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高齢化社会(その18)(精神科医・和田秀樹さんが「80歳を越えたら我慢しないで生きよう」と唱える理由、和田秀樹さんが説く「いい医者」を見分けるコツ 70代からの人生を元気に楽しく過ごすには?、出口治明 72歳で脳卒中になって右半身麻痺と失語症が残り 身体の右側が動かず言葉を発することもできないのに なぜ悲観的にならず「復職」を目指せたのか) [社会]

高齢化社会については、5月12日に取上げた。今日は、(その18)(精神科医・和田秀樹さんが「80歳を越えたら我慢しないで生きよう」と唱える理由、和田秀樹さんが説く「いい医者」を見分けるコツ 70代からの人生を元気に楽しく過ごすには?、出口治明 72歳で脳卒中になって右半身麻痺と失語症が残り 身体の右側が動かず言葉を発することもできないのに なぜ悲観的にならず「復職」を目指せたのか)である。

先ずは、6月26日付け日刊ゲンダイ「精神科医・和田秀樹さんが「80歳を越えたら我慢しないで生きよう」と唱える理由」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/306864
・『<80歳になったら、我慢しないでしたいことしよう>というのが老年精神医学の第一人者、和田秀樹さんの考えだ。高齢者の人生の過ごし方について話を聞いた。 80歳になると要介護者や認知症が急に増えるそうだ。80歳には「壁」があるのだ。その壁の乗り越え方を提案した「80歳の壁」が35万部(6月初旬現在)のベストセラーになっている。和田さんはこの現象をどのように分析しているのか。 「80歳向けの本をようやく出すことができました。この本には伏線があって、『70歳が老化の分かれ道』という本が25万部以上売れたので、『80歳』が出せた。その前には60歳向けの本を出したんですが、あまり売れなかった。ぼくは62歳だけど、ちょっと上が『POPEYE』世代で、ぼくは『HotDog』世代。読書世代ではないんですね。だけどいま72歳から75歳くらいの団塊の世代って20代で『資本論』とかショーペンハウアーら哲学も読んできている。60代より70代の人の方が本を読むんです』、私自身は恥ずかしながら、せいぜい共産党宣言ぐらいで、「『資本論』とかショーペンハウアーら哲学も読んできている」、到底読もうという気にはならなかった。
・『70代は自分を高齢者だと思っていない  さらに驚いたのは、発売当初でAmazonで1位になり、Kindleでも1位になったこと。そして『70歳が老化の分かれ道』が郊外型書店で売れたことです。今の70代や80代って、ネットで本を買い、電子書籍を読み、郊外型書店に自ら車を運転して買いに行く生活になっている。70歳の高齢者は自分は高齢者じゃないよって思っていたりします。高齢者から運転免許を取り上げてどうするんですか。ぼくがトヨタの社長なら怒りますよ」 マーケティングと高齢者のニーズにズレがある。 「マスメディアの人や商品開発の人が気づかない中で、ライフスタイルが変化してきている。これまで80歳というとブルーカラーや農家の人、早寝早起きというイメージが強かった。だけど今の80代ってほぼホワイトカラー。これまでのような早寝早起きではなく深夜番組も大好きだったり、銀座で飲んでいたような人たちが老化している」 このため和田さんも困っていることがあるそうだ。 「ぼくは高齢者に<動こう><脳を使おう>と常々言っているわけですが、実際のところ高齢者が遊べる場所がないんです。高齢者大歓迎のキャバクラもホストクラブもないでしょ。大切な性ホルモンを出すためにはいつまでも男でいたい、女でいたいという気持ちでいたほうがいいんです。世代が違う人と話せば認知症と関係の深い前頭葉も使うしね。ジャパネットが30万円くらいで豪華クルーズを始めたけど、高齢初心者も楽しめるセンスは的を射ていますね」』、「高齢者大歓迎のキャバクラもホストクラブ」が仮にあっても、そんなところでまで「高齢者」扱いされたくはないので、行く気がしない。
・『「長生きよりは元気でいたい」という人は増えている  性ホルモンの1つ、男性ホルモン(テストステロン)は医学的に重要だと認識されてきているという。 「男性ホルモンの分泌が減ると、性欲だけでなく意欲が落ちることが明らかになったんです。女性に対する興味だけでなく、人に対する興味が落ちてしまう。抑うつ状態にもなります。判断力や記憶力も落ちるし、同じだけ運動しても筋肉がつかなくなる。そうなれば老化まっしぐらです。だから男性ホルモンを維持するのはすごく大事なんです」 男性ホルモン維持のためには次の3つが効果的だそうだ。①食生活の面ではコレステロールにタンパク質に亜鉛をとること②運動をすること③心理的影響がとても大きいので、疑似恋愛できるキャバクラや風俗などもオススメだそうだ。 「性欲があることを恥ずかしがる必要はないんです。65歳以上高齢者は3640万人。国民全体の29%もいるんだから、この人たちを要介護者にしないことが大事なんです。それを伊藤詩織さんの事件をもみ消した中村格が警察庁長官になっちゃってから、ポルノ弾圧を進めている。欧米ではポルノは合法。ぼくが岸田首相ならポルノ解禁にしますね。それで<要介護高齢者が減るならどんな批判でも受ける!>って言えば拍手喝采じゃないですか? 東大受験に3回失敗するというここ一番に弱い岸田首相にはポルノ解禁をする度胸なんかないだろうけど。重要なことは、それぐらい大胆に発想を逆転させないと、日本では長生きはするけどヨボヨボの人を増やすだけになるっていうことです」』、「東大受験に3回失敗するというここ一番に弱い岸田首相」、初めて知ったが、さもありなんだ。「ポルノ解禁」には大賛成だ。
・『「心をバカにするなよ、と思う」  「日本は新型コロナウイルス対策でも自粛生活をさせて、人を閉じ込めたでしょ。家から出ない、人と話さないってなれば、歩けなくなるし、うつ病にもなるよ。老年医療やっている医者なら人の心がどうなるかわかります。政府は患者や心と向き合って臨床をしている医師ではなく、感染症の専門家や動物実験ばっかりやっている大学のお偉いさんの言う通りに国民に自粛生活をさせました。これに老年医学会も精神神経学会も抗議すらしない。年間自殺者2万人という現実もあるのに。心をバカにするなよって思うわけです」 和田さんは医者の診断や処方なども、うのみにしないほうがいいと指摘する。 「米国では死因のトップが心筋梗塞だから、血圧、血糖値、コレステロールは下げた方が多分いい。だけど、それで長生きするのは米国のデータであって、日本では大規模調査をしていないから根拠のあるデータとは言えない。日本の死因のトップはがんです。がんは免疫機能を上げることが大事。そのために楽しむことの価値が高い。また、男性ホルモンを増やすにはコレステロールにタンパク質が大事です。だけど日本だと健康診断で正常値を保つためにしょっぱいものや甘いものは我慢して薬漬け。それだと元気をなくすだけです。20年長生きするために、だるくて元気のないまま暮らしますか? 私の70歳向け80歳向けの本が売れたのは、高齢者たちは長生きよりは元気でいたいと願っているという表れだと思いますよ」』、「国では死因のトップが心筋梗塞だから、血圧、血糖値、コレステロールは下げた方が多分いい。だけど、それで長生きするのは米国のデータであって、日本では大規模調査をしていないから根拠のあるデータとは言えない」、いまだにこんな重要なデータが「日本」にないとは驚かされた。
・『「くだらないことでも楽しめる」のが究極の幸せ  高齢者をアクティブ(行動的)にすることはとても大事な施策でもあるそうだ。 「アクティブにしないと要介護者が増えます。2~3年後には500万人から600万人に増えるでしょう。それでまた増税ってことになる。個人金融資産の7割に当たる1400兆円を60歳以上が保有しています。高齢者は心を元気にして楽しまないといけないのに、それがまるで悪いことだと思われています。だから高齢者はビビってお金を使わなくなっている。そうじゃない。楽しむことは景気にもいい影響を与える。ぼくは相続税100%と言っているけど、死ぬまでに自分の稼いだ金は全部使うべき。人は最期まで楽しむ権利がある。それに究極の幸せって、くだらないことでも楽しんでしまう能力です。金持ちだろうが貧乏だろうが関係ない」』、「高齢者はビビってお金を使わなくなっている」理由は、「楽しむのが悪いことだと思っている」ことではなく、将来に介護などが必要になる場合に備えているだけだ。
・『「不良高年でいいんです」  「高齢者も少々高いハードルを2つ3つ越える意欲が大事です。日本人に一番欠けているのは実験する姿勢なんです。失敗を恐れず思い切って実行に移すと違う世界が見えてきます。意欲も次々に湧いてくる。想定外のことや、ワクワクドキドキすること、新しいことをするのは前頭葉を使うため認知症対策にもなります。80歳になったからって遠慮する必要なんてない。若返ることはいいことなんだから不良高年でいいんです」 一方で老いを受け入れることは自分を楽にする。 「70歳まではできるだけアンチエイジングをしたほうがいいんですが、80歳過ぎたらがんの進行も遅くなる。我慢をしないで、食べたいものを食べてお酒も飲んでもいいんです。健康診断も受けなくていい。“正常値”に戻そうとして薬漬けになるだけですから。おむつや補聴器も格好悪いから嫌がる人も多いけど素直に受け入れましょう。知人の音楽家は『おむつってこんなに楽なんだ』と喜んでいました。認知症にはなりたくないとみなさん言うけど、認知症は脳の変化だから不可避です。ただ脳はもともと1割しか使われていないから、かなり縮んでも、使い続けていれば残存機能はわりと使えます。認知症になってくるとみなさんニコニコして楽しそうに見えますよ。それと比べるとうつ病は楽しむ能力がなくなって、つらくておれはダメだってなっちゃう。認知症よりもうつ病にならないようにしたほうがいいんです。そうならないためにも残りの人生を楽しむこと。自分を喜ばせましょう」』、「認知症よりもうつ病にならないようにしたほうがいいんです。そうならないためにも残りの人生を楽しむこと。自分を喜ばせましょう」、同感である。

次に、8月1日付け東洋経済オンラインが掲載したライター・コラムニストの伯耆原 良子氏による「和田秀樹さんが説く「いい医者」を見分けるコツ 70代からの人生を元気に楽しく過ごすには?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/601014
・『高齢者専門の精神科医として6000人以上の患者と向き合ってきた、和田秀樹さん。70代、80代向けに書いた、老いへの備えや生き方の指南書が発売されるや否や、次々とヒットを連発。「70歳は人生のターニングポイント!」として、70代からの人生を元気に乗り切るための生活習慣や考え方をまとめた、近著『70代で死ぬ人、80代でも元気な人』もベストセラーとなり、大きな話題に。 インタビューの後編では、多くの高齢者とかかわってきた和田さんに、70代からの人生を元気に楽しく過ごすためのコツや心がけたほうがいいことについて伺いました(Qは聞き手の質問、Aは和田氏の回答)。 前編:『和田秀樹「70代でも元気な人とそうでない人の差」』』、興味深そうだ。
・『死因トップが「がん」の日本  Q:著書『70代で死ぬ人、80代でも元気な人』の中で、両者の違いは「レジリエンス(回復力)と免疫力にある」とおっしゃっていました。レジリエンスと免疫力を上げ、70代を元気に乗り切るためにはどうしたらいいでしょうか。 A:レジリエンスと免疫力を上げるためには、身体と脳を使うこと。そして、しっかり食べ、栄養状態を良くすることが大切です。血圧や血糖値を気にして節制する人がいますが、それも過ぎると栄養不足になりかねません。 アメリカ人の死因のトップは心筋梗塞なので、確かに血圧や血糖値、コレステロール値を下げたほうがいいかもしれない。 だけど、日本人の死因のトップは「がん」なんですね。がんで死ぬ人が、心筋梗塞で死ぬ人の12倍もいるのです。 だから、われわれのような「がんで死ぬ国」は、免疫力を上げなくてはいけない。もっと栄養を摂る必要があるし、もっと楽しまないといけないわけです。 よく「健康のためにお肉を減らしましょう」という医者もいますが、1日あたりの肉の平均摂取量はアメリカ人が300g程度に対し、日本人は100gぐらいですからね。 普段からそんなに食べていないに、お肉を控えてしまったことで、タンパク質など栄養不足になる危険性もある。それにもともとお肉が好きな人は食べる楽しみも減ってしまうから、かえって免疫力が落ちてしまう可能性もあるのです。) Q:高齢になると血圧や血糖値の数値が気になり、薬を飲む人も多いですよね。 A:実際、多いですね。医療が高度化したことによって、検査データを重要視するようになり、数値に異常があれば、正常に戻すためにすぐに薬を出すようになりました。 治療のために薬を出すというより、“数値を下げる”ためだけに薬を出す医者が多いのです。 さらに今の医療は専門分化が進んでいます。身体のあちこちが具合悪い人は、例えば「循環器内科」「消化器内科」「泌尿器科」というように、それぞれの科の医者から薬をもらうようになって、10個も15個も薬を飲むようになります。いわば薬漬けの状態です。 それでは、かえって具合が悪くなりかねません。実際、血圧や血糖値を下げる薬によって、低血圧や低血糖を引き起こし、頭がボーっとしたり、足元がフラフラしたりすることもあります。 僕は1985年に医学部を出ましたが、その頃の診察ではまだ聴診器を当てたり、触診をしたり、目の前の患者さんの状態や顔色を見ながら診断していきました。でも、今はそういった当たり前のことが少なくなって、数値ばかり重要視していくようになった。それでは体調不良の真の原因が見えなくなります。 僕は数値が正常化どうかよりも、本人が元気かどうかのほうがよっぽど大事だと思うんですね』、「日本人の死因のトップは「がん」なんですね。がんで死ぬ人が、心筋梗塞で死ぬ人の12倍もいるのです。 だから、われわれのような「がんで死ぬ国」は、免疫力を上げなくてはいけない。もっと栄養を摂る必要があるし、もっと楽しまないといけないわけです。 よく「健康のためにお肉を減らしましょう」という医者もいますが、1日あたりの肉の平均摂取量はアメリカ人が300g程度に対し、日本人は100gぐらいですからね。 普段からそんなに食べていないに、お肉を控えてしまったことで、タンパク質など栄養不足になる危険性もある」、「(自分が医者になった)頃の診察ではまだ聴診器を当てたり、触診をしたり、目の前の患者さんの状態や顔色を見ながら診断していきました。でも、今はそういった当たり前のことが少なくなって、数値ばかり重要視していくようになった。それでは体調不良の真の原因が見えなくなります。 僕は数値が正常化どうかよりも、本人が元気かどうかのほうがよっぽど大事だと思うんですね」、その通りだ。
・『高齢者が元気になる、良い医者の見分け方  Q:先生から見て、良い医者の見分け方というのはありますか。 A:基本的に医者というのは病気を治すプロであって、人を元気にさせるプロではないんですね。 「あなた、この数値が高いから危険です。薬を飲みましょう」という医者が多いけど、それを言われて元気になりますかって話です。 薬を飲んでも一向に具合が良くならない時に、しっかりと耳を傾けて原因を探ってくれたり、今飲んでいる薬を変えてくれたりと、根本原因に目を向けてくれる医者は信頼できるんじゃないでしょうか。 その医者の人となりや雰囲気というのも重要で、「この先生のところに行くとなんだか元気をもらえる」みたいな人がいいですよね。 (和田秀樹氏の略歴はリンク先参照) Q:著書『70代で死ぬ人、80代でも元気な人』の中にあった、「高齢になってくると男性ホルモンの影響によって、女性のほうが男性よりも元気になる」というお話も、興味深く感じました。 男性ホルモン(テストステロン)は、いわゆる男らしさをつくるホルモンなのですが、社交性や攻撃性といった外に向かう力を生み出すホルモンなんですね。その男性ホルモンが、男性は中年期以降、減少し、逆に女性は高まっていくということがわかってきました。) 高齢になるほど妻はどんどん外に出て、人と会ったり、趣味の活動を始めたりする一方で、夫は何もせず、家にこもって、奥さんに頼りっきりになってしまう……。そんなふうに「濡れ落ち葉」と言われるようになってしまうのは、男性ホルモンの影響もあるわけです。 妻の側は、家にこもりがちの夫の姿を見ていて「情けない……」と思わずに、「ホルモンのせいなんだ」と思うと、ちょっと優しくなれるかもしれませんね。 そういうわけで、男性は定年退職したら、家に閉じこもらずに積極的に外に出たり、早めに自分が楽しめる世界を見つけたりすることをおすすめしたいです。 さすがに愛人をつくれとは言わないけれど、キャバクラに行くぐらいは許してあげてもいいんじゃないかと(笑)。男性ホルモンの分泌を促すためにもね』、「薬を飲んでも一向に具合が良くならない時に、しっかりと耳を傾けて原因を探ってくれたり、今飲んでいる薬を変えてくれたりと、根本原因に目を向けてくれる医者は信頼できるんじゃないでしょうか。 その医者の人となりや雰囲気というのも重要で、「この先生のところに行くとなんだか元気をもらえる」みたいな人がいいですよね」、「男性ホルモンが、男性は中年期以降、減少し、逆に女性は高まっていくということがわかってきました。 高齢になるほど妻はどんどん外に出て、人と会ったり、趣味の活動を始めたりする一方で、夫は何もせず、家にこもって、奥さんに頼りっきりになってしまう……。そんなふうに「濡れ落ち葉」と言われるようになってしまうのは、男性ホルモンの影響もあるわけです」、なるほど。
・『できないことを悔やむのではなく、面白がる  Q:70代からの人生を元気に楽しく過ごすために、心がけたほうがいいこととは何でしょうか。 A:70代ともなると、さすがに体力も集中力も衰えてきて、少なからず老いを感じるのは、仕方のないことです。 そこで「50代、60代の時はもっとできていたのに……」と悔やんだり、「これからますます衰えていく一方だ」と先のことを悲観したりすれば、どんどん気力を失い、老け込んでいってしまいます。 老いを感じた時に大切なのは、「できないことを悔やむのではなく、面白がること」です。本を読むのも、何か作業するのものろのろと、ちょっとずつしかできなくても、そのこと自体を「面白いな」と捉えてみると、今まで気づかなかった新たな発見があるものです。 そうやって70代のまだ元気なうちに自分のやりたいことを諦めずに続けることができると、80代以降、さらに老いが進んだとしても楽しみを失わずに済みます。 Q:「もう歳だから」といろんなことをあきらめずに、チャレンジし続けることが大切なんですね。 A:そうです。一日一日が実験だと思ったら、楽しくなってきませんか? 例えば、すごい美味しいラーメン店があって、1時間並ぶとする。でも、現役バリバリで仕事が忙しかったら、1時間も並ぶのも厳しいじゃないですか。 引退して時間はたっぷりあるわけだから、今までやりたくてもできなかったことに挑戦できる絶好のチャンスです。 毎日の食事のレシピを少しずつ変えたり、毎日違った本を読んでみたり。ドラマや映画もサブスクの動画配信サービスを使えば、何本見たって同じ金額です。 一日一日が実験だと思えば、失敗すらも楽しくなります。入ったお店がまずかったら、「じゃあ、次はこういうお店に行ってみよう」って、学びに変えていけば毎日にハリが出ます。 残りの人生で、あと何百回、何千回と実験ができるんですから、それだけ多くの幸せ気分を味わえるんじゃないでしょうか』、「70代のまだ元気なうちに自分のやりたいことを諦めずに続けることができると、80代以降、さらに老いが進んだとしても楽しみを失わずに済みます」、和田氏のアドバイスは元気が出るので、いつも楽しみだ。

第三に、7月27日付け婦人公論が掲載した立命館アジア太平洋大学学長の出口治明氏による「出口治明 72歳で脳卒中になって右半身麻痺と失語症が残り。身体の右側が動かず言葉を発することもできないのに、なぜ悲観的にならず「復職」を目指せたのか」を紹介しよう。
https://fujinkoron.jp/articles/-/6223
・『「平成30年(2018)人口動態統計月報年計(概数)の概況」(厚生労働省)によれば、日本人の死因第4位が脳卒中になっています。かつては日本人の死因の第1位だった脳卒中も、医療の進歩で亡くなる人が減少。しかし、患者数そのものは変わらずに今も多いのが現状です。ライフネット生命保険株式会社創始者で、立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明さんも、2021年1月に脳卒中を発症。リハビリ生活を送ることになりました。しかしどんなに大変な状態にあっても、あくまで「復職」を目指したという74歳の出口さん、その背景にあったものとは――』、あの「出口治明」氏が「脳卒中を発症」、「リハビリ」中だと知って、驚かされた。
・『脳卒中で右半身麻痺と失語症が残り  立命館アジア太平洋大学(APU)のある大分県の別府から、故郷の三重に、亡き母の四十九日の法要で新幹線で帰郷するため福岡のホテルに前泊した翌朝、僕は突然発作を起こし、病院に搬送されました。2021年1月9日の朝でした。 倒れた後、しばらくは意識が朦朧として、あまり明確な記憶は残っていません。気が付くと僕は自分の身体の右側が、自分の思い通りに動かせなくなっていました。 思い通りにならなくなったのは、それだけではありません。何も言葉を発することができなくなっていたのです。 医師の診断は左被殻出血(ひだりひかくしゅっけつ)。いわゆる脳卒中や脳出血と言われる病気で、症状としては右半身の麻痺と失語症が残りました。また、CT(コンピュータ断層撮影)検査の結果、手術はしない方針が採られました』、「失語症が残りました」、雑誌への寄稿、講演、などで精力的に活動してきた「出口」氏にとっては深刻だ。
・『リハビリ生活のスタート  脳卒中の後遺症として身体の麻痺はよく知られていると思いますが、失語症はあまりなじみのない人が多いかもしれません。 失語症とは脳の言葉を担う部分に障害が起こり、聞く、話す、読む、書くといった言葉を使った働きがうまくできなくなる状態です。 命に別状はありませんでしたが、僕は発作が起きてからあっという間に右腕右足がまったく動かず、相手が話している内容はある程度理解できても、自分からは意味のある言葉を一つも出せない状態になっていたのです。 しばらく福岡の病院で治療をした後、東京にあるリハビリテーション専門病院に転院し、僕のリハビリ生活はスタートしました』、「相手が話している内容はある程度理解できても、自分からは意味のある言葉を一つも出せない状態になっていたのです」、これは大変だ。
・『なぜ復職を目指したのか  医師によると、僕と同じくらいの年齢の人が脳出血を発症し、同じくらいのダメージが残ると、復職はあきらめ、退院や、自宅での自立した生活を目指してリハビリを行うのが一般的だそうです。もともと70歳を超えていれば、定年退職し、仕事をせずに暮らしている人も多いでしょう。 しかし僕は、学長への復職を目指したいと、医師とリハビリのスタッフに伝えました。以前と同じように別府へ単身赴任して自立した生活を送り、聴衆の前に立って講演できるくらいになりたいと。 なぜ復職を目指すのか。まだやり残した仕事があったからです。 学長に就任して以来取り組んできた、新しい学部の設立。そして新型コロナウイルスの感染拡大で大きな影響を受けた学生の支援。そして国際学生の入国をサポートし、以前のように多様な学生が対面で交流できるキャンパスを、できるだけ早く取り戻したい─』、「僕は、学長への復職を目指したいと、医師とリハビリのスタッフに伝えました。以前と同じように別府へ単身赴任して自立した生活を送り、聴衆の前に立って講演できるくらいになりたいと。 なぜ復職を目指すのか。まだやり残した仕事があったからです。 学長に就任して以来取り組んできた、新しい学部の設立。そして新型コロナウイルスの感染拡大で大きな影響を受けた学生の支援。そして国際学生の入国をサポートし、以前のように多様な学生が対面で交流できるキャンパスを、できるだけ早く取り戻したい─」、「学長への復職を目指したい」とは大した心がけだ。
・『悲観的になる必要はない  脳卒中を発症して障害が残ると、患者さんは自分の置かれた状況を正確に把握できず、あるいは状況を受け入れられず、あまり現実的でない希望を持つ場合があります。当初、医師やリハビリスタッフの方たちは、僕にもその可能性があると懸念していたそうです。 そうでなくても僕の負った障害の重さからすると、復職するまでのハードルは非常に高いと考えられていました。 目指す目標が高いので、リハビリも一般的な人よりも頑張らなくてはなりません。果たして病気で弱った心身で、それができるのかどうか。 しかし、周囲の人たちの心配とは裏腹に、僕は楽観的でした。言葉の問題や身体の不自由さは、いずれきっとよくなるだろうと。 数字・ファクト・ロジックで考えれば、悲観的になる必要などない。そう考えていたのです。 「人生とは何か」といった自問自答をすることも、落ち込んでふさぎ込むこともありませんでした。あくまで復職に向けてリハビリに一所懸命取り組み、復活した姿を皆さんにお見せしたいと思っていました。 何が起こるか予測できない世の中で、どんな事態に直面するかは、『種の起源』で進化論を確立したダーウィンがいっているように運次第であり、人間にできるのは適応だけです。 人間は川の流れに身を任せてたゆたうことしかできない。 ダーウィニストの僕は、以前からずっとそう考えてきました。川の流れに身を任せているうちに、僕はネット生命保険会社の創業を経てAPUの学長に就任し、日々の仕事と生活を送るなかで脳出血を発症し、身体と言葉の障害が残りました』、「何が起こるか予測できない世の中で、どんな事態に直面するかは、『種の起源』で進化論を確立したダーウィンがいっているように運次第であり、人間にできるのは適応だけです。 人間は川の流れに身を任せてたゆたうことしかできない」、「ダーウィン」の言葉が出てくるとはさすがだ。
・『人生は楽しまなければ損  人生にはどうしようもないことが山ほど起こります。「自分はなんて不幸なんだ、不運なんだ」と嘆いても仕方がありません。 それがわかれば自分の身体に障害が残った事実をありのままに見つめ、その変化に適応するだけのことです。「人生とは何か」などと自問自答する必要はまったくない。 年を取って死の恐怖を感じるのは、わからないでもありません。知人や友人が亡くなっていきますから、どうしても死を意識してしまいます。 しかし年齢別死亡率や平均余命といった統計をみれば、年を取ったら死ぬ確率は年々高まっていくのがわかるでしょう。客観的データに基づけば別に怖がる必要はなく、死は誰にでも訪れる当たり前の自然現象だと思えばよいだけの話です。 何より、人生は楽しまなければ損です。以前と同じようには動けなくなったからといって、落ち込んでいる暇などありません。 実際、脳卒中で麻痺が残ってリハビリに取り組み、復職にチャレンジするプロセスではいままで見えていなかった事柄に気が付いたり、新たに学んだりしたことがたくさんあります。 ※本稿は、『復活への底力 運命を受け入れ、前向きに生きる』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。) 『復活への底力 運命を受け入れ、前向きに生きる』(著:出口治明/講談社現代新書)(脳卒中を発症してから1年半。歩くことも話すことも困難な状況から、持ち前の楽観主義で落ち込むことがなく元気にリハビリ生活を送った出口さん。知的好奇心は衰えるどころか増すばかり。学長復職を目指す、講演を行う、再び本を執筆することを掲げ、自分を信じ闘病に励む稀有な姿勢と超人の思想は、私たちに生きる勇気を与えてくれる。本書には類書にない希望が満ち溢れている!』、「歩くことも話すことも困難な状況から、持ち前の楽観主義で落ち込むことがなく元気にリハビリ生活を送った出口さん。知的好奇心は衰えるどころか増すばかり。学長復職を目指す、講演を行う、再び本を執筆することを掲げ、自分を信じ闘病に励む稀有な姿勢と超人の思想は、私たちに生きる勇気を与えてくれる。本書には類書にない希望が満ち溢れている!」、「リハビリ」が所期の目的を達することを祈るばかりだ。時間が出来たら、『復活への底力 運命を受け入れ、前向きに生きる』も読んでみたい。
タグ:「高齢者はビビってお金を使わなくなっている」理由は、「楽しむのが悪いことだと思っている」ことではなく、将来に介護などが必要になる場合に備えているだけだ。 「国では死因のトップが心筋梗塞だから、血圧、血糖値、コレステロールは下げた方が多分いい。だけど、それで長生きするのは米国のデータであって、日本では大規模調査をしていないから根拠のあるデータとは言えない」、いまだにこんな重要なデータが「日本」にないとは驚かされた。 「東大受験に3回失敗するというここ一番に弱い岸田首相」、初めて知ったが、さもありなんだ。「ポルノ解禁」には大賛成だ。 「高齢者大歓迎のキャバクラもホストクラブ」が仮にあっても、そんなところでまで「高齢者」扱いされたくはないので、行く気がしない。 私自身は恥ずかしながら、せいぜい共産党宣言ぐらいで、「『資本論』とかショーペンハウアーら哲学も読んできている」、到底読もうという気にはならなかった。 日刊ゲンダイ「精神科医・和田秀樹さんが「80歳を越えたら我慢しないで生きよう」と唱える理由」 高齢化社会 (その18)(精神科医・和田秀樹さんが「80歳を越えたら我慢しないで生きよう」と唱える理由、和田秀樹さんが説く「いい医者」を見分けるコツ 70代からの人生を元気に楽しく過ごすには?、出口治明 72歳で脳卒中になって右半身麻痺と失語症が残り 身体の右側が動かず言葉を発することもできないのに なぜ悲観的にならず「復職」を目指せたのか) 「認知症よりもうつ病にならないようにしたほうがいいんです。そうならないためにも残りの人生を楽しむこと。自分を喜ばせましょう」、同感である。 伯耆原 良子氏による「和田秀樹さんが説く「いい医者」を見分けるコツ 70代からの人生を元気に楽しく過ごすには?」 「日本人の死因のトップは「がん」なんですね。がんで死ぬ人が、心筋梗塞で死ぬ人の12倍もいるのです。 だから、われわれのような「がんで死ぬ国」は、免疫力を上げなくてはいけない。もっと栄養を摂る必要があるし、もっと楽しまないといけないわけです。 よく「健康のためにお肉を減らしましょう」という医者もいますが、1日あたりの肉の平均摂取量はアメリカ人が300g程度に対し、日本人は100gぐらいですからね。 普段からそんなに食べていないに、お肉を控えてしまったことで、タンパク質など栄養不足になる危険性もある」、 「(自分が医者になった)頃の診察ではまだ聴診器を当てたり、触診をしたり、目の前の患者さんの状態や顔色を見ながら診断していきました。でも、今はそういった当たり前のことが少なくなって、数値ばかり重要視していくようになった。それでは体調不良の真の原因が見えなくなります。 僕は数値が正常化どうかよりも、本人が元気かどうかのほうがよっぽど大事だと思うんですね」、その通りだ。 「薬を飲んでも一向に具合が良くならない時に、しっかりと耳を傾けて原因を探ってくれたり、今飲んでいる薬を変えてくれたりと、根本原因に目を向けてくれる医者は信頼できるんじゃないでしょうか。 その医者の人となりや雰囲気というのも重要で、「この先生のところに行くとなんだか元気をもらえる」みたいな人がいいですよね」、「男性ホルモンが、男性は中年期以降、減少し、逆に女性は高まっていくということがわかってきました。 高齢になるほど妻はどんどん外に出て、人と会ったり、趣味の活動を始めたりする一方で、夫は何もせず、家にこも 「70代のまだ元気なうちに自分のやりたいことを諦めずに続けることができると、80代以降、さらに老いが進んだとしても楽しみを失わずに済みます」、和田氏のアドバイスは元気が出るので、いつも楽しみだ。 婦人公論 出口治明氏による「出口治明 72歳で脳卒中になって右半身麻痺と失語症が残り。身体の右側が動かず言葉を発することもできないのに、なぜ悲観的にならず「復職」を目指せたのか」 あの「出口治明」氏が「脳卒中を発症」、「リハビリ」中だと知って、驚かされた。 「相手が話している内容はある程度理解できても、自分からは意味のある言葉を一つも出せない状態になっていたのです」、これは大変だ。 「僕は、学長への復職を目指したいと、医師とリハビリのスタッフに伝えました。以前と同じように別府へ単身赴任して自立した生活を送り、聴衆の前に立って講演できるくらいになりたいと。 なぜ復職を目指すのか。まだやり残した仕事があったからです。 学長に就任して以来取り組んできた、新しい学部の設立。そして新型コロナウイルスの感染拡大で大きな影響を受けた学生の支援。そして国際学生の入国をサポートし、以前のように多様な学生が対面で交流できるキャンパスを、できるだけ早く取り戻したい─」、「学長への復職を目指したい」とは大し 「何が起こるか予測できない世の中で、どんな事態に直面するかは、『種の起源』で進化論を確立したダーウィンがいっているように運次第であり、人間にできるのは適応だけです。 人間は川の流れに身を任せてたゆたうことしかできない」、「ダーウィン」の言葉が出てくるとはさすがだ。 「歩くことも話すことも困難な状況から、持ち前の楽観主義で落ち込むことがなく元気にリハビリ生活を送った出口さん。知的好奇心は衰えるどころか増すばかり。学長復職を目指す、講演を行う、再び本を執筆することを掲げ、自分を信じ闘病に励む稀有な姿勢と超人の思想は、私たちに生きる勇気を与えてくれる。本書には類書にない希望が満ち溢れている!」、「リハビリ」が所期の目的を達することを祈るばかりだ。時間が出来たら、『復活への底力 運命を受け入れ、前向きに生きる』も読んでみたい。
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教育(その29)(女子生徒「ズボン着用」に届出が必要な校則の異常 理不尽な「ブラック校則」が一向に変わらない訳、学校で「いい先生」が正規教員になれない理不尽 現場の評価と一致しない採用試験の評価、1年目の非正規教員が「自己流」で教壇に立つ異常 初任者研修すら受けられず担任を持つ教員たち) [社会]

教育については、6月7日に取上げた。今日は、(その29)(女子生徒「ズボン着用」に届出が必要な校則の異常 理不尽な「ブラック校則」が一向に変わらない訳、学校で「いい先生」が正規教員になれない理不尽 現場の評価と一致しない採用試験の評価、1年目の非正規教員が「自己流」で教壇に立つ異常 初任者研修すら受けられず担任を持つ教員たち)である。

先ずは、7月21日付け東洋経済オンライン「女子生徒「ズボン着用」に届出が必要な校則の異常 理不尽な「ブラック校則」が一向に変わらない訳」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/604155
・『全国で最低でも約2000人の教員が不足している。今年初めて発表された文部科学省の教員不足調査では衝撃の実態が明らかになった。学校現場では今何が起こっているのか。7月19日発売の「週刊東洋経済」では「学校が崩れる」を特集。各地の教員の声とともに教員不足の真因を深掘りした。 関西地方の中学校に通う男児は発達障害による感覚過敏があり、制服が着用できない。校内では体操服を着ているが、「校門の前までは制服を着るように学校から指導された」と母親は話す。 「教員たちが当たり前のように思っている教室の環境が、一定の子どもを排除するルールになっている」と言うのは、東京都公立小学校の宮澤弘道教諭だ。 「例えば、授業前に『気をつけ。◯時間目のあいさつを始めます』と言い、担任の目を2秒間見るといったルール。この儀式が苦手な子がいると授業が始まらず、『あいつのせいでまた待たされている』と周りの子も思うようになる」』、「授業前に『気をつけ。◯時間目のあいさつを始めます』と言い、担任の目を2秒間見るといったルール」、いまどきこんな硬直的な「ルール」が大手を振っているとは、驚かされた。
・『女性がズボンを履くには「異装届」が必要  2006年に改正された教育基本法では規律や規範が重視され、学力向上のため、独自の細かい決まり事を作る学校が増えているという。 下関市立大学学長の韓昌完教授は、「日本は一定の枠に子どもを入れる一斉教育を強化することで学力を上げてきた。既存の枠に入らない子を多様性とみるのではなく障害として別の枠(特別支援学級など)に入れている」と指摘する。 日本の学級規模はOECD(経済協力開発機構)加盟国中、小学校では3番目、中学校では2番目に大きい(図は主要国のみを掲載) 日本は学級規模が大きいうえ、集団の規律性を重んじる学校文化がある。日本独自の学校文化に苦しむのは、障害のある子どもだけではない。 生徒指導主任の経験がある男性教員は、髪型や靴下の色まで決める校則を疑問視する。 「スカートが嫌でズボンをはきたいという女子生徒に『異装届』を提出させているが、その子にとっては『異装』ではない」。その学校では、ズボンを許可する日を管理職と親が決め、それ以外の日に着て来ると管理職は「調子に乗っていつも着て来るのではないか」と心配しているという。 こうした校則は「なくてもいい」と男性教員は言い切るが、学校文化や校則を疑問視する教員はまだ少数派だ。教員になるか進路を迷う大学4年生の女性は、「教員になったら、気づかぬうちに学校文化に染まってしまうのではないか心配だ」と話す。 近年、学校では外国籍の子どもや外国にルーツを持つ子どもが増えている。そうした子どもにとって、「学校とはどういう場なのか」という文化的な理解が異なることもある。 「マジョリティーの人が当たり前だと思っている授業のやり方や慣習が、マイノリティーの子どもの生きづらさになっている」と東京大学の小国喜弘教授(教育学)は言う。 細かすぎる理不尽な校則は「ブラック校則」として近年メディアでも広く報道された。文部科学省は2021年6月、都道府県教育委員会などに「校則の見直し等に関する取組事例」を告知し、校則を積極的に見直すよう学校に促している』、「「スカートが嫌でズボンをはきたいという女子生徒に『異装届』を提出させている」、「ブラック校則」そのものだ。「学校文化や校則を疑問視する教員はまだ少数派だ」、「学校」がいまだに特殊な世界にあるようだ。
・『地域の目が圧力に  しかし、厳しい校則は学校だけの責任とはいえない。「とくに服装などの身なりは『世間』の目が強い圧力になっている」と中央大学の池田賢市教授(教育学)は言う。 「教員がそこまで厳しくしなくてもいいと思っていても、『地域の人に迷惑をかけないように』とか、『将来就職する地元企業からの信頼につながる』と、地域社会の目を気にする学校が多い」(池田教授) 登校時だけ制服を着てくるように言われた冒頭の例も、地域の目を意識してのことだろう。実際、「下校時などの地域住民からのクレーム対応が負担になっている」と嘆く教員は多い。 校則の見直しに生徒が参加する学校も増えてきたが、皮肉なことに生徒自身が校則を考えると、「従来の校則より厳しいものになるという実践報告がよくある」と池田教授。校則は禁止事項の羅列という考えが土台にあるからだ。 「欧米の学校の多くでは、規則は子どもの学びの権利が保障されるかをチェックする目的で作られる。自分たちの権利が守られるよう学校に要求した結果として規則が成り立つと考えるのが本来の形だ」(池田教授) 多様性の受容と子どもの権利保障を基本に据えなければ、学校文化や校則は本質的に変わらないだろう』、「地域の目が圧力に」、無責任な意見は無視し、正々堂々と理由を説明すべきだ。「校則は禁止事項の羅列という考えが土台にある」のは問題だ。「欧米の学校の多くでは、規則は子どもの学びの権利が保障されるかをチェックする目的で作られる。自分たちの権利が守られるよう学校に要求した結果として規則が成り立つと考えるのが本来の形だ」、考え方を欧米流に合理化すべきだろう。

次に、6月29日付け東洋経済オンラインが掲載した教育ジャーナリストの佐藤明彦氏による「学校で「いい先生」が正規教員になれない理不尽 現場の評価と一致しない採用試験の評価」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/598929
・『公立学校では非正規雇用の教員が増え続けている。その数は全国の公立学校で5~6人に1人に上る。教師という職業に、いったい何が起きているのか。 特集「『非正規化』する教師」の第4回は、実力のある非正規教員が正規教員になれない背景に迫る。(過去の記事はこちら) 「なぜ、あの人が正規教員でないのか」 人づてに耳にした言葉に、中部地方で高校の理科教員をする武田晴久さん(仮名)は複雑な思いをした。 武田さんは、今年で非正規教員13年目を迎える。武田さんが周囲から「正規教員」でないことに驚かれるのは、高校の教師として特筆すべき能力と実績があるからだ。 一つは、大学・大学院時代を通じて深めてきた生物・地学領域での専門性だ。大学院を卒業後も博物館でボランティアをするなど、この領域への探究心は強く、自ら学んで得た深い知見は日々の授業にも生かされている。もう一つは、部活動顧問として全国優勝を成し遂げたことだ。理科教員ならではの知識とスキルを生かし、ある競技でチームを頂点に導いた。 「一般企業ならとうに採用している」 そんな武田さんに対して、部活動で付き合いのある会社経営者は冒頭のように、「なぜ、あの人が正規教員でないのか。一般企業ならとうに採用している」と話したという。 「他の先生から聞いた話ですが、うれしかった反面、自分の実績と立場の釣り合いが取れていないことに複雑な思いもしました」(武田さん) 大学院を卒業後に教員採用試験を受けたが、当時は倍率が10倍をはるかに超えていたこともあって合格することができなかった。その後も毎年、採用試験は受けているが、あと一歩のところで合格ラインには届いていない。その結果、現在に至るまで臨時的任用教員(常勤講師)として教壇に立ち続けている。 教員として10年以上のキャリアのある武田さんは、周囲から一人前と認められ、「仕事ができる人」と言われることもある。 民間企業の場合、非正規社員として実績を残せば、それが職場の評価となって正規社員に登用されることがある。加えて、有期労働契約が通算5年を超えた場合、本人が希望すれば期間の定めのない労働契約に切り替えられる、いわゆる「無期転換ルール」がある。 そもそも、昨今は中小企業を中心に人手不足が著しく、人材の確保という側面から、非正規社員の正規化を図る企業も少なくない。そうしたことから、民間企業の非正規率は2019年の38.3%をピークに2年連続で減少するなど、状況はわずかながら改善に向かっている(総務省「労働力調査」)。 しかし、公立学校には民間企業のような「無期転換ルール」がなく、長い人は10年以上にわたって非正規雇用のまま働き続けている。人手不足が著しい状況にもかかわらず、非正規教員の正規化を積極的に図ろうとする自治体は皆無に等しい』、「非正規教員13年目」とは気の毒だ。
・『「現場の評価」と「採用試験での評価」が一致しない  教員には民間企業のような正規化のルートがないことから、どんなに学校での評価が高くでも、正規教員になる唯一の道は教員採用試験を突破することだ。 実は武田さんのように、高い能力と実績を持っているにもかかわらず、採用試験に落ち続ける人は珍しくない。中には高い授業力があり、学校のキーマンとして活躍しているような人が、非正規教員というケースもある。 首都圏の公立小学校に勤める川島和希さん(仮名、第1回参照)も、そんな教師の一人だ。非正規教員として働き続けて10年近くの間、正規教員が敬遠するような難しいクラスの担任を幾度となく受け持ち、時に荒れた学級の立て直しを任されることもあった。学校教育や子どもたちに対する貢献は計り知れない。 こうした人たちが非正規のまま働き続けているのは、「職場での評価」と「教員採用試験での評価」が一致しないことによって起こる現象だ。 教員採用試験の実施形態は自治体によって異なるが、おおむね1次試験と2次試験の2段階で行われる。1次では主に筆記試験が課され、教育に関する学術的・制度的な知識が問われる。出題範囲は非常に広く、しっかりと対策をして本番に臨むことが必要となる。それを突破して2次に進めば、面接や模擬授業などが待っている。 しかし、臨時的任用教員としてフルタイムで働きながら受験する人の場合、対策の時間を取りづらい。そうした状況がある中で、試験対策の時間を十分取れる大学生と肩を並べて毎回試験に挑まなければならない 武田さんも1~2年目は仕事を覚えるのに手いっぱいで、試験対策をほとんどすることができなかった。その結果、あえなく1次試験の壁に阻まれることとなった。 3年目に初めて1次を突破した武田さんは、2次試験の面接・論文に向けて、万全を期そうと思った。だがその矢先、部活動関連の仕事が次々と入り、2次の前日には大会のリハーサルで、ほぼ終日拘束されてしまった。その結果、十分な準備もできないまま本番に臨み、不合格となってしまった』、少なくとも「2次試験」では、勤務評価や特殊事情を考慮できるような仕組みにすべきだろう。
・『「断ったら二度と講師はできない」  教員は、部活動の顧問の仕事をボランティアに近い状態で担っている。大事な採用試験を前に、そうした仕事を断ることはできなかったのか。 「仕事をきちんとやらないと、講師(臨時的任用教員)として働けなくなるという恐怖心がありました。だから、そんなことは言えませんでした」 当時をそうふり返る武田さんは、非正規教員1年目の終わりごろ、忘れられない経験をしている。当時、特別支援学校に勤務していたところ、近隣の高校の教頭から「来年度、うちの学校で講師をしないか」との電話が入った。武田先生が「少し考えさせてください」と答えると、その教頭はこう言った。 「この話を断ったら、二度とこの県で講師はできないと思え」 武田さんは、今もこの言葉が頭から離れない。そんな経験をすれば、「採用試験があるので、部活動の仕事は軽減してください」と言えなくなるのは当然であろう。 職場の優秀な人材を正規教員に登用する仕組みが存在せず、教員採用試験というやや特殊な選考システムにより、多くの教員が非正規雇用のまま放置され続けている。公教育の質の担保という点でも問題と言わざるをえない』、学校現場の声が教育委員会に届いているとすれば、「非正規雇用の教員」を「正規化」する知恵を絞り出すべきだ。

第三に、続きとして、7月30日付け東洋経済オンラインが掲載した教育ジャーナリストの佐藤明彦氏による「1年目の非正規教員が「自己流」で教壇に立つ異常 初任者研修すら受けられず担任を持つ教員たち」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/606090
・『公立学校では非正規雇用の教員が増え続けている。その数は全国の公立学校で5~6人に1人に上る。教師という職業に、いったい何が起きているのか。 特集「『非正規化』する教師」の第6回は、初任者研修すら受けられずに教壇に立ち続けざるを得ない非正規教員の現実に迫る。(過去の記事はこちら)。 首都圏の公立小学校で非正規教員として働く香川隆二さん(仮名)は、教員1年目のときのことが忘れられない。大学4年の時に教員採用試験を受けたが不合格となり、翌年は地元の小学校で臨時的任用教員(常勤講師)として働くことになった。だが、その1年目は散々なものだった。 「2年生の学級担任になりましたが、何をやってもうまくいきませんでした。日々の授業も、子どもたちへの指導も自己流、見よう見まねでやっていましたからね……。すぐに学級崩壊に近い状態となって、教頭先生にもクラスに入ってもらいながら、何とか1年を乗り切りました」(香川さん) 小学校では常勤の非正規教員の大半が1年目から担任を持つ。比較的落ち着いたクラスを受け持つケースが多いが、時に校内人事のなりゆきで難しいクラスを持たされることもある』、「臨時的任用教員」には「研修」もないとは余りに酷い。
・『何の研修もないまま、教壇に立ち続ける  「非正規教員は、何の研修も施されないまま、教壇に立たされ続けます。そんな仕組み自体に無理があるのではないでしょうか」と香川さんは振り返る。結局この年はクラス運営で手一杯となり、教員採用試験の対策時間もろくに取れず、不合格となってしまった。 香川さんの学校にはもう一人、1年目の教員がいた。同じ大卒だが正規採用、そのため「初任者研修」があり、校内でメンター役の教員から指導を受けたり、時に教育センターに出向いて講義を受けたりしていた。 「同じ1年目でも、職場での扱いがまったく違っていました。向こうは大事に『育成』されているのに対し、こっちは完全に『放置』されている感じです。当時は、『試験に合格できなかった自分が悪い』と思っていましたが、今思えば少し酷い扱いだと思います」(香川さん)) 小学校の教員は、年間1000コマ近い授業を一人で受け持つ。授業内容はどれ一つ同じではなく、すべての授業に入念な準備が必要となる。30~40人もの子どもたちを統率しながら、これら一つひとつの授業を成立させていくためには、高度な技能を要する。 だが、どの教員も大卒1年目から学級担任を任される。考えてみれば無理のある話で、民間企業で言えば新入社員が一人で得意先を回るようなものだ。だからせめてもということで、1年目に初任者研修が行われ、後追いでの「育成」が行われる。 初任者研修は、国が自治体に義務付けている法定研修で、校内で年間300時間、校外で25日間の研修が行われる。内容は授業に関わることから服務に関することまで幅広く、教員として必要な知識やスキルをみっちりと叩き込まれる。「300時間+25日間」というボリュームを見ても、一人前の教師にするべく手厚く育てていこうという意図が感じられる。 ところが、同じ1年目でも非正規教員には初任者研修がない。最近は、各自治体が独自に研修を実施しているケースもあるが、その内容は初任者研修とは比べ物にならないほど薄い』、「初任者研修は、国が自治体に義務付けている法定研修で、校内で年間300時間、校外で25日間の研修が行われる」のに、「非正規教員には初任者研修がない」というのは不均等が甚だし過ぎる
・『放置された結果、1年も経たず辞めていく人も  この状況について、あるベテラン教員が次のように指摘する。 「研修も施さない人間を教壇に立たせること自体、公教育としての責任を果たせていない。正規であろうと非正規であろうと、子どもたちを相手に授業をするという点では同じですからね」 また、別のある小学校の中堅教員は、「採用側に非正規教員を『育成しよう』という意識はありません。放置された結果として、1年も経たずに辞めていく人も少なくありません」と話す。一般的に1年以内の退職は職業的な「ミスマッチ」によって起こる。だが、公立学校においてはこれが「放置」によって生じているとすれば、看過できない。 こうした状況を改善する方策の一つとして、常勤の非正規教員にも初任者研修を課し、後に正規教員になった際には免除するということが考えられる。極めて合理的な仕組みで、公教育としての責任を果たすうえでも理にかなっている。だが現状、そうした制度の導入は検討されていない。 なぜ、そうしないのか。前出の中堅小学校教員に聞いてみたところ、次のような答えが返ってきた。 「そんなことするはずがありません。できが悪ければ切り捨てればいいと考えているわけですから。非正規教員は、あくまで臨時的な穴埋め人員にすぎない。そんな人間にお金と手間をかけて研修を施すなんて考えは行政サイドにありません」』、「非正規教員は、あくまで臨時的な穴埋め人員にすぎない。そんな人間にお金と手間をかけて研修を施すなんて考えは行政サイドにありません」、そうであれば、「学級担任」など責任のある仕事は任せるべきではない。任せるのであれば、「初任者研修」を受けさせるべきだ。
・『教員不足解消のためにも研修が必要  非正規で雇っている人に対する研修や教育は、その人を「見習い」と捉えるのか、「臨時的な穴埋め」と捉えるかによって変わってくる。公立学校の場合、非正規教員の大半はいずれ正規教員になることを目指し、見習いとしての意識で働いている。にもかかわらず、雇用する側が臨時的な穴埋めとしか捉えていないとすれば、両者の間には大きな意識の隔たりがあることとなる。 もちろん、1年目の非正規教員にも初任者研修を施すとなれば、相応のコストと人員が必要となる。だが、実施すれば非正規教員の職務状況が改善され、離脱する人が減る可能性も大いにある。現状の教員不足の解消という点でも検討すべき課題であろう』、「1年目の非正規教員にも初任者研修を施すとなれば、相応のコストと人員が必要となる。だが、実施すれば非正規教員の職務状況が改善され、離脱する人が減る可能性も大いにある。現状の教員不足の解消という点でも検討すべき課題」、同感である。
タグ:教育 (その29)(女子生徒「ズボン着用」に届出が必要な校則の異常 理不尽な「ブラック校則」が一向に変わらない訳、学校で「いい先生」が正規教員になれない理不尽 現場の評価と一致しない採用試験の評価、1年目の非正規教員が「自己流」で教壇に立つ異常 初任者研修すら受けられず担任を持つ教員たち) 東洋経済オンライン「女子生徒「ズボン着用」に届出が必要な校則の異常 理不尽な「ブラック校則」が一向に変わらない訳」 「授業前に『気をつけ。◯時間目のあいさつを始めます』と言い、担任の目を2秒間見るといったルール」、いまどきこんな硬直的な「ルール」が大手を振っているとは、驚かされた。 「「スカートが嫌でズボンをはきたいという女子生徒に『異装届』を提出させている」、「ブラック校則」そのものだ。「学校文化や校則を疑問視する教員はまだ少数派だ」、「学校」がいまだに特殊な世界にあるようだ。 「地域の目が圧力に」、無責任な意見は無視し、正々堂々と理由を説明すべきだ。「校則は禁止事項の羅列という考えが土台にある」のは問題だ。「欧米の学校の多くでは、規則は子どもの学びの権利が保障されるかをチェックする目的で作られる。自分たちの権利が守られるよう学校に要求した結果として規則が成り立つと考えるのが本来の形だ」、考え方を欧米流に合理化すべきだろう。 東洋経済オンライン 佐藤明彦氏による「学校で「いい先生」が正規教員になれない理不尽 現場の評価と一致しない採用試験の評価」 「非正規教員13年目」とは気の毒だ。 少なくとも「2次試験」では、勤務評価や特殊事情を考慮できるような仕組みにすべきだろう。 学校現場の声が教育委員会に届いているとすれば、「非正規雇用の教員」を「正規化」する知恵を絞り出すべきだ。 佐藤明彦氏による「1年目の非正規教員が「自己流」で教壇に立つ異常 初任者研修すら受けられず担任を持つ教員たち」 「臨時的任用教員」には「研修」もないとは余りに酷い。 「初任者研修は、国が自治体に義務付けている法定研修で、校内で年間300時間、校外で25日間の研修が行われる」のに、「非正規教員には初任者研修がない」というのは不均等が甚だし過ぎる 「非正規教員は、あくまで臨時的な穴埋め人員にすぎない。そんな人間にお金と手間をかけて研修を施すなんて考えは行政サイドにありません」、そうであれば、「学級担任」など責任のある仕事は任せるべきではない。任せるのであれば、「初任者研修」を受けさせるべきだ。 「1年目の非正規教員にも初任者研修を施すとなれば、相応のコストと人員が必要となる。だが、実施すれば非正規教員の職務状況が改善され、離脱する人が減る可能性も大いにある。現状の教員不足の解消という点でも検討すべき課題」、同感である。
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宗教(その7)(友達をカルト宗教から救いだそうとして…心優しい早大生が「坂本一家殺人事件の実行犯」に堕ちたワケ 「自分は大丈夫」という人が一番危ない、日本は世界最悪のカルトの吹き溜まり…統一教会がデタラメな教義で大金を巻き上げられた根本理由 規制の緩い日本は「世界的な穴場」になっている、この世はサタンに毒されている ハルマゲドンが来れば楽園に行ける…「カルト2世」が明かす生きづらさと解けない呪縛) [社会]

宗教については、3月3日に取上げた。今日は、(その7)(友達をカルト宗教から救いだそうとして…心優しい早大生が「坂本一家殺人事件の実行犯」に堕ちたワケ 「自分は大丈夫」という人が一番危ない、日本は世界最悪のカルトの吹き溜まり…統一教会がデタラメな教義で大金を巻き上げられた根本理由 規制の緩い日本は「世界的な穴場」になっている、この世はサタンに毒されている ハルマゲドンが来れば楽園に行ける…「カルト2世」が明かす生きづらさと解けない呪縛)である。

先ずは、7月27日付けPRESIDENT Onlineが掲載したジャーナリストの江川 紹子氏による「友達をカルト宗教から救いだそうとして…心優しい早大生が「坂本一家殺人事件の実行犯」に堕ちたワケ 「自分は大丈夫」という人が一番危ない」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/59835
・『カルト集団はどんな手段で仲間を増やすのか。ジャーナリストの江川紹子さんは「カルトは正体を隠して近づいてくるため、騙されていることに気づくのは難しい。『自分は大丈夫』と考えないほうがいい」という――。 ※本稿は、江川紹子『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち』(岩波ジュニア新書)の一部を再編集したものです』、「カルトは正体を隠して近づいてくるため、騙されていることに気づくのは難しい。『自分は大丈夫』と考えないほうがいい」、興味深そうだ。
・『『日本書紀』にもカルト集団が描かれていた  カルトは、どの時代や社会にも現れます。 日本最古の正史『日本書紀』にもカルトらしき集団についての記述があります(現代語訳は筆者による)。 「皇極天皇三年(644年)七月ふみづき、東あずまの国富士川のほとり(今の静岡県)に現れた、大生部多おおうべのおおが、人々に虫を祀まつるよう勧め、「これは常世の神である。この神を祀るものは、富と長寿が得られる」と言った。巫女たちも神のお告げと偽って、「常世の神を祀ると、貧しい人は富を得、老人は若返る」と語った。これはどんどん広まり、人々は家の財宝を投げ出し、酒を並べ、野菜や六種の家畜(馬・牛・羊・豚・犬・鶏)を道ばたに並べ、「新しい富が入ってきたぞ」と連呼した。都でも田舎でも、常世の虫をとって安置し、歌い踊って福さいわいを求め、財宝を投げ出したが、何の益もなく損ばかりが極めて多かった」 民が惑わされているのを見かねて、聖徳太子の側近秦河勝はたのかわかつが大生部多を成敗した、とも書かれています。この虫は、橘や山椒の木につき、体長12センチ強ということなので、アゲハチョウの幼虫と考えられています。 現代でも、オウムのほかに、先祖の因縁や霊の祟たたりを騙って、印鑑や壺を始め色々な商品を高く売りつける霊感商法や、教祖が女性信者に性的奉仕をさせたり、あるいは病気の人に適切な治療を受けさせず死なせてしまったりする宗教団体がたびたび問題になってきました』、「『日本書紀』にもカルト集団が描かれていた」、「人々は家の財宝を投げ出し、酒を並べ、野菜や六種の家畜(馬・牛・羊・豚・犬・鶏)を道ばたに並べ、「新しい富が入ってきたぞ」と連呼した。都でも田舎でも、常世の虫をとって安置し、歌い踊って福さいわいを求め、財宝を投げ出したが、何の益もなく損ばかりが極めて多かった」 民が惑わされているのを見かねて、聖徳太子の側近秦河勝はたのかわかつが大生部多を成敗した」、社会秩序を揺るがせにしたので、「成敗」されたようだ。
・『カルト性の高い宗教以外の集団もある  海外でも、カルトをめぐる多くの事件が報告されています。 1978年には、アメリカの新興宗教「人民寺院」が、南米のガイアナで集団自殺をし、子どもを含む900人を超える人が死亡しました。 1993年には、児童虐待と銃器不法所持の罪に問われたアメリカの新興宗教「ブランチ・ダビディアン」がテキサス州ウェイコの教団本部で捜査当局と銃撃戦となり、双方に死者が出るなどした挙げ句に籠城ろうじょう。その後FBI(連邦捜査局)が突入しましたが、この時に教祖のほか、やはり子どもを含む信者81人が死亡しました。 カルトは、宗教には限りません。過激派など政治的な集団やマルチ商法といった経済的な集団の中にも、カルト性の高いところがあります。 たとえば、1970年代の日本には、連合赤軍という左翼過激派の集団がありました。革命で世界を変革するという理想に燃えた若者たちが、山中で武装訓練をするうちに、リーダーが批判したメンバーを皆でなぶり殺しにするという、壮絶なリンチ殺人を繰り返しました。そこから逃れたメンバーが、宿泊施設を占拠し、人質をとって立て籠もり、銃を発砲して警察官ら3人を射殺する「浅間山荘事件」を起こしました。 これなども、閉鎖的な集団の中で、メンバーが歪んだ価値観に心を支配され、反社会的で命や人権をないがしろにする行動を繰り返したカルト的犯罪と言えます』、「浅間山荘事件」、「も、閉鎖的な集団の中で、メンバーが歪んだ価値観に心を支配され、反社会的で命や人権をないがしろにする行動を繰り返したカルト的犯罪」、言われてみれば、7その通りだ。
・『イスラム国とオウム真理教の共通点  最近では、シリアやイラクで一時期かなり大きな勢力を誇った、自称「イスラム国(IS)」があります。イスラム復古主義を標榜しながら「国家」樹立を宣言し、支配地域での徴税や一部の行政を行うなど、宗教的かつ政治的な組織です。インターネットを利用した巧みなプロパガンダを展開。中東だけでなく、ヨーロッパで生まれ育ったイスラム教徒の若者をも引き寄せました。 移民の二世や三世が、生まれ育った社会の中で“よそ者”として扱われて疎外感を抱いたり、シリアやイラクで空爆などで子どもが殺害されている映像を見て、イスラム同胞を救うための「聖戦」に参加しなければ、という使命感をかき立てられたりして、自ら飛び込んでいった姿には、オウム真理教に身を投じた人たちと重なるものがあります』、「イスラム国とオウム真理教の共通点」、確かにありそうだ。
・『12年間で10億円以上も搾取されたX JAPANのヴォーカル  自己啓発セミナーや疑似科学、スピリチュアル系団体など、ほかにもカルト性の高い集団は存在します。 2010年1月、人気のロックバンドX JAPANのヴォーカルだったTOSHI(同年にToshiトシと改名)が記者会見を開き、自己啓発セミナー主催団体との決別やそこに彼を引き入れた妻との離婚を公表しました。彼は、団体の広告塔として利用され、酷使されたうえ、稼いだ金の多くは搾取されていました。その金額は、12年間で10億円以上に上りました。妻とも長く同居はしておらず、実質的な夫婦ではありませんでした。 会見で彼は「だまされていたことからやっと目が覚めた」と述べ、団体の被害者に対しては「しかるべき誠実な対応をしたい」と語りました。実際、彼はその後、被害者に対して謝罪をし、和解しました。 カルト問題に詳しく、この自己啓発セミナー主催団体の被害救済にも尽力してきた紀藤正樹弁護士は、「カルトに入ってしまうのは、『タイミングと運』が大きいんです。オウムの信者も、たまたま悩んだり迷ったりしている時に出会ったのがオウムだったのが不運だったわけで、それが既成宗教のボランティア団体などだったら、何の問題もなかった。不運という点では、Toshiも同じです」と言います』、「TOSHI」が「稼いだ金の多くは搾取されていました。その金額は、12年間で10億円以上」、かなり多額だ。
・『「自分は大丈夫」が一番危ない  彼は、仕事や家族のことで悩みを抱えていた最中に、妻からの誘いでセミナーに参加し、そこでマインド・コントロールされ、セミナーを主催する男性のところにしか救いはないような気持ちになってしまったのでした。 「いわば、交通事故に遭ったようなもの。誰しもが、カルトに取り込まれてしまう可能性があります。自分は大丈夫、と思っていると、それが一番危ない」と紀藤弁護士。 人間は、生まれてから死ぬまで、ずっと順風満帆というわけにはいきません。人間関係に悩んだり、努力が報われなかったり、選択に迷ったりします。病気をする、事故に遭う、父母や友人が亡くなる、恋人と別れる、友達と深刻な喧嘩をする、受験に失敗する、職を失う……こうした予定外の出来事に見舞われることもあります。 そんな時、人はカルトに巻き込まれやすい、と言います。救いの手がさしのべられ、素晴らしい解決法を示されたように思うと、ついつい信じたくなるからです。 「特に、病気の人が病気治癒を信じて、適切な治療を忌避きひする団体に行った時の悲劇は喩えようもありません。治療して回復できる時期を逃してしまうわけですから。子どもに適切な医療を受けさせずに死なせてしまった親は、カルトから目が覚めてから、本当に自責と後悔の念に苛まれています」』、「人間関係に悩んだり、努力が報われなかったり、選択に迷ったりします。病気をする、事故に遭う、父母や友人が亡くなる、恋人と別れる、友達と深刻な喧嘩をする、受験に失敗する、職を失う……こうした予定外の出来事に見舞われることもあります。 そんな時、人はカルトに巻き込まれやすい」、確かにその通りだろう。
・『悩みを無理やり作り出してでも引き込んでいく  紀藤弁護士によると、特に悩みや迷いの中にいない人に対しても、カルトは悩みを作り出して、引き込んでいくこともあります。 たとえば、進路を決めた人に、「本当に、本当にそれでいいの?」と疑問を投げかけ、「もっと自分に合ったところはないか」と考えさせます。「今が、あなたの人生の分岐点ですよ」と言って、さらに深く悩ませたりもします。そうやって、人を悩みの中に誘い、その答えとして、カルトの価値観を教えていきます。 「だから、人から言われたことを、まじめに受け止めて考える人は、入りやすいんです」と紀藤弁護士。 「しかも、カルトはカルトの顔をして近づいてきたりはしません。たとえば、ボランティア団体を装って、「人の役に立ちたい」と思っている人に接近したりします。なので騙されたことにも気がつかないことが多いのです」』、「カルトはカルトの顔をして近づいてきたりはしません。たとえば、ボランティア団体を装って、「人の役に立ちたい」と思っている人に接近したりします。なので騙されたことにも気がつかないことが多いのです」、なるほど、複雑だ。
・『「お金、ウソ、秘密」3つの注意すべきサイン  そんなカルトから、身を守るにはどうしたらいいでしょうか。 紀藤弁護士は「それでも、よく注意していれば、カルトのサインが見えてくることがあります」と言います。いったい、どんなことに注意すればいいのでしょう。 「第一に、お金の話が出たら要注意です」と紀藤弁護士。途中で会費やセミナー代などを求められたら、これは警戒した方がいい、と言います。その代金が法外なものでなくても、疑ってみましょう。 「第二に、話が最初と違っていたり、何らかの嘘が含まれている場合も注意すべきです」 たとえば、宗教ではないセミナーのはずだったのに、教えている人は、実は宗教団体の教祖や幹部であることが分かった場合。カルトは、宗教であることを隠そうとして、別の形をとって、人を勧誘しようとすることがあります。オウムも、ヨガ教室や様々なサークルを隠れ蓑にして勧誘活動をしていました。 「第三に、『これは誰にも言っちゃいけない』などと秘密を守らせようとしている場合も気をつけてください」 若者に対しては、親や先生など、大人に言わないよう口止めする場合もあります。本当にいい教えなら、秘密にしたりせず、どんどん公表し、大人たちにも堂々と伝えればいいのです。それを秘密にしようとするのは、まだマインド・コントロールが十分完成していない段階で、大人に反対され、考え直して脱会してしまうことを恐れているのです。こういう場合は、むしろ大人に相談してみることにしましょう』、「大人たちにも堂々と伝えればいいのです。それを秘密にしようとするのは、まだマインド・コントロールが十分完成していない段階で、大人に反対され、考え直して脱会してしまうことを恐れているのです」、やはり悪質だ。
・『友達がカルトに取り込まれてしまったらどうすべきか  紀藤弁護士は、そのほか情報をしっかり集めることが大事だと言います。 「自称『イスラム国(IS)』はインターネットを利用したプロパガンダや友人知人を使った伝道活動で、ヨーロッパからも少なからぬ若者を集めましたが、そのうち、現地で行われているのはISが宣伝しているのとは違う、いったん行ったら戻ってこられない、女性は性奴隷にされる、という実態が情報として伝わるようになると、先細りになりました」 オウムについても、マスコミなどが頻繁に伝えている間は、アレフなどの後継団体に取り込まれる人は少なかったのに、情報が少なくなると信者が少し増えてきた、と紀藤弁護士は心配しています。それでも、今はインターネットで多くの情報が流れ、カルト団体からの脱会者が体験談をブログに掲載していたりします。そういう情報を活用することも大切です。 ただ、その一方で、ネットで事実を無視した陰謀論や差別的な政治思想を拡散する、新しいタイプのカルト的なグループもあるので、注意も必要です。 では、友達がカルトらしき団体に取り込まれてしまった、という場合はどうでしょう。 その時は、まず自分が近づかないこと。友達に誘われても、断りましょう。友達が心配だからといって、一緒についていったりするのは危険です。坂本一家殺人事件の実行犯である端本悟も友達を救い出そうとして早稲田大学在学中にオウムに近づき、「ミイラ取りがミイラになる」結果となってしまいました。 言ってあげるとすれば、カルトから離れて戻ってくれば、また友達になれる、ということです。大事な友達がもしカルトに入ってしまったら、どんなに口止めされても、まずは親や先生など、大人に相談しましょう』、「坂本一家殺人事件の実行犯である端本悟も友達を救い出そうとして早稲田大学在学中にオウムに近づき、「ミイラ取りがミイラになる」結果となってしまいました」、まるでウソのような出来過ぎた話だ。
・『ダライ・ラマが語った「カルトの見分け方」  私は以前、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ法王に、まっとうな宗教といかがわしいカルトの見分け方を聞いたことがあります。オウムは、チベット仏教の知識を取り入れ、麻原がダライ・ラマ法王などと一緒に撮った写真を宣伝に使うなどしていたからです。ダライ・ラマ法王はこう言いました。 「studyとlearnの違いです」 studyには「研究する」という意味もあります。研究するには、疑問を持ち、課題を見つけ、多角的に検証することが必要です。一方のlearnは、単語や表現を教わり、繰り返し練習して記憶する語学学習のように、知識を習い覚えて身につけることを言います。 「studyを許さず、learnばかりをさせるところは、気をつけなさい」 一人ひとりの心に湧いた疑問や異なる価値観を大切にしなければ、studyはできません。それをさせない人や組織からは距離を置いた方がよい、というのが、法王からの忠告です』、「「studyを許さず、learnばかりをさせるところは、気をつけなさい」、さすが「ダライ・ラマ法王」らしく、本質をズバリ突いた含蓄のある言葉だ。

次に、7月29日付けPRESIDENT Onlineが掲載した弁護士の紀藤 正樹氏による「日本は世界最悪のカルトの吹き溜まり…統一教会がデタラメな教義で大金を巻き上げられた根本理由 規制の緩い日本は「世界的な穴場」になっている」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/59842
・『なぜ統一教会は日本で信者を増やせたのか。カルト問題に取り組む弁護士の紀藤正樹さんは「日本はカルトの世界的な吹きだまりになっている。軸となる宗教がなく、信教の自由の幅が大きいために、カルトを規制できず繁栄を許してしまった」という――。 ※本稿は、紀藤正樹『決定版 マインド・コントロール』(アスコム)の一部を加筆・再編集したものです』、「「日本はカルトの世界的な吹きだまりになっている。軸となる宗教がなく、信教の自由の幅が大きいために、カルトを規制できず繁栄を許してしまった」、大変だ。
・『日本にはどのような「カルト」集団があるのか  社会を混乱させ、社会のルールを乱し、社会のモラルを破壊し、最悪のケースでは殺人すら躊躇しないカルトは、多くはありません。 カルトという言葉自体に否定的なニュアンスがあり、しばしば差別的な決めつけに使われることもあって、私がメディアなどで日本の宗教団体をカルトと名指しすることは、めったにありません。 その私が、「カルト」とも評価してよいだろうと思う宗教ないし宗教的集団は、オウム真理教、統一教会などです。 まさに犯罪や反社会的行為という実態をともなっています(した)から、その事実に基づいてカルトと評価してよいと考えます。こうしたカルトが大きくなっていくときは、四つの要素が必要だといわれています。 第1に「教祖」で、霊能者や超能力者と自称することが多いですが、法規範・社会規範を逸脱することをも気にしないし厭わない、世間的に見れば「異常」とも評価できますが、信者から見ると、ある種のカリスマ性を持つタイプの人が一人必要です。 第2に、その人は支離滅裂なデタラメをいいますが、それを教典にうまくまとめる「理論家」が必要です。 第3に、ある程度まとまったおカネをポンと出す「スポンサー」が必要です。おカネは教団を拡大する起爆剤となりますが、この最初の「スポンサー」も被害者であることがしばしばあります。 第4に、信者を勧誘してくる力のある「営業マン」が加われば、四つの要素がそろいます。このとき、ほんの小さな集団にすぎなかった、いわばカルトの種が、爆発的に芽を吹き出し、本格的なカルトへと膨らみはじめます』、「カルトが大きくなっていくときは、四つの要素が必要」、「四つの要素」とも確かに重要そうだ。
・『日本のカルト問題の原点  日本の霊感商法被害の最大は統一教会によるものだ、と本書で申し上げました。とくに、オウム真理教が壊滅した95年以降は、霊感商法問題にとどまらず、日本のカルト問題の多くは、やはり統一教会がらみが多かったと考えてよいでしょう。 オウム真理教や統一教会というカルトになってくると、既存宗教の寺や教会にあたる道場や施設にも信者を住まわせます。こうした施設は修行や祈りの場というだけでなくて、労働や生活の場。親が入信したら、何も知らない幼い子どもまで連れていかれるという世界も現出します。 ここで、カルトに引き込まれて深いマインド・コントロール状態にある人を、いかにして教団施設から引き離し、取り戻すかが大問題となります。その始まりは日本では、やはり統一教会でした。 統一教会は、日本と韓国の間に国交がなかった1958年に宣教師を密入国させ、日本で伝道を始めたといわれています。59年に日本統一教会が創立されると、高校生や大学生などの若者を中心に「原理運動」が活発におこなわれました。統一教会の学生向け布教団体が原理研究会(「CARP」という言い方もします)です。 統一教会は、早稲田大学や東京大学をはじめとする大学を舞台に、「聖書に興味はありませんか」とサークル活動を装って勧誘を繰り返し、学生たちを原理研に引きずり込んだのです。研修は合宿生活を通じておこなわれるため、家に帰らない学生が増大し、62年には原理運動対策父母の会ができました。 これが1967年に新聞に取り上げられて社会問題になったのが「親泣かせの『原理運動』」です。これこそが日本のカルト問題の原点といえるでしょう』、「親泣かせの『原理運動』」、僅かに記憶に残っている。
・『統一教会に破壊された親子の関係  統一教会の大学における勧誘は、今日も続いています。統一教会に入信する学生の多くは、このルートで引きずり込まれた若者たちです。 親が子どもを探して連れ戻そうとすると、組織的に行方不明にしてしまうことも統一教会の常套手段です。 たとえば大阪で勧誘された学生の親が猛反対していると、統一教会はその子を東日本にある施設に移し、隠してしまいます。統一教会本部に行って問い合わせると、「知らない」などといいます。信者登録カードがあって信者は管理されていますから、知らないはずはありませんが、居場所はわからないとウソをつくのです。 移した先の「ホーム」と呼ばれる施設でも、バレないように偽名を使わせたり、外に出て勧誘する仕事ではなく「食当」という食事当番を担当させたりします。統一教会のホームは、最盛期には全国に1000カ所はあり、現在でも数百カ所以上あるのではないかと推測されますが、住所は公開されていません。なお、公にしている教会は約290あり、こちらはホームページをつくるなどして住所を公開しています。 このような統一教会の家族破壊にあって、子どもが何年も消息不明で悩んでいる親も数多くいます。これは、その子が親のことを何も考えず、親を見捨てて行方不明になったわけではなく、親が地獄に堕ちて苦しまないように、自ら行方不明になっているのです』、「親が子どもを探して連れ戻そうとすると、組織的に行方不明にしてしまうことも統一教会の常套手段です。 たとえば大阪で勧誘された学生の親が猛反対していると、統一教会はその子を東日本にある施設に移し、隠してしまいます。統一教会本部に行って問い合わせると、「知らない」などといいます」、信じ難い不誠実さだ。「その子が親のことを何も考えず、親を見捨てて行方不明になったわけではなく、親が地獄に堕ちて苦しまないように、自ら行方不明になっているのです」、「子ども」なりに考えて、あえて親不幸をしているようだ。
・『マインド・コントロールの恐ろしさ  どういうことかというと、信者は、統一教会の活動を続けなければ自分は地獄に堕ち、親も死んで地獄に堕ち、先祖もみんな地獄に堕ちて苦しんで二度と這い上がることはできない、と教え込まれているのです。 自分は磔になったイエスの心をもって捨て石となり、「氏族メシア」として親も含めた氏族全員を救わなければならないと信じ込まされている。だから、親に会いたくないとか親を否定するのではなく、親を救うために、親から隠れて活動を継続する。親も子に会えずに苦しむが、子も苦しみながら姿を隠す。なんとも非人道的で不条理な話だと思いますが、これが現実です。 統一教会の例を見ていると、もともとが優しく親思いで、生真面目で、悪いことなど微塵もしそうにない、ようするにとても誉められる人格を持っている子どもほど、統一教会の活動に熱中してしまうことがよくわかります。 つねに心底、人のため親のためにやっているので、弱者からなけなしのおカネをだましとっても平気です。カネを持つこと自体が財の因縁にとらわれているから、それを解いてあげればその人の功徳になり地獄に堕ちないですむという発想だからです。オウム真理教のポアと同じです。 本人は、「自分はこの人をだましておカネを取る」ということはわかっていますが、罪悪感がほとんどありません。罪悪感を持たないようにマインド・コントロールされています。自立した主体的な考えを持たず、教祖と教義に依存するよう仕向けられています。 信仰というのは本来、依存的なものではなく主体的なものです。どの教会でもお寺でも「依存せずに自立しなさい」というはずです。ところがカルトのやっていることは、まったく逆。信者から主体性を奪い、依存しなければ生きていけない多くの人間を、日々組織的に生み出すのがカルトだ、ともいえます』、「信仰というのは本来、依存的なものではなく主体的なものです。どの教会でもお寺でも「依存せずに自立しなさい」というはずです。ところがカルトのやっていることは、まったく逆。信者から主体性を奪い、依存しなければ生きていけない多くの人間を、日々組織的に生み出すのがカルトだ、ともいえます」、不通の宗教とは逆に、「信者から主体性を奪い、依存しなければ生きていけない多くの人間を、日々組織的に生み出すのがカルトだ」、罪作りなことだ。
・『弱い者から切り捨てる…カルトは本当の宗教なのか  統一教会が桜田淳子さんを広告塔として利用できると考えて特別扱いした戦略的、合理的な思考は、まったく逆の方向にも向いています。つまり、カルトは、信者が使い物にならなくなると、情け容赦なくあっさり切り捨ててしまいます。 ある宗派が、本当に人助けのために信仰を広めているのであれば、あまりおカネのない人からおカネをむしり取るようなことはしないでしょう。そのような宗派は、ちゃんとした宗教に育っていくだろうと思います。 ところが統一教会のようなカルトは違います。比較的おカネのない若い人からも、おカネを取ります。もともと持っている額が少なく、ある程度以上は取れませんから、今度は街に送り出しておカネを集めさせます。 比較的おカネのある高齢の人からは、もっとおカネを取ります。どんどんおカネを取ってもう取れないとなると、伝道の対象者からははずし、捨ててしまいます。高齢者は労働力としての価値がないからです。 オウム真理教も、地下鉄サリン事件のあと、高齢の出家信者を追い出していきました。一生面倒を見るからといって、全財産を貢がせて出家させたおじいちゃんおばあちゃんたちを、搾れるだけ搾ったらもう用済みとばかり捨てました。 つまりは、つねにカルトの教祖や教団が第一で、利他ではなく私利私欲で動いているのです。伝統的な一般の宗教と、この点がまったく異なります。) 宗教は普通は弱い人に手を差し伸べるもので、身障者や精神を病んでいる人、判断能力の減退している人などの弱者に対し、健康な人以上に気をかけ、支援するものですし、そう期待されていると思います。 ところが統一教会の伝道の実態は、お金があれば別ですが、そういう社会的弱者を最初から救済の対象にしないのです』、「比較的おカネのある高齢の人からは、もっとおカネを取ります。どんどんおカネを取ってもう取れないとなると、伝道の対象者からははずし、捨ててしまいます。高齢者は労働力としての価値がないからです」、「統一教会の伝道の実態は、お金があれば別ですが、そういう社会的弱者を最初から救済の対象にしないのです」、酷い話だ。
・『日本は「世界的なカルトの吹きだまり」になっている  統一教会は、世界190カ国以上に進出していると豪語しています。全世界の信者の数は、せいぜい数十万人というところでしょう。 このうち日本の信者の数はせいぜい数万人規模ですが、それでも日本は世界でも信者数が多い国と思われます。そして出家信者(統一教会では「献身者」と言っています)の数では、ほとんどが日本人ではないかと思います。というのは、韓国にいる信者のうち関連企業などで働く社員は出家信者ではありませんから。 統一教会というカルトは日本でもっとも繁栄し、霊感商法や献金集めで巨大な収益を上げているわけです。そんな国は、日本以外にはありません。 オウム真理教は、東京の住民を万人単位で無差別殺傷してよいのだと考えて化学テロを実行し、実際に5500人以上を死傷させました。そんなことができた国も、日本以外にはありません。 そのうえ、最近、統一教会の被害者と思われる容疑者が、安倍元首相を銃撃して殺害するという深刻かつ重大な事件がおこってしましました。世界を騒がせるカルトに関する事件が、たった30年程度の間に2回もおこる国も世界で日本だけです。 日本が世界の中でもカルトに対する規制が甘いから、統一教会が多くの被害者を生み出し、オウム真理教が数千人を巻き込む無差別テロを実行できたのです。日本という国はカルトの穴場で、カルトの世界的な吹きだまりになっています。これは、きわめて深刻な問題です』、「世界を騒がせるカルトに関する事件が、たった30年程度の間に2回もおこる国も世界で日本だけです」、本当にみっともないことだ。
・『法的規制も、社会的規制も緩すぎる  日本では多くの家で、キリスト教徒ではないのに、クリスマスにはツリーを飾ってお祝いをします。神道を信仰しているわけではないのに、正月には神社へ初詣にいき「賽銭」という献金をします。 仏教徒ではないのに、その前日の大晦日にはお寺で除夜の鐘をついたりもします。七五三は神社に行き、結婚式は教会で挙げ、葬式はお寺と、考えてみればムチャクチャです。 日本人は、宗教にはきわめて寛容で、悪くいえばだらしない感じすらします。 もちろんこれは、柔軟で融通がきくとか、新しもの好きで好奇心も旺盛だとか、日本人のよいところの表れですから、一概に否定すべき話ではありませんが、それにしても、という印象を受けます。 結局、日本には宗教のオーソドキシー(正統的な信仰)がない、つまり基準となる背骨のような宗教がなく、信教の自由の幅が大きいために、カルトを問題視したり監視したり批判したりすることが少ないのです。だから、カルトが繁栄してしまいます。 別の言葉でいうと、世の中の規制に「法的規制」と「社会的規制」があるなかで、日本にはカルトに対する社会的規制がほとんどなく、機能していないわけです。そのうえ均質社会の日本は、以心伝心という言葉があるように、法律やルールはあまり細かく決めなくてもよいという考え方が根強く、法的規制も緩みがちです。このような考えが背景にあり、統一教会と政治家との癒着を生んだ可能性があります。 欧米は、キリスト教が主流ですから、カルトに対して社会的規制が働きます。そのうえ欧米はルール重視の社会ですから、法的規制も厳しく働きます。 カルトの穴場にも吹きだまりにもなっている現在の日本の状況を、どう変えていけばよいのか。このままでよいとはとても思えません。 安倍元首相の銃撃事件を契機に、きちんと国政の場で、カルトの発生原因を突き詰め、どうすればカルト被害を防止できるのか、カルトをなくすにはどうすればよいのか、どのような対策が必要なのか、などをきちんと検討し、答えを出すときが来ていると思います。もはやカルトを放置できないと思います』、法律家や宗教学者らを中心に、「カルト対策」を幅広く検討する場を設けるべきと思うが、「統一教会」の影響を強く受ける自民党をいかに巻き込むかが難題だ。

第三に、7月24日付けAERAdot.「この世はサタンに毒されている、ハルマゲドンが来れば楽園に行ける…「カルト2世」が明かす生きづらさと解けない呪縛」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/dot/2022072200011.html?page=1
・『安倍晋三元首相が銃撃されて死亡した事件で、殺人容疑で送検された山上徹也容疑者(41)。母親が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に多額献金した結果、家庭が崩壊したことで、教団への恨みが凶行の動機につながったと見られている。山上容疑者は、いわゆる“宗教2世”だ。信仰の種類や教義にかかわらず、親が信じる宗教を自分も信じなければいけないという点は共通しており、親の宗教や信仰によって精神的、経済的に追い詰められたり、現実生活や人生設計が思い通りにいかない「2世」は少なくないとされる。AERA dot.では昨年、「カルト2世に生まれて」として、親の信仰によって苦悩し、生きづらさを抱えた2世たちのインタビューを短期連載した。2世たちの声を改めて再掲する(年齢、肩書などは記事掲載時のもの)。 ※カルトは「宗教的崇拝。転じて、ある集団が示す熱烈な支持」(大辞泉)とあり、本稿でもその意味で使用している。親が子に信仰の選択権を与えないほどに熱狂的な信者であり、そうした家庭環境で育った子どもを「カルト2世」と定義している。本稿は教団の教義や信者の信仰を否定するものではなく、一部の2世が感じている“生きづらさ”に焦点を当てることを目的としている。 「私は両親の宗教がなかったら、ありえなかった命です。だから生まれ育った環境が“普通”で“当たり前”だと、ずっと思って生きてきました。でも、宗教のない家だったらよかったのに、と他の子の家がうらやましかった……」 田代まゆみさん(39・仮名)は、自身の子ども時代をそう語る。 まゆみさんの両親はある教団の信者で、まゆみさんは生まれた時から教団の影響を受けて成長した「カルト2世」だ。 カルト2世として生まれた子どもは教団の教えと、その特有の価値観に基づいて育てられるため自分で環境を選べない。そのため友人関係や恋愛、部活動、学校行事、進学・就職、結婚など人生におけるさまざまな場面で、自分の意思とは異なる選択を強いられたり、葛藤や苦悩を味わったりすることが多い。 こうした違和感や生きづらさは、これまであまり外に向けて語られることはなかったが、SNSの発達により2世同士の交流の場を持てるようになり、当事者同士が本音を漏らせる環境が少しずつできてきた。それに伴い、ここ数年は「カルト2世」たちの内なる叫びをつづった漫画や手記なども出版され、ドキュメンタリー番組などでも扱われるようになったことで世間の認知も広がりつつはある』、「「カルト2世に生まれて」として、親の信仰によって苦悩し、生きづらさを抱えた2世たちのインタビューを短期連載した。2世たちの声を改めて再掲する」、なかなかいい企画だ。「カルト2世として生まれた子どもは教団の教えと、その特有の価値観に基づいて育てられるため自分で環境を選べない。そのため友人関係や恋愛、部活動、学校行事、進学・就職、結婚など人生におけるさまざまな場面で、自分の意思とは異なる選択を強いられたり、葛藤や苦悩を味わったりすることが多い。 こうした違和感や生きづらさは、これまであまり外に向けて語られることはなかったが、SNSの発達により2世同士の交流の場を持てるようになり、当事者同士が本音を漏らせる環境が少しずつできてきた」、「SNS」で繋がりが出来たとはいいことだ。
・『もともと一般的な常識とはかけ離れた価値観で育てられたまゆみさんは、学校へ通うようになると苦痛と恐怖のくり返しに変わり、次第に自分の考え方や日常生活が同級生とは異なる現実に戸惑い、心を悩ませることになる。 「友達と誕生日もお祝いしてはダメ、テレビはなく、漫画などもすべて父と母が検閲して許可されたものだけ。友達になるのも父から許可が下りた人だけで、『サタンの悪影響がある』『頭が悪くなる』という理由でその子の家では遊んではいけない。学校で七夕の飾りをしても、神の教えに反するからと飾れない……。」 まゆみさんは小学校に入学する前から、“この世には善と悪の2種類しか存在しない”という二元的な思考と“愛されるには一定の要求を満たさねばならない”という教えを親からたたき込まれ、その手段の一つとしてゴムホースや皮のベルトでお尻をたたかれていたという。 「たたくことで悪魔を追い出せるといいますが、親からの体罰は屈辱と恐怖以外の何物でもありません。思い出すと手が震えることもありました。でも、屈辱と恐怖と裏腹に、私は自分が異性の前で下半身をさらされて親にたたかれたり、目の前で他の子たちがやられたりしているのを見てつらかったはずが、いつの間にか性的興奮に結び付くようになっていました。そんな記憶を喚起したことで、こんな感情になる自分が気持ち悪くて、こんな自分にした宗教団体と親をどういう気持ちで受け入れていいかわからなくなっていました」 「カルト」は、ある日突然誰かの日常に入り込んでその後の人生を大きく左右する。その親に育てられた2世は、親や教団側からの強い働きかけ、特有の価値観で縛られ、教団の教理と価値観が『絶対』であり、それがすべてだと教え込まれる。しかし、その宗教から離れた後も生きづらさを抱えてしまう。本人からは言い出しづらい過去であるがゆえに、周囲から理解されるのはなかなか難しい。だから、未来にも不安が残る』、「その親に育てられた2世は、親や教団側からの強い働きかけ、特有の価値観で縛られ、教団の教理と価値観が『絶対』であり、それがすべてだと教え込まれる。しかし、その宗教から離れた後も生きづらさを抱えてしまう」、誠に気の毒な境遇だ。
・『山岡美保さん(35・仮名)は、教団から離れて10年以上になる。物心ついた時から20年間も信仰し続けた宗教は、家族全員を巻き込み、そして壊していった。 「10年という長い時間がたった今でも、私たち家族の問題は解決していません」 美保さんの母親は、美保さんの5歳年上の兄を出産後すぐに宗教と聖書の勉強に熱中した。そして、美保さんを妊娠中に洗礼を受けて信者になったという。 「母は早くに自身の兄と姉をがんで亡くしています。それゆえ自分の家族は健康で幸せでいてほしいという願望が人一倍強かったようです。だから病気で苦しむのはサタンのせいで、この世はサタンに毒された人たちばかりだけれども、いずれハルマゲドンで世界が滅びれば信者は楽園へ行ける、という教団の教えにのめり込んでいったのだと思います」 夫を愛し子どもをかわいがっていた母親は、いつしか「神様第一」に変わっていった。その頃から、父親が帰宅する時間になっても家には誰もおらず、母親は子どもたちを連れて教団の集会へ行っていることが多くなった。 そして、家族には亀裂が入り始める。普段は無口で物静かな父親が、いきなり部屋のふすまを何度も殴って、ビリビリに破り捨てたという。 「父の前では宗教はタブーなんだと思い知りました。それから間もなく、父から『お母さんと一緒にいて、このまま宗教を続けるのか、それともお父さんと一緒にいるか、どちらかを選びなさい』と言われました。まだ物心がついたばかりの私は、何を言われているのかもわかりませんでしたが、しばらくすると父は家に帰らなくなりました」 それ以来、父親は家族と別々に暮らすことになったが、最低限の生活費だけはくれたという。週末には父親の実家に行って家族全員で食事をすることが習慣になっていたが、それも10代半ばで途切れた。 教団では、立場が上の信者がいうことは絶対で、少しでも教団の規律に“ふさわしくない”と判断されれば白い目で見られる。常にお互いを監視し合っているような状況だった。自分の考え、自分の感覚、自分の価値観はすべて無意味で持ってはいけないものとされていたので、美保さんは常に“自分を殺している状態”を求められ、徐々に苦痛を感じるようになったという』、「教団では、立場が上の信者がいうことは絶対で、少しでも教団の規律に“ふさわしくない”と判断されれば白い目で見られる。常にお互いを監視し合っているような状況だった。自分の考え、自分の感覚、自分の価値観はすべて無意味で持ってはいけないものとされていたので、美保さんは常に“自分を殺している状態”を求められ、徐々に苦痛を感じるようになったという」、「2世」にこんあ苦しみを与える「カルト」のマイナス面を、マスコミはもっと取上げるべきだ。
・『「そんな状態で教えられたことをただ信じているのが本当に信仰と言えるのだろうか? という疑問が湧いてきました。何度も年配の人や偉い人に疑問をぶつけて相談してみましたが、言われることは『神のお考えは人間にはわからないのだから、学んで布教しなさい』ということだけ。私がどんな疑問を持っても『考えるな。行動しろ』と一蹴されるだけでした」 こうした疑問を持つ信者は教団のコミュニティーからは疎まれる。まるで“不満分子”のような存在となった美保さんは、その後、教団幹部から積極的に布教活動に参加していないことを理由に布教する資格を奪われ、母は子どもたちを洗礼に導けていないことを責められた。 「幸せになるために始めた宗教なのに、ただただ家族が壊れていくことに母は疲弊していました。しかも幹部の言葉でそれまで自分が行ってきたことがすべて否定されたように感じた母は、ついに『もうやめましょう』と言ったんです。でも、今思えば、私も洗脳されていたのでしょう。やめよう、という母に対して私は『これは試練なんだから、ここで負けちゃいけない!』となぜか奮起していたのです。私は20年間も信じてきたものが“うそ”だと認めるのが恐ろしかったんだと思います」 教団にのめり込んでいった母に従っていた娘、という構図は逆転して、教団から距離を置こうという母親を美保さんが説得するという関係になっていた。 「脱会へ傾いた母に対して教団は態度を一変させ、徹底的に冷徹になりました。でも、その異様な豹変ぶりのおかげで、私も冷静さを取り戻すことができました。あれだけ熱心な信者だった母をやすやすと切り捨てようとする教団とは一体何なのか、という不信感がどんどん膨らんでいきました。そこで、心のどこかで教団を“信じ切れていなかった”自分は間違ってなかったんだと気づくことができて、むしろ気が晴れたというかとてもスッキリしました」 こうして、美保さんが22歳の時に家族は全員脱会した。 美保さんは7年前に仕事仲間の紹介で知り合った夫と結婚し、現在は一児のママとなったが、新たな生活にも“過去”が影を落としている。 「子育てをする中で自分でも驚いたのは、自分の子ども時代がフラッシュバックすることです。子どもが言うことを聞かない時やかんしゃくを起こした時など、気持ちに余裕がないと『私たちが子どもの時にこんなことしたら、ムチでたたかれていたのに』と思い出してしまうんです。私は子どもらしいことをしただけでムチをちらつかされて怖かったのに、この子は自由に子どもらしくいられるのを見ると、うらやましい気持ちと同時に、親や宗教に対してやり場のない怒りが込み上げてくるんです。でもそんな時に、ふと母の気持ちが理解できたような、不思議な感覚にもなるんです」』、「教団にのめり込んでいった母に従っていた娘、という構図は逆転して、教団から距離を置こうという母親を美保さんが説得するという関係になっていた。 「脱会へ傾いた母に対して教団は態度を一変させ、徹底的に冷徹になりました。でも、その異様な豹変ぶりのおかげで、私も冷静さを取り戻すことができました。あれだけ熱心な信者だった母をやすやすと切り捨てようとする教団とは一体何なのか、という不信感がどんどん膨らんでいきました。そこで、心のどこかで教団を“信じ切れていなかった”自分は間違ってなかったんだと気づくことができて、むしろ気が晴れたというかとてもスッキリしました」 こうして、美保さんが22歳の時に家族は全員脱会した」、「母」「子」とも無事脱会できたのは喜ばしいが、かれらにこれだけの苦しみを与えた「教団」を放置すれば、犠牲者が再び生まれていまう。前述の通り「カルト」に対する法的・宗教学的観点から考え方を真剣に検討すべきだ。
タグ:(その7)(友達をカルト宗教から救いだそうとして…心優しい早大生が「坂本一家殺人事件の実行犯」に堕ちたワケ 「自分は大丈夫」という人が一番危ない、日本は世界最悪のカルトの吹き溜まり…統一教会がデタラメな教義で大金を巻き上げられた根本理由 規制の緩い日本は「世界的な穴場」になっている、この世はサタンに毒されている ハルマゲドンが来れば楽園に行ける…「カルト2世」が明かす生きづらさと解けない呪縛) 宗教 PRESIDENT ONLINE 江川 紹子氏による「友達をカルト宗教から救いだそうとして…心優しい早大生が「坂本一家殺人事件の実行犯」に堕ちたワケ 「自分は大丈夫」という人が一番危ない」 江川紹子『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち』(岩波ジュニア新書) 「カルトは正体を隠して近づいてくるため、騙されていることに気づくのは難しい。『自分は大丈夫』と考えないほうがいい」、興味深そうだ。 「『日本書紀』にもカルト集団が描かれていた」、「人々は家の財宝を投げ出し、酒を並べ、野菜や六種の家畜(馬・牛・羊・豚・犬・鶏)を道ばたに並べ、「新しい富が入ってきたぞ」と連呼した。都でも田舎でも、常世の虫をとって安置し、歌い踊って福さいわいを求め、財宝を投げ出したが、何の益もなく損ばかりが極めて多かった」 民が惑わされているのを見かねて、聖徳太子の側近秦河勝はたのかわかつが大生部多を成敗した」、社会秩序を揺るがせにしたので、「成敗」されたようだ。 「浅間山荘事件」、「も、閉鎖的な集団の中で、メンバーが歪んだ価値観に心を支配され、反社会的で命や人権をないがしろにする行動を繰り返したカルト的犯罪」、言われてみれば、7その通りだ。 「イスラム国とオウム真理教の共通点」、確かにありそうだ。 「TOSHI」が「稼いだ金の多くは搾取されていました。その金額は、12年間で10億円以上」、かなり多額だ。 「人間関係に悩んだり、努力が報われなかったり、選択に迷ったりします。病気をする、事故に遭う、父母や友人が亡くなる、恋人と別れる、友達と深刻な喧嘩をする、受験に失敗する、職を失う……こうした予定外の出来事に見舞われることもあります。 そんな時、人はカルトに巻き込まれやすい」、確かにその通りだろう。 「カルトはカルトの顔をして近づいてきたりはしません。たとえば、ボランティア団体を装って、「人の役に立ちたい」と思っている人に接近したりします。なので騙されたことにも気がつかないことが多いのです」、なるほど、複雑だ。 「大人たちにも堂々と伝えればいいのです。それを秘密にしようとするのは、まだマインド・コントロールが十分完成していない段階で、大人に反対され、考え直して脱会してしまうことを恐れているのです」、やはり悪質だ。 「坂本一家殺人事件の実行犯である端本悟も友達を救い出そうとして早稲田大学在学中にオウムに近づき、「ミイラ取りがミイラになる」結果となってしまいました」、まるでウソのような話だ。 まるでウソのような出来過ぎた話だ。 「「studyを許さず、learnばかりをさせるところは、気をつけなさい」、さすが「ダライ・ラマ法王」らしく、本質をズバリ突いた含蓄のある言葉だ。 紀藤 正樹氏による「日本は世界最悪のカルトの吹き溜まり…統一教会がデタラメな教義で大金を巻き上げられた根本理由 規制の緩い日本は「世界的な穴場」になっている」 「「日本はカルトの世界的な吹きだまりになっている。軸となる宗教がなく、信教の自由の幅が大きいために、カルトを規制できず繁栄を許してしまった」、大変だ。 「カルトが大きくなっていくときは、四つの要素が必要」、「四つの要素」とも確かに重要そうだ。 「親泣かせの『原理運動』」、僅かに記憶に残っている。 「親が子どもを探して連れ戻そうとすると、組織的に行方不明にしてしまうことも統一教会の常套手段です。 たとえば大阪で勧誘された学生の親が猛反対していると、統一教会はその子を東日本にある施設に移し、隠してしまいます。統一教会本部に行って問い合わせると、「知らない」などといいます」、信じ難い不誠実さだ。「その子が親のことを何も考えず、親を見捨てて行方不明になったわけではなく、親が地獄に堕ちて苦しまないように、自ら行方不明になっているのです」、「子ども」なりに考えて、あえて親不幸をしているようだ。 「信仰というのは本来、依存的なものではなく主体的なものです。どの教会でもお寺でも「依存せずに自立しなさい」というはずです。ところがカルトのやっていることは、まったく逆。信者から主体性を奪い、依存しなければ生きていけない多くの人間を、日々組織的に生み出すのがカルトだ、ともいえます」、不通の宗教とは逆に、「信者から主体性を奪い、依存しなければ生きていけない多くの人間を、日々組織的に生み出すのがカルトだ」、罪作りなことだ。 「比較的おカネのある高齢の人からは、もっとおカネを取ります。どんどんおカネを取ってもう取れないとなると、伝道の対象者からははずし、捨ててしまいます。高齢者は労働力としての価値がないからです」、「統一教会の伝道の実態は、お金があれば別ですが、そういう社会的弱者を最初から救済の対象にしないのです」、酷い話だ。 「世界を騒がせるカルトに関する事件が、たった30年程度の間に2回もおこる国も世界で日本だけです」、本当にみっともないことだ。 法律家や宗教学者らを中心に、「カルト対策」を幅広く検討する場を設けるべきと思うが、「統一教会」の影響を強く受ける自民党をいかに巻き込むかが難題だ。 AERAdot.「この世はサタンに毒されている、ハルマゲドンが来れば楽園に行ける…「カルト2世」が明かす生きづらさと解けない呪縛」 「「カルト2世に生まれて」として、親の信仰によって苦悩し、生きづらさを抱えた2世たちのインタビューを短期連載した。2世たちの声を改めて再掲する」、なかなかいい企画だ。「カルト2世として生まれた子どもは教団の教えと、その特有の価値観に基づいて育てられるため自分で環境を選べない。そのため友人関係や恋愛、部活動、学校行事、進学・就職、結婚など人生におけるさまざまな場面で、自分の意思とは異なる選択を強いられたり、葛藤や苦悩を味わったりすることが多い。 こうした違和感や生きづらさは、これまであまり外に向けて語られる 「その親に育てられた2世は、親や教団側からの強い働きかけ、特有の価値観で縛られ、教団の教理と価値観が『絶対』であり、それがすべてだと教え込まれる。しかし、その宗教から離れた後も生きづらさを抱えてしまう」、誠に気の毒な境遇だ。 「教団では、立場が上の信者がいうことは絶対で、少しでも教団の規律に“ふさわしくない”と判断されれば白い目で見られる。常にお互いを監視し合っているような状況だった。自分の考え、自分の感覚、自分の価値観はすべて無意味で持ってはいけないものとされていたので、美保さんは常に“自分を殺している状態”を求められ、徐々に苦痛を感じるようになったという」、「2世」にこんあ苦しみを与える「カルト」のマイナス面を、マスコミはもっと取上げるべきだ。 「教団にのめり込んでいった母に従っていた娘、という構図は逆転して、教団から距離を置こうという母親を美保さんが説得するという関係になっていた。 「脱会へ傾いた母に対して教団は態度を一変させ、徹底的に冷徹になりました。でも、その異様な豹変ぶりのおかげで、私も冷静さを取り戻すことができました。あれだけ熱心な信者だった母をやすやすと切り捨てようとする教団とは一体何なのか、という不信感がどんどん膨らんでいきました。そこで、心のどこかで教団を“信じ切れていなかった”自分は間違ってなかったんだと気づくことができて、むし
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幼児虐待(その8)(わいせつ事件があった「キッズライン」でまた不祥事 経沢香保子社長の「涙の謝罪」は何だったのか〈dot.〉、大和市7歳児殺害事件で母逮捕…家裁が児相の入所要求を却下したプロセスは?、5歳児虐待死で再逮捕…同居男女3人「異様な関係と凄惨な暴行」、2歳女児放置死 亡くなる5日前から祖母ら外泊 大阪) [社会]

幼児虐待については、2020年10月7日に取上げた。久しぶりの今日は、(その8)(わいせつ事件があった「キッズライン」でまた不祥事 経沢香保子社長の「涙の謝罪」は何だったのか〈dot.〉、大和市7歳児殺害事件で母逮捕…家裁が児相の入所要求を却下したプロセスは?、5歳児虐待死で再逮捕…同居男女3人「異様な関係と凄惨な暴行」、2歳女児放置死 亡くなる5日前から祖母ら外泊 大阪)である。

先ずは、昨年1月30日付けAERAdot「わいせつ事件があった「キッズライン」でまた不祥事 経沢香保子社長の「涙の謝罪」は何だったのか〈dot.〉」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/dot/2021012900095.html?page=1
・『昨春、登録していたベビーシッターが相次いでわいせつ事件を起こした「キッズライン」でまたも不祥事が発覚した。今度は、法律で義務付けられている自治体への届け出をしていないシッターを多数登録していたことが発覚。政府は補助金の返還を求める方針だとしている。シッターによるわいせつ事件は社会問題となり、法改正の動きにまで発展した。昨秋には同社の経沢香保子社長も複数のメディアの取材に涙を浮かべながら反省と謝罪を述べていた。それからわずか4カ月――不祥事が繰り返される背景には何があるのか。 28日の昼、FNNプライムオンラインで<【独自】キッズライン 補助金返還要求へ 無届けシッター75人>と題する記事が配信された。 1月25日時点で、キッズラインには法律で義務付けられた届けが確認できないシッターが75人おり、半数とは連絡が取れない状態であること、これを受けて内閣府は同社に補助金の返還を求める方針であることが報じられた。返還額は1000万円規模になりそうだという具体的な記述もあり、「その辺を歩いている見知らぬ人に子どもを預けるのと一緒だ」という内閣府関係者の批判も紹介された。 なぜこのような事態になったのか。キッズラインによると、シッターの届け出は、登録時にシッター自身が自治体に提出する記入済みの認可外保育施設設置届の写しをデータでアップロードする決まりになっており、同社はそれで確認をしていたという。しかし、その後に届け出書が自治体に受理されたかどうかを確認するフローがなく、無届けのシッターが登録されてしまったという。 「最後まで確認を行っていなかったことは、当社の法令理解の不十分さによるものだと考えています」(キッズライン広報) 現在はフローを改善して、複数の方法で自治体への提出を確認できるように改めたという。 内閣府は、無届けのシッターにかかわる補助金を3月12日までに返還するように求めている。金額はフジテレビの報道では「1000万円規模」となっているが、キッズラインは「正確な金額については現在調査中です」(広報)と回答した』、「登録時にシッター自身が自治体に提出する記入済みの認可外保育施設設置届の写しをデータでアップロードする決まり」、「その後に届け出書が自治体に受理されたかどうかを確認するフローがなく、無届けのシッターが登録されてしまった」、確かにこれでは「「その辺を歩いている見知らぬ人に子どもを預けるのと一緒だ」という内閣府関係者の批判」、が当てはまる。
・『昨年の4月と6月に起きたシッターによるわいせつ事件は、本サイトも含めた一部メディアが報じた後に、ようやくキッズラインも事実を公表したという経緯がある。今回の無届け問題も昨年8月に自治体からの指摘で発覚していたが、同社がこの件をホームページに掲載したのは昨年12月28日だった。 昨年からキッズラインの問題を追求してきたジャーナリストの中野円佳氏は、同社で不祥事が続く背景をこう指摘する。 「組織のガバナンス不足が大きな要因だと思います。経沢香保子社長はゼロから事業を立ち上げて規模を拡大していくことは上手ですが、ビジョン先行型で、質への配慮は苦手な印象を受けます。しかし保育事業という子どもの命を預かる仕事は、リスクを限りなくゼロに近づける努力が必要な領域です。その観点で仕組みを構築する参謀、片腕のような人がキッズラインにはいないのでしょう。経沢さんに意見を上げにくい雰囲気、異論を出しにくい社風も根底にあったと聞いています」 中野氏は、わいせつ事件が起こった後の昨年9月、経沢氏にオンラインでインタビューをしている。その際、経沢氏は組織の抜本的改革と自身の意識改善などを涙ながらに訴えていた。また、シッター無届け問題でも今年1月に中野氏は直接話を聞いており、経沢氏は「コンプライアンス第一という認識の甘さ」を反省していた。だが、社長がいくら反省と謝罪を繰り返しても、不祥事が止まらない。経沢氏が語っていた言葉は一体なんだったのか。 SNSの発信なども見ていて、経沢さんは『コトの重大性が本当にわかっているのだろうか』と感じることはありました。取材時の印象としても、言葉が軽く、会社全体としても切迫感が感じられない。事業に対する熱い思いはわかるのですが、わいせつ事件や世の中からの批判に対しては、自分たちも“被害者”と感じているのかもしれません。だから、不祥事も報道や外部からの指摘があってから、後手後手で対応することになる。自分たちの組織を自分たちの手でよくしていこうという自浄作用が働いていないことは、大きな問題だと思います」(同)』、「取材時の印象としても、言葉が軽く、会社全体としても切迫感が感じられない。事業に対する熱い思いはわかるのですが、わいせつ事件や世の中からの批判に対しては、自分たちも“被害者”と感じているのかもしれません。だから、不祥事も報道や外部からの指摘があってから、後手後手で対応することになる。自分たちの組織を自分たちの手でよくしていこうという自浄作用が働いていないことは、大きな問題だと思います」、「自分たちも“被害者”と感じているのかもしれません」、信じ難い勘違いだ。
・『今回は、閣僚からも苦言が呈された。共同通信によると、29日、坂本哲志少子化対策担当相は記者会見で「大変遺憾だ」と述べたうえで、キッズラインについて「(過去に)わいせつ事案もあった」と指摘。「子どもや親のためしっかり厳しく取り組まなければならない」と強調したという。 地域政党「自由を守る会」代表の上田令子都議は、昨年からキッズラインの企業姿勢に疑問を持ち、東京都にベビーシッター利用支援事業の認定基準の見直しなどを求めてきた。上田氏は「補助金返還は当然だ」としたうえで、次のように語る。 「補助金を返したら終わり、では済まされない行為です。75人も無届けのシッターがいたこともさることながら、連絡がつかない人が半数以上いたことはもっと問題です。会社でシッターの管理がまったくできていなかったわけであり、子どもの命を預かる事業者として不適格です。内閣府は割引券等取扱事業者としての認定を取り消すべきだと思います。内閣府が取り消せば、東京都も追随せざる得ません。行政が厳しい措置を取らなければ、昨年と同じような事件が、いつまた起こるかわかりません」 キッズラインは補助金返還の負担についてこう回答した。 「補助金の返還要請につきましては、(シッター個人ではなく)当社が全額負担いたします」 繰り返されるキッズラインの不祥事。たとえお金を返したとしても、利用者や世間からの「信用」を取り戻すことは容易ではない』、「75人も無届けのシッターがいたこともさることながら、連絡がつかない人が半数以上いたことはもっと問題です。会社でシッターの管理がまったくできていなかったわけであり、子どもの命を預かる事業者として不適格です」、恐るべき管理不在だ。「補助金返還」「当社が全額負担いたします」、は当然だ。

次に、本年3月8日付け弁護士ドットコム「大和市7歳児殺害事件で母逮捕…家裁が児相の入所要求を却下したプロセスは? 」を紹介しよう。
https://www.bengo4.com/c_1009/n_14194/
・『2019年8月に当時小学1年生の次男(7歳)を自宅で殺害したとして、次男の母親が2月20日、神奈川県警に殺人容疑で逮捕された事件が波紋を呼んでいる。 報道などによると、次男は生後5カ月で心肺停止となった際に神奈川県大和綾瀬地域児童相談所に保護された。約2年半後に帰宅したものの、その後三男が死亡するという出来事があったことから、同児相は2017年4月に2度目の一時保護を実施した。 一時保護中の次男が「お母さんに投げ飛ばされて口から血が出た」などと話したこともあったことから、同児相は「施設入所措置が適当」との方針を決定。しかし、同施設への入所の同意が母親から得られなかった。 そのため、同児相は2018年2月、次男の入所を求めて横浜家裁に審判の申立てをおこなったが、同家裁は「保護者が故意に何かをしたという根拠はない」などとして、同年10月に申立てを却下。自宅に戻った次男は約9カ月後に死亡した。 女性には次男の他に3人の子どもがいたが、長男と長女は乳児期に死亡。三男も1歳5カ月で急死していた。もっとも、この点について、同家裁では保護者の責任で死亡した根拠がないと判断されたようだ。 事件の詳細はまだ明らかになっていないが、2度保護した児相の申立てを家裁が却下したことで自宅に戻った次男が結果として死亡したことから、家裁の判断も議論を呼びそうだ。一般的に、児相の申立てに対して、家裁はどのようなプロセスで判断するのだろうか。高橋麻理弁護士に聞いた(Qは聞き手の質問、Aは高橋弁護士の回答)』、信じ難い事件で、興味深そうだ。
・『申立ては「施設入所に親権者が反対した場合」におこなわれる  Q:児童相談所が家庭裁判所に対して施設入所を求める申立てとはどのようなものでしょうか。 A:児相は、親権者が反対しているときでも、家裁の承認を得ることによって、子どもについて施設入所等の措置をとることができるということが児童福祉法で定められています。 家裁の承認を得るためには、(1)保護者が、子どもを虐待し、著しくその監護を怠り、その他保護者に監護させることが著しく子どもの福祉を害する場合、(2)施設入所等の措置をとることが子どもの親権者等の意に反する場合、という2つの要件を満たす必要があります。 Q:具体的にどのようなときに申し立てをおこなうのでしょうか。 A:一時保護している子どもについて、「子どもを保護者のもとに戻すことが子どものためによくない。施設入所が望ましい」と思われる場合です。   一時保護とは、子どもの安全確保をするとともに、今後の子どもや家族に対し、どのようなかかわり方をしたほうがよいかという方針を決めるための手続きです。一時保護は無制限にはおこなえず、原則として2カ月を超えてはならないことになっています。 児相は、その一時保護の期間に、その後、子どもを家庭で引き取るのがよいのか、児童養護施設等に入所させたほうがよいのかなどという方針を決めます。 もっとも、児童養護施設等に入所させたほうがよいと判断しても、法律上、子どもの親権者が反対したら、その意思に反して施設入所等させることができません。 子どもの親権者に反対されたら、施設入所等させることができなくなってしまうと、救わなければならない子どもを救えない事態も発生してしまうでしょう。そのような場合におこなわれるのが今回のような家裁への申立てです』、「子どもの親権者に反対された」場合に、「施設入所等」をさせるかどうかが、「家裁への申立て」で決まるようだ。
・『申立てを受けた家庭裁判所の判断プロセス  Q:申立てを受けた家庭裁判所はどのように対応するのでしょうか。 A:申立てを受けた家裁は、申立てが不適法なとき、申立てに理由がないことが明らかなときを除いて、子どもを現に監護する者、子どもに対して親権を行う者、子どもの未成年後見人、子ども自身(15歳以上の場合のみ)の陳述を聴かなければならないことになっています。 Q:家裁は、子どもの親権者などからどのような話を聞くのでしょうか。 A:まず、児相による申立てが認められるための要件の1つでもある、「児相が主張する『子どもについて施設入所等の措置をとるべき』ということについて反対の意向を持っているのか」という点について確認します。 裁判官の示唆を踏まえて、親権者らが同意するということもあり得るからです。 親権者らが、子どもを施設入所等させることについて同意するということになれば、家裁が承認するための要件を欠くことになるため、申立ての却下または児相に申立ての取り下げを示唆するという流れになるでしょう。 親権者らが、子どもの施設入所等に反対する意向が明確になった場合は、家裁は、申立ての実情に関する事実関係について、親権者らに確認します。 児相は、申立てにあたり、「なぜ、子どもを保護者のもとに戻すことが子どもの福祉のためにならないと考えるか」、「なぜ、施設入所等の措置が必要であると考えるか」ということを裏付ける事実を主張します。 保護者が子どもを虐待していること、子どもが生きていくために必要な保護等を著しく怠っていること、これからも保護者が虐待等に及ぶ可能性が高いことなどを具体的に主張します。 家裁は、その児相の主張する事実関係について、争いないのか、それとも、前提となる事実が間違っているのか、親権者らの認識を明らかにするため、親権者らの言い分を確認するのです。 Q:当事者の言い分や主張以外にも家裁の判断材料となるものはありますか。 A:家裁は通常、当事者の言い分などを踏まえた上で、子どもの状況や家庭環境等について、家庭裁判所調査官に調査命令を下します。 家庭裁判所調査官は、家裁で取り扱っている家事事件や少年事件について調査を行うことを主な仕事としており、子どもに面接をして、問題の原因や背景を調査したり、必要に応じて社会福祉や医療などの関係機関との連絡等を行い、子どもにとってどのような対応が望ましいかという意見を裁判官に報告します。 裁判官は、家庭裁判所調査官の報告を踏まえ、主張する事実に食い違いがある場合には調査結果や、児相が主張を裏付けるために提出する資料、審問期日での親権者らの陳述等をもとに、何が事実なのか判断したうえで、子どもについて施設入所等の措置をとるべきなのかについて検討して結論を出します。 Q:判断結果について不服のある当事者がさらに争う手立てはあるのでしょうか。 A:不服申立ての手続きとして、「即時抗告」があります。 児相の申立てに対し、家裁が承認するという結果が出た場合には親権者らが、申立てを却下するという結果が出た場合には申立人である児相が即時抗告することができます。即時抗告は、審判の告知がされた日から2週間以内にする必要があります』、本件でも「家庭裁判所調査官」が調査に当たったのだろうが、詳細は不明だ。
・『「必ずしも多くの判断材料がそろうケースばかりではない」  Q:児童相談所の対応や家庭裁判所の判断に関する是非が今後問われそうです。 A:事実関係がまだよくわからない状態で、具体的なコメントは難しいところです。 ただ、全国的に見ても、児相による施設入所を求める申立てについては認容率が8割程度と高く、却下件数は少ないです。 そのような中で、本件がなぜ却下となったのか、という点を疑問に思う声はあると思います。 一般論で考えたとき、家裁の判断の前提となる材料は十分にそろっていたのかは気になるところです。もっとも、家庭内で起きた出来事について、必ずしも多くの判断材料がそろうケースばかりではないでしょう。 刑事裁判の場合は、「疑わしきは罰せず」という大原則があります。 もし、このような考え方が、子の福祉にかかわる審判の判断過程に持ち込まれると、特に、判断材料が集まりにくいケースでは、救えたはずの子どもを救えなくなる事態も生じかねません。家裁における事実認定のありかたについても考えるべき点があるのではないかと思えます』、「疑わしきは罰せず」という「刑事裁判の」大原則が、「子の福祉にかかわる審判の判断過程に持ち込まれ」た懸念が高く、「家裁における事実認定のありかたについても考えるべき点がある」ようだ。

第三に、3月31日付けFRIDAY「5歳児虐待死で再逮捕…同居男女3人「異様な関係と凄惨な暴行」」を紹介しよう。
https://friday.kodansha.co.jp/article/236722
・『「床に投げ飛ばした。しつけのためだった」  母親ら3人の容疑者の供述から、幼い子どもの遺体が地中から発見された痛ましい事件の全容が、ようやく明らかになりつつある。 埼玉県本庄市に住む柿本歩夢(あゆむ)君(当時5)の遺体が、自宅の庭から見つかったのは今年3月5日。埼玉県警は3月26日、歩夢君を自宅の床に何度も投げ飛ばすなどして死亡させたとし、母親の柿本知香(30)、丹羽洋樹(34)、石井陽子(54)の3容疑者を傷害致死容疑で再逮捕した。警察は、日常的に虐待が行われていたとみて捜査を進めている。 「異変が発覚したのは1月12日です。この日を最後に歩夢君は、通っていた保育園へ姿を見せなくなりました。8日後の20日に、柿本容疑者は退園届けを提出します。園には『実家のある大阪府和泉市で元気に暮らしている』と説明したとか。 しかし本庄市が和泉市に照会したところ、転居の事実がないことがわかったんです。本庄市は『子どもの安否が確認できない』と警察に相談。同居する丹羽容疑者ら3人から事情を聞くと、1月中旬に遺体を自宅の庭に埋めたことを認めました」(全国紙社会部記者) 当初、3人の逮捕容疑は死体遺棄。歩夢君が亡くなった原因は不明だったが、容疑者たちの供述などから激しい暴行を受けていたことが判明したのだーー』、「柿本容疑者は退園届けを提出」するなど悪質だ。「3容疑者」の関係はどうなのだろう。
・『2時間正座させて説教  夫と別れる前の柿本容疑者。当時の画像からは幸せそうな様子が伝わってくる(本人のフェイスブックより) 3容疑者は、本庄市内の築約50年の木造一軒家で同居していた。血縁関係はない。奇妙な共同生活が始まったのは、昨年1月のことだ。 「旦那さんと別れた柿本容疑者は、1人で歩夢君を育てていたそうです。丹羽容疑者と知り合ったのは、昨年の秋頃。しばらくしてから柿本容疑者は歩夢君と一緒に、丹羽容疑者と石井容疑者の暮らす一軒家で同居するようになりました」(同前) 共同生活が始まってから、歩夢君の異様な様子がたびたび目撃されるようになる。 「よく歩夢君を含め4人で、自宅近くの飲食店を訪れていたそうです。ただ歩夢君はずっと丹羽容疑者に叱られ、料理もろくに食べさせてもらえなかったとか。長い時は2時間ほど、正座をさせられたまま……。柿本容疑者が、歩夢君が叱られる様子をスマートフォンで撮影しようとしたこともあったと聞いています。 スーパーの駐車場で、石井容疑者が歩夢君に向かって『このガキ!』と怒鳴っているのを目撃した住民もいました。柿本容疑者は、常に疲れた様子だったとか。歩夢君も保育園でボンヤリしていることが多く、精神的な虐待があるのではと周囲は心配していました」(別の全国紙記者) 事件は1月18日に起きる。自宅1階で、3容疑者は歩夢君を繰り返し床に投げ飛ばし死亡させたようだ。 「歩夢君の後頭部には大きなキズがあり、それが直接の死因になりました。もともと歩夢君は、明るく快活な子どもだったとか。3容疑者の共同生活が始まってから、どんどん元気をなくしていったそうです」(同前) 激しい虐待を受け地中に埋められた歩夢君。「しつけのためだった」という3容疑者の言い分が、通用するハズがない』、「柿本容疑者は歩夢君と一緒に、丹羽容疑者と石井容疑者の暮らす一軒家で同居するようになりました」、それ以降、虐待が始まったようだが、「歩夢君はずっと丹羽容疑者に叱られ」、「虐待」は「丹羽容疑者」中心だった可能性がある。いずれにしろ、信じ難いような事件だ。

第四に、7月20日付けYahooニュースが転載したテレ朝news「2歳女児放置死 亡くなる5日前から祖母ら外泊 大阪」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/56e948b40ab4a897bac6b273faae5f421a36a02f
・『大阪府富田林市の自宅で2歳の女の子が熱中症で死亡した事件で、祖母らが、女の子が死亡する5日前から外泊していたことが新たに分かりました。 小野真由美容疑者(46)と、桃田貴徳容疑者(50)は先月29日、孫の小野優陽ちゃん(2)を自宅に放置した疑いが持たれています。 これまでに小野容疑者らは、優陽ちゃんが熱中症で死亡する2日前からユニバーサル・スタジオ・ジャパンの周辺に宿泊していたことが分かっています。 その後の捜査関係者への取材で、5日前から大阪府内のホテルに宿泊していたことが分かりました。 2人はこの間、日中にいったん帰宅していた日もあったということです。 警察は、育児放棄が常態化していたとみて調べています』、「優陽ちゃんが熱中症で死亡する2日前からユニバーサル・スタジオ・ジャパンの周辺に宿泊」、「2人はこの間、日中にいったん帰宅していた日もあった」、信じ難い事件だ。「小野優陽」ちゃんの母親について一切、報道がないのも気になるところだ。いずれにしろ、「小野真由美容疑者(46)と、桃田貴徳容疑者(50)」、いい歳をしても、大人としての分別が欠如していたようだ。或いは、「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」は正常は大人を狂わすほどの魅力があるのだろうか。やはり、2人が「大人としての分別が欠如していた」とみるべきだろう。とんでもない時代になったようだ。
タグ:幼児虐待 (その8)(わいせつ事件があった「キッズライン」でまた不祥事 経沢香保子社長の「涙の謝罪」は何だったのか〈dot.〉、大和市7歳児殺害事件で母逮捕…家裁が児相の入所要求を却下したプロセスは?、5歳児虐待死で再逮捕…同居男女3人「異様な関係と凄惨な暴行」、2歳女児放置死 亡くなる5日前から祖母ら外泊 大阪) AERAdot「わいせつ事件があった「キッズライン」でまた不祥事 経沢香保子社長の「涙の謝罪」は何だったのか〈dot.〉」 「登録時にシッター自身が自治体に提出する記入済みの認可外保育施設設置届の写しをデータでアップロードする決まり」、「その後に届け出書が自治体に受理されたかどうかを確認するフローがなく、無届けのシッターが登録されてしまった」、確かにこれでは「「その辺を歩いている見知らぬ人に子どもを預けるのと一緒だ」という内閣府関係者の批判」、が当てはまる。 「取材時の印象としても、言葉が軽く、会社全体としても切迫感が感じられない。事業に対する熱い思いはわかるのですが、わいせつ事件や世の中からの批判に対しては、自分たちも“被害者”と感じているのかもしれません。だから、不祥事も報道や外部からの指摘があってから、後手後手で対応することになる。自分たちの組織を自分たちの手でよくしていこうという自浄作用が働いていないことは、大きな問題だと思います」、「自分たちも“被害者”と感じているのかもしれません」、信じ難い勘違いだ。 「75人も無届けのシッターがいたこともさることながら、連絡がつかない人が半数以上いたことはもっと問題です。会社でシッターの管理がまったくできていなかったわけであり、子どもの命を預かる事業者として不適格です」、恐るべき管理不在だ。「補助金返還」「当社が全額負担いたします」、は当然だ。 弁護士ドットコム「大和市7歳児殺害事件で母逮捕…家裁が児相の入所要求を却下したプロセスは? 」 信じ難い事件で、興味深そうだ。 「子どもの親権者に反対された」場合に、「施設入所等」をさせるかどうかが、「家裁への申立て」で決まるようだ。 本件でも「家庭裁判所調査官」が調査に当たったのだろうが、詳細は不明だ。 「疑わしきは罰せず」という「刑事裁判の」大原則が、「子の福祉にかかわる審判の判断過程に持ち込まれ」た懸念が高く、「家裁における事実認定のありかたについても考えるべき点がある」ようだ。 FRIDAY「5歳児虐待死で再逮捕…同居男女3人「異様な関係と凄惨な暴行」」 「柿本容疑者は退園届けを提出」するなど悪質だ。「3容疑者」の関係はどうなのだろう。 「柿本容疑者は歩夢君と一緒に、丹羽容疑者と石井容疑者の暮らす一軒家で同居するようになりました」、それ以降、虐待が始まったようだが、「歩夢君はずっと丹羽容疑者に叱られ」、「虐待」は「丹羽容疑者」中心だった可能性がある。いずれにしろ、信じ難いような事件だ。
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認知症(その1)(安藤優子氏が語る認知症介護「最もつらい時期」 大好きな母がヘルパーをクビにし罵詈雑言…、認知症支援の成年後見制度がはらむ「巨大な経済リスク」とは) [社会]

今日は、認知症(その1)(安藤優子氏が語る認知症介護「最もつらい時期」 大好きな母がヘルパーをクビにし罵詈雑言…、認知症支援の成年後見制度がはらむ「巨大な経済リスク」とは)を取上げよう。

先ずは、4月4日付けダイヤモンド・オンライン「安藤優子氏が語る認知症介護「最もつらい時期」、大好きな母がヘルパーをクビにし罵詈雑言…」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/300674
・『『週刊ダイヤモンド4月9・16日合併号』の第一特集は「後悔しない『認知症』」です。大好きな母が壊れていく…。ジャーナリストの安藤優子氏が経験した認知症介護の日々は、誰の身にも降りかかり得るものです。皆がかかるかもしれないのが認知症という脳の病。親、家族がなったとしても焦らずに済む情報、「こうしておけば…」と後悔せずに済む情報を網羅しています』、興味深そうだ。
・『「自分は至って普通」だと受診を拒んだ母が壊れていった  「しっかり者で社交的だった母がなぜこうなってしまったのか」──。ジャーナリストの安藤優子氏が、多忙な日々の裏で、16年間にわたった実母の壮絶な認知症介護の日々を振り返る。 母の場合、実は「認知症」と明確に診断されたのはそれらしき症状が現れてから数年後、高齢者施設に入居してからでした。多くの認知症の方と同様だと思うのですが、母も「自分は至って普通」だと、病院にはかたくなに行こうとしませんでしたから。 そして専門医はどこにいるのか、どの診療科にかかればいいのか。適切な診断を受けるための情報も乏しい。受診を嫌がる認知症の親を医療につなげるのは、ごく普通の家族にとって非常にハードルが高いと感じました。幸い、母が入居した施設にクリニックが併設されていて、そこでやっと認知症の確定診断を得ることができたのです。 最初に母の様子がおかしくなったのは、70代前半の頃でした。ある日「ベランダから飛び降りてやる!」と叫んだのです。当時は年齢的に「まだ早いな」と思ったのですが、今にして思えばすでに老人性うつの症状が現れていたのでしょう。 それからしばらくして、母が玄関先で転倒してそのまま起き上がれず、一緒に暮らしていた父も助け起こすことができずに、一晩毛布だけ掛けて床に横たわって過ごすという事件が起こりました。 明朝、駆け付けた姉が万が一のために救急車を呼んだのですが、マンションの高層階に住んでいたため、はしご車が出動するなどの大騒ぎに。大正生まれの母にとって、たかが転倒で近所を騒がせたショックと羞恥心は耐え難く、その一件以来人が変わったようにふさぎ込むようになりました。 本格的に母に認知症の症状が現れるきっかけになったのが、父の死です。最初の異変から5年後のことでした。父ががんを患い入院してからというもの、目に見えて症状が進みましたね』、「受診を嫌がる認知症の親を医療につなげるのは、ごく普通の家族にとって非常にハードルが高いと感じました。幸い、母が入居した施設にクリニックが併設されていて、そこでやっと認知症の確定診断を得ることができたのです」、「駆け付けた姉が万が一のために救急車を呼んだのですが、マンションの高層階に住んでいたため、はしご車が出動するなどの大騒ぎに。大正生まれの母にとって、たかが転倒で近所を騒がせたショックと羞恥心は耐え難く、その一件以来人が変わったようにふさぎ込むようになりました」、「たかが転倒で近所を騒がせたショックと羞恥心は耐え難く」、プライドが高い「母」にはよほどのショックだったようだ。
・『助けてもらうはずのヘルパーさんを母が次々にクビにし始めた…  当時、母はすでに要介護認定を受けていて、父は母の身の回りの一切合切を担っていました。父がいなくなれば誰かが面倒を見なければ母は生活できません。そこで私たちきょうだいが日替わりで在宅介護をし、昼間はヘルパーさんに助けてもらうことにしたのですが、なんと、困ったことに母がヘルパーさんを次々にクビにし始めたのです。 私は週5日の生放送番組を抱え、突発的な海外取材もある仕事。兄も姉も家庭があるのに、ヘルパーさんに頼れないとなれば、早晩行き詰まりますよね。 もちろん母本人の生活の質も大幅に下がります。介護の素人である私たちではお風呂に入れることもままなりませんから。でも、母は「知らない他人に裸を触らせることなどとんでもない」と断固拒否。 日本の介護制度は優秀ですが、制度があってもサービスを受ける本人が他人の存在を拒絶すれば、もう家族だけで背負うしかありません。心身共に最もつらい時期でしたね。 ある日私が行くと、焦げ付いた鍋の臭い、物が散乱する部屋、そして床を見るとペットの犬の排せつ物があらゆる所に転がっている、壮絶な状態でした。その光景を見て「犬もかわいそうだし、もう自宅で介護するのは限界だ」と、きょうだい3人で話し合い、施設に入居してもらうことにしたのです。 実際に施設に入ってもらうまでにも一悶着ありました。「家の水道が壊れたからしばらく住めなくなった」と母にうそをついて入居させたのですが、頭のいい人だからすぐに見抜かれましたね。面会に行けば「自宅があるのになぜそこに住んではいけないのか」「苦労して育ててきたのになぜこんな仕打ちをするのか」など、私たちきょうだいにありとあらゆる罵詈雑言を浴びせました。 罪悪感のあまり、一度は母を引き取ることも考えましたが、私の自宅に来ていたお手伝いさんにこう諭されたのです。 「優子さんが海外取材に行っている間は誰が見るんですか?一時の感情に任せてできないことは言わない方がいい」と』、あの「安藤」さんですら、「罪悪感のあまり、一度は母を引き取ることも考えましたが」、「お手伝いさんにこう諭されたのです。 「優子さんが海外取材に行っている間は誰が見るんですか?一時の感情に任せてできないことは言わない方がいい」と」、「お手伝いさんに」、「諭された」、やはり自分が当事者になると冷静さを失うようだ。
・『後悔の芽を摘んでおくための「医療・介護・相続・保険」全対策  『週刊ダイヤモンド』4月9・16日合併号の第一特集は「後悔しない『認知症』」です。 同じことを何度も聞いてくる。些細なことで怒りっぽくなった。よく物をなくして探し物をしている。ごみの分別ができていないようだ……・。離れて暮らす親や家族の様子がおかしい。認知症かもしれない。そのとき、何をどうすればいいのでしょうか。診断・医療、介護、相続、保険などさまざまな分野について、「こうしておけばよかった」と後悔しないための情報をお送りします。 認知症という病気には、困ったことに誤診がつきまといます。治せるはずの病気をみすみす放置することになりかねません。厄介な病気であることをまずは理解すること、そしてアルツハイマー型認知症だろうと決めつけずにきちんと診断を受けることが大切です。認知症専門の医療機関への調査結果リストも受診の参考にしてください。 認知症は、認知機能の低下によって生活に支障が出ている状態を指します。誰もがかかり得る脳の病気であり、その介護も誰もが直面する可能性があります。ところが、予備知識がないまま、引きずり込まれるように経験することになる家族がほとんどです。在宅介護サービス、高齢者向けの施設など、公的介護保険を賢く使うにはどこに注意すればいいのか。必須ポイントをきちんと押さえておきましょう。 認知症によって不幸を呼び込まないために、欠かせないのはお金に関わるリスクへの対処です。「認知症相続」に何の備えもなければ、残された家族が大損する事態に陥りかねません。もしものときの備えとして、生命保険なども選択肢となります。元気なうちに講じておくべき手立てとは何なのか。肝心なところをとらえておきましょう。 親、家族、あるいは自分もいずれ認知症にかかるかもしれません。なったとしても焦らずに済む情報、「こうしておけばよかった」と後悔せずに済む情報を網羅しました。問題や悩みを一人で抱え込まず、地域包括支援センターなど公的な相談窓口を活用することも大切です。家族や自分の将来のため、本特集をぜひご活用ください』、「問題や悩みを一人で抱え込まず、地域包括支援センターなど公的な相談窓口を活用することも大切」、同感である。

次に、7/20ダイヤモンド・オンラインが掲載した経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏による「認知症支援の成年後見制度がはらむ「巨大な経済リスク」とは」を紹介しよう。
・『認知症の支援制度のはずが、経済的に「とんでもなく不自由でかつ不経済な状態」に不可逆的に陥ることまで考えられる危うい制度が存在する。そんなことが起こる理由から、そのリスクを回避するための手立てまでをお伝えしたい』、興味深そうだ。
・『認知症対策で要注意 「法定後見」の前に考えよう  人は老いるし、認知症を発症することがある。これは、健康な人でも自分に起こり得ることを想定しなければならないリスクだ。また、事故などで重い障害が残ることがあるし、知的な障害がありながら生まれてくる場合もある。こうした場合に、親や兄弟・姉妹などの家族が本人の将来を心配することになる。 俗にマネーリテラシーと呼ばれるお金の扱い方の知識体系を完結するためには、お金を持っている本人がお金について判断を下すことができなくなる可能性にどう対処するかについて、知識と具体的な方法を持つ必要がある。この問題を解決しないと、いわば最後のピースが埋まらなくて、マネーリテラシーが完結しないのだ。 財産の管理に関する判断能力を持たない人をサポートする仕組みとして、「成年後見制度」があるが、成年後見の利用には幾つか重大な注意事項がある。 例えば、後見が必要になるケースで最も多い事情は銀行取引だ。認知症が進みつつある本人の家族が、銀行員の案内に従って家庭裁判所に後見人の選任を申し立てたとしよう。 すると、家族を後見人に推薦しても、弁護士・司法書士などの職業後見人が選任される場合がある。さらにその後に、経済的に「とんでもなく不自由でかつ不経済な状態」に不可逆的に陥ることまで考えられる。財産の扱いが不自由になったり、サービスに見合わない多額の費用(年間24万〜96万円。後見人の報酬は家庭裁判所が決定する)が、本人が亡くなるまで掛かり続けたりするようなことが起こり得るのだ』、「サービスに見合わない多額の費用(年間24万〜96万円。後見人の報酬は家庭裁判所が決定する)が、本人が亡くなるまで掛かり続けたりするようなことが起こり得るのだ」、とんでもないことだ。
・『後見の手続きを進める前に「必読」の1冊がある  銀行員の言ったことに間違いも悪意もない。「後見人に家族を推薦できる」というのも本当だ。しかし家庭裁判所は、特に本人の銀行預金残高が大きい場合、職業後見人を選任する場合が多い。 銀行取引や不動産取引、施設への入所などの際に、「後見人が必要だ」と言われて不用意に手続きを進めてしまうと、大変なことになる場合があるのだ。 「後見」の手続きを進める前に、ぜひ本を1冊読んでほしい。宮内康二著『成年後見制度の落とし穴』(青志社)だ。著者の宮内氏は、一般社団法人・後見の杜(こうけんのもり)の代表で、成年後見の制度と事例に詳しい。また、かつて東京大学でジェロントロジー(「老年学」と訳される)の教鞭を執っておられた。 同書によると、成年後見制度がスタートした2000年には親族が後見人に選ばれるケースが約9割と圧倒的に多かった。一方、12年には弁護士等の職業後見人が選ばれるケースが逆転し、20年には職業後見人が付くケースが8割を占めるに至っているという』、「成年後見制度がスタートした2000年には親族が後見人に選ばれるケースが約9割と圧倒的に多かった。一方、12年には弁護士等の職業後見人が選ばれるケースが逆転し、20年には職業後見人が付くケースが8割を占めるに至っている」、裁判所は「職業後見人」のために付けさせているのではないか、とすら思えてくる。
・『資産8.4兆円に対して費用848億円 毎年1%ずつ財産が減る制度  前掲書の推計によると、21年12月末時点でざっと8兆4000億円の資産が成年後見制度(後見、補佐、補助、任意後見)の利用下にある。そして、約848億円の費用(後見人、監督人の報酬)が支払われているという。 判断能力が低下した本人の財産を管理し、年に一度財産目録を家庭裁判所に提出する程度の仕事に対する報酬としては不当に高いように思われる。 また、この本の事例を見ると、本人のためにも家族のためにもなっていないケースが多々載っている。例えば後見人によって不動産が売却され、本人が施設に入れられて、本人と家族が会うことを妨害されるなどといったケースが挙げられる。読んでいるうちに、怒りで背中が熱くなるような話が全国あちこちで生じているのだ。 後見人を務める全ての弁護士や司法書士が悪いわけではあるまいが、経済的な利害が存在して、後見という制度に独特な権限が絡むと、驚くような悪事が発生する場合があるのだ。制度の失敗事例として興味深い。) なお、同書によると例えば「司法書士 後見 横領」とインターネットで検索するだけで多くのケースが出てくるという。確かにその通りだ。 ちなみに、弁護士、司法書士等の職業後見人は、不動産を売却した場合に事務の報酬が別途支払われるし、裁判所が決める後見人・監督人の報酬は被後見人の銀行預金残高に応じて決められる仕組みだ。従って、後見人が不動産を売却したり、保険の解約や有価証券を売却したりするなど、預金残高が増える状態を好むインセンティブが働く仕組みになっている。さらに、職業後見人が生活費を家族に出し渋る原因にもなっていると考えられる。 経済取引の常識で考えると、何とも不細工で理不尽な仕組みなのだ。 同書には高齢者の認知症のケースも多数載っているし、障害がある子どもとその親の身につまされるケースも複数取り上げられている。 ともかく、後見人の選任を申し立てようかと思う人は「手続きをする前に」一読してほしい。手続きを始めてしまうと手遅れになる場合がある。後見が必要か否かの判断方法、トラブルの際の対処方法や連絡先なども載っている』、「資産8.4兆円に対して費用848億円 毎年1%ずつ財産が減る」、「判断能力が低下した本人の財産を管理し、年に一度財産目録を家庭裁判所に提出する程度の仕事に対する報酬としては不当に高いように思われる」、「裁判所が決める後見人・監督人の報酬は被後見人の銀行預金残高に応じて決められる仕組みだ。従って、後見人が不動産を売却したり、保険の解約や有価証券を売却したりするなど、預金残高が増える状態を好むインセンティブが働く仕組みになっている。さらに、職業後見人が生活費を家族に出し渋る原因にもなっていると考えられる」、どうも「職業後見人」の制度は歪んでいるようだ。
・『後見制度のリスクを避けるにはどうしたらいいか?  では、まだ成年後見制度を利用していない「普通の人」はどうしたらいいのか。 宮内氏が、前掲書の後書きで述べる「結論」は以下の2点だ。 (1)今の法定後見制度には慎重に臨む (2)実際に使うためでなく、法定後見から身を護る楯として心当たりの人と任意後見契約を締結しておく 何はともあれ、「職業後見人を付けられかねない法定後見を避けよ」ということだ。そのために、後見が必要な場合にあらかじめ指定した人物が後見人になることができる任意後見契約を締結しておくといいが、任意後見契約もできるだけ発効しない方がいいということなのだ。「後見」とは、一体誰のためにある制度なのだろうか。 任意後見契約で、親族などが後見人となる場合にも、この後見人が適切に後見しているかどうかをチェックする「監督人」という、いささかお節介で余計な役割がある。弁護士・司法書士などが選任され、監督人に報酬が発生するのだ。 親族の後見人が被後見人の財産を使い込むようなケースがあり得なくはないのだが、家族にとっては監督人が不要と感じられる場合が多いはずだ』、「「職業後見人を付けられかねない法定後見を避けよ」、なるほど。
・『山崎家の場合、任意後見契約と財産管理等委任契約の組み合わせ  何をどうしたらいいのかを具体的な事例で説明しよう。北海道札幌市にある筆者の実家で、5年ほど前に行ったあれこれをご説明する。 約6年前、筆者の父が90歳を目前に他界した時、父が主に母(当時81歳)のために遺した金融資産がいくばくかあった。相続人は、母の他に、筆者と筆者の妹(筆者の11歳下である)がいたが、子ども2人は相続を放棄し、母が全額を相続した。この手続きは簡単だった。 当時元気で長命が予想され、消費意欲の旺盛な母だったが、彼女の生活費が足りなくなることはなさそうで、子どもたちには大した金額が残りそうにない絶妙な加減の遺産だった。 母の銀行口座にもある程度の残高があり、その他に証券会社で個人向け国債(変動金利型10年満期)を少々持っていた。そこに、父の銀行預金と証券口座の有価証券が加わった。 必要な作業は、将来母の心身が衰える可能性に対処する契約を作ることと、母の下に集約された金融資産の状態を整理することだった。当時の母は、まだゴルフを続けているくらい大いに元気だったのだが、あれこれの手続きは、このタイミングが良かったとつくづく思う。 妹と母は、二つの契約を結んだ。一つは、金融機関との取引を母が妹に委任する「財産管理等委任契約」、もう一つは、将来必要な状態になった場合に妹が母の後見人になる「任意後見契約」だ。これらを合体した契約書を、妹が母と共に札幌の公証役場に行って締結してきた。 契約書のドラフトは、ネット上にあるサンプルを検索するなどして、筆者と妹とで作り、ほぼその文面で締結した』、「山崎」氏がアドバイスしてくれるのであれば、「妹と母」は安心だったろう。
・『任意後見契約のために必要なのは「合計4万円」  ただし、1回目の際には、公証人さんが「任意後見契約」の部分を無視して、「財産管理等委任契約」だけだと即断したのでうまくいかなかった。妹には、もう一度公証役場に行ってもらった。公証人さんがこの種の契約に慣れているかどうかが影響する場合があるのかもしれない。 費用は数万円としか記憶がないが、宮内氏の前掲書には、任意後見契約のために掛かるのは合計4万円だとある。公証人に払う費用と、契約内容を法務局に登記する費用の二つの合計額だ。 後見を引き受ける人を追加する場合は、1人当たり1万1000円増えるという。山崎家の場合は、筆者よりも妹が大幅に若く、女性の方が寿命が長い傾向もある。そのため、母の金融取引の代理人と、必要が生じた場合の後見人は妹にすることとした。 その後、5年の間に幾つかのきっかけがあって、母は子どもたちにとって意外なほど心身の機能が衰えた。現在、かつて父がお世話になったのと同じ高齢者向けの施設に入所している。入所の際の費用は彼女の預金で賄った。 今のところ、母は身体機能が衰えたものの、認知機能に関しては後見を要するような状態にない。また、今後仮に彼女の認知機能が衰えても、監督人を付けられてしまう任意後見に移行することはできるだけ避けたいと思っている。 宮内氏によると、山崎家と同様の契約(移行型の任意後見契約)を持っていても、任意後見に移行せずに、代理人である親族が本人の財産を管理することで足りる場合が9割以上だという』、「山崎家と同様の契約(移行型の任意後見契約)を持っていても、任意後見に移行せずに、代理人である親族が本人の財産を管理することで足りる場合が9割以上」、「監督人を付けられてしまう任意後見に移行する」のはどんな場合なのだろう。
・『山崎家の場合、「金融資産の整理」 父が遺した証券口座を見て後悔  金融資産の整理についても経緯を説明しておこう。 預金は、父から母が相続した預金を母の預金口座に統合すればよいので簡単だった。 父が持っていた証券会社の口座には、生前父が楽しみを兼ねて投資していた個別株が数銘柄と、毎月分配型などの投資信託があった。筆者は、自分が投資にコメントする仕事をしていたし、父の楽しみに介入しない方がいいという思いがあって、父の証券口座については生前にチェックもアドバイスもしなかった。しかし、彼の残した口座の残高明細を見て息子として少々後悔した。 もう少し合理的に運用していればもっと増えていたはずだという思いもあった。ただそれ以上に、このようなポートフォリオでは楽しくなかっただろうと、個別銘柄についても投信についても思った。生前のかなり早い段階から、なぜ父親に運用の方法をコーチしなかったのかということは、彼の息子としての筆者の後悔の一つだ。父は、キャッチボールの相手もしてくれたし、囲碁も教えてくれたのだから、恩返しに投資の方法くらい教えるべきだった。 読者も、親御さんの金融資産の状態を見てあげてほしい。誇張でなく「息を飲むような状態!」になっている場合が少なくないはずだ。 さて、父が持っていた有価証券は全て売却して、母が同じ証券会社に持っていた口座に現金を移動した。ネット証券に母の口座を開いて資産を移管しようかとも思ったが、母が高齢のため口座の開設手続きがいささか面倒だったし、父が使っていた証券会社なので、そのまま使う事にした』、「生前のかなり早い段階から、なぜ父親に運用の方法をコーチしなかったのかということは、彼の息子としての筆者の後悔の一つだ。父は、キャッチボールの相手もしてくれたし、囲碁も教えてくれたのだから、恩返しに投資の方法くらい教えるべきだった。 読者も、親御さんの金融資産の状態を見てあげてほしい」、なるほど。
・『証券会社の担当者と上司に伝えた「高齢の母に営業勧誘は一切しないで」  筆者が行ったことは二つだ。 一つは、母と一緒に証券会社を訪ねて、母の担当者とその上司に、「母はもう高齢なので、今後一切営業勧誘はしないでほしい」との意向を伝えたことだ。これは、高齢の親御さんが証券会社や銀行と取引している場合には「ぜひとも必要な手続き」だと思う。親御さんの持っている金融商品を見ると、そう思う人が少ないはずだ。 もう一つは、金融資産の組み替えだ。これは筆者が何冊も書いた書籍で言っているように、内外の株式のインデックスファンドと個人向け国債変動金利型10年満期の組み合わせが「無難」で「ほったらかし」にできるので、そのようにした。 ただし、対面営業の証券会社の支店では、手数料が安いインデックスファンドを取り扱っていない場合が多い。筆者と母が訪ねた証券会社の支店もそうだったので、インデックスファンドは上場投資信託(ETF)で行うことにした。株式の売買と同様の手数料が掛かるが、ETFは運用管理費用(信託報酬)の安いものを選ぶことができるので、投資のコストを小さく抑えることができる。 なお、今なら内外株式に分散投資せずとも、全世界株式(含む日本株)のインデックスファンド1本でいいと思う。大手ネット証券で投資信託を買えるなら「eMAXIS Slim全世界株式(オールカントリー)上場投資信託」ないし、これに近い商品がいい。対面営業の証券会社で投資商品を選ぶならETFで「MAXIS上場投資信託全世界株式(オールカントリー)」(銘柄コード2559)などを選ぶといいだろう。 母のポートフォリオは、5年前に組み替えて、その後今日まで「ほったらかし」の状態にある。そして、幸い母は元気だ。希望も含めて言うと母は長命だろうし、今後それなりにお金も掛かる。子どもたちに大したお金は残ると思えないが、「2世代運用」は今のところ順調だ』、証券会社の担当者と上司に伝えた「高齢の母に営業勧誘は一切しないで」、上手いやり方だ。これであれば、「担当者」も「上司」から「営業勧誘」を迫られることもないだろう。「今なら内外株式に分散投資せずとも、全世界株式(含む日本株)のインデックスファンド1本でいいと思う」、便利な時代になったものだ。
タグ:認知症 (その1)(安藤優子氏が語る認知症介護「最もつらい時期」 大好きな母がヘルパーをクビにし罵詈雑言…、認知症支援の成年後見制度がはらむ「巨大な経済リスク」とは) ダイヤモンド・オンライン「安藤優子氏が語る認知症介護「最もつらい時期」、大好きな母がヘルパーをクビにし罵詈雑言…」 「受診を嫌がる認知症の親を医療につなげるのは、ごく普通の家族にとって非常にハードルが高いと感じました。幸い、母が入居した施設にクリニックが併設されていて、そこでやっと認知症の確定診断を得ることができたのです」、「駆け付けた姉が万が一のために救急車を呼んだのですが、マンションの高層階に住んでいたため、はしご車が出動するなどの大騒ぎに。大正生まれの母にとって、たかが転倒で近所を騒がせたショックと羞恥心は耐え難く、その一件以来人が変わったようにふさぎ込むようになりました」、「たかが転倒で近所を騒がせたショックと あの「安藤」さんですら、「罪悪感のあまり、一度は母を引き取ることも考えましたが」、「お手伝いさんにこう諭されたのです。 「優子さんが海外取材に行っている間は誰が見るんですか?一時の感情に任せてできないことは言わない方がいい」と」、「お手伝いさんに」、「諭された」、やはり自分が当事者になると冷静さを失うようだ。 後悔の芽を摘んでおくための「医療・介護・相続・保険」全対策 「問題や悩みを一人で抱え込まず、地域包括支援センターなど公的な相談窓口を活用することも大切」、同感である。 ダイヤモンド・オンライン 山崎 元氏による「認知症支援の成年後見制度がはらむ「巨大な経済リスク」とは」 「サービスに見合わない多額の費用(年間24万〜96万円。後見人の報酬は家庭裁判所が決定する)が、本人が亡くなるまで掛かり続けたりするようなことが起こり得るのだ」、とんでもないことだ。 宮内康二著『成年後見制度の落とし穴』(青志社) 「成年後見制度がスタートした2000年には親族が後見人に選ばれるケースが約9割と圧倒的に多かった。一方、12年には弁護士等の職業後見人が選ばれるケースが逆転し、20年には職業後見人が付くケースが8割を占めるに至っている」、裁判所は「職業後見人」のために付けさせているのではないか、とすら思えてくる。 「資産8.4兆円に対して費用848億円 毎年1%ずつ財産が減る」、「判断能力が低下した本人の財産を管理し、年に一度財産目録を家庭裁判所に提出する程度の仕事に対する報酬としては不当に高いように思われる」、「裁判所が決める後見人・監督人の報酬は被後見人の銀行預金残高に応じて決められる仕組みだ。従って、後見人が不動産を売却したり、保険の解約や有価証券を売却したりするなど、預金残高が増える状態を好むインセンティブが働く仕組みになっている。さらに、職業後見人が生活費を家族に出し渋る原因にもなっていると考えられる」、 「山崎」氏がアドバイスしてくれるのであれば、「妹と母」は安心だったろう。 「山崎家と同様の契約(移行型の任意後見契約)を持っていても、任意後見に移行せずに、代理人である親族が本人の財産を管理することで足りる場合が9割以上」、「監督人を付けられてしまう任意後見に移行する」のはどんな場合なのだろう。 「生前のかなり早い段階から、なぜ父親に運用の方法をコーチしなかったのかということは、彼の息子としての筆者の後悔の一つだ。父は、キャッチボールの相手もしてくれたし、囲碁も教えてくれたのだから、恩返しに投資の方法くらい教えるべきだった。 読者も、親御さんの金融資産の状態を見てあげてほしい」、なるほど。 証券会社の担当者と上司に伝えた「高齢の母に営業勧誘は一切しないで」、上手いやり方だ。これであれば、「担当者」も「上司」から「営業勧誘」を迫られることもないだろう。「今なら内外株式に分散投資せずとも、全世界株式(含む日本株)のインデックスファンド1本でいいと思う」、便利な時代になったものだ。
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女性活躍(その25)(全国紙初の女性政治部長が「女性活躍社会なんて 絵空事でしかない」と言い切る深い理由 セクハラを反省しない「オッサン社会」の深い病、妊娠中に大臣就任「政治家」も産育休取る国の凄み フィンランドでは誰もが当たり前に取得する、「専業主婦をもつ夫は幸福度が高く 管理職の妻をもつ夫は幸福度が低い」女性活躍の不都合な真実 妻は夫が出世したほうが 幸福度が高くなる) [社会]

女性活躍については、5月16日に取上げた。今日は、(その25)(全国紙初の女性政治部長が「女性活躍社会なんて 絵空事でしかない」と言い切る深い理由 セクハラを反省しない「オッサン社会」の深い病、妊娠中に大臣就任「政治家」も産育休取る国の凄み フィンランドでは誰もが当たり前に取得する、「専業主婦をもつ夫は幸福度が高く 管理職の妻をもつ夫は幸福度が低い」女性活躍の不都合な真実 妻は夫が出世したほうが 幸福度が高くなる)である。

先ずは、5月22日付け東洋経済オンラインが転載したPRESIDENT Online「毎日新聞社論説委員の佐藤 千矢子氏による「全国紙初の女性政治部長が「女性活躍社会なんて、絵空事でしかない」と言い切る深い理由 セクハラを反省しない「オッサン社会」の深い病」を紹介しよう。
・『なぜセクハラはなくならないのか。長年政治記者を務めてきた、佐藤千矢子さんは「男女雇用機会均等法にセクハラ対策が初めて明記されたのは1997年。その後、改正を重ねたが、いまだにセクハラの禁止を盛り込むことはできていない。ハラスメントに苦しむ人に対し、周囲が見て見ぬふりをしているうちは、皆が気持ちよく働き、ひいてはそれが業績につながる会社や社会をつくることはできないだろう。ましてや女性活躍社会なんて、絵空事でしかない」という――。 ※本稿は、佐藤 千矢子『オッサンの壁』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです』、興味深そうだ。
・『財務省事務次官のセクハラ疑惑  2018年4月12日発売の雑誌『週刊新潮』(同年4月19日号)では、財務省の福田淳一事務次官がテレビ朝日の女性記者を飲食店に呼び出しセクハラ発言をしていた疑惑が報じられ、大きな問題になった。週刊新潮はインターネット上でセクハラ場面の音声も公開した。福田氏と見られる声で「胸触っていい?」「抱きしめていい?」などと発言していた。 福田氏は「女性記者との間でこのようなやりとりをしたことはない」「音声データからは、相手が本当に女性記者なのかもわからない」「女性が接客をしている店に行き、店の女性と言葉遊びを楽しむことはある。しかし、女性記者にセクハラ発言をしたという認識はない」など疑惑を真っ向から否定し、当時の麻生太郎副総理・財務相をはじめとして財務省も福田氏を守った。しかし、政府・与党内から更迭を求める声が強まり、福田氏は事実関係を否定したまま、省内を混乱させた責任をとって辞任した』、「福田氏は事実関係を否定したまま、省内を混乱させた責任をとって辞任」、当然だ。
・『「被害女性を考えない」オッサン感覚  この問題では、財務省が報道各社の女性記者に調査協力を求めるなど、対応のまずさが批判を浴びた。被害女性が名乗り出ることへの心理的な負担や二次被害の懸念などを全く考慮していない対応で、「オッサン」感覚を露呈した。「官庁の中の官庁」と言われた財務省の実態だった。 一方、記者が福田氏と会食した際の録音の一部を週刊新潮に提供したことで、情報源秘匿との関係で記者へのバッシングが起きた。私自身も、録音の提供ではなく別の方法で解決できればよかったと思うが、このケースでの記者への批判は問題すり替えの意図を感じ、賛同できない。録音は被害者として他に訴える方法がなく、やむを得ず証拠として提出したのであり、記者の倫理の問題とは別に被害救済が議論されるべきだ』、「このケースでの記者への批判は問題すり替えの意図を感じ、賛同できない。録音は被害者として他に訴える方法がなく、やむを得ず証拠として提出したのであり、記者の倫理の問題とは別に被害救済が議論されるべきだ」、同感である。
・『抗議すれば報復される可能性がある  福田氏のセクハラ問題があった時、自分の過去の経験に照らし合わせて考えざるを得なかった。議員宿舎の部屋で議員から抱きつかれそうになった時、先輩記者2人が「そんな奴のところに、もう夜回りに行かなくていい。それで情報が取れなくなっても構わない」と言ってくれて救われた件では、この議員は大物ではあったが、政党の幹事長のような「オンリー・ワン」という存在ではなかった。彼の情報は新聞社として必要だったが、いざとなったら他の議員の情報があれば、最低限、何とかできるだろうという面もあった。しかし、これが福田氏のような中央官庁の次官で、どうしても日常的に取材しなければならない相手だったら、どうなっていただろう。 もう誰も取材に行かなくていいという結論にはなり得ない。一番いいのは抗議だ。だが抗議しても、なかったことにされて、下手をすれば、報復される可能性がある。報復にはいろんなやり方があるが、一番ありそうなのは一切の取材に応じないことだ。その記者だけでなく、場合によっては新聞社ごと取材拒否にあう可能性もある。「女性の側にも落ち度があるのだろう」と批判されるような二次被害も覚悟しなければならない』、やはり彼女がやったように週刊誌に書かすのが一番だろう。
・『うまく受け流せという暗黙のプレッシャー  抗議には確かな証拠が必要になる。しかし、セクハラは密室状態で行われることが多いため、立証が極めて難しい。隠れて録音したり、その録音データを公開したりするのは、取材源の秘匿との関係でできない。では、担当を替えてもらうのがいいのだろうか。担当替えは急場しのぎにはなるが、根本的な解決にはならない。被害者が自信を喪失することになるだろうし、相手は反省することなく、同じ行為をまた繰り返すかもしれない。 こういうことが目に見えているから、騒ぎ立てず「無難に処理しろ」「うまく受け流せ」という暗黙のプレッシャーが働く。しかし、その場はそれでおさまったように見えても、無難に処理して受け流すことは、女性の心に大きな傷を残す。被害者の女性のみに負担を強いて、それが人生に長く影を落としかねないような、そんな対応は明らかに間違っている』、やはり何らかの形で世の中に訴えるべきだ。
・『昔より声は上げやすくなったが…  福田氏のセクハラ疑惑について2018年4月18日、テレビ局の従業員らでつくる「日本民間放送労働組合連合会」(民放労連)と「民放労連女性協議会」は、次のような抗議声明を出している。 「放送局の現場で働く多くの女性は、取材先や、制作現場内での関係悪化をおそれ、セクハラに相当する発言や行動が繰り返されてもうまく受け流す事を暗に求められてきた。たとえ屈辱的な思いをしても誰にも相談できないのが実態だ。この問題はこれ以上放置してはいけない。記者やディレクター、スタッフ、そして出演者らが受けるセクハラは後を絶たないのに、被害を受けたと安心して訴え出られるような環境も整っていない。このような歪みを是正しなければ、健全な取材活動、制作活動は難しくなる」 自分がまだ若くセクハラに悩んでいた1990年代のころから改善されたようでいて、本質的にはあまり変わっていないのだと思う。だんだんと声をあげられるようにはなってきたが、それでもやはり声をあげることにさえ大きなハードルがあるという実態が広がっている』、「「放送局の現場で働く多くの女性は、取材先や、制作現場内での関係悪化をおそれ、セクハラに相当する発言や行動が繰り返されてもうまく受け流す事を暗に求められてきた。たとえ屈辱的な思いをしても誰にも相談できないのが実態だ。この問題はこれ以上放置してはいけない」、その通りだ。
・『“セクハラ”という言葉の重み  セクハラという言葉が日本で認知されるようになったのは、1989年の新語・流行語大賞からだと書いたが、その後も数年間は私たちの多くはセクハラという言葉を知らなかったし、意識していなかった。認識が広がったのは、1997年、男女雇用機会均等法にセクハラ対策が初めて明記されたころからだったと思う。 セクハラという言葉ができたのは、大きかった。元大手損保会社で総合職第1号だった知り合いの女性は「当時は、セクハラについて口に出して言えなかったし、セクハラという言葉もなかった。言葉を持つことは、力を持つうえで非常に大切だ」と振り返る。 セクハラという言葉がない状況で、女性が被害を訴えても「気にしすぎだ」などと軽くいなされ、下手をすれば逆に「そんなことを問題にするなんて、お前おかしいんじゃないのか」と女性の側が非難されかねない。 セクハラという言葉がなかった時代、自分も含めて多くの知り合いの女性が泣き寝入りするしかなかったのは、そういう事情があったと思う。しかし、セクハラという言葉が定着することによって、「セクハラはしてはいけない行為だ」「被害女性に非はなく悪いのはあくまでも加害男性だ」ということが社会の共通認識になれば、被害を訴えやすくなるし、報告を受けた上司が対応せざるを得なくなる。大きな違いだ』、「セクハラという言葉が定着することによって、「セクハラはしてはいけない行為だ」「被害女性に非はなく悪いのはあくまでも加害男性だ」ということが社会の共通認識になれば、被害を訴えやすくなるし、報告を受けた上司が対応せざるを得なくなる。大きな違いだ」、なるほど。
・『男性側の過剰反応  一方で、「羹あつものに懲りて膾なますを吹く」とでもいうように、男性の側に過剰反応も起きるようになった。よくあるのは、男性上司が女性の部下と一対一で飲みに行くような誘いをしなくなるというケースだ。それで仕事に支障が出ない職種や職場ならば一向に構わないが、新聞記者の場合は困ることもある。 例えば、機微に触れるネタを追っていて、その日のうちに内密に打ち合わせが必要になるようなケースだ。忙しくて時間のない中で、食事の時間を打ち合わせに充てるしかなく、「それじゃあ仕事が一段落したところで、晩飯を食いながら打ち合わせしよう」となるのだが、それが男女一対一だと、やりにくいという場面が出てきた。私は全く意識していなかったのだが、ある時期から急に上司から飲みに誘われなくなったことがあり、「どうしたのか」と聞くと、「いや一対一はまずいかなと思ってね」と言われて、驚いたことがある。仕方ないと思って放っておいたら、何も状況は変わっていないのに、また普通に誘われるようになった。男性の側も、迷いながら対応しているということなのだろう』、「男性の側も、迷いながら対応しているということなのだろう」、あり得る話だ。
・『「働く男女の比率」が近づけば解決される  直接的な仕事の話ではなくても、いわゆる「飲みニケーション」として、時には酒を一緒に飲みながら話をするのも必要なことだ。大勢で飲めばいいではないかと言われるかもしれないが、酒を飲もうが飲むまいが、本当に重要な話は「一対一」のサシでするというのは、特に私たち新聞記者には染みついている。そこで、女性ばかりが誘われないというのは、問題が生じる。 ただ、こうした問題も、女性が少数派だから起きることだ。男女の比率がもっと近づけば、お互いに注意しながら付き合うことになり、一方的に女性が飲み会に誘われなくて不利になるということはなくなっていくのではないだろうか。もちろん、女性上司から男性の部下へのセクハラにも、これまで以上に注意を払わなければならない時代に入っていくだろう』、「「働く男女の比率」が近づけば解決される」、確かにその通りなのかも知れない。
・『なぜセクハラはなくならないのか  セクハラという言葉が定着し、これだけ認識が広まってきたように見えるのに、それでもなくならないのはなぜだろう。 福田次官の問題があった時、ある政治家の言葉が広まった。「福田氏のような話で辞任させれば、日本の一流企業の役員は全員、辞任しないといけなくなるぞ」。本人に発言の確認を直接とっていないし、客観的事実と異なることを言っているので、匿名でしか書けないが、私はいかにもありそうな発言だと思った。 この発言が本当だとしたら、国会議員、中央官庁の幹部だけでなく、民間企業の幹部だって同じだと、政治家自らが言ってはばからず、反省もしない社会とは何なのか。「オッサン社会」の深い病を思う。 私の友人の女性は、「日本の男性は結局、独身女性をバカにしているんだよ」と怒っていた。セクハラの標的になるのは主に独身の女性だ。既婚女性へのセクハラもあるだろうが、独身女性に比べれば圧倒的に少ないのではないか。それは既婚女性には、やはり夫の影がちらつくからではないだろうか。男性からすれば、セクハラが問題化した場合、相手が独身女性ならば相手の責任を言い募って逃れられるかもしれないが、既婚女性ならば夫が乗り出してきて大事になるかもしれない、といった計算が無意識に働いているのではないか。そんなふうに私は見ている』、「既婚女性ならば夫が乗り出してきて大事になるかもしれない、といった計算が無意識に働いているのではないか。そんなふうに私は見ている」、なるほど。
・『セクハラするオッサンに欠けている意識  時々不思議に感じるのだが、オッサンたちはこのままでは自分の娘が同じような被害にあうかもしれないと考えないのだろうか。それとも「娘は専業主婦にさせて会社勤めなんかさせない」、あるいは「優良企業に就職させるから大丈夫」「親のコネがあるから誰も手を出せないだろう」とでも考えているのだろうか。 または「手を出される女性のほうにスキがあるからだ」とでも考えているのだろうか。セクハラに苦しむ女性たちと、自分の娘を分けて考えられる発想が私には全く理解できない。想像力の欠乏症としか思えない』、「セクハラ」対象と「自分の娘」は初めから「分けて考えている」からこそ、「セクハラ」する気になるのだろう。
・『女性活躍社会へは程遠い  セクハラ被害に対しては、相手に直接抗議するか、会社の相談窓口や労働組合などに相談し、相手に事実関係を認めさせ、謝罪と再発防止を確約させる必要がある。しかし、一般的にいって会社へのセクハラ相談は、依然としてハードルが高いようだ。女性たちが会社側の対応を信頼できないのが一因だろう。 男女雇用機会均等法にセクハラ対策が初めて明記されたのは1997年。その後、改正を重ねたが、いまだにセクハラの禁止を盛り込むことはできていない。私の友人が言ったようにセクハラは厳罰をもって対処しない限り、なくなることはないが、日本社会の対応は極めて甘い。ハラスメントに苦しむ人に対し、周囲が見て見ぬふりをしているうちは、皆が気持ちよく働き、ひいてはそれが業績につながる会社や社会をつくることはできないだろう。ましてや女性活躍社会なんて、絵空事でしかない』、やはり「セクハラ」には厳罰化が必要なようだ。

次に、7月1日付け東洋経済オンラインが掲載したライター・翻訳家の堀内 都喜子氏による「妊娠中に大臣就任「政治家」も産育休取る国の凄み フィンランドでは誰もが当たり前に取得する」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/598139
・『2018年から2022年にかけて、5年連続で「幸福度ランキング世界一」を達成したフィンランド。その背景にあるのは、“人こそが最大の資源で宝”という哲学。立場を問わずすべての国民が平等に、そして幸福に暮らすことを可能にする「仕組み」とは──?そして、日本はそこから何を学べるのでしょうか?『フィンランド 幸せのメソッド』より一部抜粋し再構成のうえお届けします』、興味深そうだ。
・『フィンランドの人の就業率は?  フィンランドは男女平等が進み、女性や母親にとって暮らしやすい国として知られる。世界経済フォーラム(WEF)が発表している、男女格差を示す「ジェンダーギャップ指数」でも例年上位にあり、2021年はアイスランドに次いで2位だった。 実際、フィンランドに住むと、女性が社会に進出し、活躍していることを肌で感じる。日本の自治体や経済・政治団体の視察団が訪れると「会う人、会う人すべてが女性で、しかもみんな肩書に長が付く人ばかりだった」とか、「女性の存在感が大きかった」という感想をよく聞く。 中には「今まで経営者として女性活躍、ダイバーシティーを推進しようと社員に言ってはいたが、本当にそれが実現可能だとは信じていなかった。でもフィンランドでは本当に実現されていて驚いた」と語った日本の某大手企業の経営者もいる。 フィンランド統計局の調査によると、2020年、15?64歳の女性の就業率は70.7%、男性は72.5%で、男女の間にほとんど差はない。うちパートで働く人たちは、女性が2割で男性が1割。若干の差はあるが、女性も多くがフルタイムで働いていることがわかる。 さらに、18歳未満の子どもがいてもいなくても、女性の就業率にほとんど差はない。しかも、母親のうち8割以上はフルタイムで働く。つまり、子どもの有無が女性の仕事にほとんど影響していないという状況が見えてくる。 平等法は2015年に改正され、男女だけでなく、性的指向や性自認も含めて、性的マイノリティーの人たちにも配慮された内容となった。 この法律は企業だけでなく教育現場にも適用されていて、学校でも3年に一度、平等に関する計画づくりがされる。法務省のもとには平等に関するオンブズマンが設置されており、法律のもと、人権が平等に扱われ、不適切、差別的なことがないよう監視している』、「法務省のもとには平等に関するオンブズマンが設置されており、法律のもと、人権が平等に扱われ、不適切、差別的なことがないよう監視している」、やはり「オンブズマン」が「監視」しているようだ。
・『政治の世界でも目立つ女性たち  政治の世界ではどうか。2019年の選挙では当選した国会議員200名のうち、女性が94人で47%を占めた。その後、首相が交代してサンナ・マリン内閣が誕生した際には、閣僚19名中12人が女性となった。 2000年以降の閣僚の男女比はほぼ半々で、これまでにも女性のほうが多かったときもあれば、そうでないときもある。もはや男女の割合で一喜一憂する時代ではなくなり、「性別に関係なく、ふさわしい人が選ばれる」と冷静に受け止められている。 実際、フィンランドの公共放送YLEの調査によると、選挙で誰に投票するかを決める際に、性別は影響しないとの結果が出ている。以前は性別が投票理由の1つになりえたが、今は実力などの要素を重視するのだという。 一部北欧諸国では女性の割合が一定になるようクオータ制を導入し、議席の少なくとも4割以上が女性になるようにしている。しかし、フィンランドでクオータ制が定められているのは、任命制の地方と政府の委員会のみ。選挙にクオータ制はないのに、約半数が女性になっているのだ。 フィンランドは全国を14のブロックに分け、非拘束名簿式(候補者名または政党名のいずれかを書いて投票する方式)の比例代表制選挙を行う。この方式では、選挙のたびに政権や与野党の交代が起こりやすい。どの党も支持率が拮抗しているので、より多くの有権者の票を勝ち取る努力が求められる。 そのため、各党は老若男女を問わず幅広く有権者の声に耳を傾け、多彩な候補者を揃えなければならない。投票率を見れば、1970年代以降は男女の投票率がほぼ同じになっており、今では女性の投票率のほうが少し高い。それゆえに、女性有権者のニーズは、党の方針や候補者選びにも大きく反映される。党によっては候補者も当選する議員も女性のほうが多いこともある。 フィンランド人に女性議員が増えた理由を聞くと、「歴史の流れ」「優秀な人を選んだ結果」「教育の成果」といった声が返ってくる。バランスを保つために無理やり女性を増やしたといった経緯はない印象だ。党首や閣僚に女性が多いことについても、単純に実力と人気が評価された結果だと多くの人が捉えている。) 話は少し前にさかのぼるが、私がフィンランドに留学した2000年は、ちょうど史上初の女性大統領タルヤ・ハロネンが就任した年であり、大学でも女子学生たちは女性大統領の誕生を誇らしげに語っていた。 ある友人が言うには、彼女や兄弟は女性候補者に投票したが、彼女の父親は女性を大統領にしたくないとの理由だけで対抗馬の男性候補者に投票していたという。まだまだ政治家の性別が話題や決定に大きな影響を与える時代だったといえる。 タルヤ・ハロネン大統領は就任当時シングルマザーで、子どもの父親とは別の男性と事実婚の関係にあった。そういった事実婚カップル自体は当時すでに珍しくはなかったが、国の代表としては前代未聞のことだった。 その後、2人は正式に入籍している。強さと個性を持ち、わが道を行き、あまり周りやメディアを気にせず外出する彼女の様子は、よくも悪くも注目を集めた』、「選挙で誰に投票するかを決める際に、性別は影響しないとの結果が出ている。以前は性別が投票理由の1つになりえたが、今は実力などの要素を重視するのだという」、「フィンランドでクオータ制が定められているのは、任命制の地方と政府の委員会のみ。選挙にクオータ制はないのに、約半数が女性になっているのだ」、本物のようだ。
・『「男性でも大統領になれるの?」  その後、私が留学中の2003年には女性のアンネリ・ヤーテンマキ首相も誕生、国のトップ2人が女性ということで騒がれた。さらに2010年には史上2人目の女性首相マリ・キビニエミも登場した。彼女は当時2人の幼い子どもを持つ母親で、かつ42歳ということで国内外の注目を集めたが、どちらの女性首相も在任期間は長くない。 それから10年以上が過ぎ、今では女性が党首や議長、大臣職などの要職に就くことも珍しくなくなった。「最近、目立つ女性の政治的リーダーって誰?」とフィンランドの友人たちや同僚に聞くと、いろいろな名前が出てくる。 15年ほど前であれば「タルヤ・ハロネン大統領」と誰もがいちばんに答えたが、「彼女はあくまでも歴史上に何人かいるキーパーソンの1人であって通過点でしかない。今はもっと多岐にわたっていろいろな女性リーダーがいる」というのが、友人たちの声だ。 それでも世界的に見て、目立つ存在といえばサンナ・マリン首相だろう。そして政権発足当時、連立与党を率いる5党の党首が全員女性で、そのうち4人が30代前半というのも大きな話題になった。 2020年9月にはそのうちの1人が交代したが、後を継いだ新たな党首も30代の女性だった。彼女たちは幼い頃から男女共働きの社会で育ち、政界にも周りにも女性のリーダーたちがすでに多く存在した世代だ。 しかも10代の多感な時期に初の女性大統領が誕生。続いて女性が首相になるのも見ている。女性が国のトップになることを自然に受け止めてきたはずだ。マリン首相もかつてインタビューで「憧れの政治家はいないが、ハロネン元大統領は確実に私たちの道しるべとなった存在」と語っている。 もっと若い世代だと、緑の党で今後が期待される20代の女性議員リーッカ・カルッピネンに至っては、物心ついたときには大統領は女性で、地元の首長も女性だった。そこで当時、父親に「男性でも大統領になれるの?」と聞いたと新聞インタビューで語っている。) マリン政権を担う連立与党の党首5人が全員女性だと述べたが、これも別に不思議なことではない。どの党もほぼ半数以上の議員が女性なのだ。 5人の顔ぶれを見て、海外メディアやSNSなどでは「女性ばかりなのはいかがなものか?」という否定的な声が一部で上がったが、正当な手順で党首選が行われ、そこでいちばんに選ばれた人たちがたまたま全員女性だったというだけなので、フィンランド国内では少し驚きはあったものの、男女のバランスに否定的な声はない。 注目すべきは、男女のバランスよりも、若い世代が党首に就いていることだろう。フィンランドでは過去にも30代の首相や20代の閣僚がいたこともあり、日本よりもはるかに若い人たちが役職を担うことが多い。それは政治に限らず、優秀な若い人たちの可能性を信じて任せ、ベテランは陰で支える文化があるからだ。 確かに経験はないよりあったほうがいいが、フィンランド人が必要だと考えている「経験」の年数は日本よりも短い。 企業でも5年の経験があれば十分ベテランの部類に入ってくる。何十年の下積みをしてやっと認められるというよりも、ある程度全体の流れが把握できていて、その人が優秀で素質があるとわかればいい。だから30代で頭取や取締役に就くことも、学校の校長をつとめることもある。 ▽高校生などが政治活動に関わることはタブーではない(政治においても2?3期目で閣僚になることは普通だ。党内の力関係や誰が役職に就くかといったことは、当選回数で決まるのではない。選挙での得票率やそれまでの党内での人気、実力、そして本人の適性がカギとなる。性別や年齢も関係ない。 現在、国会議員の平均年齢は40代半ば。いくら実力主義とはいえ、いくつかの党の党首に30代が就いているのはなぜか。それは、彼女たちに寄せられている変革への期待の表れだろう。 グローバル社会の進展にさまざまな技術革新、生活や価値観の多様化と、私たちを取り巻く世界は刻々と変わっている。どの党も存続のためには変化に対応でき、次世代を担う若者を取り込む必要がある。そういった中で、各政党は象徴となる若いリーダーを求めているというわけだ。 ただし、彼女たちは若さだけが理由で党首に就いているわけではない。教育を十分に受け、行政学や政治学、社会学を学び、10代、20代前半から党の活動に携わってきた経験もある。 フィンランドでは早ければ15歳頃から党の青少年部に入って活動することができ、高校生などが政治活動に関わることは決してタブーではない。党にとってみれば、若い青少年部員たちは若者世代にリーチするための大切な媒介者であり、多少過激であっても、若い人が持つ柔軟な発想が党に刺激を与えてくれることもある。また、彼らは未来の政治家の卵でもある。) マリンも20歳から党に入って政治に携わっているし、ほかの党首たちも10年以上政界でキャリアを積んできている。当選回数は多くなくとも、まったくの素人というわけではなく、ある程度の時間をかけて地道に党の内外で信頼と人気を勝ち取ってきているのだ』、「マリン政権を担う連立与党の党首5人が全員女性だと述べたが、これも別に不思議なことではない。どの党もほぼ半数以上の議員が女性なのだ」、「マリンも20歳から党に入って政治に携わっているし、ほかの党首たちも10年以上政界でキャリアを積んできている。当選回数は多くなくとも、まったくの素人というわけではなく、ある程度の時間をかけて地道に党の内外で信頼と人気を勝ち取ってきているのだ」、なるほど。
・『当たり前になった政治家の産休・育休  国会に30?40代の議員が多くなり、さらに女性議員が増えたことで、政治家に幼い子どもがいることも、出産や育児のために休暇を取ることも自然になってきている。それは閣僚であっても同じだ。 例えば、2020年9月に党首選で勝ち、政権与党の5人のリーダーの中に入ったアンニカ・サーリッコは、前政権時、妊娠中に科学・文化大臣に就任した。 当時から党首に望まれていたが、彼女は出産や家族の時間を優先したいとして出馬はせず、まもなく1年間の出産・育児休暇に入った。その間は同じ党のほかの議員が代わりに大臣をつとめた。そして復帰直後に行われた党首選に出馬し、党首に選ばれた。 彼女が産休・育休を取ったのはこれが初めてではなかった。第1子のときは、何と育休中に大臣職に任命されている。このときも党内の合意のもと、最初は同じ党の代理が大臣職をつとめ、育休復帰後、少しずつ職務をサーリッコに移行していった。 さらに5人の女性リーダーの中のもう1人、リ・アンデルソンは教育大臣をつとめているが、2020年9月に妊娠を発表し、年末から産休・育休に入り、その休暇中はやはり同じ党のほかの議員が代わりをつとめ、アンデルソンは出産から約半年で大臣に復帰している。 5人のうちのもう1人である緑の党の党首も、2021年11月から出産・育休に入った。彼女は党首選への出馬意志と妊娠を同時に発表し、その後再選された。 男性議員も積極的に育休を取っている。マリン政権で国防大臣をつとめる男性議員も父親休暇を取得したが、もはや大きなニュースになることもなく、メディアではいつからいつまで休暇に入り、その間は誰が代理をつとめるといったことのみが事務的に報道されていた。 このように最近の流れを見ていると、フィンランドの政治家や閣僚にとって、出産や育児は政治家のキャリアに負の影響を与えるものではないのだと、強く感じさせられる』、「日本」とは対極の「女性活躍」社会で、余りにも違いが大きいようだ。

第三に、7月7日付けPRESIDENT WOMANが掲載した拓殖大学政経学部准教授の佐藤 一磨氏による「「専業主婦をもつ夫は幸福度が高く、管理職の妻をもつ夫は幸福度が低い」女性活躍の不都合な真実 妻は夫が出世したほうが、幸福度が高くなる」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/59335
・『管理職の妻をもつ夫は幸せなのか。拓殖大学准教授の佐藤一磨さんは「夫の幸福度の平均値は、妻が非就業の時に最も高く、管理職の時に最も低くなるという結果がでました。夫婦各人の年収や学歴、子のありなしを問わず同じ傾向が見られます」という――』、興味深そうだ。
・『管理職の妻をもつ夫は幸せなのか  日本では管理職として働く女性の割合が徐々に増加しています。具体的な数値を見ると、民間企業の課長級の役職者における女性割合は1990年では約2%でしたが、2019年には約11%にまで上昇しています(※1)。 このような女性管理職の増加は、社会の大きな流れとして今後も続くと予想されますが、管理職となることが女性またはその家族にどのような影響を及ぼすのかという点は、あまり検証されていません。 特に妻が管理職として働く場合、その配偶者である夫に及ぼす影響については、あまり語られてこなかったのではないでしょうか。 日本の場合、性別役割分業意識が強く、「男性=仕事、女性=家事・育児」という価値観が色濃く残っています。妻の管理職での就業は、この価値観から外れてしまうため、家庭内に不和をもたらす可能性もあり、その実態が気になるところです。 そこで、今回は妻の管理職での就業が夫の幸福度に及ぼす影響について検証した研究を紹介していきたいと思います』、「研究」の結果を知りたいものだ。
・『妻が管理職として働くポジティブな影響  実際の検証結果に移る前に、妻の管理職での就業がもたらす影響について整理しておきましょう。 妻の管理職での就業には、ポジティブな影響とネガティブな影響が存在します。 まずポジティブな影響として挙げられるのは、世帯年収の増加です。夫だけでなく妻も働き、かつ妻が管理職につくことは世帯年収を底上げします。 このような世帯年収の増加は、生活に潤いをもたらすでしょう。もちろんその恩恵は夫にも行きわたり、住宅の購入や子どもの教育費用を支払ううえで重要な支えとなります。 また、もう一つのポジティブな影響として考えられるのが夫の所得低下や失業に対する保険です。 長期的な低経済成長に直面してきた日本では、予期せぬ形でボーナスが削減されて夫の所得が低下したり、失業する可能性があります。これらによる世帯所得の低下を補填する保険として、管理職で働く妻の稼ぎが機能すると考えられます』、「ポジティブな影響」は確かに考えられる。
・『妻が管理職として働くネガティブな影響  次にネガティブな影響ですが、2つ考えられます。1つ目は、管理職になることで妻の労働時間が増え、そのしわ寄せが家族、特に夫に向かうというものです。 通常、多くの家庭では妻に家事労働が偏っています。この状態のままで妻が管理職で働くようになると、労働時間が増え、どうしても家事・育児に割ける時間が減ってしまうと予想されます。 これを補完するためにも、夫の家事労働の時間が増える可能性があるのです。 妻の状況を理解し、進んで家事・育児に参加する夫であれば問題ないのですが、夫自身も仕事で忙しく、余裕がなかった場合、家に帰ってから家事・育児もやらなければならないとなると、ストレスが増えてしまう恐れがあります。 また、妻が仕事で忙しくなることによって夫婦間ですれ違いが生じ、ストレスの多い家庭生活になってしまう可能性も考えられます』、「ネガティブな影響」はもっとありそうだ。
・『「男が大黒柱であるべき」という意識と現実とのギャップ  2つ目のネガティブな影響は、性別役割分業意識からの乖離です。他の先進国と比較して、日本では依然として「男性=仕事、女性=家事・育児」という価値観が強く残っています。 この価値観の中には「男は仕事第一で一家の大黒柱であるべき」という考えも含まれています。近年のワークライフバランスを重視する流れから「男は仕事第一」という考えはやや薄れてきていると予想されますが、男女間賃金格差が依然として存在する現状では、「男が一家の大黒柱であるべき」という考えは影響力があると言えるでしょう。 この考えを強く持つ夫の場合、妻が管理職で働き、その多くの時間を家庭外の仕事に割くことに肯定的な意見を持てないと考えられます。 また、もし妻の稼ぎが自分の稼ぎを上回るようになった場合、自分の持つ価値観と実態とのギャップからストレスを感じるようになるでしょう。 以上、妻の管理職での就業には、ポジティブな影響とネガティブな影響の両方が存在し、その相対的な大きさによって幸福度に及ぼす影響が決まってきます。 はたしてどちらの影響が大きいのでしょうか』、実際のデータではどうなのだろう。
・『妻が管理職の夫の幸福度は低い  図表1は妻の就業状態別の夫の幸福度の平均値を示しています。 ここでは、妻の就業状態を①管理職の正社員、②非管理職の正社員、③非正社員、④非就業の4つに分類しています。なお、夫婦ともに59歳以下の現役世代に限定しています。 図表1から明らかなように、夫の幸福度の平均値は妻が④非就業の時に最も高く、①管理職の正社員の時に最も低くなっていました。 この結果は、「妻が管理職の夫の幸福度は低い」ことを意味します。 ちなみにこの結果は、夫の年齢、学歴、子どもの有無や夫婦それぞれの年収、労働時間といった要因を統計的手法でコントロールしても、変わりませんでした』、「妻が管理職の夫の幸福度は低い」、直感的な考え方と一致したようだ。
・『専業主婦を持つ男性の幸福度が最も高い  図表1の結果から、妻の管理職での就業のポジティブな影響とネガティブな影響のうち、ネガティブな影響の方が強かったと考えられます。 ネガティブな影響の原因として、夫の家事・育児負担や夫婦のすれ違いの増加、性別役割分業意識からの乖離といった要因が考えられますが、どの要因の影響力が強いのかは明確には判断できません。 ただし、図表1の結果が示すように、「妻が働いていない夫ほど幸福度が高い」という点を考慮すれば、性別役割分業意識の影響は無視できないと言えるでしょう』、「専業主婦を持つ男性の幸福度が最も高い」、これも直感的な考え方と一致したようだ。
・『夫が働いていない妻の幸福度は低い  一方、妻の場合、幸福度の平均値は夫が①管理職の正社員、②非管理職の正社員、③非正社員、④非就業の順になっていました(図表2)。 夫が管理職だと妻の幸福度が高く、逆に夫が働いていないと幸福度が低くなるというこの結果は、直感的にも納得できます。 特に夫が非就業の場合の幸福度の落ち込みは大きく、「働いていない夫」を持つ妻の苦悩が読み取れます。 ちなみに、夫が働いていない妻の幸福度が低くなるという現象は欧米でも確認されています(※2) 。この点は洋の東西を問わず妻を悩ます種になっているようです』、「夫が働いていない妻の幸福度は低い」、「洋の東西を問わず妻を悩ます種になっているようです」、なるほど。
・『女性活躍推進策が夫婦にもたらした影響  図表1の結果が示すように、妻が管理職の夫の幸福度は低くなっています。 日本では女性活躍推進策が進められ、徐々に管理職として働く妻も増加してきていますが、その陰で夫の幸福度低下という現象が起きていた可能性があります。 このような夫婦の一方の働き方がその配偶者に及ぼす影響に関しては、主に欧米で分析されてきました。欧米では主に夫婦いずれかの失業の影響が注目されてきました。 それらの分析では、失業の影響はもちろんそれを経験した本人において深刻ですが、家族にも及んでいる可能性があり、その影響を見落とすことは、失業の影響を過少に見積もっているのではないかという問題意識が持たれていました。 同じ議論は、女性活躍推進策による女性の管理職増加にも当てはまる可能性があります。 女性活躍推進策を進めることに注力するあまり、その負の側面が見落とされていたのではないでしょうか』、確かに「女性活躍推進策」の「負の側面」も検証すべきだ。
・『必要なのは働き方改革と性別役割分業意識のアップデート  さて、夫の幸福度が低下するからといって、女性活躍推進策の歩みを止めるのはナンセンスです。 女性活躍推進策は今後の日本にとって必要な政策であり、課題に対処しながら進めていくことが重要でしょう。 このために必要となるのは、妻が管理職として働くようになったとしても家族にしわ寄せがいかないワークライフバランス施策です。 また、これに加えて、夫側の性別役割分業意識のアップデートが必須となるでしょう。 (佐藤 一磨氏の略歴はリンク先参照)』、「女性活躍推進策は今後の日本にとって必要な政策であり、課題に対処しながら進めていくことが重要」、「このために必要となるのは、妻が管理職として働くようになったとしても家族にしわ寄せがいかないワークライフバランス施策です。 また、これに加えて、夫側の性別役割分業意識のアップデートが必須」、同感である。
タグ:女性活躍 (その25)(全国紙初の女性政治部長が「女性活躍社会なんて 絵空事でしかない」と言い切る深い理由 セクハラを反省しない「オッサン社会」の深い病、妊娠中に大臣就任「政治家」も産育休取る国の凄み フィンランドでは誰もが当たり前に取得する、「専業主婦をもつ夫は幸福度が高く 管理職の妻をもつ夫は幸福度が低い」女性活躍の不都合な真実 妻は夫が出世したほうが 幸福度が高くなる) 東洋経済オンライン PRESIDENT Online「毎日新聞社論説委員の佐藤 千矢子氏による「全国紙初の女性政治部長が「女性活躍社会なんて、絵空事でしかない」と言い切る深い理由 セクハラを反省しない「オッサン社会」の深い病」 佐藤 千矢子『オッサンの壁』(講談社現代新書) 「福田氏は事実関係を否定したまま、省内を混乱させた責任をとって辞任」、当然だ。 「このケースでの記者への批判は問題すり替えの意図を感じ、賛同できない。録音は被害者として他に訴える方法がなく、やむを得ず証拠として提出したのであり、記者の倫理の問題とは別に被害救済が議論されるべきだ」、同感である。 やはり彼女がやったように週刊誌に書かすのが一番だろう。 やはり何らかの形で世の中に訴えるべきだ。 「「放送局の現場で働く多くの女性は、取材先や、制作現場内での関係悪化をおそれ、セクハラに相当する発言や行動が繰り返されてもうまく受け流す事を暗に求められてきた。たとえ屈辱的な思いをしても誰にも相談できないのが実態だ。この問題はこれ以上放置してはいけない」、その通りだ。 「セクハラという言葉が定着することによって、「セクハラはしてはいけない行為だ」「被害女性に非はなく悪いのはあくまでも加害男性だ」ということが社会の共通認識になれば、被害を訴えやすくなるし、報告を受けた上司が対応せざるを得なくなる。大きな違いだ」、なるほど。 「男性の側も、迷いながら対応しているということなのだろう」、あり得る話だ。 「「働く男女の比率」が近づけば解決される」、確かにその通りなのかも知れない。 「既婚女性ならば夫が乗り出してきて大事になるかもしれない、といった計算が無意識に働いているのではないか。そんなふうに私は見ている」、なるほど。 「セクハラ」対象と「自分の娘」は初めから「分けて考えている」からこそ、「セクハラ」する気になるのだろう。 やはり「セクハラ」には厳罰化が必要なようだ。 堀内 都喜子氏による「妊娠中に大臣就任「政治家」も産育休取る国の凄み フィンランドでは誰もが当たり前に取得する」 フィンランド 幸せのメソッド 子どもの有無が女性の仕事にほとんど影響していない 「法務省のもとには平等に関するオンブズマンが設置されており、法律のもと、人権が平等に扱われ、不適切、差別的なことがないよう監視している」、やはり「オンブズマン」が「監視」しているようだ。 「選挙で誰に投票するかを決める際に、性別は影響しないとの結果が出ている。以前は性別が投票理由の1つになりえたが、今は実力などの要素を重視するのだという」、「フィンランドでクオータ制が定められているのは、任命制の地方と政府の委員会のみ。選挙にクオータ制はないのに、約半数が女性になっているのだ」、本物のようだ。 「マリン政権を担う連立与党の党首5人が全員女性だと述べたが、これも別に不思議なことではない。どの党もほぼ半数以上の議員が女性なのだ」、「マリンも20歳から党に入って政治に携わっているし、ほかの党首たちも10年以上政界でキャリアを積んできている。当選回数は多くなくとも、まったくの素人というわけではなく、ある程度の時間をかけて地道に党の内外で信頼と人気を勝ち取ってきているのだ」、なるほど。 「日本」とは対極の「女性活躍」社会で、余りにも違いが大きいようだ。 PRESIDENT WOMAN 佐藤 一磨氏による「「専業主婦をもつ夫は幸福度が高く、管理職の妻をもつ夫は幸福度が低い」女性活躍の不都合な真実 妻は夫が出世したほうが、幸福度が高くなる」 「研究」の結果を知りたいものだ。 「ポジティブな影響」は確かに考えられる。 「ネガティブな影響」はもっとありそうだ。 実際のデータではどうなのだろう。 「妻が管理職の夫の幸福度は低い」、直感的な考え方と一致したようだ。 「専業主婦を持つ男性の幸福度が最も高い」、これも直感的な考え方と一致したようだ。 「夫が働いていない妻の幸福度は低い」、「洋の東西を問わず妻を悩ます種になっているようです」、なるほど。 確かに「女性活躍推進策」の「負の側面」も検証すべきだ。 「女性活躍推進策は今後の日本にとって必要な政策であり、課題に対処しながら進めていくことが重要」、「このために必要となるのは、妻が管理職として働くようになったとしても家族にしわ寄せがいかないワークライフバランス施策です。 また、これに加えて、夫側の性別役割分業意識のアップデートが必須」、同感である。
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いじめ問題(その13)(「旭川中2女子凍死」で認定された加害生徒の陰湿手口 大人たちの許されぬ行為も、大阪・泉南市でいじめ受けた中1生徒が自殺 市長が報告書「受け取り拒否」の怪、雨宮塔子が見た「フランスのいじめ対策」の本気度 学校でのいじめ撲滅に向けて「厳罰化」に動いた) [社会]

いじめ問題については、4月5日に取上げた。今日は、(その13)(「旭川中2女子凍死」で認定された加害生徒の陰湿手口 大人たちの許されぬ行為も、大阪・泉南市でいじめ受けた中1生徒が自殺 市長が報告書「受け取り拒否」の怪、雨宮塔子が見た「フランスのいじめ対策」の本気度 学校でのいじめ撲滅に向けて「厳罰化」に動いた)である。

先ずは、4月19日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した事件ジャーナリストの戸田一法氏による「「旭川中2女子凍死」で認定された加害生徒の陰湿手口、大人たちの許されぬ行為も」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/301842
・『北海道旭川市で昨年3月、中学2年の広瀬爽彩さん(当時14)が凍り付いた遺体で見つかり、その後に上級生らによる性的行為の強要などが明らかになった問題を受け、第三者調査委員会は15日、7人が関わった6項目について「いじめ」と認定する中間報告を公表した。中学校や市教育委員会は隠蔽(いんぺい)を図ろうとしたものの「文春砲」によって暴かれた事実は、おぞましい行為の数々だった』、興味深そうだ。
・『精神的に追い詰め性的行為を強要  本稿に入る前に、広瀬さんに心からお悔やみを申し上げます。 広瀬さんは気温が氷点下17℃だった昨年2月13日に失踪し、同3月23日に雪の積もる公園で凍死しているのが見つかった。失踪当日に死亡したとみられる。文春オンラインが同4月15日、広瀬さんが性的行為を強要されていたなどと報道し、問題が表面化した。 第三者委の報告によると、7人はいずれも上級生で、同じ北星中学に通っていた男子生徒(A、B、C)と女子生徒(D)、別の中学に通っていた男子生徒(E)と女子生徒(F、G)。 6項目は下記の通りだ。 (1)A、B、Cは2019年4月、広瀬さんも含めたLINEのグループ通話で性的なやりとりを繰り返し、Aは性的な意味で広瀬さんの体を触った。 (2)3人は同4~5月、深夜や未明に公園に集まろうと連絡したが、自分たちは行くつもりがなかったのに広瀬さんには伝えなかった。 (3)Dは同5~6月、お菓子などの代金を負担させる行為を繰り返した。 (4)Eは同6月3日、性的な話題を長時間にわたって続け、性的な動画の送信を繰り返し求めた。 (5)C、D、E、F、Gは同6月15日、広瀬さんに性的行為に関する会話をした上、性的な行為をするよう要求、あるいは静観していた。いずれも広瀬さんが性的行為をする状況を見ていた。 (6)Eは同22日、広瀬さんをからかい、嫌がる反応をした後も繰り返した。広瀬さんがパニック状態になった後も、Dは突き放すような発言をした――などとしている。 全国紙社会部デスクによると、(2)では午前4時に公園に呼び出され、母親が止めても「行かなきゃ」とパニックになったこともあった。(3)では、別の友人に負担させられた具体的な金額を挙げて相談していた。 (4)では「裸の画像を送って」「(送らないと)ゴムなしでやる」などとしつこく要求され、恐怖のあまり送ってしまったらしい。 (5)では公園に居合わせた小学生らに「裸の画像を送らされたり、わいせつなやりとりをしたりしていた」と教え、さらに「いま、ここでやってよ」と強要。取り囲まれた広瀬さんは逃げることもできなかった。 (6)はウッペツ川の土手で「画像を流す」とからかい、広瀬さんは「死ぬから画像を消して」と懇願。2人は「死ぬ気もないのに死ぬとか言うな」とさらに詰め寄り、広瀬さんはパニックになって川に飛び込んだとされる。 6項目は「確認された」だけだが、ほかにも表面化していない事案があっただろうことは想像に難くない』、おぞましい行為をよくぞここまでやったものだと、呆れるばかりだ。
・『母親に「頭おかしいのか」とせせら笑った教頭  前述のデスクによると、加害者側は画像や動画をSNSで拡散していた。 「自分の中学だけでなく、ほかの学校の人たちも自分の画像や動画を持っている」。その事実は思春期の女子中学生がどれほど恥ずかしく、怖かったことだろう。加害者側はそこにつけ込み、時に脅し、からかい、あざけり、精神的に追い詰めていったわけだ。 北星中学入学時から(6)までの間、広瀬さんは担任教師に相談した。 だが「相手に内緒で」と約束したのに、その日のうちに相手に話してしまい、いじめがエスカレート。母親も「ママ、死にたい」「いじめられている」と漏らすようになった娘を案じ、学校に指摘したが「遊びだった」「いたずらの度が過ぎただけ」と、まともに取り合わなかった。 対応に当たった教頭は「加害者10人と、被害者1人の未来、どっちが大切ですか。1人のために10人をつぶしていいんですか。どちらが将来、日本のためになるか冷静に考えてください」と加害者側を擁護。 さらに「これ以上、何を望むのか」と逆ギレし、母親が「できないのは分かっているが、娘の記憶を消してください」と求めると、教頭は「頭がおかしくなったんですか。病院に行ったほうがいい」とせせら笑ったという。 しかし(6)の目撃者が警察に通報し、経緯を調べた旭川中央署が一連の実態を把握することとなった。加害者側は画像を削除するなどして証拠隠滅を図ったが、同署がデータを復元し画像や動画を発見した。 母親は警察から事実関係を知らされた上、画像や動画を提示されて強いショックを受けたという。広瀬さんは(6)で病院に搬送され入院していたが、北星中学を信用できなくなっていたため退院後の8月、別の中学に転校した。 その後も広瀬さんは心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しみ、過呼吸やおう吐、突然「先輩、許して」「殺してください」などと叫んだり、卒倒したりすることがあった。転校先にも通えずにいた。 そして昨年2月13日、自宅から行方不明になり、3月23日に変わり果てた姿で見つかった。葬儀には北星中学の関係者は誰も参列しなかったという』、「北星中学」側の対応は余りに酷過ぎる。特に、「教頭」の「頭がおかしくなった」との言い分は、むしろ「教頭」の方に適合するように思える。
・『いじめ「重大事態」の認定を市教委が避けたかった理由  一方(6)を受け、市教委は北海道教委に「いじめ」が原因で発生したのではなく、「わいせつ・自殺未遂事案」として報告。その後も道教委からの広瀬さんに対する聞き取りなどを要請されても、加害者側の主張を追認して「いじめ」の存在を否定し続けた。 前述のデスクは「いじめ防止対策推進法に基づく『重大事態』と認定したくなかった半面、わいせつ問題をすんなり認めたのは、過去に隠蔽を図り失敗したトラウマがあるのでしょう」と解説した。 推進法は、学校や市教委の隠蔽や責任逃れをしたことが原因で起きた「大津市中2いじめ自殺事件」が契機となって成立した。この重大事態に認定すると、警察を含めた関係各所との連携など、とにかく「大事」になる。学校や教委としても不名誉で、北星中学や市教委が認定を避けたかったという思惑があっただろうことは推測できる。 一方の「トラウマ」だが、旭川市では1996年、市立中学2年の男子生徒複数が特定の女子生徒にセクハラ行為を繰り返した末、エスカレートして強姦(かん)事件にまで発展。学校は女子生徒から相談を受けていたがスルーし、事件後も隠蔽を図ったことが発覚して批判を浴びた。 今回の問題は、北星中学の教諭らが広瀬さんの相談にきちんと耳を傾けて対応し、再発防止に努めて心のケアに取り組んでいれば避けられた悲劇だ。結局のところ、北星中学や市教委は大津や前回の事件から、何も学んでいなかったということだ』、「わいせつ問題をすんなり認めた」割に、「警察」はこれで捜査してないようだ。
・『教育委が言う「いじめ」 実態は悪質な犯罪(今回の問題は「いじめかどうか」がクローズアップされたが、教育委員会などが言う場合の「いじめ」は、表現をオブラートに包むための言い回しで、実態は悪質な犯罪である。 たとえば(1)殴ったり蹴ったりすれば「暴行罪」、(2)けがをさせれば「傷害罪」、(3)金銭を脅し取れば「恐喝罪」、(4)万引などを命じれば「強要罪」、(5)私物を持ち去って隠せば「窃盗罪」、(6)「死ね」などと脅せば「脅迫罪」、(7)私物に落書きすれば「器物損壊罪」――などに該当する。 今回はどうか。旭川中央署はEの行為について児童買春・ポルノ禁止法違反(製造、所持)に抵触すると判断したが、当時14歳未満だったため刑事責任を問えず、「触法少年」として厳重注意にとどまった。ほかの上級生らも同法違反(所持)などで調べたが、いずれも証拠不十分でおとがめなしだった。 意図していたのかどうか不明だが、ある意味で陰湿かつ巧妙だったともいえる。筆者は数年前、懇意にしていた警視庁で少年事件を長く担当してきた刑事に「昔は殴ったり蹴ったりという物理的ないじめが多かったが、最近は精神的に追い詰める陰湿な手口が多い」と聞いたことがあった。まさに今回のようなケースなのだろう。 今回、加害者側は誰一人として罪に問われなかったが、彼らが広瀬さんを死に追いやったのは誰の目にも明らかだ。 加害者側は問題が発覚しそうになったとき、証拠隠滅を図ったり、口裏合わせをしていたりしていたとされる。問題発覚後も、一部の事実関係を認めながらも反省のそぶりはなく、謝罪も口にしていないという。 加害者が心から反省し、墓前で謝罪することが広瀬さんや母親、遺族らに対するせめてもの贖(しょく)罪だと思うのだが、無理な話なのだろうか』、「当時14歳未満だったため刑事責任を問えず、「触法少年」として厳重注意にとどまった。ほかの上級生らも同法違反(所持)などで調べたが、いずれも証拠不十分でおとがめなし」、証拠不十分とは調べ方が不徹底だからなのではなかろうか。「母親」は「教育委員会」や「北星中学」、加害少年らの親に対して損害賠償訴訟を提起すべきだろう。刑事責任は問えなくても、民事上の責任は果たしてもらうべきだ。

次に、7月12日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したジャーナリストの池上正樹氏による「大阪・泉南市でいじめ受けた中1生徒が自殺、市長が報告書「受け取り拒否」の怪」を紹介しよう。
・『2022年3月、大阪府泉南市で中学1年生(当時)の少年が自殺した。母親の手記には、少年が同級生から「少年院帰り」などとからかわれ、担任に助けを求めたことや、教員が「誰が言ったか分かるまで学校側は指導しない」といった趣旨の発言をしたことなどが記されている。この問題の真相を究明すべく、泉南市長の附属機関「泉南市子どもの権利条例委員会」が検証を行った。しかし検証後、泉南市の山本優真市長は、委員会からの報告書の受け取りを拒否した。31歳の山本市長は“全国最年少市長”として注目を集める人物だが、なぜ不可解な対応を取ったのか』、「市長直轄組織の調査報告書を市長本人が「受け取り拒否」」とは、ただ事ではない。どういう事情があるのだろう。
・『市長直轄組織の調査報告書を市長本人が「受け取り拒否」の怪  2022年3月18日、大阪府泉南市の中学校1年生だった男子生徒(以下、Aさん)が、不登校になってひきこもりを続けた末、自宅近くで自殺した。 小学校時代から学校への不適応感から不登校状態だったAさんは、中学で同級生などから「少年院帰り」などと言われ、教師に相談したものの対応してもらえず、亡くなる前に「生きていてもしょうがない」などと漏らすようになっていたという。 この問題を受け、泉南市長の附属機関である「泉南市子どもの権利条例委員会」(吉永省三会長)が「子どもの権利条例」に基づく検証を行った。 しかし検証終了後、泉南市の山本優真市長は、附属機関である委員会からの報告書の受け取りを拒否するという「聞いたことのない」(総務省の担当者)対応を取り、事態は混迷を極めている。 山本市長は1990年生まれの31歳。22年4月の市長選で初当選し、5月に就任した際に“全国最年少市長”として注目を集めた。 詳しくは後述するが、Aさんの自殺が山本市長の就任前であり、市長本人が「どこまで把握しているか分からない」(泉南市役所秘書広報課)状況であることが、行政側の対応の遅れにつながっているという。 Aさんの自殺の背景に、いったい何があったのか』、いくら山本市長の就任前の事件とはいえ、「附属機関である委員会からの報告書の受け取りを拒否するという「聞いたことのない」対応を取り」、非常識極まる行動だ。
・『「少年院帰り」「障がいやから」と言われ…「だから学校いややねん」  <「少年院帰り」「障がいやから」と言われ、だから学校いややねん> これは、自殺したAさんの母親が、亡くなる8カ月前の7月に子どもから聞いた言葉を書きとった手記だ(原文ママ、以下同)。 Aさんは小学校のとき不登校だったことから、そのまま進学する同級生の多かった中学で、こんな言葉をかけられていたという。 手記は、こう続く。 <令和3年9月夏休みあけすぐ担任にそのことをいうと、家に来てA(原文実名)と話す。その際も誰がいったと特定できないと指導できないという> 「誰が言ったか分かるまで、学校側は指導しない」という人ごとのような対応に、Aさんはどんな思いを抱いたのだろうか。中学入学後も不登校状態にあったAさんは、21年の9月中旬から2週間ほど学校に行けるようになるものの、ある日を境に再び行けなくなった。 その主な要因は、からかってくる同級生ではなく教師だったという」、 <その日に何があったのか本人にきくと、生徒が理由でなく、教師とはなす。担任かそれ以外の先生か聞くと、それ言うと分かってしまうから言えんという。担任に言われたか、行動か(※編集部注:「担任の発言、または態度に傷ついたのか?」という意味)と聞くが、最後までしゃべらず。ただそれから担任のことは拒絶する> 母親によると、Aさんが再び学校に行けなくなったとき、中学の担任が「話をしたい」と自宅を訪問した。Aさんは拒絶したものの、母親が説得して、担任と話し合うことになったという。 <担任がどうしたら学校にこれる?と聞いたので、本人は小学校のときのことをすべて生徒に話して欲しい、そうしたら年少帰りとか障がいとか言われへんし、自分のつらさもわかってもらえるというが、担任は先生1人で答えられんから管理者たちと相談し返答すると言って帰る。結局、管理者たちがあかんと言ってるからと言いに来るが、そこから担任に対しての完全な拒絶になる> 中学入学後、同じ小学校から一緒に上がった同級生にいじめを受け始めたAさんは、小学校時代に不登校になった要因について、中学の担任から同級生に説明してもらうことを望んだようだ。事情を広く理解してもらえれば、いじめは減ると考えていたとみられる。 では、小学校の時にいったい何があったのか』、「小学校時代に不登校になった」とはよほど深刻なことがあったのだろう。
・『Aさんが小学生時代に不登校になった要因は「担任からの暴力的指導」  母親によると、小学校時代、Aさんが学校に行けず家にいるとき、教師が自宅に来てドア越しに「学校に行こう」と手を引っ張られたことがあった。 また、抵抗すると背負い投げをされたり、「目を見ない」などの理由で何回も顎を持ち上げられたり、時間割表の入った封筒でたたかれたりした。母親がそのことに抗議すると、「たたくなんて、コミュニケーションの一環ですよ」と言われたという。 Aさんは小学校時代、こうした経緯で学校側への不信感をつのらせ、その後も不登校状態が続いた。 中学の担任に、このような事情を「すべて話してほしい」と望んだAさん。だが手記の通り、中学の担任は「周囲があかんと言ってる」という理由でそれを拒否した。 これがきっかけとなって、Aさんは中学の担任と会うことを完全に拒絶し、21年10月から再び不登校になった。 「別の中学に転校して頑張りたい」と市の教育委員会に直訴したこともあったが、「無理」と断られるばかりだったという。その頃から「生きてていいことない」「生きててもしゃーない」と漏らすようになり、家にひきこもることが続いた。 Aさんが亡くなったのは、それから約5カ月後のことだ。母親の手記はこう綴る。 <令和4年3月18日 仕事から帰ると、Aが10時ごろ家を出て行ったきり帰ってこないと兄がいう。すぐに警察に捜索依頼する> <令和4年3月19日 夕方警察から自宅近くで遺体が出たので、写真の確認をしてほしいと言われ、Aと確認する> わが子を失った母親が望んでいるのは、Aさんを自殺へと追い詰めた背景、すなわち「学校で何があったのか」を知ることだ』、「小学校の担任」が母親に「「たたくなんて、コミュニケーションの一環ですよ」と言われた」、とは信じられないような暴言だ。「中学の担任」にしてみれば、「小学校時代に不登校になった理由」は預かり知らぬところで、その説明を求めた「Aさん」やその親の要求には無理が多いと思われるが、「中学の担任」として可能な「説明」について、Aさんも交えて相談すべきだった。
・『泉南市の中1生自殺問題を巡る「三つの疑問点」  Aさんが自殺した問題について、筆者が特に疑問を覚えるポイントは三つだ。 一つ目は、全ての根源である小学校時代の担任の言動だ。教師がひきこもっている子の自宅に来て封筒でたたくことは、果たしてコミュニケーションの一環と言えるのだろうか。 二つ目は、中学入学後のAさんへのいじめに対する、中学校時代の担任の対応だ。母親の手記の通りだとすれば、「少年院帰り」「障がい」といった言葉を発した生徒を詳しく調べることもせず、「誰が言ったか分かるまで、学校側は指導しない」と突き放した態度を取ることは、果たして適切だったのだろうか。 そして三つ目は、教育委員会の対応だ。「泉南市子どもの権利条例委員会」が独自に調査結果をまとめたものの、市長が受け取りを拒否したことは冒頭で述べた。だが、これとは別に、泉南市教育委員会が問題の究明や行政側の対応の是正に動くこともできたはずである。 文部科学省が定める「子供の自殺が起きた時の背景調査の指針」には「児童生徒の自殺が,いじめにより生じた疑いがある場合は,いじめ防止対策推進法に規定する『重大事態』として,事実関係の調査など,必要な措置が法律上義務づけられる」と明記されている。 にもかかわらず、泉南市教育委員会事務局が、市の教育委員や校長会に対して事実関係を何も報告していないのはなぜなのか。 これらの疑問点のうち、最初の二つ(小中学校による一連の対応の是非)について学校側に取材したところ、泉南市教育委員会が「学校側の代理」として、以下のようなコメントを寄せた。 「もちろん当時の確認などはしているが、情報が一部なのか全貌なのかわからないところがあり、事実でないこともある」(教育部、以下同) 「自死なのかどうかとか、いじめが疑われるのかどうかとか、保護者から直接聞けていないので非常に制限がかかっている状態だが、情報は調べている。今後、あらゆる手段を使ってきちんと調べて対応していかないといけない案件だと思っている」 また、三つ目の疑問点(教育委員会が真相究明に動かない理由)についても泉南市教育委員会に取材したところ、「背景調査は行っているものの、保護者に会えないため、Aさんが自殺なのかどうかの死因を確認できていないので、そこから身動きが取れない状況にある」と説明した』、「泉南市教育委員会」は「母親」と話しをしていないのだろうか。「母親」の不信を買って話も出来ない関係になってしまったのだろうか。
・『市長が調査報告書「受け取り拒否」 その要因は「教育委員会からの指示」  冒頭で触れた「泉南市子どもの権利条例委員会」は現在、「報告書受け取り拒否」をはじめとする市長らの対応を受け、行政側への不信感を募らせている。 この問題の経緯を改めて説明すると、泉南市子どもの権利条例委員会はAさんが亡くなった後、「子どもの自死が学校生活と何らかの関係があると推測されるのに、教育委員会に報告もされず、何ら審議もしていないのは理解できない」として、2度にわたって意見書を冨森ゆみ子教育長あてに提出した。 そして7月1日、泉南市の山本市長に「子どもの権利条例に基づいて検証が求められる重大な課題」だとする最終報告書を手渡そうとした。だが山本市長は、直接受け取ろうとはしなかった。さらに、泉南市役所の秘書広報課長にも、報告書を受け取らないよう指示した。 総務省の担当者によると、市長の附属機関である委員会の報告書を、市長自らが受け取らない事例は「聞いたことがない」という。 その経緯について取材を試みたところ、泉南市役所秘書広報課が取材に応じ、以下のコメントを寄せた。 「教育委員会の事務局から『内容に法的な問題があるのではないか』と(市長に)報告があり、(その意見を聞き入れた)市長から報告書を受け取らないよう指示されたので、受け取らなかった。市長は報告書の内容を把握していない。3月の生徒の自死についても、市長は5月に就任したばかりでどこまで把握しているかわからない。(教育委員会の)事務局から、市長が報告書を読めるように権限を与えてほしい」 このコメントに含まれる「『報告書の内容に法的問題があるのではないか』と市長に報告した」という旨の事実関係を泉南市教育委員会に尋ねたところ、「概ねその通りだが、今はコメントできる状況ではない」と回答した。 行政側による一連の対応を受け、泉南市子どもの権利条例委員会は7月8日午後6時に大阪市内で特別研究会を開催し、報告書の全文を公開した。 公開された報告書には、Aさんの母親の手記を踏まえて、こんな文章が記されている。 「Aさんの生きようとした事実を、そこから受け止めようと読み返しました。学校や先生、教育委員会や市は、そして私たちの社会は、Aさんにとって、いったいどんな存在だったのでしょうか」 「なぜ当該子どもの自死を防ぎえなかったのか――この検証の一端を担うことが私たちに課せられています」』、問題はどうも「教育委員会」にあるようだ。「『報告書の内容に法的問題があるのではないか』と市長に報」、とはどういう意味なのだろう。いずれにしても、法治国としては信じ難いような出来事だ。余りに若過ぎる「市長」も、現場の教育委員会にいいように言いくるめられたようだ。

第三に、6月3日付け東洋経済オンラインが掲載したフリーキャスター/エッセイストの雨宮 塔子氏による「雨宮塔子が見た「フランスのいじめ対策」の本気度 学校でのいじめ撲滅に向けて「厳罰化」に動いた」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/592743
・『私が日本での3年弱に及ぶ帯のニュース番組の仕事を終えて、再びフランスに居を戻したのは2019年の夏のことです。 その年の秋に、日本でいう中学3年生になったばかりの息子の通う公立中学校を面談で訪れて、驚いたことがありました。 玄関ホールに、学校の創設者の肖像や理念が掲げられているのはわかるのですが、その隣に少なくない数の、いじめ防止を題材にしたポスターが貼られていたのです。 実写の、かなり踏み込んだシーンを描いたポスターに、この数年の間にフランスは「いじめ」という、それまではタブー視されてきた問題に切り込もうとしていると感じました』、「この数年の間にフランスは「いじめ」という、それまではタブー視されてきた問題に切り込もうとしていると感じました」、なるほど。
・『学校をあげていじめ防止の啓蒙  さらにその後、息子の高校進学を控えて、高校選びのためにサイトで情報を読みあさっていたとき、ある私立高校のウェブサイトにあった動画に心が揺さぶられました。在校生2人が、転校してきたある男子生徒がいじめを苦に自殺するまでの経緯を、2人で交互に語っていくのです。 5分ちょっとのショートムービーですが、語りと映像のリアルさに、それは2人が制作したフィクションだと気がつくまでかなりの時間を要しました。 学校をあげていじめ防止の啓蒙をしようとしている……。それは私が今まで見たことのなかったマニフェストでした。 フランスの教育省付調査局「DEPP」は2015年に、学校環境といじめ被害者の調査を行いました。それによると、児童生徒全体の10%近く、つまり70万人もの生徒が学校教育期間にいじめの被害に遭っているそうです。この数値はこの10年間でほとんど変動していないという調査結果に、当時衝撃を受けたことを覚えています。) これだけの被害者を毎年出し続けているから、フランスはいじめ問題を無視していると当時は糾弾されたのでしょうか。 例えばスカンディナビア諸国は10年以上にわたっていじめ問題への社会の意識を高め、いじめ予防のプログラムが作られてきたことによって、いじめを事実上根絶してきたと言われているのに対し、フランスはいじめ問題への対策に、それらの国々やカナダ、イギリスなどに比べてかなり遅れをとっていたのです。 というのはフランスの学校教育は学生たちの学校生活における幸福度より、知識の伝達をつねに優先してきました。また、前述したようにいじめ問題はタブーとされてきた風潮があり、実際に先生方がいじめに気がついても見て見ぬふりをするといった教職員や学校関係者の関与の欠如が、被害者の証言から明らかになっていたのです。 多民族国家ゆえ、いじめが人種や宗教的相違からくることもあり、ある意味日本よりも原因の根が深いこともあるかもしれません。ですが、それでもかつてある被害者の両親が学校に相談した際、学校側の及び腰の姿勢に、告訴もやむをえないと言うと、主任教諭からそのいじめ問題が学校名と関連付かないようにしてほしいと頼まれたという証言に愕然としました。こういった問題を隠蔽したがる風潮、体質の深刻さには言葉がありませんでした』、「スカンディナビア諸国は10年以上にわたっていじめ問題への社会の意識を高め、いじめ予防のプログラムが作られてきたことによって、いじめを事実上根絶してきたと言われているのに対し、フランスはいじめ問題への対策に、それらの国々やカナダ、イギリスなどに比べてかなり遅れをとっていたのです。 というのはフランスの学校教育は学生たちの学校生活における幸福度より、知識の伝達をつねに優先してきました。また、前述したようにいじめ問題はタブーとされてきた風潮があり、実際に先生方がいじめに気がついても見て見ぬふりをするといった教職員や学校関係者の関与の欠如が、被害者の証言から明らかになっていたのです」、「フランス」は「日本」と似たところもあったようだ。
・『手をこまねいていたわけではない  もちろん、フランス政府はいじめ問題に何の手だても講じてこなかったわけではないのです。2011年の実態調査でいじめによる被害が明らかになったことで、2013年には学校での対処の仕方が国家の対策として規定されました。 その文書にはいじめが疑われる状況を6種類に想定し、それぞれの場合での初動対応の仕方や被害者、加害者の保護者との面談要領(被害者の保護者には学校の対応と児童保護の具対策を伝え、加害者の保護者には状況と懲罰内容を伝え、問題を修復する方法をともに考える)、また目撃者の保護者とも場合によっては面談することなどが明示してあります。 また、加害の危険度が高い場合には地方評議会や裁判所へ連絡することや、事後フォローの仕方も5項目にわたって述べられています。 確かに、この10年の間に学校でのいじめ撲滅の措置が取られていることを実感することがありました。 知人の話ですが、彼女の娘さんが中学生の頃、3人の女友達から急に意地悪をされたり、無視されることが続いたことがありました。娘さんからその事を聞いた彼女は、事情を説明するためすぐに担任の先生と面談の約束をとりつけたそうです。 彼女が面談で学校を訪れたとき、偶然にもくだんの生徒3人とすれ違ったのですが、彼女はいつもと変わらぬ態度でその生徒たちとあいさつを交わして、担任の先生との面談に臨みました。驚いたことに、その面談の数時間後には彼女の娘さんとくだんの生徒3人、担任の先生と生活指導の先生とを交えた面談の場が設けられたのだそう。 エスカレーター式のその学校でいじめ加害者のレッテルを貼られることがどういうことになるのか、3人のうちの1人はすぐに気がついたようで、彼女の娘さんにその場で謝りました。ほかの2人は、娘さんの態度に不満があったといった旨を口にしながらも、最終的にはもういじめをしないと約束したそうです。) 「報復のようなことにはならなかった?」 私の問いに彼女は首を振り、いじめ加害者の生徒たちが彼女の姿を校内でみとめて、その数時間後に面談に召集されたことで、いじめ問題には親や学校がすぐに立ち上がることを痛感したのだろうと言っていました。国が学校に課した規定にあるように、事後フォローが厚いことも、再発予防に貢献しているのかもしれません。 こうして国が対応策を定め、学校や地方教育委員会の専門官と連携してきたのにもかかわらず、実はいじめ被害者数が減ることはありません。フェイスブックやスナップチャットといったSNSで、当事者以外に気づきようのないいじめが急増していることが主な要因です。その被害は2015年には4.1%だったのが、2018年には倍以上の9%に増加しているのです。 また、学校でいじめに遭っている生徒の22%が誰にも打ち明けられないという調査結果も出ています。学校にいじめの事例を通告するのを躊躇する場合や、通告しても学校の対応が不十分な場合には、通常のいじめとネットいじめ、それぞれ無料電話相談窓口にかければ、いじめ専門官による助言を受けられます。 具体的な対策が必要と判断されれば、相談者の通う学校にはもちろん、全国31の地方教育委員会に報告されます』、「2013年には学校での対処の仕方が国家の対策として規定」、これはに「日本」よりはるかに先をいっているようだ。
・『いじめ被害者対象の保険も  2021年には3歳から23歳までのいじめ被害者を対象とした保険も売り出されました。3歳からという低年齢に驚かされますが、月額1,50ユーロ、年額18ユーロという低価格で法的保護や治療的サポート、いじめによる学校中退者には個人授業への財政的サポートなどが提供されています。ネット上に書かれた悪い噂や評判をも一掃することが可能とのこと。 同じくネットいじめが加速する日本でも適用できるのではと思いました。 こうした、いじめ問題に対するフランスの本気の姿勢を最終的に明示したのが、学校でのいじめの“厳罰化”です。 例えば、いじめ被害者を自殺、または自殺未遂に追い込んだ場合には、最高で懲役10年と15万ユーロ(約2085万円)の罰金が科されるといった容赦のない罰則は、日本のメディアでも驚きをもって報じられていました。 この罰則にはフランス国内でも厳罰化の効果を疑問視する声があがっていますが、フランスが世界で最も厳しいいじの罰則を敷いた事を、ブランケール教育相は「共和国の価値観を徹底させるための手段」と言っています。 厳罰化がいじめ防止につながるかは注視が必要ですが、“共和国の価値観” をここまで鮮明にする姿勢には、「いじめ防止対策推進法」の法令の遵守ですらあやふやな日本の国籍を持つ者として、胸がすく思いがするのです』、「厳罰化がいじめ防止につながるかは注視が必要ですが、“共和国の価値観” をここまで鮮明にする姿勢には、「いじめ防止対策推進法」の法令の遵守ですらあやふやな日本の国籍を持つ者として、胸がすく思いがする」、同感である。
タグ:おぞましい行為をよくぞここまでやったものだと、呆れるばかりだ。 戸田一法氏による「「旭川中2女子凍死」で認定された加害生徒の陰湿手口、大人たちの許されぬ行為も」 ダイヤモンド・オンライン いじめ問題 (その13)(「旭川中2女子凍死」で認定された加害生徒の陰湿手口 大人たちの許されぬ行為も、大阪・泉南市でいじめ受けた中1生徒が自殺 市長が報告書「受け取り拒否」の怪、雨宮塔子が見た「フランスのいじめ対策」の本気度 学校でのいじめ撲滅に向けて「厳罰化」に動いた) 「北星中学」側の対応は余りに酷過ぎる。特に、「教頭」の「頭がおかしくなった」との言い分は、むしろ「教頭」の方に適合するように思える。 「わいせつ問題をすんなり認めた」割に、「警察」はこれで捜査してないようだ。 「当時14歳未満だったため刑事責任を問えず、「触法少年」として厳重注意にとどまった。ほかの上級生らも同法違反(所持)などで調べたが、いずれも証拠不十分でおとがめなし」、証拠不十分とは調べ方が不徹底だからなのではなかろうか。「母親」は「教育委員会」や「北星中学」、加害少年らの親に対して損害賠償訴訟を提起すべきだろう。刑事責任は問えなくても、民事上の責任は果たしてもらうべきだ。 池上正樹氏による「大阪・泉南市でいじめ受けた中1生徒が自殺、市長が報告書「受け取り拒否」の怪」 「市長直轄組織の調査報告書を市長本人が「受け取り拒否」」とは、ただ事ではない。どういう事情があるのだろう。 いくら山本市長の就任前の事件とはいえ、「附属機関である委員会からの報告書の受け取りを拒否するという「聞いたことのない」対応を取り」、非常識極まる行動だ。 「小学校時代に不登校になった」とはよほど深刻なことがあったのだろう。 「小学校の担任」が母親に「「たたくなんて、コミュニケーションの一環ですよ」と言われた」、とは信じられないような暴言だ。「中学の担任」にしてみれば、「小学校時代に不登校になった理由」は預かり知らぬところで、その説明を求めた「Aさん」やその親の要求には無理が多いと思われるが、「中学の担任」として可能な「説明」について、Aさんも交えて相談すべきだった。 泉南市の中1生自殺問題を巡る「三つの疑問点」 小学校時代の担任の言動だ。教師がひきこもっている子の自宅に来て封筒でたたくことは、果たしてコミュニケーションの一環と言えるのだろうか 二つ目は、中学入学後のAさんへのいじめに対する、中学校時代の担任の対応だ 三つ目は、教育委員会の対応 「泉南市教育委員会」は「母親」と話しをしていないのだろうか。「母親」の不信を買って話も出来ない関係になってしまったのだろうか。 問題はどうも「教育委員会」にあるようだ。「『報告書の内容に法的問題があるのではないか』と市長に報告」、とはどういう意味なのだろう。いずれにしても、法治国としては信じ難いような出来事だ。 余りに若過ぎる「市長」も、現場の教育委員会にいいように言いくるめられたようだ。 東洋経済オンライン 雨宮 塔子氏による「雨宮塔子が見た「フランスのいじめ対策」の本気度 学校でのいじめ撲滅に向けて「厳罰化」に動いた」 「この数年の間にフランスは「いじめ」という、それまではタブー視されてきた問題に切り込もうとしていると感じました」、なるほど。 「スカンディナビア諸国は10年以上にわたっていじめ問題への社会の意識を高め、いじめ予防のプログラムが作られてきたことによって、いじめを事実上根絶してきたと言われているのに対し、フランスはいじめ問題への対策に、それらの国々やカナダ、イギリスなどに比べてかなり遅れをとっていたのです。 というのはフランスの学校教育は学生たちの学校生活における幸福度より、知識の伝達をつねに優先してきました。また、前述したようにいじめ問題はタブーとされてきた風潮があり、実際に先生方がいじめに気がついても見て見ぬふりをするといった教 「2013年には学校での対処の仕方が国家の対策として規定」、これはに「日本」よりはるかに先をいっているようだ。 「厳罰化がいじめ防止につながるかは注視が必要ですが、“共和国の価値観” をここまで鮮明にする姿勢には、「いじめ防止対策推進法」の法令の遵守ですらあやふやな日本の国籍を持つ者として、胸がすく思いがする」、同感である。
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愛国、ナショナリズム(その2)(日本会議 なぜ憲法改正1000万人の署名を集められたのか、「愛国」とは自国礼讃ではない…日本を「溺愛」する人に伝えたいこと 「愛国」という考え方の歴史、世界で高まるナショナリズムが「危険な宗教」である理由 佐藤優氏が解説) [社会]

愛国、ナショナリズムについては、2018年6月25日に取上げた。久しぶりの今日は、(その2)(日本会議 なぜ憲法改正1000万人の署名を集められたのか、「愛国」とは自国礼讃ではない…日本を「溺愛」する人に伝えたいこと 「愛国」という考え方の歴史、世界で高まるナショナリズムが「危険な宗教」である理由 佐藤優氏が解説)である。

先ずは、2018年12月1日付けNEWSポストセブン「日本会議 なぜ憲法改正1000万人の署名を集められたのか」を紹介しよう。
https://www.news-postseven.com/archives/20181201_811024.html?DETAIL
・『第二次安倍政権の6年間で急速にその勢力を拡大させた組織がある。「日本会議」なる保守系団体だ。会員は約3万8000人(2016年時点)。政界には『日本会議国会議員懇談会』があり、衆参約280人が加入している。 2014年10月からはJR東海の葛西敬之・名誉会長(78)らが代表発起人となって「美しい日本の憲法をつくる国民の会」を結成して国民運動を展開し、わずか4年で憲法改正に賛同する1000万人以上の署名を集めた。短期間のうちにこれだけの運動体を組織したオルガナイザーは誰なのか。組織の編成も、さらには任意団体のために資金力や経理も明らかにされていない。『日本会議の正体』の著書があるジャーナリスト・青木理氏が語る。 「事務総長として組織運営を仕切っているのは椛島有三氏(かばしまゆうぞう・73)。学生運動が激しかった1960年代に宗教団体『生長の家』が設立した右派の学生組織『生長の家学生会全国総連合(生学連)』で椛島氏は活動し、日本会議の前身の『日本を守る国民会議』の事務局長になった」 一番の謎は、どのように運動を拡大して国民に浸透し、どこまで組織の実体があるのかという点だろう。 「日本会議の活動を下支えしているのは全国約8万社の神社を傘下に置く神社本庁と右派の神道系の新興宗教団体。日本会議は独自の組織で活動しているというより、宗教右派の統一戦線と捉えた方がいい。改憲署名集めも神社の境内などで行なわれてきた」(青木氏)) 第二次安倍政権の6年間で急速にその勢力を拡大させた組織がある。「日本会議」なる保守系団体だ。会員は約3万8000人(2016年時点)。政界には『日本会議国会議員懇談会』があり、衆参約280人が加入している。 2014年10月からはJR東海の葛西敬之・名誉会長(78)らが代表発起人となって「美しい日本の憲法をつくる国民の会」を結成して国民運動を展開し、わずか4年で憲法改正に賛同する1000万人以上の署名を集めた。短期間のうちにこれだけの運動体を組織したオルガナイザーは誰なのか。組織の編成も、さらには任意団体のために資金力や経理も明らかにされていない。『日本会議の正体』の著書があるジャーナリスト・青木理氏が語る。 「事務総長として組織運営を仕切っているのは椛島有三氏(かばしまゆうぞう・73)。学生運動が激しかった1960年代に宗教団体『生長の家』が設立した右派の学生組織『生長の家学生会全国総連合(生学連)』で椛島氏は活動し、日本会議の前身の『日本を守る国民会議』の事務局長になった」 一番の謎は、どのように運動を拡大して国民に浸透し、どこまで組織の実体があるのかという点だろう。 「日本会議の活動を下支えしているのは全国約8万社の神社を傘下に置く神社本庁と右派の神道系の新興宗教団体。日本会議は独自の組織で活動しているというより、宗教右派の統一戦線と捉えた方がいい。改憲署名集めも神社の境内などで行なわれてきた」(青木氏)) 生長の家を支持基盤に国会に出た村上正邦・元自民党参院議員会長は日本会議の「生みの親」とされるが、過去、本誌・週刊ポストに対し、〈安倍政権の側近連中が、ことあるごとに発言するから、大きな力になっていくんですよ。地方議会においては、椛島あたりのシニア部隊が議員をオルグしていくから、議会がそれ(日本会議)に従うような構図が生まれてくる〉と分析している。 国会議員懇談会も、安倍内閣では“お友達”である懇談会メンバーが大臣の多くを占めていることから、入閣希望者が我も我も……と入会した傾向がある。 “強大な保守系団体”という印象ばかりが巨大化した日本会議。だが、現実には1000万の署名を集めるようになった。しかし、それが具体的にどのような政治力を持っているのかが依然として見えないこともまた“当世フィクサー像”の変化といえる』、「日本会議」については、このブログで取上げたのは、新元号問題で2019年4月3日、日本の政治情勢で2019年9月17日、右傾化では2016年6月16日、2016年10月9日、2020年4月7日、2021年4月1日tp、極めて多く取上げた。母体の「神社本庁」は内部がガタついているようだ。先日亡くなった「JR東海」の「葛西敬之・名誉会長」「らが代表発起人となって「美しい日本の憲法をつくる国民の会」を結成して国民運動を展開し、わずか4年で憲法改正に賛同する1000万人以上の署名を集めた」、凄い手際だが、「日本会議」のみならず、「葛西敬之」氏らの力量が大きかったのだろう。

次に、2019年8月31日付け現代ビジネスが掲載したオタゴ大学教授の将基面 貴巳氏による「「愛国」とは自国礼讃ではない…日本を「溺愛」する人に伝えたいこと 「愛国」という考え方の歴史」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66844?imp=0
・『「愛国」という言葉、使用頻度の激増  日韓関係が緊張を増している今日、日本国内で愛国ムードが高まっている。それが証拠に、ツイッターでは分刻みで「愛国」という言葉が飛び交っている。しかし、愛国への関心の高まりはごく最近の現象ではない。 最近公刊した拙著『愛国の構造』(岩波書店)で指摘したように、「愛国」という用語を含む雑誌記事は、1990年代後半から戦後初めて急激に増加し始めた。教育基本法改正問題で揺れた2006年にピークに達したのちは、やや沈静化の傾向が見られる。しかし、現在でも、戦後まもなくのレベルを超える高水準を保っていることにかわりはない(図参照)。 現代では「愛国」という言葉をメディアで目にすることが、戦時中と変わらないほど日常的になっているといっても過言ではない。 だが、そもそも愛国的であるとはどういうことなのか。「愛国」とは、すなわち、ナショナリズムである、という理解が一般に広く流通している。しかし、このような認識は歴史的にいえば、必ずしも正しくないことを読者はご存知だろうか。『愛国の構造』と同時に刊行した拙著『日本国民のための愛国の教科書』(百万年書房)で平易に解説したが、その一部をここに粗描しよう』、興味深そうだ。
・『日本人はいつ「愛国」という言葉を使い始めたか  明治時代が幕を開けたとき、日本の政治的・知的リーダーたちにとって、日本が近代国家として出発するための課題のひとつとは、日本人一人ひとりに愛国心を一日も早く持たせることだった。すなわち、明治初期の日本人は、愛国心など全く持っていなかったのである。 なぜなら、明治初期の日本人の大半にとって、愛国心とはそれまで聞いたことのなかった概念だったからである。そもそも「愛国」という言葉は、徳川時代以前の文献にはほとんど登場しない。日本人の多くは1891(明治24)年になっても、思想家・西村茂樹が“日本人の7、8割は愛国心が何であるかもわからない”と慨嘆するような状態にあったのだ。 ところが、日清戦争を経た1890年代後半に入って事情は一変する。フランスの宣教師リギョールは1898(明治31)年にこう書いている。「世界に国を成すもの沢山あり、然れども日本人程愛国々々と叫ぶ者は未だ嘗て見たることなし」。世界には国がたくさんあるが、日本人ほど「愛国、愛国」と絶叫する国民は見たことがない、というのである。日本人が愛国的な国民に生まれ変わったのは20世紀が始まる寸前のことなのだ。 もともと日本人が「愛国心」を全く知らなかったのであれば、日本人の「愛国心」の起源はどこに求めるべきだろうか。明治時代の早い段階から、愛国心は政治家や知識人たちによって論じられたが、その場合、「愛国心」という日本語は「パトリオティズム」の翻訳である、という但し書きが必ずといってよいほど添えられている。明治のリーダーたちにとって「愛国心」とは、英語にいう「パトリオティズム(patriotism)」だったのである。「愛国心」は元来、ナショナリズムではないのだ』、「明治のリーダーたちにとって「愛国心」とは、英語にいう「パトリオティズム(patriotism)」だったのである。「愛国心」は元来、ナショナリズムではないのだ」、なるほど。
・『パトリオティズムとは何か  「パトリオティズム」とは、あまり聞きなれない言葉かもしれない。それは、ラテン語にいう「パトリア」つまり「祖国」に忠実である思想を意味する。ただし、ここにいう「祖国」とは、「先祖代々住んできた国」や、「故郷の山河や人々」を意味しない。 古代ローマの哲学者キケロは、「パトリア(祖国)」が「生まれ故郷」を意味するだけでなく、「自分が市民権を有する国」を意味すると述べた上で、「自分が市民権を有する国」という意味の「祖国」に忠誠心を発揮することこそが重要だと主張した。この「市民的祖国」のためには自分の命をも惜しまない自己犠牲をキケロは説いたのである。 この「市民的祖国」とは、キケロにとって、共和主義の主張の中核をなすものだった。共和主義とは、市民の自治を通じて、市民にとっての共通善(自由や平等といった政治的価値とそうした価値を実現するための政治制度)を守る主張である。したがって、キケロ以来、ヨーロッパにおいて、愛国心パトリオティズムとは、共和主義的な政治的価値やその価値を実現する政治制度に忠誠心を抱くべきだという主張や政治的姿勢を意味してきた。 視点を変えれば、愛国心パトリオティズムにとっての“敵”とは、市民の自由や平等を脅かす暴政である。西洋政治思想史における「暴政」という概念は、暴虐非道な政治を必ずしも意味しない。「暴政」とは、一部の人々が私利私欲の追求に走り、権力を乱用することで共通善を破壊し、政治が腐敗する事態を意味する。 したがって、愛国者パトリオットとは、元来、反体制側に属する人々を意味していた。なぜなら、体制側の人々こそが、私益のために権力を私物化しうる存在だからである。愛国心パトリオティズムとは、共通善を脅かす権力の乱用に抵抗する姿勢を意味したといってもよいであろう』、「愛国心パトリオティズムとは、共通善を脅かす権力の乱用に抵抗する姿勢を意味した」、ふーん。
・『ナショナリズムとパトリオティズムの違い  これに対し、ナショナリズムの語源は、ラテン語にいう「ナティオ(natio)」であり、「同郷の人々」や「言語や社会慣習を共にする人々の共同体」を意味した。「ナティオ」は中世末期から広く流通した概念である。実際、15世紀の中世ヨーロッパを支配したローマ教会では、「ナティオ」という同郷者団体が形成され、それらの間でいわば派閥抗争が見られた。この「ナティオ」が、のちに英語で「国民」や「民族」を意味する「ネイション(nation)」となったのである。 ナショナリズムとは広く定義すれば「ネイション」の独自性にこだわる主張や政治的姿勢を意味する。「ネイション」の中身は、同一ネイションのメンバーの間で共有する言語や社会慣習、文化や宗教、歴史などといった事柄であるために、異なる言語や文化、歴史などを有する他のネイションに対して潜在的に敵対関係にある。この点、パトリオティズムが「パトリア(祖国)」=共和主義的な政治的価値と制度にこだわるのと明らかに異なっている。 さらに、パトリオティズムの場合、共和主義的な価値やそれを保証する制度がある国であれば、自分の国に限らず他国でも「祖国」でありうると考える。言い換えれば、自分の国から市民の自由や平等が失われれば、自分の国でさえも、もはや「祖国」ではないと考えるのである。 この点、ナショナリズムの場合、同郷者の間で言語や文化、歴史を共有している点にこだわるのだから、自分の生まれ育った環境と「ネイション」とは切り離すことができない。したがって、自分の生まれ育った国がどれほど劣化し暴政の下にあっても、その国が自分にとってのネイションであることにかわりはない。このように、パトリオティズムとナショナリズムは、出自も性格も大きく異なる政治思想なのである』、「パトリオティズムとナショナリズムは、出自も性格も大きく異なる政治思想」、なるほど。
・『ナショナリズムとパトリオティズムの「合流」  では、現代日本では、なぜ“愛国心=イコールナショナリズム”という理解が一般的なのか。先に指摘したように、明治時代のリーダーたちは、「愛国心」が「パトリオティズム」の翻訳であることを自覚していた。それにもかかわらず、「愛国心」がナショナリズムを意味するかのような“すり替え”が起こったのは何故なのか。 それは、明治日本が西洋から輸入したパトリオティズムが、古典的な共和主義的なものではなく、ナショナリズムの影響を受けて変質したものだったからである。キケロ以来の古典的なパトリオティズムを〈共和主義的パトリオティズム〉と呼ぶとすれば、ナショナリズムの影響を受けたものは〈ナショナリズム的パトリオティズム〉と名付けることができる、別の代物なのだ。) 〈共和主義的パトリオティズム〉はヨーロッパの歴史において、古代から中世・ルネサンス、そして17世紀を通じて生き続けた、いわば“本家本元”のパトリオティズムである。 しかし、18世紀末期のフランス革命をきっかけとして、ナショナリズムとパトリオティズムの“合流”がおこる。フランス革命は、貴族や聖職者からなる特権階級が運営した旧体制(アンシャン・レジーム)を打倒すべく、中産階級や農民、手工業者などを含む第三身分の人々が立ち上がったことから発生した歴史的大事件である。第三身分の人々は、「愛国者パトリオット」であり「国民ネイション」であると自称し、革命運動を展開した。一方、特権階級の人々は、第三身分の人々を「愛国者パトリオット」や「国民ネイション」と呼んで敵視したのだ。 革命が進展を遂げるにつれて、革命政府は全てのフランス民衆に「フランス国民」としての意識を植え付けるために、様々な祝典、儀礼、教育をおこなった。特に重要だったのは、言語教育である。 フランスという国ではもともと、各地方の独自性が強く、地方ごとに話されていた言語すら異なっていた。フランス語という「標準語」を教え込むことで言語的な統一性を生み出したのである。さらに、「フランス国民の歴史」が歴史家たちによって書かれた。異なる地方の出身の、どの時代の歴史上の人物も、全て同じフランス人であるという認識がこうして形成された。 このようにフランスの言語や歴史、文化の統一性を追求する姿勢は、紛れもなくナショナリズムの性格を帯びている。しかし、その一方で、革命勢力が謳った政治的理想は人類普遍の自由と平等であり、その点では共和主義の伝統をも継承していた。つまり、フランス革命では、共和主義とナショナリズムとが同居していたわけである。 その結果、「パトリア(祖国)」観も変貌した。共和主義的な自由や平等という政治的価値は、フランス国民が“すでに実現したもの”と理解されたのだ。すなわち、共和主義的な「パトリア(祖国)」とナショナリズム的な「ネイション」とが等号で結ばれることとなった。こうして「祖国」という言葉には、その“国民ネイションの言語や文化、歴史”という意味も盛り込まれた。これが〈ナショナリズム的パトリオティズム〉である』、「フランス革命では、共和主義とナショナリズムとが同居していた」、「共和主義的な自由や平等という政治的価値は、フランス国民が“すでに実現したもの”と理解されたのだ。すなわち、共和主義的な「パトリア(祖国)」とナショナリズム的な「ネイション」とが等号で結ばれることとなった。こうして「祖国」という言葉には、その“国民ネイションの言語や文化、歴史”という意味も盛り込まれた。これが〈ナショナリズム的パトリオティズム〉である」、なるほど。
・『愛国は「自己礼讃」ではない  さて、フランス革命から80年ほどが経過した、明治初期の日本に流入したのは、〈共和主義的パトリオティズム〉と〈ナショナリズム的パトリオティズム〉の両方だった。前者は、自由民権運動を主導した植木枝盛うえきえもりらが主張し、後者は、日本の国際的独立を説いた福沢諭吉が採った政治的立場だった。 ふたつの立場の間で論戦が戦われた結果、〈共和主義的パトリオティズム〉が敗退したが、最終的に勝利を収めたのは〈ナショナリズム的パトリオティズム〉ではなかった。論争の果てに登場したのは、「忠君愛国」というスローガンだった。つまり、〈ナショナリズム的パトリオティズム〉に「忠君」つまり、天皇への忠誠を接合することで日本独自の「愛国心」が誕生したのである。 このような歴史的経緯を踏まえれば、なぜ現代日本では「愛国心」がナショナリズムと同一視されるのか、明白であろう。日本では、〈共和主義的パトリオティズム〉を明治時代に早々と捨て去り、「愛国心」をネイションの文化や歴史によって彩られるものとしてしまったのだ。 しかし、欧米においては、〈ナショナリズム的パトリオティズム〉の勢いに押されつつも〈共和主義的パトリオティズム〉の伝統は今日なお生き続けている。アメリカでは2017年に、ジャーナリズムの重鎮ダン・ラザーが愛国心を論じた書物を発表し、ベストセラーとなった。その書物は、“権力に対して異議申し立てをすることが愛国的である”と強調している。反体制派による政治権力への批判的態度こそが、本来の共和主義的愛国心パトリオティズムなのだ。 現代日本では、一般に「愛国者」を自認する人々とは、日本の文化や歴史を誇り、現政権を支持し「嫌韓」を叫ぶ体制派である。彼らは、〈ナショナリズム的パトリオティズム〉の信奉者たちである。 しかし、本来の「愛国心」とは政治権力の横暴から市民的自由と平等を守る〈共和主義的パトリオティズム〉である。〈共和主義的パトリオティズム〉は、自国を溺愛し、自国をひたすら誇りに思う自己礼讃とは無縁である。時の政府による権力行使が、市民的自由や平等を脅かしていないか、厳重に監視する態度にほかならない。 しかし、〈共和主義的パトリオティズム〉が今日なお息づいている欧米とは異なり、日本ではこれまで共和主義的愛国心パトリオティズムが根付くことはなかった。「愛国」が体制派の“専売特許”であるかのような傾向が日本では著しい所以である』、「日本では、〈共和主義的パトリオティズム〉を明治時代に早々と捨て去り、「愛国心」をネイションの文化や歴史によって彩られるものとしてしまったのだ」、特に「「忠君愛国」は捻じ曲げの最たるものだ。「「愛国」が体制派の“専売特許”であるかのような傾向が日本では著しい所以である」、やはり歴史的に捉える必要があるようだ。

第三に、本年6月29日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した作家・元外務省主任分析官の佐藤 優氏による「世界で高まるナショナリズムが「危険な宗教」である理由、佐藤優氏が解説」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/305578
・『ウクライナ戦争をきっかけに、第二次世界大戦後に確立した国際秩序は崩れつつあります。これから世界は、そして日本はどうなってしまうのか?われわれはいま、どう行動すべきなのか?作家の佐藤優さんは「この際重要なのは、ナショナリズムの力を正確に理解すること」だと言います。そこで今回は、佐藤優さんの新刊『国家と資本主義 支配の構造』(青春出版社)から、ウクライナ戦争をきっかけに世界中で高まる「ナショナリズム」について解説します』、興味深そうだ。
・『わたしたちはナショナリズムの意識に侵されている  2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻しました。この事件は、第二次世界大戦後に確立した国際秩序を、根本から崩す性格を帯びています。この際重要なのは、ナショナリズムの力を正確に理解することです。 ロシアの侵攻は、ウクライナの主権と国家の一体性を毀損する、国際法に違反する行為です。しかし、その構造的要因は、ウクライナにおける上からの民族形成政策と、民族よりも国家への忠誠を重視する帝国型のロシア国家体制の、軋轢にあると私は考えています。 「ナショナリズムの力」は、わたしたち日本人にも働いています。 尖閣諸島沖で中国海警局の船が挑発的な行動をとっているニュース映像を見て、彼らの行為に怒りを覚え、「圧力に屈するな」とか「力ずくでも相手をねじ伏せてしまえ」と憤ります。弱腰の政府の態度に、腹を立てることもあります。) しかし、中国や台湾の側にも言い分があります。すでに15~16世紀に、自国人によってこれらの島が発見された記録があるとして、日本側の主張する「先占の法理」(いずれの国にも属していない土地に関しては、先に支配を及ぼした国の領土とする考え方)は成り立たないと主張しているのです。 領土問題となると、政府も国民も、とてもナーバスになります。 しかしそもそも、いったいわたしたちのどんな価値判断が、われわれをナーバスにするのでしょうか? 動物は本能的に、「縄張り」に対して非常に敏感です。犬や猫、猿などの動物は、縄張りのなかのエサをとることで生存できているわけで、外敵が入ってくれば全力で威嚇し排除しようとします。生活の場を確保するために、外敵の侵入を許さないのです。人間も動物ですから、これは同じです。 ところが、犬や猫が「目に見える範囲の縄張り」だけを守ろうとするのに対して、人間は、行ったことも見たこともない土地までも守ろうとします。日本人のほとんどは、尖閣諸島に行ったことがないはずです。なのに、そこを守ろうとするのです。 行ったことも見たこともない尖閣諸島という「縄張り」を守ろうとするのは、子どものころからわたしたちが、「自分は日本人である」と教えられてきたためです。そういう価値判断の基準を持っているということです。だから日本の領海が侵犯されれば、許せないという気持ちになるのです』、「行ったことも見たこともない尖閣諸島という「縄張り」を守ろうとするのは、子どものころからわたしたちが、「自分は日本人である」と教えられてきたためです。そういう価値判断の基準を持っているということです。だから日本の領海が侵犯されれば、許せないという気持ちになるのです」、「領海が侵犯」への「怒り」は「教育」のなせるわざだ。
・『ナショナリズムとは、現代における一種の宗教である  「自分は日本人である」というような国民としての意識、国を守ろうという意識、こうした意識のことを「ナショナリズム」と言います。 領土問題のニュースを見て価値判断するとき、われわれにはナショナリズムの意識が、自然と働いているのです。 気をつけなければならないのは、この意識が本能的なものではなく、教育などによってあとから植え付けられた意識である、ということです。 わたしは「ナショナリズム」を、現代における一種の宗教だと考えています。 ナショナリズムは、日本語では「国家主義」「国民主義」「民族主義」と訳されています。自国の文化や歴史、政治体制を誇り、国内的にはその統一を図り、国外的にはその独立性を維持し強化しようとする動きです。一口にナショナリズムと言っても、その表れ方は、各国における歴史や慣習、政策などによって多種多様です。 つい先ごろまで、世界はグローバル化が進み、国家間のボーダーラインが曖昧になってきていました。おのずと、自国に対する国民の忠誠心も薄らいでいました。 ところが近年は、その反動として、ナショナリズムを煽ることで国家への求心力を高めようとする動きが、各国で起きています。とくに新型コロナウイルスの蔓延やウクライナ戦争によって、「自国優先主義」はより鮮明になりました。 国内でも、新型コロナ禍による不景気や失業で、国民には不平不満が溜まっています。国は、その不平不満が政府に向けられないよう、外交問題や領土問題など「国外」の問題に目を向けさせることで、国民のナショナリズムの意識を煽ろうとします。 このようにナショナリズムは、国家から意図的に操作されたり強められたりすることがあります。政府の外交政策や領土問題に関するニュースを見て、われわれはそれと気づかず無意識的に、ナショナリズムの意識を強めているのです。 現在、世界各国で起きているナショナリズムの高まりは、とても危険なことだとわたしは考えています。 ですからわれわれは、ナショナリズムという現代の宗教に完全に洗脳されてしまわないように、“マクロな視座”でこの現象をとらえ、突き放して見つめる必要があります』、「ナショナリズムという現代の宗教に完全に洗脳されてしまわないように、“マクロな視座”でこの現象をとらえ、突き放して見つめる必要があります」、同感である。
・『ナショナリズムがわかると、社会のカラクリが見えてくる  アーネスト・ゲルナー著『民族とナショナリズム』(加藤節 監訳、岩波書店、2000年)は、現代に蔓延するナショナリズムという現象を理解するために、マクロな視座を与えてくれる格好のテキストです。 アーネスト・ゲルナーは、1925年にフランスのパリでユダヤ人の家庭に生まれ、チェコスロバキアのプラハで育ちました。ナチス・ドイツのプラハ占領で、1939年に家族とともにイギリスに移住し、オックスフォード大学を卒業します。1962年からロンドン大学の哲学教授、1984年からケンブリッジ大学の社会人類学教授を勤めるなど、イギリスの哲学者、社会人類学者、歴史学者として、第一線で活躍した人です。 ゲルナーは、ナショナリズムについて、「産業社会の勃興のなかで、必然的に生まれてくる現象である」と説きます。 自分の国や、その伝統や文化を愛し、それを大切にする気持ちは、自然に湧き起こるもののように思えます。しかしゲルナーによれば、そういう気持ちは自然発生的なものではなく、国家の教育によって植え付けられた「後付け」の意識だ、と言うのです。 そしてなぜ、自国を愛する気持ち、すなわちナショナリズムの意識が国家にとって重要なのかというと、それが、その国の産業発展にとって都合が良いからに過ぎない、と言うのです。 『民族とナショナリズム』の与えてくれるマクロな視座によって、わたしたちは、メディアやSNSからの情報を受け取るだけでは見えてこない「社会のカラクリ」に気づくことができます』、「ゲルナーは、ナショナリズムについて、「自然発生的なものではなく、国家の教育によって植え付けられた「後付け」の意識だ、と言うのです。 そしてなぜ、自国を愛する気持ち、すなわちナショナリズムの意識が国家にとって重要なのかというと、それが、その国の産業発展にとって都合が良いからに過ぎない」、なるほど。
・『拝金教に出世教、現代に蔓延する“新宗教”から身を守れ  “現代の宗教”と言えるものは、「ナショナリズム」だけではありません。 わたしたちが、当たり前だとか当然だと思っている判断基準のなかには、じつは思い込みや妄信に過ぎないものが多々あります。 その1つが、お金への信仰です。 1万円札を実際につくるときのコストは、1枚あたり22~24円ほどだと言われています。この22~24円の紙が、1万円の価値を持つものとして、だれも疑うことなく市場で流通しているのです。 よくよく考えたら奇妙なことなのですが、日本国政府が通貨として認め、日本の人々、あるいは世界の人々が、「1万円の価値を持つものだ」と信じているからこそ、1万円札として成り立っているわけです。 このような「共同幻想」そのものが宗教的ではあるのですが、現代の資本主義社会においては、「お金は絶対的なもの」と多くの人に信じられています。愛情さえもお金で買える─。) そのように考える人が出てくるほど、お金は絶対的な価値を持つものとして君臨しています。 わたしは「拝金教」と呼んでいますが、みんながこの宗教による、ある種の洗脳を受けていると言えます。 近代以降、自然科学の発達とともに、それまで信じられていた伝統的な宗教の考え方ではなく、「合理的精神」が、人々のさまざまな価値判断の基準となっていきました。神によってこの世界がつくられたと本気で信じる人は少なくなり、神に変わる新たな価値観を求めて、人々はお金を拝んだり、国家を絶対視したりするようになります。 お金や国家への依存心は、産業社会の支配者である資本家や、国家の為政者にとっては、都合が良いことです。こうして人々は、それと知らずに社会のカラクリのなかに巻き込まれ、そこで植え付けられた価値観のなかでしか物事を判断できなくなっているのです。 『民族とナショナリズム』を読み解くことで、ナショナリズムという宗教に限らず、現代にはびこるさまざまな「宗教的なもの」を、俯瞰して見つめることができるようになります。 そうすることによってあなたは、人生を「呪縛するもの」から解き放たれることができるでしょう』、「お金や国家への依存心は、産業社会の支配者である資本家や、国家の為政者にとっては、都合が良いことです。こうして人々は、それと知らずに社会のカラクリのなかに巻き込まれ、そこで植え付けられた価値観のなかでしか物事を判断できなくなっているのです。 『民族とナショナリズム』を読み解くことで、ナショナリズムという宗教に限らず、現代にはびこるさまざまな「宗教的なもの」を、俯瞰して見つめることができるようになります。 そうすることによってあなたは、人生を「呪縛するもの」から解き放たれることができるでしょう』、なるほど。
・『◆本コラムの作者・佐藤 優氏の新刊が発売中! 『国家と資本主義 支配の構造』 佐藤 優著 青春出版社刊 2200円(税込)  ほとんどの大人が知らない、世の中の「残酷な真実」とは――? 資本主義とナショナリズムの現代に生きるわたしたちは、それと気づかず“支配の構造”に巻き込まれ、マインドコントロールされています。そしてこのなかで植えつけられた価値基準でしか、物事を判断できなくなっているのです。 現代社会で心折れずに生き抜くためには、“支配の構造”を見破り、自分の置かれている状況を俯瞰して見つめることが、とても重要になってきます。 佐藤優氏が、社会人類学者アーネスト・ゲルナーの名著『民族とナショナリズム』をテキストに、現代の“支配の構造”を解き明かし、だまされずに賢く生きるための思考法を伝授します』、時間ができたら読んでみたい。
タグ:将基面 貴巳氏による「「愛国」とは自国礼讃ではない…日本を「溺愛」する人に伝えたいこと 「愛国」という考え方の歴史」 現代ビジネス 「日本会議」については、このブログで取上げたのは、新元号問題で2019年4月3日、日本の政治情勢で2019年9月17日、右傾化では2016年6月16日、2016年10月9日、2020年4月7日、2021年4月1日tp、極めて多く取上げた。母体の「神社本庁」は内部がガタついているようだ。先日亡くなった「JR東海」の「葛西敬之・名誉会長」「らが代表発起人となって「美しい日本の憲法をつくる国民の会」を結成して国民運動を展開し、わずか4年で憲法改正に賛同する1000万人以上の署名を集めた」、凄い手際だが、「日本会 NEWSポストセブン「日本会議 なぜ憲法改正1000万人の署名を集められたのか」 愛国、ナショナリズム (その2)(日本会議 なぜ憲法改正1000万人の署名を集められたのか、「愛国」とは自国礼讃ではない…日本を「溺愛」する人に伝えたいこと 「愛国」という考え方の歴史、世界で高まるナショナリズムが「危険な宗教」である理由 佐藤優氏が解説) 「明治のリーダーたちにとって「愛国心」とは、英語にいう「パトリオティズム(patriotism)」だったのである。「愛国心」は元来、ナショナリズムではないのだ」、なるほど。 「愛国心パトリオティズムとは、共通善を脅かす権力の乱用に抵抗する姿勢を意味した」、ふーん。 「パトリオティズムとナショナリズムは、出自も性格も大きく異なる政治思想」、なるほど。 「フランス革命では、共和主義とナショナリズムとが同居していた」、「共和主義的な自由や平等という政治的価値は、フランス国民が“すでに実現したもの”と理解されたのだ。すなわち、共和主義的な「パトリア(祖国)」とナショナリズム的な「ネイション」とが等号で結ばれることとなった。こうして「祖国」という言葉には、その“国民ネイションの言語や文化、歴史”という意味も盛り込まれた。これが〈ナショナリズム的パトリオティズム〉である」、なるほど。 「日本では、〈共和主義的パトリオティズム〉を明治時代に早々と捨て去り、「愛国心」をネイションの文化や歴史によって彩られるものとしてしまったのだ」、特に「「忠君愛国」は捻じ曲げの最たるものだ。「「愛国」が体制派の“専売特許”であるかのような傾向が日本では著しい所以である」、やはり歴史的に捉える必要があるようだ。 ダイヤモンド・オンライン 佐藤 優氏による「世界で高まるナショナリズムが「危険な宗教」である理由、佐藤優氏が解説」 「行ったことも見たこともない尖閣諸島という「縄張り」を守ろうとするのは、子どものころからわたしたちが、「自分は日本人である」と教えられてきたためです。そういう価値判断の基準を持っているということです。だから日本の領海が侵犯されれば、許せないという気持ちになるのです」、「領海が侵犯」への「怒り」は「教育」のなせるわざだ。 「ナショナリズムという現代の宗教に完全に洗脳されてしまわないように、“マクロな視座”でこの現象をとらえ、突き放して見つめる必要があります」、同感である。 アーネスト・ゲルナー著『民族とナショナリズム』 「ゲルナーは、ナショナリズムについて、「自然発生的なものではなく、国家の教育によって植え付けられた「後付け」の意識だ、と言うのです。 そしてなぜ、自国を愛する気持ち、すなわちナショナリズムの意識が国家にとって重要なのかというと、それが、その国の産業発展にとって都合が良いからに過ぎない」、なるほど。 「お金や国家への依存心は、産業社会の支配者である資本家や、国家の為政者にとっては、都合が良いことです。こうして人々は、それと知らずに社会のカラクリのなかに巻き込まれ、そこで植え付けられた価値観のなかでしか物事を判断できなくなっているのです。 『民族とナショナリズム』を読み解くことで、ナショナリズムという宗教に限らず、現代にはびこるさまざまな「宗教的なもの」を、俯瞰して見つめることができるようになります。 そうすることによってあなたは、人生を「呪縛するもの」から解き放たれることができるでしょう』、なるほど。 国家と資本主義 支配の構造』 佐藤 優著 時間ができたら読んでみたい。
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スポーツ界(その35)(サッカー日本代表が惨敗で危機露呈 選手の発言に見る「致命的欠陥」とは、文春砲炸裂のフェンシング合宿 「筋違い批判」に反論の武井壮会長にエールを) [社会]

スポーツ界については、3月26日に取上げた。今日は、(その35)(サッカー日本代表が惨敗で危機露呈 選手の発言に見る「致命的欠陥」とは、文春砲炸裂のフェンシング合宿 「筋違い批判」に反論の武井壮会長にエールを)である。

先ずは、6月23日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの藤江直人氏による「サッカー日本代表が惨敗で危機露呈、選手の発言に見る「致命的欠陥」とは」を紹介しよう。
・『カタールワールドカップ開幕を5カ月後に控えた森保ジャパンで、致命的ともいえる問題が露呈した。国内4連戦に臨んだ6月の強化マッチシリーズを終えた直後に、切り札的な存在になりつつあるFW三笘薫(ユニオン・サンジロワーズ)が「チームとして決まり事のようなものを持たないといけない」と明言した。就任から4年がたとうとしている森保一監督のもと、特に攻撃面で共通認識が設けられていない現実を前にして、日本代表は何をすべきなのか』、「森保一監督」に対しては、かねてから批判が多かったが、「攻撃面で共通認識が設けられていない」には心底驚かされた。
・『チュニジアに惨敗した理由 チームに「約束事がない」  ホームで喫した惨敗を介して、森保ジャパンの現在地があぶり出された。カタールワールドカップ開幕まであと5カ月という時間を考えれば、暗たんたる気持ちにさせられる。 14日のチュニジア代表戦で0‐3と完敗し、キリンカップ優勝を逃した直後のオンライン会見。三笘が残した言葉は衝撃的であり、同時に「やはりそうだったのか」と思わせるものだった。 「ボールを持ったときに、チームとしてどのようにして攻めるのかという意識の共有とバリエーションが不足している。そういった部分の組み立て、というものをやっていかないと」 後半途中から左サイドアタッカーとして投入され、何度も果敢な仕掛けを披露。パナソニックスタジアム吹田を沸かせたドリブラーはこう振り返りながら、さらにこんな言葉を紡いだ。 「今日のような流れになって相手のカウンター攻撃を受けて、というのはワールドカップで絶対にあってはならないこと。チームとして決まり事のようなものを持たないといけないと思っています」 三笘の言葉の中で気になったのは、言うまでもなく「チームとしての決まり事」の箇所だ。チームとしてこう攻めるという共通認識、すなわち約束事が森保ジャパンには存在しない。ゆえに個人の力量に頼る単発の形となり、相手も対策が立てやすくなる。三笘はさらにこう続けた。) 「選手同士のコミュニケーションで『こういうふうにしてほしい』と言っていますけど、チーム全員でそれを共有できているかというと、そうではないところが多いし、そこは必要かなと」 決して批判を展開しているわけではない。A代表デビューからわずか7試合目ながら大きなインパクトを残し続け、森保ジャパンにおける存在感を一気に増幅させている25歳は、攻撃陣の中心を担う自覚と責任を込めながら、現状に対する危機感を言葉へ転換し続けた。 年間を通して活動できるクラブチームほど緻密なものではないにせよ、攻守における約束事は代表チームにも必要不可欠だ。そして、それらをデザインするのはもちろん代表監督となる。船出からまもなく4年。森保監督が攻撃面で何も施さなかった跡が図らずも明らかになった。 大きな衝撃を与えたからか。オンライン会見の最後には約束事に関して、あらためて三笘へ質問が投げかけられた。ワールドカップ予選を戦ってきた今までは時間がなかったのか。チームとしての意識がそこへ向いていなかったのか。解決するためにはどうすればいのか、と。 「僕はアジア最終予選の途中から代表に入りましたけど、当時は本当に時間がなくて、コンディションを優先しないといけない、というのはありました。チームとして落とし込む時間がなかったわけではないけど、そこへ持っていけるような雰囲気はなかったですね」 三笘はA代表に初招集された昨年11月シリーズをこう振り返った。しかし、アジア最終予選の序盤でつまずき、7大会連続7度目のワールドカップ出場へ向けて一戦必勝だった時期とは異なり、今回の6月シリーズは計12回の練習を積めた。三笘は「それでも」とこう続けた。 「今回はけっこう時間もあって、みんなのコンディションもよかった。その中でコミュニケーションを取りながら、相手に対するチームとしての戦術というところで狙いはありましたけど、狙いの細かさといった部分は全然足りていない。ピッチ内での自分たちの対応力であるとか、そういったところにいってしまったところがあるので、いろいろな人たちで議論してやっていく必要があると思う」』、「攻守における約束事は代表チームにも必要不可欠だ。そして、それらをデザインするのはもちろん代表監督」、「船出からまもなく4年。森保監督が攻撃面で何も施さなかった跡が図らずも明らかになった」、何もしてこなかったとは酷い。
・『「勝っているチームはいじらない」 監督のこだわりには批判も  森保監督の采配に対して内部、すなわち選手から声が上がるのは今回が初めてではない。金メダル獲得を目標に掲げながら、4位に終わった昨夏の東京五輪直後。オーバーエイジとして参戦し、キャプテンを務めたDF吉田麻也は出演したテレビ番組でこう語っている。 「大会を通して言うと、6試合を戦っていく上で、できればローテーションしてほしかった、というのはありますね。最後の試合は僕もそうですけど、選手たちがかなり疲弊していたし、疲労からくる判断力や集中力の欠如というものがあったと思うんですよね」 グループリーグ初戦から銅メダルをかけた3位決定戦までの6試合を、森保監督に率いられたU‐24日本代表は全て中2日の過密スケジュールで戦った。吉田が言及した「ローテーション」とは、選手をある程度入れ替えながら戦っていく方法を指している。 東京五輪では吉田とともにオーバーエイジで参加したMF遠藤航、24歳以下の選手ではMF田中碧、GK谷晃生、攻撃陣をけん引した堂安律、久保建英の両MFが全6試合に先発した。 中2日では疲労やダメージが抜けにくく、日本特有の高温多湿の過酷な気候が追い打ちをかけた。久保の3試合連続ゴールなどで、グループリーグを3連勝で突破した日本は決勝トーナメントで失速。3試合で挙げたゴールは、メキシコとの3位決定戦で一矢を報いた三笘の1点だけだった。 先発メンバーを固定した戦いへの是非は、当然ながら森保監督の耳にも届く。非が占める割合が圧倒的に多かった中で、指揮官の反応は頑固とも、いい意味での鈍感ともいえるものだった。例えば東京五輪における選手起用を問われたときには、こんな言葉を返している。) 「世界の中で日本が勝ち上がろうとしたとき、先を見越して戦うことはまだできない」 実際には世界はおろか、東京五輪後の昨年9月に幕を開けた、カタールワールドカップ出場をかけたアジア最終予選を勝ち抜くのにも、一戦必勝態勢となった。チーム内に約束事が存在しない以上は、ある程度の意思の疎通が図れる、慣れ親しんだ顔ぶれで戦うしかなかったからだ。 必然的に森保監督が選ぶメンバーは“いつメン”と呼ばれるようになった。いつものメンバーを揶揄(やゆ)したものだが、対策が練りやすい点で相手にとっては大歓迎だった。加えてFW大迫勇也やMF柴崎岳ら、固定されてきた主力が調子を崩せば、その分だけチーム力も低下してしまう。 アジア最終予選で1勝2敗と黒星を先行させ、一敗も許されなくなった瀬戸際に追い込まれた森保監督はシステムを4-2-3-1から4-3-3へスイッチ。遠藤を除いた中盤の構成も変えた。 アジア最終予選の潮目を変えた決断は評価できる。迎えたオーストラリア代表との第4戦。試合終了間際のオウンゴールが決勝点となり、かろうじて土俵際で踏み止まった森保監督は、再び「勝っているチームはいじらない」なるサッカーの格言を愚直に実践し続けた。 けがで離脱した選手や累積警告による出場停止の選手を除いて、敵地で勝利したオーストラリアとの第9戦までシステムも先発する選手も基本的に同じ。その間に6連勝とV字回復を果たした森保ジャパンは、ワールドカップ出場権獲得という最初の目標をクリアした。 迎えた6月の強化試合シリーズ。いずれも日本国内で行われた4連戦で、吉田と遠藤は全てで先発に名を連ねた。本大会へ臨む代表メンバーを絞り込んでいく段階に入った中で、後半で交代した試合こそあったものの、2人は代役の利かない存在であり続けた。 しかし、最後を締めくくるチュニジア戦で、吉田は後半に喫した3失点全てに自らのミスで絡み、遠藤は攻撃時にパスが入った瞬間に標的とされ、幾度となくボールを失ってカウンターを受けた。試合後のオンライン会見。森保監督は吉田と遠藤の異変に気づいていたと明かした。) 「長いシーズンをヨーロッパで戦ってきた後の代表ウイーク4試合ということで、心身ともに疲労がかなりきていたのかなと思う。今後の対戦チームも同じような狙いを持って、われわれの意図するところをつぶしにくると考えられる中で、いいシミュレーションになったと思っています」 4試合が全て中3日で行われた6月シリーズを、森保監督は同じく中3日でドイツ、コスタリカ、スペイン各代表とグループリーグを戦うカタール大会のシミュレーションと位置付けていた。チュニジア戦で疲労が目立った吉田と遠藤を代えなかった指揮官は、さらにこう語っている。 「アタッキングサードのところで、どのようにして攻撃の形を作ってシュートまで持っていくのかを、さらに上げていかないといけない」 アタッキングサードとはピッチの全長を3分割した場合に、相手ゴールに一番近いエリアを指す。しかし、攻撃の形を作る上で森保監督が約束事を持ち合わせず、選手個々のテクニックや判断に丸投げされている実情が、三笘の言葉を介して図らずも明らかにされた』、「森保監督が選ぶメンバーは“いつメン”と呼ばれるようになった。いつものメンバーを揶揄(やゆ)したものだが、対策が練りやすい点で相手にとっては大歓迎だった。加えてFW大迫勇也やMF柴崎岳ら、固定されてきた主力が調子を崩せば、その分だけチーム力も低下してしまう」、「アタッキングサードとはピッチの全長を3分割した場合に、相手ゴールに一番近いエリアを指す。しかし、攻撃の形を作る上で森保監督が約束事を持ち合わせず、選手個々のテクニックや判断に丸投げされている実情が、三笘の言葉を介して図らずも明らかにされた」、よくぞこんな無能な「監督」を使い続けるものだ。
・『森保監督は何もしない? 選手たちはどうするべき?  これまで何もしない、いや、できなかったのだから、これから「さらに上げていく」ための術もおそらく提示できない。森保監督は、21日の取材対応でも「さらに独力でいける選手になってほしい」と、三笘をはじめとする選手個々の成長に期待した。ならば、選手たちはどうするべきなのか。 6日のブラジル代表戦を終えた後に、35歳のベテラン、DF長友佑都は「最終的な部分で、個の力で勝てる確率を上げていかなければいけない」と課題を挙げた上でこう補足している。 「いろいろなところにサポートがいる状況での1対1ならば、相手を引きつけて剥がせる場面もあるんじゃないかと。もちろん一人一人がもっと突き詰めていく必要もあるけど、おとりになるランニングを含めた味方との連携で相手のマークのずれ、意識のずれを引き起こせると思っている」 6月シリーズでは右の伊東純也、そして左の三笘の両アタッカーが個の勝負を挑み続けた。日本の攻撃の生命線になると信じて周囲もボールを託した。ブラジルはさらに強力な個の力で2人を凌駕し、チュニジアは場合によっては複数の選手を対応させて伊東や三笘を封じ込めにきた。 ここで相手の選択肢を増やさせ、少しでも後手に回らせるコンビネーションを構築できれば、状況が変わる可能性も生まれる。森保監督が手段を講じられない以上は、選手が率先して動くしかない。そうしなければ手遅れになるギリギリのところまで日本は追い詰められている。 大きな変化を好まない、頑固で保守的な性格の持ち主である森保監督だが、攻撃の約束事を作ろうと試行錯誤する選手たちの自主性は尊重する。勝負師の側面こそ持ち合わせないが、優しさと謙虚さもあって選手たちから“いい人”と慕われる指揮官の数少ないプラス材料がここにある。 カタールワールドカップへ向けて、ヨーロッパ組を含めた陣容で活動できるのは9月の国際Aマッチデー期間の9日間と、あとは大会直前の数日間しかない。この時期に露呈した危機を克服できるかどうかは、ヨーロッパ組を中心とする選手たちのアイデアと経験値に委ねるしかなくなった』、「森保監督が手段を講じられない以上は、選手が率先して動くしかない。そうしなければ手遅れになるギリギリのところまで日本は追い詰められている」、「大きな変化を好まない、頑固で保守的な性格の持ち主である森保監督だが、攻撃の約束事を作ろうと試行錯誤する選手たちの自主性は尊重する。勝負師の側面こそ持ち合わせないが、優しさと謙虚さもあって選手たちから“いい人”と慕われる指揮官の数少ないプラス材料がここにある」、さて、今さら変えられないのかも知れないが、このままでは「ワールドカップ」本戦は、早目に敗退が決まることを覚悟した方がよさそうだ。

次に、7月6日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した作家・スポーツライターの小林信也氏による「文春砲炸裂のフェンシング合宿、「筋違い批判」に反論の武井壮会長にエールを」を紹介しよう。
・『フェンシング日本代表合宿に“文春砲” 助成金の申請が見送りに  フェンシング・エペ日本代表合宿が「当初の予定と異なるレジャー中心の合宿だった」と週刊文春に報じられ、他のメディアも追随してこれを非難した。 これに対し、日本フェンシング協会の武井壮会長が謝罪会見を開くものと推測されていた。だが、7月2日の理事会で協議した後、囲み取材に応じた武井会長は、「長期遠征の合間のリフレッシュ目的だったとして、合宿内容自体には『最初に抱いた印象とは違う。単なる遊びではなかった』と理解を示した」と報じられた(日刊スポーツ)。同紙によれば、「助成金203万2905円(15人分)の申請の見送りを決議したと報告。選手とコーチの家族計4人が同行していたことについては『不適切だった』と謝罪した」という。 私は「武井会長、謝らないで!」と思っていたので、一部謝罪はしたものの、合宿の意義や目的を協会の立場で堂々と肯定した今回の姿勢には拍手を送る』、どういうことだろうか。
・『合宿ではリフレッシュしてはいけないのか? 今回の問題の「本質」とは  選手とコーチが、合宿中にリフレッシュするためプールで過ごして何がいけないのか? 合宿に家族が同行したらいけないのか? プロ野球の春季キャンプは今も単身参加だが、メジャーリーグでは家族同伴が当たり前だ。30年以上前、メジャーのキャンプに行ったとき、練習が終わる頃、選手の妻と子どもが選手を迎えに来て、一緒に帰る姿に目を丸くした。けれど、考えてみれば、結婚している選手の家族を引き裂き、約1カ月も家族離散を強いる非人道的な日本の野球界こそおかしいと気付かされた。ところが、日本は今も変わっていない。 その思い込みが全てのスポーツに適用されている。「厳しい練習に打ち込む期間、家族は邪魔な存在で、ストイックにトレーニングしなければ罪だ」という思い込みが根強いから、今回の報道も多くの怒りを誘発したのではないだろうか。 もちろん、週刊文春が切り札としてにおわせているのはコーチと選手の不倫関係だが、そのことで今回の沖縄合宿全てが否定され、スポーツ界からまた自由が奪われていくのはとても残念だ。 武井会長は、「休養と調整が必要な状態だった。世界選手権に向けた最初の1週目としてはリフレッシュが必要。私自身、アスリートの経験としても分かるし、話をした選手からも『しっかり練習をしていた』と涙ながらに聞いた」「とはいえ、我々アスリート側の考えと国民の皆さまとの感覚にはギャップがあるのは事実」(日刊スポーツ)と語っている。 メディアや世間はここ数年、スポーツにおけるパワハラや支配的な指導体制をずっと批判し続けている。今回報道された「リラックスのための過ごし方」などは、パワハラ体質と対極の新しいムーブメントとして歓迎されるべきものではないか、と私は感じる。ところが、それ自体が批判されるのは、世間のほうに相変わらず古くさい考えが染みついているからではないだろうか。 恐らく、「強化費は国民の血税が投入されているのだ」というのが最大の怒り、批判の根拠だろう。しかし、強化とは猛練習だけではない。家族の理解があって、フレッシュな気持ちで取り組めてこそ成長があり、競技への集中ができる。15人で203万2905円、1人当たり13万5527円の税金投入。その間にプールでリフレッシュしたことを非道な行為とののしるほどに、日本人のスポーツへの理解は低いのかと思うと悲しくなる。パワハラを糾弾しながら柔軟な思考がないのは世間やメディアのほうではないか。 簡単な話、日本フェンシング協会が独自の財源を持っていれば、今回の合宿をこれほど非難されただろうか。チーム内の倫理の問題は別として、必要なレジャーであれ、家族同伴であれ、法律には違反しないし、部外者にとやかく言われる問題ではない。ところが今は国がスポンサーになっている。そのため、税金を払っている国民自身にもスポンサーだという思いがあるのか、散々な言われようになっている。 グランドスラム大会を目前に控えたテニス選手が、プールサイドで恋人にサンオイルを塗ってもらっていたら、それだけで「不謹慎だ」と怒るだろうか。 サッカー日本代表が、ワールドカップのときにどれだけ豪華なホテルに泊まり、日本からシェフを連れて臨んでも、そのことに批判は起こらない。なぜなら、それが必要だという理解とともに、その財源を日本サッカー協会自身が生み出していると了解しているからだろう』、「必要なレジャーであれ、家族同伴であれ、法律には違反しないし、部外者にとやかく言われる問題ではない。ところが今は国がスポンサーになっている。そのため、税金を払っている国民自身にもスポンサーだという思いがあるのか、散々な言われようになっている」、独自の財源ではなく、税金でやっている以上は、一定の制約は当然だと思う。
・『国民が気付くべき「スポーツ界の現実」 選手の“自由と独立”を応援することこそが重要  強化は難しい。大きな舞台で成果を出す、それは本当にスペシャリストの世界だ。大きな勝負を制するには、瞬時に変わる状況をかぎ分け、賭けにも等しい判断の繰り返しが必要だ。とても部外者に理解できるものではない。信頼して任せ、応援することしかサポーターにはできないことを、スポーツファン、そしてメディアが認識し、リスペクトすべきではないだろうか。道徳的な常識とは別のひらめきや大胆な感性がそこでは重要な役割を果たす。 日本国民に、この機会に気付いてほしい現実がある。 スポーツ界は、モスクワ五輪ボイコットの反省を生かし、政治からの独立を悲願として取り組んだ経緯がある。政府が決めたボイコットの方針に従わざるを得なかったのは、組織的にJOC(日本オリンピック委員会)が国の支配下にあり、遠征費や強化費も全て国の支援に依存していたからだ。そこで、スポーツ関係者の涙ぐましい努力の結果、JOCは1989年、日本体育協会(現・日本スポーツ協会)からの独立を果たした。これで、政府の束縛を受けず、スポーツ界は独自の判断で歩めるはずだった。 ところが、現実は厳しい。全ての競技が独立採算では活動できない。資金援助は不可欠だ。さまざまな現実や思惑が交錯する中、その後、スポーツ界は事実上、政府の支配下に戻ってしまった。 しかも、パワハラ問題に端を発したスポーツ団体の組織の見直しに乗じて、政府は規制や支配を強めている。ガバナンスの整備のため、日本スポーツ協会は全ての競技団体に公益法人化を求めている。これも結局、内閣府の管理下に置かれるという意味でも、「下部組織」としての色彩を強くする傾向につながっている。 スポーツの自治と自由が侵害されるなら、公益法人化などは受け入れない判断もあっていいはずだ。が、拒否すれば、助成金を受ける資格を失い、オリンピック種目から除外される心配もある。そうやって、スポーツ界は政治的に縛られているのだ。そういうスポーツの政治支配こそ、危険だと警戒しなければならない。 スポーツ界が、政府や上部団体から独立し、自主的に運営できる体制を確立することこそ重要だ。メディアがこの本質を見逃して、スキャンダルの発掘のため結果的に権力構造の強化に加担するような動きは滑稽だ。 武井会長には、当初の予定どおり助成金を申請してもらいたいくらいだ。 私たちの務めは、スポーツ選手の自由と独立を応援することではないか』、「公益法人化を求めている。これも結局、内閣府の管理下に置かれるという意味でも、「下部組織」としての色彩を強くする傾向につながっている」、「公益法人」になれば情報公開など透明化が求められるという重要なメリットがあるのを無視している。筆者はスポーツ記者だけあって、スポーツ団体には甘過ぎるようだ。「スポーツ界が、政府や上部団体から独立し、自主的に運営できる体制を確立することこそ重要だ」、こんな独立王国化には大反対だ。
タグ:スポーツ界 (その35)(サッカー日本代表が惨敗で危機露呈 選手の発言に見る「致命的欠陥」とは、文春砲炸裂のフェンシング合宿 「筋違い批判」に反論の武井壮会長にエールを) ダイヤモンド・オンライン 藤江直人氏による「サッカー日本代表が惨敗で危機露呈、選手の発言に見る「致命的欠陥」とは」 「森保一監督」に対しては、かねてから批判が多かったが、「攻撃面で共通認識が設けられていない」には心底驚かされた。 「攻守における約束事は代表チームにも必要不可欠だ。そして、それらをデザインするのはもちろん代表監督」、「船出からまもなく4年。森保監督が攻撃面で何も施さなかった跡が図らずも明らかになった」、何もしてこなかったとは酷い。 「森保監督が選ぶメンバーは“いつメン”と呼ばれるようになった。いつものメンバーを揶揄(やゆ)したものだが、対策が練りやすい点で相手にとっては大歓迎だった。加えてFW大迫勇也やMF柴崎岳ら、固定されてきた主力が調子を崩せば、その分だけチーム力も低下してしまう」、「アタッキングサードとはピッチの全長を3分割した場合に、相手ゴールに一番近いエリアを指す。しかし、攻撃の形を作る上で森保監督が約束事を持ち合わせず、選手個々のテクニックや判断に丸投げされている実情が、三笘の言葉を介して図らずも明らかにされた」、よくぞ 「森保監督が手段を講じられない以上は、選手が率先して動くしかない。そうしなければ手遅れになるギリギリのところまで日本は追い詰められている」、「大きな変化を好まない、頑固で保守的な性格の持ち主である森保監督だが、攻撃の約束事を作ろうと試行錯誤する選手たちの自主性は尊重する。勝負師の側面こそ持ち合わせないが、優しさと謙虚さもあって選手たちから“いい人”と慕われる指揮官の数少ないプラス材料がここにある」、さて、今さら変えられないのかも知れないが、このままでは「ワールドカップ」本戦は、早目に敗退が決まることを覚悟 小林信也氏による「文春砲炸裂のフェンシング合宿、「筋違い批判」に反論の武井壮会長にエールを」 どういうことだろうか。 「必要なレジャーであれ、家族同伴であれ、法律には違反しないし、部外者にとやかく言われる問題ではない。ところが今は国がスポンサーになっている。そのため、税金を払っている国民自身にもスポンサーだという思いがあるのか、散々な言われようになっている」、独自の財源ではなく、税金でやっている以上は、一定の制約は当然だと思う。 「公益法人化を求めている。これも結局、内閣府の管理下に置かれるという意味でも、「下部組織」としての色彩を強くする傾向につながっている」、「公益法人」になれば情報公開など透明化が求められるという重要なメリットがあるのを無視している。筆者はスポーツ記者だけあって、スポーツ団体には甘過ぎるようだ。「スポーツ界が、政府や上部団体から独立し、自主的に運営できる体制を確立することこそ重要だ」、こんな独立王国化には大反対だ。
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就活(就職活動)(その10)(「自分に合った仕事なんて探すな」 養老孟司先生の語る「働くってこういうこと」、就活でガクチカを聞くのはもういい加減やめよう 「学生時代に力を入れたこと」に囚われる人々の呪縛、「底辺の仕事ランキング」批判集めた6つの問題点 “誰でもできる"の罪深さ、差別で片づけられず) [社会]

就活(就職活動)については、3月12日に取上げた。今日は、(その10)(「自分に合った仕事なんて探すな」 養老孟司先生の語る「働くってこういうこと」、就活でガクチカを聞くのはもういい加減やめよう 「学生時代に力を入れたこと」に囚われる人々の呪縛、「底辺の仕事ランキング」批判集めた6つの問題点 “誰でもできる"の罪深さ、差別で片づけられず)である。

先ずは、やや古いが、2018年6月22日付けデイリー新潮「「自分に合った仕事なんて探すな」 養老孟司先生の語る「働くってこういうこと」」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/06220731/?all=1
・『働くとはどういうことか  就活が本格化し、連日苦戦中、内定獲得済み、内定をとりまくり等々、同世代の中でも悲喜こもごも、様々な境遇に分かれているところだろう。 面接などの際、就活生が語るのに苦労するテーマの一つは志望動機だ。絶対にやりたいこと、好きなことがあり、それが仕事となっている企業を受けるのであれば話は簡単。その熱い気持ちを伝えればいい。 しかし、往々にしてそこまでの強い動機はない場合の方が多い。安定収入だけが魅力、ということだって珍しくない。 そういう場合どう言えばいいのか。このことを考えていくと、最終的には「仕事とは何か」「働くとはどういうことか」という問題に突き当たる。 ベストセラー『バカの壁』で知られる養老孟司さんは、同書の続編にあたる著書『超バカの壁』で、若者に向けて、自身の「仕事論」を語っている。養老さんならではの含蓄に富んだ仕事論を引用してご紹介しよう。ここで養老さんは、「自分に合った仕事がない」と言ってなかなか働かないニートの人を念頭に、話を進めている(以下、『超バカの壁』より)』、興味深そうだ。
・『「自分に合った仕事」なんかない  (ニートなど働かない人を)調査をすると、働かないのは「自分に合った仕事を探しているから」という理由を挙げる人が一番多いという。 これがおかしい。20歳やそこらで自分なんかわかるはずがありません。中身は、空っぽなのです。 仕事というのは、社会に空いた穴です。道に穴が空いていた。そのまま放っておくとみんなが転んで困るから、そこを埋めてみる。ともかく目の前の穴を埋める。それが仕事というものであって、自分に合った穴が空いているはずだなんて、ふざけたことを考えるんじゃない、と言いたくなります。 仕事は自分に合っていなくて当たり前です。私は長年解剖をやっていました。その頃の仕事には、死体を引き取り、研究室で解剖し、それをお骨にして遺族に返すまで全部含まれています。それのどこが私に合った仕事なのでしょうか。そんなことに合っている人間、生まれ付き解剖向きの人間なんているはずがありません。 そうではなくて、解剖という仕事が社会に必要である。ともかくそういう穴がある。だからそれを埋めたということです。何でこんなしんどい、辛気(しんき)臭いことをやらなきゃいけないのかと思うこともあるけれど、それをやっていれば給料がもらえた。それは社会が大学を通して給料を私にくれたわけです。 生きている患者さんを診なくていいというのも、解剖に向かった大きな理由です。一番助かったのは、もうこれ以上患者が死なないということ。その点だけは絶対安心でした。人殺しをする心配がないからです。しかし患者さんを診るという行為から逃げ出しても、遺族の面倒だとか何とかもっと大変なことがありました。 社会、仕事というのはこういうものです。いいところもあれば、悪いところもある。患者の面倒の代わりに遺族の面倒を見る。全部合わせてゼロになればよしとする。 あとは目の前の穴を埋めていれば給料をくれる。仕事とはそもそもそういうものだと思っていれば、「自分に合った仕事」などという馬鹿な考え方をする必要もないはずです。NHKの「プロジェクトX」に登場するサラリーマンも、入社当初から大志を抱いていた人ばかりではないでしょう』、「20歳やそこらで自分なんかわかるはずがありません。中身は、空っぽなのです。 仕事というのは、社会に空いた穴です。道に穴が空いていた。そのまま放っておくとみんなが転んで困るから、そこを埋めてみる。ともかく目の前の穴を埋める。それが仕事というものであって、自分に合った穴が空いているはずだなんて、ふざけたことを考えるんじゃない、と言いたくなります。 仕事は自分に合っていなくて当たり前です」、「目の前の穴を埋めていれば給料をくれる。仕事とはそもそもそういうものだと思っていれば、「自分に合った仕事」などという馬鹿な考え方をする必要もないはずです」、同感である。
・『半端仕事はいけないよ  合うとか合わないとかいうよりも大切なのは、いったん引き受けたら半端仕事をしてはいけないということです。一から十までやらなくてはいけない。それをやっていくうちに自分の考えが変わっていく。自分自身が育っていく。そういうふうに仕事をやりなさいよということが結論です。 最近は、穴を埋めるのではなく、地面の上に余計な山を作ることが仕事だと思っている人が多い。社会が必要としているかどうかという視点がないからです。余計な橋や建物を作るのはまさにそういう余計な山を作るような仕事です。もしかすると、本人は穴を埋めているつもりでも実は山を作っているだけのことも多いのかもしれません。 しかし実は穴を埋めたほうが、山を作るより楽です。労力がかかりません。 普通の人はそう思っていたほうがいいのではないかと思います。俺が埋めた分だけは、世の中が平らになったと。平らになったということは、要するに、歩きやすいということです。山というのはしばしば邪魔になります。見通しが悪くなる。別の言い方をすれば仕事はおまえのためにあるわけじゃなくて、社会の側にあるんだろうということです』、「仕事はおまえのためにあるわけじゃなくて、社会の側にあるんだろうということです」、なるほど。
・『虫取りが仕事だったら  若い人が「仕事がつまらない」「会社が面白くない」というのはなぜか。それは要するに、自分のやることを人が与えてくれると思っているからです。でも会社が自分にあった仕事をくれるわけではありません。会社は全体として社会の中の穴を埋めているのです。その中で本気で働けば目の前に自分が埋めるべき穴は見つかるのです。 社会のために働けというと封建的だと批判されるかもしれません。「自分が輝ける職場を見つけよう」というフレーズのほうが通じやすいのかもしれません。しかしこれは嘘です。まず自分があるのではなく、先にあるのはあくまでも穴の方なのです。 向き不向きだけでいえば、私は仕事に向いていないとずっと思ってきました。仕事よりも虫取りに向いていると今でも思っています。虫取りをしている間、自分で全然違和感がない。ただ、そればかりやっていても食っていけないということはわかっています。 向いている虫取りをするためには、どうすべきかと考える。すると、財産も何もないし、とりあえず働くしかない。だから仕事には向いていないと思うけど、やめろと言われるまではやっていいのではないかと思っているのです。 本気で自分の仕事は天職だと思っている人はめったにいません。仮に虫取りが向いていても、それが仕事になっていいかというと、そうでもないでしょう。もしも虫取りが仕事になるとしてそれが嬉しいかといえばうっかりすると重荷になってしまうかもしれない。楽しんでいられることというのは、ある程度無責任だからこそなのです。 昨年養老さんは80歳になった。いまでも働いている。それは虫取りのためでもあるだろうが、きっと目の前にまだ穴がたくさんあるからなのである』、「「自分が輝ける職場を見つけよう」というフレーズのほうが通じやすいのかもしれません。しかしこれは嘘です。まず自分があるのではなく、先にあるのはあくまでも穴の方なのです」、「だから仕事には向いていないと思うけど、やめろと言われるまではやっていいのではないかと思っているのです。 本気で自分の仕事は天職だと思っている人はめったにいません」、「虫取りが仕事になるとしてそれが嬉しいかといえばうっかりすると重荷になってしまうかもしれない。楽しんでいられることというのは、ある程度無責任だからこそなのです」、浮ついた仕事論が溢れているなかで、本物の仕事論に出会えた意味は大きい。

次に、6月21日付け東洋経済オンラインが掲載した千葉商科大学 准教授で働き方評論家 の常見 陽平氏による「就活でガクチカを聞くのはもういい加減やめよう 「学生時代に力を入れたこと」に囚われる人々の呪縛」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/596673
・『「ガクチカに悩む就活生たち」 新型コロナウイルスショック以降、このような報道をよく目にする。「ガクチカ」とは就活の選考でよく質問される「学生時代に力を入れたこと」の略だ。感染症対策のために、大学生活の自由度が制限される中、就活で自分をアピールするガクチカがなく、就活生が困っているという問題である。 ガクチカ問題は、全国紙各紙でも報じられた。関連した記事は一通りチェックしたが、パターンはほぼ一緒で、戸惑う学生の声を中心にし、企業の人事や、大学のキャリアセンターの試行錯誤が伝えられる。このような報道が就活生の不安をさらに高める』、興味深そうだ。
・『「ガクチカの父」として猛反省していること  このガクチカについて、私は複雑な想いを抱いている。実は、この言葉を日本で初めて書籍に掲載したのはどうやら、私なのだ。2010年のことだった。私は「意識高い系」をタイトルにした本を初めて世に出した者でもある。ゆえに、若者を苦しめる言葉を広げた者として悪者扱いされることもある。ともに、私が生み出した言葉ではなく、広めた言葉なのだが。 正直なところ、とばっちり、流れ弾だなとも思いつつも、とはいえ反省すべき点もある。それは、このガクチカという言葉が就活生、企業、大学関係者などに誤解を与えつつ広まってしまったことにより、混乱を招いている。これは、問題だ。 あたかも、ガクチカとして自信をもって語れることがなければ内定が取れないのではないかと就活生を焦らせたのではないか。ガクチカ=「わたしがなしとげたさいこうのせいこうたいけん」なのだと、誤解させてしまったのではないか(つまり、“すごい体験”でなければアピールできないと思わせてしまったのではないか)。 企業の面接官も、わかっていない人に限って、派手なガクチカを過大に評価してしまう。しかも、その流れにより、大学もエントリーシートの添削などで学生の体験を誇張してしまう。さらには、大学側が就活でアピールできるような機会まで用意してしまう……。) もともと、ガクチカは本人の価値観、行動特性、思考回路、学ぶ姿勢、勝ちパターンなどを読み解くための「手段」だった。「世界一周」「サークル立ち上げ」「学園祭の模擬店で大成功」などという話を期待しているわけではない。目立たなくても地道な取り組みが評価されることもある。しかし、ガクチカが学生、企業双方で過度に「目的化」してしまったのが、現代の就活なのである』、「ガクチカ」を「広めた」のは筆者、というのは初めて知った。「就活生、企業、大学関係者などに誤解を与えつつ広まってしまったことにより、混乱を招いている」、「混乱」を是正するような論文などの努力を払ったのだろうか。余りに第三者的だ。
・『学生にガクチカを問うのは、コロナ前から酷だった  もっとも、学生がガクチカに困りだしたのは、新型コロナウイルスショックのせいなのだろうか?よくある「新型コロナウイルスショックの影響で、大学生活が2019年までよりも制限され、ガクチカで学生が困っている」という言説は、本当だろうか?疑ってかからなくてはならない。 私の主張を先に書こう。ガクチカに困ると言われたこの世代は、過去最高に内定率が高い。また、ガクチカはコロナ前から悩みの種だったのだ。 就職情報会社各社が発表した、2022年6月時点での内定率は過去最高だ。たとえば、リクルート就職みらい研究所が発表している就職プロセス調査によると、6月1日時点の内定率は73.1%となっており、前年同時期比4.6ポイントアップ、6月選考解禁となった2017年卒以降最も高くなった。 これはモニター調査であり、実態よりも高くなりがちではある。就職情報会社各社の渉外担当者が大学に対して「実際はこんなに高くありません」と言うほどだ。また、最終的な数字を見なければ結果の先食いにもなる。ガクチカに自信がある学生が先に内定しているともみることもできるだろう。とはいえ、ガクチカに困っているはずの学生たちに、これだけ内定が出ている点に注目するべきだろう。 学生は新型コロナウイルスショック前からガクチカに悩んでいた。無理もない。今の学生はお金も時間もない。奨学金やアルバイトに依存しなければ、大学生活が回らない。自宅から通わざるを得ず、遠距離通学する学生もいる。筆者は千葉県市川市の大学に勤務しているが、茨城県や、千葉県の房総半島から通う学生もおり、通学時間が片道2時間以上かかる学生もいる。よく若者の○○ばなれというが、その原因はお金と時間の若者離れだ。) ゆえに、就活で跋扈するのが普段のアルバイト体験を劇的に語ろうとする学生たちだ。面接では「居酒屋でのアルバイトで、コミュニケーション能力を磨きました。笑顔を心がけ、お客様にもいつも、笑顔で帰ってもらいました。この力を営業の仕事で活かしたいと思います」という学生がよく出現する。面接官からすると「またか」とウンザリするような、お決まりの自己PRだ。お客さんが笑顔で帰ったのは生ビールが美味しかったからではないかと言いたくなる。就活ノウハウでは「だから、アルバイトネタは、差別化できないから話すな」というものが伝授される。 この問題はこじれている。アドバイスするとしたら、元面接官視点では、「もっと工夫してアピールしろ」と言いたくなる。同じ居酒屋バイトでも、チームワークや売り上げアップなどアピールできるポイントはあるだろう。大学教員視点では、勉強の話をしてほしいと悲しんだりする。 ただ、学生の状況を考えると、激しく同情する。学生生活において、時間もお金も余裕がない。アルバイトをしなければ学生生活が回らない。居酒屋でのアルバイトは人手不足で彼ら彼女たちを求めている。モチベーションアップ施策にも手厚く取り組んでいる。飲食店でのアルバイトは、彼ら彼女なりに、精一杯努力した、「学生時代に力を入れたこと」なのだ。 「コミュニケーション能力」を「アピールさせている」のは誰なのか?経団連が毎年、発表している新卒採用で重視する点として、「コミュニケーション能力」が十数年にわたり、1位となっている。 「居酒屋でアルバイトし、コミュニケーション能力を身につけた」という「量産型就活生」が、納得のいく内定に至ることができるのかどうかという問題はさておき、彼ら彼女たちはそう言わざるを得ないし、大人たちにそう言わされているのだと解釈したい。これも彼ら彼女たちなりの精一杯の「ガクチカ」なのだ』、「「居酒屋でアルバイトし、コミュニケーション能力を身につけた」という「量産型就活生」が、納得のいく内定に至ることができるのかどうかという問題はさておき、彼ら彼女たちはそう言わざるを得ないし、大人たちにそう言わされているのだと解釈したい。これも彼ら彼女たちなりの精一杯の「ガクチカ」なのだ」、確かにその通りだ。
・『供給されるガクチカ、誇張、装飾されるガクチカ  学生たちがエントリーシートに書いてきた「ガクチカ」をそのまま信用していいのか。ここでも立ち止まって考えたい。「ガクチカ」は本当に学生が書いたものなのか。この「ガクチカ」は、学生が自ら頑張ったものだろうか?大学が用意した機会に乗っただけではないか。 そのガクチカが問われる場といえば、エントリーシートだ。すでに想像がついた人もいることだろう。そう、このエントリーシートもまた必ずしも、学生が自ら一人で書ききったものとは限らない。キャリアセンターなどで、教職員が添削をしている。話題の棚卸し、意味づけ、表現の工夫などは、大学教職員のアドバイスのもと、学生はエントリーシートを書き上げる。もちろん本人がみずからは気づかない良さを引き出している面はあると思う。ただ、「盛り」「盛られ」のエントリーシート、ガクチカが製造されるのも現実である。 大学が用意したプログラムが、ガクチカのネタに使われることもある。大学は企業や地域と連携した取り組みなどを行っている。よく、新聞の教育面を読むと、各大学のユニークな取り組みが紹介される。これらは学生が自ら発案したものではない。もちろん、学生に何から何までゼロから立ち上げることを期待するのは酷だと言えよう。ただ、いかにも「私はこんなユニークな取り組みをした」という「ガクチカ」は実は、大学や教員がお膳立てした可能性があることを指摘しておきたい。 一方で私自身は大学教員だ。だからといって保身に走るわけではないが、これらの取り組みにも意味がある。別に大学は「ガクチカ」のためだけに、これらの企業や地域と連携したプログラム、ユニークなプロジェクトを立ち上げているわけではない。あくまで学びの機会である』、「いかにも「私はこんなユニークな取り組みをした」という「ガクチカ」は実は、大学や教員がお膳立てした可能性があることを指摘しておきたい」、大いにあり得る話だ。
・『学生たちは機会があれば、よく学び、成長する  文部科学省もアクティブ・ラーニングやPBL(Project Based Learning ※PはProblemとすることもある〕を推奨している。これらのユニークプログラムは、文科省の意向や産業界や地域の要請を受けたものでもある。お金も時間もない大学生に、何か貴重な体験をしてもらいたいという想いもある。 私自身、このような企業や地域とコラボしたプログラムを担当しているが、学生たちはよく学び、成長する。所詮、単位取得のためにやらされたことだとしても、それが学生にとっての成長、変化の機会になればよいと私は考えている。そもそも、お金も時間もない中、このような機会でも作らなければ、大学生活はますます単位取得と、アルバイトと就活で終わってしまう。 私も学生から相談を受けエントリーシートを添削することがある。あくまで言葉づかいの間違いを直したり、学生の考えを整理したり、彼ら彼女たちが体験したことについて、解釈する視点を提供するためのものだ。最終的には、学生に仕上げてもらう。このやり取りは、添削というよりも、面談に近い。エントリーシートというものを媒介に、何を大切にして大学生活をおくってきたのか、棚卸しと意味づけを行うやり取りだ。) ここからは私自身の意見を交えて展開したい。「ガクチカ」というものに事実上、大学も侵食されていることについて警鐘を乱打したい。大学は何のためのものなのか』、「警鐘を乱打したい。大学は何のためのものなのか」、どういうことなのだろうか。
・『若者に旧来の若者らしさを求めるな  この手の話をするたびに「いや、大学は自分でやりたいことを探す場所だろう」「ガクチカとして誇れるものがないのは自己責任」などという話が飛び出したりする。中には「俺は、苦学生だったが、アルバイトで学費をすべて払い、サークルの立ち上げまでして、充実した大学生活をおくったぞ」などという、マウンティング、ドヤリングが始まったりする。さらには「どうせ学生は、遊んでばかり」というような学生批判まで始まったりする。 いい加減にしてほしい。どれも現実離れしている意見である。構造的に、時間もお金もないことが課題となる中、それを強いることは脅迫でしかない。自分の体験の一般化は、持論であって、理論ではない。さらに、自分の時代の、しかもドラマや漫画などで妄想が拡大され美化された大学生活を前提に語られても意味はない。 これは言わば、妄想ともいえる「若者らしさ」の押し付けでしかない。自分たちが思い描く若者像を、過剰なまでに期待していないか。 そもそも、ガクチカなるものを今の大学生に期待することがいかにエゴであるか、確認しておきたい。大人たちには学生が、自分たちが理想とする学生生活を送れるように応援する気持ちを持ってもらいたいものだ。学生像を押し付けてはいけない。 企業の面接官には、学生1人ひとりをしっかり見てもらいたい。コロナ時代の彼ら彼女たちは不安な生活を乗り切った。よく勉強した。これこそが、ガクチカではないか。「学生時代に力を入れたこと」としてのガクチカを期待するよりも、「学生生活に力を入れられる」ような環境をつくらねばならない。これはガクチカなる言葉を広めた者としての懺悔と自己批判と提言である』、「コロナ時代の彼ら彼女たちは不安な生活を乗り切った。よく勉強した。これこそが、ガクチカではないか。「学生時代に力を入れたこと」としてのガクチカを期待するよりも、「学生生活に力を入れられる」ような環境をつくらねばならない。これはガクチカなる言葉を広めた者としての懺悔と自己批判と提言である」、「自己批判」が弱い気もするが、まあよしとしよう。

第三に、7月1日付け東洋経済オンラインが掲載したコラムニスト・人間関係コンサルタント・テレビ解説者の木村 隆志氏による「「底辺の仕事ランキング」批判集めた6つの問題点 “誰でもできる"の罪深さ、差別で片づけられず」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/600890
・『大学生向けの就職活動情報サイト「就活の教科書」が5月に掲載した「【底辺職とは?】底辺の仕事ランキング一覧|特徴,デメリット,回避方法も」が6月になってネット上で拡散され、この数日間はネット上で批判にさらされています。 運営会社は指摘を受けて同記事を削除しましたが、批判は加熱する一方。6月30日は朝からツイッターの検索ランキングに複数の関連ワードが上位を占めたほか、Yahoo!ニュースのコメント欄は違反コメント数が基準を超えて非表示になり、7月1日になってからも「めざまし8」(フジテレビ系)がトップ級のニュースとして扱うなど、まだまだ騒動が収まる気配はありません。 なぜこの記事はここまで人々の怒りを買ってしまったのか。単に「職業差別を助長する」だけではなく、罪深い6つの問題点が潜んでいたのです』、「底辺職とは?」とは酷いタイトルをつけたものだ。
・『配慮の言葉は免罪符にはならない  記事の冒頭には「この記事でわかること」として、「世間一般的での底辺職ランキング一覧」「底辺職と呼ばれている仕事の特徴」「底辺職で仕事をするデメリットは年収が低いこと」「底辺職を回避するための方法4つ」「未経験でも採用されやすい職種/業種一覧」をピックアップ。いきなり、ある職業を「年収が低い」「回避するべき」と決めつける強い論調に驚かされます。 さらに、「何を底辺職だと思うのかは人それぞれ」「一般的に底辺職と呼ばれている仕事は、社会を下から支えている仕事」「そのような方がいるからこそ、今の自分があるのだということには気づきましょう」「社会にとって必要な仕事」などの一定の配慮を思わせる記述がありました。 しかし、「最初にこのような配慮のフレーズを書いておけば、そのあとはひどいことを書いてもいい」というわけではありません。書き手や監修者は、「これを免罪符にしておけば、『底辺の職業ランキング』という記事が成立するだろう」と計算したのでしょうが、それがまさに誤算だったのです。) 同記事は、「①土木・建設作業員」「②警備スタッフ」「③工場作業員」「④倉庫作業員」「⑤コンビニ店員」「⑥清掃スタッフ」「⑦トラック運転手」「⑧ゴミ収集スタッフ」「⑨飲食店スタッフ」「⑩介護士」「⑪保育士」「⑫コールセンタースタッフ」と12の職業をピップアップ。 それらの特徴として「肉体労働」「誰にでもできる仕事」「同じことの繰り返しであることが多い」、デメリットとして「年収が低い」「結婚のときに苦労する」「体力を消耗する」を挙げたほか、「底辺職に就かない方法/抜け出す方法4つ」などの項目もありました』、コロナ禍で話題になったエッセンシャル・ワーカーは、上記の「「⑩介護士」「⑪保育士」」の他、医療従事者、公務員、教員などより幅広い
https://hrnote.jp/contents/soshiki-essentialworker-20220504/
・『「底辺」というフレーズは必要か  最初の問題点は、なぜ“底辺”という過激なフレーズを使わなければいけなかったのか。 その理由は「誰かをおとしめたい」という悪意というより、「多くの人々から注目を集めるため」でしょう。“ランキング”というウェブでページビューを集めやすい形式の記事であることからも、運営側の思惑が透けて見えます。 しかし、この記事を見る人々にしてみれば、「自社コンテンツへの注目を集めるためなら、多くの人々を傷つけてもいい」という悪意としか思えないものでした。運営サイドは「これくらいなら大丈夫だろう」というビジネス的な判断にすぎなかったものが、「まさかここまで悪意としてとらえられるとは……」と戸惑っているのではないでしょうか。 もし「底辺」というフレーズをどうしても使いたかったのであれば、同サイトが決めつけたものではなく、当事者が「底辺と感じている」というアンケート結果をベースにした記事であれば問題はなかったでしょう。 2つ目の問題点は、具体的な12もの職業を名指ししたうえで、「就かない方法/抜け出す方法」を挙げたこと。たとえば、特徴やデメリットだけを挙げて「底辺」と定義しただけにとどめる。あるいは「就かない方法/抜け出す方法」を挙げたとしても、12の職業を名指ししなければ、今回ほどの騒ぎにはならなかったでしょう。) 12の職業に従事する人や家族にとっては、名指しされたうえに「誰にでもできる」「同じことの繰り返し」「年収が低い」「結婚のときに苦労する」などと誹謗中傷に近いレッテルを貼られたわけですから、怒りの感情を抱いて当然。では、運営サイドは、これだけ多くの人々を怒らせてしまうことをどうして想像できなかったのでしょうか。 ビジネスシーンでは数字を追うあまり、リスクに関する想像力に欠けてしまうときがありますが、だからこそストップをかけられる組織体制が必要。メディアで言えば、その機能が乏しい「ワンマン」、または「部員任せ」の編集部は今回のような事態につながりやすいところがあるものです。今のところ『就活の教科書』編集部の内情はわかっていませんが、これらの可能性は高いでしょう』、「ビジネスシーンでは数字を追うあまり、リスクに関する想像力に欠けてしまうときがありますが、だからこそストップをかけられる組織体制が必要。メディアで言えば、その機能が乏しい「ワンマン」、または「部員任せ」の編集部は今回のような事態につながりやすいところがあるものです」、その通りだ
・『「選民意識の持ち主」というイメージ  3つ目の問題点は、なぜメリットも書かなかったのか。個人ブログではなくメディアのコンテンツである以上、公平なスタンスで書くことが大前提。今回のような記事では、いくつかフォローの言葉を入れるだけでなく、メリットとデメリットの両方を並べるくらいのバランス感覚が必要でした。 デメリットを書いたとしても、その前後に「感謝の言葉をもらいやすい」「日々の生活を支えるというやりがい」などのメリットも併記したうえでカテゴライズすれば、多少なりとも印象は変わったでしょう。また、デメリットとしての書き方にも、「世の中にとって必要であるにもかかわらず年収が低い」などのバランス感覚が求められます。 今回の記事はそんなバランス感覚に欠けていたため、「この職業がなければ“底辺”と決めつけているあなたたちの生活も成り立たないはずだ」などの批判を受けていました。 このような「自分も世話になっている職業をおとしめてしまう」という行為は、少なからず「自分は選ばれた人間」「彼らとは違う」という選民意識の強い人が犯しがちな失敗。しかも今回は、かなり多くの人々をおとしめてしまったうえに、「就活の教科書」という自信たっぷりのサイト名も影響して、「際立った選民意識の持ち主が運営しているメディア」というイメージを持たれてしまいました。) そもそも個人の価値観やスキルが多種多様な現在の社会において、挙げられた12の職業は“底辺”とは言い切れず、運営サイドの思い込みによるものでしょう。しかし、社会経験の少ない大学生たちが見る記事である以上、信じてしまい、担い手を減らしてしまう危険性があります。 私の友人・知人に、大卒の土木・建設作業員、コンビニ店員、清掃スタッフ、トラック運転手、飲食店スタッフ、介護士、保育士がいますが、彼らは決して嫌々働いているわけではありません。ところが、もし彼らが就職活動中にこのような記事を見ていたら、12の職業を目指さなかった可能性もありうるでしょう。ひいては、社会のバランスを崩しかねない危険な発想の記事であることが4つ目の問題点です』、「社会経験の少ない大学生たちが見る記事である以上、信じてしまい、担い手を減らしてしまう危険性があります」、その通りだ。
・『「インターンに書かせる」運営方式  「就活の教科書」は“底辺”の記事が削除された一方で、「【行く意味ある?】Fランク大学一覧|Fラン大学の実態,偏差値,女子あるあるも」「【低学歴でも大丈夫】Fラン大学生におすすめの企業3選|就活で失敗する共通点も」などの記事は現在も掲載されています。 「行く意味ある?」「低学歴でも大丈夫」という目線やレッテルの危うさは、“底辺”の記事と同様。では、この危うさはどこから来ているのか。 「就活の教科書」はインターンを募集していて、その筆頭に「Webライター」が挙げられています。つまり「記事の多くは、実際に就活をした内定者や、現役の就活生が書いている」ということ。それを代表取締役社長が監修者として記名することで信頼性を担保しつつ、発信しているようですが、この運営方式こそが5つ目の問題点でしょう。 この形は「新しい情報でリアリティがある」というメリットが得られる反面、「メディアとしての公平性やライターとしてのスキルに欠けやすい」というデメリットがある運営方式。もともと就活サイトに限らず、少ない報酬で記事を量産しやすい編集部の運営方式として使用しているメディアが少なくないものの、つねにリスクと隣り合わせのところがある形なのです。) 同サイトに記載されたデータを見ると、「累計3500万PV、月に就活生50万人が訪れる」「網羅的な就活情報を約1600記事掲載」「日本コンシューマーリサーチの調査で、就活情報サイト部門で3冠を受賞。自己分析の書籍も出版。新聞、ラジオ、雑誌など、多数メディアに掲載」「就活メディアではTOP5に入るほど規模の大きいサイト」などと書かれていました』、「「記事の多くは、実際に就活をした内定者や、現役の就活生が書いている」ということ。それを代表取締役社長が監修者として記名することで信頼性を担保しつつ、発信しているようですが、この運営方式こそが5つ目の問題点でしょう。 この形は「新しい情報でリアリティがある」というメリットが得られる反面、「メディアとしての公平性やライターとしてのスキルに欠けやすい」というデメリットがある運営方式。もともと就活サイトに限らず、少ない報酬で記事を量産しやすい編集部の運営方式として使用しているメディアが少なくないものの、つねにリスクと隣り合わせのところがある形なのです」、「就活メディアではTOP5に入るほど規模の大きいサイト」「規模の大きさ」の割に体制が伴ってないようだ。
・『社長も会社もまだ若くリカバリー可能  これらの規模や実績があるにもかかわらず、危機管理の対応はかなり遅いと言わざるを得ません。これが6つ目の問題点であり、当該記事の監修者でもある社長が少しでも早く謝罪したうえで、誤解があるならば自分の言葉で解いておくべきでしょう。 現在はそれがないため、他メディアやネットユーザーによる「9カ月で退職した代表取締役には無理」などの社長に対する批判や、「ウェブサイトの住所はレンタルスペースだった」などの会社に対するガサ入れのようなものが飛び交っているという状態。学生たちにとって有意義なコンテンツも多いだけに、現在の状態は残念でならないのです。 とはいえ、社長も会社もまだまだ若いだけに、今回のような失敗をしてしまうこともあるでしょう。たとえば“底辺”として挙げられたゴミ収集スタッフは、警察官や消防士などと同じように幼児たちにとっては「カッコイイ」と思うヒーローの職業。このように「“底辺”とは真逆の“頂上”だった」というケースもあるものです。社長や記事を書いた人は、まだ若く社会経験も浅いだけに、そのような視点は持てていないのかもしれません。 もちろん「今後はこのような記事を発信しない」という前提は必要ですが、「社長や会社を叩く」というより、今後の変化を見守り、正しい方向に導いていく社会であってほしいところです』、筆者は何故か「社長」には甘いようだが、いまだにきちんとした謝罪もない。やはりこんないい加減な会社は、断罪すべきなのではなかろうか。
タグ:(その10)(「自分に合った仕事なんて探すな」 養老孟司先生の語る「働くってこういうこと」、就活でガクチカを聞くのはもういい加減やめよう 「学生時代に力を入れたこと」に囚われる人々の呪縛、「底辺の仕事ランキング」批判集めた6つの問題点 “誰でもできる"の罪深さ、差別で片づけられず) 就活(就職活動) 「ガクチカ」を「広めた」のは筆者、というのは初めて知った。「就活生、企業、大学関係者などに誤解を与えつつ広まってしまったことにより、混乱を招いている」、「混乱」を是正するような論文などの努力を払ったのだろうか。余りに第三者的だ。 常見 陽平氏による「就活でガクチカを聞くのはもういい加減やめよう 「学生時代に力を入れたこと」に囚われる人々の呪縛」 東洋経済オンライン 「「自分が輝ける職場を見つけよう」というフレーズのほうが通じやすいのかもしれません。しかしこれは嘘です。まず自分があるのではなく、先にあるのはあくまでも穴の方なのです」、「だから仕事には向いていないと思うけど、やめろと言われるまではやっていいのではないかと思っているのです。 本気で自分の仕事は天職だと思っている人はめったにいません」、「虫取りが仕事になるとしてそれが嬉しいかといえばうっかりすると重荷になってしまうかもしれない。楽しんでいられることというのは、ある程度無責任だからこそなのです」、浮ついた仕事 「仕事はおまえのためにあるわけじゃなくて、社会の側にあるんだろうということです」、なるほど。 「20歳やそこらで自分なんかわかるはずがありません。中身は、空っぽなのです。 仕事というのは、社会に空いた穴です。道に穴が空いていた。そのまま放っておくとみんなが転んで困るから、そこを埋めてみる。ともかく目の前の穴を埋める。それが仕事というものであって、自分に合った穴が空いているはずだなんて、ふざけたことを考えるんじゃない、と言いたくなります。 仕事は自分に合っていなくて当たり前です」、「目の前の穴を埋めていれば給料をくれる。仕事とはそもそもそういうものだと思っていれば、「自分に合った仕事」などという馬鹿 デイリー新潮「「自分に合った仕事なんて探すな」 養老孟司先生の語る「働くってこういうこと」」 「「居酒屋でアルバイトし、コミュニケーション能力を身につけた」という「量産型就活生」が、納得のいく内定に至ることができるのかどうかという問題はさておき、彼ら彼女たちはそう言わざるを得ないし、大人たちにそう言わされているのだと解釈したい。これも彼ら彼女たちなりの精一杯の「ガクチカ」なのだ」、確かにその通りだ。 「いかにも「私はこんなユニークな取り組みをした」という「ガクチカ」は実は、大学や教員がお膳立てした可能性があることを指摘しておきたい」、大いにあり得る話だ。 「警鐘を乱打したい。大学は何のためのものなのか」、どういうことなのだろうか。 「コロナ時代の彼ら彼女たちは不安な生活を乗り切った。よく勉強した。これこそが、ガクチカではないか。「学生時代に力を入れたこと」としてのガクチカを期待するよりも、「学生生活に力を入れられる」ような環境をつくらねばならない。これはガクチカなる言葉を広めた者としての懺悔と自己批判と提言である」、「自己批判」が弱い気もするが、まあよしとしよう。 木村 隆志氏による「「底辺の仕事ランキング」批判集めた6つの問題点 “誰でもできる"の罪深さ、差別で片づけられず」 大学生向けの就職活動情報サイト「就活の教科書」 「底辺職とは?」とは酷いタイトルをつけたものだ。 コロナ禍で話題になったエッセンシャル・ワーカーは、上記の「「⑩介護士」「⑪保育士」」の他、医療従事者、公務員、教員などより幅広い https://hrnote.jp/contents/soshiki-essentialworker-20220504/。 「ビジネスシーンでは数字を追うあまり、リスクに関する想像力に欠けてしまうときがありますが、だからこそストップをかけられる組織体制が必要。メディアで言えば、その機能が乏しい「ワンマン」、または「部員任せ」の編集部は今回のような事態につながりやすいところがあるものです」、その通りだ 「社会経験の少ない大学生たちが見る記事である以上、信じてしまい、担い手を減らしてしまう危険性があります」、その通りだ。 「「記事の多くは、実際に就活をした内定者や、現役の就活生が書いている」ということ。それを代表取締役社長が監修者として記名することで信頼性を担保しつつ、発信しているようですが、この運営方式こそが5つ目の問題点でしょう。 この形は「新しい情報でリアリティがある」というメリットが得られる反面、「メディアとしての公平性やライターとしてのスキルに欠けやすい」というデメリットがある運営方式。もともと就活サイトに限らず、少ない報酬で記事を量産しやすい編集部の運営方式として使用しているメディアが少なくないものの、つねにリ 筆者は何故か「社長」には甘いようだが、いまだにきちんとした謝罪もない。やはりこんないい加減な会社は、断罪すべきなのではなかろうか。
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