SSブログ

歴史問題(その15)(英雄「ナポレオン」没200年の今、猛批判される訳 奴隷制復活、有色人種の隷属は許されないが…、「いまさらやめられない」が生んだ350万人の悲劇 日本は負けを承知でなぜあの戦争を続けたのか、「"戦争は嫌です"で終わらせてはいけない」知の巨人が恐れた"日本社会の習性" 形を変えて繰り返すのではないか) [政治]

歴史問題については、3月7日に取上げた。今日は、(その15)(英雄「ナポレオン」没200年の今、猛批判される訳 奴隷制復活、有色人種の隷属は許されないが…、「いまさらやめられない」が生んだ350万人の悲劇 日本は負けを承知でなぜあの戦争を続けたのか、「"戦争は嫌です"で終わらせてはいけない」知の巨人が恐れた"日本社会の習性" 形を変えて繰り返すのではないか)である。

先ずは、5月8日付け東洋経済オンラインが掲載した国際ジャーナリスト(フランス在住)の安部 雅延氏による「英雄「ナポレオン」没200年の今、猛批判される訳 奴隷制復活、有色人種の隷属は許されないが…」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/426180
・『最近のフランス国内のいくつかの世論調査によると、「フランスの歴史上最も誇れる英雄」のトップはジャンヌ・ダルクでも、ドゴール将軍でもなく、ナポレオン・ボナパルト(1世)だという。今年はセントヘレナ島に幽閉され、1821年5月5日に51歳で他界してから200年になる。そのため、フランス各地でイベントが企画されている。 ナポレオンは君主制を打倒した大革命後に登場した皇帝だ。イギリスやオーストリア、ロシアなど君主制の国が自分の地位を危ぶみ、フランス封じ込めに動く中、それらの国々を跳ね除け、近代戦争の軍隊の礎を築いた人物として知られる。生涯戦績は38戦35勝と圧倒的な強さだ。 ナポレオンの近代的戦術は今も世界各地の士官学校の教材となっており、特に敵の動き始めた「動的」状態に勝機を見出す戦術は有名だ。戦争だけでなく、世界のビジネススクールでも、机上の戦略ではなく、物事を進行させながら機会を捉える戦い方が、競争の激化するビジネス界で有効だという理由で教えられている。 戦争以外でのナポレオンの最大の功績は、革命が目指した理念を法的に体系化したフランス民法法典(ナポレオン法典)を書いたことにある。ナポレオンは、ただ権力を振るう皇帝ではなかった。ナポレオン法典は過去の封建制を終わらせ、自由、平等、人権を尊重するフランスを築く基礎になっただけでなく、日本を含め、世界各地の近代市民社会の法の規範ともなり、フランス人が自画自賛するゆえんとなっている』、「ナポレオンの近代的戦術は今も世界各地の士官学校の教材となっており」、「ナポレオン法典は・・・日本を含め、世界各地の近代市民社会の法の規範ともなり」、確かに功績は偉大だ。
・『活発化する「キャンセルカルチャー」  ところが、フランスでは現在、ナポレオン没後200年を手放しで祝えない雰囲気が漂っている。 欧米ではこの1年間、奴隷制に関与しながら英雄視される歴史上の人物の像を破壊する運動が繰り返された。いわゆるキャンセルカルチャー(本来はコールアウト・カルチャー)の運動が活発化し、21世紀の価値観に沿わない主張をしたり、行動したりした人物を英雄の座から引きずり下ろす運動が繰り返されている。 実はナポレオンもその運動のやり玉にあげられているのだ。ナポレオンは奴隷制を復活させて有色人種を隷属させ、女性の社会的地位を男性の下に位置付けたためだ。その2つがある限り、英雄としての資格はないという主張がキャンセルカルチャーの運動をする人々からなされ、フランス国民や政府を困惑させている。 アメリカでは2013年に黒人に対する暴力や構造的な人種差別の撤廃を訴えるブラック・ライブズ・マター(BLM)運動が起こった。 昨年夏、黒人のジョージ・フロイドさんが警官の暴力で死亡したとされる事件で運動はさらに拡散。南北戦争で奴隷制存続を指示した南軍に関係する像など記念碑の破壊や撤去が急増した。イギリスで、17世紀の奴隷商人エドワード・コルストンの銅像がデモ隊によって破壊されるなど、ヨーロッパにも波及している。 これら人種差別を批判する潮流とともに、差別者の認定を受けた人物がSNS上などで徹底的に批判され、辱められるキャンセルカルチャーも横行している。日本でも性的マイノリティー(LGBT)への差別(それ自体は不当)に敏感となり、差別者へのバッシングは厳しさを増している。 イギリスでは海に放り込まれたコルストンの銅像を博物館に陳列し、いいことと悪いことの正確な史実の説明を加える方針を打ち出した。なぜなら、英国近代史の最高の英雄ウィンストン・チャーチルもアジア人蔑視で知られ、過去の英雄を今の価値観に照らせば、問題のない英雄はいないという事情もある』、行き過ぎた「キャンセルカルチャーの運動」は考えものだ。歴史上の人物は生きていた時代の価値観で判断すべきだろう。
・『廃止していた奴隷制度を復活させたナポレオン  フランスでは、革命後の1791年に植民地だった現在のハイチで黒人奴隷反乱が起き、国民公会は1794年に奴隷制度を廃止した。ところが権力を掌握したナポレオン1世は、1802年に奴隷制度を復活させ、奴隷労働を合法とした。その後、ハイチは1804年に独立し、奴隷制度が廃止されたのは1848年の2月革命で樹立された共和制政府によってだった。 奴隷制の残酷さは日本ではあまり知られていないが、奴隷商人によって家族はバラバラに売買され、人間として扱われなかった。今でもその扱いを受けた先祖を持つ人々の恨みは消えていない。 3月18日付のニューヨーク・タイムズはハイチ出身の黒人女性の研究者、マルリーン・ダート教授の寄稿を掲載し、「フランス人はナポレオンが行った奴隷制復活の暴挙を知りながら、まるで何事もなかったかのように、その歴史的罪を論じようとしない」という批判の記事を掲載した。 彼女の批判は、ナポレオンだけでなく彼の政策を支持したフランス国民やフランス軍にも向けられ、「恥ずべき歴史と向き合おうとしていない」「BLM運動の潮流を無視して、ナポレオン没後200年を祝おうとしている」と批判し、キャンセルカルチャーにも影響を与えている。 無論、フランスでも議論がないわけではない。パリ北東部、ラ・ヴィレット公園内にある「グラン・アール・ドゥ・ラ・ヴィレット」で大規模な「ナポレオン展」が本来は4月14日から開催予定だったが、コロナ禍のロックダウンで延期されている。このイベントの企画段階で、歴史学者から、ナポレオンの失政部分を隠蔽すべきではないという指摘があった。 奴隷制復活だけでなく、女性の社会的地位を男性の下に位置付けたことへの批判も根強い。 ナポレオンが定めた民法では、妻と子供に対する家長の権力は絶対的であり、妻は夫に従わなければならないと定められている。さらに1810年のナポレオン民法の下では、夫が自宅で妻の不貞行為に遭遇した場合、妻を殺害したとしても罪に問われないと定められていた。 ナポレオン自身、生涯に2度結婚したが、そのほかに少なくとも3人以上の愛人がいたとされる。男性中心社会であったことは確かで、そもそも革命後の「人権宣言」には女性の権利が含まれていなかった。ナポレオンの民法が原因かどうかはわからないが、婦人参政権法案が採択されたのは1945年4月と欧米主要国の中では最も遅かった。 自由、平等、友愛をうたう大革命で、女性はほとんどの政策意思決定に関わっていなかった。カトリックの教えでは家父長制度が当然とされ、女性聖職者は今でも認められていない。フランスの歴史に深く関わってきたとされるフリーメイソンも男性の秘密結社だ。筆者のフリーメイソンの友人は「女性は政治に向いていない」と言い切っている』、「奴隷制度を復活させ、奴隷労働を合法とした」のは、やはり問題だ。「フリーメイソン」を生んだ社会なので、「女性」の社会進出は遅れたようだ。
・『当時の社会慣習からすれば当然といえるものナ  ポレオンの定めた民法での妻の夫への絶対従属は、イスラム教の教えにも似ているが、当時の社会慣習からすれば、当然ともいえるものだった。 ナポレオン民法は当時、女性の従属的地位を決定的なものにした。そこから女性が社会的、政治的に平等な地位が与えられるまでに100年以上の年を要した。 1970年代以降、フランスでのフェミニズム運動が世界的に知られるようになった背景に、ナポレオンの存在があると主張するフェミニズム活動家は少なくない。フェニミズム運動家もまた、ナポレオンを称賛することを認めない勢力として、没後200年のイベントに注文をつけている。 しかし、フランスはヒステリックなキャンセルカルチャーに加わるつもりはないようだ。 そもそもフランスでは、政治指導者に聖人君子的なものは求めていない。実際、ミッテラン大統領以降の歴代大統領の浮気、離婚、隠し子は政治生命には影響していない。マクロン現大統領を支持するフランス国民の多くは若きエリートで、高校時代に女性教師と不倫して25歳年上の女性を妻にしたことを今風と好感する国民だ。 戦中戦後のリーダーだったドゴールのように「支持率が50%を切ったら大統領をやめる」と言った誠実でモラルの高い政治家を尊敬する側面もあるが、政治権力者が市民と同じように権力や金に執着し、男女の色恋に弱い(セクハラは別だが)のは、庶民に近くていいという感覚もある』、「マクロン現大統領を支持するフランス国民の多くは若きエリートで、高校時代に女性教師と不倫して25歳年上の女性を妻にしたことを今風と好感する国民だ」、さすが「フランス」らしい。
・『ノブレスオブリージュの精神が失われている  マクロン大統領は、戦後創設された上級公務員や政治家を養成する国立行政学院(ENA)を廃校にし、さらにはほかのエリート養成のグランゼコールの改革に取り組もうとしている。理由は市民離れした特権階級化を防ぐためだが、一般国民は大した変革はできないと冷ややかだ。 グランゼコールの中には理工系のエコール・ポリテクニークがある。同校は革命後に設立され、ナポレオン1世が軍学校にしたエリート養成校だ。だから今まで毎年、革命記念日に同校の学生が軍服をまとい、パリのシャンゼリゼ通りを行進してきた。 ENA廃校によるエリート教育のリセットには、ナポレオン時代から指導者教育で強調されたノブレスオブリージュ(高貴の義務)、すなわち権力者は私欲を排して公的に尽くす義務があるという精神が失われたこともある。いわゆる指導者のコンプライアンス問題だ。 その典型がポリテクニークの卒業生で、背任罪や私的資金乱用罪で起訴された日産自動車の元会長のカルロス・ゴーン被告だ。 ナポレオンは確かに奴隷制を復活させ、女性の地位を決定づけたという意味で、今の価値観では認められないかもしれない。しかし、ヨーロッパの近代市民社会の確立に貢献し、ヨーロッパに範を求めた明治・大正時代の日本の近代化にも大きな影響を与えたことは否定できない。 200年以上前の時代状況を今日に当てはめれば、英雄の価値は減ってしまうのだろう。ただナポレオンは今のビジネスにも通じるリーダーシップや戦略戦術の面で残した功績も大きい。国の方向性を決定づけ、ヨーロッパを変えてしまうほどのスケールの大きな指導者だったことの評価は、これからも変わらないだろう』、「ヨーロッパの近代市民社会の確立に貢献し、ヨーロッパに範を求めた明治・大正時代の日本の近代化にも大きな影響を与えた」、やはり偉大な人物であることは確かだ。

次に、8月16日付け東洋経済オンラインが掲載した元伊藤忠社長、元中国大使で日本中国友好協会会長の丹羽 宇一郎氏による「「いまさらやめられない」が生んだ350万人の悲劇 日本は負けを承知でなぜあの戦争を続けたのか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/444666
・『8月15日は終戦の日。あの夏から76年を経て戦争は人々の記憶から、歴史の記録へと変わりつつある。だが350万人の犠牲をけっして記憶から消してはならない。「戦争に近づかないために、日本人は、76年前に終わった日本の戦争について学び直すべきである」と訴え続ける、『戦争の大問題』の著者で、日中友好協会会長の丹羽宇一郎氏が、二度と戦争をしないために心にとどめておくべきことを訴える』、興味深そうだ。
・『なぜ負けが明白な戦争をやめられなかったのか  昭和の大戦の犠牲者は310万人とも350万人ともいわれる。そのほとんどが戦争末期の1年間に集中している。いったい終戦の1年前には何があったのか。 戦時の日本は「絶対国防圏」という最終防衛ラインを定めていた。太平洋方面における絶対国防圏はマリアナ諸島である。マリアナ諸島を取られると、日本本土全体が米軍機によって空襲可能となるからだ。 事実、東京大空襲ほか主要都市の大空襲、広島、長崎の原爆投下はマリアナ諸島のサイパン、テニアンから飛び立った爆撃機によるものである。そのマリアナ諸島を終戦のほぼ1年前、1944年6月の「マリアナ沖海戦」で失った。この戦闘によって日本海軍は壊滅的な損害を受け、対米戦の敗北が決定的となった。知らぬが仏というが、知らない仏はいなかった。軍人と役人は仏の顔をしながら、その実、鬼だったのだ。 拙著『戦争の大問題』で、元自民党幹事長・元日本遺族会会長の古賀誠氏は次のように述べている。 「マリアナ沖海戦の後に200万人の日本人が犠牲になった。政府はこの段階で戦争をやめるべきだった。このとき戦争をやめていれば、東京大空襲はなかった。沖縄戦もなかった。広島、長崎の原爆もなかった。戦争をやめなかった政府の罪は重い」(『戦争の大問題』 戦前、海軍兵棋演習ではマリアナ諸島が取られたらそこで演習終了。つまりマリアナ諸島を取られたら負けなのだ。対米戦の敗北は筋書きどおりとなり、戦争をやめようとしない仏の顔をした鬼によって、負け戦をずるずると延ばし、いたずらに人命を損なっていったのが、1944年6月から1945年8月15日までの日本である。 沖縄では実に県民の4人に1人が犠牲となり、広島では14万人が、長崎では7万5000人が原爆の犠牲となり、東京では10万人、その他の都市の空襲犠牲者を合わせると50万人を超える。この間、多くの兵隊も南方戦線で、中国・アジアで、補給を絶たれ降伏することも許されず病気や飢えによって命を失った。フィリピンのミンダナオ島に軍曹として派遣された谷口末廣さんはこう語っていた。
 「最初は(倒れた戦友を)連れていくのが戦友愛、次は手榴弾を1個渡して捕まったら自爆しろよと置いていくのが戦友愛、そのうちどうせ死ぬんだから彼の血肉を生きている者の体力とするのが戦友愛と変わってくる。死人と一緒に寝たとか、死人のものを食べたとか、死人の服を着たとか、死人の靴を貰ったとか、みんな知っている」(『戦争の大問題』)) 戦場で、国内で、人々が酸鼻を極める日々を送らざるをえなくなる前に、なぜ負けが明白な戦争をやめることができなかったのか。この問いは、なぜ戦争を始めたのかよりも重い意味がある』、「戦前、海軍兵棋演習ではマリアナ諸島が取られたらそこで演習終了。つまりマリアナ諸島を取られたら負けなのだ」、「マリアナ沖海戦の後に200万人の日本人が犠牲になった。政府はこの段階で戦争をやめるべきだった。このとき戦争をやめていれば、東京大空襲はなかった。沖縄戦もなかった。広島、長崎の原爆もなかった。戦争をやめなかった政府の罪は重い」、その通りだ。
・『最後まで責任と権限のあいまいなまま戦後へ  大変な犠牲が出たうえに負けは確実、それでもなお、やめられなかった理由はいったい何だったのだろうか。 私は社長時代に4000億円の不良資産を処理したが、赤字決算となれば株価は下がり、株価が下がれば株主から批判される。ひとつ間違えば経営危機となり、社長は四方八方から責任を追及される。 手柄は自分のもの、責任は他人のものが人間の本性である。そこで、みんな御身大切で責任を取ろうとせず、問題を先送りにしてしまう。 戦時中の指導者もそうだったのではなかろうか。戦争をやめるということは、南方の島々もアジアにおける権益も手放すということだ。それは赤字決算の比ではない。誰も進んで責任を負おうとは考えなかったはずだ。 いや、そもそもはじめから責任を負って戦争に臨んでいたのかも不明である。 これも私が社長時代、ある役員から事業プランが上がってきた。私は実現困難と判断したが、本人が強く求めるので、そこまで自信があるならと実行を認めた。ただし「他人に任せず君が最後まで実際に陣頭指揮を執ることを条件とする」とした。失敗したらその責任を取らせるという意味である。 事業プランの承認を得たら後は現場任せ、失敗しても責任を現場に押し付け自分は取らない。そんな腹づもりなら、失敗しても自分は安全なのだから、無謀な計画でも安易に実行しようとする。これが見通しの立たない事業に手を着けるときの心理だ。責任の所在があいまいなのである。 戦前の外交評論家、清沢洌が戦時下の国内事情をつづった『暗黒日記』にこんな記述がある。 「昭和18年8月26日(木)米英が休戦条件として『戦争責任者を引渡せ』と対イタリー条件と同じことを言ってきたとしたら、東條首相その他はどうするか?」 「昭和20年2月19日(月)?山君の話に、議会で、安藤正純君が『戦争責任』の所在を質問した。小磯の答弁は政務ならば総理が負う。作戦ならば統帥部が負う。しかし戦争そのものについてはお答えしたくなしといったという」(いずれも『暗黒日記』) 清沢は小磯総理の答弁を記した後に、「戦争の責任もなき国である」と付記した。清沢の日記中には、今日とまったく変わらない日本人の姿がある。 責任と権限のあいまいなまま戦争が始まり、最後まで明瞭になることなく、天皇の御聖断によって戦争は終わった。戦争を推し進めた指導者は、だれも責任を負って戦争をやめようとはしなかった。 そして、戦争責任はあいまいなまま日本の戦後が始まってしまった。 戦争を始めた責任者が不在でも、戦争をやめる責任を負うことはできる。責任を負うことは国であれ企業であれ、組織のトップに就いた者の務めである。責任を負わないトップは誰がどう言おうとトップの資格はない』、「みんな御身大切で責任を取ろうとせず、問題を先送りにしてしまう。 戦時中の指導者もそうだったのではなかろうか。戦争をやめるということは、南方の島々もアジアにおける権益も手放すということだ。それは赤字決算の比ではない。誰も進んで責任を負おうとは考えなかったはずだ」、「責任と権限のあいまいなまま戦争が始まり、最後まで明瞭になることなく、天皇の御聖断によって戦争は終わった。戦争を推し進めた指導者は、だれも責任を負って戦争をやめようとはしなかった。 そして、戦争責任はあいまいなまま日本の戦後が始まってしまった」、何事も曖昧なまま済まそうとする日本的やり方の典型だ。
・『負けると知りながら必勝を叫ぶ無責任  実際に戦場に立った人たちも、なぜあの戦争をやめられなかったのかと問う人は多かった。シベリア抑留を経験した與田純次さんもこう語っていた。 「満州(満州国、1932年満州事変によって建国された中国東北部にあった日本の植民地、1945年日本の敗戦と共に消滅)でやめておけばよかったのだ」(『戦争の大問題』) できることなら「満州も」やめておけばよかった。しかし満州事変に国民は大喝采を送った。 「満州事変では関東軍の暴走、朝鮮軍の独断越境(満州の応援に国境を越えて派遣)に、責任を感じた陸軍大臣(南次郎)等が辞表を用意したが、新聞は林洗十郎朝鮮軍司令官を『越境将軍』ともてはやしたため陸軍大臣は辞表を懐に収めた」(『戦争の大問題』) 結果がよければ規律違反を犯しても責任を問われない。では、結果がついてこないときはどうするのか。結果が出るまでやめないのである。確たる結果もなく途中でやめれば責任を逃れられない。だから、どれだけ犠牲が出ようと結果が出るまで続けるのだ。 だが、日本人は結果に対する査定もあいまいだ。国民の大喝采を浴びて建国された満州国だが、結果的には最後まで経済的にお荷物だったし、国際政治上でも益するところがなかった。 戦前でも、石橋湛山などは「日本が国際社会で立ち行くためには、政治的のみならず経済的にも、満州を放棄するほうがむしろ有利である」と主張していた。 だが形だけのものでも、一度手にしたら放棄するのは難しい。当時の指導者も国民も、ここまでやって手放すのは惜しい、ここまで来ていまさらやめられないという気持ちだったに違いない。権限と決定のあいまいさと、いまさらやめられないは、日本人の悪しき習性であり、今回の東京2020オリンピックや新型コロナ対策でもさまざまな形で影を落とした。 いまさらやめられないと考えた指導者たちも、本気で対米戦に勝てるとは思っていなかったはずだ。 「昭和15年『内閣総力研究所』が発足した。日米戦の研究機関である。陸海軍および各省、それに民間から選ばれた30代の若手エリート達が日本の兵力、経済力、国際関係など、あらゆる観点から日米戦を分析した。その結果、出した答えが『日本必敗』である」(『戦争の大問題』) この報告を聞いた東條陸相は、「これはあくまでも机上の演習であり、実際の戦争というものは君たちが考えているようなものではない」と握りつぶした。つまり口が裂けても言えないが、内心日本が負けることはわかっていたのである。 市井の人である清沢はこの事実を知る由もないが、彼の批評眼は事実を鋭く突いていた。 「昭和19年9月12日(火)いろいろ計画することが、『戦争に勝つ』という前提の下に進めている。しかも、だれもそうした指導者階級は『勝たない』ことを知っているのである」(『暗黒日記』) 東條首相は開戦時の演説「大詔を拝し奉りて」で、「およそ勝利の要訣(ようけつ)は必勝の信念を堅持することであります」と強く国民に訴えた。科学的な検証に目を背け、神風頼みで勝利のみ信じよと国民に迫るのは、とても責任あるトップの言動ではない。国民には仏のような顔を見せていた軍人、役人だが、『暗黒日記』では文字どおり暗闇の中でうごめく鬼と、その正体が暴かれている』、「満州事変では・・・責任を感じた陸軍大臣(南次郎)等が辞表を用意したが、新聞は林洗十郎朝鮮軍司令官を『越境将軍』ともてはやしたため陸軍大臣は辞表を懐に収めた」、マスコミの罪深さを示している。
・『いまわれわれに問われるもの  皇室と日本を深く敬愛した清沢だが、国民に対しては期待と失望が織り交ざっていた。 「昭和18年7月15日(木)僕はかつて田中義一内閣のときに、対支強硬政策というものは最後だろうと書いたことがあった。田中の無茶な失敗によって国民の目が覚めたと考えたからである。しかし国民は左様に反省的なものでないことを知った。彼らは無知にして因果関係を知らぬからである。今回も国民が反省するだろうと考えるのは、歴史的暗愚を知らぬものである」(『暗黒日記』)と手厳しく国民の未熟さを指摘するときもあれば、次のように将来の期待を示すこともあった。 「昭和20年1月25日(木)日本人は、いって聞かせさえすれば分かる国民ではないのだろうか。正しいほうに自然につく素質を持っているのではなかろうか。正しいほうにおもむくことの恐さから、官僚は耳をふさぐことばかり考えているのではなかろうか。したがって言論自由が行われれば日本はよくなるのではないか。来たるべき秩序においては、言論の自由だけは確保しなくてはならぬ」(『暗黒日記』) われわれはこの清沢の期待に応えたい。しかし彼の指摘するわれわれの愚かさのほうが正鵠を射ているように思える。清沢は76年前に今日のわれわれのことを見通していたかのようだ。 いまだに愚かさの先行するわれわれは、努めて自らの行動を慎まねばならない。われわれには依然として動物の血が流れている。動物の血に一度火が点けば、もはやとどまることはできない。途中で引き返すことも不可能だ。このことを忘れてはならない。 2021年8月15日、終戦から76年を経て戦争は人々の記憶から、歴史の記録へと変わりつつある。だが350万人の悲劇をけっして記憶から消してはならない。この悲劇とともに、今もなお、おろかで動物の血を宿しているわれわれの危うさを肝に銘じておくべきだ』、「われわれには依然として動物の血が流れている。動物の血に一度火が点けば、もはやとどまることはできない。途中で引き返すことも不可能だ。このことを忘れてはならない」、深い反省の気持ちを持ち続ける「丹羽 氏」のような考え方が多数派になってほしいものだ。

第三に、8月15日付けPRESIDENT Onlineが掲載したノンフィクション作家の保阪 正康氏による「「"戦争は嫌です"で終わらせてはいけない」知の巨人が恐れた"日本社会の習性" 形を変えて繰り返すのではないか」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/48731
・『ジャーナリスト・評論家の立花隆さんは「戦争」をどう捉えていたのか。このほど大江健三郎さんとの対話と長崎大学での講演を収録した『立花隆 最後に語り伝えたいこと』が発売された。同書に収録されているノンフィクション作家・保阪正康さんの解説を一部紹介しよう――。※本稿は、立花隆『立花隆 最後に語り伝えたいこと』(中央公論新社)の一部を再編集したものです』、興味深そうだ。
・『戦後民主主義教育を受けた「第1期生」としての責務  私と立花は6カ月ほど私が早くに生まれているために、小学校教育は1年私が早かった。私は昭和21(1946)年4月に国民学校に入学した。この年はまだ国民学校と言っていたのである。北海道の人口2万人余の町の小学校であったが、まだ教育制度も、教育環境も、昭和20年4月の頃と変わりなく、変わったのは教育内容であった。いわゆる戦後民主主義教育の始まりであった。 私たちは、ミンシュシュギという語を最初に習った。昭和21年はまだカタカナから学んだのである。立花は翌22年に小学校に入学したことになる。この年4月から教育制度は改まり、名称も小学校となり、すべての教科書も揃うようになった。新制度下の第1期生といえば、やはり立花の世代になるのであろう。すでに彼も書き、話している通りだが、しかし私の年代は実質的な第1期生というのは我々の年代だと自負している。戦争が終わったとはいえ、制度のもとでの第1期生と教育内容の新しい理念のもとでの第1期生、1年違いとはいえ、私と立花との年代の差にはそのズレが示されている。そのズレをただすのが戦争教育への徹底した批判だった。それは三つの歴史的意味をもっているはずであった。 一、我々の年代が「戦争」の批判を行い、その誤りを継承するのは歴史的責務である 二、あの戦争を選択した責任と批判は明確な論理と具体的事実で指摘するべきである 三、日本社会から戦争体験者が全くいなくなったときに、日本人は戦争否定の論理は確立しえているだろうか』、第三の点ははなはだ心もとない印象だ。
・『札幌で開かれたシンポジウムでの示唆に富む話  立花の戦争批判、そして日本社会の将来についての論点と分析もこのような視点に基づいていると私が理解したのは平成21(2009)年であった。私の出身地・札幌でシンポジウムが開かれることになり、私が人選などを担当し、北海道から近現代史の視点を全国に発信しようということになった。私は半藤一利と立花に連絡を取り、出席をお願いした。2人とも快く応じてくれた。そのシンポジウムで、立花は私の決めたテーマに合わせてくれたのか、日本の将来に極めて示唆に富む話を感情をこめて説いた。 私と半藤はいかに昭和史の教訓を次代に語っていくべきか、そういう話であった。ちょうどその頃は3人とも大学に講座を持っていたのだが、私と半藤はその体験を通じてどういうことをどのようにして語り継いでいくべきか、そういう話になった。3人がそれぞれ30分ずつ講演を行い、そのあと休憩を挟んで1時間半ほどシンポジウムを続けるというのが、約束であった。立花は話し出すと、特に興がのると時間を忘れてしまうので、私と半藤はそれぞれ20分話すことにして、2人の削った時間の20分を立花に回すと決めた。50分あれば、彼の講演も終わるだろうと予測したのであった。しかし立花は話をすべて伝えたかったのか、50分ほど過ぎても終わらない。結局1時間を過ぎても終わらなかった』、「立花」氏のような大物を入れた「シンポジウム」では、確かに時間配分が難しくなるのは避けられないようだ。
・『「精神力」を頼りに戦争に入っていった日本  その時の話を、私はよくおぼえている。それほど衝撃的、かつ刺激的な内容だったのである。立花は時に苛立ちを露骨に表しながら話し続けた。聴衆も特に騒ぎ立てるわけではなく耳を傾けていた。それだけ立花の話は関心が持たれたのであった。私は立花が近現代史の研究者やジャーナリストなどとは一味違うな、と思ったのもこの時であったが、彼は戦争はなぜ起こったのか、どういうシミュレーションの元での判断だったのか、彼我の戦力比をどう考えるか、という点にポイントを絞って論じた。 対アメリカとの戦力をどう比較したのか、そこを問題にしたのである。すべての数字は戦争の結果について「勝利」などはあり得ない、というのが結論のはずなのに、それでも戦うというのはどういうことなのか。そのことをこの時は説いたわけではないのだが、立花が問題にしたのは以下のようなことだった。軍事が行うシミュレーションの折に、敵と味方が衝突したら、その勝敗についていくつかのパラメーター(変数、測定値)にいろいろ数字を入れていく。客観的な数字を入れるだけでは、日本に勝ち目はない。ところがもっとも楽観的な数字を入れると、それでも敗北と出るが、しかし僅差で敗れるとなる。そこで軍事指導者たちは、日本には精神力という数値化できないプラスがある、といったような判断をする。そして戦争に入っていったということになる』、「軍事指導者たちは、日本には精神力という数値化できないプラスがある、といったような判断をする。そして戦争に入っていった」、事実であれば、お粗末だ。
・『歴史を語り継ぐ姿勢が余人とは違う  立花の講演はこのことが本題ではなかったので、このからくりが日本人の欠陥であるというような例のひとつに挙げたに過ぎなかった。しかし私はこの説明を聞いて、立花の歴史を語り継ぐ姿勢の本質がわかった。というよりこの人はやはり余人と違うという実感であった。私は日本の軍事指導者の最大の欠点は、「主観的願望を客観的事実にすり替える」という点にあると考えてきた。そういう例にまさに符節すると思った。立花のこういう指摘は、実は無意識のうちに「ある立場(日本的指導者というべき)」に立つ人の思考方法そのものだとも気がついたのである。そのことを語っておかなければならない。そこに民主主義教育を受けた世代が自立していった姿がある。私はそのことに感銘を受けたのである』、なるほど。
・『戦争体験を自らの身体から離して客体化する「三次的継承」  一般的には、戦争体験を語るには自らの身体的、社会的体験を語るのが普通であり、そのことによって「体験の継承」という言い方で括られていく。あえていえば「一次的継承」という表現で語ってもいいかもしれない。俗に言う継承はこのような理解であろう。さてこれとは別に他者の体験を聞き取り、それを語り継ぐ「二次的継承」という手法がある。むろんこれは私なりの用い方であり、すべてをうまく捉えているとは思わないが、こうした分け方をしていかないと歴史の継承という意味は散漫になってしまう。 そのほかに「三次的継承」があると考えてきた。それは体験の教訓化、あるいは継承の社会化ともいうべき内容である。戦争体験を自らの身体から離して客体化するのである。一次的継承を感性という語で語るなら、三次的継承は知性とか理性ということになろうか。付け加えておくが、戦争体験はないが、体験を聞く、読むなどで確かめ、それを語り継ぐ前述の二次的継承は必然的に三次的継承の要素を取り入れていなければ普遍性を失ってしまうことになる』、「二次的継承は必然的に三次的継承の要素を取り入れていなければ普遍性を失ってしまう」、というのは確かだ。
・『「三次的継承」から「一次的継承」に目を移すプロセス  私が、昭和史や太平洋戦争を語り継ごうと志しているのは、「一次的継承」「二次的継承」から「三次的継承」までを踏まえてと考えているのだが、どうしても一次的継承、二次的継承が軸になり、三次的継承は主ではなく、従という姿勢になってしまう。私の見る限りほとんどは一次的継承を語り、その結論として「戦争は嫌です」「こんな非人間的所業はありません」と結論づける。その方程式のような問答がこの国の平常の姿である。立花はそうではなく、三次的継承を初めに持ってきて、それを説く。そして一次的継承に目を移す。私などとは異なってかなり知性的、理性的なプロセスを辿っている。 立花は、自らの戦争体験を土台に据えるにせよそこから人類の、あるいは地球規模の、そしてとうとう科学によって身を滅ぼすような兵器を作り上げてしまった我々の時代が、どのように変転するのかに、知的に興味を持っている。その関心は自らの体験の一部が拡大していった末に辿り着いたのである。一般には感性から知性へ、と移行するが、立花は感性はきっかけで、知性が二重、三重に拡大していき、そして感性が時に知性をさらに押し上げるといった役割を果たしている』、「立花は感性はきっかけで、知性が二重、三重に拡大していき、そして感性が時に知性をさらに押し上げるといった役割を果たしている」、さすが「立花」氏だ。
・『「歴史のなかで何を自らに問うて生きるのか」  立花は、体験の継承を「三次的継承」から説く。なぜだろうか。開戦前の彼我の戦力比に大きな違いがあるのに、なぜ戦争を選んだのかとの問いは、普通には継承のレベルでは初めに来ることではない。しかし立花は自らも戦後民主主義の第1期ともいうべき世代だと簡単に言った後に知性で説くのだ。本書の長崎大学での講演(2015年1月17日)は、私たちとの札幌でのシンポジウムから5年余後になるが、読んでいて立花の体験継承を土台に据えての知性の分析による覚悟が感じられて、私は立花の心中に「人生の段階(生きるステージ)」が上がってきているのだな、と受け止めた。私が猫ビルで4時間ほど対話した頃になるだろうか、立花の中に、「若い世代」に語り継ぐという姿勢が生まれているということであった。それは何も若い世代と接するという意味ではなく、君たちは何を参考に生きるのか、歴史のなかで何を自らに問うて生きるのかを、自分に問え、その時の参考の一助にと私は語っているんだ、私だってそう問うてきたんだ、という感情の迸ほとばしりが感じられる』、なるほど。
・『知性が放射線状に広がっていった  この講演には立花が、思考を深めることになる歴史のキーワードがさりげなくある。少々引用すると、「僕は一〇〇%戦後民主主義世代なんです」「僕たちは戦前と戦後の時代の断絶を感じながら生きてきました」「あの戦争のあの原爆体験というものは、本当にすべての人が記憶すべき対象です」「戦争が終わったときにどん底で、僕はそのときに五歳ですから、毎日食うものもなくて、本当に大変だったんです」などから立花の知性は、放射線状に広がっていった。 さらに一次的継承の試みというべきだが、立花は大胆な方法も考えている。2010年6月に立教大学の立花ゼミで、主にゼミ生を相手に母親の龍子、兄の弘道、妹の菊入直代、そして立花の4人で、「敗戦・私たちはこうして中国を脱出した」というタイトルで終戦時の体験を語っている。札幌での私たちの「戦争体験を次代にどう語り継ぐか」の実践でもあったのだろう』、「戦争体験を次代にどう語り継ぐか」は実に難しい課題だ。
・『この社会は形を変えて同じ誤謬を重ねる「習性」があるのではないか  これが長崎大学への講演につながっていったように、私には思われる。私は立花が恐れていたのは、この社会が「体験」から何も学ばないという怠慢ではなく、この社会は形を変えて同じ誤謬を重ねる「習性」があるという不安ではなかったろうか、という感がしてならないのである。 立花の言動は一次的継承を語ることで、歴史の継承が戦争体験者が一人もいなくなった時代に知性だけで語ることによる歪みを正そうとしたのかもしれない。彼自身があの戦争の愚かしさと一線を引いていた世代の感性と知性の両輪を信頼し、それを歴史に刻もうとしていたのかもしれない。 私は立花よりも、その一族と会い、知性の刺激を受けてきた。立花との対話を思い出すと会った回数は少ないにせよ、3時間も4時間もの対話を交わしていた時に彼のイントネーションに、あれは水戸の訛りだろうか、あるいは長崎のなごりだろうか、と窺える時があった。私にも北海道のイントネーションがあっただろう。がん患者の体験を持つ私たちは、死について生育地の訛りを交えて驚くほど淡々と向き合っていることを確認した。同年代のトップランクの頭脳と会話しているな、との思い出が懐かしい』、「私は立花が恐れていたのは、この社会が「体験」から何も学ばないという怠慢ではなく、この社会は形を変えて同じ誤謬を重ねる「習性」があるという不安ではなかったろうか、という感がしてならない」、困った「習性」だが、私も同感である。
タグ:「立花は感性はきっかけで、知性が二重、三重に拡大していき、そして感性が時に知性をさらに押し上げるといった役割を果たしている」、さすが「立花」氏だ。 PRESIDENT ONLINE 「ヨーロッパの近代市民社会の確立に貢献し、ヨーロッパに範を求めた明治・大正時代の日本の近代化にも大きな影響を与えた」、やはり偉大な人物であることは確かだ。 行き過ぎた「キャンセルカルチャーの運動」は考えものだ。歴史上の人物は生きていた時代の価値観で判断すべきだろう。 保阪 正康 「われわれには依然として動物の血が流れている。動物の血に一度火が点けば、もはやとどまることはできない。途中で引き返すことも不可能だ。このことを忘れてはならない」、深い反省の気持ちを持ち続ける「丹羽 氏」のような考え方が多数派になってほしいものだ。 「マクロン現大統領を支持するフランス国民の多くは若きエリートで、高校時代に女性教師と不倫して25歳年上の女性を妻にしたことを今風と好感する国民だ」、さすが「フランス」らしい。 「「いまさらやめられない」が生んだ350万人の悲劇 日本は負けを承知でなぜあの戦争を続けたのか」 丹羽 宇一郎 「立花」氏のような大物を入れた「シンポジウム」では、確かに時間配分が難しくなるのは避けられないようだ。 「満州事変では・・・責任を感じた陸軍大臣(南次郎)等が辞表を用意したが、新聞は林洗十郎朝鮮軍司令官を『越境将軍』ともてはやしたため陸軍大臣は辞表を懐に収めた」、マスコミの罪深さを示している。 「軍事指導者たちは、日本には精神力という数値化できないプラスがある、といったような判断をする。そして戦争に入っていった」、事実であれば、お粗末だ 「「"戦争は嫌です"で終わらせてはいけない」知の巨人が恐れた"日本社会の習性" 形を変えて繰り返すのではないか」 「みんな御身大切で責任を取ろうとせず、問題を先送りにしてしまう。 戦時中の指導者もそうだったのではなかろうか。戦争をやめるということは、南方の島々もアジアにおける権益も手放すということだ。それは赤字決算の比ではない。誰も進んで責任を負おうとは考えなかったはずだ」、「責任と権限のあいまいなまま戦争が始まり、最後まで明瞭になることなく、天皇の御聖断によって戦争は終わった。戦争を推し進めた指導者は、だれも責任を負って戦争をやめようとはしなかった。 そして、戦争責任はあいまいなまま日本の戦後が始まってしまった」、 「奴隷制度を復活させ、奴隷労働を合法とした」のは、やはり問題だ。「フリーメイソン」を生んだ社会なので、「女性」の社会進出は遅れたようだ。 第三の点ははなはだ心もとない印象だ。 「私は立花が恐れていたのは、この社会が「体験」から何も学ばないという怠慢ではなく、この社会は形を変えて同じ誤謬を重ねる「習性」があるという不安ではなかったろうか、という感がしてならない」、困った「習性」だが、私も同感である。 「戦争体験を次代にどう語り継ぐか」は実に難しい課題だ。 「二次的継承は必然的に三次的継承の要素を取り入れていなければ普遍性を失ってしまう」、というのは確かだ。 「戦前、海軍兵棋演習ではマリアナ諸島が取られたらそこで演習終了。つまりマリアナ諸島を取られたら負けなのだ」、「マリアナ沖海戦の後に200万人の日本人が犠牲になった。政府はこの段階で戦争をやめるべきだった。このとき戦争をやめていれば、東京大空襲はなかった。沖縄戦もなかった。広島、長崎の原爆もなかった。戦争をやめなかった政府の罪は重い」、その通りだ。 歴史問題 安部 雅延 (その15)(英雄「ナポレオン」没200年の今、猛批判される訳 奴隷制復活、有色人種の隷属は許されないが…、「いまさらやめられない」が生んだ350万人の悲劇 日本は負けを承知でなぜあの戦争を続けたのか、「"戦争は嫌です"で終わらせてはいけない」知の巨人が恐れた"日本社会の習性" 形を変えて繰り返すのではないか) 「英雄「ナポレオン」没200年の今、猛批判される訳 奴隷制復活、有色人種の隷属は許されないが…」 東洋経済オンライン 「ナポレオンの近代的戦術は今も世界各地の士官学校の教材となっており」、「ナポレオン法典は・・・日本を含め、世界各地の近代市民社会の法の規範ともなり」、確かに功績は偉大だ。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

民主主義(その8)(千葉県知事選の「奇抜な候補者たち」を振り返る 選挙はこれでいいのか、「国の未来を国民投票で決めるとヤバい」大混乱が続く英国政治の教訓 「人気取り政治家」が悲劇を招いた) [政治]

民主主義については、3月10日に取上げた。今日は、(その8)(千葉県知事選の「奇抜な候補者たち」を振り返る 選挙はこれでいいのか、「国の未来を国民投票で決めるとヤバい」大混乱が続く英国政治の教訓 「人気取り政治家」が悲劇を招いた)である。

先ずは、3月27日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーライターの武藤弘樹氏による「千葉県知事選の「奇抜な候補者たち」を振り返る、選挙はこれでいいのか」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/266728
・『コロナ禍、しかも雨の中での投票となったものの、終わってみれば前回を7.81ポイント上回る38.99%の投票率となった千葉県知事選挙。ネット上では検索予測に「千葉県知事選 ヤバい」と出る、異例の話題ぶりだった。千葉県民の筆者が振り返る』、「森田」前知事の顔を見ないで済むようになっただけでも、有難い。
・『ネットを賑わした千葉県知事選 放送事故級の政見放送に賛否  2021年3月21日に千葉県知事選挙の投開票が行われた。3期を務めた森田健作知事が任期満了で4月に退任するため、12年ぶりの新知事を決める戦いである。結果は前千葉市長の熊谷俊人氏の圧勝となった。 今回の千葉県知事選挙についてはネットなどで話題になったのでご存じの方も多いかもしれない。過去最多の新人8人による立候補、熊谷氏が更新した過去最多となる140万超えの得票数などいくつかの話題性があったが、やはりもっとも注目されたのは怪しげな候補者が多かった点であろう。それら候補者による政見放送は「放送事故」としてネットを大いに賑わした。 話題となったのは、いわゆる独立系の候補者5人である。彼らの略歴と主張を、現在千葉県在住である筆者の個人的な感想を添えつつ、おさらいしておきたい』、どんな「主張」をしているのだろう。
・『本気で真剣な3候補者 それぞれが思い描く千葉県  ● 医師で、「千葉のバイデン」を目指すという真面目そうな見た目の男性である。政見放送では冒頭から戦争などによる危機に備えることを強く訴え、「危機意識の高い人なのかな」と思って見ていたら、「少子化対策として20歳以上の希望者の精子と卵子を冷凍保存する。これにより70歳になっても子どもが作れる」と主張し、視聴者に最初の違和感を抱かせた。 そして終盤、「現在の夢は千葉県知事に当選し、小池百合子氏と結婚すること」と宣言。ネタなのかと思わされたが、もう一度「知事に当選して小池氏と結婚できますよう、県民の皆様の温かいご支援を」と念を押していたので、おそらくその熱意は本物である』、「当選し、小池百合子氏と結婚すること」、こんな個人的なことまで「政見」に盛り込むとは驚かされた。
・『●平塚正幸氏(39歳・国民主権党) 社会活動家、およびYouTuberで、昨年話題になった、マスク非着用による「クラスターフェス」を主催した人物である。今回の県知事選での露出でも一貫してコロナワクチンとマスク着用の危険性を訴えることに終始した。政見放送時の紹介を聞き取ったところによると「国民主権党党首」「マスクを外そうの会会長」「PCR検査・ワクチンは健康な人を病気にする。受けてはいけないの会会長」などいくつかの肩書を持つようだ。社会の大勢から外れた主張ではあるが、おそらく本人の熱意はこれもまた本物である。 なお、「ワクチン危険」と大書された氏の選挙ポスターについては、選挙管理委員会に苦情が殺到したそうである』、コメントする気にもならない。
・『●皆川真一郎氏(66歳・無所属)(高校の校長や大学の参事を歴任した教育関係者である。温和そうな見た目で、掲げる政策も人々の生活に寄り添ったものが多い。その中の「犬・猫殺処分ゼロ」は個人的にもろ手を挙げて支持したいところだったが、ポスターおよび選挙公報でなんといっても目を引いたのが「房 bou」という札だ。これは氏が構想している県独自の通貨で、「1円=1房」の価値があるとされていた。新通貨ということで耳なじみがないせいかどこか不気味な響きがあるが、この「房」で県民の生活を支援していく狙いがあったようである。ポスターに表示されている「房」は100万房札で、デザインは千葉県の全体図と落花生、そして氏の似顔絵があしらわれたものに仕上がっている』、あえて地域通貨を出す理由は何なのだろう。
・『隣人に見る人物の類型 奇抜な3候補に親近感を抱く可能性  3月18日にはニュースサイト「選挙ドットコム」に、政治ライターのひがしみすず氏が今回の選挙候補者8人に電話取材を申し込み、回答をもらうという趣旨の記事が掲載された(参照:『千葉県知事選挙2021の候補者がヤバい!?全員に直接電凸して将来の千葉県民が質問してみた』)。 非常に興味深い視点で、面白く拝読したのだが、氏は電話取材を通して候補者に対する印象が大きく変わった(特に皆川氏については良い意味で変わったとのこと)という旨のことを書かれていて、ハッとさせられた。 投票する側のわれわれは、特に新人の候補者の人となりはその人の選挙活動を通してしか知ることができない。だから掲げている政策や主張が怪しげであればその人物の全てが怪しげに思えてくるのだが、選挙活動はその人のただの一部、氷山の一角である。普段は極めて常識的な人物だが、政治的主張だけがとんがっている可能性は多分にある。 良識ある隣人が、その人の哲学や思想をよくよく聞いてみると実はぶっ飛んでいる人だったと判明することはわれわれの日常の中にもたまに起こり得る。ということは、奇抜な主張の候補者はものすごく奇抜に映るが、実はその人の一部分だけが奇抜なだけで他の部分は常識的なのかもしれない。一部がとんがっているような人物の類型はちまたに珍しくなく、その中で並々ならぬ熱意を持った人が候補者に名乗りを上げたというケースもままあったのかもしれない。 つまり、宇宙人のように思えていた候補者は、出会いが違えば愛すべき隣人になっていたのかもしれない…これは新鮮な気づきであった(といって、この気づきによって投票先が変わることもなさそうではあるが)』、「宇宙人のように思えていた候補者は、出会いが違えば愛すべき隣人になっていたのかもしれない」、その通りなのかも知れない。
・『エンターテインメント的だった人の候補者  さて、ここまで独立系候補者3人を紹介し、残るところはあと2人である。この5人の候補者は奇抜な主張を展開したという点で共通しているが、まだ紹介していない残りの2人はさらに一線を画す。この2人は先述の3人が醸す、彼岸の彼方から発せられるような真剣さによるすごみこそないが、話題作りへの姿勢は真剣そのものであった。 ●後藤輝樹氏(38歳・ベーシックインカム党)(政治団体代表、およびYouTuberである。2016年の東京都知事選の政見放送でほぼ全裸になり、ひわいな言葉を連呼するなどして一躍注目を集め、界隈の有名人となった。今回の千葉県知事選挙の政見放送(NHK)では「ちなつさん、大好きです」と切り出し、時間いっぱいを使って交際相手に向けての公開プロポーズを行った。 おそらくご本人に逆張りを好むあまのじゃく的気質があるらしく、コロナ禍によって交際相手と親密さが増したとして「コロナさん、ありがとう」と発言していた。過去の政見放送を見返しても感じられたが、人が不快に感じるラインの2、3歩越えたところを攻め続けるスタイルの人物である(その姿勢が面白がられているともいえる)。 東京新聞の記事によれば「コロナ禍でも、人との出会いの大切さや幸せになれるといったメッセージを込めた」(参照:東京新聞)らしく、なるほどと思わされたが、それでもやはりコロナ禍で悲劇を味わわされた人もたくさんいるわけで、「ありがとう」は、そうした人たちに向けての配慮が十分であるとは言い難い。とはいえ、もし一部の熱狂的な支持を獲得しているなら、それは氏の思惑はある程度成功しているわけで、非常にアングラ的な活動方針であるといえる。 ●河合悠祐氏(40歳・千葉県全体を夢と魔法の国にする党)  YouTuber、および会社経営者で、映画『ジョーカー』の主人公を模した衣装に白塗りメイクで登場し、「千葉県全体をディズニーランドにする」などの独特な政策を掲げた。政見放送は全編笑いを取りにいっていた』、確かに変わった人のようだ。
・『売名に利用される選挙のあり方が問われる  千葉県民歴2年弱の筆者は、引っ越してきてからできた知り合いの面々に今回の知事選について感想を聞いて回ったが、「ふざけすぎていて他の都道府県に恥ずかしい」「面白かった。もっとやってほしい」などの声が聞かれた。すでに他のメディアでも同様の声が伝えられているので、県民の思いは概ね共通しているようである。 今回の千葉県知事選挙の候補者の活動(広報、政見放送など)には当然ながら賛否が寄せられた。「これをきっかけに選挙に興味を持つ人が増えるといい」という積極的賛成論や、「消去法でも投票先が絞り込めるなら有意義である」という消極的賛成論があった。 一方、否定派は「まじめにやれ」「税金の無駄遣い」などと主張した。そんな否定派に対して「彼ら(奇抜な候補者ら)はルールに則って戦った」「奇抜な政策を切り捨てるなど、マジョリティーの常識やマナーを押し付ける行為は民主主義にとって危険」などの反論があり、ややこしい議論になっている。 2016年の東京都知事選挙のときから問題視されつつあるのが、「近年、選挙活動を通した売名行為が増えてきている」ということ。現代は知名度をそのまま収入に換金できる(YouTuberとして動画の再生数を伸ばして収益を得るなど)時代であるから、それも必然的な流れであるといえよう。何しろ選挙は広告宣伝費のコスパがいい。立候補に伴う供託金300万円さえ支払えば選挙を通して自分自身の宣伝が行える。 今回の立候補者たちは奇抜といえ、そして、確かに主張こそ奇抜を極めたが、憲法や法律に抵触することは何一つ行っていなかった。正々堂々ルールに則って世間を賑わし、売名を達成したのである。だからそのやり方は(決して品はよくなかったが)賢かったといえる。 しかし、「当選が至上目的ではないし、落選しても売名できればお得」と考える立候補者が乱立する選挙がはたして健全であるかは今一度考えられる必要がある。 問題は立候補のシステムを利用した個人にあるのではなく、システムそのものにある(被選挙権や言論の自由などによって個人に咎〈とが〉を認定することはできない)。選挙のあり方の現状が強く問題視されるのであれば、「供託金の額を引き上げ(あるいは引き下げ)」といった具体的な形でシステムの方に変更が施されるであろう。これに関しては世論の動向を見守るばかりである』、「選挙は広告宣伝費のコスパがいい。立候補に伴う供託金300万円さえ支払えば選挙を通して自分自身の宣伝が行える」、やはり、「供託金の額を引き上げ(あるいは引き下げ)」が必要なようだ。

次に、5月15日付けPRESIDENT Onlineが掲載した三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 副主任研究員の土田 陽介氏による「「国の未来を国民投票で決めるとヤバい」大混乱が続く英国政治の教訓 「人気取り政治家」が悲劇を招いた」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/46040
・『「スコットランドで独立運動が再燃」総選挙で支持派が過半数に  5月6日、英国を構成するスコットランドで議会選(定数129)が実施され、スタージョン行政府首相が率いる与党スコットランド民族党(SNP)が獲得した議席は64にとどまり、単独過半数に1議席届かなかった。しかし環境政党である緑の党の8議席と合わせて、英国からの独立を支持する勢力が議会の過半数を得ることになった。 スタージョン行政府首相は選挙結果を受けて、喫緊の課題は新型コロナウイルス対応にあるとしながらも、スコットランド独立の是非を問う2回目の住民投票を実施する用意があることを表明した。他方で英国のジョンソン首相は住民投票の実施を認めないという姿勢を改めて示し、スタージョン行政府首相に対して牽制した。 英国がいくらそれを阻もうと、スコットランドが民意を確認したうえで独立を宣言すること自体は可能だ。しかしながら、スコットランドを第三国が独立国家として容認するかどうかはまた別問題となる。例えば2008年にセルビアの反対を押し切って独立したコソボの場合、日本をはじめとする第三国が承認したからこそ、独立国家になり得た。 2016年6月の国民投票で離脱派が僅差で勝利したことを受けて、英国は2020年1月にEUから離脱した。そのEU離脱を主導したジョンソン首相が、今度は同様に住民投票での意思を確認したうえで英国から離脱しようとするスコットランドの指導者を批判する。なんとも皮肉めいた状況に陥っているのが、今の英国の実情である。 ▽独自通貨を導入する必要性(現実的には、スコットランドが独立するうえでの障壁はさまざまある。そのうち経済の観点からは、とりわけ独自通貨の導入が大きな論点となる。現在スコットランドで使われている通貨は英国のポンドであり、スコットランド銀行、RBS(ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド)、クライズデール銀行という三大民間銀行によって発行されている。) しかしスコットランドが英国から独立すれば、おのずと独自の通貨を持つ必要に迫られる。そのため発券機能を持つスコットランド独自の中央銀行を設立しなければならない。そして新設された中銀は、スコットランド政府の信用力に基づき、通貨を発行することになる。ここで意味するスコットランド政府の信用力とは、財政の健全性にほかならない。 コロナ禍で英国の公的債務は国内総生産(GDP)の規模を60年ぶりに上回ったが、スコットランドは独立に当たり、最終的にはその経済規模に応じた公的債務を引き継ぐ必要がある。それに英国は経常赤字、つまり貯蓄不足の国であるが、スコットランドもまた同様だ。保守的な財政運営に努めないと、新たに発行する国債の買い手など見つからない。 それにスコットランドは人口わずか500万人強にすぎず、内需も厚みに欠ける。つまり需給の両面で、スコットランド経済は成長の余力に乏しい。よほどタイトな財政運営をしない限り、外国人投資家がスコットランド国債を好んで買うことは考えにくい。そうした状況では、中銀が新たに発行する独自通貨も投資家の信認を得ることができない』、北海油田での産油が活発だった頃は、魅力があったろうが、現在ではそんな売り物もない。
・『EU再加盟への道のりは極めて長い  それにスコットランドが独自通貨を導入しても、当面は交換性に乏しい状態が続く。つまりスコットランドで独自通貨を米ドルなど外貨に交換できても、外国ではそうした交換が成り立たない。皮肉なことに、スコットランド人が資産防衛のために独自通貨を国内で外貨にどんどん交換するため、固定相場制を導入したとしても維持できないだろう。 そうなると、スコットランドの独自通貨は早晩、通貨危機に陥ることになる。そうなれば、これまでスコットランド人が積み上げてきた金融資産の価値が大幅に目減りする。とりわけ年金受給者は悲惨であり、生活が貧しくなることは目に見えている。欧州債務危機の際にギリシャがユーロから離脱しなかった(できなかった)理由と同じだ。 またSNPは、スコットランドが独立したらEUに再加盟する方針を堅持している。英国は元々EUに加盟していたわけだから、EU加盟基準(コペンハーゲン基準)のうち政治的基準(民主主義、基本的人権の尊重など)や法的基準(国内法とEU法との整合)はほとんどクリアしているが、経済的基準となると、やはり話は変わってくる。 経済的基準とは、物価や金利などを中心に要するに安定したマクロ経済環境を維持することを意味する。物価や金利などを安定化させるためには、どうしても保守的な財政運営が欠かせない。スコットランドが独立した場合、少なくとも数年、マクロ経済は混乱を余儀なくされる。経済的基準を満たすためには最低でも10年はかかるだろう』、「経済的基準を満たすためには最低でも10年はかかる」、そんなに長く持ちこたえられるだろうか。
・『他のEU加盟国が歓迎しない恐れ  先に述べたコソボの場合、アルバニア系住民の実効支配が続いており、セルビアとの関係が長らく緊張していたことなどから、EU各国はコソボを独立させた方が地域の安定に貢献すると判断し、その独立を容認した経緯がある。復興支援の観点からEUはコソボでのユーロ利用を黙認したため、コソボは独自通貨発行の問題を回避できた。 コソボの人口は200万人に満たず、また所得水準も4000米ドルを超える程度と低い。そして何より、セルビアがEUにまだ加盟しておらず、コソボの独立もEUにとってはある意味で対岸の火事であった。しかしながらスコットランドの場合、袂を分けたとはいえ近しい関係を維持したい英国との兼ね合いもあり、コソボのようにはいかない。 それにEU各国の中には、英国と同様に地方の独立問題を抱えている国が少なくない。非常に有名な例としてはスペインのカタルーニャ州があるが、スコットランドの独立がそうしたEUの中でくすぶる地域ナショナリズムを刺激する恐れは非常に大きい。つまり、スコットランドの独立を、EU各国は歓迎するどころか、忌避する恐れがある。 こうしたことを最も良く分かっているのは、実はSNPだろう。それだけに、スタージョン行政府首相らSNP指導部がいたずらに独立に向けた動きを仕掛けてくるとは、まず考えられない。今後は民意の動向を見極めつつ、スタージョン行政府首相は英国のジョンソン首相に対して、高度に政治的な駆け引きを展開することになるはずだ』、「スコットランドの独立を、EU各国は歓迎するどころか、忌避する恐れがある」、確かにその通りだろう。そうだとすると、「英国のジョンソン首相に対」する交渉力も弱くならざるを得ないだろう。
・『国民投票が悲劇的な結果をもたらす教訓  しかしながら、われわれはすでに英国のEU離脱というショックを経験している。それは政治が国民投票という手段で民意を利用しようとした結果、その制御を放棄した末の悲劇ともいえる。経済的には極めて非合理な決断がスコットランドでなされたとすれば、それは英国、特に民意をもてあそんだ責任政党である保守党にとり、皮肉以外の何でもない。 なお日本では5月11日、国民投票法案が衆議院で可決された。国民の声が政治決定に反映され易くなると期待される一方で、政治がそれをもてあそぶような事態が生じる危険性もはらんでいる。国民投票や住民投票が悲劇的な結果をもたらす可能性があることについて、英国やスコットランドの動きからわれわれが学ぶことは多いといえよう』、「英国のEU離脱」など複雑な問題は「国民投票」に向いていないと指摘する学者も多い。
タグ:ダイヤモンド・オンライン 平塚正幸氏(39歳・国民主権党) 武藤弘樹 「千葉県知事選の「奇抜な候補者たち」を振り返る、選挙はこれでいいのか」 民主主義 どんな「主張」をしているのだろう。 (その8)(千葉県知事選の「奇抜な候補者たち」を振り返る 選挙はこれでいいのか、「国の未来を国民投票で決めるとヤバい」大混乱が続く英国政治の教訓 「人気取り政治家」が悲劇を招いた) 加藤健一郎氏(71歳・無所属) 「森田」前知事の顔を見ないで済むようになっただけでも、有難い。 「当選し、小池百合子氏と結婚すること」、こんな個人的なことまで「政見」に盛り込むとは驚かされた。 コメントする気にもならない。 皆川真一郎氏(66歳・無所属) あえて地域通貨を出す理由は何なのだろう 「宇宙人のように思えていた候補者は、出会いが違えば愛すべき隣人になっていたのかもしれない」、その通りなのかも知れない。 後藤輝樹氏(38歳・ベーシックインカム党) 河合悠祐氏(40歳・千葉県全体を夢と魔法の国にする党) 「選挙は広告宣伝費のコスパがいい。立候補に伴う供託金300万円さえ支払えば選挙を通して自分自身の宣伝が行える」、やはり、「供託金の額を引き上げ(あるいは引き下げ)」が必要なようだ。 PRESIDENT ONLINE 土田 陽介 「「国の未来を国民投票で決めるとヤバい」大混乱が続く英国政治の教訓 「人気取り政治家」が悲劇を招いた」 北海油田での産油が活発だった頃は、魅力があったろうが、現在ではそんな売り物もない。 「経済的基準を満たすためには最低でも10年はかかる」、そんなに長く持ちこたえられるだろうか。 「スコットランドの独立を、EU各国は歓迎するどころか、忌避する恐れがある」、確かにその通りだろう。そうだとすると、「英国のジョンソン首相に対」する交渉力も弱くならざるを得ないだろう。 「英国のEU離脱」など複雑な問題は「国民投票」に向いていないと指摘する学者も多い。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

民主主義(その6)(「Siri デモクラシーって何?」と問いたくなるイギリスの現状 議院内閣制か独裁制か? あるいはAIによる統治か?【橘玲の日々刻々】、ヒトラーが台頭した時代と酷似する現代 その本当の恐ろしさとは、堀潤氏「分断」テーマに映画 重要なのは“小さな主語”目線) [政治]

民主主義については、昨年3月11日に取上げた。久しぶりの今日は、(その6)(「Siri デモクラシーって何?」と問いたくなるイギリスの現状 議院内閣制か独裁制か? あるいはAIによる統治か?【橘玲の日々刻々】、ヒトラーが台頭した時代と酷似する現代 その本当の恐ろしさとは、堀潤氏「分断」テーマに映画 重要なのは“小さな主語”目線)である。

先ずは、作家の橘玲氏が昨年10月7日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「「Siri、デモクラシーって何?」と問いたくなるイギリスの現状。議院内閣制か独裁制か? あるいはAIによる統治か?【橘玲の日々刻々】」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/216893
・『ブレグジット(EUからの離脱)をめぐるイギリスの混乱が収まりません。ボリス・ジョンソン首相は「合意なき離脱」も辞さない覚悟でEUとの交渉に臨もうとしましたが、経済への深刻な打撃を懸念した議会は離脱延期をEUと交渉するよう義務づける新法を可決しました。国民に信を問う前倒しの総選挙も否決されたジョンソン首相は進退窮まり、「(離脱延期を求めるくらいなら)野垂れ死んだ方がましだ」とまで口走っています。 それ以前にジョンソン首相は、EU離脱をめぐる審議を嫌って長期間にわたって議会を閉鎖するという奇策に出ました。この暴挙はEU残留を求める「リベラル」なひとたちに大きな衝撃を与えましたが、それは怒りというより困惑に近いものでした。議会閉鎖に抗議する集会のプラカードに、「Siri, What is Democracy?(Siri、デモクラシーって何?)」と書かれていたのが彼らの心境を象徴しています。SiriはiPhoneに搭載されているAI(人工知能)で、イギリス社会の現状を理解することも、これからどうすべきかを決めるのも、もはや機械に訊かなくてはわからなくなっているのです』、この記事のあと12月13日に保守党は総選挙で過半数を獲得して勝利し、本年1月末で離脱。EUとの通商交渉に臨むことになった。
・『戦後ずっと、日本人にとって米英の政治こそが理想でした。政治学者のような知識人は、「日本の政治が機能しないのは共和党と民主党、保守党と労働党のような二大政党制になっていないからだ」と決めつけ、強引なやり方で小選挙区制を導入しました。これによってたしかに自民党の派閥政治は解体されましたが、民主党の「政権奪還」の失敗後に実現したのは「一強他弱」であり「“戦後最長”の安倍政権」でした。 日本の政治が衆参のねじれで機能しなくなったとき、アメリカのような強力な大統領制を待望する論者がたくさんいました。ところが皮肉なことにそのアメリカで、ポピュリズムの権化のようなトランプ大統領が登場したことで、「(愚かな)国民が直接投票で最高権力者を選ぶ大統領制より、イギリスや日本のような議員内閣制の方がマシ」との主張が出てきました。隣国の大統領の存在もあるのでしょうが、いまや日本でも「大統領制が素晴らしい」という論者はすっかり影を潜めました。 しかし、「相対的にマシ」とされた議院内閣制でも、イギリス政治はブレグジットの大混乱で、イタリアでは右と左のポピュリスト政党が連立内閣をつくったものの、たちまち仲たがいしてさらなる混乱を招いています。 大統領制も議院内閣制も機能しないとなると、あとは独裁制ということになりますが、プーチンのロシアや共産党独裁の中国を見て、「あんな社会になりたい!」というひとはほとんどいないでしょう。これでは「なにをやってもムダ」で、「デモクラシーって何?」と訊いてみたくなるのもわかります。 いまはまだ「あきらめ半分」でも、イギリスがEUから強硬離脱し、来年の大統領選でトランプが再選されるようなことになれば、英米のリベラルは自国の政治や社会にかかわることをかんぜんにあきらめてしまうのではないでしょうか。 そんな絶望したエリートたちは、AIに悩みを訴えるのではなく、AI=機械による統治を求めるようになるのかもしれません』、「議院内閣制」が「一強他弱」で機能しなくなったのには、与党内が独裁制になってしまいがちな小選挙区制に負う部分も大きいと思う。中選挙区制を復活させ、まずは党内民主主義を回復させるべきなのではなかろうか。

次に、11月29日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した舛添要一氏へのインタビュー「ヒトラーが台頭した時代と酷似する現代、その本当の恐ろしさとは」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/221931
・『前東京都知事の舛添要一氏が『ヒトラーの正体』 (小学館新書)を出版した。自身の経験も織り交ぜながら、明快な文章で独裁者ヒトラーの実像に迫る入門書だ。長年にわたりヒトラーを研究し続けてきた舛添要一氏に、なぜヒトラーについて知らなければならないのか語ってもらった』、面白そうだ。
・『ヒトラー研究は政治学者の原点だった  ヒトラーについて「独裁者」「ユダヤ人の大虐殺」「親衛隊」など、断片的なワードを知っている人は多い。しかし全体像を把握できている人は意外に少ないのではないか。実は舛添氏も、かつてはそうだったという。 「初めてヒトラーに興味を持ったのは1965年公開の映画『サウンド・オブ・ミュージック』。オーストリアの退役軍人の家族がナチスから逃れるために、徒歩で山を越えてスイスに亡命するストーリーです。主演ジュリー・アンドリュースの美声と豊かなアルプスの自然に魅せられ、ヨーロッパへ留学するきっかけにもなりました。多感な高校生のときに見たこともあり、ヒトラーが憎くてしょうがなかったですね」(舛添氏、以下同) ところが30歳手前の頃、留学先のミュンヘンで下宿屋のおじさんから「ヒトラーの時代が一番よかった」と告げられた。 「下宿はアメリカの研究者が多く、日本人は私だけでした。70歳ぐらいのおやじは『ヤパーナー(日本人)、ちょっと来い』と、私をお茶に誘ってくれる。日本とドイツは同じ枢軸国だったので気に入ってくれたみたいで、古いアルバムを開いて、『俺の人生の中で、ヒトラーの時代が一番よかった』とうれしそうに話をしてくれたんです。ミュンヘン郊外にはダッハウ収容所跡があり、見学するたびに、あまりにも悲惨なユダヤ人虐殺の歴史を教えてくれました。それなのに下宿に戻れば、おやじはヒトラーがよかったという。このギャップがずっと頭から離れませんでした」 それから50年間近くヒトラーの研究を続けてきた舛添氏だが、なぜ今になって、専門書ではなく入門書というかたちで発表したのだろうか。 「子どもが大学生と高校生になりました。父として、子どもたちが社会に出る前に、どうしてもヒトラーのことを語り聞かせたかった。民主主義の対極は独裁です。それなのに民主主義から独裁者が生まれてしまった。この歴史を知らなければ、民主主義は守れません。現代はトランプ大統領の誕生、ブレグジット、移民排斥を主張する極右政党の躍進など、世界中でポピュリズムが広がっている。ヒトラーが誕生した時代に似てきています」』、「初めてヒトラーに興味を持ったのは1965年公開の映画『サウンド・オブ・ミュージック』、舛添氏にもそんな時代があったとかと、微笑んでしまった。「現代はトランプ大統領の誕生・・・世界中でポピュリズムが広がっている。ヒトラーが誕生した時代に似てきています」、とは不吉な予言だ。
・『なぜヒトラーがノーベル平和賞候補になったのか  もしヒトラーが第2次世界大戦前に死んでいたら、「ドイツ史上もっとも偉大な宰相になっていた」と舛添氏は分析する。 「ナチスの正式名称は、『国家社会主義ドイツ労働者党』です。ヒトラーの率いたナチスは右翼政党と思われていますが、政治手法は左翼のポピュリズムそのもの。労働者のための政策を次々と打ち出し、熱烈な支持を受けました」 第1次世界大戦に敗れたドイツは、国内総生産(GDP)の約20倍に及ぶ賠償金に苦しめられる。そこに1929年のウォール街大暴落に端を発した世界恐慌が重なり、1933年にヒトラーが政権をとる頃には、ドイツ全土に大量の失業者があふれかえっていた。 「ヒトラーはアウトバーンと呼ばれる高速道路などの公共事業を推進し、わずか3年で600万人いた失業者を完全雇用状態にしました。天文学的だったインフレの抑制にも成功し、経済は安定します。今で言う働き方改革も行い、労働時間を8時間に制限し、長期休暇も取得しやすくした。財形貯蓄の制度を整え、大型客船で労働者を海外旅行にも連れていったのです」 外交でもヒトラーは手腕を発揮する。 「ヒトラーは戦争で失った土地を外交と国民投票で次々と取り戻しました。自信と誇りを回復した国民はさらに熱狂します。そして1938年のミュンヘン会談では、これ以上の領土は求めないと声明を出し、戦争を回避したとノーベル平和賞の候補にもなったんです。もっとも、この声明はイギリス、フランスを欺いたもの。つまり、ヒトラーは約束を守るつもりはなかったのですが」 着々と積み上げる業績の裏で、ヒトラーは独裁体制の強化と戦争の準備を進め、ユダヤ人や障害者、同性愛者などへの激しい迫害も徹底して行うようになったのだ』、「ミュンヘン会談では、これ以上の領土は求めないと声明を出し、戦争を回避したとノーベル平和賞の候補にもなった」、初めて知ったが、「ノーベル平和賞」の政治性を再認識させられた。
・『トランプ大統領、ブレグジット… 世界各地のミニ・ヒトラー現象  舛添氏は、現在の国際情勢はヒトラーが誕生したドイツに似ていると危機感を募らせる。 「ベルリンの壁が崩壊して30年。ライバルがいなくなった資本主義は、リーマンショック、タックスヘイブンとやりたい放題で、格差も広がっていくばかりです。かつてのドイツのように職が見つからない、働いても報われないと、世界各地で人々が自信を失い、自国第一主義、移民排斥を主張する“ミニ・ヒトラー”に投票する。そして、そんな大衆の不満のはけ口に利用されるのが移民です。ユダヤ人がスケープゴートにされたのと同じ構造ですよ」 さらにヒトラーの編み出した宣伝活動は、SNSの登場でより効果的になっている。 「ヒトラーは、『真実でなくても、自分だけを一方的に褒め、責任は敵に負わせること』が宣伝の主眼だと述べています。まさにトランプ大統領がSNSでフェイクニュースを拡散させる手法です。『パンとサーカス』を求める大衆も真実かどうかは気にせず、面白いものなら受け入れてしまう。『うそは大きければ大きいほどいい』とも、ヒトラーは言っています。日本でも、『NHKをぶっ壊す』や『消費税廃止』としか言っていない政治家に、面白そうだと思って投票した人が相当数いたのではないでしょうか」 舛添氏は「ヒトラーを正しく知らなければ、再びヒトラーのような独裁者が現れたとしても恐れることもできない」と、ヒトラーの本当の恐ろしさを訴える』、「世界各地で人々が自信を失い、自国第一主義、移民排斥を主張する“ミニ・ヒトラー”に投票する。そして、そんな大衆の不満のはけ口に利用されるのが移民です。ユダヤ人がスケープゴートにされたのと同じ構造」、恐ろしいことだ。「「ヒトラーを正しく知らなければ、再びヒトラーのような独裁者が現れたとしても恐れることもできない」、その通りだ。早速、本を読んでみたい。

第三に、本年2月17日付け日刊ゲンダイが掲載した元NHKアナウンサーの堀潤氏へのインタビュー「堀潤氏「分断」テーマに映画 重要なのは“小さな主語”目線」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/269002
・『与党か野党か、賛成か反対か、右か左か――。自国中心主義に傾斜するトランプ米国やEU離脱を決めた英国など、世界各国で「分断」が深刻化している。賛否が割れる原発政策や米軍基地問題を抱える日本も例外ではない。そんな「分断」について、多くの現場を取材してきたのがこの人。来月7日にはドキュメンタリー映画の公開も控える。なぜ「分断」は生まれるのか。話を聞いた(Qは聞き手の質問、Aは堀潤氏の回答)』、興味深そうだ。
・『Q:「分断」をテーマに映画を作ろうと思ったきっかけはなんだったのでしょう。 A:2020年は東京五輪・パラリンピックが開催される年ですが、一方で11年の原発事故から10年目の節目でもあります。僕は原発事故現場の取材を継続していますが、時間が経てば経つほど、現場でもさまざまな分断が深まってきていると感じます。例えば、被災した方と、していない方、賠償金をもらった方と、もらっていない方。賠償金をもらっている方の中でも、額の大小の差がある。被災した当事者から離れれば離れるほど、意識の感度も低くなります。そういう分断を私たちはどうやって迎え入れるべきか。何かできることがあるのではと思ったのです。 Q:被災地以外にも分断は存在していますね。 A:「分断」というキーワードで世界を見ると、米国のトランプ現象しかり、英国のブレグジットもそう。右か左か、移民排斥か多様性か、いわゆる中道というのがなくて、極右か極左か。極端なイデオロギーのぶつかり合いが起きているように見えます。私は北朝鮮の平壌にも取材に行きましたが、そもそも北朝鮮と日本との間には大きな分断がある。イスラエルとパレスチナの緊張が続く中で、ガザ地区という壁やフェンスで囲われた地域は、まさに究極の分断が起きていますよね』、確かに「分断」は、日本だけでなく、世界全体にも当てはまるキーワードだ。
・『「経済発展のためなら少数派切り捨ては仕方ない」という風潮  Q:「分断」の背景には何があるのでしょう。 A:ベースにあるのは、経済的に発展できるのであれば、「ある程度の少数派が切り捨てられてもしょうがない」という風潮。原発事故の現場でもそうでした。まだ震災や事故から救済されていない人の声が、「エネルギーや環境問題、経済対策を考えれば原発は必要だよね」という声にかき消されてしまう。中国の一帯一路構想の現場であるカンボジアなどでは、中国資本によって土地が強制収奪されています。香港で起きている大規模デモも、逃亡犯条例に若者たちが反発していると語られがちでしたが、その実、香港に対して中国の経済的覇権が強まっていったことへの危機感が背景にありました。 Q:経済的な格差が大きく影響しているのですね。 A:より大きいのは「経済システム」かもしれない。経済的豊かさの恩恵にあずかれない人たちは、イデオロギー以前に「目の前の生活がよくなるのであれば仕方がない」と考えざるを得ない。誰だって、自らの生活を成り立たせなければいけないわけですから。しかし、その先がどうなるのか、想像力が働かなくなっているように見えます。生活が支配されてしまっていると感じます』、「「分断」の背景には・・・経済的に発展できるのであれば、「ある程度の少数派が切り捨てられてもしょうがない」という風潮」、その通りなのかも知れない。
・『Q:映画で印象に残っているのは、堀さんが「大きい主語」を問題視していたことです。 A:これは僕自身が大反省しながら取材してきたポイントなんです。例えば、「震災から10年近く経過。被災地では今でも多くの方が苦しんでいます」と言ったとしましょう。すると、「堀さんよく言ってくれました。私はまだ古里に戻れず、復興住宅での暮らしなんです」「もう皆忘れちゃってるかもしれないから、どんどん言って欲しい」と拍手を送ってくれる人がいる一方、「堀さん、まだ被災地のレッテルを貼るのかい」「この10年間、どんな思いで風評被害と闘ってきたか分かるだろ」と言う人もいる。これは「被災地は」という主語が大きすぎるからなんですね。 Q:「被災地」とひとくくりにしても、いろいろな思いを持った人がいると。 A:じゃあ「福島」という主語はどうか。「福島は今も苦しんでいる」。これも違いますよね。福島には浜通りや中通り、他にも会津などがある。ひとくくりに「今も苦しんでいる」というのは誤りです。一部地域では帰還が始まっていたり、帰還が困難でも復旧復興に向かって何かしらの取り組みがあったり。一方で、先行きが見通せない地域もある。「大きな主語」を用いることは分断を招きます。 Q:「小さな主語」で語ることが重要であると。 A:例えば「○駅前で中華料理店を営んできた△さんは、震災から×年経った今も、元の場所で営業が再開できていません。夜、眠れない時があるといいます」――。こういう小さい主語で語ると、それは正しい正しくないではなく、「あ、そうなんだ」となりますよね。 Q:「事実」ということですね。 A:例えば、今蔓延している新型コロナウイルスの話なら、「中国人は」と言った瞬間に、いろんな中国の人たちを一緒くたにしてしまいますよね。逆に、「日本人はこうだ」「日本はこういう状況だ」と言われた時に、「どこの誰のことを言っているんだ」「私は違いますけど」と思わず反論したくなることもありますよね。一緒くたにしてしまうから、差別的な表現と捉えられてしまう。主語の置き方は丁寧に考えていかないといけないと思います。「香港人は」「北朝鮮人は」と大きな主語で語ることは、怖いことだと思いますね』、ただ、「小さな主語」で語ると、パンチが弱くなることもあるのではなかろうか。
・『デモ隊の抗議に涙を浮かべた香港の警官  Q:香港のデモ隊と警察が向き合う場面は銃撃もあり、緊迫感が伝わってきました。堀さんは「取り締まる側もまた香港人である」とナレーションしていますが、ここにも「香港人は」という「大きな主語」の弊害がありそうですね。 A:僕はどちらかというと、デモ隊の若者たちを撮ろうとカメラを構えていた。デモ隊の中で向き合った警官の目元をアップでのぞいていると、ある隊員は激しく抗議されたことにくやしい思いがあったのか、涙を浮かべていました。目頭を押さえて、何も言えなくなった同僚に「おまえはもういいから下がっとけ」と声をかける警官もいた。普段は暴力的な彼らのそういう姿を見て、「誰がそうさせたのか」「背景にある仕掛けは何だろう」と想像する気になれた。そう思えるからこそ、「小さい主語」目線は重要だと思います』、この場合は、確かに「「小さい主語」目線は重要だ」。
・『政治家の「分かりやすい言葉」に要注意  Q:取り締まる側と、取り締まられる側と2つに分けてしまうと、そこから先にある事実に、目が向かなくなってしまうと。 A:2つに分けて語るのは、シンプルで分かりやすいですよね。ただ、その分かりやすさで、自らの陣営を一気に広げていこうとするのは、政治的プロパガンダのセオリー。それに乗っていいのか、僕がそれを助長する装置になっていいのか、と思うんです。今はスマホやSNSが普及し、誰もがメディアになれる時代です。一国の大統領がSNSで人々の心を揺さぶる世の中ですから、注意深さは体得したいと思っています。 Q:日本の政治家はどうでしょう。 A:この間、討論番組で与野党の若手国会議員と一緒に議論したんですが、出てくる言葉は「大きな主語」のオンパレードでした。「社会はこうあるべき」「男性社会はこうで、女性社会はこうあるべき」とか、「政治は」「官僚っていうのは」とか……。僕は「皆さんちょっと各論で話しましょう」と持ちかけ、「こういう個別のケースがあった。他にも類似のケースがあった。どう手当てしていけばいいんですか」と聞くと、具体的な答えが返ってこない。これが国民が抱く政治への不信感のひとつかもしれません。 Q:政治に関心が薄いといわれる「若者」たちにとっても、「大きな主語」は分かりやすいのでしょうね。 A:今、ご指摘の「若者」というのが大きな主語になってますよ(笑い)。 Q:つい、使ってしまいました……。 A:いえいえ、僕自身もよくやっちゃうんです。「我々は」とか。いずれにせよ、「大きな主語」の先には、与野党問わず「選挙戦略」や「政治闘争への勝利」があるのでしょう。大きなビジョンへ向かっていくための「装置」かもしれない。そこをキチンと見極められる目を持ちたいですね。(堀氏の略歴はリンク先参照)』、「政治家」にとっては、「各論」(「小さな主語」)では賛成者が少なくなってしまうので、最大公約数的な「総論」(「大きな主語」)で賛成者を多くしようとするのは当然だろう。無論、「メディア」は自分なりの「主語」を選んでいけばいいのではなかろうか。
タグ:トランプ大統領、ブレグジット… 世界各地のミニ・ヒトラー現象 日刊ゲンダイ 政治家の「分かりやすい言葉」に要注意 「大きい主語」を問題視 「経済発展のためなら少数派切り捨ては仕方ない」という風潮 デモ隊の抗議に涙を浮かべた香港の警官 「分断」というキーワードで世界を見ると、米国のトランプ現象しかり、英国のブレグジットもそう。右か左か、移民排斥か多様性か、いわゆる中道というのがなくて、極右か極左か。極端なイデオロギーのぶつかり合いが起きているように見えます なぜヒトラーがノーベル平和賞候補になったのか ヒトラー研究は政治学者の原点だった 『ヒトラーの正体』 (小学館新書) ダイヤモンド・オンライン 「ヒトラーが台頭した時代と酷似する現代、その本当の恐ろしさとは」 舛添要一 現代はトランプ大統領の誕生、ブレグジット、移民排斥を主張する極右政党の躍進など、世界中でポピュリズムが広がっている。ヒトラーが誕生した時代に似てきています 世界各地で人々が自信を失い、自国第一主義、移民排斥を主張する“ミニ・ヒトラー”に投票する。そして、そんな大衆の不満のはけ口に利用されるのが移民です 小選挙区制 民主主義の対極は独裁です。それなのに民主主義から独裁者が生まれてしまった。この歴史を知らなければ、民主主義は守れません 大統領制も議院内閣制も機能しない 世界各国で「分断」が深刻化 「堀潤氏「分断」テーマに映画 重要なのは“小さな主語”目線」 民主党の「政権奪還」の失敗後に実現したのは「一強他弱」であり「“戦後最長”の安倍政権」 戦後ずっと、日本人にとって米英の政治こそが理想 中選挙区制を復活 Siri, What is Democracy? 「「Siri、デモクラシーって何?」と問いたくなるイギリスの現状。議院内閣制か独裁制か? あるいはAIによる統治か?【橘玲の日々刻々】」 橘玲 民主主義 (その6)(「Siri デモクラシーって何?」と問いたくなるイギリスの現状 議院内閣制か独裁制か? あるいはAIによる統治か?【橘玲の日々刻々】、ヒトラーが台頭した時代と酷似する現代 その本当の恐ろしさとは、堀潤氏「分断」テーマに映画 重要なのは“小さな主語”目線) ユダヤ人がスケープゴートにされたのと同じ構造 日本でも「大統領制が素晴らしい」という論者はすっかり影を潜めました ミュンヘン会談
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

民主主義(その5)(世界に逆行…東京新宿のデモ規制は「民主主義崩壊」の表れ、小田嶋 隆氏:代案なしで文句言ったっていいじゃん) [政治]

民主主義については、昨年7月5日に取上げた。久しぶりの今日は、(その5)(世界に逆行…東京新宿のデモ規制は「民主主義崩壊」の表れ、小田嶋 隆氏:代案なしで文句言ったっていいじゃん)である。

先ずは、元外交官で外交評論家の孫崎享氏が昨年7月7日付け日刊ゲンダイに寄稿した「世界に逆行…東京新宿のデモ規制は「民主主義崩壊」の表れ」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/232811
・『デモは特定政策に対して国民が自らの立場を表明する貴重な手段であり、世界的に見ると、デモで政治を変えようとする動きが顕著である。 米国フロリダ州の高校で17人が死亡した銃乱射事件では、銃規制の強化を求めるデモが全米で繰り広げられた。韓国では2016年11月12日、30年ぶりに100万人以上が参加したキャンドル集会(ろうそくデモ)が開かれ、これを機に朴槿恵政権は退陣に追い込まれ、文在寅大統領が誕生。今も高い支持率を維持している。ロシアでも、プーチン大統領の4期目就任式を前に、全土でデモが展開された。 今や「独裁国家」を除き、世界各地の首都でデモが展開されるのは当たり前だ。ところが日本ではそうではない。 東京・新宿区は、街頭デモの出発地として使用を認める区立公園を、これまでの4カ所から1カ所に限ることを決めた。区内で行われたデモは昨年度77件あり、うち、60件は今後は使えなくなる3つの公園から出発している。ヘイト行為対策と説明しているが、77件中、ヘイト行為は13件。デモを規制しようとする意図は明らかだ。 日本各地で行われているデモは今の安倍政権の政策に反対、抗議する目的がほとんどだ。新宿区長が「民主主義を破壊したい」という理念を持っているとは思いたくない。しかし、区長がデモ規制に動けば、政権サイドから「よくやった」と称賛されるのかもしれない』、ヘイト行為対策に名を借りて街頭デモの出発地への規制をした「新宿区長」は悪質だ。しかも、7月31日付けBLOGOSによれば、公園使用基準の見直しなので、区議会には諮っていないようだ。東京弁護士会などは「違憲の疑いがある」としているようだ。
https://blogos.com/article/314879/
・『民主主義が崩壊する理由のひとつとして、指導者に対する媚びへつらいがある。森友・加計疑惑で明らかになったのは、霞が関官僚が「国民のために何をなすべきか」でなく「安倍首相が喜ぶか否か」を行動基準にして「忖度」していた疑いだったが、それが地方政治にも蔓延し始めたようだ。 歴史を見ると、「独裁国家」ほど「民主国家」や「人民国家」を標榜するケースが多い。自民党は2005年に「立党50年宣言」を行った。そこでは「わが党は民主主義のもとに」と掲げられていたが、実は政策が「自由」や「民主主義」とかけ離れているからこそ、あえて「自民党」と名乗っているのではないか。 日本は戦後、民主主義国家の道を歩んできたが、今、あらゆるところで、逆行する動きが表面化している』、「民主主義が崩壊する理由のひとつとして、指導者に対する媚びへつらいがある」というのは言い得て妙だ。

次に、全く毛色が違う「代案」について、コラムニストの小田嶋 隆氏が3月8日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「代案なしで文句言ったっていいじゃん」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00010/?P=1
・『大学の入学試験もおおむねカタがついたようで、都心のオフィス街の周辺には、例によって微妙な真空状態が訪れている。 この時期は、毎年そうなのだが、知り合いへの連絡にちょっと気を使わねばならない。 というのも、相手が身内に受験生をかかえている場合、結果を尋ねたものなのかどうか考え込んでしまうからだ。 真正面から問い質すのも無作法な気がするし、かといって、まるで気づいていないふりをするのもそれはそれで白々しい。 相手から話題を切り出してくれれば一番良いのだが、それ以前に、先方は、こちらが連絡をしたことを尋問であるというふうに受け止めているかもしれない。 だとしたら、こんな時期にあえて電話をかけたこと自体が、ぶしつけな振る舞いであった可能性もある。 てなわけで、その種の微妙な案件をかかえた相手には、よほど差し迫った用件がない限り、連絡を避けることになる。 で、月日がたつ。 例年だと、大型連休が明けた頃になってようやく結果が判明する。 そして、おお、それはなによりだったじゃないか、と、結果がどうであれ、そういう感じのどっちつかずのやりとりをすることになる。 実にもって、社会生活というのは度し難いものだ』、確かに入試結果は春先の知人への電話で気をつけねばならない厄介事だ。
・『今回は、時事問題には触れない。 連載の原点に返って、言葉の問題を取り上げてみることにする。 つい昨日、ツイッターのタイムラインで、ある新聞記事がちょっと話題になった。 元記事を読みに行ってみると、なるほど、不用意な言葉が使われている。 今回は、軽く炎上した新聞記事の中で使われていた、粗雑な用語について書くことにする。 件の記事は、3月6日付の毎日新聞に掲載された、トランプ大統領関連の解説文だ。 「狭まるトランプ包囲網 議会の疑惑追及本格化」という見出しで書かれた記事本文には、米下院司法委員会で、トランプ大統領による司法妨害、汚職、職権乱用の疑惑を調査する動きが本格化したことに加えて、いわゆるロシア疑惑をめぐる調査対象が広がりつつあることが書かれている。あわせて、先月、下院の監視・政府改革委員会が、トランプ大統領の顧問弁護士だったコーエン被告の公聴会を実施したことなども紹介されている。 なお、図版要素として「トランプ政権 疑惑追及の構図」と題した写真と解説図も付け加えられており、全体として、充実した解説記事になっている。 この記事の奇妙なところは、末尾を《ただ、1院を支配しながら政策の代案を示さずに政権追及に終始すれば、世論の批判の矛先が民主党に向かう可能性もある。 トランプ氏は民主党の動きについて「大統領ハラスメントだ」とツイート。不満を募らせている。》という文で締めくくっている点だ。 この部分が、いかにも「取って付けた」ようで浮いているということでもある。 あるいは、冒頭から続く記事本文のトーンが、トランプ大統領に対してあまりに辛辣な内容であることを気にして、バランスを取りに行った結果が、あの結末のパラグラフだったということだろうか。 でなければ、両論併記を旨とする新聞記者の本能として、あまりにも民主党側の主張に沿った内容ばかりを書き並べた埋め合わせに、結末部分で共和党側の言い分として「議会の多数を政争に利用するのはいかがなものか」という意見を紹介しておいた、ということなのかもしれない』、解説図も付け加えた解説記事としては力作なのに、結末部分でミソをつけたとはお粗末だ。
・『いずれにしても、ここで 「代案」という言葉が出てくるのはいかにも唐突だ。 なぜというに、大統領の疑惑を追及するのに、代案もへったくれもないからだ。 疑惑追及は、提案ではない。 とすれば、代案は必要ないし、不可能でもある。 この件に関しては、追及をするのか、追及を断念するのかの二者択一しかない。 疑惑追及の代わりに代案として米中貿易交渉の議論を深めるとか、ロシア疑惑を俎上にあげる代わりに国境の壁について討議するというのは、話のスジとしてバカげてもいれば、新聞記事として間抜けに過ぎる。 こういう記事を一読してあらためて思うのは、もしかして、文章を書く専門家であるはずの新聞記者にしてからが、脊髄反射で言葉を並べているのではなかろうかということだ。 どうして、「代案」などという、場違いな言葉が突然出てきたのかを考えると、「とりあえず、野党が政争の具として疑惑追及を騒ぎ立てている時には、与党側からの反論として『代案』という言葉を提示しておくのがセオリーだ」という思い込みが、記者のアタマの中にあらかじめ転がっていたと考えざるを得ない』、「疑惑追及は、提案ではない」にも拘らず、「文章を書く専門家であるはずの新聞記者にしてからが、脊髄反射で言葉を並べているのではなかろうかということだ」、というのは手厳しい批判だ。
・『記事を読んで、3月6日の昼前に私はこんなツイートを書き込んだ。《「オレの駐車場に勝手にクルマ停めるなよ」「代案出せよ」「代案?」「駐車がNGなら、代わりに何を停めるべきなのかについて冷静な見解を出せってことだよ」「あんた何言ってる?」「代案も出さずに身勝手な苦情持ち込むなと言ってる。民主政治の大原則だぞ」「どこの民主政治だよ」》 実際、この「代案」(最近は「対案」という言葉が使われることも多いが、意味するところは変わらない)なる言葉とそれを含んだ言い回しは、与党の政治家が、野党側からの批判を封じる際の鉄板の決まり文句として、この10年ほどしきりに使われてきた捨て台詞でもある。 ただ、用語には敏感であってしかるべき新聞記者が、「代案」のような副作用の大きい未整理なクリシェ(注)を、安易に使うのは、いかにもまずい』、(注)とは、乱用の結果、意図された力・目新しさが失われた句(常套句、決まり文句)・表現・概念(Wikipedia)。「代案」は「与党の政治家が、野党側からの批判を封じる際の鉄板の決まり文句として、この10年ほどしきりに使われてきた捨て台詞でもある」、というのは的確な指摘だ。
・『勉強不足の三回生議員やネット上に盤踞する自称「普通の日本人」が、自分のブログの中で連呼するのならともかく、新聞記者が全国紙の朝刊の紙面上で、こんなたわけたお題目を結語に持って来て良いはずがないではないか。 そもそも、この「代案」という言葉を含むフレーズが万能の野党打擲棒として振り回されてきた背景には、それに先立つ長い与野党固定の停滞した時代の国会審議がある。 私が子供だった時代、「万年野党」「無責任政党」「なんでも反対党」などと呼ばれていた社会党をはじめとする昭和の時代の野党に対しては、 「反対のための反対」を叫ぶだけの「オリジナルの政見も法案も持っていない形式上のカウンター政党」であるという主旨の批判が常についてまわっていた。 事実、戦争が終わってからこっちの半世紀近く、ほとんどまったく政権を奪回する可能性にすら近づくことのなかった万年野党は、与党の持ち出す法案に、脊髄反射的な「反対」の意思を表明しているだけの機械仕掛けの人形のように見えていたものだった』、思い返せばその通りだろう。
・『「おひるごはん何にする?」「やだ」「やだ、じゃわからないでしょ?」「やだ」「じゃあ、おそばにする?」「やだ」「じゃあ、何を食べる?」「やだ」と、昭和の野党は、この種の頑是ない幼児と同一視されていたわけだ。 「反対だけじゃわからないでしょ? 自分が何をしたいのかを言わないと議論にならないでしょ?」と。 こんな説教が有効だと思われていたということは、それほどまでに舐められていたということでもある。 もっとも、当時の野党にしたところで、機械的に反対を叫んでいただけではない。 修正案や代案をまるで出さなかったわけでもない。 野党側からの政権批判の決まり文句が「腐敗」や「独裁」であった時代の、政権側からの野党に向けた反撃のフレーズが「なんでも反対」であったと、言ってみればそれだけの話でもある。 21世紀に入って、とにもかくにも政権交代と与野党逆転が与野党双方にとって実現可能な近未来であることが判明してみると、野党批判にも、もう少し工夫した言い方が採用されることになる。 それが「代案を出せ」だったりする。 その心は「単なる反対や拒否の表明は責任ある政党が選ぶべき態度じゃないぞ」てなところにあるわけだが、基本的な議論の構造は、実のところ、昭和の時代のやりとりから、そんなに様変わりしてはいない。 つまり背景にあるのは、「なにかを提案するためには、それなりの準備と情報と頭脳と労力が必要だ。一方、誰かの提案に反対するためには反対の二文字を叫ぶだけで足りる。これはいかにも非対称じゃないか」という、昔ながらの理屈だ。 この理屈は、いまもって、有効ではある。 代案の提示抜きでの反対が無責任であるような場面は、当然あるわけだし、反対のための論陣を張るにしても 「だっていやだから」だけでは足りないケースだって少なくない』、これは筆の滑り過ぎだ。「だっていやだから」として反対したケースなどはあったのだろうか。一応、反対する以上、その理由を明確にしていたと記憶する。
・『ただ、それもこれもケースバイケースだ。 どういう法案が出されていて、それについてどんな議論が展開されているのかによって、代案が不可欠な場合もあれば、不要な場合もある。 たとえば、「埼玉県立防衛軍創設」といったあたりのたわけた法案についての態度は 「否決」「反対」「ばかにするな」だけで充分。代案は不要だ。 「憲法改正」にも代案は要らない。 「改正は不要だ」ということと、その理由を説明すれば足りる。 「われわれが改正案を提出しているのだから、この改正案に反対する君たちも、君たちなりの改正案を提案しないと対等な議論にならない」という理屈は、一見、まともな議論に聞こえるが実のところ杜撰な詭弁に過ぎない』、「「憲法改正」にも代案は要らない」というのはその通りだが、最近は立憲民主党のなかにも「憲法改正」での代案を出そうとする動きがあるのには、あきれて物も言えない。
・『「ねえ犬を飼うのはどうかしら?」「反対」「代案は?」「代案?」「ほら、猫とか、ハムスターとか、犬でないとしたらほかに何を飼うのかについてあなたの考えを言わないときちんとした反対にならないでしょ?」「いや、反対は反対だよ。何も飼わない」「じゃあ、出てって」「なんだそれ」「あたしもあんたを飼わないことに決めた」 つまりだ。「改正する」への当面の代案は「改正しない」以外にない。 「どういうふうに改正するのか」という話は、改正することが決まった後に検討べき課題であって、つまり、当初の段階では「代案」は必要ないということだ。 別の例をあげるなら、「文楽への補助金を廃止する」という提案については 「文楽への補助金を継続してほしい」旨を訴えれば代案としては完璧だ。 というよりも、有効な代案はこれ以外に存在しない。 「代わりに何への補助金を廃止するのか」「補助金の財源をどうやって確保するのか」という話は、また別の議論で、これについては別の場所で議論せねばならない』、説得力ある指摘だ。特に犬を飼うことへの「代案」の話は傑作である。
・『話を元に戻すと、毎日新聞が記事にしたトランプ大統領の疑惑追及に際して、疑惑追及を推進している民主党の側が代案を提示する必要はまったくないし、そもそもそんなことは不可能でもある。 最後に、日本の野党の話をする。 民進党(旧)が、「平成29年通常国会(193国会)における民進党の法案への態度」という文書を公開している。 これを見ると、193国会内で成立した法案の数は66件で、民進党はそのうちの52件に賛成している。約8割の法案に賛成していることになる。 また、民進党が反対した法案は14本となっているが、その内でも8本に対しては対案・別案・修正案を提出しており、単に反対だけという意思表示をしたのは6本に過ぎない。 「野党は反対のための反対しかしていない」「野党は代案を出さない」という決めつけ自体が、かなりの部分で思い込みだということだ』、民進党が「約8割の法案に賛成している」というのには、自分の「思い込み」のお粗末さを再認識させられた。
・『実際には、国会中継のネタとして、与野党の論戦が白熱しがちな、対立的な法案の審議が選ばれているから、常に反対する野党と強行採決を敢行する与党の絵面ばかりを目にすることになっているだけで、実際には、粛々と採決が進んでいる委員会もあれば、野党の提出した修正案に沿って議論が進んでいる場面もある。 個人的に、意味不明な提案に対しては、とりあえず反対の意思を表明するつもりでいる。 意味もわからずに賛成することがもたらすリスクよりは、意味がわからないからという理由で反対することのリスクのほうが小さいだろうと考えるからだ。 どっちみちわからないにしても、だ』、「意味もわからずに賛成することがもたらすリスクよりは、意味がわからないからという理由で反対することのリスクのほうが小さいだろう」、とは賢明な判断だ。「対案」の意味を改めて考えさせられた一文だった。
タグ:デモは今の安倍政権の政策に反対、抗議する目的がほとんどだ ヘイト行為対策と説明しているが、77件中、ヘイト行為は13件。デモを規制しようとする意図は明らかだ 両論併記を旨とする新聞記者の本能 この記事の奇妙なところは、末尾を《ただ、1院を支配しながら政策の代案を示さずに政権追及に終始すれば、世論の批判の矛先が民主党に向かう可能性もある。 トランプ氏は民主党の動きについて「大統領ハラスメントだ」とツイート。不満を募らせている。》という文で締めくくっている点だ 日経ビジネスオンライン バランスを取りに行った デモは特定政策に対して国民が自らの立場を表明する貴重な手段 21世紀に入って 孫崎享 「独裁国家」ほど「民主国家」や「人民国家」を標榜するケースが多い 「世界に逆行…東京新宿のデモ規制は「民主主義崩壊」の表れ」 疑惑追及は、提案ではない 公園使用基準の見直しなので、区議会には諮っていないようだ 毎日新聞 野党批判にも、もう少し工夫した言い方が採用されることになる。 それが「代案を出せ」だったりする 今や「独裁国家」を除き、世界各地の首都でデモが展開されるのは当たり前だ。ところが日本ではそうではない 野党側からの政権批判の決まり文句が「腐敗」や「独裁」であった時代の、政権側からの野党に向けた反撃のフレーズが「なんでも反対」であった 小田嶋 隆 違憲の疑いがある 「狭まるトランプ包囲網 議会の疑惑追及本格化」 意味もわからずに賛成することがもたらすリスクよりは、意味がわからないからという理由で反対することのリスクのほうが小さいだろうと考える (その5)(世界に逆行…東京新宿のデモ規制は「民主主義崩壊」の表れ、小田嶋 隆氏:代案なしで文句言ったっていいじゃん) BLOGOS 「憲法改正」にも代案は要らない 昭和の時代の野党に対しては、 「反対のための反対」を叫ぶだけ 長い与野党固定の停滞した時代の国会審議 反対した法案は14本となっているが、その内でも8本に対しては対案・別案・修正案を提出 なる言葉とそれを含んだ言い回しは、与党の政治家が、野党側からの批判を封じる際の鉄板の決まり文句として、この10年ほどしきりに使われてきた捨て台詞でもある 193国会内で成立した法案の数は66件で、民進党はそのうちの52件に賛成している。約8割の法案に賛成 平成29年通常国会(193国会)における民進党の法案への態度 民主主義 民主主義が崩壊する理由のひとつとして、指導者に対する媚びへつらいがある 日刊ゲンダイ 新宿区長 トランプ大統領関連の解説文 新宿区は、街頭デモの出発地として使用を認める区立公園を、これまでの4カ所から1カ所に限ることを決めた 民進党(旧) 「代案」 野党が政争の具として疑惑追及を騒ぎ立てている時には、与党側からの反論として『代案』という言葉を提示しておくのがセオリーだ」という思い込み 代案は必要ないし、不可能でもある 代案が不可欠な場合もあれば、不要な場合もある
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

民主主義(その4)(EU離脱国民投票の不正告発者が日本に警鐘 パキスタン系英国人 シャミール・サニ氏に聞く、「それでも、民主主義は優れた政治体制」 民主主義と一党独裁について米コロンビア大学教授に聞く) [政治]

民主主義については、4月6日に取上げた。今日は、(その4)(EU離脱国民投票の不正告発者が日本に警鐘 パキスタン系英国人 シャミール・サニ氏に聞く、「それでも、民主主義は優れた政治体制」 民主主義と一党独裁について米コロンビア大学教授に聞く)である。

先ずは、ロンドン在住フリーテレビディレクターの伏見 香名子氏が6月25日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「EU離脱国民投票の不正告発者が日本に警鐘 パキスタン系英国人、シャミール・サニ氏に聞く」を紹介しよう。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/100500021/062000018/?P=1
・『EU(欧州連合)離脱を問う国民投票から2年が経った。英国ではこの3月、離脱派陣営で活動していた内部告発者により、選挙法で定められた活動資金の上限を不正に越えて投入していた疑惑が大騒動となった・・・こうした告発や、有力紙・ガーディアンの調査報道などによって、投票結果の正当性が、現在も激しく議論され続けている。 今回、内部告発者の一人であり、元離脱派団体でボランティアを行なっていた男性に話を聞くことができた』、2年経っても未だに議論されているとは、忘れやすい日本とは大違いだ。
・『国民投票法で定められている、各主要団体が広告やキャンペーンに投じて良い資金の上限700万ポンド(約10億1500万円)を越えた額を使ったのではないか、というものである。同法では、その他の登録された団体には、上限70万ポンドの使用が認められていた・・・700万ポンド以上の金が必要となった離脱の公式団体が、サニさんの団体に彼らの使用上限に迫る62万5000ポンドもの金をキャンペーンとは別の「寄付」として流し、その金をサニさんに命じて、自分たちがキャンペーンで使ったデジタル企業に流させたのではないか、というものだ』、なかなか巧妙な脱法行為だ。
・『サニさんは告発により、それまで家族にもひた隠しにしてきた同性愛者である事実を、当時離脱派団体の主要メンバーであり、一時恋人だった、現職の官邸関係者から暴露された。男性はサニさんに事前の了解も得ず、一連の告発は、恋愛関係のもつれによるものだと、米ニューヨークタイムズ紙に公式に発表した。 突然セクシュアリティを公然と、しかも時の政権関係者から公表された本人や家族のショックは計り知れないが、今も親族の暮らすパキスタンで同性愛はタブーであり、親戚らが深刻な危険にさらされたと言う。告発により、職も失った。それでも、離脱を支持したことや、告発を行ったことを後悔してはいないと語る』、加計疑惑を告発した前川前文科次官に対し、「出会い系バー」への立ち入り疑惑をぶつける人格攻撃したのとまるで瓜二つだ。英国でもこんな汚い手法がまかり通っているとは驚いた。
・『日本の国民投票法において広告キャンペーンなどへの資金投入の上限が存在しない・・・公正な投票法が定まっていない中での改憲は、危険です・・・その票が多額の資金を投じる側に流れてしまうことは、危険なことです』、確かに、日本の国民投票法はザル法で危険だ。

次に、6月26日付け日経ビジネスオンライン「「それでも、民主主義は優れた政治体制」民主主義と一党独裁について米コロンビア大学教授に聞く」を紹介しよう。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/16/062100026/062100002/?P=1
・『中国の民主化と民主主義について、民主主義の歴史や成り立ちに詳しい米コロンビア大学のシェリ・バーマン教授に聞いた』、『自由民主主義と資本主義が同時に起きるというのは歴史的にかなり限られた現象だということを理解する必要があります。これは主に1945年以降の産物です。 欧州の国々が独自の資本主義を進め始めた1918年以前に民主的な国はほとんどありませんでした。第一次世界大戦前に欧州で民主的だったフランスも、民主主義は不安定でした。基本的に、民主主義は工業化の後に来る傾向にあります。中国の民主化と経済発展も同時には起きていません』、日本の民主化は遅れていたと思っていたが、フランスでも民主主義が根付いたのは第二次大戦後というのは初めて知った。
・『「秩序と成長」と「民主主義」のどちらかを選ばなければならないとすれば、「秩序と成長」を選ぶ時もあるでしょう。「秩序と成長」は生きるために必要なものです。ただ、いったんそれを手に入れれば、ほとんどの人は自分で決断したいと思うようになると考えています。社会に参加したいと多くの人が考え始めると思います』、後半部分は教授の願望という印象もなくはない。
・『プラトンは独裁は民主主義体制の上に成り立つと書いている』、との質問者の問いかけは、もう少し内容を知りたいところだ。
・『民主党にはトランプ大統領に対抗できる人材はいますが、もっといい案を提供する候補者がいると有権者を説得できなければ、民主党は票を獲得することはできません』、というのは日本の野党にも通じる課題だ。
タグ:サニさんは告発により、それまで家族にもひた隠しにしてきた同性愛者である事実を、当時離脱派団体の主要メンバーであり、一時恋人だった、現職の官邸関係者から暴露された。男性はサニさんに事前の了解も得ず、一連の告発は、恋愛関係のもつれによるものだと、米ニューヨークタイムズ紙に公式に発表した EU(欧州連合)離脱を問う国民投票 内部告発者により、選挙法で定められた活動資金の上限を不正に越えて投入していた疑惑が大騒動となった 「EU離脱国民投票の不正告発者が日本に警鐘 パキスタン系英国人、シャミール・サニ氏に聞く」 日経ビジネスオンライン 伏見 香名子 (その4)(EU離脱国民投票の不正告発者が日本に警鐘 パキスタン系英国人 シャミール・サニ氏に聞く、「それでも、民主主義は優れた政治体制」 民主主義と一党独裁について米コロンビア大学教授に聞く) 民主主義 突然セクシュアリティを公然と、しかも時の政権関係者から公表された本人や家族のショックは計り知れないが、今も親族の暮らすパキスタンで同性愛はタブーであり、親戚らが深刻な危険にさらされたと言う。告発により、職も失った 自由民主主義と資本主義が同時に起きるというのは歴史的にかなり限られた現象だということを理解する必要があります。これは主に1945年以降の産物です 加計疑惑を告発した前川前文科次官 民主党にはトランプ大統領に対抗できる人材はいますが、もっといい案を提供する候補者がいると有権者を説得できなければ、民主党は票を獲得することはできません プラトンは独裁は民主主義体制の上に成り立つと書いている 秩序と成長」と「民主主義」のどちらかを選ばなければならないとすれば、「秩序と成長」を選ぶ時もあるでしょう。「秩序と成長」は生きるために必要なものです。ただ、いったんそれを手に入れれば、ほとんどの人は自分で決断したいと思うようになると考えています 日本の国民投票法において広告キャンペーンなどへの資金投入の上限が存在しない・・・公正な投票法が定まっていない中での改憲は、危険です 出会い系バー 米コロンビア大学のシェリ・バーマン教授 「「それでも、民主主義は優れた政治体制」民主主義と一党独裁について米コロンビア大学教授に聞く」 民主主義は工業化の後に来る傾向にあります
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感