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資本主義(その4)(貨幣という「資本主義最大のミステリー」に挑む 「欲望」の時代の「哲学と資本主義」の謎を探る、私たちが貨幣に翻弄され「罠に落ちる」根本理由 経済と人間の本質を描ききる「欲望の貨幣論」、34歳天才経済学者が私有財産を否定する理由 データ搾取から移民までラディカルに考える、ポンコツの資本主義は完全に「オワコン」なのか うそのような10月のあとに待ち受けているもの) [経済]

資本主義については、1月22日に取上げた。今日は、(その4)(貨幣という「資本主義最大のミステリー」に挑む 「欲望」の時代の「哲学と資本主義」の謎を探る、私たちが貨幣に翻弄され「罠に落ちる」根本理由 経済と人間の本質を描ききる「欲望の貨幣論」、34歳天才経済学者が私有財産を否定する理由 データ搾取から移民までラディカルに考える、ポンコツの資本主義は完全に「オワコン」なのか うそのような10月のあとに待ち受けているもの)である。

先ずは、2月25日付け東洋経済オンラインが掲載したNHKエンタープライズ制作本部番組開発エグゼクティブ・プロデューサーの丸山 俊一氏による「貨幣という「資本主義最大のミステリー」に挑む 「欲望」の時代の「哲学と資本主義」の謎を探る」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/331030
・『「欲望が欲望を生みだす資本主義の先に何があるのか」 暗号資産(仮想通貨)が生まれ、キャッシュレス化が進む現象を捉え、資本主義の基本を成す貨幣に着目した異色のNHK経済教養ドキュメント「欲望の資本主義特別編欲望の貨幣論2019」が、『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る「欲望の資本主義」特別編』として書籍化された。 『欲望の資本主義3:偽りの個人主義を越えて』では、ハイエクに焦点を当てたが、今回の『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る』では、『貨幣論』や『会社はこれからどうなるのか』など、正統的な近代経済学の枠組みにとどまらず、さまざまな問いかけ、考察をしてきた日本を代表する経済学者である岩井克人氏が登場し、貨幣の本質に迫っている。 「欲望」をキーワードとして、資本主義のみならず、「民主主義」「哲学」などさまざまなアプローチで番組を企画してきたNHKエンタープライズ番組開発エグゼクティブ・プロデューサーの丸山俊一氏にその意図を聞いた(Qは聞き手の質問)』、「NHK経済教養ドキュメント「欲望の資本主義」」はなかなか考えさせられる番組だった。企画した「エグゼクティブ・プロデューサー」へのインタビューとは興味深そうだ。
・『「欲望の時代の哲学2020」で問われるもの  Q:哲学者マルクス・ガブリエルさんの新シリーズが始まりますね。 丸山:そうですね、前回は「欲望の資本主義2019」での鋭いGAFA批判などが印象に残っていますが、この制作チームでの映像取材はおよそ1年ぶりです。 Q:今回も、哲学の枠組みからはみ出したお話がたくさん出てくるのでしょうか? 丸山:彼とこの制作チームとの縁は、純粋に「哲学」をテーマとする番組企画ではなく、現実の「民主主義」「資本主義」のあり方について見解を求めることから始まりました。 2017年4月のNHKBS1スペシャル「欲望の民主主義~世界の景色が変わる時~」、そして「欲望の資本主義2018~闇の力が目覚める時~」は、それぞれ実際に社会で進行する分断、拡大する格差についてインタビューし、意見を求めたのが始まりです。その明快にしてフラットな言葉が、多くの視聴者、読者の方々に届き、大きな反響をいただき、こうしたシリーズとして今につながっています。 2018年初夏には、編集者の小林えみさんのご尽力で来日したタイミングで、「欲望の時代の哲学」「欲望の哲学史」と2つの企画をお送りしました。ともすればイデオロギー闘争ともなりかねないようなテーマでも、そうした情念から距離を取った論理的な言葉で、社会制度の中で過ごすうちにこびりつく疲労、葛藤、ルサンチマンなど、まとわりついたさまざまな感情から自由になるための思考のヒントを与えてくれました。 いま世の中には、さまざまな「世界」があふれています。それぞれのルールで自己完結した論理が交錯し、ネット上でも繰り広げられるバトル、誹謗中傷。みなそれぞれが信じる正義、正解を握りしめ、先鋭化していく言葉の数々……。そこには残念ながら開かれた対話はなく、勝手に信じる「世界」が乱立し、分断は広がっているように見えます。 「世界は存在しない」。 そんな社会状況の中にあっては、こんな逆説的な言葉が注目を集めないわけがありません。「島宇宙」ならぬ「島世界」に閉じこもろうとする人々に待ったをかける「世界は存在しない」というテーゼ。その発言の主、ガブリエルにも関心が集まっています。「欲望の資本主義」シリーズからのスピンオフ企画、今度の舞台はニューヨークです。 Q:今回の番組の見どころは? A:「人はみな、本来、自由の感覚、意志を持っています。ところが、現代の哲学、科学、テクノロジー、そして経済が人々の自由に影響を与え、自ら欲望の奴隷と化したという議論があります。私たち人間は自由です。自らがもたらした不自由の呪縛から、脱出せねばならない」 マンハッタンのビル街を遠く望み、心地よい風の吹くニューヨークの桟橋に1人たたずむガブリエルのこんな「闘争宣言」から番組は幕が開けます。「資本主義と民主主義の実験場」での思索の過程、そこから生まれる言葉は、戦後アメリカとの深い関係性とともに今ある日本のこれからを考えるときにも大いに響くことでしょう。 ガブリエルは、神でもヒーローでもありません。そもそもの言葉の定義に立ち返り、私たちの社会を、人間を、現実を見る眼、その認識の仕方の可能性を提示してくれる哲学者です。 パンクでポップな、スケボーで登場する、茶目っ気たっぷりな……考える人です。彼の言葉をきっかけにご一緒に考えてくださればうれしく思います』、「いま世の中には、さまざまな「世界」があふれています・・・そこには残念ながら開かれた対話はなく、勝手に信じる「世界」が乱立し、分断は広がっているように見えます。「世界は存在しない」」、どういうことだろう。
・『社会と個人、意識と無意識、時代の生む物語  Q:それにしても「欲望」というキーワードで、「資本主義」から「民主主義」「経済史」そして「哲学」と、さまざまな方向に企画が広がりましたね。 丸山:視聴者のみなさんの反響から素直に発想、発展していった結果ですが、もともと「資本主義」を考えようというときも、単に「強欲」批判という意味で「欲望」という言葉を持ってきたわけではありません。 もちろん、アメリカを象徴として世界に広がる極端な格差拡大、中間層の崩壊、そしてほんの一握りの大富豪を生む現在の資本主義のありようへの問題意識がベースにあることは間違いありませんが、「欲望」自体には両義性があると思います。だからこそ、真正面から取り組むにふさわしい、ややこしくて、面白い対象だとも思うのです。 欲望があるからこそ、ダイナミックな変化が生まれ、社会は活性化しますし、そもそも、それがなければ私たちも生きていけないでしょう。 しかし、同時にその方向性が何かの間違いでひとつねじ曲がれば、自らを苦しめるものにもなるわけです。変化を生む、イノベーションを生む、ということが強迫観念となって、自らを苦しめる皮肉な状況も起こります。自分で自分がわからなくなり、やめられない、止まらない……という、欲望の負の側面が浮上します』、「欲望」自体には両義性がある・・・欲望があるからこそ、ダイナミックな変化が生まれ、社会は活性化しますし、そもそも、それがなければ私たちも生きていけない・・・強迫観念となって、自らを苦しめる皮肉な状況も起こります」、的確な捉え方だ。
・『「欲望」は時代によって形を変えてきた  このお話は以前もしましたが、もともと10年前の映画、クリストファー・ノーラン監督の『インセプション』を観たときにインスピレーションを得て生まれた企画です。無意識の中に植え付けられた思考、情動、それが欲望の形を規定しているとしたら。 社会の基底に、時代時代の駆動力となる「欲望」の形があり、例えば数百年単位で歴史の流れを振り返ってみたときにも、利子という「時が富を生む」という着想が社会に広まり覆うことで世の中が動き始める時代があり、そのうちに重商主義という空間の差異で富を生む時代があって……と、巨視的に時の流れを俯瞰して見れば、今という時代をどう捉えればよいのか? 「ポスト産業資本主義」と呼ばれる現代は、「モノからコト(事)、トキ(時)、イミ(意味)」などと消費の形が変化したとも言われるように、その重心が無形の体験などへと移り、さらに感情、ある意味精神の商品化という状況を生んでいます。工業主体の時代の物の機能などに付加価値がつくわかりやすい経済の構造ではなく、アイデア、想像力/創造力に経済の推進力がかかっているのです。 と同時にそれは、無形の、際限のない差異化の競争も意味するわけで、その構造をメタレベルで認識していないと、ゴールの見えないレースに疲れ、燃え尽きてしまう人も生んでしまいやすい側面を持っているのだと思います。 「欲望の資本主義」の中でも、かつてフランスの知性ダニエル・コーエンによる「現代の社会は、すべての人に創造的であれ!さもなくば死だ!と迫るようなもの、すべての人が芸術家となることを強制する社会は幸せとは言えない」という名文句がありました。 Q:そうした時代に求められる「企画」ということですね。 丸山:欲望のお話をしていると、いつも思い出すのは、モーリス・メーテルリンクの幸せの「青い鳥」です。ある意味、「ないものでねだり」、実は、探さなければいつも近くにいるのかもしれません。 限りない創造のエネルギーを与えてくれるのも、「やめられない、止まらない」と自縄自縛にさせるのも、どちらも欲望の仕業と考えると、実に裏腹な人間の性、業というモノと付き合っていくことの面白さと難しさを感じるわけですが、天使と悪魔に引き裂かれるなか、その綱渡りをどうすべきか、どう考えることで成立させるのか……、「欲望」シリーズの探究が終わらないゆえんです』、「幸せの「青い鳥」です。ある意味、「ないものでねだり」、実は、探さなければいつも近くにいるのかもしれません」、「限りない創造のエネルギーを与えてくれるのも、「やめられない、止まらない」と自縄自縛にさせるのも、どちらも欲望の仕業と考えると、実に裏腹な人間の性、業というモノと付き合っていくことの面白さと難しさを感じるわけですが・・・「欲望」シリーズの探究が終わらないゆえんです」、上手い言い方だ。
・『岩井克人氏による「欲望の貨幣論」  Q:そうした問題意識を反映して、このたび「欲望の貨幣論」も書籍化となりますね。 丸山:「欲望の資本主義」の特別編として2019年7月にお送りした「欲望の貨幣論」の中で、岩井克人さんへの取材、さらに書籍化のために改めてお願いしたインタビューをあわせ1冊の書籍にまとめました。 岩井さんのお言葉に加え、番組内で触れたトピックスについても解説をつけさせていただています。1993年の「貨幣論」以来、岩井さんが取り組んでこられた、欲望の表象たる貨幣への洞察が、仮想通貨=暗号資産、さらにキャッシュレス化などお金をめぐる状況が、デジタルテクノロジーで大きく変化する時代にマッチして語られています。 われわれの「欲望」シリーズの視点ともうまくリンクして、この時代に多くのみなさんに届けるべき内容になったと思います。 Q:あまりテレビではお見受けしない岩井先生が、よくご出演をお引き受けになられましたね。 丸山:それだけ、現在の状況に強い危機意識を持ってらっしゃったのだと思います。経済現象の本質を理論的に追究されるお仕事において研究者として輝かしい成果を上げられたわけですが、そのメッセージを多くの方々に今こそ届けなくてはならないという使命感もおありだったように感じました。 実際、貨幣への過剰な執着と同時に、一方では「お金がなくなる……」といった声もある今の世の中です。いよいよねじれ、錯綜する資本主義を考えるとき、歴史上の巨人たちの葛藤から学べること、まさに岩井さんのように徹底的に本質を考え、あえて抽象度の高い理論を突き詰めていくことで浮かび上がる逆説から学べることも多いと思います。 テクノロジーがすべてを牽引していくこの時代、いっそ「ビッグデータの言うままになるほうが幸せだ」という声もあります。経済の論理が、社会を、世の中の構造を大きく変えていくことを視野に入れていかねばなりません。 そうした時だからこそ、その中心にあって、実はその価値の根拠を誰も明確に捉えきれていないかもしれない貨幣という不思議な存在について、岩井さんの語りととも考える「資本主義最大のミステリー」にご一緒できれば、と思います。 そして、1つのクライマックスは、貨幣はこの人間社会にあって、なんのためにあるのか?その問いへの答えです。そして、それは単に倫理的な答えにとどまるものではなく、実際問題としての信用経済がなぜ危ういのか?という問いへの答えともなっています。ぜひそのあたりを、味わっていただきたいと思います。 そのほかにも、自由を守るためには自由放任とは決別しなくてはならないなどの強いメッセージもいただきましたが、そうした論理がなぜ導き出されるのか?ぜひこうした問いについて、改めて考えるきっかけとなれば、うれしく思います。 Q:実は岩井さんとのご縁は学生時代からだそうですね。 丸山:1985年に世に出た『ヴェニスの商人の資本論』、それ以前からの『現代思想』誌上でのご発言などにずっと触れていた身からすれば、少なからず岩井さんの思考の影響を受けてきたように思います。 他大学の学生でありながら、岩井さんの講義に潜り質問までしたエピソードについても少しだけ本書で触れましたが、こうして35年ぶりに「質問」の答えをいただき、映像で、活字でまとめさせていただくことになるとは、実に数奇な思いがします』、「丸山氏」は、「他大学の学生でありながら、岩井さんの講義に潜り質問までした」、熱心な学生だったようだ。
・『貨幣を通して人間存在の原点を考えるきっかけに  岩井さんの思考はいつも本質的なパラドックスへと導かれるのですが、そのパラドックスは、経済現象にとどまらず、貨幣、言語、法、社会……、そして人間存在の原点についても想いをはせることにつながるように感じます。 このパラドックスとどう付き合っていくべきか?これは、ある意味知的な喜びに満ちたミステリーであり、そこから逆に照射されるのは、実は私たちの意識の持ち方でもあるといつも感じます。そのとき、つねに何らかの「合理的」根拠を求めてしまうことがむしろ足かせとなることもあるのかもしれません。 わからないことをわからないままに付き合っていけるのも実は大事なセンス……、どうぞ、貨幣をきっかけに、市場、資本主義の逆説の謎を真摯に楽しむ旅にご一緒しましょう』、「岩井氏」については、次の記事で詳しくみてみよう。

次に、2月21日付け東洋経済オンラインが掲載した作家・研究者の佐々木 一寿氏による「私たちが貨幣に翻弄され「罠に落ちる」根本理由 経済と人間の本質を描ききる「欲望の貨幣論」」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/329400
・『昨今、にわかに盛り上がっているのが「貨幣論」だ。ビットコインやリブラに代表される暗号資産(仮想通貨)、MMT(現代貨幣理論)、キャッシュレス化の流れなどが相まって、貨幣という「ありふれてはいるが不思議なもの」への関心はかつてないほど広まり、また注目度も高まってきている。 こうした状況の中で『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る「欲望の資本主義」特別編』が上梓された。貨幣の性質の核心を突く研究で知られる岩井氏は、今、“貨幣の本性”をどのように考察しているのか。最新、最前線の「貨幣論」を詳らかにみていく』、興味深そうだ。
・『貨幣とは何か、その不思議な性質  「あなたにとって貨幣(マネー)とは何か?」 この問いは、どんな人にとっても答えにくいものではないか。その答えによって自身の人間性が暴かれるような怖さがあり、それにおいそれと即答することはなかなかできない。 ただ、経済学者であれば「経済学者にとって貨幣とは何か」と読み替えて、よどみなく答えられるかもしれない。 貨幣とは、(1)価値交換、(2)価値測定、(3)価値保存、を行うものである、と。厳密に定義を説明しなくても、おそらく想像はつくだろうが、貨幣の存在によって、経済活動は便利かつ円滑に行うことができる。 貨幣がない物々交換の世界では、欲しいものを持っている人とモノを交換するために人探しから始めなければいけないし、さらには相手が私の持っているモノを欲している必要がある(“欲望の二重の一致”という)(1)。 釣った魚の価値を決めるのに、ほかの小魚の何匹分という測り方よりは、「価格」をつけたほうが便利だろう(2)。 また、将来欲しいものを買うために、物々交換用のモノを蓄えておくのは不便であるから、価値が変わらず腐りもしないコンパクトな金属片や証書のほうが使い勝手がいいに違いない(3)。 それなしの経済を考えることすら難しい、経済活動の根幹を支える貨幣は、しかし不思議な存在でもある。貨幣はなぜ、貨幣として使われうるのか。 『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る』で、岩井氏は「貨幣とは何か」に関しては、一般的に想像される以上に難問なのだと指摘する。とくに、貨幣を“貨幣“たらしめる理由(機能するメカニズム)に関して、経済学者の間ですら今でも意見が分かれるという。 岩井氏の結論としては、人々が貨幣を受け入れるのは、貨幣自体の価値的な根拠ではまったくなく、受け入れられてきた事実性(慣習)と、将来も皆が受け入れるであろうという(漠然とした根拠のない)予期によるものだという。 そして、貨幣に値打ちがあるからという「商品貨幣論」も、法律で定められているからという「貨幣法定論」も、歴史的事実に照らし合わせれば矛盾があると論じる。 つまり、価値にも法的強制力にも依拠しない、「貨幣を誰もが貨幣として受け入れてくれる」という一種の”社会的な思い込み”のみで機能しているというのが「貨幣の本質」だというのだ。 だれに聞いても、「ほかの人が500円の価値がある貨幣として受け取ってくれるから、私も500円の価値がある貨幣として受け取るのです」と答えるだけなのです。だれもが、「ほかの人が貨幣として受け取ってくれるから、私も貨幣として受け取るのです」と答えるのです。<中略>思い切って縮めてしまうと、以下になります。 「貨幣とは貨幣であるから貨幣である。」 これは、「自己循環論法」です。木で鼻をくくったような言い回しで申し訳ないのですが、別に奇をてらっているわけではありません。真理を述べているのです。貨幣の価値には、人間の欲望のような実体的な根拠は存在しません。それはまさにこの 「自己循環論法」によってその価値が支えられているのです。そして、この「自己循環論法」こそ、貨幣に関するもっとも基本的な真理です。(同書P47) 貨幣は、それを受け入れてくれるだろうという事実性や期待だけで機能している。それゆえに不安定さを本来的に抱えるものであり、みなが受け入れなくなればそれは価値を失ってしまう。 ただ、私たちはそのような貨幣に大きく依存しながら過ごしているし、貨幣がなければ経済は回らない。このことは、潜在的に大きな問題を抱えることになる』、「ほかの人が貨幣として受け取ってくれるから、私も貨幣として受け取るのです」、「この「自己循環論法」こそ、貨幣に関するもっとも基本的な真理です」、「貨幣は、それを受け入れてくれるだろうという事実性や期待だけで機能している。それゆえに不安定さを本来的に抱えるものであり、みなが受け入れなくなればそれは価値を失ってしまう」、なるほど。
・『貨幣の所有は「最も純粋な投機」  人はなぜお金を欲しがるのか。モノとして役に立たない貨幣は、皆が貨幣として受け入れなくなれば、それ自体はなんの魅力もなくなってしまう。 しかし、私もそうだが、たいていの人はお金がたくさん欲しい。 お金自体を自分で作るわけにはいかないため、いろいろなものの交換で貨幣を得ることになる。土地やモノなどいろいろなものの中に「労働」があり、私たちの労働を貨幣に換える行動がいわゆる「働いて稼ぐ」ことであるが、実は貨幣を所有することは最も純粋な投機なのだと岩井氏は言う(「投機」とは、自分が使うためでなくほかの人に売るために買うこと)。) たとえば、私は大学から給料というかたちでおカネをもらっています。その金額は ここでは述べませんが、それは私が行った教育や研究という仕事の対価です。通常は 商品に関して使う「売り買い」という言葉を、貨幣に関しても使ってみると、私は大学から私の仕事と交換に「おカネを買っている」のです。 <中略>おカネそのものには何の使い道もありません。その使い道のないおカネと交換に、缶コーヒーやTシャツやアパートを手に入れるためです。 <中略>私が今おカネを買うのは、自分でモノとして使うためではなく、将来、ほかの人に売るだけのためなのです。つまり、私はおカネが将来もおカネとしての価値を持ち続けることに賭けて、「投機」しているのです。おカネを使うこと――すなわち、それ自体何の使い道もないおカネをおカネとして流通させるという行為こそ、この世の中に存在する「もっとも純粋な投機」であると言えるのです。(同書P107~108) そして、この「純粋な投機」は、際限のないエスカレーションを起こす。 投機の対象は、自身が消費をするためにあるのではない。つまりそれ自体が欲しいのではなく、将来うまく売れる、つまり交換できそうなものであればなんでもよい。その意味で、最も純粋で象徴的な存在が貨幣である。 貨幣を所有することで、いろいろな可能性を選択できるようになる。無数にある、あらゆる可能性の要不要をすべて検討できないため、貨幣の所有欲は飽和することなく延々と続く。 さらには、今はまだ見えない、遠い将来に出現する便利なものを買うことにも使える。つまり、想像ができないものすら欲望できるのだ。 貨幣は交換のための単なる媒介手段でありながら、それゆえに、皆から果てしなく欲望されるモノとなる(“手段”から、欲望される“目的”へ)。 皆がみな、お金を欲するようになるのはこのような必然がある』、「おカネが将来もおカネとしての価値を持ち続けることに賭けて、「投機」している」、「交換のための単なる媒介手段でありながら、それゆえに、皆から果てしなく欲望されるモノとなる」、確かにその通りだ。
・『貨幣は人々の欲望を本来的に加速させ、不安定にする  皆がお金を欲するようになることで、実は面倒なことが起こってくる。もし貨幣量に限度があったらどうなるか。貨幣の奪い合いや囲い込みが起こり、流通する貨幣量が減少してしまうかもしれない。 これはケインズの主張する「流動性選好」の極端な例としても紹介されているが、詳しくは経済学の金融論に譲るとして、経済活動がとても不安定になりパフォーマンスの低下を招くことが知られている。 そして、一般的なケインズの理解による流動性選好よりもそれははるかに強力なのだ、と岩井氏は示唆をしたいようである。この考察こそが、岩井氏の長年構築してきた経済学が標準的な経済学と一線を画する重要なポイントとなる。 標準的な経済学は、極端な流動性選好はあったとしても一時的なものだと(そのモデルで)主張する。しかし、岩井氏のモデルでは、それがエスカレートしたまま破綻まで進む可能性を示すが(一般均衡理論 vs. 不均衡動学)、ここでは論が専門的になりすぎるため、話を貨幣に戻すことにしよう。 流動性選好(人々はお金を欲望する)によって流通する貨幣量が減ると、経済に大ダメージを与える。これへの処方箋として出てきたのが、“金本位制からの脱却”としての「管理通貨制度」である。 この処方箋はニクソンショックという事実に照らし合わせれば、50年前に出てきた比較的新しいスキームだが、岩井氏はその原型をケインズ(金本位制脱却の代表的な提唱者)と彼よりも前の時代のジョン・ローに見いだしている。 ジョン・ローへの評価が貨幣論、金融論のセンスを分けるといわんばかりの本書の記述は、もちろん一般の読者にもわかりやすく書かれているが、とくに専門家にとって非常に刺激的なものだろう。間違いなく本書の大きな見どころの1つである。 貨幣量の管理は、人々の欲望(自由放任)に任せては不安定になり、ひいては経済が成り立たなくなる。ここでは「神の見えざる手」は存在せず、貨幣量は流動性選好、もっと言えば“人々の欲望”のために、適切に絶妙に供給されなければ経済が回らない。 このような理由で、金本位制からの脱却を評価し、中央銀行の金融政策の必要性を肯定している』、「極端な流動性選好」があっても、「管理通貨制度」により「経済活動」の「不安定」化を防ぐことが可能だが、「貨幣量の管理」には、「「神の見えざる手」は存在せず・・・適切に絶妙に供給されなければ経済が回らない・・・中央銀行の金融政策の必要性を肯定」、「金融政策」の重要性を再認識した。
・『モノの値段が安定する条件  それでもモノの値段は本来的に不安定さを抱えている。その安定性を担保するものは何なのか。 それはある種の“ノイズ”であり、純粋性とは正反対となる“不完全さ”や、ある種の”粘性“といったものだという。ケインズとヴィクセルの名前が出ていることから、おそらく「賃金の下方硬直性」はその1つの例として念頭にあるものと想像する。おそらく経済の専門家であれば、このパートには驚く人もいるかもしれない。このあたりは岩井氏の真骨頂である。 岩井氏によるビットコインへの言及は幅広いが、ここで取り上げるべきは、「数量上限が一定である(増やせない)」という点だろう。これだけではないが、この点を重大だと見てビットコインの通貨としての不可能性を論じている。 仮想通貨に関しては、理論面で長年の考察を行っている岩井氏が奥深い記述をしているので、仮想通貨の運命に興味がある方であれば、ぜひじっくりと読んでみてほしい。 少し専門的になるが、現在の標準的な主流派経済学は「見えざる手」「レッセフェール(自由放任)」を数理的にモデル化して構築されている(新古典派による一般均衡理論)。 そして、新古典派は、均衡モデルが非常に得意であるが(例えば需要と供給のバランスによる価格決定モデル)、実はいわゆる“バブル”の分析を苦手としている。 岩井氏の依拠する数理モデル(不均衡動学)は、金融バブルやそのほかのスパイラル過程をうまく説明する。本書を読んで、株式市場を見るならば、そこでなにが起こっているのかがイメージしやすくなるだろう。金融市場の関係者に本書の読了を私が強くお勧めしたい理由でもある。 そして個人的に感じるのは、岩井氏の、パラドックス的な現象に弱くなってしまった経済学を立て直す作業への意志だ。それが本文の間から漏れ伝わってきて、非常に深い感慨を覚える』、「新古典派は・・・“バブル”の分析を苦手としている」、このため「理論で説明できないのがバブル」などと無責任に定義するしかないようだ。「岩井氏の依拠する数理モデル(不均衡動学)は、金融バブルやそのほかのスパイラル過程をうまく説明する」、大したものだ
・『貨幣論から経済学全体、そして人と社会のありようへ  本書は、貨幣論ではあるが、貨幣の性質から始まり、経済学全体、そして社会と人の歴史・生き方にまで考察が及ぶ。その視座の高さ、スコープの広さには驚かされる。人は自由たらんと欲望を大きくすることで、逆に不自由になってしまうという悲劇なども語られている。 欲する/欲されるの違いはあるにしても、貨幣が貨幣であることと、人が人であることは、そのパラドックスゆえに案外、似ているところがあるのかもしれない。そんなことを思わされてしまう、不思議な人間臭さのある貨幣論なのである』、「人間臭さのある貨幣論」とは言い得て妙だ。

第三に、2月10日付け東洋経済オンラインが掲載した経営共創基盤共同経営者/内閣府デジタル市場競争会議WG委員 の塩野 誠氏による「34歳天才経済学者が私有財産を否定する理由 データ搾取から移民までラディカルに考える」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/328937
・『昨年12月に発売された、『ラディカル・マーケット脱・私有財産の世紀』。本書はシカゴ大学ロースクールの教授エリック・ポズナー氏と、マイクロソフト首席研究員でもあり法学・経済学の研究者であるグレン・ワイル氏の二人が世に問うた、クリエイティブな思考実験の塊のような本だ。とくにワイル氏は、プリンストン大学を首席で卒業したのち、平均で5、6年はかかる経済学の博士号をたった1年で取得して経済学界に衝撃を与えた、34歳の若き俊英としてその名を知られた人物である。今回、経営共創基盤の塩野誠氏に、本書について解説してもらった』、「博士号をたった1年で取得」、凄い「天才」もいるものだ。
・『デジタル市場の未来を考える必読書  世の大学に「経済学部」は多く、そこで学んだ方も多いことだろう。しかし、日々の社会生活の中で、自分は大学で学んだ経済学を使いながらビジネスをしている、と断言できる方はそう多くはないのではないだろうか。 この本は、GAFAのデータ独占の問題や、移民問題、機関投資家による市場支配など、昨今話題の幅広い問題を取り上げている。一見、既存の経済学の分析範囲を超えているようにも思えるが、実はこれらの問題は経済学で考えていくことができるし、よりよい答えを導き出せると主張している。経済学を現実の問題に適用してみたいと考える人にはうってつけの本だ。 私はいま、デジタルプラットフォームの透明性と公正性に関して検討する政府関連の会議に出ている。GAFAに代表されるデジタルプラットフォームのデータ独占や公平性・透明性がテーマだが、こうした新しい事象をそもそもどう捉えて、どんなフレームワークで考えるべきなのか、そこから考える必要もあり、考え方の指針となるようなものに関心がある そうした立場から、この本を大変興味深く読むことができた。経済学の考え方を使って社会制度を設計しようと考えている官僚の方々はもちろん、進歩しつづけるITやフィンテックを使って社会課題の解決に取り組もうとしている方々に本書を推薦したいと思う。 では、本書は実際にどのような提案をしているのだろうか。本書が提案する「ラディカル(過激)な改革」の例として私が面白いと思った例は次のものだ。 +都市全体を売りに出す(土地が有効に活用されるようにする) +世の中の全ての財産を共有化して、使用権をオークションにかける(私有財産制をやめてみる) +自分の財産評価を自己申告制にして税金を支払う。より高い財産評価をする人が現れたら所有権が移転する(独占の弊害を取り除く) +投票権を貯められるようにする。そして、自分にとって重要な課題のときに、貯めた投票権を集中的に投票する(一人一票よりも投票者の選好の強さを反映できるようにする) どれも、「それは思いつかなかった!」という声が聞こえてきそうなクリエイティブな政策の数々である。 都市全体を見渡せば、もっとも景観のよい丘の上にスラム街ができていることがある。これでは観光客も呼びにくい。ある人がいったん土地を私有してしまうと、別の人がその土地のより有効な活用を思いついても、それを実現できなくなる。環境問題にとても関心があって、その課題に強くコミットしたい人も、選挙ではそうでない人と同じ一票しか投票できない。 このような事態は非効率ではないだろうか。これは、市場の失敗なのだろうか。より強い公的な介入がなければ、解決できないのだろうか。そうではなく、よりラディカルに市場の力を使うことで状況を改善できるというのがこの本の面白さだ。 では実際どうやって、という疑問が当然わくだろうが、これらの提案には経済学の詳細なロジックが伴っている。そして、読み手が「それはうまくいかないのでは」と思った次の瞬間には、その反論が用意してあるという形で議論が進む。 私有財産制の問題、独占の問題、投票制度の問題などについて、思考が行き詰まってしまった方々には、クリエイティブなアイディアを得るためにぜひ、一読していただきたいと思う』、「「ラディカル(過激)な改革」の例」、は知的な思考実験としては確かに面白い。「思考が行き詰まってしまった方々には、クリエイティブなアイディアを得る」、には参考になりそうだ。
・『「データ労働者組合」を作ろう  近年、GAFAなどのデジタルプラットフォームがその巨大化とともに、ビジネスだけでなく、社会に大きな影響を与えている。そうしたデジタルプラットフォーマーとビジネスや社会でどう付き合っていくべきか、誰にとっても関心のあるところだろう。 本書によれば、フェイスブックが毎年生み出している価値のうち、プログラマーに支払われる報酬は約1%にすぎないそうだ。そして価値の大半は、「データ労働者」であるユーザから無料で得ているのだという(一方でウォルマートは生み出した価値の40%を従業員の賃金に充てている)。 この問題をどう考えればいいだろうか。個人情報の保護を強化しよう、あるいはプラットフォーマーという優越的な地位の乱用を規制しよう、というのが従来的なやり方だろう。 一方本書の著者らは、デジタルプラットフォーマーに供給されるデータはわれわれの「労働」であると説く。となると、われわれは、データ提供という「労働」から対価を得るために、「データ労働者組合」を作ってはどうかという。非常に興味深い概念である。 筆者たちは本書を「ウィリアム・S・ヴィックリーの思い出に捧げる」としている。ヴィックリーとは何者だろうか。 彼は1961年に「投機への対抗措置、オークション、競争的封入入札」という論文を発表した経済学者で、この論文は社会問題の解決に資するオークションの力を示した最初の研究とされる。 ヴィックリーの研究によって「メカニズムデザイン」と呼ばれる経済学の領域が生まれ、彼は1996年にノーベル経済学賞を受賞した。筆者らによると、「ラディカル・マーケット」とは、市場を通した資源の配分(競争による規律が働き、すべての人に開かれた自由交換)という基本原理が十分に働くようになる制度的な取り決めであり、オークションはまさしくラディカル・マーケットだと言う。 ラディカル・マーケットというメカニズムを創造するために、新しい税制によって私有財産を誰でも使用可能な財産とすることや、公共財の効率的市場形成についても本書では詳述される。 なかでも移民労働力についての章では、「ビザをオークションにかける」や「個人が移住労働者の身元を引き受けるという個人間ビザ制度」というアイディアも出てくる。こうした移住システムに関するアイディアは、今後の日本にとっても、従来なかった新しい風景の見える思考実験として興味深いのではないだろうか』、「ラディカル・マーケット」とは面白そうな概念だ。
・『効率的な資源配分のために私有財産制をやめる  本書で筆者らが一貫して主張するのは、私的所有は効率的な資源配分を妨げる可能性がある、ということである。工場設備であれ、家庭内のプリンターであれ、個々に私的所有されているがゆえに不稼働となっているような、非効率なモノは多数存在する。 昨今、先進諸国の若者、いわゆるミレニアル世代のトレンドは「モノより経験」となっていることも後押しになって、車や家のシェアリングエコノミーがデジタルテクノロジーの進展とともに進んでいる。 こうした最先端のサービスでなくとも、古くは美術館の高価な絵画は公共財になっているために、市民が時間ベースで使用(鑑賞)することが可能となっていた。筆者たちの主張は過激かもしれないが、ビジネスにおいてもサブスクリプションはトレンドであり、ヴィックリーが生み出したオークションの概念は通信インフラの電波オークションからインターネットのアドテクノロジーまで世に浸透しているのだ。 グローバルな格差の拡大、成長の鈍化の中で資本主義に代わる選択肢が不在のなか、本書のクリエイティブで骨太なアイディアは読み手の思考方法をラディカルにすることだろう』、「効率的な資源配分のために私有財産制をやめる」、とは驚かされたが、「シェアリングエコノミー」、「サブスクリプション」の進展などを考慮すると、一考の余地がありそうだ。

第四に、10月10日付け東洋経済オンラインが掲載した経済評論家の山崎 元氏による「ポンコツの資本主義は完全に「オワコン」なのか うそのような10月のあとに待ち受けているもの」の4頁目までを紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/380732
・『新型コロナで明け暮れた2020年も10月となり、4月をスタートとする年度ベースでは第3四半期、西暦ベースでは第4四半期に入った。そろそろ世の中が落ち着くかと思えば、まったくそのようなことはなく、1日には東京証券取引所の取引がシステムトラブルによって終日停止した。そして、翌10月2日の日本時間の午前中にはアメリカのドナルド・トランプ大統領が新型コロナウイルスに感染したという、冗談のようなニュースが飛び込んできた』、「ポンコツの資本主義は完全に「オワコン」なのか」、との挑戦的なタイトルに惹かれて紹介した次第だ。
・『うそのような10月なのに「市場は案外しぶとい」  東証の売買停止とトランプ感染に直接的な関係はないが、トランプ感染は株価に影響のある(日経平均はしばし急落した)イベントだったので、2日の取引が始まってからのニュースで、東証はほっとしたことだろう。 もしニュースが取引の開始前であれば、「前日手仕舞いができなかったので、こんなに損をした」というクレームの数とサイズがずっと大きかったはずだからだ。予想外なイベントが続いたが、その後の経済と市場は案外いつもと変わらない印象で動いている。経済と市場は「案外しぶとい」ものだという感を強くする。 本欄の筆者であるオバゼキ先生(小幡績氏)の前回の原稿「日本人はドコモの高い携帯料金に甘んじている」によると、大統領選挙までかんべえ先生(吉崎達彦氏)が毎週原稿を書くとよく、2021年にバブルが崩壊したらオバゼキ先生が毎週本欄を書くのがいいらしい。私は「招かれざる筆者」のようなので(笑)、執筆機会があるうちに書きたいことを書いておこう。 3流プロレスの筋書きを予想するがごとき「トランプの次の一手は?」的な当面の話をしばし離れて、資本主義の今後について考えてみる。 このテーマについてオバゼキ先生のファンは、先生の新著『アフターバブル近代資本主義は延命できるか』(東洋経済新報社)を是非読んでほしい。賛否いずれの立場の読者にとっても、「ぼんやりとした感想」を許さない、刺激に満ちた力作だ。 筆者は、昨今のいくつかの「資本主義批判」が気になっている。現状を資本主義だとして、このままの形で守りたいわけではないのだが、議論が急所から外れている点の居心地が悪いのだ。 気鋭の若手論者の書籍を2冊読んだ。白井聡『武器としての資本論』(東洋経済新報社)と斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書)だ。両著はテイストが大きく異なるが「考えながら再読して楽しい」類いの良書で共にお勧めできる。 白井氏は「永続敗戦論」で示した、日本が所詮アメリカの子会社のような存在でしかない現実を的確に指摘していた点で小気味よい議論を展開した方だ。 直近を振り返ると「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げていた安倍前政権が、徹底的な対米追従を指向していて実は最も「戦後レジーム的」だったのは皮肉だった。「親会社」の社長的存在であるトランプ大統領に対して徹底的に機嫌を取る努力をした安倍前首相は、子会社の社員たる日本国民に対して、彼にできる最善の努力をしたのだろう。 一方、斎藤幸平氏は、最近人気の哲学者マルクス・ガブリエル氏へのインタビューなどでも注目されており、またカール・マルクスの研究者として、マルクス晩年の思索についてこれまで知られていなかった(少なくとも筆者は知らなかった)刺激的な文献解釈を発表している』、実務家の「山崎氏」が「資本主義」をどう料理するのだろうと懸念したが、「気鋭の若手論者の書籍を2冊読んだ」というので納得した。「「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げていた安倍前政権が、徹底的な対米追従を指向していて実は最も「戦後レジーム的」だったのは皮肉だった」、同感だ。
・『資本主義と経済成長を捨てるべきか?  白井氏が激賞している斎藤氏の著作の議論を追うと、そこには先鋭的な資本主義批判がある。 詳しくは斎藤氏の著作に当たってほしいが、同氏は気候変動問題の決定的重要性を説く。地球環境の問題を考えると、環境投資での経済成長を説く「グリーン・ニューディール」(同書の呼び名は「気候ケインズ主義」)も、環境技術の発達に期待するジオエンジニアリングも、経済政策としてのMMT(現代貨幣理論)も、「危機を生み出している資本主義という根本原因」を維持しようとしている点でダメなのだという。 「経済成長と気候変動問題が両立すると考えること」がそもそも甘いのだと指摘し、資本主義は経済成長を求めるので、「資本主義と経済成長を捨てた経済社会運営が必要だ」と主張している。こちらもなかなか小気味いい書きぶりだ。  経済成長と気候の関係については研究と議論の余地があるとしても、この本の議論の中で筆者が気になったのは、「資本は無限の価値増殖を目指す」(「が、地球は有限である」と続く。p37)という「資本」に対する見方だ。「無限の経済成長を目指す資本主義」(p118)、「資本とは、絶えず価値を増やしていく終わりなき運動である」(p132)といった表現もある。白井氏の著書にも「増えることそのものが資本の目的なのです」という言及がある。 同じ前提に立つ「違和感のある議論」の別バージョンとしては、人口減少などで経済成長に限界が生じるので、あるいは新興国の経済発展によって成長のために搾取できるフロンティアが減ったので、資本主義は早晩行き詰まるといった種類の議論もあった(10年くらい前の、民主党政権時代にはやった)。 いずれにあっても、「資本」はつねに増殖を目指すので、経済成長がないと資本主義は立ちゆかないということが前提とされた議論だ。しかし、果たして、「資本」とは、経済成長を「食料」として無限に大きくなろうとする一個の生き物のような存在なのだろうか』、どうなのだろう。
・『「単なるお金」としての資本  資本主義に対する批判者あるいは悲観論者は、「資本」がそれ自体の意思を持って動く抽象的でも具体的でもある単一の生命体のように思っているのではないか。まるで、資本という怪物がいるかのようだ。 しかし、彼らは、資本が単にその所有者が自由に処分できる「お金」にすぎないことを忘れている。資本のサイズは、消費とのバランスを比較しつつ、生身の経済主体がこれを決定する。 資本の具体的な形は、企業の設備だったり、無形の権利の価値だったり、運転資金だったりするのだが、資本家はこれらを少なくとも部分的には換金して処分できるので、資本はおおよそお金として機能する。そして、資本家は単なるバカではない。投資の収益の見通しやリスクの判断によって、自分の財産をどう使うかを決定する。 資本家は、自分が資本から得た利益を、再投資し続けることもできるが、消費してしまうこともできる。売り上げの減少が予想されるなら、設備への更新投資を減らすこともできる。いい投資機会がないと判断するなら、物を買うなり、飯を食うなり、目立つために使うなり、「GO TO 蕩尽!」が可能なのだ。ついでに言うと、人口減少経済では、資本家の人口も減少することを考えに入れておこう。 株式会社は、持っている資本を、いい投資機会があれば再投資すればいいし、リスクに見合う投資機会を見つけられなければ配当なり、自己株買いなりで株主に返すことができる。 投資される資本の量は資本家の判断によって調節可能なのだ。仮に、企業活動の環境に対する悪影響に対してかなり高いコストを支払わなければならないとすると、あるいは今後の経済が成長する見通しがないとすると、企業はビジネスを縮小して株主にお金を返すことを選択できる。 ついでに株式投資の話をしておくと、経済が成長する見込みでなくても、その予想が反映した株価が形成されていれば、株式投資ではリスクプレミアムを得ることができる仕組みになっている。 こと環境に関しては、経済全体として、環境コストの負担が正しくビジネスに課金されるなら、投資は当面縮小するかもしれない。しかし、その場合でも、資本は「リスクに見合うリターン」があると資本家が判断したビジネスに投資され、その投資の大きさは調整されるはずだ。もちろん資本家は「強欲」でありうるが、強欲な経済主体がつねに無謀なギャンブラーである訳ではない。金持ちは案外冷静だ(「金持ち喧嘩せず」と言うではないか)。 斎藤幸平氏の著書で、自身が提唱する「コモン」に関連して「ひとまず、宇沢弘文の『社会的共通資本』を思い浮かべてもらってもいい」とひとことあっさりと触れられているので、宇沢弘文『社会的共通資本』(岩波新書)を見ると、「地球環境」の章で定常状態と経済発展はジョン・スチュワート・ミルが可能であることを示しているとの言及がある。「安定的な経済的条件のもとでゆたかな、人間的社会が具体化されている」(p221)とある。 同書は、農業、国土のインフラ、都市、教育、医療、金融、地球環境などを「国家にも市場にも明け渡してはならぬ」となかなか格好のいい主張を述べる。社会的共通資本として専門的知見を踏まえてコミュニティーが管理すべきだというのだが、斎藤氏も宇沢氏も、現実的にワーク(機能)しそうな意思決定と社会運営の方法を提示しているとは言いがたい。 ちなみに、宇沢氏が著書で地球環境問題での対策として圧倒的に推しているのは「炭素税」だ。グローバルな貧富の差を調節するために1人あたりの国民所得に比例的に調整された炭素税を課税するといいというアイデアは納得的だ。これは、環境に対する費用を内部化することによって、資本主義を機能させようとする考え方だ。尚、ここで、「資本主義」とは、「私有財産の自由な売買に基づく競争システム」(F.A.ハイエク『隷従への道』から)といった程度の意味だ』、「経済が成長する見込みでなくても、その予想が反映した株価が形成されていれば、株式投資ではリスクプレミアムを得ることができる仕組みになっている」、とするが、マイナス成長経済の下では、期待収益率もマイナスとならざるを得ず、「株価形成」は困難になるのではなかろうか。プロの「山崎氏」なので、間違うことはないとは思うが、気になるところだ。
・『資本主義が問題なのではなく「使い方」が問題  今の日本では、社会的同調圧力を使った疑似社会主義的計画経済がしばし可能なのかもしれないが、新古典派経済学を激烈に批判した宇沢氏も計画経済を推しているわけではない。 専門家の知見とメンバーの熟議を経て「エッセンシャルな活動」を実現すべくコミュニティーを運営すると考えても、例えば、食料・医療は「エッセンシャル」だろうが、何をどの程度望むかは人によるし、数多ある分野の財やサービスに関して資源や労働の配分に関する「計画」の合意を形成する手続きは容易ではない。ビッグデータと計算機を使うとしても、結論の選択プロセスは独裁的なものに近づくのではないか。 個人の自由な選択の余地を残しながら、資源配分や生産活動を決定する仕組みとしては、先のハイエク的な意味での資本主義を使うのが、現実的で且つメンバーにとっても納得感がある方法ではないか。 結局、「資本主義」が問題なのではなく、その使い方が問題なのだろう。 もちろん、現在のままの資本主義がいいと言っているのではない。「炭素税」のように環境に対するコストを内部化する仕組みは是非必要だし、例えば大規模なベーシックインカムの導入を行って、弱者に優しい経済と資本主義的経済選択を両立させようとする「もっと優しい資本主義」が可能なはずだ。 ポンコツではあっても資本主義を手直しながら使うのが現実的な経済運営なのではないかという平凡な結論に行き着いた。資本主義は、結構しぶとい(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)』、「ポンコツではあっても資本主義を手直しながら使うのが現実的な経済運営」、そうであればいいが、前述の「株価形成」が引っかかる。紹介するのを止めようかとも考えたが、マーケットに近い人間の見方として、やはり紹介する意味はあると考えた次第である。
タグ:資本主義 東洋経済オンライン 山崎 元 マルクス・ガブリエル 佐々木 一寿 丸山 俊一 (その4)(貨幣という「資本主義最大のミステリー」に挑む 「欲望」の時代の「哲学と資本主義」の謎を探る、私たちが貨幣に翻弄され「罠に落ちる」根本理由 経済と人間の本質を描ききる「欲望の貨幣論」、34歳天才経済学者が私有財産を否定する理由 データ搾取から移民までラディカルに考える、ポンコツの資本主義は完全に「オワコン」なのか うそのような10月のあとに待ち受けているもの) 「貨幣という「資本主義最大のミステリー」に挑む 「欲望」の時代の「哲学と資本主義」の謎を探る」 欲望が欲望を生みだす資本主義の先に何があるのか NHK経済教養ドキュメント「欲望の資本主義特別編欲望の貨幣論2019」 『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る「欲望の資本主義」特別編』として書籍化 「欲望の時代の哲学2020」で問われるもの 社会と個人、意識と無意識、時代の生む物語 「欲望」は時代によって形を変えてきた 岩井克人氏による「欲望の貨幣論」 貨幣を通して人間存在の原点を考えるきっかけに 「私たちが貨幣に翻弄され「罠に落ちる」根本理由 経済と人間の本質を描ききる「欲望の貨幣論」」 貨幣とは何か、その不思議な性質 ほかの人が貨幣として受け取ってくれるから、私も貨幣として受け取るのです この「自己循環論法」こそ、貨幣に関するもっとも基本的な真理です 貨幣の所有は「最も純粋な投機」 貨幣は人々の欲望を本来的に加速させ、不安定にする モノの値段が安定する条件 貨幣論から経済学全体、そして人と社会のありようへ 塩野 誠 「34歳天才経済学者が私有財産を否定する理由 データ搾取から移民までラディカルに考える」 『ラディカル・マーケット脱・私有財産の世紀』 デジタル市場の未来を考える必読書 「データ労働者組合」を作ろう 効率的な資源配分のために私有財産制をやめる 「ポンコツの資本主義は完全に「オワコン」なのか うそのような10月のあとに待ち受けているもの」 うそのような10月なのに「市場は案外しぶとい」 資本主義と経済成長を捨てるべきか? 「単なるお金」としての資本 資本主義が問題なのではなく「使い方」が問題
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日本の構造問題(その15)(平成初期の中年男の悲鳴が予言していた「日本の自殺」、日本人は「失われた30年」の本質をわかってない、「日本はソフトな独裁国家」天才哲学者マルクス・ガブリエルが評するワケ) [経済]

日本の構造問題については、1月23日に取上げた。今日は、(その15)(平成初期の中年男の悲鳴が予言していた「日本の自殺」、日本人は「失われた30年」の本質をわかってない、「日本はソフトな独裁国家」天才哲学者マルクス・ガブリエルが評するワケ)である。

先ずは、健康社会学者(Ph.D.の)河合 薫氏が昨年4月23日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「平成初期の中年男の悲鳴が予言していた「日本の自殺」」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00021/?P=1
・『今回は平成最後のコラムとなるので「平成の30年間を振り返る」という、コテコテのメディアチックなテーマにしようと思う。 個人的には、私は昭和63年(1988)入社。かくして昭和の高度成長期に「当たり前」だった働き方が瓦解していく様を目の当たりにした世代でもある。“ピチピチ”で“イケイケ”だったあの頃、自分のキャリアを含め「こんな風になる」とは“1ミリ”も想像していなかった。 もちろん元号が変わったからといって、今ある「流れ」が変わるわけではない。 だが、平成を振り返ることは自分のキャリアの足跡をたどることであるとともに、フィールドワークのインタビューに協力してくださった約700名の人たちの「語り」に思いをはせる作業でもあり、これまで講演会やら取材やらでお邪魔した数えきれないほどの企業の人たちから伺った「わが社の問題点」を振り返ることでもある。で、そんないくつもの“データBOX”の蓋を開けてみると、「悪化、劣化、衰退」という、最悪な文字しか浮かばない。ふむ、何回振り返っても暗闇しか見えない。 もちろん色々な制度や法律はできたし、セクハラやパワハラ、長時間労働など、やっと、本当にやっと平成終盤で関心が高まり、部分的にはかすかな“光”が見えてきた問題もある。 しかしながら、どれもこれも抜け穴だらけで、全体を見渡すと“自滅”にむかっているとしか思えないのである。 それは「グループ一九八四年」が昭和50年2月号の『文藝春秋』に投稿した論文、「日本の自殺」の中に予期されていたとおりであり、本論文が2012年に文春新書から出版されたときの巻末で文芸評論家の福田和也氏が記した言葉どおりのことが起こっているな、と。 「日本人が部分を見て全体をみることができなくなり、エゴと放縦と全体主義の蔓延のなかに自滅していく危機のなかに存するというべきなのである」(by グループ一九八四年 『日本の自殺』P.57より) 「今の日本は『自殺』するだけの勢いもなく、衰えた末に『自然死』してしまうのではないか、と思わされる」(by 福田和也氏 同P.189より) なんだかしょっぱなから陰鬱な文章になってしまったのだが、「全体をみることができなくなった」という言葉の重みを裏付ける調査から、まずは紹介しようと思う。 この調査は私の大学院時代の恩師である山崎喜比古先生が中心になり、平成3年(1991年)11月に「中壮年男性」を対象に実施したもので、日本の産業ストレス研究の原点といえる大規模調査のひとつだ』、30年以上も前の「日本の自殺」の「巻末」の「言葉」が、現在にも当てはまるというのは、大いに考えさせられる。
・『1970年代後半から、医学の現場では「過重労働による死」がいくつも報告され、遺族の無念の思いをなんとか研究課題として体系づけたいと考えた旧国立公衆衛生院の上畑鉄之丞名誉教授(うえはた・てつのじょう、2017年没)が、「過労死」という言葉を初めて使い、1978 年の日本産業衛生学会で「過労死に関する研究 第1報 職種の異なる17 ケースでの検討」を発表した。 それをきっかけに翌年から「過労死」の事例報告が相次ぎ、やがて「過労死」という言葉は医師の世界から弁護士の世界に広まり、1988年6月、全国の弁護士・医師など職業病に詳しい専門家が中心となって「過労死110番」を設置。すると夫を突然亡くした妻たちから電話が殺到し、それをメディアが取り上げ「過労死」という言葉が一般社会に広まることになった。 時期を同じくして多くの企業がOA化を進め、働く人たちの精神的ストレスも増加していた。そこで、欧米ではすでに1970年代から進められていた長時間労働の削減やワークライフバランスを「日本でもやらなきゃ!」と労働者を対象にした調査研究がスタートしたのである』、「「過労死」という言葉を初めて使」ったのが「1978 年」だったとは初めて知ったが、40年以上も解決されずに続いていることも衝撃的だ。
・『「長時間」働くことは“美徳”だった平成初期  今回紹介する「中壮年男性の職業生活と疲労とストレス調査」は、民法、労働法を専門とし社会法の分野で多くの立法に参画した東京大学名誉教授(当時)の有泉亨先生はじめ、日本の労働経済学研究の第一人者である法政大学名誉教授(当時)小池和男先生らの助言を得て、山崎先生らが調査を実施し、報告書をまとめたものだ。 当時は「長時間労働やストレスフルな働き方はあくまでも、労働者個人の問題要因」として説明される議論が主流だった。そこで山崎先生は「人の働き方は、企業の働かせ方で変わる!」と、至極まっとうな異議を唱えるべく、労働・職場環境の要因と合わせて分析した。俗っぽくいえば、山崎先生は“ブラック企業研究”のパイオニア的存在であり、この視点こそがこの研究の“ウリ”だった。 調査対象は、東京都内や都心通勤圏に住む35~54歳の男性労働者3000人。基本属性は、+1000人以上規模の会社に勤める人が4割を占め、+業種は「製造業」が30.6%と最も多く、「サービス業」20.5%、「建設業」11%と続き、 +雇用形態は「正社員」が95.6% 月平均の残業時間は、中央値で「30時間以上~40時間未満」。50時間以上が24%、70時間以上が11.5%。 対象が異なるため単純比較はできないが、2013年に「Vorkers」が行った調査では、残業時間は50時間以上が4割。つまり、91年の山崎先生の調査では「今より短い結果」が得られていたのである。 そして研究の“キモ”である長時間労働とその他の要因tとの関係性については、次のようなことがわかった。 +「仕事量が多い」「不規則勤務がある」「厳しいノルマがある」という職場ほど、残業時間が長い +残業時間が多い人ほど「長時間労働を評価する雰囲気がある」とし、具体的には、月平均残業時間「50~70時間未満」は53.3%、「70時間以上」は65.5% +「成績に響くので、少しくらい体調が悪くても出社する」という労働者が36%に上ったのに対し、「仕事を休むと迷惑をかけるので、少しくらい体調が悪くても出社する」と77%が回答  「好きな仕事ができなくとも高い地位に昇進したい」「ある程度昇進し、かつ嫌いな仕事でなければいい」という昇進志向の労働者は全体の51%で、「昇進よりも好きな仕事」との回答(37%)を大きく上回っていた 上記の結果からは、「24時間働けますか?」という企業側の暗黙のオーダーを、働く人たちが「美徳」と捉え、世間もそういう働き方をする人たちを評価する風潮が、「長時間労働」の背後に存在していたと推察できる。 と同時に、1990年代初頭のビジネスマンは、会社というヒエラルキー組織の中で絶対的な居場所を確保することを好む傾向が強かったこともわかる』、確かにあの頃は、まだよき時代だったようだ。
・『忙しかったけど納得のいく報酬と思いやりある職場があった  次に、「職場の人間関係」に関する項目では、 +「仕事を任せられる部下や、サポートしてくれる人がいない」53.9% +「上司の指導や助言が得られない」51.2% で、これらを残業時間との関係でみると、 +月平均残業時間が50時間以上になると、それぞれ68.8%、68%にもおよび、50時間未満との格差が生じていることがわかった。 その一方で、+「同僚や部下が忙しいと、すすんで手伝ったりカバーする」と、全体の8割の人が答えている。 また「報酬」に関しては、 +「現在、思い通りの地位についている」と60.3%、「仕事におもしろさや、やりがいを感じている」と69.6%が回答。 しかしながら、残業時間との関係は認められず、一部でいわれるように、仕事が面白くてやりがいがあるからといって、残業が多くなることはないことがわかった。 賃金については、仕事に見合った報酬を「十分に得ている」は42.7%、「十分ではない」が55.9%と上回った。報酬への満足感と残業の多さとの関係性はなかった。「自分の過労死を心配することがある」とした人は、月平均残業時間70時間以上では65%だった。 ……さて、いかがだろうか。 繰り返すが、調査が行われたのは平成3年(1991年)10月だ。 この頃は「余裕があった時代」とイメージされがちだが、実際には「仕事量の多さ」や、「厳しいノルマ」に悲鳴をあげ、「賃金に不満」を感じている人も多く、既に過労死や過労自殺と背中合わせの時代に突入していたのだ。 その半面、給料は上昇傾向に(ピークは1997年の467万3000円 by国税庁「民間給与実態統計調査」)にあったことに加え、「会社員=正規雇用」で、「将来への不安」に押しつぶされそうになることはなかった。 「サポートを得られない」「上司の助言が得られない」状況になりつつも、「同僚や部下が忙しいと、すすんで手伝ったりカバーする」と8割の人が答えられるだけの心理的余裕もあった。 つまるところ「ストレスの雨」は職場に降り始めていたものの、それをしのぐだけの“傘”を企業が提供していたことで、ビジネスマンは「やりがい」と「他者への共感」というポジティブな感情を確保できていたのではないか。「正規雇用・長期雇用」という制度を企業が維持していたことで、労働者と企業の間でギブアンドテイクの関係がギリギリ保持できていたのである』、「「ストレスの雨」は職場に降り始めていたものの、それをしのぐだけの“傘”を企業が提供していたことで、ビジネスマンは「やりがい」と「他者への共感」というポジティブな感情を確保できていたのではないか」、解説は説得的だ。
・『成果主義の名を借りたコスト削減が職場を荒廃させた  ところが、“パチッ”“パチッ”とバブルがはじける音を聞きつけていた会社組織の“上階のお偉い人たち”は、その「全体」をみることなく「部分」、すなわち「年功制」のネガティブな側面だけを注視。 「アメリカの成果主義ってやつを輸入したらどうかな?」「いいね。年功賃金に不満もってる新人類の若いやつらも喜ぶだろう」 「うん!能力主義だよ!」 「そうだ!自己実現だよ!」といった具合に、“コスト削減”という下心ありありの制度を、文化も労働体系も異なる米国から輸入。それにまんまとひっかかったのが、「自分は“できる”」と妄信したエリートと「偉そうなオジさん」に不満を抱えていた若者だった。「年功序列崩壊だ! 成果を出せばいいんだ! 目指せ、1億円プレイヤーだ!」と大喜びしたのである。 「エゴと放縦と全体主義」に陥ってる“お偉い人たち”は、さらなる深みにハマり、「米国=世界→素晴らしい!」とばかりに「正規雇用」と「長期雇用」をなくすことを選択。 1995年、日経連(現経団連)は、「新時代の『日本的経営』」なるものを打ち出し(下記の表)、山一証券の倒産以降は「ダムサイジング(愚かなサイズ合わせ)」に突っ走り、平成後期には政治の力を借り「生きる力の基盤」を確保できない労働者を量産した。 (「長期蓄積能力活用型グループ」「高度専門能力活用型グループ」「雇用柔軟型グループ」に分けた表はリンク先参照) ちなみに「ダムサイジング」とは、1996年の経営管理学界で、当時リンカーン・エレクトリックの最高経営者だったドナルド・ヘイスティングスが使ったお言葉である。人件費を削るなどの経費削減が、長期的には企業の競争力を低下させるとする研究者たちの研究結果を、自らの経験を交えて「ダムサイジング」と呼んだのだ。 全体が見えない人たちの思考は常に短絡的。自分たちが“新しい”と信じている経営手法は、海の向こうで既に否定されていたのだ。しかしながら、もはや働く人たちを「人」として見られない経営者たちは「エゴに満ちた経営」をどこまでも追い求めた。 すべては「投資家」を喜ばすための政策であり、そこに「働く人の健康」や「働く人の感情」はみじんも存在しない。 やがて、現場の人たちは生々しい感情を抑え、利己的に生きないと自分が生き残れないことを経験的に学び、「同僚や部下が忙しいと、すすんで手伝ったりカバーする」という共感は消滅し、「自己責任」という言葉を多用する人たちを量産した』、「自分たちが“新しい”と信じている経営手法は、海の向こうで既に否定されていたのだ」、何とも皮肉なことだ。「「同僚や部下が忙しいと、すすんで手伝ったりカバーする」という共感は消滅し、「自己責任」という言葉を多用する人たちを量産した」、大きな弊害が残されたようだ。
・『平成に失われた共感や居場所を「令和」に取り戻すために  つまるところ、平成の時代とは「人間の勝手さと愚かさ」を知らしめた30年だったのではないか。カネに換算できないこの無形の価値あるものをおろそかにし、目の前の「見えるもの」に心奪われたものは、自滅の道をたどるしかない。 もし、1990年代初期に「過労死」というものを企業が真剣に受け止め、「大切な社員を死なせてはならない」と考えてくれれば「自滅の危機」は、免れたかもしれない。 経営者が、高度成長期の立役者だった下村治氏の「オイルショックをもって高度成長は完全に終わった。これからはゼロ成長または低成長だ」という予言を真剣に受け入れていれば、「成長し続けるためのコスト削減」ではなく、「今いる人を大切にするための経営」に舵(かじ)をきることができたかもしれない。 もし、バブル期の私たち世代が「自分たちは恵まれた時代に生まれただけ。運が良かっただけ」と全体を見ることができたら、もう少しだけ「共感」という感情を社会に残せたかもしれない。 そして、平成が終わろうとしている「今」。日本中のアチコチに「居場所」を見いだせない人たちがいる。全体を見ず部分だけを見て批判することでしか、居場所を得られない人たちがいる。 なんか書いていて悲しくなってしまったのだが、小さくてもいいから自分にできることをコツコツと考え実行し、「オカシイことはオカシイ」と言える自分の価値判断軸を失うことなく、残りの時間を過ごすしかないのだな、きっと。 というわけで、元号変われど今までどおり精進いたしますゆえ、「令和」の時代にまたお会いしましょう』、「平成の時代とは「人間の勝手さと愚かさ」を知らしめた30年だったのではないか」、鋭い指摘だ。何とかして社会に「共感」を取り戻したいものだが、「覆水盆に返らず」なのかも知れない。短期的視点で、日本的経営の良さを破壊した経営者たちの罪は深い。

次に、経済ジャーナリストの岩崎 博充氏が本年1月26日付け東洋経済オンラインに掲載した「日本人は「失われた30年」の本質をわかってない」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/325346
・『今から30年前、1990年の東京証券取引所は1月4日の「大発会」からいきなり200円を超える下げを記録した。1989年12月29日の「大納会」でつけた史上最高値の3万8915円87銭から、一転して下げ始めた株式市場は、その後30年が経過した今も史上最高値を約4割ほど下回ったまま。長期的な視点に立てば、日本の株式市場は低迷を続けている。 その間、アメリカの代表的な株価指数である「S&P 500」は、過去30年で約800%上昇。353.40(1989年末)から3230.78(2019年末)へと、この30年間でざっと9.14倍に上昇した。かたや日本は1989年の最高値を30年間も超えることができずに推移している。 この違いはいったいどこにあるのか……。そしてその責任はどこにあるのか……。アメリカの経済紙であるウォールストリートジャーナルは、1月3日付の電子版で「日本の『失われた数十年』から学ぶ教訓」と題して、日本が構造改革を行わなかった結果だと指摘した』、興味深そうだ。
・『日本は失われた40年を歩むことになるのか  この30年、確かに株価は上がらなかったが、極端に貧しくなったという実感も少ない。政治は一時的に政権を明け渡したものの、バブル崩壊の原因を作った自民党がいまだに日本の政治を牛耳っており、日本のあらゆる価値観やシステムの中に深く入り込んでいる。 バブルが崩壊した原因やその責任を問われぬまま、失われた30年が過ぎてきた。自民党政権がやってきたことを簡単に総括すると、景気が落ち込んだときには財政出動によって意図的に景気を引き上げてリスクを回避し、その反面で膨らむ一方の財政赤字を埋めるために消費税率を引き上げ、再び景気を悪化させる……。そんな政治の繰り返しだったと言っていい。 2012年からスタートしたアベノミクスでは、財政出動の代わりに中央銀行である日本銀行を使って、異次元の量的緩和という名目で、実際は「財政ファイナンス(中央銀行が政府発行の国債を直接買い上げる政策)」と同じような政策を展開してきた。政府に逆らえない中央銀行総裁が登場したのも、日本経済の「失われた20年、30年」と無縁ではないだろう。 実際に、近年の日本の国際競争力の低下は目に余るものがある。 生産能力は低下する一方であり、加えて少子高齢化が顕著になってきている。新しい価値観をなかなか受け入れない国民や企業が蔓延し、失われた30年が過ぎたいま、日本はこれから失われた40年、あるいは失われた50年を歩き始めているのかもしれない。 このままでは2030年代には、日本は恒常的なマイナス成長国家となり、経常赤字が続き、やがては先進国から陥落する日が来るのかもしれない……。そんな予測をする専門家も多い。日本の失われた30年を、もう1度検証し振り返ってみたい』、確かに「バブルが崩壊した原因やその責任を問われぬまま、失われた30年が過ぎてきた」、「もう1度検証」する意味は大きい。
・『この30年、何が変化したのか?  この30年で日本はどんな変化を遂げたのだろうか。まずは、主要な統計上の数字の面でチェックしてみたい。 ●平均株価(日経平均株価)……3万8915円87銭(1989年12月29日終値)⇒2万3656円62銭(2019年12月30日終値) ●株式時価総額……590兆円(1989年年末、東証1部)⇒648兆円(2019年年末、同) ●ドル円相場……1ドル=143.4円(1989年12月末、東京インターバンク相場)⇒109.15円(2019年12月末) ●名目GDP……421兆円(1989年)⇒557兆円(2019年) ●1人当たりの名目GDP……342万円(1989年)⇒441万円(2019年) ●人口……1億2325万人(1989年、10月現在)⇒1億2618万人(2019年、11月現在) ●政府債務……254兆円(1989年度、国と地方の長期債務)⇒1122兆円(2019年度末予算、同) ●政府債務の対GDP比……61.1%(1989年)⇒198%(2019年) ●企業の内部留保……163兆円(1989年、全企業現金・預金資産)→463兆円(2018年度) これらの数字でわかることは、第1に株価の低迷がずっと続いていることだ。 1989年の大納会でつけた3万8915円という高すぎる株価は、解禁されたばかりの株式先物指数が一部の外国人投資家に使われた意図的な上昇相場であったという背景もあるが、30年間回復できない現実は日本経済に問題があるとしか言いようがない。 アメリカの株価がこの30年で9倍になったことを考えると、日本の株価は異常な状態と言っていいだろう。ちなみに、この30年間でドイツの株価指数も1790.37(1989年末)から1万3249.01(2019年末)に上昇。ざっと7.4倍になっている。 なお、株式市場の規模を示すときに使われる「時価総額」も、この30年で日本はわずかしか上昇していない。 株式の上昇による資産効果の恩恵を日本の個人はほとんど受けていないことになる。個人が株式に投資して金融資産を大きく伸ばしたアメリカに比べると、日本は一向に個人の株式投資が進んでいない。日本人の多くが豊かさを実感できない理由の1つと言っていいだろう。 実際に、この30年で海外投資家の日本株保有率は1990年度には5%弱だったのが、2018年度には30%に達している。日本株の3割は外国人投資家が保有しているわけだ。 かつて日本の株式市場は3割以上が国内の個人投資家によって保有されていた。バブル崩壊によって個人投資家が株式投資から離れ、その後の個人の資産形成に大きな影を落としたと言っていい。現在では、過去最低レベルの17%程度にとどまっている。 ちなみに、アベノミクスが始まって以来、政府は「GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)」などの「五頭のクジラ」と呼ばれる公的資金を使って、意図的に株価を下支えしていると言っていい。日銀も「ETF(上場投資信託)」を買い続けている。 これでは株価は適正な価格形成を行えず、個人投資家の多くは割高な価格で株をつかまされている状態だろう。株価が暴落したときに、個人が株式市場に参入する機会を失ってしまっているわけだ。 株式市場というのは、あくまでも市場の価格形成に任せるのが望ましく、株価が大きく下がれば個人投資家が株式投資を始める可能性が高い。せっかくの投資機会を、政府が意図的に邪魔している状態が続いてきたとも言えるのだ。 マクロ経済的に見ると、日本の名目GDPは1989年度には421兆円だったのが、30年を経た現在では557兆円になっている(米ドル建てで計算。1989年はIMF、2018年は内閣府推計)。一見すると国内総生産は順調に伸びてきたかのように見えるが、世界経済に占める日本経済のウェートを見ると、その凋落ぶりがよく見て取れる。 ●1989年……15.3% ●2018年……5.9% アメリカのウェートが1989年の28.3%(IMF調べ)から2018年の23.3%(同)へとやや低下したのに比べると、日本の落ち込みは大きい。その代わり中国のウェートは2.3%(同)から16.1%(同)へと急上昇している。新興国や途上国全体のウェートも18.3%から40.1%へと拡大している。 日本の国力の低下は、明らかだ』、確かに「五頭のクジラ」が日本の株式市場を大きく歪めた状態は、いまだに続いているのは異常だ。「世界経済に占める日本経済のウェートを見ると、その凋落ぶり」は、目を覆いたくなるほどだ。これには、「アベノミクス」による円安政策も大きく影響している。
・『グローバル企業が示す日本の衰退  日本の「失われた30年」を的確に示している指標には、日本全体の「国際競争力」や日本企業の「収益力ランキング」がある。 例えば、スイスのビジネススール「IMD」が毎年発表している「国際競争力ランキング」では、1989年から4年間、アメリカを抜いて日本が第1位となっていた。それが2002年には30位に後退し、2019年版でも30位と変わっていない。 一方、アメリカのビジネス誌『フォーチュン』が毎年発表している「フォーチュン・グローバル500」は、グローバル企業の収益ランキング・ベスト500を示したものだ。1989年、日本企業は111社もランキング入りしていたが2019年版では52社に減少している。 日本の科学技術力も、この30年で大きく衰退してしまった。 日本の研究者が発表した論文がどれだけほかの論文に引用されているのかを示す「TOP10%補正論文数」というデータでも、1989年前後には世界第3位だったのだが、2015年にはすでに第9位へと落ちてしまっている。 このほかにも、ここ30年で順位を落としてしまった国際ランキングは数知れない。ほとんどの部分で日本以外の先進国や中国に代表される新興国に抜かれてしまっている。日本は今や先進国とは名ばかりの状態なのかもしれない。) 残念なことに、日本のメディアは日本の技術がすばらしいとか治安が優れているなど、数少ない日本の長所をことさらにクローズアップして、日本が世界をリードしているような錯覚を毎日のように国民に与え続けている。 1989年には、日本にやってくる外国人観光客は非常に少なかった。訪日外国人客は283万人(1989年)、それがいまや3119万人(2018年)に膨れ上がった。当時、外国人にとって日本の物価は非常に高く、一部のお金持ちを除くとなかなか日本に来ることができなかった。 現在は中国に限らず、世界の数多くの観光客が日本は格安だとして訪れている。実際に、日本はこの30年間ほどんど物価が上がらず、アベノミクスで掲げた年2%のインフレ率さえ達成できない。 国民生活にとっては、それが悪いわけではないが、日本の国力は明らかに低下していると考える必要があるだろう』、「日本のメディアは日本の技術がすばらしいとか治安が優れているなど、数少ない日本の長所をことさらにクローズアップして、日本が世界をリードしているような錯覚を毎日のように国民に与え続けている」、のは残念なことだ。
・『責任はどこにあるのか?  日本が失われた30年を始めたきっかけは、言うまでもなく株価の大暴落だが、追い打ちをかけるように当時の大蔵省(現財務省)が、高騰を続ける不動産価格を抑制しようと「総量規制」を実施したことにある。株価にブレーキがかかっているのに、土地価格にまでブレーキをかけたことが原因であり、そういう意味ではバブル崩壊は政府の責任だ。 アメリカがリーマンショックを経験したような出来事を、日本はその20年も前に味わっていたわけだが、そこでの対応の違いがアメリカと日本の差を決定的にしたと言っていい。 日本は、株価暴落や土地価格の暴落などによって実質的に経営破綻に追い込まれた金融機関や企業の破綻を先延ばしし、最終的に7年以上もの時間をかけてしまったからだ。 リスクを先送りにすることで、自民党を軸とした政治体制を守り、政権と一蓮托生になっていた官僚機構も、意図的に破綻処理や構造改革のスピードを遅らせた。その間、政府は一貫して公的資金の出動による景気対策や公共事業の増加などで対応してきた』、「バブル崩壊は政府の責任」、その通りだが、「実質的に経営破綻に追い込まれた金融機関や企業の破綻を先延ばしし、最終的に7年以上もの時間をかけてしまった」、には違和感がある。「先延ばし」は、本格的回復を遅らせるが、ショックを和らげる効果もあるからだ。
・『財政赤字がまだ400兆円のレベルだった頃に、当時の大蔵省主計局に取材したことがある。担当者は「赤字国債の発行を辞めることは、官僚機構がみずから国を荒廃に追いやることになる」と発言したのをいまでも思い出す。赤字国債なしでは、日本は立ち行かなくなっていることを認めているわけだ。 この30年、日本は企業救済のための資金は惜しまずに支出してきた。アメリカのように、税金を民間企業に支出することに強硬に反対する共和党のような勢力が、日本にはないからだ。公的資金の支出が景気の回復に効果がないとわかると、今度は郵政民営化といった規制緩和を始める。 しかし、これもさまざまな勢力に忖度するあまり、中途半端な形で進行し、結果的に景気回復の切り札にはならなかった。最終的に、現在進行形のアベノミクスにたどり着くわけだが、スタートして今年で8年になろうとしているにもかかわらず、その効果は見当たらない。 ひょっとしたら、一時的に消費者物価が2%を突破するかもしれないが、一時的なものに終わる可能性が高い。その間、政府の債務はどんどん膨らんで、政府は何度も消費税率アップに動く以外に方法はなくなっていく。 1989年4月に消費税を導入して以降、この30年で政府は3回の「消費税率引上げ」を実施しているが、いずれも2%、3%という具合に、ほんの少しずつ引き上げることで決定的なパニックに陥るリスクを避けてきた。 一方のアメリカは、リーマンショック時にバーナンキFRB議長は大胆に、そしてスピード感を持って解決策を打ち出した。責任を回避せずに、リスクに立ち向かう姿勢がアメリカにはあったと言っていい。 日本はつねにリスクを回避し、事なかれ主義に徹し、改革のスピードや規模が小さくなってしまう。その結果、決断したわりに小さな成果しか上げられない。簡単に言えば、この30年の失われた期間は現在の政府に責任があることは間違いない。 それでも国民は、バブル崩壊の原因を作った政権にいまも肩入れしてきた。その背景には補助金行政など、政府に頼りすぎる企業や国民の姿がある。実際に、この30年間の統計の中でもあったように政府債務は250兆円から約4倍以上の1100兆円に増えている。 自民党政権がいまも続いているのは、ただ単に「低い投票率」に支えられているだけ、という見方もあるが、30年の間に、国民の間に「諦め」の境地が育ってしまったのも事実だろう。 長期にわたってデフレが続いたため、政府は経済成長できない=税収が増えない分を長期債務という形で補い続けてきたわけだ。収入が減ったのに生活水準を変えずに、借金で賄ってきたのが現在の政府の姿と言っていい』、リーマン・ブラザーズの破綻を放置し、「リーマンショック」を引き起こしたこと自体が、「アメリカ」の政策ミスだった。「この30年の失われた期間は現在の政府に責任があることは間違いない」、「収入が減ったのに生活水準を変えずに、借金で賄ってきたのが現在の政府の姿」、などはその通りだろう。
・『日本はなぜ構造改革できないのか?  全国平均の公示地価を見ると、1976年を「0」とした場合、1992年まではプラス圏だったが、その後バブルが崩壊して住宅地、商業地ともに公示価格はひたすらマイナスを続けて、2015年にやっと「前年比プラス」に転じる状況にある。30年前の土地価格に戻るには、悪性インフレぐらいしか考えられない状況だ。要するに、30年近い歳月、日本国民は土地価格の下落を余儀なくされたわけだ。 株価や土地価格が上昇できなかった背景をどう捉えればいいのか。 簡単に言えば、少なくとも日本政府は構造改革につながるような大胆な改革を行ってこなかった。都市部の容積率を抜本的に見直すといった構造改革を怠り、消費税の導入や、税率アップのような構造改革ではない政策でさえも、選挙に負けるというトラウマがあり、一線を超えずにやってきた、という一面がある。 もっとも、構造改革をスローガンに何度か大きな改革を実施したことはある。例えば、企業の決算に「時価会計」を導入したときは、本来だったら構造改革につながるはずだった。これは、日本政府が導入したというよりも、国際的に時価会計導入のスケジュールが決まり、それに合わせただけのことだが、本来であれば株式の持ち合いが解消され、ゾンビ企業は一掃されるはずだった。 ところが政府は、景気が悪化するとすぐに補助金や助成金といった救済策を導入して、本来なら市場から退散しなければならない企業を数多く生き残らせてしまった。潰すべき企業を早期に潰してしまえば、その資本や労働力はまた別のところに向かって、新しい産業を構築することができる。負の結果を恐れるあまり、政府はつねにリスクを先送りしてきた。 バブル崩壊後も、株式市場は長い間、「PKO(Price Keeping Oparation)相場」と言われて、政府によって株価が維持されてきた。世界の平均株価と大きく乖離した時期があった』、「都市部の容積率を抜本的に見直すといった構造改革を怠り」、これは不動産業者の主張で、私は安易な「容積率見直し」には反対だ。地価低迷は、高くなり過ぎた地価の修正過程だったと捉えるべきだ。
・『官民そろってガラパゴスに陥った30年  そして今大きな問題になっているのが、デジタル革命、 IT革命といった「イノベーション」の世界の趨勢に日本企業がどんどん遅れ始めていることだ。 この背景には、企業さえも構造改革に対して消極的であり、積極的な研究開発に打って出ることができなかったという現実がある。欧米のような「リスクマネー」の概念が決定的に不足している。リスクを取って、新しい分野の技術革新に資金を提供する企業や投資家が圧倒的に少ない。 日本はある分野では、極めて高度な技術を持っているのだが、マーケティング力が弱く、それを市場で活かしきれない。過去、日本企業はVHSやDVD、スマホの開発といった技術革新では世界のトップを走ってきた。 しかし、実際のビジネスとなると負けてしまう。技術で優っても、ビジネス化できなければただの下請け産業になってしまう。もっとわかりやすく言えば、日本特有の世界を作り上げて、そこから脱却できない「ガラパゴス化」という欠点に悩まされてきた。 日本特有の技術に固執するあまり、使う側のポジションに立てないと言ってもいい。日本が製造業に固執しながら、最先端の技術開発に終始している間に、世界は「GAFA」(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)に支配されていた。あまりにも残念な結果といえる。 この30年、日本企業はさまざまなガラパゴスを作ってきた。 そして、そのガラパゴスの背景には、必ずと言っていいほど政府の歪んだ補助行政や通達、 規制といったものが存在している。業種にもよるが、日本企業の多くは消費者ではなく、規制当局や研究開発費を補助してくれるお上(政府)の方向を向いてビジネスしている姿勢をよく見かける。政府が出してくれるお金を手放せないからだ。 とはいえ、失われた40年を歩き始めたかもしれない日本にとって、今後は失われただけでは済まないだろう。日銀には一刻も早く、金融行政を適正な姿に戻し、株式市場も適正な株価形成のシステムに戻すことが求められている。自民党が避けてきた「最低賃金の大幅上昇」や「積極的な円高政策」といった、これまでとは真逆の政策に踏み切るときが来ているのかもしれない。 そして、政府は財政赤字解消に国会議員の数を減らすなど、目に見える形で身を切る改革をしなければ、今度は「崩壊する10年」になる可能性が高い』、「ガラパゴス化」には、政府だけでなく、経営者の責任も大きい筈だ。「金融行政を適正な姿に戻し、株式市場も・・・」、大賛成だ。

第三に、哲学者のマルクス・ガブリエル氏が2月12日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「「日本はソフトな独裁国家」天才哲学者マルクス・ガブリエルが評するワケ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/228172
・『「世界で最も注目を浴びる天才哲学者」と呼ばれるマルクス・ガブリエル氏。すべてがフラットになり、あらゆる情報が氾濫し、何が真実なのか、真実など存在するのかわからなくなった現代を、彼はどう見ているのか。日本の読者に向けて行われた独占インタビューを基にしたマルクス・ガブリエル氏の最新作『世界史の針が巻き戻るとき~「新しい実在論」は世界をどう見ているか』から一部を抜粋して、世界が直面している危機に対する彼の舌鋒鋭い意見を紹介する』、マルクス・ガブリエル氏はNHKの資本主義特集でも登場する人物で、「日本はソフトな独裁国家」とは何を言いたいのだろう。
・『我々はGAFAに「タダ働き」させられている 彼らを規制すべき理由  GAFA(Google・Amazon・Facebook・Apple)は、今や世界を統治しているとも言える状況にあります。GAFAの統治を止めるべく、何か規則や法律を設けるべきだと私は思います。身動きできないくらい徹底的に規制すべきです。 どのような理由、方法、法制度で、など議論の余地はありますが、私の提案はこうです。GAFAはデータで利益を得ていますね。データム(データの単数形)とは、アルゴリズムと私が行うインプットの間にある差異です。 まず、インプットとは何かについてお話ししましょう。私がバーベキューパーティを主催したとする。写真を撮ってアップする。フェイスブックやグーグルは、そのアップされた写真から利益を得ます。バーベキューパーティ自体からでは当然ありません。でも、バーベキューパーティを主催して写真を撮るのは私です。これは労働と言っていい。私が手を動かしているのです。歯牙にもかけないような会社のために価値を生み出しています。 フェイスブックが存在する前は、写真のアップなんてしようとも思わなかった。フェイスブックがなかったからです。恐らく写真を撮ることすらなかったでしょう。家族のアルバム用には撮ったかもしれません。それが、今や人々はフェイスブックのために写真を撮っている。これはつまり、人々がフェイスブックに雇われているということです。フェイスブックのために、文字通り働いているんです。 フェイスブックは彼らにいくら払っているか?ゼロです。ですから、我々はフェイスブックに税金を課すべきです。それが解決策の一つですが、法的な問題などがいろいろありますから、難しいでしょうね。もっといいのは、税金の代わりにベーシックインカムを払わせることです。 想像してみてください。GAFA企業が、彼らのサービスを使っている人々に分単位でベーシックインカムを払わなければならなくなったとしたら。ドイツでの最低賃金は一時間約10ユーロです。ですから、私がGAFAのいずれかのサービスをネット上で一時間使ったとする。彼らはユーザーが何時間消費するか簡単にわかります。GAFAのユーザーなら当然アカウントがありますから、彼らが提供する価値からマイナスして、私が生み出した価値を私のアカウントに紐づけることができる。 彼らは私にデータを提供してくれます。レストランに行きたいと思ったら、レストランに関するデータをくれます。その彼らがくれる価値を10ユーロからマイナスして払ってもらえばいい。きっと金額に換算できます。そんなに難しいことではない。私の推定では、1時間につき7ユーロか8ユーロくらいになるでしょう。これが、よりよい解決策です。 各国政府は、我々国民がGAFAに雇われているという事実を認識したほうがいい。近いうちに、GAFAはすべてを変えるか我々にお金を支払うかのどちらかを行うと思います。それで経済的な問題の多くは解決されるでしょう。ネット検索をするだけでお金持ちになれるのですから(笑)。富豪は言い過ぎかもしれませんが、十分食べていくことはできるでしょう』、「フェイスブックのために写真を撮っている。これはつまり、人々がフェイスブックに雇われているということです。フェイスブックのために、文字通り働いているんです」、「フェイスブック」にしてみれば、「人々が」勝手に「フェイスブック」を使っているだけで、「ベーシックインカム」を払わされるいわれはないと主張するだろう。
・『デジタル・プロレタリアートが生まれている  2019年5月1日の「エル・パイス」(スペインの新聞)のインタビューでも述べたことですが、我々は自分たちがデジタル・プロレタリアート(無産階級)であることに気づいたほうがいい。一つ、あるいは複数の企業のためにタダ働きしているのですから。人類史上、こんな状況は一度も起こったことがありません。GAFAは「我々はビッグデータを吸い上げる代わりにたいへん便利なサービスを無料で提供している」などと言います。でも、実質無料ではありません。我々は気づかないうちに彼らのために働いているのですから。 たとえば、あなたが今フライドポテトを食べたいと思ったとしましょう。そこでボンの町にあるフライドポテトの屋台に行くと、「この店のポテトは無料です」と言われた。それはいい、いただこう。でも店員はこう続けます。「ポテトを受け取る前にあの畑からじゃが芋を採ってきなさい、そうしたら揚げてフライドポテトにしてあげましょう」と。「じゃが芋を採るのも無料です。ただ行って採ればいい、無料開放されています。採って持ってきなさい」と、こうです。 その実態は、フライドポテト会社のために働くということです。フライドポテトを無料提供ですって?それは無料ではありません。これがGAFAの行っていることです。彼らは何も無料で与えてくれてやしません。トリックです。いくばくかの広告収入はあるかもしれないが、本当の収益は我々のタダ働きから来ているのです。 我々はそのことに気づいていません。それがトリックです。なぜなら我々の労働に対する概念がひどいものだからです。我々は皆、マルクス主義的な労働概念を持っています。実はマルクス主義の労働観はそこまで間違っているわけではないかもしれませんね。マルクス主義における労働とは、肉体的・活動的な現実を別の形に変換することを指します。木を削ってテーブルを作る、これが労働です。 インターネットではこれがどう起きるかというと、バーベキューパーティ、つまり肉体的・活動的な現実を開催し、写真を撮る。これが変換です。その変換した写真をアップする。アップも変換に当たります。 それでも我々はインターネットに関して、「それが物質的なものではない」という素朴な労働観を持っている。これが間違いです。(情報空間でのやりとりは)精神的なものだと思うかもしれませんが、インターネットは完全に物質的なものです。サービスも半導体チップも物質的なものでしょう。それがインターネットです。一定の方法で組み立てられた配線、チップ、電磁放射線の集合体です。我々は、その事実にまったく気付いていません。 最近の調査では、我々は1年間のうち約4カ月もネットをして過ごしているといいます。1年のうち4カ月も、びた一文くれない人間のために働いて過ごしているのです。彼らは何かしらのサービスをくれているかもしれません。でも実際は、そのサービスで得られるものより多くの代償を我々は支払っているんです』、「デジタル・プロレタリアート」、とは言い得て妙だ。しかし、「フライドポテト」の寓話は全く理解できなかった。「我々は1年間のうち約4カ月もネットをして過ごしているといいます。1年のうち4カ月も、びた一文くれない人間のために働いて過ごしているのです」、「働いて過ごしている」というのも、理解できなかった。
・『日本はテックイデオロギーを生み出す巧者  グーグルがベルリンのクロイツベルク地区に新たな拠点を設立しようとしたとき、ベルリンでは反対運動が起きました。このような巨大テック企業への反対運動は、日本では見られませんね。人々の認識には、日独でかなりのギャップがあると感じます。 それは、日本がテクノロジーに関するイデオロギーを生み出すのが抜群にうまいからだと私は思います。このようなストーリーの紡ぎ手としては、日本は第一級の国の1つで、90年代はカリフォルニア以上、少なくとも同等に重要な存在だったと思います。今はそこまでの存在感はありませんが。とはいえ、モダニティに対する日本の貢献がなければテレビゲームは今日の姿にはなっていなかったでしょうし、それゆえインターネットで我々が得る経験も今の状態にはかすりもしないものになっていたでしょう。 ですから日本は、地球上でテクノロジーがもっとも進んでいる地域の一つであり続けているのです。昔はやった「たまごっち」は、機械に愛情を投影することで、人間としての欲望が置き換えられるものでした。日本は一社会として、こうしたモデルを受け入れる傾向が他の地域よりもあると思うのです。 ドイツで起きた反GAFA運動に関して一つ私が強く思っているのは、ドイツは実に長い期間、テクノロジーと独裁主義、イデオロギーとの関わりを味わってきたということです。ドイツは自動車を発明しましたね。忘れてはならない、ドイツが行った人類滅亡への多大な「貢献」です。ドイツのイデオロギーというのは――私は今これをかつての姿に修復しようと使命感を持ってやっているんですが――ともかく、ドイツの発明というのは人類史上最悪に近い。 もちろん他にも人類滅亡に「貢献」している国はありますし、ドイツにも、カントやヘーゲルらがモダニティに素晴らしい貢献をした面もあります。それでも、ドイツの発明は最悪です。 それからドイツは、二度の世界大戦で非常に重大な役割を果たしました。実際はもっとさまざまな要因が絡み合って引き起こされたのですが、端的にいうとそうなります。あれは人間を破壊するためにテクノロジーが使われた戦争でした。ドイツのテクノロジーに対する見識は、そういうものです。テクノロジーとは、壊滅という悪の力だと思っています。ですから、テクノロジーで利益を得ている一部の人々を除き、ドイツにおける批判的思考の持ち主は誰でも、デジタルテクノロジーに強い抵抗を示すでしょう。これは独裁だ、と本能的に反応します。直感的に、独裁に対して反発を起こすのです』、「ドイツにおける批判的思考の持ち主は誰でも、デジタルテクノロジーに強い抵抗を示すでしょう。これは独裁だ、と本能的に反応します」、なるほど、日本人には想像できない抵抗感があるようだ。
・『優しい独裁国家・日本  私は日本が好きですが、日本へ行くと独裁国家にいるような感覚を覚えます。とても民主主義的だし、人々も優しい。中国にいるときのような感覚はない。でも、非常に柔和で優しい独裁国家です。誰もがそれを受け入れている、ソフトな独裁国家のような感覚です。 日本の電車のシステムは完璧ですね。でもホームで列に並び、来たのがピンク色の女性専用車両だったら、私は別の車両へ移動しなければならない。もしそのシステムを理解せず、従わなかったら、いわゆる白手袋の駅員がやってきて追い出されることもあります。 実際、そうだったんです。東京を訪れた際、ピンク色のシステムを知らないまま女性専用車両に立っていて、なぜピンク色なんだろうと考えていたら、もう白手袋がやってきていました。これが、ソフトな独裁国家ということです。 このように完璧になめらかな機能性には、ダークサイド(暗黒面)があります。精神性や美が高まるというよい面もありますが。日本文化は非常に発達していて、誰もが美の共通認識を持っており、食べ物も、庭園も、すべて完璧に秩序が保たれている。それが日本文化のすばらしい面であり、よい面です。 でも、暗黒の力もあるのです。抑圧されたもののすべてが、その力です。時間に遅れてはいけない、問題を起こしてはいけないと、まるで精神性まで抑えるかのような力です。先ほどの白手袋のように、テクノロジーへ服従させられます。私は、これは日本を規定する対立関係(antagonism)だと思います。どんな先進社会にも構造的な対立関係が組み込まれていますが、対立関係、つまりは弁証法です。 ※本文は書籍『世界史の針が巻き戻るとき~「新しい実在論」は世界をどう見ているか』を一部抜粋して掲載しています』、「日本文化は非常に発達していて・・・それが日本文化のすばらしい面であり、よい面です。 でも、暗黒の力もあるのです。抑圧されたもののすべてが、その力です。時間に遅れてはいけない、問題を起こしてはいけないと、まるで精神性まで抑えるかのような力です」、「暗黒の力」にもう1つ付け加えるとすれば、集団への同調圧力の高さがあると思う。「どんな先進社会にも構造的な対立関係が組み込まれていますが、対立関係、つまりは弁証法です」、「ソフトな独裁国家」にはなるほどと納得した。
タグ:東洋経済オンライン 日経ビジネスオンライン ダイヤモンド・オンライン 河合 薫 「過労死」 岩崎 博充 マルクス・ガブリエル 日本の構造問題 (その15)(平成初期の中年男の悲鳴が予言していた「日本の自殺」、日本人は「失われた30年」の本質をわかってない、「日本はソフトな独裁国家」天才哲学者マルクス・ガブリエルが評するワケ) 「平成初期の中年男の悲鳴が予言していた「日本の自殺」」 「平成の30年間を振り返る」 悪化、劣化、衰退」という、最悪な文字しか浮かばない グループ一九八四年 「日本の自殺」 「日本人が部分を見て全体をみることができなくなり、エゴと放縦と全体主義の蔓延のなかに自滅していく危機のなかに存するというべきなのである」 「今の日本は『自殺』するだけの勢いもなく、衰えた末に『自然死』してしまうのではないか、と思わされる」 「過重労働による死」 1978 年 「過労死110番」 「長時間」働くことは“美徳”だった平成初期 「24時間働けますか?」という企業側の暗黙のオーダーを、働く人たちが「美徳」と捉え、世間もそういう働き方をする人たちを評価する風潮が、「長時間労働」の背後に存在していた 忙しかったけど納得のいく報酬と思いやりある職場があった 「同僚や部下が忙しいと、すすんで手伝ったりカバーする」と8割の人が答えられるだけの心理的余裕もあった 「ストレスの雨」は職場に降り始めていたものの、それをしのぐだけの“傘”を企業が提供していたことで、ビジネスマンは「やりがい」と「他者への共感」というポジティブな感情を確保できていたのではないか 「正規雇用・長期雇用」という制度を企業が維持 成果主義の名を借りたコスト削減が職場を荒廃させた アメリカの成果主義 文化も労働体系も異なる米国から輸入 自分たちが“新しい”と信じている経営手法は、海の向こうで既に否定されていた もはや働く人たちを「人」として見られない経営者たちは「エゴに満ちた経営」をどこまでも追い求めた 「同僚や部下が忙しいと、すすんで手伝ったりカバーする」という共感は消滅し、「自己責任」という言葉を多用する人たちを量産した 平成に失われた共感や居場所を「令和」に取り戻すために 「平成の時代とは「人間の勝手さと愚かさ」を知らしめた30年だったのではないか」 「日本人は「失われた30年」の本質をわかってない」 日本は失われた40年を歩むことになるのか アベノミクスでは、財政出動の代わりに中央銀行である日本銀行を使って、異次元の量的緩和という名目で、実際は「財政ファイナンス(中央銀行が政府発行の国債を直接買い上げる政策)」と同じような政策を展開 近年の日本の国際競争力の低下は目に余るものがある この30年、何が変化したのか? 株式の上昇による資産効果の恩恵を日本の個人はほとんど受けていない かつて日本の株式市場は3割以上が国内の個人投資家によって保有 現在では、過去最低レベルの17%程度 「五頭のクジラ」と呼ばれる公的資金を使って、意図的に株価を下支え 株価が暴落したときに、個人が株式市場に参入する機会を失ってしまっている 世界経済に占める日本経済のウェートを見ると、その凋落ぶりがよく見て取れる グローバル企業が示す日本の衰退 「国際競争力ランキング」 フォーチュン・グローバル500 科学技術力も、この30年で大きく衰退 日本のメディアは日本の技術がすばらしいとか治安が優れているなど、数少ない日本の長所をことさらにクローズアップして、日本が世界をリードしているような錯覚を毎日のように国民に与え続けている 責任はどこにあるのか? バブル崩壊は政府の責任だ 実質的に経営破綻に追い込まれた金融機関や企業の破綻を先延ばしし、最終的に7年以上もの時間をかけてしまった 日本はなぜ構造改革できないのか? 官民そろってガラパゴスに陥った30年 ガラパゴスの背景には、必ずと言っていいほど政府の歪んだ補助行政や通達、 規制といったものが存在 「「日本はソフトな独裁国家」天才哲学者マルクス・ガブリエルが評するワケ」 我々はGAFAに「タダ働き」させられている 彼らを規制すべき理由 デジタル・プロレタリアートが生まれている 日本はテックイデオロギーを生み出す巧者 ドイツにおける批判的思考の持ち主は誰でも、デジタルテクノロジーに強い抵抗を示すでしょう。これは独裁だ、と本能的に反応します 優しい独裁国家・日本 暗黒の力もあるのです。抑圧されたもののすべてが、その力です。時間に遅れてはいけない、問題を起こしてはいけないと、まるで精神性まで抑えるかのような力です
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資本主義(その3)(既得権と独占を壊せ!自由な社会の作り方 若き天才経済学者が「ラディカル」に提言、「現代最強の経済学者」スティグリッツの挑戦状 ピケティと挑む「資本主義100年史」の大転換) [経済]

資本主義については、昨年10月3日に取上げた。今日は、(その3)(既得権と独占を壊せ!自由な社会の作り方 若き天才経済学者が「ラディカル」に提言、「現代最強の経済学者」スティグリッツの挑戦状 ピケティと挑む「資本主義100年史」の大転換)である。

先ずは、経済学者の安田 洋祐氏が昨年12月20日付け東洋経済オンラインに掲載した「既得権と独占を壊せ!自由な社会の作り方 若き天才経済学者が「ラディカル」に提言」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/319184?page=2
・『21世紀を生きる私たちには3つの課題がある。富裕層による富の独占、膠着した民主主義、巨大企業によるデータ搾取だ。この難問に独自の解決策を見いだそうとする野心的な理論書が刊行された。気鋭の経済学者として名を馳せるグレン・ワイル氏を共著者とする『ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀』だ。 プリンストン大学留学時にワイル氏とも接点があり、今回、本書の監訳を担当した大阪大学大学院経済学研究科准教授の安田洋祐氏による「日本語版解説」を、一部加筆・編集してお届けする』、興味深そうだ。
・『学部生ながら大学院生に教えた「天才経済学者」  本書の執筆者の一人であるグレン・ワイル氏は、筆者のプリンストン大学留学時代のオフィスメートである。と言っても、当時の私は大学院生で彼はまだ学部生。 ワイル氏は学部生でありながら大学院の難解な講義を楽々と突破し、さらには大学院生たちを(ティーチング・アシスタントとして)教える、スーパーな学部生だった。 すでに大学院生用の研究スペースまでもらい、ハイレベルな学術論文を何本も完成させていた彼は、プリンストン大学を首席で卒業したあと、そのまま同大学の大学院に進学。平均で5、6年はかかる経済学の博士号(Ph.D.)を、驚くべきことにたった1年でゲットしてしまう。 この規格外の短期取得は経済学界でも大きな話題となり、「若き天才経済学者登場」「将来のノーベル賞候補」、といった噂が駆け巡った。 そんな若き俊英が、はじめて世に送り出した著作が本書『ラディカル・マーケット』である。今回、記念すべきこの本を監訳することができて、イチ友人として、またイチ経済学者として、とても光栄に思う』、「若き天才経済学者」が「はじめて世に送り出した著作」、何を主張するのだろう。
・『「ラディカル」(Radical)という単語は、「過激な・急進的な」という意味と「根本的な・徹底的な」という意味の、2通りで用いられる。本書『ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀』は、まさに両方のラディカルさを体現した「過激かつ根本的な市場改革の書」である。 市場が他の制度――たとえば中央集権的な計画経済――と比べて特に優れているのは、境遇が異なる多様な人々の好みや思惑が交錯するこの複雑な社会において、うまく競争を促すことができる点である。 市場はその存在自体がただちに善というわけではなく、あくまで良質な競争をもたらすという機能を果たしてこそ評価されるべきだ。 もしもその機能が果たされていないのであれば、市場のルールを作り替える必要がある。今までのルールを前提に市場を礼賛する(=市場原理主義)のではなく、損なわれた市場の機能を回復するために、過激で根本的なルール改革を目指さなければならない(=市場急進主義)。本書の立場は、このように整理できるだろう』、「市場原理主義」ではなく、「市場急進主義」とは面白そうだ。
・『現代世界が直面する問題とその解決策  では、著者たちが提案する過激な改革とは、いったいどのようなものなのか?本論にあたる第1章から第5章までの各章で、私有財産、投票制度、移民管理、企業統治、データ所有について、現状および現行制度の問題点がそれぞれ整理され、著者たちの独創的な代替案が提示されている。 どの章もそれだけで1冊の専門書になってもおかしくないくらい内容が濃く、驚かれた読者も多いに違いない。第3章から第5章では、世界が現在進行形で抱える深刻な社会・経済問題に対する処方箋が示されており、移民、ガバナンス、データ独占などの現代的な問題に関心のある方は必読だ。 本書の中心となる第1章と第2章は、資本主義および民主主義の大前提を揺るがし、思考の大転換を迫るようなラディカルな提案を読者へと突きつける。 たとえば、第2章「ラディカル・デモクラシー」では、民主主義の大原則である1人1票というルールに改革のメスが入る。具体的には、ボイスクレジットという(仮想的な)予算を各有権者に与えたうえで、それを使って票を買うことを許すという提案だ。 ここで登場する「2乗する」というルールは、単なる著者たちの思い付き、というわけではもちろんない。現在までに購入した票数と追加的に1票を買い足すために必要なボイスクレジットが比例的な関係になる、という二次関数の性質がカギを握っているのだ。 そのうえで著者たちは、一定の条件の下で、QVによって公共財の最適供給が実現できることを示している。独創的なアイデアをきちんと先端研究によって補完する、という組み合わせは他の章にも通底する本書の大きな魅力である』、「ボイスクレジット」については、ここでの短い説明だけでは、理解不能だ。
・『さて、ここからは第1章「財産は独占である」の中身と、その評価について述べたい。本書の中でも最もラディカルなこの章で著者たちが改革の矛先を向けるのは、財産の私的所有に関するルールである。 私有財産は本質的に独占的であるため廃止されるべきだ、と彼らは主張する。言うまでもなく、財産権や所有権は資本主義を根本から支える制度のひとつだ。財産を排他的に使用する権利が所有者に認められているからこそ、売買や交換を通じた幅広い取引が可能になる。 所有者が変わることによって、財産はより低い評価額の持ち主からより高い評価額の買い手へと渡っていくだろう(配分効率性)。さらに、財産を使って得られる利益が所有者のものになるからこそ、財産を有効活用するインセンティブも生まれる(投資効率性)』、総論としては理解できる。
・『私有財産制度がもたらす問題  著者たちは、現状の私有財産制度は、投資効率性においては優れているものの配分効率性を大きく損なう仕組みであると警告している。私的所有を認められた所有者は、その財産を「使用する権利」だけでなく、他者による所有を「排除する権利」まで持つため、独占者のように振る舞ってしまうからだ。 この「独占問題」によって、経済的な価値を高めるような所有権の移転が阻まれてしまう危険性があるという。 一部の地主が土地を手放さない、あるいは売却価格をつり上げようとすることによって、区画整理が必要な新たな事業計画が一向に進まない、といった事態を想定するとわかりやすいだろう。 代案として著者たちが提案するのは、「共同所有自己申告税」(COST)という独創的な課税制度だ。COSTは、1.資産評価額の自己申告、2.自己申告額に基づく資産課税、3.財産の共同所有、という3つの要素からなる。具体的には、次のような仕組みとなっている。 1.現在保有している財産の価格を自ら決める。 2.その価格に対して一定の税率分を課税する。 3.より高い価格の買い手が現れた場合には、 3─i.1の金額が現在の所有者に対して支払われ、 3─ⅱ.その買い手へと所有権が自動的に移転する。 仮に税率が10%だった場合に、COSTがどう機能するのかを想像してみよう。あなたが現在所有している土地の価格を1000万円と申告すると、毎年政府に支払う税金はその10%の100万円となる。申告額は自分で決めることができるので、たとえば価格を800万円に引き下げれば、税金は2割も安い80万円で済む。 こう考えて、土地の評価額を過小申告したくなるかもしれない。しかし、もし800万円よりも高い価格を付ける買い手が現れた場合には、土地を手放さなければならない点に注意が必要だ。 しかもその際に受け取ることができるのは、自分自身が設定した金額、つまり800万円にすぎない。あなたの本当の土地評価額が1000万円だったとすると、差し引き200万円も損をしてしまうのである。 このように、COSTにおいて自己申告額を下げると納税額を減らすことができる一方で、望まない売却を強いられるリスクが増える。このトレードオフによって、財産の所有者に正しい評価額を自己申告するようなインセンティブが芽生える、というのがCOSTの肝である』、確かに「COST」は優れた仕組みのようだ。
・『現代によみがえるジョージ主義やハーバーガー税  実は、COSTのような仕組みの発想自体は、著者たちのオリジナルというわけではない。シカゴ大学の経済学者アーノルド・ハーバーガーが、固定資産税の新たな徴税法として同様の税制を1960年代に提唱しており、彼の名前をとって「ハーバーガー税」とも呼ばれている。 またその源流は、19世紀のアメリカの政治経済学者ヘンリー・ジョージの土地税にまで遡ることができる。ただし、適切に設計されCOSTを通じて、所有者にきちんと正直申告のインセンティブを与えることができることや、配分効率性の改善がそれによって損なわれる投資効率性と比べて十分に大きいことなどを示している点は、著者たち(特にグレン・ワイル氏と、別論文での彼の共同研究者)の大きな貢献だ。 整理すると、大胆な構想と洗練された最先端の学術研究によって、本書はジョージ主義やハーバーガー税を現代によみがえらせ、土地をはじめとするさまざまな財産に共同所有への道筋を切り拓いた、といえる。 財産の私的所有は、確かに著者たちが主張するように「独占問題」を引き起こし、現在の所有者よりも高い金額でこの財産を評価する潜在的な買い手に所有権が移転しにくくなる、という配分の非効率性を引き起こす。 ただし、この非効率性は悪い面ばかりとは限らないのではないだろうか。非効率性の正の側面として、3つの可能性に思い至ったので書き留めておきたい。 1つ目は、予算制約である。ある所有者にとって非常に価値がある財産であっても、租税に必要な現金が足りず、高い金額を申告することができないような状況が当てはまる。 私有財産が認められていれば、手元に現金がなくても大切な財産を守ることができるが、COSTはこの「守る権利」を所有者から奪ってしまう。経済格差の解消が大幅に進まない限り、この種の「不幸な売却」をなくすことは難しいのではないだろうか。 2つ目は、生産財市場の独占化だ。いま、2つの企業が同じビジネスを行っており、事業継続のためにはお互いが所有している財産――たとえば事業免許――が欠かせないとしよう。 ここで、ライバルの免許を獲得すれば自社による一社独占が実現できるため、高い金額で相手の免許を買い占めるインセンティブが生じる。 免許の所有権がCOSTを通じて円滑に移転することによって財産市場の独占問題は解消されるものの、その財産を必要とする生産財市場において独占化が進んでしまう危険性があるのだ。 3つ目は単純で思考コストが挙げられる。COSTにおいて申告額をいくらに設定すれば最適なのかは、税率だけでなく、自分の財産に対する他人の購買意欲に左右される。 需要が大きければ価格を上げ、小さければ下げるのが所有者にとっては望ましい。つまり、市場の動向をつぶさに観察して、戦略的・合理的な計算をする必要があるのだ。こうした調査や分析は、市井の人々に大きな負担を強いるかもしれない』、「非効率性の正の側面として、3つの可能性」、「安田 洋祐氏」の指摘はその通りなのかも知れない。 
・『「スタグネクオリティ」を解決する卓越したアイデア  最後に、COSTや本書全体に対する監訳者の評価を述べておきたい。現在の資本主義が抱える問題として特に深刻なのは、経済成長の鈍化と格差の拡大が同時並行で起きていることだろう。著者たちが「スタグネクオリティ」と呼ぶ問題である。 こうした中で、一部の富裕層に過剰なまでに富が集中する経済格差の問題を見過ごせない、と考える経済学者も増えてきた。 ただし、著者たちのように、私有財産という資本主義のルールそのものに疑いの目を向ける主流派経済学者はまだほとんどいない。ポピュリズムや反知性主義が世界中で台頭する中で、専門家として経済の仕組みを根本から考え抜き、しかも過激な具体案を提示した著者たちの知性と勇気を何よりも称えたい。 COSTを幅広い財産に適用していくのは、少なくとも短期的には難しいかもしれない。しかし、補完的なルールをうまく組み合わせて、前述したような問題点にうまく対処していけば、実現可能な領域は十分に見つかると期待している。 ポズナー氏とワイル氏の卓越したアイデアをさらに現実的なものとするためにも、本書が多くの読者に恵まれることを願っている。 さぁ、ラディカルにいこう!』、確かに、「経済成長の鈍化と格差の拡大」という「スタグネクオリティ」に対する革命的な処方箋のようだ。今後の議論の発展を待ちたい。

次に、作家、研究者の佐々木 一寿氏が1月8日付け東洋経済オンラインに掲載した「「現代最強の経済学者」スティグリッツの挑戦状 ピケティと挑む「資本主義100年史」の大転換」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/321057
・『稀代の「武闘派」エコノミストが怒っている。長年、格差問題に取り組んできた、ノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・E・スティグリッツがその人だ。 このたび上梓された『スティグリッツ PROGRESSIVE CAPITALISM』をもとに、スティグリッツとはどのような経済学者なのか、同書で示唆されているある主流派大物経済学者への野心的「挑戦状」とは何かを探る』、主流派経済学者が触れたがらない「格差問題」に、どのような処方箋を示すのだろう。
・『スティグリッツが最強経済学者である理由  一流学者たちから尊敬を集めるほどの学術的な練度、行動力、そして目的の倫理性において、ジョセフ・スティグリッツは他の経済学者を圧倒するほど抜きん出た存在である。 世界中を飛び回る彼にとって象牙の塔ほど似合わないところはない、そんな印象があるが、若い頃には研究室に寝泊りしすぎたために大学側からアパートの契約書の提出を求められたという伝説的な研究の虫であり、MITが誇る当時の二枚看板、ポール・サミュエルソンとロバート・ソロー(ともにノーベル経済学賞受賞学者)に認められた、見紛うかたなき理論家でもある。 そして彼の理論は実践されるためにある。どこにでも出かけて行き、経済学者にも専門外の者にも丁寧に熱心に(時に憤慨しながら)考えを伝える。 学者以上に学者らしく、それでいて“学者風情”とはまったくかけ離れている。実際、行動だけを追うAIが分析をすれば、活動家と見紛うのではないだろうか』、「サミュエルソンとソローに認められた」、確かに「見紛うかたなき理論家でもある」ようだ。
・『彼の経済理論を、惜しみなく隈なく実践に投入する彼の目的はなんなのか。それは、ほかでもない経済学(あるいは今ならcapitalism、資本主義)の副作用を緩和し、万人の生活を向上させることにあるように思える。 また、自身の経済学者としての名声のためではなさそうということは、時にはそれを危うくするような行動もいとわないからだ。 例えば、結果的に彼の名声を不動のものにし2001年のノーベル賞授与の理由となった「非対称情報下の市場経済」は、経済学が依拠する前提を根底から問うもので、当時の主流派を心底から寒からしめる反逆的な色彩のものであったし、四半世紀前から取り組んでいる「グローバリズム施策批判」は時の政府や巨大機関の権力に文字どおりけんかを売るものであった。 また、経済政策の歪みから暴動に発展しそうになればデモの先頭に駆けつけて同情を示しつつ説得を試みるなど、リスクをいとわない行動は枚挙にいとまがない。 彼は徹底して「経済学で万人の生活を向上させる」という目的のために身体を張っているように見える。並の経済学者とは一味も二味も違う存在といえるだろう。 傑出した理論家であり、稀代の武闘派でもあり、人々の生活の向上を願ってやまないこの最強経済学者はといえば、現在もご立腹のようなのである』、功なり名をとげても「稀代の武闘派」とは珍しい存在だ。
・『一貫して「格差拡大」に警鐘を鳴らす  スティグリッツは一貫して経済格差拡大に関して神経をとがらせている。それは、国内であっても国際間であってもそうで、悪意がある欺瞞(わざとそうしている)はもちろんのこと、悪意なき欺瞞(わざとではないがメカニズム的に不可避である)であっても見過ごすことをよしとしない。 そして、後者こそが経済学者スティグリッツの慧眼が冴え渡るところであり、理論と実践に通暁する彼の仕事の真骨頂でもある。 例えば1990年代後半に起きたアジア通貨危機の遠因は、プロの経済学者でも容易には気づけないものも多分にあった。そういう場合には(とくに先進国の専門家は)、つい発展途上国の未熟さのせいにしてしまいがちではある。 しかし、スティグリッツは、先進国の専門家のアドバイス(彼らはえてして先進国政府や巨大国際機関に所属している)こそが不幸な帰結をもたらしたのだと、メカニズム分析を通じて主張する。 専門家たちもよくよく言われてみればそのとおりかもしれないとは思うものの、ただすぐにはピンとこない(悪意のない)彼らにとってはなぜスティグリッツがそこまで憤慨しているのか理解しにくいケースもあるのだろう。 スティグリッツへの批判的な意見も勘案してみると、おそらくスティグリッツはメカニズムの構造がすぐにわかるがゆえに、不幸が引き起こされる帰結が目の前にありありと浮かんでしまい、瞬間的に憤慨してしまうといったこともよくあるのではないか。見えすぎることの副作用として、誤解されることも多いのかもしれない。) ただこのような行動は、時の権力者からは疎まれやすく、煮え湯を飲まされたり冷や飯を食わされたりは日常茶飯事ではあるだろう。 だが、スティグリッツはそれであっても分析や助言をやめない。そして、彼の助けを求める国々は彼を大いに歓迎したし、また不都合な真実を明るみにしたいメディアも彼に好意を示すようになる。スティグリッツが経済学者として異例の人気を誇るのは、このような人柄によるものだろう。 そして、スティグリッツの立腹は、いまは主にアメリカに向かっているようだ。 スティグリッツの最新刊『スティグリッツ PROGRESSIVE CAPITALISM』では、これまでのようにグローバリズムの不幸や金融への危惧にももちろん言及されているが、いま彼の多くの関心はアメリカの格差問題に向かっているように感じる。それはとくに序文にはっきり現れている。 とくにトランプ大統領には物言いが辛辣だし、ウォール街へも相変わらずの苦言を呈するが、なかには同僚の主流派経済学者たちがドキリとする宣言もある。 いま、スティグリッツは経済学者として大きな挑戦をしようとしているように見える。それは、経済政策の転換を主張・説得するものとして書かれているが、それ以上のもの、つまり経済学の根幹を問い直すスケールの大きなもくろみを感じさせる』、アジア通貨危機時のIMFの処方箋に対する「スティグリッツ」の手厳しい批判はまだ覚えている。「いま彼の多くの関心はアメリカの格差問題に向かっている」、のは当然だろう。
・『経済学のここ50年の歴史を清算する意思  序文でスティグリッツは、トランプ大統領への苦言を一通りは呈するものの、その(悪意ある)欺瞞はいかにも小物的、表面的だと言わんばかりの書き方をしている。トランプ大統領はいさかいをあおって問題を表面化させたが、実は本来的な経済構造のほうに根本的な問題があるのだという。 その根本的な問題とは何か。それを示唆するために、スティグリッツは突然、ルーズベルトの時代のアメリカ経済に言及する。 「本書では、トランプやその支持者が主張する政策とは真っ向から対立する進歩的な政策を紹介する。それはいわば、セオドア・ルーズベルトとフランクリン・D・ルーズベルトの政策を21世紀風に混ぜ合わせたものだ。」(『スティグリッツ PROGRESSIVE CAPITALISM』「はじめに」より) このスティグリッツの宣言には、主流派(この50年で最大勢力となった新古典派経済学)の学者たちはきっとドキリとしたに違いない。50年前の経済学(ニューディーラー、つまり政府の財政支出による計画経済を重視する立場で『アメリカ・ケインジアン』とも呼ばれていた)に戻らなければいけないね、と“あの”最強経済学者がほのめかしているからだ。 経済学会ではここ長らく、主流派でなければ学者として名を成すことが事実上難しい状況が続いている。いまの主流派は歴史的に、不況対策で功績を上げたニューディーラー(1930〜1970年代)を学術的・政治的に葬り去って「新しい古典派」として数理的な市場均衡モデルを武器にその座に着く(1980年代以降)。 そして、主流派であるかどうかは、一般的なイメージよりもずっと経済学者にとって切実なものである。) スティグリッツ自身ももちろん、名うての新古典派の「巣窟」から頭角を現してきた理論家である。その彼自身が、いまの主流派に苦言を呈しているのだ。 格差問題をきちんと考えるように主流派経済学者たちに見直しを迫っているということであれば、主流派であっても柔軟な学者であれば、少し謙虚に見直しもしてみようと思う者もいるだろうし、スティグリッツもそれを期待しているに違いない。 実際、著名な理論家であるノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマンなど、かなり柔軟に対応する主流派学者も存在する。 そのような見直しプロセスによって主流派経済学がより汎用性を獲得し、より強靭になれるのであれば、主流派経済学にとっても耳が痛いとはいえ最終的に悪い話ではないだろう。 私は、今でもそのように楽観している。 ただ、スティグリッツは広がるばかりの格差拡大の深刻さに、かなりいら立っている様子ではある。 そして、もしかしたら主流派経済学の基本的な処方箋自体にとうとう“No”を突き付けつつあるのではないか。 本書を謝辞まで読み終えたとき、何か言いようのない違和感を覚えたのである』、「スティグリッツ」といえども、「主流派経済学」と正面から戦うまでには至らないようだ。
・『資本主義100年の歴史を問い直す  最後の謝辞の結文では、ケンブリッジ大学留学時代に触れている。 スティグリッツはMITでの研究の総仕上げとして、ジョーン・ロビンソンのいたケンブリッジ大学に留学しているが、期間は1年ほどである。 「私は1965年、フルブライト奨学生としてイギリスのケンブリッジ大学に入学し、ジェームズ・ミード、ジョーン・ロビンソン、ニコラス・カルダー、フランク・ハーン、デビッド・チャンパーノウンといった偉大な学者のもとで研鑽を積んだ。いずれも、格差の問題や資本主義制度の性質について並々ならぬ関心を抱いていた方々である。」(前掲書より) ロビンソンはケインズの直弟子で、ケインズの直弟子たちのグループは「ケインズ・サーカス」と呼ばれていた。 ロビンソンはそのなかでも武闘派で鳴らしていたが、「数式で簡単に扱えるほど経済の不確実性は甘いもんじゃない」というケインズ・サーカスの経済観は、のちにポスト・ケインジアンと呼ばれる流派に受け継がれる。 そして、ポスト・ケインジアンは傍流の経済学派として今でも主流派から距離を置かれている。 スティグリッツは、ケインズ・サーカスに言及し、資本主義制度を丸ごと疑うことで、主流派を相対化しようとしているのではないか。 並の経済学者であればともかく、スティグリッツであれば、あながちありえない話でもないだろう』、「「数式で簡単に扱えるほど経済の不確実性は甘いもんじゃない」というケインズ・サーカスの経済観」、に私は魅力を感じる。
・『「資本主義は格差を広げる」か  そのようにも思いながら、再び序文を見返してみると、また何か引っかかるところが出てくる。 「私たちはこれまで、国がある発展段階に到達すれば格差は縮小する、アメリカはその理論を実証していると教えられてきた(注9)。<中略>だが、2016年の大統領選挙が行われるころには、19世紀末の「金ぴか時代」以来なかったほどのレベルにまで格差が拡大していた。」(前掲書より) 非常に注意深い言い回しで、具体的な人物名は注で後述に逃がしているが、資本主義経済が格差を広げるか縮めるかに関して、意味深長な記述である。格差を縮めるという意見に反対をしたいようである。 その「資本主義経済が格差を縮める」という意見を確立したのは、アメリカの黎明期の経済学で多大な功績を残した当時の最強の経済学者、サイモン・クズネッツである。 クズネッツは自由主義陣営(いわゆる西側諸国)の理論的支柱であり、対東側諸国(社会主義、共産主義陣営)としての、また第三諸国を自由主義陣営に誘ううえでの最重要の経済学者だった。 そのクズネッツのテーゼが「国がある発展段階に到達すれば格差は縮小する」、つまり資本主義経済による経済発展は分厚い中産階級を作ることにつながり、皆が裕福になり格差が縮まる、というものだ。 これはいまでも(例えば開発経済学等での)コンセンサスとして資本主義経済、市場経済推進の根幹をなす考えである。 クズネッツは最初期のノーベル賞経済学賞受賞者であり、西側諸国のコンセンサスを作ってきた、つまり現在の世界の大部分を形作ってきた大物中の大物だが、スティグリッツはいま、そのクズネッツに挑戦をしようとしているのではないか。 「クズネッツは本当に正しかったのか」 つまり、彼が必ずしも正しくなかったとしたら、主流派経済学はいま一度、相対化されたほうがいいのではないか。) 本書の内容はこれまでのスティグリッツの延長にあるが、彼はこれまでよりもより踏み込んだ領域に経済学の可能性を探しに行き始めたのかもしれない』、「クズネッツのテーゼが「国がある発展段階に到達すれば格差は縮小する」、これが「コンセンサスとして資本主義経済、市場経済推進の根幹をなす考えである」、スティグリッツでなくても、どう考えても崩れつつあるとしか思えない。
・『大きな転換を訴えるマクロ経済学の潮流  実はスティグリッツのほかにももう1人、すでにクズネッツに挑戦しようとしている経済学者がいる。 トマ・ピケティだが、『21世紀の資本』で有名な彼も格差拡大を問題視する名うての理論家だ。「金ぴか時代」(ベル・エポック)はピケティがよく使う言葉でもある。スティグリッツの新著とピケティの著書を併せて読み比べてみても面白いかもしれない。 学者たちから尊敬を集める2人の天才モデラー(理論構築を得意とする学者)は、軌を一にして、経済学100年の資本主義上のコンセンサスの転換に挑んでいる。 また最近、主流派重鎮のオリビエ・ブランシャールも、クルーグマン同様、主流派としてはかなり踏み込んだマクロ経済学観(財政政策のこれまで以上の重要性の強調)を表明して話題になっている。 スティグリッツやピケティに比べれば慎重ではあるものの、主流派の大御所たちの転換表明自体が経済学の新しい時代の幕開けを感じさせる。 経済学はいま、大きな地殻変動の中にあるのかもしれない。そしてその中心にいる人物は、間違いなくスティグリッツだろうと私は思う』、スティグリッツですら「主流派」といまだに正面から対峙できないとは、主流派のレガシーはやはり強力なようだ。
タグ:資本主義 東洋経済オンライン ニューディーラー トマ・ピケティ (その3)(既得権と独占を壊せ!自由な社会の作り方 若き天才経済学者が「ラディカル」に提言、「現代最強の経済学者」スティグリッツの挑戦状 ピケティと挑む「資本主義100年史」の大転換) 安田 洋祐 「既得権と独占を壊せ!自由な社会の作り方 若き天才経済学者が「ラディカル」に提言」 3つの課題 富裕層による富の独占、膠着した民主主義、巨大企業によるデータ搾取 グレン・ワイル氏 『ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀』 学部生ながら大学院生に教えた「天才経済学者」 平均で5、6年はかかる経済学の博士号(Ph.D.)を、驚くべきことにたった1年でゲットしてしまう 過激かつ根本的な市場改革の書 市場はその存在自体がただちに善というわけではなく、あくまで良質な競争をもたらすという機能を果たしてこそ評価されるべき 今までのルールを前提に市場を礼賛する(=市場原理主義)のではなく、損なわれた市場の機能を回復するために、過激で根本的なルール改革を目指さなければならない(=市場急進主義) 現代世界が直面する問題とその解決策 「ラディカル・デモクラシー」 民主主義の大原則である1人1票というルールに改革のメスが入る。具体的には、ボイスクレジットという(仮想的な)予算を各有権者に与えたうえで、それを使って票を買うことを許すという提案 私有財産は本質的に独占的であるため廃止されるべきだ、と彼らは主張 私有財産制度がもたらす問題 投資効率性においては優れているものの配分効率性を大きく損なう仕組みであると警告 独占問題 代案として著者たちが提案するのは、「共同所有自己申告税」(COST)という独創的な課税制度 財産の所有者に正しい評価額を自己申告するようなインセンティブが芽生える、というのがCOSTの肝 現代によみがえるジョージ主義やハーバーガー税 非効率性の正の側面 予算制約 生産財市場の独占化 思考コスト 「スタグネクオリティ」を解決する卓越したアイデア 経済成長の鈍化と格差の拡大が同時並行で起きている 佐々木 一寿 「「現代最強の経済学者」スティグリッツの挑戦状 ピケティと挑む「資本主義100年史」の大転換」 『スティグリッツ PROGRESSIVE CAPITALISM』 スティグリッツが最強経済学者である理由 稀代の武闘派 一貫して「格差拡大」に警鐘を鳴らす アジア通貨危機時のIMFの処方箋に対する「スティグリッツ」の手厳しい批判 いま彼の多くの関心はアメリカの格差問題に向かっている 経済学のここ50年の歴史を清算する意思 アメリカ・ケインジアン スティグリッツ自身ももちろん、名うての新古典派の「巣窟」から頭角を現してきた理論家である。その彼自身が、いまの主流派に苦言を呈している 資本主義100年の歴史を問い直す 「数式で簡単に扱えるほど経済の不確実性は甘いもんじゃない」というケインズ・サーカスの経済観は、のちにポスト・ケインジアンと呼ばれる流派に受け継がれる 「資本主義は格差を広げる」か クズネッツのテーゼが「国がある発展段階に到達すれば格差は縮小する」、つまり資本主義経済による経済発展は分厚い中産階級を作ることにつながり、皆が裕福になり格差が縮まる、というもの 大きな転換を訴えるマクロ経済学の潮流 『21世紀の資本』で有名な彼も格差拡大を問題視する名うての理論家 経済学はいま、大きな地殻変動の中にあるのかもしれない。そしてその中心にいる人物は、間違いなくスティグリッツだろう
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日本の構造問題(その13)(日本経済はどんな病気にかかっているのか 政府の成長戦略は「やった振り」で終わる?、賃金が上がらない国になった 日本を待ち受ける「修羅場」、日本の国力がアジアで低下 このままでは韓国にも追い抜かれる理由) [経済]

日本の構造問題については、10月22日に取上げた。今日は、(その13)(日本経済はどんな病気にかかっているのか 政府の成長戦略は「やった振り」で終わる?、賃金が上がらない国になった 日本を待ち受ける「修羅場」、日本の国力がアジアで低下 このままでは韓国にも追い抜かれる理由)である。

先ずは、慶應義塾大学商学部教授の権丈 善一氏が10月31日付け東洋経済オンラインに掲載した「日本経済はどんな病気にかかっているのか 政府の成長戦略は「やった振り」で終わる?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/311074
・『マイケル・ムーア監督の『華氏119』が、ネット配信されるようになって数カ月、ちょっと時間ができたので眺めてみた。噂どおり、この映画は、現大統領への批判とは違い、なぜ、現大統領のような人が選ばれるのかを問う、一種の「民主主義論」として作られていた』、この書き出しがどのようにタイトルのテーマにつながるのだろう。
・『日本の経済パフォーマンス(『華氏119』で、アメリカの人たちの日々の生活への不満の様子を見ながら、どうしても頭をよぎるグラフがあった。 これは、BIS (国際決済銀行)が作ってくれている、日本とアメリカの経済パフォーマンスの比較図である。青と緑はアメリカ、赤とオレンジは日本、そして実線は1人当たり実質GDP(国内総生産)、破線は生産年齢人口1人当たり実質GDPを示している。 福澤諭吉は『文明論之概略』の中で、政府は、「事物の順序を司どりて現在の処置を施し」と書いて、政治は「現在」、当面の問題を処理することと論じているが、「学者は、前後に注意して未来を謀り」と書いているように、学者の視界のタイムスパンは、政治よりも長い……いや実際、随分と長い。 そして、図のようにかなり長いタイムスパンである1980年から今までの、人口1人当たり実質GDP、生産年齢人口1人当たり実質GDPを眺めてみると、アメリカと比べて、日本はけっこうがんばっているように見える。 生産年齢人口1人当たり実質GDPのほうが1人当たり実質GDPよりもがんばっているように見えるのは、生産年齢人口の減少幅が総人口よりも大きいからである。次を見てもらいたい――生産年齢人口は国際標準(15~64歳)ではなく20~64歳でとっている。) この国の総人口と20~64歳人口は、ともに減少している。しかし、20~64歳人口のほうが減少のテンポがかなり速く、2010年代に入ると100万人規模で減少している。 人口100万というと、47都道府県で人口(2019年6月1日推計)の多いほうから37位の富山県で104万人、38位の秋田県で97万人であり、こうした人口規模に等しい20~64歳人口が、2012年から14年にかけて1年ごとに消えていた――ちなみに、46位の島根県は68万人、47位の鳥取県は56万人でしかない』、「人口1人当たり実質GDP、生産年齢人口1人当たり実質GDPを眺めてみると、アメリカと比べて、日本はけっこうがんばっているように見える」、普通は名目GDPで見るので、物価下落を反映して日本は伸び悩んでいると指摘されるが、確かに物価変動を除いた「実質ベース」では確かに景色が全く変わってしまうようだ。「20~64歳人口」が年間「100万人規模で減少」、とは確かにショッキングな数字だ。
・『人口減少社会における経済パフォーマンス指標とは  2015年に大流行したピケティの『21世紀の資本』は、過去200年ほどを対象としていたためGDPの比較は1人当たりGDPで統一されている。人口に大きな変動がある社会で、総GDPを眺めてみても意味がないからである。 総人口が今大きく変化している日本の場合も、経済の健康診断を行うべき体温計は、人口変動を調整したGDPで測るのは自然である。そして先ほどの図を見ればわかるように、人口1人当たり実質GDPの伸びは、アメリカと比べても遜色がなく、生産年齢人口1人当たりではアメリカを凌いできた。 そうした事実が記された文章として、次のようなものがある。 人口減少社会が進む中でも、近年のわが国の1?当たり実質GDPの伸びは、他の先進諸国と比べて遜色がない。(「令和時代の財政再建に関する共通基本認識」自由民主党財政再建推進本部<2019年5月16日>) 日本の1 人当たりGDP の伸びは、他の先進諸国と比べて遜色のない伸びを示してきた。(「社会保障と国民経済――序章医療政策会議における基本認識」日本医師会・医療政策会議報告書<2018年4月>) 「近年のわが国の1人当たり実質GDPの伸びは、他の先進諸国と比べて遜色がない」、のみならず、生産年齢人口1人当たりで見れば、ほかの国よりもがんばっているわけであるが、労働市場の様子はどうであろうか。 生産年齢人口の大幅な減少を受けて、今や、あの懐かしいバブル景気の時よりも、有効求人倍率は高くなっていて、労働市場は非常に逼迫している。さて、日本の経済の健康診断としては、どのような結果を出せばよいか。 人口調整をした経済のパフォーマンスは、ほかの先進諸国よりもよい。総GDPのパフォーマンスが他国よりも見劣りするのは、人口が大幅に減少しているのであるから当たり前で、そもそも人口減少社会の経済指標として総GDPを見るほうがおかしい。加えて、労働市場は、完全雇用に近い状態にあると考えられる。 この国では、長らく、デフレは悪で、これを脱却することが絶対正義であるかのように言われていたのであるが、日本の1人当たりGDPの伸びを眺めてみると、はたして、デフレ=不況というムードの中で日本の経済政策が考えられてきたのは正しかったのか?とも思えてしまう。 もっとも、こうした話をすると、いやいや、日本の経済は、経済政策次第でかつての高度成長期のようなパフォーマンスを上げることができるのだ、当時のようにことが進んでいないのは成長戦略が足りないからだと言う人もでてくるのが、世の中の多様性を実感させてくれる、なかなかおもしろいところでもある。ということで、ここでクイズをひとつ。 まず、ピケティの『21 世紀の資本』にある次の文章中の○にあてはまる国はどこだと思う? 特に○は「栄光の30 年」なるもの、つまり1940 年代末から1970 年代末の30 年間について、かなりノスタルジーを抱いてきた。この30 年は、経済成長が異様に高かった。1970 年代末から、かくも低い成長率という呪いをかけたのがどんな悪霊なのやら、人々はいまだに理解しかねている。今日ですら、多くの人々は過去30 年の「惨めな時代」がいずれは悪夢のように終わり、そして物事は以前のような状態に戻ると信じている。 ○の国は、もちろん日本だろう!と思う人がしばしばいるのであるが、そうではなく、○に入る国は、ピケティの祖国フランスである。日本人が「物事は以前のような状態に戻る」と考えているようなことを、実は世界中の高度経済成長を過去に経験したことのある先進国の人たちが考えているというわけである』、「フランス」も日本と似た状況にあるようだ。
・『過去の高成長はなぜ?――模倣と創造の違い  たしかに、西欧と日本は1950~70 年に大きな経済成長を経験している。それは当然と言えば当然で、西欧は、大戦で破壊され、その間、アメリカは順調にマイペースで成長を遂げていた。したがって、戦後になると西欧はアメリカへの、生産技術・ライフスタイルのキャッチアップを図る機会があったから、大きく経済が成長し人々の生活水準は上がった。 日本が戦後、高度成長期を迎えたのも似たような理由による。知識や技術、そして消費生活がアメリカに追いついたら、西欧も日本も経済成長は、アメリカと同様のペースに落ち着いていき、多少の違いを見せるだけになる。 キャッチアップという本質的には知識や技術の「模倣」でしかないことと、「創造」というものは根本的に違うわけで、その違いが、日本でも、模倣ゆえに、所得倍増計画を派手に達成できた高度経済成長と、創造ゆえに地道となってしまう安定成長の違いをもたらしたと考えられる。 日本の人口調整済み実質GDP は、欧米先進諸国と比べて、そこそこ伸びている。日本の完全失業率は、生産年齢人口の急減の影響もあって、目下、バブル景気(1986年12月~1991年2月)、いざなみ景気(2002年2月~2008年2月)と比べて低い水準にある。 ところが、日本人は、先のピケティの言葉を用いれば、「この30 年は、経済成長が異様に低かった。(中略)多くの人々は過去30年の『惨めな時代』がいずれは悪夢のように終わり、そして物事は以前のような状態に戻ると信じている」ようなのである。そしてそう信じているのは、日本人だけでなく、フランス人も、そして多くの先進国の人たちもであろう。しかし、過去200 年以上のデータに基づいてピケティが言っているように、 (1人当たり産出量は)通常は年率1~1.5%程度の成長でしかなかったのだ。それよりも目に見えて急速な、年率3~4% の成長が起こった歴史的な事例は、他の国に急速に追いつこうとしていた国で起こったものだけだ。(中略)重要な点は、世界の技術的な最前線にいる国で、1 人当たり産出成長率が長期にわたり年率1.5% を上回った国の歴史的事例はひとつもない、ということだ。 ここで1人当たり1%程度の成長というと、「以前のような状態に戻る」と考えている人たちはバカにするのだろうが、ピケティも強調しているように、世代が入れ代わるのに要する30 年ほどの間に、1%で伸びると複利で計算すれば35%ぐらい増える。1.5%だと50%以上増える。 生活実感として、明らかに30 年前よりも生活は便利になり、質も随分と上がっている。30 年前にはスマートフォンはもちろん、携帯電話やカーナビなどもほとんど普及していなかった。もちろん、テレビはデジタルではなかったし、SuicaもETCもなく、ウォシュレットも1992年ごろには普及率20%くらいだったようである』、「西欧と日本は1950~70 年に大きな経済成長を経験・・・それは当然と言えば当然で、西欧は、大戦で破壊され・・・戦後になると西欧はアメリカへの、生産技術・ライフスタイルのキャッチアップを図る機会があったから、大きく経済が成長し人々の生活水準は上がった。 日本が戦後、高度成長期を迎えたのも似たような理由による」、その通りだ。日本の高度成長を日本人の勤勉さに結び付けたりする議論もあったが、こうした冷静な見方こそ参考になる。
・『民間消費が飽和した成熟社会  ポール・クルーグマン(米ニューヨーク市立大学大学院センター教授)という、リフレ政策をせっせとやって日本の経済にカツを入れろと言ってきた人も、ある頃から日本の人口が減っていることを視野に入れはじめて、彼が書いた2015 年の文章には、「日本の生産年齢人口1 人当たりの生産高は、2000 年ごろからアメリカよりも速く成長しており、過去25 年を見てもアメリカとほとんど同じである(日本はヨーロッパよりもよかった)」と、今では日本経済を評価してくれている。 私がよく言うのが、ビックカメラやヨドバシカメラの最上階から地下まで、各フロアを回ってみて、「どうしても月賦で買いたいというものはありますか?」と問うと、高度経済成長期を経験したことがある今の大人たちはみんな、「う?ん、ないなぁ。月賦かぁ、懐かしい言葉だ」と言う。 そうした、多くの人たちの購買意欲がとても弱い社会、いや、適切な表現をすれば、ある程度、民間での消費が飽和している社会が、高度経済成長期のようなパフォーマンスを上げることができるとは思えない。 一方、アメリカでは、グーグル(Google)、アップル(Apple)、フェースブック(Facebook)、アマゾン(Amazon)の頭文字をとったGAFAなどが注目されるのであるが、1人当たり実質GDPの推移を見れば、どうも、GAFAの元気のよさは、アメリカ国民全般の生活水準の上昇にはつながっていないようである。 いわば、GAFAというプラットフォームは、一種の搾取システムとして機能しているともいえ、彼の国では、「富める者が富めば、やがて貧しい者にも富が滴り落ちる」という「トリクルダウン理論」――理論というには歴史上一度も実現していない理論――は実現していないのであろう。 だからこそ、映画『華氏119』に登場する、不満と怒りに満ちたアメリカ人が大勢いて、この映画で描かれているように、社会は分断され、民主主義が極度におかしくなっているのだろうというのが映画への感想であった。 先に福澤諭吉が学者の視野は政治家よりも長いと論じたことを紹介した。その観点を貫き、次に実質個人消費支出の長期トレンドを見ながら、今年1月19日に『読売新聞』のインタビューで話したことを紹介しておこう。 GDPの実質個人消費は、2014年の消費増税で一時的に落ちたものの、前後をならせば伸び続けてきた。減少している生産年齢人口を考慮して、その1人当たりで見れば、日本経済は過去も今もそんなに病んでいない。 1997年4月の消費税増税後も、駆け込み消費の前後と1997年7月以降のアジア金融危機前後をならせば、順調に伸びている。そして、リーマンショックの後には消費を政策的に喚起したため、消費支出は過去のトレンドよりも急角度で増加した。そこに2014年4月の消費税増税があったのであるが、2009年の後に急角度で個人消費が伸びた時期が特殊であって、長い目で見れば、順調に消費支出は伸びてきた。 この国は消費税の増税で、カタストロフィックな経済の崩壊など、経験したことはなかったのではないだろうか。そして、日本経済は、今を生きる大人たちの多くが信じているほど、過去も今もそんなに病んではいない。 しばしば、財政の健全化を図ることは、景気回復の芽を摘む摘芽型財政政策と呼ばれたり、増税によって「ドカ貧」になればもともこもないと言われたりすることがあるが、日本の歴史はそうした事実を記録していない。デフレ下では成長は起こらないという命題についても、日本の経験をはじめ、世界の歴史がさほど強いエビデンスを持っているわけでもない。 加えて、2015年版『労働経済白書』の言葉も紹介しておこう。 ユーロ圏およびアメリカでは実質労働生産性が上昇する局面において、若干の水準のギャップは見られるものの実質賃金も上昇を続けている。一方、わが国においては、実質労働生産性は継続的に上昇しており、その伸び幅もユーロ圏と比較するとそれほど遜色ないといえるが、実質賃金の伸びはそれに追いついていない状況が見られ、両者のギャップはユーロ圏およびアメリカよりも大きい』、「デフレ下では成長は起こらないという命題」は現在の異次元緩和の大きな根拠になっているが、もともとこの「命題」が間違っていたようだ。
・『要するに成長ではなく、「分配」の問題だ  1 人当たり生産性は伸びているのに賃金が伸びない。問題は、労働分配率の低下傾向、さらには、所得分配の格差のあり方にあることは言うまでもない。つまり、この国の経済が抱えているのは、「成長」問題よりも、「分配」問題なのである。 そうは言っても成長というのは政治の七難を隠すと言われている。いや、成長を口にしておけば政治自らの七難を隠すことができるというほうが正確だろうか。だから、成長戦略という言葉は、いつの時代も政治的魅力を持ち続けてきた。  10年前の民主党政権下でも、野党の自民党が、与党・民主党には成長戦略がないと責めれば、にわかに「新成長戦略」が菅直人総理の下で作り上げられたりして大いに盛り上がっていた。そして当然と言えば当然なのだが、菅元総理は、「成長戦略は十数本作ったが全部失敗している」と発言し、「成長戦略」を政策の柱に掲げる自民党を批判していた。 なお、菅元総理の「成長戦略は全部失敗している」発言について、菅内閣時に民間から内閣官房国家戦略室に審議官として出向していた水野和夫さんは「首相時代の発言で一番よい」とも評しているし、私もそう思う。 このあたり、経済成長の主因である全要素生産性(TFP、成長率から資本と労働の寄与を除いた残差)に対して不可知論、つまり全要素生産性を向上させる方法はよくわからないと公言した、成長論のパイオニアであるロバート・ソロー(米マサチューセッツ工科大学経済学部教授)は、なかなか立派な学者だと思っている。 彼は、経済成長の主因たる全要素生産性を「無知の計量化」と呼び、これを左右する原因を論じようとすると、「素人社会学の炎上」に陥ってしまうのがオチと評していた。 先述したクルーグマンなどは、アメリカ経済の停滞期に書いた本の中で、アメリカの生産性は「なぜ停滞したの?どうすれば回復するの?答えはどっちも同じで、『わかりませーん』なのだ」と、経済学者としての見解を正直に語っていた。 成長の理由がよくわからないのだから、政策を打ちようがない。だからクルーグマンは、「生産性成長は、アメリカの経済的なよしあしを左右する唯一最大の要因である。でもそれについてぼくたちは何をするつもりもない以上、それは政策課題にはならない」とも語っていた。 もちろん成長を起こすのはイノベーションではある。だが、これを言った経済学者ヨーゼフ・シュンペーター(1883~1950年)は、イノベーションの起こし方には生涯触れていない。強いて言えば、歌を歌う能力同様に経済上の創意にも分布があり、「最上位の4分の1のもの」がイノベーションを起こしうるとは論じていたが、だから何?の話である。 しかし、日本の民間企業は絶えず、トライアル・アンド・エラーを繰り返しながらイノベーションを起こす努力をしており、その成果も出ているのである』、「菅元総理の「成長戦略は全部失敗している」発言について・・・水野和夫さんは「首相時代の発言で一番よい」とも評している」、「菅元総理」がそんな的を得た発言をしたとは初めて知った。
・『「やった振り」のなんちゃって政策で終わったりして  成長がなぜ起こるのか、成長の主因であるTFPはいかなる要因によって上下するのかの問に答えることができないとすれば、成長はコントロール可能な政策対象になりようがない。 これに類する話として、目下、成長戦略と並んで日本の政策の柱になっているものに、「予防で医療費削減」に代表される健康・予防政策というものがある(『中央公論』2019年1月号「喫緊の課題『医療介護の一体改革』とは-忍び寄る『ポピュリズム医療政策』を見分ける」を参照)。たしかに、日本老年学会・日本老年医学会は、「現在の高齢者においては10~20 年前と比較して加齢に伴う身体・心理機能の変化の出現が5~10 年遅延しており 「若返り(rejuvenation)」 現象がみられている」ことが明らかになり、「高齢者の定義再検討」として、65~74歳を準高齢者、75歳以上を高齢者とするべきであると提言はしている。 しかしながら、両学会は、「若返り」 現象の原因については一切触れておらず、「若返り」そのものが、健康・予防政策として政策対象とされることには慎重な姿勢を示している。彼らは健康寿命という科学的に計測することもできない曖昧な言葉を使うことの危険性も認識しており、客観指標としてフレイル指標の開発も進めている。 ところが主導する経済産業省の手の込んだプレゼンのおかげなのか、成長戦略、健康・予防政策はとても盛んで、今や、日本の2大政策の体をなしている感がある。成長は望ましい、健康になることは望ましい、これは間違いない。しかしながら、望ましいからという理由のみで、政策の対象になりうるものではない。 七難隠す成長も、念ずれば通ずるものならばよいのであるが、今はやりの政策は本当は、財政と現業に責任を持つ財務省と厚労省が求める政策をブロックするための門番・経産省の方便となっていないかという仮説も成立したりする。 後は野となれ山となれと、ほかにやらねばならない重要なことを先送りした、やった振りのなんちゃって政策ばかりだったと、将来、人の記憶に刻まれるだけにならなければ良いとも思うのだが、さてさてどうなることやら……仮説の検証は歴史に委ねよう。そして、そうした観点から、社会保障の行く末も眺めておこう』、「成長戦略、健康・予防政策はとても盛んで、今や、日本の2大政策の体をなしている感がある。成長は望ましい、健康になることは望ましい、これは間違いない。しかしながら、望ましいからという理由のみで、政策の対象になりうるものではない・・・後は野となれ山となれと、ほかにやらねばならない重要なことを先送りした、やった振りのなんちゃって政策ばかりだったと、将来、人の記憶に刻まれるだけにならなければ良いとも思う」、説得力溢れた主張である。大変、参考になった。

次に、早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問の野口悠紀雄氏が12月5日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「賃金が上がらない国になった、日本を待ち受ける「修羅場」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/222495
・『アベノミクスが始まった2013年以降、法人企業の従業員1人当たり付加価値は順調に増加した。とりわけ規模の大きな企業で、この傾向は顕著だった。 しかし、この間に賃金はほとんど上がっておらず、増加した付加価値はほとんど企業の利益に回された。 なぜこのような現象が起きているのだろうか? それは、大企業で非正規従業者が増えているからだ。 「1人当たり付加価値が増えても賃金が上がらない」というこのメカニズムが、いまの日本経済で最大の問題だ』、安倍政権が賃上げで旗をいくら振り、企業減税をしても、一向に賃金が上がらない理由をデータに基づいて分析してくれたようだ。
・『従業員当たりの付加価値は増えるのに、賃金は上がらない  前回の本コラム「日本経済は『長期的な縮小過程』に入った可能性が高い理由」(2019年11月28日付)で、「就業者1人当たりの実質GDPが2018年に低下した」と指摘した。 法人企業統計で見ると、どうだろうか?) 従業員1人当たり付加価値の長期的な推移は、図表1のとおりだ。 全規模で見ると、00年代に徐々に落ち込み、リーマンショックでかなり落ち込んだ。その後、徐々に取り戻して、17年に1996年頃の水準まで戻った。 このように、2012年以降の期間では、従業員1人当たりの付加価値は顕著に増加した。 ところが、後で見るように、この期間に、従業員1人当たりの給与(賃金)は増えていないのだ。 付加価値が増えたのに、なぜ、賃金が上昇しないのか?』、確かに、ギャップは大きい。
・『大規模企業で顕著な利益増と給与のギャップ  従業員1人当たり付加価値の状況は、企業規模で違いがある。 以下では、資本金5000万円以上の企業を「大中企業」、資本金5000万円未満の企業を「小企業」と呼ぶことにし、これらを比較する。 大中企業の状況は、図表2に示すとおりだ。 1990年代の半ば以降、ほとんど一定だったが、リーマンショックで2008、09年に減少した。 その後、13年頃から増加し、最近までその傾向が続いている。 ただし、水準からいうと、リーマンショックで落ち込んだ分を取り戻して、最近の年度でやっとリーマンショック前に戻ったにすぎない。 他方で、小企業の状況は、図表3に示すとおりだ。 1990年代の半ばから傾向的に減少した。リーマンショックの影響は、大中企業ほど顕著ではなかった。 2008年以降、傾向的に増加していたが、18年には落ち込んでいる。 つぎに、給与水準の動向を見よう。 大中企業の状況は、図表4に示すとおりだ。2013年から最近に至るまで、ほとんど一定だ。 上で見たように従業員1人当たり付加価値はこの期間に増加しているのだが、増加分は利益に取られてしまったわけだ。 これは、後で見るように、非正規就業者を増やして、賃金を抑制しているからだ。 賃金を抑制することによって利益が増えたのである。 他方、小企業の状況は、図表5に示すとおりだ。給与水準は、若干、上昇している。とくに2017年頃まではそうだ』、「大中企業の」「給与水準」は「2013年から最近に至るまで、ほとんど一定だ」、データで示されると、改めて賃上げ抑制の実態に驚かされる。
・『大中企業で非正規就業者が増えた 増加した従業員の8割を占める  大中企業で従業員1人当たり付加価値が増えたのに、なぜ、賃金が上昇しないのか? それは、小企業から大中企業への就業者の移動があり、また、新しく非正規になった人が大中企業に雇われたからだ。 この現象を、「『大企業の零細企業化』が賃金下落や経済停滞の“真の原因”」(2019年11月21日付)で、「大企業の零細企業化」と名付けた。 その状況を詳しく見よう。 まず、大中企業の人員の推移を見ると、図表6のとおりだ。顕著な増加傾向が見られる。2013年には1750万人程度だったものが、18年には2000万人を超えており、この間に250万人以上増加している。 他方で、小企業の人員の推移を見ると、図表7のとおりだ。 13年には1700万人を超えていたのが、18年には1600万人程度となっており、この間に100万~150万人程度減っている。 これらの人々は、大中企業の非正規従業員になったと推測される。 他方で、13年から18年の間の日本全体の就業者の変化を労働力統計によって見ると、つぎのとおりだ。 就業者は6318万人から6655万人へと337万人(5.3%)増加した。 役員を除く雇用者は、5213万人から5596万人へと383万人(7.3%)増加した。 このうち、正規従業員は3302万人から3476万人へと174万人(5.3%)増加した。また、非正規従業員は1910万人から2120万人へと210万人(11.0%)増えた。これは、役員を除く雇用者の増加のうちの55%を占める。 この数字を参照すると、1つの可能性として、上で見た大中企業の人員増250万人のうち、非正規従業員がつぎの数だけいたと考えることができる。 (1)小企業から流入した150万人 (2)それ以外に増加した従業者(100万人)のうちの55%である55万人 そうであれば、大中企業で増加した従業員250万人のうち、205万人が非正規従業員だったことになる。つまり、増加した従業員の約82%が非正規従業員だった。 これが、「大企業の零細企業化」と言ったことの内容だ』、「大中企業で増加した従業員」「の約82%が非正規従業員」、非正規化がここまで進展しているとは驚かされた。
・『今後も賃金が上がらなければ、どうなるか?  今後、製造業の業績悪化で売り上げが減少すると、利益は大幅に落ち込むだろう。 この結果、1人当たり付加価値は減少に転じる可能性が強い。 他方で、小企業から大中企業への従業員の移動は、今後も続くだろう。とくに、消費税でインボイスが施行されると、この動きが加速されるだろう。つまり、「大企業の零細化」は、さらに進むだろう。 働き方改革における「同一労働・同一賃金」によって正規職員の諸手当が減額されている。 また残業規制によって残業手当がなくなる半面で、仕事量は変わらないので、就業時間外に会社の外で仕事をせざるを得なくなっているとも言われる。 これらは、正規従業員の実質的な賃金切り下げと言うべきものだ。 こうなると、「正規従業員の非正規化」と言える状況が進行するかもしれない。 総じて、賃金が伸びない状況は、今後も続くだろう。 今後、賃金が上がらないとすると、社会保険の保険料も増えない。 公的年金の収支バランスを確認する「財政検証」のケースⅠでは、名目賃金が年率2%上昇するとされている。しかし、このようなことは到底達成できないだろう。 それに加えて被保険者(保険の負担者)数が減少するので、保険料の総額が減るだろう。 こうして、公的年金制度が破綻することが予想される。 同様の問題が、医療保険や介護保険でも発生し、社会保障制度の維持は極めて困難になるだろう。 日本の賃金水準が国際的に見て低水準になってしまうことは、長期的な経済発展の観点からも由々しき問題だ。 高度な技術者や研究者のジョブマーケットは国際的なので、海外から優秀な人材を呼び寄せられないのはもちろんのこと、日本からの人材流出が起きることになる。 韓国の賃金水準はすでに日本の4分の3程度になっており、最低賃金は韓国のほうが高い。 日本人非正規就業者のドルベースの賃金と新興国の平均賃金が接近してくると、「外国人労働者の枠を広げても、労働者が来ない」といったことが十分に考えられる』、「今後も賃金が上がらなければ・・・」、「社会保障制度の維持は極めて困難に」、「日本からの人材流出が起きる」、「外国人労働者の枠を広げても、労働者が来ない」、破局に至る前にどこかで非正規化に歯止めがかかる可能性もあるが、とき既に遅しなのかも知れない。

第三に、上記の続き、12月12日付けダイヤモンド・オンライン「日本の国力がアジアで低下、このままでは韓国にも追い抜かれる理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/222919
・『世界経済が成長する中で、日本の生産性が低下している。このため、日本の相対的地位が低下する。 シンガポールと香港が、1人当たりGDP(国民総生産)ですでに日本より高い値だ。近い将来に、韓国と日本の関係も逆転する。 生産性向上の基礎となるべき高等教育の分野で、日本の落ち込みが著しい。 経済力が落ちるから教育・研究が進まず、開発力が落ちる。そのため経済力が落ちる、という悪循環に陥っている』、日本は深刻な病にかかっているようだ。
・『韓国や台湾が、1人当たりGDPで日本に迫る  アジア諸国地域の1人当たりGDPを、日本を100とする指数で見ると、シンガポールと香港は、2000年代の初めには日本の6割程度だったが、シンガポールは00年代の中頃に日本を抜いた。現在では、日本の1.5倍を超えている。 香港は14年に日本を抜き、現在では日本の1.2倍を超えている。 ただし、どちらも都市国家(地域)であり、人口が少ないので、特殊なケースだと考えられるかもしれない。 しかし、最近、新しい現象が生じている。それは、韓国や台湾が1人当たりGDPで日本に迫っていることだ(図表1、一部は、IMFによる推計)。 これがとくに明瞭な形で現れているのが、韓国だ。 韓国の1人当たりGDPは、00年代初めには日本の3割程度でしかなかったが、00年代の半ばには50%を超えた。その後、08年には、リーマンショックの影響で、日本との格差が開いた。 しかし、12年頃から、韓国の1人当たりGDPは再び日本に近づいている。18年に8割をこえた。 IMF(国際通貨基金)の推計では、23年には日本の85%になる。 韓国の最低賃金は、すでに日本より高くなっている』、「韓国の最低賃金」は革新系の現政権が思い切って大幅に引き上げた結果で、これには韓国内で批判もあるようだ。
・『2040年には韓国が日本より豊かな国になる  1人当たりGDPで、韓国は日本との差を縮めつつあるので、いずれ日本より高くなることが予想される。 図表2に示すOECDの推計によると、日本の1人当たりGDPは、2020年の3万9666ドルから、40年には5万4308ドルと1.4倍になり、60年には7万7242ドルと1.9倍になる(Dataset: Economic Outlook No 103 - July 2018 - Long-term baseline projections)。 しかし、40年には、韓国が5万9338ドルとなって、日本を追い越すのだ。 60年には、韓国は8万3300ドルとなり、日本より7.8%ほど高い水準になる。) この予測は、多くの日本人が認めたくないものだろう。 日本では、韓国の問題点がよく報道される。確かに問題が多い。 とくに文在寅政権の対日政策は、基本的に誤っていると考えざるを得ない。 しかし、それとは別に、韓国の経済が成長していることも事実なのである。これは率直に認めなければならない。 例えば、韓国では次世代通信である5Gの商用サービスがすでに開始されているし、それに対応したスマートフォンでも、サムスン電子やLG電子の製品が大きなシェアを占めている。 大学のランキングでも、後述のように韓国は力を蓄えつつある。 国際機関のトップに就く韓国出身者も増えている。 1人当たりGDPで日本との差を縮めつつあるのは、韓国だけではない。 中国の1人当たりGDPは、00年には日本の3%でしかなかった。しかし、20年には、すでに日本の27%になっている。IMFの予測だと、22年に日本の3分の1程度になる。 前述のOECDの推計によると、中国の1人当たりGDPは、40年には3万3421ドルとなって、その時点の日本の61.5%になる。60年には4万9360ドルとなって、日本の63.9%になるのだ。 日本はアジアで最初に工業化した国であり、1980年代には世界経済における地位が著しく向上した。その状況がいまでも続いていると考えている人が、日本には多い。 しかし、現実の世界は、すでに大きく変わってしまっているのだ。 韓国、台湾、シンガポール、香港は、70年代以降急速な工業化と高い経済成長率を達成した諸国・地域で、かつてはNIES(新興工業経済地域)と呼ばれた。それらの国や地域が、日本に追いつき、追い抜いていく時代になったのだ』、「大学のランキングでも、後述のように韓国は力を蓄えつつある。 国際機関のトップに就く韓国出身者も増えている」、確かに日本にとっては脅威だ。
・『「大学の実力」で大きな差 清華大が世界一、東大は134位  日本の1人当たりGDPが伸びないのは、生産性が向上しないからだ。 そして、生産性が向上しないのは、技術開発能力が落ちているからだ。 そこで、技術開発能力の基礎となる高等教育の状況を見ておこう。 イギリスの高等教育専門誌THE(Times Higher Education)は、2019年9月、20年の「THE世界大学ランキング」を発表した。 それによると、アジアのトップは中国の清華大学(世界23位)、第2位は北京大学(世界24位)、第3位はシンガポール国立大学(世界25位)、第4位が香港大学(世界35位)だ。 やっとアジア第5位に、東京大学(世界36位)が登場する。 そして、第6位の香港科学技術大学(世界第47位)、第7位の南洋理工大学(世界48位)と続く。アジアの大学で世界50位以内は、ここまでだ。 日本第2位の「京都大学」は世界65位となっている。 世界の上位200校に入る大学数は、中国が7校、韓国が6校、香港が5校、シンガポールが2校となっている。 それに対して、日本は、東京大学と京都大学の2校のみだ。 このように、大学の実力は、すでに、中国、韓国、香港、シンガポールに追い抜かれている。 先端的な分野について見ると、日本の立ち後れは、さらに顕著だ。 コンピュータサイエンスの大学院について、U.S. News & World Report誌がランキングを作成している(Best Global Universities for Computer Science)。 それによると、世界第1位は清華大学だ。以下、第2位が南洋理工大学、第4位がシンガポール国立大学、第6位が東南大学(Southeast University)、第7位が上海交通大学、第8位が華中科技大学(Huazhong University of Science and Technology)となっている。 このように、アジアの大学院が、世界トップ10位のうち6校も占めているのだ。 ところが、それらはすべて中国とシンガポールの大学である。 日本のトップは東京大学だが、世界のランキングは134位だ。 まるで比較にならない状態だ』、日本の大学の「世界のランキング」の低さは本当に恥ずかしいことだ。
・『ノーベル賞は「過去」を そして大学が「未来」を表わす  「今世紀に入ってからのノーベル賞の受賞者数が、アメリカに次いで世界第2位になった」と報道された。 これと、上で見た大学・大学院の状況は、あまりに乖離している。なぜだろうか?  それは、ノーベル賞は、過去の研究成果に対して与えられるものだからだ。 日本の研究レベルは、1980年頃には、世界のトップレベルにあったのだ。 大学の給与で見ても、80年代から90年代にかけては、日本の大学の給与のほうが、アメリカより高かった。 アメリカ人の学者が、「日本に来たいが、生活費が高くて来られない」と言っていた。そして、日本の学者は、アメリカの大学から招聘されても、給与が大幅に下がるので、行きたがらなかった。 ノーベル賞に表れているのは、この頃の事情なのだ。 ところが、給与の状況は、現在ではまったく逆転している。 日本経済新聞(2018年12月23日付)によれば、東京大学教授の平均給与は2017年度で約1200万円だ。 ところが、カリフォルニア大学バークレー校の経済学部教授の平均給与は約35万ドル(約3900万円)で、東大の3倍超だ。中には58万ドルを得た准教授もいる。 アジアでも、香港の給与は日本の約2倍であり、シンガポールはさらに高いと言われる。 これでは、学者が日本に集まるはずはない。優秀な人材は海外に行く。 ノーベル賞は過去を表し、1人当たりGDPは現在を、そして大学の状況が未来を表しているのである』、「ノーベル賞は過去を表し、1人当たりGDPは現在を、そして大学の状況が未来を表しているのである」、言い得て妙だ。「80年代から90年代にかけては、日本の大学の給与のほうが、アメリカより高かった」、これには円高も影響しているのかも知れない。
・『日本の給与水準では、高度専門家を集められず悪循環に  日本の給与が低いという問題は、大学に限られたものではない。 2年前のことだが、グーグルは、自動運転車を開発しているあるエンジニアに対して、1億2000万ドル(133億円)ものボーナスを与えた。 これは極端な例としても、自動運転などの最先端分野の専門家は、極めて高い報酬を得ている。 世界がこうした状態では、日本国内では有能な専門家や研究者を集められない。トヨタが自動運転の研究所トヨタ・リサーチ・インスティテュートをアメリカ西海岸のシリコンバレーに作ったのは当然のことだ。 最近では、中国の最先端企業が、高度IT人材を高い給与で雇っている。 中国の通信機器メーカーのファーウェイは、博士号を持つ新卒者に対し、最大約200万元(約3100万円)の年俸を提示した(日本経済新聞、7月25日付)。 朝日新聞(2019年11月30日付)によると、今年、ロシアの学生を年1500万ルーブル(約2600万円)で採用した。 CIO(最高情報責任者)の年収は、日本が1700万~2500万円であるのに対して、中国では2330万~4660万円となっている。 日本の経済力が落ちるから、専門家を集められず開発力が落ちる、そして、開発力が落ちるから経済力が落ちる。このような悪循環に陥ってしまっている。 これは、科学技術政策や学術政策に限定された問題ではない。日本経済全体の問題である。 この状態に、一刻も早く歯止めをかけなければならない』、説得力溢れた主張で、全面的に同意できる。
タグ:野口悠紀雄 東洋経済オンライン 福澤諭吉 ダイヤモンド・オンライン 日本の構造問題 権丈 善一 (その13)(日本経済はどんな病気にかかっているのか 政府の成長戦略は「やった振り」で終わる?、賃金が上がらない国になった 日本を待ち受ける「修羅場」、日本の国力がアジアで低下 このままでは韓国にも追い抜かれる理由) 「日本経済はどんな病気にかかっているのか 政府の成長戦略は「やった振り」で終わる?」 日本とアメリカの経済パフォーマンスの比較図 「事物の順序を司どりて現在の処置を施し」と書いて、政治は「現在」、当面の問題を処理することと論じているが、「学者は、前後に注意して未来を謀り」と書いているように、学者の視界のタイムスパンは、政治よりも長い 1980年から今までの、人口1人当たり実質GDP、生産年齢人口1人当たり実質GDPを眺めてみると、アメリカと比べて、日本はけっこうがんばっているように見える 人口減少社会における経済パフォーマンス指標とは 日本の1 人当たりGDP の伸びは、他の先進諸国と比べて遜色のない伸びを示してきた この国では、長らく、デフレは悪で、これを脱却することが絶対正義であるかのように言われていたのであるが、日本の1人当たりGDPの伸びを眺めてみると、はたして、デフレ=不況というムードの中で日本の経済政策が考えられてきたのは正しかったのか?とも思えてしまう 過去の高成長はなぜ?――模倣と創造の違い 西欧と日本は1950~70 年に大きな経済成長を経験している。それは当然と言えば当然で、西欧は、大戦で破壊され、その間、アメリカは順調にマイペースで成長を遂げていた。したがって、戦後になると西欧はアメリカへの、生産技術・ライフスタイルのキャッチアップを図る機会があったから、大きく経済が成長し人々の生活水準は上がった。 日本が戦後、高度成長期を迎えたのも似たような理由による 民間消費が飽和した成熟社会 GAFAの元気のよさは、アメリカ国民全般の生活水準の上昇にはつながっていないようである。 いわば、GAFAというプラットフォームは、一種の搾取システムとして機能しているともいえ 要するに成長ではなく、「分配」の問題だ 菅元総理は、「成長戦略は十数本作ったが全部失敗している」と発言し、「成長戦略」を政策の柱に掲げる自民党を批判 菅内閣時に民間から内閣官房国家戦略室に審議官として出向していた水野和夫さんは「首相時代の発言で一番よい」とも評している 「やった振り」のなんちゃって政策で終わったりして 「賃金が上がらない国になった、日本を待ち受ける「修羅場」」 この間に賃金はほとんど上がっておらず、増加した付加価値はほとんど企業の利益に回された 従業員当たりの付加価値は増えるのに、賃金は上がらない 大規模企業で顕著な利益増と給与のギャップ 大中企業で非正規就業者が増えた 増加した従業員の8割を占める 今後も賃金が上がらなければ、どうなるか? 公的年金制度が破綻 医療保険や介護保険でも発生し、社会保障制度の維持は極めて困難になるだろう 日本からの人材流出が起きる 外国人労働者の枠を広げても、労働者が来ない 「日本の国力がアジアで低下、このままでは韓国にも追い抜かれる理由」 シンガポールと香港が、1人当たりGDP(国民総生産)ですでに日本より高い 経済力が落ちるから教育・研究が進まず、開発力が落ちる。そのため経済力が落ちる、という悪循環に陥っている 韓国や台湾が、1人当たりGDPで日本に迫る 2040年には韓国が日本より豊かな国になる 「大学の実力」で大きな差 清華大が世界一、東大は134位 ノーベル賞は「過去」を そして大学が「未来」を表わす 日本の給与水準では、高度専門家を集められず悪循環に 日本の経済力が落ちるから、専門家を集められず開発力が落ちる、そして、開発力が落ちるから経済力が落ちる。このような悪循環に陥ってしまっている
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日本の構造問題(その12)(日本人はなぜ「論理思考が壊滅的に苦手」なのか 「出口治明×デービッド・アトキンソン」対談、日本経済30年の低迷は「中小企業神話」の妄信が引き起こした デービッド・アトキンソン氏インタビュー、投資家ジム・ロジャーズの忠言「日本株を買う予定はない」) [経済]

日本の構造問題については、3月29日に取上げた。今日は、(その12)(日本人はなぜ「論理思考が壊滅的に苦手」なのか 「出口治明×デービッド・アトキンソン」対談、日本経済30年の低迷は「中小企業神話」の妄信が引き起こした デービッド・アトキンソン氏インタビュー、投資家ジム・ロジャーズの忠言「日本株を買う予定はない」)である。

先ずは、6月26日付け東洋経済オンラインが掲載した立命館アジア太平洋大学(APU)学長 の出口 治明 氏と元外資系証券アナリストで 小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏による「日本人はなぜ「論理思考が壊滅的に苦手」なのか 「出口治明×デービッド・アトキンソン」対談」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/288272
・『日本が立たされている苦境の根本を探ると、何が見えてくるのか。どのようにすれば、この苦境から抜け出せるのか。 近著『知的生産術』で生産性を高める働き方を説いた出口治明氏と、同じく近著『日本人の勝算』で日本が再び「一流先進国」に返り咲く方法を明らかにしたデービッド・アトキンソン氏。2人の対談が2019年6月に実現した。その模様をお届けする』、興味深そうだ。
・『なぜ日本人は、ここまで「のんき」なのか  出口治明(以下、出口):アトキンソンさんが以前書かれた「日本人の議論は『のんき』すぎてお話にならない」という記事を読ませていただきました。そこで述べられているとおり、日本が置かれている状況は非常に厳しいのに、それを理解している人が少なすぎます。僕もまったく同感です。 平成の30年間のデータを見ると、日本がいかに危機的な状況にあるかは一目瞭然です。 GDPの世界シェアを購買力平価で計算してみると、約9%から4.1%に減少。IMDの国際競争力は1位から30位に陥落。平成元年には時価総額の世界トップ企業20社のうち、14社が日本企業だったのに、今はゼロです。これで危機感を持たないほうがおかしいと思います。 ただ、僕もアトキンソンさんがご著書で常に述べておられるとおり、日本人の実力はこんなものではないと信じているので、なんとか奮起してほしいと考えています。 日本人がこんなにものんきになってしまったのは、高度経済成長の成功体験が大きすぎたことにあるのではないかと私は考えていますが、アトキンソンさんはどうですか。 デービッド・アトキンソン(以下、アトキンソン):いちばんの原因は、日本人が「分析をしない」ことにあると思います。 たしかに高度経済成長期、日本のGDPは世界の9%弱まで飛躍的に伸びました。それは事実です。 しかしそのとき、「日本ってスゴイ!」と喜ぶだけで、何が成長の要因だったかキチンと検証しませんでした。さらには「日本人は手先が器用だから」とか、「勤勉に働くから」とか、「技術力がある」からなど、直接関係のないことを成長要因としてこじつけてしまい、真実が見えなくなってしまったのです。 出口:データで検証してこなかったのですね』、「高度経済成長期・・・「日本ってスゴイ!」と喜ぶだけで、何が成長の要因だったかキチンと検証しませんでした」、経済白書を作成する経済企画庁(現:内閣府)や官民のエコノミストが大勢いながら、彼らは時流に乗り、マスコミ受けを狙うだけで、確かに現在に至るまで真因を探るような「分析をしない」のは、残念ながら事実だ。私自身もかつてそのはしくれだったので、深く反省している。
・『アトキンソン:そうです。私が卒業したオックスフォード大学に、リチャード・ドーキンスという生物学の先生がいます。私は彼の講義を聴講したことがあるのですが、面白いことを言っていました。 彼によると、人間の脳は、アフリカの大草原に暮らしていたときとあまり変わらないのだそうです。 どういうことかと言うと、草原で暮らしていた当時の人類は、丈の高い草の中で何かの音が聞こえたら、反射的に逃げます。なぜなら、「あの音は何だ!?」と考えたり、エビデンスやデータを取って調べ始めたりすると、ライオンに襲われて食われてしまうからです。条件反射で逃げるという行動が進化したのです。 そのためデータを取ったり、エビデンスを確認したりしてロジカルに考えることが、人間のDNAの中には組み込まれていないのだそうです。 ドーキンス教授流に言うと、「高度成長した=日本人すごい」「技術力があるから日本経済は復活する」「ものづくりで大丈夫」と直感的に決めつけてエビデンスやロジックを求めない頭の使い方は、こういう野生時代から進歩していない、と言えます』、日本人の考え方に対する批判は痛烈この上ないが、残念ながら反論できそうもない。強いて言えば、日本社会の強い同調圧力が影響しているのかも知れない。
・『最大の問題は「マネジメント層」にある  出口:例えば高度成長期には、日本は年平均7%も成長したのですが、その成長に何が寄与したのか分析できていないのは、おっしゃるとおりですね。分析すれば人口増加の寄与度がいちばん大きかったという、アトキンソンさんが分析したとおりの結果が出ます。 しかし、こういう当たり前の分析を行わずに「日本人は器用だから」「協調性があるから」「チームワークがあるから」成長したと思い込んで、根拠なき精神論のままこれからもやって行こうとしても、世界の新しい変化に対応できるはずがありません。 驚くことに、いまだに「欧米の強欲な資本主義とは違い、日本の経営はすばらしい、三方よしだ」などと言う評論家や学者がいるのも事実です。僕は彼らにいつも、次のように質問しています。 「日本の経営がすばらしいのなら、なぜアメリカ、ヨーロッパ、日本という3つの先進地域の中で、日本の成長率がいちばん低いのか」「なぜ日本人は年間2000時間も働いているのに、1%しか成長しないのか」「なぜヨーロッパは1500時間以下の短い労働時間で2%成長しているのか」 まともな答えが返ってきたことは一度もありません。 この問いの答えは、日本のマネジメントがなっていないということ以外にはないのですが、それを的確に答えられる人が実に少ない。こういう当たり前のことを、「原点から考える」訓練ができていないところがいちばんの問題ではないかと思います。 アトキンソン:日本の所得が少なく、生産性も低い。その結果社会保障制度が不健全になってしまったというのも、労働者の問題ではなくマネジメントの問題です』、日本的経営礼賛論では、確かにマクロ経済不振を説明できない。「最大の問題は「マネジメント層」にある」、との両氏の指摘には全面的に同意する。
・『アトキンソン:1990年代以降の生産性向上要因を分析すると、人的要素も物的要素もほかのG7諸国とほとんど変わりません。しかし、マネジメントが最も関係する生産性向上要因(全要素生産性)は、諸外国ではものすごく伸びているのに、日本ではほとんど伸びていません。 つまり、日本に決定的に不足しているのはマネジメントだということは、はっきりとエビデンスとして出ているのです。やはり、日本の経営者は才能がない。失われた30年の根本原因はマネジメントが悪いから、それに尽きます。 こういう話をすると「衝撃的です」と言われてしまう。なぜこれが「衝撃的」なのか。 私は政府関係者と話をする機会が多いのですが、日本経済を議論するときにテーブルに座っているのは、日本という国家のマネジメントをやっている国会議員と、企業のマネジメントをやっている経団連や経済同友会、または商工会議所の人たち。 つまりは日本のマネジメントを中枢でやっている人たちです。日本経済の問題点について彼らと議論をしても、マネジメントに問題があるというものすごい単純なことは、なかなか理解してもらえません。なぜなら、彼らにとっては自分たちが悪いと認めることになるからです』、「全要素生産性」の伸び悩みは、「日本に決定的に不足しているのはマネジメント」を表しているというのは、確かにその通りだが、そこまでの意味づけは恥ずかしながら考えたこともなかった。
・『「ロジカルに考える」という当たり前ができていない  出口:日本のマネジメントがダメなのは、データを軽視し、自分の経験(エピソード)や思い込みだけで物事を判断してしまうからだと思います。例えば、いま世界を席巻しているのは、GAFAでありユニコーンですよね。しかし、そういう企業を強欲資本主義の象徴だと思っている日本の経営者がいっぱいいます。 僕はそういう人たちに、よくGoogleの人事部の話をします。Googleの人事部は社員の管理データのうち、国籍・年齢・性別・顔写真、これらすべてを消してしまったそうです。そんなものは必要ないからと。 人事を決めるのに必要なのは、今やっている仕事と過去のキャリアと将来の希望だけ。男か女か、歳はいくつだとかは一切関係ないというのが彼らの考え方で、こちらのほうがはるかに人間的です。世界の優れた企業は社員をとても大事にしている、だからこそいいアイデアがどんどん出てくるという好例だと思います。 日本の会社は社員を大事にしていると思っている経営者が少なくありませんが、それは本当でしょうか。きちんとデータで確認した人はいるのでしょうか。僕には単なる思い込みであるとしか考えられません。 アトキンソン:日本という国のマネジメントを行っている役人も、思い込みに縛られて、楽観的というかはやり言葉に流されて、考え方が甘い傾向があります。 以前、霞が関の会議に出席した際、「ロボットとAIなどの日本の最先端技術によって、日本経済は復活する」などと話していました。ですが最先端技術は、ずっと以前からあるのです。それが今まで普及してこなかったのはなぜかという産業構造の問題を検証することなくそんな主張をされても、論理が通っているとは思えません。 たとえ最先端技術があっても、誰も使わないならないのと同じです。「普及」こそが問題なのです。AIさえあればうまくいくというのは、念仏さえ唱えていれば極楽浄土に行けるという話と変わりません。しかも、それに気がつく人すら誰もいない。で、私が自分の意見をぶつけてみると、何か「宇宙人が来た」みたいな反応されました。 その会合の後で「さすが外人さんは見る目が違いますね」といったことを言われたのですが、外人だから考え方が違うのではありません。手前味噌ですが、「脳みそを使っている人」と「使っていない人」の違いなのではないかと最近よく思います。国籍が違うのはたまたまです』、「Googleの人事部は社員の管理データのうち、国籍・年齢・性別・顔写真、これらすべてを消してしまった」、初耳だが、差別につながる要素を全て消すとは思い切った決断で、さすがGoogleだ。「AIさえあればうまくいくというのは、念仏さえ唱えていれば極楽浄土に行けるという話と変わりません」、まさに言い得て妙だ。
・『出口:僕も地域おこしの政府の審議会などによく呼ばれるのですが、面白いものを作ったり、面白い人を呼んでくれば、その地域の関係人口が増えるからやるべきだという話がよく出ます。そのこと自体は正しいのでしょう。 しかし、日本全体で見れば人口が減っていくのだから、そうやって地方に来る人を増やしてもゼロサムゲーム以上にはならない。出生率を上げるとか、訪日外国人を増やすにはどうしたらいいかなど、国全体の話をしなければ全体最適にはなりません。 また、東京は豊かだから、東京からもっと地方へ人やお金をシフトしようと言う人もいます。しかし、東京は日本でいちばん生産性の高い場所です。それでも香港やシンガポールとの競争には負けつつある。 日本のエンジンである東京を弱くするという発想は、どう考えてもおかしい。むしろ、東京をもっと強くして、香港やシンガポールを圧倒しなければいけないという発想を持たないと、地域も発展しません。 こんな議論を僕はいつもするのですが、すると「おっしゃっていることはよくわかりますけれども、この審議会は地域おこしのことをやっているので……」という話になってしまいます。 僕は日本人ですが、どちらかと言うと変わったキャリアの持ち主です。だから「出口さんのような変わった人の意見を聞けて面白いですね」と、アトキンソンさんと同じようなことをよく言われてしまいます。 僕にしてみれば、数字・ファクト・ロジックで考えたら、誰でも思いつく普通の意見を言っているだけなのですが、社会常識と合わない意見は、外国人だったり変人の意見ということになってしまう。これが、この国の根本的な衰退の原因のように感じます。 アトキンソン:本質を無視してしまうのは、大問題です。 出口:アトキンソンさんは哲学者デイヴィッド・ヒュームの故郷、イギリスのお生まれですよね。ヒュームという人は、因果関係を徹底的に疑った人なので、今度似たような議論になったら「ヒュームを1回読み直してから議論しませんか」と言うのがいいかもしませんね。 アトキンソン:最近いつも、こう言っています。「首の上にある重い塊を、皆さん毎日毎日運んでいるのですから、たまには使ったらいかがですか」って。重いんですから(笑)』、最後のアトキンソン氏の言葉は強烈な皮肉で、実際には相手に言ってはいないのだろう。
・『あまりにも「勉強」を軽視している日本人  出口:実は最近、アトキンソンさんに倣って「日本人はなぜ勉強しないのか」をデータで分析したのですが、答えは割と簡単でした。 まず、第1に大学進学率が低いのです。確か52%ぐらい。日本は大学に行かない国です。OECDの平均が6割を超えていますからね。 さらに大学の4年間でほとんど勉強しません。これは企業の採用基準が悪い。採用のときに大学の成績や読んだ本のことは一切聞かずに、ボランティアの経験を話してごらんなどと言っているわけです。だから、エントリーシートに書くためにボランティアをやるというような、本末転倒な状況が生まれてくるのです。 さらに大学院生は使いにくいなどと言って企業が採用しないから、大学院に行く人が少ない。日本の大学院生の比率は先進国の中で最低レベルです。 アトキンソン:大学で何を学ぶのかについても、誤解している日本人が少なくありません。 以前、ある大学の方から「ロジカルシンキングの授業をつくりたい」と相談されたことがあります。あぜんとしました。これまで何を教えていたのでしょうか。 大学で学ぶべきことなど、「ロジカルシンキング」以外にはありません。サイエンス、経済、法律、文学などは、もちろんそれ自体大切ではあるものの、基本的にはロジカルシンキングを学ぶための「材料」です。材料が現実の仕事に生かせるとは限りませんが、ロジカルシンキングは必ず、その後の人生に生きてきます』、「大学進学率が」「OECDの平均」より低いというのは、恥ずかしながら初めて知った。「ある大学の方から「ロジカルシンキングの授業をつくりたい」と相談された」、相談するにも、丸投げ的にではなく、何故、現在の体制では不十分なのかを考えた上で、相談すべきだったのだろう。
・『出口:本来なら、大学を出た後でもロジカルシンキングの能力は伸ばせます。しかし、就職したら年間2000時間労働で、飯・風呂・寝るの生活。勉強する時間などありません。 さらに2000時間労働した後で、同僚同士で飲みに行ってお互いに調子を合わせて時間を浪費する。日本は構造的に勉強できない国になってしまっているのです。 この状況をどこから直せばいいかと言えば、意外と簡単です。経団連の会長や全銀協の会長が、大学の成績で「優」が7割未満の学生の採用面接はしないと宣言する。あるいは卒業してから成績証明書を持って企業訪問させればいいのです。成績採用になったら、さすがに勉強するようになるでしょう。 それから、残業規制を強化して徹底的に勉強させる時間をつくればいいのです。こうやって、無理やりにでも行動を変えさせない限り、日本の低学歴化は是正されません。 新しい産業やイノベーションを起こすには、基本的にはダイバーシティーと高学歴が必要です。高学歴というのは、ドクターやマスターといった学位を持っているということではなく、好きなことを徹底して勉強し続けるという意味です』、「成績採用になったら、さすがに勉強するようになるでしょう」、大学の成績が本人の知的能力を概ね表しているのであれば、同意するが、果たしてどうだろうか。
・『人間の限界を理解し、データとロジックで補強せよ  アトキンソン:出口先生もご存じだと思いますが、アメリカの経営学の学会では、マネジメントが完全にサイエンスになっています。 なぜそうなったのかというと、そもそも人間の頭をそのままにしておく、すなわち草原の本能のままでは、ろくなモノができないからです。だから大学が必要で、経営者教育も必要で、株主がいて助言させる。社長の勝手な思い込みで好き勝手にさせないようになっているのです。 たった1人の頭の中で、データもエビデンスもロジカルシンキングもなく精神論だけでやるどうなるか。歴史を振り返ると、大当たりする可能性もゼロではありませんが……。 出口:でも、確率的に言ったらたいてい失敗しますよね アトキンソン:そうです。たいてい失敗します。 今の日本の経営者がまるでなっていない理由は、大草原に住んでいた頃の頭のままで経営をしようとしている、ただ単にそれだけだと思います。別に人間として能力が低いわけではありません。 人口増加によって、日本の経営者は一見すばらしく見えていました。しかし人口が減少するようになったために、その弱点が表面化してきたのだと思います。 人口減少という危機に直面している以上、極めて高度な経営が求められています。しかし今の経営者は、自分たちが変わらないといけないということに気づいていないのです。 ほかの先進国ではすでにこのことに気がついています。人間の限界を理解している。ビッグデータはその象徴的なものだと思いますが、とにかくデータで徹底的に分析することによって、勝手な思い込みをする人間の欠点を取り除く経営が進んでいるのです。 出口:今日お話をさせていただいて、日本のマネジメントの問題を改めて考えさせられました。 マネジメントのトップ、つまりリーダーたちが勉強して意識を変えれば、日本も変わると思います。その意味でも、リーダーこそアトキンソンさんの本をきちんと読んで、根拠なき思い込みを捨てなければいけませんね』、「アメリカの経営学の学会では、マネジメントが完全にサイエンスになっています・・・社長の勝手な思い込みで好き勝手にさせないようになっているのです」、「ほかの先進国では・・・データで徹底的に分析することによって、勝手な思い込みをする人間の欠点を取り除く経営が進んでいるのです」、なるほど。「マネジメントのトップ、つまりリーダーたちが勉強して意識を変えれば、日本も変わると思います」、その通りだが、百年河清を待つような気がする。

次に、10月16日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した「日本経済30年の低迷は「中小企業神話」の妄信が引き起こした デービッド・アトキンソン氏インタビュー」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aはアトキンソン氏の回答)。
https://diamond.jp/articles/-/217560
・『日本の生産性が主要先進国の中で最下位といわれて久しい。その理由はさまざま語られてきたが、日本経済の栄枯盛衰を30年にわたって分析してきた元ゴールドマン・サックス金融調査室長で、小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏は、新刊『国運の分岐点』で「中小企業が日本の生産性が低い原因」だと述べて、議論を呼んでいる。日本の高度経済成長を支えてきたと考えられてきた中小企業が、なぜ生産性が低い原因なのか。「日本人は中小企業崇拝を止めるべき」と主張するアトキンソン氏にその理由を聞いた』、日本では中小企業政策というと、水戸の黄門的な魔力を発揮して、誰も文句を言えなくなるが、そこに切り込むアトキンソン氏はさすがだ。
・『日本の生産性が低いのは中小企業が多すぎるから  Q:中小企業が日本経済を支えてきた日本の強みだという「中小企業神話」が、日本人には当たり前のように浸透しています。しかし、それに対して「中小企業崇拝を止めるべきだ」「中小企業が日本の生産性が低い原因だ」と主張されているのはなぜですか? A:今まで日本は右肩上がりで人口が増加する中で、著しい経済成長を遂げてきました。しかし、その成功に関する正しい検証、要因分析が行われてきたとはとてもいえません。 その一方で、日本経済が成長したのと同じ時に中小企業の数が急増したという2つの事実について、それぞれを検証することなく、あたかも因果関係があったように適当に事実を並べて、結論ありきで作られたストーリーがこの中小企業神話です。 日本は、1人あたりGDPが世界第28位(2018年、IMF)と、先進国の中でも生産性が低いことで知られています。これから人口減少が進む日本において生産性の向上は急務ですが、なぜ生産性が低いのかについて、日本の学者や経済評論家は要因分析ができているでしょうか。 生産性向上につながる働き方改革や女性活躍が進んでいない、それは夫が育休を取得できないからだなど論点が跳ぶケースがほとんどです。男性の育休取得が進んでいないのは事実ですが、なぜ育休が取れていないのかについては、検証されていません。いきなり、日本の生産性が低いのは農耕民族だからだ、なんていう人もいます。 では、何が生産性向上の障害になっているのか。それは、「中小企業」です。つまり、日本では中小企業が全体の99.7%を占めていることが、大きな障害になっています。だから、日本の生産性を高めるためにも中小企業崇拝は止めるべきなのです。 私は30年日本に住んでいますが、日本の学者や経済評論家の多くは、知識があっても論点や結論がうさぎみたいにぴょんぴょん跳ぶ「うさぎちゃん評論家」だと以前から感じていました。彼らが、過去に日本経済が成長した理由をきちんと検証してこなかったからこそ中小企業神話を妄信し、今の日本経済の問題点がきちんと検証ができず、日本経済は長い低迷に陥っているのではないでしょうか』、「日本経済が成長したのと同じ時に中小企業の数が急増したという2つの事実について、それぞれを検証することなく、あたかも因果関係があったように適当に事実を並べて、結論ありきで作られたストーリーがこの中小企業神話です」、なるほど「中小企業神話」の発生の経緯がこんなところにあったとは、初めて知った。「日本の学者や経済評論家の多くは、知識があっても論点や結論がうさぎみたいにぴょんぴょん跳ぶ「うさぎちゃん評論家」だと以前から感じていました」、手厳しい批判だ。
・『中小企業激増の根源は1963年施行の「中小企業基本法」  Q:日本の中小企業では、なぜ生産性が低いのでしょうか? A:規模の経済という言葉からもわかるように、企業が大きくなればなるほど効率が上がり、生産性は高くなります。これは大原則であり、地球が丸いのと同じくらい当たり前のことです。 ですから、日本の生産性の低さは、日本に規模の小さい企業が多い(中小企業の比率が高い)ことと表裏一体なのです。異論のしようもありません。 全世界どこを見ても、中小企業で働く労働人口の割合が高くなればなるほど、その国の生産性は低くなっています。そして、規模の大きい企業の多い国では女性の活躍も活発になり、中小企業が多い国では女性が活躍しにくくなっていることがわかっています。 日本に中小企業が激増した問題の根源は、1963年に制定された「中小企業基本法」にあります。この法律では、中小企業の定義を非常に小さいものにして(現行、人員的には製造業が300人以下、卸売りが100人以下、小売りは50人以下、サービス業が100人以下)、なおかつ優遇策を手厚くすることによって、1964年から爆発的に非常に小さい企業が増えました。それによって小さい会社で働く労働者の比率が高くなり、今の非効率的で、生産性の低い産業構造ができたのです。 全部がそうだとは思いませんが、今の中小企業の中には補助金目当ての経営者も少なくありません。だから、起業してからも、成長していません。そういう企業の経営者に生産性を高めてほしいといっても、そもそも補助金目当てなので難しいでしょう。 Q:なぜ中小企業の生産性の低さは、高度経済成長期には問題にならなかったのでしょうか。 A:それは、人口が増加し続けている時代だったからです。人口増加が止まった途端に、一気にその隠れた問題が全部表面化して、今の失われた30年へと突入していったのです。 生産性問題は中小企業の問題だという私の考えに対して、「衝撃的だ」と言う声もありますが、私には理解できません。ただ単に分析していないだけでしょう』、「企業が大きくなればなるほど効率が上がり、生産性は高くなります。これは大原則であり、地球が丸いのと同じくらい当たり前のことです」、には若干違和感を感じた。業態ごとに最適の規模があり、それを超えると規模の不経済が発生することもあるからだ。
・『私は、人口減少社会の中で生産性を上げるためには最低賃金を上げるべきだと3年間述べてきましたが、その主張に強固に反対する勢力がいます。それが中小企業の経営者です。「最低賃金を上げると倒産する」というのが彼らの主張ですが、笑っちゃいますね。 私は最低賃金の話をする際は、20年で最低賃金が2.2倍になったイギリスを例にしてお話することがよくあります。それは成功事例だからではありません。イギリスの最低賃金の引き上げには3つの特徴があるからです。 1つは、日本もイギリスも国際競争力が高いのに生産性が低いという同じ問題を抱えていること。 2つ目は、イギリスは1999年までは最低賃金がなく、最低賃金の導入と引き上げによる効果を雑音のない素晴らしい統計分析のデータとして見られるためです。 3つ目は、特に大事なポイントで、イギリス政府は20年間最低賃金を引き上げるにあたって、政府が大学などに依頼して、賃金引き上げの影響を詳しく分析していることです。最低賃金、もしくはそれに近い賃金で雇用している割合の高い企業を対象に、最低賃金引き上げ前と後の決算書を継続的に分析しています。 イギリスが最低賃金を引き上げても雇用への悪影響がなかったのは偶然ではありません。これは、学者たちが雇用に悪影響を及ぼさないギリギリのラインで最低賃金の引き上げ幅を検証することで影響が出ないようにしてきたからです。その検証の中では、廃業率が上昇したというデータは見たことがありません。 日本ではこうしたイギリスのデータを見て検証した人がとてもいるとは思えず、最低賃金を引き上げると倒産するというのは、適当で飛躍的な議論といえます。もし、いきなり最低賃金が1000円になって、何十万社も倒産するのであれば、日本経済は私が考える以上に極端に貧弱なのではないでしょうか』、イギリスでは、「学者たちが雇用に悪影響を及ぼさないギリギリのラインで最低賃金の引き上げ幅を検証することで影響が出ないようにしてきた」、という事例を日本の学者たちも謙虚に学ぶべきだ。
・『中小企業の統廃合こそ日本経済の生産性を高める道  Q:そうはいっても日本経済を支えてきた中小企業もあると思います。よい中小企業とそうではない中小企業の違いは、どこにありますか? A:もちろん私もすべての中小企業がダメだと言いたいわけではありません。かといって、すべての中小企業が良いというのもおかしい。ですから、これからは「ふるい」にかける必要があります。 いい中小企業とは生産性が高く、成長している企業です。一方で、成長していない中小企業は他の会社と合併したり、吸収されたりという統廃合の道を選ぶしかありません。 つまり、これからの経営者に求められるのは、統廃合を進めて、企業の数を整理していく能力といっていいでしょう。 Q:「中小企業基本法」で中小企業を優遇してきた政府には今後、どのような施策が求められますか? A:国としては、伸びる中小企業を応援するべく、伸びない中小企業は次第にできるだけ困難のないように合併を促進できる政策を打つことが求められます。 現在、跡継ぎのいない中小企業がたくさんあり、経済産業省は跡を継いでくれる人を探す第三者承継支援を行っています。しかし、私としては余計なことはやめて、合併してくれる企業を探すことが一番大切だと思います。 私は5年間この分析を行ってきましたが、生産性問題は中小企業問題であり、生産性向上は、中小企業改革をすすめて、中小企業を合併させることだとたどり着いた人は私以外にいないと自負しています。 今までそういう主張する人がいなかったのは、中小企業を批判するのが怖かったのが理由の1つでしょう。もう1つは、先ほどから何度も述べているように学者や経済評論家が素晴らしい知識はあっても、要因分析ができていないからです。そのため、日本では要因分析を支えるデータも海外のようにそろっていません。 中小企業の問題は、国内のデータだけではこの結論には至りません。今回の私の提言は、海外のデータと分析があって導かれた結論です。日本人の学者は海外の論文やデータを徹底的に読み込んでいるのか本当に疑問に思います』、最後の部分は全面的に同意する。

第三に、10月7日付け日刊ゲンダイ「投資家ジム・ロジャーズの忠言「日本株を買う予定はない」」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aはロジャーズ氏の回答)。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/262749
・『新著「日本への警告 米中朝鮮半島の激変から人とお金の動きを見抜く」(講談社+α新書)がヒットしている。ウォーレン・バフェット、ジョージ・ソロスと並ぶ「世界3大投資家」のひとりとして知られるジム・ロジャーズ(76)は、日本から資金を引き揚げた。理由は歯止めのかからない少子高齢化による人口減。財政出動、異次元緩和、成長戦略を掲げるアベノミクスのデタラメだ。「私が10歳の日本人だったら、この国を去ることを選ぶ」という。その忠言を聞いた』、「日本から資金を引き揚げた」、やはりそうかというのが率直な感想だ。
・『Q:2018年秋に日本株をすべて手放したそうですね。 A:今は株も通貨も、日本関連の資産は何も持っていません。日本株を買い始めたのは東日本大震災の直前。日本株はバブル期最高値の4分の1水準で、さらに下がることもあり得る状況だった。震災による株価下落局面でさらに買い増しました。あえて投資したのは、中期的に見れば景気は回復すると見ていたからです。予想通りに株価は上がり、利益を得ることができた。ただ、この先、日本株を買う予定はありません。日本経済を破壊するアベノミクスが続き、少子高齢化による人口減少を食い止められない限り、この判断を変えることはないでしょう。 Q:アベノミクスに非常に批判的です。 A:安倍さんがやっていることはバカげていますよ。財政出動で国の借金を増やし、金融緩和で日本円の価値を下げている。お金の使い方が下手な上に、使い過ぎています。自分のお金じゃないから、国民から吸い上げた税金だから、どんどん使っているんです』、最後の部分の手厳しいアベノミクス批判はその通りだ。
・『Q:日銀は先月中旬の金融政策決定会合で大規模緩和の維持を決定。欧米の中央銀行が利下げに動く中、黒田総裁はマイナス金利の深掘りを示唆しています。 A:大きな間違いです。世界的に見てこれほど金利が低かった時代はない。そもそも、中央銀行が実質的に直接、国債を買う金融政策は前代未聞です。日銀は16年9月にいわゆる「指し値オペ」を導入しましたが、これは紙幣を無制限に刷るということ。つまり、日本円の価値を下げるわけで、アベノミクスは絶対に成功しません。20年後には対米ドルのみならず、韓国ウォンに対しても相対的に価値を落としているでしょう。 Q:世論の根強い反対を無視して、消費税が10%に引き上げられました。 A:増税は景気を冷やします。安倍政権がやっていることはまったくナンセンスですよ。来年は東京五輪が開催され、五輪景気が期待されていますが、歴史を振り返れば五輪が国家財政のプラスになったためしがない。五輪のせいで日本の財政赤字はさらに膨らみます。国の長期債務残高(18年度)は947兆円に上り、対GDP比167・8%と巨額。10歳の日本人が40歳になるころには、借金は目も当てられない状態になるでしょう。国債は買われなくなり、金利を引き上げざるを得ず、そうなれば高金利によって国の借金はさらに膨れ上がってしまう。子どもはいない、移民もいない。日本は大問題だらけです』、「10歳の日本人が40歳になるころには、借金は目も当てられない状態になるでしょう。国債は買われなくなり、金利を引き上げざるを得ず、そうなれば高金利によって国の借金はさらに膨れ上がってしまう。子どもはいない、移民もいない。日本は大問題だらけ」、異次元緩和の悲惨な結末を描いているが、その頃には安倍首相はとうに退陣して、素知らぬ顔だろう。
・『アベノミクスはすべてがナンセンス  Q:安倍首相は「移民政策をとることは考えていない」としていますが、4月に改正入管難民法が施行され、今後5年間で最大35万人の外国人労働者の受け入れが想定されています。ただ、在留資格によっては家族帯同が認められないケースがあります。 A:人口1億2600万人の国に年間7万人でしょう。計画通りに進んだとしても、数字的にまったく足りない。人口減少によるさまざまな問題の解決には結びつきません。それに、日本全体が外国人に対してウエルカムな雰囲気をつくらないと、誰もやってきませんよ。働く人だけではなく、その家族も受け入れ、しっかりとサポートする仕組みを作る必要があるのでは?人口減で苦境に立つ日本にとって、外国人は助けになる存在です。本気で呼び込みたいのであれば、日本人と共生できるように歓迎する体制を整えることが重要でしょう。どうも日本は移民受け入れに消極的ですが、移民は不動産、教育、飲食といった業界に新たなビジネスチャンスを生みますし、少子化対策にもつながります』、私自身は、社会の長期的な安定を重視する立場から、安倍政権の「移民」政策にも反対だ。移民に頼らず、機械化などで対応し、対応できない産業は縮小していく他ないと考える。
・『Q:アベノミクスの失敗が浮き彫りとなる中、安倍政権は韓国叩きに没頭しています。 A:愚かなことです。隣国同士、本来は協力して一緒に仕事をすべきなのに、ケンカをしていること自体が理解できない。そんなことやっている場合ですか? お互いに潰し合うなんてバカみたいですよ。 Q:7、8月は2カ月連続の貿易赤字。8月の対韓輸出は前年同期比9・4%減、訪日韓国人は48・0%減の落ち込みで、日本経済へのマイナス影響は指標にも表れ始めています。 誰のためにもならないということ。政治家が自分の利益のために国民感情、他国に対する敵対心をあおっている印象があります。もっとも、韓国経済の現状は厳しいですが、展望はある。この50年は日本、40年はシンガポール、30年は中国が刺激的でしたが、この先10~20年は韓国と北朝鮮です。南北統一にはハードルがあるものの、遠くない将来に実現するでしょう。北朝鮮が段階的に経済開放されるのが現実的ですが、そうなれば世界中から観光客が押し寄せてツーリズムが盛り上がり、海外から投資が舞い込み、韓国国内投資も活発になる。南北で人が往来すれば日本同様に韓国を悩ませている少子化問題は軽減されるでしょう。北朝鮮は韓国にとってフロンティアです。 Q:米朝協議は膠着していますが、文在寅政権は対北融和を推進しています。 A:日本もこの流れにジャンプインするべきです。北朝鮮は問題だらけ。日本には生産能力が高く、さまざまなノウハウを持つ企業が多くあり、解決する術を持っている。北朝鮮は中国とも国境を接しているので、ビジネス環境は悪くない。いち早く投資し、プラントを造り、ホテルも建てる。ビジネス展開にはそうしたことが非常に重要です。韓国企業はスタディーグループを立ち上げて準備しているのに、日本では誰もそうした声を上げないし、動きも見られませんね』、韓国とは、「隣国同士、本来は協力して一緒に仕事をすべきなのに、ケンカをしていること自体が理解できない」、「北朝鮮は韓国にとってフロンティアです」、北朝鮮に対し「韓国企業はスタディーグループを立ち上げて準備しているのに、日本では誰もそうした声を上げないし、動きも見られませんね」、その通りだ。
・『子供には中国語、スペイン語、韓国語、ロシア語を  Q:拉致問題を抱えているのもありますが、北朝鮮の体制維持を危ぶむ声があります。 A:政府のプロパガンダに日本人はのみ込まれているんですよ。現在の北朝鮮の指導者(金正恩朝鮮労働党委員長)は中国で鄧小平が敷いた改革開放路線をやりたいと言っているんです。彼はスイスに留学経験がある。スイスと北朝鮮、どちらで暮らしたいか? スイスで暮らしたいんです。でも、国を去れないし、逃げ出すわけにもいかない。だから、北朝鮮をスイスのように変えようと、スキーリゾートを建設したり、各地に経済特区を設けています。金正日時代の07年、金正恩体制移行後の13年に訪朝しましたが、2度目に訪れた北朝鮮は意外なほど活気にあふれていて、どこへ行っても中国人だらけでした。 Q:お子さんに中国語を身に付けさせるため、07年にシンガポールに移住されたそうですね。 A:アジア時代の到来を見据え、2人の娘たちを英語と中国語のバイリンガルに育てるためです。シンガポールは中国語がネーティブランゲージの上、清潔で暮らしやすい。日本人が中国語を話すようになれば、日本で暮らすと思います。日本はお気に入りの国のひとつなので。話せる言語が増えれば、入ってくる情報の量と質が劇的に変わる。投資家としてもうひとつアドバイスするなら、「子や孫には中国語を習わせなさい」ですね。次はスペイン語、その次となると韓国語もいいし、ロシア語もいい。日本語はリストに入らないですね。衰退していく言語ですから。 Q:日本が投資対象に再浮上することはなさそうですね。 A:株価が下がり、税金が下がり、規制緩和をさらに進めてマーケットをオープンにし、財政赤字を大幅に削減する。さらに出生率が上がったら、判断を変えるかもしれません。財政赤字の削減は今日からでも切り込めるでしょう? 使わなければいいんですから。Do it! やらなければ何も始まりませんよ。(ジム・ロジャーズ氏の略歴は省略)』、「お子さんに中国語を身に付けさせるため、07年にシンガポールに移住された」、1942年生まれなので、孫の間違いではないかと思ったが、やはり子供なのだろう。「子や孫には中国語を習わせなさい」、とあるが、日本人の場合はやはり英語も重要で、第二外国語に中国語、といった順番だろう。いずれにしろ、ジム・ロジャーズが日本の株や円への投資から手を引いたのは、当然とはいえ、やはり一抹の寂しさを覚える。
タグ:東洋経済オンライン 日刊ゲンダイ ダイヤモンド・オンライン 日本の構造問題 (その12)(日本人はなぜ「論理思考が壊滅的に苦手」なのか 「出口治明×デービッド・アトキンソン」対談、日本経済30年の低迷は「中小企業神話」の妄信が引き起こした デービッド・アトキンソン氏インタビュー、投資家ジム・ロジャーズの忠言「日本株を買う予定はない」) 「日本人はなぜ「論理思考が壊滅的に苦手」なのか 「出口治明×デービッド・アトキンソン」対談」 『知的生産術』で生産性を高める働き方を説いた出口治明氏 『日本人の勝算』で日本が再び「一流先進国」に返り咲く方法を明らかにしたデービッド・アトキンソン氏 なぜ日本人は、ここまで「のんき」なのか 平成の30年間のデータを見ると、日本がいかに危機的な状況にあるかは一目瞭然です。 GDPの世界シェアを購買力平価で計算してみると、約9%から4.1%に減少。IMDの国際競争力は1位から30位に陥落。平成元年には時価総額の世界トップ企業20社のうち、14社が日本企業だったのに、今はゼロです。これで危機感を持たないほうがおかしい いちばんの原因は、日本人が「分析をしない」ことにある 「日本ってスゴイ!」と喜ぶだけで、何が成長の要因だったかキチンと検証しませんでした 「日本人は手先が器用だから」とか、「勤勉に働くから」とか、「技術力がある」からなど、直接関係のないことを成長要因としてこじつけてしまい、真実が見えなくなってしまったのです 「高度成長した=日本人すごい」「技術力があるから日本経済は復活する」「ものづくりで大丈夫」と直感的に決めつけてエビデンスやロジックを求めない頭の使い方は、こういう野生時代から進歩していない、と言えます 最大の問題は「マネジメント層」にある 「欧米の強欲な資本主義とは違い、日本の経営はすばらしい、三方よしだ」などと言う評論家や学者がいる 日本の所得が少なく、生産性も低い。その結果社会保障制度が不健全になってしまったというのも、労働者の問題ではなくマネジメントの問題です マネジメントが最も関係する生産性向上要因(全要素生産性)は、諸外国ではものすごく伸びているのに、日本ではほとんど伸びていません 失われた30年の根本原因はマネジメントが悪いから、それに尽きます 「ロジカルに考える」という当たり前ができていない Googleの人事部は社員の管理データのうち、国籍・年齢・性別・顔写真、これらすべてを消してしまったそうです。そんなものは必要ないからと 日本という国のマネジメントを行っている役人も、思い込みに縛られて、楽観的というかはやり言葉に流されて、考え方が甘い傾向があります AIさえあればうまくいくというのは、念仏さえ唱えていれば極楽浄土に行けるという話と変わりません 僕にしてみれば、数字・ファクト・ロジックで考えたら、誰でも思いつく普通の意見を言っているだけなのですが、社会常識と合わない意見は、外国人だったり変人の意見ということになってしまう。これが、この国の根本的な衰退の原因のように感じます あまりにも「勉強」を軽視している日本人 大学進学率が低いのです。確か52%ぐらい。日本は大学に行かない国です。OECDの平均が6割を超えています 「ロジカルシンキング」 経団連の会長や全銀協の会長が、大学の成績で「優」が7割未満の学生の採用面接はしないと宣言する。あるいは卒業してから成績証明書を持って企業訪問させればいいのです。成績採用になったら、さすがに勉強するようになるでしょう 人間の限界を理解し、データとロジックで補強せよ ほかの先進国ではすでにこのことに気がついています。人間の限界を理解している。ビッグデータはその象徴的なものだと思いますが、とにかくデータで徹底的に分析することによって、勝手な思い込みをする人間の欠点を取り除く経営が進んでいるのです アメリカの経営学の学会では、マネジメントが完全にサイエンスになっています 社長の勝手な思い込みで好き勝手にさせないようになっているのです 「日本経済30年の低迷は「中小企業神話」の妄信が引き起こした デービッド・アトキンソン氏インタビュー」 日本の生産性が低いのは中小企業が多すぎるから 中小企業が日本経済を支えてきた日本の強みだという「中小企業神話」 中小企業激増の根源は1963年施行の「中小企業基本法」 人口減少社会の中で生産性を上げるためには最低賃金を上げるべきだと3年間述べてきましたが、その主張に強固に反対する勢力がいます。それが中小企業の経営者 中小企業の統廃合こそ日本経済の生産性を高める道 「投資家ジム・ロジャーズの忠言「日本株を買う予定はない」」 「日本への警告 米中朝鮮半島の激変から人とお金の動きを見抜く」(講談社+α新書) 今は株も通貨も、日本関連の資産は何も持っていません 安倍さんがやっていることはバカげていますよ。財政出動で国の借金を増やし、金融緩和で日本円の価値を下げている。お金の使い方が下手な上に、使い過ぎています。自分のお金じゃないから、国民から吸い上げた税金だから、どんどん使っているんです 紙幣を無制限に刷るということ。つまり、日本円の価値を下げるわけで、アベノミクスは絶対に成功しません 五輪が国家財政のプラスになったためしがない。五輪のせいで日本の財政赤字はさらに膨らみます 10歳の日本人が40歳になるころには、借金は目も当てられない状態になるでしょう。国債は買われなくなり、金利を引き上げざるを得ず、そうなれば高金利によって国の借金はさらに膨れ上がってしまう。子どもはいない、移民もいない。日本は大問題だらけです アベノミクスはすべてがナンセンス 隣国同士、本来は協力して一緒に仕事をすべきなのに、ケンカをしていること自体が理解できない この先10~20年は韓国と北朝鮮です。南北統一にはハードルがあるものの、遠くない将来に実現するでしょう 北朝鮮は韓国にとってフロンティアです 韓国企業はスタディーグループを立ち上げて準備しているのに、日本では誰もそうした声を上げないし、動きも見られませんね 子供には中国語、スペイン語、韓国語、ロシア語を 「子や孫には中国語を習わせなさい」
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資本主義(その2)(金利ゼロの現代はマルクスが予見した「成長の限界」に近づいている、国家資本主義vs欧米型資本主義をどう考えるか 政府介入が必要な場合と不適切な場合がある、中流家庭「普通の人」が生きづらさを増す根因 少数の超富裕層を生み出す資本主義の仕組み) [経済]

資本主義については、2017年11月8日に取上げたままだった。久しぶりの今日は、(その2)(金利ゼロの現代はマルクスが予見した「成長の限界」に近づいている、国家資本主義vs欧米型資本主義をどう考えるか 政府介入が必要な場合と不適切な場合がある、中流家庭「普通の人」が生きづらさを増す根因 少数の超富裕層を生み出す資本主義の仕組み)である。

先ずは、神奈川大学教授の的場昭弘氏が昨年4月6日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「金利ゼロの現代はマルクスが予見した「成長の限界」に近づいている」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/166180
・『いったい利子はどこから生まれるのだろうか? お金を貸せば利子が生まれることは、少なくとも現在のわれわれには一般的常識だ。 だがその金利がゼロというのはどういうことか。 それは、資本が自己増殖を続ける資本主義経済で、資本があり余った状態、つまり資本主義が新しい段階に入る胎動を示しているのかもしれないのだ』、興味深そうだ。
・『利子はどこから生まれる? 生産による利潤の一部  基本的なことから考えてみよう。利子とは何なのか。 借り手がいなければそもそも利子など成立しないはずだ。お金を貸したいという「貸し手」と借りたいという「借り手」がいれば、なるほど利子は自然に生まれるように見える。 だから、利子は「借り手」と「貸し手」との需要と供給の関係から生まれるように見える。しかし、「借り手」が借りたお金を貯め込んで、生産に投資しなければ、利子など生まれるはずがない。利払いに回す原資がないのだから。 こう考えると、借りた以上は利子を支払わねばならないという点から生じる利子の発生の問題と、利子がどこから生まれるかという利子の起源の問題はまったく違うことがわかる。 それでは利子は、いったいどこから生まれるのか? 交換経済というのは、人間社会がものをつくり、それを消費して成り立っている。人間が生きるための物質的生産に資本が投資され、生産したものが購入されて利益が出ないかぎり、利子が生まれるはずはないといえる。 つまり利子の原資は、基本的に、物質的生産から得られる利潤の一部である。だから資本は生産に投資せざるをえないのである。 もちろんサービスへの投資も利子を生み出すが、それは物的生産が前提にされる限りでのことだ。人間は霞を食って生きてはいけない。だから、サービス産業を中心とする先進国経済も、背後に後進諸国の、物的生産である工業や農業を前提にしている。 要するに、先進国経済は、資本を後進国に投下し、後進国の物的生産によって生み出された利潤の一部を利子として受け取っているのである。 しかしこうした基本的事実は、現代社会ではなかなか見えてこない。むしろ利子は、貨幣が自然に生み出す魔術のように見えるが、そうではないのだ』、サービス化といっても、「背後に後進諸国の、物的生産である工業や農業を前提にしている。 要するに、先進国経済は、資本を後進国に投下し、後進国の物的生産によって生み出された利潤の一部を利子として受け取っているのである」、その通りだ。
・『資本蓄積が進むと利潤率や利子率は長期低下傾向に  ただ、利子が物的生産によって得られる利潤の一部とはいえ、利子が生まれるのは、生産に投資される資本が相対的に稀少であることが前提だ。 あり余るほど資本がある場合には、「借り手」はいないから利子率はゼロに近い。逆に資本が稀少である場合は利子率が高い。 資本主義の歴史を振り返っても、資本蓄積が少ない時代には利子率は高く、資本蓄積が進むと利子率が低くなる傾向にあることがわかる。 貨幣の価値が金などとリンクしていた19世紀までは、貨幣の供給量が金や銀の生産を前提にしていたから、供給が限られることで相対的資本不足であり、利子率は高かった。 その後、現在の金などとの交換を前提にしない不換紙幣になり、また株式発行による資金調達などが拡がると、資本の拡大とともに、自然利子率は(政府の意図は別として)徐々に下がる傾向にある。 資本主義発展の初期の段階は国内市場も世界市場も十分あり、新製品への需要も十分あり、労賃は安く、投資は活発だ。経済成長の始まりの時期であり経済成長率は高く、利子率は高い。 しかし、次第に資本蓄積が進むにつれて、成長は鈍化し、市場も閉塞化し、新製品もなくなり、経済成長は次第に停滞していく。こうして成熟した時代、過剰資本と過剰蓄積の社会が生まれる。 過剰資本と過剰蓄積の結果、投資をしても得られる利潤率が相対的に低落することで、利潤の一部から生まれる利子は相対的に減少する。それによって利子率は減少する。 現代の「ゼロ金利」の背景には、こうした資本主義の発展段階の変化が反映されていると考えたほうがいい』、その通りなのかも知れない。
・『マルクスが予見した利潤率低下の法則  マルクスはこうした現象を利潤率の傾向的低落という法則から、説明している(『資本論』第3巻の議論)。 表面上、もっといえば個別の資本で見れば、現在では個別の企業と言い換えてもいいかもしれないが、利潤率が下がろうが、上がろうが、「貸し手」としては貸した以上、利子をいくらでも取っていいように見えるが、資本全体の立場から見たら、利子率は利潤率に依存せざるをえない。 では、利潤はどこから生まれるか。 マルクスは、利潤は人間(労働者)が働いて産み出した価値の一部を資本がかすめとっもの(「剰余価値」)だと考えた。 利潤が、機械や原料から、あるいは企業家の創意工夫から生まれるのであれば、労働者がいなくても利潤はどんどん生まれていくことになる。 ところが、我々が生きている交換経済というのは、人間と人間との生産物を貨幣を媒介して交換しあう仕組みだ。 つまり、生産した生産物はほかのだれかに購入され、消費されねばならない。生産物が「商品」として購入されることで、資本は利潤を得るのだ。 生産だけの社会では利潤は実現できない。つねに生産し、購買し、消費する人間が前提とされなければならない。) 動物社会には利潤は存在しないし、ロボットの世界にも存在しないのである。人間の代わりに動物やロボットを使うことで、労働力を代替することはできるが、動物だけ、ロボットだけの社会では、利潤は生まれないのだ。 より正確に言えば、利潤は、ほかの人間、すなわち労働者からの剰余価値の収奪として出現する。 つまり、資本が、労働者を使った生産から得られる剰余価値(利潤)は、その生産物を、他の労働者が働くことで得た所得で購入することによって初めて利潤として具現化するわけだ。 要するに利潤とは、ほかの人間の労働からかすめ取られたものであるということだ。 その「収奪」の形態は、個別の資本の場合は、労働者が支出した労働力とそれに対して支払われた労賃との不等価交換によって行われる。 しかし、資本全体の間では、こうした不等価交換だけでなく、競争によって、生産性の高い企業が生産性の低い企業から利潤を収奪するという形をとる。 このため企業はこぞって生産性を向上させるために新しい機械を導入し、利潤を得よううとする。だからこそ、資本主義経済では、利潤が労働者の労働から生まれるというよりは、資本家相互の競争から生まれるように見える。 だから利子が利潤から生まれることは理解できても、それが労働と関係しているとは誰も考えない』、「利潤は・・・労働者からの剰余価値の収奪として出現する」とマルクス流に考えるか否かはともかく、大筋としてはその通りだろう。
・『フロンティアの拡大、難しく 投資を控える資本  そして利潤が相対的に低い状態とは、利潤率が下がった状態である。 資本がだぶつき、投資を控える状態が、利潤率が下がった状態であり、投資しても利潤が得られないことで、利子率はさらに下がっていく。利潤が上がらなければ利子率はゼロに近づく。 資本主義は、利潤率を上げるために懸命の努力をしてきた。 海外市場への展開や新製品の開発で「フロンティア」を拡大し、一方で原料コストの引き下げ、労賃の引き下げなどをしてきた。市場が飽和し、新製品がなく、労賃の引き下げがそれ以上進まない場合には、利潤率は傾向的に下がっていく。それは、とりもなおさず経済成長の停滞を意味する。 資本主義はつねに成長拡大のために資本投資を行い、利潤を獲得し、その中から利潤を上げ、利子を支払い続けねばならないシステムだともいえる。 利潤率の傾向的低落の法則は、いくつかのそれを阻止する要因がない場合、資本主義にとって致命的な法則だといってよい。利潤率が下がれば、利子率も次第に下がっていく』、なるほど。
・『成長力を失い新たな段階へ 資本が「社会化」する時代に?  こう考えると、いまの「ゼロ金利」や「金余り」の現象は、経済成長が難しくなり利潤も得られなくなった結果であり、資本主義は時代を終えつつあるのかもしれない。 利子率を引き上げるには、本来、利潤率を引き上げるしかない。そのためには新しい製品を開発し、市場を拡大し、労賃を引き下げることだが、それが難しくなっている。 地球環境という有限性を考えれば、いつか資源は枯渇するだろうし、新製品の開発が環境破壊を生み出すことにもつながっている。宇宙にモノを売りに行くわけにはいかず、地球という市場の閉塞性を打破できないとなれば、いつかはその「成長の限界」の時は来る。 繁栄した国が衰退しても、新たなる繁栄した国が生まれることで成長を続けることができた牧歌的時代がかつてはあった。 当面、アフリカやアジアの一部では、労働力が増え、先進国では飽和状態の製品が売れ、市場が拡大することによる利潤率の上昇という砦が残されてはいるが、やがては次第に全体としての成長力を失い限界に到達しつつあるのかもしれない。 金利ゼロという現象は、もはや一国の問題ではなく、資本主義全体の問題でもあり、近未来社会への兆候にも思える。 その姿はまだはっきりしないが、資本があり余り、資本が「社会化」する時代が到来するのかもしれない』、「資本があり余り」ということは、希少性がなくなるという意味で「「社会化」する」、と捉えているのだろう。とすると、株主も社会全体となり、共産主義社会になってしまうことになるが、それが上手く機能するとは思えない。余りに難しい問題なので、これぐらいにしておこう。

次に、ニッセイ基礎研究所 専務理事の櫨 浩一氏が本年4月5日付け東洋経済オンラインに掲載した「国家資本主義vs欧米型資本主義をどう考えるか 政府介入が必要な場合と不適切な場合がある」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/274586
・『「平成」は間もなく終わりを迎えるが、平成がはじまった頃には、世界中の国々が欧米型の資本主義に移行していくという楽観的な見方が多かった。 第2次世界大戦後、当初は政府の計画に従って経済が運営される社会主義諸国は良好な発展を遂げた。科学技術の点でもソビエト連邦が人工衛星や有人宇宙飛行を世界で初めて成功させるなどして、西側資本主義国に大きな衝撃を与えた。しかし、やがて経済は停滞して行き詰まり、ソ連は崩壊し中国が改革開放路線に転換したことで、資本主義対社会(共産)主義というイデオロギーの対立は解消された。 「なぜ欧米だけが経済発展を遂げることができ、多くの国々が貧困から抜け出せないのか」ということをテーマにした本が多数刊行されたが、筆者が読んだ本のほとんどが、民主主義や自由、政府に侵害されない所有権などに基く欧米型の社会制度でなければ長期的に経済発展を続けることはできないという主旨であった』、確かに「欧米型の社会制度」万能論が支配していた。
・『世界金融危機で揺らいだ欧米型資本主義への信頼  しかし、リーマンショックで米国経済が混乱し、続いて欧州で政府債務危機が起こると、政府の関与を最小限にして民間企業の自由な活動に任せるという欧米型資本主義への信頼は大きく揺らぐ。 急速な経済成長を遂げた中国は、習近平主席が誕生すると共産党による民間経済活動のコントロールを強化する方向に進み始めた。 現在の欧米を中心とする諸国と中国やロシアなどとの対立は、自由や民主主義、人権問題やナショナリズムなどさまざまな要素がからんでいるが、経済の視点からは国家資本主義対欧米型資本主義という資本主義同志の対立の構図と見ることができる。欧米型資本主義は民間企業の自由な経済活動を基本としているが、国家資本主義は政府や共産党が民間の経済活動を方向づけることが基本となっており、中国やロシアなどが採用している。 欧米型資本主義では、企業や個人の競争は経済発展の原動力の一つだと考える。規制など政府の関与は競争を阻害するとみなされることが多く、成長戦略を問えば、ほとんど反射的に「規制緩和」という答えが返ってくることが多い。しかし、規制を緩和しさえすれば経済活動が活発になり経済成長率が高まるというものではなく、逆に規制や政府の関与が新しい技術や仕組みの普及を促進するということもある』、その通りだ。
・『産学官の連携組織である「キャッシュレス推進協議会」は、3月末に「コード決済に関する統一技術仕様ガイドライン」を発表し、QRコードを用いた決済の技術的統一仕様を発表した。 日本ではQRコード決済は、PayPay、d払い、楽天ペイ、LINEペイなどを筆頭に、Amazon Pay、au Pay、ゆうちょPay、Pay IDなど、多数の決済システムが乱立していて、店によって使える決済システムが異なる。現状では、システムによってQRコードの仕様が異なっているため、誤請求が発生する危険性があることも指摘されていた。QRコードを使った決済の規格が統一されることで、日本での普及が促進されると考えられ、大いに歓迎したい。 日本でキャッシュレス決済が普及しないのは、日本の消費者は現金払いを好むからだといわれることも多い。しかし、日本では比較的早い時期から公衆電話や鉄道のプリペイドカードなど、個別分野ごとにキャッシュレス化の動きがあったし、電気・ガス・水道料金やNHKの受信料などの公共料金や固定資産税、新聞代などの定期的な支払いは銀行口座からの自動引き落としも利用されてきた。 少額の支払いには電子マネーやスーパーのポイントの利用が増えている。1円玉、10円玉といった少額硬貨の利用は減って流通残高の減少が続いている。日本の消費者は便利なものであれば積極的に受け入れており、普及が進まないのは、現金決済を好むといった非合理的な理由が原因ではないだろう』、なるほど。
・『消費者にとって政府介入が有効なケース  スマートフォンや携帯電話を使ったモバイル決済は、先進国よりも新興国や途上国で急速に広がるケースが目立つ。政府主導で普及が図られた国もあるが、先進国では既存の決済サービスが充実しているため、よほど優れたものでないと消費者も店側も利用するメリットを感じられないことも、新しい決済手段の広がりにくい、大きな理由だ。 決済手段は、「利用者数が多ければ多いほど個々の利用者にとっての利便性が高くなる」(ネットワーク外部性)という性質があり、多数の決済手段が競争するよりも、少数の決済方法に多くの利用者がまとまるほうが、消費者にとっても販売店にとっても望ましい。 仕組みが乱立している現状では、ほとんどの店は一部の決済システムにしか対応できないので、1枚のカードやスマートフォンのアプリ1つでどこでも支払いができるというわけにはいかない。どこでも使えるという利便性の面でキャッシュレス決済よりも現金のほうが優れていることも日本で消費者が現金の利用を止められない理由だ。 ネットワーク外部性:教科書では市場に任せておいただけでは最適な結果が得られないという「市場の失敗」が起こる場合の一つとして、外部経済(不経済)がある場合があげられている。ここで指摘したような状況はは外部経済の例の一つで「ネットワーク外部性」と呼ばれている。 またキャッシュレス決済を利用することに対して消費者はさまざまな不安を持っているが、中でも、停電や通信障害などが起こった時の支払いの問題や、利用の安全性や紛失した際の懸念を多くの消費者が訴えている。現金を落としたり盗まれたりしても損失は盗まれた現金だけにとどまるのに対して、キャッシュレス決済手段では場合によっては損失額が大きく膨らむ恐れがある。 また、東日本大震災などの状況を目にすれば、いざというときにどうやって支払いをするのかという心配が生まれるのも当然である。すべてを民間に任せておくのではなく、政府が適切な規制や規格の設定、非常時の対応策の提示などに関与して、消費者の不安を解消していくことは日本でキャッシュレス決済の利用を促進することになるはずだ』、「決済」は確かに政府の介入が有効な分野だ。
・『経済の発展段階で国家の主張は変わってくる  アメリカでトランプ政権が誕生してから、米中の経済摩擦が激しくなったが、アメリカが問題にしているのは、対中貿易赤字が大きいという結果だけではない。中国政府が国内企業を支援して国際競争力を高めることで輸出を促進するという、不公正な政策を行っていることが不均衡の原因だとして、批判を強めている。 中国は中央政府が民間の経済活動に深く関与し続けており、これを変える意思はないだろう。振り返ってみれば、中国の最高指導者だった〓小平氏が1990年代に「韜光養晦(とうこうようかい)」(注1)という新たな外交方針を示したことを西側資本主義諸国は歓迎した。だが、これは、「時が来るまでは対立を避けて力を養おう」としたもので、改革開放路線とはいっても、欧米式の自由や民主主義を全面的に受け入れるという意図は、最初からなかったのではないか。 現在の貿易や国際金融のルールは欧米諸国が中心となって作り上げてきたものだ。アメリカが対中交渉で大きな問題としている知的財産権の問題にしても、昔は現在のように厳しいものではなかった。アメリカ自体も19世紀には当時の標準でみても非常に保護主義的で、そのおかげで産業が発展したという歴史がある。 多くの発展途上国は、経済を発展させていくためには、貿易や国際金融に関して政府がさまざまな介入を行うことは必要だと考えている。国際社会の中でこれを制限する厳しい条件を課されていることを、本音では不公正だと考えている。 トランプ政権は米中交渉において、中国に対し、中国からの輸入の抑制という圧力をかけて、政策を変えさせようとしている。現在のように中国から米国への輸出が、米国から中国への輸出よりもはるかに大きいという状況では、こうした圧力は効果がある。しかし、中国経済がアメリカ経済との差を縮めていき、さらにアメリカ経済の規模を凌駕するようになれば、輸入の抑制という圧力に屈するのはむしろアメリカの側となる可能性もある。 (注1)〓小平氏自身が実際にこの言葉を使ったのかどうかははっきりしないようだ) IMF(国際通貨基金)の推計では購買力平価ベースでみると、すでに中国はアメリカを抜いて世界一の経済大国となっている。市場の為替レートを使ったIMFの予測によると2023年になってもまだ米中の経済規模にはかなりの格差があって、規模逆転は視野に入っていない。だが、筆者を含めて遠からず中国はアメリカを抜いて世界一の経済大国になるだろうと考えているエコノミストも多い。 これは、中国は人口がアメリカの4倍程度もあるためだ。アメリカが中国に経済規模で抜かれないためには、1人当たりの生産額を中国の4倍以上に保つ必要があり、これはなかなか厳しい条件だ。中国が今後、相当大きな政策的な間違いを犯さない限り(注2)、いつかは追い抜かれる可能性が高いだろう。 少なくとも、中国は容易にアメリカの圧力に屈して政府による経済への関与を止めることはないとみられる。一方、なぜ欧米だけが経済発展を遂げられたのかを論じた数々の本が正しければ、いずれは国家資本主義を採用した国々の経済は停滞してしまうはずだ。中国が中進国の罠を抜け出せず、どこかで成長が止まってしまい、中国経済の規模がアメリカ経済を凌駕して世界一の経済大国になるということは起きないという見方も根強くある』、「中国が中進国の罠を抜け出」せるかどうかを見極めるのは、時期尚早のようだ。
・『1~99%の間の最適解を議論すべき  しかし、日本も含めた先進諸国経済が停滞する中で、国家資本主義を掲げる国々の経済的発展を脅威とする論調は強まっている。これは、国家主導で技術開発や産業の育成を行う中国と対抗していくのに、自国の政府が何もせずに民間企業の自由な競争に任せるだけではうまくいかなくなると考える人が増えているからだろう。 政府が経済活動にどこまで介入するかは、社会主義経済の100%から自由放任の0%まで幅があるが、市場の失敗が存在することを考えれば最適なレベルは1~99%のどこかになるはずだ。政府が民間の経済活動に介入すべきか、すべきでないのかという問題設定は誤りだ。どのような場合に介入すべきで、どのような場合には介入すべきでないのか、どのような形で介入するのが適切なのかが議論すべき問題ではないだろうか。(注2)多くの書籍は、中国経済が著しい停滞に陥ったのは1950年代末ころから行われた大躍進政策の失敗が大きかったと指摘している』、説得力ある主張で、その通りだ。

第三に、作家、書評家の印南 敦史氏が10月3日付け東洋経済オンラインに掲載した「中流家庭「普通の人」が生きづらさを増す根因 少数の超富裕層を生み出す資本主義の仕組み」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/304849
・『2016年5月に放送されたNHK総合テレビの特集番組「欲望の資本主義~ルールが変わる時」は大きな反響を呼び、2017年3月にはその内容を書籍化した『欲望の資本主義~ルールが変わる時』が刊行された。 次いで2017年には初回と同じく「ルールが変わる時」が、2018年には「闇の力が目覚める時」が放送され、そちらも2018年4月刊行の『欲望の資本主義2闇の力が目覚める時』にまとめられた。 今回ご紹介する『欲望の資本主義3: 偽りの個人主義を越えて』(丸山俊一 + NHK「欲望の資本主義」制作班 著、東洋経済新報社)は、それらに次ぐ第3弾である』、「NHKの特集番組」は見どころが多いいい番組だった。
・『今回はスコット・ギャロウェイの言説に焦点を当て紹介  今回、本書の中心となるのは、2019年新春に放送した「欲望の資本主義2019 ~偽りの個人主義を越えて~」からのアンソロジーである。 国民国家、市場原理、すべてを超越して巨大化するGAFAと呼ばれる巨大プラットフォーマーへの懸念、そして仮想通貨(暗号通貨)、ブロックチェーンへの期待と不安が交錯する今、資本主義の行きつく先はどこなのか、その原点にあった誤り、ねじれとは何だったのか、その後の流転の中、我々はどうすべきなのかを、考えようという企画だ。(「はじめにGAFA、仮想通貨……、そして今、市場とは? 資本主義とは?」より) ちなみに本シリーズが「欲望」をキーワードに据えているのは、欲望こそが資本主義を駆動する力のすべての発端であるからだという。しかもそれは、リアルな姿をつかめないものでもある。だからこそ、「欲望の総体たる資本主義はどこへ向かうのか」を解き明かそうとしているのである。 そんな本書は、5人の識者の言葉によって構成されている。今回はその中から、起業家・大学教授のスコット・ギャロウェイの言説に焦点を当ててみたい。言うまでもなく、ベストセラーとなった『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』の著者。GAFAに対して辛辣な姿勢を持ち、巨大プラットフォーマーの功罪を、独自の視点に基づいて語り続ける人物である』、興味深そうだ。
・『今さら説明の必要はないかもしれないが、GAFAとはわれわれの日常生活に大きな影響を与えている巨大プラットフォーマーであるグーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンの頭文字をとったもの。 ギャロウェイは『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』において、国境を越えてパワーを持つ四騎士が、人々の「欲望」をどうつかみ、どうビジネスとしているのかを問題提起している。では、人々にとってGAFAはどのような存在になっており、なぜ、これほどまでに成長したのだろうか?この問いに対して彼は次のように答えている。 GAFAは、それぞれ人間の基本的で本能的な欲求に訴えかけ、大成功を収めたのだと思います。グーグルは人々の神への、アップルはセックスへの、フェイスブックは愛への、アマゾンは消費への欲求にそれぞれ訴えかけています。 人間は安全な洞窟から危険な外界に踏み出し、脳を発達させました。脳は非常に複雑な問いを発しますが、脳の発達は、その問いすべてに答えられるほど十分ではありません。ですから、解決不能な困難に遭遇した時には、神に祈るようになりました。(20ページより) 祈りとは、すなわち「問いかけ」。かつて、子どもが病気になったら神に祈っていた私たちは今、同じ状況下でグーグルの検索ボックスに「扁桃腺、症状、治療法」と入力している。つまりそれは、祈りと同じ行為だということだ』、「グーグルは人々の神への、アップルはセックスへの、フェイスブックは愛への、アマゾンは消費への欲求にそれぞれ訴えかけています」、というのは面白い説明だ。
・『神、愛、消費、セックス  言われてみれば確かにグーグルは、ユーザーが結婚を考えていることも、離婚を意識しはじめていることも、悩みの原因も知っている。そのうえで、「問い」に答えてくれるのだ。その影響力は牧師や神父、友人や家族、上司よりも信頼に値するからこそ、グーグルは神なのだと著者は考えるのである。 続いて、フェイスブックは愛だという発想。ここでまず前提になるのは、人間は愛なしでは生きられず、愛は人と人とのつながりの中で生まれるものだという事実である。そんな中フェイスブックは、人々のそれなりの関係を促し、つながりを強くしてくれる。だから、フェイスブックは愛への欲求に訴えかけているという考え方だ。 次に、消費について。人間にとって最も深刻な問題は飢えであり、飢えをしのぐにはより多くの食料を蓄える必要がある。そのため人間の脳には、「もっともっと」という欲求が刷り込まれている。つねに、より多くを所有しなければならないという強迫観念に縛られているわけだ。 「安価な商品を多く提供する」ビジネス戦略が有効なのも、そんな理由があるから。そして、ウォルマートやユニクロ以上に、その戦略で成功しているのがアマゾンなのである。 そして、アップルはセックスだという視点。よりよいパートナーを得て、よりよい遺伝子を持った子孫を残すため、私たちは異性にとって魅力的でなければならない。 今日、異性に最もアピールできる価値は「高収入で、都会に住んでいて、創造的な仕事をする才能がある」ことであり、それを異性に示すことができる最も簡単な方法がiOSを持つことだというのである。なぜならiOSを持っているということは、1300ドルもする電話を購入する経済力があることを意味するから。よってアップル製品は、よりよいパートナーと巡り合いたいという性的な欲求に訴えかけていることになるのだという。 GAFAという「四騎士」は、人間の欲求を神と愛、消費、セックスに解剖し、営利企業として私たちを一つにまとめ直したのです。GAFAの合計の時価総額は今やドイツのGDPを上回っています。(22~23ページより)』、GAFAへの風当たりは強くなっているが、「合計の時価総額は今やドイツのGDPを上回っています」、やはり極めて大きな存在のようだ。
・『一部の裕福な人が低賃金で従業員を雇用  著者自身もかつて、できたばかりのグーグルやフェイスブックのことを、まるでラブレターをもらったかのような気分でわくわくして見ていたそうだ。株も買ったし、一緒に仕事をしたこともあるという。 ところが2年の歳月を費やしてGAFAのデータを調査し、これらの企業の実態を知るにつれ、印象は変わっていったと明かす。ラブレターどころか、警告文を読んでいるような気分になったというのだ。 GAFAは巨大になり過ぎたと思います。彼らが成功した秘訣はいくつかありますが、私はいくつかのポイントを指摘しました。彼らは「崇高なビジョンを掲げ」「人間の本能を刺激し」「法律を無視し」「競争相手を資金で踏みつぶし」て、成功を収めたのです。(24ページより) そのいい例が「税」だ。ご存じのように、GAFA側は、一般の企業と同じ基準で規制されたり課税されたりしていない。市場の独占を許さないため、社会が長きにわたって設けてきた一定の基準が踏みにじられているということ。 事実、アマゾンなどの企業は、連邦政府や州政府から税制の優遇や補助金を受けているが、その従業員の一部は低賃金にあえぎ、生活保護を受けている。世界で最も裕福な人が低賃金で従業員を雇用し、その一方で、補助金や税制の優遇を受けるべく駆けずり回り、利益を得ているのである。) 1つの企業が巨大になり影響力を持ちすぎると、不正が起こるものだとギャロウェイは指摘している。もちろん、税金逃れもその1つだ。アメリカではこの10年間でウォルマートが640億ドルの法人税を納めたのに、アマゾンが納めたのは14億ドル。 このように企業が強くなりすぎると、税制の逆進性に行き着いてしまうということだ。 だが、人々はなぜそれほどに、お金に心を奪われてしまうのだろう?お金がすべてという経済の状況は、今後も続いていくのだろうか? 資本主義経済では、おカネがあるほどより良く健康管理ができ、長寿に恵まれ、ストレスも減ります。伴侶の選択肢も増え、子供が教育環境に恵まれ成功する確率も高まります。そのため、多くの人が高収入を得たいと思うのです。それにより、良いこともあります。人々の向上心を育むからです。競争とは素晴らしいものなのです。 大切なのは、未来に投資することです。良い学校があること、恵まれない人々にセーフティネットがあること。私たちは長期的な視野を持って、未来に確実に投資しなければなりません。(33~34ページより)』、「アメリカではこの10年間でウォルマートが640億ドルの法人税を納めたのに、アマゾンが納めたのは14億ドル」という「税制の逆進性」は、余りに不公正で何とか是正していく必要がある。
・『自分の子どもはスティーブ・ジョブズにはならない  ところでギャロウェイは、「GAFAの出現によって、アメリカ社会はどう変貌したのか?」という問いに対して、「アメリカは少々道を見失ったのだと思います」と答えている。 かつてのアメリカの目標は、大勢のミリオネアを生み出すことだった。よき市民として一生懸命働き、ルールを守りさえすれば、一生で100万ドル(日本円で1億円強)は貯蓄でき、経済的安定を手に入れられるはずだったのである。 しかし現在、状況は変わっている。巨大IT企業の出現と、それを後押しする経済政策のため、アメリカの目標は大勢のミリオネアを生み出すことから、少数のトリリオネア(1兆ドルの資産を保有する人)を生み出すことに変わってしまったのだ。 そのような状況下においては、1人の勝者が夢のような生活をする一方、その他の人々は無残に死んでいくことにもなる。このことについてギャロウェイは、「誰もが自分の息子が次のジョブズだと妄信する奇妙な“宝くじ経済”に陥っていると表現しているが、言い得て妙である。 自分の子供が次のジョブズになると信じている人に、私はこう言っています。「子供はジョブズにはならないと思った方が良い。その代わり、他の99%の人間も確実に一定レベル以上の生活ができるようにしなければならない」と言っています。(40ページより)) このように伝えなければならない現実があるのだとすれば、それは資本主義が、私たちの社会が、とても居心地の悪いものになりつつあるということにほかならない。 エーブラハム・リンカーンが言ったように、かつてのアメリカは普通の人間を愛していたが、今では中流階級の普通の人間を愛せなくなってしまったようだとギャロウェイはいう。代わりに特別な人を新たな英雄として祭り上げ、他の人々は取るに足らないと思うようになってしまっているということだ。 だが現実問題として、大半の人々は特別な人間ではないはずだ。にもかかわらず私たちは、勝者がすべてを独占する経済をつくり出しているようだというのである。 それは、私たちが望んでいることでしょうか。大勢のミリオネアがいる社会と、一人のトリリオネアがいてその他の人々は貧しい社会の、どちらが良いのでしょう。 本来は、中小企業を優遇して大企業になるチャンスを与えるべきです。ところが、アメリカでは別のことが起こっています。宝くじに当たった人に、「おめでとう。賞金額を倍額にしましょう」というようなことが起こっている状況なのです。アメリカは、3.5億人の召使が300万人の主人に仕える社会に向かって突進しているかのようです。(40~41ページより)』、「アメリカの目標は大勢のミリオネアを生み出すことから、少数のトリリオネアを生み出すことに変わってしまった」、「アメリカは、3.5億人の召使が300万人の主人に仕える社会に向かって突進しているかのようです」、どこかでこうした不公正さの是正の動きが出てくる気もする。
・『資本主義の現在と未来をつかみとったこと  もちろん規模は違うが、同じことは現在の日本にもいえるのではないだろうか? 今回はスコット・ギャロウェイの発言に焦点を当てたが、ほかの4人、すなわち仮想通貨の開発者であるチャールズ・ホスキンソン、現在の資本主義を冷静に分析する経済学者のジャン・ティロール、文明論的な視点から歴史を読み解く歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ、そして若き哲学者のマルクス・ガブリエルの主張も同じように説得力がある。 立場は違えど、それぞれの視点から資本主義の現在そして未来をつかみとっているわけだ。そのすべてに共感できるか否かは別としても、要所要所で納得できるのは、きっとそのせいなのだろう』、「ほかの4人」についても紹介記事が出てほしいものだ。
タグ:資本主義 東洋経済オンライン リーマンショック ダイヤモンド・オンライン 的場昭弘 櫨 浩一 印南 敦史 中進国の罠 (その2)(金利ゼロの現代はマルクスが予見した「成長の限界」に近づいている、国家資本主義vs欧米型資本主義をどう考えるか 政府介入が必要な場合と不適切な場合がある、中流家庭「普通の人」が生きづらさを増す根因 少数の超富裕層を生み出す資本主義の仕組み) 「金利ゼロの現代はマルクスが予見した「成長の限界」に近づいている」 金利がゼロというのはどういうことか 利子はどこから生まれる? 生産による利潤の一部 資本蓄積が進むと利潤率や利子率は長期低下傾向に 資本主義の発展段階の変化が反映 マルクスが予見した利潤率低下の法則 フロンティアの拡大、難しく 投資を控える資本 成長力を失い新たな段階へ 資本が「社会化」する時代に? 「国家資本主義vs欧米型資本主義をどう考えるか 政府介入が必要な場合と不適切な場合がある」 世界金融危機で揺らいだ欧米型資本主義への信頼 急速な経済成長を遂げた中国は、習近平主席が誕生すると共産党による民間経済活動のコントロールを強化する方向に進み始めた 国家資本主義は政府や共産党が民間の経済活動を方向づけることが基本となっており、中国やロシアなどが採用 規制を緩和しさえすれば経済活動が活発になり経済成長率が高まるというものではなく、逆に規制や政府の関与が新しい技術や仕組みの普及を促進するということもある 消費者にとって政府介入が有効なケース すべてを民間に任せておくのではなく、政府が適切な規制や規格の設定、非常時の対応策の提示などに関与して、消費者の不安を解消していくことは日本でキャッシュレス決済の利用を促進することになるはずだ 経済の発展段階で国家の主張は変わってくる 中国経済がアメリカ経済との差を縮めていき、さらにアメリカ経済の規模を凌駕するようになれば、輸入の抑制という圧力に屈するのはむしろアメリカの側となる可能性もある 購買力平価ベースでみると、すでに中国はアメリカを抜いて世界一の経済大国となっている 1~99%の間の最適解を議論すべき 「中流家庭「普通の人」が生きづらさを増す根因 少数の超富裕層を生み出す資本主義の仕組み」 NHK総合テレビの特集番組「欲望の資本主義~ルールが変わる時」 今回はスコット・ギャロウェイの言説に焦点を当て紹介 GAFAは、それぞれ人間の基本的で本能的な欲求に訴えかけ、大成功を収めたのだと思います。グーグルは人々の神への、アップルはセックスへの、フェイスブックは愛への、アマゾンは消費への欲求にそれぞれ訴えかけています 神、愛、消費、セックス GAFAの合計の時価総額は今やドイツのGDPを上回っています 一部の裕福な人が低賃金で従業員を雇用 GAFAは巨大になり過ぎた 「崇高なビジョンを掲げ」「人間の本能を刺激し」「法律を無視し」「競争相手を資金で踏みつぶし」て、成功を収めたのです アメリカではこの10年間でウォルマートが640億ドルの法人税を納めたのに、アマゾンが納めたのは14億ドル 税制の逆進性 資本主義の現在と未来をつかみとったこと
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不動産(その4)(不動産バブル崩壊?首都圏マンション契約率50%割れの衝撃、何かの予兆? 首都圏の新築マンションが、パッタリ売れなくなった、厚生労働省はただちにタワマンの健康被害を調査すべきと考える理由 高層階ほど現れる現象とは?、神戸市がブチ上げた「タワマン禁止令」の波紋 行き過ぎた都心回帰に「待った」がかかった) [経済]

不動産については、昨年10月20日に取上げた。今日は、(その4)(不動産バブル崩壊?首都圏マンション契約率50%割れの衝撃、何かの予兆? 首都圏の新築マンションが、パッタリ売れなくなった、厚生労働省はただちにタワマンの健康被害を調査すべきと考える理由 高層階ほど現れる現象とは?、神戸市がブチ上げた「タワマン禁止令」の波紋 行き過ぎた都心回帰に「待った」がかかった)である。

先ずは、3月2日付け日刊ゲンダイ「不動産バブル崩壊?首都圏マンション契約率50%割れの衝撃」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/248546
・『「初月契約率は49.4%と1991年8月(49.7%)以来の50%割れに」――不動産経済研究所が1月に発表した昨年12月の首都圏マンションの市場動向。バブル崩壊以来、27年ぶりの低さに、業界関係者は一様に衝撃を受けたという。 マンション市場の好不調の目安は70%とされ、それを大幅に下回る数字だった。 楽観的な意見では、不動産バブルは2020年の東京五輪までは続くとされてきたが、かなり怪しくなってきたのかもしれない。 「先日、今年1月の市場動向が発表され、契約率は67.5%と持ち直しました。12月の数字が悪かったのは、大手不動産会社による大量供給が原因かと思います」(不動産コンサルタントの長嶋修氏=さくら事務所会長) 具体的には住友不動産が大量の物件を売りに出した結果だが、それを単純に安心できない数字もある。 毎年、12月はこれまでも新築マンションが大量に販売されてきた。17年12月は6480戸、16年12月も7007戸と、月平均約3000戸からポンとはね上がっている。しかし、契約率は17年は72.5%、16年が76.6%とともに70%を上回っていたのだ』、本年5月の「首都圏マンションの市場動向」でも、契約率は60.0%と低迷している。
・『さらに、中古マンション価格にも陰りが見えてきた。東京カンテイによると、これまで全体を押し上げてきた都心6区の1月の価格(70平方メートル換算)が、0.5%減の7565万円と小幅ながら4カ月ぶりに下落してしまった。 むしろ、不動産バブルの終焉は世界的な傾向なのかもしれない。アメリカの住宅ローン金利(30年固定)は現在約4.5%ほどで、ピークから少し下がったとはいえ、ローンをしてまで家を買う人は減った。 イギリスはブレグジット(EU離脱)の影響で海外企業が逃げ出しているし、カナダや豪州は中国人の不動産投資に規制をかけ始めている。そもそも多くの国で移民受け入れを制限しているため、不動産需要は減ってきているのだ。 それなのに、国内では五輪が終わると、選手村を改築し、5000戸以上のマンションが大量に供給される。 「今の株価から類推すると、不動産は頭打ちで、都心3区でも10%くらい下がる可能性があります。ただ、晴海のマンションが売りに出された後、価格が下落するかは分かりません。その時の経済環境によると思われます」(長嶋修氏) あのバブル崩壊の悲しみは二度と味わいたくないが……』、都心6区の価格(70平方メートル換算)は、2月+0.3%、3月+0.3%、4月+1.1%、5月-02%と一進一退気味だ。

次に、7月17日付け現代ビジネス「何かの予兆? 首都圏の新築マンションが、パッタリ売れなくなった」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65902
・『土地価格は少なくとも東京五輪まで上がる――。そう信じて都心にマンションを買った人たちが、いま痛い目を見ている。開発されつくした首都圏に建つ、大量の売れ残りマンションはどうなるのか。 どう考えても作りすぎ  「うちも含めて、大手デベロッパーはみんな焦ってますよ。都心の新築マンションがまったく売れないんです。マンションは第1期の売り出しで、最低でも半分が即日で成約しなければ全室売り切れないと言われています。 アベノミクスがはじまったころは即日完売が当たり前だったのに、今は1期あたりの売り出し戸数を5分の1にして、『第1期即日完売』と無理やりアピールしています。売れている雰囲気を作るのに必死ですよ」(大手デベロッパー社員) 不動産価格は伸び続ける。居住用でも投資用でも、今買っておいて損はない。こんな商売文句で客を口説いていたデベロッパーが、揃って頭を抱えている。 6月17日に不動産経済研究所が発表した「首都圏のマンション市場動向」は、高止まりの続く不動産市場が完全な「曲がり角」にさしかかったことを示した。 東京23区における今年5月の新築マンション発売戸数は781戸で、前年同月と比べて36.3%も減少したのだ(契約率は65.8%で同3.9%減)。 ちなみに、首都圏で4月に発売された新築マンションは1421戸で、4月に1500戸を割り込んだのは27年ぶり。バブル崩壊直後の'92年並みの水準に逆戻りした。 アベノミクスが始まった'13年から、マンションは建てれば即日完売という状況が続いた。ところが今年5月、首都圏で即日完売となった新築マンションはわずか5棟22戸にとどまっている。 マンションが売れなくなった。原因は明確だ。近年の好景気ムードに押されて、あまりにもマンションを建てすぎてしまったのだ。 「特に顕著なのがタワーマンションです。超高層なら猫も杓子も売れていた時期がありましたが、今は竣工から5年が経過しても売れ残るケースが増えています。 たとえばゴールドクレストが建てた『勝どきビュータワー』は、2010年竣工にもかかわらず未入居物件の広告がいまだに出ています」(不動産ジャーナリストの山下和之氏) '19年5月時点での首都圏マンション完成在庫は3539戸にのぼる。アベノミクスが始まった'13年は1000戸台だったことを考えると、「作りすぎ感」が否めない。 供給過剰になれば、新築・中古問わずマンション在庫がダブつくのは当然だ。価格の頭打ちを迎え、割高でマンションを手にしてしまった住民たちは強く後悔している』、「今は1期あたりの売り出し戸数を5分の1にして、『第1期即日完売』と無理やりアピールしています」、というのは見栄張りに過ぎない。「5月時点での首都圏マンション完成在庫」が13年の3.5倍とは、これだけの「作りすぎ感」を出すほど、バブル色が強いようだ。懲りない業界だ。
・『中古も買い手がつかない  4年前に湾岸エリアで新築2LDKのタワーマンションを購入した30代男性はこう言う。 「2年間住んだあと、購入価格に300万円上乗せして売り出したのですが、半年経っても売れる気配がない。そこから400万円下げ、原価割れで売り出したのですが、若干問い合わせが増える程度。さらに200万円値下げした今になってようやく買い手がつくかな、という状況です」 市場が飽和するほどマンションを建て続けた理由は、少なくとも東京五輪が行われる2020年まで、首都圏の土地価格がずっと上がり続けると信じられてきたからだ。だが実際のところ不動産市場では、ジワジワと悲観的な予測が増えはじめている。 このことを裏付けるのが、6月10日に全国宅地建物取引業協会連合会(全宅連)が発表した「不動産市況DI(指数)」だ。 この指数は、3ヵ月前と現在の不動産価格の推移や取引実績を比較調査し、「現在」そしてさらに「3ヵ月後」の土地価格が上昇傾向、または下降傾向にあるのかを数値化したものである。 今年4月に行われた調査では、全国で5.4ポイントと前回('19年1月)比0.8ポイントの上昇がみられたが、関東に限ればマイナス3.1ポイントと、前回比2.6ポイントの下落を示したのだ。ちなみに関東は2調査連続のマイナスである。 それだけではない。「3ヵ月後」の見通しは全国ベースでマイナス6.2ポイント、関東ではマイナス12.8ポイントと、大幅なマイナス予測が出ているのだ』、やはりブームは過ぎ去っているのだろう。
・『投資家は「終わり」を見越している  この数字をどう読み解けばいいのか。前出・山下氏は言う。 「全宅連の調査対象は50坪程度の個人間売買物件で、商業地や大規模な宅地は含みません。ただ、この指数がマイナスであるということは、すでに地価が頭打ちとなり、下落に向かうと感じている人が増えてきていると言えます」 買った物件に住んで自分で使う、いわゆる「実需」ベースの購買層だけでなく、マンションバブルを牽引してきた投資家層も、不動産バブルの終わりを予期して動き出している。 住宅ジャーナリストの榊淳司氏が言う。「一時期人気を集めた晴海などの湾岸エリアや武蔵小杉で異変が起きています。地価上昇を下支えしていた中国人購買層がマンションを売りに回しはじめたのです。市況に敏感な彼らが引き揚げたということは、想定以上に値崩れのスピードが早い物件が出てくるかもしれません」 オフィスビル仲介大手の三鬼商事の調査によると、今年5月の都心5区のオフィス空室率は1.64%と、'02年1月以来最低を更新し続けている。 またインバウンド需要を見込み、都内では年間1万室近いホテルが新しく建てられ、山手線の狭いエリアで陣取り合戦が繰り広げられている。いわゆる商業用地の土地価格が伸びるウラで、住宅地の値段は下がり始めているのだ』、「中国人購買層がマンションを売りに回しはじめた」、というのも不吉な兆候だ。
・『日本最後のバブルが終わる  飽和から崩壊へと向かい始める不動産市場だが、「とはいえ五輪までは大丈夫」と楽観視する向きもある。だが、「それまで持たない」と構えていたほうがいい。 「五輪前により一段、価格が下がる契機があるとすれば、やはり10月の消費増税でしょう。本当は新築が欲しいけれど、さすがに予算オーバーだと考えている購入層は、同価格帯の新築・中古物件を回遊魚のように巡って検討を重ねています。 それが10月、個人所有の中古物件には消費税がかからない事実を目の当たりにして、新築の夢を捨て、みんながお得な中古を選ぶという市況が十分に想定できます。新築物件の売れ行きがさらに悪くなれば、不動産市場全体の値下がり傾向も強まるでしょう」(マンショントレンド評論家の日下部理絵氏) かねてから囁かれていた不動産バブルの崩壊が訪れたとき、どのようなエリアが大きく値を崩すことになるのか。「マンションレビュー」を運営する川島直也氏はこう語る。「新築物件でいえば、これまで人気だった世田谷区や大田区がすでに苦戦を強いられています。両区は『竣工残』、つまり完成後も売れ残っている物件の在庫が溜まってきています。また、ほかの人気エリアでも、駅遠物件が避けられる傾向は引き続き変わらないでしょう」 前出・日下部氏は、都心へのアクセスがよい人気エリアにも思わぬリスクがあると考える。「近年『穴場』と言われ、急激な地価上昇が続いているエリアが、逆に大きな痛手を負う可能性が高いです。都心へのアクセスが良好で割安な北千住、浦和、松戸などでは今後も大規模マンションの建築が予定されていますが、本来の土地評価以上に値上がりしている感が否めず、危険な買い物になるかもしれません」 これまで「お買い得」とされていたエリアのマンションも、首都圏の土地価格が下がれば一気に「不良債権」へと変化するのだから恐ろしい。 そのような状況下でも、価格が「下がらない」地域はあるのだろうか。 前出・榊氏はこう語る。「マイナス材料が多いなか、期待値が高いのが、五反田~泉岳寺周辺です。高輪ゲートウェイ駅新設に伴う再開発が進み、周囲には白金や御殿山など高級住宅街もある地域。『湾岸付近最後のフロンティア』と言えるでしょう」 首都圏はもはや開発の余地がない。数年にわたって続いた地価上昇は日本史上最後のバブルになるかもしれない。そして最後のバブルが今、崩壊しはじめたのだ、「最後のバブルが今、崩壊しはじめた」というのはその通りだろう。

第三に、住宅ジャーナリストの榊 淳司氏が6月24日付け現代ビジネスに寄稿した「厚生労働省はただちにタワマンの健康被害を調査すべきと考える理由 高層階ほど現れる現象とは?」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65372
・『身体への影響は?  我々の祖先は800万年ほど前に樹から地面に降りて、2本足での生活を始めたとされる。その後、ゴリラやチンパンジーとの分岐を経て200万年前にホモ属が現れ、今のホモ・サピエンスとなったのは40万年前から25万年前である。 その間、一度も樹上での生活には戻っていない。また、樹の上と地上を行ったり来たりという暮らしであったとも想定されていない。我々はもう何百万年も地上で暮らしてきた。 ところが現在、日本人の一部は日常的に1日に何度も200mの高度差を行き来する生活を行っている(たとえば日本のマンションはだいたい、1階あたり3mで換算できるので、タワーマンションの60階前後に住んでいると、上下の移動距離が片道約200mに達する)。 気圧は100m上ることで10hPa(ヘクトパスカル)下がる。気温も0.65度下がるとされている。200mなら、その倍になる。こういった急激な環境の変化を1日に何度も繰り返すことは、人体への悪影響につながらないのだろうか。 確かに超高層のオフィスビルを仕事場にしている人は多い。青年期や壮年期の男女なら悪影響は出にくいのかもしれない。ただし、時々体調を崩して低層ビルの職場へと転職する人もいるといわれる中、はたして小さな子どもや高齢者にとって、タワーマンションの上層階に住むことによる健康への悪影響は皆無だと言い切れるのだろうか。 私は主にマンションを中心とした住宅分野を専門とするジャーナリズム活動を行っている。仕事柄、様々なマンションに住む人と話す機会がある。気になるのは、現実的に「タワマンが身体に合わない」と考えて、転居していくケースが少なからずある、ということだ。 特に、タワマンの上層階は常に微動している状態にある。湯船にお水を張ってみるとわかるはずだ。地震でもないのに水面にさざ波が生じていることに気づくだろう。 翻って免震構造になっているタワマンは、柔構造といって自らが揺れることでエネルギーを逃がすしくみになっている。地震に限らず、台風で強風が吹きつけた場合でも同じ原理で揺れを逃がす。タワマンの上層階は天気のいい日でも強い風が吹いていることが多い。特にそういう時には体に感じるほどの微動が起こっている。 人には三半規管というものがある。耳の奥にあって平衡感覚を司るのが役目だ。この機能には個人差がある。 乗り物酔いをしやすい人とほとんど平気な人がいるが、それは三半規管の機能差だと考えられている。乗り物酔いをしやすい人がタワマンの上層階に住むと、いつも酔ったような状態になっているのではないか。あるいはそれが体調不良につながるのかもしれない。 私は最近、『限界のタワーマンション』(集英社新書)を上梓した。世間から憧れをもって見られているタワマンという住形態が含有している、様々なリスクを炙り出す内容となっている。 同書を執筆するにあたって、様々な人々の取材協力を得た。そこにはヨーロッパで行った調査も含まれている。一連の過程では、東京の湾岸にあるタワマンの多いエリアで長年小児科医を開業なさっている医師から話をうかがう機会があった。 その先生に「タワマンに住む子どもがかかりやすい疾患というのはありますか?」と聞いてみた。彼は自身のクリニックのカルテなどを調べてくれた結果、「有意のデータはないけれど、耳関連が多い印象ですね。ただ、耳の場合は耳鼻科に行かれるのでウチのデータでははっきりしません」という回答だった』、風の影響で「体に感じるほどの微動が起こっている」というのは薄気味悪い話だ。タワマンに入ろうという人の気が知れない。節税効果を狙っているのかも知れないが、健康あっての物種だろう。
・『欧州では「ありえない」  いっぽう、日本に住むイギリス人への取材や、ヨーロッパでのアンケート調査でわかった衝撃的な事実がある。それは、ヨーロッパ人にとってタワマンでの子育ては「ありえない」レベルで否定的だということだ。調べてみると、1970年代にはそういうコンセンサスができ上がったようだ。今でも国によっては法律で制限をしている。 私と編集者は、その根拠になった論文はないかとデータベースを探し回ったが、見つからなかった。ただ、医学的根拠というよりも彼らの感覚に基づくところが大きいように思える。ヨーロッパ的な感覚では、超高層建築は必要悪的な存在であって、それは決して喜んで住んだり崇めたりするようなものではない、ということらしい。 どこの国でも中世の街並みが残る旧市街と、やむを得ずに超高層建築を建てるビジネスゾーンは明解に分離されている。それが彼らの感覚なのだろう。日本でも京都や鎌倉といった街では、行政がタワマンの建築を明解に規制している。そのあたりはヨーロッパ的な感覚に近いのだろう。やや救いを感じる。 造形的な美醜の感覚はさておき、より深刻なのは健康面である。 もしタワマンに住むことによって健康被害が生じるような何かがあるのなら、我々はあらかじめそれを知っておかねばならないはずだ。 1990年代の終わりに、東海大学元講師の逢坂文夫氏が行った調査が語り継がれている。ここでは詳しく触れないが「高層階に住むほど妊婦の流産率が高くなる」という有意のデータが得られている。 私の知る限り、これ以後は高層階居住と人体の健康を関連される研究は行われていない。ちなみに、この逢坂氏の調査は当時の厚生省の委託で行われた。しかし、この研究結果を発表して以後、研究費が出てこなくなったという。 拙著『限界のタワーマンション』では、タワマン高層階に住む小学生は成績が伸びにくい、あるいは近視になりやすい、といった専門家の主張も紹介している。それぞれに説得力のある意見であり、エビデンスも存在する。 私は、タワマンというものが人体に対してまったく無害であるとはどうしても思えない。かつて建材に使用されていたアスベストは、長らく安全だと信じられてきたことで多くの人々に健康被害をもたらした。国民の健康を守る立場にある厚生労働省は、いち早く「タワマンと人体の健康」について本格的な調査を始めるべきだと考える。 タワマンが本格的に住宅市場に登場してから、まだ20年程度に過ぎない。もし、何らかの危険性が隠されているとすれば、今後20年でそれが噴出してもおかしくない。一刻も早い調査の着手が望まれる』、「高層階に住むほど妊婦の流産率が高くなる」、との厚労省の委託調査が1年で打ち切られたのは、関連業界の圧力があったためだろう。数年前にロンドン郊外のタワマンが火事になり大勢の死者が出たことがあったが、これは公営住宅だった。ロンドンでは公営住宅のタワマンはこの他にもあるようだ。「一刻も早い調査の着手が望まれる」との主張には大賛成だが、関連業界の激しい抵抗を乗り越えられるかは疑問だ。

第四に、7月11日付け東洋経済オンライン「神戸市がブチ上げた「タワマン禁止令」の波紋 行き過ぎた都心回帰に「待った」がかかった」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/291447
・『神戸市随一の繁華街である三宮(さんのみや)。一帯にはオフィスやマンションが林立し、兵庫県庁や神戸市役所などの行政機関も立ち並ぶ。JR三ノ宮駅を中心に阪急・阪神電鉄、地下鉄駅などを含めると、1日に数十万人が利用する一大ターミナルを形成している。 ところが、そのにぎわいに冷や水を浴びせかねない事態が起きている』、「タワマン禁止令」の背景を知りたいものだ。
・『神戸市の誤算  7月1日、神戸市議会で「タワマン禁止令」とも呼べる条例が可決された。 条例が施行される来年7月からは、JR三ノ宮駅周辺ではマンションや老人ホームなどがいっさい建設できなくなる(下の地図の赤囲み部分)。規制はその周辺地域(緑囲みの部分)にも及び、住宅部分の容積率(敷地面積に対する延べ床面積の割合)が最大でも400%までに制限される。 敷地面積は1000平方メートル以上が対象で、建物の形状にもよるが、おおむね8~10階程度の中規模マンションが限界で、タワーマンション(タワマン)は到底建てられない。 この条例に対しては、「都心回帰の流れに逆行するものだ」とエリア内でマンション開発実績のあるデベロッパーからは困惑の声が上がる。それでも今回、神戸市がこうした強硬策に乗り出した背景には、従来の市の政策における「誤算」があった。 もともと三宮は容積率が緩和されており、現在の容積率は最大で900%にも達する。緩和の狙いは、「企業や店舗の誘致を促すこと」(神戸市)だった。だが市の意向とは裏腹に、近年の都心回帰や職住近接の動きを受け、利便性の高い三宮にタワーマンションが続々と建設されていった。東洋経済が調べたところ、今回の規制対象区域内には20階建て以上のタワーマンションが、建設中を含め少なくとも24棟存在する。 1棟に数百世帯がひしめくタワマンは、それだけで人口の押し上げ要因となる。税収アップにも寄与するため、自治体にとっては決して悪い話ではない。それでも神戸市がタワマンを問題視するのは、市内の人口バランスに歪みが生じているからだ。 三宮が含まれる神戸市中央区の人口は、この20年間で3割近くも増加。他方で、神戸市全体の人口は2012年から減少に転じている。久元喜造神戸市長は、「中央区に対する人口の一極集中を抑止し、神戸市全体にバランスのとれた人口配置ができるようなまちづくりが必要だ」と市議会で答弁している。市によれば、急激な人口増加によって、同区では小学校などの教育施設が逼迫しているという。 そうして神戸市は昨年9月に「タワーマンションのあり方に関する研究会」を設立。そこで議題に上がったのが、タワマンの管理状況への懸念だった。2015年に市がタワマン居住者向けに行った調査では、8割以上の住民がマンション内での付き合いが「ほとんどない」もしくは「あまりない」と回答した』、「タワマン禁止令」を遅ればせながらも制定したのは、当然だろう。
・『タワマン「スラム化」の懸念  さらにマンションごとの修繕積立金が国土交通省の示す基準よりも不足していることを挙げ、管理組合の機能不全によってマンションの維持管理が滞れば、「スラム化の恐れもある」とまで言い切った。管理が行き届かないマンションへの懸念も、タワマン規制の流れを後押しした。 今回の条例は、タワマンを中心とした大型マンションを狙い撃ちした形だ。条例の対象となるマンションを敷地面積1000平方メートルとしたのは、「1000平方メートルを超えると(マンションが大型化し)戸数が急増する」(神戸市建築安全課)という判断からだ。 マンションの容積率の上限が400%に設定されたことも、階段や廊下といったマンションの共用部は容積率に参入されず、「同じ容積率でもマンションのほうが高くなってしまう」(同)ためだ。ただし、既存のマンションへの配慮から、建て替えに伴う建設のみ1回限り認めるよう条例案が修正された。 さらに、市全体での人口バランスの平準化から、神戸市の外れに位置し開発が進んでいなかった垂水区については、逆に容積率を緩和する措置も盛り込んだ。 こうしてタワマン排除に動き出した神戸市。だが、条例が施行されても、新規のマンション開発が一掃されるわけではなさそうだ。 中心市街地でのタワーマンション建設を封じる条例は、横浜市が先駆けて2006年に制定している。横浜駅および関内駅周辺でのマンション建設を禁止し、それより外側の一定地域では住宅部分の容積率の上限を300%に設定。神戸市よりさらに厳しい。 それでも、2015年には東急不動産が「ブランズ横濱馬車道レジデンシャル」を開発した。14階建てだが、低層部をホテルにすることで住宅部分の容積率を抑えた形だ。 神戸市においても、規制のかからない敷地面積が1000平方メートル未満のマンションを中心に、積極的な開発は続くと見られる。むしろ業界からは、「タワマンが今後建てられないとなれば、既存物件の希少価値が上がるだろう」という声もある』、「マンションごとの修繕積立金が国土交通省の示す基準よりも不足」しているので、「タワマン「スラム化」の懸念」とは驚かされた。とんでもないことだ。
・『企業誘致にも高い壁  条例のもう1つの目的である、オフィスや商業施設の集積促進はどうか。神戸市の条例では、400%という容積率の制限がかかるのは住宅部分のみ。例えばもともとの容積率が600%の土地であれば、低層階に商業施設を入れたり、一部フロアをホテルに転用したりすれば、残りの容積率200%をうまく使い切ることができる。 横浜市の条例制定時、市担当者は市議会での質問に対し「全部が住宅になるよりは、低層階に店舗や事務所が入ることで、街並みとしての賑わいあるいは景観等が維持される」と答弁している。マンションとオフィス・商業の複合施設を認めた背景には、路面店を増やして人の流れを作る思惑があり、神戸市も同様と見られる。だが、「複合施設は立地が限られる」(関西地盤のデベロッパー)ため、市のもくろみどおりに、にぎわいがもたらされるかは微妙だ。 企業誘致にしても、一筋縄ではいかない。総務省の「経済センサス」によれば、2016年6月時点で神戸市中央区に所在する事業所数は2万1258と、6年前に比べて1241減少した。大阪まで30分という近からず遠からずという立地が災いし、「大阪とは別個に支店を構えるほどのオフィス適地とは言いがたい」(大手デベロッパー幹部)。 今年5月には「丸亀製麺」などの外食チェーンを展開するトリドールホールディングスが、「グループの中枢拠点としての機能およびグループ全体を牽引する役割の強化を図る」ため、本社を神戸から東京・渋谷に移転すると発表した。神戸市もオフィス賃料の補助など支援策を打ち出してはいるが、東京の磁力に打ち勝つのは並大抵ではない。 タワマンを排した街はどんな表情を見せるのか、壮大な社会実験が始まった』、神戸市にとってオフィスの呼び込みは容易ではないだろうが、「タワマン禁止」の必要性だけは確かなようだ。
タグ:不動産 東洋経済オンライン 日刊ゲンダイ 現代ビジネス 榊 淳司 (その4)(不動産バブル崩壊?首都圏マンション契約率50%割れの衝撃、何かの予兆? 首都圏の新築マンションが、パッタリ売れなくなった、厚生労働省はただちにタワマンの健康被害を調査すべきと考える理由 高層階ほど現れる現象とは?、神戸市がブチ上げた「タワマン禁止令」の波紋 行き過ぎた都心回帰に「待った」がかかった) 「不動産バブル崩壊?首都圏マンション契約率50%割れの衝撃」 「何かの予兆? 首都圏の新築マンションが、パッタリ売れなくなった」 今は1期あたりの売り出し戸数を5分の1にして、『第1期即日完売』と無理やりアピールしています 中古も買い手がつかない 投資家は「終わり」を見越している 日本最後のバブルが終わる 最後のバブルが今、崩壊しはじめた 「厚生労働省はただちにタワマンの健康被害を調査すべきと考える理由 高層階ほど現れる現象とは?」 身体への影響は? 小さな子どもや高齢者にとって、タワーマンションの上層階に住むことによる健康への悪影響は皆無だと言い切れるのだろうか 「タワマンが身体に合わない」と考えて、転居していくケースが少なからずある タワマンの上層階は常に微動している状態にある 天気のいい日でも強い風が吹いていることが多い。特にそういう時には体に感じるほどの微動が起こっている いつも酔ったような状態に 体調不良につながるのかもしれない 『限界のタワーマンション』(集英社新書) 欧州では「ありえない」 ヨーロッパ人にとってタワマンでの子育ては「ありえない」レベルで否定的 ヨーロッパ的な感覚では、超高層建築は必要悪的な存在であって、それは決して喜んで住んだり崇めたりするようなものではない 「高層階に住むほど妊婦の流産率が高くなる」という有意のデータが得られている 調査は当時の厚生省の委託で行われた。しかし、この研究結果を発表して以後、研究費が出てこなくなったという 厚生労働省は、いち早く「タワマンと人体の健康」について本格的な調査を始めるべきだと考える 「神戸市がブチ上げた「タワマン禁止令」の波紋 行き過ぎた都心回帰に「待った」がかかった」 「タワマン禁止令」 R三ノ宮駅周辺ではマンションや老人ホームなどがいっさい建設できなくなる 敷地面積は1000平方メートル以上が対象 市内の人口バランスに歪みが生じているから 同区では小学校などの教育施設が逼迫 タワマン「スラム化」の懸念 マンションごとの修繕積立金が国土交通省の示す基準よりも不足 「スラム化の恐れもある」とまで言い切った 中心市街地でのタワーマンション建設を封じる条例は、横浜市が先駆けて2006年に制定 企業誘致にも高い壁
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日本の構造問題(その11)(堺屋太一氏の遺言「2020年までに3度目の日本をつくれるか」、「データ苦手な人」には経営者になる資格がない これから「生産性向上」には逆風が吹き始める) [経済]

日本の構造問題については、1月22日に取上げた。今日は、(その11)(堺屋太一氏の遺言「2020年までに3度目の日本をつくれるか」、「データ苦手な人」には経営者になる資格がない これから「生産性向上」には逆風が吹き始める)である。

先ずは、2月21日付け日経ビジネスオンライン「堺屋太一氏の遺言「2020年までに3度目の日本をつくれるか」」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00015/021200001/?P=1
・『「団塊の世代」など時代を切り取る数多くのキーワードを生み出した作家の堺屋太一さんが2月8日、亡くなりました。83歳でした。堺屋さんは1960年に旧通商産業省(現経済産業省)に入省後、大阪万博や沖縄海洋博の企画などに関わりました。経済企画庁長官も務め、戦後経済のプランナーとして活躍しました。 日経ビジネスは戦後70年の特別企画として2014年12月29日号の特集「遺言 日本の未来へ」で、戦後のリーダーたちが次代に遺す言葉を集めました。その中で堺屋さんは“遺言”として、「官僚主導の日本を壊し、『楽しい日本』をつくろう」というメッセージを託してくれました。 インタビューで堺屋さんは戦後日本を振り返り、「敗戦で日本人のメンタリティーは、物量崇拝と経済効率礼賛に180度変わった」「欧米が文明を転換している間に、日本はひたすら規格大量生産を続け、それが一時の繁栄をもたらし、バブルとなって大崩壊した」と分析していました。 堺屋さんをしのび、当時の記事を再掲載します。堺屋さんは、「3度目の日本」を目指そうと私たちに語りかけています。 ご冥福をお祈りいたします』、時代を風靡した堺屋氏の遺言とあれば、必読だ。
・『私は戦時中、大阪偕行社小学校という、陸軍の将校クラブ「偕行社」の附属小学校に通っていました。当然、その学校は軍隊教育が売り物で、体罰を交えながら帝国不敗という信念を叩き込まれました。陸軍の退役少将だった校長は、「我が大和民族は極東尚武の民であり、帝国軍人は忠勇無双である。よって我が陸海軍は無敵、不敗」と生徒たちに教え込んでいました。「我が1個師団は、米英の3個師団に対抗できる」――。そういう訓示を朝礼のたびにしておりました。 私は昭和17年の4月に入学したものですから、毎日のように『軍艦マーチ』が鳴って、戦果とどろく臨時ニュースが入ってきていました。当然、日本が勝っている、と私たちは思っていました。 ところが、だんだんと戦場が日本に近づいてくる。入学した時には南太平洋のはるかかなた、ガダルカナルで戦っていたのが、やがてラバウルになり、ソロモン諸島になり。ひょっとしたら日本は負けているのではないかと、小学校2年生の時にはそんな感じを持つようになっていました』、小学校2年生ながら、主戦場の変化で負けに気付くとは、さすがだ。
・『やがて空襲警報が鳴るようになって、昭和20年の2月1日だったんですが、奈良県御所市に古い実家があったので、そこに疎開しようと考えている、と親父に連れられて校長先生に言いに行きました。そうしたら校長先生は、「おたくは8連隊の近所で帝国陸軍に守られているから大丈夫だ」と言うのです。それでも父は疎開させました。結局、6月1日の空襲で丸焼けになっちゃったんです。それでもしばらく焼けなかった間に、大八車で荷物を運べたのは有難かったと思います。 終戦は疎開先の奈良県御所市の旧宅で迎えました』、軍人あがりの校長の助言を無視して疎開させた父親の判断もさすがだ。
・『「兵隊はアホやで」と大阪市民は冷めていた  終戦間際のことで、今でも記憶に鮮明に残っているのは、私の知る限り、大阪市内では反戦運動や停戦を求めるような動きは全くなかったということです。勝っている時にもちょうちん行列や旗行列もあった、という記憶はありません。 大阪市民は冷めていたのかもしれませんね。もしくは、まあ、いい加減だったんでしょう。 昭和19年、つまり敗戦の前年の11月か12月、学校で教えられた通りに町で出会った陸海軍の将校に挙手の敬礼をしていた時のことです。初めの頃は「行儀がいい」とか、「かわいい」とか言う声があったのに、その頃には「あの子ら何をやっているんね。アホやな。兵隊はアホやで」と、聞こえよがしに語る人が増えていました。 だから、少なくとも大阪の中心街では、既に昭和19年の年末にはそういう雰囲気が漂っていたのです。負け戦を感じ始めていて、その感情を抑えきれなくなっていたのでしょう』、「大阪の中心街では、既に昭和19年の年末には・・・負け戦を感じ始めていて」、空襲が始まる前から既にそんな雰囲気になっていたとは初めて知った。
・『その当時とはどんな時代だったかというと、B29が時々10機ほどの小編隊で、近所にあった砲兵工廠に爆弾を投下していました。まだ絨毯爆撃は始まっていませんでしたが、物資はどんどんなくなって食糧難になりかけていました。徴兵検査で不合格になった人まで徴兵されるような時代で、町では「贅沢は敵だ」ということで防空演習が盛んに行われていました。 それで年が明けた3月、東京大空襲は3月1日ですが、大阪は13日に大空襲がありました。その頃からしゃかりきになって一億玉砕という人が出たんですが、私は疎開前の昭和20年1月、先生が「一億玉砕」ということを言い出したことを覚えています。私は一瞬考えて、「日本国民一億が玉砕したら、この戦争は負けではありませんか」と先生に聞いて、ぽかぽか殴られた記憶があります』、勇気ある鋭い質問をしたとは、さすが堺屋少年だ。
・『官僚システムの行き着いた先が「一億玉砕」だった  私がこうした戦争中の経験から今に思うのは、なぜ一億玉砕が言い出されたのか。これが官僚システムの恐ろしいところだ、ということです。官僚というのは、消去法で可能性のある道だけを探る。要するに、この戦争は勝てない。しかし、日本は降参しない。そうすると玉砕よりほかはない。だから悪人でもアホでもない軍人や官僚が、真剣に一億玉砕だと言っていた。小学校の先生まで同じことを言い触れていた。 誰が考えても、一億玉砕したら日本は負けだということは分かっていたはずです。しかし、そういうことを言うと殴られる。それが、今の日本と非常によく似ている』、「官僚システムの行き着いた先が「一億玉砕」だった」とは言い得て妙だ。「今の日本と非常によく似ている」とは不気味だが、正論が押しつぶされる社会という意味であれば、理解できる。
・『官僚システムというのは、自分の官僚としての権限、立場、既定の方針などが変わらないことを前提としている。要するに、日本は降参しないということですね。それで勝てないとなったら、玉砕という選択しか残らない。それを当たり前のように吹聴して、それ以外のものを異端分子としてみんなで弾圧する。それを普通の官僚がみんなやるという官僚システムの恐ろしさを、子供心に思ったんですね』、これは多分に後付けの理屈だとは思うが、「官僚システムの恐ろしさ」を的確に指摘している。
・『そういう私も大学を卒業すると官僚になりました。1960年のことです。その当時は成長一途でしたから、官僚の方針と日本の国益は一致していました。この状態が1980年まで続きます。私は幸いにも、その頃の日本の大事件にほとんど主体的に関わりました。 大阪万国博覧会、沖縄復帰、石油ショック、阪神大震災の復興。小渕恵三内閣で経済企画庁長官をしていた時の大不況。戦後の大事件の多くに傍観者としてではなくて主体的に関われたことは、非常に幸せだったと思います。そして、私がやった仕事の多くは、官僚機構としては異端でした。例えば、万国博覧会を提唱するなんていうのは、大異端だったわけです』、異端の仕事をこなしてきたからこそ堺屋氏も成長したのだろう。
・『佐藤栄作総理は「沖縄の人口を減らすな」と言った  印象深かったことの1つに、沖縄復帰があります。私は沖縄復帰の日に、沖縄開発庁那覇事務所に通商産業部企画調整課長という肩書きで行き、そこで観光開発をやることになりました。 1972年4月の初め、佐藤栄作さんに総理公邸でお目にかかった時に、「総理が取り返された沖縄はどうなったら成功なんですか」と、訊ねました。それに対して佐藤さんは、「人口を減らすな」とお答えになりました。 当時、沖縄の人口は96万人でしたが、復帰後の15年間で約4割まで減少するだろうと言われていました。それは、地域コミュニティーがほとんど崩壊することを意味します。だから「沖縄復帰は悲劇である」というような論調もありました。 それに対して佐藤さんは、人口さえ減らなければ、それは喜んで住んでいることを意味するんだ。だから人口を減らすな。こういう話でした。 それで沖縄へ行って、どうやって人口を保つかを考えました。その時、気がついたんです。戦後日本というのは、官僚が東京一極集中政策を猛烈な勢いでやっていたんですね。それで特に全国規模の頭脳活動、つまり、経済産業の中枢管理機能と情報発信と文化創造活動の3つは東京以外でしちゃいけない、ということになっていた』、「沖縄の人口を減らすな」と言った」佐藤元首相の指示は、ずいぶん重い課題だったようだ。
・『官僚が進めた東京一極集中の弊害  だから金融貿易は東京以外でしちゃいけない。大きな会社の本社も東京に置け。そのために各種業界団体の本部事務局は東京に置けと。つまり、沖縄での頭脳活動は一切ダメというわけですよ。地方は頭がないんだから、手足の機能に専念しろ。つまり、農業や製造業、建設業の現場になれ、というわけです。その代わりに東京はお米を高く買い、建設補助金をばら撒き、公共事業を盛んにするという仕掛けにしていたんですね。 そんな官僚が作った規制から外れているのは、観光業しかありません。それで沖縄で観光開発を打ち出し、海洋博覧会を契機に沖縄を訪れる観光客の数を10倍にしようという話を作ったんです』、東京一極集中自体は、命令ではなく、行政が大きな裁量を持っているので、ここに働きかけるには、「業界団体の本部事務局は東京」に自ずから集中したということだろう。
・『その時にお目にかかったのが、世界的な観光プロデューサーと言われたアラン・フォーバスというアメリカ人です。この人は、当時の日本で行われていた観光開発は全部間違っている、と言うんです。道路を造るとか、飛行場を造るとか、ホテルを建てるとかいうのは、これらは観光を支える施設ではあるが、観光の施設ではないと。 じゃあ、観光に必要なものは何かというと、「あれがあるからそこへ行きたい」という“アトラクティブス”だと言うんです。それは6つの種類がある。ヒストリー、フィクション、リズム&テイスト、ガール&ギャンブル、サイトシーン、そしてショッピングだと。この6つの要素のうち3つそろえろと言うんですね』、さすが「世界的な観光プロデューサー」だが、こうした意見を聞く耳を持った堺屋氏の度量の大きさもにも感心させられた。
・『沖縄の悲しい歴史にはあえて目をつむった  それで結局、沖縄の観光開発では歴史にはあえて目をつむろうと考えました。当時、沖縄へ来る観光客のほとんどは「ひめゆりの塔」とか、「摩文仁の丘」とか、つまり戦争の悲しい歴史だった。それよりも、風光明媚を売ろうと。それで篠山紀信さんに撮影を頼んで、南沙織さんという若い歌手をモデルにして『美しき沖縄』という写真集を撮ったり、あるいはあえて批判精神に溢れる加藤登紀子さんや田端義夫さんに『西武門節』や『十九の春』という沖縄民謡を歌ってもらったり。そして最後に、沖縄は健康ランドというフィクションを流行らせた。プロ野球のキャンプは、その目玉です。 それで、沖縄に来る観光客の数は復帰前年には24万人だったんですが、それを10年間で10倍の240万人、1000万泊にすることを目標に掲げた。結局、14年かかりましたが、その後も観光客は増え続けています。 しかし、沖縄観光が成功する一方で、日本の青春もそこで終わったんです』、沖縄観光を成功させた功績は確かに大きいようだ。
・『「団塊の世代」の警鐘、聞き入れられず  そして石油ショックが来て、これで日本の青春が終わります。その後の10年を私は「紫雨の季節」と呼んでいるんです。温度は高いけれども、ロッキード事件が起こるなど何となく気色悪い。そんな時代が10年も続いたわけです。 この間に日本は、新しい産業、経済社会体制を作るべきだった。だけど、その時はまだイケイケどんどんの香りが高かったから、政治的にはロッキード事件など気色悪いことがあったけれども、経済的にはみんなまっしぐらに規格大量生産を追求していました。 日本万国博覧会の頃に、吉田寿三郎さんという厚労技官が来られて、戦後ベビーブーマーの問題が大変なことになると警鐘を鳴らされました。それを私は、「団塊の世代」と名付けたんですが、吉田さんは終戦直後に膨れ上がった人口がだんだんと年を取り重荷になるので、その時に備えなくてはならないとおっしゃっていた。しかし、それは当時の厚生労働省では完全に少数意見で、むしろ日本の最大の問題は人口過剰にあるという見方がまかり通っていた。 従って、海浜や沼沢を干拓し、離島や山間に道路を造って、いかにして可住地を広げるか、これが最大の課題だと言っていたわけです。人口過剰に対応するために、何としても土地を作らないといけない。このためには公共事業をばんばんやるべきだというような考え方です。田中角栄さんはその代表でしょう。それが、その後のバブルに繋がっていくんですね。 そもそも敗戦で日本人のメンタリティーは、物量崇拝と経済効率礼賛に180度変わっていました。戦争に負けたのは、アメリカの物量に負けたのだと。それが規格大量生産で高度成長を引っ張る原動力になっていました』、「団塊の世代」の契機が厚労技官の警鐘だったとは初耳だったが、それを聞き流して従来型の公共事業などを推進した政策ミスは、今にしてみれば重大だ。
・『規格大量生産時代が終焉。しかし日本は変わらなかった  実際、大阪万博は、日本が規格大量生産社会を実現したことを世界に知らしめた行事でした。1970年代は世界中がそうでした。しかし、その一方で70年代に世界の文明は転換します。きっかけは、ベトナム戦争でした。ベトナムで規格大量生産の武器で完全武装した米軍が、サンダルと腰弁当のベトコンに勝てなかった。なぜだということが盛んに議論されたんですね。その結論がまさに、規格大量生産の限界でした。アメリカで草の根運動や反戦運動が盛んになったのは、そうした文明の転換が背景にありました。 20世紀の技術というのは、大型化と大量化と高速化、この3つだけを目指していたんです。それでジャンボジェット機ができて、50万トンのタンカー船ができて、5000立米の溶鉱炉ができた。まさに、あらゆる分野で最高速度、最大規模の製品が生まれたのが、70年代でした。そこが限界だったんです。 それから以後、ジャンボジェットより大きな飛行機は、最近のエアバスの超大型機ぐらいまでありませんでしたし、50万トンのタンカーなんてもう造らなくなった。溶鉱炉も石油コンビナートも大きくなくなり、多様化の時代に文明が一気に変わったのです。 ところが日本は、その後もまだ高速化、大型化を志向し続けた。アメリカやヨーロッパが文明を転換をしている間に、日本はひたすら規格大量生産を続けた。だがら、その間の80年代に輸出が猛烈に伸びたわけです。欧米と日本の文明のズレが、一時の繁栄をもたらしたんです。これが1つの日本の頂点、戦後の頂点ですが、それでそれが行き過ぎてバブルになって大崩壊した』、「大型化と大量化と高速化」が世界では終わっていたのに、日本が気づくのが遅れたというのは、その通りで、バブルとその大崩壊という大きな代償を払わせられたのは残念だ。
・『役人が国民の人生を決めてきた  私は最近、「3度目の日本」ということを言っているんですよ。1度目の日本は明治日本。明治維新で誕生した、軍人と官僚が専制した日本です。この日本は、ただひたすら「強い日本」を目指していました。 2度目の日本というのは、戦後日本。これは「豊かな日本」を目指しました。規格大量生産で、官僚主導で東京一極集中、終身雇用、年功賃金。社会は核家族で住宅は小住宅・多部屋式。生まれたらすぐに教育を受けさせ、教育が終わったら直ちに就職。就職したら蓄財をして、その後で結婚して子供を産んで、家を買って、老後に備えるために年金を掛けろと。 官僚が個人の人生設計まで全てを決めていました。それに従っていれば、それなりの中流になれた。いわゆるジャパニーズドリームですね。逆に、官僚が敷いたルートから外れると、とことん損をした。役人の言う通りに生きるのが良い国民で、それに反するのは悪い国民だと。だからニートとか、パラサイトとか、もう散々悪く言われるんですよ。 官僚が作った人生設計に従うと、教育年限が延びるに従って結婚が遅くなるわけですよね。その結果、人口減少がものすごく速くなった。今、日本はなぜ人口が減少しているかというと、24歳以下の女性で子供を産む人が非常に少ない。アメリカは1000人の女性のうちで140人が24歳以下で子供を産むのに、日本は40人しか産まない。この差が今の日本の人口減少の最大の理由なんです。これはもう、全部役人が決めたんですね。 頭脳活動に関わりたい人は、東京に住まなきゃいけない。地方では住めない。例えばマスコミであるとか、貿易関係であるとか、国際関係だとか、これは必ず東京へ来いというような、官僚の思うがままの日本をつくったわけです。一人ひとりの官僚はそんな大げさなことをしているつもりじゃないんだけど、全体としてはそういう官僚の意志が働いている。いわゆる、「大いなる凡庸」という状態になっている』、この部分についてはやや誇張もある気もするが、興味深い指摘ではある。
・『「楽しい日本」を目指し官僚システムを壊せ  だから、今、日本がやらなきゃいけないのは、この官僚システムを壊すことです。 官僚は皆、ものすごい正義感を持っている。ちょうど戦争中の軍人が中国に侵略することも、真珠湾を不意打ちすることも、正義感を持ってやっていたのと同じように。この官僚の制度を破壊するというのが、3度目の日本です。 3度目の日本。それは、官僚制度ではなしに、本当の主権在民を実現する「楽しい日本」です。今、日本は「安全な日本」なんですよ。安全という意味では世界一安全です。だけど全然楽しくない。 例えばお祭りをやろうとしても、リオのカーニバルなんかでは何人も死ぬんですよ。そんな行事がいっぱいある。アメリカの自動車レース「デイトナ500」なんかもそうでしょう。楽しみと安全とを天秤にかけて、多少は危険だけどこの楽しさは捨てられない、というのが外国にはあるんですよ。 ところが日本は、どんなに楽しくても、少しでも危険があったらやめておけ、やめておけと、官僚が統制してしまう。それがマスコミや世間でも通っているんですよ。 安全だけでいいなら、監獄に入ればいい。それでもみんな入りたがらないのは、監獄には幸福を追求する選択性がないからです。その意味で、今の日本はまるで監獄国家とも言えるほどです。その監獄国家から、幸福の追求ができる選択国家にしなきゃいけない。そうすると、ベンチャーを起こす冒険心も復活する。この官僚主導からいかにして逃れるかが、これからの2020年までの最大の問題なんですね』、「今の日本はまるで監獄国家」とは言い得て妙だ。「官僚主導からいかにして逃れるか」が「最大の問題」というのには完全に同意する。ただ、私としては、官僚は狭義の官僚というより、民間企業にも根強く存在する官僚主義も含めた広義で捉えたい。

次に、元外資系アナリストで小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏が3月8日付け東洋経済オンラインに寄稿した「「データ苦手な人」には経営者になる資格がない これから「生産性向上」には逆風が吹き始める」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/269653
・『オックスフォード大学で日本学を専攻、ゴールドマン・サックスで日本経済の「伝説のアナリスト」として名をはせたデービッド・アトキンソン氏。退職後も日本経済の研究を続け、『新・観光立国論』『新・生産性立国論』など、日本を救う数々の提言を行ってきた彼が、ついにたどり着いた日本の生存戦略をまとめた『日本人の勝算』が刊行された。 人口減少と高齢化という未曾有の危機を前に、日本人はどう戦えばいいのか。本連載では、アトキンソン氏の分析を紹介していく』、アトキンソン氏の主張は、鋭く深いので、このブログでもたびたび紹介してきたが、今回はさらに面白そうだ。
・『経営を「サイエンス」に変えよう  日本経済がこれほどまで長きにわたって低迷し続けている最大の理由は、経営戦略が間違っているからです。 日本以外の先進国ではこの30年間、できる限り経営をアートからサイエンスに変えていくべく、ビッグデータの活用をはじめ、調査分析能力の向上に努めてきました。私がアナリストとして駆け出しだった1990年ごろと比べて今の時代は、データの種類は非常に多く、データの入手も簡単です。高度な分析も、パソコンで簡単にできるようになりました。 データそれ自体には、価値はありません。ただ単にデータを集めるだけではなく、仮説を立て、分析・検証をしたうえで戦略を立案・実行するという経営スタイルがすでに一般的になりつつあります。 このような検証重視の動きは民間企業だけではなく、国の政策立案にも及んでいます。データに基づき仮説検証を行ったうえで政策を立案する方法は、evidence based policy makingといいます。 その方法は、とりあえずの仮説をデータで検証したうえで、シナリオ分析をし、客観性を強化していくというものです。人の感覚はデータを解釈するときや、データや分析をどう展開していくべきかを決めるときのみに使うことが基本となっています。データの結果を人間が見る、人の感覚をデータで確認する、この2つが重要だと思います。 一方、日本ではいまだに多くの経営者にとって、経営は「アート」のままです。「俺はそう思わないから」という根拠のない理由で、物事を判断する経営者がまだまだいます。国にいたっては、evidence based policy makingに必要不可欠な統計があのような状況です。最近になるまで統計の誤りに気づくことができないほど、データを大切にしてこなかったのでしょう。 アートという言葉は「芸術」と訳されることが多いので、なんだかすばらしいことのように感じるかもしれませんが、データを無視した感覚だよりなので、こと現代の企業経営にはそぐわない古い考え方なのです。 人口が激増している時代は、管理さえしっかりとやれば、誰が経営者になっても成功する可能性が高い時代でした。アートでもなんでもよかったのです。その成功体験を引きずって、「時代の幸運」を自分の経営手腕だと勘違いしている社長が多いと感じます。 しかし人口減少時代には、もっと高度な経営が求められているのです』、私が知る限り、evidence based policy makingをしてきた日本人経営者は、セブン・イレブン会長だった鈴木敏文氏ぐらいで、彼我の差は誠に大きい。
・『意見を言う前に、データに当たろう  『日本人の勝算』を書きながら、海外と国内の分析・調査・検証のレベルの違いを改めて認識しました。118人のエコノミストの書いた論文やリポートに目を通したのですが、海外では経済の動向や経済政策が徹底的に検証されていることを痛感したのです。 例えば、最低賃金に関する論文を探して検索すると、腐るほどの数の論文が発表されていることがわかります。加えて、最低賃金を分析した一つひとつの論文を集めて、コンセンサスや分析の偏重をさらに分析したメタ分析もされています。 それに比べて、日本では最低賃金の引き上げを提案すると、「最低賃金を上げたら、韓国のようになるぞ」とか、数パーセントの従業員にしか影響しないのにもかかわらず、「中小企業の大量倒産が起きるぞ」といった、実に幼稚な反論が返ってきます。 しかも、こういう幼稚な反論が、経営者や社会的に影響力の大きい人からも上がってくるので、いつもびっくりさせられます。 本来であれば、最低賃金をいくらあげたら、何パーセントの労働者に影響が出て、どのくらいの数の企業が、どういう影響を受けるかを分析し、議論するべきところです。しかし、極論、感情論、感覚的な反論が多いので、議論が一向に建設的になりません。 一般の方がこういう反論をしてくる分には気にもなりませんが、経営者や社会的に影響力の大きい人が、この程度の低レベルの議論しかできないとしたら、それは大問題です。 こういう状況を目の当たりにし続けているので、私は日本の生産性が異常に低い問題の原因は、労働者ではなく、経営者をはじめとした指導者にあると断言しているのです。 もちろん、データの裏付けもあります。世界経済フォーラム(WEF)の分析によると、労働者の人材評価は世界第4位なので、労働者に問題はありません。一方、統計的な分析に長けているIMDによる「IMD World Talent Ranking 2017」によると、日本の経営者ランキングは、機敏性が63カ国中第57位、分析能力が第59位、経営教育を受けたことがある割合が第53位、海外経験が第63位でした』、最低賃金引上げ論を主張している筆者には、日本人の反応がよほど腹に据えかねたのだろう。それにしても「日本の生産性が異常に低い問題の原因は、労働者ではなく、経営者をはじめとした指導者にあると断言」、というのには完全に同意する。
・『書籍や本連載でも繰り返し強調しているように、日本のような大幅な人口減少問題を抱えている先進国はほかにありません。日本はまさに世界のどの国も経験したことのない、未知の世界に突入するのです。 このように先が見通せない時代では、経営者の果たすべき役割は大きくなり、同時に責任は非常に重くなります。人口が増加するという経営者にとっての追い風は一切期待できない状況が訪れるので、個々の経営者のスキルアップが不可欠です。 なぜならば、生産性を上げないといけないこれからの時代は、逆に、生産性が上げづらくなる逆風が吹き始めるからです。 国際通貨基金(IMF)がまとめている論文には衝撃的な事実が映し出されています。IMFの分析では、年代別に見ると40代の社員の生産性が最も高く、労働人口に占めるこの世代の割合が高くなればなるほど、その国の生産性が高くなるという結果が出ています。 日本では、2015年までこの世代の割合が増えていたので、ちょうど第二次安倍政権が始まったころから、生産性が上がりやすい状況にありました。しかし、これからはこの世代の占める割合が減るので、状況はマイナスに変わります。 40代の減少という逆風が吹き始めているので、生産性向上はそう簡単に進まなくなります。だからこそ、経営者の改革が必要で、彼らを突き動かす力強い政策が不可欠なのです』、「40代の減少という逆風が吹き始めている」というのは初めて知ったが、確かに深刻だ。
・『日本の経営戦略の問題点はどこにあるのか  日本が今どんな状況に置かれているのかご理解いただいたところで、次に日本の経営戦略のどこに問題があるのかを検証したいと思います。 IMFがまとめた、1990年から2007年までの各国の生産性を見ると、1990年には世界10位だった日本の生産性は、それ以降低迷し、ほかの先進国と差が拡大してしまいました。つまり、この研究の分析期間がちょうど、日本の低迷が始まった時期と重なっているのです。 この研究は、生産性の向上の中身を分析しています。生産性は3つの要素に分解することができます。 1つは人的資本です。これは人間の数、働く日数、時間の投入などで計算することができます。 2つ目は物的資本です。簡単に言うと、設備投資、機械などへの投資です。1人の社員に対して、どのくらいの資本を設備投資などに使っているかを指します。 3つ目は全要素生産性です。全要素生産性は、人間と機械の使い方だけでは説明がつかない要素のことで、簡単に言うと生産性を計算して先の2つの要素を引いた残りです。 全要素生産性は説明が難しいのですが、技術、ブランド、デザイン、工夫、教育などだと捉えてください。工夫とは、人と資本の組み合わせを変えたり、ビジネスモデルをいじったり、ビッグデータを使ったりすることを意味しています。 同期間のG7のGDP成長率は2.1%でした。そのうち、人的資本によるものが0.5%、物的資本によるものが0.9%でした。 2.1%の生産性向上の中で人的資本と物的資本では説明がつかない0.8%が、全要素生産性による生産性の向上で、全体の4割弱を占めます。 日本も、人的資本では他国に負けているわけではありません。とくに労働市場への参加率を高めてきたことによって、生産年齢人口が減っても、労働人口は増えています。G7の平均成長率0.5%に比べ、日本は0.4%です。物的資本の増加率もG7平均の0.9%に比べ、あまり変わらない0.8%です。 ではなぜ、日本の生産性が先進国最低になってしまったのか。その原因は全要素生産性にあります。G7平均の0.8%に比べて、日本はたった0.2%で、G7の中で最下位です』、確かに全要素生産性の伸びが「G7の中で最下位」とは深刻だ。
・『日本で全要素生産性が伸びない2つの原因  日本で全要素生産性が伸びない原因は2つ考えられます。 原因1:高齢化  1つ目は、環境の問題です。同じIMFの研究では、高齢化の影響があるのではないかという仮説を示しています。 生産年齢人口に対する高齢者人口の比率と、全要素生産性の向上率との間に、強い相関関係が見られるようになりつつあると指摘しています(ただし、データがそろっておらず、まだ十分な検証はできていないので、あくまでも仮説だとされています)。 私は、この説はかなり的を射ているように感じます。高齢になればなるほど、若い頃のように工夫ができなくなるのは、どの国でも共通している傾向です。以前の記事でも指摘したように、高齢者はデフレを好み、若い人はインフレを好む傾向があるという分析結果とも合致しています。また年齢が高くなればなるほど保守的になり、若い人のように変化を好まなくなるものです』、「高齢化の影響」とは大いにありそうだ。
・『原因2:そもそも「苦手分野」だった  もう1つの原因が、そもそも日本では全要素生産性が相対的に低かったということです。このことを分析した研究も存在します。 日本の経営者は人を雇う、機械を買うなど、管理型の経営はうまいと思いますが、調査や分析に基づき、企業のあり方などに自ら進んで変化を起こすことが、とくに1964年以降あまりうまくなかったように見受けられます。 とくに「日本人が大好きな『安すぎる外食』が国を滅ぼす」で紹介した「いいものを、安く、たくさん」のように、コストを下げることは上手であっても、付加価値を高めることに関しては、これまでの歴史を紐解いても、芳しい実績はあまり見つかりません。 つまり日本の経営戦略は優秀な人を多く、安く使う、機械を使うという単純な管理の領域を超えていないとも言えるのです。わかりやすく言うと、いいものを安くは作れるけれど、ダサいのです。機能性を重視するあまり、デザイン性、ブランド力が弱い。人的・物的生産性はいいのですが、デザイン性やブランド力が伴わなければ、全体の生産性は低いままになってしまいます』、松下幸之助の「水道哲学」がいまだに大手を振るっているように、日本人にはデザイン性やブランド力は苦手のようだ。
・『一部の企業が頑張るだけでは、日本はもたない  ここ数年、日本で生まれた商品が、かつてのウォークマンのような世界的なヒットになることはほとんどなくなってしまいました。一方、日本企業はすばらしい部品を作っていて、iPhoneなどでも盛んに使われています。そういうすばらしい部品を手に入れやすい状況にあるにもかかわらず、世界的にヒットする最終商品を作れていないというのは、まさに人的・物的な生産性が高く、全要素生産性が低い最たる証拠です。 人口減少が加速する日本では、今後一部の企業だけが頑張っても、どうにもなりません。日本全国、津々浦々の企業に生産性向上への貢献をしてもらわないと、年金や社会保障費の捻出ができなくなります。それには、最も難しいと思われる全要素生産性の向上が不可欠になります。 先ほども説明したとおり、アベノミクスは40代の人口構成比が増えるという、誰も気がついていなかった追い風が吹く中で進められてきました。結果として、一定の成果を収めてきたのは事実です。しかし、これからは全面的に逆風が吹きます。正に正念場を迎えつつあるので、経営者改革は待ったなしです。 もちろん、いくら「経営者を改革すべし」と訴えても、政策が伴わなければ「お題目」にすぎません。だから私は、継続的に最低賃金を上げていくべきだと主張しているのです。この政策は、日本全国津々浦々の経営者に生産性を上げさせる「プレッシャー」をかけて、彼らを動かすことができる、唯一の政策なのです』、説得力溢れた主張で、諸手を挙げて賛成したい。
タグ:東洋経済オンライン 万国博覧会 日経ビジネスオンライン デービッド・アトキンソン 日本の構造問題 『日本人の勝算』 (その11)(堺屋太一氏の遺言「2020年までに3度目の日本をつくれるか」、「データ苦手な人」には経営者になる資格がない これから「生産性向上」には逆風が吹き始める) 「堺屋太一氏の遺言「2020年までに3度目の日本をつくれるか」」 「団塊の世代」 戦後経済のプランナー 「遺言 日本の未来へ」 「官僚主導の日本を壊し、『楽しい日本』をつくろう」 「敗戦で日本人のメンタリティーは、物量崇拝と経済効率礼賛に180度変わった」 「欧米が文明を転換している間に、日本はひたすら規格大量生産を続け、それが一時の繁栄をもたらし、バブルとなって大崩壊した」 「兵隊はアホやで」と大阪市民は冷めていた 官僚システムの行き着いた先が「一億玉砕」だった この戦争は勝てない。しかし、日本は降参しない。そうすると玉砕よりほかはない。だから悪人でもアホでもない軍人や官僚が、真剣に一億玉砕だと言っていた 官僚システムというのは、自分の官僚としての権限、立場、既定の方針などが変わらないことを前提としている 私がやった仕事の多くは、官僚機構としては異端 佐藤栄作総理は「沖縄の人口を減らすな」と言った 官僚が進めた東京一極集中の弊害 金融貿易は東京以外でしちゃいけない。大きな会社の本社も東京に置け。そのために各種業界団体の本部事務局は東京に置けと 地方は頭がないんだから、手足の機能に専念しろ 世界的な観光プロデューサー アラン・フォーバス 道路を造るとか、飛行場を造るとか、ホテルを建てるとかいうのは、これらは観光を支える施設ではあるが、観光の施設ではない 観光に必要なものは何かというと、「あれがあるからそこへ行きたい」という“アトラクティブス” 沖縄の悲しい歴史にはあえて目をつむった 「団塊の世代」の警鐘、聞き入れられず 吉田寿三郎さんという厚労技官が来られて、戦後ベビーブーマーの問題が大変なことになると警鐘を鳴らされました 当時の厚生労働省では完全に少数意見で、むしろ日本の最大の問題は人口過剰にあるという見方がまかり通っていた いかにして可住地を広げるか、これが最大の課題だと言っていたわけです 規格大量生産時代が終焉。しかし日本は変わらなかった 日本は、その後もまだ高速化、大型化を志向し続けた 役人が国民の人生を決めてきた 「3度目の日本」 「楽しい日本」を目指し官僚システムを壊せ 「「データ苦手な人」には経営者になる資格がない これから「生産性向上」には逆風が吹き始める」 経営を「サイエンス」に変えよう 日本経済がこれほどまで長きにわたって低迷し続けている最大の理由は、経営戦略が間違っているからです ビッグデータの活用をはじめ、調査分析能力の向上に努めてきました 仮説を立て、分析・検証をしたうえで戦略を立案・実行するという経営スタイルがすでに一般的になりつつあります evidence based policy making 日本ではいまだに多くの経営者にとって、経営は「アート」のままです 人口が激増している時代は、管理さえしっかりとやれば、誰が経営者になっても成功する可能性が高い時代 人口減少時代には、もっと高度な経営が求められているのです 意見を言う前に、データに当たろう 最低賃金の引き上げを提案すると、「最低賃金を上げたら、韓国のようになるぞ」とか、数パーセントの従業員にしか影響しないのにもかかわらず、「中小企業の大量倒産が起きるぞ」といった、実に幼稚な反論が返ってきます しかも、こういう幼稚な反論が、経営者や社会的に影響力の大きい人からも上がってくるので、いつもびっくりさせられます 私は日本の生産性が異常に低い問題の原因は、労働者ではなく、経営者をはじめとした指導者にあると断言 世界経済フォーラム(WEF)の分析によると、労働者の人材評価は世界第4位なので、労働者に問題はありません IMDによる「IMD World Talent Ranking 2017」によると、日本の経営者ランキングは、機敏性が63カ国中第57位、分析能力が第59位、経営教育を受けたことがある割合が第53位、海外経験が第63位 IMFの分析では、年代別に見ると40代の社員の生産性が最も高く、労働人口に占めるこの世代の割合が高くなればなるほど、その国の生産性が高くなるという結果 日本では、2015年までこの世代の割合が増えていたので、ちょうど第二次安倍政権が始まったころから、生産性が上がりやすい状況にありました。しかし、これからはこの世代の占める割合が減るので、状況はマイナスに変わります 日本の経営戦略の問題点はどこにあるのか 日本も、人的資本では他国に負けているわけではありません。とくに労働市場への参加率を高めてきたことによって、生産年齢人口が減っても、労働人口は増えています。G7の平均成長率0.5%に比べ、日本は0.4% 物的資本の増加率もG7平均の0.9%に比べ、あまり変わらない0.8% 日本の生産性が先進国最低になってしまったのか。その原因は全要素生産性にあります。G7平均の0.8%に比べて、日本はたった0.2%で、G7の中で最下位 日本で全要素生産性が伸びない2つの原因 高齢化の影響 そもそも「苦手分野」だった 調査や分析に基づき、企業のあり方などに自ら進んで変化を起こすことが、とくに1964年以降あまりうまくなかったように見受けられます コストを下げることは上手であっても、付加価値を高めることに関しては、これまでの歴史を紐解いても、芳しい実績はあまり見つかりません いいものを安くは作れるけれど、ダサいのです。機能性を重視するあまり、デザイン性、ブランド力が弱い 一部の企業が頑張るだけでは、日本はもたない 継続的に最低賃金を上げていくべきだと主張 日本全国津々浦々の経営者に生産性を上げさせる「プレッシャー」をかけて、彼らを動かすことができる、唯一の政策
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労働(その2)(ゆとり世代の転職が絶えない「本当の理由」 「自分らしいキャリア」を社会が煽っている、JR東労組「3万人脱退」で問われる労組の意義 JR労組の脱退問題続報 「無所属」が大量発生、関連会社渡り歩いた「リストラ請負人」の末路 「自分は大丈夫」とのその自信 根拠ない自己暗示の賜物では?) [経済]

労働については、昨年2月22日に取上げたままだった。久しぶりの今日は、(その2)(ゆとり世代の転職が絶えない「本当の理由」 「自分らしいキャリア」を社会が煽っている、JR東労組「3万人脱退」で問われる労組の意義 JR労組の脱退問題続報 「無所属」が大量発生、関連会社渡り歩いた「リストラ請負人」の末路 「自分は大丈夫」とのその自信 根拠ない自己暗示の賜物では?)である。

先ずは、教育社会学者の福島 創太氏が昨年11月10日付け東洋経済オンラインに寄稿した「ゆとり世代の転職が絶えない「本当の理由」 「自分らしいキャリア」を社会が煽っている」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/196235
・『日本で1年間に何人が転職を経験しているかご存じだろうか。総務省統計局の「労働力調査」によると、2016年の転職者は306万人。2008年のリーマンショック以降、転職者数は減少傾向にあったが、7年ぶりに300万人を超えた』、2017年は311万人と増加したが、2007,2008年には340万人いたのに比べるとそれほど多くはない。
・『転職市場の主役はアラサー世代  年齢別に見ると、25~34歳が77万人と最も多く、転職者全体の4分の1を占める。 昨今は35歳以上の転職者が増加していると言われるが、35~44歳の就業者全体に占める転職者の割合はここ5年間で大きな変化はなく、25~34歳は約7%、35~44歳は約4%だ。 転職市場における30代前後、いわゆるゆとり世代の存在感が依然として大きいことが統計から読み取れる。さらに別の調査からは、ここ20年でアラサーの転職がより一般化している実態が見えてくる。 1997年に労働省(現・厚生労働省)が実施した「若年者就業実態調査(対象は30歳未満の労働者)」では、「初めて勤務した会社で現在勤務していない」と回答したのが28.2%だったのに対し、2013年の厚労省による「若年者雇用実態調査(対象は15~34歳の労働者)」では、対象者の約半数(47.3%)が、勤務していないと答えている。2つの調査の回答を25~29歳に限定しても、1997年調査では同34%であったのに対し、2013年調査では同45%となっている。 若年層の転職が増えている背景に、非正規雇用者の増加があるのはよく知られたことだろう。「一般的に不安定で離職や転職が多くなる非正規雇用者の増加が、見かけ上の労働市場の流動化を促している面がある」と教育社会学者の中澤渉は指摘している。ただ、非正規雇用の増加だけがその理由ではない。リクルートワークス研究所が実施している「ワーキングパーソン調査」によれば、正規雇用の若者に関しても転職者は増加している』、「非正規雇用者の増加が、見かけ上の労働市場の流動化を促している面がある」というのは、その通りだが、その他要因の寄与の度合いはどの程度なのだろう。
・『若者は我慢が苦手だから転職するのか?  転職者へのインタビューで彼らに転職理由を聞くと、彼らはよく「自分らしいキャリア」という言葉で説明する。「自分がやりたい仕事」「自分の個性が発揮できる仕事」「自分ならではの仕事」を重視する姿勢が見て取れる。そうした若者に対し年配社員たちは、「下積みの時期やトレーニングがあってこそ、大きな実績や成果を出せる」という考えの下、転職していく部下を「わがまま」で「自分勝手」と思うケースが少なくない。 今の若者が昔より転職するようになったのは、本当に「我慢が苦手だから」「移り気だから」「やりたいこと探しが好きだから」なのだろうか。より広い視野で「若者の転職」をとらえると、違う理由も見えてくる。それは「転職しようという意思が芽生えやすい社会構造に変化したから」という理由だ。 転職市場に影響を与えた社会構造の変化とは、「少子高齢化社会の到来」と「企業間競争のグローバル化」である。この2つの変化がなぜ若年転職者の増加につながるのか、説明していこう。 まず少子高齢化はそのまま、労働年齢人口の減少を意味する。国が経済成長を掲げる中で、それを担う人材が減少しているのは致命傷といえる。少ない人数でも成長を維持できるよう、1人ひとりの人材ができるだけ早い段階から戦力として育つことを社会が求めることは非常に理にかなっている。 次に、企業間競争のグローバル化は企業の経営環境を厳しくし、人材への投資余力を奪っている。これにより企業が人材を長期に雇用すること、さらには就職したあとちゃんと一人前になるまでの育成の機会を提供することが難しくなった。 そして、こうした社会構造の変化により、できるだけ早く自立し、入社した会社の支援を受けることなく、自らキャリアを作り上げていける人材が求められることとなった。 自立したキャリアを実現するべく、彼らが受けるキャリア教育や就職活動も変化していった。「自分探しを前提とした“就職活動”」と「やりたいことを聞かれ続ける“キャリア教育”」の誕生だ。 就職活動で学生が企業に提出するエントリーシート(ES)は平均で25枚前後、多い人は100枚近くに上る。ESでは「志望動機」と「自己PR」の欄が設けられているため、自分がやりたいことや強みを各社の理念や事業内容に合わせて表現する必要がある。こうした「自己分析」というプロセスは、就職活動ではもはや当たり前となっているが、自己分析が行われだしたのはここ20年くらいのことだ。 それ以前はどのように就職活動がなされていたかというと、学歴、大学歴、あるいは研究室、さらにいえば家族などの縁故を基準とした採用と選考である。企業への就職を目指す学生すべてに、求人企業すべての情報が届くわけではなく、クローズドな状況でやりとりが行われてきた。インターネットの発達などにより今では就職の門戸が開かれた代わりに、自己分析など学生への要求も高度化しているのかもしれない』、「自分探しを前提とした“就職活動”」が今や流行だが、就活時点で自分のことをどれだけ分かっているのか、さらに自分自体も変わてゆくのを考えると、いささか疑問に感じる。
・『就活に合わせキャリア教育にも変化  そして、こうした就職活動の変化と呼応する形で発展してきたのがキャリア教育である。昨今、小学校に至るまでキャリア教育の弱年齢化が著しい。端緒は1998年の中学校学習指導要領の改訂で、職場見学や職場体験が学校行事として導入され始めた。1999年の中央教育審議会の答申には文部省(当時)関連の政策文書に初めて「キャリア教育」という用語が使用された。 そして、ゆとり教育において「総合的な学習の時間」が導入されたのに伴い、キャリア教育はどんどん広がっていった。さらに2011年の文部科学省の中央教育審議会の答申で、キャリア教育を通して身に付けさせるべき能力として「キャリアプランニング力」(自分のキャリアを自ら形成する力)が掲げられた。 20~30代前半のビジネスマンは程度の差こそあれこうしたキャリア教育と就職活動を乗り越えてきた。彼らにとってキャリアとは「やりたいこと」や「自分らしさ」を土台にして描くものなのだ。そして、彼らが社会によって誘導された「自分らしいキャリア」を求めた結果、転職者が増えているのが実情なのだ』、転職者が増えることはやむを得ないとしても、いつまでも「自分探し」に追われ、腰を落ち着けられない若者が増えることは問題もあるようだ。

次に、5月8日付け東洋経済オンライン「JR東労組「3万人脱退」で問われる労組の意義 JR労組の脱退問題続報、「無所属」が大量発生」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/219323
・『JR東日本(東日本旅客鉄道)の最大労働組合「東日本旅客鉄道労働組合」(以下、東労組)からの組合員の大量脱退が止まらない。4月末では3万人を超えたようだ。 会社側によれば、4月1日までの脱退者数は約2万8700人だった。その後の1カ月間で脱退の動きは落ち着きつつあるものの、2月1日時点で組合員が約4万6800人もいたことを考えると、依然として異常事態が続いている。同時に、約3万人の組合脱退者は今後、どういう選択をするのか、あらためて労組のあり方が問われている』、約4万6800人もいた組合員が、約3万人も脱退するとは、東労組は一体、どうなっているのだろう。
・『春闘の戦術行使に「お詫びと反省」  大量脱退のきっかけとなったのは、今年2月19日の東労組によるスト権行使の予告だった。その後、ストは回避され、春闘も妥結したが、脱退者は増え続けた。突然のスト権行使予告に対し、政府が「東労組には革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)が浸透している」との答弁書を出したことも大きく影響した。 東労組は4月6日に臨時中央執行委員会を開催し、中央執行委員長らの執行権停止などを決議、新体制へ向けて動きだした。12ある地方本部のうち東京、八王子、水戸の3つの地方本部から反発の動きがあったが、12日には「職場の声を尊重し(中略)新たなJR東労組を創りあげよう」をスローガンに第35回臨時大会を開催した。 前回、4月10日に東洋経済オンラインが報じたのはここまでの経緯だ(JR東労組、組合員2.8万人「大量脱退」の衝撃)。そして12日に開かれた臨時大会では、3月6日に東京・八王子・水戸の3地方本部が各労働委員会に申し立てていた会社側の不当労働行為(組合脱退強要)の告発を゛いったん”取り下げること、春闘で大量脱退を招いた闘争本部(執行部)の14名を対象に「制裁審査委員会」を設置することなどが決められた。大会後、東労組のホームページには春闘の戦術行使についてのお詫びと反省が載せられ、同時に「脱退を余儀なくされた皆さん、JR東労組への再結集を強く呼び掛けます」とした。 東労組の新体制は、6月に予定されている定期大会で確立される見通しだが、東労組関係者によれば「もともと予定していた会場での開催は難しい状況だ。組合員の大量脱退が影響し、開催費用などを見直し、会場も変更して実施することになりそうだ」という』、政府にここぞとばかりに東労組叩きをさせるスキを与えた執行部の責任は重大だ。東労組が執行部を入れ替え、お詫びと反省をしても、脱退者は戻るのだろうか。
・『一方、会社側は、4月末に期限が迫っていた36協定(労働基準法36条に基づく、時間外・休日労働に関する協定)の締結に追われた。 会社は従業員を法定労働時間(1日8時間、週40時間)を超えて労働させる場合や、休日出勤をさせる場合には、あらかじめ労組と36協定を結び、労働基準監督署に届け出なければならない。JR東日本では36協定の失効が4月末に迫っていた。つまり、新たな協定を結ばなければ、多くの従業員の休日出勤などが不可能になり、鉄道運行に支障を来す可能性があった。 JR東日本には、従業員数名から数百名まで大小約650もの事業所があるが、36協定は各事業所ごとにその代表者と締結する。これまでは、ほとんどの事業所で過半数を占めていた東労組が代表者となっていた。だが、組合員の大量脱退で過半数に満たない事業所が大半を占めることになった』、36協定は確かに悩ましい問題だろう。
・『「社友会」を通じて36協定締結  過半数の労組がない事業所では、投票によって代表者を決めなければいけない。東労組関係者によると、会社側は脱退者の受け皿として「社友会」という親睦団体を設立、脱退者が多い事業所では社友会が過半数の代表者になり締結を進めてきたという。ただ、会社側は「社友会は本社・支社など事業所ごとに自然発生的にできたもの」と関与は否定している。 結果的に4月25日、すべての事業所で36協定は締結された。会社側にしてみれば滑り込みセーフ、逆に副産物もあった。東労組が圧倒的多数だったここ数年は、36協定を3カ月ごと、あるいは半年ごとに締結してきた。東労組からすれば、それが会社側との話し合いの契機でもあった。しかし「今回はすべて期間は1年になった」(会社側)。東労組による「36闘争」で現場が振り回されるようなことはなくなったわけだ。 今後の焦点は、東労組を脱退した3万人の動きだ。脱退者の間では「これで高い組合費を払わなくて済む」「勉強会やデモなどに振り回されなくなったので、よかった」という声が大勢を占める。が、一方で「今後は何か問題が起こったら誰が守ってくれるのか、今のままでいいのか」と心配する声もある。 社友会はあくまで親睦団体で労組ではない。しかも、脱退者のうち社友会に参加した社員は半分にも満たない。「ほんの一握り」(会社側)という。つまり1万5000人を上回る社員は、いわば「無所属」の状態だ。 今後、社友会が新しい労組を設立するのではないか、という憶測も流れているが、その動きはなさそうだ。 組合員が減ったとはいえ依然JR東日本の最大労組である東労組は再結集を呼びかけ、新体制の下で巻き返しを図る動きだ。新体制では「労使共同宣言」を再締結する方向ともいわれる。 また、JR東海とJR西日本の最大労組が所属するJR連合系のジェイアール・イーストユニオン、東日本ユニオン、国労東日本など、ほかの労組(JR東日本には大小合わせると8労組ある)も組合員獲得を狙っている』、「JR東日本には大小合わせると8労組ある」というのには驚かされた。
・『「無所属」が心地良い?  しかし、東労組を脱退した約3万人の従業員は、当面現状のまま、どの労組にも属さないという選択をする可能性が大きい。 厚生労働省の労働組合基礎調査によれば、労組の組織率は年々下がり続け、2017年調査では17.1%(推定組織率)と2割もないというのが現状(1949年は55.8%)。 「労組がないほうが施策を進めるにもスムーズ」という労組不要論も含め、労組に対する考え方が時代とともに変わってきたことは否めない。 だが、大企業になればなるほど、現場で起こっているさまざまな問題を、会社側がすべて把握することは難しくなる。労組から指摘され改善されることも多い。さらに、就労条件・環境の改悪が行われた場合、会社側と団体交渉できるのは労組だけだ。 来年の春闘も各労組と会社側は個別交渉するが、現状のままなら、従業員の過半がどの労組にも属さない中で、労組の影響力低下は必至。そこで、従業員の主張や要求がどこまで認められるのか、注目されるところだ。 今後、東労組を脱退した約3万人は、どういう選択をしていくのか。労組のあり方があらためて問われるきっかけとなりそうだ』、東労組のみならず労働組合全般が抱える課題のようだ。さしあたり、東労組の今後が注目される。

第三に、健康社会学者の河合 薫氏が11月20日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「関連会社渡り歩いた「リストラ請負人」の末路 「自分は大丈夫」とのその自信、根拠ない自己暗示の賜物では?」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/111600191/?P=1
・『空前の人手不足といわれるなか、50代以上のバブル世代に「リストラの嵐」が吹き荒れている。 東芝はグループで7000人削減、富士通はグループで5000人を配置転換、NECは3000人削減、三菱UFJフィナンシャル・グループは9500人分、三井住友フィナンシャルグループは4000人分、みずほフィナンシャルグループは1万9000人分の「業務量」削減……etc、etc. それぞれ「完遂」までの期間は違うし、人員削減、業務量の削減、配置転換と用いる用語も異なる。が、そこには、「50歳以上はいらない。君たちが我が社の成長の足枷になっているんだ!」というメッセージが色濃く漂う。リストラの柱が早期退職や配置転換である以上、そのターゲットがバブル世代であることは容易に想像できる』、年功賃金のカーブは緩やかになったとはいえ、依然存在しているなかでは、あり得る話だ。
・『「彼らは自分の立場をわかっていない」  ところが、メディアの扱いは実に冷ややか。数年前なら大ニュースだった大企業のリストラ劇が、ストレートニュースレベルで扱われ、不安にあえぐベテラン社員たちを憂う報道も激減した。 番組を作っているのが30代の若い社員であることが原因なのか? はたまた、50代の多くが、「自分は別」と高を括っているのか? 「50代以上は仕事へのモチベーションが低い。若い社員に嫉妬して足を引っ張ったり、定時になると残りの仕事をまわりに押し付け、さっさと帰る人もいます。安心だけを求める人は、もう、いらないんです。そのことを理解できない人が多すぎます。何やかんや言っても、『このまま乗り切れる』と思ってるんでしょう」 こう話すのは、某大企業の人事部の男性である。彼は何度も、「彼らは自分の立場をわかっていない」と繰り返した。 ……ふむ、なんとも。グサッと刺さる言葉だ。 これまで何度も書いてきたとおり、私は「50歳を過ぎた社員をどうやって『会社の戦力』にするかで、会社の寿命が決まる」と考えている。「使えるものを使わないことには、会社がつぶれちゃいますよ!」と本気で思っているし、その確信は以前にも増して強まっている。 2年後には大人(20歳以上)の「10人に8人」が40代以上、50代以上に絞っても「10人に6人」で、どこの職場も見渡す限りオッさんとオバさんだらけになる。おじさん、おばさんがこんなにいるのに、人手不足ってどういうこと? と脳内の猿たちはかなり混乱しているのである』、確かに着実に進む高齢化を逆手に取るかがカギというのは、その通りだ。
・『「不安を全く感じていない」50代社員の不思議  実際、私が知る限り、成長している企業では「50歳以上=お荷物」じゃない。 特にこの1年間で、50歳以上を「貴重な戦力」と捉え、彼らのモチベーションを高める知恵を絞る企業は確実に増えた。「役職定年になったら終わり」ではなく、本人のやる気さえあれば、新たな部署に異動させている会社もあった。 そういった企業では例外なく非正規が少ない。非正規と正社員の賃金格差、待遇格差も小さい。女性のパートさんが多い企業もあったが、「モチベーション向上のために、働きに応じて賃金がちゃんと上がる制度になっています」「長く働いてもらいたいので昇進制度を作りました」といった具合に、そこで働く人たちのモチベーションを沈滞させないよう工夫する。 それだけに昨今のリストラの嵐は、実に残念。ホントに残念である。大規模なリストラを発表した企業のトップたちは、「構造改革」「人員の適正化」という言葉を多用するけど、これってベテラン社員を生かす術を試みた末のリストラなのだろうか。 「何言ってんだよ! どんだけ50歳以上の給料が高いかわかって言ってるのか!?」とお叱りを受けそうだが、つまり、「鶏と卵」じゃないか、と。 結局のところ、「50歳になったらお払い箱」を前提にした経営をしてきた結果なのでは? という疑念が尽きないのである。申し訳ないけど。 が、その一方で、「自分の立場をわかっていない」というグサッとくる言葉を、完全には否定できない自分もいる。 つまり、鶏だか卵なのかわからないけど、あるときから学ぶことをやめ、新しいことにチャレンジするのをあきらめ、思考を停止させ、「会社員」という身分に安住している人たちが、確実に存在することを、最近やたらと痛感させられているのである。 前々回の記事(「増える月曜朝の中高年の縊死と就職氷河期の果て」 )で、50歳以上の会社員を「漠然とした不安を抱いている人たち」と書いた。 彼らは「自分の立場をわかっている」からこそ、「このままでいいのか? いいわけない。どうにかしなきゃ」と苦悩し、それでもまるで金縛りにでもあったように身動きができず、不安に押しつぶされる。 しかしながら、同じ50代会社員の中には「不安を全く感じていない人たち」もいる。彼らをうまく表現するのは非常に難しいのだが……、「ぬるい」、とでも言いますか。今は毎月お金をもらえているかもしれないけど、ある日突然「一円も稼げない自分」に直面し、苦労するのではないか、と。 仕事柄いろいろな方と接する機会があるが、「時代も変わっちゃったし、人生も長く延びちゃってるのに、ホントに今のままで大丈夫ですか?」と問いたくなるような人たちが、決して少なくないのである。 というわけで前置きが長くなった。今回は「変わる勇気」について、あれこれ考えてみよう思う』、興味深そうだ。
・『「自分は切る側の人間なんだ」という、変な優越感  もう10年ほど前になるが、50人の部下をリストラし、最後に人事部から渡された「リストラリスト」に自分の名前が載っていたという、いたたまれない話をしてくれた男性がいた。しかも、その方の結末は実にシュール。退職後、自分をまるで鉄砲玉のように使った会社に一言文句でも言ってやろうと株主総会へ乗り込んだところ、「当時の人事部長が警備保障会社の制服姿で立っていた」というものだった。 このときの男性以来、「リストラする側」だったことを告白してくれた人はいなかった。ところが先日、件の男性に匹敵、いや、もしかしたらそれ以上にひどい経験をした方から話を聞くことができた。そこで、まずは某大企業の部長さんだったその男性の話から紹介する。 「私はずっとどこかで『自分だけは大丈夫』と、過信していました。肩たたきされた同期を、蔑んでいたんです。安心や安定を求め、現状に満足してるから、ダメなんだよって。 でも、自分を救ってくれた人に出会えてやっと気づきました。現状に満足していたのは、自分でした。 実は……、私、55歳のときに関連会社に行かされることになったんです。一応、役員待遇です。前任者は最後はそこの社長になっていたので、自分もそうなると、勝手に信じ込んでいました」 ところが、現実は予想もしないものだった。 「私に与えられた仕事は、リストラです。コスト削減のために、何人もの社員をリストラさせられたんです。 それだけではありません。 予定していた人数のリストラが終わると、また、別の関連会社に行かされて、そこでも同じようにリストラをさせられました。人事部が差し出す名簿にしたがって、一緒に働いたこともない社員を切っていくんです。そして、それが終わると、また次の会社に行かされて。結局、3つの会社でリストラをしました。 部下の肩たたきは元の会社でもやっていましたが、さすがに自分のやっていることが嫌になってきましてね。みんな自分と年齢が変わらない人たちで、会社に定年までいることを前提に生きてきた人たちです。やっぱりね、気持ちのいいものではないですよ。 嫌がらせの電話が自宅にかかってきたこともありましたし、駅のホームでは線路側は歩かないようにしていました。精神的にものすごく疲弊しました。 でも、そんな気持ちとは裏腹に『自分は切る側の人間なんだ』という、変な優越感みたいなものがあった。散々手を尽くした末の人員削減なんだと。リストラは会社の問題ではなく、切られる側に問題があるという考えをずっと持っていましたから、余計そう思うようになったのでしょう。 それに……自分は経営側の人間なんだと思うと、自尊心が満たされるんです」』、「3つの会社でリストラをしました」とはご苦労なことだ。少なくとも2番目や3番目の会社では、それまでの悪評がいき渡っているので、白い目でみられ、居心地はさぞか悪かったろう。
・『「普通に考えれば、最後は私が切られますよね」  彼はこう続けた。「そんなある日、若い時にお世話になった会社の社長さんから、突然電話がかかってきましてね。『アンタ、何やってるんだ。そんなことやってないで、ウチに来い!』って言われて。最初は何を言われてるのかさっぱりわからなかった。そしたら、『アンタの会社ほど給料は出せないけど、さっさとやめて来い』と、また言われて。それでやっと目が覚めた。 普通に考えれば、最後は私が切られますよね。そんなこともわからなくなっていたんです。自分が見えてなかったんですよ。結局、1つの組織に長年いると、過去を生きるようになっていくんです。 私たちの世代は組織に残るのが当たり前でしたから、私は、その当たり前を手に入れた、選ばれた人材なんだと勘違いしていたんです。 でも、今思うと、私は必死でそう思い込もうと自己暗示をかけていただけなのかもしれません」 60歳を過ぎたこの男性は、現在も「恩人の社長さん」の会社の一社員として働いている。給料は以前の半額以下。「全く不満がないと言えば嘘になる、でも、ここには未来がある」と。 つまり、彼は“自己暗示”から開放され、「変わる勇気を持つ」ことに成功したのである。 しかし前職時代の彼は、間違った「つじつま合わせ」により「不安」を消した。会社に命じられたことをきっちりやれば、また道が開ける。そう妄信していたのだ。 肩たたきされる同僚と、されない自分。関連会社の社長で会社員生活を終える前任者と、それに続く自分。人は「これだ!」といったん確信を持つと、その確信を支持する情報だけを探し、受け入れ、確信に反する情報を無意識に排除する生き物だが、男性はまさにそれだった。 不安を感じていない人、いや、不安を消す自己暗示に長けた人たちは、独特の万能感を醸し出す。 いったい、この人たちの万能感はどこからくるのだろう? と不思議なくらい、自己肯定感が強く、彼らは決まって「自己責任」という言葉を多用する。彼らは自分が「影響力を持つ」ことに固執し、変化する現実に目を向けないから、なかなか適応できない。組織内の競争に勝ち、収入や役職、裁量の権限や人事権などの「自分と彼ら」を区別する“外的な力”を手に入れたことで、いつしか外的な力だけを偏重するようになり、適応力の礎となる“内的な力”を高めることがおろそかになってしまうのだ。 内的な力とは、誠実さや勇気、謙虚さや忍耐といった人格の土台だ。 謙虚さがあれば、自分を知ることができる。だからこそ、不安になり、「変わらなきゃ」「どうにかしなきゃ」と抗い、苦悩する。 とどのつまり、人から「不安」という感情が消えたとき、「変わる」必然性を認知できず劣化する。やがて「価値なき人材」と評され、挙げ句の果て「自分の立場をわかっていない」と揶揄されてしまうのだ』、心理学的な分析はさすがだ。
・『では、変わるにはどうすればいいのか  個人的な話で申し訳ないが、組織の外でフリーとして生きていると、「安心」というものは一生手に入れることができない尊いものであると痛感する。 常に不安と背中合わせの状況では、「今」を生きるしかない。どんなに仕事が増えても、どんなに稼ぐことができても、明日突然「仕事がなくなる」リスクは、いくつになっても、どれだけキャリアを重ねてもつきまとう。 組織外の人間に、指定席はない。それが用意されているのは、一部の天才だけ。普通の能力しかない自分は、今日、絶好調でたくさん稼げても、翌日、突然稼ぎがなくなるという痛い目に、何度も遭った。 そんな失敗を繰り返しているうちに、お金という有形の資産(外的な力)を得るには、その金を得るだけの無形の資産(内的な力)への投資が必要になることを必然的に学ぶ。つまり、今の仕事を続けるには、常に「今の自分」をアップデートすることが必要不可欠であり、ちょっと立ち止まる、ぶつかる、変わることを恐れないことが、不安への最良の対処だと学んでいくのだ。 時代が変わり、会社という組織のあり方も変わった今、「現在の地位」の賞味期限はすぐに切れる。なのに、人生は長くなる一方だ。 良く言えば安定、悪く言えば変化に乏しい会社という組織にいるだけでは、自分はなかなか見えづらい。地域を含めた社会の中で、様々な人と接する中で自分を知ることが、変わることへの第一歩だと思う。 不安の反対は安心ではない。動くこと。 その動く勇気を「会社員」の方たちにも持ってほしいと心から願います。なんだか上から目線のようで申し訳ないけど、こうやって書くことで、自分を戒めているのです……』、「良く言えば安定、悪く言えば変化に乏しい会社という組織にいるだけでは、自分はなかなか見えづらい。地域を含めた社会の中で、様々な人と接する中で自分を知ることが、変わることへの第一歩だと思う」というのは、説得力があって、その通りなのだろう。心したいことだ。
タグ:労働 東洋経済オンライン 日経ビジネスオンライン 河合 薫 (その2)(ゆとり世代の転職が絶えない「本当の理由」 「自分らしいキャリア」を社会が煽っている、JR東労組「3万人脱退」で問われる労組の意義 JR労組の脱退問題続報 「無所属」が大量発生、関連会社渡り歩いた「リストラ請負人」の末路 「自分は大丈夫」とのその自信 根拠ない自己暗示の賜物では?) 福島 創太 「ゆとり世代の転職が絶えない「本当の理由」 「自分らしいキャリア」を社会が煽っている」 2016年の転職者は306万人 転職市場の主役はアラサー世代 一般的に不安定で離職や転職が多くなる非正規雇用者の増加が、見かけ上の労働市場の流動化を促している面がある 「自分らしいキャリア」 「転職しようという意思が芽生えやすい社会構造に変化したから 少子高齢化社会の到来 企業間競争のグローバル化 できるだけ早く自立し、入社した会社の支援を受けることなく、自らキャリアを作り上げていける人材が求められることとなった 「自分探しを前提とした“就職活動”」 「やりたいことを聞かれ続ける“キャリア教育”」 キャリアプランニング力 「JR東労組「3万人脱退」で問われる労組の意義 JR労組の脱退問題続報、「無所属」が大量発生」 「東日本旅客鉄道労働組合」(以下、東労組) 2月1日時点で組合員が約4万6800人もいた 約3万人の組合脱退者 春闘の戦術行使に「お詫びと反省」 2月19日の東労組によるスト権行使の予告 その後、ストは回避され、春闘も妥結したが、脱退者は増え続けた 政府が「東労組には革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)が浸透している」との答弁書を出したことも大きく影響 中央執行委員長らの執行権停止などを決議、新体制へ向けて動きだした 臨時大会 闘争本部(執行部)の14名を対象に「制裁審査委員会」を設置 春闘の戦術行使についてのお詫びと反省 会社側は、4月末に期限が迫っていた36協定 の締結に追われた これまでは、ほとんどの事業所で過半数を占めていた東労組が代表者となっていた。だが、組合員の大量脱退で過半数に満たない事業所が大半を占めることになった 「社友会」を通じて36協定締結 今後の焦点は、東労組を脱退した3万人の動きだ 「これで高い組合費を払わなくて済む」「勉強会やデモなどに振り回されなくなったので、よかった」という声が大勢 脱退者のうち社友会に参加した社員は半分にも満たない ほかの労組(JR東日本には大小合わせると8労組ある)も組合員獲得を狙っている 「無所属」が心地良い? 就労条件・環境の改悪が行われた場合、会社側と団体交渉できるのは労組だけだ 「関連会社渡り歩いた「リストラ請負人」の末路 「自分は大丈夫」とのその自信、根拠ない自己暗示の賜物では?」 50代以上のバブル世代に「リストラの嵐」が吹き荒れている 「彼らは自分の立場をわかっていない」 私は「50歳を過ぎた社員をどうやって『会社の戦力』にするかで、会社の寿命が決まる」と考えている 「不安を全く感じていない」50代社員の不思議 「50歳になったらお払い箱」を前提にした経営をしてきた結果なのでは? 「変わる勇気」 「自分は切る側の人間なんだ」という、変な優越感 結局、3つの会社でリストラをしました 『自分は切る側の人間なんだ』という、変な優越感みたいなものがあった 自分は経営側の人間なんだと思うと、自尊心が満たされるんです 普通に考えれば、最後は私が切られますよね 私たちの世代は組織に残るのが当たり前でしたから、私は、その当たり前を手に入れた、選ばれた人材なんだと勘違いしていたんです 彼は“自己暗示”から開放され、「変わる勇気を持つ」ことに成功したのである 不安を感じていない人、いや、不安を消す自己暗示に長けた人たちは、独特の万能感を醸し出す 自己肯定感が強く、彼らは決まって「自己責任」という言葉を多用する 組織内の競争に勝ち、収入や役職、裁量の権限や人事権などの「自分と彼ら」を区別する“外的な力”を手に入れたことで、いつしか外的な力だけを偏重するようになり、適応力の礎となる“内的な力”を高めることがおろそかになってしまうのだ 人から「不安」という感情が消えたとき、「変わる」必然性を認知できず劣化する。やがて「価値なき人材」と評され、挙げ句の果て「自分の立場をわかっていない」と揶揄されてしまうのだ 良く言えば安定、悪く言えば変化に乏しい会社という組織にいるだけでは、自分はなかなか見えづらい。地域を含めた社会の中で、様々な人と接する中で自分を知ることが、変わることへの第一歩だと思う
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人手不足(その1)(“人手不足倒産”が日本経済にとっては「いい倒産」である理由、人手不足の日本社会がすがるしかない 手放しで喜べぬ3つの解決策) [経済]

今日は、人手不足(その1)(“人手不足倒産”が日本経済にとっては「いい倒産」である理由、人手不足の日本社会がすがるしかない 手放しで喜べぬ3つの解決策)を取上げよう。

先ずは、元銀行員で久留米大学商学部教授の塚崎公義氏が5月18日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「“人手不足倒産”が日本経済にとっては「いい倒産」である理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/170323
・『東京商工リサーチや帝国データバンクによれば、「求人難」「人手不足」による倒産が増加しているという。いずれも件数は少ないものの、「労働力不足」で倒産する企業が増えているというのは、象徴的なニュースだ。 倒産は悲惨だ。経営者は、全財産を失って路頭に迷い、銀行は融資が返済されずに損失をかぶり、従業員は退職金も受け取れずに仕事を失って茫然自失となってしまうからだ。そうした当事者たちにとって、「いい倒産」など存在するはずはない。 筆者としても、倒産した企業の経営者を批判したり、倒産するような企業に金を貸すような銀行の無能を批判したりしているのではなく、ましてや他人の不幸は蜜の味だと喜んでいるわけでも全くない。当事者にとっては誠に不幸で残念な出来事であることは十分認識しながらも、マクロ的な視点で広く日本経済のことを考えると、人手不足倒産は「いい倒産」だ、と述べているのである。ぜひともご理解いただきたい』、批判を避けるための慎重な言い回しは手慣れたものだ。
・『人手不足になるほど景気がいいことを祝おう  倒産の話を始める前に、まずは人手不足になるほど景気がいいという状況を素直に祝おう。不足という単語は、否定的なニュアンスを持った言葉であり、何か日本経済に困ったことが生じているような印象を与えかねない言葉だが、バブル崩壊後の長期低迷期に日本経済を悩ませ続けた失業問題が消えうせた結果が人手不足なわけで、これは素直に喜ばないわけにはいくまい。 人手不足というのは経営者目線の言葉であり、労働者目線からは「仕事潤沢」とでも呼ぶべきだが、筆者にはキャッチコピー考案のセンスが乏しいので、どなたかに素晴らしい言葉を考えていただきたいと願っている次第である』、「人手不足というのは経営者目線の言葉」というのは言われてみればその通りだ。「仕事潤沢」というのは、やはりこなれてない言葉だ。
・『人手不足なので、倒産企業の労働者にも仕事は見つかる  失業が深刻なときの倒産は、文字通り悲惨だ。従業員は仕事を失い、失業者となるからだ。経営者と銀行が悲惨なのは言うまでもない。しかし、「人手不足倒産」が発生するような状況であれば、従業員は比較的容易に次の仕事が見つけられるから、それほど悲惨ではなさそうだ。 銀行も、不況型倒産が減っているだろうから、全体の貸倒動向に注目すれば、それほど悲惨ではなさそうだ。一般論として、景気がいいときには「高い金利でも借りたい」という企業が増えて利ざや収入も増え、多少の貸し倒れ損失は気にならないはずだ。この点は今回は当てはまっていないが。 経営者が悲惨なのは、何ともし難いが、不況や連鎖倒産といった外部要因で倒産したのではなく、労働力確保競争に負けて倒産したのだから、ある程度「自己責任」と言えるだろう。つまり、同業他社よりも低い給料しか提示できなかったことによる倒産なわけで、不運による倒産とは言えない面もあるはずだ。 マクロ経済から考えたときに、人手不足倒産がいい倒産だと言える理由は、日本経済全体として労働力が有効利用されるようになるということだ。人手不足倒産によって、「労働力を有効に活用できていない企業」から「有効に活用できている企業」へと労働力が移転するからだ。 労働力を有効に活用して高い利益を稼いでいる企業は、高い賃金が払えるから労働力が確保でき、人手不足倒産とは無縁だ。労働力を有効に活用できない企業は、利益が少ないので高い賃金が払えず、労働力が確保できなくなって人手不足倒産してしまうのだ。 そうだとすると、人手不足倒産によって失業し、新しい会社に雇われた労働者は、労働力をうまく利用できない会社から、労働力をうまく利用できる会社に「転職」したことになる。これは、日本経済にとって素晴らしいことだ。 「社員を上手に使っていい製品を作っているのに、業界全体の過当競争に伴う安売り競争に巻き込まれて利益が上がらず、賃上げができなかった。その結果、社員が高い給料を払っている他業界に引き抜かれてしまって倒産した」という会社があったとする。 だとすれば、労働力を上手に使っている会社が倒産することになってしまうが、業界全体として見た場合には、労働力を利益に結びつけられていないわけで、やはり労働力を上手に使えていない業界だ、ということになる。 いずれにしても、そうした企業の経営者には申し訳ないが、「その会社が倒産したことで、業界全体の過当競争が緩和され、生き残った会社は安売り競争をやめて適正な価格で販売するようになり、適正な利益を稼いで高い給料で人手を確保できるようになる」のだから悪い話ではない。 日本企業は過当競争体質で、せっかく良い物を作っても安売り競争を繰り広げてしまうから儲からないのだ、と言われる。それが、労働力不足で「良い物を適正な値段で売る」ようになれば、これまた素晴らしいことだ』、「「社員を上手に使っていい製品を作っているのに・・・」の例示は、例示そのものが矛盾しているが、それを除けば概ね正論だ。
・『穏当な労働力移動の方が倒産よりは望ましい  とはいえ、できれば倒産は避けたい。その意味では、人手不足倒産の件数が少ないことは救いだ。裏で人手不足による自主廃業、合併、会社の身売りなどが数多く行われているのだろう。 合併や企業の身売りなどにより、設備や労働力を同業他社が有効利用してくれるならいいことだ。「規模の経済」によって、日本経済が効率化していくからだ。資金力のある企業に吸収されれば、資金力を頼みに省力化投資を行うことで、労働力不足が緩和できる。 また、倒産してしまうと、企業に蓄積していたノウハウや顧客からの信頼といった「バランスシートに載っていない資産」が雲散霧消してしまう上に、バランスシートに載っている資産もスクラップ用に二束三文で買いたたかれたりしかねない。これは、日本経済にとって大きな損失だ。 したがって、人手不足倒産が懸念される事態に陥ったら、経営者は早めに合併や身売りや廃業を検討していただきたい。ご自身のためにも、日本経済のためにもだ。自社が生き残れるかもしれないといういちるの望みが残っているときには、必死になって生き残る可能性に賭けるのが経営者としては自然であろうが、それでつぶれてしまってはもったいない話で、日本経済の損失となる。冷静に考えて決断していただければ幸いである』、元銀行員だけあって、説得力がある主張だ。日本企業は苦しくなっても、必要以上に頑張ってしまう結果、大幅な債務超過となって、経営者のみならず、労働者にまで被害が及ぶケースが多い。これからは、傷が広がる前に、早目に見切ることも必要だろう。

次に、百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏が10月26日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「人手不足の日本社会がすがるしかない、手放しで喜べぬ3つの解決策」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/183394
・『2030年の人手不足は今の5倍以上?「もう日本が回らない」は本当か  以前から指摘されている「2030年問題」というものがある。2030年には日本人口の3分の1が高齢者になり、同時に大幅に生産年齢人口が減少することで、日本社会全体が回らなくなるのではないか、と懸念されている問題だ。 この問題については、いくつものシンクタンクが様々な試算を行っている。みずほ総研によれば、2016年に6648万人だった日本の労働力人口は、2030年には5880万人になると予測されている。単純計算で768万人の労働力減少が起きることになる。 この問題が厄介なのは、人口問題はかなり高い確率で現実のものになるということだ。いまさら日本人の出生率が急増するわけもなく、仮に今年や来年に増加したとしても、2030年の生産年齢人口には何の影響もない。 一方で、ひょっとすると高齢者の寿命は2030年頃にはもっと伸び、需要は拡大しているかもしれない。悪い方に予想が間違うことはあっても、いい方向に間違うことはないだろう。 10月23日にパーソル総合研究所と中央大学が発表した調査結果によれば、2030年の日本の人手不足は644万人になるという。厚生労働省の発表による昨年7月の人手不足は121万人だったので、2030年には現在の5倍以上の労働力不足がやってくるというわけだ。中央大学の阿部正浩教授によれば、この試算も賃金が上昇した場合であって、想定通りに賃金が上昇しなければ1000万人規模の人手不足に陥るという。 では、この問題はどう解決できるのだろうか。この2030年問題については、実は3つの具体的な解決策が提唱されている。3つとも「必ずしも好ましい対策とは言えない」という欠点を持っているにもかかわらず、おそらくその3つが未来の問題を解決してくれると期待されている。「手放しで喜べない3つの解決策」とは何か。1つずつ紹介していこう』、どのようなものなのだろうか。
・『【解決策1】労働参加年齢の上昇  労働力の統計には、生産年齢人口と労働力人口がある。生産年齢人口は15歳以上65歳未満の人口のことなので、これはどんな政策を用いても増加することはできない。一方で労働力人口は、一般には15歳以上で働く意思を持っている人口のことを指す。なので、労働参加率が上昇すれば労働人口は増えることになる。 たとえば、日本の従業員数は1984年に3936万人だったものが、2016年には5391万人と1455万人も増えている。なぜ増えたか、その要因としては人口増加よりも労働参加率の上昇の方が圧倒的に重要である。この30年間で女性の労働参加率が飛躍的に増加したのと同時に、1984年当時は55歳だった定年が現在では多くの企業で60歳以上に引き上げられていることが挙げられる』、なるほど。
・『もう高齢者や外国人に頼るしかないのか  翻って2030年のことを予測すると、その時代には70歳にならなければ満足な額の年金が支給されなくなるということが予想されている。年金が支給されなければ、ないしは年金が支給されてもその額が十分でなければ、生活が成り立たない高齢者がどうするかというと、働くしかない。 中国から見ると、現在でも日本は高齢者がたくさん働いている国に映るそうだが、それが2030年にははるかに大規模な社会現象となり、労働力不足は200万人規模の高齢者が埋めてくれることになる』、「定年」がない高齢者の労働参加率はどうなのだろう。
・『【解決策2】移民の活用  日本は欧米のような移民政策は絶対にとらない――。我々日本人はそう信じてきた。しかし海外の人から言わせると、現在の日本はすでに移民大国なのだという。 実際、2008年に48万人だった外国人労働者は、2017年には127万人まで増加している。前年比で言えば18%増と急激な増加率だ。どのような外国人が増えているのか、内訳を見ると実に全ての分類で増加しているのだ。技能実習も専門分野の在留資格も着々と増えているし、資格外活動の外国人も増加している。 さらに政府は、こうした実態に合わせるために、今後単純労働に関しても、外国人に対してビザを発行する方針を決定した。仮に外国人労働者の数が、今後(現在よりはペースダウンした)毎年10%の増加率で増えて行ったと仮定すると、どうなるだろうか。試算してみると、2030年の外国人労働者の数は400万人を超える。これは労働力不足を補うには十分なペースである』、外国人労働者の急増を社会が円滑に吸収し得るか、日本人の賃上げ圧力を抑制しないか、などが問題になる。
・『【解決策3】AI・ロボット活用  さて、実はこれが一番現実味が大きいと私が考えているものだが、人工知能の進化によって、2020年代を通じて人間が行う頭脳労働のかなりの部分がAIに置き換わるようになる。 現実に、メガバンクは10年間で1万9000人規模のリストラを計画しているが、これはRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)と呼ばれるAIによって、事務作業の多くが自動化されることを見込んだ数字である』、ホワイトカラーにとって深刻な脅威だ。
・『AIに仕事を奪われるのは正社員 この国は変質してしまうのか  私もこれまで『仕事消滅』 『「AI失業」前夜』といった著書を通じて、人工知能による仕事消滅論に警鐘を鳴らしてきた。仕事消滅の怖いところは、失業者が増えるのではなく、むしろ給料の高い頭脳労働者の仕事がなくなることだ。言い換えると、人工知能の問題は正社員の仕事を消滅させ、我々の仕事の大半をパートタイム労働だけにしてしまうことにある。 そもそも2030年に644万人の人手不足が発生するという試算の前提は、2030年の日本に7000万人分の労働需要があるという考え方に基づいている。人工知能が1000万人分の仕事を消滅させただけで、この問題はあっという間に解決してしまう。そして2020年代には、実際にAIはそれを上回るペースで人間の業務を効率化していくと予想されている。 以上が2030年問題に関して考えられている主な解決策のリストである。人工知能が頭脳労働を肩代わりしてくれ、外国人労働者がコンビニ・飲食店・宅配便・介護といった若手でないとできない仕事を担当してくれ、生活費の足りない高齢者が警備員・チラシのポスティング・清掃の仕事を請け負ってくれるのが、2030年の未来ではないか。 そのような未来を考えると、2030年問題の核心は、労働力ギャップよりも、日本という国がどこまで変質してしまうのかということだと思う。皆さんはこの問題を、どう考えるだろうか』、AIによるホワイトカラーの代替は残念ながら避けることは出来ないだろう。代替する仕組みを設計する技術者は、ごく少人数で済むので、影響は深刻だ。他方、高齢者の労働市場参加は、生活の必要性から進むだろう。現在問題になっている外国人労働者の問題は別途、取上げる予定だが、私は枠を広げることには、社会的な問題が大きく反対である。 
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