金融政策(その49)(山本 謙三氏4題:日銀がついに撤退戦を始めた!植田日銀は 爆買いしてきた長期国債590兆円を波乱なく減らすことが本当にできるのか?、いまの日銀は 「中央銀行としてやってはならないこと」をやりまくっている…「日本が置かれた深刻な状況」の実態、「黒田日銀」は国民に幸福をバラ撒きすぎた…これからやってくるとてつもない「しっぺ返し」、私たちはこれからどんなツケを払うことになるのか…なんと11年に及んだ「異次元緩和」がもたらしたもの) [経済政策]
金融政策については、本年9月16日に取上げた。本日は、(その49)(山本 謙三氏4題:日銀がついに撤退戦を始めた!植田日銀は 爆買いしてきた長期国債590兆円を波乱なく減らすことが本当にできるのか?、いまの日銀は 「中央銀行としてやってはならないこと」をやりまくっている…「日本が置かれた深刻な状況」の実態、「黒田日銀」は国民に幸福をバラ撒きすぎた…これからやってくるとてつもない「しっぺ返し」、私たちはこれからどんなツケを払うことになるのか…なんと11年に及んだ「異次元緩和」がもたらしたもの)である。
先ずは、本年9月27日付け現代ビジネスが掲載した元日銀理事の山本 謙三氏による「日銀がついに撤退戦を始めた!植田日銀は、爆買いしてきた長期国債590兆円を波乱なく減らすことが本当にできるのか?」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/137864
・『パリバリの金融実務家であった私が、わからないことがあれば一番頼りにし、最初に意見を求めたのが山本謙三・元日銀理事です。安倍元総理が、もし彼がブレインに選んでいたら、今の日本経済はバラ色だったに違いない」 元モルガン銀行・日本代表兼東京支店長で伝説のトレーダーと呼ばれる藤巻健史氏が心酔するのが元日銀理事の山本謙三氏。同氏は、「異次元緩和」は激烈な副作用がある金融政策で、その「出口」には途方もない困難と痛みが待ち受けていると警鐘を鳴らす。 黒田日銀は、長期金利をゼロ%程度に抑え込むために、多額の国債買い入れを行った。その結果、日銀の国債保有残高は約590兆円に達し、日銀当座預金残高も、国債買い入れに見合う形で約561兆円に積み上がった(24年3月末時点)。引き継いだ植田日銀は、11年に及んだ異次元緩和を終了し、2024年7月には月間の国債買い入れ額をそれまでの6兆円程度から2026年1〜3月期に3兆円程度に減らす方針も決めた。しかし、計画通りに2年間減額を進めても、日銀がなお500兆円以上を抱えている姿に変わりはなく、市場機能の完全な回復には程遠い。 財政赤字を丸呑みしてきた日銀が市場から徐々に遠ざかれば、長期金利は想定外の上下動を起こすリスクを孕む。はたして、植田日銀は滞りなく、出口戦略を進めることができるのか? ※本記事は山本謙三『異次元緩和の罪と罰』から抜粋・編集したものです』、「黒田日銀は、長期金利をゼロ%程度に抑え込むために、多額の国債買い入れを行った。その結果、日銀の国債保有残高は約590兆円に達し、日銀当座預金残高も、国債買い入れに見合う形で約561兆円に積み上がった(24年3月末時点)。引き継いだ植田日銀は、11年に及んだ異次元緩和を終了し、2024年7月には月間の国債買い入れ額をそれまでの6兆円程度から2026年1〜3月期に3兆円程度に減らす方針も決めた。しかし、計画通りに2年間減額を進めても、日銀がなお500兆円以上を抱えている姿に変わりはなく、市場機能の完全な回復には程遠い。 財政赤字を丸呑みしてきた日銀が市場から徐々に遠ざかれば、長期金利は想定外の上下動を起こすリスクを孕む。はたして、植田日銀は滞りなく、出口戦略を進めることができるのか?』、計画通りに2年間減額を進めても、日銀がなお500兆円以上を抱えている姿に変わりはなく、市場機能の完全な回復には程遠い。 財政赤字を丸呑みしてきた日銀が市場から徐々に遠ざかれば、長期金利は想定外の上下動を起こすリスクを孕む。はたして、植田日銀は滞りなく、出口戦略を進めることができるのか?」、なるほど。
・『資本主義システムをめぐるコルナイの主張 計画経済体制を分析し、その構造的欠陥を解明したハンガリーの経済学者コルナイ・ヤーノシュは、著書の中で、資本主義システムと社会主義システムを比較し、次のように述べている(コルナイ・ヤーノシュ『資本主義の本質について──イノベーションと余剰経済』講談社学術文庫)。 「急速な革新(イノベーション)やダイナミズムは、起こるかもしれないし起こらないかもしれないといったランダムな現象ではなく、資本主義というシステム特有の性質に深く根ざしたものである(中略)その反対に、社会主義システムについても同様のことが言える。偉大な革新的な新製品を作りだせないということやその他の局面での技術進歩が後れることは、政策に誤りがあるからではなく、社会主義というシステム特有の性質に深く根ざしたものである」 第3章で紹介したように、シカゴ大学のラジャン教授は「中央銀行による介入は少ない方が、おそらく良好な結果をもたらすだろう」と述べている。これは、政府や中央銀行といった公的当局の市場介入を極力減らし、民間の新陳代謝を通じて経済の活性化を図る資本主義システムに内在する固有の利点を信じてのことだろう。 日本が計画経済のもとにあるわけではないが、ただでさえ一般政府の債務残高対GDP比率が先進国で断トツに高い国だ。中央銀行のバランスシート規模の拡大は、コルナイの主張する資本主義システムのもつダイナミズムを脅かしているように見えてならない。 日銀のバランスシートを見ると、総資産(=負債・純資産計)は、2013年3月末の約165兆円から2024年3月末には約756兆円まで拡大した。じつに4.6倍である。 他の主要な中央銀行との比較でも、その巨大さが際立つ(図表5-1)。中央銀行の総資産の対GDP比率は、米国FRBの35%、欧州ECBの48%に対し、日銀は127%に達する。異次元緩和が始まる前の同比率は30%台だったので、この間の規模拡大がいかに劇的なものだったかが分かる』、「ハンガリーの経済学者コルナイ・ヤーノシュは、・・・「急速な革新(イノベーション)やダイナミズムは、起こるかもしれないし起こらないかもしれないといったランダムな現象ではなく、資本主義というシステム特有の性質に深く根ざしたものである・・・シカゴ大学のラジャン教授は「中央銀行による介入は少ない方が、おそらく良好な結果をもたらすだろう」と述べている。これは、政府や中央銀行といった公的当局の市場介入を極力減らし、民間の新陳代謝を通じて経済の活性化を図る資本主義システムに内在する固有の利点を信じてのことだろう」、ラジャンの主張では中央銀行は不要というシカゴ学派の極論だ。「一般政府の債務残高対GDP比率が先進国で断トツに高い国だ。中央銀行のバランスシート規模の拡大は、コルナイの主張する資本主義システムのもつダイナミズムを脅かしているように見えてならない。 日銀のバランスシートを見ると、総資産(=負債・純資産計)は、2013年3月末の約165兆円から2024年3月末には約756兆円まで拡大した。じつに4.6倍である。 他の主要な中央銀行との比較でも、その巨大さが際立つ(図表5-1)。中央銀行の総資産の対GDP比率は、米国FRBの35%、欧州ECBの48%に対し、日銀は127%に達する。異次元緩和が始まる前の同比率は30%台だったので、この間の規模拡大がいかに劇的なものだったかが分かる」、なるほど。
・『長短市場金利の抑え込みが市場機能を低下させた 日銀のバランスシートの膨張は、主として大量の国債買い入れの結果である。当初は巨額の資金供給そのものを狙いとして、2016年以降は長期金利をゼロ%程度に抑え込むことを狙いとして、日銀は国債の大量買い入れを続けた。 もし日銀が市場への関与を控え、金利を市場の自由な形成に任せていれば、長期金利はもっと高い水準で推移していたはずだ。これを力ずくで抑え込むために、大量の国債買い入れが必要だった。 前章で述べたように、FRBは、イールド・カーブ・コントロールのアイデアを棄却した。中央銀行としての独立性が脅かされるリスクを警戒してのことだったが、同時に、中央銀行が自らのモデルや理屈に頼って長期金利の水準を固定すると、「結果的に不適切な金利の上限や目標を設定しかねない」ことも危惧していた。逆に、日銀はデフレ脱却の名のもとに、適正水準からの乖離をみずから積極的につくり出しにいった形である。 では、本来、長期金利はどの程度の水準が適正だったと考えられるだろうか。経済学では、長期金利の水準は、長い目で見ると、物価上昇率の将来見通しと実質自然利子率の和に落ち着くと考えられている。 実質自然利子率とは、「引き締め的にも緩和的にも作用しない中立的な実質金利の水準」と定義される。厄介なのは、実質自然利子率が奈辺の水準にあるかは推計に頼るしかないことだ。予想物価上昇率も、人々の見方を外部から測定するのは容易でない。計算式に当てはめるには、不確実な要素が多い。 そこで、ここでは過去の実績値を計算式に当てはめ、長期金利ゼロ%程度という誘導水準が、どれほど適正水準から乖離したものだったかを探ってみたい。実質自然利子率は一定の仮定の下では潜在成長率に等しいとされることを念頭におき、ここでは、実質自然利子率に代えて実質GDP成長率の実績を、また予想物価上昇率に代えて物価上昇率(GDPデフレーターの上昇率)の実績を代入し、長期金利の水準にあたりをつけてみたい。いうまでもなく、実質GDP成長率とGDPデフレーターの上昇率の和は名目GDP成長率にほぼ等しいので、ここでの議論は、十分に長い期間をとれば、長期金利は名目GDP成長率の水準に収れんするとの見方に立脚していることになる。 異次元緩和が始まった2013年度から2022年度までの10年間の名目GDP成長率は、年率プラス1.31%だった。実質GDP成長率が年率プラス0.67%、GDPデフレーター(GDP統計の作成に利用する物価)の上昇率が年率プラス0.64%である。この式に従えば、2013年時点での10年物国債の長期金利は1%台半ば近くに適正値があったと推定される。この10年は、好景気も、新型コロナの感染拡大に伴う景気停滞期も含むため、その後の期間も、長期金利の適正値は1%台半ば周辺から大きくかけ離れることはなかっただろう。にもかかわらず、日銀は現実の長期金利をゼロ%程度に抑え込み続けた。それだけ強烈な金融緩和であったといえるし、それだけ市場機能を低下させたともいえる。 こうした国債金利の極端な抑え込みは、他の金融市場にも波及した。超低水準の国債金利を眺め、投資家は少しでも高い金利を得ようと社債市場に殺到し、社債金利も大幅に低下した。貸出市場でも、貸出金利が低下した。 社債金利や貸出金利に織り込まれている信用スプレッド(国と企業の信用力の差を表すもの)も、日銀による国債金利抑え込みを眺めた投資の殺到で大幅に縮小した。 こうした影響は金融市場にとどまらず、実体経済に波及し、国や企業、家計の経済活動にも影響した。日銀にすれば需要の拡大を狙った金融緩和の効果浸透であり、市場から見れば、歯止めを失った国債発行や生産性の低い企業の生き残りに象徴される市場機能のゆがみの伝播である』、「十分に長い期間をとれば、長期金利は名目GDP成長率の水準に収れんするとの見方に立脚していることになる。 異次元緩和が始まった2013年度から2022年度までの10年間の名目GDP成長率は、年率プラス1.31%だった。実質GDP成長率が年率プラス0.67%、GDPデフレーター・・・の上昇率が年率プラス0.64%である。この式に従えば、2013年時点での10年物国債の長期金利は1%台半ば近くに適正値があったと推定される。この10年は、好景気も、新型コロナの感染拡大に伴う景気停滞期も含むため、その後の期間も、長期金利の適正値は1%台半ば周辺から大きくかけ離れることはなかっただろう。にもかかわらず、日銀は現実の長期金利をゼロ%程度に抑え込み続けた。それだけ強烈な金融緩和であったといえるし、それだけ市場機能を低下させたともいえる」、なるほど。
・YCCの修正が意味したもの ひとつ留意しておきたいのは、日銀が、2024年の異次元緩和解除までの間、イールド・カーブ・コントロール(YCC)における長期金利の変動幅を数次にわたり変更していることである。とくに2022年12月の変動幅拡大は、市場に大きな変動をもたらしたので、そのロジックにも触れておきたい。 日銀が長期金利の変動幅を±0.25%から±0.5%に拡大する直前の年限別イールド・カーブ(利回り曲線)を描くと、10年物金利だけが突出して低水準だったことが分かる(図表5-2の2022年12月19日のカーブ)。日銀が10年物金利に狙いを定めて長期金利のコントロールを続けていた結果である。 一方、それ以外の年限の国債金利は、世界的な物価の上昇を受けたグローバルな金利の上昇にひきずられるかたちで、じわじわと上がっていた。その結果、イールド・カーブに極端なゆがみが生まれた。 このゆがみは、社債市場にも波及し、低金利の社債に買い手がつかなくなり、多くの社債発行が難しくなった。2022年12月に日銀が変動幅拡大に踏み切ったのは、イールド・カーブのゆがみを是正し、社債発行の環境を整えようとするものだった。 ただし、10年物金利が突出して低かったにせよ、イールド・カーブ・コントロールのために行ってきた大量の国債購入は、多かれ少なかれ、すべての年限、すなわちイールド・カーブ全体にゆがみをもたらしていた。22年12月の10年物金利の上限を小幅に引き上げるだけではイールド・カーブのゆがみは解消されなかった。日銀に残された選択肢は、すべての年限を抑え込んで政策の一貫性を保つか、市場の自由な形成にゆだねるかしかなかった。 実際、22年12月の日銀は、10年物金利の変動幅を拡大する一方で、他の年限の金利の上昇を牽制する手段を講じ、市場に介入する姿勢をむしろ強めた。一方、23年4月に発足した植田日銀は、7月、10月と、長期金利の変動幅を2度拡大したあと、24年3月にイールド・カーブ・コントロールを撤廃した。要は、市場機能のゆがみをこれ以上放置できなくなったということである。 それでも、現状は市場機能を完全に回復するに至ったわけではない。長期金利の完全な機能回復とは、日銀が金利の決定を市場に委ね、長期金利の形成に原則として介入しない状態に移るときである。24年7月、日銀は当面2年間の国債買い入れの減額を決めたが、2年後も、事実上中途売却できない長期国債を500兆円以上抱えている姿に変わりはなく、市場機能の完全な回復には程遠い。一方で、長く、強烈な金利抑え込みを続けてきた以上、日銀が市場から完全に遠ざかれば、金利は思わぬ上下動を示しかねない。日銀は慎重なステップを踏まざるをえず、長期金利の完全な機能回復には時間を要する。 *本記事の抜粋元・山本謙三『異次元緩和の罪と罰』(講談社現代新書)では、異次元緩和の成果を分析するとともに、歴史に残る野心的な経済実験の功罪を検証しています。2%の物価目標にこだわるあまり、本来、2年の期間限定だった副作用の強い金融政策を11年も続け、事実上の財政ファイナンスが行われた結果、日本の財政規律は失われ、日本銀行の財務はきわめて脆弱なものになりました。これから植田日銀は途方もない困難と痛みを伴う「出口」に歩みを進めることになります。異次元緩和という長きにわたる「宴」が終わったいま、私たちはどのようなツケを払うことになるのでしょうか』、「24年7月、日銀は当面2年間の国債買い入れの減額を決めたが、2年後も、事実上中途売却できない長期国債を500兆円以上抱えている姿に変わりはなく、市場機能の完全な回復には程遠い。一方で、長く、強烈な金利抑え込みを続けてきた以上、日銀が市場から完全に遠ざかれば、金利は思わぬ上下動を示しかねない。日銀は慎重なステップを踏まざるをえず、長期金利の完全な機能回復には時間を要する・・・事実上の財政ファイナンスが行われた結果、日本の財政規律は失われ、日本銀行の財務はきわめて脆弱なものになりました。これから植田日銀は途方もない困難と痛みを伴う「出口」に歩みを進めることになります。異次元緩和という長きにわたる「宴」が終わったいま、私たちはどのようなツケを払うことになるのでしょうか」、なるほど。
次に、10月7日付け現代ビジネスが掲載した元日銀理事の山本 謙三氏と元モルガン銀行・日本代表兼東京支店長の藤巻 健史氏の対談「いまの日銀は、「中央銀行としてやってはならないこと」をやりまくっている…「日本が置かれた深刻な状況」の実態」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/138655
・『「バリバリの金融実務家であった私が、わからないことがあれば一番頼りにし、最初に意見を求めたのが山本謙三・元日銀理事です。安倍元総理が、もし彼がブレインに選んでいたら、今の日本経済はバラ色だったに違いない」 元モルガン銀行・日本代表兼東京支店長で伝説のトレーダーと呼ばれる藤巻健史氏が心酔するのが元日銀理事の山本謙三氏だ。同氏は、「異次元緩和」は激烈な副作用がある金融政策で、その「出口」には途方もない困難と痛みが待ち受けていると警鐘を鳴らす。 2024年9月17日講談社現代新書より山本氏初の本格的著作となる『異次元緩和の罪と罰』が刊行された。これを記念して、著者である山本氏と藤巻氏が、異次元緩和の功罪を検証する対談を行った。 現代ビジネスでは、その対談の内容を3本の動画に分割して公開する。第2回目は、「異次元緩和がもたらした財政規律の緩み」について議論する。 以下、対談の要旨を掲載する(Qは聞き手である藤巻氏の質問)』、興味深そうだ。
・『守るべきルールをことごとく破った Q:異次元緩和は、伝統的な金融論で守るべきルールをことごとく破ったといわれます。なかでも、膨大な長期国債を大量に市場から買い入れる政策は、世界最悪レベルの借金大国の日本にとって都合の良い政策でした。日銀が国債を爆買いすることによって、財政規律が弛緩したと言われますが、山本さんはどのように分析されますか? (山本謙三氏の略歴はリンク先参照) 山本:世界の多くの国、ほとんどの国と言ってもいいと思いますが、中央銀行が国債を引き受ける財政ファイナンスを禁止しています。それは財政規律を維持するための「人類の知恵」で、そのようなことをしたら、通貨の信認を失い、将来的には非常に高いインフレが必ず起きるからです。 日本でも財政法で国債の日銀引受が禁止されています。その一方で、黒田日銀は、物価目標を実現するための政策として資金の大量供給を決めました。「物価目標2%を何が何でも実現する」という異次元緩和の政策枠組みの中で、日銀は、市場にサプライズを与えるほどの巨額の国債を市場から買い入れました。政府が発行した国債を直接引き受けたわけではありませんでしたが、市中に出回る国債をほとんど買い入れてきたというのが実態です。 左の棒グラフをご覧ください。異次元緩和が始まる直前の2013年3月末の日銀の保有国債残高は、約125兆円でしたが、これが10年後の2023年3月末には、約5倍の約582兆円になっています。この間、日銀の保有国債は一挙に456兆円も増えています。実はこの額は、この期間の新規国債の発行額480兆円に匹敵します。いうなれば、日銀が、財政赤字のほとんどの資金繰りの面倒をみたという状態ですので、政府にしてみれば、金利ゼロで国債がいくらでも発行できる状況になりました。このような状態では、国にも財政赤字を減らそうというインセンティブが働きません。もちろん、財政規律は国に一義的な責任があるわけですが、日銀が財政規律の働きにくい環境を作ったということは間違いありません』、「世界の多くの国、ほとんどの国と言ってもいいと思いますが、中央銀行が国債を引き受ける財政ファイナンスを禁止しています。それは財政規律を維持するための「人類の知恵」で、そのようなことをしたら、通貨の信認を失い、将来的には非常に高いインフレが必ず起きるからです。 日本でも財政法で国債の日銀引受が禁止されています。その一方で、黒田日銀は、物価目標を実現するための政策として資金の大量供給を決めました。「物価目標2%を何が何でも実現する」という異次元緩和の政策枠組みの中で、日銀は、市場にサプライズを与えるほどの巨額の国債を市場から買い入れました。政府が発行した国債を直接引き受けたわけではありませんでしたが、市中に出回る国債をほとんど買い入れてきたというのが実態です。 左の棒グラフをご覧ください。異次元緩和が始まる直前の2013年3月末の日銀の保有国債残高は、約125兆円でしたが、これが10年後の2023年3月末には、約5倍の約582兆円になっています。この間、日銀の保有国債は一挙に456兆円も増えています。実はこの額は、この期間の新規国債の発行額480兆円に匹敵します。いうなれば、日銀が、財政赤字のほとんどの資金繰りの面倒をみたという状態ですので、政府にしてみれば、金利ゼロで国債がいくらでも発行できる状況になりました」、なるほど。
・『財政ファイナンスそのもの 藤巻:『異次元緩和の罪と罰』のなかで、山本さんは「財政ファイナンスに酷似した」と書かれましたが、私は、まさに財政ファイナンスそのものだと思うんですよね。 (藤巻健史氏の略歴はリンク先参照) 私は国会質問で、当時の黒田日銀総裁や麻生財務相に「これは財政ファイナンスじゃないですか?」とお聞きすると、彼らは「いや、これはデフレ脱却のために行っていることだから財政ファイナンスではありません」と答弁されるわけです。これに対して、私は、「中央銀行である日銀が、日本政府の資金繰りを賄っている以上、これはもう財政ファイナンスそのものです。火事は、火が出れば火事になるのであって、失火であろうと放火であろうと、火事であることには変わらない。これと同じように、異次元緩和の目的がデフレ脱却であろうとなかろうと、政府の資金繰りを中央銀行が賄っていれば、それは財政ファイナンスです」とお二人に申し上げましたが、議論は深まりませんでした。 この本にも書いてありましたが、いまの日銀は、中央銀行としてやってはならないことをやりまくってるわけですよ。いったん買い入れると市中での売却が難しい長期国債や、株や土地のように価格が大きく変動するリスク性資産を買いまくっている。正統派金融論の常識では、通貨の信認を守るため、中央銀行が固く禁じられてきたことを、黒田日銀は10年以上も続けてきた。これは由々しきことです。 山本:法律上は、財政法で日銀が直接引き受けることを財政ファイナンスと定義しています。したがって、日銀による市場からの国債買い入れは、法律的には財政ファイナンスには相当しないということになるのでしょうが、経済機能的に言えば財政ファイナンスとほぼ同じですね。 伝統的に多くの中央銀行は、そのような財政ファイナンスが行えないようにする、いくつかの仕掛けを用意してきました。日銀にも、「日銀が保有する長期国債の残高は、銀行券発行残高を上限とする」という銀行券ルールという内部規律が存在しました。しかし異次元緩和では、このルールは一時的に適用停止(注.現在も停止中)されてしまい、国債の大量購入に歯止めをかける仕掛けが骨抜きにされてしまいました。 藤巻:普通の中央銀行はこんなことしないですよ。私は、やはり財政破綻を免れるために日銀は政府を手助けしているように思っています』、「藤巻:・・・私は国会質問で、当時の黒田日銀総裁や麻生財務相に「これは財政ファイナンスじゃないですか?」とお聞きすると、彼らは「いや、これはデフレ脱却のために行っていることだから財政ファイナンスではありません」と答弁されるわけです。これに対して、私は、「中央銀行である日銀が、日本政府の資金繰りを賄っている以上、これはもう財政ファイナンスそのものです・・・異次元緩和の目的がデフレ脱却であろうとなかろうと、政府の資金繰りを中央銀行が賄っていれば、それは財政ファイナンスです」とお二人に申し上げましたが、議論は深まりませんでした」、なるほど。
・『「統合政府論」という考え Q:11年に及ぶ、空前の金融緩和で日銀のバランスシートは異様なまでに拡大しています。一方で、リフレ派の経済学者やMMT論者たちは、日本には潤沢な資産があるので、まだまだ国債を買い入れる余地がある、と主張しています。彼らは、国が支払う利払い費は、国債を買い入れた日銀に支払われるので、たとえ、今後、利払い費が増えても、子会社である日銀から親会社の政府に還流されるので全く問題は生じないといいます。それどころか、市場に流通する国債を日銀がすべて買い入れてしまえば、財政再建が完了するという識者もいます。 藤巻:これは「統合政府論」という考えですね。日銀は政府の事実上の子会社であるから、日銀が、政府発行の国債を保有していることは、子会社が親会社の債務を負っているに過ぎないことになります。そこで政府と日銀を統合したバランスシート(図参照)を作ると、国の負債である国債と日銀の資産である国債が相殺されて、バランスシートから国債が消えてしまいます(実際には、日銀は国が発行した国債の約50%しか所有しておらず、残り50%の国債は相殺されません)。統合政府論者は、政府が国債の金利を支払っても子会社である日銀がその金利を受け取り、利益の一部として政府に戻すのだから問題はない。したがって日本の財政はおよそ危機的ではなく、まだまだ財政余力があり、引き続き大量の国債を発行できると主張します。 しかし、だからと言って、統合政府の債務が消えるわけではありません。上の図でいえば、青色の国債だけは相殺されるけれども、統合後は国債の替わりにオレンジ色の「日銀当座預金」という債務が残るのです。「そっちのことを気にしなくてもいいんですか」という話なんです。 藤巻家を例にして考えてみましょう。歳をとって借金する能力がなくなった私の代わりに息子が銀行から借金をして私に貸し、そのお金で私が家を建てたとしましょう。確かに藤巻家でみると、親子間の貸借は相殺でなくなるかもしれませんが、息子には借りた住宅ローンが残ります。息子は銀行に利子を払いながら住宅ローンの返済を続けていかねばなりません。 英語では財政ファイナンスのことをマネタイゼーションと言います。国債(長期負債)を通貨に変える(超短期負債化)からです。現在のような超低金利時代には問題は顕在化しませんが、ひとたび金利が上昇すると、一気に利払い費が増えて、国全体として大変危険な状態になります。「統合政府で考えれば財政は健全」という考えは、財政ファイナンスは正しいと主張するに等しいわけですから、どう考えてもトンデモ理論です。 山本:藤巻さんおっしゃる通りで、政府の子会社である中央銀行が国債を買えば、国債が相殺されて消えるので財政再建が完了するというのは、これは100%間違っています、 藤巻さんが作成された図を見ていただくとわかるように、国債という政府の債務が日銀当座預金という日銀の債務に置き換わったに過ぎません。日銀当座預金は、日銀の金融機関に対する債務、すなわち借金です。統合政府で見ても、膨大な債務が残る以上、全く財政再建が完了したわけではない。 要するに、政府の信認が低下すれば、論理的に日銀の信認も低下し、日銀が発行する通貨の円の信認も低下することになります。政府の財政状態を示す「一般政府の債務残高対GDP比率(2022年実績見込み)」は257%と、世界約190ヵ国・地域中第2位の高さにあります。日本より財政状態が悪いのは、中東紛争でイスラエルと交戦状態にあるレバノンだけで、日本の財政状態は、内戦状態にあった第3位のスーダンよりもかなり悪い。国と通貨に対する信認は先人たちの努力の積み重ねによって築き上げられてきたものですが、このような財政状態を続けていて、いつまで信認を保ち続けることができるのか不安になります。 藤巻:数字だけでみれば、債務残高対GDP比率257%は、太平洋戦争直後よりも悪いですからね。結局、そのときは、日本は悪性インフレを抑えきれず、1946年(昭和21年)に預金封鎖と新円切り替えを強行し、インフレと国民の負担によって財政赤字を帳消しにしました。いまはまだ問題が顕在化していませんが、国民の皆さんも現在の財政状態は戦時や戦争直後よりも悪いという認識をしてほしいですよね、) Q:日本には、換金可能な潤沢な金融資産と有形固定資産があるので、財政危機など杞憂にすぎないという意見もあります。 山本:国は741兆円もの資産を保有しているので心配はないという方がいらっしゃるのですが、そんな楽観視ができるような状態ではありません。 図(国の賃借対照表)をご覧ください。実は国の資産は、この負債サイドとの見合いになっています。例えば有価証券126兆円のほとんどが外貨証券です。これは外貨準備の運用として持っている有価証券ですが、仮に売れるとしてもその代金は右側にある政府短期証券の償還に充てられなければいけないというルールがあります。 有形固定資産も195兆円ありますが、これは橋や道路などのインフラなので、これも簡単に売れるようなものではありません、実際のところ、国の資産741兆円には、自由に売却できるようなものはなく、新しい財源になるようなものはほとんど存在しません。 一方、バランスシートの右側の負債サイドを見ると、「負債および資産・負債差額合計」の702兆円があります。日本は、資産以上に負債を抱えており、国債の発行額が保有する資産の評価額を702兆円も超えていることを意味します。言い方を変えれば、国は702兆円の債務超過の状態にあります。 ただし、債務超過になったからといって、直ちに国が破綻するというわけではありません。なぜなら、国には、国民から税金を集める徴税権が認められているからです。将来、国民に課される税金でこの差額は埋められるという仮定で成り立っている、そういうバランスシートになっているわけです。 ただし、日本は、民主主義社会ですから、国に徴税する権利があるからといって、増税はそんなに簡単ではありません。税率5%で始まった消費税を10%に引き上げることに30年間もかかったことを思えば、増税が簡単ではないことがわかります。 702兆円に及ぶ資産負債差額がさらに増えるようになれば、マーケットにおいて国への信頼が揺らぐ危険があります。すでに日本の財政は持続可能性を疑われる状態にありますから、将来を楽観視するのではなく市場が不安を持つ前に早く財政再建に着手する必要があるというふうに思っています。 藤巻:山本さんのおっしゃったことはまさにその通りで、楽観視できる状態ではありません。 基本的にGDPと税収は、大雑把に言えば比例関係が成り立ちます。GDPが2倍になれば、個人の収入も2倍になり、国の税収や歳出も2倍になるということです。 財政の健全度を表す「債務残高対GDP比率」は、税収と借金の比率を示す指標です。いうなれば、税収で借金を返す難易度ランキングです。これが世界最悪レベルにあるということは、財政を再建することが世界で最も難しいことを意味します。我が国が置かれている状況はかくも深刻であることを、国民も認識すべきだと、私は思います。 第3回記事<「黒田日銀」は国民に幸福をバラ撒きすぎた…これからやってくるとてつもない「しっぺ返し」>では、「異次元緩和には出口はあるのか」について議論する。 *本対談のきっかけとなった山本謙三『異次元緩和の罪と罰』(講談社現代新書)では、異次元緩和の成果を分析するとともに、歴史に残る野心的な経済実験の功罪を検証しています。2%の物価目標にこだわるあまり、本来、2年の期間限定だった副作用の強い金融政策を11年も続け、事実上の財政ファイナンスが行われた結果、日本の財政規律は失われ、日銀の財務はきわめて脆弱なものになりました。これから植田日銀は途方もない困難と痛みを伴う「出口」に歩みを進めることになります。異次元緩和という長きにわたる「宴」が終わったいま、私たちはどのようなツケを払うことになるのでしょうか』、「統合政府論者は、政府が国債の金利を支払っても子会社である日銀がその金利を受け取り、利益の一部として政府に戻すのだから問題はない。したがって日本の財政はおよそ危機的ではなく、まだまだ財政余力があり、引き続き大量の国債を発行できると主張します。 しかし、だからと言って、統合政府の債務が消えるわけではありません。上の図でいえば、青色の国債だけは相殺されるけれども、統合後は国債の替わりにオレンジ色の「日銀当座預金」という債務が残るのです・・・英語では財政ファイナンスのことをマネタイゼーションと言います。国債(長期負債)を通貨に変える(超短期負債化)からです。現在のような超低金利時代には問題は顕在化しませんが、ひとたび金利が上昇すると、一気に利払い費が増えて、国全体として大変危険な状態になります。「統合政府で考えれば財政は健全」という考えは、財政ファイナンスは正しいと主張するに等しいわけですから、どう考えてもトンデモ理論です・・・政府の子会社である中央銀行が国債を買えば、国債が相殺されて消えるので財政再建が完了するというのは、これは100%間違っています、 藤巻さんが作成された図を見ていただくとわかるように、国債という政府の債務が日銀当座預金という日銀の債務に置き換わったに過ぎません。日銀当座預金は、日銀の金融機関に対する債務、すなわち借金です。統合政府で見ても、膨大な債務が残る以上、全く財政再建が完了したわけではない。 要するに、政府の信認が低下すれば、論理的に日銀の信認も低下し、日銀が発行する通貨の円の信認も低下することになります。政府の財政状態を示す「一般政府の債務残高対GDP比率(2022年実績見込み)」は257%と、世界約190ヵ国・地域中第2位の高さにあります。日本より財政状態が悪いのは、中東紛争でイスラエルと交戦状態にあるレバノンだけで、日本の財政状態は、内戦状態にあった第3位のスーダンよりもかなり悪い。国と通貨に対する信認は先人たちの努力の積み重ねによって築き上げられてきたものですが、このような財政状態を続けていて、いつまで信認を保ち続けることができるのか不安になります・・・財政の健全度を表す「債務残高対GDP比率」は、税収と借金の比率を示す指標です。いうなれば、税収で借金を返す難易度ランキングです。これが世界最悪レベルにあるということは、財政を再建することが世界で最も難しいことを意味します。我が国が置かれている状況はかくも深刻であることを、国民も認識すべきだと、私は思います」、なるほど。
第三に、10月7日付け現代ビジネスが掲載した元日銀理事の山本 謙三氏と元モルガン銀行・日本代表兼東京支店長の藤巻 健史氏の対談「「黒田日銀」は国民に幸福をバラ撒きすぎた…これからやってくるとてつもない「しっぺ返し」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/138657
・・・・異次元緩和の歪みや副作用 Q:11年にわたって続いてきた異次元緩和の歪みや副作用がさまざまなところに現れているように思います。 山本:日銀が、市場からこれだけ大量に国債やETF(上場投資信託)を買い入れれば、債券市場や株式市場が歪むのはある意味当然のことです。いまや日銀は、株式市場において国内最大の投資家です。 藤巻:中央銀行は、価格の変動が激しいリスク性資産は極力持たないという不文律がありますが、日銀のように大量の株式を買い入れている中央銀行はほかにはないですよね。) 山本:金融政策として、株式を買い入れている中央銀行は、ほとんどありません。 歪みが生じているのは株式市場だけではありません。国債市場では、日銀は国内最大の購入者であり、保有者です。日銀の国債保有残高は約590兆円に及んでいます。 日銀は、大量の国債買い入れを継続して実施することで長期金利を0%台に抑えてきました。もし、日銀が市場に介入せず、長期金利の変動を市場に任せていれば、実際の名目GDPの成長率から見て、少なくとも1%前後になっていたはずです。 長期にわたって市場の実勢より1%近く金利を抑圧してきたのですから、さまざまな副作用が生じていることは間違いありません。 第一は急激な円安です。図は、1970年代から現在にいたる実質実効為替レートの推移を示すグラフです。実質実効為替レートは、通常の為替レートではなく、相対的な通貨の実力を測るための計算上のレートです。 2024年春の円相場の実質実効為替レートは、1ドル=360円時代をさらに下回る円安水準まで下落しました。つまり、1971年8月のニクソンショック直前の、1ドル360円並みの水準まで、円安が進んでいます。ここまで円安が進むと、海外から見れば、明らかに日本のものは何でも安く見えます。それゆえ、インバウンドの観光客が増えていますし、外国人の投資家が都心の土地やマンションを購入するようになっています。一見すると、景気のよい話のように見えますが、日本国内から見ると、国内の資源や労働力を安売りしていることに他なりません。これでは、私たち日本人の生活はいっこうに豊かになりません。 第二の副作用は、市場の機能が低下したために、成長性の低い企業が選別、淘汰されることなく生き残ったことです。その結果、日本経済の新陳代謝が進まなくなり、経済のダイナミズムが失われました。これは自由主義市場経済にとっては非常に痛手だったように思います。 第三の副作用は、金融機関へのしわ寄せです。金融機関は、市場金利が低下したことによって収益が圧迫されたため、それを補うために外債などのハイリスクの投資を増やしました。その結果、いくつかの金融機関は、金利上昇局面になってから、購入した外債の損失が膨らみ、増資に迫られるようになっています。もちろん、個別金融機関のリスク管理の甘さが原因ですが、異次元緩和が金融機関をハイリスクの投資に追い込んでいったという事実は残ります。 (山本謙三氏の略歴はリンク先参照)』、「藤巻:中央銀行は、価格の変動が激しいリスク性資産は極力持たないという不文律がありますが、日銀のように大量の株式を買い入れている中央銀行はほかにはないですよね。) 山本:金融政策として、株式を買い入れている中央銀行は、ほとんどありません。 歪みが生じているのは株式市場だけではありません。国債市場では、日銀は国内最大の購入者であり、保有者です。日銀の国債保有残高は約590兆円に及んでいます。 日銀は、大量の国債買い入れを継続して実施することで長期金利を0%台に抑えてきました。もし、日銀が市場に介入せず、長期金利の変動を市場に任せていれば、実際の名目GDPの成長率から見て、少なくとも1%前後になっていたはずです。 長期にわたって市場の実勢より1%近く金利を抑圧してきたのですから、さまざまな副作用が生じていることは間違いありません。 第一は急激な円安です。図は、1970年代から現在にいたる実質実効為替レートの推移を示すグラフです。実質実効為替レートは、通常の為替レートではなく、相対的な通貨の実力を測るための計算上のレートです。 2024年春の円相場の実質実効為替レートは、1ドル=360円時代をさらに下回る円安水準まで下落しました。つまり、1971年8月のニクソンショック直前の、1ドル360円並みの水準まで、円安が進んでいます。ここまで円安が進むと、海外から見れば、明らかに日本のものは何でも安く見えます。それゆえ、インバウンドの観光客が増えていますし、外国人の投資家が都心の土地やマンションを購入するようになっています。一見すると、景気のよい話のように見えますが、日本国内から見ると、国内の資源や労働力を安売りしていることに他なりません。これでは、私たち日本人の生活はいっこうに豊かになりません。 第二の副作用は、市場の機能が低下したために、成長性の低い企業が選別、淘汰されることなく生き残ったことです。その結果、日本経済の新陳代謝が進まなくなり、経済のダイナミズムが失われました。これは自由主義市場経済にとっては非常に痛手だったように思います。 第三の副作用は、金融機関へのしわ寄せです。金融機関は、市場金利が低下したことによって収益が圧迫されたため、それを補うために外債などのハイリスクの投資を増やしました。その結果、いくつかの金融機関は、金利上昇局面になってから、購入した外債の損失が膨らみ、増資に迫られるようになっています。もちろん、個別金融機関のリスク管理の甘さが原因ですが、異次元緩和が金融機関をハイリスクの投資に追い込んでいったという事実は残ります」、なるほど。
・『国民に幸福をバラ撒きすぎた 藤巻:感覚的な言い方になりますが、黒田日銀は、国民に幸福をバラ撒きすぎました。日銀が国債を爆買いして長期金利を低く抑えたことによって、住宅ローンの金利も0%近くになりました。金利負担が下がったうえに地価やマンション価格は高騰しましたから、住宅ローンを組んで不動産を購入した人は非常にハッピーなわけですよ。日銀によるETF購入で株式相場も上昇しましたから、株を持っている人もハッピーでした。なにより超ハッピーだったのは日本政府で、新規国債の金利負担がないから予算が好き勝手に作れて、バラ撒きもできた。こうした政策は、選挙民からの受けもいいので次の選挙にも当選できるので、バラ撒きはさらに加速していく。このように、日銀は異次元緩和を11年間も続けることで、日本国民に幸福のバラ撒きを続けてきたわけです。 問題は、この幸福は、日本人が実力で勝ち取ったものではなく、日銀によって作り出された、かりそめの幸福です。私は、日本人は、何か後で、とてつもない「しっぺ返し」を受けることになるのではないかと心配しています』、「黒田日銀は、国民に幸福をバラ撒きすぎました。日銀が国債を爆買いして長期金利を低く抑えたことによって、住宅ローンの金利も0%近くになりました。金利負担が下がったうえに地価やマンション価格は高騰しましたから、住宅ローンを組んで不動産を購入した人は非常にハッピーなわけですよ。日銀によるETF購入で株式相場も上昇しましたから、株を持っている人もハッピーでした。なにより超ハッピーだったのは日本政府で、新規国債の金利負担がないから予算が好き勝手に作れて、バラ撒きもできた。こうした政策は、選挙民からの受けもいいので次の選挙にも当選できるので、バラ撒きはさらに加速していく。このように、日銀は異次元緩和を11年間も続けることで、日本国民に幸福のバラ撒きを続けてきたわけです。 問題は、この幸福は、日本人が実力で勝ち取ったものではなく、日銀によって作り出された、かりそめの幸福です。私は、日本人は、何か後で、とてつもない「しっぺ返し」を受けることになるのではないかと心配しています」、なるほど。
・『黒田総裁の前任の白川方明日銀総裁は、自らもやむを得ず行った非伝統的な金融政策である質的緩和の危険性を自覚され、憂慮されていた。印象的だったのは、2013年3️月19日の退任記者会見での発言でした。「わが国を含め欧米諸国が現在展開している非伝統的な政策の評価も、いわゆる『出口』から円滑に脱出できて初めて、全プロセスを通じた金融政策の評価が可能となる、そうした性格のものだと思っています」 しかし、白川総裁を引き継いだ黒田日銀は、白川日銀の質的緩和を中途半端と批判して、伝統的金融論からすると、あり得ない規模の超金融緩和を11年も続けてきました。巨大なクジラのような日銀が大量の株と国債を買い進めて、市場機能を殺してしまった以上、もはや日銀には異次元緩和から抜け出る「出口」はありません。 私は、異次元緩和は「出口」から無事に出られて初めて評価できる金融政策だと思っています。「出口」から出られなかったら、最悪の政策だと結論づけるしかない。 黒田前総裁は、メディアから日銀の出口戦略を何度も質問されましたが、「時期尚早」を繰り返して、その道筋を最後まで語ることはありませんでした。引き継いだ植田和男総裁は異次元緩和の終了を宣言しましたが、出口戦略をどのように進めるのか具体的なシミュレーションを出していません。 山本さんが書かれた『異次元緩和の罪と罰』には、金融正常化を進めるには、最短でも10年かかるとあります。この一事をとっても、やはり出口から抜け出るのは相当難しいと言わざるを得ないですね』、「黒田総裁の前任の白川方明日銀総裁は、自らもやむを得ず行った非伝統的な金融政策である質的緩和の危険性を自覚され、憂慮されていた。印象的だったのは、2013年3️月19日の退任記者会見での発言でした。「わが国を含め欧米諸国が現在展開している非伝統的な政策の評価も、いわゆる『出口』から円滑に脱出できて初めて、全プロセスを通じた金融政策の評価が可能となる、そうした性格のものだと思っています」 しかし、白川総裁を引き継いだ黒田日銀は、白川日銀の質的緩和を中途半端と批判して、伝統的金融論からすると、あり得ない規模の超金融緩和を11年も続けてきました。巨大なクジラのような日銀が大量の株と国債を買い進めて、市場機能を殺してしまった以上、もはや日銀には異次元緩和から抜け出る「出口」はありません。 私は、異次元緩和は「出口」から無事に出られて初めて評価できる金融政策だと思っています。「出口」から出られなかったら、最悪の政策だと結論づけるしかない。 黒田前総裁は、メディアから日銀の出口戦略を何度も質問されましたが、「時期尚早」を繰り返して、その道筋を最後まで語ることはありませんでした。引き継いだ植田和男総裁は異次元緩和の終了を宣言しましたが、出口戦略をどのように進めるのか具体的なシミュレーションを出していません。 山本さんが書かれた『異次元緩和の罪と罰』には、金融正常化を進めるには、最短でも10年かかるとあります。この一事をとっても、やはり出口から抜け出るのは相当難しいと言わざるを得ないですね」、なるほど。
・『金融の正常化には非常に長い時間がかかる 山本:藤巻さんがおっしゃられたように金融の正常化には非常に長い時間がかかります。 私の試算では、約561兆円ある日銀当座預金残高を「平時」の約30兆円に戻すには10年以上かかるという結果になりました。しかも、これは、正常化完了までの間、いっさい新規の国債買い入れを止めるという仮定のもとでの試算です。 植田日銀は、2024年7月に日銀の国債買い入れ額の減額計画を公表し、それに着手しています。ただし、この計画に沿って日銀が国債買い入れ額を減らすとしても、いまから2年後の2026年3月末時点では依然、約550兆円の保有残高が日銀に残ります。 当面に限って言うと、国債の減額は大きな支障なく進められるだろうと思っています。なぜならば、最初の2年は日銀の国債買い入れの減額は月間3兆円程度ですから、国内の金融機関がこれを補うことは難しくありません。異次元緩和によって収益を圧迫された金融機関のなかには、リスクのある外債投資に追い込まれたところも多いので、為替リスクのない日本国債を購入するところも多いはずです。 ただし、当面は、国債減額は支障なく進められるでしょうが、いずれ金利の上昇が避けられないと考えています。なぜかというと、国は、借換債以外にも毎年約30兆円台の新規国債を発行しているからです。借換債に相当する国債は日本の金融機関が購入できるとしても、新たに発行される国債を購入できる原資があるのかという問題に突き当たります。仮に国内の金融機関だけでは消化が難しいとなれば、海外の投資家に頼らざるを得ません。ただし、彼らにとって、日本国債は金利変動リスクや為替リスクがありますから、相応の金利をつけなければ、彼らも買わないでしょう。 ただ、金利が上昇するのは、ある意味、自然なことです。もともと異次元緩和で隠されていた本来あるべき金利が、表面に出てくるという話なので、金利急騰といったような非常事態を除けば、国や日銀もこれは受け入れる必要があります。 いったん金利が上がり始めると、いろんなところからプレッシャーがかかってくるでしょうが、日銀としては正常化のプロセスを着実に進めていく必要があります。藤巻さんがおっしゃったことに近いのですが、金融正常化のプロセスを途中でやめてしまうことになれば、「なんだ異次元緩和は結局、財政ファイナンスだったのか」と市場から評価されてしまいます。中央銀行が財政ファイナンスを事実上認めるようなことをしたら、円という通貨の信認は揺らいでしまいます』、「私の試算では、約561兆円ある日銀当座預金残高を「平時」の約30兆円に戻すには10年以上かかるという結果になりました。しかも、これは、正常化完了までの間、いっさい新規の国債買い入れを止めるという仮定のもとでの試算です。 植田日銀は、2024年7月に日銀の国債買い入れ額の減額計画を公表し、それに着手しています。ただし、この計画に沿って日銀が国債買い入れ額を減らすとしても、いまから2年後の2026年3月末時点では依然、約550兆円の保有残高が日銀に残ります。 当面に限って言うと、国債の減額は大きな支障なく進められるだろうと思っています。なぜならば、最初の2年は日銀の国債買い入れの減額は月間3兆円程度ですから、国内の金融機関がこれを補うことは難しくありません。異次元緩和によって収益を圧迫された金融機関のなかには、リスクのある外債投資に追い込まれたところも多いので、為替リスクのない日本国債を購入するところも多いはずです。 ただし、当面は、国債減額は支障なく進められるでしょうが、いずれ金利の上昇が避けられないと考えています。なぜかというと、国は、借換債以外にも毎年約30兆円台の新規国債を発行しているからです。借換債に相当する国債は日本の金融機関が購入できるとしても、新たに発行される国債を購入できる原資があるのかという問題に突き当たります。仮に国内の金融機関だけでは消化が難しいとなれば、海外の投資家に頼らざるを得ません。ただし、彼らにとって、日本国債は金利変動リスクや為替リスクがありますから、相応の金利をつけなければ、彼らも買わないでしょう。 ただ、金利が上昇するのは、ある意味、自然なことです。もともと異次元緩和で隠されていた本来あるべき金利が、表面に出てくるという話なので、金利急騰といったような非常事態を除けば、国や日銀もこれは受け入れる必要があります。 いったん金利が上がり始めると、いろんなところからプレッシャーがかかってくるでしょうが、日銀としては正常化のプロセスを着実に進めていく必要があります。藤巻さんがおっしゃったことに近いのですが、金融正常化のプロセスを途中でやめてしまうことになれば、「なんだ異次元緩和は結局、財政ファイナンスだったのか」と市場から評価されてしまいます。中央銀行が財政ファイナンスを事実上認めるようなことをしたら、円という通貨の信認は揺らいでしまいます」、なるほど。
・『長期金利が上昇すれば、国債の評価損がどんどん膨らむ 藤巻:山本さんは、今後、日本の長期金利は一段と上がっていくとおっしゃいましたが、私が参院予算委員会で日銀に質問したところ、2023年9月末時点で日銀の保有国債の評価損はすでに約10兆円(当時、10年物金利は0.76%だった)もあり、金利がパラレルシフトすると、1%の金利上昇で評価損は29兆円程度増加するとの話でした。今後、長期金利が一段と上昇するようになれば、日銀が抱える国債の評価損がどんどん膨らんでいきます。 目下のところ、本来なら中央銀行が保有すべきでない株の評価益があるからいいものの、今後、日銀が国債やETFの買い入れ額を減らして過剰流動性を吸収する局面になれば、株価が下がり、評価益が激減するリスクもあります。私は、日銀が本格的に出口戦略を進めれば、ものすごい債務超過になると予測していますが、それでも大丈夫でしょうか?) 山本:あくまでも2023年度末時点ですが、日銀が買い進めてきたETF等の含み益が約38兆円もあるので、国債の評価損が出ても、なんとかそれでカバーできてしまうという状態です。 ただし、これはあくまでも株価次第ですから、株価が急落したり、金利が大幅に急騰したりする局面では、日銀が債務超過になる可能性があることは否定できません。ただし、中央銀行の場合、債務超過になったからといって、ただちに資金繰りに困るということはありません。 藤巻:日銀は、自分で日銀券を発行できるので、資金繰りに窮することはないですからね。 山本:債務超過になったからといって、ただちに危機が発生することはありませんが、かといって楽観視できる状態ではありません。要は、マーケットがどう見るかというその一点に尽きると思います。日銀が市場からの信頼を失えば、資金繰りではなく、まず為替が急落するところからスタートして、混乱が起きかねません。 藤巻:要するに中央銀行が危機的状況になるということは、その発行する通貨が信用を失うことを意味します。円の価値が失墜することになれば、円は紙くず化し、1ドル=1兆円になるようなハイパーインフレが起きるでしょう。 山本:藤巻さんのおっしゃることは過激で、少しついていけない部分もあるのですが(笑)、最終的にハイパーインフレにならないまでも、非常に高いインフレ率になることはあり得る話です。通貨に対する信認は、心理的な要素によるところが大きく、ある閾値(しきい値)」を超えた時点で突如崩壊するものです。それがいつどこで起きるかは、マーケットの心理によるので、それを予測するのは難しい。とはいえ、日銀も政府もそのような事態になるまでに、何らかの手を打つとは思いますが……。 藤巻:私に言わせると、日銀も政府も手を打ちすぎです。むしろ、過剰な介入で市場機能を殺してきたことに、日本経済の長期停滞の原因があるのではないでしょうか。常々感じていることですが、日本は資本主義の国というよりは計画経済の社会主義国のようです。 山本:私も、藤巻さんがおっしゃっているように、日本はどんどん市場経済から離れつつあるように感じます。戦後はずっと「市場競争を大事にする」という考えが主流でしたが、1990年代から、こうした考えが明らかに後退しています。政治的にも、選挙対策で、社会保障を充実させる政策や不況に苦しむ企業を救済する景気対策が広く行われるようになりました。その結果、生まれたのが、財政規律の著しい後退です。競争に負けた企業まで救済するような政策が広く行われた結果、経済の新陳代謝が進まず、生産性が低下していくという悪い流れになりつつあります。その流れを断ち切ることが一番大事なことだと考えています』、「2023年9月末時点で日銀の保有国債の評価損はすでに約10兆円(当時、10年物金利は0.76%だった)もあり、金利がパラレルシフトすると、1%の金利上昇で評価損は29兆円程度増加するとの話でした。今後、長期金利が一段と上昇するようになれば、日銀が抱える国債の評価損がどんどん膨らんでいきます。 目下のところ、本来なら中央銀行が保有すべきでない株の評価益があるからいいものの、今後、日銀が国債やETFの買い入れ額を減らして過剰流動性を吸収する局面になれば、株価が下がり、評価益が激減するリスクもあります。私は、日銀が本格的に出口戦略を進めれば、ものすごい債務超過になると予測していますが、それでも大丈夫でしょうか?) 山本:あくまでも2023年度末時点ですが、日銀が買い進めてきたETF等の含み益が約38兆円もあるので、国債の評価損が出ても、なんとかそれでカバーできてしまうという状態です。 ただし、これはあくまでも株価次第ですから、株価が急落したり、金利が大幅に急騰したりする局面では、日銀が債務超過になる可能性があることは否定できません。ただし、中央銀行の場合、債務超過になったからといって、ただちに資金繰りに困るということはありません・・・藤巻:私に言わせると、日銀も政府も手を打ちすぎです。むしろ、過剰な介入で市場機能を殺してきたことに、日本経済の長期停滞の原因があるのではないでしょうか。常々感じていることですが、日本は資本主義の国というよりは計画経済の社会主義国のようです。 山本:私も、藤巻さんがおっしゃっているように、日本はどんどん市場経済から離れつつあるように感じます。戦後はずっと「市場競争を大事にする」という考えが主流でしたが、1990年代から、こうした考えが明らかに後退しています。政治的にも、選挙対策で、社会保障を充実させる政策や不況に苦しむ企業を救済する景気対策が広く行われるようになりました。その結果、生まれたのが、財政規律の著しい後退です。競争に負けた企業まで救済するような政策が広く行われた結果、経済の新陳代謝が進まず、生産性が低下していくという悪い流れになりつつあります。その流れを断ち切ることが一番大事なことだと考えています」、なるほど。
・『中央銀行の目的は「物価の安定」だけではない Q:山本さんは日銀理事を務めた日銀OBとして、現在の日本銀行の姿はどのように映りますか。また、植田日銀は、今後どのような金融政策を進めていくべきだとお考えですか? 山本:世間に誤解があることなのですが、中央銀行の目的は「物価の安定」だけではありません。日銀が目指すべきものは「物価の安定」というよりも、より高次で広い概念である「通貨の信認確保」です。その意味するところは、「物価の安定」のほかに、金融システムの健全性維持、銀行券の円滑な発行・流通、日銀ネットと呼ばれる大規模な資金決済ネットワークの維持など広範な目的を含みます。これらをひっくるめたものが「通貨の信認確保」だと理解しています。 日銀がやれることは、突き詰めると、1つだけで、資金をマーケットに供給ないし吸収することしかありません。しかしこの資金の供給・吸収が経済に非常に大きな影響力を持っているわけです。それは物価にも影響を与えるし、金融システムにも影響を与えるし、決済にも影響を与えます。中央銀行は、これらをバランスよく達成することが使命であって、物価目標2%を絶対視するような硬直的な政策運営はすべきではありません。 こうした観点に立てば、異次元緩和がもたらす金融システムや市場機能への悪影響を意識するのは、中央銀行として当然の責務になります。 植田日銀は、黒田日銀が始めた11年続いた「異次元緩和」の幕引きをするという難題を背負わされたわけですが、その過程で、これまでの総括を行い、今後どのような道筋で正常化を進めていくのかを、国民にきちんと説明したうえで支持を得なければなりません。 こうした取り組みをないがしろにすると、また、いずれ政治サイドから「国債をもっと買い入れてほしい。なぜ異次元緩和でやれたことが、いまできないのか」と迫られることになってしまいます。) 藤巻:説明をうかがって改めて、今日もまた「さすが山本さんだな」と感服しました。私の過激な説明よりも、ジェントルマンとして冷静に丁寧に説明していただくと、多くの方が納得するんじゃないかと改めて思いました。『異次元緩和の罪と罰』は本当に素晴らしい作品ですので、ぜひ皆さんも読みください。 山本:藤巻さんとの対談は刺激的で私も楽しかったです、本当にありがとうございました。 *本対談のきっかけとなった山本謙三『異次元緩和の罪と罰』(講談社現代新書)では、異次元緩和の成果を分析するとともに、歴史に残る野心的な経済実験の功罪を検証しています。2%の物価目標にこだわるあまり、本来、2年の期間限定だった副作用の強い金融政策を11年も続け、事実上の財政ファイナンスが行われた結果、日本の財政規律は失われ、日銀の財務はきわめて脆弱なものになりました。これから植田日銀は途方もない困難と痛みを伴う「出口」に歩みを進めることになります。異次元緩和という長きにわたる「宴」が終わったいま、私たちはどのようなツケを払うことになるのでしょうか』、「日銀が目指すべきものは「物価の安定」というよりも、より高次で広い概念である「通貨の信認確保」です。その意味するところは、「物価の安定」のほかに、金融システムの健全性維持、銀行券の円滑な発行・流通、日銀ネットと呼ばれる大規模な資金決済ネットワークの維持など広範な目的を含みます。これらをひっくるめたものが「通貨の信認確保」だと理解しています。 日銀がやれることは、突き詰めると、1つだけで、資金をマーケットに供給ないし吸収することしかありません。しかしこの資金の供給・吸収が経済に非常に大きな影響力を持っているわけです。それは物価にも影響を与えるし、金融システムにも影響を与えるし、決済にも影響を与えます。中央銀行は、これらをバランスよく達成することが使命であって、物価目標2%を絶対視するような硬直的な政策運営はすべきではありません・・・2%の物価目標にこだわるあまり、本来、2年の期間限定だった副作用の強い金融政策を11年も続け、事実上の財政ファイナンスが行われた結果、日本の財政規律は失われ、日銀の財務はきわめて脆弱なものになりました。これから植田日銀は途方もない困難と痛みを伴う「出口」に歩みを進めることになります。異次元緩和という長きにわたる「宴」が終わったいま、私たちはどのようなツケを払うことになるのでしょうか」、黒田異次元緩和のツケはとても高いものとして跳ね返ってくるようだ。
なお、昨日の金融政策決定会合での「維持」決定については、特にコメントの必要なしとして、取上げなかった。
先ずは、本年9月27日付け現代ビジネスが掲載した元日銀理事の山本 謙三氏による「日銀がついに撤退戦を始めた!植田日銀は、爆買いしてきた長期国債590兆円を波乱なく減らすことが本当にできるのか?」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/137864
・『パリバリの金融実務家であった私が、わからないことがあれば一番頼りにし、最初に意見を求めたのが山本謙三・元日銀理事です。安倍元総理が、もし彼がブレインに選んでいたら、今の日本経済はバラ色だったに違いない」 元モルガン銀行・日本代表兼東京支店長で伝説のトレーダーと呼ばれる藤巻健史氏が心酔するのが元日銀理事の山本謙三氏。同氏は、「異次元緩和」は激烈な副作用がある金融政策で、その「出口」には途方もない困難と痛みが待ち受けていると警鐘を鳴らす。 黒田日銀は、長期金利をゼロ%程度に抑え込むために、多額の国債買い入れを行った。その結果、日銀の国債保有残高は約590兆円に達し、日銀当座預金残高も、国債買い入れに見合う形で約561兆円に積み上がった(24年3月末時点)。引き継いだ植田日銀は、11年に及んだ異次元緩和を終了し、2024年7月には月間の国債買い入れ額をそれまでの6兆円程度から2026年1〜3月期に3兆円程度に減らす方針も決めた。しかし、計画通りに2年間減額を進めても、日銀がなお500兆円以上を抱えている姿に変わりはなく、市場機能の完全な回復には程遠い。 財政赤字を丸呑みしてきた日銀が市場から徐々に遠ざかれば、長期金利は想定外の上下動を起こすリスクを孕む。はたして、植田日銀は滞りなく、出口戦略を進めることができるのか? ※本記事は山本謙三『異次元緩和の罪と罰』から抜粋・編集したものです』、「黒田日銀は、長期金利をゼロ%程度に抑え込むために、多額の国債買い入れを行った。その結果、日銀の国債保有残高は約590兆円に達し、日銀当座預金残高も、国債買い入れに見合う形で約561兆円に積み上がった(24年3月末時点)。引き継いだ植田日銀は、11年に及んだ異次元緩和を終了し、2024年7月には月間の国債買い入れ額をそれまでの6兆円程度から2026年1〜3月期に3兆円程度に減らす方針も決めた。しかし、計画通りに2年間減額を進めても、日銀がなお500兆円以上を抱えている姿に変わりはなく、市場機能の完全な回復には程遠い。 財政赤字を丸呑みしてきた日銀が市場から徐々に遠ざかれば、長期金利は想定外の上下動を起こすリスクを孕む。はたして、植田日銀は滞りなく、出口戦略を進めることができるのか?』、計画通りに2年間減額を進めても、日銀がなお500兆円以上を抱えている姿に変わりはなく、市場機能の完全な回復には程遠い。 財政赤字を丸呑みしてきた日銀が市場から徐々に遠ざかれば、長期金利は想定外の上下動を起こすリスクを孕む。はたして、植田日銀は滞りなく、出口戦略を進めることができるのか?」、なるほど。
・『資本主義システムをめぐるコルナイの主張 計画経済体制を分析し、その構造的欠陥を解明したハンガリーの経済学者コルナイ・ヤーノシュは、著書の中で、資本主義システムと社会主義システムを比較し、次のように述べている(コルナイ・ヤーノシュ『資本主義の本質について──イノベーションと余剰経済』講談社学術文庫)。 「急速な革新(イノベーション)やダイナミズムは、起こるかもしれないし起こらないかもしれないといったランダムな現象ではなく、資本主義というシステム特有の性質に深く根ざしたものである(中略)その反対に、社会主義システムについても同様のことが言える。偉大な革新的な新製品を作りだせないということやその他の局面での技術進歩が後れることは、政策に誤りがあるからではなく、社会主義というシステム特有の性質に深く根ざしたものである」 第3章で紹介したように、シカゴ大学のラジャン教授は「中央銀行による介入は少ない方が、おそらく良好な結果をもたらすだろう」と述べている。これは、政府や中央銀行といった公的当局の市場介入を極力減らし、民間の新陳代謝を通じて経済の活性化を図る資本主義システムに内在する固有の利点を信じてのことだろう。 日本が計画経済のもとにあるわけではないが、ただでさえ一般政府の債務残高対GDP比率が先進国で断トツに高い国だ。中央銀行のバランスシート規模の拡大は、コルナイの主張する資本主義システムのもつダイナミズムを脅かしているように見えてならない。 日銀のバランスシートを見ると、総資産(=負債・純資産計)は、2013年3月末の約165兆円から2024年3月末には約756兆円まで拡大した。じつに4.6倍である。 他の主要な中央銀行との比較でも、その巨大さが際立つ(図表5-1)。中央銀行の総資産の対GDP比率は、米国FRBの35%、欧州ECBの48%に対し、日銀は127%に達する。異次元緩和が始まる前の同比率は30%台だったので、この間の規模拡大がいかに劇的なものだったかが分かる』、「ハンガリーの経済学者コルナイ・ヤーノシュは、・・・「急速な革新(イノベーション)やダイナミズムは、起こるかもしれないし起こらないかもしれないといったランダムな現象ではなく、資本主義というシステム特有の性質に深く根ざしたものである・・・シカゴ大学のラジャン教授は「中央銀行による介入は少ない方が、おそらく良好な結果をもたらすだろう」と述べている。これは、政府や中央銀行といった公的当局の市場介入を極力減らし、民間の新陳代謝を通じて経済の活性化を図る資本主義システムに内在する固有の利点を信じてのことだろう」、ラジャンの主張では中央銀行は不要というシカゴ学派の極論だ。「一般政府の債務残高対GDP比率が先進国で断トツに高い国だ。中央銀行のバランスシート規模の拡大は、コルナイの主張する資本主義システムのもつダイナミズムを脅かしているように見えてならない。 日銀のバランスシートを見ると、総資産(=負債・純資産計)は、2013年3月末の約165兆円から2024年3月末には約756兆円まで拡大した。じつに4.6倍である。 他の主要な中央銀行との比較でも、その巨大さが際立つ(図表5-1)。中央銀行の総資産の対GDP比率は、米国FRBの35%、欧州ECBの48%に対し、日銀は127%に達する。異次元緩和が始まる前の同比率は30%台だったので、この間の規模拡大がいかに劇的なものだったかが分かる」、なるほど。
・『長短市場金利の抑え込みが市場機能を低下させた 日銀のバランスシートの膨張は、主として大量の国債買い入れの結果である。当初は巨額の資金供給そのものを狙いとして、2016年以降は長期金利をゼロ%程度に抑え込むことを狙いとして、日銀は国債の大量買い入れを続けた。 もし日銀が市場への関与を控え、金利を市場の自由な形成に任せていれば、長期金利はもっと高い水準で推移していたはずだ。これを力ずくで抑え込むために、大量の国債買い入れが必要だった。 前章で述べたように、FRBは、イールド・カーブ・コントロールのアイデアを棄却した。中央銀行としての独立性が脅かされるリスクを警戒してのことだったが、同時に、中央銀行が自らのモデルや理屈に頼って長期金利の水準を固定すると、「結果的に不適切な金利の上限や目標を設定しかねない」ことも危惧していた。逆に、日銀はデフレ脱却の名のもとに、適正水準からの乖離をみずから積極的につくり出しにいった形である。 では、本来、長期金利はどの程度の水準が適正だったと考えられるだろうか。経済学では、長期金利の水準は、長い目で見ると、物価上昇率の将来見通しと実質自然利子率の和に落ち着くと考えられている。 実質自然利子率とは、「引き締め的にも緩和的にも作用しない中立的な実質金利の水準」と定義される。厄介なのは、実質自然利子率が奈辺の水準にあるかは推計に頼るしかないことだ。予想物価上昇率も、人々の見方を外部から測定するのは容易でない。計算式に当てはめるには、不確実な要素が多い。 そこで、ここでは過去の実績値を計算式に当てはめ、長期金利ゼロ%程度という誘導水準が、どれほど適正水準から乖離したものだったかを探ってみたい。実質自然利子率は一定の仮定の下では潜在成長率に等しいとされることを念頭におき、ここでは、実質自然利子率に代えて実質GDP成長率の実績を、また予想物価上昇率に代えて物価上昇率(GDPデフレーターの上昇率)の実績を代入し、長期金利の水準にあたりをつけてみたい。いうまでもなく、実質GDP成長率とGDPデフレーターの上昇率の和は名目GDP成長率にほぼ等しいので、ここでの議論は、十分に長い期間をとれば、長期金利は名目GDP成長率の水準に収れんするとの見方に立脚していることになる。 異次元緩和が始まった2013年度から2022年度までの10年間の名目GDP成長率は、年率プラス1.31%だった。実質GDP成長率が年率プラス0.67%、GDPデフレーター(GDP統計の作成に利用する物価)の上昇率が年率プラス0.64%である。この式に従えば、2013年時点での10年物国債の長期金利は1%台半ば近くに適正値があったと推定される。この10年は、好景気も、新型コロナの感染拡大に伴う景気停滞期も含むため、その後の期間も、長期金利の適正値は1%台半ば周辺から大きくかけ離れることはなかっただろう。にもかかわらず、日銀は現実の長期金利をゼロ%程度に抑え込み続けた。それだけ強烈な金融緩和であったといえるし、それだけ市場機能を低下させたともいえる。 こうした国債金利の極端な抑え込みは、他の金融市場にも波及した。超低水準の国債金利を眺め、投資家は少しでも高い金利を得ようと社債市場に殺到し、社債金利も大幅に低下した。貸出市場でも、貸出金利が低下した。 社債金利や貸出金利に織り込まれている信用スプレッド(国と企業の信用力の差を表すもの)も、日銀による国債金利抑え込みを眺めた投資の殺到で大幅に縮小した。 こうした影響は金融市場にとどまらず、実体経済に波及し、国や企業、家計の経済活動にも影響した。日銀にすれば需要の拡大を狙った金融緩和の効果浸透であり、市場から見れば、歯止めを失った国債発行や生産性の低い企業の生き残りに象徴される市場機能のゆがみの伝播である』、「十分に長い期間をとれば、長期金利は名目GDP成長率の水準に収れんするとの見方に立脚していることになる。 異次元緩和が始まった2013年度から2022年度までの10年間の名目GDP成長率は、年率プラス1.31%だった。実質GDP成長率が年率プラス0.67%、GDPデフレーター・・・の上昇率が年率プラス0.64%である。この式に従えば、2013年時点での10年物国債の長期金利は1%台半ば近くに適正値があったと推定される。この10年は、好景気も、新型コロナの感染拡大に伴う景気停滞期も含むため、その後の期間も、長期金利の適正値は1%台半ば周辺から大きくかけ離れることはなかっただろう。にもかかわらず、日銀は現実の長期金利をゼロ%程度に抑え込み続けた。それだけ強烈な金融緩和であったといえるし、それだけ市場機能を低下させたともいえる」、なるほど。
・YCCの修正が意味したもの ひとつ留意しておきたいのは、日銀が、2024年の異次元緩和解除までの間、イールド・カーブ・コントロール(YCC)における長期金利の変動幅を数次にわたり変更していることである。とくに2022年12月の変動幅拡大は、市場に大きな変動をもたらしたので、そのロジックにも触れておきたい。 日銀が長期金利の変動幅を±0.25%から±0.5%に拡大する直前の年限別イールド・カーブ(利回り曲線)を描くと、10年物金利だけが突出して低水準だったことが分かる(図表5-2の2022年12月19日のカーブ)。日銀が10年物金利に狙いを定めて長期金利のコントロールを続けていた結果である。 一方、それ以外の年限の国債金利は、世界的な物価の上昇を受けたグローバルな金利の上昇にひきずられるかたちで、じわじわと上がっていた。その結果、イールド・カーブに極端なゆがみが生まれた。 このゆがみは、社債市場にも波及し、低金利の社債に買い手がつかなくなり、多くの社債発行が難しくなった。2022年12月に日銀が変動幅拡大に踏み切ったのは、イールド・カーブのゆがみを是正し、社債発行の環境を整えようとするものだった。 ただし、10年物金利が突出して低かったにせよ、イールド・カーブ・コントロールのために行ってきた大量の国債購入は、多かれ少なかれ、すべての年限、すなわちイールド・カーブ全体にゆがみをもたらしていた。22年12月の10年物金利の上限を小幅に引き上げるだけではイールド・カーブのゆがみは解消されなかった。日銀に残された選択肢は、すべての年限を抑え込んで政策の一貫性を保つか、市場の自由な形成にゆだねるかしかなかった。 実際、22年12月の日銀は、10年物金利の変動幅を拡大する一方で、他の年限の金利の上昇を牽制する手段を講じ、市場に介入する姿勢をむしろ強めた。一方、23年4月に発足した植田日銀は、7月、10月と、長期金利の変動幅を2度拡大したあと、24年3月にイールド・カーブ・コントロールを撤廃した。要は、市場機能のゆがみをこれ以上放置できなくなったということである。 それでも、現状は市場機能を完全に回復するに至ったわけではない。長期金利の完全な機能回復とは、日銀が金利の決定を市場に委ね、長期金利の形成に原則として介入しない状態に移るときである。24年7月、日銀は当面2年間の国債買い入れの減額を決めたが、2年後も、事実上中途売却できない長期国債を500兆円以上抱えている姿に変わりはなく、市場機能の完全な回復には程遠い。一方で、長く、強烈な金利抑え込みを続けてきた以上、日銀が市場から完全に遠ざかれば、金利は思わぬ上下動を示しかねない。日銀は慎重なステップを踏まざるをえず、長期金利の完全な機能回復には時間を要する。 *本記事の抜粋元・山本謙三『異次元緩和の罪と罰』(講談社現代新書)では、異次元緩和の成果を分析するとともに、歴史に残る野心的な経済実験の功罪を検証しています。2%の物価目標にこだわるあまり、本来、2年の期間限定だった副作用の強い金融政策を11年も続け、事実上の財政ファイナンスが行われた結果、日本の財政規律は失われ、日本銀行の財務はきわめて脆弱なものになりました。これから植田日銀は途方もない困難と痛みを伴う「出口」に歩みを進めることになります。異次元緩和という長きにわたる「宴」が終わったいま、私たちはどのようなツケを払うことになるのでしょうか』、「24年7月、日銀は当面2年間の国債買い入れの減額を決めたが、2年後も、事実上中途売却できない長期国債を500兆円以上抱えている姿に変わりはなく、市場機能の完全な回復には程遠い。一方で、長く、強烈な金利抑え込みを続けてきた以上、日銀が市場から完全に遠ざかれば、金利は思わぬ上下動を示しかねない。日銀は慎重なステップを踏まざるをえず、長期金利の完全な機能回復には時間を要する・・・事実上の財政ファイナンスが行われた結果、日本の財政規律は失われ、日本銀行の財務はきわめて脆弱なものになりました。これから植田日銀は途方もない困難と痛みを伴う「出口」に歩みを進めることになります。異次元緩和という長きにわたる「宴」が終わったいま、私たちはどのようなツケを払うことになるのでしょうか」、なるほど。
次に、10月7日付け現代ビジネスが掲載した元日銀理事の山本 謙三氏と元モルガン銀行・日本代表兼東京支店長の藤巻 健史氏の対談「いまの日銀は、「中央銀行としてやってはならないこと」をやりまくっている…「日本が置かれた深刻な状況」の実態」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/138655
・『「バリバリの金融実務家であった私が、わからないことがあれば一番頼りにし、最初に意見を求めたのが山本謙三・元日銀理事です。安倍元総理が、もし彼がブレインに選んでいたら、今の日本経済はバラ色だったに違いない」 元モルガン銀行・日本代表兼東京支店長で伝説のトレーダーと呼ばれる藤巻健史氏が心酔するのが元日銀理事の山本謙三氏だ。同氏は、「異次元緩和」は激烈な副作用がある金融政策で、その「出口」には途方もない困難と痛みが待ち受けていると警鐘を鳴らす。 2024年9月17日講談社現代新書より山本氏初の本格的著作となる『異次元緩和の罪と罰』が刊行された。これを記念して、著者である山本氏と藤巻氏が、異次元緩和の功罪を検証する対談を行った。 現代ビジネスでは、その対談の内容を3本の動画に分割して公開する。第2回目は、「異次元緩和がもたらした財政規律の緩み」について議論する。 以下、対談の要旨を掲載する(Qは聞き手である藤巻氏の質問)』、興味深そうだ。
・『守るべきルールをことごとく破った Q:異次元緩和は、伝統的な金融論で守るべきルールをことごとく破ったといわれます。なかでも、膨大な長期国債を大量に市場から買い入れる政策は、世界最悪レベルの借金大国の日本にとって都合の良い政策でした。日銀が国債を爆買いすることによって、財政規律が弛緩したと言われますが、山本さんはどのように分析されますか? (山本謙三氏の略歴はリンク先参照) 山本:世界の多くの国、ほとんどの国と言ってもいいと思いますが、中央銀行が国債を引き受ける財政ファイナンスを禁止しています。それは財政規律を維持するための「人類の知恵」で、そのようなことをしたら、通貨の信認を失い、将来的には非常に高いインフレが必ず起きるからです。 日本でも財政法で国債の日銀引受が禁止されています。その一方で、黒田日銀は、物価目標を実現するための政策として資金の大量供給を決めました。「物価目標2%を何が何でも実現する」という異次元緩和の政策枠組みの中で、日銀は、市場にサプライズを与えるほどの巨額の国債を市場から買い入れました。政府が発行した国債を直接引き受けたわけではありませんでしたが、市中に出回る国債をほとんど買い入れてきたというのが実態です。 左の棒グラフをご覧ください。異次元緩和が始まる直前の2013年3月末の日銀の保有国債残高は、約125兆円でしたが、これが10年後の2023年3月末には、約5倍の約582兆円になっています。この間、日銀の保有国債は一挙に456兆円も増えています。実はこの額は、この期間の新規国債の発行額480兆円に匹敵します。いうなれば、日銀が、財政赤字のほとんどの資金繰りの面倒をみたという状態ですので、政府にしてみれば、金利ゼロで国債がいくらでも発行できる状況になりました。このような状態では、国にも財政赤字を減らそうというインセンティブが働きません。もちろん、財政規律は国に一義的な責任があるわけですが、日銀が財政規律の働きにくい環境を作ったということは間違いありません』、「世界の多くの国、ほとんどの国と言ってもいいと思いますが、中央銀行が国債を引き受ける財政ファイナンスを禁止しています。それは財政規律を維持するための「人類の知恵」で、そのようなことをしたら、通貨の信認を失い、将来的には非常に高いインフレが必ず起きるからです。 日本でも財政法で国債の日銀引受が禁止されています。その一方で、黒田日銀は、物価目標を実現するための政策として資金の大量供給を決めました。「物価目標2%を何が何でも実現する」という異次元緩和の政策枠組みの中で、日銀は、市場にサプライズを与えるほどの巨額の国債を市場から買い入れました。政府が発行した国債を直接引き受けたわけではありませんでしたが、市中に出回る国債をほとんど買い入れてきたというのが実態です。 左の棒グラフをご覧ください。異次元緩和が始まる直前の2013年3月末の日銀の保有国債残高は、約125兆円でしたが、これが10年後の2023年3月末には、約5倍の約582兆円になっています。この間、日銀の保有国債は一挙に456兆円も増えています。実はこの額は、この期間の新規国債の発行額480兆円に匹敵します。いうなれば、日銀が、財政赤字のほとんどの資金繰りの面倒をみたという状態ですので、政府にしてみれば、金利ゼロで国債がいくらでも発行できる状況になりました」、なるほど。
・『財政ファイナンスそのもの 藤巻:『異次元緩和の罪と罰』のなかで、山本さんは「財政ファイナンスに酷似した」と書かれましたが、私は、まさに財政ファイナンスそのものだと思うんですよね。 (藤巻健史氏の略歴はリンク先参照) 私は国会質問で、当時の黒田日銀総裁や麻生財務相に「これは財政ファイナンスじゃないですか?」とお聞きすると、彼らは「いや、これはデフレ脱却のために行っていることだから財政ファイナンスではありません」と答弁されるわけです。これに対して、私は、「中央銀行である日銀が、日本政府の資金繰りを賄っている以上、これはもう財政ファイナンスそのものです。火事は、火が出れば火事になるのであって、失火であろうと放火であろうと、火事であることには変わらない。これと同じように、異次元緩和の目的がデフレ脱却であろうとなかろうと、政府の資金繰りを中央銀行が賄っていれば、それは財政ファイナンスです」とお二人に申し上げましたが、議論は深まりませんでした。 この本にも書いてありましたが、いまの日銀は、中央銀行としてやってはならないことをやりまくってるわけですよ。いったん買い入れると市中での売却が難しい長期国債や、株や土地のように価格が大きく変動するリスク性資産を買いまくっている。正統派金融論の常識では、通貨の信認を守るため、中央銀行が固く禁じられてきたことを、黒田日銀は10年以上も続けてきた。これは由々しきことです。 山本:法律上は、財政法で日銀が直接引き受けることを財政ファイナンスと定義しています。したがって、日銀による市場からの国債買い入れは、法律的には財政ファイナンスには相当しないということになるのでしょうが、経済機能的に言えば財政ファイナンスとほぼ同じですね。 伝統的に多くの中央銀行は、そのような財政ファイナンスが行えないようにする、いくつかの仕掛けを用意してきました。日銀にも、「日銀が保有する長期国債の残高は、銀行券発行残高を上限とする」という銀行券ルールという内部規律が存在しました。しかし異次元緩和では、このルールは一時的に適用停止(注.現在も停止中)されてしまい、国債の大量購入に歯止めをかける仕掛けが骨抜きにされてしまいました。 藤巻:普通の中央銀行はこんなことしないですよ。私は、やはり財政破綻を免れるために日銀は政府を手助けしているように思っています』、「藤巻:・・・私は国会質問で、当時の黒田日銀総裁や麻生財務相に「これは財政ファイナンスじゃないですか?」とお聞きすると、彼らは「いや、これはデフレ脱却のために行っていることだから財政ファイナンスではありません」と答弁されるわけです。これに対して、私は、「中央銀行である日銀が、日本政府の資金繰りを賄っている以上、これはもう財政ファイナンスそのものです・・・異次元緩和の目的がデフレ脱却であろうとなかろうと、政府の資金繰りを中央銀行が賄っていれば、それは財政ファイナンスです」とお二人に申し上げましたが、議論は深まりませんでした」、なるほど。
・『「統合政府論」という考え Q:11年に及ぶ、空前の金融緩和で日銀のバランスシートは異様なまでに拡大しています。一方で、リフレ派の経済学者やMMT論者たちは、日本には潤沢な資産があるので、まだまだ国債を買い入れる余地がある、と主張しています。彼らは、国が支払う利払い費は、国債を買い入れた日銀に支払われるので、たとえ、今後、利払い費が増えても、子会社である日銀から親会社の政府に還流されるので全く問題は生じないといいます。それどころか、市場に流通する国債を日銀がすべて買い入れてしまえば、財政再建が完了するという識者もいます。 藤巻:これは「統合政府論」という考えですね。日銀は政府の事実上の子会社であるから、日銀が、政府発行の国債を保有していることは、子会社が親会社の債務を負っているに過ぎないことになります。そこで政府と日銀を統合したバランスシート(図参照)を作ると、国の負債である国債と日銀の資産である国債が相殺されて、バランスシートから国債が消えてしまいます(実際には、日銀は国が発行した国債の約50%しか所有しておらず、残り50%の国債は相殺されません)。統合政府論者は、政府が国債の金利を支払っても子会社である日銀がその金利を受け取り、利益の一部として政府に戻すのだから問題はない。したがって日本の財政はおよそ危機的ではなく、まだまだ財政余力があり、引き続き大量の国債を発行できると主張します。 しかし、だからと言って、統合政府の債務が消えるわけではありません。上の図でいえば、青色の国債だけは相殺されるけれども、統合後は国債の替わりにオレンジ色の「日銀当座預金」という債務が残るのです。「そっちのことを気にしなくてもいいんですか」という話なんです。 藤巻家を例にして考えてみましょう。歳をとって借金する能力がなくなった私の代わりに息子が銀行から借金をして私に貸し、そのお金で私が家を建てたとしましょう。確かに藤巻家でみると、親子間の貸借は相殺でなくなるかもしれませんが、息子には借りた住宅ローンが残ります。息子は銀行に利子を払いながら住宅ローンの返済を続けていかねばなりません。 英語では財政ファイナンスのことをマネタイゼーションと言います。国債(長期負債)を通貨に変える(超短期負債化)からです。現在のような超低金利時代には問題は顕在化しませんが、ひとたび金利が上昇すると、一気に利払い費が増えて、国全体として大変危険な状態になります。「統合政府で考えれば財政は健全」という考えは、財政ファイナンスは正しいと主張するに等しいわけですから、どう考えてもトンデモ理論です。 山本:藤巻さんおっしゃる通りで、政府の子会社である中央銀行が国債を買えば、国債が相殺されて消えるので財政再建が完了するというのは、これは100%間違っています、 藤巻さんが作成された図を見ていただくとわかるように、国債という政府の債務が日銀当座預金という日銀の債務に置き換わったに過ぎません。日銀当座預金は、日銀の金融機関に対する債務、すなわち借金です。統合政府で見ても、膨大な債務が残る以上、全く財政再建が完了したわけではない。 要するに、政府の信認が低下すれば、論理的に日銀の信認も低下し、日銀が発行する通貨の円の信認も低下することになります。政府の財政状態を示す「一般政府の債務残高対GDP比率(2022年実績見込み)」は257%と、世界約190ヵ国・地域中第2位の高さにあります。日本より財政状態が悪いのは、中東紛争でイスラエルと交戦状態にあるレバノンだけで、日本の財政状態は、内戦状態にあった第3位のスーダンよりもかなり悪い。国と通貨に対する信認は先人たちの努力の積み重ねによって築き上げられてきたものですが、このような財政状態を続けていて、いつまで信認を保ち続けることができるのか不安になります。 藤巻:数字だけでみれば、債務残高対GDP比率257%は、太平洋戦争直後よりも悪いですからね。結局、そのときは、日本は悪性インフレを抑えきれず、1946年(昭和21年)に預金封鎖と新円切り替えを強行し、インフレと国民の負担によって財政赤字を帳消しにしました。いまはまだ問題が顕在化していませんが、国民の皆さんも現在の財政状態は戦時や戦争直後よりも悪いという認識をしてほしいですよね、) Q:日本には、換金可能な潤沢な金融資産と有形固定資産があるので、財政危機など杞憂にすぎないという意見もあります。 山本:国は741兆円もの資産を保有しているので心配はないという方がいらっしゃるのですが、そんな楽観視ができるような状態ではありません。 図(国の賃借対照表)をご覧ください。実は国の資産は、この負債サイドとの見合いになっています。例えば有価証券126兆円のほとんどが外貨証券です。これは外貨準備の運用として持っている有価証券ですが、仮に売れるとしてもその代金は右側にある政府短期証券の償還に充てられなければいけないというルールがあります。 有形固定資産も195兆円ありますが、これは橋や道路などのインフラなので、これも簡単に売れるようなものではありません、実際のところ、国の資産741兆円には、自由に売却できるようなものはなく、新しい財源になるようなものはほとんど存在しません。 一方、バランスシートの右側の負債サイドを見ると、「負債および資産・負債差額合計」の702兆円があります。日本は、資産以上に負債を抱えており、国債の発行額が保有する資産の評価額を702兆円も超えていることを意味します。言い方を変えれば、国は702兆円の債務超過の状態にあります。 ただし、債務超過になったからといって、直ちに国が破綻するというわけではありません。なぜなら、国には、国民から税金を集める徴税権が認められているからです。将来、国民に課される税金でこの差額は埋められるという仮定で成り立っている、そういうバランスシートになっているわけです。 ただし、日本は、民主主義社会ですから、国に徴税する権利があるからといって、増税はそんなに簡単ではありません。税率5%で始まった消費税を10%に引き上げることに30年間もかかったことを思えば、増税が簡単ではないことがわかります。 702兆円に及ぶ資産負債差額がさらに増えるようになれば、マーケットにおいて国への信頼が揺らぐ危険があります。すでに日本の財政は持続可能性を疑われる状態にありますから、将来を楽観視するのではなく市場が不安を持つ前に早く財政再建に着手する必要があるというふうに思っています。 藤巻:山本さんのおっしゃったことはまさにその通りで、楽観視できる状態ではありません。 基本的にGDPと税収は、大雑把に言えば比例関係が成り立ちます。GDPが2倍になれば、個人の収入も2倍になり、国の税収や歳出も2倍になるということです。 財政の健全度を表す「債務残高対GDP比率」は、税収と借金の比率を示す指標です。いうなれば、税収で借金を返す難易度ランキングです。これが世界最悪レベルにあるということは、財政を再建することが世界で最も難しいことを意味します。我が国が置かれている状況はかくも深刻であることを、国民も認識すべきだと、私は思います。 第3回記事<「黒田日銀」は国民に幸福をバラ撒きすぎた…これからやってくるとてつもない「しっぺ返し」>では、「異次元緩和には出口はあるのか」について議論する。 *本対談のきっかけとなった山本謙三『異次元緩和の罪と罰』(講談社現代新書)では、異次元緩和の成果を分析するとともに、歴史に残る野心的な経済実験の功罪を検証しています。2%の物価目標にこだわるあまり、本来、2年の期間限定だった副作用の強い金融政策を11年も続け、事実上の財政ファイナンスが行われた結果、日本の財政規律は失われ、日銀の財務はきわめて脆弱なものになりました。これから植田日銀は途方もない困難と痛みを伴う「出口」に歩みを進めることになります。異次元緩和という長きにわたる「宴」が終わったいま、私たちはどのようなツケを払うことになるのでしょうか』、「統合政府論者は、政府が国債の金利を支払っても子会社である日銀がその金利を受け取り、利益の一部として政府に戻すのだから問題はない。したがって日本の財政はおよそ危機的ではなく、まだまだ財政余力があり、引き続き大量の国債を発行できると主張します。 しかし、だからと言って、統合政府の債務が消えるわけではありません。上の図でいえば、青色の国債だけは相殺されるけれども、統合後は国債の替わりにオレンジ色の「日銀当座預金」という債務が残るのです・・・英語では財政ファイナンスのことをマネタイゼーションと言います。国債(長期負債)を通貨に変える(超短期負債化)からです。現在のような超低金利時代には問題は顕在化しませんが、ひとたび金利が上昇すると、一気に利払い費が増えて、国全体として大変危険な状態になります。「統合政府で考えれば財政は健全」という考えは、財政ファイナンスは正しいと主張するに等しいわけですから、どう考えてもトンデモ理論です・・・政府の子会社である中央銀行が国債を買えば、国債が相殺されて消えるので財政再建が完了するというのは、これは100%間違っています、 藤巻さんが作成された図を見ていただくとわかるように、国債という政府の債務が日銀当座預金という日銀の債務に置き換わったに過ぎません。日銀当座預金は、日銀の金融機関に対する債務、すなわち借金です。統合政府で見ても、膨大な債務が残る以上、全く財政再建が完了したわけではない。 要するに、政府の信認が低下すれば、論理的に日銀の信認も低下し、日銀が発行する通貨の円の信認も低下することになります。政府の財政状態を示す「一般政府の債務残高対GDP比率(2022年実績見込み)」は257%と、世界約190ヵ国・地域中第2位の高さにあります。日本より財政状態が悪いのは、中東紛争でイスラエルと交戦状態にあるレバノンだけで、日本の財政状態は、内戦状態にあった第3位のスーダンよりもかなり悪い。国と通貨に対する信認は先人たちの努力の積み重ねによって築き上げられてきたものですが、このような財政状態を続けていて、いつまで信認を保ち続けることができるのか不安になります・・・財政の健全度を表す「債務残高対GDP比率」は、税収と借金の比率を示す指標です。いうなれば、税収で借金を返す難易度ランキングです。これが世界最悪レベルにあるということは、財政を再建することが世界で最も難しいことを意味します。我が国が置かれている状況はかくも深刻であることを、国民も認識すべきだと、私は思います」、なるほど。
第三に、10月7日付け現代ビジネスが掲載した元日銀理事の山本 謙三氏と元モルガン銀行・日本代表兼東京支店長の藤巻 健史氏の対談「「黒田日銀」は国民に幸福をバラ撒きすぎた…これからやってくるとてつもない「しっぺ返し」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/138657
・・・・異次元緩和の歪みや副作用 Q:11年にわたって続いてきた異次元緩和の歪みや副作用がさまざまなところに現れているように思います。 山本:日銀が、市場からこれだけ大量に国債やETF(上場投資信託)を買い入れれば、債券市場や株式市場が歪むのはある意味当然のことです。いまや日銀は、株式市場において国内最大の投資家です。 藤巻:中央銀行は、価格の変動が激しいリスク性資産は極力持たないという不文律がありますが、日銀のように大量の株式を買い入れている中央銀行はほかにはないですよね。) 山本:金融政策として、株式を買い入れている中央銀行は、ほとんどありません。 歪みが生じているのは株式市場だけではありません。国債市場では、日銀は国内最大の購入者であり、保有者です。日銀の国債保有残高は約590兆円に及んでいます。 日銀は、大量の国債買い入れを継続して実施することで長期金利を0%台に抑えてきました。もし、日銀が市場に介入せず、長期金利の変動を市場に任せていれば、実際の名目GDPの成長率から見て、少なくとも1%前後になっていたはずです。 長期にわたって市場の実勢より1%近く金利を抑圧してきたのですから、さまざまな副作用が生じていることは間違いありません。 第一は急激な円安です。図は、1970年代から現在にいたる実質実効為替レートの推移を示すグラフです。実質実効為替レートは、通常の為替レートではなく、相対的な通貨の実力を測るための計算上のレートです。 2024年春の円相場の実質実効為替レートは、1ドル=360円時代をさらに下回る円安水準まで下落しました。つまり、1971年8月のニクソンショック直前の、1ドル360円並みの水準まで、円安が進んでいます。ここまで円安が進むと、海外から見れば、明らかに日本のものは何でも安く見えます。それゆえ、インバウンドの観光客が増えていますし、外国人の投資家が都心の土地やマンションを購入するようになっています。一見すると、景気のよい話のように見えますが、日本国内から見ると、国内の資源や労働力を安売りしていることに他なりません。これでは、私たち日本人の生活はいっこうに豊かになりません。 第二の副作用は、市場の機能が低下したために、成長性の低い企業が選別、淘汰されることなく生き残ったことです。その結果、日本経済の新陳代謝が進まなくなり、経済のダイナミズムが失われました。これは自由主義市場経済にとっては非常に痛手だったように思います。 第三の副作用は、金融機関へのしわ寄せです。金融機関は、市場金利が低下したことによって収益が圧迫されたため、それを補うために外債などのハイリスクの投資を増やしました。その結果、いくつかの金融機関は、金利上昇局面になってから、購入した外債の損失が膨らみ、増資に迫られるようになっています。もちろん、個別金融機関のリスク管理の甘さが原因ですが、異次元緩和が金融機関をハイリスクの投資に追い込んでいったという事実は残ります。 (山本謙三氏の略歴はリンク先参照)』、「藤巻:中央銀行は、価格の変動が激しいリスク性資産は極力持たないという不文律がありますが、日銀のように大量の株式を買い入れている中央銀行はほかにはないですよね。) 山本:金融政策として、株式を買い入れている中央銀行は、ほとんどありません。 歪みが生じているのは株式市場だけではありません。国債市場では、日銀は国内最大の購入者であり、保有者です。日銀の国債保有残高は約590兆円に及んでいます。 日銀は、大量の国債買い入れを継続して実施することで長期金利を0%台に抑えてきました。もし、日銀が市場に介入せず、長期金利の変動を市場に任せていれば、実際の名目GDPの成長率から見て、少なくとも1%前後になっていたはずです。 長期にわたって市場の実勢より1%近く金利を抑圧してきたのですから、さまざまな副作用が生じていることは間違いありません。 第一は急激な円安です。図は、1970年代から現在にいたる実質実効為替レートの推移を示すグラフです。実質実効為替レートは、通常の為替レートではなく、相対的な通貨の実力を測るための計算上のレートです。 2024年春の円相場の実質実効為替レートは、1ドル=360円時代をさらに下回る円安水準まで下落しました。つまり、1971年8月のニクソンショック直前の、1ドル360円並みの水準まで、円安が進んでいます。ここまで円安が進むと、海外から見れば、明らかに日本のものは何でも安く見えます。それゆえ、インバウンドの観光客が増えていますし、外国人の投資家が都心の土地やマンションを購入するようになっています。一見すると、景気のよい話のように見えますが、日本国内から見ると、国内の資源や労働力を安売りしていることに他なりません。これでは、私たち日本人の生活はいっこうに豊かになりません。 第二の副作用は、市場の機能が低下したために、成長性の低い企業が選別、淘汰されることなく生き残ったことです。その結果、日本経済の新陳代謝が進まなくなり、経済のダイナミズムが失われました。これは自由主義市場経済にとっては非常に痛手だったように思います。 第三の副作用は、金融機関へのしわ寄せです。金融機関は、市場金利が低下したことによって収益が圧迫されたため、それを補うために外債などのハイリスクの投資を増やしました。その結果、いくつかの金融機関は、金利上昇局面になってから、購入した外債の損失が膨らみ、増資に迫られるようになっています。もちろん、個別金融機関のリスク管理の甘さが原因ですが、異次元緩和が金融機関をハイリスクの投資に追い込んでいったという事実は残ります」、なるほど。
・『国民に幸福をバラ撒きすぎた 藤巻:感覚的な言い方になりますが、黒田日銀は、国民に幸福をバラ撒きすぎました。日銀が国債を爆買いして長期金利を低く抑えたことによって、住宅ローンの金利も0%近くになりました。金利負担が下がったうえに地価やマンション価格は高騰しましたから、住宅ローンを組んで不動産を購入した人は非常にハッピーなわけですよ。日銀によるETF購入で株式相場も上昇しましたから、株を持っている人もハッピーでした。なにより超ハッピーだったのは日本政府で、新規国債の金利負担がないから予算が好き勝手に作れて、バラ撒きもできた。こうした政策は、選挙民からの受けもいいので次の選挙にも当選できるので、バラ撒きはさらに加速していく。このように、日銀は異次元緩和を11年間も続けることで、日本国民に幸福のバラ撒きを続けてきたわけです。 問題は、この幸福は、日本人が実力で勝ち取ったものではなく、日銀によって作り出された、かりそめの幸福です。私は、日本人は、何か後で、とてつもない「しっぺ返し」を受けることになるのではないかと心配しています』、「黒田日銀は、国民に幸福をバラ撒きすぎました。日銀が国債を爆買いして長期金利を低く抑えたことによって、住宅ローンの金利も0%近くになりました。金利負担が下がったうえに地価やマンション価格は高騰しましたから、住宅ローンを組んで不動産を購入した人は非常にハッピーなわけですよ。日銀によるETF購入で株式相場も上昇しましたから、株を持っている人もハッピーでした。なにより超ハッピーだったのは日本政府で、新規国債の金利負担がないから予算が好き勝手に作れて、バラ撒きもできた。こうした政策は、選挙民からの受けもいいので次の選挙にも当選できるので、バラ撒きはさらに加速していく。このように、日銀は異次元緩和を11年間も続けることで、日本国民に幸福のバラ撒きを続けてきたわけです。 問題は、この幸福は、日本人が実力で勝ち取ったものではなく、日銀によって作り出された、かりそめの幸福です。私は、日本人は、何か後で、とてつもない「しっぺ返し」を受けることになるのではないかと心配しています」、なるほど。
・『黒田総裁の前任の白川方明日銀総裁は、自らもやむを得ず行った非伝統的な金融政策である質的緩和の危険性を自覚され、憂慮されていた。印象的だったのは、2013年3️月19日の退任記者会見での発言でした。「わが国を含め欧米諸国が現在展開している非伝統的な政策の評価も、いわゆる『出口』から円滑に脱出できて初めて、全プロセスを通じた金融政策の評価が可能となる、そうした性格のものだと思っています」 しかし、白川総裁を引き継いだ黒田日銀は、白川日銀の質的緩和を中途半端と批判して、伝統的金融論からすると、あり得ない規模の超金融緩和を11年も続けてきました。巨大なクジラのような日銀が大量の株と国債を買い進めて、市場機能を殺してしまった以上、もはや日銀には異次元緩和から抜け出る「出口」はありません。 私は、異次元緩和は「出口」から無事に出られて初めて評価できる金融政策だと思っています。「出口」から出られなかったら、最悪の政策だと結論づけるしかない。 黒田前総裁は、メディアから日銀の出口戦略を何度も質問されましたが、「時期尚早」を繰り返して、その道筋を最後まで語ることはありませんでした。引き継いだ植田和男総裁は異次元緩和の終了を宣言しましたが、出口戦略をどのように進めるのか具体的なシミュレーションを出していません。 山本さんが書かれた『異次元緩和の罪と罰』には、金融正常化を進めるには、最短でも10年かかるとあります。この一事をとっても、やはり出口から抜け出るのは相当難しいと言わざるを得ないですね』、「黒田総裁の前任の白川方明日銀総裁は、自らもやむを得ず行った非伝統的な金融政策である質的緩和の危険性を自覚され、憂慮されていた。印象的だったのは、2013年3️月19日の退任記者会見での発言でした。「わが国を含め欧米諸国が現在展開している非伝統的な政策の評価も、いわゆる『出口』から円滑に脱出できて初めて、全プロセスを通じた金融政策の評価が可能となる、そうした性格のものだと思っています」 しかし、白川総裁を引き継いだ黒田日銀は、白川日銀の質的緩和を中途半端と批判して、伝統的金融論からすると、あり得ない規模の超金融緩和を11年も続けてきました。巨大なクジラのような日銀が大量の株と国債を買い進めて、市場機能を殺してしまった以上、もはや日銀には異次元緩和から抜け出る「出口」はありません。 私は、異次元緩和は「出口」から無事に出られて初めて評価できる金融政策だと思っています。「出口」から出られなかったら、最悪の政策だと結論づけるしかない。 黒田前総裁は、メディアから日銀の出口戦略を何度も質問されましたが、「時期尚早」を繰り返して、その道筋を最後まで語ることはありませんでした。引き継いだ植田和男総裁は異次元緩和の終了を宣言しましたが、出口戦略をどのように進めるのか具体的なシミュレーションを出していません。 山本さんが書かれた『異次元緩和の罪と罰』には、金融正常化を進めるには、最短でも10年かかるとあります。この一事をとっても、やはり出口から抜け出るのは相当難しいと言わざるを得ないですね」、なるほど。
・『金融の正常化には非常に長い時間がかかる 山本:藤巻さんがおっしゃられたように金融の正常化には非常に長い時間がかかります。 私の試算では、約561兆円ある日銀当座預金残高を「平時」の約30兆円に戻すには10年以上かかるという結果になりました。しかも、これは、正常化完了までの間、いっさい新規の国債買い入れを止めるという仮定のもとでの試算です。 植田日銀は、2024年7月に日銀の国債買い入れ額の減額計画を公表し、それに着手しています。ただし、この計画に沿って日銀が国債買い入れ額を減らすとしても、いまから2年後の2026年3月末時点では依然、約550兆円の保有残高が日銀に残ります。 当面に限って言うと、国債の減額は大きな支障なく進められるだろうと思っています。なぜならば、最初の2年は日銀の国債買い入れの減額は月間3兆円程度ですから、国内の金融機関がこれを補うことは難しくありません。異次元緩和によって収益を圧迫された金融機関のなかには、リスクのある外債投資に追い込まれたところも多いので、為替リスクのない日本国債を購入するところも多いはずです。 ただし、当面は、国債減額は支障なく進められるでしょうが、いずれ金利の上昇が避けられないと考えています。なぜかというと、国は、借換債以外にも毎年約30兆円台の新規国債を発行しているからです。借換債に相当する国債は日本の金融機関が購入できるとしても、新たに発行される国債を購入できる原資があるのかという問題に突き当たります。仮に国内の金融機関だけでは消化が難しいとなれば、海外の投資家に頼らざるを得ません。ただし、彼らにとって、日本国債は金利変動リスクや為替リスクがありますから、相応の金利をつけなければ、彼らも買わないでしょう。 ただ、金利が上昇するのは、ある意味、自然なことです。もともと異次元緩和で隠されていた本来あるべき金利が、表面に出てくるという話なので、金利急騰といったような非常事態を除けば、国や日銀もこれは受け入れる必要があります。 いったん金利が上がり始めると、いろんなところからプレッシャーがかかってくるでしょうが、日銀としては正常化のプロセスを着実に進めていく必要があります。藤巻さんがおっしゃったことに近いのですが、金融正常化のプロセスを途中でやめてしまうことになれば、「なんだ異次元緩和は結局、財政ファイナンスだったのか」と市場から評価されてしまいます。中央銀行が財政ファイナンスを事実上認めるようなことをしたら、円という通貨の信認は揺らいでしまいます』、「私の試算では、約561兆円ある日銀当座預金残高を「平時」の約30兆円に戻すには10年以上かかるという結果になりました。しかも、これは、正常化完了までの間、いっさい新規の国債買い入れを止めるという仮定のもとでの試算です。 植田日銀は、2024年7月に日銀の国債買い入れ額の減額計画を公表し、それに着手しています。ただし、この計画に沿って日銀が国債買い入れ額を減らすとしても、いまから2年後の2026年3月末時点では依然、約550兆円の保有残高が日銀に残ります。 当面に限って言うと、国債の減額は大きな支障なく進められるだろうと思っています。なぜならば、最初の2年は日銀の国債買い入れの減額は月間3兆円程度ですから、国内の金融機関がこれを補うことは難しくありません。異次元緩和によって収益を圧迫された金融機関のなかには、リスクのある外債投資に追い込まれたところも多いので、為替リスクのない日本国債を購入するところも多いはずです。 ただし、当面は、国債減額は支障なく進められるでしょうが、いずれ金利の上昇が避けられないと考えています。なぜかというと、国は、借換債以外にも毎年約30兆円台の新規国債を発行しているからです。借換債に相当する国債は日本の金融機関が購入できるとしても、新たに発行される国債を購入できる原資があるのかという問題に突き当たります。仮に国内の金融機関だけでは消化が難しいとなれば、海外の投資家に頼らざるを得ません。ただし、彼らにとって、日本国債は金利変動リスクや為替リスクがありますから、相応の金利をつけなければ、彼らも買わないでしょう。 ただ、金利が上昇するのは、ある意味、自然なことです。もともと異次元緩和で隠されていた本来あるべき金利が、表面に出てくるという話なので、金利急騰といったような非常事態を除けば、国や日銀もこれは受け入れる必要があります。 いったん金利が上がり始めると、いろんなところからプレッシャーがかかってくるでしょうが、日銀としては正常化のプロセスを着実に進めていく必要があります。藤巻さんがおっしゃったことに近いのですが、金融正常化のプロセスを途中でやめてしまうことになれば、「なんだ異次元緩和は結局、財政ファイナンスだったのか」と市場から評価されてしまいます。中央銀行が財政ファイナンスを事実上認めるようなことをしたら、円という通貨の信認は揺らいでしまいます」、なるほど。
・『長期金利が上昇すれば、国債の評価損がどんどん膨らむ 藤巻:山本さんは、今後、日本の長期金利は一段と上がっていくとおっしゃいましたが、私が参院予算委員会で日銀に質問したところ、2023年9月末時点で日銀の保有国債の評価損はすでに約10兆円(当時、10年物金利は0.76%だった)もあり、金利がパラレルシフトすると、1%の金利上昇で評価損は29兆円程度増加するとの話でした。今後、長期金利が一段と上昇するようになれば、日銀が抱える国債の評価損がどんどん膨らんでいきます。 目下のところ、本来なら中央銀行が保有すべきでない株の評価益があるからいいものの、今後、日銀が国債やETFの買い入れ額を減らして過剰流動性を吸収する局面になれば、株価が下がり、評価益が激減するリスクもあります。私は、日銀が本格的に出口戦略を進めれば、ものすごい債務超過になると予測していますが、それでも大丈夫でしょうか?) 山本:あくまでも2023年度末時点ですが、日銀が買い進めてきたETF等の含み益が約38兆円もあるので、国債の評価損が出ても、なんとかそれでカバーできてしまうという状態です。 ただし、これはあくまでも株価次第ですから、株価が急落したり、金利が大幅に急騰したりする局面では、日銀が債務超過になる可能性があることは否定できません。ただし、中央銀行の場合、債務超過になったからといって、ただちに資金繰りに困るということはありません。 藤巻:日銀は、自分で日銀券を発行できるので、資金繰りに窮することはないですからね。 山本:債務超過になったからといって、ただちに危機が発生することはありませんが、かといって楽観視できる状態ではありません。要は、マーケットがどう見るかというその一点に尽きると思います。日銀が市場からの信頼を失えば、資金繰りではなく、まず為替が急落するところからスタートして、混乱が起きかねません。 藤巻:要するに中央銀行が危機的状況になるということは、その発行する通貨が信用を失うことを意味します。円の価値が失墜することになれば、円は紙くず化し、1ドル=1兆円になるようなハイパーインフレが起きるでしょう。 山本:藤巻さんのおっしゃることは過激で、少しついていけない部分もあるのですが(笑)、最終的にハイパーインフレにならないまでも、非常に高いインフレ率になることはあり得る話です。通貨に対する信認は、心理的な要素によるところが大きく、ある閾値(しきい値)」を超えた時点で突如崩壊するものです。それがいつどこで起きるかは、マーケットの心理によるので、それを予測するのは難しい。とはいえ、日銀も政府もそのような事態になるまでに、何らかの手を打つとは思いますが……。 藤巻:私に言わせると、日銀も政府も手を打ちすぎです。むしろ、過剰な介入で市場機能を殺してきたことに、日本経済の長期停滞の原因があるのではないでしょうか。常々感じていることですが、日本は資本主義の国というよりは計画経済の社会主義国のようです。 山本:私も、藤巻さんがおっしゃっているように、日本はどんどん市場経済から離れつつあるように感じます。戦後はずっと「市場競争を大事にする」という考えが主流でしたが、1990年代から、こうした考えが明らかに後退しています。政治的にも、選挙対策で、社会保障を充実させる政策や不況に苦しむ企業を救済する景気対策が広く行われるようになりました。その結果、生まれたのが、財政規律の著しい後退です。競争に負けた企業まで救済するような政策が広く行われた結果、経済の新陳代謝が進まず、生産性が低下していくという悪い流れになりつつあります。その流れを断ち切ることが一番大事なことだと考えています』、「2023年9月末時点で日銀の保有国債の評価損はすでに約10兆円(当時、10年物金利は0.76%だった)もあり、金利がパラレルシフトすると、1%の金利上昇で評価損は29兆円程度増加するとの話でした。今後、長期金利が一段と上昇するようになれば、日銀が抱える国債の評価損がどんどん膨らんでいきます。 目下のところ、本来なら中央銀行が保有すべきでない株の評価益があるからいいものの、今後、日銀が国債やETFの買い入れ額を減らして過剰流動性を吸収する局面になれば、株価が下がり、評価益が激減するリスクもあります。私は、日銀が本格的に出口戦略を進めれば、ものすごい債務超過になると予測していますが、それでも大丈夫でしょうか?) 山本:あくまでも2023年度末時点ですが、日銀が買い進めてきたETF等の含み益が約38兆円もあるので、国債の評価損が出ても、なんとかそれでカバーできてしまうという状態です。 ただし、これはあくまでも株価次第ですから、株価が急落したり、金利が大幅に急騰したりする局面では、日銀が債務超過になる可能性があることは否定できません。ただし、中央銀行の場合、債務超過になったからといって、ただちに資金繰りに困るということはありません・・・藤巻:私に言わせると、日銀も政府も手を打ちすぎです。むしろ、過剰な介入で市場機能を殺してきたことに、日本経済の長期停滞の原因があるのではないでしょうか。常々感じていることですが、日本は資本主義の国というよりは計画経済の社会主義国のようです。 山本:私も、藤巻さんがおっしゃっているように、日本はどんどん市場経済から離れつつあるように感じます。戦後はずっと「市場競争を大事にする」という考えが主流でしたが、1990年代から、こうした考えが明らかに後退しています。政治的にも、選挙対策で、社会保障を充実させる政策や不況に苦しむ企業を救済する景気対策が広く行われるようになりました。その結果、生まれたのが、財政規律の著しい後退です。競争に負けた企業まで救済するような政策が広く行われた結果、経済の新陳代謝が進まず、生産性が低下していくという悪い流れになりつつあります。その流れを断ち切ることが一番大事なことだと考えています」、なるほど。
・『中央銀行の目的は「物価の安定」だけではない Q:山本さんは日銀理事を務めた日銀OBとして、現在の日本銀行の姿はどのように映りますか。また、植田日銀は、今後どのような金融政策を進めていくべきだとお考えですか? 山本:世間に誤解があることなのですが、中央銀行の目的は「物価の安定」だけではありません。日銀が目指すべきものは「物価の安定」というよりも、より高次で広い概念である「通貨の信認確保」です。その意味するところは、「物価の安定」のほかに、金融システムの健全性維持、銀行券の円滑な発行・流通、日銀ネットと呼ばれる大規模な資金決済ネットワークの維持など広範な目的を含みます。これらをひっくるめたものが「通貨の信認確保」だと理解しています。 日銀がやれることは、突き詰めると、1つだけで、資金をマーケットに供給ないし吸収することしかありません。しかしこの資金の供給・吸収が経済に非常に大きな影響力を持っているわけです。それは物価にも影響を与えるし、金融システムにも影響を与えるし、決済にも影響を与えます。中央銀行は、これらをバランスよく達成することが使命であって、物価目標2%を絶対視するような硬直的な政策運営はすべきではありません。 こうした観点に立てば、異次元緩和がもたらす金融システムや市場機能への悪影響を意識するのは、中央銀行として当然の責務になります。 植田日銀は、黒田日銀が始めた11年続いた「異次元緩和」の幕引きをするという難題を背負わされたわけですが、その過程で、これまでの総括を行い、今後どのような道筋で正常化を進めていくのかを、国民にきちんと説明したうえで支持を得なければなりません。 こうした取り組みをないがしろにすると、また、いずれ政治サイドから「国債をもっと買い入れてほしい。なぜ異次元緩和でやれたことが、いまできないのか」と迫られることになってしまいます。) 藤巻:説明をうかがって改めて、今日もまた「さすが山本さんだな」と感服しました。私の過激な説明よりも、ジェントルマンとして冷静に丁寧に説明していただくと、多くの方が納得するんじゃないかと改めて思いました。『異次元緩和の罪と罰』は本当に素晴らしい作品ですので、ぜひ皆さんも読みください。 山本:藤巻さんとの対談は刺激的で私も楽しかったです、本当にありがとうございました。 *本対談のきっかけとなった山本謙三『異次元緩和の罪と罰』(講談社現代新書)では、異次元緩和の成果を分析するとともに、歴史に残る野心的な経済実験の功罪を検証しています。2%の物価目標にこだわるあまり、本来、2年の期間限定だった副作用の強い金融政策を11年も続け、事実上の財政ファイナンスが行われた結果、日本の財政規律は失われ、日銀の財務はきわめて脆弱なものになりました。これから植田日銀は途方もない困難と痛みを伴う「出口」に歩みを進めることになります。異次元緩和という長きにわたる「宴」が終わったいま、私たちはどのようなツケを払うことになるのでしょうか』、「日銀が目指すべきものは「物価の安定」というよりも、より高次で広い概念である「通貨の信認確保」です。その意味するところは、「物価の安定」のほかに、金融システムの健全性維持、銀行券の円滑な発行・流通、日銀ネットと呼ばれる大規模な資金決済ネットワークの維持など広範な目的を含みます。これらをひっくるめたものが「通貨の信認確保」だと理解しています。 日銀がやれることは、突き詰めると、1つだけで、資金をマーケットに供給ないし吸収することしかありません。しかしこの資金の供給・吸収が経済に非常に大きな影響力を持っているわけです。それは物価にも影響を与えるし、金融システムにも影響を与えるし、決済にも影響を与えます。中央銀行は、これらをバランスよく達成することが使命であって、物価目標2%を絶対視するような硬直的な政策運営はすべきではありません・・・2%の物価目標にこだわるあまり、本来、2年の期間限定だった副作用の強い金融政策を11年も続け、事実上の財政ファイナンスが行われた結果、日本の財政規律は失われ、日銀の財務はきわめて脆弱なものになりました。これから植田日銀は途方もない困難と痛みを伴う「出口」に歩みを進めることになります。異次元緩和という長きにわたる「宴」が終わったいま、私たちはどのようなツケを払うことになるのでしょうか」、黒田異次元緩和のツケはとても高いものとして跳ね返ってくるようだ。
なお、昨日の金融政策決定会合での「維持」決定については、特にコメントの必要なしとして、取上げなかった。
タグ:金融政策 (その49)(山本 謙三氏4題:日銀がついに撤退戦を始めた!植田日銀は 爆買いしてきた長期国債590兆円を波乱なく減らすことが本当にできるのか?、いまの日銀は 「中央銀行としてやってはならないこと」をやりまくっている…「日本が置かれた深刻な状況」の実態、「黒田日銀」は国民に幸福をバラ撒きすぎた…これからやってくるとてつもない「しっぺ返し」、私たちはこれからどんなツケを払うことになるのか…なんと11年に及んだ「異次元緩和」がもたらしたもの) 現代ビジネス 山本 謙三氏による「日銀がついに撤退戦を始めた!植田日銀は、爆買いしてきた長期国債590兆円を波乱なく減らすことが本当にできるのか?」 山本謙三『異次元緩和の罪と罰』 計画通りに2年間減額を進めても、日銀がなお500兆円以上を抱えている姿に変わりはなく、市場機能の完全な回復には程遠い。 財政赤字を丸呑みしてきた日銀が市場から徐々に遠ざかれば、長期金利は想定外の上下動を起こすリスクを孕む。はたして、植田日銀は滞りなく、出口戦略を進めることができるのか?」、なるほど。 「ハンガリーの経済学者コルナイ・ヤーノシュは、・・・「急速な革新(イノベーション)やダイナミズムは、起こるかもしれないし起こらないかもしれないといったランダムな現象ではなく、資本主義というシステム特有の性質に深く根ざしたものである・・・シカゴ大学のラジャン教授は「中央銀行による介入は少ない方が、おそらく良好な結果をもたらすだろう」と述べている。これは、政府や中央銀行といった公的当局の市場介入を極力減らし、民間の新陳代謝を通じて経済の活性化を図る資本主義システムに内在する固有の利点を信じてのことだろう」、ラ ジャンの主張では中央銀行は不要というシカゴ学派の極論だ。「一般政府の債務残高対GDP比率が先進国で断トツに高い国だ。中央銀行のバランスシート規模の拡大は、コルナイの主張する資本主義システムのもつダイナミズムを脅かしているように見えてならない。 日銀のバランスシートを見ると、総資産(=負債・純資産計)は、2013年3月末の約165兆円から2024年3月末には約756兆円まで拡大した。じつに4.6倍である。 他の主要な中央銀行との比較でも、その巨大さが際立つ(図表5-1)。中央銀行の総資産の対GDP比率は、米 国FRBの35%、欧州ECBの48%に対し、日銀は127%に達する。異次元緩和が始まる前の同比率は30%台だったので、この間の規模拡大がいかに劇的なものだったかが分かる」、なるほど。 「十分に長い期間をとれば、長期金利は名目GDP成長率の水準に収れんするとの見方に立脚していることになる。 異次元緩和が始まった2013年度から2022年度までの10年間の名目GDP成長率は、年率プラス1.31%だった。実質GDP成長率が年率プラス0.67%、GDPデフレーター・・・の上昇率が年率プラス0.64%である。この式に従えば、2013年時点での10年物国債の長期金利は1%台半ば近くに適正値があったと推定される。この10年は、好景気も、新型コロナの感染拡大に伴う景気停滞期も含むため、その後の期間も、 長期金利の適正値は1%台半ば周辺から大きくかけ離れることはなかっただろう。にもかかわらず、日銀は現実の長期金利をゼロ%程度に抑え込み続けた。それだけ強烈な金融緩和であったといえるし、それだけ市場機能を低下させたともいえる」、なるほど。 「24年7月、日銀は当面2年間の国債買い入れの減額を決めたが、2年後も、事実上中途売却できない長期国債を500兆円以上抱えている姿に変わりはなく、市場機能の完全な回復には程遠い。一方で、長く、強烈な金利抑え込みを続けてきた以上、日銀が市場から完全に遠ざかれば、金利は思わぬ上下動を示しかねない。日銀は慎重なステップを踏まざるをえず、長期金利の完全な機能回復には時間を要する・・・ 事実上の財政ファイナンスが行われた結果、日本の財政規律は失われ、日本銀行の財務はきわめて脆弱なものになりました。これから植田日銀は途方もない困難と痛みを伴う「出口」に歩みを進めることになります。異次元緩和という長きにわたる「宴」が終わったいま、私たちはどのようなツケを払うことになるのでしょうか」、なるほど。 山本 謙三氏 藤巻 健史氏の対談「いまの日銀は、「中央銀行としてやってはならないこと」をやりまくっている…「日本が置かれた深刻な状況」の実態」 『異次元緩和の罪と罰』 山本:世界の多くの国、ほとんどの国と言ってもいいと思いますが、中央銀行が国債を引き受ける財政ファイナンスを禁止しています。それは財政規律を維持するための「人類の知恵」で、そのようなことをしたら、通貨の信認を失い、将来的には非常に高いインフレが必ず起きるからです。 日本でも財政法で国債の日銀引受が禁止されています。その一方で、黒田日銀は、物価目標を実現するための政策として資金の大量供給を決めました。「物価目標2%を何が何でも実現する」という異次元緩和の政策枠組みの中で、日銀は、市場にサプライズを与えるほどの 巨額の国債を市場から買い入れました。政府が発行した国債を直接引き受けたわけではありませんでしたが、市中に出回る国債をほとんど買い入れてきたというのが実態です。 左の棒グラフをご覧ください。異次元緩和が始まる直前の2013年3月末の日銀の保有国債残高は、約125兆円でしたが、これが10年後の2023年3月末には、約5倍の約582兆円になっています。この間、日銀の保有国債は一挙に456兆円も増えています。実はこの額は、この期間の新規国債の発行額480兆円に匹敵します。 「世界の多くの国、ほとんどの国と言ってもいいと思いますが、中央銀行が国債を引き受ける財政ファイナンスを禁止しています。それは財政規律を維持するための「人類の知恵」で、そのようなことをしたら、通貨の信認を失い、将来的には非常に高いインフレが必ず起きるからです。 日本でも財政法で国債の日銀引受が禁止されています。その一方で、黒田日銀は、物価目標を実現するための政策として資金の大量供給を決めました。「物価目標2%を何が何でも実現する」という異次元緩和の政策枠組みの中で、日銀は、市場にサプライズを与えるほどの巨額 の国債を市場から買い入れました。政府が発行した国債を直接引き受けたわけではありませんでしたが、市中に出回る国債をほとんど買い入れてきたというのが実態です。 左の棒グラフをご覧ください。異次元緩和が始まる直前の2013年3月末の日銀の保有国債残高は、約125兆円でしたが、これが10年後の2023年3月末には、約5倍の約582兆円になっています。この間、日銀の保有国債は一挙に456兆円も増えています。実はこの額は、この期間の新規国債の発行額480兆円に匹敵します。いうなれば、日銀が、財政赤字のほとんどの資金繰 りの面倒をみたという状態ですので、政府にしてみれば、金利ゼロで国債がいくらでも発行できる状況になりました」、なるほど。 「藤巻:・・・私は国会質問で、当時の黒田日銀総裁や麻生財務相に「これは財政ファイナンスじゃないですか?」とお聞きすると、彼らは「いや、これはデフレ脱却のために行っていることだから財政ファイナンスではありません」と答弁されるわけです。これに対して、私は、「中央銀行である日銀が、日本政府の資金繰りを賄っている以上、これはもう財政ファイナンスそのものです・・・異次元緩和の目的がデフレ脱却であろうとなかろうと、政府の資金繰りを中央銀行が賄っていれば、それは財政ファイナンスです」とお二人に申し上げましたが、議論は深 まりませんでした」、なるほど。 「統合政府論者は、政府が国債の金利を支払っても子会社である日銀がその金利を受け取り、利益の一部として政府に戻すのだから問題はない。したがって日本の財政はおよそ危機的ではなく、まだまだ財政余力があり、引き続き大量の国債を発行できると主張します。 しかし、だからと言って、統合政府の債務が消えるわけではありません。上の図でいえば、青色の国債だけは相殺されるけれども、統合後は国債の替わりにオレンジ色の「日銀当座預金」という債務が残るのです・・・ 英語では財政ファイナンスのことをマネタイゼーションと言います。国債(長期負債)を通貨に変える(超短期負債化)からです。現在のような超低金利時代には問題は顕在化しませんが、ひとたび金利が上昇すると、一気に利払い費が増えて、国全体として大変危険な状態になります。「統合政府で考えれば財政は健全」という考えは、財政ファイナンスは正しいと主張するに等しいわけですから、どう考えてもトンデモ理論です・・・ 政府の子会社である中央銀行が国債を買えば、国債が相殺されて消えるので財政再建が完了するというのは、これは100%間違っています、 藤巻さんが作成された図を見ていただくとわかるように、国債という政府の債務が日銀当座預金という日銀の債務に置き換わったに過ぎません。日銀当座預金は、日銀の金融機関に対する債務、すなわち借金です。統合政府で見ても、膨大な債務が残る以上、全く財政再建が完了したわけではない。 要するに、政府の信認が低下すれば、論理的に日銀の信認も低下し、日銀が発行する通貨の円の信認も低下することになり ます。政府の財政状態を示す「一般政府の債務残高対GDP比率(2022年実績見込み)」は257%と、世界約190ヵ国・地域中第2位の高さにあります。日本より財政状態が悪いのは、中東紛争でイスラエルと交戦状態にあるレバノンだけで、日本の財政状態は、内戦状態にあった第3位のスーダンよりもかなり悪い。国と通貨に対する信認は先人たちの努力の積み重ねによって築き上げられてきたものですが、このような財政状態を続けていて、いつまで信認を保ち続けることができるのか不安になります・・・財政の健全度を表す「債務残高対GDP比率 」は、税収と借金の比率を示す指標です。いうなれば、税収で借金を返す難易度ランキングです。これが世界最悪レベルにあるということは、財政を再建することが世界で最も難しいことを意味します。我が国が置かれている状況はかくも深刻であることを、国民も認識すべきだと、私は思います」、なるほど。 藤巻 健史氏の対談「「黒田日銀」は国民に幸福をバラ撒きすぎた…これからやってくるとてつもない「しっぺ返し」」 「藤巻:中央銀行は、価格の変動が激しいリスク性資産は極力持たないという不文律がありますが、日銀のように大量の株式を買い入れている中央銀行はほかにはないですよね。) 山本:金融政策として、株式を買い入れている中央銀行は、ほとんどありません。 歪みが生じているのは株式市場だけではありません。国債市場では、日銀は国内最大の購入者であり、保有者です。日銀の国債保有残高は約590兆円に及んでいます。 日銀は、大量の国債買い入れを継続して実施することで長期金利を0%台に抑えてきました。 もし、日銀が市場に介入せず、長期金利の変動を市場に任せていれば、実際の名目GDPの成長率から見て、少なくとも1%前後になっていたはずです。 長期にわたって市場の実勢より1%近く金利を抑圧してきたのですから、さまざまな副作用が生じていることは間違いありません。 第一は急激な円安です。図は、1970年代から現在にいたる実質実効為替レートの推移を示すグラフです。実質実効為替レートは、通常の為替レートではなく、相対的な通貨の実力を測るための計算上のレートです。 2024年春の円相場の実質実効為替レートは、1ドル= =360円時代をさらに下回る円安水準まで下落しました。つまり、1971年8月のニクソンショック直前の、1ドル360円並みの水準まで、円安が進んでいます。ここまで円安が進むと、海外から見れば、明らかに日本のものは何でも安く見えます。それゆえ、インバウンドの観光客が増えていますし、外国人の投資家が都心の土地やマンションを購入するようになっています。一見すると、景気のよい話のように見えますが、日本国内から見ると、国内の資源や労働力を安売りしていることに他なりません。これでは、私たち日本人の生活はいっこうに豊かに なりません。 第二の副作用は、市場の機能が低下したために、成長性の低い企業が選別、淘汰されることなく生き残ったことです。その結果、日本経済の新陳代謝が進まなくなり、経済のダイナミズムが失われました。これは自由主義市場経済にとっては非常に痛手だったように思います。 第三の副作用は、金融機関へのしわ寄せです。金融機関は、市場金利が低下したことによって収益が圧迫されたため、それを補うために外債などのハイリスクの投資を増やしました。その結果、いくつかの金融機関は、金利上昇局面になってから、購入した外債の損失が膨ら み、増資に迫られるようになっています。もちろん、個別金融機関のリスク管理の甘さが原因ですが、異次元緩和が金融機関をハイリスクの投資に追い込んでいったという事実は残ります」、なるほど。 「黒田日銀は、国民に幸福をバラ撒きすぎました。日銀が国債を爆買いして長期金利を低く抑えたことによって、住宅ローンの金利も0%近くになりました。金利負担が下がったうえに地価やマンション価格は高騰しましたから、住宅ローンを組んで不動産を購入した人は非常にハッピーなわけですよ。日銀によるETF購入で株式相場も上昇しましたから、株を持っている人もハッピーでした。なにより超ハッピーだったのは日本政府で、新規国債の金利負担がないから予算が好き勝手に作れて、バラ撒きもできた。こうした政策は、選挙民からの受けもいいので次 の選挙にも当選できるので、バラ撒きはさらに加速していく。このように、日銀は異次元緩和を11年間も続けることで、日本国民に幸福のバラ撒きを続けてきたわけです。 問題は、この幸福は、日本人が実力で勝ち取ったものではなく、日銀によって作り出された、かりそめの幸福です。私は、日本人は、何か後で、とてつもない「しっぺ返し」を受けることになるのではないかと心配しています」、なるほど。 「黒田総裁の前任の白川方明日銀総裁は、自らもやむを得ず行った非伝統的な金融政策である質的緩和の危険性を自覚され、憂慮されていた。印象的だったのは、2013年3️月19日の退任記者会見での発言でした。「わが国を含め欧米諸国が現在展開している非伝統的な政策の評価も、いわゆる『出口』から円滑に脱出できて初めて、全プロセスを通じた金融政策の評価が可能となる、そうした性格のものだと思っています」 しかし、白川総裁を引き継いだ黒田日銀は、白川日銀の質的緩和を中途半端と批判して、伝統的金融論からすると、あり得ない規模の超金融緩和を11年も続けてきました。巨大なクジラのような日銀が大量の株と国債を買い進めて、市場機能を殺してしまった以上、もはや日銀には異次元緩和から抜け出る「出口」はありません。 私は、異次元緩和は「出口」から無事に出られて初めて評価できる金融政策だと思っています。 「出口」から出られなかったら、最悪の政策だと結論づけるしかない。 黒田前総裁は、メディアから日銀の出口戦略を何度も質問されましたが、「時期尚早」を繰り返して、その道筋を最後まで語ることはありませんでした。引き継いだ植田和男総裁は異次元緩和の終了を宣言しましたが、出口戦略をどのように進めるのか具体的なシミュレーションを出していません。 山本さんが書かれた『異次元緩和の罪と罰』には、金融正常化を進めるには、最短でも10年かかるとあります。この一事をとっても、やはり出口から抜け出るのは相当難しいと言わざるを得な いですね」、なるほど。 「私の試算では、約561兆円ある日銀当座預金残高を「平時」の約30兆円に戻すには10年以上かかるという結果になりました。しかも、これは、正常化完了までの間、いっさい新規の国債買い入れを止めるという仮定のもとでの試算です。 植田日銀は、2024年7月に日銀の国債買い入れ額の減額計画を公表し、それに着手しています。ただし、この計画に沿って日銀が国債買い入れ額を減らすとしても、いまから2年後の2026年3月末時点では依然、約550兆円の保有残高が日銀に残ります。 当面に限って言うと、国債の減額は大きな支障なく進められるだろうと思っています。なぜならば、最初の2年は日銀の国債買い入れの減額は月間3兆円程度ですから、国内の金融機関がこれを補うことは難しくありません。異次元緩和によって収益を圧迫された金融機関のなかには、リスクのある外債投資に追い込まれたところも多いので、為替リスクのない日本国債を購入するところも多いはずです。 ただし、当面は、国債減額は支障なく進められるでしょうが、いずれ金利の上昇が避けられないと考えています。 なぜかというと、国は、借換債以外にも毎年約30兆円台の新規国債を発行しているからです。借換債に相当する国債は日本の金融機関が購入できるとしても、新たに発行される国債を購入できる原資があるのかという問題に突き当たります。仮に国内の金融機関だけでは消化が難しいとなれば、海外の投資家に頼らざるを得ません。ただし、彼らにとって、日本国債は金利変動リスクや為替リスクがありますから、相応の金利をつけなければ、彼らも買わないでしょう。 ただ、金利が上昇するのは、ある意味、自然なことです。 もともと異次元緩和で隠されていた本来あるべき金利が、表面に出てくるという話なので、金利急騰といったような非常事態を除けば、国や日銀もこれは受け入れる必要があります。 いったん金利が上がり始めると、いろんなところからプレッシャーがかかってくるでしょうが、日銀としては正常化のプロセスを着実に進めていく必要があります。藤巻さんがおっしゃったことに近いのですが、金融正常化のプロセスを途中でやめてしまうことになれば、「なんだ異次元緩和は結局、財政ファイナンスだったのか」と市場から評価されてしまいます。中央銀行が財政 ファイナンスを事実上認めるようなことをしたら、円という通貨の信認は揺らいでしまいます」、なるほど。 「2023年9月末時点で日銀の保有国債の評価損はすでに約10兆円(当時、10年物金利は0.76%だった)もあり、金利がパラレルシフトすると、1%の金利上昇で評価損は29兆円程度増加するとの話でした。今後、長期金利が一段と上昇するようになれば、日銀が抱える国債の評価損がどんどん膨らんでいきます。 目下のところ、本来なら中央銀行が保有すべきでない株の評価益があるからいいものの、今後、日銀が国債やETFの買い入れ額を減らして過剰流動性を吸収する局面になれば、株価が下がり、評価益が激減するリスクもあります。 私は、日銀が本格的に出口戦略を進めれば、ものすごい債務超過になると予測していますが、それでも大丈夫でしょうか?) 山本:あくまでも2023年度末時点ですが、日銀が買い進めてきたETF等の含み益が約38兆円もあるので、国債の評価損が出ても、なんとかそれでカバーできてしまうという状態です。 ただし、これはあくまでも株価次第ですから、株価が急落したり、金利が大幅に急騰したりする局面では、日銀が債務超過になる可能性があることは否定できません。ただし、中央銀行の場合、債務超過になったからといって、ただちに資金繰りに 困るということはありません・・・藤巻:私に言わせると、日銀も政府も手を打ちすぎです。むしろ、過剰な介入で市場機能を殺してきたことに、日本経済の長期停滞の原因があるのではないでしょうか。常々感じていることですが、日本は資本主義の国というよりは計画経済の社会主義国のようです。 山本:私も、藤巻さんがおっしゃっているように、日本はどんどん市場経済から離れつつあるように感じます。戦後はずっと「市場競争を大事にする」という考えが主流でしたが、1990年代から、こうした考えが明らかに後退しています。 政治的にも、選挙対策で、社会保障を充実させる政策や不況に苦しむ企業を救済する景気対策が広く行われるようになりました。その結果、生まれたのが、財政規律の著しい後退です。競争に負けた企業まで救済するような政策が広く行われた結果、経済の新陳代謝が進まず、生産性が低下していくという悪い流れになりつつあります。その流れを断ち切ることが一番大事なことだと考えています」、なるほど。 「日銀が目指すべきものは「物価の安定」というよりも、より高次で広い概念である「通貨の信認確保」です。その意味するところは、「物価の安定」のほかに、金融システムの健全性維持、銀行券の円滑な発行・流通、日銀ネットと呼ばれる大規模な資金決済ネットワークの維持など広範な目的を含みます。これらをひっくるめたものが「通貨の信認確保」だと理解しています。 日銀がやれることは、突き詰めると、1つだけで、資金をマーケットに供給ないし吸収することしかありません。 しかしこの資金の供給・吸収が経済に非常に大きな影響力を持っているわけです。それは物価にも影響を与えるし、金融システムにも影響を与えるし、決済にも影響を与えます。中央銀行は、これらをバランスよく達成することが使命であって、物価目標2%を絶対視するような硬直的な政策運営はすべきではありません・・・2%の物価目標にこだわるあまり、本来、2年の期間限定だった副作用の強い金融政策を11年も続け、事実上の財政ファイナンスが行われた結果、日本の財政規律は失われ、日銀の財務はきわめて脆弱なものになりました。これから植田日 銀は途方もない困難と痛みを伴う「出口」に歩みを進めることになります。異次元緩和という長きにわたる「宴」が終わったいま、私たちはどのようなツケを払うことになるのでしょうか」、黒田異次元緩和のツケはとても高いものとして跳ね返ってくるようだ。
インバウンド動向(その16)(なぜ日本は外国人観光客にナメられるのか?「おもてなしは文化」というウソの自業自得、「このままでは日本は“パンク”する」後手に回る対策…「オーバーツーリズム」をどうすれば解決できるのか) [経済政策]
インバウンド動向については、本年6月9日に取上げた。今日は、(その16)(なぜ日本は外国人観光客にナメられるのか?「おもてなしは文化」というウソの自業自得、「このままでは日本は“パンク”する」後手に回る対策…「オーバーツーリズム」をどうすれば解決できるのか)である。
先ずは、本年6月13日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「なぜ日本は外国人観光客にナメられるのか?「おもてなしは文化」というウソの自業自得」を紹介しよう。
・『富士山周辺、京都、全国津々浦々……迷惑外国人が増えすぎていないか? 外国人観光客の迷惑トラブルが毎日のように報じられている。 富士山周辺では、ローソン越しの富士山が撮影できるスポットに観光客が殺到して危険だということで、苦肉の策で道路に黒い目隠し幕が設置された。京都では舞妓が「パパラッチ被害」に遭ったほか、八坂神社では参拝した外国人観光客が、鈴を乱暴に振り回して注意した人と口論になったという。 もちろん、こういうトラブルはかつて日本人観光客も欧州やハワイで山ほどやってきた。現地メディアから「バーバリアン」(野蛮人)などと問題視されたこともあるので「お互いさま」という側面もあるのだが、ここまで外国人観光客がハメを外すのは、別の要素もある。 それは「日本人をナメている」ということだ。 外国人観光客はガイドブッグやネット・SNSで、ある程度日本文化の予備知識を入れてくるのだが、その中で「おもてなし」という言葉とともに日本人は「チップをもらうわけでもないのに、とにかくゲストをもてなすのが大好きなサービス精神の塊のような人たち」とかなり盛った説明をしていることも多い。 つまり、外国人観光客がやりたい放題やっているのは、「日本人っておもてなしの精神があって、外国人観光客が好きで好きでたまらないから、ちょっとくらいハメを外しても怒らないでしょ?」とタカをくくっているところもあるのだ。 それがよくわかるのが、6月10日のニューヨークタイムズ「Japan Likes Tourists, Just Not This Many(日本は観光客が好き。これほど多すぎなければ)」という特集記事だ。 https://www.nytimes.com/2024/06/07/world/asia/japan-mount-fuji-kyoto-tourism.html タイトルからして、「日本人=外国人観光客に優しい国」というイメージを読者に与えていることは言うまでもないが、さらに注目すべきは記事中では日本のことを「本来は心からゲストを気遣い“おもてなし”の精神を誇りにしている国」と説明していることだ。 ここまで言われたら、日本旅行を検討している外国人たちは思うだろう。「そっか、日本って国には、外国人ゲストのワガママを最大限許してくれる執事のような人たちがたくさんいるんだな」と。) つまり、今日本全国の観光地で問題になっている「観光公害」というのは、世界に対して「お・も・て・な・し」などと言って、日本のホスピタリティの高さを過度にアピールしてしまったことも原因なのだ。 そう聞くと、「アピールも何も“おもてなし”は日本の文化なのだから、しょうがないだろ」と不愉快になられる方も多いだろうが、実はその認識は間違っている』、「外国人観光客がやりたい放題やっているのは、「日本人っておもてなしの精神があって、外国人観光客が好きで好きでたまらないから、ちょっとくらいハメを外しても怒らないでしょ?」とタカをくくっているところもあるのだ・・・ニューヨークタイムズ・・・特集記事・・・日本のことを「本来は心からゲストを気遣い“おもてなし”の精神を誇りにしている国」と説明していることだ・・・日本旅行を検討している外国人たちは思うだろう。「そっか、日本って国には、外国人ゲストのワガママを最大限許してくれる執事のような人たちがたくさんいるんだな」と。 つまり、今日本全国の観光地で問題になっている「観光公害」というのは、世界に対して「お・も・て・な・し」などと言って、日本のホスピタリティの高さを過度にアピールしてしまったことも原因なのだ」、その通りだ。
・『日本にはもともと「おもてなし」の伝統などなかった 日本は伝統的に「おもてなしの精神」を誇りにしているような国ではない。少なくとも、観光業や接客業で「おもてなし」が唱えられたのはせいぜいこの30年程度の話だ。バブル崩壊以降、いわゆる「失われた30年」に突入して、国内観光業が大きく衰退したとき、起死回生のマーケティングとして打ち出したのが「おもてなし」である。 事実として、これまで日本の歴史の中で「おもてなし精神」などというものが語られたことはない。よく「おもてなしは古くは源氏物語にも掲載されている」なんてことが言われるが、それは単に「自宅に客が来たときにもてなす」ということを意味している。だから、近代になると「おもてなし料理」という言葉が生まれた。 それが「外国人を迎える」というニュアンスで使われるようになったのは戦後の「外交の場」である。と言っても、別に日本人の精神性を示すようなものではなく、単なる外交辞令だ。わかりやすいのは、旧ソ連のゴルバチョフ書記長が来日したときのこんなスピーチだ。 「私の妻と私個人から天皇、皇后両陛下、日本政府、日本国民の温かいおもてなしと歓迎に心からお礼を申し上げます。(中略)やはり温かいおもてなしで有名な自国民を代表して、陛下のご都合のよい時機に私たちの国をご訪問頂くよう天皇、皇后両陛下をご招待申し上げます」(読売新聞1991年4月17日) ゴルバチョフ氏が「ソ連国民のおもてなし」を誇らしげに語っているように、ゲストを気遣ってもてなす文化は世界中のどこにでもある。海外でバックパッカーなどをやった人などはわかるだろうが、欧米社会でも外国人の旅行者を温かくもてなすような文化はある。 筆者も若いときに中東を貧乏旅行したが、色々な国で自宅に招待されて泊めてもらった経験がある。つまり、「おもてなし」というのは日本だけの専売特許ではないし、ましてや日本の観光業や接客業の強みとしてアピールされるようなものではなかったのである。) もちろん、高級ホテルや高級レストランでは「王族をおもてなしするような高品質なサービスを提供します」といった感じで、外交辞令で使われる「おもてなし」を宣伝文句に流用することも、なくはなかった。しかし、今のように「おもてなしは日本の文化」というような盛った話を、世界にふれまわることはなかった。 それが大きく変わるのが、バブル崩壊後だ。 1990年代後半から観光業や自治体などが急に「おもてなしの心」を唱え始めるようになる。わかりやすいのは、1998年4月に静岡県熱海市が『おもてなしマニュアル~芸妓・ホステス編』を2000部作成して、芸者置き屋に配布したことだ。 2000年10月には京都商工会議所が中心になって、77の関連団体と設立した「観光サービス向上対策連絡会議」が、同じく接客のノウハウをまとめた『京のおもてなしハンドブック』を作成した。 この頃になると、「おもてなし」は観光業界のバズワードになる。たとえば、2001年6月、静岡県下田市が観光業者を対象にした接客研修「下田市観光おもてなしプログラム」を実施している。 ここまで言えばもうおわかりだろう。今、日本中の観光地で叫ばれている「おもてなしの心」や、IOC総会での東京オリンピック誘致で、滝川クリステルさんがプレゼンした「お・も・て・な・し」というのも、すべてはバブル崩壊後、1990年代後半に誕生した、かなり新しい概念なのだ』、「日本中の観光地で叫ばれている「おもてなしの心」や、IOC総会での東京オリンピック誘致で、滝川クリステルさんがプレゼンした「お・も・て・な・し」というのも、すべてはバブル崩壊後、1990年代後半に誕生した、かなり新しい概念なのだ」、なるほど。
・『「おもてなし」が唱えられたのはせいぜいバブル崩壊後のこと さて、そこで不思議なのは、なぜこの時機にそれまでは誰も唱えていなかった「おもてなし」が急に叫ばれるようになったのかということだが、実はそれには「国内観光業の低迷」が関係している。 平成24年度の『観光白書』の中に、バブル崩壊後、経済の冷え込みで観光業が厳しい状況に陥ったことが、データで語られているので引用しよう。 《国内宿泊観光旅行1回当たりの国内宿泊観光旅行の平均費用額を見ると、平均費用額が最も高かったのはバブル期であり、20代の1回当たりの旅行の平均費用額は1986年には約4.5万円であったが、バブル崩壊後の1998年には約3.3万円にまで落ち込んだ》) 《若者が国内宿泊観光旅行に行かなくなっている傾向は、国内宿泊観光旅行の平均回数の減少からも見て取れる。全年齢平均では1994年から2010年にかけて1.43回から0.93回に減少しているのに対し、20代は1.86回から0.89回と大幅に減少している。このように若者の国内宿泊観光旅行回数が1990年代半ばから2000年代に急激に減少した背景としては、1990年半ば頃に活発になったスポーツを目的とする旅行、特にスキー旅行が、その後落ち込んだ影響等があると考えられる》 このような背景を知れば、「おもてなし精神」とやらの正体が見えてきたのではないか。バブル崩壊で日本の国内観光は大打撃を受けた。若者がかつてのように泊まり込みでスキーや海水浴などに行かなくなり、海外旅行にも流れてしまっていたからだ。 閑古鳥が鳴くような観光地も出てきた中で、起死回生のマーケティングとして唱えられたのが「おもてなし」だ。観光や接客に関わる人たちが、ホスピタリティが高く、サービス精神があるということをアピールして、離れてしまった日本人観光客を呼び戻そうとしたのである』、「閑古鳥が鳴くような観光地も出てきた中で、起死回生のマーケティングとして唱えられたのが「おもてなし」だ。観光や接客に関わる人たちが、ホスピタリティが高く、サービス精神があるということをアピールして、離れてしまった日本人観光客を呼び戻そうとしたのである」、その通りだ。
・『単なる根性アピールが世界に発信されてしまった悲劇 ちなみに、これは日本社会の「あるある」でもある。苦しくなってくると具体的な問題解決を提示するわけでもなく、「ふわっ」とした精神論を唱えて「スポ根マンガ」のように気合いで乗り切ろうとしがちである。「絆」とか「1億総活躍」などはその典型だ。 つまり、「おもてなし精神」というのはもともと、観光業に携わる日本人が、同じ日本人の観光客へ向けて「我々は死ぬ気でサービスします」と「根性アピール」をしたようなものなのだ。 そんな「おもてなしマーケティング」は観光業者にもてはやされた。「おもてなし精神」というあくまで心の問題なので、特殊技能が必要なわけでもないし設備投資もいらない。単刀直入に言ってしまうと、日本人の「情」に訴えた集客方法なのである。 そういうドメスティックな観光戦略が、東京オリンピック誘致やインバウンド推進もあって世界に発信されてしまったということが、今回の悲劇の始まりだ。) 外国人観光客からすれば、「おもてなし精神」をこんなにアピールするということは、日本はタイなどのような高いホスピタリティの「観光大国」だと思うし、それなりに観光客のワガママも通るはずだと勘違いしてしまう。だから、全国の観光地で好き放題やってしまう。 しかし、現実の日本はまだ「観光大国」にはほど遠い。外国人観光客がここまで増えたのもほんの最近だし、ホスピタリティも高くない。多言語対応も十分ではないし、何よりもオーバーツーリズム対策に必要不可欠な「ゾーニング」(観光客の流れを戦略的に分散をさせること)もできていない。だから、トラブルが雪だるま式に増えていくのだ。 そして、事態をさらに悪化させているのが「安いニッポン」だ。多くの外国人にとって、日本は自国と比べものにならないほど安いカネで遊べる。これが「ハメを外す」ことを助長させるのだ』、「外国人観光客からすれば、「おもてなし精神」をこんなにアピールするということは、日本はタイなどのような高いホスピタリティの「観光大国」だと思うし、それなりに観光客のワガママも通るはずだと勘違いしてしまう。だから、全国の観光地で好き放題やってしまう。 しかし、現実の日本はまだ「観光大国」にはほど遠い。外国人観光客がここまで増えたのもほんの最近だし、ホスピタリティも高くない。多言語対応も十分ではないし、何よりもオーバーツーリズム対策に必要不可欠な「ゾーニング」(観光客の流れを戦略的に分散をさせること)もできていない。だから、トラブルが雪だるま式に増えていくのだ・・・そして、事態をさらに悪化させているのが「安いニッポン」だ。多くの外国人にとって、日本は自国と比べものにならないほど安いカネで遊べる。これが「ハメを外す」ことを助長させるのだ」、その通りだ。
・『外国人にハメを外させた「安い日本」の自業自得 それを誰よりもよくわかっているのが、実は我々日本人だ。 かつて日本が経済大国だった時代、多くの日本人観光客が、自国と比べものにならないほど安いカネで遊べる東南アジアに旅行をして、ハメが外しまくった。経済が衰退して「ハメを外される側」になっただけの話だ。 いずれにせよ、今の外国人観光客の迷惑トラブルが増えているのは、「自業自得」の側面もある。 自分たちで勝手に「我々は世界一のサービス精神があります」とハードルを上げたせいで、それを間に受けてハメを外したい外国人たちが、大挙して押し寄せているのだ。 この状況を変えたいのなら、まずは「おもてなしは日本文化」などという嘘を引っ込めるべきだろう。外国人観光客が異国でハメを外したいのなら、それに見合うだけのサービスを提供してカネをきっちり請求する。そこでルールを破ったり、住民や地域に迷惑をかけるような行為をした外国人は、法律に基づいて厳しく処罰もしていく。 本当に観光立国を目指すのならば、我々日本人は「おもてなし精神」とやらを誇りに思っていないことを明確にすべきだ。サービス精神などではなく、あくまでビジネスとして外国人観光客をもてなしているということを、この際、世界にしっかりと示すべきではないか』、「今の外国人観光客の迷惑トラブルが増えているのは、「自業自得」の側面もある。 自分たちで勝手に「我々は世界一のサービス精神があります」とハードルを上げたせいで、それを間に受けてハメを外したい外国人たちが、大挙して押し寄せているのだ。 この状況を変えたいのなら、まずは「おもてなしは日本文化」などという嘘を引っ込めるべきだろう。外国人観光客が異国でハメを外したいのなら、それに見合うだけのサービスを提供してカネをきっちり請求する。そこでルールを破ったり、住民や地域に迷惑をかけるような行為をした外国人は、法律に基づいて厳しく処罰もしていく。 本当に観光立国を目指すのならば、我々日本人は「おもてなし精神」とやらを誇りに思っていないことを明確にすべきだ。サービス精神などではなく、あくまでビジネスとして外国人観光客をもてなしているということを、この際、世界にしっかりと示すべきではないか」、その通りだ。
次に、8月26日付けデイリー新潮が掲載した九州大学アジア・オセアニア研究教育機構准教授の田中敏徳氏による「「このままでは日本は“パンク”する」後手に回る対策…「オーバーツーリズム」をどうすれば解決できるのか」を紹介しよう。興味深そうだ。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/08260557/?all=1
・『これはもはや全国民共通の“悩み”と言っても差し支えあるまい。混み過ぎで、おちおち旅行も楽しめやしない……。観光立国を目指す日本が直面しているオーバーツーリズム問題。“混雑疲れ”を実感する夏休みだからこそ、専門家による解決案に耳を傾けてみよう。 【写真を見る】「さすがにマナー悪過ぎ…」 “塀の上”に登って電車を撮影する外国人 観光客も 「2030年に(年間)訪日客6000万人を目指す」 今年4月、政府は改めてこうした方針を打ち出しました。訪日外国人観光客の数が増え、日本の素晴らしさが多くの人に伝わり、そして日本経済が潤うことは、観光に関する研究を続けてきた私としても大いに歓迎するところです。 しかし一方で、こうも感じました。 「政府はどれだけ“本気”なのだろうか」 こう話すのは、九州大学アジア・オセアニア研究教育機構准教授の田中俊徳氏だ。 環境政策・ガバナンス論を専門とする田中氏は、ユネスコ本部世界遺産センターなどで研究し、観光のあり方についての論考を重ねてきた。 6月に著書『オーバーツーリズム解決論』を上梓した田中氏が続ける』、興味深そうだ。
・『日本が“パンク”する なぜ、「6000万人目標」の本気度が気になったのか。それは、もし今のような状況のまま訪日客が増え続けたら、日本が“パンク”してしまうのは目に見えているからです。 オーバーツーリズム。 この問題が解決しない限り、6000万人どころか、3477万人(今年の訪日客の予測値)ですら多すぎると、眉をひそめる人もいるのではないでしょうか。実際、外国人を含む大量の観光客による大混雑に巻き込まれ、不快な思いをした経験がある人は少なくないはずです。 にもかかわらず、入域者数の上限設定や入域料の徴収などを行ってきた諸外国に比べ、日本のオーバーツーリズム対策は後手に回っていると言わざるを得ません』、「外国人を含む大量の観光客による大混雑に巻き込まれ、不快な思いをした経験がある人は少なくないはずです。 にもかかわらず、入域者数の上限設定や入域料の徴収などを行ってきた諸外国に比べ、日本のオーバーツーリズム対策は後手に回っていると言わざるを得ません」、なるほど。
・『観光の「質」を置き去りに その原因としてはさまざまなことが考えられますが、何よりもまず「数ありき」であった点が挙げられます。観光の「質」を置き去りにし、とにかく訪日客の数を増やそうとしてきた結果、今のオーバーツーリズムに至った面は否定できないように感じます。 数ありきの姿勢だったのは国に限りません。自治体も同様です。例えばハワイをライバル視してきた沖縄県は、年間観光客数1000万人を目標に掲げ、現に2017年には、ハワイ州の観光客数938万人に対して沖縄県は939万人と、ハワイを追い抜き、その翌々年には1000万人を突破しました。 しかし、観光客の平均消費額はハワイの3分の1、滞在日数は2分の1にとどまっています。その上、マナーの悪い観光客によってサンゴ礁が踏み荒らされたり、便乗的に観光業に乗り出してきた悪質な事業者がガイドを行ったりと、環境破壊やトラブルが後を絶たず、観光の「質」の面ではハワイに及びません。 つまり日本の観光は、数を求める「開発途上国型」であり、環境を保全しつつ高付加価値を生み出していく「先進国型」にモデルチェンジすることができていないのです』、「2017年には、ハワイ州の観光客数938万人に対して沖縄県は939万人と、ハワイを追い抜き、その翌々年には1000万人を突破しました。 しかし、観光客の平均消費額はハワイの3分の1、滞在日数は2分の1にとどまっています。その上、マナーの悪い観光客によってサンゴ礁が踏み荒らされたり、便乗的に観光業に乗り出してきた悪質な事業者がガイドを行ったりと、環境破壊やトラブルが後を絶たず、観光の「質」の面ではハワイに及びません・・・日本の観光は、数を求める「開発途上国型」であり、環境を保全しつつ高付加価値を生み出していく「先進国型」にモデルチェンジすることができていないのです」、「日本の観光は、数を求める「開発途上国型」、言い得て妙だ。
・『先進国型の観光とは ハワイでは、2018年に「日焼け止め法」を制定し、21年から、環境を破壊する特定の成分が入った日焼け止めの販売・流通を禁止しています。また、コロナ禍によって観光客がいなくなったことで、海の水質改善や野生動物の増加といった自然にとっての好環境が生まれました。 規制を設け、観光客に“不便さ”を強いる。一見、観光客を排除する措置に映るかもしれません。しかし、ハワイの海の美しさを守ることによって、結果的に高い付加価値が生み出されます。同時に、環境保全に対する意識などのリテラシーが低い観光客は自ずと足が遠のき、魅力的で過ごしやすい観光地としてさらに付加価値が高まる。自然と観光客の滞在日数は増え、お金もたくさん落としてくれる――この好循環を生み出していくことが、まさに先進国型の観光です』、「ハワイの海の美しさを守ることによって、結果的に高い付加価値が生み出されます。同時に、環境保全に対する意識などのリテラシーが低い観光客は自ずと足が遠のき、魅力的で過ごしやすい観光地としてさらに付加価値が高まる。自然と観光客の滞在日数は増え、お金もたくさん落としてくれる――この好循環を生み出していくことが、まさに先進国型の観光です」、その通りだ。
・『安易に行われてきた対策 反対に、観光客をとにかく受け入れるだけ受け入れ、そのために地域住民が迷惑し、自然は破壊され、観光地としての価値が損なわれて観光客が寄り付かなくなる。この「負のスパイラル」を招いてしまうのが開発途上国型の観光です。 今は円安の影響もあって日本への観光は世界でも人気の的になっていますが、先進国型に転換しなければ、いつ「ニッポンに行っても満足度は低い」と飽きられ、見捨てられてしまうか分かりません。従って、観光立国を目指すのであれば、「数」から「質」への転換を図るオーバーツーリズム対策が必要不可欠だと私は考えます。 では、どうすれば質を上げることができるのでしょうか。 オーバーツーリズム対策の基本は、効果が高い順に(1)規制的手法(立ち入り許可などの制限)、(2)経済的手法(課金)、(3)情報的手法(マナー改善の啓発ポスターを掲示するなどの情報戦略)です。 これら三つの対策を組み合わせることによって、質を高めていくわけですが、日本の行政の対策はこれまで(3)がメインでした。(1)や(2)は観光業者など利害関係者との調整が難しい。そのため、効果は薄いものの、とりあえず簡単にできる(3)の対策が取られてきました。その背景には、2~3年もすれば担当の行政官は異動になるため、とりあえずその場しのぎともいえる(3)の対策が、安易に行われてきたという事情もあります』、「オーバーツーリズム対策の基本は、効果が高い順に(1)規制的手法(立ち入り許可などの制限)、(2)経済的手法(課金)、(3)情報的手法(マナー改善の啓発ポスターを掲示するなどの情報戦略)です。 これら三つの対策を組み合わせることによって、質を高めていくわけですが、日本の行政の対策はこれまで(3)がメインでした」、なるほど。
・『「自粛」は通用しない しかし、拘束力のない自主的ルールや協力金は、コロナ禍での「自粛」がそうであったように、日本人以外には通用しません。強制力を伴った(1)(2)の対策を取らなければ、決してオーバーツーリズムは解決しないのです。 例えば(1)に関して見てみると、富士山と同じクラスの高さの、台湾の玉山(大日本帝国時代は新高山、3952メートル)は、1日あたりの登山者数を200人と厳しく規制しています。 富士山の山梨県側の吉田ルートでも、今年の7月からようやく入山規制が開始されました。そのこと自体は評価できるものの、1日の上限は4000人。玉山とは桁が違う上に、規制が設けられたのは吉田ルートだけで、静岡県側からの登山には現状、人数規制がありません。 また(2)については、パラオでは外国人観光客に限って100ドルの入国税を徴収しています。さらに外国人観光客には、“パラオという美しい島を保全することを誓う”といったことなどが書かれた「パラオ誓約」にもサインをさせています』、「観光客をとにかく受け入れるだけ受け入れ、そのために地域住民が迷惑し、自然は破壊され、観光地としての価値が損なわれて観光客が寄り付かなくなる。この「負のスパイラル」を招いてしまうのが開発途上国型の観光です。 今は円安の影響もあって日本への観光は世界でも人気の的になっていますが、先進国型に転換しなければ、いつ「ニッポンに行っても満足度は低い」と飽きられ、見捨てられてしまうか分かりません。従って、観光立国を目指すのであれば、「数」から「質」への転換を図るオーバーツーリズム対策が必要不可欠だと私は考えます・・・オーバーツーリズム対策の基本は、効果が高い順に(1)規制的手法(立ち入り許可などの制限)、(2)経済的手法(課金)、(3)情報的手法(マナー改善の啓発ポスターを掲示するなどの情報戦略)です。 これら三つの対策を組み合わせることによって、質を高めていくわけですが、日本の行政の対策はこれまで(3)がメインでした。(1)や(2)は観光業者など利害関係者との調整が難しい。そのため、効果は薄いものの、とりあえず簡単にできる(3)の対策が取られてきました」、なるほど。
・『拝観料を7倍に このように「ハードル」を上げることで、インスタ映えだけを目的にするようなリテラシーの低い観光客を排除する効果が期待できます。同時に、パラオ政府の観光に対する「強い思い」を発信することにもつながっているのです。 台湾にパラオ、さらには先に紹介したハワイの対策を、日本でできない理由はありません。事実、日本でも成功例はあります。 1977年に、今で言うオーバーツーリズムに悩まされていた京都の西芳寺、通称、苔(こけ)寺は、多い日には1日9000人も殺到していた参拝客の数を最大で200人までに制限し、また400円に過ぎなかった拝観料を一気に3000円の参拝冥加(みょうが)料とする値上げを行いました。それだけではなく、往復はがきでしか予約できず、来たら必ず写経をしなければならないといったハードル(不便さ)を設けたのです(現在は、オンラインでも予約可能)。 その結果、良質な参拝客だけが訪れるようになり、1994年にはユネスコの世界文化遺産に登録され、スティーブ・ジョブズに愛されたように、外国人観光客にも広く親しまれるようになりました。 この苔寺の対策は、今後のオーバーツーリズム対策を考える上で、大きな参考になるでしょう』、「「ハードル」を上げることで、インスタ映えだけを目的にするようなリテラシーの低い観光客を排除する効果が期待できます。同時に、パラオ政府の観光に対する「強い思い」を発信することにもつながっているのです。 台湾にパラオ、さらには先に紹介したハワイの対策を、日本でできない理由はありません。事実、日本でも成功例はあります。 1977年に、今で言うオーバーツーリズムに悩まされていた京都の西芳寺、通称、苔(こけ)寺は、多い日には1日9000人も殺到していた参拝客の数を最大で200人までに制限し、また400円に過ぎなかった拝観料を一気に3000円の参拝冥加(みょうが)料とする値上げを行いました。それだけではなく、往復はがきでしか予約できず、来たら必ず写経をしなければならないといったハードル(不便さ)を設けたのです・・・。 その結果、良質な参拝客だけが訪れるようになり、1994年にはユネスコの世界文化遺産に登録され、スティーブ・ジョブズに愛されたように、外国人観光客にも広く親しまれるようになりました。 この苔寺の対策は、今後のオーバーツーリズム対策を考える上で、大きな参考になるでしょう」、なるほど。
・『「行政」に任せるのは限界 では、なぜ苔寺はこのような大胆な対策を取ることができたのでしょうか。それは苔寺が私有地であり、民間だったためです。つまり、苔寺自らの判断だけで、ハードルを設置することが可能だったのです。 これに対して、自然観光地や都市部の観光スポットには、国、自治体、民間と、あらゆる利害関係者が絡んでくるため、思い切った対策に踏み切るのが容易ではないという現実が存在します。利害関係者間の複雑な調整を、「行政」にこれからも任せるのは限界があるように思います。 ならば、今こそ「政治」の出番ではないでしょうか。総理大臣、環境相、国交相、首長。政治家の強いリーダーシップによって複雑な利害関係を調整し、大胆かつ高いハードルを設け、今後も日本が選ばれ続ける良質な観光をつくり出していく。 これができてこそ、初めて「観光立国」と言えると思うのです。それなしで数を追い求めるだけでは、日本の貴重な自然や文化が切り売りされ、大事な成長産業である観光業が「負のスパイラル」に陥りかねません。 本気で6000万人を目指すのであれば、政府は後手後手ではなく、予防的な対策を加速させるべきでしょう。それは、観光に懸ける日本の本気度を世界に示すことにつながるはずです』、「自然観光地や都市部の観光スポットには、国、自治体、民間と、あらゆる利害関係者が絡んでくるため、思い切った対策に踏み切るのが容易ではないという現実が存在します。利害関係者間の複雑な調整を、「行政」にこれからも任せるのは限界があるように思います。 ならば、今こそ「政治」の出番ではないでしょうか。総理大臣、環境相、国交相、首長。政治家の強いリーダーシップによって複雑な利害関係を調整し、大胆かつ高いハードルを設け、今後も日本が選ばれ続ける良質な観光をつくり出していく。 これができてこそ、初めて「観光立国」と言えると思うのです。それなしで数を追い求めるだけでは、日本の貴重な自然や文化が切り売りされ、大事な成長産業である観光業が「負のスパイラル」に陥りかねません。本気で6000万人を目指すのであれば、政府は後手後手ではなく、予防的な対策を加速させるべきでしょう。それは、観光に懸ける日本の本気度を世界に示すことにつながるはずです」、その通りだ。
先ずは、本年6月13日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「なぜ日本は外国人観光客にナメられるのか?「おもてなしは文化」というウソの自業自得」を紹介しよう。
・『富士山周辺、京都、全国津々浦々……迷惑外国人が増えすぎていないか? 外国人観光客の迷惑トラブルが毎日のように報じられている。 富士山周辺では、ローソン越しの富士山が撮影できるスポットに観光客が殺到して危険だということで、苦肉の策で道路に黒い目隠し幕が設置された。京都では舞妓が「パパラッチ被害」に遭ったほか、八坂神社では参拝した外国人観光客が、鈴を乱暴に振り回して注意した人と口論になったという。 もちろん、こういうトラブルはかつて日本人観光客も欧州やハワイで山ほどやってきた。現地メディアから「バーバリアン」(野蛮人)などと問題視されたこともあるので「お互いさま」という側面もあるのだが、ここまで外国人観光客がハメを外すのは、別の要素もある。 それは「日本人をナメている」ということだ。 外国人観光客はガイドブッグやネット・SNSで、ある程度日本文化の予備知識を入れてくるのだが、その中で「おもてなし」という言葉とともに日本人は「チップをもらうわけでもないのに、とにかくゲストをもてなすのが大好きなサービス精神の塊のような人たち」とかなり盛った説明をしていることも多い。 つまり、外国人観光客がやりたい放題やっているのは、「日本人っておもてなしの精神があって、外国人観光客が好きで好きでたまらないから、ちょっとくらいハメを外しても怒らないでしょ?」とタカをくくっているところもあるのだ。 それがよくわかるのが、6月10日のニューヨークタイムズ「Japan Likes Tourists, Just Not This Many(日本は観光客が好き。これほど多すぎなければ)」という特集記事だ。 https://www.nytimes.com/2024/06/07/world/asia/japan-mount-fuji-kyoto-tourism.html タイトルからして、「日本人=外国人観光客に優しい国」というイメージを読者に与えていることは言うまでもないが、さらに注目すべきは記事中では日本のことを「本来は心からゲストを気遣い“おもてなし”の精神を誇りにしている国」と説明していることだ。 ここまで言われたら、日本旅行を検討している外国人たちは思うだろう。「そっか、日本って国には、外国人ゲストのワガママを最大限許してくれる執事のような人たちがたくさんいるんだな」と。) つまり、今日本全国の観光地で問題になっている「観光公害」というのは、世界に対して「お・も・て・な・し」などと言って、日本のホスピタリティの高さを過度にアピールしてしまったことも原因なのだ。 そう聞くと、「アピールも何も“おもてなし”は日本の文化なのだから、しょうがないだろ」と不愉快になられる方も多いだろうが、実はその認識は間違っている』、「外国人観光客がやりたい放題やっているのは、「日本人っておもてなしの精神があって、外国人観光客が好きで好きでたまらないから、ちょっとくらいハメを外しても怒らないでしょ?」とタカをくくっているところもあるのだ・・・ニューヨークタイムズ・・・特集記事・・・日本のことを「本来は心からゲストを気遣い“おもてなし”の精神を誇りにしている国」と説明していることだ・・・日本旅行を検討している外国人たちは思うだろう。「そっか、日本って国には、外国人ゲストのワガママを最大限許してくれる執事のような人たちがたくさんいるんだな」と。 つまり、今日本全国の観光地で問題になっている「観光公害」というのは、世界に対して「お・も・て・な・し」などと言って、日本のホスピタリティの高さを過度にアピールしてしまったことも原因なのだ」、その通りだ。
・『日本にはもともと「おもてなし」の伝統などなかった 日本は伝統的に「おもてなしの精神」を誇りにしているような国ではない。少なくとも、観光業や接客業で「おもてなし」が唱えられたのはせいぜいこの30年程度の話だ。バブル崩壊以降、いわゆる「失われた30年」に突入して、国内観光業が大きく衰退したとき、起死回生のマーケティングとして打ち出したのが「おもてなし」である。 事実として、これまで日本の歴史の中で「おもてなし精神」などというものが語られたことはない。よく「おもてなしは古くは源氏物語にも掲載されている」なんてことが言われるが、それは単に「自宅に客が来たときにもてなす」ということを意味している。だから、近代になると「おもてなし料理」という言葉が生まれた。 それが「外国人を迎える」というニュアンスで使われるようになったのは戦後の「外交の場」である。と言っても、別に日本人の精神性を示すようなものではなく、単なる外交辞令だ。わかりやすいのは、旧ソ連のゴルバチョフ書記長が来日したときのこんなスピーチだ。 「私の妻と私個人から天皇、皇后両陛下、日本政府、日本国民の温かいおもてなしと歓迎に心からお礼を申し上げます。(中略)やはり温かいおもてなしで有名な自国民を代表して、陛下のご都合のよい時機に私たちの国をご訪問頂くよう天皇、皇后両陛下をご招待申し上げます」(読売新聞1991年4月17日) ゴルバチョフ氏が「ソ連国民のおもてなし」を誇らしげに語っているように、ゲストを気遣ってもてなす文化は世界中のどこにでもある。海外でバックパッカーなどをやった人などはわかるだろうが、欧米社会でも外国人の旅行者を温かくもてなすような文化はある。 筆者も若いときに中東を貧乏旅行したが、色々な国で自宅に招待されて泊めてもらった経験がある。つまり、「おもてなし」というのは日本だけの専売特許ではないし、ましてや日本の観光業や接客業の強みとしてアピールされるようなものではなかったのである。) もちろん、高級ホテルや高級レストランでは「王族をおもてなしするような高品質なサービスを提供します」といった感じで、外交辞令で使われる「おもてなし」を宣伝文句に流用することも、なくはなかった。しかし、今のように「おもてなしは日本の文化」というような盛った話を、世界にふれまわることはなかった。 それが大きく変わるのが、バブル崩壊後だ。 1990年代後半から観光業や自治体などが急に「おもてなしの心」を唱え始めるようになる。わかりやすいのは、1998年4月に静岡県熱海市が『おもてなしマニュアル~芸妓・ホステス編』を2000部作成して、芸者置き屋に配布したことだ。 2000年10月には京都商工会議所が中心になって、77の関連団体と設立した「観光サービス向上対策連絡会議」が、同じく接客のノウハウをまとめた『京のおもてなしハンドブック』を作成した。 この頃になると、「おもてなし」は観光業界のバズワードになる。たとえば、2001年6月、静岡県下田市が観光業者を対象にした接客研修「下田市観光おもてなしプログラム」を実施している。 ここまで言えばもうおわかりだろう。今、日本中の観光地で叫ばれている「おもてなしの心」や、IOC総会での東京オリンピック誘致で、滝川クリステルさんがプレゼンした「お・も・て・な・し」というのも、すべてはバブル崩壊後、1990年代後半に誕生した、かなり新しい概念なのだ』、「日本中の観光地で叫ばれている「おもてなしの心」や、IOC総会での東京オリンピック誘致で、滝川クリステルさんがプレゼンした「お・も・て・な・し」というのも、すべてはバブル崩壊後、1990年代後半に誕生した、かなり新しい概念なのだ」、なるほど。
・『「おもてなし」が唱えられたのはせいぜいバブル崩壊後のこと さて、そこで不思議なのは、なぜこの時機にそれまでは誰も唱えていなかった「おもてなし」が急に叫ばれるようになったのかということだが、実はそれには「国内観光業の低迷」が関係している。 平成24年度の『観光白書』の中に、バブル崩壊後、経済の冷え込みで観光業が厳しい状況に陥ったことが、データで語られているので引用しよう。 《国内宿泊観光旅行1回当たりの国内宿泊観光旅行の平均費用額を見ると、平均費用額が最も高かったのはバブル期であり、20代の1回当たりの旅行の平均費用額は1986年には約4.5万円であったが、バブル崩壊後の1998年には約3.3万円にまで落ち込んだ》) 《若者が国内宿泊観光旅行に行かなくなっている傾向は、国内宿泊観光旅行の平均回数の減少からも見て取れる。全年齢平均では1994年から2010年にかけて1.43回から0.93回に減少しているのに対し、20代は1.86回から0.89回と大幅に減少している。このように若者の国内宿泊観光旅行回数が1990年代半ばから2000年代に急激に減少した背景としては、1990年半ば頃に活発になったスポーツを目的とする旅行、特にスキー旅行が、その後落ち込んだ影響等があると考えられる》 このような背景を知れば、「おもてなし精神」とやらの正体が見えてきたのではないか。バブル崩壊で日本の国内観光は大打撃を受けた。若者がかつてのように泊まり込みでスキーや海水浴などに行かなくなり、海外旅行にも流れてしまっていたからだ。 閑古鳥が鳴くような観光地も出てきた中で、起死回生のマーケティングとして唱えられたのが「おもてなし」だ。観光や接客に関わる人たちが、ホスピタリティが高く、サービス精神があるということをアピールして、離れてしまった日本人観光客を呼び戻そうとしたのである』、「閑古鳥が鳴くような観光地も出てきた中で、起死回生のマーケティングとして唱えられたのが「おもてなし」だ。観光や接客に関わる人たちが、ホスピタリティが高く、サービス精神があるということをアピールして、離れてしまった日本人観光客を呼び戻そうとしたのである」、その通りだ。
・『単なる根性アピールが世界に発信されてしまった悲劇 ちなみに、これは日本社会の「あるある」でもある。苦しくなってくると具体的な問題解決を提示するわけでもなく、「ふわっ」とした精神論を唱えて「スポ根マンガ」のように気合いで乗り切ろうとしがちである。「絆」とか「1億総活躍」などはその典型だ。 つまり、「おもてなし精神」というのはもともと、観光業に携わる日本人が、同じ日本人の観光客へ向けて「我々は死ぬ気でサービスします」と「根性アピール」をしたようなものなのだ。 そんな「おもてなしマーケティング」は観光業者にもてはやされた。「おもてなし精神」というあくまで心の問題なので、特殊技能が必要なわけでもないし設備投資もいらない。単刀直入に言ってしまうと、日本人の「情」に訴えた集客方法なのである。 そういうドメスティックな観光戦略が、東京オリンピック誘致やインバウンド推進もあって世界に発信されてしまったということが、今回の悲劇の始まりだ。) 外国人観光客からすれば、「おもてなし精神」をこんなにアピールするということは、日本はタイなどのような高いホスピタリティの「観光大国」だと思うし、それなりに観光客のワガママも通るはずだと勘違いしてしまう。だから、全国の観光地で好き放題やってしまう。 しかし、現実の日本はまだ「観光大国」にはほど遠い。外国人観光客がここまで増えたのもほんの最近だし、ホスピタリティも高くない。多言語対応も十分ではないし、何よりもオーバーツーリズム対策に必要不可欠な「ゾーニング」(観光客の流れを戦略的に分散をさせること)もできていない。だから、トラブルが雪だるま式に増えていくのだ。 そして、事態をさらに悪化させているのが「安いニッポン」だ。多くの外国人にとって、日本は自国と比べものにならないほど安いカネで遊べる。これが「ハメを外す」ことを助長させるのだ』、「外国人観光客からすれば、「おもてなし精神」をこんなにアピールするということは、日本はタイなどのような高いホスピタリティの「観光大国」だと思うし、それなりに観光客のワガママも通るはずだと勘違いしてしまう。だから、全国の観光地で好き放題やってしまう。 しかし、現実の日本はまだ「観光大国」にはほど遠い。外国人観光客がここまで増えたのもほんの最近だし、ホスピタリティも高くない。多言語対応も十分ではないし、何よりもオーバーツーリズム対策に必要不可欠な「ゾーニング」(観光客の流れを戦略的に分散をさせること)もできていない。だから、トラブルが雪だるま式に増えていくのだ・・・そして、事態をさらに悪化させているのが「安いニッポン」だ。多くの外国人にとって、日本は自国と比べものにならないほど安いカネで遊べる。これが「ハメを外す」ことを助長させるのだ」、その通りだ。
・『外国人にハメを外させた「安い日本」の自業自得 それを誰よりもよくわかっているのが、実は我々日本人だ。 かつて日本が経済大国だった時代、多くの日本人観光客が、自国と比べものにならないほど安いカネで遊べる東南アジアに旅行をして、ハメが外しまくった。経済が衰退して「ハメを外される側」になっただけの話だ。 いずれにせよ、今の外国人観光客の迷惑トラブルが増えているのは、「自業自得」の側面もある。 自分たちで勝手に「我々は世界一のサービス精神があります」とハードルを上げたせいで、それを間に受けてハメを外したい外国人たちが、大挙して押し寄せているのだ。 この状況を変えたいのなら、まずは「おもてなしは日本文化」などという嘘を引っ込めるべきだろう。外国人観光客が異国でハメを外したいのなら、それに見合うだけのサービスを提供してカネをきっちり請求する。そこでルールを破ったり、住民や地域に迷惑をかけるような行為をした外国人は、法律に基づいて厳しく処罰もしていく。 本当に観光立国を目指すのならば、我々日本人は「おもてなし精神」とやらを誇りに思っていないことを明確にすべきだ。サービス精神などではなく、あくまでビジネスとして外国人観光客をもてなしているということを、この際、世界にしっかりと示すべきではないか』、「今の外国人観光客の迷惑トラブルが増えているのは、「自業自得」の側面もある。 自分たちで勝手に「我々は世界一のサービス精神があります」とハードルを上げたせいで、それを間に受けてハメを外したい外国人たちが、大挙して押し寄せているのだ。 この状況を変えたいのなら、まずは「おもてなしは日本文化」などという嘘を引っ込めるべきだろう。外国人観光客が異国でハメを外したいのなら、それに見合うだけのサービスを提供してカネをきっちり請求する。そこでルールを破ったり、住民や地域に迷惑をかけるような行為をした外国人は、法律に基づいて厳しく処罰もしていく。 本当に観光立国を目指すのならば、我々日本人は「おもてなし精神」とやらを誇りに思っていないことを明確にすべきだ。サービス精神などではなく、あくまでビジネスとして外国人観光客をもてなしているということを、この際、世界にしっかりと示すべきではないか」、その通りだ。
次に、8月26日付けデイリー新潮が掲載した九州大学アジア・オセアニア研究教育機構准教授の田中敏徳氏による「「このままでは日本は“パンク”する」後手に回る対策…「オーバーツーリズム」をどうすれば解決できるのか」を紹介しよう。興味深そうだ。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/08260557/?all=1
・『これはもはや全国民共通の“悩み”と言っても差し支えあるまい。混み過ぎで、おちおち旅行も楽しめやしない……。観光立国を目指す日本が直面しているオーバーツーリズム問題。“混雑疲れ”を実感する夏休みだからこそ、専門家による解決案に耳を傾けてみよう。 【写真を見る】「さすがにマナー悪過ぎ…」 “塀の上”に登って電車を撮影する外国人 観光客も 「2030年に(年間)訪日客6000万人を目指す」 今年4月、政府は改めてこうした方針を打ち出しました。訪日外国人観光客の数が増え、日本の素晴らしさが多くの人に伝わり、そして日本経済が潤うことは、観光に関する研究を続けてきた私としても大いに歓迎するところです。 しかし一方で、こうも感じました。 「政府はどれだけ“本気”なのだろうか」 こう話すのは、九州大学アジア・オセアニア研究教育機構准教授の田中俊徳氏だ。 環境政策・ガバナンス論を専門とする田中氏は、ユネスコ本部世界遺産センターなどで研究し、観光のあり方についての論考を重ねてきた。 6月に著書『オーバーツーリズム解決論』を上梓した田中氏が続ける』、興味深そうだ。
・『日本が“パンク”する なぜ、「6000万人目標」の本気度が気になったのか。それは、もし今のような状況のまま訪日客が増え続けたら、日本が“パンク”してしまうのは目に見えているからです。 オーバーツーリズム。 この問題が解決しない限り、6000万人どころか、3477万人(今年の訪日客の予測値)ですら多すぎると、眉をひそめる人もいるのではないでしょうか。実際、外国人を含む大量の観光客による大混雑に巻き込まれ、不快な思いをした経験がある人は少なくないはずです。 にもかかわらず、入域者数の上限設定や入域料の徴収などを行ってきた諸外国に比べ、日本のオーバーツーリズム対策は後手に回っていると言わざるを得ません』、「外国人を含む大量の観光客による大混雑に巻き込まれ、不快な思いをした経験がある人は少なくないはずです。 にもかかわらず、入域者数の上限設定や入域料の徴収などを行ってきた諸外国に比べ、日本のオーバーツーリズム対策は後手に回っていると言わざるを得ません」、なるほど。
・『観光の「質」を置き去りに その原因としてはさまざまなことが考えられますが、何よりもまず「数ありき」であった点が挙げられます。観光の「質」を置き去りにし、とにかく訪日客の数を増やそうとしてきた結果、今のオーバーツーリズムに至った面は否定できないように感じます。 数ありきの姿勢だったのは国に限りません。自治体も同様です。例えばハワイをライバル視してきた沖縄県は、年間観光客数1000万人を目標に掲げ、現に2017年には、ハワイ州の観光客数938万人に対して沖縄県は939万人と、ハワイを追い抜き、その翌々年には1000万人を突破しました。 しかし、観光客の平均消費額はハワイの3分の1、滞在日数は2分の1にとどまっています。その上、マナーの悪い観光客によってサンゴ礁が踏み荒らされたり、便乗的に観光業に乗り出してきた悪質な事業者がガイドを行ったりと、環境破壊やトラブルが後を絶たず、観光の「質」の面ではハワイに及びません。 つまり日本の観光は、数を求める「開発途上国型」であり、環境を保全しつつ高付加価値を生み出していく「先進国型」にモデルチェンジすることができていないのです』、「2017年には、ハワイ州の観光客数938万人に対して沖縄県は939万人と、ハワイを追い抜き、その翌々年には1000万人を突破しました。 しかし、観光客の平均消費額はハワイの3分の1、滞在日数は2分の1にとどまっています。その上、マナーの悪い観光客によってサンゴ礁が踏み荒らされたり、便乗的に観光業に乗り出してきた悪質な事業者がガイドを行ったりと、環境破壊やトラブルが後を絶たず、観光の「質」の面ではハワイに及びません・・・日本の観光は、数を求める「開発途上国型」であり、環境を保全しつつ高付加価値を生み出していく「先進国型」にモデルチェンジすることができていないのです」、「日本の観光は、数を求める「開発途上国型」、言い得て妙だ。
・『先進国型の観光とは ハワイでは、2018年に「日焼け止め法」を制定し、21年から、環境を破壊する特定の成分が入った日焼け止めの販売・流通を禁止しています。また、コロナ禍によって観光客がいなくなったことで、海の水質改善や野生動物の増加といった自然にとっての好環境が生まれました。 規制を設け、観光客に“不便さ”を強いる。一見、観光客を排除する措置に映るかもしれません。しかし、ハワイの海の美しさを守ることによって、結果的に高い付加価値が生み出されます。同時に、環境保全に対する意識などのリテラシーが低い観光客は自ずと足が遠のき、魅力的で過ごしやすい観光地としてさらに付加価値が高まる。自然と観光客の滞在日数は増え、お金もたくさん落としてくれる――この好循環を生み出していくことが、まさに先進国型の観光です』、「ハワイの海の美しさを守ることによって、結果的に高い付加価値が生み出されます。同時に、環境保全に対する意識などのリテラシーが低い観光客は自ずと足が遠のき、魅力的で過ごしやすい観光地としてさらに付加価値が高まる。自然と観光客の滞在日数は増え、お金もたくさん落としてくれる――この好循環を生み出していくことが、まさに先進国型の観光です」、その通りだ。
・『安易に行われてきた対策 反対に、観光客をとにかく受け入れるだけ受け入れ、そのために地域住民が迷惑し、自然は破壊され、観光地としての価値が損なわれて観光客が寄り付かなくなる。この「負のスパイラル」を招いてしまうのが開発途上国型の観光です。 今は円安の影響もあって日本への観光は世界でも人気の的になっていますが、先進国型に転換しなければ、いつ「ニッポンに行っても満足度は低い」と飽きられ、見捨てられてしまうか分かりません。従って、観光立国を目指すのであれば、「数」から「質」への転換を図るオーバーツーリズム対策が必要不可欠だと私は考えます。 では、どうすれば質を上げることができるのでしょうか。 オーバーツーリズム対策の基本は、効果が高い順に(1)規制的手法(立ち入り許可などの制限)、(2)経済的手法(課金)、(3)情報的手法(マナー改善の啓発ポスターを掲示するなどの情報戦略)です。 これら三つの対策を組み合わせることによって、質を高めていくわけですが、日本の行政の対策はこれまで(3)がメインでした。(1)や(2)は観光業者など利害関係者との調整が難しい。そのため、効果は薄いものの、とりあえず簡単にできる(3)の対策が取られてきました。その背景には、2~3年もすれば担当の行政官は異動になるため、とりあえずその場しのぎともいえる(3)の対策が、安易に行われてきたという事情もあります』、「オーバーツーリズム対策の基本は、効果が高い順に(1)規制的手法(立ち入り許可などの制限)、(2)経済的手法(課金)、(3)情報的手法(マナー改善の啓発ポスターを掲示するなどの情報戦略)です。 これら三つの対策を組み合わせることによって、質を高めていくわけですが、日本の行政の対策はこれまで(3)がメインでした」、なるほど。
・『「自粛」は通用しない しかし、拘束力のない自主的ルールや協力金は、コロナ禍での「自粛」がそうであったように、日本人以外には通用しません。強制力を伴った(1)(2)の対策を取らなければ、決してオーバーツーリズムは解決しないのです。 例えば(1)に関して見てみると、富士山と同じクラスの高さの、台湾の玉山(大日本帝国時代は新高山、3952メートル)は、1日あたりの登山者数を200人と厳しく規制しています。 富士山の山梨県側の吉田ルートでも、今年の7月からようやく入山規制が開始されました。そのこと自体は評価できるものの、1日の上限は4000人。玉山とは桁が違う上に、規制が設けられたのは吉田ルートだけで、静岡県側からの登山には現状、人数規制がありません。 また(2)については、パラオでは外国人観光客に限って100ドルの入国税を徴収しています。さらに外国人観光客には、“パラオという美しい島を保全することを誓う”といったことなどが書かれた「パラオ誓約」にもサインをさせています』、「観光客をとにかく受け入れるだけ受け入れ、そのために地域住民が迷惑し、自然は破壊され、観光地としての価値が損なわれて観光客が寄り付かなくなる。この「負のスパイラル」を招いてしまうのが開発途上国型の観光です。 今は円安の影響もあって日本への観光は世界でも人気の的になっていますが、先進国型に転換しなければ、いつ「ニッポンに行っても満足度は低い」と飽きられ、見捨てられてしまうか分かりません。従って、観光立国を目指すのであれば、「数」から「質」への転換を図るオーバーツーリズム対策が必要不可欠だと私は考えます・・・オーバーツーリズム対策の基本は、効果が高い順に(1)規制的手法(立ち入り許可などの制限)、(2)経済的手法(課金)、(3)情報的手法(マナー改善の啓発ポスターを掲示するなどの情報戦略)です。 これら三つの対策を組み合わせることによって、質を高めていくわけですが、日本の行政の対策はこれまで(3)がメインでした。(1)や(2)は観光業者など利害関係者との調整が難しい。そのため、効果は薄いものの、とりあえず簡単にできる(3)の対策が取られてきました」、なるほど。
・『拝観料を7倍に このように「ハードル」を上げることで、インスタ映えだけを目的にするようなリテラシーの低い観光客を排除する効果が期待できます。同時に、パラオ政府の観光に対する「強い思い」を発信することにもつながっているのです。 台湾にパラオ、さらには先に紹介したハワイの対策を、日本でできない理由はありません。事実、日本でも成功例はあります。 1977年に、今で言うオーバーツーリズムに悩まされていた京都の西芳寺、通称、苔(こけ)寺は、多い日には1日9000人も殺到していた参拝客の数を最大で200人までに制限し、また400円に過ぎなかった拝観料を一気に3000円の参拝冥加(みょうが)料とする値上げを行いました。それだけではなく、往復はがきでしか予約できず、来たら必ず写経をしなければならないといったハードル(不便さ)を設けたのです(現在は、オンラインでも予約可能)。 その結果、良質な参拝客だけが訪れるようになり、1994年にはユネスコの世界文化遺産に登録され、スティーブ・ジョブズに愛されたように、外国人観光客にも広く親しまれるようになりました。 この苔寺の対策は、今後のオーバーツーリズム対策を考える上で、大きな参考になるでしょう』、「「ハードル」を上げることで、インスタ映えだけを目的にするようなリテラシーの低い観光客を排除する効果が期待できます。同時に、パラオ政府の観光に対する「強い思い」を発信することにもつながっているのです。 台湾にパラオ、さらには先に紹介したハワイの対策を、日本でできない理由はありません。事実、日本でも成功例はあります。 1977年に、今で言うオーバーツーリズムに悩まされていた京都の西芳寺、通称、苔(こけ)寺は、多い日には1日9000人も殺到していた参拝客の数を最大で200人までに制限し、また400円に過ぎなかった拝観料を一気に3000円の参拝冥加(みょうが)料とする値上げを行いました。それだけではなく、往復はがきでしか予約できず、来たら必ず写経をしなければならないといったハードル(不便さ)を設けたのです・・・。 その結果、良質な参拝客だけが訪れるようになり、1994年にはユネスコの世界文化遺産に登録され、スティーブ・ジョブズに愛されたように、外国人観光客にも広く親しまれるようになりました。 この苔寺の対策は、今後のオーバーツーリズム対策を考える上で、大きな参考になるでしょう」、なるほど。
・『「行政」に任せるのは限界 では、なぜ苔寺はこのような大胆な対策を取ることができたのでしょうか。それは苔寺が私有地であり、民間だったためです。つまり、苔寺自らの判断だけで、ハードルを設置することが可能だったのです。 これに対して、自然観光地や都市部の観光スポットには、国、自治体、民間と、あらゆる利害関係者が絡んでくるため、思い切った対策に踏み切るのが容易ではないという現実が存在します。利害関係者間の複雑な調整を、「行政」にこれからも任せるのは限界があるように思います。 ならば、今こそ「政治」の出番ではないでしょうか。総理大臣、環境相、国交相、首長。政治家の強いリーダーシップによって複雑な利害関係を調整し、大胆かつ高いハードルを設け、今後も日本が選ばれ続ける良質な観光をつくり出していく。 これができてこそ、初めて「観光立国」と言えると思うのです。それなしで数を追い求めるだけでは、日本の貴重な自然や文化が切り売りされ、大事な成長産業である観光業が「負のスパイラル」に陥りかねません。 本気で6000万人を目指すのであれば、政府は後手後手ではなく、予防的な対策を加速させるべきでしょう。それは、観光に懸ける日本の本気度を世界に示すことにつながるはずです』、「自然観光地や都市部の観光スポットには、国、自治体、民間と、あらゆる利害関係者が絡んでくるため、思い切った対策に踏み切るのが容易ではないという現実が存在します。利害関係者間の複雑な調整を、「行政」にこれからも任せるのは限界があるように思います。 ならば、今こそ「政治」の出番ではないでしょうか。総理大臣、環境相、国交相、首長。政治家の強いリーダーシップによって複雑な利害関係を調整し、大胆かつ高いハードルを設け、今後も日本が選ばれ続ける良質な観光をつくり出していく。 これができてこそ、初めて「観光立国」と言えると思うのです。それなしで数を追い求めるだけでは、日本の貴重な自然や文化が切り売りされ、大事な成長産業である観光業が「負のスパイラル」に陥りかねません。本気で6000万人を目指すのであれば、政府は後手後手ではなく、予防的な対策を加速させるべきでしょう。それは、観光に懸ける日本の本気度を世界に示すことにつながるはずです」、その通りだ。
タグ:インバウンド動向 (その16)(なぜ日本は外国人観光客にナメられるのか?「おもてなしは文化」というウソの自業自得、「このままでは日本は“パンク”する」後手に回る対策…「オーバーツーリズム」をどうすれば解決できるのか) ダイヤモンド・オンライン 窪田順生氏による「なぜ日本は外国人観光客にナメられるのか?「おもてなしは文化」というウソの自業自得」 「外国人観光客がやりたい放題やっているのは、「日本人っておもてなしの精神があって、外国人観光客が好きで好きでたまらないから、ちょっとくらいハメを外しても怒らないでしょ?」とタカをくくっているところもあるのだ・・・ニューヨークタイムズ・・・特集記事・・・日本のことを「本来は心からゲストを気遣い“おもてなし”の精神を誇りにしている国」と説明していることだ・・・ 日本旅行を検討している外国人たちは思うだろう。「そっか、日本って国には、外国人ゲストのワガママを最大限許してくれる執事のような人たちがたくさんいるんだな」と。 つまり、今日本全国の観光地で問題になっている「観光公害」というのは、世界に対して「お・も・て・な・し」などと言って、日本のホスピタリティの高さを過度にアピールしてしまったことも原因なのだ」、その通りだ。 「日本中の観光地で叫ばれている「おもてなしの心」や、IOC総会での東京オリンピック誘致で、滝川クリステルさんがプレゼンした「お・も・て・な・し」というのも、すべてはバブル崩壊後、1990年代後半に誕生した、かなり新しい概念なのだ」、なるほど。 「閑古鳥が鳴くような観光地も出てきた中で、起死回生のマーケティングとして唱えられたのが「おもてなし」だ。観光や接客に関わる人たちが、ホスピタリティが高く、サービス精神があるということをアピールして、離れてしまった日本人観光客を呼び戻そうとしたのである」、その通りだ。 「外国人観光客からすれば、「おもてなし精神」をこんなにアピールするということは、日本はタイなどのような高いホスピタリティの「観光大国」だと思うし、それなりに観光客のワガママも通るはずだと勘違いしてしまう。だから、全国の観光地で好き放題やってしまう。 しかし、現実の日本はまだ「観光大国」にはほど遠い。外国人観光客がここまで増えたのもほんの最近だし、ホスピタリティも高くない。 多言語対応も十分ではないし、何よりもオーバーツーリズム対策に必要不可欠な「ゾーニング」(観光客の流れを戦略的に分散をさせること)もできていない。だから、トラブルが雪だるま式に増えていくのだ・・・そして、事態をさらに悪化させているのが「安いニッポン」だ。多くの外国人にとって、日本は自国と比べものにならないほど安いカネで遊べる。これが「ハメを外す」ことを助長させるのだ」、その通りだ。 「今の外国人観光客の迷惑トラブルが増えているのは、「自業自得」の側面もある。 自分たちで勝手に「我々は世界一のサービス精神があります」とハードルを上げたせいで、それを間に受けてハメを外したい外国人たちが、大挙して押し寄せているのだ。 この状況を変えたいのなら、まずは「おもてなしは日本文化」などという嘘を引っ込めるべきだろう。外国人観光客が異国でハメを外したいのなら、それに見合うだけのサービスを提供してカネをきっちり請求する。 そこでルールを破ったり、住民や地域に迷惑をかけるような行為をした外国人は、法律に基づいて厳しく処罰もしていく。 本当に観光立国を目指すのならば、我々日本人は「おもてなし精神」とやらを誇りに思っていないことを明確にすべきだ。サービス精神などではなく、あくまでビジネスとして外国人観光客をもてなしているということを、この際、世界にしっかりと示すべきではないか」、その通りだ。 デイリー新潮 田中敏徳氏による「「このままでは日本は“パンク”する」後手に回る対策…「オーバーツーリズム」をどうすれば解決できるのか」 『オーバーツーリズム解決論』 「外国人を含む大量の観光客による大混雑に巻き込まれ、不快な思いをした経験がある人は少なくないはずです。 にもかかわらず、入域者数の上限設定や入域料の徴収などを行ってきた諸外国に比べ、日本のオーバーツーリズム対策は後手に回っていると言わざるを得ません」、なるほど。 「2017年には、ハワイ州の観光客数938万人に対して沖縄県は939万人と、ハワイを追い抜き、その翌々年には1000万人を突破しました。 しかし、観光客の平均消費額はハワイの3分の1、滞在日数は2分の1にとどまっています。その上、マナーの悪い観光客によってサンゴ礁が踏み荒らされたり、便乗的に観光業に乗り出してきた悪質な事業者がガイドを行ったりと、環境破壊やトラブルが後を絶たず、観光の「質」の面ではハワイに及びません・・・ 日本の観光は、数を求める「開発途上国型」であり、環境を保全しつつ高付加価値を生み出していく「先進国型」にモデルチェンジすることができていないのです」、「日本の観光は、数を求める「開発途上国型」、言い得て妙だ。 「ハワイの海の美しさを守ることによって、結果的に高い付加価値が生み出されます。同時に、環境保全に対する意識などのリテラシーが低い観光客は自ずと足が遠のき、魅力的で過ごしやすい観光地としてさらに付加価値が高まる。自然と観光客の滞在日数は増え、お金もたくさん落としてくれる――この好循環を生み出していくことが、まさに先進国型の観光です」、その通りだ。 「観光客をとにかく受け入れるだけ受け入れ、そのために地域住民が迷惑し、自然は破壊され、観光地としての価値が損なわれて観光客が寄り付かなくなる。この「負のスパイラル」を招いてしまうのが開発途上国型の観光です。 今は円安の影響もあって日本への観光は世界でも人気の的になっていますが、先進国型に転換しなければ、いつ「ニッポンに行っても満足度は低い」と飽きられ、見捨てられてしまうか分かりません。従って、観光立国を目指すのであれば、「数」から「質」への転換を図るオーバーツーリズム対策が必要不可欠だと私は考えます・・・ オーバーツーリズム対策の基本は、効果が高い順に(1)規制的手法(立ち入り許可などの制限)、(2)経済的手法(課金)、(3)情報的手法(マナー改善の啓発ポスターを掲示するなどの情報戦略)です。 これら三つの対策を組み合わせることによって、質を高めていくわけですが、日本の行政の対策はこれまで(3)がメインでした。(1)や(2)は観光業者など利害関係者との調整が難しい。そのため、効果は薄いものの、とりあえず簡単にできる(3)の対策が取られてきました」、なるほど。 「「ハードル」を上げることで、インスタ映えだけを目的にするようなリテラシーの低い観光客を排除する効果が期待できます。同時に、パラオ政府の観光に対する「強い思い」を発信することにもつながっているのです。 台湾にパラオ、さらには先に紹介したハワイの対策を、日本でできない理由はありません。事実、日本でも成功例はあります。 事実、日本でも成功例はあります。 1977年に、今で言うオーバーツーリズムに悩まされていた京都の西芳寺、通称、苔(こけ)寺は、多い日には1日9000人も殺到していた参拝客の数を最大で200人までに制限し、また400円に過ぎなかった拝観料を一気に3000円の参拝冥加(みょうが)料とする値上げを行いました。それだけではなく、往復はがきでしか予約できず、来たら必ず写経をしなければならないといったハードル(不便さ)を設けたのです・・・。 その結果、良質な参拝客だけが訪れるようになり、1994年にはユネスコの世界文化遺産に登録され、スティーブ・ジョブズに愛されたように、外国人観光客にも広く親しまれるようになりました。 この苔寺の対策は、今後のオーバーツーリズム対策を考える上で、大きな参考になるでしょう」、なるほど。 「自然観光地や都市部の観光スポットには、国、自治体、民間と、あらゆる利害関係者が絡んでくるため、思い切った対策に踏み切るのが容易ではないという現実が存在します。利害関係者間の複雑な調整を、「行政」にこれからも任せるのは限界があるように思います。 ならば、今こそ「政治」の出番ではないでしょうか。総理大臣、環境相、国交相、首長。政治家の強いリーダーシップによって複雑な利害関係を調整し、大胆かつ高いハードルを設け、今後も日本が選ばれ続ける良質な観光をつくり出していく。 これができてこそ、初めて「観光立国」と言えると思うのです。それなしで数を追い求めるだけでは、日本の貴重な自然や文化が切り売りされ、大事な成長産業である観光業が「負のスパイラル」に陥りかねません。本気で6000万人を目指すのであれば、政府は後手後手ではなく、予防的な対策を加速させるべきでしょう。それは、観光に懸ける日本の本気度を世界に示すことにつながるはずです」、その通りだ。
マイナンバー制度(その10)(介護保険証も紙廃止→マイナ一本化へ厚労省方針…業界から案の定あがった「時期尚早」の声、「ダメだよ。保険証廃止は」デジタル庁幹部は断言していた マイナ一本化になぜ転換?協議の記録がない不可解) [経済政策]
マイナンバー制度については、本年7月6日に取上げた。今日は、(その10)(介護保険証も紙廃止→マイナ一本化へ厚労省方針…業界から案の定あがった「時期尚早」の声、「ダメだよ。保険証廃止は」デジタル庁幹部は断言していた マイナ一本化になぜ転換?協議の記録がない不可解)である。
先ずは、本年7月10日付け日刊ゲンダイ「介護保険証も紙廃止→マイナ一本化へ厚労省方針…業界から案の定あがった「時期尚早」の声」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/357392
・『またもや「任意」ではなく事実上の「義務化」になるのか……。 9日の日経新聞の朝刊によると、厚労省が現行の介護保険証を廃止し、マイナンバーカードに一本化する方針を示したという。 厚労省は日刊ゲンダイの取材に対し「廃止するとは明言していない。各方面に配慮して、デジタル化を進めていく」と回答するなど、早急な改革は否定している。 しかし、6月21日に閣議決定された「デジタル社会の実現に向けた重点計画」でも、「介護 保険証等をマイナンバーカードと一体化する」ことで、「医療DX」を進めていくとしているから、政府にとって現行の介護保険証の廃止は既定路線なのだろう。 紙の健康保険証は年内に廃止されマイナカードに一本化されることになっており、国民の声を無視したデジタル化が進められている。これに続き、現行の介護保険証も廃止され、マイナカードに一本化される可能性はゼロではない』、「閣議決定された「デジタル社会の実現に向けた重点計画」でも、「介護 保険証等をマイナンバーカードと一体化する」ことで、「医療DX」を進めていくとしているから、政府にとって現行の介護保険証の廃止は既定路線なのだろう。 紙の健康保険証は年内に廃止されマイナカードに一本化されることになっており、国民の声を無視したデジタル化が進められている。これに続き、現行の介護保険証も廃止され、マイナカードに一本化される可能性はゼロではない」、このような重要な決定が、個々の決定事項ごとではなく、パッケージ化されて一括で決定されるのは、手続き的におかしい。
・『高齢者、現場の負担は大きい 介護保険証が廃止されれば、介護現場では混乱が予測される。一般社団法人「全国介護事業者連盟」の斉藤正行理事長はこう話す。 「まず、マイナカードを取得してもらうのが大変です。介護サービスの利用者には、認知症の方や、身寄りがなく周囲のサポートが受けられない方など、さまざまな人がいます。そうした人たちには、マイナ関係の手続きは負担が大きい。現場のトラブルも予想され、マイナに一本化するのは時期尚早ではないかと」 セキュリティー上の懸念もある。東京都高齢者福祉施設協議会の田中雅英会長はこう言う。 「保険証の保管が大変になるという問題があります。介護施設は利用者の介護保険証を預かるケースが多い。現行の介護保険証でも保管には神経を使いますが、個人情報が詰まったマイナカードと介護保険証では、紛失した際の責任が全く異なります。預ける利用者にとっても、預かる事業者にとっても、心理的な負担は大きくなるでしょう」 国民の命にかかわることだけに、強引に事を進めるのはいただけない。前出の斉藤理事長は言う。)「デジタル化がうまく進めば、現場の負担は削減できます。周知を徹底したうえで、もう少し時間をかけて導入を進めてもらいたい」 岸田政権のやり方では、医療や介護の現場に混乱が広がるばかりだ。・『関連記事【もっと読む】武見厚労相が薬局視察の茶番…マイナ保険証「利用増」報告にご満悦、意義説明には“台本”使用…も必読だ』』、「介護施設は利用者の介護保険証を預かるケースが多い。現行の介護保険証でも保管には神経を使いますが、個人情報が詰まったマイナカードと介護保険証では、紛失した際の責任が全く異なります。預ける利用者にとっても、預かる事業者にとっても、心理的な負担は大きくなるでしょう・・・周知を徹底したうえで、もう少し時間をかけて導入を進めてもらいたい」 岸田政権のやり方では、医療や介護の現場に混乱が広がるばかりだ」、もっと丁寧に説明するなどの努力が必要なようだ。
次に、9月25日付け東京新聞「「ダメだよ。保険証廃止は」デジタル庁幹部は断言していた マイナ一本化になぜ転換?協議の記録がない不可解」を紹介しよう』、興味深そうだ。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/354841
・『<シリーズ「検証マイナ保険証」> いつ、どんな議論を経て、誰が決めたのか。 現行の健康保険証の廃止がどのようにして決まったのか、その経緯が分かる記録を政府は残していなかった。 決定に至るまでの手続きも異例で唐突だった。国民が納得するだけの説明もない。 医療に欠かせない保険証を「人質」に、マイナンバーカードの利用を迫る政府の姿勢が、かえって国民の不信を増幅させている。(マイナ保険証取材班・戎野文菜)』、「現行の健康保険証の廃止がどのようにして決まったのか、その経緯が分かる記録を政府は残していなかった。 決定に至るまでの手続きも異例で唐突だった。国民が納得するだけの説明もない」、「河野太郎デジタル相」も肝心な説明は一切なしだ。
・『「なぜ廃止」「なぜ強制」…相次ぐ疑問 現行保険証の廃止を巡っては、河野太郎デジタル相が2022年10月13日、「24年度秋に現在の保険証の廃止を目指す」と表明。その後、政府は2024年12月廃止と決定した。 東京新聞は、厚生労働省とデジタル庁に、現行保険証の廃止を決めた経緯が分かる文書の開示を求めたが、開示文書からは政府内の決定経緯は判然としなかった。 「現行の保険証で不都合はないのに、なぜ廃止を決めたのか」(静岡市の派遣社員54歳女性) 「任意のものをなぜ強制するのかについての説明が不足している」(広島市の65歳女性) 東京新聞をはじめ18の地方紙が8月に行った合同アンケートでは、現行保険証廃止について政府に説明を求める声が相次いだ。 マイナ保険証の利用率は8月時点で12.43%にとどまる。 廃止表明から2年近くたっても、「マイナ保険証のごり押しに不信感しかない」(川崎市43歳主婦)、「極めて強引であり強権的」(仙台市65歳男性)などと政府への反発が目立つ』、「マイナ保険証の利用率は8月時点で12.43%にとどまる。 廃止表明から2年近くたっても、「マイナ保険証のごり押しに不信感しかない」・・・、「極めて強引であり強権的」・・・などと政府への反発が目立つ」、なるほど。
・『「権力的な目線だよ」 そもそも河野太郎デジタル相が2022年10月に表明するまで、政府は現行保険証を完全に廃止する方針ではなかった。 廃止表明の1年前、デジタル庁幹部に本紙記者が、マイナンバーカード普及のため保険証を使えなくする考えがないのか尋ねると、即座に否定し、こう答えた。 「使えなくなると言えば普及するってのは権力的な目線だよ。ダメだよ。保険証は(なくなれば人が)死ぬんだから」 政府は2022年6月の「骨太の方針」で「24年度中をめどに(マイナ保険証と現行保険証の)選択制の導入を目指す」と閣議決定。期限は設けず、普及状況などを考慮して「原則廃止を目指す」としていた。 たとえ廃止になっても、申請があれば現行保険証を交付する方針だった』、「廃止表明の1年前・・・「使えなくなると言えば普及するってのは権力的な目線だよ。ダメだよ。保険証は(なくなれば人が)死ぬんだから」と廃止に反対していたにも拘らず、1年後には「廃止」に踏み切るとは唐突だ。
・『異例の審議会飛ばし ところが、たった4カ月で保険証は「完全廃止」への切り替わった。 政府は、国民に意見を問うどころか、国の医療政策を審議する社会保障審議会の部会にすら事後報告で済ました。 異例の審議会飛ばしに、部会の委員の1人は「「部会で議論もしていないのに厚労省から決まったと言われ、びっくりした」と振り返る。 マイナ保険証の問題を追及してきた立憲民主党の山井和則衆院議員は、「病気の人や高齢者にとって紙の保険証は命綱なのに正当な手続きも踏まず、政策決定が非常に乱暴だ」と指摘する』、「異例の審議会飛ばしに、部会の委員の1人は「「部会で議論もしていないのに厚労省から決まったと言われ、びっくりした」と振り返る」、唐突な「完全廃止」への「切り替え」の理由は何なのだろう。
・『河野氏が見ていたものは 関係省庁によると、保険証廃止は、水面下の大臣間の協議で決まったという。 ただし、協議の中身や大臣から担当部署に指示した記録はないとする。 公文書管理法の趣旨をないがしろにするような対応にも取れるが、関係省庁は「開示請求で示した通り」と答えるだけだった。 公文書管理法 公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と定義。軽微な場合を除き、行政の意思決定過程や事業実績を検証することができるよう、文書の作成を義務付けている。閣議や閣僚らで構成される会議の決定経緯のほか、法令の制定や改廃、その経緯などが対象となっている。 不可解な点はそれだけではない。 「…こうした報告を総理に申し上げたところで、大きく二つ総理からご指示がありました」 2022年10月13日の廃止表明の会見。河野氏は冒頭、岸田文雄首相への報告内容と首相から受けた指示について、手元の資料を見ながら7分近くかけて説明している。 デジタル庁は、首相への報告や首相からの指示を記録した文書も作成していないという。河野氏が会見で見ていた資料も開示されることはなかった』、「2022年10月13日の廃止表明の会見。河野氏は冒頭、岸田文雄首相への報告内容と首相から受けた指示について、手元の資料を見ながら7分近くかけて説明している。 デジタル庁は、首相への報告や首相からの指示を記録した文書も作成していないという。河野氏が会見で見ていた資料も開示されることはなかった」、「デジタル庁」など官庁の怠慢だ。
・『情報共有は「口頭ベース」? 記録がないのに、関係省庁はどのように首相の指示を把握し、作業できたのだろうか。 実務を担う厚生労働省の担当者は、「情報共有は口頭ベースで行っている」と断言している。 不透明な決定経緯に、総務省出身で官僚経験の長い幸田雅治・神奈川大教授は首をかしげる。 「官僚は大臣の意向を踏まえて仕事をしている。そのための大臣間の協議や大臣からの指示は通常、記録を取って省内で共有している。口頭で伝えるというのは考えにくい」 あわせて読みたい 「保険証廃止」一体誰がどう決めたのか 「記録はない」と判明…首相報告や閣僚間のやりとり 経緯は闇の中へ <シリーズ「検証マイナ保険証」> 現行の健康保険証の廃止には、いまだに不安や疑問の声が聞こえます。東京新聞は「検証マイナ保険証」と題して、マイナ保険証一本化への課題や利用者の声を伝えていきます。 マイナ保険証に関するご意見や情報をお寄せください。メールはtdigital@chunichi.co.jp、郵便は〒100 8505(住所不要)東京新聞デジタル編集部「マイナ保険証取材班」』、「実務を担う厚生労働省の担当者は、「情報共有は口頭ベースで行っている」と断言している。 不透明な決定経緯に、総務省出身で官僚経験の長い幸田雅治・神奈川大教授は首をかしげる。 「官僚は大臣の意向を踏まえて仕事をしている。そのための大臣間の協議や大臣からの指示は通常、記録を取って省内で共有している。口頭で伝えるというのは考えにくい」、確かに、「厚生労働省の担当者は、「情報共有は口頭ベースで行っている」と断言」、というのは余りに不自然だ。「公文書管理法」の趣旨を改めて徹底させるべきだ。
先ずは、本年7月10日付け日刊ゲンダイ「介護保険証も紙廃止→マイナ一本化へ厚労省方針…業界から案の定あがった「時期尚早」の声」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/357392
・『またもや「任意」ではなく事実上の「義務化」になるのか……。 9日の日経新聞の朝刊によると、厚労省が現行の介護保険証を廃止し、マイナンバーカードに一本化する方針を示したという。 厚労省は日刊ゲンダイの取材に対し「廃止するとは明言していない。各方面に配慮して、デジタル化を進めていく」と回答するなど、早急な改革は否定している。 しかし、6月21日に閣議決定された「デジタル社会の実現に向けた重点計画」でも、「介護 保険証等をマイナンバーカードと一体化する」ことで、「医療DX」を進めていくとしているから、政府にとって現行の介護保険証の廃止は既定路線なのだろう。 紙の健康保険証は年内に廃止されマイナカードに一本化されることになっており、国民の声を無視したデジタル化が進められている。これに続き、現行の介護保険証も廃止され、マイナカードに一本化される可能性はゼロではない』、「閣議決定された「デジタル社会の実現に向けた重点計画」でも、「介護 保険証等をマイナンバーカードと一体化する」ことで、「医療DX」を進めていくとしているから、政府にとって現行の介護保険証の廃止は既定路線なのだろう。 紙の健康保険証は年内に廃止されマイナカードに一本化されることになっており、国民の声を無視したデジタル化が進められている。これに続き、現行の介護保険証も廃止され、マイナカードに一本化される可能性はゼロではない」、このような重要な決定が、個々の決定事項ごとではなく、パッケージ化されて一括で決定されるのは、手続き的におかしい。
・『高齢者、現場の負担は大きい 介護保険証が廃止されれば、介護現場では混乱が予測される。一般社団法人「全国介護事業者連盟」の斉藤正行理事長はこう話す。 「まず、マイナカードを取得してもらうのが大変です。介護サービスの利用者には、認知症の方や、身寄りがなく周囲のサポートが受けられない方など、さまざまな人がいます。そうした人たちには、マイナ関係の手続きは負担が大きい。現場のトラブルも予想され、マイナに一本化するのは時期尚早ではないかと」 セキュリティー上の懸念もある。東京都高齢者福祉施設協議会の田中雅英会長はこう言う。 「保険証の保管が大変になるという問題があります。介護施設は利用者の介護保険証を預かるケースが多い。現行の介護保険証でも保管には神経を使いますが、個人情報が詰まったマイナカードと介護保険証では、紛失した際の責任が全く異なります。預ける利用者にとっても、預かる事業者にとっても、心理的な負担は大きくなるでしょう」 国民の命にかかわることだけに、強引に事を進めるのはいただけない。前出の斉藤理事長は言う。)「デジタル化がうまく進めば、現場の負担は削減できます。周知を徹底したうえで、もう少し時間をかけて導入を進めてもらいたい」 岸田政権のやり方では、医療や介護の現場に混乱が広がるばかりだ。・『関連記事【もっと読む】武見厚労相が薬局視察の茶番…マイナ保険証「利用増」報告にご満悦、意義説明には“台本”使用…も必読だ』』、「介護施設は利用者の介護保険証を預かるケースが多い。現行の介護保険証でも保管には神経を使いますが、個人情報が詰まったマイナカードと介護保険証では、紛失した際の責任が全く異なります。預ける利用者にとっても、預かる事業者にとっても、心理的な負担は大きくなるでしょう・・・周知を徹底したうえで、もう少し時間をかけて導入を進めてもらいたい」 岸田政権のやり方では、医療や介護の現場に混乱が広がるばかりだ」、もっと丁寧に説明するなどの努力が必要なようだ。
次に、9月25日付け東京新聞「「ダメだよ。保険証廃止は」デジタル庁幹部は断言していた マイナ一本化になぜ転換?協議の記録がない不可解」を紹介しよう』、興味深そうだ。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/354841
・『<シリーズ「検証マイナ保険証」> いつ、どんな議論を経て、誰が決めたのか。 現行の健康保険証の廃止がどのようにして決まったのか、その経緯が分かる記録を政府は残していなかった。 決定に至るまでの手続きも異例で唐突だった。国民が納得するだけの説明もない。 医療に欠かせない保険証を「人質」に、マイナンバーカードの利用を迫る政府の姿勢が、かえって国民の不信を増幅させている。(マイナ保険証取材班・戎野文菜)』、「現行の健康保険証の廃止がどのようにして決まったのか、その経緯が分かる記録を政府は残していなかった。 決定に至るまでの手続きも異例で唐突だった。国民が納得するだけの説明もない」、「河野太郎デジタル相」も肝心な説明は一切なしだ。
・『「なぜ廃止」「なぜ強制」…相次ぐ疑問 現行保険証の廃止を巡っては、河野太郎デジタル相が2022年10月13日、「24年度秋に現在の保険証の廃止を目指す」と表明。その後、政府は2024年12月廃止と決定した。 東京新聞は、厚生労働省とデジタル庁に、現行保険証の廃止を決めた経緯が分かる文書の開示を求めたが、開示文書からは政府内の決定経緯は判然としなかった。 「現行の保険証で不都合はないのに、なぜ廃止を決めたのか」(静岡市の派遣社員54歳女性) 「任意のものをなぜ強制するのかについての説明が不足している」(広島市の65歳女性) 東京新聞をはじめ18の地方紙が8月に行った合同アンケートでは、現行保険証廃止について政府に説明を求める声が相次いだ。 マイナ保険証の利用率は8月時点で12.43%にとどまる。 廃止表明から2年近くたっても、「マイナ保険証のごり押しに不信感しかない」(川崎市43歳主婦)、「極めて強引であり強権的」(仙台市65歳男性)などと政府への反発が目立つ』、「マイナ保険証の利用率は8月時点で12.43%にとどまる。 廃止表明から2年近くたっても、「マイナ保険証のごり押しに不信感しかない」・・・、「極めて強引であり強権的」・・・などと政府への反発が目立つ」、なるほど。
・『「権力的な目線だよ」 そもそも河野太郎デジタル相が2022年10月に表明するまで、政府は現行保険証を完全に廃止する方針ではなかった。 廃止表明の1年前、デジタル庁幹部に本紙記者が、マイナンバーカード普及のため保険証を使えなくする考えがないのか尋ねると、即座に否定し、こう答えた。 「使えなくなると言えば普及するってのは権力的な目線だよ。ダメだよ。保険証は(なくなれば人が)死ぬんだから」 政府は2022年6月の「骨太の方針」で「24年度中をめどに(マイナ保険証と現行保険証の)選択制の導入を目指す」と閣議決定。期限は設けず、普及状況などを考慮して「原則廃止を目指す」としていた。 たとえ廃止になっても、申請があれば現行保険証を交付する方針だった』、「廃止表明の1年前・・・「使えなくなると言えば普及するってのは権力的な目線だよ。ダメだよ。保険証は(なくなれば人が)死ぬんだから」と廃止に反対していたにも拘らず、1年後には「廃止」に踏み切るとは唐突だ。
・『異例の審議会飛ばし ところが、たった4カ月で保険証は「完全廃止」への切り替わった。 政府は、国民に意見を問うどころか、国の医療政策を審議する社会保障審議会の部会にすら事後報告で済ました。 異例の審議会飛ばしに、部会の委員の1人は「「部会で議論もしていないのに厚労省から決まったと言われ、びっくりした」と振り返る。 マイナ保険証の問題を追及してきた立憲民主党の山井和則衆院議員は、「病気の人や高齢者にとって紙の保険証は命綱なのに正当な手続きも踏まず、政策決定が非常に乱暴だ」と指摘する』、「異例の審議会飛ばしに、部会の委員の1人は「「部会で議論もしていないのに厚労省から決まったと言われ、びっくりした」と振り返る」、唐突な「完全廃止」への「切り替え」の理由は何なのだろう。
・『河野氏が見ていたものは 関係省庁によると、保険証廃止は、水面下の大臣間の協議で決まったという。 ただし、協議の中身や大臣から担当部署に指示した記録はないとする。 公文書管理法の趣旨をないがしろにするような対応にも取れるが、関係省庁は「開示請求で示した通り」と答えるだけだった。 公文書管理法 公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と定義。軽微な場合を除き、行政の意思決定過程や事業実績を検証することができるよう、文書の作成を義務付けている。閣議や閣僚らで構成される会議の決定経緯のほか、法令の制定や改廃、その経緯などが対象となっている。 不可解な点はそれだけではない。 「…こうした報告を総理に申し上げたところで、大きく二つ総理からご指示がありました」 2022年10月13日の廃止表明の会見。河野氏は冒頭、岸田文雄首相への報告内容と首相から受けた指示について、手元の資料を見ながら7分近くかけて説明している。 デジタル庁は、首相への報告や首相からの指示を記録した文書も作成していないという。河野氏が会見で見ていた資料も開示されることはなかった』、「2022年10月13日の廃止表明の会見。河野氏は冒頭、岸田文雄首相への報告内容と首相から受けた指示について、手元の資料を見ながら7分近くかけて説明している。 デジタル庁は、首相への報告や首相からの指示を記録した文書も作成していないという。河野氏が会見で見ていた資料も開示されることはなかった」、「デジタル庁」など官庁の怠慢だ。
・『情報共有は「口頭ベース」? 記録がないのに、関係省庁はどのように首相の指示を把握し、作業できたのだろうか。 実務を担う厚生労働省の担当者は、「情報共有は口頭ベースで行っている」と断言している。 不透明な決定経緯に、総務省出身で官僚経験の長い幸田雅治・神奈川大教授は首をかしげる。 「官僚は大臣の意向を踏まえて仕事をしている。そのための大臣間の協議や大臣からの指示は通常、記録を取って省内で共有している。口頭で伝えるというのは考えにくい」 あわせて読みたい 「保険証廃止」一体誰がどう決めたのか 「記録はない」と判明…首相報告や閣僚間のやりとり 経緯は闇の中へ <シリーズ「検証マイナ保険証」> 現行の健康保険証の廃止には、いまだに不安や疑問の声が聞こえます。東京新聞は「検証マイナ保険証」と題して、マイナ保険証一本化への課題や利用者の声を伝えていきます。 マイナ保険証に関するご意見や情報をお寄せください。メールはtdigital@chunichi.co.jp、郵便は〒100 8505(住所不要)東京新聞デジタル編集部「マイナ保険証取材班」』、「実務を担う厚生労働省の担当者は、「情報共有は口頭ベースで行っている」と断言している。 不透明な決定経緯に、総務省出身で官僚経験の長い幸田雅治・神奈川大教授は首をかしげる。 「官僚は大臣の意向を踏まえて仕事をしている。そのための大臣間の協議や大臣からの指示は通常、記録を取って省内で共有している。口頭で伝えるというのは考えにくい」、確かに、「厚生労働省の担当者は、「情報共有は口頭ベースで行っている」と断言」、というのは余りに不自然だ。「公文書管理法」の趣旨を改めて徹底させるべきだ。
タグ:「閣議決定された「デジタル社会の実現に向けた重点計画」でも、「介護 保険証等をマイナンバーカードと一体化する」ことで、「医療DX」を進めていくとしているから、政府にとって現行の介護保険証の廃止は既定路線なのだろう。 紙の健康保険証は年内に廃止されマイナカードに一本化されることになっており、国民の声を無視したデジタル化が進められている。 日刊ゲンダイ「介護保険証も紙廃止→マイナ一本化へ厚労省方針…業界から案の定あがった「時期尚早」の声」 東京新聞「「ダメだよ。保険証廃止は」デジタル庁幹部は断言していた マイナ一本化になぜ転換?協議の記録がない不可解」 (その10)(介護保険証も紙廃止→マイナ一本化へ厚労省方針…業界から案の定あがった「時期尚早」の声、「ダメだよ。保険証廃止は」デジタル庁幹部は断言していた マイナ一本化になぜ転換?協議の記録がない不可解) 「マイナ保険証の利用率は8月時点で12.43%にとどまる。 廃止表明から2年近くたっても、「マイナ保険証のごり押しに不信感しかない」・・・、「極めて強引であり強権的」・・・などと政府への反発が目立つ」、なるほど。 「現行の健康保険証の廃止がどのようにして決まったのか、その経緯が分かる記録を政府は残していなかった。 決定に至るまでの手続きも異例で唐突だった。国民が納得するだけの説明もない」、「河野太郎デジタル相」も肝心な説明は一切なしだ。 「介護施設は利用者の介護保険証を預かるケースが多い。現行の介護保険証でも保管には神経を使いますが、個人情報が詰まったマイナカードと介護保険証では、紛失した際の責任が全く異なります。預ける利用者にとっても、預かる事業者にとっても、心理的な負担は大きくなるでしょう・・・周知を徹底したうえで、もう少し時間をかけて導入を進めてもらいたい」 岸田政権のやり方では、医療や介護の現場に混乱が広がるばかりだ」、もっと丁寧に説明するなどの努力が必要なようだ。 マイナンバー制度 「公文書管理法」の趣旨を改めて徹底させるべきだ。 「実務を担う厚生労働省の担当者は、「情報共有は口頭ベースで行っている」と断言している。 不透明な決定経緯に、総務省出身で官僚経験の長い幸田雅治・神奈川大教授は首をかしげる。 「官僚は大臣の意向を踏まえて仕事をしている。そのための大臣間の協議や大臣からの指示は通常、記録を取って省内で共有している。口頭で伝えるというのは考えにくい」、確かに、「厚生労働省の担当者は、「情報共有は口頭ベースで行っている」と断言」、というのは余りに不自然だ。 これに続き、現行の介護保険証も廃止され、マイナカードに一本化される可能性はゼロではない」、このような重要な決定が、個々の決定事項ごとではなく、パッケージ化されて一括で決定されるのは、手続き的におかしい。 「2022年10月13日の廃止表明の会見。河野氏は冒頭、岸田文雄首相への報告内容と首相から受けた指示について、手元の資料を見ながら7分近くかけて説明している。 デジタル庁は、首相への報告や首相からの指示を記録した文書も作成していないという。河野氏が会見で見ていた資料も開示されることはなかった」、「デジタル庁」など官庁の怠慢だ。 「異例の審議会飛ばしに、部会の委員の1人は「「部会で議論もしていないのに厚労省から決まったと言われ、びっくりした」と振り返る」、唐突な「完全廃止」への「切り替え」の理由は何なのだろう。 「廃止表明の1年前・・・「使えなくなると言えば普及するってのは権力的な目線だよ。ダメだよ。保険証は(なくなれば人が)死ぬんだから」と廃止に反対していたにも拘らず、1年後には「廃止」に踏み切るとは唐突だ。
金融政策(その48)(「断捨離」をした日銀は7月末にどう動くのか 渡辺努・東大教授の「物価理論」を解説しよう、日銀は為替を金融政策の対象に入れるべきだ このままでは金融政策への信頼が失われる懸念、日経平均の大暴落は「超円安」依存経済への警鐘だ…!市場を大パニックに陥れた「予想外の原因」、日本株を襲うもうひとつの「不都合な真実」…日銀利上げで「円高デフレ大逆流」が招く「日経平均2万8000円台」の悪夢のシナリオ、まさか日銀で「植田総裁vs.内田副総裁」バトル勃発か…つぎの日銀会合は「円高急進」を覚悟せよ!) [経済政策]
金融政策については、本年7月10日に取上げた。今日は、(その48)(「断捨離」をした日銀は7月末にどう動くのか 渡辺努・東大教授の「物価理論」を解説しよう、日銀は為替を金融政策の対象に入れるべきだ このままでは金融政策への信頼が失われる懸念、日経平均の大暴落は「超円安」依存経済への警鐘だ…!市場を大パニックに陥れた「予想外の原因」、日本株を襲うもうひとつの「不都合な真実」…日銀利上げで「円高デフレ大逆流」が招く「日経平均2万8000円台」の悪夢のシナリオ、まさか日銀で「植田総裁vs.内田副総裁」バトル勃発か…つぎの日銀会合は「円高急進」を覚悟せよ!)である。
先ずは、本年7月13日付け東洋経済オンラインが掲載した慶応義塾大学大学院教授の小幡 績氏による「「断捨離」をした日銀は7月末にどう動くのか 渡辺努・東大教授の「物価理論」を解説しよう」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/776645
・『先日、物価に関する日本一、いや世界一の研究家である、東京大学大学院経済学研究科の渡辺努教授にインタビューさせていただく機会があった。 それは「東洋経済オンライン」で2つの記事になった(前編「『物価が上がらなければいいのに』と嘆く人たちへ」、後編「日銀は『円安』『国債の山』『次の緩和』をどうするか」)。だが、インタビュアーの未熟さにより、インタビューの解説が必要だと感じたので、今回は筆者の理解する「渡辺物価理論」を独自に補足解説したい』、興味深そうだ。
・『なぜ「機能不全」を解消しなければいけないのか この連載は競馬をこよなく愛するエコノミスト3人による持ち回り連載です(最終ページには競馬の予想が載っています【2024年1月5日編集部追記】2024年1月1日、山崎元さんは逝去されました。心から哀悼の意を捧げ、ご冥福をお祈りします)。記事の一覧はこちら まず、渡辺理論の主張の中核は、以下のひとことに尽きる。 『物価とは何か』では、ミクロの価格を蚊に、マクロの物価を蚊柱にたとえていますが、蚊が死んでしまったので、蚊柱の動きも止まったというのが私の理解です。物価安定と見間違えてはいけない」。 えっ?これだけでは、わからない? では、もう少しかみ砕こう。渡辺教授の理論体系とは以下の1~6からなる。 1日本では1995年以降、企業が自分の製品の価格を決める力を失った 2その結果、市場経済の中核である「価格メカニズム」が機能不全に陥 った 3このコストはとてつもなく大きい。これが長期に定着すれば、実体経済へのダメージはさらに拡大、長期化する 4だから、かなりの副作用があったとしても、価格メカニズムの機能不全を解消しないといけない 5そのためには、社会全体、経済全体の認識を変えるために、マクロの 政策変更が必要であり、有効である可能性がある 6そのためには、ショック療法的な手段も試してみる価値はあるし、試すべきだ) ちなみに、筆者は1から3まで120%渡辺理論に賛成で、渡辺理論の世界一の理解者であると同時に、世界一、渡辺理論に近い意見を持っているのが小幡績である。しかし、筆者は4から6には強く反対で、ここが渡辺・小幡の大きな対立点である。目指すゴールは一緒、問題認識も一緒、しかし、アプローチが180度(いや90度かな?)異なる』、「筆者は1から3まで120%渡辺理論に賛成で、渡辺理論の世界一の理解者であると同時に、世界一、渡辺理論に近い意見を持っているのが小幡績である。しかし、筆者は4から6には強く反対で、ここが渡辺・小幡の大きな対立点である。目指すゴールは一緒、問題認識も一緒、しかし、アプローチが180度(いや90度かな?)異なる」、なるほど。
・『「渡辺チャート」が可視化した「日本企業の停滞」 順番に、少し詳しく見てみよう。 1の「企業が自分の製品価格を決める力を失ったこと」に関しては、渡辺教授が長年にわたって、研究、主張してきた。それを象徴的に可視化したものは、渡辺チャートと呼ばれている。日本の消費者物価を構成する600品目の個別のインフレ率(前年同月比の変化率)を計算し、頻度分布をグラフにしたものだ。日本の個別品目の価格変動が1995年以降一気に減少し、ゼロ付近の頻度が極端に高まったことが可視化されたのである。 近年では、日本企業が価格変更できないから量を減らす「ステルス値上げ」などの対応を迫られたことが有名になった。しかも、コロナ禍後では、アメリカをはじめ世界にも広がり、「シュリンケーション」(シュリンク=縮むとインフレーションをかけた言葉)という言葉が生まれた。しかし、それでもアメリカでは、価格変更のグラフが日本のようにゼロに集中することはなかった。 これは、まったく私も賛成で、企業の度胸のなさは、この連載でも何度か指摘したところである。さらに、ビジネススクール的な文脈でいうと、日本の企業は、価格設定を経営の戦略変数に入れていないことがほとんどで、本当に駄目だ。これこそ利益率が低い理由であり、ひいては日本の生産性やGDP(付加価値率)が伸びない理由であるとも指摘してきた。要は「ぼったくり」とまではいわないが、消費者からむしり取ってでも儲けようという意欲、気概、力が足りないのである。 2については、「価格メカニズム」は、市場経済の中核、経済理論の中核であり、ミクロ経済学では最重要のところである。最近はゲーム理論ばかり教えるから重要性の認識が低下しているが、市場における一般均衡、それを達成する価格メカニズムが市場経済の最重要要素、ほぼすべてである。 だから、これが危機に陥るとは、市場経済の終わりである。渡辺教授も以下のように言っている。「2年前ぐらいから僕が使っているのが、旧ソ連の例です。旧ソ連の経済システムは価格というシグナルそのものがなく、生産量を割り当てていましたが、やっぱり失敗する。日本では価格はありますが、動いていなければ価格メカニズムがないに等しい。その結果として資源配分が歪んできた」。 これには筆者も200%賛成だ。したがって、渡辺理論の日本の物価への懸念はミクロ経済学的な資源配分の歪み、ということに尽きるのである。個々の蚊が死んでしまったこと、あるいは仮死状態になってしまったことがすべてで、彼らを仮死状態から生き返らせることが、何よりも重要なのである。それは個々の蚊(個々の製品、個々の企業)が死んでしまい、それが蚊柱全体(市場経済全体)を殺してしまうことになりかねないからである。 これを理解していれば、多くはアメリカで教育を受けてきたマクロ経済学者、マクロ金融学者を驚愕させる「渡辺発言」も、何ら驚きでないどころか、なるほどと合点がいくのである』、「1については」「日本の企業は、価格設定を経営の戦略変数に入れていないことがほとんどで、本当に駄目だ。これこそ利益率が低い理由であり、ひいては日本の生産性やGDP(付加価値率)が伸びない理由であるとも指摘してきた。要は「ぼったくり」とまではいわないが、消費者からむしり取ってでも儲けようという意欲、気概、力が足りないのである・・・2については・・・日本では価格はありますが、動いていなければ価格メカニズムがないに等しい。その結果として資源配分が歪んできた」。 これには筆者も200%賛成だ。したがって、渡辺理論の日本の物価への懸念はミクロ経済学的な資源配分の歪み、ということに尽きるのである」、なるほど。
・『物価は動きすぎてもいけないが、動かないのもいけない 「日本では、平均的な物価の上昇率が0とかマイナス1%になったこと以上に、『個々の価格が動かなくなったこと』が問題だった」「実はトータルの物価上昇(インフレ)率は1%でも2%でも、5%でもいいんです」「行きすぎたインフレがなぜいけないのかというと、不確実性が高すぎて資源配分が歪むからです。10%や20%まで上がると明らかに歪みが起きます。 つまり、資源配分の歪みがいけない。価格が動きすぎても不確実性が高まることにより歪む。一方、動かなすぎても、配分が変わらず歪んでしまう。物価は動きすぎてもいけないが、動かないのも同様に悪い、ということなのだ。 その結果が、3の「価格の機能不全のコスト負担と実態経済へのダメージ拡大、長期化懸念」という主張になる。1と2の現象は、日本に長年根付いてきたものではない。1990年のバブル崩壊後、急速に生まれたものだ。だから、1990年代後半にいち早く手を打っておけば、こんな事態にはならなかった。30年も定着することはなかったはずである。遅くても遅すぎるということはない。今こそ、最後のチャンスだ。だから4~6の主張になるのである。) 確かに価格の機能不全のコストは大きい。だから、筆者は3については80%賛成できる。ただ、その中身は、渡辺教授と筆者では少し違う。渡辺教授はこう言う。 「企業は通常、価格を決めるパワーを持っているわけですが、それが奪われてしまった。そうすると企業は、何か新しい商品を作るために投資して、高い価格をつけて儲けることができません。最初からいい商品を作ることをあきらめる。価格をコントロールできない環境では、企業はアグレッシブな行動ができなくなってしまう。それでも当然、収益を上げなければいけないので、じゃあコストカットとなって、経済がどんどん後ろ向きに回ってしまう。これがデフレの最大の弊害だと思っています」。 筆者は違うと思う。これは企業がデフレを言い訳にして何もしていないだけだ。新しい製品なら新しい価格が付く。既存の製品の価格が変えられないからこそ、アグレッシブに新しいことをする。不況こそが次への脱皮を促す。だから、原因はデフレではなく、個々の企業が原因だと思う』、「筆者は3については80%賛成できる。ただ、その中身は、渡辺教授と筆者では少し違う。渡辺教授はこう言う。 「企業は通常、価格を決めるパワーを持っているわけですが、それが奪われてしまった。そうすると企業は、何か新しい商品を作るために投資して、高い価格をつけて儲けることができません。最初からいい商品を作ることをあきらめる。価格をコントロールできない環境では、企業はアグレッシブな行動ができなくなってしまう。それでも当然、収益を上げなければいけないので、じゃあコストカットとなって、経済がどんどん後ろ向きに回ってしまう。これがデフレの最大の弊害だと思っています」。 筆者は違うと思う。これは企業がデフレを言い訳にして何もしていないだけだ。新しい製品なら新しい価格が付く。既存の製品の価格が変えられないからこそ、アグレッシブに新しいことをする。不況こそが次への脱皮を促す。だから、原因はデフレではなく、個々の企業が原因だと思う」、なるほど。
・『大きくなった「為替の歪み」をどうすべきか さらに、4「かなりの副作用があったとしても、価格メカニズムの機能不全を解消しないといけない」 5「そのためには、社会全体、経済全体の認識を変えるために、マクロの政策変更が必要であり、有効である可能性がある」 6「そのためには、ショック療法的な手段も試してみる価値はあるし、試すべきである」という4~6の主張に対しては、前出のとおり、筆者の賛成率は0%である。大反対だ。 4から6は一体となっている主張だが、筆者はそれぞれ反対するところがある。まず、4だ。渡辺教授はこう言っている。 「僕は、価格が動かないことで実体経済が歪むコストが大きいから、金融市場では少々のことが起きても仕方がないと思っています。 少々のこと、というのがどの程度か、ということが問題だが、この文脈では、金融市場とは為替の話だった。筆者としては、為替の歪みはとてつもなく大きく、かつ金融政策により生じてしまった責任があると思うし(つまりやるべきでなかった)、一方で、今後円安を止める力もあると思っている。) そして5は、もっとも意見が異なる。渡辺教授は、このように主張する。「社会全体が共通の認識として「価格は変わらないもの」と信じてしまっていて、個々の企業が解決できる問題じゃなかったんです」。 つまり、この価格メカニズム機能不全現象が、個々の企業ではどうしようもない。消費者を中心として社会全体が、価格は変わらない、と思ってしまっているから、マクロで社会全体の意識を変えなければいけない、と思っている。 一方、筆者の意見は、企業も消費者もみんなが萎縮した形で均衡しているのだから、マクロの金融政策では抜け出せず、企業が行動を変えるようなインセンティブを与えるとか、ミクロ政策を打ち出さないと効かないのでは、というものだ』、「4から6は一体となっている主張だが、筆者はそれぞれ反対するところがある。まず、4だ。渡辺教授はこう言っている。 「僕は、価格が動かないことで実体経済が歪むコストが大きいから、金融市場では少々のことが起きても仕方がないと思っています。 少々のこと、というのがどの程度か、ということが問題だが、この文脈では、金融市場とは為替の話だった。筆者としては、為替の歪みはとてつもなく大きく、かつ金融政策により生じてしまった責任があると思うし(つまりやるべきでなかった)、一方で、今後円安を止める力もあると思っている。) そして5は、もっとも意見が異なる。渡辺教授は、このように主張する。「社会全体が共通の認識として「価格は変わらないもの」と信じてしまっていて、個々の企業が解決できる問題じゃなかったんです」。 つまり、この価格メカニズム機能不全現象が、個々の企業ではどうしようもない。消費者を中心として社会全体が、価格は変わらない、と思ってしまっているから、マクロで社会全体の意識を変えなければいけない、と思っている。 一方、筆者の意見は、企業も消費者もみんなが萎縮した形で均衡しているのだから、マクロの金融政策では抜け出せず、企業が行動を変えるようなインセンティブを与えるとか、ミクロ政策を打ち出さないと効かないのでは、というものだ」、なるほど。
・『ミクロで解決すべきか、マクロで解決すべきか 180度違うというよりは、ミクロで解決すべきかマクロか、という話。実際、価格メカニズムが死んでいるというのが問題、という点は、120%一致している。対談でも以下のようなやりとりがあった。 小幡「(機能不全の)状況を壊さなければいけないことはわかるんです」。 渡辺「問題は、マクロの金融政策で壊れるかどうか、ですね」。 小幡「ここ数年でわかったのは、『円安で輸入価格が上がったのは目に見えるから、値上げせざるをえないとわかれば皆、受け入れる』ということだと思う」。 渡辺「異次元緩和は実は、それと似たことを政策的にやりたかったけれど、消費者や企業経営者に影響を与えるようなメッセージは出せませんでした。人間が行う政策よりも、パンデミックや戦争のほうが定常状態を変える力としては強いんだろうなと思います」 筆者の感想としては、そう思っているなら、なぜそれでも金融政策に、価格メカニズム復活のきっかけを期待するのか、という疑問が残る。) しかし、渡辺教授は、何とか価格メカニズム復活のために、現状の委縮均衡の完全なる破壊に執念を燃やしている、あるいは、今が、最後の最大のチャンスだと思っているようだ。 「今は同調だろうがなんだろうが、価格が動いてくれればもうけもの。スーパーなどの販売価格をPOSデータでみても、これまで価格が動かない商品の割合が7割だったのが減ってきています。顕著に減ってきています。価格も賃金も動かない状態からとにかく脱出する。そうなりつつあるから、しっかり固めるときだと思います」』、「渡辺教授は、何とか価格メカニズム復活のために、現状の委縮均衡の完全なる破壊に執念を燃やしている、あるいは、今が、最後の最大のチャンスだと思っているようだ。 「今は同調だろうがなんだろうが、価格が動いてくれればもうけもの。スーパーなどの販売価格をPOSデータでみても、これまで価格が動かない商品の割合が7割だったのが減ってきています。顕著に減ってきています。価格も賃金も動かない状態からとにかく脱出する。そうなりつつあるから、しっかり固めるときだと思います」、なるほど。
・『日銀は「断捨離後」の「次の一手」をどうするのか? 6については、結果的には意見は一致した。異次元緩和、「黒田緩和」が始まったときは、渡辺教授は、こう思っていた。 「実は、2013年に異次元緩和を始めた黒田東彦前総裁も(デフレが何らかの弊害をもたらしたか否か、という論点を)説明したことがないんですよ。僕はこう解釈しました。消費者や価格をつける企業の人たちのマインドを『価格というのは上がるもの』に変えようとしているんだと」。 そして、今の渡辺教授の見解は、こうだ。 「(異次元緩和は)事実として全然うまくいかなかったから、失敗したとは思います。2016年1月に導入したマイナス金利の評判が悪かった頃からそう思い始めました。効いてほしかったですが、結果的に効かなかったのだから、明らかに無用の長物です」。 しかし、今後については、私とは意見が異なるようだ。 「3月の日銀の決定は、要らないモノを捨てる『断捨離』なんだと説明しています。断捨離のポイントは、要るモノと要らないモノを区別することです。要るモノとして残したのが、バランスシートです。バランスシートが大きい状態はやっぱり望ましいんですよ」。 さあ、7月30~31日の金融政策決定会合で、植田和男・日銀総裁は、どの程度国債買い入れを減らすのか。そして、それはバランスシートのサイズを意識したものになるのか、それとも、毎月の購入額というフローの額を重要視するのか。注目だ。 今後も、渡辺理論の発展を願うし、再び、議論の機会を持てるのを楽しみにしている(本編はここで終了です。この後は競馬好きの筆者が競馬論や週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)』、「6については、結果的には意見は一致・・・しかし、今後については、私とは意見が異なるようだ。 「3月の日銀の決定は、要らないモノを捨てる『断捨離』なんだと説明しています。断捨離のポイントは、要るモノと要らないモノを区別することです。要るモノとして残したのが、バランスシートです。バランスシートが大きい状態はやっぱり望ましいんですよ」。 さあ、7月30~31日の金融政策決定会合で、植田和男・日銀総裁は、どの程度国債買い入れを減らすのか。そして、それはバランスシートのサイズを意識したものになるのか、それとも、毎月の購入額というフローの額を重要視するのか。注目だ」、さあ、どうなるだろう。
次に、7月31日付け東洋経済オンラインが掲載した慶応義塾大学大学院教授の小幡 績氏による「日銀は為替を金融政策の対象に入れるべきだ このままでは金融政策への信頼が失われる懸念」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/787795?display=b
・『日本銀行は、「金融政策は為替を対象としていない」と繰り返している。これだけ円安に国民や政治家が悲鳴を上げても、その説明はまったく変わらない。しかし、これは本当に本音なのか、それとも建前なのか? エコノミストやメディアの人々のほとんどは、これは日銀の建前だと思っている。だから、円安が進むと、日銀の利上げが早まるかもしれない、という日銀ウォッチャーやエコノミストのコメントがメディアにあふれ出す』、興味深そうだ。
・『「為替は金融政策の対象でない」は日銀の「信念」? しかし、私は、これは日銀の本音であると思っている。それどころか、信念であり、絶対に譲れない、譲ってはいけないと信じているのではないか、と推測している。そして、それが現代の中央銀行の問題であり、とりわけ日銀にとっては致命的なものになりうると考えている。 なぜか。説明しよう。 まず「為替は金融政策の対象でない」という考え方は、成熟国における現代の中央銀行の役割としては教科書的なものだ。 実際、植田和男日銀総裁もそう繰り返し述べる。例えば、2024年3月27日の衆議院財務金融委員会で、植田総裁は、「金融政策は為替相場を直接コントロールの対象としていない」「為替政策は財務省の所管と理解している」と答え、そして、為替は「経済、物価に重要な影響を及ぼすひとつの要因」と述べた。これは、まさに現在の日銀の模範的な回答だ。 つまり、金融政策の目的は、経済、物価であり、為替はその経済と物価に影響を及ぼすから、アメリカの経済が日本経済に影響を与えるのと同様に、重要な要因だが、金融政策の決定においてはあくまで外部的な環境要因として扱うということである。) 実は、この議論の構造は、金融政策の対象である経済と物価の関係に似ている。よく知られているように、FED(アメリカ中央銀行)には、物価の安定と雇用の最大化という2つの使命(デュアルマンデート)がある』、「金融政策の目的は、経済、物価であり、為替はその経済と物価に影響を及ぼすから、アメリカの経済が日本経済に影響を与えるのと同様に、重要な要因だが、金融政策の決定においてはあくまで外部的な環境要因として扱うということである」、なるほど。
・『日銀にとっての金融政策は「物価一辺倒」 一方の日本は「物価の安定を通じて経済の健全な発展に資する」という建て付けになっている。となると、日銀にとって、金融政策は、景気の微調整ではなく、あくまで物価、一義的には物価一辺倒になる。 そうなると、金融政策における経済の位置づけは難しくなる。なぜなら、21世紀に入ってから、コロナショックで物価が急上昇するまでは、インフレ率が低い水準で安定していたから、景気刺激を金融緩和で行うことができた。つまり、金融政策は景気刺激を目的と、インフレ率は、単なる制約条件となり、インフレ率が大幅に上がらなければ、金融緩和をいつまでも存分にやっていい、というような状況となった。 これは、日本に限らず、アメリカも同じような雰囲気だった。アメリカでは、コロナで景気が悪くなることを懸念したから、日本をはるかに上回る大規模財政出動と合わせて、大幅な金融緩和を行い、それを継続した。 コロナ禍によるサプライチェーンの大混乱に加え、ロシアのウクライナ侵攻でエネルギー価格が急騰し、その結果、インフレ率が上昇しても、あまり警戒せず「需要の過熱による物価上昇ではないから、これは一時的であり、金融引き締めは不要」としたため、利上げが大幅に遅れ、その結果、高い短期金利の継続を余儀なくされた。 一方、日本では、21世紀に入ってからは、バブル処理が終わった後も、財政、金融ともにひたすら景気対策に動員された。財政赤字が拡大していたこともあって、金融政策は、つねに緩和可能な最大限を行うことが求められ、継続された。 その結果、ゼロ金利の限界を超えて量的緩和、異次元緩和、イールドカーブコントロール(長短金利操作)と、次々とイノベイティブな金融政策が日銀によって発明された。) また、株式の買い入れという異常な(不可解な)政策まで動員された。日本では物価がほとんど上昇しなかったから、人々は、金融緩和を拡大しない日銀は、ケチでやる気がなく無能力であるかのように思った。 デフレ脱却を合言葉にしたアベノミクスにおける異次元緩和は、とにかく物価を上げること、インフレを起こすことが目的となり、リフレ政策と呼ばれたが、日銀の制度上の建て付けからは、とにかくインフレの目標(メドであろうが目標であろうが)を達成することが、一義的な目的であるから、景気とは無関係に物価が動かなすぎるのであれば、動かすことが目的となり、それでも動かなければ、日本経済が一時的にどうなろうと、物価を優先させるということは、原理的に間違っているわけではなかった。 しかし、アベノミクスや異次元緩和に賛成していたほとんどの人々は、そういう物価原理主義とは無関係に、景気がよくなるに越したことはないし、金融緩和の弊害がインフレということなら、日本でインフレが起きるはずがないから、どんどん緩和すればいい、というだけの気持ちだった』、「日本」では、「金融政策は、つねに緩和可能な最大限を行うことが求められ、継続された。 その結果、ゼロ金利の限界を超えて量的緩和、異次元緩和、イールドカーブコントロール(長短金利操作)と、次々とイノベイティブな金融政策が日銀によって発明された。) また、株式の買い入れという異常な(不可解な)政策まで動員された。日本では物価がほとんど上昇しなかったから、人々は、金融緩和を拡大しない日銀は、ケチでやる気がなく無能力であるかのように思った・・・アベノミクスや異次元緩和に賛成していたほとんどの人々は、そういう物価原理主義とは無関係に、景気がよくなるに越したことはないし、金融緩和の弊害がインフレということなら、日本でインフレが起きるはずがないから、どんどん緩和すればいい、というだけの気持ちだった」、なるほど。
・『インフレ上昇、金融引き締め局面では「大きな分断」 この日米の状況が、インフレ率上昇後の金融政策を難しくしている。そして、永遠に人々に誤解されたまま、その誤解が放置され、金融政策は将来にわたって、永遠に中央銀行と市場(エコノミスト、政治家、メディア、一般の人々も含む)との意思疎通ができないままとなり、つねに誤解から、市場は混乱し、中央銀行は責められ、経済に大きな障害となっていく恐れがある。 なぜなら、緩和局面は誤解があっても、同床異夢であり、金融緩和はだれにとっても歓迎だったから、軋轢は表面化しなかったが、インフレ上昇、金融引き締め局面では、大きな分断が、中央銀行とそのほかの世界の間に生じてしまうからだ。 現在、アメリカ中央銀行が強烈な金融引き締め、高金利を継続しているのは、景気に配慮して行っているのではない。物価だけを考えてやっている。しかし、このまま物価が十分に下がらず、景気も悪化し始めると、なぜ早く利下げしないのだ、という圧力がかかり始める。 物価は高いままだが、インフレ率は低くはないが、上昇は止まっている。そして、景気はこれから悪化しそうだ。それなら、物価と景気のバランスをとって、利下げするべきだ、というのが外野の主張、要求となる。) しかし、中央銀行にとっては、物価と景気が対立したら、それは物価が当然優先されるのだ。長期的にインフレ率が高止まりすれば、それは長期的に経済に大きな悪影響を与える。だから、物価をとにかく下げることが優先される。物価と景気のバランスは二の次になる。 ここで問題なのは、金融引き締めを行っても、インフレ率がそれによって低下するわけではないことだ。なぜなら、インフレの要因のほとんどが供給側にあり、金融引き締めで需要を抑制しても、人手不足からの賃金上昇によるコスト高によるインフレだから、ほとんど効果はない。 それでも、中央銀行としては、インフレ率を下げるためには、需要抑制以外の手段はない。コスト高であったとしても、需要が増えれば、インフレは加速する可能性があり、効果がほとんどないとしても、金融引き締めをやめるわけにはいかないからだ。 この結果、人々の中央銀行への信頼、評価が下がり、長期的に、金融政策の効果が阻害される。金融緩和の局面になっても「緩和に後ろ向きだ、抑制気味だ」という批判が(印象によるものにすぎないのだが)続くことになる』、「インフレの要因のほとんどが供給側にあり、金融引き締めで需要を抑制しても、人手不足からの賃金上昇によるコスト高によるインフレだから、ほとんど効果はない。 それでも、中央銀行としては、インフレ率を下げるためには、需要抑制以外の手段はない。コスト高であったとしても、需要が増えれば、インフレは加速する可能性があり、効果がほとんどないとしても、金融引き締めをやめるわけにはいかないからだ。 この結果、人々の中央銀行への信頼、評価が下がり、長期的に、金融政策の効果が阻害される。金融緩和の局面になっても「緩和に後ろ向きだ、抑制気味だ」という批判が・・・続くことになる」、なるほど。
・『日銀と人々が分断、政策への信頼が永久に失われる懸念 日本においては、これが為替相場、円安について起きている。人々は、異次元緩和、大規模金融緩和を支持した。それは景気にプラスだし、株価が上がったし、それだけのことだった。物価への理念など関係ない。金融政策とは、景気と株価のためにやっていると思っていたし、今も思っている。株式や不動産のETF(上場投資信託)の買い入れも、株価を支えるのが金融政策の役目であると思ったし、今も思っている。 そこへ、物価高がやってきた。そして、強烈な円安がやってきた。「貧しい日本」と言われだした。電気代もガソリンも円安のせいだ。日銀は、金融政策で経済をよくする、景気をよくするはずで、消費者が生活に困る円安は当然止めてくるものと人々は思った。 しかし、実際はまったく逆で、物価がまだ十分上がらないから、もっと物価を上げると言っている。そして、円安はわれわれ中央銀行には関係ない、金融政策の目的ではない、と繰り返す。メディアでは、日米の金利差が円安の要因と言っている。要は、世界で日本だけ金利が低いから円安なのか。日銀の責任じゃないか。「日銀は意味不明だ。何をやっているんだ」ということになる。) しかし、これは、日銀の人々には響かない。「われわれの目的は物価だ。そして、物価は悲願のインフレ率2%定着の最後のチャンスだ。ここで逃しては、この20年の戦いが無駄になる」ということで、人々と日銀の分断は、日本でも永久に残り、将来の金融政策への人々の信頼は永久に失われてしまうだろう。 「『物価が上がらなければいいのに』」と嘆く人たちへ」「日銀は『円安』『国債の山』『次の緩和』をどうするか」(7月8~9日配信)での、渡辺努教授との対談記事でも明らかだが、日銀および金融政策の学問的な専門家は、物価というものを最優先に考えていることがわかる。 この数年の日銀の動き、植田総裁の金融政策のスタンスを、われわれ一般人の生活感や常識にとらわれずに観察してみると、物価最優先というのが建前ではなく、本音であることがわかるはずだ。これは、30~31日の日銀政策決定会合においても、アメリカの中央銀行の決定会合(FOMC=公開市場委員会)後の声明文を読んでも、再確認されるだろう』、「メディアでは、日米の金利差が円安の要因と言っている。要は、世界で日本だけ金利が低いから円安なのか。日銀の責任じゃないか。「日銀は意味不明だ。何をやっているんだ」ということになる。) しかし、これは、日銀の人々には響かない。「われわれの目的は物価だ。そして、物価は悲願のインフレ率2%定着の最後のチャンスだ。ここで逃しては、この20年の戦いが無駄になる」ということで、人々と日銀の分断は、日本でも永久に残り、将来の金融政策への人々の信頼は永久に失われてしまうだろう」、なるほど。
・『「実体経済にひずみをもたらさない為替」を目標にすべき そして、実は、こうした物価最優先の考え方は理論的にも間違っている。とりわけ日銀においてそうだ。 なぜなら、21世紀の成熟国の経済においては、金融政策は金融市場、つまり、株式や債券などのリスク資産市場と為替市場に直接大きな影響を与え、実体経済には間接的にしか影響しない。それが、日銀の異次元緩和で得た教訓だ。 期待では物価は動かない。そうであれば、直接影響を与える市場にターゲットを絞って、それを安定化させる、コントロールすることで、間接的に実体経済を安定化させ、健全な経済発展を導く。それが、合理的なはずだ。 物価安定を通じて経済を発展させることが、実体経済の変動が経済変動の中心で、需要増加がインフレに直結する20世紀後半にはそうだったのだから、21世紀には、金融市場の動向が主導して実体経済に影響を与えるのだから、金融市場を直接の目標とすべきだ。 つまり、為替をターゲットとし、実体経済にひずみをもたらさない為替を目標とする。「2%のインフレ率を目標とする」のように、経済主体の行動が、ファンダメンタルズではなく為替水準およびその変動から影響を受けないような為替水準にとどまるように、という目標を設定する。インフレ率の変動が実体経済に影響を与えないようにする、のとまったく同じ精神だ。 そして、「景気安定」という目標を「株式市場や債券市場の安定」(つまりファンダメンタルズから大きく乖離しない、過度に変動しない)という目標に置き換え、これが実体経済に連動した形になるように安定化を図るべきなのだ。 なぜ、そのような自然なことができないのか。それは、「金融政策に為替や株価は関係ない、物価に集中」という過去の原理原則を忠実に心の底から正しいといまだに信じているからなのだ。そして、それは、日銀を日本社会から孤立させ、今後の通貨波乱のときに、日銀が力が発揮できない大きな要因となるであろう。 (当記事は「会社四季報オンライン」にも掲載しています)』、「物価最優先の考え方は理論的にも間違っている。とりわけ日銀においてそうだ。 なぜなら、21世紀の成熟国の経済においては、金融政策は金融市場、つまり、株式や債券などのリスク資産市場と為替市場に直接大きな影響を与え、実体経済には間接的にしか影響しない。それが、日銀の異次元緩和で得た教訓だ。 期待では物価は動かない。そうであれば、直接影響を与える市場にターゲットを絞って、それを安定化させる、コントロールすることで、間接的に実体経済を安定化させ、健全な経済発展を導く。それが、合理的なはずだ・・・21世紀には、金融市場の動向が主導して実体経済に影響を与えるのだから、金融市場を直接の目標とすべきだ。 つまり、為替をターゲットとし、実体経済にひずみをもたらさない為替を目標とする。「2%のインフレ率を目標とする」のように、経済主体の行動が、ファンダメンタルズではなく為替水準およびその変動から影響を受けないような為替水準にとどまるように、という目標を設定する。インフレ率の変動が実体経済に影響を与えないようにする、のとまったく同じ精神だ。 そして、「景気安定」という目標を「株式市場や債券市場の安定」・・・という目標に置き換え、これが実体経済に連動した形になるように安定化を図るべきなのだ」、金融政策の革命的な転換を主張している。
第三に、8月6日付け現代ビジネスが掲載した一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による「日経平均の大暴落は「超円安」依存経済への警鐘だ…!市場を大パニックに陥れた「予想外の原因」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/135083
・『今回の株価大暴落を引き起こした原因は、為替レートが今後円高に転じる可能性が強くなったとの予想だ。これまでの日本の株価上昇を支えてきたのは、円安による企業利益の増大だったが、その状況が大きく変わる』、興味深そうだ。
・『大暴落の原因:重要なのは予想外のニュース 8月2日に、日経平均株価が大暴落した。週明けの5日も続落でマーケットが始まり、日経平均株価は終値は3万1458円となり、年初の終値3万3288円を下回った。7月11日につけた終値4万2224円に比べると、1万0766円(25.5%)の下げ、史上最大の暴落を記録した。 今後を考えるには、何が暴落の原因だったのかを明らかにしておく必要がある。考えられるものとしては、つぎの3つがある。 1) 日本銀行による利上げ 2) FRB(アメリカ連邦準備制度理事会)による利下げ予告 3) アメリカ景気指標の悪化 結論を言えば、1、2ではなく、3が主因だった。ただし、それが直接に影響したのでなく、「それによって、FRBの利下げ幅が大きくなり、円高が進む。それが日本企業の収益を低下させる」という予想が広がったためだと考えられる。 ここで重要なのは、「何が予想外のニュース(サプライズ)だったか?」という点だ。予測されていたことは、すでに株価に織り込み済みになっているはずだからである。株価を動かすのは、予想外のニュースだ』、「ここで重要なのは、「何が予想外のニュース(サプライズ)だったか?」という点だ。予測されていたことは、すでに株価に織り込み済みになっているはずだからである。株価を動かすのは、予想外のニュースだ」、その通りだ。
・『日銀利上げやFRB利下げ予告は大きな原因でない まず、何が起きたかを時系列的に整理しておこう。7月の30、31日に日銀が政策決定会合を開いた。ここでの決定は国債購入の減額だけで、利上げの決定は行われないと考えられていたのだが、急にそれが議題になるとの情報が伝わり、31日(水)の午前から円高が進み、日経平均株価が下落した。 15時過ぎに植田総裁の記者会見があり、円高が進んだ。午前中は1ドル=153円程度であったものが、150~151円程度にまでの円高になった。しかし、株価は午後になって午前中の下落を取り戻し、終値は3万9140円と、前日より高くなった。つまり、日銀の利上げ決定はサプライズであったにもかかわらず、株価にはあまり大きな影響を与えなかったのだ。 続いて7月31日(日本時間では、8月1日の午前3時)に、FRBのパウエル議長が9月の利下げを示唆した。 これを受けて、ニューヨーク証券取引市場では、買いが先行して取引が始まった。利下げは株価に好影響を与えるから、当然の反応だ。 ここまではほぼ予測されていた展開だったのだが、その後、様々な経済統計が予想以上に米景気が悪化していることを示し始めた。特に失業率が上昇していることや、製造業の景況感指数が予想を下回る数字だったことが大きかった。 これを受けて、ダウ平均株価が急落し、1時は下げ幅が700ドルを超えた。 日本時間の8月1日午前9時頃から急激な円高が進み、それまで1ドル=150円程度であったものが、146円程度になった。 これを受けた8月1日の東京市場では、日経平均株価が寄り付きから値下がりし、終値は3万8083円となった。つまり、前日から1057円下落した。 日経平均株価は、8月2日(金)も寄り付きから下落し、前日終値から2216円安い3万5909円となった。そして週明けの8月5日(月)、終値は前営業日比で4451円安い3万1458円。史上最大の下落となった。7月11日につけた終値4万2224円に比べると、1万0766円(25.5%)の下げだ』、「8月5日(月)、終値は前営業日比で4451円安い3万1458円。史上最大の下落となった。7月11日につけた終値4万2224円に比べると、1万0766円(25.5%)の下げだ」、なるほど。
・『なぜ日本株が下落したのか? 「アメリカの経済指標が悪化したから、アメリカの株価が下落した」というのはよくわかる。とりわけ大きな影響を与えたのは、失業率が急上昇したことだった。 また、半導体製造会社インテルの業績が悪化して人員削減計画を発表し、株価が1日で4分の3に目減りするという「インテルショック」が生じた。これにつられて、TSMCやAmazon.comの株価も下落した。 理解しにくいのは、なぜ日本の株価が下落したかだ。日本の輸出が影響を受ける面もなくはないのだが、あまり大きな影響ではない。 最も大きな要因は、円高が進んだことだ。今年に入ってから日本企業の業績が好調だったが、それは円安によるものだったのだ。それがこれから大きく変化するという予想で、日本の株価が下がったのだ』、「今年に入ってから日本企業の業績が好調だったが、それは円安によるものだったのだ。それがこれから大きく変化するという予想で、日本の株価が下がったのだ」、なるほど。
・『そして、なぜ円高になったのか? では、なぜ為替レートの動向に大きな変化が生じたのか? 為替レートは日米の金利差によって大きな影響を受けるから、日米の金利政策が関連しているはずだ。しかし、これまで見てきたように、パウエル議長の会見直後までは、大きなサプライズはなかった。 急激な円高が進んだのは、FRBによる9月の金利引き下げ幅が大きくなるという予想ではないだろうか? 市場では、FRBの利下げが遅すぎるのではないとの考えが強まっていた。FRBは、今回のインフレを重大視せず、利上げに踏み切るのが遅すぎたと批判されている。そして、いま、利下げに踏み切るのも遅すぎるとの批判が強まっているのだろう。 アメリカの利下げが、今後どのようなタイミングと規模で進行するのかはまだわからないが、株価下落の影響で、これまで考えられていたよりも利下げ幅が大きくなる可能性は十分にある。市場では、9月に通常の2倍の利下げに踏み切るとの見方が広まっているようだ。 仮にそうなれば、日米金利は一挙に大きく縮小することになり、為替レートに対して大きな影響が及ぶ。つまり、本格的な円高が進む可能性がある。実際にそうなれば、日本株に対する影響も簡単には元に戻らないものになるだろう』、「9月に通常の2倍の利下げに踏み切るとの見方が広まっているようだ。 仮にそうなれば、日米金利は一挙に大きく縮小することになり、為替レートに対して大きな影響が及ぶ。つまり、本格的な円高が進む可能性がある。実際にそうなれば、日本株に対する影響も簡単には元に戻らないものになるだろう」、なるほど。
・『新NISAで株式投資を始めた人には大ショック 今年の初めに、日本では新NISAが導入された。それとタイミングを合わせるように、円安が進み、株価が上昇したことから、新しく株式投資を始める人が増えた。その多くが海外投資に向かった。 これらの人たちにとって、今回の暴落は大きなショックだったに違いない。 とりわけ海外投資の場合には、株価の下落だけではなく、円高(=外国通貨安)による影響があるので、日本円で見た資産額は大きく減ったはずだ。 もともと株式投資は極めてリスクが高いものだ。それに加えて、外国株への投資には為替レートのリスクもある。だから、極めてリスクが高い。これは当然のことなのだが、今年初めから株価が上昇し、為替レートも円安に進んでいたので、リスクの大きさが十分に認識されていなかったのではないだろうか。そのうえ、インフレ下では株式投資で資産を安全に運用できるとする考えが広がっていた。そうしたことを信じて投資をした人は、ショックだったに違いない。 政府も、これまで「貯蓄から投資へ」というスローガンの下に、銀行預金から株式投資などのリスク投資を勧めてきた。今回の暴落で資産を失った人から苦情が寄せられた場合、どのように対応できるだろうか?』、「新NISAで株式投資を始めた人には大ショック」、政府としては何ら対応できないだろう。
・『確実に利益が上がる投資法など存在しない 今回の大暴落の原因究明は、知的好奇心を満たすためには格好の材料だ。私がこの問題を考えているのは、そのためだ。 しかしいくら探求したところで、それによって株式投資で利益を得られるわけではない。私がやっているのは、後講釈であって、将来の予測ではないからだ。私が将来について述べているのは、「仮にこうなれば、こうなる」という条件付きの予測にすぎない。 「将来の株価や為替レートを予測することはできない」とは、どんなに優れた分析能力を持つ人が、どんなに大量のデータを分析してやったとしても、同じことである。これは、ファイナンス理論で「効率的市場仮説」と呼ばれる考えだ。 「金融リテラシーを身につけることが重要」とよく言われる。そのとおりだが、もっとも重要なのは、株価を予測する手法を学ぶことではない。「株式投資で確実に利益を上げる投資法は存在しない」と認識することだ』、「将来の株価や為替レートを予測することはできない」とは、「ファイナンス理論で「効率的市場仮説」と呼ばれる考えだ・・・もっとも重要なのは、株価を予測する手法を学ぶことではない。「株式投資で確実に利益を上げる投資法は存在しない」と認識することだ」、同感である。
第四に、8月6日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鷲尾 香一氏による「日本株を襲うもうひとつの「不都合な真実」…日銀利上げで「円高デフレ大逆流」が招く「日経平均2万8000円台」の悪夢のシナリオ」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/135107?imp=0
・植田・日銀が犯した「3つの過ち」 8月5日の日本株の大暴落で、岸田文雄首相や植田総裁は日本版「ブラックマンデー」を演出した戦犯として歴史に刻まれることとなった。 前編『「日本株大暴落」戦犯たちの憂鬱と個人投資家の阿鼻叫喚…なにが日本版ブラックマンデーの引き金を引いたのか』で紹介したとおり、日本株暴落の引き金を引いた日本銀行の政策決定会合である。日銀と政府は大きな3つの間違いを犯した。 ひとつは、利上げと量的金融緩和策として行われていた長期国債の買入額の減額を同時に発表したこと。次に植田総裁がさらなる利上げに言及したこと。そして、米国FOMCの動向を読み間違えたことだ。 これによって、日本株は過去最大の下げ幅を記録したのだった』、なるほど。
・『しょせんは円安による株高だった… 直近の経過を振り返ろう。日経平均株価の終値は、日銀が利上げを発表した7月31日の3万9101円から翌8月1日には3万8126円に975円下落した。 しかし、米国の経済統計により、景気減速観が強まると、米国株の大幅な下げと相まって、8月2日には日経平均株価の終値は前日比2216円安の3万5909円と、下げ幅はブラックマンデー翌日の1987年10月20日(3836円安、14.9%安)以来およそ36年10ヵ月ぶりの大きさで、史上2番目の下げ幅となった。 さらに、8月2日発表の米国の7月雇用統計が非農業部門雇用者数11万4000人増と予想を下回り、失業率の前月比が21年9月以来約3年ぶりの高水準となる4.3%に上昇したことで米国の景気減速懸念が強まり、週明けの8月5日の日経平均株価は前週末比4451円安の3万1458円と史上最大の下げとなった。 7月31日に1ドル=153円台だった為替レートは8月5日には141円台まで円高が進行。わずか4営業日で10円以上という急激な円高となった。 日経平均株価の上昇は、円安進行を背景に進んできたといっても過言ではない。1ドル=136円台前半だった23年2月の日経平均株価は2万7446円だった。その後、円安の進行とともに、日経平均株価は上昇を続けたのである。 となれば、どの程度、円高がすすめば株価がどうなるかは見えてくる』、「1ドル=136円台前半だった23年2月の日経平均株価は2万7446円だった。その後、円安の進行とともに、日経平均株価は上昇を続けたのである」、なるほど。
・『日経平均は正念場「2万8000円台を覚悟せよ」 今回の日銀の利上げを受けた為替相場、日経平均株価の動きを見ると、日経平均株価が3万6000円に下落した8月2日の為替レートは148円だ。そして、日経平均株価が4000円を超える史上最大の下げとなり、3万1000円台に下落した8月5日の為替レートは142円付近だった。 これは、多少のブレはあるものの、過去の日経平均株価の水準と為替レートの水準の関係に非常に近い。 植田総裁が「次のステップに行く」と明言したように、さらなる利上げがあるとすれば、パウエルFRB議長の「9月の利下げ開始もありうる」との発言と相まって、日本の利上げ、アメリカの利下げにより、円高はさらに進行することになる。市場では、すでに次の日銀の利上げ時期を12月との見方が強まっている。 となれば、円高が140円まで進めば、日経平均株価は3万円割れとなる可能性が大きい。場合によっては、2万8000円台まで下落する可能性すらある』、「円高が140円まで進めば、日経平均株価は3万円割れとなる可能性が大きい。場合によっては、2万8000円台まで下落する可能性すらある」、なるほど。
・『「物価高」は落ち着いてきている 問題は、実は日銀が利上げの根拠とする「物価の上振れリスク」には、すでに陰りが見えていることだ。 為替レートの動きと生鮮食品を除く消費者物価指数を並べてみると、見事なまでに円安進行が輸入物価の上昇を通して、国内物価高を演出していたことがわかる。 23年2月の為替レートが136円だった時、消費者物価指数は103.6だった。それが、24年6月に160円まで円安が進むと、消費者物価指数は107.8まで上昇している。この点では、確かに円安を止め、円高にすることで物価高を抑えることができる可能性は高い。 しかし、生鮮食品を除く消費者物価指数が前年同月比で上昇に転じたのは、21年9月からで23年1月には4.2%という高い伸びとなったが、その後は伸び率が低下基調をたどり、直近の6月には2.6%にまで低下している。) その上、上昇要因となっているのは、円安を踏まえたエネルギー価格の上昇だ。 生鮮食品およびエネルギーを除く消費者物価指数は、23年4~10月の半年間は4%台と高い伸びだったが、直近の6月には2.2%まで低下している。 日銀は物価上振れリスクの要因のひとつとして、エネルギー価格の上昇に対する政府の補助が終了することをあげているが、エネルギーを除けば、輸入物価上昇ペース鈍化の影響から物価上昇は収まりつつあり、為替円高が進めば、日銀が掲げる2%の物価目標の達成は危ういものとなる。 今回の急激な円高進行により物価が下落に転じた場合、日銀は果たしてどのような金融政策を選択するのであろうか』、「エネルギーを除けば、輸入物価上昇ペース鈍化の影響から物価上昇は収まりつつあり、為替円高が進めば、日銀が掲げる2%の物価目標の達成は危ういものとなる」、なるほど。
・『やっぱり露呈した「稚拙な市場との対話」 そもそも、生鮮食品を除く消費者物価指数が前年同月比で4%を超える上昇となった23年初めには、日銀は利上げを強く否定していた。それが、物価高が落ち着き始めている今になって、根拠の薄い上振れリスクを理由に利上げに踏み切ったのは、不可解ほかならない。 物価上昇が厳しかった時から、緩やかに小幅な利上げを行っていれば、今回のような日経平均株価の大暴落という事態を引き起こすことはなかったはずだ。 以前から筆者は、日銀はフォワードガイダンスが致命的に下手だと指摘している。 アメリカでは、FRBがFOMCで9月の利下げを示唆するなど、市場が利下げに対して用意周到な準備ができるようにしている。日銀も利上げの方針を事前に市場に浸透させていくことができたはずだ。 日経平均株価の史上最大の下落は、日銀の稚拙な金融政策が原因にほかならない。 連載記事『ドル円147円割れで「株価下落」が始まった…!日銀・植田総裁が引き金を引く「日本株3万円割れ」に警戒せよ!』では、4ヵ月ほど前の日銀政策の状況について論じているのでこちらも参考としてほしい』、「日銀も利上げの方針を事前に市場に浸透させていくことができたはずだ。 日経平均株価の史上最大の下落は、日銀の稚拙な金融政策が原因にほかならない」、同感である。
第五に、9月12日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鷲尾 香一氏による「まさか日銀で「植田総裁vs.内田副総裁」バトル勃発か…つぎの日銀会合は「円高急進」を覚悟せよ!正副総裁「意見の違い」で鮮明になった「ふたりの溝」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/137104?imp=0
・『7月大暴落、日銀の犯した罪 まもなく、日銀の金融政策決定会合が開催される。この会合の最大の注目点は、植田和男総裁の記者会見となるだろう。もしかしたら、この会見で相場に一波乱ということもあるかもしれない。今回は、その理由を説明していこう。 8月23日、植田総裁は衆議委員の財政金融委員会に出席した 前回、7月の日銀政策決定会合での利上げによって、為替相場は円安から円高基調に転換した。だが、それは株価の大暴落という大きな痛みを伴うものとなり、株式市場は今なお、不安定な状況にある。 円高転換で、たしかに輸入物価上昇は抑制されつつあるが、想定外の“令和の米騒動”があって米価は急上昇した。国民生活はなお大きな負担を強いられている。 筆者は8月6日に寄稿した『日本株大暴落」戦犯たちの憂鬱と個人投資家の阿鼻叫喚…なにが「日本版ブラックマンデー」の引き金を引いたのか』で、日銀は大きな3つのまちがいを犯したと指摘した。 1点目は、利上げと量的金融緩和策として行われていた長期国債の買入額の減額を同時に発表したこと。2点目は植田総裁がさらなる利上げに言及したこと。そして3点目は米国の動向を読みちがえたことだ。 しかも、その後の市場の混乱の火消しをする際に、植田総裁と内田眞一副総裁がそれぞれ異なる説明をしており、これはさらなる不安要素となるかもしれない』、「1点目」、「2点目」は間違いとは思わない。
・『植田総裁と内田副総裁の「意見の食いちがい」 7月の利上げ決定後の記者会見で、植田総裁は先行きについて「経済・物価情勢に応じて、引き続き政策金利を引き上げ、金融緩和の度合いを調整していく方針」を示している。 利上げが遅れれば、あとの利上げ幅が大幅なものになり、経済の安定を損ねるという「ビハインド・ザ・カーブ」(政策が後手に回る)リスクがあるからだと説明したのである。 ところが、8月7日に函館市で行われた金融経済懇談会で、次期総裁の有力候補とされる内田副総裁は「金融資本市場が不安定な状況で、利上げをすることはありません」と述べた。これは為替が急激に円高に振れ、株式相場が大混乱に陥っていたことを受けた火消しではあるが、筆者は内田副総裁が利上げしない理由としてあげたことが気になっている。 それは「円安が修正された結果、物価上昇上振れリスクが小さくなった」こと、また「円安修正は政策運営に影響する」という2点である。 つまり、利上げによって円高が進行したことで、さらなる利上げの必要性が低下したと言っているように聞こえるのだ。 さらに、内田副総裁は「わが国の場合、一定のペースで利上げをしないとビハインド・ザ・カーブに陥ってしまうような状況ではありません」と述べ、金融資本市場が不安定な状況で、利上げをすることはないと明言した。この内田副総裁の発言は、植田総裁の発言を180度ひっくり返すものだ』、「内田副総裁」の発言は、あくまで「株式相場が大混乱に陥っていたことを受けた火消し」であって、「植田総裁」と意見が根本的に食い違っているとみるのは誤りだと思う。
・『意見の食い違いから起こる市場の混乱 正副総裁の方針の違いは、市場が日銀のフォワードガイダンスを信用できなくなり、大きな混乱の要因となる。 ところが、二人の意見の食い違いを裏づけるように、8月23日に国会閉会中審査の衆院・財政金融委員会に出席した植田総裁は、内田副総裁の発言を否定する姿勢を示したのである。 まず、7月の利上げ後に株価が大暴落した点について、「8月2日の米国7月分雇用統計が予想以上に下振れたことによるもの」と答弁し、日銀の利上げが要因ではないとの姿勢を貫いた。 さらに、「現在の実質金利は非常に低く、強い緩和環境を作っている」、また、「経済に大きな悪影響を与えずに追加利上げを進めることが妥当」との考えを示して、さらなる利上げに対する姿勢を変えなかった。 当然、委員からは植田総裁と内田副総裁の発言が食い違っていることについて、説明を求める質問がなされたが、なんと植田総裁は明確な答弁をしなかった。説明が行われなかったことで、かえって両者の間の溝が鮮明となってしまったのだ。 繰りかえすが、方針が明確でない金融当局の動きは、市場が見通しを立てるのを阻害し、混乱のひとつの要因ともなりえる。 では、こうした不安要素をかかえながら、9月19・20日の金融政策決定会合ではどのような決定が行われるのだろうか。 筆者の分析については、つづく後編記事『つぎの「日銀会合」でまた波乱か…!「植田総裁vs.内田副総裁」バトル勃発で、いま注目が集まっている「植田発言」』でじっくりとお伝えしていこう』、「内田副総裁」が「植田総裁」では言えないことも補足的に説明するのは、「副総裁」としての当然の責務だ。それを根本的な見解が食い違っているかのように捉えるのは、筆者の常識を疑いたくなる。
先ずは、本年7月13日付け東洋経済オンラインが掲載した慶応義塾大学大学院教授の小幡 績氏による「「断捨離」をした日銀は7月末にどう動くのか 渡辺努・東大教授の「物価理論」を解説しよう」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/776645
・『先日、物価に関する日本一、いや世界一の研究家である、東京大学大学院経済学研究科の渡辺努教授にインタビューさせていただく機会があった。 それは「東洋経済オンライン」で2つの記事になった(前編「『物価が上がらなければいいのに』と嘆く人たちへ」、後編「日銀は『円安』『国債の山』『次の緩和』をどうするか」)。だが、インタビュアーの未熟さにより、インタビューの解説が必要だと感じたので、今回は筆者の理解する「渡辺物価理論」を独自に補足解説したい』、興味深そうだ。
・『なぜ「機能不全」を解消しなければいけないのか この連載は競馬をこよなく愛するエコノミスト3人による持ち回り連載です(最終ページには競馬の予想が載っています【2024年1月5日編集部追記】2024年1月1日、山崎元さんは逝去されました。心から哀悼の意を捧げ、ご冥福をお祈りします)。記事の一覧はこちら まず、渡辺理論の主張の中核は、以下のひとことに尽きる。 『物価とは何か』では、ミクロの価格を蚊に、マクロの物価を蚊柱にたとえていますが、蚊が死んでしまったので、蚊柱の動きも止まったというのが私の理解です。物価安定と見間違えてはいけない」。 えっ?これだけでは、わからない? では、もう少しかみ砕こう。渡辺教授の理論体系とは以下の1~6からなる。 1日本では1995年以降、企業が自分の製品の価格を決める力を失った 2その結果、市場経済の中核である「価格メカニズム」が機能不全に陥 った 3このコストはとてつもなく大きい。これが長期に定着すれば、実体経済へのダメージはさらに拡大、長期化する 4だから、かなりの副作用があったとしても、価格メカニズムの機能不全を解消しないといけない 5そのためには、社会全体、経済全体の認識を変えるために、マクロの 政策変更が必要であり、有効である可能性がある 6そのためには、ショック療法的な手段も試してみる価値はあるし、試すべきだ) ちなみに、筆者は1から3まで120%渡辺理論に賛成で、渡辺理論の世界一の理解者であると同時に、世界一、渡辺理論に近い意見を持っているのが小幡績である。しかし、筆者は4から6には強く反対で、ここが渡辺・小幡の大きな対立点である。目指すゴールは一緒、問題認識も一緒、しかし、アプローチが180度(いや90度かな?)異なる』、「筆者は1から3まで120%渡辺理論に賛成で、渡辺理論の世界一の理解者であると同時に、世界一、渡辺理論に近い意見を持っているのが小幡績である。しかし、筆者は4から6には強く反対で、ここが渡辺・小幡の大きな対立点である。目指すゴールは一緒、問題認識も一緒、しかし、アプローチが180度(いや90度かな?)異なる」、なるほど。
・『「渡辺チャート」が可視化した「日本企業の停滞」 順番に、少し詳しく見てみよう。 1の「企業が自分の製品価格を決める力を失ったこと」に関しては、渡辺教授が長年にわたって、研究、主張してきた。それを象徴的に可視化したものは、渡辺チャートと呼ばれている。日本の消費者物価を構成する600品目の個別のインフレ率(前年同月比の変化率)を計算し、頻度分布をグラフにしたものだ。日本の個別品目の価格変動が1995年以降一気に減少し、ゼロ付近の頻度が極端に高まったことが可視化されたのである。 近年では、日本企業が価格変更できないから量を減らす「ステルス値上げ」などの対応を迫られたことが有名になった。しかも、コロナ禍後では、アメリカをはじめ世界にも広がり、「シュリンケーション」(シュリンク=縮むとインフレーションをかけた言葉)という言葉が生まれた。しかし、それでもアメリカでは、価格変更のグラフが日本のようにゼロに集中することはなかった。 これは、まったく私も賛成で、企業の度胸のなさは、この連載でも何度か指摘したところである。さらに、ビジネススクール的な文脈でいうと、日本の企業は、価格設定を経営の戦略変数に入れていないことがほとんどで、本当に駄目だ。これこそ利益率が低い理由であり、ひいては日本の生産性やGDP(付加価値率)が伸びない理由であるとも指摘してきた。要は「ぼったくり」とまではいわないが、消費者からむしり取ってでも儲けようという意欲、気概、力が足りないのである。 2については、「価格メカニズム」は、市場経済の中核、経済理論の中核であり、ミクロ経済学では最重要のところである。最近はゲーム理論ばかり教えるから重要性の認識が低下しているが、市場における一般均衡、それを達成する価格メカニズムが市場経済の最重要要素、ほぼすべてである。 だから、これが危機に陥るとは、市場経済の終わりである。渡辺教授も以下のように言っている。「2年前ぐらいから僕が使っているのが、旧ソ連の例です。旧ソ連の経済システムは価格というシグナルそのものがなく、生産量を割り当てていましたが、やっぱり失敗する。日本では価格はありますが、動いていなければ価格メカニズムがないに等しい。その結果として資源配分が歪んできた」。 これには筆者も200%賛成だ。したがって、渡辺理論の日本の物価への懸念はミクロ経済学的な資源配分の歪み、ということに尽きるのである。個々の蚊が死んでしまったこと、あるいは仮死状態になってしまったことがすべてで、彼らを仮死状態から生き返らせることが、何よりも重要なのである。それは個々の蚊(個々の製品、個々の企業)が死んでしまい、それが蚊柱全体(市場経済全体)を殺してしまうことになりかねないからである。 これを理解していれば、多くはアメリカで教育を受けてきたマクロ経済学者、マクロ金融学者を驚愕させる「渡辺発言」も、何ら驚きでないどころか、なるほどと合点がいくのである』、「1については」「日本の企業は、価格設定を経営の戦略変数に入れていないことがほとんどで、本当に駄目だ。これこそ利益率が低い理由であり、ひいては日本の生産性やGDP(付加価値率)が伸びない理由であるとも指摘してきた。要は「ぼったくり」とまではいわないが、消費者からむしり取ってでも儲けようという意欲、気概、力が足りないのである・・・2については・・・日本では価格はありますが、動いていなければ価格メカニズムがないに等しい。その結果として資源配分が歪んできた」。 これには筆者も200%賛成だ。したがって、渡辺理論の日本の物価への懸念はミクロ経済学的な資源配分の歪み、ということに尽きるのである」、なるほど。
・『物価は動きすぎてもいけないが、動かないのもいけない 「日本では、平均的な物価の上昇率が0とかマイナス1%になったこと以上に、『個々の価格が動かなくなったこと』が問題だった」「実はトータルの物価上昇(インフレ)率は1%でも2%でも、5%でもいいんです」「行きすぎたインフレがなぜいけないのかというと、不確実性が高すぎて資源配分が歪むからです。10%や20%まで上がると明らかに歪みが起きます。 つまり、資源配分の歪みがいけない。価格が動きすぎても不確実性が高まることにより歪む。一方、動かなすぎても、配分が変わらず歪んでしまう。物価は動きすぎてもいけないが、動かないのも同様に悪い、ということなのだ。 その結果が、3の「価格の機能不全のコスト負担と実態経済へのダメージ拡大、長期化懸念」という主張になる。1と2の現象は、日本に長年根付いてきたものではない。1990年のバブル崩壊後、急速に生まれたものだ。だから、1990年代後半にいち早く手を打っておけば、こんな事態にはならなかった。30年も定着することはなかったはずである。遅くても遅すぎるということはない。今こそ、最後のチャンスだ。だから4~6の主張になるのである。) 確かに価格の機能不全のコストは大きい。だから、筆者は3については80%賛成できる。ただ、その中身は、渡辺教授と筆者では少し違う。渡辺教授はこう言う。 「企業は通常、価格を決めるパワーを持っているわけですが、それが奪われてしまった。そうすると企業は、何か新しい商品を作るために投資して、高い価格をつけて儲けることができません。最初からいい商品を作ることをあきらめる。価格をコントロールできない環境では、企業はアグレッシブな行動ができなくなってしまう。それでも当然、収益を上げなければいけないので、じゃあコストカットとなって、経済がどんどん後ろ向きに回ってしまう。これがデフレの最大の弊害だと思っています」。 筆者は違うと思う。これは企業がデフレを言い訳にして何もしていないだけだ。新しい製品なら新しい価格が付く。既存の製品の価格が変えられないからこそ、アグレッシブに新しいことをする。不況こそが次への脱皮を促す。だから、原因はデフレではなく、個々の企業が原因だと思う』、「筆者は3については80%賛成できる。ただ、その中身は、渡辺教授と筆者では少し違う。渡辺教授はこう言う。 「企業は通常、価格を決めるパワーを持っているわけですが、それが奪われてしまった。そうすると企業は、何か新しい商品を作るために投資して、高い価格をつけて儲けることができません。最初からいい商品を作ることをあきらめる。価格をコントロールできない環境では、企業はアグレッシブな行動ができなくなってしまう。それでも当然、収益を上げなければいけないので、じゃあコストカットとなって、経済がどんどん後ろ向きに回ってしまう。これがデフレの最大の弊害だと思っています」。 筆者は違うと思う。これは企業がデフレを言い訳にして何もしていないだけだ。新しい製品なら新しい価格が付く。既存の製品の価格が変えられないからこそ、アグレッシブに新しいことをする。不況こそが次への脱皮を促す。だから、原因はデフレではなく、個々の企業が原因だと思う」、なるほど。
・『大きくなった「為替の歪み」をどうすべきか さらに、4「かなりの副作用があったとしても、価格メカニズムの機能不全を解消しないといけない」 5「そのためには、社会全体、経済全体の認識を変えるために、マクロの政策変更が必要であり、有効である可能性がある」 6「そのためには、ショック療法的な手段も試してみる価値はあるし、試すべきである」という4~6の主張に対しては、前出のとおり、筆者の賛成率は0%である。大反対だ。 4から6は一体となっている主張だが、筆者はそれぞれ反対するところがある。まず、4だ。渡辺教授はこう言っている。 「僕は、価格が動かないことで実体経済が歪むコストが大きいから、金融市場では少々のことが起きても仕方がないと思っています。 少々のこと、というのがどの程度か、ということが問題だが、この文脈では、金融市場とは為替の話だった。筆者としては、為替の歪みはとてつもなく大きく、かつ金融政策により生じてしまった責任があると思うし(つまりやるべきでなかった)、一方で、今後円安を止める力もあると思っている。) そして5は、もっとも意見が異なる。渡辺教授は、このように主張する。「社会全体が共通の認識として「価格は変わらないもの」と信じてしまっていて、個々の企業が解決できる問題じゃなかったんです」。 つまり、この価格メカニズム機能不全現象が、個々の企業ではどうしようもない。消費者を中心として社会全体が、価格は変わらない、と思ってしまっているから、マクロで社会全体の意識を変えなければいけない、と思っている。 一方、筆者の意見は、企業も消費者もみんなが萎縮した形で均衡しているのだから、マクロの金融政策では抜け出せず、企業が行動を変えるようなインセンティブを与えるとか、ミクロ政策を打ち出さないと効かないのでは、というものだ』、「4から6は一体となっている主張だが、筆者はそれぞれ反対するところがある。まず、4だ。渡辺教授はこう言っている。 「僕は、価格が動かないことで実体経済が歪むコストが大きいから、金融市場では少々のことが起きても仕方がないと思っています。 少々のこと、というのがどの程度か、ということが問題だが、この文脈では、金融市場とは為替の話だった。筆者としては、為替の歪みはとてつもなく大きく、かつ金融政策により生じてしまった責任があると思うし(つまりやるべきでなかった)、一方で、今後円安を止める力もあると思っている。) そして5は、もっとも意見が異なる。渡辺教授は、このように主張する。「社会全体が共通の認識として「価格は変わらないもの」と信じてしまっていて、個々の企業が解決できる問題じゃなかったんです」。 つまり、この価格メカニズム機能不全現象が、個々の企業ではどうしようもない。消費者を中心として社会全体が、価格は変わらない、と思ってしまっているから、マクロで社会全体の意識を変えなければいけない、と思っている。 一方、筆者の意見は、企業も消費者もみんなが萎縮した形で均衡しているのだから、マクロの金融政策では抜け出せず、企業が行動を変えるようなインセンティブを与えるとか、ミクロ政策を打ち出さないと効かないのでは、というものだ」、なるほど。
・『ミクロで解決すべきか、マクロで解決すべきか 180度違うというよりは、ミクロで解決すべきかマクロか、という話。実際、価格メカニズムが死んでいるというのが問題、という点は、120%一致している。対談でも以下のようなやりとりがあった。 小幡「(機能不全の)状況を壊さなければいけないことはわかるんです」。 渡辺「問題は、マクロの金融政策で壊れるかどうか、ですね」。 小幡「ここ数年でわかったのは、『円安で輸入価格が上がったのは目に見えるから、値上げせざるをえないとわかれば皆、受け入れる』ということだと思う」。 渡辺「異次元緩和は実は、それと似たことを政策的にやりたかったけれど、消費者や企業経営者に影響を与えるようなメッセージは出せませんでした。人間が行う政策よりも、パンデミックや戦争のほうが定常状態を変える力としては強いんだろうなと思います」 筆者の感想としては、そう思っているなら、なぜそれでも金融政策に、価格メカニズム復活のきっかけを期待するのか、という疑問が残る。) しかし、渡辺教授は、何とか価格メカニズム復活のために、現状の委縮均衡の完全なる破壊に執念を燃やしている、あるいは、今が、最後の最大のチャンスだと思っているようだ。 「今は同調だろうがなんだろうが、価格が動いてくれればもうけもの。スーパーなどの販売価格をPOSデータでみても、これまで価格が動かない商品の割合が7割だったのが減ってきています。顕著に減ってきています。価格も賃金も動かない状態からとにかく脱出する。そうなりつつあるから、しっかり固めるときだと思います」』、「渡辺教授は、何とか価格メカニズム復活のために、現状の委縮均衡の完全なる破壊に執念を燃やしている、あるいは、今が、最後の最大のチャンスだと思っているようだ。 「今は同調だろうがなんだろうが、価格が動いてくれればもうけもの。スーパーなどの販売価格をPOSデータでみても、これまで価格が動かない商品の割合が7割だったのが減ってきています。顕著に減ってきています。価格も賃金も動かない状態からとにかく脱出する。そうなりつつあるから、しっかり固めるときだと思います」、なるほど。
・『日銀は「断捨離後」の「次の一手」をどうするのか? 6については、結果的には意見は一致した。異次元緩和、「黒田緩和」が始まったときは、渡辺教授は、こう思っていた。 「実は、2013年に異次元緩和を始めた黒田東彦前総裁も(デフレが何らかの弊害をもたらしたか否か、という論点を)説明したことがないんですよ。僕はこう解釈しました。消費者や価格をつける企業の人たちのマインドを『価格というのは上がるもの』に変えようとしているんだと」。 そして、今の渡辺教授の見解は、こうだ。 「(異次元緩和は)事実として全然うまくいかなかったから、失敗したとは思います。2016年1月に導入したマイナス金利の評判が悪かった頃からそう思い始めました。効いてほしかったですが、結果的に効かなかったのだから、明らかに無用の長物です」。 しかし、今後については、私とは意見が異なるようだ。 「3月の日銀の決定は、要らないモノを捨てる『断捨離』なんだと説明しています。断捨離のポイントは、要るモノと要らないモノを区別することです。要るモノとして残したのが、バランスシートです。バランスシートが大きい状態はやっぱり望ましいんですよ」。 さあ、7月30~31日の金融政策決定会合で、植田和男・日銀総裁は、どの程度国債買い入れを減らすのか。そして、それはバランスシートのサイズを意識したものになるのか、それとも、毎月の購入額というフローの額を重要視するのか。注目だ。 今後も、渡辺理論の発展を願うし、再び、議論の機会を持てるのを楽しみにしている(本編はここで終了です。この後は競馬好きの筆者が競馬論や週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)』、「6については、結果的には意見は一致・・・しかし、今後については、私とは意見が異なるようだ。 「3月の日銀の決定は、要らないモノを捨てる『断捨離』なんだと説明しています。断捨離のポイントは、要るモノと要らないモノを区別することです。要るモノとして残したのが、バランスシートです。バランスシートが大きい状態はやっぱり望ましいんですよ」。 さあ、7月30~31日の金融政策決定会合で、植田和男・日銀総裁は、どの程度国債買い入れを減らすのか。そして、それはバランスシートのサイズを意識したものになるのか、それとも、毎月の購入額というフローの額を重要視するのか。注目だ」、さあ、どうなるだろう。
次に、7月31日付け東洋経済オンラインが掲載した慶応義塾大学大学院教授の小幡 績氏による「日銀は為替を金融政策の対象に入れるべきだ このままでは金融政策への信頼が失われる懸念」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/787795?display=b
・『日本銀行は、「金融政策は為替を対象としていない」と繰り返している。これだけ円安に国民や政治家が悲鳴を上げても、その説明はまったく変わらない。しかし、これは本当に本音なのか、それとも建前なのか? エコノミストやメディアの人々のほとんどは、これは日銀の建前だと思っている。だから、円安が進むと、日銀の利上げが早まるかもしれない、という日銀ウォッチャーやエコノミストのコメントがメディアにあふれ出す』、興味深そうだ。
・『「為替は金融政策の対象でない」は日銀の「信念」? しかし、私は、これは日銀の本音であると思っている。それどころか、信念であり、絶対に譲れない、譲ってはいけないと信じているのではないか、と推測している。そして、それが現代の中央銀行の問題であり、とりわけ日銀にとっては致命的なものになりうると考えている。 なぜか。説明しよう。 まず「為替は金融政策の対象でない」という考え方は、成熟国における現代の中央銀行の役割としては教科書的なものだ。 実際、植田和男日銀総裁もそう繰り返し述べる。例えば、2024年3月27日の衆議院財務金融委員会で、植田総裁は、「金融政策は為替相場を直接コントロールの対象としていない」「為替政策は財務省の所管と理解している」と答え、そして、為替は「経済、物価に重要な影響を及ぼすひとつの要因」と述べた。これは、まさに現在の日銀の模範的な回答だ。 つまり、金融政策の目的は、経済、物価であり、為替はその経済と物価に影響を及ぼすから、アメリカの経済が日本経済に影響を与えるのと同様に、重要な要因だが、金融政策の決定においてはあくまで外部的な環境要因として扱うということである。) 実は、この議論の構造は、金融政策の対象である経済と物価の関係に似ている。よく知られているように、FED(アメリカ中央銀行)には、物価の安定と雇用の最大化という2つの使命(デュアルマンデート)がある』、「金融政策の目的は、経済、物価であり、為替はその経済と物価に影響を及ぼすから、アメリカの経済が日本経済に影響を与えるのと同様に、重要な要因だが、金融政策の決定においてはあくまで外部的な環境要因として扱うということである」、なるほど。
・『日銀にとっての金融政策は「物価一辺倒」 一方の日本は「物価の安定を通じて経済の健全な発展に資する」という建て付けになっている。となると、日銀にとって、金融政策は、景気の微調整ではなく、あくまで物価、一義的には物価一辺倒になる。 そうなると、金融政策における経済の位置づけは難しくなる。なぜなら、21世紀に入ってから、コロナショックで物価が急上昇するまでは、インフレ率が低い水準で安定していたから、景気刺激を金融緩和で行うことができた。つまり、金融政策は景気刺激を目的と、インフレ率は、単なる制約条件となり、インフレ率が大幅に上がらなければ、金融緩和をいつまでも存分にやっていい、というような状況となった。 これは、日本に限らず、アメリカも同じような雰囲気だった。アメリカでは、コロナで景気が悪くなることを懸念したから、日本をはるかに上回る大規模財政出動と合わせて、大幅な金融緩和を行い、それを継続した。 コロナ禍によるサプライチェーンの大混乱に加え、ロシアのウクライナ侵攻でエネルギー価格が急騰し、その結果、インフレ率が上昇しても、あまり警戒せず「需要の過熱による物価上昇ではないから、これは一時的であり、金融引き締めは不要」としたため、利上げが大幅に遅れ、その結果、高い短期金利の継続を余儀なくされた。 一方、日本では、21世紀に入ってからは、バブル処理が終わった後も、財政、金融ともにひたすら景気対策に動員された。財政赤字が拡大していたこともあって、金融政策は、つねに緩和可能な最大限を行うことが求められ、継続された。 その結果、ゼロ金利の限界を超えて量的緩和、異次元緩和、イールドカーブコントロール(長短金利操作)と、次々とイノベイティブな金融政策が日銀によって発明された。) また、株式の買い入れという異常な(不可解な)政策まで動員された。日本では物価がほとんど上昇しなかったから、人々は、金融緩和を拡大しない日銀は、ケチでやる気がなく無能力であるかのように思った。 デフレ脱却を合言葉にしたアベノミクスにおける異次元緩和は、とにかく物価を上げること、インフレを起こすことが目的となり、リフレ政策と呼ばれたが、日銀の制度上の建て付けからは、とにかくインフレの目標(メドであろうが目標であろうが)を達成することが、一義的な目的であるから、景気とは無関係に物価が動かなすぎるのであれば、動かすことが目的となり、それでも動かなければ、日本経済が一時的にどうなろうと、物価を優先させるということは、原理的に間違っているわけではなかった。 しかし、アベノミクスや異次元緩和に賛成していたほとんどの人々は、そういう物価原理主義とは無関係に、景気がよくなるに越したことはないし、金融緩和の弊害がインフレということなら、日本でインフレが起きるはずがないから、どんどん緩和すればいい、というだけの気持ちだった』、「日本」では、「金融政策は、つねに緩和可能な最大限を行うことが求められ、継続された。 その結果、ゼロ金利の限界を超えて量的緩和、異次元緩和、イールドカーブコントロール(長短金利操作)と、次々とイノベイティブな金融政策が日銀によって発明された。) また、株式の買い入れという異常な(不可解な)政策まで動員された。日本では物価がほとんど上昇しなかったから、人々は、金融緩和を拡大しない日銀は、ケチでやる気がなく無能力であるかのように思った・・・アベノミクスや異次元緩和に賛成していたほとんどの人々は、そういう物価原理主義とは無関係に、景気がよくなるに越したことはないし、金融緩和の弊害がインフレということなら、日本でインフレが起きるはずがないから、どんどん緩和すればいい、というだけの気持ちだった」、なるほど。
・『インフレ上昇、金融引き締め局面では「大きな分断」 この日米の状況が、インフレ率上昇後の金融政策を難しくしている。そして、永遠に人々に誤解されたまま、その誤解が放置され、金融政策は将来にわたって、永遠に中央銀行と市場(エコノミスト、政治家、メディア、一般の人々も含む)との意思疎通ができないままとなり、つねに誤解から、市場は混乱し、中央銀行は責められ、経済に大きな障害となっていく恐れがある。 なぜなら、緩和局面は誤解があっても、同床異夢であり、金融緩和はだれにとっても歓迎だったから、軋轢は表面化しなかったが、インフレ上昇、金融引き締め局面では、大きな分断が、中央銀行とそのほかの世界の間に生じてしまうからだ。 現在、アメリカ中央銀行が強烈な金融引き締め、高金利を継続しているのは、景気に配慮して行っているのではない。物価だけを考えてやっている。しかし、このまま物価が十分に下がらず、景気も悪化し始めると、なぜ早く利下げしないのだ、という圧力がかかり始める。 物価は高いままだが、インフレ率は低くはないが、上昇は止まっている。そして、景気はこれから悪化しそうだ。それなら、物価と景気のバランスをとって、利下げするべきだ、というのが外野の主張、要求となる。) しかし、中央銀行にとっては、物価と景気が対立したら、それは物価が当然優先されるのだ。長期的にインフレ率が高止まりすれば、それは長期的に経済に大きな悪影響を与える。だから、物価をとにかく下げることが優先される。物価と景気のバランスは二の次になる。 ここで問題なのは、金融引き締めを行っても、インフレ率がそれによって低下するわけではないことだ。なぜなら、インフレの要因のほとんどが供給側にあり、金融引き締めで需要を抑制しても、人手不足からの賃金上昇によるコスト高によるインフレだから、ほとんど効果はない。 それでも、中央銀行としては、インフレ率を下げるためには、需要抑制以外の手段はない。コスト高であったとしても、需要が増えれば、インフレは加速する可能性があり、効果がほとんどないとしても、金融引き締めをやめるわけにはいかないからだ。 この結果、人々の中央銀行への信頼、評価が下がり、長期的に、金融政策の効果が阻害される。金融緩和の局面になっても「緩和に後ろ向きだ、抑制気味だ」という批判が(印象によるものにすぎないのだが)続くことになる』、「インフレの要因のほとんどが供給側にあり、金融引き締めで需要を抑制しても、人手不足からの賃金上昇によるコスト高によるインフレだから、ほとんど効果はない。 それでも、中央銀行としては、インフレ率を下げるためには、需要抑制以外の手段はない。コスト高であったとしても、需要が増えれば、インフレは加速する可能性があり、効果がほとんどないとしても、金融引き締めをやめるわけにはいかないからだ。 この結果、人々の中央銀行への信頼、評価が下がり、長期的に、金融政策の効果が阻害される。金融緩和の局面になっても「緩和に後ろ向きだ、抑制気味だ」という批判が・・・続くことになる」、なるほど。
・『日銀と人々が分断、政策への信頼が永久に失われる懸念 日本においては、これが為替相場、円安について起きている。人々は、異次元緩和、大規模金融緩和を支持した。それは景気にプラスだし、株価が上がったし、それだけのことだった。物価への理念など関係ない。金融政策とは、景気と株価のためにやっていると思っていたし、今も思っている。株式や不動産のETF(上場投資信託)の買い入れも、株価を支えるのが金融政策の役目であると思ったし、今も思っている。 そこへ、物価高がやってきた。そして、強烈な円安がやってきた。「貧しい日本」と言われだした。電気代もガソリンも円安のせいだ。日銀は、金融政策で経済をよくする、景気をよくするはずで、消費者が生活に困る円安は当然止めてくるものと人々は思った。 しかし、実際はまったく逆で、物価がまだ十分上がらないから、もっと物価を上げると言っている。そして、円安はわれわれ中央銀行には関係ない、金融政策の目的ではない、と繰り返す。メディアでは、日米の金利差が円安の要因と言っている。要は、世界で日本だけ金利が低いから円安なのか。日銀の責任じゃないか。「日銀は意味不明だ。何をやっているんだ」ということになる。) しかし、これは、日銀の人々には響かない。「われわれの目的は物価だ。そして、物価は悲願のインフレ率2%定着の最後のチャンスだ。ここで逃しては、この20年の戦いが無駄になる」ということで、人々と日銀の分断は、日本でも永久に残り、将来の金融政策への人々の信頼は永久に失われてしまうだろう。 「『物価が上がらなければいいのに』」と嘆く人たちへ」「日銀は『円安』『国債の山』『次の緩和』をどうするか」(7月8~9日配信)での、渡辺努教授との対談記事でも明らかだが、日銀および金融政策の学問的な専門家は、物価というものを最優先に考えていることがわかる。 この数年の日銀の動き、植田総裁の金融政策のスタンスを、われわれ一般人の生活感や常識にとらわれずに観察してみると、物価最優先というのが建前ではなく、本音であることがわかるはずだ。これは、30~31日の日銀政策決定会合においても、アメリカの中央銀行の決定会合(FOMC=公開市場委員会)後の声明文を読んでも、再確認されるだろう』、「メディアでは、日米の金利差が円安の要因と言っている。要は、世界で日本だけ金利が低いから円安なのか。日銀の責任じゃないか。「日銀は意味不明だ。何をやっているんだ」ということになる。) しかし、これは、日銀の人々には響かない。「われわれの目的は物価だ。そして、物価は悲願のインフレ率2%定着の最後のチャンスだ。ここで逃しては、この20年の戦いが無駄になる」ということで、人々と日銀の分断は、日本でも永久に残り、将来の金融政策への人々の信頼は永久に失われてしまうだろう」、なるほど。
・『「実体経済にひずみをもたらさない為替」を目標にすべき そして、実は、こうした物価最優先の考え方は理論的にも間違っている。とりわけ日銀においてそうだ。 なぜなら、21世紀の成熟国の経済においては、金融政策は金融市場、つまり、株式や債券などのリスク資産市場と為替市場に直接大きな影響を与え、実体経済には間接的にしか影響しない。それが、日銀の異次元緩和で得た教訓だ。 期待では物価は動かない。そうであれば、直接影響を与える市場にターゲットを絞って、それを安定化させる、コントロールすることで、間接的に実体経済を安定化させ、健全な経済発展を導く。それが、合理的なはずだ。 物価安定を通じて経済を発展させることが、実体経済の変動が経済変動の中心で、需要増加がインフレに直結する20世紀後半にはそうだったのだから、21世紀には、金融市場の動向が主導して実体経済に影響を与えるのだから、金融市場を直接の目標とすべきだ。 つまり、為替をターゲットとし、実体経済にひずみをもたらさない為替を目標とする。「2%のインフレ率を目標とする」のように、経済主体の行動が、ファンダメンタルズではなく為替水準およびその変動から影響を受けないような為替水準にとどまるように、という目標を設定する。インフレ率の変動が実体経済に影響を与えないようにする、のとまったく同じ精神だ。 そして、「景気安定」という目標を「株式市場や債券市場の安定」(つまりファンダメンタルズから大きく乖離しない、過度に変動しない)という目標に置き換え、これが実体経済に連動した形になるように安定化を図るべきなのだ。 なぜ、そのような自然なことができないのか。それは、「金融政策に為替や株価は関係ない、物価に集中」という過去の原理原則を忠実に心の底から正しいといまだに信じているからなのだ。そして、それは、日銀を日本社会から孤立させ、今後の通貨波乱のときに、日銀が力が発揮できない大きな要因となるであろう。 (当記事は「会社四季報オンライン」にも掲載しています)』、「物価最優先の考え方は理論的にも間違っている。とりわけ日銀においてそうだ。 なぜなら、21世紀の成熟国の経済においては、金融政策は金融市場、つまり、株式や債券などのリスク資産市場と為替市場に直接大きな影響を与え、実体経済には間接的にしか影響しない。それが、日銀の異次元緩和で得た教訓だ。 期待では物価は動かない。そうであれば、直接影響を与える市場にターゲットを絞って、それを安定化させる、コントロールすることで、間接的に実体経済を安定化させ、健全な経済発展を導く。それが、合理的なはずだ・・・21世紀には、金融市場の動向が主導して実体経済に影響を与えるのだから、金融市場を直接の目標とすべきだ。 つまり、為替をターゲットとし、実体経済にひずみをもたらさない為替を目標とする。「2%のインフレ率を目標とする」のように、経済主体の行動が、ファンダメンタルズではなく為替水準およびその変動から影響を受けないような為替水準にとどまるように、という目標を設定する。インフレ率の変動が実体経済に影響を与えないようにする、のとまったく同じ精神だ。 そして、「景気安定」という目標を「株式市場や債券市場の安定」・・・という目標に置き換え、これが実体経済に連動した形になるように安定化を図るべきなのだ」、金融政策の革命的な転換を主張している。
第三に、8月6日付け現代ビジネスが掲載した一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による「日経平均の大暴落は「超円安」依存経済への警鐘だ…!市場を大パニックに陥れた「予想外の原因」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/135083
・『今回の株価大暴落を引き起こした原因は、為替レートが今後円高に転じる可能性が強くなったとの予想だ。これまでの日本の株価上昇を支えてきたのは、円安による企業利益の増大だったが、その状況が大きく変わる』、興味深そうだ。
・『大暴落の原因:重要なのは予想外のニュース 8月2日に、日経平均株価が大暴落した。週明けの5日も続落でマーケットが始まり、日経平均株価は終値は3万1458円となり、年初の終値3万3288円を下回った。7月11日につけた終値4万2224円に比べると、1万0766円(25.5%)の下げ、史上最大の暴落を記録した。 今後を考えるには、何が暴落の原因だったのかを明らかにしておく必要がある。考えられるものとしては、つぎの3つがある。 1) 日本銀行による利上げ 2) FRB(アメリカ連邦準備制度理事会)による利下げ予告 3) アメリカ景気指標の悪化 結論を言えば、1、2ではなく、3が主因だった。ただし、それが直接に影響したのでなく、「それによって、FRBの利下げ幅が大きくなり、円高が進む。それが日本企業の収益を低下させる」という予想が広がったためだと考えられる。 ここで重要なのは、「何が予想外のニュース(サプライズ)だったか?」という点だ。予測されていたことは、すでに株価に織り込み済みになっているはずだからである。株価を動かすのは、予想外のニュースだ』、「ここで重要なのは、「何が予想外のニュース(サプライズ)だったか?」という点だ。予測されていたことは、すでに株価に織り込み済みになっているはずだからである。株価を動かすのは、予想外のニュースだ」、その通りだ。
・『日銀利上げやFRB利下げ予告は大きな原因でない まず、何が起きたかを時系列的に整理しておこう。7月の30、31日に日銀が政策決定会合を開いた。ここでの決定は国債購入の減額だけで、利上げの決定は行われないと考えられていたのだが、急にそれが議題になるとの情報が伝わり、31日(水)の午前から円高が進み、日経平均株価が下落した。 15時過ぎに植田総裁の記者会見があり、円高が進んだ。午前中は1ドル=153円程度であったものが、150~151円程度にまでの円高になった。しかし、株価は午後になって午前中の下落を取り戻し、終値は3万9140円と、前日より高くなった。つまり、日銀の利上げ決定はサプライズであったにもかかわらず、株価にはあまり大きな影響を与えなかったのだ。 続いて7月31日(日本時間では、8月1日の午前3時)に、FRBのパウエル議長が9月の利下げを示唆した。 これを受けて、ニューヨーク証券取引市場では、買いが先行して取引が始まった。利下げは株価に好影響を与えるから、当然の反応だ。 ここまではほぼ予測されていた展開だったのだが、その後、様々な経済統計が予想以上に米景気が悪化していることを示し始めた。特に失業率が上昇していることや、製造業の景況感指数が予想を下回る数字だったことが大きかった。 これを受けて、ダウ平均株価が急落し、1時は下げ幅が700ドルを超えた。 日本時間の8月1日午前9時頃から急激な円高が進み、それまで1ドル=150円程度であったものが、146円程度になった。 これを受けた8月1日の東京市場では、日経平均株価が寄り付きから値下がりし、終値は3万8083円となった。つまり、前日から1057円下落した。 日経平均株価は、8月2日(金)も寄り付きから下落し、前日終値から2216円安い3万5909円となった。そして週明けの8月5日(月)、終値は前営業日比で4451円安い3万1458円。史上最大の下落となった。7月11日につけた終値4万2224円に比べると、1万0766円(25.5%)の下げだ』、「8月5日(月)、終値は前営業日比で4451円安い3万1458円。史上最大の下落となった。7月11日につけた終値4万2224円に比べると、1万0766円(25.5%)の下げだ」、なるほど。
・『なぜ日本株が下落したのか? 「アメリカの経済指標が悪化したから、アメリカの株価が下落した」というのはよくわかる。とりわけ大きな影響を与えたのは、失業率が急上昇したことだった。 また、半導体製造会社インテルの業績が悪化して人員削減計画を発表し、株価が1日で4分の3に目減りするという「インテルショック」が生じた。これにつられて、TSMCやAmazon.comの株価も下落した。 理解しにくいのは、なぜ日本の株価が下落したかだ。日本の輸出が影響を受ける面もなくはないのだが、あまり大きな影響ではない。 最も大きな要因は、円高が進んだことだ。今年に入ってから日本企業の業績が好調だったが、それは円安によるものだったのだ。それがこれから大きく変化するという予想で、日本の株価が下がったのだ』、「今年に入ってから日本企業の業績が好調だったが、それは円安によるものだったのだ。それがこれから大きく変化するという予想で、日本の株価が下がったのだ」、なるほど。
・『そして、なぜ円高になったのか? では、なぜ為替レートの動向に大きな変化が生じたのか? 為替レートは日米の金利差によって大きな影響を受けるから、日米の金利政策が関連しているはずだ。しかし、これまで見てきたように、パウエル議長の会見直後までは、大きなサプライズはなかった。 急激な円高が進んだのは、FRBによる9月の金利引き下げ幅が大きくなるという予想ではないだろうか? 市場では、FRBの利下げが遅すぎるのではないとの考えが強まっていた。FRBは、今回のインフレを重大視せず、利上げに踏み切るのが遅すぎたと批判されている。そして、いま、利下げに踏み切るのも遅すぎるとの批判が強まっているのだろう。 アメリカの利下げが、今後どのようなタイミングと規模で進行するのかはまだわからないが、株価下落の影響で、これまで考えられていたよりも利下げ幅が大きくなる可能性は十分にある。市場では、9月に通常の2倍の利下げに踏み切るとの見方が広まっているようだ。 仮にそうなれば、日米金利は一挙に大きく縮小することになり、為替レートに対して大きな影響が及ぶ。つまり、本格的な円高が進む可能性がある。実際にそうなれば、日本株に対する影響も簡単には元に戻らないものになるだろう』、「9月に通常の2倍の利下げに踏み切るとの見方が広まっているようだ。 仮にそうなれば、日米金利は一挙に大きく縮小することになり、為替レートに対して大きな影響が及ぶ。つまり、本格的な円高が進む可能性がある。実際にそうなれば、日本株に対する影響も簡単には元に戻らないものになるだろう」、なるほど。
・『新NISAで株式投資を始めた人には大ショック 今年の初めに、日本では新NISAが導入された。それとタイミングを合わせるように、円安が進み、株価が上昇したことから、新しく株式投資を始める人が増えた。その多くが海外投資に向かった。 これらの人たちにとって、今回の暴落は大きなショックだったに違いない。 とりわけ海外投資の場合には、株価の下落だけではなく、円高(=外国通貨安)による影響があるので、日本円で見た資産額は大きく減ったはずだ。 もともと株式投資は極めてリスクが高いものだ。それに加えて、外国株への投資には為替レートのリスクもある。だから、極めてリスクが高い。これは当然のことなのだが、今年初めから株価が上昇し、為替レートも円安に進んでいたので、リスクの大きさが十分に認識されていなかったのではないだろうか。そのうえ、インフレ下では株式投資で資産を安全に運用できるとする考えが広がっていた。そうしたことを信じて投資をした人は、ショックだったに違いない。 政府も、これまで「貯蓄から投資へ」というスローガンの下に、銀行預金から株式投資などのリスク投資を勧めてきた。今回の暴落で資産を失った人から苦情が寄せられた場合、どのように対応できるだろうか?』、「新NISAで株式投資を始めた人には大ショック」、政府としては何ら対応できないだろう。
・『確実に利益が上がる投資法など存在しない 今回の大暴落の原因究明は、知的好奇心を満たすためには格好の材料だ。私がこの問題を考えているのは、そのためだ。 しかしいくら探求したところで、それによって株式投資で利益を得られるわけではない。私がやっているのは、後講釈であって、将来の予測ではないからだ。私が将来について述べているのは、「仮にこうなれば、こうなる」という条件付きの予測にすぎない。 「将来の株価や為替レートを予測することはできない」とは、どんなに優れた分析能力を持つ人が、どんなに大量のデータを分析してやったとしても、同じことである。これは、ファイナンス理論で「効率的市場仮説」と呼ばれる考えだ。 「金融リテラシーを身につけることが重要」とよく言われる。そのとおりだが、もっとも重要なのは、株価を予測する手法を学ぶことではない。「株式投資で確実に利益を上げる投資法は存在しない」と認識することだ』、「将来の株価や為替レートを予測することはできない」とは、「ファイナンス理論で「効率的市場仮説」と呼ばれる考えだ・・・もっとも重要なのは、株価を予測する手法を学ぶことではない。「株式投資で確実に利益を上げる投資法は存在しない」と認識することだ」、同感である。
第四に、8月6日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鷲尾 香一氏による「日本株を襲うもうひとつの「不都合な真実」…日銀利上げで「円高デフレ大逆流」が招く「日経平均2万8000円台」の悪夢のシナリオ」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/135107?imp=0
・植田・日銀が犯した「3つの過ち」 8月5日の日本株の大暴落で、岸田文雄首相や植田総裁は日本版「ブラックマンデー」を演出した戦犯として歴史に刻まれることとなった。 前編『「日本株大暴落」戦犯たちの憂鬱と個人投資家の阿鼻叫喚…なにが日本版ブラックマンデーの引き金を引いたのか』で紹介したとおり、日本株暴落の引き金を引いた日本銀行の政策決定会合である。日銀と政府は大きな3つの間違いを犯した。 ひとつは、利上げと量的金融緩和策として行われていた長期国債の買入額の減額を同時に発表したこと。次に植田総裁がさらなる利上げに言及したこと。そして、米国FOMCの動向を読み間違えたことだ。 これによって、日本株は過去最大の下げ幅を記録したのだった』、なるほど。
・『しょせんは円安による株高だった… 直近の経過を振り返ろう。日経平均株価の終値は、日銀が利上げを発表した7月31日の3万9101円から翌8月1日には3万8126円に975円下落した。 しかし、米国の経済統計により、景気減速観が強まると、米国株の大幅な下げと相まって、8月2日には日経平均株価の終値は前日比2216円安の3万5909円と、下げ幅はブラックマンデー翌日の1987年10月20日(3836円安、14.9%安)以来およそ36年10ヵ月ぶりの大きさで、史上2番目の下げ幅となった。 さらに、8月2日発表の米国の7月雇用統計が非農業部門雇用者数11万4000人増と予想を下回り、失業率の前月比が21年9月以来約3年ぶりの高水準となる4.3%に上昇したことで米国の景気減速懸念が強まり、週明けの8月5日の日経平均株価は前週末比4451円安の3万1458円と史上最大の下げとなった。 7月31日に1ドル=153円台だった為替レートは8月5日には141円台まで円高が進行。わずか4営業日で10円以上という急激な円高となった。 日経平均株価の上昇は、円安進行を背景に進んできたといっても過言ではない。1ドル=136円台前半だった23年2月の日経平均株価は2万7446円だった。その後、円安の進行とともに、日経平均株価は上昇を続けたのである。 となれば、どの程度、円高がすすめば株価がどうなるかは見えてくる』、「1ドル=136円台前半だった23年2月の日経平均株価は2万7446円だった。その後、円安の進行とともに、日経平均株価は上昇を続けたのである」、なるほど。
・『日経平均は正念場「2万8000円台を覚悟せよ」 今回の日銀の利上げを受けた為替相場、日経平均株価の動きを見ると、日経平均株価が3万6000円に下落した8月2日の為替レートは148円だ。そして、日経平均株価が4000円を超える史上最大の下げとなり、3万1000円台に下落した8月5日の為替レートは142円付近だった。 これは、多少のブレはあるものの、過去の日経平均株価の水準と為替レートの水準の関係に非常に近い。 植田総裁が「次のステップに行く」と明言したように、さらなる利上げがあるとすれば、パウエルFRB議長の「9月の利下げ開始もありうる」との発言と相まって、日本の利上げ、アメリカの利下げにより、円高はさらに進行することになる。市場では、すでに次の日銀の利上げ時期を12月との見方が強まっている。 となれば、円高が140円まで進めば、日経平均株価は3万円割れとなる可能性が大きい。場合によっては、2万8000円台まで下落する可能性すらある』、「円高が140円まで進めば、日経平均株価は3万円割れとなる可能性が大きい。場合によっては、2万8000円台まで下落する可能性すらある」、なるほど。
・『「物価高」は落ち着いてきている 問題は、実は日銀が利上げの根拠とする「物価の上振れリスク」には、すでに陰りが見えていることだ。 為替レートの動きと生鮮食品を除く消費者物価指数を並べてみると、見事なまでに円安進行が輸入物価の上昇を通して、国内物価高を演出していたことがわかる。 23年2月の為替レートが136円だった時、消費者物価指数は103.6だった。それが、24年6月に160円まで円安が進むと、消費者物価指数は107.8まで上昇している。この点では、確かに円安を止め、円高にすることで物価高を抑えることができる可能性は高い。 しかし、生鮮食品を除く消費者物価指数が前年同月比で上昇に転じたのは、21年9月からで23年1月には4.2%という高い伸びとなったが、その後は伸び率が低下基調をたどり、直近の6月には2.6%にまで低下している。) その上、上昇要因となっているのは、円安を踏まえたエネルギー価格の上昇だ。 生鮮食品およびエネルギーを除く消費者物価指数は、23年4~10月の半年間は4%台と高い伸びだったが、直近の6月には2.2%まで低下している。 日銀は物価上振れリスクの要因のひとつとして、エネルギー価格の上昇に対する政府の補助が終了することをあげているが、エネルギーを除けば、輸入物価上昇ペース鈍化の影響から物価上昇は収まりつつあり、為替円高が進めば、日銀が掲げる2%の物価目標の達成は危ういものとなる。 今回の急激な円高進行により物価が下落に転じた場合、日銀は果たしてどのような金融政策を選択するのであろうか』、「エネルギーを除けば、輸入物価上昇ペース鈍化の影響から物価上昇は収まりつつあり、為替円高が進めば、日銀が掲げる2%の物価目標の達成は危ういものとなる」、なるほど。
・『やっぱり露呈した「稚拙な市場との対話」 そもそも、生鮮食品を除く消費者物価指数が前年同月比で4%を超える上昇となった23年初めには、日銀は利上げを強く否定していた。それが、物価高が落ち着き始めている今になって、根拠の薄い上振れリスクを理由に利上げに踏み切ったのは、不可解ほかならない。 物価上昇が厳しかった時から、緩やかに小幅な利上げを行っていれば、今回のような日経平均株価の大暴落という事態を引き起こすことはなかったはずだ。 以前から筆者は、日銀はフォワードガイダンスが致命的に下手だと指摘している。 アメリカでは、FRBがFOMCで9月の利下げを示唆するなど、市場が利下げに対して用意周到な準備ができるようにしている。日銀も利上げの方針を事前に市場に浸透させていくことができたはずだ。 日経平均株価の史上最大の下落は、日銀の稚拙な金融政策が原因にほかならない。 連載記事『ドル円147円割れで「株価下落」が始まった…!日銀・植田総裁が引き金を引く「日本株3万円割れ」に警戒せよ!』では、4ヵ月ほど前の日銀政策の状況について論じているのでこちらも参考としてほしい』、「日銀も利上げの方針を事前に市場に浸透させていくことができたはずだ。 日経平均株価の史上最大の下落は、日銀の稚拙な金融政策が原因にほかならない」、同感である。
第五に、9月12日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鷲尾 香一氏による「まさか日銀で「植田総裁vs.内田副総裁」バトル勃発か…つぎの日銀会合は「円高急進」を覚悟せよ!正副総裁「意見の違い」で鮮明になった「ふたりの溝」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/137104?imp=0
・『7月大暴落、日銀の犯した罪 まもなく、日銀の金融政策決定会合が開催される。この会合の最大の注目点は、植田和男総裁の記者会見となるだろう。もしかしたら、この会見で相場に一波乱ということもあるかもしれない。今回は、その理由を説明していこう。 8月23日、植田総裁は衆議委員の財政金融委員会に出席した 前回、7月の日銀政策決定会合での利上げによって、為替相場は円安から円高基調に転換した。だが、それは株価の大暴落という大きな痛みを伴うものとなり、株式市場は今なお、不安定な状況にある。 円高転換で、たしかに輸入物価上昇は抑制されつつあるが、想定外の“令和の米騒動”があって米価は急上昇した。国民生活はなお大きな負担を強いられている。 筆者は8月6日に寄稿した『日本株大暴落」戦犯たちの憂鬱と個人投資家の阿鼻叫喚…なにが「日本版ブラックマンデー」の引き金を引いたのか』で、日銀は大きな3つのまちがいを犯したと指摘した。 1点目は、利上げと量的金融緩和策として行われていた長期国債の買入額の減額を同時に発表したこと。2点目は植田総裁がさらなる利上げに言及したこと。そして3点目は米国の動向を読みちがえたことだ。 しかも、その後の市場の混乱の火消しをする際に、植田総裁と内田眞一副総裁がそれぞれ異なる説明をしており、これはさらなる不安要素となるかもしれない』、「1点目」、「2点目」は間違いとは思わない。
・『植田総裁と内田副総裁の「意見の食いちがい」 7月の利上げ決定後の記者会見で、植田総裁は先行きについて「経済・物価情勢に応じて、引き続き政策金利を引き上げ、金融緩和の度合いを調整していく方針」を示している。 利上げが遅れれば、あとの利上げ幅が大幅なものになり、経済の安定を損ねるという「ビハインド・ザ・カーブ」(政策が後手に回る)リスクがあるからだと説明したのである。 ところが、8月7日に函館市で行われた金融経済懇談会で、次期総裁の有力候補とされる内田副総裁は「金融資本市場が不安定な状況で、利上げをすることはありません」と述べた。これは為替が急激に円高に振れ、株式相場が大混乱に陥っていたことを受けた火消しではあるが、筆者は内田副総裁が利上げしない理由としてあげたことが気になっている。 それは「円安が修正された結果、物価上昇上振れリスクが小さくなった」こと、また「円安修正は政策運営に影響する」という2点である。 つまり、利上げによって円高が進行したことで、さらなる利上げの必要性が低下したと言っているように聞こえるのだ。 さらに、内田副総裁は「わが国の場合、一定のペースで利上げをしないとビハインド・ザ・カーブに陥ってしまうような状況ではありません」と述べ、金融資本市場が不安定な状況で、利上げをすることはないと明言した。この内田副総裁の発言は、植田総裁の発言を180度ひっくり返すものだ』、「内田副総裁」の発言は、あくまで「株式相場が大混乱に陥っていたことを受けた火消し」であって、「植田総裁」と意見が根本的に食い違っているとみるのは誤りだと思う。
・『意見の食い違いから起こる市場の混乱 正副総裁の方針の違いは、市場が日銀のフォワードガイダンスを信用できなくなり、大きな混乱の要因となる。 ところが、二人の意見の食い違いを裏づけるように、8月23日に国会閉会中審査の衆院・財政金融委員会に出席した植田総裁は、内田副総裁の発言を否定する姿勢を示したのである。 まず、7月の利上げ後に株価が大暴落した点について、「8月2日の米国7月分雇用統計が予想以上に下振れたことによるもの」と答弁し、日銀の利上げが要因ではないとの姿勢を貫いた。 さらに、「現在の実質金利は非常に低く、強い緩和環境を作っている」、また、「経済に大きな悪影響を与えずに追加利上げを進めることが妥当」との考えを示して、さらなる利上げに対する姿勢を変えなかった。 当然、委員からは植田総裁と内田副総裁の発言が食い違っていることについて、説明を求める質問がなされたが、なんと植田総裁は明確な答弁をしなかった。説明が行われなかったことで、かえって両者の間の溝が鮮明となってしまったのだ。 繰りかえすが、方針が明確でない金融当局の動きは、市場が見通しを立てるのを阻害し、混乱のひとつの要因ともなりえる。 では、こうした不安要素をかかえながら、9月19・20日の金融政策決定会合ではどのような決定が行われるのだろうか。 筆者の分析については、つづく後編記事『つぎの「日銀会合」でまた波乱か…!「植田総裁vs.内田副総裁」バトル勃発で、いま注目が集まっている「植田発言」』でじっくりとお伝えしていこう』、「内田副総裁」が「植田総裁」では言えないことも補足的に説明するのは、「副総裁」としての当然の責務だ。それを根本的な見解が食い違っているかのように捉えるのは、筆者の常識を疑いたくなる。
タグ:金融政策 (その48)(「断捨離」をした日銀は7月末にどう動くのか 渡辺努・東大教授の「物価理論」を解説しよう、日銀は為替を金融政策の対象に入れるべきだ このままでは金融政策への信頼が失われる懸念、日経平均の大暴落は「超円安」依存経済への警鐘だ…!市場を大パニックに陥れた「予想外の原因」、日本株を襲うもうひとつの「不都合な真実」…日銀利上げで「円高デフレ大逆流」が招く「日経平均2万8000円台」の悪夢のシナリオ、まさか日銀で「植田総裁vs.内田副総裁」バトル勃発か…つぎの日銀会合は「円高急進」を覚悟せよ!) 東洋経済オンライン 小幡 績氏による「「断捨離」をした日銀は7月末にどう動くのか 渡辺努・東大教授の「物価理論」を解説しよう」 「筆者は1から3まで120%渡辺理論に賛成で、渡辺理論の世界一の理解者であると同時に、世界一、渡辺理論に近い意見を持っているのが小幡績である。しかし、筆者は4から6には強く反対で、ここが渡辺・小幡の大きな対立点である。目指すゴールは一緒、問題認識も一緒、しかし、アプローチが180度(いや90度かな?)異なる」、なるほど。 「1については」「日本の企業は、価格設定を経営の戦略変数に入れていないことがほとんどで、本当に駄目だ。これこそ利益率が低い理由であり、ひいては日本の生産性やGDP(付加価値率)が伸びない理由であるとも指摘してきた。要は「ぼったくり」とまではいわないが、消費者からむしり取ってでも儲けようという意欲、気概、力が足りないのである・・・2については・・・日本では価格はありますが、動いていなければ価格メカニズムがないに等しい。その結果として資源配分が歪んできた」。 これには筆者も200%賛成だ。したがって、渡辺理論の日本の物価への懸念はミクロ経済学的な資源配分の歪み、ということに尽きるのである」、なるほど。 「筆者は3については80%賛成できる。ただ、その中身は、渡辺教授と筆者では少し違う。渡辺教授はこう言う。 「企業は通常、価格を決めるパワーを持っているわけですが、それが奪われてしまった。そうすると企業は、何か新しい商品を作るために投資して、高い価格をつけて儲けることができません。最初からいい商品を作ることをあきらめる。価格をコントロールできない環境では、企業はアグレッシブな行動ができなくなってしまう。 それでも当然、収益を上げなければいけないので、じゃあコストカットとなって、経済がどんどん後ろ向きに回ってしまう。これがデフレの最大の弊害だと思っています」。 筆者は違うと思う。これは企業がデフレを言い訳にして何もしていないだけだ。新しい製品なら新しい価格が付く。既存の製品の価格が変えられないからこそ、アグレッシブに新しいことをする。不況こそが次への脱皮を促す。だから、原因はデフレではなく、個々の企業が原因だと思う」、なるほど。 「4から6は一体となっている主張だが、筆者はそれぞれ反対するところがある。まず、4だ。渡辺教授はこう言っている。 「僕は、価格が動かないことで実体経済が歪むコストが大きいから、金融市場では少々のことが起きても仕方がないと思っています。 少々のこと、というのがどの程度か、ということが問題だが、この文脈では、金融市場とは為替の話だった。筆者としては、為替の歪みはとてつもなく大きく、かつ金融政策により生じてしまった責任があると思うし(つまりやるべきでなかった)、一方で、今後円安を止める力もあると思っている。 ) そして5は、もっとも意見が異なる。渡辺教授は、このように主張する。「社会全体が共通の認識として「価格は変わらないもの」と信じてしまっていて、個々の企業が解決できる問題じゃなかったんです」。 つまり、この価格メカニズム機能不全現象が、個々の企業ではどうしようもない。消費者を中心として社会全体が、価格は変わらない、と思ってしまっているから、マクロで社会全体の意識を変えなければいけない、と思っている。 一方、筆者の意見は、企業も消費者もみんなが萎縮した形で均衡しているのだから、マクロの金融政策では抜け出せず、企業が行動を変えるようなインセンティブを与えるとか、ミクロ政策を打ち出さないと効かないのでは、というものだ」、なるほど。 「渡辺教授は、何とか価格メカニズム復活のために、現状の委縮均衡の完全なる破壊に執念を燃やしている、あるいは、今が、最後の最大のチャンスだと思っているようだ。 「今は同調だろうがなんだろうが、価格が動いてくれればもうけもの。スーパーなどの販売価格をPOSデータでみても、これまで価格が動かない商品の割合が7割だったのが減ってきています。顕著に減ってきています。価格も賃金も動かない状態からとにかく脱出する。そうなりつつあるから、しっかり固めるときだと思います」、なるほど。 「6については、結果的には意見は一致・・・しかし、今後については、私とは意見が異なるようだ。 「3月の日銀の決定は、要らないモノを捨てる『断捨離』なんだと説明しています。断捨離のポイントは、要るモノと要らないモノを区別することです。要るモノとして残したのが、バランスシートです。バランスシートが大きい状態はやっぱり望ましいんですよ」。 さあ、7月30~31日の金融政策決定会合で、植田和男・日銀総裁は、どの程度国債買い入れを減らすのか。そして、それはバランスシートのサイズを意識したものになるのか、それとも、毎月の購入額というフローの額を重要視するのか。注目だ」、さあ、どうなるだろう。 小幡 績氏による「日銀は為替を金融政策の対象に入れるべきだ このままでは金融政策への信頼が失われる懸念」 「金融政策の目的は、経済、物価であり、為替はその経済と物価に影響を及ぼすから、アメリカの経済が日本経済に影響を与えるのと同様に、重要な要因だが、金融政策の決定においてはあくまで外部的な環境要因として扱うということである」、なるほど。 「日本」では、「金融政策は、つねに緩和可能な最大限を行うことが求められ、継続された。 その結果、ゼロ金利の限界を超えて量的緩和、異次元緩和、イールドカーブコントロール(長短金利操作)と、次々とイノベイティブな金融政策が日銀によって発明された。) また、株式の買い入れという異常な(不可解な)政策まで動員された。日本では物価がほとんど上昇しなかったから、人々は、金融緩和を拡大しない日銀は、ケチでやる気がなく無能力であるかのように思った・・・ アベノミクスや異次元緩和に賛成していたほとんどの人々は、そういう物価原理主義とは無関係に、景気がよくなるに越したことはないし、金融緩和の弊害がインフレということなら、日本でインフレが起きるはずがないから、どんどん緩和すればいい、というだけの気持ちだった」、なるほど。 「インフレの要因のほとんどが供給側にあり、金融引き締めで需要を抑制しても、人手不足からの賃金上昇によるコスト高によるインフレだから、ほとんど効果はない。 それでも、中央銀行としては、インフレ率を下げるためには、需要抑制以外の手段はない。コスト高であったとしても、需要が増えれば、インフレは加速する可能性があり、効果がほとんどないとしても、金融引き締めをやめるわけにはいかないからだ。 この結果、人々の中央銀行への信頼、評価が下がり、長期的に、金融政策の効果が阻害される。金融緩和の局面になっても「緩和に後ろ向き だ、抑制気味だ」という批判が・・・続くことになる」、なるほど。 「メディアでは、日米の金利差が円安の要因と言っている。要は、世界で日本だけ金利が低いから円安なのか。日銀の責任じゃないか。「日銀は意味不明だ。何をやっているんだ」ということになる。) しかし、これは、日銀の人々には響かない。「われわれの目的は物価だ。そして、物価は悲願のインフレ率2%定着の最後のチャンスだ。ここで逃しては、この20年の戦いが無駄になる」ということで、人々と日銀の分断は、日本でも永久に残り、将来の金融政策への人々の信頼は永久に失われてしまうだろう」、なるほど。 「物価最優先の考え方は理論的にも間違っている。とりわけ日銀においてそうだ。 なぜなら、21世紀の成熟国の経済においては、金融政策は金融市場、つまり、株式や債券などのリスク資産市場と為替市場に直接大きな影響を与え、実体経済には間接的にしか影響しない。それが、日銀の異次元緩和で得た教訓だ。 期待では物価は動かない。そうであれば、直接影響を与える市場にターゲットを絞って、それを安定化させる、コントロールすることで、間接的に実体経済を安定化させ、健全な経済発展を導く。 それが、合理的なはずだ・・・21世紀には、金融市場の動向が主導して実体経済に影響を与えるのだから、金融市場を直接の目標とすべきだ。 つまり、為替をターゲットとし、実体経済にひずみをもたらさない為替を目標とする。「2%のインフレ率を目標とする」のように、経済主体の行動が、ファンダメンタルズではなく為替水準およびその変動から影響を受けないような為替水準にとどまるように、という目標を設定する。インフレ率の変動が実体経済に影響を与えないようにする、のとまったく同じ精神だ。 そして、「景気安定」という目標を「株式市場や債券市場の安定」・・・という目標に置き換え、これが実体経済に連動した形になるように安定化を図るべきなのだ」、金融政策の革命的な転換を主張している。 現代ビジネス 野口 悠紀雄氏による「日経平均の大暴落は「超円安」依存経済への警鐘だ…!市場を大パニックに陥れた「予想外の原因」」 「ここで重要なのは、「何が予想外のニュース(サプライズ)だったか?」という点だ。予測されていたことは、すでに株価に織り込み済みになっているはずだからである。株価を動かすのは、予想外のニュースだ」、その通りだ。 「8月5日(月)、終値は前営業日比で4451円安い3万1458円。史上最大の下落となった。7月11日につけた終値4万2224円に比べると、1万0766円(25.5%)の下げだ」、なるほど。 「今年に入ってから日本企業の業績が好調だったが、それは円安によるものだったのだ。それがこれから大きく変化するという予想で、日本の株価が下がったのだ」、なるほど。 「9月に通常の2倍の利下げに踏み切るとの見方が広まっているようだ。 仮にそうなれば、日米金利は一挙に大きく縮小することになり、為替レートに対して大きな影響が及ぶ。つまり、本格的な円高が進む可能性がある。実際にそうなれば、日本株に対する影響も簡単には元に戻らないものになるだろう」、なるほど。 「新NISAで株式投資を始めた人には大ショック」、政府としては何ら対応できないだろう。 「将来の株価や為替レートを予測することはできない」とは、「ファイナンス理論で「効率的市場仮説」と呼ばれる考えだ・・・もっとも重要なのは、株価を予測する手法を学ぶことではない。「株式投資で確実に利益を上げる投資法は存在しない」と認識することだ」、同感である。 鷲尾 香一氏による「日本株を襲うもうひとつの「不都合な真実」…日銀利上げで「円高デフレ大逆流」が招く「日経平均2万8000円台」の悪夢のシナリオ」 「1ドル=136円台前半だった23年2月の日経平均株価は2万7446円だった。その後、円安の進行とともに、日経平均株価は上昇を続けたのである」、なるほど。 「円高が140円まで進めば、日経平均株価は3万円割れとなる可能性が大きい。場合によっては、2万8000円台まで下落する可能性すらある」、なるほど。 「エネルギーを除けば、輸入物価上昇ペース鈍化の影響から物価上昇は収まりつつあり、為替円高が進めば、日銀が掲げる2%の物価目標の達成は危ういものとなる」、なるほど。 「日銀も利上げの方針を事前に市場に浸透させていくことができたはずだ。 日経平均株価の史上最大の下落は、日銀の稚拙な金融政策が原因にほかならない」、同感である。 鷲尾 香一氏による「まさか日銀で「植田総裁vs.内田副総裁」バトル勃発か…つぎの日銀会合は「円高急進」を覚悟せよ!正副総裁「意見の違い」で鮮明になった「ふたりの溝」」 「1点目」、「2点目」は間違いとは思わない。 「内田副総裁」の発言は、あくまで「株式相場が大混乱に陥っていたことを受けた火消し」であって、「植田総裁」と意見が根本的に食い違っているとみるのは誤りだと思う。 「内田副総裁」が「植田総裁」では言えないことも補足的に説明するのは、「副総裁」としての当然の責務だ。それを根本的な見解が食い違っているかのように捉えるのは、筆者の常識を疑いたくなる。
税制一般(その5)(令和の大増税は“江戸時代の五公五民”より過酷?「真の国民負担率」で見る不都合な真実、「定額減税」給与明細の記載義務化に輪をかけてボロ…税金ムダ遣いの“過剰支出”1150億円も!、日本の「金融所得課税」議論で圧倒的に欠けた視点 総裁選の争点だが、政争の具になっていないか) [経済政策]
税制一般については、昨年5月4日に取上げた。今日は、(その5)(令和の大増税は“江戸時代の五公五民”より過酷?「真の国民負担率」で見る不都合な真実、「定額減税」給与明細の記載義務化に輪をかけてボロ…税金ムダ遣いの“過剰支出”1150億円も!、日本の「金融所得課税」議論で圧倒的に欠けた視点 総裁選の争点だが、政争の具になっていないか)である。
先ずは、昨年12月31日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した作家・評論家の古谷経衡氏による「令和の大増税は“江戸時代の五公五民”より過酷?「真の国民負担率」で見る不都合な真実」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/336693
・『現代の税負担率は江戸時代と同じなのか? 「増税メガネ」という言葉が流行語大賞のノミネートを逃したのが忖度かどうかはさておくとして、大増税による国民生活の窮乏は事実である。 増税の是非はともかく、国民負担率5割ともされる目下の租税公課負担は、よく江戸時代の「五公五民」に例えられている。つまり現在は江戸時代並みの過酷な重税にあえいでいるというわけだ。しかし現在の税負担率を江戸時代とほぼ同じと捉えるのは、端的に言って間違いではないか。 かつて、とりわけ戦後の歴史学の中には階級闘争史観が優位的であった。これは江戸時代の封建社会を、武士=支配階級、農工商その他を被支配階級と規定し、この二者が互いに対立・緊張状態にあったとしたものだ。 支配層は苛烈な重税による搾取を行って被支配階級を抑圧し、厳格な身分制のもと、圧政に耐えかねた被支配階級が時としてむしろ旗を立てて一揆を繰り返す。江戸期の庶民はとにかく重い税を搾り取られて生活に窮していた――。このような江戸時代の捉え方を「貧農史観」などと呼ぶが、近年、江戸時代の歴史研究が大きく進歩したことにより、このような概念は更新されつつある。 そもそも江戸時代の身分制度とされる士農工商その他は、明治国家が作成した壬申戸籍の記載をのちの時代の人々がなぞっただけで、実際には武士=支配階級のほかは一般市民、というくくりが実態に沿うとされ、士農工商の四分野での身分区分を引用した江戸時代の解説は、現在では、ほとんどの教科書から消滅している。 時代劇ではよく、江戸の町人の中に商人や職人がおり、身分の分け隔てなく酒をくみ交わしている描写があるが、その演出の良しあしを除くとしても、まあ正しいというふうに考えることもできる。農民が武士の次に偉く、さらにその次に職人(工)、末端に商人(商)という身分があり、あえて農民を武士の次としたのは、重税の不満をそらすためだったという説は、基本的に正しくない。なぜなら繰り返すようにそんな江戸時代の身分制自体が、虚妄に近かったと考えられてきたからである』、「農民が武士の次に偉く、さらにその次に職人(工)、末端に商人(商)という身分があり、あえて農民を武士の次としたのは、重税の不満をそらすためだったという説は、基本的に正しくない。なぜなら繰り返すようにそんな江戸時代の身分制自体が、虚妄に近かったと考えられてきたからである」、なるほど。
・『江戸時代中期の「国民」負担率は28.9% さて、江戸時代の一般的な人々の税負担は実際のところどうであったのだろうか。「五公五民」といえば、収入(収穫)の半分が年貢として取られていた、ということを指すが、この表現も教科書からは消えつつあるのが実態である。 「ごまの油と百姓は、絞れば絞るほど出るものなり」 このような重税感は江戸時代イメージの常であったが、例えば「慶安のお触書」は、江戸時代の農民の重い税負担を表現したものだとされ、かつての教科書にはほぼ必ず登場したが、この記述も江戸時代研究が進むにつれて、現在の教科書からは削除の方向性が強くなっている。 江戸時代は大開発の時代であった。信長、秀吉、家康という戦国の三英傑の時代が終わり、幕藩体制が確立する17世紀初頭から、幕府や諸藩は新田開発にまい進した。農業生産の高進と、税収を増やすために各地で奨励されたもので、結果的に江戸時代最初の約100年という間に、全国の石高は倍になった。日本人の主食であるコメの生産が倍になったということは、その分だけ人口も倍になったというのが道理である。 戦国時代末期、日本の人口は約1500万人と推計されているが、幕府開闢から100年ほどが過ぎた元禄時代、つまりは「生類憐みの令」などで知られる五代綱吉の治世下の時、日本の人口はほぼ倍の2700万人~3000万人弱になったという推計が正しいようである。この約3000万人という人口は、明治時代まで多少の増減はあるものの、基本的に維持されるのである。 幕府や諸藩は新田開発を激しく奨励する見返りに、新たに開発された田畑には一定期間、年貢を見送るなどの措置を取った。現在でも、創業支援のために起業した会社には最初の数年間は特例などがある場合もあるが、新田への免税・減税措置はこのような短期間ではなく、場合によっては数十年という優遇もあった。 このような幕府などの政策は、江戸時代の人々の開墾精神を刺激し、彼らが続々と開発に参入したために、森林が過剰に切り開かれ、台風や長雨によって大きな洪水が起こり、幕府や諸藩は森林や河川域の過剰開発を防ぐ命令を出したほどであった。現在で言う環境破壊は、すでに17世紀から社会問題になっていたのである。 江戸時代中期、すなわち18世紀の初頭、五代将軍綱吉が死ぬや、六代将軍家宣、七代将軍家綱に仕えた新井白石は、その著書『折たく柴の記』の中で、この時代の実効税率を「二割八分九厘」と記述している。 つまり今風に言うと、28.9%がおおむね18世紀初頭の江戸時代の「国民」負担率だったということである。この記述は幕府財政の悪化を嘆く文脈の中に登場し、新井白石はこの実効税率をなんとか上昇させることで国庫を安定させることを目標とした。『折たく柴の記』は現代語訳が出版されているので、読んでみるとよい。 さて白石がこのように嘆いたのは、前掲の大開発が主な原因である。新田に対する優遇措置はあったにせよ、農地の拡大によって税収は増えると考えるのが普通である。しかし現在のような精緻な測量技術が全国に行き渡っていたわけではなく、また行政の徴税技術も未発達であった当時、幕府天領や全国の諸藩で、一元的に収穫を把握し、それに対し効率的な税を徴収するのは難しい状況であった。 加えて徳川の世になり、幕藩体制の安定のために幕府が儒教(朱子学)を官学として普及させたのが大きかった。儒教の世界観では、国を統治する支配者は高い徳を有するのであり、支配者には弱い者(女性や老人や子ども、病人など)を守る道徳的責任が強く課される、とされた。よってみだりに権力者が権威を振りかざして、被支配階級から搾取するのは「徳のある者がするべきでない行為」とされ、武士の道に反するという道徳観が出来上がったのである。 つまり、新田開発により収穫が増えているということは、当然幕府は把握しているものの、庶民の努力によって開発した新田などを隅々まで調査したうえで、そこに重い税金をかけて取り立てるのは、「支配者としてあるまじき行為」として認知されていたきらいがある。よって新田からの増収があっても、その部分は検地の際、意図的に見逃されたり、暗黙の了解として全部を課税の対象にしなかったり、などといういわゆる「おめこぼし」が多く存在していたのである』、「徳川の世になり、幕藩体制の安定のために幕府が儒教(朱子学)を官学として普及させたのが大きかった。儒教の世界観では、国を統治する支配者は高い徳を有するのであり、支配者には弱い者(女性や老人や子ども、病人など)を守る道徳的責任が強く課される、とされた。よってみだりに権力者が権威を振りかざして、被支配階級から搾取するのは「徳のある者がするべきでない行為」とされ、武士の道に反するという道徳観が出来上がったのである。 つまり、新田開発により収穫が増えているということは、当然幕府は把握しているものの、庶民の努力によって開発した新田などを隅々まで調査したうえで、そこに重い税金をかけて取り立てるのは、「支配者としてあるまじき行為」として認知されていたきらいがある。よって新田からの増収があっても、その部分は検地の際、意図的に見逃されたり、暗黙の了解として全部を課税の対象にしなかったり、などといういわゆる「おめこぼし」が多く存在していた」、なるほど。
・『税負担において歴史的な重税時代 このような寛容な幕府の姿勢は、むろん、それだけの財政的裏付けもあったからである。幕府は、関ヶ原の役の戦後処理において西軍大名の所領を没収し、諸大名を配置転換させたうえで広大な天領を保有するに至った。また2回に及ぶ大坂の陣で豊臣を滅ぼしたのち、当時の経済的要衝であった京、大坂とその周辺といった上方の支配体制を盤石とした。 それ以外にも、幕府は外国貿易をほとんど独占し、甲州や佐渡、石見などといった鉱山を独占的に開発、運営することにより、巨額の黒字を計上するに至った。現代風に言えば、幕府は超優良な国営企業を複数所有して、輸出入企業さえも独占していたのである。このような「打ち出の小づち」という裏付けがあったからこそ、庶民に対して厳しい徴税姿勢を取らなくて済んだともいえる。 これにより幕府は諸藩を圧倒する富裕となり、おおむね18世紀に入るまで積極財政を繰り返した。幕府の開祖、徳川家康をまつる日光東照宮への歴代将軍一行の参拝(日光社参)は、徳川の武威、威光を諸藩や庶民に知らしめる目的もあり、惜しみなく盛大に行われた。また参勤交代制度によって街道筋の宿場町は発展し、官主体の消費によって、道路と物流が大きく整備されることになった。 幕府(政府)が惜しみなく金を使うことによって、その需要に応える民間部門が急速に成長し、これがのち、明治以降の日本近代資本主義につながるブルジョワジー(資本家)の勃興に貢献したのである。 もっともこのような幕府の放漫財政は長く続かず、18世紀までに金を使いすぎた幕府の国庫は空になり、慢性的な赤字状況となって、幕府財政の改善を企図するいわゆる「三大改革」が実行される。 しかしいったん儒教的精神によって、庶民に対する寛容な姿勢を維持してきた幕府が、財政が悪いからといって180度転換して大増税を行ったとなると、徳川の威信は低下し、一揆や打ちこわしが激増するなどして社会不安を引き起こしかねない。 幕府は年貢の計算方式の変更や追加の検地などの諸改革を行うものの、幕府財政が徳川三代(家康、秀忠、家光)の時代の、潤沢な状況に戻ることは幕府滅亡までついぞなかった。 さらに時代が経るとともに、金鉱山からの産出量が過剰採掘で減少し、また、当時世界的に吹き荒れた天候不順(小氷期)や火山の噴火による農業生産の不振、相次ぐ大地震の復旧費、江戸や大坂などの大都市に流入する人々への対策、大火によって焼失した建物修繕費用なども増大し、国庫の悪化にさらなる追い打ちをかけることになる。こうして幕藩体制は徐々にだが確実に疲労し、徳川の権勢の低下とともに時代は明治維新に向かっていく。 といっても、少なくとも幕府直轄の天領において、税負担が「五公五民」つまり収入の50%が年貢、という状況は、例外こそあるものの、基本的に起きづらかったといえる。現在の「大増税」を江戸時代になぞらえるのは、このような事実からいっても間違いである。もちろん、江戸時代に全国一律の社会福祉や近代医療はないし、インフラは比べようもなく劣悪である。近代的な人権意識は育まれず、人々は非科学的な迷信に重きを置いていた。 しかし税負担という意味でいえば、確実に現代は江戸時代よりも過酷であり、よって日本史上まれに見る庶民生活の困苦が具現化しているといえよう。まさに歴史的な重税の時代を我々は生きているのである。 (作家/令和政治社会問題研究所理事長/日本ペンクラブ正会員 古谷経衡)』、「当時の経済的要衝であった京、大坂とその周辺といった上方の支配体制を盤石とした。 それ以外にも、幕府は外国貿易をほとんど独占し、甲州や佐渡、石見などといった鉱山を独占的に開発、運営することにより、巨額の黒字を計上するに至った。現代風に言えば、幕府は超優良な国営企業を複数所有して、輸出入企業さえも独占していたのである。このような「打ち出の小づち」という裏付けがあったからこそ、庶民に対して厳しい徴税姿勢を取らなくて済んだともいえる・・・幕府は諸藩を圧倒する富裕となり、おおむね18世紀に入るまで積極財政を繰り返した。幕府の開祖、徳川家康をまつる日光東照宮への歴代将軍一行の参拝(日光社参)は、徳川の武威、威光を諸藩や庶民に知らしめる目的もあり、惜しみなく盛大に行われた。また参勤交代制度によって街道筋の宿場町は発展し、官主体の消費によって、道路と物流が大きく整備されることになった。 幕府(政府)が惜しみなく金を使うことによって、その需要に応える民間部門が急速に成長し、これがのち、明治以降の日本近代資本主義につながるブルジョワジー(資本家)の勃興に貢献したのである・・・金鉱山からの産出量が過剰採掘で減少し、また、当時世界的に吹き荒れた天候不順(小氷期)や火山の噴火による農業生産の不振、相次ぐ大地震の復旧費、江戸や大坂などの大都市に流入する人々への対策、大火によって焼失した建物修繕費用なども増大し、国庫の悪化にさらなる追い打ちをかけることになる。こうして幕藩体制は徐々にだが確実に疲労し、徳川の権勢の低下とともに時代は明治維新に向かっていく。 といっても、少なくとも幕府直轄の天領において、税負担が「五公五民」つまり収入の50%が年貢、という状況は、例外こそあるものの、基本的に起きづらかったといえる。現在の「大増税」を江戸時代になぞらえるのは、このような事実からいっても間違いである」、なるほど。
次に、本年5月24日付け日刊ゲンダイ「「定額減税」給与明細の記載義務化に輪をかけてボロ…税金ムダ遣いの“過剰支出”1150億円も!」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/340640
・『6月に実施されるというのに制度設計がややこしくて、岸田首相自ら「広報で発信を強める」「効果を周知徹底し知ってもらう」とアピールせざるを得なくなっている定額減税。給与明細に減税額の「明記」が義務化されていたことが直前になって“周知”され、SNSなどで大炎上しているが、これに続く驚きの事実がまだあった。 定額減税は1人当たり所得税3万円、住民税1万円の計4万円。本人と扶養家族が対象なので、4人家族なら16万円になる。所得税は6月分から減税されるが、1カ月分だけでは満額差し引けない場合、翌月に残りの減税額が繰り越して差し引かれる』、「給与明細に減税額の「明記」が義務化されていたことが直前になって“周知”され、SNSなどで大炎上しているが、これに続く驚きの事実がまだあった。 定額減税は1人当たり所得税3万円、住民税1万円の計4万円。本人と扶養家族が対象なので、4人家族なら16万円になる。所得税は6月分から減税されるが、1カ月分だけでは満額差し引けない場合、翌月に残りの減税額が繰り越して差し引かれる」、わざわざ「定額減税」の有難味を知らしめようとする姑息な手段だ。
・『満額減税できない人へ1万円単位の給付金 一方、納税額が少なく、繰り越しても満額を引き切れない場合は、市区町村からの給付金の形で補填されることになっている。これが、事務手続きの簡素化という理由で、1万円単位での支給なのだ。満額との差額が0円超~1万円以下なら一律1万円、1万円超~2万円以下なら2万円が給付されるので、例えば、年間の納税額が3万9999円の人は、4万円の満額にわずか1円満たないだけでも、1万円が給付されるのである。 本来の定額減税のルール以上に過剰に給付することになるわけで、もらえる当人は「ラッキー」と喜ぶだろうが、原資は税金だ。不公平感があるし、国の政策としてどうなのか』、「年間の納税額が3万9999円の人は、4万円の満額にわずか1円満たないだけでも、1万円が給付されるのである。 本来の定額減税のルール以上に過剰に給付することになるわけで、もらえる当人は「ラッキー」と喜ぶだろうが、原資は税金だ。不公平感があるし、国の政策としてどうなのか」、全く酷い話だ。
・『1回こっきりの減税に余計にかかる支出は1150億円! この点について、23日の記者会見で立憲民主党の長妻昭政調会長が言及。地方自治体の職員からも疑問の声が届いているという。加えて、長妻政調会長が財務省に確認した上で試算したところ、本来の減税額より多く給付することによって余計にかかる支出は、ナント1150億円程度にもなるそうだ(対象者の2300万人に平均5000円を給付したとして推計)。 長妻政調会長は日刊ゲンダイの取材にこう言った。 「『4万円』をどうしてもやるなら、給付の方が事務的にも余計な予算がかからない。ところが、給料が上がったように見せかけたいから、岸田首相は減税にこだわる。『増税メガネ』を払拭するためにコストをかけるのは前代未聞。選挙対策であり、人気取りに振り回されている」 たった1回こっきりの減税に、経理担当者はシステム変更や事務手続きで余計な仕事が増える。そのうえ1000億円規模の税金ムダ遣い! 不人気首相の支持率対策だけの世紀の愚策だ』、「本来の減税額より多く給付することによって余計にかかる支出は、ナント1150億円程度にもなるそうだ・・・『増税メガネ』を払拭するためにコストをかけるのは前代未聞。選挙対策であり、人気取りに振り回されている」 たった1回こっきりの減税に、経理担当者はシステム変更や事務手続きで余計な仕事が増える。そのうえ1000億円規模の税金ムダ遣い! 不人気首相の支持率対策だけの世紀の愚策だ」、まるで悪政の見本だ。
第三に、9月9日付け東洋経済オンラインが掲載した経済アナリスト・認定テクニカルアナリストの馬渕 磨理子氏による「日本の「金融所得課税」議論で圧倒的に欠けた視点 総裁選の争点だが、政争の具になっていないか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/824332
・『自由民主党総裁選の争点として株式の売却益などへの金融所得課税が浮上している。金融所得課税の話題は必ずと言っていいほど注目が集まるものの、これに政治生命を賭けたい政治家はほぼいないといっていい。つまり、金融所得課税の議論は国民の関心をかき乱す「政争の具」として扱われかねない。本稿では金融所得課税の論点と焦点をまとめたうえで、安易な議論が国民への不信感につながる可能性を指摘したい』、興味深そうだ。
・『「金融所得課税」推進派と反対派の言い分 金融所得課税とは、投資信託、株式、預金などの金融商品から得た所得にかかる税金で、税率は所得に関わらず、原則として一律で20.3%となっている。もともと、金融所得課税の見直しは、2021年総裁選で岸田文雄首相が打ち出したが、その後、株価の大幅下落によって見送りを余儀なくされている。 そして今回、金融所得課税の強化をめぐっては、石破茂元幹事長が「実行したい」と語り、小泉進次郎元環境相、茂木敏充幹事長、小林鷹之前経済安全保障担当相、や河野太郎デジタル相、否定的な考えを表明。林芳正官房長官は状況を注視する姿勢を示している。 岸田首相や、石破茂元幹事長が金融所得課税を強化で狙うのは、総所得が1億円を超えると所得税の負担率が下がる「1億円の壁」の打破だ。富裕層は所得だけでなく、金融所得も多く保有してるため、20.3%の課税は税制上有利になっているという考えがもととなっている。経済成長の恩恵の分配によって格差是正を図りたいという思惑がある。) 国は格差是正のために社会保障を通じた再分配を行っている。しかし、現在の社会保障給付での再配分は、受給者が「高齢者」であり、財源である保険料は「現役世代」が負担している。構造的に日本では現役世代から高齢者への再配分となっている。このため、「高所得者」から「低所得者」への再配分を行うには、金融所得課税が適しているというのが推進派の考えだ。 これに対して、反対派は、そもそも富裕層の定義自体が曖昧なうえ、自民党として新NISA(少額投資非課税制度)の拡充などを進めてきたこととも逆行すると主張している。 一部の富裕層ではなく、多くの中間層が金融所得による所得増の恩恵を得られるよう取り組みを進めてきた流れで、金融所得課税を強化するというメッセージは誤解を持たれかねないほか、物価高に苦労する中間層に対する増税となりかねないとの意見が上がっている』、「金融所得課税を強化で狙うのは、総所得が1億円を超えると所得税の負担率が下がる「1億円の壁」の打破だ。富裕層は所得だけでなく、金融所得も多く保有してるため、20.3%の課税は税制上有利になっているという考えがもととなっている。経済成長の恩恵の分配によって格差是正を図りたいという思惑がある・・・社会保障給付での再配分は、受給者が「高齢者」であり、財源である保険料は「現役世代」が負担している。構造的に日本では現役世代から高齢者への再配分となっている。このため、「高所得者」から「低所得者」への再配分を行うには、金融所得課税が適しているというのが推進派の考えだ」、なるほど。
・『海外の金融所得税はどうなっている? こうした議論の中で、参考になるのが海外の事例だ。財務省によれば、アメリカは7.1~34.8%、イギリスは10%または20%と、所得ごとに金融所得に対する適⽤税率が決定されている。ドイツは26.4%で一律。日本と同じ運用になっている。また、シンガポールの場合、株式、金融商品の売却益が課税対象にはならない。 金融所得課税は現時点で「再分配」という視点のみで議論されているが、税を優遇することによる「経済成長」の側面と両輪で議論されることが望ましい。日本が金融立国を目指すのであれば、アメリカ型なのか、シンガポール型なのか、日本独自の型で進むのか、こうしたグランドデザインの議論になれば総裁選の争点に値する。 では、日本はアメリカを参考にするべきなのだろうか。この議論をする上で必要なのは、日本が諸外国と同じように富裕層における「富の集中」が進んでいるかだろう。日本の富裕層の人口や保有資産から見てみたい。) フランスの経済学者トマ・ピケティは世界のトップ1%の超富裕層に富が集まっており、世界的に格差が拡大していると指摘しているが、日本国内ではどうだろうか。参考になるデータがある。2022年2月に日本証券業協会がまとめた「格差の国際比較と資産形成の課題について」と題して発表されたレポートだ。 それによると、日本における所得1億円超えの人口は約2万人で、労働力人口に占める割合は約0.04%である。アメリカで、所得100万ドル以上は53万件存在し、全体の0.4%と、日本の10倍の開きがある。 富裕層への富の集中度合について調査したOECDのデータでは、富の集中度合1位のアメリカでは上位1%の層に40%の富が偏っている。日本は、上位1%の層が保有する富の割合は11%で、これは、OECDが統計を公表している27カ国のうち2番目に低い。日本では、富裕層への富の集中度合いは相対的に低い水準となっているわけだ』、「アメリカは7.1~34.8%、イギリスは10%または20%と、所得ごとに金融所得に対する適⽤税率が決定されている。ドイツは26.4%で一律。日本と同じ運用になっている。また、シンガポールの場合、株式、金融商品の売却益が課税対象にはならない・・・日本はアメリカを参考にするべきなのだろうか。この議論をする上で必要なのは、日本が諸外国と同じように富裕層における「富の集中」が進んでいるかだろう。日本の富裕層の人口や保有資産から見てみたい。) フランスの経済学者トマ・ピケティは世界のトップ1%の超富裕層に富が集まっており、世界的に格差が拡大していると指摘しているが、日本国内ではどうだろうか。参考になるデータがある。2022年2月に日本証券業協会がまとめた「格差の国際比較と資産形成の課題について」と題して発表されたレポートだ。 それによると、日本における所得1億円超えの人口は約2万人で、労働力人口に占める割合は約0.04%である。アメリカで、所得100万ドル以上は53万件存在し、全体の0.4%と、日本の10倍の開きがある。 富裕層への富の集中度合について調査したOECDのデータでは、富の集中度合1位のアメリカでは上位1%の層に40%の富が偏っている。日本は、上位1%の層が保有する富の割合は11%で、これは、OECDが統計を公表している27カ国のうち2番目に低い。日本では、富裕層への富の集中度合いは相対的に低い水準となっているわけだ」、とすると「アメリカ」は必ずしも参考にはならないことになる。
・『日本と世界では富の集中構造が異なる アメリカや世界で問題となっている富の集中構造は、一部の富裕層に圧倒的な資産が集中する構図だ。富を持つ数少ない人口が、より富を生み出し資産を拡大させている。 しかし、日本はどうやら構造が異なる。日本における資産が5億円以上の世帯は全体の0.2%で、その資産は97兆円(全体の6.2%)である。1億円以上の世帯は124万世帯で(全体の2.3%)、その資産は236兆円(全体の15.2%)だ。 一方で、3000万未満の世帯は4215万世帯で(全体の78%)、その資産は656兆円(42.2%)である。日本では、富裕層と呼ばれる層がそこまで資産が集まっているわけではない。中間層がいまだに多い国である。であれば、低所得者層から中間層に対して、金融教育を整えることで、国民全体の金融所得自体の底上げも可能ではないか。) では、日本のどこで格差が拡大しているのかというと、所得格差の度合いを測るために国際的に使われているジニ係数では、格差が広がっているのは高齢者世帯で、現役世帯の所得格差は比較的小さいことが確認できる。むしろ、日本の課題は高齢世代の低所得層にあると言える。 近年の傾向は、もともと存在していた一部の富裕層の資産が増えたのではなく、新たな富裕層が加わったことで富裕層の総資産が拡大している。株などの投資が普及したことで、これまで富裕層でなかった層が資産を形成しつつあるのだ。富める者だけがさらに富んだ、というわけではないのが日本の現状だ。 つまり、日本はアメリカなどとは富の集中構造が大きく異なり、海外における議論をそのまま当てはめることはできない。海外に比べると少ない富裕層の資産から出た運用益に5%や10%を割増課税したとしても、再分配に寄与する金額は限られたものになる』、「ジニ係数では、格差が広がっているのは高齢者世帯で、現役世帯の所得格差は比較的小さいことが確認できる。むしろ、日本の課題は高齢世代の低所得層にあると言える。 近年の傾向は、もともと存在していた一部の富裕層の資産が増えたのではなく、新たな富裕層が加わったことで富裕層の総資産が拡大している。株などの投資が普及したことで、これまで富裕層でなかった層が資産を形成しつつあるのだ。富める者だけがさらに富んだ、というわけではないのが日本の現状だ。 つまり、日本はアメリカなどとは富の集中構造が大きく異なり、海外における議論をそのまま当てはめることはできない」、なるほど。
・『日本で足りていないのは丁寧な議論と説明 金融所得課税の実現について語る際には、金融所得課税の対象を明確にし、課税によってどれくらい税収が見込めるのか、国民がきちんと理解できる形で丁寧に説明すべきだろう。むしろ、富裕層が国内で消費や投資をしやすい環境を作るほうが、経済を回し、消費税や法人税などの財源を増やす流れにつながる可能性もある。 もともと、金融所得課税の見直しは、2021年総裁選で岸田文雄首相が打ち出したが、その後、株価の大幅下落によって見送られた。しかし、岸田首相が退陣を決めた今でも、金融所得課税のネガティブな印象は深く一部の国民や個人投資家の心に突き刺さっている。岸田首相は「所得減税」という「減税」を断行したにもかかわらずだ。 未来に向けてどんなに前向きな議論や政策を論じようとしても、一度ついた印象を拭うのは容易ではない。デフレから脱却し、日本経済を前に進ませる時期に最も重要な視点は何か。それは、政治と国民との信頼関係を構築することであり、政治家には国民と同じ目線でコミュニケーションを図ることが求められる』、「岸田首相が退陣を決めた今でも、金融所得課税のネガティブな印象は深く一部の国民や個人投資家の心に突き刺さっている・・・未来に向けてどんなに前向きな議論や政策を論じようとしても、一度ついた印象を拭うのは容易ではない。デフレから脱却し、日本経済を前に進ませる時期に最も重要な視点は何か。それは、政治と国民との信頼関係を構築することであり、政治家には国民と同じ目線でコミュニケーションを図ることが求められる」、その通りだ。
先ずは、昨年12月31日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した作家・評論家の古谷経衡氏による「令和の大増税は“江戸時代の五公五民”より過酷?「真の国民負担率」で見る不都合な真実」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/336693
・『現代の税負担率は江戸時代と同じなのか? 「増税メガネ」という言葉が流行語大賞のノミネートを逃したのが忖度かどうかはさておくとして、大増税による国民生活の窮乏は事実である。 増税の是非はともかく、国民負担率5割ともされる目下の租税公課負担は、よく江戸時代の「五公五民」に例えられている。つまり現在は江戸時代並みの過酷な重税にあえいでいるというわけだ。しかし現在の税負担率を江戸時代とほぼ同じと捉えるのは、端的に言って間違いではないか。 かつて、とりわけ戦後の歴史学の中には階級闘争史観が優位的であった。これは江戸時代の封建社会を、武士=支配階級、農工商その他を被支配階級と規定し、この二者が互いに対立・緊張状態にあったとしたものだ。 支配層は苛烈な重税による搾取を行って被支配階級を抑圧し、厳格な身分制のもと、圧政に耐えかねた被支配階級が時としてむしろ旗を立てて一揆を繰り返す。江戸期の庶民はとにかく重い税を搾り取られて生活に窮していた――。このような江戸時代の捉え方を「貧農史観」などと呼ぶが、近年、江戸時代の歴史研究が大きく進歩したことにより、このような概念は更新されつつある。 そもそも江戸時代の身分制度とされる士農工商その他は、明治国家が作成した壬申戸籍の記載をのちの時代の人々がなぞっただけで、実際には武士=支配階級のほかは一般市民、というくくりが実態に沿うとされ、士農工商の四分野での身分区分を引用した江戸時代の解説は、現在では、ほとんどの教科書から消滅している。 時代劇ではよく、江戸の町人の中に商人や職人がおり、身分の分け隔てなく酒をくみ交わしている描写があるが、その演出の良しあしを除くとしても、まあ正しいというふうに考えることもできる。農民が武士の次に偉く、さらにその次に職人(工)、末端に商人(商)という身分があり、あえて農民を武士の次としたのは、重税の不満をそらすためだったという説は、基本的に正しくない。なぜなら繰り返すようにそんな江戸時代の身分制自体が、虚妄に近かったと考えられてきたからである』、「農民が武士の次に偉く、さらにその次に職人(工)、末端に商人(商)という身分があり、あえて農民を武士の次としたのは、重税の不満をそらすためだったという説は、基本的に正しくない。なぜなら繰り返すようにそんな江戸時代の身分制自体が、虚妄に近かったと考えられてきたからである」、なるほど。
・『江戸時代中期の「国民」負担率は28.9% さて、江戸時代の一般的な人々の税負担は実際のところどうであったのだろうか。「五公五民」といえば、収入(収穫)の半分が年貢として取られていた、ということを指すが、この表現も教科書からは消えつつあるのが実態である。 「ごまの油と百姓は、絞れば絞るほど出るものなり」 このような重税感は江戸時代イメージの常であったが、例えば「慶安のお触書」は、江戸時代の農民の重い税負担を表現したものだとされ、かつての教科書にはほぼ必ず登場したが、この記述も江戸時代研究が進むにつれて、現在の教科書からは削除の方向性が強くなっている。 江戸時代は大開発の時代であった。信長、秀吉、家康という戦国の三英傑の時代が終わり、幕藩体制が確立する17世紀初頭から、幕府や諸藩は新田開発にまい進した。農業生産の高進と、税収を増やすために各地で奨励されたもので、結果的に江戸時代最初の約100年という間に、全国の石高は倍になった。日本人の主食であるコメの生産が倍になったということは、その分だけ人口も倍になったというのが道理である。 戦国時代末期、日本の人口は約1500万人と推計されているが、幕府開闢から100年ほどが過ぎた元禄時代、つまりは「生類憐みの令」などで知られる五代綱吉の治世下の時、日本の人口はほぼ倍の2700万人~3000万人弱になったという推計が正しいようである。この約3000万人という人口は、明治時代まで多少の増減はあるものの、基本的に維持されるのである。 幕府や諸藩は新田開発を激しく奨励する見返りに、新たに開発された田畑には一定期間、年貢を見送るなどの措置を取った。現在でも、創業支援のために起業した会社には最初の数年間は特例などがある場合もあるが、新田への免税・減税措置はこのような短期間ではなく、場合によっては数十年という優遇もあった。 このような幕府などの政策は、江戸時代の人々の開墾精神を刺激し、彼らが続々と開発に参入したために、森林が過剰に切り開かれ、台風や長雨によって大きな洪水が起こり、幕府や諸藩は森林や河川域の過剰開発を防ぐ命令を出したほどであった。現在で言う環境破壊は、すでに17世紀から社会問題になっていたのである。 江戸時代中期、すなわち18世紀の初頭、五代将軍綱吉が死ぬや、六代将軍家宣、七代将軍家綱に仕えた新井白石は、その著書『折たく柴の記』の中で、この時代の実効税率を「二割八分九厘」と記述している。 つまり今風に言うと、28.9%がおおむね18世紀初頭の江戸時代の「国民」負担率だったということである。この記述は幕府財政の悪化を嘆く文脈の中に登場し、新井白石はこの実効税率をなんとか上昇させることで国庫を安定させることを目標とした。『折たく柴の記』は現代語訳が出版されているので、読んでみるとよい。 さて白石がこのように嘆いたのは、前掲の大開発が主な原因である。新田に対する優遇措置はあったにせよ、農地の拡大によって税収は増えると考えるのが普通である。しかし現在のような精緻な測量技術が全国に行き渡っていたわけではなく、また行政の徴税技術も未発達であった当時、幕府天領や全国の諸藩で、一元的に収穫を把握し、それに対し効率的な税を徴収するのは難しい状況であった。 加えて徳川の世になり、幕藩体制の安定のために幕府が儒教(朱子学)を官学として普及させたのが大きかった。儒教の世界観では、国を統治する支配者は高い徳を有するのであり、支配者には弱い者(女性や老人や子ども、病人など)を守る道徳的責任が強く課される、とされた。よってみだりに権力者が権威を振りかざして、被支配階級から搾取するのは「徳のある者がするべきでない行為」とされ、武士の道に反するという道徳観が出来上がったのである。 つまり、新田開発により収穫が増えているということは、当然幕府は把握しているものの、庶民の努力によって開発した新田などを隅々まで調査したうえで、そこに重い税金をかけて取り立てるのは、「支配者としてあるまじき行為」として認知されていたきらいがある。よって新田からの増収があっても、その部分は検地の際、意図的に見逃されたり、暗黙の了解として全部を課税の対象にしなかったり、などといういわゆる「おめこぼし」が多く存在していたのである』、「徳川の世になり、幕藩体制の安定のために幕府が儒教(朱子学)を官学として普及させたのが大きかった。儒教の世界観では、国を統治する支配者は高い徳を有するのであり、支配者には弱い者(女性や老人や子ども、病人など)を守る道徳的責任が強く課される、とされた。よってみだりに権力者が権威を振りかざして、被支配階級から搾取するのは「徳のある者がするべきでない行為」とされ、武士の道に反するという道徳観が出来上がったのである。 つまり、新田開発により収穫が増えているということは、当然幕府は把握しているものの、庶民の努力によって開発した新田などを隅々まで調査したうえで、そこに重い税金をかけて取り立てるのは、「支配者としてあるまじき行為」として認知されていたきらいがある。よって新田からの増収があっても、その部分は検地の際、意図的に見逃されたり、暗黙の了解として全部を課税の対象にしなかったり、などといういわゆる「おめこぼし」が多く存在していた」、なるほど。
・『税負担において歴史的な重税時代 このような寛容な幕府の姿勢は、むろん、それだけの財政的裏付けもあったからである。幕府は、関ヶ原の役の戦後処理において西軍大名の所領を没収し、諸大名を配置転換させたうえで広大な天領を保有するに至った。また2回に及ぶ大坂の陣で豊臣を滅ぼしたのち、当時の経済的要衝であった京、大坂とその周辺といった上方の支配体制を盤石とした。 それ以外にも、幕府は外国貿易をほとんど独占し、甲州や佐渡、石見などといった鉱山を独占的に開発、運営することにより、巨額の黒字を計上するに至った。現代風に言えば、幕府は超優良な国営企業を複数所有して、輸出入企業さえも独占していたのである。このような「打ち出の小づち」という裏付けがあったからこそ、庶民に対して厳しい徴税姿勢を取らなくて済んだともいえる。 これにより幕府は諸藩を圧倒する富裕となり、おおむね18世紀に入るまで積極財政を繰り返した。幕府の開祖、徳川家康をまつる日光東照宮への歴代将軍一行の参拝(日光社参)は、徳川の武威、威光を諸藩や庶民に知らしめる目的もあり、惜しみなく盛大に行われた。また参勤交代制度によって街道筋の宿場町は発展し、官主体の消費によって、道路と物流が大きく整備されることになった。 幕府(政府)が惜しみなく金を使うことによって、その需要に応える民間部門が急速に成長し、これがのち、明治以降の日本近代資本主義につながるブルジョワジー(資本家)の勃興に貢献したのである。 もっともこのような幕府の放漫財政は長く続かず、18世紀までに金を使いすぎた幕府の国庫は空になり、慢性的な赤字状況となって、幕府財政の改善を企図するいわゆる「三大改革」が実行される。 しかしいったん儒教的精神によって、庶民に対する寛容な姿勢を維持してきた幕府が、財政が悪いからといって180度転換して大増税を行ったとなると、徳川の威信は低下し、一揆や打ちこわしが激増するなどして社会不安を引き起こしかねない。 幕府は年貢の計算方式の変更や追加の検地などの諸改革を行うものの、幕府財政が徳川三代(家康、秀忠、家光)の時代の、潤沢な状況に戻ることは幕府滅亡までついぞなかった。 さらに時代が経るとともに、金鉱山からの産出量が過剰採掘で減少し、また、当時世界的に吹き荒れた天候不順(小氷期)や火山の噴火による農業生産の不振、相次ぐ大地震の復旧費、江戸や大坂などの大都市に流入する人々への対策、大火によって焼失した建物修繕費用なども増大し、国庫の悪化にさらなる追い打ちをかけることになる。こうして幕藩体制は徐々にだが確実に疲労し、徳川の権勢の低下とともに時代は明治維新に向かっていく。 といっても、少なくとも幕府直轄の天領において、税負担が「五公五民」つまり収入の50%が年貢、という状況は、例外こそあるものの、基本的に起きづらかったといえる。現在の「大増税」を江戸時代になぞらえるのは、このような事実からいっても間違いである。もちろん、江戸時代に全国一律の社会福祉や近代医療はないし、インフラは比べようもなく劣悪である。近代的な人権意識は育まれず、人々は非科学的な迷信に重きを置いていた。 しかし税負担という意味でいえば、確実に現代は江戸時代よりも過酷であり、よって日本史上まれに見る庶民生活の困苦が具現化しているといえよう。まさに歴史的な重税の時代を我々は生きているのである。 (作家/令和政治社会問題研究所理事長/日本ペンクラブ正会員 古谷経衡)』、「当時の経済的要衝であった京、大坂とその周辺といった上方の支配体制を盤石とした。 それ以外にも、幕府は外国貿易をほとんど独占し、甲州や佐渡、石見などといった鉱山を独占的に開発、運営することにより、巨額の黒字を計上するに至った。現代風に言えば、幕府は超優良な国営企業を複数所有して、輸出入企業さえも独占していたのである。このような「打ち出の小づち」という裏付けがあったからこそ、庶民に対して厳しい徴税姿勢を取らなくて済んだともいえる・・・幕府は諸藩を圧倒する富裕となり、おおむね18世紀に入るまで積極財政を繰り返した。幕府の開祖、徳川家康をまつる日光東照宮への歴代将軍一行の参拝(日光社参)は、徳川の武威、威光を諸藩や庶民に知らしめる目的もあり、惜しみなく盛大に行われた。また参勤交代制度によって街道筋の宿場町は発展し、官主体の消費によって、道路と物流が大きく整備されることになった。 幕府(政府)が惜しみなく金を使うことによって、その需要に応える民間部門が急速に成長し、これがのち、明治以降の日本近代資本主義につながるブルジョワジー(資本家)の勃興に貢献したのである・・・金鉱山からの産出量が過剰採掘で減少し、また、当時世界的に吹き荒れた天候不順(小氷期)や火山の噴火による農業生産の不振、相次ぐ大地震の復旧費、江戸や大坂などの大都市に流入する人々への対策、大火によって焼失した建物修繕費用なども増大し、国庫の悪化にさらなる追い打ちをかけることになる。こうして幕藩体制は徐々にだが確実に疲労し、徳川の権勢の低下とともに時代は明治維新に向かっていく。 といっても、少なくとも幕府直轄の天領において、税負担が「五公五民」つまり収入の50%が年貢、という状況は、例外こそあるものの、基本的に起きづらかったといえる。現在の「大増税」を江戸時代になぞらえるのは、このような事実からいっても間違いである」、なるほど。
次に、本年5月24日付け日刊ゲンダイ「「定額減税」給与明細の記載義務化に輪をかけてボロ…税金ムダ遣いの“過剰支出”1150億円も!」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/340640
・『6月に実施されるというのに制度設計がややこしくて、岸田首相自ら「広報で発信を強める」「効果を周知徹底し知ってもらう」とアピールせざるを得なくなっている定額減税。給与明細に減税額の「明記」が義務化されていたことが直前になって“周知”され、SNSなどで大炎上しているが、これに続く驚きの事実がまだあった。 定額減税は1人当たり所得税3万円、住民税1万円の計4万円。本人と扶養家族が対象なので、4人家族なら16万円になる。所得税は6月分から減税されるが、1カ月分だけでは満額差し引けない場合、翌月に残りの減税額が繰り越して差し引かれる』、「給与明細に減税額の「明記」が義務化されていたことが直前になって“周知”され、SNSなどで大炎上しているが、これに続く驚きの事実がまだあった。 定額減税は1人当たり所得税3万円、住民税1万円の計4万円。本人と扶養家族が対象なので、4人家族なら16万円になる。所得税は6月分から減税されるが、1カ月分だけでは満額差し引けない場合、翌月に残りの減税額が繰り越して差し引かれる」、わざわざ「定額減税」の有難味を知らしめようとする姑息な手段だ。
・『満額減税できない人へ1万円単位の給付金 一方、納税額が少なく、繰り越しても満額を引き切れない場合は、市区町村からの給付金の形で補填されることになっている。これが、事務手続きの簡素化という理由で、1万円単位での支給なのだ。満額との差額が0円超~1万円以下なら一律1万円、1万円超~2万円以下なら2万円が給付されるので、例えば、年間の納税額が3万9999円の人は、4万円の満額にわずか1円満たないだけでも、1万円が給付されるのである。 本来の定額減税のルール以上に過剰に給付することになるわけで、もらえる当人は「ラッキー」と喜ぶだろうが、原資は税金だ。不公平感があるし、国の政策としてどうなのか』、「年間の納税額が3万9999円の人は、4万円の満額にわずか1円満たないだけでも、1万円が給付されるのである。 本来の定額減税のルール以上に過剰に給付することになるわけで、もらえる当人は「ラッキー」と喜ぶだろうが、原資は税金だ。不公平感があるし、国の政策としてどうなのか」、全く酷い話だ。
・『1回こっきりの減税に余計にかかる支出は1150億円! この点について、23日の記者会見で立憲民主党の長妻昭政調会長が言及。地方自治体の職員からも疑問の声が届いているという。加えて、長妻政調会長が財務省に確認した上で試算したところ、本来の減税額より多く給付することによって余計にかかる支出は、ナント1150億円程度にもなるそうだ(対象者の2300万人に平均5000円を給付したとして推計)。 長妻政調会長は日刊ゲンダイの取材にこう言った。 「『4万円』をどうしてもやるなら、給付の方が事務的にも余計な予算がかからない。ところが、給料が上がったように見せかけたいから、岸田首相は減税にこだわる。『増税メガネ』を払拭するためにコストをかけるのは前代未聞。選挙対策であり、人気取りに振り回されている」 たった1回こっきりの減税に、経理担当者はシステム変更や事務手続きで余計な仕事が増える。そのうえ1000億円規模の税金ムダ遣い! 不人気首相の支持率対策だけの世紀の愚策だ』、「本来の減税額より多く給付することによって余計にかかる支出は、ナント1150億円程度にもなるそうだ・・・『増税メガネ』を払拭するためにコストをかけるのは前代未聞。選挙対策であり、人気取りに振り回されている」 たった1回こっきりの減税に、経理担当者はシステム変更や事務手続きで余計な仕事が増える。そのうえ1000億円規模の税金ムダ遣い! 不人気首相の支持率対策だけの世紀の愚策だ」、まるで悪政の見本だ。
第三に、9月9日付け東洋経済オンラインが掲載した経済アナリスト・認定テクニカルアナリストの馬渕 磨理子氏による「日本の「金融所得課税」議論で圧倒的に欠けた視点 総裁選の争点だが、政争の具になっていないか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/824332
・『自由民主党総裁選の争点として株式の売却益などへの金融所得課税が浮上している。金融所得課税の話題は必ずと言っていいほど注目が集まるものの、これに政治生命を賭けたい政治家はほぼいないといっていい。つまり、金融所得課税の議論は国民の関心をかき乱す「政争の具」として扱われかねない。本稿では金融所得課税の論点と焦点をまとめたうえで、安易な議論が国民への不信感につながる可能性を指摘したい』、興味深そうだ。
・『「金融所得課税」推進派と反対派の言い分 金融所得課税とは、投資信託、株式、預金などの金融商品から得た所得にかかる税金で、税率は所得に関わらず、原則として一律で20.3%となっている。もともと、金融所得課税の見直しは、2021年総裁選で岸田文雄首相が打ち出したが、その後、株価の大幅下落によって見送りを余儀なくされている。 そして今回、金融所得課税の強化をめぐっては、石破茂元幹事長が「実行したい」と語り、小泉進次郎元環境相、茂木敏充幹事長、小林鷹之前経済安全保障担当相、や河野太郎デジタル相、否定的な考えを表明。林芳正官房長官は状況を注視する姿勢を示している。 岸田首相や、石破茂元幹事長が金融所得課税を強化で狙うのは、総所得が1億円を超えると所得税の負担率が下がる「1億円の壁」の打破だ。富裕層は所得だけでなく、金融所得も多く保有してるため、20.3%の課税は税制上有利になっているという考えがもととなっている。経済成長の恩恵の分配によって格差是正を図りたいという思惑がある。) 国は格差是正のために社会保障を通じた再分配を行っている。しかし、現在の社会保障給付での再配分は、受給者が「高齢者」であり、財源である保険料は「現役世代」が負担している。構造的に日本では現役世代から高齢者への再配分となっている。このため、「高所得者」から「低所得者」への再配分を行うには、金融所得課税が適しているというのが推進派の考えだ。 これに対して、反対派は、そもそも富裕層の定義自体が曖昧なうえ、自民党として新NISA(少額投資非課税制度)の拡充などを進めてきたこととも逆行すると主張している。 一部の富裕層ではなく、多くの中間層が金融所得による所得増の恩恵を得られるよう取り組みを進めてきた流れで、金融所得課税を強化するというメッセージは誤解を持たれかねないほか、物価高に苦労する中間層に対する増税となりかねないとの意見が上がっている』、「金融所得課税を強化で狙うのは、総所得が1億円を超えると所得税の負担率が下がる「1億円の壁」の打破だ。富裕層は所得だけでなく、金融所得も多く保有してるため、20.3%の課税は税制上有利になっているという考えがもととなっている。経済成長の恩恵の分配によって格差是正を図りたいという思惑がある・・・社会保障給付での再配分は、受給者が「高齢者」であり、財源である保険料は「現役世代」が負担している。構造的に日本では現役世代から高齢者への再配分となっている。このため、「高所得者」から「低所得者」への再配分を行うには、金融所得課税が適しているというのが推進派の考えだ」、なるほど。
・『海外の金融所得税はどうなっている? こうした議論の中で、参考になるのが海外の事例だ。財務省によれば、アメリカは7.1~34.8%、イギリスは10%または20%と、所得ごとに金融所得に対する適⽤税率が決定されている。ドイツは26.4%で一律。日本と同じ運用になっている。また、シンガポールの場合、株式、金融商品の売却益が課税対象にはならない。 金融所得課税は現時点で「再分配」という視点のみで議論されているが、税を優遇することによる「経済成長」の側面と両輪で議論されることが望ましい。日本が金融立国を目指すのであれば、アメリカ型なのか、シンガポール型なのか、日本独自の型で進むのか、こうしたグランドデザインの議論になれば総裁選の争点に値する。 では、日本はアメリカを参考にするべきなのだろうか。この議論をする上で必要なのは、日本が諸外国と同じように富裕層における「富の集中」が進んでいるかだろう。日本の富裕層の人口や保有資産から見てみたい。) フランスの経済学者トマ・ピケティは世界のトップ1%の超富裕層に富が集まっており、世界的に格差が拡大していると指摘しているが、日本国内ではどうだろうか。参考になるデータがある。2022年2月に日本証券業協会がまとめた「格差の国際比較と資産形成の課題について」と題して発表されたレポートだ。 それによると、日本における所得1億円超えの人口は約2万人で、労働力人口に占める割合は約0.04%である。アメリカで、所得100万ドル以上は53万件存在し、全体の0.4%と、日本の10倍の開きがある。 富裕層への富の集中度合について調査したOECDのデータでは、富の集中度合1位のアメリカでは上位1%の層に40%の富が偏っている。日本は、上位1%の層が保有する富の割合は11%で、これは、OECDが統計を公表している27カ国のうち2番目に低い。日本では、富裕層への富の集中度合いは相対的に低い水準となっているわけだ』、「アメリカは7.1~34.8%、イギリスは10%または20%と、所得ごとに金融所得に対する適⽤税率が決定されている。ドイツは26.4%で一律。日本と同じ運用になっている。また、シンガポールの場合、株式、金融商品の売却益が課税対象にはならない・・・日本はアメリカを参考にするべきなのだろうか。この議論をする上で必要なのは、日本が諸外国と同じように富裕層における「富の集中」が進んでいるかだろう。日本の富裕層の人口や保有資産から見てみたい。) フランスの経済学者トマ・ピケティは世界のトップ1%の超富裕層に富が集まっており、世界的に格差が拡大していると指摘しているが、日本国内ではどうだろうか。参考になるデータがある。2022年2月に日本証券業協会がまとめた「格差の国際比較と資産形成の課題について」と題して発表されたレポートだ。 それによると、日本における所得1億円超えの人口は約2万人で、労働力人口に占める割合は約0.04%である。アメリカで、所得100万ドル以上は53万件存在し、全体の0.4%と、日本の10倍の開きがある。 富裕層への富の集中度合について調査したOECDのデータでは、富の集中度合1位のアメリカでは上位1%の層に40%の富が偏っている。日本は、上位1%の層が保有する富の割合は11%で、これは、OECDが統計を公表している27カ国のうち2番目に低い。日本では、富裕層への富の集中度合いは相対的に低い水準となっているわけだ」、とすると「アメリカ」は必ずしも参考にはならないことになる。
・『日本と世界では富の集中構造が異なる アメリカや世界で問題となっている富の集中構造は、一部の富裕層に圧倒的な資産が集中する構図だ。富を持つ数少ない人口が、より富を生み出し資産を拡大させている。 しかし、日本はどうやら構造が異なる。日本における資産が5億円以上の世帯は全体の0.2%で、その資産は97兆円(全体の6.2%)である。1億円以上の世帯は124万世帯で(全体の2.3%)、その資産は236兆円(全体の15.2%)だ。 一方で、3000万未満の世帯は4215万世帯で(全体の78%)、その資産は656兆円(42.2%)である。日本では、富裕層と呼ばれる層がそこまで資産が集まっているわけではない。中間層がいまだに多い国である。であれば、低所得者層から中間層に対して、金融教育を整えることで、国民全体の金融所得自体の底上げも可能ではないか。) では、日本のどこで格差が拡大しているのかというと、所得格差の度合いを測るために国際的に使われているジニ係数では、格差が広がっているのは高齢者世帯で、現役世帯の所得格差は比較的小さいことが確認できる。むしろ、日本の課題は高齢世代の低所得層にあると言える。 近年の傾向は、もともと存在していた一部の富裕層の資産が増えたのではなく、新たな富裕層が加わったことで富裕層の総資産が拡大している。株などの投資が普及したことで、これまで富裕層でなかった層が資産を形成しつつあるのだ。富める者だけがさらに富んだ、というわけではないのが日本の現状だ。 つまり、日本はアメリカなどとは富の集中構造が大きく異なり、海外における議論をそのまま当てはめることはできない。海外に比べると少ない富裕層の資産から出た運用益に5%や10%を割増課税したとしても、再分配に寄与する金額は限られたものになる』、「ジニ係数では、格差が広がっているのは高齢者世帯で、現役世帯の所得格差は比較的小さいことが確認できる。むしろ、日本の課題は高齢世代の低所得層にあると言える。 近年の傾向は、もともと存在していた一部の富裕層の資産が増えたのではなく、新たな富裕層が加わったことで富裕層の総資産が拡大している。株などの投資が普及したことで、これまで富裕層でなかった層が資産を形成しつつあるのだ。富める者だけがさらに富んだ、というわけではないのが日本の現状だ。 つまり、日本はアメリカなどとは富の集中構造が大きく異なり、海外における議論をそのまま当てはめることはできない」、なるほど。
・『日本で足りていないのは丁寧な議論と説明 金融所得課税の実現について語る際には、金融所得課税の対象を明確にし、課税によってどれくらい税収が見込めるのか、国民がきちんと理解できる形で丁寧に説明すべきだろう。むしろ、富裕層が国内で消費や投資をしやすい環境を作るほうが、経済を回し、消費税や法人税などの財源を増やす流れにつながる可能性もある。 もともと、金融所得課税の見直しは、2021年総裁選で岸田文雄首相が打ち出したが、その後、株価の大幅下落によって見送られた。しかし、岸田首相が退陣を決めた今でも、金融所得課税のネガティブな印象は深く一部の国民や個人投資家の心に突き刺さっている。岸田首相は「所得減税」という「減税」を断行したにもかかわらずだ。 未来に向けてどんなに前向きな議論や政策を論じようとしても、一度ついた印象を拭うのは容易ではない。デフレから脱却し、日本経済を前に進ませる時期に最も重要な視点は何か。それは、政治と国民との信頼関係を構築することであり、政治家には国民と同じ目線でコミュニケーションを図ることが求められる』、「岸田首相が退陣を決めた今でも、金融所得課税のネガティブな印象は深く一部の国民や個人投資家の心に突き刺さっている・・・未来に向けてどんなに前向きな議論や政策を論じようとしても、一度ついた印象を拭うのは容易ではない。デフレから脱却し、日本経済を前に進ませる時期に最も重要な視点は何か。それは、政治と国民との信頼関係を構築することであり、政治家には国民と同じ目線でコミュニケーションを図ることが求められる」、その通りだ。
タグ:「徳川の世になり、幕藩体制の安定のために幕府が儒教(朱子学)を官学として普及させたのが大きかった。儒教の世界観では、国を統治する支配者は高い徳を有するのであり、支配者には弱い者(女性や老人や子ども、病人など)を守る道徳的責任が強く課される、とされた。よってみだりに権力者が権威を振りかざして、被支配階級から搾取するのは「徳のある者がするべきでない行為」とされ、武士の道に反するという道徳観が出来上がったのである。 「農民が武士の次に偉く、さらにその次に職人(工)、末端に商人(商)という身分があり、あえて農民を武士の次としたのは、重税の不満をそらすためだったという説は、基本的に正しくない。なぜなら繰り返すようにそんな江戸時代の身分制自体が、虚妄に近かったと考えられてきたからである」、なるほど。 古谷経衡氏による「令和の大増税は“江戸時代の五公五民”より過酷?「真の国民負担率」で見る不都合な真実」 ダイヤモンド・オンライン 税制一般 (その5)(令和の大増税は“江戸時代の五公五民”より過酷?「真の国民負担率」で見る不都合な真実、「定額減税」給与明細の記載義務化に輪をかけてボロ…税金ムダ遣いの“過剰支出”1150億円も!、日本の「金融所得課税」議論で圧倒的に欠けた視点 総裁選の争点だが、政争の具になっていないか) つまり、新田開発により収穫が増えているということは、当然幕府は把握しているものの、庶民の努力によって開発した新田などを隅々まで調査したうえで、そこに重い税金をかけて取り立てるのは、「支配者としてあるまじき行為」として認知されていたきらいがある。よって新田からの増収があっても、その部分は検地の際、意図的に見逃されたり、暗黙の了解として全部を課税の対象にしなかったり、などといういわゆる「おめこぼし」が多く存在していた」、なるほど。 「当時の経済的要衝であった京、大坂とその周辺といった上方の支配体制を盤石とした。 それ以外にも、幕府は外国貿易をほとんど独占し、甲州や佐渡、石見などといった鉱山を独占的に開発、運営することにより、巨額の黒字を計上するに至った。現代風に言えば、幕府は超優良な国営企業を複数所有して、輸出入企業さえも独占していたのである。 このような「打ち出の小づち」という裏付けがあったからこそ、庶民に対して厳しい徴税姿勢を取らなくて済んだともいえる・・・幕府は諸藩を圧倒する富裕となり、おおむね18世紀に入るまで積極財政を繰り返した。幕府の開祖、徳川家康をまつる日光東照宮への歴代将軍一行の参拝(日光社参)は、徳川の武威、威光を諸藩や庶民に知らしめる目的もあり、惜しみなく盛大に行われた。また参勤交代制度によって街道筋の宿場町は発展し、官主体の消費によって、道路と物流が大きく整備されることになった。 幕府(政府)が惜しみなく金を使うことによって、その需要に応える民間部門が急速に成長し、これがのち、明治以降の日本近代資本主義につながるブルジョワジー(資本家)の勃興に貢献したのである・・・金鉱山からの産出量が過剰採掘で減少し、また、当時世界的に吹き荒れた天候不順(小氷期)や火山の噴火による農業生産の不振、相次ぐ大地震の復旧費、江戸や大坂などの大都市に流入する人々への対策、大火によって焼失した建物修繕費用なども増大し、国庫の悪化にさらなる追い打ちをかけることになる。 こうして幕藩体制は徐々にだが確実に疲労し、徳川の権勢の低下とともに時代は明治維新に向かっていく。 といっても、少なくとも幕府直轄の天領において、税負担が「五公五民」つまり収入の50%が年貢、という状況は、例外こそあるものの、基本的に起きづらかったといえる。現在の「大増税」を江戸時代になぞらえるのは、このような事実からいっても間違いである」、なるほど。 日刊ゲンダイ「「定額減税」給与明細の記載義務化に輪をかけてボロ…税金ムダ遣いの“過剰支出”1150億円も!」 「給与明細に減税額の「明記」が義務化されていたことが直前になって“周知”され、SNSなどで大炎上しているが、これに続く驚きの事実がまだあった。 定額減税は1人当たり所得税3万円、住民税1万円の計4万円。本人と扶養家族が対象なので、4人家族なら16万円になる。所得税は6月分から減税されるが、1カ月分だけでは満額差し引けない場合、翌月に残りの減税額が繰り越して差し引かれる」、わざわざ「定額減税」の有難味を知らしめようとする姑息な手段だ。 「年間の納税額が3万9999円の人は、4万円の満額にわずか1円満たないだけでも、1万円が給付されるのである。 本来の定額減税のルール以上に過剰に給付することになるわけで、もらえる当人は「ラッキー」と喜ぶだろうが、原資は税金だ。不公平感があるし、国の政策としてどうなのか」、全く酷い話だ。 「本来の減税額より多く給付することによって余計にかかる支出は、ナント1150億円程度にもなるそうだ・・・『増税メガネ』を払拭するためにコストをかけるのは前代未聞。選挙対策であり、人気取りに振り回されている」 たった1回こっきりの減税に、経理担当者はシステム変更や事務手続きで余計な仕事が増える。そのうえ1000億円規模の税金ムダ遣い! 不人気首相の支持率対策だけの世紀の愚策だ」、まるで悪政の見本だ。 東洋経済オンライン 馬渕 磨理子氏による「日本の「金融所得課税」議論で圧倒的に欠けた視点 総裁選の争点だが、政争の具になっていないか」 「金融所得課税を強化で狙うのは、総所得が1億円を超えると所得税の負担率が下がる「1億円の壁」の打破だ。富裕層は所得だけでなく、金融所得も多く保有してるため、20.3%の課税は税制上有利になっているという考えがもととなっている。経済成長の恩恵の分配によって格差是正を図りたいという思惑がある・・・ 社会保障給付での再配分は、受給者が「高齢者」であり、財源である保険料は「現役世代」が負担している。構造的に日本では現役世代から高齢者への再配分となっている。このため、「高所得者」から「低所得者」への再配分を行うには、金融所得課税が適しているというのが推進派の考えだ」、なるほど。 「アメリカは7.1~34.8%、イギリスは10%または20%と、所得ごとに金融所得に対する適⽤税率が決定されている。ドイツは26.4%で一律。日本と同じ運用になっている。また、シンガポールの場合、株式、金融商品の売却益が課税対象にはならない・・・日本はアメリカを参考にするべきなのだろうか。 この議論をする上で必要なのは、日本が諸外国と同じように富裕層における「富の集中」が進んでいるかだろう。日本の富裕層の人口や保有資産から見てみたい。) フランスの経済学者トマ・ピケティは世界のトップ1%の超富裕層に富が集まっており、世界的に格差が拡大していると指摘しているが、日本国内ではどうだろうか。参考になるデータがある。2022年2月に日本証券業協会がまとめた「格差の国際比較と資産形成の課題について」と題して発表されたレポートだ。 それによると、日本における所得1億円超えの人口は約2万人で、労働力人口に 占める割合は約0.04%である。アメリカで、所得100万ドル以上は53万件存在し、全体の0.4%と、日本の10倍の開きがある。 富裕層への富の集中度合について調査したOECDのデータでは、富の集中度合1位のアメリカでは上位1%の層に40%の富が偏っている。日本は、上位1%の層が保有する富の割合は11%で、これは、OECDが統計を公表している27カ国のうち2番目に低い。日本では、富裕層への富の集中度合いは相対的に低い水準となっているわけだ」、とすると「アメリカ」は必ずしも参考にはならないことになる。 「ジニ係数では、格差が広がっているのは高齢者世帯で、現役世帯の所得格差は比較的小さいことが確認できる。むしろ、日本の課題は高齢世代の低所得層にあると言える。 近年の傾向は、もともと存在していた一部の富裕層の資産が増えたのではなく、新たな富裕層が加わったことで富裕層の総資産が拡大している。株などの投資が普及したことで、これまで富裕層でなかった層が資産を形成しつつあるのだ。 富める者だけがさらに富んだ、というわけではないのが日本の現状だ。 つまり、日本はアメリカなどとは富の集中構造が大きく異なり、海外における議論をそのまま当てはめることはできない」、なるほど。 「岸田首相が退陣を決めた今でも、金融所得課税のネガティブな印象は深く一部の国民や個人投資家の心に突き刺さっている・・・未来に向けてどんなに前向きな議論や政策を論じようとしても、一度ついた印象を拭うのは容易ではない。デフレから脱却し、日本経済を前に進ませる時期に最も重要な視点は何か。それは、政治と国民との信頼関係を構築することであり、政治家には国民と同じ目線でコミュニケーションを図ることが求められる」、その通りだ。
最低賃金(その2)(“中小企業6割が賃上げ”というが「最低賃金アップ」でしか安いニッポンは変われない、「最低賃金50円引き上げ」時代遅れの根拠なき議論 「経営者代表」を議論の主役にしてはいけない訳) [経済政策]
最低賃金については、2021年8月6日に取上げた。今日は、(その2)(“中小企業6割が賃上げ”というが「最低賃金アップ」でしか安いニッポンは変われない、「最低賃金50円引き上げ」時代遅れの根拠なき議論 「経営者代表」を議論の主役にしてはいけない訳)である。
先ずは、昨年4月6日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「“中小企業6割が賃上げ”というが「最低賃金アップ」でしか安いニッポンは変われない」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/320801
・『「賃上げ」で明るい兆しは本当か? まったく実感がないという人も多いだろうが、実は今、世間では「賃上げラッシュ」らしい。 岸田政権の「賃上げしましょう」の呼びかけにこぞって、企業が応えているというわけだ。しかも、注目すべきは、この賃上げの動きは、物価上昇を価格転嫁しにくい中小企業にまで「波及」をしているという点だ。 『中小企業の約6割が賃上げ予定 物価上昇率カバー可能な「4%以上」賃上げは18.7%に 日本商工会議所(TBS NEWS DIG)』 このような話を聞くと、「いいぞ!これで“安いニッポン”からおさらばだ」「日本中で賃上げと物価高の好循環が生まれて不況から脱出するぞ!」なんて感じで、新年度から明るい希望を抱いたという人も多いだろう。 そういういいムードにケチをつけるようで大変心苦しいのだが、今騒がれているような「賃上げラッシュ」では、日本の低賃金は解決できないだろう。 実はこのようなニュースで語られているトヨタやファーストリテイリングという世界的企業や、産業別労働組合があるような大企業というのは、日本の全企業の中でわずか0.3%に過ぎない。全就業者数でも3割程度だ。 こんなほんの一握りの企業が給料を爆上げしたところで、日本人全体の給料が上がるわけがない。3割の労働者の給料がちょっと増えたところで、7割が低賃金のままでは経済の好循環もへったくれもないのだ。 「これだから学のない人間は困る。わずか0.3%でも大企業が賃金を上げれば下請けや取引先である中小企業に波及するだろうが。実際に、中小企業の6割は賃上げ予定だぞ」というお叱りを受けそうだが、実はこの話もかなり微妙だ。 実は上場企業など大企業は、これまでも着々と賃上げをしている。が、日本の平均年収はこの30年間ほぼ横ばいだ。つまり、大企業が賃上げをすれば、「シャワー効果」で、中小企業も賃金が上がるというのは、「神話」に過ぎない。 また、「中小企業の6割が賃上げ予定」という調査自体が眉唾だ。これは日本商工会議所の会員である3308社の回答に基づいているのだが、これが日本の中小企業の実態をあまり反映していない恐れがあるからだ』、「大企業が賃上げをすれば、「シャワー効果」で、中小企業も賃金が上がるというのは、「神話」に過ぎない。 また、「中小企業の6割が賃上げ予定」という調査自体が眉唾だ。これは日本商工会議所の会員である3308社の回答に基づいているのだが、これが日本の中小企業の実態をあまり反映していない恐れがあるからだ」、なるほど。
・『「中小企業6割が賃上げ」に反映された声は実態と乖離? 日本に中小企業がどれだけあるのかということは実は正確にはよくわかっていないが、独立行政法人中小企業基盤整備機構によれば、中小企業357万8176社だという。 では、「中小企業の6割が賃上げ予定」という調査結果を世に公表した日本商工会議所には、この中のどれほどの中小企業をカバーしているのか。ホームページによれば、全国の商工会議所の会員数は123万(22年4月現在)で、しかもこの数には大企業も含まれる。つまり、日本商工会議所(以下、日商)には全中小企業の3割程度しか加盟していないのである。 そんな少数派の中でわずか3000社程度のアンケートをピックアップしただけで、さも「中小企業全体」が賃上げをしようとしている、と触れ回るのはやや乱暴な気がしないだろうか。 また、問題は調査対象の数だけではない。 商工会議所に参加している企業経営者というのは基本的に、中小企業振興・地域振興や情報交換など積極的だ。交流会やセミナーもよく催されており、そういうものに参加する人が多い。つまり、「意識高い系経営者」なのだ。こういう人たちが集まった団体で、アンケートを取れば当然、多くの人が「賃上げ予定」と答える。日本の賃金が異常に低く、多くの労働者が苦しんでいるという問題意識があるからだ。 しかし、商工会議所に加わらない、残り234万社の経営者に同じことを聞いたらどうだろうか。筆者は商工会議所の会員と比べるとかなり賃上げへの意欲は薄れるのではないかと考えている』、「独立行政法人中小企業基盤整備機構によれば、中小企業357万8176社だという・・・全国の商工会議所の会員数は123万(22年4月現在)で、しかもこの数には大企業も含まれる。つまり、日本商工会議所(以下、日商)には全中小企業の3割程度しか加盟していないのである」、なるほど。
・『賃上げもできない中小企業が大半、商工会議所に入る“余裕”なし そもそも、234万社の経営者はなぜ商工会に入っていないのかというと、メリットを感じないからだ。つまり、中小企業振興や地域振興などにそれほど興味がないのだ。では、なぜ興味がないのか。個々の性格的な部分もあるかもしれないが、やはり大きいのは経営者として「余裕」がないからではないのか。 先ほど日本の中小企業は、357万社だという話をしたが、その6割は「小規模事業者」だ。製造業ならば従業員20人以下、商業サービスなら5人以下の、いわゆる「零細企業」である。 さて、あなたがこういう零細企業の経営者になったとして、日本の中小企業振興や地域振興を考えられるだろうか。自分の会社を存続させることで頭が一杯で、そんな心の余裕も時間の余裕もないのではないか。 そして、こういう余裕のない零細企業経営者は「賃上げ」ができるだろうか。もし商工会議所のアンケートが来たとしても、「こんな厳しい状況で、賃上げなんかできるわけがないだろ」と即答ではないか。 こういう「賃金が上げられない小さな会社」が、日本全国に300万社近くあふれている。これが「安いニッポン」の根本的な理由だ。 こういう会社は従業員に低賃金しか払えない。何年も昇給せずに同じ給料を払っている。だが、従業員もそれに不満は言いづらい。従業員が数人しかいないので人間関係が密になるからだ。ほぼ家族同然の付き合いをしているので、社長が苦しいことは、身近に見ているのでよく知っている。いくら給料が安いからといってワガママが言えない。だから、低い賃金でも我慢して働いている――。 そして、こういう小さな家族経営の企業は、トヨタ自動車やユニクロの下請けでもなければ取引先でもないので、この手の大企業の「賃上げラッシュ」はまったく関係ない。日本商工会議所の会員になるような「意識の高い中小企業」と統計的には同じ「中小企業」というくくりにされるが、ビジネスモデルも規模も経営にかけるモチベーションもまったく違うので、「6割が賃上げ」と聞いても、自分たちとはまったく関係のない世界の話なのだ』、「日本商工会議所の会員になるような「意識の高い中小企業」と統計的には同じ「中小企業」というくくりにされるが、ビジネスモデルも規模も経営にかけるモチベーションもまったく違うので、「6割が賃上げ」と聞いても、自分たちとはまったく関係のない世界の話なのだ」、なるほど。
・『日本の小さな会社たちをすくい上げる手立て だから、「賃上げラッシュ」がいくら起きても、日商が「中小企業の6割が賃上げ予定」というニュースを出しても、日本の賃金は何も変わらないのだ。 さて、そこで気になるのは、「じゃあ、どうする?」ということだろう。「賃金を上げられない小さな会社」を賃上げしてもらわないことには、日本の賃金はいつまでも経っても上がっていかない。大企業や日商会員の中小企業とは別の世界で商いをしている「零細企業」にどう賃上げをさせていくのか、という悩ましい問題に突き当たる。 いろいろな意見があるだろうが、筆者は「最低賃金の引き上げ」しかないと思っている。 そう聞くと、こんな状況で最低賃金を引き上げたら、「賃金を上げられない小さな会社」に「死ね」ということか、というお叱りを受けるかもしれない。 ただ、「賃金を上げられない小さな会社」はある程度のプレッシャーを与えなければ、いつまで経っても成長できず、零細企業のまま補助金で延命していくしかないという厳しい現実がある。 だから、心を鬼にして、零細企業が成長するための手厚いサポートをしながら、最低賃金の引き上げをしていくのである。「賃金を上げられない小さな会社」が税金でつぶれないような延命をするのではなく、最低賃金の引き上げと経営のサポートで鍛えあげる。それが結果として、零細企業をよみがえらせて、日本経済の復活にもつながるのだ。 実際、日本以外の先進国では「最低賃金の引き上げ」を経済政策として継続している。意識の高い中小企業経営者もそこに気づき始めている。2023年度の最低賃金額の改定について、最低賃金を「引上げるべき」と回答した会員企業は42.4%となり、「引き下げるべき」「現状の金額を維持すべき」との回答(計33.7%)を上回った。ちょっと前までは、日商では最低賃金を引き上げるなという大合唱だっだが、さすがにそれでは何も変わらないということに多くの経営者が気づき始めたのだ。 最低賃金を引き上げるのは長期的には、中小企業を強く成長させていく。そういう大局的な視点で、「賃金の引き上げ」というものをあらためて考えるべきではないか』、「最低賃金の引き上げと経営のサポートで鍛えあげる。それが結果として、零細企業をよみがえらせて、日本経済の復活にもつながるのだ。 実際、日本以外の先進国では「最低賃金の引き上げ」を経済政策として継続している。意識の高い中小企業経営者もそこに気づき始めている・・・最低賃金を引き上げるのは長期的には、中小企業を強く成長させていく。そういう大局的な視点で、「賃金の引き上げ」というものをあらためて考えるべきではないか」、その通りだ。
次に、7月30日付け東洋経済オンラインが掲載した小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏による「「最低賃金50円引き上げ」時代遅れの根拠なき議論 「経営者代表」を議論の主役にしてはいけない訳」を紹介しよう。
・『オックスフォード大学で日本学を専攻、ゴールドマン・サックスで日本経済の「伝説のアナリスト」として名をはせたデービッド・アトキンソン氏。 退職後も日本経済の研究を続け、日本を救う数々の提言を行ってきた彼の著書『給料の上げ方――日本人みんなで豊かになる』では、日本人の給料を上げるための方法が詳しく解説されている。 「いまの日本の給料は、日本人のまじめさや能力にふさわしい水準ではありません。そんな低水準の給料でもガマンして働いている、その『ガマン』によって、いまの日本経済のシステムは成り立っています。でも、そんなのは絶対におかしい」 そう語るアトキンソン氏に、これからの日本に必要なことを解説してもらう』、「いまの日本の給料は、日本人のまじめさや能力にふさわしい水準ではありません。そんな低水準の給料でもガマンして働いている、その『ガマン』によって、いまの日本経済のシステムは成り立っています。でも、そんなのは絶対におかしい」、その通りだ。
・『「50円引き上げ」の結論自体は評価できる 中央最低賃金審議会は、2024年の引き上げの目安を50円と決定しました。 2024年の最低賃金の引き上げにより、全都道府県で2025年に最低賃金が1000円を超える可能性が高まっています。現時点で1000円を超える都道府県は8つですが、2024年には少なくとも16都道府県に増える見通しです。 日本の最低賃金は都道府県ごとに設定され、経済状況に応じてA、B、Cの3つのランクに分類されています。各ランクの最低賃金引き上げの目安額は中央最低賃金審議会によって示されます。 2024年の目安額は全ランク共通で50円の引き上げとなり、地域間の賃金格差の是正を図る大きな一歩となりました。 過去には、最高の最低賃金と最低の最低賃金の格差が広がっていました。1997年には100円だった差が、2018年には223円まで拡大しました。今回の統一された引き上げ幅は、東京都にとって4.5%、最下位の岩手県にとっては5.6%の引き上げとなり、地域間格差の縮小となります。) 実際の引き上げ幅は、各都道府県での議論を経て決定されますが、全国加重平均が1054円を超えることが予想されます。これは過去の事例から、引き上げ幅が目安より大きくなることが多いためです』、「実際の引き上げ幅は、各都道府県での議論を経て決定されますが、全国加重平均が1054円を超えることが予想されます。これは過去の事例から、引き上げ幅が目安より大きくなることが多いためです」、なるほど。
・『「データに基づいた議論」ができていない 問題は、中央最低賃金審議会では経営者代表の意見がしばしば具体的なデータに欠けるため、議論が抽象論に終始することです。 たとえば「価格転嫁ができていない企業が相当数いる」との主張がありますが、具体的な企業数や業種ごとの詳細なデータが示されていません。このような主張には、統計的なデータが不可欠です。 「価格転嫁ができていない企業が相当数いる」との発言には、2つの問題があります。 まず、「相当数いる」とは具体的に何社なのかが示されていません。356万社ある中小企業の中で、どの程度が価格転嫁できていないのか具体的なデータがなければ、無責任な発言となります。 次に「価格転嫁ができていない」と言われても、どの業種で何%できていないのかを具体的に示す必要があります。ここではエピソードではなく、統計的なデータが不可欠です。 さらに経営者代表は、物価上昇の影響を理由に賃金は上げられないと主張していますが、それは労働者に物価上昇の負担を押し付ける結果となります。 今回の審議会では、経営者側は「中小企業に支払い能力を超えた過度な引き上げによる負担を負わせない配慮を」と主張しました。しかし、経営者側が主張する「中小企業の支払い能力」の具体的なデータを示していません。 中小企業も全体で見れば、大企業と同じように利益が最高水準を更新し続け、内部留保も増加しています。その中で、経営者側が「支払い能力」を持ち出すのであれば、その詳細を示すべきです。 中小企業は356万社もあり、最低賃金が1500円になっても対応できる企業もあるはずです。最低賃金がいくらになれば、どの業種のどの企業がどのような影響を受けるかを具体的に示すことが求められます。) 最低賃金の引き上げは、経済全体に対しても重要な影響を及ぼします。 最低賃金が上がることで、低賃金労働者の生活水準が向上し、消費活動が活発化することが期待されます。一方で、企業側には賃金コストの増加が負担となることもありますが、これは価格転嫁することで解決できます。 一部の人は生産性を上げてから賃金を上げるべきと主張しますが、日本企業の生産性は、それほどではないものの上昇しています。それにもかかわらず労働分配率が下がっているため、経営者は賃金を上げていません。よって、経営者側の「生産性を上げてから賃金を上げる」という抽象的な意見は、そもそも経営者側が守っていないのですから、退けるべきです。 逆に、賃金を上げることで生産性を上げざるを得ないという現実もあります。外国の分析では、賃金を上げると経営者が生産性向上に必死になることが確認されています』、「一部の人は生産性を上げてから賃金を上げるべきと主張しますが、日本企業の生産性は、それほどではないものの上昇しています。それにもかかわらず労働分配率が下がっているため、経営者は賃金を上げていません。よって、経営者側の「生産性を上げてから賃金を上げる」という抽象的な意見は、そもそも経営者側が守っていないのですから、退けるべきです」、その通りだ。
・『当初案「たった20円」経営者側は労働者を舐めている 経営者も労働者同様に利害関係者です。経営者に決定権を渡して、最低賃金の議論をさせるべきではありません。特に、経営者の団体は最低賃金の設定に必要な分析能力が十分ではないことは以上のことからもわかります。 実は今回の議論で、経営者側は当初案として20円の引き上げを示したそうです。とんでもない数字です。交渉とはいえ、公的な場でたった2%程度の引き上げを示す経営者側には、審議会に出席する資格はないとすら思います。 ビッグデータの時代では、最低賃金の設定には、もっと科学的なやり方が必要です。イギリスのLow Pay Commissionのように、学者や統計専門家がビッグデータを駆使して経済全体に与える影響を分析し、そのうえで労働者側と経営者側の意見をヒアリングする方法が求められます。 EUのように、最低賃金を平均所得の50%、中央値の60%に収斂させることも1つの方向性です。 人口減少が進む中、最低賃金は経済政策の中で中心的な役割を果たすべきです。たくさんの人の生活にかかることですから、労働者と経営者が根拠もなく議論を続けるのではなく、エビデンスに基づいた科学的なアプローチが求められます。 最低賃金の引き上げは、経済全体に対する影響を考慮し、ビッグデータと統計的な分析を用いて慎重に決定されるべきです』、「人口減少が進む中、最低賃金は経済政策の中で中心的な役割を果たすべきです。たくさんの人の生活にかかることですから、労働者と経営者が根拠もなく議論を続けるのではなく、エビデンスに基づいた科学的なアプローチが求められます。 最低賃金の引き上げは、経済全体に対する影響を考慮し、ビッグデータと統計的な分析を用いて慎重に決定されるべきです」、同感である。
先ずは、昨年4月6日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「“中小企業6割が賃上げ”というが「最低賃金アップ」でしか安いニッポンは変われない」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/320801
・『「賃上げ」で明るい兆しは本当か? まったく実感がないという人も多いだろうが、実は今、世間では「賃上げラッシュ」らしい。 岸田政権の「賃上げしましょう」の呼びかけにこぞって、企業が応えているというわけだ。しかも、注目すべきは、この賃上げの動きは、物価上昇を価格転嫁しにくい中小企業にまで「波及」をしているという点だ。 『中小企業の約6割が賃上げ予定 物価上昇率カバー可能な「4%以上」賃上げは18.7%に 日本商工会議所(TBS NEWS DIG)』 このような話を聞くと、「いいぞ!これで“安いニッポン”からおさらばだ」「日本中で賃上げと物価高の好循環が生まれて不況から脱出するぞ!」なんて感じで、新年度から明るい希望を抱いたという人も多いだろう。 そういういいムードにケチをつけるようで大変心苦しいのだが、今騒がれているような「賃上げラッシュ」では、日本の低賃金は解決できないだろう。 実はこのようなニュースで語られているトヨタやファーストリテイリングという世界的企業や、産業別労働組合があるような大企業というのは、日本の全企業の中でわずか0.3%に過ぎない。全就業者数でも3割程度だ。 こんなほんの一握りの企業が給料を爆上げしたところで、日本人全体の給料が上がるわけがない。3割の労働者の給料がちょっと増えたところで、7割が低賃金のままでは経済の好循環もへったくれもないのだ。 「これだから学のない人間は困る。わずか0.3%でも大企業が賃金を上げれば下請けや取引先である中小企業に波及するだろうが。実際に、中小企業の6割は賃上げ予定だぞ」というお叱りを受けそうだが、実はこの話もかなり微妙だ。 実は上場企業など大企業は、これまでも着々と賃上げをしている。が、日本の平均年収はこの30年間ほぼ横ばいだ。つまり、大企業が賃上げをすれば、「シャワー効果」で、中小企業も賃金が上がるというのは、「神話」に過ぎない。 また、「中小企業の6割が賃上げ予定」という調査自体が眉唾だ。これは日本商工会議所の会員である3308社の回答に基づいているのだが、これが日本の中小企業の実態をあまり反映していない恐れがあるからだ』、「大企業が賃上げをすれば、「シャワー効果」で、中小企業も賃金が上がるというのは、「神話」に過ぎない。 また、「中小企業の6割が賃上げ予定」という調査自体が眉唾だ。これは日本商工会議所の会員である3308社の回答に基づいているのだが、これが日本の中小企業の実態をあまり反映していない恐れがあるからだ」、なるほど。
・『「中小企業6割が賃上げ」に反映された声は実態と乖離? 日本に中小企業がどれだけあるのかということは実は正確にはよくわかっていないが、独立行政法人中小企業基盤整備機構によれば、中小企業357万8176社だという。 では、「中小企業の6割が賃上げ予定」という調査結果を世に公表した日本商工会議所には、この中のどれほどの中小企業をカバーしているのか。ホームページによれば、全国の商工会議所の会員数は123万(22年4月現在)で、しかもこの数には大企業も含まれる。つまり、日本商工会議所(以下、日商)には全中小企業の3割程度しか加盟していないのである。 そんな少数派の中でわずか3000社程度のアンケートをピックアップしただけで、さも「中小企業全体」が賃上げをしようとしている、と触れ回るのはやや乱暴な気がしないだろうか。 また、問題は調査対象の数だけではない。 商工会議所に参加している企業経営者というのは基本的に、中小企業振興・地域振興や情報交換など積極的だ。交流会やセミナーもよく催されており、そういうものに参加する人が多い。つまり、「意識高い系経営者」なのだ。こういう人たちが集まった団体で、アンケートを取れば当然、多くの人が「賃上げ予定」と答える。日本の賃金が異常に低く、多くの労働者が苦しんでいるという問題意識があるからだ。 しかし、商工会議所に加わらない、残り234万社の経営者に同じことを聞いたらどうだろうか。筆者は商工会議所の会員と比べるとかなり賃上げへの意欲は薄れるのではないかと考えている』、「独立行政法人中小企業基盤整備機構によれば、中小企業357万8176社だという・・・全国の商工会議所の会員数は123万(22年4月現在)で、しかもこの数には大企業も含まれる。つまり、日本商工会議所(以下、日商)には全中小企業の3割程度しか加盟していないのである」、なるほど。
・『賃上げもできない中小企業が大半、商工会議所に入る“余裕”なし そもそも、234万社の経営者はなぜ商工会に入っていないのかというと、メリットを感じないからだ。つまり、中小企業振興や地域振興などにそれほど興味がないのだ。では、なぜ興味がないのか。個々の性格的な部分もあるかもしれないが、やはり大きいのは経営者として「余裕」がないからではないのか。 先ほど日本の中小企業は、357万社だという話をしたが、その6割は「小規模事業者」だ。製造業ならば従業員20人以下、商業サービスなら5人以下の、いわゆる「零細企業」である。 さて、あなたがこういう零細企業の経営者になったとして、日本の中小企業振興や地域振興を考えられるだろうか。自分の会社を存続させることで頭が一杯で、そんな心の余裕も時間の余裕もないのではないか。 そして、こういう余裕のない零細企業経営者は「賃上げ」ができるだろうか。もし商工会議所のアンケートが来たとしても、「こんな厳しい状況で、賃上げなんかできるわけがないだろ」と即答ではないか。 こういう「賃金が上げられない小さな会社」が、日本全国に300万社近くあふれている。これが「安いニッポン」の根本的な理由だ。 こういう会社は従業員に低賃金しか払えない。何年も昇給せずに同じ給料を払っている。だが、従業員もそれに不満は言いづらい。従業員が数人しかいないので人間関係が密になるからだ。ほぼ家族同然の付き合いをしているので、社長が苦しいことは、身近に見ているのでよく知っている。いくら給料が安いからといってワガママが言えない。だから、低い賃金でも我慢して働いている――。 そして、こういう小さな家族経営の企業は、トヨタ自動車やユニクロの下請けでもなければ取引先でもないので、この手の大企業の「賃上げラッシュ」はまったく関係ない。日本商工会議所の会員になるような「意識の高い中小企業」と統計的には同じ「中小企業」というくくりにされるが、ビジネスモデルも規模も経営にかけるモチベーションもまったく違うので、「6割が賃上げ」と聞いても、自分たちとはまったく関係のない世界の話なのだ』、「日本商工会議所の会員になるような「意識の高い中小企業」と統計的には同じ「中小企業」というくくりにされるが、ビジネスモデルも規模も経営にかけるモチベーションもまったく違うので、「6割が賃上げ」と聞いても、自分たちとはまったく関係のない世界の話なのだ」、なるほど。
・『日本の小さな会社たちをすくい上げる手立て だから、「賃上げラッシュ」がいくら起きても、日商が「中小企業の6割が賃上げ予定」というニュースを出しても、日本の賃金は何も変わらないのだ。 さて、そこで気になるのは、「じゃあ、どうする?」ということだろう。「賃金を上げられない小さな会社」を賃上げしてもらわないことには、日本の賃金はいつまでも経っても上がっていかない。大企業や日商会員の中小企業とは別の世界で商いをしている「零細企業」にどう賃上げをさせていくのか、という悩ましい問題に突き当たる。 いろいろな意見があるだろうが、筆者は「最低賃金の引き上げ」しかないと思っている。 そう聞くと、こんな状況で最低賃金を引き上げたら、「賃金を上げられない小さな会社」に「死ね」ということか、というお叱りを受けるかもしれない。 ただ、「賃金を上げられない小さな会社」はある程度のプレッシャーを与えなければ、いつまで経っても成長できず、零細企業のまま補助金で延命していくしかないという厳しい現実がある。 だから、心を鬼にして、零細企業が成長するための手厚いサポートをしながら、最低賃金の引き上げをしていくのである。「賃金を上げられない小さな会社」が税金でつぶれないような延命をするのではなく、最低賃金の引き上げと経営のサポートで鍛えあげる。それが結果として、零細企業をよみがえらせて、日本経済の復活にもつながるのだ。 実際、日本以外の先進国では「最低賃金の引き上げ」を経済政策として継続している。意識の高い中小企業経営者もそこに気づき始めている。2023年度の最低賃金額の改定について、最低賃金を「引上げるべき」と回答した会員企業は42.4%となり、「引き下げるべき」「現状の金額を維持すべき」との回答(計33.7%)を上回った。ちょっと前までは、日商では最低賃金を引き上げるなという大合唱だっだが、さすがにそれでは何も変わらないということに多くの経営者が気づき始めたのだ。 最低賃金を引き上げるのは長期的には、中小企業を強く成長させていく。そういう大局的な視点で、「賃金の引き上げ」というものをあらためて考えるべきではないか』、「最低賃金の引き上げと経営のサポートで鍛えあげる。それが結果として、零細企業をよみがえらせて、日本経済の復活にもつながるのだ。 実際、日本以外の先進国では「最低賃金の引き上げ」を経済政策として継続している。意識の高い中小企業経営者もそこに気づき始めている・・・最低賃金を引き上げるのは長期的には、中小企業を強く成長させていく。そういう大局的な視点で、「賃金の引き上げ」というものをあらためて考えるべきではないか」、その通りだ。
次に、7月30日付け東洋経済オンラインが掲載した小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏による「「最低賃金50円引き上げ」時代遅れの根拠なき議論 「経営者代表」を議論の主役にしてはいけない訳」を紹介しよう。
・『オックスフォード大学で日本学を専攻、ゴールドマン・サックスで日本経済の「伝説のアナリスト」として名をはせたデービッド・アトキンソン氏。 退職後も日本経済の研究を続け、日本を救う数々の提言を行ってきた彼の著書『給料の上げ方――日本人みんなで豊かになる』では、日本人の給料を上げるための方法が詳しく解説されている。 「いまの日本の給料は、日本人のまじめさや能力にふさわしい水準ではありません。そんな低水準の給料でもガマンして働いている、その『ガマン』によって、いまの日本経済のシステムは成り立っています。でも、そんなのは絶対におかしい」 そう語るアトキンソン氏に、これからの日本に必要なことを解説してもらう』、「いまの日本の給料は、日本人のまじめさや能力にふさわしい水準ではありません。そんな低水準の給料でもガマンして働いている、その『ガマン』によって、いまの日本経済のシステムは成り立っています。でも、そんなのは絶対におかしい」、その通りだ。
・『「50円引き上げ」の結論自体は評価できる 中央最低賃金審議会は、2024年の引き上げの目安を50円と決定しました。 2024年の最低賃金の引き上げにより、全都道府県で2025年に最低賃金が1000円を超える可能性が高まっています。現時点で1000円を超える都道府県は8つですが、2024年には少なくとも16都道府県に増える見通しです。 日本の最低賃金は都道府県ごとに設定され、経済状況に応じてA、B、Cの3つのランクに分類されています。各ランクの最低賃金引き上げの目安額は中央最低賃金審議会によって示されます。 2024年の目安額は全ランク共通で50円の引き上げとなり、地域間の賃金格差の是正を図る大きな一歩となりました。 過去には、最高の最低賃金と最低の最低賃金の格差が広がっていました。1997年には100円だった差が、2018年には223円まで拡大しました。今回の統一された引き上げ幅は、東京都にとって4.5%、最下位の岩手県にとっては5.6%の引き上げとなり、地域間格差の縮小となります。) 実際の引き上げ幅は、各都道府県での議論を経て決定されますが、全国加重平均が1054円を超えることが予想されます。これは過去の事例から、引き上げ幅が目安より大きくなることが多いためです』、「実際の引き上げ幅は、各都道府県での議論を経て決定されますが、全国加重平均が1054円を超えることが予想されます。これは過去の事例から、引き上げ幅が目安より大きくなることが多いためです」、なるほど。
・『「データに基づいた議論」ができていない 問題は、中央最低賃金審議会では経営者代表の意見がしばしば具体的なデータに欠けるため、議論が抽象論に終始することです。 たとえば「価格転嫁ができていない企業が相当数いる」との主張がありますが、具体的な企業数や業種ごとの詳細なデータが示されていません。このような主張には、統計的なデータが不可欠です。 「価格転嫁ができていない企業が相当数いる」との発言には、2つの問題があります。 まず、「相当数いる」とは具体的に何社なのかが示されていません。356万社ある中小企業の中で、どの程度が価格転嫁できていないのか具体的なデータがなければ、無責任な発言となります。 次に「価格転嫁ができていない」と言われても、どの業種で何%できていないのかを具体的に示す必要があります。ここではエピソードではなく、統計的なデータが不可欠です。 さらに経営者代表は、物価上昇の影響を理由に賃金は上げられないと主張していますが、それは労働者に物価上昇の負担を押し付ける結果となります。 今回の審議会では、経営者側は「中小企業に支払い能力を超えた過度な引き上げによる負担を負わせない配慮を」と主張しました。しかし、経営者側が主張する「中小企業の支払い能力」の具体的なデータを示していません。 中小企業も全体で見れば、大企業と同じように利益が最高水準を更新し続け、内部留保も増加しています。その中で、経営者側が「支払い能力」を持ち出すのであれば、その詳細を示すべきです。 中小企業は356万社もあり、最低賃金が1500円になっても対応できる企業もあるはずです。最低賃金がいくらになれば、どの業種のどの企業がどのような影響を受けるかを具体的に示すことが求められます。) 最低賃金の引き上げは、経済全体に対しても重要な影響を及ぼします。 最低賃金が上がることで、低賃金労働者の生活水準が向上し、消費活動が活発化することが期待されます。一方で、企業側には賃金コストの増加が負担となることもありますが、これは価格転嫁することで解決できます。 一部の人は生産性を上げてから賃金を上げるべきと主張しますが、日本企業の生産性は、それほどではないものの上昇しています。それにもかかわらず労働分配率が下がっているため、経営者は賃金を上げていません。よって、経営者側の「生産性を上げてから賃金を上げる」という抽象的な意見は、そもそも経営者側が守っていないのですから、退けるべきです。 逆に、賃金を上げることで生産性を上げざるを得ないという現実もあります。外国の分析では、賃金を上げると経営者が生産性向上に必死になることが確認されています』、「一部の人は生産性を上げてから賃金を上げるべきと主張しますが、日本企業の生産性は、それほどではないものの上昇しています。それにもかかわらず労働分配率が下がっているため、経営者は賃金を上げていません。よって、経営者側の「生産性を上げてから賃金を上げる」という抽象的な意見は、そもそも経営者側が守っていないのですから、退けるべきです」、その通りだ。
・『当初案「たった20円」経営者側は労働者を舐めている 経営者も労働者同様に利害関係者です。経営者に決定権を渡して、最低賃金の議論をさせるべきではありません。特に、経営者の団体は最低賃金の設定に必要な分析能力が十分ではないことは以上のことからもわかります。 実は今回の議論で、経営者側は当初案として20円の引き上げを示したそうです。とんでもない数字です。交渉とはいえ、公的な場でたった2%程度の引き上げを示す経営者側には、審議会に出席する資格はないとすら思います。 ビッグデータの時代では、最低賃金の設定には、もっと科学的なやり方が必要です。イギリスのLow Pay Commissionのように、学者や統計専門家がビッグデータを駆使して経済全体に与える影響を分析し、そのうえで労働者側と経営者側の意見をヒアリングする方法が求められます。 EUのように、最低賃金を平均所得の50%、中央値の60%に収斂させることも1つの方向性です。 人口減少が進む中、最低賃金は経済政策の中で中心的な役割を果たすべきです。たくさんの人の生活にかかることですから、労働者と経営者が根拠もなく議論を続けるのではなく、エビデンスに基づいた科学的なアプローチが求められます。 最低賃金の引き上げは、経済全体に対する影響を考慮し、ビッグデータと統計的な分析を用いて慎重に決定されるべきです』、「人口減少が進む中、最低賃金は経済政策の中で中心的な役割を果たすべきです。たくさんの人の生活にかかることですから、労働者と経営者が根拠もなく議論を続けるのではなく、エビデンスに基づいた科学的なアプローチが求められます。 最低賃金の引き上げは、経済全体に対する影響を考慮し、ビッグデータと統計的な分析を用いて慎重に決定されるべきです」、同感である。
タグ:「独立行政法人中小企業基盤整備機構によれば、中小企業357万8176社だという・・・全国の商工会議所の会員数は123万(22年4月現在)で、しかもこの数には大企業も含まれる。つまり、日本商工会議所(以下、日商)には全中小企業の3割程度しか加盟していないのである」、なるほど。 「大企業が賃上げをすれば、「シャワー効果」で、中小企業も賃金が上がるというのは、「神話」に過ぎない。 また、「中小企業の6割が賃上げ予定」という調査自体が眉唾だ。これは日本商工会議所の会員である3308社の回答に基づいているのだが、これが日本の中小企業の実態をあまり反映していない恐れがあるからだ」、なるほど。 窪田順生氏による「“中小企業6割が賃上げ”というが「最低賃金アップ」でしか安いニッポンは変われない」 ダイヤモンド・オンライン (その2)(“中小企業6割が賃上げ”というが「最低賃金アップ」でしか安いニッポンは変われない、「最低賃金50円引き上げ」時代遅れの根拠なき議論 「経営者代表」を議論の主役にしてはいけない訳) 最低賃金 「日本商工会議所の会員になるような「意識の高い中小企業」と統計的には同じ「中小企業」というくくりにされるが、ビジネスモデルも規模も経営にかけるモチベーションもまったく違うので、「6割が賃上げ」と聞いても、自分たちとはまったく関係のない世界の話なのだ」、なるほど。 「最低賃金の引き上げと経営のサポートで鍛えあげる。それが結果として、零細企業をよみがえらせて、日本経済の復活にもつながるのだ。 実際、日本以外の先進国では「最低賃金の引き上げ」を経済政策として継続している。意識の高い中小企業経営者もそこに気づき始めている・・・最低賃金を引き上げるのは長期的には、中小企業を強く成長させていく。そういう大局的な視点で、「賃金の引き上げ」というものをあらためて考えるべきではないか」、その通りだ。 東洋経済オンライン デービッド・アトキンソン氏による「「最低賃金50円引き上げ」時代遅れの根拠なき議論 「経営者代表」を議論の主役にしてはいけない訳」 「いまの日本の給料は、日本人のまじめさや能力にふさわしい水準ではありません。そんな低水準の給料でもガマンして働いている、その『ガマン』によって、いまの日本経済のシステムは成り立っています。でも、そんなのは絶対におかしい」、その通りだ。 「実際の引き上げ幅は、各都道府県での議論を経て決定されますが、全国加重平均が1054円を超えることが予想されます。これは過去の事例から、引き上げ幅が目安より大きくなることが多いためです」、なるほど。 「一部の人は生産性を上げてから賃金を上げるべきと主張しますが、日本企業の生産性は、それほどではないものの上昇しています。それにもかかわらず労働分配率が下がっているため、経営者は賃金を上げていません。よって、経営者側の「生産性を上げてから賃金を上げる」という抽象的な意見は、そもそも経営者側が守っていないのですから、退けるべきです」、その通りだ。 「人口減少が進む中、最低賃金は経済政策の中で中心的な役割を果たすべきです。たくさんの人の生活にかかることですから、労働者と経営者が根拠もなく議論を続けるのではなく、エビデンスに基づいた科学的なアプローチが求められます。 最低賃金の引き上げは、経済全体に対する影響を考慮し、ビッグデータと統計的な分析を用いて慎重に決定されるべきです」、同感である。
働き方改革(その41)(「これからの時代はジョブ型だ」という人は気づいていない…専門家が指摘する"ジョブ型雇用の致命的リスク" はっきり言って、現代の日本企業には向いていない、Z世代に広がる「静かな退職」 多様な働き方の一つに過ぎない、65歳以降も仕事は可能なのに…「いつまでも働ける社会」を阻害している「高齢者へのペナルティー」) [経済政策]
働き方改革については、昨年9月5日に取上げた。今日は、(その41)(「これからの時代はジョブ型だ」という人は気づいていない…専門家が指摘する"ジョブ型雇用の致命的リスク" はっきり言って、現代の日本企業には向いていない、Z世代に広がる「静かな退職」 多様な働き方の一つに過ぎない、65歳以降も仕事は可能なのに…「いつまでも働ける社会」を阻害している「高齢者へのペナルティー」)である。
先ずは、昨年12月19日付けPRESIDENT BOOKSが掲載した同志社大学政策学部教授の太田 肇氏による「「これからの時代はジョブ型だ」という人は気づいていない…専門家が指摘する"ジョブ型雇用の致命的リスク" はっきり言って、現代の日本企業には向いていない」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/76558
・『ジョブ型雇用への転換は企業と社員にとって望ましいのか。同志社大学教授の太田肇さんは「働き方改革といえばジョブ型雇用導入の議論が避けて通れない状況になっている。だが、障壁は多く、現在の経営環境には合わないと考えられる」という――。 ※本稿は、太田肇『「自営型」で働く時代 ジョブ型雇用はもう古い!』(プレジデント社)の一部を再編集したものです』、「ジョブ型雇用はもう古い!、とは興味深そうだ。
・『企業、労働者、行政も熱い視線を注ぐ「ジョブ型雇用」 日本型の雇用システムと働き方が急速なデジタル化の進展、グローバル化で機能不全を起こしつつある。日本企業のマネジメントと働き方の根幹をなしているのが共同体型組織であり、雇用の面でいえばメンバーシップ型雇用である。 とりわけ企業経営にとって深刻な問題は、労働生産性の低迷や国際競争力の低下であり、日本式の組織、雇用システムがそれと無関係ではないことだ。 経済、社会のグローバル化は不可避であり、そこで注目されるようになったのが、いわゆる「ジョブ型」雇用である。 企業、労働者、政治・行政がそれぞれの立場からジョブ型の導入に期待をかけている。 まず企業としては、ジョブ型への転換によって終身雇用制と年功序列制のもとで膨らんだ賃金コストを削減するとともに、グローバルな競争を勝ち抜くために専門性の高い人材の獲得と育成を図ろうとする。 いっぽう労働者にとっては、専門性を高めて転職する道が開けるうえ、社内でも得意な仕事を続けることができる。会社主導ではなく自分の意思で将来のキャリアを築いていけるわけである。そのため能力開発の目標が立てやすいし、成長への意欲も湧く。またジョブ型が導入されれば、テレワークがしやすくなるなどワークライフバランスの向上が見込まれ、ひいてはジェンダーギャップの解消にもつながると考えられる』、「企業としては、ジョブ型への転換によって終身雇用制と年功序列制のもとで膨らんだ賃金コストを削減するとともに、グローバルな競争を勝ち抜くために専門性の高い人材の獲得と育成を図ろうとする。 いっぽう労働者にとっては、専門性を高めて転職する道が開けるうえ、社内でも得意な仕事を続けることができる。会社主導ではなく自分の意思で将来のキャリアを築いていけるわけである」、なるほど。
・『日立製作所、富士通、資生堂などから導入を始めた そして政治や行政の立場からすると、ジョブ型の普及によって労働力の円滑な移動が可能になり、人材不足と過剰労働力を同時に解消できる。また同一労働・同一賃金の実現にもつながると期待される。 このように三者三様の立場から、ジョブ型雇用に熱い視線を寄せるようになったのである。 日立製作所、富士通、資生堂、NTT、KDDIといった日本を代表する企業が2010年前後から、このジョブ型を導入し始め、大企業を中心に多くの日本企業が追随して取り入れるようになった。ちなみにリクルートが2022年の1~2月に行った調査によれば、有効回答296のうちジョブ型人材マネジメントを取り入れているという企業は21.9%で、検討中という企業も30.7%あった。ただ数字そのものはジョブ型をどのように定義するかによって、大きく変わってくることに注意しなければならない。 ジョブ型導入に積極的なのは個別企業だけではない。経団連は2022年の報告のなかでジョブ型雇用にあらためて言及し、導入・活用を「検討する必要がある」と明記した。そして政府もまた企業が社員に対して勤務地や職務の希望の明示を求めるなど、ジョブ型雇用への移行を推し進める方針を示している』、「日立製作所、富士通、資生堂、NTT、KDDIといった日本を代表する企業が2010年前後から、このジョブ型を導入し始め、大企業を中心に多くの日本企業が追随して取り入れるようになった。ちなみにリクルートが2022年の1~2月に行った調査によれば、有効回答296のうちジョブ型人材マネジメントを取り入れているという企業は21.9%で、検討中という企業も30.7%あった・・・経団連は2022年の報告のなかでジョブ型雇用にあらためて言及し、導入・活用を「検討する必要がある」と明記した。そして政府もまた企業が社員に対して勤務地や職務の希望の明示を求めるなど、ジョブ型雇用への移行を推し進める方針を示している」、なるほど。
・『働き方改革では議論を避けて通れない状況 このようにわが国ではいまや、働き方改革といえば「ジョブ型」雇用導入の議論が避けて通れないような状況であり、「メンバーシップ型からジョブ型へ」の移行がもはや既定路線であるかのように喧伝されている。背景には年功序列制による人件費の負担と硬直した処遇制度からの脱却、DXをはじめとする高度専門職人材の獲得、グローバル標準の人事制度への転換といった経営側のねらいがある。またジョブ型の導入は前述した共同体型組織の見直しにつながるので、先に掲げた日本企業、日本社会の労働問題もその多くが解決できそうに思える。 ジョブ型の導入がこうした諸問題の解決につながると考えられる最大の理由は、ジョブ型では一人ひとりの分担が明確になるからである。 仕事の分担が明確になれば仕事の成果や貢献度もはっきりするので、仕事のプロセスや仕事の進め方は本人に任せられる。そのため仕事ぶりを管理したり、監視したりする必要性が小さくなる。したがってテレワークを導入しやすいし、裁量労働制やフレックスタイム制、ワーケーションなども取り入れやすい。どんな働き方をしようと、成果や貢献度さえチェックすればよいわけである。 そして職務とそのグレードに応じて処遇が決まるため、能力と意欲があればいくつになっても働き続けられる。少なくとも理屈のうえでは定年制も不要になる。実際に年齢による差別が禁止されているアメリカでは、70代になっても普通に働いている社員は珍しくない』、「ジョブ型の導入がこうした諸問題の解決につながると考えられる最大の理由は、ジョブ型では一人ひとりの分担が明確になるからである。 仕事の分担が明確になれば仕事の成果や貢献度もはっきりするので、仕事のプロセスや仕事の進め方は本人に任せられる。そのため仕事ぶりを管理したり、監視したりする必要性が小さくなる。したがってテレワークを導入しやすいし、裁量労働制やフレックスタイム制、ワーケーションなども取り入れやすい。どんな働き方をしようと、成果や貢献度さえチェックすればよいわけである」、なるほど。
・『日本企業が直面している課題を解決してくれそうに見える いっぽう働く人にとっては、仕事の自由度が高まるだけでなく、「つきあい残業」などが減って仕事と私生活との調整がしやすくなり、キャリア形成も自律的に行える。結果として、エンゲージメントも高くなるはずだ。 このように日本企業、日本社会が直面している働き方の問題、すなわち共同体型組織やメンバーシップ型雇用に付随するさまざまな限界は、ジョブ型の導入によって大半が解決できそうだ。それが労働生産性や労働者福祉の向上につながるなら、ジョブ型はいまの日本にとって救世主になれる。こう考えるのも無理はない。 だからこそ「メンバーシップ型からジョブ型へ」という大合唱が起きたのである』、「日本企業、日本社会が直面している働き方の問題、すなわち共同体型組織やメンバーシップ型雇用に付随するさまざまな限界は、ジョブ型の導入によって大半が解決できそうだ」、そう上手くいくのだろうか。
・『いざジョブ型を取り入れると多くの壁にぶつかる ところが、いざジョブ型を取り入れるとなると、多くの厚い壁にぶつかる。欧米と同じような制度を日本企業に導入しようとしても、うまくいかないのだ。その原因をひと言でいうなら、組織・社会の構造が欧米と日本とではまったく違うからである。たとえるなら古い伝統が残る農村社会に欧米人が移住してきて、欧米流のライフスタイルを貫こうとするようなものだ。 ジョブ型のポイントは一人ひとりジョブの内容が明確に定義されていることと、ジョブ(専門)を軸にキャリアが形成されることの二点である。したがってジョブ型雇用のもとでは、経営戦略や労働需要の変化により特定のジョブがいらなくなったら、最終的には解雇されることになる。しかし周知のとおり、わが国ではいわゆる「解雇権濫用の法理」などによって解雇が厳しく制限されており、特定の職務がなくなったから解雇するというわけにはいかない。 多くの企業は、かりにジョブ型を導入しても職務内容の変更をともなう異動はなくせないし、たとえ職務は変わらなくても異動によって仕事の難易度が変化するケースも出てくる。しかし、その異動が会社の都合によるものなら、社員の不利益になるような待遇の変更はできない。結果として職務内容より保有能力や会社全体のバランスを優先するという、ジョブ型の趣旨からかけ離れた人事になってしまいかねない』、「多くの企業は、かりにジョブ型を導入しても職務内容の変更をともなう異動はなくせないし、たとえ職務は変わらなくても異動によって仕事の難易度が変化するケースも出てくる。しかし、その異動が会社の都合によるものなら、社員の不利益になるような待遇の変更はできない。結果として職務内容より保有能力や会社全体のバランスを優先するという、ジョブ型の趣旨からかけ離れた人事になってしまいかねない」、なるほど。
・『社員間の給与格差、新人育成…障壁はたくさんある そして当然ながらジョブ型ではジョブによって給与額は異なるし、同じジョブでもグレードによってはっきりとした給与差が生まれる。 いまのわが国に、ジョブ型の導入によって社員の間で給与格差が生じることを容認する風土ができているか、また平等主義、一律主義を旨とする企業別労働組合が格差を受け入れるかは大いに疑問である。 ジョブ型導入の前に立ちはだかるもう一つの壁は、新人の育成である。日本企業ではこれまで仕事の能力も適性も未知数の新卒を一括採用し、社内で時間をかけて一人前に育てあげてきた。ところがジョブ型では、そのジョブにふさわしい能力を備えた者を採用するのが原則である。そもそもジョブ型はメンバーシップ型に比べて転職しやすいので、せっかく内部で育成しても転職してしまうリスクがある。そのため企業には、新人を内部で育成するインセンティブが乏しい。 ジョブ型雇用をわが国に普及させようとするなら、新人の育成をどうするか考えなければならない。国などの行政、またはドイツのように業界が行うのか、あるいはアメリカのように基本的に自己責任とするのか、国民的な議論が必要になるだろう』、「ジョブ型では、そのジョブにふさわしい能力を備えた者を採用するのが原則である。そもそもジョブ型はメンバーシップ型に比べて転職しやすいので、せっかく内部で育成しても転職してしまうリスクがある。そのため企業には、新人を内部で育成するインセンティブが乏しい」、なるほど。
・『「仕事の割り振り方」も変えなければならない さらに文化的な壁も軽視できない。 ジョブ型の趣旨と日本企業における職場の現状とのギャップはあまりにも大きい。たいていの会社では職場単位で仕事をするため、新しい仕事が入ってくると、上司は手の空いている部下や手際のよい部下に仕事を割り振る。部下にとって、仕事は「上から降ってくる」イメージだと表現する人もいる。ジョブ型を導入するには、このような慣行そのものを見直さなければならない。 このようにジョブ型導入の前には幾重もの壁が立ちはだかる。しかも国のさまざまな政策をはじめ、労働市場や学生の就職、労働関係法令、社会慣行など、一企業でできる範囲を超える要因もたくさん絡んでいる。社会そのものが暗黙のうちにメンバーシップ型雇用を想定しているのだ』、「ジョブ型導入の前には幾重もの壁が立ちはだかる。しかも国のさまざまな政策をはじめ、労働市場や学生の就職、労働関係法令、社会慣行など、一企業でできる範囲を超える要因もたくさん絡んでいる。社会そのものが暗黙のうちにメンバーシップ型雇用を想定しているのだ」、なるほど。
・『ジョブ型雇用は現在の経営環境に合わないのではないか これまで述べたように、いざジョブ型を日本企業に導入しようとすると、いくつもの厚い壁が目の前に立ちはだかる。企業組織の枠組みだけでなく、労働市場や教育制度、社会慣行、政策の基本理念まで欧米と異なるところに、雇用システムだけ欧米式のものを持ち込もうとするところに無理があるのだ。 しかし、そこにはもっと本質的な問題が横たわっている。そもそもジョブ型は現在、および将来の経営環境に合わないのではないか、という疑問だ。 それはジョブ型の起源をたどれば容易に気がつくはずである。 18世紀にイギリスで起きた産業革命は、19世紀にアメリカなどで第二次産業革命として展開され、鉄鋼、自動車、化学などの重工業を中心に、従業員数万人、数十万人という巨大企業がつぎつぎと誕生した。 当時の重工業は市場や技術などの経営環境が比較的安定していたので、かぎられた種類の製品を低価格で大量に生産することに経営の主眼が置かれた。機械的組織と職務主義(ジョブ型雇用)は、そのような経営環境に適合したシステムだった。 ところが当時と現在とでは、企業を取り巻く環境は大きく異なる』、「当時の重工業は市場や技術などの経営環境が比較的安定していたので、かぎられた種類の製品を低価格で大量に生産することに経営の主眼が置かれた。機械的組織と職務主義(ジョブ型雇用)は、そのような経営環境に適合したシステムだった。 ところが当時と現在とでは、企業を取り巻く環境は大きく異なる」、なるほど。
・『変化の多い時代に「職務内容」を決めるのは非効率 「変動性」(Volatility)「不確実性」(Uncertainty)「複雑性」(Complexity)「曖昧性」(Ambiguity)それぞれの頭文字をとって「VUCA」の時代と呼ばれる今日、技術は日進月歩で進化し、市場は目まぐるしく動いている。消費財を生産する製造業を例にとれば、流行のサイクルが短くなった今日、消費者ニーズの変化に応じて絶えず異質な製品を市場に提供し続けなければならないし、需要の変化や経営戦略の変化に応じて必要な労働力の量・質も、仕事や能力の価値も日々変わってくる。 そのような変化に合わせ、その都度一人ひとりの職務内容を見直し、職務記述書を書き換えるというのは非効率である。もっとも、経営環境や経営戦略に応じて人材を入れ替えるにはジョブ型が適しているかもしれない。しかし企業側による解雇の規制が厳しいわが国では、いささか非現実的な話だろう。 ジョブ型導入には、幾重もの厚い壁があることが明らかになった。しかし、だからといって元のメンバーシップ型に戻すとか、両者の折衷に落としどころを探るのでは、いつまでたっても発展はない。そして、そもそも導入をめざしているジョブ型そのものが、はたして目標に値するものかを冷静に考えるべきだろう』、「ジョブ型導入には、幾重もの厚い壁があることが明らかになった。しかし、だからといって元のメンバーシップ型に戻すとか、両者の折衷に落としどころを探るのでは、いつまでたっても発展はない。そして、そもそも導入をめざしているジョブ型そのものが、はたして目標に値するものかを冷静に考えるべきだろう」、その通りだ。
次に、6月28日付け日経ビジネスオンライン「Z世代に広がる「静かな退職」 多様な働き方の一つに過ぎない」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00382/062600014/
・『この記事の3つのポイント 1.Z世代に広がる必要最低限の仕事を淡々とこなす「静かな退職」 2.一方で「がむしゃらワーク」に励むZ世代も。働き方は多様化 3.Z世代の仕事のやりがいは「小さな成功体験」を得ること 「静かな退職(Quiet Quitting)」という言葉をご存じでしょうか。これは、企業に属しながらも、やりがいを求めず必要最低限の仕事のみを淡々と遂行するような働き方を指します。会社から実際に退職するのではなく、あたかも退職したかのように、心理的・感情的に仕事に対するエネルギーを失っている状態を意味します。 元々この言葉は2022年に、米国のTikToker(ティックトッカー、TikTok投稿者)が拡散したことで広がりました。現在はZ世代を中心に同様の傾向が見られます。一見すると、怠慢や職務放棄のように受け取られがちですが、Z世代はただコスパ良く働きたいがためにこの働き方を選んでいるのではありません。むしろ、自分らしさや多様性にフォーカスした生き方が受け入れられやすくなった時代であるこそ、仕事よりもプライベートに比重を置いた働き方が広がったのではないかと私は考えています。 今回は「静かな退職」が広がっている背景とともに、事例も示しながらZ世代の働き方に対する価値観とその意義を考えていきます』、「一見すると、怠慢や職務放棄のように受け取られがちですが、Z世代はただコスパ良く働きたいがためにこの働き方を選んでいるのではありません。むしろ、自分らしさや多様性にフォーカスした生き方が受け入れられやすくなった時代であるこそ、仕事よりもプライベートに比重を置いた働き方が広がったのではないかと私は考えています」、なるほど。
・『コロナ禍がZ世代のスタンスに大きな影響 「静かな退職」が広まったきっかけの一つとして、新型コロナウイルス禍の影響は無視できません。 コロナ禍の不況による就職難や大量解雇などを受け、多くの人が将来に不安を抱え、自分の生き方や仕事の関係性を問い直すタイミングが訪れました。その結果、1980〜90年代半ば生まれのミレニアル世代までは理想とされてきた、昇進や昇給など上流のポジションやステータスの獲得を目指すことよりも、Z世代はいかに自分の人生を楽しむかを重視するようになりました。 Z世代はコロナ禍による解雇や失業を目の当たりにしているため、社会情勢によって会社から裏切られることを恐れ、会社に対して変に期待しない思考を持っています。だからこそ、時間的あるいは体的なリスクを負ってまで仕事に邁進(まいしん)するようなスタンスではなく、省エネ的働き方で着実に年収を上げ、長期的に見た経済的安定性を求めるようになったのではないかと私は考えます』、「Z世代はコロナ禍による解雇や失業を目の当たりにしているため、社会情勢によって会社から裏切られることを恐れ、会社に対して変に期待しない思考を持っています。だからこそ、時間的あるいは体的なリスクを負ってまで仕事に邁進(まいしん)するようなスタンスではなく、省エネ的働き方で着実に年収を上げ、長期的に見た経済的安定性を求めるようになったのではないかと私は考えます」、なるほど。
・『仕事に打ち込む「がむしゃらワーク」を選択するZ世代も ここでもう一つ注目したい事象があります。Z世代こそ「静かな退職」を選ぶ世代だと思われがちですが、実は対極である「がむしゃらワーク」を選択する層もいるのです。 「がむしゃらワーク」とは、自身のキャリアやスキルアップに重きを置き、がむしゃらに働く考え方のことです。「がむしゃらワーク」を体現する人の中には、成長意欲が高く仕事に熱中している人や、職場がホワイト過ぎて刺激や成長を感じられないがために、転職やキャリアチェンジをする人も多くいます。 つまりZ世代の中でも働き方が二極化しているわけです。この背景には、不況という経験上の共通項を持ちつつ、将来への不安から、先を見通したキャリアアップに傾倒しているZ世代も多く存在することが考えられます。仕事とプライベートの過ごし方の多様化が進んでおり、現代ではそれが受け入れられる社会になったともいえます。 こうした社会をもたらしたベースにあるのは、やはりSNSでしょう。SNSの台頭によってユーザーの視野が広がり、多種多様な自己表現や、世界各国のリアルなライフスタイルを様々に閲覧できるようになりました。 これまでは、「自分の周りの5人の性格や平均収入が自分を表す」と言われたこともありました。現在ではYouTube(ユーチューブ)やInstagram(インスタグラム)でライフスタイルを発信する人が増えたことにより、多様な生き方を知り、受け入れる機会が増え、また世界中からそうした情報を取り入れられるようになりました。そのことが、働き方の多様化に大きく関係していると私は考えています』、「Z世代の中でも働き方が二極化しているわけです。この背景には、不況という経験上の共通項を持ちつつ、将来への不安から、先を見通したキャリアアップに傾倒しているZ世代も多く存在することが考えられます。仕事とプライベートの過ごし方の多様化が進んでおり、現代ではそれが受け入れられる社会になったともいえます・・・現在ではYouTube(ユーチューブ)やInstagram(インスタグラム)でライフスタイルを発信する人が増えたことにより、多様な生き方を知り、受け入れる機会が増え、また世界中からそうした情報を取り入れられるようになりました。そのことが、働き方の多様化に大きく関係していると私は考えています」、なるほど。
・『「静かなやりがい」という新しい概念 では、Z世代はどのような点で仕事にやりがいを感じるのでしょうか。それは、若いうちから結果を残すことでも、名声を上げることでも、高い収入を得ることでもありません。 Z世代が重視するのは、仕事を通じて小さな成功体験を得ることです。Z世代は、多様な自己表現と個人の価値を重んじます。さらに自分にしかないスキルや経験を生かせる職場を好みます。つまり、自分自身がイニシアチブを持って案件をリードすること。すなわち「仕事が自分自身の管理下にあり、指示されてこなしているものではないこと」を感じられたり、「自分にしかないバリューを発揮でき、クリエイティビティーを体現できること」を望んでいたりします。 Z世代は「失敗したくない思いが強い世代」といわれています。しかし仕事の大小を問わず、自分主導で遂行したという小さな成功体験の積み重ねが、やりがいにつながるのではないでしょうか。 例えばZ世代を中心とする当社FinTでは、社員に裁量権を与えることで自身がドライバーとして仕事を動かしたり、何ごとにもチャレンジ精神で臨むことをたたえ合う文化が根付いてます。こうしたカルチャーが、メンバーのやりがいのスイッチを押し、「働きやすい」「働きがいがある環境だ」と思ってもらえる風土を築けているように感じます。 仕事とプライベート、どちらかを優先してもいいし、両方とも諦めなくたっていい。ただその実現のためには、「働き方の多様性」が必要です。Z世代が実践する「静かな退職」は、そうした多様な働き方で自己実現する一つの方法であるわけです。 上記のような「個人の価値観に合わせた働き方を選択したい」という思いは、全く新しい考え方ではありません。「頑張り過ぎない働き方」を選ぶのも、「今はがむしゃらに頑張る働き方」を選ぶのも、年代・性別を問わず個人の選択であり、全て正解なのです。それを容認できることこそ、真の多様性が実現された社会だと私は信じています』、「Z世代が実践する「静かな退職」は、そうした多様な働き方で自己実現する一つの方法であるわけです。 上記のような「個人の価値観に合わせた働き方を選択したい」という思いは、全く新しい考え方ではありません。「頑張り過ぎない働き方」を選ぶのも、「今はがむしゃらに頑張る働き方」を選ぶのも、年代・性別を問わず個人の選択であり、全て正解なのです。それを容認できることこそ、真の多様性が実現された社会だと私は信じています」、その通りだ。
第三に、7月28日付け現代ビジネスが掲載した一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による「65歳以降も仕事は可能なのに…「いつまでも働ける社会」を阻害している「高齢者へのペナルティー」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/134377?imp=0
・『バイデン大統領の大統領選撤退に見られるように、年齢が制約になる職務があることは事実だ。しかし、高齢者が続けられる仕事も多い。そこで、世代交代が円滑に行なわれる社会的なルール作りが必要だ。そして、その障害になっている社会制度の改革が必要だ。また、個人がリスキリングする必要もある』、興味深そうだ。
・『世代交代のルール作りが必要 アメリカ大統領選で、バイデン大統領が加齢による能力低下を指摘され、撤退した。バイデン氏から後任を託されたカマラ・ハリス副大統領は、民主党での人気は上々のようだ。 民主党にとっては、望ましい世代交代が行われたことになる。ハリス氏が大統領選をどう戦っていくか、全世界が注視している。 ただし、高齢者と呼ばれる身になっている者の立場からすると、複雑な気持ちもある。 これをきっかけに、高齢者はどんな仕事からも退くほうが良いという空気が広がりはしないかと恐れている。 実際、高齢者ができる、あるいは高齢者のほうがより良くできるという仕事は多くある。 大統領職ですらそうだ。激務であるため、健康条件が重要であることは間違いないが、あらゆる点において年齢がマイナス要因だということにはならない。 政治には経験が必要であり高齢者の方が豊富な経験を持っているという考えはあり得る。実際、1984年のアメリカ大統領選で、レーガン大統領が73歳で再選に挑んだ時、高齢という批判が出たのだが、レーガン氏は「政治家には豊富な経験が必要」と主張し、見事に歴史的な大勝利を収めた。 「高齢者の経験こそが重要だ」と指摘したという意味で、これは特筆すべき事件だった。 もちろん、経験が重要という論理を振りかざして、老人がいつまでも居座ることは問題だ。組織のトップや政治家について、とりわけそのことが言える。権力者が固定化すれば、組織や社会は沈滞化する 権力者だけのことではない。会社が退職を強要できないので、「オフィスに出てくるだけの社員」、「働いているふりをしているだけの社員」が増えていることも否定できない。これも、日本の活力を奪うことになるだろう。 したがって、世代間戦争ではなく、世代交代が円滑に行われるような体制をどのようにして作っていくかが、これからの課題だ。 これまでの社会では、「一定の年齢になれば会社を退職し、老後生活を送る」というのが普通のことだった。しかし、医学の進歩や生活条件の改善によって、健康寿命が伸びた。だから、働ける時間がずいぶん伸びた。 ロンドン・ビジネススクールのリンダ・グラットンは、著書『LIFE SHIFT-100年時代の人生戦略』で、人々がより長く働く時代において、個人や教育機関、そして企業が、どのように対応すべきかを論じている。 彼女は、ハイブリッドワークやリモートワークの増加による柔軟な働き方の重要性を強調し、具体的な戦略を提示している。この提案には、ビジネスを再考し、創造的なアプローチを模索し、組織内で新しいプロセスをモデル化してテストすることが含まれている。 「ハイブリッドワーク」とは、オフィスと自宅、または他の場所での仕事の組み合わせた仕事の進め方だ。これによって、地理的にも時間の面でも、柔軟性を実現できる。グラットンは、この働き方が生産性や従業員の満足度を向上させるとしている。 また、AI(人工知能)の発展によって多くの仕事が自動化される中で、人間特有の「ソフトスキル」がより大きな価値を持つようになるとしている』、「「ハイブリッドワーク」とは、オフィスと自宅、または他の場所での仕事の組み合わせた仕事の進め方だ。これによって、地理的にも時間の面でも、柔軟性を実現できる。グラットンは、この働き方が生産性や従業員の満足度を向上させるとしている。 また、AI(人工知能)の発展によって多くの仕事が自動化される中で、人間特有の「ソフトスキル」がより大きな価値を持つようになるとしている」、なるほど。
・『デジタル機器で高齢者が働くことが容易になった ZOOMなどのリモートワークの仕組みを使えば、わざわざ出かけなくても在宅のままで仕事を続けることができる。 日本の場合、とくに大都会での通勤事情は劣悪なので、これを回避して仕事ができるようになったことは、高齢者の就労にとって大きな意味を持っている。 これまでは、会社から独立した場合には自分で事務所を用意する必要があり、それが経済的にも大きな負担になっていた。そうした負担がなくなったことの意味も大きい。こうして、これまでは、会社を離れると就労が不可能になった人々も、リモートワークによって仕事を続けられる可能性が大きく広がった。 また、記憶力が衰えても、検索やメモで、それを補うことができる。デジタル機器は、様々な側面で高齢者の仕事を助けてくれる』、「デジタル機器は、様々な側面で高齢者の仕事を助けてくれる」、その通りだ。
・『企業に依存せずに働き、社会とのつながりを維持する 現在の日本では、企業に雇用されて給与所得を得るという働き方が多い。しかし、このような形態での就労をいつまでも続けるのは難しい。 65歳までの雇用を企業に義務付ける「高年齢者雇用安定法」のため、65歳までの勤務は可能な場合が多いが、それでも雇用環境は悪くなる。65歳以上になると、それまでの会社で継続して勤務するのは、かなり難しい。 したがってそれ以上の年齢の場合には、企業に雇用されるのではなく、フリーランサーとして独立して働くことが望ましいだろう。具体的にどのような仕事をするかは、さまざまな条件に依存し、個人によって事情が大きく異なる。 公的な資格を持っている場合には、仕事を得やすいだろう。ただし、そうした資格がなくても、仕事を得られる可能性はある。インターネットを通じて仕事を見出せる可能性もある。また、地方公共団体が、高齢者向けの仕事を斡旋してくれる場合もある。 しかし、最も重要なのは、自分が作った人脈だ。それは、会社の中の人脈、あるいは会社の仕事のための人脈とは違う人脈だろう。若い時からそうした人脈を培ってきた人は、大変貴重な資産を持っていることになる。 働くことで所得が得られるのは重要だが、働く意味はそれだけではない。まず第一に仕事をすれば、さまざまな面で関係者とのつながりを維持することが必要になるので、社会とのつながりを維持できる。また、仕事を仕上げる責任を負うことになるので、緊張感がある。そして、仕事をやり遂げたときの達成感もある』、私の場合、「自分が作った人脈には3つほどの外部の勉強会を通じたものがあるが、「仕事」には全く関係がない。
・『社会的な仕組みが高齢者の就業を抑制している。 それにもかかわらず、社会的な仕組みが高齢者の就業を阻害している。 5月26日公開の「『専業主婦は普通ではない』『年金は退職後ではない』……年金改革4つの課題」で批判した退職老齢年金制度は、その典型例だ。これに限らず、高齢者の就労に対してペナルティーを加えるような制度は、撤廃する必要がある。 また、税制や社会保険料の制度も、高齢者が働くことを抑制している。所得税制は、所得を年金や資産所得の形態で得る場合には手厚い優遇措置を与えている。また、 労働所得でも給与所得の場合には手厚い給与取得控除を利用できる。しかし、独立して給与所得以外の形で所得を得るようになると、そのような恩典が得られない。 しかも、確定申告が必要であるため、納税事務のために、かなりの労力と費用が必要になる。また消費税については、個人で仕事をすると、消費税額を依頼者に転嫁しにくい場合が多い』、「個人で仕事をすると、消費税額を依頼者に転嫁しにくい場合が多い」、これは確かに問題だ。
・『生成AIを使ったリスキリングに挑戦しよう 「いつまでも働ける社会」を実現するため、政策や制度改革を求めることは重要だが、それと同時に、個人個人が能力を維持し、高めることが必要だ。 とくに、リスキリングが必要だ。グラットンも、企業や教育機関が積極的にリスキリングを支援するべきだと主張している。 グラットンは、テクノロジーが進化し続ける中で、人間特有のスキル、特に「ソフトスキル」の重要性が高まっているという。これには、共感力、チームワーク、創造性、適応性、問題決能力などが含まれる。グラットンはこれらのスキルを機械は真似できないため、人間の仕事がますます価値を増していくとしている。 また、デジタル変革が進む中で、AIやデータアナリティクス、クラウドコンピューティングなどのデジタルスキルの習得も重要だとする。これらのスキルは、労働市場における競争力を保つために必要不可欠であり、継続的な職業訓練と教育が求められる。さらに、持続可能な働き方への適応が必要としている。 インターネットとAIの時代には、独学でリスキリングすることが十分に可能だ。生成AIは単に知識を与えてくれるだけではなく、独学のカリキュラムも準備してくれる。 新しい技術が提供する可能性を最大限に利用すれば、高齢者のリスキリングを大きく進展させることができるだろう』、私も「AIやデータアナリティクス、クラウドコンピューティングなどのデジタルスキルの習得」にチャレンジしてみたい。
先ずは、昨年12月19日付けPRESIDENT BOOKSが掲載した同志社大学政策学部教授の太田 肇氏による「「これからの時代はジョブ型だ」という人は気づいていない…専門家が指摘する"ジョブ型雇用の致命的リスク" はっきり言って、現代の日本企業には向いていない」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/76558
・『ジョブ型雇用への転換は企業と社員にとって望ましいのか。同志社大学教授の太田肇さんは「働き方改革といえばジョブ型雇用導入の議論が避けて通れない状況になっている。だが、障壁は多く、現在の経営環境には合わないと考えられる」という――。 ※本稿は、太田肇『「自営型」で働く時代 ジョブ型雇用はもう古い!』(プレジデント社)の一部を再編集したものです』、「ジョブ型雇用はもう古い!、とは興味深そうだ。
・『企業、労働者、行政も熱い視線を注ぐ「ジョブ型雇用」 日本型の雇用システムと働き方が急速なデジタル化の進展、グローバル化で機能不全を起こしつつある。日本企業のマネジメントと働き方の根幹をなしているのが共同体型組織であり、雇用の面でいえばメンバーシップ型雇用である。 とりわけ企業経営にとって深刻な問題は、労働生産性の低迷や国際競争力の低下であり、日本式の組織、雇用システムがそれと無関係ではないことだ。 経済、社会のグローバル化は不可避であり、そこで注目されるようになったのが、いわゆる「ジョブ型」雇用である。 企業、労働者、政治・行政がそれぞれの立場からジョブ型の導入に期待をかけている。 まず企業としては、ジョブ型への転換によって終身雇用制と年功序列制のもとで膨らんだ賃金コストを削減するとともに、グローバルな競争を勝ち抜くために専門性の高い人材の獲得と育成を図ろうとする。 いっぽう労働者にとっては、専門性を高めて転職する道が開けるうえ、社内でも得意な仕事を続けることができる。会社主導ではなく自分の意思で将来のキャリアを築いていけるわけである。そのため能力開発の目標が立てやすいし、成長への意欲も湧く。またジョブ型が導入されれば、テレワークがしやすくなるなどワークライフバランスの向上が見込まれ、ひいてはジェンダーギャップの解消にもつながると考えられる』、「企業としては、ジョブ型への転換によって終身雇用制と年功序列制のもとで膨らんだ賃金コストを削減するとともに、グローバルな競争を勝ち抜くために専門性の高い人材の獲得と育成を図ろうとする。 いっぽう労働者にとっては、専門性を高めて転職する道が開けるうえ、社内でも得意な仕事を続けることができる。会社主導ではなく自分の意思で将来のキャリアを築いていけるわけである」、なるほど。
・『日立製作所、富士通、資生堂などから導入を始めた そして政治や行政の立場からすると、ジョブ型の普及によって労働力の円滑な移動が可能になり、人材不足と過剰労働力を同時に解消できる。また同一労働・同一賃金の実現にもつながると期待される。 このように三者三様の立場から、ジョブ型雇用に熱い視線を寄せるようになったのである。 日立製作所、富士通、資生堂、NTT、KDDIといった日本を代表する企業が2010年前後から、このジョブ型を導入し始め、大企業を中心に多くの日本企業が追随して取り入れるようになった。ちなみにリクルートが2022年の1~2月に行った調査によれば、有効回答296のうちジョブ型人材マネジメントを取り入れているという企業は21.9%で、検討中という企業も30.7%あった。ただ数字そのものはジョブ型をどのように定義するかによって、大きく変わってくることに注意しなければならない。 ジョブ型導入に積極的なのは個別企業だけではない。経団連は2022年の報告のなかでジョブ型雇用にあらためて言及し、導入・活用を「検討する必要がある」と明記した。そして政府もまた企業が社員に対して勤務地や職務の希望の明示を求めるなど、ジョブ型雇用への移行を推し進める方針を示している』、「日立製作所、富士通、資生堂、NTT、KDDIといった日本を代表する企業が2010年前後から、このジョブ型を導入し始め、大企業を中心に多くの日本企業が追随して取り入れるようになった。ちなみにリクルートが2022年の1~2月に行った調査によれば、有効回答296のうちジョブ型人材マネジメントを取り入れているという企業は21.9%で、検討中という企業も30.7%あった・・・経団連は2022年の報告のなかでジョブ型雇用にあらためて言及し、導入・活用を「検討する必要がある」と明記した。そして政府もまた企業が社員に対して勤務地や職務の希望の明示を求めるなど、ジョブ型雇用への移行を推し進める方針を示している」、なるほど。
・『働き方改革では議論を避けて通れない状況 このようにわが国ではいまや、働き方改革といえば「ジョブ型」雇用導入の議論が避けて通れないような状況であり、「メンバーシップ型からジョブ型へ」の移行がもはや既定路線であるかのように喧伝されている。背景には年功序列制による人件費の負担と硬直した処遇制度からの脱却、DXをはじめとする高度専門職人材の獲得、グローバル標準の人事制度への転換といった経営側のねらいがある。またジョブ型の導入は前述した共同体型組織の見直しにつながるので、先に掲げた日本企業、日本社会の労働問題もその多くが解決できそうに思える。 ジョブ型の導入がこうした諸問題の解決につながると考えられる最大の理由は、ジョブ型では一人ひとりの分担が明確になるからである。 仕事の分担が明確になれば仕事の成果や貢献度もはっきりするので、仕事のプロセスや仕事の進め方は本人に任せられる。そのため仕事ぶりを管理したり、監視したりする必要性が小さくなる。したがってテレワークを導入しやすいし、裁量労働制やフレックスタイム制、ワーケーションなども取り入れやすい。どんな働き方をしようと、成果や貢献度さえチェックすればよいわけである。 そして職務とそのグレードに応じて処遇が決まるため、能力と意欲があればいくつになっても働き続けられる。少なくとも理屈のうえでは定年制も不要になる。実際に年齢による差別が禁止されているアメリカでは、70代になっても普通に働いている社員は珍しくない』、「ジョブ型の導入がこうした諸問題の解決につながると考えられる最大の理由は、ジョブ型では一人ひとりの分担が明確になるからである。 仕事の分担が明確になれば仕事の成果や貢献度もはっきりするので、仕事のプロセスや仕事の進め方は本人に任せられる。そのため仕事ぶりを管理したり、監視したりする必要性が小さくなる。したがってテレワークを導入しやすいし、裁量労働制やフレックスタイム制、ワーケーションなども取り入れやすい。どんな働き方をしようと、成果や貢献度さえチェックすればよいわけである」、なるほど。
・『日本企業が直面している課題を解決してくれそうに見える いっぽう働く人にとっては、仕事の自由度が高まるだけでなく、「つきあい残業」などが減って仕事と私生活との調整がしやすくなり、キャリア形成も自律的に行える。結果として、エンゲージメントも高くなるはずだ。 このように日本企業、日本社会が直面している働き方の問題、すなわち共同体型組織やメンバーシップ型雇用に付随するさまざまな限界は、ジョブ型の導入によって大半が解決できそうだ。それが労働生産性や労働者福祉の向上につながるなら、ジョブ型はいまの日本にとって救世主になれる。こう考えるのも無理はない。 だからこそ「メンバーシップ型からジョブ型へ」という大合唱が起きたのである』、「日本企業、日本社会が直面している働き方の問題、すなわち共同体型組織やメンバーシップ型雇用に付随するさまざまな限界は、ジョブ型の導入によって大半が解決できそうだ」、そう上手くいくのだろうか。
・『いざジョブ型を取り入れると多くの壁にぶつかる ところが、いざジョブ型を取り入れるとなると、多くの厚い壁にぶつかる。欧米と同じような制度を日本企業に導入しようとしても、うまくいかないのだ。その原因をひと言でいうなら、組織・社会の構造が欧米と日本とではまったく違うからである。たとえるなら古い伝統が残る農村社会に欧米人が移住してきて、欧米流のライフスタイルを貫こうとするようなものだ。 ジョブ型のポイントは一人ひとりジョブの内容が明確に定義されていることと、ジョブ(専門)を軸にキャリアが形成されることの二点である。したがってジョブ型雇用のもとでは、経営戦略や労働需要の変化により特定のジョブがいらなくなったら、最終的には解雇されることになる。しかし周知のとおり、わが国ではいわゆる「解雇権濫用の法理」などによって解雇が厳しく制限されており、特定の職務がなくなったから解雇するというわけにはいかない。 多くの企業は、かりにジョブ型を導入しても職務内容の変更をともなう異動はなくせないし、たとえ職務は変わらなくても異動によって仕事の難易度が変化するケースも出てくる。しかし、その異動が会社の都合によるものなら、社員の不利益になるような待遇の変更はできない。結果として職務内容より保有能力や会社全体のバランスを優先するという、ジョブ型の趣旨からかけ離れた人事になってしまいかねない』、「多くの企業は、かりにジョブ型を導入しても職務内容の変更をともなう異動はなくせないし、たとえ職務は変わらなくても異動によって仕事の難易度が変化するケースも出てくる。しかし、その異動が会社の都合によるものなら、社員の不利益になるような待遇の変更はできない。結果として職務内容より保有能力や会社全体のバランスを優先するという、ジョブ型の趣旨からかけ離れた人事になってしまいかねない」、なるほど。
・『社員間の給与格差、新人育成…障壁はたくさんある そして当然ながらジョブ型ではジョブによって給与額は異なるし、同じジョブでもグレードによってはっきりとした給与差が生まれる。 いまのわが国に、ジョブ型の導入によって社員の間で給与格差が生じることを容認する風土ができているか、また平等主義、一律主義を旨とする企業別労働組合が格差を受け入れるかは大いに疑問である。 ジョブ型導入の前に立ちはだかるもう一つの壁は、新人の育成である。日本企業ではこれまで仕事の能力も適性も未知数の新卒を一括採用し、社内で時間をかけて一人前に育てあげてきた。ところがジョブ型では、そのジョブにふさわしい能力を備えた者を採用するのが原則である。そもそもジョブ型はメンバーシップ型に比べて転職しやすいので、せっかく内部で育成しても転職してしまうリスクがある。そのため企業には、新人を内部で育成するインセンティブが乏しい。 ジョブ型雇用をわが国に普及させようとするなら、新人の育成をどうするか考えなければならない。国などの行政、またはドイツのように業界が行うのか、あるいはアメリカのように基本的に自己責任とするのか、国民的な議論が必要になるだろう』、「ジョブ型では、そのジョブにふさわしい能力を備えた者を採用するのが原則である。そもそもジョブ型はメンバーシップ型に比べて転職しやすいので、せっかく内部で育成しても転職してしまうリスクがある。そのため企業には、新人を内部で育成するインセンティブが乏しい」、なるほど。
・『「仕事の割り振り方」も変えなければならない さらに文化的な壁も軽視できない。 ジョブ型の趣旨と日本企業における職場の現状とのギャップはあまりにも大きい。たいていの会社では職場単位で仕事をするため、新しい仕事が入ってくると、上司は手の空いている部下や手際のよい部下に仕事を割り振る。部下にとって、仕事は「上から降ってくる」イメージだと表現する人もいる。ジョブ型を導入するには、このような慣行そのものを見直さなければならない。 このようにジョブ型導入の前には幾重もの壁が立ちはだかる。しかも国のさまざまな政策をはじめ、労働市場や学生の就職、労働関係法令、社会慣行など、一企業でできる範囲を超える要因もたくさん絡んでいる。社会そのものが暗黙のうちにメンバーシップ型雇用を想定しているのだ』、「ジョブ型導入の前には幾重もの壁が立ちはだかる。しかも国のさまざまな政策をはじめ、労働市場や学生の就職、労働関係法令、社会慣行など、一企業でできる範囲を超える要因もたくさん絡んでいる。社会そのものが暗黙のうちにメンバーシップ型雇用を想定しているのだ」、なるほど。
・『ジョブ型雇用は現在の経営環境に合わないのではないか これまで述べたように、いざジョブ型を日本企業に導入しようとすると、いくつもの厚い壁が目の前に立ちはだかる。企業組織の枠組みだけでなく、労働市場や教育制度、社会慣行、政策の基本理念まで欧米と異なるところに、雇用システムだけ欧米式のものを持ち込もうとするところに無理があるのだ。 しかし、そこにはもっと本質的な問題が横たわっている。そもそもジョブ型は現在、および将来の経営環境に合わないのではないか、という疑問だ。 それはジョブ型の起源をたどれば容易に気がつくはずである。 18世紀にイギリスで起きた産業革命は、19世紀にアメリカなどで第二次産業革命として展開され、鉄鋼、自動車、化学などの重工業を中心に、従業員数万人、数十万人という巨大企業がつぎつぎと誕生した。 当時の重工業は市場や技術などの経営環境が比較的安定していたので、かぎられた種類の製品を低価格で大量に生産することに経営の主眼が置かれた。機械的組織と職務主義(ジョブ型雇用)は、そのような経営環境に適合したシステムだった。 ところが当時と現在とでは、企業を取り巻く環境は大きく異なる』、「当時の重工業は市場や技術などの経営環境が比較的安定していたので、かぎられた種類の製品を低価格で大量に生産することに経営の主眼が置かれた。機械的組織と職務主義(ジョブ型雇用)は、そのような経営環境に適合したシステムだった。 ところが当時と現在とでは、企業を取り巻く環境は大きく異なる」、なるほど。
・『変化の多い時代に「職務内容」を決めるのは非効率 「変動性」(Volatility)「不確実性」(Uncertainty)「複雑性」(Complexity)「曖昧性」(Ambiguity)それぞれの頭文字をとって「VUCA」の時代と呼ばれる今日、技術は日進月歩で進化し、市場は目まぐるしく動いている。消費財を生産する製造業を例にとれば、流行のサイクルが短くなった今日、消費者ニーズの変化に応じて絶えず異質な製品を市場に提供し続けなければならないし、需要の変化や経営戦略の変化に応じて必要な労働力の量・質も、仕事や能力の価値も日々変わってくる。 そのような変化に合わせ、その都度一人ひとりの職務内容を見直し、職務記述書を書き換えるというのは非効率である。もっとも、経営環境や経営戦略に応じて人材を入れ替えるにはジョブ型が適しているかもしれない。しかし企業側による解雇の規制が厳しいわが国では、いささか非現実的な話だろう。 ジョブ型導入には、幾重もの厚い壁があることが明らかになった。しかし、だからといって元のメンバーシップ型に戻すとか、両者の折衷に落としどころを探るのでは、いつまでたっても発展はない。そして、そもそも導入をめざしているジョブ型そのものが、はたして目標に値するものかを冷静に考えるべきだろう』、「ジョブ型導入には、幾重もの厚い壁があることが明らかになった。しかし、だからといって元のメンバーシップ型に戻すとか、両者の折衷に落としどころを探るのでは、いつまでたっても発展はない。そして、そもそも導入をめざしているジョブ型そのものが、はたして目標に値するものかを冷静に考えるべきだろう」、その通りだ。
次に、6月28日付け日経ビジネスオンライン「Z世代に広がる「静かな退職」 多様な働き方の一つに過ぎない」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00382/062600014/
・『この記事の3つのポイント 1.Z世代に広がる必要最低限の仕事を淡々とこなす「静かな退職」 2.一方で「がむしゃらワーク」に励むZ世代も。働き方は多様化 3.Z世代の仕事のやりがいは「小さな成功体験」を得ること 「静かな退職(Quiet Quitting)」という言葉をご存じでしょうか。これは、企業に属しながらも、やりがいを求めず必要最低限の仕事のみを淡々と遂行するような働き方を指します。会社から実際に退職するのではなく、あたかも退職したかのように、心理的・感情的に仕事に対するエネルギーを失っている状態を意味します。 元々この言葉は2022年に、米国のTikToker(ティックトッカー、TikTok投稿者)が拡散したことで広がりました。現在はZ世代を中心に同様の傾向が見られます。一見すると、怠慢や職務放棄のように受け取られがちですが、Z世代はただコスパ良く働きたいがためにこの働き方を選んでいるのではありません。むしろ、自分らしさや多様性にフォーカスした生き方が受け入れられやすくなった時代であるこそ、仕事よりもプライベートに比重を置いた働き方が広がったのではないかと私は考えています。 今回は「静かな退職」が広がっている背景とともに、事例も示しながらZ世代の働き方に対する価値観とその意義を考えていきます』、「一見すると、怠慢や職務放棄のように受け取られがちですが、Z世代はただコスパ良く働きたいがためにこの働き方を選んでいるのではありません。むしろ、自分らしさや多様性にフォーカスした生き方が受け入れられやすくなった時代であるこそ、仕事よりもプライベートに比重を置いた働き方が広がったのではないかと私は考えています」、なるほど。
・『コロナ禍がZ世代のスタンスに大きな影響 「静かな退職」が広まったきっかけの一つとして、新型コロナウイルス禍の影響は無視できません。 コロナ禍の不況による就職難や大量解雇などを受け、多くの人が将来に不安を抱え、自分の生き方や仕事の関係性を問い直すタイミングが訪れました。その結果、1980〜90年代半ば生まれのミレニアル世代までは理想とされてきた、昇進や昇給など上流のポジションやステータスの獲得を目指すことよりも、Z世代はいかに自分の人生を楽しむかを重視するようになりました。 Z世代はコロナ禍による解雇や失業を目の当たりにしているため、社会情勢によって会社から裏切られることを恐れ、会社に対して変に期待しない思考を持っています。だからこそ、時間的あるいは体的なリスクを負ってまで仕事に邁進(まいしん)するようなスタンスではなく、省エネ的働き方で着実に年収を上げ、長期的に見た経済的安定性を求めるようになったのではないかと私は考えます』、「Z世代はコロナ禍による解雇や失業を目の当たりにしているため、社会情勢によって会社から裏切られることを恐れ、会社に対して変に期待しない思考を持っています。だからこそ、時間的あるいは体的なリスクを負ってまで仕事に邁進(まいしん)するようなスタンスではなく、省エネ的働き方で着実に年収を上げ、長期的に見た経済的安定性を求めるようになったのではないかと私は考えます」、なるほど。
・『仕事に打ち込む「がむしゃらワーク」を選択するZ世代も ここでもう一つ注目したい事象があります。Z世代こそ「静かな退職」を選ぶ世代だと思われがちですが、実は対極である「がむしゃらワーク」を選択する層もいるのです。 「がむしゃらワーク」とは、自身のキャリアやスキルアップに重きを置き、がむしゃらに働く考え方のことです。「がむしゃらワーク」を体現する人の中には、成長意欲が高く仕事に熱中している人や、職場がホワイト過ぎて刺激や成長を感じられないがために、転職やキャリアチェンジをする人も多くいます。 つまりZ世代の中でも働き方が二極化しているわけです。この背景には、不況という経験上の共通項を持ちつつ、将来への不安から、先を見通したキャリアアップに傾倒しているZ世代も多く存在することが考えられます。仕事とプライベートの過ごし方の多様化が進んでおり、現代ではそれが受け入れられる社会になったともいえます。 こうした社会をもたらしたベースにあるのは、やはりSNSでしょう。SNSの台頭によってユーザーの視野が広がり、多種多様な自己表現や、世界各国のリアルなライフスタイルを様々に閲覧できるようになりました。 これまでは、「自分の周りの5人の性格や平均収入が自分を表す」と言われたこともありました。現在ではYouTube(ユーチューブ)やInstagram(インスタグラム)でライフスタイルを発信する人が増えたことにより、多様な生き方を知り、受け入れる機会が増え、また世界中からそうした情報を取り入れられるようになりました。そのことが、働き方の多様化に大きく関係していると私は考えています』、「Z世代の中でも働き方が二極化しているわけです。この背景には、不況という経験上の共通項を持ちつつ、将来への不安から、先を見通したキャリアアップに傾倒しているZ世代も多く存在することが考えられます。仕事とプライベートの過ごし方の多様化が進んでおり、現代ではそれが受け入れられる社会になったともいえます・・・現在ではYouTube(ユーチューブ)やInstagram(インスタグラム)でライフスタイルを発信する人が増えたことにより、多様な生き方を知り、受け入れる機会が増え、また世界中からそうした情報を取り入れられるようになりました。そのことが、働き方の多様化に大きく関係していると私は考えています」、なるほど。
・『「静かなやりがい」という新しい概念 では、Z世代はどのような点で仕事にやりがいを感じるのでしょうか。それは、若いうちから結果を残すことでも、名声を上げることでも、高い収入を得ることでもありません。 Z世代が重視するのは、仕事を通じて小さな成功体験を得ることです。Z世代は、多様な自己表現と個人の価値を重んじます。さらに自分にしかないスキルや経験を生かせる職場を好みます。つまり、自分自身がイニシアチブを持って案件をリードすること。すなわち「仕事が自分自身の管理下にあり、指示されてこなしているものではないこと」を感じられたり、「自分にしかないバリューを発揮でき、クリエイティビティーを体現できること」を望んでいたりします。 Z世代は「失敗したくない思いが強い世代」といわれています。しかし仕事の大小を問わず、自分主導で遂行したという小さな成功体験の積み重ねが、やりがいにつながるのではないでしょうか。 例えばZ世代を中心とする当社FinTでは、社員に裁量権を与えることで自身がドライバーとして仕事を動かしたり、何ごとにもチャレンジ精神で臨むことをたたえ合う文化が根付いてます。こうしたカルチャーが、メンバーのやりがいのスイッチを押し、「働きやすい」「働きがいがある環境だ」と思ってもらえる風土を築けているように感じます。 仕事とプライベート、どちらかを優先してもいいし、両方とも諦めなくたっていい。ただその実現のためには、「働き方の多様性」が必要です。Z世代が実践する「静かな退職」は、そうした多様な働き方で自己実現する一つの方法であるわけです。 上記のような「個人の価値観に合わせた働き方を選択したい」という思いは、全く新しい考え方ではありません。「頑張り過ぎない働き方」を選ぶのも、「今はがむしゃらに頑張る働き方」を選ぶのも、年代・性別を問わず個人の選択であり、全て正解なのです。それを容認できることこそ、真の多様性が実現された社会だと私は信じています』、「Z世代が実践する「静かな退職」は、そうした多様な働き方で自己実現する一つの方法であるわけです。 上記のような「個人の価値観に合わせた働き方を選択したい」という思いは、全く新しい考え方ではありません。「頑張り過ぎない働き方」を選ぶのも、「今はがむしゃらに頑張る働き方」を選ぶのも、年代・性別を問わず個人の選択であり、全て正解なのです。それを容認できることこそ、真の多様性が実現された社会だと私は信じています」、その通りだ。
第三に、7月28日付け現代ビジネスが掲載した一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による「65歳以降も仕事は可能なのに…「いつまでも働ける社会」を阻害している「高齢者へのペナルティー」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/134377?imp=0
・『バイデン大統領の大統領選撤退に見られるように、年齢が制約になる職務があることは事実だ。しかし、高齢者が続けられる仕事も多い。そこで、世代交代が円滑に行なわれる社会的なルール作りが必要だ。そして、その障害になっている社会制度の改革が必要だ。また、個人がリスキリングする必要もある』、興味深そうだ。
・『世代交代のルール作りが必要 アメリカ大統領選で、バイデン大統領が加齢による能力低下を指摘され、撤退した。バイデン氏から後任を託されたカマラ・ハリス副大統領は、民主党での人気は上々のようだ。 民主党にとっては、望ましい世代交代が行われたことになる。ハリス氏が大統領選をどう戦っていくか、全世界が注視している。 ただし、高齢者と呼ばれる身になっている者の立場からすると、複雑な気持ちもある。 これをきっかけに、高齢者はどんな仕事からも退くほうが良いという空気が広がりはしないかと恐れている。 実際、高齢者ができる、あるいは高齢者のほうがより良くできるという仕事は多くある。 大統領職ですらそうだ。激務であるため、健康条件が重要であることは間違いないが、あらゆる点において年齢がマイナス要因だということにはならない。 政治には経験が必要であり高齢者の方が豊富な経験を持っているという考えはあり得る。実際、1984年のアメリカ大統領選で、レーガン大統領が73歳で再選に挑んだ時、高齢という批判が出たのだが、レーガン氏は「政治家には豊富な経験が必要」と主張し、見事に歴史的な大勝利を収めた。 「高齢者の経験こそが重要だ」と指摘したという意味で、これは特筆すべき事件だった。 もちろん、経験が重要という論理を振りかざして、老人がいつまでも居座ることは問題だ。組織のトップや政治家について、とりわけそのことが言える。権力者が固定化すれば、組織や社会は沈滞化する 権力者だけのことではない。会社が退職を強要できないので、「オフィスに出てくるだけの社員」、「働いているふりをしているだけの社員」が増えていることも否定できない。これも、日本の活力を奪うことになるだろう。 したがって、世代間戦争ではなく、世代交代が円滑に行われるような体制をどのようにして作っていくかが、これからの課題だ。 これまでの社会では、「一定の年齢になれば会社を退職し、老後生活を送る」というのが普通のことだった。しかし、医学の進歩や生活条件の改善によって、健康寿命が伸びた。だから、働ける時間がずいぶん伸びた。 ロンドン・ビジネススクールのリンダ・グラットンは、著書『LIFE SHIFT-100年時代の人生戦略』で、人々がより長く働く時代において、個人や教育機関、そして企業が、どのように対応すべきかを論じている。 彼女は、ハイブリッドワークやリモートワークの増加による柔軟な働き方の重要性を強調し、具体的な戦略を提示している。この提案には、ビジネスを再考し、創造的なアプローチを模索し、組織内で新しいプロセスをモデル化してテストすることが含まれている。 「ハイブリッドワーク」とは、オフィスと自宅、または他の場所での仕事の組み合わせた仕事の進め方だ。これによって、地理的にも時間の面でも、柔軟性を実現できる。グラットンは、この働き方が生産性や従業員の満足度を向上させるとしている。 また、AI(人工知能)の発展によって多くの仕事が自動化される中で、人間特有の「ソフトスキル」がより大きな価値を持つようになるとしている』、「「ハイブリッドワーク」とは、オフィスと自宅、または他の場所での仕事の組み合わせた仕事の進め方だ。これによって、地理的にも時間の面でも、柔軟性を実現できる。グラットンは、この働き方が生産性や従業員の満足度を向上させるとしている。 また、AI(人工知能)の発展によって多くの仕事が自動化される中で、人間特有の「ソフトスキル」がより大きな価値を持つようになるとしている」、なるほど。
・『デジタル機器で高齢者が働くことが容易になった ZOOMなどのリモートワークの仕組みを使えば、わざわざ出かけなくても在宅のままで仕事を続けることができる。 日本の場合、とくに大都会での通勤事情は劣悪なので、これを回避して仕事ができるようになったことは、高齢者の就労にとって大きな意味を持っている。 これまでは、会社から独立した場合には自分で事務所を用意する必要があり、それが経済的にも大きな負担になっていた。そうした負担がなくなったことの意味も大きい。こうして、これまでは、会社を離れると就労が不可能になった人々も、リモートワークによって仕事を続けられる可能性が大きく広がった。 また、記憶力が衰えても、検索やメモで、それを補うことができる。デジタル機器は、様々な側面で高齢者の仕事を助けてくれる』、「デジタル機器は、様々な側面で高齢者の仕事を助けてくれる」、その通りだ。
・『企業に依存せずに働き、社会とのつながりを維持する 現在の日本では、企業に雇用されて給与所得を得るという働き方が多い。しかし、このような形態での就労をいつまでも続けるのは難しい。 65歳までの雇用を企業に義務付ける「高年齢者雇用安定法」のため、65歳までの勤務は可能な場合が多いが、それでも雇用環境は悪くなる。65歳以上になると、それまでの会社で継続して勤務するのは、かなり難しい。 したがってそれ以上の年齢の場合には、企業に雇用されるのではなく、フリーランサーとして独立して働くことが望ましいだろう。具体的にどのような仕事をするかは、さまざまな条件に依存し、個人によって事情が大きく異なる。 公的な資格を持っている場合には、仕事を得やすいだろう。ただし、そうした資格がなくても、仕事を得られる可能性はある。インターネットを通じて仕事を見出せる可能性もある。また、地方公共団体が、高齢者向けの仕事を斡旋してくれる場合もある。 しかし、最も重要なのは、自分が作った人脈だ。それは、会社の中の人脈、あるいは会社の仕事のための人脈とは違う人脈だろう。若い時からそうした人脈を培ってきた人は、大変貴重な資産を持っていることになる。 働くことで所得が得られるのは重要だが、働く意味はそれだけではない。まず第一に仕事をすれば、さまざまな面で関係者とのつながりを維持することが必要になるので、社会とのつながりを維持できる。また、仕事を仕上げる責任を負うことになるので、緊張感がある。そして、仕事をやり遂げたときの達成感もある』、私の場合、「自分が作った人脈には3つほどの外部の勉強会を通じたものがあるが、「仕事」には全く関係がない。
・『社会的な仕組みが高齢者の就業を抑制している。 それにもかかわらず、社会的な仕組みが高齢者の就業を阻害している。 5月26日公開の「『専業主婦は普通ではない』『年金は退職後ではない』……年金改革4つの課題」で批判した退職老齢年金制度は、その典型例だ。これに限らず、高齢者の就労に対してペナルティーを加えるような制度は、撤廃する必要がある。 また、税制や社会保険料の制度も、高齢者が働くことを抑制している。所得税制は、所得を年金や資産所得の形態で得る場合には手厚い優遇措置を与えている。また、 労働所得でも給与所得の場合には手厚い給与取得控除を利用できる。しかし、独立して給与所得以外の形で所得を得るようになると、そのような恩典が得られない。 しかも、確定申告が必要であるため、納税事務のために、かなりの労力と費用が必要になる。また消費税については、個人で仕事をすると、消費税額を依頼者に転嫁しにくい場合が多い』、「個人で仕事をすると、消費税額を依頼者に転嫁しにくい場合が多い」、これは確かに問題だ。
・『生成AIを使ったリスキリングに挑戦しよう 「いつまでも働ける社会」を実現するため、政策や制度改革を求めることは重要だが、それと同時に、個人個人が能力を維持し、高めることが必要だ。 とくに、リスキリングが必要だ。グラットンも、企業や教育機関が積極的にリスキリングを支援するべきだと主張している。 グラットンは、テクノロジーが進化し続ける中で、人間特有のスキル、特に「ソフトスキル」の重要性が高まっているという。これには、共感力、チームワーク、創造性、適応性、問題決能力などが含まれる。グラットンはこれらのスキルを機械は真似できないため、人間の仕事がますます価値を増していくとしている。 また、デジタル変革が進む中で、AIやデータアナリティクス、クラウドコンピューティングなどのデジタルスキルの習得も重要だとする。これらのスキルは、労働市場における競争力を保つために必要不可欠であり、継続的な職業訓練と教育が求められる。さらに、持続可能な働き方への適応が必要としている。 インターネットとAIの時代には、独学でリスキリングすることが十分に可能だ。生成AIは単に知識を与えてくれるだけではなく、独学のカリキュラムも準備してくれる。 新しい技術が提供する可能性を最大限に利用すれば、高齢者のリスキリングを大きく進展させることができるだろう』、私も「AIやデータアナリティクス、クラウドコンピューティングなどのデジタルスキルの習得」にチャレンジしてみたい。
タグ:働き方改革 (その41)(「これからの時代はジョブ型だ」という人は気づいていない…専門家が指摘する"ジョブ型雇用の致命的リスク" はっきり言って、現代の日本企業には向いていない、Z世代に広がる「静かな退職」 多様な働き方の一つに過ぎない、65歳以降も仕事は可能なのに…「いつまでも働ける社会」を阻害している「高齢者へのペナルティー」) PRESIDENT BOOKS 太田 肇氏による「「これからの時代はジョブ型だ」という人は気づいていない…専門家が指摘する"ジョブ型雇用の致命的リスク" はっきり言って、現代の日本企業には向いていない」 太田肇『「自営型」で働く時代 ジョブ型雇用はもう古い!』(プレジデント社) 「ジョブ型雇用はもう古い!、とは興味深そうだ。 「企業としては、ジョブ型への転換によって終身雇用制と年功序列制のもとで膨らんだ賃金コストを削減するとともに、グローバルな競争を勝ち抜くために専門性の高い人材の獲得と育成を図ろうとする。 いっぽう労働者にとっては、専門性を高めて転職する道が開けるうえ、社内でも得意な仕事を続けることができる。会社主導ではなく自分の意思で将来のキャリアを築いていけるわけである」、なるほど。 「日立製作所、富士通、資生堂、NTT、KDDIといった日本を代表する企業が2010年前後から、このジョブ型を導入し始め、大企業を中心に多くの日本企業が追随して取り入れるようになった。ちなみにリクルートが2022年の1~2月に行った調査によれば、有効回答296のうちジョブ型人材マネジメントを取り入れているという企業は21.9%で、検討中という企業も30.7%あった・・・ 経団連は2022年の報告のなかでジョブ型雇用にあらためて言及し、導入・活用を「検討する必要がある」と明記した。そして政府もまた企業が社員に対して勤務地や職務の希望の明示を求めるなど、ジョブ型雇用への移行を推し進める方針を示している」、なるほど。 「ジョブ型の導入がこうした諸問題の解決につながると考えられる最大の理由は、ジョブ型では一人ひとりの分担が明確になるからである。 仕事の分担が明確になれば仕事の成果や貢献度もはっきりするので、仕事のプロセスや仕事の進め方は本人に任せられる。そのため仕事ぶりを管理したり、監視したりする必要性が小さくなる。したがってテレワークを導入しやすいし、裁量労働制やフレックスタイム制、ワーケーションなども取り入れやすい。どんな働き方をしようと、成果や貢献度さえチェックすればよいわけである」、なるほど。 「日本企業、日本社会が直面している働き方の問題、すなわち共同体型組織やメンバーシップ型雇用に付随するさまざまな限界は、ジョブ型の導入によって大半が解決できそうだ」、そう上手くいくのだろうか。 「多くの企業は、かりにジョブ型を導入しても職務内容の変更をともなう異動はなくせないし、たとえ職務は変わらなくても異動によって仕事の難易度が変化するケースも出てくる。しかし、その異動が会社の都合によるものなら、社員の不利益になるような待遇の変更はできない。結果として職務内容より保有能力や会社全体のバランスを優先するという、ジョブ型の趣旨からかけ離れた人事になってしまいかねない」、なるほど。 「ジョブ型では、そのジョブにふさわしい能力を備えた者を採用するのが原則である。そもそもジョブ型はメンバーシップ型に比べて転職しやすいので、せっかく内部で育成しても転職してしまうリスクがある。そのため企業には、新人を内部で育成するインセンティブが乏しい」、なるほど。 「ジョブ型導入の前には幾重もの壁が立ちはだかる。しかも国のさまざまな政策をはじめ、労働市場や学生の就職、労働関係法令、社会慣行など、一企業でできる範囲を超える要因もたくさん絡んでいる。社会そのものが暗黙のうちにメンバーシップ型雇用を想定しているのだ」、なるほど。 「当時の重工業は市場や技術などの経営環境が比較的安定していたので、かぎられた種類の製品を低価格で大量に生産することに経営の主眼が置かれた。機械的組織と職務主義(ジョブ型雇用)は、そのような経営環境に適合したシステムだった。 ところが当時と現在とでは、企業を取り巻く環境は大きく異なる」、なるほど。 「ジョブ型導入には、幾重もの厚い壁があることが明らかになった。しかし、だからといって元のメンバーシップ型に戻すとか、両者の折衷に落としどころを探るのでは、いつまでたっても発展はない。そして、そもそも導入をめざしているジョブ型そのものが、はたして目標に値するものかを冷静に考えるべきだろう」、その通りだ。 日経ビジネスオンライン「Z世代に広がる「静かな退職」 多様な働き方の一つに過ぎない」 「一見すると、怠慢や職務放棄のように受け取られがちですが、Z世代はただコスパ良く働きたいがためにこの働き方を選んでいるのではありません。むしろ、自分らしさや多様性にフォーカスした生き方が受け入れられやすくなった時代であるこそ、仕事よりもプライベートに比重を置いた働き方が広がったのではないかと私は考えています」、なるほど。 「Z世代はコロナ禍による解雇や失業を目の当たりにしているため、社会情勢によって会社から裏切られることを恐れ、会社に対して変に期待しない思考を持っています。だからこそ、時間的あるいは体的なリスクを負ってまで仕事に邁進(まいしん)するようなスタンスではなく、省エネ的働き方で着実に年収を上げ、長期的に見た経済的安定性を求めるようになったのではないかと私は考えます」、なるほど。 「Z世代の中でも働き方が二極化しているわけです。この背景には、不況という経験上の共通項を持ちつつ、将来への不安から、先を見通したキャリアアップに傾倒しているZ世代も多く存在することが考えられます。仕事とプライベートの過ごし方の多様化が進んでおり、現代ではそれが受け入れられる社会になったともいえます・・・ 現在ではYouTube(ユーチューブ)やInstagram(インスタグラム)でライフスタイルを発信する人が増えたことにより、多様な生き方を知り、受け入れる機会が増え、また世界中からそうした情報を取り入れられるようになりました。そのことが、働き方の多様化に大きく関係していると私は考えています」、なるほど。 「Z世代が実践する「静かな退職」は、そうした多様な働き方で自己実現する一つの方法であるわけです。 上記のような「個人の価値観に合わせた働き方を選択したい」という思いは、全く新しい考え方ではありません。「頑張り過ぎない働き方」を選ぶのも、「今はがむしゃらに頑張る働き方」を選ぶのも、年代・性別を問わず個人の選択であり、全て正解なのです。それを容認できることこそ、真の多様性が実現された社会だと私は信じています」、その通りだ。 現代ビジネス 野口 悠紀雄氏による「65歳以降も仕事は可能なのに…「いつまでも働ける社会」を阻害している「高齢者へのペナルティー」」 「「ハイブリッドワーク」とは、オフィスと自宅、または他の場所での仕事の組み合わせた仕事の進め方だ。これによって、地理的にも時間の面でも、柔軟性を実現できる。グラットンは、この働き方が生産性や従業員の満足度を向上させるとしている。 また、AI(人工知能)の発展によって多くの仕事が自動化される中で、人間特有の「ソフトスキル」がより大きな価値を持つようになるとしている」、なるほど。 「デジタル機器は、様々な側面で高齢者の仕事を助けてくれる」、その通りだ。 私の場合、「自分が作った人脈には3つほどの外部の勉強会を通じたものがあるが、「仕事」には全く関係がない。 「個人で仕事をすると、消費税額を依頼者に転嫁しにくい場合が多い」、これは確かに問題だ。 私も「AIやデータアナリティクス、クラウドコンピューティングなどのデジタルスキルの習得」にチャレンジしてみたい。
金融政策(その47)(日銀の独立性は どこへ行ったか……植田総裁の「仰天発言」で異常な円安に その裏で岸田首相が犯していた「重大問題」、「物価が上がらなければいいのに」と嘆く人たちへ 物価の権威・渡辺努に小幡績が迫る【前編】、日銀は「円安」「国債の山」「次の緩和」をどうするか 物価の権威・渡辺努に小幡績が迫る【後編】) [経済政策]
金融政策については、本年5月21日に取上げた。今日は、(その47)(日銀の独立性は どこへ行ったか……植田総裁の「仰天発言」で異常な円安に その裏で岸田首相が犯していた「重大問題」、「物価が上がらなければいいのに」と嘆く人たちへ 物価の権威・渡辺努に小幡績が迫る【前編】、日銀は「円安」「国債の山」「次の緩和」をどうするか 物価の権威・渡辺努に小幡績が迫る【後編】)である。
先ずは、本年6月9日付け現代ビジネスが掲載した一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による「今や歴史的な円安~ビッグマックやBIS実質実効レートで見てわかった円の購買力が1ドル360円時代を下回る「危機的」な状況」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/131276?imp=0
・『現在の為替レートは歴史的な円安であり、危機的な円安であると言われる。確かにその通りなのだが、これについては、「1ドル160円より円安の時代があったではないか。固定為替レートの時代には、1ドル360円だった。これに比べれば、現在の為替レートはまだまだ円高だ」との意見があるかもしれない。 市場為替レートでは確かにそうだ。しかし、購買力平価との関係でいえば、現在の為替レートは、固定為替レートの時代よりも円安になってしまっているのである。だから、確かに歴史的な円安であり、危機的な円安なのだ。 「購買力平価」は分かりにくい概念なのだが、現在の為替レートの状況を理解するためにはぜひ必要なので、以下に説明することとしたい』、「購買力平価との関係でいえば、現在の為替レートは、固定為替レートの時代よりも円安になってしまっているのである。だから、確かに歴史的な円安であり、危機的な円安なのだ」、なるほど。
・『ビッグマック指数でみると 購買力平価としてはいくつかのものが計算されている。それらのうち最もよく知られているのは、イギリスの経済誌『エコノミスト』が計算して定期的に公表しているビックマックス指数だ。 ビッグマックは世界のどこでもほぼ同じ品質のものなので、本来であれば、世界的な一物一価が成立しているはずだ。つまり、市場為替レートで換算して、どこでも同じ価格になるはずだ。 ところが、実際にはそうなっていない。2024年1月のデータを見ると、ビックマックは日本で450円だが、アメリカでは5.69ドルだ。 日米のビックマックの価格を等しくするためには、為替レートが1ドル=79円でなければならない。これがビックマックを用いて計算された購買力平価だ。現実の為替レートは、購買力平価に比べて46.5%ほど過小評価されていることになる。この過小評価率のことを「ビッグマック指数」と呼んでいる。いまの場合についていうと、マイナス46.5だ。 なぜ現実の為替レートは、購買力平価から乖離するのか? それは日米両国の金融政策の違いなどによる。どのように違うかというのが重要な問題だが、ここではその問題には深入りしないことにして、「現実の為替レートが購買力平価に比べてどれだけ円安か?」という問題をさらに考えることにしよう』、興味深そうだ。
・『IMFやOECDが計算する購買力平価 ビッグマック指数は、ビッグマックという1つの商品だけを取り上げて、購買力平価を計算したものだ。しかし、1つの商品だけでは適切な評価ができないかもしれない。 そこで、様々な商品やサービスの価格を考慮して、国際的な一物一価を成立させるような為替レートを計算することが考えられる。OECDやIMFは、このような考えによって購買力平価を計算している。それによると、2022年の円の購買力平価は、1ドル=100円程度だ』、「IMFやOECDが計算する購買力平価」は「2022年の円の購買力平価は、1ドル=100円程度だ」、なるほど。
・『BISが計算する実質実効為替レート ビックマック指数や、OECD、 IMFの購買力平価は、各国の物価を調べて購買力平価を計算する。それに対して、円とドルを考えた場合、ある時点の為替レートを基準とし、日本とアメリカの物価上昇率の差を考慮して、基準時点と同じ購買力を維持するための為替レートを計算し、そして現実の為替レートとの比を計算するという方法がある。BIS (国際決済銀行)は、このような考えに基づく購買力評価を計算している。 ビッグマック指数やOECD、IMFなどの購買力平価が「絶対的購買力平価」と呼ばれるのに対して、BISの購買力平価は「相対的購買力平価」と呼ばれる。) 以下では、円とドルの関係を考えることとし、為替レートを円ドルレート、つまり1円あたりのドルで表すことにする。 基準時点における円ドルレートは、1円= 0.01ドルであったとする。そして、現時点までの間に、日本では物価が2%上昇し、アメリカでは10%上昇したとする。 この条件のもとで、円が基準時点と同じ購買力を持つためには、為替レートはどのように変化しなければならないか? まず、アメリカの物価が10%上昇したので、円高にならなければ購買力を維持できない。具体的には、円ドルレートは、1円=0.01 × 1.1 ドルにならなければならない。 また日本の物価上昇率が2%なので、それに対応するだけ円安にならなければならない。具体的には、円ドルレートは、1円=0.01 × 1.1÷1.02 ドルにならなければならない。 一般的に言えば、基準時点と同じ購買力を維持するには、円ドルレートが、次のようにならなければならない。 ・購買力を維持する為替レート= 基準時点における円ドルレート× (1+アメリカの物価上昇率) ÷ (日本の物価上昇率) アメリカの物価上昇率が日本の物価上昇率よりも高い場合には、日本円の価値を維持するためには、円ドルレートが基準時点より大きな数にならなければならない。つまり、円高にならなければならない。 この式で表わされる為替レートが、現時点における日本円の購買力評価である。繰り返すが、これは基準時点と同じ購買力を維持するという意味での為替レートだ。 BISが公表している「実質為替レート指数」とは、現在の市場為替レートと、上で計算した購買力平価との比率だ。すなわち、 ・実質為替レート=市場為替レート÷購買力を維持する為替レート×100 この値が100であれば、いまの市場為替レートは、基準時点と同じ購買力を維持している。100未満であれば、基準時点より購買力が低下したことになる。 以上では、ドルと円の関係だけを考えたが、同じようなことを他の通貨との関係においても計算できる。日本の場合についていうと、円ドルだけでなく、ユーロ、円とポンド等々、様々な通貨に対する購買力平価を計算する。そして、これら値の加重平均をとる。ウエイトは、相手国との貿易額を取る。こうして計算した値を、「実質実効為替レート」と呼んでいる。 なお、BISの計算では、以上で述べたように消費者物指数を用いて計算をしているが、これと同じような計算を、賃金や他の物価指数を用いて計算することもできる』、「BISが公表している「実質為替レート指数」とは、現在の市場為替レートと、上で計算した購買力平価との比率だ。すなわち、 ・実質為替レート=市場為替レート÷購買力を維持する為替レート×100 この値が100であれば、いまの市場為替レートは、基準時点と同じ購買力を維持している。100未満であれば、基準時点より購買力が低下したことになる」、なるほど。
・『現在は固定為替レート時代より円安 現在公表されている実質実効為替レートは、2020年を基準年として100とする指数であり、現在、67程度だ。したがって、2020年に比べて、購買力が67%の水準まで下がってしまったことになる。 2010年を100とする実質実効為替レート指数でみると、2021年頃に70程度だった。この値は、1995年には、150程度だった。だから、購買力がその頃の半分以下になったことになる。 実質実効為替レート指数が70とは、1970年頃と同じ状態だ。1970年代の初めは、1ドル=360円の固定為替レートの時代である。2021年には、それよりも購買力が低くなってしまったのだ。そして、現在は、それよりさらに低い。 本稿の冒頭で、「固定為替時代に比べれば、現在はまだ円高だ」という考えがあると述べた。しかし、実質実効レートという尺度では、現在は、固定為替レートの時代よりも円安になってしまったのである。「現在の円レートが危機的だ」というのは、このような意味である』、「現在公表されている実質実効為替レートは、2020年を基準年として100とする指数であり、現在、67程度だ。したがって、2020年に比べて、購買力が67%の水準まで下がってしまったことになる・・・本稿の冒頭で、「固定為替時代に比べれば、現在はまだ円高だ」という考えがあると述べた。しかし、実質実効レートという尺度では、現在は、固定為替レートの時代よりも円安になってしまったのである。「現在の円レートが危機的だ」というのは、このような意味である」、確かに「危機的」ではあえう。
次に、7月8日付け東洋経済オンラインが掲載した慶応義塾大学大学院教授の小幡 績氏と、 東京大学大学院経済学研究科教授の 渡辺 努氏による対談「「物価が上がらなければいいのに」と嘆く人たちへ 物価の権威・渡辺努に小幡績が迫る【前編】」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/770937
・『物価が上がることがなぜ日本に必要なのか。「デフレ」と称された状態の何が本当の問題だったのか。 著書『物価とは何か』をはじめ、物価研究の権威である渡辺努・東京大学大学院経済学研究科教授。リレー連載「新競馬好きエコノミストの市場深読み劇場」が人気の小幡績・慶応義塾大学大学院教授。2人は東京大学経済学部でゼミの先輩・後輩にあたる旧知の仲だ。 小幡氏は自称「渡辺努ウォッチャー」。かねて物価をめぐる渡辺氏の発信を追ってきたという。「僕もまだ渡辺理論をわかっていないところがあるし、世間ではちゃんと理解されていないと思うので、とことん聞きたい」。 対談のような、インタビューのような2人のやりとりから浮かび上がる、日本経済の根底に巣くう課題とは。前後編でお届けする。 【後編「日銀は「円安」「国債の山」「次の緩和」をどうするか」はこちら】 小幡そもそも、日銀はなぜ「物価目標2%」を掲げて異次元緩和をしなければならなかったんでしょうか。 物価がどんどん下落する「デフレ・スパイラル」だったら止めなければならないけれど、日本はせいぜいインフレ率がマイナス1%程度の「微妙なデフレ」だった。 日銀は2013年から異次元緩和を続けてきましたが、結果論からすると、物価には効かなかったし、ひずみがたくさん出ている。為替レートが円安に行きすぎたこともそうだし、みんなの関心や政策上のリソースがデフレ脱却に注ぎ込まれてしまい、実質の経済成長率をあげるようなリアルな経済の面が手薄になったことは問題です』、「日銀は2013年から異次元緩和を続けてきましたが、結果論からすると、物価には効かなかったし、ひずみがたくさん出ている。為替レートが円安に行きすぎたこともそうだし、みんなの関心や政策上のリソースがデフレ脱却に注ぎ込まれてしまい、実質の経済成長率をあげるようなリアルな経済の面が手薄になったことは問題です」、なるほど。
・『デフレの問題は「個々の価格が動かなくなったこと」 渡辺ゆっくりと物価が上がるようになれば、リアルな経済に影響があります。 多くの人は「デフレのコストは大きくない」って言うんだけど、日本では、平均的な物価の上昇率が0とかマイナス1%になったこと以上に、「個々の価格が動かなくなったこと」が問題だった。そこが、僕の考えが、他の人と違う最大のポイントです。 『物価とは何か』では、ミクロの価格を蚊に、マクロの物価を蚊柱にたとえていますが、蚊が死んでしまったので、蚊柱の動きも止まったというのが私の理解です。物価安定と見間違えてはいけない。 1990年代前半までは、個々の価格は勝手に動き回っていました。1995年ぐらいから価格上昇率がゼロの商品がぐっと増えてきた。個々の価格の動きが止まってしまったわけです。何十年もかけて起きたわけではなく、数年間のうちにそういう動きが生まれました。 企業は通常、価格を決めるパワーを持っているわけですが、それが奪われてしまった。そうすると企業は、何か新しい商品を作るために投資して、高い価格をつけて儲けることができません。最初からいい商品を作ることをあきらめる。価格をコントロールできない環境では、企業はアグレッシブな行動ができなくなってしまう。 それでも当然、収益を上げなければいけないので、じゃあコストカットとなって、経済がどんどん後ろ向きに回ってしまう。これがデフレの最大の弊害だと思っています。 小幡個々の価格が動かなくなったのは、私は企業が根性なしだからだと思うわけです。他の国では、いつまでも同じ商品をコストカットで作らず、あの手この手で新製品を出してうまく価格を変えていく。 企業が価格改定力を失ったのは、企業が悪いのか、それとも状況が悪かったのか。状況だとしても、私には、金融政策とは無関係な、産業構造にあると思うのですが。) 渡辺個々の企業が価格決定力を失ったのは、消費者が「価格は上げないのが当然」だと思っているからだと僕は思う。企業が価格を上げれば、消費者は「価格を上げるのは悪い企業」だと逃げていくし、企業同士でも、他の企業が上げないと思うと、怖くて上げられません。 社会全体が共通の認識として「価格は変わらないもの」と信じてしまっていて、個々の企業が解決できる問題じゃなかったんです。 小幡私はそれも、消費者の貧乏人根性なんだと思う。いったん価格が上がらない状況にはまり込んだら、企業も消費者もみんなが萎縮した形で均衡しているんだから、マクロの金融政策では抜け出せないでしょう。企業が行動を変えるようなインセンティブを与えるとか、ミクロの政策でないと効かないのでは。 渡辺僕の考えに賛成か否かはさておくとして、デフレが何らかの弊害をもたらしたか否かは非常に重要な論点です。しかしこの論点はずっとスルーされてきた。この論点に正面から向き合うことなしに、金融緩和の是非を語ることはできません。 実は、2013年に異次元緩和を始めた黒田東彦前総裁も説明したことがないんですよ。僕はこう解釈しました。消費者や価格をつける企業の人たちのマインドを「価格というのは上がるもの」に変えようとしているんだと。 日銀が公表した企業サーベイをみると、今のインフレ経済から過去を振り返って、「デフレの弊害は確かに大きかった」という認識が企業経営者の間に広まっているように思います』、「企業は通常、価格を決めるパワーを持っているわけですが、それが奪われてしまった。そうすると企業は、何か新しい商品を作るために投資して、高い価格をつけて儲けることができません。最初からいい商品を作ることをあきらめる。価格をコントロールできない環境では、企業はアグレッシブな行動ができなくなってしまう。 それでも当然、収益を上げなければいけないので、じゃあコストカットとなって、経済がどんどん後ろ向きに回ってしまう。これがデフレの最大の弊害だと思っています・・・小幡私はそれも、消費者の貧乏人根性なんだと思う。いったん価格が上がらない状況にはまり込んだら、企業も消費者もみんなが萎縮した形で均衡しているんだから、マクロの金融政策では抜け出せないでしょう。企業が行動を変えるようなインセンティブを与えるとか、ミクロの政策でないと効かないのでは」、なるほど。
・『価格が動かないと、資源配分が歪む 小幡要は、個々の価格が動かないというのは、価格が適正に決まっていない状態ということですよね。価格メカニズムによって資源配分を行うマーケットが非効率であることが問題で、ダイナミズムに欠けている。 渡辺海外の人にはこの話がなかなか理解されません。こういう説明だと伝わると気づいて、2年前ぐらいから僕が使っているのが、旧ソ連の例です。 旧ソ連の経済システムは価格というシグナルそのものがなく、生産量を割り当てていましたが、やっぱり失敗する。日本では価格はありますが、動いていなければ価格メカニズムがないに等しい。その結果として資源配分が歪んできた。 実はトータルの物価上昇(インフレ)率は1%でも2%でも、5%でもいいんです。平均値が上がるほど、分散(バラツキ)も増します。行きすぎたインフレがなぜいけないのかというと、不確実性が高すぎて資源配分が歪むからです。10%や20%まで上がると明らかに歪みが起きますが、5%ぐらいまでなら、ほとんど歪みが起きないというのが研究結果です。) 小幡私は渡辺理論を勉強しているうちに、「ゼロ」が問題なんだと思うようになりました。 個々の企業は価格を上げると他社に客を取られるし、価格を下げても、ライバルも追随するので、どちらにも動けない。しかし、それは現状維持がゼロの場合とそれ以外では、現状維持への吸引力が大きく異なる。ゼロは吸い込むパワーがものすごすぎる。それが問題だと。そういうことでしょうか。 渡辺「ゼロインフレが望ましい」という議論では、個々の価格がダイナミックに動いているけれど、全体としては非常に調和がとれている、一番うるわしい形を目指しています。 でも、日本では個々の価格が動かない結果として、平均としての物価も動かなかった。「ゼロ」は昨日150円だったモノが今日も150円という現状維持なので、皆がそこに落ちこみやすいわけです。 小幡その状況を壊さなければいけないことはわかるんです。 渡辺問題は、マクロの金融政策で壊れるかどうか、ですね』、「渡辺問題は、マクロの金融政策で壊れるかどうか、ですね」、なるほど。
・『異次元緩和より「変える力」が強かったもの 小幡私と渡辺さんは、問題意識は一緒ですが、アプローチの仕方が違う。私は金融政策で変えるのは無理だから、個々人が頑張れと思っています。 ここ数年でわかったのは、「円安で輸入価格が上がったのは目に見えるから、値上げせざるをえないとわかれば皆、受け入れる」ということだと思うんですが、どうですか。 渡辺異次元緩和は実は、それと似たことを政策的にやりたかったけれど、消費者や企業経営者に影響を与えるようなメッセージは出せませんでした。人間が行う政策よりも、パンデミックや戦争のほうが定常状態を変える力としては強いんだろうなと思います。) 小幡私が懸念しているのは、今みんな値上げしていますが、非常に日本的で、個々の企業が自力で価格をつける度胸がないまま、要は「値上げバブル」なわけです。常に全体に流されていて、前と何も変わっていない。これではまた元に戻ると思うんですよ。 渡辺実は、賃金もまったく同じで、横並びで同調し合いながら上げている。 特に賃金については、「上げられる企業と上げられない企業が出てくるのはよくない」と言われるけれど、僕は払えるところは賃上げして、払えない企業は賃上げできないという「格差」が生じる状態がまさに目指すべきことだと思う。 企業に貢献できる人は賃金をもっともらえばいいし、そうじゃない人は賃金が上がらないというのは当然あるべきこと。皆が同じように上がるなんてことは起こらないですよ。生産性に応じた賃金というのが原則です。 物価が上がっているのに自分の賃金がそこまで上がらないかもしれないと思ったら、賃金を上げるために転職したりして頑張るのが競争というものです。人と競争したくない、だけど値上げも嫌というのでは、社会が回りません』、「物価が上がっているのに自分の賃金がそこまで上がらないかもしれないと思ったら、賃金を上げるために転職したりして頑張るのが競争というものです。人と競争したくない、だけど値上げも嫌というのでは、社会が回りません」、その通りだ。
・『「現状維持で安心・平等」は壊したほうがいい 小幡中国やアメリカでは、稼いでいる人が価格を気にせずにほしいものを買うという行動が消費市場を動かしているので、価格が上がりやすい。日本ではケチケチ行動の消費者がほとんどですから、価格は動きにくい。 渡辺要は価格も賃金も、現状維持で安定させると安心で平等。そこにあまりにも重きを置きすぎていたわけですよね。みんな変えないんだから、自分も同じままで問題ない。僕はその状態は壊したほうがいいと思うし、ようやく壊れつつあるけれど、完全には壊れていないのも事実です。 小幡日本は「みんな一緒」のマインドだから、その波が大きくなるとバブルになって、歪みが大きくなってしまう。1980年代後半の日本のバブルのようなバブルは、他に例がないそうです。 日本はバブルになりやすい国、ブームに流されやすい国なんです。値上げも賃上げも、今はブームになりすぎてやりすぎで、反動で消費者の節約志向がかえって強まり、今のブームが終わったら、以前よりも酷い価格が動かない経済になってしまうかもしれない。 渡辺今は同調だろうがなんだろうが、価格が動いてくれればもうけもの。スーパーなどの販売価格をPOSデータでみても、これまで価格が動かない商品の割合が7割だったのが減ってきています。顕著に減ってきています。 価格も賃金も動かない状態からとにかく脱出する。そうなりつつあるから、しっかり固める時だと思います。【後編に続く】』、「日本はバブルになりやすい国、ブームに流されやすい国なんです。値上げも賃上げも、今はブームになりすぎてやりすぎで、反動で消費者の節約志向がかえって強まり、今のブームが終わったら、以前よりも酷い価格が動かない経済になってしまうかもしれない・・・渡辺今は同調だろうがなんだろうが、価格が動いてくれればもうけもの。スーパーなどの販売価格をPOSデータでみても、これまで価格が動かない商品の割合が7割だったのが減ってきています。顕著に減ってきています。 価格も賃金も動かない状態からとにかく脱出する。そうなりつつあるから、しっかり固める時だと思います」、なるほど。
第三に、7月9日付け東洋経済オンラインが掲載した慶応義塾大学大学院教授の小幡 績氏と、東京大学大学院経済学研究科教授の渡辺 努氏による対談「日銀は「円安」「国債の山」「次の緩和」をどうするか 物価の権威・渡辺努に小幡績が迫る【後編】」を紹介しよう。
・『物価が上がることがなぜ日本に必要なのか。どうして異次元緩和を10年続けても物価に効かなかったのか。 著書『物価とは何か』をはじめ、物価研究の権威である渡辺努・東京大学大学院経済学研究科教授。リレー連載「新競馬好きエコノミストの市場深読み劇場」が人気の小幡績・慶応義塾大学大学院教授。2人は東京大学経済学部でゼミの先輩・後輩にあたる旧知の仲だ。 小幡氏は自称「渡辺努ウォッチャー」。かねて物価をめぐる渡辺氏の発信を追ってきたという。「僕もまだ渡辺理論をわかっていないところがあるし、世間ではちゃんと理解されていないと思うので、とことん聞きたい」。 前編の「『物価が上がらなければいいのに』と嘆く人たちへ」に続いて、後編では金融政策の行く末から、次なるデフレ対策まで話が及んだ。 小幡3月に日銀は異次元金融緩和の枠組みを終了しました。日銀はとにかく異次元緩和の異常な政策をやめたかった。だから、春闘の賃上げで言い訳が整ったからやめるけれど、普通の緩和は続ける。今後は普通の景気調節として利上げできるようになったら、利上げする、と宣言したのだと。 渡辺異次元緩和は効かなかったから、やめても何も起こらないことには同意します。 小幡これは私が渡辺さんに唯一勝った?(笑)ところです。10年前、私が「異次元緩和をやっても無駄で副作用だけがあるから、やめましょう」と言っていたのに、渡辺さんは「いや、挑戦してみる価値はあります」と言っていました。この10年で考えは変わりましたか』、「10年前、私が「異次元緩和をやっても無駄で副作用だけがあるから、やめましょう」と言っていたのに、渡辺さんは「いや、挑戦してみる価値はあります」と言っていました。この10年で考えは変わりましたか」、変わったのだろうか。
・『国債は「要るモノ」か、「負の遺産」か 渡辺事実として全然うまくいかなかったから、失敗したとは思います。2016年1月に導入したマイナス金利の評判が悪かった頃からそう思い始めました。効いてほしかったですが、結果的に効かなかったのだから、明らかに無用の長物です。 海外の人には、3月の日銀の決定は、要らないモノを捨てる「断捨離」なんだと説明しています。断捨離のポイントは、要るモノと要らないモノを区別することです。要るモノとして残したのが、バランスシートです。バランスシートが大きい状態はやっぱり望ましいんですよ。 小幡そこは私はまったく反対で、植田総裁はバランスシートを「遺産」と言いましたが、それは「負の遺産」という意味だと思っています。 マーケットの人たちは、民間が国債を欲しがっているのだから、日銀が国債を独占しているのは民間にとって不利益だと言います。) 渡辺いま日銀が持っている500兆円のうち、200兆円を民間に渡すのがちょうどいいのなら、そこを目指すべきです。だけど残り300兆円は日銀が持つ。 異次元緩和の前は、日銀の当座預金残高は10兆円という規模でした。そこまで減らすのかどうかという話でしょう。 小幡私はストック(国債残高)ではなくフロー(国債購入額)が焦点だと思っています。日銀が買わなくても、市場で妥当なプライスが成立して、政府が国債を発行できる状況になっていることが必要です。 民間が国債を買うのは、後で日銀が買い取るから、という、いわゆる「日銀トレード」でしか国債が発行できない状態になるのはまずいと思います。国債の引き受け手として日銀がいると、政府や政治家が甘えて「無駄づかいしても大丈夫」となってしまう。 渡辺僕も今の財政規律の状態は問題だとは思うけれど、やっぱり政府や国会が対応するのが筋です。日銀からのルートで規律をもたせようとするのは邪道です』、「渡辺僕も今の財政規律の状態は問題だとは思うけれど、やっぱり政府や国会が対応するのが筋です。日銀からのルートで規律をもたせようとするのは邪道です」、筋論だ。
・『金融市場と実体経済、歪みのコスト 小幡績氏の略歴はリンク先参照) 小幡異次元緩和は異常に大量の国債を購入して、異常な市場にしてしまったわけです。それに乗じた政治によって財政規律が壊れたのであれば、異常事態の原因を除去する責任は日銀にあると思います。やるべき緩和をして生じた副作用であれば、それは日銀以外のプレーヤーが是正すべきでしょうが。 為替も同じで、日銀に責任があります。 「価格を自由に動かす」という異次元緩和の目的自体はいいとしても、結果的にはマーケットの期待だけが動いて資産市場の歪みが大きくなった。為替は、日銀とアメリカ中央銀行の金融政策により、購買力平価から大きく乖離して円安が進んだ。 渡辺僕は、価格が動かないことで実体経済が歪むコストが大きいから、金融市場では少々のことが起きても仕方がないと思っています。 日銀が保有する国債を異次元緩和前の水準まで減らす必要はなく、200兆、300兆円程度は残り続けるということでいいのではないかと思います。マーケットの人たちもそう予想しているのでは。そうすると金利が抑えられた状態が続くので、為替が円安になるのも当然なのでは。 小幡為替はあきらめるしかないんですか。私は金融政策のターゲットは財市場の指標である物価より、金融市場の要の変数である為替にすべきだと思うほどです。日銀は金融に責任を持つべきだと。) 小幡 もし今後、再び価格が動かない状況に陥ることがあったら、金融政策で変えられますか。 渡辺それは仮想的な質問でもなんでもなくて、インフレ率が再びゼロやマイナスになる可能性はまだ残っていると思っています。その状況を壊すことは基本的には中央銀行の仕事だし、彼らに頑張ってもらうしかない。 日銀は異次元緩和の前まで、物価が上がらないことを当然とする雰囲気を放置してきました。「このままでいい」という気持ちをより強く抱かせてきた。早い時期に壊せば、苦労せず壊せたはずです。 小幡何か緩和の方法を工夫すれば、効く可能性が増すんですか』、「日銀は異次元緩和の前まで、物価が上がらないことを当然とする雰囲気を放置してきました。「このままでいい」という気持ちをより強く抱かせてきた。早い時期に壊せば、苦労せず壊せたはずです」、手厳しい日銀批判だ。
・『現金と銀行預金も含めた「本当のマイナス金利」 (渡辺努氏の略歴はリンク先参照) 渡辺僕はマイナス金利が王道だと思っています。日銀はおそらく繰り返すのは嫌だと思っているでしょうが、失敗をふまえて考えると、今回のマイナス金利は中途半端だったんです。 たとえば現金はマイナス金利ではなかった。銀行預金もマイナス金利にはならなかった。現金や銀行預金も含めて全部マイナスにしていくのが、本当のマイナス金利だと思うんですけれど、異次元緩和ではそこまではやれなかった。 小幡金利がマイナスになることに人々が違和感を抱くのは、単なる経験則でしょうか。 渡辺よく例に出すのは、1ドル360円の固定相場制の時代です。円とドルとの相対的地位が安定していたのが崩れると、大変なことになると議論されていました。実際、変動相場制になってみると、生きられない世界になったわけではないですよね。 マネーもまったく同じで、今日の1万円札と明日の1万円札が1対1で交換されているのが現状の仕組みです。それが本当のマイナス金利になったら、今日の1万円が明日は9500円になる、というように、交換比率が変わるだけの話です。 要は円同士の変動相場制で、慣れの問題だと思います。 小幡マイナス金利というのはお金を借りると、貸したほうが金利を払うわけですから、何か違和感がある。 渡辺でも、インフレ率を加味した実質金利で考えれば、マイナスになることはいくらでもありえて、過去にも起きています。インフレ率10%の世界では、名目金利が10%より低ければ、実質的にはマイナスです。名目金利がマイナスになってはいけない理由はどこにもないんじゃないかな。) 渡辺貨幣の金利をゼロより下げるコストが大きいから、インフレ率が下がっても金利をゼロより下げられず、10年以上にわたってデフレが続いたわけです。貨幣にも自由自在にマイナス金利をつけるように制度そのものを取り換えたほうがいいと僕は思う。 そのコストが高いとしても、デフレで価格が動かなくなって、中央銀行が10年間頑張っても全然コントロールできないことのコストのほうが大きいわけです。 小幡価格が動かないことに対して、マクロの金融政策ではなく、ミクロの行動にアプローチすることはできないんですか』、「渡辺貨幣の金利をゼロより下げるコストが大きいから、インフレ率が下がっても金利をゼロより下げられず、10年以上にわたってデフレが続いたわけです。貨幣にも自由自在にマイナス金利をつけるように制度そのものを取り換えたほうがいいと僕は思う。 そのコストが高いとしても、デフレで価格が動かなくなって、中央銀行が10年間頑張っても全然コントロールできないことのコストのほうが大きいわけです」、なるほど。
・『「賃金は上がるもの」と考え方を変える手段 渡辺実際に、政府は中小企業と大企業の取引構造に手を入れていますよね。中小企業の価格決定力が弱いので、交渉のテーブルに大企業が出てこないことを摘発したりして、価格メカニズムが個別の事情で歪んでいる部分を直そうとしているわけです。 僕が考えて実際に行われたのは、最低賃金です。将来にかけて引き上げていく道筋を示したほうがいいと経済財政諮問会議で提唱しました。昨年、全国平均で時給1000円台に乗りましたが、岸田首相は昨年8月、「10年間で1500円に持っていく」と表明しました。 小幡それはどんな影響があるんですか。 渡辺将来の賃金の期待値を上げるためです。 物価については日銀が、2%目標を標榜してくれている。どの程度、みんなが信用しているかは別にして。賃金のほうがむしろ変わらないという信念が強いので、「上がるもの」だと世の中の考え方を変えていかなければなりません。 最低賃金はよくも悪くも政府が介入できる。全般的に賃金がそのような道筋で上がっていくと人々が予想するようになると、個々の労使交渉にも影響してくるわけです。最低賃金をマクロの政策ツールとして使った例としてはアメリカのニューディールがあります。 小幡渡辺さんを観察していると、いつも戦っていて、試行錯誤している。無理筋でもなんでも、いろいろなアイデアを提唱して、どんどん進化していますね』、「小幡渡辺さんを観察していると、いつも戦っていて、試行錯誤している。無理筋でもなんでも、いろいろなアイデアを提唱して、どんどん進化していますね」、望ましい姿勢だ。
先ずは、本年6月9日付け現代ビジネスが掲載した一橋大学名誉教授の野口 悠紀雄氏による「今や歴史的な円安~ビッグマックやBIS実質実効レートで見てわかった円の購買力が1ドル360円時代を下回る「危機的」な状況」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/131276?imp=0
・『現在の為替レートは歴史的な円安であり、危機的な円安であると言われる。確かにその通りなのだが、これについては、「1ドル160円より円安の時代があったではないか。固定為替レートの時代には、1ドル360円だった。これに比べれば、現在の為替レートはまだまだ円高だ」との意見があるかもしれない。 市場為替レートでは確かにそうだ。しかし、購買力平価との関係でいえば、現在の為替レートは、固定為替レートの時代よりも円安になってしまっているのである。だから、確かに歴史的な円安であり、危機的な円安なのだ。 「購買力平価」は分かりにくい概念なのだが、現在の為替レートの状況を理解するためにはぜひ必要なので、以下に説明することとしたい』、「購買力平価との関係でいえば、現在の為替レートは、固定為替レートの時代よりも円安になってしまっているのである。だから、確かに歴史的な円安であり、危機的な円安なのだ」、なるほど。
・『ビッグマック指数でみると 購買力平価としてはいくつかのものが計算されている。それらのうち最もよく知られているのは、イギリスの経済誌『エコノミスト』が計算して定期的に公表しているビックマックス指数だ。 ビッグマックは世界のどこでもほぼ同じ品質のものなので、本来であれば、世界的な一物一価が成立しているはずだ。つまり、市場為替レートで換算して、どこでも同じ価格になるはずだ。 ところが、実際にはそうなっていない。2024年1月のデータを見ると、ビックマックは日本で450円だが、アメリカでは5.69ドルだ。 日米のビックマックの価格を等しくするためには、為替レートが1ドル=79円でなければならない。これがビックマックを用いて計算された購買力平価だ。現実の為替レートは、購買力平価に比べて46.5%ほど過小評価されていることになる。この過小評価率のことを「ビッグマック指数」と呼んでいる。いまの場合についていうと、マイナス46.5だ。 なぜ現実の為替レートは、購買力平価から乖離するのか? それは日米両国の金融政策の違いなどによる。どのように違うかというのが重要な問題だが、ここではその問題には深入りしないことにして、「現実の為替レートが購買力平価に比べてどれだけ円安か?」という問題をさらに考えることにしよう』、興味深そうだ。
・『IMFやOECDが計算する購買力平価 ビッグマック指数は、ビッグマックという1つの商品だけを取り上げて、購買力平価を計算したものだ。しかし、1つの商品だけでは適切な評価ができないかもしれない。 そこで、様々な商品やサービスの価格を考慮して、国際的な一物一価を成立させるような為替レートを計算することが考えられる。OECDやIMFは、このような考えによって購買力平価を計算している。それによると、2022年の円の購買力平価は、1ドル=100円程度だ』、「IMFやOECDが計算する購買力平価」は「2022年の円の購買力平価は、1ドル=100円程度だ」、なるほど。
・『BISが計算する実質実効為替レート ビックマック指数や、OECD、 IMFの購買力平価は、各国の物価を調べて購買力平価を計算する。それに対して、円とドルを考えた場合、ある時点の為替レートを基準とし、日本とアメリカの物価上昇率の差を考慮して、基準時点と同じ購買力を維持するための為替レートを計算し、そして現実の為替レートとの比を計算するという方法がある。BIS (国際決済銀行)は、このような考えに基づく購買力評価を計算している。 ビッグマック指数やOECD、IMFなどの購買力平価が「絶対的購買力平価」と呼ばれるのに対して、BISの購買力平価は「相対的購買力平価」と呼ばれる。) 以下では、円とドルの関係を考えることとし、為替レートを円ドルレート、つまり1円あたりのドルで表すことにする。 基準時点における円ドルレートは、1円= 0.01ドルであったとする。そして、現時点までの間に、日本では物価が2%上昇し、アメリカでは10%上昇したとする。 この条件のもとで、円が基準時点と同じ購買力を持つためには、為替レートはどのように変化しなければならないか? まず、アメリカの物価が10%上昇したので、円高にならなければ購買力を維持できない。具体的には、円ドルレートは、1円=0.01 × 1.1 ドルにならなければならない。 また日本の物価上昇率が2%なので、それに対応するだけ円安にならなければならない。具体的には、円ドルレートは、1円=0.01 × 1.1÷1.02 ドルにならなければならない。 一般的に言えば、基準時点と同じ購買力を維持するには、円ドルレートが、次のようにならなければならない。 ・購買力を維持する為替レート= 基準時点における円ドルレート× (1+アメリカの物価上昇率) ÷ (日本の物価上昇率) アメリカの物価上昇率が日本の物価上昇率よりも高い場合には、日本円の価値を維持するためには、円ドルレートが基準時点より大きな数にならなければならない。つまり、円高にならなければならない。 この式で表わされる為替レートが、現時点における日本円の購買力評価である。繰り返すが、これは基準時点と同じ購買力を維持するという意味での為替レートだ。 BISが公表している「実質為替レート指数」とは、現在の市場為替レートと、上で計算した購買力平価との比率だ。すなわち、 ・実質為替レート=市場為替レート÷購買力を維持する為替レート×100 この値が100であれば、いまの市場為替レートは、基準時点と同じ購買力を維持している。100未満であれば、基準時点より購買力が低下したことになる。 以上では、ドルと円の関係だけを考えたが、同じようなことを他の通貨との関係においても計算できる。日本の場合についていうと、円ドルだけでなく、ユーロ、円とポンド等々、様々な通貨に対する購買力平価を計算する。そして、これら値の加重平均をとる。ウエイトは、相手国との貿易額を取る。こうして計算した値を、「実質実効為替レート」と呼んでいる。 なお、BISの計算では、以上で述べたように消費者物指数を用いて計算をしているが、これと同じような計算を、賃金や他の物価指数を用いて計算することもできる』、「BISが公表している「実質為替レート指数」とは、現在の市場為替レートと、上で計算した購買力平価との比率だ。すなわち、 ・実質為替レート=市場為替レート÷購買力を維持する為替レート×100 この値が100であれば、いまの市場為替レートは、基準時点と同じ購買力を維持している。100未満であれば、基準時点より購買力が低下したことになる」、なるほど。
・『現在は固定為替レート時代より円安 現在公表されている実質実効為替レートは、2020年を基準年として100とする指数であり、現在、67程度だ。したがって、2020年に比べて、購買力が67%の水準まで下がってしまったことになる。 2010年を100とする実質実効為替レート指数でみると、2021年頃に70程度だった。この値は、1995年には、150程度だった。だから、購買力がその頃の半分以下になったことになる。 実質実効為替レート指数が70とは、1970年頃と同じ状態だ。1970年代の初めは、1ドル=360円の固定為替レートの時代である。2021年には、それよりも購買力が低くなってしまったのだ。そして、現在は、それよりさらに低い。 本稿の冒頭で、「固定為替時代に比べれば、現在はまだ円高だ」という考えがあると述べた。しかし、実質実効レートという尺度では、現在は、固定為替レートの時代よりも円安になってしまったのである。「現在の円レートが危機的だ」というのは、このような意味である』、「現在公表されている実質実効為替レートは、2020年を基準年として100とする指数であり、現在、67程度だ。したがって、2020年に比べて、購買力が67%の水準まで下がってしまったことになる・・・本稿の冒頭で、「固定為替時代に比べれば、現在はまだ円高だ」という考えがあると述べた。しかし、実質実効レートという尺度では、現在は、固定為替レートの時代よりも円安になってしまったのである。「現在の円レートが危機的だ」というのは、このような意味である」、確かに「危機的」ではあえう。
次に、7月8日付け東洋経済オンラインが掲載した慶応義塾大学大学院教授の小幡 績氏と、 東京大学大学院経済学研究科教授の 渡辺 努氏による対談「「物価が上がらなければいいのに」と嘆く人たちへ 物価の権威・渡辺努に小幡績が迫る【前編】」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/770937
・『物価が上がることがなぜ日本に必要なのか。「デフレ」と称された状態の何が本当の問題だったのか。 著書『物価とは何か』をはじめ、物価研究の権威である渡辺努・東京大学大学院経済学研究科教授。リレー連載「新競馬好きエコノミストの市場深読み劇場」が人気の小幡績・慶応義塾大学大学院教授。2人は東京大学経済学部でゼミの先輩・後輩にあたる旧知の仲だ。 小幡氏は自称「渡辺努ウォッチャー」。かねて物価をめぐる渡辺氏の発信を追ってきたという。「僕もまだ渡辺理論をわかっていないところがあるし、世間ではちゃんと理解されていないと思うので、とことん聞きたい」。 対談のような、インタビューのような2人のやりとりから浮かび上がる、日本経済の根底に巣くう課題とは。前後編でお届けする。 【後編「日銀は「円安」「国債の山」「次の緩和」をどうするか」はこちら】 小幡そもそも、日銀はなぜ「物価目標2%」を掲げて異次元緩和をしなければならなかったんでしょうか。 物価がどんどん下落する「デフレ・スパイラル」だったら止めなければならないけれど、日本はせいぜいインフレ率がマイナス1%程度の「微妙なデフレ」だった。 日銀は2013年から異次元緩和を続けてきましたが、結果論からすると、物価には効かなかったし、ひずみがたくさん出ている。為替レートが円安に行きすぎたこともそうだし、みんなの関心や政策上のリソースがデフレ脱却に注ぎ込まれてしまい、実質の経済成長率をあげるようなリアルな経済の面が手薄になったことは問題です』、「日銀は2013年から異次元緩和を続けてきましたが、結果論からすると、物価には効かなかったし、ひずみがたくさん出ている。為替レートが円安に行きすぎたこともそうだし、みんなの関心や政策上のリソースがデフレ脱却に注ぎ込まれてしまい、実質の経済成長率をあげるようなリアルな経済の面が手薄になったことは問題です」、なるほど。
・『デフレの問題は「個々の価格が動かなくなったこと」 渡辺ゆっくりと物価が上がるようになれば、リアルな経済に影響があります。 多くの人は「デフレのコストは大きくない」って言うんだけど、日本では、平均的な物価の上昇率が0とかマイナス1%になったこと以上に、「個々の価格が動かなくなったこと」が問題だった。そこが、僕の考えが、他の人と違う最大のポイントです。 『物価とは何か』では、ミクロの価格を蚊に、マクロの物価を蚊柱にたとえていますが、蚊が死んでしまったので、蚊柱の動きも止まったというのが私の理解です。物価安定と見間違えてはいけない。 1990年代前半までは、個々の価格は勝手に動き回っていました。1995年ぐらいから価格上昇率がゼロの商品がぐっと増えてきた。個々の価格の動きが止まってしまったわけです。何十年もかけて起きたわけではなく、数年間のうちにそういう動きが生まれました。 企業は通常、価格を決めるパワーを持っているわけですが、それが奪われてしまった。そうすると企業は、何か新しい商品を作るために投資して、高い価格をつけて儲けることができません。最初からいい商品を作ることをあきらめる。価格をコントロールできない環境では、企業はアグレッシブな行動ができなくなってしまう。 それでも当然、収益を上げなければいけないので、じゃあコストカットとなって、経済がどんどん後ろ向きに回ってしまう。これがデフレの最大の弊害だと思っています。 小幡個々の価格が動かなくなったのは、私は企業が根性なしだからだと思うわけです。他の国では、いつまでも同じ商品をコストカットで作らず、あの手この手で新製品を出してうまく価格を変えていく。 企業が価格改定力を失ったのは、企業が悪いのか、それとも状況が悪かったのか。状況だとしても、私には、金融政策とは無関係な、産業構造にあると思うのですが。) 渡辺個々の企業が価格決定力を失ったのは、消費者が「価格は上げないのが当然」だと思っているからだと僕は思う。企業が価格を上げれば、消費者は「価格を上げるのは悪い企業」だと逃げていくし、企業同士でも、他の企業が上げないと思うと、怖くて上げられません。 社会全体が共通の認識として「価格は変わらないもの」と信じてしまっていて、個々の企業が解決できる問題じゃなかったんです。 小幡私はそれも、消費者の貧乏人根性なんだと思う。いったん価格が上がらない状況にはまり込んだら、企業も消費者もみんなが萎縮した形で均衡しているんだから、マクロの金融政策では抜け出せないでしょう。企業が行動を変えるようなインセンティブを与えるとか、ミクロの政策でないと効かないのでは。 渡辺僕の考えに賛成か否かはさておくとして、デフレが何らかの弊害をもたらしたか否かは非常に重要な論点です。しかしこの論点はずっとスルーされてきた。この論点に正面から向き合うことなしに、金融緩和の是非を語ることはできません。 実は、2013年に異次元緩和を始めた黒田東彦前総裁も説明したことがないんですよ。僕はこう解釈しました。消費者や価格をつける企業の人たちのマインドを「価格というのは上がるもの」に変えようとしているんだと。 日銀が公表した企業サーベイをみると、今のインフレ経済から過去を振り返って、「デフレの弊害は確かに大きかった」という認識が企業経営者の間に広まっているように思います』、「企業は通常、価格を決めるパワーを持っているわけですが、それが奪われてしまった。そうすると企業は、何か新しい商品を作るために投資して、高い価格をつけて儲けることができません。最初からいい商品を作ることをあきらめる。価格をコントロールできない環境では、企業はアグレッシブな行動ができなくなってしまう。 それでも当然、収益を上げなければいけないので、じゃあコストカットとなって、経済がどんどん後ろ向きに回ってしまう。これがデフレの最大の弊害だと思っています・・・小幡私はそれも、消費者の貧乏人根性なんだと思う。いったん価格が上がらない状況にはまり込んだら、企業も消費者もみんなが萎縮した形で均衡しているんだから、マクロの金融政策では抜け出せないでしょう。企業が行動を変えるようなインセンティブを与えるとか、ミクロの政策でないと効かないのでは」、なるほど。
・『価格が動かないと、資源配分が歪む 小幡要は、個々の価格が動かないというのは、価格が適正に決まっていない状態ということですよね。価格メカニズムによって資源配分を行うマーケットが非効率であることが問題で、ダイナミズムに欠けている。 渡辺海外の人にはこの話がなかなか理解されません。こういう説明だと伝わると気づいて、2年前ぐらいから僕が使っているのが、旧ソ連の例です。 旧ソ連の経済システムは価格というシグナルそのものがなく、生産量を割り当てていましたが、やっぱり失敗する。日本では価格はありますが、動いていなければ価格メカニズムがないに等しい。その結果として資源配分が歪んできた。 実はトータルの物価上昇(インフレ)率は1%でも2%でも、5%でもいいんです。平均値が上がるほど、分散(バラツキ)も増します。行きすぎたインフレがなぜいけないのかというと、不確実性が高すぎて資源配分が歪むからです。10%や20%まで上がると明らかに歪みが起きますが、5%ぐらいまでなら、ほとんど歪みが起きないというのが研究結果です。) 小幡私は渡辺理論を勉強しているうちに、「ゼロ」が問題なんだと思うようになりました。 個々の企業は価格を上げると他社に客を取られるし、価格を下げても、ライバルも追随するので、どちらにも動けない。しかし、それは現状維持がゼロの場合とそれ以外では、現状維持への吸引力が大きく異なる。ゼロは吸い込むパワーがものすごすぎる。それが問題だと。そういうことでしょうか。 渡辺「ゼロインフレが望ましい」という議論では、個々の価格がダイナミックに動いているけれど、全体としては非常に調和がとれている、一番うるわしい形を目指しています。 でも、日本では個々の価格が動かない結果として、平均としての物価も動かなかった。「ゼロ」は昨日150円だったモノが今日も150円という現状維持なので、皆がそこに落ちこみやすいわけです。 小幡その状況を壊さなければいけないことはわかるんです。 渡辺問題は、マクロの金融政策で壊れるかどうか、ですね』、「渡辺問題は、マクロの金融政策で壊れるかどうか、ですね」、なるほど。
・『異次元緩和より「変える力」が強かったもの 小幡私と渡辺さんは、問題意識は一緒ですが、アプローチの仕方が違う。私は金融政策で変えるのは無理だから、個々人が頑張れと思っています。 ここ数年でわかったのは、「円安で輸入価格が上がったのは目に見えるから、値上げせざるをえないとわかれば皆、受け入れる」ということだと思うんですが、どうですか。 渡辺異次元緩和は実は、それと似たことを政策的にやりたかったけれど、消費者や企業経営者に影響を与えるようなメッセージは出せませんでした。人間が行う政策よりも、パンデミックや戦争のほうが定常状態を変える力としては強いんだろうなと思います。) 小幡私が懸念しているのは、今みんな値上げしていますが、非常に日本的で、個々の企業が自力で価格をつける度胸がないまま、要は「値上げバブル」なわけです。常に全体に流されていて、前と何も変わっていない。これではまた元に戻ると思うんですよ。 渡辺実は、賃金もまったく同じで、横並びで同調し合いながら上げている。 特に賃金については、「上げられる企業と上げられない企業が出てくるのはよくない」と言われるけれど、僕は払えるところは賃上げして、払えない企業は賃上げできないという「格差」が生じる状態がまさに目指すべきことだと思う。 企業に貢献できる人は賃金をもっともらえばいいし、そうじゃない人は賃金が上がらないというのは当然あるべきこと。皆が同じように上がるなんてことは起こらないですよ。生産性に応じた賃金というのが原則です。 物価が上がっているのに自分の賃金がそこまで上がらないかもしれないと思ったら、賃金を上げるために転職したりして頑張るのが競争というものです。人と競争したくない、だけど値上げも嫌というのでは、社会が回りません』、「物価が上がっているのに自分の賃金がそこまで上がらないかもしれないと思ったら、賃金を上げるために転職したりして頑張るのが競争というものです。人と競争したくない、だけど値上げも嫌というのでは、社会が回りません」、その通りだ。
・『「現状維持で安心・平等」は壊したほうがいい 小幡中国やアメリカでは、稼いでいる人が価格を気にせずにほしいものを買うという行動が消費市場を動かしているので、価格が上がりやすい。日本ではケチケチ行動の消費者がほとんどですから、価格は動きにくい。 渡辺要は価格も賃金も、現状維持で安定させると安心で平等。そこにあまりにも重きを置きすぎていたわけですよね。みんな変えないんだから、自分も同じままで問題ない。僕はその状態は壊したほうがいいと思うし、ようやく壊れつつあるけれど、完全には壊れていないのも事実です。 小幡日本は「みんな一緒」のマインドだから、その波が大きくなるとバブルになって、歪みが大きくなってしまう。1980年代後半の日本のバブルのようなバブルは、他に例がないそうです。 日本はバブルになりやすい国、ブームに流されやすい国なんです。値上げも賃上げも、今はブームになりすぎてやりすぎで、反動で消費者の節約志向がかえって強まり、今のブームが終わったら、以前よりも酷い価格が動かない経済になってしまうかもしれない。 渡辺今は同調だろうがなんだろうが、価格が動いてくれればもうけもの。スーパーなどの販売価格をPOSデータでみても、これまで価格が動かない商品の割合が7割だったのが減ってきています。顕著に減ってきています。 価格も賃金も動かない状態からとにかく脱出する。そうなりつつあるから、しっかり固める時だと思います。【後編に続く】』、「日本はバブルになりやすい国、ブームに流されやすい国なんです。値上げも賃上げも、今はブームになりすぎてやりすぎで、反動で消費者の節約志向がかえって強まり、今のブームが終わったら、以前よりも酷い価格が動かない経済になってしまうかもしれない・・・渡辺今は同調だろうがなんだろうが、価格が動いてくれればもうけもの。スーパーなどの販売価格をPOSデータでみても、これまで価格が動かない商品の割合が7割だったのが減ってきています。顕著に減ってきています。 価格も賃金も動かない状態からとにかく脱出する。そうなりつつあるから、しっかり固める時だと思います」、なるほど。
第三に、7月9日付け東洋経済オンラインが掲載した慶応義塾大学大学院教授の小幡 績氏と、東京大学大学院経済学研究科教授の渡辺 努氏による対談「日銀は「円安」「国債の山」「次の緩和」をどうするか 物価の権威・渡辺努に小幡績が迫る【後編】」を紹介しよう。
・『物価が上がることがなぜ日本に必要なのか。どうして異次元緩和を10年続けても物価に効かなかったのか。 著書『物価とは何か』をはじめ、物価研究の権威である渡辺努・東京大学大学院経済学研究科教授。リレー連載「新競馬好きエコノミストの市場深読み劇場」が人気の小幡績・慶応義塾大学大学院教授。2人は東京大学経済学部でゼミの先輩・後輩にあたる旧知の仲だ。 小幡氏は自称「渡辺努ウォッチャー」。かねて物価をめぐる渡辺氏の発信を追ってきたという。「僕もまだ渡辺理論をわかっていないところがあるし、世間ではちゃんと理解されていないと思うので、とことん聞きたい」。 前編の「『物価が上がらなければいいのに』と嘆く人たちへ」に続いて、後編では金融政策の行く末から、次なるデフレ対策まで話が及んだ。 小幡3月に日銀は異次元金融緩和の枠組みを終了しました。日銀はとにかく異次元緩和の異常な政策をやめたかった。だから、春闘の賃上げで言い訳が整ったからやめるけれど、普通の緩和は続ける。今後は普通の景気調節として利上げできるようになったら、利上げする、と宣言したのだと。 渡辺異次元緩和は効かなかったから、やめても何も起こらないことには同意します。 小幡これは私が渡辺さんに唯一勝った?(笑)ところです。10年前、私が「異次元緩和をやっても無駄で副作用だけがあるから、やめましょう」と言っていたのに、渡辺さんは「いや、挑戦してみる価値はあります」と言っていました。この10年で考えは変わりましたか』、「10年前、私が「異次元緩和をやっても無駄で副作用だけがあるから、やめましょう」と言っていたのに、渡辺さんは「いや、挑戦してみる価値はあります」と言っていました。この10年で考えは変わりましたか」、変わったのだろうか。
・『国債は「要るモノ」か、「負の遺産」か 渡辺事実として全然うまくいかなかったから、失敗したとは思います。2016年1月に導入したマイナス金利の評判が悪かった頃からそう思い始めました。効いてほしかったですが、結果的に効かなかったのだから、明らかに無用の長物です。 海外の人には、3月の日銀の決定は、要らないモノを捨てる「断捨離」なんだと説明しています。断捨離のポイントは、要るモノと要らないモノを区別することです。要るモノとして残したのが、バランスシートです。バランスシートが大きい状態はやっぱり望ましいんですよ。 小幡そこは私はまったく反対で、植田総裁はバランスシートを「遺産」と言いましたが、それは「負の遺産」という意味だと思っています。 マーケットの人たちは、民間が国債を欲しがっているのだから、日銀が国債を独占しているのは民間にとって不利益だと言います。) 渡辺いま日銀が持っている500兆円のうち、200兆円を民間に渡すのがちょうどいいのなら、そこを目指すべきです。だけど残り300兆円は日銀が持つ。 異次元緩和の前は、日銀の当座預金残高は10兆円という規模でした。そこまで減らすのかどうかという話でしょう。 小幡私はストック(国債残高)ではなくフロー(国債購入額)が焦点だと思っています。日銀が買わなくても、市場で妥当なプライスが成立して、政府が国債を発行できる状況になっていることが必要です。 民間が国債を買うのは、後で日銀が買い取るから、という、いわゆる「日銀トレード」でしか国債が発行できない状態になるのはまずいと思います。国債の引き受け手として日銀がいると、政府や政治家が甘えて「無駄づかいしても大丈夫」となってしまう。 渡辺僕も今の財政規律の状態は問題だとは思うけれど、やっぱり政府や国会が対応するのが筋です。日銀からのルートで規律をもたせようとするのは邪道です』、「渡辺僕も今の財政規律の状態は問題だとは思うけれど、やっぱり政府や国会が対応するのが筋です。日銀からのルートで規律をもたせようとするのは邪道です」、筋論だ。
・『金融市場と実体経済、歪みのコスト 小幡績氏の略歴はリンク先参照) 小幡異次元緩和は異常に大量の国債を購入して、異常な市場にしてしまったわけです。それに乗じた政治によって財政規律が壊れたのであれば、異常事態の原因を除去する責任は日銀にあると思います。やるべき緩和をして生じた副作用であれば、それは日銀以外のプレーヤーが是正すべきでしょうが。 為替も同じで、日銀に責任があります。 「価格を自由に動かす」という異次元緩和の目的自体はいいとしても、結果的にはマーケットの期待だけが動いて資産市場の歪みが大きくなった。為替は、日銀とアメリカ中央銀行の金融政策により、購買力平価から大きく乖離して円安が進んだ。 渡辺僕は、価格が動かないことで実体経済が歪むコストが大きいから、金融市場では少々のことが起きても仕方がないと思っています。 日銀が保有する国債を異次元緩和前の水準まで減らす必要はなく、200兆、300兆円程度は残り続けるということでいいのではないかと思います。マーケットの人たちもそう予想しているのでは。そうすると金利が抑えられた状態が続くので、為替が円安になるのも当然なのでは。 小幡為替はあきらめるしかないんですか。私は金融政策のターゲットは財市場の指標である物価より、金融市場の要の変数である為替にすべきだと思うほどです。日銀は金融に責任を持つべきだと。) 小幡 もし今後、再び価格が動かない状況に陥ることがあったら、金融政策で変えられますか。 渡辺それは仮想的な質問でもなんでもなくて、インフレ率が再びゼロやマイナスになる可能性はまだ残っていると思っています。その状況を壊すことは基本的には中央銀行の仕事だし、彼らに頑張ってもらうしかない。 日銀は異次元緩和の前まで、物価が上がらないことを当然とする雰囲気を放置してきました。「このままでいい」という気持ちをより強く抱かせてきた。早い時期に壊せば、苦労せず壊せたはずです。 小幡何か緩和の方法を工夫すれば、効く可能性が増すんですか』、「日銀は異次元緩和の前まで、物価が上がらないことを当然とする雰囲気を放置してきました。「このままでいい」という気持ちをより強く抱かせてきた。早い時期に壊せば、苦労せず壊せたはずです」、手厳しい日銀批判だ。
・『現金と銀行預金も含めた「本当のマイナス金利」 (渡辺努氏の略歴はリンク先参照) 渡辺僕はマイナス金利が王道だと思っています。日銀はおそらく繰り返すのは嫌だと思っているでしょうが、失敗をふまえて考えると、今回のマイナス金利は中途半端だったんです。 たとえば現金はマイナス金利ではなかった。銀行預金もマイナス金利にはならなかった。現金や銀行預金も含めて全部マイナスにしていくのが、本当のマイナス金利だと思うんですけれど、異次元緩和ではそこまではやれなかった。 小幡金利がマイナスになることに人々が違和感を抱くのは、単なる経験則でしょうか。 渡辺よく例に出すのは、1ドル360円の固定相場制の時代です。円とドルとの相対的地位が安定していたのが崩れると、大変なことになると議論されていました。実際、変動相場制になってみると、生きられない世界になったわけではないですよね。 マネーもまったく同じで、今日の1万円札と明日の1万円札が1対1で交換されているのが現状の仕組みです。それが本当のマイナス金利になったら、今日の1万円が明日は9500円になる、というように、交換比率が変わるだけの話です。 要は円同士の変動相場制で、慣れの問題だと思います。 小幡マイナス金利というのはお金を借りると、貸したほうが金利を払うわけですから、何か違和感がある。 渡辺でも、インフレ率を加味した実質金利で考えれば、マイナスになることはいくらでもありえて、過去にも起きています。インフレ率10%の世界では、名目金利が10%より低ければ、実質的にはマイナスです。名目金利がマイナスになってはいけない理由はどこにもないんじゃないかな。) 渡辺貨幣の金利をゼロより下げるコストが大きいから、インフレ率が下がっても金利をゼロより下げられず、10年以上にわたってデフレが続いたわけです。貨幣にも自由自在にマイナス金利をつけるように制度そのものを取り換えたほうがいいと僕は思う。 そのコストが高いとしても、デフレで価格が動かなくなって、中央銀行が10年間頑張っても全然コントロールできないことのコストのほうが大きいわけです。 小幡価格が動かないことに対して、マクロの金融政策ではなく、ミクロの行動にアプローチすることはできないんですか』、「渡辺貨幣の金利をゼロより下げるコストが大きいから、インフレ率が下がっても金利をゼロより下げられず、10年以上にわたってデフレが続いたわけです。貨幣にも自由自在にマイナス金利をつけるように制度そのものを取り換えたほうがいいと僕は思う。 そのコストが高いとしても、デフレで価格が動かなくなって、中央銀行が10年間頑張っても全然コントロールできないことのコストのほうが大きいわけです」、なるほど。
・『「賃金は上がるもの」と考え方を変える手段 渡辺実際に、政府は中小企業と大企業の取引構造に手を入れていますよね。中小企業の価格決定力が弱いので、交渉のテーブルに大企業が出てこないことを摘発したりして、価格メカニズムが個別の事情で歪んでいる部分を直そうとしているわけです。 僕が考えて実際に行われたのは、最低賃金です。将来にかけて引き上げていく道筋を示したほうがいいと経済財政諮問会議で提唱しました。昨年、全国平均で時給1000円台に乗りましたが、岸田首相は昨年8月、「10年間で1500円に持っていく」と表明しました。 小幡それはどんな影響があるんですか。 渡辺将来の賃金の期待値を上げるためです。 物価については日銀が、2%目標を標榜してくれている。どの程度、みんなが信用しているかは別にして。賃金のほうがむしろ変わらないという信念が強いので、「上がるもの」だと世の中の考え方を変えていかなければなりません。 最低賃金はよくも悪くも政府が介入できる。全般的に賃金がそのような道筋で上がっていくと人々が予想するようになると、個々の労使交渉にも影響してくるわけです。最低賃金をマクロの政策ツールとして使った例としてはアメリカのニューディールがあります。 小幡渡辺さんを観察していると、いつも戦っていて、試行錯誤している。無理筋でもなんでも、いろいろなアイデアを提唱して、どんどん進化していますね』、「小幡渡辺さんを観察していると、いつも戦っていて、試行錯誤している。無理筋でもなんでも、いろいろなアイデアを提唱して、どんどん進化していますね」、望ましい姿勢だ。
タグ:「日銀は2013年から異次元緩和を続けてきましたが、結果論からすると、物価には効かなかったし、ひずみがたくさん出ている。為替レートが円安に行きすぎたこともそうだし、みんなの関心や政策上のリソースがデフレ脱却に注ぎ込まれてしまい、実質の経済成長率をあげるようなリアルな経済の面が手薄になったことは問題です」、なるほど。 渡辺 努氏による対談「「物価が上がらなければいいのに」と嘆く人たちへ 物価の権威・渡辺努に小幡績が迫る【前編】」 小幡 績氏 東洋経済オンライン 「現在の円レートが危機的だ」というのは、このような意味である」、確かに「危機的」ではあえう。 「小幡渡辺さんを観察していると、いつも戦っていて、試行錯誤している。無理筋でもなんでも、いろいろなアイデアを提唱して、どんどん進化していますね」、望ましい姿勢だ。 「日銀は異次元緩和の前まで、物価が上がらないことを当然とする雰囲気を放置してきました。「このままでいい」という気持ちをより強く抱かせてきた。早い時期に壊せば、苦労せず壊せたはずです」、手厳しい日銀批判だ。 「渡辺僕も今の財政規律の状態は問題だとは思うけれど、やっぱり政府や国会が対応するのが筋です。日銀からのルートで規律をもたせようとするのは邪道です」、筋論だ。 「10年前、私が「異次元緩和をやっても無駄で副作用だけがあるから、やめましょう」と言っていたのに、渡辺さんは「いや、挑戦してみる価値はあります」と言っていました。この10年で考えは変わりましたか」、変わったのだろうか。 渡辺 努氏による対談「日銀は「円安」「国債の山」「次の緩和」をどうするか 物価の権威・渡辺努に小幡績が迫る【後編】」 価格も賃金も動かない状態からとにかく脱出する。そうなりつつあるから、しっかり固める時だと思います」、なるほど。 「日本はバブルになりやすい国、ブームに流されやすい国なんです。値上げも賃上げも、今はブームになりすぎてやりすぎで、反動で消費者の節約志向がかえって強まり、今のブームが終わったら、以前よりも酷い価格が動かない経済になってしまうかもしれない・・・渡辺今は同調だろうがなんだろうが、価格が動いてくれればもうけもの。スーパーなどの販売価格をPOSデータでみても、これまで価格が動かない商品の割合が7割だったのが減ってきています。顕著に減ってきています。 「物価が上がっているのに自分の賃金がそこまで上がらないかもしれないと思ったら、賃金を上げるために転職したりして頑張るのが競争というものです。人と競争したくない、だけど値上げも嫌というのでは、社会が回りません」、その通りだ。 「渡辺問題は、マクロの金融政策で壊れるかどうか、ですね」、なるほど。 小幡私はそれも、消費者の貧乏人根性なんだと思う。いったん価格が上がらない状況にはまり込んだら、企業も消費者もみんなが萎縮した形で均衡しているんだから、マクロの金融政策では抜け出せないでしょう。企業が行動を変えるようなインセンティブを与えるとか、ミクロの政策でないと効かないのでは」、なるほど。 「企業は通常、価格を決めるパワーを持っているわけですが、それが奪われてしまった。そうすると企業は、何か新しい商品を作るために投資して、高い価格をつけて儲けることができません。最初からいい商品を作ることをあきらめる。価格をコントロールできない環境では、企業はアグレッシブな行動ができなくなってしまう。 それでも当然、収益を上げなければいけないので、じゃあコストカットとなって、経済がどんどん後ろ向きに回ってしまう。これがデフレの最大の弊害だと思っています・・・ 「現在公表されている実質実効為替レートは、2020年を基準年として100とする指数であり、現在、67程度だ。したがって、2020年に比べて、購買力が67%の水準まで下がってしまったことになる・・・本稿の冒頭で、「固定為替時代に比べれば、現在はまだ円高だ」という考えがあると述べた。しかし、実質実効レートという尺度では、現在は、固定為替レートの時代よりも円安になってしまったのである。 「BISが公表している「実質為替レート指数」とは、現在の市場為替レートと、上で計算した購買力平価との比率だ。すなわち、 ・実質為替レート=市場為替レート÷購買力を維持する為替レート×100 この値が100であれば、いまの市場為替レートは、基準時点と同じ購買力を維持している。100未満であれば、基準時点より購買力が低下したことになる」、なるほど。 「IMFやOECDが計算する購買力平価」は「2022年の円の購買力平価は、1ドル=100円程度だ」、なるほど。 興味深そうだ。 「購買力平価との関係でいえば、現在の為替レートは、固定為替レートの時代よりも円安になってしまっているのである。だから、確かに歴史的な円安であり、危機的な円安なのだ」、なるほど。 野口 悠紀雄氏による「今や歴史的な円安~ビッグマックやBIS実質実効レートで見てわかった円の購買力が1ドル360円時代を下回る「危機的」な状況」 現代ビジネス (その47)(日銀の独立性は どこへ行ったか……植田総裁の「仰天発言」で異常な円安に その裏で岸田首相が犯していた「重大問題」、「物価が上がらなければいいのに」と嘆く人たちへ 物価の権威・渡辺努に小幡績が迫る【前編】、日銀は「円安」「国債の山」「次の緩和」をどうするか 物価の権威・渡辺努に小幡績が迫る【後編】) 金融政策
マイナンバー制度(その9)(マイナカード利用ゴリ押しのえげつなさ…医療機関への一時金倍増 携帯契約まで“人質”に、まるで“マイナ徴兵”…薬剤師ら1万人を「デジタル推進委員」に任命した河野大臣の厚顔と強権、携帯契約での「読み取り義務化」は マイナンバーカードの「基本概念」を根本的にひっくり返す悪手だ) [経済政策]
マイナンバー制度については、本年5月12日に取上げたばかりだ。今日は、(その9)(マイナカード利用ゴリ押しのえげつなさ…医療機関への一時金倍増 携帯契約まで“人質”に、まるで“マイナ徴兵”…薬剤師ら1万人を「デジタル推進委員」に任命した河野大臣の厚顔と強権、携帯契約での「読み取り義務化」は マイナンバーカードの「基本概念」を根本的にひっくり返す悪手だ)である。
先ずは、本年6月21日付け日刊ゲンダイ「マイナカード利用ゴリ押しのえげつなさ…医療機関への一時金倍増、携帯契約まで“人質”に」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/341925
・『もはやゴリ押しの上を行く強権ぶりだ。厚労省は20日、12月2日に予定している現行の健康保険証廃止に向け、マイナカードの利用促進の一環として利用率を増やした医療機関に支給する一時金を倍増する方針を固めた。さらに当初5~7月末だった「利用促進強化月間」を8月末まで延長するという。 現時点の一時金は最大で病院が20万円、診療所や薬局が10万円。それが倍になるのだから、先月時点で利用率7%台にとどまるマイナ保険証を何としてでも使わせたい厚労省のやり口たるや、えげつないにも程がある。 現行の保険証の存続を訴える全国保険医団体連合会(保団連)事務局次長の本並省吾氏がこう言う。 「病院や薬局でマイナ保険証への切り替えを呼びかけるために厚労省がつくった『台本』が原因で、患者が『マイナ保険証しか使えない』と誤解する事例が発生しています。厚労省は窓口説明の不備のせいにしていますが、一時金を倍増したら、『早くマイナ保険証をつくらないと大変ですよ』といった詐術が一層はびこるのではないか」』、「厚労省がつくった『台本』が原因で、患者が『マイナ保険証しか使えない』と誤解する事例が発生しています。厚労省は窓口説明の不備のせいにしていますが、一時金を倍増したら、『早くマイナ保険証をつくらないと大変ですよ』といった詐術が一層はびこるのではないか」、なるほど。
・『携帯電話を人質にマイナ利用は義務だと思わせる詐術 若年層よりも医療機関を受診する機会が多い高齢者はなおのこと勘違いする可能性が高い。お年寄りを狙い撃ちにした利用促進策は他にもある。 河野デジタル相は18日の会見で、携帯電話を「対面」で契約する際に「マイナカードなど」に搭載されているICチップの読み取りを本人確認の方法として事業者に義務付ける方針を説明。「など」には一体何が含まれるのか。デジタル庁に聞くと、「現段階では運転免許証や在留カードであり、これからさらに具体化していく」(広報担当)との回答だった。 運転免許証の保有率は、原付免許を取得できる16歳以上の適齢人口(1億936万人)あたり74.8%。高齢者は65~69歳が82.8%、70~74歳が70.2%、75~79歳が54.8%、80歳以上が22.8%と、当然ながら年を重ねるにつれて激減していく。 「高齢者ほど携帯契約は対面を望むと考えられる。そもそも免許を持っていなかったり、返納したりした方は、ほぼマイナカードでの本人確認を強いられることになるでしょう。これも生活に欠かせない携帯電話を人質に取ってマイナ利用は義務だと思わせる詐術です。医療機関にかかる蓋然性の高い高齢者にマイナカードを持たせれば、マイナ保険証の利用促進につながるという政府側の魂胆も透けて見えます」(本並省吾氏) 情報に疎い高齢者をターゲットにするとは、とことん意地が悪い』、「そもそも免許を持っていなかったり、返納したりした方は、ほぼマイナカードでの本人確認を強いられることになるでしょう。これも生活に欠かせない携帯電話を人質に取ってマイナ利用は義務だと思わせる詐術です。医療機関にかかる蓋然性の高い高齢者にマイナカードを持たせれば、マイナ保険証の利用促進につながるという政府側の魂胆も透けて見えます・・・情報に疎い高齢者をターゲットにするとは、とことん意地が悪い」、その通りだ。
次に、6月28日付け日刊ゲンダイ「まるで“マイナ徴兵”…薬剤師ら1万人を「デジタル推進委員」に任命した河野大臣の厚顔と強権」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/356823
・『「どの河野さん? 面白い小説だと思う」──。人を食ったような返事しかできないのか。9月の自民党総裁選への出馬が取り沙汰されている河野太郎デジタル大臣(61)のことだ。 26日夜、所属派閥の会長である麻生副総裁と会食。その際に総裁選出馬の意向を伝えたのかどうかをきのうの会見で問われ、スットボケた。「総裁選の話は出なかったのか」と食い下がる記者に、「飯を食っている時に何の話をしたか言ったことはない」「勘弁してください」とハグらかしたが、思わずほころんだ表情を見るに、まんざらでもない様子。麻生氏の反応については「良かった」と周囲に漏らしているという。 河野氏が総裁選に出たのは2009年と21年の2回。「3度目の正直」で悲願達成を狙うようだが、健康保険証の廃止に伴うマイナ保険証への一本化をゴリ押しする強権ぶりが目に余る。マイナ保険証の利用を促すため、薬剤師ら1万人を「デジタル推進委員」に任命したのがいい例だ。 「デジタル推進委員はマイナカードやマイナポータルの利用方法などをサポートするボランティアです。政府はマイナ保険証の利用を増やした医療機関に最大20万円の支援金を出してハッパをかけていますが、予算を使い切ったら利用促進キャンペーンは終わる見込み。キャンペーンが終わる7月末以降も続けたいから、原則無報酬の推進委員を無理やり薬剤師に担わせたのが実態ではないか」(永田町関係者)) デジタル庁がきのう開催した任命状授与式で、日本薬剤師会と日本保険薬局協会、日本チェーンドラッグストア協会の3団体の各会長に河野大臣が任命状を手渡した。都内の薬局でマイナ保険証の利用を促された患者が「マイナ保険証がないと薬をもらえない」と誤解するトラブルなどが発生したにもかかわらず、河野大臣は「どんどん声かけをやってもらいたい」と反省ゼロだった。現行の保険証の存続を訴える全国保険医団体連合会事務局次長の本並省吾氏はこう憤る。 「薬剤師ら1万人を駆り出すとは、まるで“マイナ徴兵”です。デジタルサポートは薬剤師の業務とは関係ありません。デジタル庁は『誰一人取り残されないデジタル化』を掲げていますが、『マイナ保険証を持たない人を誰一人残さない』ではないか」 現行の保険証の廃止撤回を求める声に耳を貸さず、ひたすらマイナ保険証をゴリ押しする河野大臣は、総理たる器ではない』、「薬剤師ら1万人を駆り出すとは、まるで“マイナ徴兵”です・・・現行の保険証の廃止撤回を求める声に耳を貸さず、ひたすらマイナ保険証をゴリ押しする河野大臣は、総理たる器ではない」、後半はその通りだ。
第三に、7月4日付けNewsweek日本版が掲載した経済評論家の加谷珪一氏による「携帯契約での「読み取り義務化」は、マイナンバーカードの「基本概念」を根本的にひっくり返す悪手だ」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2024/07/post-285_1.php
・『<政府は当初、マイナンバーは厳格な意味でのIDではなく取得は任意としていたが、すでにそうした説明は完全に破綻してしまった> 携帯電話契約時(対面の場合)の本人確認に当たって、マイナンバーカードに搭載されているICチップの読み取りが必須となる。携帯電話がなければ社会生活を送るのが極めて困難という現実を考えた場合、これは政府による事実上のマイナンバーカード義務化といえる。 マイナンバー制度については、無理にカードを使わせようとする政府のスタンスや、セキュリティー面での不備などに対して数多くの批判が寄せられてきた。 だが、これまで指摘されてきた事象は、あくまで個別の問題であると見なすこともできたが、今回の措置は、任意取得という基本概念を根本的にひっくり返すものといえる。制度の根幹が揺らいでいる以上、解体的な出直しが必要である。 マイナンバー制度に対しては、当初からいくつかの疑問点あるいは問題点が指摘されてきた。 1つ目は、マイナンバーカードは厳格なID(身分証明書)なのか、そうでないのか、はっきりしていないというもの。2つ目は、物理的なカードの導入に政府が過度に固執している理由が不明瞭であること。3つ目は、民間での商業利用が大前提となっていること、である』、確かに「疑問点あるいは問題点が」明確でないまま実践が先走りしている。
・『なぜ政府は「カード」を絶対視しているのか? 政府は当初、マイナンバーは厳格な意味でのIDではなく、「IDカードとしても利用できる」との説明にとどめており、そうであればこそ取得は任意であり、民間企業にも開放するとの流れだった。 厳格なIDでなく、より便利になるツールという程度の位置付けであるなら、セキュリティーも絶対である必要はなく、民間企業に事業を開放し、ポイントなどを使って取得を促すことも許容されるだろう。 だが、紙の健康保険証の廃止に続き、携帯契約時の読み取り義務化が実施されれば、マイナンバーカードはユニーク(唯一の)な身分証明手段とならざるを得ない。そうなると、これはれっきとしたIDであり、もしそうであるならば、気軽に持ち歩くようなものではないし、民間への自由な開放など危険極まりない。 筆者は今でも政府が物理的なカードを絶対視している理由がよく分からない。一部の論者はカードや読み取り機を製造するメーカーの利権が関係していると指摘している。そうした面があるのは事実かもしれないが、それだけの理由でカードの導入をここまでゴリ押しするというのは、他の政治利権との比較で考えても不自然である』、「紙の健康保険証の廃止に続き、携帯契約時の読み取り義務化が実施されれば、マイナンバーカードはユニーク(唯一の)な身分証明手段とならざるを得ない。そうなると、これはれっきとしたIDであり、もしそうであるならば、気軽に持ち歩くようなものではないし、民間への自由な開放など危険極まりない・・・筆者は今でも政府が物理的なカードを絶対視している理由がよく分からない。一部の論者はカードや読み取り機を製造するメーカーの利権が関係していると指摘している。そうした面があるのは事実かもしれないが、それだけの理由でカードの導入をここまでゴリ押しするというのは、他の政治利権との比較で考えても不自然である」、確かに何故なのだろう。
・『これまでの政府の説明は完全に破綻してしまった 改めて説明するまでもなく、マイナンバーそのものとマイナンバーカードは不可分ではなく、カードがなくても、制度は問題なく機能する。実際、韓国では類似の制度を既に導入しており、行政手続きは日本では考えられないほど便利になっているが、手続きに際してカードの提示は必須ではない。 筆者は、政府内部で制度設計に携わった担当者や、カード導入を強く主張した関係者の多くが、カードという物理的なツールが存在しないと本人確認ができないと、本気で誤解していたのではないかと疑っている。 いずれにせよ、これまでの政府の説明は完全に破綻しており、到底、国民の信頼を得ることはできないばかりか、大規模な情報漏洩など取り返しのつかない事故を引き起こすリスクについても考える必要が出てきた。マイナンバー制度はゼロベースで見直す必要があるだろう』、「筆者は、政府内部で制度設計に携わった担当者や、カード導入を強く主張した関係者の多くが、カードという物理的なツールが存在しないと本人確認ができないと、本気で誤解していたのではないかと疑っている」、その疑いは確かにその通りだ。「これまでの政府の説明は完全に破綻しており、到底、国民の信頼を得ることはできないばかりか、大規模な情報漏洩など取り返しのつかない事故を引き起こすリスクについても考える必要が出てきた。マイナンバー制度はゼロベースで見直す必要があるだろう」、同感である。
先ずは、本年6月21日付け日刊ゲンダイ「マイナカード利用ゴリ押しのえげつなさ…医療機関への一時金倍増、携帯契約まで“人質”に」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/341925
・『もはやゴリ押しの上を行く強権ぶりだ。厚労省は20日、12月2日に予定している現行の健康保険証廃止に向け、マイナカードの利用促進の一環として利用率を増やした医療機関に支給する一時金を倍増する方針を固めた。さらに当初5~7月末だった「利用促進強化月間」を8月末まで延長するという。 現時点の一時金は最大で病院が20万円、診療所や薬局が10万円。それが倍になるのだから、先月時点で利用率7%台にとどまるマイナ保険証を何としてでも使わせたい厚労省のやり口たるや、えげつないにも程がある。 現行の保険証の存続を訴える全国保険医団体連合会(保団連)事務局次長の本並省吾氏がこう言う。 「病院や薬局でマイナ保険証への切り替えを呼びかけるために厚労省がつくった『台本』が原因で、患者が『マイナ保険証しか使えない』と誤解する事例が発生しています。厚労省は窓口説明の不備のせいにしていますが、一時金を倍増したら、『早くマイナ保険証をつくらないと大変ですよ』といった詐術が一層はびこるのではないか」』、「厚労省がつくった『台本』が原因で、患者が『マイナ保険証しか使えない』と誤解する事例が発生しています。厚労省は窓口説明の不備のせいにしていますが、一時金を倍増したら、『早くマイナ保険証をつくらないと大変ですよ』といった詐術が一層はびこるのではないか」、なるほど。
・『携帯電話を人質にマイナ利用は義務だと思わせる詐術 若年層よりも医療機関を受診する機会が多い高齢者はなおのこと勘違いする可能性が高い。お年寄りを狙い撃ちにした利用促進策は他にもある。 河野デジタル相は18日の会見で、携帯電話を「対面」で契約する際に「マイナカードなど」に搭載されているICチップの読み取りを本人確認の方法として事業者に義務付ける方針を説明。「など」には一体何が含まれるのか。デジタル庁に聞くと、「現段階では運転免許証や在留カードであり、これからさらに具体化していく」(広報担当)との回答だった。 運転免許証の保有率は、原付免許を取得できる16歳以上の適齢人口(1億936万人)あたり74.8%。高齢者は65~69歳が82.8%、70~74歳が70.2%、75~79歳が54.8%、80歳以上が22.8%と、当然ながら年を重ねるにつれて激減していく。 「高齢者ほど携帯契約は対面を望むと考えられる。そもそも免許を持っていなかったり、返納したりした方は、ほぼマイナカードでの本人確認を強いられることになるでしょう。これも生活に欠かせない携帯電話を人質に取ってマイナ利用は義務だと思わせる詐術です。医療機関にかかる蓋然性の高い高齢者にマイナカードを持たせれば、マイナ保険証の利用促進につながるという政府側の魂胆も透けて見えます」(本並省吾氏) 情報に疎い高齢者をターゲットにするとは、とことん意地が悪い』、「そもそも免許を持っていなかったり、返納したりした方は、ほぼマイナカードでの本人確認を強いられることになるでしょう。これも生活に欠かせない携帯電話を人質に取ってマイナ利用は義務だと思わせる詐術です。医療機関にかかる蓋然性の高い高齢者にマイナカードを持たせれば、マイナ保険証の利用促進につながるという政府側の魂胆も透けて見えます・・・情報に疎い高齢者をターゲットにするとは、とことん意地が悪い」、その通りだ。
次に、6月28日付け日刊ゲンダイ「まるで“マイナ徴兵”…薬剤師ら1万人を「デジタル推進委員」に任命した河野大臣の厚顔と強権」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/356823
・『「どの河野さん? 面白い小説だと思う」──。人を食ったような返事しかできないのか。9月の自民党総裁選への出馬が取り沙汰されている河野太郎デジタル大臣(61)のことだ。 26日夜、所属派閥の会長である麻生副総裁と会食。その際に総裁選出馬の意向を伝えたのかどうかをきのうの会見で問われ、スットボケた。「総裁選の話は出なかったのか」と食い下がる記者に、「飯を食っている時に何の話をしたか言ったことはない」「勘弁してください」とハグらかしたが、思わずほころんだ表情を見るに、まんざらでもない様子。麻生氏の反応については「良かった」と周囲に漏らしているという。 河野氏が総裁選に出たのは2009年と21年の2回。「3度目の正直」で悲願達成を狙うようだが、健康保険証の廃止に伴うマイナ保険証への一本化をゴリ押しする強権ぶりが目に余る。マイナ保険証の利用を促すため、薬剤師ら1万人を「デジタル推進委員」に任命したのがいい例だ。 「デジタル推進委員はマイナカードやマイナポータルの利用方法などをサポートするボランティアです。政府はマイナ保険証の利用を増やした医療機関に最大20万円の支援金を出してハッパをかけていますが、予算を使い切ったら利用促進キャンペーンは終わる見込み。キャンペーンが終わる7月末以降も続けたいから、原則無報酬の推進委員を無理やり薬剤師に担わせたのが実態ではないか」(永田町関係者)) デジタル庁がきのう開催した任命状授与式で、日本薬剤師会と日本保険薬局協会、日本チェーンドラッグストア協会の3団体の各会長に河野大臣が任命状を手渡した。都内の薬局でマイナ保険証の利用を促された患者が「マイナ保険証がないと薬をもらえない」と誤解するトラブルなどが発生したにもかかわらず、河野大臣は「どんどん声かけをやってもらいたい」と反省ゼロだった。現行の保険証の存続を訴える全国保険医団体連合会事務局次長の本並省吾氏はこう憤る。 「薬剤師ら1万人を駆り出すとは、まるで“マイナ徴兵”です。デジタルサポートは薬剤師の業務とは関係ありません。デジタル庁は『誰一人取り残されないデジタル化』を掲げていますが、『マイナ保険証を持たない人を誰一人残さない』ではないか」 現行の保険証の廃止撤回を求める声に耳を貸さず、ひたすらマイナ保険証をゴリ押しする河野大臣は、総理たる器ではない』、「薬剤師ら1万人を駆り出すとは、まるで“マイナ徴兵”です・・・現行の保険証の廃止撤回を求める声に耳を貸さず、ひたすらマイナ保険証をゴリ押しする河野大臣は、総理たる器ではない」、後半はその通りだ。
第三に、7月4日付けNewsweek日本版が掲載した経済評論家の加谷珪一氏による「携帯契約での「読み取り義務化」は、マイナンバーカードの「基本概念」を根本的にひっくり返す悪手だ」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2024/07/post-285_1.php
・『<政府は当初、マイナンバーは厳格な意味でのIDではなく取得は任意としていたが、すでにそうした説明は完全に破綻してしまった> 携帯電話契約時(対面の場合)の本人確認に当たって、マイナンバーカードに搭載されているICチップの読み取りが必須となる。携帯電話がなければ社会生活を送るのが極めて困難という現実を考えた場合、これは政府による事実上のマイナンバーカード義務化といえる。 マイナンバー制度については、無理にカードを使わせようとする政府のスタンスや、セキュリティー面での不備などに対して数多くの批判が寄せられてきた。 だが、これまで指摘されてきた事象は、あくまで個別の問題であると見なすこともできたが、今回の措置は、任意取得という基本概念を根本的にひっくり返すものといえる。制度の根幹が揺らいでいる以上、解体的な出直しが必要である。 マイナンバー制度に対しては、当初からいくつかの疑問点あるいは問題点が指摘されてきた。 1つ目は、マイナンバーカードは厳格なID(身分証明書)なのか、そうでないのか、はっきりしていないというもの。2つ目は、物理的なカードの導入に政府が過度に固執している理由が不明瞭であること。3つ目は、民間での商業利用が大前提となっていること、である』、確かに「疑問点あるいは問題点が」明確でないまま実践が先走りしている。
・『なぜ政府は「カード」を絶対視しているのか? 政府は当初、マイナンバーは厳格な意味でのIDではなく、「IDカードとしても利用できる」との説明にとどめており、そうであればこそ取得は任意であり、民間企業にも開放するとの流れだった。 厳格なIDでなく、より便利になるツールという程度の位置付けであるなら、セキュリティーも絶対である必要はなく、民間企業に事業を開放し、ポイントなどを使って取得を促すことも許容されるだろう。 だが、紙の健康保険証の廃止に続き、携帯契約時の読み取り義務化が実施されれば、マイナンバーカードはユニーク(唯一の)な身分証明手段とならざるを得ない。そうなると、これはれっきとしたIDであり、もしそうであるならば、気軽に持ち歩くようなものではないし、民間への自由な開放など危険極まりない。 筆者は今でも政府が物理的なカードを絶対視している理由がよく分からない。一部の論者はカードや読み取り機を製造するメーカーの利権が関係していると指摘している。そうした面があるのは事実かもしれないが、それだけの理由でカードの導入をここまでゴリ押しするというのは、他の政治利権との比較で考えても不自然である』、「紙の健康保険証の廃止に続き、携帯契約時の読み取り義務化が実施されれば、マイナンバーカードはユニーク(唯一の)な身分証明手段とならざるを得ない。そうなると、これはれっきとしたIDであり、もしそうであるならば、気軽に持ち歩くようなものではないし、民間への自由な開放など危険極まりない・・・筆者は今でも政府が物理的なカードを絶対視している理由がよく分からない。一部の論者はカードや読み取り機を製造するメーカーの利権が関係していると指摘している。そうした面があるのは事実かもしれないが、それだけの理由でカードの導入をここまでゴリ押しするというのは、他の政治利権との比較で考えても不自然である」、確かに何故なのだろう。
・『これまでの政府の説明は完全に破綻してしまった 改めて説明するまでもなく、マイナンバーそのものとマイナンバーカードは不可分ではなく、カードがなくても、制度は問題なく機能する。実際、韓国では類似の制度を既に導入しており、行政手続きは日本では考えられないほど便利になっているが、手続きに際してカードの提示は必須ではない。 筆者は、政府内部で制度設計に携わった担当者や、カード導入を強く主張した関係者の多くが、カードという物理的なツールが存在しないと本人確認ができないと、本気で誤解していたのではないかと疑っている。 いずれにせよ、これまでの政府の説明は完全に破綻しており、到底、国民の信頼を得ることはできないばかりか、大規模な情報漏洩など取り返しのつかない事故を引き起こすリスクについても考える必要が出てきた。マイナンバー制度はゼロベースで見直す必要があるだろう』、「筆者は、政府内部で制度設計に携わった担当者や、カード導入を強く主張した関係者の多くが、カードという物理的なツールが存在しないと本人確認ができないと、本気で誤解していたのではないかと疑っている」、その疑いは確かにその通りだ。「これまでの政府の説明は完全に破綻しており、到底、国民の信頼を得ることはできないばかりか、大規模な情報漏洩など取り返しのつかない事故を引き起こすリスクについても考える必要が出てきた。マイナンバー制度はゼロベースで見直す必要があるだろう」、同感である。
タグ:マイナンバー制度 (その9)(マイナカード利用ゴリ押しのえげつなさ…医療機関への一時金倍増 携帯契約まで“人質”に、まるで“マイナ徴兵”…薬剤師ら1万人を「デジタル推進委員」に任命した河野大臣の厚顔と強権、携帯契約での「読み取り義務化」は マイナンバーカードの「基本概念」を根本的にひっくり返す悪手だ) 日刊ゲンダイ「マイナカード利用ゴリ押しのえげつなさ…医療機関への一時金倍増、携帯契約まで“人質”に」 「厚労省がつくった『台本』が原因で、患者が『マイナ保険証しか使えない』と誤解する事例が発生しています。厚労省は窓口説明の不備のせいにしていますが、一時金を倍増したら、『早くマイナ保険証をつくらないと大変ですよ』といった詐術が一層はびこるのではないか」、なるほど。 「そもそも免許を持っていなかったり、返納したりした方は、ほぼマイナカードでの本人確認を強いられることになるでしょう。これも生活に欠かせない携帯電話を人質に取ってマイナ利用は義務だと思わせる詐術です。医療機関にかかる蓋然性の高い高齢者にマイナカードを持たせれば、マイナ保険証の利用促進につながるという政府側の魂胆も透けて見えます・・・情報に疎い高齢者をターゲットにするとは、とことん意地が悪い」、その通りだ。 日刊ゲンダイ「まるで“マイナ徴兵”…薬剤師ら1万人を「デジタル推進委員」に任命した河野大臣の厚顔と強権」 「薬剤師ら1万人を駆り出すとは、まるで“マイナ徴兵”です・・・現行の保険証の廃止撤回を求める声に耳を貸さず、ひたすらマイナ保険証をゴリ押しする河野大臣は、総理たる器ではない」、後半はその通りだ。 Newsweek日本版 加谷珪一氏による「携帯契約での「読み取り義務化」は、マイナンバーカードの「基本概念」を根本的にひっくり返す悪手だ」 確かに「疑問点あるいは問題点が」明確でないまま実践が先走りしている。 「紙の健康保険証の廃止に続き、携帯契約時の読み取り義務化が実施されれば、マイナンバーカードはユニーク(唯一の)な身分証明手段とならざるを得ない。そうなると、これはれっきとしたIDであり、もしそうであるならば、気軽に持ち歩くようなものではないし、民間への自由な開放など危険極まりない・・・筆者は今でも政府が物理的なカードを絶対視している理由がよく分からない。一部の論者はカードや読み取り機を製造するメーカーの利権が関係していると指摘している。 そうした面があるのは事実かもしれないが、それだけの理由でカードの導入をここまでゴリ押しするというのは、他の政治利権との比較で考えても不自然である」、確かに何故なのだろう。 「筆者は、政府内部で制度設計に携わった担当者や、カード導入を強く主張した関係者の多くが、カードという物理的なツールが存在しないと本人確認ができないと、本気で誤解していたのではないかと疑っている」、その疑いは確かにその通りだ。「これまでの政府の説明は完全に破綻しており、到底、国民の信頼を得ることはできないばかりか、大規模な情報漏洩など取り返しのつかない事故を引き起こすリスクについても考える必要が出てきた。マイナンバー制度はゼロベースで見直す必要があるだろう」、同感である。
インバウンド動向(その15)(「外国人だらけの観光地」がGWやけに報じられる訳なぜオーバーツーリズムがこれだけ扱われるのか、、「富士山を黒幕で隠す」日本のダメダメ観光対策 「オーバーツーリズム」に嘆く日本に欠けた視点) [経済政策]
インバウンド動向については、昨年7月28日に取上げた。今日は、(その15)(「外国人だらけの観光地」がGWやけに報じられる訳なぜオーバーツーリズムがこれだけ扱われるのか、「富士山を黒幕で隠す」日本のダメダメ観光対策 「オーバーツーリズム」に嘆く日本に欠けた視点)である。なお、タイトルの戦略を動向に変更した。
先ずは、本年5月3日付け東洋経済オンラインが掲載した コラムニスト・人間関係コンサルタント・テレビ解説者の木村 隆志氏による「「外国人だらけの観光地」がGWやけに報じられる訳なぜオーバーツーリズムがこれだけ扱われるのか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/751935
・『ここまで今年のゴールデンウィークは、主に「自宅か近場」「猛暑」「混雑」という3つの観点から報じられてきましたが、なかでも際立っているのは「混雑」。しかも円安を絡めて外国人観光客にスポットを当てるケースが続き、「オーバーツーリズム」という切り口からの特集が増えています。 象徴的なのはテレビの情報番組。朝の「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日系)や「めざまし8」(フジテレビ系)、午後の「情報ライブ ミヤネ屋」(読売テレビ・日本テレビ系)や『ゴゴスマ~GOGO!Smile!~』(CBC・TBS系)、夕方の「news every.」(日本テレビ系)や「Nスタ」(TBS系)、土日の「情報7daysニュースキャスター」(TBS系)、「サンデーモーニング」(TBS系)、「ワイドナショー」(フジテレビ系)など、ほとんどの番組で外国人観光客の多さや問題点を報じています。 特筆すべきは、これまでのようなインバウンドの経済効果をポジティブに扱ったものではなく、ネガティブなトピックスとして扱われていること。なかには、はっきり「観光公害」と言うコメンテーターもいますが、なぜゴールデンウィークにこのような報じられ方をされているのでしょうか』、「特筆すべきは、これまでのようなインバウンドの経済効果をポジティブに扱ったものではなく、ネガティブなトピックスとして扱われていること」、なるほど。
・『自宅で過ごす人の多い今年のGW まず前提としておきたいのは、「今年のゴールデンウィークは自宅で過ごす」という人が多いこと。 「ミヤネ屋」などでは、「GWは自宅で過ごす人」が約半数の46.8%(昨年から5.2%増)に上がり、「GWの予算」は2万9677円(昨年から9617円減)に下がったという明治安田生命のアンケートを紹介していました。これは自宅で番組を見ている人に「自分だけではない」「今年は仕方がない」などと留飲を下げてもらうための構成でもあります。 自宅で過ごす人が多い最大の理由は、物価高や円安の影響。金銭面の不安から海外旅行を控え、外出したとしても近場に留め、さらに猛暑も加わって、「自宅で過ごそう」という人が増えているようです。) 日ごろから情報番組が重視しているのは、視聴者に寄り添うような切り口を選んで放送すること。かつてのような開放感のあるゴールデンウィークなら、人気のスポットや空港、ターミナル駅、サービスエリアなどと中継で結び、インタビューで楽しげな声を拾うなど、ポジティブなムードで放送するでしょう。また、渋滞や行列などの一見ネガティブな情報も、当事者の苦労を伝えつつ、笑いを交えてなごやかなムードでリポートするのが定番で、これは自宅でテレビを見ている視聴者への配慮でした。 しかし、今年のような物価高や円安の影響をもろに受けて閉塞感のあるゴールデンウィークで求められるのは、視聴者にとってガス抜きになるような切り口。「円安の影響で国内の観光地はにぎわっている」というポジティブな切り口ではなく、「地元住民はオーバーツーリズムに困惑している」というネガティブな切り口が採用されやすくなります』、「今年のような物価高や円安の影響をもろに受けて閉塞感のあるゴールデンウィークで求められるのは、視聴者にとってガス抜きになるような切り口。「円安の影響で国内の観光地はにぎわっている」というポジティブな切り口ではなく、「地元住民はオーバーツーリズムに困惑している」というネガティブな切り口が採用されやすくなります」、なるほど。
・『「出かけなくてよかった」の安堵 とりわけ「海外旅行などの大型連休らしい遠出を我慢した」という人は、物価高や円安、引いては賃金が上がらないことなどへの不満を抱えているため、フィットするのは具体的な問題点をあげる構成・演出。 たとえば、各番組で「国土交通省は混雑緩和のため、江ノ島電鉄の鎌倉駅―長谷駅間の徒歩移動を呼びかけ、鎌倉駅周辺に誘導員を配置し、地図を配っている」というニュースが頻繁に扱われています。 先日の「Nスタ」では、「混みすぎてスマホの電波が入らない」「満員で江ノ電から全く景色が見えなかったよ」「普段の週末でも人が多い。今年は恐怖」というSNSに書き込まれた悲鳴のような声を紹介していました。 もちろん問題提起という意味合いはあるものの、制作サイドとしては「自分はこの人たちより、まだいいほうかもしれない」というホッとした気持ちにさせたいところもあるものです。 一方、裏番組の「news every.」では、江ノ島電鉄だけでなく、京都市の路線バスもピックアップ。「外国人を中心に観光客が増えたことで地元住民が乗れない」という事態が発生していることを紹介しました。また、京都市交通局が主要観光地を結ぶ観光特急バスの休日限定運行を決定したものの、スタートは6月でゴールデンウィークには間に合わないという情報も、自宅に留まる視聴者に「出かけなくてよかった」と思わせられるものです。 その他の番組でも、オーバーツーリズムの弊害として、国内ホテルの宿泊料金がインバウンドの影響で高騰していることや、ゴミや騒音、道路横断などの交通ルール違反、私有地への不法侵入、環境破壊などをストレートにピックアップ。「地元のキャパシティを超えた観光客が押し寄せる」ことの危うさや、「地元住民の生活を守らなければいけない」という状況をわかりやすく伝えていました。 このように外国人観光客で混雑する観光スポットの映像をたっぷり見せて、自分の現状を肯定してもらうことは重要なポイントの1つ。これまではその象徴が渋滞の映像でしたが、今年はオーバーツーリズムの映像に変わった感があるのです。) 決して外国人観光客が悪いわけではないことはわかっているけど、どこか怒りにも似たやり切れないものを感じてしまう。国内に留まり、外国人の姿を見る機会が多い今年のゴールデンウィークは、情報番組がそんな思いを共有する場として提供されているのでしょう』、「外国人観光客で混雑する観光スポットの映像をたっぷり見せて、自分の現状を肯定してもらうことは重要なポイントの1つ。これまではその象徴が渋滞の映像でしたが、今年はオーバーツーリズムの映像に変わった感があるのです」、なるほど。
・『住民と観光客が共存できる環境整備も求められている 基本的にオーバーツーリズムの判断基準は、「観光客が地元住民の利益になるかならないか」。もし観光客が増えたことで不利益を被る地元住民が増えたら、個人対応では限界があり、自治体と連携して適切な対応を取っていきたいところ。大阪府では外国人観光客からの徴収金を検討しているように、地元住民と観光客が共存できる環境の整備が求められ始めています。 ただ、徴収の基準や金額設定、事務手続き、在日外国人の対応、「差別にあたる」という反対などのハードルがあり、地元に還元するまでの仕組み作りは簡単ではないでしょう。 ともあれ、地元住民の救済と観光資源の保護は急務になりつつあり、トイレや案内板といったインフラの整備など、課題は山積しているように見えます。できれば情報番組には視聴率獲得に向けた煽情的な切り口だけでなく、これらについても掘り下げてほしいところです』、「外国人観光客からの徴収金を検討しているように、地元住民と観光客が共存できる環境の整備が求められ始めています。 ただ、徴収の基準や金額設定、事務手続き、在日外国人の対応、「差別にあたる」という反対などのハードルがあり、地元に還元するまでの仕組み作りは簡単ではないでしょう。 ともあれ、地元住民の救済と観光資源の保護は急務になりつつあり、トイレや案内板といったインフラの整備など、課題は山積しているように見えます。できれば情報番組には視聴率獲得に向けた煽情的な切り口だけでなく、これらについても掘り下げてほしいところです」、その通りだ。
次に、6月2日付け東洋経済オンラインが掲載した『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員のレジス・アルノー氏による「「富士山を黒幕で隠す」日本のダメダメ観光対策 「オーバーツーリズム」に嘆く日本に欠けた視点」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/758303
・『もし、フランスのモンサンミッシェルに日本人観光客が立ち入りを禁止されたらどう思うだろうか?あるいは、ルーブル美術館がモナリザに黒い幕を張って、観光客が集まるのを阻止したらどう思うだろうか? 富士河口湖町が5月下旬に行ったことは、まさにこれである。ローソンのコンビニと富士山を組み合わせた「インスタ映え」スポットに外国人観光客が集まることにいらだった富士河口湖町長は、「オーバーツーリズム」を理由に、そのスポットを黒いネットで覆うという行為を行った』、仰る通りだ。「レジス・アルノー氏」にかかっては反論のしようもない。
・『隠すよりほかにできることがある それ以来、富士河口湖町長は外国人恐怖症と小心者という評判が広まっただけだ。外国人観光客は、ネットの穴から写真を撮ったり、近隣の他のスポットに移動して同じような状況を再現したりして、いまだにひっきりなしにやってきている。 富士河口湖町は、こんなことをして新しい客を罰しようとするよりも、新しい需要を前にして良識ある人間なら誰でもすることをすべきではなかったのか。黒幕を設けるのではなく、例えば隈研吾氏のような有名建築家によるスタイリッシュなカフェや旅館を作るスペースはなかったのだろうか。 「オーバーツーリズム 」は、2016年にビジネス旅行メディアSkiftのジャーナリストによって作られた造語である。当時、世界の観光客数は10億人を突破していた。この言葉は、低価格旅行、短期滞在、ホームシェアリングの3つの出現により、観光がネガティブなイメージで捉えられるようになったことでますます広まった。) 「観光は、旅行者にとっても受け入れ側にとってもつねにポジティブなものだった。だが、2010年代以降、観光が悪い意味合いを持つようになったのは歴史上初めてのことだ」とグラスゴー大学のギエム・コロン・モンテロ教授は最近のポッドキャストで述べている。 同教授はスペインのマヨルカ島を例にあげ、同島が人口100万人に対して、年間1600万人の観光客を抱える、おそらく地球上で最も 「観光化」された場所だと説明する。 マヨルカ島では、観光は地域経済にとって欠かせないものではあるが、グローバリゼーションというよりは植民地化と同義語になっている。観光客が爆発的に増えるにつれ、島の地元人口は減少していった。 マヨルカ島はドイツ人の間でも人気が高く、たとえばドイツの新聞では、天気予報の全国ニュースにマヨルカ島が挿入されることもある。「外国人観光客は拒否するが、難民は受け入れる!」モンテロ教授が気づいたマヨルカの落書きにはそう書かれていたという』、「2010年代以降、観光が悪い意味合いを持つようになったのは歴史上初めてのことだ」とグラスゴー大学のギエム・コロン・モンテロ教授は最近のポッドキャストで述べている。 同教授はスペインのマヨルカ島を例にあげ、同島が人口100万人に対して、年間1600万人の観光客を抱える、おそらく地球上で最も 「観光化」された場所だと説明マヨルカ島・・・が人口100万人に対して、年間1600万人の観光客を抱える、おそらく地球上で最も 「観光化」された場所だ」、なるほど。
・『外国人観光客に全責任を押し付ける日本 オーバーツーリズムに対する日本の最近の反応は予想通りである。日本への観光客は2013年年間1030万人だったのが、コロナが明けた昨年は2500万人、今年は3300万人に迫るとみられている。これほど短期間に急増した国はなく、その結果、日本では通常の観光客が増える経緯を経ずにオーバーツーリズムが発生している状態にある。 残念なことに、国内当局とメディアは外国人観光客にすべての責任を押し付けるという最悪の反応を示している。岸田文雄首相は昨年、オーバーツーリズムとの闘いを、あたかも新型コロナウイルスや、エイズ(AIDS=後天性免疫不全症候群)のように国家的な大義名分として掲げた。しかし、数字はこの論調を正当化するものではない。インバウンド観光客は日本ではまだ少数派だ。観光庁によれば、日本の旅行の72%は国内旅行客によるものである。) 正確に言えば、世界はオーバーツーリズムよりも「観光の不均衡」に苦しんでいるようだ。観光客の95%が地球の5%に当たる部分しか旅していない。例えば、フランスでは80%の観光客が国土の20%しか訪れていない。 日本に関して言えば、メディアで常に紹介される数少ないスポットに集まる観光客に対して怒りが集中しているーー京都の祇園、ハロウィーンの渋谷、富士河口湖......。 「日本で取り組むべき本当の問題は、観光スポットのごくわずか、おそらく0.1%程度を占める約20の特定の場所(おそらく半分が京都)で、観光客のピークをどう管理するかだ」と、旅行会社ジャパン・エクスペリエンスのティエリー・マインセントCEOは言う』、「日本への観光客は2013年年間1030万人だったのが、コロナが明けた昨年は2500万人、今年は3300万人に迫るとみられている。これほど短期間に急増した国はなく、その結果、日本では通常の観光客が増える経緯を経ずにオーバーツーリズムが発生している状態にある。 残念なことに、国内当局とメディアは外国人観光客にすべての責任を押し付けるという最悪の反応を示している・・・メディアで常に紹介される数少ないスポットに集まる観光客に対して怒りが集中しているーー京都の祇園、ハロウィーンの渋谷、富士河口湖......。 「日本で取り組むべき本当の問題は、観光スポットのごくわずか、おそらく0.1%程度を占める約20の特定の場所(おそらく半分が京都)で、観光客のピークをどう管理するかだ」、なるほど。
・『特に時期的な偏りがある日本の観光 日本は地域的な不均衡に苦しんでおり、最近ではインバウンドの観光客がそれに拍車をかけている。 「日本人は長期休暇を取らず、週末や正月、ゴールデンウィーク、お盆などの祝日に小旅行に出かける。加えて、円安によって日本人も外国人も日本を旅行先に選ぶようになっている」とマインセントCEOは指摘する。観光の重要性を考えれば、政府は旅行需要をより分散させるために、学校の休暇に柔軟性を持たせるようなこともできるだろう。 1960年代以降、フランスは国土を3つのゾーンに分け、祝祭日の時期を少しずつ異ならせている。これにより、交通量とホスピタリティの需要が均等に分散され、ホテルや鉄道会社は需要に応えやすくなり、価格も柔軟に設定できるため、家庭の経済的負担が軽減される。 クリスマスのような重要な休暇は変更されていないが、日本がこうした施策を導入すれば、例えばゴールデンウィーク中のオーバーツーリズムを緩和することが可能だろう。) 海外の観光地では、さまざまな方法で需要をコントロールしている。1つは、ベネチアのように入島する際に料金を徴収する方法。もう1つは、旅行者数に制限を設ける方法だ。3つ目は、人気のスポットにオンライン予約システムを導入し、需要を管理しやすくする方法である。 このほか、各都市それぞれのアプローチで観光客数の制限をしている。例えば、アムステルダムは土産物店を買い戻し、地元の人々のためのアパートに改装した。ニューヨークはAirbnbを制限している。バルセロナは、何十万人もの外国人観光客を乗せていたクルーズにストップをかけた』、海外の観光地では、さまざまな方法で需要をコントロールしている。1つは、ベネチアのように入島する際に料金を徴収する方法。もう1つは、旅行者数に制限を設ける方法だ。3つ目は、人気のスポットにオンライン予約システムを導入し、需要を管理しやすくする方法である。 このほか、各都市それぞれのアプローチで観光客数の制限をしている。例えば、アムステルダムは土産物店を買い戻し、地元の人々のためのアパートに改装した・・・バルセロナは、何十万人もの外国人観光客を乗せていたクルーズにストップをかけた」、「クルーズ」は受け入れる国や地域にもたらすメリットが偏っているだけに賢明なやり方だ。
・『モンサンミッシェルの需要管理 フランスでは、日本人に大人気のモンサンミッシェルがいいモデルかもしれない。観光はこの街にとって大きな現金収入源となっている。また、ビジネスも生み出している。地元のビスケットブランド 「Galettes du Mont Saint Michel 」は、年間8000万ユーロの売り上げがある。 ピーク時には、需要に対応するため、地元当局は高速道路に、午前11時前か午後3時以降に来るよう勧める看板を設置している。交通の流れを管理するために、モンサンミッシェルの近くに巨大な駐車場を建設した。観光客は事前に駐車スペースを予約することができる。冬はピークシーズンより30%安くなる。 駐車場からはシャトルバスが運行され、市は観光客の流れを調整することができる。こうした施作の結果、「オーバーツーリズムになるのは、年間10〜15日程度だ」と、モンサンミッシェルの管理事務所の責任者であるトーマス・ヴェルターは言う。 日本の地方自治体は、外国人観光客を非難する前に自分たちにできていないことがないのかを考えるべきである。京都では、メディアは外国人観光客が地元のバスに荷物を詰め込んでいることに焦点を当てるが、京都の公共交通システムがいかに機能不全に陥っているかには触れない。) 地方財政のために観光客を切実に必要としている都市としては信じられないことに、京都の地下鉄はほとんどの観光客が行きたい場所まで通っていない。バスに関しては、初めて利用する人には理解しがたい時代遅れの運賃システムがいまだに使われている。 国家レベルで最も重要なことは、日本は観光客の需要を閑散とした田舎に向けなければならないということだ。 悲しいことに、メディアの注目が一部の過密スポットに集中する一方で、日本の準一等地は「アンダーツリズム」に苦しんでいる。東京の島々から群馬の温泉まで、斑尾高原から福井の永平寺まで、日本には素晴らしい場所が少なくない』、「メディアの注目が一部の過密スポットに集中する一方で、日本の準一等地は「アンダーツリズム」に苦しんでいる」、その通りだ。
・『地方はいまだに観光対応ができていない 例えば、4月に訪れた熊野古道の場合、外国人観光客を必要としているにもかかわらず、バスはいまだに現金と国内居住者しか使えないペイペイのみで、多忙なバスの運転手は英語を話すことができない。 また、昨年9月に能登を訪れたが、この時、日本のこの素晴らしい地域の将来が外需にかかっていることは明らかだと感じた。1月のこの地域を襲った地震により多くの住民が今も苦しむ中、観光の話をすることは不適切と思われるかもしれないが、この美しい地域の経済にとって観光が非常に重要であることは変わりがない。復興の計画にあたっては、ぜひこのことを十分に考慮してほしい。 外国で運転する人が運転するために必要な国際免許を日本で得るのは簡単ではない。そのため、ほとんどの観光客が日本でレンタカーを借りようとは思わない。だが、政府が外国人に地方を訪れてもらいたいのであれば、日本での運転を積極的に推進しなければならない。自由に歩き回れる唯一の方法であり、特に家族連れには便利だ。 昨年9月に石川県と福井県を車で訪れた者としては、観光客がそのためにこうした素晴らしい場所を訪れにくいという状況は残念に思う。滞在中、私が出会ったのは外国人観光客を歓迎してくれる人々だけで、外国人観光客はもうたくさんだ、という人には出会わなかった。 本来、富士河口湖のような場所では、オーバーツーリズムと戦うのではなく、より大きな問題であるアンダーツーリズムと戦うべきなのである』、「本来、富士河口湖のような場所では、オーバーツーリズムと戦うのではなく、より大きな問題であるアンダーツーリズムと戦うべきなのである」、その通りだ。
先ずは、本年5月3日付け東洋経済オンラインが掲載した コラムニスト・人間関係コンサルタント・テレビ解説者の木村 隆志氏による「「外国人だらけの観光地」がGWやけに報じられる訳なぜオーバーツーリズムがこれだけ扱われるのか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/751935
・『ここまで今年のゴールデンウィークは、主に「自宅か近場」「猛暑」「混雑」という3つの観点から報じられてきましたが、なかでも際立っているのは「混雑」。しかも円安を絡めて外国人観光客にスポットを当てるケースが続き、「オーバーツーリズム」という切り口からの特集が増えています。 象徴的なのはテレビの情報番組。朝の「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日系)や「めざまし8」(フジテレビ系)、午後の「情報ライブ ミヤネ屋」(読売テレビ・日本テレビ系)や『ゴゴスマ~GOGO!Smile!~』(CBC・TBS系)、夕方の「news every.」(日本テレビ系)や「Nスタ」(TBS系)、土日の「情報7daysニュースキャスター」(TBS系)、「サンデーモーニング」(TBS系)、「ワイドナショー」(フジテレビ系)など、ほとんどの番組で外国人観光客の多さや問題点を報じています。 特筆すべきは、これまでのようなインバウンドの経済効果をポジティブに扱ったものではなく、ネガティブなトピックスとして扱われていること。なかには、はっきり「観光公害」と言うコメンテーターもいますが、なぜゴールデンウィークにこのような報じられ方をされているのでしょうか』、「特筆すべきは、これまでのようなインバウンドの経済効果をポジティブに扱ったものではなく、ネガティブなトピックスとして扱われていること」、なるほど。
・『自宅で過ごす人の多い今年のGW まず前提としておきたいのは、「今年のゴールデンウィークは自宅で過ごす」という人が多いこと。 「ミヤネ屋」などでは、「GWは自宅で過ごす人」が約半数の46.8%(昨年から5.2%増)に上がり、「GWの予算」は2万9677円(昨年から9617円減)に下がったという明治安田生命のアンケートを紹介していました。これは自宅で番組を見ている人に「自分だけではない」「今年は仕方がない」などと留飲を下げてもらうための構成でもあります。 自宅で過ごす人が多い最大の理由は、物価高や円安の影響。金銭面の不安から海外旅行を控え、外出したとしても近場に留め、さらに猛暑も加わって、「自宅で過ごそう」という人が増えているようです。) 日ごろから情報番組が重視しているのは、視聴者に寄り添うような切り口を選んで放送すること。かつてのような開放感のあるゴールデンウィークなら、人気のスポットや空港、ターミナル駅、サービスエリアなどと中継で結び、インタビューで楽しげな声を拾うなど、ポジティブなムードで放送するでしょう。また、渋滞や行列などの一見ネガティブな情報も、当事者の苦労を伝えつつ、笑いを交えてなごやかなムードでリポートするのが定番で、これは自宅でテレビを見ている視聴者への配慮でした。 しかし、今年のような物価高や円安の影響をもろに受けて閉塞感のあるゴールデンウィークで求められるのは、視聴者にとってガス抜きになるような切り口。「円安の影響で国内の観光地はにぎわっている」というポジティブな切り口ではなく、「地元住民はオーバーツーリズムに困惑している」というネガティブな切り口が採用されやすくなります』、「今年のような物価高や円安の影響をもろに受けて閉塞感のあるゴールデンウィークで求められるのは、視聴者にとってガス抜きになるような切り口。「円安の影響で国内の観光地はにぎわっている」というポジティブな切り口ではなく、「地元住民はオーバーツーリズムに困惑している」というネガティブな切り口が採用されやすくなります」、なるほど。
・『「出かけなくてよかった」の安堵 とりわけ「海外旅行などの大型連休らしい遠出を我慢した」という人は、物価高や円安、引いては賃金が上がらないことなどへの不満を抱えているため、フィットするのは具体的な問題点をあげる構成・演出。 たとえば、各番組で「国土交通省は混雑緩和のため、江ノ島電鉄の鎌倉駅―長谷駅間の徒歩移動を呼びかけ、鎌倉駅周辺に誘導員を配置し、地図を配っている」というニュースが頻繁に扱われています。 先日の「Nスタ」では、「混みすぎてスマホの電波が入らない」「満員で江ノ電から全く景色が見えなかったよ」「普段の週末でも人が多い。今年は恐怖」というSNSに書き込まれた悲鳴のような声を紹介していました。 もちろん問題提起という意味合いはあるものの、制作サイドとしては「自分はこの人たちより、まだいいほうかもしれない」というホッとした気持ちにさせたいところもあるものです。 一方、裏番組の「news every.」では、江ノ島電鉄だけでなく、京都市の路線バスもピックアップ。「外国人を中心に観光客が増えたことで地元住民が乗れない」という事態が発生していることを紹介しました。また、京都市交通局が主要観光地を結ぶ観光特急バスの休日限定運行を決定したものの、スタートは6月でゴールデンウィークには間に合わないという情報も、自宅に留まる視聴者に「出かけなくてよかった」と思わせられるものです。 その他の番組でも、オーバーツーリズムの弊害として、国内ホテルの宿泊料金がインバウンドの影響で高騰していることや、ゴミや騒音、道路横断などの交通ルール違反、私有地への不法侵入、環境破壊などをストレートにピックアップ。「地元のキャパシティを超えた観光客が押し寄せる」ことの危うさや、「地元住民の生活を守らなければいけない」という状況をわかりやすく伝えていました。 このように外国人観光客で混雑する観光スポットの映像をたっぷり見せて、自分の現状を肯定してもらうことは重要なポイントの1つ。これまではその象徴が渋滞の映像でしたが、今年はオーバーツーリズムの映像に変わった感があるのです。) 決して外国人観光客が悪いわけではないことはわかっているけど、どこか怒りにも似たやり切れないものを感じてしまう。国内に留まり、外国人の姿を見る機会が多い今年のゴールデンウィークは、情報番組がそんな思いを共有する場として提供されているのでしょう』、「外国人観光客で混雑する観光スポットの映像をたっぷり見せて、自分の現状を肯定してもらうことは重要なポイントの1つ。これまではその象徴が渋滞の映像でしたが、今年はオーバーツーリズムの映像に変わった感があるのです」、なるほど。
・『住民と観光客が共存できる環境整備も求められている 基本的にオーバーツーリズムの判断基準は、「観光客が地元住民の利益になるかならないか」。もし観光客が増えたことで不利益を被る地元住民が増えたら、個人対応では限界があり、自治体と連携して適切な対応を取っていきたいところ。大阪府では外国人観光客からの徴収金を検討しているように、地元住民と観光客が共存できる環境の整備が求められ始めています。 ただ、徴収の基準や金額設定、事務手続き、在日外国人の対応、「差別にあたる」という反対などのハードルがあり、地元に還元するまでの仕組み作りは簡単ではないでしょう。 ともあれ、地元住民の救済と観光資源の保護は急務になりつつあり、トイレや案内板といったインフラの整備など、課題は山積しているように見えます。できれば情報番組には視聴率獲得に向けた煽情的な切り口だけでなく、これらについても掘り下げてほしいところです』、「外国人観光客からの徴収金を検討しているように、地元住民と観光客が共存できる環境の整備が求められ始めています。 ただ、徴収の基準や金額設定、事務手続き、在日外国人の対応、「差別にあたる」という反対などのハードルがあり、地元に還元するまでの仕組み作りは簡単ではないでしょう。 ともあれ、地元住民の救済と観光資源の保護は急務になりつつあり、トイレや案内板といったインフラの整備など、課題は山積しているように見えます。できれば情報番組には視聴率獲得に向けた煽情的な切り口だけでなく、これらについても掘り下げてほしいところです」、その通りだ。
次に、6月2日付け東洋経済オンラインが掲載した『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員のレジス・アルノー氏による「「富士山を黒幕で隠す」日本のダメダメ観光対策 「オーバーツーリズム」に嘆く日本に欠けた視点」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/758303
・『もし、フランスのモンサンミッシェルに日本人観光客が立ち入りを禁止されたらどう思うだろうか?あるいは、ルーブル美術館がモナリザに黒い幕を張って、観光客が集まるのを阻止したらどう思うだろうか? 富士河口湖町が5月下旬に行ったことは、まさにこれである。ローソンのコンビニと富士山を組み合わせた「インスタ映え」スポットに外国人観光客が集まることにいらだった富士河口湖町長は、「オーバーツーリズム」を理由に、そのスポットを黒いネットで覆うという行為を行った』、仰る通りだ。「レジス・アルノー氏」にかかっては反論のしようもない。
・『隠すよりほかにできることがある それ以来、富士河口湖町長は外国人恐怖症と小心者という評判が広まっただけだ。外国人観光客は、ネットの穴から写真を撮ったり、近隣の他のスポットに移動して同じような状況を再現したりして、いまだにひっきりなしにやってきている。 富士河口湖町は、こんなことをして新しい客を罰しようとするよりも、新しい需要を前にして良識ある人間なら誰でもすることをすべきではなかったのか。黒幕を設けるのではなく、例えば隈研吾氏のような有名建築家によるスタイリッシュなカフェや旅館を作るスペースはなかったのだろうか。 「オーバーツーリズム 」は、2016年にビジネス旅行メディアSkiftのジャーナリストによって作られた造語である。当時、世界の観光客数は10億人を突破していた。この言葉は、低価格旅行、短期滞在、ホームシェアリングの3つの出現により、観光がネガティブなイメージで捉えられるようになったことでますます広まった。) 「観光は、旅行者にとっても受け入れ側にとってもつねにポジティブなものだった。だが、2010年代以降、観光が悪い意味合いを持つようになったのは歴史上初めてのことだ」とグラスゴー大学のギエム・コロン・モンテロ教授は最近のポッドキャストで述べている。 同教授はスペインのマヨルカ島を例にあげ、同島が人口100万人に対して、年間1600万人の観光客を抱える、おそらく地球上で最も 「観光化」された場所だと説明する。 マヨルカ島では、観光は地域経済にとって欠かせないものではあるが、グローバリゼーションというよりは植民地化と同義語になっている。観光客が爆発的に増えるにつれ、島の地元人口は減少していった。 マヨルカ島はドイツ人の間でも人気が高く、たとえばドイツの新聞では、天気予報の全国ニュースにマヨルカ島が挿入されることもある。「外国人観光客は拒否するが、難民は受け入れる!」モンテロ教授が気づいたマヨルカの落書きにはそう書かれていたという』、「2010年代以降、観光が悪い意味合いを持つようになったのは歴史上初めてのことだ」とグラスゴー大学のギエム・コロン・モンテロ教授は最近のポッドキャストで述べている。 同教授はスペインのマヨルカ島を例にあげ、同島が人口100万人に対して、年間1600万人の観光客を抱える、おそらく地球上で最も 「観光化」された場所だと説明マヨルカ島・・・が人口100万人に対して、年間1600万人の観光客を抱える、おそらく地球上で最も 「観光化」された場所だ」、なるほど。
・『外国人観光客に全責任を押し付ける日本 オーバーツーリズムに対する日本の最近の反応は予想通りである。日本への観光客は2013年年間1030万人だったのが、コロナが明けた昨年は2500万人、今年は3300万人に迫るとみられている。これほど短期間に急増した国はなく、その結果、日本では通常の観光客が増える経緯を経ずにオーバーツーリズムが発生している状態にある。 残念なことに、国内当局とメディアは外国人観光客にすべての責任を押し付けるという最悪の反応を示している。岸田文雄首相は昨年、オーバーツーリズムとの闘いを、あたかも新型コロナウイルスや、エイズ(AIDS=後天性免疫不全症候群)のように国家的な大義名分として掲げた。しかし、数字はこの論調を正当化するものではない。インバウンド観光客は日本ではまだ少数派だ。観光庁によれば、日本の旅行の72%は国内旅行客によるものである。) 正確に言えば、世界はオーバーツーリズムよりも「観光の不均衡」に苦しんでいるようだ。観光客の95%が地球の5%に当たる部分しか旅していない。例えば、フランスでは80%の観光客が国土の20%しか訪れていない。 日本に関して言えば、メディアで常に紹介される数少ないスポットに集まる観光客に対して怒りが集中しているーー京都の祇園、ハロウィーンの渋谷、富士河口湖......。 「日本で取り組むべき本当の問題は、観光スポットのごくわずか、おそらく0.1%程度を占める約20の特定の場所(おそらく半分が京都)で、観光客のピークをどう管理するかだ」と、旅行会社ジャパン・エクスペリエンスのティエリー・マインセントCEOは言う』、「日本への観光客は2013年年間1030万人だったのが、コロナが明けた昨年は2500万人、今年は3300万人に迫るとみられている。これほど短期間に急増した国はなく、その結果、日本では通常の観光客が増える経緯を経ずにオーバーツーリズムが発生している状態にある。 残念なことに、国内当局とメディアは外国人観光客にすべての責任を押し付けるという最悪の反応を示している・・・メディアで常に紹介される数少ないスポットに集まる観光客に対して怒りが集中しているーー京都の祇園、ハロウィーンの渋谷、富士河口湖......。 「日本で取り組むべき本当の問題は、観光スポットのごくわずか、おそらく0.1%程度を占める約20の特定の場所(おそらく半分が京都)で、観光客のピークをどう管理するかだ」、なるほど。
・『特に時期的な偏りがある日本の観光 日本は地域的な不均衡に苦しんでおり、最近ではインバウンドの観光客がそれに拍車をかけている。 「日本人は長期休暇を取らず、週末や正月、ゴールデンウィーク、お盆などの祝日に小旅行に出かける。加えて、円安によって日本人も外国人も日本を旅行先に選ぶようになっている」とマインセントCEOは指摘する。観光の重要性を考えれば、政府は旅行需要をより分散させるために、学校の休暇に柔軟性を持たせるようなこともできるだろう。 1960年代以降、フランスは国土を3つのゾーンに分け、祝祭日の時期を少しずつ異ならせている。これにより、交通量とホスピタリティの需要が均等に分散され、ホテルや鉄道会社は需要に応えやすくなり、価格も柔軟に設定できるため、家庭の経済的負担が軽減される。 クリスマスのような重要な休暇は変更されていないが、日本がこうした施策を導入すれば、例えばゴールデンウィーク中のオーバーツーリズムを緩和することが可能だろう。) 海外の観光地では、さまざまな方法で需要をコントロールしている。1つは、ベネチアのように入島する際に料金を徴収する方法。もう1つは、旅行者数に制限を設ける方法だ。3つ目は、人気のスポットにオンライン予約システムを導入し、需要を管理しやすくする方法である。 このほか、各都市それぞれのアプローチで観光客数の制限をしている。例えば、アムステルダムは土産物店を買い戻し、地元の人々のためのアパートに改装した。ニューヨークはAirbnbを制限している。バルセロナは、何十万人もの外国人観光客を乗せていたクルーズにストップをかけた』、海外の観光地では、さまざまな方法で需要をコントロールしている。1つは、ベネチアのように入島する際に料金を徴収する方法。もう1つは、旅行者数に制限を設ける方法だ。3つ目は、人気のスポットにオンライン予約システムを導入し、需要を管理しやすくする方法である。 このほか、各都市それぞれのアプローチで観光客数の制限をしている。例えば、アムステルダムは土産物店を買い戻し、地元の人々のためのアパートに改装した・・・バルセロナは、何十万人もの外国人観光客を乗せていたクルーズにストップをかけた」、「クルーズ」は受け入れる国や地域にもたらすメリットが偏っているだけに賢明なやり方だ。
・『モンサンミッシェルの需要管理 フランスでは、日本人に大人気のモンサンミッシェルがいいモデルかもしれない。観光はこの街にとって大きな現金収入源となっている。また、ビジネスも生み出している。地元のビスケットブランド 「Galettes du Mont Saint Michel 」は、年間8000万ユーロの売り上げがある。 ピーク時には、需要に対応するため、地元当局は高速道路に、午前11時前か午後3時以降に来るよう勧める看板を設置している。交通の流れを管理するために、モンサンミッシェルの近くに巨大な駐車場を建設した。観光客は事前に駐車スペースを予約することができる。冬はピークシーズンより30%安くなる。 駐車場からはシャトルバスが運行され、市は観光客の流れを調整することができる。こうした施作の結果、「オーバーツーリズムになるのは、年間10〜15日程度だ」と、モンサンミッシェルの管理事務所の責任者であるトーマス・ヴェルターは言う。 日本の地方自治体は、外国人観光客を非難する前に自分たちにできていないことがないのかを考えるべきである。京都では、メディアは外国人観光客が地元のバスに荷物を詰め込んでいることに焦点を当てるが、京都の公共交通システムがいかに機能不全に陥っているかには触れない。) 地方財政のために観光客を切実に必要としている都市としては信じられないことに、京都の地下鉄はほとんどの観光客が行きたい場所まで通っていない。バスに関しては、初めて利用する人には理解しがたい時代遅れの運賃システムがいまだに使われている。 国家レベルで最も重要なことは、日本は観光客の需要を閑散とした田舎に向けなければならないということだ。 悲しいことに、メディアの注目が一部の過密スポットに集中する一方で、日本の準一等地は「アンダーツリズム」に苦しんでいる。東京の島々から群馬の温泉まで、斑尾高原から福井の永平寺まで、日本には素晴らしい場所が少なくない』、「メディアの注目が一部の過密スポットに集中する一方で、日本の準一等地は「アンダーツリズム」に苦しんでいる」、その通りだ。
・『地方はいまだに観光対応ができていない 例えば、4月に訪れた熊野古道の場合、外国人観光客を必要としているにもかかわらず、バスはいまだに現金と国内居住者しか使えないペイペイのみで、多忙なバスの運転手は英語を話すことができない。 また、昨年9月に能登を訪れたが、この時、日本のこの素晴らしい地域の将来が外需にかかっていることは明らかだと感じた。1月のこの地域を襲った地震により多くの住民が今も苦しむ中、観光の話をすることは不適切と思われるかもしれないが、この美しい地域の経済にとって観光が非常に重要であることは変わりがない。復興の計画にあたっては、ぜひこのことを十分に考慮してほしい。 外国で運転する人が運転するために必要な国際免許を日本で得るのは簡単ではない。そのため、ほとんどの観光客が日本でレンタカーを借りようとは思わない。だが、政府が外国人に地方を訪れてもらいたいのであれば、日本での運転を積極的に推進しなければならない。自由に歩き回れる唯一の方法であり、特に家族連れには便利だ。 昨年9月に石川県と福井県を車で訪れた者としては、観光客がそのためにこうした素晴らしい場所を訪れにくいという状況は残念に思う。滞在中、私が出会ったのは外国人観光客を歓迎してくれる人々だけで、外国人観光客はもうたくさんだ、という人には出会わなかった。 本来、富士河口湖のような場所では、オーバーツーリズムと戦うのではなく、より大きな問題であるアンダーツーリズムと戦うべきなのである』、「本来、富士河口湖のような場所では、オーバーツーリズムと戦うのではなく、より大きな問題であるアンダーツーリズムと戦うべきなのである」、その通りだ。
タグ:(その15)(「外国人だらけの観光地」がGWやけに報じられる訳なぜオーバーツーリズムがこれだけ扱われるのか、、「富士山を黒幕で隠す」日本のダメダメ観光対策 「オーバーツーリズム」に嘆く日本に欠けた視点) インバウンド動向 東洋経済オンライン 木村 隆志氏による「「外国人だらけの観光地」がGWやけに報じられる訳なぜオーバーツーリズムがこれだけ扱われるのか」 「特筆すべきは、これまでのようなインバウンドの経済効果をポジティブに扱ったものではなく、ネガティブなトピックスとして扱われていること」、なるほど。 「今年のような物価高や円安の影響をもろに受けて閉塞感のあるゴールデンウィークで求められるのは、視聴者にとってガス抜きになるような切り口。「円安の影響で国内の観光地はにぎわっている」というポジティブな切り口ではなく、「地元住民はオーバーツーリズムに困惑している」というネガティブな切り口が採用されやすくなります」、なるほど。 「外国人観光客で混雑する観光スポットの映像をたっぷり見せて、自分の現状を肯定してもらうことは重要なポイントの1つ。これまではその象徴が渋滞の映像でしたが、今年はオーバーツーリズムの映像に変わった感があるのです」、なるほど。 「外国人観光客からの徴収金を検討しているように、地元住民と観光客が共存できる環境の整備が求められ始めています。 ただ、徴収の基準や金額設定、事務手続き、在日外国人の対応、「差別にあたる」という反対などのハードルがあり、地元に還元するまでの仕組み作りは簡単ではないでしょう。 ともあれ、地元住民の救済と観光資源の保護は急務になりつつあり、トイレや案内板といったインフラの整備など、課題は山積しているように見えます。できれば情報番組には視聴率獲得に向けた煽情的な切り口だけでなく、これらについても掘り下げてほしいと ころです」、その通りだ。 レジス・アルノー氏による「「富士山を黒幕で隠す」日本のダメダメ観光対策 「オーバーツーリズム」に嘆く日本に欠けた視点」 仰る通りだ。「レジス・アルノー氏」にかかっては反論のしようもない。 「2010年代以降、観光が悪い意味合いを持つようになったのは歴史上初めてのことだ」とグラスゴー大学のギエム・コロン・モンテロ教授は最近のポッドキャストで述べている。 同教授はスペインのマヨルカ島を例にあげ、同島が人口100万人に対して、年間1600万人の観光客を抱える、おそらく地球上で最も 「観光化」された場所だと説明マヨルカ島・・・が人口100万人に対して、年間1600万人の観光客を抱える、おそらく地球上で最も 「観光化」された場所だ」、なるほど。 「日本への観光客は2013年年間1030万人だったのが、コロナが明けた昨年は2500万人、今年は3300万人に迫るとみられている。これほど短期間に急増した国はなく、その結果、日本では通常の観光客が増える経緯を経ずにオーバーツーリズムが発生している状態にある。 残念なことに、国内当局とメディアは外国人観光客にすべての責任を押し付けるという最悪の反応を示している・・・ メディアで常に紹介される数少ないスポットに集まる観光客に対して怒りが集中しているーー京都の祇園、ハロウィーンの渋谷、富士河口湖......。 「日本で取り組むべき本当の問題は、観光スポットのごくわずか、おそらく0.1%程度を占める約20の特定の場所(おそらく半分が京都)で、観光客のピークをどう管理するかだ」、なるほど。 「クルーズ」は受け入れる国や地域にもたらすメリットが偏っているだけに賢明なやり方だ。 「メディアの注目が一部の過密スポットに集中する一方で、日本の準一等地は「アンダーツリズム」に苦しんでいる」、その通りだ。 「本来、富士河口湖のような場所では、オーバーツーリズムと戦うのではなく、より大きな問題であるアンダーツーリズムと戦うべきなのである」、その通りだ。