とは?  資本主義が誘発する気候変動は、アイリスとコスタ以上にイヴァを動揺させた。ふたりと違ってイヴァには息子がいる。その息子に自分が滅びゆく地球を遺すように感じていたのだ。それを除けば、資本主義を葬っても、いいことはなにひとつない。資本主義が気候と自然に及ぼす破滅的な影響を無効にするためには、巨額の資金が不可欠だ。株式市場には、グリーン投資に資金を供給する仕組みが必要であり、二酸化炭素や私たちの暮らしを脅かす環境汚染物質に、適正な税金をかける必要がある。 「忘れちゃったの、イヴァ? 古いことわざにもあるでしょ、馬に鞭は打てないって」アイリスが指摘した』、なるほど。
・『女王も国家も巨大企業を支配できない  株式保有とうまく管理された株式市場は、歴史に勢いを吹き込んだ。東インド会社において、所有と事業活動とを切り離したことが、可変的で圧倒的な力を解放した。やがて歯止めがきかなくなり、大英帝国をも凌ぐ力を持ち、株主の利益だけに責任を負った。国内において、東インド会社の官僚制は女王陛下の政府を腐敗させ、大きな支配を及ぼした。海外においては、総勢20万人の私兵がアジア諸国や大西洋に浮かぶ島々の、それまでなんの問題もなく機能していた経済を破壊し、現地の人びとを確実に、システマチックに搾取した。 とはいえ、東インド会社が特殊だったわけではない。その後、東インド会社をテンプレートに多くの会社が生まれた。そのうちのひとつアングロ・ペルシアン石油(現BP)は、1953年に米英の秘密情報機関と協力して、イラン最後の民主政権の転覆を図った。あるいは、アメリカのコングロマリットであるITT(国際電話電信会社)は、1973年にチリで発生した軍事クーデターで重要な役割を果たした。もっと最近の例をあげれば、アマゾン、フェイスブック、グーグル、エクソンモービルなどがそうだ。これらの巨大企業相手に、どんな国民国家の支配も実質的に及ばない。 リベラルは馬脚をあらわした。権力の過度の集中を見て見ぬ振りをした時、リベラルの本性が露になったとアイリスは非難する。東インド会社の支配下にある社会の自由は、全体主義政権の支配下にある社会の自由と変わらない。つまり、そこに自由などない。だからこそ、りんごの売買と株式の売買とは似て非なるものだ。大量のりんごは最悪の場合でも、大量の腐ったサイダーを生産するだけだが、流動性の高い株式に投資する巨額の資金は、市場にも国家にもコントロールできない、悪魔のような力を解放しかねない』、「ITT・・・は、1973年にチリで発生した軍事クーデターで重要な役割を果たした」、左翼政権を残忍な方法で倒した裏に「ITT」がいたとは初めて知った。「権力の過度の集中を見て見ぬ振りをした時、リベラルの本性が露になったとアイリスは非難する。東インド会社の支配下にある社会の自由は、全体主義政権の支配下にある社会の自由と変わらない。つまり、そこに自由などない」、なるほど。
・『巨大企業に「ご近所」はない  「リベラリズムの致命的な偽善は」アイリスはさらに非難する。「近所の肉屋、パン屋、ビール醸造者の存在を喜んでおきながら、恥ずべき東インド会社やフェイスブック、アマゾンを擁護したこと。これらの巨大企業にご近所はない。パートナーもいない。道徳感情にも配慮せず、競合を破滅させるためには手段も選ばない。パートナーシップを匿名の株主に替えることで、私たちはリバイアサン(怪物)を生み出してしまった。それがついには、イヴァ、あなたのようなリベラルが大切だとおっしゃる、あらゆる価値を台なしにして否定したのよ」 話しているあいだに、自分の言葉につい感情が昂ったこともあり、アイリスはコスティが描き出す世界について、思わず熱っぽく語っていた。 「藁にもすがろうってわけね、アイリス」イヴァの顔には憐れみの表情がありありと浮かんでいた。「市場の美点は、最も適した組織のかたちが生き残る自然の生息環境だってこと。それ以外は架空の世界でしか生き残れない。1人1株の原則に基づく民主的な企業が、どんな意味でも優れているのなら、いま、ここに存在しているはず。ところが実際、それはコスタが空想する報告のなかにしかない」 それを合図にコスタが口を開いた。「ある環境で進化したシステムが証明するのは、そのシステムが、その環境でみずからを複製するのが得意だということだけだ。僕たちが暮らしたくなるようなシステムを生むわけでもない。さらに重要なことに、より長く生き残る能力を表しているわけでもない。環境は変わる。時に急激に、時にシステム自体が及ぼす悪影響によって。ほかのシステムを打ち負かすことは、それらのシステムと調和して生きる以上に、自己破壊を招くかもしれない。 ウイルスがいい例だ。エボラウイルスは感染力と複製力が極めて強く、宿主の致死率は、たとえば新型コロナウイルスと比べてもはるかに高い。新型コロナウイルスは「比較的無害」でありながら、2020年に資本主義を屈服させた。問題は、株式取引と資本主義がこれまでほかのシステムを打ち負かしてきたかどうかではない。そのふたつの影響として、宿主である社会が果たして生き残れるのかどうかなんだよ! そして、それについて言えば、君たちふたりがまだ考えていない、別の要素も考慮に入れるべきだ」 「へえ、そうなの?」とイヴァ。「まあ、そう言うんなら、ご親切に教えてくださらない? 私たちが見落としたという、その要素を」 「テクノロジーだよ、もちろん」それがコスタの答えだった』、なるほど。
・『株式市場とテクノロジーが出会って生み出したもの  「もし今日の株式市場の影響を正しく評価するのならば」コスタが続ける。「アイリスが指摘したように、17世紀に株式市場が誕生したことだけや、あるいはイヴァ、君が披露したように、株式市場が広く浸透したという事実だけで捉えることはできない。株式市場の進化を、環境との関係も踏まえて考えなければ。取引可能な株の導入のおかげで、企業は理論上、制限がなくなったのかもしれない。ところが、実際に制限がなくなったのは、ある技術が発明されたあとだ。1864年に英国の理論物理学者ジェイムズ・クラーク・マクスウェルが発見して、活用した電磁気学が可能にした技術だよ。 さて、僕は確信を持ってこう認めるが、もしマクスウェルがかの電磁方程式を考え出したのが、たとえば15世紀だったなら、ほんのひと握りの数学者仲間が大いに刺激を受けて終わりだっただろう。それ以上のことはなにも起こらない。ところが、トーマス・エジソンがマクスウェルの方程式を使って送電網を開発したからこそ、世界に電力を供給することになった。エジソンにそのような偉業が達成できたのも、株式市場を介して巨額の資金を調達できたからだ。君に言う必要もないだろうがね、イヴァ。ニューヨークのパールストリートにエジソンが開設した世界初の発電所は、株主が所有していた」 「まさにそれが私の言いたかったことよ」イヴァがにっこり微笑んだ。「マクスウェルの方程式がなければ、発電も電話も、レーダーもレーザーも、デジタルのものはなにひとつなかったに違いない。だけど株式市場がなかったら、GEやベル電話会社、アマゾンなどのネットワーク企業が必要とする巨額の資金は調達できず、科学者の描いた設計図は、ダ・ヴィンチのヘリコプターの設計図とともに、博物館に展示されて終わりだった。だからこそ、株式市場を禁じた先進社会を思い描くなんて、まったくどうかしてる」 「ちょっと待って、イヴァ」コスタが口を挟んだ。「株式市場が技術と遭遇して、どちらも変化を遂げた。お互いに変化して共進化を遂げた。そして、新たなものを生み出した。ガルブレイスの言うテクノストラクチャーだ。そしてそのプロセスのなかで、株式市場と技術はそのふたつの環境も変えたんだ」』、「「マクスウェルの方程式がなければ、発電も電話も、レーダーもレーザーも、デジタルのものはなにひとつなかったに違いない。だけど株式市場がなかったら、GEやベル電話会社、アマゾンなどのネットワーク企業が必要とする巨額の資金は調達できず、科学者の描いた設計図は、ダ・ヴィンチのヘリコプターの設計図とともに、博物館に展示されて終わりだった」、なかなか面白い見方だ。「株式市場が技術と遭遇して、どちらも変化を遂げた・・・ガルブレイスの言うテクノストラクチャーだ。そしてそのプロセスのなかで、株式市場と技術はそのふたつの環境も変えたんだ」、なるほど。
・『規律と美徳を破壊したものの正体  歴史を猛烈な勢いで前に進めた本当の原動力は株式市場ではない、とコスタは言った。エジソンが抱いたような壮大な野心に融資するためには、株式市場は流動性がまったく足りなかった。コスタが改めてイヴァに指摘したように、20世紀の変わり目にあれだけの発電所、送電網、工場や配電網の建設を賄うだけの資金は、銀行にも株式市場にも調達できなかった。あれだけ大きな規模のプロジェクトを軌道に乗せるためには、同じくらい大きな規模の信用ネットワークが必要だったのだ。 株式保有と技術は手を取り合って、株主が所有する巨大銀行の誕生を促した。巨大銀行は、新たな種類の巨大債務を生み出し、新たな巨大企業に積極的に融資した。そしてそれは、世のトーマス・エジソンやヘンリー・フォードたちに対する、巨額の当座貸越のかたちを取った。もちろん、彼らが借りた資金は実際には存在しない─まだ、この時点では。それどころか、彼らは巨大企業を築く資金を、その巨大企業が将来、生み出す利益から前借りしているようなものだった。 その信用供与枠が生んだ大量の資金は、製鋼法のベッセマー転炉やパイプライン、機械、送信機を製造し、ケーブルを設置しただけではない。企業の吸収合併にも使われて、もとの巨大ネットワーク企業を凌ぐカルテルが誕生した。民間とはいえ、旧ソ連のような「計画化体制」が登場して世界中に広がり、大企業家や金融業界の大物が手を組み、みずからのためにみずからが思い描く未来をつくり上げた。それがガルブレイスの言う、大企業のなかの専門家集団「テクノストラクチャー」である。コスティの世界でテクノ・サンディカリストたちが引きずり下ろそうとしたのも、そのテクノストラクチャーだった。 コスタが説明する。「テクノストラクチャーは、20世紀のあいだに何度も制御不能な状態に肥大し、市場の規律や公共の美徳といった考えを圧倒した。ウイルスと同じように、テクノストラクチャーも繰り返し宿主を病気にした。彼らが民間債務を貪欲に求めたことから、1929年に株価が暴落し、1930年代には大恐慌が発生して、第2次世界大戦の悲劇を招いた。その影響を受けて、戦後の各国政府は巨大銀行を去勢し、テクノストラクチャーを鎖につないだ。ところが1970年代初めになると、彼らは軛を逃れて、国の制約を振り払った。やがて彼らを支援し、扇動したのが、サッチャー首相とレーガン大統領が起こした政治的反乱だったんだよ』、「ウイルスと同じように、テクノストラクチャーも繰り返し宿主を病気にした。彼らが民間債務を貪欲に求めたことから、1929年に株価が暴落し、1930年代には大恐慌が発生して、第2次世界大戦の悲劇を招いた。その影響を受けて、戦後の各国政府は巨大銀行を去勢し、テクノストラクチャーを鎖につないだ。ところが1970年代初めになると、彼らは軛を逃れて、国の制約を振り払った。やがて彼らを支援し、扇動したのが、サッチャー首相とレーガン大統領が起こした政治的反乱だったんだよ」、「サッチャー」「レーガン」革命についてのユニークな解釈だ。
・『地球という惑星の正気を取り戻すには  こうして、テクノストラクチャーは再び支配力を掌中に収めたんだ。そして、将来価値を略奪する彼らの試みは新たな高みに達し、2008年にまたもや世界金融恐慌を招いた。今回は一掃すべき世界戦争の瓦礫はなく、中央銀行が大量のお札を刷り、そのぴかぴかの公的資金を注入されてテクノストラクチャーは素早く復活した。だけどその頃にはウイルスはその宿主をひどく病気にして、みずからの環境を略奪してしまい、完全な回復は望めなかった。肥大して、炎症を起こしたテクノストラクチャーは、新たな流動性を真の生産力に、質のいい仕事に、カーボンニュートラルな経済に転換できなかった。 その状況の恐ろしい危険を身に沁みて理解するためには、環境の略奪によって発生した2020年の本物のウイルスが必要だった。それでもなお、その時もまた、各国政府はテクノストラクチャーに巨額の資金をつぎ込むことが妥当だと考えた。彼らがまるで救命ボートででもあるかのように、病気の原因にしがみついたんだ。 2023年になる頃には、テクノストラクチャーと寡頭政の支配者たちは、この地球を─制御不能に陥った環境危機と社会危機に捕らわれたこの惑星を─ますます牛耳っていた。だからこそ僕が危惧するのは、地球という惑星の正気を取り戻すためには、株の取引を禁止するだけでは不充分ではないか、ということなんだ」(翻訳/江口泰子)→次回に続く』、「各国政府はテクノストラクチャーに巨額の資金をつぎ込むことが妥当だと考えた。彼らがまるで救命ボートででもあるかのように、病気の原因にしがみついたんだ。 2023年になる頃には、テクノストラクチャーと寡頭政の支配者たちは、この地球を─制御不能に陥った環境危機と社会危機に捕らわれたこの惑星を─ますます牛耳っていた」、「テクノストラクチャーと寡頭政の支配者たち」はまだ強力なようだ。崩すきっかけは何なのだろう。これ以降で、参考になる記事が出たら紹介したい。
タグ:資本主義 (その6)(世界的経済学者の資本主義論:これならあり得る資本主義終焉シナリオ 資本主義を攻撃するなら ターゲットはここだ、貧困がなくならないのは 皆の財産を誰かが奪っているからでは? 究極の格差解決法、私たちが働いた稼ぎを横取りする「職場の独裁権力」を倒すには 会社を所有すべきなのは 本当は誰なのか) ヤニス・バルファキス 英国、オーストラリア、ギリシャ、米国で教鞭。2015年、ギリシャ経済危機のさなかにチプラス政権の財務大臣に就任。緊縮財政策を迫るEUに対して大幅な債務減免を主張し、注目 2016年、DiEM25((Democracy in Europe Movement 2025:民主的ヨーロッパ運動2025)を共同で設立。2018年、米国の上院議員バーニー・サンダース氏らとともにプログレッシブ・インターナショナル(Progressive International)を立ち上げる。世界中の人々に向けて、民主主義の再生を語り続けている 現代ビジネス 「ベストセラー経済学者が描く、これならあり得る資本主義終焉シナリオ 資本主義を攻撃するなら、ターゲットはここだ」 ありきたりの資本主義論ではなく、興味深そうだ。 「発足直後のオバマ政権がウォール街に屈した」とは、危機に陥ったリーマン・ブラザーズの救済に失敗、7000億ドルの公的資金投入で市場鎮静化を図ったことを指す。 「国境なき寡頭政」とは、ドイツを中心とするEU体制のこと。「CDO」は確かに「大量破壊金融商品」となった。 「銀行はみずからが仕掛けた罠に頭から飛び込んでいったのだ。そしてCDO内の不良債権がすべて焦げ付き、2008年に市場が暴落すると、投資銀行はみずから掘った底なしの穴に落ちた」、その通りだ。その後の「クラウドショーターズ」の話は筆者のフィクションである。 「水道料金の支払いを2ヵ月遅らせる」、ようなことが起きれば、確かに金融市場は大混乱する。 何が「資本主義の凍結」をもたらしたのだろう。 「貧困がなくならないのは、皆の財産を誰かが奪っているからでは? ベストセラー経済学者が構想する究極の格差解決法」 「配当」はベーシックインカムのようなものらしい。 「配当」が「市民が集団的に生産する資本ストックの共同所有者として、市民一人ひとりが受け取る「本来の配当」」であれば、確かに「ベーシックインカムとは明らかな違いがあった」。 「農地や作物のタネといった資本は、数世代にわたる小作農の労働によって集団的に発達し、それを地主が占有した」、「今日、アップルやサムスン、グーグル、マイクロソフトのデバイスが基盤とするインフラや部品はもともと、政府の助成金を使って開発するか、共有のアイデアを利用することで可能になったものだ。共有のアイデアは、民話や民謡と同じように社会のなかで発達した。 社会的に生み出されたそれらの資本を、ビッグテックはなにもかも貪欲に占有し、しかもその過程で莫大なカネを稼ぎながら、社会にはなんの配当も支払ってこなかった」、 「パーキャプ口座」とは何なのだろう。 「パーキャプ口座」は必ずしも自分が勤務する「企業」のものでなくてもいいのであれば、その「企業」の「パーキャプ口座」自体を売買の対象にしてもよさそうなものだ。 「シュートアウト条項」はよく考えられているようだ。 「私たちが働いた稼ぎを横取りする「職場の独裁権力」を倒すには 会社を所有すべきなのは、本当は誰なのか」 「ITT・・・は、1973年にチリで発生した軍事クーデターで重要な役割を果たした」、左翼政権を残忍な方法で倒した裏に「ITT」がいたとは初めて知った。「権力の過度の集中を見て見ぬ振りをした時、リベラルの本性が露になったとアイリスは非難する。東インド会社の支配下にある社会の自由は、全体主義政権の支配下にある社会の自由と変わらない。つまり、そこに自由などない」、なるほど。 「「マクスウェルの方程式がなければ、発電も電話も、レーダーもレーザーも、デジタルのものはなにひとつなかったに違いない。だけど株式市場がなかったら、GEやベル電話会社、アマゾンなどのネットワーク企業が必要とする巨額の資金は調達できず、科学者の描いた設計図は、ダ・ヴィンチのヘリコプターの設計図とともに、博物館に展示されて終わりだった」、なかなか面白い見方だ。「株式市場が技術と遭遇して、どちらも変化を遂げた・・・ガルブレイスの言うテクノストラクチャーだ。そしてそのプロセスのなかで、株式市場と技術はそのふたつの環 「各国政府はテクノストラクチャーに巨額の資金をつぎ込むことが妥当だと考えた。彼らがまるで救命ボートででもあるかのように、病気の原因にしがみついたんだ。 2023年になる頃には、テクノストラクチャーと寡頭政の支配者たちは、この地球を─制御不能に陥った環境危機と社会危機に捕らわれたこの惑星を─ますます牛耳っていた」、「テクノストラクチャーと寡頭政の支配者たち」はまだ強力なようだ。崩すきっかけは何なのだろう。これ以降で、参考になる記事が出たら紹介したい。
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資本主義(その5)(「炎と猫と資本主義」に見る「2021年欲望の行方」 異色TV番組の背景「資本のない資本主義」の時代、「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」私有財産に定率の税(富のCOST)を課すと効率的な市場が生まれる、斎藤幸平さんが勧める思想・教養書5冊2題:#1「みんな頑張って働いているのに幸せそうに見えない」、#2コロナ対策で政府が供給した巨額のお金はどこへ消えたか? 銀行も証券会社も退職した“森ビル”元幹部が語る資本主義の“限界”) [経済]

資本主義については、昨年10月14日に取上げた。今日は、(その5)(「炎と猫と資本主義」に見る「2021年欲望の行方」 異色TV番組の背景「資本のない資本主義」の時代、「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」私有財産に定率の税(富のCOST)を課すと効率的な市場が生まれる、斎藤幸平さんが勧める思想・教養書5冊2題:#1「みんな頑張って働いているのに幸せそうに見えない」、#2コロナ対策で政府が供給した巨額のお金はどこへ消えたか? 銀行も証券会社も退職した“森ビル”元幹部が語る資本主義の“限界”)である。

先ずは、本年1月1日付け東洋経済オンラインが掲載したNHKエンタープライズ制作本部番組開発エグゼクティブ・プロデューサーの丸山 俊一氏による「「炎と猫と資本主義」に見る「2021年欲望の行方」 異色TV番組の背景「資本のない資本主義」の時代」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/398342
・『資本主義が抱える本質的な問題を世界の知性とともに多角的に考察する番組「欲望の資本主義」。新春恒例となった異色の教養エンタメ番組で、『欲望の資本主義4スティグリッツ×ファーガソン不確実性への挑戦』など、書籍化もされている。今回特に注目されるのが「無形資産」と格差拡大だ。コロナ禍でデジタルテクノロジー主導の経済がますます存在感を増している中、日本と世界はどこへ向かうのかを追った元日放送の「BS1スペシャル欲望の資本主義2021~格差拡大社会の深部に亀裂が走る時~」の見どころをお届けする。 一方、そうしたバーチャルな経済が増殖する中で注目されている番組が、「ネコメンタリー」と「魂のタキ火」だ。一見、つながりのないように見える3番組に通底する問題意識について、番組を企画したNHKエンタープライズ番組開発エグゼクティブプロデューサーの丸山俊一氏に伺った』、残念ながら両方とも見逃したので、この記事はとりわけ興味深い。
・『火が、炎が、人々の心を開放する  「魂のタキ火」なる番組を始めた。 冒頭からカメラはひたすら燃える火を捉え、炎のアップの映像が延々と続く。ナレーションはない。パチパチと薪がはぜる音、風の音、遠く過ぎゆく電車の音もうっすらと鼓膜に響く。そして画面には、炎が相変わらず揺れ続ける……。 いったいこれは「番組」なのか、たまたまテレビを点けて、この映像に遭遇した方はその唐突な出会いに一瞬戸惑われることだろう。しかし同時に、少しずつ時の流れの感じ方が変わり、感覚の変容を覚えるという方も少なくない。 そのうちに炎の向こうから 聞こえてくる、とりとめのない言葉、素朴な声、洒脱な会話……。ようやく、さまざまなジャンルの3人のゲストたちがタキ火を囲み、言葉を交わすさまが描き出される。台本はもちろんない。炎を囲むことで、たまたま居合わせたかのような3人に、日常から少し自由になって、心の底に眠る思いを吐露してもらおうというわけだ。 そして、もう1つ特筆すべき点があるとすれば、「主役は炎とあなたです」というコピーを番組HPにも沿わせているように、ゲストの皆さんの話から刺激を受けた視聴者の方々も、自由に想像力の世界に遊んでほしいという思いがそこにはある。 話の行間から想起された思いを、それぞれが炎に投影させる。もちろん番組というものはどなたにもどのようにでも自由に見ていただくもの、すべての企画が「主役はあなた」なのだが、そのことをあらためてど真ん中に考えた企画だともいえるのかもしれない。 こんな番組を毎週火曜の夜にお送りしているわけだが、別に奇をてらって考えたわけではない。企画したのは1年以上前のこと、さらに言えば30年以上前と言ったら呆れられるだろうか。 駆け出しのディレクターだった頃、ひたすら滝や炎をカメラが捉える番組は……などと口にして、プロデューサーたちに「テーマは何か?それで何を狙うのか?」と問い詰められ、言葉に窮した記憶がある。 ゆらめく炎、流れ落ちる滝、寄せては返す波、木々を揺らす風……、 そうした揺らぎを捉えた映像は今でこそ、このYouTube時代、「癒やし」の名の下に広がりを見せ珍しくなくなり、「コンテンツ」として立派に成立する時代となった。 皮肉なことにこのコロナによる不透明な状況の中、「安らぎ、静かな落ち着けるひととき」とご好評をいただいている。 なぜ今、火、炎なのか?つかまえられない揺らぎを宿し、すべてを燃やし尽くす炎は、原初の存在、文明の始まりでもある。そして「町の火を消してはならない」などと表現されるように、小さくともその存在をなくすべきではないものにたとえられることがある。 怖くて偉大で大切さの象徴たる火は、私たちの本能を刺激する。そしてそれは、実は現代社会の大いなる欠落の象徴でもあるのではないだろうか?』、「すべての企画が「主役はあなた」なのだが、そのことをあらためてど真ん中に考えた企画だともいえるのかもしれない」、その通りなのだろう。
・『デジタルテクノロジーが招く無形資産の時代  現代の社会をあらためてフラットに眺めたとき、デジタルテクノロジーの進化、デジタル技術がもたらした変貌ぶりは見落とすわけにはいかないだろう。この四半世紀の間、IT、ビッグデータ、AI、そして今DXと語られる資本主義の「最前線」は、その多くをデジタル技術に負い、人々のコミュニケーション様式も、ビジネスの作法も、生活スタイルも大きく変わった。 人々の心、精神、思考などのかけがえのない人間らしさとされてきたものも、いつの間にか易々と数量化、データ化され、アルゴリズムで表現できるというストーリーがまことしやかに語られるようになった。 本当に人間のすべてがデジタルに解析できるか否か、その問題を今ここで俎上に乗せようとは思わないが、ここで重要なのは、それが錯覚であれ、あたかもすべてが解析されてしまうかのごとき感覚を持つ人間の性である。そしてそれは、自らの精神による主体性への懐疑を生み、ある種の無力感を生んでいるようにも思える。 ちなみに私はそれを「デジタル・アパシー」と勝手に呼んでいるのだが、悲喜劇的な事態ではある。私たちの生活を豊かにするための手段だったはずの技術がいつの間にか目的化、人間がシステムに合わせている倒錯的な状況は、日常さまざまなところで多くの人々が経験しているのではないだろうか? 自分で設定したパスワードが思い出せずに冷や汗をかくぐらいはご愛嬌だが、「人が選択するよりデータに基づく選択のほうが正しい」「AIに人生の目的を設定してもらうほうが楽だ」といった声まで聞くようになると、少し恐ろしくなる。実際、現在のデジタルテクノロジーによる資本主義は私たちに不思議な「夢」を見させるのだ。それは、希望なのか?悪夢なのか?そこでも私たちは立ち止まり、安易な二元論の選択に乗らないことだ。 2016年春に始まり、翌年以降新春恒例の番組となった「欲望の資本主義」の中にあっても、このデジタルテクノロジー主導の経済の変化については、毎年重要な問題の1つとしてきた。新たに2021年元日にお送りする新作も、この混迷する状況の中にあって技術の問題は避けて通れそうにない。 もちろん今回はパンデミックという思わぬ事態の影響から語り始めることになるが、コロナが浮き彫りにしたのは従来からの本質的な問題であり、構図は変わらず、状況をさらに加速させただけともいえる。デジタル資本主義による格差の拡大、ゲーム、オンラインなどの伸び……、失業、倒産などの憂き目に遭う人々を尻目に、ネット空間の中の「バーチャル」経済は躍進する。 そこで注目を浴びているのが「無形資産」なる概念だ』、「私たちの生活を豊かにするための手段だったはずの技術がいつの間にか目的化、人間がシステムに合わせている倒錯的な状況は、日常さまざまなところで多くの人々が経験しているのではないだろうか?』、確かにその通りだ。
・『「無形資産」が生み出す渦巻きその力が及ぶのは…?  「見えない資産」とも言われ、英インペリアル・カレッジ・ビジネススクールのジョナサン・ハスケル教授らによって示された「無形資産」なる概念が、現代の資本主義にあっては企業価値を左右するものになっている。 無形資産とは、モノとして実態の存在しない資産だ。例えば特許や商標権や著作権などの知的資産、人々の持つ技術や能力などの人的資産、企業文化や経営管理プロセスなどがこれにあたる。 これは実体を伴わない資産であることから、会計制度上では原則として資産として計上することはできなくなっているが、そこを見直していく気運も高まっているようだ。現金、証券、商品、不動産など実態の存在する資産である「有形資産」とは異なり、計測の仕方が難しいであろうことは想像にかたくない。 しかし、この文字どおり形を持たない資産、ソフト、ブランド、アイデアなどが、今、経済を動かす主力となっている。GAFAの強大化に象徴されるように、その求心力になっているのは、情報であり、インテリジェンスであり、未来への可能性なのだ。) 今、人々はモノではなく夢に投資する。そしてそれは、「見えない資本」による資本主義、一見「資本のない」資本主義が世界に、ネット空間を介して広がっていることを物語る。確かに古くはすでに1970年代から『脱工業社会の到来』(ダニエル・ベル)、『第三の波』(アルビン・トフラー)など、モノの生産を主軸とする工業化の後にやってくる経済の潮流について語られ日本のビジネス論壇でも話題となっていたが、その引き起こす変化、与える影響の大きさが、今切実なものとなってきているということだろう。 商品は、情報、知識、感性……、さらに進めば、共感、感情、精神、イメージ……。デジタルテクノロジーの複製技術は、そうした「幻影」も「複製」「増幅」「拡散」させていくことにも長けている。コロナの中、人々が直接の接触を避け、いよいよネットの海の中に埋没する時代に、「無形資産」は大きな渦巻きの中心にあるかのようだ。そこから生み出される波は、現代社会の岸壁にも打ち寄せ、徐々に浸食、いつの間にか社会の構図を変えていくように見える。変化は静かに確実に押し寄せる』、「いよいよネットの海の中に埋没する時代に、「無形資産」は大きな渦巻きの中心にあるかのようだ」、上手いこと言うものだ。
・『現代はトキ消費、イミ消費の時代  モノからコト、コトからトキ、あるいはイミへ……。現代はトキ消費、イミ消費の時代ともいわれるようになってからもすでに久しい。ユーザーのゲーム内での滞留「時間」を重視しある種の「囲い込み」を狙う戦略や、人々が商品に見いだすそれぞれの物語における「意味」の発見にこそ付加価値があるとする発想がそうしたトレンドを支えている。そこで商品となっているのは、「アイデア」であり、「創造性」であり、「人生の時間」なのだ。 それはある意味、従来の生産手段に囚われることなく、無限の「生産」「消費」を可能にする資本主義ともいえる。しかし同時に、フランスの知性ダニエル・コーエンがかつて番組内でも用いた表現を引けば、すべてのプレーヤーに「創造的であれ、さもなければ、死だ!」(「欲望の資本主義2018」)と宣言するような過酷な社会でもあるのだ。 そこには功罪、光と影がある。資本主義の常として、成長が、生産性の向上が至上命題となるとき、このデジタルテクノロジー主導の「資本のない」資本主義にあっての「成長」とは?「生産性」とは? 工業化の時代と同じように「成長」も「生産性」も定義できないとするならば、私たちはどこかで間違ったのか?それは資本主義がはらむ根源的な不安定性なのか?それとも……?まるでメビウスの輪のように反転しながら原点へと回帰しつつ、問いは続く。 コロナが加速化させるのは、単に格差問題というにとどまらず、こうした社会の歪な構造変化なのではないだろうか?「富を生む構造」を経済理論のみならず、社会哲学的にも解明する必要があるゆえんである。そしてそれは、「経済」現象を抽象化することに対して極めて注意深くあらねばならない探究であると、あらためて思う。 そして、この「無形資産」にこそ、ある意味究極的な「欲望の資本主義」の課題がある。毎回冒頭に「やめられない、止まらない、欲望が欲望を生む……」というナレーションをリフレインしてきたが、それは強欲批判というより、際限なく自己増殖する人の欲望、資本の運動性に着目しての表現だった。 「未来の可能性」という幻想を貨幣に抱くのと同様、「無形資産」=形なきものへの欲望も始末に負えなさそうだ。「夢」なしでも「夢」だけでも生きられない人間の性。世界を覆う自然の脅威の中、「欲望が欲望を生む」資本主義は、社会は、どこへ向かうのか?) 今回の「欲望の資本主義2021」では、こうした状況を、先にあげたジョナサン・ハスケル他、ノーベル賞受賞の重鎮でいつもユニークな視点を世に問うているイェール大学のロバート・シラー教授、フランスの異才エマニュエル・トッド氏、さらに経済発展や民主制の研究で世界的に知られ最近は新たな経済学のスタンダードとなる教科書を執筆した気鋭のマサチューセッツ工科大学のダロン・アセモグル教授、マイク・サヴィジ氏、グレン・ワイル氏ほかさまざまな世界の知性へのインタビューに、多面的な考察を織り成し考えていく。 無形資産が生み出す異形の資本主義。その運動性を渦巻きにたとえて表現してみたわけだが、渦であるなら中心もあるはずだ。台風ならば、中心は無風にして穏やかな青空が広がっているだろう。 その新たな資本主義の「台風の目」に、冒頭で触れた、静かに揺れて燃える炎をイメージすると言ったら、驚かれるだろうか?現代に至るまで高度な文明を発展させてきた人類は、今その原点に帰りたいと、どこかで無意識に思っていると見えなくもないのだから』、「現代に至るまで高度な文明を発展させてきた人類は、今その原点に帰りたいと、どこかで無意識に思っていると見えなくもないのだから」、なるほど。
・『炎と猫と資本主義欲望の行方は?  意識か無意識か、原点への回帰を志向する現代人。その視点で、もう1つ重なる問題意識で発案した企画がある。 「ネコメンタリー猫も、杓子も。」まさに「猫も杓子も」猫ブームの中、「もの書く人」と愛猫の日常をそっとカメラで記録、その関係性を描き出そうという一風変わった、柔らかなタッチのドキュメンタリーを「ネコメンタリー」と名付けた。漱石以来、多くの作家たちが猫に投影させてきたさまざまな心情が、現代の「もの書く人」と愛猫の姿を通して描かれる。 幼さと老成が同居し、あくまでもマイペースでアマノジャクな存在である猫は、ものごとをさまざまな角度から切りとろうと企む作家、表現者たちと、もともと相性がいい。 とはいえ、この何年にもわたる猫ブームの中、その関係性から現代の何が見えてくるのか?現代人が猫という存在に何を託しているのか?あらためて映像を通して考察しようというわけだ。そこにも、野生への憧憬であり、文明化の中である種の欠落を埋めようとする私たち自身の姿が見え隠れするように思われるのだ。漱石以来の、私たちの猫への想いの投影は続く。 企画のテーマは、いつも時代との対話だと思っている。日々、日常の些末な一場面から大衆的な人気を獲得する社会風俗まで、聖俗、硬軟、すべてつながっている。そうしたあらゆるものを同時代の現象として捉え、みなさんとともに考えるきっかけとすることができるのが、映像という媒体の可能性だといつも思う。 炎を眺め、猫と戯れながら、資本主義の本質へ……。 2021年が始まる』、「幼さと老成が同居し、あくまでもマイペースでアマノジャクな存在である猫は、ものごとをさまざまな角度から切りとろうと企む作家、表現者たちと、もともと相性がいい」、このシリーズも見逃したのは本当に残念だ。

次に、5月6日付けダイヤモンド・オンライン「「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」私有財産に定率の税(富のCOST)を課すと効率的な市場が生まれる【橘玲の日々刻々】」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/270251
・『「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」などというと、なにを血迷ったことをと思われるだろうが、エリック・A・ポズナーとE・グレン・ワイルは『ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀』(東洋経済新報社)でそう主張している。それもポズナーは著名な法学者、ワイルは未来を嘱望される経済学者だ。原題は“RADICAL MARKET: Uprooting Capitalism and Democcy for a Just Society(公正な社会のために、資本主義と民主政を根底から覆す)”  この大胆(ラディカル)な理論を紹介する前に、著者たちのバックグラウンドについて触れておこう。 エリック・ポズナーは55歳で、シカゴ大学ロースクールの特別功労教授。法や慣習(社会規範)をゲーム理論を用いて分析する「法と経済学」を専門にしている。名前に見覚えがあると思ったら、保守系リバタリアンの法学者で、共和党を支持しながら、ドラッグ合法化や同性婚、中絶の権利を認めるリチャード・ポズナー(連邦巡回区控訴裁判所判事)の息子だった。 リチャード・ポズナーには、『ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学』(東洋経済新報社)など、経済学者ゲイリー・ベッカーとの多数の共著がある(もともとは2人でブログを書いていた)。ノーベル経済学賞を受賞したベッカーは「20世紀後半でもっとも重要な社会科学者」とされ、ミルトン・フリードマンらとともにシカゴ経済学派(新自由主義経済学)を牽引し、レーガン政権の政策に大きな影響を与えた。 もう一人の著者であるグレン・ワイルは1985年生まれの若干36歳で、プリンストン大学で博士号を取得、ハーバード大学、シカゴ大学での教職を経て、現在はマイクロソフト・リサーチ社の首席研究員だ(マイクロソフトCEOのサティア・ナデラが本書の推薦文を書いている)。イェール大学で「デジタルエコノミーをデザインする」というコースを教えてもいる。 Wikipediaのワイルの人物紹介では、「両親は民主党支持のリベラルだったが、アイン・ランドとミルトン・フリードマンの著作に触れてから市場原理主義(free market principles)に傾倒していく」とされている。 本書の謝辞には、「グレン(・ワイル)にとっては、この非常に大胆なアイデアを追求すれば、研究者としてのキャリアを犠牲にするリスクがあり、出版するのも困難だったのだが、そんな状況の中でゲイリー・ベッカー(略)が強く背中を押してくれた」とある。ベッカーは2014年に世を去っているから、シカゴ大学で最晩年のリバタリアン経済学者の知己を得たのだろう。リチャード・ポズナーの息子エリックとも、ベッカーの縁で知り合ったのかもしれない。 このようなことをわざわざ書いたのは、グレン・ワイルが考案した「ラディカル・マーケット」のデザイン(設計)が、一見、リバタリアニズムの対極にあるからだ。なんといっても、ワイルは私有財産を否定しており、それによって「共同体(コミュニティ)」を再生しようとしている。孫のような若者のそんなラディカルなアイデアを、新自由主義経済学の大御所ベッカーが後押ししたというのはなんとも興味深い』、「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」、「グレン・ワイルが考案した「ラディカル・マーケット」のデザイン(設計)が、一見、リバタリアニズムの対極にあるからだ。なんといっても、ワイルは私有財産を否定しており、それによって「共同体(コミュニティ)」を再生しようとしている」、とは面白い。 
・『「真の市場ルール」を阻む「私有財産」という障害  ポズナーとワイルは、現代の先進国が抱える問題は「スタグネクオリティ(stagnequality)」だという。スタグネーションstagnationは「景気停滞」のことで、これにインフレ(inflation)を組み合わせると、経済活動の停滞と物価の持続的上昇が併存する「スタグフレーション(stagflation)」になる。 それに対して景気停滞に「不平等inequality」を組み合わせた造語がstagnequalityで、「経済成長の減速と格差の拡大が同時に進行すること」だ。その結果、アメリカではリベラル(民主党支持)と保守(共和党支持)が2つの部族(党派)に分かれ、互いに憎悪をぶつけあっている。 この混乱を目の当たりにして、近年では右も左も「グローバル資本主義」を諸悪の根源として、資本主義以前の人間らしい共同体(コミューン、コモンズ、共通善)をよみがえらせるべく「共同体主義(コミュニタリアニズム)」を唱えている。 だが著者たちは、こうした「道徳と互酬性、個人的評判による統治(モラル・エコノミー)」は、狩猟採集社会や中世の身分制社会ではそれなりに機能したかもしれないが、現代の巨大化・複雑化した資本主義+自由市場経済では役に立たないという。「取引の範囲が広がり、規模が大きくなると、モラル・エコノミーは崩れてしまう」からで、「大規模な経済を組織するアプローチとして、市場経済に対抗する選択肢はない」のだ。  「脱資本主義」の代わりに提案されるのが「メカニカル・デザイン」で、「オークションを生活に取り込む」よう市場を再設計することだ。なぜならオークションこそが、市場を通した資源配分の機能をもっとも効果的にはたらかせる方法だから。これはオークションをデザインした経済学者ウィリアム・ヴィックリーの思想を現代によみがえらせることでもある。 著者たちは、「真に競争的で、開かれた、自由な市場を創造すれば、劇的に格差を減らすことができて、繁栄を高められるし、社会を分断しているイデオロギーと社会の対立も解消できる」として、これを「市場原理主義」ではなく「市場急進主義」と呼ぶ。真の市場ルールは「自由」「競争」「開放性」で、次のように定義される。 +自由:自由市場では、個人がほしいと思う商品があるとき、その商品の売り手が手放す代償として十分な金額を支払う限り、それを購入することができる。また、個人が仕事をしたり、商品を売り出したりするときには、こうしたサービスが他の市民に生み出す価値どおりの対価を受け取らなければいけない。そのような市場では、他者の自由を侵害しない限りにおいて、あらゆる個人に最大限の自由が与えられる。 +競争:競争市場では、個人は自分が支払う価格や受け取る価格を与えられたものとして受け入れなければいけない。経済学者のいう「市場支配力」を行使して価格を操作することはできない。 +開放性:開かれた市場では、すべての人が、国籍、ジェンダー・アイデンティティ、肌の色、信条に関係なく、市場交換のプロセスに加わることができて、お互いが利益を得る機会を最大化できる。 そんなことは当たり前だと思うだろうが、じつは「真の市場ルール」を阻む重大な障害がある。それが「私有財産」だ。 私的所有権こそが自由な市場取引の基礎だとされているが、「再開発や道路の拡張を阻む頑迷な地権者」を考えれば、いちがいにそうともいえないことがわかる。この地権者は、開発業者が「十分な金額」を払うといっても拒否し、「市場支配力」を行使して適正な取引を妨害し、「お互いが利益を得る」機会をつぶしているのだ。 これはけっして奇矯な主張ではなく、アダム・スミスやジェレミー・ベンサム、ジェーミズ・ミルなどは封建領主の特権と慣習が財産の効率的な利用の障害だと考えていた。「限界革命」を主導した「近代経済学の3人の父」のうち、ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズは「財産とは、独占の別名にすぎない」と述べ、私有財産制を深く疑っていた。レオン・ワルラスも「土地は個人の所有物であると断じることは、土地が社会にとって最も有益な形で使われなくなり、自由競争の恩恵を受けられなくなることだ」と書いている。 ワルラスは、「土地は国家が所有して、その土地が生み出す超過利潤は「社会的配当」として、直接、あるいは公共財の提供を通じた形のいずれかの方法で公共に還元するべきだ」と述べ、これを「総合的社会主義」と呼んだ。マルキシズムとのちがいは、ワルラスが中央計画を「計画者自身が独占的な封建領主になるおそれがある」として敵視し、「土地は競争を通じて社会が管理するようにし、その土地が生み出す収益は社会が享受したい」と考えていたことだ。  「私有財産否定」はマルクス経済学の専売特許ではなく、近代経済学のなかにもその思想は脈々と流れているのだ』、「レオン・ワルラスも「土地は個人の所有物であると断じることは、土地が社会にとって最も有益な形で使われなくなり、自由競争の恩恵を受けられなくなることだ」と書いている。 ワルラスは、「土地は国家が所有して、その土地が生み出す超過利潤は「社会的配当」として、直接、あるいは公共財の提供を通じた形のいずれかの方法で公共に還元するべきだ」と述べ、これを「総合的社会主義」と呼んだ」、恥ずかしながら初めて知った。

第三に、7月19日付け文春オンラインが掲載した斎藤 幸平氏と堀内 勉氏による対談「「みんな頑張って働いているのに幸せそうに見えない」 斎藤幸平がマルクスから見つけた、労働問題の“答え” 斎藤幸平さんが勧める思想・教養書5冊 #1」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/47022
・『晩期マルクスの思想の新解釈から、気候変動などの環境危機を脱するヒントを探り、30万部のベストセラーとなった『人新世の「資本論」』(集英社)の著者の斎藤幸平さん。そして、不安定な時代を生き抜くためのブックガイドである『読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊』(日経BP)を上梓した堀内勉さん。「知の水先案内人」であるお二人に、先行きの見えない時代を生き延びるための教養・ビジネス書について語っていただいた。(全2回の1回目) 斎藤幸平(以下、斎藤) 堀内さんは、日本興業銀行でMOF担(旧大蔵省担当)をなさり、ゴールドマン・サックス証券に転職、森ビルのCFO(最高財務責任者)も務めたというご経歴ですよね。まさに資本主義の最前線でキャリアを積まれたわけです。一方、私は『人新世の「資本論」』で痛烈に資本主義を批判し、脱成長まで提案している。そんな私ですが、さまざまな名著をベースにして、今日は堀内さんといろいろお話ししたいと思っています』、キャリアが好対照の人物の対談とは興味深そうだ。
・『これからの社会が生き延びるために読むべき本(堀内勉(以下、堀内)  「堀内さんはずっとエリート街道を歩まれてきましたよね」と言われることがあるのですが、実際は挫折の連続で、結局はシステムの歯車として働いていたに過ぎません。とても充実した人生と言えるようなものではなく、自分の仕事に対する疑問を払拭できず、銀行も証券会社も退職することになります。そして、自分を取り巻くシステムである資本主義について、独学で研究を始めました。 しかしながら、「資本主義」という人間存在そのものに関わるテーマは壮大過ぎて、ビジネスや経済の分野からだけでは解明できない。必然的に、哲学、歴史、科学へと関心領域が広がっていき、古典から現代の名著まで200冊を紹介してまとめた『読書大全』まで書いてしまいました。 こうした私の目に、改めて資本主義のその先を展望する斎藤さんの著作『人新世の「資本論」』は、とても新鮮に映りました。特に、斎藤さんが次にどのような社会を構想なされているのかとても興味があります。本日は、われわれがこれからの社会が生き延びるために読むべき本を挙げつつ、資本主義のその先を考えていければと思います』、なるほど。
・『資本主義における労働は不断の競争に駆り立てる  斎藤  となれば、まず取り上げたいのは、マルクスですね。『資本論』でもいいのですが、今日は『経済学・哲学草稿』(カール・マルクス著)、いわゆる「経哲草稿」を紹介したい。これは彼が20代のときに書いた若さみなぎる作品で、まさに資本主義の歯車として働くことの「疎外感」を論じたものです。その中で彼は、資本主義における労働は、お互いを不断の競争に駆り立てる楽しくないものだ、と述べています。競争の激化によって、労働が、ご飯とお金を得るためだけの手段になっていて、人間が持っている様々な能力を失っていき、貧しい人生を送らざるをえない。本来の人間らしい自己実現や豊かさからは、程遠くなっていることを批判したのです。 私は大学生の頃にこの本を読んだのですが、みんな頑張って働いているのに幸せそうに見えないという、自分自身が社会に対して感じていた違和感をずばり見事に説明してくれていることに感銘を受けました。 堀内 サラリーマンとして経済社会を生きていた昔の私も、まさに同じ疎外感を感じていました』、「資本主義の歯車として働くことの「疎外感」」、は多くが一度は感じるものだ。
・『社会や地球環境を維持するには相互扶助が必要  斎藤 私たちの人生の時間の多くは労働にあてられるので、労働が疎外されていれば、幸せになれないのはいわば当然です。でも、こうした競争システムは人間の本性だから、仕方がないと割り切らなくてはならないのでしょうか。その問いに答えてくれるのが『相互扶助論』(ピョートル・クロポトキン著)です。競争によって自然淘汰されて人間が生き延びてきたというダーウィン的な理解は間違っていて、むしろ自然の脅威を前にして人間はお互いに助け合って進化してきた、とこの本は、主張しています。人間の本質には、相互扶助が間違いなくあるというわけです。 ところが、資本主義社会、とりわけ新自由主義がいまだに猛威をふるう世界では、過当な競争ばかりがもてはやされています。クロポトキンの問いかけは、新自由主義のもとで相互扶助が忘れられたせいで、私たちの社会を発展させていくための可能性が抑圧されているのではないか、ということです。事実コロナ禍でも明らかとなっているように、社会や地球環境を維持していくには、相互扶助が絶対に必要です』、「クロポトキンの問いかけは、新自由主義のもとで相互扶助が忘れられたせいで、私たちの社会を発展させていくための可能性が抑圧されているのではないか、ということです」、同感だ。
・『エリート職に多い“ブルシット・ジョブ”  斎藤 労働の疎外との関連で、3冊目に挙げたいのは『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(デヴィッド・グレーバー著)。昨年亡くなった文化人類学者の著作で、世界的なベストセラーになっていますが、これはマルクスの疎外論を現代に蘇らせたといってもいいでしょう。 堀内 ブルシット・ジョブとは、ホワイトカラーによくある意味のない仕事のことですね。弁護士、コンサルタント、広告代理店など高給なエリート職に多いそうです。今振り返ってみると、私の仕事も銀行勤めのときは95パーセントがペーパーワークやハンコ仕事などの、何の付加価値も生み出していないブルシット・ジョブでした。でも、頑張ってエリートコースに乗るためには、意味のないことを承知で取り組まなければならなかったのです』、人間の緊張感は長続きしないので、「行勤めのときは95パーセントがペーパーワークやハンコ仕事などの、何の付加価値も生み出していないブルシット・ジョブでした」、というのは丁度いいのかも知れない。
・『重要な仕事なのに軽視されている「ケア労働」「ケア階級」  斎藤 グレーバーは、そんなブルシット・ジョブと対比して、エッセンシャルワーカーが担う「ケア労働」「ケア階級」を重視しています。そして、介護や看護、教育や清掃、バスや鉄道の運転手などのケア労働は、われわれの社会を支えている重要な仕事なのに、報酬も社会的地位も低いことを指摘します。私自身も、コロナ禍のもとエッセンシャルワーカーの方々に過剰な負荷をかけているのを心苦しく思っています。 この問題とつながるのが、『ケアするのは誰か? 新しい民主主義のかたちへ』(ジョアン・C・トロント著)です。これまでは、男性中心の製造業や金融が高く評価され、ケア労働は女性に押しつけられてきましたが、ケアこそが人間の本質的な活動であり、社会の中心に据えられるべきである、とこの本は訴えています。ちょうど私自身もコロナ禍で子育てをしながら、その負担をしばしばパートナーに押し付けてきたという自覚と反省を深めました。 それ以外にも、健全な民主主義が機能するためには、ケアが必要というトロントの視点が重要です。民主主義とは他者を論破し、支配するものではなく、意見の違う他者の存在を尊重し、様々な困難を抱えている人々の問題解決に共に取り組むことだからです』、なるほど。
・『いま求められる新しいモデル  堀内 今はケアも商品化されていて、お金持ちであればなんでもお金で買えますという社会になっていますね。けれども一方で、お金を稼ぐしか自分を守る術がないというのは、恐ろしいなと感じます。かつてのサラリーマンは会社に守られていましたが、いまや日本の会社システム自体が壊れはじめています。もはやわれわれには、愕然とするくらい拠って立つものがない。そのため、地域社会をはじめとするコミュニティを取り戻そうという動きも出てきていますね。 斎藤 まさにその通りです。さらに言うと、男性正社員中心の会社コミュニティや、若者を排除し女性に負担を強いるような年長男性のための地域コミュニティとは違った、新しいモデルが求められています。いま注目しているのが、バルセロナ市政などが旗振り役になっているミュニシパリズム(自治体主義)です。これは5冊目に挙げた『なぜ、脱成長なのか』(ヨルゴス・カリス他著)にくわしいです。 堀内 ミュニシパリズム、ですか』、どんなものなのだろう。
・『人々の〈コモン〉(共有財産)を増やそうとする挑戦  斎藤 EUという巨大組織の新自由主義的な動きに対抗して、住民のための街づくりをしようという革新的な自治体の運動のことです。 たとえば、スペインのバルセロナは、リーマンショックで打撃を受け、さらにはオーバーツーリズムによる物価上昇で市民は疲弊していましたが、大企業に地域の富を吸い取られるだけの社会を変えたいという市民運動が巻き起こり、その運動をベースにした地域政党の女性市長が2期目に入っています。 『人新世の「資本論」』でも紹介していますが、彼らの取り組みはたとえば、水道の再公営化を目指すことだったり、民泊に規制をかけ公営住宅を増やすことだったりします。人々の〈コモン〉(共有財産)を増やそうとする挑戦ですね。また、気候危機に関しても独自の非常事態宣言を発出し、二酸化炭素排出量削減のために、飛行場の拡張や高速道路の新設を禁止し、市内中心部でも自動車の進入できないスーパーブロックを拡充するなど、将来世代のための革新的なチャレンジをしています。 こうした試みの知恵をアムステルダムなど別の大都市とも共有しながら進めているのがミュニシパリズムです。 堀内 戦後、アメリカという教師を表面的に真似して、トクヴィルが『アメリカのデモクラシー』で指摘したように、資本主義の本場であるアメリカでもそれなりにコミュニティが残っているのに、それ以上にコミュニティを消失してしまった戦後の日本に戦慄していたのですが、バルセロナの話を聞いて希望を持ちました』、「コミュニティ」の「消失」は「日本」が一番酷いようなので、その再構築が必要なようだ。

第四に、この続きを、7月19日付け文春オンライン「コロナ対策で政府が供給した巨額のお金はどこへ消えたか? 銀行も証券会社も退職した“森ビル”元幹部が語る資本主義の“限界” 堀内勉さんが勧めるビジネス・経済書5冊 #2」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/47023
・『「みんな頑張って働いているのに幸せそうに見えない」 斎藤幸平がマルクスから見つけた、労働問題の“答え” から続く 晩期マルクスの思想の新解釈から、気候変動などの環境危機を脱するヒントを探り、30万部のベストセラーとなった『 人新世の「資本論」 』(集英社)の著者の斎藤幸平さん。そして、不安定な時代を生き抜くためのブックガイドである『 読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊 』(日経BP)を上梓した堀内勉さん。「知の水先案内人」であるお二人に、先行きの見えない時代を生き延びるための教養・ビジネス書について語っていただいた。(全2回の2回目) 斎藤 『 人新世の「資本論」 』にもくわしく書いた通り、今まさに資本主義の限界や気候変動という危機的な状況にあります。興銀、ゴールドマン・サックス、森ビルCFOの経歴を持つ堀内さんに、是非お聞きしたいことがあります。果たして資本主義サイドには、われわれサイドへの歩み寄り、もしくは変革の動きはあるのでしょうか』、どうなのだろう。
・『「人間らしさ」に即した見方こそ経済社会の出発点  堀内 はい。じつはビジネスや経済の領域においても、人間らしさを考えることに注目が集まっています。私が『 読書大全 』のなかで最初に紹介した『 道徳感情論 』(アダム・スミス著)から説明させてください。アダム・スミスが前提としているのは、古典的な経済学で想定される単なる合理的経済人ではなく、相手に「共感」や「同感」するリアルな人間です。スミスは、秩序というものは抽象的な「べき論」ではなく、相手との生身のやりとりや共感を通して出来ていくのだ、とします。だから、トマス・ホッブズが言うように、「法という社会契約を結ばないと、血で血を洗う『万人の万人に対する闘争』になる」と、ことさらに言い立てる必要はない。これはいわゆるイギリス経験論の考え方ですが、人間をきめ細かくかつ深く観察している。私はこうした人間の現実に即した見方こそが、すべての経済社会の出発点であるべきだと思っています。 2冊目は『 プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 』(マックス・ヴェーバー著)です。ここでは、プロテスタンティズムの世俗的禁欲主義が、資本主義の精神に合致していることが、逆説的に説明されています。これが現代の労働観のもととなっている一方で、いまや当時の宗教色は完全に失われ、利潤追求だけが自己目的化しています。3冊目は『 経済学は人びとを幸福にできるか 』(宇沢弘文著)です。シカゴ大学で数理経済学者として大活躍していた宇沢先生。けれども日本帰国後は、リアルな人間がどうしたら幸せになれるかを考える、より現場に近い活動家としての経済学者に変わっていくのです』、「宇沢先生」が「日本帰国後は、リアルな人間がどうしたら幸せになれるかを考える、より現場に近い活動家としての経済学者に変わっていく」、変わらなかったらシカゴ学派のゴリゴリのままだったのだろう。
・『現在のSDGsに通じる考え方  斎藤 宇沢さんは、社会的共通資本という概念も提案していますね。私の考える〈コモン〉(共有財産)とも近い考え方です。 堀内 はい。水や空気や山などの自然、道路や電力などのインフラ、教育や医療などの制度を、社会的共通資本と呼んでいます。これらは、国家や市場に任せるのではなく、専門的知見があり、職業倫理をもった専門家が管理・運営すべき、と言っています。現在のSDGs(持続可能な開発目標)の考え方にも通じるものですね。 そんな宇沢先生と対極にあるのが、新自由主義の象徴とされる経済学者ミルトン・フリードマンです。フリードマンは、人間の自由の重要性を強調して、全てを市場にまかせるべきだとして、「べき論」を追求します。人間のリアリティを超越して、市場という万能のシステムを作ってそれをうまく動かせば世の中がうまく回る、と提唱しています。けれどもこうした考えだと、そこに組み込まれる個々の人間は、必ず疎外されてしまいます。 斎藤 まさに、マルクスが指摘した疎外に通じますね』、「市場という万能のシステムを作ってそれをうまく動かせば世の中がうまく回る、と提唱しています。けれどもこうした考えだと、そこに組み込まれる個々の人間は、必ず疎外されてしまいます」、その通りだ。
・『人間的なものに目を向けるという教育  堀内 4冊目は『 イノベーション・オブ・ライフ 』(クレイトン・M・クリステンセン他著)です。イノベーションのジレンマで有名なハーバード・ビジネス・スクール(HBS)の教授が、最終講義で学生に伝えたメッセージです。クリステンセン教授は、エンロンのCEOになったHBSの同級生が不正会計事件を起こして刑務所に入ったことに衝撃を受けたそうです。それだけでなく、職業的な成功にもかかわらず不幸になる卒業生が同校にはあまりに多い。本当の人生の意味を問いかけたこの本もひとつのきっかけとなり、リーマンショック後、HBSは徳や人格を重視する人格教育へ舵を切ったそうです。 斎藤 人間的なものに目を向けるという教育ですね。堀内さんは、人間のリアリティをきめ細かく観察するビジネス書・経済書の系譜が好きなのですね。 堀内 ええ。人間へのリアリティが前提にないと、どんなシステムを作っても必ず人間疎外が起きます。そして、システムをうまく利用する数パーセントだけが勝ち組になり、残りの大半の人たちは負け組になる。 斎藤 市場というシステムが暴走すると、働いている労働者たちの幸福も、人間として持っている資質も、歪められてしまいますよね。資本主義を野放しにすれば、暴利をむさぼる人たちばかりになってしまう傾向がある』、「資本主義を野放しにすれば、暴利をむさぼる人たちばかりになってしまう傾向がある」、その通りだ。
・『いくらお金を刷っても富裕層へ流れてしまう構造  堀内 5冊目『 21世紀の資本 』(トマ・ピケティ著)がその答えとなると思います。今の資本主義が暴走している理由は、「金融」資本主義だからです。お金がお金を勝手に稼ぐこのシステムが異常なのです。今回、コロナ対策として各国政府が巨大な予算を組み、市中に流しました。けれどもリーマンショックのときと同じで、いくらお金を刷ってもそれが満遍なく人びとに行き渡ることはなく、ほとんどが富裕層へと流れていってしまう構造になっています。富裕層は低率のキャピタルゲイン課税の恩恵を受けているだけでなく、ほとんどがタックスヘイブン(租税回避地)を使っているので、実際の税率がすごく低い。ピケティは、国際的な課税条約を締結して税逃れを取り締まるべきだと主張しています。 斎藤 逆に言うと、金融資本主義の部分を取り払えば、今よりもすごく細った資本主義になって、もはや資本主義ではないものになるんじゃないかな、と思いませんか。 堀内 そうだと思います。暴走しない控えめな「資本主義」ですね』、「暴走しない控えめな「資本主義」」とは面白い表現だ。
・『もっと平等になるのも悪くない  斎藤 それを私は、社会主義と呼んでいます。ピケティが昨年刊行した本、そのタイトルがなんとTime for Socialism。もちろん、ソ連時代に戻ろう、すべて計画経済にしよう、と言っているわけではありません。働いていない人たちが不労所得を得て、そのお金を倍増させる。実体経済と関係ないところで、実際のニーズを満たさないものを大量に買って地球環境を破壊している。それはもうやめにして、人々の生活を安定させたり、意味のないものを作るのをやめて労働時間を減らして人間らしい生活を送った方がいい。そのためにもっと平等になるのも悪くないよ、ということです。 堀内 資本主義サイドからも、格差拡大や地球環境破壊を食い止めようという問題意識から、SDGs、ESG投資、サステナブル経営、パーパス経営などの動きが出ています。 斎藤 私自身はSDGs企業の9割はウォッシュ(まやかし)と思っていますが、残りの1割に期待しています。資本主義の真ん中を歩んできた堀内さんと、マルクス研究者の私とでは、バックグラウンドがかなり違います。でも、堀内さんが思い描かれている社会は、ソーシャリズム的な理念に近いと感じました。僕の本のなかでは、それを〈コモン〉に基づく社会、つまりコミュニズムと呼んでいます。立場は違えど、意外に共通点もあるのかも知れませんね』、「SDGs企業の9割はウォッシュ(まやかし)と思っていますが、残りの1割に期待しています」、「堀内さんが思い描かれている社会は、ソーシャリズム的な理念に近いと感じました」、確かに「斎藤」氏と「堀内」氏の理想が近いのには驚かされた。 
タグ:「SDGs企業の9割はウォッシュ(まやかし)と思っていますが、残りの1割に期待しています」、「堀内さんが思い描かれている社会は、ソーシャリズム的な理念に近いと感じました」、確かに「斎藤」氏と「堀内」氏の理想が近いのには驚かされた。 「暴走しない控えめな「資本主義」」とは面白い表現だ。 「資本主義を野放しにすれば、暴利をむさぼる人たちばかりになってしまう傾向がある」、その通りだ。 「宇沢先生」が「日本帰国後は、リアルな人間がどうしたら幸せになれるかを考える、より現場に近い活動家としての経済学者に変わっていく」、変わらなかったらシカゴ学派のゴリゴリのままだったのだろう。 「コロナ対策で政府が供給した巨額のお金はどこへ消えたか? 銀行も証券会社も退職した“森ビル”元幹部が語る資本主義の“限界” 堀内勉さんが勧めるビジネス・経済書5冊 #2」 「コミュニティ」の「消失」は「日本」が一番酷いようなので、その再構築が必要なようだ。 人間の緊張感は長続きしないので、「行勤めのときは95パーセントがペーパーワークやハンコ仕事などの、何の付加価値も生み出していないブルシット・ジョブでした」、というのは丁度いいのかも知れない。 「クロポトキンの問いかけは、新自由主義のもとで相互扶助が忘れられたせいで、私たちの社会を発展させていくための可能性が抑圧されているのではないか、ということです」、同感だ。 「資本主義の歯車として働くことの「疎外感」」、は多くが一度は感じるものだ。 キャリアが好対照の人物の対談とは興味深そうだ。 「「みんな頑張って働いているのに幸せそうに見えない」 斎藤幸平がマルクスから見つけた、労働問題の“答え” 斎藤幸平さんが勧める思想・教養書5冊 #1」 斎藤 幸平氏と堀内 勉氏による対談 文春オンライン 「レオン・ワルラスも「土地は個人の所有物であると断じることは、土地が社会にとって最も有益な形で使われなくなり、自由競争の恩恵を受けられなくなることだ」と書いている。 ワルラスは、「土地は国家が所有して、その土地が生み出す超過利潤は「社会的配当」として、直接、あるいは公共財の提供を通じた形のいずれかの方法で公共に還元するべきだ」と述べ、これを「総合的社会主義」と呼んだ」、恥ずかしながら初めて知った。 「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」、「グレン・ワイルが考案した「ラディカル・マーケット」のデザイン(設計)が、一見、リバタリアニズムの対極にあるからだ。なんといっても、ワイルは私有財産を否定しており、それによって「共同体(コミュニティ)」を再生しようとしている」、とは面白い。 「「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」私有財産に定率の税(富のCOST)を課すと効率的な市場が生まれる【橘玲の日々刻々】」 ダイヤモンド・オンライン 「幼さと老成が同居し、あくまでもマイペースでアマノジャクな存在である猫は、ものごとをさまざまな角度から切りとろうと企む作家、表現者たちと、もともと相性がいい」、このシリーズも見逃したのは本当に残念だ。 「現代に至るまで高度な文明を発展させてきた人類は、今その原点に帰りたいと、どこかで無意識に思っていると見えなくもないのだから」、なるほど。 「いよいよネットの海の中に埋没する時代に、「無形資産」は大きな渦巻きの中心にあるかのようだ」、上手いこと言うものだ 「私たちの生活を豊かにするための手段だったはずの技術がいつの間にか目的化、人間がシステムに合わせている倒錯的な状況は、日常さまざまなところで多くの人々が経験しているのではないだろうか?』、確かにその通りだ 「すべての企画が「主役はあなた」なのだが、そのことをあらためてど真ん中に考えた企画だともいえるのかもしれない」、その通りなのだろう。 残念ながら両方とも見逃したので、この記事はとりわけ興味深い。 丸山 俊一 「「炎と猫と資本主義」に見る「2021年欲望の行方」 異色TV番組の背景「資本のない資本主義」の時代」 東洋経済オンライン (その5)(「炎と猫と資本主義」に見る「2021年欲望の行方」 異色TV番組の背景「資本のない資本主義」の時代、「市場原理主義を徹底するとコミュニズムに至る」私有財産に定率の税(富のCOST)を課すと効率的な市場が生まれる、斎藤幸平さんが勧める思想・教養書5冊2題:#1「みんな頑張って働いているのに幸せそうに見えない」、#2コロナ対策で政府が供給した巨額のお金はどこへ消えたか? 銀行も証券会社も退職した“森ビル”元幹部が語る資本主義の“限界”) 資本主義
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格差問題(その8)(サンデル教授が語る「大卒による無意識の差別」 「努力すれば成功できる」という発想の問題点、「コロナ禍でも五輪すらやめられない」資本主義の暴走を止めなければ人類は滅びる 「中間層を増やせばいい」は間違い、「世界全体が富裕層に甘すぎる」自家用ジェットやスポーツカーは全面禁止にすべきだ 欲望を煽る経済システムはもう限界) [経済]

格差問題については、昨年11月9日に取上げた。今日は、(その8)(サンデル教授が語る「大卒による無意識の差別」 「努力すれば成功できる」という発想の問題点、「コロナ禍でも五輪すらやめられない」資本主義の暴走を止めなければ人類は滅びる 「中間層を増やせばいい」は間違い、「世界全体が富裕層に甘すぎる」自家用ジェットやスポーツカーは全面禁止にすべきだ 欲望を煽る経済システムはもう限界)である。

先ずは、本年4月16日付け東洋経済オンライン「サンデル教授が語る「大卒による無意識の差別」 「努力すれば成功できる」という発想の問題点」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/422935
・『「努力と才能で、人は誰でも成功できる」。ほとんどの人はこう聞いて、何の疑問も持たないだろう。実際、私たちの多くは「成功する人は努力をしている」という価値観の中で生きてきた。競争環境が平等であれば、成功するか否かは個々の努力や才能にゆだねられる、と。 しかし、NHK『ハーバード白熱教室』などで知られる、哲学者のマイケル・サンデル教授から見ると、この能力至上主義の考えの裏には、「成功をしていない、社会的に認められない人は、努力してこなかった責任を負っている」ということになる。そしてこれは、真面目に働いていても、グローバル化やデジタル化の影響を受けている人が、「努力をしなかったから」と尊厳を奪われ、エリートから見下されていると感じる状態を作ってしまった。サンデル教授はこれがアメリカなどで見られるエリートと労働者の分断の本質だと説く。 経済成長に重きを置いた能力主義が招いた分断は解消できるものなのか。能力主義に変わるものはあるのか。そして、誰もが尊厳を保てる社会とはどういうものなのか。『実力も運のうち 能力主義は正義か?』を上梓したサンデル教授に聞いた(Qは聞き手の質問、Aはサンデル教授の回答)』、興味深いところだ。
・『無意識に労働者を「見下している」  Q:この本では能力主義を強調したバラク・オバマ元大統領を含めるリベラルの姿勢を痛烈に批判しています。実際ここへ来て、トランプ現象やポピュリズムの台頭をめぐってリベラルの姿勢を批判する声が高まっています。 A:今回書くにあたっては、2016年のドナルド・トランプによる大統領選のサプライズ当選と、それを可能にした多くの人たち、特に労働者層の怒りや恨み、悲哀といったものを理解しようというところが始まりになりました。労働者の多くは、エリートが自分たちを「見下している」と感じていたのです。 この本では、リベラルの多くが意図せず、大学卒業資格を持っていない労働者を辱め、モチベーションを奪うことによって、彼らの恨みを買うことに加担しているということについて詳しく書いています。これが、民主党が目覚めるきっかけになると同時に、エリートに対して怒りや恨みを持っている労働者が働くうえで何を大切にしているかということを、リベラルが理解するきっかけになればと思っています。 Q:読んだ後、リベラルを標榜する知人何人かにこの話をしましたが、彼らはリベラルが意図せず労働者を見下している可能性がある、という事実を受け入れようとしませんでした。まさか自分が「差別している側」とは受け入れがたいのでしょうか。 A:教育水準の高い、成功している人たちは能力主義のメリットを享受しているので、能力主義を否定することは難しいのです。実際、能力主義は非常に魅力的な原理です。競争環境が平等でありさえすれば、頑張って勉強して能力を発揮し、いい大学に行って成功するということは、「自分のおかげ」であり、自分はその成功に付随する報酬に「値する」という概念は成功者には心地いい。 同時にこれは、社会における資本の分配においても「公平」なように見えます。誰もが平等にレースに参加する資格があり、同じスタート地点に立ち、同じ訓練を受け、同じランニングシューズで走ったとしたら、レースに勝った人がもっとも多い報酬を得る、ということなのですから。 成功した人が報酬を得る、という在り方は、平等な社会、公平な経済を体現しているように思えるので、リベラル側はこの概念に対する否定的な意見を受け入れられないのでしょう』、「リベラルの多くが意図せず、大学卒業資格を持っていない労働者を辱め、モチベーションを奪うことによって、彼らの恨みを買うことに加担しているということについて詳しく書いています」、「能力主義は非常に魅力的な原理です。競争環境が平等でありさえすれば、頑張って勉強して能力を発揮し、いい大学に行って成功するということは、「自分のおかげ」であり、自分はその成功に付随する報酬に「値する」という概念は成功者には心地いい」、さすが「サンデル教授」だけあって、目のつけどころが鋭い。
・『レースは本当に「平等」なのか  しかし、私はこういう疑問を呈します。レース自体は平等にように見えますが、中には生まれつき運動神経がいい人や、人より足が速い人がいます。はたしてそれが自分の努力のみによるものなのか、と。同じスタート地点に立って、同じ努力をしたとしても成功できない人もいる。つまり、成功とはその人の努力だけではなく、才能や生まれ持ったもののおかげでもあるのです。 となると、能力主義の問題は何なのか。それは、成功者における謙虚さの欠如、つまり、人生における幸運や、親や教師、コミュニティ、国といった成功を可能にしてくれた人やものがあるということに対する理解の欠如です。 大学に行かなかった、あるいは、学位をもっていない人は、社会における「いい仕事」、そしてそれに伴う高額な報酬も大卒者に取られてしまう。もし、社会で成功している大卒者が自分の今の成功はすべて自分の努力によるものだと考え、謙虚さをなくしていたとしたら、知らないうちに自分より成功していない人を見下している可能性があるのです。 Q:能力主義を強調しすぎることの怖さは、自分も影響を受ける対象になることだと感じました。グローバル化やデジタル化に乗り遅れてふるい落とされないためには、つねに労働市場の需要に合わせて自分をアップデートしたり、スキルアップをしなければならず、これはしんどいです。 能力主義には2つの負の側面があります。1つは、大学に行かなかった人、成功しなかった人が「それは自分が努力しなかったせいだ」と自分を責め、苦悩することです。この結果は自分が招いたものだ、と。もう1つは、“勝者”にとっても大変な世界だということです。 そもそも能力主義の問題は、社会の中に「勝者」と「敗者」を作ってしまうことです。そして、この数十年の間に、勝者と敗者の分断はどんどん広がっており、これがアメリカやヨーロッパにおける政治の二極化を招いたと考えています。 勝者と敗者に分かれた世界では競争が激化し、成功することへの圧力は非常に大きいものとなる。顕著な例は大学入試です。アメリカでも日本でも、若者にとってどの大学に入るかはとてつもないプレッシャーになっており、これは必ずしも健全なプレッシャーではありません。成功しなければいけない、という強迫観念はトラウマにさえなります』、「能力主義の問題は、社会の中に「勝者」と「敗者」を作ってしまうことです。そして、この数十年の間に、勝者と敗者の分断はどんどん広がっており、これがアメリカやヨーロッパにおける政治の二極化を招いたと考えています。 勝者と敗者に分かれた世界では競争が激化し、成功することへの圧力は非常に大きいものとなる」、その通りだ。
・『対話をしないと分断はもっと進む  Q:勝者と敗者の分断、あるいは社会や政治における二極化は手を付けられない状態にも見えますが、まずはリベラルから歩み寄るべきなのでしょうか。 A:分断の責任は双方にあり、どちらも対話を持ちかける努力をするべきですが、まずは運に恵まれ、大学にも行けて、成功している人が行動を起こすべきではないでしょうか。社会から疎外され、尊敬されていないと感じている人がなぜそう感じているのかを理解しようとすべきです。どんなに難しくても今、階級や人種、社会的バックグラウンドを越えた対話を始めなければ、もっと分断は進みます。 過去40年分断は広がり続けており、社会的結合はどんどん希薄になっている。社会的分断を解消し、私たちが負った傷を癒やすには、お互いを理解するための対話が必要です。これはアメリカだけではなく、すべての民主主義国家に言えることです。 Q:とはいえ、今の世の中において自分と「違う人」と交わったり、ましてや対話をすることは非常に難しくなっています。接点すらないという人もいます。 A:解消するには、社会レベルと個人レベル、2段階の対応があると思います。まず社会的・政治的レベルでは、コミュニティセンターなど、違うバックグラウンドや異なる人生を歩んできた人たちを集める場所が必要です。 公立学校はこういう場所になりえますし、地域におけるレジャーセンター、市民センターなどの文化施設、公園やスポーツ施設も利用できるでしょう。スポーツは昔から異なるバックグラウンドの人がともに集えるものの1つです。 分断を広げるという観点では、ソーシャルメディアに気をつける必要もあります。ある人が見ているフィードに流れてくるニュースや情報、意見は、その人自身の意見に近いものが多く、自分の意見や世界観と異なるニュースなどに接する機会はほぼありません。その点で、ソーシャルメディア、もっと言えば、既存メディアの在り方も見直したほうがいいと思います。 既存メディアは、自分たちがもともと持っている意見だけを出すのではなく、例えばテレビであればバックグラウンドが異なる人を集めて、互いが何について同意できないのか議論する場を作るべきです』、「既存メディアは、自分たちがもともと持っている意見だけを出すのではなく、例えばテレビであればバックグラウンドが異なる人を集めて、互いが何について同意できないのか議論する場を作るべきです」、その通りだが、現実には難しそうだ。
・『トランプ支持者とアンチが4時間語り合った  1つ面白い例をあげましょう。2017年、トランプが大統領に就任した直後、私はニューヨークでトランプ支持者とアンチを集めた番組をNHKでやりました。全米からそれぞれ9人ずつ集めて、トランプ、アメリカ、アメリカファースト主義、メキシコ国境の「壁」など当時物議を醸していたテーマについて、何についてお互い同意できないのかを議論しました。 4時間にわたった議論の末、双方が意見を変えることはありませんでしたが、互いを尊重できるようにはなりました。どんな懸念やモチベーションがそれぞれの考えや意見を構築しているのか、互いに理解することができたわけです。 議論の後、参加者の1人がこう言いました。「番組のおかげで、接点のない人たちが何を考えているのかよく理解できました。しかし、なぜ私たちを引き合わせてくれたのがアメリカではなく、日本のテレビだったのでしょうかね」。 このことは、アメリカの主要メディアでさえ、意見の違う人たちを集めて、可能であればお互いの理解を促すという活動ができていない、ということに気づかせてくれました。つまり、メディアには重要な役割があるということです。 個人レベルでは、自分と似たような人とばかり過ごすのではなく、自分の意見の殻を破って、自分とは違う人と意見を交換する時間を作ることが必要だと思います。スポーツでも文化的な集まりでもいいので、もっとカジュアルにバックグラウンドが違う人と出会う機会が必要です。 Q:対話ができたとしてもアメリカのような国で、分断された人たちが共通のゴールや、サンデル教授がいう共通善(個人や特定の集団ではなく、社会全体共通の善)を見出すことは難しくありませんか。バイデン大統領にできることはあるのでしょうか。 A:政治家たちが何十年にもわたって掲げてきたメッセージを変えなければいけません。民主党も共和党もこれまで、グローバル化による不平等を解消するには、高い教育を受けることだと唱えてきました。そうすれば上に行くことができる、と。グローバル経済で成功するには大学に行け、自分が学んだことは自分が得るものに直結する、頑張ればなんでも手が届く、といったメッセージはレーガン時代から発せられてきました。 しかし、バイデン大統領はこのメッセージを変えなければいけない。能力主義による競争を助長するのではなく、仕事の尊厳を取り戻すことに重きを置くべきです。社会に貢献している誰もが自分のしている仕事の尊厳を感じられるようにするのです』、「なぜ私たちを引き合わせてくれたのがアメリカではなく、日本のテレビだったのでしょうかね」。 このことは、アメリカの主要メディアでさえ、意見の違う人たちを集めて、可能であればお互いの理解を促すという活動ができていない、ということに気づかせてくれました」、「アメリカの主要メディア」は旗色が明らかなので、中立的な番組は、「日本のテレビ」しか出来ないからだろう。
・『コロナが変わるきっかけになるかもしれない  今回のパンデミックは、例えば家で働ける人とコロナ禍でも働きに行かないといけない人など、これまでにもあった格差を露呈しました。しかし、同時に家で働ける人たちが、医療従事者だけでなく、工場労働者やスーパーの店員、配達員、保育士、トラック運転手などコロナでも外で働く人たちにどれだけ頼っているかということに気づくきっかけになりました。必ずしも高給や社会的な名誉を得ているわけでもない人たちや、その仕事の重要性に気づき、エッセンシャルワーカーと呼ぶようなったのです。 コロナが、こういう仕事にもっと尊敬の念を払う必要がある、という議論のドアを開くことになると期待しています。バイデン大統領はこれをきっかけに、労働者における仕事の尊厳とは何かを改めて考えるべきではないでしょうか。 Q:バイデン大統領自身は、「見過ごされている、見下されていること」について、労働者層がエリート層に怒りを抱いていることに気がついていると思いますか。 A:不確かではありますが、気づいている可能性はあります。実際、大統領選挙中のスピーチで、自らは裕福な家庭の出身ではなく、自分の父親が苦労した経験を話しています。「人々があなたを見下したとき、尊敬の念を払わないときにどんな気持ちになるかわかる」と。これが、能力主義ではなく、労働の尊厳に重きを置くメッセージや政策にシフトするスタート地点になる可能性はあります。 Q:今回の著書の中では、能力主義に代わるものとして、「条件の平等」を掲げています。つまり、どんな仕事をしていようと、稼ぎがどれくらいであろうと、誰もが幸せを感じられる社会を実現するということです。ですが、これが実現した場合、「何か難しいことを成し遂げよう」「高い教育を得よう」と考えるモチベーションはどうやったら養えるのでしょうか。) A:新しいスキルを取得したり、自らの能力を発揮する、あるいは自分の能力を生かして共通善に貢献するといった「内在的な満足」や誇りがモチベーションになるのではないでしょうか。実際、私たちは自分の能力やスキルが向上することで満足感を得ます。その能力を生かして、自分の家族だけでなく、社会全体に貢献できるということは喜びなのです。 私が考える民主主義における条件の平等とは、すべての人が同じ収入を得るということではなく、誰もが尊厳を保ち、尊重されるということです。自分の家族、コニュニティ、共通善に貢献しているということに対するリスペクトがある状況です。 私たちが目指すべきは、それぞれの教育水準や収入にかかわらず、誰もが互いに尊敬できる社会です。社会に貢献している証しが収入ではなく、家族を養うことや、社会、コミュニティに貢献していることなどで測られるのが望ましい状態です。 私たちは社会や共通善に対する貢献度は、収入の高さに反映されると誤解されがちですが、目指したいのは、共通善への貢献度がお金で測られるのではなく、生活のために真面目に働き、社会の発展に貢献できることが尊重される社会です』、「工場労働者やスーパーの店員、配達員、保育士、トラック運転手などコロナでも外で働く人たち・・・エッセンシャルワーカーと呼ぶようなったのです。 コロナが、こういう仕事にもっと尊敬の念を払う必要がある、という議論のドアを開くことになると期待」、「エッセンシャルワーカー」に脚光が当たったのはいいことだ。
・『社会への貢献度は1つの指標で測るべきではない  Q:社会への貢献度、あるいは自分の能力やスキルが「お金」という尺度で図られないとしたら、その貢献度は何で測られるようになるのでしょうか。 A:それを見極めるのが難しいので、結局お金や収入、国にとってはGDPなどに落ち着いてしまうわけです。しかし、GDPが国の幸福度を表すものだと信じている人はいません。 私は『それをお金で買いますか』や『これから「正義」の話をしよう』でも、社会への貢献度を1つの数的指標で測るべきではないと提案しています。お金やGDPは誤解を与える指標で、社会などにおいて何が重要かという議論を遮ってしまう。 では、どうやって測るのか? それは数字でもデータでもお金でもGDPでもありません。社会への貢献度は、私たちがかかわる生活の質と充実度と、それを自ら誰かと形作り、組み立てていくことで測られるべきです。例えば、家族を作って子供を育てることの充実感は、お金では図れません。社会、家族、そして個人にとって何が重要かを測ることができる数字などないのです』、「お金やGDPは誤解を与える指標で、社会などにおいて何が重要かという議論を遮ってしまう」、その通りだ。
・『公の場での議論や対話が必要だ  Q:日本のような長らく景気が停滞していて、経済成長が望みにくい社会では、「高い収入を得ること=幸せ」という概念に対してある意味の限界や徒労感を感じていている人もいます。しかし、経済成長が個人の幸せを必ずしももたらさない、と感じながらも、では何が個人の幸せをもたらすかについての議論は発展せず、政治家がその道筋を示すこともしません。 大事なのは、公の場でいい社会やいい生活・人生とは何なのかを議論し、対話することです。これらには、私たちがいかに個として人生を営むか、そして、ほかの人たちとともに生きるか、という問いが含まれています。よりよい生活とは何か、その先にあるいい社会とは何かという議論には、倫理的価値観、時には精神的な価値観も絡んでくるでしょう。 現代の社会では、何がいい生活や社会なのかということについて、それぞれがまったく違う意見や見解を持っているのですが、政治家は人々の間に価値観の相違があることを好まないので対話の機会を持とうとしない。 特にモラルや精神的な価値観における違いを埋めるのは容易ではないですから。こうした問いと向き合わないため、モラルや価値観の相違に対する判断を下すことを避けるために、収入やGDPという指標を社会や共通善への貢献の物差しにしてごまかしているのです。 しかし、今回の本でも述べている通り、私たちが生きていくうえでいい生活とは何か、いい社会とは何という問いは避けて通れません。私たちが考えるいい社会を実現するためには、共通善に対する貢献を何で評価するべきかという議論をしなければならない。 どんな価値観や美徳を大切にする社会を作っていくかという議論をするうえで、倫理的価値観の話は避けられません。正義とは何か。共通善を目指す意味は何か。私たち市民はお互いにどんな責任を負っているのか。社会への貢献は何で評価できるのか。それぞれが尊厳を維持し、互いを尊重するにはどうしたらいいか――。簡単に答えられるものではありませんが、公における議論の中心テーマはこうしたものであるべきです』、「私たちが考えるいい社会を実現するためには、共通善に対する貢献を何で評価するべきかという議論をしなければならない。 どんな価値観や美徳を大切にする社会を作っていくかという議論をするうえで、倫理的価値観の話は避けられません。正義とは何か。共通善を目指す意味は何か。私たち市民はお互いにどんな責任を負っているのか。社会への貢献は何で評価できるのか。それぞれが尊厳を維持し、互いを尊重するにはどうしたらいいか」、同感である。

次に、6月26日付けPRESIDENT Onlineが掲載した大阪市立大学大学院経済学研究科准教授の斎藤 幸平氏、衆議院議員の古川 元久氏、法政大学法学部教授(現代日本経済論)/博士(経済学)の水野 和夫氏による座談会「「コロナ禍でも五輪すらやめられない」資本主義の暴走を止めなければ人類は滅びる 「中間層を増やせばいい」は間違い」を紹介しよう。
・『コロナ禍の最中に日本ではオリンピックが開催されようとしている。なぜそうなってしまうのか。『人新世の「資本論」』(集英社新書)著者の大阪市立大学大学院の斎藤幸平准教授と、共著『正義の政治経済学』(朝日新書)を出した衆議院議員の古川元久さん、法政大学の水野和夫教授の鼎談をお届けしよう――。(前編/全2回)』、興味深そうだ。
・『経済の目的を「成長」から「幸せ」へ  【古川元久(以下、古川)】斎藤さんの『人新世の「資本論」』(集英社新書)を拝読し、こういう形でマルクスを理解するアプローチがあることを学ばせてもらいました。斎藤さんはこの本で、「資本主義では現代の諸課題は解決できない」ことを語り、「脱成長」を理念とする新しいコミュニズムの必要性を説いておられます。 私も、経済成長が自己目的化した現在の資本主義は、さまざまな弊害やひずみを生み出していると思っています。本来、経済成長の目的は成長そのものではなく、成長の先に目指している幸せのほうです。 だとすれば、資本主義やコミュニズムという社会システムの仕組みも大事だとは思いますが、その前提として、私たちが求める幸せとは何なのかということを、あらためて考えなければいけないように感じています。 【斎藤幸平(以下、斎藤)】私も、幸せを重視する経済に移行していく必要があることはまったく同感です。ただその場合に、手段も同時に考えなければなりません。たとえば、ステーキを食べるときにはフォークとナイフを使いますが、納豆を食べるのにフォークやナイフを使ったらうまく食べられませんよね。それと同じように、経済の目的を「成長」から「幸福」に変えるならば、多少改良したところで既存のシステムを手段としてもうまくいきません。つまり、資本主義という社会システムの中に私たちがいる限り、幸せという目的は絶えず遠ざかっていくのではないでしょうか』、「幸せを重視する経済に移行していく必要があることはまったく同感です。ただその場合に、手段も同時に考えなければなりません」、その通りなのかも知れない。
・『資本主義というシステムを維持するのは不合理  【斎藤】というのも、資本主義の本質が、際限のない利潤追求だからです。 マルクスが『資本論』で書いているように、資本の目的は「蓄積せよ、蓄積せよ」、つまり「世界中の富をひたすら蒐集せよ」ということです。先進国の生活だけを見れば、資本主義は私たちを豊かにしたかもしれません。しかし、植民地で奴隷のような過酷な環境で人々を働かせて搾取した歴史もあれば、現代でも社会に過剰な負荷をかけてグローバル経済はまわっている。日本でも、コロナの感染拡大がわかっているのに、資本主義のために、五輪をやめることさえできずにいます。 そしてもうひとつは環境の問題です。現代は人類の経済活動が地球を破壊しつくす「人新世」の時代に突入しています。環境危機を引き起こした犯人は資本主義です。もはや、経済成長を目的とした資本主義というシステムを維持していくことは、まったくもって不合理です。 古川さんと水野さんは『正義の政治経済学』(朝日新書)という共著において、「定常型の経済に移行していくしか道はない」という話をされています。資本の利潤追求にストップをかけ、経済をスローダウンさせるには、市民が、もっと積極的に公共財・共有財(=「コモン」)を管理する「コモン」型社会に移行していくべきです。これは国家が計画・管理をするソ連型の共産主義とは違う、下からのコミュニズムです』、「下からのコミュニズム」とは言い得て妙だ。
・『パンデミックで「経済格差=命の格差」になった  【水野和夫(以下、水野)】資本主義が「蓄積至上主義」だというのは、そのとおりだと思います。実際、資本主義は「蓄積」はうまくやった。旧ソ連のように国家が所有するのではなく、富の蓄積を市場に任せるほうが、はるかに効率がよいことを証明したわけです。 人々が資本主義にこれまで異を唱えなかったのは、資本が蓄積されれば、数年後にはもっと豊かな生活ができる、あるいは有事のような例外状況では蓄積されたお金で救済してもらえると思っていたからです。 ところが現実は、そのどちらも叶わない。資本主義は21世紀において、絶望的な二極化世界を生み出してしまいました。スイス金融大手UBSの2020年の報告によれば、世界の富豪2189人の財産総額は、最貧困層46億人の財産より多く、しかも4月から7月のコロナ禍のせいで、富裕層の資産は27.5%増え、10兆2千億ドルに達したといいます。 つまり、パンデミックという緊急事態においても、資本主義経済はなんら善行をなしえず、経済格差が命の格差になってしまっている。これは、資本を蓄積する正当性がなくなったということですから、過剰な資本に対しては、金融資産税や内部留保税、相続税などの税制を強化して分配するしかないんじゃないでしょうか。資本主義は成功したがゆえに、もうその役割を「終えた」と見るべきです』、「資本主義は21世紀において、絶望的な二極化世界を生み出してしまいました・・・パンデミックという緊急事態においても、資本主義経済はなんら善行をなしえず、経済格差が命の格差になってしまっている。これは、資本を蓄積する正当性がなくなったということですから、過剰な資本に対しては、金融資産税や内部留保税、相続税などの税制を強化して分配するしかないんじゃないでしょうか。資本主義は成功したがゆえに、もうその役割を「終えた」と見るべきです」、厳しい診断だ。
・『「資本主義か? コミュニズムか?」は現実的ではない  【古川】斎藤さんや水野さんがおっしゃる資本主義は西洋的な資本主義で、明治から始まった日本の資本主義の場合には、もともとは西洋とは異なる発想があったんじゃないでしょうか。たとえば、近江商人の時代から、「売り手よし、買い手よし、世間よし」という「三方よし」でないと、商売は成功しないという考え方がありました。 また、大河ドラマで注目が集まっている渋沢栄一は、日本の「資本主義の父」と呼ばれていますが、彼自身は、資本主義という言葉は使わず、「合本主義」という言葉を使っていました。合本主義とは、公益を追求するために、人材や資本を集めて事業を進めるという考え方です。これを資本主義の一形態と考えれば、斎藤さんのコミュニズムにも通じるところがあるんじゃないかと思います。よき資本主義、ということです。 こうしたかつての日本の知恵も踏まえながら、斎藤さんも『人新世の「資本論」』で述べられていた、協同組合のような仕組みを拡充させていく。2020年末には国会でも労働者協同組合法が成立し、「協同組合を見直していこう」という機運が高まりつつあります。 ですから、「資本主義か? コミュニズムか?」というイズムの論争をするよりも、目指すべき方向に近づく具体的なアクションを一つひとつ実現していくほうが現実的ではないかと思うんですが』、「2020年末には国会でも労働者協同組合法が成立し、「協同組合を見直していこう」という機運が高まりつつあります」、初めて知った。
・『「中間層が増えればいい」という話ではない  【斎藤】そこが難しいところです。はたして、「よき資本主義」が本当に存在するのか、と疑問を感じるんですね。 たとえば、行き過ぎたグローバル化による新自由主義が問題だという考え方がありますよね。新自由主義をやめ、金融資産に課税したり民営化を見直したりして、「もっとマシな資本主義を目指そう」という主張はよく耳にします。日本では、渋沢栄一や松下幸之助の精神に範をとった「日本的資本主義」という話になるし、アメリカでも経済学者のジョセフ・E・スティグリッツが、格差を是正して中間層を厚くする「プログレッシブ・キャピタリズム」を目指そうと言っています。 しかし、かつてのよき資本主義の時代でも、豊かな生活を享受していたのは先進国における一定以上の階層の人々に過ぎません。当時も資本主義は、植民地から富やエネルギー、労働力を非常に暴力的に収奪し続けていました。この構造は『正義の政治経済学』にも書かれていますし、水野さんがよく指摘されているように、資本主義を駆動させる資源は、海賊的なものだったわけです。いわば、先進国の労働者たちは、南から収奪した富を資本家たちと山分けして中産階級になったのです。 抜本的にそれらを見直すとすれば、定常経済に移行するだけでなく、保障や支援も含めてグローバルサウスに富を戻していくことも検討していかなければいけないと思います。だから一国の中で、「新自由主義を批判して中間層が増えればいい」という話ではないんですね』、「資本主義を駆動させる資源は、海賊的なものだったわけです。いわば、先進国の労働者たちは、南から収奪した富を資本家たちと山分けして中産階級になったのです」、はともかく、「抜本的にそれらを見直すとすれば、定常経済に移行するだけでなく、保障や支援も含めてグローバルサウスに富を戻していくことも検討していかなければいけないと思います」、については、そこまで歴史の歯車を逆回転させる必要はないと思う。
・『エリートの意識改革程度で、よき資本主義は実現しない  【古川】『人新世の「資本論」』を読んで、斎藤さんと渋沢には共通した考え方があるように私は感じたんです。マルクスと渋沢は、生きた時代が半分ぐらい重なっています。渋沢が『論語と算盤』を出版したのは大正時代、第一次世界大戦の大戦景気でバブルに沸いていた頃です。 当時の日本は渋沢の思いとは裏腹に、西洋式の荒々しい資本主義が浸透し、大資本が産業を牛耳り、資本家と労働者との分断、格差が広がっていました。こうした光景を目の当たりにして渋沢は危機感を抱いたのでしょう。そこで、倫理感を持たなければ、算盤だけではおかしくなるという警鐘を鳴らしたのです。そこが、マルクスが『資本論』を書いて、資本主義の暴力を批判するのと通底しているように思えたんです。 【斎藤】渋沢の時代は、まだ資本主義の勃興期だったので、モラルエコノミー的な議論にも説得力があったかもしれません。ただ、マルクスは渋沢のように、倫理や経営者のマインドで資本主義の力を抑えられるとは考えなかったんですね。資本には個人の意志を超えた力があるというのが、マルクスの物象化論です。 その後の資本主義の暴力を考えれば、マルクスの認識は正しいと思います。経営者や株主、政治家、エリートが意識を少し変えたところで、抜本的な改革は実現しません。みんながSDGsを心がけるぐらいで、よき資本主義に変えられるほど資本主義は甘っちょろいものではないと思います』、同感だ。
・『経営者や資本家に正義を求めるのは無理  【水野】私も斎藤先生と同じような認識です。経営者や資本家に正義を求めるのは、どだい無理な話でしょう。ケインズだってモラルエコノミーを訴えたのに受け入れられず、経済学は手段遂行の学問になってしまいました。SDGsという昨今の動きも、17世紀、18世紀に資本家の倫理を求める運動があったのと同じで、多くの経営者や企業は国際的な世論も高まっているから、「ちょっとお行儀よくしないとナ」という程度の認識でしょう。 実際、株主や経営者は、ROE(自己資本利益率)の目標は取り下げないわけですよね。ROEの目標を取り下げず、「SDGsもがんばりましょう」なんて不可能です。SDGsを本気でやろうとしたら、ROEは現在の地代(リートの利回り)以下、つまり3%以下を目標にすべきです。でも、そんな経営者はいませんから、経営者の倫理に期待はできません。 だとすると、資本主義を終わらせるためには、外部からの政治的な強制力が必要でしょう。企業は1年ごとに、リートの利回りを超えた分の利益は、最高税率を99%として累進課税として徴税する。そのぐらいしないと、抜本的な改革なんてできっこありません』、「経営者や資本家に正義を求めるのは無理」、同感である。
・『労働者自身による「コモン」が必要ではないか  【斎藤】問題はそういう強制力をどう作るかです。経営者に働きかけて労働者の声に耳を傾けさせるとか、経営者に利益を分配させるというのではなく、労働者自身が実質的な管理権限をもって、「コモン」を自主的に運営するような仕組みを拡張していくべきだと私は考えています。その一例が、さきほど古川さんが指摘された労働者協同組合ですね。 【古川】斎藤さんも著書で触れられていましたが、宇沢弘文先生が唱えた社会的共通資本の仕組みをつくっていくということですね。それは私も大賛成です。 【斎藤】たしかに、私の言う「コモン」は、宇沢さんの社会共通資本と近い考え方です。ただ少し違うのは、宇沢さんの場合には階級闘争のような議論は入ってこないんですね。私は、労働者が「コモン」を自主管理するためには、階級闘争的な運動がどうしても必要になってくると思うんです』、「労働者が「コモン」を自主管理するためには、階級闘争的な運動がどうしても必要になってくると思う」、何故なのだろう。重要なことを理由抜きで述べるのは問題だ。
・『民主主義を企業内にも徹底させる方法  【古川】現状の経営者や資本家はたしかに問題があります。でも、はたして現在の労働者たちが今の経営者や資本家を追い出して、代わりに自分たちがその立場に立ったら、本当に公平な社会が実現するかというと、私は少し疑問です。政治の世界でも、苦労人で成り上がった人が権力者になった途端に権力をふりかざす例は、歴史上いくらでもあることです。 結局、権力闘争で今の社会の仕組みをひっくり返していこうとすると、一時は変わっても、再び勝者と敗者を生み出すことになりはしないでしょうか。やはり一人ひとりの意識が変わらないと、本当の意味で社会は変わらないと思います。 【斎藤】階級闘争という点で言いたいのは、むしろ民主主義をもたらしたいわけです。古川さんは、『正義の政治経済学』の中で、「民主主義はどんな人間も自らの欲を完全にコントロールができないという性悪説に立ったシステムである」とおっしゃっています。私も同じ考え方です。だからこそ、所得税や法人税、労働法などによってさまざまな縛りをかけたり、株主たちによる非民主的な会社経営の防御策として、たとえば従業員の持ち株制度をつくったりして、株式会社の中でも民主主義を徹底させる仕組みをつくっていくべきだと考えています。(後編に続く)』、「現在の労働者たちが今の経営者や資本家を追い出して、代わりに自分たちがその立場に立ったら、本当に公平な社会が実現するかというと、私は少し疑問です」、同感である。

第三に、この続き、6月27日付けPRESIDENT Onlineの座談会「「世界全体が富裕層に甘すぎる」自家用ジェットやスポーツカーは全面禁止にすべきだ 欲望を煽る経済システムはもう限界」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/47113
・『二酸化炭素の削減は、いまや全人類の課題のひとつだ。ところが、人類の排出する二酸化炭素の約半分は、世界のトップ1%の富裕層が排出しているという。なぜそこまで偏っているのか。『人新世の「資本論」』(集英社新書)著者の大阪市立大学大学院の斎藤幸平准教授と、共著『正義の政治経済学』(朝日新書)を出した衆議院議員の古川元久さん、法政大学の水野和夫教授の鼎談をお届けしよう――。(後編/全2回)』、興味深そうだ。
・『GDPはもう賞味期限切れ  (前編から続く) 【水野和夫(以下、水野)】資本主義を終わらせるためには、近代社会の宗教である「成長教」を捨てなければなりません。近代資本主義は人と自然から収奪することで、経済成長に躍起になってきました。そして、成長教の根っこにあるのは数字信仰です。そのもとでは、人間の行為をことごとく数量化し、その数値によって社会が正しく機能しているかどうかを判断します。 その最たる指標がGDPです。現代の国家は、GDPが右肩上がりに増えていけば、国も豊かになっているとみなします。しかし、それは幻想です。電気洗濯機も冷蔵庫も、液晶テレビも、先進国にはすでに広く行き渡っている。若い世代は、前の世代に比べて所有欲も薄いという話もよく耳にします。 GDPで国の豊かさを測るというのは、近代成長教の教義であって、もう賞味期限は切れているわけです。ならば、内閣府はGDPを発表するのをやめたらどうかと私は思うのですが、斎藤先生はGDPについてどうお考えですか。 【斎藤幸平(以下、斎藤)】GDPが意味をなした時代がかつてあったから、これだけ浸透しているのだと思います。しかし、それは終わりました。経済成長が生み出してきた負の要素が、いまや気候危機やコロナなどはっきりと目に見える形であらわれてきた以上、GDPで国の豊かさを測る意味は見出せません。とはいえ、GDPを別の指標に置き換えて、ウェルビーイングや幸福度を判断するのも難しいでしょう。各人の幸福は数値で測れるものではありませんから』、「経済成長が生み出してきた負の要素が、いまや気候危機やコロナなどはっきりと目に見える形であらわれてきた以上、GDPで国の豊かさを測る意味は見出せません」、その通りだ。
・『「週24時間の労働」で先進国の最低ニーズは回る  【水野】私もそう思います。幸福を数量化したら、とんでもないことになります。たとえば、メンタルの安定度を数値化して、低かったら薬を飲ませて安定させるなんてことにもなりかねません。個々人の幸福に関しては、政府は関与しないほうがいいですね。 【斎藤】むしろ、各人が自分の好きなことをできる余地を拡大していくような方策に転換していく必要があります。そのためには、「労働時間の短縮」が不可欠です。世の中には、デヴィッド・グレーバーが「ブルシット・ジョブ」と呼んだ、不要な仕事がまだまだたくさんあります。 それを社会から削り、農業やケアワークのような仕事を拡張して、みんなでシェアする。これらは資本主義のもとでは生産性が低いと言われていましたが、本来重要かつ不可欠な仕事です。そうすれば、ケインズが予測した15時間程度の週労働で十分にやっていけるのではないか。仮にそれが極端だとしても、フィンランドが目指している週24時間程度で、先進国の最低限のニーズは回せると思います。 そうすれば、人々は残りの時間を、スポーツや趣味、家事など、別の活動に充てることができます。社会の豊かさとは、こうして生まれるものではないでしょうか』、「フィンランドが目指している週24時間程度で、先進国の最低限のニーズは回せると思います」、同国では現在の他の時間は何に向けられているのだろう。
・『「足るを知る」のは分かち合うこと  【古川元久(以下、古川)】斎藤さんのご指摘は、『正義の政治経済学』(朝日新書)でも書かせていただいた、「足るを知る」に通じることだと思いました。 古来、中国では丸は「天」を表し、四角は「地」を表すと言われています。本には、「吾唯足知(われ、ただ、足るを知る)」のデザインを掲載しましたが(図1※)、このデザインの丸と四角の間、すなわち「天」と「地」の間にある空間が私たちが生きる社会を意味し、その社会を調和のとれたものにするためには「足るを知る」ことが必要であるのをこのデザインは示唆している、私はこう解釈して、その必要性を事あるごとに説いているんです。 「足るを知る」と言うと、ただ単に現状に満足することだと思われがちなんですが、私は「足るを知る」とはそうではなく、他者の存在なしでは生きていけないこの社会で、他者のことを思いやり、生きていく上で必要なものを独り占めするのではなく「分かち合う」ことだと考えています。 この「分かち合い」は、前の世代や次の世代といった、世代を超えた分かち合いも意味します。その意味で、不要な仕事をなくし、未来の地球や人類のために必要な仕事をシェアするという斎藤さんの指摘は、私の考える「足るを知る」に非常に近いと感じます』、「私は「足るを知る」とはそうではなく、他者の存在なしでは生きていけないこの社会で、他者のことを思いやり、生きていく上で必要なものを独り占めするのではなく「分かち合う」ことだと考えています」、なるほど。
・『自由でのんびりする未来としての「コミュニズム」  【斎藤】そうですね。私が主張している脱成長コミュニズムへの転換も、必ずしも欲望を否定するものではありません。資本主義のもとでは、GDPやお金儲けのために効率化をめざして、小さいころから勉強漬けにされ、会社に入っても長時間労働を強いられてしまう。本当はもっとダラダラしたいとか、家族と楽しく過ごしたいと思っているのにそうはできない。コミュニズムは、資本主義のもとで疎外されている根源的な欲望を解放するものでもあります。 だから私の描くコミュニズムは、抽象的な正義や平等を振りかざして人々を抑圧するものではない。かつての共産主義のイメージとは違い、もっと自由でみんなでのんびりするような未来を構想しよう、ということなんですね。 しかし、本当は豊かな生活を実現するための「足るを知る」ことが、今の経済システムのもとでは非常に難しくなっているのも事実です。広告やプロモーション、計画的陳腐化など、いろんな手段で私たちの欲望を絶えずあおるようなシステムが、マーケティングを通じてできあがってしまっているわけですね。この中でいくら足るを知ろうとしても、本当にそれこそ聖人みたいな人でなければ、やはりまた何か買おうかなと思ってしまう』、「広告やプロモーション、計画的陳腐化など、いろんな手段で私たちの欲望を絶えずあおるようなシステムが、マーケティングを通じてできあがってしまっている」、「この中でいくら足るを知ろうとしても、本当にそれこそ聖人みたいな人でなければ、やはりまた何か買おうかなと思ってしまう」、その通りだ。
・『ファストフード禁止ぐらいやらないと間に合わない  【水野】「足るを知る」を実現するためには、要らないものを大胆に手放さないといけませんね。食品ロスの実態や、過剰なまでのコンビニ数でも一目瞭然ですが、私たちの社会は要らないものを作り続けています。図らずもコロナ禍でオンラインのコミュニケーションも普及しましたから、新幹線で日帰りしなければならない急用なんてそこまでないはずです。 【斎藤】同感です。ですから、「足る」を強制的に覚えさせるぐらいしないと。これは日本の話だけではなく、世界全体は今の富裕層に甘過ぎるし、彼らに「足るを知れ」と言ったところで、「我々は寄付をしているから」と言い逃れをするでしょう。 その程度では「足るを知る」とは言えません。たとえば、プライベートジェットの禁止、スポーツカーやヨットの禁止ぐらいは当然です。世界のトップ1%の人たちの二酸化炭素排出量は、世界の半分の人たちの排出している量と同じです。 私たちも、近距離の飛行機移動を禁止したり、ファストフードやファストファッションを禁止することも含めて、もっと抜本的に今の生活を見直す必要があるでしょう。それぐらいしないと間に合わないところまで環境危機は迫っているのに、そこに向き合わないのが昨今のグリーン・ニューディールや緑の経済成長理論だと思うんですね』、「私たちも、近距離の飛行機移動を禁止したり、ファストフードやファストファッションを禁止することも含めて、もっと抜本的に今の生活を見直す必要があるでしょう」、その通りだ。
・『タバコをやめるように経済成長をやめよう  【斎藤】「足るを知る」、あるいは経済成長をやめるイメージとして、禁煙を思い浮かべるとわかりやすいんです。禁煙は、最初はつらいんですね。一日中、タバコのことを考えてしまう。でも、1カ月、2カ月、半年と禁煙をすると、もうタバコのことなんてほとんど考えなくなるし、その結果、ごはんがおいしくなったり、子どもが近くに寄ってきたりとポジティブな変化が起こる。それによって初めて、「ああ、やめておいてよかった」ということを実感するわけです。 【古川】要らないものをなくしていくための我慢は大事だと思います。ただ、「これは駄目だ」と頭ごなしに言われても、なかなか人間はやめることができないし、かえって反発を生んでしまうのではないでしょうか。 まずは不都合な真実から目を背けずにそれを直視することが大切です。人間100%の善人もいなければ、100%の悪人もいない。人間の欲求は放っておくと際限なく大きくなる可能性がありますが、それを追求していくと自分たちの生存自体が危うくなるという不都合な真実がわかれば、「これはやめなきゃいけないな」と自ずから思うようになると思うんですね。だから、私たちにとって不都合な真実や未来を隠さずにきちんと知らせたうえで、必要な制約をかけていく。それが政治の役目だと思います』、同感である。
・『日本国民の20%は「ゼロ資産」  【水野】『正義の政治経済学』でも語ったことですが、まっとうな民主主義を実現するなら、世の中の平等性を確保する必要があります。現状の日本はどうでしょうか。1987年、1988年には国民の3%がゼロ資産でしたが、それが現在は20%にまで増えています。「貯蓄残高ゼロ世帯」が2割にのぼるのです。 一方で、日本の富豪上位50人の資産は約27兆円にものぼり、2020年から48%も増えたといいます。これだけ広がってしまった格差は、ドラスティックに是正しない限り、次の新しい時代には入れません。そのためには、税制を使うしかありませんが、今の政府にそれができるとは思えません。この点について、斎藤先生はどうお考えですか。 【斎藤】格差是正もそうでしょうし、リニアは要らない、オリンピックもやらなくていいという市民の声もあります。だとしたら、それを引き受けて立ち上がる政治家が必要になる。でもまずは、それを支える市民運動がないと政治家も判断できません。 だから僕は、政治家が変わらなきゃいけないという方向ではなく、スペインの市民運動から生まれた「バルセロナ・イン・コモン」という地域政党などの例を紹介しながら、一人ひとりの声から生まれる社会運動をつくっていこうと話しているんです。例えば、バルセロナでは、市民が自分たちで立候補者を選んでいます』、「「バルセロナ・イン・コモン」という地域政党などの例を紹介しながら、一人ひとりの声から生まれる社会運動をつくっていこうと話しているんです」、日本で果たして定着するのだろうか。
・『ヨーロッパの自治体が目指す「恐れぬ自治体」  【斎藤】今、ヨーロッパの自治体は、単にグローバルな大企業とか、欧州連合の言いなりになることをやめて、「フィアレス・シティ(fearless city)」、つまり「恐れぬ自治体」として市民のためのまちづくりをする方向に舵を切っています。こういう動きを日本の自治体にも波及させていきたいわけです。 実際、コロナ対応においては、自治体に権限があることがはっきりして、自治体の首長のリーダーシップの重要性が可視化されました。だから、いいリーダーを立てて、そこから変えていく。そして、そのうねりを国会までもたらそうと。コロナの1年はその可能性を感じさせる1年だったとも思っているんです。 【古川】ヒーロー的な政治家を待望するのではなく、市民運動によって新しい政治のうねりをつくりだしていこうというのが斎藤さんの主張ですね。私も民主主義社会では、政治家が一方的にリードするのではなく、お互いに意見を交わし、いい影響を与え合いながら、自分たちにとって望ましい社会をつくっていくのが、本来のあり方だと思います。 今日この場で数字信仰の話が出ましたが、世の中には数字だけでは決められないことがたくさんあります。政治の世界でも、多数決で決めないほうがいいことがそれこそ数多くあります。 社会の構成員の過半数が反対しても、すべき議論やなすべき政策はありますし、そうした少数であっても真にやるべき政策を訴える声をどう掬い上げていくかが、コロナ後の社会ではさらに必要になっていくでしょう。政治家としてあらためてその重要性を実感した座談でした。こうして常に話し合っていきましょう』、「ヨーロッパの自治体は、単にグローバルな大企業とか、欧州連合の言いなりになることをやめて、「フィアレス・シティ(fearless city)」、つまり「恐れぬ自治体」として市民のためのまちづくりをする方向に舵を切っています」、面白い動きだ。どんな分野で「グローバルな大企業」に対抗しているのだろうか。もう少し情報がほしいところだ。
タグ:格差問題 (その8)(サンデル教授が語る「大卒による無意識の差別」 「努力すれば成功できる」という発想の問題点、「コロナ禍でも五輪すらやめられない」資本主義の暴走を止めなければ人類は滅びる 「中間層を増やせばいい」は間違い、「世界全体が富裕層に甘すぎる」自家用ジェットやスポーツカーは全面禁止にすべきだ 欲望を煽る経済システムはもう限界) 東洋経済オンライン 「サンデル教授が語る「大卒による無意識の差別」 「努力すれば成功できる」という発想の問題点」 『実力も運のうち 能力主義は正義か?』 サンデル教授 「リベラルの多くが意図せず、大学卒業資格を持っていない労働者を辱め、モチベーションを奪うことによって、彼らの恨みを買うことに加担しているということについて詳しく書いています」、「能力主義は非常に魅力的な原理です。競争環境が平等でありさえすれば、頑張って勉強して能力を発揮し、いい大学に行って成功するということは、「自分のおかげ」であり、自分はその成功に付随する報酬に「値する」という概念は成功者には心地いい」、さすが「サンデル教授」だけあって、目のつけどころが鋭い 能力主義の問題は、社会の中に「勝者」と「敗者」を作ってしまうことです。そして、この数十年の間に、勝者と敗者の分断はどんどん広がっており、これがアメリカやヨーロッパにおける政治の二極化を招いたと考えています。 勝者と敗者に分かれた世界では競争が激化し、成功することへの圧力は非常に大きいものとなる」、その通りだ。 「既存メディアは、自分たちがもともと持っている意見だけを出すのではなく、例えばテレビであればバックグラウンドが異なる人を集めて、互いが何について同意できないのか議論する場を作るべきです」、その通りだが、現実には難しそうだ。 「なぜ私たちを引き合わせてくれたのがアメリカではなく、日本のテレビだったのでしょうかね」。 このことは、アメリカの主要メディアでさえ、意見の違う人たちを集めて、可能であればお互いの理解を促すという活動ができていない、ということに気づかせてくれました」、「アメリカの主要メディア」は旗色が明らかなので、中立的な番組は、「日本のテレビ」しか出来ないからだろう。 「工場労働者やスーパーの店員、配達員、保育士、トラック運転手などコロナでも外で働く人たち・・・エッセンシャルワーカーと呼ぶようなったのです。 コロナが、こういう仕事にもっと尊敬の念を払う必要がある、という議論のドアを開くことになると期待」、「エッセンシャルワーカー」に脚光が当たったのはいいことだ 「お金やGDPは誤解を与える指標で、社会などにおいて何が重要かという議論を遮ってしまう」、その通りだ。 「私たちが考えるいい社会を実現するためには、共通善に対する貢献を何で評価するべきかという議論をしなければならない。 どんな価値観や美徳を大切にする社会を作っていくかという議論をするうえで、倫理的価値観の話は避けられません。正義とは何か。共通善を目指す意味は何か。私たち市民はお互いにどんな責任を負っているのか。社会への貢献は何で評価できるのか。それぞれが尊厳を維持し、互いを尊重するにはどうしたらいいか」、同感である。 PRESIDENT ONLINE 斎藤 幸平 古川 元久 水野 和夫 「「コロナ禍でも五輪すらやめられない」資本主義の暴走を止めなければ人類は滅びる 「中間層を増やせばいい」は間違い」 「幸せを重視する経済に移行していく必要があることはまったく同感です。ただその場合に、手段も同時に考えなければなりません」、その通りなのかも知れない。 「下からのコミュニズム」とは言い得て妙だ。 「資本主義は21世紀において、絶望的な二極化世界を生み出してしまいました・・・パンデミックという緊急事態においても、資本主義経済はなんら善行をなしえず、経済格差が命の格差になってしまっている。これは、資本を蓄積する正当性がなくなったということですから、過剰な資本に対しては、金融資産税や内部留保税、相続税などの税制を強化して分配するしかないんじゃないでしょうか。資本主義は成功したがゆえに、もうその役割を「終えた」と見るべきです」、厳しい診断だ。 「2020年末には国会でも労働者協同組合法が成立し、「協同組合を見直していこう」という機運が高まりつつあります」、初めて知った。 「資本主義を駆動させる資源は、海賊的なものだったわけです。いわば、先進国の労働者たちは、南から収奪した富を資本家たちと山分けして中産階級になったのです」、はともかく、「抜本的にそれらを見直すとすれば、定常経済に移行するだけでなく、保障や支援も含めてグローバルサウスに富を戻していくことも検討していかなければいけないと思います」、については、そこまで歴史の歯車を逆回転させる必要はないと思う。 みんながSDGsを心がけるぐらいで、よき資本主義に変えられるほど資本主義は甘っちょろいものではないと思います』、同感だ 「経営者や資本家に正義を求めるのは無理」、同感である。 「労働者が「コモン」を自主管理するためには、階級闘争的な運動がどうしても必要になってくると思う」、何故なのだろう。重要なことを理由抜きで述べるのは問題だ。 「現在の労働者たちが今の経営者や資本家を追い出して、代わりに自分たちがその立場に立ったら、本当に公平な社会が実現するかというと、私は少し疑問です」、同感である。 「「世界全体が富裕層に甘すぎる」自家用ジェットやスポーツカーは全面禁止にすべきだ 欲望を煽る経済システムはもう限界」 「経済成長が生み出してきた負の要素が、いまや気候危機やコロナなどはっきりと目に見える形であらわれてきた以上、GDPで国の豊かさを測る意味は見出せません」、その通りだ 「フィンランドが目指している週24時間程度で、先進国の最低限のニーズは回せると思います」、同国では現在の他の時間は何に向けられているのだろう。 「私は「足るを知る」とはそうではなく、他者の存在なしでは生きていけないこの社会で、他者のことを思いやり、生きていく上で必要なものを独り占めするのではなく「分かち合う」ことだと考えています」、なるほど。 「広告やプロモーション、計画的陳腐化など、いろんな手段で私たちの欲望を絶えずあおるようなシステムが、マーケティングを通じてできあがってしまっている」、「この中でいくら足るを知ろうとしても、本当にそれこそ聖人みたいな人でなければ、やはりまた何か買おうかなと思ってしまう」、その通りだ。 「私たちも、近距離の飛行機移動を禁止したり、ファストフードやファストファッションを禁止することも含めて、もっと抜本的に今の生活を見直す必要があるでしょう」、その通りだ。 「「バルセロナ・イン・コモン」という地域政党などの例を紹介しながら、一人ひとりの声から生まれる社会運動をつくっていこうと話しているんです」、日本で果たして定着するのだろうか。 「ヨーロッパの自治体は、単にグローバルな大企業とか、欧州連合の言いなりになることをやめて、「フィアレス・シティ(fearless city)」、つまり「恐れぬ自治体」として市民のためのまちづくりをする方向に舵を切っています」、面白い動きだ。どんな分野で「グローバルな大企業」に対抗しているのだろうか。もう少し情報がほしいところだ。
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資本主義(その4)(貨幣という「資本主義最大のミステリー」に挑む 「欲望」の時代の「哲学と資本主義」の謎を探る、私たちが貨幣に翻弄され「罠に落ちる」根本理由 経済と人間の本質を描ききる「欲望の貨幣論」、34歳天才経済学者が私有財産を否定する理由 データ搾取から移民までラディカルに考える、ポンコツの資本主義は完全に「オワコン」なのか うそのような10月のあとに待ち受けているもの) [経済]

資本主義については、1月22日に取上げた。今日は、(その4)(貨幣という「資本主義最大のミステリー」に挑む 「欲望」の時代の「哲学と資本主義」の謎を探る、私たちが貨幣に翻弄され「罠に落ちる」根本理由 経済と人間の本質を描ききる「欲望の貨幣論」、34歳天才経済学者が私有財産を否定する理由 データ搾取から移民までラディカルに考える、ポンコツの資本主義は完全に「オワコン」なのか うそのような10月のあとに待ち受けているもの)である。

先ずは、2月25日付け東洋経済オンラインが掲載したNHKエンタープライズ制作本部番組開発エグゼクティブ・プロデューサーの丸山 俊一氏による「貨幣という「資本主義最大のミステリー」に挑む 「欲望」の時代の「哲学と資本主義」の謎を探る」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/331030
・『「欲望が欲望を生みだす資本主義の先に何があるのか」 暗号資産(仮想通貨)が生まれ、キャッシュレス化が進む現象を捉え、資本主義の基本を成す貨幣に着目した異色のNHK経済教養ドキュメント「欲望の資本主義特別編欲望の貨幣論2019」が、『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る「欲望の資本主義」特別編』として書籍化された。 『欲望の資本主義3:偽りの個人主義を越えて』では、ハイエクに焦点を当てたが、今回の『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る』では、『貨幣論』や『会社はこれからどうなるのか』など、正統的な近代経済学の枠組みにとどまらず、さまざまな問いかけ、考察をしてきた日本を代表する経済学者である岩井克人氏が登場し、貨幣の本質に迫っている。 「欲望」をキーワードとして、資本主義のみならず、「民主主義」「哲学」などさまざまなアプローチで番組を企画してきたNHKエンタープライズ番組開発エグゼクティブ・プロデューサーの丸山俊一氏にその意図を聞いた(Qは聞き手の質問)』、「NHK経済教養ドキュメント「欲望の資本主義」」はなかなか考えさせられる番組だった。企画した「エグゼクティブ・プロデューサー」へのインタビューとは興味深そうだ。
・『「欲望の時代の哲学2020」で問われるもの  Q:哲学者マルクス・ガブリエルさんの新シリーズが始まりますね。 丸山:そうですね、前回は「欲望の資本主義2019」での鋭いGAFA批判などが印象に残っていますが、この制作チームでの映像取材はおよそ1年ぶりです。 Q:今回も、哲学の枠組みからはみ出したお話がたくさん出てくるのでしょうか? 丸山:彼とこの制作チームとの縁は、純粋に「哲学」をテーマとする番組企画ではなく、現実の「民主主義」「資本主義」のあり方について見解を求めることから始まりました。 2017年4月のNHKBS1スペシャル「欲望の民主主義~世界の景色が変わる時~」、そして「欲望の資本主義2018~闇の力が目覚める時~」は、それぞれ実際に社会で進行する分断、拡大する格差についてインタビューし、意見を求めたのが始まりです。その明快にしてフラットな言葉が、多くの視聴者、読者の方々に届き、大きな反響をいただき、こうしたシリーズとして今につながっています。 2018年初夏には、編集者の小林えみさんのご尽力で来日したタイミングで、「欲望の時代の哲学」「欲望の哲学史」と2つの企画をお送りしました。ともすればイデオロギー闘争ともなりかねないようなテーマでも、そうした情念から距離を取った論理的な言葉で、社会制度の中で過ごすうちにこびりつく疲労、葛藤、ルサンチマンなど、まとわりついたさまざまな感情から自由になるための思考のヒントを与えてくれました。 いま世の中には、さまざまな「世界」があふれています。それぞれのルールで自己完結した論理が交錯し、ネット上でも繰り広げられるバトル、誹謗中傷。みなそれぞれが信じる正義、正解を握りしめ、先鋭化していく言葉の数々……。そこには残念ながら開かれた対話はなく、勝手に信じる「世界」が乱立し、分断は広がっているように見えます。 「世界は存在しない」。 そんな社会状況の中にあっては、こんな逆説的な言葉が注目を集めないわけがありません。「島宇宙」ならぬ「島世界」に閉じこもろうとする人々に待ったをかける「世界は存在しない」というテーゼ。その発言の主、ガブリエルにも関心が集まっています。「欲望の資本主義」シリーズからのスピンオフ企画、今度の舞台はニューヨークです。 Q:今回の番組の見どころは? A:「人はみな、本来、自由の感覚、意志を持っています。ところが、現代の哲学、科学、テクノロジー、そして経済が人々の自由に影響を与え、自ら欲望の奴隷と化したという議論があります。私たち人間は自由です。自らがもたらした不自由の呪縛から、脱出せねばならない」 マンハッタンのビル街を遠く望み、心地よい風の吹くニューヨークの桟橋に1人たたずむガブリエルのこんな「闘争宣言」から番組は幕が開けます。「資本主義と民主主義の実験場」での思索の過程、そこから生まれる言葉は、戦後アメリカとの深い関係性とともに今ある日本のこれからを考えるときにも大いに響くことでしょう。 ガブリエルは、神でもヒーローでもありません。そもそもの言葉の定義に立ち返り、私たちの社会を、人間を、現実を見る眼、その認識の仕方の可能性を提示してくれる哲学者です。 パンクでポップな、スケボーで登場する、茶目っ気たっぷりな……考える人です。彼の言葉をきっかけにご一緒に考えてくださればうれしく思います』、「いま世の中には、さまざまな「世界」があふれています・・・そこには残念ながら開かれた対話はなく、勝手に信じる「世界」が乱立し、分断は広がっているように見えます。「世界は存在しない」」、どういうことだろう。
・『社会と個人、意識と無意識、時代の生む物語  Q:それにしても「欲望」というキーワードで、「資本主義」から「民主主義」「経済史」そして「哲学」と、さまざまな方向に企画が広がりましたね。 丸山:視聴者のみなさんの反響から素直に発想、発展していった結果ですが、もともと「資本主義」を考えようというときも、単に「強欲」批判という意味で「欲望」という言葉を持ってきたわけではありません。 もちろん、アメリカを象徴として世界に広がる極端な格差拡大、中間層の崩壊、そしてほんの一握りの大富豪を生む現在の資本主義のありようへの問題意識がベースにあることは間違いありませんが、「欲望」自体には両義性があると思います。だからこそ、真正面から取り組むにふさわしい、ややこしくて、面白い対象だとも思うのです。 欲望があるからこそ、ダイナミックな変化が生まれ、社会は活性化しますし、そもそも、それがなければ私たちも生きていけないでしょう。 しかし、同時にその方向性が何かの間違いでひとつねじ曲がれば、自らを苦しめるものにもなるわけです。変化を生む、イノベーションを生む、ということが強迫観念となって、自らを苦しめる皮肉な状況も起こります。自分で自分がわからなくなり、やめられない、止まらない……という、欲望の負の側面が浮上します』、「欲望」自体には両義性がある・・・欲望があるからこそ、ダイナミックな変化が生まれ、社会は活性化しますし、そもそも、それがなければ私たちも生きていけない・・・強迫観念となって、自らを苦しめる皮肉な状況も起こります」、的確な捉え方だ。
・『「欲望」は時代によって形を変えてきた  このお話は以前もしましたが、もともと10年前の映画、クリストファー・ノーラン監督の『インセプション』を観たときにインスピレーションを得て生まれた企画です。無意識の中に植え付けられた思考、情動、それが欲望の形を規定しているとしたら。 社会の基底に、時代時代の駆動力となる「欲望」の形があり、例えば数百年単位で歴史の流れを振り返ってみたときにも、利子という「時が富を生む」という着想が社会に広まり覆うことで世の中が動き始める時代があり、そのうちに重商主義という空間の差異で富を生む時代があって……と、巨視的に時の流れを俯瞰して見れば、今という時代をどう捉えればよいのか? 「ポスト産業資本主義」と呼ばれる現代は、「モノからコト(事)、トキ(時)、イミ(意味)」などと消費の形が変化したとも言われるように、その重心が無形の体験などへと移り、さらに感情、ある意味精神の商品化という状況を生んでいます。工業主体の時代の物の機能などに付加価値がつくわかりやすい経済の構造ではなく、アイデア、想像力/創造力に経済の推進力がかかっているのです。 と同時にそれは、無形の、際限のない差異化の競争も意味するわけで、その構造をメタレベルで認識していないと、ゴールの見えないレースに疲れ、燃え尽きてしまう人も生んでしまいやすい側面を持っているのだと思います。 「欲望の資本主義」の中でも、かつてフランスの知性ダニエル・コーエンによる「現代の社会は、すべての人に創造的であれ!さもなくば死だ!と迫るようなもの、すべての人が芸術家となることを強制する社会は幸せとは言えない」という名文句がありました。 Q:そうした時代に求められる「企画」ということですね。 丸山:欲望のお話をしていると、いつも思い出すのは、モーリス・メーテルリンクの幸せの「青い鳥」です。ある意味、「ないものでねだり」、実は、探さなければいつも近くにいるのかもしれません。 限りない創造のエネルギーを与えてくれるのも、「やめられない、止まらない」と自縄自縛にさせるのも、どちらも欲望の仕業と考えると、実に裏腹な人間の性、業というモノと付き合っていくことの面白さと難しさを感じるわけですが、天使と悪魔に引き裂かれるなか、その綱渡りをどうすべきか、どう考えることで成立させるのか……、「欲望」シリーズの探究が終わらないゆえんです』、「幸せの「青い鳥」です。ある意味、「ないものでねだり」、実は、探さなければいつも近くにいるのかもしれません」、「限りない創造のエネルギーを与えてくれるのも、「やめられない、止まらない」と自縄自縛にさせるのも、どちらも欲望の仕業と考えると、実に裏腹な人間の性、業というモノと付き合っていくことの面白さと難しさを感じるわけですが・・・「欲望」シリーズの探究が終わらないゆえんです」、上手い言い方だ。
・『岩井克人氏による「欲望の貨幣論」  Q:そうした問題意識を反映して、このたび「欲望の貨幣論」も書籍化となりますね。 丸山:「欲望の資本主義」の特別編として2019年7月にお送りした「欲望の貨幣論」の中で、岩井克人さんへの取材、さらに書籍化のために改めてお願いしたインタビューをあわせ1冊の書籍にまとめました。 岩井さんのお言葉に加え、番組内で触れたトピックスについても解説をつけさせていただています。1993年の「貨幣論」以来、岩井さんが取り組んでこられた、欲望の表象たる貨幣への洞察が、仮想通貨=暗号資産、さらにキャッシュレス化などお金をめぐる状況が、デジタルテクノロジーで大きく変化する時代にマッチして語られています。 われわれの「欲望」シリーズの視点ともうまくリンクして、この時代に多くのみなさんに届けるべき内容になったと思います。 Q:あまりテレビではお見受けしない岩井先生が、よくご出演をお引き受けになられましたね。 丸山:それだけ、現在の状況に強い危機意識を持ってらっしゃったのだと思います。経済現象の本質を理論的に追究されるお仕事において研究者として輝かしい成果を上げられたわけですが、そのメッセージを多くの方々に今こそ届けなくてはならないという使命感もおありだったように感じました。 実際、貨幣への過剰な執着と同時に、一方では「お金がなくなる……」といった声もある今の世の中です。いよいよねじれ、錯綜する資本主義を考えるとき、歴史上の巨人たちの葛藤から学べること、まさに岩井さんのように徹底的に本質を考え、あえて抽象度の高い理論を突き詰めていくことで浮かび上がる逆説から学べることも多いと思います。 テクノロジーがすべてを牽引していくこの時代、いっそ「ビッグデータの言うままになるほうが幸せだ」という声もあります。経済の論理が、社会を、世の中の構造を大きく変えていくことを視野に入れていかねばなりません。 そうした時だからこそ、その中心にあって、実はその価値の根拠を誰も明確に捉えきれていないかもしれない貨幣という不思議な存在について、岩井さんの語りととも考える「資本主義最大のミステリー」にご一緒できれば、と思います。 そして、1つのクライマックスは、貨幣はこの人間社会にあって、なんのためにあるのか?その問いへの答えです。そして、それは単に倫理的な答えにとどまるものではなく、実際問題としての信用経済がなぜ危ういのか?という問いへの答えともなっています。ぜひそのあたりを、味わっていただきたいと思います。 そのほかにも、自由を守るためには自由放任とは決別しなくてはならないなどの強いメッセージもいただきましたが、そうした論理がなぜ導き出されるのか?ぜひこうした問いについて、改めて考えるきっかけとなれば、うれしく思います。 Q:実は岩井さんとのご縁は学生時代からだそうですね。 丸山:1985年に世に出た『ヴェニスの商人の資本論』、それ以前からの『現代思想』誌上でのご発言などにずっと触れていた身からすれば、少なからず岩井さんの思考の影響を受けてきたように思います。 他大学の学生でありながら、岩井さんの講義に潜り質問までしたエピソードについても少しだけ本書で触れましたが、こうして35年ぶりに「質問」の答えをいただき、映像で、活字でまとめさせていただくことになるとは、実に数奇な思いがします』、「丸山氏」は、「他大学の学生でありながら、岩井さんの講義に潜り質問までした」、熱心な学生だったようだ。
・『貨幣を通して人間存在の原点を考えるきっかけに  岩井さんの思考はいつも本質的なパラドックスへと導かれるのですが、そのパラドックスは、経済現象にとどまらず、貨幣、言語、法、社会……、そして人間存在の原点についても想いをはせることにつながるように感じます。 このパラドックスとどう付き合っていくべきか?これは、ある意味知的な喜びに満ちたミステリーであり、そこから逆に照射されるのは、実は私たちの意識の持ち方でもあるといつも感じます。そのとき、つねに何らかの「合理的」根拠を求めてしまうことがむしろ足かせとなることもあるのかもしれません。 わからないことをわからないままに付き合っていけるのも実は大事なセンス……、どうぞ、貨幣をきっかけに、市場、資本主義の逆説の謎を真摯に楽しむ旅にご一緒しましょう』、「岩井氏」については、次の記事で詳しくみてみよう。

次に、2月21日付け東洋経済オンラインが掲載した作家・研究者の佐々木 一寿氏による「私たちが貨幣に翻弄され「罠に落ちる」根本理由 経済と人間の本質を描ききる「欲望の貨幣論」」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/329400
・『昨今、にわかに盛り上がっているのが「貨幣論」だ。ビットコインやリブラに代表される暗号資産(仮想通貨)、MMT(現代貨幣理論)、キャッシュレス化の流れなどが相まって、貨幣という「ありふれてはいるが不思議なもの」への関心はかつてないほど広まり、また注目度も高まってきている。 こうした状況の中で『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る「欲望の資本主義」特別編』が上梓された。貨幣の性質の核心を突く研究で知られる岩井氏は、今、“貨幣の本性”をどのように考察しているのか。最新、最前線の「貨幣論」を詳らかにみていく』、興味深そうだ。
・『貨幣とは何か、その不思議な性質  「あなたにとって貨幣(マネー)とは何か?」 この問いは、どんな人にとっても答えにくいものではないか。その答えによって自身の人間性が暴かれるような怖さがあり、それにおいそれと即答することはなかなかできない。 ただ、経済学者であれば「経済学者にとって貨幣とは何か」と読み替えて、よどみなく答えられるかもしれない。 貨幣とは、(1)価値交換、(2)価値測定、(3)価値保存、を行うものである、と。厳密に定義を説明しなくても、おそらく想像はつくだろうが、貨幣の存在によって、経済活動は便利かつ円滑に行うことができる。 貨幣がない物々交換の世界では、欲しいものを持っている人とモノを交換するために人探しから始めなければいけないし、さらには相手が私の持っているモノを欲している必要がある(“欲望の二重の一致”という)(1)。 釣った魚の価値を決めるのに、ほかの小魚の何匹分という測り方よりは、「価格」をつけたほうが便利だろう(2)。 また、将来欲しいものを買うために、物々交換用のモノを蓄えておくのは不便であるから、価値が変わらず腐りもしないコンパクトな金属片や証書のほうが使い勝手がいいに違いない(3)。 それなしの経済を考えることすら難しい、経済活動の根幹を支える貨幣は、しかし不思議な存在でもある。貨幣はなぜ、貨幣として使われうるのか。 『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る』で、岩井氏は「貨幣とは何か」に関しては、一般的に想像される以上に難問なのだと指摘する。とくに、貨幣を“貨幣“たらしめる理由(機能するメカニズム)に関して、経済学者の間ですら今でも意見が分かれるという。 岩井氏の結論としては、人々が貨幣を受け入れるのは、貨幣自体の価値的な根拠ではまったくなく、受け入れられてきた事実性(慣習)と、将来も皆が受け入れるであろうという(漠然とした根拠のない)予期によるものだという。 そして、貨幣に値打ちがあるからという「商品貨幣論」も、法律で定められているからという「貨幣法定論」も、歴史的事実に照らし合わせれば矛盾があると論じる。 つまり、価値にも法的強制力にも依拠しない、「貨幣を誰もが貨幣として受け入れてくれる」という一種の”社会的な思い込み”のみで機能しているというのが「貨幣の本質」だというのだ。 だれに聞いても、「ほかの人が500円の価値がある貨幣として受け取ってくれるから、私も500円の価値がある貨幣として受け取るのです」と答えるだけなのです。だれもが、「ほかの人が貨幣として受け取ってくれるから、私も貨幣として受け取るのです」と答えるのです。<中略>思い切って縮めてしまうと、以下になります。 「貨幣とは貨幣であるから貨幣である。」 これは、「自己循環論法」です。木で鼻をくくったような言い回しで申し訳ないのですが、別に奇をてらっているわけではありません。真理を述べているのです。貨幣の価値には、人間の欲望のような実体的な根拠は存在しません。それはまさにこの 「自己循環論法」によってその価値が支えられているのです。そして、この「自己循環論法」こそ、貨幣に関するもっとも基本的な真理です。(同書P47) 貨幣は、それを受け入れてくれるだろうという事実性や期待だけで機能している。それゆえに不安定さを本来的に抱えるものであり、みなが受け入れなくなればそれは価値を失ってしまう。 ただ、私たちはそのような貨幣に大きく依存しながら過ごしているし、貨幣がなければ経済は回らない。このことは、潜在的に大きな問題を抱えることになる』、「ほかの人が貨幣として受け取ってくれるから、私も貨幣として受け取るのです」、「この「自己循環論法」こそ、貨幣に関するもっとも基本的な真理です」、「貨幣は、それを受け入れてくれるだろうという事実性や期待だけで機能している。それゆえに不安定さを本来的に抱えるものであり、みなが受け入れなくなればそれは価値を失ってしまう」、なるほど。
・『貨幣の所有は「最も純粋な投機」  人はなぜお金を欲しがるのか。モノとして役に立たない貨幣は、皆が貨幣として受け入れなくなれば、それ自体はなんの魅力もなくなってしまう。 しかし、私もそうだが、たいていの人はお金がたくさん欲しい。 お金自体を自分で作るわけにはいかないため、いろいろなものの交換で貨幣を得ることになる。土地やモノなどいろいろなものの中に「労働」があり、私たちの労働を貨幣に換える行動がいわゆる「働いて稼ぐ」ことであるが、実は貨幣を所有することは最も純粋な投機なのだと岩井氏は言う(「投機」とは、自分が使うためでなくほかの人に売るために買うこと)。) たとえば、私は大学から給料というかたちでおカネをもらっています。その金額は ここでは述べませんが、それは私が行った教育や研究という仕事の対価です。通常は 商品に関して使う「売り買い」という言葉を、貨幣に関しても使ってみると、私は大学から私の仕事と交換に「おカネを買っている」のです。 <中略>おカネそのものには何の使い道もありません。その使い道のないおカネと交換に、缶コーヒーやTシャツやアパートを手に入れるためです。 <中略>私が今おカネを買うのは、自分でモノとして使うためではなく、将来、ほかの人に売るだけのためなのです。つまり、私はおカネが将来もおカネとしての価値を持ち続けることに賭けて、「投機」しているのです。おカネを使うこと――すなわち、それ自体何の使い道もないおカネをおカネとして流通させるという行為こそ、この世の中に存在する「もっとも純粋な投機」であると言えるのです。(同書P107~108) そして、この「純粋な投機」は、際限のないエスカレーションを起こす。 投機の対象は、自身が消費をするためにあるのではない。つまりそれ自体が欲しいのではなく、将来うまく売れる、つまり交換できそうなものであればなんでもよい。その意味で、最も純粋で象徴的な存在が貨幣である。 貨幣を所有することで、いろいろな可能性を選択できるようになる。無数にある、あらゆる可能性の要不要をすべて検討できないため、貨幣の所有欲は飽和することなく延々と続く。 さらには、今はまだ見えない、遠い将来に出現する便利なものを買うことにも使える。つまり、想像ができないものすら欲望できるのだ。 貨幣は交換のための単なる媒介手段でありながら、それゆえに、皆から果てしなく欲望されるモノとなる(“手段”から、欲望される“目的”へ)。 皆がみな、お金を欲するようになるのはこのような必然がある』、「おカネが将来もおカネとしての価値を持ち続けることに賭けて、「投機」している」、「交換のための単なる媒介手段でありながら、それゆえに、皆から果てしなく欲望されるモノとなる」、確かにその通りだ。
・『貨幣は人々の欲望を本来的に加速させ、不安定にする  皆がお金を欲するようになることで、実は面倒なことが起こってくる。もし貨幣量に限度があったらどうなるか。貨幣の奪い合いや囲い込みが起こり、流通する貨幣量が減少してしまうかもしれない。 これはケインズの主張する「流動性選好」の極端な例としても紹介されているが、詳しくは経済学の金融論に譲るとして、経済活動がとても不安定になりパフォーマンスの低下を招くことが知られている。 そして、一般的なケインズの理解による流動性選好よりもそれははるかに強力なのだ、と岩井氏は示唆をしたいようである。この考察こそが、岩井氏の長年構築してきた経済学が標準的な経済学と一線を画する重要なポイントとなる。 標準的な経済学は、極端な流動性選好はあったとしても一時的なものだと(そのモデルで)主張する。しかし、岩井氏のモデルでは、それがエスカレートしたまま破綻まで進む可能性を示すが(一般均衡理論 vs. 不均衡動学)、ここでは論が専門的になりすぎるため、話を貨幣に戻すことにしよう。 流動性選好(人々はお金を欲望する)によって流通する貨幣量が減ると、経済に大ダメージを与える。これへの処方箋として出てきたのが、“金本位制からの脱却”としての「管理通貨制度」である。 この処方箋はニクソンショックという事実に照らし合わせれば、50年前に出てきた比較的新しいスキームだが、岩井氏はその原型をケインズ(金本位制脱却の代表的な提唱者)と彼よりも前の時代のジョン・ローに見いだしている。 ジョン・ローへの評価が貨幣論、金融論のセンスを分けるといわんばかりの本書の記述は、もちろん一般の読者にもわかりやすく書かれているが、とくに専門家にとって非常に刺激的なものだろう。間違いなく本書の大きな見どころの1つである。 貨幣量の管理は、人々の欲望(自由放任)に任せては不安定になり、ひいては経済が成り立たなくなる。ここでは「神の見えざる手」は存在せず、貨幣量は流動性選好、もっと言えば“人々の欲望”のために、適切に絶妙に供給されなければ経済が回らない。 このような理由で、金本位制からの脱却を評価し、中央銀行の金融政策の必要性を肯定している』、「極端な流動性選好」があっても、「管理通貨制度」により「経済活動」の「不安定」化を防ぐことが可能だが、「貨幣量の管理」には、「「神の見えざる手」は存在せず・・・適切に絶妙に供給されなければ経済が回らない・・・中央銀行の金融政策の必要性を肯定」、「金融政策」の重要性を再認識した。
・『モノの値段が安定する条件  それでもモノの値段は本来的に不安定さを抱えている。その安定性を担保するものは何なのか。 それはある種の“ノイズ”であり、純粋性とは正反対となる“不完全さ”や、ある種の”粘性“といったものだという。ケインズとヴィクセルの名前が出ていることから、おそらく「賃金の下方硬直性」はその1つの例として念頭にあるものと想像する。おそらく経済の専門家であれば、このパートには驚く人もいるかもしれない。このあたりは岩井氏の真骨頂である。 岩井氏によるビットコインへの言及は幅広いが、ここで取り上げるべきは、「数量上限が一定である(増やせない)」という点だろう。これだけではないが、この点を重大だと見てビットコインの通貨としての不可能性を論じている。 仮想通貨に関しては、理論面で長年の考察を行っている岩井氏が奥深い記述をしているので、仮想通貨の運命に興味がある方であれば、ぜひじっくりと読んでみてほしい。 少し専門的になるが、現在の標準的な主流派経済学は「見えざる手」「レッセフェール(自由放任)」を数理的にモデル化して構築されている(新古典派による一般均衡理論)。 そして、新古典派は、均衡モデルが非常に得意であるが(例えば需要と供給のバランスによる価格決定モデル)、実はいわゆる“バブル”の分析を苦手としている。 岩井氏の依拠する数理モデル(不均衡動学)は、金融バブルやそのほかのスパイラル過程をうまく説明する。本書を読んで、株式市場を見るならば、そこでなにが起こっているのかがイメージしやすくなるだろう。金融市場の関係者に本書の読了を私が強くお勧めしたい理由でもある。 そして個人的に感じるのは、岩井氏の、パラドックス的な現象に弱くなってしまった経済学を立て直す作業への意志だ。それが本文の間から漏れ伝わってきて、非常に深い感慨を覚える』、「新古典派は・・・“バブル”の分析を苦手としている」、このため「理論で説明できないのがバブル」などと無責任に定義するしかないようだ。「岩井氏の依拠する数理モデル(不均衡動学)は、金融バブルやそのほかのスパイラル過程をうまく説明する」、大したものだ
・『貨幣論から経済学全体、そして人と社会のありようへ  本書は、貨幣論ではあるが、貨幣の性質から始まり、経済学全体、そして社会と人の歴史・生き方にまで考察が及ぶ。その視座の高さ、スコープの広さには驚かされる。人は自由たらんと欲望を大きくすることで、逆に不自由になってしまうという悲劇なども語られている。 欲する/欲されるの違いはあるにしても、貨幣が貨幣であることと、人が人であることは、そのパラドックスゆえに案外、似ているところがあるのかもしれない。そんなことを思わされてしまう、不思議な人間臭さのある貨幣論なのである』、「人間臭さのある貨幣論」とは言い得て妙だ。

第三に、2月10日付け東洋経済オンラインが掲載した経営共創基盤共同経営者/内閣府デジタル市場競争会議WG委員 の塩野 誠氏による「34歳天才経済学者が私有財産を否定する理由 データ搾取から移民までラディカルに考える」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/328937
・『昨年12月に発売された、『ラディカル・マーケット脱・私有財産の世紀』。本書はシカゴ大学ロースクールの教授エリック・ポズナー氏と、マイクロソフト首席研究員でもあり法学・経済学の研究者であるグレン・ワイル氏の二人が世に問うた、クリエイティブな思考実験の塊のような本だ。とくにワイル氏は、プリンストン大学を首席で卒業したのち、平均で5、6年はかかる経済学の博士号をたった1年で取得して経済学界に衝撃を与えた、34歳の若き俊英としてその名を知られた人物である。今回、経営共創基盤の塩野誠氏に、本書について解説してもらった』、「博士号をたった1年で取得」、凄い「天才」もいるものだ。
・『デジタル市場の未来を考える必読書  世の大学に「経済学部」は多く、そこで学んだ方も多いことだろう。しかし、日々の社会生活の中で、自分は大学で学んだ経済学を使いながらビジネスをしている、と断言できる方はそう多くはないのではないだろうか。 この本は、GAFAのデータ独占の問題や、移民問題、機関投資家による市場支配など、昨今話題の幅広い問題を取り上げている。一見、既存の経済学の分析範囲を超えているようにも思えるが、実はこれらの問題は経済学で考えていくことができるし、よりよい答えを導き出せると主張している。経済学を現実の問題に適用してみたいと考える人にはうってつけの本だ。 私はいま、デジタルプラットフォームの透明性と公正性に関して検討する政府関連の会議に出ている。GAFAに代表されるデジタルプラットフォームのデータ独占や公平性・透明性がテーマだが、こうした新しい事象をそもそもどう捉えて、どんなフレームワークで考えるべきなのか、そこから考える必要もあり、考え方の指針となるようなものに関心がある そうした立場から、この本を大変興味深く読むことができた。経済学の考え方を使って社会制度を設計しようと考えている官僚の方々はもちろん、進歩しつづけるITやフィンテックを使って社会課題の解決に取り組もうとしている方々に本書を推薦したいと思う。 では、本書は実際にどのような提案をしているのだろうか。本書が提案する「ラディカル(過激)な改革」の例として私が面白いと思った例は次のものだ。 +都市全体を売りに出す(土地が有効に活用されるようにする) +世の中の全ての財産を共有化して、使用権をオークションにかける(私有財産制をやめてみる) +自分の財産評価を自己申告制にして税金を支払う。より高い財産評価をする人が現れたら所有権が移転する(独占の弊害を取り除く) +投票権を貯められるようにする。そして、自分にとって重要な課題のときに、貯めた投票権を集中的に投票する(一人一票よりも投票者の選好の強さを反映できるようにする) どれも、「それは思いつかなかった!」という声が聞こえてきそうなクリエイティブな政策の数々である。 都市全体を見渡せば、もっとも景観のよい丘の上にスラム街ができていることがある。これでは観光客も呼びにくい。ある人がいったん土地を私有してしまうと、別の人がその土地のより有効な活用を思いついても、それを実現できなくなる。環境問題にとても関心があって、その課題に強くコミットしたい人も、選挙ではそうでない人と同じ一票しか投票できない。 このような事態は非効率ではないだろうか。これは、市場の失敗なのだろうか。より強い公的な介入がなければ、解決できないのだろうか。そうではなく、よりラディカルに市場の力を使うことで状況を改善できるというのがこの本の面白さだ。 では実際どうやって、という疑問が当然わくだろうが、これらの提案には経済学の詳細なロジックが伴っている。そして、読み手が「それはうまくいかないのでは」と思った次の瞬間には、その反論が用意してあるという形で議論が進む。 私有財産制の問題、独占の問題、投票制度の問題などについて、思考が行き詰まってしまった方々には、クリエイティブなアイディアを得るためにぜひ、一読していただきたいと思う』、「「ラディカル(過激)な改革」の例」、は知的な思考実験としては確かに面白い。「思考が行き詰まってしまった方々には、クリエイティブなアイディアを得る」、には参考になりそうだ。
・『「データ労働者組合」を作ろう  近年、GAFAなどのデジタルプラットフォームがその巨大化とともに、ビジネスだけでなく、社会に大きな影響を与えている。そうしたデジタルプラットフォーマーとビジネスや社会でどう付き合っていくべきか、誰にとっても関心のあるところだろう。 本書によれば、フェイスブックが毎年生み出している価値のうち、プログラマーに支払われる報酬は約1%にすぎないそうだ。そして価値の大半は、「データ労働者」であるユーザから無料で得ているのだという(一方でウォルマートは生み出した価値の40%を従業員の賃金に充てている)。 この問題をどう考えればいいだろうか。個人情報の保護を強化しよう、あるいはプラットフォーマーという優越的な地位の乱用を規制しよう、というのが従来的なやり方だろう。 一方本書の著者らは、デジタルプラットフォーマーに供給されるデータはわれわれの「労働」であると説く。となると、われわれは、データ提供という「労働」から対価を得るために、「データ労働者組合」を作ってはどうかという。非常に興味深い概念である。 筆者たちは本書を「ウィリアム・S・ヴィックリーの思い出に捧げる」としている。ヴィックリーとは何者だろうか。 彼は1961年に「投機への対抗措置、オークション、競争的封入入札」という論文を発表した経済学者で、この論文は社会問題の解決に資するオークションの力を示した最初の研究とされる。 ヴィックリーの研究によって「メカニズムデザイン」と呼ばれる経済学の領域が生まれ、彼は1996年にノーベル経済学賞を受賞した。筆者らによると、「ラディカル・マーケット」とは、市場を通した資源の配分(競争による規律が働き、すべての人に開かれた自由交換)という基本原理が十分に働くようになる制度的な取り決めであり、オークションはまさしくラディカル・マーケットだと言う。 ラディカル・マーケットというメカニズムを創造するために、新しい税制によって私有財産を誰でも使用可能な財産とすることや、公共財の効率的市場形成についても本書では詳述される。 なかでも移民労働力についての章では、「ビザをオークションにかける」や「個人が移住労働者の身元を引き受けるという個人間ビザ制度」というアイディアも出てくる。こうした移住システムに関するアイディアは、今後の日本にとっても、従来なかった新しい風景の見える思考実験として興味深いのではないだろうか』、「ラディカル・マーケット」とは面白そうな概念だ。
・『効率的な資源配分のために私有財産制をやめる  本書で筆者らが一貫して主張するのは、私的所有は効率的な資源配分を妨げる可能性がある、ということである。工場設備であれ、家庭内のプリンターであれ、個々に私的所有されているがゆえに不稼働となっているような、非効率なモノは多数存在する。 昨今、先進諸国の若者、いわゆるミレニアル世代のトレンドは「モノより経験」となっていることも後押しになって、車や家のシェアリングエコノミーがデジタルテクノロジーの進展とともに進んでいる。 こうした最先端のサービスでなくとも、古くは美術館の高価な絵画は公共財になっているために、市民が時間ベースで使用(鑑賞)することが可能となっていた。筆者たちの主張は過激かもしれないが、ビジネスにおいてもサブスクリプションはトレンドであり、ヴィックリーが生み出したオークションの概念は通信インフラの電波オークションからインターネットのアドテクノロジーまで世に浸透しているのだ。 グローバルな格差の拡大、成長の鈍化の中で資本主義に代わる選択肢が不在のなか、本書のクリエイティブで骨太なアイディアは読み手の思考方法をラディカルにすることだろう』、「効率的な資源配分のために私有財産制をやめる」、とは驚かされたが、「シェアリングエコノミー」、「サブスクリプション」の進展などを考慮すると、一考の余地がありそうだ。

第四に、10月10日付け東洋経済オンラインが掲載した経済評論家の山崎 元氏による「ポンコツの資本主義は完全に「オワコン」なのか うそのような10月のあとに待ち受けているもの」の4頁目までを紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/380732
・『新型コロナで明け暮れた2020年も10月となり、4月をスタートとする年度ベースでは第3四半期、西暦ベースでは第4四半期に入った。そろそろ世の中が落ち着くかと思えば、まったくそのようなことはなく、1日には東京証券取引所の取引がシステムトラブルによって終日停止した。そして、翌10月2日の日本時間の午前中にはアメリカのドナルド・トランプ大統領が新型コロナウイルスに感染したという、冗談のようなニュースが飛び込んできた』、「ポンコツの資本主義は完全に「オワコン」なのか」、との挑戦的なタイトルに惹かれて紹介した次第だ。
・『うそのような10月なのに「市場は案外しぶとい」  東証の売買停止とトランプ感染に直接的な関係はないが、トランプ感染は株価に影響のある(日経平均はしばし急落した)イベントだったので、2日の取引が始まってからのニュースで、東証はほっとしたことだろう。 もしニュースが取引の開始前であれば、「前日手仕舞いができなかったので、こんなに損をした」というクレームの数とサイズがずっと大きかったはずだからだ。予想外なイベントが続いたが、その後の経済と市場は案外いつもと変わらない印象で動いている。経済と市場は「案外しぶとい」ものだという感を強くする。 本欄の筆者であるオバゼキ先生(小幡績氏)の前回の原稿「日本人はドコモの高い携帯料金に甘んじている」によると、大統領選挙までかんべえ先生(吉崎達彦氏)が毎週原稿を書くとよく、2021年にバブルが崩壊したらオバゼキ先生が毎週本欄を書くのがいいらしい。私は「招かれざる筆者」のようなので(笑)、執筆機会があるうちに書きたいことを書いておこう。 3流プロレスの筋書きを予想するがごとき「トランプの次の一手は?」的な当面の話をしばし離れて、資本主義の今後について考えてみる。 このテーマについてオバゼキ先生のファンは、先生の新著『アフターバブル近代資本主義は延命できるか』(東洋経済新報社)を是非読んでほしい。賛否いずれの立場の読者にとっても、「ぼんやりとした感想」を許さない、刺激に満ちた力作だ。 筆者は、昨今のいくつかの「資本主義批判」が気になっている。現状を資本主義だとして、このままの形で守りたいわけではないのだが、議論が急所から外れている点の居心地が悪いのだ。 気鋭の若手論者の書籍を2冊読んだ。白井聡『武器としての資本論』(東洋経済新報社)と斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書)だ。両著はテイストが大きく異なるが「考えながら再読して楽しい」類いの良書で共にお勧めできる。 白井氏は「永続敗戦論」で示した、日本が所詮アメリカの子会社のような存在でしかない現実を的確に指摘していた点で小気味よい議論を展開した方だ。 直近を振り返ると「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げていた安倍前政権が、徹底的な対米追従を指向していて実は最も「戦後レジーム的」だったのは皮肉だった。「親会社」の社長的存在であるトランプ大統領に対して徹底的に機嫌を取る努力をした安倍前首相は、子会社の社員たる日本国民に対して、彼にできる最善の努力をしたのだろう。 一方、斎藤幸平氏は、最近人気の哲学者マルクス・ガブリエル氏へのインタビューなどでも注目されており、またカール・マルクスの研究者として、マルクス晩年の思索についてこれまで知られていなかった(少なくとも筆者は知らなかった)刺激的な文献解釈を発表している』、実務家の「山崎氏」が「資本主義」をどう料理するのだろうと懸念したが、「気鋭の若手論者の書籍を2冊読んだ」というので納得した。「「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げていた安倍前政権が、徹底的な対米追従を指向していて実は最も「戦後レジーム的」だったのは皮肉だった」、同感だ。
・『資本主義と経済成長を捨てるべきか?  白井氏が激賞している斎藤氏の著作の議論を追うと、そこには先鋭的な資本主義批判がある。 詳しくは斎藤氏の著作に当たってほしいが、同氏は気候変動問題の決定的重要性を説く。地球環境の問題を考えると、環境投資での経済成長を説く「グリーン・ニューディール」(同書の呼び名は「気候ケインズ主義」)も、環境技術の発達に期待するジオエンジニアリングも、経済政策としてのMMT(現代貨幣理論)も、「危機を生み出している資本主義という根本原因」を維持しようとしている点でダメなのだという。 「経済成長と気候変動問題が両立すると考えること」がそもそも甘いのだと指摘し、資本主義は経済成長を求めるので、「資本主義と経済成長を捨てた経済社会運営が必要だ」と主張している。こちらもなかなか小気味いい書きぶりだ。  経済成長と気候の関係については研究と議論の余地があるとしても、この本の議論の中で筆者が気になったのは、「資本は無限の価値増殖を目指す」(「が、地球は有限である」と続く。p37)という「資本」に対する見方だ。「無限の経済成長を目指す資本主義」(p118)、「資本とは、絶えず価値を増やしていく終わりなき運動である」(p132)といった表現もある。白井氏の著書にも「増えることそのものが資本の目的なのです」という言及がある。 同じ前提に立つ「違和感のある議論」の別バージョンとしては、人口減少などで経済成長に限界が生じるので、あるいは新興国の経済発展によって成長のために搾取できるフロンティアが減ったので、資本主義は早晩行き詰まるといった種類の議論もあった(10年くらい前の、民主党政権時代にはやった)。 いずれにあっても、「資本」はつねに増殖を目指すので、経済成長がないと資本主義は立ちゆかないということが前提とされた議論だ。しかし、果たして、「資本」とは、経済成長を「食料」として無限に大きくなろうとする一個の生き物のような存在なのだろうか』、どうなのだろう。
・『「単なるお金」としての資本  資本主義に対する批判者あるいは悲観論者は、「資本」がそれ自体の意思を持って動く抽象的でも具体的でもある単一の生命体のように思っているのではないか。まるで、資本という怪物がいるかのようだ。 しかし、彼らは、資本が単にその所有者が自由に処分できる「お金」にすぎないことを忘れている。資本のサイズは、消費とのバランスを比較しつつ、生身の経済主体がこれを決定する。 資本の具体的な形は、企業の設備だったり、無形の権利の価値だったり、運転資金だったりするのだが、資本家はこれらを少なくとも部分的には換金して処分できるので、資本はおおよそお金として機能する。そして、資本家は単なるバカではない。投資の収益の見通しやリスクの判断によって、自分の財産をどう使うかを決定する。 資本家は、自分が資本から得た利益を、再投資し続けることもできるが、消費してしまうこともできる。売り上げの減少が予想されるなら、設備への更新投資を減らすこともできる。いい投資機会がないと判断するなら、物を買うなり、飯を食うなり、目立つために使うなり、「GO TO 蕩尽!」が可能なのだ。ついでに言うと、人口減少経済では、資本家の人口も減少することを考えに入れておこう。 株式会社は、持っている資本を、いい投資機会があれば再投資すればいいし、リスクに見合う投資機会を見つけられなければ配当なり、自己株買いなりで株主に返すことができる。 投資される資本の量は資本家の判断によって調節可能なのだ。仮に、企業活動の環境に対する悪影響に対してかなり高いコストを支払わなければならないとすると、あるいは今後の経済が成長する見通しがないとすると、企業はビジネスを縮小して株主にお金を返すことを選択できる。 ついでに株式投資の話をしておくと、経済が成長する見込みでなくても、その予想が反映した株価が形成されていれば、株式投資ではリスクプレミアムを得ることができる仕組みになっている。 こと環境に関しては、経済全体として、環境コストの負担が正しくビジネスに課金されるなら、投資は当面縮小するかもしれない。しかし、その場合でも、資本は「リスクに見合うリターン」があると資本家が判断したビジネスに投資され、その投資の大きさは調整されるはずだ。もちろん資本家は「強欲」でありうるが、強欲な経済主体がつねに無謀なギャンブラーである訳ではない。金持ちは案外冷静だ(「金持ち喧嘩せず」と言うではないか)。 斎藤幸平氏の著書で、自身が提唱する「コモン」に関連して「ひとまず、宇沢弘文の『社会的共通資本』を思い浮かべてもらってもいい」とひとことあっさりと触れられているので、宇沢弘文『社会的共通資本』(岩波新書)を見ると、「地球環境」の章で定常状態と経済発展はジョン・スチュワート・ミルが可能であることを示しているとの言及がある。「安定的な経済的条件のもとでゆたかな、人間的社会が具体化されている」(p221)とある。 同書は、農業、国土のインフラ、都市、教育、医療、金融、地球環境などを「国家にも市場にも明け渡してはならぬ」となかなか格好のいい主張を述べる。社会的共通資本として専門的知見を踏まえてコミュニティーが管理すべきだというのだが、斎藤氏も宇沢氏も、現実的にワーク(機能)しそうな意思決定と社会運営の方法を提示しているとは言いがたい。 ちなみに、宇沢氏が著書で地球環境問題での対策として圧倒的に推しているのは「炭素税」だ。グローバルな貧富の差を調節するために1人あたりの国民所得に比例的に調整された炭素税を課税するといいというアイデアは納得的だ。これは、環境に対する費用を内部化することによって、資本主義を機能させようとする考え方だ。尚、ここで、「資本主義」とは、「私有財産の自由な売買に基づく競争システム」(F.A.ハイエク『隷従への道』から)といった程度の意味だ』、「経済が成長する見込みでなくても、その予想が反映した株価が形成されていれば、株式投資ではリスクプレミアムを得ることができる仕組みになっている」、とするが、マイナス成長経済の下では、期待収益率もマイナスとならざるを得ず、「株価形成」は困難になるのではなかろうか。プロの「山崎氏」なので、間違うことはないとは思うが、気になるところだ。
・『資本主義が問題なのではなく「使い方」が問題  今の日本では、社会的同調圧力を使った疑似社会主義的計画経済がしばし可能なのかもしれないが、新古典派経済学を激烈に批判した宇沢氏も計画経済を推しているわけではない。 専門家の知見とメンバーの熟議を経て「エッセンシャルな活動」を実現すべくコミュニティーを運営すると考えても、例えば、食料・医療は「エッセンシャル」だろうが、何をどの程度望むかは人によるし、数多ある分野の財やサービスに関して資源や労働の配分に関する「計画」の合意を形成する手続きは容易ではない。ビッグデータと計算機を使うとしても、結論の選択プロセスは独裁的なものに近づくのではないか。 個人の自由な選択の余地を残しながら、資源配分や生産活動を決定する仕組みとしては、先のハイエク的な意味での資本主義を使うのが、現実的で且つメンバーにとっても納得感がある方法ではないか。 結局、「資本主義」が問題なのではなく、その使い方が問題なのだろう。 もちろん、現在のままの資本主義がいいと言っているのではない。「炭素税」のように環境に対するコストを内部化する仕組みは是非必要だし、例えば大規模なベーシックインカムの導入を行って、弱者に優しい経済と資本主義的経済選択を両立させようとする「もっと優しい資本主義」が可能なはずだ。 ポンコツではあっても資本主義を手直しながら使うのが現実的な経済運営なのではないかという平凡な結論に行き着いた。資本主義は、結構しぶとい(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)』、「ポンコツではあっても資本主義を手直しながら使うのが現実的な経済運営」、そうであればいいが、前述の「株価形成」が引っかかる。紹介するのを止めようかとも考えたが、マーケットに近い人間の見方として、やはり紹介する意味はあると考えた次第である。
タグ:貨幣とは何か、その不思議な性質 資本主義 東洋経済オンライン 「ポンコツの資本主義は完全に「オワコン」なのか うそのような10月のあとに待ち受けているもの」 「欲望の時代の哲学2020」で問われるもの 佐々木 一寿 マルクス・ガブリエル デジタル市場の未来を考える必読書 効率的な資源配分のために私有財産制をやめる うそのような10月なのに「市場は案外しぶとい」 山崎 元 『ラディカル・マーケット脱・私有財産の世紀』 「データ労働者組合」を作ろう この「自己循環論法」こそ、貨幣に関するもっとも基本的な真理です ほかの人が貨幣として受け取ってくれるから、私も貨幣として受け取るのです 貨幣の所有は「最も純粋な投機」 (その4)(貨幣という「資本主義最大のミステリー」に挑む 「欲望」の時代の「哲学と資本主義」の謎を探る、私たちが貨幣に翻弄され「罠に落ちる」根本理由 経済と人間の本質を描ききる「欲望の貨幣論」、34歳天才経済学者が私有財産を否定する理由 データ搾取から移民までラディカルに考える、ポンコツの資本主義は完全に「オワコン」なのか うそのような10月のあとに待ち受けているもの) 丸山 俊一 『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る「欲望の資本主義」特別編』として書籍化 「貨幣という「資本主義最大のミステリー」に挑む 「欲望」の時代の「哲学と資本主義」の謎を探る」 NHK経済教養ドキュメント「欲望の資本主義特別編欲望の貨幣論2019」 欲望が欲望を生みだす資本主義の先に何があるのか 「欲望」は時代によって形を変えてきた 社会と個人、意識と無意識、時代の生む物語 岩井克人氏による「欲望の貨幣論」 「私たちが貨幣に翻弄され「罠に落ちる」根本理由 経済と人間の本質を描ききる「欲望の貨幣論」」 貨幣を通して人間存在の原点を考えるきっかけに 貨幣論から経済学全体、そして人と社会のありようへ 貨幣は人々の欲望を本来的に加速させ、不安定にする モノの値段が安定する条件 塩野 誠 「34歳天才経済学者が私有財産を否定する理由 データ搾取から移民までラディカルに考える」 「単なるお金」としての資本 資本主義が問題なのではなく「使い方」が問題 資本主義と経済成長を捨てるべきか?
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日本の構造問題(その15)(平成初期の中年男の悲鳴が予言していた「日本の自殺」、日本人は「失われた30年」の本質をわかってない、「日本はソフトな独裁国家」天才哲学者マルクス・ガブリエルが評するワケ) [経済]

日本の構造問題については、1月23日に取上げた。今日は、(その15)(平成初期の中年男の悲鳴が予言していた「日本の自殺」、日本人は「失われた30年」の本質をわかってない、「日本はソフトな独裁国家」天才哲学者マルクス・ガブリエルが評するワケ)である。

先ずは、健康社会学者(Ph.D.の)河合 薫氏が昨年4月23日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「平成初期の中年男の悲鳴が予言していた「日本の自殺」」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00021/?P=1
・『今回は平成最後のコラムとなるので「平成の30年間を振り返る」という、コテコテのメディアチックなテーマにしようと思う。 個人的には、私は昭和63年(1988)入社。かくして昭和の高度成長期に「当たり前」だった働き方が瓦解していく様を目の当たりにした世代でもある。“ピチピチ”で“イケイケ”だったあの頃、自分のキャリアを含め「こんな風になる」とは“1ミリ”も想像していなかった。 もちろん元号が変わったからといって、今ある「流れ」が変わるわけではない。 だが、平成を振り返ることは自分のキャリアの足跡をたどることであるとともに、フィールドワークのインタビューに協力してくださった約700名の人たちの「語り」に思いをはせる作業でもあり、これまで講演会やら取材やらでお邪魔した数えきれないほどの企業の人たちから伺った「わが社の問題点」を振り返ることでもある。で、そんないくつもの“データBOX”の蓋を開けてみると、「悪化、劣化、衰退」という、最悪な文字しか浮かばない。ふむ、何回振り返っても暗闇しか見えない。 もちろん色々な制度や法律はできたし、セクハラやパワハラ、長時間労働など、やっと、本当にやっと平成終盤で関心が高まり、部分的にはかすかな“光”が見えてきた問題もある。 しかしながら、どれもこれも抜け穴だらけで、全体を見渡すと“自滅”にむかっているとしか思えないのである。 それは「グループ一九八四年」が昭和50年2月号の『文藝春秋』に投稿した論文、「日本の自殺」の中に予期されていたとおりであり、本論文が2012年に文春新書から出版されたときの巻末で文芸評論家の福田和也氏が記した言葉どおりのことが起こっているな、と。 「日本人が部分を見て全体をみることができなくなり、エゴと放縦と全体主義の蔓延のなかに自滅していく危機のなかに存するというべきなのである」(by グループ一九八四年 『日本の自殺』P.57より) 「今の日本は『自殺』するだけの勢いもなく、衰えた末に『自然死』してしまうのではないか、と思わされる」(by 福田和也氏 同P.189より) なんだかしょっぱなから陰鬱な文章になってしまったのだが、「全体をみることができなくなった」という言葉の重みを裏付ける調査から、まずは紹介しようと思う。 この調査は私の大学院時代の恩師である山崎喜比古先生が中心になり、平成3年(1991年)11月に「中壮年男性」を対象に実施したもので、日本の産業ストレス研究の原点といえる大規模調査のひとつだ』、30年以上も前の「日本の自殺」の「巻末」の「言葉」が、現在にも当てはまるというのは、大いに考えさせられる。
・『1970年代後半から、医学の現場では「過重労働による死」がいくつも報告され、遺族の無念の思いをなんとか研究課題として体系づけたいと考えた旧国立公衆衛生院の上畑鉄之丞名誉教授(うえはた・てつのじょう、2017年没)が、「過労死」という言葉を初めて使い、1978 年の日本産業衛生学会で「過労死に関する研究 第1報 職種の異なる17 ケースでの検討」を発表した。 それをきっかけに翌年から「過労死」の事例報告が相次ぎ、やがて「過労死」という言葉は医師の世界から弁護士の世界に広まり、1988年6月、全国の弁護士・医師など職業病に詳しい専門家が中心となって「過労死110番」を設置。すると夫を突然亡くした妻たちから電話が殺到し、それをメディアが取り上げ「過労死」という言葉が一般社会に広まることになった。 時期を同じくして多くの企業がOA化を進め、働く人たちの精神的ストレスも増加していた。そこで、欧米ではすでに1970年代から進められていた長時間労働の削減やワークライフバランスを「日本でもやらなきゃ!」と労働者を対象にした調査研究がスタートしたのである』、「「過労死」という言葉を初めて使」ったのが「1978 年」だったとは初めて知ったが、40年以上も解決されずに続いていることも衝撃的だ。
・『「長時間」働くことは“美徳”だった平成初期  今回紹介する「中壮年男性の職業生活と疲労とストレス調査」は、民法、労働法を専門とし社会法の分野で多くの立法に参画した東京大学名誉教授(当時)の有泉亨先生はじめ、日本の労働経済学研究の第一人者である法政大学名誉教授(当時)小池和男先生らの助言を得て、山崎先生らが調査を実施し、報告書をまとめたものだ。 当時は「長時間労働やストレスフルな働き方はあくまでも、労働者個人の問題要因」として説明される議論が主流だった。そこで山崎先生は「人の働き方は、企業の働かせ方で変わる!」と、至極まっとうな異議を唱えるべく、労働・職場環境の要因と合わせて分析した。俗っぽくいえば、山崎先生は“ブラック企業研究”のパイオニア的存在であり、この視点こそがこの研究の“ウリ”だった。 調査対象は、東京都内や都心通勤圏に住む35~54歳の男性労働者3000人。基本属性は、+1000人以上規模の会社に勤める人が4割を占め、+業種は「製造業」が30.6%と最も多く、「サービス業」20.5%、「建設業」11%と続き、 +雇用形態は「正社員」が95.6% 月平均の残業時間は、中央値で「30時間以上~40時間未満」。50時間以上が24%、70時間以上が11.5%。 対象が異なるため単純比較はできないが、2013年に「Vorkers」が行った調査では、残業時間は50時間以上が4割。つまり、91年の山崎先生の調査では「今より短い結果」が得られていたのである。 そして研究の“キモ”である長時間労働とその他の要因tとの関係性については、次のようなことがわかった。 +「仕事量が多い」「不規則勤務がある」「厳しいノルマがある」という職場ほど、残業時間が長い +残業時間が多い人ほど「長時間労働を評価する雰囲気がある」とし、具体的には、月平均残業時間「50~70時間未満」は53.3%、「70時間以上」は65.5% +「成績に響くので、少しくらい体調が悪くても出社する」という労働者が36%に上ったのに対し、「仕事を休むと迷惑をかけるので、少しくらい体調が悪くても出社する」と77%が回答  「好きな仕事ができなくとも高い地位に昇進したい」「ある程度昇進し、かつ嫌いな仕事でなければいい」という昇進志向の労働者は全体の51%で、「昇進よりも好きな仕事」との回答(37%)を大きく上回っていた 上記の結果からは、「24時間働けますか?」という企業側の暗黙のオーダーを、働く人たちが「美徳」と捉え、世間もそういう働き方をする人たちを評価する風潮が、「長時間労働」の背後に存在していたと推察できる。 と同時に、1990年代初頭のビジネスマンは、会社というヒエラルキー組織の中で絶対的な居場所を確保することを好む傾向が強かったこともわかる』、確かにあの頃は、まだよき時代だったようだ。
・『忙しかったけど納得のいく報酬と思いやりある職場があった  次に、「職場の人間関係」に関する項目では、 +「仕事を任せられる部下や、サポートしてくれる人がいない」53.9% +「上司の指導や助言が得られない」51.2% で、これらを残業時間との関係でみると、 +月平均残業時間が50時間以上になると、それぞれ68.8%、68%にもおよび、50時間未満との格差が生じていることがわかった。 その一方で、+「同僚や部下が忙しいと、すすんで手伝ったりカバーする」と、全体の8割の人が答えている。 また「報酬」に関しては、 +「現在、思い通りの地位についている」と60.3%、「仕事におもしろさや、やりがいを感じている」と69.6%が回答。 しかしながら、残業時間との関係は認められず、一部でいわれるように、仕事が面白くてやりがいがあるからといって、残業が多くなることはないことがわかった。 賃金については、仕事に見合った報酬を「十分に得ている」は42.7%、「十分ではない」が55.9%と上回った。報酬への満足感と残業の多さとの関係性はなかった。「自分の過労死を心配することがある」とした人は、月平均残業時間70時間以上では65%だった。 ……さて、いかがだろうか。 繰り返すが、調査が行われたのは平成3年(1991年)10月だ。 この頃は「余裕があった時代」とイメージされがちだが、実際には「仕事量の多さ」や、「厳しいノルマ」に悲鳴をあげ、「賃金に不満」を感じている人も多く、既に過労死や過労自殺と背中合わせの時代に突入していたのだ。 その半面、給料は上昇傾向に(ピークは1997年の467万3000円 by国税庁「民間給与実態統計調査」)にあったことに加え、「会社員=正規雇用」で、「将来への不安」に押しつぶされそうになることはなかった。 「サポートを得られない」「上司の助言が得られない」状況になりつつも、「同僚や部下が忙しいと、すすんで手伝ったりカバーする」と8割の人が答えられるだけの心理的余裕もあった。 つまるところ「ストレスの雨」は職場に降り始めていたものの、それをしのぐだけの“傘”を企業が提供していたことで、ビジネスマンは「やりがい」と「他者への共感」というポジティブな感情を確保できていたのではないか。「正規雇用・長期雇用」という制度を企業が維持していたことで、労働者と企業の間でギブアンドテイクの関係がギリギリ保持できていたのである』、「「ストレスの雨」は職場に降り始めていたものの、それをしのぐだけの“傘”を企業が提供していたことで、ビジネスマンは「やりがい」と「他者への共感」というポジティブな感情を確保できていたのではないか」、解説は説得的だ。
・『成果主義の名を借りたコスト削減が職場を荒廃させた  ところが、“パチッ”“パチッ”とバブルがはじける音を聞きつけていた会社組織の“上階のお偉い人たち”は、その「全体」をみることなく「部分」、すなわち「年功制」のネガティブな側面だけを注視。 「アメリカの成果主義ってやつを輸入したらどうかな?」「いいね。年功賃金に不満もってる新人類の若いやつらも喜ぶだろう」 「うん!能力主義だよ!」 「そうだ!自己実現だよ!」といった具合に、“コスト削減”という下心ありありの制度を、文化も労働体系も異なる米国から輸入。それにまんまとひっかかったのが、「自分は“できる”」と妄信したエリートと「偉そうなオジさん」に不満を抱えていた若者だった。「年功序列崩壊だ! 成果を出せばいいんだ! 目指せ、1億円プレイヤーだ!」と大喜びしたのである。 「エゴと放縦と全体主義」に陥ってる“お偉い人たち”は、さらなる深みにハマり、「米国=世界→素晴らしい!」とばかりに「正規雇用」と「長期雇用」をなくすことを選択。 1995年、日経連(現経団連)は、「新時代の『日本的経営』」なるものを打ち出し(下記の表)、山一証券の倒産以降は「ダムサイジング(愚かなサイズ合わせ)」に突っ走り、平成後期には政治の力を借り「生きる力の基盤」を確保できない労働者を量産した。 (「長期蓄積能力活用型グループ」「高度専門能力活用型グループ」「雇用柔軟型グループ」に分けた表はリンク先参照) ちなみに「ダムサイジング」とは、1996年の経営管理学界で、当時リンカーン・エレクトリックの最高経営者だったドナルド・ヘイスティングスが使ったお言葉である。人件費を削るなどの経費削減が、長期的には企業の競争力を低下させるとする研究者たちの研究結果を、自らの経験を交えて「ダムサイジング」と呼んだのだ。 全体が見えない人たちの思考は常に短絡的。自分たちが“新しい”と信じている経営手法は、海の向こうで既に否定されていたのだ。しかしながら、もはや働く人たちを「人」として見られない経営者たちは「エゴに満ちた経営」をどこまでも追い求めた。 すべては「投資家」を喜ばすための政策であり、そこに「働く人の健康」や「働く人の感情」はみじんも存在しない。 やがて、現場の人たちは生々しい感情を抑え、利己的に生きないと自分が生き残れないことを経験的に学び、「同僚や部下が忙しいと、すすんで手伝ったりカバーする」という共感は消滅し、「自己責任」という言葉を多用する人たちを量産した』、「自分たちが“新しい”と信じている経営手法は、海の向こうで既に否定されていたのだ」、何とも皮肉なことだ。「「同僚や部下が忙しいと、すすんで手伝ったりカバーする」という共感は消滅し、「自己責任」という言葉を多用する人たちを量産した」、大きな弊害が残されたようだ。
・『平成に失われた共感や居場所を「令和」に取り戻すために  つまるところ、平成の時代とは「人間の勝手さと愚かさ」を知らしめた30年だったのではないか。カネに換算できないこの無形の価値あるものをおろそかにし、目の前の「見えるもの」に心奪われたものは、自滅の道をたどるしかない。 もし、1990年代初期に「過労死」というものを企業が真剣に受け止め、「大切な社員を死なせてはならない」と考えてくれれば「自滅の危機」は、免れたかもしれない。 経営者が、高度成長期の立役者だった下村治氏の「オイルショックをもって高度成長は完全に終わった。これからはゼロ成長または低成長だ」という予言を真剣に受け入れていれば、「成長し続けるためのコスト削減」ではなく、「今いる人を大切にするための経営」に舵(かじ)をきることができたかもしれない。 もし、バブル期の私たち世代が「自分たちは恵まれた時代に生まれただけ。運が良かっただけ」と全体を見ることができたら、もう少しだけ「共感」という感情を社会に残せたかもしれない。 そして、平成が終わろうとしている「今」。日本中のアチコチに「居場所」を見いだせない人たちがいる。全体を見ず部分だけを見て批判することでしか、居場所を得られない人たちがいる。 なんか書いていて悲しくなってしまったのだが、小さくてもいいから自分にできることをコツコツと考え実行し、「オカシイことはオカシイ」と言える自分の価値判断軸を失うことなく、残りの時間を過ごすしかないのだな、きっと。 というわけで、元号変われど今までどおり精進いたしますゆえ、「令和」の時代にまたお会いしましょう』、「平成の時代とは「人間の勝手さと愚かさ」を知らしめた30年だったのではないか」、鋭い指摘だ。何とかして社会に「共感」を取り戻したいものだが、「覆水盆に返らず」なのかも知れない。短期的視点で、日本的経営の良さを破壊した経営者たちの罪は深い。

次に、経済ジャーナリストの岩崎 博充氏が本年1月26日付け東洋経済オンラインに掲載した「日本人は「失われた30年」の本質をわかってない」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/325346
・『今から30年前、1990年の東京証券取引所は1月4日の「大発会」からいきなり200円を超える下げを記録した。1989年12月29日の「大納会」でつけた史上最高値の3万8915円87銭から、一転して下げ始めた株式市場は、その後30年が経過した今も史上最高値を約4割ほど下回ったまま。長期的な視点に立てば、日本の株式市場は低迷を続けている。 その間、アメリカの代表的な株価指数である「S&P 500」は、過去30年で約800%上昇。353.40(1989年末)から3230.78(2019年末)へと、この30年間でざっと9.14倍に上昇した。かたや日本は1989年の最高値を30年間も超えることができずに推移している。 この違いはいったいどこにあるのか……。そしてその責任はどこにあるのか……。アメリカの経済紙であるウォールストリートジャーナルは、1月3日付の電子版で「日本の『失われた数十年』から学ぶ教訓」と題して、日本が構造改革を行わなかった結果だと指摘した』、興味深そうだ。
・『日本は失われた40年を歩むことになるのか  この30年、確かに株価は上がらなかったが、極端に貧しくなったという実感も少ない。政治は一時的に政権を明け渡したものの、バブル崩壊の原因を作った自民党がいまだに日本の政治を牛耳っており、日本のあらゆる価値観やシステムの中に深く入り込んでいる。 バブルが崩壊した原因やその責任を問われぬまま、失われた30年が過ぎてきた。自民党政権がやってきたことを簡単に総括すると、景気が落ち込んだときには財政出動によって意図的に景気を引き上げてリスクを回避し、その反面で膨らむ一方の財政赤字を埋めるために消費税率を引き上げ、再び景気を悪化させる……。そんな政治の繰り返しだったと言っていい。 2012年からスタートしたアベノミクスでは、財政出動の代わりに中央銀行である日本銀行を使って、異次元の量的緩和という名目で、実際は「財政ファイナンス(中央銀行が政府発行の国債を直接買い上げる政策)」と同じような政策を展開してきた。政府に逆らえない中央銀行総裁が登場したのも、日本経済の「失われた20年、30年」と無縁ではないだろう。 実際に、近年の日本の国際競争力の低下は目に余るものがある。 生産能力は低下する一方であり、加えて少子高齢化が顕著になってきている。新しい価値観をなかなか受け入れない国民や企業が蔓延し、失われた30年が過ぎたいま、日本はこれから失われた40年、あるいは失われた50年を歩き始めているのかもしれない。 このままでは2030年代には、日本は恒常的なマイナス成長国家となり、経常赤字が続き、やがては先進国から陥落する日が来るのかもしれない……。そんな予測をする専門家も多い。日本の失われた30年を、もう1度検証し振り返ってみたい』、確かに「バブルが崩壊した原因やその責任を問われぬまま、失われた30年が過ぎてきた」、「もう1度検証」する意味は大きい。
・『この30年、何が変化したのか?  この30年で日本はどんな変化を遂げたのだろうか。まずは、主要な統計上の数字の面でチェックしてみたい。 ●平均株価(日経平均株価)……3万8915円87銭(1989年12月29日終値)⇒2万3656円62銭(2019年12月30日終値) ●株式時価総額……590兆円(1989年年末、東証1部)⇒648兆円(2019年年末、同) ●ドル円相場……1ドル=143.4円(1989年12月末、東京インターバンク相場)⇒109.15円(2019年12月末) ●名目GDP……421兆円(1989年)⇒557兆円(2019年) ●1人当たりの名目GDP……342万円(1989年)⇒441万円(2019年) ●人口……1億2325万人(1989年、10月現在)⇒1億2618万人(2019年、11月現在) ●政府債務……254兆円(1989年度、国と地方の長期債務)⇒1122兆円(2019年度末予算、同) ●政府債務の対GDP比……61.1%(1989年)⇒198%(2019年) ●企業の内部留保……163兆円(1989年、全企業現金・預金資産)→463兆円(2018年度) これらの数字でわかることは、第1に株価の低迷がずっと続いていることだ。 1989年の大納会でつけた3万8915円という高すぎる株価は、解禁されたばかりの株式先物指数が一部の外国人投資家に使われた意図的な上昇相場であったという背景もあるが、30年間回復できない現実は日本経済に問題があるとしか言いようがない。 アメリカの株価がこの30年で9倍になったことを考えると、日本の株価は異常な状態と言っていいだろう。ちなみに、この30年間でドイツの株価指数も1790.37(1989年末)から1万3249.01(2019年末)に上昇。ざっと7.4倍になっている。 なお、株式市場の規模を示すときに使われる「時価総額」も、この30年で日本はわずかしか上昇していない。 株式の上昇による資産効果の恩恵を日本の個人はほとんど受けていないことになる。個人が株式に投資して金融資産を大きく伸ばしたアメリカに比べると、日本は一向に個人の株式投資が進んでいない。日本人の多くが豊かさを実感できない理由の1つと言っていいだろう。 実際に、この30年で海外投資家の日本株保有率は1990年度には5%弱だったのが、2018年度には30%に達している。日本株の3割は外国人投資家が保有しているわけだ。 かつて日本の株式市場は3割以上が国内の個人投資家によって保有されていた。バブル崩壊によって個人投資家が株式投資から離れ、その後の個人の資産形成に大きな影を落としたと言っていい。現在では、過去最低レベルの17%程度にとどまっている。 ちなみに、アベノミクスが始まって以来、政府は「GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)」などの「五頭のクジラ」と呼ばれる公的資金を使って、意図的に株価を下支えしていると言っていい。日銀も「ETF(上場投資信託)」を買い続けている。 これでは株価は適正な価格形成を行えず、個人投資家の多くは割高な価格で株をつかまされている状態だろう。株価が暴落したときに、個人が株式市場に参入する機会を失ってしまっているわけだ。 株式市場というのは、あくまでも市場の価格形成に任せるのが望ましく、株価が大きく下がれば個人投資家が株式投資を始める可能性が高い。せっかくの投資機会を、政府が意図的に邪魔している状態が続いてきたとも言えるのだ。 マクロ経済的に見ると、日本の名目GDPは1989年度には421兆円だったのが、30年を経た現在では557兆円になっている(米ドル建てで計算。1989年はIMF、2018年は内閣府推計)。一見すると国内総生産は順調に伸びてきたかのように見えるが、世界経済に占める日本経済のウェートを見ると、その凋落ぶりがよく見て取れる。 ●1989年……15.3% ●2018年……5.9% アメリカのウェートが1989年の28.3%(IMF調べ)から2018年の23.3%(同)へとやや低下したのに比べると、日本の落ち込みは大きい。その代わり中国のウェートは2.3%(同)から16.1%(同)へと急上昇している。新興国や途上国全体のウェートも18.3%から40.1%へと拡大している。 日本の国力の低下は、明らかだ』、確かに「五頭のクジラ」が日本の株式市場を大きく歪めた状態は、いまだに続いているのは異常だ。「世界経済に占める日本経済のウェートを見ると、その凋落ぶり」は、目を覆いたくなるほどだ。これには、「アベノミクス」による円安政策も大きく影響している。
・『グローバル企業が示す日本の衰退  日本の「失われた30年」を的確に示している指標には、日本全体の「国際競争力」や日本企業の「収益力ランキング」がある。 例えば、スイスのビジネススール「IMD」が毎年発表している「国際競争力ランキング」では、1989年から4年間、アメリカを抜いて日本が第1位となっていた。それが2002年には30位に後退し、2019年版でも30位と変わっていない。 一方、アメリカのビジネス誌『フォーチュン』が毎年発表している「フォーチュン・グローバル500」は、グローバル企業の収益ランキング・ベスト500を示したものだ。1989年、日本企業は111社もランキング入りしていたが2019年版では52社に減少している。 日本の科学技術力も、この30年で大きく衰退してしまった。 日本の研究者が発表した論文がどれだけほかの論文に引用されているのかを示す「TOP10%補正論文数」というデータでも、1989年前後には世界第3位だったのだが、2015年にはすでに第9位へと落ちてしまっている。 このほかにも、ここ30年で順位を落としてしまった国際ランキングは数知れない。ほとんどの部分で日本以外の先進国や中国に代表される新興国に抜かれてしまっている。日本は今や先進国とは名ばかりの状態なのかもしれない。) 残念なことに、日本のメディアは日本の技術がすばらしいとか治安が優れているなど、数少ない日本の長所をことさらにクローズアップして、日本が世界をリードしているような錯覚を毎日のように国民に与え続けている。 1989年には、日本にやってくる外国人観光客は非常に少なかった。訪日外国人客は283万人(1989年)、それがいまや3119万人(2018年)に膨れ上がった。当時、外国人にとって日本の物価は非常に高く、一部のお金持ちを除くとなかなか日本に来ることができなかった。 現在は中国に限らず、世界の数多くの観光客が日本は格安だとして訪れている。実際に、日本はこの30年間ほどんど物価が上がらず、アベノミクスで掲げた年2%のインフレ率さえ達成できない。 国民生活にとっては、それが悪いわけではないが、日本の国力は明らかに低下していると考える必要があるだろう』、「日本のメディアは日本の技術がすばらしいとか治安が優れているなど、数少ない日本の長所をことさらにクローズアップして、日本が世界をリードしているような錯覚を毎日のように国民に与え続けている」、のは残念なことだ。
・『責任はどこにあるのか?  日本が失われた30年を始めたきっかけは、言うまでもなく株価の大暴落だが、追い打ちをかけるように当時の大蔵省(現財務省)が、高騰を続ける不動産価格を抑制しようと「総量規制」を実施したことにある。株価にブレーキがかかっているのに、土地価格にまでブレーキをかけたことが原因であり、そういう意味ではバブル崩壊は政府の責任だ。 アメリカがリーマンショックを経験したような出来事を、日本はその20年も前に味わっていたわけだが、そこでの対応の違いがアメリカと日本の差を決定的にしたと言っていい。 日本は、株価暴落や土地価格の暴落などによって実質的に経営破綻に追い込まれた金融機関や企業の破綻を先延ばしし、最終的に7年以上もの時間をかけてしまったからだ。 リスクを先送りにすることで、自民党を軸とした政治体制を守り、政権と一蓮托生になっていた官僚機構も、意図的に破綻処理や構造改革のスピードを遅らせた。その間、政府は一貫して公的資金の出動による景気対策や公共事業の増加などで対応してきた』、「バブル崩壊は政府の責任」、その通りだが、「実質的に経営破綻に追い込まれた金融機関や企業の破綻を先延ばしし、最終的に7年以上もの時間をかけてしまった」、には違和感がある。「先延ばし」は、本格的回復を遅らせるが、ショックを和らげる効果もあるからだ。
・『財政赤字がまだ400兆円のレベルだった頃に、当時の大蔵省主計局に取材したことがある。担当者は「赤字国債の発行を辞めることは、官僚機構がみずから国を荒廃に追いやることになる」と発言したのをいまでも思い出す。赤字国債なしでは、日本は立ち行かなくなっていることを認めているわけだ。 この30年、日本は企業救済のための資金は惜しまずに支出してきた。アメリカのように、税金を民間企業に支出することに強硬に反対する共和党のような勢力が、日本にはないからだ。公的資金の支出が景気の回復に効果がないとわかると、今度は郵政民営化といった規制緩和を始める。 しかし、これもさまざまな勢力に忖度するあまり、中途半端な形で進行し、結果的に景気回復の切り札にはならなかった。最終的に、現在進行形のアベノミクスにたどり着くわけだが、スタートして今年で8年になろうとしているにもかかわらず、その効果は見当たらない。 ひょっとしたら、一時的に消費者物価が2%を突破するかもしれないが、一時的なものに終わる可能性が高い。その間、政府の債務はどんどん膨らんで、政府は何度も消費税率アップに動く以外に方法はなくなっていく。 1989年4月に消費税を導入して以降、この30年で政府は3回の「消費税率引上げ」を実施しているが、いずれも2%、3%という具合に、ほんの少しずつ引き上げることで決定的なパニックに陥るリスクを避けてきた。 一方のアメリカは、リーマンショック時にバーナンキFRB議長は大胆に、そしてスピード感を持って解決策を打ち出した。責任を回避せずに、リスクに立ち向かう姿勢がアメリカにはあったと言っていい。 日本はつねにリスクを回避し、事なかれ主義に徹し、改革のスピードや規模が小さくなってしまう。その結果、決断したわりに小さな成果しか上げられない。簡単に言えば、この30年の失われた期間は現在の政府に責任があることは間違いない。 それでも国民は、バブル崩壊の原因を作った政権にいまも肩入れしてきた。その背景には補助金行政など、政府に頼りすぎる企業や国民の姿がある。実際に、この30年間の統計の中でもあったように政府債務は250兆円から約4倍以上の1100兆円に増えている。 自民党政権がいまも続いているのは、ただ単に「低い投票率」に支えられているだけ、という見方もあるが、30年の間に、国民の間に「諦め」の境地が育ってしまったのも事実だろう。 長期にわたってデフレが続いたため、政府は経済成長できない=税収が増えない分を長期債務という形で補い続けてきたわけだ。収入が減ったのに生活水準を変えずに、借金で賄ってきたのが現在の政府の姿と言っていい』、リーマン・ブラザーズの破綻を放置し、「リーマンショック」を引き起こしたこと自体が、「アメリカ」の政策ミスだった。「この30年の失われた期間は現在の政府に責任があることは間違いない」、「収入が減ったのに生活水準を変えずに、借金で賄ってきたのが現在の政府の姿」、などはその通りだろう。
・『日本はなぜ構造改革できないのか?  全国平均の公示地価を見ると、1976年を「0」とした場合、1992年まではプラス圏だったが、その後バブルが崩壊して住宅地、商業地ともに公示価格はひたすらマイナスを続けて、2015年にやっと「前年比プラス」に転じる状況にある。30年前の土地価格に戻るには、悪性インフレぐらいしか考えられない状況だ。要するに、30年近い歳月、日本国民は土地価格の下落を余儀なくされたわけだ。 株価や土地価格が上昇できなかった背景をどう捉えればいいのか。 簡単に言えば、少なくとも日本政府は構造改革につながるような大胆な改革を行ってこなかった。都市部の容積率を抜本的に見直すといった構造改革を怠り、消費税の導入や、税率アップのような構造改革ではない政策でさえも、選挙に負けるというトラウマがあり、一線を超えずにやってきた、という一面がある。 もっとも、構造改革をスローガンに何度か大きな改革を実施したことはある。例えば、企業の決算に「時価会計」を導入したときは、本来だったら構造改革につながるはずだった。これは、日本政府が導入したというよりも、国際的に時価会計導入のスケジュールが決まり、それに合わせただけのことだが、本来であれば株式の持ち合いが解消され、ゾンビ企業は一掃されるはずだった。 ところが政府は、景気が悪化するとすぐに補助金や助成金といった救済策を導入して、本来なら市場から退散しなければならない企業を数多く生き残らせてしまった。潰すべき企業を早期に潰してしまえば、その資本や労働力はまた別のところに向かって、新しい産業を構築することができる。負の結果を恐れるあまり、政府はつねにリスクを先送りしてきた。 バブル崩壊後も、株式市場は長い間、「PKO(Price Keeping Oparation)相場」と言われて、政府によって株価が維持されてきた。世界の平均株価と大きく乖離した時期があった』、「都市部の容積率を抜本的に見直すといった構造改革を怠り」、これは不動産業者の主張で、私は安易な「容積率見直し」には反対だ。地価低迷は、高くなり過ぎた地価の修正過程だったと捉えるべきだ。
・『官民そろってガラパゴスに陥った30年  そして今大きな問題になっているのが、デジタル革命、 IT革命といった「イノベーション」の世界の趨勢に日本企業がどんどん遅れ始めていることだ。 この背景には、企業さえも構造改革に対して消極的であり、積極的な研究開発に打って出ることができなかったという現実がある。欧米のような「リスクマネー」の概念が決定的に不足している。リスクを取って、新しい分野の技術革新に資金を提供する企業や投資家が圧倒的に少ない。 日本はある分野では、極めて高度な技術を持っているのだが、マーケティング力が弱く、それを市場で活かしきれない。過去、日本企業はVHSやDVD、スマホの開発といった技術革新では世界のトップを走ってきた。 しかし、実際のビジネスとなると負けてしまう。技術で優っても、ビジネス化できなければただの下請け産業になってしまう。もっとわかりやすく言えば、日本特有の世界を作り上げて、そこから脱却できない「ガラパゴス化」という欠点に悩まされてきた。 日本特有の技術に固執するあまり、使う側のポジションに立てないと言ってもいい。日本が製造業に固執しながら、最先端の技術開発に終始している間に、世界は「GAFA」(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)に支配されていた。あまりにも残念な結果といえる。 この30年、日本企業はさまざまなガラパゴスを作ってきた。 そして、そのガラパゴスの背景には、必ずと言っていいほど政府の歪んだ補助行政や通達、 規制といったものが存在している。業種にもよるが、日本企業の多くは消費者ではなく、規制当局や研究開発費を補助してくれるお上(政府)の方向を向いてビジネスしている姿勢をよく見かける。政府が出してくれるお金を手放せないからだ。 とはいえ、失われた40年を歩き始めたかもしれない日本にとって、今後は失われただけでは済まないだろう。日銀には一刻も早く、金融行政を適正な姿に戻し、株式市場も適正な株価形成のシステムに戻すことが求められている。自民党が避けてきた「最低賃金の大幅上昇」や「積極的な円高政策」といった、これまでとは真逆の政策に踏み切るときが来ているのかもしれない。 そして、政府は財政赤字解消に国会議員の数を減らすなど、目に見える形で身を切る改革をしなければ、今度は「崩壊する10年」になる可能性が高い』、「ガラパゴス化」には、政府だけでなく、経営者の責任も大きい筈だ。「金融行政を適正な姿に戻し、株式市場も・・・」、大賛成だ。

第三に、哲学者のマルクス・ガブリエル氏が2月12日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「「日本はソフトな独裁国家」天才哲学者マルクス・ガブリエルが評するワケ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/228172
・『「世界で最も注目を浴びる天才哲学者」と呼ばれるマルクス・ガブリエル氏。すべてがフラットになり、あらゆる情報が氾濫し、何が真実なのか、真実など存在するのかわからなくなった現代を、彼はどう見ているのか。日本の読者に向けて行われた独占インタビューを基にしたマルクス・ガブリエル氏の最新作『世界史の針が巻き戻るとき~「新しい実在論」は世界をどう見ているか』から一部を抜粋して、世界が直面している危機に対する彼の舌鋒鋭い意見を紹介する』、マルクス・ガブリエル氏はNHKの資本主義特集でも登場する人物で、「日本はソフトな独裁国家」とは何を言いたいのだろう。
・『我々はGAFAに「タダ働き」させられている 彼らを規制すべき理由  GAFA(Google・Amazon・Facebook・Apple)は、今や世界を統治しているとも言える状況にあります。GAFAの統治を止めるべく、何か規則や法律を設けるべきだと私は思います。身動きできないくらい徹底的に規制すべきです。 どのような理由、方法、法制度で、など議論の余地はありますが、私の提案はこうです。GAFAはデータで利益を得ていますね。データム(データの単数形)とは、アルゴリズムと私が行うインプットの間にある差異です。 まず、インプットとは何かについてお話ししましょう。私がバーベキューパーティを主催したとする。写真を撮ってアップする。フェイスブックやグーグルは、そのアップされた写真から利益を得ます。バーベキューパーティ自体からでは当然ありません。でも、バーベキューパーティを主催して写真を撮るのは私です。これは労働と言っていい。私が手を動かしているのです。歯牙にもかけないような会社のために価値を生み出しています。 フェイスブックが存在する前は、写真のアップなんてしようとも思わなかった。フェイスブックがなかったからです。恐らく写真を撮ることすらなかったでしょう。家族のアルバム用には撮ったかもしれません。それが、今や人々はフェイスブックのために写真を撮っている。これはつまり、人々がフェイスブックに雇われているということです。フェイスブックのために、文字通り働いているんです。 フェイスブックは彼らにいくら払っているか?ゼロです。ですから、我々はフェイスブックに税金を課すべきです。それが解決策の一つですが、法的な問題などがいろいろありますから、難しいでしょうね。もっといいのは、税金の代わりにベーシックインカムを払わせることです。 想像してみてください。GAFA企業が、彼らのサービスを使っている人々に分単位でベーシックインカムを払わなければならなくなったとしたら。ドイツでの最低賃金は一時間約10ユーロです。ですから、私がGAFAのいずれかのサービスをネット上で一時間使ったとする。彼らはユーザーが何時間消費するか簡単にわかります。GAFAのユーザーなら当然アカウントがありますから、彼らが提供する価値からマイナスして、私が生み出した価値を私のアカウントに紐づけることができる。 彼らは私にデータを提供してくれます。レストランに行きたいと思ったら、レストランに関するデータをくれます。その彼らがくれる価値を10ユーロからマイナスして払ってもらえばいい。きっと金額に換算できます。そんなに難しいことではない。私の推定では、1時間につき7ユーロか8ユーロくらいになるでしょう。これが、よりよい解決策です。 各国政府は、我々国民がGAFAに雇われているという事実を認識したほうがいい。近いうちに、GAFAはすべてを変えるか我々にお金を支払うかのどちらかを行うと思います。それで経済的な問題の多くは解決されるでしょう。ネット検索をするだけでお金持ちになれるのですから(笑)。富豪は言い過ぎかもしれませんが、十分食べていくことはできるでしょう』、「フェイスブックのために写真を撮っている。これはつまり、人々がフェイスブックに雇われているということです。フェイスブックのために、文字通り働いているんです」、「フェイスブック」にしてみれば、「人々が」勝手に「フェイスブック」を使っているだけで、「ベーシックインカム」を払わされるいわれはないと主張するだろう。
・『デジタル・プロレタリアートが生まれている  2019年5月1日の「エル・パイス」(スペインの新聞)のインタビューでも述べたことですが、我々は自分たちがデジタル・プロレタリアート(無産階級)であることに気づいたほうがいい。一つ、あるいは複数の企業のためにタダ働きしているのですから。人類史上、こんな状況は一度も起こったことがありません。GAFAは「我々はビッグデータを吸い上げる代わりにたいへん便利なサービスを無料で提供している」などと言います。でも、実質無料ではありません。我々は気づかないうちに彼らのために働いているのですから。 たとえば、あなたが今フライドポテトを食べたいと思ったとしましょう。そこでボンの町にあるフライドポテトの屋台に行くと、「この店のポテトは無料です」と言われた。それはいい、いただこう。でも店員はこう続けます。「ポテトを受け取る前にあの畑からじゃが芋を採ってきなさい、そうしたら揚げてフライドポテトにしてあげましょう」と。「じゃが芋を採るのも無料です。ただ行って採ればいい、無料開放されています。採って持ってきなさい」と、こうです。 その実態は、フライドポテト会社のために働くということです。フライドポテトを無料提供ですって?それは無料ではありません。これがGAFAの行っていることです。彼らは何も無料で与えてくれてやしません。トリックです。いくばくかの広告収入はあるかもしれないが、本当の収益は我々のタダ働きから来ているのです。 我々はそのことに気づいていません。それがトリックです。なぜなら我々の労働に対する概念がひどいものだからです。我々は皆、マルクス主義的な労働概念を持っています。実はマルクス主義の労働観はそこまで間違っているわけではないかもしれませんね。マルクス主義における労働とは、肉体的・活動的な現実を別の形に変換することを指します。木を削ってテーブルを作る、これが労働です。 インターネットではこれがどう起きるかというと、バーベキューパーティ、つまり肉体的・活動的な現実を開催し、写真を撮る。これが変換です。その変換した写真をアップする。アップも変換に当たります。 それでも我々はインターネットに関して、「それが物質的なものではない」という素朴な労働観を持っている。これが間違いです。(情報空間でのやりとりは)精神的なものだと思うかもしれませんが、インターネットは完全に物質的なものです。サービスも半導体チップも物質的なものでしょう。それがインターネットです。一定の方法で組み立てられた配線、チップ、電磁放射線の集合体です。我々は、その事実にまったく気付いていません。 最近の調査では、我々は1年間のうち約4カ月もネットをして過ごしているといいます。1年のうち4カ月も、びた一文くれない人間のために働いて過ごしているのです。彼らは何かしらのサービスをくれているかもしれません。でも実際は、そのサービスで得られるものより多くの代償を我々は支払っているんです』、「デジタル・プロレタリアート」、とは言い得て妙だ。しかし、「フライドポテト」の寓話は全く理解できなかった。「我々は1年間のうち約4カ月もネットをして過ごしているといいます。1年のうち4カ月も、びた一文くれない人間のために働いて過ごしているのです」、「働いて過ごしている」というのも、理解できなかった。
・『日本はテックイデオロギーを生み出す巧者  グーグルがベルリンのクロイツベルク地区に新たな拠点を設立しようとしたとき、ベルリンでは反対運動が起きました。このような巨大テック企業への反対運動は、日本では見られませんね。人々の認識には、日独でかなりのギャップがあると感じます。 それは、日本がテクノロジーに関するイデオロギーを生み出すのが抜群にうまいからだと私は思います。このようなストーリーの紡ぎ手としては、日本は第一級の国の1つで、90年代はカリフォルニア以上、少なくとも同等に重要な存在だったと思います。今はそこまでの存在感はありませんが。とはいえ、モダニティに対する日本の貢献がなければテレビゲームは今日の姿にはなっていなかったでしょうし、それゆえインターネットで我々が得る経験も今の状態にはかすりもしないものになっていたでしょう。 ですから日本は、地球上でテクノロジーがもっとも進んでいる地域の一つであり続けているのです。昔はやった「たまごっち」は、機械に愛情を投影することで、人間としての欲望が置き換えられるものでした。日本は一社会として、こうしたモデルを受け入れる傾向が他の地域よりもあると思うのです。 ドイツで起きた反GAFA運動に関して一つ私が強く思っているのは、ドイツは実に長い期間、テクノロジーと独裁主義、イデオロギーとの関わりを味わってきたということです。ドイツは自動車を発明しましたね。忘れてはならない、ドイツが行った人類滅亡への多大な「貢献」です。ドイツのイデオロギーというのは――私は今これをかつての姿に修復しようと使命感を持ってやっているんですが――ともかく、ドイツの発明というのは人類史上最悪に近い。 もちろん他にも人類滅亡に「貢献」している国はありますし、ドイツにも、カントやヘーゲルらがモダニティに素晴らしい貢献をした面もあります。それでも、ドイツの発明は最悪です。 それからドイツは、二度の世界大戦で非常に重大な役割を果たしました。実際はもっとさまざまな要因が絡み合って引き起こされたのですが、端的にいうとそうなります。あれは人間を破壊するためにテクノロジーが使われた戦争でした。ドイツのテクノロジーに対する見識は、そういうものです。テクノロジーとは、壊滅という悪の力だと思っています。ですから、テクノロジーで利益を得ている一部の人々を除き、ドイツにおける批判的思考の持ち主は誰でも、デジタルテクノロジーに強い抵抗を示すでしょう。これは独裁だ、と本能的に反応します。直感的に、独裁に対して反発を起こすのです』、「ドイツにおける批判的思考の持ち主は誰でも、デジタルテクノロジーに強い抵抗を示すでしょう。これは独裁だ、と本能的に反応します」、なるほど、日本人には想像できない抵抗感があるようだ。
・『優しい独裁国家・日本  私は日本が好きですが、日本へ行くと独裁国家にいるような感覚を覚えます。とても民主主義的だし、人々も優しい。中国にいるときのような感覚はない。でも、非常に柔和で優しい独裁国家です。誰もがそれを受け入れている、ソフトな独裁国家のような感覚です。 日本の電車のシステムは完璧ですね。でもホームで列に並び、来たのがピンク色の女性専用車両だったら、私は別の車両へ移動しなければならない。もしそのシステムを理解せず、従わなかったら、いわゆる白手袋の駅員がやってきて追い出されることもあります。 実際、そうだったんです。東京を訪れた際、ピンク色のシステムを知らないまま女性専用車両に立っていて、なぜピンク色なんだろうと考えていたら、もう白手袋がやってきていました。これが、ソフトな独裁国家ということです。 このように完璧になめらかな機能性には、ダークサイド(暗黒面)があります。精神性や美が高まるというよい面もありますが。日本文化は非常に発達していて、誰もが美の共通認識を持っており、食べ物も、庭園も、すべて完璧に秩序が保たれている。それが日本文化のすばらしい面であり、よい面です。 でも、暗黒の力もあるのです。抑圧されたもののすべてが、その力です。時間に遅れてはいけない、問題を起こしてはいけないと、まるで精神性まで抑えるかのような力です。先ほどの白手袋のように、テクノロジーへ服従させられます。私は、これは日本を規定する対立関係(antagonism)だと思います。どんな先進社会にも構造的な対立関係が組み込まれていますが、対立関係、つまりは弁証法です。 ※本文は書籍『世界史の針が巻き戻るとき~「新しい実在論」は世界をどう見ているか』を一部抜粋して掲載しています』、「日本文化は非常に発達していて・・・それが日本文化のすばらしい面であり、よい面です。 でも、暗黒の力もあるのです。抑圧されたもののすべてが、その力です。時間に遅れてはいけない、問題を起こしてはいけないと、まるで精神性まで抑えるかのような力です」、「暗黒の力」にもう1つ付け加えるとすれば、集団への同調圧力の高さがあると思う。「どんな先進社会にも構造的な対立関係が組み込まれていますが、対立関係、つまりは弁証法です」、「ソフトな独裁国家」にはなるほどと納得した。
タグ:「五頭のクジラ」と呼ばれる公的資金を使って、意図的に株価を下支え 平成に失われた共感や居場所を「令和」に取り戻すために 日本は失われた40年を歩むことになるのか 日本の構造問題 「過重労働による死」 東洋経済オンライン 岩崎 博充 かつて日本の株式市場は3割以上が国内の個人投資家によって保有 世界経済に占める日本経済のウェートを見ると、その凋落ぶりがよく見て取れる 現在では、過去最低レベルの17%程度 官民そろってガラパゴスに陥った30年 「平成の30年間を振り返る」 「ストレスの雨」は職場に降り始めていたものの、それをしのぐだけの“傘”を企業が提供していたことで、ビジネスマンは「やりがい」と「他者への共感」というポジティブな感情を確保できていたのではないか 日本はなぜ構造改革できないのか? 自分たちが“新しい”と信じている経営手法は、海の向こうで既に否定されていた 文化も労働体系も異なる米国から輸入 科学技術力も、この30年で大きく衰退 「同僚や部下が忙しいと、すすんで手伝ったりカバーする」という共感は消滅し、「自己責任」という言葉を多用する人たちを量産した 1978 年 「今の日本は『自殺』するだけの勢いもなく、衰えた末に『自然死』してしまうのではないか、と思わされる」 暗黒の力もあるのです。抑圧されたもののすべてが、その力です。時間に遅れてはいけない、問題を起こしてはいけないと、まるで精神性まで抑えるかのような力です 「国際競争力ランキング」 バブル崩壊は政府の責任だ デジタル・プロレタリアートが生まれている 「同僚や部下が忙しいと、すすんで手伝ったりカバーする」と8割の人が答えられるだけの心理的余裕もあった 優しい独裁国家・日本 「日本人が部分を見て全体をみることができなくなり、エゴと放縦と全体主義の蔓延のなかに自滅していく危機のなかに存するというべきなのである」 「平成初期の中年男の悲鳴が予言していた「日本の自殺」」 近年の日本の国際競争力の低下は目に余るものがある もはや働く人たちを「人」として見られない経営者たちは「エゴに満ちた経営」をどこまでも追い求めた 日本のメディアは日本の技術がすばらしいとか治安が優れているなど、数少ない日本の長所をことさらにクローズアップして、日本が世界をリードしているような錯覚を毎日のように国民に与え続けている ガラパゴスの背景には、必ずと言っていいほど政府の歪んだ補助行政や通達、 規制といったものが存在 忙しかったけど納得のいく報酬と思いやりある職場があった ドイツにおける批判的思考の持ち主は誰でも、デジタルテクノロジーに強い抵抗を示すでしょう。これは独裁だ、と本能的に反応します 我々はGAFAに「タダ働き」させられている 彼らを規制すべき理由 「過労死」 日本はテックイデオロギーを生み出す巧者 「日本人は「失われた30年」の本質をわかってない」 「24時間働けますか?」という企業側の暗黙のオーダーを、働く人たちが「美徳」と捉え、世間もそういう働き方をする人たちを評価する風潮が、「長時間労働」の背後に存在していた フォーチュン・グローバル500 株式の上昇による資産効果の恩恵を日本の個人はほとんど受けていない 「日本の自殺」 「「日本はソフトな独裁国家」天才哲学者マルクス・ガブリエルが評するワケ」 この30年、何が変化したのか? (その15)(平成初期の中年男の悲鳴が予言していた「日本の自殺」、日本人は「失われた30年」の本質をわかってない、「日本はソフトな独裁国家」天才哲学者マルクス・ガブリエルが評するワケ) アベノミクスでは、財政出動の代わりに中央銀行である日本銀行を使って、異次元の量的緩和という名目で、実際は「財政ファイナンス(中央銀行が政府発行の国債を直接買い上げる政策)」と同じような政策を展開 グローバル企業が示す日本の衰退 「平成の時代とは「人間の勝手さと愚かさ」を知らしめた30年だったのではないか」 日経ビジネスオンライン 悪化、劣化、衰退」という、最悪な文字しか浮かばない マルクス・ガブリエル ダイヤモンド・オンライン 成果主義の名を借りたコスト削減が職場を荒廃させた グループ一九八四年 実質的に経営破綻に追い込まれた金融機関や企業の破綻を先延ばしし、最終的に7年以上もの時間をかけてしまった 責任はどこにあるのか? 「長時間」働くことは“美徳”だった平成初期 アメリカの成果主義 株価が暴落したときに、個人が株式市場に参入する機会を失ってしまっている 河合 薫 「過労死110番」 「正規雇用・長期雇用」という制度を企業が維持
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資本主義(その3)(既得権と独占を壊せ!自由な社会の作り方 若き天才経済学者が「ラディカル」に提言、「現代最強の経済学者」スティグリッツの挑戦状 ピケティと挑む「資本主義100年史」の大転換) [経済]

資本主義については、昨年10月3日に取上げた。今日は、(その3)(既得権と独占を壊せ!自由な社会の作り方 若き天才経済学者が「ラディカル」に提言、「現代最強の経済学者」スティグリッツの挑戦状 ピケティと挑む「資本主義100年史」の大転換)である。

先ずは、経済学者の安田 洋祐氏が昨年12月20日付け東洋経済オンラインに掲載した「既得権と独占を壊せ!自由な社会の作り方 若き天才経済学者が「ラディカル」に提言」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/319184?page=2
・『21世紀を生きる私たちには3つの課題がある。富裕層による富の独占、膠着した民主主義、巨大企業によるデータ搾取だ。この難問に独自の解決策を見いだそうとする野心的な理論書が刊行された。気鋭の経済学者として名を馳せるグレン・ワイル氏を共著者とする『ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀』だ。 プリンストン大学留学時にワイル氏とも接点があり、今回、本書の監訳を担当した大阪大学大学院経済学研究科准教授の安田洋祐氏による「日本語版解説」を、一部加筆・編集してお届けする』、興味深そうだ。
・『学部生ながら大学院生に教えた「天才経済学者」  本書の執筆者の一人であるグレン・ワイル氏は、筆者のプリンストン大学留学時代のオフィスメートである。と言っても、当時の私は大学院生で彼はまだ学部生。 ワイル氏は学部生でありながら大学院の難解な講義を楽々と突破し、さらには大学院生たちを(ティーチング・アシスタントとして)教える、スーパーな学部生だった。 すでに大学院生用の研究スペースまでもらい、ハイレベルな学術論文を何本も完成させていた彼は、プリンストン大学を首席で卒業したあと、そのまま同大学の大学院に進学。平均で5、6年はかかる経済学の博士号(Ph.D.)を、驚くべきことにたった1年でゲットしてしまう。 この規格外の短期取得は経済学界でも大きな話題となり、「若き天才経済学者登場」「将来のノーベル賞候補」、といった噂が駆け巡った。 そんな若き俊英が、はじめて世に送り出した著作が本書『ラディカル・マーケット』である。今回、記念すべきこの本を監訳することができて、イチ友人として、またイチ経済学者として、とても光栄に思う』、「若き天才経済学者」が「はじめて世に送り出した著作」、何を主張するのだろう。
・『「ラディカル」(Radical)という単語は、「過激な・急進的な」という意味と「根本的な・徹底的な」という意味の、2通りで用いられる。本書『ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀』は、まさに両方のラディカルさを体現した「過激かつ根本的な市場改革の書」である。 市場が他の制度――たとえば中央集権的な計画経済――と比べて特に優れているのは、境遇が異なる多様な人々の好みや思惑が交錯するこの複雑な社会において、うまく競争を促すことができる点である。 市場はその存在自体がただちに善というわけではなく、あくまで良質な競争をもたらすという機能を果たしてこそ評価されるべきだ。 もしもその機能が果たされていないのであれば、市場のルールを作り替える必要がある。今までのルールを前提に市場を礼賛する(=市場原理主義)のではなく、損なわれた市場の機能を回復するために、過激で根本的なルール改革を目指さなければならない(=市場急進主義)。本書の立場は、このように整理できるだろう』、「市場原理主義」ではなく、「市場急進主義」とは面白そうだ。
・『現代世界が直面する問題とその解決策  では、著者たちが提案する過激な改革とは、いったいどのようなものなのか?本論にあたる第1章から第5章までの各章で、私有財産、投票制度、移民管理、企業統治、データ所有について、現状および現行制度の問題点がそれぞれ整理され、著者たちの独創的な代替案が提示されている。 どの章もそれだけで1冊の専門書になってもおかしくないくらい内容が濃く、驚かれた読者も多いに違いない。第3章から第5章では、世界が現在進行形で抱える深刻な社会・経済問題に対する処方箋が示されており、移民、ガバナンス、データ独占などの現代的な問題に関心のある方は必読だ。 本書の中心となる第1章と第2章は、資本主義および民主主義の大前提を揺るがし、思考の大転換を迫るようなラディカルな提案を読者へと突きつける。 たとえば、第2章「ラディカル・デモクラシー」では、民主主義の大原則である1人1票というルールに改革のメスが入る。具体的には、ボイスクレジットという(仮想的な)予算を各有権者に与えたうえで、それを使って票を買うことを許すという提案だ。 ここで登場する「2乗する」というルールは、単なる著者たちの思い付き、というわけではもちろんない。現在までに購入した票数と追加的に1票を買い足すために必要なボイスクレジットが比例的な関係になる、という二次関数の性質がカギを握っているのだ。 そのうえで著者たちは、一定の条件の下で、QVによって公共財の最適供給が実現できることを示している。独創的なアイデアをきちんと先端研究によって補完する、という組み合わせは他の章にも通底する本書の大きな魅力である』、「ボイスクレジット」については、ここでの短い説明だけでは、理解不能だ。
・『さて、ここからは第1章「財産は独占である」の中身と、その評価について述べたい。本書の中でも最もラディカルなこの章で著者たちが改革の矛先を向けるのは、財産の私的所有に関するルールである。 私有財産は本質的に独占的であるため廃止されるべきだ、と彼らは主張する。言うまでもなく、財産権や所有権は資本主義を根本から支える制度のひとつだ。財産を排他的に使用する権利が所有者に認められているからこそ、売買や交換を通じた幅広い取引が可能になる。 所有者が変わることによって、財産はより低い評価額の持ち主からより高い評価額の買い手へと渡っていくだろう(配分効率性)。さらに、財産を使って得られる利益が所有者のものになるからこそ、財産を有効活用するインセンティブも生まれる(投資効率性)』、総論としては理解できる。
・『私有財産制度がもたらす問題  著者たちは、現状の私有財産制度は、投資効率性においては優れているものの配分効率性を大きく損なう仕組みであると警告している。私的所有を認められた所有者は、その財産を「使用する権利」だけでなく、他者による所有を「排除する権利」まで持つため、独占者のように振る舞ってしまうからだ。 この「独占問題」によって、経済的な価値を高めるような所有権の移転が阻まれてしまう危険性があるという。 一部の地主が土地を手放さない、あるいは売却価格をつり上げようとすることによって、区画整理が必要な新たな事業計画が一向に進まない、といった事態を想定するとわかりやすいだろう。 代案として著者たちが提案するのは、「共同所有自己申告税」(COST)という独創的な課税制度だ。COSTは、1.資産評価額の自己申告、2.自己申告額に基づく資産課税、3.財産の共同所有、という3つの要素からなる。具体的には、次のような仕組みとなっている。 1.現在保有している財産の価格を自ら決める。 2.その価格に対して一定の税率分を課税する。 3.より高い価格の買い手が現れた場合には、 3─i.1の金額が現在の所有者に対して支払われ、 3─ⅱ.その買い手へと所有権が自動的に移転する。 仮に税率が10%だった場合に、COSTがどう機能するのかを想像してみよう。あなたが現在所有している土地の価格を1000万円と申告すると、毎年政府に支払う税金はその10%の100万円となる。申告額は自分で決めることができるので、たとえば価格を800万円に引き下げれば、税金は2割も安い80万円で済む。 こう考えて、土地の評価額を過小申告したくなるかもしれない。しかし、もし800万円よりも高い価格を付ける買い手が現れた場合には、土地を手放さなければならない点に注意が必要だ。 しかもその際に受け取ることができるのは、自分自身が設定した金額、つまり800万円にすぎない。あなたの本当の土地評価額が1000万円だったとすると、差し引き200万円も損をしてしまうのである。 このように、COSTにおいて自己申告額を下げると納税額を減らすことができる一方で、望まない売却を強いられるリスクが増える。このトレードオフによって、財産の所有者に正しい評価額を自己申告するようなインセンティブが芽生える、というのがCOSTの肝である』、確かに「COST」は優れた仕組みのようだ。
・『現代によみがえるジョージ主義やハーバーガー税  実は、COSTのような仕組みの発想自体は、著者たちのオリジナルというわけではない。シカゴ大学の経済学者アーノルド・ハーバーガーが、固定資産税の新たな徴税法として同様の税制を1960年代に提唱しており、彼の名前をとって「ハーバーガー税」とも呼ばれている。 またその源流は、19世紀のアメリカの政治経済学者ヘンリー・ジョージの土地税にまで遡ることができる。ただし、適切に設計されCOSTを通じて、所有者にきちんと正直申告のインセンティブを与えることができることや、配分効率性の改善がそれによって損なわれる投資効率性と比べて十分に大きいことなどを示している点は、著者たち(特にグレン・ワイル氏と、別論文での彼の共同研究者)の大きな貢献だ。 整理すると、大胆な構想と洗練された最先端の学術研究によって、本書はジョージ主義やハーバーガー税を現代によみがえらせ、土地をはじめとするさまざまな財産に共同所有への道筋を切り拓いた、といえる。 財産の私的所有は、確かに著者たちが主張するように「独占問題」を引き起こし、現在の所有者よりも高い金額でこの財産を評価する潜在的な買い手に所有権が移転しにくくなる、という配分の非効率性を引き起こす。 ただし、この非効率性は悪い面ばかりとは限らないのではないだろうか。非効率性の正の側面として、3つの可能性に思い至ったので書き留めておきたい。 1つ目は、予算制約である。ある所有者にとって非常に価値がある財産であっても、租税に必要な現金が足りず、高い金額を申告することができないような状況が当てはまる。 私有財産が認められていれば、手元に現金がなくても大切な財産を守ることができるが、COSTはこの「守る権利」を所有者から奪ってしまう。経済格差の解消が大幅に進まない限り、この種の「不幸な売却」をなくすことは難しいのではないだろうか。 2つ目は、生産財市場の独占化だ。いま、2つの企業が同じビジネスを行っており、事業継続のためにはお互いが所有している財産――たとえば事業免許――が欠かせないとしよう。 ここで、ライバルの免許を獲得すれば自社による一社独占が実現できるため、高い金額で相手の免許を買い占めるインセンティブが生じる。 免許の所有権がCOSTを通じて円滑に移転することによって財産市場の独占問題は解消されるものの、その財産を必要とする生産財市場において独占化が進んでしまう危険性があるのだ。 3つ目は単純で思考コストが挙げられる。COSTにおいて申告額をいくらに設定すれば最適なのかは、税率だけでなく、自分の財産に対する他人の購買意欲に左右される。 需要が大きければ価格を上げ、小さければ下げるのが所有者にとっては望ましい。つまり、市場の動向をつぶさに観察して、戦略的・合理的な計算をする必要があるのだ。こうした調査や分析は、市井の人々に大きな負担を強いるかもしれない』、「非効率性の正の側面として、3つの可能性」、「安田 洋祐氏」の指摘はその通りなのかも知れない。 
・『「スタグネクオリティ」を解決する卓越したアイデア  最後に、COSTや本書全体に対する監訳者の評価を述べておきたい。現在の資本主義が抱える問題として特に深刻なのは、経済成長の鈍化と格差の拡大が同時並行で起きていることだろう。著者たちが「スタグネクオリティ」と呼ぶ問題である。 こうした中で、一部の富裕層に過剰なまでに富が集中する経済格差の問題を見過ごせない、と考える経済学者も増えてきた。 ただし、著者たちのように、私有財産という資本主義のルールそのものに疑いの目を向ける主流派経済学者はまだほとんどいない。ポピュリズムや反知性主義が世界中で台頭する中で、専門家として経済の仕組みを根本から考え抜き、しかも過激な具体案を提示した著者たちの知性と勇気を何よりも称えたい。 COSTを幅広い財産に適用していくのは、少なくとも短期的には難しいかもしれない。しかし、補完的なルールをうまく組み合わせて、前述したような問題点にうまく対処していけば、実現可能な領域は十分に見つかると期待している。 ポズナー氏とワイル氏の卓越したアイデアをさらに現実的なものとするためにも、本書が多くの読者に恵まれることを願っている。 さぁ、ラディカルにいこう!』、確かに、「経済成長の鈍化と格差の拡大」という「スタグネクオリティ」に対する革命的な処方箋のようだ。今後の議論の発展を待ちたい。

次に、作家、研究者の佐々木 一寿氏が1月8日付け東洋経済オンラインに掲載した「「現代最強の経済学者」スティグリッツの挑戦状 ピケティと挑む「資本主義100年史」の大転換」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/321057
・『稀代の「武闘派」エコノミストが怒っている。長年、格差問題に取り組んできた、ノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・E・スティグリッツがその人だ。 このたび上梓された『スティグリッツ PROGRESSIVE CAPITALISM』をもとに、スティグリッツとはどのような経済学者なのか、同書で示唆されているある主流派大物経済学者への野心的「挑戦状」とは何かを探る』、主流派経済学者が触れたがらない「格差問題」に、どのような処方箋を示すのだろう。
・『スティグリッツが最強経済学者である理由  一流学者たちから尊敬を集めるほどの学術的な練度、行動力、そして目的の倫理性において、ジョセフ・スティグリッツは他の経済学者を圧倒するほど抜きん出た存在である。 世界中を飛び回る彼にとって象牙の塔ほど似合わないところはない、そんな印象があるが、若い頃には研究室に寝泊りしすぎたために大学側からアパートの契約書の提出を求められたという伝説的な研究の虫であり、MITが誇る当時の二枚看板、ポール・サミュエルソンとロバート・ソロー(ともにノーベル経済学賞受賞学者)に認められた、見紛うかたなき理論家でもある。 そして彼の理論は実践されるためにある。どこにでも出かけて行き、経済学者にも専門外の者にも丁寧に熱心に(時に憤慨しながら)考えを伝える。 学者以上に学者らしく、それでいて“学者風情”とはまったくかけ離れている。実際、行動だけを追うAIが分析をすれば、活動家と見紛うのではないだろうか』、「サミュエルソンとソローに認められた」、確かに「見紛うかたなき理論家でもある」ようだ。
・『彼の経済理論を、惜しみなく隈なく実践に投入する彼の目的はなんなのか。それは、ほかでもない経済学(あるいは今ならcapitalism、資本主義)の副作用を緩和し、万人の生活を向上させることにあるように思える。 また、自身の経済学者としての名声のためではなさそうということは、時にはそれを危うくするような行動もいとわないからだ。 例えば、結果的に彼の名声を不動のものにし2001年のノーベル賞授与の理由となった「非対称情報下の市場経済」は、経済学が依拠する前提を根底から問うもので、当時の主流派を心底から寒からしめる反逆的な色彩のものであったし、四半世紀前から取り組んでいる「グローバリズム施策批判」は時の政府や巨大機関の権力に文字どおりけんかを売るものであった。 また、経済政策の歪みから暴動に発展しそうになればデモの先頭に駆けつけて同情を示しつつ説得を試みるなど、リスクをいとわない行動は枚挙にいとまがない。 彼は徹底して「経済学で万人の生活を向上させる」という目的のために身体を張っているように見える。並の経済学者とは一味も二味も違う存在といえるだろう。 傑出した理論家であり、稀代の武闘派でもあり、人々の生活の向上を願ってやまないこの最強経済学者はといえば、現在もご立腹のようなのである』、功なり名をとげても「稀代の武闘派」とは珍しい存在だ。
・『一貫して「格差拡大」に警鐘を鳴らす  スティグリッツは一貫して経済格差拡大に関して神経をとがらせている。それは、国内であっても国際間であってもそうで、悪意がある欺瞞(わざとそうしている)はもちろんのこと、悪意なき欺瞞(わざとではないがメカニズム的に不可避である)であっても見過ごすことをよしとしない。 そして、後者こそが経済学者スティグリッツの慧眼が冴え渡るところであり、理論と実践に通暁する彼の仕事の真骨頂でもある。 例えば1990年代後半に起きたアジア通貨危機の遠因は、プロの経済学者でも容易には気づけないものも多分にあった。そういう場合には(とくに先進国の専門家は)、つい発展途上国の未熟さのせいにしてしまいがちではある。 しかし、スティグリッツは、先進国の専門家のアドバイス(彼らはえてして先進国政府や巨大国際機関に所属している)こそが不幸な帰結をもたらしたのだと、メカニズム分析を通じて主張する。 専門家たちもよくよく言われてみればそのとおりかもしれないとは思うものの、ただすぐにはピンとこない(悪意のない)彼らにとってはなぜスティグリッツがそこまで憤慨しているのか理解しにくいケースもあるのだろう。 スティグリッツへの批判的な意見も勘案してみると、おそらくスティグリッツはメカニズムの構造がすぐにわかるがゆえに、不幸が引き起こされる帰結が目の前にありありと浮かんでしまい、瞬間的に憤慨してしまうといったこともよくあるのではないか。見えすぎることの副作用として、誤解されることも多いのかもしれない。) ただこのような行動は、時の権力者からは疎まれやすく、煮え湯を飲まされたり冷や飯を食わされたりは日常茶飯事ではあるだろう。 だが、スティグリッツはそれであっても分析や助言をやめない。そして、彼の助けを求める国々は彼を大いに歓迎したし、また不都合な真実を明るみにしたいメディアも彼に好意を示すようになる。スティグリッツが経済学者として異例の人気を誇るのは、このような人柄によるものだろう。 そして、スティグリッツの立腹は、いまは主にアメリカに向かっているようだ。 スティグリッツの最新刊『スティグリッツ PROGRESSIVE CAPITALISM』では、これまでのようにグローバリズムの不幸や金融への危惧にももちろん言及されているが、いま彼の多くの関心はアメリカの格差問題に向かっているように感じる。それはとくに序文にはっきり現れている。 とくにトランプ大統領には物言いが辛辣だし、ウォール街へも相変わらずの苦言を呈するが、なかには同僚の主流派経済学者たちがドキリとする宣言もある。 いま、スティグリッツは経済学者として大きな挑戦をしようとしているように見える。それは、経済政策の転換を主張・説得するものとして書かれているが、それ以上のもの、つまり経済学の根幹を問い直すスケールの大きなもくろみを感じさせる』、アジア通貨危機時のIMFの処方箋に対する「スティグリッツ」の手厳しい批判はまだ覚えている。「いま彼の多くの関心はアメリカの格差問題に向かっている」、のは当然だろう。
・『経済学のここ50年の歴史を清算する意思  序文でスティグリッツは、トランプ大統領への苦言を一通りは呈するものの、その(悪意ある)欺瞞はいかにも小物的、表面的だと言わんばかりの書き方をしている。トランプ大統領はいさかいをあおって問題を表面化させたが、実は本来的な経済構造のほうに根本的な問題があるのだという。 その根本的な問題とは何か。それを示唆するために、スティグリッツは突然、ルーズベルトの時代のアメリカ経済に言及する。 「本書では、トランプやその支持者が主張する政策とは真っ向から対立する進歩的な政策を紹介する。それはいわば、セオドア・ルーズベルトとフランクリン・D・ルーズベルトの政策を21世紀風に混ぜ合わせたものだ。」(『スティグリッツ PROGRESSIVE CAPITALISM』「はじめに」より) このスティグリッツの宣言には、主流派(この50年で最大勢力となった新古典派経済学)の学者たちはきっとドキリとしたに違いない。50年前の経済学(ニューディーラー、つまり政府の財政支出による計画経済を重視する立場で『アメリカ・ケインジアン』とも呼ばれていた)に戻らなければいけないね、と“あの”最強経済学者がほのめかしているからだ。 経済学会ではここ長らく、主流派でなければ学者として名を成すことが事実上難しい状況が続いている。いまの主流派は歴史的に、不況対策で功績を上げたニューディーラー(1930〜1970年代)を学術的・政治的に葬り去って「新しい古典派」として数理的な市場均衡モデルを武器にその座に着く(1980年代以降)。 そして、主流派であるかどうかは、一般的なイメージよりもずっと経済学者にとって切実なものである。) スティグリッツ自身ももちろん、名うての新古典派の「巣窟」から頭角を現してきた理論家である。その彼自身が、いまの主流派に苦言を呈しているのだ。 格差問題をきちんと考えるように主流派経済学者たちに見直しを迫っているということであれば、主流派であっても柔軟な学者であれば、少し謙虚に見直しもしてみようと思う者もいるだろうし、スティグリッツもそれを期待しているに違いない。 実際、著名な理論家であるノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマンなど、かなり柔軟に対応する主流派学者も存在する。 そのような見直しプロセスによって主流派経済学がより汎用性を獲得し、より強靭になれるのであれば、主流派経済学にとっても耳が痛いとはいえ最終的に悪い話ではないだろう。 私は、今でもそのように楽観している。 ただ、スティグリッツは広がるばかりの格差拡大の深刻さに、かなりいら立っている様子ではある。 そして、もしかしたら主流派経済学の基本的な処方箋自体にとうとう“No”を突き付けつつあるのではないか。 本書を謝辞まで読み終えたとき、何か言いようのない違和感を覚えたのである』、「スティグリッツ」といえども、「主流派経済学」と正面から戦うまでには至らないようだ。
・『資本主義100年の歴史を問い直す  最後の謝辞の結文では、ケンブリッジ大学留学時代に触れている。 スティグリッツはMITでの研究の総仕上げとして、ジョーン・ロビンソンのいたケンブリッジ大学に留学しているが、期間は1年ほどである。 「私は1965年、フルブライト奨学生としてイギリスのケンブリッジ大学に入学し、ジェームズ・ミード、ジョーン・ロビンソン、ニコラス・カルダー、フランク・ハーン、デビッド・チャンパーノウンといった偉大な学者のもとで研鑽を積んだ。いずれも、格差の問題や資本主義制度の性質について並々ならぬ関心を抱いていた方々である。」(前掲書より) ロビンソンはケインズの直弟子で、ケインズの直弟子たちのグループは「ケインズ・サーカス」と呼ばれていた。 ロビンソンはそのなかでも武闘派で鳴らしていたが、「数式で簡単に扱えるほど経済の不確実性は甘いもんじゃない」というケインズ・サーカスの経済観は、のちにポスト・ケインジアンと呼ばれる流派に受け継がれる。 そして、ポスト・ケインジアンは傍流の経済学派として今でも主流派から距離を置かれている。 スティグリッツは、ケインズ・サーカスに言及し、資本主義制度を丸ごと疑うことで、主流派を相対化しようとしているのではないか。 並の経済学者であればともかく、スティグリッツであれば、あながちありえない話でもないだろう』、「「数式で簡単に扱えるほど経済の不確実性は甘いもんじゃない」というケインズ・サーカスの経済観」、に私は魅力を感じる。
・『「資本主義は格差を広げる」か  そのようにも思いながら、再び序文を見返してみると、また何か引っかかるところが出てくる。 「私たちはこれまで、国がある発展段階に到達すれば格差は縮小する、アメリカはその理論を実証していると教えられてきた(注9)。<中略>だが、2016年の大統領選挙が行われるころには、19世紀末の「金ぴか時代」以来なかったほどのレベルにまで格差が拡大していた。」(前掲書より) 非常に注意深い言い回しで、具体的な人物名は注で後述に逃がしているが、資本主義経済が格差を広げるか縮めるかに関して、意味深長な記述である。格差を縮めるという意見に反対をしたいようである。 その「資本主義経済が格差を縮める」という意見を確立したのは、アメリカの黎明期の経済学で多大な功績を残した当時の最強の経済学者、サイモン・クズネッツである。 クズネッツは自由主義陣営(いわゆる西側諸国)の理論的支柱であり、対東側諸国(社会主義、共産主義陣営)としての、また第三諸国を自由主義陣営に誘ううえでの最重要の経済学者だった。 そのクズネッツのテーゼが「国がある発展段階に到達すれば格差は縮小する」、つまり資本主義経済による経済発展は分厚い中産階級を作ることにつながり、皆が裕福になり格差が縮まる、というものだ。 これはいまでも(例えば開発経済学等での)コンセンサスとして資本主義経済、市場経済推進の根幹をなす考えである。 クズネッツは最初期のノーベル賞経済学賞受賞者であり、西側諸国のコンセンサスを作ってきた、つまり現在の世界の大部分を形作ってきた大物中の大物だが、スティグリッツはいま、そのクズネッツに挑戦をしようとしているのではないか。 「クズネッツは本当に正しかったのか」 つまり、彼が必ずしも正しくなかったとしたら、主流派経済学はいま一度、相対化されたほうがいいのではないか。) 本書の内容はこれまでのスティグリッツの延長にあるが、彼はこれまでよりもより踏み込んだ領域に経済学の可能性を探しに行き始めたのかもしれない』、「クズネッツのテーゼが「国がある発展段階に到達すれば格差は縮小する」、これが「コンセンサスとして資本主義経済、市場経済推進の根幹をなす考えである」、スティグリッツでなくても、どう考えても崩れつつあるとしか思えない。
・『大きな転換を訴えるマクロ経済学の潮流  実はスティグリッツのほかにももう1人、すでにクズネッツに挑戦しようとしている経済学者がいる。 トマ・ピケティだが、『21世紀の資本』で有名な彼も格差拡大を問題視する名うての理論家だ。「金ぴか時代」(ベル・エポック)はピケティがよく使う言葉でもある。スティグリッツの新著とピケティの著書を併せて読み比べてみても面白いかもしれない。 学者たちから尊敬を集める2人の天才モデラー(理論構築を得意とする学者)は、軌を一にして、経済学100年の資本主義上のコンセンサスの転換に挑んでいる。 また最近、主流派重鎮のオリビエ・ブランシャールも、クルーグマン同様、主流派としてはかなり踏み込んだマクロ経済学観(財政政策のこれまで以上の重要性の強調)を表明して話題になっている。 スティグリッツやピケティに比べれば慎重ではあるものの、主流派の大御所たちの転換表明自体が経済学の新しい時代の幕開けを感じさせる。 経済学はいま、大きな地殻変動の中にあるのかもしれない。そしてその中心にいる人物は、間違いなくスティグリッツだろうと私は思う』、スティグリッツですら「主流派」といまだに正面から対峙できないとは、主流派のレガシーはやはり強力なようだ。
タグ:資本主義 (その3)(既得権と独占を壊せ!自由な社会の作り方 若き天才経済学者が「ラディカル」に提言、「現代最強の経済学者」スティグリッツの挑戦状 ピケティと挑む「資本主義100年史」の大転換) 安田 洋祐 東洋経済オンライン 「既得権と独占を壊せ!自由な社会の作り方 若き天才経済学者が「ラディカル」に提言」 3つの課題 富裕層による富の独占、膠着した民主主義、巨大企業によるデータ搾取 グレン・ワイル氏 『ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀』 学部生ながら大学院生に教えた「天才経済学者」 平均で5、6年はかかる経済学の博士号(Ph.D.)を、驚くべきことにたった1年でゲットしてしまう 過激かつ根本的な市場改革の書 市場はその存在自体がただちに善というわけではなく、あくまで良質な競争をもたらすという機能を果たしてこそ評価されるべき 今までのルールを前提に市場を礼賛する(=市場原理主義)のではなく、損なわれた市場の機能を回復するために、過激で根本的なルール改革を目指さなければならない(=市場急進主義) 現代世界が直面する問題とその解決策 「ラディカル・デモクラシー」 民主主義の大原則である1人1票というルールに改革のメスが入る。具体的には、ボイスクレジットという(仮想的な)予算を各有権者に与えたうえで、それを使って票を買うことを許すという提案 私有財産は本質的に独占的であるため廃止されるべきだ、と彼らは主張 私有財産制度がもたらす問題 投資効率性においては優れているものの配分効率性を大きく損なう仕組みであると警告 独占問題 代案として著者たちが提案するのは、「共同所有自己申告税」(COST)という独創的な課税制度 財産の所有者に正しい評価額を自己申告するようなインセンティブが芽生える、というのがCOSTの肝 現代によみがえるジョージ主義やハーバーガー税 非効率性の正の側面 予算制約 生産財市場の独占化 思考コスト 「スタグネクオリティ」を解決する卓越したアイデア 経済成長の鈍化と格差の拡大が同時並行で起きている 佐々木 一寿 「「現代最強の経済学者」スティグリッツの挑戦状 ピケティと挑む「資本主義100年史」の大転換」 『スティグリッツ PROGRESSIVE CAPITALISM』 スティグリッツが最強経済学者である理由 稀代の武闘派 一貫して「格差拡大」に警鐘を鳴らす アジア通貨危機時のIMFの処方箋に対する「スティグリッツ」の手厳しい批判 いま彼の多くの関心はアメリカの格差問題に向かっている 経済学のここ50年の歴史を清算する意思 ニューディーラー アメリカ・ケインジアン スティグリッツ自身ももちろん、名うての新古典派の「巣窟」から頭角を現してきた理論家である。その彼自身が、いまの主流派に苦言を呈している 資本主義100年の歴史を問い直す 「数式で簡単に扱えるほど経済の不確実性は甘いもんじゃない」というケインズ・サーカスの経済観は、のちにポスト・ケインジアンと呼ばれる流派に受け継がれる 「資本主義は格差を広げる」か クズネッツのテーゼが「国がある発展段階に到達すれば格差は縮小する」、つまり資本主義経済による経済発展は分厚い中産階級を作ることにつながり、皆が裕福になり格差が縮まる、というもの 大きな転換を訴えるマクロ経済学の潮流 トマ・ピケティ 『21世紀の資本』で有名な彼も格差拡大を問題視する名うての理論家 経済学はいま、大きな地殻変動の中にあるのかもしれない。そしてその中心にいる人物は、間違いなくスティグリッツだろう
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