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メディア(その34)(このままでは13年後に紙の新聞は消滅する…熱心な読者からも"質が落ちた"と苦言を呈される残念な理由 減少率は"7.3%"で過去最大となった、「人権意識が強くなりすぎると 番組がつまらなく…」フジテレビ番組審議会が物議を醸した“ズレ感”の本質、視聴率急落で「死の谷」にはまったテレビ局の苦悩 激減するテレビCM収入を配信で補う日は来るか) [メディア]

メディアについては、昨年8月8日に取上げた。今日は、(その34)(このままでは13年後に紙の新聞は消滅する…熱心な読者からも"質が落ちた"と苦言を呈される残念な理由 減少率は"7.3%"で過去最大となった、「人権意識が強くなりすぎると 番組がつまらなく…」フジテレビ番組審議会が物議を醸した“ズレ感”の本質、視聴率急落で「死の谷」にはまったテレビ局の苦悩 激減するテレビCM収入を配信で補う日は来るか)である。

先ずは、本年2月2日付けPRESIDENT Onlineが掲載した元日経新聞記者で経済ジャーナリストの磯山 友幸氏による「このままでは13年後に紙の新聞は消滅する…熱心な読者からも"質が落ちた"と苦言を呈される残念な理由 減少率は"7.3%"で過去最大となった」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/78272
・『2036年には紙の新聞は姿を消す計算になる  紙の新聞が「消滅」の危機に直面している。日本新聞協会が2023年12月に発表した2023年10月時点の新聞発行部数は2859万部と1年前に比べて7.3%、225万6145部も減少した。2005年から19年連続で減り続け、7.3%という減少率は過去最大だ。 新聞の発行部数のピークは1997年の5376万部。四半世紀で2500万部が消えたことになる。全盛期の読売新聞と朝日新聞、毎日新聞の発行部数がすべてごっそり無くなったのと同じである。このまま毎年225万部ずつ減り続けたと仮定すると、13年後の2036年には紙の新聞は消滅して姿を消す計算になる。 昨今、朝の通勤時間帯ですら、電車内で紙の新聞を読んでいる人はほとんど見かけなくなった。ビジネスマンだけでなく、大学生の年代はほとんど新聞を読んでいない』、「新聞発行部数は」、「1年前に比べて7.3%、225万6145部も減少」、「全盛期の読売新聞と朝日新聞、毎日新聞の発行部数がすべてごっそり無くなったのと同じである」、それは大変だ。
・『「デジタルで新聞を読んでいる」学生はごく一部  私は、教えている大学で学生に「紙の新聞をどの程度読んでいるか」を毎年アンケート調査で聞いている。2023年度に教えた、のべ1026人の学生のうち、紙の新聞を「まったく読まない」と回答した学生は728人と7割に達した。一方で「定期購読している」という学生はわずか13人、1.3%だった。この数には自宅通学生で親が購読している新聞を読んでいる学生も含まれているから、ごくわずかしか毎日読んでいる人がいない、ということになる。 たまに読むという学生も「レポートなどで月に数回程度読む」という回答で、もはや「紙の新聞」は学生の情報源ではないのだ。学生時代に紙の新聞を読んだことがなければ社会人になっても読む習慣はほぼないから、ビジネスマンが新聞を読んでいる姿をほとんど見ることがなくなったのも当然だろう。ますます紙の新聞の発行部数は減っていくことになるに違いない。 いやいや、デジタル新聞に移行しているのだから、紙の新聞が減るのは当然だろう、と言う人もおられるだろう。だが、電子新聞など新聞社の情報メディアを使っている学生もごく一部で、「新聞」という媒体自体が凋落しているのは明らかである。学生の情報源はタダのSNSが主体だし、ビジネスマンの多くも無料の情報サイトで済ませている人が少なくない。つまり、情報を得るために「新聞」を買って読むという行為自体が、失われつつあるように見える』、「教えている大学で学生に「紙の新聞をどの程度読んでいるか」を毎年アンケート調査で聞いている。2023年度に教えた、のべ1026人の学生のうち、紙の新聞を「まったく読まない」と回答した学生は728人と7割に達した。一方で「定期購読している」という学生はわずか13人、1.3%だった・・・電子新聞など新聞社の情報メディアを使っている学生もごく一部で、「新聞」という媒体自体が凋落しているのは明らかである。学生の情報源はタダのSNSが主体だし、ビジネスマンの多くも無料の情報サイトで済ませている人が少なくない。つまり、情報を得るために「新聞」を買って読むという行為自体が、失われつつあるように見える」、なるほど。
・『新聞社が儲からなくなり、人材も育たなくなった  紙の新聞の凋落による最大の問題点は新聞社が儲からなくなったことだ。新聞記者を遊ばせておく余裕がなくなり、今の若い記者たちは私が新聞社にいた頃に比べて格段に忙しくなっている。紙の新聞は日に何度かの締め切りがあったが、電子版は原則24時間情報が流せるから、記者にかつてとは比べ物にならないくらいの大量の原稿を求めるようになった。ハイヤーで取材先の自宅を訪れて取材する「夜討ち朝駆け」も減り、取材先と夜飲み歩く姿もあまり見なくなった。新聞社も働き方改革で「早く帰れ」と言われるようになったこともある。 新聞社は取材を通じて勉強していくOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)が伝統で、ベテランのデスクやキャップから、若手記者は取材方法や原稿の書き方を学んでいた。そんなOJT機能が忙しさが増す中で失われ、人材が育たなくなっているのだ。儲からなくなった新聞社で人材枯渇が深刻化し始めている。 もちろん、それは新聞記事の「品質」にも表れる。長年、新聞に親しんだ読者からは、最近の新聞は質が落ちたとしばしば苦言を呈される。また、新聞の作り方が変わってきたことで、伝統的な紙の新聞のスタイルも変化している』、「新聞社が儲からなくなったことだ。新聞記者を遊ばせておく余裕がなくなり、今の若い記者たちは私が新聞社にいた頃に比べて格段に忙しくなっている・・・新聞社は取材を通じて勉強していくOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)が伝統で、ベテランのデスクやキャップから、若手記者は取材方法や原稿の書き方を学んでいた。そんなOJT機能が忙しさが増す中で失われ、人材が育たなくなっているのだ・・・それは新聞記事の「品質」にも表れる。長年、新聞に親しんだ読者からは、最近の新聞は質が落ちたとしばしば苦言を呈される。また、新聞の作り方が変わってきたことで、伝統的な紙の新聞のスタイルも変化している」、なるほど。
・『貴重な情報が隠されている「ベタ記事」が激減  最近の新聞からは「ベタ記事」が大きく減っている。かつて「新聞の読み方」といった本は必ず、「ベタ記事こそ宝の山だ」といった解説を書いていた。新聞を読まない読者も多いので、ベタ記事と言われても何のことか分からないかもしれない。紙の新聞では1ページを15段に分けて記事が掲載される。4段にわたって見出しが書かれているのを「4段抜き」、3段なら「3段抜き」と呼ぶ。これに対して、1段分の見出ししか付いていない記事を「ベタ記事」と呼ぶ。そうした細かい、ちょっとした記事に、貴重な情報が隠されているというのだ。 ところが最近は、このベタ記事がどんどん姿を消している。デジタルでネットに情報を出すことを前提に記事を作るため、ひとつの原稿が長くなったことで、ベタ記事が入らなくなった、という制作面の理由が大きい。長い読み物的な記事が紙の新聞でも幅をきかせるようになり、新聞が雑誌化している、とも言われる。一見同じページ数でも、記事の本数が減れば、実質的に情報量が減ることになる。細かいベタ記事に目を凝らして読んでいた古い新聞愛読層が新聞の情報量が減ったと嘆くのはこのためだ』、「1段分の見出ししか付いていない記事を「ベタ記事」と呼ぶ・・・デジタルでネットに情報を出すことを前提に記事を作るため、ひとつの原稿が長くなったことで、ベタ記事が入らなくなった、という制作面の理由が大きい。長い読み物的な記事が紙の新聞でも幅をきかせるようになり、新聞が雑誌化している、とも言われる」、なるほど。
・『「成功している」日経ですら電子版は100万契約にすぎない  一方で、細かいベタ記事がたくさん必要だった時代は、記者が幅広に取材しておくことが求められた。駆け出しの記者でもどんどん原稿を出すことができたのだ。ところが、雑誌化すれば訓練を積んだ記者しか原稿が出せず、結果、若手の訓練機会が失われている。これも記者の質の劣化につながっているのだ。それが中期的には紙面の質の低下にもつながるわけだ。紙の新聞の凋落による経営の悪化や、デジタル化自体が、記者を劣化させ、新聞の品質を落としている。 デジタル版が伸びているので新聞社の経営は悪くないはずだ、という指摘もあるだろう。確かにニューヨーク・タイムズのように紙の発行部数のピークが150万部だったものが、デジタル版に大きくシフトして有料読者が1000万人になったケースなら、紙が半分以下に落ち込んでも十分にやっていける。 デジタル化で成功していると言われる日本経済新聞も、紙はピークだった300万部超から半分になったが、電子版は100万契約に過ぎない。紙の新聞は全面広告などで高い広告費を得られたが、デジタルの広告単価は低い。マネタイズする仕組みとして猛烈に優秀だった紙の新聞を凌駕できるだけの仕組みがまだできていないのだ。1000万部を超えて世界最大の新聞だった読売新聞はデジタルで大きく出遅れている中で、紙は620万部まで減少している』、「ニューヨーク・タイムズのように紙の発行部数のピークが150万部だったものが、デジタル版に大きくシフトして有料読者が1000万人になったケースなら、紙が半分以下に落ち込んでも十分にやっていける。 デジタル化で成功していると言われる日本経済新聞も、紙はピークだった300万部超から半分になったが、電子版は100万契約に過ぎない。紙の新聞は全面広告などで高い広告費を得られたが、デジタルの広告単価は低い。マネタイズする仕組みとして猛烈に優秀だった紙の新聞を凌駕できるだけの仕組みがまだできていないのだ。1000万部を超えて世界最大の新聞だった読売新聞はデジタルで大きく出遅れている中で、紙は620万部まで減少」、「ニューヨーク・タイムズ」が「デジタル版に大きくシフトして有料読者が1000万人になった」、大したものだ。「日本経済新聞も、紙はピークだった300万部超から半分になったが、電子版は100万契約に過ぎない。紙の新聞は全面広告などで高い広告費を得られたが、デジタルの広告単価は低い。マネタイズする仕組みとして猛烈に優秀だった紙の新聞を凌駕できるだけの仕組みがまだできていないのだ」、日本はまだまだのようだ。
・『「新聞の特性」自体が消滅しつつある  このまま紙の新聞は減り続け、消滅へと進んでいくのだろうか。本来、紙の新聞には情報媒体としての優位性があった。よく指摘されるのが一覧性だ。大きな紙面にある見出しを一瞥するだけで、情報が短時間のうちに目に飛び込んでくる。36ページの新聞でも、めくって眺めるだけならば15分もあれば、大まかなニュースは分かる。その中から興味のある記事をじっくり読むことも可能だ。 ネット上の記事は一覧性に乏しいうえに、自分の興味のある情報ばかりが繰り返し表示される。便利な側面もあるが、自分が普段関心がない情報が目に飛び込んでくるケースは紙の新聞に比べて格段に低い。自分の意見に近い情報ばかりが集まり、反対する意見の情報は入ってこないネットメディアの性質が、今の社会の分断を加速させている、という指摘もある。 そんな紙の特性を生かせば、紙の新聞は部数が減っても消えて無くなることはないのではと私は長年思っていた。ところがである。前述の通り、デジタル版優先の記事作りが進んだ結果、1ページに載る記事の本数が減り、ベタ記事が消滅するなど、新聞の特性自体が消滅しつつある。新聞社が紙の新聞を作り込む努力をしなくなったのだとすれば、紙の新聞の消滅は時間の問題、ということになるのだろう』、「紙の新聞には情報媒体としての優位性」は「一覧性」だが、「ベタ記事が消滅するなど、新聞の特性自体が消滅しつつある。新聞社が紙の新聞を作り込む努力をしなくなったのだとすれば、紙の新聞の消滅は時間の問題、ということになるのだろう」、「紙の新聞の消滅は時間の問題」というのは、寂しい感じもあるが、やはりやむを得ないのだろう。

次に、2月16日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーライターの鎌田和歌氏による「「人権意識が強くなりすぎると、番組がつまらなく…」フジテレビ番組審議会が物議を醸した“ズレ感”の本質」を紹介しよう。
・『「発言者の名前を記してほしい」「緊張感が感じられない」そんな内容の批判が相次いだのは、フジテレビが公表した番組審議会の議事録だ。有名コメンテーターらが名を連ねる番組審議委員の意見が物議を呼んでいる。これを機に、テレビ報道の在り方を考えてみよう』、興味深そうだ。
・『ホテルオークラで開かれるフジテレビの番組審議会とは  「人権意識が強くなりすぎると良い表現ができなくなり、テレビ局の挑戦も締め付けられ、番組がつまらなくなり、世の中から見捨てられてしまうのではないか」――。 フジテレビがネット上に掲載した、番組審議会議事録概要が物議を醸している。批判的に捉える声が多く、審議委員の人選が間違っているのではないかという声も多い。 まず概要から整理しよう。 これは2024年1月10日に東京都港区のホテルオークラで開かれた「第533回 番組審議会議事録概要」で、外部の弁護士と研究者がそれぞれ委員長、副委員長を務める。そのほかの委員は、コメンテーターや脚本家、元大相撲力士のタレントなどである。 また、フジテレビからは遠藤龍之介副会長、港浩一社長や幹部、コンプライアンス担当者など13名が参加していたようだ。 【参考】第533回 番組審議会議事録概要 https://www.fujitv.co.jp/company/action/shingikai/shingikai_533.html ) 過去の議事録を見ると、2月〜10月までは毎回、放送中の一番組を取り上げて批評を行っている。毎年1月のみ、テレビと社会の関係を俯瞰する議題が設定されている(12月は休会)。例えば2022年1月は「コロナ禍のテレビ」、2023年1月は「フジテレビの未来への提言」だった。 今年のテーマは「テレビと人権」だった。また、この回ではメインテーマに入る前に「2023年11月発生の事件を報じるニュースで、容疑者として別の人物の顔写真を誤って放送」についての報告があったようだ。 これは2023年11月末、フジテレビ系列の東海テレビが名古屋市で起こった死体遺棄事件について、容疑者とは別人の写真を計8回放送した件についてだろう。報道によれば、報道番組に携わる社員がX(旧ツイッター)を通じて入手し、容疑者を知る複数の関係者に確認したものだったという。 報道であってはならない事故であり、テレビの影響力の重さを考えざるを得ない。こういった重い不祥事が報告された後での議論と考えると、なお冒頭のような意見は「軽い」印象を受ける』、冒頭で紹介した「「人権意識が強くなりすぎると良い表現ができなくなり、テレビ局の挑戦も締め付けられ、番組がつまらなくなり、世の中から見捨てられてしまうのではないか」――」、は確かに「「軽い」印象を受ける」、その通りだ。
・『「堅苦しい」「世の中から見捨てられてしまう」物議を醸した委員たちの意見  議事録に掲載された意見の中で、特に批判を浴びているのは以下のものである。なお、どの委員がどの意見を言ったのかについては、公開されている議事録からはわからない。 ・テレビが行儀の良いことを目指しすぎる動きの中で、テレビ以外の媒体の方が真実だったり、面白いと思われないか、危険性を感じる。 ・人権はもちろん大切だが、人権をうたえばうたう程、テレビだけが宙に浮いてしまって堅苦しい箱になってしまう。 ・人権意識が強くなりすぎると良い表現ができなくなり、テレビ局の挑戦も締め付けられ、番組がつまらなくなり、世の中から見捨てられてしまうのではないか。) まるで昨今のポリコレ(政治的公正性)を嘆くネット上の匿名アカウントのような意見が散見され、これならばわざわざ有名人を招かなくとも、一般人にアンケートを取れば良いのではないかと言いたくなる。 多様な意見があるのだから、バランスを取るためにこういった意見も必要なのかもしれないが、人権をテーマにした議論設定をしながら、人権の問題に取り組む識者や専門家の意見を聞いた様子がないのはどういうことなのだろうか。 「人権はもちろん大切だが」「人権意識が強くなりすぎると」といった意見はそもそも人権問題を考えることに拒否を示す人にありがちな反応である。人権を学ぶことは、誰にとっても多少の苦痛を感じる経験である。それまでの価値観が揺さぶられ、自分の偏見に気付かされることがあるからである。ある意味、自然な反応とも言える。 だからこそ、こういった拒否反応を起こす人がいる前提で、それを包摂し乗り越えるための教育が必要であり、人権について意識が高まることは「息苦しさ」を意味しないと納得してもらう必要がある。しかし日本ではまだ、拒否反応が「一つの意見」と見なされる傾向があり、それがこの度の議事録でもはっきりとした』、「「人権はもちろん大切だが」「人権意識が強くなりすぎると」といった意見はそもそも人権問題を考えることに拒否を示す人にありがちな反応である。人権を学ぶことは、誰にとっても多少の苦痛を感じる経験である。それまでの価値観が揺さぶられ、自分の偏見に気付かされることがあるからである。ある意味、自然な反応とも言える。 だからこそ、こういった拒否反応を起こす人がいる前提で、それを包摂し乗り越えるための教育が必要であり、人権について意識が高まることは「息苦しさ」を意味しないと納得してもらう必要がある。しかし日本ではまだ、拒否反応が「一つの意見」と見なされる傾向があり、それがこの度の議事録でもはっきりとした」、なるほど。
・『松本人志氏の番組を絶賛 ネットなどへのライバル心が「チラ見え」  ちなみに、重箱の隅をつっつくようで申し訳ないが、このような要約すると「最近はすぐクレームが来るから大変だ」的な委員からの意見はこれ以前にもあり、例えば「品性に欠ける番組だとお叱りを受けることもあるだろうが、子どもや若者に美しい物だけを見せても良くない」(2023年1月「フジテレビの未来への提言」)、「批判を恐れてドラマやバラエティーが面白くなくならないようにしてほしい」(同)などがあった。 松本人志氏の降板が話題となっている『まつもtoなかい』(現「だれかtoなかい」)は、審議委員の中で「最近見たトーク番組の中で断トツに面白い」「何よりも良かったのは、攻めている匂いがしたこと。最近テレビがどうしても萎縮しがちな中で、『人々が見たいものを見せるんだ』という自由な制作側の意志が伝わってきた。フジテレビの元気の種につながるのではと感じた」と絶賛されていた(2023年5月の議事録より)。) フジテレビ側の「ここ数年『テレビより他メディアの方が面白い』と言われ続けているのが悔しく、『結局テレビが一番面白い』と思ってもらえるコンテンツを作りたいと考えている」というコメントからは、ネット動画などへのライバル心が垣間見える。こういった焦りが、「自分たちはコンプライアンスに過剰に縛られてやりづらい」という発想につながるのかもしれない』、「『結局テレビが一番面白い』と思ってもらえるコンテンツを作りたいと考えている」というコメントからは、ネット動画などへのライバル心が垣間見える。こういった焦りが、「自分たちはコンプライアンスに過剰に縛られてやりづらい」という発想につながるのかもしれない」、その通りだ。
・『「他者をおもんばかる力」のズレを指摘する委員も  念のため、委員たちからはこれ以外の意見もあったことを紹介する。ざっと見た限り、ネット上で肯定的に受け止められていた彼らの意見は次のようなものだ。 ・何より大事なのは子どもたちがより良い未来を手にするために、大人が人権の概念をアップデートさせていくこと。 ・テレビは勝ち組の集まりだった。弱者の視点や他者をおもんぱかる力が無意識の内にずれてくる。一人一人が弱者に寄り添う人生観を持つことが港社長の言う“愛”なのでは。 ・視聴者、出演者、取材対象者だけでなく、テレビの番組制作に携わる人々の人権にも目を向けてほしい。自身の人権を守られていないスタッフが、テレビの向こうの人の人権に敏感になれるはずがない。 ・関東大震災では誤報が人々の思想を先導し、誤った思想に基づいて大勢の命が奪われたという悲惨な過去がある。その過去は絶対忘れてはならない。テレビ報道はSNSがどうであろうと、真実しか放送しないということを固く守ってもらいたい。 最後に紹介した意見は、東海テレビが別人の顔写真使用した問題についてではないだろうか。 「大人が人権の概念をアップデート」は前述の通り、その通りであると思う。 テレビが「勝ち組の集まり」であるのもその通りで、かつて就職活動でテレビ局の倍率はとても高かったし、タレントでもテレビに出る人は「勝ち組」である。彼らの視点を重視すれば、自然と中心点がズレてくるという指摘は重要である。) 局が異なるが、読売テレビの大橋善光社長は1月に松本人志氏の件について、「告発女性と松本氏が対決するのであれば放送したい」という発言をし、非難を浴びた。これもテレビ局関係者と世間のズレを感じる一件だった。 一方、テレビ番組制作に携わる人の人権についても、納得感のある指摘だと感じた。テレビが絶対的な王者であった頃から、テレビ局は朝も夜もないスケジュールで回っていることはよく知られていたし、最近では下請けの番組制作会社の低賃金、長時間労働問題も表面化している』、「テレビ番組制作に携わる人の人権についても、納得感のある指摘だと感じた。テレビが絶対的な王者であった頃から、テレビ局は朝も夜もないスケジュールで回っていることはよく知られていたし、最近では下請けの番組制作会社の低賃金、長時間労働問題も表面化している」、なるほど。
・『安易な取材方法も散見 負のスパイラルは続くのか  先日、作家の吉本ばなな氏が関西テレビの番組公式アカウントから直接「突然のご連絡、失礼いたします。(略)吉本様の投稿を番組でご紹介させていただきたく、ご連絡いたしました」と連絡を受け、断ったことがネット上で騒ぎとなり、その後同社が電話で吉本氏に謝罪したことが明らかになった。 テレビ局のスタッフがX上で事件の関係者や目撃者に接触するのは以前から見られた光景であり、その都度ネットユーザーからは様々な批判が上がっていた。今回は相手が有名人であるだけに、連絡の取りようはいくらでもあるはずであることから、さらなる非難につながった。 対象者と連絡を取る方法がネットに限られている場合もあるので、一概に批判はできないが、時間やコストの制限がある中でスタッフが安易な取材方法を選択しているように見える。長期的にテレビ局(引いてはマスコミ)への信頼を損ねているように感じるし、負のスパイラルを見る気持ちだ。 ネット上でのこのような批判を受け、今後は議事録に出る内容が大幅に減るのではないかという点が心配ではあるが、来年1月の審議会ではぜひ、旧ジャニーズ問題や松本人志氏に対する報道について、委員からの意見を聞いてみたい』、「ネット上でのこのような批判を受け、今後は議事録に出る内容が大幅に減るのではないかという点が心配ではあるが、来年1月の審議会ではぜひ、旧ジャニーズ問題や松本人志氏に対する報道について、委員からの意見を聞いてみたい」、同感である。

第三に、4月15日付け東洋経済オンライン「視聴率急落で「死の谷」にはまったテレビ局の苦悩 激減するテレビCM収入を配信で補う日は来るか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/747634
・『「死の谷はいつまで続くのか」――。いま、テレビ局の将来をそう憂う声が日増しに強まっている。 電通が2月に発表した「2023年 日本の広告費」によると、日本の総広告費は過去最高の7兆3167億円を記録した一方、地上波テレビの広告費は前年比4%減の1兆6095億円となった。 コロナ禍では、ネットフリックスやU-NEXTなど動画配信サービスの利用者が急増。それに押されるかたちで2021年以降、地上波テレビの視聴率は低下に拍車がかかり、テレビ局の収益柱である広告収入の減少がいっそう鮮明となっている』、「2021年以降、地上波テレビの視聴率は低下に拍車がかかり、テレビ局の収益柱である広告収入の減少がいっそう鮮明となっている」、そんなに「テレビ局」の環境が厳しくなっているのを改めて再認識した。
・『「3冠獲得」に燃えるテレ朝  日本民間放送連盟(民放連)の定める放送基準では、節度ある広告などを目的に、週間でのテレビCMの時間を総放送時間の18%以内とする規制が明記されている。 放送できるCMの本数(時間)に限界がある以上、カギを握るのはCM1本当たりの単価だ。一般的に、視聴率が高いほど広告主がCM1本(15秒)に対して支払う広告費も上がるとされる。そのためテレビ局にとっては、自社の視聴率がそのまま広告収入に直結すると言っても過言ではない。 その視聴率をめぐり、並々ならぬ闘志を燃やしているのがテレビ朝日だ。 「昨日までの段階で、個人全体では(中略)2冠という状況だ。世帯視聴率では3冠。今日を含めて残りあと6日、最後まで全力を尽くしていきたい」 3月26日に開かれたテレビ朝日の社長定例会見の冒頭、篠塚浩社長は2023年度の視聴率についてそう述べた。) テレビ視聴率には、世帯単位の視聴率である「世帯視聴率」と、個人単位の視聴率である「個人視聴率」の2つがある。さらに時間帯ごとの区分として、全日(6~24時)、ゴールデン(19~22時)、プライム(19~23時)という3つの指標があり、これらいずれの時間帯でもトップをとれれば「3冠」達成となる。 テレビ朝日は昨年3月に発表した中期経営計画で、2025年度までに年間・年度での個人全体視聴率で3冠をとることを目標に掲げている。2023年の年間視聴率は開局以来初の世帯3冠、個人全体2冠を獲得。長年王者であった日本テレビは首位陥落となり、今やテレビ朝日が“視聴率王”に躍り出ている。 (2023年の年間高視聴率番組ランキング はリンク先参照) 「相棒」や「科捜研の女」など、定番シリーズ番組を複数抱えるテレビ朝日。テレビ視聴率を調査するビデオリサーチが公表した、2023年の年間高視聴率ランキング(関東地区)の上位に同社の番組が多数入っている状況からしても、“視聴率王”の座に違和感はない。 しかし、あるキー局の社員は「テレ朝の視聴率が高いのは高齢者の視聴割合が高いから。在宅時間の長い高齢者はテレビの視聴時間も長い」と指摘する』、「「相棒」や「科捜研の女」など、定番シリーズ番組を複数抱えるテレビ朝日」は「“視聴率王”」のようだが、「「テレ朝の視聴率が高いのは高齢者の視聴割合が高いから。在宅時間の長い高齢者はテレビの視聴時間も長い」と指摘する」、「テレビ朝日」は「高齢者」に強いようだ。
・『現役世代に強い日テレの底力  ビデオリサーチが2020年3月から開始した新視聴率調査によって、今では視聴者の人数だけでなく、性別や年齢層も詳細に把握できるようになった。 そうした中、長らく視聴率王であった日本テレビは今年4月の番組改編から、13~49歳の男女の視聴率を「コアターゲット」視聴率として重視する戦略(コアMAX戦略)を明確に打ち出している。 日本テレビの公表資料によると、個人全体(全日)の視聴率ではテレビ朝日が1位、日本テレビは2位だが、コアターゲット視聴率では日本テレビが3冠で、テレビ朝日はいずれの時間帯でも4位(2023年実績)。コアターゲットの全日視聴率では両社で倍以上の差がついており、テレビ朝日の視聴者層が高齢者に偏っていることが読み取れる』、「日本テレビは今年4月の番組改編から、13~49歳の男女の視聴率を「コアターゲット」視聴率として重視する戦略(コアMAX戦略)を明確に打ち出している」、「個人全体(全日)の視聴率ではテレビ朝日が1位、日本テレビは2位だが、コアターゲット視聴率では日本テレビが3冠で、テレビ朝日はいずれの時間帯でも4位(2023年実績)」、「日本テレビ」が「コアMAX戦略」を打ち出したのは、「個人全体」では負けるので、あえて自分が優位に立てるセグメントを打ち出したのかも知れない。
タグ:メディア (その34)(このままでは13年後に紙の新聞は消滅する…熱心な読者からも"質が落ちた"と苦言を呈される残念な理由 減少率は"7.3%"で過去最大となった、「人権意識が強くなりすぎると 番組がつまらなく…」フジテレビ番組審議会が物議を醸した“ズレ感”の本質、視聴率急落で「死の谷」にはまったテレビ局の苦悩 激減するテレビCM収入を配信で補う日は来るか) PRESIDENT ONLINE 磯山 友幸氏による「このままでは13年後に紙の新聞は消滅する…熱心な読者からも"質が落ちた"と苦言を呈される残念な理由 減少率は"7.3%"で過去最大となった」 「新聞発行部数は」、「1年前に比べて7.3%、225万6145部も減少」、「全盛期の読売新聞と朝日新聞、毎日新聞の発行部数がすべてごっそり無くなったのと同じである」、それは大変だ。 「教えている大学で学生に「紙の新聞をどの程度読んでいるか」を毎年アンケート調査で聞いている。2023年度に教えた、のべ1026人の学生のうち、紙の新聞を「まったく読まない」と回答した学生は728人と7割に達した。一方で「定期購読している」という学生はわずか13人、1.3%だった・・・ 電子新聞など新聞社の情報メディアを使っている学生もごく一部で、「新聞」という媒体自体が凋落しているのは明らかである。学生の情報源はタダのSNSが主体だし、ビジネスマンの多くも無料の情報サイトで済ませている人が少なくない。つまり、情報を得るために「新聞」を買って読むという行為自体が、失われつつあるように見える」、なるほど。 「新聞社が儲からなくなったことだ。新聞記者を遊ばせておく余裕がなくなり、今の若い記者たちは私が新聞社にいた頃に比べて格段に忙しくなっている・・・新聞社は取材を通じて勉強していくOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)が伝統で、ベテランのデスクやキャップから、若手記者は取材方法や原稿の書き方を学んでいた。そんなOJT機能が忙しさが増す中で失われ、人材が育たなくなっているのだ・・・それは新聞記事の「品質」にも表れる。 長年、新聞に親しんだ読者からは、最近の新聞は質が落ちたとしばしば苦言を呈される。また、新聞の作り方が変わってきたことで、伝統的な紙の新聞のスタイルも変化している」、なるほど。 「1段分の見出ししか付いていない記事を「ベタ記事」と呼ぶ・・・デジタルでネットに情報を出すことを前提に記事を作るため、ひとつの原稿が長くなったことで、ベタ記事が入らなくなった、という制作面の理由が大きい。長い読み物的な記事が紙の新聞でも幅をきかせるようになり、新聞が雑誌化している、とも言われる」、なるほど。 「ニューヨーク・タイムズのように紙の発行部数のピークが150万部だったものが、デジタル版に大きくシフトして有料読者が1000万人になったケースなら、紙が半分以下に落ち込んでも十分にやっていける。 デジタル化で成功していると言われる日本経済新聞も、紙はピークだった300万部超から半分になったが、電子版は100万契約に過ぎない。紙の新聞は全面広告などで高い広告費を得られたが、デジタルの広告単価は低い。マネタイズする仕組みとして猛烈に優秀だった紙の新聞を凌駕できるだけの仕組みがまだできていないのだ。1000万部 を超えて世界最大の新聞だった読売新聞はデジタルで大きく出遅れている中で、紙は620万部まで減少」、「ニューヨーク・タイムズ」が「デジタル版に大きくシフトして有料読者が1000万人になった」、大したものだ。「日本経済新聞も、紙はピークだった300万部超から半分になったが、電子版は100万契約に過ぎない。紙の新聞は全面広告などで高い広告費を得られたが、デジタルの広告単価は低い。マネタイズする仕組みとして猛烈に優秀だった紙の新聞を凌駕できるだけの仕組みがまだできていないのだ」、日本はまだまだのようだ。 「紙の新聞には情報媒体としての優位性」は「一覧性」だが、「ベタ記事が消滅するなど、新聞の特性自体が消滅しつつある。新聞社が紙の新聞を作り込む努力をしなくなったのだとすれば、紙の新聞の消滅は時間の問題、ということになるのだろう」、「紙の新聞の消滅は時間の問題」というのは、寂しい感じもあるが、やはりやむを得ないのだろう。 ダイヤモンド・オンライン 鎌田和歌氏による「「人権意識が強くなりすぎると、番組がつまらなく…」フジテレビ番組審議会が物議を醸した“ズレ感”の本質」 冒頭で紹介した「「人権意識が強くなりすぎると良い表現ができなくなり、テレビ局の挑戦も締め付けられ、番組がつまらなくなり、世の中から見捨てられてしまうのではないか」――」、は確かに「「軽い」印象を受ける」、その通りだ。 「「人権はもちろん大切だが」「人権意識が強くなりすぎると」といった意見はそもそも人権問題を考えることに拒否を示す人にありがちな反応である。人権を学ぶことは、誰にとっても多少の苦痛を感じる経験である。それまでの価値観が揺さぶられ、自分の偏見に気付かされることがあるからである。ある意味、自然な反応とも言える。 だからこそ、こういった拒否反応を起こす人がいる前提で、それを包摂し乗り越えるための教育が必要であり、人権について意識が高まることは「息苦しさ」を意味しないと納得してもらう必要がある。 しかし日本ではまだ、拒否反応が「一つの意見」と見なされる傾向があり、それがこの度の議事録でもはっきりとした」、なるほど。 「『結局テレビが一番面白い』と思ってもらえるコンテンツを作りたいと考えている」というコメントからは、ネット動画などへのライバル心が垣間見える。こういった焦りが、「自分たちはコンプライアンスに過剰に縛られてやりづらい」という発想につながるのかもしれない」、その通りだ。 「テレビ番組制作に携わる人の人権についても、納得感のある指摘だと感じた。テレビが絶対的な王者であった頃から、テレビ局は朝も夜もないスケジュールで回っていることはよく知られていたし、最近では下請けの番組制作会社の低賃金、長時間労働問題も表面化している」、なるほど。 「ネット上でのこのような批判を受け、今後は議事録に出る内容が大幅に減るのではないかという点が心配ではあるが、来年1月の審議会ではぜひ、旧ジャニーズ問題や松本人志氏に対する報道について、委員からの意見を聞いてみたい」、同感である。 東洋経済オンライン「視聴率急落で「死の谷」にはまったテレビ局の苦悩 激減するテレビCM収入を配信で補う日は来るか」 そんなに「テレビ局」の環境が厳しくなっているのを改めて再認識した。 「「相棒」や「科捜研の女」など、定番シリーズ番組を複数抱えるテレビ朝日」は「“視聴率王”」のようだが、「「テレ朝の視聴率が高いのは高齢者の視聴割合が高いから。在宅時間の長い高齢者はテレビの視聴時間も長い」と指摘する」、「テレビ朝日」は「高齢者」に強いようだ。
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NHK問題(その7)(稲葉NHKに喧嘩を売った…前会長の前田晃伸氏はみずほFG出身の「無類の硬骨漢」、「完全に冤罪 よくあんな乱暴な処分をしたな」NHK“前田晃伸前会長の変”に新たな展開、【音声入手】NHK首脳が頼みの綱は「税金」と明言!受信料収入激減で“脱・公共放送”シナリオが浮上) [メディア]

NHK問題については、昨年6月2日に取上げた。今日は、(その7)(稲葉NHKに喧嘩を売った…前会長の前田晃伸氏はみずほFG出身の「無類の硬骨漢」、「完全に冤罪 よくあんな乱暴な処分をしたな」NHK“前田晃伸前会長の変”に新たな展開、【音声入手】NHK首脳が頼みの綱は「税金」と明言!受信料収入激減で“脱・公共放送”シナリオが浮上)である。

先ずは、本年1月20日付け日刊ゲンダイが掲載した金融ジャーナリストの小林佳樹氏による「稲葉NHKに喧嘩を売った…前会長の前田晃伸氏はみずほFG出身の「無類の硬骨漢」」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/334981
・『NHKの次期中期経営計画案(2024~26年度)に対する意見募集(パブリックコメント)に、昨年1月まで会長だった前田晃伸氏(79)が意見を寄せていたことが朝日新聞の取材で明らかになった。 意見書は400字詰めの原稿用紙5枚にボールペンで手書きされており、前田氏時代に導入された人事制度改革が稲葉延雄・現会長の下で見直しが進められていることに対し「新体制となり、改革派の職員は、次々と姿を消す事態となった。(昨年)1月以降、経営改革は止まり、古い体制を維持する方向にカジを切ったことは、誠に残念」と痛烈に批判している。 また、今年度予算で未認可の衛星放送の配信業務に絡む不適切な支出の決定に前田氏が関わっていたとして、退職金が10%減額支給された問題にも言及。決定は専門家が放送法に抵触すると指摘しているが、「『冤罪デッチ上げ事件』だ」「放送法違反のおそれがあるという指摘は、完全に間違い」と記している。 これに対し、1月9日に記者会見した稲葉会長は、前田氏の主張について「私の役割は、(前田氏の)『改革の検証と発展』だ。改革を否定しているわけではないので残念」と述べた』、「前田前会長」の「意見書は400字詰めの原稿用紙5枚にボールペンで手書きされており、前田氏時代に導入された人事制度改革が稲葉延雄・現会長の下で見直しが進められていることに対し「新体制となり、改革派の職員は、次々と姿を消す事態となった。(昨年)1月以降、経営改革は止まり、古い体制を維持する方向にカジを切ったことは、誠に残念」と痛烈に批判」、なるほど。
・前代未聞の聴取  前田氏が「冤罪デッチ上げ」と指摘した事件は、衛星放送番組のインターネット配信の整備費約9億円の支出について、22年12月に前田氏や理事ら計9人が承認した稟議プロセスが不透明だというもの。稲葉会長はその解明のため4月の理事会で特命監査を指示。稟議に関わった前田氏や理事らを5月上旬にかけて聴取した。特命監査での会長経験者の聴取は前代未聞だった。 「この特命監査での遺恨が今回の前田氏の異例の意見書につながっていることは確かだ。前田氏はみずほ時代から超がつく堅物で有名だった。ストイックで、人一倍プライドが高い。特命監査で不正を問われたことに我慢がならなかったのだろう」(メガバンク幹部)という。 前田氏をよく知る財界関係者も、「前田氏はみずほフィナンシャルグループ(FG)の社長・会長時代から誰よりも先に出社し、真冬でも暖房を入れず、ダウンを着込んで我慢するほどの硬骨漢だ」と指摘する。 前田氏の故郷は福沢諭吉ゆかりの大分県中津市。地元の進学校・中津南高校を経て、東大法学部に進学し、みずほFGの前身のひとつ富士銀行に入行した。「みずほ誕生を主導した山本恵朗頭取に可愛がられ、みずほFGのトップに上り詰めた」(みずほ関係者)とされる。実父は弁護士で、「前田氏はみずほFGの社長・会長の後、国家公安委員に就いたことに、これで親孝行ができたと喜んでいた」(同)という。 その前田氏に、こともあろうか法的責任を突き付けた稲葉会長の行動は、終生許すことはできないということだろう』、「衛星放送番組のインターネット配信の整備費約9億円の支出について、22年12月に前田氏や理事ら計9人が承認した稟議プロセスが不透明だというもの。稲葉会長はその解明のため4月の理事会で特命監査を指示。稟議に関わった前田氏や理事らを5月上旬にかけて聴取した。特命監査での会長経験者の聴取は前代未聞・・・前田氏はみずほフィナンシャルグループ(FG)の社長・会長時代から誰よりも先に出社し、真冬でも暖房を入れず、ダウンを着込んで我慢するほどの硬骨漢だ・・・その前田氏に、こともあろうか法的責任を突き付けた稲葉会長の行動は、終生許すことはできないということだろう」、なるほど。

次に、2月15日付け文春オンライン「「完全に冤罪。よくあんな乱暴な処分をしたな」NHK“前田晃伸前会長の変”に新たな展開」を紹介しよう。
・『「完全に冤罪。よくあんな乱暴な処分をしたなと」 こうため息をつくのはNHK前会長の前田晃伸氏(79)。「新旧会長の対立」で揺れるNHK。事件は内部監査室で起こった』、興味深そうだ。
・『「放送法違反に当たる恐れがあった」前田氏に異例の処分が下る  ことの発端は、昨年10月にNHKが募集したパブリックコメント(一般からの意見募集)だった。ここに実名で投書し、現経営陣を痛烈に批判したのが、前田氏だ。特に「冤罪デッチ上げ事件」と強い言葉で非難したのが「BS番組のインターネット同時配信をめぐる問題」だった。経済部デスクが解説する。 「まだ放送法で認められておらず、総務省の認可が必要なこの事業に“前田体制”下で約9億円の予算がついた。23年に後任会長に就任した稲葉延雄氏(73)は『そのまま進んでいたら放送法違反に当たる恐れがあった』として、前田氏の退職金を10%減額とする異例の処分を下しました」』、「「まだ放送法で認められておらず、総務省の認可が必要なこの事業(BS番組のインターネット同時配信)に“前田体制”下で約9億円の予算がついた。23年に後任会長に就任した稲葉延雄氏(73)は『そのまま進んでいたら放送法違反に当たる恐れがあった』として、前田氏の退職金を10%減額とする異例の処分、なるほど。
・『前内部監査室長であるA氏に“冤罪疑惑”が浮上  これにパブコメで猛抗議したのが前田氏というわけだ。小誌が前々号で直撃すると、予算をつけたのは「ネット配信の準備のため」であり、なんら法的な問題はなかったと改めて主張。「(稲葉氏は)もっと謙虚に仕事したほうがいい」と吼えた。そして今回、「新旧会長対立」に新展開が。 前内部監査室長であるA氏の“冤罪疑惑”です。昨年12月21日、NHKは内部監査資料を持ち出したことなどを理由として、A氏を含めた内部監査室の職員3名に停職1カ月の懲戒処分を命じた。A氏は『自分は規程違反はしていない』と訴えたのですが、聞き入れられなかった。一連の経緯について口外しないよう、“念書”まで書かされていました」(NHK関係者)』、「昨年12月21日、NHKは内部監査資料を持ち出したことなどを理由として、A氏を含めた内部監査室の職員3名に停職1カ月の懲戒処分を命じた。A氏は『自分は規程違反はしていない』と訴えたのですが、聞き入れられなかった。一連の経緯について口外しないよう、“念書”まで書かされていました」、「“念書”まで書かされていました」とは驚くべきことだ。

第三に、3月25日付けダイヤモンド・オンライン「【音声入手】NHK首脳が頼みの綱は「税金」と明言!受信料収入激減で“脱・公共放送”シナリオが浮上」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/340876
・『「道は二つあります。一つは完全民営化。もう一つは税金です」。NHKの井上樹彦副会長は2023年秋、若手職員を前に臆することなく、NHKの今後の選択肢について、そう強調した。人口減とテレビ離れの加速で、NHKの受信料収入の激減は待ったなし。特集『変局!岐路に立つNHK』(全8回)の#1では、NHK首脳が予見する今後のNHKの絵姿に加え、“生き残り策”を発言内容から明らかにしていく』、興味深そうだ。
・『放送法の改正案が閣議決定 スマホでNHK視聴に受信料  東京・渋谷、自然豊かな代々木公園を背にした場所に、その放送局はある。国内唯一の公共放送機関である日本放送協会(NHK)だ。NHKの社員数は1万0343人(2022年3月時点)。日本で最も大きな放送局である。 この巨大組織が今、大きな“転換点”を迎えている。放送法の見直しだ。1950年に制定された放送法は、第64条で「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、同項の認可を受けた受信契約の条項で定めるところにより、協会と受信契約を締結しなければならない」と定めている。受信設備とはテレビを指し、この条文が受信料徴収の根拠となってきた。 一方、視聴者はスマートフォンやパソコンでNHKのニュースサイトや動画を閲覧しても、受信料は徴収されなかった。ネットコンテンツは「理解増進情報」とされており、テレビ放送を補完するものという位置付けだったためだ。 しかし、政府は3月1日に放送法改正案を閣議決定した。今国会で成立すれば、インターネット活用業務は放送と同格の「必須業務」となる。これにより、NHKはウェブ上での同時配信や見逃し配信、番組情報の発信が義務となる。 その上、NHKの今後を大きく左右しかねない変更が、スマホやパソコンなどでのNHKの視聴に対して受信料が徴収できるようになることだ。ただし、NHKのアプリなどの登録者から受信料を徴収するもので、スマホを保有するだけでは契約義務は生じない。 人口減とテレビ離れの加速で、今後、NHKの受信料収入は先細りしていく可能性が高い。放送法改正案に盛り込まれた“ネット受信料解禁”は、公共放送を支える最後の切り札になり得るのだろうか。 実は、NHKの首脳は現状に楽観的ではないようだ。ダイヤモンド編集部は、NHK首脳が昨秋、若手職員に対して今後のNHKについて語った音声を入手した。発言はプロパー職員のトップである現副会長・井上樹彦氏のものだ。 井上氏は、今後の受信料収入に関して悲観的な見方を示した上で、大胆にも今後NHKが取るべき道を開陳している。そこには「税金」というキーワードも登場する。次ページで、井上氏の発言の全容について明らかにしていく』、NHK内部の本音の見方とはますます興味深そうだ。
・『受信料収入は10分の1まで減少も 二つある道のうち一つは「税金」  NHKの受信料収入は、不祥事が続き、不払い運動が起こった05年度を底に、右肩上がりで伸びてきた。しかし、足元では18年度の7122億円をピークに減少傾向が続いている。 (図_NHKの受信料収入の推移 はリンク先参照) 背景にはテレビを持たない世帯の増加などで、受信料の世帯支払率が減少していることだけではなく、そもそも人口減により契約対象世帯数が減っていることもある。23年10月に受信料の1割値下げに踏み切ったことで、24年度の受信料収入は06年度以来の6000億円割れとなる見通しだ。 国立社会保障・人口問題研究所が公表している「日本の世帯数の将来推計」によると、40年の総世帯数は23年の5419万世帯から、5076万世帯にまで落ち込むとされる。現在の世帯支払率で単純計算すると、受信料収入は5760億円ほどにとどまる。もちろん、テレビ離れがより加速すれば、さらなる下振れ要因となる。 今回の放送法改正案が成立すれば、ネット視聴に対して受信料を徴収できるようになる。だが、NHKの首脳は、これが悪い方向に作用する事態を想定しているようだ。井上氏はこう語る。 「(アプリはテレビと違って)スマホからもうワンアクション、ツーアクションが必要だ。アクションをしてもらえないと、受信料をもらえないわけだ。そこで何が起きるかというと、消費者、受信者からすると比較考慮する。ヤフーのポータルサイトを見ていれば(記事は)無料だから、NHKのアプリは要らないと(なる)。そしたら、そこで受信料は入ってこなくなる」 つまり、テレビと比べると、アプリはそもそもダウンロードしてもらわないと受信料を徴収できない。そして、その手間が大きな打撃となるということだ。 加えて、井上氏はこんな悲観シナリオを打ち明けた。「今、アプリのダウンロード数は10分の1ですよ。このままいくとね、収入が1割減どころか10分の1まで減少する可能性がある」 将来的に受信料収入が先細るという見通しを前提に、井上氏は続けて、NHKの在り方にすら関わる重大な“選択肢”を挙げる。 「道は二つあります。一つは完全民営化。もう公共放送はなくなる。もう一つは税金ですよ」 税金が意味するところは、「国営化」である。つまり、NHKの最高幹部の口から、将来的な民営化シナリオに加え、国営化シナリオが発せられたのだ。いずれも長く堅持してきた公共放送機関からの脱却である。 ただし、井上氏はこうも語っている。「そうはいっても(NHKを)なくすわけにはいかない。それこそ、何が正しい情報か分からなくなる。そうすると、1世帯1000円以下にして(続けることになる)。これドイツ型っていいます。ドイツの公共放送はこれやってるんですね。そうすると存続はできるんですよ」。 井上氏が例に挙げたドイツには地域ごとに9つの公共放送が存在する。NHKと同じく受信料によって運営される公共放送の形を取っているが、実態はやや異なる。なぜなら、国民はテレビやスマートフォン、パソコンの保有の有無に関わらず、受信料を納める義務を負っているからだ。いわば、“税金”といえる。 井上氏が示した民営化と国営化という二つのシナリオは現実的といえるのだろうか。 仮に完全民営化となれば、広告収入によって運営することになる。だが、現在の放送法は、第83条でNHKが広告収入を得ることを明確に禁止している。広告を導入すれば、番組作りにおいて文化の保存や育成よりも、視聴率が優先されてしまう恐れがあるためだ。 そもそもNHKが公共放送として力を入れる災害報道などは商業ベースでは成立が難しい。完全民営化が広告収入による、受信料制度からの自立を指すのであれば、NHKはコンテンツのみならず、組織そのものの姿も大きく変える必要があるだろう。これは、“存続”といえるだろうか。 一方で、国営化のハードルも高い。井上氏が例に挙げたドイツのように、そもそも受信料を全世帯から徴収する“強制徴収”ですら、事実上は困難だ。そもそも放送法第64条の改正が必要となる。有権者の反発を招きかねない施策に対し、政治家が踏み込むとは考えにくい。 そして、国営化はメディアとしてのNHKを大きく揺るがしかねない。一例が、政治を巡る報道である。税金で運営されるメディアが中立的に国家権力を監視するのは極めて難しい。 井上氏は最後にこう言い放っている。「これからどうやっていくのか。僕らはずいぶん生きてきたからいいんだけどね、20代、30代の人は不安を感じるかもしれない」。発言からは、10年後、20年後の展望を描けない“袋小路”に陥った巨大放送局の苦境がにじんでいる』、「テレビと比べると、アプリはそもそもダウンロードしてもらわないと受信料を徴収できない。そして、その手間が大きな打撃となるということだ。 加えて、井上氏はこんな悲観シナリオを打ち明けた。「今、アプリのダウンロード数は10分の1ですよ。このままいくとね、収入が1割減どころか10分の1まで減少する可能性がある・・・将来的に受信料収入が先細るという見通しを前提に、井上氏は続けて、NHKの在り方にすら関わる重大な“選択肢”を挙げる。 「道は二つあります。一つは完全民営化。もう公共放送はなくなる。もう一つは税金ですよ」 税金が意味するところは、「国営化」である。つまり、NHKの最高幹部の口から、将来的な民営化シナリオに加え、国営化シナリオが発せられたのだ。いずれも長く堅持してきた公共放送機関からの脱却である。 ただし、井上氏はこうも語っている。「そうはいっても(NHKを)なくすわけにはいかない。それこそ、何が正しい情報か分からなくなる。そうすると、1世帯1000円以下にして(続けることになる)。これドイツ型っていいます。ドイツの公共放送はこれやってるんですね。そうすると存続はできるんですよ・・・井上氏が示した民営化と国営化という二つのシナリオは現実的といえるのだろうか。 仮に完全民営化となれば、広告収入によって運営することになる。だが、現在の放送法は、第83条でNHKが広告収入を得ることを明確に禁止している。広告を導入すれば、番組作りにおいて文化の保存や育成よりも、視聴率が優先されてしまう恐れがあるためだ。 そもそもNHKが公共放送として力を入れる災害報道などは商業ベースでは成立が難しい。完全民営化が広告収入による、受信料制度からの自立を指すのであれば、NHKはコンテンツのみならず、組織そのものの姿も大きく変える必要があるだろう。これは、“存続”といえるだろうか。 一方で、国営化のハードルも高い。井上氏が例に挙げたドイツのように、そもそも受信料を全世帯から徴収する“強制徴収”ですら、事実上は困難だ。そもそも放送法第64条の改正が必要となる。有権者の反発を招きかねない施策に対し、政治家が踏み込むとは考えにくい。 そして、国営化はメディアとしてのNHKを大きく揺るがしかねない。一例が、政治を巡る報道である。税金で運営されるメディアが中立的に国家権力を監視するのは極めて難しい。 井上氏は最後にこう言い放っている。「これからどうやっていくのか。僕らはずいぶん生きてきたからいいんだけどね、20代、30代の人は不安を感じるかもしれない」。発言からは、10年後、20年後の展望を描けない“袋小路”に陥った巨大放送局の苦境がにじんでいる」、これはと言う妙案はないようだ。特に、「放送法第64条の改正が必要となる。有権者の反発を招きかねない施策に対し、政治家が踏み込むとは考えにくい」、は残念ながらその通りだ。 
タグ:かねない施策に対し、政治家が踏み込むとは考えにくい」、は残念ながらその通りだ。 そして、国営化はメディアとしてのNHKを大きく揺るがしかねない。一例が、政治を巡る報道である。税金で運営されるメディアが中立的に国家権力を監視するのは極めて難しい。 井上氏は最後にこう言い放っている。「これからどうやっていくのか。僕らはずいぶん生きてきたからいいんだけどね、20代、30代の人は不安を感じるかもしれない」。発言からは、10年後、20年後の展望を描けない“袋小路”に陥った巨大放送局の苦境がにじんでいる」、これはと言う妙案はないようだ。特に、「放送法第64条の改正が必要となる。有権者の反発を招き そもそもNHKが公共放送として力を入れる災害報道などは商業ベースでは成立が難しい。完全民営化が広告収入による、受信料制度からの自立を指すのであれば、NHKはコンテンツのみならず、組織そのものの姿も大きく変える必要があるだろう。これは、“存続”といえるだろうか。 一方で、国営化のハードルも高い。井上氏が例に挙げたドイツのように、そもそも受信料を全世帯から徴収する“強制徴収”ですら、事実上は困難だ。そもそも放送法第64条の改正が必要となる。有権者の反発を招きかねない施策に対し、政治家が踏み込むとは考えにくい。 はこれやってるんですね。そうすると存続はできるんですよ・・・井上氏が示した民営化と国営化という二つのシナリオは現実的といえるのだろうか。 仮に完全民営化となれば、広告収入によって運営することになる。だが、現在の放送法は、第83条でNHKが広告収入を得ることを明確に禁止している。広告を導入すれば、番組作りにおいて文化の保存や育成よりも、視聴率が優先されてしまう恐れがあるためだ。 「道は二つあります。一つは完全民営化。もう公共放送はなくなる。もう一つは税金ですよ」 税金が意味するところは、「国営化」である。つまり、NHKの最高幹部の口から、将来的な民営化シナリオに加え、国営化シナリオが発せられたのだ。いずれも長く堅持してきた公共放送機関からの脱却である。 ただし、井上氏はこうも語っている。「そうはいっても(NHKを)なくすわけにはいかない。それこそ、何が正しい情報か分からなくなる。そうすると、1世帯1000円以下にして(続けることになる)。これドイツ型っていいます。ドイツの公共放送 「テレビと比べると、アプリはそもそもダウンロードしてもらわないと受信料を徴収できない。そして、その手間が大きな打撃となるということだ。 加えて、井上氏はこんな悲観シナリオを打ち明けた。「今、アプリのダウンロード数は10分の1ですよ。このままいくとね、収入が1割減どころか10分の1まで減少する可能性がある・・・将来的に受信料収入が先細るという見通しを前提に、井上氏は続けて、NHKの在り方にすら関わる重大な“選択肢”を挙げる。 NHK内部の本音の見方とはますます興味深そうだ。 ダイヤモンド・オンライン「【音声入手】NHK首脳が頼みの綱は「税金」と明言!受信料収入激減で“脱・公共放送”シナリオが浮上」 「昨年12月21日、NHKは内部監査資料を持ち出したことなどを理由として、A氏を含めた内部監査室の職員3名に停職1カ月の懲戒処分を命じた。A氏は『自分は規程違反はしていない』と訴えたのですが、聞き入れられなかった。一連の経緯について口外しないよう、“念書”まで書かされていました」、「“念書”まで書かされていました」とは驚くべきことだ。 「「まだ放送法で認められておらず、総務省の認可が必要なこの事業(BS番組のインターネット同時配信)に“前田体制”下で約9億円の予算がついた。23年に後任会長に就任した稲葉延雄氏(73)は『そのまま進んでいたら放送法違反に当たる恐れがあった』として、前田氏の退職金を10%減額とする異例の処分、なるほど。 文春オンライン「「完全に冤罪。よくあんな乱暴な処分をしたな」NHK“前田晃伸前会長の変”に新たな展開」 は、終生許すことはできないということだろう」、なるほど。 「衛星放送番組のインターネット配信の整備費約9億円の支出について、22年12月に前田氏や理事ら計9人が承認した稟議プロセスが不透明だというもの。稲葉会長はその解明のため4月の理事会で特命監査を指示。稟議に関わった前田氏や理事らを5月上旬にかけて聴取した。特命監査での会長経験者の聴取は前代未聞・・・前田氏はみずほフィナンシャルグループ(FG)の社長・会長時代から誰よりも先に出社し、真冬でも暖房を入れず、ダウンを着込んで我慢するほどの硬骨漢だ・・・その前田氏に、こともあろうか法的責任を突き付けた稲葉会長の行動 「前田前会長」の「意見書は400字詰めの原稿用紙5枚にボールペンで手書きされており、前田氏時代に導入された人事制度改革が稲葉延雄・現会長の下で見直しが進められていることに対し「新体制となり、改革派の職員は、次々と姿を消す事態となった。(昨年)1月以降、経営改革は止まり、古い体制を維持する方向にカジを切ったことは、誠に残念」と痛烈に批判」、なるほど。 小林佳樹氏による「稲葉NHKに喧嘩を売った…前会長の前田晃伸氏はみずほFG出身の「無類の硬骨漢」」 日刊ゲンダイ (その7)(稲葉NHKに喧嘩を売った…前会長の前田晃伸氏はみずほFG出身の「無類の硬骨漢」、「完全に冤罪 よくあんな乱暴な処分をしたな」NHK“前田晃伸前会長の変”に新たな展開、【音声入手】NHK首脳が頼みの綱は「税金」と明言!受信料収入激減で“脱・公共放送”シナリオが浮上) NHK問題
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SNS(ソーシャルメディア)(その13)(【Xの嫌な感じの正体】イーロン・マスクがツイッター改名に執着する「本当の理由」、マスク氏とザッカーバーグ氏の決闘は「素手」ではなく「真剣」でやるべき…決闘の専門家がそう勧める理由 決闘とは見世物ではなく もっと厳粛で神聖なもの、広告主が相次ぎ出稿停止「X」は何がヤバいのか もはやXを使うこと自体が逆宣伝?) [メディア]

SNS(ソーシャルメディア)については、本年7月25日に取上げた。今日は、(その13)(【Xの嫌な感じの正体】イーロン・マスクがツイッター改名に執着する「本当の理由」、マスク氏とザッカーバーグ氏の決闘は「素手」ではなく「真剣」でやるべき…決闘の専門家がそう勧める理由 決闘とは見世物ではなく もっと厳粛で神聖なもの、広告主が相次ぎ出稿停止「X」は何がヤバいのか もはやXを使うこと自体が逆宣伝?)である。

先ずは、7月26日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したジャーナリストのジミー・ソニ氏と、同、 櫻井祐子氏による「【Xの嫌な感じの正体】イーロン・マスクがツイッター改名に執着する「本当の理由」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/326631
・イーロン・マスクがオーナーになったツイッターはその名称を廃止し「X社」となり、おなじみの青い鳥も「Xロゴ」に変更された。マスクのこの「X」への異様な執着はなんなのか。 マスクやピーター・ティールなどシリコンバレーの重要人物に徹底的に取材し、伝説的ベンチャー、ペイパル誕生の驚くべきストーリーを明らかにした全米ベストセラー『創始者たち──イーロン・マスク、ピーター・ティールと世界一のリスクテイカーたちの薄氷の伝説』(ジミー・ソニ著、櫻井祐子訳、ダイヤモンド社)を読むと、マスクのXへの偏執的なこだわりとその理由がわかる。 「ページを繰る手が止まらない」「あっという間に読んでしまった」と話題が広がる波乱万丈の『創始者たち』から、一部を特別に掲載する。 【Xの嫌な感じの正体】イーロン・マスクがツイッター改名に執着する「本当の理由」 前にもまったく同じ騒動を起こしていた((編集部注)時は2000年、イーロン・マスクの会社「X.com」と、ピーター・ティールの会社「コンフィニティ」とが合併して、のちに「ペイパル」となる伝説的ベンチャーが誕生した。 しかし、合併会社のCEOとなったマスクは、ツイッターにおいてと同様、「X」の名前に異様なこだわりを見せ、社内は大混乱となる。この様子はまさに最近どこかで見たことのある光景だ。 (マスクのX.comと、ティールのコンフィニティの間では)合併時から「社名」の火種がくすぶっていた。 ユーザーがブラウザに「www.PayPal.com」のURLを入力すると自動的に「www.X.com」のサイトに飛ばすことを決めたのは、新CEOのイーロン・マスクだったが、(ペイパルのブランドを育ててきた)多くのコンフィニティ出身者が不満に思っていた。 数字を見れば、どちらが優位かは明らかだった。2000年7月時点でペイパルの総決済件数は数百万件、これに対しX.comは数十万件だった。ユーザーはペイパルのブランドに群がり、イーベイでの出品やメールの末尾にペイパルのリンクを貼っていた。自動誘導の決定は、苦労して得たペイパルの信用を損なうリスクがあると、彼らは案じた。 マスクはペイパルを単体で呼ぶことをやめ、「X-ペイパル」に改称し、X.comの全サービスの前に「X」をつける──「X-ペイパル」「X-ファイナンス」など──と宣言した。 「ニッチな決済システムで満足するなら、ペイパルはいい名前だ。でも世界の金融システムの支配をめざすなら、Xの名前でなければだめだ。ペイパルは機能の一つに過ぎず、会社そのものではないんだから」とマスクは言った。彼にとって社名をペイパルにするのは、「アップルが社名をマックにするようなもの」だった』、「世界の金融システムの支配をめざすなら、Xの名前でなければだめだ。ペイパルは機能の一つに過ぎず、会社そのものではないんだから」とマスクは言った。彼にとって社名をペイパルにするのは、「アップルが社名をマックにするようなもの」だった」、なるほど。
・『なぜ「X」にこだわるのか?  (編集部注)マスクのこの「X」へのこだわりは、「X.com」の社名を考案した経緯を説いた同書からの抜粋記事「イーロン・マスクが考えた『一番カッコいいURL』の名前とは?」の中でも下記のとおり描写されている。 マスクはまだプロダクトもないうちにその会社の名前を決めた。X.com(Xドットコム)だ。マスクはこれが「ネット上で最もクールなURL」だと信じて疑わなかった。 マスクにとってX.comは斬新で、興味をそそり、すべての銀行・投資サービスが共存する場所という会社の精神をすっかり表現できるほど自由な名前だった。宝の地図の「X」が財宝のありかを示すように、X.comはネット上の富が集まる場所を示していた。 それにこのURLは、当時は世界に3つしかなかった希少な1文字ドメインのうちの1つなのだと、マスクは語っている(残る2つはq.comとz.com)。 マスクがこの名前をほしがったのには、実際的な理由もあった。 世界はまもなく携帯端末──はがき大のキーボード付きポケット型コンピュータ──であふれるだろう、とマスクは考えていた。そしてその世界では、X.comという短いURLは理想的だ。親指を数回タップして入力するだけで、あらゆる金融商品にアクセスできるのだから』、「マスクはまだプロダクトもないうちにその会社の名前を決めた。X.com(Xドットコム)だ。マスクはこれが「ネット上で最もクールなURL」だと信じて疑わなかった。 マスクにとってX.comは斬新で、興味をそそり、すべての銀行・投資サービスが共存する場所という会社の精神をすっかり表現できるほど自由な名前だった。宝の地図の「X」が財宝のありかを示すように、X.comはネット上の富が集まる場所を示していた」、なるほど。
・『「Xなんて、アダルトサイトみたい」  (編集部注)しかし、合併会社の社員たちはまったく納得していなかった。 その夏、問題は山場を迎えた。グループインタビューを用いた市場調査で、「X.com」より「ペイパル」という名前のほうが好感度が高いことがはっきりしたのだ。調査を主導した社員のヴィヴィアン・ゴーは、「『X』みたいな名前のサイトは信用できないとか、アダルトサイトみたいと言われ続けた」と言う。 ゴーはユーザー調査に限界があることも理解していた。「昔は『アップル』でさえおかしな名前だと思われていたわけだから」。だが彼女はユーザーの懸念を直接耳にした。「口を揃えて『この名前は信用できない。得体の知れない感じがする』とほぼ同じ言葉で言われ続けたら、そうかなと思わざるを得ない」 お堅い会計事務所のKPMGからX.comに転職したリーナ・フィッシャーは、怪しげな社名のせいで、自分やほかの社員が「気味の悪いメールをたくさん」受け取ったと言う。「うちのプロダクトといえば、ペイパルでしょう? ペイパルこそ、会社の目的を説明するのにふさわしい名前だとずっと思っていた」 他方、エイミー・ロウ・クレメントがX.comに入社したのは、その壮大なビジョンに魅力を感じたからだ。「Xが核で、その名の下にすべてのプロダクトを束ねようとしていた」と彼女は言う。 だが会社の成長の突破口を開いたのは、メールを利用した単純な決済方法(ペイパル)だった。「ペイパルのほうが成長が速かった。その一因は、X.comのアカウントは銀行口座で、運営にかかるコストも時間も膨大だったからよ。結局、銀行口座の顧客に収益性の高いほかの金融商品をすばやく売り込む見込みがないことがわかって、X.comのプラットフォームを運営する意味がなくなっていった」 マスクは名称変更は必要だと譲らず、市場調査をないがしろにして反感を買った。「ペイパル」派は、マスクがユーザーの好みより、私見をもとに意思決定を下そうとしていると感じた。 (編集部注)マスクはすでに20年以上前から、いまとまったく同じ行動を取っていたのだ。 結果、彼は誰もの不興を買い、クーデターが勃発、自らがつくったX.comのCEOの座から追放されることとなる。マスクの去ったX.comは無事に「ペイパル」に改名、いまや世界中にその名を轟かせている。 一方、マスクはその十数年後、X.comのURLをペイパルから買い戻している。 その際、「いったいそのURLで何をするのか」という声に、当時はまだ、いちヘヴィユーザーに過ぎなかったツイッターでこう返している。 「X.comの買い戻しを許してくれてありがとう、ペイパル! いまのところ何の計画もないが、僕にとってはとても思い入れがあるものだ」(『創始者たち』より) いまでは「X.com」とURLに打ち込むと、ツイッターのサイトに転送される。 X.comを追放されてからもSpaceXをつくるなど、一貫して「X」にこだわり続けてきたマスク。ツイッター買収も「宝のありかであるXに、ネット上のあらゆる富を集める」という20年来のビジョンに向かう一里塚だったようだ。はたして今回は、その遠大な野望の実現に近づくことができるのだろうか。 (本原稿は、ジミー・ソニ著『創始者たち──イーロン・マスク、ピーター・ティールと世界一のリスクテイカーたちの薄氷の伝説』からの抜粋です) 【Xの嫌な感じの正体】イーロン・マスクがツイッター改名に執着する「本当の理由」 『創始者たち』とは? 1999年、若き異端児イーロン・マスクが始めた会社X.comと、天才ピーター・ティールの会社コンフィニティは、数奇にも、シリコンバレーのとある建物で隣り合って入居していた。個性の強い精鋭集団は激しい衝突を繰り返すが、やがてペイパルという一つの会社に融合する』、「「市場調査で、「X.com」より「ペイパル」という名前のほうが好感度が高いことがはっきりしたのだ。調査を主導した社員のヴィヴィアン・ゴーは、「『X』みたいな名前のサイトは信用できないとか、アダルトサイトみたいと言われ続けた」と言う。 ゴーはユーザー調査に限界があることも理解していた。「昔は『アップル』でさえおかしな名前だと思われていたわけだから」。だが彼女はユーザーの懸念を直接耳にした。「口を揃えて『この名前は信用できない。得体の知れない感じがする』とほぼ同じ言葉で言われ続けたら、そうかなと思わざるを得ない」・・・イーロン・マスクが始めた会社X.comと、天才ピーター・ティールの会社コンフィニティは、数奇にも、シリコンバレーのとある建物で隣り合って入居していた。個性の強い精鋭集団は激しい衝突を繰り返すが、やがてペイパルという一つの会社に融合する」、なるほど。
・小さな会社から世界的CEOが続出した謎  その小さな会社を始めた「無名の若者たち」は、やがてシリコンバレーを席巻していく。 イーロン・マスク(スペースX創業、テスラ、ツイッターCEO)、ピーター・ティール(投資家)、マックス・レヴチン(スライド、アファーム創業)、リード・ホフマン(リンクトイン創業)、チャド・ハーリー(ユーチューブ創業)、ジェレミー・ストップルマン(イェルプ創業)、デイヴィッド・サックス(ヤマー創業)、プレマル・シャー(キヴァ創業)など、次々とシリコンバレーの大物を生んだ「全米史上最凶企業」ペイパルの驚くべき物語とは? 波乱に次ぐ波乱の展開で、朝日新聞(稲泉連氏評)、日本経済新聞(湯川抗氏評)、週刊東洋経済(塩野誠氏評)他、絶賛続々! 「ページを繰る手が止まらない」「面白すぎて本を閉じれない」とSNSでも話題沸騰! 読書界興奮の書。 【Xの嫌な感じの正体】イーロン・マスクがツイッター改名に執着する「本当の理由」 『創始者たち――イーロン・マスク、ピーター・ティールと世界一のリスクテイカーたちの薄氷の伝説』 ジミー・ソニ著、櫻井祐子訳 INTRODUCTION シリコンバレーの謎 第1部 大胆不敵(紹介は省略)』、「その小さな会社を始めた「無名の若者たち」は、やがてシリコンバレーを席巻していく。 イーロン・マスク・・・、ピーター・ティール(投資家)、マックス・レヴチン(スライド、アファーム創業)、リード・ホフマン(リンクトイン創業)、チャド・ハーリー(ユーチューブ創業)・・・」、さすが「シリコンバレー」だけあって、錚々たる顔ぶれだ。

次に、9月8日付けPRESIDENT Onlineが掲載した京都外国語大学外国語学部 教授の菅野 瑞治也氏による「マスク氏とザッカーバーグ氏の決闘は「素手」ではなく「真剣」でやるべき…決闘の専門家がそう勧める理由 決闘とは見世物ではなく、もっと厳粛で神聖なもの」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/73529
・『いずれも億万長者であるイーロン・マスク氏とマーク・ザッカーバーグ氏との「決闘」が注目を集めている。イタリア政府も開催を示唆するなど、ただのジョークではなさそうだ。京都外国語大学の菅野瑞治也教授は「二人には、総合格闘技による『ケージマッチ』=『決闘ショー』ではなく、真剣を用いたメンズーアのような決闘を真剣に提唱したい」という――』、興味深そうだ。
・『世界的な大富豪同士の「決闘」  米起業家イーロン・マスク(Elon Musk)氏と、米交流サイト大手メタ(Meta)のマーク・ザッカーバーグ(Mark Zuckerberg)CEOという世界的な二人の大富豪が本当に「決闘」する(かもしれない)ということで、ネットを中心に大きな話題になっている。 メタ社が、マスク氏自身が所有するX(旧Twitter)に対抗する新たなSNS「Threads」のサービスを開始したことで、両氏の対立が深まり、この「決闘」騒動は、マスク氏が「金網マッチ(ケージマッチ=囲いの中で行う格闘技)」で戦おうとザッカーバーグ氏に挑発したことから始まった。 当初はジョークかと思われたが、両氏とも戦いの準備はできているとし、お互い対戦日を提案するなどしてきたが、8月イタリア政府も同国での開催に正式に同意し、「決闘」はにわかに現実味を帯びてきた。 マスク氏(52歳)は、身長約188cm、体重約85kg、一方、ザッカーバーグ氏(39歳)は、身長約170cm、体重約70kg。体格では、マスク氏が圧倒的に有利に見えるが、ザッカーバーグ氏は39歳と若く、しかも、今年のとある柔術の大会で見事優勝している。それに負けじと、マスク氏も柔術のトレーニングを本格的に開始したと言われている。 我々日本人にとって、「決闘」はあまり馴染みがなく、イメージが湧きづらいかもしれない。しかし、ヨーロッパにおいては、「決闘」は古代から続く歴史と伝統のあるものである』、「当初はジョークかと思われたが、両氏とも戦いの準備はできているとし、お互い対戦日を提案するなどしてきたが、8月イタリア政府も同国での開催に正式に同意し、「決闘」はにわかに現実味を帯びてきた」、なるほど。
・『歴史と伝統のあるヨーロッパの「決闘」  中世のヨーロッパでは、殺人、姦通などの事件でことの真偽がはっきりしない場合、最終的な「神の裁き」として、争いの当事者またはその代理人が一対一で決闘をして、その結果に従って紛争に決着をつけるという裁判が行われていた。 これを「決闘裁判」と呼ぶが、歴史は古代ゲルマン人の時代まで遡る。一種の「神判」であり、その根底には、真実を主張している者に神は必ず味方するという考え方があった。しかし、時の経過とともに、「神判」は徐々に衰退し、14~5世紀には、「決闘裁判」も歴史舞台から姿を消し去る。 これ以降の近世のヨーロッパにおいては、名誉をめぐる争いごとなどを解決する目的で、当事者同士の合意のもと、予め了解し合った一定のルールに基づいて行う一対一の「決闘(duel)」(=果し合い)が激増していく。「決闘による無条件の名誉回復」という表現がよく使われたが、これは、何らかの理由で名誉を汚された者が、侮辱した方に決闘を挑み、侮辱した方(決闘を挑まれた方)が、その決闘の挑戦を受けるという権利と義務のことである。 侮辱を受けた者が決闘を申し入れないことや、決闘を申し込まれた者がこれを受諾しないことは、最大の不名誉とされていたので、決闘は頻繁に行われた。名誉を汚され、侮辱を受けた者は、その相手と命を懸けて決闘することによって、自分の名誉を挽回・回復し、すべてを清算することができた。 戦争との大きな違いは、関係のない者まで巻き込むことなく、当事者二人だけで争いごとを解決したわけであり、「決闘」はまさに、人類が考え出した最も賢明な紛争解決手段とも言えよう』、「中世のヨーロッパでは、殺人、姦通などの事件でことの真偽がはっきりしない場合、最終的な「神の裁き」として、争いの当事者またはその代理人が一対一で決闘をして、その結果に従って紛争に決着をつけるという裁判が行われていた。 これを「決闘裁判」と呼ぶが、歴史は古代ゲルマン人の時代まで遡る。一種の「神判」であり、その根底には、真実を主張している者に神は必ず味方するという考え方があった。しかし、時の経過とともに、「神判」は徐々に衰退し、14~5世紀には、「決闘裁判」も歴史舞台から姿を消し去る。 これ以降の近世のヨーロッパにおいては、名誉をめぐる争いごとなどを解決する目的で、当事者同士の合意のもと、予め了解し合った一定のルールに基づいて行う一対一の「決闘(duel)」・・・が激増していく・・・侮辱を受けた者が決闘を申し入れないことや、決闘を申し込まれた者がこれを受諾しないことは、最大の不名誉とされていたので、決闘は頻繁に行われた。名誉を汚され、侮辱を受けた者は、その相手と命を懸けて決闘することによって、自分の名誉を挽回・回復し、すべてを清算することができた。 戦争との大きな違いは、関係のない者まで巻き込むことなく、当事者二人だけで争いごとを解決したわけであり、「決闘」はまさに、人類が考え出した最も賢明な紛争解決手段とも言えよう」、なるほど。
・『筆者も経験した真剣を用いた「決闘」  決闘と言えば、アメリカの西部劇のようなピストルを用いてズドーンというシーンを思い浮かべる方も多いと思うが、決闘のための武器は、古代から中世、そして、近世に至るまで長らく「剣」が使用されていたわけであり、ピストルが決闘の武器として主流となったのは、ようやく18世紀中頃以降である。 19世紀後半になると、「決闘」は衰退の一途を辿っていくが、驚くべきことに、今日においても、「メンズーア(Mensur)」と呼ばれる真剣を用いた「決闘」の慣習がドイツ語圏(主にドイツとオーストリア)の一部の学生の間で連綿と受け継がれている。実は、私も留学時代にこのメンズーアを二度経験しており、筆者の頭と顔には、多少薄くなったが、その時に負った刀傷が今でもくっきりと残っている。 メンズーアの詳細について、拙著『実録 ドイツで決闘した日本人』(集英社新書)から一部をご紹介しよう。 メンズーアにおいては、刃渡り約90cm、柄(握り)が約15cmの鋭利な真剣を用いて、お互いの顔と頭を正面から斬り合うのである。頸けい動脈は勿論のこと、全身に防具をつけるため、今では死ぬことはまずない。しかし、鋭利な刃物で顔や頭を斬られることを一瞬でも考えると、その恐怖心はハンパではない。剣を交わし始めてから、しばらく、私の脚の震えが止まらなかったことを今でも鮮明に覚えている。 日本の剣道は両手で竹刀を握るが、メンズーアにおいては、片手だけで剣を持って戦う。両者の間には、剣の長さの分、つまり、約1メートルの距離しかない。そして、フェンシングのような「突き」は禁じられているが、剣の動きが1秒以上静止すると即刻失格となるので、自ずとすごいスピードで交互に斬り合うことになる。1ラウンドは僅か6~7秒、これを25~30ラウンド行うが、ほとんどの場合、15ラウンド目あたりまでにどちらかが負傷し、ドクターストップがかかり終了する。 そして、メンズーアにおいて特徴的なことは、剣道やボクシングのように動き回ったり、敵の攻撃をかわすために、上体と頭や顔を前後左右に動かすことが一切禁じられているという点である。両者は、至近距離で直立して対峙たいじして斬り合い、足を動かしたり、後ずさりしたり、顔を少しでものけぞらせたりすれば、「臆病で卑怯な態度をとること(ムッケン)」と見做され、即刻失格となる。 細かなルールが定められているという点で、確かにメンズーアはスポーツ的要素が強い。しかし、スポーツと呼べない理由は、勝敗がないという点と、殺傷能力のある真剣を用いる点にある。換言すれば、この「ムッケン」さえなければ、たとえどちらか一方が斬られたとしても、その決闘は有効なものとして認められ、その者は勇者として称えられるのである。メンズーアは、男としての真価を試される一つの厳しい試練であり、ヨーロッパに伝統的な騎士道精神に基づいた勇気を証明するための独特な儀式なのだ』、「今日においても、「メンズーア(Mensur)」と呼ばれる真剣を用いた「決闘」の慣習がドイツ語圏(主にドイツとオーストリア)の一部の学生の間で連綿と受け継がれている。実は、私も留学時代にこのメンズーアを二度経験しており、筆者の頭と顔には、多少薄くなったが、その時に負った刀傷が今でもくっきりと残っている」、筆者が「決闘」を「二度経験」したとは驚かされた。
・『伝統的な「決闘の本質」とは全く相いれない  ここまで簡単に振り返ってきたヨーロッパにおける「決闘」の歴史を鑑みれば、マスク氏とザッカーバーグ氏の「決闘」も、SNSサービスをめぐる両者の対立に一区切りをつける「決闘裁判」あるいは、近世の剣やピストルを用いた「決闘」のような意味合いがあるのかもしれない。 しかし、気になる点がいくつかある。両氏による総合格闘技は、「大規模なチャリティーイベント」として、マスク氏のXと、ザッカーバーグ氏のメタによって管理され、両方のシステムを経由して生中継される予定になっている。これは、まさに「決闘ショー」であり、ヨーロッパで伝統的に行われてきた決闘の本質とは全く相いれないものである。 植民地時代当初のアメリカは、ピューリタン的理念がすべての社会的モラルの規範であり、当然のことながら決闘に対して否定的な国であった。ところが、1776年に13州がイギリスからの独立を宣言したあたりから、ヨーロッパにおける社会的流行現象が急速にアメリカ社会に流れ込んできた。決闘作法もまた然りである』、「マスク氏とザッカーバーグ氏の「決闘」も・・・「大規模なチャリティーイベント」として、マスク氏のXと、ザッカーバーグ氏のメタによって管理され、両方のシステムを経由して生中継される予定になっている。これは、まさに「決闘ショー」であり、ヨーロッパで伝統的に行われてきた決闘の本質とは全く相いれないものである・・・1776年に13州がイギリスからの独立を宣言したあたりから、ヨーロッパにおける社会的流行現象が急速にアメリカ社会に流れ込んできた。決闘作法もまた然りである」、なるほど。
・『ヨーロッパの決闘の前提である「名誉」とは何か  1804年7月11日に合衆国副大統領アーロン・バーと合衆国建国の父の一人であるアレクサンダー・ハミルトンとの間で行われた有名な決闘は、元来、ヨーロッパの貴族階級の間で生まれた「名誉」を賭けた決闘と軌を一にするものであった。 その一方で、アメリカで広まったのは、開拓と自衛というファクターに基づいた、「名誉」を前提としない、その場の成り行きで喧嘩をし、ピストルでの決闘に発展するという、いわゆる、アメリカン・スタイルの決闘である。ペンシルベニア州では、娯楽の延長線上にある「決闘ショー」が一時流行したほどである。 それに対して、ヨーロッパの決闘には、あくまでも「名誉が著しく汚される」という事実が前提としてあった。「自己の名誉を深く傷つけられた」と感じた者が、侮辱した相手に決闘を申し入れ、決闘を要求された相手も必ずこれに応じるという暗黙の了解があった。そして、ここでいう「名誉」は、我々が日頃使っている「意地」とか「プライド」とかという軽い意味ではなく、人間としての「尊厳」、自分が生きていくうえで「これだけは譲れない」という本質的な部分と言い換えてもいいかもしれない』、「アメリカで広まったのは、開拓と自衛というファクターに基づいた、「名誉」を前提としない、その場の成り行きで喧嘩をし、ピストルでの決闘に発展するという、いわゆる、アメリカン・スタイルの決闘である。ペンシルベニア州では、娯楽の延長線上にある「決闘ショー」が一時流行したほどである。 それに対して、ヨーロッパの決闘には、あくまでも「名誉が著しく汚される」という事実が前提としてあった・・・「名誉」は、我々が日頃使っている「意地」とか「プライド」とかという軽い意味ではなく、人間としての「尊厳」、自分が生きていくうえで「これだけは譲れない」という本質的な部分と言い換えてもいいかもしれない」、なるほど。
・『「決闘」=「高貴なる野蛮」は厳粛で神聖なもの  真剣やピストルを用いた「決闘」は、絶えず「死」と隣り合わせである。それ故、これまで決闘で命を落とした多くの著名人も、そして、名もなき男たちも、そのほとんどが決闘を前にして遺言状を残してきた。決闘の場には、介添人や立会人などの関係者が居合わせるものの、決闘は、基本的には二人だけで行う究極的な清算手段である。マスク氏とザッカーバーグ氏にそこまでの覚悟があるのだろうか。 決闘は、復讐ふくしゅうのための手段ではなく、和解のための一つの媒体である。復讐はそれ自体、決闘の本質からかけ離れたものである。決闘においては、侮辱を受けた者も、侮辱を与えた者も全く対等であり、両者とも等しく、自分の命を失ったり、重傷を負ったりする危険に晒されている。このようなカタルシス的状況において、憎悪、敵意、復讐といったネガティブな感情が芽生える余地はもはやない。 このように、どう考えても、マスク氏とザッカーバーグ氏の「決闘」は、本物の決闘の本質からは逸脱したものに思えてならないが、SNSなどを通じて情報が錯綜さくそうする現代において、人間の生きる原点が何なのかを考えるきっかけを与えてくれているように思う。 私なりの結論を言うと、二人には、総合格闘技による「ケージマッチ」=「決闘ショー」ではなく、先ほど簡単に説明させていただいた、ドイツ語圏では合法化されているメンズーアのような真剣を用いた決闘を非公開で行うことを、真剣に提唱したい。ヨーロッパで連綿と受け継がれてきた「決闘」=「高貴なる野蛮」は、見世物ではなく、もっと厳粛で神聖なものだからだ』、「マスク氏とザッカーバーグ氏の「決闘」は・・・総合格闘技による「ケージマッチ」=「決闘ショー」ではなく・・・ドイツ語圏では合法化されているメンズーアのような真剣を用いた決闘を非公開で行うことを、真剣に提唱したい。ヨーロッパで連綿と受け継がれてきた「決闘」=「高貴なる野蛮」は、見世物ではなく、もっと厳粛で神聖なものだからだ」、「二人」がそんな真剣勝負をするつもりはないのであれば、世の中を騒がすのもいい加減にしてほしいものだ。

第三に、12月7日付け東洋経済オンラインがThe New York Timesを転載した「広告主が相次ぎ出稿停止「X」は何がヤバいのか もはやXを使うこと自体が逆宣伝?」を紹介しよう。
・『かつてツイッターとして知られていたソーシャルメディア企業「X」のオーナー、イーロン・マスクから口汚くののしられ、広告を出すなと言われたことを受け、複数の広告主は11月30日、Xへの出稿を近く再開する予定はないと語った』、「マスク」氏が「広告主」に対して「広告を出すな」と言ったとは、思い上がりもいいところだ。
・『広告価値よりもデカい風評リスク  少なくとも6社の広告代理店が、クライアント企業からXへの広告出稿に断固として反対されていると話す一方、ほかの広告代理店はXに広告を一切出さないよう広告主に助言したと話した。 マスクの発言によって、ここ数週間にわたり広告主がXに対して行ってきた一時的な出稿停止の一部は永久凍結に変わる可能性が高いと、これらの代理店は付け加えた。 マーケティングコンサルティング会社AJLアドバイザリーの創業者で最高経営責任者(CEO)のルー・パスカリスは、広告主はXに「戻ってこないだろう」と話した。「このプラットフォームを再び使うことによる風評リスクを相殺できるほどの広告価値はないからだ」 マスクは昨年にツイッターを買収して以降、繰り返し広告主を批判し、広告主の離反を招いてきた。Xのコンテンツモデレーション(悪質投稿の監視・削除)のルールを緩めるというマスクの計画に懸念を抱き、広告出稿を停止した広告主に対し、「核熱反応のように社名をさらして恥をかかせる」と脅したこともある。) マスクが反ユダヤ主義陰謀論の投稿に賛同し、Xでは親ナチスの投稿と一緒に広告が表示されるケースがあると研究者らが注意を呼びかけたことを受けて、ここ数週間で広告出稿をやめた広告主は200社を超える。売り上げの大半を広告から得ているXは、ブランド各社が身を引いたことで、年末までに最大で7500万ドルの広告収入を失う危険にさらされている。 状況は11月29日、ニューヨークで開催されたニューヨーク・タイムズ主催の「ディールブック・サミット」で、マスクが広告主をあおる発言をしたことで一段と悪化した。 同イベントのインタビューで、マスクは反ユダヤ主義的な投稿について謝罪し、これまで自身が行ったものの中で「最も愚かな投稿の1つ」だったと述べる一方、広告主が自分を「脅そう」としているとも語り、サミットに同席していたウォルト・ディズニー・カンパニーのCEOボブ・アイガーを名指しした。 そしてマスクは「広告を出すな」と、下品なののしり言葉を何度も使って、自らの言い分を強調した。 その数時間後、XのCEOリンダ・ヤッカリーノは被害の軽減に努めていた。ヤッカリーノはXへの投稿で、反ユダヤ主義的な投稿を支持したことに対するマスクの謝罪に注目点をずらし、Xに戻ってくるよう広告主に訴えた』、「ニューヨーク・タイムズ主催の「ディールブック・サミット」で、マスクが広告主をあおる発言をしたことで一段と悪化した。 同イベントのインタビューで、マスクは反ユダヤ主義的な投稿について謝罪し、これまで自身が行ったものの中で「最も愚かな投稿の1つ」だったと述べる一方、広告主が自分を「脅そう」としているとも語り、サミットに同席していたウォルト・ディズニー・カンパニーのCEOボブ・アイガーを名指しした。 そしてマスクは「広告を出すな」と、下品なののしり言葉を何度も使って、自らの言い分を強調した。 その数時間後、XのCEOリンダ・ヤッカリーノは被害の軽減に努めていた。ヤッカリーノはXへの投稿で、反ユダヤ主義的な投稿を支持したことに対するマスクの謝罪に注目点をずらし、Xに戻ってくるよう広告主に訴えた」、「XのCEOリンダ・ヤッカリーノは被害の軽減に努めていた」、マスク氏の尻拭いも大変なようだ。
・『広告主にまったく響かない「Xの大義」  「Xは、一部の人々が不快と思う『情報の独立性』を可能にしている」とヤッカリーノは書いた。「Xの立ち位置は、言論の自由と普通の人々が交わるユニークで素晴らしい交差点だ。Xのコミュニティーは強力であり、皆さんを歓迎する」。 Xの広報担当者はコメントの求めに応じなかった。 マーケティング・メディア・コンサルティング会社イービクイティで最高戦略責任者を務めるルーベン・シュルールスは、ヤッカリーノは言論の自由に関するXの見解をブランド各社に支持してもらおうとしているようだが、広告主がXの目標を後押しする可能性は低いと話した。 「まったく共感を呼んでいない」。シュルールスは、広告出稿の一時停止は「広告出稿の打ち切りに変わりつつある」ようだと付け加えた。Xの経営陣もしくはオーナーの変更がなければ、広告主が出稿再開を検討する可能性は低いと言う。) ほかのマーケティング会社はブランド各社に対し、Xを完全に捨てるよう勧めている。コンサルティング会社アビドス・メディアを経営し、ヘルスケア業界などで最大5000万ドルのメディア予算を持つクライアントを抱えるメディア・プランニング界のベテラン、トム・ヘスポスは11月30日、クライアントに対し、Xへの広告出稿だけでなく、投稿自体もやめるべきだという勧告を初めて正式に行ったと述べた。 ヘスポスは「良心があるなら」、マスクがXで行ってきたことに「加担し続けるようクライアントに勧めることはできない」と語った。 Xに多額の広告費を投じてきたが、最近出稿をやめた企業には、アップル、ディズニー、IBMなどがある。ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)やニューヨーク・タイムズのスポーツサイト「ジ・アスレチック」などは出稿を続けている。 29日のディールブックのイベントで、マスクは広告主のボイコットが長期化すれば、Xがつぶれる可能性があることを認める反面、Xが倒産すれば、世の中は私ではなく、広告主を責めるだろうと語った。 「私は決して迎合しない」とマスクは言った』、「マスクは広告主のボイコットが長期化すれば、Xがつぶれる可能性があることを認める反面、Xが倒産すれば、世の中は私ではなく、広告主を責めるだろうと語った。 「私は決して迎合しない」とマスクは言った」、「Xが倒産すれば、世の中は私ではなく、広告主を責めるだろう」、何と思い上がった発言だろう。
・『マスクは「広告主にとって危険なパートナー」  マーケティング管理コンサルティング会社マーサー・アイランド・グループの創業者スティーブ・ボーラーは、広告主の懸念を一顧だにしないマスクは、広告主から危険なパートナーとみなされるようになったと指摘する。 マスクの「コメントは、X、広告主との付き合い方、さらには広告主の考えを気にかけているのかどうかといったことについて、とてつもない不透明感があることを示している」と、年間1000万ドル〜5億ドルの広告予算を持つクライアントと仕事をするボーラーは語った。 「これは人としての問題でもある。ビジネスには大勢の人が関わっており、誰もが敬意を払われ、尊厳を持って扱われたいと思っている」とボーラーは付け加えた』、「広告主の懸念を一顧だにしないマスクは、広告主から危険なパートナーとみなされるようになったと指摘する。 マスクの「コメントは、X、広告主との付き合い方、さらには広告主の考えを気にかけているのかどうかといったことについて、とてつもない不透明感があることを示している」、それにしても、「マスク」氏はいつまで反「広告主」的な姿勢を続けるのだろう。
タグ:SNS(ソーシャルメディア) (その13)(【Xの嫌な感じの正体】イーロン・マスクがツイッター改名に執着する「本当の理由」、マスク氏とザッカーバーグ氏の決闘は「素手」ではなく「真剣」でやるべき…決闘の専門家がそう勧める理由 決闘とは見世物ではなく もっと厳粛で神聖なもの、広告主が相次ぎ出稿停止「X」は何がヤバいのか もはやXを使うこと自体が逆宣伝?) ダイヤモンド・オンライン ジミー・ソニ 櫻井祐子 「【Xの嫌な感じの正体】イーロン・マスクがツイッター改名に執着する「本当の理由」」 マスクのこの「X」への異様な執着 『創始者たち──イーロン・マスク、ピーター・ティールと世界一のリスクテイカーたちの薄氷の伝説』(ジミー・ソニ著、櫻井祐子訳、ダイヤモンド社) 合併会社のCEOとなったマスクは、ツイッターにおいてと同様、「X」の名前に異様なこだわりを見せ、社内は大混乱となる ペイパルの総決済件数は数百万件、これに対しX.comは数十万件だった。ユーザーはペイパルのブランドに群がり、イーベイでの出品やメールの末尾にペイパルのリンクを貼っていた 「世界の金融システムの支配をめざすなら、Xの名前でなければだめだ。ペイパルは機能の一つに過ぎず、会社そのものではないんだから」とマスクは言った。彼にとって社名をペイパルにするのは、「アップルが社名をマックにするようなもの」だった」、なるほど。 「マスクはまだプロダクトもないうちにその会社の名前を決めた。X.com(Xドットコム)だ。マスクはこれが「ネット上で最もクールなURL」だと信じて疑わなかった。 マスクにとってX.comは斬新で、興味をそそり、すべての銀行・投資サービスが共存する場所という会社の精神をすっかり表現できるほど自由な名前だった。宝の地図の「X」が財宝のありかを示すように、X.comはネット上の富が集まる場所を示していた」、なるほど。 市場調査で、「X.com」より「ペイパル」という名前のほうが好感度が高いことがはっきりしたのだ。調査を主導した社員のヴィヴィアン・ゴーは、「『X』みたいな名前のサイトは信用できないとか、アダルトサイトみたいと言われ続けた」と言う。 「「市場調査で、「X.com」より「ペイパル」という名前のほうが好感度が高いことがはっきりしたのだ。調査を主導した社員のヴィヴィアン・ゴーは、「『X』みたいな名前のサイトは信用できないとか、アダルトサイトみたいと言われ続けた」と言う。 ゴーはユーザー調査に限界があることも理解していた。 「昔は『アップル』でさえおかしな名前だと思われていたわけだから」。だが彼女はユーザーの懸念を直接耳にした。「口を揃えて『この名前は信用できない。得体の知れない感じがする』とほぼ同じ言葉で言われ続けたら、そうかなと思わざるを得ない」・・・イーロン・マスクが始めた会社X.comと、天才ピーター・ティールの会社コンフィニティは、数奇にも、シリコンバレーのとある建物で隣り合って入居していた。 個性の強い精鋭集団は激しい衝突を繰り返すが、やがてペイパルという一つの会社に融合する」、なるほど。 「その小さな会社を始めた「無名の若者たち」は、やがてシリコンバレーを席巻していく。 イーロン・マスク・・・、ピーター・ティール(投資家)、マックス・レヴチン(スライド、アファーム創業)、リード・ホフマン(リンクトイン創業)、チャド・ハーリー(ユーチューブ創業)・・・」、さすが「シリコンバレー」だけあって、錚々たる顔ぶれだ。 PRESIDENT ONLINE 菅野 瑞治也氏による「マスク氏とザッカーバーグ氏の決闘は「素手」ではなく「真剣」でやるべき…決闘の専門家がそう勧める理由 決闘とは見世物ではなく、もっと厳粛で神聖なもの」 「当初はジョークかと思われたが、両氏とも戦いの準備はできているとし、お互い対戦日を提案するなどしてきたが、8月イタリア政府も同国での開催に正式に同意し、「決闘」はにわかに現実味を帯びてきた」、なるほど。 「中世のヨーロッパでは、殺人、姦通などの事件でことの真偽がはっきりしない場合、最終的な「神の裁き」として、争いの当事者またはその代理人が一対一で決闘をして、その結果に従って紛争に決着をつけるという裁判が行われていた。 これを「決闘裁判」と呼ぶが、歴史は古代ゲルマン人の時代まで遡る。一種の「神判」であり、その根底には、真実を主張している者に神は必ず味方するという考え方があった。 しかし、時の経過とともに、「神判」は徐々に衰退し、14~5世紀には、「決闘裁判」も歴史舞台から姿を消し去る。 これ以降の近世のヨーロッパにおいては、名誉をめぐる争いごとなどを解決する目的で、当事者同士の合意のもと、予め了解し合った一定のルールに基づいて行う一対一の「決闘(duel)」・・・が激増していく・・・侮辱を受けた者が決闘を申し入れないことや、決闘を申し込まれた者がこれを受諾しないことは、最大の不名誉とされていたので、決闘は頻繁に行われた。 名誉を汚され、侮辱を受けた者は、その相手と命を懸けて決闘することによって、自分の名誉を挽回・回復し、すべてを清算することができた。 戦争との大きな違いは、関係のない者まで巻き込むことなく、当事者二人だけで争いごとを解決したわけであり、「決闘」はまさに、人類が考え出した最も賢明な紛争解決手段とも言えよう」、なるほど。 「今日においても、「メンズーア(Mensur)」と呼ばれる真剣を用いた「決闘」の慣習がドイツ語圏(主にドイツとオーストリア)の一部の学生の間で連綿と受け継がれている。実は、私も留学時代にこのメンズーアを二度経験しており、筆者の頭と顔には、多少薄くなったが、その時に負った刀傷が今でもくっきりと残っている」、筆者が「決闘」を「二度経験」したとは驚かされた。 「マスク氏とザッカーバーグ氏の「決闘」も・・・「大規模なチャリティーイベント」として、マスク氏のXと、ザッカーバーグ氏のメタによって管理され、両方のシステムを経由して生中継される予定になっている。これは、まさに「決闘ショー」であり、ヨーロッパで伝統的に行われてきた決闘の本質とは全く相いれないものである・・・ 1776年に13州がイギリスからの独立を宣言したあたりから、ヨーロッパにおける社会的流行現象が急速にアメリカ社会に流れ込んできた。決闘作法もまた然りである」、なるほど。 「アメリカで広まったのは、開拓と自衛というファクターに基づいた、「名誉」を前提としない、その場の成り行きで喧嘩をし、ピストルでの決闘に発展するという、いわゆる、アメリカン・スタイルの決闘である。ペンシルベニア州では、娯楽の延長線上にある「決闘ショー」が一時流行したほどである。 それに対して、ヨーロッパの決闘には、あくまでも「名誉が著しく汚される」という事実が前提としてあった・・・「名誉」は、我々が日頃使っている「意地」とか「プライド」とかという軽い意味ではなく、人間としての「尊厳」、自分が生きていくうえで 「これだけは譲れない」という本質的な部分と言い換えてもいいかもしれない」、なるほど。 「マスク氏とザッカーバーグ氏の「決闘」は・・・総合格闘技による「ケージマッチ」=「決闘ショー」ではなく・・・ドイツ語圏では合法化されているメンズーアのような真剣を用いた決闘を非公開で行うことを、真剣に提唱したい。ヨーロッパで連綿と受け継がれてきた「決闘」=「高貴なる野蛮」は、見世物ではなく、もっと厳粛で神聖なものだからだ」、 「二人」がそんな真剣勝負をするつもりはないのであれば、世の中を騒がすのもいい加減にしてほしいものだ。 東洋経済オンライン The New York Times 「広告主が相次ぎ出稿停止「X」は何がヤバいのか もはやXを使うこと自体が逆宣伝?」 「マスク」氏が「広告主」に対して「広告を出すな」と言ったとは、思い上がりもいいところだ。 「ニューヨーク・タイムズ主催の「ディールブック・サミット」で、マスクが広告主をあおる発言をしたことで一段と悪化した。 同イベントのインタビューで、マスクは反ユダヤ主義的な投稿について謝罪し、これまで自身が行ったものの中で「最も愚かな投稿の1つ」だったと述べる一方、広告主が自分を「脅そう」としているとも語り、サミットに同席していたウォルト・ディズニー・カンパニーのCEOボブ・アイガーを名指しした。 そしてマスクは「広告を出すな」と、下品なののしり言葉を何度も使って、自らの言い分を強調した。 その数時間後、XのCEOリンダ・ヤッカリーノは被害の軽減に努めていた。ヤッカリーノはXへの投稿で、反ユダヤ主義的な投稿を支持したことに対するマスクの謝罪に注目点をずらし、Xに戻ってくるよう広告主に訴えた」、「XのCEOリンダ・ヤッカリーノは被害の軽減に努めていた」、マスク氏の尻拭いも大変なようだ。 「マスクは広告主のボイコットが長期化すれば、Xがつぶれる可能性があることを認める反面、Xが倒産すれば、世の中は私ではなく、広告主を責めるだろうと語った。 「私は決して迎合しない」とマスクは言った」、「Xが倒産すれば、世の中は私ではなく、広告主を責めるだろう」、何と思い上がった発言だろう。 「広告主の懸念を一顧だにしないマスクは、広告主から危険なパートナーとみなされるようになったと指摘する。 マスクの「コメントは、X、広告主との付き合い方、さらには広告主の考えを気にかけているのかどうかといったことについて、とてつもない不透明感があることを示している」、それにしても、「マスク」氏はいつまで反「広告主」的な姿勢を続けるのだろう。
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メディア(その33)(どこまでズブズブ!岸田首相と大メディア上層部が“談合”会食…「放送法解釈変更」炎上中に、「日経テレ東大学」を潰し 看板プロデューサーを退任に追い込んだ…テレ東株主総会・元日経記者の「告発」の迫力、朝日新聞で起こっている“異常事態” なぜ「Colabo支援者」からの抗議で記事取り消し?) [メディア]

昨日に続いて、メディア(その33)(どこまでズブズブ!岸田首相と大メディア上層部が“談合”会食…「放送法解釈変更」炎上中に、「日経テレ東大学」を潰し 看板プロデューサーを退任に追い込んだ…テレ東株主総会・元日経記者の「告発」の迫力、朝日新聞で起こっている“異常事態” なぜ「Colabo支援者」からの抗議で記事取り消し?)を取上げよう。

先ずは、本年2月16日付け日刊ゲンダイ「どこまでズブズブ!岸田首相と大メディア上層部が“談合”会食…「放送法解釈変更」炎上中に」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/320160
・『まさか、放送法の政治的公平をめぐる解釈変更が国会で大炎上しているこのタイミングで──。驚きの会合が14日夜にあった。岸田首相が大手メディア上層部や大手メディア出身のジャーナリストと、東京・日比谷公園のフレンチレストランで約2時間にわたって会食したのだ。 首相動静によれば参加したメンバーは、山田孝男毎日新聞社特別編集委員、小田尚読売新聞東京本社調査研究本部客員研究員、芹川洋一日本経済新聞社論説フェロー、島田敏男NHK放送文化研究所エグゼクティブ・リード、粕谷賢之日本テレビ取締役常務執行役員、政治ジャーナリストの田崎史郎氏の6人。 朝日新聞官邸クラブのツイッターが、会食終了後にレストランから岸田首相や参加者が出てくる様子を動画で撮影して投稿している。直撃された田崎氏は「中身はいろいろ……だな」と答えていた』、「放送法の政治的公平をめぐる解釈変更が国会で大炎上しているこのタイミングで」、「岸田首相が大手メディア上層部や大手メディア出身のジャーナリストと、東京・日比谷公園のフレンチレストランで約2時間にわたって会食」、とは呆れ果てた。 
・『批判殺到、付ける薬ナシ  これには、<放送法解釈が問題になっているときに、これ?? どんな感覚してるんだ?><大手メディアも政府広報の下請けに成り下がった感じですかね>など批判コメントが殺到だった。)岸田首相はこの6人と昨年の参院選直後の7月15日にも会食している。 「安倍元首相時代からのメディアとのメシ食い情報交換を岸田首相も定例化して踏襲している形」(官邸関係者)らしく、日程もずいぶん前から決まっていたのだろう。だが、よりによって、である。 高市大臣が総務省が認めた「行政文書」について「捏造」と言い張ったことで、この問題に対する世論の関心は高まっている。報道の自由への不当な政治介入があったのかどうか、まさに政治とメディアの“距離感”が問われている真っただ中に、首相と複数のメディア上層部が“談合”よろしく親しく会食すれば世間にどう映るのか、子どもでも分かるはずだ。 「政治とメディアが徹底的に癒着していることを見せつけるもので、国民のメディア不信がますます高まる。ジャーナリズムは国民のために権力を監視するという重要な責務があり、単なる民間企業とは違う。どうしてここまで倫理観とケジメがなくなってしまったのか。品性がないし、恥ずかしい」(政治評論家・本澤二郎氏) メディア懐柔に精を出す首相もホイホイ乗っかるメディアも、もはや付ける薬がない』、「「政治とメディアが徹底的に癒着していることを見せつけるもので、国民のメディア不信がますます高まる。ジャーナリズムは国民のために権力を監視するという重要な責務があり、単なる民間企業とは違う。どうしてここまで倫理観とケジメがなくなってしまったのか。品性がないし、恥ずかしい」、同感である。

次に、6月1日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの伊藤 博敏氏による「「日経テレ東大学」を潰し、看板プロデューサーを退任に追い込んだ…テレ東株主総会・元日経記者の「告発」の迫力」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/111118?imp=0
・『「これは人殺しと同じだわ」  登録者数が100万人を突破した人気YouTubeチャンネル「日経テレ東大学」は、なぜ打ち切りとなり、番組を企画して立ち上げ、進行役の「ピラメキパンダ」を務めた高橋弘樹プロデューサーは、なぜテレビ東京を退社したのか――。 テレビ東京ホールディングス(東証プライム)の株主総会は6月15日に開催されるが、筆者が最も注目しているのは、香港に本社を置く米国籍アクティビスト(物言う株主)のリム・アドバイザーズ(リム社、提案株主名義はLIM JAPAN EVENT MASTER FUND)が、この点を問題視して<日本経済新聞社との共同事業運営契約の開示>などを求めて株主提案していることだ。 「日経テレ東大学」は、「本格的な経済を身近に楽しく」をコンセプトにしたニュース情報番組で、堅いテーマを扱ってもMCを務める実業家の「ひろゆき」こと西村博之氏やイェール大学助教授の成田悠輔氏が、雑談に引き込んで面白く展開し人気を博した。 高橋氏は、「家、ついて行ってイイですか?」「空から日本を見てみよう」「吉木りさに怒られたい」と、低予算でも切り口と面白さで勝負する“テレ東らしさ”を持つプロデューサーである。 「ビジネス系では過去に例のない成功番組」と言われていただけに、今年3月末の配信打ち切りは本人にとっても寝耳に水だったようで、決定を告げられ「これは“人殺し”と同じだわ」と思わずつぶやき、退社に至った。 経済の専門家だけでなく、菅義偉前首相、泉健太・立憲民主党代表、松井一郎・日本維新の会前代表、木原誠二・内閣官房副長官といった有力政治家が登場したのは、「意識的な人々」を引き付けているこの番組の影響力を承知していたからだろう』、私は「日経テレ東大学」を観たことはないが、面白そうなのに、「配信打ち切り」とは残念だ。
・『テレ東の天下り問題の「歪み」  テレビ局にとって番組改編の時、「諸般の事情」で打ち切りを決めるのは日常茶飯だ。だが、「日経テレ東大学」の場合、約32%の株式を保有してテレビ東京を「天下り先」としている日経新聞OBの経営陣が、後述するような理解できない事情で打ち切りの断を下し、それにリム社が噛みついた。 株主提案したリム社のポートフォリオ・マネージャーで日本投資責任者の松浦肇氏は、元日経記者として天下り問題の“歪み”を熟知している。日経の元上司がこう評する。 「証券部の記者としてマーケットの問題を鋭く突く優秀な記者でした。運用会社に転じて上場企業に注文をつけていますが、発想は新聞記者と同じで“歪み”を許さない。企業統治とマーケットの監視役であるべき未上場の日経OBが、上場企業のテレ東に『会社員生活のゴール』として天下りし、説明責任や資本効率といた上場企業の基本を無視したまま、『保身の経営』に汲々としている。彼はそれが許せないんです」 リム社のテレ東に対する株主提案は、昨年に次いで2回目である。昨年、約1%の株式を取得したリム社は、日経からの「天下り禁止」「社外取締役の選任」など7項目の株主提案を送り付けた。 テレ東社長は50年近く日経出身者が占め続け、昨年の総会でも小孫茂会長、石川一郎社長、新実傑専務とトップ3は日経OBだった。天下り禁止の株主提案の賛成率は8・15%。否決はされたものの、「日経の矛盾」はマーケットに示せた。 今年の提案は、冒頭の<共同事業運営契約の開示>を含む4項目の定款の一部変更と剰余金の処分を求めている。 なぜ日経との共同事業の開示を求めるのか。リム社は「提案理由」にこう書いている。 《(「日経テレ東大学」の)再生回数や製作本数などを鑑みるに、2022年10月~12月に約3500万円の税引き前利益を稼いだと推計できるが、提案株主がディスカウント・キャッシュフロー(DCF)方式で算定したところ、事業価値は約30億円に達した。》』、「日経テレ東大学」の「事業価値は約30億円に達した」、試算値とはいえすごいことだ。
・『「日経テレ東大学」の担当役員が昇格  そして30億円の価値あるものを捨てた背景に疑問を呈している。 《現在も首脳陣4人が日経元幹部である。様々な分野で両者は事業を共同運営しているが、日経に有利な契約が結ばれている又は当社が契約にある権利を十分に生かしていないリスクが内在する。》 今年は「天下り禁止」といった直截な提案はしていない。そして小孫会長は退任するものの、石川社長、新実副社長というツートップを日経OBが占める。その体制ではテレ東の利益を毀損し、それが現われているのが「日経テレ東大学」の打ち切りだ、という主張である。しかも、直近の人事で専務から昇格した新実副社長は、「日経テレ東大学」の担当者だった。 株主提案に書き尽くしたということか、松浦氏に株主提案理由を改めて尋ねたものの、「テレビ東京ホールディングス様の企業・株主価値向上に寄与する株主提案であると自負しております」と短く答えた。 テレビ東京は、「取締会意見」で「(株主提案が指摘する)利益及び事業価値には到底及ばない」と回答していたが、筆者が「到底及ばない根拠を示して欲しい」と質すと次のように答えた。 「利益及び人件費を含めた費用の実態が判断の根拠です。株主提案では、3カ月で約3500万円の税引き前利益を稼いだと推計できるとしていますが、実際にそのような利益は得られていません」(広報・IR部)』、真実は伺いようもないが、親会社の主張も疑わしい。
・『日経新聞の嫉妬  だが、21年3月の配信からわずか2年で登録会員100万人を突破した優良コンテンツを捨て去らねばならない理由とは思えない。利益は出ているのだ。 高橋氏は軽妙なピラメキパンダとして、番組内で「テレ東が大好き。常務になるまで会社員を続ける」と広言していた。また、テレ東を退職したプロデューサー・佐久間宣行氏、JAXA退職の宇宙飛行士・野口聡一氏、朝日新聞退職の探検家・角幡唯介氏、日経新聞退職の経済ジャーナリスト・後藤達也氏らを招いて「なんで会社を辞めたんですか?」という番組を製作している。 安定を捨ててリスクを取るのはなぜなのか。高橋氏が「常務まで」というのは、上は日経OBの指定席だからだろうが、リスクを取るのは怖く、「でもそう“冒険”したい」と思っている視聴者=会社員の気持ちを代弁した。その高橋氏をテレ東が追い込んでしまった。損失以外の何ものでもない。 テレ東の現経営陣を知る日経OBは、人気コンテンツの打ち切り理由をシンプルにこう語る。 「日経新聞の嫉妬です。その圧力に上場企業としての立場を忘れたテレ東が折れた。『日経テレ東大学』は、新聞を離れ、後ろ足で砂をかけていった退職者とコラボするような番組を製作していた。それが許せなかった」 後藤氏のことである。 新聞・テレビという旧来型の情報プラットフォームが、やがてYouTubeなどのSNSやチャットGPTに奪われ、衰退していくのはもはや自明だ。22年4月に日経新聞を辞めた後藤達也氏は、Twitterのフォロワー数が50万人超、YouTubeのチャンネル登録数約25万人、noteの優良読者(月500円)約2万人を誇る。 この3つのSNSを駆使して視聴者・読者に経済をわかりやすく伝え、「良いカメラを買った以外に新たな投資はない」といいつつ、note会員からだけでも月に約1000万円の収入がある。それにYouTubeや講演料なども加えると年間売り上げは2億円近いのではないか。もはや、メディアがひとつ誕生したといっていい。 日経もテレ東も、デジタルメディアをどう採り入れるか、優良コンテンツといっていい記者をどう活用するか、そして最大のライバルとなるチャットGPTにどう対抗するかを本気で考え、改革すべき時に来ている。なのに、打ち切り理由が「嫉妬」だとすれば嘆息するしかなく、もはやメディアとしての将来性が失われているというしかない』、「日経もテレ東も、デジタルメディアをどう採り入れるか、優良コンテンツといっていい記者をどう活用するか、そして最大のライバルとなるチャットGPTにどう対抗するかを本気で考え、改革すべき時に来ている。なのに、打ち切り理由が「嫉妬」だとすれば嘆息するしかなく、もはやメディアとしての将来性が失われているというしかない」、同感である。

第三に、8月4日付けデイリー新潮「朝日新聞で起こっている“異常事態” なぜ「Colabo支援者」からの抗議で記事取り消し?」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/08040557/?all=1
・『部数激減、経営悪化、人材流出……。負のスパイラルに陥った、かつての自称「クオリティー・ペーパー」朝日新聞の内部では何が起こっているのか。取材を進めた先に見えてきたのは、会社を去っていく若手記者の「絶望」。そして、「ジャーナリズムの放棄」であった。 【写真を見る】ジョーカーのメイクを施した河合悠祐市議 改めて言うまでもないことだが、組織は人で成り立っている。組織を支える人が流出、あるいは劣化してしまっては、「クオリティー・ペーパー」を維持することなど到底かなうまい。 朝日新聞が苦境にあえいでいる。 今年1月のABC調査によれば、かつて840万部を誇った朝刊発行部数は、今や380万部まで落ち込んでいる。部数減は全国紙全体の問題とはいえ、読売が653万部で踏みとどまっていることを考えると、朝日の凋落ぶりは明白である。2021年3月期決算では約442億円の大幅赤字を計上。「200人規模の希望退職者」を募ったことで、エース級の記者を含む多くの人材が社を去った。 一体、朝日の内部で何が起こっているのか――』、「何が起こっているの」だろう。
・『若手有望記者の同時退職  取材を進めると、その苦境を象徴するような事案が相次いで発生し、社内に大いに動揺が走っていることが分かった。その一つが、「若手有望記者の同時退職」である。 朝日新聞関係者が語る。 「この8月までに退職するのは、いずれも30代前半の男性記者3人です。3人とも、将来を嘱望された記者が配属される警視庁や警察庁を担当した有能な人材。若手記者が3人も同時に辞めるのは前代未聞です」 3人の退職後の進路は大手損保会社、大手人材サービス会社、民放テレビ局。 「3人の退職が同時期になったのは示し合わせたわけではなく、偶然。ただし、その背景には今の社会部長による高圧的な言動があったのではないかといわれています。退職する3人は子供が生まれたり、結婚したばかり。そのため社会部長に“今は転勤は勘弁してほしい”と伝えていたものの、部長は“裏切り者”“そんなわがままは通用しない”などと言い放ったそうです」(同) とはいえ、件の社会部長は育児などに全く理解がないわけではなく、 「どちらかといえば男性記者が育休を取ることにも積極的な人です。実際、今回辞める3人のうちの一人は、社会部長のすすめで昨年から今年にかけて半年ほど育休を取得しています」 と、別の朝日関係者。 「その記者からすれば、育休が終わったら育児が終わるわけではないことを、当然、社会部長は理解していると思っていた。ところが、その部長から“来年は地方だな”と言われた。育児に理解があると思っていた社会部長ですら地方行きを平気で告げる。退職を決断した記者はそのことに絶望したようです」』、「その記者からすれば、育休が終わったら育児が終わるわけではないことを、当然、社会部長は理解していると思っていた。ところが、その部長から“来年は地方だな”と言われた。育児に理解があると思っていた社会部長ですら地方行きを平気で告げる。退職を決断した記者はそのことに絶望したようです」、なるほど。
・『女性記者に地方転勤を命じられない裏事情  リストラなどを進めたことにより、全国の支局を含めた会社全体で人員が減っている。そのため、たとえ子育て中であったとしても「地方転勤」の対象からは外されない。それに加えて、 「今の朝日社内には“女性の職場環境を改善しなければならない”との命題がある。ゆえに、女性記者に地方転勤を命じたら、それだけでパワハラと言われかねない。社会部長としては、社内での自分の立場を守るためには、男性記者と女性記者、どちらに地方転勤をお願いするかとなった時、男性を選ぶしかない」(同) 朝日新聞は3年前、「ジェンダー平等宣言」を発表している。ジェンダー格差の問題を報じるなら、“私たち自身が足元を見つめ直す必要がある”との考えかららしいが、まず取り組むべきは男性記者と女性記者の「地方転勤」の“平等”、ということになりそうだ。 元朝日新聞記者で『崩壊 朝日新聞』の著書もある長谷川煕氏が言う。 「記者が自身や家族との生活を大事にしたいというのは当然のこと。それでも昔は朝日に勤め続けることへの未練があり、転勤を命じられても我慢していました。今はその未練がないか、むしろ朝日に勤め続けることへのマイナスイメージがあるのでしょう」 現役記者たちにそう思わせる背景には、新聞社としての矜持が全く感じられない、次のような“騒動”の影響もあるのかもしれない。 記事削除に社内は大騒ぎ(「今年5月30日、朝日新聞デジタルは、自らを“ジョーカー議員”と称する河合悠祐・草加市議を紹介する記事を配信しました。しかしそれが女性支援団体のシンパなどから一斉に批判され、大炎上。すると朝日は記事を取り消し、削除したのです。この記事は紙の新聞に掲載される前段階で削除されたため、社外ではあまり知られていませんが、社内は大騒ぎになりました」(朝日新聞社員) 問題の記事は「ルポ インディーズ候補の戦い」と題する連載記事の第4回として配信された。 〈京大卒ジョーカー、挫折の先の自己実現 ウケ狙いから当選への分析〉 とのタイトルで、“ジョーカー議員”こと河合市議の経歴や、当選までの過程を本人へのインタビューを元にたどった人物ルポである。 一読して何の問題もなさそうなこの記事が炎上したのは、「Colabo(コラボ)」という団体と河合市議の因縁に“触れていない”ことが原因だった。この団体は、虐待や性被害などにあった女性を支援する一般社団法人。河合市議はツイッター上などでこの団体の活動を揶揄する言動を繰り返していた。そのため、記事が配信されると「Colabo」の支援者らが一斉に批判。朝日はそれに屈する形で記事を取り消したのだ。 ちなみにこの団体に関しては、東京都から受け取っていた事業委託料に「不正受給がある」と住民監査請求が出されて都が調査に入るなど、「カネ」の面でも注目されていた』、「問題の記事は「ルポ インディーズ候補の戦い」と題する連載記事の第4回として配信された。 〈京大卒ジョーカー、挫折の先の自己実現 ウケ狙いから当選への分析〉 とのタイトルで、“ジョーカー議員”こと河合市議の経歴や、当選までの過程を本人へのインタビューを元にたどった人物ルポである。 一読して何の問題もなさそうなこの記事が炎上したのは、「Colabo(コラボ)」という団体と河合市議の因縁に“触れていない”ことが原因だった。この団体は、虐待や性被害などにあった女性を支援する一般社団法人。河合市議はツイッター上などでこの団体の活動を揶揄する言動を繰り返していた。そのため、記事が配信されると「Colabo」の支援者らが一斉に批判。朝日はそれに屈する形で記事を取り消したのだ」、記事を一方的に「取り消した」とは公器にあるまじき行動だ。
・『河合市議に聞くと…  「配信された記事が炎上すると、朝日の担当記者が電話してきて“河合さん、Colaboと何かあったんですか?”と聞かれました。元々、僕とColaboがケンカしていることも知らなかったようなんですね」 そう振り返るのは、当の河合市議本人である。 「確かに、記事でColaboのことやフェミニズムについて扱っているなら、僕とColaboのケンカのことも入れるべきでしょう。しかしそれとは何の関係もない、僕の半生を紹介する記事でColaboから何を言われようと関係ない。だから“無視でええんちゃいますの?”と言ったんですが、記者は“あんまり抗議が多いと無視するわけにはいかない”と……」 批判が殺到した後、朝日は記事に〈おことわり〉を追加し、Colaboの問題に触れなかったことは〈不適切〉だったと釈明。が、それが火に油を注ぐことになり、さらなる炎上を招く。そして最終的に記事を取り消すに至ったのだ。 「どんな記事でも批判する人は一定数いるはずです。そもそもColaboと関係ない記事でいちいち批判を気にした朝日新聞社はどうかと思います。納得いかへん形で終わったなあ、という感じです」(同)』、初めから「Colaboのケンカのことも入れ」ていれば、ややこしいことになると予想され、記事にはしなかっただろう、
・『「驚くべき退廃」  元朝日新聞記者でノンフィクション作家の辰濃哲郎氏はこう苦言を呈す。 「批判を受けたから記事を削除したというのは驚きでしかない。事実と明らかに違ったとか、誤報・捏造の場合は記事の削除も仕方ないとは思います。しかし、批判を受けた内容と関係のない記事であれば“彼の政治家としての一面を捉えた記事です”と説明すればいいだけの話で、削除までする必要はないはずです」 朝日は2度過ちを犯した、と辰濃氏は言う。 「十分な取材ができていなかったことと、記事を削除したことです。外からの意見を気にしすぎて日和(ひよ)ってしまう、あっさり記事を削除してしまう、というのは、権力と戦う姿勢や、培ってきた朝日新聞の価値に逆行する行為に他なりません」 先の長谷川氏もこう話す。 「記事そのものに問題はないのに抗議を受けたからといって掲載をやめてしまっては報道機関として失格。驚くべき退廃です。新聞社として成立しておらず、会社そのものが腐っています」』、「「十分な取材ができていなかったことと、記事を削除したことです。外からの意見を気にしすぎて日和(ひよ)ってしまう、あっさり記事を削除してしまう、というのは、権力と戦う姿勢や、培ってきた朝日新聞の価値に逆行する行為に他なりません」、その通りだ。
・『OBも「衝撃を受けた」  元朝日新聞記者で『朝日新聞政治部』著者の鮫島浩氏は次のように指摘する。 「河合さんとColaboの問題そのものの是非はおいておくとして、今回の記事取り下げは非常に深刻なことです。あの記事が世に出るにあたっては、多くの人が関与しています。まず取材した記者がいて、次におそらくキャップクラスが原稿を見る。出稿したデスクだけではなく、もっと上の編集局長クラスも原稿に目を通しているはずです」 その幹部たちが誰も事前に問題を指摘しなかった。 「そのことに衝撃を受けます。そして一旦トラブルが起こるとトカゲのしっぽ切りのごとく記事を取り消してうやむやにして、編集局長も部長もデスクも、自分が責任を問われないことしか頭にない。こういうモラルハザードが起こっていると、現場の記者も、官公庁や捜査機関などの発表をそのまま流す“発表モノ”など差し障りのないことしかやらなくなります」 「ビジネスマンとしてもジャーナリストとしても失格」 若手有望記者3人が同時に退社することについては、 「朝日にいても展望がないし、辞めるのであれば若いうちにと思っているのでしょう。そもそも最近、朝日ではゴマをすって上にかわいがられた人だけが出世するのが顕著になっていて、ジャーナリズムで勝負する原稿を出す人は敬遠されるのです。部長もデスクも失敗しないように、野心的な記者は遠ざける。特ダネを持ってきてもそれを何とか成就させようと考えてくれる上司がいないのです」 もっとも、それは会社全体の方針でもあるそうで、 「朝日のOBやOGが所属する会の会報で社長は、これからは稼げる会社になりましょう、と言い、収益の3本柱はデジタル、イベント、不動産だとしていました。ジャーナリズムはどこへ行ったと批判が巻き起こったのは当然です。笑い話なのは、儲けることばかり考えているのに儲かっていないこと。もはやビジネスマンとしてもジャーナリストとしても失格です」(同) ャーナリズムを捨て、儲けることもできずにさまよう朝日。「クオリティー・ペーパー」たらんとする気概も失ったとなれば、その存在意義はどこにあるのか』、「「朝日のOBやOGが所属する会の会報で社長は、これからは稼げる会社になりましょう、と言い、収益の3本柱はデジタル、イベント、不動産だとしていました。ジャーナリズムはどこへ行ったと批判が巻き起こったのは当然です。笑い話なのは、儲けることばかり考えているのに儲かっていないこと。もはやビジネスマンとしてもジャーナリストとしても失格です」、「これからは稼げる会社になりましょう」、との社長の言葉の空疎ぶりには苦笑させられた。
タグ:メディア 「「十分な取材ができていなかったことと、記事を削除したことです。外からの意見を気にしすぎて日和(ひよ)ってしまう、あっさり記事を削除してしまう、というのは、権力と戦う姿勢や、培ってきた朝日新聞の価値に逆行する行為に他なりません」、その通りだ。 初めから「Colaboのケンカのことも入れ」ていれば、ややこしいことになると予想され、記事にはしなかっただろう、 この団体は、虐待や性被害などにあった女性を支援する一般社団法人。河合市議はツイッター上などでこの団体の活動を揶揄する言動を繰り返していた。そのため、記事が配信されると「Colabo」の支援者らが一斉に批判。朝日はそれに屈する形で記事を取り消したのだ」、記事を一方的に「取り消した」とは公器にあるまじき行動だ。 「問題の記事は「ルポ インディーズ候補の戦い」と題する連載記事の第4回として配信された。 〈京大卒ジョーカー、挫折の先の自己実現 ウケ狙いから当選への分析〉 とのタイトルで、“ジョーカー議員”こと河合市議の経歴や、当選までの過程を本人へのインタビューを元にたどった人物ルポである。 一読して何の問題もなさそうなこの記事が炎上したのは、「Colabo(コラボ)」という団体と河合市議の因縁に“触れていない”ことが原因だった。 「その記者からすれば、育休が終わったら育児が終わるわけではないことを、当然、社会部長は理解していると思っていた。ところが、その部長から“来年は地方だな”と言われた。育児に理解があると思っていた社会部長ですら地方行きを平気で告げる。退職を決断した記者はそのことに絶望したようです」、なるほど。 「何が起こっているの」だろう。 デイリー新潮「朝日新聞で起こっている“異常事態” なぜ「Colabo支援者」からの抗議で記事取り消し?」 「日経もテレ東も、デジタルメディアをどう採り入れるか、優良コンテンツといっていい記者をどう活用するか、そして最大のライバルとなるチャットGPTにどう対抗するかを本気で考え、改革すべき時に来ている。なのに、打ち切り理由が「嫉妬」だとすれば嘆息するしかなく、もはやメディアとしての将来性が失われているというしかない」、同感である。 真実は伺いようもないが、親会社の主張も疑わしい。 「日経テレ東大学」の「事業価値は約30億円に達した」、試算値とはいえすごいことだ。 私は「日経テレ東大学」を観たことはないが、面白そうなのに、「配信打ち切り」とは残念だ。 伊藤 博敏氏による「「日経テレ東大学」を潰し、看板プロデューサーを退任に追い込んだ…テレ東株主総会・元日経記者の「告発」の迫力」 現代ビジネス 「「政治とメディアが徹底的に癒着していることを見せつけるもので、国民のメディア不信がますます高まる。ジャーナリズムは国民のために権力を監視するという重要な責務があり、単なる民間企業とは違う。どうしてここまで倫理観とケジメがなくなってしまったのか。品性がないし、恥ずかしい」、同感である。 「放送法の政治的公平をめぐる解釈変更が国会で大炎上しているこのタイミングで」、「岸田首相が大手メディア上層部や大手メディア出身のジャーナリストと、東京・日比谷公園のフレンチレストランで約2時間にわたって会食」、とは呆れ果てた。 日刊ゲンダイ「どこまでズブズブ!岸田首相と大メディア上層部が“談合”会食…「放送法解釈変更」炎上中に」 (その33)(どこまでズブズブ!岸田首相と大メディア上層部が“談合”会食…「放送法解釈変更」炎上中に、「日経テレ東大学」を潰し 看板プロデューサーを退任に追い込んだ…テレ東株主総会・元日経記者の「告発」の迫力、朝日新聞で起こっている“異常事態” なぜ「Colabo支援者」からの抗議で記事取り消し?)
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メディア(その32)(鮫島 浩氏6題:元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1)、元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(2)、話題の書『朝日新聞政治部』先行公開第3回〜小渕恵三首相「沈黙の10秒」、元朝日新聞エース記者が衝撃の暴露「朝日はこうして死んだ」、なぜ朝日新聞は「部数減」に悩んでいるのか? 元朝日スクープ記者が明かす) [メディア]

メディアについては、2022年5月29日に取上げた。今日は、(その32)(鮫島 浩氏7題:元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1)、元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(2)、話題の書『朝日新聞政治部』先行公開第3回〜小渕恵三首相「沈黙の10秒」、元朝日新聞エース記者が衝撃の暴露「朝日はこうして死んだ」、なぜ朝日新聞は「部数減」に悩んでいるのか? 元朝日スクープ記者が明かす)である。

先ずは、本年5月23日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1)朝日新聞政治部(1)」を紹介しよう。
・『「鮫島が暴露本を出版するらしい」「俺のことも書いてあるのか?」――いま朝日新聞社内各所で、こんな会話が交わされているという。元政治部記者の鮫島浩氏が上梓した​『朝日新聞政治部』は、登場する朝日新聞幹部は全員実名、衝撃の内部告発ノンフィクションだ。 戦後、日本の左派世論をリードし続けてきた、朝日新聞政治部。そこに身を置いた鮫島氏が明かす政治取材の裏側も興味深いが、本書がもっとも衝撃的なのは、2014年に朝日新聞を揺るがした「吉田調書事件」の内幕をすべて暴露していることだ。 今日から7回連続で、本書の内容を抜粋して紹介していく』、興味深そうだ。
・『夕刊紙に踊る「朝日エリート誤報記者」の見出し  2014年秋、私は久しぶりに横浜の中華街へ妻と向かった。息苦しい都心からとにかく逃れたかった。 朝日新聞の特別報道部デスクを解任され、編集局付という如何にも何かをやらかしたような肩書を付与され、事情聴取に呼び出される時だけ東京・築地の本社へ出向き、会社が下す沙汰を待つ日々だった。蟄居謹慎(ちっきょきんしん)とはこういう暮らしを言うのだろう。駅売りの夕刊紙には「朝日エリート誤報記者」の見出しが躍っていた。私のことだった。 ランチタイムを過ぎ、ディナーにはまだ早い。ふらりと入った中華料理店はがらんとしていた。私たちは円卓に案内された。注文を終えると、二胡を抱えたチャイナドレスの女性が私たちの前に腰掛け、演奏を始めた。私は紹興酒を片手に何気なく聴き入っていたが、ふと気づくと涙が溢れている。 「なぜ泣いているの?」 二胡の音色をさえぎる妻の声で私はふと我に返った。人前で涙を流したことなんていつ以来だろう。ちょっと思い出せないな。これからの私の人生はどうなるのだろう。 朝日新聞社は危機に瀕していた。私が特別報道部デスクとして出稿した福島原発事故を巡る「吉田調書」のスクープは、安倍政権やその支持勢力から「誤報」「捏造」と攻撃されていた。政治部出身の木村伊量社長は、過去の慰安婦報道を誤報と認めたことや、その対応が遅すぎたと批判する池上彰氏のコラム掲載を社長自ら拒否した問題で、社内外から激しい批判を浴びていた。 「吉田調書」「慰安婦」「池上コラム」の三点セットで朝日新聞社は創業以来最大の危機に直面していたのである。特にインターネット上で朝日バッシングは燃え盛っていた。 木村社長は驚くべき対応に出た。2014年9月11日に緊急記者会見し、自らが矢面に立つ「慰安婦」「池上コラム」ではなく、自らは直接関与していない「吉田調書」を理由にいきなり辞任を表明したのである。さらにその場で「吉田調書」のスクープを誤報と断定して取り消し、関係者を処罰すると宣告したのだ。 寝耳に水だった。 その後の社内の事情聴取は苛烈を極めた。会社上層部はデスクの私と記者2人の取材チームに全責任を転嫁しようとしていた。5月に「吉田調書」のスクープを報じた後、木村社長は「社長賞だ、今年の新聞協会賞だ」と絶賛し、7月には新聞協会賞に申請した。ところが9月に入って自らが「慰安婦」「池上コラム」で窮地に追い込まれると、手のひらを返したように態度を一変させたのである』、「木村社長」が「自らが矢面に立つ「慰安婦」「池上コラム」ではなく、自らは直接関与していない「吉田調書」を理由にいきなり辞任を表明した」、というのは解せない行動だ。
・『私がどんな「罪」に問われていたか  巨大組織が社員個人に全責任を押し付けようと上から襲いかかってくる恐怖は、体験した者でないとわからないかもしれない。それまで笑みを浮かべて私に近づいていた数多くの社員は蜘蛛の子を散らすように遠ざかっていった。 私は27歳で政治部に着任し、菅直人、竹中平蔵、古賀誠、与謝野馨、町村信孝ら与野党政治家の番記者を務めた。39歳で政治部デスクになった時は「異例の抜擢」と社内で見られた。その後、調査報道に専従する特別報道部のデスクに転じ、2013年には現場記者たちの努力で福島原発事故後の除染作業の不正を暴いた。この「手抜き除染」キャンペーンの取材班代表として新聞協会賞を受賞した。 朝日新聞の実権を握ってきたのは政治部だ。特別報道部は政治部出身の経営陣が主導して立ち上げた金看板だった。私は政治部の威光を後ろ盾に特別報道部デスクとして編集局内で遠慮なく意見を言える立場となり、紙面だけではなく人事にまで影響力を持っていた。それが一瞬にして奈落の底へ転落したのである。 ああ、会社員とはこういうものか――。そんな思いにふけっているところへ、妻の声が再び切り込んできた。二胡の妖艶な演奏は続いている。 「なぜ泣いているの?」 「なんでだろう……。たぶん厳しい処分が降りるだろう。懲戒解雇になると言ってくる人もいる。すべてを失うなあ……。いろんな人に世話になったなあと思うと、つい……」 妻はしばらく黙っていたが、「それ、ウソ」と言った。続く言葉は強烈だった。 「あなたはこれから自分が何の罪に問われるか、わかってる? 私は吉田調書報道が正しいのか間違っているのか、そんなことはわからない。でも、それはおそらく本質的なことじゃないのよ。あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」 紹興酒の酔いは一気に覚めた。妻はたたみかけてくる。 「あなたは過去の自分の栄光に浸っているだけでしょ。中国の皇帝は王国が崩壊した後、どうなるか、わかる? 紹興酒を手に、妖艶な演奏に身を浸して、我が身をあわれんで涙を流すのよ。そこへ宦官がやってきて『あなたのおこなってきたことは決して間違っておりません。後世必ずや評価されることでしょう』と言いつつ、料理に毒を盛るのよ!」 中国の皇帝とは、仰々しいたとえである。だが、妻の目に私はそのくらい尊大に映っていたのだろう。そして会社の同僚たちも社内を大手を振って歩く私を快く思っていなかったに違いない。私はそれにまったく気づかなかった。 「裸の王様」がついに転落し、我が身をあわれんで涙を流す姿ほど惨めなものはない。そのような者に誰が同情を寄せるだろうか。 私は、自分がこれから問われる「傲慢罪」やその後に盛られる「毒」を想像して背筋が凍る思いがした。泣いているどころではなかった。独裁国家でこのような立場に追い込まれれば、理屈抜きに生命そのものを絶たれるに違いない。今日の日本社会で私の生命が奪われることはなかろう。奈落の底にどんな人生が待ち受けているかわからないが、生きているだけで幸運かもしれない。 そんな思いがよぎった後、改めて「傲慢罪」という言葉を噛み締めた。「吉田調書」報道に向けられた数々の批判のなかで私の胸にストンと落ちるものはなかった。しかし「傲慢罪」という判決は実にしっくりくる。そうか、私は「傲慢」だったのだ! 政治記者として多くの政治家に食い込んできた。ペコペコすり寄ったつもりはない。権力者の内実を熟知することが権力監視に不可欠だと信じ、朝日新聞政治部がその先頭に立つことを目指してきた。調査報道記者として権力の不正を暴くことにも力を尽くした。朝日新聞に強力な調査報道チームをつくることを夢見て、特別報道部の活躍でそれが現実となりつつあった。それらを成し遂げるには、会社内における「権力」が必要だった――。 しかし、である。自分の発言力や影響力が大きくなるにつれ、知らず知らずのうちに私たちの原点である「一人一人の読者と向き合うこと」から遠ざかり、朝日新聞という組織を守ること、さらには自分自身の社内での栄達を優先するようになっていたのではないか。 私はいまからその罪を問われようとしている。そう思うと奈落の底に落ちた自分の境遇をはじめて受け入れることができた。 そして「傲慢罪」に問われるのは、私だけではないと思った。新聞界のリーダーを気取ってきた朝日新聞もまた「傲慢罪」に問われているのだ』、奥さんの指摘「「あなたはこれから自分が何の罪に問われるか、わかってる? 私は吉田調書報道が正しいのか間違っているのか、そんなことはわからない。でも、それはおそらく本質的なことじゃないのよ。あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」 紹興酒の酔いは一気に覚めた。妻はたたみかけてくる。 「あなたは過去の自分の栄光に浸っているだけでしょ。中国の皇帝は王国が崩壊した後、どうなるか、わかる? 紹興酒を手に、妖艶な演奏に身を浸して、我が身をあわれんで涙を流すのよ。そこへ宦官がやってきて『あなたのおこなってきたことは決して間違っておりません。後世必ずや評価されることでしょう』と言いつつ、料理に毒を盛るのよ!」、極めて本質を突いた鋭い指摘だ。
・『日本社会がオールドメディアに下した判決  誰もが自由に発信できるデジタル時代が到来して情報発信を独占するマスコミの優位が崩れ、既存メディアへの不満が一気に噴き出した。2014年秋に朝日新聞を襲ったインターネット上の強烈なバッシングは、日本社会がオールドメディアに下した「傲慢罪」の判決だったといえる。木村社長はそれに追われる形で社長から引きずり下ろされたのだ。 「吉田調書」報道の取り消し後、朝日新聞社内には一転して、安倍政権の追及に萎縮する空気が充満する。他のメディアにも飛び火し、報道界全体が国家権力からの反撃に怯え、権力批判を手控える風潮がはびこった。安倍政権は数々の権力私物化疑惑をものともせず、憲政史上最長の7年8ヵ月続く。 マスコミの権力監視機能の劣化は隠しようがなかった。民主党政権下の2010年に11位だった日本の世界報道自由度ランキングは急落し、2022年には71位まで転げ落ちた。新聞が国家権力に同調する姿はコロナ禍でより顕著になった。 木村社長が「吉田調書」報道を取り消した2014年9月11日は「新聞が死んだ日」である。日本の新聞界が権力に屈服した日としてメディア史に刻まれるに違いない。 私は2014年末、朝日新聞から停職2週間の処分を受け、記者職を解かれた。6年半の歳月を経て2021年2月に退職届を提出し、たった一人でウェブメディア「SAMEJIMA TIMES」を創刊した。 私と朝日新聞に突きつけられた「傲慢罪」を反省し、読者一人一人と向き合うことを大切にしようと決意した小さなメディアである。自らの新聞記者人生を見つめ直し、どこで道を踏み外したのかをじっくり考えた。本書はいわば「失敗談」の集大成である。 世の中には新聞批判が溢れている。その多くに私は同意する。新聞がデジタル化に対応できず時代に取り残されたのも事実だ。一方で、取材現場の肌感覚とかけ離れた新聞批判もある。新聞の歩みのすべてを否定する必要はない。そこから価値のあるものを抽出して新しいジャーナリズムを構築する材料とするのは、凋落する新聞界に身を置いた者の責務ではないかと思い、筆を執った。 この記事は大手新聞社の中枢に身を置き、その内情を知り尽くした立場からの「内部告発」でもある。 次回は「新人時代のサツ回りが新聞記者をダメにする」​です。 登場人物すべて実名の内部告発ノンフィクション『朝日新聞政治部』は好評発売中。現代ビジネスでは紹介しきれない衝撃の事実も赤裸々に綴られています』、「本書はいわば「失敗談」の集大成である」、興味深そうだ。

次に、5月24日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏によう「元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(2)」を紹介しよう。
・『「鮫島が暴露本を出版するらしい」「俺のことも書いてあるのか?」――いま朝日新聞社内各所で、こんな会話が交わされているという。元政治部記者の鮫島浩氏が上梓する『朝日新聞政治部』(5月27日発売、現在予約受付中)​は、登場する朝日新聞幹部は全員実名、衝撃の内部告発ノンフィクションだ。 戦後、日本の左派世論をリードし続けてきた、朝日新聞政治部。そこに身を置いた鮫島氏が明かす政治取材の裏側も興味深いが、本書がもっとも衝撃的なのは、2014年に朝日新聞を揺るがした「吉田調書事件」の内幕をすべて暴露していることだ。 同書の内容を抜粋して紹介する。7日連続公開の第2回は、新聞記者が新人時代に必ず通る「地方支局でのサツ(警察)回り」の実態だ』、「新聞記者が新人時代に必ず通る「地方支局でのサツ(警察)回り」の実態」とは興味深そうだ。
・『キャリア官僚の話に興味が持てない  私は1994年に京都大学法学部を卒業し、朝日新聞に入社した。バブル経済は崩壊していたものの、その余韻が残る時代だった。数年後にやってくる就職氷河期の「失われた世代」や現在の「コロナ禍世代」と比べれば、気楽な就職活動の時代であった。 当時の京大生のご多分に漏れず、学業に熱心とは言い難い生活だった。就活中の1993年は自民党が衆院選に敗北して下野し、細川連立内閣が発足した戦後政治史の重要な年である。京大キャンパスのある衆院京都1区(当時は中選挙区制)からは、のちに民主党代表となる前原誠司氏が日本新党から出馬して初当選した。だが、私にはこの衆院選の投票に行った記憶がない。 新聞も購読していなかった。母子家庭で仕送りがなく、奨学金とアルバイト代で辛うじて学生生活を送っていたというのは言い訳である。 トイレも風呂も洗面所もない「離れ」に下宿した入学当初はたしかに厳しい暮らしだったが、3~4年生になると塾講師のアルバイトで稼いで自分の車まで所有していた。単に「学び」に不熱心だったというほかない。国立大学なら奨学金とアルバイトで何とか下宿し、通学し、それなりに遊び、卒業して就職できる幸運な時代だった。 朝日新聞の採用試験を受けたのも、当時交際していた同じ年の女性が新聞社志望で、募集要項をもらってきたのがきっかけだった。今となってはそこに何を書き込んだのかも覚えていない。朝日新聞といえばリベラルというくらいの印象しかなかった。ただ、これを境にそろそろ就職活動をしないといけないとにわかに焦り始めたことを覚えている。 親しい友人たちが国家公務員一種試験(法律職)を目指して勉強していたので、遅ればせながらその輪に入れてもらった。2~3ヵ月、過去問をひたすら解いて挑んだ筆記試験に合格し、友人たちに驚かれた。要領は良かったのだろう。その後、キャリア官僚と「面接」を重ねたが、自慢話を聞かされるばかりで興味を持てなかった。そこで、様々な業種から名前を知っている大企業をひとつずつ選んで訪問することにした。銀行、生保、メーカー……。朝日新聞はそのひとつに過ぎなかった。世間知らずの学生だった。 面接は得意だった。当意即妙の受け答えには割と自信があった(政治記者になった後も記者会見やインタビューで二の矢三の矢を放つのが好きだった)。それが功を奏したのか、朝日新聞を含め、いくつか内定をいただいた。 朝日新聞の東京本社や京都支局にうかがって現役の新聞記者にも会ったが、興味のわく人はいなかった。キャリア官僚と同じ匂いがした。 私は朝日新聞の内定を断った。代わりに選んだのが新日鉄(現・日本製鉄)である。この会社は会う人会う人が魅力的だった。私は新日鉄にのめり込んでいった。各地の製鉄所も見学させてもらった。「鉄は国家なり」と熱く語る人、ヒッタイト以来の鉄の歴史を研究して披露する人、鉄鋼労働者が暮らす四畳半の宿舎を案内し「君がこの会社で最初にする仕事はこの部屋が煙草の不始末で火事にならないようにすることだ」と説く人。みんな思いが詰まっていて、キャリア官僚や新聞記者より輝いて見えた。 なかでも私を気に入ってくれたのが、Sさんだった。私は京都から大阪・梅田の高層ビルに入る高級店に何度となく呼び出され、「君と一緒に仕事をしたい」と口説かれた。Sさんはパリッとしたスーツに身を固め、紳士的で、格好良かった。キャリア官僚や新聞記者とはまるで違った。私は新日鉄へ入社する決意をSさんに告げた』、「親しい友人たちが国家公務員一種試験(法律職)を目指して勉強していたので、遅ればせながらその輪に入れてもらった。2~3ヵ月、過去問をひたすら解いて挑んだ筆記試験に合格し、友人たちに驚かれた」、「朝日新聞を含め、いくつか内定をいただいた。 朝日新聞の東京本社や京都支局にうかがって現役の新聞記者にも会ったが、興味のわく人はいなかった。キャリア官僚と同じ匂いがした」、「現役の新聞記者」が「キャリア官僚と同じ匂いがした」、というのは面白い感想だ。「新日鉄・・・である。この会社は会う人会う人が魅力的だった」、「キャリア官僚や新聞記者とはまるで違った。私は新日鉄へ入社する決意をSさんに告げた」、そのままだったら、「新日鉄」マンになっていたとは驚きだ。
・『「新聞記者は主役になれない」  迷走はここから始まる。私は世の中をあまりに知らなかった。自分がいざ「鉄鋼マン」になると思うと、「鉄は国家なり」と熱く語る人やヒッタイトの歴史を熟知する人のように鉄に人生を捧げる覚悟が湧いてこなかった。「鉄」に限らずビジネスの世界で生きる将来の自画像がまったく浮かんでこなかったのだ。 一度決断しないと本心に気づかないのは困ったものである。就活の季節はとっくに過ぎ去っていた。内定を断った会社に今一度問い合わせてみた。 そのなかで唯一「今からでも来ていいよ」と答えてくれたのが朝日新聞社だった。当時の採用担当者から「君は新聞のことを知らなすぎる。新聞記者としてうまくいくかわからないけれど、来たいのなら来てもいいよ」と言われ、負けん気に火がついたのである。 私は大阪・梅田で新日鉄のSさんに会い、内定をお断りした。「どこにいくのか」と聞かれ、「新聞記者になります」と答えた。Sさんは引かなかった。「なぜ新聞記者なのか」と繰り返し迫った。私はとっさに「いろんな人の人生を書きたいからです」と魅力を欠く返答をした。彼は決して譲らず、熱く語った。 「新聞記者は人の人生を書く。所詮は人の人生だ。主役にはなれない。我々は自分自身が人生の主役になる。新日鉄に入って一緒に主役になろう」 熱かった。心が揺れた。私はこののち多くの政治家や官僚を取材することになるが、このときのSさんほど誠実で心に迫る言葉に出会ったことがない。いわんや、朝日新聞の上司からこれほど心を揺さぶられる説得を受けたことはない。 しかし、Sさんの熱い言葉は、彼の思いを超えて、私に新たな「気づき」を与えたのだった。ビジネスの世界に身を投じることへの抵抗感が自らの心の奥底に強く横たわっていることを、私はこのときSさんの熱い言葉に追い詰められて初めて自覚したのである。 「なぜ新聞記者なのか」と繰り返すSさんに、私がとっさに吐いた言葉は「ビジネスではなく、政治に関心があるからです」だった。政治家になろうと考えたことはなかった。政治に詳しくもなかった。なぜ「政治に関心がある」という言葉が出てきたのか、自分でもわからない。 いま振り返ると、一介の学生が働き盛りの鉄鋼マンに「なぜ新聞記者なのか」と迫られ、「ビジネス」への対抗軸として絞り出した答えが「政治」だったのだろう。多くの書物を読んで勉学を重ねた学生なら「学問」「文化」「芸術」などという、もう少し気の利いた言葉が浮かんだのかもしれないが、当時の私はあまりにも無知で無学で野暮だった。「政治」という言葉しか持ち合わせていなかったのだ。 ところが、「政治」という言葉を耳にして、Sさんはついに黙った。ほどなくして「残念だ」とだけ言った。Sさんとの別れだった。彼にとって「政治」とは、どんな意味を持つ言葉だったのか。当時の私には想像すらできなかった。 Sさんに投げかけられた「なぜ新聞記者なのか」という問いを、私はその後の新聞記者人生で絶えず自問自答してきた。客観中立を口実に政治家の言い分を垂れ流す政治記事を見るたびに、「新聞記者は主役になれない」と言い切ったSさんの姿を思い出した。いつしかSさんに胸を張って「主役になりましたよ」と言える日が来ることを志し、27年間、新聞記者を続けてきた。山あり谷あり波乱万丈の記者人生だったが、Sさんと再会して「君は主役になったな」と認めてもらえる自信はない。「所詮は新聞という小さな世界の内輪の話だよ」と言われてしまう気もする。 鉄も新聞も斜陽と呼ばれて久しい業界だ。学生時代の私が進路を決めるにあたり鉄と新聞で揺れたのは、果たして偶然だったのだろうか。私がSさんにとっさに吐いた言葉の後を追うように「政治記者」となり、多くの政治家とかかわるようになったのは運命だったのだろうか。 いずれにせよ、私は「新聞記者は主役になれない」という言葉を背負って朝日新聞に入社した。そこには新聞記者を志し、とりわけ朝日新聞に憧れて難関を突破してきた大勢の同期がいた。朝日新聞記者の初任給は当時、日本企業でトップクラスだった。日本の新聞の発行部数はまだ伸びていた。1994年春である。 太平洋の向こう側、アメリカ西海岸ではIT革命が幕を開けようとしていた』、「私は「新聞記者は主役になれない」という言葉を背負って朝日新聞に入社した」、入社したなかではかなりひねた感じだったのだろう。
・『記者人生を決める「サツ回り」  新聞記者人生は大概、地方の県庁所在地から始まる。新人記者は県警本部の記者クラブに配属され、警察官を取材する「サツ回り」で同僚や他社の記者と競わされる。支局には入社1~5年目の記者がひしめく。同世代はみんなライバルだ。 私は違った。初任地は茨城県のつくば支局。大学と科学の街である。県庁所在地ではなく県警本部はない。他社に新人記者は一人もいなかった。大半は科学記者だ。朝日新聞つくば支局は科学部出身の支局長、科学部兼務の記者、新人の私の3人。畑が点在する住宅街にある赤煉瓦の一軒家に支局長が居住し、その一角が私たちのオフィスになっていた。 同期たちからは「まあ、気を落とすなよ」と言われた。彼らには私が会社員人生の初っぱなから「コースを外れた」と映ったようだ。すでに出世競争は始まっていた。サツ回りで評価された記者が政治部や社会部に進む新聞社の常識を、私は知らなかった。 1994年4月、私は水戸支局に赴任する同期のY記者と特急スーパーひたちに乗り込んだ。茨城県全域を統括する水戸支局長に着任の挨拶をするためだ。支局長は社会部の警視庁記者クラブで活躍した特ダネ記者という評判だった。 水戸支局は水戸城跡のお堀に面した通りにある。いちばん奥のソファに、彼は仰向けに寝そべっていた。黒いサングラスをかけ、白いエナメルの靴を履いた足を投げ出している。その姿勢を維持したまま、彼は少し頬を緩めボソボソと口を開いた。 「世の中の幸せの量は決まっている。Yの幸せはサメの不幸、サメの幸せはYの不幸」 訓示はそれで終わった。何が言いたいんだ、競争心を煽っているのか、とんでもないところに来てしまった、これが新聞社なのか……。 この水戸支局長、野秋碩志(のあきひろし)さんが私の最初の上司である。 Y記者は早速、3人チームのサツ回りに投入された。入社3年目の県警キャップと2年目のサブキャップのもとで徹底的にこき使われるのだ。昼間は県警記者クラブで交通事故や火災などの発表を短行記事にする。殺人事件や災害が起きれば現場へ向かい、関係者の話を聞いたり写真を撮ったりする。朝と夜は警察官の自宅を訪問して捜査情報を聞き出す。いわゆる「夜討ち朝駆け」だ。 当時携行させられていたのはポケベルだった。休日深夜を問わず鳴り続ける。警察官宅で酔いつぶれたキャップから車で迎えに来るように呼びつけられることもある。 県警発表を記事にするだけでは評価されない。未発表の捜査情報――「明日逮捕へ」とか「容疑者が~と供述」とか――を、他社を出し抜いて書く。これら特ダネは、警察官と仲良くなって正式発表前に特別に教えてもらうリーク型がほとんどだ。不都合な事実を暴く正真正銘の特ダネとは違う。 新聞というムラ社会の中だけで評価される特ダネを積み重ねることが「優秀な新聞記者」への第一歩となる。逆に他社に特ダネを書かれることを「抜かれ」といい、他の全社が報じているのに一社だけ記事にできずに取り残されることを「特オチ」という。それらが続くと「記者失格」の烙印を押される。サツ回りで特ダネを重ねた記者が支局長やデスクに昇進し、自らの「成功体験」を若手に吹聴して歪んだ記者文化が踏襲されていく。 駆け出し記者は特ダネをもらうのに必死だ。あの手この手で警察官にすり寄る。会食を重ねゴルフや麻雀に興じる。風俗店に一緒に行って秘密を共有する。警察官が不在時に手土産を持って自宅を訪れ、奥さんや子どもの相談相手となる。無償で家庭教師を買って出る……。休日も費やす。とにかく一体化する。こうして警察官と「癒着」を極めた記者が特ダネにありつける。 警察は記者同士の競争意識につけ込み、警察に批判的な記者には特ダネを与えない。他の記者全員にリークし、批判的な記者だけ「特オチ」させることもある。記者たちはそれに怯え、従順になる。こうした環境で警察の不祥事や不作為を追及する記事が出ることは奇跡に近い』、「警察は記者同士の競争意識につけ込み、警察に批判的な記者には特ダネを与えない。他の記者全員にリークし、批判的な記者だけ「特オチ」させることもある。記者たちはそれに怯え、従順になる。こうした環境で警察の不祥事や不作為を追及する記事が出ることは奇跡に近い」、こうした警察によるマスコミのコントロールの激しさは目に余る。
・『競わされる相手がいなかった(日本の新聞記者の大多数はこうしたサツ回りの洗礼を受け、そこで勝ち上がった記者が本社の政治部や社会部へ栄転していく。敗れた記者たちもサツ回り時代に埋め込まれた「特ダネへの欲求」や「抜かれの恐怖」のDNAをいつまでも抱え続ける。 純朴で真面目なY記者は日々、明らかに憔悴していった。 私は違った。つくばには他社を含め新人記者は私しかいない。警察本部もない。つくば中央警察署(現・つくば警察署)に取材に訪れる記者は私だけだった。競わされる相手がいなかったのだ。末端の警察官まで私を歓迎してくれた。 しかもメインの取材先は警察ではなかった。私は科学以外のすべてを一人で担う立場にあった。つくば市など茨城県南部の読者に向けて地域に密着した話題(いわゆる「街ダネ」)を県版に毎日写真入りで伝えることを期待された。カメラをぶら下げ、市井の人々と会い、日常のこぼれ話を来る日も来る日も記事にした。 27年間の新聞記者人生でこの時ほど原稿を書いた日々はない。当時はフィルム時代だった。つくば支局にはカラー現像機がなかった。私は毎日、白黒フィルムで撮影し、暗室にこもって写真を焼いた。 この記者生活は楽しかった。私は新人にして野放しだった。夜討ち朝駆けはほとんどしなかった。毎朝目覚めると「今日はどこへ行こうか」「誰と会おうか」「何を書こうか」と考えた。私は自由だった。毎日が新鮮だった。 この野放図な新人時代は、私の新聞記者像に絶大な影響を与えることになる』、「つくばには他社を含め新人記者は私しかいない。警察本部もない。つくば中央警察署(現・つくば警察署)に取材に訪れる記者は私だけだった。競わされる相手がいなかったのだ。末端の警察官まで私を歓迎してくれた。 しかもメインの取材先は警察ではなかった。私は科学以外のすべてを一人で担う立場にあった」、「私は新人にして野放しだった。夜討ち朝駆けはほとんどしなかった。毎朝目覚めると「今日はどこへ行こうか」「誰と会おうか」「何を書こうか」と考えた。私は自由だった。毎日が新鮮だった。 この野放図な新人時代は、私の新聞記者像に絶大な影響を与えることになる」、恵まれた「新人」時代だ。
・『権力は重大な事を隠す  当時の青木幹雄官房長官や野中広務幹事長代理ら「五人組」は小渕総理が倒れた事実を伏せ、後継総理――それは森喜朗氏だった――を密室協議で決めた。 権力は重大な事を隠す。小渕総理の入院が公表された時にはすでに森政権へ移行する流れは出来上がっていた。小渕総理が身をもって教えてくれた政治の冷徹な現実である。 小渕官邸の「総理番」で学んだことは多かった。もちろん、官邸と官邸記者クラブの「癒着」は当時からあった。いちばん驚いたのは官房機密費の使い方だ。さすがに「餞別」などの理由で現金が政治記者に配られることはなかったと思う。しかし政務担当の総理秘書官は連夜、総理番を集め高級店で会食していた。その多くの費用は官房機密費から出ていると政治部記者はみんな察していた。 当時、地方支局ではオンブズマンが情報公開制度を利用して官官接待を追及しており、行政と記者の癒着にも厳しい目が向けられていた。「取材相手との会食は割り勘」は常識だったし、記者懇談会で提供される弁当にも手を付けるなという指示が出るほどだった。それなのに永田町の政治取材の現場では官房機密費がばらまかれていた。官房機密費の使用には領収書が不要で、情報公開で決して表に出ることはないと政治家も官僚も記者も確信しているからだった。 私は政務の総理秘書官を担当しておらず会食に出席したことはなかったが、上司に「あれはおかしいのではないか」と言ったことがある。上司は「それはそうだが、あの会食に出ないと、総理日程などの情報が取れない」と説明した。それに抗って異論を唱え続ける胆力は新米政治記者の私にはなかった。 当時に比べると、今の取材現場では「割り勘」が浸透し、悪弊は解消されつつある。ただし、そのスピードは極めて遅い。そればかりか、安倍晋三、菅義偉、岸田文雄各総理の記者会見をみると、官邸と官邸記者クラブの緊張関係はまったく伝わってこない。 小渕総理と政治記者のぶらさがり取材には緊張関係があった。小渕総理が政治記者という職業に敬意を払っていたからだろう。当時は新聞の影響力が大きく無視できないという政治家としての現実的な判断もあっただろう。 政治取材は長らく、権力者側の「善意」や「誠意」に支えられる側面が大きかった。新聞の影響力低下に伴って政治記者が軽んじられるようになり、一方的に権力者にこびへつらうようになったのが今の官邸取材の実態である。権力者側の「善意」や「誠意」には期待できないことを前提に、新たな政治取材のあり方を構築しなければ、政治報道への信頼はますます失われていくだろう。 次回は「内閣官房長官の絶大な権力」​​。明日更新です』、「新聞の影響力低下に伴って政治記者が軽んじられるようになり、一方的に権力者にこびへつらうようになったのが今の官邸取材の実態である。権力者側の「善意」や「誠意」には期待できないことを前提に、新たな政治取材のあり方を構築しなければ、政治報道への信頼はますます失われていくだろう」、その通りだ。

第三に、5月25日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「話題の書『朝日新聞政治部』先行公開第3回〜小渕恵三首相「沈黙の10秒」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/95521?imp=0
・『「鮫島が暴露本を出版するらしい」「俺のことも書いてあるのか?」――いま朝日新聞社内各所で、こんな会話が交わされているという。元政治部記者の鮫島浩氏が上梓する『朝日新聞政治部』(5月27日発売、現在予約受付中)​は、登場する朝日新聞幹部は全員実名、渾身の内部告発ノンフィクションだ。 戦後、日本の左派世論をリードし続けてきた、朝日新聞政治部。そこに身を置いた鮫島氏が明かす政治取材の裏側も興味深いが、本書がもっとも衝撃的なのは、2014年に朝日新聞を揺るがした「吉田調書事件」の内幕をすべて暴露していることだ。 7日連続先行公開の第3回は、初めて政治部に着任した鮫島氏が小渕恵三総理と向き合う緊迫の場面を紹介する』、「鮫島氏が小渕恵三総理と向き合う緊迫の場面」とは興味深そうだ。
・『政治記者は「権力と付き合え」  1999年春、私は政治部へ着任した。時は小渕恵三政権である。自民、自由、公明の連立政権が動き始めていた。小泉純一郎政権から安倍晋三政権へ至る清和会支配が幕を開ける前夜、竹下登元首相が最大派閥・平成研究会(小渕派)を通じて隠然たる影響力を残していた時代である。 私は新聞記者6年目の27歳。政治や経済は無知であった。そればかりか初めての東京暮らしで右も左もわからなかった。政治部の恒例で着任初日は政治部長に挨拶し昼食をともにする。駆け出し政治記者が政治部長と直接話をすることなどこの時くらいである。 政治部長は若宮啓文さんだった。朝日新聞を代表するハト派・リベラル派論客で、のちに社説の責任者である論説主幹や主筆となる。韓国紙に連載するなど国際派でもあった。父親は朝日新聞政治部記者から鳩山一郎内閣の総理秘書官に転じた若宮小太郎氏。その子息の若宮さんは「政治記者として血統の良いサラブレット」という印象が強かった。朝日新聞をライバル視する読売新聞の渡辺恒雄氏とも昵懇で、政治家では河野洋平氏と密接な関係を築いていた。 その若宮さんが私たち駆け出し政治記者に投げかけた訓示が衝撃的だった。私はつくば、水戸、浦和で過ごした新聞記者5年間とは別世界に来たと思った。若宮さんは眼光鋭い目を見開きながら、静かにこう語ったのだった。 「君たちね、せっかく政治部に来たのだから、権力としっかり付き合いなさい」 新聞の役割は権力を監視することだと思ってきた。「権力としっかり付き合いなさい」という言葉は意外だった。私は当時、世間知らずで怖いもの知らずだった。日本の新聞界を代表する政治記者であり、朝日新聞を代表する論客であり、初対面である自分の上司に、やや挑発めいた口調でとっさに質問したのである』、「「君たちね、せっかく政治部に来たのだから、権力としっかり付き合いなさい」、なかなか味わいのある言葉だ。
・『日本という国家の「権力」  「権力って、誰ですか?」 若宮さんはしばし黙っていた。ほどなく、静かに簡潔に語った。 「経世会、宏池会、大蔵省、外務省、そして、アメリカと中国だよ」 経世会とは、田中角栄や竹下登の流れを汲み、当時は小渕首相が受け継いでいた自民党最大派閥・平成研究会のことである。永田町ではかつての名称「経世会」の名で呼ばれることも多い。数の力で長く日本政界に君臨し、たたき上げの党人派が多く「武闘派」と恐れられた。小沢一郎氏が竹下氏の後継争いで小渕氏に敗れ自民党を飛び出した「経世会の分裂」が、1990年代の政治改革(小選挙区制導入による二大政党政治への転換)の発端だ。 宏池会は、池田勇人、大平正芳、宮澤喜一ら大蔵省(現・財務省)出身の首相を輩出し、戦後日本の保守本流を自任してきた。経済・平和重視のハト派・リベラル派で、政策通の官僚出身が多い一方、権力闘争は不得手で「お公家集団」と揶揄される。経世会の威を借りて戦後の政策立案を担ってきた。 大蔵省と外務省は、言わずと知れた「官庁中の官庁」。自民党が選挙対策や国会対策に奔走する一方、内政は大蔵省、外交は外務省が主導するのが戦後日本の統治システムだった。とくに大蔵省は予算編成権を武器に政財界に強い影響力を行使し、通産省(現・経済産業省)や警察庁など霞が関の他官庁は頭が上がらなかった。この大蔵省・財務省支配は2012年末の第二次安倍内閣発足まで続く。 そしてアメリカと中国。日米同盟を基軸としつつ対中関係も重視するのが経世会や宏池会が牛耳る戦後日本外交の根幹だった。政治家やキャリア官僚は日頃から在京のアメリカ大使館や中国大使館の要人と接触し独自ルートを築く。政治記者を煙に巻いても米中の外交官には情報を明かすことがある。政治記者ならアメリカや中国にも人脈を築いてそこから情報を得るという「離れ業」も必要だ。国際情勢に対する識見を身につけたうえで、米中の外交官が欲する国内政局に精通し、明快に解説できないようでは見向きもされない。 若宮さんの訓示は、この6者(経世会、宏池会、大蔵省、外務省、アメリカ、中国)こそが日本という国家の「権力」であり、政治記者はこの6者としっかり付き合わなければならないということだった。戦後日本政治史の実態を端的に表現したといえるだろう。 私は当時、その意味を理解する知識も経験も持ち合わせていなかったが、政治記者として20年以上、日本の政治を眺めてきた今となっては、若輩記者の直撃に対して明快な答えを即座に返した若宮さんの慧眼と瞬発力に感動すら覚える』、「若輩記者の直撃に対して明快な答えを即座に返した若宮さんの慧眼と瞬発力に感動すら覚える」、なるほど。
・『小渕恵三首相の「沈黙の10秒」  小渕恵三という総理は、口下手だった。途中で言葉が詰まり上手に話せないこともしばしばあった。しかし、総理番の取材に丁寧に応じようとしていることはよく伝わってきた。短い時間に、歩きながら、必死に言葉を絞り出していた。 私も何度もぶらさがって小渕総理に厳しい質問をしたが、どんなに慌ただしい政局の中でも何とか言葉を探して一言は答えてくれたものだ。無視されることはなかった。 小渕総理は風貌は地味で、流暢に話せず、「冷めたピザ」と揶揄されたが、若手記者の取材に真摯に応じる姿勢に惹かれた総理番は少なくなかった。「人柄の小渕」がマスコミを通して世間にじわじわ浸透したのか、当初低迷していた内閣支持率は徐々に上向いた。時間がたつにつれ支持率が下がることの多い日本の政権にしては珍しいパターンだった。 私は2000年春に総理番を卒業することになった。最終日、4月1日は日本政治史に残る重大な日となる。当時の関係者が何年もたった後に私に打ち明けた話によると、自自公連立を組む自由党の小沢一郎氏はこの時、連立離脱をちらつかせながら小渕総理と水面下で接触し、自民党と自由党をともに解党して合流するという大胆な政界再編を秘密裏に迫っていたというのだ。この日は夕刻に官邸を訪れ、小渕総理と最後の直談判に及んだのだった。私たち総理番は執務室の前で待った。小沢氏が硬い表情で退出した後、ほどなくして小渕総理が現れ、総理番に取り囲まれた。 私は小渕総理の目の前にいた。小渕総理は何か語ろうとしたが、うまく声を発することができずに10秒ほど押し黙った。ようやく口を開いて「信頼関係を維持することは困難と判断した」と述べ、会談が決裂したことを告げた。 小渕総理はそのまま総理番たちに背中を向け、総理公邸へ向かう廊下を進んだ。最後にちらっと私たちのほうを振り向いた。 これが小渕総理との別れだった。小渕総理は公邸に戻り、大好きな司馬遼太郎の「街道をゆく」のビデオを観ながら倒れたという。あとで先輩から「お前はあの時、小渕さんの目の前にいながら、10秒も押し黙ったのに、体調に異変が生じていることに気づかなかったのか」と叱られた。まったくその通りである。 しかし当時の政局は緊迫していた。小沢氏と決裂して連立解消が決まった直後、小渕総理の口調がこわばっていても不思議ではない。しかも小渕総理は日頃から能弁ではなく、言葉に詰まることが珍しくなかった。とはいえ体調の異変に気づかなかったのは、毎日密着している総理番としては観察力に欠けていたと言われても仕方がない。 その夜、政治記者たちは連立解消の取材に遅くまで追われた。朝刊の締め切りが過ぎた4月2日未明、私は他社の総理番らに国会近くの飲み屋で「総理番卒業」の送別会を開いてもらった(4月2日は日曜だった)。私は外務省担当になることが決まっていた。「小渕政権の最後まで総理番として見届けたかった」と他社の総理番たちにほろ酔いで話していたまさにその頃、小渕総理は病魔に襲われ、密かに順天堂大学附属順天堂医院へ運び出されていたのである』、「あとで先輩から「お前はあの時、小渕さんの目の前にいながら、10秒も押し黙ったのに、体調に異変が生じていることに気づかなかったのか」と叱られた。まったくその通りである」、「小渕政権」の劇的な最後に立ち会うとは貴重な体験だ。

第四に、6月11日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「元朝日新聞エース記者が衝撃の暴露「朝日はこうして死んだ」 『朝日新聞政治部』著者が明かす」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/95754?imp=0
・『巨大組織が現場社員に全責任を押し付ける。メディアが一斉に非難を浴びせるような出来事が、あの朝日新聞で行われた。大企業が陥った「危機管理の失敗」を、エース記者が精緻な目線で内部告発する』、興味深そうだ。
・『社長も大喜びだったのに  隠蔽、忖度、追従、保身、捏造、裏切り。 メディアが政権を責め立てるとき、頻繁に使われる言葉だ。だが、権力批判の急先鋒たる朝日新聞にこそ、向けられるべき指摘だという。元朝日新聞記者の鮫島浩氏(50歳)はこう振り返る。 「'14年9月11日、木村(伊量)社長(当時)が『吉田調書』報道を取り消したことで、朝日新聞は死んだと思っています。同時に、私の会社員人生は一瞬にして奈落の底へ転落してしまいました」 5月27日に刊行された『朝日新聞政治部』が大きな話題になっている。大新聞が凋落する様子が登場人物の実名とともに生々しく描かれたノンフィクションだ。 著者で政治部出身の鮫島氏は、与謝野馨元財務相や古賀誠元自民党幹事長などの大物政治家に食い込み、数々のスクープを放ったエース記者だった。なぜ大手新聞社の中枢に身を置いた彼が「内部告発」をするのか。そして、なぜ朝日新聞は「死んだ」と言えるのか』、後ろを読んでみよう。
・『原発事故報道でスクープを連発  時計の針を'12年に巻き戻そう。当時、政治部デスクだった鮫島氏は、先輩に誘われて特別報道部に異動した。 特別報道部は、'05年に朝日新聞の記者が田中康夫元長野県知事の発言を捏造した「虚偽メモ事件」をきっかけに創設されたチームだ。政治部や経済部などから記者を集めて調査報道に専従させる。'11年に起きた東日本大震災と原発事故で、調査報道の重要性が見直されていた頃だった。鮫島氏が加わった特別報道部は、原発事故の報道で輝かしい結果を残していく。 福島第一原発周辺で行われている国の除染作業をめぐり、一部の請負業者が除染で集めた土や洗浄で使った水などを、回収せずに山や川に捨てている様子を取り上げた「手抜き除染」は'13年の新聞協会賞を受賞した。 もっとも世間の注目を集めたのは、「吉田調書」報道だ。福島第一原発元所長の吉田昌郎氏が政府事故調査委員会の聴取に応じた記録を独自入手し、事故対応の問題点を報じたのだ。記事を手がけたのは、特別報道部の記者3人と担当デスクを務めた鮫島氏のチームだった』、確かに「「吉田調書」報道」はショッキングだった。
・『木村社長も大興奮、しかし……  このスクープは、'14年5月20日の朝刊1面と2面で大展開された。第一報では、「朝日新聞が吉田調書を独自入手したこと」、「吉田所長は第一原発での待機を命じていたのに、所員の9割が命令に違反し、第二原発に撤退していたこと」が主に報じられた。 報道直後から社内外では大反響が広がった。当時の朝日新聞社内の様子を著書から抜粋しよう。 〈朝日新聞社内は称賛の声に包まれた。市川誠一特別報道部長は「木村社長が大喜びしているぞ。社長賞を出す、今年の新聞協会賞も間違いないと興奮している」と声を弾ませていた〉 吉田調書報道を主導していた鮫島氏は、絶頂の真っ只中にいた。社内では多くの社員から取り囲まれて握手攻めにあい、同僚たちから祝福のメールが届いた。 特別報道部と鮫島氏が、わずか4ヵ月後に転落するとは誰も思わなかっただろう。 絶頂にあった特別報道部に対して、木村伊量社長らはまるで「手のひら返し」をするように冷淡になってゆく。そして事態は、特集記事「慰安婦問題を考える」の掲載をきっかけに急展開するのだった。特別報道部と鮫島氏を待ち受ける過酷な運命を、後編記事「なぜ朝日新聞は『読者に見捨てられる』のか? 元朝日スクープ記者が明かす」でお伝えする』、「絶頂にあった特別報道部に対して、木村伊量社長らはまるで「手のひら返し」をするように冷淡になってゆく」、「木村伊量社長らはまるで「手のひら返し」とは、理解できない動きだ。

第五に、6月11日付け現代ビジネス「なぜ朝日新聞は「部数減」に悩んでいるのか? 元朝日スクープ記者が明かす」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/95756?imp=0
・『元朝日新聞記者の鮫島浩氏は、2012年に政治部から「特別報道部」へ移り、東日本大震災・原発事故の調査報道でスクープを連発した。とりわけ、福島第一原発元所長の吉田昌郎氏の証言を独自入手した「吉田調書」報道は、社内外で大きな称賛を浴びた。 だが、あるきっかけで特別報道部、そして鮫島氏をとりまく状況は暗転する。前編「元朝日新聞エース記者が衝撃の暴露『朝日はこうして死んだ』」に続き、その一部始終を書籍『朝日新聞政治部』の内容も踏まえてお伝えする』、興味深そうだ。
・『突然の手のひら返し  「吉田調書」スクープは、'14年5月20日の朝刊1面と2面で大展開された。第一報では、「朝日新聞が吉田調書を独自入手したこと」、「吉田所長は第一原発での待機を命じていたのに、所員の9割が命令に違反し、第二原発に撤退していたこと」が主に報じられた。 だが6月になり、「所長の待機命令に違反し、所員の9割が原発から撤退した」という表現をめぐり批判が寄せられるようになる。混乱の中で、待機命令に気づかないまま第二原発へ向かった所員もいた可能性もあるからだ。 「第一報で伝えた吉田調書の内容は事実ですが、『撤退』や『待機命令に違反し』という表現は不十分でした。そこで、あらためて読者に丁寧に説明した特集紙面をつくることを提案したのです」 だが、編集担当、広報担当、社長室ら危機管理を扱う役員たちの了承がとれなかった。 「木村社長が『吉田調書報道を新聞協会賞に申請する』と意気込んでいて、第一報を修正する続報を出すと協会賞申請に水を差す、というのが理由でした。おそらく社長の取り巻きは、木村社長に直接相談はしていないでしょう。 つまり、経営陣の『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだのです。協会賞に申請できなくなることより、社長の機嫌を損ねることを恐れていたのだと思います」 結果的に吉田調書報道は受賞候補から早々に外れ、社内外での関心も薄れてしまった。事態は収まったかに見えた』、「第一報を修正する続報を出すと協会賞申請に水を差す、というのが理由でした。おそらく社長の取り巻きは、木村社長に直接相談はしていないでしょう。 つまり、経営陣の『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだのです。協会賞に申請できなくなることより、社長の機嫌を損ねることを恐れていたのだと思います」 結果的に吉田調書報道は受賞候補から早々に外れ、社内外での関心も薄れてしまった」、お粗末極まる動きだ。
・『ゲラを見て、社長は激怒した  急展開を迎えたのは、8月5日に朝日新聞が特集記事「慰安婦問題を考える」を掲載してからだ。ここで、戦時中に慰安婦を強制連行したとして、朝日新聞が紙面で報じてきた吉田清治氏の発言(吉田証言)を虚偽と判断し、過去の記事を取り消したのだ。訂正まで20年以上の時間がかかったことや、謝罪の言葉がないことに批判が殺到した。 その後、ジャーナリスト・池上彰氏のコラムが朝日新聞に掲載拒否されたことも週刊誌などで報じられた。慰安婦問題をめぐる朝日新聞の対応を批判する内容だったが、事前にゲラを見た木村社長が激怒したという。 朝日は、「吉田調書」「吉田証言」に加えて「池上コラム」で世論から猛烈な批判を浴び、経営陣は狼狽した。さらに、マスコミ他社や安倍政権からも「攻撃」を受けるようになる。菅義偉官房長官が「吉田調書を近いうちに公開する」と発表すると、各紙は朝日新聞に批判的な立場で吉田調書に関する報道を始めた。 過熱する朝日バッシングに経営陣は総崩れとなり、社長退任は避けられない事態となった。そして、政府が吉田調書を公開した9月11日、木村社長が緊急記者会見を行うこととなる。 それは鮫島氏にとって耳を疑いたくなるような内容だった。木村社長は自らが矢面に立っていた「吉田証言」と「池上コラム問題」ではなく、自らは直接関与していなかった「吉田調書」の責任を取るとして辞意を表明した。さらに記事を取り消して、関係者を厳正に処分すると発表したのだ。 「吉田調書の第一報が不十分であったことは認めます。ただ、それ以上に記事を出した後の危機管理に問題があったことは間違いありません。木村社長は、私たちをスケープゴートにするために吉田調書報道だけを取り上げて、他の問題の責任を隠蔽しようとしたのです。 しかも、『吉田証言』と『池上コラム問題』は木村社長が深く関わった案件。保身のための会見だったとしか思えません」』、「木村社長は、私たちをスケープゴートにするために吉田調書報道だけを取り上げて、他の問題の責任を隠蔽しようとしたのです。 しかも、『吉田証言』と『池上コラム問題』は木村社長が深く関わった案件。保身のための会見だったとしか思えません」、こんな見え見えの責任回避策が通用するとは「朝日新聞」も堕ちたものだ。
・『懲戒解雇の噂まで……  「吉田調書」のスクープをものにしたはずの鮫島氏ら取材班の記者たちは、異例の会見を経て「誤報記者」の烙印を押されてしまう。そして連日のように、人事部や第三者機関から長時間の事情聴取を受けることになる。とにかく非を認めさせて「処罰」を決めるための儀式のように感じたという。 「社内では私が懲戒解雇されるという噂も立っていました。上層部は様々な情報を流して私を精神的に追い込み、会社に屈服させようとしていたのです。信頼を寄せていた会社が、組織をあげて上から襲い掛かってくる恐怖は経験した者にしかわからないと思います」』、「「社内では私が懲戒解雇されるという噂も立っていました。上層部は様々な情報を流して私を精神的に追い込み、会社に屈服させようとしていたのです。信頼を寄せていた会社が、組織をあげて上から襲い掛かってくる恐怖は経験した者にしかわからないと思います」、組織は恐ろしい顔も持つようだ。
・『読者にも見捨てられる  鮫島氏は停職2週間の懲戒処分を受けて、管理部門に「左遷」された。それよりも鮫島氏が解せなかったのは、吉田調書を独自入手した記者も処分されたことだった。 「管理職だった私が結果責任を免れないのは理解できます。ただ、経営陣が自分たちの危機管理の失敗を棚上げして現場の記者に全責任をなすりつけたら、失敗を恐れて無難な仕事しかできなくなってしまう。これが、朝日新聞が死んだ最大の原因ではないでしょうか」 鮫島氏は昨年5月に会社を去った。今はネットメディアを立ち上げ、本来の報道倫理に立ち戻った言論活動を行っている。 昨年6月、朝日新聞社は創業以来最大の約458億円の大赤字を出した。'90年代は約800万部を誇っていた発行部数も、いまや500万部を割っている。記者が失敗を恐れて萎縮し、無難な記事しか載らない紙面が読者に見捨てられつつあるのか。朝日新聞の凋落は、誰にも止められないかもしれない』、「記者が失敗を恐れて萎縮し、無難な記事しか載らない紙面が読者に見捨てられつつある」、のは確かで、「朝日新聞の凋落は、誰にも止められないかもしれない」とは実に残念だ。
タグ:奥さんの指摘「「あなたはこれから自分が何の罪に問われるか、わかってる? 私は吉田調書報道が正しいのか間違っているのか、そんなことはわからない。でも、それはおそらく本質的なことじゃないのよ。あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」 「木村社長」が「自らが矢面に立つ「慰安婦」「池上コラム」ではなく、自らは直接関与していない「吉田調書」を理由にいきなり辞任を表明した」、というのは解せない行動だ。 「あとで先輩から「お前はあの時、小渕さんの目の前にいながら、10秒も押し黙ったのに、体調に異変が生じていることに気づかなかったのか」と叱られた。まったくその通りである」、「小渕政権」の劇的な最後に立ち会うとは貴重な体験だ。 (その32)(鮫島 浩氏6題:元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1)、元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(2)、話題の書『朝日新聞政治部』先行公開第3回〜小渕恵三首相「沈黙の10秒」、元朝日新聞エース記者が衝撃の暴露「朝日はこうして死んだ」、なぜ朝日新聞は「部数減」に悩んでいるのか? 元朝日スクープ記者が明かす) 「「社内では私が懲戒解雇されるという噂も立っていました。上層部は様々な情報を流して私を精神的に追い込み、会社に屈服させようとしていたのです。信頼を寄せていた会社が、組織をあげて上から襲い掛かってくる恐怖は経験した者にしかわからないと思います」、組織は恐ろしい顔も持つようだ。 「記者が失敗を恐れて萎縮し、無難な記事しか載らない紙面が読者に見捨てられつつある」、のは確かで、「朝日新聞の凋落は、誰にも止められないかもしれない」とは実に残念だ。 確かに「「吉田調書」報道」はショッキングだった。 鮫島 浩氏による「話題の書『朝日新聞政治部』先行公開第3回〜小渕恵三首相「沈黙の10秒」 「若輩記者の直撃に対して明快な答えを即座に返した若宮さんの慧眼と瞬発力に感動すら覚える」、なるほど。 「つくばには他社を含め新人記者は私しかいない。警察本部もない。つくば中央警察署(現・つくば警察署)に取材に訪れる記者は私だけだった。競わされる相手がいなかったのだ。末端の警察官まで私を歓迎してくれた。 しかもメインの取材先は警察ではなかった。私は科学以外のすべてを一人で担う立場にあった」、 「木村社長は、私たちをスケープゴートにするために吉田調書報道だけを取り上げて、他の問題の責任を隠蔽しようとしたのです。 しかも、『吉田証言』と『池上コラム問題』は木村社長が深く関わった案件。保身のための会見だったとしか思えません」、こんな見え見えの責任回避策が通用するとは「朝日新聞」も堕ちたものだ。 「私は新人にして野放しだった。夜討ち朝駆けはほとんどしなかった。毎朝目覚めると「今日はどこへ行こうか」「誰と会おうか」「何を書こうか」と考えた。私は自由だった。毎日が新鮮だった。 この野放図な新人時代は、私の新聞記者像に絶大な影響を与えることになる」、恵まれた「新人」時代だ。 「第一報を修正する続報を出すと協会賞申請に水を差す、というのが理由でした。おそらく社長の取り巻きは、木村社長に直接相談はしていないでしょう。 つまり、経営陣の『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだのです。協会賞に申請できなくなることより、社長の機嫌を損ねることを恐れていたのだと思います」 結果的に吉田調書報道は受賞候補から早々に外れ、社内外での関心も薄れてしまった」、お粗末極まる動きだ。 「現役の新聞記者」が「キャリア官僚と同じ匂いがした」、というのは面白い感想だ。「新日鉄・・・である。この会社は会う人会う人が魅力的だった」、「キャリア官僚や新聞記者とはまるで違った。私は新日鉄へ入社する決意をSさんに告げた」、そのままだったら、「新日鉄」マンになっていたとは驚きだ。 「警察は記者同士の競争意識につけ込み、警察に批判的な記者には特ダネを与えない。他の記者全員にリークし、批判的な記者だけ「特オチ」させることもある。記者たちはそれに怯え、従順になる。こうした環境で警察の不祥事や不作為を追及する記事が出ることは奇跡に近い」、こうした警察によるマスコミのコントロールの激しさは目に余る。 現代ビジネス「なぜ朝日新聞は「部数減」に悩んでいるのか? 元朝日スクープ記者が明かす」 「親しい友人たちが国家公務員一種試験(法律職)を目指して勉強していたので、遅ればせながらその輪に入れてもらった。2~3ヵ月、過去問をひたすら解いて挑んだ筆記試験に合格し、友人たちに驚かれた」、「朝日新聞を含め、いくつか内定をいただいた。 朝日新聞の東京本社や京都支局にうかがって現役の新聞記者にも会ったが、興味のわく人はいなかった。キャリア官僚と同じ匂いがした」、 「新聞記者が新人時代に必ず通る「地方支局でのサツ(警察)回り」の実態」とは興味深そうだ。 「「君たちね、せっかく政治部に来たのだから、権力としっかり付き合いなさい」、なかなか味わいのある言葉だ。 鮫島 浩氏によう「元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(2)」 「新聞の影響力低下に伴って政治記者が軽んじられるようになり、一方的に権力者にこびへつらうようになったのが今の官邸取材の実態である。権力者側の「善意」や「誠意」には期待できないことを前提に、新たな政治取材のあり方を構築しなければ、政治報道への信頼はますます失われていくだろう」、その通りだ。 「本書はいわば「失敗談」の集大成である」、興味深そうだ。 メディア 紹興酒の酔いは一気に覚めた。妻はたたみかけてくる。 「あなたは過去の自分の栄光に浸っているだけでしょ。中国の皇帝は王国が崩壊した後、どうなるか、わかる? 紹興酒を手に、妖艶な演奏に身を浸して、我が身をあわれんで涙を流すのよ。そこへ宦官がやってきて『あなたのおこなってきたことは決して間違っておりません。後世必ずや評価されることでしょう』と言いつつ、料理に毒を盛るのよ!」、極めて本質を突いた鋭い指摘だ。 鮫島 浩氏による「元朝日新聞エース記者が衝撃の暴露「朝日はこうして死んだ」 『朝日新聞政治部』著者が明かす」 「私は「新聞記者は主役になれない」という言葉を背負って朝日新聞に入社した」、入社したなかではかなりひねた感じだったのだろう。 後ろを読んでみよう。 「鮫島氏が小渕恵三総理と向き合う緊迫の場面」とは興味深そうだ。 「絶頂にあった特別報道部に対して、木村伊量社長らはまるで「手のひら返し」をするように冷淡になってゆく」、「木村伊量社長らはまるで「手のひら返し」とは、理解できない動きだ。 鮫島 浩氏による「元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1)朝日新聞政治部(1)」 現代ビジネス
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SNS(ソーシャルメディア)(その12)(フェイクニュース製造村の戦慄…月収5万円の村民が偽記事でベンツを買うまで、【ryuchellさん急逝】玉川徹氏が指摘した「暗澹たる誹謗中傷」 匿名の“言葉の暴力”のひどすぎた内容 SNSでは野放し 慌てて削除するユーザーも、ツイッター対抗馬「スレッズ」移行へ"3つの不安" ユーザー置き去りの「気持ち悪さ」が最大の障壁) [メディア]

SNS(ソーシャルメディア)については、昨年6月15日に取上げた。今日は、(その12)(フェイクニュース製造村の戦慄…月収5万円の村民が偽記事でベンツを買うまで、【ryuchellさん急逝】玉川徹氏が指摘した「暗澹たる誹謗中傷」 匿名の“言葉の暴力”のひどすぎた内容 SNSでは野放し 慌てて削除するユーザーも、ツイッター対抗馬「スレッズ」移行へ"3つの不安" ユーザー置き去りの「気持ち悪さ」が最大の障壁)である。

先ずは、昨年6月17日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したイトモス研究所所長の小倉健一氏による「フェイクニュース製造村の戦慄…月収5万円の村民が偽記事でベンツを買うまで」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/304894
・『ロシアによるウクライナ侵攻で勃発した戦争では、当初から情報線が繰り広げられている。その中には、「フェイクニュース」と指摘されるデマとおぼしき情報も入り交じる。そしてフェイクニュースがまん延するようになった現代社会の裏には、「フェイクニュース製造工場」とでもいうべき存在があった。しかもその場所は、月収5万円ほどの村民たちが暮らす小さな村だったのだ』、興味深そうだ。
・『ロシアによるウクライナ侵攻の口実すら「フェイクニュース」の可能性  ロシアのウクライナ侵攻において、ロシアとウクライナが共に双方の発表を「フェイクニュース」だと指摘するなど情報戦が続いている。 フェイクニュースとは、デマや一方的過ぎる情報を指す。メディアを通じて広がり、陰謀論や政治的なプロパガンダなどと結び付いて人々の生活や国の安全保障をも脅かす存在になっている。「ニュース」というだけに報道のような形で広がっていく。 その最たる例が、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領によるウクライナ侵攻を正当化するための主張だろう。ウクライナ東部でウクライナ政府軍によるロシア系住民の「ジェノサイド(集団殺害)」が起きていると主張したが、根拠に乏しいと指摘されている。 さらに別の疑惑もある。ロシアの国営メディアであるタス通信は、ロシアがウクライナへ侵攻する前の2月21日、ロシア領内に侵入したウクライナ軍車両をロシア軍が破壊したと伝えた。しかし、SNSで拡散した映像を英調査報道機関ベリングキャットが分析した結果、フェイクニュースの可能性があるという。べリングキャットは動画に映っている車両を「BTR70M」装甲兵員輸送車と判断したという。しかしウクライナ軍はBTR70Mを運用していないのだ。 「ジェノサイド」や「ウクライナ軍によるロシア領内への侵入・攻撃」というフェイクニュースが、今回の侵攻の口実に使われていた可能性が高いのだ。 対するウクライナからもフェイクと思しきニュースが流れており、両国によるフェイクニュースの情報戦が盛んだ。 フェイクニュース自体は、昔から「デマ」「虚言」などと表現は違っていたかもしれないが存在はしていただろう。ただ、私たちも世間話の中で、相手の話が信頼性が足らない気がしたときには「それ、フェイクニュースではないの?」と問う場面が増えてきたように感じる。 その裏には、「フェイクニュース製造工場」とでもいうべき存在があった。しかもその場所は、月収5万円ほどの村民たちが暮らす小さな村だったのだ』、「月収5万円ほどの村民たちが暮らす小さな村」に「フェイクニュース製造工場」があったというのは驚きだが、真のニュースだ。
・『「フェイクニュース」を有名にしたトランプ前米大統領  これほどまでに「フェイクニュース」という言葉が私たちの日常に広まったのは、ドナルド・トランプ前米大統領の影響だろう。 トランプ氏が大統領に就任する前後において、米国では主要メディアが偏向的な報道を流しているという不満が高まっていた。そんな中でトランプ氏は主要メディアに対して、ツイッターを使って「フェイクニュース!」と攻撃を続け、喝采を浴びたのだ。 その後、トランプ氏は大統領に就任すると、自分が気に食わない記事を「フェイクニュース」とレッテル貼りすることが増えた。大統領再選を狙ったジョー・バイデン氏との大統領選挙に敗北したときには、「選挙で不正が行われた」というフェイクニュースをツイッターに投稿。さらには米連邦議会議事堂の襲撃事件を巡って、支持者を扇動したとしてツイッターを永久追放されてしまった。 そして今、ツイッターの買収に乗り出している米テスラの最高経営責任者(CEO)のイーロン・マスク氏が、ツイッターの姿勢を批判している。「(ツイッターは)一見、穏健に見えるが、強い左派のバイアスがかかっている」「言論の自由を守る」として、トランプ氏の永久追放を「正しくなかった」と発言。「誰もが自分の意見を述べることができる場でなくなれば、根本的な信頼を損なってしまう」と述べた。 5月まで米大統領報道官を務めたジェン・サキ氏は、退任直前となる5月10日にマスク氏の発言を受けて言及。「誰が許され誰が許されないという判断はプラットフォームを運営する企業が決めるべきだ」「オンラインプラットフォームが言論の自由を守ると同時に、間違った情報の発信源にならないことを望む」と語っている。 言論の自由は、最大限に認められるべきなのだが、プーチン氏やトランプ氏のようなケースについては、受け取る側がフェイクを見抜く力をもっとつけていかねばならないだろう。 また、その2人のように「フェイクニュースをつくるのは権力者側」というだけでは決してないことにも注意した方がいい。誰もがだまされる当事者であると同時に、だます当事者でもある。世論工作は政党、メディアだけでなく、一般市民が自ら信じる組織のために実行しているケースは多いのだ』、「言論の自由は、最大限に認められるべきなのだが、プーチン氏やトランプ氏のようなケースについては、受け取る側がフェイクを見抜く力をもっとつけていかねばならないだろう」、その通りだ。
・『フェイクニュース製造村の驚きの実態とは?  これから紹介するのは、NHKが2018年に取材した「フェイクニュース村」だ。この村の名は、「ヴェレス」といって、北マケドニア(19年に「マケドニア」から国名を変更)という東欧のバルカン半島南部にある小さな国の中にある。北マケドニアの首都スコピエにあるスコピエ・アレクサンダー大王空港(現・スコピエ空港)は、米ニューヨークから飛行機を乗り継いで20時間かかる。そしてヴェレスは、空港から南に約50km車で走ったところにある。 人口約4万人のヴェレスは、住民の月収が5万円程度と貧しい地域だ。取材をしたNHK・佐野広記ディレクターによれば、この町では、市民たちがこぞって英文のフェイクニュースを作成し、ページビュー(PV)を稼ぐことで収益を得ているのだという。 「耳にピアスをして『渋谷で遊んでます』みたいな感じの大学生が、取材に応じてくれました。『アメリカ人はバカだ』『オレたちは、あるわけがないうそを書いているのに、やつらほんとに読むんですよ』『すげえ読まれてボロもうけできて、結構楽なんだ』と、軽いノリで小遣い稼ぎをしている。ヴェレスでフェイクニュースを作っているのは、彼らの肌感覚で200~300人とのことでした」(佐野氏) 北マケドニアは英語圏ではない。英語の記事は、単語だけ調べて中学で習ったレベルの文章にするのだという。記事はゼロから書くのではなく、CNNなどのサイトから引っ張ってきて、加工ソフトで面白くできるポイントだけ書き換える。 例えば、トランプ氏がメキシコとの国境に壁を造るというニュース記事は、文章の大半はそのまま使いつつ、一部を「ネバダに収容所を造ると言っている」などとセンセーショナルに書き換える。一見して普通のニュースサイト風の文章に仕立てあげ、作成した記事を自分のウェブサイトに掲載し、そこに広告配信のサービスを埋め込む。読者が広告を見たりクリックしたりすれば、広告料が入るという算段だ』、「北マケドニアは英語圏ではない。英語の記事は、単語だけ調べて中学で習ったレベルの文章にするのだという。記事はゼロから書くのではなく、CNNなどのサイトから引っ張ってきて、加工ソフトで面白くできるポイントだけ書き換える。 例えば、トランプ氏がメキシコとの国境に壁を造るというニュース記事は、文章の大半はそのまま使いつつ、一部を「ネバダに収容所を造ると言っている」などとセンセーショナルに書き換える。一見して普通のニュースサイト風の文章に仕立てあげ、作成した記事を自分のウェブサイトに掲載し、そこに広告配信のサービスを埋め込む。読者が広告を見たりクリックしたりすれば、広告料が入るという算段だ」、この程度であれば、「英語圏」でなくても出来るようだ。
・『高校生と母親のフェイクニュース共同製作 オンボロ車だらけの村に高級車が来た  佐野氏はさらにこう続ける。 「放課後に毎日5本のペースでフェイクニュースを作っているという高校生が言うには、『クラスでも4割くらいがやってるよ』と。自宅での取材に母親が居合わせたのは想定外でしたが、もっと驚いたのは、母親は息子を叱るどころか『もっとやれ』と……ビックリしました。共犯なんです」 「『ちゃんと作りなさい』と催促し、キーボードを打つわが子の手が止まったら『しょうがない、私が助けてあげる』といって、手伝うのです。著名な女優の名を挙げて、『怪我したとか大変な目にあった、みたいに書けばいいじゃない』『あーそうだねお母さん』というやりとりがありました」 そうして得た金で、BMWやベンツを買う。「ボロボロの車だらけの村に、突然ピカピカの高級車が走っている光景は異様でした」と、佐野氏は当時を振り返った。 主義主張は関係なく、ここまで金もうけに走るというのは驚きだ。ツイッターやフェイスブックといったプラットフォーム側も規制を試みているが、いたちごっこのような状態が続いている。 やはり、特定の情報の真偽を議論すること以上に、情報分析には情報の利用目的やタイミングの観点から背景を読み解くことが求められるのだ。フェイクニュースも含めた世論工作が氾濫する現代社会において、情報を読み解くスキルを持つことは欠かすことができないものとなるだろう』、「フェイクニュースも含めた世論工作が氾濫する現代社会において、情報を読み解くスキルを持つことは欠かすことができないものとなるだろう」、その通りだ。

次に、本年7月13日付けNEWSポストセブン「【ryuchellさん急逝】玉川徹氏が指摘した「暗澹たる誹謗中傷」 匿名の“言葉の暴力”のひどすぎた内容 SNSでは野放し、慌てて削除するユーザーも」を紹介しよう。
https://www.news-postseven.com/archives/20230713_1887552.html?DETAIL
・『タレントのryuchell(りゅうちぇる、27)さんが急逝したことで、衝撃が広がっている。7月12日夕方、東京都渋谷区内の事務所で倒れているのが見つかり、病院に搬送されたものの、まもなく死亡が確認された。現場の状況などから、自殺を図ったとみられている。 一夜明けた7月13日の朝は、スポーツ紙やワイドショーなどが一斉にryuchellさんの急死に言及した。テレビ朝日の「羽鳥慎一モーニングショー」でも、オープニング直後にトップニュース扱いで取り上げた。そのなかでコメンテーターの玉川徹氏は以下のような主旨の指摘をしていた。 「ひどい誹謗中傷があったという報道もありましたね。そういうことが関わっているかはわからないですが、そういうことがあったとしたら、またそんなことが起きてしまったのか、いつまで社会は匿名の名のもとに追い込むということを続けるんだろうと、すごく暗澹たる気持ちになります。 匿名の暴力をどうやって減らしていけばいいか、真剣に考えなければいけないと思います」 ryuchellさんは、2年前の2021年6月には自身のSNSへ「ブス、死ね」といったひどい誹謗中傷のコメントが届いたことを明かし、スクリーンショットを添付したうえで「僕は可愛いし、生きます」「そしてあなたも、生きて」というメッセージをつづっていた。 この対応には多くのファンから賞賛の声があがったが、その後も誹謗中傷が止むことはなかった。2021年後半から少しずつ女性的なファッションの写真をアップするようになったryuchellさんに対しては、SNSで一部ユーザーから誹謗中傷メッセージが届くようになった。 「2022年の6月頃にはInstagramをいわゆる『鍵付き』にしていましたが、同年8月に離婚を発表すると、『育児放棄』『子供捨てた奴』『死んでくれ』といった極めて悪質な誹謗中傷がツイッターなどにアップされるようになっていました」(芸能記者) 玉川氏が指摘した通り、これは匿名の言葉の暴力に他ならず、言語道断だろう。 Yahoo!ニュースのコメント欄では2022年11月から書き込むために携帯番号の登録を必須にしたり、AIを使って誹謗中傷や差別に当たるコメントを個別に削除するなど対策を強化しているが、ツイッターなどのSNSでは事実上野放し状態だ。 現在、ryuchellさんへの誹謗中傷をしていたユーザーが慌てて投稿を削除する動きも見受けられる。そうした書き込みが今回の一件につながったかどうかはわからないが、少なくともryuchellさんを傷つけていたことは間違いない。 今後、社会としてネット上の誹謗中傷にどう対応していくべきか、具体的な対策が求められるだろう。 ◆主な相談窓口 ・いのちの電話(一般社団法人 日本いのちの電話連盟) ナビダイヤル:0570-783-556 午前10時~午後10時  フリーダイヤル:0120-783-556 毎日午後4時~同9時 毎月10日:午前8時~翌日午前8時』、「いつまで社会は匿名の名のもとに追い込むということを続けるんだろうと、すごく暗澹たる気持ちになります」、「今後、社会としてネット上の誹謗中傷にどう対応していくべきか、具体的な対策が求められるだろう」、「匿名」なら勇ましく「誹謗中傷」するというのは卑怯だ。どうしても「誹謗中傷」したいのであれば、堂々と実名でやるべきだろう。

第三に、7月16日付け東洋経済オンラインが掲載した経済評論家・百年コンサルティング代表の鈴木 貴博氏による「ツイッター対抗馬「スレッズ」移行へ"3つの不安" ユーザー置き去りの「気持ち悪さ」が最大の障壁」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/686581
・『今年に入ってメディアからは「ツイッター経由の読者流入が目に見えて減少してきた」と不満の声が上がり始めていました。それに輪をかけて混乱を引き起こしたのが7月1日に発生した投稿閲覧制限です。有料の認証ユーザーは1日あたり6000件、一般のユーザーは1日600件しか投稿を見ることができないというものです。 原因については詳細が明らかにされていません。ツイッターは一部の機能をグーグルに依存していたのですが、その契約が6月30日に切れた影響だとも、バグによってサーバーにリクエストの無限ループが発生した障害のせいだとも噂される中、マスク氏は「一時的な緊急措置だ」と閲覧制限について表明しています。 とはいえそもそもSNSというものは広告収入が収益源で、儲かるためにはユーザーがツイッター上にどれだけ長くとどまるかがカギになります。そのユーザーがツイートを見られなくなり、広告主からは「流入が目に見えて減少している」と言われているのでは、確かに末期症状といえるほどひどい状況です。 ツイッターへの批判が高まったタイミングの7月6日、メタが新サービスのスレッズをぶつけてきたわけです』、「そもそもSNSというものは広告収入が収益源で、儲かるためにはユーザーがツイッター上にどれだけ長くとどまるかがカギになります。そのユーザーがツイートを見られなくなり、広告主からは「流入が目に見えて減少している」と言われているのでは、確かに末期症状といえるほどひどい状況です。 ツイッターへの批判が高まったタイミングの7月6日、メタが新サービスのスレッズをぶつけてきたわけです」、「マスク氏」の「ツイッター」改革も批判の的になっている。
・『スレッズはツイッターの"上位互換"  スレッズ自体は当初、ザッカーバーグ氏は7月中旬のサービス開始を匂わせていました。それを明らかに前倒ししたのは、ツイッターの失策で千載一遇のチャンスが到来していたからです。わずか5日で1億人というのも、このタイミングで莫大な数のツイッター難民が発生していたからこそ起こりえた現象です。 ここで興味深いことは、スレッズがツイッターの同質化サービスであることです。戦略の定石では新たにリリースするサービスには差異化が必要です。インスタグラムが登場した際には写真の加工や投稿が、TikTokは短い動画の編集が差異化としてユーザーに支持されて勢力を拡大することができました。 それと違いスレッズはツイッターと似た部分が目立つし多い。これは明らかに「過去の使いやすかったツイッターに戻りたい人は今すぐここに集まって!」というザッカーバーグ氏からのメッセージに映ります。 そのうえで差異というよりは、微妙なサービスアップも忘れてはいません。投稿可能な文字数500字、動画5分、写真10枚というのはすべてツイッターよりも上位互換のスペックです。 特に英語圏ではツイッターの140文字というのは本当の短文しか書けません。英語の140字の文章だと日本語の70文字分くらいの情報量になるのです。ですからアメリカのツイッターユーザーは今回のスレッズのスペックを歓迎しているはずです。 さて、こうしてにわかに巻き起こったスレッズ旋風ではあるのですが、この先、ツイッターが消えてしまい、スレッズがそれを補完する未来が来るのでしょうか?必ずしも未来がそちらに転がるかどうかは今のところわかりません。ツイッターとスレッズの未来を巡る3つの不安定要因をまとめていきたいと思います。 SNSを巡る不安定要因の1つ目が、マスク氏とザッカーバーグ氏の思想の違いです。 そもそもSNSは出現当初の理想と、現時点の現実に大きなギャップがあるサービスです。SNS出現当時は世界中の人がソーシャルネットワークを通じてつながり、そのことで相互理解が進み、新しいアイデアが生まれると期待されていました。 しかし現実には偏った意見が力を持つ世の中になり、社会の分断が進みました。背景には広告を主たる収入源とするビジネスモデルがあり、利用者個人のデータをもとに狙った個人へターゲットした情報が届けられる状況が「SNSの悪い現実」を生み出しました』、「スレッズはツイッターと似た部分が目立つし多い。これは明らかに「過去の使いやすかったツイッターに戻りたい人は今すぐここに集まって!」というザッカーバーグ氏からのメッセージに映ります。 そのうえで差異というよりは、微妙なサービスアップも忘れてはいません。投稿可能な文字数500字、動画5分、写真10枚というのはすべてツイッターよりも上位互換のスペックです。 特に英語圏ではツイッターの140文字というのは本当の短文しか書けません。英語の140字の文章だと日本語の70文字分くらいの情報量になるのです。ですからアメリカのツイッターユーザーは今回のスレッズのスペックを歓迎しているはずです」、「現実には偏った意見が力を持つ世の中になり、社会の分断が進みました。背景には広告を主たる収入源とするビジネスモデルがあり、利用者個人のデータをもとに狙った個人へターゲットした情報が届けられる状況が「SNSの悪い現実」を生み出しました」、なるほど。
・『スレッズは「穏やかな」SNSになる?  この理想と現実のギャップをどう埋めるか、実はマスク氏もザッカーバーグ氏もそれぞれ持論があります。マスク氏は買収当初から言論の自由を重視しています。買収後、永久凍結されていたトランプ前大統領のアカウントが凍結解除されたのはその象徴です。 一方のザッカーバーグ氏は、もっと穏やかなSNSを目指し介入を図る立場です。実際に彼はスレッズについて「オープンでフレンドリーな会話の空間」にしたいと言っています。 そのせいなのか、ないしは開発がまだ追いついていないのか、タイムラインは今のところおすすめのみ(フォローが反映されない)の状況。特定のコメントを非表示にできるなど、荒らし対策は簡単にできそうです。 私がスレッズを利用して一番驚いたことは、タイムラインに流れる情報が今まで私がツイッターで触れてきた情報とまったく毛色が違うことです。良く表現すればまったく新しい考えや情報が流れてくる。逆に言えば今まで私のツイッターに流れてくる情報は、いかに自分にとって居心地のいい偏った情報が多かったのかと再認識されました。) ただザッカーバーグ氏が標榜する思想は、今後変わる可能性があります。それは2番目の不安定要因になる「広告効果」が関係してきます。 そもそもツイッターにしてもスレッズにしても、私たちがサービスを無料で使える理由は、広告収入がSNSの経営を支えているからです。サービスが成り立つためには広告効果が高くなければいけません。 ツイッターとスレッズのどちらがスポンサー企業から見て広告効果のあるSNSであるのかが重要であり、その効果を左右するのはインフルエンサーから見て、どちらが収入になるSNSなのかが重要になります。 今回の混乱の中で、第三勢力としてマストドンやブルースカイのように広告収入に頼らない短文投稿SNSが台頭するのではないかという観測もありますが、私はその可能性は低いと考えています。あくまでSNSとは巨大な換金マシーンとして機能できているからこそ存在できるのです』、「私たちがサービスを無料で使える理由は、広告収入がSNSの経営を支えているからです。サービスが成り立つためには広告効果が高くなければいけません。 ツイッターとスレッズのどちらがスポンサー企業から見て広告効果のあるSNSであるのかが重要であり、その効果を左右するのはインフルエンサーから見て、どちらが収入になるSNSなのかが重要になります」、なるほど。
・『勝敗は広告効果で決まる  スレッズは今後の改修予定の機能として、段階的にツイッターに同質化するようキーワード検索ができるようになり、ハッシュタグが使えるようになり、フォローしている人の書き込みがタイムラインに表示されるようになり、DMが送れるようになるはずです。ますますツイッターと同じサービスになるため、ユーザーは今以上にスレッズを使うかもしれません。 しかし本当に重要なのは広告主が効果を感じてくれるかどうか、そしてその広告主とわたしたちユーザーをつなぐインフルエンサーが収益を上げられるかどうかです。ツイッターとスレッズのどちらが勝ち上がるのかは広告効果で決まってくるのです。 その観点で言えばメタが過去にフェイスブックで実現してきた「ビッグデータを駆使し、偏った情報を送ることで広告効果を極大化する」というノウハウがこの先、スレッズに反映されていくことで「新たな悪いSNSが力を持つ未来」が来ることは十分にありえそうです。 そしてスレッズとツイッターの未来を占う、3つ目の不安定要因が国別のユーザー数です。 世界のツイッター利用者は、月間アクティブユーザー数ベースで3.3億人です。これに対してスレッズの1億人というのはあくまで登録者数です。来月、再来月の段階でユーザーがどれだけスレッズを使い続けているかがそもそも大切で、1億人登録したことの意味がどこまで大きいかはまだわかりません) ただここで理解すべきことは、スレッズの登録がここまで短期間で増えた一つの背景要因がインスタグラムのアカウント経由で登録できたことです。インスタグラムの世界のアクティブユーザー数は10億人いますから、その1割が「とりあえずスレッズを試してみた」わけです。 そして「では残り9割もスレッズを始めたら勢力はいったいどうなるだろう?」というのがこれから先の関心事です。 さらにいえば同じくメタが運営するフェイスブックは世界のアクティブユーザー数は30億人とさらに多いわけで、その意味ではまだメタにはフェイスブックからスレッズにユーザーを流入させる力も温存しています。既存のSNSのユーザー数を武器にスレッズがツイッターを補完するという未来はありえるわけです』、「まだメタにはフェイスブックからスレッズにユーザーを流入させる力も温存しています。既存のSNSのユーザー数を武器にスレッズがツイッターを補完するという未来はありえるわけです」、なるほど。
・『マスク氏に訪れる「意味不明の未来」  ただし私たちにとって本当に重要なキーワードは「日本では」どうなるのかとういう視点です。 実はツイッターの利用者を国別で見ると、アメリカが1位で7700万人、そして日本は5900万人でアメリカに次ぐ第2位なのです。一方でインスタグラムはアメリカ1億7000万人であるのに対して日本は3300万人という状況で、日本ではインスタはそれほど強くはないという現実があります。 仮にアメリカではフェイスブック、インスタグラムからスレッズへのユーザー移住が本格的に起きて、スレッズがツイッターを補完する地位を手にしたとしても、日本はそうならない可能性があるということです。 さらに言えばメタからすると、短文投稿アプリでアメリカでツイッターを逆転した後に狙うべき重要市場は、ヨーロッパとインドなどのアジア圏が優先されるはずです。SNSは基本的に国ごとに勢力図が違うわけで、韓国ではカカオトークが優勢ですし中国ではウィーチャットなど国産SNSが主流です。 その流れで世界的にはツイッターが駆逐されても、日本だけガラパゴス的にツイッターが有力な短文投稿SNSとして生き残るというマスク氏にとっては意味不明な未来が訪れてもおかしくはないのです。 さて、このようにまとめてみたうえで改めて感じることは、今回の騒動は結局のところ私たちユーザーを置き去りにして起きているおかしな騒動であるということです。だからこそ、この先どうなるのか不安定で、しばらくの間、私たちは不自由を感じながらツイッターとスレッズ両方をしかめっ面をしながら利用することになるでしょう。 確実に予測できることはただ一つ「明日の私はSNSに対して不機嫌だろう」ということだけなのです』、「SNSは基本的に国ごとに勢力図が違うわけで、韓国ではカカオトークが優勢ですし中国ではウィーチャットなど国産SNSが主流です。 その流れで世界的にはツイッターが駆逐されても、日本だけガラパゴス的にツイッターが有力な短文投稿SNSとして生き残るというマスク氏にとっては意味不明な未来が訪れてもおかしくはないのです」、「今回の騒動は結局のところ私たちユーザーを置き去りにして起きているおかしな騒動であるということです。だからこそ、この先どうなるのか不安定で、しばらくの間、私たちは不自由を感じながらツイッターとスレッズ両方をしかめっ面をしながら利用することになるでしょう」、私は「マスク氏」がトランプ氏のアカウントを復活された動きをニガニガしく思っている。「ツイッター」がしばらく苦戦すれば、「マスク氏」へのいい薬になるのではなかろうか。 
タグ:(その12)(フェイクニュース製造村の戦慄…月収5万円の村民が偽記事でベンツを買うまで、【ryuchellさん急逝】玉川徹氏が指摘した「暗澹たる誹謗中傷」 匿名の“言葉の暴力”のひどすぎた内容 SNSでは野放し 慌てて削除するユーザーも、ツイッター対抗馬「スレッズ」移行へ"3つの不安" ユーザー置き去りの「気持ち悪さ」が最大の障壁) SNS(ソーシャルメディア) ダイヤモンド・オンライン 小倉健一氏による「フェイクニュース製造村の戦慄…月収5万円の村民が偽記事でベンツを買うまで」 「月収5万円ほどの村民たちが暮らす小さな村」に「フェイクニュース製造工場」があったというのは驚きだが、真のニュースだ。 「言論の自由は、最大限に認められるべきなのだが、プーチン氏やトランプ氏のようなケースについては、受け取る側がフェイクを見抜く力をもっとつけていかねばならないだろう」、その通りだ。 「北マケドニアは英語圏ではない。英語の記事は、単語だけ調べて中学で習ったレベルの文章にするのだという。記事はゼロから書くのではなく、CNNなどのサイトから引っ張ってきて、加工ソフトで面白くできるポイントだけ書き換える。 例えば、トランプ氏がメキシコとの国境に壁を造るというニュース記事は、文章の大半はそのまま使いつつ、一部を「ネバダに収容所を造ると言っている」などとセンセーショナルに書き換える。一見して普通のニュースサイト風の文章に仕立てあげ、作成した記事を自分のウェブサイトに掲載し、そこに広告配信のサービスを埋め込む。読者が広告を見たりクリックしたりすれば、広告料が入るという算段だ」、この程度であれば、「英語圏」でなくても出来るようだ。 「フェイクニュースも含めた世論工作が氾濫する現代社会において、情報を読み解くスキルを持つことは欠かすことができないものとなるだろう」、その通りだ。 NEWSポストセブン「【ryuchellさん急逝】玉川徹氏が指摘した「暗澹たる誹謗中傷」 匿名の“言葉の暴力”のひどすぎた内容 SNSでは野放し、慌てて削除するユーザーも」 「いつまで社会は匿名の名のもとに追い込むということを続けるんだろうと、すごく暗澹たる気持ちになります」、「今後、社会としてネット上の誹謗中傷にどう対応していくべきか、具体的な対策が求められるだろう」、「匿名」なら勇ましく「誹謗中傷」するというのは卑怯だ。どうしても「誹謗中傷」したいのであれば、堂々と実名でやるべきだろう。 東洋経済オンライン 鈴木 貴博氏による「ツイッター対抗馬「スレッズ」移行へ"3つの不安" ユーザー置き去りの「気持ち悪さ」が最大の障壁」 「そもそもSNSというものは広告収入が収益源で、儲かるためにはユーザーがツイッター上にどれだけ長くとどまるかがカギになります。そのユーザーがツイートを見られなくなり、広告主からは「流入が目に見えて減少している」と言われているのでは、確かに末期症状といえるほどひどい状況です。 ツイッターへの批判が高まったタイミングの7月6日、メタが新サービスのスレッズをぶつけてきたわけです」、「マスク氏」の「ツイッター」改革も批判の的になっている。 「スレッズはツイッターと似た部分が目立つし多い。これは明らかに「過去の使いやすかったツイッターに戻りたい人は今すぐここに集まって!」というザッカーバーグ氏からのメッセージに映ります。 そのうえで差異というよりは、微妙なサービスアップも忘れてはいません。投稿可能な文字数500字、動画5分、写真10枚というのはすべてツイッターよりも上位互換のスペックです。 特に英語圏ではツイッターの140文字というのは本当の短文しか書けません。英語の140字の文章だと日本語の70文字分くらいの情報量になるのです。ですからアメリカのツイッターユーザーは今回のスレッズのスペックを歓迎しているはずです」、「現実には偏った意見が力を持つ世の中になり、社会の分断が進みました。背景には広告を主たる収入源とするビジネスモデルがあり、利用者個人のデータをもとに狙った個人へターゲットした情報が届けられる状況が「SNSの悪い現実」を生み出しました」、なるほど。 「私たちがサービスを無料で使える理由は、広告収入がSNSの経営を支えているからです。サービスが成り立つためには広告効果が高くなければいけません。 ツイッターとスレッズのどちらがスポンサー企業から見て広告効果のあるSNSであるのかが重要であり、その効果を左右するのはインフルエンサーから見て、どちらが収入になるSNSなのかが重要になります」、なるほど。 「まだメタにはフェイスブックからスレッズにユーザーを流入させる力も温存しています。既存のSNSのユーザー数を武器にスレッズがツイッターを補完するという未来はありえるわけです」、なるほど。 「SNSは基本的に国ごとに勢力図が違うわけで、韓国ではカカオトークが優勢ですし中国ではウィーチャットなど国産SNSが主流です。 その流れで世界的にはツイッターが駆逐されても、日本だけガラパゴス的にツイッターが有力な短文投稿SNSとして生き残るというマスク氏にとっては意味不明な未来が訪れてもおかしくはないのです」、 「今回の騒動は結局のところ私たちユーザーを置き去りにして起きているおかしな騒動であるということです。だからこそ、この先どうなるのか不安定で、しばらくの間、私たちは不自由を感じながらツイッターとスレッズ両方をしかめっ面をしながら利用することになるでしょう」、私は「マスク氏」がトランプ氏のアカウントを復活された動きをニガニガしく思っている。「ツイッター」がしばらく苦戦すれば、「マスク氏」へのいい薬になるのではなかろうか。
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メディア(その32)(鮫島 浩ジャーナリスト:元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1) 朝日新聞政治部(1)、なぜ朝日新聞は「部数減」に悩んでいるのか? 元朝日スクープ記者が明かす、どこまでズブズブ!岸田首相と大メディア上層部が“談合”会食…「放送法解釈変更」炎上中に、「日経テレ東大学」を潰し 看板プロデューサーを退任に追い込んだ…テレ東株主総会・元日経記者の「告発」の迫力) [メディア]

メディアについては、昨年5月29日に取上げた。今日は、(その32)(鮫島 浩ジャーナリスト:元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1) 朝日新聞政治部(1)、なぜ朝日新聞は「部数減」に悩んでいるのか? 元朝日スクープ記者が明かす、どこまでズブズブ!岸田首相と大メディア上層部が“談合”会食…「放送法解釈変更」炎上中に、「日経テレ東大学」を潰し 看板プロデューサーを退任に追い込んだ…テレ東株主総会・元日経記者の「告発」の迫力)である。

先ずは、本年5月23日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1)朝日新聞政治部(1)」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/95386?imp=0
・『「鮫島が暴露本を出版するらしい」「俺のことも書いてあるのか?」――いま朝日新聞社内各所で、こんな会話が交わされているという。元政治部記者の鮫島浩氏が上梓した​『朝日新聞政治部』は、登場する朝日新聞幹部は全員実名、衝撃の内部告発ノンフィクションだ。 戦後、日本の左派世論をリードし続けてきた、朝日新聞政治部。そこに身を置いた鮫島氏が明かす政治取材の裏側も興味深いが、本書がもっとも衝撃的なのは、2014年に朝日新聞を揺るがした「吉田調書事件」の内幕をすべて暴露していることだ。 今日から7回連続で、本書の内容を抜粋して紹介していく』、興味深そうだ。
・『夕刊紙に踊る「朝日エリート誤報記者」の見出し  2014年秋、私は久しぶりに横浜の中華街へ妻と向かった。息苦しい都心からとにかく逃れたかった。 朝日新聞の特別報道部デスクを解任され、編集局付という如何にも何かをやらかしたような肩書を付与され、事情聴取に呼び出される時だけ東京・築地の本社へ出向き、会社が下す沙汰を待つ日々だった。蟄居謹慎(ちっきょきんしん)とはこういう暮らしを言うのだろう。駅売りの夕刊紙には「朝日エリート誤報記者」の見出しが躍っていた。私のことだった。 ランチタイムを過ぎ、ディナーにはまだ早い。ふらりと入った中華料理店はがらんとしていた。私たちは円卓に案内された。注文を終えると、二胡を抱えたチャイナドレスの女性が私たちの前に腰掛け、演奏を始めた。私は紹興酒を片手に何気なく聴き入っていたが、ふと気づくと涙が溢れている。 「なぜ泣いているの?」 二胡の音色をさえぎる妻の声で私はふと我に返った。人前で涙を流したことなんていつ以来だろう。ちょっと思い出せないな。これからの私の人生はどうなるのだろう。 朝日新聞社は危機に瀕していた。私が特別報道部デスクとして出稿した福島原発事故を巡る「吉田調書」のスクープは、安倍政権やその支持勢力から「誤報」「捏造」と攻撃されていた。政治部出身の木村伊量社長は、過去の慰安婦報道を誤報と認めたことや、その対応が遅すぎたと批判する池上彰氏のコラム掲載を社長自ら拒否した問題で、社内外から激しい批判を浴びていた。 「吉田調書」「慰安婦」「池上コラム」の三点セットで朝日新聞社は創業以来最大の危機に直面していたのである。特にインターネット上で朝日バッシングは燃え盛っていた。 木村社長は驚くべき対応に出た。2014年9月11日に緊急記者会見し、自らが矢面に立つ「慰安婦」「池上コラム」ではなく、自らは直接関与していない「吉田調書」を理由にいきなり辞任を表明したのである。さらにその場で「吉田調書」のスクープを誤報と断定して取り消し、関係者を処罰すると宣告したのだ。 寝耳に水だった。 その後の社内の事情聴取は苛烈を極めた。会社上層部はデスクの私と記者2人の取材チームに全責任を転嫁しようとしていた。5月に「吉田調書」のスクープを報じた後、木村社長は「社長賞だ、今年の新聞協会賞だ」と絶賛し、7月には新聞協会賞に申請した。ところが9月に入って自らが「慰安婦」「池上コラム」で窮地に追い込まれると、手のひらを返したように態度を一変させたのである』、「木村社長」が「態度を一変させた」とは酷い話だが、その背景には何があったのだろう。
・『私がどんな「罪」に問われていたか  巨大組織が社員個人に全責任を押し付けようと上から襲いかかってくる恐怖は、体験した者でないとわからないかもしれない。それまで笑みを浮かべて私に近づいていた数多くの社員は蜘蛛の子を散らすように遠ざかっていった。 私は27歳で政治部に着任し、菅直人、竹中平蔵、古賀誠、与謝野馨、町村信孝ら与野党政治家の番記者を務めた。39歳で政治部デスクになった時は「異例の抜擢」と社内で見られた。その後、調査報道に専従する特別報道部のデスクに転じ、2013年には現場記者たちの努力で福島原発事故後の除染作業の不正を暴いた。この「手抜き除染」キャンペーンの取材班代表として新聞協会賞を受賞した。 朝日新聞の実権を握ってきたのは政治部だ。特別報道部は政治部出身の経営陣が主導して立ち上げた金看板だった。私は政治部の威光を後ろ盾に特別報道部デスクとして編集局内で遠慮なく意見を言える立場となり、紙面だけではなく人事にまで影響力を持っていた。それが一瞬にして奈落の底へ転落したのである。 ああ、会社員とはこういうものか――。そんな思いにふけっているところへ、妻の声が再び切り込んできた。二胡の妖艶な演奏は続いている。 「なぜ泣いているの?」 なんでだろう……。たぶん厳しい処分が降りるだろう。懲戒解雇になると言ってくる人もいる。すべてを失うなあ……。いろんな人に世話になったなあと思うと、つい……」 妻はしばらく黙っていたが、「それ、ウソ」と言った。続く言葉は強烈だった。 「あなたはこれから自分が何の罪に問われるか、わかってる? 私は吉田調書報道が正しいのか間違っているのか、そんなことはわからない。でも、それはおそらく本質的なことじゃないのよ。あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」 紹興酒の酔いは一気に覚めた。妻はたたみかけてくる。 「あなたは過去の自分の栄光に浸っているだけでしょ。中国の皇帝は王国が崩壊した後、どうなるか、わかる? 紹興酒を手に、妖艶な演奏に身を浸して、我が身をあわれんで涙を流すのよ。そこへ宦官がやってきて『あなたのおこなってきたことは決して間違っておりません。後世必ずや評価されることでしょう』と言いつつ、料理に毒を盛るのよ!」 中国の皇帝とは、仰々しいたとえである。だが、妻の目に私はそのくらい尊大に映っていたのだろう。そして会社の同僚たちも社内を大手を振って歩く私を快く思っていなかったに違いない。私はそれにまったく気づかなかった。 「裸の王様」がついに転落し、我が身をあわれんで涙を流す姿ほど惨めなものはない。そのような者に誰が同情を寄せるだろうか。 私は、自分がこれから問われる「傲慢罪」やその後に盛られる「毒」を想像して背筋が凍る思いがした。泣いているどころではなかった。独裁国家でこのような立場に追い込まれれば、理屈抜きに生命そのものを絶たれるに違いない。今日の日本社会で私の生命が奪われることはなかろう。奈落の底にどんな人生が待ち受けているかわからないが、生きているだけで幸運かもしれない。 そんな思いがよぎった後、改めて「傲慢罪」という言葉を噛み締めた。「吉田調書」報道に向けられた数々の批判のなかで私の胸にストンと落ちるものはなかった。しかし「傲慢罪」という判決は実にしっくりくる。そうか、私は「傲慢」だったのだ! 政治記者として多くの政治家に食い込んできた。ペコペコすり寄ったつもりはない。権力者の内実を熟知することが権力監視に不可欠だと信じ、朝日新聞政治部がその先頭に立つことを目指してきた。調査報道記者として権力の不正を暴くことにも力を尽くした。朝日新聞に強力な調査報道チームをつくることを夢見て、特別報道部の活躍でそれが現実となりつつあった。それらを成し遂げるには、会社内における「権力」が必要だった――。 しかし、である。自分の発言力や影響力が大きくなるにつれ、知らず知らずのうちに私たちの原点である「一人一人の読者と向き合うこと」から遠ざかり、朝日新聞という組織を守ること、さらには自分自身の社内での栄達を優先するようになっていたのではないか。 私はいまからその罪を問われようとしている。そう思うと奈落の底に落ちた自分の境遇をはじめて受け入れることができた。 そして「傲慢罪」に問われるのは、私だけではないと思った。新聞界のリーダーを気取ってきた朝日新聞もまた「傲慢罪」に問われているのだ』、「39歳で政治部デスクになった時は「異例の抜擢」と社内で見られた。その後、調査報道に専従する特別報道部のデスクに転じ、2013年には現場記者たちの努力で福島原発事故後の除染作業の不正を暴いた。この「手抜き除染」キャンペーンの取材班代表として新聞協会賞を受賞した。 朝日新聞の実権を握ってきたのは政治部だ。特別報道部は政治部出身の経営陣が主導して立ち上げた金看板だった。私は政治部の威光を後ろ盾に特別報道部デスクとして編集局内で遠慮なく意見を言える立場となり、紙面だけではなく人事にまで影響力を持っていた。それが一瞬にして奈落の底へ転落したのである」、「あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」との奥さんの批判は、手厳しいが本質を突いているようだ。
・『日本社会がオールドメディアに下した判決  誰もが自由に発信できるデジタル時代が到来して情報発信を独占するマスコミの優位が崩れ、既存メディアへの不満が一気に噴き出した。2014年秋に朝日新聞を襲ったインターネット上の強烈なバッシングは、日本社会がオールドメディアに下した「傲慢罪」の判決だったといえる。木村社長はそれに追われる形で社長から引きずり下ろされたのだ。 「吉田調書」報道の取り消し後、朝日新聞社内には一転して、安倍政権の追及に萎縮する空気が充満する。他のメディアにも飛び火し、報道界全体が国家権力からの反撃に怯え、権力批判を手控える風潮がはびこった。安倍政権は数々の権力私物化疑惑をものともせず、憲政史上最長の7年8ヵ月続く。 マスコミの権力監視機能の劣化は隠しようがなかった。民主党政権下の2010年に11位だった日本の世界報道自由度ランキングは急落し、2022年には71位まで転げ落ちた。新聞が国家権力に同調する姿はコロナ禍でより顕著になった。 木村社長が「吉田調書」報道を取り消した2014年9月11日は「新聞が死んだ日」である。日本の新聞界が権力に屈服した日としてメディア史に刻まれるに違いない。 私は2014年末、朝日新聞から停職2週間の処分を受け、記者職を解かれた。6年半の歳月を経て2021年2月に退職届を提出し、たった一人でウェブメディア「SAMEJIMA TIMES」を創刊した。 私と朝日新聞に突きつけられた「傲慢罪」を反省し、読者一人一人と向き合うことを大切にしようと決意した小さなメディアである。自らの新聞記者人生を見つめ直し、どこで道を踏み外したのかをじっくり考えた。本書はいわば「失敗談」の集大成である。 世の中には新聞批判が溢れている。その多くに私は同意する。新聞がデジタル化に対応できず時代に取り残されたのも事実だ。一方で、取材現場の肌感覚とかけ離れた新聞批判もある。新聞の歩みのすべてを否定する必要はない。そこから価値のあるものを抽出して新しいジャーナリズムを構築する材料とするのは、凋落する新聞界に身を置いた者の責務ではないかと思い、筆を執った。 この記事は大手新聞社の中枢に身を置き、その内情を知り尽くした立場からの「内部告発」でもある。 次回は「新人時代のサツ回りが新聞記者をダメにする」​です。 登場人物すべて実名の内部告発ノンフィクション『朝日新聞政治部』は好評発売中。現代ビジネスでは紹介しきれない衝撃の事実も赤裸々に綴られています。 第一章 新聞記者とは? 1994―1998 第二章 政治部で見た権力の裏側 1999―2004 第三章 調査報道への挑戦 2005―2007 第四章 政権交代と東日本大震災 2008―2011 第五章 躍進する特別報道部 2012―2013 第六章 「吉田調書」で間違えたこと 2014 第七章 終わりのはじまり 2015― 終章 』、「「吉田調書」報道の取り消し後、朝日新聞社内には一転して、安倍政権の追及に萎縮する空気が充満する。他のメディアにも飛び火し、報道界全体が国家権力からの反撃に怯え、権力批判を手控える風潮がはびこった・・・マスコミの権力監視機能の劣化は隠しようがなかった」、「木村社長が「吉田調書」報道を取り消した2014年9月11日は「新聞が死んだ日」である。日本の新聞界が権力に屈服した日としてメディア史に刻まれるに違いない。 私は2014年末、朝日新聞から停職2週間の処分を受け、記者職を解かれた。6年半の歳月を経て2021年2月に退職届を提出し、たった一人でウェブメディア「SAMEJIMA TIMES」を創刊した。 私と朝日新聞に突きつけられた「傲慢罪」を反省し、読者一人一人と向き合うことを大切にしようと決意した小さなメディアである」、なるほど。

次に、6月11日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの鮫島 浩氏による「なぜ朝日新聞は「部数減」に悩んでいるのか? 元朝日スクープ記者が明かす」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/95756?imp=0
・『元朝日新聞記者の鮫島浩氏は、2012年に政治部から「特別報道部」へ移り、東日本大震災・原発事故の調査報道でスクープを連発した。とりわけ、福島第一原発元所長の吉田昌郎氏の証言を独自入手した「吉田調書」報道は、社内外で大きな称賛を浴びた。 だが、あるきっかけで特別報道部、そして鮫島氏をとりまく状況は暗転する。前編「元朝日新聞エース記者が衝撃の暴露『朝日はこうして死んだ』」に続き、その一部始終を書籍『朝日新聞政治部』の内容も踏まえてお伝えする』、興味深そうだ。
・『突然の手のひら返し  「吉田調書」スクープは、'14年5月20日の朝刊1面と2面で大展開された。第一報では、「朝日新聞が吉田調書を独自入手したこと」、「吉田所長は第一原発での待機を命じていたのに、所員の9割が命令に違反し、第二原発に撤退していたこと」が主に報じられた。 だが6月になり、「所長の待機命令に違反し、所員の9割が原発から撤退した」という表現をめぐり批判が寄せられるようになる。混乱の中で、待機命令に気づかないまま第二原発へ向かった所員もいた可能性もあるからだ。 「第一報で伝えた吉田調書の内容は事実ですが、『撤退』や『待機命令に違反し』という表現は不十分でした。そこで、あらためて読者に丁寧に説明した特集紙面をつくることを提案したのです」 だが、編集担当、広報担当、社長室ら危機管理を扱う役員たちの了承がとれなかった。 「木村社長が『吉田調書報道を新聞協会賞に申請する』と意気込んでいて、第一報を修正する続報を出すと協会賞申請に水を差す、というのが理由でした。おそらく社長の取り巻きは、木村社長に直接相談はしていないでしょう。 つまり、経営陣の『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだのです。協会賞に申請できなくなることより、社長の機嫌を損ねることを恐れていたのだと思います」 結果的に吉田調書報道は受賞候補から早々に外れ、社内外での関心も薄れてしまった。事態は収まったかに見えた』、「「第一報で伝えた吉田調書の内容は事実ですが、『撤退』や『待機命令に違反し』という表現は不十分でした。そこで、あらためて読者に丁寧に説明した特集紙面をつくることを提案したのです」 だが、編集担当、広報担当、社長室ら危機管理を扱う役員たちの了承がとれなかった。 「木村社長が『吉田調書報道を新聞協会賞に申請する』と意気込んでいて、第一報を修正する続報を出すと協会賞申請に水を差す、というのが理由でした。おそらく社長の取り巻きは、木村社長に直接相談はしていないでしょう。 つまり、経営陣の『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだのです。協会賞に申請できなくなることより、社長の機嫌を損ねることを恐れていたのだと思います」』、「経営陣の『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだのです。協会賞に申請できなくなることより、社長の機嫌を損ねることを恐れていたのだと思います」、「社長」が絶対で、「『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだ」とは、腐り切った組織だ。
・『ゲラを見て、社長は激怒した  急展開を迎えたのは、8月5日に朝日新聞が特集記事「慰安婦問題を考える」を掲載してからだ。ここで、戦時中に慰安婦を強制連行したとして、朝日新聞が紙面で報じてきた吉田清治氏の発言(吉田証言)を虚偽と判断し、過去の記事を取り消したのだ。訂正まで20年以上の時間がかかったことや、謝罪の言葉がないことに批判が殺到した。 その後、ジャーナリスト・池上彰氏のコラムが朝日新聞に掲載拒否されたことも週刊誌などで報じられた。慰安婦問題をめぐる朝日新聞の対応を批判する内容だったが、事前にゲラを見た木村社長が激怒したという。 朝日は、「吉田調書」「吉田証言」に加えて「池上コラム」で世論から猛烈な批判を浴び、経営陣は狼狽した。さらに、マスコミ他社や安倍政権からも「攻撃」を受けるようになる。菅義偉官房長官が「吉田調書を近いうちに公開する」と発表すると、各紙は朝日新聞に批判的な立場で吉田調書に関する報道を始めた。 過熱する朝日バッシングに経営陣は総崩れとなり、社長退任は避けられない事態となった。そして、政府が吉田調書を公開した9月11日、木村社長が緊急記者会見を行うこととなる。 それは鮫島氏にとって耳を疑いたくなるような内容だった。木村社長は自らが矢面に立っていた「吉田証言」と「池上コラム問題」ではなく、自らは直接関与していなかった「吉田調書」の責任を取るとして辞意を表明した。さらに記事を取り消して、関係者を厳正に処分すると発表したのだ。) 「吉田調書の第一報が不十分であったことは認めます。ただ、それ以上に記事を出した後の危機管理に問題があったことは間違いありません。木村社長は、私たちをスケープゴートにするために吉田調書報道だけを取り上げて、他の問題の責任を隠蔽しようとしたのです。 しかも、『吉田証言』と『池上コラム問題』は木村社長が深く関わった案件。保身のための会見だったとしか思えません」』、「木村社長は自らが矢面に立っていた「吉田証言」と「池上コラム問題」ではなく、自らは直接関与していなかった「吉田調書」の責任を取るとして辞意を表明した。さらに記事を取り消して、関係者を厳正に処分すると発表した」、「木村社長」がやろうとしたことは筋が通ってないのに、よくぞ社内的に通用したものだ。社内には「社長」のイエスマンしかいないのだろう。
・『懲戒解雇の噂まで……  「吉田調書」のスクープをものにしたはずの鮫島氏ら取材班の記者たちは、異例の会見を経て「誤報記者」の烙印を押されてしまう。そして連日のように、人事部や第三者機関から長時間の事情聴取を受けることになる。とにかく非を認めさせて「処罰」を決めるための儀式のように感じたという。 「社内では私が懲戒解雇されるという噂も立っていました。上層部は様々な情報を流して私を精神的に追い込み、会社に屈服させようとしていたのです。信頼を寄せていた会社が、組織をあげて上から襲い掛かってくる恐怖は経験した者にしかわからないと思います」』、「連日のように、人事部や第三者機関から長時間の事情聴取を受けることになる。とにかく非を認めさせて「処罰」を決めるための儀式のように感じたという」、「信頼を寄せていた会社が、組織をあげて上から襲い掛かってくる恐怖は経験した者にしかわからないと思います」、その通りなのだろう。
・『読者にも見捨てられる  鮫島氏は停職2週間の懲戒処分を受けて、管理部門に「左遷」された。それよりも鮫島氏が解せなかったのは、吉田調書を独自入手した記者も処分されたことだった。 「管理職だった私が結果責任を免れないのは理解できます。ただ、経営陣が自分たちの危機管理の失敗を棚上げして現場の記者に全責任をなすりつけたら、失敗を恐れて無難な仕事しかできなくなってしまう。これが、朝日新聞が死んだ最大の原因ではないでしょうか」 鮫島氏は昨年5月に会社を去った。今はネットメディアを立ち上げ、本来の報道倫理に立ち戻った言論活動を行っている。 昨年6月、朝日新聞社は創業以来最大の約458億円の大赤字を出した。'90年代は約800万部を誇っていた発行部数も、いまや500万部を割っている。記者が失敗を恐れて萎縮し、無難な記事しか載らない紙面が読者に見捨てられつつあるのか。朝日新聞の凋落は、誰にも止められないかもしれない』、「経営陣が自分たちの危機管理の失敗を棚上げして現場の記者に全責任をなすりつけたら、失敗を恐れて無難な仕事しかできなくなってしまう。これが、朝日新聞が死んだ最大の原因ではないでしょうか」、確かにこれではやる気のある記者たちは、「失敗を恐れて無難な仕事しかできなくなってしまう」、これでは、「朝日新聞が死んだ」のも当然だろう。

第三に、2月16日付け日刊ゲンダイ「どこまでズブズブ!岸田首相と大メディア上層部が“談合”会食…「放送法解釈変更」炎上中に」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/320160
・『まさか、放送法の政治的公平をめぐる解釈変更が国会で大炎上しているこのタイミングで──。驚きの会合が14日夜にあった。岸田首相が大手メディア上層部や大手メディア出身のジャーナリストと、東京・日比谷公園のフレンチレストランで約2時間にわたって会食したのだ。 首相動静によれば参加したメンバーは、山田孝男毎日新聞社特別編集委員、小田尚読売新聞東京本社調査研究本部客員研究員、芹川洋一日本経済新聞社論説フェロー、島田敏男NHK放送文化研究所エグゼクティブ・リード、粕谷賢之日本テレビ取締役常務執行役員、政治ジャーナリストの田崎史郎氏の6人。 朝日新聞官邸クラブのツイッターが、会食終了後にレストランから岸田首相や参加者が出てくる様子を動画で撮影して投稿している。直撃された田崎氏は「中身はいろいろ……だな」と答えていた』、「朝日新聞」記者は参加しなかったようだ。これは、矜持を持っているためなのだろうか。
・『批判殺到、付ける薬ナシ  これには、<放送法解釈が問題になっているときに、これ?? どんな感覚してるんだ?><大手メディアも政府広報の下請けに成り下がった感じですかね>など批判コメントが殺到だった。) 岸田首相はこの6人と昨年の参院選直後の7月15日にも会食している。 「安倍元首相時代からのメディアとのメシ食い情報交換を岸田首相も定例化して踏襲している形」(官邸関係者)らしく、日程もずいぶん前から決まっていたのだろう。だが、よりによって、である。 高市大臣が総務省が認めた「行政文書」について「捏造」と言い張ったことで、この問題に対する世論の関心は高まっている。報道の自由への不当な政治介入があったのかどうか、まさに政治とメディアの“距離感”が問われている真っただ中に、首相と複数のメディア上層部が“談合”よろしく親しく会食すれば世間にどう映るのか、子どもでも分かるはずだ。 「政治とメディアが徹底的に癒着していることを見せつけるもので、国民のメディア不信がますます高まる。ジャーナリズムは国民のために権力を監視するという重要な責務があり、単なる民間企業とは違う。どうしてここまで倫理観とケジメがなくなってしまったのか。品性がないし、恥ずかしい」(政治評論家・本澤二郎氏) メディア懐柔に精を出す首相もホイホイ乗っかるメディアも、もはや付ける薬がない』、「ジャーナリズムは国民のために権力を監視するという重要な責務があり、単なる民間企業とは違う。どうしてここまで倫理観とケジメがなくなってしまったのか。品性がないし、恥ずかしい」、同感である。

第四に、6月1日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの伊藤 博敏氏による「「日経テレ東大学」を潰し、看板プロデューサーを退任に追い込んだ…テレ東株主総会・元日経記者の「告発」の迫力」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/111118?imp=0
・『「これは人殺しと同じだわ」  登録者数が100万人を突破した人気YouTubeチャンネル「日経テレ東大学」は、なぜ打ち切りとなり、番組を企画して立ち上げ、進行役の「ピラメキパンダ」を務めた高橋弘樹プロデューサーは、なぜテレビ東京を退社したのか――。 テレビ東京ホールディングス(東証プライム)の株主総会は6月15日に開催されるが、筆者が最も注目しているのは、香港に本社を置く米国籍アクティビスト(物言う株主)のリム・アドバイザーズ(リム社、提案株主名義はLIM JAPAN EVENT MASTER FUND)が、この点を問題視して<日本経済新聞社との共同事業運営契約の開示>などを求めて株主提案していることだ。 「日経テレ東大学」は、「本格的な経済を身近に楽しく」をコンセプトにしたニュース情報番組で、堅いテーマを扱ってもMCを務める実業家の「ひろゆき」こと西村博之氏やイェール大学助教授の成田悠輔氏が、雑談に引き込んで面白く展開し人気を博した。 高橋氏は、「家、ついて行ってイイですか?」「空から日本を見てみよう」「吉木りさに怒られたい」と、低予算でも切り口と面白さで勝負する“テレ東らしさ”を持つプロデューサーである。 「ビジネス系では過去に例のない成功番組」と言われていただけに、今年3月末の配信打ち切りは本人にとっても寝耳に水だったようで、決定を告げられ「これは“人殺し”と同じだわ」と思わずつぶやき、退社に至った。 経済の専門家だけでなく、菅義偉前首相、泉健太・立憲民主党代表、松井一郎・日本維新の会前代表、木原誠二・内閣官房副長官といった有力政治家が登場したのは、「意識的な人々」を引き付けているこの番組の影響力を承知していたからだろう』、「「日経テレ東大学」は、「本格的な経済を身近に楽しく」をコンセプトにしたニュース情報番組で、堅いテーマを扱ってもMCを務める実業家の「ひろゆき」こと西村博之氏やイェール大学助教授の成田悠輔氏が、雑談に引き込んで面白く展開し人気を博した」、面白そうだが、私は残念ながら1回も観ていない。「「ビジネス系では過去に例のない成功番組」と言われていただけに、今年3月末の配信打ち切りは本人にとっても寝耳に水だったようだ」、「配信打ち切り」の理由は何なのだろう。
・『テレ東の天下り問題の「歪み」  テレビ局にとって番組改編の時、「諸般の事情」で打ち切りを決めるのは日常茶飯だ。だが、「日経テレ東大学」の場合、約32%の株式を保有してテレビ東京を「天下り先」としている日経新聞OBの経営陣が、後述するような理解できない事情で打ち切りの断を下し、それにリム社が噛みついた。 株主提案したリム社のポートフォリオ・マネージャーで日本投資責任者の松浦肇氏は、元日経記者として天下り問題の“歪み”を熟知している。日経の元上司がこう評する。 「証券部の記者としてマーケットの問題を鋭く突く優秀な記者でした。運用会社に転じて上場企業に注文をつけていますが、発想は新聞記者と同じで“歪み”を許さない。企業統治とマーケットの監視役であるべき未上場の日経OBが、上場企業のテレ東に『会社員生活のゴール』として天下りし、説明責任や資本効率といた上場企業の基本を無視したまま、『保身の経営』に汲々としている。彼はそれが許せないんです」 リム社のテレ東に対する株主提案は、昨年に次いで2回目である。昨年、約1%の株式を取得したリム社は、日経からの「天下り禁止」「社外取締役の選任」など7項目の株主提案を送り付けた。 テレ東社長は50年近く日経出身者が占め続け、昨年の総会でも小孫茂会長、石川一郎社長、新実傑専務とトップ3は日経OBだった。天下り禁止の株主提案の賛成率は8・15%。否決はされたものの、「日経の矛盾」はマーケットに示せた。 今年の提案は、冒頭の<共同事業運営契約の開示>を含む4項目の定款の一部変更と剰余金の処分を求めている。 なぜ日経との共同事業の開示を求めるのか。リム社は「提案理由」にこう書いている。 《(「日経テレ東大学」の)再生回数や製作本数などを鑑みるに、2022年10月~12月に約3500万円の税引き前利益を稼いだと推計できるが、提案株主がディスカウント・キャッシュフロー(DCF)方式で算定したところ、事業価値は約30億円に達した。》』、「企業統治とマーケットの監視役であるべき未上場の日経OBが、上場企業のテレ東に『会社員生活のゴール』として天下りし、説明責任や資本効率といた上場企業の基本を無視したまま、『保身の経営』に汲々としている。彼はそれが許せないんです」、確かにその通りだろう。
・『「日経テレ東大学」の担当役員が昇格  そして30億円の価値あるものを捨てた背景に疑問を呈している。 《現在も首脳陣4人が日経元幹部である。様々な分野で両者は事業を共同運営しているが、日経に有利な契約が結ばれている又は当社が契約にある権利を十分に生かしていないリスクが内在する。》 今年は「天下り禁止」といった直截な提案はしていない。そして小孫会長は退任するものの、石川社長、新実副社長というツートップを日経OBが占める。その体制ではテレ東の利益を毀損し、それが現われているのが「日経テレ東大学」の打ち切りだ、という主張である。しかも、直近の人事で専務から昇格した新実副社長は、「日経テレ東大学」の担当者だった。 株主提案に書き尽くしたということか、松浦氏に株主提案理由を改めて尋ねたものの、「テレビ東京ホールディングス様の企業・株主価値向上に寄与する株主提案であると自負しております」と短く答えた。 テレビ東京は、「取締会意見」で「(株主提案が指摘する)利益及び事業価値には到底及ばない」と回答していたが、筆者が「到底及ばない根拠を示して欲しい」と質すと次のように答えた。 「利益及び人件費を含めた費用の実態が判断の根拠です。株主提案では、3カ月で約3500万円の税引き前利益を稼いだと推計できるとしていますが、実際にそのような利益は得られていません」(広報・IR部)』、「直近の人事で専務から昇格した新実副社長は、「日経テレ東大学」の担当者だった」、なるほど。
・『日経新聞の嫉妬  だが、21年3月の配信からわずか2年で登録会員100万人を突破した優良コンテンツを捨て去らねばならない理由とは思えない。利益は出ているのだ。 高橋氏は軽妙なピラメキパンダとして、番組内で「テレ東が大好き。常務になるまで会社員を続ける」と広言していた。また、テレ東を退職したプロデューサー・佐久間宣行氏、JAXA退職の宇宙飛行士・野口聡一氏、朝日新聞退職の探検家・角幡唯介氏、日経新聞退職の経済ジャーナリスト・後藤達也氏らを招いて「なんで会社を辞めたんですか?」という番組を製作している。 安定を捨ててリスクを取るのはなぜなのか。高橋氏が「常務まで」というのは、上は日経OBの指定席だからだろうが、リスクを取るのは怖く、「でもそう“冒険”したい」と思っている視聴者=会社員の気持ちを代弁した。その高橋氏をテレ東が追い込んでしまった。損失以外の何ものでもない。 テレ東の現経営陣を知る日経OBは、人気コンテンツの打ち切り理由をシンプルにこう語る。 「日経新聞の嫉妬です。その圧力に上場企業としての立場を忘れたテレ東が折れた。『日経テレ東大学』は、新聞を離れ、後ろ足で砂をかけていった退職者とコラボするような番組を製作していた。それが許せなかった」 後藤氏のことである。 新聞・テレビという旧来型の情報プラットフォームが、やがてYouTubeなどのSNSやチャットGPTに奪われ、衰退していくのはもはや自明だ。22年4月に日経新聞を辞めた後藤達也氏は、Twitterのフォロワー数が50万人超、YouTubeのチャンネル登録数約25万人、noteの優良読者(月500円)約2万人を誇る。 この3つのSNSを駆使して視聴者・読者に経済をわかりやすく伝え、「良いカメラを買った以外に新たな投資はない」といいつつ、note会員からだけでも月に約1000万円の収入がある。それにYouTubeや講演料なども加えると年間売り上げは2億円近いのではないか。もはや、メディアがひとつ誕生したといっていい。 日経もテレ東も、デジタルメディアをどう採り入れるか、優良コンテンツといっていい記者をどう活用するか、そして最大のライバルとなるチャットGPTにどう対抗するかを本気で考え、改革すべき時に来ている。なのに、打ち切り理由が「嫉妬」だとすれば嘆息するしかなく、もはやメディアとしての将来性が失われているというしかない』、「日経OBは、人気コンテンツの打ち切り理由をシンプルにこう語る。 「日経新聞の嫉妬です。その圧力に上場企業としての立場を忘れたテレ東が折れた。『日経テレ東大学』は、新聞を離れ、後ろ足で砂をかけていった退職者とコラボするような番組を製作していた。それが許せなかった」」、「日経新聞の嫉妬」とは驚かされた。こうしたことでは、「もはやメディアとしての将来性が失われているというしかない」、その通りだ。
タグ:メディア (その32)(鮫島 浩ジャーナリスト:元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1) 朝日新聞政治部(1)、なぜ朝日新聞は「部数減」に悩んでいるのか? 元朝日スクープ記者が明かす、どこまでズブズブ!岸田首相と大メディア上層部が“談合”会食…「放送法解釈変更」炎上中に、「日経テレ東大学」を潰し 看板プロデューサーを退任に追い込んだ…テレ東株主総会・元日経記者の「告発」の迫力) 現代ビジネス 鮫島 浩氏による「元エース記者が暴露する「朝日新聞の内部崩壊」〜「吉田調書事件」とは何だったのか(1)朝日新聞政治部(1)」 『朝日新聞政治部』 「木村社長」が「態度を一変させた」とは酷い話だが、その背景には何があったのだろう。 「39歳で政治部デスクになった時は「異例の抜擢」と社内で見られた。その後、調査報道に専従する特別報道部のデスクに転じ、2013年には現場記者たちの努力で福島原発事故後の除染作業の不正を暴いた。この「手抜き除染」キャンペーンの取材班代表として新聞協会賞を受賞した。 朝日新聞の実権を握ってきたのは政治部だ。特別報道部は政治部出身の経営陣が主導して立ち上げた金看板だった。私は政治部の威光を後ろ盾に特別報道部デスクとして編集局内で遠慮なく意見を言える立場となり、紙面だけではなく人事にまで影響力を持っていた。それが一瞬にして奈落の底へ転落したのである」、 「あなたはね、会社という閉ざされた世界で『王国』を築いていたの。誰もあなたに文句を言わなかったけど、内心は面白くなかったの。あなたはそれに気づかずに威張っていた。あなたがこれから問われる罪、それは『傲慢罪』よ!」との奥さんの批判は、手厳しいが本質を突いているようだ。 「「吉田調書」報道の取り消し後、朝日新聞社内には一転して、安倍政権の追及に萎縮する空気が充満する。他のメディアにも飛び火し、報道界全体が国家権力からの反撃に怯え、権力批判を手控える風潮がはびこった・・・マスコミの権力監視機能の劣化は隠しようがなかった」、 「木村社長が「吉田調書」報道を取り消した2014年9月11日は「新聞が死んだ日」である。日本の新聞界が権力に屈服した日としてメディア史に刻まれるに違いない。 私は2014年末、朝日新聞から停職2週間の処分を受け、記者職を解かれた。6年半の歳月を経て2021年2月に退職届を提出し、たった一人でウェブメディア「SAMEJIMA TIMES」を創刊した。 私と朝日新聞に突きつけられた「傲慢罪」を反省し、読者一人一人と向き合うことを大切にしようと決意した小さなメディアである」、なるほど。 鮫島 浩氏による「なぜ朝日新聞は「部数減」に悩んでいるのか? 元朝日スクープ記者が明かす」 「経営陣の『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだのです。協会賞に申請できなくなることより、社長の機嫌を損ねることを恐れていたのだと思います」、「社長」が絶対で、「『忖度』が現場の求める紙面展開を抑え込んだ」とは、腐り切った組織だ。 「木村社長は自らが矢面に立っていた「吉田証言」と「池上コラム問題」ではなく、自らは直接関与していなかった「吉田調書」の責任を取るとして辞意を表明した。さらに記事を取り消して、関係者を厳正に処分すると発表した」、「木村社長」がやろうとしたことは筋が通ってないのに、よくぞ社内的に通用したものだ。社内には「社長」のイエスマンしかいないのだろう。 「連日のように、人事部や第三者機関から長時間の事情聴取を受けることになる。とにかく非を認めさせて「処罰」を決めるための儀式のように感じたという」、「信頼を寄せていた会社が、組織をあげて上から襲い掛かってくる恐怖は経験した者にしかわからないと思います」、その通りなのだろう。 「経営陣が自分たちの危機管理の失敗を棚上げして現場の記者に全責任をなすりつけたら、失敗を恐れて無難な仕事しかできなくなってしまう。これが、朝日新聞が死んだ最大の原因ではないでしょうか」、確かにこれではやる気のある記者たちは、「失敗を恐れて無難な仕事しかできなくなってしまう」、これでは、「朝日新聞が死んだ」のも当然だろう。 日刊ゲンダイ「どこまでズブズブ!岸田首相と大メディア上層部が“談合”会食…「放送法解釈変更」炎上中に」 「朝日新聞」記者は参加しなかったようだ。 これは、矜持を持っているためなのだろうか。 「ジャーナリズムは国民のために権力を監視するという重要な責務があり、単なる民間企業とは違う。どうしてここまで倫理観とケジメがなくなってしまったのか。品性がないし、恥ずかしい」、同感である。 伊藤 博敏氏による「「日経テレ東大学」を潰し、看板プロデューサーを退任に追い込んだ…テレ東株主総会・元日経記者の「告発」の迫力」 「「日経テレ東大学」は、「本格的な経済を身近に楽しく」をコンセプトにしたニュース情報番組で、堅いテーマを扱ってもMCを務める実業家の「ひろゆき」こと西村博之氏やイェール大学助教授の成田悠輔氏が、雑談に引き込んで面白く展開し人気を博した」、面白そうだが、私は残念ながら1回も観ていない 「「ビジネス系では過去に例のない成功番組」と言われていただけに、今年3月末の配信打ち切りは本人にとっても寝耳に水だったようだ」、「配信打ち切り」の理由は何なのだろう。 「企業統治とマーケットの監視役であるべき未上場の日経OBが、上場企業のテレ東に『会社員生活のゴール』として天下りし、説明責任や資本効率といた上場企業の基本を無視したまま、『保身の経営』に汲々としている。彼はそれが許せないんです」、確かにその通りだろう。 「直近の人事で専務から昇格した新実副社長は、「日経テレ東大学」の担当者だった」、なるほど。 「日経OBは、人気コンテンツの打ち切り理由をシンプルにこう語る。 「日経新聞の嫉妬です。その圧力に上場企業としての立場を忘れたテレ東が折れた。『日経テレ東大学』は、新聞を離れ、後ろ足で砂をかけていった退職者とコラボするような番組を製作していた。それが許せなかった」」、「日経新聞の嫉妬」とは驚かされた。こうしたことでは、「もはやメディアとしての将来性が失われているというしかない」、その通りだ。
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NHK問題(その6)(NHK(上)続投を阻まれた前田前会長の無念…背後にチラつく財界サロン「四季の会」の影、NHK(下)「岸田vs菅」の壮絶バトルの末に決まったトップ人事、稲葉NHK新会長が職員へ異例のメッセージ 前田・前会長の“銀行員的改革”はなぜ不評だったのか、【NHKワクチン被害者遺族放送問題】3題:なぜニュースウォッチ9は「ワクチン死」に触れなかったのか――遺族の決死の告白を踏みにじった「NHKの粗暴」、「私たちはNHKを許さない」コロナワクチン死を訴える気持ちを踏みにじった遺族が明かす「取材の全 [メディア]

NHK問題については、2021年9月6日に取上げた。久しぶりの今日は、(その6)(NHK(上)続投を阻まれた前田前会長の無念…背後にチラつく財界サロン「四季の会」の影、NHK(下)「岸田vs菅」の壮絶バトルの末に決まったトップ人事、稲葉NHK新会長が職員へ異例のメッセージ 前田・前会長の“銀行員的改革”はなぜ不評だったのか、【NHKワクチン被害者遺族放送問題】3題:なぜニュースウォッチ9は「ワクチン死」に触れなかったのか――遺族の決死の告白を踏みにじった「NHKの粗暴」、「私たちはNHKを許さない」コロナワクチン死を訴える気持ちを踏みにじった遺族が明かす「取材の全容」、なぜNHKは「ワクチン死遺族の悲痛な声」を報じなかったのか…証言で浮かび上がった深層)である。

先ずは、本年2月8日付け日刊ゲンダイが掲載した経済ジャーナリストの有森隆氏による「NHK(上)続投を阻まれた前田前会長の無念…背後にチラつく財界サロン「四季の会」の影」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/318375
・『任期満了に伴い退任するNHKの前田晃伸会長(78)が1月10日、会長として最後の会見に臨んだ。 前田氏は、みずほフィナンシャルグルーブの会長などを務めた後、2020年にNHK会長に転じ、1期3年務め1月24日退任した。人事制度や受信契約の営業手法など大胆な改革を進めるとともに、徹底したコスト削減を図り、今年10月からの過去最大の受信料値下げを実現した』、興味深そうだ。
・『スリム化に尽力  会見で前田会長は3年の任期を振り返り、「スリムで強靱なNHKに生まれ変わるため、今までの会長が手をつけなかったところに全部着手した」と人事制度の改革を強調した。 総務省が求める①業務のスリム化、②受信料値下げ、③ガバナンス強化の「三位一体の改革」を推進し、銀行出身の前田氏はとりわけ、手慣れた組織のスリム化に力を入れてきた。 外部のコンサルタント会社に大胆に業務委託しながら効率化を図り、19年度に7163億円あった業務支出を21年度には6609億円まで削減した。コロナ禍で、改革が進めやすかった側面は確かにあるが、元バンカーらしいやり方をした。 前田会長は3年間の成果を強調したが、「実態は無念さをにじませた会見だった」(全国紙の記者)。前田氏は22年9月ごろまでは続投に意欲を燃やしていた。それが、総務族の政治家の手で、引きずり降ろされた悔しさは、隠しようがなかったからだ。 その間、何が起きたのか。 安倍晋三元総理は22年7月8日、選挙応援中の奈良で暗殺された(享年67)。その1カ月半ほど前の5月25日、葛西敬之JR東海名誉会長が間質性肺炎で亡くなった(享年81)。 葛西氏は安倍氏を、再度、総理に押し上げた財界サロン「四季の会」の主宰者として知られている。中部地区の主要企業のトップたちは、「怖い人だ」と隠れて言い合い、彼を敬して遠ざけた。葛西氏は最後のフィクサーの異名を持っていた。 葛西氏が安倍晋三・菅義偉両政権を通じて重視したのが「NHKの支配」だったとされる。源流は第1次安倍政権(06年9月~07年9月)の菅義偉総務大臣時代にさかのぼる。NHKの報道に不満をもつメンバーが重用され、NHKの会長などを決める経営委員長に安倍氏の強い意向で富士フイルムの古森重隆社長(当時)が送り込まれた。 ところが安倍政権はわずか1年の短命で終わった。これ以降、「四季の会」がNHKの会長人事を実質的に仕切ることになった、とみる関係者が多い。古森経営委員長はアサヒビール(現・アサヒグループホールディングス)の福地茂雄相談役をNHK会長(08年1月~11年1月)に任命した。福地氏も「四季の会」のメンバーだった。 09年、民主党政権が誕生したが、「四季の会」の勢いはとまらない。葛西氏は、元部下でJR東海の副会長だった松本正之氏を福地氏の後任としてNHK会長(11年1月~14年1月)に据えた。 この間、「四季の会」は“素浪人”となった安倍晋三氏を支え続けた。 12年12月、第2次安倍政権が発足した。20年9月に退任するまでの長期政権となった。歴代のNHK会長の選考では、葛西敬之氏らの考え方が色濃く反映された。 20年1月、元みずほフィナンシャルグループ会長の前田晃伸氏がNHK会長に就任した。前田氏は記者会見で記者に問われ、「四季の会」のメンバーであることを認めた。) 前田氏の心のうちをのぞいたわけではないが、みずほのトップとして実績を上げていないとの忸怩たる思いがあったことは間違いない。NHK会長の椅子を前田氏は自らの経歴のリベンジのために使おうとした節がある。 時は移ろいやすい。葛西氏も安倍氏も鬼籍に入った。菅氏も、いっときだった政権の座から滑り落ちた。権力構造の急激な変化に伴い、前田氏はNHK会長の続投を断念しなければならないと意識するようになる。こうした間隙を縫って、会長人事の大逆転が起きた。時系列でたどってみよう。 =つづく』、「葛西氏が安倍晋三・菅義偉両政権を通じて重視したのが「NHKの支配」だったとされる。源流は第1次安倍政権(06年9月~07年9月)の菅義偉総務大臣時代にさかのぼる。NHKの報道に不満をもつメンバーが重用され、NHKの会長などを決める経営委員長に安倍氏の強い意向で富士フイルムの古森重隆社長(当時)が送り込まれた」、「アサヒビール(現・アサヒグループホールディングス)の福地茂雄相談役をNHK会長(08年1月~11年1月)に任命した。福地氏も「四季の会」のメンバーだった。 09年、民主党政権が誕生したが、「四季の会」の勢いはとまらない。葛西氏は、元部下でJR東海の副会長だった松本正之氏を福地氏の後任としてNHK会長(11年1月~14年1月)に据えた」、「元みずほフィナンシャルグループ会長の前田晃伸氏がNHK会長に就任した。前田氏は記者会見で記者に問われ、「四季の会」のメンバーであることを認めた」、「葛西氏が実質的な仕切り役」だったようだ。

次に、2月9日付け日刊ゲンダイが掲載した経済ジャーナリストの有森隆氏による「NHK(下)「岸田vs菅」の壮絶バトルの末に決まったトップ人事」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/318439
・『NHKの会長は、表向きは経営委員会内に設置される指名部会が決めることになっている。だが、実際は違う。指名部会が開かれる1週間前には永田町や霞が関の根回しが終わっているものなのだ。相前後して報道各社の「スクープ合戦」となるが、今回は極めて異例な展開を見せた。 経営委員会委員長の森下俊三氏(NTT西日本元社長)が記者会見で指名部会を立ち上げたことを明かしたのは2022年7月末。当初は、20年1月にNHK会長に就いた前田晃伸氏の続投が有力視されていた。何より、前田氏自身が続投を望んでいたからである。 そこへ突然、「NHK次期会長人事、丸紅元社長の朝田氏で最終調整」というニュースが飛び込んできた。 東洋経済ONLINE(22年12月3日付)が、23年1月に任期満了を迎える前田氏の後任が丸紅元社長の朝田照男氏に絞り込まれたとスクープ(!?)を放ったのだ。 〈事情に詳しいNHK関係者によれば、前田会長は一時、2期目も務める意思を示していた。しかし、受信料の引き下げをめぐって自民党と対立。前田会長ら経営陣は23年から衛星契約のみを引き下げるべきと主張していたが、自民党に押し切られる形で、最終的には地上波契約・衛星契約ともに1割値下げすることを決めた。こうした経緯を踏まえて“ポスト前田”の後任の人選が進められた〉(要旨、表現は異なる)とした。) 人選は経済界を中心に進められ、数人の候補が浮上したが、前田氏の出身母体である、みずほフィナンシャルグループと親密な関係にあり、(しかも)経済団体などで親交のあった丸紅の朝田氏に白羽の矢が立ったと伝えた。 ところが、これが大誤報(!?)となる。経営委員会は12月5日、日本銀行元理事の稲葉延雄氏(72)を会長に任命することを決めた。 「本人もやる気満々だった」(丸紅関係者)といわれた朝田氏はなぜ敗れたのか?』、「日本銀行元理事の稲葉延雄氏(72)を会長に任命することを決めた」、背景には何があったのだろう。
・『岸田官邸が朝田案を阻止  「週刊現代」(22年12月24日号)は「NHK『トップ人事』をめぐる『岸田VS菅』壮絶バトルの内幕」を報じた。 〈そもそもNHKの会長人事は、放送行政を牛耳るドン・菅義偉前総理の意向が働いてきた。「菅氏は前田会長を支配下に置き、機構改革や番組内容にも影響力を及ぼしてきたと言われます」(NHK幹部)。前田氏は菅氏の威を借り続投を希望していたが、ある事件により道を断たれた。「菅さんと近い板野裕爾(専務理事)を再任しない人事案を出し、菅さんの怒りを買った」(別のNHK幹部)のである〉) 前田氏の代わりに菅氏が目をつけたのが朝田氏だった、朝田氏は前田氏に頭が上がらないため、菅氏は間接的に朝田氏をコントロールできると踏んだ、と伝わる。 〈ところが、菅氏のNHKへの影響力を削ぎたい岸田官邸が横槍を入れた。「岸田総理のいとこの宮沢洋一自民党税調会長が『日銀の元プリンスでいいのがいる』と稲葉氏を推した。それに総理が乗っかった」(NHK関係者)。岸田総理は菅氏に「稲葉会長案」を直談判。菅氏は難色を示したが「麻生(太郎自民党副総裁)さんが『会長はお飾りだ。実務者の副会長を取れよ』と菅さんをなだめて呑ませた」(自民党閣僚経験者)>  NHKの会長人事は、いつでもそうだし、今回もまさに官邸、自民党、総務省がせめぎあう「政治案件」である。稲葉新会長は「やる気満々」だが、NHK経営委員会の森下俊三委員長は、稲葉氏に対して「改革で生じた副作用(=歪み)は直してほしい」と注文をつけた。 「スリムで強靱なNHK」を掲げ、人事制度や営業のやり方を強引に変えてしまった「前田改革」の、強烈な揺り戻しが始まった』、「菅氏のNHKへの影響力を削ぎたい岸田官邸が横槍を入れた。「岸田総理のいとこの宮沢洋一自民党税調会長が『日銀の元プリンスでいいのがいる』と稲葉氏を推した。それに総理が乗っかった」、「NHK経営委員会の森下俊三委員長は、稲葉氏に対して「改革で生じた副作用(=歪み)は直してほしい」と注文をつけた。 「スリムで強靱なNHK」を掲げ、人事制度や営業のやり方を強引に変えてしまった「前田改革」の、強烈な揺り戻しが始まった」、「「前田改革」の、強烈な揺り戻し」、とは見物だ。

第三に、3月7日付けデイリー新潮が掲載したコラムニスト・ジャーナリストの高堀冬彦氏による「稲葉NHK新会長が職員へ異例のメッセージ 前田・前会長の“銀行員的改革”はなぜ不評だったのか」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/03071100/?all=1
・『今年1月に就任したNHKの稲葉延雄新会長(72)が3月1日、職員向けに「改革の検証と発展へ」と題したメッセージを出し、組織内で不満が渦巻いている前田晃伸前会長(78)による改革を再検討する考えを示した。前会長による改革を新会長がたちまち見直すのは、極めて異例のこと。NHKの現状はどうなっているのか。 現在、NHKは毎月20~30人程度の職員が依願退職している。約1万人体制とはいえ、多い。そもそも離職率の低かった組織なのだ。前田体制になってから辞める職員が増えた。 前田氏は元みずほフィナンシャルグループ会長。2020年1月にNHK会長に就くと、今年1月の退任までの3年間に、ドラスティックな改革を行った。 まず人事。「役職定年制」を導入した。52歳以上の職員は職階に応じ、ある年齢に達したら役職を剥奪され、平社員になった。これにより管理職は3割も減り、人件費コストは大幅に削減された』、「毎月20~30人程度の職員が依願退職」、「役職定年制」で「管理職は3割も減り、人件費コストは大幅に削減された」、確かにドラスティックな改革だ。
・『「銀行屋の発想」50歳以上の職員を疎んじる傾向も  それだけではない。職員によっては50代半ばから賃金が時給制になった。これに青ざめる職員が相次いだという。前田体制は職員たちの暮らしをどう考えていたのだろう。 「ベテラン職員には鬱屈が溜まり、若手や中堅の職員も未来に希望が持てなくなった。これでは退職者が増える」(職員) ベテラン職員たちを戸惑わせた改革はこれにとどまらない。幹部職員になるためには試験に合格しなければならなくなった。例えば水戸放送局、静岡放送局など地方局の局長も試験で決まるようになった。 試験で誕生した実績の乏しい40代の局長が、それに勝るキャリアと指導力を持つ50代の記者やディレクターたちに指示を与えるようになった。これでは組織に軋みが生じるはずだ。 職員たちは口々に「銀行屋の発想」と不満を漏らしたという。確かに、銀行界は経営陣に気に入られた一部エリートを除き、50歳以上の職員を疎んじる傾向がある。定年前に片道切符で出向させられる社員が多い』、「試験で誕生した実績の乏しい40代の局長が、それに勝るキャリアと指導力を持つ50代の記者やディレクターたちに指示を与えるようになった。これでは組織に軋みが生じるはずだ。 職員たちは口々に「銀行屋の発想」と不満を漏らしたという」、なるほど。
・『NHKから専門家がいなくなる  前田体制は大胆な組織改革も行った。これにも局内から不満や疑問の声が上がり続けている。 NHKは長らく放送総局(約3500人)の下に報道局と制作局などが置かれていた。さらに報道局の下部には取材センター、ニュース制作センターなどが置かれていた。制作局の中にはバラエティをつくるエンターテインメント番組部やドラマ番組部などがあった。 だが、前田体制は2022年4月に放送総局を廃止。新たにメディア総局を設けた。その下に制作局に代わるクリエイターセンターを設けた。「縦割りを廃するため」などと前田体制は説明した。 それにより、制作者たちが畑違いの番組も手掛けるようになった。専門性が削がれつつある。 また、大河ドラマ、連続テレビ小説以外のドラマは外注化が進んでいる。やはりコストカットが第一の目的だ。 「これではエキスパートが育ちにくく、番組の質が保てなくなる恐れがある。NHKが受け継いできた制作力が伝承できるのだろうか」(別の職員)』、「大胆な組織改革」では、「「縦割りを廃するため」などと前田体制は説明した。 それにより、制作者たちが畑違いの番組も手掛けるようになった。専門性が削がれつつある。 また、大河ドラマ、連続テレビ小説以外のドラマは外注化が進んでいる。やはりコストカットが第一の目的だ。 「これではエキスパートが育ちにくく、番組の質が保てなくなる恐れがある。NHKが受け継いできた制作力が伝承できるのだろうか」』、大胆過ぎたようだ。
・大掛かりな編成・番組改革も裏目に  前田体制は大掛かりな編成・番組改革も行った。これも裏目に出ているのが明らか。 前田体制スタートから1年半後の2021年10月第1週の視聴率はこうだった。まだ編成・番組改革の規模は小さかった。 〇プライム帯(午後7時~同11時):個人4.9%(世帯8.9%) 〇全日帯(午前6時~午前0時):個人3.0%(世帯5.7%) 翌2022年4月、大胆な編成・番組改革が行われた。「ガッテン!」などを打ち切り、平日午後10時45分から同11時30分を「若年層ターゲットゾーン」とした。民放ですら、あり得ない。 その大改革から半年が過ぎた同10月第1週の視聴率は次の通りだ。 〇プライム帯:個人4.1%(世帯7.3%) 〇全日帯:2.7%(個人4.9%) 週単位の平均値でこの数字だから、視聴率の下げ幅はかなり大きい。前田体制は受信料を1割下げたものの、NHKを観る人が減ったり、満足度が落ちたりしたら、値下げも意味が乏しい。 NHKは誰のものかというと、視聴者のものである。収入のほぼ全てが受信料で、それによって組織や機器、施設を整えてきたのだから。株式会社と株主の関係に近い。それなのに前田体制は視聴者ファーストで改革を行ったとは思えない。 また、株式会社であろうが、組織を支える社員の暮らしは守らなくてはならない。サラリーマンならご存じの通りである。前田体制は受信料値下げを図ろうとするあまり、過度なコストカットに走り、職員の生活をないがしろにしたのではないか。それでは番組づくりへの影響は避けられない』、「前田体制は受信料値下げを図ろうとするあまり、過度なコストカットに走り、職員の生活をないがしろにしたのではないか。それでは番組づくりへの影響は避けられない」、なるほど。
・『不祥事続発の遠因も前田改革?  昨年10月、阿部渉アナウンサー(55)の局内不倫が取りざたされた。今年2月にはアナの船岡久嗣容疑者(47)が後輩女性アナの邸宅に侵入した疑いで逮捕された。どちらも前田体制下のNHK内では厳しい立場のベテランだ。 2人の行為はもちろん自己責任だ。庇う余地はない。だが、不祥事の背景に改革の影響はないのか。組織は実績ある2人を大切にしていたのだろうか。 前田体制はベテラン職員に関わる人事制度を激変させただけでなく、新人採用の仕組みも大きく変えた。2022年4月入局組から、職種別採用を止め、一括採用にした。報道記者志望者もドラマ制作を目指す者も技術者志望者も一括りで採用するようになった。 報道記者志願者は朝日や毎日、読売などの新聞社との併願が多かった。ドラマ制作者や技術者になる可能性もあると、受験をためらう者もいるだろう。 ドラマ制作を希望する者も同じ。記者になるのを恐れ、映画会社や動画配信会社などに流れてしまうこともあるに違いない。「人材の宝庫」と言われ続けたNHKだが、クリエイターセンターへの移行や外注増加もあって、今後は危ういのではないか。 もっとも、職員たちの危機感や嘆きは日銀元理事の稲葉延雄会長も知っていた。今年1月25日の就任会見で、前田改革についてこう口にした。 「若干のほころびが生じているかもしれない」(稲葉会長)。新会長が就任するなり、前会長のやったことを否定するような発言をするのは前代未聞だった。 それから1カ月余。職員に向けて「改革の検証と発展へ」とするメッセージを出した。前田改革を見直すつもりに違いない』、「新会長」が「前田改革を見直すつもりに違いない」とはお手並み拝見だ。
・『NHKは真の公共放送になるしかない  前田体制下でNHKの報道や番組の魅力が落ちたためなのか、受信料を下げたにも関わらず、民営化やスクランブル化を求める声が高まっている。だが、それは視聴者にとってプラスなのだろうか。 まず民営化はマイナスが大きい。そうでなくても在京キー局が5局もあるのは多い。米国ですら4大ネットワークなのだ。民放ばかりになったら、俗な番組が増えるだけ。また、NHKがスポンサーを獲るのは簡単ではない。やったことがないのだから。 スクランブル化するくらいなら、いっそ廃局にしてしまったほうが良い。既に有料CS放送のニュースチャンネルや有料配信動画が数多くあり、そこにNHKが加わるだけで、意味がない。 ただし、受信料で築き上げられたNHKを失うのは勿体ない。現在、なぜ民営化論などが高まっているかというと、それはNHKが視聴者の手の届かないところにあるから。前田改革も視聴者は蚊帳の外だった。 NHKが進むべき道は視聴者のための公共放送になるしかない。「既に公共放送じゃないか」と言うなかれ。現在の形態は英国のBBCなど諸外国の公共放送とは似て非なるものだ。 まず全放送局が総務省の支配下から脱する。突飛な話ではない。先進国では政府がテレビ局を監督するほうが極めて異例なのである。テレビ局は報道機関であり、本来は政府を監視する側の立場なのだ』、「NHKが進むべき道は視聴者のための公共放送になるしかない。「既に公共放送じゃないか」と言うなかれ。現在の形態は英国のBBCなど諸外国の公共放送とは似て非なるものだ。 まず全放送局が総務省の支配下から脱する。突飛な話ではない。先進国では政府がテレビ局を監督するほうが極めて異例なのである。テレビ局は報道機関であり、本来は政府を監視する側の立場なのだ」、確かに「政府を監視する側の立場」なのに、「政府がテレビ局を監督」するとは不自然だ。
・『NHKを国営放送にする案はなぜ「論外」?  テレビ局の監督はほかの先進国のように独立放送規制機関が行う。米国にはFCC、英国にはOfcom、フランスにはCSAがある。これらの組織は政府から独立している。 独立放送規制機関はテレビ局に対して強い権限を持つ一方、政治がテレビ局に介入することを許さない。テレビ局を厳正にチェックしながら、政治から守っている。米国のCBSや英国のBBCが厳しい政府批判が出来る背景には独立放送規制機関の存在がある。 また、NHK経営委員を事実上政府が選び、それに国会が同意するという悪しき仕組みはあらためるほかない。会長は経営委員会が決めているから、オーナーは視聴者であるにも関わらず、運営権は政権党が握るという不可思議な状態が続いている。 BBCの場合、経営委員会の代わりに、組織の方向性を決める理事会がある。経営委員の定員は12人だが、BBC理事会は14人。トップの理事長は公募制だ。理事長と4人の地域担当理事は公平性と透明性を確保した上で決められ、最終的には政府が任命する。残り9人の理事はBBCが任命する。会長はBBCが任命した理事から選ぶ。 経営委員会と理事会はまるで仕組みが違う上、Ofcomがあるから、BBCは独立性が極めて高い。NHKも海外の公共放送に倣うべきだ。 NHKを国営放送にするという案は論外だ。政権党の思う壺である。労せず受信料を徴収し、都合の良い主張を流せてしまうようになる。それもあり、国営放送の報道は海外で信用されない。 海外の国営放送は中国の中国中央電視台、ロシアのロシア1、北朝鮮の朝鮮中央放送など。大掛かりな国営放送を持つのは社会主義国か旧社会主義国ばかりなのである。 NHKを視聴者の手に届く存在にしない限り、いくら受信料を下げても視聴者側は納得しない。(高堀冬彦氏の略歴はリンク先参照)』、「テレビ局の監督はほかの先進国のように独立放送規制機関が行う。米国にはFCC、英国にはOfcom、フランスにはCSAがある。これらの組織は政府から独立している。 独立放送規制機関はテレビ局に対して強い権限を持つ一方、政治がテレビ局に介入することを許さない。テレビ局を厳正にチェックしながら、政治から守っている。米国のCBSや英国のBBCが厳しい政府批判が出来る背景には独立放送規制機関の存在がある」、「NHK経営委員を事実上政府が選び、それに国会が同意するという悪しき仕組みはあらためるほかない。会長は経営委員会が決めているから、オーナーは視聴者であるにも関わらず、運営権は政権党が握るという不可思議な状態が続いている。 BBCの場合、経営委員会の代わりに、組織の方向性を決める理事会がある。経営委員の定員は12人だが、BBC理事会は14人。トップの理事長は公募制だ。理事長と4人の地域担当理事は公平性と透明性を確保した上で決められ、最終的には政府が任命する。残り9人の理事はBBCが任命する。会長はBBCが任命した理事から選ぶ。 経営委員会と理事会はまるで仕組みが違う上、Ofcomがあるから、BBCは独立性が極めて高い。NHKも海外の公共放送に倣うべきだ」、「NHKを国営放送にするという案は論外だ。政権党の思う壺である。労せず受信料を徴収し、都合の良い主張を流せてしまうようになる。それもあり、国営放送の報道は海外で信用されない」、全く同感である。

第四に、5月26日付け現代ビジネス「なぜニュースウォッチ9は「ワクチン死」に触れなかったのか――遺族の決死の告白を踏みにじった「NHKの粗暴」【NHKワクチン被害者遺族放送問題#1】」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/110832?imp=0
・『5月15日に放送されたNHK「ニュースウォッチ9」のエンドロールで流れた映像がいま、問題となっている。コロナワクチン接種後に「副反応との因果関係が疑われる症状」で肉親を亡くした遺族たちの告白を「切り取って」放送していたのだ。なぜそうした事態に陥ったのか――関係者に話を聞いた』、信じ難いような話だ。
・『コロナ禍の3年を振り返る放送で  「NHKは番組の中で『偏向報道』をした事実については認めました。しかし、私たちが求めた『なぜそんな形で放送をしたのか』という意図については、説明すらされていない。謝罪はあった。しかし、いくら謝られたからといっても、遺族たちの怒りがおさまったわけではありません」 こう憤るのは、コロナワクチン被害者遺族会「つなぐ会」代表の鵜川和久氏だ。 5月15日に放送されたNHK『ニュースウォッチ9』のエンディング映像を巡り、NHKに抗議の声が集まっている。発端となったのは、新型コロナが第5類に移行することを受けて制作された「この3年を振り返る」という趣旨の、1分ほどの短い映像だ。 なぜこの短い映像が、騒動に発展したのだろうか――。まずはその映像を振り返ろう。 冒頭では、かつてクラスターが発生した「ダイヤモンドプリンセス号」の現在の姿が映り、「私たちの3年あまり」というテロップが流れる。そして、コロナ禍で肉親を失った3人の「遺族」が登場した。 まず、〈夫を亡くした河野亜樹子さん〉との字幕とともに、河野さんという女性が「いったいコロナって何だったんだろう」と語る。 次に〈父を亡くした宮城彰範さん〉との字幕と父親の写真を見つめる男性が映る。その背後からは「5類になったとたんにコロナが消えるわけではない」「風化させることはしたくない」との声が聞こえた。 最後は〈母を亡くした佐藤かおりさん〉が登場する。佐藤さんは涙ぐみながら「遺族の人たちの声を届けていただきたい」と語っていた。 そして動画は「戻りつつある日常」という声と共に現在の街の様子へと続いていく――。 問題となっているのはこの3人の紹介の仕方だ。 一見すると視聴者は、彼ら、彼女らを「新型コロナウイルス感染症にかかった肉親を失った遺族」ととらえるだろう。 だが、ここに登場した遺族全員が「肉親は、新型コロナのワクチン接種後の副反応による疑いで命を落とした」と主張している。決してコロナに感染して亡くなったわけではないのだ。 しかし、番組動画を見る限りでは、彼らは「コロナに感染して亡くなった」と受け止められるつくりになっている。ここに、遺族は憤っているのだ』、「ここに登場した遺族全員が「肉親は、新型コロナのワクチン接種後の副反応による疑いで命を落とした」と主張している。決してコロナに感染して亡くなったわけではないのだ。 しかし、番組動画を見る限りでは、彼らは「コロナに感染して亡くなった」と受け止められるつくりになっている。ここに、遺族は憤っているのだ」、「遺族」が「憤る」のも当然だ。
・『「ワクチン」には一言も触れていなかった  「放送を見て、『えー!?』って驚きました。私たちが訴えたかった『ワクチン死』については一言も触れられていなかった……」 取材を受けた一人、佐藤かおりさん(46歳)は悔しさを滲ませながら訴える。 佐藤さんの母親はワクチン接種直後に還らぬ人となった 佐藤さんは昨年11月に母・政美さんを亡くした(享年68)。5回目のワクチン接種後のことだった。夕飯の準備をしていたとき、急に体調が悪くなった政美さん。ちょっと休むと台所を離れた直後――。 「あかん!」 そう最後の言葉を残し、突然倒れた。救急搬送されるも目を覚ますことなく、還らぬ人となった――。 政美さんのCT画像をみると、肺に血が溜まり、気管まであふれている状態が映し出されていた。大病を患うことなく、亡くなる直前まで元気に家事をこなしていた政美さん。遺族は「ワクチン以外の原因が考えられない」と主張している(その詳しい状況については週刊現代2023年1月28日号でも伝えている)。 佐藤さんらはNHKから先の取材を受けた際、「肉親がワクチン接種直後に亡くなったこと」「遺族らはワクチン関連死であると思っていること」を、接種後の状況や死因などともに丁寧に伝えていた。しかし、そのほとんどが放送ではカットされ、ただ「コロナで亡くなった人々」という括りのなかで紹介されたのだ。 「私は母の死を無駄にしたくないと思い、ワクチン接種後に亡くなったという事実をしっかり伝えたくて取材に応じました。ワクチンの副反応で苦しんでいる方や、肉親を亡くしてどこに被害を訴えていいかわからない人もたくさんいます。役所や病院に被害を訴えても『さあ、わからない』と突き放された事実もあります。 そうした現状や遺族たちがいることをきちんと報道してほしい、遺族の声を届けてほしいんです……という趣旨を、カメラの前で話しました。ところが、放送で使われたのはその後半部分。亡くなったという事実だけ。その前段を伝えてもらいたかったのに、放送された映像はそうではなかった」(前出の佐藤さん) 取材を担当したNHKのディレクター・X氏らは、佐藤さんら遺族の話を神妙な面持ちで終始聞いていたという』、「取材を担当したNHKのディレクター・X氏らは、佐藤さんら遺族の話を神妙な面持ちで終始聞いていた」のに、「放送で使われたのはその後半部分。亡くなったという事実だけ。その前段を伝えてもらいたかったのに、放送された映像はそうではなかった」、余りに不自然だ。
・『「僕の気持ちとしてはちゃんと伝えたい」  「私たちの言葉をしっかり受け止め、哀しんでいた感じでした。彼は『今日、取材したことは時間の関係上一度に放送できない。上とのこと(社内での調整)もありますが、僕の気持ちとしてはちゃんと伝えたい。でも上の反応があるので、そのあたりはどうも言えない』というニュアンスの説明を私たちにしていました。 組織の問題はあるので、すべて流すことができないのは、十分承知しています。ただ、『ワクチンを打った後に亡くなったこと』を伝えたかったのに、その部分はまったく報じられないとは思っておらず、単に『コロナで亡くなった人』ということで放送されてしまったので、とても驚きました……」(前出の佐藤さん) 番組の時間は限られており、取材で話したことすべてを流せるわけではないことは、佐藤さんも理解していた。しかし、取材で話したことと放送内容がかけ離れていたことに、悔しさをにじませるのだ。 「取材に来た記者が、ワクチンについての話を最初から聞く気がなかったとも思いたくないし、彼らの様子が演技だと思いたくもない……」(前同) 一体、なぜこんな事態に発展したのだろうか――。 NHKサイドに佐藤さんら放送に登場した3人の遺族を紹介した、コロナワクチン被害者遺族会「つなぐ会」代表の鵜川和久氏に話を聞いた。『「私たちはNHKを許さない」コロナワクチン死を訴える気持ちを踏みにじった遺族が明かす「取材の全容」【NHKワクチン被害者遺族放送問題#2】』で続けて紹介する』、「「つなぐ会」代表」の見解は次の記事だ。

第五に、5月26日付け現代ビジネス「「私たちはNHKを許さない」コロナワクチン死を訴える気持ちを踏みにじった遺族が明かす「取材の全容」【NHKワクチン被害者遺族放送問題#2】」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/110833?imp=0
・『NHKが番組内でコロナ禍を振り返る映像に、コロナワクチン被害者遺族らから抗議が集まっている問題。なぜこうした事態に発展したのか――。 前半記事『なぜニュースウォッチ9は「ワクチン死」に触れなかったのか――遺族の決死の告白を踏みにじった「NHKの粗暴」【NHKワクチン被害者遺族放送問題#1】』から続けて紹介する』、興味深そうだ。
・『NHKからの依頼メールの全文公開  事の発端は、コロナワクチン被害者遺族会「つなぐ会」のホームページの問い合わせフォームを通して、NHKのX氏から取材の依頼が来たことだった。NHKサイドに佐藤さんら放送に登場した3人の遺族を紹介した、同会代表の鵜川和久氏に話を聞いた。 送られたメールには次のように書かれていた。 『先般から各社報道していますように、(新型コロナが※編集部注)5類移行となり、社会には明るい兆しが見えているようにも受け止められていますが、その実、非常に強い危機感を個人的に覚えずにいられません。 あった事をなかったようにされ忘れられていくのではないか、数えきれない嘆きの声が埋もれているのではないか。そして我々の報道の姿勢としてもこのままで良いのか。 歴史的にも非常に重要な意味を帯びるタイミングが現在であるとすら考えるのですが自分ではなかなか答えに辿りつけず、それでも番組でもどうにか取り上げて提起したい狙いから、厚労省や自治体にも取材をすすめていたところ、鵜川さまの活動に辿り着くことができました。 求めは長年活動されてきた鵜川さまのご意見をぜひ賜われないか、そしてご遺族の声を後年に残すことができないか、取材のご相談であります』 丁寧で熱い志を秘めた文面に好感を持った鵜川氏は、以後、X氏と複数回やり取りを重ねた』、「あった事をなかったようにされ忘れられていくのではないか、数えきれない嘆きの声が埋もれているのではないか。そして我々の報道の姿勢としてもこのままで良いのか」、ここまで「取材依頼」の「メール」内にここまで書かれていれば、「コロナワクチン被害者遺族会」側が大きく期待するのは当然だ。
・『3人のワクチン副反応死遺族に取材  「遺族をつなぎ、遺族の証言を残し、風化させないことを目的にしていることを彼は訴えていました。やり取りの中では『鵜川様との協議の通り、初手はワクチンの戒めを問うというより、コロナ禍を忘れさせないためのメッセージを帯びた放送を目指します。(編集部注:ワクチン死については)効果的に出すタイミングを綿密に測りつつ、鵜川様にもご意見を賜り、継続的に皆様に報います』と言っていました。 NHK側は、最初から私たちがワクチン接種後に副反応との因果関係が疑われる症状で肉親を亡くした遺族たちの会であること、活動内容を理解したうえで連絡をしてきているということです。『ワクチン遺族の会だということは知りませんでした』では通用しません」(鵜川氏) 取材は5月13日、京都府内で行われた。前述のX氏のほか、若いカメラマンと照明の3人が東京からやってきた。3人の遺族への取材は一人20~30分、計1時間ほど。故人の写真や思い出の品を持参し、生前のエピソードを明かした。そしてワクチン接種後に何が起きたのか、当時の状況、無念さ、悔しさ、そして接種した後悔について、ときおり声を詰まらせながら説明していた。 しかし、冒頭でも説明したように放送された映像では遺族らの意図に反し、「ワクチンについて訴えた場面」が使われることはなかった。 「X氏は取材時、『(ワクチン関連死)遺族のことは伝えなければならない』と涙を流しながら、遺族の声に耳を傾けてくれました。それなのにあの放送では、コロナ感染によって亡くなったようにしか見えない内容でした。肉親が『ワクチン接種後に亡くなった』という根幹部分が切り取られていたのです。彼のあの涙はいったい何だったのでしょうか」(前同)』、「「X氏は取材時、『(ワクチン関連死)遺族のことは伝えなければならない』と涙を流しながら、遺族の声に耳を傾けてくれました。それなのにあの放送では、コロナ感染によって亡くなったようにしか見えない内容でした。肉親が『ワクチン接種後に亡くなった』という根幹部分が切り取られていたのです」、「取材」から「放映」までの間で、NHKの姿勢が変化したのだろうか。
・『放送後には感想を求める電話が  放送終了、「なんだこの放送は……」と呆然としている鵜川氏の元に、X氏から番組の感想を求める電話がかかってきたという。鵜川氏は当然、抗議する。 「これワクチン遺族ではなく、コロナ感染死の遺族、ということになっていませんか?」 そう伝えるとX氏の声色が変わった。 「『あ、やべっ』と、言う感じでしたね。そこで事態の大きさに気が付いた様子でした」 X氏は「局に持ち帰り検討する」と伝え、その後、彼の上司が謝罪の電話をしてきたという。そして翌16日、同番組の最後に田中正良キャスターが「コロナウイルスに感染して亡くなったと受け取られるように伝え、ワクチンが原因で亡くなったというご遺族の訴えを伝えていませんでした」とし、映像について謝罪した。 謝罪さえすればすべてが終わるとNHKは踏んだのだろうか。だが、遺族の怒りはおさまらない。 「なぜこうした編集がされていたか、その経緯については説明がありませんでした。今後のNHK側の動きによってはBPO(放送倫理・番組向上機構)への提言含めてしかるべき措置を検討していくことになります」(前出の鵜川氏) 番組の放送時間の都合はあるにせよ、なぜNHKは「ワクチン死遺族」に取材し、入念に話を聞いておきながら、「コロナ死」という広い括りでその死に触れたのか。 そこにはNHKの内部事情が関係しているとみられる。 後半記事『なぜNHKは「ワクチン死遺族の悲痛な声」を報じなかったのか…証言で浮かび上がった深層【NHKワクチン被害者遺族放送問題#3】』では内情に詳しい関係者が明かす』、「NHKの内部事情が関係しているとみられる」、次の記事に移ろう。

第六に、5月26日付け現代ビジネス「なぜNHKは「ワクチン死遺族の悲痛な声」を報じなかったのか…証言で浮かび上がった深層【NHKワクチン被害者遺族放送問題#3】」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/110834?imp=0
・『NHKが番組内でコロナ禍を振り返る映像に、コロナワクチン被害者遺族らから抗議が集まっている問題。その内部事情について関係者が批判を含めて明かしてくれた。 「「私たちはNHKを許さない」コロナワクチン死を訴える気持ちを踏みにじった遺族が明かす「取材の全容」【NHKワクチン被害者遺族放送問題#2】」から続けて紹介する』、興味深そうだ。
・『最初から「コロナ死」として取材  最初から「ワクチン」に言及しないつもりであれば、NHKもコロナワクチン被害者遺族の会を取材しないはずだ。取材後に、「ワクチン死について報じるな」というなんらかの政治的な圧力でも働いたのだろうか――。 「政治的な圧力は働いていないと思います。むしろ最初からそうするつもりで取材をしていたと考えられます」 そう指摘するのはNHKでの勤務経験もある記者のA氏。 「あの企画は、遺族を取材した報道局映像センターのX氏自らが提案したそうです。5類になったからといって、新型コロナを風化させてはいけない、コロナで亡くなった遺族に話を聞き振り返りをしたい、と提案したものだった。若手からのやる気のある提案に、上層部も喜んでいた、と局内でも話題になっていました」 だが、取材を進めていく過程で、X氏の思惑通りにはいかない事態に直面した可能性をA氏は指摘する。 「当初X氏は、『コロナ感染』が原因で亡くなった方のご遺族を探していたのでしょう。でもなかなか見つからなかった。そんな中、放送日は刻一刻と近づいて来るし、上からのプレッシャーもあったのでしょう。 そこで、コロナ感染死ではなく、ワクチン接種後の副反応との因果関係が疑われる症状で亡くなった遺族の会(『つなぐ会』)に依頼を出したのではないか、と言われています」 つまり、当初はコロナに感染して亡くなった人の遺族を探していたが、見つからなかったため、「広い意味ではコロナで亡くなった方」ととらえて、ワクチンとの因果関係を訴える遺族に取材をしたのではないか、ということだ』、「当初はコロナに感染して亡くなった人の遺族を探していたが、見つからなかったため、「広い意味ではコロナで亡くなった方」ととらえて、ワクチンとの因果関係を訴える遺族に取材をしたのではないか」、ご都合主義的だ。
・『ワクチン死には触れられない事情  とはいえ、「コロナ感染死」と「ワクチンの副反応との因果関係が疑われる副反応死」とでは、その性質は大きく異なる。 「取材依頼をかける段階で、X氏は上層部には『ワクチン関連死を訴える遺族に取材する』とは伝えていなかったのでしょう。ワクチン死についてはさまざまな評価がありますし、局内でも医学的あるいは政治的な観点から、触れるべきではないという声も上がったでしょうから」(前出のA氏) 現にX氏から来た取材依頼のメールの文面では、意図的なのか、「ワクチン」という文言は使われていなかった。だが、つなぐ会のホームページに連絡してきたということは、ワクチン接種後に肉親を失い、関連性を訴える遺族たちの会であることは、天下のNHKの記者ならばわかっていたはずだ。 おそらくNHKの中ではX氏がワクチン死を訴える遺族を取材した後、その報告を受けて「ワクチン後遺症やワクチン死に触れるといろいろ面倒だ。広い意味では『コロナ禍で亡くなった方々』なのだから、ワクチンの部分を放送せず『遺族の証言』として放送できるだろう」という判断が下されたのだろう。 鵜川氏によると、17日にもNHKから改めて謝罪を受けたという。だが、それで憤りがおさまったわけではない。 「訂正放送も求めています」 しかし前出のNHK関係者は「訂正放送には応じないのでは」と見通しを明かす。 「先ほども言った通り、NHKの局内ではワクチン死はセンシティブな問題。遺族が主張する『ワクチンで亡くなった』という訂正放送をすることはできないでしょう。『今回の放送は放送倫理に反していました』と認めて謝罪するにとどめ、ワクチンに言及するのではなく、自分たちの番組作りを反省する流れに持っていきたいのではないか、とみています。 局内では今回のことをX氏とその上司の責任にし、チェック機能を強化して再発防止策を講じることで幕引きにしたいのでしょうね」』、「NHKの局内ではワクチン死はセンシティブな問題。遺族が主張する『ワクチンで亡くなった』という訂正放送をすることはできないでしょう」、「局内では今回のことをX氏とその上司の責任にし、チェック機能を強化して再発防止策を講じることで幕引きにしたいのでしょうね」、それにしても、「X氏」はどうしようもなく無責任だ。
・『NHKはどのように考えているのか  ワクチン死の扱いの難しさもさることながら、訂正放送などすれば「NHKは信用できない」という声が高まり、受信料不払い運動につながるのでは――そんな懸念も胸の内にはあるのかもしれない。 NHKは、どのように考えているのだろうか。真偽を聞こうと質問を送ったところ、次のような回答がメールで寄せられた。全文を掲載する。 〈放送までの経緯などについては現在、詳細を調査中ですが、担当者は、NPO法人を通じてご遺族を紹介してもらい、取材の過程で、ワクチン接種後に亡くなった方のご遺族だと認識しました。番組は、コロナ禍で亡くなった方のご遺族の思いを伝えるという考えで放送しましたが、適切ではありませんでした。ご遺族に対してはNPO法人を通じて謝罪しました。 16日には、ニュースウオッチ9で、キャスターが、伝え方が適切ではなかったとお詫びしたほか、動画を載せたツイッターなどの投稿を削除した上で、お詫びの投稿を行いました。 ワクチンを接種後に亡くなった方のご遺族だということを正確に伝えず、新型コロナに感染して亡くなったと受け取られるような伝え方をしてしまったことは適切ではなく、取材に応じてくださった方や視聴者の皆さまに深くお詫び申し上げます。 取材・制作の詳しい過程をさらに確認し、問題点を洗い出した上で、再発防止策を徹底し、信頼回復に努めます〉 取材をしたこれまでのやり取りを振り返ると、X氏は当初から「コロナワクチンによる副反応死疑い死の遺族」だということをわかっていて取材依頼を出したことは明らかだ。しかし、NHKはあくまで「取材を進める中でそのことがわかった」としたいようだ。真偽も含めてX氏に直接コンタクトをとってみると……「今、たてこんでおりますので後ほどお電話いたします」との返答で、以後連絡はなかった。 NHKの取材に応じた、ワクチン接種後に母親を亡くした佐藤かおりさんはこう反応する。 「私たちがNHKに求めているのは『真実を伝えること』です。ワクチン死の訴えを聞き、取材の場では『このことを伝えたい』といったのですから、それを実行してほしい。 今回、NHKの取材に応じたのは、ワクチン被害や遺族についてきちんと報道してもらえるものと思ったからです。実名で顔を出してカメラの前に出ること……そこには期待と覚悟、さまざまな思いもありました。だからこそ、今回の放送はとてもショックでした。改めて、私たちの声を全国に問うてほしいのです」 「コロナ禍で亡くなった方の遺族」に取材をしなければ、番組が成立しない。しかし、意図したとおりに取材が進まない――その焦りからワクチン死を訴える遺族を取材したのだろうが、であるならば、取材前にその趣旨を伝え、遺族の了解を取るべきだったはずだ。自分たちが求めている部分しか放送では使わず、彼ら彼女らの真意を踏みにじったのなら、遺族が憤るのは当然である。 「関係者に聞いたところ、取材をしたX氏はワクチンで亡くなった旨をなんとか放送しようとしたみたいですけどね。ただ、上が『それでは通らない』と突っぱねたようです。放送すれば遺族とトラブルになることなどわかっていたはずですが、X氏にはどうすることもできなかった」(前出のA氏) 愛する肉親を突然亡くした遺族たちの痛みに寄り添うことなく、番組の都合に合わせて彼らの声を切り取り放送したNHK。信頼回復を言うのなら、まずは遺族の訴えにもう一度向き合うことが必要ではないか』、「取材をしたX氏はワクチンで亡くなった旨をなんとか放送しようとしたみたいですけどね。ただ、上が『それでは通らない』と突っぱねたようです。放送すれば遺族とトラブルになることなどわかっていたはずですが、X氏にはどうすることもできなかった」、やはりこれは、「遺族会」が「番組BPO」に訴えて、公開の場で責任を明らかにする他ないのではなかろうか。 
タグ:(その6)(NHK(上)続投を阻まれた前田前会長の無念…背後にチラつく財界サロン「四季の会」の影、NHK(下)「岸田vs菅」の壮絶バトルの末に決まったトップ人事、稲葉NHK新会長が職員へ異例のメッセージ 前田・前会長の“銀行員的改革”はなぜ不評だったのか、【NHKワクチン被害者遺族放送問題】3題:なぜニュースウォッチ9は「ワクチン死」に触れなかったのか――遺族の決死の告白を踏みにじった「NHKの粗暴」、「私たちはNHKを許さない」コロナワクチン死を訴える気持ちを踏みにじった遺族が明かす「取材の全 NHK問題 日刊ゲンダイ 有森隆氏による「NHK(上)続投を阻まれた前田前会長の無念…背後にチラつく財界サロン「四季の会」の影」 「葛西氏が安倍晋三・菅義偉両政権を通じて重視したのが「NHKの支配」だったとされる。源流は第1次安倍政権(06年9月~07年9月)の菅義偉総務大臣時代にさかのぼる。NHKの報道に不満をもつメンバーが重用され、NHKの会長などを決める経営委員長に安倍氏の強い意向で富士フイルムの古森重隆社長(当時)が送り込まれた」、 「アサヒビール(現・アサヒグループホールディングス)の福地茂雄相談役をNHK会長(08年1月~11年1月)に任命した。福地氏も「四季の会」のメンバーだった。 09年、民主党政権が誕生したが、「四季の会」の勢いはとまらない。葛西氏は、元部下でJR東海の副会長だった松本正之氏を福地氏の後任としてNHK会長(11年1月~14年1月)に据えた」、 「元みずほフィナンシャルグループ会長の前田晃伸氏がNHK会長に就任した。前田氏は記者会見で記者に問われ、「四季の会」のメンバーであることを認めた」、「葛西氏が実質的な仕切り役」だったようだ。 有森隆氏による「NHK(下)「岸田vs菅」の壮絶バトルの末に決まったトップ人事」 「日本銀行元理事の稲葉延雄氏(72)を会長に任命することを決めた」、背景には何があったのだろう。 「菅氏のNHKへの影響力を削ぎたい岸田官邸が横槍を入れた。「岸田総理のいとこの宮沢洋一自民党税調会長が『日銀の元プリンスでいいのがいる』と稲葉氏を推した。それに総理が乗っかった」、「NHK経営委員会の森下俊三委員長は、稲葉氏に対して「改革で生じた副作用(=歪み)は直してほしい」と注文をつけた。 「スリムで強靱なNHK」を掲げ、人事制度や営業のやり方を強引に変えてしまった「前田改革」の、強烈な揺り戻しが始まった」、「「前田改革」の、強烈な揺り戻し」、とは見物だ。 デイリー新潮 高堀冬彦氏による「稲葉NHK新会長が職員へ異例のメッセージ 前田・前会長の“銀行員的改革”はなぜ不評だったのか」 「毎月20~30人程度の職員が依願退職」、「役職定年制」で「管理職は3割も減り、人件費コストは大幅に削減された」、確かにドラスティックな改革だ。 「試験で誕生した実績の乏しい40代の局長が、それに勝るキャリアと指導力を持つ50代の記者やディレクターたちに指示を与えるようになった。これでは組織に軋みが生じるはずだ。 職員たちは口々に「銀行屋の発想」と不満を漏らしたという」、なるほど。 「大胆な組織改革」では、「「縦割りを廃するため」などと前田体制は説明した。 それにより、制作者たちが畑違いの番組も手掛けるようになった。専門性が削がれつつある。 また、大河ドラマ、連続テレビ小説以外のドラマは外注化が進んでいる。やはりコストカットが第一の目的だ。 「これではエキスパートが育ちにくく、番組の質が保てなくなる恐れがある。NHKが受け継いできた制作力が伝承できるのだろうか」』、大胆過ぎたようだ。 「前田体制は受信料値下げを図ろうとするあまり、過度なコストカットに走り、職員の生活をないがしろにしたのではないか。それでは番組づくりへの影響は避けられない」、なるほど。 「新会長」が「前田改革を見直すつもりに違いない」とはお手並み拝見だ。 「NHKが進むべき道は視聴者のための公共放送になるしかない。「既に公共放送じゃないか」と言うなかれ。現在の形態は英国のBBCなど諸外国の公共放送とは似て非なるものだ。 まず全放送局が総務省の支配下から脱する。突飛な話ではない。先進国では政府がテレビ局を監督するほうが極めて異例なのである。テレビ局は報道機関であり、本来は政府を監視する側の立場なのだ」、確かに「政府を監視する側の立場」なのに、「政府がテレビ局を監督」するとは不自然だ。 「テレビ局の監督はほかの先進国のように独立放送規制機関が行う。米国にはFCC、英国にはOfcom、フランスにはCSAがある。これらの組織は政府から独立している。 独立放送規制機関はテレビ局に対して強い権限を持つ一方、政治がテレビ局に介入することを許さない。テレビ局を厳正にチェックしながら、政治から守っている。米国のCBSや英国のBBCが厳しい政府批判が出来る背景には独立放送規制機関の存在がある」、 「NHK経営委員を事実上政府が選び、それに国会が同意するという悪しき仕組みはあらためるほかない。会長は経営委員会が決めているから、オーナーは視聴者であるにも関わらず、運営権は政権党が握るという不可思議な状態が続いている。 BBCの場合、経営委員会の代わりに、組織の方向性を決める理事会がある。経営委員の定員は12人だが、BBC理事会は14人。トップの理事長は公募制だ。 理事長と4人の地域担当理事は公平性と透明性を確保した上で決められ、最終的には政府が任命する。残り9人の理事はBBCが任命する。会長はBBCが任命した理事から選ぶ。 経営委員会と理事会はまるで仕組みが違う上、Ofcomがあるから、BBCは独立性が極めて高い。NHKも海外の公共放送に倣うべきだ」、 「NHKを国営放送にするという案は論外だ。政権党の思う壺である。労せず受信料を徴収し、都合の良い主張を流せてしまうようになる。それもあり、国営放送の報道は海外で信用されない」、全く同感である。 現代ビジネス「なぜニュースウォッチ9は「ワクチン死」に触れなかったのか――遺族の決死の告白を踏みにじった「NHKの粗暴」【NHKワクチン被害者遺族放送問題#1】」 信じ難いような話だ。 「ここに登場した遺族全員が「肉親は、新型コロナのワクチン接種後の副反応による疑いで命を落とした」と主張している。決してコロナに感染して亡くなったわけではないのだ。 しかし、番組動画を見る限りでは、彼らは「コロナに感染して亡くなった」と受け止められるつくりになっている。ここに、遺族は憤っているのだ」、「遺族」が「憤る」のも当然だ。 「取材を担当したNHKのディレクター・X氏らは、佐藤さんら遺族の話を神妙な面持ちで終始聞いていた」のに、「放送で使われたのはその後半部分。亡くなったという事実だけ。その前段を伝えてもらいたかったのに、放送された映像はそうではなかった」、余りに不自然だ。 「「つなぐ会」代表」の見解は次の記事だ。 現代ビジネス「「私たちはNHKを許さない」コロナワクチン死を訴える気持ちを踏みにじった遺族が明かす「取材の全容」【NHKワクチン被害者遺族放送問題#2】」 「あった事をなかったようにされ忘れられていくのではないか、数えきれない嘆きの声が埋もれているのではないか。そして我々の報道の姿勢としてもこのままで良いのか」、ここまで「取材依頼」の「メール」内にここまで書かれていれば、「コロナワクチン被害者遺族会」側が大きく期待するのは当然だ。 「「X氏は取材時、『(ワクチン関連死)遺族のことは伝えなければならない』と涙を流しながら、遺族の声に耳を傾けてくれました。それなのにあの放送では、コロナ感染によって亡くなったようにしか見えない内容でした。肉親が『ワクチン接種後に亡くなった』という根幹部分が切り取られていたのです」、「取材」から「放映」までの間で、NHKの姿勢が変化したのだろうか。 「NHKの内部事情が関係しているとみられる」、次の記事に移ろう。 現代ビジネス「なぜNHKは「ワクチン死遺族の悲痛な声」を報じなかったのか…証言で浮かび上がった深層【NHKワクチン被害者遺族放送問題#3】」 「当初はコロナに感染して亡くなった人の遺族を探していたが、見つからなかったため、「広い意味ではコロナで亡くなった方」ととらえて、ワクチンとの因果関係を訴える遺族に取材をしたのではないか」、ご都合主義的だ。 「NHKの局内ではワクチン死はセンシティブな問題。遺族が主張する『ワクチンで亡くなった』という訂正放送をすることはできないでしょう」、「局内では今回のことをX氏とその上司の責任にし、チェック機能を強化して再発防止策を講じることで幕引きにしたいのでしょうね」、それにしても、「X氏」はどうしようもなく無責任だ。 「取材をしたX氏はワクチンで亡くなった旨をなんとか放送しようとしたみたいですけどね。ただ、上が『それでは通らない』と突っぱねたようです。放送すれば遺族とトラブルになることなどわかっていたはずですが、X氏にはどうすることもできなかった」、やはりこれは、「遺族会」が「番組BPO」に訴えて、公開の場で責任を明らかにする他ないのではなかろうか。
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新自由主義(その3)(『朝日新聞政治部』2題:「なぜ私はダメなんですか!」「お立場が違います」朝日の若手記者を怒らせた“政治取材の不条理”  #1、「非正規労働は急増し 給料は上がらず 経済格差は急拡大した」竹中平蔵の片棒をかついだ元朝日記者の悔恨  #2) [メディア]

昨日に続いて、新自由主義(その3)(「朝日新聞政治部」2題:なぜ私はダメなんですか!」「お立場が違います」朝日の若手記者を怒らせた“政治取材の不条理”  #1、「非正規労働は急増し 給料は上がらず 経済格差は急拡大した」竹中平蔵の片棒をかついだ元朝日記者の悔恨  #2)を取上げよう。

先ずは、昨年6月18日付け文春オンラインが掲載した朝日新聞政治部記者の鮫島 浩氏による「「なぜ私はダメなんですか!」「お立場が違います」朝日の若手記者を怒らせた“政治取材の不条理” 『朝日新聞政治部』 #1」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/55063
・『1997年4月、大物政治記者が支局長を務める浦和支局に赴任した朝日新聞記者の鮫島浩氏。当時、若手の鮫島氏に「次期総理」の呼び声の高い自民党大物議員を取材するチャンスが訪れた。ところが、彼がそこで見たものは“政治取材の残念な実情”だった……。 登場人物すべて実名の話題の内部告発ノンフィクション、「吉田調書事件」の当事者となった元エース記者・鮫島浩氏による初の著書『朝日新聞政治部』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)』、興味深そうだ。
・『「大物政治記者」との出会い  大物政治記者が支局長を務めるという浦和支局へ私が赴任したのは1997年4月だった。その人、橘優さんは政治部デスクから浦和支局長へ異動し、次期政治部長に有力視されていた。私が初めて出会う政治記者だった。 橘さんは前年、1996年の衆院解散・総選挙の日程をスクープした「特ダネ政治記者」として知られていた。「○日に解散へ」「○日に衆院選投開票へ」「首相が方針固める」といった前打ち記事にどれほどの意味があるのか、当時の私には理解できなかったが、彼のスクープは社内だけでなく政界や各社政治部の中でも高く評価されていた。 奇怪だったのは、橘さんの「ネタ元」が当時の自民党幹事長で次期首相の筆頭候補だった加藤紘一氏であることが公然の秘密だったことだ。 新人記者は「取材源の秘匿」を厳しく指導される。警察取材で「ネタ元」がバレることは絶対にあってはならない。ネタ元の警察官は処分され、新聞記者は「記者失格」の烙印を押される。 政治取材の世界は違うようだった。次期総理の呼び声の高い加藤幹事長から総選挙日程の情報を漏らされるほど親しい政治記者であるという事実は、永田町の政治家や政治記者たちに尊敬とも畏怖ともつかぬ感情を抱かせ、橘さんの影響力を大きくしていた。 次期政治部長と言われるのは果たしてどんな人物なのか、私は興味津々で浦和支局へ向かった。初めて会った橘さんはカジュアルなチノパン姿だった。政治記者はスーツで身を固めていると思っていたから意外だった。 埼玉県下の記者を集めたその後の会議で橘さんが投げかけた言葉は新鮮だった。彼はその日の県版に掲載された小さな記事――雑木林の落ち葉を堆肥として利用する農家の試みを紹介する記事――を引き合いに出し、こう語ったのだ。 「埼玉の小さな農家もグローバル経済に晒されている。東南アジアから大量の木材が輸入され日本の雑木林は大きく変わっている。割り箸のリサイクルひとつから世界が見える。小さな記事を深く掘り下げれば世界を描く記事を書ける……」 茨城で新聞記者として過ごした3年、警察取材や記事の書き方を先輩諸氏から教わることはあっても、世界がどうだ、政治経済がどうだ、という話は聞いたことがなかった。とにかく取材相手に食い込んで特ダネをとれ、と言われるばかりだった。夜討ち朝駆けに奔走して特ダネを追い求め、「抜かれ」「特オチ」に怯えた。 同期の多くが同じ境遇だったろう。地方支局で接する先輩の多くは社会部系だ。政治経済は縁遠いテーマで、国政選挙の時期だけ多少話題にのぼるくらいだった。 でも、この大物政治記者は違う。話がグローバルでダイナミックだ』、「橘さんの「ネタ元」が当時の自民党幹事長で次期首相の筆頭候補だった加藤紘一氏であることが公然の秘密だったことだ。 新人記者は「取材源の秘匿」を厳しく指導される。警察取材で「ネタ元」がバレることは絶対にあってはならない。ネタ元の警察官は処分され、新聞記者は「記者失格」の烙印を押される。 政治取材の世界は違うようだった」、「ネタ元」の秘匿は「政治取材の世界は違うようだった」、なるほど。「浦和支局」長は、「大物政治記者」で「話がグローバルでダイナミックだ」、いい上司に恵まれたものだ。これも、優秀な若手記者を育てるコースなのかも知れない。
・『一度は「大物政治記者」に魅力を感じたが…  当時は政治家にも新聞記者にも携帯電話が普及していなかった。浦和支局にはしばしば「衆院議員の加藤です。支局長をおねがいします」と電話がかかってきた。橘さんは私たちに中央政界について「次はこうなる」と予想を披露し、それが引き起こす政策上の論点・課題を先取りして解説した。その予想は的中し、論点整理も明快だった。私は浦和支局にいながら、中央政界の動きを知っている錯覚に陥った。 それまで新聞記者は「過去に起きたこと」を取材して報じるものと思っていた。橘さんの話を聞くうちに、政治経済の「未来」を的確に見通す記事はとても重要だと気づいた。 当局発表を少し早くリークしてもらって他社より少し早く報じる自称「特ダネ」とは違う。新聞には、各方面の情報を総合的に分析して「次はこうなる」という見立てを読者に示し、権力側に主導権を奪われることなく政策アジェンダを設定する役割があるのではないか――。私はこれまで出会った新聞記者に感じたことのない魅力を「大物政治記者」に感じた』、「新聞には、各方面の情報を総合的に分析して「次はこうなる」という見立てを読者に示し、権力側に主導権を奪われることなく政策アジェンダを設定する役割がある」、さすが「大物政治記者」の下で働いただけのことがありそうだ。
・『「なぜ私はダメなのですか!」「お立場が違います」  その好感が反感に変わるまでさほど時間を要しなかった。 私はある時、埼玉県の自民党関係者から加藤幹事長が極秘で来県するという情報を得た。直接取材する絶好の機会と思い、立ち寄り先のビルの前で待った。ほどなく黒塗りの車が到着し、加藤幹事長がSPを従え降りてきた。私は駆け寄った。その黒塗りの車から降りてきた人物がもう一人いた。橘さんだった。 どこかで加藤幹事長と落ち合い同乗してきたのだろう。忙しい政治家をつかまえサシで話を聞く取材手法のひとつが、車に同乗する「箱乗り」だ。 自分が待ち構えていた政治家と同じ車の中から自分の上司が現れたのだから多少驚きはしたが、私は橘さんに目もくれず、加藤幹事長に向かって直進した。加藤幹事長は素早くエレベーターに乗り込んだ。SPに続き、橘さんも乗り込んだ。浦和支局で大きな顔をしている普段の橘さんと違って、この時の身のこなしは素早かった。私も続こうとしたその時、SPの太い腕が私を制した。 「なぜ私はダメなのですか! あの人は乗り込んだじゃないですか!」 私は橘さんを指さして叫んだ。加藤幹事長も橘さんも黙っていた。SPが沈黙を破った。 「お立場が違います」 これが政治取材の実像か――。私は静かに閉まるエレベーターの扉を睨みつけながら悔しくて仕方がなかった。何を聞くかではなく、誰が聞くのかが重要なのだ。こんな政治取材はおかしい、いつか変えてやる、と青臭く思ったものだ』、「忙しい政治家をつかまえサシで話を聞く取材手法のひとつが、車に同乗する「箱乗り」だ」、確かに便利で確実な「取材手法」だが、それが認められるには「大物政治記者」である必要がありそうだ。「こんな政治取材はおかしい、いつか変えてやる、と青臭く思ったものだ」、負け惜しみ以外の何物でもない。

次に、この続きを、6月18日付け文春オンライン「「非正規労働は急増し、給料は上がらず、経済格差は急拡大した」竹中平蔵の片棒をかついだ元朝日記者の悔恨 『朝日新聞政治部』 #2」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/55067
・『「竹中さんにくっついて一緒にいればいいよ。これは大きなチャンスだから」。2001年、上司の一声から竹中平蔵大臣に密着することとなった元朝日記者の鮫島浩氏。彼のボヤキを聞き、同じ釜の飯を食った鮫島氏が、今の竹中氏を見て「彼は既得権益側になった」と語る理由とは? 登場人物すべて実名の話題の内部告発ノンフィクション、「吉田調書事件」の当事者となった元エース記者・鮫島浩氏による初の著書『朝日新聞政治部』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む) 小泉政権が2001年春に発足した後、私は野党担当から官邸担当に移った。官邸クラブはキャップ、サブキャップ、官房長官番、官房副長官番、総理番が中心だが、私には明確な担当がなかった。さほど期待されていなかったのだろう。官邸キャップの渡辺勉さんから「明日から竹中平蔵大臣を回ってほしい」と告げられたのはそんな時だった。 渡辺さんは、自民党を担当する平河キャップの曽我豪さんと並んで朝日新聞の将来を担うと嘱望された政治部のエースだった。森喜朗政権では森首相の「神の国発言」を記者会見で激しく追及。理知的な雰囲気を漂わせながら強い正義感と大胆さを秘めた切れ味鋭い政治記者である。 竹中氏は慶応大教授から経済財政担当大臣に民間人として登用され、日が浅かった。小泉総理から構造改革の旗振り役として期待されていたが、自民党や霞が関に応援団は少なく苦戦していた。小泉・竹中構造改革に対する「抵抗勢力」が健在な時代で、官邸主導の政治は確立していなかった』、「上司の一声から竹中平蔵大臣に密着」、「竹中氏」は「小泉総理から構造改革の旗振り役として期待されていたが、自民党や霞が関に応援団は少なく苦戦していた」、「竹中氏」にもそんな時期もあったようだ。
・『「寂しいんだよ。だから政治部に泣きついてきた」  「経済はまったくの素人ですよ」と私は答えた。渡辺さんは「竹中さんにくっついて一緒にいればいいよ。これは大きなチャンスだから」と答え、背景を説明した。竹中大臣はその前夜、各社の官邸キャップを集めてオフレコ懇談を開いてこうぼやいたという。 「経済部の記者が私を担当しているのですが、誰も記者会見以外で取材してくれないんです。経済部は大臣より官僚を重視する。大臣が何を言っても事務次官が言うことを信じる。私はまったく相手にしてもらえないんですよ」 渡辺さんは「竹中さんは寂しいんだよ。だから政治部に泣きついてきた。経済はわからなくていいから、くっついて回って。そのうちわかるようになるよ」と言った。) 政治部と経済部の取材手法の違いはこの一言に凝縮されている。政治部は政治家に番記者を張りつけ、その政治家が直面する政治課題を一緒に追いかけさせる。内閣改造人事で閣僚の顔ぶれが一新したら、政治部記者もがらりと入れ替わる。 他方、経済部は役所ごとに担当記者を置き、役所の政策課題を追いかけさせる。いつまでその職にあるかわからない大臣よりも各省庁の官僚トップに上り詰めた事務次官のほうがおのずから重要となる。 竹中氏は官僚や経済部記者に見向きされず、持ち前の発信力をいかせずに孤立していた。後ろ盾は小泉首相ただ一人だった。今こそ政治部が食い込むチャンスだ――渡辺さんはそう考えた。各社の官邸キャップで竹中氏のSOSを感じ取り、ただちに「竹中番」を張り付けたのは渡辺さんだけだった。彼の独特の嗅覚がもたらした判断だった。のちに朝日新聞社を大きく揺るがすことになる渡辺さんと私の師弟関係はここに始まる』、「政治部は政治家に番記者を張りつけ、その政治家が直面する政治課題を一緒に追いかけさせる。内閣改造人事で閣僚の顔ぶれが一新したら、政治部記者もがらりと入れ替わる。 他方、経済部は役所ごとに担当記者を置き、役所の政策課題を追いかけさせる。いつまでその職にあるかわからない大臣よりも各省庁の官僚トップに上り詰めた事務次官のほうがおのずから重要となる」、「政治部」と「経済部」の取材手法の違いを初めて知った。「竹中氏は官僚や経済部記者に見向きされず、持ち前の発信力をいかせずに孤立していた。後ろ盾は小泉首相ただ一人だった。今こそ政治部が食い込むチャンスだ――渡辺さんはそう考えた。各社の官邸キャップで竹中氏のSOSを感じ取り、ただちに「竹中番」を張り付けたのは渡辺さんだけだった。彼の独特の嗅覚がもたらした判断」、凄い判断だ。
・『朝から夜まで竹中平蔵と付き合った日々  こうして私は竹中大臣の番記者になった。朝から夜までつきまとうのである。全社が張り付ける官房長官番や幹事長番と違って、竹中番は私一人だった。私は竹中氏と政務秘書官の真柄昭宏氏と3人で毎日会った。昼は国会の食堂で、日中は大臣室で、夜はファミレスで、とにかく話した。 当時の竹中氏は政治家や官僚、記者から軽んじられ、私を相手にする時間が十分にあった。政治家の名前と顔もよく知らず、国会でトイレに行くにも迷うほどだった。 政治記者4年目の私のほうが政界事情に詳しく「野中広務さんと青木幹雄さんは○○な関係で……」とありふれた政界解説をしていた。「素人3人組」が寄り添って、政官業の既得権の岩盤に挑む戦略をああでもないこうでもないと言い合う、漫画のような日々だった。 竹中氏の経済解説は非常にわかりやすく、面白かった。自民党や財務省と経済政策や規制緩和策について折衝する舞台裏を包み隠さず話し、「抵抗勢力」を打ち破るにはどうしたらよいか私に意見を求めた。 小泉首相は経済政策の司令塔として竹中氏を指名し、あとは任せっきりという政治スタイルだった。当時の竹中氏は政治的に非力だったが、立場上ディープな情報は集まっていた。何にも増して小泉首相の肉声に日々接していた。 私は竹中氏と毎日膝をつき合わせる取材を通じて日本の経済政策はどういうプロセスで決定されていくのかを生々しく理解するようになった。竹中氏は自らの改革に立ちはだかる財務省や自民党政調会長だった麻生太郎氏に対する不満を日増しに強めた。竹中氏の「財務省嫌い」や「麻生氏嫌い」は今も変わらない。 竹中氏は当初、敗れ続けた。だが、くじけなかった。自民党や財務省が水面下で主導する政策決定過程をオープンにして世論に訴えた。経済財政諮問会議の議事録を公開して「抵抗勢力」の姿を可視化したのだ。これは的中した。マスコミは次第に「抵抗勢力」を悪者に仕立て始めた。そして小泉首相は「竹中抵抗勢力」の闘いが佳境を迎えると歌舞伎役者よろしく登場し、竹中氏に軍配を上げたのだった。 政治の地殻変動が始まった。政策決定の中心が「自民党・霞が関」から「首相官邸」へ移り始めた。竹中氏の影響力は急拡大し、政治家や官僚が頻繁に訪れるようになった。竹中氏と真柄氏と私の素人3人組の作戦会議もファミレスから個室へ場所を移した。経産官僚だった岸博幸氏や財務官僚だった高橋洋一氏、学者から内閣府に入っていた大田弘子氏ら竹中氏を支える裏部隊も出来上がっていった』、「竹中氏は当初、敗れ続けた。だが、くじけなかった。自民党や財務省が水面下で主導する政策決定過程をオープンにして世論に訴えた。経済財政諮問会議の議事録を公開して「抵抗勢力」の姿を可視化したのだ。これは的中した。マスコミは次第に「抵抗勢力」を悪者に仕立て始めた。そして小泉首相は「竹中抵抗勢力」の闘いが佳境を迎えると歌舞伎役者よろしく登場し、竹中氏に軍配を上げたのだった」、「小泉首相」の立ち回りは確かに「歌舞伎役者」そのものだ。
・『彼の功と罪  ふと気づくと竹中氏は小泉政権の経済財政政策のど真ん中にいた。財務省からその立ち位置を奪ったのである。そして、政治部記者として竹中氏を担当していた私は、新聞社の長い歴史を通じて独占的に予算編成や税制改革を報じてきた経済部の財務省担当記者たちに取って代わり、予算や税制をめぐる「特ダネ」を連発した。 経済部記者が事務次官ら官僚をいくら回っても情報は遅かった。すべては竹中氏ら官邸主導で決まり、経済部記者が財務省取材でそれを知るころには私が朝日新聞紙面で報じていたのである。業界用語でいう「圧勝」の日々だった。各社の経済部は慌てて竹中氏を追いかけ始めたが、すでに遅かった。竹中氏は時間に追われ、初対面の記者といちから関係をつくる暇はなかった。 私は「竹中氏に食い込んだ記者」として知られるようになり、政治家や官僚、そして財界からも「竹中大臣を紹介してほしい」「竹中大臣の考えを教えてほしい」という面会依頼が相次いだ。経済知識もなく竹中氏と会食やお茶を重ねていただけなのに、わずか数ヵ月で私の境遇は様変わりしたのである。 これは権力に近づく政治部記者が勘違いする落とし穴でもある。私は茨城県警本部長に食い込んだ昔のサツ回り時代を思い出して自分を戒めるようにした。 朝日新聞社内で、政治部と経済部の関係は緊張した。私が予算や税制の特ダネを出稿するたびに財務省記者クラブを率いる経済部のキャップは「財務省は否定している」と取り下げを求めた。渡辺官邸キャップはそれを聞き流し、真夜中の1時を過ぎて新聞の印刷が始まるころ「そうは言っても、もう明日の新聞は降版しちゃったよ」と電話を切るのだった。 財務省は朝日新聞報道を追認していくようになる。財務省の言う通りに政策が決まらない新たな現実を、経済部はなかなか受け入れられないようだった。政策の主導権は明らかに自民党や財務省から首相官邸に移った。その意味で、小泉政権の誕生は「政権交代」といえた。省庁ごとの縦割りだったマスコミ各社の取材体制も変革を迫られたのである』、「政治部記者として竹中氏を担当していた私は、新聞社の長い歴史を通じて独占的に予算編成や税制改革を報じてきた経済部の財務省担当記者たちに取って代わり、予算や税制をめぐる「特ダネ」を連発した。 経済部記者が事務次官ら官僚をいくら回っても情報は遅かった。すべては竹中氏ら官邸主導で決まり、経済部記者が財務省取材でそれを知るころには私が朝日新聞紙面で報じていたのである」、「各社の経済部は慌てて竹中氏を追いかけ始めたが、すでに遅かった。竹中氏は時間に追われ、初対面の記者といちから関係をつくる暇はなかった」、「財務省は朝日新聞報道を追認していくようになる。財務省の言う通りに政策が決まらない新たな現実を、経済部はなかなか受け入れられないようだった。政策の主導権は明らかに自民党や財務省から首相官邸に移った。その意味で、小泉政権の誕生は「政権交代」といえた。省庁ごとの縦割りだったマスコミ各社の取材体制も変革を迫られたのである」、確かに画期的な変化だ。
・『突如終わった「竹中番」  私は竹中番記者である限り、特ダネを書き続けられる気がした。その日々は突如として終わる。私はある日、「抵抗勢力」のドンと言われた自民党の古賀誠元幹事長の番記者に移るように告げられたのだ。 背景には、政治部と経済部の「手打ち」があった。それまでは政局は政治部、政策は経済部という仕分けが成立していた。政治家は政局に明け暮れ、政策は官僚が担うという時代が続いたからだ。小泉政権はそのシステムを壊した。 政策は官邸主導に移り、総理が指名した竹中氏のような大臣が仕切る新たな政策決定プロセスが整いつつあった。その時代に「政局は政治部、政策は経済部」という縦割り取材は通用しなかった。 両部は、①国会記者会館の朝日新聞の部屋に両部のデスクを常駐させて連携を密にする、②官邸サブキャップに経済部記者を配置する――などの協力態勢で合意するとともに、確執の元凶であった私を「竹中番」から外すことで折り合ったようだ。この社内政治によって私は竹中番を卒業したのである。 私の竹中氏取材は、権力者の懐に食い込んで情報を入手する旧来型のアクセスジャーナリズムの典型である。竹中氏の提灯記事を書いたつもりはないが、竹中氏らが抵抗勢力との戦いを有利に進めるために番記者である私(朝日新聞)を味方に引き込み情報を流したのは間違いない。朝日新聞はそれを承知のうえで、情報の確度を精査して主体的に報道すべき事実を判断して記事化していたが、結果的に竹中氏を後押しする側面があったのは否めない。 旧来の政治・経済報道ではこのように取材相手と「利害を重ねる」ことで情報を入手できる記者が「優秀」と評価されてきた。しかし、アクセスジャーナリズム自体に厳しい視線が向けられる時代になった。 権力者への密着取材が不要とは思わないが、読者の不信を招かないように取材手法や取材経緯をできる限り透明化したうえで「このような記事を書くために密着取材している」と胸を張って言える権力監視報道を具体的に示し、読者の理解と信頼を得ることが不可欠になったと思う。) 竹中氏はその後、2004年参院選に出馬して当選し、2005年には担当大臣として郵政民営化を主導し、霞が関や経済界全体に絶大な影響力を誇るようになる。素人3人組が抵抗勢力を打ち負かす作戦を練るために集った日々がウソのようであった。 永田町・霞が関に単身で乗り込み、既得権の岩盤に挑んだ当初の竹中氏はチャレンジャーだった。規制緩和を中心とする新自由主義について私は批判的だが、他方、自民党の族議員と財務省などのエリート官僚によってベールに包まれてきたこの国の政策決定過程をこじ開け、透明化した彼の功績は大きいと思う。 竹中氏が強大な権力者になるにつれ、取り巻きは急増した。それに伴い、私は竹中氏と疎遠になった。竹中氏は小泉政権が終了した時点で大臣も参院議員も辞めたが、その後も今に至るまで大きな影響力を維持し続けている。当初は竹中氏と激突した霞が関や財界が「竹中化」したのだ』、「私はある日、「抵抗勢力」のドンと言われた自民党の古賀誠元幹事長の番記者に移るように告げられたのだ。 背景には、政治部と経済部の「手打ち」があった」、「既得権の岩盤に挑んだ当初の竹中氏はチャレンジャーだった。規制緩和を中心とする新自由主義について私は批判的だが、他方、自民党の族議員と財務省などのエリート官僚によってベールに包まれてきたこの国の政策決定過程をこじ開け、透明化した彼の功績は大きいと思う。 竹中氏が強大な権力者になるにつれ、取り巻きは急増した。それに伴い、私は竹中氏と疎遠になった」、なるほど。
・『竹中氏は挑戦者から「既得権益側」に変わった  竹中氏が労働市場の規制緩和を主導した後、人材派遣業界で急成長したパソナグループの会長になったこと、そのパソナが政府関連の業務を多く受注していることは象徴的である。挑戦者だった竹中氏は自民党や霞が関の既得権益を打ち破って勝者となり、挑戦を受ける既得権益側になったといえるだろう。 竹中氏が日本に持ち込んで実践したこの20年の構造改革がもたらしたものは何だったのか。株価はコロナ危機でもバブル期以来の高値を更新し、富裕層や大企業は潤い続けた。 一方で非正規労働は急増し、給料は上がらず、経済格差は急拡大した。対ロシア経済制裁による物価高や急速に進む円安のしわ寄せは、所得が低く弱い立場の人々ばかりに向かう。』、「挑戦者だった竹中氏は自民党や霞が関の既得権益を打ち破って勝者となり、挑戦を受ける既得権益側になった」、「竹中氏が日本に持ち込んで実践したこの20年の構造改革」で、「日本社会の健全さは損なわれ、活力は大きく衰えてしまった。 格差が広がる日本社会の曲がり角で、私は政権中枢に接近し「改革」の片棒を担いだのかもしれない」、きちんと総括しているのは、さすがだ。
タグ:新自由主義 (その3)(『朝日新聞政治部』2題:「なぜ私はダメなんですか!」「お立場が違います」朝日の若手記者を怒らせた“政治取材の不条理”  #1、「非正規労働は急増し 給料は上がらず 経済格差は急拡大した」竹中平蔵の片棒をかついだ元朝日記者の悔恨  #2) 文春オンライン 鮫島 浩氏による「「なぜ私はダメなんですか!」「お立場が違います」朝日の若手記者を怒らせた“政治取材の不条理” 『朝日新聞政治部』 #1」 鮫島浩氏による初の著書『朝日新聞政治部』 「橘さんの「ネタ元」が当時の自民党幹事長で次期首相の筆頭候補だった加藤紘一氏であることが公然の秘密だったことだ。 新人記者は「取材源の秘匿」を厳しく指導される。警察取材で「ネタ元」がバレることは絶対にあってはならない。ネタ元の警察官は処分され、新聞記者は「記者失格」の烙印を押される。 政治取材の世界は違うようだった」、「ネタ元」の秘匿は「政治取材の世界は違うようだった」、なるほど。「浦和支局」長は、「大物政治記者」で「話がグローバルでダイナミックだ」、いい上司に恵まれたものだ。これも、優秀な若手記者を育てるコースなのかも知れない。 「新聞には、各方面の情報を総合的に分析して「次はこうなる」という見立てを読者に示し、権力側に主導権を奪われることなく政策アジェンダを設定する役割がある」、さすが「大物政治記者」の下で働いただけのことがありそうだ。 「忙しい政治家をつかまえサシで話を聞く取材手法のひとつが、車に同乗する「箱乗り」だ」、確かに便利で確実な「取材手法」だが、それが認められるには「大物政治記者」である必要がありそうだ。「こんな政治取材はおかしい、いつか変えてやる、と青臭く思ったものだ」、負け惜しみ以外の何物でもない。 文春オンライン「「非正規労働は急増し、給料は上がらず、経済格差は急拡大した」竹中平蔵の片棒をかついだ元朝日記者の悔恨 『朝日新聞政治部』 #2」 「上司の一声から竹中平蔵大臣に密着」、「竹中氏」は「小泉総理から構造改革の旗振り役として期待されていたが、自民党や霞が関に応援団は少なく苦戦していた」、「竹中氏」にもそんな時期もあったようだ。 「政治部は政治家に番記者を張りつけ、その政治家が直面する政治課題を一緒に追いかけさせる。内閣改造人事で閣僚の顔ぶれが一新したら、政治部記者もがらりと入れ替わる。 他方、経済部は役所ごとに担当記者を置き、役所の政策課題を追いかけさせる。いつまでその職にあるかわからない大臣よりも各省庁の官僚トップに上り詰めた事務次官のほうがおのずから重要となる」、「政治部」と「経済部」の取材手法の違いを初めて知った。 「竹中氏は官僚や経済部記者に見向きされず、持ち前の発信力をいかせずに孤立していた。後ろ盾は小泉首相ただ一人だった。今こそ政治部が食い込むチャンスだ――渡辺さんはそう考えた。各社の官邸キャップで竹中氏のSOSを感じ取り、ただちに「竹中番」を張り付けたのは渡辺さんだけだった。彼の独特の嗅覚がもたらした判断」、凄い判断だ。 「竹中氏は当初、敗れ続けた。だが、くじけなかった。自民党や財務省が水面下で主導する政策決定過程をオープンにして世論に訴えた。経済財政諮問会議の議事録を公開して「抵抗勢力」の姿を可視化したのだ。これは的中した。マスコミは次第に「抵抗勢力」を悪者に仕立て始めた。そして小泉首相は「竹中抵抗勢力」の闘いが佳境を迎えると歌舞伎役者よろしく登場し、竹中氏に軍配を上げたのだった」、「小泉首相」の立ち回りは確かに「歌舞伎役者」そのものだ。 「政治部記者として竹中氏を担当していた私は、新聞社の長い歴史を通じて独占的に予算編成や税制改革を報じてきた経済部の財務省担当記者たちに取って代わり、予算や税制をめぐる「特ダネ」を連発した。 経済部記者が事務次官ら官僚をいくら回っても情報は遅かった。すべては竹中氏ら官邸主導で決まり、経済部記者が財務省取材でそれを知るころには私が朝日新聞紙面で報じていたのである」、 「各社の経済部は慌てて竹中氏を追いかけ始めたが、すでに遅かった。竹中氏は時間に追われ、初対面の記者といちから関係をつくる暇はなかった」、「財務省は朝日新聞報道を追認していくようになる。財務省の言う通りに政策が決まらない新たな現実を、経済部はなかなか受け入れられないようだった。政策の主導権は明らかに自民党や財務省から首相官邸に移った。その意味で、小泉政権の誕生は「政権交代」といえた。省庁ごとの縦割りだったマスコミ各社の取材体制も変革を迫られたのである」、確かに画期的な変化だ。 「私はある日、「抵抗勢力」のドンと言われた自民党の古賀誠元幹事長の番記者に移るように告げられたのだ。 背景には、政治部と経済部の「手打ち」があった」、「既得権の岩盤に挑んだ当初の竹中氏はチャレンジャーだった。規制緩和を中心とする新自由主義について私は批判的だが、他方、自民党の族議員と財務省などのエリート官僚によってベールに包まれてきたこの国の政策決定過程をこじ開け、透明化した彼の功績は大きいと思う。 竹中氏が強大な権力者になるにつれ、取り巻きは急増した。それに伴い、私は竹中氏と疎遠になった」、なるほど。 「挑戦者だった竹中氏は自民党や霞が関の既得権益を打ち破って勝者となり、挑戦を受ける既得権益側になった」、「竹中氏が日本に持ち込んで実践したこの20年の構造改革」で、「日本社会の健全さは損なわれ、活力は大きく衰えてしまった。 格差が広がる日本社会の曲がり角で、私は政権中枢に接近し「改革」の片棒を担いだのかもしれない」、きちんと総括しているのは、さすがだ。
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メディア(その35)(新聞・放送の記者は公式発言をフォローする取り組みに消極的だが…CIAの仕事の9割は首脳発言の分析、「貧しいニッポン」報道が 日本の貧困化を加速化させてしまう皮肉なワケ、なぜ被害者たちは「日本記者クラブ」ではなく「外国特派員協会」を選ぶのか…国内マスコミが抱える根本課題 「記者クラブ」に頼る取材は行き詰まっている) [メディア]

メディアについては、昨年10月26日に取上げた。今日は、(その35)(新聞・放送の記者は公式発言をフォローする取り組みに消極的だが…CIAの仕事の9割は首脳発言の分析、「貧しいニッポン」報道が 日本の貧困化を加速化させてしまう皮肉なワケ、なぜ被害者たちは「日本記者クラブ」ではなく「外国特派員協会」を選ぶのか…国内マスコミが抱える根本課題 「記者クラブ」に頼る取材は行き詰まっている)である。

先ずは、昨年11月2日付け日刊ゲンダイが掲載したジャーナリストの立岩陽一郎氏による「新聞・放送の記者は公式発言をフォローする取り組みに消極的だが…CIAの仕事の9割は首脳発言の分析」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/313786
・『10月11日に報じられたCNNのバイデン米大統領の独占インタビュー。「プーチン氏が何を考えているのかはわからないが、彼は(ロシア軍は)ウクライナから撤退できる。そして恐らく彼は権力の座にとどまれる。『ウクライナ侵攻の目的を達した。ロシア軍が撤退する時期だ』と宣言して」と語った。 バイデン氏の発言をフォローしている私には、それは大きな変化と感じられる。これまでのバイデン氏の発言はプーチン氏の失脚を目指していたと考えられるからだ。「Go get him(やっちまえ)」と語った一般教書演説や、「彼はそのポストに残れない」といった発言とは明らかに異なる。プーチン氏の失脚を狙わずに、ウクライナからのロシア軍の撤退を目指す方向に舵を切ったということだろう。ある意味で現実的な選択とも言える。G7のオンライン会議の直後のインタビューだけに、独仏首脳とのやりとりの中でバイデン氏が方向を修正したということだろう。 私は「国際ジャーナリスト」と紹介されることが多い。NHKの社会部で事件記者として過ごした私が、そう紹介されるきっかけはトランプ前米大統領だ。トランプ氏の言動をアメリカでフォローしていた私が最初にテレビへの出演を求められたのはトランプ氏が(北)朝鮮に対して「炎と怒りで対応する」と語った直後だった。(北)朝鮮の「専門家」が「米朝対決」とあおる中で、番組で私は、トランプ氏は金正恩氏に親近感を持っており、米朝会談もあり得ると予想した。まだ米朝会談の噂さえない2017年の8月のことだった。) また、最初の米朝会談を前にトランプ氏が金正恩氏を屈服させると力説する「専門家」を前に、「トランプ氏が朝鮮半島情勢や東アジアの安全保障に関する明確な方針を語った事実はない」と話し、それ故に会談で成果は望めないと指摘した。「専門家」から、「あなたはトランプ大統領を見誤っています」と言われたが、さて、その「専門家」はその言動をどう総括しているのか。しかし、ここでそれを書きたいわけではない。 結果的に私が言った通りになっている状況は、別にヤマをはったわけでも「逆張り」をしたわけでもない。単純に首脳の言動を追って判断しただけのことだ。トランプ氏、バイデン氏の公式な発言は確認することができる。それをフォローし、整理することで、米首脳の考えを一定程度、分析することが可能だ。 実はこれは、アメリカの大学で同僚だった元CIAの情報分析官が語ったことにヒントを得ている。その同僚によると、CIAの仕事の9割は首脳の発言の分析だったという。その発言とは、傍受するなどの非公式なものではなく、誰でも確認できる公式のものだという。 残念ながら、新聞、放送の記者は、公式発言をフォローするという取り組みに消極的だ。誰も知らない極秘情報の入手に努める傾向が強いということもあるが、成果主義で地味で根気のいる作業が敬遠される部分もある。当然、私はこの地味な作業を今後も続けていく』、「米朝会談」が「結果的に私が言った通りになっている状況は、別にヤマをはったわけでも「逆張り」をしたわけでもない。単純に首脳の言動を追って判断しただけのことだ。トランプ氏、バイデン氏の公式な発言は確認することができる。それをフォローし、整理することで、米首脳の考えを一定程度、分析することが可能だ。 実はこれは、アメリカの大学で同僚だった元CIAの情報分析官が語ったことにヒントを得ている。その同僚によると、CIAの仕事の9割は首脳の発言の分析だったという。その発言とは、傍受するなどの非公式なものではなく、誰でも確認できる公式のものだという」、「新聞、放送の記者は、公式発言をフォローするという取り組みに消極的だ。誰も知らない極秘情報の入手に努める傾向が強いということもあるが、成果主義で地味で根気のいる作業が敬遠される部分もある」、残念なことだ。

次に、12月29日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「「貧しいニッポン」報道が、日本の貧困化を加速化させてしまう皮肉なワケ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/315233
・『日本の貧しさを指摘しすぎると貧困化に拍車?  昨年(2021年)の今ごろ、経済ニュースの世界では「安いニッポン」が流行していたが、これからは「貧しいニッポン」の時代がやってきそうだ。 年の瀬に、景気の悪い話をして恐縮だが、日本の貧困化に警鐘を鳴らすようなニュースが、目に見えて増えてきている。筆者が目についただけでも、ざっとこんな感じだ。 ・日本人は外国人客急増の「貧しさ」をわかってない 円安と低成長で経済力低下、安い賃金に甘んじる(東洋経済オンライン12月25日) ・iPhoneが高すぎて買えない日本、30年でなぜこれほど貧しくなったのか? (ニューズウィーク日本版12月10日) ・働いても働いても貧乏から抜け出せない…経済大国ニッポンが「一億総貧国」に転落した根本原因(プレジデントオンライン 12月8日) また、このダイヤモンド・オンラインでも現在、『貧国ニッポン 「弱い円」の呪縛』という特集をやっている。多くのメディアや専門家の間で、「貧しいニッポン」という問題がのっぴきならない状況だというのが、いよいよ共通認識になってきたということなのだろう。 筆者もこの連載内で、18年ごろから日本の低賃金と貧困化について、度々指摘させていただいてきた。そういう意味では、このテーマが多くのメディアで取り上げられるようになって、議論が活発になってきていることは、素直にうれしい。 しかし、その反面で一抹の不安がある。「貧しいニッポン」報道が注目されることはいいのだが、そのことで逆に日本の貧困化に拍車がかかってしまう恐れもあるからだ』、「多くのメディアで取り上げられるようになって、議論が活発になってきている」のが、「日本の貧困化に拍車がかかってしまう恐れもある」、とはどういうことだろう。
・『大手マスコミを信じ込みやすい日本人がパニック  実は日本では、この手の「不安」を刺激されるような報道に過剰に反応をした人が、恐怖で冷静な判断ができずパニックになって、事態を悪化させてしまうケースが多い。わかりやすいのは、「トイレットペーパーデマ」だ。 忘れてしまった人も多いだろうが、新型コロナウィルスの感染拡大当初、SNSで「トイレットペーパーが品切れになる」という情報が拡散されたことがある。ほどなくデマだとわかって、拡散した人物が所属していた団体も謝罪し、一件落着となった。 しかし、ここで思わぬ事態が起きる。ワイドショーなど大手マスコミが「SNSでトイレットペーパーが品切れになるというデマが流されました」と大騒ぎをしたことを受けて、トイレットペーパーの買い占め騒動が起きたのだ。番組を見た視聴者は頭では「デマ」だと理解しているが、「もしかしたら本当に品切れするかも」と不安になって、ドラッグストアに押し寄せたのである。 そして、それをまたワイドショーが中継をして、「ご覧ください!あんな行列ができています!」と大ハシャギで報じて、それを観た視聴者が「乗り遅れてなるものか」とさらにドラックストアへ殺到…という悪循環となったのである。 なぜこんな不可解な現象が起きたのかというと、「報道」が群集心理をあおったからだと言われている。 実は、著名人や人気芸能人の自殺報道を朝から晩まで流すと、熱心なファンではない人まで後追い自殺をするという現象が世界中で確認されている。これは「アナウンス効果」と呼ばれるもので、WHO(世界保健機構)が報道機関に自制を求めているほど「効果」がある。 もうお分かりだろう。この「アナウンス効果」と同じことが、「トイレットペーパー・パニック」で起きたのである。 「マスゴミ」などと批判されることも多いが、実はマスメディアというのは、それくらい人々の行動にダイレクトに影響を及ぼす力を持っている。 特に日本人は先進国の中でも、異常なほどテレビや新聞を信用しているという国際比較調査もある。ほとんどの国では、マスコミというのは「偏向」して当たり前なので、受け取り手側が情報の真贋を見極めなければいけないと考えている人が多いが、日本人はなんやかんや文句を言いながら、「テレビや新聞は嘘をつかない」と頑なに信じているのだ』、「日本人は先進国の中でも、異常なほどテレビや新聞を信用しているという国際比較調査もある」、なるほど。
・『「貧しいから国が養え」という民意が強まるとどうなるか  さて、このように異常なまでにマスコミを過度に信じる国民のもとに、「貧しいニッポン」という報道が朝から晩まで大量におこなわれたらどんなことになるだろうか。 「そっか、日本は貧しいのか」と納得をするまではいいとして、問題はその次の行動だ。 海外であれば、政権に不満をぶつけ、クーデターや暴動が起こる。しかし、日本人は国民性からしても、「自民党政権をぶっつぶせ!」なんてクーデターにはまずならない。岸田首相をボロカスに叩いても、なんやかんや次の選挙でも、多くの人は自民党に投票をするだろう。これまでもそうだった。 となると、日本人に残された道は、「国が面倒を見ろ」と喉をからして叫ぶしかない。 要するに、減税、補助金、バラマキなど、とにかく政府が金を国民に配って、貧しくならないように保護をしろという「民意」が強くなっていくのだ。 政治家のビジネスモデルは基本的に、そのような「民意」をくみ取ったスローガンを掲げて、選挙に受かって高収入を得るというものなので、おのずと「消費税をゼロに」「積極財政」を掲げる人がポコポコと当選していく。 ただ、社会保障が破綻している今の日本の財政的に減税は難しい。ということで、選挙に通った政治家ができることは、「増税しながら金をバラまく」という不毛な政策しかない。この「3歩進んで2歩下がる」的な政治スタイルが、日本をここまで停滞させた諸悪の根源だ。 つまり、「貧しいニッポン」報道は、「バラまき政治」を加速させて、日本をさらに貧しくしていくことにしかならないのだ。 「バラまきの何が悪い!今の日本に必要なのは増税ではなく積極的な財政出動だろ」と主張する人もいらっしゃるだろうが、実は日本ではこの30年間、1000兆円以上の政府の負債を増やしてきたが、「失われた30年」から脱することができなかったのだ。 つまり、日本経済の「病巣」はそこではないのだ』、「日本人に残された道は、「国が面倒を見ろ」と喉をからして叫ぶしかない。 要するに、減税、補助金、バラマキなど、とにかく政府が金を国民に配って、貧しくならないように保護をしろという「民意」が強くなっていくのだ」、「「貧しいニッポン」報道は、「バラまき政治」を加速させて、日本をさらに貧しくしていくことにしかならないのだ」、「実は日本ではこの30年間、1000兆円以上の政府の負債を増やしてきたが、「失われた30年」から脱することができなかったのだ」、その通りだ。
・『政府が「甘やかし保護してきた中小企業」に見る問題  日本経済が成長できなかったのはこの30年間、日本人の賃金がまったく上がらなかったからだ。そして、この問題は、大企業の春闘やベアがどうしたとかいう話はほとんど関係がない。 日本人労働者の7割が働いて、全企業の99.7%を占める中小企業の賃金がこの30年間ほとんど上がっていないからだ。では、なぜ上がらないのかというと、日本政府が中小企業を「保護すべき弱者」として過剰に甘やかしてきたからだ。 厳しい言い方だが、各種優遇策や補助金やらで手厚く保護されてきたことで、まるで生活保護を受けている経済的困窮者のようになり、成長・拡大をするように追い込まれなくなってしまったのである。もちろん、中には競争力があって成長をしていく中小企業もあるが、それはほんの一部で、大多数の中小企業は「現状維持型」なので従業員の賃上げができない。 なぜこうなるかというと、株主など外部の厳しい目にさらされることがないので、オーナー社長が好き勝手に経営ができてしまうからだ。自分が乗る高級車を社用車扱いにしたり、働いていない妻や子どもに役員報酬を払ったり、やりたい放題ができてしまう。 そんな「現状維持型の低賃金企業」があふれる日本の中小企業に、大量の補助金がバラ撒かれたところで、経済が成長するわけがない。コロナ禍で飲食店にバラまかれた協力金が、経営者の懐に入って、店で働くパートやアルバイトにほとんど還元されなかった構図と同じだ。 日本ではこのような「負のスパイラル」が30年間延々と繰り返されてきた。労働者の賃金よりも経営者の身分保障を優先してきた結果、格差が広がって消費が冷え込み、それを受けて企業は賃金を低く抑える…という悪循環が続いてきた。 本来はこれを断ち切らないといけない。しかし、「貧しいニッポン」報道があふれかえるとそれも不可能になる。 「貧しい」と言われてパニックになった群衆は、「貧しくならないようにもっと金をよこせ」と減税やバラマキを掲げる政治リーダーを求めていく。金をバラまいて経済が強くなった国など世界のどこにも存在しないが、貧しくなるという恐怖に支配されて、冷静な判断ができなくなってしまうのだ。 なんてことを心配したところで、おそらくこの流れは食い止められない。 80年前、当時の軍部のエリートや、政府の人間が「アメリカと戦争をしたら100%負ける」という分析をしていたにもかかわらず、日本は無謀な戦争に突入した。 この件に関して、後世の日本人は「軍部が暴走した」「政治が悪い」の一言で片付けるが、実はそれは歴史の捏造だ。誰よりも戦争を望んでいたのは、実は「国民」である。当時、「アメリカを叩きつぶせ」と大衆は熱狂していて、政治家や軍部が「日米開戦を避けよう」なんて言えば、「腰抜けが!」と怒った。熱狂で冷静な判断ができなくなっていたのだ。実際、真珠湾攻撃をした時、日本はサッカーワールドカップでスペインを撃破した時以上のお祭り騒ぎだった。 こういう歴史の教訓に学べば「貧しいニッポン」は避けられないだろう。いよいよ来年は、我々も貧しい国なりの生き方を、模索していかなければいけないかもしれない』、「「貧しい」と言われてパニックになった群衆は、「貧しくならないようにもっと金をよこせ」と減税やバラマキを掲げる政治リーダーを求めていく。金をバラまいて経済が強くなった国など世界のどこにも存在しないが、貧しくなるという恐怖に支配されて、冷静な判断ができなくなってしまうのだ。 なんてことを心配したところで、おそらくこの流れは食い止められない」、同感である。

第三に、1月2日付けPRESIDENT Onlineが掲載した上智大学文学部新聞学科教授の水島 宏明氏による「なぜ被害者たちは「日本記者クラブ」ではなく「外国特派員協会」を選ぶのか…国内マスコミが抱える根本課題 「記者クラブ」に頼る取材は行き詰まっている」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/64957
・『2022年12月、陸上自衛隊での性暴力を告発した五ノ井里奈さんの記者会見が外国特派員協会(FCCJ)で開かれた。上智大学の水島宏明教授は「旧統一教会元2世信者や、TBS元記者から性被害を受けた女性が会見を開いたのも同じ場所だ。背景には、記者クラブ体制の機能不全がある」という――』、「記者クラブ体制の機能不全」とはどういうことだろう。
・『記者会見は各社が全国放送で報じた  12月19日(月)、テレビ各社が元陸上自衛官で所属部隊での“性暴力”“性被害”を顔出し実名で訴えている五ノ井里奈さんの記者会見の様子を報道した。 NHKとフジテレビ、テレビ東京は全国放送で報道しなかった。一方、日本テレビ、テレビ朝日、TBSは、夕方や夜の主要ニュース番組で、五ノ井さんが会見で語った「(男性隊員たちが)私に覆いかぶさり、腰を振る動作を繰り返していた」などの赤裸々な言葉を全国放送で報道した。この夜、こうした詳細を初めて報じた局もあった。テレビだけでなく、新聞各社もこの会見での五ノ井さんの言葉を翌朝の新聞に掲載した。 この記者会見が行われた場所は「外国特派員協会」(FCCJ)である。午後2時すぎに東京・丸の内のビルの一角で記者会見が行われた。 この外国特派員協会、実は、日本の主要メディア各社が運営する記者クラブではない。主体になっているのは欧米を中心にした世界の新聞・テレビなどの特派員たちで、いわば外国メディアのための記者クラブである』、「この記者会見が行われた場所は「外国特派員協会」」、どういうことなのだろう。
・『なぜ外国報道機関向けの記者クラブだったのか  五ノ井さんのケースは、日本での出来事なのになぜ日本のメディアが中心になっている国内報道機関が運営する記者クラブではなく、外国特派員協会という外国メディア向けの記者クラブで会見が行われたのだろうか。しかも、なぜ、それが国内の報道機関でのニュースになるのだろうか。 実は同じことが「宗教2世」の問題を告発している小川さゆりさん(仮名)の記者会見でも起きている。小川さんが外国特派員協会で記者会見したことで親が宗教団体に対して多額の寄付をするために生活がままならず極貧状態にあったり、子どもたちが宗教団体の決めた「養子縁組」で幼少期から家族がバラバラになったりする実態が大きく報道されることになった。 出入国在留管理庁の出先での人権侵害について会見が行われるのも多くが外国特派員協会だ。 なぜ、日本の記者クラブではなく、外国特派員協会なのか。その記者会見がなぜ日本のニュースに貢献しているのか。この問題を考えると、実はそこには日本の記者クラブが抱える問題が見え隠れしている』、「「宗教2世」の問題を告発している小川さゆりさん(仮名)の記者会見」、「出入国在留管理庁の出先での人権侵害について会見」も「外国特派員協会」で行われた。
・『報道機関の自律は記者クラブの基本だが…  外国特派員協会は、正式名称を「日本外国特派員協会」という。英語名The Foreign Correspondents' Club of Japanで略称はFCCJ。ホームページでは「世界で最も古く、最も権威のある記者クラブのひとつ」と自己紹介している。会員の資格として「日本を拠点とし、その記事の大部分が海外へ報道される記者」を対象にする組織だ。 米国のニューヨーク・タイムズ、CNN、英国のBBCなどの欧米の主要メディアの記者たちが所属している。記者クラブの自律的な判断でゲストを呼んで記者会見や講演会などを開いている。メンバーはそれぞれの会に自由に参加することができる。 日本のメディアの記者たちが所属する記者クラブも同じように「自律的な判断」に委ねられているはずだが、なぜ既存の日本のメディアの記者たちが所属する記者クラブでは、自衛隊内の性暴力問題や宗教2世の問題、それに入管での人権侵害の会見などが満足に行われないのだろうか』、「日本のメディアの記者たちが所属する記者クラブ」にはどういう問題があるのだろうか。
・『「縦割り」が障壁になっている  日本の個別の記者クラブは、それぞれ中央省庁や政党、大企業ごとに「縦割り」になっていることが大きな障壁になっている。官庁などと同じように「縦割り」のため、防衛省の記者クラブ、文部科学省の記者クラブ、東京の裁判所や検察庁、弁護士会などを担当する司法クラブなど細かく分別されていて、所属する記者たちはそれぞれ担当する組織の官僚らと同じような問題意識になりがちだ。 記者たちは記者室など官公庁などの建物を「間借り」している状態で、記者会見の場に当該組織の広報担当者なども聞きに来ることができるため、記者会見で話をする当人にとっては無言の圧力を受けやすい。記者の側も日頃情報提供を受けている組織に対する遠慮や忖度そんたくなどが働きやすい。 そういう意味では、役所等の中にある記者クラブが完全に「自律的に運営」されているのかどうかはかなり疑問だ。 さらに、「縦割り」の担当であるがゆえに、記者たちの視野が極端に狭くなりがちである。防衛省の記者クラブにいる記者たちは最新兵器や防衛システム、「敵基地攻撃能力」などの法概念については防衛省の幹部や自衛隊幹部と同じくらいの専門的な知識を求められるため、そうした問題に対しては関心が人一倍強い。その一方で、「女性隊員への性暴力」のような問題については門外漢で、どれほどの重要性があるニュースなのか、記者自身が判断できない場合が少なくない』、「日本の個別の記者クラブは、それぞれ中央省庁や政党、大企業ごとに「縦割り」になっていることが大きな障壁になっている」、「記者たちは記者室など官公庁などの建物を「間借り」している状態で、記者会見の場に当該組織の広報担当者なども聞きに来ることができるため、記者会見で話をする当人にとっては無言の圧力を受けやすい。記者の側も日頃情報提供を受けている組織に対する遠慮や忖度そんたくなどが働きやすい。 そういう意味では、役所等の中にある記者クラブが完全に「自律的に運営」されているのかどうかはかなり疑問だ」、かなり深刻な問題だ。
・『横断的なテーマに対応できない  五ノ井さんが受けた「性被害」「性暴力」の問題は当該官庁だけでなく、社会全体にかかわるジェンダー問題でもある。 2017年に米国ハリウッドの映画界で内部告発が相次いだ「#MeToo運動」以降も、解決すべき問題が様々な分野で根強く残っている。 メディア業界自体も強固な「男性優位」が続く社会だ。そこで働く記者たちも日頃からこうした問題について敏感とはいえない。ジェンダーがからむ「被害」については、今なお、当事者同士の問題だと考えがちで、「組織の問題」としては捉えない傾向も根強い。 五ノ井さんが性暴力被害への公正な調査を求めて、野党の議員らと防衛省で申し入れを行ったのは、8月31日(水)だった。そのときは防衛省の記者クラブが通常会見を開く記者会見室ではなく、建物の玄関先で、立ったままの「ぶらさがり」という形式で記者たちの質問に答えている。 10月17日(月)、五ノ井さんは自分に“性暴力”を行った加害者側の男性隊員4人から謝罪を受けたとして、記者会見を行って加害者側の手紙を読み上げた。このときの会見場所も、防衛省記者クラブでも官邸記者クラブでもなく、参議院または衆議院の院内会議室と思われる部屋で会見には野党の国会議員たち数人が同席していた。』、「ジェンダーがからむ「被害」については、今なお、当事者同士の問題だと考えがちで、「組織の問題」としては捉えない傾向も根強い」、「8月31日(水)だった。そのときは防衛省の記者クラブが通常会見を開く記者会見室ではなく、建物の玄関先で、立ったままの「ぶらさがり」という形式で記者たちの質問に答えている」、本来は「防衛省の記者クラブ」が場所を提供すべきだ。
・『各社の熱の入り具合が一変した  この会見については五ノ井さんを熱心に取材しているAERA dot.やTBSテレビは「覆いかぶさって腰を使った」などの「性被害」の詳細を報道した。しかし他の多くのメディアは「性被害」などと抽象的に短く表現しただけで詳細を伝えなかった。 12月15日(木)に性暴力の加害者側の自衛官5人が懲戒免職になったときも「性被害」でと各社が伝え、TBSテレビの「news23」だけが「キスを強要された」「胸を触られた」などの詳細を報じた。 ところが12月19日(月)に五ノ井さんが外国特派員協会で会見したときには状況が一変する。それまであまり詳しく報じていなかった日本テレビ「news zero」が「示談交渉で“呆れた言葉”」と見出しを打ち、(1人あたり30万円の示談を申し出た隊員側が)「個人責任を問われるか疑問だが」と発言して五ノ井さんが呆れ驚いたと伝えた。 さらに「性被害」の中身も「私に覆い被さり、腰を振る動作を繰り返していた」とそれまで以上に具体的に伝えた。テレビ朝日の「報道ステーション」も隊員側からの示談申し出の際の発言に五ノ井さんが呆れたことに付け加え、「セクハラ行為がまるでコミュニケーションの一部であるかのように感覚がまひしていた」と本人の言葉を伝えていた』、「五ノ井さんが外国特派員協会で会見したときには状況が一変する。それまであまり詳しく報じていなかった日本テレビ「news zero」が「示談交渉で“呆れた言葉”」と見出しを打ち、(1人あたり30万円の示談を申し出た隊員側が)「個人責任を問われるか疑問だが」と発言して五ノ井さんが呆れ驚いたと伝えた。 さらに「性被害」の中身も「私に覆い被さり、腰を振る動作を繰り返していた」とそれまで以上に具体的に伝えた
」、具体的に報道されると現実感が増す。
・『「日本記者クラブ」は会社ありき  外国特派員協会に匹敵するような組織が国内にないわけではない。 「日本記者クラブ」は国内メディアの記者向けに国内の報道機関が運営する組織だ。国政選挙の公示直前の党首討論や国際政治や軍事情勢、経済動向など大所高所からの大きなテーマについて専門家による情勢分析を中心にゲストを招いて話を聞くことが多い。 役所の縦割り主義に応じて縦割りの記者同士の担務になっている日本の記者クラブ制度は、守備範囲を決めにくい自衛官の性暴力などのテーマはどっちつかずになって手つかずになりがちな要因になっている。 こうした、いわゆる「記者クラブ」とは異なり、「日本記者クラブ」は横断的なテーマに対応している。 ところが、ここでも問題がある。ここに所属しているのは、基本的に各新聞社やテレビ局など大手メディアの論説委員や解説委員など一定の役職以上の人間だ。つまり、貴社各々が所属している報道機関に紐付いているような形態になっているのだ。 「会社」が何かと前面に出てくる日本のメディアが加盟する日本の記者クラブと比べると、それぞれのジャーナリストである「個人」が加盟するという個人主義の意識が強いのが外国特派員協会だ。その違いは対照的だ』、「「会社」が何かと前面に出てくる日本のメディアが加盟する日本の記者クラブと比べると、それぞれのジャーナリストである「個人」が加盟するという個人主義の意識が強いのが外国特派員協会だ。その違いは対照的だ」、「日本の記者クラブ」は余りに閉鎖的だ。
・『伊藤詩織さん事件でもそうだった  今回の五ノ井里奈さんのように性暴力の問題で日本の既存メディアの記者クラブが十分に対応できなかった前例はこれまでもある。ジャーナリストの伊藤詩織さんのケースだ。 伊藤さんは2015年、当時TBSのワシントン支局長だった山口敬之氏との食事中に昏睡こんすいさせられた末に「合意ないままに性行為を強要された」として、被害の実態と警察の捜査徹底を訴える記者会見を2017年5月29日に司法記者クラブで行った。当時は名字を伏せたが、下の名前と顔を出すかたちで会見した。 ところがこの会見が新聞やテレビなど主要な既存メディアで大きく報道されることはなかった。警察の幹部による、異例ともいえる逮捕の中止命令など、安倍政権中枢に近い「政治の力」が疑われるケースだったにもかかわらずだ。本人が顔を出して訴えたにせよ、片一方の当事者がこう言っているというだけにすぎないために記事にはできないと判断した社が多かったという事情もあったかもしれない。しかし、問題を深掘りしようとする記者がいなかったことは日本のメディアが抱える課題の深刻さを映し出しているように思う。 伊藤さんはその後、自分に起きた出来事をノンフィクション『Black Box』(文藝春秋)として上梓した。同時に2017年10月24日に外国特派員協会で記者会見を開き、以降、自分の性被害やSNSでのバッシング等に関する会見は主に外国特派員協会で行っている』、「警察の幹部による、異例ともいえる逮捕の中止命令など、安倍政権中枢に近い「政治の力」が疑われるケースだったにもかかわらずだ。本人が顔を出して訴えたにせよ、片一方の当事者がこう言っているというだけにすぎないために記事にはできないと判断した社が多かったという事情もあったかもしれない」、むしろ「加害者」のTBS幹部を庇う面もあった可能性がある。
・『国内ニュースに還流される構図がある  記者クラブはメディア側の「自律」が大切だが、実際には言葉が形骸化しているケースは少なくない。 官邸クラブでの会見を見ると、官僚が記者会見を進行していて、首相や官房長官が発表したいことを一方的に話すばかりで質問時間や回数も制限している。記者側の質問もまるで事前に用意した答弁を読み上げるだけの国会答弁のようで、政権への忖度やおもねりが見てとれる。形式上は記者会見となっているものの、その様子は台本のある儀式のようだ。 外国特派員協会では、そもそも忖度する先が存在しない。毎回、記者たちがその場で考えた質問をぶつけている。そんな真剣勝負の記者会見のやりとりはYouTubeでも公開されている。 それまで同じ問題で何度か会見を開いている人物でも、外国特派員協会では質問を受けてより深みがある言葉を引き出されていることも少なくない。 五ノ井里奈さんのケースを見ても、12月19日の日本テレビやテレビ朝日の報道のように、外国特派員協会での「自分に覆いかぶさって腰をふった」というような音声を使うことで、それまで実態が見えにくくなっていた問題を伝えることができていた。日本国内のニュースなのにそれが外国特派員協会という記者クラブでの記者会見を経由して、新たな付加価値が日本のメディアに「還流」していく構図があった』、忖度なしの「会見」により、「新たな付加価値が日本のメディアに「還流」していく構図があった」、なるほど。
・『レバノン逃亡後のカルロス・ゴーン氏も…  テレビも新聞も「マスゴミ」などと若者たちに批判されることがもう珍しくもない時代になった。 これほど外国特派員協会での会見ばかりがニュースで使われるようでは、日本の従来の記者クラブ体制がもはや機能不全に陥っているのではないかと疑わざるを得ない。 日本の記者クラブがやらなかった人物を外国特派員協会が会見をセットした例として、日産自動車の元会長カルロス・ゴーンのケースがある。 2018年に特別背任罪などの容疑でたびたび逮捕され、2019年に保釈中にプライベートジェットで国外逃亡した。外国特派員協会は逃亡先のレバノンとオンラインで結んでゴーンの会見を実現させたのである。日本の刑事当局からみれば「容疑者」であり、「逃亡犯」であっても、なぜ日本から逃げたのか。彼の言い分は何なのか。それを聞いてみないことにはわからない。 内戦下のシリアで武装集団に拘束され、3年ぶりに解放されたものの「自己責任」だと非難にさらされたジャーナストの安田純平氏の会見もここで行われた。 同調圧力が強く、忖度し合う日本の記者クラブでは避けてしまいがちなゲストを選んでいる』、「日本の記者クラブ」は自ら墓穴を掘っているようだ。
・『ジャーナリズムの基本精神に立ち返るべき  象徴的だったのは2019年12月19日の記者会見のゲストの選定だ。この前日、伊藤詩織さんが元TBSの山口敬之氏を相手取って損害賠償を求めた民事訴訟で、東京地裁が伊藤さんの主張を認める判決を出している。この日、外国特派員協会は“被害者”として勝訴した伊藤詩織さんだけでなく、“加害者”として敗訴した山口氏もゲストとして会見させている。 できる限り、その出来事の当事者に話を聞いて真実に接近しようとする営みがジャーナリストの活動であるのなら、外国特派員協会はその精神に忠実だといえる。 比べると、日本の記者クラブは、取材先組織ごとの縦割り体制やメディア同士の常識に縛られて、視野が狭くなってはいないか。「会社」中心の発想で深掘りする刃が鈍っていないか。「個人」として実直な疑問をぶつけるものになっているのだろうか。改めて自己点検が必要だ』、「外国特派員協会は“被害者”として勝訴した伊藤詩織さんだけでなく、“加害者”として敗訴した山口氏もゲストとして会見させている。 できる限り、その出来事の当事者に話を聞いて真実に接近しようとする営みがジャーナリストの活動であるのなら、外国特派員協会はその精神に忠実だといえる」、立派な姿勢だ。日本の記者クラブも爪の垢でも煎じて飲むべきだ。
タグ:(その35)(新聞・放送の記者は公式発言をフォローする取り組みに消極的だが…CIAの仕事の9割は首脳発言の分析、「貧しいニッポン」報道が 日本の貧困化を加速化させてしまう皮肉なワケ、なぜ被害者たちは「日本記者クラブ」ではなく「外国特派員協会」を選ぶのか…国内マスコミが抱える根本課題 「記者クラブ」に頼る取材は行き詰まっている) メディア 日刊ゲンダイ 立岩陽一郎氏による「新聞・放送の記者は公式発言をフォローする取り組みに消極的だが…CIAの仕事の9割は首脳発言の分析」 「米朝会談」が「結果的に私が言った通りになっている状況は、別にヤマをはったわけでも「逆張り」をしたわけでもない。単純に首脳の言動を追って判断しただけのことだ。トランプ氏、バイデン氏の公式な発言は確認することができる。それをフォローし、整理することで、米首脳の考えを一定程度、分析することが可能だ。 実はこれは、アメリカの大学で同僚だった元CIAの情報分析官が語ったことにヒントを得ている。その同僚によると、CIAの仕事の9割は首脳の発言の分析だったという。その発言とは、傍受するなどの非公式なものではなく、誰でも確認できる公式のものだという」、「新聞、放送の記者は、公式発言をフォローするという取り組みに消極的だ。誰も知らない極秘情報の入手に努める傾向が強いということもあるが、成果主義で地味で根気のいる作業が敬遠される部分もある」、残念なことだ。 ダイヤモンド・オンライン 窪田順生氏による「「貧しいニッポン」報道が、日本の貧困化を加速化させてしまう皮肉なワケ」 「多くのメディアで取り上げられるようになって、議論が活発になってきている」のが、「日本の貧困化に拍車がかかってしまう恐れもある」、とはどういうことだろう。 「日本人は先進国の中でも、異常なほどテレビや新聞を信用しているという国際比較調査もある」、なるほど。 「日本人に残された道は、「国が面倒を見ろ」と喉をからして叫ぶしかない。 要するに、減税、補助金、バラマキなど、とにかく政府が金を国民に配って、貧しくならないように保護をしろという「民意」が強くなっていくのだ」、「「貧しいニッポン」報道は、「バラまき政治」を加速させて、日本をさらに貧しくしていくことにしかならないのだ」、「実は日本ではこの30年間、1000兆円以上の政府の負債を増やしてきたが、「失われた30年」から脱することができなかったのだ」、その通りだ。 「「貧しい」と言われてパニックになった群衆は、「貧しくならないようにもっと金をよこせ」と減税やバラマキを掲げる政治リーダーを求めていく。金をバラまいて経済が強くなった国など世界のどこにも存在しないが、貧しくなるという恐怖に支配されて、冷静な判断ができなくなってしまうのだ。 なんてことを心配したところで、おそらくこの流れは食い止められない」、同感である。 PRESIDENT ONLINE 水島 宏明氏による「なぜ被害者たちは「日本記者クラブ」ではなく「外国特派員協会」を選ぶのか…国内マスコミが抱える根本課題 「記者クラブ」に頼る取材は行き詰まっている」 「記者クラブ体制の機能不全」とはどういうことだろう。 「この記者会見が行われた場所は「外国特派員協会」」、どういうことなのだろう。 「「宗教2世」の問題を告発している小川さゆりさん(仮名)の記者会見」、「出入国在留管理庁の出先での人権侵害について会見」も「外国特派員協会」で行われた。 「日本のメディアの記者たちが所属する記者クラブ」にはどういう問題があるのだろうか。 「日本の個別の記者クラブは、それぞれ中央省庁や政党、大企業ごとに「縦割り」になっていることが大きな障壁になっている」、「記者たちは記者室など官公庁などの建物を「間借り」している状態で、記者会見の場に当該組織の広報担当者なども聞きに来ることができるため、記者会見で話をする当人にとっては無言の圧力を受けやすい。記者の側も日頃情報提供を受けている組織に対する遠慮や忖度そんたくなどが働きやすい。 そういう意味では、役所等の中にある記者クラブが完全に「自律的に運営」されているのかどうかはかなり疑問だ」、かなり深刻な問題だ。 「ジェンダーがからむ「被害」については、今なお、当事者同士の問題だと考えがちで、「組織の問題」としては捉えない傾向も根強い」、「8月31日(水)だった。そのときは防衛省の記者クラブが通常会見を開く記者会見室ではなく、建物の玄関先で、立ったままの「ぶらさがり」という形式で記者たちの質問に答えている」、本来は「防衛省の記者クラブ」が場所を提供すべきだ。 「五ノ井さんが外国特派員協会で会見したときには状況が一変する。それまであまり詳しく報じていなかった日本テレビ「news zero」が「示談交渉で“呆れた言葉”」と見出しを打ち、(1人あたり30万円の示談を申し出た隊員側が)「個人責任を問われるか疑問だが」と発言して五ノ井さんが呆れ驚いたと伝えた。 さらに「性被害」の中身も「私に覆い被さり、腰を振る動作を繰り返していた」とそれまで以上に具体的に伝えた 」、具体的に報道されると現実感が増す。 「「会社」が何かと前面に出てくる日本のメディアが加盟する日本の記者クラブと比べると、それぞれのジャーナリストである「個人」が加盟するという個人主義の意識が強いのが外国特派員協会だ。その違いは対照的だ」、「日本の記者クラブ」は余りに閉鎖的だ。 「警察の幹部による、異例ともいえる逮捕の中止命令など、安倍政権中枢に近い「政治の力」が疑われるケースだったにもかかわらずだ。本人が顔を出して訴えたにせよ、片一方の当事者がこう言っているというだけにすぎないために記事にはできないと判断した社が多かったという事情もあったかもしれない」、むしろ「加害者」のTBS幹部を庇う面もあった可能性がある。 忖度なしの「会見」により、「新たな付加価値が日本のメディアに「還流」していく構図があった」、なるほど。 「日本の記者クラブ」は自ら墓穴を掘っているようだ。 「外国特派員協会は“被害者”として勝訴した伊藤詩織さんだけでなく、“加害者”として敗訴した山口氏もゲストとして会見させている。 できる限り、その出来事の当事者に話を聞いて真実に接近しようとする営みがジャーナリストの活動であるのなら、外国特派員協会はその精神に忠実だといえる」、立派な姿勢だ。日本の記者クラブも爪の垢でも煎じて飲むべきだ。
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