外国人労働者問題(その21)(外国人労働者に選んでもらわないと立ち行かないのに ますます日本が「選ばれない国」に…優柔不断でピンボケの政策判断しかできない岸田政権の「大罪」、日本を去って行く「外国人看護師」のもったいなさ 深刻な人手不足も、受け入れ制度が対応せず) [社会]
外国人労働者問題については、昨年7月21日に取上げた。今日は、(その21)(外国人労働者に選んでもらわないと立ち行かないのに ますます日本が「選ばれない国」に…優柔不断でピンボケの政策判断しかできない岸田政権の「大罪」、日本を去って行く「外国人看護師」のもったいなさ 深刻な人手不足も、受け入れ制度が対応せず)である。
先ずは、昨年11月28日付け現代ビジネスが掲載した経済ジャーナリストの町田 徹氏による「外国人労働者に選んでもらわないと立ち行かないのに、ますます日本が「選ばれない国」に…優柔不断でピンボケの政策判断しかできない岸田政権の「大罪」を取上げよう。
https://gendai.media/articles/-/119885
・『「現代の奴隷制度」との酷評もあった「外国人技能実習制度」などの見直しを検討してきた政府の有識者会議は先週金曜日(11月24日)、この制度を廃止して、新制度「育成就労制度」の創設を求める報告書を取りまとめた。 だが、目玉と言えるのは、最大の焦点だった別の職場への「転籍」の制限期間を現行の「3年」から「1年」に短縮することを原則として打ち出したことぐらいだ。その目玉でさえ、実際には、「経過措置」を設けて、当分の間は1年を超える制限を容認するよう求めるなど、尻抜けの提言にとどまった。 周知の通り、もはや、日本は、賃金水準の低さが響いて、外国人労働者から「選ばれない国」になっている。報告の内容は、経過措置を設けることによって、その日本国内でも賃金の低さや過酷な労働条件が仇となって人材の確保が困難になっている非効率企業の経営を支援する枠組みの存続を訴えていることに他ならない。 これでは、外国人労働者の賃金上昇をテコにして、日本人労働者の賃金を押し上げる効果や、生産性の向上を促す効果、そして国全体の成長を押し上げる効果も期待できないだろう。 優柔不断でピンボケの政策判断しかできない岸田政権らしい、落第点の外国人労働者の受入制度の改革に終始したと言わざるを得ない。 今回の提言をまとめた有識者会議は、「外国人材の受け入れ・共生に関する関係閣僚会議」が2022年11月に設置を決めたものだ。政府は、今回の提言をもとに、来年(2024年)1月召集の通常国会に関連法案の提出を目指すとしている。 こうした見直しの根底には、現行の「外国人技能実習制度」に設けられている転職制限が「現代の奴隷制度」と酷評されるなど、内外から職業選択の自由を制限することへの批判が強まっていた問題が存在したことと無関係ではない。 加えて、政府に、今なお日本が圧倒的な経済大国という驕りが横たわっていた問題も見逃せない。「外国人技能実習制度」の目的を、「人材育成による国際貢献」と位置付けていた点が、そうした誤認と驕りの象徴になっていた。 半面、政府部内にも、以前から、国際的な労働市場の実情と日本の問題を適格に把握していた部署もある。例えば、経済産業省が2022年4月にまとめた「未来人材ビジョン」は、「日本は、高度外国人から選ばれない国になっている」との問題意識を明確にしたうえで、「外国人から『選ばれる国』になる意味でも、社会システム全体の見直しが迫られている」と正鵠を射た提言を出していた』、「政府に、今なお日本が圧倒的な経済大国という驕りが横たわっていた問題も見逃せない。「外国人技能実習制度」の目的を、「人材育成による国際貢献」と位置付けていた点が、そうした誤認と驕りの象徴になっていた。 半面、政府部内にも、以前から、国際的な労働市場の実情と日本の問題を適格に把握していた部署もある。例えば、経済産業省が2022年4月にまとめた「未来人材ビジョン」は、「日本は、高度外国人から選ばれない国になっている」との問題意識を明確にしたうえで、「外国人から『選ばれる国』になる意味でも、社会システム全体の見直しが迫られている」と正鵠を射た提言を出していた」、そn通りだ。
・『韓国にも水をあけられる 日本の問題の根底にあるのは、日本の賃金水準が決して高いとは言えないことである。経済協力開発機構(OECD)が集計した2021年の各国の平均賃金という統計を見ても、日本は4万1509ドルと、先進37カ国の中で25位という低位に甘んじている。この水準は先進37カ国の平均値(5万3416ドル)を下回っているばかりか、お隣の韓国(19位、4万8922ドル)にも水をあけられている。 発表当時、大きく報じられたことを記憶している人も多いと思うが、前述の「未来人材ビジョン」は、「日本は、課長・部長への昇進が遅い」うえ、「日本企業の部長の年収は、(シンガポールや米国だけでなく)タイよりも低い」といったショッキングな事実も指摘していた。 実際のところ、日本では、「働き手の中心」と考えられる15~64歳の生産年齢人口の減少が続いており、2050年には5540万人と現状より2割以上も減る見通しだ。日本人の婚姻件数や出産数の回復が見込めない中で、経済の立て直しを目指すとすれば、労働生産性の向上だけでは策として不十分で、併せて、積極的な外国人労働者の受け入れ策の構築も急務となっている。 この点に関連しては、厚生労働省が11月24日に公表した人口動態統計の速報値(外国人らを含む)で、今年1~9月の出生数(生まれた赤ちゃんの数)が前年同期比5・0%減の56万9656人にとどまっており、このままのペースだと年間の出生数が70万人台半ばに落ち込み、8年連続で過去最少を更新する可能性が高まっている問題も存在する。出生数低下の背景には婚姻数の減少もあり、立て直しが相当困難だ。そうした事情から、外国人労働者への期待が高まっている。 こうした観点から見れば、今回の「技能実習制度及び特定技能制度の在り方に関する有識者会議」の最終報告書には、食い足りない部分が目立つ。 第一は、避けて通れない問題なのに、端から無視した問題の存在があげられる。今回の報告書で「現行制度と同様、新たな制度及び特定技能制度においては認めないものとする」とされた、家族の帯同は、その代表的なポイントだろう。 家族の帯同に対する消極的な対応は、安倍元政権以来、外国人労働者の受け入れ問題が議論の俎上に上がるたびに、継続してきた問題だ。 今なお、この消極的な対応をする裏には、自民党支持層に移民への根強い反発があることへの配慮があるとみられている。とはいえ、諸外国では「外国人労働者の受け入れ」と「移民の受け入れ」は同義の問題だ。このまま無理な使い分けを続けているようでは、外国人労働者から「日本が選ばれる国」になることは覚束ない』、「家族の帯同は、その代表的なポイントだろう。 家族の帯同に対する消極的な対応は、安倍元政権以来、外国人労働者の受け入れ問題が議論の俎上に上がるたびに、継続してきた問題だ。 今なお、この消極的な対応をする裏には、自民党支持層に移民への根強い反発があることへの配慮があるとみられている』、その通りだ。
・『不可思議なこと 第二に改革したふりをしつつも、実態として現状を維持しようという部分もある。新しい制度の名称を「育成就労制度」とし、目的を「人材育成及び人材確保」とすることは一見したところ見直しだ。が、実際は「単純労働者は受け入れない」という表向きの公約に対する抜け道を引き続き維持しようという目論見がミヱミエになっている。 報告書が廃止を打ち出した技能実習制度の下では、6月末時点で35万8千人が就労している。が、目的に記されてきた、学んだ技能を帰国後活かして貰う「国際貢献」はほぼイル―ジョンだった。このため、目的から「国際貢献」という言葉を消し去るというのは理解できる。 とはいえ、目的をなぜ、ストレートに「人材確保」としないのか。不可思議だ。というのは、来日する多くの外国人の目的は「出稼ぎ」であり、雇用する日本の事業者の目的は「人材(労働力)の確保」なのだから、改めるのならば「就労機会の提供と人材確保」が実態に即しているはずである。 あえて「人材育成」を掲げるのは、「育成中だから」という理由で、「自由な転職を認めない」という本音が透けている。 加えて、事実上の人材ビジネスを営む監理団体の既得権を擁護し、存続を容易にする狙いもあるのだろう。 とはいえ、国内事情を優先した姑息な対応にしか映らない。なぜならば、短期的には、国際的な紛争や景気、外為市場の動向などに左右される面が大きいものの、中、長期的な国際労働市場の流動化が止まることは考えにくいからだ。結局のとこと、アジア諸国は経済成長を続けており、日本との国家間で、労働力の奪い合いがこれまでより激化することは避けられないとみるべきだろう。 「人材育成」に名を借りて、引き続き、転職の自由を制限するようなことを続けていけば、外国人労働者にとって、日本は益々「選ばれない国」になっていく。 今回の報告書で、国の制度改革がアテにならないことが明確になった以上、大切なのは個別企業の取り組みだ。それぞれが生産性を向上させつつ、並行して賃金水準を引き上げて「選ばれる企業・事業者」になる以外の生き残り策は考えにくい。 厳しいようだが、全体としての競争力向上や新陳対処の促進を考えれば、対応できない企業や事業者は市場から退出する以外の選択肢はないはずである』、「全体としての競争力向上や新陳対処の促進を考えれば、対応できない企業や事業者は市場から退出する以外の選択肢はないはずである」、その通りだ。
次に、11月30日付け東洋経済オンライン「日本を去って行く「外国人看護師」のもったいなさ 深刻な人手不足も、受け入れ制度が対応せず」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/718138
・『コロナ禍で人手不足があらわになったケア労働者。2040年には医療・介護の担い手は96万人不足すると推計される。外国人を看護師や介護職として受け入れる制度があるが、実情と制度にずれが生じている。 『週刊東洋経済』12月2日号の第1特集は「外国人材が来ない!」。経済大国日本には発展途上国の若い労働者がいくらでもやってくる――そんな時代は終わりつつある。 フィリピン人のAさんは2019年、5年間勤めた日本の病院を辞めて帰国した。「日々の仕事が忙しく、バーンアウトし(燃え尽き)てしまいました」と話す。 Aさんは、EPA(経済連携協定)に基づく外国人ケア労働者の受け入れ制度で来日した。2008年から始まったEPA制度は、インドネシア、フィリピン、ベトナムから看護師・介護福祉士の候補者が来日。候補者たちは施設で働きながら国家試験の合格を目指す。試験に合格すると就労ビザに変わり、定住や家族帯同も可能になる。 民間の人材紹介が介入する技能実習や特定技能といった在留資格に比べ、EPAは公的機関が一元的に受け入れ事務を担うため、候補者に仲介料や前借り金が一切かからないというメリットがある。 しかし近年、看護師候補者は受け入れ定員に及ばず、頭打ちになっている。 最長で4年という在留期間内で、病院で働きながら日本人と同じ条件の国家試験に合格することはハードルが高く、合格率は14%ほど(直近10年間の平均)だ。なぜEPA候補者は減り続け、国家試験の合格者も伸び悩んでいるのだろうか』、「近年、看護師候補者は受け入れ定員に及ばず、頭打ちになっている。 最長で4年という在留期間内で、病院で働きながら日本人と同じ条件の国家試験に合格することはハードルが高く、合格率は14%ほど・・・だ。なぜEPA候補者は減り続け、国家試験の合格者も伸び悩んでいるのだろうか』、「近年、看護師候補者は受け入れ定員に及ばず、頭打ちになっている。 最長で4年という在留期間内で、病院で働きながら日本人と同じ条件の国家試験に合格することはハードルが高く、合格率は14%ほど(直近10年間の平均)だ」、なるほど。
・『不十分な病院でのサポート EPAでの受け入れは経済連携の強化であり、目的は「労働力不足対策ではない」とされている。候補者を受け入れる施設には、資格取得のための支援が義務づけられている。だが、人手不足が深刻化する実際の現場では、十分な勉強時間が与えられていないケースがある。) 冒頭のAさんは2014年に来日し、関西地方の病院で働き始めた。試験対策としては、1日に1時間の勉強時間が与えられるだけだった。「合格者が多い病院では、半日は勉強の時間が取られていた」(Aさん)というように、施設間で支援体制にばらつきがある。 在留期間中に試験に合格できなかったAさんは、看護師よりも試験が易しい准看護師の資格を取得し、同じ病院で働き続けることになった。 EPAは在留期間内に合格できない場合は原則帰国することになっている。だが、准看護師の資格を取得して就労ビザに切り替えることで、さらに最長4年間雇い続けるという施設が現れた。病院からしても、せっかく育てた候補者を帰国させるのは惜しいのだ。 ところが、准看護師になれば日本人と同等の看護人材として雇用するため、病院側のサポート義務もなくなる。Aさんは残業時間が増え、試験勉強の時間がさらに取れなくなる。1年後、病院から引き留められながらも、帰国する道を選んだ。 こうしたことは珍しくない。 「日本人でも難しい医療専門用語を短期間で習得し、働きながら国家試験に合格するのはそうとう難しい。教材と自習時間を与えるだけの施設もあり、こうした独学に近い状態では合格率は低い」と、候補者の試験対策を支援する朝戸サルヴァドール千鶴さんは言う』、「「日本人でも難しい医療専門用語を短期間で習得し、働きながら国家試験に合格するのはそうとう難しい。教材と自習時間を与えるだけの施設もあり、こうした独学に近い状態では合格率は低い」、なるほど。
・『応募条件の緩和が必要 15年前の制度設計が実情にそぐわなくなっているとの指摘もある。EPAの候補者になるための応募条件としては、母国での専門教育や病院での就労経験など、日本人の受験資格では求められない要件までもが課せられている。 例えばフィリピンの場合、看護師候補者として来日するには、本国での看護師資格の取得が必要なうえ、さらに本国の病院でも3年間の就労経験が必要だ。 介護福祉士の候補者になるのも条件が高い。日本人が介護福祉士を受験するには学歴の要件がないが、外国人には本国での看護学校修了や大学の学位などが課せられている。) 過度な学歴や就労経験の要件が課せられたのは、当時「外国人の非熟練労働者の受け入れを認めない」という政府の方針があったからだ。ところがこの間、こうした政府の方針と労働者不足を埋めたい現場とのずれが、しだいにあらわになった。2019年に創設された特定技能は単純労働の業種にも広がっている。 しかし、EPAの要件は見直されないままだ。例えば、EPAの看護師候補者は国家試験の受験が4回までに制限されるなど、厳しい要件がいまだに緩和されていない。 外国人看護師問題に詳しい静岡県立大学国際関係学部の米野みちよ教授は、「コロナ禍を経て、アメリカをはじめ他国では急速に外国人ケア労働者の応募条件を緩めている。日本の応募条件や在留期間を実情に合わせて見直さなければ、他国に取られ、応募者自体がいなくなってしまう」と語る』、「アメリカをはじめ他国では急速に外国人ケア労働者の応募条件を緩めている。日本の応募条件や在留期間を実情に合わせて見直さなければ、他国に取られ、応募者自体がいなくなってしまう」、なるほど。
・『10年がかかりで試験に合格 国家試験に合格した外国人看護師は、医療現場で欠かせない存在になっている。 フィリピン人のBさんは、2011年にEPAの看護師候補者として来日。その後准看護師としても働くも、在留期間中に国家試験に合格できず、2018年にいったん帰国した。帰国後、前出のサルヴァドールさんに出会い、受験のサポートを受けながら試験勉強を続け、2021年についに試験に合格。来日から10年後のことだ。 帰国前に働いていた病院からも戻ってきてほしいと要望があったが、勤務体系が柔軟な有料老人ホームで看護師として働き始めた。Bさんは現在、夫と子どもを日本に招き寄せて家族で暮らしている。 「フィリピンの看護学校の同級生たちはアメリカで働きたいという人が多いけど、私は日本で働きたかった。日本人は優しいし、日本が大好きだったから」とBさんは笑顔で話す。 カナダやアメリカではケア労働者を好条件での受け入れる政策が進み、世界的な人材の奪い合いが加速している。Bさんのようにあきらめずに日本で看護師を目指す人もいるが、魅力的な受け入れ条件のある国に流れていく人もいるだろう。日本で育てた貴重な候補者たちの定着を図るためにも、制度を見直す時だ』、「カナダやアメリカではケア労働者を好条件での受け入れる政策が進み、世界的な人材の奪い合いが加速している。Bさんのようにあきらめずに日本で看護師を目指す人もいるが、魅力的な受け入れ条件のある国に流れていく人もいるだろう。日本で育てた貴重な候補者たちの定着を図るためにも、制度を見直す時だ」、その通りだ。
先ずは、昨年11月28日付け現代ビジネスが掲載した経済ジャーナリストの町田 徹氏による「外国人労働者に選んでもらわないと立ち行かないのに、ますます日本が「選ばれない国」に…優柔不断でピンボケの政策判断しかできない岸田政権の「大罪」を取上げよう。
https://gendai.media/articles/-/119885
・『「現代の奴隷制度」との酷評もあった「外国人技能実習制度」などの見直しを検討してきた政府の有識者会議は先週金曜日(11月24日)、この制度を廃止して、新制度「育成就労制度」の創設を求める報告書を取りまとめた。 だが、目玉と言えるのは、最大の焦点だった別の職場への「転籍」の制限期間を現行の「3年」から「1年」に短縮することを原則として打ち出したことぐらいだ。その目玉でさえ、実際には、「経過措置」を設けて、当分の間は1年を超える制限を容認するよう求めるなど、尻抜けの提言にとどまった。 周知の通り、もはや、日本は、賃金水準の低さが響いて、外国人労働者から「選ばれない国」になっている。報告の内容は、経過措置を設けることによって、その日本国内でも賃金の低さや過酷な労働条件が仇となって人材の確保が困難になっている非効率企業の経営を支援する枠組みの存続を訴えていることに他ならない。 これでは、外国人労働者の賃金上昇をテコにして、日本人労働者の賃金を押し上げる効果や、生産性の向上を促す効果、そして国全体の成長を押し上げる効果も期待できないだろう。 優柔不断でピンボケの政策判断しかできない岸田政権らしい、落第点の外国人労働者の受入制度の改革に終始したと言わざるを得ない。 今回の提言をまとめた有識者会議は、「外国人材の受け入れ・共生に関する関係閣僚会議」が2022年11月に設置を決めたものだ。政府は、今回の提言をもとに、来年(2024年)1月召集の通常国会に関連法案の提出を目指すとしている。 こうした見直しの根底には、現行の「外国人技能実習制度」に設けられている転職制限が「現代の奴隷制度」と酷評されるなど、内外から職業選択の自由を制限することへの批判が強まっていた問題が存在したことと無関係ではない。 加えて、政府に、今なお日本が圧倒的な経済大国という驕りが横たわっていた問題も見逃せない。「外国人技能実習制度」の目的を、「人材育成による国際貢献」と位置付けていた点が、そうした誤認と驕りの象徴になっていた。 半面、政府部内にも、以前から、国際的な労働市場の実情と日本の問題を適格に把握していた部署もある。例えば、経済産業省が2022年4月にまとめた「未来人材ビジョン」は、「日本は、高度外国人から選ばれない国になっている」との問題意識を明確にしたうえで、「外国人から『選ばれる国』になる意味でも、社会システム全体の見直しが迫られている」と正鵠を射た提言を出していた』、「政府に、今なお日本が圧倒的な経済大国という驕りが横たわっていた問題も見逃せない。「外国人技能実習制度」の目的を、「人材育成による国際貢献」と位置付けていた点が、そうした誤認と驕りの象徴になっていた。 半面、政府部内にも、以前から、国際的な労働市場の実情と日本の問題を適格に把握していた部署もある。例えば、経済産業省が2022年4月にまとめた「未来人材ビジョン」は、「日本は、高度外国人から選ばれない国になっている」との問題意識を明確にしたうえで、「外国人から『選ばれる国』になる意味でも、社会システム全体の見直しが迫られている」と正鵠を射た提言を出していた」、そn通りだ。
・『韓国にも水をあけられる 日本の問題の根底にあるのは、日本の賃金水準が決して高いとは言えないことである。経済協力開発機構(OECD)が集計した2021年の各国の平均賃金という統計を見ても、日本は4万1509ドルと、先進37カ国の中で25位という低位に甘んじている。この水準は先進37カ国の平均値(5万3416ドル)を下回っているばかりか、お隣の韓国(19位、4万8922ドル)にも水をあけられている。 発表当時、大きく報じられたことを記憶している人も多いと思うが、前述の「未来人材ビジョン」は、「日本は、課長・部長への昇進が遅い」うえ、「日本企業の部長の年収は、(シンガポールや米国だけでなく)タイよりも低い」といったショッキングな事実も指摘していた。 実際のところ、日本では、「働き手の中心」と考えられる15~64歳の生産年齢人口の減少が続いており、2050年には5540万人と現状より2割以上も減る見通しだ。日本人の婚姻件数や出産数の回復が見込めない中で、経済の立て直しを目指すとすれば、労働生産性の向上だけでは策として不十分で、併せて、積極的な外国人労働者の受け入れ策の構築も急務となっている。 この点に関連しては、厚生労働省が11月24日に公表した人口動態統計の速報値(外国人らを含む)で、今年1~9月の出生数(生まれた赤ちゃんの数)が前年同期比5・0%減の56万9656人にとどまっており、このままのペースだと年間の出生数が70万人台半ばに落ち込み、8年連続で過去最少を更新する可能性が高まっている問題も存在する。出生数低下の背景には婚姻数の減少もあり、立て直しが相当困難だ。そうした事情から、外国人労働者への期待が高まっている。 こうした観点から見れば、今回の「技能実習制度及び特定技能制度の在り方に関する有識者会議」の最終報告書には、食い足りない部分が目立つ。 第一は、避けて通れない問題なのに、端から無視した問題の存在があげられる。今回の報告書で「現行制度と同様、新たな制度及び特定技能制度においては認めないものとする」とされた、家族の帯同は、その代表的なポイントだろう。 家族の帯同に対する消極的な対応は、安倍元政権以来、外国人労働者の受け入れ問題が議論の俎上に上がるたびに、継続してきた問題だ。 今なお、この消極的な対応をする裏には、自民党支持層に移民への根強い反発があることへの配慮があるとみられている。とはいえ、諸外国では「外国人労働者の受け入れ」と「移民の受け入れ」は同義の問題だ。このまま無理な使い分けを続けているようでは、外国人労働者から「日本が選ばれる国」になることは覚束ない』、「家族の帯同は、その代表的なポイントだろう。 家族の帯同に対する消極的な対応は、安倍元政権以来、外国人労働者の受け入れ問題が議論の俎上に上がるたびに、継続してきた問題だ。 今なお、この消極的な対応をする裏には、自民党支持層に移民への根強い反発があることへの配慮があるとみられている』、その通りだ。
・『不可思議なこと 第二に改革したふりをしつつも、実態として現状を維持しようという部分もある。新しい制度の名称を「育成就労制度」とし、目的を「人材育成及び人材確保」とすることは一見したところ見直しだ。が、実際は「単純労働者は受け入れない」という表向きの公約に対する抜け道を引き続き維持しようという目論見がミヱミエになっている。 報告書が廃止を打ち出した技能実習制度の下では、6月末時点で35万8千人が就労している。が、目的に記されてきた、学んだ技能を帰国後活かして貰う「国際貢献」はほぼイル―ジョンだった。このため、目的から「国際貢献」という言葉を消し去るというのは理解できる。 とはいえ、目的をなぜ、ストレートに「人材確保」としないのか。不可思議だ。というのは、来日する多くの外国人の目的は「出稼ぎ」であり、雇用する日本の事業者の目的は「人材(労働力)の確保」なのだから、改めるのならば「就労機会の提供と人材確保」が実態に即しているはずである。 あえて「人材育成」を掲げるのは、「育成中だから」という理由で、「自由な転職を認めない」という本音が透けている。 加えて、事実上の人材ビジネスを営む監理団体の既得権を擁護し、存続を容易にする狙いもあるのだろう。 とはいえ、国内事情を優先した姑息な対応にしか映らない。なぜならば、短期的には、国際的な紛争や景気、外為市場の動向などに左右される面が大きいものの、中、長期的な国際労働市場の流動化が止まることは考えにくいからだ。結局のとこと、アジア諸国は経済成長を続けており、日本との国家間で、労働力の奪い合いがこれまでより激化することは避けられないとみるべきだろう。 「人材育成」に名を借りて、引き続き、転職の自由を制限するようなことを続けていけば、外国人労働者にとって、日本は益々「選ばれない国」になっていく。 今回の報告書で、国の制度改革がアテにならないことが明確になった以上、大切なのは個別企業の取り組みだ。それぞれが生産性を向上させつつ、並行して賃金水準を引き上げて「選ばれる企業・事業者」になる以外の生き残り策は考えにくい。 厳しいようだが、全体としての競争力向上や新陳対処の促進を考えれば、対応できない企業や事業者は市場から退出する以外の選択肢はないはずである』、「全体としての競争力向上や新陳対処の促進を考えれば、対応できない企業や事業者は市場から退出する以外の選択肢はないはずである」、その通りだ。
次に、11月30日付け東洋経済オンライン「日本を去って行く「外国人看護師」のもったいなさ 深刻な人手不足も、受け入れ制度が対応せず」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/718138
・『コロナ禍で人手不足があらわになったケア労働者。2040年には医療・介護の担い手は96万人不足すると推計される。外国人を看護師や介護職として受け入れる制度があるが、実情と制度にずれが生じている。 『週刊東洋経済』12月2日号の第1特集は「外国人材が来ない!」。経済大国日本には発展途上国の若い労働者がいくらでもやってくる――そんな時代は終わりつつある。 フィリピン人のAさんは2019年、5年間勤めた日本の病院を辞めて帰国した。「日々の仕事が忙しく、バーンアウトし(燃え尽き)てしまいました」と話す。 Aさんは、EPA(経済連携協定)に基づく外国人ケア労働者の受け入れ制度で来日した。2008年から始まったEPA制度は、インドネシア、フィリピン、ベトナムから看護師・介護福祉士の候補者が来日。候補者たちは施設で働きながら国家試験の合格を目指す。試験に合格すると就労ビザに変わり、定住や家族帯同も可能になる。 民間の人材紹介が介入する技能実習や特定技能といった在留資格に比べ、EPAは公的機関が一元的に受け入れ事務を担うため、候補者に仲介料や前借り金が一切かからないというメリットがある。 しかし近年、看護師候補者は受け入れ定員に及ばず、頭打ちになっている。 最長で4年という在留期間内で、病院で働きながら日本人と同じ条件の国家試験に合格することはハードルが高く、合格率は14%ほど(直近10年間の平均)だ。なぜEPA候補者は減り続け、国家試験の合格者も伸び悩んでいるのだろうか』、「近年、看護師候補者は受け入れ定員に及ばず、頭打ちになっている。 最長で4年という在留期間内で、病院で働きながら日本人と同じ条件の国家試験に合格することはハードルが高く、合格率は14%ほど・・・だ。なぜEPA候補者は減り続け、国家試験の合格者も伸び悩んでいるのだろうか』、「近年、看護師候補者は受け入れ定員に及ばず、頭打ちになっている。 最長で4年という在留期間内で、病院で働きながら日本人と同じ条件の国家試験に合格することはハードルが高く、合格率は14%ほど(直近10年間の平均)だ」、なるほど。
・『不十分な病院でのサポート EPAでの受け入れは経済連携の強化であり、目的は「労働力不足対策ではない」とされている。候補者を受け入れる施設には、資格取得のための支援が義務づけられている。だが、人手不足が深刻化する実際の現場では、十分な勉強時間が与えられていないケースがある。) 冒頭のAさんは2014年に来日し、関西地方の病院で働き始めた。試験対策としては、1日に1時間の勉強時間が与えられるだけだった。「合格者が多い病院では、半日は勉強の時間が取られていた」(Aさん)というように、施設間で支援体制にばらつきがある。 在留期間中に試験に合格できなかったAさんは、看護師よりも試験が易しい准看護師の資格を取得し、同じ病院で働き続けることになった。 EPAは在留期間内に合格できない場合は原則帰国することになっている。だが、准看護師の資格を取得して就労ビザに切り替えることで、さらに最長4年間雇い続けるという施設が現れた。病院からしても、せっかく育てた候補者を帰国させるのは惜しいのだ。 ところが、准看護師になれば日本人と同等の看護人材として雇用するため、病院側のサポート義務もなくなる。Aさんは残業時間が増え、試験勉強の時間がさらに取れなくなる。1年後、病院から引き留められながらも、帰国する道を選んだ。 こうしたことは珍しくない。 「日本人でも難しい医療専門用語を短期間で習得し、働きながら国家試験に合格するのはそうとう難しい。教材と自習時間を与えるだけの施設もあり、こうした独学に近い状態では合格率は低い」と、候補者の試験対策を支援する朝戸サルヴァドール千鶴さんは言う』、「「日本人でも難しい医療専門用語を短期間で習得し、働きながら国家試験に合格するのはそうとう難しい。教材と自習時間を与えるだけの施設もあり、こうした独学に近い状態では合格率は低い」、なるほど。
・『応募条件の緩和が必要 15年前の制度設計が実情にそぐわなくなっているとの指摘もある。EPAの候補者になるための応募条件としては、母国での専門教育や病院での就労経験など、日本人の受験資格では求められない要件までもが課せられている。 例えばフィリピンの場合、看護師候補者として来日するには、本国での看護師資格の取得が必要なうえ、さらに本国の病院でも3年間の就労経験が必要だ。 介護福祉士の候補者になるのも条件が高い。日本人が介護福祉士を受験するには学歴の要件がないが、外国人には本国での看護学校修了や大学の学位などが課せられている。) 過度な学歴や就労経験の要件が課せられたのは、当時「外国人の非熟練労働者の受け入れを認めない」という政府の方針があったからだ。ところがこの間、こうした政府の方針と労働者不足を埋めたい現場とのずれが、しだいにあらわになった。2019年に創設された特定技能は単純労働の業種にも広がっている。 しかし、EPAの要件は見直されないままだ。例えば、EPAの看護師候補者は国家試験の受験が4回までに制限されるなど、厳しい要件がいまだに緩和されていない。 外国人看護師問題に詳しい静岡県立大学国際関係学部の米野みちよ教授は、「コロナ禍を経て、アメリカをはじめ他国では急速に外国人ケア労働者の応募条件を緩めている。日本の応募条件や在留期間を実情に合わせて見直さなければ、他国に取られ、応募者自体がいなくなってしまう」と語る』、「アメリカをはじめ他国では急速に外国人ケア労働者の応募条件を緩めている。日本の応募条件や在留期間を実情に合わせて見直さなければ、他国に取られ、応募者自体がいなくなってしまう」、なるほど。
・『10年がかかりで試験に合格 国家試験に合格した外国人看護師は、医療現場で欠かせない存在になっている。 フィリピン人のBさんは、2011年にEPAの看護師候補者として来日。その後准看護師としても働くも、在留期間中に国家試験に合格できず、2018年にいったん帰国した。帰国後、前出のサルヴァドールさんに出会い、受験のサポートを受けながら試験勉強を続け、2021年についに試験に合格。来日から10年後のことだ。 帰国前に働いていた病院からも戻ってきてほしいと要望があったが、勤務体系が柔軟な有料老人ホームで看護師として働き始めた。Bさんは現在、夫と子どもを日本に招き寄せて家族で暮らしている。 「フィリピンの看護学校の同級生たちはアメリカで働きたいという人が多いけど、私は日本で働きたかった。日本人は優しいし、日本が大好きだったから」とBさんは笑顔で話す。 カナダやアメリカではケア労働者を好条件での受け入れる政策が進み、世界的な人材の奪い合いが加速している。Bさんのようにあきらめずに日本で看護師を目指す人もいるが、魅力的な受け入れ条件のある国に流れていく人もいるだろう。日本で育てた貴重な候補者たちの定着を図るためにも、制度を見直す時だ』、「カナダやアメリカではケア労働者を好条件での受け入れる政策が進み、世界的な人材の奪い合いが加速している。Bさんのようにあきらめずに日本で看護師を目指す人もいるが、魅力的な受け入れ条件のある国に流れていく人もいるだろう。日本で育てた貴重な候補者たちの定着を図るためにも、制度を見直す時だ」、その通りだ。
タグ:外国人労働者問題 (その21)(外国人労働者に選んでもらわないと立ち行かないのに ますます日本が「選ばれない国」に…優柔不断でピンボケの政策判断しかできない岸田政権の「大罪」、日本を去って行く「外国人看護師」のもったいなさ 深刻な人手不足も、受け入れ制度が対応せず) 現代ビジネス 町田 徹氏による「外国人労働者に選んでもらわないと立ち行かないのに、ますます日本が「選ばれない国」に…優柔不断でピンボケの政策判断しかできない岸田政権の「大罪」 「政府に、今なお日本が圧倒的な経済大国という驕りが横たわっていた問題も見逃せない。「外国人技能実習制度」の目的を、「人材育成による国際貢献」と位置付けていた点が、そうした誤認と驕りの象徴になっていた。 半面、政府部内にも、以前から、国際的な労働市場の実情と日本の問題を適格に把握していた部署もある。例えば、経済産業省が2022年4月にまとめた「未来人材ビジョン」は、 「日本は、高度外国人から選ばれない国になっている」との問題意識を明確にしたうえで、「外国人から『選ばれる国』になる意味でも、社会システム全体の見直しが迫られている」と正鵠を射た提言を出していた」、そn通りだ。 「家族の帯同は、その代表的なポイントだろう。 家族の帯同に対する消極的な対応は、安倍元政権以来、外国人労働者の受け入れ問題が議論の俎上に上がるたびに、継続してきた問題だ。 今なお、この消極的な対応をする裏には、自民党支持層に移民への根強い反発があることへの配慮があるとみられている』、その通りだ。 「全体としての競争力向上や新陳対処の促進を考えれば、対応できない企業や事業者は市場から退出する以外の選択肢はないはずである」、その通りだ。 東洋経済オンライン「日本を去って行く「外国人看護師」のもったいなさ 深刻な人手不足も、受け入れ制度が対応せず」 「近年、看護師候補者は受け入れ定員に及ばず、頭打ちになっている。 最長で4年という在留期間内で、病院で働きながら日本人と同じ条件の国家試験に合格することはハードルが高く、合格率は14%ほど・・・だ。なぜEPA候補者は減り続け、国家試験の合格者も伸び悩んでいるのだろうか』、「近年、看護師候補者は受け入れ定員に及ばず、頭打ちになっている。 最長で4年という在留期間内で、病院で働きながら日本人と同じ条件の国家試験に合格することはハードルが高く、合格率は14%ほど(直近10年間の平均)だ」、なるほど。 「「日本人でも難しい医療専門用語を短期間で習得し、働きながら国家試験に合格するのはそうとう難しい。教材と自習時間を与えるだけの施設もあり、こうした独学に近い状態では合格率は低い」、なるほど。 「アメリカをはじめ他国では急速に外国人ケア労働者の応募条件を緩めている。日本の応募条件や在留期間を実情に合わせて見直さなければ、他国に取られ、応募者自体がいなくなってしまう」、なるほど。 「カナダやアメリカではケア労働者を好条件での受け入れる政策が進み、世界的な人材の奪い合いが加速している。Bさんのようにあきらめずに日本で看護師を目指す人もいるが、魅力的な受け入れ条件のある国に流れていく人もいるだろう。日本で育てた貴重な候補者たちの定着を図るためにも、制度を見直す時だ」、その通りだ。
歴史問題(その21)(チューリングの哲学3題:ナチス・ドイツを敗北に導いた「超天才」チューリングの波乱万丈な人生と不幸な「死の謎」、「大胆であれ」天才を生んだ華麗なる血脈と家訓…チューリング一族の歴史をたどる、両親から離れて育った「孤立」が育んだ思考とは? 超天才チューリングの幼少期) [社会]
歴史問題については、本年8月17日に取上げた。今日は、(その21)(チューリングの哲学3題:ナチス・ドイツを敗北に導いた「超天才」チューリングの波乱万丈な人生と不幸な「死の謎」、「大胆であれ」天才を生んだ華麗なる血脈と家訓…チューリング一族の歴史をたどる、両親から離れて育った「孤立」が育んだ思考とは? 超天才チューリングの幼少期)である。
先ずは、本年9月3日付け現代ビジネスが掲載した國學院大學教授の高橋 昌一郎氏による「ナチス・ドイツを敗北に導いた「超天才」チューリングの波乱万丈な人生と不幸な「死の謎」 連載「チューリングの哲学」第1回」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/136291
・『21世紀の現在も燦然と輝き続ける業績を遺した3人の「超天才」たち。クルト・ゲーデル、ジョン・フォン・ノイマンに続き、アラン・チューリングの偉業と彼が辿った数奇な運命を、國學院大學教授・高橋昌一郎氏が解説していく。連載初回となる今回は、3人の「超天才」について、それぞれの人生の全体像を俯瞰するとともに、彼らの接点を紹介する』、興味深そうだ。。
・『天才の光と影 今春、『天才の光と影 ノーベル賞受賞者23人の狂気』(PHP研究所)という単行本を上梓した。この拙著では、とくに私が独特の「狂気」を感得したノーベル賞受賞者23人を厳選して、彼らの波乱万丈で数奇な人生を辿っている。 一般に、ノーベル賞を受賞するほどの研究を成し遂げた「天才」は、すばらしい「人格者」でもあると思われがちだが、実際には必ずしもそうではない。 フィリップ・レーナルト(1905年・物理学賞)のようにヒトラーの写真を誇らしげに書斎に飾っていた「ナチス崇拝者」もいれば、「妻と愛人と愛人の子ども」と一緒に暮したエルヴィン・シュレーディンガー(1933年・物理学賞)のような「一夫多妻主義者」もいる。「光るアライグマ(実はエイリアン)」と会話を交わしたという「薬物中毒」のキャリー・マリス(1933年・化学賞)や、「アルコール依存症」で売春街から大学に通ったヴォルフガング・パウリ(1945年・物理学賞)、「超越瞑想」に「オカルト傾倒」して周囲を唖然とさせたブライアン・ジョセフソン(1973年・物理学賞)のような天才も存在する。 どんな天才にも、輝かしい「光」に満ちた栄光の姿と、その背面に暗い「影」の表情がある。物理学界の2大巨頭であるアルベルト・アインシュタイン(1921年・物理学賞)とニールス・ボーア(1922年・物理学賞)や、化学界の巨頭ライナス・ポーリング(1954年・化学賞/1962年・平和賞)でさえ、天才と狂気の紙一重の精神を抱えていた。読者には、ぜひ通常では見られない彼らの特異な「人生観」を読み取っていただけたら幸いである。 さて、『天才の光と影』に登場するノーベル賞受賞者たちを超えて、21世紀の現代社会に計り知れない影響を与え続けている「超天才」が3人存在する。その3人とは、ジョン・フォン・ノイマン、クルト・ゲーデル、アラン・チューリングである。 この3人は、20世紀のほぼ同じ時代に生きて、各々が独自のアプローチで人間理性の限界に迫り、まるで螺旋状に絡まるように人生の幾つかの重要な接点でお互いに何度か交差している。 彼らの代表的な講演・論文については拙著『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)に訳出してあるので、ご参照いただけたら幸いである』、「『天才の光と影』に登場するノーベル賞受賞者たちを超えて、21世紀の現代社会に計り知れない影響を与え続けている「超天才」が3人存在する。その3人とは、ジョン・フォン・ノイマン、クルト・ゲーデル、アラン・チューリングである。 この3人は、20世紀のほぼ同じ時代に生きて、各々が独自のアプローチで人間理性の限界に迫り、まるで螺旋状に絡まるように人生の幾つかの重要な接点でお互いに何度か交差している」、なるほど。
・『「人間のフリをした悪魔」フォン・ノイマン ノイマンは、1903年12月28日にハンガリーのブダペストで生まれた。裕福なユダヤ家系の出身である。 ノイマンと少年時代を共に過ごしたノーベル物理学賞受賞者ユージン・ウィグナーは、「なぜ当時のブダペストに多くの天才が出現したのか」と問われて、「その質問は的外れだ。なぜなら天才と呼べるのはただ一人、フォン・ノイマンだけだからね」と答えている。 後にアメリカのロスアラモス研究所でノイマンと一緒に原子爆弾の爆縮法を研究したノーベル物理学賞受賞者ハンス・ベーテは、「ノイマンの頭脳は常軌を逸している。彼は人間よりも進化した生物ではないか」と本気で考えていた。 もしノイマンがいなければ、原子爆弾は1945年に完成しなかったかもしれず、投下地点は彼が戦後処理を見越して猛反対した東京に決定していたかもしれない。また、現代のパソコンやスマートフォンや天気予報は存在しないかもしれない。 ノイマンは、彼自身が推進した核実験で何度も放射線を浴びたため骨髄癌を発症し、1957年に逝去した。わずか53年あまりの短い生涯の間に、論理学・数学・物理学・化学・計算機科学・情報工学・生物学・気象学・経済学・心理学・社会学・政治学という極めて幅広い分野に関する150編の先駆的な論文を発表した。 彼の死後、生前の論文を集めて出版された『フォン・ノイマン著作集』は、全6巻で合計3,689ページに及ぶ。第1巻「論理学・集合論・量子力学」、第2巻「作用素・エルゴード理論・群における概周期関数」、第3巻「作用素環論」、第4巻「連続幾何学とその他の話題」、第5巻「コンピュータ設計・オートメタ理論と数値解析」、第6巻「ゲーム理論・宇宙物理学・流体力学・気象学」というタイトルを眺めるだけでも、彼がどれほど多彩な専門分野に影響を及ぼしたのかがわかるだろう。 天才だけが集まるプリンストン高等研究所の教授陣の中でも、さらに桁違いの超人的な能力を示したノイマンは、「人間のフリをした悪魔」と呼ばれた。拙著『フォン・ノイマンの哲学』(講談社現代新書)では、その綽名を副題にして、ノイマンの生涯と思想を探究した。 そこに浮かび上がってきたのは、科学で可能なことは徹底的に突き詰めるべきだという「科学優先主義」、目的のためならどんな非人道的兵器でも許されるという「非人道主義」、この世界には普遍的な道徳や責任など存在しないという一種の「虚無主義」である。 第2次世界大戦後、ノイマンは、ソ連を先制核攻撃すべきだとハリー・トルーマン大統領に進言した。彼は「ソ連を攻撃すべきか否かは、もはや問題ではありません。問題は、いつ攻撃するか、ということです」と主張し、「明日爆撃すると言うなら、なぜ今日ではないのかと私は言いたい。今日の5時に攻撃すると言うなら、なぜ1時にしないのかと私は言いたい!」と叫んだ。この発言によって、彼は「マッド・サイエンティスト」の代表とみなされるようになった。 それにしても、驚くべきことに、プログラム内臓方式の「ノイマン型コンピュータ」、量子論の数学的基礎に登場する「ノイマン環」、ゲーム理論における「ノイマンの定理」など、20世紀に進展した科学理論のどの研究分野を遡っても、いずれどこかで必ず何らかの先駆者として「ノイマン」の付いた業績に遭遇する。 ちなみにネットで検索すると、「ノイマン集合」「ノイマン・モデル」「ノイマン・パラドックス」など、彼の名前が冠された専門用語を50種類以上発見できる。ノイマンは、明らかにノーベル物理学賞と経済学賞を受賞するだけの業績を挙げていたが、早世したため、その機会はなかった。 そのノイマンが、「20世紀最高の知性」と呼ばれるたびに、「それは自分ではなくゲーデルだ」と返答した』、「もしノイマンがいなければ、原子爆弾は1945年に完成しなかったかもしれず、投下地点は彼が戦後処理を見越して猛反対した東京に決定していたかもしれない。また、現代のパソコンやスマートフォンや天気予報は存在しないかもしれない。 ノイマンは、彼自身が推進した核実験で何度も放射線を浴びたため骨髄癌を発症し、1957年に逝去した。わずか53年あまりの短い生涯の間に、論理学・数学・物理学・化学・計算機科学・情報工学・生物学・気象学・経済学・心理学・社会学・政治学という極めて幅広い分野に関する150編の先駆的な論文を発表した・・・第2次世界大戦後、ノイマンは、ソ連を先制核攻撃すべきだとハリー・トルーマン大統領に進言した。彼は「ソ連を攻撃すべきか否かは、もはや問題ではありません。問題は、いつ攻撃するか、ということです」と主張・・・「マッド・サイエンティスト」の代表とみなされるようになった・・・プログラム内臓方式の「ノイマン型コンピュータ」、量子論の数学的基礎に登場する「ノイマン環」、ゲーム理論における「ノイマンの定理」など、20世紀に進展した科学理論のどの研究分野を遡っても、いずれどこかで必ず何らかの先駆者として「ノイマン」の付いた業績に遭遇する・・・ノイマンは、明らかにノーベル物理学賞と経済学賞を受賞するだけの業績を挙げていたが、早世したため、その機会はなかった。 そのノイマンが、「20世紀最高の知性」と呼ばれるたびに、「それは自分ではなくゲーデルだ」と返答した」、なるほど。
・『「アリストテレス以来の天才論理学者」ゲーデル ゲーデルは、1906年4月28日、オーストリア・ハンガリー帝国のブルンで生まれた。勤勉なドイツ家系の出身である。 1930年、ゲーデルが24歳の若さで「不完全性定理」を発表したとき、その証明の内容を誰よりも早く理解し、その独創性と重要性を見抜いたのが、ノイマンだった。彼はゲーデルの定理を「時間と空間をはるかに越えても見渡せる不滅のランドマーク」だと賞賛した。 この定理は、当時ノイマンが推進していた「ヒルベルト・プログラム」が「達成不可能」であることを論理的に証明している。生まれてから一度も人に先を越されたことがないノイマンにとって、この事実に自分が先に気付かなかったことは、大きなショックだったに違いない。その後、ノイマンは、この分野の第一人者の地位をゲーデルに譲り、二度と数学基礎論に関する論文を発表しなかった。 ゲーデルは、すでにその前年にウィーン大学に提出した博士論文において、古典的論理の完結性を表す「完全性定理」を証明している。この定理は、アリストテレスの三段論法に始まる推論規則が完全に形式体系化されることを示すもので、いわば古典論理学を完成させた偉業といえる。ゲーデルが「アリストテレス以来の天才論理学者」と呼ばれる由縁である。 さらにゲーデルは「選択公理と一般連続体仮説の無矛盾性」を証明し、その後の公理的集合論の発展に大きな影響を及ぼした。これらの抜群の業績によって、ゲーデルは順調にウィーン大学講師に就任したが、その直後にナチス・ドイツがオーストリアを占領して、ドイツ国防軍司令部から「守備隊勤務適合」の通知が届いた。ゲーデルは、いつ彼の嫌悪するナチスの軍隊から招集されるかわからない状況に陥ったのである。彼の持病の神経衰弱と鬱病は一挙に悪化し、ゲーデルは自殺願望を抱くようになった。 そのゲーデルを助けたのが、ノイマンだった。当時のノイマンは、合衆国の原水爆開発とコンピュータ開発の中枢で重責を負い、プリンストンとワシントンを分刻みのスケジュールで往復しながら、政府や軍の最高レベルの関係者と対等に議論できる立場にあった。彼は「ゲーデルをヨーロッパの瓦礫の中から救い出すことほど重要なことはない」とアメリカ国務省の上層部を説得した。 その結果、ゲーデルは「ありとあらゆる手段」によってウィーンから救出され、ノイマンのいたプリンストン高等研究所に招聘された。 そこでゲーデルと親友になったのが、物理学者アルベルト・アインシュタインである。晩年のアインシュタインは、「私が研究所に行くのは、ゲーデルと散歩する恩恵に浴するためだ」とまで述べている。2人は、毎日のように一緒に散歩をしながら一般相対性理論について議論を重ねた。その結果、ゲーデルは、アインシュタインの重力場方程式に「回転宇宙論解」と呼ばれる新たな解を発見した。 ゲーデルの生涯の頂点は、1951年に訪れた。この年にゲーデルは、第1回アインシュタイン賞を受賞し、アメリカ数学会最高の栄誉である「ギブス講演」を行った。この講演でゲーデルは「イギリスの数学者チューリングが見出した有限の手続きの概念を有限個の部分から構成される機械の概念に還元する方法」に触れ、その方法が導く「哲学的帰結は大いに注目されるべきである」と賞賛している。 ゲーデルは、この講演を最後に「人格障害による栄養失調および飢餓衰弱」により71歳で生涯を閉じるまで、26年間にわたる隠遁生活をおくった。この時期のゲーデルが何を研究しているのかは当時から一種の謎だったが、残された遺稿から、実はゲーデルは「生命と機械」に関する哲学的議論を追究していたことがわかっている。その詳細については、拙著『ゲーデルの哲学』(講談社現代新書)をご参照いただきたい』、「当時のノイマンは、合衆国の原水爆開発とコンピュータ開発の中枢で重責を負い、プリンストンとワシントンを分刻みのスケジュールで往復しながら、政府や軍の最高レベルの関係者と対等に議論できる立場にあった。彼は「ゲーデルをヨーロッパの瓦礫の中から救い出すことほど重要なことはない」とアメリカ国務省の上層部を説得した。 その結果、ゲーデルは「ありとあらゆる手段」によってウィーンから救出され、ノイマンのいたプリンストン高等研究所に招聘された。 そこでゲーデルと親友になったのが、物理学者アルベルト・アインシュタインである。晩年のアインシュタインは、「私が研究所に行くのは、ゲーデルと散歩する恩恵に浴するためだ」とまで述べている。2人は、毎日のように一緒に散歩をしながら一般相対性理論について議論を重ねた」、なるほど。
・『エニグマ暗号を解読した「超天才」チューリング さて、すでに新書化したノイマンとゲーデルに続き、本連載では3人目の「超天才」チューリングがどのような生涯をおくり、いかなる思想に到達し、21世紀に生きる私たちに何を遺したのか、その意味を探究するつもりである。 チューリングは、1912年6月23日、ロンドンで生まれた。彼の父親は、スコットランド系貴族の家系出身で、大英帝国政府代表部の高等文官としてインド帝国に赴任していた。そこで結婚した彼は、息子をインドではなくイギリスで育てる方針だったため、チューリングは幼少期からイギリス南部の退役軍人の家庭で育てられた。そこで彼は反抗し、生意気でだらしない性格になった。 チューリングの天賦の才能が開花したのは、彼が15歳のとき、パブリック・スクールで1歳年上のクリストファー・マルコムと出会ったことがきっかけだった。 眉目秀麗なマルコムは、どの科目も全校トップの秀才で、とくに数学と科学では抜群の能力を誇っていた。この「初恋の相手」に気に入られようとチューリングは猛勉強を始め、ついにマルコムと同じようにケンブリッジ大学への進学を目指すようになったのである。 偏屈な変わり者で、誰からも相手にされなかったチューリングに、マルコムは音楽やビリヤードの楽しさを教え、一緒に化学実験や天体観測を行った。ところが、ケンブリッジ大学から合格通知が届いた直後、マルコムは結核のため倒れ、数週間後に急逝してしまった。 失意のどん底に陥ったチューリングは、自殺しようとするが、マルコムの両親から励まされて、マルコムのために生きることを決意する。 1936年、チューリングは、ゲーデルが不完全性定理を証明したのと同じ24歳の若さで「計算可能性とその決定問題への応用」を発表した。この画期的な論文において、彼は、あらゆる命令を一定の規則に基づく記号列に置き換えて計算する理想機械「チューリング・マシン」を提起している。ここでチューリングの用いた概念が、あらゆる情報をデジタル処理する現在のコンピュータに実現されているわけである。 この論文を発表した直後、チューリングはケンブリッジ大学の奨学金を得てアメリカのプリンストン大学大学院に留学した。 チューリングは2年間近くプリンストンに滞在したため、この街にノイマンとゲーデルとチューリングの3人の「超天才」が一堂に集まったわけだが、不思議なことに、チューリングは一度もゲーデルと会った形跡がない。 一方、チューリングと何度も面会して彼の能力を高く評価したノイマンは、高等研究所で彼の助手にならないかと誘ったが、チューリングは帰国してイギリスの軍に志願する道を選んだ。 ロンドン郊外にあるイギリス情報局秘密情報部の暗号機関ブレッチリー・パークに赴任したチューリングは、難攻不落と呼ばれるナチス・ドイツ軍の暗号機「エニグマ」の解読に取り掛かった。 この暗号機は、アルファベットに対応する26個の電気接点が並んだ円盤状のローターが何枚か組み合わされただけの比較的単純な構造であるにもかかわらず、ローター3枚だけで毎秒1,000通りを調べても30億年かかるほどの天文学的な配置の組み合わせを生じさせる。 したがって、暗号の送り手と受け手が、ローターが同じように初期設定された同一のエニグマを持っていなければ、解読は不可能だとみなされていた。 これに対して、チューリングは、36機のエニグマの動作を同時にシミュレートできる暗号解読機「ボンブ」を開発し、ローターの配置可能性を個別に探知する方法で、ついにその解読を成功させた! エニグマ暗号解読は、ナチス・ドイツを敗北に導いた最大の要因ともいわれるほどの功績である。つまり、チューリングは、連合国軍を勝利に導いた「英雄」であり、1945年にはチャーチル首相から「大英帝国勲章」を授与されている。ただし、この受勲は1970年代まで公表されず、関係者の口外も固く禁じられたため、チューリングの偉業は、母親でさえ知らなかった』、「暗号の送り手と受け手が、ローターが同じように初期設定された同一のエニグマを持っていなければ、解読は不可能だとみなされていた。 これに対して、チューリングは、36機のエニグマの動作を同時にシミュレートできる暗号解読機「ボンブ」を開発し、ローターの配置可能性を個別に探知する方法で、ついにその解読を成功させた! エニグマ暗号解読は、ナチス・ドイツを敗北に導いた最大の要因ともいわれるほどの功績である。つまり、チューリングは、連合国軍を勝利に導いた「英雄」であり、1945年にはチャーチル首相から「大英帝国勲章」を授与されている」、なるほど。
・『チューリングの死と名誉回復 戦後、チューリングはマンチェスター大学で新型コンピュータを開発し、世界で最初のチェス・プログラムを書いている。1950年、37歳のチューリングは「機械は考えることができるか」という問題を徹底的に追究した記念碑的論文「計算機械と知性」を発表した。 彼は、この問題を単なる哲学的な議論に陥らせないために「チューリング・テスト」を生み出し、その概念は今も「機械の思考」を測る基準とみなされている。このように、チューリングの驚くべき独創性は、「思考」や「計算」のような抽象概念を具体的に処理可能にする方法を発見する際に発揮された。 彼の研究は、機械から生命の形態形成へ向かい、反応拡散系において自発的に「チューリング・パターン」と呼ばれる空間的パターンが生じることを理論的に示した。その後、このパターンは実際の多彩な生物の体表面模様において実証されている。 チューリングの研究活動は大いに充実していたが、少年時代から同性愛者であることを自覚していたチューリングにとって、私生活での安定は望めなかった。 実は、戦時中、彼が同性愛者であることを受け入れたうえで、それでも彼を愛して結婚を承諾した女性がいたのだが、結果的にチューリング自ら婚約を破棄したという悲愴な出来事もあった。 1952年、39歳のチューリングは、映画館で知り合った19歳の青年を自宅に招いて宿泊させた。その数週間後、チューリングの自宅に泥棒が入り、警察の捜査の結果、犯人はその青年と彼のゲイ仲間であることがわかった。 チューリングは、窃盗の被害者であったにもかかわらず、裁判の過程で同性愛者であることが公開されてしまった。 当時のイギリスで同性愛は「違法」であり、彼に下された判決は、留置場に収監されるか、性欲を抑制するために定期的に化学的去勢療法を受けるか、どちらかを選ぶという刑罰だった。チューリングは化学的去勢療法を選び、定期的にテストステロン値を下げる女性ホルモンを投与されることになった。 この事件によって、彼はイギリス政府に関連する研究機関への立ち入りが禁止された。王立協会フェローでもある大学教授のスキャンダルは、新聞に大きく報道された。 それから2年後、1954年6月8日午後5時頃、41歳のチューリングが死亡している姿をメイドのクレイトン夫人が発見した。ベッドの脇には、齧りかけのリンゴがあった。 検死報告書で明らかになったのは、彼の肺や胃から「強いアーモンドの香りがする青酸化合物」が検出されたということで、そこから青酸化合物を塗ったリンゴを齧った「服毒自殺」であると結論付けられている。 しかし、駆け付けた母親サラは、チューリングが自殺するはずはないと主張した。まず、これまで何でも報告していたサラに遺言がないのがおかしい。また、寝る前にリンゴを齧るのは、以前からのチューリングの習慣だった。 クレイトン夫人によれば、7日夜のチューリングは上機嫌で彼女の作った夕食を食べている。調べてみると、チューリングは、6月9日に数学者バーナード・リチャーズと面会の約束があり、大学の研究室に残されていた予定表には、翌週以降の予定も多く書き込まれていた。 チューリングの部屋には、彼の趣味である化学実験道具があった。天井の電燈には変圧器が取り付けられ、電線が蒸発皿の電極に繋げられ、その皿には青酸化合物で生じた泡が付着していた。彼は、この装置でスプーンを金メッキしていたのである。 物事に頓着しないチューリングは、青酸化合物の結晶をジャム瓶に入れて保存していた。つまり彼は、電気分解をしているうちに青酸ガスを吸い込み過ぎたか、あるいは間違って結晶を飲み込んでしまったため、「事故死」に違いないというのが、サラの主張である。 この主張に対しては、チューリングがサラを悲しませないため、あえて遺書を残さず、事故に見せかけて自殺したという見解もある。 さらに小説じみた話になるのだが、私は、実はチューリングはイギリスの諜報機関に抹殺されたのではないかと考えている。その理由と背景の事情については、本連載の最後で種明かしをするつもりである。 いずれにしても、チューリングの死後、彼の「同性愛」に与えられた屈辱的な「処罰」に対して大きな批判が巻き起こった。彼の死から55年が過ぎた2009年、イギリスのゴードン・ブラウン首相は、チューリングに対する「処罰が完全に不当であったことを認め、ここに深く遺憾の意を表明する」とイギリス政府として公式に「謝罪」を表明した。 チューリングの生誕109周年を迎えた2021年には、イギリスに新「50ポンド紙幣」が誕生した。表にエリザベス女王、裏にチューリングの肖像がある』、「チューリングは、窃盗の被害者であったにもかかわらず、裁判の過程で同性愛者であることが公開されてしまった。 当時のイギリスで同性愛は「違法」であり、彼に下された判決は、留置場に収監されるか、性欲を抑制するために定期的に化学的去勢療法を受けるか、どちらかを選ぶという刑罰だった。チューリングは化学的去勢療法を選び、定期的にテストステロン値を下げる女性ホルモンを投与されることになった。 この事件によって、彼はイギリス政府に関連する研究機関への立ち入りが禁止された。王立協会フェローでもある大学教授のスキャンダルは、新聞に大きく報道された。 それから2年後、1954年6月8日午後5時頃、41歳のチューリングが死亡している姿をメイドのクレイトン夫人が発見した。ベッドの脇には、齧りかけのリンゴがあった。 検死報告書で明らかになったのは、彼の肺や胃から「強いアーモンドの香りがする青酸化合物」が検出されたということで、そこから青酸化合物を塗ったリンゴを齧った「服毒自殺」であると結論付けられている。 しかし、駆け付けた母親サラは、チューリングが自殺するはずはないと主張した。まず、これまで何でも報告していたサラに遺言がないのがおかしい。また、寝る前にリンゴを齧るのは、以前からのチューリングの習慣だった。 クレイトン夫人によれば、7日夜のチューリングは上機嫌で彼女の作った夕食を食べている。調べてみると、チューリングは、6月9日に数学者バーナード・リチャーズと面会の約束があり、大学の研究室に残されていた予定表には、翌週以降の予定も多く書き込まれていた。 チューリングの部屋には、彼の趣味である化学実験道具があった。天井の電燈には変圧器が取り付けられ、電線が蒸発皿の電極に繋げられ、その皿には青酸化合物で生じた泡が付着していた。彼は、この装置でスプーンを金メッキしていたのである。 物事に頓着しないチューリングは、青酸化合物の結晶をジャム瓶に入れて保存していた。つまり彼は、電気分解をしているうちに青酸ガスを吸い込み過ぎたか、あるいは間違って結晶を飲み込んでしまったため、「事故死」に違いないというのが、サラの主張である・・・彼の死から55年が過ぎた2009年、イギリスのゴードン・ブラウン首相は、チューリングに対する「処罰が完全に不当であったことを認め、ここに深く遺憾の意を表明する」とイギリス政府として公式に「謝罪」を表明した。 チューリングの生誕109周年を迎えた2021年には、イギリスに新「50ポンド紙幣」が誕生した。表にエリザベス女王、裏にチューリングの肖像がある」、なるほど。
次に、10月1日付け現代ビジネスが掲載した高橋 昌一郎氏による「「大胆であれ」天才を生んだ華麗なる血脈と家訓…チューリング一族の歴史をたどる 連載「チューリングの哲学」第2回」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/138190
・『・・・子孫に「大胆であれ」と命じた家訓 アラン・チューリングは、1912年6月23日、ロンドンのパディントン駅の北に位置するウォリントン・クレッセント2番地の産院で生まれた。この産院は、今では改築されて白亜の「ザ・コロネード・ホテル」となり、玄関にはチューリング生誕の「英国遺産」であることを記念する「ブルー・プラーク」が埋め込まれている。 彼の父方の家系は、スコットランドに移住したノルマン人である。その家系図は 1316 年生まれのウィリアム・チューリン(Turin)にまで遡る。ウィリアムは、スコットランド王ジェームズ6世から「騎士(knight)」に叙せられ、その際に姓の最後に「g」を付け加えて「チューリング(Turing)」と改姓した。 彼が定めたチューリング家の家訓は「運命の女神は、大胆に振る舞う者を助ける(ラテン語:Fortuna audentes Juvat)」である。この言葉は、チューリングの幾つかの英文伝記資料に登場するのだが、それ以上の説明がない。 そこで気になって調べてみたところ、紀元前70年に生まれた古代ローマ時代の詩人プーブリウス・ウェルギリウス・マローの叙事詩『アエネーイス(ラテン語:Aeneis)』に登場する言葉であるらしいことがわかった。 『アエネーイス』は、ローマ建国の物語を歌う全12巻の壮大な叙事詩で、ラテン文学の傑作として知られる。主人公は、ホメロスの『イーリアス』に登場するトロイアの英雄アエネーイスで、トロイア陥落後に放浪した末、新天地イタリアに辿り着く。そこで、イタリアの王トゥルヌスと一騎打ちの勝負をすることになるのだが、まさにその勝負が決まりそうな場面で物語は終わる。 そのトゥルヌスが「運命の女神は、大胆に振る舞う者を助ける」と語るのだが、なぜウィリアムは主人公ではなく敵の言葉を選んでチューリング家の家訓としたのか。単純に子孫に「大胆であれ」と命じたかったのか、あるいは何か他に裏の意味があったのか、想像を膨らませると興味深い。 いずれにしても、初代チューリングから596年後に生まれた子孫アラン・チューリングが、「エニグマ」暗号を解読してナチス・ドイツを敗北に導き、コンピュータを発明して人類に大きな影響を及ぼした「大胆な振る舞い」を考えると、家訓は活かされたとみなすべきかもしれない。 ウィリアムは、アバディーンシャー州のフォヴェランを領地とした。その数世代後の子孫ジョン・チューリングは、1639年、イングランド王チャールズ1世から「準男爵(Baronet)」に叙せられた。 ところが、チャールズ1世は、ピューリタン革命により1649年にオリバー・クロムウェルら議会派から処刑される。国王に忠誠を尽くしたジョンは、今度はチャールズ2世を支援して戦うが、ウスターの戦いでクロムウェル軍に敗北した。その結果、ジョンはチューリング家が300年以上所有していた領地すべてを失ってしまった。 1660年には「王政復古」が成立し、ジョンは領地の賠償を願い出たが、もはや弱体化した王権下では、その願いは叶えられなかった。そこでチューリング一族は、スコットランドからイングランドに移住したらしい。 その数代後、1744年生まれのサー・ロバート・チューリングは医者になって東インドで大成功し、莫大な財産を築いて、スコットランドのバンフに引退して暮らした。彼の子孫はオランダに移住し、ロッテルダムのイギリス領事を歴任している』、「なぜウィリアムは主人公ではなく敵の言葉を選んでチューリング家の家訓としたのか。単純に子孫に「大胆であれ」と命じたかったのか、あるいは何か他に裏の意味があったのか、想像を膨らませると興味深い。 いずれにしても、初代チューリングから596年後に生まれた子孫アラン・チューリングが、「エニグマ」暗号を解読してナチス・ドイツを敗北に導き、コンピュータを発明して人類に大きな影響を及ぼした「大胆な振る舞い」を考えると、家訓は活かされたとみなすべきかもしれない」、なるほど。
・『数学に秀でた祖父、文系エリートの父 チューリングの祖父に当たるジョン・ロバート・チューリングは、1826年1月1日に生まれた。 ジョン・ロバートはケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに進学した。彼は、成績優秀である一方で、睡眠中に起き上がって屋根の上を歩く「夢遊病」で知られる不思議な学生だったという。彼は1848年に「トライポス(Tripos)」と呼ばれる卒業試験を受けた。 はるか昔から続くケンブリッジ大学の「トライポス」とは「三脚椅子」のことで、学生たちが試験を受ける際に三脚椅子に座ったことから名付けられたという伝説がある。この試験の結果は公表され、成績優秀者は「ラングラー」と称されて特別扱いされた。 17世紀から19世紀に行なわれた「オールド・トライポス」は「上院試験」でもあり、成績優秀者は、文字通り政界や官界における将来の地位と栄誉を約束された。その意味で「トライポス」は、中国の「科挙」に類似した制度といえるだろう。 この伝統を引き継ぐ19世紀のケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの数学科は、とくに厳しい「数学トライポス」を課すことで知られた。受験者は、8日間に合計48時間にわたって16の分野に及ぶ200以上の難問を解かなければならない。 この試験が「受験生の精神を消耗させ、多大なダメージを与える」ことは、「進化論」を生んだチャールズ・ダーウィンや「整数論」で知られる数学者ゴッドフレイ・ハーディでさえ嘆いて書き残している。 ジョン・ロバートは、この難関の「数学トライポス」で11位の好成績を収め、「シニア・ラングラー」の称号を得た。ところが、なぜか彼は数学を活かす研究職に就かず、司祭となる道を選んだ。 1859年、ジョン・ロバートはトリニティ・カレッジ礼拝堂の司祭に就任した。1861年、35歳のジョン・ロバートは、女学校を卒業したばかりの19歳のファニー・モンタギュー・ボイドと結婚した。 夫妻は、よほど仲がよかったのか、10人の子どもを儲けている。その内2人は早世し、男子4人と女子4人の8人の子どもを育てた。司祭の報酬で大家族を養うことは大変だったはずだが、貧しくとも温かい家庭だったという。 大家族の次男に相当するジュリアス・チューリングは、1873年11月9日に生まれた。 彼が10歳になった1883年にジョン・ロバートが亡くなると、母親ファニーを支えたのは、長姉ジーンだった。ジーンはグラマースクールの教師となり、後には自ら学校を開学し、広大な領地を所有する貴族と結婚した。 ジーンの3人の妹は、学校教師あるいは社会奉仕者となり、生涯未婚で家族に尽くした。その最大の理由は、ヴィクトリア朝のイギリスで、チューリング家の4人の男子を立派に成長させるためだった。 結果的に、長男はインドで戦死したが、三男はジャーナリスト、四男は弁護士となって社会的成功を収めた。4人の男子の中でも最も家族に栄誉をもたらしたのが、チューリングの父親となる次男のジュリアスである』、「ジョン・ロバートは、女学校を卒業したばかりの19歳のファニー・モンタギュー・ボイドと結婚した。 夫妻は、よほど仲がよかったのか、10人の子どもを儲けている。その内2人は早世し、男子4人と女子4人の8人の子どもを育てた。司祭の報酬で大家族を養うことは大変だったはずだが、貧しくとも温かい家庭だったという。 大家族の次男に相当するジュリアス・チューリングは、1873年11月9日に生まれた。 彼が10歳になった1883年にジョン・ロバートが亡くなると、母親ファニーを支えたのは、長姉ジーンだった。ジーンはグラマースクールの教師となり、後には自ら学校を開学し、広大な領地を所有する貴族と結婚した・・・、長男はインドで戦死したが、三男はジャーナリスト、四男は弁護士となって社会的成功を収めた。4人の男子の中でも最も家族に栄誉をもたらしたのが、チューリングの父親となる次男のジュリアスである」、なるほど。
・『父のジュリアス・チューリング ジュリアスは、父親と違って数学は苦手で「なぜマイナスとマイナスを掛けるとプラスになるのか、まったく意味不明だ。僕の理解を超えているよ」と、後に妻に冗談めかして語っている。 しかし、歴史学では優秀な成績で奨学金を獲得し、オックスフォード大学コーパスクリスティ・カレッジに進学した。彼は1894年に文学の学士号を取得し、1895年8月の国家公務員試験で154人中7位という好成績を収めた。 当時のイギリスのエリートたちは、ヴィクトリア女王が直接統治するイギリス領インド帝国を目指した。猛暑で不衛生なインドでの行政府の仕事は過酷だったが、その報酬は本国公務員の数倍にもなったという。 ジュリアスは、タミール語やインドの法律や歴史を猛勉強して、1896年に実施されたインド行政府試験でも7位の好成績を獲得した。 1896年12月7日、23歳のジュリアスは、意気揚々とインド帝国マドラス行政管区に着任した。その後の10年間、彼は収税官としてインド各地の農村を視察し、現地の農業や灌漑、予防接種や公衆医療の状況を報告すると同時に収税を監督した。 1906年、33歳になったジュリアスはマドラス行政管区収税官長に任命され、1907年4月にイギリスへの一時帰国を許可された。その帰国する船の中で、彼は妻となる女性と出会ったのである』、「オックスフォード大学コーパスクリスティ・カレッジに進学した。彼は1894年に文学の学士号を取得し、1895年8月の国家公務員試験で154人中7位という好成績を収めた・・・猛暑で不衛生なインドでの行政府の仕事は過酷だったが、その報酬は本国公務員の数倍にもなったという。 ジュリアスは、タミール語やインドの法律や歴史を猛勉強して、1896年に実施されたインド行政府試験でも7位の好成績を獲得した。 1896年12月7日、23歳のジュリアスは、意気揚々とインド帝国マドラス行政管区に着任した。その後の10年間、彼は収税官としてインド各地の農村を視察し、現地の農業や灌漑、予防接種や公衆医療の状況を報告すると同時に収税を監督した。 1906年、33歳になったジュリアスはマドラス行政管区収税官長に任命され、1907年4月にイギリスへの一時帰国を許可された。その帰国する船の中で、彼は妻となる女性と出会ったのである」、なるほど。
・『科学者・技術者が多い母方の家系 チューリングの母親エセル・サラ・ストーニーは、1881年11月18日に生まれた。母方の家系を遡ると、1688年の名誉革命で活躍したアイルランドの貴族トマス・ストーニーに行き着く。 ストーニー家の家系には、科学者や技術者が多い。1826年生まれのジョージ・ジョンストン・ストーニーは、アイルランド国立大学ゴールウェイ校物理学科の教授として数多くの業績を挙げ、とくに「電子(electron)」の名付け親として知られる。 チューリングの母方の祖父にあたるエドワード・ウォーラー・ストーニーは、1844年2月10日に生まれた。彼はアイルランド国立大学ゴールウェイ校土木工学科を最優秀成績の「金メダル」で卒業し、1866年6月、インド帝国マドラス鉄道の技師として赴任した。 エドワードの兄フランシスは、スライドする扉にローラーを取り付けて扉の開閉の抵抗を少なくした「ストーニー水門」の発明者として知られる。「ストーニー水門」は、ナイル川の氾濫を防止するために建設された「アスワン・ハイ・ダム」をはじめ、世界中の多くのダムに用いられている。 エドワード自身も、さまざまな特許を取得している。彼がマドラス鉄道の主任技師として発明した「ストーニー・パンカー・ホイール」は、列車の車輪の軋む音を大幅に軽減させたため、線路周辺の住民に大いに感謝されたという。 エドワードは、1985年にアイルランド人のサラ・クロフォードと結婚し、2人の男子と2人の女子を儲けた。サラは才能のある画家で、南インドのニルギリ丘陵にある野生の花を多く描いた。彼女の画集はイギリス王立植物園に感謝して受け入れられている。 長男は父親の跡を継いでマドラス鉄道の技師となり、次男はイギリス陸軍少佐になった。長女はインド軍陸軍少佐と結婚し、次女エセル・サラ・ストーニーがチューリングの母親となる。なお、彼女はよほど母親を愛していたためか、ミドルネームの「サラ」を自称した。 ストーニー家の子どもたちは、全員アイルランドで育てられた。サラは、叔父ウィリアム・クロフォードの家で、その家の4人の子どもたちと一緒に育てられた。 銀行の支店長を務めていたクロフォードは厳格で、愛情豊かな家庭とはいえなかったらしい。それでも向学心旺盛な彼女は、大学を目指す女性のために創設された寄宿学校チェルトナム・レディース・カレッジを卒業した。 そして、音楽と美術を学ぶためにパリのソルボンヌ大学に留学したが、そこには彼女の思い描いていた「自由と文化」がなく「幻滅した」という。もしかすると、インド生まれでアイルランド訛りの英語を話すサラは、パリの学生たちとは馴染めなかったのかもしれない。結果的に、彼女は半年間で大学を去った。 1900年、19歳のサラはインドのクヌールにある両親の邸宅に戻り、イギリス社交界の晩餐会や舞踏会に参加した。ヴィクトリア朝の女性として、いわば花嫁候補として相手を探す状況となり、そこである医者と相思相愛になったが、その医者は宣教師として世界各地に派遣される立場だったため、結婚を諦めたという』、「インド生まれでアイルランド訛りの英語を話すサラは、パリの学生たちとは馴染めなかったのかもしれない。結果的に、彼女は半年間で大学を去った。 1900年、19歳のサラはインドのクヌールにある両親の邸宅に戻り、イギリス社交界の晩餐会や舞踏会に参加した」、なるほど。
・『父ジュリアスと母サラの結婚 1907年4月、インドから太平洋航路でイギリスへ向かう船の中で、ジュリアスとサラは出会った。2人は即座に惹かれ合い、日本に到着すると、ジュリアスはサラをレストランに連れ出した。 そこで彼は、「ビールをください。こちらが要らないと言うまで、ずっと持ってきてください」といたずらっぽく言って飲み続け、サラにプロポーズした。 後にこの話を聞いたサラの父親エドワードは、「優秀な人材の集まる」インド行政府の「立派な青年」との結婚を認める一方で、娘の夫が大酒飲みになるのではないかと心配したという。 母のサラ(ジョンとアラン、二人の息子とともに) 1907年10月1日、33歳のジュリアスは26歳のサラと、アイルランドの首都ダブリンで結婚した。2人は1908年1月にインドに戻り、9月1日に長男ジョン・フェリエ・チューリングが誕生した。 マドラス行政管区収税官長に任命されたジュリアスは、妻と新生児を連れて、パルヴァティプラム、アナタプル、チャトラブルといった都市を転々としながら猛烈に仕事をこなした。 1911年の秋、サラがアランを妊娠したことがわかった。この時点で、ジュリアスとサラは、猛暑のインドで2人の幼児を育てることは無理だと判断したらしい。ジュリアスは休暇の手続きを取り、1912年春に家族でイギリスに帰国した』、「1907年10月1日、33歳のジュリアスは26歳のサラと、アイルランドの首都ダブリンで結婚した。2人は1908年1月にインドに戻り、9月1日に長男ジョン・フェリエ・チューリングが誕生した。 マドラス行政管区収税官長に任命されたジュリアスは、妻と新生児を連れて、パルヴァティプラム、アナタプル、チャトラブルといった都市を転々としながら猛烈に仕事をこなした。 1911年の秋、サラがアランを妊娠したことがわかった。この時点で、ジュリアスとサラは、猛暑のインドで2人の幼児を育てることは無理だと判断したらしい。ジュリアスは休暇の手続きを取り、1912年春に家族でイギリスに帰国した」、なるほど。
・『「実験家」と呼ばれた子ども時代 チューリングは、生まれて2週間後の7月7日、ロンドンの聖セイバーズ教会で洗礼を受けて、アラン・マティソン・チューリングと名付けられた。 その翌年、ジュリアスはインドに戻ったが、サラは1915年に再びロンドンに戻って、ジョンとアランの世話をしている。チューリングが3歳になる頃、サラは夫への手紙に「アランは新しい言葉を覚えるのが上手で、本当に賢くて驚かされる」と書いている。 さらに彼女は、チューリングが「たくさんの翌日(for so many morrows)」という言い回しを発明したことに触れ、通常の「長い間(for a long time)」よりも「ステキ(delightful)でしょ」と述べている。 ジュリアスとサラは、2人の息子を退役軍人のウォード大佐夫妻に預けることにした。ウォード夫妻の「ボストン・ロッジ」と呼ばれる巨大な家は、イギリス南部のイースト・サセックス州ヘイスティングスに隣接するセントレナルズにあった。 崖の上にある家の真下には海があり、イギリス海峡が見渡せる。ウォード夫妻は、自分たちの4人の娘に加えて、チューリング家の2人やカーワン陸軍少佐の家の3人の子どもたちも預かっていた。子ども部屋を仕切って世話をしたのは、メイドのトンプソン夫人である。 チューリングが4歳に近付いた頃、おもちゃの船に乗っていた木の水兵が壊れたことがあった。チューリングは、その水兵の腕と脚を庭に植えて、そこから身体が生えてくるか確かめようとしたという。 チューリングは、好奇心が旺盛で人懐こく、ウォード夫人やトンプソン夫人に可愛がられた。ウォード大佐は、男の子たちにおもちゃの兵器や戦艦の模型を見せて「戦争ごっこ」をさせようとしたが、他の子どもたちと違って、チューリング家の2人はほとんど興味を示さなかった。ジョンは「本の虫」であり、チューリングは「実験家」と呼ばれた。 ジュリアスは、インド行政管区で順調に出世し、高い給料も得ていたが、イギリスでの子どもたち2人の養育費に加えて、その後は年間1万ポンド近く学費・寮費のかかるパブリックスクールに進学させるために貯蓄し、贅沢はできなかった。 パブリックスクールとは、13歳から18歳の子供を教育するイギリスの学校の中でも、とくに上流家庭の子どもを対象に、トップクラスの中等教育を行う私立学校である。 当時のチューリング家のジュリアスとサラ夫妻にとって、息子2人を立派なパブリックスクールに入学させることが、何よりも重要な優先事項だった。(第2回 了 次回につづく)』、「ウォード大佐は、男の子たちにおもちゃの兵器や戦艦の模型を見せて「戦争ごっこ」をさせようとしたが、他の子どもたちと違って、チューリング家の2人はほとんど興味を示さなかった。ジョンは「本の虫」であり、チューリングは「実験家」と呼ばれた」、「実験家」の意味は不明だが、「戦争ごっこ」に興味を示さなかったとはみどころがありそうだ。
第三に、11月1日付け現代ビジネスが掲載した高橋 昌一郎氏による「両親から離れて育った「孤立」が育んだ思考とは? 超天才チューリングの幼少期 連載「チューリングの哲学」第3回」を紹介しよう。
・・・今回は幼少期のチューリングの神童ぶりを紹介する・・・ミツバチの巣の位置を予測する6歳児 1916年3月、再び休暇を取った父親ジュリアスと母親サラは、インドのチャプラドルを出発し、航路でスエズ運河を経由してサウサンプトン港に帰国した。当時は1914年に始まった第1次世界大戦の真只中で、ドイツ海軍から攻撃される可能性があった。 実際に、1915年5月7日、リバプールからニューヨークに向かって航行中だったイギリスの豪華客船ルシタニア号は、ドイツの潜水艦Uボートによって無警告のまま撃沈され、乗客・乗員1198人が犠牲となっている。 それから約1年後、さらに戦況の厳しくなった状況下の危険を冒してでも、夫妻は息子たちに会いたかったわけである。夫妻は乗船中、ずっと救命胴衣を着用したままだったという。 再会した一家は、スコットランドのハイランド地方のリゾートホテルで休暇を過ごし、父親は8月にインドに戻った。ドイツは、敵国に関係する船舶に無警告で攻撃する「無制限潜水艦作戦」をイギリス周辺海域から地中海に拡大しつつあった。そのため、母親サラは、戦争が終結するまでイギリスに留まることになった。 1917年5月、9歳になった長男ジョンは、ケント州タンブリッジウェルのヘーゼルハースト寄宿学校に入学した。サラは、4歳のチューリングと共にウォード家の部屋で暮らした。彼女は、母親に似て絵を描くのが得意で、美術大学の水彩画クラスに通った。一緒についていったセーラー服姿のチューリングは、奇妙なカモメの鳴き声を真似て走り回り、女子大学生たちの人気者になったという。 後にサラが家族の詳細をした伝記『アラン・チューリング』によれば、チューリングは「カモメが戦利品を巡って争う鳴き声」を「quockling」、「隙間風でロウソクの火が消える音」を「greasicle」、「ずんぐりした四角」を「squaddy」などと独特な言語で表現した。彼は、教えられた通りの言語表現だけでは飽き足らず、常に自己流の表現を用いようとしたわけである。物事を出発点から自力で理解し、独自の方法で表現しようとするチューリングの姿勢は、その後生涯にわたって続いた。 1861年にオックスフォード大学出版局が発行した『Reading without Tears』(涙なしの読書)という有名な絵本がある。この絵本は、英語圏で幼少期の子どもたちが楽しみながら読書を学習できるように(無理やり語句を覚えさせられて泣きながら読まなくてよいように)、さまざまな物語が美しい絵と共に描かれている。 サラによれば、チューリングは、『Reading without Tears』を約3週間読み続けて、5歳時には、ほぼ完全に英語を読み書きできるようになった。そして「外部世界」に興味を持つようになり、この年のクリスマスにチューリングが欲しがったのは「世界地図帳」だった。 メイドのトンプソン夫人は、幼児期のチューリングについて次のように述べている。「何よりも印象に残っているのは、とても幼いアランに、知性と一貫性が見られたことです。どんなことでも、彼を簡単に騙すことはできませんでした。ある日アランとゲームをしていて、私はわざと負けようとしました。すると彼はそれを見破って、大騒ぎになりました」 1919年1月、パリ講和会議が開催されて、第1次世界大戦が終結した。喜んだ父親ジュリアスは大急ぎで休暇を取り、2月にイギリスに帰国した。チューリング一家は、スコットランドの北西ウラプールにあるリゾートに出掛けて、家族の大切な時間を過ごした。父親ジュリアスと長男ジョンはマス釣りを楽しみ、母親は湖畔の風景を水彩画で描いた。 6歳の次男チューリングは「ヒース」と呼ばれるイギリス特有の荒地を駆け回っていたが、やがて周囲をミツバチが飛び回っていることに気づいた。彼は、ミツバチが飛んでいる経路を観察し、それらが最も多く交差する地点の図を描いた。そこでチューリングはミツバチの巣を発見し、野生の蜂蜜を集めて持って帰った。両親は、甘い蜂蜜に大喜びする以上に、チューリングの英知に満ちた予測行動に驚愕したという』、「チューリングは、『Reading without Tears』を約3週間読み続けて、5歳時には、ほぼ完全に英語を読み書きできるようになった。そして「外部世界」に興味を持つようになり、この年のクリスマスにチューリングが欲しがったのは「世界地図帳」だった」、「5歳児」としてはすごい。「チューリングは「ヒース」と呼ばれるイギリス特有の荒地を駆け回っていたが、やがて周囲をミツバチが飛び回っていることに気づいた。彼は、ミツバチが飛んでいる経路を観察し、それらが最も多く交差する地点の図を描いた。そこでチューリングはミツバチの巣を発見し、野生の蜂蜜を集めて持って帰った。両親は、甘い蜂蜜に大喜びする以上に、チューリングの英知に満ちた予測行動に驚愕したという」、確かに驚くべき行動だ。
・『いつのまにか変わっていた息子 1919年12月、両親は再びインドに赴任し、ジョンはヘーゼルハースト寄宿学校、チューリングはウォード家に預けられた。チューリングは、セント・マイケルズ小学校に入学した。 セント・マイケルズ小学校校長のテイラー夫人は、「私どもの小学校には、賢い子も一生懸命な子もいましたが、アランは天才でした」と後に述べている。チューリングは、算数とパズルが得意だった。他の児童が紙に式を書いて懸命に計算している間に、チューリングは彼独自の方法により、暗算で解答を導くことができた。 チューリングの能力が同級生を遥かに超えていることは、誰もが認めていることだったが、その一方で、チューリングは教師の命令に素直に従おうとはせず、次第に口答えばかりするようになった。 6歳から3年間のチューリングは、まるで「孤児のような生活」を送った。両親の目の届かなかった当時の彼の成績表には「だらしのない行動を慎むように」という注意が繰り返し記載されている。 1921年5月、父親ジュリアスはインドのマドラス開発大臣に昇進した。この年の夏、母親サラがイギリスに戻ってくると、9歳のチューリングは大きく変化していた。「活発で誰とでも打ち解ける子どもだったのに、いつのまにか内心を人に見せないように変わっていた」というのである。 サラが再びインドに赴く際には、「私の乗ったタクシーが見えなくなるまで、道路の真ん中で両手を一杯に振りながら追いかけてくる」息子の姿を見るという「悲しい思い出」があったとも述懐している。 1922年9月、9歳になったチューリングは、ヘーゼルハースト寄宿学校に入学した。児童に寄宿生活を学ばせると同時に、パブリックスクールへの試験対策を行うための学校である。チューリングが入学した時点では、9歳から13歳までの36人の少年たちが在籍していた。 チューリングの兄ジョンは、13歳で学校の首席だった。彼は、授業と運動、食事と就寝の定められた寄宿生活に見事に順応する優等生だった。ところが、チューリングは、自分の好きなことができる自由時間が少ない管理生活に反抗的だった。 チューリングは、休み時間になると、黙って「世界地図帳」に見入っていた。その様子を見て、彼を学校に溶け込ませようとしたダーリントン校長は、生徒全員に地理のテストを課すことにした。地理の苦手な兄にとって、この弟に対する校長の配慮は迷惑極まりなかった。 地理のテストの結果、チューリングは最年少であるにもかかわらず、兄ジョンよりも高得点で6位の成績を収めた。この結果は、兄に大きな屈辱を与えた。 また、寄宿学校のコンサートでジョンが英国国歌を独唱した際には、最後列のチューリングが笑い転げたため、せっかく練習したジョンの歌声が台無しになった。 1923年4月、ジョンは、最後の半年間を弟チューリングと共に過ごすという迷惑な環境から解放されて、パブリックスクールの名門マールボロ校に入学した。 マールボロ校は、1843年に英国国教会の聖職者の子弟を教育するためにウィルトシャー州マールボロに設立された私立の寄宿学校である。英国で最も古いパブリックスクールの1つであり、貴族や富裕者の子弟13歳から18歳を対象とする。卒業生には、免疫系の研究で1960年にノーベル生理学医学賞を受賞したピーター・メダワーや詩人のジョン・ベッジャマンなど、数えきれないほどの傑出した科学者や文学者、政治家やスポーツ選手などが存在する。 とくにマールボロ校の特徴として知られているのは、1968 年に英国で初めて女子を受け入れたことである。ウェールズ公妃キャサリンと彼女の妹ピッパ・ミドルトン、元首相デーヴィッド・キャメロンの夫人サマンサ・キャメロンら、現代の貴族や政財界の女性たちの母校である。 現在のマールボロ校のサイトを調べてみると、難関入学試験に合格した入学者180人が20人ずつの少人数クラスに分けられ、「ハウス」と呼ばれる寄宿舎で共同生活している。授業料と寮費を合わせると年間約4万ポンド(日本円で約800万円)となり、6年間で24万ポンド(約4800万円)が必要となるため、そもそも一般庶民には手の届かない学校である。 入学準備のための必需品リストを見ると、ジャケット(日常使用)・ブレザー(日曜教会用)・ズボンまたはスカート3着・ワイシャツ3枚・スポーツウェア(各種スポーツ用)・シューズ5足以上(革靴・各種スポーツ用)・水着などとあって、入学後の生活がどのようなものか想像できておもしろい。 この由緒あるマールボロ校に、チューリング家の爵位を継ぐことになる兄ジョンを入学させられたことは、ジュリアスとサラ夫妻にとって大きな喜びだったに違いない。 とはいえ、2人の息子を莫大な経費の掛かるパブリックスクールに進学させるためには、インドのマドラス開発大臣の収入であっても、大変な負担だった。ジュリアスは、それまで以上に家計費全般に倹約を命じるようになり、7歳年下のサラは、そのことで神経を摺り減らすようになる』、「2人の息子を莫大な経費の掛かるパブリックスクールに進学させるためには、インドのマドラス開発大臣の収入であっても、大変な負担だった」、「パブリックスクール」の経済的負担がそこまで重いとは再認識した。
・『超天才への扉を開いた書籍 一方、兄ジョンのいなくなったヘーゼルハースト寄宿学校では、チューリングが思いきり羽根を伸ばし始めた。彼は、ボートやカエルを折り紙で折る方法を考案して、それを周囲の生徒たちに教えたため、学校中に折り紙があふれたという。 その頃、チューリングは、学校に寄付された『Natural wonders every child should know』(すべての子どもが知るべき自然界の不思議)という本を手にした。1912年にアメリカで発行されてベストセラーになった書籍で、著者エドウィン・テニー・ブルースターは、ハーバード大学物理学科を卒業後、サイエンス・ライターになった人物である。 この書籍の目次を見ると、「どうやってニワトリは卵の中に入ったのか」「植物の卵」「男の子と女の子はどのように成長するのか」「人間は動物と何が違うのか」「植物は何を知っているのか」「見ることと信じること」「生きている自動車」「砂糖と毒」「誰にもわからないこと」など、主として生物学や動物学、植物学や薬学、さらに科学哲学的な話題も取り上げられていて、非常に興味深い。 たとえば「砂糖と毒」の章では、なぜ人間に糖分が必要なのか、それが肥満をもたらす理由は何か、なぜ植物がアルカロイドで身を守るのか、タバコのアルカロイドであるニコチンの作用、毒キノコ、カフェイン、アルコール、エーテル、クロロフォルム、アトロピン、コカインなどの作用が説明されている。 とくに注目すべきなのは、「生きている自動車」の章である。ここで著者ブルースターは、次のように述べている。「身体は、もちろん機械である。それは非常に複雑な機械で、これまでに人間の手で作られてきたどんな機械よりも、何倍も、何倍も複雑である。しかし、それでも一つの機械であることに変わりはない。以前は蒸気機関に喩えられたこともあったが、今ではそれ以上にすばらしいエンジンが開発されている。実は、人間の身体は、ガソリンで動くエンジン、つまり自動車やモーターボートや飛行機のエンジンと非常によく似ている」 この見解は、紛れもなく後にチューリングが定式化する「人間機械論」の根底に流れているアイディアといえる。さらに最後の「誰にもわからないこと」の章では、進化論は科学的に説明できるが、なぜ進化そのものが起こるのか、その理由はわからないとも記載されている。この部分も、晩年のチューリングが進化論を解明するため、形態発生学に向った志向性を暗示しているように映る。 いずれにしても、この書籍のタイトルは「すべての子どもが知るべき」となっているが、対象とする「子ども」とは、中学生か高校生以上と思われる。後にチューリングは、この本こそが自分に「自然」のすばらしさを教えてくれたと母親サラに手紙を書いているが、9歳のチューリングがそれほどの理解に到達していたことには驚かされる』、「チューリングは、学校に寄付された『Natural wonders every child should know』(すべての子どもが知るべき自然界の不思議)という本を手にした。1912年にアメリカで発行されてベストセラーになった書籍・・・対象とする「子ども」とは、中学生か高校生以上と思われる。後にチューリングは、この本こそが自分に「自然」のすばらしさを教えてくれたと母親サラに手紙を書いているが、9歳のチューリングがそれほどの理解に到達していたことには驚かされる」、なるほど。
・『抽象的思考と具象的思考 チューリングと並ぶ「超天才」のフォン・ノイマンとクルト・ゲーデルは、幼少期に両親の見守る温かい家庭に恵まれ、早い時期から数学や多言語のような「抽象的思考」で大人が驚く才能を発揮した。 彼らの幼少期と比較して、両親から離れ、孤立した状態でいることの多かったチューリングの特徴が強く表れているのは、彼が手で触れることのできる事物に対する工夫や発明のような「具体的思考」に才能を発揮した点といえるだろう。 1923年4月1日、10歳のチューリングは、自分の手にフィットする万年筆を作り、その万年筆の図も付けて、その万年筆を使って両親に手紙を書いている。この万年筆にはインク吸入器が内部に組み込まれていて、ペン先を紙に押し付けると、インクが少しずつ落ちるように調整されていた。チューリングは、この万年筆を完成させるまでに、4本分のインクを台無しにしたという。 10歳から11歳にかけてのチューリングの手紙には、新しい形式のタイプライターやカメラ、自転車をこぐ力を蓄電池に蓄積する方法のアイディアなどが書かれている。ダーリントン校長の夫人は、チューリングの「頭の中は、いつも何か新しい物を組み立てよう、発明しようと、大忙しのようです」と母親サラに手紙を書いている。 チューリング家の兄弟を教育した彼女は、次のように述べている。「喩えて言うと、ジョンは、食事に見識のある人だったら誰もが惹きつけられるビンテージ・ワインです。でも、アランはキャビアです。いったん彼のことを知ったら、ジョンと同じように誰もが惹きつけられるでしょう」 この年の夏、チューリング家にとっては大事件が起こった。ジュリアスが突然、マドラス開発大臣の辞職を宣言したのである。その理由は、彼と同期で入省したキャンベルという人物がマドラス首席大臣に任命されたことにあった。 キャンベルの入省時の成績は、ジュリアスよりも遥かに低かった。要するにジュリアスは、自分よりも能力の劣った首席大臣の下で開発大臣を勤めることに耐えられなかったのである。 後に長男ジョンは、自分の父親ジュリアスについて、次のように述べている。「父親が職場の上司や部下として扱いやすい人物だったとは、とても思えない。なぜなら彼は、インド行政府内部の上下関係や自分の立場などをまったく配慮せず、常に平気で本心を語っていたからである」 この部分の父親の性格は、そのままチューリングに引き継がれていて興味深い。一方、ジョンは母親サラと似て、周囲の状況を配慮することに長けていた。 ジュリアスは、当時の首席大臣のウェリントン卿と口論になり、「いずれにしても、あなたがインド政府というわけではありませんからね」と発言したという記録がある。この発言に激怒したウェリントンが、有能ではなくとも穏健なキャンベルを後任に選んだ可能性は十分考えられる。 ジュリアスの辞職が正式に認定されるのは1926年7月である。それまでの3年間、彼は最後の休暇を消費し、インド政府関係者は英国内に6週間以内しか留まらなければ英国所得税を免除するという規定に基づき、フランスの保養地ディナールに家を借りた。 50歳を迎えたばかりのジュリアスは、昼間は釣りをして、夜はパーティに出掛けてブリッジに興じるという引退生活に入ったが、インドのマドラス開発大臣時代に比べて強烈な退屈感に襲われた。彼は、そもそもフランスを好まずにイギリスに帰りたがる妻サラの態度も気に入らなかった。 おもしろいことに、両親がフランスに住むことになって最も喜んだのはチューリングだった。彼は、ヘーゼルハースト寄宿学校で熱心にフランス語を学んだが、それはフランス語の複雑な文法がパズルを解くように楽しめるからだった。11歳のチューリングは、両親にフランス語でハガキを書いている。 (第3回 了 次回につづく)』、「ジュリアスは、当時の首席大臣のウェリントン卿と口論になり、「いずれにしても、あなたがインド政府というわけではありませんからね」と発言したという記録がある。この発言に激怒したウェリントンが、有能ではなくとも穏健なキャンベルを後任に選んだ可能性は十分考えられる。 ジュリアスの辞職が正式に認定されるのは1926年7月である。それまでの3年間、彼は最後の休暇を消費し、インド政府関係者は英国内に6週間以内しか留まらなければ英国所得税を免除するという規定に基づき、フランスの保養地ディナールに家を借りた。 50歳を迎えたばかりのジュリアスは、昼間は釣りをして、夜はパーティに出掛けてブリッジに興じるという引退生活に入った・・・彼は、そもそもフランスを好まずにイギリスに帰りたがる妻サラの態度も気に入らなかった。 おもしろいことに、両親がフランスに住むことになって最も喜んだのはチューリングだった。彼は、ヘーゼルハースト寄宿学校で熱心にフランス語を学んだが、それはフランス語の複雑な文法がパズルを解くように楽しめるからだった。11歳のチューリングは、両親にフランス語でハガキを書いている」』、「フランス語の複雑な文法がパズルを解くように楽しめるから」、もともとの気質に加え、「両親」と離れて英国の「寄宿学校」で「フランス語を学んだ」からこそのような気がする。
先ずは、本年9月3日付け現代ビジネスが掲載した國學院大學教授の高橋 昌一郎氏による「ナチス・ドイツを敗北に導いた「超天才」チューリングの波乱万丈な人生と不幸な「死の謎」 連載「チューリングの哲学」第1回」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/136291
・『21世紀の現在も燦然と輝き続ける業績を遺した3人の「超天才」たち。クルト・ゲーデル、ジョン・フォン・ノイマンに続き、アラン・チューリングの偉業と彼が辿った数奇な運命を、國學院大學教授・高橋昌一郎氏が解説していく。連載初回となる今回は、3人の「超天才」について、それぞれの人生の全体像を俯瞰するとともに、彼らの接点を紹介する』、興味深そうだ。。
・『天才の光と影 今春、『天才の光と影 ノーベル賞受賞者23人の狂気』(PHP研究所)という単行本を上梓した。この拙著では、とくに私が独特の「狂気」を感得したノーベル賞受賞者23人を厳選して、彼らの波乱万丈で数奇な人生を辿っている。 一般に、ノーベル賞を受賞するほどの研究を成し遂げた「天才」は、すばらしい「人格者」でもあると思われがちだが、実際には必ずしもそうではない。 フィリップ・レーナルト(1905年・物理学賞)のようにヒトラーの写真を誇らしげに書斎に飾っていた「ナチス崇拝者」もいれば、「妻と愛人と愛人の子ども」と一緒に暮したエルヴィン・シュレーディンガー(1933年・物理学賞)のような「一夫多妻主義者」もいる。「光るアライグマ(実はエイリアン)」と会話を交わしたという「薬物中毒」のキャリー・マリス(1933年・化学賞)や、「アルコール依存症」で売春街から大学に通ったヴォルフガング・パウリ(1945年・物理学賞)、「超越瞑想」に「オカルト傾倒」して周囲を唖然とさせたブライアン・ジョセフソン(1973年・物理学賞)のような天才も存在する。 どんな天才にも、輝かしい「光」に満ちた栄光の姿と、その背面に暗い「影」の表情がある。物理学界の2大巨頭であるアルベルト・アインシュタイン(1921年・物理学賞)とニールス・ボーア(1922年・物理学賞)や、化学界の巨頭ライナス・ポーリング(1954年・化学賞/1962年・平和賞)でさえ、天才と狂気の紙一重の精神を抱えていた。読者には、ぜひ通常では見られない彼らの特異な「人生観」を読み取っていただけたら幸いである。 さて、『天才の光と影』に登場するノーベル賞受賞者たちを超えて、21世紀の現代社会に計り知れない影響を与え続けている「超天才」が3人存在する。その3人とは、ジョン・フォン・ノイマン、クルト・ゲーデル、アラン・チューリングである。 この3人は、20世紀のほぼ同じ時代に生きて、各々が独自のアプローチで人間理性の限界に迫り、まるで螺旋状に絡まるように人生の幾つかの重要な接点でお互いに何度か交差している。 彼らの代表的な講演・論文については拙著『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)に訳出してあるので、ご参照いただけたら幸いである』、「『天才の光と影』に登場するノーベル賞受賞者たちを超えて、21世紀の現代社会に計り知れない影響を与え続けている「超天才」が3人存在する。その3人とは、ジョン・フォン・ノイマン、クルト・ゲーデル、アラン・チューリングである。 この3人は、20世紀のほぼ同じ時代に生きて、各々が独自のアプローチで人間理性の限界に迫り、まるで螺旋状に絡まるように人生の幾つかの重要な接点でお互いに何度か交差している」、なるほど。
・『「人間のフリをした悪魔」フォン・ノイマン ノイマンは、1903年12月28日にハンガリーのブダペストで生まれた。裕福なユダヤ家系の出身である。 ノイマンと少年時代を共に過ごしたノーベル物理学賞受賞者ユージン・ウィグナーは、「なぜ当時のブダペストに多くの天才が出現したのか」と問われて、「その質問は的外れだ。なぜなら天才と呼べるのはただ一人、フォン・ノイマンだけだからね」と答えている。 後にアメリカのロスアラモス研究所でノイマンと一緒に原子爆弾の爆縮法を研究したノーベル物理学賞受賞者ハンス・ベーテは、「ノイマンの頭脳は常軌を逸している。彼は人間よりも進化した生物ではないか」と本気で考えていた。 もしノイマンがいなければ、原子爆弾は1945年に完成しなかったかもしれず、投下地点は彼が戦後処理を見越して猛反対した東京に決定していたかもしれない。また、現代のパソコンやスマートフォンや天気予報は存在しないかもしれない。 ノイマンは、彼自身が推進した核実験で何度も放射線を浴びたため骨髄癌を発症し、1957年に逝去した。わずか53年あまりの短い生涯の間に、論理学・数学・物理学・化学・計算機科学・情報工学・生物学・気象学・経済学・心理学・社会学・政治学という極めて幅広い分野に関する150編の先駆的な論文を発表した。 彼の死後、生前の論文を集めて出版された『フォン・ノイマン著作集』は、全6巻で合計3,689ページに及ぶ。第1巻「論理学・集合論・量子力学」、第2巻「作用素・エルゴード理論・群における概周期関数」、第3巻「作用素環論」、第4巻「連続幾何学とその他の話題」、第5巻「コンピュータ設計・オートメタ理論と数値解析」、第6巻「ゲーム理論・宇宙物理学・流体力学・気象学」というタイトルを眺めるだけでも、彼がどれほど多彩な専門分野に影響を及ぼしたのかがわかるだろう。 天才だけが集まるプリンストン高等研究所の教授陣の中でも、さらに桁違いの超人的な能力を示したノイマンは、「人間のフリをした悪魔」と呼ばれた。拙著『フォン・ノイマンの哲学』(講談社現代新書)では、その綽名を副題にして、ノイマンの生涯と思想を探究した。 そこに浮かび上がってきたのは、科学で可能なことは徹底的に突き詰めるべきだという「科学優先主義」、目的のためならどんな非人道的兵器でも許されるという「非人道主義」、この世界には普遍的な道徳や責任など存在しないという一種の「虚無主義」である。 第2次世界大戦後、ノイマンは、ソ連を先制核攻撃すべきだとハリー・トルーマン大統領に進言した。彼は「ソ連を攻撃すべきか否かは、もはや問題ではありません。問題は、いつ攻撃するか、ということです」と主張し、「明日爆撃すると言うなら、なぜ今日ではないのかと私は言いたい。今日の5時に攻撃すると言うなら、なぜ1時にしないのかと私は言いたい!」と叫んだ。この発言によって、彼は「マッド・サイエンティスト」の代表とみなされるようになった。 それにしても、驚くべきことに、プログラム内臓方式の「ノイマン型コンピュータ」、量子論の数学的基礎に登場する「ノイマン環」、ゲーム理論における「ノイマンの定理」など、20世紀に進展した科学理論のどの研究分野を遡っても、いずれどこかで必ず何らかの先駆者として「ノイマン」の付いた業績に遭遇する。 ちなみにネットで検索すると、「ノイマン集合」「ノイマン・モデル」「ノイマン・パラドックス」など、彼の名前が冠された専門用語を50種類以上発見できる。ノイマンは、明らかにノーベル物理学賞と経済学賞を受賞するだけの業績を挙げていたが、早世したため、その機会はなかった。 そのノイマンが、「20世紀最高の知性」と呼ばれるたびに、「それは自分ではなくゲーデルだ」と返答した』、「もしノイマンがいなければ、原子爆弾は1945年に完成しなかったかもしれず、投下地点は彼が戦後処理を見越して猛反対した東京に決定していたかもしれない。また、現代のパソコンやスマートフォンや天気予報は存在しないかもしれない。 ノイマンは、彼自身が推進した核実験で何度も放射線を浴びたため骨髄癌を発症し、1957年に逝去した。わずか53年あまりの短い生涯の間に、論理学・数学・物理学・化学・計算機科学・情報工学・生物学・気象学・経済学・心理学・社会学・政治学という極めて幅広い分野に関する150編の先駆的な論文を発表した・・・第2次世界大戦後、ノイマンは、ソ連を先制核攻撃すべきだとハリー・トルーマン大統領に進言した。彼は「ソ連を攻撃すべきか否かは、もはや問題ではありません。問題は、いつ攻撃するか、ということです」と主張・・・「マッド・サイエンティスト」の代表とみなされるようになった・・・プログラム内臓方式の「ノイマン型コンピュータ」、量子論の数学的基礎に登場する「ノイマン環」、ゲーム理論における「ノイマンの定理」など、20世紀に進展した科学理論のどの研究分野を遡っても、いずれどこかで必ず何らかの先駆者として「ノイマン」の付いた業績に遭遇する・・・ノイマンは、明らかにノーベル物理学賞と経済学賞を受賞するだけの業績を挙げていたが、早世したため、その機会はなかった。 そのノイマンが、「20世紀最高の知性」と呼ばれるたびに、「それは自分ではなくゲーデルだ」と返答した」、なるほど。
・『「アリストテレス以来の天才論理学者」ゲーデル ゲーデルは、1906年4月28日、オーストリア・ハンガリー帝国のブルンで生まれた。勤勉なドイツ家系の出身である。 1930年、ゲーデルが24歳の若さで「不完全性定理」を発表したとき、その証明の内容を誰よりも早く理解し、その独創性と重要性を見抜いたのが、ノイマンだった。彼はゲーデルの定理を「時間と空間をはるかに越えても見渡せる不滅のランドマーク」だと賞賛した。 この定理は、当時ノイマンが推進していた「ヒルベルト・プログラム」が「達成不可能」であることを論理的に証明している。生まれてから一度も人に先を越されたことがないノイマンにとって、この事実に自分が先に気付かなかったことは、大きなショックだったに違いない。その後、ノイマンは、この分野の第一人者の地位をゲーデルに譲り、二度と数学基礎論に関する論文を発表しなかった。 ゲーデルは、すでにその前年にウィーン大学に提出した博士論文において、古典的論理の完結性を表す「完全性定理」を証明している。この定理は、アリストテレスの三段論法に始まる推論規則が完全に形式体系化されることを示すもので、いわば古典論理学を完成させた偉業といえる。ゲーデルが「アリストテレス以来の天才論理学者」と呼ばれる由縁である。 さらにゲーデルは「選択公理と一般連続体仮説の無矛盾性」を証明し、その後の公理的集合論の発展に大きな影響を及ぼした。これらの抜群の業績によって、ゲーデルは順調にウィーン大学講師に就任したが、その直後にナチス・ドイツがオーストリアを占領して、ドイツ国防軍司令部から「守備隊勤務適合」の通知が届いた。ゲーデルは、いつ彼の嫌悪するナチスの軍隊から招集されるかわからない状況に陥ったのである。彼の持病の神経衰弱と鬱病は一挙に悪化し、ゲーデルは自殺願望を抱くようになった。 そのゲーデルを助けたのが、ノイマンだった。当時のノイマンは、合衆国の原水爆開発とコンピュータ開発の中枢で重責を負い、プリンストンとワシントンを分刻みのスケジュールで往復しながら、政府や軍の最高レベルの関係者と対等に議論できる立場にあった。彼は「ゲーデルをヨーロッパの瓦礫の中から救い出すことほど重要なことはない」とアメリカ国務省の上層部を説得した。 その結果、ゲーデルは「ありとあらゆる手段」によってウィーンから救出され、ノイマンのいたプリンストン高等研究所に招聘された。 そこでゲーデルと親友になったのが、物理学者アルベルト・アインシュタインである。晩年のアインシュタインは、「私が研究所に行くのは、ゲーデルと散歩する恩恵に浴するためだ」とまで述べている。2人は、毎日のように一緒に散歩をしながら一般相対性理論について議論を重ねた。その結果、ゲーデルは、アインシュタインの重力場方程式に「回転宇宙論解」と呼ばれる新たな解を発見した。 ゲーデルの生涯の頂点は、1951年に訪れた。この年にゲーデルは、第1回アインシュタイン賞を受賞し、アメリカ数学会最高の栄誉である「ギブス講演」を行った。この講演でゲーデルは「イギリスの数学者チューリングが見出した有限の手続きの概念を有限個の部分から構成される機械の概念に還元する方法」に触れ、その方法が導く「哲学的帰結は大いに注目されるべきである」と賞賛している。 ゲーデルは、この講演を最後に「人格障害による栄養失調および飢餓衰弱」により71歳で生涯を閉じるまで、26年間にわたる隠遁生活をおくった。この時期のゲーデルが何を研究しているのかは当時から一種の謎だったが、残された遺稿から、実はゲーデルは「生命と機械」に関する哲学的議論を追究していたことがわかっている。その詳細については、拙著『ゲーデルの哲学』(講談社現代新書)をご参照いただきたい』、「当時のノイマンは、合衆国の原水爆開発とコンピュータ開発の中枢で重責を負い、プリンストンとワシントンを分刻みのスケジュールで往復しながら、政府や軍の最高レベルの関係者と対等に議論できる立場にあった。彼は「ゲーデルをヨーロッパの瓦礫の中から救い出すことほど重要なことはない」とアメリカ国務省の上層部を説得した。 その結果、ゲーデルは「ありとあらゆる手段」によってウィーンから救出され、ノイマンのいたプリンストン高等研究所に招聘された。 そこでゲーデルと親友になったのが、物理学者アルベルト・アインシュタインである。晩年のアインシュタインは、「私が研究所に行くのは、ゲーデルと散歩する恩恵に浴するためだ」とまで述べている。2人は、毎日のように一緒に散歩をしながら一般相対性理論について議論を重ねた」、なるほど。
・『エニグマ暗号を解読した「超天才」チューリング さて、すでに新書化したノイマンとゲーデルに続き、本連載では3人目の「超天才」チューリングがどのような生涯をおくり、いかなる思想に到達し、21世紀に生きる私たちに何を遺したのか、その意味を探究するつもりである。 チューリングは、1912年6月23日、ロンドンで生まれた。彼の父親は、スコットランド系貴族の家系出身で、大英帝国政府代表部の高等文官としてインド帝国に赴任していた。そこで結婚した彼は、息子をインドではなくイギリスで育てる方針だったため、チューリングは幼少期からイギリス南部の退役軍人の家庭で育てられた。そこで彼は反抗し、生意気でだらしない性格になった。 チューリングの天賦の才能が開花したのは、彼が15歳のとき、パブリック・スクールで1歳年上のクリストファー・マルコムと出会ったことがきっかけだった。 眉目秀麗なマルコムは、どの科目も全校トップの秀才で、とくに数学と科学では抜群の能力を誇っていた。この「初恋の相手」に気に入られようとチューリングは猛勉強を始め、ついにマルコムと同じようにケンブリッジ大学への進学を目指すようになったのである。 偏屈な変わり者で、誰からも相手にされなかったチューリングに、マルコムは音楽やビリヤードの楽しさを教え、一緒に化学実験や天体観測を行った。ところが、ケンブリッジ大学から合格通知が届いた直後、マルコムは結核のため倒れ、数週間後に急逝してしまった。 失意のどん底に陥ったチューリングは、自殺しようとするが、マルコムの両親から励まされて、マルコムのために生きることを決意する。 1936年、チューリングは、ゲーデルが不完全性定理を証明したのと同じ24歳の若さで「計算可能性とその決定問題への応用」を発表した。この画期的な論文において、彼は、あらゆる命令を一定の規則に基づく記号列に置き換えて計算する理想機械「チューリング・マシン」を提起している。ここでチューリングの用いた概念が、あらゆる情報をデジタル処理する現在のコンピュータに実現されているわけである。 この論文を発表した直後、チューリングはケンブリッジ大学の奨学金を得てアメリカのプリンストン大学大学院に留学した。 チューリングは2年間近くプリンストンに滞在したため、この街にノイマンとゲーデルとチューリングの3人の「超天才」が一堂に集まったわけだが、不思議なことに、チューリングは一度もゲーデルと会った形跡がない。 一方、チューリングと何度も面会して彼の能力を高く評価したノイマンは、高等研究所で彼の助手にならないかと誘ったが、チューリングは帰国してイギリスの軍に志願する道を選んだ。 ロンドン郊外にあるイギリス情報局秘密情報部の暗号機関ブレッチリー・パークに赴任したチューリングは、難攻不落と呼ばれるナチス・ドイツ軍の暗号機「エニグマ」の解読に取り掛かった。 この暗号機は、アルファベットに対応する26個の電気接点が並んだ円盤状のローターが何枚か組み合わされただけの比較的単純な構造であるにもかかわらず、ローター3枚だけで毎秒1,000通りを調べても30億年かかるほどの天文学的な配置の組み合わせを生じさせる。 したがって、暗号の送り手と受け手が、ローターが同じように初期設定された同一のエニグマを持っていなければ、解読は不可能だとみなされていた。 これに対して、チューリングは、36機のエニグマの動作を同時にシミュレートできる暗号解読機「ボンブ」を開発し、ローターの配置可能性を個別に探知する方法で、ついにその解読を成功させた! エニグマ暗号解読は、ナチス・ドイツを敗北に導いた最大の要因ともいわれるほどの功績である。つまり、チューリングは、連合国軍を勝利に導いた「英雄」であり、1945年にはチャーチル首相から「大英帝国勲章」を授与されている。ただし、この受勲は1970年代まで公表されず、関係者の口外も固く禁じられたため、チューリングの偉業は、母親でさえ知らなかった』、「暗号の送り手と受け手が、ローターが同じように初期設定された同一のエニグマを持っていなければ、解読は不可能だとみなされていた。 これに対して、チューリングは、36機のエニグマの動作を同時にシミュレートできる暗号解読機「ボンブ」を開発し、ローターの配置可能性を個別に探知する方法で、ついにその解読を成功させた! エニグマ暗号解読は、ナチス・ドイツを敗北に導いた最大の要因ともいわれるほどの功績である。つまり、チューリングは、連合国軍を勝利に導いた「英雄」であり、1945年にはチャーチル首相から「大英帝国勲章」を授与されている」、なるほど。
・『チューリングの死と名誉回復 戦後、チューリングはマンチェスター大学で新型コンピュータを開発し、世界で最初のチェス・プログラムを書いている。1950年、37歳のチューリングは「機械は考えることができるか」という問題を徹底的に追究した記念碑的論文「計算機械と知性」を発表した。 彼は、この問題を単なる哲学的な議論に陥らせないために「チューリング・テスト」を生み出し、その概念は今も「機械の思考」を測る基準とみなされている。このように、チューリングの驚くべき独創性は、「思考」や「計算」のような抽象概念を具体的に処理可能にする方法を発見する際に発揮された。 彼の研究は、機械から生命の形態形成へ向かい、反応拡散系において自発的に「チューリング・パターン」と呼ばれる空間的パターンが生じることを理論的に示した。その後、このパターンは実際の多彩な生物の体表面模様において実証されている。 チューリングの研究活動は大いに充実していたが、少年時代から同性愛者であることを自覚していたチューリングにとって、私生活での安定は望めなかった。 実は、戦時中、彼が同性愛者であることを受け入れたうえで、それでも彼を愛して結婚を承諾した女性がいたのだが、結果的にチューリング自ら婚約を破棄したという悲愴な出来事もあった。 1952年、39歳のチューリングは、映画館で知り合った19歳の青年を自宅に招いて宿泊させた。その数週間後、チューリングの自宅に泥棒が入り、警察の捜査の結果、犯人はその青年と彼のゲイ仲間であることがわかった。 チューリングは、窃盗の被害者であったにもかかわらず、裁判の過程で同性愛者であることが公開されてしまった。 当時のイギリスで同性愛は「違法」であり、彼に下された判決は、留置場に収監されるか、性欲を抑制するために定期的に化学的去勢療法を受けるか、どちらかを選ぶという刑罰だった。チューリングは化学的去勢療法を選び、定期的にテストステロン値を下げる女性ホルモンを投与されることになった。 この事件によって、彼はイギリス政府に関連する研究機関への立ち入りが禁止された。王立協会フェローでもある大学教授のスキャンダルは、新聞に大きく報道された。 それから2年後、1954年6月8日午後5時頃、41歳のチューリングが死亡している姿をメイドのクレイトン夫人が発見した。ベッドの脇には、齧りかけのリンゴがあった。 検死報告書で明らかになったのは、彼の肺や胃から「強いアーモンドの香りがする青酸化合物」が検出されたということで、そこから青酸化合物を塗ったリンゴを齧った「服毒自殺」であると結論付けられている。 しかし、駆け付けた母親サラは、チューリングが自殺するはずはないと主張した。まず、これまで何でも報告していたサラに遺言がないのがおかしい。また、寝る前にリンゴを齧るのは、以前からのチューリングの習慣だった。 クレイトン夫人によれば、7日夜のチューリングは上機嫌で彼女の作った夕食を食べている。調べてみると、チューリングは、6月9日に数学者バーナード・リチャーズと面会の約束があり、大学の研究室に残されていた予定表には、翌週以降の予定も多く書き込まれていた。 チューリングの部屋には、彼の趣味である化学実験道具があった。天井の電燈には変圧器が取り付けられ、電線が蒸発皿の電極に繋げられ、その皿には青酸化合物で生じた泡が付着していた。彼は、この装置でスプーンを金メッキしていたのである。 物事に頓着しないチューリングは、青酸化合物の結晶をジャム瓶に入れて保存していた。つまり彼は、電気分解をしているうちに青酸ガスを吸い込み過ぎたか、あるいは間違って結晶を飲み込んでしまったため、「事故死」に違いないというのが、サラの主張である。 この主張に対しては、チューリングがサラを悲しませないため、あえて遺書を残さず、事故に見せかけて自殺したという見解もある。 さらに小説じみた話になるのだが、私は、実はチューリングはイギリスの諜報機関に抹殺されたのではないかと考えている。その理由と背景の事情については、本連載の最後で種明かしをするつもりである。 いずれにしても、チューリングの死後、彼の「同性愛」に与えられた屈辱的な「処罰」に対して大きな批判が巻き起こった。彼の死から55年が過ぎた2009年、イギリスのゴードン・ブラウン首相は、チューリングに対する「処罰が完全に不当であったことを認め、ここに深く遺憾の意を表明する」とイギリス政府として公式に「謝罪」を表明した。 チューリングの生誕109周年を迎えた2021年には、イギリスに新「50ポンド紙幣」が誕生した。表にエリザベス女王、裏にチューリングの肖像がある』、「チューリングは、窃盗の被害者であったにもかかわらず、裁判の過程で同性愛者であることが公開されてしまった。 当時のイギリスで同性愛は「違法」であり、彼に下された判決は、留置場に収監されるか、性欲を抑制するために定期的に化学的去勢療法を受けるか、どちらかを選ぶという刑罰だった。チューリングは化学的去勢療法を選び、定期的にテストステロン値を下げる女性ホルモンを投与されることになった。 この事件によって、彼はイギリス政府に関連する研究機関への立ち入りが禁止された。王立協会フェローでもある大学教授のスキャンダルは、新聞に大きく報道された。 それから2年後、1954年6月8日午後5時頃、41歳のチューリングが死亡している姿をメイドのクレイトン夫人が発見した。ベッドの脇には、齧りかけのリンゴがあった。 検死報告書で明らかになったのは、彼の肺や胃から「強いアーモンドの香りがする青酸化合物」が検出されたということで、そこから青酸化合物を塗ったリンゴを齧った「服毒自殺」であると結論付けられている。 しかし、駆け付けた母親サラは、チューリングが自殺するはずはないと主張した。まず、これまで何でも報告していたサラに遺言がないのがおかしい。また、寝る前にリンゴを齧るのは、以前からのチューリングの習慣だった。 クレイトン夫人によれば、7日夜のチューリングは上機嫌で彼女の作った夕食を食べている。調べてみると、チューリングは、6月9日に数学者バーナード・リチャーズと面会の約束があり、大学の研究室に残されていた予定表には、翌週以降の予定も多く書き込まれていた。 チューリングの部屋には、彼の趣味である化学実験道具があった。天井の電燈には変圧器が取り付けられ、電線が蒸発皿の電極に繋げられ、その皿には青酸化合物で生じた泡が付着していた。彼は、この装置でスプーンを金メッキしていたのである。 物事に頓着しないチューリングは、青酸化合物の結晶をジャム瓶に入れて保存していた。つまり彼は、電気分解をしているうちに青酸ガスを吸い込み過ぎたか、あるいは間違って結晶を飲み込んでしまったため、「事故死」に違いないというのが、サラの主張である・・・彼の死から55年が過ぎた2009年、イギリスのゴードン・ブラウン首相は、チューリングに対する「処罰が完全に不当であったことを認め、ここに深く遺憾の意を表明する」とイギリス政府として公式に「謝罪」を表明した。 チューリングの生誕109周年を迎えた2021年には、イギリスに新「50ポンド紙幣」が誕生した。表にエリザベス女王、裏にチューリングの肖像がある」、なるほど。
次に、10月1日付け現代ビジネスが掲載した高橋 昌一郎氏による「「大胆であれ」天才を生んだ華麗なる血脈と家訓…チューリング一族の歴史をたどる 連載「チューリングの哲学」第2回」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/138190
・『・・・子孫に「大胆であれ」と命じた家訓 アラン・チューリングは、1912年6月23日、ロンドンのパディントン駅の北に位置するウォリントン・クレッセント2番地の産院で生まれた。この産院は、今では改築されて白亜の「ザ・コロネード・ホテル」となり、玄関にはチューリング生誕の「英国遺産」であることを記念する「ブルー・プラーク」が埋め込まれている。 彼の父方の家系は、スコットランドに移住したノルマン人である。その家系図は 1316 年生まれのウィリアム・チューリン(Turin)にまで遡る。ウィリアムは、スコットランド王ジェームズ6世から「騎士(knight)」に叙せられ、その際に姓の最後に「g」を付け加えて「チューリング(Turing)」と改姓した。 彼が定めたチューリング家の家訓は「運命の女神は、大胆に振る舞う者を助ける(ラテン語:Fortuna audentes Juvat)」である。この言葉は、チューリングの幾つかの英文伝記資料に登場するのだが、それ以上の説明がない。 そこで気になって調べてみたところ、紀元前70年に生まれた古代ローマ時代の詩人プーブリウス・ウェルギリウス・マローの叙事詩『アエネーイス(ラテン語:Aeneis)』に登場する言葉であるらしいことがわかった。 『アエネーイス』は、ローマ建国の物語を歌う全12巻の壮大な叙事詩で、ラテン文学の傑作として知られる。主人公は、ホメロスの『イーリアス』に登場するトロイアの英雄アエネーイスで、トロイア陥落後に放浪した末、新天地イタリアに辿り着く。そこで、イタリアの王トゥルヌスと一騎打ちの勝負をすることになるのだが、まさにその勝負が決まりそうな場面で物語は終わる。 そのトゥルヌスが「運命の女神は、大胆に振る舞う者を助ける」と語るのだが、なぜウィリアムは主人公ではなく敵の言葉を選んでチューリング家の家訓としたのか。単純に子孫に「大胆であれ」と命じたかったのか、あるいは何か他に裏の意味があったのか、想像を膨らませると興味深い。 いずれにしても、初代チューリングから596年後に生まれた子孫アラン・チューリングが、「エニグマ」暗号を解読してナチス・ドイツを敗北に導き、コンピュータを発明して人類に大きな影響を及ぼした「大胆な振る舞い」を考えると、家訓は活かされたとみなすべきかもしれない。 ウィリアムは、アバディーンシャー州のフォヴェランを領地とした。その数世代後の子孫ジョン・チューリングは、1639年、イングランド王チャールズ1世から「準男爵(Baronet)」に叙せられた。 ところが、チャールズ1世は、ピューリタン革命により1649年にオリバー・クロムウェルら議会派から処刑される。国王に忠誠を尽くしたジョンは、今度はチャールズ2世を支援して戦うが、ウスターの戦いでクロムウェル軍に敗北した。その結果、ジョンはチューリング家が300年以上所有していた領地すべてを失ってしまった。 1660年には「王政復古」が成立し、ジョンは領地の賠償を願い出たが、もはや弱体化した王権下では、その願いは叶えられなかった。そこでチューリング一族は、スコットランドからイングランドに移住したらしい。 その数代後、1744年生まれのサー・ロバート・チューリングは医者になって東インドで大成功し、莫大な財産を築いて、スコットランドのバンフに引退して暮らした。彼の子孫はオランダに移住し、ロッテルダムのイギリス領事を歴任している』、「なぜウィリアムは主人公ではなく敵の言葉を選んでチューリング家の家訓としたのか。単純に子孫に「大胆であれ」と命じたかったのか、あるいは何か他に裏の意味があったのか、想像を膨らませると興味深い。 いずれにしても、初代チューリングから596年後に生まれた子孫アラン・チューリングが、「エニグマ」暗号を解読してナチス・ドイツを敗北に導き、コンピュータを発明して人類に大きな影響を及ぼした「大胆な振る舞い」を考えると、家訓は活かされたとみなすべきかもしれない」、なるほど。
・『数学に秀でた祖父、文系エリートの父 チューリングの祖父に当たるジョン・ロバート・チューリングは、1826年1月1日に生まれた。 ジョン・ロバートはケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに進学した。彼は、成績優秀である一方で、睡眠中に起き上がって屋根の上を歩く「夢遊病」で知られる不思議な学生だったという。彼は1848年に「トライポス(Tripos)」と呼ばれる卒業試験を受けた。 はるか昔から続くケンブリッジ大学の「トライポス」とは「三脚椅子」のことで、学生たちが試験を受ける際に三脚椅子に座ったことから名付けられたという伝説がある。この試験の結果は公表され、成績優秀者は「ラングラー」と称されて特別扱いされた。 17世紀から19世紀に行なわれた「オールド・トライポス」は「上院試験」でもあり、成績優秀者は、文字通り政界や官界における将来の地位と栄誉を約束された。その意味で「トライポス」は、中国の「科挙」に類似した制度といえるだろう。 この伝統を引き継ぐ19世紀のケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの数学科は、とくに厳しい「数学トライポス」を課すことで知られた。受験者は、8日間に合計48時間にわたって16の分野に及ぶ200以上の難問を解かなければならない。 この試験が「受験生の精神を消耗させ、多大なダメージを与える」ことは、「進化論」を生んだチャールズ・ダーウィンや「整数論」で知られる数学者ゴッドフレイ・ハーディでさえ嘆いて書き残している。 ジョン・ロバートは、この難関の「数学トライポス」で11位の好成績を収め、「シニア・ラングラー」の称号を得た。ところが、なぜか彼は数学を活かす研究職に就かず、司祭となる道を選んだ。 1859年、ジョン・ロバートはトリニティ・カレッジ礼拝堂の司祭に就任した。1861年、35歳のジョン・ロバートは、女学校を卒業したばかりの19歳のファニー・モンタギュー・ボイドと結婚した。 夫妻は、よほど仲がよかったのか、10人の子どもを儲けている。その内2人は早世し、男子4人と女子4人の8人の子どもを育てた。司祭の報酬で大家族を養うことは大変だったはずだが、貧しくとも温かい家庭だったという。 大家族の次男に相当するジュリアス・チューリングは、1873年11月9日に生まれた。 彼が10歳になった1883年にジョン・ロバートが亡くなると、母親ファニーを支えたのは、長姉ジーンだった。ジーンはグラマースクールの教師となり、後には自ら学校を開学し、広大な領地を所有する貴族と結婚した。 ジーンの3人の妹は、学校教師あるいは社会奉仕者となり、生涯未婚で家族に尽くした。その最大の理由は、ヴィクトリア朝のイギリスで、チューリング家の4人の男子を立派に成長させるためだった。 結果的に、長男はインドで戦死したが、三男はジャーナリスト、四男は弁護士となって社会的成功を収めた。4人の男子の中でも最も家族に栄誉をもたらしたのが、チューリングの父親となる次男のジュリアスである』、「ジョン・ロバートは、女学校を卒業したばかりの19歳のファニー・モンタギュー・ボイドと結婚した。 夫妻は、よほど仲がよかったのか、10人の子どもを儲けている。その内2人は早世し、男子4人と女子4人の8人の子どもを育てた。司祭の報酬で大家族を養うことは大変だったはずだが、貧しくとも温かい家庭だったという。 大家族の次男に相当するジュリアス・チューリングは、1873年11月9日に生まれた。 彼が10歳になった1883年にジョン・ロバートが亡くなると、母親ファニーを支えたのは、長姉ジーンだった。ジーンはグラマースクールの教師となり、後には自ら学校を開学し、広大な領地を所有する貴族と結婚した・・・、長男はインドで戦死したが、三男はジャーナリスト、四男は弁護士となって社会的成功を収めた。4人の男子の中でも最も家族に栄誉をもたらしたのが、チューリングの父親となる次男のジュリアスである」、なるほど。
・『父のジュリアス・チューリング ジュリアスは、父親と違って数学は苦手で「なぜマイナスとマイナスを掛けるとプラスになるのか、まったく意味不明だ。僕の理解を超えているよ」と、後に妻に冗談めかして語っている。 しかし、歴史学では優秀な成績で奨学金を獲得し、オックスフォード大学コーパスクリスティ・カレッジに進学した。彼は1894年に文学の学士号を取得し、1895年8月の国家公務員試験で154人中7位という好成績を収めた。 当時のイギリスのエリートたちは、ヴィクトリア女王が直接統治するイギリス領インド帝国を目指した。猛暑で不衛生なインドでの行政府の仕事は過酷だったが、その報酬は本国公務員の数倍にもなったという。 ジュリアスは、タミール語やインドの法律や歴史を猛勉強して、1896年に実施されたインド行政府試験でも7位の好成績を獲得した。 1896年12月7日、23歳のジュリアスは、意気揚々とインド帝国マドラス行政管区に着任した。その後の10年間、彼は収税官としてインド各地の農村を視察し、現地の農業や灌漑、予防接種や公衆医療の状況を報告すると同時に収税を監督した。 1906年、33歳になったジュリアスはマドラス行政管区収税官長に任命され、1907年4月にイギリスへの一時帰国を許可された。その帰国する船の中で、彼は妻となる女性と出会ったのである』、「オックスフォード大学コーパスクリスティ・カレッジに進学した。彼は1894年に文学の学士号を取得し、1895年8月の国家公務員試験で154人中7位という好成績を収めた・・・猛暑で不衛生なインドでの行政府の仕事は過酷だったが、その報酬は本国公務員の数倍にもなったという。 ジュリアスは、タミール語やインドの法律や歴史を猛勉強して、1896年に実施されたインド行政府試験でも7位の好成績を獲得した。 1896年12月7日、23歳のジュリアスは、意気揚々とインド帝国マドラス行政管区に着任した。その後の10年間、彼は収税官としてインド各地の農村を視察し、現地の農業や灌漑、予防接種や公衆医療の状況を報告すると同時に収税を監督した。 1906年、33歳になったジュリアスはマドラス行政管区収税官長に任命され、1907年4月にイギリスへの一時帰国を許可された。その帰国する船の中で、彼は妻となる女性と出会ったのである」、なるほど。
・『科学者・技術者が多い母方の家系 チューリングの母親エセル・サラ・ストーニーは、1881年11月18日に生まれた。母方の家系を遡ると、1688年の名誉革命で活躍したアイルランドの貴族トマス・ストーニーに行き着く。 ストーニー家の家系には、科学者や技術者が多い。1826年生まれのジョージ・ジョンストン・ストーニーは、アイルランド国立大学ゴールウェイ校物理学科の教授として数多くの業績を挙げ、とくに「電子(electron)」の名付け親として知られる。 チューリングの母方の祖父にあたるエドワード・ウォーラー・ストーニーは、1844年2月10日に生まれた。彼はアイルランド国立大学ゴールウェイ校土木工学科を最優秀成績の「金メダル」で卒業し、1866年6月、インド帝国マドラス鉄道の技師として赴任した。 エドワードの兄フランシスは、スライドする扉にローラーを取り付けて扉の開閉の抵抗を少なくした「ストーニー水門」の発明者として知られる。「ストーニー水門」は、ナイル川の氾濫を防止するために建設された「アスワン・ハイ・ダム」をはじめ、世界中の多くのダムに用いられている。 エドワード自身も、さまざまな特許を取得している。彼がマドラス鉄道の主任技師として発明した「ストーニー・パンカー・ホイール」は、列車の車輪の軋む音を大幅に軽減させたため、線路周辺の住民に大いに感謝されたという。 エドワードは、1985年にアイルランド人のサラ・クロフォードと結婚し、2人の男子と2人の女子を儲けた。サラは才能のある画家で、南インドのニルギリ丘陵にある野生の花を多く描いた。彼女の画集はイギリス王立植物園に感謝して受け入れられている。 長男は父親の跡を継いでマドラス鉄道の技師となり、次男はイギリス陸軍少佐になった。長女はインド軍陸軍少佐と結婚し、次女エセル・サラ・ストーニーがチューリングの母親となる。なお、彼女はよほど母親を愛していたためか、ミドルネームの「サラ」を自称した。 ストーニー家の子どもたちは、全員アイルランドで育てられた。サラは、叔父ウィリアム・クロフォードの家で、その家の4人の子どもたちと一緒に育てられた。 銀行の支店長を務めていたクロフォードは厳格で、愛情豊かな家庭とはいえなかったらしい。それでも向学心旺盛な彼女は、大学を目指す女性のために創設された寄宿学校チェルトナム・レディース・カレッジを卒業した。 そして、音楽と美術を学ぶためにパリのソルボンヌ大学に留学したが、そこには彼女の思い描いていた「自由と文化」がなく「幻滅した」という。もしかすると、インド生まれでアイルランド訛りの英語を話すサラは、パリの学生たちとは馴染めなかったのかもしれない。結果的に、彼女は半年間で大学を去った。 1900年、19歳のサラはインドのクヌールにある両親の邸宅に戻り、イギリス社交界の晩餐会や舞踏会に参加した。ヴィクトリア朝の女性として、いわば花嫁候補として相手を探す状況となり、そこである医者と相思相愛になったが、その医者は宣教師として世界各地に派遣される立場だったため、結婚を諦めたという』、「インド生まれでアイルランド訛りの英語を話すサラは、パリの学生たちとは馴染めなかったのかもしれない。結果的に、彼女は半年間で大学を去った。 1900年、19歳のサラはインドのクヌールにある両親の邸宅に戻り、イギリス社交界の晩餐会や舞踏会に参加した」、なるほど。
・『父ジュリアスと母サラの結婚 1907年4月、インドから太平洋航路でイギリスへ向かう船の中で、ジュリアスとサラは出会った。2人は即座に惹かれ合い、日本に到着すると、ジュリアスはサラをレストランに連れ出した。 そこで彼は、「ビールをください。こちらが要らないと言うまで、ずっと持ってきてください」といたずらっぽく言って飲み続け、サラにプロポーズした。 後にこの話を聞いたサラの父親エドワードは、「優秀な人材の集まる」インド行政府の「立派な青年」との結婚を認める一方で、娘の夫が大酒飲みになるのではないかと心配したという。 母のサラ(ジョンとアラン、二人の息子とともに) 1907年10月1日、33歳のジュリアスは26歳のサラと、アイルランドの首都ダブリンで結婚した。2人は1908年1月にインドに戻り、9月1日に長男ジョン・フェリエ・チューリングが誕生した。 マドラス行政管区収税官長に任命されたジュリアスは、妻と新生児を連れて、パルヴァティプラム、アナタプル、チャトラブルといった都市を転々としながら猛烈に仕事をこなした。 1911年の秋、サラがアランを妊娠したことがわかった。この時点で、ジュリアスとサラは、猛暑のインドで2人の幼児を育てることは無理だと判断したらしい。ジュリアスは休暇の手続きを取り、1912年春に家族でイギリスに帰国した』、「1907年10月1日、33歳のジュリアスは26歳のサラと、アイルランドの首都ダブリンで結婚した。2人は1908年1月にインドに戻り、9月1日に長男ジョン・フェリエ・チューリングが誕生した。 マドラス行政管区収税官長に任命されたジュリアスは、妻と新生児を連れて、パルヴァティプラム、アナタプル、チャトラブルといった都市を転々としながら猛烈に仕事をこなした。 1911年の秋、サラがアランを妊娠したことがわかった。この時点で、ジュリアスとサラは、猛暑のインドで2人の幼児を育てることは無理だと判断したらしい。ジュリアスは休暇の手続きを取り、1912年春に家族でイギリスに帰国した」、なるほど。
・『「実験家」と呼ばれた子ども時代 チューリングは、生まれて2週間後の7月7日、ロンドンの聖セイバーズ教会で洗礼を受けて、アラン・マティソン・チューリングと名付けられた。 その翌年、ジュリアスはインドに戻ったが、サラは1915年に再びロンドンに戻って、ジョンとアランの世話をしている。チューリングが3歳になる頃、サラは夫への手紙に「アランは新しい言葉を覚えるのが上手で、本当に賢くて驚かされる」と書いている。 さらに彼女は、チューリングが「たくさんの翌日(for so many morrows)」という言い回しを発明したことに触れ、通常の「長い間(for a long time)」よりも「ステキ(delightful)でしょ」と述べている。 ジュリアスとサラは、2人の息子を退役軍人のウォード大佐夫妻に預けることにした。ウォード夫妻の「ボストン・ロッジ」と呼ばれる巨大な家は、イギリス南部のイースト・サセックス州ヘイスティングスに隣接するセントレナルズにあった。 崖の上にある家の真下には海があり、イギリス海峡が見渡せる。ウォード夫妻は、自分たちの4人の娘に加えて、チューリング家の2人やカーワン陸軍少佐の家の3人の子どもたちも預かっていた。子ども部屋を仕切って世話をしたのは、メイドのトンプソン夫人である。 チューリングが4歳に近付いた頃、おもちゃの船に乗っていた木の水兵が壊れたことがあった。チューリングは、その水兵の腕と脚を庭に植えて、そこから身体が生えてくるか確かめようとしたという。 チューリングは、好奇心が旺盛で人懐こく、ウォード夫人やトンプソン夫人に可愛がられた。ウォード大佐は、男の子たちにおもちゃの兵器や戦艦の模型を見せて「戦争ごっこ」をさせようとしたが、他の子どもたちと違って、チューリング家の2人はほとんど興味を示さなかった。ジョンは「本の虫」であり、チューリングは「実験家」と呼ばれた。 ジュリアスは、インド行政管区で順調に出世し、高い給料も得ていたが、イギリスでの子どもたち2人の養育費に加えて、その後は年間1万ポンド近く学費・寮費のかかるパブリックスクールに進学させるために貯蓄し、贅沢はできなかった。 パブリックスクールとは、13歳から18歳の子供を教育するイギリスの学校の中でも、とくに上流家庭の子どもを対象に、トップクラスの中等教育を行う私立学校である。 当時のチューリング家のジュリアスとサラ夫妻にとって、息子2人を立派なパブリックスクールに入学させることが、何よりも重要な優先事項だった。(第2回 了 次回につづく)』、「ウォード大佐は、男の子たちにおもちゃの兵器や戦艦の模型を見せて「戦争ごっこ」をさせようとしたが、他の子どもたちと違って、チューリング家の2人はほとんど興味を示さなかった。ジョンは「本の虫」であり、チューリングは「実験家」と呼ばれた」、「実験家」の意味は不明だが、「戦争ごっこ」に興味を示さなかったとはみどころがありそうだ。
第三に、11月1日付け現代ビジネスが掲載した高橋 昌一郎氏による「両親から離れて育った「孤立」が育んだ思考とは? 超天才チューリングの幼少期 連載「チューリングの哲学」第3回」を紹介しよう。
・・・今回は幼少期のチューリングの神童ぶりを紹介する・・・ミツバチの巣の位置を予測する6歳児 1916年3月、再び休暇を取った父親ジュリアスと母親サラは、インドのチャプラドルを出発し、航路でスエズ運河を経由してサウサンプトン港に帰国した。当時は1914年に始まった第1次世界大戦の真只中で、ドイツ海軍から攻撃される可能性があった。 実際に、1915年5月7日、リバプールからニューヨークに向かって航行中だったイギリスの豪華客船ルシタニア号は、ドイツの潜水艦Uボートによって無警告のまま撃沈され、乗客・乗員1198人が犠牲となっている。 それから約1年後、さらに戦況の厳しくなった状況下の危険を冒してでも、夫妻は息子たちに会いたかったわけである。夫妻は乗船中、ずっと救命胴衣を着用したままだったという。 再会した一家は、スコットランドのハイランド地方のリゾートホテルで休暇を過ごし、父親は8月にインドに戻った。ドイツは、敵国に関係する船舶に無警告で攻撃する「無制限潜水艦作戦」をイギリス周辺海域から地中海に拡大しつつあった。そのため、母親サラは、戦争が終結するまでイギリスに留まることになった。 1917年5月、9歳になった長男ジョンは、ケント州タンブリッジウェルのヘーゼルハースト寄宿学校に入学した。サラは、4歳のチューリングと共にウォード家の部屋で暮らした。彼女は、母親に似て絵を描くのが得意で、美術大学の水彩画クラスに通った。一緒についていったセーラー服姿のチューリングは、奇妙なカモメの鳴き声を真似て走り回り、女子大学生たちの人気者になったという。 後にサラが家族の詳細をした伝記『アラン・チューリング』によれば、チューリングは「カモメが戦利品を巡って争う鳴き声」を「quockling」、「隙間風でロウソクの火が消える音」を「greasicle」、「ずんぐりした四角」を「squaddy」などと独特な言語で表現した。彼は、教えられた通りの言語表現だけでは飽き足らず、常に自己流の表現を用いようとしたわけである。物事を出発点から自力で理解し、独自の方法で表現しようとするチューリングの姿勢は、その後生涯にわたって続いた。 1861年にオックスフォード大学出版局が発行した『Reading without Tears』(涙なしの読書)という有名な絵本がある。この絵本は、英語圏で幼少期の子どもたちが楽しみながら読書を学習できるように(無理やり語句を覚えさせられて泣きながら読まなくてよいように)、さまざまな物語が美しい絵と共に描かれている。 サラによれば、チューリングは、『Reading without Tears』を約3週間読み続けて、5歳時には、ほぼ完全に英語を読み書きできるようになった。そして「外部世界」に興味を持つようになり、この年のクリスマスにチューリングが欲しがったのは「世界地図帳」だった。 メイドのトンプソン夫人は、幼児期のチューリングについて次のように述べている。「何よりも印象に残っているのは、とても幼いアランに、知性と一貫性が見られたことです。どんなことでも、彼を簡単に騙すことはできませんでした。ある日アランとゲームをしていて、私はわざと負けようとしました。すると彼はそれを見破って、大騒ぎになりました」 1919年1月、パリ講和会議が開催されて、第1次世界大戦が終結した。喜んだ父親ジュリアスは大急ぎで休暇を取り、2月にイギリスに帰国した。チューリング一家は、スコットランドの北西ウラプールにあるリゾートに出掛けて、家族の大切な時間を過ごした。父親ジュリアスと長男ジョンはマス釣りを楽しみ、母親は湖畔の風景を水彩画で描いた。 6歳の次男チューリングは「ヒース」と呼ばれるイギリス特有の荒地を駆け回っていたが、やがて周囲をミツバチが飛び回っていることに気づいた。彼は、ミツバチが飛んでいる経路を観察し、それらが最も多く交差する地点の図を描いた。そこでチューリングはミツバチの巣を発見し、野生の蜂蜜を集めて持って帰った。両親は、甘い蜂蜜に大喜びする以上に、チューリングの英知に満ちた予測行動に驚愕したという』、「チューリングは、『Reading without Tears』を約3週間読み続けて、5歳時には、ほぼ完全に英語を読み書きできるようになった。そして「外部世界」に興味を持つようになり、この年のクリスマスにチューリングが欲しがったのは「世界地図帳」だった」、「5歳児」としてはすごい。「チューリングは「ヒース」と呼ばれるイギリス特有の荒地を駆け回っていたが、やがて周囲をミツバチが飛び回っていることに気づいた。彼は、ミツバチが飛んでいる経路を観察し、それらが最も多く交差する地点の図を描いた。そこでチューリングはミツバチの巣を発見し、野生の蜂蜜を集めて持って帰った。両親は、甘い蜂蜜に大喜びする以上に、チューリングの英知に満ちた予測行動に驚愕したという」、確かに驚くべき行動だ。
・『いつのまにか変わっていた息子 1919年12月、両親は再びインドに赴任し、ジョンはヘーゼルハースト寄宿学校、チューリングはウォード家に預けられた。チューリングは、セント・マイケルズ小学校に入学した。 セント・マイケルズ小学校校長のテイラー夫人は、「私どもの小学校には、賢い子も一生懸命な子もいましたが、アランは天才でした」と後に述べている。チューリングは、算数とパズルが得意だった。他の児童が紙に式を書いて懸命に計算している間に、チューリングは彼独自の方法により、暗算で解答を導くことができた。 チューリングの能力が同級生を遥かに超えていることは、誰もが認めていることだったが、その一方で、チューリングは教師の命令に素直に従おうとはせず、次第に口答えばかりするようになった。 6歳から3年間のチューリングは、まるで「孤児のような生活」を送った。両親の目の届かなかった当時の彼の成績表には「だらしのない行動を慎むように」という注意が繰り返し記載されている。 1921年5月、父親ジュリアスはインドのマドラス開発大臣に昇進した。この年の夏、母親サラがイギリスに戻ってくると、9歳のチューリングは大きく変化していた。「活発で誰とでも打ち解ける子どもだったのに、いつのまにか内心を人に見せないように変わっていた」というのである。 サラが再びインドに赴く際には、「私の乗ったタクシーが見えなくなるまで、道路の真ん中で両手を一杯に振りながら追いかけてくる」息子の姿を見るという「悲しい思い出」があったとも述懐している。 1922年9月、9歳になったチューリングは、ヘーゼルハースト寄宿学校に入学した。児童に寄宿生活を学ばせると同時に、パブリックスクールへの試験対策を行うための学校である。チューリングが入学した時点では、9歳から13歳までの36人の少年たちが在籍していた。 チューリングの兄ジョンは、13歳で学校の首席だった。彼は、授業と運動、食事と就寝の定められた寄宿生活に見事に順応する優等生だった。ところが、チューリングは、自分の好きなことができる自由時間が少ない管理生活に反抗的だった。 チューリングは、休み時間になると、黙って「世界地図帳」に見入っていた。その様子を見て、彼を学校に溶け込ませようとしたダーリントン校長は、生徒全員に地理のテストを課すことにした。地理の苦手な兄にとって、この弟に対する校長の配慮は迷惑極まりなかった。 地理のテストの結果、チューリングは最年少であるにもかかわらず、兄ジョンよりも高得点で6位の成績を収めた。この結果は、兄に大きな屈辱を与えた。 また、寄宿学校のコンサートでジョンが英国国歌を独唱した際には、最後列のチューリングが笑い転げたため、せっかく練習したジョンの歌声が台無しになった。 1923年4月、ジョンは、最後の半年間を弟チューリングと共に過ごすという迷惑な環境から解放されて、パブリックスクールの名門マールボロ校に入学した。 マールボロ校は、1843年に英国国教会の聖職者の子弟を教育するためにウィルトシャー州マールボロに設立された私立の寄宿学校である。英国で最も古いパブリックスクールの1つであり、貴族や富裕者の子弟13歳から18歳を対象とする。卒業生には、免疫系の研究で1960年にノーベル生理学医学賞を受賞したピーター・メダワーや詩人のジョン・ベッジャマンなど、数えきれないほどの傑出した科学者や文学者、政治家やスポーツ選手などが存在する。 とくにマールボロ校の特徴として知られているのは、1968 年に英国で初めて女子を受け入れたことである。ウェールズ公妃キャサリンと彼女の妹ピッパ・ミドルトン、元首相デーヴィッド・キャメロンの夫人サマンサ・キャメロンら、現代の貴族や政財界の女性たちの母校である。 現在のマールボロ校のサイトを調べてみると、難関入学試験に合格した入学者180人が20人ずつの少人数クラスに分けられ、「ハウス」と呼ばれる寄宿舎で共同生活している。授業料と寮費を合わせると年間約4万ポンド(日本円で約800万円)となり、6年間で24万ポンド(約4800万円)が必要となるため、そもそも一般庶民には手の届かない学校である。 入学準備のための必需品リストを見ると、ジャケット(日常使用)・ブレザー(日曜教会用)・ズボンまたはスカート3着・ワイシャツ3枚・スポーツウェア(各種スポーツ用)・シューズ5足以上(革靴・各種スポーツ用)・水着などとあって、入学後の生活がどのようなものか想像できておもしろい。 この由緒あるマールボロ校に、チューリング家の爵位を継ぐことになる兄ジョンを入学させられたことは、ジュリアスとサラ夫妻にとって大きな喜びだったに違いない。 とはいえ、2人の息子を莫大な経費の掛かるパブリックスクールに進学させるためには、インドのマドラス開発大臣の収入であっても、大変な負担だった。ジュリアスは、それまで以上に家計費全般に倹約を命じるようになり、7歳年下のサラは、そのことで神経を摺り減らすようになる』、「2人の息子を莫大な経費の掛かるパブリックスクールに進学させるためには、インドのマドラス開発大臣の収入であっても、大変な負担だった」、「パブリックスクール」の経済的負担がそこまで重いとは再認識した。
・『超天才への扉を開いた書籍 一方、兄ジョンのいなくなったヘーゼルハースト寄宿学校では、チューリングが思いきり羽根を伸ばし始めた。彼は、ボートやカエルを折り紙で折る方法を考案して、それを周囲の生徒たちに教えたため、学校中に折り紙があふれたという。 その頃、チューリングは、学校に寄付された『Natural wonders every child should know』(すべての子どもが知るべき自然界の不思議)という本を手にした。1912年にアメリカで発行されてベストセラーになった書籍で、著者エドウィン・テニー・ブルースターは、ハーバード大学物理学科を卒業後、サイエンス・ライターになった人物である。 この書籍の目次を見ると、「どうやってニワトリは卵の中に入ったのか」「植物の卵」「男の子と女の子はどのように成長するのか」「人間は動物と何が違うのか」「植物は何を知っているのか」「見ることと信じること」「生きている自動車」「砂糖と毒」「誰にもわからないこと」など、主として生物学や動物学、植物学や薬学、さらに科学哲学的な話題も取り上げられていて、非常に興味深い。 たとえば「砂糖と毒」の章では、なぜ人間に糖分が必要なのか、それが肥満をもたらす理由は何か、なぜ植物がアルカロイドで身を守るのか、タバコのアルカロイドであるニコチンの作用、毒キノコ、カフェイン、アルコール、エーテル、クロロフォルム、アトロピン、コカインなどの作用が説明されている。 とくに注目すべきなのは、「生きている自動車」の章である。ここで著者ブルースターは、次のように述べている。「身体は、もちろん機械である。それは非常に複雑な機械で、これまでに人間の手で作られてきたどんな機械よりも、何倍も、何倍も複雑である。しかし、それでも一つの機械であることに変わりはない。以前は蒸気機関に喩えられたこともあったが、今ではそれ以上にすばらしいエンジンが開発されている。実は、人間の身体は、ガソリンで動くエンジン、つまり自動車やモーターボートや飛行機のエンジンと非常によく似ている」 この見解は、紛れもなく後にチューリングが定式化する「人間機械論」の根底に流れているアイディアといえる。さらに最後の「誰にもわからないこと」の章では、進化論は科学的に説明できるが、なぜ進化そのものが起こるのか、その理由はわからないとも記載されている。この部分も、晩年のチューリングが進化論を解明するため、形態発生学に向った志向性を暗示しているように映る。 いずれにしても、この書籍のタイトルは「すべての子どもが知るべき」となっているが、対象とする「子ども」とは、中学生か高校生以上と思われる。後にチューリングは、この本こそが自分に「自然」のすばらしさを教えてくれたと母親サラに手紙を書いているが、9歳のチューリングがそれほどの理解に到達していたことには驚かされる』、「チューリングは、学校に寄付された『Natural wonders every child should know』(すべての子どもが知るべき自然界の不思議)という本を手にした。1912年にアメリカで発行されてベストセラーになった書籍・・・対象とする「子ども」とは、中学生か高校生以上と思われる。後にチューリングは、この本こそが自分に「自然」のすばらしさを教えてくれたと母親サラに手紙を書いているが、9歳のチューリングがそれほどの理解に到達していたことには驚かされる」、なるほど。
・『抽象的思考と具象的思考 チューリングと並ぶ「超天才」のフォン・ノイマンとクルト・ゲーデルは、幼少期に両親の見守る温かい家庭に恵まれ、早い時期から数学や多言語のような「抽象的思考」で大人が驚く才能を発揮した。 彼らの幼少期と比較して、両親から離れ、孤立した状態でいることの多かったチューリングの特徴が強く表れているのは、彼が手で触れることのできる事物に対する工夫や発明のような「具体的思考」に才能を発揮した点といえるだろう。 1923年4月1日、10歳のチューリングは、自分の手にフィットする万年筆を作り、その万年筆の図も付けて、その万年筆を使って両親に手紙を書いている。この万年筆にはインク吸入器が内部に組み込まれていて、ペン先を紙に押し付けると、インクが少しずつ落ちるように調整されていた。チューリングは、この万年筆を完成させるまでに、4本分のインクを台無しにしたという。 10歳から11歳にかけてのチューリングの手紙には、新しい形式のタイプライターやカメラ、自転車をこぐ力を蓄電池に蓄積する方法のアイディアなどが書かれている。ダーリントン校長の夫人は、チューリングの「頭の中は、いつも何か新しい物を組み立てよう、発明しようと、大忙しのようです」と母親サラに手紙を書いている。 チューリング家の兄弟を教育した彼女は、次のように述べている。「喩えて言うと、ジョンは、食事に見識のある人だったら誰もが惹きつけられるビンテージ・ワインです。でも、アランはキャビアです。いったん彼のことを知ったら、ジョンと同じように誰もが惹きつけられるでしょう」 この年の夏、チューリング家にとっては大事件が起こった。ジュリアスが突然、マドラス開発大臣の辞職を宣言したのである。その理由は、彼と同期で入省したキャンベルという人物がマドラス首席大臣に任命されたことにあった。 キャンベルの入省時の成績は、ジュリアスよりも遥かに低かった。要するにジュリアスは、自分よりも能力の劣った首席大臣の下で開発大臣を勤めることに耐えられなかったのである。 後に長男ジョンは、自分の父親ジュリアスについて、次のように述べている。「父親が職場の上司や部下として扱いやすい人物だったとは、とても思えない。なぜなら彼は、インド行政府内部の上下関係や自分の立場などをまったく配慮せず、常に平気で本心を語っていたからである」 この部分の父親の性格は、そのままチューリングに引き継がれていて興味深い。一方、ジョンは母親サラと似て、周囲の状況を配慮することに長けていた。 ジュリアスは、当時の首席大臣のウェリントン卿と口論になり、「いずれにしても、あなたがインド政府というわけではありませんからね」と発言したという記録がある。この発言に激怒したウェリントンが、有能ではなくとも穏健なキャンベルを後任に選んだ可能性は十分考えられる。 ジュリアスの辞職が正式に認定されるのは1926年7月である。それまでの3年間、彼は最後の休暇を消費し、インド政府関係者は英国内に6週間以内しか留まらなければ英国所得税を免除するという規定に基づき、フランスの保養地ディナールに家を借りた。 50歳を迎えたばかりのジュリアスは、昼間は釣りをして、夜はパーティに出掛けてブリッジに興じるという引退生活に入ったが、インドのマドラス開発大臣時代に比べて強烈な退屈感に襲われた。彼は、そもそもフランスを好まずにイギリスに帰りたがる妻サラの態度も気に入らなかった。 おもしろいことに、両親がフランスに住むことになって最も喜んだのはチューリングだった。彼は、ヘーゼルハースト寄宿学校で熱心にフランス語を学んだが、それはフランス語の複雑な文法がパズルを解くように楽しめるからだった。11歳のチューリングは、両親にフランス語でハガキを書いている。 (第3回 了 次回につづく)』、「ジュリアスは、当時の首席大臣のウェリントン卿と口論になり、「いずれにしても、あなたがインド政府というわけではありませんからね」と発言したという記録がある。この発言に激怒したウェリントンが、有能ではなくとも穏健なキャンベルを後任に選んだ可能性は十分考えられる。 ジュリアスの辞職が正式に認定されるのは1926年7月である。それまでの3年間、彼は最後の休暇を消費し、インド政府関係者は英国内に6週間以内しか留まらなければ英国所得税を免除するという規定に基づき、フランスの保養地ディナールに家を借りた。 50歳を迎えたばかりのジュリアスは、昼間は釣りをして、夜はパーティに出掛けてブリッジに興じるという引退生活に入った・・・彼は、そもそもフランスを好まずにイギリスに帰りたがる妻サラの態度も気に入らなかった。 おもしろいことに、両親がフランスに住むことになって最も喜んだのはチューリングだった。彼は、ヘーゼルハースト寄宿学校で熱心にフランス語を学んだが、それはフランス語の複雑な文法がパズルを解くように楽しめるからだった。11歳のチューリングは、両親にフランス語でハガキを書いている」』、「フランス語の複雑な文法がパズルを解くように楽しめるから」、もともとの気質に加え、「両親」と離れて英国の「寄宿学校」で「フランス語を学んだ」からこそのような気がする。
タグ:(その21)(チューリングの哲学3題:ナチス・ドイツを敗北に導いた「超天才」チューリングの波乱万丈な人生と不幸な「死の謎」、「大胆であれ」天才を生んだ華麗なる血脈と家訓…チューリング一族の歴史をたどる、両親から離れて育った「孤立」が育んだ思考とは? 超天才チューリングの幼少期) 歴史問題 現代ビジネス 高橋 昌一郎氏による「ナチス・ドイツを敗北に導いた「超天才」チューリングの波乱万丈な人生と不幸な「死の謎」 連載「チューリングの哲学」第1回」 3人の「超天才」たち。クルト・ゲーデル、ジョン・フォン・ノイマンに続き、アラン・チューリング 『天才の光と影 ノーベル賞受賞者23人の狂気』(PHP研究所) どんな天才にも、輝かしい「光」に満ちた栄光の姿と、その背面に暗い「影」の表情がある。物理学界の2大巨頭であるアルベルト・アインシュタイン(1921年・物理学賞)とニールス・ボーア(1922年・物理学賞)や、化学界の巨頭ライナス・ポーリング(1954年・化学賞/1962年・平和賞)でさえ、天才と狂気の紙一重の精神を抱えていた 「超天才」が3人存在する。その3人とは、ジョン・フォン・ノイマン、クルト・ゲーデル、アラン・チューリング 『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書) 「『天才の光と影』に登場するノーベル賞受賞者たちを超えて、21世紀の現代社会に計り知れない影響を与え続けている「超天才」が3人存在する。その3人とは、ジョン・フォン・ノイマン、クルト・ゲーデル、アラン・チューリングである。 この3人は、20世紀のほぼ同じ時代に生きて、各々が独自のアプローチで人間理性の限界に迫り、まるで螺旋状に絡まるように人生の幾つかの重要な接点でお互いに何度か交差している」、なるほど。 「もしノイマンがいなければ、原子爆弾は1945年に完成しなかったかもしれず、投下地点は彼が戦後処理を見越して猛反対した東京に決定していたかもしれない。また、現代のパソコンやスマートフォンや天気予報は存在しないかもしれない。 ノイマンは、彼自身が推進した核実験で何度も放射線を浴びたため骨髄癌を発症し、1957年に逝去した。わずか53年あまりの短い生涯の間に、論理学・数学・物理学・化学・計算機科学・情報工学・生物学・気象学・経済学・心理学・社会学・政治学という極めて幅広い分野に関する150編の先駆的な論文を発 表した・・・第2次世界大戦後、ノイマンは、ソ連を先制核攻撃すべきだとハリー・トルーマン大統領に進言した。彼は「ソ連を攻撃すべきか否かは、もはや問題ではありません。問題は、いつ攻撃するか、ということです」と主張・・・「マッド・サイエンティスト」の代表とみなされるようになった・・・プログラム内臓方式の「ノイマン型コンピュータ」、量子論の数学的基礎に登場する「ノイマン環」、ゲーム理論における「ノイマンの定理」など、20世紀に進展した科学理論のどの研究分野を遡っても、いずれどこかで必ず何らかの先駆者として「ノイマ マン」の付いた業績に遭遇する・・・ノイマンは、明らかにノーベル物理学賞と経済学賞を受賞するだけの業績を挙げていたが、早世したため、その機会はなかった。 そのノイマンが、「20世紀最高の知性」と呼ばれるたびに、「それは自分ではなくゲーデルだ」と返答した」、なるほど。 「当時のノイマンは、合衆国の原水爆開発とコンピュータ開発の中枢で重責を負い、プリンストンとワシントンを分刻みのスケジュールで往復しながら、政府や軍の最高レベルの関係者と対等に議論できる立場にあった。彼は「ゲーデルをヨーロッパの瓦礫の中から救い出すことほど重要なことはない」とアメリカ国務省の上層部を説得した。 その結果、ゲーデルは「ありとあらゆる手段」によってウィーンから救出され、ノイマンのいたプリンストン高等研究所に招聘された。 そこでゲーデルと親友になったのが、物理学者アルベルト・アインシュタインである 。晩年のアインシュタインは、「私が研究所に行くのは、ゲーデルと散歩する恩恵に浴するためだ」とまで述べている。2人は、毎日のように一緒に散歩をしながら一般相対性理論について議論を重ねた」、なるほど。 「暗号の送り手と受け手が、ローターが同じように初期設定された同一のエニグマを持っていなければ、解読は不可能だとみなされていた。 これに対して、チューリングは、36機のエニグマの動作を同時にシミュレートできる暗号解読機「ボンブ」を開発し、ローターの配置可能性を個別に探知する方法で、ついにその解読を成功させた! エニグマ暗号解読は、ナチス・ドイツを敗北に導いた最大の要因ともいわれるほどの功績である。 つまり、チューリングは、連合国軍を勝利に導いた「英雄」であり、1945年にはチャーチル首相から「大英帝国勲章」を授与されている」、なるほど。 「チューリングは、窃盗の被害者であったにもかかわらず、裁判の過程で同性愛者であることが公開されてしまった。 当時のイギリスで同性愛は「違法」であり、彼に下された判決は、留置場に収監されるか、性欲を抑制するために定期的に化学的去勢療法を受けるか、どちらかを選ぶという刑罰だった。チューリングは化学的去勢療法を選び、定期的にテストステロン値を下げる女性ホルモンを投与されることになった。 この事件によって、彼はイギリス政府に関連する研究機関への立ち入りが禁止された。 王立協会フェローでもある大学教授のスキャンダルは、新聞に大きく報道された。 それから2年後、1954年6月8日午後5時頃、41歳のチューリングが死亡している姿をメイドのクレイトン夫人が発見した。ベッドの脇には、齧りかけのリンゴがあった。 検死報告書で明らかになったのは、彼の肺や胃から「強いアーモンドの香りがする青酸化合物」が検出されたということで、そこから青酸化合物を塗ったリンゴを齧った「服毒自殺」であると結論付けられている。 しかし、駆け付けた母親サラは、チューリングが自殺するはずはないと主張した。 まず、これまで何でも報告していたサラに遺言がないのがおかしい。また、寝る前にリンゴを齧るのは、以前からのチューリングの習慣だった。 クレイトン夫人によれば、7日夜のチューリングは上機嫌で彼女の作った夕食を食べている。調べてみると、チューリングは、6月9日に数学者バーナード・リチャーズと面会の約束があり、大学の研究室に残されていた予定表には、翌週以降の予定も多く書き込まれていた。 チューリングの部屋には、彼の趣味である化学実験道具があった。天井の電燈には変圧器が取り付けられ、電線が蒸発皿の電極に繋げられ、そ の皿には青酸化合物で生じた泡が付着していた。彼は、この装置でスプーンを金メッキしていたのである。 物事に頓着しないチューリングは、青酸化合物の結晶をジャム瓶に入れて保存していた。つまり彼は、電気分解をしているうちに青酸ガスを吸い込み過ぎたか、あるいは間違って結晶を飲み込んでしまったため、「事故死」に違いないというのが、サラの主張である・・・彼の死から55年が過ぎた2009年、イギリスのゴードン・ブラウン首相は、チューリングに対する「処罰が完全に不当であったことを認め、ここに深く遺憾の意を表明する」とイギリ ス政府として公式に「謝罪」を表明した。 チューリングの生誕109周年を迎えた2021年には、イギリスに新「50ポンド紙幣」が誕生した。表にエリザベス女王、裏にチューリングの肖像がある」、なるほど。 高橋 昌一郎氏による「「大胆であれ」天才を生んだ華麗なる血脈と家訓…チューリング一族の歴史をたどる 連載「チューリングの哲学」第2回」 「なぜウィリアムは主人公ではなく敵の言葉を選んでチューリング家の家訓としたのか。単純に子孫に「大胆であれ」と命じたかったのか、あるいは何か他に裏の意味があったのか、想像を膨らませると興味深い。 いずれにしても、初代チューリングから596年後に生まれた子孫アラン・チューリングが、「エニグマ」暗号を解読してナチス・ドイツを敗北に導き、コンピュータを発明して人類に大きな影響を及ぼした「大胆な振る舞い」を考えると、家訓は活かされたとみなすべきかもしれない」、なるほど。 「ジョン・ロバートは、女学校を卒業したばかりの19歳のファニー・モンタギュー・ボイドと結婚した。 夫妻は、よほど仲がよかったのか、10人の子どもを儲けている。その内2人は早世し、男子4人と女子4人の8人の子どもを育てた。司祭の報酬で大家族を養うことは大変だったはずだが、貧しくとも温かい家庭だったという。 大家族の次男に相当するジュリアス・チューリングは、1873年11月9日に生まれた。 彼が10歳になった1883年にジョン・ロバートが亡くなると、母親ファニーを支えたのは、長姉ジーンだった。ジーンはグラマー スクールの教師となり、後には自ら学校を開学し、広大な領地を所有する貴族と結婚した・・・、長男はインドで戦死したが、三男はジャーナリスト、四男は弁護士となって社会的成功を収めた。4人の男子の中でも最も家族に栄誉をもたらしたのが、チューリングの父親となる次男のジュリアスである」、なるほど。 「オックスフォード大学コーパスクリスティ・カレッジに進学した。彼は1894年に文学の学士号を取得し、1895年8月の国家公務員試験で154人中7位という好成績を収めた・・・猛暑で不衛生なインドでの行政府の仕事は過酷だったが、その報酬は本国公務員の数倍にもなったという。 ジュリアスは、タミール語やインドの法律や歴史を猛勉強して、1896年に実施されたインド行政府試験でも7位の好成績を獲得した。 1896年12月7日、23歳のジュリアスは、意気揚々とインド帝国マドラス行政管区に着任した。 その後の10年間、彼は収税官としてインド各地の農村を視察し、現地の農業や灌漑、予防接種や公衆医療の状況を報告すると同時に収税を監督した。 1906年、33歳になったジュリアスはマドラス行政管区収税官長に任命され、1907年4月にイギリスへの一時帰国を許可された。その帰国する船の中で、彼は妻となる女性と出会ったのである」、なるほど。 「インド生まれでアイルランド訛りの英語を話すサラは、パリの学生たちとは馴染めなかったのかもしれない。結果的に、彼女は半年間で大学を去った。 1900年、19歳のサラはインドのクヌールにある両親の邸宅に戻り、イギリス社交界の晩餐会や舞踏会に参加した」、なるほど。 「1907年10月1日、33歳のジュリアスは26歳のサラと、アイルランドの首都ダブリンで結婚した。2人は1908年1月にインドに戻り、9月1日に長男ジョン・フェリエ・チューリングが誕生した。 マドラス行政管区収税官長に任命されたジュリアスは、妻と新生児を連れて、パルヴァティプラム、アナタプル、チャトラブルといった都市を転々としながら猛烈に仕事をこなした。 1911年の秋、サラがアランを妊娠したことがわかった。この時点で、ジュリアスとサラは、猛暑のインドで2人の幼児を育てることは無理だと判断したらしい。ジュ リアスは休暇の手続きを取り、1912年春に家族でイギリスに帰国した」、なるほど。 「ウォード大佐は、男の子たちにおもちゃの兵器や戦艦の模型を見せて「戦争ごっこ」をさせようとしたが、他の子どもたちと違って、チューリング家の2人はほとんど興味を示さなかった。ジョンは「本の虫」であり、チューリングは「実験家」と呼ばれた」、「実験家」の意味は不明だが、「戦争ごっこ」に興味を示さなかったとはみどころがありそうだ。 高橋 昌一郎氏による「両親から離れて育った「孤立」が育んだ思考とは? 超天才チューリングの幼少期 連載「チューリングの哲学」第3回」 「チューリングは、『Reading without Tears』を約3週間読み続けて、5歳時には、ほぼ完全に英語を読み書きできるようになった。そして「外部世界」に興味を持つようになり、この年のクリスマスにチューリングが欲しがったのは「世界地図帳」だった」、「5歳児」としてはすごい。 「チューリングは「ヒース」と呼ばれるイギリス特有の荒地を駆け回っていたが、やがて周囲をミツバチが飛び回っていることに気づいた。彼は、ミツバチが飛んでいる経路を観察し、それらが最も多く交差する地点の図を描いた。そこでチューリングはミツバチの巣を発見し、野生の蜂蜜を集めて持って帰った。両親は、甘い蜂蜜に大喜びする以上に、チューリングの英知に満ちた予測行動に驚愕したという」、確かに驚くべき行動だ。 「2人の息子を莫大な経費の掛かるパブリックスクールに進学させるためには、インドのマドラス開発大臣の収入であっても、大変な負担だった」、「パブリックスクール」の経済的負担がそこまで重いとは再認識した。 「チューリングは、学校に寄付された『Natural wonders every child should know』(すべての子どもが知るべき自然界の不思議)という本を手にした。1912年にアメリカで発行されてベストセラーになった書籍・・・対象とする「子ども」とは、中学生か高校生以上と思われる。後にチューリングは、この本こそが自分に「自然」のすばらしさを教えてくれたと母親サラに手紙を書いているが、9歳のチューリングがそれほどの理解に到達していたことには驚かされる」、なるほど。 「ジュリアスは、当時の首席大臣のウェリントン卿と口論になり、「いずれにしても、あなたがインド政府というわけではありませんからね」と発言したという記録がある。この発言に激怒したウェリントンが、有能ではなくとも穏健なキャンベルを後任に選んだ可能性は十分考えられる。 ジュリアスの辞職が正式に認定されるのは1926年7月である。それまでの3年間、彼は最後の休暇を消費し、インド政府関係者は英国内に6週間以内しか留まらなければ英国所得税を免除するという規定に基づき、フランスの保養地ディナールに家を借りた。 50歳を迎えたばかりのジュリアスは、昼間は釣りをして、夜はパーティに出掛けてブリッジに興じるという引退生活に入った・・・彼は、そもそもフランスを好まずにイギリスに帰りたがる妻サラの態度も気に入らなかった。 おもしろいことに、両親がフランスに住むことになって最も喜んだのはチューリングだった。彼は、ヘーゼルハースト寄宿学校で熱心にフランス語を学んだが、それはフランス語の複雑な文法がパズルを解くように楽しめるからだった。11歳のチューリングは、両親にフランス語でハガキを書いている」』、「フランス語の複雑な文法が パズルを解くように楽しめるから」、もともとの気質に加え、「両親」と離れて英国の「寄宿学校」で「フランス語を学んだ」からこそのような気がする。
外国人問題(その10)(絶滅危惧の外国人CEO 強さは異文化往来に宿る、外国人に占拠される日本の市区町村「衝撃予測」 2050年に外国人比率100%の街も出現する“なぜ”、交通事故激増中なのに…!中国人が「日本の運転免許」を取得する「ありえないほど簡単な方法」) [社会]
外国人問題については、本年3月9日に取上げた。今日は、(その10)(絶滅危惧の外国人CEO 強さは異文化往来に宿る、外国人に占拠される日本の市区町村「衝撃予測」 2050年に外国人比率100%の街も出現する“なぜ”、交通事故激増中なのに…!中国人が「日本の運転免許」を取得する「ありえないほど簡単な方法」)である。
先ずは、7月5日付け日経新聞が掲載した本社コメンテーターの中山淳史氏による「絶滅危惧の外国人CEO 強さは異文化往来に宿る」を紹介しよう。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD02C6U0S4A700C2000000/
・『インド生まれのジュネジャ・レカ・ラジュ氏は来日して今年40年になる。乳化剤メーカーの太陽化学に入り、ロート製薬を経て「柿の種」の亀田製菓に移り、2022年に会長兼最高経営責任者(CEO)に就いた。 生え抜きではないが、日本生まれにも多い中途採用組で、かつてのカルロス・ゴーン元日産自動車会長のような「助っ人外国人CEO」とは異なる。 「日本人はハングリー精神を忘れてしまった。でも、技術は残っている」。08年に日本に帰化しつつ、海外生まれゆえの鋭い視点が、発する言葉ににじむ。 現在取り組んでいるのは誰も考えつかなかった「ライスイノベーション」、すなわち米を使った食べ物の新しい可能性の探究と「コメどころの会社をグローバル企業にすること」だ。留学先の名古屋大学で取得した農学博士号の知見も駆使して、本社のある新潟、東京、海外を毎月走り回る』、「インド生まれのジュネジャ・レカ・ラジュ氏は来日して今年40年・・・「柿の種」の亀田製菓に移り、2022年に会長兼最高経営責任者(CEO)に就いた・・・08年に日本に帰化しつつ、海外生まれゆえの鋭い視点が、発する言葉ににじむ。 現在取り組んでいるのは誰も考えつかなかった「ライスイノベーション」、すなわち米を使った食べ物の新しい可能性の探究と「コメどころの会社をグローバル企業にすること」だ。留学先の名古屋大学で取得した農学博士号の知見も駆使して、本社のある新潟、東京、海外を毎月走り回る」、ずいぶん頑張っているようだ。
・『ソフト型、ハード型とも希少に ジュネジャ氏のような海外生まれの経営者はさぞかし一般的な存在になったことだろう。そう思いたいところではあるが、むしろ逆に向かっているのが日本の現実かもしれない。 株式時価総額の上位100社で海外生まれの外国人CEOは現在、実質3人(韓国で創業、日本に本拠を移したネクソンを除く)のみ。オリンパスのシュテファン・カウフマン氏(23年就任)、半導体検査装置大手アドバンテストのダグラス・ラフィーバ氏(グループCEO、24年就任)、そして武田薬品工業のクリストフ・ウェバー氏(14年就任)だ。 ラフィーバ氏とカウフマン氏は海外法人に入社して頭角を現した内部昇格組だ。亀田製菓のジュネジャ氏と似て、「ソフトランディング型」といったらいいか。それに対し、海外で活躍していた経営者が請われて非連続的にトップに収まるのが「ハードランディング型」だ。 ハードランディング型は、より希少な存在になった。6月の株主総会で取締役を退任した三菱ケミカルグループのジョンマーク・ギルソン氏は今年3月末に解任に近い形で社長を退いた。現在は武田のウェバー氏ひとりだけになってしまい、絶滅が危ぶまれる存在といっていい』、「株式時価総額の上位100社で海外生まれの外国人CEOは現在、実質3人・・・のみ。オリンパスのシュテファン・カウフマン氏・・・、半導体検査装置大手アドバンテストのダグラス・ラフィーバ氏・・・そして武田薬品工業のクリストフ・ウェバー氏・・・ラフィーバ氏とカウフマン氏は海外法人に入社して頭角を現した内部昇格組だ。亀田製菓のジュネジャ氏と似て、「ソフトランディング型」といったらいいか。それに対し、海外で活躍していた経営者が請われて非連続的にトップに収まるのが「ハードランディング型」だ」、「6月の株主総会で取締役を退任した三菱ケミカルグループのジョンマーク・ギルソン氏は今年3月末に解任に近い形で社長を退いた。現在は武田のウェバー氏ひとりだけになってしまい、絶滅が危ぶまれる存在といっていい」、なるほど。
・『変化に鈍い日本への低評価 「平時だから」との指摘はあるだろう。さらに経営の多様性という点では取締役会や執行役全体に力点が移った。日産ではゴーン氏の一連の事件を経ながら、取締役12人のうち5人が外国人だ。日立製作所も30年度までに外国人と女性の役員(執行役と理事)をそれぞれ30%にする目標を打ち出す。 一方で、気になるデータもある。スイスのビジネススクール、IMDが6月に発表した「世界競争力ランキング」で、日本の序列が前年の35位から38位(対象は67カ国・地域)に低下し、回復の兆しがみえない。 各国で働くビジネスパーソン(日本の場合は日本人と外国人の計数百人)が調査対象で、その国が「働きやすい環境とキャリア形成に有益なチャンスを提供してくれるかどうか」を問い、総合評価している。 評価のポイントを見て思うのは、日本は政府も企業も変化への対応が鈍いことだ。「おもてなし」の国といいつつ、組織が内向きで、文化的な対立や衝突が起きた時には異文化を排除しかねない可能性がある。 三菱ケミカルのギルソン氏の場合、在任後半に「日本市場がわかっていない」などの批判が社内から聞こえてきた。だが、人口減少や中国の台頭を踏まえた石油化学事業の再編という目指した方向性は間違っていたわけではない。課題が目の前にありつつ、最近10年は再編らしい動きもないまま、やり過ごしてきた組織にも問題があった可能性はないか』、「IMDが6月に発表した「世界競争力ランキング」で、日本の序列が前年の35位から38位(対象は67カ国・地域)に低下し、回復の兆しがみえない。 各国で働くビジネスパーソン(日本の場合は日本人と外国人の計数百人)が調査対象で、その国が「働きやすい環境とキャリア形成に有益なチャンスを提供してくれるかどうか」を問い、総合評価している。 評価のポイントを見て思うのは、日本は政府も企業も変化への対応が鈍いことだ。「おもてなし」の国といいつつ、組織が内向きで、文化的な対立や衝突が起きた時には異文化を排除しかねない可能性がある」、なるほど。
・『ラグビーリーグにみる人材の好循環 米国ではテック大手「GAFAM」のうち2社がソフトランディング型で、スターバックスなどハードランディング型の大手企業も平時、有事に関係なく存在感がある。最善の帰着点を共有し、しがらみのない外国人CEOを柔軟に使いこなす。それくらいの組織でなければ、強さは戻らない。 日本でも上手にやっているとすれば、スポーツ界、例えばラグビーかもしれない。 社会人リーグの「リーグワン」はここ数年、活躍の場を日本に求めてやってくる海外のスター選手が増え、欧州や南半球の強豪リーグに引けを取らないほど活況だ。19年に日本で開催されたワールドカップ(W杯)の成功と、その後も技術レベルを維持する日本代表選手の現状を最大限に売り込んだ成果といえる。 ニュージーランド代表を2人擁した昨シーズン(5月終了)の覇者、東芝ブレイブルーパス東京の薫田真広ゼネラルマネージャーは「スーパースターでチームを強くしようとはしていない。チームの戦い方を外国人にも理解してもらい、選手同士で高め合う場にするのが理想だ」と話す。 面白いのは1部の12チーム中、8チームの監督またはヘッドコーチが外国人になった点だ。有力監督、指導スタッフ、スーパースターが相互に日本に呼び込みあう循環もでき始めたという。 とにかく外国人を増やせ、ということではない。優秀な人材が自由に行き交い、互いに成長を模索しあう。企業においてもそんな場と循環が確立できなければ、成長には限りがある』、「日本でも上手にやっているとすれば、スポーツ界、例えばラグビーかもしれない。 社会人リーグの「リーグワン」はここ数年、活躍の場を日本に求めてやってくる海外のスター選手が増え、欧州や南半球の強豪リーグに引けを取らないほど活況だ。19年に日本で開催されたワールドカップ(W杯)の成功と、その後も技術レベルを維持する日本代表選手の現状を最大限に売り込んだ成果といえる・・・とにかく外国人を増やせ、ということではない。優秀な人材が自由に行き交い、互いに成長を模索しあう。企業においてもそんな場と循環が確立できなければ、成長には限りがある」、なるほど。
次に、7月9日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した:沖有人氏による「外国人に占拠される日本の市区町村「衝撃予測」、2050年に外国人比率100%の街も出現する“なぜ”」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/346704
・『人口減少を外国人で補う日本 外国人を見かけない街はもはやない(日本における直近1年の外国人の増加数は26万1889人で(在留外国人統計・出入国管理庁)、日本人は83万7000人減少している(人口推計・総務省)。日本人の減少を外国人の流入で補っている形であり、これは57万人超の純減となっている。 日本人の純減は出生数の減少と死亡数の増加で2026年頃には年100万人減になる勢いだ。少子高齢化でこれが100万人を割り込むのはずっと先のこととなる。こうして、直近のペースでは2050年には日本にいる外国人は1000万人を超えることが予測される。 そんな中、最近は日本全国で外国人を見かけない場所がほぼなくなりつつある。これは訪日外国人旅行者が増えている影響もある。過去最高値はコロナ直前の2019年で、年間3188万人が訪日している。2024年は1-4月の実績で2019年を5.7%上回っており、今年は新記録を達成しそうな勢いである。 実際、日本政府は2030年に外国人旅行者の誘致数を6000万人という目標を掲げている。オーバーツーリズムなどの諸問題があるにせよ、これまでの伸び率などから、達成不可能な目標ではないと考えられる。 本稿では、旅行者ではなく、日本に在留資格を持ち、居を構える外国人に着目する。在留資格とは、外国人が日本で一定期間、学んだり、働いたり、家族と住むことができる資格のことで、これがないと強制送還などの対象になる。 ちなみに、経済協力開発機構(OECD)は統計上、「国内に1年以上滞在する外国人」を移民と定義しているので、ほとんどの在留資格者はこの定義上は移民に相当するが、日本では移民とは呼んでいない。 在留資格者は2021-22年の1年での増加数が12万6026人だったが、2022-23年は26万4954人と2倍以上に増加している。コロナ禍での外国人の入国制限が解けたからであるが、その内訳も変化している。) 在留資格別に見ると、この1年で最も人数が増えたのは特定技能で8万5629人となり、英語教師や留学生などを上回る。特定技能とは、人手不足の分野(介護・宿泊業、建設、農業など)で一定の技能がある外国人労働者を受け入れるものだ。2019年度に始まり、5年間で34.5万人を受け入れ上限にしている。コロナ期間で受け入れが遅れたが、最近急ピッチで増えて、受け入れ上限まで急上昇している。 2024年度から自動車運送業や鉄道など4業種が追加になり、5年間の受け入れ枠は以前の約2.4倍となる82万人とすることを政府が閣議決定しており、今後も特定技能者は年間16.4万人ペース(直近1年の約2倍)での急増が見込まれる。 そうなると、前述した2022-23年の増加数26万4954人に特定技能の年間純増数9万5000人(82万-34.5万÷5)を加えれば、36万人となる。日本の働き手不足を補完することを目的とすると、この数はもっと増えていく可能性がある』、「2022-23年の増加数26万4954人に特定技能の年間純増数9万5000人(82万-34.5万÷5)を加えれば、36万人となる。日本の働き手不足を補完することを目的とすると、この数はもっと増えていく可能性がある」、なるほど。
・『市区町村の外国人比率はどう変化する? 想像をはるかに超える衝撃予測 こうしたデータを基に、今回は日本の市区町村で将来の外国人比率がどう変化するかを、主なケースについて予測してみよう。その方法について記述しておく。 外国人人口は在留資格者数の2022-23年の変化が毎年起こると想定し、2050年まで算定した。直近1年の増減を27年先まで延ばすのは少し乱暴ではあるが、今のペースが今後も続けばどうなるかという試算だと考えて欲しい。また、特定技能の受け入れ拡大で、この予測以上となる可能性が高いと考えておいた方がいい。 一方、人口の予測には国立社会保障人口問題研究所の日本の地域別将来推計人口を用いているが、これには日本人と外国人の区別がない。外国人の増加数は16万3791人で一定数としているので、この時点で外国人の年間増加数はすでに10万~20万人ずれており、国立社会保障人口問題研究所の外国人人口予測を問題視しなければならないが、有効な代替案もないので、2050年の日本人と外国人の総人口を外国人比率の分母に使用する。) まず、現在の外国人比率が高い都道府県ランキングを算出すると、1位は東京都になる。「2023年時点の在留外国人人口÷2020年時点の国勢調査」で、全国平均2.5%に対して東京都は4.5%と最も高く、直近1年の外国人増加率も16番目と高いため、2050年時点では現状の3倍以上に相当する15.7%まで外国人比率が上がると予測される。 東京都の中で市区単位に見ると、外国人は集まって住む傾向があるため、かなりの濃淡が生まれる。それは、米国のロサンゼルスにリトル・トーキョーがあるのと同様、近くで暮らすことで情報共有や相互扶助などのメリットが大きいからだ。2050年時点の外国人比率が最も高いと予測されるのは新宿区で38.45%、2位が豊島区で38.40%となる。新宿区の新大久保駅周辺は以前から韓国人街であるし、豊島区の北池袋はチャイナタウン化している』、「人口の予測には国立社会保障人口問題研究所の日本の地域別将来推計人口を用いているが、これには日本人と外国人の区別がない。外国人の増加数は16万3791人で一定数としているので、この時点で外国人の年間増加数はすでに10万~20万人ずれており、国立社会保障人口問題研究所の外国人人口予測を問題視しなければならないが、有効な代替案もないので、2050年の日本人と外国人の総人口を外国人比率の分母に使用する・・・2050年時点では現状の3倍以上に相当する15.7%まで外国人比率が上がると予測される・・・米国のロサンゼルスにリトル・トーキョーがあるのと同様、近くで暮らすことで情報共有や相互扶助などのメリットが大きいからだ。2050年時点の外国人比率が最も高いと予測されるのは新宿区で38.45%、2位が豊島区で38.40%となる。新宿区の新大久保駅周辺は以前から韓国人街であるし、豊島区の北池袋はチャイナタウン化している」、なるほど。
・『「消滅可能性都市」の豊島区はもはや外国人で人口を維持している 特に豊島区は、2014年に民間有識者組織 「日本創成会議」から東京23区の中で唯一の「消滅可能性都市」の指摘を受けたが、その際の理由が「2010年から40年にかけて若年女性(20~39歳)が50%以上減る」という推計だった。2022年の出生人口2013人に対して死亡人口が2506 人で493人減少、流入超過人口が2617人の流出という豊島区において、それらの合計(3110人)を上回る3536人の外国人が区の人口を増やしている。日本創成会議のように日本人のみで人口を維持しようとする考え自体が、もうすでに古いのかもしれない。 ちなみに、23区の中で外国人比率が2023時点でも2050年時点でも最下位なのは世田谷区になる。外国人が増えているエリアは比較的雑然としていて物価が安い傾向があるが、現時点で日本人色が強い世田谷は外国人にとって住みつくだけの理由が少ないのではなかろうか。しかし、これは今後の人口増加の主たる要因となる外国人への寄与度が低いことに他ならず、見方によっては「人口が増えない街」としてネガティブに映る側面もある。) このような都市での集住傾向は、大阪市でも同様の傾向になる。 現在は生野区が外国人比率22.2%で頭抜けているが、直近1年は2.7%と伸び率が低く、2050年には51.0%で僅差ながら西成区(60.7%)、浪速区(59.8%)に次いで3位にダウンすると予測される。とはいえ、この3区は2050年には5~6割が外国人となる。 一方、最も少ない区は鶴見区、城東区、福島区の順で、2050年時点でも外国人比率が10%を割り、住み分けが進んでいることになる』、「豊島区は、2014年に民間有識者組織 「日本創成会議」から東京23区の中で唯一の「消滅可能性都市」の指摘を受けたが、その際の理由が「2010年から40年にかけて若年女性(20~39歳)が50%以上減る」という推計・・・流入超過人口が2617人の流出という豊島区において、それらの合計(3110人)を上回る3536人の外国人が区の人口を増やしている・・・3区の中で外国人比率が2023時点でも2050年時点でも最下位なのは世田谷区になる。外国人が増えているエリアは比較的雑然としていて物価が安い傾向があるが、現時点で日本人色が強い世田谷は外国人にとって住みつくだけの理由が少ないのではなかろう・・・このような都市での集住傾向は、大阪市でも同様の傾向になる」、なるほど。
・『北海道、長野、群馬……外国人比率が50%を超える市区町村の特徴 2050年時点で外国人比率が50%を超える市区町村には、明確な特徴がある。1つ目はリゾート地だ。北海道はパウダースノーのリゾート地が人気で、ニセコリゾート付近(ニセコ町、倶知安町)、ルスツリゾート(留寿都村)、キロロリゾート(赤井川村)、トマムリゾート(占冠村)となる。 中でも、占冠村は全国トップであり、ほぼ外国人だけの街になるであろう。直近の実績は、2022年に172人だった外国人は2023年には388人になり、1年で216人も増えている。 同じ理由で、長野県のスノーリゾートである白馬村や野沢温泉村も50%を超える。北海道・長野県以外でも、温泉を中心とした観光地として、群馬県草津町、神奈川県箱根町がランクインする。外国人観光客が多く、宿泊業は人手不足の状態にあり、宿泊業は特定技能での労働者確保が可能である。 特徴の2つ目は地場産業への技能実習や特定技能の受け入れが盛んな特区がある。北海道では、猿払村(水産加工場の実習生の受け入れ)、興部町(漁業)、群馬県では昭和村(農業)、長野県の川上村(農業)だ。川上村はレタスの栽培で有名な地域であることから、技能実習生や特定技能の外国人、特にインドネシア国籍が多い。) 街単位では、UR都市機構(昔の公団住宅)の団地は入居者の国籍不問のため、外国人だらけになっている。賃貸なので、所有者となることはないが、1階店舗は外国人向けとなって、小さな経済圏を形成している。こうした場所が日本中で急速に増えていくのだろう』、「北海道、長野、群馬……外国人比率が50%を超える市区町村の特徴・・・1つ目はリゾート地だ。北海道はパウダースノーのリゾート地が人気で、ニセコリゾート付近(ニセコ町、倶知安町)、ルスツリゾート(留寿都村)、キロロリゾート(赤井川村)、トマムリゾート(占冠村)となる・・・同じ理由で、長野県のスノーリゾートである白馬村や野沢温泉村も50%を超える。北海道・長野県以外でも、温泉を中心とした観光地として、群馬県草津町、神奈川県箱根町がランクインする。外国人観光客が多く、宿泊業は人手不足の状態にあり、宿泊業は特定技能での労働者確保が可能である。 特徴の2つ目は地場産業への技能実習や特定技能の受け入れが盛んな特区がある。北海道では、猿払村(水産加工場の実習生の受け入れ)、興部町(漁業)、群馬県では昭和村(農業)、長野県の川上村(農業)だ」、なるほど。
・『2050年には外国人比率が100%に? 選挙権を認める議論まで浮上 これらの市区町村の多くは、2050年時点で外国人比率が100%を超える。つまり、国立社会保障人口問題研究所の人口予測よりも外国人の数が多くなる。実質的に外国人だけの市区町村になる。ライフスタイルなどの文化的な側面や物価などの経済的側面では、あたかも外国のようになるだろう。問題はその市区町村の政治だ。 在留資格者に選挙権は現在ないとはいえ、これを与えようとする動きがある。もし、そのようなことが1つの市区町村でも起きたら、そこに外国人がなだれ込むことは想像に難くない。 投票する選挙権と立候補できる被選挙権は日本国民であることが条件となっている。これが崩れたとき、日本の中に別の国ができるのと同じになる。たとえば、豊島区は中国区に、新宿区は韓国区に、江戸川区はインド区に、大田区はフィリピン区に名称変更されるようなものだ。 実際、中国では政府が「砂を混ぜる」政策を進めている。これは、その地域に中国人を増やし、実質的に乗っ取る方法を指す。たとえば、内モンゴル自治区ではすでに大半は移住してきた中国人となり、教育現場ではモンゴル語ではなく中国語しか使えなくなっている。 外国人に不動産(水源などを含む)を売ることや参政権を与えないことなど、論点は増えてきている。事の是非はともかくとして、日本でも選挙権が外国人に与えられたりしたら、日本が日本でなくなってしまうと考えた方がいい。取り返しがつかなくなる前に、国を挙げて法律の整備を進め、日本人と外国人の権利の線引きを明確に行う時期に来ていると考える』、「これらの市区町村の多くは、2050年時点で外国人比率が100%を超える。つまり、国立社会保障人口問題研究所の人口予測よりも外国人の数が多くなる。実質的に外国人だけの市区町村になる。ライフスタイルなどの文化的な側面や物価などの経済的側面では、あたかも外国のようになるだろう。問題はその市区町村の政治だ。 在留資格者に選挙権は現在ないとはいえ、これを与えようとする動きがある。もし、そのようなことが1つの市区町村でも起きたら、そこに外国人がなだれ込むことは想像に難くない。 投票する選挙権と立候補できる被選挙権は日本国民であることが条件となっている。これが崩れたとき、日本の中に別の国ができるのと同じになる。たとえば、豊島区は中国区に、新宿区は韓国区に、江戸川区はインド区に、大田区はフィリピン区に名称変更されるようなものだ・・・事の是非はともかくとして、日本でも選挙権が外国人に与えられたりしたら、日本が日本でなくなってしまうと考えた方がいい。取り返しがつかなくなる前に、国を挙げて法律の整備を進め、日本人と外国人の権利の線引きを明確に行う時期に来ていると考える」、なるほど。
第三に、10月21日付け現代ビジネスが掲載した加藤 久美子氏による「交通事故激増中なのに…!中国人が「日本の運転免許」を取得する「ありえないほど簡単な方法」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/139650?imp=0
・『そもそも免許の確認がない場合も 最近、外国人観光客によるレンタカーでの交通事故が急増している。観光に人気の富士五湖地域では、今年7月末時点で事故件数は440件にのぼり、昨年1年の458件に迫っている。8月31日には富士河口湖町の国道の交差点で男女2人が信号無視の車にはねられ、女性が死亡、男性が意識不明の重体となる事故もあった。事故を起こしたのは中国籍の女が運転するレンタカーだった。 コロナ禍が明けて以降、外国人観光客は増えているが、日本での移動手段として人気なのがレンタカーだ。単なる移動手段としてだけなく、車に乗ることそのものを目的に借りる外国人も少なくない。 日本のアニメやゲームの影響もあって、日産スカイラインGTーRやホンダS2000、シビック、トヨタスープラ、マツダRXー7といった日本製スポーツカーが人気だ。 「日本でスカイラインGTーRに乗ってみたかったんだ! 夢がかなったよ」 筆者が取材した外国人観光客のなかにはそう語る人もいた。 一般的に、日本を訪れる外国人は「国際運転免許証」で運転が可能だ。ただし、ジュネーヴ様式で発行された国際免許に限られる。たとえばロシアは、国際免許の形式がジュネーブ様式ではないため無効だ。 レンタカー会社の中にはこのあたりの詳細を理解せず、日本では無効の国際免許で貸し出しているところもある。そもそも、外国人観光客が大手レンタカー会社で車を借りる場合、ほとんどが旅行会社経由で予約をするため、予約時に免許証の確認をされない。また、接客するレンタカー店のスタッフの知識がない場合もある。 レンタカー会社側が貸し出しを拒否すると予約はキャンセルとなり、店側は外国人客にキャンセル料を請求することになるが……これも素直に支払う外国人は少ない』、「ロナ禍が明けて以降、外国人観光客は増えているが、日本での移動手段として人気なのがレンタカーだ。単なる移動手段としてだけなく、車に乗ることそのものを目的に借りる外国人も少なくない。 日本のアニメやゲームの影響もあって、日産スカイラインGTーRやホンダS2000、シビック、トヨタスープラ、マツダRXー7といった日本製スポーツカーが人気だ。 「日本でスカイラインGTーRに乗ってみたかったんだ! 夢がかなったよ」 筆者が取材した外国人観光客のなかにはそう語る人もいた・・・日本を訪れる外国人は「国際運転免許証」で運転が可能だ。ただし、ジュネーヴ様式で発行された国際免許に限られる。たとえばロシアは、国際免許の形式がジュネーブ様式ではないため無効だ。 レンタカー会社の中にはこのあたりの詳細を理解せず、日本では無効の国際免許で貸し出しているところもある」、恐ろしいことだ。
・『筆記試験も簡単 最近は中国籍のドライバーによる交通事故も多いが、中国の国際免許の形式はジュネーヴ様式ではない。コロナ前は東南アジアで偽造された国際免許を使って運転する中国人が問題になったことがあったが、いま、中国人はどのようにして日本で車を運転しているのか。 実は多くの中国人は、意外な方法で日本の免許を取得している。「外国免許からの切り替え」(以下、外免切替)という制度である。 免許を取得した国がジュネーヴ条約締約国かどうかによっても手続き内容は異なるが、最もハードルが高い「筆記試験+技能試験」が必須の国であっても、その内容はそれほど難しいものではない。試験場によって異なるが、筆記試験は最大24言語で受けることができ、わずか10問で7問正解すれば合格だ。 外国人労働者の免許取得を促す目的もあり、昨年11月20日に警察庁から通達(警察庁丙運発第18号)が出されたあと、外免切替の手続きはさらに緩和され、取得までの時間も短縮された。 そのため今、外免切替で日本の免許証を入手しようとする外国人で、首都圏や関西圏を中心に運転免許試験場は大混雑している。なお、筆記試験は10問中7問正解で合格ゆえ非常に簡単だが、技能試験はかなり混んでいて数ヵ月待つこともある』、実は多くの中国人は、意外な方法で日本の免許を取得している。「外国免許からの切り替え」(以下、外免切替)という制度である。 免許を取得した国がジュネーヴ条約締約国かどうかによっても手続き内容は異なるが、最もハードルが高い「筆記試験+技能試験」が必須の国であっても、その内容はそれほど難しいものではない。試験場によって異なるが、筆記試験は最大24言語で受けることができ、わずか10問で7問正解すれば合格だ。 外国人労働者の免許取得を促す目的もあり、昨年11月20日に警察庁から通達(警察庁丙運発第18号)が出されたあと、外免切替の手続きはさらに緩和され、取得までの時間も短縮された・・・筆記試験は最大24言語で受けることができ、わずか10問で7問正解すれば合格だ」、なるほど。
・『ホテルの住所でOK 日本の免許に書き換える上で気になるのは、免許証の住所をどうするのか、ということである。 筆者も外免切替のことは以前から知っていたが、日本で住民登録をしている外国人のみが対象だと思っていた。しかし、実際にはホテルの住所でも取得ができてしまう。知人の外国人に見せてもらった免許証に記載される住所も、確かにホテルの名前が入っていた。 ホテルで「一時帰国(滞在)証明書」を受け取れば、免許証の申請が可能となる。ついでに言えば、友人、知人、親戚宅でも問題ない。 外国人の「住所」としてよく使用されているホテルはいくつかあるが、そのうちの一つが、府中にある「ビジネス・イン・グランドール府中」だ。このホテルは今年9月26日、「一時帰国(滞在)証明書発行無償化に関するお知らせ」という告知を出している。ホテルに確認したところ、「9月中、10日間ほど証明書の発行を有料(5000円)にしていたが、現在は無償になっている」とのことであった。 免許を更新する場合も、基本的には日本人が日本の免許を更新するのと同じだ。神奈川県警の公式サイト「海外に居住(滞在)していて日本の運転免許証をお持ちの方の手続について」においても、 「海外からの一時帰国中の方で、住民登録が日本になく、神奈川県内に一時滞在する方については、神奈川県内の一時滞在先を仮の住所地とみなし、運転免許証の住所に変更して更新・再交付の手続を行います。」と記されている。 つまり、ホテルを一時帰国(滞在)先として免許を切り替えたり更新したりすることは、違法行為でもグレー行為でもないわけだ』、「ホテルを一時帰国(滞在)先として免許を切り替えたり更新したりすることは、違法行為でもグレー行為でもないわけだ」、なるほど。
・『中国籍ドライバーにとって大きなメリット 日本人のほとんどは自動車教習所に30万円前後のお金を支払い、少なくとも1ヵ月程度の時間をかけて免許を取得する。費用や教習課程などは、世界的にみても類がないほど高額で厳しい。教習所に通わず免許センターで直接試験を受ける「一発免許」という方法もあるが、失効などではない新規の一発合格率は2~3%以下と非常に低い。 そうして苦労して取得した免許を、日本よりはるかに簡単で安価に免許を取得した外国人が、外免切替であっさり取得できるのはいかがなものか。 さらに言えば、日本の免許を取得すれば、世界約100ヵ国で運転が可能なジュネーブ様式の国際免許も特別な試験なしで取得できる。ジュネーブ条約もウィーン条約も加入していない中国の免許証は有効な国が限定されているため、日本で国際免許を取得することは中国籍のドライバーにとって大きなメリットとなる。 近年は外国人労働者を確保する目的もあってか、外国人の免許取得に関しても諸々の規制緩和が進んでいる。運送業界での人手不足解消に貢献してくれる可能性は大きいだろう。しかし、外国人による重大事故も増加傾向にあり、さらに自動車窃盗など外国人(とくにベトナム人)による車を使った犯罪も増えている。せめて、交通事故や交通違反に関しては、日本人と同等の厳しい取り締まりや刑事罰を願いたい』。「苦労して取得した免許を、日本よりはるかに簡単で安価に免許を取得した外国人が、外免切替であっさり取得できるのはいかがなものか」、同感である。「日本の免許を取得すれば、世界約100ヵ国で運転が可能なジュネーブ様式の国際免許も特別な試験なしで取得できる。ジュネーブ条約もウィーン条約も加入していない中国の免許証は有効な国が限定されているため、日本で国際免許を取得することは中国籍のドライバーにとって大きなメリットとなる・・・外国人による重大事故も増加傾向にあり、さらに自動車窃盗など外国人(とくにベトナム人)による車を使った犯罪も増えている。せめて、交通事故や交通違反に関しては、日本人と同等の厳しい取り締まりや刑事罰を願いたい」、その通りだ。
先ずは、7月5日付け日経新聞が掲載した本社コメンテーターの中山淳史氏による「絶滅危惧の外国人CEO 強さは異文化往来に宿る」を紹介しよう。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD02C6U0S4A700C2000000/
・『インド生まれのジュネジャ・レカ・ラジュ氏は来日して今年40年になる。乳化剤メーカーの太陽化学に入り、ロート製薬を経て「柿の種」の亀田製菓に移り、2022年に会長兼最高経営責任者(CEO)に就いた。 生え抜きではないが、日本生まれにも多い中途採用組で、かつてのカルロス・ゴーン元日産自動車会長のような「助っ人外国人CEO」とは異なる。 「日本人はハングリー精神を忘れてしまった。でも、技術は残っている」。08年に日本に帰化しつつ、海外生まれゆえの鋭い視点が、発する言葉ににじむ。 現在取り組んでいるのは誰も考えつかなかった「ライスイノベーション」、すなわち米を使った食べ物の新しい可能性の探究と「コメどころの会社をグローバル企業にすること」だ。留学先の名古屋大学で取得した農学博士号の知見も駆使して、本社のある新潟、東京、海外を毎月走り回る』、「インド生まれのジュネジャ・レカ・ラジュ氏は来日して今年40年・・・「柿の種」の亀田製菓に移り、2022年に会長兼最高経営責任者(CEO)に就いた・・・08年に日本に帰化しつつ、海外生まれゆえの鋭い視点が、発する言葉ににじむ。 現在取り組んでいるのは誰も考えつかなかった「ライスイノベーション」、すなわち米を使った食べ物の新しい可能性の探究と「コメどころの会社をグローバル企業にすること」だ。留学先の名古屋大学で取得した農学博士号の知見も駆使して、本社のある新潟、東京、海外を毎月走り回る」、ずいぶん頑張っているようだ。
・『ソフト型、ハード型とも希少に ジュネジャ氏のような海外生まれの経営者はさぞかし一般的な存在になったことだろう。そう思いたいところではあるが、むしろ逆に向かっているのが日本の現実かもしれない。 株式時価総額の上位100社で海外生まれの外国人CEOは現在、実質3人(韓国で創業、日本に本拠を移したネクソンを除く)のみ。オリンパスのシュテファン・カウフマン氏(23年就任)、半導体検査装置大手アドバンテストのダグラス・ラフィーバ氏(グループCEO、24年就任)、そして武田薬品工業のクリストフ・ウェバー氏(14年就任)だ。 ラフィーバ氏とカウフマン氏は海外法人に入社して頭角を現した内部昇格組だ。亀田製菓のジュネジャ氏と似て、「ソフトランディング型」といったらいいか。それに対し、海外で活躍していた経営者が請われて非連続的にトップに収まるのが「ハードランディング型」だ。 ハードランディング型は、より希少な存在になった。6月の株主総会で取締役を退任した三菱ケミカルグループのジョンマーク・ギルソン氏は今年3月末に解任に近い形で社長を退いた。現在は武田のウェバー氏ひとりだけになってしまい、絶滅が危ぶまれる存在といっていい』、「株式時価総額の上位100社で海外生まれの外国人CEOは現在、実質3人・・・のみ。オリンパスのシュテファン・カウフマン氏・・・、半導体検査装置大手アドバンテストのダグラス・ラフィーバ氏・・・そして武田薬品工業のクリストフ・ウェバー氏・・・ラフィーバ氏とカウフマン氏は海外法人に入社して頭角を現した内部昇格組だ。亀田製菓のジュネジャ氏と似て、「ソフトランディング型」といったらいいか。それに対し、海外で活躍していた経営者が請われて非連続的にトップに収まるのが「ハードランディング型」だ」、「6月の株主総会で取締役を退任した三菱ケミカルグループのジョンマーク・ギルソン氏は今年3月末に解任に近い形で社長を退いた。現在は武田のウェバー氏ひとりだけになってしまい、絶滅が危ぶまれる存在といっていい」、なるほど。
・『変化に鈍い日本への低評価 「平時だから」との指摘はあるだろう。さらに経営の多様性という点では取締役会や執行役全体に力点が移った。日産ではゴーン氏の一連の事件を経ながら、取締役12人のうち5人が外国人だ。日立製作所も30年度までに外国人と女性の役員(執行役と理事)をそれぞれ30%にする目標を打ち出す。 一方で、気になるデータもある。スイスのビジネススクール、IMDが6月に発表した「世界競争力ランキング」で、日本の序列が前年の35位から38位(対象は67カ国・地域)に低下し、回復の兆しがみえない。 各国で働くビジネスパーソン(日本の場合は日本人と外国人の計数百人)が調査対象で、その国が「働きやすい環境とキャリア形成に有益なチャンスを提供してくれるかどうか」を問い、総合評価している。 評価のポイントを見て思うのは、日本は政府も企業も変化への対応が鈍いことだ。「おもてなし」の国といいつつ、組織が内向きで、文化的な対立や衝突が起きた時には異文化を排除しかねない可能性がある。 三菱ケミカルのギルソン氏の場合、在任後半に「日本市場がわかっていない」などの批判が社内から聞こえてきた。だが、人口減少や中国の台頭を踏まえた石油化学事業の再編という目指した方向性は間違っていたわけではない。課題が目の前にありつつ、最近10年は再編らしい動きもないまま、やり過ごしてきた組織にも問題があった可能性はないか』、「IMDが6月に発表した「世界競争力ランキング」で、日本の序列が前年の35位から38位(対象は67カ国・地域)に低下し、回復の兆しがみえない。 各国で働くビジネスパーソン(日本の場合は日本人と外国人の計数百人)が調査対象で、その国が「働きやすい環境とキャリア形成に有益なチャンスを提供してくれるかどうか」を問い、総合評価している。 評価のポイントを見て思うのは、日本は政府も企業も変化への対応が鈍いことだ。「おもてなし」の国といいつつ、組織が内向きで、文化的な対立や衝突が起きた時には異文化を排除しかねない可能性がある」、なるほど。
・『ラグビーリーグにみる人材の好循環 米国ではテック大手「GAFAM」のうち2社がソフトランディング型で、スターバックスなどハードランディング型の大手企業も平時、有事に関係なく存在感がある。最善の帰着点を共有し、しがらみのない外国人CEOを柔軟に使いこなす。それくらいの組織でなければ、強さは戻らない。 日本でも上手にやっているとすれば、スポーツ界、例えばラグビーかもしれない。 社会人リーグの「リーグワン」はここ数年、活躍の場を日本に求めてやってくる海外のスター選手が増え、欧州や南半球の強豪リーグに引けを取らないほど活況だ。19年に日本で開催されたワールドカップ(W杯)の成功と、その後も技術レベルを維持する日本代表選手の現状を最大限に売り込んだ成果といえる。 ニュージーランド代表を2人擁した昨シーズン(5月終了)の覇者、東芝ブレイブルーパス東京の薫田真広ゼネラルマネージャーは「スーパースターでチームを強くしようとはしていない。チームの戦い方を外国人にも理解してもらい、選手同士で高め合う場にするのが理想だ」と話す。 面白いのは1部の12チーム中、8チームの監督またはヘッドコーチが外国人になった点だ。有力監督、指導スタッフ、スーパースターが相互に日本に呼び込みあう循環もでき始めたという。 とにかく外国人を増やせ、ということではない。優秀な人材が自由に行き交い、互いに成長を模索しあう。企業においてもそんな場と循環が確立できなければ、成長には限りがある』、「日本でも上手にやっているとすれば、スポーツ界、例えばラグビーかもしれない。 社会人リーグの「リーグワン」はここ数年、活躍の場を日本に求めてやってくる海外のスター選手が増え、欧州や南半球の強豪リーグに引けを取らないほど活況だ。19年に日本で開催されたワールドカップ(W杯)の成功と、その後も技術レベルを維持する日本代表選手の現状を最大限に売り込んだ成果といえる・・・とにかく外国人を増やせ、ということではない。優秀な人材が自由に行き交い、互いに成長を模索しあう。企業においてもそんな場と循環が確立できなければ、成長には限りがある」、なるほど。
次に、7月9日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した:沖有人氏による「外国人に占拠される日本の市区町村「衝撃予測」、2050年に外国人比率100%の街も出現する“なぜ”」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/346704
・『人口減少を外国人で補う日本 外国人を見かけない街はもはやない(日本における直近1年の外国人の増加数は26万1889人で(在留外国人統計・出入国管理庁)、日本人は83万7000人減少している(人口推計・総務省)。日本人の減少を外国人の流入で補っている形であり、これは57万人超の純減となっている。 日本人の純減は出生数の減少と死亡数の増加で2026年頃には年100万人減になる勢いだ。少子高齢化でこれが100万人を割り込むのはずっと先のこととなる。こうして、直近のペースでは2050年には日本にいる外国人は1000万人を超えることが予測される。 そんな中、最近は日本全国で外国人を見かけない場所がほぼなくなりつつある。これは訪日外国人旅行者が増えている影響もある。過去最高値はコロナ直前の2019年で、年間3188万人が訪日している。2024年は1-4月の実績で2019年を5.7%上回っており、今年は新記録を達成しそうな勢いである。 実際、日本政府は2030年に外国人旅行者の誘致数を6000万人という目標を掲げている。オーバーツーリズムなどの諸問題があるにせよ、これまでの伸び率などから、達成不可能な目標ではないと考えられる。 本稿では、旅行者ではなく、日本に在留資格を持ち、居を構える外国人に着目する。在留資格とは、外国人が日本で一定期間、学んだり、働いたり、家族と住むことができる資格のことで、これがないと強制送還などの対象になる。 ちなみに、経済協力開発機構(OECD)は統計上、「国内に1年以上滞在する外国人」を移民と定義しているので、ほとんどの在留資格者はこの定義上は移民に相当するが、日本では移民とは呼んでいない。 在留資格者は2021-22年の1年での増加数が12万6026人だったが、2022-23年は26万4954人と2倍以上に増加している。コロナ禍での外国人の入国制限が解けたからであるが、その内訳も変化している。) 在留資格別に見ると、この1年で最も人数が増えたのは特定技能で8万5629人となり、英語教師や留学生などを上回る。特定技能とは、人手不足の分野(介護・宿泊業、建設、農業など)で一定の技能がある外国人労働者を受け入れるものだ。2019年度に始まり、5年間で34.5万人を受け入れ上限にしている。コロナ期間で受け入れが遅れたが、最近急ピッチで増えて、受け入れ上限まで急上昇している。 2024年度から自動車運送業や鉄道など4業種が追加になり、5年間の受け入れ枠は以前の約2.4倍となる82万人とすることを政府が閣議決定しており、今後も特定技能者は年間16.4万人ペース(直近1年の約2倍)での急増が見込まれる。 そうなると、前述した2022-23年の増加数26万4954人に特定技能の年間純増数9万5000人(82万-34.5万÷5)を加えれば、36万人となる。日本の働き手不足を補完することを目的とすると、この数はもっと増えていく可能性がある』、「2022-23年の増加数26万4954人に特定技能の年間純増数9万5000人(82万-34.5万÷5)を加えれば、36万人となる。日本の働き手不足を補完することを目的とすると、この数はもっと増えていく可能性がある」、なるほど。
・『市区町村の外国人比率はどう変化する? 想像をはるかに超える衝撃予測 こうしたデータを基に、今回は日本の市区町村で将来の外国人比率がどう変化するかを、主なケースについて予測してみよう。その方法について記述しておく。 外国人人口は在留資格者数の2022-23年の変化が毎年起こると想定し、2050年まで算定した。直近1年の増減を27年先まで延ばすのは少し乱暴ではあるが、今のペースが今後も続けばどうなるかという試算だと考えて欲しい。また、特定技能の受け入れ拡大で、この予測以上となる可能性が高いと考えておいた方がいい。 一方、人口の予測には国立社会保障人口問題研究所の日本の地域別将来推計人口を用いているが、これには日本人と外国人の区別がない。外国人の増加数は16万3791人で一定数としているので、この時点で外国人の年間増加数はすでに10万~20万人ずれており、国立社会保障人口問題研究所の外国人人口予測を問題視しなければならないが、有効な代替案もないので、2050年の日本人と外国人の総人口を外国人比率の分母に使用する。) まず、現在の外国人比率が高い都道府県ランキングを算出すると、1位は東京都になる。「2023年時点の在留外国人人口÷2020年時点の国勢調査」で、全国平均2.5%に対して東京都は4.5%と最も高く、直近1年の外国人増加率も16番目と高いため、2050年時点では現状の3倍以上に相当する15.7%まで外国人比率が上がると予測される。 東京都の中で市区単位に見ると、外国人は集まって住む傾向があるため、かなりの濃淡が生まれる。それは、米国のロサンゼルスにリトル・トーキョーがあるのと同様、近くで暮らすことで情報共有や相互扶助などのメリットが大きいからだ。2050年時点の外国人比率が最も高いと予測されるのは新宿区で38.45%、2位が豊島区で38.40%となる。新宿区の新大久保駅周辺は以前から韓国人街であるし、豊島区の北池袋はチャイナタウン化している』、「人口の予測には国立社会保障人口問題研究所の日本の地域別将来推計人口を用いているが、これには日本人と外国人の区別がない。外国人の増加数は16万3791人で一定数としているので、この時点で外国人の年間増加数はすでに10万~20万人ずれており、国立社会保障人口問題研究所の外国人人口予測を問題視しなければならないが、有効な代替案もないので、2050年の日本人と外国人の総人口を外国人比率の分母に使用する・・・2050年時点では現状の3倍以上に相当する15.7%まで外国人比率が上がると予測される・・・米国のロサンゼルスにリトル・トーキョーがあるのと同様、近くで暮らすことで情報共有や相互扶助などのメリットが大きいからだ。2050年時点の外国人比率が最も高いと予測されるのは新宿区で38.45%、2位が豊島区で38.40%となる。新宿区の新大久保駅周辺は以前から韓国人街であるし、豊島区の北池袋はチャイナタウン化している」、なるほど。
・『「消滅可能性都市」の豊島区はもはや外国人で人口を維持している 特に豊島区は、2014年に民間有識者組織 「日本創成会議」から東京23区の中で唯一の「消滅可能性都市」の指摘を受けたが、その際の理由が「2010年から40年にかけて若年女性(20~39歳)が50%以上減る」という推計だった。2022年の出生人口2013人に対して死亡人口が2506 人で493人減少、流入超過人口が2617人の流出という豊島区において、それらの合計(3110人)を上回る3536人の外国人が区の人口を増やしている。日本創成会議のように日本人のみで人口を維持しようとする考え自体が、もうすでに古いのかもしれない。 ちなみに、23区の中で外国人比率が2023時点でも2050年時点でも最下位なのは世田谷区になる。外国人が増えているエリアは比較的雑然としていて物価が安い傾向があるが、現時点で日本人色が強い世田谷は外国人にとって住みつくだけの理由が少ないのではなかろうか。しかし、これは今後の人口増加の主たる要因となる外国人への寄与度が低いことに他ならず、見方によっては「人口が増えない街」としてネガティブに映る側面もある。) このような都市での集住傾向は、大阪市でも同様の傾向になる。 現在は生野区が外国人比率22.2%で頭抜けているが、直近1年は2.7%と伸び率が低く、2050年には51.0%で僅差ながら西成区(60.7%)、浪速区(59.8%)に次いで3位にダウンすると予測される。とはいえ、この3区は2050年には5~6割が外国人となる。 一方、最も少ない区は鶴見区、城東区、福島区の順で、2050年時点でも外国人比率が10%を割り、住み分けが進んでいることになる』、「豊島区は、2014年に民間有識者組織 「日本創成会議」から東京23区の中で唯一の「消滅可能性都市」の指摘を受けたが、その際の理由が「2010年から40年にかけて若年女性(20~39歳)が50%以上減る」という推計・・・流入超過人口が2617人の流出という豊島区において、それらの合計(3110人)を上回る3536人の外国人が区の人口を増やしている・・・3区の中で外国人比率が2023時点でも2050年時点でも最下位なのは世田谷区になる。外国人が増えているエリアは比較的雑然としていて物価が安い傾向があるが、現時点で日本人色が強い世田谷は外国人にとって住みつくだけの理由が少ないのではなかろう・・・このような都市での集住傾向は、大阪市でも同様の傾向になる」、なるほど。
・『北海道、長野、群馬……外国人比率が50%を超える市区町村の特徴 2050年時点で外国人比率が50%を超える市区町村には、明確な特徴がある。1つ目はリゾート地だ。北海道はパウダースノーのリゾート地が人気で、ニセコリゾート付近(ニセコ町、倶知安町)、ルスツリゾート(留寿都村)、キロロリゾート(赤井川村)、トマムリゾート(占冠村)となる。 中でも、占冠村は全国トップであり、ほぼ外国人だけの街になるであろう。直近の実績は、2022年に172人だった外国人は2023年には388人になり、1年で216人も増えている。 同じ理由で、長野県のスノーリゾートである白馬村や野沢温泉村も50%を超える。北海道・長野県以外でも、温泉を中心とした観光地として、群馬県草津町、神奈川県箱根町がランクインする。外国人観光客が多く、宿泊業は人手不足の状態にあり、宿泊業は特定技能での労働者確保が可能である。 特徴の2つ目は地場産業への技能実習や特定技能の受け入れが盛んな特区がある。北海道では、猿払村(水産加工場の実習生の受け入れ)、興部町(漁業)、群馬県では昭和村(農業)、長野県の川上村(農業)だ。川上村はレタスの栽培で有名な地域であることから、技能実習生や特定技能の外国人、特にインドネシア国籍が多い。) 街単位では、UR都市機構(昔の公団住宅)の団地は入居者の国籍不問のため、外国人だらけになっている。賃貸なので、所有者となることはないが、1階店舗は外国人向けとなって、小さな経済圏を形成している。こうした場所が日本中で急速に増えていくのだろう』、「北海道、長野、群馬……外国人比率が50%を超える市区町村の特徴・・・1つ目はリゾート地だ。北海道はパウダースノーのリゾート地が人気で、ニセコリゾート付近(ニセコ町、倶知安町)、ルスツリゾート(留寿都村)、キロロリゾート(赤井川村)、トマムリゾート(占冠村)となる・・・同じ理由で、長野県のスノーリゾートである白馬村や野沢温泉村も50%を超える。北海道・長野県以外でも、温泉を中心とした観光地として、群馬県草津町、神奈川県箱根町がランクインする。外国人観光客が多く、宿泊業は人手不足の状態にあり、宿泊業は特定技能での労働者確保が可能である。 特徴の2つ目は地場産業への技能実習や特定技能の受け入れが盛んな特区がある。北海道では、猿払村(水産加工場の実習生の受け入れ)、興部町(漁業)、群馬県では昭和村(農業)、長野県の川上村(農業)だ」、なるほど。
・『2050年には外国人比率が100%に? 選挙権を認める議論まで浮上 これらの市区町村の多くは、2050年時点で外国人比率が100%を超える。つまり、国立社会保障人口問題研究所の人口予測よりも外国人の数が多くなる。実質的に外国人だけの市区町村になる。ライフスタイルなどの文化的な側面や物価などの経済的側面では、あたかも外国のようになるだろう。問題はその市区町村の政治だ。 在留資格者に選挙権は現在ないとはいえ、これを与えようとする動きがある。もし、そのようなことが1つの市区町村でも起きたら、そこに外国人がなだれ込むことは想像に難くない。 投票する選挙権と立候補できる被選挙権は日本国民であることが条件となっている。これが崩れたとき、日本の中に別の国ができるのと同じになる。たとえば、豊島区は中国区に、新宿区は韓国区に、江戸川区はインド区に、大田区はフィリピン区に名称変更されるようなものだ。 実際、中国では政府が「砂を混ぜる」政策を進めている。これは、その地域に中国人を増やし、実質的に乗っ取る方法を指す。たとえば、内モンゴル自治区ではすでに大半は移住してきた中国人となり、教育現場ではモンゴル語ではなく中国語しか使えなくなっている。 外国人に不動産(水源などを含む)を売ることや参政権を与えないことなど、論点は増えてきている。事の是非はともかくとして、日本でも選挙権が外国人に与えられたりしたら、日本が日本でなくなってしまうと考えた方がいい。取り返しがつかなくなる前に、国を挙げて法律の整備を進め、日本人と外国人の権利の線引きを明確に行う時期に来ていると考える』、「これらの市区町村の多くは、2050年時点で外国人比率が100%を超える。つまり、国立社会保障人口問題研究所の人口予測よりも外国人の数が多くなる。実質的に外国人だけの市区町村になる。ライフスタイルなどの文化的な側面や物価などの経済的側面では、あたかも外国のようになるだろう。問題はその市区町村の政治だ。 在留資格者に選挙権は現在ないとはいえ、これを与えようとする動きがある。もし、そのようなことが1つの市区町村でも起きたら、そこに外国人がなだれ込むことは想像に難くない。 投票する選挙権と立候補できる被選挙権は日本国民であることが条件となっている。これが崩れたとき、日本の中に別の国ができるのと同じになる。たとえば、豊島区は中国区に、新宿区は韓国区に、江戸川区はインド区に、大田区はフィリピン区に名称変更されるようなものだ・・・事の是非はともかくとして、日本でも選挙権が外国人に与えられたりしたら、日本が日本でなくなってしまうと考えた方がいい。取り返しがつかなくなる前に、国を挙げて法律の整備を進め、日本人と外国人の権利の線引きを明確に行う時期に来ていると考える」、なるほど。
第三に、10月21日付け現代ビジネスが掲載した加藤 久美子氏による「交通事故激増中なのに…!中国人が「日本の運転免許」を取得する「ありえないほど簡単な方法」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/139650?imp=0
・『そもそも免許の確認がない場合も 最近、外国人観光客によるレンタカーでの交通事故が急増している。観光に人気の富士五湖地域では、今年7月末時点で事故件数は440件にのぼり、昨年1年の458件に迫っている。8月31日には富士河口湖町の国道の交差点で男女2人が信号無視の車にはねられ、女性が死亡、男性が意識不明の重体となる事故もあった。事故を起こしたのは中国籍の女が運転するレンタカーだった。 コロナ禍が明けて以降、外国人観光客は増えているが、日本での移動手段として人気なのがレンタカーだ。単なる移動手段としてだけなく、車に乗ることそのものを目的に借りる外国人も少なくない。 日本のアニメやゲームの影響もあって、日産スカイラインGTーRやホンダS2000、シビック、トヨタスープラ、マツダRXー7といった日本製スポーツカーが人気だ。 「日本でスカイラインGTーRに乗ってみたかったんだ! 夢がかなったよ」 筆者が取材した外国人観光客のなかにはそう語る人もいた。 一般的に、日本を訪れる外国人は「国際運転免許証」で運転が可能だ。ただし、ジュネーヴ様式で発行された国際免許に限られる。たとえばロシアは、国際免許の形式がジュネーブ様式ではないため無効だ。 レンタカー会社の中にはこのあたりの詳細を理解せず、日本では無効の国際免許で貸し出しているところもある。そもそも、外国人観光客が大手レンタカー会社で車を借りる場合、ほとんどが旅行会社経由で予約をするため、予約時に免許証の確認をされない。また、接客するレンタカー店のスタッフの知識がない場合もある。 レンタカー会社側が貸し出しを拒否すると予約はキャンセルとなり、店側は外国人客にキャンセル料を請求することになるが……これも素直に支払う外国人は少ない』、「ロナ禍が明けて以降、外国人観光客は増えているが、日本での移動手段として人気なのがレンタカーだ。単なる移動手段としてだけなく、車に乗ることそのものを目的に借りる外国人も少なくない。 日本のアニメやゲームの影響もあって、日産スカイラインGTーRやホンダS2000、シビック、トヨタスープラ、マツダRXー7といった日本製スポーツカーが人気だ。 「日本でスカイラインGTーRに乗ってみたかったんだ! 夢がかなったよ」 筆者が取材した外国人観光客のなかにはそう語る人もいた・・・日本を訪れる外国人は「国際運転免許証」で運転が可能だ。ただし、ジュネーヴ様式で発行された国際免許に限られる。たとえばロシアは、国際免許の形式がジュネーブ様式ではないため無効だ。 レンタカー会社の中にはこのあたりの詳細を理解せず、日本では無効の国際免許で貸し出しているところもある」、恐ろしいことだ。
・『筆記試験も簡単 最近は中国籍のドライバーによる交通事故も多いが、中国の国際免許の形式はジュネーヴ様式ではない。コロナ前は東南アジアで偽造された国際免許を使って運転する中国人が問題になったことがあったが、いま、中国人はどのようにして日本で車を運転しているのか。 実は多くの中国人は、意外な方法で日本の免許を取得している。「外国免許からの切り替え」(以下、外免切替)という制度である。 免許を取得した国がジュネーヴ条約締約国かどうかによっても手続き内容は異なるが、最もハードルが高い「筆記試験+技能試験」が必須の国であっても、その内容はそれほど難しいものではない。試験場によって異なるが、筆記試験は最大24言語で受けることができ、わずか10問で7問正解すれば合格だ。 外国人労働者の免許取得を促す目的もあり、昨年11月20日に警察庁から通達(警察庁丙運発第18号)が出されたあと、外免切替の手続きはさらに緩和され、取得までの時間も短縮された。 そのため今、外免切替で日本の免許証を入手しようとする外国人で、首都圏や関西圏を中心に運転免許試験場は大混雑している。なお、筆記試験は10問中7問正解で合格ゆえ非常に簡単だが、技能試験はかなり混んでいて数ヵ月待つこともある』、実は多くの中国人は、意外な方法で日本の免許を取得している。「外国免許からの切り替え」(以下、外免切替)という制度である。 免許を取得した国がジュネーヴ条約締約国かどうかによっても手続き内容は異なるが、最もハードルが高い「筆記試験+技能試験」が必須の国であっても、その内容はそれほど難しいものではない。試験場によって異なるが、筆記試験は最大24言語で受けることができ、わずか10問で7問正解すれば合格だ。 外国人労働者の免許取得を促す目的もあり、昨年11月20日に警察庁から通達(警察庁丙運発第18号)が出されたあと、外免切替の手続きはさらに緩和され、取得までの時間も短縮された・・・筆記試験は最大24言語で受けることができ、わずか10問で7問正解すれば合格だ」、なるほど。
・『ホテルの住所でOK 日本の免許に書き換える上で気になるのは、免許証の住所をどうするのか、ということである。 筆者も外免切替のことは以前から知っていたが、日本で住民登録をしている外国人のみが対象だと思っていた。しかし、実際にはホテルの住所でも取得ができてしまう。知人の外国人に見せてもらった免許証に記載される住所も、確かにホテルの名前が入っていた。 ホテルで「一時帰国(滞在)証明書」を受け取れば、免許証の申請が可能となる。ついでに言えば、友人、知人、親戚宅でも問題ない。 外国人の「住所」としてよく使用されているホテルはいくつかあるが、そのうちの一つが、府中にある「ビジネス・イン・グランドール府中」だ。このホテルは今年9月26日、「一時帰国(滞在)証明書発行無償化に関するお知らせ」という告知を出している。ホテルに確認したところ、「9月中、10日間ほど証明書の発行を有料(5000円)にしていたが、現在は無償になっている」とのことであった。 免許を更新する場合も、基本的には日本人が日本の免許を更新するのと同じだ。神奈川県警の公式サイト「海外に居住(滞在)していて日本の運転免許証をお持ちの方の手続について」においても、 「海外からの一時帰国中の方で、住民登録が日本になく、神奈川県内に一時滞在する方については、神奈川県内の一時滞在先を仮の住所地とみなし、運転免許証の住所に変更して更新・再交付の手続を行います。」と記されている。 つまり、ホテルを一時帰国(滞在)先として免許を切り替えたり更新したりすることは、違法行為でもグレー行為でもないわけだ』、「ホテルを一時帰国(滞在)先として免許を切り替えたり更新したりすることは、違法行為でもグレー行為でもないわけだ」、なるほど。
・『中国籍ドライバーにとって大きなメリット 日本人のほとんどは自動車教習所に30万円前後のお金を支払い、少なくとも1ヵ月程度の時間をかけて免許を取得する。費用や教習課程などは、世界的にみても類がないほど高額で厳しい。教習所に通わず免許センターで直接試験を受ける「一発免許」という方法もあるが、失効などではない新規の一発合格率は2~3%以下と非常に低い。 そうして苦労して取得した免許を、日本よりはるかに簡単で安価に免許を取得した外国人が、外免切替であっさり取得できるのはいかがなものか。 さらに言えば、日本の免許を取得すれば、世界約100ヵ国で運転が可能なジュネーブ様式の国際免許も特別な試験なしで取得できる。ジュネーブ条約もウィーン条約も加入していない中国の免許証は有効な国が限定されているため、日本で国際免許を取得することは中国籍のドライバーにとって大きなメリットとなる。 近年は外国人労働者を確保する目的もあってか、外国人の免許取得に関しても諸々の規制緩和が進んでいる。運送業界での人手不足解消に貢献してくれる可能性は大きいだろう。しかし、外国人による重大事故も増加傾向にあり、さらに自動車窃盗など外国人(とくにベトナム人)による車を使った犯罪も増えている。せめて、交通事故や交通違反に関しては、日本人と同等の厳しい取り締まりや刑事罰を願いたい』。「苦労して取得した免許を、日本よりはるかに簡単で安価に免許を取得した外国人が、外免切替であっさり取得できるのはいかがなものか」、同感である。「日本の免許を取得すれば、世界約100ヵ国で運転が可能なジュネーブ様式の国際免許も特別な試験なしで取得できる。ジュネーブ条約もウィーン条約も加入していない中国の免許証は有効な国が限定されているため、日本で国際免許を取得することは中国籍のドライバーにとって大きなメリットとなる・・・外国人による重大事故も増加傾向にあり、さらに自動車窃盗など外国人(とくにベトナム人)による車を使った犯罪も増えている。せめて、交通事故や交通違反に関しては、日本人と同等の厳しい取り締まりや刑事罰を願いたい」、その通りだ。
タグ:外国人問題 (その10)(絶滅危惧の外国人CEO 強さは異文化往来に宿る、外国人に占拠される日本の市区町村「衝撃予測」 2050年に外国人比率100%の街も出現する“なぜ”、交通事故激増中なのに…!中国人が「日本の運転免許」を取得する「ありえないほど簡単な方法」) 日経新聞 中山淳史氏による「絶滅危惧の外国人CEO 強さは異文化往来に宿る」 「インド生まれのジュネジャ・レカ・ラジュ氏は来日して今年40年・・・「柿の種」の亀田製菓に移り、2022年に会長兼最高経営責任者(CEO)に就いた・・・08年に日本に帰化しつつ、海外生まれゆえの鋭い視点が、発する言葉ににじむ。 現在取り組んでいるのは誰も考えつかなかった「ライスイノベーション」、すなわち米を使った食べ物の新しい可能性の探究と「コメどころの会社をグローバル企業にすること」だ。留学先の名古屋大学で取得した農学博士号の知見も駆使して、本社のある新潟、東京、海外を毎月走り回る」、ずいぶん頑張ってい るようだ。 「株式時価総額の上位100社で海外生まれの外国人CEOは現在、実質3人・・・のみ。オリンパスのシュテファン・カウフマン氏・・・、半導体検査装置大手アドバンテストのダグラス・ラフィーバ氏・・・そして武田薬品工業のクリストフ・ウェバー氏・・・ラフィーバ氏とカウフマン氏は海外法人に入社して頭角を現した内部昇格組だ。亀田製菓のジュネジャ氏と似て、「ソフトランディング型」といったらいいか。 それに対し、海外で活躍していた経営者が請われて非連続的にトップに収まるのが「ハードランディング型」だ」、「6月の株主総会で取締役を退任した三菱ケミカルグループのジョンマーク・ギルソン氏は今年3月末に解任に近い形で社長を退いた。現在は武田のウェバー氏ひとりだけになってしまい、絶滅が危ぶまれる存在といっていい」、なるほど。 「IMDが6月に発表した「世界競争力ランキング」で、日本の序列が前年の35位から38位(対象は67カ国・地域)に低下し、回復の兆しがみえない。 各国で働くビジネスパーソン(日本の場合は日本人と外国人の計数百人)が調査対象で、その国が「働きやすい環境とキャリア形成に有益なチャンスを提供してくれるかどうか」を問い、総合評価している。 評価のポイントを見て思うのは、日本は政府も企業も変化への対応が鈍いことだ。「おもてなし」の国といいつつ、組織が内向きで、文化的な対立や衝突が起きた時には異文化を排除しかねない可能 性がある」、なるほど。 「日本でも上手にやっているとすれば、スポーツ界、例えばラグビーかもしれない。 社会人リーグの「リーグワン」はここ数年、活躍の場を日本に求めてやってくる海外のスター選手が増え、欧州や南半球の強豪リーグに引けを取らないほど活況だ。19年に日本で開催されたワールドカップ(W杯)の成功と、その後も技術レベルを維持する日本代表選手の現状を最大限に売り込んだ成果といえる・・・ とにかく外国人を増やせ、ということではない。優秀な人材が自由に行き交い、互いに成長を模索しあう。企業においてもそんな場と循環が確立できなければ、成長には限りがある」、なるほど。 ダイヤモンド・オンライン 沖有人氏による「外国人に占拠される日本の市区町村「衝撃予測」、2050年に外国人比率100%の街も出現する“なぜ”」 「2022-23年の増加数26万4954人に特定技能の年間純増数9万5000人(82万-34.5万÷5)を加えれば、36万人となる。日本の働き手不足を補完することを目的とすると、この数はもっと増えていく可能性がある」、なるほど。 「人口の予測には国立社会保障人口問題研究所の日本の地域別将来推計人口を用いているが、これには日本人と外国人の区別がない。外国人の増加数は16万3791人で一定数としているので、この時点で外国人の年間増加数はすでに10万~20万人ずれており、国立社会保障人口問題研究所の外国人人口予測を問題視しなければならないが、有効な代替案もないので、2050年の日本人と外国人の総人口を外国人比率の分母に使用する・・・2050年時点では現状の3倍以上に相当する15.7%まで外国人比率が上がると予測される・・・ 米国のロサンゼルスにリトル・トーキョーがあるのと同様、近くで暮らすことで情報共有や相互扶助などのメリットが大きいからだ。2050年時点の外国人比率が最も高いと予測されるのは新宿区で38.45%、2位が豊島区で38.40%となる。新宿区の新大久保駅周辺は以前から韓国人街であるし、豊島区の北池袋はチャイナタウン化している」、なるほど。 「豊島区は、2014年に民間有識者組織 「日本創成会議」から東京23区の中で唯一の「消滅可能性都市」の指摘を受けたが、その際の理由が「2010年から40年にかけて若年女性(20~39歳)が50%以上減る」という推計・・・流入超過人口が2617人の流出という豊島区において、それらの合計(3110人)を上回る3536人の外国人が区の人口を増やしている・・・3区の中で外国人比率が2023時点でも2050年時点でも最下位なのは世田谷区になる。 外国人が増えているエリアは比較的雑然としていて物価が安い傾向があるが、現時点で日本人色が強い世田谷は外国人にとって住みつくだけの理由が少ないのではなかろう・・・このような都市での集住傾向は、大阪市でも同様の傾向になる」、なるほど。 「北海道、長野、群馬……外国人比率が50%を超える市区町村の特徴・・・1つ目はリゾート地だ。北海道はパウダースノーのリゾート地が人気で、ニセコリゾート付近(ニセコ町、倶知安町)、ルスツリゾート(留寿都村)、キロロリゾート(赤井川村)、トマムリゾート(占冠村)となる・・・同じ理由で、長野県のスノーリゾートである白馬村や野沢温泉村も50%を超える。 北海道・長野県以外でも、温泉を中心とした観光地として、群馬県草津町、神奈川県箱根町がランクインする。外国人観光客が多く、宿泊業は人手不足の状態にあり、宿泊業は特定技能での労働者確保が可能である。 特徴の2つ目は地場産業への技能実習や特定技能の受け入れが盛んな特区がある。北海道では、猿払村(水産加工場の実習生の受け入れ)、興部町(漁業)、群馬県では昭和村(農業)、長野県の川上村(農業)だ」、なるほど。 「これらの市区町村の多くは、2050年時点で外国人比率が100%を超える。つまり、国立社会保障人口問題研究所の人口予測よりも外国人の数が多くなる。実質的に外国人だけの市区町村になる。ライフスタイルなどの文化的な側面や物価などの経済的側面では、あたかも外国のようになるだろう。問題はその市区町村の政治だ。 在留資格者に選挙権は現在ないとはいえ、これを与えようとする動きがある。もし、そのようなことが1つの市区町村でも起きたら、そこに外国人がなだれ込むことは想像に難くない。 投票する選挙権と立候補できる被選挙権は日本国民であることが条件となっている。これが崩れたとき、日本の中に別の国ができるのと同じになる。たとえば、豊島区は中国区に、新宿区は韓国区に、江戸川区はインド区に、大田区はフィリピン区に名称変更されるようなものだ・・・事の是非はともかくとして、日本でも選挙権が外国人に与えられたりしたら、日本が日本でなくなってしまうと考えた方がいい。取り返しがつかなくなる前に、国を挙げて法律の整備を進め、日本人と外国人の権利の線引きを明確に行う時期に来ていると考える」、なるほど。 現代ビジネス 加藤 久美子氏による「交通事故激増中なのに…!中国人が「日本の運転免許」を取得する「ありえないほど簡単な方法」」 「ロナ禍が明けて以降、外国人観光客は増えているが、日本での移動手段として人気なのがレンタカーだ。単なる移動手段としてだけなく、車に乗ることそのものを目的に借りる外国人も少なくない。 日本のアニメやゲームの影響もあって、日産スカイラインGTーRやホンダS2000、シビック、トヨタスープラ、マツダRXー7といった日本製スポーツカーが人気だ。 「日本でスカイラインGTーRに乗ってみたかったんだ! 夢がかなったよ」 筆者が取材した外国人観光客のなかにはそう語る人もいた・・・ 日本を訪れる外国人は「国際運転免許証」で運転が可能だ。ただし、ジュネーヴ様式で発行された国際免許に限られる。たとえばロシアは、国際免許の形式がジュネーブ様式ではないため無効だ。 レンタカー会社の中にはこのあたりの詳細を理解せず、日本では無効の国際免許で貸し出しているところもある」、恐ろしいことだ。 実は多くの中国人は、意外な方法で日本の免許を取得している。「外国免許からの切り替え」(以下、外免切替)という制度である。 免許を取得した国がジュネーヴ条約締約国かどうかによっても手続き内容は異なるが、最もハードルが高い「筆記試験+技能試験」が必須の国であっても、その内容はそれほど難しいものではない。試験場によって異なるが、筆記試験は最大24言語で受けることができ、わずか10問で7問正解すれば合格だ。 外国人労働者の免許取得を促す目的もあり、昨年11月20日に警察庁から通達(警察庁丙運発第18号)が出されたあと、外免切替の手続きはさらに緩和され、取得までの時間も短縮された・・・筆記試験は最大24言語で受けることができ、わずか10問で7問正解すれば合格だ」、なるほど。 「ホテルを一時帰国(滞在)先として免許を切り替えたり更新したりすることは、違法行為でもグレー行為でもないわけだ」、なるほど。 「苦労して取得した免許を、日本よりはるかに簡単で安価に免許を取得した外国人が、外免切替であっさり取得できるのはいかがなものか」、同感である。「日本の免許を取得すれば、世界約100ヵ国で運転が可能なジュネーブ様式の国際免許も特別な試験なしで取得できる。ジュネーブ条約もウィーン条約も加入していない中国の免許証は有効な国が限定されているため、日本で国際免許を取得することは中国籍のドライバーにとって大きなメリットとなる・・・ 外国人による重大事故も増加傾向にあり、さらに自動車窃盗など外国人(とくにベトナム人)による車を使った犯罪も増えている。せめて、交通事故や交通違反に関しては、日本人と同等の厳しい取り締まりや刑事罰を願いたい」、その通りだ。
喫煙問題(その4)(喫煙、肥満…「不健康な人が排除される社会」はなぜ生きづらいのか?【人気ナンバーワンSFブロガーが選ぶすごい本】、日本は異常な“加熱式たばこ先進国”に…「紙巻きたばこより健康的」に潜む欺瞞、高齢者の「今さら禁煙しても意味ない」はホント?→65歳で禁煙した人の「寿命」への影響が判明) [社会]
喫煙問題については、昨年12月13日に取上げた。今日は、(その4)(喫煙、肥満…「不健康な人が排除される社会」はなぜ生きづらいのか?【人気ナンバーワンSFブロガーが選ぶすごい本】、日本は異常な“加熱式たばこ先進国”に…「紙巻きたばこより健康的」に潜む欺瞞、高齢者の「今さら禁煙しても意味ない」はホント?→65歳で禁煙した人の「寿命」への影響が判明)である。
先ずは、昨年12月16日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した書評家・「HONZ」レビュアーの冬木 糸一氏による「喫煙、肥満…「不健康な人が排除される社会」はなぜ生きづらいのか?【人気ナンバーワンSFブロガーが選ぶすごい本】」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/325886
・『「これから何が起こるのか」を知るための教養 SF超入門』著者の冬木糸一さんは、SF、つまり物語を現実が追い越した状況を「現実はSF化した」と表現し、すべての人にSFが必要だと述べている。 なぜ今、私たちはSFを読むべきなのか。そして、どの作品から読んだらいいのか。この連載では、本書を特別に抜粋しながら紹介していく(※一部、ネタバレを含みます)。 『「これから何が起こるのか」を知るための教養 SF超入門』の著者の冬木糸一です。エンジニアとして働きながら、ブログ「基本読書」などにSFやらノンフィクションについての記事を、15年くらい書き続けています。 僕はSFを「現代を生きるサバイバル本」と位置付けています。理由は、イーロン・マスクを代表とする起業家たちのインスピレーションの源が、SFだからです。彼らは文字通り、今ビジネス、そして世界を動かしています。頭のいい人ほど、フィクションから発想を得ていると考えることもできます。 今回は本書のなかから「不死・医療」関連の本を紹介します。 どんな作品か:個人の肉体が「公共の資源」になった社会 『ハーモニー』 ─「不健康」が許されない息苦しさ 喫煙、肥満…「不健康な人が排除される社会」はなぜ生きづらいのか?【人気ナンバーワンSFブロガーが選ぶすごい本】 伊藤計劃著/早川書房、2014年(単行本初版刊行2008年) 大量殺戮を引き起こす「虐殺の器官」が存在する世界を舞台に、未来の戦争を描いたSF長編『虐殺器官』(2007)でデビュー。そのわずか2年後に、34歳の若さで没した作家、伊藤計劃。その彼が、がんで亡くなる直前に病床で書き上げた長編第二作が、未来の医療社会をテーマにした『ハーモニー』だ。 この作品が描き出すのは、何よりも健康が最優先され、「不健康」でいることが許されなくなった社会。もちろん、かかりたくない病気にかからないでいることができるのは幸せなことだ。あえてがんを患い、苦しい闘病生活を経験したい人などそういないだろう。だが、「健康」とはどこまで強制されるべきものなのか? タバコなど、体に有毒なものを入れるのも、個人の自由といえば自由である。体はあなた一人のものなのだから。 本作に登場するのは、「体の自由を取り上げられた人々」だ。不健康は悪とされ、治療されなければならないという社会規範の中で、自分の体を自分のものとして取り返したいと切実に願う少女たちの姿が描かれる。 舞台となっているのは、〈大災禍〉と呼ばれる世界的な核戦争と、その余波が引き起こした災害によって大きく変質してしまった未来の社会。世界中に核弾頭が落ちた結果、放射能汚染によるがん発症が増え、突然変異による未知のウイルスも蔓延した。その反動として、政府を単位とする資本主義的消費社会から、人間の健康を第一に考える医療福祉社会へと世界は舵を切ることになる。 そのために用いられるのが、体内をかけめぐる医療用ナノマシンの存在だ。Watch Meと呼ばれる体内監視システムが、体の中で起こるRNA転写エラーや免疫異常のチェックを行い、問題があれば即座に治してしまう。 世界的な少子化による人口減少に伴い、この未来の世界における人間の肉体は希少なリソースとなっており、その人自身のものというよりも、もはや公共の所有物と見なされている。命と健康が大切にされすぎた社会では、自分の体を傷つけたり、ましてや自死を選んだりすることは許されない。それ以前に、システム上でエラーが出るので実行は困難だ。 だが、当然そうした状況に不満を抱き、反旗をひるがえす人間も存在する。本作の中心人物である、霧慧トァン、御冷ミァハ、零下堂キアンの学生3人組がそうだ。現状にとりわけ大きな不満を抱くミァハの主導で、3人は自死を決行しようとする。それは単純に自分の死を望んでというよりも、健康を至上とする社会へのテロリズムのような計画だった。 「わたしたちが奴らにとって大事だから、わたしたちの将来の可能性が奴らにとって貴重だから。わたしたち自身が奴らのインフラだから。だから、奴らの財産となってしまったこの身体を奪い去ってやるの。この身体はわたし自身のものなんだって、セカイに宣言するために。奴らのインフラを傷つけようとしたら、それがたまたまこのカラダだった。ただそれだけよ」(p46-47) 少女たちが自死のためにとった手法は、消化器官の栄養吸収を阻害する特殊な錠剤を服用するというもの。しかし、そのプロセスを完遂できたのはミァハのみで、トァンとキアンは途中で人に止められるか、怖くなって自発的に思いとどまることで、ミァハに罪の意識を感じながらもその後の人生を生きていくことになる。 物語の主要な部分は、生き残った13年後のトァンの視点で進行していくが、その世界では健康への強迫性がさらに増している。そして、なぜか人々が突然操られたかのように自死を遂げ、社会全体が大きな混乱に陥っていく』、「舞台となっているのは、〈大災禍〉と呼ばれる世界的な核戦争と、その余波が引き起こした災害によって大きく変質してしまった未来の社会。世界中に核弾頭が落ちた結果、放射能汚染によるがん発症が増え、突然変異による未知のウイルスも蔓延した。その反動として、政府を単位とする資本主義的消費社会から、人間の健康を第一に考える医療福祉社会へと世界は舵を切ることになる。 そのために用いられるのが、体内をかけめぐる医療用ナノマシンの存在だ。Watch Meと呼ばれる体内監視システムが、体の中で起こるRNA転写エラーや免疫異常のチェックを行い、問題があれば即座に治してしまう。 世界的な少子化による人口減少に伴い、この未来の世界における人間の肉体は希少なリソースとなっており、その人自身のものというよりも、もはや公共の所有物と見なされている。命と健康が大切にされすぎた社会では、自分の体を傷つけたり、ましてや自死を選んだりすることは許されない・・・そうした状況に不満を抱き、反旗をひるがえす人間も存在する。本作の中心人物である、霧慧トァン、御冷ミァハ、零下堂キアンの学生3人組がそうだ。現状にとりわけ大きな不満を抱くミァハの主導で、3人は自死を決行しようとする。それは単純に自分の死を望んでというよりも、健康を至上とする社会へのテロリズムのような計画だった・・・少女たちが自死のためにとった手法は、消化器官の栄養吸収を阻害する特殊な錠剤を服用するというもの。しかし、そのプロセスを完遂できたのはミァハのみで、トァンとキアンは途中で人に止められるか、怖くなって自発的に思いとどまることで、ミァハに罪の意識を感じながらもその後の人生を生きていくことになる。 物語の主要な部分は、生き残った13年後のトァンの視点で進行していくが、その世界では健康への強迫性がさらに増している。そして、なぜか人々が突然操られたかのように自死を遂げ、社会全体が大きな混乱に陥っていく」、なるほど。
・『どこがスゴいのか:行きすぎた「健康社会」の未来を予見 本作が、いまも切実さをもって読者にせまるのは、われわれが生きている社会がまさに、ここで描かれているような世界に近づきつつあるからだろう。 肥満体型の人間はだらしないとされ、痩せていることが素晴らしいとされる。喫煙者の存在は「わざわざ自分の健康を害する人々」として駆逐されつつある。『ハーモニー』の社会では肉体が徹底的な管理下に置かれているため、肥満状態の人間はおらず、デブという言葉も死語になっている。いかにもありそうな話ではないか。 本作で描かれる健康社会は、肉体ばかりでなく精神に対しても細かいケアを行う。生活の中では健康保護アプリケーションが活用されており、日々の行動からユーザーの嗜好を分析している。もし、文学や絵画などのコンテンツにユーザーが傷つきそうな表現があれば、勝手にフィルタリングするか、事前に警告してくれる。「この作品はあなたの心的外傷に触れる危険性があります」というように。生活態度だけでなく表現にまで、より潔癖さが求められるのだ。適切なフィルタリングが与えられることは素晴らしいことではある。一方、フィルタリングが適用され、「肉体も精神も健康でいることを強いられる」状況は息苦しいものだ。 ここで描かれていく社会は極端な形だが、われわれの社会がこうなってもおかしくはないのだ、ということは常に意識する必要がある。『ハーモニー』は、その事実を認識させてくれる作品だ。 (伊藤計劃氏の略歴はリンク先参照)』、「われわれが生きている社会がまさに、ここで描かれているような世界に近づきつつあるからだろう。 肥満体型の人間はだらしないとされ、痩せていることが素晴らしいとされる。喫煙者の存在は「わざわざ自分の健康を害する人々」として駆逐されつつある。『ハーモニー』の社会では肉体が徹底的な管理下に置かれているため、肥満状態の人間はおらず、デブという言葉も死語になっている。いかにもありそうな話ではないか。 本作で描かれる健康社会は、肉体ばかりでなく精神に対しても細かいケアを行う。生活の中では健康保護アプリケーションが活用されており、日々の行動からユーザーの嗜好を分析している。もし、文学や絵画などのコンテンツにユーザーが傷つきそうな表現があれば、勝手にフィルタリングするか、事前に警告してくれる・・・文学や絵画などのコンテンツにユーザーが傷つきそうな表現があれば、勝手にフィルタリングするか、事前に警告してくれる。「この作品はあなたの心的外傷に触れる危険性があります」というように。生活態度だけでなく表現にまで、より潔癖さが求められるのだ。適切なフィルタリングが与えられることは素晴らしいことではある。一方、フィルタリングが適用され、「肉体も精神も健康でいることを強いられる」状況は息苦しいものだ。 ここで描かれていく社会は極端な形だが、われわれの社会がこうなってもおかしくはないのだ、ということは常に意識する必要がある。『ハーモニー』は、その事実を認識させてくれる作品だ」、究極の管理者愛で、ぞっとする。
次に、本年3月7日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「日本は異常な“加熱式たばこ先進国”に…「紙巻きたばこより健康的」に潜む欺瞞」を紹介しよう、
https://diamond.jp/articles/-/340074
・『禁煙進まず?「加熱式たばこ先進国」になった日本 「加熱式たばこ」の勢いが止まらない。 一般社団法人日本たばこ協会によると、加熱式たばこの販売数量(2023年4〜12月累計)は、前年比11.8%増の435億本だった。紙巻きたばこ販売実績を100として、加熱式たばこの販売数量を比較をすると、2年前は47.8だったものが64.1にまで増えている。今のペースなら紙巻きたばこを追い抜くのも時間の問題だろう。 そんな「加熱式たばこフィーバー」にメーカー側も驚いている。紙巻きたばこから将来的な撤退を表明して、加熱式たばこ「アイコス」に力を入れている、米フィリップモリスインターナショナル(PMI)のヤチェック・オルザックCEOも昨年10月の自社イベントでこう述べている。 「日本ではこの10年で、35%の20歳以上の喫煙者を煙のない製品に切り替えることができた。こんなにも急速に煙のない製品に切り替わった国は他になく、規制当局にとってもPMIにとっても大きな成功だ。今後はまだ切り替えていない喫煙者に切り替えを促進し、完全に煙のない社会をめざしたい」(産経新聞、24年2月29日) では、なぜ日本は世界トップレベルの「加熱式たばこ先進国」になったのか。よく言われるのは、煙や臭いの問題が指摘されるようになり、紙巻きたばこが吸える場所が減ったことで切り替えたという説。もしくは、加熱式たばこも併用するという、いわゆる「デュアルユース」が進んだことだ。 ただ、たばこ企業も驚くほどの成功をおさめたのは、加熱式たばこが、喫煙者たちが抱える、次のような「悩み」の解決策になったことが大きい。 「最近、体の調子も悪いからたばこやめたいんだけど、これまで禁煙に成功したことないし、どうしたもんかねえ…」 つまり、「健康」を気にし始めたけれど、どうしてもやめられないというニコチン依存症ともいうべき人々の「受け皿」になっているのだ。それがうかがえる調査もある』、「なぜ日本は世界トップレベルの「加熱式たばこ先進国」になったのか。よく言われるのは、煙や臭いの問題が指摘されるようになり、紙巻きたばこが吸える場所が減ったことで切り替えたという説。もしくは、加熱式たばこも併用するという、いわゆる「デュアルユース」が進んだことだ。 ただ、たばこ企業も驚くほどの成功をおさめたのは、加熱式たばこが、喫煙者たちが抱える、次のような「悩み」の解決策になったことが大きい。 「最近、体の調子も悪いからたばこやめたいんだけど、これまで禁煙に成功したことないし、どうしたもんかねえ…」 つまり、「健康」を気にし始めたけれど、どうしてもやめられないというニコチン依存症ともいうべき人々の「受け皿」になっているのだ。それがうかがえる調査もある」、なるほど。
・『「加熱式」増税に待ったをかける「ハームリダクション」 リサーチ会社のネットエイジアが、20歳~69歳の男女1000名を対象に、加熱式たばこを吸うようになったきっかけを調べたところ、「紙巻たばこを吸える場所が減った」(25.1%)、「友人・知人・家族から勧められた」(24.5%)という、「でしょうね」という回答があった。さらに、「健康を気にするようになった」(23.2%)という声もそれなりにあるのだ。 このような「健康目的」の加熱式たばこへのスイッチはさらに進んでいく。なぜかというと、たばこメーカー、マスコミ、さらには政治までが一丸となって、この動きを後押しているからだ。 わかりやすいのは、フィリップモリスジャパン合同会社のホームページに掲げられる、シェリー・ゴー社長のこんなメッセージだ。 社会全体で害の低減を目指すハーム・リダクションの概念を公衆衛生政策の重要な要素と捉え、紙巻たばこを喫煙し続けることより、より良い選択肢への切替えを促すような規制と税制を支持しています》 ハームリダクション」とは、薬物やアルコールがもたらす害(ハーム)を減らす(リダクション)ことによって、リスクや健康被害を防ぐという取り組みだ。海外では依存症治療や薬物対策のひとつの柱となっているが、どういうわけか日本では「喫煙」の文脈で使われる場面が多い。 例えば、産経新聞社は、人生100年時代を据えた企画「100歳時代プロジェクト」の中で、昨年11月から今年2月まで3回にわたって「ハームリダクションの現在地」というシリーズを掲載している。そこで論じられているのも「喫煙のハームリダクション」、つまり「加熱式たばこへのスイッチ」だ。 政治家や有識者も同様だ。昨年6月、自民党議員からなる「国民の健康を考えるハームリダクション議員連盟」が設立された。彼らが訴えているのは、加熱式たばこの税優遇の堅持だ。現在、加熱式たばこは紙巻きたばこに比べて税金が安い。これに対して防衛増税の財源のひとつとして、紙巻きと同水準に引き上げるべきだという意見があるのだが、議連としては「ハームリダクション」の観点から反対しているのだ。 一般社団法人・新時代戦略研究所が立ち上げた「国民の健康とハームリダクションを考える研究会」も同様で加熱式たばこの増税に反対をしているほか、紙巻きたばこから加熱式たばこなどへの切り替えを促す「たばこハームリダクションの法制化」を掲げている。 このような動きを見る限り、世界トップレベルの「加熱式たばこ大国」の成長はしばらく続くだろう。ただ、不安材料は多い』、「「健康目的」の加熱式たばこへのスイッチはさらに進んでいく。なぜかというと、たばこメーカー、マスコミ、さらには政治までが一丸となって、この動きを後押しているからだ・・・「国民の健康とハームリダクションを考える研究会」も同様で加熱式たばこの増税に反対をしているほか、紙巻きたばこから加熱式たばこなどへの切り替えを促す「たばこハームリダクションの法制化」を掲げている。 このような動きを見る限り、世界トップレベルの「加熱式たばこ大国」の成長はしばらく続くだろう。ただ、不安材料は多い」、なるほど。
・『日本医師会も「忠告」!加熱式たばこは「害を低減」するのか? まずもっとも脅威なのは、「医療業界からの反発」だ。 『加熱式たばこを巡って“炎上”続出、「水蒸気だから迷惑かけない」の大誤解』(22年10月13日)の中で、加熱式たばこに詳しい、国立がん研究センター・データサイエンス研究部の片野田耕太部長に解説していただいたが、「加熱式たばこ」もたばこ葉を熱している以上、有害物質は出る。そして、周囲の人間は「受動喫煙リスク」にさらされるという。「実は紙巻きたばこの有害物質は異常に高い数値なので、それが加熱式たばこで大幅に減っても、日常生活でありえないレベルの有害物質が含まれていることは変わりありません。例えば、居酒屋で加熱式たばこを吸うということは、店内にいる全員で発がん物質を“共有”しているようなものなのです」(片野田氏) つまり、加熱式たばこでハーム(害)のリダクション(低減)というのはかなり眉つばな話だというのだ。実際、海外で「紙巻きたばこからのハームリダクション」という取り組みの中で用いられるのはもっぱら「電子たばこ」だ。こちらは加熱式たばこのように「たばこの葉」は入っておらず、抽出したニコチンを吸引するだけなので有害物質が出ない。そのため、イギリスでは、日本の厚労省にあたるナショナル・ヘルス・サービスが、禁煙治療に「電子たばこ」を推奨している。 日本の医療政策に大きな影響力を持つ日本医師会も「たばこハームリダクション」に否定的だ。昨年2月に開催した「知ってほしい!新型たばこの危険性」というシンポジウムにも参加した黒瀬巌常任理事は、こう述べた。 「一部で加熱式たばこなどに切り替えることで、禁煙に繋がっていくんだという考えの方がいらっしゃるようですが、私たちとしては『喫煙の種類を変える』ということと、『喫煙を止める』という行動はまったく違うと考えています。そもそも、紙巻きたばこよりも害が低減されるからいいんだ、という話ではありません。例えば、これまで時速200キロで飛ばしていたけれど、時速150キロに減速したので安全運転だなんて話は通じませんよね」』、「海外で「紙巻きたばこからのハームリダクション」という取り組みの中で用いられるのはもっぱら「電子たばこ」だ。こちらは加熱式たばこのように「たばこの葉」は入っておらず、抽出したニコチンを吸引するだけなので有害物質が出ない。そのため、イギリスでは、日本の厚労省にあたるナショナル・ヘルス・サービスが、禁煙治療に「電子たばこ」を推奨している。 日本の医療政策に大きな影響力を持つ日本医師会も「たばこハームリダクション」に否定的だ」、なるほど。
・『加熱式たばこの「税優遇」より健康寿命を伸ばすことが大事 防衛費などの財源確保のために「たばこ増税」が検討されている中で、ハームリダクションの観点から加熱式たばこに関しては、従来通り「税優遇」を維持すべきという意見が盛り上がっている今の状況に対しても、苦言を呈した。 「財源というのなら、国が喫煙対策をしっかりやってもらった方が、COPD(喫煙などで肺に持続的な炎症が生じる病気)になる方が減るわけですから、その分、健康寿命が延伸し、現役で働き続けられる人も増えるわけで国の税収も増える。しかも、禁煙をする人が増えれば当然、医療費の削減につながります。 また、健康寿命の延伸は、これから日本で起きる医療従事者の減少と不足への対応策となっていく。つまり、喫煙者も周囲にいる人も健康で働き続けられるし、国民の健康と命を支える医療の負担も減る。しかも、国は税収が増える。これが、私が喫煙対策を“三方良し”と呼んでいる所以です」(黒瀬常任理事) このようにハームリダクションをめぐって政治や企業と大きな溝があるのだ。ただ、こういう思想の対立は、何も日本だけに限った話ではない。 例えば、アメリカ政府の食品医薬品局(FDA)は、加熱式たばこを「暴露低減たばこ製品」と認めているが、世界保健機関(WHO)は認めていない。また、160カ国以上の医師、医療専門職、科学者などが参加する呼吸器分野の国際学会「欧州呼吸器学会」(ERS)も「たばこハームリダクション」に否定的な声明を出している。 コロナ禍でも起きた現象だが、ハームリダクションに関しても今後は「医療vs.政治」の主導権争いが激化していく様相なのだ。 そこに加えて、我らが日本の場合、「ムラ社会」ならではの利……ではなく、さまざまなオトナの事情が複雑に絡み合って、さらに問題をややこしくしている。 わかりやすいのは「電子たばこ」だ。世界保健機関(WHO)事務局長のシニアアドバイザーも務めた東京財団政策研究所の渋谷健司研究主幹によれば、「日本はニコチンを含む電子たばこが規制されている世界でも珍しい国だ」(産経新聞23年11月8日)という。 ハームリダクションを推進する人たちは「世界的な潮流に背を向けるな」と勇ましいことをおっしゃるが、それであれば、加熱式たばこより害の少ない電子たばこの規制を見直すというのが定石のはずだ。だが、なぜかそういう話にはならない。 世界の潮流に合わせて、電子たばこを普及させてしまうと誰が困るのか。日本の喫煙者たちがこぞって「加熱式たばこ」へスイッチすることで得をするのは誰なのか――。 あまり深く突っ込みすぎると、また多方面からきついおしかりを受けるので、この辺でやめておくが、「たばこハームリダクション」とやらの前に、まずはこういう「前時代的なムラ社会」からのハームリダクションを進めていただきたい』、「加熱式たばこより害の少ない電子たばこの規制を見直すというのが定石のはずだ。だが、なぜかそういう話にはならない。 世界の潮流に合わせて、電子たばこを普及させてしまうと誰が困るのか。日本の喫煙者たちがこぞって「加熱式たばこ」へスイッチすることで得をするのは誰なのか――。 あまり深く突っ込みすぎると、また多方面からきついおしかりを受けるので、この辺でやめておくが、「たばこハームリダクション」とやらの前に、まずはこういう「前時代的なムラ社会」からのハームリダクションを進めていただきたい」、その通りだ。
第三に、10月27日付けダイヤモンド・オンラインが転載したヘルスデーニュース「高齢者の「今さら禁煙しても意味ない」はホント?→65歳で禁煙した人の「寿命」への影響が判明」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/352740
・『禁煙開始が「遅すぎる」ことはない 喫煙習慣のある高齢者の中には、「今さら禁煙しても意味がない」と考えている人がいるかもしれない。しかし、実際はそんなことはなく、高齢期に入ってから禁煙したとしても、タバコを吸い続けた場合よりも長い寿命を期待できることが明らかになった。 例えば75歳で禁煙した場合、喫煙を続けた人よりも1年以上長く生きられる確率が14.2%に上るという。米ミシガン大学のThuy Le氏らが、禁煙によるメリットを禁煙開始時の年齢別に解析した結果であり、詳細は「American Journal of Preventive Medicine」に6月25日掲載された。 この研究には、米国で行われている国民健康調査やがん予防研究、国勢調査、死亡統計などのデータが用いられた。35~75歳の間のさまざまな時点の喫煙状況で対象者を3種類(喫煙歴なし、喫煙継続、禁煙)に分類し、平均余命を割り出して比較した。) その結果、若いうちに禁煙したほうがメリットは大きいものの、高齢になってから禁煙した場合にも、喫煙を続けた人より寿命が延びることが示された。詳細は以下のとおり。 まず、35歳の一般人口の平均余命は45.4年、喫煙歴のない人は47.8年、喫煙者は38.7年、35歳で禁煙した人は46.7年。35歳時点で禁煙することにより、喫煙を続けた場合に比べて平均余命が8.0年延長し、1年長く生きられる確率が52.8%、4年長く生きられる確率が45.4%、6年長く生きられる確率が40.6%、8年長く生きられる確率が36.0%であることが示された』、私もー昨年に禁煙したが、今さらという感じもあったが、やはりやってよかったということを知って、嬉しくなった。
・『65歳で禁煙した人は平均余命がどのくらい延びる? 一方、65歳の一般人口の平均余命は19.5年、喫煙歴のない人は20.9年、喫煙者は15.1年、65歳で禁煙した人は16.8年。65歳時点で禁煙することにより、喫煙を続けた場合に比べて平均余命が1.7年延長し、1年長く生きられる確率が23.4%、4年長く生きられる確率が16.3%、6年長く生きられる確率が12.4%、8年長く生きられる確率が9.3%だった。 また、75歳の一般人口の平均余命は12.3年、喫煙歴のない人は13.4年、喫煙者は9.0年、75歳で禁煙した人は9.7年。75歳時点で禁煙することにより、喫煙を続けた場合に比べて平均余命が0.7年延長し、1年長く生きられる確率が14.2%、4年長く生きられる確率が7.9%、6年長く生きられる確率が5.1%、8年長く生きられる確率が3.1%だった。 論文の筆頭著者であるLe氏は、「過去10年間で、若者の喫煙率は著しく低下した。しかし、高齢者の喫煙率は変化が少ない」と述べるとともに、「われわれが知る限り、禁煙が高齢者にもメリットをもたらすことを立証した研究は過去にない。われわれは、喫煙をやめることがどの年齢でも有益であることを示し、喫煙習慣のある高齢者に禁煙の動機付けとしてほしかった」と研究背景を語っている。 論文の上席著者である同大学のKenneth Warner氏も、「高齢になってから禁煙することで得られるメリットは、絶対値としては低いように思えるかもしれないが、残されている寿命に大きな影響を与える」と述べている。(HealthDay News 2024年10月10日)』、私の禁煙はCOPD(慢性閉塞性肺疾患のためだったので、寿命が延びるのは副次的なメリットでしかない。もっとも、外出時にタバオが喫える場所を探すストレスがなくなったのも副次的なメリットの1つだ。
先ずは、昨年12月16日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した書評家・「HONZ」レビュアーの冬木 糸一氏による「喫煙、肥満…「不健康な人が排除される社会」はなぜ生きづらいのか?【人気ナンバーワンSFブロガーが選ぶすごい本】」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/325886
・『「これから何が起こるのか」を知るための教養 SF超入門』著者の冬木糸一さんは、SF、つまり物語を現実が追い越した状況を「現実はSF化した」と表現し、すべての人にSFが必要だと述べている。 なぜ今、私たちはSFを読むべきなのか。そして、どの作品から読んだらいいのか。この連載では、本書を特別に抜粋しながら紹介していく(※一部、ネタバレを含みます)。 『「これから何が起こるのか」を知るための教養 SF超入門』の著者の冬木糸一です。エンジニアとして働きながら、ブログ「基本読書」などにSFやらノンフィクションについての記事を、15年くらい書き続けています。 僕はSFを「現代を生きるサバイバル本」と位置付けています。理由は、イーロン・マスクを代表とする起業家たちのインスピレーションの源が、SFだからです。彼らは文字通り、今ビジネス、そして世界を動かしています。頭のいい人ほど、フィクションから発想を得ていると考えることもできます。 今回は本書のなかから「不死・医療」関連の本を紹介します。 どんな作品か:個人の肉体が「公共の資源」になった社会 『ハーモニー』 ─「不健康」が許されない息苦しさ 喫煙、肥満…「不健康な人が排除される社会」はなぜ生きづらいのか?【人気ナンバーワンSFブロガーが選ぶすごい本】 伊藤計劃著/早川書房、2014年(単行本初版刊行2008年) 大量殺戮を引き起こす「虐殺の器官」が存在する世界を舞台に、未来の戦争を描いたSF長編『虐殺器官』(2007)でデビュー。そのわずか2年後に、34歳の若さで没した作家、伊藤計劃。その彼が、がんで亡くなる直前に病床で書き上げた長編第二作が、未来の医療社会をテーマにした『ハーモニー』だ。 この作品が描き出すのは、何よりも健康が最優先され、「不健康」でいることが許されなくなった社会。もちろん、かかりたくない病気にかからないでいることができるのは幸せなことだ。あえてがんを患い、苦しい闘病生活を経験したい人などそういないだろう。だが、「健康」とはどこまで強制されるべきものなのか? タバコなど、体に有毒なものを入れるのも、個人の自由といえば自由である。体はあなた一人のものなのだから。 本作に登場するのは、「体の自由を取り上げられた人々」だ。不健康は悪とされ、治療されなければならないという社会規範の中で、自分の体を自分のものとして取り返したいと切実に願う少女たちの姿が描かれる。 舞台となっているのは、〈大災禍〉と呼ばれる世界的な核戦争と、その余波が引き起こした災害によって大きく変質してしまった未来の社会。世界中に核弾頭が落ちた結果、放射能汚染によるがん発症が増え、突然変異による未知のウイルスも蔓延した。その反動として、政府を単位とする資本主義的消費社会から、人間の健康を第一に考える医療福祉社会へと世界は舵を切ることになる。 そのために用いられるのが、体内をかけめぐる医療用ナノマシンの存在だ。Watch Meと呼ばれる体内監視システムが、体の中で起こるRNA転写エラーや免疫異常のチェックを行い、問題があれば即座に治してしまう。 世界的な少子化による人口減少に伴い、この未来の世界における人間の肉体は希少なリソースとなっており、その人自身のものというよりも、もはや公共の所有物と見なされている。命と健康が大切にされすぎた社会では、自分の体を傷つけたり、ましてや自死を選んだりすることは許されない。それ以前に、システム上でエラーが出るので実行は困難だ。 だが、当然そうした状況に不満を抱き、反旗をひるがえす人間も存在する。本作の中心人物である、霧慧トァン、御冷ミァハ、零下堂キアンの学生3人組がそうだ。現状にとりわけ大きな不満を抱くミァハの主導で、3人は自死を決行しようとする。それは単純に自分の死を望んでというよりも、健康を至上とする社会へのテロリズムのような計画だった。 「わたしたちが奴らにとって大事だから、わたしたちの将来の可能性が奴らにとって貴重だから。わたしたち自身が奴らのインフラだから。だから、奴らの財産となってしまったこの身体を奪い去ってやるの。この身体はわたし自身のものなんだって、セカイに宣言するために。奴らのインフラを傷つけようとしたら、それがたまたまこのカラダだった。ただそれだけよ」(p46-47) 少女たちが自死のためにとった手法は、消化器官の栄養吸収を阻害する特殊な錠剤を服用するというもの。しかし、そのプロセスを完遂できたのはミァハのみで、トァンとキアンは途中で人に止められるか、怖くなって自発的に思いとどまることで、ミァハに罪の意識を感じながらもその後の人生を生きていくことになる。 物語の主要な部分は、生き残った13年後のトァンの視点で進行していくが、その世界では健康への強迫性がさらに増している。そして、なぜか人々が突然操られたかのように自死を遂げ、社会全体が大きな混乱に陥っていく』、「舞台となっているのは、〈大災禍〉と呼ばれる世界的な核戦争と、その余波が引き起こした災害によって大きく変質してしまった未来の社会。世界中に核弾頭が落ちた結果、放射能汚染によるがん発症が増え、突然変異による未知のウイルスも蔓延した。その反動として、政府を単位とする資本主義的消費社会から、人間の健康を第一に考える医療福祉社会へと世界は舵を切ることになる。 そのために用いられるのが、体内をかけめぐる医療用ナノマシンの存在だ。Watch Meと呼ばれる体内監視システムが、体の中で起こるRNA転写エラーや免疫異常のチェックを行い、問題があれば即座に治してしまう。 世界的な少子化による人口減少に伴い、この未来の世界における人間の肉体は希少なリソースとなっており、その人自身のものというよりも、もはや公共の所有物と見なされている。命と健康が大切にされすぎた社会では、自分の体を傷つけたり、ましてや自死を選んだりすることは許されない・・・そうした状況に不満を抱き、反旗をひるがえす人間も存在する。本作の中心人物である、霧慧トァン、御冷ミァハ、零下堂キアンの学生3人組がそうだ。現状にとりわけ大きな不満を抱くミァハの主導で、3人は自死を決行しようとする。それは単純に自分の死を望んでというよりも、健康を至上とする社会へのテロリズムのような計画だった・・・少女たちが自死のためにとった手法は、消化器官の栄養吸収を阻害する特殊な錠剤を服用するというもの。しかし、そのプロセスを完遂できたのはミァハのみで、トァンとキアンは途中で人に止められるか、怖くなって自発的に思いとどまることで、ミァハに罪の意識を感じながらもその後の人生を生きていくことになる。 物語の主要な部分は、生き残った13年後のトァンの視点で進行していくが、その世界では健康への強迫性がさらに増している。そして、なぜか人々が突然操られたかのように自死を遂げ、社会全体が大きな混乱に陥っていく」、なるほど。
・『どこがスゴいのか:行きすぎた「健康社会」の未来を予見 本作が、いまも切実さをもって読者にせまるのは、われわれが生きている社会がまさに、ここで描かれているような世界に近づきつつあるからだろう。 肥満体型の人間はだらしないとされ、痩せていることが素晴らしいとされる。喫煙者の存在は「わざわざ自分の健康を害する人々」として駆逐されつつある。『ハーモニー』の社会では肉体が徹底的な管理下に置かれているため、肥満状態の人間はおらず、デブという言葉も死語になっている。いかにもありそうな話ではないか。 本作で描かれる健康社会は、肉体ばかりでなく精神に対しても細かいケアを行う。生活の中では健康保護アプリケーションが活用されており、日々の行動からユーザーの嗜好を分析している。もし、文学や絵画などのコンテンツにユーザーが傷つきそうな表現があれば、勝手にフィルタリングするか、事前に警告してくれる。「この作品はあなたの心的外傷に触れる危険性があります」というように。生活態度だけでなく表現にまで、より潔癖さが求められるのだ。適切なフィルタリングが与えられることは素晴らしいことではある。一方、フィルタリングが適用され、「肉体も精神も健康でいることを強いられる」状況は息苦しいものだ。 ここで描かれていく社会は極端な形だが、われわれの社会がこうなってもおかしくはないのだ、ということは常に意識する必要がある。『ハーモニー』は、その事実を認識させてくれる作品だ。 (伊藤計劃氏の略歴はリンク先参照)』、「われわれが生きている社会がまさに、ここで描かれているような世界に近づきつつあるからだろう。 肥満体型の人間はだらしないとされ、痩せていることが素晴らしいとされる。喫煙者の存在は「わざわざ自分の健康を害する人々」として駆逐されつつある。『ハーモニー』の社会では肉体が徹底的な管理下に置かれているため、肥満状態の人間はおらず、デブという言葉も死語になっている。いかにもありそうな話ではないか。 本作で描かれる健康社会は、肉体ばかりでなく精神に対しても細かいケアを行う。生活の中では健康保護アプリケーションが活用されており、日々の行動からユーザーの嗜好を分析している。もし、文学や絵画などのコンテンツにユーザーが傷つきそうな表現があれば、勝手にフィルタリングするか、事前に警告してくれる・・・文学や絵画などのコンテンツにユーザーが傷つきそうな表現があれば、勝手にフィルタリングするか、事前に警告してくれる。「この作品はあなたの心的外傷に触れる危険性があります」というように。生活態度だけでなく表現にまで、より潔癖さが求められるのだ。適切なフィルタリングが与えられることは素晴らしいことではある。一方、フィルタリングが適用され、「肉体も精神も健康でいることを強いられる」状況は息苦しいものだ。 ここで描かれていく社会は極端な形だが、われわれの社会がこうなってもおかしくはないのだ、ということは常に意識する必要がある。『ハーモニー』は、その事実を認識させてくれる作品だ」、究極の管理者愛で、ぞっとする。
次に、本年3月7日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「日本は異常な“加熱式たばこ先進国”に…「紙巻きたばこより健康的」に潜む欺瞞」を紹介しよう、
https://diamond.jp/articles/-/340074
・『禁煙進まず?「加熱式たばこ先進国」になった日本 「加熱式たばこ」の勢いが止まらない。 一般社団法人日本たばこ協会によると、加熱式たばこの販売数量(2023年4〜12月累計)は、前年比11.8%増の435億本だった。紙巻きたばこ販売実績を100として、加熱式たばこの販売数量を比較をすると、2年前は47.8だったものが64.1にまで増えている。今のペースなら紙巻きたばこを追い抜くのも時間の問題だろう。 そんな「加熱式たばこフィーバー」にメーカー側も驚いている。紙巻きたばこから将来的な撤退を表明して、加熱式たばこ「アイコス」に力を入れている、米フィリップモリスインターナショナル(PMI)のヤチェック・オルザックCEOも昨年10月の自社イベントでこう述べている。 「日本ではこの10年で、35%の20歳以上の喫煙者を煙のない製品に切り替えることができた。こんなにも急速に煙のない製品に切り替わった国は他になく、規制当局にとってもPMIにとっても大きな成功だ。今後はまだ切り替えていない喫煙者に切り替えを促進し、完全に煙のない社会をめざしたい」(産経新聞、24年2月29日) では、なぜ日本は世界トップレベルの「加熱式たばこ先進国」になったのか。よく言われるのは、煙や臭いの問題が指摘されるようになり、紙巻きたばこが吸える場所が減ったことで切り替えたという説。もしくは、加熱式たばこも併用するという、いわゆる「デュアルユース」が進んだことだ。 ただ、たばこ企業も驚くほどの成功をおさめたのは、加熱式たばこが、喫煙者たちが抱える、次のような「悩み」の解決策になったことが大きい。 「最近、体の調子も悪いからたばこやめたいんだけど、これまで禁煙に成功したことないし、どうしたもんかねえ…」 つまり、「健康」を気にし始めたけれど、どうしてもやめられないというニコチン依存症ともいうべき人々の「受け皿」になっているのだ。それがうかがえる調査もある』、「なぜ日本は世界トップレベルの「加熱式たばこ先進国」になったのか。よく言われるのは、煙や臭いの問題が指摘されるようになり、紙巻きたばこが吸える場所が減ったことで切り替えたという説。もしくは、加熱式たばこも併用するという、いわゆる「デュアルユース」が進んだことだ。 ただ、たばこ企業も驚くほどの成功をおさめたのは、加熱式たばこが、喫煙者たちが抱える、次のような「悩み」の解決策になったことが大きい。 「最近、体の調子も悪いからたばこやめたいんだけど、これまで禁煙に成功したことないし、どうしたもんかねえ…」 つまり、「健康」を気にし始めたけれど、どうしてもやめられないというニコチン依存症ともいうべき人々の「受け皿」になっているのだ。それがうかがえる調査もある」、なるほど。
・『「加熱式」増税に待ったをかける「ハームリダクション」 リサーチ会社のネットエイジアが、20歳~69歳の男女1000名を対象に、加熱式たばこを吸うようになったきっかけを調べたところ、「紙巻たばこを吸える場所が減った」(25.1%)、「友人・知人・家族から勧められた」(24.5%)という、「でしょうね」という回答があった。さらに、「健康を気にするようになった」(23.2%)という声もそれなりにあるのだ。 このような「健康目的」の加熱式たばこへのスイッチはさらに進んでいく。なぜかというと、たばこメーカー、マスコミ、さらには政治までが一丸となって、この動きを後押しているからだ。 わかりやすいのは、フィリップモリスジャパン合同会社のホームページに掲げられる、シェリー・ゴー社長のこんなメッセージだ。 社会全体で害の低減を目指すハーム・リダクションの概念を公衆衛生政策の重要な要素と捉え、紙巻たばこを喫煙し続けることより、より良い選択肢への切替えを促すような規制と税制を支持しています》 ハームリダクション」とは、薬物やアルコールがもたらす害(ハーム)を減らす(リダクション)ことによって、リスクや健康被害を防ぐという取り組みだ。海外では依存症治療や薬物対策のひとつの柱となっているが、どういうわけか日本では「喫煙」の文脈で使われる場面が多い。 例えば、産経新聞社は、人生100年時代を据えた企画「100歳時代プロジェクト」の中で、昨年11月から今年2月まで3回にわたって「ハームリダクションの現在地」というシリーズを掲載している。そこで論じられているのも「喫煙のハームリダクション」、つまり「加熱式たばこへのスイッチ」だ。 政治家や有識者も同様だ。昨年6月、自民党議員からなる「国民の健康を考えるハームリダクション議員連盟」が設立された。彼らが訴えているのは、加熱式たばこの税優遇の堅持だ。現在、加熱式たばこは紙巻きたばこに比べて税金が安い。これに対して防衛増税の財源のひとつとして、紙巻きと同水準に引き上げるべきだという意見があるのだが、議連としては「ハームリダクション」の観点から反対しているのだ。 一般社団法人・新時代戦略研究所が立ち上げた「国民の健康とハームリダクションを考える研究会」も同様で加熱式たばこの増税に反対をしているほか、紙巻きたばこから加熱式たばこなどへの切り替えを促す「たばこハームリダクションの法制化」を掲げている。 このような動きを見る限り、世界トップレベルの「加熱式たばこ大国」の成長はしばらく続くだろう。ただ、不安材料は多い』、「「健康目的」の加熱式たばこへのスイッチはさらに進んでいく。なぜかというと、たばこメーカー、マスコミ、さらには政治までが一丸となって、この動きを後押しているからだ・・・「国民の健康とハームリダクションを考える研究会」も同様で加熱式たばこの増税に反対をしているほか、紙巻きたばこから加熱式たばこなどへの切り替えを促す「たばこハームリダクションの法制化」を掲げている。 このような動きを見る限り、世界トップレベルの「加熱式たばこ大国」の成長はしばらく続くだろう。ただ、不安材料は多い」、なるほど。
・『日本医師会も「忠告」!加熱式たばこは「害を低減」するのか? まずもっとも脅威なのは、「医療業界からの反発」だ。 『加熱式たばこを巡って“炎上”続出、「水蒸気だから迷惑かけない」の大誤解』(22年10月13日)の中で、加熱式たばこに詳しい、国立がん研究センター・データサイエンス研究部の片野田耕太部長に解説していただいたが、「加熱式たばこ」もたばこ葉を熱している以上、有害物質は出る。そして、周囲の人間は「受動喫煙リスク」にさらされるという。「実は紙巻きたばこの有害物質は異常に高い数値なので、それが加熱式たばこで大幅に減っても、日常生活でありえないレベルの有害物質が含まれていることは変わりありません。例えば、居酒屋で加熱式たばこを吸うということは、店内にいる全員で発がん物質を“共有”しているようなものなのです」(片野田氏) つまり、加熱式たばこでハーム(害)のリダクション(低減)というのはかなり眉つばな話だというのだ。実際、海外で「紙巻きたばこからのハームリダクション」という取り組みの中で用いられるのはもっぱら「電子たばこ」だ。こちらは加熱式たばこのように「たばこの葉」は入っておらず、抽出したニコチンを吸引するだけなので有害物質が出ない。そのため、イギリスでは、日本の厚労省にあたるナショナル・ヘルス・サービスが、禁煙治療に「電子たばこ」を推奨している。 日本の医療政策に大きな影響力を持つ日本医師会も「たばこハームリダクション」に否定的だ。昨年2月に開催した「知ってほしい!新型たばこの危険性」というシンポジウムにも参加した黒瀬巌常任理事は、こう述べた。 「一部で加熱式たばこなどに切り替えることで、禁煙に繋がっていくんだという考えの方がいらっしゃるようですが、私たちとしては『喫煙の種類を変える』ということと、『喫煙を止める』という行動はまったく違うと考えています。そもそも、紙巻きたばこよりも害が低減されるからいいんだ、という話ではありません。例えば、これまで時速200キロで飛ばしていたけれど、時速150キロに減速したので安全運転だなんて話は通じませんよね」』、「海外で「紙巻きたばこからのハームリダクション」という取り組みの中で用いられるのはもっぱら「電子たばこ」だ。こちらは加熱式たばこのように「たばこの葉」は入っておらず、抽出したニコチンを吸引するだけなので有害物質が出ない。そのため、イギリスでは、日本の厚労省にあたるナショナル・ヘルス・サービスが、禁煙治療に「電子たばこ」を推奨している。 日本の医療政策に大きな影響力を持つ日本医師会も「たばこハームリダクション」に否定的だ」、なるほど。
・『加熱式たばこの「税優遇」より健康寿命を伸ばすことが大事 防衛費などの財源確保のために「たばこ増税」が検討されている中で、ハームリダクションの観点から加熱式たばこに関しては、従来通り「税優遇」を維持すべきという意見が盛り上がっている今の状況に対しても、苦言を呈した。 「財源というのなら、国が喫煙対策をしっかりやってもらった方が、COPD(喫煙などで肺に持続的な炎症が生じる病気)になる方が減るわけですから、その分、健康寿命が延伸し、現役で働き続けられる人も増えるわけで国の税収も増える。しかも、禁煙をする人が増えれば当然、医療費の削減につながります。 また、健康寿命の延伸は、これから日本で起きる医療従事者の減少と不足への対応策となっていく。つまり、喫煙者も周囲にいる人も健康で働き続けられるし、国民の健康と命を支える医療の負担も減る。しかも、国は税収が増える。これが、私が喫煙対策を“三方良し”と呼んでいる所以です」(黒瀬常任理事) このようにハームリダクションをめぐって政治や企業と大きな溝があるのだ。ただ、こういう思想の対立は、何も日本だけに限った話ではない。 例えば、アメリカ政府の食品医薬品局(FDA)は、加熱式たばこを「暴露低減たばこ製品」と認めているが、世界保健機関(WHO)は認めていない。また、160カ国以上の医師、医療専門職、科学者などが参加する呼吸器分野の国際学会「欧州呼吸器学会」(ERS)も「たばこハームリダクション」に否定的な声明を出している。 コロナ禍でも起きた現象だが、ハームリダクションに関しても今後は「医療vs.政治」の主導権争いが激化していく様相なのだ。 そこに加えて、我らが日本の場合、「ムラ社会」ならではの利……ではなく、さまざまなオトナの事情が複雑に絡み合って、さらに問題をややこしくしている。 わかりやすいのは「電子たばこ」だ。世界保健機関(WHO)事務局長のシニアアドバイザーも務めた東京財団政策研究所の渋谷健司研究主幹によれば、「日本はニコチンを含む電子たばこが規制されている世界でも珍しい国だ」(産経新聞23年11月8日)という。 ハームリダクションを推進する人たちは「世界的な潮流に背を向けるな」と勇ましいことをおっしゃるが、それであれば、加熱式たばこより害の少ない電子たばこの規制を見直すというのが定石のはずだ。だが、なぜかそういう話にはならない。 世界の潮流に合わせて、電子たばこを普及させてしまうと誰が困るのか。日本の喫煙者たちがこぞって「加熱式たばこ」へスイッチすることで得をするのは誰なのか――。 あまり深く突っ込みすぎると、また多方面からきついおしかりを受けるので、この辺でやめておくが、「たばこハームリダクション」とやらの前に、まずはこういう「前時代的なムラ社会」からのハームリダクションを進めていただきたい』、「加熱式たばこより害の少ない電子たばこの規制を見直すというのが定石のはずだ。だが、なぜかそういう話にはならない。 世界の潮流に合わせて、電子たばこを普及させてしまうと誰が困るのか。日本の喫煙者たちがこぞって「加熱式たばこ」へスイッチすることで得をするのは誰なのか――。 あまり深く突っ込みすぎると、また多方面からきついおしかりを受けるので、この辺でやめておくが、「たばこハームリダクション」とやらの前に、まずはこういう「前時代的なムラ社会」からのハームリダクションを進めていただきたい」、その通りだ。
第三に、10月27日付けダイヤモンド・オンラインが転載したヘルスデーニュース「高齢者の「今さら禁煙しても意味ない」はホント?→65歳で禁煙した人の「寿命」への影響が判明」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/352740
・『禁煙開始が「遅すぎる」ことはない 喫煙習慣のある高齢者の中には、「今さら禁煙しても意味がない」と考えている人がいるかもしれない。しかし、実際はそんなことはなく、高齢期に入ってから禁煙したとしても、タバコを吸い続けた場合よりも長い寿命を期待できることが明らかになった。 例えば75歳で禁煙した場合、喫煙を続けた人よりも1年以上長く生きられる確率が14.2%に上るという。米ミシガン大学のThuy Le氏らが、禁煙によるメリットを禁煙開始時の年齢別に解析した結果であり、詳細は「American Journal of Preventive Medicine」に6月25日掲載された。 この研究には、米国で行われている国民健康調査やがん予防研究、国勢調査、死亡統計などのデータが用いられた。35~75歳の間のさまざまな時点の喫煙状況で対象者を3種類(喫煙歴なし、喫煙継続、禁煙)に分類し、平均余命を割り出して比較した。) その結果、若いうちに禁煙したほうがメリットは大きいものの、高齢になってから禁煙した場合にも、喫煙を続けた人より寿命が延びることが示された。詳細は以下のとおり。 まず、35歳の一般人口の平均余命は45.4年、喫煙歴のない人は47.8年、喫煙者は38.7年、35歳で禁煙した人は46.7年。35歳時点で禁煙することにより、喫煙を続けた場合に比べて平均余命が8.0年延長し、1年長く生きられる確率が52.8%、4年長く生きられる確率が45.4%、6年長く生きられる確率が40.6%、8年長く生きられる確率が36.0%であることが示された』、私もー昨年に禁煙したが、今さらという感じもあったが、やはりやってよかったということを知って、嬉しくなった。
・『65歳で禁煙した人は平均余命がどのくらい延びる? 一方、65歳の一般人口の平均余命は19.5年、喫煙歴のない人は20.9年、喫煙者は15.1年、65歳で禁煙した人は16.8年。65歳時点で禁煙することにより、喫煙を続けた場合に比べて平均余命が1.7年延長し、1年長く生きられる確率が23.4%、4年長く生きられる確率が16.3%、6年長く生きられる確率が12.4%、8年長く生きられる確率が9.3%だった。 また、75歳の一般人口の平均余命は12.3年、喫煙歴のない人は13.4年、喫煙者は9.0年、75歳で禁煙した人は9.7年。75歳時点で禁煙することにより、喫煙を続けた場合に比べて平均余命が0.7年延長し、1年長く生きられる確率が14.2%、4年長く生きられる確率が7.9%、6年長く生きられる確率が5.1%、8年長く生きられる確率が3.1%だった。 論文の筆頭著者であるLe氏は、「過去10年間で、若者の喫煙率は著しく低下した。しかし、高齢者の喫煙率は変化が少ない」と述べるとともに、「われわれが知る限り、禁煙が高齢者にもメリットをもたらすことを立証した研究は過去にない。われわれは、喫煙をやめることがどの年齢でも有益であることを示し、喫煙習慣のある高齢者に禁煙の動機付けとしてほしかった」と研究背景を語っている。 論文の上席著者である同大学のKenneth Warner氏も、「高齢になってから禁煙することで得られるメリットは、絶対値としては低いように思えるかもしれないが、残されている寿命に大きな影響を与える」と述べている。(HealthDay News 2024年10月10日)』、私の禁煙はCOPD(慢性閉塞性肺疾患のためだったので、寿命が延びるのは副次的なメリットでしかない。もっとも、外出時にタバオが喫える場所を探すストレスがなくなったのも副次的なメリットの1つだ。
タグ:喫煙問題 (その4)(喫煙、肥満…「不健康な人が排除される社会」はなぜ生きづらいのか?【人気ナンバーワンSFブロガーが選ぶすごい本】、日本は異常な“加熱式たばこ先進国”に…「紙巻きたばこより健康的」に潜む欺瞞、高齢者の「今さら禁煙しても意味ない」はホント?→65歳で禁煙した人の「寿命」への影響が判明) ダイヤモンド・オンライン 冬木 糸一氏による「喫煙、肥満…「不健康な人が排除される社会」はなぜ生きづらいのか?【人気ナンバーワンSFブロガーが選ぶすごい本】」 「舞台となっているのは、〈大災禍〉と呼ばれる世界的な核戦争と、その余波が引き起こした災害によって大きく変質してしまった未来の社会。世界中に核弾頭が落ちた結果、放射能汚染によるがん発症が増え、突然変異による未知のウイルスも蔓延した。その反動として、政府を単位とする資本主義的消費社会から、人間の健康を第一に考える医療福祉社会へと世界は舵を切ることになる。 そのために用いられるのが、体内をかけめぐる医療用ナノマシンの存在だ。Watch Meと呼ばれる体内監視システムが、体の中で起こるRNA転写エラーや免疫異常の チェックを行い、問題があれば即座に治してしまう。 世界的な少子化による人口減少に伴い、この未来の世界における人間の肉体は希少なリソースとなっており、その人自身のものというよりも、もはや公共の所有物と見なされている。命と健康が大切にされすぎた社会では、自分の体を傷つけたり、ましてや自死を選んだりすることは許されない・・・そうした状況に不満を抱き、反旗をひるがえす人間も存在する。本作の中心人物である、霧慧トァン、御冷ミァハ、零下堂キアンの学生3人組がそうだ。現状にとりわけ大きな不満を抱くミァハの主導で、3人は 自死を決行しようとする。それは単純に自分の死を望んでというよりも、健康を至上とする社会へのテロリズムのような計画だった・・・少女たちが自死のためにとった手法は、消化器官の栄養吸収を阻害する特殊な錠剤を服用するというもの。しかし、そのプロセスを完遂できたのはミァハのみで、トァンとキアンは途中で人に止められるか、怖くなって自発的に思いとどまることで、ミァハに罪の意識を感じながらもその後の人生を生きていくことになる。 物語の主要な部分は、生き残った13年後のトァンの視点で進行していくが、その世界では健康への強迫 性がさらに増している。そして、なぜか人々が突然操られたかのように自死を遂げ、社会全体が大きな混乱に陥っていく」、なるほど。 「われわれが生きている社会がまさに、ここで描かれているような世界に近づきつつあるからだろう。 肥満体型の人間はだらしないとされ、痩せていることが素晴らしいとされる。喫煙者の存在は「わざわざ自分の健康を害する人々」として駆逐されつつある。『ハーモニー』の社会では肉体が徹底的な管理下に置かれているため、肥満状態の人間はおらず、デブという言葉も死語になっている。いかにもありそうな話ではないか。 本作で描かれる健康社会は、肉体ばかりでなく精神に対しても細かいケアを行う。生活の中では健康保護アプリケーションが活用さ ており、日々の行動からユーザーの嗜好を分析している。もし、文学や絵画などのコンテンツにユーザーが傷つきそうな表現があれば、勝手にフィルタリングするか、事前に警告してくれる・・・文学や絵画などのコンテンツにユーザーが傷つきそうな表現があれば、勝手にフィルタリングするか、事前に警告してくれる。「この作品はあなたの心的外傷に触れる危険性があります」というように。生活態度だけでなく表現にまで、より潔癖さが求められるのだ。適切なフィルタリングが与えられることは素晴らしいことではある。一方、フィルタリングが適用され、 「肉体も精神も健康でいることを強いられる」状況は息苦しいものだ。 ここで描かれていく社会は極端な形だが、われわれの社会がこうなってもおかしくはないのだ、ということは常に意識する必要がある。『ハーモニー』は、その事実を認識させてくれる作品だ」、究極の管理者愛で、ぞっとする。 窪田順生氏による「日本は異常な“加熱式たばこ先進国”に…「紙巻きたばこより健康的」に潜む欺瞞」 「なぜ日本は世界トップレベルの「加熱式たばこ先進国」になったのか。よく言われるのは、煙や臭いの問題が指摘されるようになり、紙巻きたばこが吸える場所が減ったことで切り替えたという説。もしくは、加熱式たばこも併用するという、いわゆる「デュアルユース」が進んだことだ。 ただ、たばこ企業も驚くほどの成功をおさめたのは、加熱式たばこが、喫煙者たちが抱える、次のような「悩み」の解決策になったことが大きい。 「最近、体の調子も悪いからたばこやめたいんだけど、これまで禁煙に成功したことないし、どうしたもんかねえ…」 つまり、「健康」を気にし始めたけれど、どうしてもやめられないというニコチン依存症ともいうべき人々の「受け皿」になっているのだ。それがうかがえる調査もある」、なるほど。 「「健康目的」の加熱式たばこへのスイッチはさらに進んでいく。なぜかというと、たばこメーカー、マスコミ、さらには政治までが一丸となって、この動きを後押しているからだ・・・「国民の健康とハームリダクションを考える研究会」も同様で加熱式たばこの増税に反対をしているほか、紙巻きたばこから加熱式たばこなどへの切り替えを促す「たばこハームリダクションの法制化」を掲げている。 このような動きを見る限り、世界トップレベルの「加熱式たばこ大国」の成長はしばらく続くだろう。ただ、不安材料は多い」、なるほど。 「海外で「紙巻きたばこからのハームリダクション」という取り組みの中で用いられるのはもっぱら「電子たばこ」だ。こちらは加熱式たばこのように「たばこの葉」は入っておらず、抽出したニコチンを吸引するだけなので有害物質が出ない。そのため、イギリスでは、日本の厚労省にあたるナショナル・ヘルス・サービスが、禁煙治療に「電子たばこ」を推奨している。 日本の医療政策に大きな影響力を持つ日本医師会も「たばこハームリダクション」に否定的だ」、なるほど。 「加熱式たばこより害の少ない電子たばこの規制を見直すというのが定石のはずだ。だが、なぜかそういう話にはならない。 世界の潮流に合わせて、電子たばこを普及させてしまうと誰が困るのか。日本の喫煙者たちがこぞって「加熱式たばこ」へスイッチすることで得をするのは誰なのか――。 あまり深く突っ込みすぎると、また多方面からきついおしかりを受けるので、この辺でやめておくが、「たばこハームリダクション」とやらの前に、まずはこういう「前時代的なムラ社会」からのハームリダクションを進めていただきたい」、その通りだ。 ヘルスデーニュース「高齢者の「今さら禁煙しても意味ない」はホント?→65歳で禁煙した人の「寿命」への影響が判明」 私もー昨年に禁煙したが、今さらという感じもあったが、やはりやってよかったということを知って、嬉しくなった。 私の禁煙はCOPD(慢性閉塞性肺疾患のためだったので、寿命が延びるのは副次的なメリットでしかない。もっとも、外出時にタバオが喫える場所を探すストレスがなくなったのも副次的なメリットの1つだ。
介護(その10)(神奈川のケアマネが東京に大移動する理由 訪問介護を「狙い撃ち」のマイナス報酬改定に業界大激怒!、「縛ってください」と懇願する家族「縛らないと人が辞める」と訴える職員…介護現場の厳しすぎる現実、日本人が知らない「武士の介護休暇」意外な手厚さ 江戸時代にも90歳を超える高齢者が一定数いた) [社会]
介護については、本年2月6日に取上げた。今日は、(その10)(神奈川のケアマネが東京に大移動する理由 訪問介護を「狙い撃ち」のマイナス報酬改定に業界大激怒!、「縛ってください」と懇願する家族「縛らないと人が辞める」と訴える職員…介護現場の厳しすぎる現実、日本人が知らない「武士の介護休暇」意外な手厚さ 江戸時代にも90歳を超える高齢者が一定数いた)である。
先ずは、本年2月20日付けダイヤモンド・オンライン「神奈川のケアマネが東京に大移動する理由、訪問介護を「狙い撃ち」のマイナス報酬改定に業界大激怒!」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/338284
・『2024年度の介護報酬改定では、訪問介護の基本報酬が軒並みマイナス改定となった。これに対し業界団体が厚生労働省に猛抗議し、波紋を呼んでいる。『後悔しない医療・介護』の#9では、訪問介護への“はしご外し”を巡る思惑を探った』、興味深そうだ。
・『訪問介護を“狙い撃ち”した マイナス改定の理由 「誠に遺憾であり、訪問介護の現場従事者を代表して強く抗議します」――。 これは2月1日にホームヘルパー(訪問介護員)の職能団体である全国ホームヘルパー協議会、日本ホームヘルパー協会が連名で発表した、2024年度の介護報酬改定に対する意見書の一文である。 この2団体が激怒している理由、それは1月22日に公表された24年度介護報酬改定において全体の改定率がプラス1.59%だったにもかかわらず、訪問介護の基本報酬だけが軒並み引き下げられたからである(下図参照)。 (図表:直近3度の改定における訪問介護サービスの介護報酬単位の推移 はリンク先参照) 今回の報酬改定の基本方針では、介護従事者全体の待遇改善がうたわれていた。意見書内では、人材不足と従事者の高齢化、人件費の高騰、物価高騰などにより、閉鎖や倒産する事業所が増加しており、「更なる人材不足を招くことは明らかで、このような改定は断じて許されるものではありません。このままでは、訪問介護サービスが受けられない地域が広がりかねません」と警告している。 厚生労働省は、今回一本化された介護サービス従事者の処遇改善加算で、訪問介護は他のサービスよりも高い加算率が設定されており、トータルでは今回の改定がホームヘルパーの賃上げにつながるとしている。そうであっても、訪問介護だけの基本報酬を引き下げる理由としては説得力に欠ける。 では、厚労省が訪問介護を“狙い撃ち”した真の理由は何か』、「厚労省が訪問介護を“狙い撃ち”した真の理由は何か」、何なのだろう。
・『「国はもう在宅介護を諦めたのではないか」 訪問介護を狙い撃ちにした理由として、前述した処遇改善加算に加えて厚労省が公にしているのは、他のサービスよりも訪問介護の利益率が高い点だ。確かに直近の「介護事業経営実態調査」では、訪問介護の利益率が22年度で7.8%と、全サービス平均の2.4%を大幅に上回っている。 また、今回の改定では介護職員以外の職種の待遇改善も実現する方針を打ち出しており、多職種が従事している介護老人保健施設や特別養護老人ホームの基本報酬は大幅に引き上げている。一方、訪問介護はホームヘルパーをはじめ介護職以外の職種はほとんどおらず、利益率も高い。 介護財政が厳しい昨今、めりはりある報酬設定が求められる中で、今回の改定では訪問介護に泣いてもらう選択をしたというのが、厚労省の言い分といったところである。 しかし、高齢社会において国が目指してきたのは「地域包括ケアシステム」の下、最後まで住み慣れた地域で高齢者が安心して暮らせる社会の姿だったはずだ。だからこそ、今回の訪問介護のマイナス改定は、国による在宅医療・介護への“はしご外し”の始まりだとみる業界関係者も少なくない。 居宅介護支援事業所ケアプランナーみどり(神奈川県)代表の原田保氏は、今回の改定について「国はもう在宅(介護)を諦めたのではないか」と分析する。ホームヘルパーと共に、自宅で暮らす高齢者の介護を支えるケアマネジャー(介護支援専門員)の基本報酬の改定からもその片鱗は垣間見えるという。ケアマネが担う介護予防支援・居宅介護支援の基本報酬は今回辛うじてプラス改定ではあったものの、前回の改定よりも引き上げ率は下がったからだ(本特集#4『要介護認定を受けて「ケアマネ難民」を回避する方法、現役の介護認定審査会委員が伝授!』参照)。 「25年からは団塊の世代が後期高齢者となるため、高齢者人口そのものが減少し始める。だから、現状は慢性的な人手不足でも、25年以降には供給過多に転じると国はみており、報酬改定によって人材確保を促す必要はないと考えているのだろう」(原田氏) また3年後の27年度改定では、ケアマネが行うケアプランの作成が有料化されると予想されている。現行制度では、ケアプランの作成は全額介護保険でまかなわれて利用者負担はない。これが有料化されればサービスの利用控えが起こり、ケアマネ不足は解消されていく可能性が高い。すでに国はケアマネの需要自体を抑制していく制度設計にかじを切っており、今回の改定は高齢者が増加する想定でシステムを構築する時期は終わったというメッセージとも受け取れる。 しかし現状、ホームヘルパーもケアマネも、介護保険制度開始時に就労した層が引退の時期を迎え、空前の人手不足が続いている。長期的にみればいずれ供給過多になるといっても、今回の改定によって需要過多の状態は悪化すると原田氏は予測。しばらくは地域によって、要介護認定を受けていても在宅で介護サービスを受けるのが難しくなる所も出てくるかもしれないという。 とりわけ東京都に隣接する市町村で不足危機が高まる可能性がある』、「介護財政が厳しい昨今、めりはりある報酬設定が求められる中で、今回の改定では訪問介護に泣いてもらう選択をしたというのが、厚労省の言い分といったところである・・・長期的にみればいずれ供給過多になるといっても、今回の改定によって需要過多の状態は悪化すると原田氏は予測。しばらくは地域によって、要介護認定を受けていても在宅で介護サービスを受けるのが難しくなる所も出てくるかもしれないという」、なるほど。
・『「月1万~2万円の手当」と都知事 神奈川から東京にケアマネ流出か 東京都の小池百合子都知事は年始のあいさつで、都内で働く全ての介護職員、ケアマネを対象に月1万~2万円の手当を支給すると発表した。 この施策に原田氏は嘆息する。自身の事業所が神奈川県にあるからだ。 「川崎市、横浜市のケアマネは、多摩川を渡って東京に流出するだろう」と原田氏は予測する。川崎市や横浜市などの東京都に隣接する市町村では、都内に介護従事者が大移動して不足する恐れがある。 今回の改定を機に国が在宅介護へのはしごを外していくのであれば、高齢者が最後まで住み慣れた地域で安心して暮らしていくことは、どんどん難しくなるのかもしれない』、「川崎市や横浜市などの東京都に隣接する市町村では、都内に介護従事者が大移動して不足する恐れがある。 今回の改定を機に国が在宅介護へのはしごを外していくのであれば、高齢者が最後まで住み慣れた地域で安心して暮らしていくことは、どんどん難しくなるのかもしれない』、「都内に介護従事者が大移動」はやむを得ないが、「高齢者が最後まで住み慣れた地域で安心して暮らしていくことは、どんどん難しくなる」のは、困ったことだ。
次に、6月6日付けダイヤモンド・オンライン「社会学者の上野千鶴子氏と元気が出る介護研究所所長の 高口光子氏の対談「「縛ってください」と懇願する家族「縛らないと人が辞める」と訴える職員…介護現場の厳しすぎる現実」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/342276
・『介護保険制度の改悪や人手不足など介護の現場では問題が山積みだ。また、そこで働く職員のなかでも方針の違いなどがあるという。介護現場の葛藤を上野千鶴子氏と高口光子(正しくははしご高)氏が語る。本稿は上野千鶴子・高口光子著『「おひとりさまの老後」が危ない! 介護の転換期に立ち向かう』(集英社新書)の一部を抜粋・編集したものです』、興味深そうだ。
・『寝たきりにしない、身体拘束しない施設につきつけられる厳しい現実 高口 とにかく、望まれたニーズには応える。選ばない、断らない、見届けるというのが私が立ち上げに関わった老健(介護老人保健施設)のテーマでした。具体的に言うと、どんな重度の人でも寝たきりにしない、それまでの生活習慣を大事にする、持てる力を活かす、そして身体拘束はしないということでした。 こういう方針を明確に出したんですが、やっぱりつきつけられるわけですよ。「身体拘束しなかったら立ち上がりますよ、歩き出しますよ、転びますよ」って。「痛い思いするのはお年寄りですよ、それでいいんですか、高口さん」と。「高口さんはお年寄りのことばっかり考えているけど、職員はどうなるんですか」とか。 上野 介護職があなたにそう言うの? 高口 そう言ってくるのは、ほかの介護施設を経験してきた職員たちですね。開設1年目のとき、そういうことがどんどん出てきたんですよね。 上野 なるほど。どれも言いそうなことばかりね。 高口 鼻に入れているチューブを取ってしまうムラカミさんというおじいさんが、ミトンをつけて入居してきました。ミトンっていうのは大きな手袋のことで、認知症のある人が点滴や胃ろうのチューブを抜いたり、自分でおむつを取ったり便をさわったりしないように、両手につけて行動を抑制するためのものです。 この方が入居してきたとき、職員が家族に「ミトンは外しますね。うちは介護施設だから身体拘束できないんです。チューブも外してできるだけ口から食べましょう」と言って、ミトンを外したんです。そうしたら、ムラカミさんの妻が怒鳴り込んできました。 ムラカミさんは病院に運ばれるたびに医師から、このままだったら餓死しますよって言われて、妻は「ごめんなさい、ごめんなさい」って言いながらチューブを入れたって言うんですね。 悩んで悩んで入れたチューブなのに、この老健に来た途端に「外しますから」と言われて「あんたたちは何がしたいんや!」ってものすごく怒って来られたのです』、「介護」の「理想」と「現実」のギャップは極めて大きいようだ。
・『「縛ってちょうだい」 介護職員に懇願する家族 施設がスタートするとき、私は研修で、この施設ではチューブではなくて口から食べることと身体拘束は一切しないことを話して、口から食べることがどれだけ大事なことであるかとか、身体拘束がどれだけお年寄りにとってマイナスになるかということを職員に説明したつもりでした。 でも職員は「うちは身体拘束できない」「うちはチューブじゃなくて口から食べるから」と結論だけをぽんと家族に押しつけるように言ったわけなんです。ムラカミさんの妻は「行った先々で翻弄されるのはもう嫌だ」と言って、お願いだから縛ってくれと頭を下げるわけです。 私は「職員の言い方が失礼だったかもしれないけれど、うちは身体拘束はしません。身体拘束をしたらもう介護じゃなくなるからです」と言って、頭を下げました。妻は最後には「もうええ、あんたには頼まん」と言って、職員ひとりひとりに「縛ってちょうだい、ミトンをつけてちょうだい」って頭下げるんです。 すると職員から、「家族が縛ってくれって言っているんですよ。縛らなくていいんですか」「家族が縛ってくれと言うのを縛らないで事故があったら、訴えられますよ。職員は辞めますよ」という意見が出てきました。追いつめられた私は一瞬、たかがミトンじゃないかって思ったんです。 「一度ミトンをつけて、徐々に外していってもいいんじゃないか」と黒い光子さんが言う。白い光子さんは、「1回でも身体拘束したらもう駄目だよ。それはもう介護じゃないし、それはあんたのやりたい介護に反する。ここが踏ん張りどころだよ」と言う。 とうとう私はぶれて「みんなで話し合って決めて」って言ってしまったんです。ずるいですよね。 職員は話し合って、職員がムラカミさんの部屋にいられるときはミトンを外す。だけど、職員がついていられないときにはミトンをつけるという結論を私のもとへ持ってきました。私はそれを聞いて「もうちょっとちゃんと考えなさい」と言って返しました。 その日の日誌に、新人たちが「みんなで話し合って、ムラカミさんのケア対応を考えたのに、高口さんが言うこと聞かないから、もう一度みんなで話し合うことになりました」と書いていました(笑)。) そうしたら、一緒に立ち上げた栄養士が私のところに来て、「今、ムラカミさんのところで初めてミトンを見た」と言ってきました。とうとう家族がミトンをつけたんですね。「気持ち悪いね、あれ。私、生まれて初めてミトンをつけた人を見た、もうイヤだ」と言って泣いたんですよ。やりたい介護ができる施設を造ろうって一緒に立ち上げた仲間が目の前で泣いている、この状況は何なんだろうって思った』、「とうとう家族がミトンをつけたんですね。「気持ち悪いね、あれ。私、生まれて初めてミトンをつけた人を見た、もうイヤだ」と言って泣いたんですよ。やりたい介護ができる施設を造ろうって一緒に立ち上げた仲間が目の前で泣いている、この状況は何なんだろうって思った」、前述の理想と現実のギャップはとても大きいようだ。
・『トップが方針を決めて職員同士の対立を生ませる重要性 上野 施設でもそんな簡単にミトンや拘束ってやるんだ。 高口 私は、緊急会議を招集して「私はやっぱり縛りたくない。この施設は縛りません」と言いました。会議は真っ二つに分かれます。一つは、縛るしかないんじゃないかという意見です。縛らないと、チューブを抜いて介護はもっと大変になる。「人が辞める→大きい事故が起きる→訴えられる」といった主張をしてきます。 一方、「でも、縛りたくないです」って小さな声で言う人たちもいる。「だって、イヤじゃないですか、笑わなくなっちゃうじゃないですか」とおそるおそる言うわけですよ。 このときに、小さい声でおそるおそる言っているのは「理想」なんですよね。理想というのは、何と小さく弱々しいのかと。事故が起きるよというのは、「現実」なんです。現実というのは声が大きくて、迫力があって、強い。 だけど、職員の意見がこんなふうにしっかりぶつかれるのは、方針がしっかり出ているからなんです。現実と理想が職員の口から出てきて、対立という形で明らかになって話し合いが始まる。 トップが方針を示さなければ対立も生まれないので、意見も出ないし話し合いにもならない。トップの方針がいいかげんだと話し合いも成立しないんだということが、このときにわかりましたね。トップが方針を言い切って、対立を生むということは大事なんだというのを教わりました。 「だって、縛ったらムラカミさんかわいそうじゃない」って小さい声で言っていた職員が、「事故が起きたらどうする!」とがんがん言っている人たちに、「じゃ、先輩たちは縛りたいんですか?」って尋ねたんです。 そうしたら、「縛らずに済むなら縛りたくないわよ、だけどね」って、また人数が少ないとか事故とか同じことを繰り返す。そうしたら、その子が「何だ、みんな同じじゃん」って言ったんです。 上野 感動的な場面ね。シンプルな直球が効いたんだ』、「小さい声でおそるおそる言っているのは「理想」なんですよね。理想というのは、何と小さく弱々しいのかと。事故が起きるよというのは、「現実」なんです。現実というのは声が大きくて、迫力があって、強い。 だけど、職員の意見がこんなふうにしっかりぶつかれるのは、方針がしっかり出ているからなんです。現実と理想が職員の口から出てきて、対立という形で明らかになって話し合いが始まる・・・トップが方針を言い切って、対立を生むということは大事なんだというのを教わりました・・・「事故が起きたらどうする!」とがんがん言っている人たちに、「じゃ、先輩たちは縛りたいんですか?」って尋ねたんです。 そうしたら、「縛らずに済むなら縛りたくないわよ、だけどね」って、また人数が少ないとか事故とか同じことを繰り返す。そうしたら、その子が「何だ、みんな同じじゃん」って言ったんです」、なるほど。
第三に、10月28日付け東洋経済オンライン「日本人が知らない「武士の介護休暇」意外な手厚さ 江戸時代にも90歳を超える高齢者が一定数いた」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/835067
・『現在、日本人の平均寿命は80代ですが、江戸時代の平均寿命は30代くらいだったと言われています。しかし、全ての日本人が短命だったわけではありません。幼少期に亡くなる人の多さが全体の平均を下げているものの、実際には90歳を超える高齢者が一定数いたこともわかっています。つまり、高齢者介護の問題と直面していたはずです。 医療が未発達で、現在のような介護保険サービスも整っていない時代に、日本人はどのように介護に取り組んだのでしょうか? 日本では団塊世代の全人口が75歳以上(後期高齢者)となる、いわゆる「2025年問題」が大きな注目を集めています。 書籍『武士の介護休暇』では、江戸時代を中心に、様々な資料を駆使して日本の介護をめぐる長い歴史を解き明かします。そこから浮かび上がる、介護に奮闘した人々の姿と、意外な事実の数々——。介護の歴史を振り返ることで、きっと何かのヒントが見つかるはずです。 『武士の介護休暇』より、幕末期の武士が介護記録を書き残した日記について、一部抜粋、再構成してお届けします』、興味深そうだ。
・『江戸時代の武士と介護 江戸時代の武士はどのように老親の介護を行っていたのでしょうか。 当時は現代のような介護保険体制が整っていたわけではなく、公的な介護保険サービスも存在しません。介護をする場合、基本的に家族など近くにいる人が担う必要がありました。武士の中には、日々の介護を詳しく記録している人がいて、その内容から当時の介護の様子が見えてきます。) ここでいう「武士」とは浪人や自称などではなく、幕府や藩に仕えていた旗本・御家人や藩士を指します。こうした武士は老後に隠居料が与えられるケースも多く、また家督を継いだ息子・養子のお世話になることも多かったので、すべて自前で老後の収入・貯え・住まいを用意する必要があった庶民層より恵まれていました。 ただ「介護」となるとなかなか大変な面もあったようです。武士の介護に関する史料・既存研究をひも解きながら、その実像についてご紹介しましょう』、「幕府や藩に仕えていた旗本・御家人や藩士を指します。こうした武士は老後に隠居料が与えられるケースも多く、また家督を継いだ息子・養子のお世話になることも多かったので、すべて自前で老後の収入・貯え・住まいを用意する必要があった庶民層より恵まれていました。 ただ「介護」となるとなかなか大変な面もあったようです。武士の介護に関する史料・既存研究をひも解きながら、その実像についてご紹介しましょう』、「こうした武士は老後に隠居料が与えられるケースも多く、また家督を継いだ息子・養子のお世話になることも多かったので、すべて自前で老後の収入・貯え・住まいを用意する必要があった庶民層より恵まれていました」、なるほど。
・『日記に残された「武士の介護」 武士の介護を見る上で、史料がしっかりと残り、既存研究も行われている事例として、幕末期における沼津藩(現在の静岡県沼津市周辺)藩士の金沢八郎に対する介護が挙げられます。 金沢八郎の妻の名前は不明で、息子にあたる人物として金沢久三郎、黒沢弥兵衛、徳田貢、水野重教などの名が残っています。名字が違うことからも分かる通り、弥兵衛、貢、重教は他家に養子に行っており、金沢八郎の介護に関する記録は、息子の一人である水野重教が日記に残しています。 この日記は『水野伊織日記』(伊織は重教の別名)として世に知られていて、1862年(文久2年)から1892年(明治25年)にかけての日々が記録され、幕末維新における沼津藩の動きを知る上で貴重な史料です。その一方、父である金沢八郎が病気で倒れ、介護をし、亡くなるまでの様子について事細かに記されてもいます。そこから当時の武士の介護を読み解けるわけです。) 史料は日記形式であり毎日を逐一取り上げると大変なので、いくつかのエピソードを拾ってご紹介しましょう』、「この日記は『水野伊織日記』(伊織は重教の別名)として世に知られていて、1862年(文久2年)から1892年(明治25年)にかけての日々が記録・・・いくつかのエピソードを拾ってご紹介しましょう」、なるほど。
・『1866年(慶応2年)に起こった異変 まずは日本史上で「薩長同盟が結ばれた年」として知られる1866年(慶応2年)4月23日の出来事に焦点を当てます。この日、水野重教の実父である金沢八郎の身に異変が起こります。このとき八郎は江戸に出府していて、「八幡」に参詣してから家に帰っていつものように酒を飲み、酔っぱらって寝床に入ったのですが、次の日の朝になると、 「言語御渋り諸状不宜旨也」(言葉をスムーズに話せなくなり、体調全般が良くない) という体調が優れない状態となり、医師に見せて血の検査などをしたところ、 「是中風再發之徴候也」(これは中風〔ちゅうぶ〕再発の兆候である) と診断されます。八郎はそれまでも中風を患っていたようなのですが、飲酒がきっかけで再発したわけです。中風とは脳卒中による半身麻痺などの後遺症のことで、現代でも言葉がうまくしゃべれない、体にしびれが出るといった症状はその前兆として知られています。) 八郎はその後少しずつ回復しますが、同年の秋頃からまた体調が悪くなったようです。その後八郎は藩から暇(いとま)をもらい、国元で療養生活を送りましたが、年が明けて1867年(慶応3年)の正月4日頃から難治性の吃逆(きつぎゃく〔しゃっくり〕)がひどくなり、薬を投与しても収まらなくなります。7日には医師より、「年来中風御病之上、御老体旧臘より咽喉御悩、彼是ニて御疲労強所へ之吃逆ニて、種々之薬剤奏功無之上は、何分此度ハ心許なき」(年来の中風の病の上、御老体は昨年12月から咽喉の悩みもありました。かれこれの病により疲労が強くなっているところにしゃっくりがひどくなり、各種の薬の効果もないので、なにぶんにも今回ばかりは〔命が持つか〕気がかりです) と宣告されます。終末期に難治性のしゃっくりが見られることは現代でも多く、八郎に死期が近づいている兆候ともいえます。金沢家の跡継ぎである久三郎は藩命で江戸表に滞在中であり、すぐに国元から飛脚で手紙が送られています』、「家に帰っていつものように酒を飲み、酔っぱらって寝床に入ったのですが、次の日の朝になると・・・言葉をスムーズに話せなくなり、体調全般が良くない という体調が優れない状態となり、医師に見せて血の検査などをしたところ、 ・・・これは中風〔ちゅうぶ〕再発の兆候である) と診断されます。八郎はそれまでも中風を患っていたようなのですが、飲酒がきっかけで再発したわけです。中風とは脳卒中による半身麻痺などの後遺症のこと・・・難治性の吃逆(きつぎゃく〔しゃっくり〕)がひどくなり、薬を投与しても収まらなくなります。7日には医師より・・・何分此度ハ心許なき」(年来の中風の病の上、御老体は昨年12月から咽喉の悩みもありました。かれこれの病により疲労が強くなっているところにしゃっくりがひどくなり、各種の薬の効果もないので、なにぶんにも今回ばかりは〔命が持つか〕気がかりです) と宣告されます。終末期に難治性のしゃっくりが見られることは現代でも多く、八郎に死期が近づいている兆候ともいえます」、なるほど。
・『介護休暇を願い出た武士 医師から打つ手なしといわれた八郎に対し、久三郎が江戸にいたため、重教は自ら看取りケアを行おうと決意します。宣告を受けた翌日の8日の日記には、 「御容体弥不宜ニ付、自分今日看病引相願候処、即願済之事」(〔実父の〕ご容体が良くないので、私は本日藩に看病引のお願いをしたところ、すぐに承諾となった) とあります。父の介護をしたいので「看病引」、つまり介護のための休みが欲しいと願い出て、認められたわけです。翌9日には「後嗣えの御遺訓并自分・弥兵衛へ同断」とあり、医師から命が危ういといわれた八郎は、その2日後には息子の重教、弥兵衛に対する遺訓を作っています。この辺りの潔さは武士らしいともいえるかもしれません。) その後の重教の日記は、介護の内容が中心となります。八郎は容体が悪化するにつれてしゃっくりもひどくなったようで、重教は事細かに「吃逆發」「止」の記述を繰り返し、また八郎が人と会うときは「自分御背を御さすり罷在候事」(お背中をおさすり致しておりました)などのケアも行っていました』、「私は本日藩に看病引のお願いをしたところ、すぐに承諾となった) とあります・・・医師から命が危ういといわれた八郎は、その2日後には息子の重教、弥兵衛に対する遺訓を作っています。この辺りの潔さは武士らしいともいえるかもしれません」、なるほど。
・『排せつに関する記述が登場 また1月12日には、「殿様より実父君御不快御尋としてかすていら一折御頂戴被成候」とあり、介護生活の最中、殿様からカステラをもらったりしています。しゃっくりがひどかった八郎が食べられたかどうかは分かりませんが、殿様が家来の容体を心配することもあったようです。 1月13日からは、「朝五時前小水御通」や「暁九時両便御快通」など排せつに関する記述が登場し、この時期から重教は排せつの介助(トイレまでの移動介助)も行っていたと考えられます。その後、1月19日には勘定奉行をはじめ、藩士がぞくぞくと見舞いに駆けつけ、八郎は「今世之御暇乞」(今生のお別れ)をしたり、心得・教戒などを伝えたりします。 この頃になると八郎は寝床から離れられなくなり、1月22日の日記には「依之今日御両便共ニ御床上ニて自分・弥兵衛・久三郎御世話申上」とあり、重教、弥兵衛、そしてこの頃江戸から戻っていた金沢家の跡取りである久三郎の三人兄弟で、大小便の世話をするようになります。26日頃からは、自力で寝返りもできなくなりました。) そして2月3日の日記には、「先日以来御薬ハ不被召上旨被仰聞、御決死之事ニ候得は……」とあり、先日来、八郎は薬を飲もうとせず、死を決したとの記述があります。その上でこの3日に、辞世の詩も作成。5日に八郎は亡くなりました』、「この時期から重教は排せつの介助(トイレまでの移動介助)も行っていたと考えられます・・・この頃になると八郎は寝床から離れられなくなり、1月22日の日記には・・・重教、弥兵衛、そしてこの頃江戸から戻っていた金沢家の跡取りである久三郎の三人兄弟で、大小便の世話をするようになります。26日頃からは、自力で寝返りもできなくなりました。) そして2月3日の日記には・・・先日来、八郎は薬を飲もうとせず、死を決したとの記述があります。その上でこの3日に、辞世の詩も作成。5日に八郎は亡くなりました」、「薬を飲もうとせず、死を決したとの記述」、やはり最後の時は自分で分かるようだ。
・『現代でいうところの「介護休業」も 以上少し長くなりましたが、実際の日記には、いつどんな症状が出たのか、何を食べたのか、大小便はいつしたのか、どんな薬を投与したのか(麝香〔じゃこう〕、モルヒネ、ヒスミット、ラウタなどの薬名も日記中に記載あり)などが、詳細に記述されています。近世期の武士は文章のうまい人が多く、筆まめな人が詳細な介護記録をつけると、現代のプロの介護士が作成するような具体性があります。 なお、重教の兄嫁は舅(しゅうと)の八郎と不仲だったようで、ケアには非協力的だったようです。八郎の容体が悪化した際、兄達は江戸にいたため、結果として沼津にいた重教がケアを担い、兄達が江戸から戻った後も八郎の介護・看取りケアの中心役となっています。 なおケアを行う際、重教や兄弟が手ずから介護をしていたとは思いますが、家で働いている人(下男・下女と呼ばれた人)も多かったと思われ、そうした人たちにあれこれと指図する場合も多分にあったと考えられます。 またこの八郎のケースで一つ注目したいのは、重教が介護をするにあたって、藩に対して「看病引」を願い出ている点です。これは「親の介護をしたいから休ませてください」という、現代でいうところの介護休業のお願いです。沼津藩はこの申し出に対し、すぐに許可を出しています』、「実際の日記には、いつどんな症状が出たのか、何を食べたのか、大小便はいつしたのか、どんな薬を投与したのか(麝香〔じゃこう〕、モルヒネ、ヒスミット、ラウタなどの薬名も日記中に記載あり)などが、詳細に記述されています・・・家で働いている人(下男・下女と呼ばれた人)も多かったと思われ、そうした人たちにあれこれと指図する場合も多分にあったと考えられます・・・重教が介護をするにあたって、藩に対して「看病引」を願い出ている点です。これは「親の介護をしたいから休ませてください」という、現代でいうところの介護休業のお願いです。沼津藩はこの申し出に対し、すぐに許可を出しています」、「藩」と「武士」の関係は、現代の「企業」と「従業員」の関係よりはるかに濃密だったので、「介護休暇」の「許可」も驚くに値しない。むしろ現代の方が「許可」を取るのは大変なのかも知れない。
先ずは、本年2月20日付けダイヤモンド・オンライン「神奈川のケアマネが東京に大移動する理由、訪問介護を「狙い撃ち」のマイナス報酬改定に業界大激怒!」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/338284
・『2024年度の介護報酬改定では、訪問介護の基本報酬が軒並みマイナス改定となった。これに対し業界団体が厚生労働省に猛抗議し、波紋を呼んでいる。『後悔しない医療・介護』の#9では、訪問介護への“はしご外し”を巡る思惑を探った』、興味深そうだ。
・『訪問介護を“狙い撃ち”した マイナス改定の理由 「誠に遺憾であり、訪問介護の現場従事者を代表して強く抗議します」――。 これは2月1日にホームヘルパー(訪問介護員)の職能団体である全国ホームヘルパー協議会、日本ホームヘルパー協会が連名で発表した、2024年度の介護報酬改定に対する意見書の一文である。 この2団体が激怒している理由、それは1月22日に公表された24年度介護報酬改定において全体の改定率がプラス1.59%だったにもかかわらず、訪問介護の基本報酬だけが軒並み引き下げられたからである(下図参照)。 (図表:直近3度の改定における訪問介護サービスの介護報酬単位の推移 はリンク先参照) 今回の報酬改定の基本方針では、介護従事者全体の待遇改善がうたわれていた。意見書内では、人材不足と従事者の高齢化、人件費の高騰、物価高騰などにより、閉鎖や倒産する事業所が増加しており、「更なる人材不足を招くことは明らかで、このような改定は断じて許されるものではありません。このままでは、訪問介護サービスが受けられない地域が広がりかねません」と警告している。 厚生労働省は、今回一本化された介護サービス従事者の処遇改善加算で、訪問介護は他のサービスよりも高い加算率が設定されており、トータルでは今回の改定がホームヘルパーの賃上げにつながるとしている。そうであっても、訪問介護だけの基本報酬を引き下げる理由としては説得力に欠ける。 では、厚労省が訪問介護を“狙い撃ち”した真の理由は何か』、「厚労省が訪問介護を“狙い撃ち”した真の理由は何か」、何なのだろう。
・『「国はもう在宅介護を諦めたのではないか」 訪問介護を狙い撃ちにした理由として、前述した処遇改善加算に加えて厚労省が公にしているのは、他のサービスよりも訪問介護の利益率が高い点だ。確かに直近の「介護事業経営実態調査」では、訪問介護の利益率が22年度で7.8%と、全サービス平均の2.4%を大幅に上回っている。 また、今回の改定では介護職員以外の職種の待遇改善も実現する方針を打ち出しており、多職種が従事している介護老人保健施設や特別養護老人ホームの基本報酬は大幅に引き上げている。一方、訪問介護はホームヘルパーをはじめ介護職以外の職種はほとんどおらず、利益率も高い。 介護財政が厳しい昨今、めりはりある報酬設定が求められる中で、今回の改定では訪問介護に泣いてもらう選択をしたというのが、厚労省の言い分といったところである。 しかし、高齢社会において国が目指してきたのは「地域包括ケアシステム」の下、最後まで住み慣れた地域で高齢者が安心して暮らせる社会の姿だったはずだ。だからこそ、今回の訪問介護のマイナス改定は、国による在宅医療・介護への“はしご外し”の始まりだとみる業界関係者も少なくない。 居宅介護支援事業所ケアプランナーみどり(神奈川県)代表の原田保氏は、今回の改定について「国はもう在宅(介護)を諦めたのではないか」と分析する。ホームヘルパーと共に、自宅で暮らす高齢者の介護を支えるケアマネジャー(介護支援専門員)の基本報酬の改定からもその片鱗は垣間見えるという。ケアマネが担う介護予防支援・居宅介護支援の基本報酬は今回辛うじてプラス改定ではあったものの、前回の改定よりも引き上げ率は下がったからだ(本特集#4『要介護認定を受けて「ケアマネ難民」を回避する方法、現役の介護認定審査会委員が伝授!』参照)。 「25年からは団塊の世代が後期高齢者となるため、高齢者人口そのものが減少し始める。だから、現状は慢性的な人手不足でも、25年以降には供給過多に転じると国はみており、報酬改定によって人材確保を促す必要はないと考えているのだろう」(原田氏) また3年後の27年度改定では、ケアマネが行うケアプランの作成が有料化されると予想されている。現行制度では、ケアプランの作成は全額介護保険でまかなわれて利用者負担はない。これが有料化されればサービスの利用控えが起こり、ケアマネ不足は解消されていく可能性が高い。すでに国はケアマネの需要自体を抑制していく制度設計にかじを切っており、今回の改定は高齢者が増加する想定でシステムを構築する時期は終わったというメッセージとも受け取れる。 しかし現状、ホームヘルパーもケアマネも、介護保険制度開始時に就労した層が引退の時期を迎え、空前の人手不足が続いている。長期的にみればいずれ供給過多になるといっても、今回の改定によって需要過多の状態は悪化すると原田氏は予測。しばらくは地域によって、要介護認定を受けていても在宅で介護サービスを受けるのが難しくなる所も出てくるかもしれないという。 とりわけ東京都に隣接する市町村で不足危機が高まる可能性がある』、「介護財政が厳しい昨今、めりはりある報酬設定が求められる中で、今回の改定では訪問介護に泣いてもらう選択をしたというのが、厚労省の言い分といったところである・・・長期的にみればいずれ供給過多になるといっても、今回の改定によって需要過多の状態は悪化すると原田氏は予測。しばらくは地域によって、要介護認定を受けていても在宅で介護サービスを受けるのが難しくなる所も出てくるかもしれないという」、なるほど。
・『「月1万~2万円の手当」と都知事 神奈川から東京にケアマネ流出か 東京都の小池百合子都知事は年始のあいさつで、都内で働く全ての介護職員、ケアマネを対象に月1万~2万円の手当を支給すると発表した。 この施策に原田氏は嘆息する。自身の事業所が神奈川県にあるからだ。 「川崎市、横浜市のケアマネは、多摩川を渡って東京に流出するだろう」と原田氏は予測する。川崎市や横浜市などの東京都に隣接する市町村では、都内に介護従事者が大移動して不足する恐れがある。 今回の改定を機に国が在宅介護へのはしごを外していくのであれば、高齢者が最後まで住み慣れた地域で安心して暮らしていくことは、どんどん難しくなるのかもしれない』、「川崎市や横浜市などの東京都に隣接する市町村では、都内に介護従事者が大移動して不足する恐れがある。 今回の改定を機に国が在宅介護へのはしごを外していくのであれば、高齢者が最後まで住み慣れた地域で安心して暮らしていくことは、どんどん難しくなるのかもしれない』、「都内に介護従事者が大移動」はやむを得ないが、「高齢者が最後まで住み慣れた地域で安心して暮らしていくことは、どんどん難しくなる」のは、困ったことだ。
次に、6月6日付けダイヤモンド・オンライン「社会学者の上野千鶴子氏と元気が出る介護研究所所長の 高口光子氏の対談「「縛ってください」と懇願する家族「縛らないと人が辞める」と訴える職員…介護現場の厳しすぎる現実」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/342276
・『介護保険制度の改悪や人手不足など介護の現場では問題が山積みだ。また、そこで働く職員のなかでも方針の違いなどがあるという。介護現場の葛藤を上野千鶴子氏と高口光子(正しくははしご高)氏が語る。本稿は上野千鶴子・高口光子著『「おひとりさまの老後」が危ない! 介護の転換期に立ち向かう』(集英社新書)の一部を抜粋・編集したものです』、興味深そうだ。
・『寝たきりにしない、身体拘束しない施設につきつけられる厳しい現実 高口 とにかく、望まれたニーズには応える。選ばない、断らない、見届けるというのが私が立ち上げに関わった老健(介護老人保健施設)のテーマでした。具体的に言うと、どんな重度の人でも寝たきりにしない、それまでの生活習慣を大事にする、持てる力を活かす、そして身体拘束はしないということでした。 こういう方針を明確に出したんですが、やっぱりつきつけられるわけですよ。「身体拘束しなかったら立ち上がりますよ、歩き出しますよ、転びますよ」って。「痛い思いするのはお年寄りですよ、それでいいんですか、高口さん」と。「高口さんはお年寄りのことばっかり考えているけど、職員はどうなるんですか」とか。 上野 介護職があなたにそう言うの? 高口 そう言ってくるのは、ほかの介護施設を経験してきた職員たちですね。開設1年目のとき、そういうことがどんどん出てきたんですよね。 上野 なるほど。どれも言いそうなことばかりね。 高口 鼻に入れているチューブを取ってしまうムラカミさんというおじいさんが、ミトンをつけて入居してきました。ミトンっていうのは大きな手袋のことで、認知症のある人が点滴や胃ろうのチューブを抜いたり、自分でおむつを取ったり便をさわったりしないように、両手につけて行動を抑制するためのものです。 この方が入居してきたとき、職員が家族に「ミトンは外しますね。うちは介護施設だから身体拘束できないんです。チューブも外してできるだけ口から食べましょう」と言って、ミトンを外したんです。そうしたら、ムラカミさんの妻が怒鳴り込んできました。 ムラカミさんは病院に運ばれるたびに医師から、このままだったら餓死しますよって言われて、妻は「ごめんなさい、ごめんなさい」って言いながらチューブを入れたって言うんですね。 悩んで悩んで入れたチューブなのに、この老健に来た途端に「外しますから」と言われて「あんたたちは何がしたいんや!」ってものすごく怒って来られたのです』、「介護」の「理想」と「現実」のギャップは極めて大きいようだ。
・『「縛ってちょうだい」 介護職員に懇願する家族 施設がスタートするとき、私は研修で、この施設ではチューブではなくて口から食べることと身体拘束は一切しないことを話して、口から食べることがどれだけ大事なことであるかとか、身体拘束がどれだけお年寄りにとってマイナスになるかということを職員に説明したつもりでした。 でも職員は「うちは身体拘束できない」「うちはチューブじゃなくて口から食べるから」と結論だけをぽんと家族に押しつけるように言ったわけなんです。ムラカミさんの妻は「行った先々で翻弄されるのはもう嫌だ」と言って、お願いだから縛ってくれと頭を下げるわけです。 私は「職員の言い方が失礼だったかもしれないけれど、うちは身体拘束はしません。身体拘束をしたらもう介護じゃなくなるからです」と言って、頭を下げました。妻は最後には「もうええ、あんたには頼まん」と言って、職員ひとりひとりに「縛ってちょうだい、ミトンをつけてちょうだい」って頭下げるんです。 すると職員から、「家族が縛ってくれって言っているんですよ。縛らなくていいんですか」「家族が縛ってくれと言うのを縛らないで事故があったら、訴えられますよ。職員は辞めますよ」という意見が出てきました。追いつめられた私は一瞬、たかがミトンじゃないかって思ったんです。 「一度ミトンをつけて、徐々に外していってもいいんじゃないか」と黒い光子さんが言う。白い光子さんは、「1回でも身体拘束したらもう駄目だよ。それはもう介護じゃないし、それはあんたのやりたい介護に反する。ここが踏ん張りどころだよ」と言う。 とうとう私はぶれて「みんなで話し合って決めて」って言ってしまったんです。ずるいですよね。 職員は話し合って、職員がムラカミさんの部屋にいられるときはミトンを外す。だけど、職員がついていられないときにはミトンをつけるという結論を私のもとへ持ってきました。私はそれを聞いて「もうちょっとちゃんと考えなさい」と言って返しました。 その日の日誌に、新人たちが「みんなで話し合って、ムラカミさんのケア対応を考えたのに、高口さんが言うこと聞かないから、もう一度みんなで話し合うことになりました」と書いていました(笑)。) そうしたら、一緒に立ち上げた栄養士が私のところに来て、「今、ムラカミさんのところで初めてミトンを見た」と言ってきました。とうとう家族がミトンをつけたんですね。「気持ち悪いね、あれ。私、生まれて初めてミトンをつけた人を見た、もうイヤだ」と言って泣いたんですよ。やりたい介護ができる施設を造ろうって一緒に立ち上げた仲間が目の前で泣いている、この状況は何なんだろうって思った』、「とうとう家族がミトンをつけたんですね。「気持ち悪いね、あれ。私、生まれて初めてミトンをつけた人を見た、もうイヤだ」と言って泣いたんですよ。やりたい介護ができる施設を造ろうって一緒に立ち上げた仲間が目の前で泣いている、この状況は何なんだろうって思った」、前述の理想と現実のギャップはとても大きいようだ。
・『トップが方針を決めて職員同士の対立を生ませる重要性 上野 施設でもそんな簡単にミトンや拘束ってやるんだ。 高口 私は、緊急会議を招集して「私はやっぱり縛りたくない。この施設は縛りません」と言いました。会議は真っ二つに分かれます。一つは、縛るしかないんじゃないかという意見です。縛らないと、チューブを抜いて介護はもっと大変になる。「人が辞める→大きい事故が起きる→訴えられる」といった主張をしてきます。 一方、「でも、縛りたくないです」って小さな声で言う人たちもいる。「だって、イヤじゃないですか、笑わなくなっちゃうじゃないですか」とおそるおそる言うわけですよ。 このときに、小さい声でおそるおそる言っているのは「理想」なんですよね。理想というのは、何と小さく弱々しいのかと。事故が起きるよというのは、「現実」なんです。現実というのは声が大きくて、迫力があって、強い。 だけど、職員の意見がこんなふうにしっかりぶつかれるのは、方針がしっかり出ているからなんです。現実と理想が職員の口から出てきて、対立という形で明らかになって話し合いが始まる。 トップが方針を示さなければ対立も生まれないので、意見も出ないし話し合いにもならない。トップの方針がいいかげんだと話し合いも成立しないんだということが、このときにわかりましたね。トップが方針を言い切って、対立を生むということは大事なんだというのを教わりました。 「だって、縛ったらムラカミさんかわいそうじゃない」って小さい声で言っていた職員が、「事故が起きたらどうする!」とがんがん言っている人たちに、「じゃ、先輩たちは縛りたいんですか?」って尋ねたんです。 そうしたら、「縛らずに済むなら縛りたくないわよ、だけどね」って、また人数が少ないとか事故とか同じことを繰り返す。そうしたら、その子が「何だ、みんな同じじゃん」って言ったんです。 上野 感動的な場面ね。シンプルな直球が効いたんだ』、「小さい声でおそるおそる言っているのは「理想」なんですよね。理想というのは、何と小さく弱々しいのかと。事故が起きるよというのは、「現実」なんです。現実というのは声が大きくて、迫力があって、強い。 だけど、職員の意見がこんなふうにしっかりぶつかれるのは、方針がしっかり出ているからなんです。現実と理想が職員の口から出てきて、対立という形で明らかになって話し合いが始まる・・・トップが方針を言い切って、対立を生むということは大事なんだというのを教わりました・・・「事故が起きたらどうする!」とがんがん言っている人たちに、「じゃ、先輩たちは縛りたいんですか?」って尋ねたんです。 そうしたら、「縛らずに済むなら縛りたくないわよ、だけどね」って、また人数が少ないとか事故とか同じことを繰り返す。そうしたら、その子が「何だ、みんな同じじゃん」って言ったんです」、なるほど。
第三に、10月28日付け東洋経済オンライン「日本人が知らない「武士の介護休暇」意外な手厚さ 江戸時代にも90歳を超える高齢者が一定数いた」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/835067
・『現在、日本人の平均寿命は80代ですが、江戸時代の平均寿命は30代くらいだったと言われています。しかし、全ての日本人が短命だったわけではありません。幼少期に亡くなる人の多さが全体の平均を下げているものの、実際には90歳を超える高齢者が一定数いたこともわかっています。つまり、高齢者介護の問題と直面していたはずです。 医療が未発達で、現在のような介護保険サービスも整っていない時代に、日本人はどのように介護に取り組んだのでしょうか? 日本では団塊世代の全人口が75歳以上(後期高齢者)となる、いわゆる「2025年問題」が大きな注目を集めています。 書籍『武士の介護休暇』では、江戸時代を中心に、様々な資料を駆使して日本の介護をめぐる長い歴史を解き明かします。そこから浮かび上がる、介護に奮闘した人々の姿と、意外な事実の数々——。介護の歴史を振り返ることで、きっと何かのヒントが見つかるはずです。 『武士の介護休暇』より、幕末期の武士が介護記録を書き残した日記について、一部抜粋、再構成してお届けします』、興味深そうだ。
・『江戸時代の武士と介護 江戸時代の武士はどのように老親の介護を行っていたのでしょうか。 当時は現代のような介護保険体制が整っていたわけではなく、公的な介護保険サービスも存在しません。介護をする場合、基本的に家族など近くにいる人が担う必要がありました。武士の中には、日々の介護を詳しく記録している人がいて、その内容から当時の介護の様子が見えてきます。) ここでいう「武士」とは浪人や自称などではなく、幕府や藩に仕えていた旗本・御家人や藩士を指します。こうした武士は老後に隠居料が与えられるケースも多く、また家督を継いだ息子・養子のお世話になることも多かったので、すべて自前で老後の収入・貯え・住まいを用意する必要があった庶民層より恵まれていました。 ただ「介護」となるとなかなか大変な面もあったようです。武士の介護に関する史料・既存研究をひも解きながら、その実像についてご紹介しましょう』、「幕府や藩に仕えていた旗本・御家人や藩士を指します。こうした武士は老後に隠居料が与えられるケースも多く、また家督を継いだ息子・養子のお世話になることも多かったので、すべて自前で老後の収入・貯え・住まいを用意する必要があった庶民層より恵まれていました。 ただ「介護」となるとなかなか大変な面もあったようです。武士の介護に関する史料・既存研究をひも解きながら、その実像についてご紹介しましょう』、「こうした武士は老後に隠居料が与えられるケースも多く、また家督を継いだ息子・養子のお世話になることも多かったので、すべて自前で老後の収入・貯え・住まいを用意する必要があった庶民層より恵まれていました」、なるほど。
・『日記に残された「武士の介護」 武士の介護を見る上で、史料がしっかりと残り、既存研究も行われている事例として、幕末期における沼津藩(現在の静岡県沼津市周辺)藩士の金沢八郎に対する介護が挙げられます。 金沢八郎の妻の名前は不明で、息子にあたる人物として金沢久三郎、黒沢弥兵衛、徳田貢、水野重教などの名が残っています。名字が違うことからも分かる通り、弥兵衛、貢、重教は他家に養子に行っており、金沢八郎の介護に関する記録は、息子の一人である水野重教が日記に残しています。 この日記は『水野伊織日記』(伊織は重教の別名)として世に知られていて、1862年(文久2年)から1892年(明治25年)にかけての日々が記録され、幕末維新における沼津藩の動きを知る上で貴重な史料です。その一方、父である金沢八郎が病気で倒れ、介護をし、亡くなるまでの様子について事細かに記されてもいます。そこから当時の武士の介護を読み解けるわけです。) 史料は日記形式であり毎日を逐一取り上げると大変なので、いくつかのエピソードを拾ってご紹介しましょう』、「この日記は『水野伊織日記』(伊織は重教の別名)として世に知られていて、1862年(文久2年)から1892年(明治25年)にかけての日々が記録・・・いくつかのエピソードを拾ってご紹介しましょう」、なるほど。
・『1866年(慶応2年)に起こった異変 まずは日本史上で「薩長同盟が結ばれた年」として知られる1866年(慶応2年)4月23日の出来事に焦点を当てます。この日、水野重教の実父である金沢八郎の身に異変が起こります。このとき八郎は江戸に出府していて、「八幡」に参詣してから家に帰っていつものように酒を飲み、酔っぱらって寝床に入ったのですが、次の日の朝になると、 「言語御渋り諸状不宜旨也」(言葉をスムーズに話せなくなり、体調全般が良くない) という体調が優れない状態となり、医師に見せて血の検査などをしたところ、 「是中風再發之徴候也」(これは中風〔ちゅうぶ〕再発の兆候である) と診断されます。八郎はそれまでも中風を患っていたようなのですが、飲酒がきっかけで再発したわけです。中風とは脳卒中による半身麻痺などの後遺症のことで、現代でも言葉がうまくしゃべれない、体にしびれが出るといった症状はその前兆として知られています。) 八郎はその後少しずつ回復しますが、同年の秋頃からまた体調が悪くなったようです。その後八郎は藩から暇(いとま)をもらい、国元で療養生活を送りましたが、年が明けて1867年(慶応3年)の正月4日頃から難治性の吃逆(きつぎゃく〔しゃっくり〕)がひどくなり、薬を投与しても収まらなくなります。7日には医師より、「年来中風御病之上、御老体旧臘より咽喉御悩、彼是ニて御疲労強所へ之吃逆ニて、種々之薬剤奏功無之上は、何分此度ハ心許なき」(年来の中風の病の上、御老体は昨年12月から咽喉の悩みもありました。かれこれの病により疲労が強くなっているところにしゃっくりがひどくなり、各種の薬の効果もないので、なにぶんにも今回ばかりは〔命が持つか〕気がかりです) と宣告されます。終末期に難治性のしゃっくりが見られることは現代でも多く、八郎に死期が近づいている兆候ともいえます。金沢家の跡継ぎである久三郎は藩命で江戸表に滞在中であり、すぐに国元から飛脚で手紙が送られています』、「家に帰っていつものように酒を飲み、酔っぱらって寝床に入ったのですが、次の日の朝になると・・・言葉をスムーズに話せなくなり、体調全般が良くない という体調が優れない状態となり、医師に見せて血の検査などをしたところ、 ・・・これは中風〔ちゅうぶ〕再発の兆候である) と診断されます。八郎はそれまでも中風を患っていたようなのですが、飲酒がきっかけで再発したわけです。中風とは脳卒中による半身麻痺などの後遺症のこと・・・難治性の吃逆(きつぎゃく〔しゃっくり〕)がひどくなり、薬を投与しても収まらなくなります。7日には医師より・・・何分此度ハ心許なき」(年来の中風の病の上、御老体は昨年12月から咽喉の悩みもありました。かれこれの病により疲労が強くなっているところにしゃっくりがひどくなり、各種の薬の効果もないので、なにぶんにも今回ばかりは〔命が持つか〕気がかりです) と宣告されます。終末期に難治性のしゃっくりが見られることは現代でも多く、八郎に死期が近づいている兆候ともいえます」、なるほど。
・『介護休暇を願い出た武士 医師から打つ手なしといわれた八郎に対し、久三郎が江戸にいたため、重教は自ら看取りケアを行おうと決意します。宣告を受けた翌日の8日の日記には、 「御容体弥不宜ニ付、自分今日看病引相願候処、即願済之事」(〔実父の〕ご容体が良くないので、私は本日藩に看病引のお願いをしたところ、すぐに承諾となった) とあります。父の介護をしたいので「看病引」、つまり介護のための休みが欲しいと願い出て、認められたわけです。翌9日には「後嗣えの御遺訓并自分・弥兵衛へ同断」とあり、医師から命が危ういといわれた八郎は、その2日後には息子の重教、弥兵衛に対する遺訓を作っています。この辺りの潔さは武士らしいともいえるかもしれません。) その後の重教の日記は、介護の内容が中心となります。八郎は容体が悪化するにつれてしゃっくりもひどくなったようで、重教は事細かに「吃逆發」「止」の記述を繰り返し、また八郎が人と会うときは「自分御背を御さすり罷在候事」(お背中をおさすり致しておりました)などのケアも行っていました』、「私は本日藩に看病引のお願いをしたところ、すぐに承諾となった) とあります・・・医師から命が危ういといわれた八郎は、その2日後には息子の重教、弥兵衛に対する遺訓を作っています。この辺りの潔さは武士らしいともいえるかもしれません」、なるほど。
・『排せつに関する記述が登場 また1月12日には、「殿様より実父君御不快御尋としてかすていら一折御頂戴被成候」とあり、介護生活の最中、殿様からカステラをもらったりしています。しゃっくりがひどかった八郎が食べられたかどうかは分かりませんが、殿様が家来の容体を心配することもあったようです。 1月13日からは、「朝五時前小水御通」や「暁九時両便御快通」など排せつに関する記述が登場し、この時期から重教は排せつの介助(トイレまでの移動介助)も行っていたと考えられます。その後、1月19日には勘定奉行をはじめ、藩士がぞくぞくと見舞いに駆けつけ、八郎は「今世之御暇乞」(今生のお別れ)をしたり、心得・教戒などを伝えたりします。 この頃になると八郎は寝床から離れられなくなり、1月22日の日記には「依之今日御両便共ニ御床上ニて自分・弥兵衛・久三郎御世話申上」とあり、重教、弥兵衛、そしてこの頃江戸から戻っていた金沢家の跡取りである久三郎の三人兄弟で、大小便の世話をするようになります。26日頃からは、自力で寝返りもできなくなりました。) そして2月3日の日記には、「先日以来御薬ハ不被召上旨被仰聞、御決死之事ニ候得は……」とあり、先日来、八郎は薬を飲もうとせず、死を決したとの記述があります。その上でこの3日に、辞世の詩も作成。5日に八郎は亡くなりました』、「この時期から重教は排せつの介助(トイレまでの移動介助)も行っていたと考えられます・・・この頃になると八郎は寝床から離れられなくなり、1月22日の日記には・・・重教、弥兵衛、そしてこの頃江戸から戻っていた金沢家の跡取りである久三郎の三人兄弟で、大小便の世話をするようになります。26日頃からは、自力で寝返りもできなくなりました。) そして2月3日の日記には・・・先日来、八郎は薬を飲もうとせず、死を決したとの記述があります。その上でこの3日に、辞世の詩も作成。5日に八郎は亡くなりました」、「薬を飲もうとせず、死を決したとの記述」、やはり最後の時は自分で分かるようだ。
・『現代でいうところの「介護休業」も 以上少し長くなりましたが、実際の日記には、いつどんな症状が出たのか、何を食べたのか、大小便はいつしたのか、どんな薬を投与したのか(麝香〔じゃこう〕、モルヒネ、ヒスミット、ラウタなどの薬名も日記中に記載あり)などが、詳細に記述されています。近世期の武士は文章のうまい人が多く、筆まめな人が詳細な介護記録をつけると、現代のプロの介護士が作成するような具体性があります。 なお、重教の兄嫁は舅(しゅうと)の八郎と不仲だったようで、ケアには非協力的だったようです。八郎の容体が悪化した際、兄達は江戸にいたため、結果として沼津にいた重教がケアを担い、兄達が江戸から戻った後も八郎の介護・看取りケアの中心役となっています。 なおケアを行う際、重教や兄弟が手ずから介護をしていたとは思いますが、家で働いている人(下男・下女と呼ばれた人)も多かったと思われ、そうした人たちにあれこれと指図する場合も多分にあったと考えられます。 またこの八郎のケースで一つ注目したいのは、重教が介護をするにあたって、藩に対して「看病引」を願い出ている点です。これは「親の介護をしたいから休ませてください」という、現代でいうところの介護休業のお願いです。沼津藩はこの申し出に対し、すぐに許可を出しています』、「実際の日記には、いつどんな症状が出たのか、何を食べたのか、大小便はいつしたのか、どんな薬を投与したのか(麝香〔じゃこう〕、モルヒネ、ヒスミット、ラウタなどの薬名も日記中に記載あり)などが、詳細に記述されています・・・家で働いている人(下男・下女と呼ばれた人)も多かったと思われ、そうした人たちにあれこれと指図する場合も多分にあったと考えられます・・・重教が介護をするにあたって、藩に対して「看病引」を願い出ている点です。これは「親の介護をしたいから休ませてください」という、現代でいうところの介護休業のお願いです。沼津藩はこの申し出に対し、すぐに許可を出しています」、「藩」と「武士」の関係は、現代の「企業」と「従業員」の関係よりはるかに濃密だったので、「介護休暇」の「許可」も驚くに値しない。むしろ現代の方が「許可」を取るのは大変なのかも知れない。
タグ:介護 (その10)(神奈川のケアマネが東京に大移動する理由 訪問介護を「狙い撃ち」のマイナス報酬改定に業界大激怒!、「縛ってください」と懇願する家族「縛らないと人が辞める」と訴える職員…介護現場の厳しすぎる現実、日本人が知らない「武士の介護休暇」意外な手厚さ 江戸時代にも90歳を超える高齢者が一定数いた) ダイヤモンド・オンライン「神奈川のケアマネが東京に大移動する理由、訪問介護を「狙い撃ち」のマイナス報酬改定に業界大激怒!」 「厚労省が訪問介護を“狙い撃ち”した真の理由は何か」、何なのだろう。 「介護財政が厳しい昨今、めりはりある報酬設定が求められる中で、今回の改定では訪問介護に泣いてもらう選択をしたというのが、厚労省の言い分といったところである・・・長期的にみればいずれ供給過多になるといっても、今回の改定によって需要過多の状態は悪化すると原田氏は予測。しばらくは地域によって、要介護認定を受けていても在宅で介護サービスを受けるのが難しくなる所も出てくるかもしれないという」、なるほど。 「川崎市や横浜市などの東京都に隣接する市町村では、都内に介護従事者が大移動して不足する恐れがある。 今回の改定を機に国が在宅介護へのはしごを外していくのであれば、高齢者が最後まで住み慣れた地域で安心して暮らしていくことは、どんどん難しくなるのかもしれない』、「都内に介護従事者が大移動」はやむを得ないが、「高齢者が最後まで住み慣れた地域で安心して暮らしていくことは、どんどん難しくなる」のは、困ったことだ。 ダイヤモンド・オンライン「社会学者の上野千鶴子氏と元気が出る介護研究所所長の 高口光子氏の対談「「縛ってください」と懇願する家族「縛らないと人が辞める」と訴える職員…介護現場の厳しすぎる現実」 上野千鶴子・高口光子著『「おひとりさまの老後」が危ない! 介護の転換期に立ち向かう』(集英社新書) 「介護」の「理想」と「現実」のギャップは極めて大きいようだ。 「とうとう家族がミトンをつけたんですね。「気持ち悪いね、あれ。私、生まれて初めてミトンをつけた人を見た、もうイヤだ」と言って泣いたんですよ。やりたい介護ができる施設を造ろうって一緒に立ち上げた仲間が目の前で泣いている、この状況は何なんだろうって思った」、前述の理想と現実のギャップはとても大きいようだ。 「小さい声でおそるおそる言っているのは「理想」なんですよね。理想というのは、何と小さく弱々しいのかと。事故が起きるよというのは、「現実」なんです。現実というのは声が大きくて、迫力があって、強い。 だけど、職員の意見がこんなふうにしっかりぶつかれるのは、方針がしっかり出ているからなんです。現実と理想が職員の口から出てきて、対立という形で明らかになって話し合いが始まる・・・トップが方針を言い切って、対立を生むということは大事なんだというのを教わりました・・・ 「事故が起きたらどうする!」とがんがん言っている人たちに、「じゃ、先輩たちは縛りたいんですか?」って尋ねたんです。 そうしたら、「縛らずに済むなら縛りたくないわよ、だけどね」って、また人数が少ないとか事故とか同じことを繰り返す。そうしたら、その子が「何だ、みんな同じじゃん」って言ったんです」、なるほど。 東洋経済オンライン「日本人が知らない「武士の介護休暇」意外な手厚さ 江戸時代にも90歳を超える高齢者が一定数いた」 『武士の介護休暇』 「幕府や藩に仕えていた旗本・御家人や藩士を指します。こうした武士は老後に隠居料が与えられるケースも多く、また家督を継いだ息子・養子のお世話になることも多かったので、すべて自前で老後の収入・貯え・住まいを用意する必要があった庶民層より恵まれていました。 ただ「介護」となるとなかなか大変な面もあったようです。武士の介護に関する史料・既存研究をひも解きながら、その実像についてご紹介しましょう』、「こうした武士は老後に隠居料が与えられるケースも多く、また家督を継いだ息子・養子のお世話になることも多かったので、すべ て自前で老後の収入・貯え・住まいを用意する必要があった庶民層より恵まれていました」、なるほど。 「この日記は『水野伊織日記』(伊織は重教の別名)として世に知られていて、1862年(文久2年)から1892年(明治25年)にかけての日々が記録・・・いくつかのエピソードを拾ってご紹介しましょう」、なるほど。 「家に帰っていつものように酒を飲み、酔っぱらって寝床に入ったのですが、次の日の朝になると・・・言葉をスムーズに話せなくなり、体調全般が良くない という体調が優れない状態となり、医師に見せて血の検査などをしたところ、 ・・・これは中風〔ちゅうぶ〕再発の兆候である) と診断されます。八郎はそれまでも中風を患っていたようなのですが、飲酒がきっかけで再発したわけです。中風とは脳卒中による半身麻痺などの後遺症のこと・・・難治性の吃逆(きつぎゃく〔しゃっくり〕)がひどくなり、薬を投与しても収まらなくなります。 7日には医師より・・・何分此度ハ心許なき」(年来の中風の病の上、御老体は昨年12月から咽喉の悩みもありました。かれこれの病により疲労が強くなっているところにしゃっくりがひどくなり、各種の薬の効果もないので、なにぶんにも今回ばかりは〔命が持つか〕気がかりです) と宣告されます。終末期に難治性のしゃっくりが見られることは現代でも多く、八郎に死期が近づいている兆候ともいえます」、なるほど。 「私は本日藩に看病引のお願いをしたところ、すぐに承諾となった) とあります・・・医師から命が危ういといわれた八郎は、その2日後には息子の重教、弥兵衛に対する遺訓を作っています。この辺りの潔さは武士らしいともいえるかもしれません」、なるほど。 「この時期から重教は排せつの介助(トイレまでの移動介助)も行っていたと考えられます・・・この頃になると八郎は寝床から離れられなくなり、1月22日の日記には・・・重教、弥兵衛、そしてこの頃江戸から戻っていた金沢家の跡取りである久三郎の三人兄弟で、大小便の世話をするようになります。26日頃からは、自力で寝返りもできなくなりました。) そして2月3日の日記には・・・先日来、八郎は薬を飲もうとせず、死を決したとの記述があります。その上でこの3日に、辞世の詩も作成。5日に八郎は亡くなりました」、 「薬を飲もうとせず、死を決したとの記述」、やはり最後の時は自分で分かるようだ。 「実際の日記には、いつどんな症状が出たのか、何を食べたのか、大小便はいつしたのか、どんな薬を投与したのか(麝香〔じゃこう〕、モルヒネ、ヒスミット、ラウタなどの薬名も日記中に記載あり)などが、詳細に記述されています・・・家で働いている人(下男・下女と呼ばれた人)も多かったと思われ、そうした人たちにあれこれと指図する場合も多分にあったと考えられます・・・重教が介護をするにあたって、藩に対して「看病引」を願い出ている点です。 これは「親の介護をしたいから休ませてください」という、現代でいうところの介護休業のお願いです。沼津藩はこの申し出に対し、すぐに許可を出しています」、「藩」と「武士」の関係は、現代の「企業」と「従業員」の関係よりはるかに濃密だったので、「介護休暇」の「許可」も驚くに値しない。むしろ現代の方が「許可」を取るのは大変なのかも知れない。
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先ずは、本年4月23日付けNewsweek日本版「LGBTQは受け入れても保守派は排除...「リベラル教皇」で割れるカトリック教会 「文化戦争」の最前線でいま何が?」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2024/04/post-104336_1.php
・『<同性愛者や離婚経験者を教会に受け入れつつ保守派は排除する教皇フランシスコ。急進的リベラルからも批判が集まる教会改革の行く末は> テキサス州タイラーの司教ジョゼフ・ストリックランドとて、はなから教皇フランシスコを嫌っていたわけではない。2013年に南米アルゼンチン出身の彼が晴れてカトリック教会の頂点に立ったときはストリックランドも喜び、称賛したものだ。しかし教皇が次々とリベラルな路線を打ち出すのを見ると、黙っていられなくなった。 離婚した女性や、いわゆるLGBTQの人をどう受け入れるか。聖職者の妻帯を許すか否か。そうした点に関する教皇の教えに、ストリックランドは公然と異を唱え出した。そしてすぐ、自分の立場が「政治的」にまずくなってきたことに気付いた。「今の世の中は政治で動く。この現実からは教会も逃れられない」。司教は本誌の取材にそう答えた。 昨年11月、ストリックランドは司教職を解かれた。まあ仕方ないと、納得はしている。しかし、こんなふうだと教会内に「恐怖の気配」が満ちてしまうと懸念してもいる。 司教の解任は異例の事態だが、それだけではない。世界全体で13億の信者を擁するカトリック教会が、「文化戦争」によって分断されつつあることの証しでもある。しかも、その最前線はアメリカにある。 教皇フランシスコの下で、カトリック教会は同性カップルや離婚経験者など、より多くの人を迎え入れるようになった。この教皇は気候変動や貧富の格差、グローバル資本主義などについても発言し、異なる宗教間の対話にも積極的だ。いずれも伝統的な教義とは一線を画す取り組みであり、だからこそ教皇フランシスコは進歩派から英雄視される一方、保守派からは嫌われている。 教会史に詳しい米ビラノバ大学のマッシモ・ファッジョーリ教授に言わせると、こうした教皇の言動はアメリカの保守的なカトリック信者にとって受け入れ難いものだ。教皇とアメリカの信者の間にここまで深い溝ができたのは「前代未聞」だとファッジョーリは言う。「この人は歴代の教皇とは違う。そういう感覚が就任直後からあった」 前任のベネディクト16世は極めて保守的な人物だったが、フランシスコは違う。就任後まもなく、彼は次のような問いを発して伝統派を仰天させている。「たとえ同性愛でも、その人が心から主を探し求め、善良であるとしたら、どうして私に裁くことができよう?」 この発言の衝撃は大きかった。新しい教皇が教会を進歩的な方向へ導こうとしている。そのことが明白になった。保守派の信者は猛反発した。LGBTQの人を受け入れるなんて、冗談じゃないと。 しかし、この教皇は一貫して同性愛コミュニティーに対して寛容で、昨年には条件付きながらも同性カップルを正式に「祝福」してよいとする画期的な見解を示した。) これには世界中から反対の声が上がった。約90人の聖職者、学者、識者らが連名で全世界の枢機卿・司教に書簡を送り、教皇庁の見解に反対するよう求めた。とりわけアフリカ(世界で最も急速に信者数が増えている地域だ)からの反発は強かった。その急先鋒は、コンゴ民主共和国の枢機卿フリドリン・アンボンゴ。同性愛の容認は「私たちの信仰に混乱を来し、アフリカ社会の精神性とも相いれない」と反論した。 しかし教皇フランシスコは動じない。「人々を搾取するような起業家」に平気で祝福を授ける一方、たとえ同性同士でも「愛し合う2人」への祝福を拒むというのは「偽善」だと、真っ向から言い返している』、「教皇が次々とリベラルな路線を打ち出すのを見ると、黙っていられなくなった。 離婚した女性や、いわゆるLGBTQの人をどう受け入れるか。聖職者の妻帯を許すか否か。そうした点に関する教皇の教えに、ストリックランドは公然と異を唱え出した・・・昨年11月、ストリックランドは司教職を解かれた。まあ仕方ないと、納得はしている。しかし、こんなふうだと教会内に「恐怖の気配」が満ちてしまうと懸念してもいる・・・新しい教皇が教会を進歩的な方向へ導こうとしている。そのことが明白になった。保守派の信者は猛反発した。LGBTQの人を受け入れるなんて、冗談じゃないと。 しかし、この教皇は一貫して同性愛コミュニティーに対して寛容で、昨年には条件付きながらも同性カップルを正式に「祝福」してよいとする画期的な見解を示した。) これには世界中から反対の声が上がった・・・しかし教皇フランシスコは動じない。「人々を搾取するような起業家」に平気で祝福を授ける一方、たとえ同性同士でも「愛し合う2人」への祝福を拒むというのは「偽善」だと、真っ向から言い返している」、なるほど。
・『保守派をバチカンから追放 カトリック教会を二分する文化戦争の最前線を見たければニューヨーク市に行ってみるといい。そこでは距離にしてほんの3キロほど離れた2つの教区で、この教皇について正反対の評価を聞くことができる。 まずは同市アッパー・イーストサイドの聖イグナチオ・ロヨラ教会にいる神父マーク・ハリナン。教皇フランシスコが教会に「もっと慈悲と共感に力を入れる」よう説いていることに深く共感する彼は、自分の教区にも教皇の同性カップル容認に「たいへん感謝している」信者が少なからずいると語る。もちろん「変化のペースが遅いことに不満な」人もいるが、神父としては「教皇とて自分の思いどおりに動けるわけではない」と理解している。 同じニューヨーク市マンハッタン区でもミッドタウンにある聖家族教会の雰囲気は違う。そこの神父ジェラルド・マレーは、フランシスコを「サプライズの教皇」と呼んではばからない。しかも「必ずしも歓迎できるサプライズとは限らない」。 マレーに言わせると、教皇フランシスコはアメリカの一部カトリック教会の主張を「イデオロギー的」と切り捨てるだけで、「(保守派からの)批判の中身を検討する」ことさえ拒んでいる。 アメリカの保守的な司教らに対して、教皇フランシスコは昨年の夏に明確なメッセージを出した。アメリカのカトリック教会にいる一部保守派は「後ろ向き」だと批判し、彼らの「極めて強力かつ組織化された反動的姿勢」は政治的イデオロギーであって信仰心ではないと断じた。そして、行動に出た。) まずは冒頭のストリックランド司教の解任。その数週間後にはアメリカ出身の枢機卿レイモンド・バークをバチカン市国所有のマンションから追い出し、給与の支払いも停止した。前代未聞の処分である。 枢機卿の地位はカトリック教会の組織で教皇に次ぐもので、80歳になるまでは教皇を選ぶ「コンクラーベ」に参加する権利を有する。そんな最高位聖職者の中で、反フランシスコ派の旗手とされるのがバークだった。まだ75歳だが、今回の処分を事実上の引退勧告とみる向きもある』、「教皇フランシスコは昨年の夏に明確なメッセージを出した。アメリカのカトリック教会にいる一部保守派は「後ろ向き」だと批判し、彼らの「極めて強力かつ組織化された反動的姿勢」は政治的イデオロギーであって信仰心ではないと断じた。そして、行動に出た。) まずは冒頭のストリックランド司教の解任。その数週間後にはアメリカ出身の枢機卿レイモンド・バークをバチカン市国所有のマンションから追い出し、給与の支払いも停止した。前代未聞の処分である」、なるほど。
・『急進的リベラルからの批判も ストリックランド司教の解任について、教会は詳細な理由を公表していない。それでも彼自身は、要するに「教皇による改革を支持しなかった」からだろうと考えている。ちなみに彼は、解任される1カ月ほど前にフランシスコの教会改革を「茶番」と一蹴していた。本誌とのインタビューでも、「聖書に記された真理を守るべき者が、どうして『信仰は(時代によって)変わる』などと言えるのか。そんなこと、聖書には書いてない」と語っている。 イデオロギー的対立を招く問題に踏み込むのは、フランシスコにとって「危ない綱渡り」だと指摘する向きもある。変化を掲げる一方で、枢機卿や司教たちからは教皇の正統性に疑問を抱かれないようにする必要があるからだ。 一国の大統領が閣僚を自分の方針に従わせようとするのと同様、ローマ教皇も枢機卿たちに、教皇庁の方針を世界中の信者たちに伝える役割を期待している。しかしアメリカのカトリック系新聞ナショナル・カトリック・リポーターのバチカン駐在員クリストファー・ホワイトが言うように、バーク枢機卿は何度もフランシスコの教えに異議を唱えてきた。だから「もはや家賃の補助は無用」と判断されたらしい。 教皇フランシスコの進める改革にはリベラル派からの批判もある。) なかでも最高に急進的な組織の1つがドイツの教会刷新運動「シノドスの道」だ。この組織はフランシスコに対して、離婚経験者やLGBTQの人々を信徒として受け入れるためのさらなる努力を求めている。教会の現在の組織を見直して、教会に任命された聖職者以外の信徒も司教選びに参加し、ミサでの説教を行うなど、今よりも大きな役割を果たせるようにすることも求めている。 米ノートルダム大学のデービッド・ランティグア准教授(倫理神学)は本誌の取材に、「フランシスコがドイツ教会の動向に極めて大きな懸念を抱いているのは間違いない」と述べた。「教皇はこれまでに何度か、『シノドスの道』が独自の評議員会の樹立に突き進み、そのせいでカトリック教会が混乱に陥るのではないかと言及している」 こうした左右からの批判はあるものの、ほとんどの信者は今の教皇を支持している。米世論調査機関ピュー・リサーチセンターが21年に実施した調査では、アメリカのカトリック信者の82%が教皇を「非常に」あるいは「おおむね」好意的に見ていた。アメリカ国民全体でも、過半数を超える63%がフランシスコ支持を表明していた。 極右で自称「無政府主義者」のアルゼンチン大統領ハビエル・ミレイも、以前はフランシスコを「能無し」で「汚い左翼」とけなしていたが、昨年末に大統領となってからはトーンダウン。今年2月にはフランシスコを「史上最も重要なアルゼンチン人」と絶賛し、バチカンでのミサに出席したときはフランシスコと熱い抱擁を交わした』、「左右からの批判はあるものの、ほとんどの信者は今の教皇を支持している。米世論調査機関ピュー・リサーチセンターが21年に実施した調査では、アメリカのカトリック信者の82%が教皇を「非常に」あるいは「おおむね」好意的に見ていた。アメリカ国民全体でも、過半数を超える63%がフランシスコ支持を表明していた。 極右で自称「無政府主義者」のアルゼンチン大統領ハビエル・ミレイも、以前はフランシスコを「能無し」で「汚い左翼」とけなしていたが、昨年末に大統領となってからはトーンダウン。今年2月にはフランシスコを「史上最も重要なアルゼンチン人」と絶賛し、バチカンでのミサに出席したときはフランシスコと熱い抱擁を交わした」、なるほど。
・『教会改革の落としどころは だが教会内部の伝統派は、左右からの批判に対するフランシスコの対応が不公平だと考えている。例えば聖家族教会のマレー神父。教皇は「シノドスの道」を口先で批判するだけで、教皇の意向に反する彼らの活動に断固たる措置を取っていないと、本誌に語った。 「その気になれば、ドイツの司教たちが『シノドスの道』の主張に従ったり、彼らの活動に資金を提供したりするのを禁止することもできるはずだ。しかし教皇はそれをしない」と彼は言う。「教皇はより保守的な信徒に対しては厳しい姿勢を取る一方で、これまで協力・支援してきたリベラル派の信徒には比較的穏やかな批判しかせず、彼らを罰することもほとんどない」 ビラノバ大学のファッジョーリ教授は、フランシスコがアメリカ教会の伝統派聖職者により厳しい姿勢で接しているのは確かだが、「彼らが世界各地の司教たちより突出しているのもまた事実」だと見る。 アメリカの伝統派と世界各国の進歩派は全く異質で、アプローチの仕方も異なるとファッジョーリは言う。フランシスコを批判するにしても、諸外国の進歩派はそれなりに礼儀正しい言葉を使うが、アメリカの伝統派カトリックはすぐソーシャルメディアに飛び付いて教皇に対する不満を拡散させたがる。 だから教皇フランシスコとアメリカのカトリック教会の関係が「いい方向に向かうとは思えない」とファッジョーリは言い、こう付け加えた。「各国の教会組織との関係はどこでも厄介なものだが、今の教皇にとってはアメリカとの関係が最も波乱含みだ。これは間違いない」 こうした文化戦争の主戦場はアメリカだが、教皇フランシスコの目はしっかり世界を見つめている。 最後に、アメリカ・カトリック大学のウィリアム・ディンジェス教授(宗教学)の総括を聞こう。 「フランシスコはカトリック教会全体を前に進めたいと考えている」とディンジェスは言う。「だから踏み込みすぎて、カトリックの思想を単なる文化としての宗教におとしめるようなことは避けたい。一方で、教会が昔ながらのセクト的なコミュニティーに戻る事態も避けたい。その中間に、うまい落としどころを見つけたい。それが彼の願いだ」 そういえば私は宗教二世だった』、「諸外国の進歩派はそれなりに礼儀正しい言葉を使うが、アメリカの伝統派カトリックはすぐソーシャルメディアに飛び付いて教皇に対する不満を拡散させたがる。 だから教皇フランシスコとアメリカのカトリック教会の関係が「いい方向に向かうとは思えない」とファッジョーリは言い、こう付け加えた。「各国の教会組織との関係はどこでも厄介なものだが、今の教皇にとってはアメリカとの関係が最も波乱含みだ。これは間違いない」、なるほど。
次に、8月20日付けデイリー新潮「「旧統一教会の痕跡を消し去れ!」 ロゴの消去を強要…外務省の「証拠隠滅」裏工作が発覚 “アフリカODA”を巡って【独自】」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/08201132/?all=1
・『「恐怖を感じて従うしかなかった」 8月14日、岸田文雄首相(67)は突如、自民党総裁選への不出馬会見を行ったが、このままの“逃げ切り”は許されないであろう。今回新たに、ノンフィクション・ライターの窪田順生氏と「週刊新潮」の取材により、政府が露骨な「証拠隠滅」を行っていたことが明らかになったのである。その舞台はなんと、アフリカ大陸――。 【証拠写真】校舎入り口に世界平和女性連合のロゴが! 消去された後の画像と比較 アフリカ大陸西端の国、セネガル。2023年4月、日本から約1万4000キロも離れた同国のダカール州に、外務省国際協力局のある課長はわざわざ足を運んでいた。目的は、現地にある女性のための職業訓練校「JAMOO2」(「JAMOO」は現地のウォロフ語で“平和をもたらす”、「2」は2号校の意)を訪れることだった。だが、外務省課長は「視察」のために同校に行ったわけではない。彼の任務は「証拠隠滅」だった。 同校の校長を務める女性、ベロニク・ディオプ氏が、その時の様子を証言する。 「日本政府の人は高圧的な態度で、『野党と世論をなだめるため、とにかく“痕跡”をすべて消さなければいけない』と要求してきました。この学校を失ってしまうかもしれないと恐怖を感じた私は従うしかありませんでした」 実際、外務省課長はディオプ氏に、JAMOO2の校舎の外壁や看板など、いたるところに掲げられていた「ロゴ」をひとつ残らず消すように命じた。それだけではなく、同校を全く別の学校へと衣替えさせるかのように、電話番号やメールアドレスも変更するよう要求したのだ。外務省課長が「抹消」にこだわったロゴ、それは世界平和女性連合(以下、女性連合)、すなわち旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の関連団体のものだった。旧統一教会のあり様が問題視されていたとはいえ、他国の学校のロゴに、外務省課長はなぜこれほど過敏になる必要があったのだろうか』、「アフリカ大陸西端の国、セネガル。2023年4月、日本から約1万4000キロも離れた同国のダカール州に、外務省国際協力局のある課長はわざわざ足を運んでいた。目的は、現地にある女性のための職業訓練校「JAMOO2」(「JAMOO」は現地のウォロフ語で“平和をもたらす”、「2」は2号校の意)を訪れることだった。だが、外務省課長は「視察」のために同校に行ったわけではない。彼の任務は「証拠隠滅」だった。 同校の校長を務める女性、ベロニク・ディオプ氏が、その時の様子を証言する。 「日本政府の人は高圧的な態度で、『野党と世論をなだめるため、とにかく“痕跡”をすべて消さなければいけない』と要求してきました。この学校を失ってしまうかもしれないと恐怖を感じた私は従うしかありませんでした。実際、外務省課長はディオプ氏に、JAMOO2の校舎の外壁や看板など、いたるところに掲げられていた「ロゴ」をひとつ残らず消すように命じた。それだけではなく、同校を全く別の学校へと衣替えさせるかのように、電話番号やメールアドレスも変更するよう要求したのだ。外務省課長が「抹消」にこだわったロゴ、それは世界平和女性連合(以下、女性連合)、すなわち旧統一教会・・・の関連団体のものだった」、そもそも「旧統一教会」と関係づけたのには、如何なる経緯があったのだろう。
・『「証拠隠滅」を強要 実は、JAMOO2は日本の「草の根・人間の安全保障無償資金協力」というODA(政府開発援助)によって建設されていた。それゆえ政府は、国会の場で日本共産党の議員から、女性連合のロゴが掲げられているような学校に「国民の血税(ODA)が使われたことは極めて重大な問題だ」と追及されていた。しかも、JAMOO2にODA供与の承認をした当時の外務大臣は、現首相の岸田氏だった。外務省として、ODA供与の判断が誤っていたとは、口が裂けても認めることができない。 実際問題、JAMOO2を設立したのはディオプ氏が個人で立ち上げたNGO団体である。書類上は一民間組織による学校なのだ。ただし、校長であるディオプ氏は現地の女性連合の副会長でもあった。そのため、JAMOO2には女性連合のロゴが掲げられたりしていたわけだ。このままでは、ロゴなどを理由に岸田首相を責め立てる日本共産党の“攻撃”はやまない。一体どうすれば……。 そこで、外務省は驚くべき“奇策”を編み出す。JAMOO2から女性連合のロゴなどを消し去ってしまえばよいではないか、と。 「いま、JAMOO2に女性連合のロゴってあります? ないんじゃないですか? そうであれば、女性連合とは関係ないでしょう」 このようなロジックを組み立て、それを実践したのだ。つまり、外務省はディオプ氏に、女性連合とは関係ないことをアピールさせるために、ロゴの消去などの「証拠隠滅」を強要したのである』、「JAMOO2にODA供与の承認をした当時の外務大臣は、現首相の岸田氏だった。外務省として、ODA供与の判断が誤っていたとは、口が裂けても認めることができない・・・外務省はディオプ氏に、女性連合とは関係ないことをアピールさせるために、ロゴの消去などの「証拠隠滅」を強要した」、なるほど。
・『外務省の回答は 証拠隠滅の意図などについて尋ねたところ、外務省はこう回答した。 「本件につきましては、大使館や本省出張を通じて、適切にフォローアップしていますが、その具体的態様については、お答えを差し控えます」 12項目に及ぶ質問に対して、これだけしか答えられなかった外務省。「証拠」は隠せても、「証拠隠滅」の事実自体を隠し通すことはできなかった。 8月21日発売の「週刊新潮」では、アフリカ大陸で実行に移された、日本政府による「証拠隠滅」の手口やその背景を、4ページにわたって詳しく報じる』、「外務省。「証拠」は隠せても、「証拠隠滅」の事実自体を隠し通すことはできなかった」、その後、大きく問題化していないことからみて、「外務省」の隠蔽工作は上手くいったようだ。
第三に、2月1日付けダイヤモンド・オンラインが記載した宗教社会学者の橋爪大三郎氏による「【知の達人が教える、知っておくべき世界のしくみ】「キリスト教とイスラム教、実は同じ」を超わかりやすく説明【書籍オンライン編集部セレクション】 宗教で読み解く世界:その4」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/337845
・『「死」とは何か。死はかならず、生きている途中にやって来る。それなのに、死について考えることは「やり残した夏休みの宿題」みたいになっている。死が、自分のなかではっきりかたちになっていない。私たちの多くは、そんなふうにして生きている。しかし、世界の大宗教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教はもちろん、仏教、神道、儒教、ヒンドゥー教など、それぞれの宗教は「人間は死んだらどうなるか」についてしっかりした考え方をもっている。 現代の知の達人であり、宗教社会学の第一人者である著者が、各宗教の「死」についての考え方を、鮮やかに説明する『死の講義』は、「この本に、はまってしまった。私たちは『死』を避けることができない。この本を読んで『死後の世界』を学んでおけば、いざというときに相当落ち着けるだろう」(西成活裕氏・東京大学教授)と評されている。今回は、著者による特別講義をお届けする。(初出:2023年3月31日) 【知の達人が教える、知っておくべき世界のしくみ】「キリスト教とイスラム教、実は同じ」を超わかりやすく説明【書籍オンライン編集部セレクション】』、興味深そうだ。
・『3つの一神教は同じ 宗教をよく、一神教/多神教、に分けます。問題のあるわけ方ですが、入り口としてわかりやすいので、まず一神教から説明しましょう。 一神教は古いほうから順に、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、の三つがあります。世界人口の半分以上が一神教圏なので、これをまず理解しましょう。 [宗教人口] ユダヤ教徒:数千万人 キリスト教徒:25億人 イスラム教徒:15億人 ユダヤ教とキリスト教は、仲が悪い。キリスト教とイスラム教は仲が悪い。でもその理由を誤解しないように。 三つの一神教は、実はほとんど同じです。そもそも三つとも、同じ神を信じている。ユダヤ教のヤハウェと、キリスト教の父なる神(God)と、イスラム教のアッラーは、同一の神なのです。クルアーンで、アッラー自身がそうのべている。 これほど確かなことはない。それに加えて、この三つの宗教(とりわけ、キリスト教とイスラム教)は、以下に示すように、考え方の骨格がほぼ同じ。ひとつの宗教だと考えてもいいほどです』、「三つの一神教は、実はほとんど同じです。そもそも三つとも、同じ神を信じている。ユダヤ教のヤハウェと、キリスト教の父なる神(God)と、イスラム教のアッラーは、同一の神なのです。クルアーンで、アッラー自身がそうのべている・・・この三つの宗教(とりわけ、キリスト教とイスラム教)は、以下に示すように、考え方の骨格がほぼ同じ。ひとつの宗教だと考えてもいいほどです」、なるほど。
・『[宗教の骨格] ・神が天地を「創造」した。 ・創造した世界は、やがて「終末」が来て壊れてしまう。 ・そのときに、死んだ人間はもう一度肉体を与えられて「復活」する。 ・そして、神による「最後の審判」を受ける。 ・赦された人間は、救われて、神の王国(キリスト教)や緑園(イスラム教)に行く。救われなければ、永遠の炎で焼かれる。 キリスト教とイスラム教で違うのは、イエス・キリストがいるかどうか。ユダヤ教やイスラム教に、キリストは存在しません。ここが違うだけなのですが、宗教の性質がまったく違ってきます』、「キリスト教とイスラム教で違うのは、イエス・キリストがいるかどうか。ユダヤ教やイスラム教に、キリストは存在しません。ここが違うだけなのですが、宗教の性質がまったく違ってきます」、なるほど。
・『イエス・キリストがいるとどうなるか イスラム教は、神アッラーに従います。アッラーに従うには、最後で最大の預言者ムハンマドに従います。ムハンマドの預言はクルアーンとして伝わっているので、それを重視します。 クルアーンにもとづくイスラム法に従うことが、イスラム教徒の義務です。 同じような考え方で、ユダヤ教では、モーセの律法(ユダヤ法)に従わなければなりません。 ではイエス・キリストがいるとどうなるか。 イエス・キリスト以前に、モーセなど預言者がたくさんいました。でも、イエスはキリストで、神の子で、まあ神本人のようなものです。そのイエスが、モーセの律法に従わなくてもよい、と命じた。 割礼や食物規制、犠牲の献げ方など、いちいちうるさいユダヤ法に従わなくてよくなったのです。そのかわりに、イエス・キリストの教えを記した新約聖書に従うことになりました。 こうしてキリスト教では、宗教法がなくなってしまった。何を食べてもいいし、何を着てもいいし、どう行動してもいい。ただし、イエス・キリストの教えに従いなさい。これが、キリスト教です。 イエス・キリストの教えは理解がむずかしいので、ときどき教会全体で会議を開いて、どう考えるかを決定します。「三位一体説」(父と子と聖霊が、実はひとつであるという考え方)もそうして決まりました。決まったことに従わないと、異端で、いじめられるのがキリスト教です。イエス・キリストがいるので、こういうことになる』、「クルアーンにもとづくイスラム法に従うことが、イスラム教徒の義務です。 同じような考え方で、ユダヤ教では、モーセの律法(ユダヤ法)に従わなければなりません。 ではイエス・キリストがいるとどうなるか。 イエス・キリスト以前に、モーセなど預言者がたくさんいました。でも、イエスはキリストで、神の子で、まあ神本人のようなものです。そのイエスが、モーセの律法に従わなくてもよい、と命じた。 割礼や食物規制、犠牲の献げ方など、いちいちうるさいユダヤ法に従わなくてよくなったのです。そのかわりに、イエス・キリストの教えを記した新約聖書に従うことになりました。 こうしてキリスト教では、宗教法がなくなってしまった。何を食べてもいいし、何を着てもいいし、どう行動してもいい。ただし、イエス・キリストの教えに従いなさい。これが、キリスト教です・・・イエス・キリストの教えは理解がむずかしいので、ときどき教会全体で会議を開いて、どう考えるかを決定します。「三位一体説」(父と子と聖霊が、実はひとつであるという考え方)もそうして決まりました。決まったことに従わないと、異端で、いじめられるのがキリスト教です」、なるほど。
・『人間は罪があるけれど赦される なぜイエス・キリストが現れたか。それは人間に、生まれながらの罪があるからです。キリスト教は、人間は本来、神に背く性質があると考えます。原罪です。 罪の度合いを、ユダヤ教やイスラム教より一段深く考えるのですね。そうすると、救われるのはとってもむずかしい。 それでは困るので、神は、愛のしるしとしてイエス・キリストをこの世に送った。イエス・キリストが身代わりになって、人間の罪を背負って死んでしまった。だから人間は罪があるままで赦される、と考えます。 このアクロバットのようなロジックが、キリスト教のキモです。このロジックが成り立たないと、イエス・キリストを信じることができません。 イエス・キリストは人間なのでしょうか、それとも神なのでしょうか? イエス・キリストは、マリアから生まれるときに、肉体を受けて人間になった、と考えることになっています。人間になる前は、神だった。人間になっても、神のままである。つまり、その正体は神なので、イエス・キリストを拝んでもよいのです。 ※本原稿は、2022年11月に大学院大学至善館で行なった講演(https://shizenkan.ac.jp/event/religions_oc2023/)をもとに、再編集したものです。(橋爪大三郎氏の略歴はリンク先参照)』、「キリスト教は、人間は本来、神に背く性質があると考えます。原罪です。 罪の度合いを、ユダヤ教やイスラム教より一段深く考えるのですね。そうすると、救われるのはとってもむずかしい。 それでは困るので、神は、愛のしるしとしてイエス・キリストをこの世に送った。イエス・キリストが身代わりになって、人間の罪を背負って死んでしまった。だから人間は罪があるままで赦される、と考えます・・・イエス・キリストは、マリアから生まれるときに、肉体を受けて人間になった、と考えることになっています。人間になる前は、神だった。人間になっても、神のままである。つまり、その正体は神なので、イエス・キリストを拝んでもよいのです」、なるほど。
・『「人は死んだらどうなるのか」を宗教に学ぶ――著者より 突然ですが、この本は、死んだらどうなるかの話です。 だいたい死は、突然やってくるものなので、お許しください。 ただしご安心ください。「死んだらどうなるかの話」は、死ぬことそのものではありません。むしろそんなことを考えるのは、生きているひとです。かく言う著者の私もまだ生きているし、この本を手にとったあなたも生きている。悠長なことです。いまにも死にそうで、それどころではないひとだってけっこういるのに。 じゃあなぜ、そんな悠長なことを考えるのか。 いよいよ死にそうになったときには、じっくり考える時間がありません。気力も体力もないかもしれない。そうするうち、死んだらどうなるかもはっきりしないまま、死んでしまう。もったいないことです。せっかく死ぬのに。 人間は、自分が死ぬとわかっている。よろしい。では、死んだらどうなるとわかっているのでしょうか。 むかし人びとは、群れをつくったり、村に住んだり、小さな集団で暮らしていました。そこには、死んだらどうなるか、の決まった考え方がありました。死んだら鳥になる。先祖のところに帰る。どこか遠くで、楽しく暮らす。などなど。それは、人びとが自分の考えを持ち寄って、みんなの考えにしたものです。 そのうち、社会はもっと複雑になります。広い場所で農業を営み、人口も増えた。社会階層が分化した。ふつうの人びとのほかに、商人や職人や、軍人や王さまや、官僚や神官がいます。複雑な社会のなかで、人びとはさまざまな人生を歩みます。職業を変わったり、出世したり落ちぶれたり、戦争に駆り出されたり難民としてよその土地に移住したり。人びとの生き方が何通りもあるということは、人びとの考え方も何通りもあるということです。 広い場所には、さまざまな文化をもった人びとが集まります。さまざまな人種、さまざまな民族の人びとが集まります。死んだらどうなるか、の考え方も違います。これが、「宗教の違い」として意識されます。 いくつも宗教がある。それは、死んだらどうなるか、の考え方がいくつもあるということです。いくつも宗教が出てきてどうなったかというと、大部分は廃れてしまいました。けれどもそのうちいくつかは、信じる人びとの人数が増えて生き残りました。それが「大宗教」です。大宗教は、社会を丸ごと呑みこんで、文明につくり変えました。そうした文明は現在も大きな勢力を保っています。 いま、世界には、四つの大きな文明があります。どれも、宗教を土台にしています。 ・ ヨーロッパ・キリスト教文明 ……キリスト教を土台にしている ・ イスラム文明 ……イスラム教を土台にしている ・ ヒンドゥー文明 ……ヒンドゥー教を土台にしている ・ 中国・儒教文明 ……儒教を土台にしている 【知の達人が教える、知っておくべき世界のしくみ】「キリスト教とイスラム教、実は同じ」を超わかりやすく説明【書籍オンライン編集部セレクション】 この本では、これらの宗教が、人間は死んだらどうなると考えているのか、詳しく追いかけることにします。それぞれの宗教について調べて、もの知りになることが、目的ではありません。自分で納得して、そうだと思える考え方を、選び取ることが目的です。もしかしたら、どの考え方にも納得できないかもしれません。(最近、そういう人びとが増えています。)そういう場合には、ほかにどういう考え方があるのかも、わかる限りで紹介することにします。 この本のタイトルは、『死の講義──死んだらどうなるか、自分で決めなさい』です。こんな本を読んでいると、変な目で見られるかもしれません。縁起でもない、と。いやいや、決して怪しい本ではないですよ、と説明してあげましょう』、「むかし人びとは、群れをつくったり、村に住んだり、小さな集団で暮らしていました。そこには、死んだらどうなるか、の決まった考え方がありました。死んだら鳥になる。先祖のところに帰る。どこか遠くで、楽しく暮らす。などなど。それは、人びとが自分の考えを持ち寄って、みんなの考えにしたものです。 そのうち、社会はもっと複雑になります。広い場所で農業を営み、人口も増えた。社会階層が分化した。ふつうの人びとのほかに、商人や職人や、軍人や王さまや、官僚や神官がいます。複雑な社会のなかで、人びとはさまざまな人生を歩みます。職業を変わったり、出世したり落ちぶれたり、戦争に駆り出されたり難民としてよその土地に移住したり。人びとの生き方が何通りもあるということは、人びとの考え方も何通りもあるということです・・・死んだらどうなるか、の考え方も違います。これが、「宗教の違い」として意識されます。 いくつも宗教がある。それは、死んだらどうなるか、の考え方がいくつもあるということです。いくつも宗教が出てきてどうなったかというと、大部分は廃れてしまいました。けれどもそのうちいくつかは、信じる人びとの人数が増えて生き残りました。それが「大宗教」です。大宗教は、社会を丸ごと呑みこんで、文明につくり変えました。そうした文明は現在も大きな勢力を保っています。 いま、世界には、四つの大きな文明があります・・・この本では、これらの宗教が、人間は死んだらどうなると考えているのか、詳しく追いかけることにします。それぞれの宗教について調べて、もの知りになることが、目的ではありません。自分で納得して、そうだと思える考え方を、選び取ることが目的です。もしかしたら、どの考え方にも納得できないかもしれません。(最近、そういう人びとが増えています。)そういう場合には、ほかにどういう考え方があるのかも、わかる限りで紹介することにします」、なるほど。
・『この本を読む理由。 死んだらどうなるかわからないので、怖くて、心配で、読むのではありません。もちろん、怖くて、心配で、困って読むのでもかまいません。でもほんとうは、しっかり生きるために読む、のです。 死んだらどうなるのか、死んでみるまでわからない。それなら、死んだらどうなるのかは、自分が自由に決めてよいのです。宗教の数だけ、人びとの考え方の数だけ、死んだらどうなるのか、の答えがあります。そのどれにも、大事な生き方が詰まっています。人生の知恵がこめられています。それは、これまでを生きた人びとから、いまを生きる人びとへのプレゼントです。 これより大きなプレゼントがあるでしょうか。私の役目は、そのプレゼントを、読者の皆さんに届けることです。 そこで、読者のみなさんに、約束します。 中学生でも読めるように、わかりやすく書きます。 少しむずかしい言葉を使うときは、説明や注をつけます。 頭に入りやすいように、かみ砕いて話を進めます。 人間が死んだらどうなるのか。この本にあるように、ほんとうにいろいろな考え方があります。そしてどれも、よく考えられています。選りどり見どりです。 人間が死んだらどうなるのか、いろんな考え方に触れるのはよいことです。とりあえずどれかに決めてみるのもよい。より深みと奥行きのある生き方を実感できます』、「ほんとうは、しっかり生きるために読む、のです。 死んだらどうなるのか、死んでみるまでわからない。それなら、死んだらどうなるのかは、自分が自由に決めてよいのです。宗教の数だけ、人びとの考え方の数だけ、死んだらどうなるのか、の答えがあります。そのどれにも、大事な生き方が詰まっています。人生の知恵がこめられています。それは、これまでを生きた人びとから、いまを生きる人びとへのプレゼントです・・・人間が死んだらどうなるのか、いろんな考え方に触れるのはよいことです。とりあえずどれかに決めてみるのもよい。より深みと奥行きのある生き方を実感できます」、「これまでを生きた人びとから、いまを生きる人びとへのプレゼントです」、有難い話だ。大いに活用しよう。
先ずは、本年4月23日付けNewsweek日本版「LGBTQは受け入れても保守派は排除...「リベラル教皇」で割れるカトリック教会 「文化戦争」の最前線でいま何が?」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2024/04/post-104336_1.php
・『<同性愛者や離婚経験者を教会に受け入れつつ保守派は排除する教皇フランシスコ。急進的リベラルからも批判が集まる教会改革の行く末は> テキサス州タイラーの司教ジョゼフ・ストリックランドとて、はなから教皇フランシスコを嫌っていたわけではない。2013年に南米アルゼンチン出身の彼が晴れてカトリック教会の頂点に立ったときはストリックランドも喜び、称賛したものだ。しかし教皇が次々とリベラルな路線を打ち出すのを見ると、黙っていられなくなった。 離婚した女性や、いわゆるLGBTQの人をどう受け入れるか。聖職者の妻帯を許すか否か。そうした点に関する教皇の教えに、ストリックランドは公然と異を唱え出した。そしてすぐ、自分の立場が「政治的」にまずくなってきたことに気付いた。「今の世の中は政治で動く。この現実からは教会も逃れられない」。司教は本誌の取材にそう答えた。 昨年11月、ストリックランドは司教職を解かれた。まあ仕方ないと、納得はしている。しかし、こんなふうだと教会内に「恐怖の気配」が満ちてしまうと懸念してもいる。 司教の解任は異例の事態だが、それだけではない。世界全体で13億の信者を擁するカトリック教会が、「文化戦争」によって分断されつつあることの証しでもある。しかも、その最前線はアメリカにある。 教皇フランシスコの下で、カトリック教会は同性カップルや離婚経験者など、より多くの人を迎え入れるようになった。この教皇は気候変動や貧富の格差、グローバル資本主義などについても発言し、異なる宗教間の対話にも積極的だ。いずれも伝統的な教義とは一線を画す取り組みであり、だからこそ教皇フランシスコは進歩派から英雄視される一方、保守派からは嫌われている。 教会史に詳しい米ビラノバ大学のマッシモ・ファッジョーリ教授に言わせると、こうした教皇の言動はアメリカの保守的なカトリック信者にとって受け入れ難いものだ。教皇とアメリカの信者の間にここまで深い溝ができたのは「前代未聞」だとファッジョーリは言う。「この人は歴代の教皇とは違う。そういう感覚が就任直後からあった」 前任のベネディクト16世は極めて保守的な人物だったが、フランシスコは違う。就任後まもなく、彼は次のような問いを発して伝統派を仰天させている。「たとえ同性愛でも、その人が心から主を探し求め、善良であるとしたら、どうして私に裁くことができよう?」 この発言の衝撃は大きかった。新しい教皇が教会を進歩的な方向へ導こうとしている。そのことが明白になった。保守派の信者は猛反発した。LGBTQの人を受け入れるなんて、冗談じゃないと。 しかし、この教皇は一貫して同性愛コミュニティーに対して寛容で、昨年には条件付きながらも同性カップルを正式に「祝福」してよいとする画期的な見解を示した。) これには世界中から反対の声が上がった。約90人の聖職者、学者、識者らが連名で全世界の枢機卿・司教に書簡を送り、教皇庁の見解に反対するよう求めた。とりわけアフリカ(世界で最も急速に信者数が増えている地域だ)からの反発は強かった。その急先鋒は、コンゴ民主共和国の枢機卿フリドリン・アンボンゴ。同性愛の容認は「私たちの信仰に混乱を来し、アフリカ社会の精神性とも相いれない」と反論した。 しかし教皇フランシスコは動じない。「人々を搾取するような起業家」に平気で祝福を授ける一方、たとえ同性同士でも「愛し合う2人」への祝福を拒むというのは「偽善」だと、真っ向から言い返している』、「教皇が次々とリベラルな路線を打ち出すのを見ると、黙っていられなくなった。 離婚した女性や、いわゆるLGBTQの人をどう受け入れるか。聖職者の妻帯を許すか否か。そうした点に関する教皇の教えに、ストリックランドは公然と異を唱え出した・・・昨年11月、ストリックランドは司教職を解かれた。まあ仕方ないと、納得はしている。しかし、こんなふうだと教会内に「恐怖の気配」が満ちてしまうと懸念してもいる・・・新しい教皇が教会を進歩的な方向へ導こうとしている。そのことが明白になった。保守派の信者は猛反発した。LGBTQの人を受け入れるなんて、冗談じゃないと。 しかし、この教皇は一貫して同性愛コミュニティーに対して寛容で、昨年には条件付きながらも同性カップルを正式に「祝福」してよいとする画期的な見解を示した。) これには世界中から反対の声が上がった・・・しかし教皇フランシスコは動じない。「人々を搾取するような起業家」に平気で祝福を授ける一方、たとえ同性同士でも「愛し合う2人」への祝福を拒むというのは「偽善」だと、真っ向から言い返している」、なるほど。
・『保守派をバチカンから追放 カトリック教会を二分する文化戦争の最前線を見たければニューヨーク市に行ってみるといい。そこでは距離にしてほんの3キロほど離れた2つの教区で、この教皇について正反対の評価を聞くことができる。 まずは同市アッパー・イーストサイドの聖イグナチオ・ロヨラ教会にいる神父マーク・ハリナン。教皇フランシスコが教会に「もっと慈悲と共感に力を入れる」よう説いていることに深く共感する彼は、自分の教区にも教皇の同性カップル容認に「たいへん感謝している」信者が少なからずいると語る。もちろん「変化のペースが遅いことに不満な」人もいるが、神父としては「教皇とて自分の思いどおりに動けるわけではない」と理解している。 同じニューヨーク市マンハッタン区でもミッドタウンにある聖家族教会の雰囲気は違う。そこの神父ジェラルド・マレーは、フランシスコを「サプライズの教皇」と呼んではばからない。しかも「必ずしも歓迎できるサプライズとは限らない」。 マレーに言わせると、教皇フランシスコはアメリカの一部カトリック教会の主張を「イデオロギー的」と切り捨てるだけで、「(保守派からの)批判の中身を検討する」ことさえ拒んでいる。 アメリカの保守的な司教らに対して、教皇フランシスコは昨年の夏に明確なメッセージを出した。アメリカのカトリック教会にいる一部保守派は「後ろ向き」だと批判し、彼らの「極めて強力かつ組織化された反動的姿勢」は政治的イデオロギーであって信仰心ではないと断じた。そして、行動に出た。) まずは冒頭のストリックランド司教の解任。その数週間後にはアメリカ出身の枢機卿レイモンド・バークをバチカン市国所有のマンションから追い出し、給与の支払いも停止した。前代未聞の処分である。 枢機卿の地位はカトリック教会の組織で教皇に次ぐもので、80歳になるまでは教皇を選ぶ「コンクラーベ」に参加する権利を有する。そんな最高位聖職者の中で、反フランシスコ派の旗手とされるのがバークだった。まだ75歳だが、今回の処分を事実上の引退勧告とみる向きもある』、「教皇フランシスコは昨年の夏に明確なメッセージを出した。アメリカのカトリック教会にいる一部保守派は「後ろ向き」だと批判し、彼らの「極めて強力かつ組織化された反動的姿勢」は政治的イデオロギーであって信仰心ではないと断じた。そして、行動に出た。) まずは冒頭のストリックランド司教の解任。その数週間後にはアメリカ出身の枢機卿レイモンド・バークをバチカン市国所有のマンションから追い出し、給与の支払いも停止した。前代未聞の処分である」、なるほど。
・『急進的リベラルからの批判も ストリックランド司教の解任について、教会は詳細な理由を公表していない。それでも彼自身は、要するに「教皇による改革を支持しなかった」からだろうと考えている。ちなみに彼は、解任される1カ月ほど前にフランシスコの教会改革を「茶番」と一蹴していた。本誌とのインタビューでも、「聖書に記された真理を守るべき者が、どうして『信仰は(時代によって)変わる』などと言えるのか。そんなこと、聖書には書いてない」と語っている。 イデオロギー的対立を招く問題に踏み込むのは、フランシスコにとって「危ない綱渡り」だと指摘する向きもある。変化を掲げる一方で、枢機卿や司教たちからは教皇の正統性に疑問を抱かれないようにする必要があるからだ。 一国の大統領が閣僚を自分の方針に従わせようとするのと同様、ローマ教皇も枢機卿たちに、教皇庁の方針を世界中の信者たちに伝える役割を期待している。しかしアメリカのカトリック系新聞ナショナル・カトリック・リポーターのバチカン駐在員クリストファー・ホワイトが言うように、バーク枢機卿は何度もフランシスコの教えに異議を唱えてきた。だから「もはや家賃の補助は無用」と判断されたらしい。 教皇フランシスコの進める改革にはリベラル派からの批判もある。) なかでも最高に急進的な組織の1つがドイツの教会刷新運動「シノドスの道」だ。この組織はフランシスコに対して、離婚経験者やLGBTQの人々を信徒として受け入れるためのさらなる努力を求めている。教会の現在の組織を見直して、教会に任命された聖職者以外の信徒も司教選びに参加し、ミサでの説教を行うなど、今よりも大きな役割を果たせるようにすることも求めている。 米ノートルダム大学のデービッド・ランティグア准教授(倫理神学)は本誌の取材に、「フランシスコがドイツ教会の動向に極めて大きな懸念を抱いているのは間違いない」と述べた。「教皇はこれまでに何度か、『シノドスの道』が独自の評議員会の樹立に突き進み、そのせいでカトリック教会が混乱に陥るのではないかと言及している」 こうした左右からの批判はあるものの、ほとんどの信者は今の教皇を支持している。米世論調査機関ピュー・リサーチセンターが21年に実施した調査では、アメリカのカトリック信者の82%が教皇を「非常に」あるいは「おおむね」好意的に見ていた。アメリカ国民全体でも、過半数を超える63%がフランシスコ支持を表明していた。 極右で自称「無政府主義者」のアルゼンチン大統領ハビエル・ミレイも、以前はフランシスコを「能無し」で「汚い左翼」とけなしていたが、昨年末に大統領となってからはトーンダウン。今年2月にはフランシスコを「史上最も重要なアルゼンチン人」と絶賛し、バチカンでのミサに出席したときはフランシスコと熱い抱擁を交わした』、「左右からの批判はあるものの、ほとんどの信者は今の教皇を支持している。米世論調査機関ピュー・リサーチセンターが21年に実施した調査では、アメリカのカトリック信者の82%が教皇を「非常に」あるいは「おおむね」好意的に見ていた。アメリカ国民全体でも、過半数を超える63%がフランシスコ支持を表明していた。 極右で自称「無政府主義者」のアルゼンチン大統領ハビエル・ミレイも、以前はフランシスコを「能無し」で「汚い左翼」とけなしていたが、昨年末に大統領となってからはトーンダウン。今年2月にはフランシスコを「史上最も重要なアルゼンチン人」と絶賛し、バチカンでのミサに出席したときはフランシスコと熱い抱擁を交わした」、なるほど。
・『教会改革の落としどころは だが教会内部の伝統派は、左右からの批判に対するフランシスコの対応が不公平だと考えている。例えば聖家族教会のマレー神父。教皇は「シノドスの道」を口先で批判するだけで、教皇の意向に反する彼らの活動に断固たる措置を取っていないと、本誌に語った。 「その気になれば、ドイツの司教たちが『シノドスの道』の主張に従ったり、彼らの活動に資金を提供したりするのを禁止することもできるはずだ。しかし教皇はそれをしない」と彼は言う。「教皇はより保守的な信徒に対しては厳しい姿勢を取る一方で、これまで協力・支援してきたリベラル派の信徒には比較的穏やかな批判しかせず、彼らを罰することもほとんどない」 ビラノバ大学のファッジョーリ教授は、フランシスコがアメリカ教会の伝統派聖職者により厳しい姿勢で接しているのは確かだが、「彼らが世界各地の司教たちより突出しているのもまた事実」だと見る。 アメリカの伝統派と世界各国の進歩派は全く異質で、アプローチの仕方も異なるとファッジョーリは言う。フランシスコを批判するにしても、諸外国の進歩派はそれなりに礼儀正しい言葉を使うが、アメリカの伝統派カトリックはすぐソーシャルメディアに飛び付いて教皇に対する不満を拡散させたがる。 だから教皇フランシスコとアメリカのカトリック教会の関係が「いい方向に向かうとは思えない」とファッジョーリは言い、こう付け加えた。「各国の教会組織との関係はどこでも厄介なものだが、今の教皇にとってはアメリカとの関係が最も波乱含みだ。これは間違いない」 こうした文化戦争の主戦場はアメリカだが、教皇フランシスコの目はしっかり世界を見つめている。 最後に、アメリカ・カトリック大学のウィリアム・ディンジェス教授(宗教学)の総括を聞こう。 「フランシスコはカトリック教会全体を前に進めたいと考えている」とディンジェスは言う。「だから踏み込みすぎて、カトリックの思想を単なる文化としての宗教におとしめるようなことは避けたい。一方で、教会が昔ながらのセクト的なコミュニティーに戻る事態も避けたい。その中間に、うまい落としどころを見つけたい。それが彼の願いだ」 そういえば私は宗教二世だった』、「諸外国の進歩派はそれなりに礼儀正しい言葉を使うが、アメリカの伝統派カトリックはすぐソーシャルメディアに飛び付いて教皇に対する不満を拡散させたがる。 だから教皇フランシスコとアメリカのカトリック教会の関係が「いい方向に向かうとは思えない」とファッジョーリは言い、こう付け加えた。「各国の教会組織との関係はどこでも厄介なものだが、今の教皇にとってはアメリカとの関係が最も波乱含みだ。これは間違いない」、なるほど。
次に、8月20日付けデイリー新潮「「旧統一教会の痕跡を消し去れ!」 ロゴの消去を強要…外務省の「証拠隠滅」裏工作が発覚 “アフリカODA”を巡って【独自】」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/08201132/?all=1
・『「恐怖を感じて従うしかなかった」 8月14日、岸田文雄首相(67)は突如、自民党総裁選への不出馬会見を行ったが、このままの“逃げ切り”は許されないであろう。今回新たに、ノンフィクション・ライターの窪田順生氏と「週刊新潮」の取材により、政府が露骨な「証拠隠滅」を行っていたことが明らかになったのである。その舞台はなんと、アフリカ大陸――。 【証拠写真】校舎入り口に世界平和女性連合のロゴが! 消去された後の画像と比較 アフリカ大陸西端の国、セネガル。2023年4月、日本から約1万4000キロも離れた同国のダカール州に、外務省国際協力局のある課長はわざわざ足を運んでいた。目的は、現地にある女性のための職業訓練校「JAMOO2」(「JAMOO」は現地のウォロフ語で“平和をもたらす”、「2」は2号校の意)を訪れることだった。だが、外務省課長は「視察」のために同校に行ったわけではない。彼の任務は「証拠隠滅」だった。 同校の校長を務める女性、ベロニク・ディオプ氏が、その時の様子を証言する。 「日本政府の人は高圧的な態度で、『野党と世論をなだめるため、とにかく“痕跡”をすべて消さなければいけない』と要求してきました。この学校を失ってしまうかもしれないと恐怖を感じた私は従うしかありませんでした」 実際、外務省課長はディオプ氏に、JAMOO2の校舎の外壁や看板など、いたるところに掲げられていた「ロゴ」をひとつ残らず消すように命じた。それだけではなく、同校を全く別の学校へと衣替えさせるかのように、電話番号やメールアドレスも変更するよう要求したのだ。外務省課長が「抹消」にこだわったロゴ、それは世界平和女性連合(以下、女性連合)、すなわち旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の関連団体のものだった。旧統一教会のあり様が問題視されていたとはいえ、他国の学校のロゴに、外務省課長はなぜこれほど過敏になる必要があったのだろうか』、「アフリカ大陸西端の国、セネガル。2023年4月、日本から約1万4000キロも離れた同国のダカール州に、外務省国際協力局のある課長はわざわざ足を運んでいた。目的は、現地にある女性のための職業訓練校「JAMOO2」(「JAMOO」は現地のウォロフ語で“平和をもたらす”、「2」は2号校の意)を訪れることだった。だが、外務省課長は「視察」のために同校に行ったわけではない。彼の任務は「証拠隠滅」だった。 同校の校長を務める女性、ベロニク・ディオプ氏が、その時の様子を証言する。 「日本政府の人は高圧的な態度で、『野党と世論をなだめるため、とにかく“痕跡”をすべて消さなければいけない』と要求してきました。この学校を失ってしまうかもしれないと恐怖を感じた私は従うしかありませんでした。実際、外務省課長はディオプ氏に、JAMOO2の校舎の外壁や看板など、いたるところに掲げられていた「ロゴ」をひとつ残らず消すように命じた。それだけではなく、同校を全く別の学校へと衣替えさせるかのように、電話番号やメールアドレスも変更するよう要求したのだ。外務省課長が「抹消」にこだわったロゴ、それは世界平和女性連合(以下、女性連合)、すなわち旧統一教会・・・の関連団体のものだった」、そもそも「旧統一教会」と関係づけたのには、如何なる経緯があったのだろう。
・『「証拠隠滅」を強要 実は、JAMOO2は日本の「草の根・人間の安全保障無償資金協力」というODA(政府開発援助)によって建設されていた。それゆえ政府は、国会の場で日本共産党の議員から、女性連合のロゴが掲げられているような学校に「国民の血税(ODA)が使われたことは極めて重大な問題だ」と追及されていた。しかも、JAMOO2にODA供与の承認をした当時の外務大臣は、現首相の岸田氏だった。外務省として、ODA供与の判断が誤っていたとは、口が裂けても認めることができない。 実際問題、JAMOO2を設立したのはディオプ氏が個人で立ち上げたNGO団体である。書類上は一民間組織による学校なのだ。ただし、校長であるディオプ氏は現地の女性連合の副会長でもあった。そのため、JAMOO2には女性連合のロゴが掲げられたりしていたわけだ。このままでは、ロゴなどを理由に岸田首相を責め立てる日本共産党の“攻撃”はやまない。一体どうすれば……。 そこで、外務省は驚くべき“奇策”を編み出す。JAMOO2から女性連合のロゴなどを消し去ってしまえばよいではないか、と。 「いま、JAMOO2に女性連合のロゴってあります? ないんじゃないですか? そうであれば、女性連合とは関係ないでしょう」 このようなロジックを組み立て、それを実践したのだ。つまり、外務省はディオプ氏に、女性連合とは関係ないことをアピールさせるために、ロゴの消去などの「証拠隠滅」を強要したのである』、「JAMOO2にODA供与の承認をした当時の外務大臣は、現首相の岸田氏だった。外務省として、ODA供与の判断が誤っていたとは、口が裂けても認めることができない・・・外務省はディオプ氏に、女性連合とは関係ないことをアピールさせるために、ロゴの消去などの「証拠隠滅」を強要した」、なるほど。
・『外務省の回答は 証拠隠滅の意図などについて尋ねたところ、外務省はこう回答した。 「本件につきましては、大使館や本省出張を通じて、適切にフォローアップしていますが、その具体的態様については、お答えを差し控えます」 12項目に及ぶ質問に対して、これだけしか答えられなかった外務省。「証拠」は隠せても、「証拠隠滅」の事実自体を隠し通すことはできなかった。 8月21日発売の「週刊新潮」では、アフリカ大陸で実行に移された、日本政府による「証拠隠滅」の手口やその背景を、4ページにわたって詳しく報じる』、「外務省。「証拠」は隠せても、「証拠隠滅」の事実自体を隠し通すことはできなかった」、その後、大きく問題化していないことからみて、「外務省」の隠蔽工作は上手くいったようだ。
第三に、2月1日付けダイヤモンド・オンラインが記載した宗教社会学者の橋爪大三郎氏による「【知の達人が教える、知っておくべき世界のしくみ】「キリスト教とイスラム教、実は同じ」を超わかりやすく説明【書籍オンライン編集部セレクション】 宗教で読み解く世界:その4」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/337845
・『「死」とは何か。死はかならず、生きている途中にやって来る。それなのに、死について考えることは「やり残した夏休みの宿題」みたいになっている。死が、自分のなかではっきりかたちになっていない。私たちの多くは、そんなふうにして生きている。しかし、世界の大宗教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教はもちろん、仏教、神道、儒教、ヒンドゥー教など、それぞれの宗教は「人間は死んだらどうなるか」についてしっかりした考え方をもっている。 現代の知の達人であり、宗教社会学の第一人者である著者が、各宗教の「死」についての考え方を、鮮やかに説明する『死の講義』は、「この本に、はまってしまった。私たちは『死』を避けることができない。この本を読んで『死後の世界』を学んでおけば、いざというときに相当落ち着けるだろう」(西成活裕氏・東京大学教授)と評されている。今回は、著者による特別講義をお届けする。(初出:2023年3月31日) 【知の達人が教える、知っておくべき世界のしくみ】「キリスト教とイスラム教、実は同じ」を超わかりやすく説明【書籍オンライン編集部セレクション】』、興味深そうだ。
・『3つの一神教は同じ 宗教をよく、一神教/多神教、に分けます。問題のあるわけ方ですが、入り口としてわかりやすいので、まず一神教から説明しましょう。 一神教は古いほうから順に、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、の三つがあります。世界人口の半分以上が一神教圏なので、これをまず理解しましょう。 [宗教人口] ユダヤ教徒:数千万人 キリスト教徒:25億人 イスラム教徒:15億人 ユダヤ教とキリスト教は、仲が悪い。キリスト教とイスラム教は仲が悪い。でもその理由を誤解しないように。 三つの一神教は、実はほとんど同じです。そもそも三つとも、同じ神を信じている。ユダヤ教のヤハウェと、キリスト教の父なる神(God)と、イスラム教のアッラーは、同一の神なのです。クルアーンで、アッラー自身がそうのべている。 これほど確かなことはない。それに加えて、この三つの宗教(とりわけ、キリスト教とイスラム教)は、以下に示すように、考え方の骨格がほぼ同じ。ひとつの宗教だと考えてもいいほどです』、「三つの一神教は、実はほとんど同じです。そもそも三つとも、同じ神を信じている。ユダヤ教のヤハウェと、キリスト教の父なる神(God)と、イスラム教のアッラーは、同一の神なのです。クルアーンで、アッラー自身がそうのべている・・・この三つの宗教(とりわけ、キリスト教とイスラム教)は、以下に示すように、考え方の骨格がほぼ同じ。ひとつの宗教だと考えてもいいほどです」、なるほど。
・『[宗教の骨格] ・神が天地を「創造」した。 ・創造した世界は、やがて「終末」が来て壊れてしまう。 ・そのときに、死んだ人間はもう一度肉体を与えられて「復活」する。 ・そして、神による「最後の審判」を受ける。 ・赦された人間は、救われて、神の王国(キリスト教)や緑園(イスラム教)に行く。救われなければ、永遠の炎で焼かれる。 キリスト教とイスラム教で違うのは、イエス・キリストがいるかどうか。ユダヤ教やイスラム教に、キリストは存在しません。ここが違うだけなのですが、宗教の性質がまったく違ってきます』、「キリスト教とイスラム教で違うのは、イエス・キリストがいるかどうか。ユダヤ教やイスラム教に、キリストは存在しません。ここが違うだけなのですが、宗教の性質がまったく違ってきます」、なるほど。
・『イエス・キリストがいるとどうなるか イスラム教は、神アッラーに従います。アッラーに従うには、最後で最大の預言者ムハンマドに従います。ムハンマドの預言はクルアーンとして伝わっているので、それを重視します。 クルアーンにもとづくイスラム法に従うことが、イスラム教徒の義務です。 同じような考え方で、ユダヤ教では、モーセの律法(ユダヤ法)に従わなければなりません。 ではイエス・キリストがいるとどうなるか。 イエス・キリスト以前に、モーセなど預言者がたくさんいました。でも、イエスはキリストで、神の子で、まあ神本人のようなものです。そのイエスが、モーセの律法に従わなくてもよい、と命じた。 割礼や食物規制、犠牲の献げ方など、いちいちうるさいユダヤ法に従わなくてよくなったのです。そのかわりに、イエス・キリストの教えを記した新約聖書に従うことになりました。 こうしてキリスト教では、宗教法がなくなってしまった。何を食べてもいいし、何を着てもいいし、どう行動してもいい。ただし、イエス・キリストの教えに従いなさい。これが、キリスト教です。 イエス・キリストの教えは理解がむずかしいので、ときどき教会全体で会議を開いて、どう考えるかを決定します。「三位一体説」(父と子と聖霊が、実はひとつであるという考え方)もそうして決まりました。決まったことに従わないと、異端で、いじめられるのがキリスト教です。イエス・キリストがいるので、こういうことになる』、「クルアーンにもとづくイスラム法に従うことが、イスラム教徒の義務です。 同じような考え方で、ユダヤ教では、モーセの律法(ユダヤ法)に従わなければなりません。 ではイエス・キリストがいるとどうなるか。 イエス・キリスト以前に、モーセなど預言者がたくさんいました。でも、イエスはキリストで、神の子で、まあ神本人のようなものです。そのイエスが、モーセの律法に従わなくてもよい、と命じた。 割礼や食物規制、犠牲の献げ方など、いちいちうるさいユダヤ法に従わなくてよくなったのです。そのかわりに、イエス・キリストの教えを記した新約聖書に従うことになりました。 こうしてキリスト教では、宗教法がなくなってしまった。何を食べてもいいし、何を着てもいいし、どう行動してもいい。ただし、イエス・キリストの教えに従いなさい。これが、キリスト教です・・・イエス・キリストの教えは理解がむずかしいので、ときどき教会全体で会議を開いて、どう考えるかを決定します。「三位一体説」(父と子と聖霊が、実はひとつであるという考え方)もそうして決まりました。決まったことに従わないと、異端で、いじめられるのがキリスト教です」、なるほど。
・『人間は罪があるけれど赦される なぜイエス・キリストが現れたか。それは人間に、生まれながらの罪があるからです。キリスト教は、人間は本来、神に背く性質があると考えます。原罪です。 罪の度合いを、ユダヤ教やイスラム教より一段深く考えるのですね。そうすると、救われるのはとってもむずかしい。 それでは困るので、神は、愛のしるしとしてイエス・キリストをこの世に送った。イエス・キリストが身代わりになって、人間の罪を背負って死んでしまった。だから人間は罪があるままで赦される、と考えます。 このアクロバットのようなロジックが、キリスト教のキモです。このロジックが成り立たないと、イエス・キリストを信じることができません。 イエス・キリストは人間なのでしょうか、それとも神なのでしょうか? イエス・キリストは、マリアから生まれるときに、肉体を受けて人間になった、と考えることになっています。人間になる前は、神だった。人間になっても、神のままである。つまり、その正体は神なので、イエス・キリストを拝んでもよいのです。 ※本原稿は、2022年11月に大学院大学至善館で行なった講演(https://shizenkan.ac.jp/event/religions_oc2023/)をもとに、再編集したものです。(橋爪大三郎氏の略歴はリンク先参照)』、「キリスト教は、人間は本来、神に背く性質があると考えます。原罪です。 罪の度合いを、ユダヤ教やイスラム教より一段深く考えるのですね。そうすると、救われるのはとってもむずかしい。 それでは困るので、神は、愛のしるしとしてイエス・キリストをこの世に送った。イエス・キリストが身代わりになって、人間の罪を背負って死んでしまった。だから人間は罪があるままで赦される、と考えます・・・イエス・キリストは、マリアから生まれるときに、肉体を受けて人間になった、と考えることになっています。人間になる前は、神だった。人間になっても、神のままである。つまり、その正体は神なので、イエス・キリストを拝んでもよいのです」、なるほど。
・『「人は死んだらどうなるのか」を宗教に学ぶ――著者より 突然ですが、この本は、死んだらどうなるかの話です。 だいたい死は、突然やってくるものなので、お許しください。 ただしご安心ください。「死んだらどうなるかの話」は、死ぬことそのものではありません。むしろそんなことを考えるのは、生きているひとです。かく言う著者の私もまだ生きているし、この本を手にとったあなたも生きている。悠長なことです。いまにも死にそうで、それどころではないひとだってけっこういるのに。 じゃあなぜ、そんな悠長なことを考えるのか。 いよいよ死にそうになったときには、じっくり考える時間がありません。気力も体力もないかもしれない。そうするうち、死んだらどうなるかもはっきりしないまま、死んでしまう。もったいないことです。せっかく死ぬのに。 人間は、自分が死ぬとわかっている。よろしい。では、死んだらどうなるとわかっているのでしょうか。 むかし人びとは、群れをつくったり、村に住んだり、小さな集団で暮らしていました。そこには、死んだらどうなるか、の決まった考え方がありました。死んだら鳥になる。先祖のところに帰る。どこか遠くで、楽しく暮らす。などなど。それは、人びとが自分の考えを持ち寄って、みんなの考えにしたものです。 そのうち、社会はもっと複雑になります。広い場所で農業を営み、人口も増えた。社会階層が分化した。ふつうの人びとのほかに、商人や職人や、軍人や王さまや、官僚や神官がいます。複雑な社会のなかで、人びとはさまざまな人生を歩みます。職業を変わったり、出世したり落ちぶれたり、戦争に駆り出されたり難民としてよその土地に移住したり。人びとの生き方が何通りもあるということは、人びとの考え方も何通りもあるということです。 広い場所には、さまざまな文化をもった人びとが集まります。さまざまな人種、さまざまな民族の人びとが集まります。死んだらどうなるか、の考え方も違います。これが、「宗教の違い」として意識されます。 いくつも宗教がある。それは、死んだらどうなるか、の考え方がいくつもあるということです。いくつも宗教が出てきてどうなったかというと、大部分は廃れてしまいました。けれどもそのうちいくつかは、信じる人びとの人数が増えて生き残りました。それが「大宗教」です。大宗教は、社会を丸ごと呑みこんで、文明につくり変えました。そうした文明は現在も大きな勢力を保っています。 いま、世界には、四つの大きな文明があります。どれも、宗教を土台にしています。 ・ ヨーロッパ・キリスト教文明 ……キリスト教を土台にしている ・ イスラム文明 ……イスラム教を土台にしている ・ ヒンドゥー文明 ……ヒンドゥー教を土台にしている ・ 中国・儒教文明 ……儒教を土台にしている 【知の達人が教える、知っておくべき世界のしくみ】「キリスト教とイスラム教、実は同じ」を超わかりやすく説明【書籍オンライン編集部セレクション】 この本では、これらの宗教が、人間は死んだらどうなると考えているのか、詳しく追いかけることにします。それぞれの宗教について調べて、もの知りになることが、目的ではありません。自分で納得して、そうだと思える考え方を、選び取ることが目的です。もしかしたら、どの考え方にも納得できないかもしれません。(最近、そういう人びとが増えています。)そういう場合には、ほかにどういう考え方があるのかも、わかる限りで紹介することにします。 この本のタイトルは、『死の講義──死んだらどうなるか、自分で決めなさい』です。こんな本を読んでいると、変な目で見られるかもしれません。縁起でもない、と。いやいや、決して怪しい本ではないですよ、と説明してあげましょう』、「むかし人びとは、群れをつくったり、村に住んだり、小さな集団で暮らしていました。そこには、死んだらどうなるか、の決まった考え方がありました。死んだら鳥になる。先祖のところに帰る。どこか遠くで、楽しく暮らす。などなど。それは、人びとが自分の考えを持ち寄って、みんなの考えにしたものです。 そのうち、社会はもっと複雑になります。広い場所で農業を営み、人口も増えた。社会階層が分化した。ふつうの人びとのほかに、商人や職人や、軍人や王さまや、官僚や神官がいます。複雑な社会のなかで、人びとはさまざまな人生を歩みます。職業を変わったり、出世したり落ちぶれたり、戦争に駆り出されたり難民としてよその土地に移住したり。人びとの生き方が何通りもあるということは、人びとの考え方も何通りもあるということです・・・死んだらどうなるか、の考え方も違います。これが、「宗教の違い」として意識されます。 いくつも宗教がある。それは、死んだらどうなるか、の考え方がいくつもあるということです。いくつも宗教が出てきてどうなったかというと、大部分は廃れてしまいました。けれどもそのうちいくつかは、信じる人びとの人数が増えて生き残りました。それが「大宗教」です。大宗教は、社会を丸ごと呑みこんで、文明につくり変えました。そうした文明は現在も大きな勢力を保っています。 いま、世界には、四つの大きな文明があります・・・この本では、これらの宗教が、人間は死んだらどうなると考えているのか、詳しく追いかけることにします。それぞれの宗教について調べて、もの知りになることが、目的ではありません。自分で納得して、そうだと思える考え方を、選び取ることが目的です。もしかしたら、どの考え方にも納得できないかもしれません。(最近、そういう人びとが増えています。)そういう場合には、ほかにどういう考え方があるのかも、わかる限りで紹介することにします」、なるほど。
・『この本を読む理由。 死んだらどうなるかわからないので、怖くて、心配で、読むのではありません。もちろん、怖くて、心配で、困って読むのでもかまいません。でもほんとうは、しっかり生きるために読む、のです。 死んだらどうなるのか、死んでみるまでわからない。それなら、死んだらどうなるのかは、自分が自由に決めてよいのです。宗教の数だけ、人びとの考え方の数だけ、死んだらどうなるのか、の答えがあります。そのどれにも、大事な生き方が詰まっています。人生の知恵がこめられています。それは、これまでを生きた人びとから、いまを生きる人びとへのプレゼントです。 これより大きなプレゼントがあるでしょうか。私の役目は、そのプレゼントを、読者の皆さんに届けることです。 そこで、読者のみなさんに、約束します。 中学生でも読めるように、わかりやすく書きます。 少しむずかしい言葉を使うときは、説明や注をつけます。 頭に入りやすいように、かみ砕いて話を進めます。 人間が死んだらどうなるのか。この本にあるように、ほんとうにいろいろな考え方があります。そしてどれも、よく考えられています。選りどり見どりです。 人間が死んだらどうなるのか、いろんな考え方に触れるのはよいことです。とりあえずどれかに決めてみるのもよい。より深みと奥行きのある生き方を実感できます』、「ほんとうは、しっかり生きるために読む、のです。 死んだらどうなるのか、死んでみるまでわからない。それなら、死んだらどうなるのかは、自分が自由に決めてよいのです。宗教の数だけ、人びとの考え方の数だけ、死んだらどうなるのか、の答えがあります。そのどれにも、大事な生き方が詰まっています。人生の知恵がこめられています。それは、これまでを生きた人びとから、いまを生きる人びとへのプレゼントです・・・人間が死んだらどうなるのか、いろんな考え方に触れるのはよいことです。とりあえずどれかに決めてみるのもよい。より深みと奥行きのある生き方を実感できます」、「これまでを生きた人びとから、いまを生きる人びとへのプレゼントです」、有難い話だ。大いに活用しよう。
タグ:「教皇が次々とリベラルな路線を打ち出すのを見ると、黙っていられなくなった。 離婚した女性や、いわゆるLGBTQの人をどう受け入れるか。聖職者の妻帯を許すか否か。そうした点に関する教皇の教えに、ストリックランドは公然と異を唱え出した・・・昨年11月、ストリックランドは司教職を解かれた。まあ仕方ないと、納得はしている。しかし、こんなふうだと教会内に「恐怖の気配」が満ちてしまうと懸念してもいる・・・ Newsweek日本版「LGBTQは受け入れても保守派は排除...「リベラル教皇」で割れるカトリック教会 「文化戦争」の最前線でいま何が?」 (その14)(LGBTQは受け入れても保守派は排除...「リベラル教皇」で割れるカトリック教会 「文化戦争」の最前線でいま何が?、「旧統一教会の痕跡を消し去れ!」 ロゴの消去を強要…外務省の「証拠隠滅」裏工作が発覚 “アフリカODA”を巡って【独自】、【知の達人が教える 知っておくべき世界のしくみ】「キリスト教とイスラム教 実は同じ」を超わかりやすく説明【書籍オンライン編集部セレクション】 宗教で読み解く世界:その4) 宗教 新しい教皇が教会を進歩的な方向へ導こうとしている。そのことが明白になった。保守派の信者は猛反発した。LGBTQの人を受け入れるなんて、冗談じゃないと。 しかし、この教皇は一貫して同性愛コミュニティーに対して寛容で、昨年には条件付きながらも同性カップルを正式に「祝福」してよいとする画期的な見解を示した。) これには世界中から反対の声が上がった・・・しかし教皇フランシスコは動じない。「人々を搾取するような起業家」に平気で祝福を授ける一方、たとえ同性同士でも「愛し合う2人」への祝福を拒むというのは「偽善」だと、 真っ向から言い返している」、なるほど。 「教皇フランシスコは昨年の夏に明確なメッセージを出した。アメリカのカトリック教会にいる一部保守派は「後ろ向き」だと批判し、彼らの「極めて強力かつ組織化された反動的姿勢」は政治的イデオロギーであって信仰心ではないと断じた。そして、行動に出た。) まずは冒頭のストリックランド司教の解任。その数週間後にはアメリカ出身の枢機卿レイモンド・バークをバチカン市国所有のマンションから追い出し、給与の支払いも停止した。前代未聞の処分である」、なるほど。 「左右からの批判はあるものの、ほとんどの信者は今の教皇を支持している。米世論調査機関ピュー・リサーチセンターが21年に実施した調査では、アメリカのカトリック信者の82%が教皇を「非常に」あるいは「おおむね」好意的に見ていた。アメリカ国民全体でも、過半数を超える63%がフランシスコ支持を表明していた。 極右で自称「無政府主義者」のアルゼンチン大統領ハビエル・ミレイも、以前はフランシスコを「能無し」で「汚い左翼」とけなしていたが、昨年末に大統領となってからはトーンダウン。 今年2月にはフランシスコを「史上最も重要なアルゼンチン人」と絶賛し、バチカンでのミサに出席したときはフランシスコと熱い抱擁を交わした」、なるほど。 「諸外国の進歩派はそれなりに礼儀正しい言葉を使うが、アメリカの伝統派カトリックはすぐソーシャルメディアに飛び付いて教皇に対する不満を拡散させたがる。 だから教皇フランシスコとアメリカのカトリック教会の関係が「いい方向に向かうとは思えない」とファッジョーリは言い、こう付け加えた。「各国の教会組織との関係はどこでも厄介なものだが、今の教皇にとってはアメリカとの関係が最も波乱含みだ。これは間違いない」、なるほど。 デイリー新潮「「旧統一教会の痕跡を消し去れ!」 ロゴの消去を強要…外務省の「証拠隠滅」裏工作が発覚 “アフリカODA”を巡って【独自】」 「アフリカ大陸西端の国、セネガル。2023年4月、日本から約1万4000キロも離れた同国のダカール州に、外務省国際協力局のある課長はわざわざ足を運んでいた。目的は、現地にある女性のための職業訓練校「JAMOO2」(「JAMOO」は現地のウォロフ語で“平和をもたらす”、「2」は2号校の意)を訪れることだった。だが、外務省課長は「視察」のために同校に行ったわけではない。彼の任務は「証拠隠滅」だった。 同校の校長を務める女性、ベロニク・ディオプ氏が、その時の様子を証言する。 「日本政府の人は高圧的な態度で、『野党と世論をなだめるため、とにかく“痕跡”をすべて消さなければいけない』と要求してきました。この学校を失ってしまうかもしれないと恐怖を感じた私は従うしかありませんでした。実際、外務省課長はディオプ氏に、JAMOO2の校舎の外壁や看板など、いたるところに掲げられていた「ロゴ」をひとつ残らず消すように命じた。それだけではなく、同校を全く別の学校へと衣替えさせるかのように、電話番号やメールアドレスも変更するよう要求したのだ。外務省課長が「抹消」にこだわったロゴ、それは世界平和女 性連合(以下、女性連合)、すなわち旧統一教会・・・の関連団体のものだった」、そもそも「旧統一教会」と関係づけたのには、如何なる経緯があったのだろう。 「JAMOO2にODA供与の承認をした当時の外務大臣は、現首相の岸田氏だった。外務省として、ODA供与の判断が誤っていたとは、口が裂けても認めることができない・・・外務省はディオプ氏に、女性連合とは関係ないことをアピールさせるために、ロゴの消去などの「証拠隠滅」を強要した」、なるほど。 「外務省。「証拠」は隠せても、「証拠隠滅」の事実自体を隠し通すことはできなかった」、その後、大きく問題化していないことからみて、「外務省」の隠蔽工作は上手くいったようだ。 ダイヤモンド・オンライン 橋爪大三郎氏による「【知の達人が教える、知っておくべき世界のしくみ】「キリスト教とイスラム教、実は同じ」を超わかりやすく説明【書籍オンライン編集部セレクション】 宗教で読み解く世界:その4」 「三つの一神教は、実はほとんど同じです。そもそも三つとも、同じ神を信じている。ユダヤ教のヤハウェと、キリスト教の父なる神(God)と、イスラム教のアッラーは、同一の神なのです。クルアーンで、アッラー自身がそうのべている・・・この三つの宗教(とりわけ、キリスト教とイスラム教)は、以下に示すように、考え方の骨格がほぼ同じ。ひとつの宗教だと考えてもいいほどです」、なるほど。 「キリスト教とイスラム教で違うのは、イエス・キリストがいるかどうか。ユダヤ教やイスラム教に、キリストは存在しません。ここが違うだけなのですが、宗教の性質がまったく違ってきます」、なるほど。 「クルアーンにもとづくイスラム法に従うことが、イスラム教徒の義務です。 同じような考え方で、ユダヤ教では、モーセの律法(ユダヤ法)に従わなければなりません。 ではイエス・キリストがいるとどうなるか。 イエス・キリスト以前に、モーセなど預言者がたくさんいました。でも、イエスはキリストで、神の子で、まあ神本人のようなものです。そのイエスが、モーセの律法に従わなくてもよい、と命じた。 割礼や食物規制、犠牲の献げ方など、いちいちうるさいユダヤ法に従わなくてよくなったのです。そのかわりに、イエス・キリストの教えを記した新約聖書に従うことになりました。 こうしてキリスト教では、宗教法がなくなってしまった。何を食べてもいいし、何を着てもいいし、どう行動してもいい。ただし、イエス・キリストの教えに従いなさい。これが、キリスト教です・・・イエス・キリストの教えは理解がむずかしいので、ときどき教会全体で会議を開いて、どう考えるかを決定します。「三位一体説」(父と子と聖霊が、実はひとつであるという考え 方)もそうして決まりました。決まったことに従わないと、異端で、いじめられるのがキリスト教です」、なるほど。 「キリスト教は、人間は本来、神に背く性質があると考えます。原罪です。 罪の度合いを、ユダヤ教やイスラム教より一段深く考えるのですね。そうすると、救われるのはとってもむずかしい。 それでは困るので、神は、愛のしるしとしてイエス・キリストをこの世に送った。イエス・キリストが身代わりになって、人間の罪を背負って死んでしまった。だから人間は罪があるままで赦される、と考えます・・・イエス・キリストは、マリアから生まれるときに、肉体を受けて人間になった、と考えることになっています。人間になる前は、神だった。人間になっ た、と考えることになっています。人間になる前は、神だった。人間になっても、神のままである。つまり、その正体は神なので、イエス・キリストを拝んでもよいのです」、なるほど。 「むかし人びとは、群れをつくったり、村に住んだり、小さな集団で暮らしていました。そこには、死んだらどうなるか、の決まった考え方がありました。死んだら鳥になる。先祖のところに帰る。どこか遠くで、楽しく暮らす。などなど。それは、人びとが自分の考えを持ち寄って、みんなの考えにしたものです。 そのうち、社会はもっと複雑になります。広い場所で農業を営み、人口も増えた。社会階層が分化した。ふつうの人びとのほかに、商人や職人や、軍人や王さまや、官僚や神官がいます。 複雑な社会のなかで、人びとはさまざまな人生を歩みます。職業を変わったり、出世したり落ちぶれたり、戦争に駆り出されたり難民としてよその土地に移住したり。人びとの生き方が何通りもあるということは、人びとの考え方も何通りもあるということです・・・死んだらどうなるか、の考え方も違います。これが、「宗教の違い」として意識されます。 いくつも宗教がある。それは、死んだらどうなるか、の考え方がいくつもあるということです。いくつも宗教が出てきてどうなったかというと、大部分は廃れてしまいました。 けれどもそのうちいくつかは、信じる人びとの人数が増えて生き残りました。それが「大宗教」です。大宗教は、社会を丸ごと呑みこんで、文明につくり変えました。そうした文明は現在も大きな勢力を保っています。 いま、世界には、四つの大きな文明があります・・・この本では、これらの宗教が、人間は死んだらどうなると考えているのか、詳しく追いかけることにします。それぞれの宗教について調べて、もの知りになることが、目的ではありません。自分で納得して、そうだと思える考え方を、選び取ることが目的です。もしかしたら、どの考え方にも納 得できないかもしれません。(最近、そういう人びとが増えています。)そういう場合には、ほかにどういう考え方があるのかも、わかる限りで紹介することにします」、なるほど。 「ほんとうは、しっかり生きるために読む、のです。 死んだらどうなるのか、死んでみるまでわからない。それなら、死んだらどうなるのかは、自分が自由に決めてよいのです。宗教の数だけ、人びとの考え方の数だけ、死んだらどうなるのか、の答えがあります。そのどれにも、大事な生き方が詰まっています。人生の知恵がこめられています。それは、これまでを生きた人びとから、いまを生きる人びとへのプレゼントです・・・ 人間が死んだらどうなるのか、いろんな考え方に触れるのはよいことです。とりあえずどれかに決めてみるのもよい。より深みと奥行きのある生き方を実感できます」、「これまでを生きた人びとから、いまを生きる人びとへのプレゼントです」、有難い話だ。大いに活用しよう。
ハラスメント(その28)(「投資家によるセクハラが社会問題化している」ベンチャーキャピタル最大手・ジャフコで起きた“セクハラ問題”、「僕たちは犯罪者に育てられた」錦織一清が語ったジャニー喜多川氏への“複雑な思い”」、アバクロ元CEOは性加害で逮捕、Nスペも再放送…、【独自】齋藤元彦・前兵庫県知事をたたき潰した「兵庫政界の闇」とは…、【追及スクープ第2弾】齋藤元彦・前兵庫県知事を潰した「既得権益の逆襲」と「パワハラ・おねだり告発文書」の深層とは)「 [社会]
ハラスメントについては、本年10月5日に取上げた。今日は(その28)(「投資家によるセクハラが社会問題化している」ベンチャーキャピタル最大手・ジャフコで起きた“セクハラ問題” 、「僕たちは犯罪者に育てられた」錦織一清が語ったジャニー喜多川氏への“複雑な思い”」、アバクロ元CEOは性加害で逮捕、Nスペも再放送…、【独自】齋藤元彦・前兵庫県知事をたたき潰した「兵庫政界の闇」とは…、【追及スクープ第2弾】齋藤元彦・前兵庫県知事を潰した「既得権益の逆襲」と「パワハラ・おねだり告発文書」の深層とは))である。
先ずは、本年10月16日付け文春オンライン「「投資家によるセクハラが社会問題化している」ベンチャーキャピタル最大手・ジャフコで起きた“セクハラ問題” 取材記者が解説する告発の背景」を紹介しよう。
・『ベンチャー投資最大手「ジャフコグループ」に勤務していた女性が、同社男性社員からのセクハラ被害とその後の同社の不当な対応を訴えた問題。 10月11日、女性の代理人弁護士が都内で会見を行ったが、この会見に先立ち「週刊文春電子版」では、女性本人の告発を報じた。告発に至った経緯とはどのようなものだったのか。 「被害者女性は、セクハラ行為自体も当然ですが、その後の会社の対応をどちらかというと問題視していると思っています」 そう語るのは、この問題を取材した「週刊文春」の播磨谷拓巳記者である。 「女性がセクハラ被害を受けた後、加害者の男性社員には処分が下ったのですが、その後、被害者女性も退職金を出すからと退職を勧められるようになった。それを断ると、給料を半額にすると提示され、応じなければ退職するよう迫られました。さらにその面談の際に、執行役員から人格を否定するような発言も出たということです」(播磨谷記者) ベンチャーキャピタル最大手で起きたセクハラとその後の会社の酷い対応。今回の告発の背景には、業界が抱える問題に一石を投じたいという女性の思いがあったという』、「同社男性社員からのセクハラ被害・・・加害者の男性社員には処分が下った」のは当然だが、問題は、「被害者女性も退職金を出すからと退職を勧められるようになった。それを断ると、給料を半額にすると提示され、応じなければ退職するよう迫られました。さらにその面談の際に、執行役員から人格を否定するような発言も出た」、本当に信じ難い飛んでもないことだ。
・『「今回、被害者の方は声を上げた理由として『同じような目に遭う人を減らしたい』 同じような目に遭った人の声に押された』というようなことをおっしゃっていました。 欧米では投資家による女性起業家へのセクハラが社会問題化しており、日本でもNHKや日本経済新聞で特集が組まれています。今回の事件は会社の内部で起きた事案ではありますが、ベンチャーキャピタルの中で地位を持った方が、セクハラを起こしてしまったり適切な対応ができなかったりするということが顕著に表れた例だと思います」(同前) 退職の強要だけでないジャフコ社の“セカンドハラスメント”とも言えるような被害者女性への対応、ジャフコ上層部の責任などについて記者が解説した動画番組の全編は、「週刊文春電子版」で見ることができる。また、被害者が受けた卑劣なセクハラや会社側の質問状への回答などの詳細を報じた記事も「週刊文春電子版」で配信している』、「退職の強要だけでないジャフコ社の“セカンドハラスメント”とも言えるような被害者女性への対応、ジャフコ上層部の責任などについて記者が解説した動画番組」、「ベンチャーキャピタル」トップ企業にあるまじき飛んでもないような不祥事だ。
次に、10月17日付け文春オンライン「「僕たちは犯罪者に育てられた」錦織一清が語ったジャニー喜多川氏への“複雑な思い”「ヒガシは『鬼畜の所業』と発言したけど…」〈阿川佐和子対談に初登場〉」を紹介しよう。
・『2020年12月にジャニーズ事務所を退所し、シンガー・演出家・俳優として活動する錦織一清さん。元「少年隊」のリーダーが初めて「週刊文春」の名物コーナー「阿川佐和子のこの人に会いたい」に登場し、阿川佐和子さんに「旧ジャニーズ事務所への思い」を率直に明かした。インタビューの一部を抜粋して紹介する』、興味深そうだ。
・『パパイヤ鈴木とのユニットでアルバムリリース 阿川 はじめまして。週刊文春によくお出でくださいましたね。錦織さんとパパイヤ鈴木さんとのユニット「Funky Diamond 18」が、新しいアルバム『PLATONIX』をリリースされたそうで(10月16日発売)。 錦織 そうなんですよ。11月から全国6カ所でライブもやります。 阿川 パパイヤさんとは同い年なんですって? 錦織 え~とね、高校の同級生なんですけど、訳あって僕が1個上です(笑)。パパイヤとは高校時代、踊りの話とかをよくしてましたよ。 後半では阿川さんが旧ジャニーズ事務所について尋ねた』、「旧ジャニーズ事務所」との関係は特に興味深い。
・『「僕たちは犯罪者に育てられた子どもたち」 阿川 昨年、ジャニー喜多川さんの過去の性加害が明るみに出て、ジャニーズ事務所が解体されるという事態になりました。 錦織 はい、なりましたね。 阿川 錦織さんはどういうお気持ちで受け止めました? 錦織 まぁ……ヒガシが「鬼畜の所業」と発言した件。それは自己否定にもつながってしまうんですよね。 阿川 自分の歩んできた人生も。 錦織 うん。当然、犯罪はよくないと思います。でも、これは事実だからしょうがないんだけど、僕たちは犯罪者に育てられた子どもたちなんだよね。自分が川で溺れているときに助けてくれた人が、実は殺人犯だったらどうするかって話で。 阿川 恩人が犯罪者だった。 錦織 はい。……でも僕は――。 錦織から語られた元ジャニーズとしての覚悟、メリー喜多川氏から受けたまさかの仕打ち、少年隊の裏話、そしてパパイヤ鈴木とのユニット結成秘話とは……。10月16日(水)12時から配信の「週刊文春 電子版」および17日(木)発売の「週刊文春」ではインタビュー全文を読むことができる』、「ヒガシが「鬼畜の所業」と発言した件。それは自己否定にもつながってしまうんですよね・・・僕たちは犯罪者に育てられた子どもたちなんだよね。自分が川で溺れているときに助けてくれた人が、実は殺人犯だったらどうするかって話で。 阿川 恩人が犯罪者だった」、「犯罪者に育てられた子どもたちなんだよね」、というのは悲痛な訴えだ』、「犯罪者に育てられた子どもたちなんだよね」、というのは悲痛な訴えだ」、なるほど。
第三に、10月26日付け日刊ゲンダイ「アバクロ元CEOは性加害で逮捕、Nスペも再放送…それでもジャニーズ起用にこだわるNHKの“自己矛盾”」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/362510
・『22日、米アパレル大手「アバクロンビー&フィッチ」のマイク・ジェフリーズ元CEOが、在任中に国際的な性的人身売買組織を運営していたとして逮捕・起訴された。ジェフリーズは、アバクロのモデル起用をエサに、モデル応募者に性行為を要求。秘密保持契約に署名させた後、ジェフリーズやスミス、その他の人物とセックスを強要したり、セックスイベントへの参加強要など、在任中、20年にわたり悪事を繰り返していたという。 少年たちの夢を食い荒らし、何十年も性加害を繰り返していた手口はまさに日本のジャニー喜多川氏と同じ手口である。 同ブランドは「アバクロ」と呼ばれ、アバクロのメンズモデルは“マッチョイケメン”の代名詞的存在でもある。日本では2009年に銀座店がオープンの際、開店前に800人が並び、アバクロのメンズモデルたちとの写真撮影に長蛇の列ができたことでも話題になった。そんな世界的ブランドの組織ぐるみの被害者は100人を超えるといわれており、アメリカ国内外で波紋が広がっている』、「ジェフリーズは、アバクロのモデル起用をエサに、モデル応募者に性行為を要求。秘密保持契約に署名させた後、ジェフリーズやスミス、その他の人物とセックスを強要したり、セックスイベントへの参加強要など、在任中、20年にわたり悪事を繰り返していたという。 少年たちの夢を食い荒らし、何十年も性加害を繰り返していた手口はまさに日本のジャニー喜多川氏と同じ手口である・・・同ブランドは「アバクロ」と呼ばれ、アバクロのメンズモデルは“マッチョイケメン”の代名詞的存在でもある・・・そんな世界的ブランドの組織ぐるみの被害者は100人を超えるといわれており、アメリカ国内外で波紋が広がっている」、なるほど。
・『「Nスペを制作した報道部門に罪の意識が感じられず」 そんな中、NHKはNHKスペシャル「ジャニー喜多川“アイドル帝国”の実像」を20日21時に放送。23日深夜にも再放送し、世界に警鐘を鳴らすかのように見せつつも、旧ジャニーズの番組起用を再開するというNHKの“自己矛盾”を問う声も高まっている。同志社女子大学教授(メディア論)の影山貴彦氏がこう言う。 NHKは民放が旧ジャニーズ起用を再開する中、見切り発車せず、公共放送たるべく硬派な一面を見せていただけに、Nスぺの内容は中途半端。番組の最後にエンタメ部門のOBが過去をわびるような内容で話をまとめ『報道とエンタメは別』と批判を回避し、OB1人に罪をなすり付けた感が否めない。つまり、制作した報道部門に罪の意識が感じられなかったのです。検証に必要なのは、現NHK職員がどうなのかであり、視聴者からすれば報道もエンタメも、どちらもNHK。報道部門もジャニーズ問題に関して当事者であり、加害者だということを忘れるべきではありません」 それでもNHKは旧ジャニーズタレントを大晦日の紅白歌合戦で起用するのか。 早くも「なかったこと」になり始めているジャニーズ問題』、「NHKは民放が旧ジャニーズ起用を再開する中、見切り発車せず、公共放送たるべく硬派な一面を見せていただけに、Nスぺの内容は中途半端。番組の最後にエンタメ部門のOBが過去をわびるような内容で話をまとめ『報道とエンタメは別』と批判を回避し、OB1人に罪をなすり付けた感が否めない。つまり、制作した報道部門に罪の意識が感じられなかったのです。検証に必要なのは、現NHK職員がどうなのかであり、視聴者からすれば報道もエンタメも、どちらもNHK。報道部門もジャニーズ問題に関して当事者であり、加害者だということを忘れるべきではありません」、なるほど。
第四に、10月23日付けYahooニュースが転載した現代ビジネス「【独自】齋藤元彦・前兵庫県知事をたたき潰した「兵庫政界の闇」とは…「裏の絶対権力者」たちが作り上げた「タブー」と「天下り構造」の全貌をスクープする」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1e3ad4052d49835d19c77f39b1dbf4483fd98797
・『パワハラや贈答品の「おねだり」に関する内部告発で失職した、齋藤元彦前兵庫県知事(46歳)。「職員を自殺に追い込んだ」と非難されても仏頂面を貫き、11月17日の出直し選に再出馬を表明している。「鋼のメンタル」と揶揄され、今や「全国民の敵」と言っても過言ではない扱いだ。 【ひと目でわかる騒動まとめ】齋藤前知事が辞職するまで、何が起きていたのか? だがここにきて、ハラスメントの証拠が乏しいことや、齋藤氏の前に5期20年の長きにわたって県知事を務めた井戸敏三氏(79歳)との対立などの論点が浮上し、空気が変わりつつある。 なぜ齋藤氏は「あきらめようとしない」のか。そして、齋藤騒動の本質とは何なのか? 現在発売中の「週刊現代」が報じたスクープ記事を特別に全文公開する』、「だがここにきて、ハラスメントの証拠が乏しいことや、齋藤氏の前に5期20年の長きにわたって県知事を務めた井戸敏三氏(79歳)との対立などの論点が浮上し、空気が変わりつつある。 なぜ齋藤氏は「あきらめようとしない」のか。そして、齋藤騒動の本質とは何なのか? 現在発売中の「週刊現代」が報じたスクープ記事を特別に全文公開する」、興味深そうだ。
・『始まりは「自民党の内部抗争」 「ぜひ次の兵庫県知事選に立候補してください」 2020年11月、大阪市内の某会議室。県知事選を翌年7月に控えたベテラン自民党県議数人が、当時、大阪府財政課長だった齋藤氏に直談判した。 自民党兵庫県議団は分裂していた。井戸元知事の後継候補である、金沢和夫副知事の擁立をめぐって割れていたのだ。この県議らは、井戸路線との決別を唱える「改革派」だった。 「井戸さんが自ら『金沢でまとめてくれ』と自民党県議団に指示し、多数決で強引に決めようとした。これに反発した党内の有志が、水面下で齋藤擁立に動いた」(ベテラン自民党県議)』、「自民党兵庫県議団は分裂していた。井戸元知事の後継候補である、金沢和夫副知事の擁立をめぐって割れていたのだ。この県議らは、井戸路線との決別を唱える「改革派」だった。 「井戸さんが自ら『金沢でまとめてくれ』と自民党県議団に指示し、多数決で強引に決めようとした。これに反発した党内の有志が、水面下で齋藤擁立に動いた」、なるほど。
・『維新が乗って「流れが変わった」 齋藤氏は東京大学経済学部卒業後、2002年に総務省に入省。2018年に大阪府へ出向し、出世ポストの財政課長を務めていた。 「齋藤さんはもともと、政界進出を考えていたようだ。自民の有志と会ううちに『自民党内では(改革派は)少数派でも、そこまで言ってくれるのなら』とその気になっていった」(兵庫県庁幹部) 齋藤擁立の動きを知った井戸氏と自民党県連幹部は2020年12月、井戸氏の引退表明にあわせて金沢支持を大々的に表明した。流れが変わったのは、齋藤支持派の自民党有志に大阪維新の会が乗ったのが契機だった。 「当時は維新も対抗馬擁立を模索しており、齋藤さんも候補の一人だった。そんな中、齋藤さんが松井(一郎・前大阪府知事)さん、吉村(洋文・大阪府知事)さんに『自民党から出馬の打診を受けた』と報告したのです。 齋藤さんは吉村さんのお気に入りで、通例2年で総務省へ帰さなければならないところを、引き止めて出向3年目に入っていた。なので、吉村さんにも齋藤さんを応援する強い意向があった」(前出の県議) そもそも齋藤氏は、こうした自民党内の井戸派と反井戸派の分裂抗争を背景に知事の座に就いたことを、まず押さえておく必要がある』、「齋藤支持派の自民党有志に大阪維新の会が乗ったのが契機だった。 「当時は維新も対抗馬擁立を模索しており、齋藤さんも候補の一人だった。そんな中、齋藤さんが松井(一郎・前大阪府知事)さん、吉村(洋文・大阪府知事)さんに『自民党から出馬の打診を受けた』と報告したのです。 齋藤さんは吉村さんのお気に入りで、通例2年で総務省へ帰さなければならないところを、引き止めて出向3年目に入っていた。なので、吉村さんにも齋藤さんを応援する強い意向があった」(前出の県議) そもそも齋藤氏は、こうした自民党内の井戸派と反井戸派の分裂抗争を背景に知事の座に就いたことを、まず押さえておく必要がある」、なるほど。
・『「公然の秘密」に手をつけた 齋藤氏は県知事選で金沢氏に25万票あまりの大差をつけて当選した。しかし、就任早々に「井戸路線との決別」を推し進めたために、県庁職員や県関係者の反感を次々と買うことになった。 まず着手したのが、地域整備事業と分収造林事業による、合計約1500億円規模の「井戸時代の隠れ負債」の返済だ。 地域整備事業とは、民間の乱開発を防ぐため、県が先回りして土地を買い取り開発した事業のことで、バブル崩壊後の地価下落で負債となっていた。分収造林事業は、かつて木材需要が高かった時代に県がヒノキや杉を植え、売却益を土地の所有者と折半していた事業で、これも木材が売れなくなるにつれて負債が拡大した。 県の財政事情に詳しいベテラン職員が話す。 「これらの事業で取得した土地や資材の簿価と実勢価格が大きく違うことは、井戸県政最大のタブーとなっていました。もし露見すれば、20年にわたり『兵庫の殿様』として絶対的地位を築いていた井戸さんのメンツを潰すことになる。井戸さんと近い多くの県議も触れない『公然の秘密』だったわけです」 そのタブーに、齋藤氏はいきなり「返済開始」を宣言したのだ。 「正論ではありますが、急に寝た子を起こされた財政系の職員・OBは、自分たちの長年の恥部を指摘されたような気持ちになった。OBの中には、県庁にやって来て『あいつ何やねん、余計なことしやがって』と現役職員に不満をぶちまける人もいた」(同前)』、「地域整備事業と分収造林事業による、合計約1500億円規模の「井戸時代の隠れ負債」の返済だ。 地域整備事業とは、民間の乱開発を防ぐため、県が先回りして土地を買い取り開発した事業のことで、バブル崩壊後の地価下落で負債となっていた・・・これらの事業で取得した土地や資材の簿価と実勢価格が大きく違うことは、井戸県政最大のタブーとなっていました。もし露見すれば、20年にわたり『兵庫の殿様』として絶対的地位を築いていた井戸さんのメンツを潰すことになる。井戸さんと近い多くの県議も触れない『公然の秘密』だったわけです」 そのタブーに、齋藤氏はいきなり「返済開始」を宣言したのだ。 「正論ではありますが、急に寝た子を起こされた財政系の職員・OBは、自分たちの長年の恥部を指摘されたような気持ちになった。OBの中には、県庁にやって来て『あいつ何やねん、余計なことしやがって』と現役職員に不満をぶちまける人もいた」、なるほど。
・『「天下り」にもメスを入れた さらに齋藤氏は、県の外郭団体役員に対して、定年規定を「厳正適用」し始めた。本来、県の内規では65歳定年のところ、井戸体制下でなし崩し的に70歳以上まで延長されていた慣行に、メスを入れたのだ。 外郭団体役員は県庁幹部の天下りポストであり、さらに「多くの団体役員が、井戸氏の後援会『新生兵庫をつくる会』の幹部を兼任していた」(県幹部)という。この幹部が続ける。 「齋藤さんは『脱・井戸県政』がテーマでしたから、外郭団体役員に就いた県職員OBとの飲み会には一切出なかった。コミュニケーションがないところに、急に定年規定の話が出てきたわけです。 彼らからすれば、老後の年収300万円以上が消えるわけですから、まさに死活問題です」 取材に応じた兵庫県庁職員・関係者の多くが、齋藤氏の性格について「正論で押し通そうとする人」と語った。その片鱗は今回の騒動でも窺えたが、地方の役所で避けて通れない「地元有力者との飲みニケーション」も、齋藤氏は大いに苦手としていたようだ』、「本来、県の内規では65歳定年のところ、井戸体制下でなし崩し的に70歳以上まで延長されていた慣行に、メスを入れたのだ。 外郭団体役員は県庁幹部の天下りポストであり、さらに「多くの団体役員が、井戸氏の後援会『新生兵庫をつくる会』の幹部を兼任していた・・・コミュニケーションがないところに、急に定年規定の話が出てきたわけです。 彼らからすれば、老後の年収300万円以上が消えるわけですから、まさに死活問題です・・・地方の役所で避けて通れない「地元有力者との飲みニケーション」も、齋藤氏は大いに苦手としていたようだ」、なるほど。
・『自民党を怒らせた「大学無償化」 彼が踏んだ「虎の尾」はこれだけではなかった。国政自民党の怒りを買ったのが、昨年8月に表明した県立大学の無償化だ。 教育無償化は大阪での維新の目玉政策で、齋藤氏も踏襲した。これに自民党文教族の重鎮国会議員が猛反発したという。 「その重鎮にとって、高等教育の無償化は自分が成し遂げられなかった悲願。それをポッと出の40代の若造が、根回しもなく進めようとした。『俺を差し置いてどういう了見だ。やっぱり維新絡みの知事は信用できない』と怒り、それ以来、反齋藤の急先鋒となった」(前出と別の県幹部) この重鎮を含む兵庫県選出の自民党国会議員は、県知事選では全員が齋藤支持だったが、この件を機に離反が相次いだ。維新と近い当時の菅義偉総理の意を受けて、齋藤支持の流れを作った西村康稔衆院議員が、裏金問題で党員資格停止となり「地元の国会議員の抑えが利かなくなった」(同)ことも影響した。 さらに齋藤氏に対して、県庁職員からも反発が強まっていく。あげくのはてに起きたのが、今年3月の西播磨県民局長による告発だった。 その詳細を、後編記事【追及スクープ第2弾】齋藤元彦・前兵庫県知事を潰した「既得権益の逆襲」と「パワハラ・おねだり告発文書」の深層とは…齋藤氏辞職までの「全内幕」】にてお伝えする』、「教育無償化は大阪での維新の目玉政策で、齋藤氏も踏襲した。これに自民党文教族の重鎮国会議員が猛反発したという。 「その重鎮にとって、高等教育の無償化は自分が成し遂げられなかった悲願。それをポッと出の40代の若造が、根回しもなく進めようとした。『俺を差し置いてどういう了見だ。やっぱり維新絡みの知事は信用できない』と怒り、それ以来、反齋藤の急先鋒となった・・・この重鎮を含む兵庫県選出の自民党国会議員は、県知事選では全員が齋藤支持だったが、この件を機に離反が相次いだ。維新と近い当時の菅義偉総理の意を受けて、齋藤支持の流れを作った西村康稔衆院議員が、裏金問題で党員資格停止となり「地元の国会議員の抑えが利かなくなった」(同)ことも影響・・・さらに齋藤氏に対して、県庁職員からも反発が強まっていく。あげくのはてに起きたのが、今年3月の西播磨県民局長による告発だった」、これまで「齋藤氏」は飛んでもない知事との報道が支配的だったが、「井戸県政最大のタブー」へ切り込んむという正しいことをしたというのは、初めて知った。
第五に、この続きを10月23日付けYahooニュースが転載した現代ビジネス:【追及スクープ第2弾】齋藤元彦・前兵庫県知事を潰した「既得権益の逆襲」と「パワハラ・おねだり告発文書」の深層とは…齋藤氏辞職までの「全内幕」を紹介しよう。
・パワハラや贈答品の「おねだり」に関する内部告発で失職した、齋藤元彦前兵庫県知事(46歳)。「職員を自殺に追い込んだ」と非難されても仏頂面を貫き、11月17日の出直し選に再出馬を表明している。 だがここにきて、ハラスメントの証拠が乏しいことや、齋藤氏の前に5期20年の長きにわたって県知事を務めた井戸敏三氏(79歳)との対立などの論点が浮上し、空気が変わりつつある。 なぜ齋藤氏は諦めないのか。そして、齋藤騒動の本質とは何なのか? 現在発売中の「週刊現代」が報じたスクープ記事を特別に全文公開する。 前編はこちら:【齋藤元彦・前兵庫県知事をたたき潰した「兵庫政界の闇」とは…「裏の絶対権力者」たちが作り上げた「タブー」と「天下り構造」の全貌をスクープする】』、「ここにきて、ハラスメントの証拠が乏しいことや、齋藤氏の前に5期20年の長きにわたって県知事を務めた井戸敏三氏(79歳)との対立などの論点が浮上し、空気が変わりつつある。 なぜ齋藤氏は諦めないのか。そして、齋藤騒動の本質とは何なのか? 現在発売中の「週刊現代」が報じたスクープ記事を特別に全文公開する」、興味深そうだ、
・『県庁職員を敵に回して 兵庫県庁の職員の間で「反齋藤」の気運が高まった背景には、2021年12月、齋藤氏が兵庫県庁舎の建て直し中止を表明したことがあった。 齋藤氏は建て直し中止で「1000億円の予算削減」を行い、前編記事でも解説した「井戸県政の隠れ負債」返済に充てることを狙った。 だが、コンパクトな庁舎に計画を変更し、在宅勤務普及の流れに合わせてコスト削減を目指したところ、「リモートワークを職員定数の削減につなげるつもりか」と兵庫県職員労組が反発。さらに、土木系のOB職員の天下りを受け入れているゼネコンも、「巨額の庁舎建設が凍結されてしまうなら、何のために県庁OBを受け入れてきたのか」と不満を募らせた。 齋藤氏が進めようとした改革は、方針としては井戸県政の既得権益にメスを入れるものであり、多くの県民の意に沿っていたと言えるだろう。ただ、保守的風土の兵庫県で20年かけて築かれた権益に切り込むには、「権力基盤が固まっていない1期目なのに、改革のスピード、量ともにあまりに性急すぎた」(前出の県幹部)印象が否めない』、「齋藤氏が進めようとした改革は、方針としては井戸県政の既得権益にメスを入れるものであり、多くの県民の意に沿っていたと言えるだろう。ただ、保守的風土の兵庫県で20年かけて築かれた権益に切り込むには、「権力基盤が固まっていない1期目なのに、改革のスピード、量ともにあまりに性急すぎた」・・・印象が否めない」、なるほど。
・『「西播磨県民局長」告発の深層 今回、一気に齋藤氏への逆風が強まったのは、西播磨県民局長だった県庁幹部のA氏が2024年7月7日に自殺したことがきっかけだ。 そもそも一連の騒動の発端は今年3月、このA氏が告発文をメディアや県議に送付したことだった。問題の深層を知るには、A氏の人物像、そしてなぜ告発、自殺に至ったのかにも目を向ける必要がある。 京都大学を1987年に卒業したA氏は、エリートコースとされる人事部門で順調に出世していった。 井戸氏からの信頼は厚く、2021年7月の兵庫県知事選の直前、同年3月の人事では、県の人事政策トップの管理局長として采配を振った。その年の4月に西播磨県民局長に異動したのも「大仕事を成し遂げて、井戸さんからの『お礼』的な人事」(県職員)だったという。 井戸県政においては、西播磨県民局長は井戸氏の出身地たつの市を管轄する重要ポストだった。「A氏は定年までに県庁に戻って特別職の人事委員長に就き、キャリアを終えるつもりでいたようだ」(前出の県職員)という。 しかし程なく、「栄転」のはずの県民局長就任が、A氏にとって「左遷」に変わる。齋藤氏が当選したのだ。 「井戸さんの後継である金沢候補が勝つ前提でいたA氏にとっては、驚天動地の事態だったのではないか。なにしろ管理局長として仕切った人事も、井戸さんに『金沢が仕事をしやすい配置にしてくれ』とお願いされてやったものだったから」(同前)』、「京都大学を1987年に卒業したA氏は、エリートコースとされる人事部門で順調に出世していった。 井戸氏からの信頼は厚く、2021年7月の兵庫県知事選の直前、同年3月の人事では、県の人事政策トップの管理局長として采配を振った。その年の4月に西播磨県民局長に異動したのも「大仕事を成し遂げて、井戸さんからの『お礼』的な人事」(県職員)だったという。 井戸県政においては、西播磨県民局長は井戸氏の出身地たつの市を管轄する重要ポストだった。「A氏は定年までに県庁に戻って特別職の人事委員長に就き、キャリアを終えるつもりでいたようだ」(前出の県職員)という。 しかし程なく、「栄転」のはずの県民局長就任が、A氏にとって「左遷」に変わる。齋藤氏が当選したのだ」、なるほど。
・『齋藤前知事とA氏の関係 県庁職員などの証言を総合すると、A氏と齋藤氏の関係は決して悪くはなかった。「知事と人事系職員の会食にも出席していたし、携帯電話の番号も交換するような間柄でした」(別の県職員)。とはいえ、前知事の井戸氏の意向を色濃く反映した人事政策を実施した身としては、肩身が狭かったはずだ。 さらに、齋藤県政ではA氏自身の先行きが不透明になっていった。 齋藤氏は就任後、自身に近い改革派の幹部職員を集めて「新県政推進室」を発足させた。A氏もじきに本庁へ呼び戻され、これに加わるとみられていたが、大方の予想に反して西播磨県民局長に残留することになったのである。 A氏は定年を間近に控えていた。前出の県職員はこう話す。 「定年時の人事が決まる昨年後半以降、Aさんから人事課に『自分の人事はどうなりそうか』と問い合わせが来ていたようです。 人事畑のエースを自任していた彼からすれば、定年時には本庁で勤務したいと考えていたようですが、県民局長として県庁生活を終えることになった。彼はしばしば『今の人事を仕切っている奴らは低学歴集団だ』といった不満を漏らすようになりました」 A氏が告発文を各所に送ったのは今年3月、県民局長として定年を迎えると決まった直後のことだった。) 当初、文書には送り主が書かれていなかった。調査を経て、それがA氏だと特定されると、A氏は4月4日に公益通報窓口に届け出て、この問題が広く世間に知られることになった。 その後、A氏は今年7月、県の百条委員会に証人として喚問される直前に自殺し、帰らぬ人となった。もうひとつ、世間でほとんど報じられていないのが、この百条委員会とA氏の自殺との関連についてである』、「人事畑のエースを自任していた彼からすれば、定年時には本庁で勤務したいと考えていたようですが、県民局長として県庁生活を終えることになった。彼はしばしば『今の人事を仕切っている奴らは低学歴集団だ』といった不満を漏らすようになりました」 A氏が告発文を各所に送ったのは今年3月、県民局長として定年を迎えると決まった直後のことだった。 当初、文書には送り主が書かれていなかった。調査を経て、それがA氏だと特定されると、A氏は4月4日に公益通報窓口に届け出て、この問題が広く世間に知られることになった。 その後、A氏は今年7月、県の百条委員会に証人として喚問される直前に自殺し、帰らぬ人となった』、「調査を経て、それがA氏だと特定されると、A氏は4月4日に公益通報窓口に届け出て」、「公益通報」は書いたのが「A氏だと特定され」てからというのは初めて知った。
・『拙速すぎた「百条委員会」 A氏は勤め先で使用していた業務用パソコンで告発文を作成したことが明らかになっている。じつはその中には、A氏の私的な「倫理上問題のある記録」のデータも保存されており、百条委員会からパソコンの提出を求められたA氏は、そのデータの公開を避けて欲しいと委員会側に嘆願していたという。 A氏の真意はわからないにしても、こうした経緯が強いストレスになっていたことは間違いなさそうだ。 そもそも、今回の百条委員会の設置については、県議会でも一部議員から「拙速ではないか」と批判が上がっていた。あるベテラン県議が言う。 「告発文の中身や事実関係を精査する第三者委員会の調査結果が出る前に、百条委員会が設置された。議論の土台がなく、『ゴールポスト(議論の落としどころ)が動く』ような状態になってしまった」) 実際、百条委員会では当初、齋藤氏のパワハラ疑惑を調査することが目的とされていたが、職員アンケートの結果は伝聞が大半を占め、証拠として弱かった。その後、論点は齋藤氏の資質や、公益通報への初動対応の問題に二転三転している。 「もし弁護士による第三者委員会で事実関係が冷静に精査されていれば、A氏の死は避けられた可能性が高い」(同前)』、「「もし弁護士による第三者委員会で事実関係が冷静に精査されていれば、A氏の死は避けられた可能性が高い」、というのも初めて知った。
・『「齋藤辞職」のシナリオ A氏の告発をめぐっては、単なる一県職員の内部告発とは異なる政治力学が動いていた形跡もある。 県関係者への取材によると、A氏が公益通報を行った4月4日から間もない4月上旬、兵庫県総合庁舎内の一室に、A氏と反齋藤派の自民党県議、井戸派の県OBらが集まった。 その席でA氏は「この件は早く終わらせたい」と訴えたが、自民党県議と県OBが「何を言うとるんや。齋藤をとことん追い詰めるチャンスやないか」などとすごんだというのだ。 ある県OBは、こうも指摘する。 「Aさんは不遇な人事をきっかけに告発文を書いたが、それを利用して反齋藤の『ヒーロー』に仕立て上げ、不信任案提出、さらには齋藤知事の辞職までつなげるシナリオを描いた勢力がいるのではないか」』、「「Aさんは不遇な人事をきっかけに告発文を書いたが、それを利用して反齋藤の『ヒーロー』に仕立て上げ、不信任案提出、さらには齋藤知事の辞職までつなげるシナリオを描いた勢力がいるのではないか」、きっと前知事の井戸派のグループだろう。
・『「再選」はあり得るのか 齋藤氏の失職に伴い、10月31日告示、11月17日投開票で実施される兵庫県知事選は、7人もの候補者が現れる混戦となっている。実質的には、齋藤前知事、稲村和美前尼崎市長、維新を離党し無所属で出馬した元アナウンサーの清水貴之参議院議員の三つ巴の情勢だ。 選挙事情に詳しい地元関係者が解説する。 「齋藤前知事は県内の若手経営者が主な支持層で、抜群の知名度もあり、今回の騒動を経ても一定の支持を集めている。稲村氏は泉房穂前明石市長が応援の構えを見せているが、左派の『緑の党』と関係が深く、支持が限定される可能性が高い。 維新を離れた清水氏は、自民党支持者を取り込めるかが勝負。菅義偉元総理の弟が役員を務めていた神戸の外車ディーラー『ジーライオン』グループ創業者の娘と結婚しているため、資金力も潤沢で経済界の受けはいい」 一方、齋藤氏の失職後も自民党は候補者を一本化できずにいる。擁立を断念すれば、自主投票となる自民票と公明票の行方が最大の焦点となる』、「齋藤氏」への対抗馬が2人もいるようだと、「齋藤氏」再選の可能性もあるだろう。
・『「政治ショー」がもたらしたもの この騒動で、兵庫県政は半年にわたって機能停止した。齋藤氏によるハラスメントの事実関係については今後、9月に設置された第三者委員会の報告を待つ必要がある。 齋藤氏に「改革」を進めるうえで不可欠な、部下・各関係先への配慮が足りなかったことは事実だろう。また少なからぬ県関係者が、齋藤氏の「ハラスメント気質」を指摘していることも事実だ。 その一方で、齋藤氏が、これほど大掛かりな「政治ショー」の末に権力の座を追われる必要があったのかという点には、少なからず疑問も残る。 兵庫県民は3年前、「井戸県政からの脱却」を望んで齋藤氏を選んだ。地方政治改革の流れに、本件はどう影を落とすのか。来月の県民の判断が注目される。) (齋藤元彦前兵庫県知事をめぐるできごと の表はリンク先参照)』、知事選は11月17日投開票である、「県民の判断が注目される」、さてどうなるだろうか。
先ずは、本年10月16日付け文春オンライン「「投資家によるセクハラが社会問題化している」ベンチャーキャピタル最大手・ジャフコで起きた“セクハラ問題” 取材記者が解説する告発の背景」を紹介しよう。
・『ベンチャー投資最大手「ジャフコグループ」に勤務していた女性が、同社男性社員からのセクハラ被害とその後の同社の不当な対応を訴えた問題。 10月11日、女性の代理人弁護士が都内で会見を行ったが、この会見に先立ち「週刊文春電子版」では、女性本人の告発を報じた。告発に至った経緯とはどのようなものだったのか。 「被害者女性は、セクハラ行為自体も当然ですが、その後の会社の対応をどちらかというと問題視していると思っています」 そう語るのは、この問題を取材した「週刊文春」の播磨谷拓巳記者である。 「女性がセクハラ被害を受けた後、加害者の男性社員には処分が下ったのですが、その後、被害者女性も退職金を出すからと退職を勧められるようになった。それを断ると、給料を半額にすると提示され、応じなければ退職するよう迫られました。さらにその面談の際に、執行役員から人格を否定するような発言も出たということです」(播磨谷記者) ベンチャーキャピタル最大手で起きたセクハラとその後の会社の酷い対応。今回の告発の背景には、業界が抱える問題に一石を投じたいという女性の思いがあったという』、「同社男性社員からのセクハラ被害・・・加害者の男性社員には処分が下った」のは当然だが、問題は、「被害者女性も退職金を出すからと退職を勧められるようになった。それを断ると、給料を半額にすると提示され、応じなければ退職するよう迫られました。さらにその面談の際に、執行役員から人格を否定するような発言も出た」、本当に信じ難い飛んでもないことだ。
・『「今回、被害者の方は声を上げた理由として『同じような目に遭う人を減らしたい』 同じような目に遭った人の声に押された』というようなことをおっしゃっていました。 欧米では投資家による女性起業家へのセクハラが社会問題化しており、日本でもNHKや日本経済新聞で特集が組まれています。今回の事件は会社の内部で起きた事案ではありますが、ベンチャーキャピタルの中で地位を持った方が、セクハラを起こしてしまったり適切な対応ができなかったりするということが顕著に表れた例だと思います」(同前) 退職の強要だけでないジャフコ社の“セカンドハラスメント”とも言えるような被害者女性への対応、ジャフコ上層部の責任などについて記者が解説した動画番組の全編は、「週刊文春電子版」で見ることができる。また、被害者が受けた卑劣なセクハラや会社側の質問状への回答などの詳細を報じた記事も「週刊文春電子版」で配信している』、「退職の強要だけでないジャフコ社の“セカンドハラスメント”とも言えるような被害者女性への対応、ジャフコ上層部の責任などについて記者が解説した動画番組」、「ベンチャーキャピタル」トップ企業にあるまじき飛んでもないような不祥事だ。
次に、10月17日付け文春オンライン「「僕たちは犯罪者に育てられた」錦織一清が語ったジャニー喜多川氏への“複雑な思い”「ヒガシは『鬼畜の所業』と発言したけど…」〈阿川佐和子対談に初登場〉」を紹介しよう。
・『2020年12月にジャニーズ事務所を退所し、シンガー・演出家・俳優として活動する錦織一清さん。元「少年隊」のリーダーが初めて「週刊文春」の名物コーナー「阿川佐和子のこの人に会いたい」に登場し、阿川佐和子さんに「旧ジャニーズ事務所への思い」を率直に明かした。インタビューの一部を抜粋して紹介する』、興味深そうだ。
・『パパイヤ鈴木とのユニットでアルバムリリース 阿川 はじめまして。週刊文春によくお出でくださいましたね。錦織さんとパパイヤ鈴木さんとのユニット「Funky Diamond 18」が、新しいアルバム『PLATONIX』をリリースされたそうで(10月16日発売)。 錦織 そうなんですよ。11月から全国6カ所でライブもやります。 阿川 パパイヤさんとは同い年なんですって? 錦織 え~とね、高校の同級生なんですけど、訳あって僕が1個上です(笑)。パパイヤとは高校時代、踊りの話とかをよくしてましたよ。 後半では阿川さんが旧ジャニーズ事務所について尋ねた』、「旧ジャニーズ事務所」との関係は特に興味深い。
・『「僕たちは犯罪者に育てられた子どもたち」 阿川 昨年、ジャニー喜多川さんの過去の性加害が明るみに出て、ジャニーズ事務所が解体されるという事態になりました。 錦織 はい、なりましたね。 阿川 錦織さんはどういうお気持ちで受け止めました? 錦織 まぁ……ヒガシが「鬼畜の所業」と発言した件。それは自己否定にもつながってしまうんですよね。 阿川 自分の歩んできた人生も。 錦織 うん。当然、犯罪はよくないと思います。でも、これは事実だからしょうがないんだけど、僕たちは犯罪者に育てられた子どもたちなんだよね。自分が川で溺れているときに助けてくれた人が、実は殺人犯だったらどうするかって話で。 阿川 恩人が犯罪者だった。 錦織 はい。……でも僕は――。 錦織から語られた元ジャニーズとしての覚悟、メリー喜多川氏から受けたまさかの仕打ち、少年隊の裏話、そしてパパイヤ鈴木とのユニット結成秘話とは……。10月16日(水)12時から配信の「週刊文春 電子版」および17日(木)発売の「週刊文春」ではインタビュー全文を読むことができる』、「ヒガシが「鬼畜の所業」と発言した件。それは自己否定にもつながってしまうんですよね・・・僕たちは犯罪者に育てられた子どもたちなんだよね。自分が川で溺れているときに助けてくれた人が、実は殺人犯だったらどうするかって話で。 阿川 恩人が犯罪者だった」、「犯罪者に育てられた子どもたちなんだよね」、というのは悲痛な訴えだ』、「犯罪者に育てられた子どもたちなんだよね」、というのは悲痛な訴えだ」、なるほど。
第三に、10月26日付け日刊ゲンダイ「アバクロ元CEOは性加害で逮捕、Nスペも再放送…それでもジャニーズ起用にこだわるNHKの“自己矛盾”」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/362510
・『22日、米アパレル大手「アバクロンビー&フィッチ」のマイク・ジェフリーズ元CEOが、在任中に国際的な性的人身売買組織を運営していたとして逮捕・起訴された。ジェフリーズは、アバクロのモデル起用をエサに、モデル応募者に性行為を要求。秘密保持契約に署名させた後、ジェフリーズやスミス、その他の人物とセックスを強要したり、セックスイベントへの参加強要など、在任中、20年にわたり悪事を繰り返していたという。 少年たちの夢を食い荒らし、何十年も性加害を繰り返していた手口はまさに日本のジャニー喜多川氏と同じ手口である。 同ブランドは「アバクロ」と呼ばれ、アバクロのメンズモデルは“マッチョイケメン”の代名詞的存在でもある。日本では2009年に銀座店がオープンの際、開店前に800人が並び、アバクロのメンズモデルたちとの写真撮影に長蛇の列ができたことでも話題になった。そんな世界的ブランドの組織ぐるみの被害者は100人を超えるといわれており、アメリカ国内外で波紋が広がっている』、「ジェフリーズは、アバクロのモデル起用をエサに、モデル応募者に性行為を要求。秘密保持契約に署名させた後、ジェフリーズやスミス、その他の人物とセックスを強要したり、セックスイベントへの参加強要など、在任中、20年にわたり悪事を繰り返していたという。 少年たちの夢を食い荒らし、何十年も性加害を繰り返していた手口はまさに日本のジャニー喜多川氏と同じ手口である・・・同ブランドは「アバクロ」と呼ばれ、アバクロのメンズモデルは“マッチョイケメン”の代名詞的存在でもある・・・そんな世界的ブランドの組織ぐるみの被害者は100人を超えるといわれており、アメリカ国内外で波紋が広がっている」、なるほど。
・『「Nスペを制作した報道部門に罪の意識が感じられず」 そんな中、NHKはNHKスペシャル「ジャニー喜多川“アイドル帝国”の実像」を20日21時に放送。23日深夜にも再放送し、世界に警鐘を鳴らすかのように見せつつも、旧ジャニーズの番組起用を再開するというNHKの“自己矛盾”を問う声も高まっている。同志社女子大学教授(メディア論)の影山貴彦氏がこう言う。 NHKは民放が旧ジャニーズ起用を再開する中、見切り発車せず、公共放送たるべく硬派な一面を見せていただけに、Nスぺの内容は中途半端。番組の最後にエンタメ部門のOBが過去をわびるような内容で話をまとめ『報道とエンタメは別』と批判を回避し、OB1人に罪をなすり付けた感が否めない。つまり、制作した報道部門に罪の意識が感じられなかったのです。検証に必要なのは、現NHK職員がどうなのかであり、視聴者からすれば報道もエンタメも、どちらもNHK。報道部門もジャニーズ問題に関して当事者であり、加害者だということを忘れるべきではありません」 それでもNHKは旧ジャニーズタレントを大晦日の紅白歌合戦で起用するのか。 早くも「なかったこと」になり始めているジャニーズ問題』、「NHKは民放が旧ジャニーズ起用を再開する中、見切り発車せず、公共放送たるべく硬派な一面を見せていただけに、Nスぺの内容は中途半端。番組の最後にエンタメ部門のOBが過去をわびるような内容で話をまとめ『報道とエンタメは別』と批判を回避し、OB1人に罪をなすり付けた感が否めない。つまり、制作した報道部門に罪の意識が感じられなかったのです。検証に必要なのは、現NHK職員がどうなのかであり、視聴者からすれば報道もエンタメも、どちらもNHK。報道部門もジャニーズ問題に関して当事者であり、加害者だということを忘れるべきではありません」、なるほど。
第四に、10月23日付けYahooニュースが転載した現代ビジネス「【独自】齋藤元彦・前兵庫県知事をたたき潰した「兵庫政界の闇」とは…「裏の絶対権力者」たちが作り上げた「タブー」と「天下り構造」の全貌をスクープする」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1e3ad4052d49835d19c77f39b1dbf4483fd98797
・『パワハラや贈答品の「おねだり」に関する内部告発で失職した、齋藤元彦前兵庫県知事(46歳)。「職員を自殺に追い込んだ」と非難されても仏頂面を貫き、11月17日の出直し選に再出馬を表明している。「鋼のメンタル」と揶揄され、今や「全国民の敵」と言っても過言ではない扱いだ。 【ひと目でわかる騒動まとめ】齋藤前知事が辞職するまで、何が起きていたのか? だがここにきて、ハラスメントの証拠が乏しいことや、齋藤氏の前に5期20年の長きにわたって県知事を務めた井戸敏三氏(79歳)との対立などの論点が浮上し、空気が変わりつつある。 なぜ齋藤氏は「あきらめようとしない」のか。そして、齋藤騒動の本質とは何なのか? 現在発売中の「週刊現代」が報じたスクープ記事を特別に全文公開する』、「だがここにきて、ハラスメントの証拠が乏しいことや、齋藤氏の前に5期20年の長きにわたって県知事を務めた井戸敏三氏(79歳)との対立などの論点が浮上し、空気が変わりつつある。 なぜ齋藤氏は「あきらめようとしない」のか。そして、齋藤騒動の本質とは何なのか? 現在発売中の「週刊現代」が報じたスクープ記事を特別に全文公開する」、興味深そうだ。
・『始まりは「自民党の内部抗争」 「ぜひ次の兵庫県知事選に立候補してください」 2020年11月、大阪市内の某会議室。県知事選を翌年7月に控えたベテラン自民党県議数人が、当時、大阪府財政課長だった齋藤氏に直談判した。 自民党兵庫県議団は分裂していた。井戸元知事の後継候補である、金沢和夫副知事の擁立をめぐって割れていたのだ。この県議らは、井戸路線との決別を唱える「改革派」だった。 「井戸さんが自ら『金沢でまとめてくれ』と自民党県議団に指示し、多数決で強引に決めようとした。これに反発した党内の有志が、水面下で齋藤擁立に動いた」(ベテラン自民党県議)』、「自民党兵庫県議団は分裂していた。井戸元知事の後継候補である、金沢和夫副知事の擁立をめぐって割れていたのだ。この県議らは、井戸路線との決別を唱える「改革派」だった。 「井戸さんが自ら『金沢でまとめてくれ』と自民党県議団に指示し、多数決で強引に決めようとした。これに反発した党内の有志が、水面下で齋藤擁立に動いた」、なるほど。
・『維新が乗って「流れが変わった」 齋藤氏は東京大学経済学部卒業後、2002年に総務省に入省。2018年に大阪府へ出向し、出世ポストの財政課長を務めていた。 「齋藤さんはもともと、政界進出を考えていたようだ。自民の有志と会ううちに『自民党内では(改革派は)少数派でも、そこまで言ってくれるのなら』とその気になっていった」(兵庫県庁幹部) 齋藤擁立の動きを知った井戸氏と自民党県連幹部は2020年12月、井戸氏の引退表明にあわせて金沢支持を大々的に表明した。流れが変わったのは、齋藤支持派の自民党有志に大阪維新の会が乗ったのが契機だった。 「当時は維新も対抗馬擁立を模索しており、齋藤さんも候補の一人だった。そんな中、齋藤さんが松井(一郎・前大阪府知事)さん、吉村(洋文・大阪府知事)さんに『自民党から出馬の打診を受けた』と報告したのです。 齋藤さんは吉村さんのお気に入りで、通例2年で総務省へ帰さなければならないところを、引き止めて出向3年目に入っていた。なので、吉村さんにも齋藤さんを応援する強い意向があった」(前出の県議) そもそも齋藤氏は、こうした自民党内の井戸派と反井戸派の分裂抗争を背景に知事の座に就いたことを、まず押さえておく必要がある』、「齋藤支持派の自民党有志に大阪維新の会が乗ったのが契機だった。 「当時は維新も対抗馬擁立を模索しており、齋藤さんも候補の一人だった。そんな中、齋藤さんが松井(一郎・前大阪府知事)さん、吉村(洋文・大阪府知事)さんに『自民党から出馬の打診を受けた』と報告したのです。 齋藤さんは吉村さんのお気に入りで、通例2年で総務省へ帰さなければならないところを、引き止めて出向3年目に入っていた。なので、吉村さんにも齋藤さんを応援する強い意向があった」(前出の県議) そもそも齋藤氏は、こうした自民党内の井戸派と反井戸派の分裂抗争を背景に知事の座に就いたことを、まず押さえておく必要がある」、なるほど。
・『「公然の秘密」に手をつけた 齋藤氏は県知事選で金沢氏に25万票あまりの大差をつけて当選した。しかし、就任早々に「井戸路線との決別」を推し進めたために、県庁職員や県関係者の反感を次々と買うことになった。 まず着手したのが、地域整備事業と分収造林事業による、合計約1500億円規模の「井戸時代の隠れ負債」の返済だ。 地域整備事業とは、民間の乱開発を防ぐため、県が先回りして土地を買い取り開発した事業のことで、バブル崩壊後の地価下落で負債となっていた。分収造林事業は、かつて木材需要が高かった時代に県がヒノキや杉を植え、売却益を土地の所有者と折半していた事業で、これも木材が売れなくなるにつれて負債が拡大した。 県の財政事情に詳しいベテラン職員が話す。 「これらの事業で取得した土地や資材の簿価と実勢価格が大きく違うことは、井戸県政最大のタブーとなっていました。もし露見すれば、20年にわたり『兵庫の殿様』として絶対的地位を築いていた井戸さんのメンツを潰すことになる。井戸さんと近い多くの県議も触れない『公然の秘密』だったわけです」 そのタブーに、齋藤氏はいきなり「返済開始」を宣言したのだ。 「正論ではありますが、急に寝た子を起こされた財政系の職員・OBは、自分たちの長年の恥部を指摘されたような気持ちになった。OBの中には、県庁にやって来て『あいつ何やねん、余計なことしやがって』と現役職員に不満をぶちまける人もいた」(同前)』、「地域整備事業と分収造林事業による、合計約1500億円規模の「井戸時代の隠れ負債」の返済だ。 地域整備事業とは、民間の乱開発を防ぐため、県が先回りして土地を買い取り開発した事業のことで、バブル崩壊後の地価下落で負債となっていた・・・これらの事業で取得した土地や資材の簿価と実勢価格が大きく違うことは、井戸県政最大のタブーとなっていました。もし露見すれば、20年にわたり『兵庫の殿様』として絶対的地位を築いていた井戸さんのメンツを潰すことになる。井戸さんと近い多くの県議も触れない『公然の秘密』だったわけです」 そのタブーに、齋藤氏はいきなり「返済開始」を宣言したのだ。 「正論ではありますが、急に寝た子を起こされた財政系の職員・OBは、自分たちの長年の恥部を指摘されたような気持ちになった。OBの中には、県庁にやって来て『あいつ何やねん、余計なことしやがって』と現役職員に不満をぶちまける人もいた」、なるほど。
・『「天下り」にもメスを入れた さらに齋藤氏は、県の外郭団体役員に対して、定年規定を「厳正適用」し始めた。本来、県の内規では65歳定年のところ、井戸体制下でなし崩し的に70歳以上まで延長されていた慣行に、メスを入れたのだ。 外郭団体役員は県庁幹部の天下りポストであり、さらに「多くの団体役員が、井戸氏の後援会『新生兵庫をつくる会』の幹部を兼任していた」(県幹部)という。この幹部が続ける。 「齋藤さんは『脱・井戸県政』がテーマでしたから、外郭団体役員に就いた県職員OBとの飲み会には一切出なかった。コミュニケーションがないところに、急に定年規定の話が出てきたわけです。 彼らからすれば、老後の年収300万円以上が消えるわけですから、まさに死活問題です」 取材に応じた兵庫県庁職員・関係者の多くが、齋藤氏の性格について「正論で押し通そうとする人」と語った。その片鱗は今回の騒動でも窺えたが、地方の役所で避けて通れない「地元有力者との飲みニケーション」も、齋藤氏は大いに苦手としていたようだ』、「本来、県の内規では65歳定年のところ、井戸体制下でなし崩し的に70歳以上まで延長されていた慣行に、メスを入れたのだ。 外郭団体役員は県庁幹部の天下りポストであり、さらに「多くの団体役員が、井戸氏の後援会『新生兵庫をつくる会』の幹部を兼任していた・・・コミュニケーションがないところに、急に定年規定の話が出てきたわけです。 彼らからすれば、老後の年収300万円以上が消えるわけですから、まさに死活問題です・・・地方の役所で避けて通れない「地元有力者との飲みニケーション」も、齋藤氏は大いに苦手としていたようだ」、なるほど。
・『自民党を怒らせた「大学無償化」 彼が踏んだ「虎の尾」はこれだけではなかった。国政自民党の怒りを買ったのが、昨年8月に表明した県立大学の無償化だ。 教育無償化は大阪での維新の目玉政策で、齋藤氏も踏襲した。これに自民党文教族の重鎮国会議員が猛反発したという。 「その重鎮にとって、高等教育の無償化は自分が成し遂げられなかった悲願。それをポッと出の40代の若造が、根回しもなく進めようとした。『俺を差し置いてどういう了見だ。やっぱり維新絡みの知事は信用できない』と怒り、それ以来、反齋藤の急先鋒となった」(前出と別の県幹部) この重鎮を含む兵庫県選出の自民党国会議員は、県知事選では全員が齋藤支持だったが、この件を機に離反が相次いだ。維新と近い当時の菅義偉総理の意を受けて、齋藤支持の流れを作った西村康稔衆院議員が、裏金問題で党員資格停止となり「地元の国会議員の抑えが利かなくなった」(同)ことも影響した。 さらに齋藤氏に対して、県庁職員からも反発が強まっていく。あげくのはてに起きたのが、今年3月の西播磨県民局長による告発だった。 その詳細を、後編記事【追及スクープ第2弾】齋藤元彦・前兵庫県知事を潰した「既得権益の逆襲」と「パワハラ・おねだり告発文書」の深層とは…齋藤氏辞職までの「全内幕」】にてお伝えする』、「教育無償化は大阪での維新の目玉政策で、齋藤氏も踏襲した。これに自民党文教族の重鎮国会議員が猛反発したという。 「その重鎮にとって、高等教育の無償化は自分が成し遂げられなかった悲願。それをポッと出の40代の若造が、根回しもなく進めようとした。『俺を差し置いてどういう了見だ。やっぱり維新絡みの知事は信用できない』と怒り、それ以来、反齋藤の急先鋒となった・・・この重鎮を含む兵庫県選出の自民党国会議員は、県知事選では全員が齋藤支持だったが、この件を機に離反が相次いだ。維新と近い当時の菅義偉総理の意を受けて、齋藤支持の流れを作った西村康稔衆院議員が、裏金問題で党員資格停止となり「地元の国会議員の抑えが利かなくなった」(同)ことも影響・・・さらに齋藤氏に対して、県庁職員からも反発が強まっていく。あげくのはてに起きたのが、今年3月の西播磨県民局長による告発だった」、これまで「齋藤氏」は飛んでもない知事との報道が支配的だったが、「井戸県政最大のタブー」へ切り込んむという正しいことをしたというのは、初めて知った。
第五に、この続きを10月23日付けYahooニュースが転載した現代ビジネス:【追及スクープ第2弾】齋藤元彦・前兵庫県知事を潰した「既得権益の逆襲」と「パワハラ・おねだり告発文書」の深層とは…齋藤氏辞職までの「全内幕」を紹介しよう。
・パワハラや贈答品の「おねだり」に関する内部告発で失職した、齋藤元彦前兵庫県知事(46歳)。「職員を自殺に追い込んだ」と非難されても仏頂面を貫き、11月17日の出直し選に再出馬を表明している。 だがここにきて、ハラスメントの証拠が乏しいことや、齋藤氏の前に5期20年の長きにわたって県知事を務めた井戸敏三氏(79歳)との対立などの論点が浮上し、空気が変わりつつある。 なぜ齋藤氏は諦めないのか。そして、齋藤騒動の本質とは何なのか? 現在発売中の「週刊現代」が報じたスクープ記事を特別に全文公開する。 前編はこちら:【齋藤元彦・前兵庫県知事をたたき潰した「兵庫政界の闇」とは…「裏の絶対権力者」たちが作り上げた「タブー」と「天下り構造」の全貌をスクープする】』、「ここにきて、ハラスメントの証拠が乏しいことや、齋藤氏の前に5期20年の長きにわたって県知事を務めた井戸敏三氏(79歳)との対立などの論点が浮上し、空気が変わりつつある。 なぜ齋藤氏は諦めないのか。そして、齋藤騒動の本質とは何なのか? 現在発売中の「週刊現代」が報じたスクープ記事を特別に全文公開する」、興味深そうだ、
・『県庁職員を敵に回して 兵庫県庁の職員の間で「反齋藤」の気運が高まった背景には、2021年12月、齋藤氏が兵庫県庁舎の建て直し中止を表明したことがあった。 齋藤氏は建て直し中止で「1000億円の予算削減」を行い、前編記事でも解説した「井戸県政の隠れ負債」返済に充てることを狙った。 だが、コンパクトな庁舎に計画を変更し、在宅勤務普及の流れに合わせてコスト削減を目指したところ、「リモートワークを職員定数の削減につなげるつもりか」と兵庫県職員労組が反発。さらに、土木系のOB職員の天下りを受け入れているゼネコンも、「巨額の庁舎建設が凍結されてしまうなら、何のために県庁OBを受け入れてきたのか」と不満を募らせた。 齋藤氏が進めようとした改革は、方針としては井戸県政の既得権益にメスを入れるものであり、多くの県民の意に沿っていたと言えるだろう。ただ、保守的風土の兵庫県で20年かけて築かれた権益に切り込むには、「権力基盤が固まっていない1期目なのに、改革のスピード、量ともにあまりに性急すぎた」(前出の県幹部)印象が否めない』、「齋藤氏が進めようとした改革は、方針としては井戸県政の既得権益にメスを入れるものであり、多くの県民の意に沿っていたと言えるだろう。ただ、保守的風土の兵庫県で20年かけて築かれた権益に切り込むには、「権力基盤が固まっていない1期目なのに、改革のスピード、量ともにあまりに性急すぎた」・・・印象が否めない」、なるほど。
・『「西播磨県民局長」告発の深層 今回、一気に齋藤氏への逆風が強まったのは、西播磨県民局長だった県庁幹部のA氏が2024年7月7日に自殺したことがきっかけだ。 そもそも一連の騒動の発端は今年3月、このA氏が告発文をメディアや県議に送付したことだった。問題の深層を知るには、A氏の人物像、そしてなぜ告発、自殺に至ったのかにも目を向ける必要がある。 京都大学を1987年に卒業したA氏は、エリートコースとされる人事部門で順調に出世していった。 井戸氏からの信頼は厚く、2021年7月の兵庫県知事選の直前、同年3月の人事では、県の人事政策トップの管理局長として采配を振った。その年の4月に西播磨県民局長に異動したのも「大仕事を成し遂げて、井戸さんからの『お礼』的な人事」(県職員)だったという。 井戸県政においては、西播磨県民局長は井戸氏の出身地たつの市を管轄する重要ポストだった。「A氏は定年までに県庁に戻って特別職の人事委員長に就き、キャリアを終えるつもりでいたようだ」(前出の県職員)という。 しかし程なく、「栄転」のはずの県民局長就任が、A氏にとって「左遷」に変わる。齋藤氏が当選したのだ。 「井戸さんの後継である金沢候補が勝つ前提でいたA氏にとっては、驚天動地の事態だったのではないか。なにしろ管理局長として仕切った人事も、井戸さんに『金沢が仕事をしやすい配置にしてくれ』とお願いされてやったものだったから」(同前)』、「京都大学を1987年に卒業したA氏は、エリートコースとされる人事部門で順調に出世していった。 井戸氏からの信頼は厚く、2021年7月の兵庫県知事選の直前、同年3月の人事では、県の人事政策トップの管理局長として采配を振った。その年の4月に西播磨県民局長に異動したのも「大仕事を成し遂げて、井戸さんからの『お礼』的な人事」(県職員)だったという。 井戸県政においては、西播磨県民局長は井戸氏の出身地たつの市を管轄する重要ポストだった。「A氏は定年までに県庁に戻って特別職の人事委員長に就き、キャリアを終えるつもりでいたようだ」(前出の県職員)という。 しかし程なく、「栄転」のはずの県民局長就任が、A氏にとって「左遷」に変わる。齋藤氏が当選したのだ」、なるほど。
・『齋藤前知事とA氏の関係 県庁職員などの証言を総合すると、A氏と齋藤氏の関係は決して悪くはなかった。「知事と人事系職員の会食にも出席していたし、携帯電話の番号も交換するような間柄でした」(別の県職員)。とはいえ、前知事の井戸氏の意向を色濃く反映した人事政策を実施した身としては、肩身が狭かったはずだ。 さらに、齋藤県政ではA氏自身の先行きが不透明になっていった。 齋藤氏は就任後、自身に近い改革派の幹部職員を集めて「新県政推進室」を発足させた。A氏もじきに本庁へ呼び戻され、これに加わるとみられていたが、大方の予想に反して西播磨県民局長に残留することになったのである。 A氏は定年を間近に控えていた。前出の県職員はこう話す。 「定年時の人事が決まる昨年後半以降、Aさんから人事課に『自分の人事はどうなりそうか』と問い合わせが来ていたようです。 人事畑のエースを自任していた彼からすれば、定年時には本庁で勤務したいと考えていたようですが、県民局長として県庁生活を終えることになった。彼はしばしば『今の人事を仕切っている奴らは低学歴集団だ』といった不満を漏らすようになりました」 A氏が告発文を各所に送ったのは今年3月、県民局長として定年を迎えると決まった直後のことだった。) 当初、文書には送り主が書かれていなかった。調査を経て、それがA氏だと特定されると、A氏は4月4日に公益通報窓口に届け出て、この問題が広く世間に知られることになった。 その後、A氏は今年7月、県の百条委員会に証人として喚問される直前に自殺し、帰らぬ人となった。もうひとつ、世間でほとんど報じられていないのが、この百条委員会とA氏の自殺との関連についてである』、「人事畑のエースを自任していた彼からすれば、定年時には本庁で勤務したいと考えていたようですが、県民局長として県庁生活を終えることになった。彼はしばしば『今の人事を仕切っている奴らは低学歴集団だ』といった不満を漏らすようになりました」 A氏が告発文を各所に送ったのは今年3月、県民局長として定年を迎えると決まった直後のことだった。 当初、文書には送り主が書かれていなかった。調査を経て、それがA氏だと特定されると、A氏は4月4日に公益通報窓口に届け出て、この問題が広く世間に知られることになった。 その後、A氏は今年7月、県の百条委員会に証人として喚問される直前に自殺し、帰らぬ人となった』、「調査を経て、それがA氏だと特定されると、A氏は4月4日に公益通報窓口に届け出て」、「公益通報」は書いたのが「A氏だと特定され」てからというのは初めて知った。
・『拙速すぎた「百条委員会」 A氏は勤め先で使用していた業務用パソコンで告発文を作成したことが明らかになっている。じつはその中には、A氏の私的な「倫理上問題のある記録」のデータも保存されており、百条委員会からパソコンの提出を求められたA氏は、そのデータの公開を避けて欲しいと委員会側に嘆願していたという。 A氏の真意はわからないにしても、こうした経緯が強いストレスになっていたことは間違いなさそうだ。 そもそも、今回の百条委員会の設置については、県議会でも一部議員から「拙速ではないか」と批判が上がっていた。あるベテラン県議が言う。 「告発文の中身や事実関係を精査する第三者委員会の調査結果が出る前に、百条委員会が設置された。議論の土台がなく、『ゴールポスト(議論の落としどころ)が動く』ような状態になってしまった」) 実際、百条委員会では当初、齋藤氏のパワハラ疑惑を調査することが目的とされていたが、職員アンケートの結果は伝聞が大半を占め、証拠として弱かった。その後、論点は齋藤氏の資質や、公益通報への初動対応の問題に二転三転している。 「もし弁護士による第三者委員会で事実関係が冷静に精査されていれば、A氏の死は避けられた可能性が高い」(同前)』、「「もし弁護士による第三者委員会で事実関係が冷静に精査されていれば、A氏の死は避けられた可能性が高い」、というのも初めて知った。
・『「齋藤辞職」のシナリオ A氏の告発をめぐっては、単なる一県職員の内部告発とは異なる政治力学が動いていた形跡もある。 県関係者への取材によると、A氏が公益通報を行った4月4日から間もない4月上旬、兵庫県総合庁舎内の一室に、A氏と反齋藤派の自民党県議、井戸派の県OBらが集まった。 その席でA氏は「この件は早く終わらせたい」と訴えたが、自民党県議と県OBが「何を言うとるんや。齋藤をとことん追い詰めるチャンスやないか」などとすごんだというのだ。 ある県OBは、こうも指摘する。 「Aさんは不遇な人事をきっかけに告発文を書いたが、それを利用して反齋藤の『ヒーロー』に仕立て上げ、不信任案提出、さらには齋藤知事の辞職までつなげるシナリオを描いた勢力がいるのではないか」』、「「Aさんは不遇な人事をきっかけに告発文を書いたが、それを利用して反齋藤の『ヒーロー』に仕立て上げ、不信任案提出、さらには齋藤知事の辞職までつなげるシナリオを描いた勢力がいるのではないか」、きっと前知事の井戸派のグループだろう。
・『「再選」はあり得るのか 齋藤氏の失職に伴い、10月31日告示、11月17日投開票で実施される兵庫県知事選は、7人もの候補者が現れる混戦となっている。実質的には、齋藤前知事、稲村和美前尼崎市長、維新を離党し無所属で出馬した元アナウンサーの清水貴之参議院議員の三つ巴の情勢だ。 選挙事情に詳しい地元関係者が解説する。 「齋藤前知事は県内の若手経営者が主な支持層で、抜群の知名度もあり、今回の騒動を経ても一定の支持を集めている。稲村氏は泉房穂前明石市長が応援の構えを見せているが、左派の『緑の党』と関係が深く、支持が限定される可能性が高い。 維新を離れた清水氏は、自民党支持者を取り込めるかが勝負。菅義偉元総理の弟が役員を務めていた神戸の外車ディーラー『ジーライオン』グループ創業者の娘と結婚しているため、資金力も潤沢で経済界の受けはいい」 一方、齋藤氏の失職後も自民党は候補者を一本化できずにいる。擁立を断念すれば、自主投票となる自民票と公明票の行方が最大の焦点となる』、「齋藤氏」への対抗馬が2人もいるようだと、「齋藤氏」再選の可能性もあるだろう。
・『「政治ショー」がもたらしたもの この騒動で、兵庫県政は半年にわたって機能停止した。齋藤氏によるハラスメントの事実関係については今後、9月に設置された第三者委員会の報告を待つ必要がある。 齋藤氏に「改革」を進めるうえで不可欠な、部下・各関係先への配慮が足りなかったことは事実だろう。また少なからぬ県関係者が、齋藤氏の「ハラスメント気質」を指摘していることも事実だ。 その一方で、齋藤氏が、これほど大掛かりな「政治ショー」の末に権力の座を追われる必要があったのかという点には、少なからず疑問も残る。 兵庫県民は3年前、「井戸県政からの脱却」を望んで齋藤氏を選んだ。地方政治改革の流れに、本件はどう影を落とすのか。来月の県民の判断が注目される。) (齋藤元彦前兵庫県知事をめぐるできごと の表はリンク先参照)』、知事選は11月17日投開票である、「県民の判断が注目される」、さてどうなるだろうか。
タグ:ハラスメント (その28)(「投資家によるセクハラが社会問題化している」ベンチャーキャピタル最大手・ジャフコで起きた“セクハラ問題”、「僕たちは犯罪者に育てられた」錦織一清が語ったジャニー喜多川氏への“複雑な思い”」、アバクロ元CEOは性加害で逮捕、Nスペも再放送…、【独自】齋藤元彦・前兵庫県知事をたたき潰した「兵庫政界の闇」とは…、【追及スクープ第2弾】齋藤元彦・前兵庫県知事を潰した「既得権益の逆襲」と「パワハラ・おねだり告発文書」の深層とは) 文春オンライン「「投資家によるセクハラが社会問題化している」ベンチャーキャピタル最大手・ジャフコで起きた“セクハラ問題” 取材記者が解説する告発の背景」 「同社男性社員からのセクハラ被害・・・加害者の男性社員には処分が下った」のは当然だが、問題は、「被害者女性も退職金を出すからと退職を勧められるようになった。それを断ると、給料を半額にすると提示され、応じなければ退職するよう迫られました。さらにその面談の際に、執行役員から人格を否定するような発言も出た」、本当に信じ難い飛んでもないことだ。 「退職の強要だけでないジャフコ社の“セカンドハラスメント”とも言えるような被害者女性への対応、ジャフコ上層部の責任などについて記者が解説した動画番組」、「ベンチャーキャピタル」トップ企業にあるまじき飛んでもないような不祥事だ。 文春オンライン「「僕たちは犯罪者に育てられた」錦織一清が語ったジャニー喜多川氏への“複雑な思い”「ヒガシは『鬼畜の所業』と発言したけど…」〈阿川佐和子対談に初登場〉」 「旧ジャニーズ事務所」との関係は特に興味深い。 「犯罪者に育てられた子どもたちなんだよね」、というのは悲痛な訴えだ』、「犯罪者に育てられた子どもたちなんだよね」、というのは悲痛な訴えだ」、なるほど。 日刊ゲンダイ「アバクロ元CEOは性加害で逮捕、Nスペも再放送…それでもジャニーズ起用にこだわるNHKの“自己矛盾”」 「ジェフリーズは、アバクロのモデル起用をエサに、モデル応募者に性行為を要求。秘密保持契約に署名させた後、ジェフリーズやスミス、その他の人物とセックスを強要したり、セックスイベントへの参加強要など、在任中、20年にわたり悪事を繰り返していたという。 少年たちの夢を食い荒らし、何十年も性加害を繰り返していた手口はまさに日本のジャニー喜多川氏と同じ手口である・・・同ブランドは「アバクロ」と呼ばれ、アバクロのメンズモデルは“マッチョイケメン”の代名詞的存在でもある・・・そんな世界的ブランドの組織ぐるみの被害者は1 00人を超えるといわれており、アメリカ国内外で波紋が広がっている」、なるほど。 「NHKは民放が旧ジャニーズ起用を再開する中、見切り発車せず、公共放送たるべく硬派な一面を見せていただけに、Nスぺの内容は中途半端。番組の最後にエンタメ部門のOBが過去をわびるような内容で話をまとめ『報道とエンタメは別』と批判を回避し、OB1人に罪をなすり付けた感が否めない。つまり、制作した報道部門に罪の意識が感じられなかったのです。検証に必要なのは、現NHK職員がどうなのかであり、視聴者からすれば報道もエンタメも、どちらもNHK。報道部門もジャニーズ問題に関して当事者であり、加害者だということを忘れるべ きではありません」、なるほど。 yahooニュース 現代ビジネス「【独自】齋藤元彦・前兵庫県知事をたたき潰した「兵庫政界の闇」とは…「裏の絶対権力者」たちが作り上げた「タブー」と「天下り構造」の全貌をスクープする」 「だがここにきて、ハラスメントの証拠が乏しいことや、齋藤氏の前に5期20年の長きにわたって県知事を務めた井戸敏三氏(79歳)との対立などの論点が浮上し、空気が変わりつつある。 なぜ齋藤氏は「あきらめようとしない」のか。そして、齋藤騒動の本質とは何なのか? 現在発売中の「週刊現代」が報じたスクープ記事を特別に全文公開する」、興味深そうだ。 「自民党兵庫県議団は分裂していた。井戸元知事の後継候補である、金沢和夫副知事の擁立をめぐって割れていたのだ。この県議らは、井戸路線との決別を唱える「改革派」だった。 「井戸さんが自ら『金沢でまとめてくれ』と自民党県議団に指示し、多数決で強引に決めようとした。これに反発した党内の有志が、水面下で齋藤擁立に動いた」、なるほど。 「齋藤支持派の自民党有志に大阪維新の会が乗ったのが契機だった。 「当時は維新も対抗馬擁立を模索しており、齋藤さんも候補の一人だった。そんな中、齋藤さんが松井(一郎・前大阪府知事)さん、吉村(洋文・大阪府知事)さんに『自民党から出馬の打診を受けた』と報告したのです。 齋藤さんは吉村さんのお気に入りで、通例2年で総務省へ帰さなければならないところを、引き止めて出向3年目に入っていた。なので、吉村さんにも齋藤さんを応援する強い意向があった」(前出の県議) そもそも齋藤氏は、こうした自民党内の井戸派と反井戸派の分裂抗争を背景に知事の座に就いたことを、まず押さえておく必要がある」、なるほど。 「地域整備事業と分収造林事業による、合計約1500億円規模の「井戸時代の隠れ負債」の返済だ。 地域整備事業とは、民間の乱開発を防ぐため、県が先回りして土地を買い取り開発した事業のことで、バブル崩壊後の地価下落で負債となっていた・・・これらの事業で取得した土地や資材の簿価と実勢価格が大きく違うことは、井戸県政最大のタブーとなっていました。もし露見すれば、20年にわたり『兵庫の殿様』として絶対的地位を築いていた井戸さんのメンツを潰すことになる。井戸さんと近い多くの県議も触れない『公然の秘密』だったわけです」 そのタブーに、齋藤氏はいきなり「返済開始」を宣言したのだ。 「正論ではありますが、急に寝た子を起こされた財政系の職員・OBは、自分たちの長年の恥部を指摘されたような気持ちになった。OBの中には、県庁にやって来て『あいつ何やねん、余計なことしやがって』と現役職員に不満をぶちまける人もいた」、なるほど。 「本来、県の内規では65歳定年のところ、井戸体制下でなし崩し的に70歳以上まで延長されていた慣行に、メスを入れたのだ。 外郭団体役員は県庁幹部の天下りポストであり、さらに「多くの団体役員が、井戸氏の後援会『新生兵庫をつくる会』の幹部を兼任していた・・・コミュニケーションがないところに、急に定年規定の話が出てきたわけです。 彼らからすれば、老後の年収300万円以上が消えるわけですから、まさに死活問題です・・・地方の役所で避けて通れない「地元有力者との飲みニケーション」も、齋藤氏は大いに苦手としていたようだ」 、なるほど。 「教育無償化は大阪での維新の目玉政策で、齋藤氏も踏襲した。これに自民党文教族の重鎮国会議員が猛反発したという。 「その重鎮にとって、高等教育の無償化は自分が成し遂げられなかった悲願。それをポッと出の40代の若造が、根回しもなく進めようとした。『俺を差し置いてどういう了見だ。やっぱり維新絡みの知事は信用できない』と怒り、それ以来、反齋藤の急先鋒となった・・・ この重鎮を含む兵庫県選出の自民党国会議員は、県知事選では全員が齋藤支持だったが、この件を機に離反が相次いだ。維新と近い当時の菅義偉総理の意を受けて、齋藤支持の流れを作った西村康稔衆院議員が、裏金問題で党員資格停止となり「地元の国会議員の抑えが利かなくなった」(同)ことも影響・・・ さらに齋藤氏に対して、県庁職員からも反発が強まっていく。あげくのはてに起きたのが、今年3月の西播磨県民局長による告発だった」、これまで「齋藤氏」は飛んでもない知事との報道が支配的だったが、「井戸県政最大のタブー」へ切り込んむという正しいことをしたというのは、初めて知った。 現代ビジネス:【追及スクープ第2弾】齋藤元彦・前兵庫県知事を潰した「既得権益の逆襲」と「パワハラ・おねだり告発文書」の深層とは…齋藤氏辞職までの「全内幕」 「ここにきて、ハラスメントの証拠が乏しいことや、齋藤氏の前に5期20年の長きにわたって県知事を務めた井戸敏三氏(79歳)との対立などの論点が浮上し、空気が変わりつつある。 なぜ齋藤氏は諦めないのか。そして、齋藤騒動の本質とは何なのか? 現在発売中の「週刊現代」が報じたスクープ記事を特別に全文公開する」、興味深そうだ、 「齋藤氏が進めようとした改革は、方針としては井戸県政の既得権益にメスを入れるものであり、多くの県民の意に沿っていたと言えるだろう。ただ、保守的風土の兵庫県で20年かけて築かれた権益に切り込むには、「権力基盤が固まっていない1期目なのに、改革のスピード、量ともにあまりに性急すぎた」・・・印象が否めない」、なるほど。 「京都大学を1987年に卒業したA氏は、エリートコースとされる人事部門で順調に出世していった。 井戸氏からの信頼は厚く、2021年7月の兵庫県知事選の直前、同年3月の人事では、県の人事政策トップの管理局長として采配を振った。その年の4月に西播磨県民局長に異動したのも「大仕事を成し遂げて、井戸さんからの『お礼』的な人事」(県職員)だったという。 井戸県政においては、西播磨県民局長は井戸氏の出身地たつの市を管轄する重要ポストだった。「A氏は定年までに県庁に戻って特別職の人事委員長に就き、キャリアを終えるつもり 「調査を経て、それがA氏だと特定されると、A氏は4月4日に公益通報窓口に届け出て」、「公益通報」は書いたのが「A氏だと特定され」てからというのは初めて知った。 「「もし弁護士による第三者委員会で事実関係が冷静に精査されていれば、A氏の死は避けられた可能性が高い」、というのも初めて知った。 「「Aさんは不遇な人事をきっかけに告発文を書いたが、それを利用して反齋藤の『ヒーロー』に仕立て上げ、不信任案提出、さらには齋藤知事の辞職までつなげるシナリオを描いた勢力がいるのではないか」、きっと前知事の井戸派のグループだろう。 「齋藤氏」への対抗馬が2人もいるようだと、「齋藤氏」再選の可能性もあるだろう。
広域強盗事件(その3)(なぜここまで短い言葉で若者たちは闇バイトにはまり込んだか?その理由は絶望的な「国語力」にあった 石井光太ルポ、少年院で使用されている幼児教育向けの「表情・感情カード」がヤバすぎる…犯罪と国語力の関係について 石井光太ルポ、詐欺総額1000万円「ルフィ」エリート美女が出廷「水着で出勤しろ!」「俺たちはクズだから」寺島春奈(29)を追い詰める“同僚女性”の証言、「トクリュウ」がとうとう近所にやって来た!“狙われる街”に急務の治安対策とは) [社会]
広域強盗事件については、本年5月1日に取上げた。今日は、(その3)(なぜここまで短い言葉で若者たちは闇バイトにはまり込んだか?その理由は絶望的な「国語力」にあった 石井光太ルポ、少年院で使用されている幼児教育向けの「表情・感情カード」がヤバすぎる…犯罪と国語力の関係について 石井光太ルポ、詐欺総額1000万円「ルフィ」エリート美女が出廷「水着で出勤しろ!」「俺たちはクズだから」寺島春奈(29)を追い詰める“同僚女性”の証言、「トクリュウ」がとうとう近所にやって来た!“狙われる街”に急務の治安対策とは)である。
先ずは、本年5月30日付け現代ビジネスが掲載したノンフィクション作家の石井 光太氏による「なぜここまで短い言葉で若者たちは闇バイトにはまり込んだか?その理由は絶望的な「国語力」にあった 石井光太ルポ」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/110989?imp=0
・『20って20万ですか?やりたいです 闇バイトの存在が、日本全国で起きている特殊詐欺や強盗事件とかかわっていたとして、にわかに注目されている。 俗にいう闇バイトとは、SNSを介して主に2通りの方法で行われる。犯罪集団の方がSNSで略語を使って募集する方法と、SNSで家出や自殺願望についての発信をした個人に対して犯罪集団の方がメッセージを送ってリクルートする方法だ。 共通するのは、犯罪集団が何の関係性もない人間を、ある日突然支配できる点だ。だからこそ、彼らはその人間をコマのように扱って乱暴な指示を出したり、簡単に切り捨てたりする。 実際のSNSで行われるリクルートのやり取りが次だ。 〈運びのバイトあります。1回即金で20保障します。年齢地域不問です〉 〈20って20マンですか〉 〈そうです。リスク対策万全です〉 〈やりたいです〉 〈ケータイ番号、住所、身分証の写真を送ってもらえますか〉 〈はい〉 大半の人からすれば、なぜこんなSNSの短い言葉に簡単に騙され、重大犯罪を起こすのかと不思議に思うだろう。その背景には、彼らの語彙のなさ、理解力の乏しさ、コミュニケーションスキルの脆弱さがある。 私は『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)で、少年院に入っている少年たちが抱える子供の問題について詳しく見てきた。犯罪と言葉という観点から、日本のダークサイドで起きていることを考えたい』、「犯罪と言葉という観点から」とは興味深そうだ。
・『女子少年院で私が尋ねたこと 本書の取材で、東日本にある少年院で、特殊詐欺で逮捕された10代の少女と出会った。 彼女は劣悪な環境の家庭から逃げ出したいため、ツイッターにそのことを書いた上、割のいいバイトをしたいと発信した。犯罪集団はそうした書き込みをリアルタイム検索で巡回していたのだろう。すぐにダイレクトメッセージが届いた。) 提案されたバイトは、〈1回につき25万円〉だという。〈1カ月で100万円も夢じゃない〉とも書かれていた。少女はバイトの内容さえ確認せずに飛びついた。そして言いなりになって住所など個人情報をすべて教え、特殊詐欺に加担させられたのである。 女子少年院でインタビューをした際、私と少女との間に次のような会話があった(Qは筆者の質問、Aは少女の回答)。 Q:怪しい仕事だと思わなかった? A:わかんないです。 Q:1回25万円は高額だよね。 A:そう言われたからそうだと思った。 Q:危険を冒してまで家を出たかった? A:たぶん。 常識的に考えれば、こんな割のいい仕事があるわけがない。だが、この言葉からわかる通り、彼女はSNSで届いた言葉を鵜呑みにし、何の疑問も抱かずに言われるままに動き、そして逮捕と同時にトカゲのしっぽのように切り捨てられたのである。 短文でのコミュニケーションは、他の闇バイトの世界でも当たり前のこととして行われていることだ。高額報酬という割には、驚くほどの短文でやりとりし、会話にしたら30秒ほどの内容で、数十万、数百万という単位の闇バイトに引きずり込まれる。 集団自殺の勧誘なども同じだ。相手が誰なのか、なぜ集団自殺を持ちかけたのかといったやり取りすらなく、現場へ向かっていく。 こうした短文でのやり取りに、深い思慮はまったくといっていいほどない。だから、一般的には理解できないほど容易く最悪の事態が起きてしまう』、「高額報酬という割には、驚くほどの短文でやりとりし、会話にしたら30秒ほどの内容で、数十万、数百万という単位の闇バイトに引きずり込まれる・・・こうした短文でのやり取りに、深い思慮はまったくといっていいほどない。だから、一般的には理解できないほど容易く最悪の事態が起きてしまう」、なるほど。
・『十分な語彙を獲得できない 私が本書で明らかにしたのは、なぜこうしたことが起こるのかという点だ。 少年院の法務教官など更生にかかわる多くの人たちが指摘するのが、彼らが劣悪な成育歴から十分な語彙を獲得できず、言葉を使いこなせていないということだ。 本書では、これを「国語力」と呼んでいる。文科省は、国語力について、年齢相応の語彙をつけながら、情緒力、想像力、論理的思考力を育て、それを適切に表現する能力と定義している。 人が生きていくには、言葉によって自分の内面と向き合い、物事を想像し、論理的に物事を思考し、それを表現していかなければならない。それができてはじめて周囲に自分を理解してもらい、様々な壁を乗り越えていくことができる。国語力とは、そんな全人的な力なのだ。) なぜ、闇バイトの犯罪に巻き込まれる若者たちは、国語力が劣っている傾向にあるのか。大半の関係者が、その原因を家庭に求めている。 統計によれば、少年院にいる子供たちは、一般と比べて有意に劣悪な家庭環境の中で育っている。それは男子の場合は4割、女子の場合は7割が虐待を受けて育っていることからも明らかだろう(虐待以外の要素を含めれば、親が依存症だとか、親戚の家をたらい回しにされて育ったなど、9割以上は何かしらの問題家庭で育っている)。 こうした家庭では、子供が国語力を高めることは望むべくもない。 たとえば、虐待親から子供が何の理由もなしに四六時中殴られていたとしよう。 そうすれば子供たちは「なぜ叩かれているのか」を考えることも、「なんで叩くのか」と聞くこともしなくなる。理由を考えても答えが出てこないし、親に聞いても殴られるだけだからだ。 あるいは、親が外で遊び歩いてまったく家に帰ってこなかったとしよう。ネグレクトである。 そうなれば、子供は絵本の読み聞かせや会話のやり取りで言葉を育むことができないし、学齢期になっても夜中まで孤独な時間を過ごさなければならなくなる』、「人が生きていくには、言葉によって自分の内面と向き合い、物事を想像し、論理的に物事を思考し、それを表現していかなければならない。それができてはじめて周囲に自分を理解してもらい、様々な壁を乗り越えていくことができる。国語力とは、そんな全人的な力なのだ・・・虐待親から子供が何の理由もなしに四六時中殴られていたとしよう。 そうすれば子供たちは「なぜ叩かれているのか」を考えることも、「なんで叩くのか」と聞くこともしなくなる。理由を考えても答えが出てこないし、親に聞いても殴られるだけだからだ。 あるいは、親が外で遊び歩いてまったく家に帰ってこなかったとしよう。ネグレクトである。 そうなれば、子供は絵本の読み聞かせや会話のやり取りで言葉を育むことができないし、学齢期になっても夜中まで孤独な時間を過ごさなければならなくなる」、なるほど。
・『見知らぬ人間のDMを信用して こうした子供たちは、親子関係が良好な家庭で育つ子供たちと比べて、明らかに語彙の量、自分の感情を知覚する力、見知らぬ世界や他者への想像力を広げる力、物事の因果間関係を志向する力が弱まる。つまり、国語力という人間が生きていくのに必要な全人的な力が脆弱になるのだ。 先の女子少年院の少女も同様だ。彼女もまた、親との不適切な関係によって、言葉で物事を感じ、考え、表現する力をつけることができなかった。 それは、幼い彼女にとって家庭での悲しく不条理な日々を生き抜く術だったはずだ。だが、思春期になった時、それは「無思慮」「思考停止」という形として現れ、むしろ社会で生きていく上での足枷となった。 だからこそ、彼女は何も考えずにSNSに不用意な書き込みをし、見知らぬ人間からのダイレクトメッセージをいとも簡単に鵜呑みにし、警戒心を失った状態で指示通りに行動してしまったのである。 こうした人たちは、他人どころか自分すら大切にすることができない。思いやりもまた言葉によって生まれる感情だからだ。ゆえに、彼らはお年寄りをターゲットにし、大金をむしり取り、時には暴力を振るうことにすら無頓着でいられるのだ。 では、こうした国語力の弱さを社会はどうサポートしようとしているのか。非行少年たちの更生の最前線の取り組みについては後篇《少年院で使用されている幼児教育向けの「表情・感情カード」がヤバすぎる…犯罪と国語力の関係について》で詳しく述べたい』、「こうした子供たちは、親子関係が良好な家庭で育つ子供たちと比べて、明らかに語彙の量、自分の感情を知覚する力、見知らぬ世界や他者への想像力を広げる力、物事の因果間関係を志向する力が弱まる。つまり、国語力という人間が生きていくのに必要な全人的な力が脆弱になるのだ。 先の女子少年院の少女も同様だ。彼女もまた、親との不適切な関係によって、言葉で物事を感じ、考え、表現する力をつけることができなかった。 それは、幼い彼女にとって家庭での悲しく不条理な日々を生き抜く術だったはずだ。だが、思春期になった時、それは「無思慮」「思考停止」という形として現れ、むしろ社会で生きていく上での足枷となった・・・こうした人たちは、他人どころか自分すら大切にすることができない。思いやりもまた言葉によって生まれる感情だからだ。ゆえに、彼らはお年寄りをターゲットにし、大金をむしり取り、時には暴力を振るうことにすら無頓着でいられるのだ」、不幸なことだ。
次に、この続きを、5月30日付け現代ビジネスが掲載したノンフィクション作家の石井 光太氏による「少年院で使用されている幼児教育向けの「表情・感情カード」がヤバすぎる…犯罪と国語力の関係について 石井光太ルポ」を紹介しよう。
・『感情を言語化できない 前篇《なぜここまで短い言葉で若者たちは闇バイトにはまり込んだか?その理由は絶望的な「国語力」にあった》に引き続き、非行少年たちの更生最前線をレポートしよう。 少年院などの更生現場では、犯罪を犯した若者たちに国語力をつけさせるための様々な取り組みを行っている。 『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)で紹介したものが、少年院で使用されている各種カードだ。その1つが、「表情・感情カード」である。 表情・感情カードとは、数十枚のイラストと言葉からなる幼児知育用のカードだ。各カードには、異なるイラストとともに感情を表す言葉が記されている。たとえば、涙を流す女の子のイラストがあり、「さみしい」「こころぼそい」などと書かれている。 少年院の若者たちの多くは、自分の感情を細かく言語化することが不得意だ。ゆえに、何かあれば逐一、表情・感情カードを取り出し、今の自分の感覚が何であるかを探し当て、言語化する訓練をするのである。 本書で、私が話を聞いた法務教官は次のように言っていた。 「たとえば他人と行き違いがあった時、彼らは簡単に『死ね』『ムカつく』『うざい』と言い捨ててしまいます。しかし、それを言えば他人とぶつかることはあっても、うまくいくことはありません。 しかし、きちんと自分の感情に向きあって『さみしい』『こころぼそい』と言うことができたらどうでしょう。ぶつかることは避けられますし、相手もその子を理解しようとしてくれます」』、「少年院で使用されている各種カードだ。その1つが、「表情・感情カード」である。 表情・感情カードとは、数十枚のイラストと言葉からなる幼児知育用のカードだ。各カードには、異なるイラストとともに感情を表す言葉が記されている。たとえば、涙を流す女の子のイラストがあり、「さみしい」「こころぼそい」などと書かれている。 少年院の若者たちの多くは、自分の感情を細かく言語化することが不得意だ。ゆえに、何かあれば逐一、表情・感情カードを取り出し、今の自分の感覚が何であるかを探し当て、言語化する訓練をするのである・・・私が話を聞いた法務教官は次のように言っていた。 「たとえば他人と行き違いがあった時、彼らは簡単に『死ね』『ムカつく』『うざい』と言い捨ててしまいます。しかし、それを言えば他人とぶつかることはあっても、うまくいくことはありません。 しかし、きちんと自分の感情に向きあって『さみしい』『こころぼそい』と言うことができたらどうでしょう。ぶつかることは避けられますし、相手もその子を理解しようとしてくれます」、「表情・感情カード」とは面白い試みだ。
・『言葉のバブル 実際に劣悪な家庭環境で育ってきた若者たちは、怒りを言葉にすることはしても、悲しみを言葉にすることは苦手だ。怒りは他者に向けられるものだが、悲しみは自分を掘り下げるものである。だから、つらいことを思い出さないために、常に怒りの感情だけを外に向けようとする。 表情・感情カードは、幼児教育向けの教材だ。それを、18歳前後の若者たちが、少年院で使用していると聞くと、愕然とする人もいるかもしれない。逆に言えば、家庭環境によって国語力を奪われてきた若者たちは、こういう教育を受けなければ、自身の感情にすら気づけない状態にあるということでもある。 もちろん、こうした取り組みを半年から1年ほど少年院で行っても、必ずしも成果が出るわけではない。だからこそ、少年院を出た子供たちにも似たような教育が必要になる。 福岡には、ヒューマンハーバーという非行少年を多く受け入れている企業がある。ここが運営する更生教育施設「そんとく塾」では、「言葉のバブル」という授業を行っている。 下の図がそれだ。このように喜怒哀楽に関わる言葉を、より詳細な言葉で細かく分解させ、今の自分がどのような感情なのかを適切に理解し、表現することを練習するのだ。 たとえば、その人の身に何か悲しい出来事が起きたとしよう。この時の悲しみの程度が「せつない」くらいなのに、誤って「死にたい」と解釈し、表現したらどうだろう。 あるいは、何か腹立たしい出来事が起きたとしよう。それが「いまいましい」程度なのに、「殺す」と表現したらどうだろう』、「家庭環境によって国語力を奪われてきた若者たちは、こういう教育を受けなければ、自身の感情にすら気づけない状態にあるということでもある。 もちろん、こうした取り組みを半年から1年ほど少年院で行っても、必ずしも成果が出るわけではない。だからこそ、少年院を出た子供たちにも似たような教育が必要になる・・・非行少年を多く受け入れている企業がある。ここが運営する更生教育施設「そんとく塾」では、「言葉のバブル」という授業を行っている。 下の図がそれだ。このように喜怒哀楽に関わる言葉を、より詳細な言葉で細かく分解させ、今の自分がどのような感情なのかを適切に理解し、表現することを練習するのだ。 たとえば、その人の身に何か悲しい出来事が起きたとしよう。この時の悲しみの程度が「せつない」くらいなのに、誤って「死にたい」と解釈し、表現したらどうだろう。 あるいは、何か腹立たしい出来事が起きたとしよう。それが「いまいましい」程度なのに、「殺す」と表現したらどうだろう」、なるほど。
・『言葉があまりにも軽視されている時代に こうした誤った表現が、無用なトラブルを生むことは目に見えている。だからこそ、自分の内面をきちんと理解し、表現することが必要なのだ。 同塾で言葉のバブルの授業をする原田公裕は語る。 「生きることに困難を抱えている人の大半は言葉に問題を抱えています。その苦労を知らない頭のいい大人たちが、『ちゃんとやれ』と叱っても効果がないんです。それなら、きちんと学び直しの機会をつくり、“考える力”“他者への想像力”“論理力”をつけさせるべきです」 少年犯罪でなくても、同じことは一般の人たちにも当てはまる。学校で、会社で、家庭で、言葉をうまくつかえないことが原因のトラブルは多数発生しているだろう。 どれだけ言葉で自分を理解できるのか。他人や社会を思いやれるのか。言葉をうまく操ることができれば、その人は何倍も生きやすくなるだろう。 つまり、国語力を身につけることは、「生きづらさ」からの脱却になるのだ。 現代の人々を取り巻く国語力の問題や、それを習得するための取り組みについて詳しい事例は、『ルポ 誰が国語力を殺すのか』に書いたので参照していただきたい。 ここで言えるのは、言葉こそが、この複雑で困難な時代をうまく生き抜くために必要不可欠な力の1つであるといことだ。しかし今の社会では、それがあまりに軽視されているように思えてならない。 前篇記事《なぜここまで短い言葉で若者たちは闇バイトにはまり込んだか?その理由は絶望的な「国語力」にあった》もあわせてお読み下さい』、「言葉こそが、この複雑で困難な時代をうまく生き抜くために必要不可欠な力の1つであるといことだ。しかし今の社会では、それがあまりに軽視されているように思えてならない。」、その通りだ。
第三に、10月18日付け文春オンライン「詐欺総額1000万円「ルフィ」エリート美女が出廷「水着で出勤しろ!」「俺たちはクズだから」寺島春奈(29)を追い詰める“同僚女性”の証言」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/74263
・『10月8日、東京地裁716号法廷に現れた色白の美女は両脇を刑務官に囲まれ、無表情で腰を下ろした。丸眼鏡の奥の瞳は、感情を押し殺すように前を見据えている。目鼻立ちは整っているが、くたびれたTシャツは1年半余にわたる勾留の長さを物語っていた。 この日行われたのは、渡辺優樹(40)を頂点とする特殊詐欺組織“ルフィグループ”のメンバー寺島春奈(29)の公判である。 1995年、長野市に3人きょうだいの末っ子として生まれた寺島。祖父、父は共に教員を務めた地元の名士だった。中学時代はソフトテニス部に所属していたが、その生活は次第に荒れていく。不良とつるみ始め、進学した市内の高校を中退すると、キャバクラ嬢として働き始めた。その後、寺島は詐欺グループのメンバーとして犯罪に加担していく』、「祖父、父は共に教員を務めた地元の名士」だったが、「高校を中退すると、キャバクラ嬢として働き始めた。その後、寺島は詐欺グループのメンバーとして犯罪に加担」、なるほど。
・『警視庁の調べに対し犯罪への関与を否定 昨年5月24日午後3時半、フィリピンから成田空港に男女4人が降り立った。胸元に薔薇の花弁が施されたオーバーサイズの黒色パーカーを目深に被った寺島は終始俯き、細く整った眉を時折、不機嫌そうに動かした。 同日、警視庁捜査2課は寺島ら4人を窃盗容疑で逮捕。2019年6月から11月にかけて、警察官らを騙って東京都の女性2人に「口座が不正に残高照会されている」などと嘘の電話をかけ、キャッシュカード計8枚や現金計150万円を盗むなどしたという。その後、寺島は窃盗や詐欺で5回の再逮捕、追起訴を経て、現在東京拘置所に勾留されている。 「逮捕後、彼女は警視庁の調べに対して黙秘を貫き、その後は『事件については知らずに電話をかけていた』と犯罪への関与を否定していました。今回、こうした寺島の主張を崩すため、検察側の証人として呼ばれたのが、現地で一緒に暮らしていた犯行グループの元女性メンバーX子でした」(社会部記者) 開廷から約2分後、囚人服姿のX子が入廷し、証言台の前に置かれた長椅子に座る。2019年、X子は「リゾートのアルバイト」を募集していたツイッターで詐欺グループのメンバーと知り合い、同年11月2日にフィリピンに渡航。時を前後して寺島もフィリピンに渡航していた。詐欺グループの幹部を通じて知り合った2人は同部屋で暮らし、共に詐欺に手を染めてきたという。自戒を込めて語られるX子の証言からは、組織内で美貌の“エリート姫”として寺島が重用され、深く詐欺に傾倒していく様が仔細に浮かび上がった』、「逮捕後、彼女は警視庁の調べに対して黙秘を貫き、その後は『事件については知らずに電話をかけていた』と犯罪への関与を否定していました。今回、こうした寺島の主張を崩すため、検察側の証人として呼ばれたのが、現地で一緒に暮らしていた犯行グループの元女性メンバーX子でした・・・X子の証言からは、組織内で美貌の“エリート姫”として寺島が重用され、深く詐欺に傾倒していく様が仔細に浮かび上がった」、なるほど。
・『「日本で受け子をしていた女だ」幹部から寺島を紹介された マニラ市内にあるウエスト・マカティ・ホテル。2019年当時、渡辺らが現地の実業家から約7億円で購入する契約を結んだとされる詐欺の拠点だ。渡航当日、同ホテル7階に連れて行かれたX子は「大石」と名乗る幹部を紹介された。不安に苛まれながら「フランスの音楽院に行くためにお金がほしくてやってきた。20万~50万円はほしい」と話すと、大石はこう言い放った。 「それなら、1カ月で稼げる。俺たちは犯罪者だから。クズだから!」 その日、「青木」という偽名を与えられたX子は、その翌日「春日井」と名乗る細身の美女を紹介される。その女性こそ、同時期にフィリピンに渡航した“新入り”の寺島だった。そのとき、X子はメンバーにこう伝えられたという。 「春日井は日本で受け子をしていた女だ。だから、“わかっている”」 階下の殺風景な一室。その日を境に2人は同室で寝食を共にし、昼間は詐欺に手を染めるようになる。 「これは掛け子の業務報告をするためのものだから」 大石から2人に手渡されたのは、秘匿性の高いアプリ「テレグラム」がインストールされた携帯電話だった。細分化された組織の中で、彼女たちが所属していたのは「ST箱」「シークレット担当」と呼ばれていた。支給される生活費は、週5000ペソ(約1万円)。組織の中では「週給費」と呼ばれ、週の始まりに手渡しでメンバー全員に支給されたという』、「「春日井(寺島)は日本で受け子をしていた女だ。だから、“わかっている”」 階下の殺風景な一室。その日を境に2人は同室で寝食を共にし、昼間は詐欺に手を染めるようになる」、「寺島」の扱いは別格のようだ。
・『「うまくいかなかったら水着で出勤しろ!」 X子は証言台で次のように語る。 「私はこれからどういうことをするのだろうとわからなかったので不安になっていたんですが、春日井さんはおおらかにしていた。だから、彼女は『何をやるのか』、わかっているのだろうと思っていました」 翌4日早朝、幹部は掛け子が一堂に会した朝礼で2人をメンバーに紹介した。 「今日から新人として入った青木と春日井だ」 そこでX子と寺島は2台目の携帯電話と共に、紙の束を手渡される。 〈こちらは、警視庁公安課の◯◯です。捕まった犯人の所有物からあなたの銀行キャッシュカードから現金を引き出している形跡がありました〉 掛け子が高齢者に電話をかける際の事例が書かれた詐欺マニュアルである。 「それを見て、高齢者相手に騙しの電話をする仕事なのだと思いました。マニュアルは春日井さんも受け取っています」(X子) その日、X子は詐欺グループ内で寺島が厚遇されている現実を垣間見る。X子に背を向ける形で座って、電話をかける寺島の隣に張り付き、手法を伝授する男。付きっきりで詐欺を仕込み、エリートとして育成していく意図を感じたという。だが、彼女たちは同時に恐怖と金に支配された環境に身を置くことになる。 「明日詐欺がうまくいかなかったら水着で出勤しろ! 成功したら10万円やる」 寺島らの歓迎会を開いた幹部は、そう命じたという。) 寺島は「『一緒に頑張りましょう』という感じだった」 「それが嫌で、私は翌日頑張って初めて詐欺を成功させました。キャッシュカードには1日100万円の出金限度額があるので、1日に引き出せなかったお金は翌朝に引き出すことになる。それを『朝出し』と言っていました」(X子) 掛け子の報酬は、騙し取った金の4%。また、詐欺総額が月1千万円を超えると、全員に50万円のボーナスが配られたという。 「報酬はストックしていって、必要があるときに申請します。大石からテレグラムで『いくら必要か』と聞かれ、日本円で受け取っていました」(X子) 検察から「被告側は『犯罪組織かはわからず、電話していた』と主張しているが」と問われたX子は、次のように証言している。 「彼女は『一緒に頑張りましょう』という感じだった。(犯罪行為を)わかっていた感じです」』、「X子は詐欺グループ内で寺島が厚遇されている現実を垣間見る。X子に背を向ける形で座って、電話をかける寺島の隣に張り付き、手法を伝授する男。付きっきりで詐欺を仕込み、エリートとして育成していく意図を感じたという・・・掛け子の報酬は、騙し取った金の4%。また、詐欺総額が月1千万円を超えると、全員に50万円のボーナスが配られたという。 「報酬はストックしていって、必要があるときに申請します。大石からテレグラムで『いくら必要か』と聞かれ、日本円で受け取っていました」(X子)」、なるほど。
・『マニュアルに書かれていない手法の詐欺も X子の証言が浮き彫りにするのは、詐欺グループが寺島らに詐欺の“英才教育”を施し、彼女たちが積極的に関与していく様子だった。当時、彼らが得意としていたのが「現金キャッチ」と呼ばれる手法である。 「『キャッシュカードとは別に現金は家にありますか?』と尋ねて『金は偽札である可能性がある』と伝え、R(日本にいる受け子)が現金を持って帰る手法です」(X子) 「現金キャッチ」は、前述したマニュアルに書かれていない。X子と寺島は幹部から「経験者から方法を聞いてこい」と言われ、掛け子の先輩に近付き、電話のやり方を学んだという。日本にいる受け子が現金を受け取る一部始終を目の当たりにすると、大石から「2人もこれができるようにやってほしい」と言われ、報酬を握らされたという。 11月13日午前、ついに寺島は詐欺の月額1000万円を達成。大石が「おめでとう!」と寺島を労っていたころ、ホテル周辺は途端に物々しい雰囲気に包まれた。同日午後、フィリピンの入管当局は特殊詐欺に関わった容疑で日本人36人の身柄を拘束したのだ』、「当時、彼らが得意としていたのが「現金キャッチ」と呼ばれる手法である。 「『キャッシュカードとは別に現金は家にありますか?』と尋ねて『金は偽札である可能性がある』と伝え、R(日本にいる受け子)が現金を持って帰る手法です」(X子)・・・11月13日午前、ついに寺島は詐欺の月額1000万円を達成。大石が「おめでとう!」と寺島を労っていたころ、ホテル周辺は途端に物々しい雰囲気に包まれた。同日午後、フィリピンの入管当局は特殊詐欺に関わった容疑で日本人36人の身柄を拘束したのだ」、「フィリピンの入管当局」による「身柄拘束」のタイミングが偶然に合ったのだろう。
・『掛け子としての黒いキャリアを重ねた寺島 半分の人が拘束された。私と春日井さんは解放されましたが、パスポートは没収されてしまった。その日、春日井さんと一緒にタクシーに乗って(入管当局に)見つからないように南へ向かいました。辿り着いたホテルで1週間何もしないで過ごして、その後『また掛け子をする』というので、店を借り切って掛け子を始めました」(X子) X子は逃亡生活に嫌気が差し、翌2020年2月末に組織を抜け出した。日本大使館に行き、パスポートの紛失を届け出た上、オーバーステイの税金を納付し、同年3月に帰国。成田空港で待っていたのは逮捕状を携えた警視庁の捜査員だった。だが、寺島は詐欺グループを抜けることなく、フィリピンに留まり続け、掛け子としての黒いキャリアを重ねたのだ。 X子がこうした証言をする間、寺島は一度も彼女を見ることはなく、過去の記憶に蓋をするかのように時折目を閉じた。近く予定される被告人質問で寺島は何を語るのか。間もなく裁判は佳境に差し掛かる』、やはり「寺島」は“エリート姫”らしく「X子」のように自発的に自首したりせず、最後までグループの一員であり続けたようだ。
第四に、10月23日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した元週刊文春・月刊文藝春秋編集長の木俣正剛氏による「「トクリュウ」がとうとう近所にやって来た!“狙われる街”に急務の治安対策とは」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/352571
・わが家は大丈夫か? ひたひたと迫る「トクリュウ」の恐怖 10月16日朝、横浜市青葉区の市が尾駅近くで老人の家が襲われ、窓を割った侵入者に老人が縛られたまま殺されたというニュースが流れました。ああ、例の「トクリュウ」(匿名・流動型犯罪グループ)が、とうとうわが家の近くにまで現れたのです。 青葉区は閑静な住宅地で、東京のベッドタウンとしてどんどん発展しました。ほとんどが東急電鉄の沿線で、宅地開発でも同じ地域を一気に売り出すので、町内に住んでいるのは大体同じ世代になります。つまり、今は子どもが巣立って独居老人や老夫婦だけが住んでいるか、二世帯住宅になっているかという街です。 「トクリュウ」が現れる前から、老人に対する詐欺らしき電話や「押し買い」への注意が回覧板に出るようになっていました。実際、プロ野球横浜ベイスターズや読売巨人軍の選手が近所に住んでいるケースも多く、遠征中(夫の留守がわかっているので)に6人組の強盗に入られた選手の名前を聞いたこともあります。 閑静で安全な住宅地だったはずが、だんだん防犯意識が強い街になり、怪しげな人が道を行き交うと、すぐ噂になります。なぜかわが家はまったく被害に遭っていないので、巡回にきた警官に聞いてみると、「泥棒が入りにくい構造になっているからではないか」と解説してくれました。具体的には次の通りです。
(1)夫婦の寝る時間、起きる時間、仕事に出る時間が違っていて、犯罪者が行動バターンを読みにくい(出版社勤務でよかったです)。
(2)家への出入りを周囲から見咎められやすい構造になっている。
(3)砂利石が敷かれていて、音がする。
(4)買っている犬は小犬だが、吠え声が野太くて、他人には大きな犬が家の中にいるように思える。
しかし、実はわが家は一つの不安を抱えていました。ドアの鍵を車の鍵のようにカバンに入れたままでも、手でドアに触れるだけで開くというシステムにしたのですが、実はこの鍵が一つ見当たらないのです。基本はカバンの中に入れてあるので、家のどこかにあるはずですが、愛犬の散歩でフンを拾うときに、たまたま落としてしまった可能性もないではありません。 10日ばかり探しましたが、出てきません。もしこれを「トクリュウ」が拾ったら、と思うと気が気ではありません。街中を探し歩きながら、ドアを触ればいいだけですから。妻に目茶苦茶叱られながら、家探しを行い、最近着た服やカバンを毎日漁っていましたが、今日、ついに鍵を変えることにしました。命あってのモノダネです。)「実はわが家は一つの不安を抱えていました。ドアの鍵を車の鍵のようにカバンに入れたままでも、手でドアに触れるだけで開くというシステムにしたのですが、実はこの鍵が一つ見当たらないのです・・・家探しを行い、最近着た服やカバンを毎日漁っていましたが、今日、ついに鍵を変えることにしました。命あってのモノダネです」、賢明だ。
・実際、疑い出すと「黒い服の若い男が、町を徘徊しては様子を見ている」「若い黒人(ただし学生風で理知的な顔立ち)の4人組が、ゴミの缶をビニール袋にいっぱい入れて運んでいたから、資源ゴミ泥棒じゃないか」「自転車に乗った男が、自宅を10分ほどずっと眺めていた」などという、近所の噂話が耳に入ってきます。 「住人同士が挨拶をしている街の家には、まず泥棒は入らない」と元警視総監の講演で聞いたことがあります。昼と夜には町内でパトロールをしているし、ほとんどの家が犬を飼い、門灯もつけ、監視カメラも多い。その意味では防犯意識はしっかりした町なので、生命の危険を感じるようなことはなく、ある意味、コミュニティがしっかりでき上がっており、「挨拶ができる安心な街って、こういうところだろうな」と安心していたのです』、「「住人同士が挨拶をしている街の家には、まず泥棒は入らない」と元警視総監の講演で聞いたことがあります。昼と夜には町内でパトロールをしているし、ほとんどの家が犬を飼い、門灯もつけ、監視カメラも多い。その意味では防犯意識はしっかりした町なので、生命の危険を感じるようなことはなく、ある意味、コミュニティがしっかりでき上がっており、「挨拶ができる安心な街って、こういうところだろうな」と安心していたのです」、なるほど。
・日本の犯罪は別次元に突入 急がれる治安対策の発想転換 しかし、今回の「トクリュウ」は防犯の必要性が別次元に入ったと考えるべきではないでしょうか。たとえば青葉区の殺人は、同一犯と思わる犯罪がどんどん明るみに出て首都圏で15件に及び、他にも栃木と札幌で類似した事件が発生していると判明。埼玉、千葉、神奈川に警視庁と警察庁の合同捜査本部が設置されました。これまでに判明しているのは、強盗致傷が10件、強盗殺人が1件、それ以外は強盗予備、窃盗などだそうです。 私はこのニュースを見た時点で、地域の治安対策を完全に転換しなければいけないと感じました。もう日本を「治安のいい国」などと言ってはいられません。性善説が前提となっており、財布を落としても交番に行けば届けられており、お巡りさんが近所とコミュニケーションをとるような時代ではなくなったのです。政府は防犯カメラ設置への補助や相談窓口の開設などの対策を打ち出しましたが、そんな生ぬるいものでは、今回のような犯罪は根絶などできないと思います。 私は治安対策の抜本的な強化を提案したいと思います。まずは日本の警察を、かつて暴力団を暴対法でほとんど根絶したような強い法的根拠を持つ警察へと、作り直す時期がきているということです。今回も広域捜査本部ができましたが、殺人が10日に発生したのに立ち上げは18日になってから。最初から「トクリュウ」に関わる犯罪は広域であることがわかっているのだから、もっと早くから全国規模で捜査体制を組むか、特別チームをつくるといった対策が必要だったのではないでしょうか』、「今回の「トクリュウ」は防犯の必要性が別次元に入ったと考えるべきではないでしょうか・・・私は治安対策の抜本的な強化を提案したいと思います。まずは日本の警察を、かつて暴力団を暴対法でほとんど根絶したような強い法的根拠を持つ警察へと、作り直す時期がきているということです。今回も広域捜査本部ができましたが、殺人が10日に発生したのに立ち上げは18日になってから。最初から「トクリュウ」に関わる犯罪は広域であることがわかっているのだから、もっと早くから全国規模で捜査体制を組むか、特別チームをつくるといった対策が必要だったのではないでしょうか」、なるほど。
・振り込め詐欺(以前は「オレオレ詐欺」)は、1990年代に社会問題化し始め、2004年に警察庁が「振り込め詐欺」へと名称を統一しました。2004年の振り込め詐欺の被害額は約280億円でしたが、2014年には約565億円に増加。「ルフィ」などの黒幕が海外で逮捕された2024年においても、被害額は約452億円と推定されています。つまり、暴力団は衰弱しても、半グレや暴力団崩れが関与した闇バイト、振込詐欺の受け子など、お金のない若者をテレグラムなどの匿名性の高いシステムを使って動かす組織は存続し続け、元締めがわからない形で犯行を過激化させているという状況ははっきりしています』、「2004年の振り込め詐欺の被害額は約280億円でしたが、2014年には約565億円に増加。「ルフィ」などの黒幕が海外で逮捕された2024年においても、被害額は約452億円と推定されています。つまり、暴力団は衰弱しても、半グレや暴力団崩れが関与した闇バイト、振込詐欺の受け子など、お金のない若者をテレグラムなどの匿名性の高いシステムを使って動かす組織は存続し続け、元締めがわからない形で犯行を過激化させているという状況ははっきりしています」、なるほど。
・「振り込め詐欺」さえ撲滅できない 日本の警察の不安な実情 しかし、旧態然とした組織や法律のままで、「振り込め詐欺」を何十年も解決できないのが今の警察なのです。今の組織や法体系では、これに対抗するのは無理であり、政府はこのリスクをもっと重大視した立法と組織変更を行う必要があるのではないでしょうか。 たとえば、米国は9.11で国家を揺るがすほどのテロ被害を受けましたが、その後、国家情報長官を新設し、テロリスト情報の共有の円滑化や国土安全保障局を使った盗聴を強化し、結果として20年以上にわたって大規模なテロを防止しています。被害の規模は違うとはいえ、イスラム諸国のテロリスト同様、日本の「トクリュウ」には時代背景を見ても出現する理由が存在します。 小泉純一郎、安倍晋三の両内閣で新自由主義的改革が行われ、格差社会が現実となりました。最初は限定されていた派遣社員の範囲がどんどん拡大され、20代の平均貯蓄額は2000年には約131万円だったものが、2020年には約72万円へと減りました。若者が貧乏であることが、裏バイトが増え続ける根源的な原因であり、彼らをリスクなしに利用できる黒幕が生き延び続ける原因です。日本を支える治安という重要なインフラを壊すテロリスト的存在であると「トクリュウ」を認識した上で、新しい組織、法律を考える必要があるのではないでしょうか。 「日本の警察は優秀」と国際的にも評価を受けています。実際、1990年は犯罪数が約250万件に対して検挙率が約60%、2010年は同150万件に対して同30%、そして2020年は同約70万件に対して同約40%となっており、犯罪数、検挙率ともに良好と言えます。 しかし実際には、検挙率は自転車泥棒を取り締まればすぐ増えます。私の取材経験では、警察は現場で事件を追うよりも昇進のための試験に熱心で、市民の訴えをなるべく事件化せずに葬り去ろうという傾向の組織であることも事実なのです。もし今回の事件も広域捜査本部ができなかったら、強盗予備に分類されていた犯罪は「トクリュウ」犯罪と位置付けられていなかったかもしれません。) 本当は「トクリュウ」をマフィア同様の組織と認定し、暴対法の対象にするだけでなく、いわゆる「盗聴法」(正式名:通信傍受法)の対象を拡大し、テレグラムの完全使用禁止やダークウェブまで監視する権限を、警察に与えるべきではないでしょうか』、「旧態然とした組織や法律のままで、「振り込め詐欺」を何十年も解決できないのが今の警察なのです・・・米国は9.11で国家を揺るがすほどのテロ被害を受けましたが、その後、国家情報長官を新設し、テロリスト情報の共有の円滑化や国土安全保障局を使った盗聴を強化し、結果として20年以上にわたって大規模なテロを防止しています・・・20代の平均貯蓄額は2000年には約131万円だったものが、2020年には約72万円へと減りました。若者が貧乏であることが、裏バイトが増え続ける根源的な原因であり、彼らをリスクなしに利用できる黒幕が生き延び続ける原因です。日本を支える治安という重要なインフラを壊すテロリスト的存在であると「トクリュウ」を認識した上で、新しい組織、法律を考える必要があるのではないでしょうか・・・本当は「トクリュウ」をマフィア同様の組織と認定し、暴対法の対象にするだけでなく、いわゆる「盗聴法」(正式名:通信傍受法)の対象を拡大し、テレグラムの完全使用禁止やダークウェブまで監視する権限を、警察に与えるべきではないでしょうか」、なるほど。
・米国は国家安全保障局(NSA)による「エシュロン」と呼ばれる通信傍受システムで、テロを相当数未然に防ぎました。日本の盗聴法も、2016年の改正でそれまでの薬物・銃器・集団密航・組織的犯罪しか認められていなかった傍受の範囲が拡大され、傷害、爆発物使用、放火、誘拐、監禁、窃盗、詐欺、児童ポルノなどが加えられ、傍受についても「通信会社に出向く」のではなく「警察が必用とする日数分の通話の圧縮データを通信会社から送ってもらい、立会人なしで警察がデータの検証を行える」ように改正されました。 もちろん、個人情報を大事にして人権を養護する団体からは、疑問の声が多く出ましたが、これだけ「トクリュウ」犯罪が過激化し、しかも海外からの指示やお互いを知らない闇バイトメンバーの犯行など犯罪が流動化している現実を見れば、彼らの通信網や連絡網を把握できるよう、即応できる仕組みを考える必用があると思います』、「これだけ「トクリュウ」犯罪が過激化し、しかも海外からの指示やお互いを知らない闇バイトメンバーの犯行など犯罪が流動化している現実を見れば、彼らの通信網や連絡網を把握できるよう、即応できる仕組みを考える必用がある」、その通りだ。
・『過去の日本を取り戻すにはトクリュウ対策を徹底せよ 私は警察を全面的に信用し、権力の濫用を心配しない人間ではありません。しかし、今日のような犯罪の多発化、過激化、単純化は社会情勢の変化と共に起こっているものであり、それには何よりも国民の安全が優先されることが大事です。 たとえば、「トクリュウ」犯罪撲滅の目標を3年以内と警察に決めさせ、3年の時限立法で特別な盗聴許可を出したり、闇バイトで犯罪を唆された人物が警察に事前に名乗り出た場合、報奨金などを出し家族を保護する施設をつくったりすることも検討すべきでしょう。 石破総理は自民党総裁選の立候補演説で、過去の日本についてこう追憶しました。 今ほど豊かではなかったけれど、そこには大勢の人の笑顔がありました。(略)もう一度そういう日本を取り戻したいと思っています。互いが悪口を言ったり足を引っ張ったりするのではなく、共に助け合い、悲しい思いでいる人、苦しい思いでいる人、そういう人たちを助け合うような、そういう日本にしてまいりたいと思っております。日本を守りたい、国民を守りたい、地方を守りたいのです」 まさに「トクリュウ」の撲滅、闇バイト志望者の激減こそ、かつての仲のいい日本人社会を取り戻すチャンスなのではないでしょうか。全身全霊をかけ、全力で警察を叱咤し、必用な法律という武器を与えて、「かつての日本人の笑顔」を取り戻してほしいと考えます』、「「トクリュウ」の撲滅、闇バイト志望者の激減こそ、かつての仲のいい日本人社会を取り戻すチャンスなのではないでしょうか。全身全霊をかけ、全力で警察を叱咤し、必用な法律という武器を与えて、「かつての日本人の笑顔」を取り戻してほしい」、同感である。
先ずは、本年5月30日付け現代ビジネスが掲載したノンフィクション作家の石井 光太氏による「なぜここまで短い言葉で若者たちは闇バイトにはまり込んだか?その理由は絶望的な「国語力」にあった 石井光太ルポ」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/110989?imp=0
・『20って20万ですか?やりたいです 闇バイトの存在が、日本全国で起きている特殊詐欺や強盗事件とかかわっていたとして、にわかに注目されている。 俗にいう闇バイトとは、SNSを介して主に2通りの方法で行われる。犯罪集団の方がSNSで略語を使って募集する方法と、SNSで家出や自殺願望についての発信をした個人に対して犯罪集団の方がメッセージを送ってリクルートする方法だ。 共通するのは、犯罪集団が何の関係性もない人間を、ある日突然支配できる点だ。だからこそ、彼らはその人間をコマのように扱って乱暴な指示を出したり、簡単に切り捨てたりする。 実際のSNSで行われるリクルートのやり取りが次だ。 〈運びのバイトあります。1回即金で20保障します。年齢地域不問です〉 〈20って20マンですか〉 〈そうです。リスク対策万全です〉 〈やりたいです〉 〈ケータイ番号、住所、身分証の写真を送ってもらえますか〉 〈はい〉 大半の人からすれば、なぜこんなSNSの短い言葉に簡単に騙され、重大犯罪を起こすのかと不思議に思うだろう。その背景には、彼らの語彙のなさ、理解力の乏しさ、コミュニケーションスキルの脆弱さがある。 私は『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)で、少年院に入っている少年たちが抱える子供の問題について詳しく見てきた。犯罪と言葉という観点から、日本のダークサイドで起きていることを考えたい』、「犯罪と言葉という観点から」とは興味深そうだ。
・『女子少年院で私が尋ねたこと 本書の取材で、東日本にある少年院で、特殊詐欺で逮捕された10代の少女と出会った。 彼女は劣悪な環境の家庭から逃げ出したいため、ツイッターにそのことを書いた上、割のいいバイトをしたいと発信した。犯罪集団はそうした書き込みをリアルタイム検索で巡回していたのだろう。すぐにダイレクトメッセージが届いた。) 提案されたバイトは、〈1回につき25万円〉だという。〈1カ月で100万円も夢じゃない〉とも書かれていた。少女はバイトの内容さえ確認せずに飛びついた。そして言いなりになって住所など個人情報をすべて教え、特殊詐欺に加担させられたのである。 女子少年院でインタビューをした際、私と少女との間に次のような会話があった(Qは筆者の質問、Aは少女の回答)。 Q:怪しい仕事だと思わなかった? A:わかんないです。 Q:1回25万円は高額だよね。 A:そう言われたからそうだと思った。 Q:危険を冒してまで家を出たかった? A:たぶん。 常識的に考えれば、こんな割のいい仕事があるわけがない。だが、この言葉からわかる通り、彼女はSNSで届いた言葉を鵜呑みにし、何の疑問も抱かずに言われるままに動き、そして逮捕と同時にトカゲのしっぽのように切り捨てられたのである。 短文でのコミュニケーションは、他の闇バイトの世界でも当たり前のこととして行われていることだ。高額報酬という割には、驚くほどの短文でやりとりし、会話にしたら30秒ほどの内容で、数十万、数百万という単位の闇バイトに引きずり込まれる。 集団自殺の勧誘なども同じだ。相手が誰なのか、なぜ集団自殺を持ちかけたのかといったやり取りすらなく、現場へ向かっていく。 こうした短文でのやり取りに、深い思慮はまったくといっていいほどない。だから、一般的には理解できないほど容易く最悪の事態が起きてしまう』、「高額報酬という割には、驚くほどの短文でやりとりし、会話にしたら30秒ほどの内容で、数十万、数百万という単位の闇バイトに引きずり込まれる・・・こうした短文でのやり取りに、深い思慮はまったくといっていいほどない。だから、一般的には理解できないほど容易く最悪の事態が起きてしまう」、なるほど。
・『十分な語彙を獲得できない 私が本書で明らかにしたのは、なぜこうしたことが起こるのかという点だ。 少年院の法務教官など更生にかかわる多くの人たちが指摘するのが、彼らが劣悪な成育歴から十分な語彙を獲得できず、言葉を使いこなせていないということだ。 本書では、これを「国語力」と呼んでいる。文科省は、国語力について、年齢相応の語彙をつけながら、情緒力、想像力、論理的思考力を育て、それを適切に表現する能力と定義している。 人が生きていくには、言葉によって自分の内面と向き合い、物事を想像し、論理的に物事を思考し、それを表現していかなければならない。それができてはじめて周囲に自分を理解してもらい、様々な壁を乗り越えていくことができる。国語力とは、そんな全人的な力なのだ。) なぜ、闇バイトの犯罪に巻き込まれる若者たちは、国語力が劣っている傾向にあるのか。大半の関係者が、その原因を家庭に求めている。 統計によれば、少年院にいる子供たちは、一般と比べて有意に劣悪な家庭環境の中で育っている。それは男子の場合は4割、女子の場合は7割が虐待を受けて育っていることからも明らかだろう(虐待以外の要素を含めれば、親が依存症だとか、親戚の家をたらい回しにされて育ったなど、9割以上は何かしらの問題家庭で育っている)。 こうした家庭では、子供が国語力を高めることは望むべくもない。 たとえば、虐待親から子供が何の理由もなしに四六時中殴られていたとしよう。 そうすれば子供たちは「なぜ叩かれているのか」を考えることも、「なんで叩くのか」と聞くこともしなくなる。理由を考えても答えが出てこないし、親に聞いても殴られるだけだからだ。 あるいは、親が外で遊び歩いてまったく家に帰ってこなかったとしよう。ネグレクトである。 そうなれば、子供は絵本の読み聞かせや会話のやり取りで言葉を育むことができないし、学齢期になっても夜中まで孤独な時間を過ごさなければならなくなる』、「人が生きていくには、言葉によって自分の内面と向き合い、物事を想像し、論理的に物事を思考し、それを表現していかなければならない。それができてはじめて周囲に自分を理解してもらい、様々な壁を乗り越えていくことができる。国語力とは、そんな全人的な力なのだ・・・虐待親から子供が何の理由もなしに四六時中殴られていたとしよう。 そうすれば子供たちは「なぜ叩かれているのか」を考えることも、「なんで叩くのか」と聞くこともしなくなる。理由を考えても答えが出てこないし、親に聞いても殴られるだけだからだ。 あるいは、親が外で遊び歩いてまったく家に帰ってこなかったとしよう。ネグレクトである。 そうなれば、子供は絵本の読み聞かせや会話のやり取りで言葉を育むことができないし、学齢期になっても夜中まで孤独な時間を過ごさなければならなくなる」、なるほど。
・『見知らぬ人間のDMを信用して こうした子供たちは、親子関係が良好な家庭で育つ子供たちと比べて、明らかに語彙の量、自分の感情を知覚する力、見知らぬ世界や他者への想像力を広げる力、物事の因果間関係を志向する力が弱まる。つまり、国語力という人間が生きていくのに必要な全人的な力が脆弱になるのだ。 先の女子少年院の少女も同様だ。彼女もまた、親との不適切な関係によって、言葉で物事を感じ、考え、表現する力をつけることができなかった。 それは、幼い彼女にとって家庭での悲しく不条理な日々を生き抜く術だったはずだ。だが、思春期になった時、それは「無思慮」「思考停止」という形として現れ、むしろ社会で生きていく上での足枷となった。 だからこそ、彼女は何も考えずにSNSに不用意な書き込みをし、見知らぬ人間からのダイレクトメッセージをいとも簡単に鵜呑みにし、警戒心を失った状態で指示通りに行動してしまったのである。 こうした人たちは、他人どころか自分すら大切にすることができない。思いやりもまた言葉によって生まれる感情だからだ。ゆえに、彼らはお年寄りをターゲットにし、大金をむしり取り、時には暴力を振るうことにすら無頓着でいられるのだ。 では、こうした国語力の弱さを社会はどうサポートしようとしているのか。非行少年たちの更生の最前線の取り組みについては後篇《少年院で使用されている幼児教育向けの「表情・感情カード」がヤバすぎる…犯罪と国語力の関係について》で詳しく述べたい』、「こうした子供たちは、親子関係が良好な家庭で育つ子供たちと比べて、明らかに語彙の量、自分の感情を知覚する力、見知らぬ世界や他者への想像力を広げる力、物事の因果間関係を志向する力が弱まる。つまり、国語力という人間が生きていくのに必要な全人的な力が脆弱になるのだ。 先の女子少年院の少女も同様だ。彼女もまた、親との不適切な関係によって、言葉で物事を感じ、考え、表現する力をつけることができなかった。 それは、幼い彼女にとって家庭での悲しく不条理な日々を生き抜く術だったはずだ。だが、思春期になった時、それは「無思慮」「思考停止」という形として現れ、むしろ社会で生きていく上での足枷となった・・・こうした人たちは、他人どころか自分すら大切にすることができない。思いやりもまた言葉によって生まれる感情だからだ。ゆえに、彼らはお年寄りをターゲットにし、大金をむしり取り、時には暴力を振るうことにすら無頓着でいられるのだ」、不幸なことだ。
次に、この続きを、5月30日付け現代ビジネスが掲載したノンフィクション作家の石井 光太氏による「少年院で使用されている幼児教育向けの「表情・感情カード」がヤバすぎる…犯罪と国語力の関係について 石井光太ルポ」を紹介しよう。
・『感情を言語化できない 前篇《なぜここまで短い言葉で若者たちは闇バイトにはまり込んだか?その理由は絶望的な「国語力」にあった》に引き続き、非行少年たちの更生最前線をレポートしよう。 少年院などの更生現場では、犯罪を犯した若者たちに国語力をつけさせるための様々な取り組みを行っている。 『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)で紹介したものが、少年院で使用されている各種カードだ。その1つが、「表情・感情カード」である。 表情・感情カードとは、数十枚のイラストと言葉からなる幼児知育用のカードだ。各カードには、異なるイラストとともに感情を表す言葉が記されている。たとえば、涙を流す女の子のイラストがあり、「さみしい」「こころぼそい」などと書かれている。 少年院の若者たちの多くは、自分の感情を細かく言語化することが不得意だ。ゆえに、何かあれば逐一、表情・感情カードを取り出し、今の自分の感覚が何であるかを探し当て、言語化する訓練をするのである。 本書で、私が話を聞いた法務教官は次のように言っていた。 「たとえば他人と行き違いがあった時、彼らは簡単に『死ね』『ムカつく』『うざい』と言い捨ててしまいます。しかし、それを言えば他人とぶつかることはあっても、うまくいくことはありません。 しかし、きちんと自分の感情に向きあって『さみしい』『こころぼそい』と言うことができたらどうでしょう。ぶつかることは避けられますし、相手もその子を理解しようとしてくれます」』、「少年院で使用されている各種カードだ。その1つが、「表情・感情カード」である。 表情・感情カードとは、数十枚のイラストと言葉からなる幼児知育用のカードだ。各カードには、異なるイラストとともに感情を表す言葉が記されている。たとえば、涙を流す女の子のイラストがあり、「さみしい」「こころぼそい」などと書かれている。 少年院の若者たちの多くは、自分の感情を細かく言語化することが不得意だ。ゆえに、何かあれば逐一、表情・感情カードを取り出し、今の自分の感覚が何であるかを探し当て、言語化する訓練をするのである・・・私が話を聞いた法務教官は次のように言っていた。 「たとえば他人と行き違いがあった時、彼らは簡単に『死ね』『ムカつく』『うざい』と言い捨ててしまいます。しかし、それを言えば他人とぶつかることはあっても、うまくいくことはありません。 しかし、きちんと自分の感情に向きあって『さみしい』『こころぼそい』と言うことができたらどうでしょう。ぶつかることは避けられますし、相手もその子を理解しようとしてくれます」、「表情・感情カード」とは面白い試みだ。
・『言葉のバブル 実際に劣悪な家庭環境で育ってきた若者たちは、怒りを言葉にすることはしても、悲しみを言葉にすることは苦手だ。怒りは他者に向けられるものだが、悲しみは自分を掘り下げるものである。だから、つらいことを思い出さないために、常に怒りの感情だけを外に向けようとする。 表情・感情カードは、幼児教育向けの教材だ。それを、18歳前後の若者たちが、少年院で使用していると聞くと、愕然とする人もいるかもしれない。逆に言えば、家庭環境によって国語力を奪われてきた若者たちは、こういう教育を受けなければ、自身の感情にすら気づけない状態にあるということでもある。 もちろん、こうした取り組みを半年から1年ほど少年院で行っても、必ずしも成果が出るわけではない。だからこそ、少年院を出た子供たちにも似たような教育が必要になる。 福岡には、ヒューマンハーバーという非行少年を多く受け入れている企業がある。ここが運営する更生教育施設「そんとく塾」では、「言葉のバブル」という授業を行っている。 下の図がそれだ。このように喜怒哀楽に関わる言葉を、より詳細な言葉で細かく分解させ、今の自分がどのような感情なのかを適切に理解し、表現することを練習するのだ。 たとえば、その人の身に何か悲しい出来事が起きたとしよう。この時の悲しみの程度が「せつない」くらいなのに、誤って「死にたい」と解釈し、表現したらどうだろう。 あるいは、何か腹立たしい出来事が起きたとしよう。それが「いまいましい」程度なのに、「殺す」と表現したらどうだろう』、「家庭環境によって国語力を奪われてきた若者たちは、こういう教育を受けなければ、自身の感情にすら気づけない状態にあるということでもある。 もちろん、こうした取り組みを半年から1年ほど少年院で行っても、必ずしも成果が出るわけではない。だからこそ、少年院を出た子供たちにも似たような教育が必要になる・・・非行少年を多く受け入れている企業がある。ここが運営する更生教育施設「そんとく塾」では、「言葉のバブル」という授業を行っている。 下の図がそれだ。このように喜怒哀楽に関わる言葉を、より詳細な言葉で細かく分解させ、今の自分がどのような感情なのかを適切に理解し、表現することを練習するのだ。 たとえば、その人の身に何か悲しい出来事が起きたとしよう。この時の悲しみの程度が「せつない」くらいなのに、誤って「死にたい」と解釈し、表現したらどうだろう。 あるいは、何か腹立たしい出来事が起きたとしよう。それが「いまいましい」程度なのに、「殺す」と表現したらどうだろう」、なるほど。
・『言葉があまりにも軽視されている時代に こうした誤った表現が、無用なトラブルを生むことは目に見えている。だからこそ、自分の内面をきちんと理解し、表現することが必要なのだ。 同塾で言葉のバブルの授業をする原田公裕は語る。 「生きることに困難を抱えている人の大半は言葉に問題を抱えています。その苦労を知らない頭のいい大人たちが、『ちゃんとやれ』と叱っても効果がないんです。それなら、きちんと学び直しの機会をつくり、“考える力”“他者への想像力”“論理力”をつけさせるべきです」 少年犯罪でなくても、同じことは一般の人たちにも当てはまる。学校で、会社で、家庭で、言葉をうまくつかえないことが原因のトラブルは多数発生しているだろう。 どれだけ言葉で自分を理解できるのか。他人や社会を思いやれるのか。言葉をうまく操ることができれば、その人は何倍も生きやすくなるだろう。 つまり、国語力を身につけることは、「生きづらさ」からの脱却になるのだ。 現代の人々を取り巻く国語力の問題や、それを習得するための取り組みについて詳しい事例は、『ルポ 誰が国語力を殺すのか』に書いたので参照していただきたい。 ここで言えるのは、言葉こそが、この複雑で困難な時代をうまく生き抜くために必要不可欠な力の1つであるといことだ。しかし今の社会では、それがあまりに軽視されているように思えてならない。 前篇記事《なぜここまで短い言葉で若者たちは闇バイトにはまり込んだか?その理由は絶望的な「国語力」にあった》もあわせてお読み下さい』、「言葉こそが、この複雑で困難な時代をうまく生き抜くために必要不可欠な力の1つであるといことだ。しかし今の社会では、それがあまりに軽視されているように思えてならない。」、その通りだ。
第三に、10月18日付け文春オンライン「詐欺総額1000万円「ルフィ」エリート美女が出廷「水着で出勤しろ!」「俺たちはクズだから」寺島春奈(29)を追い詰める“同僚女性”の証言」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/74263
・『10月8日、東京地裁716号法廷に現れた色白の美女は両脇を刑務官に囲まれ、無表情で腰を下ろした。丸眼鏡の奥の瞳は、感情を押し殺すように前を見据えている。目鼻立ちは整っているが、くたびれたTシャツは1年半余にわたる勾留の長さを物語っていた。 この日行われたのは、渡辺優樹(40)を頂点とする特殊詐欺組織“ルフィグループ”のメンバー寺島春奈(29)の公判である。 1995年、長野市に3人きょうだいの末っ子として生まれた寺島。祖父、父は共に教員を務めた地元の名士だった。中学時代はソフトテニス部に所属していたが、その生活は次第に荒れていく。不良とつるみ始め、進学した市内の高校を中退すると、キャバクラ嬢として働き始めた。その後、寺島は詐欺グループのメンバーとして犯罪に加担していく』、「祖父、父は共に教員を務めた地元の名士」だったが、「高校を中退すると、キャバクラ嬢として働き始めた。その後、寺島は詐欺グループのメンバーとして犯罪に加担」、なるほど。
・『警視庁の調べに対し犯罪への関与を否定 昨年5月24日午後3時半、フィリピンから成田空港に男女4人が降り立った。胸元に薔薇の花弁が施されたオーバーサイズの黒色パーカーを目深に被った寺島は終始俯き、細く整った眉を時折、不機嫌そうに動かした。 同日、警視庁捜査2課は寺島ら4人を窃盗容疑で逮捕。2019年6月から11月にかけて、警察官らを騙って東京都の女性2人に「口座が不正に残高照会されている」などと嘘の電話をかけ、キャッシュカード計8枚や現金計150万円を盗むなどしたという。その後、寺島は窃盗や詐欺で5回の再逮捕、追起訴を経て、現在東京拘置所に勾留されている。 「逮捕後、彼女は警視庁の調べに対して黙秘を貫き、その後は『事件については知らずに電話をかけていた』と犯罪への関与を否定していました。今回、こうした寺島の主張を崩すため、検察側の証人として呼ばれたのが、現地で一緒に暮らしていた犯行グループの元女性メンバーX子でした」(社会部記者) 開廷から約2分後、囚人服姿のX子が入廷し、証言台の前に置かれた長椅子に座る。2019年、X子は「リゾートのアルバイト」を募集していたツイッターで詐欺グループのメンバーと知り合い、同年11月2日にフィリピンに渡航。時を前後して寺島もフィリピンに渡航していた。詐欺グループの幹部を通じて知り合った2人は同部屋で暮らし、共に詐欺に手を染めてきたという。自戒を込めて語られるX子の証言からは、組織内で美貌の“エリート姫”として寺島が重用され、深く詐欺に傾倒していく様が仔細に浮かび上がった』、「逮捕後、彼女は警視庁の調べに対して黙秘を貫き、その後は『事件については知らずに電話をかけていた』と犯罪への関与を否定していました。今回、こうした寺島の主張を崩すため、検察側の証人として呼ばれたのが、現地で一緒に暮らしていた犯行グループの元女性メンバーX子でした・・・X子の証言からは、組織内で美貌の“エリート姫”として寺島が重用され、深く詐欺に傾倒していく様が仔細に浮かび上がった」、なるほど。
・『「日本で受け子をしていた女だ」幹部から寺島を紹介された マニラ市内にあるウエスト・マカティ・ホテル。2019年当時、渡辺らが現地の実業家から約7億円で購入する契約を結んだとされる詐欺の拠点だ。渡航当日、同ホテル7階に連れて行かれたX子は「大石」と名乗る幹部を紹介された。不安に苛まれながら「フランスの音楽院に行くためにお金がほしくてやってきた。20万~50万円はほしい」と話すと、大石はこう言い放った。 「それなら、1カ月で稼げる。俺たちは犯罪者だから。クズだから!」 その日、「青木」という偽名を与えられたX子は、その翌日「春日井」と名乗る細身の美女を紹介される。その女性こそ、同時期にフィリピンに渡航した“新入り”の寺島だった。そのとき、X子はメンバーにこう伝えられたという。 「春日井は日本で受け子をしていた女だ。だから、“わかっている”」 階下の殺風景な一室。その日を境に2人は同室で寝食を共にし、昼間は詐欺に手を染めるようになる。 「これは掛け子の業務報告をするためのものだから」 大石から2人に手渡されたのは、秘匿性の高いアプリ「テレグラム」がインストールされた携帯電話だった。細分化された組織の中で、彼女たちが所属していたのは「ST箱」「シークレット担当」と呼ばれていた。支給される生活費は、週5000ペソ(約1万円)。組織の中では「週給費」と呼ばれ、週の始まりに手渡しでメンバー全員に支給されたという』、「「春日井(寺島)は日本で受け子をしていた女だ。だから、“わかっている”」 階下の殺風景な一室。その日を境に2人は同室で寝食を共にし、昼間は詐欺に手を染めるようになる」、「寺島」の扱いは別格のようだ。
・『「うまくいかなかったら水着で出勤しろ!」 X子は証言台で次のように語る。 「私はこれからどういうことをするのだろうとわからなかったので不安になっていたんですが、春日井さんはおおらかにしていた。だから、彼女は『何をやるのか』、わかっているのだろうと思っていました」 翌4日早朝、幹部は掛け子が一堂に会した朝礼で2人をメンバーに紹介した。 「今日から新人として入った青木と春日井だ」 そこでX子と寺島は2台目の携帯電話と共に、紙の束を手渡される。 〈こちらは、警視庁公安課の◯◯です。捕まった犯人の所有物からあなたの銀行キャッシュカードから現金を引き出している形跡がありました〉 掛け子が高齢者に電話をかける際の事例が書かれた詐欺マニュアルである。 「それを見て、高齢者相手に騙しの電話をする仕事なのだと思いました。マニュアルは春日井さんも受け取っています」(X子) その日、X子は詐欺グループ内で寺島が厚遇されている現実を垣間見る。X子に背を向ける形で座って、電話をかける寺島の隣に張り付き、手法を伝授する男。付きっきりで詐欺を仕込み、エリートとして育成していく意図を感じたという。だが、彼女たちは同時に恐怖と金に支配された環境に身を置くことになる。 「明日詐欺がうまくいかなかったら水着で出勤しろ! 成功したら10万円やる」 寺島らの歓迎会を開いた幹部は、そう命じたという。) 寺島は「『一緒に頑張りましょう』という感じだった」 「それが嫌で、私は翌日頑張って初めて詐欺を成功させました。キャッシュカードには1日100万円の出金限度額があるので、1日に引き出せなかったお金は翌朝に引き出すことになる。それを『朝出し』と言っていました」(X子) 掛け子の報酬は、騙し取った金の4%。また、詐欺総額が月1千万円を超えると、全員に50万円のボーナスが配られたという。 「報酬はストックしていって、必要があるときに申請します。大石からテレグラムで『いくら必要か』と聞かれ、日本円で受け取っていました」(X子) 検察から「被告側は『犯罪組織かはわからず、電話していた』と主張しているが」と問われたX子は、次のように証言している。 「彼女は『一緒に頑張りましょう』という感じだった。(犯罪行為を)わかっていた感じです」』、「X子は詐欺グループ内で寺島が厚遇されている現実を垣間見る。X子に背を向ける形で座って、電話をかける寺島の隣に張り付き、手法を伝授する男。付きっきりで詐欺を仕込み、エリートとして育成していく意図を感じたという・・・掛け子の報酬は、騙し取った金の4%。また、詐欺総額が月1千万円を超えると、全員に50万円のボーナスが配られたという。 「報酬はストックしていって、必要があるときに申請します。大石からテレグラムで『いくら必要か』と聞かれ、日本円で受け取っていました」(X子)」、なるほど。
・『マニュアルに書かれていない手法の詐欺も X子の証言が浮き彫りにするのは、詐欺グループが寺島らに詐欺の“英才教育”を施し、彼女たちが積極的に関与していく様子だった。当時、彼らが得意としていたのが「現金キャッチ」と呼ばれる手法である。 「『キャッシュカードとは別に現金は家にありますか?』と尋ねて『金は偽札である可能性がある』と伝え、R(日本にいる受け子)が現金を持って帰る手法です」(X子) 「現金キャッチ」は、前述したマニュアルに書かれていない。X子と寺島は幹部から「経験者から方法を聞いてこい」と言われ、掛け子の先輩に近付き、電話のやり方を学んだという。日本にいる受け子が現金を受け取る一部始終を目の当たりにすると、大石から「2人もこれができるようにやってほしい」と言われ、報酬を握らされたという。 11月13日午前、ついに寺島は詐欺の月額1000万円を達成。大石が「おめでとう!」と寺島を労っていたころ、ホテル周辺は途端に物々しい雰囲気に包まれた。同日午後、フィリピンの入管当局は特殊詐欺に関わった容疑で日本人36人の身柄を拘束したのだ』、「当時、彼らが得意としていたのが「現金キャッチ」と呼ばれる手法である。 「『キャッシュカードとは別に現金は家にありますか?』と尋ねて『金は偽札である可能性がある』と伝え、R(日本にいる受け子)が現金を持って帰る手法です」(X子)・・・11月13日午前、ついに寺島は詐欺の月額1000万円を達成。大石が「おめでとう!」と寺島を労っていたころ、ホテル周辺は途端に物々しい雰囲気に包まれた。同日午後、フィリピンの入管当局は特殊詐欺に関わった容疑で日本人36人の身柄を拘束したのだ」、「フィリピンの入管当局」による「身柄拘束」のタイミングが偶然に合ったのだろう。
・『掛け子としての黒いキャリアを重ねた寺島 半分の人が拘束された。私と春日井さんは解放されましたが、パスポートは没収されてしまった。その日、春日井さんと一緒にタクシーに乗って(入管当局に)見つからないように南へ向かいました。辿り着いたホテルで1週間何もしないで過ごして、その後『また掛け子をする』というので、店を借り切って掛け子を始めました」(X子) X子は逃亡生活に嫌気が差し、翌2020年2月末に組織を抜け出した。日本大使館に行き、パスポートの紛失を届け出た上、オーバーステイの税金を納付し、同年3月に帰国。成田空港で待っていたのは逮捕状を携えた警視庁の捜査員だった。だが、寺島は詐欺グループを抜けることなく、フィリピンに留まり続け、掛け子としての黒いキャリアを重ねたのだ。 X子がこうした証言をする間、寺島は一度も彼女を見ることはなく、過去の記憶に蓋をするかのように時折目を閉じた。近く予定される被告人質問で寺島は何を語るのか。間もなく裁判は佳境に差し掛かる』、やはり「寺島」は“エリート姫”らしく「X子」のように自発的に自首したりせず、最後までグループの一員であり続けたようだ。
第四に、10月23日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した元週刊文春・月刊文藝春秋編集長の木俣正剛氏による「「トクリュウ」がとうとう近所にやって来た!“狙われる街”に急務の治安対策とは」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/352571
・わが家は大丈夫か? ひたひたと迫る「トクリュウ」の恐怖 10月16日朝、横浜市青葉区の市が尾駅近くで老人の家が襲われ、窓を割った侵入者に老人が縛られたまま殺されたというニュースが流れました。ああ、例の「トクリュウ」(匿名・流動型犯罪グループ)が、とうとうわが家の近くにまで現れたのです。 青葉区は閑静な住宅地で、東京のベッドタウンとしてどんどん発展しました。ほとんどが東急電鉄の沿線で、宅地開発でも同じ地域を一気に売り出すので、町内に住んでいるのは大体同じ世代になります。つまり、今は子どもが巣立って独居老人や老夫婦だけが住んでいるか、二世帯住宅になっているかという街です。 「トクリュウ」が現れる前から、老人に対する詐欺らしき電話や「押し買い」への注意が回覧板に出るようになっていました。実際、プロ野球横浜ベイスターズや読売巨人軍の選手が近所に住んでいるケースも多く、遠征中(夫の留守がわかっているので)に6人組の強盗に入られた選手の名前を聞いたこともあります。 閑静で安全な住宅地だったはずが、だんだん防犯意識が強い街になり、怪しげな人が道を行き交うと、すぐ噂になります。なぜかわが家はまったく被害に遭っていないので、巡回にきた警官に聞いてみると、「泥棒が入りにくい構造になっているからではないか」と解説してくれました。具体的には次の通りです。
(1)夫婦の寝る時間、起きる時間、仕事に出る時間が違っていて、犯罪者が行動バターンを読みにくい(出版社勤務でよかったです)。
(2)家への出入りを周囲から見咎められやすい構造になっている。
(3)砂利石が敷かれていて、音がする。
(4)買っている犬は小犬だが、吠え声が野太くて、他人には大きな犬が家の中にいるように思える。
しかし、実はわが家は一つの不安を抱えていました。ドアの鍵を車の鍵のようにカバンに入れたままでも、手でドアに触れるだけで開くというシステムにしたのですが、実はこの鍵が一つ見当たらないのです。基本はカバンの中に入れてあるので、家のどこかにあるはずですが、愛犬の散歩でフンを拾うときに、たまたま落としてしまった可能性もないではありません。 10日ばかり探しましたが、出てきません。もしこれを「トクリュウ」が拾ったら、と思うと気が気ではありません。街中を探し歩きながら、ドアを触ればいいだけですから。妻に目茶苦茶叱られながら、家探しを行い、最近着た服やカバンを毎日漁っていましたが、今日、ついに鍵を変えることにしました。命あってのモノダネです。)「実はわが家は一つの不安を抱えていました。ドアの鍵を車の鍵のようにカバンに入れたままでも、手でドアに触れるだけで開くというシステムにしたのですが、実はこの鍵が一つ見当たらないのです・・・家探しを行い、最近着た服やカバンを毎日漁っていましたが、今日、ついに鍵を変えることにしました。命あってのモノダネです」、賢明だ。
・実際、疑い出すと「黒い服の若い男が、町を徘徊しては様子を見ている」「若い黒人(ただし学生風で理知的な顔立ち)の4人組が、ゴミの缶をビニール袋にいっぱい入れて運んでいたから、資源ゴミ泥棒じゃないか」「自転車に乗った男が、自宅を10分ほどずっと眺めていた」などという、近所の噂話が耳に入ってきます。 「住人同士が挨拶をしている街の家には、まず泥棒は入らない」と元警視総監の講演で聞いたことがあります。昼と夜には町内でパトロールをしているし、ほとんどの家が犬を飼い、門灯もつけ、監視カメラも多い。その意味では防犯意識はしっかりした町なので、生命の危険を感じるようなことはなく、ある意味、コミュニティがしっかりでき上がっており、「挨拶ができる安心な街って、こういうところだろうな」と安心していたのです』、「「住人同士が挨拶をしている街の家には、まず泥棒は入らない」と元警視総監の講演で聞いたことがあります。昼と夜には町内でパトロールをしているし、ほとんどの家が犬を飼い、門灯もつけ、監視カメラも多い。その意味では防犯意識はしっかりした町なので、生命の危険を感じるようなことはなく、ある意味、コミュニティがしっかりでき上がっており、「挨拶ができる安心な街って、こういうところだろうな」と安心していたのです」、なるほど。
・日本の犯罪は別次元に突入 急がれる治安対策の発想転換 しかし、今回の「トクリュウ」は防犯の必要性が別次元に入ったと考えるべきではないでしょうか。たとえば青葉区の殺人は、同一犯と思わる犯罪がどんどん明るみに出て首都圏で15件に及び、他にも栃木と札幌で類似した事件が発生していると判明。埼玉、千葉、神奈川に警視庁と警察庁の合同捜査本部が設置されました。これまでに判明しているのは、強盗致傷が10件、強盗殺人が1件、それ以外は強盗予備、窃盗などだそうです。 私はこのニュースを見た時点で、地域の治安対策を完全に転換しなければいけないと感じました。もう日本を「治安のいい国」などと言ってはいられません。性善説が前提となっており、財布を落としても交番に行けば届けられており、お巡りさんが近所とコミュニケーションをとるような時代ではなくなったのです。政府は防犯カメラ設置への補助や相談窓口の開設などの対策を打ち出しましたが、そんな生ぬるいものでは、今回のような犯罪は根絶などできないと思います。 私は治安対策の抜本的な強化を提案したいと思います。まずは日本の警察を、かつて暴力団を暴対法でほとんど根絶したような強い法的根拠を持つ警察へと、作り直す時期がきているということです。今回も広域捜査本部ができましたが、殺人が10日に発生したのに立ち上げは18日になってから。最初から「トクリュウ」に関わる犯罪は広域であることがわかっているのだから、もっと早くから全国規模で捜査体制を組むか、特別チームをつくるといった対策が必要だったのではないでしょうか』、「今回の「トクリュウ」は防犯の必要性が別次元に入ったと考えるべきではないでしょうか・・・私は治安対策の抜本的な強化を提案したいと思います。まずは日本の警察を、かつて暴力団を暴対法でほとんど根絶したような強い法的根拠を持つ警察へと、作り直す時期がきているということです。今回も広域捜査本部ができましたが、殺人が10日に発生したのに立ち上げは18日になってから。最初から「トクリュウ」に関わる犯罪は広域であることがわかっているのだから、もっと早くから全国規模で捜査体制を組むか、特別チームをつくるといった対策が必要だったのではないでしょうか」、なるほど。
・振り込め詐欺(以前は「オレオレ詐欺」)は、1990年代に社会問題化し始め、2004年に警察庁が「振り込め詐欺」へと名称を統一しました。2004年の振り込め詐欺の被害額は約280億円でしたが、2014年には約565億円に増加。「ルフィ」などの黒幕が海外で逮捕された2024年においても、被害額は約452億円と推定されています。つまり、暴力団は衰弱しても、半グレや暴力団崩れが関与した闇バイト、振込詐欺の受け子など、お金のない若者をテレグラムなどの匿名性の高いシステムを使って動かす組織は存続し続け、元締めがわからない形で犯行を過激化させているという状況ははっきりしています』、「2004年の振り込め詐欺の被害額は約280億円でしたが、2014年には約565億円に増加。「ルフィ」などの黒幕が海外で逮捕された2024年においても、被害額は約452億円と推定されています。つまり、暴力団は衰弱しても、半グレや暴力団崩れが関与した闇バイト、振込詐欺の受け子など、お金のない若者をテレグラムなどの匿名性の高いシステムを使って動かす組織は存続し続け、元締めがわからない形で犯行を過激化させているという状況ははっきりしています」、なるほど。
・「振り込め詐欺」さえ撲滅できない 日本の警察の不安な実情 しかし、旧態然とした組織や法律のままで、「振り込め詐欺」を何十年も解決できないのが今の警察なのです。今の組織や法体系では、これに対抗するのは無理であり、政府はこのリスクをもっと重大視した立法と組織変更を行う必要があるのではないでしょうか。 たとえば、米国は9.11で国家を揺るがすほどのテロ被害を受けましたが、その後、国家情報長官を新設し、テロリスト情報の共有の円滑化や国土安全保障局を使った盗聴を強化し、結果として20年以上にわたって大規模なテロを防止しています。被害の規模は違うとはいえ、イスラム諸国のテロリスト同様、日本の「トクリュウ」には時代背景を見ても出現する理由が存在します。 小泉純一郎、安倍晋三の両内閣で新自由主義的改革が行われ、格差社会が現実となりました。最初は限定されていた派遣社員の範囲がどんどん拡大され、20代の平均貯蓄額は2000年には約131万円だったものが、2020年には約72万円へと減りました。若者が貧乏であることが、裏バイトが増え続ける根源的な原因であり、彼らをリスクなしに利用できる黒幕が生き延び続ける原因です。日本を支える治安という重要なインフラを壊すテロリスト的存在であると「トクリュウ」を認識した上で、新しい組織、法律を考える必要があるのではないでしょうか。 「日本の警察は優秀」と国際的にも評価を受けています。実際、1990年は犯罪数が約250万件に対して検挙率が約60%、2010年は同150万件に対して同30%、そして2020年は同約70万件に対して同約40%となっており、犯罪数、検挙率ともに良好と言えます。 しかし実際には、検挙率は自転車泥棒を取り締まればすぐ増えます。私の取材経験では、警察は現場で事件を追うよりも昇進のための試験に熱心で、市民の訴えをなるべく事件化せずに葬り去ろうという傾向の組織であることも事実なのです。もし今回の事件も広域捜査本部ができなかったら、強盗予備に分類されていた犯罪は「トクリュウ」犯罪と位置付けられていなかったかもしれません。) 本当は「トクリュウ」をマフィア同様の組織と認定し、暴対法の対象にするだけでなく、いわゆる「盗聴法」(正式名:通信傍受法)の対象を拡大し、テレグラムの完全使用禁止やダークウェブまで監視する権限を、警察に与えるべきではないでしょうか』、「旧態然とした組織や法律のままで、「振り込め詐欺」を何十年も解決できないのが今の警察なのです・・・米国は9.11で国家を揺るがすほどのテロ被害を受けましたが、その後、国家情報長官を新設し、テロリスト情報の共有の円滑化や国土安全保障局を使った盗聴を強化し、結果として20年以上にわたって大規模なテロを防止しています・・・20代の平均貯蓄額は2000年には約131万円だったものが、2020年には約72万円へと減りました。若者が貧乏であることが、裏バイトが増え続ける根源的な原因であり、彼らをリスクなしに利用できる黒幕が生き延び続ける原因です。日本を支える治安という重要なインフラを壊すテロリスト的存在であると「トクリュウ」を認識した上で、新しい組織、法律を考える必要があるのではないでしょうか・・・本当は「トクリュウ」をマフィア同様の組織と認定し、暴対法の対象にするだけでなく、いわゆる「盗聴法」(正式名:通信傍受法)の対象を拡大し、テレグラムの完全使用禁止やダークウェブまで監視する権限を、警察に与えるべきではないでしょうか」、なるほど。
・米国は国家安全保障局(NSA)による「エシュロン」と呼ばれる通信傍受システムで、テロを相当数未然に防ぎました。日本の盗聴法も、2016年の改正でそれまでの薬物・銃器・集団密航・組織的犯罪しか認められていなかった傍受の範囲が拡大され、傷害、爆発物使用、放火、誘拐、監禁、窃盗、詐欺、児童ポルノなどが加えられ、傍受についても「通信会社に出向く」のではなく「警察が必用とする日数分の通話の圧縮データを通信会社から送ってもらい、立会人なしで警察がデータの検証を行える」ように改正されました。 もちろん、個人情報を大事にして人権を養護する団体からは、疑問の声が多く出ましたが、これだけ「トクリュウ」犯罪が過激化し、しかも海外からの指示やお互いを知らない闇バイトメンバーの犯行など犯罪が流動化している現実を見れば、彼らの通信網や連絡網を把握できるよう、即応できる仕組みを考える必用があると思います』、「これだけ「トクリュウ」犯罪が過激化し、しかも海外からの指示やお互いを知らない闇バイトメンバーの犯行など犯罪が流動化している現実を見れば、彼らの通信網や連絡網を把握できるよう、即応できる仕組みを考える必用がある」、その通りだ。
・『過去の日本を取り戻すにはトクリュウ対策を徹底せよ 私は警察を全面的に信用し、権力の濫用を心配しない人間ではありません。しかし、今日のような犯罪の多発化、過激化、単純化は社会情勢の変化と共に起こっているものであり、それには何よりも国民の安全が優先されることが大事です。 たとえば、「トクリュウ」犯罪撲滅の目標を3年以内と警察に決めさせ、3年の時限立法で特別な盗聴許可を出したり、闇バイトで犯罪を唆された人物が警察に事前に名乗り出た場合、報奨金などを出し家族を保護する施設をつくったりすることも検討すべきでしょう。 石破総理は自民党総裁選の立候補演説で、過去の日本についてこう追憶しました。 今ほど豊かではなかったけれど、そこには大勢の人の笑顔がありました。(略)もう一度そういう日本を取り戻したいと思っています。互いが悪口を言ったり足を引っ張ったりするのではなく、共に助け合い、悲しい思いでいる人、苦しい思いでいる人、そういう人たちを助け合うような、そういう日本にしてまいりたいと思っております。日本を守りたい、国民を守りたい、地方を守りたいのです」 まさに「トクリュウ」の撲滅、闇バイト志望者の激減こそ、かつての仲のいい日本人社会を取り戻すチャンスなのではないでしょうか。全身全霊をかけ、全力で警察を叱咤し、必用な法律という武器を与えて、「かつての日本人の笑顔」を取り戻してほしいと考えます』、「「トクリュウ」の撲滅、闇バイト志望者の激減こそ、かつての仲のいい日本人社会を取り戻すチャンスなのではないでしょうか。全身全霊をかけ、全力で警察を叱咤し、必用な法律という武器を与えて、「かつての日本人の笑顔」を取り戻してほしい」、同感である。
タグ:(その3)(なぜここまで短い言葉で若者たちは闇バイトにはまり込んだか?その理由は絶望的な「国語力」にあった 石井光太ルポ、少年院で使用されている幼児教育向けの「表情・感情カード」がヤバすぎる…犯罪と国語力の関係について 石井光太ルポ、詐欺総額1000万円「ルフィ」エリート美女が出廷「水着で出勤しろ!」「俺たちはクズだから」寺島春奈(29)を追い詰める“同僚女性”の証言、「トクリュウ」がとうとう近所にやって来た!“狙われる街”に急務の治安対策とは) 広域強盗事件 現代ビジネス 石井 光太氏による「なぜここまで短い言葉で若者たちは闇バイトにはまり込んだか?その理由は絶望的な「国語力」にあった 石井光太ルポ」 「犯罪と言葉という観点から」とは興味深そうだ。 「高額報酬という割には、驚くほどの短文でやりとりし、会話にしたら30秒ほどの内容で、数十万、数百万という単位の闇バイトに引きずり込まれる・・・こうした短文でのやり取りに、深い思慮はまったくといっていいほどない。だから、一般的には理解できないほど容易く最悪の事態が起きてしまう」、なるほど。 「人が生きていくには、言葉によって自分の内面と向き合い、物事を想像し、論理的に物事を思考し、それを表現していかなければならない。それができてはじめて周囲に自分を理解してもらい、様々な壁を乗り越えていくことができる。国語力とは、そんな全人的な力なのだ・・・虐待親から子供が何の理由もなしに四六時中殴られていたとしよう。 そうすれば子供たちは「なぜ叩かれているのか」を考えることも、「なんで叩くのか」と聞くこともしなくなる。 理由を考えても答えが出てこないし、親に聞いても殴られるだけだからだ。 あるいは、親が外で遊び歩いてまったく家に帰ってこなかったとしよう。ネグレクトである。 そうなれば、子供は絵本の読み聞かせや会話のやり取りで言葉を育むことができないし、学齢期になっても夜中まで孤独な時間を過ごさなければならなくなる」、なるほど。 「こうした子供たちは、親子関係が良好な家庭で育つ子供たちと比べて、明らかに語彙の量、自分の感情を知覚する力、見知らぬ世界や他者への想像力を広げる力、物事の因果間関係を志向する力が弱まる。つまり、国語力という人間が生きていくのに必要な全人的な力が脆弱になるのだ。 先の女子少年院の少女も同様だ。彼女もまた、親との不適切な関係によって、言葉で物事を感じ、考え、表現する力をつけることができなかった。 それは、幼い彼女にとって家庭での悲しく不条理な日々を生き抜く術だったはずだ。 だが、思春期になった時、それは「無思慮」「思考停止」という形として現れ、むしろ社会で生きていく上での足枷となった・・・こうした人たちは、他人どころか自分すら大切にすることができない。思いやりもまた言葉によって生まれる感情だからだ。ゆえに、彼らはお年寄りをターゲットにし、大金をむしり取り、時には暴力を振るうことにすら無頓着でいられるのだ」、不幸なことだ。 石井 光太氏による「少年院で使用されている幼児教育向けの「表情・感情カード」がヤバすぎる…犯罪と国語力の関係について 石井光太ルポ」 『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋) 「少年院で使用されている各種カードだ。その1つが、「表情・感情カード」である。 表情・感情カードとは、数十枚のイラストと言葉からなる幼児知育用のカードだ。各カードには、異なるイラストとともに感情を表す言葉が記されている。たとえば、涙を流す女の子のイラストがあり、「さみしい」「こころぼそい」などと書かれている。 少年院の若者たちの多くは、自分の感情を細かく言語化することが不得意だ。ゆえに、何かあれば逐一、表情・感情カードを取り出し、今の自分の感覚が何であるかを探し当て、言語化する訓練をするのである・・・私が 話を聞いた法務教官は次のように言っていた。 「たとえば他人と行き違いがあった時、彼らは簡単に『死ね』『ムカつく』『うざい』と言い捨ててしまいます。しかし、それを言えば他人とぶつかることはあっても、うまくいくことはありません。 しかし、きちんと自分の感情に向きあって『さみしい』『こころぼそい』と言うことができたらどうでしょう。ぶつかることは避けられますし、相手もその子を理解しようとしてくれます」、「表情・感情カード」とは面白い試みだ。 「家庭環境によって国語力を奪われてきた若者たちは、こういう教育を受けなければ、自身の感情にすら気づけない状態にあるということでもある。 もちろん、こうした取り組みを半年から1年ほど少年院で行っても、必ずしも成果が出るわけではない。だからこそ、少年院を出た子供たちにも似たような教育が必要になる・・・非行少年を多く受け入れている企業がある。ここが運営する更生教育施設「そんとく塾」では、「言葉のバブル」という授業を行っている。 下の図がそれだ。このように喜怒哀楽に関わる言葉を、より詳細な言葉で細かく分解させ、今の自分がどのような感情なのかを適切に理解し、表現することを練習するのだ。 たとえば、その人の身に何か悲しい出来事が起きたとしよう。この時の悲しみの程度が「せつない」くらいなのに、誤って「死にたい」と解釈し、表現したらどうだろう。 あるいは、何か腹立たしい出来事が起きたとしよう。それが「いまいましい」程度なのに、「殺す」と表現したらどうだろう」、なるほど。 「言葉こそが、この複雑で困難な時代をうまく生き抜くために必要不可欠な力の1つであるといことだ。しかし今の社会では、それがあまりに軽視されているように思えてならない。」、その通りだ。 文春オンライン「詐欺総額1000万円「ルフィ」エリート美女が出廷「水着で出勤しろ!」「俺たちはクズだから」寺島春奈(29)を追い詰める“同僚女性”の証言」 「祖父、父は共に教員を務めた地元の名士」だったが、「高校を中退すると、キャバクラ嬢として働き始めた。その後、寺島は詐欺グループのメンバーとして犯罪に加担」、なるほど。 「逮捕後、彼女は警視庁の調べに対して黙秘を貫き、その後は『事件については知らずに電話をかけていた』と犯罪への関与を否定していました。今回、こうした寺島の主張を崩すため、検察側の証人として呼ばれたのが、現地で一緒に暮らしていた犯行グループの元女性メンバーX子でした・・・X子の証言からは、組織内で美貌の“エリート姫”として寺島が重用され、深く詐欺に傾倒していく様が仔細に浮かび上がった」、なるほど。 「「春日井(寺島)は日本で受け子をしていた女だ。だから、“わかっている”」 階下の殺風景な一室。その日を境に2人は同室で寝食を共にし、昼間は詐欺に手を染めるようになる」、「寺島」の扱いは別格のようだ。 「X子は詐欺グループ内で寺島が厚遇されている現実を垣間見る。X子に背を向ける形で座って、電話をかける寺島の隣に張り付き、手法を伝授する男。付きっきりで詐欺を仕込み、エリートとして育成していく意図を感じたという・・・掛け子の報酬は、騙し取った金の4%。また、詐欺総額が月1千万円を超えると、全員に50万円のボーナスが配られたという。 「報酬はストックしていって、必要があるときに申請します。大石からテレグラムで『いくら必要か』と聞かれ、日本円で受け取っていました」(X子)」、なるほど。 「当時、彼らが得意としていたのが「現金キャッチ」と呼ばれる手法である。 「『キャッシュカードとは別に現金は家にありますか?』と尋ねて『金は偽札である可能性がある』と伝え、R(日本にいる受け子)が現金を持って帰る手法です」(X子)・・・11月13日午前、ついに寺島は詐欺の月額1000万円を達成。大石が「おめでとう!」と寺島を労っていたころ、ホテル周辺は途端に物々しい雰囲気に包まれた。同日午後、フィリピンの入管当局は特殊詐欺に関わった容疑で日本人36人の身柄を拘束したのだ」、「フィリピンの入管当局」による「身 柄拘束」のタイミングが偶然に合ったのだろう。 やはり「寺島」は“エリート姫”らしく「X子」のように自発的に自首したりせず、最後までグループの一員であり続けたようだ。 ダイヤモンド・オンライン 木俣正剛氏による「「トクリュウ」がとうとう近所にやって来た!“狙われる街”に急務の治安対策とは」 「実はわが家は一つの不安を抱えていました。ドアの鍵を車の鍵のようにカバンに入れたままでも、手でドアに触れるだけで開くというシステムにしたのですが、実はこの鍵が一つ見当たらないのです・・・家探しを行い、最近着た服やカバンを毎日漁っていましたが、今日、ついに鍵を変えることにしました。命あってのモノダネです」、賢明だ。 「「住人同士が挨拶をしている街の家には、まず泥棒は入らない」と元警視総監の講演で聞いたことがあります。昼と夜には町内でパトロールをしているし、ほとんどの家が犬を飼い、門灯もつけ、監視カメラも多い。その意味では防犯意識はしっかりした町なので、生命の危険を感じるようなことはなく、ある意味、コミュニティがしっかりでき上がっており、「挨拶ができる安心な街って、こういうところだろうな」と安心していたのです」、なるほど。 「今回の「トクリュウ」は防犯の必要性が別次元に入ったと考えるべきではないでしょうか・・・私は治安対策の抜本的な強化を提案したいと思います。まずは日本の警察を、かつて暴力団を暴対法でほとんど根絶したような強い法的根拠を持つ警察へと、作り直す時期がきているということです。今回も広域捜査本部ができましたが、殺人が10日に発生したのに立ち上げは18日になってから。 最初から「トクリュウ」に関わる犯罪は広域であることがわかっているのだから、もっと早くから全国規模で捜査体制を組むか、特別チームをつくるといった対策が必要だったのではないでしょうか」、なるほど。 「2004年の振り込め詐欺の被害額は約280億円でしたが、2014年には約565億円に増加。「ルフィ」などの黒幕が海外で逮捕された2024年においても、被害額は約452億円と推定されています。つまり、暴力団は衰弱しても、半グレや暴力団崩れが関与した闇バイト、振込詐欺の受け子など、お金のない若者をテレグラムなどの匿名性の高いシステムを使って動かす組織は存続し続け、元締めがわからない形で犯行を過激化させているという状況ははっきりしています」、なるほど。 「旧態然とした組織や法律のままで、「振り込め詐欺」を何十年も解決できないのが今の警察なのです・・・米国は9.11で国家を揺るがすほどのテロ被害を受けましたが、その後、国家情報長官を新設し、テロリスト情報の共有の円滑化や国土安全保障局を使った盗聴を強化し、結果として20年以上にわたって大規模なテロを防止しています・・・20代の平均貯蓄額は2000年には約131万円だったものが、2020年には約72万円へと減りました。 若者が貧乏であることが、裏バイトが増え続ける根源的な原因であり、彼らをリスクなしに利用できる黒幕が生き延び続ける原因です。日本を支える治安という重要なインフラを壊すテロリスト的存在であると「トクリュウ」を認識した上で、新しい組織、法律を考える必要があるのではないでしょうか・・・本当は「トクリュウ」をマフィア同様の組織と認定し、暴対法の対象にするだけでなく、いわゆる「盗聴法」(正式名:通信傍受法)の対象を拡大し、テレグラムの完全使用禁止やダークウェブまで監視する権限を、警察に与えるべきではないでしょうか」、 なるほど。 「これだけ「トクリュウ」犯罪が過激化し、しかも海外からの指示やお互いを知らない闇バイトメンバーの犯行など犯罪が流動化している現実を見れば、彼らの通信網や連絡網を把握できるよう、即応できる仕組みを考える必用がある」、その通りだ。 「「トクリュウ」の撲滅、闇バイト志望者の激減こそ、かつての仲のいい日本人社会を取り戻すチャンスなのではないでしょうか。全身全霊をかけ、全力で警察を叱咤し、必用な法律という武器を与えて、「かつての日本人の笑顔」を取り戻してほしい」、同感である。
司法(その19)(フランス人記者が見た日本の「離婚後共同親権」が危うい理由、「京アニ事件死刑判決」は「国民への忖度」だったのか?「判決に矛盾が内在してしまう司法の問題」と今こそ考えるべき「刑法39条削除論」、不祥事が続く成年後見制度 相続人の認知症リスクに備え「遺す側」ができる対策とは?【税理士が解説】) [社会]
司法については、本年3月15日に取上げた。今日は、(その19)(フランス人記者が見た日本の「離婚後共同親権」が危うい理由、「京アニ事件死刑判決」は「国民への忖度」だったのか?「判決に矛盾が内在してしまう司法の問題」と今こそ考えるべき「刑法39条削除論」、不祥事が続く成年後見制度 相続人の認知症リスクに備え「遺す側」ができる対策とは?【税理士が解説】)である。
先ずは、本年6月8日付けNewsWEEK日本版が掲載したジャーナリストの西村カリン氏による「フランス人記者が見た日本の「離婚後共同親権」が危うい理由」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/japan/2024/06/post-104703.php
・『<5月に成立した民法改正法により日本でも26年から離婚後の共同親権が可能になるが、「外圧」による中途半端な制度では誰も得しない> 5月17日に国会で成立した民法改正法により、日本でも離婚後の共同親権が2026年から可能になる予定だ。 この重要な変化の背景には外圧があった。日本人と外国人の国際結婚が増えたことで、国際離婚も増加。日本人の親(主に母親)が外国人の親の同意を得ずに子供を連れ去る例もあり、国際問題になっている。 日本では離婚すれば多くの場合、子供と同居する親が親権を取り、もう一方の親は子供に会えない状況になりがちだ。家庭内暴力(DV)などの理由で逃げる親もいるので、必ずしも子供を連れ出したほうが悪いとは言えないが、海外では「子供を誘拐した日本人の親は犯罪者」と紹介されることが多く、大きな社会問題になっていた。 20年7月には欧州議会が、日本人の親による「子供の連れ去り」を懸念し、共同親権に向けた法改正などを求める対日決議を採択。国境を越えた子供の連れ去りが発生した場合は元の居住国に返すことなどを定めたハーグ条約の履行も求めた。 欧米諸国では一方の親が他方の親の同意を得ずに子供の居所を移動させることは誘拐行為で、重大な犯罪だ。しかし、日本では違法な行為とされていないことで批判を浴びた。また日本では離婚後に片親にしか親権が認められないため、別居親は子供に会えないと欧米では理解された』、「日本人の親(主に母親)が外国人の親の同意を得ずに子供を連れ去る例もあり、国際問題になっている・・・海外では「子供を誘拐した日本人の親は犯罪者」と紹介されることが多く、大きな社会問題になっていた。 20年7月には欧州議会が、日本人の親による「子供の連れ去り」を懸念し、共同親権に向けた法改正などを求める対日決議を採択。国境を越えた子供の連れ去りが発生した場合は元の居住国に返すことなどを定めたハーグ条約の履行も求めた・・・欧米諸国では一方の親が他方の親の同意を得ずに子供の居所を移動させることは誘拐行為で、重大な犯罪だ。しかし、日本では違法な行為とされていないことで批判を浴びた。また日本では離婚後に片親にしか親権が認められないため、別居親は子供に会えないと欧米では理解された」、「欧州議会」でまで取上げられたというのは、恥ずかしいことだ。この問題を放置してきた日本の司法当局の責任は重大だ。
・『不勉強な海外マスコミのせい 実際は、親権と子供に会う権利(面会交流権)は別のものだ。家庭裁判所で手続きをすれば面会交流ができると知らないか、知っていても手続きをしなかった外国人の別居親がいる。そうした点が、欧米の人々に対してきちんと説明されなかったことが誤解につながった。 それは完全に海外マスコミのせいだと、私は思うようになった。私も含めて日本の民法について不勉強だったり、文化の違いを理解していない記者が、「日本には共同親権がないから離婚後、別居親と子供の関係が崩れる」と説明してしまった。) 日本で共同親権についての議論が本格的に浮上した際、私は反対派の意見をよく聞き、フランスの親権と日本の親権の意味を勉強した。その結果、「日本も共同親権を導入したほうがいい」という私の意見は180度ではないが、一部変わった。日本での共同親権と、われわれ欧米人が思う共同親権の中身が違うからだ。 フランスの場合は「親が別れても親権は変わらない」、つまり共同親権が原則で、単独親権は極めて例外だ。また、別居親の親権には面会交流権も含まれる。そのためDVや虐待を理由に家庭裁判所の判断で親権を失った別居親は、面会交流権も失う』、民法は確か「フランス」をお手本にした筈だが、「親権」や「面会交流権」は「フランス」とは異なっているようだ。他の欧米諸国も「フランス」に近いのであれば、日本が変更すべきだが、各国様々であれば、そのまま放置してもよさそうだ。
・『日本では親権と面会交流権は別々の権利 共同親権があっても行使が困難な場合は、裁判所が日常の親権行使を同居親の単独に制限できる。その際も面会交流権は残るが、子供にとってリスクがある場合は裁判所の判断でその権利を停止する。 日本では、親権と面会交流権は別々の権利だ。それを理解せず、共同親権になれば自動的に面会交流権も得られると考えた外国人が多かったと思われる。だから、日本政府に「共同親権を導入してほしい」という海外からの強い圧力があったのではないか。 5月に成立した改正法はその点に関して曖昧だ。親権に面会交流権が含まれているかどうかが分かりにくいし、そのことで争いが起こるリスクが高い。 共同親権の反対派は、家庭裁判所が共同親権が妥当と判断すれば、離婚後もDVや虐待が継続してしまうことを危惧する。「DVや虐待がある場合は裁判所が単独親権にする」と政府は反論するが、本当にそうなるかは不安だ。ここが主な問題だと思う。DVがあったと証明することは難しいし、実際の状況を判断するために調査が必要だが、日本ではDV対策が明らかに不十分だ。裁判所が間違って判断するリスクを否定できない。) その問題を解決せずに共同親権を可能にするのは、女性や子供の安全への脅威であると認めないといけない。一方で「嘘のDV告発をされた」と訴える男性もいるので、しっかり調査ができればそうした例も減らすことができる。DV対策やDVの立証方法を強化することが急務だろう。 日本では離婚後、家庭裁判所の判断で面会交流権を得た別居親に子供を会わせない同居親がいたとしても、罰則がない。それが多くの国との大きな違いで、誤解が生まれた原因の1つと考えられる』、我が国でも「DV対策やDVの立証方法を強化」するよ同時に、「面会交流権を得た別居親に」は子供と会う権利を保証すべきだ。
・『グローバル化の限界が露呈 フランスの場合、親権を持つ別居親はDVや虐待の犯罪歴がない限り、面会交流権も持つ。同居親の一方的な都合で別居親の面会交流権が守られなければ、別居親は被害届を出すことができる(同居親は最大で懲役1年または1万5000ユーロの罰金が科される可能性がある)。 日本の状況は大きく異なる。厚生労働省の調査(21年)では、面会交流が実施されているのは母子家庭で30・2%、父子家庭で48%にすぎない。日本弁護士連合会の調査(14年)では、調停で合意した親子交流が全くできていない人の割合は44%だ。なぜそうなっているのか、理由を把握することが重要だが、共同親権を導入するだけで状況が改善するとは思わない。 ここまで説明してきた点の背景には、日本と欧米の社会や文化の無視できない違いがある。同時に日本はG7の一国であり、他の加盟国とさまざまな分野で協力し、ハーグ条約などにも署名した。そうした約束を守らないと、国際社会から批判を受ける。 これはまさにグローバル化の限界だと思う。それぞれの国の文化や社会構成は簡単に変更できないので、国際ルールに賛同する前に十分に国内で議論し、適切なプロセスで法律を改正することが重要だ。国際的批判や外圧を止めるために、不十分な議論に基づいて中途半端な法改正をすれば、誰の利益にもならないリスクがある。 今回、「日本でも共同親権が可能だ」と政府は国際社会に対して言えるようになった。しかし共同親権導入の本当の目的が不明のままで、国内外の賛成派からも反対派からも批判が止まらない可能性が高い。親子の交流などについて、根本的な問題解決につながることもあまり期待できない。 改正法の中身は、親権の共同行使と単独行使の境界などが曖昧すぎるから、これからさまざまな具体的なことを決定していくことになる。その段階では、子供の利益を第一に考えてほしい』、「日本はG7の一国であり、他の加盟国とさまざまな分野で協力し、ハーグ条約などにも署名した。そうした約束を守らないと、国際社会から批判を受ける。 これはまさにグローバル化の限界だと思う。それぞれの国の文化や社会構成は簡単に変更できないので、国際ルールに賛同する前に十分に国内で議論し、適切なプロセスで法律を改正することが重要だ」、その通りだ。
次に、8月27日付け現代ビジネスが掲載した「「京アニ事件死刑判決」は「国民への忖度」だったのか?「判決に矛盾が内在してしまう司法の問題」と今こそ考えるべき「刑法39条削除論」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/136027
・『世間が大騒ぎするような重大な殺人事件が起こると、必ず「精神鑑定」という難題が浮上する。 鑑定の結果、加害者に精神障害が認められると、刑法39条の規定で無罪か刑の軽減になる。 厳罰派は、被害者感情を持ち出して、「犯罪をした精神障害者にも処罰を与えるべきだ」と主張する。 一方、精神科医や人権派弁護士らは「精神障害者に必要なのは、処罰ではなく治療だ」と主張する。 議論は一向に進まず平行線のままだが、刑法39条をめぐるこの混乱をどう考えるべきだろうか。 前編『「遺族は到底納得できない」...なぜ5人殺傷で罪に問われないのか、意味不明な行為ほど罰が軽くなる「刑法39条の大矛盾」』から続く』、この記事だけでなく、報道の多くは、「京アニ」の建物の構造上で欠陥に触れてないが、私は二階への階段が1つしかない構造にも被害を大きくした原因があると思う。
・『起訴前鑑定で不起訴になるケースが9割 犯罪白書によると、2022年における刑法犯の検挙人員は16万9409人。そのうち精神障害者等(精神障害者1039人+精神障害の疑いのある者305人)は1344人。刑法犯の検挙人員総数のうち、精神障害者等の比率は0.8%だった。 検察庁の調査では、同年、心神喪失を理由に不起訴処分に付された被疑者(過失運転致死傷等及び道交違反を除く)は370人。また、最高裁判所事務総局の資料によると、第1審において心神喪失を理由に無罪となった者は4人だった。 全体で不起訴人員は約14万人いるため、精神障害者が不起訴になるケースは少ないと思われるかもしれない。 しかし22年では、起訴前鑑定などで心神喪失や心神耗弱が指摘され、検察官が心神喪失者等医療観察法に基づいて申し立てた者278人のうち、258人が不起訴になっているというデータもある。つまり、ほとんどが不起訴になっている。 九州工業大学名誉教授(刑事法学)で、著書に『刑法39条はもういらない』(青弓社)がある、佐藤直樹氏が解説する。 「例年、精神障害犯罪者が起こした事件のうち、約9割が起訴前鑑定で責任無能力とされ、不起訴になっています。その場合、犯罪としてカウントされないため、犯罪事実の解明がまったくされず、その事実がなかったことになる。 裁判が行われないことは精神障害者当人にとっても問題がある。なぜかと言えば、精神障害者から憲法32条の『裁判を受ける権利』を奪っているから。刑法39条は、精神障害者を人権の担い手としての『人間』というカテゴリーから、排除する役割を果たしているのです」(以下「」は佐藤氏)』、「例年、精神障害犯罪者が起こした事件のうち、約9割が起訴前鑑定で責任無能力とされ、不起訴になっています。その場合、犯罪としてカウントされないため、犯罪事実の解明がまったくされず、その事実がなかったことになる。 裁判が行われないことは精神障害者当人にとっても問題がある。なぜかと言えば、精神障害者から憲法32条の『裁判を受ける権利』を奪っているから。刑法39条は、精神障害者を人権の担い手としての『人間』というカテゴリーから、排除する役割を果たしているのです」、言われてみれば、その通りだ。
・『京アニ事件死刑判決は国民への忖度か 刑法39条の規定は「精神鑑定の結果は正しい」ことが前提となっているが、精神科医によって診断結果が異なることは決して稀ではなく、むしろ見解が一致することはほぼない。 一方で、精神鑑定が裁判でまったく機能していないというケースもある。どういうことだろうか。 「たとえば、京アニ事件の場合、起訴前鑑定では『妄想性パーソナリティ障害で、犯行時の行動には影響はほとんどみられない』と診断されました。これは『人格がヘンなだけ』という意味。公判中の精神鑑定では『重度の妄想性障害で、妄想が犯行動機を形成している』と診断されたのですが、これは『明らかに病気』という意味です。 最終的に京都地裁は『重度の妄想性障害。放火や殺人を選択したことについては、妄想の影響は認められない』として死刑判決を下したのですが、『病気』を認定するのなら、犯行に妄想の影響はないという判断になるのはおかしい。 つまり、裁判所が『被告は妄想性障害だとしながら、完全責任能力がある』という無理筋の結論に至ったのは、『死刑以外は許さない』という国民感情に忖度したからであり、精神鑑定の結果はまったく考慮されていないのです」 そもそも、精神科医や裁判所が、先述の「不可知論」がいうように、犯行時の責任能力というものを正確に判断できるわけがないと、佐藤氏は指摘する。 「いま実際に裁判でやっていることは、犯人が合理的に行動しているかどうか、犯罪行為が外から見て了解できるかどうか、の判断にすぎません。責任能力の実質であるはずの『精神状態がおかしくないかどうか』(生物学的要件)と、『善悪の判断能力の有無』『制御能力の有無』(心理学的要件)はほぼ検討されず、まったく別のところで、責任能力が判断されているのが実態なのです」』、「「いま実際に裁判でやっていることは、犯人が合理的に行動しているかどうか、犯罪行為が外から見て了解できるかどうか、の判断にすぎません。責任能力の実質であるはずの『精神状態がおかしくないかどうか』(生物学的要件)と、『善悪の判断能力の有無』『制御能力の有無』(心理学的要件)はほぼ検討されず、まったく別のところで、責任能力が判断されているのが実態なのです」、なるほど。
・『刑法39条は精神障害者を差別している 佐藤氏が語るように、責任能力の規定が精神障害者の「人間」というカテゴリーからの排除を意味していた。そうだとすれば、刑法39条は削除されるべきだと主張する。 「39条が廃止されれば、『人権』という観点からいっても、起訴前に責任能力の有無を判断されることもなくなりますし、精神障害者の『裁判を受ける権利』や、あえていえば『処罰される権利』も保障することになります。精神鑑定は、責任能力の判断のために使うのではなく、『情状』を考慮するために使われるべき。この場合は黙秘権を保障するために、新たに『鑑定拒否権』を確立する必要があります。というのは、現状の精神鑑定では、被疑者・被告人が沈黙していても、その状態を手がかりに鑑定結果を出すことができるからです。精神障害犯罪者を『人間』にとどめておくためにも刑法39条を削除すべきではないでしょうか」 あまり知られていないが、かつて刑法40条に「瘖唖(いんあ)者(聴力障害者)の責任能力」の規定があったものの、1995年の刑法の平易化の際に、『瘖唖者への差別である』として削除された経緯がある。 であれば、同様に刑法39条の規定も精神障害者に対する差別ではないだろうか』、「精神鑑定は、責任能力の判断のために使うのではなく、『情状』を考慮するために使われるべき。この場合は黙秘権を保障するために、新たに『鑑定拒否権』を確立する必要があります。というのは、現状の精神鑑定では、被疑者・被告人が沈黙していても、その状態を手がかりに鑑定結果を出すことができるからです。精神障害犯罪者を『人間』にとどめておくためにも刑法39条を削除すべきではないでしょうか」、同感である。
第三に、10月3日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した税理士・岡野相続税理士法人 代表社員の岡野雄志氏による「不祥事が続く成年後見制度、相続人の認知症リスクに備え「遺す側」ができる対策とは?【税理士が解説】」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/351395
・『今年4月にRKB毎日放送で成年後見人の特集が放映され、成年後見制度の「現実」が明らかとなった。それをきっかけに、制度のしくみや問題点に注目が集まっている。成年後見人による財産の着服などの不祥事も続いているが、本制度は相続時にも欠かせない制度であることをご存じだろうか。相続人の中に「認知症」をはじめとする判断能力の低下が見られる家族がいた場合で、法定相続を選択せず遺産分割協議を行う際には、成年後見制度を利用する必要がある。2023年6月には、認知症の親と相続をテーマにした映画「親のお金は誰のもの」(監督・田中光敏)が公開され、相続と成年後見制度の問題点に光をあてている。そこで本記事では、認知症の相続人がいる場合の相続手続きについて、成年後見制度の実情も交えながら詳しく解説する。(税理士・岡野相続税理士法人 代表社員 岡野雄志)』、「相続人の中に「認知症」をはじめとする判断能力の低下が見られる家族がいた場合で、法定相続を選択せず遺産分割協議を行う際には、成年後見制度を利用する必要がある」、なるほど。
・『相続時に「成年後見人」が必要となるケース 家族が亡くなり相続が開始されると、相続人全員で遺産分割協議を行う必要がある。遺産分割協議では誰が何を、いくら相続するのか決めていくが、相続人の中に判断能力が不十分となっている方がいる場合はどうすればよいのだろうか。結論から言うと、その方自身の相続権を守るためにも「成年後見人」を立てる必要がある。 今年5月8日に開催された「第2回認知症施策推進関係者会議」では、厚生労働省の研究班が2040年時点での日本国内における認知症患者数は約584万人に上るとの予想を発表した。高齢化社会の日本では認知症は身近な病であり、相続を迎えた時に成年後見人が必要になるケースは少なくないのだ。 「被相続人が遺した財産は少ないし、どうせ認知症の介護もするのだから無視していいだろう」と勝手に遺産分割協議を進めてしまったら、遺産分割協議そのものが無効となってしまう。判断能力が不十分な相続人に代わって署名・捺印を行うと、私文書偽造の罪に問われる可能性もある。 成年後見人の申し立てから選任までは時間を要するため億劫に感じる方も多いかもしれない。しかし、適切に相続を進めるためにも、認知能力が不十分な相続人がいる相続では、成年後見人を立てよう』、「「被相続人が遺した財産は少ないし、どうせ認知症の介護もするのだから無視していいだろう」と勝手に遺産分割協議を進めてしまったら、遺産分割協議そのものが無効となってしまう。判断能力が不十分な相続人に代わって署名・捺印を行うと、私文書偽造の罪に問われる可能性もある・・・認知能力が不十分な相続人がいる相続では、成年後見人を立てよう」、なるほど。
・『成年後見制度は法定後見と任意後見の2種類 成年後見人とは、認知症だけではなく知的障害や精神障害などの症状がある方に代わって「法律行為」を行える人を意味する。 成年後見制度には、法定後見と任意後見の2種類がある。任意後見は本人に判断能力があり、将来に備えて本人の意思で契約するものであるのに対し、法定後見は、すでに判断能力が不十分である方向けの制度である。法定後見には「成年後見人」・「保佐人」・「補助人」の3種類があるが、相続の際は遺産分割などにおいて高度な判断が欠かせないため、全ての法律行為に対して代理権を持つ成年後見人が必要となる。 保佐人も相続人に代わって相続に参加することが可能だが、付与されているのは民法に定められた行為を行う際に必要な同意権であり、代理権については家庭裁判所の審判が下りなければ付与されない。相続時には預貯金の解約や不動産の取得なども行う必要があり、保佐人にはできないことが多いため、成年後見人を選任することが妥当だ。 成年後見人が必要となった場合、必要となった方の住所地を管轄する家庭裁判所に申し立てを行う必要がある。申し立てから選任までは1~2カ月の期間を要し、この間は遺産分割協議を終えることはできない。 医師による診断書などの必要書類をそろえ提出すると、家庭裁判所による審問や調査が始まる。判断能力については鑑定が行われることも多く、さまざまな調査の結果や現在の本人を取り巻く環境を踏まえて、家庭裁判所が適任と考える成年後見人を選ぶ。申立時には成年後見人に選んで欲しい人を家庭裁判所側に伝えられるが、希望が通らないケースも多い』、「成年後見人とは、認知症だけではなく知的障害や精神障害などの症状がある方に代わって「法律行為」を行える人を意味する。 成年後見制度には、法定後見と任意後見の2種類がある。任意後見は本人に判断能力があり、将来に備えて本人の意思で契約するものであるのに対し、法定後見は、すでに判断能力が不十分である方向けの制度である。法定後見には「成年後見人」・「保佐人」・「補助人」の3種類があるが、相続の際は遺産分割などにおいて高度な判断が欠かせないため、全ての法律行為に対して代理権を持つ成年後見人が必要となる。 保佐人も相続人に代わって相続に参加することが可能だが、付与されているのは民法に定められた行為を行う際に必要な同意権であり、代理権については家庭裁判所の審判が下りなければ付与されない・・・相続時には預貯金の解約や不動産の取得なども行う必要があり、保佐人にはできないことが多いため、成年後見人を選任することが妥当だ。 成年後見人が必要となった場合、必要となった方の住所地を管轄する家庭裁判所に申し立てを行う必要がある。申し立てから選任までは1~2カ月の期間を要し、この間は遺産分割協議を終えることはできない」、なるほど。
・『成年後見人はなぜ批判されるのか 冒頭で触れたが、今年放映された成年後見人に関する報道が大きな話題となった。放送では、被後見人に対する支出が大きく制限されることや、成年後見人の報酬の実態などが明らかとなった。成年後見人による預貯金などの着服問題もあわせて放映されたため、制度への批判が噴出している。 成年後見人への不満は上記に留まらず、使いにくい制度としても知られている。 まず、柔軟な資産運用はできなくなる。財産は維持を目的に管理するだけであり、投資などの行為で増やすことはできなくなるからだ。 また、家庭裁判所が選んだ成年後見人と家族との意思疎通が上手く進まず、対立することも多い。成年後見人は一度選出されると、特別な事情が認められない限り外すこともできない。相続時に必要となった場合、相続手続き完了後も成年後見人を外せないのだ。こうした制度の難点に加えて着服などの不祥事も重なり、制度そのものが批判されるに至ったのだ』、「成年後見人への不満は上記に留まらず、使いにくい制度としても知られている。 まず、柔軟な資産運用はできなくなる。財産は維持を目的に管理するだけであり、投資などの行為で増やすことはできなくなるからだ。 また、家庭裁判所が選んだ成年後見人と家族との意思疎通が上手く進まず、対立することも多い。成年後見人は一度選出されると、特別な事情が認められない限り外すこともできない。相続時に必要となった場合、相続手続き完了後も成年後見人を外せないのだ」、なるほど。
・『成年後見人が厳しい財産管理を行う理由 成年後見人が被後見人の同居家族の支出に対して、厳しい意見を伝えることがある。この部分はRKB毎日放送の番組でもクローズアップされていたが、なぜこのような厳しい管理が行われているのか。 実は、同居家族が被後見人の財産に頼って生活してしまうケースがあるのだ。家族が被後見人の財産を必要以上に費消しかねないため、選ばれた成年後見人は厳しく資産を管理し、時には家族に指導をせざるを得ない。財産の状況は定期的に家庭裁判所への報告義務もある。 成年後見人は「被後見人の資産を守る」ことが重要な仕事だが、家族は被後見人も含めた「家族の暮らしを守る」ことを求めるがゆえに、成年後見人と家族は時に対立するのだ。この対立を避けるためには、双方の歩み寄りが大切である』、「同居家族が被後見人の財産に頼って生活してしまうケースがあるのだ。家族が被後見人の財産を必要以上に費消しかねないため、選ばれた成年後見人は厳しく資産を管理し、時には家族に指導をせざるを得ない。財産の状況は定期的に家庭裁判所への報告義務もある。 成年後見人は「被後見人の資産を守る」ことが重要な仕事だが、家族は被後見人も含めた「家族の暮らしを守る」ことを求めるがゆえに、成年後見人と家族は時に対立するのだ。この対立を避けるためには、双方の歩み寄りが大切である」、なるほど。
・『成年後見人を回避して相続する方法はあるのか 相続人に認知症の方がいる場合に、成年後見人を回避して相続する方法はあるのだろうか。結論を言うと、認知症の方の相続権を守り、不利益を被らないようにするためにも「相続開始後は回避できない」。 加えて、被相続人に債務が多く相続放棄を検討する場合も、成年後見人が手続きをしなければ相続放棄できない。 成年後見制度を回避して円満な相続を進めるためには、生前から遺言書・家族信託・贈与など対策が必要となる。たとえば、遺言書で財産を与える人を指定しておけば遺産分割協議は不要だ。成年後見制度を利用しなくても財産の承継がスムーズに行える』、「認知症の方の相続権を守り、不利益を被らないようにするためにも「相続開始後は回避できない」。 加えて、被相続人に債務が多く相続放棄を検討する場合も、成年後見人が手続きをしなければ相続放棄できない。 成年後見制度を回避して円満な相続を進めるためには、生前から遺言書・家族信託・贈与など対策が必要となる。たとえば、遺言書で財産を与える人を指定しておけば遺産分割協議は不要だ。成年後見制度を利用しなくても財産の承継がスムーズに行える」、なるほど。
・『成年後見制度にもメリットはある 問題点が指摘されている成年後見制度だが、相続手続きに代理人として参加できる以外のメリットがあることも知っておこう。 認知症の症状がある方を介護施設に入居させたい場合、居住していた不動産の売却や介護施設との契約を進めたいと考える方も多いだろう。判断能力が低下していると法律行為である契約ができないが、成年後見人がいれば進めることが可能だ。不動産の売却も、家庭裁判所の許可をもらえればスムーズに行える。 また、詐欺と考えられるような契約を被後見人が結んでしまった場合は、成年後見人が取り消しできる。認知症の方は不本意な契約を結ばされることも多いため、成年後見人が取消権を行使できることも本制度の大きなメリットだ』、「居住していた不動産の売却や介護施設との契約を進めたいと考える方も多いだろう。判断能力が低下していると法律行為である契約ができないが、成年後見人がいれば進めることが可能だ。不動産の売却も、家庭裁判所の許可をもらえればスムーズに行える。 また、詐欺と考えられるような契約を被後見人が結んでしまった場合は、成年後見人が取り消しできる」、なるほど。
・『自分が認知症になったらどうする? 家族のためにできる備えとは 自身が将来認知症になることを想定すると、どのような相続対策ができるだろうか。家族に財産を残したいと考えているなら、自身が認知症になる前に贈与を開始することが大切だ。認知症の症状が出てから開始された生前贈与は無効となるおそれがある。相続対策も認知症になると進まなくなってしまうため、早期の贈与も検討しよう。 加えて、任意後見制度を知っておくこともおすすめだ。任意後見は本人の判断能力が十分なうちから、将来に備えて任意後見人を自身で選んでおける。契約は公正証書で取り交わすため安全性が高く、契約内容は柔軟に変えられる。任意後見人にはできない業務もあるが、任意後見契約の内容に「遺産分割協議の代理」を加えておくことで、相続時にも相続人の代理人として参加できる。 生前にできる相続対策は多く、早めに活用することで成年後見人を立てることを回避する効果もある。特に事業継承や不動産の多い相続は複雑な手続きが多く、相続開始後に頭を抱える相続人も少なくない。株式や不動産を誰に相続するのか、生前からの対策を税理士とともに進めてほしい。早期の相続対策は、二次相続への備えにもなる。 本記事では成年後見人の問題点について、メリットも交えながら解説した。成年後見人が必要となるご家族は、今後も増える可能性が高い。ぜひ本記事内でも紹介したように、贈与や任意後見の必要性を家族内でじっくり話し合い関心を深めてほしい。 備えあれば憂いなし、万が一に備えて今できることを始めよう』、「相続対策も認知症になると進まなくなってしまうため、早期の贈与も検討しよう。 加えて、任意後見制度を知っておくこともおすすめだ。任意後見は本人の判断能力が十分なうちから、将来に備えて任意後見人を自身で選んでおける。契約は公正証書で取り交わすため安全性が高く、契約内容は柔軟に変えられる。任意後見人にはできない業務もあるが、任意後見契約の内容に「遺産分割協議の代理」を加えておくことで、相続時にも相続人の代理人として参加できる。 生前にできる相続対策は多く、早めに活用することで成年後見人を立てることを回避する効果もある・・・相続対策も認知症になると進まなくなってしまうため、早期の贈与も検討しよう。 加えて、任意後見制度を知っておくこともおすすめだ。任意後見は本人の判断能力が十分なうちから、将来に備えて任意後見人を自身で選んでおける。契約は公正証書で取り交わすため安全性が高く、契約内容は柔軟に変えられる。任意後見人にはできない業務もあるが、任意後見契約の内容に「遺産分割協議の代理」を加えておくことで、相続時にも相続人の代理人として参加できる。 生前にできる相続対策は多く、早めに活用することで成年後見人を立てることを回避する効果もある。特に事業継承や不動産の多い相続は複雑な手続きが多く、相続開始後に頭を抱える相続人も少なくない。株式や不動産を誰に相続するのか、生前からの対策を税理士とともに進めてほしい。早期の相続対策は、二次相続への備えにもなる」、なあでも「生前にできる相続対策は多く、早めに活用することで成年後見人を立てることを回避する効果もある。特に事業継承や不動産の多い相続は複雑な手続きが多く、相続開始後に頭を抱える相続人も少なくない」、やはり「生前」から早目に「相続対策」に取り組んでおくことが肝心なようだ。
先ずは、本年6月8日付けNewsWEEK日本版が掲載したジャーナリストの西村カリン氏による「フランス人記者が見た日本の「離婚後共同親権」が危うい理由」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/japan/2024/06/post-104703.php
・『<5月に成立した民法改正法により日本でも26年から離婚後の共同親権が可能になるが、「外圧」による中途半端な制度では誰も得しない> 5月17日に国会で成立した民法改正法により、日本でも離婚後の共同親権が2026年から可能になる予定だ。 この重要な変化の背景には外圧があった。日本人と外国人の国際結婚が増えたことで、国際離婚も増加。日本人の親(主に母親)が外国人の親の同意を得ずに子供を連れ去る例もあり、国際問題になっている。 日本では離婚すれば多くの場合、子供と同居する親が親権を取り、もう一方の親は子供に会えない状況になりがちだ。家庭内暴力(DV)などの理由で逃げる親もいるので、必ずしも子供を連れ出したほうが悪いとは言えないが、海外では「子供を誘拐した日本人の親は犯罪者」と紹介されることが多く、大きな社会問題になっていた。 20年7月には欧州議会が、日本人の親による「子供の連れ去り」を懸念し、共同親権に向けた法改正などを求める対日決議を採択。国境を越えた子供の連れ去りが発生した場合は元の居住国に返すことなどを定めたハーグ条約の履行も求めた。 欧米諸国では一方の親が他方の親の同意を得ずに子供の居所を移動させることは誘拐行為で、重大な犯罪だ。しかし、日本では違法な行為とされていないことで批判を浴びた。また日本では離婚後に片親にしか親権が認められないため、別居親は子供に会えないと欧米では理解された』、「日本人の親(主に母親)が外国人の親の同意を得ずに子供を連れ去る例もあり、国際問題になっている・・・海外では「子供を誘拐した日本人の親は犯罪者」と紹介されることが多く、大きな社会問題になっていた。 20年7月には欧州議会が、日本人の親による「子供の連れ去り」を懸念し、共同親権に向けた法改正などを求める対日決議を採択。国境を越えた子供の連れ去りが発生した場合は元の居住国に返すことなどを定めたハーグ条約の履行も求めた・・・欧米諸国では一方の親が他方の親の同意を得ずに子供の居所を移動させることは誘拐行為で、重大な犯罪だ。しかし、日本では違法な行為とされていないことで批判を浴びた。また日本では離婚後に片親にしか親権が認められないため、別居親は子供に会えないと欧米では理解された」、「欧州議会」でまで取上げられたというのは、恥ずかしいことだ。この問題を放置してきた日本の司法当局の責任は重大だ。
・『不勉強な海外マスコミのせい 実際は、親権と子供に会う権利(面会交流権)は別のものだ。家庭裁判所で手続きをすれば面会交流ができると知らないか、知っていても手続きをしなかった外国人の別居親がいる。そうした点が、欧米の人々に対してきちんと説明されなかったことが誤解につながった。 それは完全に海外マスコミのせいだと、私は思うようになった。私も含めて日本の民法について不勉強だったり、文化の違いを理解していない記者が、「日本には共同親権がないから離婚後、別居親と子供の関係が崩れる」と説明してしまった。) 日本で共同親権についての議論が本格的に浮上した際、私は反対派の意見をよく聞き、フランスの親権と日本の親権の意味を勉強した。その結果、「日本も共同親権を導入したほうがいい」という私の意見は180度ではないが、一部変わった。日本での共同親権と、われわれ欧米人が思う共同親権の中身が違うからだ。 フランスの場合は「親が別れても親権は変わらない」、つまり共同親権が原則で、単独親権は極めて例外だ。また、別居親の親権には面会交流権も含まれる。そのためDVや虐待を理由に家庭裁判所の判断で親権を失った別居親は、面会交流権も失う』、民法は確か「フランス」をお手本にした筈だが、「親権」や「面会交流権」は「フランス」とは異なっているようだ。他の欧米諸国も「フランス」に近いのであれば、日本が変更すべきだが、各国様々であれば、そのまま放置してもよさそうだ。
・『日本では親権と面会交流権は別々の権利 共同親権があっても行使が困難な場合は、裁判所が日常の親権行使を同居親の単独に制限できる。その際も面会交流権は残るが、子供にとってリスクがある場合は裁判所の判断でその権利を停止する。 日本では、親権と面会交流権は別々の権利だ。それを理解せず、共同親権になれば自動的に面会交流権も得られると考えた外国人が多かったと思われる。だから、日本政府に「共同親権を導入してほしい」という海外からの強い圧力があったのではないか。 5月に成立した改正法はその点に関して曖昧だ。親権に面会交流権が含まれているかどうかが分かりにくいし、そのことで争いが起こるリスクが高い。 共同親権の反対派は、家庭裁判所が共同親権が妥当と判断すれば、離婚後もDVや虐待が継続してしまうことを危惧する。「DVや虐待がある場合は裁判所が単独親権にする」と政府は反論するが、本当にそうなるかは不安だ。ここが主な問題だと思う。DVがあったと証明することは難しいし、実際の状況を判断するために調査が必要だが、日本ではDV対策が明らかに不十分だ。裁判所が間違って判断するリスクを否定できない。) その問題を解決せずに共同親権を可能にするのは、女性や子供の安全への脅威であると認めないといけない。一方で「嘘のDV告発をされた」と訴える男性もいるので、しっかり調査ができればそうした例も減らすことができる。DV対策やDVの立証方法を強化することが急務だろう。 日本では離婚後、家庭裁判所の判断で面会交流権を得た別居親に子供を会わせない同居親がいたとしても、罰則がない。それが多くの国との大きな違いで、誤解が生まれた原因の1つと考えられる』、我が国でも「DV対策やDVの立証方法を強化」するよ同時に、「面会交流権を得た別居親に」は子供と会う権利を保証すべきだ。
・『グローバル化の限界が露呈 フランスの場合、親権を持つ別居親はDVや虐待の犯罪歴がない限り、面会交流権も持つ。同居親の一方的な都合で別居親の面会交流権が守られなければ、別居親は被害届を出すことができる(同居親は最大で懲役1年または1万5000ユーロの罰金が科される可能性がある)。 日本の状況は大きく異なる。厚生労働省の調査(21年)では、面会交流が実施されているのは母子家庭で30・2%、父子家庭で48%にすぎない。日本弁護士連合会の調査(14年)では、調停で合意した親子交流が全くできていない人の割合は44%だ。なぜそうなっているのか、理由を把握することが重要だが、共同親権を導入するだけで状況が改善するとは思わない。 ここまで説明してきた点の背景には、日本と欧米の社会や文化の無視できない違いがある。同時に日本はG7の一国であり、他の加盟国とさまざまな分野で協力し、ハーグ条約などにも署名した。そうした約束を守らないと、国際社会から批判を受ける。 これはまさにグローバル化の限界だと思う。それぞれの国の文化や社会構成は簡単に変更できないので、国際ルールに賛同する前に十分に国内で議論し、適切なプロセスで法律を改正することが重要だ。国際的批判や外圧を止めるために、不十分な議論に基づいて中途半端な法改正をすれば、誰の利益にもならないリスクがある。 今回、「日本でも共同親権が可能だ」と政府は国際社会に対して言えるようになった。しかし共同親権導入の本当の目的が不明のままで、国内外の賛成派からも反対派からも批判が止まらない可能性が高い。親子の交流などについて、根本的な問題解決につながることもあまり期待できない。 改正法の中身は、親権の共同行使と単独行使の境界などが曖昧すぎるから、これからさまざまな具体的なことを決定していくことになる。その段階では、子供の利益を第一に考えてほしい』、「日本はG7の一国であり、他の加盟国とさまざまな分野で協力し、ハーグ条約などにも署名した。そうした約束を守らないと、国際社会から批判を受ける。 これはまさにグローバル化の限界だと思う。それぞれの国の文化や社会構成は簡単に変更できないので、国際ルールに賛同する前に十分に国内で議論し、適切なプロセスで法律を改正することが重要だ」、その通りだ。
次に、8月27日付け現代ビジネスが掲載した「「京アニ事件死刑判決」は「国民への忖度」だったのか?「判決に矛盾が内在してしまう司法の問題」と今こそ考えるべき「刑法39条削除論」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/136027
・『世間が大騒ぎするような重大な殺人事件が起こると、必ず「精神鑑定」という難題が浮上する。 鑑定の結果、加害者に精神障害が認められると、刑法39条の規定で無罪か刑の軽減になる。 厳罰派は、被害者感情を持ち出して、「犯罪をした精神障害者にも処罰を与えるべきだ」と主張する。 一方、精神科医や人権派弁護士らは「精神障害者に必要なのは、処罰ではなく治療だ」と主張する。 議論は一向に進まず平行線のままだが、刑法39条をめぐるこの混乱をどう考えるべきだろうか。 前編『「遺族は到底納得できない」...なぜ5人殺傷で罪に問われないのか、意味不明な行為ほど罰が軽くなる「刑法39条の大矛盾」』から続く』、この記事だけでなく、報道の多くは、「京アニ」の建物の構造上で欠陥に触れてないが、私は二階への階段が1つしかない構造にも被害を大きくした原因があると思う。
・『起訴前鑑定で不起訴になるケースが9割 犯罪白書によると、2022年における刑法犯の検挙人員は16万9409人。そのうち精神障害者等(精神障害者1039人+精神障害の疑いのある者305人)は1344人。刑法犯の検挙人員総数のうち、精神障害者等の比率は0.8%だった。 検察庁の調査では、同年、心神喪失を理由に不起訴処分に付された被疑者(過失運転致死傷等及び道交違反を除く)は370人。また、最高裁判所事務総局の資料によると、第1審において心神喪失を理由に無罪となった者は4人だった。 全体で不起訴人員は約14万人いるため、精神障害者が不起訴になるケースは少ないと思われるかもしれない。 しかし22年では、起訴前鑑定などで心神喪失や心神耗弱が指摘され、検察官が心神喪失者等医療観察法に基づいて申し立てた者278人のうち、258人が不起訴になっているというデータもある。つまり、ほとんどが不起訴になっている。 九州工業大学名誉教授(刑事法学)で、著書に『刑法39条はもういらない』(青弓社)がある、佐藤直樹氏が解説する。 「例年、精神障害犯罪者が起こした事件のうち、約9割が起訴前鑑定で責任無能力とされ、不起訴になっています。その場合、犯罪としてカウントされないため、犯罪事実の解明がまったくされず、その事実がなかったことになる。 裁判が行われないことは精神障害者当人にとっても問題がある。なぜかと言えば、精神障害者から憲法32条の『裁判を受ける権利』を奪っているから。刑法39条は、精神障害者を人権の担い手としての『人間』というカテゴリーから、排除する役割を果たしているのです」(以下「」は佐藤氏)』、「例年、精神障害犯罪者が起こした事件のうち、約9割が起訴前鑑定で責任無能力とされ、不起訴になっています。その場合、犯罪としてカウントされないため、犯罪事実の解明がまったくされず、その事実がなかったことになる。 裁判が行われないことは精神障害者当人にとっても問題がある。なぜかと言えば、精神障害者から憲法32条の『裁判を受ける権利』を奪っているから。刑法39条は、精神障害者を人権の担い手としての『人間』というカテゴリーから、排除する役割を果たしているのです」、言われてみれば、その通りだ。
・『京アニ事件死刑判決は国民への忖度か 刑法39条の規定は「精神鑑定の結果は正しい」ことが前提となっているが、精神科医によって診断結果が異なることは決して稀ではなく、むしろ見解が一致することはほぼない。 一方で、精神鑑定が裁判でまったく機能していないというケースもある。どういうことだろうか。 「たとえば、京アニ事件の場合、起訴前鑑定では『妄想性パーソナリティ障害で、犯行時の行動には影響はほとんどみられない』と診断されました。これは『人格がヘンなだけ』という意味。公判中の精神鑑定では『重度の妄想性障害で、妄想が犯行動機を形成している』と診断されたのですが、これは『明らかに病気』という意味です。 最終的に京都地裁は『重度の妄想性障害。放火や殺人を選択したことについては、妄想の影響は認められない』として死刑判決を下したのですが、『病気』を認定するのなら、犯行に妄想の影響はないという判断になるのはおかしい。 つまり、裁判所が『被告は妄想性障害だとしながら、完全責任能力がある』という無理筋の結論に至ったのは、『死刑以外は許さない』という国民感情に忖度したからであり、精神鑑定の結果はまったく考慮されていないのです」 そもそも、精神科医や裁判所が、先述の「不可知論」がいうように、犯行時の責任能力というものを正確に判断できるわけがないと、佐藤氏は指摘する。 「いま実際に裁判でやっていることは、犯人が合理的に行動しているかどうか、犯罪行為が外から見て了解できるかどうか、の判断にすぎません。責任能力の実質であるはずの『精神状態がおかしくないかどうか』(生物学的要件)と、『善悪の判断能力の有無』『制御能力の有無』(心理学的要件)はほぼ検討されず、まったく別のところで、責任能力が判断されているのが実態なのです」』、「「いま実際に裁判でやっていることは、犯人が合理的に行動しているかどうか、犯罪行為が外から見て了解できるかどうか、の判断にすぎません。責任能力の実質であるはずの『精神状態がおかしくないかどうか』(生物学的要件)と、『善悪の判断能力の有無』『制御能力の有無』(心理学的要件)はほぼ検討されず、まったく別のところで、責任能力が判断されているのが実態なのです」、なるほど。
・『刑法39条は精神障害者を差別している 佐藤氏が語るように、責任能力の規定が精神障害者の「人間」というカテゴリーからの排除を意味していた。そうだとすれば、刑法39条は削除されるべきだと主張する。 「39条が廃止されれば、『人権』という観点からいっても、起訴前に責任能力の有無を判断されることもなくなりますし、精神障害者の『裁判を受ける権利』や、あえていえば『処罰される権利』も保障することになります。精神鑑定は、責任能力の判断のために使うのではなく、『情状』を考慮するために使われるべき。この場合は黙秘権を保障するために、新たに『鑑定拒否権』を確立する必要があります。というのは、現状の精神鑑定では、被疑者・被告人が沈黙していても、その状態を手がかりに鑑定結果を出すことができるからです。精神障害犯罪者を『人間』にとどめておくためにも刑法39条を削除すべきではないでしょうか」 あまり知られていないが、かつて刑法40条に「瘖唖(いんあ)者(聴力障害者)の責任能力」の規定があったものの、1995年の刑法の平易化の際に、『瘖唖者への差別である』として削除された経緯がある。 であれば、同様に刑法39条の規定も精神障害者に対する差別ではないだろうか』、「精神鑑定は、責任能力の判断のために使うのではなく、『情状』を考慮するために使われるべき。この場合は黙秘権を保障するために、新たに『鑑定拒否権』を確立する必要があります。というのは、現状の精神鑑定では、被疑者・被告人が沈黙していても、その状態を手がかりに鑑定結果を出すことができるからです。精神障害犯罪者を『人間』にとどめておくためにも刑法39条を削除すべきではないでしょうか」、同感である。
第三に、10月3日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した税理士・岡野相続税理士法人 代表社員の岡野雄志氏による「不祥事が続く成年後見制度、相続人の認知症リスクに備え「遺す側」ができる対策とは?【税理士が解説】」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/351395
・『今年4月にRKB毎日放送で成年後見人の特集が放映され、成年後見制度の「現実」が明らかとなった。それをきっかけに、制度のしくみや問題点に注目が集まっている。成年後見人による財産の着服などの不祥事も続いているが、本制度は相続時にも欠かせない制度であることをご存じだろうか。相続人の中に「認知症」をはじめとする判断能力の低下が見られる家族がいた場合で、法定相続を選択せず遺産分割協議を行う際には、成年後見制度を利用する必要がある。2023年6月には、認知症の親と相続をテーマにした映画「親のお金は誰のもの」(監督・田中光敏)が公開され、相続と成年後見制度の問題点に光をあてている。そこで本記事では、認知症の相続人がいる場合の相続手続きについて、成年後見制度の実情も交えながら詳しく解説する。(税理士・岡野相続税理士法人 代表社員 岡野雄志)』、「相続人の中に「認知症」をはじめとする判断能力の低下が見られる家族がいた場合で、法定相続を選択せず遺産分割協議を行う際には、成年後見制度を利用する必要がある」、なるほど。
・『相続時に「成年後見人」が必要となるケース 家族が亡くなり相続が開始されると、相続人全員で遺産分割協議を行う必要がある。遺産分割協議では誰が何を、いくら相続するのか決めていくが、相続人の中に判断能力が不十分となっている方がいる場合はどうすればよいのだろうか。結論から言うと、その方自身の相続権を守るためにも「成年後見人」を立てる必要がある。 今年5月8日に開催された「第2回認知症施策推進関係者会議」では、厚生労働省の研究班が2040年時点での日本国内における認知症患者数は約584万人に上るとの予想を発表した。高齢化社会の日本では認知症は身近な病であり、相続を迎えた時に成年後見人が必要になるケースは少なくないのだ。 「被相続人が遺した財産は少ないし、どうせ認知症の介護もするのだから無視していいだろう」と勝手に遺産分割協議を進めてしまったら、遺産分割協議そのものが無効となってしまう。判断能力が不十分な相続人に代わって署名・捺印を行うと、私文書偽造の罪に問われる可能性もある。 成年後見人の申し立てから選任までは時間を要するため億劫に感じる方も多いかもしれない。しかし、適切に相続を進めるためにも、認知能力が不十分な相続人がいる相続では、成年後見人を立てよう』、「「被相続人が遺した財産は少ないし、どうせ認知症の介護もするのだから無視していいだろう」と勝手に遺産分割協議を進めてしまったら、遺産分割協議そのものが無効となってしまう。判断能力が不十分な相続人に代わって署名・捺印を行うと、私文書偽造の罪に問われる可能性もある・・・認知能力が不十分な相続人がいる相続では、成年後見人を立てよう」、なるほど。
・『成年後見制度は法定後見と任意後見の2種類 成年後見人とは、認知症だけではなく知的障害や精神障害などの症状がある方に代わって「法律行為」を行える人を意味する。 成年後見制度には、法定後見と任意後見の2種類がある。任意後見は本人に判断能力があり、将来に備えて本人の意思で契約するものであるのに対し、法定後見は、すでに判断能力が不十分である方向けの制度である。法定後見には「成年後見人」・「保佐人」・「補助人」の3種類があるが、相続の際は遺産分割などにおいて高度な判断が欠かせないため、全ての法律行為に対して代理権を持つ成年後見人が必要となる。 保佐人も相続人に代わって相続に参加することが可能だが、付与されているのは民法に定められた行為を行う際に必要な同意権であり、代理権については家庭裁判所の審判が下りなければ付与されない。相続時には預貯金の解約や不動産の取得なども行う必要があり、保佐人にはできないことが多いため、成年後見人を選任することが妥当だ。 成年後見人が必要となった場合、必要となった方の住所地を管轄する家庭裁判所に申し立てを行う必要がある。申し立てから選任までは1~2カ月の期間を要し、この間は遺産分割協議を終えることはできない。 医師による診断書などの必要書類をそろえ提出すると、家庭裁判所による審問や調査が始まる。判断能力については鑑定が行われることも多く、さまざまな調査の結果や現在の本人を取り巻く環境を踏まえて、家庭裁判所が適任と考える成年後見人を選ぶ。申立時には成年後見人に選んで欲しい人を家庭裁判所側に伝えられるが、希望が通らないケースも多い』、「成年後見人とは、認知症だけではなく知的障害や精神障害などの症状がある方に代わって「法律行為」を行える人を意味する。 成年後見制度には、法定後見と任意後見の2種類がある。任意後見は本人に判断能力があり、将来に備えて本人の意思で契約するものであるのに対し、法定後見は、すでに判断能力が不十分である方向けの制度である。法定後見には「成年後見人」・「保佐人」・「補助人」の3種類があるが、相続の際は遺産分割などにおいて高度な判断が欠かせないため、全ての法律行為に対して代理権を持つ成年後見人が必要となる。 保佐人も相続人に代わって相続に参加することが可能だが、付与されているのは民法に定められた行為を行う際に必要な同意権であり、代理権については家庭裁判所の審判が下りなければ付与されない・・・相続時には預貯金の解約や不動産の取得なども行う必要があり、保佐人にはできないことが多いため、成年後見人を選任することが妥当だ。 成年後見人が必要となった場合、必要となった方の住所地を管轄する家庭裁判所に申し立てを行う必要がある。申し立てから選任までは1~2カ月の期間を要し、この間は遺産分割協議を終えることはできない」、なるほど。
・『成年後見人はなぜ批判されるのか 冒頭で触れたが、今年放映された成年後見人に関する報道が大きな話題となった。放送では、被後見人に対する支出が大きく制限されることや、成年後見人の報酬の実態などが明らかとなった。成年後見人による預貯金などの着服問題もあわせて放映されたため、制度への批判が噴出している。 成年後見人への不満は上記に留まらず、使いにくい制度としても知られている。 まず、柔軟な資産運用はできなくなる。財産は維持を目的に管理するだけであり、投資などの行為で増やすことはできなくなるからだ。 また、家庭裁判所が選んだ成年後見人と家族との意思疎通が上手く進まず、対立することも多い。成年後見人は一度選出されると、特別な事情が認められない限り外すこともできない。相続時に必要となった場合、相続手続き完了後も成年後見人を外せないのだ。こうした制度の難点に加えて着服などの不祥事も重なり、制度そのものが批判されるに至ったのだ』、「成年後見人への不満は上記に留まらず、使いにくい制度としても知られている。 まず、柔軟な資産運用はできなくなる。財産は維持を目的に管理するだけであり、投資などの行為で増やすことはできなくなるからだ。 また、家庭裁判所が選んだ成年後見人と家族との意思疎通が上手く進まず、対立することも多い。成年後見人は一度選出されると、特別な事情が認められない限り外すこともできない。相続時に必要となった場合、相続手続き完了後も成年後見人を外せないのだ」、なるほど。
・『成年後見人が厳しい財産管理を行う理由 成年後見人が被後見人の同居家族の支出に対して、厳しい意見を伝えることがある。この部分はRKB毎日放送の番組でもクローズアップされていたが、なぜこのような厳しい管理が行われているのか。 実は、同居家族が被後見人の財産に頼って生活してしまうケースがあるのだ。家族が被後見人の財産を必要以上に費消しかねないため、選ばれた成年後見人は厳しく資産を管理し、時には家族に指導をせざるを得ない。財産の状況は定期的に家庭裁判所への報告義務もある。 成年後見人は「被後見人の資産を守る」ことが重要な仕事だが、家族は被後見人も含めた「家族の暮らしを守る」ことを求めるがゆえに、成年後見人と家族は時に対立するのだ。この対立を避けるためには、双方の歩み寄りが大切である』、「同居家族が被後見人の財産に頼って生活してしまうケースがあるのだ。家族が被後見人の財産を必要以上に費消しかねないため、選ばれた成年後見人は厳しく資産を管理し、時には家族に指導をせざるを得ない。財産の状況は定期的に家庭裁判所への報告義務もある。 成年後見人は「被後見人の資産を守る」ことが重要な仕事だが、家族は被後見人も含めた「家族の暮らしを守る」ことを求めるがゆえに、成年後見人と家族は時に対立するのだ。この対立を避けるためには、双方の歩み寄りが大切である」、なるほど。
・『成年後見人を回避して相続する方法はあるのか 相続人に認知症の方がいる場合に、成年後見人を回避して相続する方法はあるのだろうか。結論を言うと、認知症の方の相続権を守り、不利益を被らないようにするためにも「相続開始後は回避できない」。 加えて、被相続人に債務が多く相続放棄を検討する場合も、成年後見人が手続きをしなければ相続放棄できない。 成年後見制度を回避して円満な相続を進めるためには、生前から遺言書・家族信託・贈与など対策が必要となる。たとえば、遺言書で財産を与える人を指定しておけば遺産分割協議は不要だ。成年後見制度を利用しなくても財産の承継がスムーズに行える』、「認知症の方の相続権を守り、不利益を被らないようにするためにも「相続開始後は回避できない」。 加えて、被相続人に債務が多く相続放棄を検討する場合も、成年後見人が手続きをしなければ相続放棄できない。 成年後見制度を回避して円満な相続を進めるためには、生前から遺言書・家族信託・贈与など対策が必要となる。たとえば、遺言書で財産を与える人を指定しておけば遺産分割協議は不要だ。成年後見制度を利用しなくても財産の承継がスムーズに行える」、なるほど。
・『成年後見制度にもメリットはある 問題点が指摘されている成年後見制度だが、相続手続きに代理人として参加できる以外のメリットがあることも知っておこう。 認知症の症状がある方を介護施設に入居させたい場合、居住していた不動産の売却や介護施設との契約を進めたいと考える方も多いだろう。判断能力が低下していると法律行為である契約ができないが、成年後見人がいれば進めることが可能だ。不動産の売却も、家庭裁判所の許可をもらえればスムーズに行える。 また、詐欺と考えられるような契約を被後見人が結んでしまった場合は、成年後見人が取り消しできる。認知症の方は不本意な契約を結ばされることも多いため、成年後見人が取消権を行使できることも本制度の大きなメリットだ』、「居住していた不動産の売却や介護施設との契約を進めたいと考える方も多いだろう。判断能力が低下していると法律行為である契約ができないが、成年後見人がいれば進めることが可能だ。不動産の売却も、家庭裁判所の許可をもらえればスムーズに行える。 また、詐欺と考えられるような契約を被後見人が結んでしまった場合は、成年後見人が取り消しできる」、なるほど。
・『自分が認知症になったらどうする? 家族のためにできる備えとは 自身が将来認知症になることを想定すると、どのような相続対策ができるだろうか。家族に財産を残したいと考えているなら、自身が認知症になる前に贈与を開始することが大切だ。認知症の症状が出てから開始された生前贈与は無効となるおそれがある。相続対策も認知症になると進まなくなってしまうため、早期の贈与も検討しよう。 加えて、任意後見制度を知っておくこともおすすめだ。任意後見は本人の判断能力が十分なうちから、将来に備えて任意後見人を自身で選んでおける。契約は公正証書で取り交わすため安全性が高く、契約内容は柔軟に変えられる。任意後見人にはできない業務もあるが、任意後見契約の内容に「遺産分割協議の代理」を加えておくことで、相続時にも相続人の代理人として参加できる。 生前にできる相続対策は多く、早めに活用することで成年後見人を立てることを回避する効果もある。特に事業継承や不動産の多い相続は複雑な手続きが多く、相続開始後に頭を抱える相続人も少なくない。株式や不動産を誰に相続するのか、生前からの対策を税理士とともに進めてほしい。早期の相続対策は、二次相続への備えにもなる。 本記事では成年後見人の問題点について、メリットも交えながら解説した。成年後見人が必要となるご家族は、今後も増える可能性が高い。ぜひ本記事内でも紹介したように、贈与や任意後見の必要性を家族内でじっくり話し合い関心を深めてほしい。 備えあれば憂いなし、万が一に備えて今できることを始めよう』、「相続対策も認知症になると進まなくなってしまうため、早期の贈与も検討しよう。 加えて、任意後見制度を知っておくこともおすすめだ。任意後見は本人の判断能力が十分なうちから、将来に備えて任意後見人を自身で選んでおける。契約は公正証書で取り交わすため安全性が高く、契約内容は柔軟に変えられる。任意後見人にはできない業務もあるが、任意後見契約の内容に「遺産分割協議の代理」を加えておくことで、相続時にも相続人の代理人として参加できる。 生前にできる相続対策は多く、早めに活用することで成年後見人を立てることを回避する効果もある・・・相続対策も認知症になると進まなくなってしまうため、早期の贈与も検討しよう。 加えて、任意後見制度を知っておくこともおすすめだ。任意後見は本人の判断能力が十分なうちから、将来に備えて任意後見人を自身で選んでおける。契約は公正証書で取り交わすため安全性が高く、契約内容は柔軟に変えられる。任意後見人にはできない業務もあるが、任意後見契約の内容に「遺産分割協議の代理」を加えておくことで、相続時にも相続人の代理人として参加できる。 生前にできる相続対策は多く、早めに活用することで成年後見人を立てることを回避する効果もある。特に事業継承や不動産の多い相続は複雑な手続きが多く、相続開始後に頭を抱える相続人も少なくない。株式や不動産を誰に相続するのか、生前からの対策を税理士とともに進めてほしい。早期の相続対策は、二次相続への備えにもなる」、なあでも「生前にできる相続対策は多く、早めに活用することで成年後見人を立てることを回避する効果もある。特に事業継承や不動産の多い相続は複雑な手続きが多く、相続開始後に頭を抱える相続人も少なくない」、やはり「生前」から早目に「相続対策」に取り組んでおくことが肝心なようだ。
タグ:司法 (その19)(フランス人記者が見た日本の「離婚後共同親権」が危うい理由、「京アニ事件死刑判決」は「国民への忖度」だったのか?「判決に矛盾が内在してしまう司法の問題」と今こそ考えるべき「刑法39条削除論」、不祥事が続く成年後見制度 相続人の認知症リスクに備え「遺す側」ができる対策とは?【税理士が解説】) Newsweek日本版 西村カリン氏による「フランス人記者が見た日本の「離婚後共同親権」が危うい理由」 「日本人の親(主に母親)が外国人の親の同意を得ずに子供を連れ去る例もあり、国際問題になっている・・・海外では「子供を誘拐した日本人の親は犯罪者」と紹介されることが多く、大きな社会問題になっていた。 20年7月には欧州議会が、日本人の親による「子供の連れ去り」を懸念し、共同親権に向けた法改正などを求める対日決議を採択。国境を越えた子供の連れ去りが発生した場合は元の居住国に返すことなどを定めたハーグ条約の履行も求めた・・・ 欧米諸国では一方の親が他方の親の同意を得ずに子供の居所を移動させることは誘拐行為で、重大な犯罪だ。しかし、日本では違法な行為とされていないことで批判を浴びた。また日本では離婚後に片親にしか親権が認められないため、別居親は子供に会えないと欧米では理解された」、「欧州議会」でまで取上げられたというのは、恥ずかしいことだ。この問題を放置してきた日本の司法当局の責任は重大だ。 民法は確か「フランス」をお手本にした筈だが、「親権」や「面会交流権」は「フランス」とは異なっているようだ。他の欧米諸国も「フランス」に近いのであれば、日本が変更すべきだが、各国様々であれば、そのまま放置してもよさそうだ。 我が国でも「DV対策やDVの立証方法を強化」するよ同時に、「面会交流権を得た別居親に」は子供と会う権利を保証すべきだ。 「日本はG7の一国であり、他の加盟国とさまざまな分野で協力し、ハーグ条約などにも署名した。そうした約束を守らないと、国際社会から批判を受ける。 これはまさにグローバル化の限界だと思う。それぞれの国の文化や社会構成は簡単に変更できないので、国際ルールに賛同する前に十分に国内で議論し、適切なプロセスで法律を改正することが重要だ」、その通りだ。 現代ビジネス 「「京アニ事件死刑判決」は「国民への忖度」だったのか?「判決に矛盾が内在してしまう司法の問題」と今こそ考えるべき「刑法39条削除論」」 この記事だけでなく、報道の多くは、「京アニ」の建物の構造上で欠陥に触れてないが、私は二階への階段が1つしかない構造にも被害を大きくした原因があると思う。 「例年、精神障害犯罪者が起こした事件のうち、約9割が起訴前鑑定で責任無能力とされ、不起訴になっています。その場合、犯罪としてカウントされないため、犯罪事実の解明がまったくされず、その事実がなかったことになる。 裁判が行われないことは精神障害者当人にとっても問題がある。なぜかと言えば、精神障害者から憲法32条の『裁判を受ける権利』を奪っているから。刑法39条は、精神障害者を人権の担い手としての『人間』というカテゴリーから、排除する役割を果たしているのです」、言われてみれば、その通りだ。 「「いま実際に裁判でやっていることは、犯人が合理的に行動しているかどうか、犯罪行為が外から見て了解できるかどうか、の判断にすぎません。責任能力の実質であるはずの『精神状態がおかしくないかどうか』(生物学的要件)と、『善悪の判断能力の有無』『制御能力の有無』(心理学的要件)はほぼ検討されず、まったく別のところで、責任能力が判断されているのが実態なのです」、なるほど。 「精神鑑定は、責任能力の判断のために使うのではなく、『情状』を考慮するために使われるべき。この場合は黙秘権を保障するために、新たに『鑑定拒否権』を確立する必要があります。というのは、現状の精神鑑定では、被疑者・被告人が沈黙していても、その状態を手がかりに鑑定結果を出すことができるからです。精神障害犯罪者を『人間』にとどめておくためにも刑法39条を削除すべきではないでしょうか」、同感である。 ダイヤモンド・オンライン 岡野雄志氏による「不祥事が続く成年後見制度、相続人の認知症リスクに備え「遺す側」ができる対策とは?【税理士が解説】」 「相続人の中に「認知症」をはじめとする判断能力の低下が見られる家族がいた場合で、法定相続を選択せず遺産分割協議を行う際には、成年後見制度を利用する必要がある」、なるほど。 「「被相続人が遺した財産は少ないし、どうせ認知症の介護もするのだから無視していいだろう」と勝手に遺産分割協議を進めてしまったら、遺産分割協議そのものが無効となってしまう。判断能力が不十分な相続人に代わって署名・捺印を行うと、私文書偽造の罪に問われる可能性もある・・・認知能力が不十分な相続人がいる相続では、成年後見人を立てよう」、なるほど。 「成年後見人とは、認知症だけではなく知的障害や精神障害などの症状がある方に代わって「法律行為」を行える人を意味する。 成年後見制度には、法定後見と任意後見の2種類がある。任意後見は本人に判断能力があり、将来に備えて本人の意思で契約するものであるのに対し、法定後見は、すでに判断能力が不十分である方向けの制度である。法定後見には「成年後見人」・「保佐人」・「補助人」の3種類があるが、相続の際は遺産分割などにおいて高度な判断が欠かせないため、全ての法律行為に対して代理権を持つ成年後見人が必要となる。 保佐人も相続人に代わって相続に参加することが可能だが、付与されているのは民法に定められた行為を行う際に必要な同意権であり、代理権については家庭裁判所の審判が下りなければ付与されない・・・相続時には預貯金の解約や不動産の取得なども行う必要があり、保佐人にはできないことが多いため、成年後見人を選任することが妥当だ。 成年後見人が必要となった場合、必要となった方の住所地を管轄する家庭裁判所に申し立てを行う必要がある。申し立てから選任までは1~2カ月の期間を要し、この間は遺産分割協議を終えることはできない」、なる ほど。 「成年後見人への不満は上記に留まらず、使いにくい制度としても知られている。 まず、柔軟な資産運用はできなくなる。財産は維持を目的に管理するだけであり、投資などの行為で増やすことはできなくなるからだ。 また、家庭裁判所が選んだ成年後見人と家族との意思疎通が上手く進まず、対立することも多い。成年後見人は一度選出されると、特別な事情が認められない限り外すこともできない。相続時に必要となった場合、相続手続き完了後も成年後見人を外せないのだ」、なるほど。 「同居家族が被後見人の財産に頼って生活してしまうケースがあるのだ。家族が被後見人の財産を必要以上に費消しかねないため、選ばれた成年後見人は厳しく資産を管理し、時には家族に指導をせざるを得ない。財産の状況は定期的に家庭裁判所への報告義務もある。 成年後見人は「被後見人の資産を守る」ことが重要な仕事だが、家族は被後見人も含めた「家族の暮らしを守る」ことを求めるがゆえに、成年後見人と家族は時に対立するのだ。この対立を避けるためには、双方の歩み寄りが大切である」、なるほど。 「居住していた不動産の売却や介護施設との契約を進めたいと考える方も多いだろう。判断能力が低下していると法律行為である契約ができないが、成年後見人がいれば進めることが可能だ。不動産の売却も、家庭裁判所の許可をもらえればスムーズに行える。 また、詐欺と考えられるような契約を被後見人が結んでしまった場合は、成年後見人が取り消しできる」、なるほど。 「相続対策も認知症になると進まなくなってしまうため、早期の贈与も検討しよう。 加えて、任意後見制度を知っておくこともおすすめだ。任意後見は本人の判断能力が十分なうちから、将来に備えて任意後見人を自身で選んでおける。契約は公正証書で取り交わすため安全性が高く、契約内容は柔軟に変えられる。任意後見人にはできない業務もあるが、任意後見契約の内容に「遺産分割協議の代理」を加えておくことで、相続時にも相続人の代理人として参加できる。 生前にできる相続対策は多く、早めに活用することで成年後見人を立てることを回避する効 果もある・・・相続対策も認知症になると進まなくなってしまうため、早期の贈与も検討しよう。 加えて、任意後見制度を知っておくこともおすすめだ。任意後見は本人の判断能力が十分なうちから、将来に備えて任意後見人を自身で選んでおける。契約は公正証書で取り交わすため安全性が高く、契約内容は柔軟に変えられる。任意後見人にはできない業務もあるが、任意後見契約の内容に「遺産分割協議の代理」を加えておくことで、相続時にも相続人の代理人として参加できる。 生前にできる相続対策は多く、早めに活用することで成年後見人を立てることを回避する効果もある。特に事業継承や不動産の多い相続は複雑な手続きが多く、相続開始後に頭を抱える相続人も少なくない。株式や不動産を誰に相続するのか、生前からの対策を税理士とともに進めてほしい。早期の相続対策は、二次相続への備えにもなる」、なあでも「生前にできる相続対策は多く、早めに活用することで成年後見人を立てることを回避する効果もある。特に事業継承や不動産の多い相続は複雑な手続きが多く、相続開始後に頭を抱える相続人も少なくない」、やは り「生前」から早目に「相続対策」に取り組んでおくことが肝心なようだ。
警察の重大ミス(その11)(警察庁長官狙撃事件3題:「オウム4人逮捕は公安警察のプロパガンダ」警察庁長官狙撃事件 スナイパーが公安警察に突き付けた挑戦状、警察庁長官狙撃事件を“自白”した男、中村泰受刑者が明かしていた警視庁「公安警察」と「刑事部」の暗闘、中村泰受刑者が“公開の法廷という場”で発言を希望していた理由、) [社会]
警察の重大ミスについては、本年7月4日に取上げた。今日は、(その11)(警察庁長官狙撃事件3題:「オウム4人逮捕は公安警察のプロパガンダ」警察庁長官狙撃事件 スナイパーが公安警察に突き付けた挑戦状、警察庁長官狙撃事件を“自白”した男、中村泰受刑者が明かしていた警視庁「公安警察」と「刑事部」の暗闘、中村泰受刑者が“公開の法廷という場”で発言を希望していた理由)である。
先ずは、7月15日付けデイリー新潮「「オウム4人逮捕は公安警察のプロパガンダ」警察庁長官狙撃事件、スナイパーが公安警察に突き付けた挑戦状」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/07150851/?all=1
・『5月22日、中村泰(ひろし)受刑者(94)が収容先の東日本成人矯正医療センター(東京都昭島市)で死亡した。別の事件で無期懲役中だった中村受刑者は、1995年3月に発生した重大事件への関与を“自白”したことでも知られる。2010年3月末に公訴時効を迎えて未解決事件となった「国松事件」こと、国松孝次・元警察庁長官の狙撃事件だ。 この国松事件について、中村受刑者は「新潮45」に2本の手記を寄せていた。1本目の手記「国松長官狙撃犯と私」は銃撃犯の行動や心理を“推理”する内容。今回公開する2本目の手記は、捜査をめぐる警視庁公安部と警察庁刑事部、大阪府警の“暗闘”などがテーマである。なおその掲載にあたり、当時の編集者は一切手を加えていない。 (全3回の第1回:「新潮45」2005年3月号「総力特集 吉と凶・衝撃の七大独占告白手記 国松長官狙撃事件『スナイパー』から『公安警察』への挑戦状」より。文中の「被告」表記、年齢、役職名、団体名、捜査状況等は掲載当時のものです) 中村泰被告(74)は、本誌2004年4月号に「国松長官狙撃犯と私」と題する手記を寄せた。その約3カ月後の7月7日、「国松孝次・警察庁長官狙撃事件」の捜査は突如、急展開した。 警視庁公安部が、国松氏に対する殺人未遂容疑などで、オウム真理教(現アーレフ)の元信者ら4人を逮捕したのである。事件が発生した1995年3月30日から9年余。新聞は号外まで出した。 逮捕者には、オウム元在家信者の小杉敏行元警視庁巡査長が含まれていた。事件発生の約1年後に「自分が撃った」と明かしたものの、その後の捜査で供述の信用性が疑われ、東京地検がいったん立件を断念した人物である。その小杉元巡査長を再び引っ張り出してきて、「逃走支援役」として逮捕したのだ。 しかし、逮捕後の小杉元巡査長の供述は二転三転。他の逮捕者は皆、容疑を否認した。結局、逮捕の21日後に全員が釈放され、その後、嫌疑不十分で不起訴処分となった。終わってみれば、事件を巡る闇を濃くしただけの結果になったのである。 こうした騒動を横目で眺めながら、地道に捜査を続けていた連中がいる。警視庁刑事部捜査一課の刑事達だ。彼らが「狙撃事件」の“容疑者”と目している人物。それが、今回、再び本誌に手記を寄せた中村被告である。 中村被告は東大教養学部理科二類を中退、警察官射殺事件を起こして逮捕され、服役したという経歴の持ち主だ。昭和51年に出所したが、平成14年11月、名古屋市内にある銀行の支店を襲撃。現金輸送車の警備員に拳銃を発砲し、重傷を負わせて再び逮捕された。 その捜査の過程で、アジトから「国松事件」を“自白”するような内容の散文詩が発見され、銀行の貸し金庫に大量の銃器を隠し持っていたことが判明した。こうして、中村被告は「容疑者」として急浮上。銃刀法違反容疑で警視庁に逮捕された後、別の銀行襲撃事件で大阪府警に再逮捕された。そのため、現在、身柄は大阪拘置所にあるが、警視庁捜査一課の専従班は今も中村被告の周辺捜査を続けている。 獄中から寄せた以下の手記で、中村被告は警視庁公安部による今回の逮捕劇を「関係者」の立場から検証。さらに、これまで報じられたことのない貸し金庫の「開扉記録」を示し、「国松事件」と自らについての“重大な事実”を明かした――』、「逮捕後の小杉元巡査長の供述は二転三転。他の逮捕者は皆、容疑を否認した。結局、逮捕の21日後に全員が釈放され、その後、嫌疑不十分で不起訴処分となった・・・こうした騒動を横目で眺めながら、地道に捜査を続けていた連中がいる。警視庁刑事部捜査一課の刑事達だ。彼らが「狙撃事件」の“容疑者”と目している人物。それが、今回、再び本誌に手記を寄せた中村被告である。 中村被告は東大教養学部理科二類を中退、警察官射殺事件を起こして逮捕され、服役したという経歴の持ち主・・・中村被告は「容疑者」として急浮上。銃刀法違反容疑で警視庁に逮捕された後、別の銀行襲撃事件で大阪府警に再逮捕された。そのため、現在、身柄は大阪拘置所にあるが、警視庁捜査一課の専従班は今も中村被告の周辺捜査を続けている」、なるほど。
・『公安警察のプロパガンダ 昨年7月、世間の耳目を驚かすニュースが流れた。その九年前に起こって未解決のままになっていた國松警察庁長官狙撃事件の容疑者として、突如、オウム関係者四人が逮捕されたのである。ところが、三週間後に、これは全くの空騒ぎとして終った。逮捕者全員があっさり釈放されてしまったのだ。いったい、これは何だったのか。その背後には何かの策謀があったのだろうか。 それ以前に警視庁に逮捕されて厳重な報道管制の下、その長官狙撃事件について、捜査一課の係官を相手に三カ月もの間、連日殆ど休みなしの攻防戦を続けてきた私は、その間に知り得た事実とその後の推移から、ある種の陰謀の存在をはっきり感知したのである。 これからその実体を説き明かすに当たり、警察、検察当局に対する私の個人的感情を抑えて、できるだけ客観的に記述するために、以下は、あえてNという三人称を用いることにする。 7月7日のオウム関係者四人の逮捕が公安警察のプロパガンダであることは、大方の指摘するところなのだが、では、なぜこの時期に、全員が不起訴釈放となって大失態と非難される結果になることを承知のうえで、この無謀ともみえるプロパガンダを強行しなければならなかったのか、その背後の事情を解明してみよう。 今回の逮捕において、唯一の決め手といわれていたのは、拳銃の発射時にコートに付着したとされる金属微粒子の鑑定結果だったのだが、実はこれは逮捕時の一年以上も前に出ていた。その当時は、これはせいぜい「ないよりまし」という程度のものにすぎず、これに基いて立件しようとするような考えはなかったのである。そもそもこの鑑定自体が、警察内部でのプロパガンダに類するものであったとみてよい。 長官狙撃事件の特別捜査本部として、百名ほどの捜査員を擁し公安部の一大拠点となっていた南千住署では、数年前から肝心の狙撃事件の捜査などほとんどやっていなかった。というよりも、もはや、やることがなくなっていたのである。現場の捜査員にしてみれば、数多くのガセネタ(偽情報)に翻弄されながらも、殆どのオウム関係者を洗い抜いていたのだから、「もう逆さにして振っても何も出ないよ」と言いたい気分であっただろう。名ばかりの捜査本部は、少数の者が過去の捜査資料の整理再検討の作業に従事するほかには、ときおり、もたらされる怪しげな情報の裏付け捜査に駆り出されるだけ、という状態になっていた。そのような状況下で、他の大多数の本部員は、本来の狙撃事件の捜査とは無関係な分野の仕事に向けられていたのである。 公安警察は「警察」と称してはいるものの、実際はその上に「秘密」という語をかぶせて「秘密警察」と呼ぶほうがふさわしい特殊な組織である。当然、その活動の大部分は公けにされない秘密のものになる。秘密の活動にも、もちろん、それなりの予算と人員は要る。特別捜査本部という看板は、そのための“裏”(編集部注:原文は傍点、以下同)予算と“裏”人員を生み出すのに利用されていたとみてよい。 公安警察というのは一種の聖域ではあるにせよ、各地の警察での裏金作りが槍玉に上げられている昨今の情勢下では、やはりそれなりの配慮はしなければなるまい。前述のように、コートを「スプリング8」という権威ある研究施設に持ち込んで鑑定を依頼したことも、今なお不断に本来の捜査活動を継続して成果を挙げているというアッピールの一環と受け取れる。 公安部内にも、こうした小手先の糊塗策を続けているだけではまずいのではないか、という危惧はあったに違いない。しかし、官庁というのは、なかなか一気に方針を転換することができにくい組織である。そして、公安警察といえども、また、官庁組織の一員であり、何かの“きっかけ”がなければ簡単には動かないのである。 ところが、03年(平成15年)の後半になって、その“きっかけ”となる異変が生じた。その年の夏、前年末に名古屋で強盗事件を起こして逮捕されていたNという男がアジトにしていた三重県名張市の民家が家宅捜索された際に、思いがけない物が出てきたのである。 その一は、長官狙撃事件に関する記事を掲載した新聞、雑誌、単行本に加えて、英文のものまで含む各種の関連記事のコピーなど、膨大な量の文献資料であった。およそ、この事件に関する刊行物の殆どすべてが集められているといえるほどであった。これはもちろん、この事件に対するNの異常な関心を示している。だが、もともと事件自体が前代未聞の特異なものである以上、特別な関心を抱いた者がいたとしても、それほど不自然ではない。ジャーナリストなどにしても、ある一つの事件を深く掘り下げるために、関連資料を大量に収集する人もいる。というわけで、これは決め手となりうるほどのものではなかった。 その二は、同時に押収されたフロッピー・ディスクに記録された詩編である。数個のディスクに、長短さまざまな一千篇近くの詩が記録されていたが、その中に五、六十篇ほどの狙撃事件を題材にしたものがあった。大半は叙情的あるいは風刺的なものだったが、なかには作者自身を狙撃者として書いている詩もあった。しかし、詩というものは、あくまで創作である。現実の事件を主題にして、いかに真に迫った小説を書いたからといって、その作者を犯人とするわけにはいくまい。ただ、これらの詩の中に、際立って写実的なものが一篇あった。「緊急配備」という題の下に、事件当日の中央線武蔵小金井駅の非常警戒の状況を正確に描写した詩である。だが、これとて作者がたまたまその場面に遭遇したか、あるいは、そこに居合わせた誰かから詳細な話を聞いたもの、といわれればそれまでのことであろう。 というわけで、捜索の当初は、何か訝しいという程度にすぎなかったのだが、そこでの押収物が端緒となって新宿の貸金庫にたどり着いたときから、新たな展開が始まった。まず、最初に注目されたのは、特注品とみられる高性能ライフルだった。高精度を保つための肉厚の銃身、サプレッサー(消音器)をはめ込むためと思われる銃口部のねじ溝、折畳み式の銃床を取り付けてコートの内側に隠し持てるほどのコンパクトな寸法、命中時に先端部が潰れて殺傷効果を大きくするソフト・ポイント型のレミントンBR7という超高速弾(一般に弾速が大きいほど精度が高くなる)を使用するなど、どの点から見てもプロ用の特殊な狙撃銃と判断された。ある捜査員は、まさに(フレデリック・フォーサイスの)「ジャッカルの日」を思い起こさせる、と洩らしたくらいである。そのほかにも、掌に隠れるほどの超小型でありながら強力な22口径マグナム・ホローポイント弾を発射できるミニ・レボルバーなど、要人暗殺等の特殊工作用と思われる銃器が発見された。こうなれば、要人暗殺イコール長官狙撃という連想が生じるのは自然の成行きである』、「未解決のままになっていた國松警察庁長官狙撃事件の容疑者として、突如、オウム関係者四人が逮捕されたのである。ところが、三週間後に、これは全くの空騒ぎとして終った。逮捕者全員があっさり釈放されてしまったのだ・・・百名ほどの捜査員を擁し公安部の一大拠点となっていた南千住署では、数年前から肝心の狙撃事件の捜査などほとんどやっていなかった。というよりも、もはや、やることがなくなっていたのである。現場の捜査員にしてみれば、数多くのガセネタ(偽情報)に翻弄されながらも、殆どのオウム関係者を洗い抜いていたのだから、「もう逆さにして振っても何も出ないよ」と言いたい気分であっただろう・・・前年末に名古屋で強盗事件を起こして逮捕されていたNという男がアジトにしていた三重県名張市の民家が家宅捜索された際に、思いがけない物が出てきたのである。 その一は、長官狙撃事件に関する記事を掲載した新聞、雑誌、単行本に加えて、英文のものまで含む各種の関連記事のコピーなど、膨大な量の文献資料であった・・・同時に押収されたフロッピー・ディスクに記録された詩編である。数個のディスクに、長短さまざまな一千篇近くの詩が記録されていたが、その中に五、六十篇ほどの狙撃事件を題材にしたものがあった。大半は叙情的あるいは風刺的なものだったが、なかには作者自身を狙撃者として書いている詩もあった。しかし、詩というものは、あくまで創作である・・・押収物が端緒となって新宿の貸金庫にたどり着いたときから、新たな展開が始まった。まず、最初に注目されたのは、特注品とみられる高性能ライフルだった。高精度を保つための肉厚の銃身、サプレッサー(消音器)をはめ込むためと思われる銃口部のねじ溝、折畳み式の銃床を取り付けてコートの内側に隠し持てるほどのコンパクトな寸法、命中時に先端部が潰れて殺傷効果を大きくするソフト・ポイント型のレミントンBR7という超高速弾(一般に弾速が大きいほど精度が高くなる)を使用するなど、どの点から見てもプロ用の特殊な狙撃銃と判断された」、なるほど。
・『事件当日の開扉記録 これに加えて、さらに追い打ちをかけるものが見付かった。貸金庫の管理会社に保管されていた個別の金庫の開扉記録である(表参照)。Nにしても、まさか十年も前のそんなものが保存されていたとは思い及ばなかったに違いない。これを見ると、通常は月に一、二回程度であり、全く訪れていない月もあるのに対して、95年(平成7年)3月だけが五回となっている。これは約十年に及ぶ契約期間を通じて最多の記録であり、しかも、そのうちの四回は23日以降に集中しているという異常さが目立つ。 これについての捜査当局の解釈は、次のようなものである。3月22日の山梨県上九一色村のオウム教団施設に対する一斉捜索の結果を知ったN(あるいはその一味)は、早急に行動を起こすことを決意して、そのための銃器弾薬を貸金庫から取り出した。その後の数日間に國松長官の動静を探りながら準備を整えた一味は、28日を暗殺決行の日と定めた。 当日の朝は、春一番か二番かの強風が吹き荒れていた。一般に強風は精密な射撃には好ましくないのだが、この場合は想定射程が30メートルほどであるから、それほど影響はないと判断したのだろう。むしろ、このような天候では外出を控える人が多いから、通行人すなわち目撃者が少なくなるという利点があったといえる。 しかし、ここで全く予想外のことが起こった。長官の居住棟の玄関の前あたりの路上に、コートを着た二人の中年の男が人待ち顔で佇んでいるのが見えたのである。彼らが、あまり動きまわりもせず、周囲を窺うそぶりもみせなかったことからして、SPや所轄署の警戒員でないのは明らかであった。また、もし一般人であれば、その挙動を怪しんだ護衛の警官が、職務質問をするとか何かの対応をしたであろう。そういうことがなく黙認されているからには、彼らの正体は警察関係者と推定するのが妥当である。 やがて、ほぼ定刻になって長官が玄関に現われると、待ちかまえていた二人の男は、足早に近付いて何か話しかけた。コートも着ていない長官は、寒風に吹きさらされながら戸外での立ち話が長引いてはたまったものではない、と思ったのかどうか、その二人を伴って屋内へ引き返した。 狙撃手は完全に出ばなを挫かれたことになる。長官の出勤が阻止されるというのは、明らかに異常事態である。そのような状況で狙撃のチャンスを逸した以上、長居は無用として、ただちに支援車両に引き上げてきた狙撃手は、同志に状況を報告するとともに今後の対策についての協議を始めた。 これは、おそらく警備態勢の変更に関する打ち合わせか連絡のたぐいであろう。変更があるとすれば、まず考えられるのは専任のSP(警護課員)の配備である。そうなると、これまでのように、隣接する建物で待ち伏せるというわけにはいくまい。では、遠方からライフルで一発必中の狙撃といくか。いや、それはSPが盾となる可能性があるから不確実だ。すると、事前検索の範囲外となる五、六十メートル離れた地点から、マシンガンの集中連射で、SPもろとも撃ち倒すほかあるまい。本来は目標を長官だけに限るはずだったのだが、こうなっては止むをえないだろう。それに、SPは迅速に応射するように訓練されているはずだから、自衛のためにも先制攻撃で倒してしまう必要がある―― と、まあ、このような論議が交されたのだろう。そこで、早速、貸金庫へ赴いて、作戦変更に伴って必要となった新たな装備品を取り出した、ということになる。ところが、同じ日の午後にも再び開扉されている。これについては、前述のようなやりとりを経て、最終的な詰めに至ったのは昼頃だったとも考えられるし、あるいは何か不足していた物に気付いて、それを取りに行ったとも推測できる。いずれにしても、予想外の事態に遭遇した直後で、動揺していたのかもしれない。ここで、開扉記録に基いて、もう一歩推理を進めてみると、貸金庫の6051番のケースには、実際に狙撃に使われた長銃身のコルト・パイソン回転式拳銃が、6080番のほうには、新たに携行することになったKG9短機関銃が、それぞれ収められていた、と考えるのが妥当である。 この日から二日後の30日が、実際の狙撃の当日になる。事件の発生時刻直後に、現場から適切な交通機関を利用して新宿へ向かったと仮定すると、記録されている開扉時間にちょうど間に合うということは、捜査員が可能なかぎりのルートを想定して、それをなん度もくり返して実地に試みて得た結論であった。当日、狙撃が決行された直後、Nは使用された銃器類を持って新宿へ急行し、それらを貸金庫に隠してから、当時、小平市にあった自分のアジトへ行く道筋に当たる中央線武蔵小金井駅で下車したところで、警察の警備陣に遭遇した。そのときに実際に見た状況を描写したものが、叙事詩「緊急配備」にほかならない。 以上が貸金庫の異常な開扉状況についての合理的な解釈になる、というのが捜査当局の見解である。少なくとも、Nがそれを否定するに足る矛盾のない弁明を示さないかぎりは。それに、28日の朝、國松長官と警察幹部との間で警備態勢に関する緊急の会談があったことなど、刑事部では、それまで全然知らなかったのである。 貸金庫の開扉状況についての「合理的な解釈」の次は、「窮地に追い込まれた」公安部についての“洞察”が始まる――。第2回【警察庁長官狙撃事件を“自白”した男、中村泰受刑者が明かしていた警視庁「公安警察」と「刑事部」の暗闘】では、小杉元巡査長を含むオウム集団を犯人にせざるを得ない公安部と、「N」のグループによる犯行とみた刑事部の対立が綴られている』、「当日、狙撃が決行された直後、Nは使用された銃器類を持って新宿へ急行し、それらを貸金庫に隠してから、当時、小平市にあった自分のアジトへ行く道筋に当たる中央線武蔵小金井駅で下車したところで、警察の警備陣に遭遇した。そのときに実際に見た状況を描写したものが、叙事詩「緊急配備」にほかならない。 以上が貸金庫の異常な開扉状況についての合理的な解釈になる、というのが捜査当局の見解である」、なるほど。
次に、7月15日付けデイリー新潮「警察庁長官狙撃事件を“自白”した男、中村泰受刑者が明かしていた警視庁「公安警察」と「刑事部」の暗闘」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/07150851/
・『・・・5月22日、中村泰(ひろし)受刑者(94)が収容先の東日本成人矯正医療センター(東京都昭島市)で死亡した。別の事件で無期懲役中だった中村受刑者は、1995年3月に発生した重大事件への関与を“自白“したことでも知られる。それは2010年3月末に公訴時効を迎えて未解決事件となった「国松事件」こと、国松孝次・元警察庁長官の狙撃事件だ。 この国松事件について、中村受刑者は「新潮45」に2本の手記を寄せていた。今回公開する手記は、銃撃犯の行動や心理を“推理”する1本目の「国松長官狙撃犯と私」に続く2本目。この第2回では、公安警察と刑事部が繰り広げた“暗闘”の詳細が綴られている。なお、掲載にあたり、当時の編集者は一切手を加えていない。 (全3回の第2回:「新潮45」2005年3月号「総力特集 吉と凶・衝撃の七大独占告白手記 国松長官狙撃事件『スナイパー』から『公安警察』への挑戦状」より。文中の「被告」表記、年齢、役職名、団体名、捜査状況等は掲載当時のものです)・・・』、
2010年3月末に公訴時効を迎えて未解決事件となった「国松事件」・・・「国松事件について、中村受刑者は「新潮45」に2本の手記を寄せていた」、なるほど。
・『危機感を募らせる公安部 このあたりから雲行きが怪しくなってきた。もしも、Nが真犯人ということにでもなったら、公安部は窮地に追い込まれる。(刑事部という)“とんび”に油揚げをさらわれたどころの話ではない。これまで九年もの歳月を費やし、延べ三十七万人ともいわれる人員を投入して、何をやっていたのだということになる。当初から「犯人はオウム」という先入観に固執して、目隠しされた馬車馬のように盲進を続けるだけだった公安部は、「無能」の烙印を押されて、その存在価値さえ問われることになろう。 公安部は危機感をつのらせていたが、しかし、まだ望みは残されていた。その一つは、目撃者の証言である。狙撃者を直接見ていた数人の証言から得た犯人像は、年齢三、四十歳で身長一七○センチ前後というものであった。これは、六十代半ばで一六○センチのNとは、かなり隔たっている。 さらに、それにもまして重要なのは、その実年齢である。運動能力については、かなり個人差が大きいので一概にはいえないが、誰にとっても不可避なのが視力の劣化である。加齢とともに眼球内の水晶体の硬化が進んで、いわゆる老眼になるのだが、このため必然的に動体視力が低下する。対象物に焦点を合わせる水晶体が伸縮しなくなるのだから、当然の帰結である。拳銃で遠く離れた動く標的を迅速正確に狙撃するためには、十分な動体視力が必要である。長官狙撃事件では、過去の拳銃使用事件には前例がないほどの高度の射撃技量が示されている。他の行動の状況とも併せて、プロの仕事といわれているのもうなずけるところである。動体視力の低下している高齢者にできることではない。 Nのほうでも、そのような事情は百も承知していた。あらかじめ報道各社へ向けた声明文の中で、自分はゴルゴ13(劇画のヒーローで超一流の狙撃手)にはなれない、ティームの一員ぐらいが分相応であると述べている。 そのうちに、またもや、公安部にとって追い打ちになるようなことが起こった。Nが、長官狙撃事件についての手記を「新潮45」(04年4月号)の誌上に発表したのである。筆者は、公開された情報に基いて書いたという体裁をとっていた。しかし、その中には未公開の事実が含まれていたのである。 長官に向けて三発の銃弾が発射された直後に、長官公用車の前方に待機していた護衛車両から、異変に気付いた警戒員が、長官の横たわっている植込みの蔭に駈けつけてきたのだが、狙撃者はその私服警官へ向かって威嚇の発砲をした。これが最後の発砲になったが、銃弾が(狙撃者から見て)前方を横切る形で全力疾走する警官の背後すれすれに通り抜けるという際どい射撃であり、これもまた卓越した技量を示している。多くの拳銃用弾種の中でも、この事件で使われた357マグナム弾は最高速の部類に属するのだが、空気中を超音速で通過する物体からは衝撃波が発生して、これが弾の擦過音となる。当然、この警官は身近に銃弾が通過する音を耳にしている。Nがこの事実を知っていたということは、この警官のものを含めて極秘扱いとなっている関係者の供述書の内容を探り出す手段を持っていたか、あるいは、狙撃者から直接報告を受けていたか、のどちらかであるとしなければならない。 さらに、捜査員の中には、次のような見解を示す者もあった。この文章は一見、ルポ・ライターなどが書くものに似ているが、しかし、彼の場合は状況が全く違う。関連資料はすべて押収されているし、拘禁中の身では新たに参考資料を入手するのは困難であるはずだ。もちろん、取材活動などは全く不可能である。にもかかわらず、九年も前の事件をあれほど克明に記述できるのは、やはり直接関与していたからこそ、鮮明な記憶が残っているからではないか、というのである。 公安部の不安は増大していたが、しかし、まだ望みをつなげるものが残っていた。それは長年の極左過激派に対する捜査経験から確信に近いものになっていたのだが、自己の信念に基いて行動するこの種の確信犯は、損得や感情で動く一般犯罪者と違って、自らの手で同志を敵と見なしている官憲に売り渡すような行為はしない、ということである。この考えが正しければ、Nも自分の口から狙撃者の正体を明かすことはないとみてよい。あとは、刑事部が独自の捜査で、どこまで核心に迫れるかにかかっている。 この間、成行きからして当然のことではあるが、公安部は刑事部の捜査には全く協力しなかった。内心はともかく、表面は否定的に無視するという態度を続けていた。特捜本部として、重要な証拠のすべてを握っている公安部が知らぬ顔を決め込んでいるのだから、刑事部の捜査活動が困難をきわめたことはいうまでもない。しかも、それだけにとどまらず、公安部は妨害工作まで試みたようである。噂ではあるが、事件現場に残されていた朝鮮人民軍の記章と韓国硬貨からNのDNAが検出されないように、薬液で洗浄してしまったともいわれている。なにしろ、何も知らなかった小杉元巡査長を、わざわざ現場に“案内”して十分に観察させた上で、供述書に信憑性を付加するための詳細な見取図を描かせるような工作までしていたことからみても、全くありえないとはいえない。少なくとも、これらの物をオウム関係者の手に触れさせておいて、後日、そのDNAがどうのこうのというための細工ぐらいは試みているかもしれない。これなど、よく知られた(自分で転んでおいて公務執行妨害と言いがかりをつける)「転び公妨」手法の変種といえそうである。こうしてみると、例のコートの鑑定結果なるものも、どこまで真実なのか、疑問が生じてくる。 それでも、依然として公安部の不安感は払拭されなかった。刑事部が何か新しい証拠を見付けはしないか、Nが何か新しい供述を始めはしないか、それで事態が一変する可能性は、あい変わらず存在していた。Nが銃刀法違反事件で起訴された後、三カ月に及んだ取調べ期間中の彼の動静をひそかに窺い続けないではいられなかったのである。 刑事部は、それまでに集めた状況証拠に基いて、Nを立件できるかどうかを東京地検に打診していた。地検の見解は、それを証拠として認めて細部を説明する被疑者の供述書が伴わなければむずかしい、というものであった。これを公安部に対するものと較べてみると、まことに対照的である。一方には、証拠はあってもそれに対応する供述が欠けていると言い、他方には、(小杉元巡査長の)供述はあってもそれを裏付ける証拠が乏しいと難色を示しているからである。もっとも、この小杉供述なるものは、整合性のない不完全なもので、それを「マインド・コントロール」という怪しげな理由付けで補っているといわれているのだが。これに対して、刑事部のほうでは、われわれの集めた証拠は客観的で一貫性のあるものだ、と主張している』、「もしも、Nが真犯人ということにでもなったら、公安部は窮地に追い込まれる。(刑事部という)“とんび”に油揚げをさらわれたどころの話ではない。これまで九年もの歳月を費やし、延べ三十七万人ともいわれる人員を投入して、何をやっていたのだということになる。当初から「犯人はオウム」という先入観に固執して、目隠しされた馬車馬のように盲進を続けるだけだった公安部は、「無能」の烙印を押されて、その存在価値さえ問われることになろう。 公安部は危機感をつのらせていたが、しかし、まだ望みは残されていた。その一つは、目撃者の証言である。狙撃者を直接見ていた数人の証言から得た犯人像は、年齢三、四十歳で身長一七○センチ前後というものであった。これは、六十代半ばで一六○センチのNとは、かなり隔たっている。 さらに、それにもまして重要なのは、その実年齢である。運動能力については、かなり個人差が大きいので一概にはいえないが、誰にとっても不可避なのが視力の劣化である。加齢とともに眼球内の水晶体の硬化が進んで、いわゆる老眼になるのだが、このため必然的に動体視力が低下する。対象物に焦点を合わせる水晶体が伸縮しなくなるのだから、当然の帰結である。拳銃で遠く離れた動く標的を迅速正確に狙撃するためには、十分な動体視力が必要である・・・公安部は妨害工作まで試みたようである。噂ではあるが、事件現場に残されていた朝鮮人民軍の記章と韓国硬貨からNのDNAが検出されないように、薬液で洗浄してしまったともいわれている。なにしろ、何も知らなかった小杉元巡査長を、わざわざ現場に“案内”して十分に観察させた上で、供述書に信憑性を付加するための詳細な見取図を描かせるような工作までしていたことからみても、全くありえないとはいえない。少なくとも、これらの物をオウム関係者の手に触れさせておいて、後日、そのDNAがどうのこうのというための細工ぐらいは試みているかもしれない」、「公安部」の「妨害工作」には心底驚かされた。
・『刑事部対公安部 こうして、事態は、小杉元巡査長を含むオウム集団を犯人とする、というよりも、そうせざるをえない公安部と、Nのグループ――これより以前に彼が特別義勇隊(トクギ)と称する武装地下組織の結成をもくろんでいた当時、行動を共にしていた少数の者の集まり――の仕業と見ている刑事部との対決という形になっていった。シニカルな表現をすれば、小杉元巡査長らオウム一味のスポンサーである公安部と、Nのトクギ残党を推すスポンサーとしての刑事部とが、東京地検を相手に売り込み合戦を演じるという構図である。第三者にとっては面白い見ものかもしれないが、承知の上で行動している元巡査長とNとを除いて、この騒動の巻添えになった人たちには甚だ迷惑なことであった。 公安部としては、なんとか巻返しを図りたいところなのだが、Nという不発弾とも時限爆弾ともいえる厄介者が片付かなければ、うかつには動けなかった。だが、公安部にはもっけの幸いともいえそうな打開策が残されていた。それは、大阪府警が名古屋の事件との類似性から、Nを大阪市内で発生した数件の拳銃強盗事件の容疑者として捜査しているという情報である。 これについては、前年の十月初め頃に一部の日刊紙等に報道されていたのだが、なぜか、その後一向に進展がみられなかった。これというほどの決定的な証拠が出てこなかったからかもしれないが、あるいは、警視庁が長官狙撃事件の捜査を優先するために、府警の介入を抑えていたからとも考えられる。確かに長官狙撃事件は日本警察全体の威信にかかわる重大事で、それに較べれば、死者も出ていない強盗事件などは単なるローカルな雑件にすぎない。しかし、軽視された形になった大阪府警には当然、不満が生じる。それに、もともと府警には警視庁への対抗意識が根強くある。 どうやら公安部は、こうした感情に便乗して、それを煽るような工作を仕かけたらしい。府警は警視庁に対して、Nの身柄引渡しを執拗に求めるようになった。身柄を取り込むための逮捕容疑の対象としては、三件とも四件ともいわれている強盗事件の中から、とりあえず三井住友銀行都島支店の事件が選ばれた。それまでに集められた雑多な証拠らしきものの組合わせを操作してみた結果、都島の件になら、なんとか当てはめられそうに思えたからであろう。 しかし、その件で逮捕状を請求する前の段階で、姑息な小細工が施された。都島の件は、発生以来それまで強盗“致傷”(傷人)事件として捜査が続けられてきた。それを強盗“殺人”(同)未遂に切り換えたのである。別に殺意を裏付けるような新しい証拠が出てきたわけではないから、単なる呼称の変更にすぎないともいえる。だが、これには隠された意図があった。 警視庁が、長期間Nの身柄を独占するための根拠としていた長官狙撃事件の刑法上の罪名は“殺人”未遂である。一方、「ローカルな雑件」として軽視されていた大阪の事件を担当する府警が、容疑者の身柄の奪い合いで警視庁に対抗するためには、強盗“致傷”よりも強盗“殺人”(未遂)に“格上げ”したほうが押しがきく。部外者にとっては、なんともくだらない話のように感じられるかもしれないが、警察組織の中では、肩書や看板は大いにものをいう。単なる事件捜査でなく、捜査本部という看板が掛けられれば、予算も人員も集めやすくなる。これに「特別」が加わればなおさらだ。前述のように、南千住署の特別捜査本部の看板が公安部の予算と人員の捻出に利用されていたこともその一例である。 ともあれ、府警としては、Nの身柄を奪い取った以上、なんとしても立件しなければ面目を失う。もちろん、確固とした決め手になるものがあれば、問題はない。しかし、現実には、少なからず矛盾性を内包した状況証拠の寄せ集めがあるだけだ。これらをつなぎ合わせて、事件全体の構図を描き上げるためには、被疑者の供述が不可欠であり、その供述を得るためには、逮捕後の取調べ方法が重要になる。 都島の事件は、電車内で女性の体に触れたとか触れなかったとかいうような単純な構成のものではない。その細部については、真犯人でなければ知りえない点が数多くある。第三者が犯人を装って、それらの点を明らかにする供述を創作することなど不可能に近い。このことは、小杉元巡査長が、いかに自分が長官を狙撃した犯人だと主張しても、客観的事実に合致する供述はできないでいたという事例によく示されている。その種の供述書を作らせてみたところで、混乱を招くだけにすぎない。 こうした事情を考慮した結果でもあろうか、府警の取調べ方法は、きわめて異例のものであった。否認している被疑者に対しては、次々と証拠を突きつけて言い逃れを封じ、自供に追い込む、というのが取調べの常道であり、最も有効である。しかし、Nの取調べを担当した刑事の姿勢は全く逆であった。捜査段階で集めていた証拠はいっさい示さず、ただ、相手に何か話したいことがあれば述べさせようとするだけで、およそ追及というようなものではなかった。いきおい、連日の取調べとはいっても、その実、事件の核心を外れた雑談に終始していたのである。Nのほうから問いかけを試みても、肝心の点になると言を左右にしてそらしてしまうようなことも多かった。まあ、互いに肚の探り合いを続けていたといえるかもしれない。 そのような状態がえんえんと続くだけで、これという進展もなく、供述調書の作成にも至らないままに時が過ぎていった。思うに、捜査幹部のほうでも、証拠に絡む不自然な点は認識していたので、立件の妨げになりそうな内容の供述調書なら無用である、と指示していたのであろう。上層部と現場担当者との取調べ方針をめぐるあつれきは少なくなかったようで、日頃は愛想よく応対するように努めている刑事が、上司に呼ばれた直後は、不機嫌な表情をあらわにして戻ってきたものである。 それぞれのメンツが複雑に絡み合い、公安部と刑事部、大阪府警の“暗闘”は混沌を極める――。第3回【中村泰受刑者が“公開の法廷という場”で発言を希望していた理由【警察庁長官狙撃事件の闇】】では、「警察史上最大の八百長ドラマ」とNが表現した“オウム集団4人の逮捕”について、そこに至る最後の過程が語られる』、「それぞれのメンツが複雑に絡み合い、公安部と刑事部、大阪府警の“暗闘”は混沌を極める――」、セクショナリズムが余りに酷いようだ。
第三に、7月15日付けデイリー新潮「中村泰受刑者が“公開の法廷という場”で発言を希望していた理由【警察庁長官狙撃事件の闇】」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/07150852/?all=1
・『・・・5月22日、収容先の東日本成人矯正医療センター(東京都昭島市)で死亡した中村泰(ひろし)受刑者(94)。別の事件で無期懲役中だったが、1995年3月に発生した「国松事件」こと、国松孝次・元警察庁長官の狙撃事件への関与を“自白“していたことでも知られる。2010年3月末に公訴時効を迎え、未解決事件となったこの国松事件について、中村受刑者は「新潮45」に2本の手記を寄せていた。なお、掲載にあたり当時の編集者は一切手を加えていない。 今回公開する手記は、銃撃犯の行動や心理を“推理”する1本目の「国松長官狙撃犯と私」に続く2本目。捜査をめぐる警視庁公安部と警察庁刑事部、大阪府警の“暗闘”を描く内容だ。その第3回は、中村受刑者が「警察史上最大の八百長ドラマ」と表現したオウム関係者の逮捕、そこに至る経緯とその後についてである。 (全3回の第3回:「新潮45」2005年3月号「総力特集 吉と凶・衝撃の七大独占告白手記 国松長官狙撃事件『スナイパー』から『公安警察』への挑戦状」より。文中の「被告」表記、年齢、役職名、団体名、捜査状況等は掲載当時のものです)』、興味深そうだ。
・『公安のスペシャリスト 取調べる側にとって、Nは扱いにくい容疑者であったかもしれない。過激派の連中のように、敵対的に黙否を貫くというのとは違うが、互いに波長が異なって噛み合わない、とでもいえばよいか。Nには、長官狙撃事件ならばともかく、単なる強盗事件で、しかも警察間の面子問題が絡んで扱われているとなれば、次元が低くてまともに論議するに価しない、という思いが心底にあったのだろう。刑事が問い詰めようとしても、むきになって弁明することもなく、柳に風と受け流してしまい、とどのつまりは、何か疑問点があればこういう密室の中ではなく、公開の法廷で堂々と解明しましょうや、という抵抗しがたい論理で片付けてしまうのであった。さらに、Nは老い先短い身を自覚しているからか、既に一身の利害得失は超越しているようなところがあって、一般の犯罪者には有効な利益誘導の手法が通用しないことも厄介だったといえる。 もっとも、通常の利害とは異なるが、彼にもそれなりの思惑はあった。妙な言い方だが、せっかく大阪府警が逮捕してくれたのだから、その流れに乗って立件に持ち込まれれば幸い、という気持があったのだ。つまり、法廷という舞台への出場権を得たかったのである。もし、この事件で起訴されなければ、公判の対象は銃刀法違反事件があるだけで、この場合は起訴事実を全面的に認めているので、ほとんど争点もなく、公判は割合い簡単に終ってしまう。したがって、被告人が発言する機会もあまり期待できないということになる。 Nについては、前年の秋以降、新聞、雑誌、テレビ等を通じて多くの報道が流布されてきたが、それらは誇張、歪曲、中傷、虚偽の入り交じった乱雑で不正確きわまるものだった。そんな報道の断片で真実が伝わるはずもない。彼の実像を知りたいと望む人びとに対して、当人が何を考え、何を企て、何を成してきたか、また、それと警察庁長官狙撃事件との関連性についても、できるかぎりの情報を提供することは、残り少ない人生における最後の義務であろう。社会から、あるいはさらに現世から完全に身を退いてしまう前に、その義務を果たすためには、公開の法廷という場が必要なのである。 6月18日、Nの移送を追いかけるようにして、新任の府警本部長が着任した。自他ともに認める公安のスペシャリストで、かつて警視庁公安部長の職にあった米村敏朗警視監である。公安の代理人とも目されているこの人物が、この時期に大阪府警の最高指揮官の地位に就いたことの意義は小さくない。公安部にとっての当面の緊急の課題はNの封じ込めであり、そのためには、大阪での事件をうまく利用することができれば好都合なのだ。もちろん、本部長が表立って指示するような粗雑な手を使うとは考えられないが、裏面から圧力をかけて目的を達するというのは、公安部の得意技でもある。この後あたりから、上層部の雰囲気が変わってきたようで、現場の担当者との摩擦も多くなってきた。 こうした上からの有形無形の圧力にもかかわらず、はかばかしい進展はなく、取調べの刑事にも焦りの色がみられるようになった。このままでは、検察庁が立件を認めないかもしれない、とも言い出した。これには、そうなってはそちらにとっても不都合だろうという含みがある。確かに、府警とNの双方にとって、その魂胆こそ全く別ものではあるにせよ、差し当たっての表向きの目標には共通するところがあった。府警としては、その面目にかけて、さらに背後で糸を引いている公安部の意向も加わって、なんとしても都島の事件を成立させたかったし、一方、Nにとっては、ここで起訴されなければ社会への窓口が閉じられてしまうことになる。 かといって、一時しのぎの供述書を作ったりするわけにはいかない。へたな小細工などすれば、後日、それが一人歩きして、自分の行動を縛ることにもなりかねない。特に、文書というものにはそういう性質がある。で、結局は消極的な対策で間に合わせるほかなかった。主任検事に対面するときには、何ごとについても具体的な反論をするのは控える、という姿勢を保つことにした。つまり、相手に立件をためらわせるような言動は避けよう、ということである。それが功を奏したかどうかはわからないが、少なくとも妨害にはならなかったと思われる。 しかし、そういう些事よりも、はるかに大きく影響したのは、府警が、きわめて重要な事実を検察庁に隠し通していたことである。実は、Nが名古屋で逮捕される直前まで、その身近に密接に連携して行動を共にしてきた人物がいたのである。だが、この事実を突き止めたのは、大阪府警ではなく、警視庁の刑事部であった。もちろん、警視庁に大阪府警の扱っている都島の事件に介入する意図があったわけではない。警視庁が追っていたのは、あくまで長官狙撃事件である。 警察庁長官襲撃は、その実行に必要ないくつもの条件からして、とうてい一個人が独力で遂行できるものではなく、数の多少はともかくとして、複数の人間が関与していることは確実とみられている。Nが関与しているとすれば、まず、その同志というか、仲間を洗い出すことが不可欠である。その後に、初めて事件の全体像が明らかになる。このことは、オウム教団を標的とした場合にも、小杉元巡査長一人だけを検挙してみても、それだけではどうにもならなかったという前例によく現われている。 こうして、Nの身辺を探る緻密で執拗な捜査が続けられた結果、ついにそれに該当する人物の“影”を焙り出した。とはいえ、その人物が特定されたわけではなく、今のところは、あくまで「影」にすぎない。ただし、実体がなければ生じないという意味での「影」であり、その正体が明らかになれば、事態が一変してしまう存在である。大阪府警が、検察庁に対して、この事実をひた隠しにしていたのも当然である。そんなことが暴露されたら、検察庁の描いた事件をNの単独犯行とする構図は覆ってしまうからだ。そうした共犯関係について、一応の目処がつくまでは立件を見送り、継続捜査の扱いにする、という処分になってしまう。紆余曲折はあったものの、勾留満期となった7月2日に、それまでなんとなく“異床同夢”の関係にあった府警とNの望んだとおり、都島の事件は起訴された。しかし、その両者にもまして、この日を待ち構えていたものこそ公安部にほかならない。これで、公安部が企画していた一大プロパガンダ作戦に対する最大の障害物であったNの身柄は大阪の地に封じ込まれ、もはや警視庁(刑事部)の手に戻ることはなくなった。さらに、接見禁止措置によって、その口封じも仕上がった。南千住署の特捜本部員の大半を蚊帳の外に置いたまま、永井力公安一課長が選抜した特別行動班に、GOサインが発せられた。既にこの日を見越して、佐藤英彦警察庁長官まで抱き込む根回し工作が済んでいたし、その他の準備も整っていたから、その後の進行は順調であった。 こうして、ついに7月7日の七夕祭の日、警察史上最大の八百長ドラマ、オウム関係者四人の逮捕劇の幕開けとなったのである。当日の新聞各紙は、第一面と社会面の殆どを挙げて、この報道に当てた。号外まで出した社もあった。警察当局は九年間もの長い地道な努力の結果、ついに難事件の解決にたどり着いた、と讃辞を呈する評者もいた。 だが、多少とも内情を知っている警視庁刑事部の多くの者が、さらに当の公安部門でさえ心ある者は、今日の各紙の大報道が二十二日後の7月29日の紙面では、どのように一変するかを予想して、背筋に寒いものをおぼえたであろう。もちろん、Nも強い衝撃を受けた一人であったが、彼の場合は一般のそれとは全く違っていた。まかり間違えば、あの新聞の大見出しの名前と顔写真は自分のそれと入れ替っていたかもしれない、という戦慄が先行していたのである。 7月29日の各紙朝刊の紙面は、警察内部の者が危惧していた以上のものになった。逮捕を報じたとき以上の紙面を当てた新聞社もあった。「失策」「不信」「悪夢」などの語句を連ねて、警察をこきおろす論調が溢れていた。この時期に、あえて強制捜査に踏み切ったからには、一般に知られている以上の有力な証拠を抑えているのだろうと期待していたのが、いざ蓋を開けてみたら何もない空洞だった、という肩すかしを食らった反動もあろうが、それにもまして、まんまと公安警察のプロパガンダの片棒を担がされてしまったことへの慚愧と憤懣の現われでもあったのだろう。しかし、もしも報道機関が、小杉元巡査長の一人芝居に終ったこの茶番劇は、実はNという男の突然の出現によって自己の権威が失墜する危機感に怯えた公安部が、巻返しのつもりで企てた苦しまぎれの駄作にすぎなかったという真相を知れば、どのような反応を示したであろうか。 佐藤長官を初めとして、伊藤茂男公安部長、この逮捕劇の企画演出を担当したと思われる水元正時参事官に至るまで、今は現場を去ってしまった。二十二日間の興行を終えると、後は野となれ山となれと逃げ出してしまったようにもみえる。だが、はたしてそれで一件落着となるであろうか。大阪の都島の事件は、一見、長官狙撃事件とは関係がないようにみえる。しかし、実際にはその審理の過程で、関連する事柄が次つぎと浮上してきて、新たな火種となるはずなのだ。 それはひとまずおくとして、公安警察が大義(と彼らが信じているもの)のために、オウム関係者の三人や四人は犠牲にしても止むをえないと考えたとしても、それはそれで仕方がないともいえる。元来、どこの国でも秘密警察というのは、そうした性格のものなのだから。しかし、もしも現場の幹部が、小杉元巡査長が長官狙撃事件の犯人だなどということを、保身策以上に本気で信じているとしたら、これはもう救いがたい。無能を証明する以外の何ものでもないからだ。そして、このような無能な指揮官に率いられている公安部に未来はない。 それぞれのメンツが複雑に絡み合い、公安部と刑事部、大阪府警の“暗闘”は混沌を極めた――・・・』、「Nは老い先短い身を自覚しているからか、既に一身の利害得失は超越しているようなところがあって、一般の犯罪者には有効な利益誘導の手法が通用しないことも厄介だったといえる。 もっとも、通常の利害とは異なるが、彼にもそれなりの思惑はあった。妙な言い方だが、せっかく大阪府警が逮捕してくれたのだから、その流れに乗って立件に持ち込まれれば幸い、という気持があったのだ。つまり、法廷という舞台への出場権を得たかったのである・・・勾留満期となった7月2日に、それまでなんとなく“異床同夢”の関係にあった府警とNの望んだとおり、都島の事件は起訴された。しかし、その両者にもまして、この日を待ち構えていたものこそ公安部にほかならない。これで、公安部が企画していた一大プロパガンダ作戦に対する最大の障害物であったNの身柄は大阪の地に封じ込まれ、もはや警視庁(刑事部)の手に戻ることはなくなった。さらに、接見禁止措置によって、その口封じも仕上がった。南千住署の特捜本部員の大半を蚊帳の外に置いたまま、永井力公安一課長が選抜した特別行動班に、GOサインが発せられた・・・7月7日の七夕祭の日、警察史上最大の八百長ドラマ、オウム関係者四人の逮捕劇の幕開けとなったのである。当日の新聞各紙は、第一面と社会面の殆どを挙げて、この報道に当てた。号外まで出した社もあった。警察当局は九年間もの長い地道な努力の結果、ついに難事件の解決にたどり着いた、と讃辞を呈する評者もいた。 だが、多少とも内情を知っている警視庁刑事部の多くの者が、さらに当の公安部門でさえ心ある者は、今日の各紙の大報道が二十二日後の7月29日の紙面では、どのように一変するかを予想して、背筋に寒いものをおぼえたであろう・・・7月29日の各紙朝刊の紙面は、警察内部の者が危惧していた以上のものになった。逮捕を報じたとき以上の紙面を当てた新聞社もあった。「失策」「不信」「悪夢」などの語句を連ねて、警察をこきおろす論調が溢れていた。この時期に、あえて強制捜査に踏み切ったからには、一般に知られている以上の有力な証拠を抑えているのだろうと期待していたのが、いざ蓋を開けてみたら何もない空洞だった、という肩すかしを食らった反動もあろうが、それにもまして、まんまと公安警察のプロパガンダの片棒を担がされてしまったことへの慚愧と憤懣の現われでもあったのだろう。しかし、もしも報道機関が、小杉元巡査長の一人芝居に終ったこの茶番劇は、実はNという男の突然の出現によって自己の権威が失墜する危機感に怯えた公安部が、巻返しのつもりで企てた苦しまぎれの駄作にすぎなかったという真相を知れば、どのような反応を示したであろうか。 佐藤長官を初めとして、伊藤茂男公安部長、この逮捕劇の企画演出を担当したと思われる水元正時参事官に至るまで、今は現場を去ってしまった。二十二日間の興行を終えると、後は野となれ山となれと逃げ出してしまったようにもみえる。だが、はたしてそれで一件落着となるであろうか」、警察内の公安畑と刑事畑の対立は想像以上に酷いようだ。左翼も大人しくなったことから公安畑は大胆に縮小することも検討すべきだ。
先ずは、7月15日付けデイリー新潮「「オウム4人逮捕は公安警察のプロパガンダ」警察庁長官狙撃事件、スナイパーが公安警察に突き付けた挑戦状」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/07150851/?all=1
・『5月22日、中村泰(ひろし)受刑者(94)が収容先の東日本成人矯正医療センター(東京都昭島市)で死亡した。別の事件で無期懲役中だった中村受刑者は、1995年3月に発生した重大事件への関与を“自白”したことでも知られる。2010年3月末に公訴時効を迎えて未解決事件となった「国松事件」こと、国松孝次・元警察庁長官の狙撃事件だ。 この国松事件について、中村受刑者は「新潮45」に2本の手記を寄せていた。1本目の手記「国松長官狙撃犯と私」は銃撃犯の行動や心理を“推理”する内容。今回公開する2本目の手記は、捜査をめぐる警視庁公安部と警察庁刑事部、大阪府警の“暗闘”などがテーマである。なおその掲載にあたり、当時の編集者は一切手を加えていない。 (全3回の第1回:「新潮45」2005年3月号「総力特集 吉と凶・衝撃の七大独占告白手記 国松長官狙撃事件『スナイパー』から『公安警察』への挑戦状」より。文中の「被告」表記、年齢、役職名、団体名、捜査状況等は掲載当時のものです) 中村泰被告(74)は、本誌2004年4月号に「国松長官狙撃犯と私」と題する手記を寄せた。その約3カ月後の7月7日、「国松孝次・警察庁長官狙撃事件」の捜査は突如、急展開した。 警視庁公安部が、国松氏に対する殺人未遂容疑などで、オウム真理教(現アーレフ)の元信者ら4人を逮捕したのである。事件が発生した1995年3月30日から9年余。新聞は号外まで出した。 逮捕者には、オウム元在家信者の小杉敏行元警視庁巡査長が含まれていた。事件発生の約1年後に「自分が撃った」と明かしたものの、その後の捜査で供述の信用性が疑われ、東京地検がいったん立件を断念した人物である。その小杉元巡査長を再び引っ張り出してきて、「逃走支援役」として逮捕したのだ。 しかし、逮捕後の小杉元巡査長の供述は二転三転。他の逮捕者は皆、容疑を否認した。結局、逮捕の21日後に全員が釈放され、その後、嫌疑不十分で不起訴処分となった。終わってみれば、事件を巡る闇を濃くしただけの結果になったのである。 こうした騒動を横目で眺めながら、地道に捜査を続けていた連中がいる。警視庁刑事部捜査一課の刑事達だ。彼らが「狙撃事件」の“容疑者”と目している人物。それが、今回、再び本誌に手記を寄せた中村被告である。 中村被告は東大教養学部理科二類を中退、警察官射殺事件を起こして逮捕され、服役したという経歴の持ち主だ。昭和51年に出所したが、平成14年11月、名古屋市内にある銀行の支店を襲撃。現金輸送車の警備員に拳銃を発砲し、重傷を負わせて再び逮捕された。 その捜査の過程で、アジトから「国松事件」を“自白”するような内容の散文詩が発見され、銀行の貸し金庫に大量の銃器を隠し持っていたことが判明した。こうして、中村被告は「容疑者」として急浮上。銃刀法違反容疑で警視庁に逮捕された後、別の銀行襲撃事件で大阪府警に再逮捕された。そのため、現在、身柄は大阪拘置所にあるが、警視庁捜査一課の専従班は今も中村被告の周辺捜査を続けている。 獄中から寄せた以下の手記で、中村被告は警視庁公安部による今回の逮捕劇を「関係者」の立場から検証。さらに、これまで報じられたことのない貸し金庫の「開扉記録」を示し、「国松事件」と自らについての“重大な事実”を明かした――』、「逮捕後の小杉元巡査長の供述は二転三転。他の逮捕者は皆、容疑を否認した。結局、逮捕の21日後に全員が釈放され、その後、嫌疑不十分で不起訴処分となった・・・こうした騒動を横目で眺めながら、地道に捜査を続けていた連中がいる。警視庁刑事部捜査一課の刑事達だ。彼らが「狙撃事件」の“容疑者”と目している人物。それが、今回、再び本誌に手記を寄せた中村被告である。 中村被告は東大教養学部理科二類を中退、警察官射殺事件を起こして逮捕され、服役したという経歴の持ち主・・・中村被告は「容疑者」として急浮上。銃刀法違反容疑で警視庁に逮捕された後、別の銀行襲撃事件で大阪府警に再逮捕された。そのため、現在、身柄は大阪拘置所にあるが、警視庁捜査一課の専従班は今も中村被告の周辺捜査を続けている」、なるほど。
・『公安警察のプロパガンダ 昨年7月、世間の耳目を驚かすニュースが流れた。その九年前に起こって未解決のままになっていた國松警察庁長官狙撃事件の容疑者として、突如、オウム関係者四人が逮捕されたのである。ところが、三週間後に、これは全くの空騒ぎとして終った。逮捕者全員があっさり釈放されてしまったのだ。いったい、これは何だったのか。その背後には何かの策謀があったのだろうか。 それ以前に警視庁に逮捕されて厳重な報道管制の下、その長官狙撃事件について、捜査一課の係官を相手に三カ月もの間、連日殆ど休みなしの攻防戦を続けてきた私は、その間に知り得た事実とその後の推移から、ある種の陰謀の存在をはっきり感知したのである。 これからその実体を説き明かすに当たり、警察、検察当局に対する私の個人的感情を抑えて、できるだけ客観的に記述するために、以下は、あえてNという三人称を用いることにする。 7月7日のオウム関係者四人の逮捕が公安警察のプロパガンダであることは、大方の指摘するところなのだが、では、なぜこの時期に、全員が不起訴釈放となって大失態と非難される結果になることを承知のうえで、この無謀ともみえるプロパガンダを強行しなければならなかったのか、その背後の事情を解明してみよう。 今回の逮捕において、唯一の決め手といわれていたのは、拳銃の発射時にコートに付着したとされる金属微粒子の鑑定結果だったのだが、実はこれは逮捕時の一年以上も前に出ていた。その当時は、これはせいぜい「ないよりまし」という程度のものにすぎず、これに基いて立件しようとするような考えはなかったのである。そもそもこの鑑定自体が、警察内部でのプロパガンダに類するものであったとみてよい。 長官狙撃事件の特別捜査本部として、百名ほどの捜査員を擁し公安部の一大拠点となっていた南千住署では、数年前から肝心の狙撃事件の捜査などほとんどやっていなかった。というよりも、もはや、やることがなくなっていたのである。現場の捜査員にしてみれば、数多くのガセネタ(偽情報)に翻弄されながらも、殆どのオウム関係者を洗い抜いていたのだから、「もう逆さにして振っても何も出ないよ」と言いたい気分であっただろう。名ばかりの捜査本部は、少数の者が過去の捜査資料の整理再検討の作業に従事するほかには、ときおり、もたらされる怪しげな情報の裏付け捜査に駆り出されるだけ、という状態になっていた。そのような状況下で、他の大多数の本部員は、本来の狙撃事件の捜査とは無関係な分野の仕事に向けられていたのである。 公安警察は「警察」と称してはいるものの、実際はその上に「秘密」という語をかぶせて「秘密警察」と呼ぶほうがふさわしい特殊な組織である。当然、その活動の大部分は公けにされない秘密のものになる。秘密の活動にも、もちろん、それなりの予算と人員は要る。特別捜査本部という看板は、そのための“裏”(編集部注:原文は傍点、以下同)予算と“裏”人員を生み出すのに利用されていたとみてよい。 公安警察というのは一種の聖域ではあるにせよ、各地の警察での裏金作りが槍玉に上げられている昨今の情勢下では、やはりそれなりの配慮はしなければなるまい。前述のように、コートを「スプリング8」という権威ある研究施設に持ち込んで鑑定を依頼したことも、今なお不断に本来の捜査活動を継続して成果を挙げているというアッピールの一環と受け取れる。 公安部内にも、こうした小手先の糊塗策を続けているだけではまずいのではないか、という危惧はあったに違いない。しかし、官庁というのは、なかなか一気に方針を転換することができにくい組織である。そして、公安警察といえども、また、官庁組織の一員であり、何かの“きっかけ”がなければ簡単には動かないのである。 ところが、03年(平成15年)の後半になって、その“きっかけ”となる異変が生じた。その年の夏、前年末に名古屋で強盗事件を起こして逮捕されていたNという男がアジトにしていた三重県名張市の民家が家宅捜索された際に、思いがけない物が出てきたのである。 その一は、長官狙撃事件に関する記事を掲載した新聞、雑誌、単行本に加えて、英文のものまで含む各種の関連記事のコピーなど、膨大な量の文献資料であった。およそ、この事件に関する刊行物の殆どすべてが集められているといえるほどであった。これはもちろん、この事件に対するNの異常な関心を示している。だが、もともと事件自体が前代未聞の特異なものである以上、特別な関心を抱いた者がいたとしても、それほど不自然ではない。ジャーナリストなどにしても、ある一つの事件を深く掘り下げるために、関連資料を大量に収集する人もいる。というわけで、これは決め手となりうるほどのものではなかった。 その二は、同時に押収されたフロッピー・ディスクに記録された詩編である。数個のディスクに、長短さまざまな一千篇近くの詩が記録されていたが、その中に五、六十篇ほどの狙撃事件を題材にしたものがあった。大半は叙情的あるいは風刺的なものだったが、なかには作者自身を狙撃者として書いている詩もあった。しかし、詩というものは、あくまで創作である。現実の事件を主題にして、いかに真に迫った小説を書いたからといって、その作者を犯人とするわけにはいくまい。ただ、これらの詩の中に、際立って写実的なものが一篇あった。「緊急配備」という題の下に、事件当日の中央線武蔵小金井駅の非常警戒の状況を正確に描写した詩である。だが、これとて作者がたまたまその場面に遭遇したか、あるいは、そこに居合わせた誰かから詳細な話を聞いたもの、といわれればそれまでのことであろう。 というわけで、捜索の当初は、何か訝しいという程度にすぎなかったのだが、そこでの押収物が端緒となって新宿の貸金庫にたどり着いたときから、新たな展開が始まった。まず、最初に注目されたのは、特注品とみられる高性能ライフルだった。高精度を保つための肉厚の銃身、サプレッサー(消音器)をはめ込むためと思われる銃口部のねじ溝、折畳み式の銃床を取り付けてコートの内側に隠し持てるほどのコンパクトな寸法、命中時に先端部が潰れて殺傷効果を大きくするソフト・ポイント型のレミントンBR7という超高速弾(一般に弾速が大きいほど精度が高くなる)を使用するなど、どの点から見てもプロ用の特殊な狙撃銃と判断された。ある捜査員は、まさに(フレデリック・フォーサイスの)「ジャッカルの日」を思い起こさせる、と洩らしたくらいである。そのほかにも、掌に隠れるほどの超小型でありながら強力な22口径マグナム・ホローポイント弾を発射できるミニ・レボルバーなど、要人暗殺等の特殊工作用と思われる銃器が発見された。こうなれば、要人暗殺イコール長官狙撃という連想が生じるのは自然の成行きである』、「未解決のままになっていた國松警察庁長官狙撃事件の容疑者として、突如、オウム関係者四人が逮捕されたのである。ところが、三週間後に、これは全くの空騒ぎとして終った。逮捕者全員があっさり釈放されてしまったのだ・・・百名ほどの捜査員を擁し公安部の一大拠点となっていた南千住署では、数年前から肝心の狙撃事件の捜査などほとんどやっていなかった。というよりも、もはや、やることがなくなっていたのである。現場の捜査員にしてみれば、数多くのガセネタ(偽情報)に翻弄されながらも、殆どのオウム関係者を洗い抜いていたのだから、「もう逆さにして振っても何も出ないよ」と言いたい気分であっただろう・・・前年末に名古屋で強盗事件を起こして逮捕されていたNという男がアジトにしていた三重県名張市の民家が家宅捜索された際に、思いがけない物が出てきたのである。 その一は、長官狙撃事件に関する記事を掲載した新聞、雑誌、単行本に加えて、英文のものまで含む各種の関連記事のコピーなど、膨大な量の文献資料であった・・・同時に押収されたフロッピー・ディスクに記録された詩編である。数個のディスクに、長短さまざまな一千篇近くの詩が記録されていたが、その中に五、六十篇ほどの狙撃事件を題材にしたものがあった。大半は叙情的あるいは風刺的なものだったが、なかには作者自身を狙撃者として書いている詩もあった。しかし、詩というものは、あくまで創作である・・・押収物が端緒となって新宿の貸金庫にたどり着いたときから、新たな展開が始まった。まず、最初に注目されたのは、特注品とみられる高性能ライフルだった。高精度を保つための肉厚の銃身、サプレッサー(消音器)をはめ込むためと思われる銃口部のねじ溝、折畳み式の銃床を取り付けてコートの内側に隠し持てるほどのコンパクトな寸法、命中時に先端部が潰れて殺傷効果を大きくするソフト・ポイント型のレミントンBR7という超高速弾(一般に弾速が大きいほど精度が高くなる)を使用するなど、どの点から見てもプロ用の特殊な狙撃銃と判断された」、なるほど。
・『事件当日の開扉記録 これに加えて、さらに追い打ちをかけるものが見付かった。貸金庫の管理会社に保管されていた個別の金庫の開扉記録である(表参照)。Nにしても、まさか十年も前のそんなものが保存されていたとは思い及ばなかったに違いない。これを見ると、通常は月に一、二回程度であり、全く訪れていない月もあるのに対して、95年(平成7年)3月だけが五回となっている。これは約十年に及ぶ契約期間を通じて最多の記録であり、しかも、そのうちの四回は23日以降に集中しているという異常さが目立つ。 これについての捜査当局の解釈は、次のようなものである。3月22日の山梨県上九一色村のオウム教団施設に対する一斉捜索の結果を知ったN(あるいはその一味)は、早急に行動を起こすことを決意して、そのための銃器弾薬を貸金庫から取り出した。その後の数日間に國松長官の動静を探りながら準備を整えた一味は、28日を暗殺決行の日と定めた。 当日の朝は、春一番か二番かの強風が吹き荒れていた。一般に強風は精密な射撃には好ましくないのだが、この場合は想定射程が30メートルほどであるから、それほど影響はないと判断したのだろう。むしろ、このような天候では外出を控える人が多いから、通行人すなわち目撃者が少なくなるという利点があったといえる。 しかし、ここで全く予想外のことが起こった。長官の居住棟の玄関の前あたりの路上に、コートを着た二人の中年の男が人待ち顔で佇んでいるのが見えたのである。彼らが、あまり動きまわりもせず、周囲を窺うそぶりもみせなかったことからして、SPや所轄署の警戒員でないのは明らかであった。また、もし一般人であれば、その挙動を怪しんだ護衛の警官が、職務質問をするとか何かの対応をしたであろう。そういうことがなく黙認されているからには、彼らの正体は警察関係者と推定するのが妥当である。 やがて、ほぼ定刻になって長官が玄関に現われると、待ちかまえていた二人の男は、足早に近付いて何か話しかけた。コートも着ていない長官は、寒風に吹きさらされながら戸外での立ち話が長引いてはたまったものではない、と思ったのかどうか、その二人を伴って屋内へ引き返した。 狙撃手は完全に出ばなを挫かれたことになる。長官の出勤が阻止されるというのは、明らかに異常事態である。そのような状況で狙撃のチャンスを逸した以上、長居は無用として、ただちに支援車両に引き上げてきた狙撃手は、同志に状況を報告するとともに今後の対策についての協議を始めた。 これは、おそらく警備態勢の変更に関する打ち合わせか連絡のたぐいであろう。変更があるとすれば、まず考えられるのは専任のSP(警護課員)の配備である。そうなると、これまでのように、隣接する建物で待ち伏せるというわけにはいくまい。では、遠方からライフルで一発必中の狙撃といくか。いや、それはSPが盾となる可能性があるから不確実だ。すると、事前検索の範囲外となる五、六十メートル離れた地点から、マシンガンの集中連射で、SPもろとも撃ち倒すほかあるまい。本来は目標を長官だけに限るはずだったのだが、こうなっては止むをえないだろう。それに、SPは迅速に応射するように訓練されているはずだから、自衛のためにも先制攻撃で倒してしまう必要がある―― と、まあ、このような論議が交されたのだろう。そこで、早速、貸金庫へ赴いて、作戦変更に伴って必要となった新たな装備品を取り出した、ということになる。ところが、同じ日の午後にも再び開扉されている。これについては、前述のようなやりとりを経て、最終的な詰めに至ったのは昼頃だったとも考えられるし、あるいは何か不足していた物に気付いて、それを取りに行ったとも推測できる。いずれにしても、予想外の事態に遭遇した直後で、動揺していたのかもしれない。ここで、開扉記録に基いて、もう一歩推理を進めてみると、貸金庫の6051番のケースには、実際に狙撃に使われた長銃身のコルト・パイソン回転式拳銃が、6080番のほうには、新たに携行することになったKG9短機関銃が、それぞれ収められていた、と考えるのが妥当である。 この日から二日後の30日が、実際の狙撃の当日になる。事件の発生時刻直後に、現場から適切な交通機関を利用して新宿へ向かったと仮定すると、記録されている開扉時間にちょうど間に合うということは、捜査員が可能なかぎりのルートを想定して、それをなん度もくり返して実地に試みて得た結論であった。当日、狙撃が決行された直後、Nは使用された銃器類を持って新宿へ急行し、それらを貸金庫に隠してから、当時、小平市にあった自分のアジトへ行く道筋に当たる中央線武蔵小金井駅で下車したところで、警察の警備陣に遭遇した。そのときに実際に見た状況を描写したものが、叙事詩「緊急配備」にほかならない。 以上が貸金庫の異常な開扉状況についての合理的な解釈になる、というのが捜査当局の見解である。少なくとも、Nがそれを否定するに足る矛盾のない弁明を示さないかぎりは。それに、28日の朝、國松長官と警察幹部との間で警備態勢に関する緊急の会談があったことなど、刑事部では、それまで全然知らなかったのである。 貸金庫の開扉状況についての「合理的な解釈」の次は、「窮地に追い込まれた」公安部についての“洞察”が始まる――。第2回【警察庁長官狙撃事件を“自白”した男、中村泰受刑者が明かしていた警視庁「公安警察」と「刑事部」の暗闘】では、小杉元巡査長を含むオウム集団を犯人にせざるを得ない公安部と、「N」のグループによる犯行とみた刑事部の対立が綴られている』、「当日、狙撃が決行された直後、Nは使用された銃器類を持って新宿へ急行し、それらを貸金庫に隠してから、当時、小平市にあった自分のアジトへ行く道筋に当たる中央線武蔵小金井駅で下車したところで、警察の警備陣に遭遇した。そのときに実際に見た状況を描写したものが、叙事詩「緊急配備」にほかならない。 以上が貸金庫の異常な開扉状況についての合理的な解釈になる、というのが捜査当局の見解である」、なるほど。
次に、7月15日付けデイリー新潮「警察庁長官狙撃事件を“自白”した男、中村泰受刑者が明かしていた警視庁「公安警察」と「刑事部」の暗闘」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/07150851/
・『・・・5月22日、中村泰(ひろし)受刑者(94)が収容先の東日本成人矯正医療センター(東京都昭島市)で死亡した。別の事件で無期懲役中だった中村受刑者は、1995年3月に発生した重大事件への関与を“自白“したことでも知られる。それは2010年3月末に公訴時効を迎えて未解決事件となった「国松事件」こと、国松孝次・元警察庁長官の狙撃事件だ。 この国松事件について、中村受刑者は「新潮45」に2本の手記を寄せていた。今回公開する手記は、銃撃犯の行動や心理を“推理”する1本目の「国松長官狙撃犯と私」に続く2本目。この第2回では、公安警察と刑事部が繰り広げた“暗闘”の詳細が綴られている。なお、掲載にあたり、当時の編集者は一切手を加えていない。 (全3回の第2回:「新潮45」2005年3月号「総力特集 吉と凶・衝撃の七大独占告白手記 国松長官狙撃事件『スナイパー』から『公安警察』への挑戦状」より。文中の「被告」表記、年齢、役職名、団体名、捜査状況等は掲載当時のものです)・・・』、
2010年3月末に公訴時効を迎えて未解決事件となった「国松事件」・・・「国松事件について、中村受刑者は「新潮45」に2本の手記を寄せていた」、なるほど。
・『危機感を募らせる公安部 このあたりから雲行きが怪しくなってきた。もしも、Nが真犯人ということにでもなったら、公安部は窮地に追い込まれる。(刑事部という)“とんび”に油揚げをさらわれたどころの話ではない。これまで九年もの歳月を費やし、延べ三十七万人ともいわれる人員を投入して、何をやっていたのだということになる。当初から「犯人はオウム」という先入観に固執して、目隠しされた馬車馬のように盲進を続けるだけだった公安部は、「無能」の烙印を押されて、その存在価値さえ問われることになろう。 公安部は危機感をつのらせていたが、しかし、まだ望みは残されていた。その一つは、目撃者の証言である。狙撃者を直接見ていた数人の証言から得た犯人像は、年齢三、四十歳で身長一七○センチ前後というものであった。これは、六十代半ばで一六○センチのNとは、かなり隔たっている。 さらに、それにもまして重要なのは、その実年齢である。運動能力については、かなり個人差が大きいので一概にはいえないが、誰にとっても不可避なのが視力の劣化である。加齢とともに眼球内の水晶体の硬化が進んで、いわゆる老眼になるのだが、このため必然的に動体視力が低下する。対象物に焦点を合わせる水晶体が伸縮しなくなるのだから、当然の帰結である。拳銃で遠く離れた動く標的を迅速正確に狙撃するためには、十分な動体視力が必要である。長官狙撃事件では、過去の拳銃使用事件には前例がないほどの高度の射撃技量が示されている。他の行動の状況とも併せて、プロの仕事といわれているのもうなずけるところである。動体視力の低下している高齢者にできることではない。 Nのほうでも、そのような事情は百も承知していた。あらかじめ報道各社へ向けた声明文の中で、自分はゴルゴ13(劇画のヒーローで超一流の狙撃手)にはなれない、ティームの一員ぐらいが分相応であると述べている。 そのうちに、またもや、公安部にとって追い打ちになるようなことが起こった。Nが、長官狙撃事件についての手記を「新潮45」(04年4月号)の誌上に発表したのである。筆者は、公開された情報に基いて書いたという体裁をとっていた。しかし、その中には未公開の事実が含まれていたのである。 長官に向けて三発の銃弾が発射された直後に、長官公用車の前方に待機していた護衛車両から、異変に気付いた警戒員が、長官の横たわっている植込みの蔭に駈けつけてきたのだが、狙撃者はその私服警官へ向かって威嚇の発砲をした。これが最後の発砲になったが、銃弾が(狙撃者から見て)前方を横切る形で全力疾走する警官の背後すれすれに通り抜けるという際どい射撃であり、これもまた卓越した技量を示している。多くの拳銃用弾種の中でも、この事件で使われた357マグナム弾は最高速の部類に属するのだが、空気中を超音速で通過する物体からは衝撃波が発生して、これが弾の擦過音となる。当然、この警官は身近に銃弾が通過する音を耳にしている。Nがこの事実を知っていたということは、この警官のものを含めて極秘扱いとなっている関係者の供述書の内容を探り出す手段を持っていたか、あるいは、狙撃者から直接報告を受けていたか、のどちらかであるとしなければならない。 さらに、捜査員の中には、次のような見解を示す者もあった。この文章は一見、ルポ・ライターなどが書くものに似ているが、しかし、彼の場合は状況が全く違う。関連資料はすべて押収されているし、拘禁中の身では新たに参考資料を入手するのは困難であるはずだ。もちろん、取材活動などは全く不可能である。にもかかわらず、九年も前の事件をあれほど克明に記述できるのは、やはり直接関与していたからこそ、鮮明な記憶が残っているからではないか、というのである。 公安部の不安は増大していたが、しかし、まだ望みをつなげるものが残っていた。それは長年の極左過激派に対する捜査経験から確信に近いものになっていたのだが、自己の信念に基いて行動するこの種の確信犯は、損得や感情で動く一般犯罪者と違って、自らの手で同志を敵と見なしている官憲に売り渡すような行為はしない、ということである。この考えが正しければ、Nも自分の口から狙撃者の正体を明かすことはないとみてよい。あとは、刑事部が独自の捜査で、どこまで核心に迫れるかにかかっている。 この間、成行きからして当然のことではあるが、公安部は刑事部の捜査には全く協力しなかった。内心はともかく、表面は否定的に無視するという態度を続けていた。特捜本部として、重要な証拠のすべてを握っている公安部が知らぬ顔を決め込んでいるのだから、刑事部の捜査活動が困難をきわめたことはいうまでもない。しかも、それだけにとどまらず、公安部は妨害工作まで試みたようである。噂ではあるが、事件現場に残されていた朝鮮人民軍の記章と韓国硬貨からNのDNAが検出されないように、薬液で洗浄してしまったともいわれている。なにしろ、何も知らなかった小杉元巡査長を、わざわざ現場に“案内”して十分に観察させた上で、供述書に信憑性を付加するための詳細な見取図を描かせるような工作までしていたことからみても、全くありえないとはいえない。少なくとも、これらの物をオウム関係者の手に触れさせておいて、後日、そのDNAがどうのこうのというための細工ぐらいは試みているかもしれない。これなど、よく知られた(自分で転んでおいて公務執行妨害と言いがかりをつける)「転び公妨」手法の変種といえそうである。こうしてみると、例のコートの鑑定結果なるものも、どこまで真実なのか、疑問が生じてくる。 それでも、依然として公安部の不安感は払拭されなかった。刑事部が何か新しい証拠を見付けはしないか、Nが何か新しい供述を始めはしないか、それで事態が一変する可能性は、あい変わらず存在していた。Nが銃刀法違反事件で起訴された後、三カ月に及んだ取調べ期間中の彼の動静をひそかに窺い続けないではいられなかったのである。 刑事部は、それまでに集めた状況証拠に基いて、Nを立件できるかどうかを東京地検に打診していた。地検の見解は、それを証拠として認めて細部を説明する被疑者の供述書が伴わなければむずかしい、というものであった。これを公安部に対するものと較べてみると、まことに対照的である。一方には、証拠はあってもそれに対応する供述が欠けていると言い、他方には、(小杉元巡査長の)供述はあってもそれを裏付ける証拠が乏しいと難色を示しているからである。もっとも、この小杉供述なるものは、整合性のない不完全なもので、それを「マインド・コントロール」という怪しげな理由付けで補っているといわれているのだが。これに対して、刑事部のほうでは、われわれの集めた証拠は客観的で一貫性のあるものだ、と主張している』、「もしも、Nが真犯人ということにでもなったら、公安部は窮地に追い込まれる。(刑事部という)“とんび”に油揚げをさらわれたどころの話ではない。これまで九年もの歳月を費やし、延べ三十七万人ともいわれる人員を投入して、何をやっていたのだということになる。当初から「犯人はオウム」という先入観に固執して、目隠しされた馬車馬のように盲進を続けるだけだった公安部は、「無能」の烙印を押されて、その存在価値さえ問われることになろう。 公安部は危機感をつのらせていたが、しかし、まだ望みは残されていた。その一つは、目撃者の証言である。狙撃者を直接見ていた数人の証言から得た犯人像は、年齢三、四十歳で身長一七○センチ前後というものであった。これは、六十代半ばで一六○センチのNとは、かなり隔たっている。 さらに、それにもまして重要なのは、その実年齢である。運動能力については、かなり個人差が大きいので一概にはいえないが、誰にとっても不可避なのが視力の劣化である。加齢とともに眼球内の水晶体の硬化が進んで、いわゆる老眼になるのだが、このため必然的に動体視力が低下する。対象物に焦点を合わせる水晶体が伸縮しなくなるのだから、当然の帰結である。拳銃で遠く離れた動く標的を迅速正確に狙撃するためには、十分な動体視力が必要である・・・公安部は妨害工作まで試みたようである。噂ではあるが、事件現場に残されていた朝鮮人民軍の記章と韓国硬貨からNのDNAが検出されないように、薬液で洗浄してしまったともいわれている。なにしろ、何も知らなかった小杉元巡査長を、わざわざ現場に“案内”して十分に観察させた上で、供述書に信憑性を付加するための詳細な見取図を描かせるような工作までしていたことからみても、全くありえないとはいえない。少なくとも、これらの物をオウム関係者の手に触れさせておいて、後日、そのDNAがどうのこうのというための細工ぐらいは試みているかもしれない」、「公安部」の「妨害工作」には心底驚かされた。
・『刑事部対公安部 こうして、事態は、小杉元巡査長を含むオウム集団を犯人とする、というよりも、そうせざるをえない公安部と、Nのグループ――これより以前に彼が特別義勇隊(トクギ)と称する武装地下組織の結成をもくろんでいた当時、行動を共にしていた少数の者の集まり――の仕業と見ている刑事部との対決という形になっていった。シニカルな表現をすれば、小杉元巡査長らオウム一味のスポンサーである公安部と、Nのトクギ残党を推すスポンサーとしての刑事部とが、東京地検を相手に売り込み合戦を演じるという構図である。第三者にとっては面白い見ものかもしれないが、承知の上で行動している元巡査長とNとを除いて、この騒動の巻添えになった人たちには甚だ迷惑なことであった。 公安部としては、なんとか巻返しを図りたいところなのだが、Nという不発弾とも時限爆弾ともいえる厄介者が片付かなければ、うかつには動けなかった。だが、公安部にはもっけの幸いともいえそうな打開策が残されていた。それは、大阪府警が名古屋の事件との類似性から、Nを大阪市内で発生した数件の拳銃強盗事件の容疑者として捜査しているという情報である。 これについては、前年の十月初め頃に一部の日刊紙等に報道されていたのだが、なぜか、その後一向に進展がみられなかった。これというほどの決定的な証拠が出てこなかったからかもしれないが、あるいは、警視庁が長官狙撃事件の捜査を優先するために、府警の介入を抑えていたからとも考えられる。確かに長官狙撃事件は日本警察全体の威信にかかわる重大事で、それに較べれば、死者も出ていない強盗事件などは単なるローカルな雑件にすぎない。しかし、軽視された形になった大阪府警には当然、不満が生じる。それに、もともと府警には警視庁への対抗意識が根強くある。 どうやら公安部は、こうした感情に便乗して、それを煽るような工作を仕かけたらしい。府警は警視庁に対して、Nの身柄引渡しを執拗に求めるようになった。身柄を取り込むための逮捕容疑の対象としては、三件とも四件ともいわれている強盗事件の中から、とりあえず三井住友銀行都島支店の事件が選ばれた。それまでに集められた雑多な証拠らしきものの組合わせを操作してみた結果、都島の件になら、なんとか当てはめられそうに思えたからであろう。 しかし、その件で逮捕状を請求する前の段階で、姑息な小細工が施された。都島の件は、発生以来それまで強盗“致傷”(傷人)事件として捜査が続けられてきた。それを強盗“殺人”(同)未遂に切り換えたのである。別に殺意を裏付けるような新しい証拠が出てきたわけではないから、単なる呼称の変更にすぎないともいえる。だが、これには隠された意図があった。 警視庁が、長期間Nの身柄を独占するための根拠としていた長官狙撃事件の刑法上の罪名は“殺人”未遂である。一方、「ローカルな雑件」として軽視されていた大阪の事件を担当する府警が、容疑者の身柄の奪い合いで警視庁に対抗するためには、強盗“致傷”よりも強盗“殺人”(未遂)に“格上げ”したほうが押しがきく。部外者にとっては、なんともくだらない話のように感じられるかもしれないが、警察組織の中では、肩書や看板は大いにものをいう。単なる事件捜査でなく、捜査本部という看板が掛けられれば、予算も人員も集めやすくなる。これに「特別」が加わればなおさらだ。前述のように、南千住署の特別捜査本部の看板が公安部の予算と人員の捻出に利用されていたこともその一例である。 ともあれ、府警としては、Nの身柄を奪い取った以上、なんとしても立件しなければ面目を失う。もちろん、確固とした決め手になるものがあれば、問題はない。しかし、現実には、少なからず矛盾性を内包した状況証拠の寄せ集めがあるだけだ。これらをつなぎ合わせて、事件全体の構図を描き上げるためには、被疑者の供述が不可欠であり、その供述を得るためには、逮捕後の取調べ方法が重要になる。 都島の事件は、電車内で女性の体に触れたとか触れなかったとかいうような単純な構成のものではない。その細部については、真犯人でなければ知りえない点が数多くある。第三者が犯人を装って、それらの点を明らかにする供述を創作することなど不可能に近い。このことは、小杉元巡査長が、いかに自分が長官を狙撃した犯人だと主張しても、客観的事実に合致する供述はできないでいたという事例によく示されている。その種の供述書を作らせてみたところで、混乱を招くだけにすぎない。 こうした事情を考慮した結果でもあろうか、府警の取調べ方法は、きわめて異例のものであった。否認している被疑者に対しては、次々と証拠を突きつけて言い逃れを封じ、自供に追い込む、というのが取調べの常道であり、最も有効である。しかし、Nの取調べを担当した刑事の姿勢は全く逆であった。捜査段階で集めていた証拠はいっさい示さず、ただ、相手に何か話したいことがあれば述べさせようとするだけで、およそ追及というようなものではなかった。いきおい、連日の取調べとはいっても、その実、事件の核心を外れた雑談に終始していたのである。Nのほうから問いかけを試みても、肝心の点になると言を左右にしてそらしてしまうようなことも多かった。まあ、互いに肚の探り合いを続けていたといえるかもしれない。 そのような状態がえんえんと続くだけで、これという進展もなく、供述調書の作成にも至らないままに時が過ぎていった。思うに、捜査幹部のほうでも、証拠に絡む不自然な点は認識していたので、立件の妨げになりそうな内容の供述調書なら無用である、と指示していたのであろう。上層部と現場担当者との取調べ方針をめぐるあつれきは少なくなかったようで、日頃は愛想よく応対するように努めている刑事が、上司に呼ばれた直後は、不機嫌な表情をあらわにして戻ってきたものである。 それぞれのメンツが複雑に絡み合い、公安部と刑事部、大阪府警の“暗闘”は混沌を極める――。第3回【中村泰受刑者が“公開の法廷という場”で発言を希望していた理由【警察庁長官狙撃事件の闇】】では、「警察史上最大の八百長ドラマ」とNが表現した“オウム集団4人の逮捕”について、そこに至る最後の過程が語られる』、「それぞれのメンツが複雑に絡み合い、公安部と刑事部、大阪府警の“暗闘”は混沌を極める――」、セクショナリズムが余りに酷いようだ。
第三に、7月15日付けデイリー新潮「中村泰受刑者が“公開の法廷という場”で発言を希望していた理由【警察庁長官狙撃事件の闇】」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/07150852/?all=1
・『・・・5月22日、収容先の東日本成人矯正医療センター(東京都昭島市)で死亡した中村泰(ひろし)受刑者(94)。別の事件で無期懲役中だったが、1995年3月に発生した「国松事件」こと、国松孝次・元警察庁長官の狙撃事件への関与を“自白“していたことでも知られる。2010年3月末に公訴時効を迎え、未解決事件となったこの国松事件について、中村受刑者は「新潮45」に2本の手記を寄せていた。なお、掲載にあたり当時の編集者は一切手を加えていない。 今回公開する手記は、銃撃犯の行動や心理を“推理”する1本目の「国松長官狙撃犯と私」に続く2本目。捜査をめぐる警視庁公安部と警察庁刑事部、大阪府警の“暗闘”を描く内容だ。その第3回は、中村受刑者が「警察史上最大の八百長ドラマ」と表現したオウム関係者の逮捕、そこに至る経緯とその後についてである。 (全3回の第3回:「新潮45」2005年3月号「総力特集 吉と凶・衝撃の七大独占告白手記 国松長官狙撃事件『スナイパー』から『公安警察』への挑戦状」より。文中の「被告」表記、年齢、役職名、団体名、捜査状況等は掲載当時のものです)』、興味深そうだ。
・『公安のスペシャリスト 取調べる側にとって、Nは扱いにくい容疑者であったかもしれない。過激派の連中のように、敵対的に黙否を貫くというのとは違うが、互いに波長が異なって噛み合わない、とでもいえばよいか。Nには、長官狙撃事件ならばともかく、単なる強盗事件で、しかも警察間の面子問題が絡んで扱われているとなれば、次元が低くてまともに論議するに価しない、という思いが心底にあったのだろう。刑事が問い詰めようとしても、むきになって弁明することもなく、柳に風と受け流してしまい、とどのつまりは、何か疑問点があればこういう密室の中ではなく、公開の法廷で堂々と解明しましょうや、という抵抗しがたい論理で片付けてしまうのであった。さらに、Nは老い先短い身を自覚しているからか、既に一身の利害得失は超越しているようなところがあって、一般の犯罪者には有効な利益誘導の手法が通用しないことも厄介だったといえる。 もっとも、通常の利害とは異なるが、彼にもそれなりの思惑はあった。妙な言い方だが、せっかく大阪府警が逮捕してくれたのだから、その流れに乗って立件に持ち込まれれば幸い、という気持があったのだ。つまり、法廷という舞台への出場権を得たかったのである。もし、この事件で起訴されなければ、公判の対象は銃刀法違反事件があるだけで、この場合は起訴事実を全面的に認めているので、ほとんど争点もなく、公判は割合い簡単に終ってしまう。したがって、被告人が発言する機会もあまり期待できないということになる。 Nについては、前年の秋以降、新聞、雑誌、テレビ等を通じて多くの報道が流布されてきたが、それらは誇張、歪曲、中傷、虚偽の入り交じった乱雑で不正確きわまるものだった。そんな報道の断片で真実が伝わるはずもない。彼の実像を知りたいと望む人びとに対して、当人が何を考え、何を企て、何を成してきたか、また、それと警察庁長官狙撃事件との関連性についても、できるかぎりの情報を提供することは、残り少ない人生における最後の義務であろう。社会から、あるいはさらに現世から完全に身を退いてしまう前に、その義務を果たすためには、公開の法廷という場が必要なのである。 6月18日、Nの移送を追いかけるようにして、新任の府警本部長が着任した。自他ともに認める公安のスペシャリストで、かつて警視庁公安部長の職にあった米村敏朗警視監である。公安の代理人とも目されているこの人物が、この時期に大阪府警の最高指揮官の地位に就いたことの意義は小さくない。公安部にとっての当面の緊急の課題はNの封じ込めであり、そのためには、大阪での事件をうまく利用することができれば好都合なのだ。もちろん、本部長が表立って指示するような粗雑な手を使うとは考えられないが、裏面から圧力をかけて目的を達するというのは、公安部の得意技でもある。この後あたりから、上層部の雰囲気が変わってきたようで、現場の担当者との摩擦も多くなってきた。 こうした上からの有形無形の圧力にもかかわらず、はかばかしい進展はなく、取調べの刑事にも焦りの色がみられるようになった。このままでは、検察庁が立件を認めないかもしれない、とも言い出した。これには、そうなってはそちらにとっても不都合だろうという含みがある。確かに、府警とNの双方にとって、その魂胆こそ全く別ものではあるにせよ、差し当たっての表向きの目標には共通するところがあった。府警としては、その面目にかけて、さらに背後で糸を引いている公安部の意向も加わって、なんとしても都島の事件を成立させたかったし、一方、Nにとっては、ここで起訴されなければ社会への窓口が閉じられてしまうことになる。 かといって、一時しのぎの供述書を作ったりするわけにはいかない。へたな小細工などすれば、後日、それが一人歩きして、自分の行動を縛ることにもなりかねない。特に、文書というものにはそういう性質がある。で、結局は消極的な対策で間に合わせるほかなかった。主任検事に対面するときには、何ごとについても具体的な反論をするのは控える、という姿勢を保つことにした。つまり、相手に立件をためらわせるような言動は避けよう、ということである。それが功を奏したかどうかはわからないが、少なくとも妨害にはならなかったと思われる。 しかし、そういう些事よりも、はるかに大きく影響したのは、府警が、きわめて重要な事実を検察庁に隠し通していたことである。実は、Nが名古屋で逮捕される直前まで、その身近に密接に連携して行動を共にしてきた人物がいたのである。だが、この事実を突き止めたのは、大阪府警ではなく、警視庁の刑事部であった。もちろん、警視庁に大阪府警の扱っている都島の事件に介入する意図があったわけではない。警視庁が追っていたのは、あくまで長官狙撃事件である。 警察庁長官襲撃は、その実行に必要ないくつもの条件からして、とうてい一個人が独力で遂行できるものではなく、数の多少はともかくとして、複数の人間が関与していることは確実とみられている。Nが関与しているとすれば、まず、その同志というか、仲間を洗い出すことが不可欠である。その後に、初めて事件の全体像が明らかになる。このことは、オウム教団を標的とした場合にも、小杉元巡査長一人だけを検挙してみても、それだけではどうにもならなかったという前例によく現われている。 こうして、Nの身辺を探る緻密で執拗な捜査が続けられた結果、ついにそれに該当する人物の“影”を焙り出した。とはいえ、その人物が特定されたわけではなく、今のところは、あくまで「影」にすぎない。ただし、実体がなければ生じないという意味での「影」であり、その正体が明らかになれば、事態が一変してしまう存在である。大阪府警が、検察庁に対して、この事実をひた隠しにしていたのも当然である。そんなことが暴露されたら、検察庁の描いた事件をNの単独犯行とする構図は覆ってしまうからだ。そうした共犯関係について、一応の目処がつくまでは立件を見送り、継続捜査の扱いにする、という処分になってしまう。紆余曲折はあったものの、勾留満期となった7月2日に、それまでなんとなく“異床同夢”の関係にあった府警とNの望んだとおり、都島の事件は起訴された。しかし、その両者にもまして、この日を待ち構えていたものこそ公安部にほかならない。これで、公安部が企画していた一大プロパガンダ作戦に対する最大の障害物であったNの身柄は大阪の地に封じ込まれ、もはや警視庁(刑事部)の手に戻ることはなくなった。さらに、接見禁止措置によって、その口封じも仕上がった。南千住署の特捜本部員の大半を蚊帳の外に置いたまま、永井力公安一課長が選抜した特別行動班に、GOサインが発せられた。既にこの日を見越して、佐藤英彦警察庁長官まで抱き込む根回し工作が済んでいたし、その他の準備も整っていたから、その後の進行は順調であった。 こうして、ついに7月7日の七夕祭の日、警察史上最大の八百長ドラマ、オウム関係者四人の逮捕劇の幕開けとなったのである。当日の新聞各紙は、第一面と社会面の殆どを挙げて、この報道に当てた。号外まで出した社もあった。警察当局は九年間もの長い地道な努力の結果、ついに難事件の解決にたどり着いた、と讃辞を呈する評者もいた。 だが、多少とも内情を知っている警視庁刑事部の多くの者が、さらに当の公安部門でさえ心ある者は、今日の各紙の大報道が二十二日後の7月29日の紙面では、どのように一変するかを予想して、背筋に寒いものをおぼえたであろう。もちろん、Nも強い衝撃を受けた一人であったが、彼の場合は一般のそれとは全く違っていた。まかり間違えば、あの新聞の大見出しの名前と顔写真は自分のそれと入れ替っていたかもしれない、という戦慄が先行していたのである。 7月29日の各紙朝刊の紙面は、警察内部の者が危惧していた以上のものになった。逮捕を報じたとき以上の紙面を当てた新聞社もあった。「失策」「不信」「悪夢」などの語句を連ねて、警察をこきおろす論調が溢れていた。この時期に、あえて強制捜査に踏み切ったからには、一般に知られている以上の有力な証拠を抑えているのだろうと期待していたのが、いざ蓋を開けてみたら何もない空洞だった、という肩すかしを食らった反動もあろうが、それにもまして、まんまと公安警察のプロパガンダの片棒を担がされてしまったことへの慚愧と憤懣の現われでもあったのだろう。しかし、もしも報道機関が、小杉元巡査長の一人芝居に終ったこの茶番劇は、実はNという男の突然の出現によって自己の権威が失墜する危機感に怯えた公安部が、巻返しのつもりで企てた苦しまぎれの駄作にすぎなかったという真相を知れば、どのような反応を示したであろうか。 佐藤長官を初めとして、伊藤茂男公安部長、この逮捕劇の企画演出を担当したと思われる水元正時参事官に至るまで、今は現場を去ってしまった。二十二日間の興行を終えると、後は野となれ山となれと逃げ出してしまったようにもみえる。だが、はたしてそれで一件落着となるであろうか。大阪の都島の事件は、一見、長官狙撃事件とは関係がないようにみえる。しかし、実際にはその審理の過程で、関連する事柄が次つぎと浮上してきて、新たな火種となるはずなのだ。 それはひとまずおくとして、公安警察が大義(と彼らが信じているもの)のために、オウム関係者の三人や四人は犠牲にしても止むをえないと考えたとしても、それはそれで仕方がないともいえる。元来、どこの国でも秘密警察というのは、そうした性格のものなのだから。しかし、もしも現場の幹部が、小杉元巡査長が長官狙撃事件の犯人だなどということを、保身策以上に本気で信じているとしたら、これはもう救いがたい。無能を証明する以外の何ものでもないからだ。そして、このような無能な指揮官に率いられている公安部に未来はない。 それぞれのメンツが複雑に絡み合い、公安部と刑事部、大阪府警の“暗闘”は混沌を極めた――・・・』、「Nは老い先短い身を自覚しているからか、既に一身の利害得失は超越しているようなところがあって、一般の犯罪者には有効な利益誘導の手法が通用しないことも厄介だったといえる。 もっとも、通常の利害とは異なるが、彼にもそれなりの思惑はあった。妙な言い方だが、せっかく大阪府警が逮捕してくれたのだから、その流れに乗って立件に持ち込まれれば幸い、という気持があったのだ。つまり、法廷という舞台への出場権を得たかったのである・・・勾留満期となった7月2日に、それまでなんとなく“異床同夢”の関係にあった府警とNの望んだとおり、都島の事件は起訴された。しかし、その両者にもまして、この日を待ち構えていたものこそ公安部にほかならない。これで、公安部が企画していた一大プロパガンダ作戦に対する最大の障害物であったNの身柄は大阪の地に封じ込まれ、もはや警視庁(刑事部)の手に戻ることはなくなった。さらに、接見禁止措置によって、その口封じも仕上がった。南千住署の特捜本部員の大半を蚊帳の外に置いたまま、永井力公安一課長が選抜した特別行動班に、GOサインが発せられた・・・7月7日の七夕祭の日、警察史上最大の八百長ドラマ、オウム関係者四人の逮捕劇の幕開けとなったのである。当日の新聞各紙は、第一面と社会面の殆どを挙げて、この報道に当てた。号外まで出した社もあった。警察当局は九年間もの長い地道な努力の結果、ついに難事件の解決にたどり着いた、と讃辞を呈する評者もいた。 だが、多少とも内情を知っている警視庁刑事部の多くの者が、さらに当の公安部門でさえ心ある者は、今日の各紙の大報道が二十二日後の7月29日の紙面では、どのように一変するかを予想して、背筋に寒いものをおぼえたであろう・・・7月29日の各紙朝刊の紙面は、警察内部の者が危惧していた以上のものになった。逮捕を報じたとき以上の紙面を当てた新聞社もあった。「失策」「不信」「悪夢」などの語句を連ねて、警察をこきおろす論調が溢れていた。この時期に、あえて強制捜査に踏み切ったからには、一般に知られている以上の有力な証拠を抑えているのだろうと期待していたのが、いざ蓋を開けてみたら何もない空洞だった、という肩すかしを食らった反動もあろうが、それにもまして、まんまと公安警察のプロパガンダの片棒を担がされてしまったことへの慚愧と憤懣の現われでもあったのだろう。しかし、もしも報道機関が、小杉元巡査長の一人芝居に終ったこの茶番劇は、実はNという男の突然の出現によって自己の権威が失墜する危機感に怯えた公安部が、巻返しのつもりで企てた苦しまぎれの駄作にすぎなかったという真相を知れば、どのような反応を示したであろうか。 佐藤長官を初めとして、伊藤茂男公安部長、この逮捕劇の企画演出を担当したと思われる水元正時参事官に至るまで、今は現場を去ってしまった。二十二日間の興行を終えると、後は野となれ山となれと逃げ出してしまったようにもみえる。だが、はたしてそれで一件落着となるであろうか」、警察内の公安畑と刑事畑の対立は想像以上に酷いようだ。左翼も大人しくなったことから公安畑は大胆に縮小することも検討すべきだ。