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日本の政治情勢(その26)(小田嶋氏:大河ドラマからそっとチャンネルを替える) [国内政治]

日本の政治情勢については、7月15日に取上げた。今日は、(その26)(小田嶋氏:大河ドラマからそっとチャンネルを替える)である。

コラムニストの小田嶋 隆氏が8月31日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「大河ドラマからそっとチャンネルを替える」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/083000156/?P=1
・『《安倍晋三首相は、自民党総裁選への出馬を表明する舞台に鹿児島県を選んだ。首相の地元の山口との「薩長同盟」が明治維新の契機となったことにちなんだとみられる。出馬表明に先立つ26日午後、鹿児島県鹿屋市の会合で講演した首相は「しっかり薩摩藩、長州藩で力を合わせて新たな時代を切り開いていきたい」と力を込めた。-略-》 以上は、時事通信が8月26日付で配信したニュースだ・・・さらに安倍首相は、自身のツイッター上にも同様の趣旨の投稿をしている。 ここでは、《「我が胸の燃ゆる思ひにくらぶれば煙はうすし桜島山」筑前の志士、平野国臣の短歌です。大きな歴史の転換点を迎える中、日本の明日を切り拓いて参ります。》という文言に、桜島を背景に決意表明の演説をする動画が添えられている。 このツイートが配信されるや、タイムラインには、首相が引用した平野国臣の短歌へのツッコミが殺到した。 まあ、当然だろう。 私も、ひと目見るなり「ん? なんだこれは」と思った』、私はツイッターへの投稿を見てなかったが、出馬表明での薩長には違和感を感じた。
・『もっとも平野国臣の来歴を踏まえて、引用に疑問を抱いたわけではない。 告白すれば私は、日本史には詳しくない。詳しくないどころか、昔からの苦手科目で、実のところ、平野国臣という名前を見たのも、今回がはじめてだったりする。 なにしろ高校2年生の時に、日本史の定期試験で0点を取ったことがある。 担当の教諭は、「自分は25年日本史の教師をやっているが、この科目で0点の答案を採点したのははじめてだ」と言って、私のクラスの担任に相談したのだそうだ。内心、意図的な誤答かと疑っておられたらしい。 担任に真意を問われた、私は「他意はありません。真面目な0点です」と説明した・・・私は反抗していたわけではなかった。ボイコットの意図を持っていたのでもない。 とはいえ、日本史のような科目での0点が意図的な解答拒否を疑われ得る事態であることは理解した。 でもまあ、0点はあんまりだった。10点ぐらいは取っておくべきだった。 さらによろしくないのは、高校を出た後の積み上げが乏しいことだ。 受験科目に選ばなかった教科の学力は、だいたいにおいてそういうものではあるのだが、結局、私の日本史の学力は、中学生段階のところから一歩も前に進んでいない。 なので、大河ドラマは見ない。歴史小説もほとんど読まない。関心を抱くに足る教養を欠いているからだ。 それゆえ、雑学さえ身につかない。実に困ったことだ』、日本史の試験で反抗した訳ではないのに、0点を取った、その後も知識を積み上げてないというのには驚かされた。コラムニストにとっては、それほど必要がないとも思えないので、小田島氏個人の好き嫌いが影響しているのだろう。
・『ついでに、せっかくなので私が大河ドラマを視聴しない理由を明らかにしておく。 私は、出演者全員がわめいているタイプのドラマを好まない。で、NHKの歴史大河ドラマはそれにあたる。 サムライが出ることが多いからなのか、あるいは舞台あがりの演出家がかかわっているからなのか、あの枠のドラマは、出演者の全員が腹から声を出すめぐり合わせになっている。たぶん、舞台ではああいう発声をしないと後ろの客席まで声が届かないのだろうし、ああいう声が出せること自体は、俳優としての優れた資質でもあれば、訓練の賜物でもあるのだろう。 でも、それを見せられる私からすると、脚本や筋立てがどうであれ、同じ部屋の中にいる人間が10メートル離れた相手と対話しているみたいな発声でセリフを読み上げているドラマは、もうそれだけで御免こうむりたいという気分になってしまうのだ。 だから、子供の頃は、大河ドラマの流れている時間は、テレビのある居間から避難していた。 それほど私は大人の男の大きな声が苦手なのだ。 いきおい、武士もきらいになった。ブラウン管の中のサムライは、いつもリキんで大声をあげていたからだ。 民放がやっていたちょんまげ時代劇は時々視聴した。夕方にやっていた再放送は、学生時代から失業時代を通してほとんど毎日だらだら見ていたと言って良い。 というのも、民放の時代劇の中の町人たちは普通の声でしゃべっていたからだ』、私も大河ドラマのサムライがいつもリキんで大声をあげているのには、違和感を感じている口だ。
・『歴史にはとんと暗い私にしてからが、安倍さんがあの歌を引いたことの不適切さはなんとなく感知できた。平野国臣がどんな人物であるのかを知らなくても、ふつうに短歌を鑑賞する感覚を持っていれば、あの場面であの歌を引いた感覚には、やはり違和感を感じずにおれない。 以前、安倍首相は、新宿御苑での観桜会で、「給料の 上がりし春は 八重桜」という俳句を披露したことがある。 私は、この句を聞いた時点で、首相の言語的センスを見限っている。 いや、ああいう場面で人々を感心させる俳句を、さらりとひねってみせることのできる人間がそんなに多くないことはわかっている。そんな人間は一部の天才に限られる。 ほとんどの日本人は、とっさに俳句を求められたら、「給料の 上がりし春は 八重桜」程度の、何の工夫もない、下世話(←だって仮にも宰相たるものが給料なんかを晴れがましい場の主題に持って来ますか?)かつ不細工(←「春」と「八重桜」は季重なりですよね)な句を捻り出す始末になる。そういうものだ。 ただ、それならそれで詠まなければ良い。 事実、ほとんどの日本人はそうしている。 わざわざ自作の俳句を披露するような出過ぎたまねをあえてせずにおけば、恥をかくことはない。他人にどうこう言われることもない。 私が安倍さんの国語センスを見限ったのは、この点だ。つまり、「この程度の俳句をうっかり披露したら、きっと袋叩きに遭うぞ」という感覚すら持っていないところが、つまりは、この人の至らなさなのだ・・・自分の俳句の拙劣さを自覚できていなかった点については、弁護の余地がない。それは、日本語話者としても致命的な失点になる、と、そういうことになる』、安倍首相の「俳句」については初耳だが、その通りだ。
・『そもそもこういう場所で「薩長」という枠組みを持ち出したことの無神経さを指摘する声がいくつかあがっている。 私も、《しかし、いまこの時に「薩長」なんていうホコリだらけの古道具を歴史の物置の中から持ち出してきた意図は何なのだろう。》というツイートで、疑問を投げかけている。 ついでに《薩長イズムとは? すべての人間を敵と味方に分類する心的傾向 数をたのんで少数者を威圧する行動原理 身内びいきと利益誘導で仲間を誘引する人事管理手法》という皮肉を投げかけさせてもらった。 あらためて言っておくが、私は、薩長という用語や枠組みに、特段に反発を覚えているのではない。山口県や鹿児島県の県民の皆さんに含むところがあるのでもない。 ただ、「薩長」が、歴史的にも政治的にも、無色透明な言葉ではないことは、少なくとも国政にたずさわる人間は自覚しているべきだと思うからこそ、皮肉を言わずにおれなかったということだ。「薩長」は、現職の政治家が無思慮に口に出してよい言葉ではない。なんとなれば、それは、いまだに歴史の怨念を呼び覚ます言葉でもあれば、現在に至ってなお党派的な結びつきを多分に残している物騒な概念でもあるからだ。 そういう意味で、現職の総理大臣が総裁選に臨む演説の中で援用したことは、軽率と言われても仕方のない態度だった。少なくとも私はそう考えている。 安倍首相ご本人の気持ちの中では、単に、鹿児島に来たから、リップサービスのつもりで「薩摩・長州」の連合を持ち出した、というだけの話なのかもしれない。 そのこととは別に、昨年あたりから官邸筋がしきりにPRしている「明治維新150年」を念頭に 「歴史の変わり目」「憲法の見直し」「明治日本の再評価」みたいなことをアピールする意図で、自民党支持者に受けそうな、歴史がかった言葉を並べてみた、ということなのかもしれない。 でも、狙ってやっているのであれ、単なる無神経が言わせた言葉だったのであれ、こういう場面で「薩長」のような言葉がポロリと出てきてしまう神経の粗雑さに、私は恐ろしさを感じずにおれない』、全く同感である。
・『2018年は明治維新から数えて150周年にあたる。そしてその翌年の2019年は平成の最後の年であるとともに、新しい元号で迎える最初の年になる。でもって、そのまた翌年の2020年が東京オリンピック・パラリンピックの開催年に当たる。 このなんとも、あわただしいこの数年のめぐり合わせは、憲法改正を国是とする政党の党首としては、決して逃すことのできないタイミングに見えているはずだ。 だからこそ、安倍さんは、桜島をバックに明治維新、志士、薩長同盟、日本を取り戻すなどといった言葉の並ぶ演説動画を発信したのだと思う。 明治からの150年を昭和20年の敗戦を以て2つに分けてみると、前半の70余年は、薩長同盟ならびに大日本帝国憲法が主導した体制が、大戦の敗北によって幕を閉じた時代になる。後半の70余年は、民主主義と日本国憲法によって導かれた、復興と成長と平和のエポックだったと位置づけることができる。 私は、このタイミングで「薩長」が持ち出されていることに、不吉な号令の響きに似たものを感じ取っている。 もう少し具体的な言い方をすると、明治150年のうちの前半部分の70数年を「取り戻し」て、再評価し、よみがえらせようとする意図が、これから先の3年ほどの政治のスケジュールの中に組み込まれつつあるということだ。 このことは、またもう一度、声の大きい男たちが活躍するマッチョな時代がやってくるということでもある。 相手がテレビドラマなら、スイッチを切るなりチャンネルを変えるなりすれば良い。最悪、自分がテレビのある部屋から外に出れば、あの腹式呼吸の発音から逃れることができる。 でも、日本中の男たちがリアルな実生活の中でああいう声を出すようになったら、逃げ出す場所は、この島国の中には見つからないはずだ。そういう近未来はできれば御免こうむりたい・・・安倍さんの演説に関しても、私は、滑舌の良否やレトリックの巧拙を問題視しているのではない。 ただ、自分の使っている言葉に自覚的であってほしいと申し上げているだけだ。 「薩長」が、もし単なる思いつきで持ち出した言葉であったのなら、今からでも遅くはない。ぜひ撤回していただきたい。本気でおっしゃっているのだとしたら、私の方からは、絶句のほかに言葉がみつからない』、安倍演説は官邸スタッフが知恵を絞って下書きしている筈で、単なる思いつきで言葉を使ったのではなく、「本気」で使っている可能性が高い。残念ながら、本当に恐ろしい時代が来ようとしているのだろう。
タグ:日本の政治情勢 小田嶋 隆 日経ビジネスオンライン (その26)(小田嶋氏:大河ドラマからそっとチャンネルを替える) 鹿児島県鹿屋市の会合で講演した首相は「しっかり薩摩藩、長州藩で力を合わせて新たな時代を切り開いていきたい」と力を込めた 「我が胸の燃ゆる思ひにくらぶれば煙はうすし桜島山」筑前の志士、平野国臣の短歌です。大きな歴史の転換点を迎える中、日本の明日を切り拓いて参ります 安倍晋三首相は、自民党総裁選への出馬を表明する舞台に鹿児島県を選んだ 出演者全員がわめいているタイプのドラマを好まない 「大河ドラマからそっとチャンネルを替える」 大河ドラマを視聴しない理由 同じ部屋の中にいる人間が10メートル離れた相手と対話しているみたいな発声でセリフを読み上げているドラマは、もうそれだけで御免こうむりたいという気分になってしまうのだ 以前、安倍首相は、新宿御苑での観桜会で、「給料の 上がりし春は 八重桜」という俳句を披露したことがある 自分の俳句の拙劣さを自覚できていなかった点については、弁護の余地がない。それは、日本語話者としても致命的な失点になる 首相の言語的センスを見限っている 平野国臣がどんな人物であるのかを知らなくても、ふつうに短歌を鑑賞する感覚を持っていれば、あの場面であの歌を引いた感覚には、やはり違和感を感じずにおれない リップサービスのつもりで「薩摩・長州」の連合を持ち出した、というだけの話なのかも 「薩長」が、歴史的にも政治的にも、無色透明な言葉ではないことは、少なくとも国政にたずさわる人間は自覚しているべきだと思うからこそ、皮肉を言わずにおれなかったということだ 明治維新150年」を念頭に 「歴史の変わり目」「憲法の見直し」「明治日本の再評価」みたいなことをアピールする意図で、自民党支持者に受けそうな、歴史がかった言葉を並べてみた、ということなのかもしれない 「薩長」は、現職の政治家が無思慮に口に出してよい言葉ではない。なんとなれば、それは、いまだに歴史の怨念を呼び覚ます言葉でもあれば、現在に至ってなお党派的な結びつきを多分に残している物騒な概念でもあるからだ 狙ってやっているのであれ、単なる無神経が言わせた言葉だったのであれ、こういう場面で「薩長」のような言葉がポロリと出てきてしまう神経の粗雑さに、私は恐ろしさを感じずにおれない 2018年は明治維新から数えて150周年にあたる 2019年は平成の最後の年 明治からの150年を昭和20年の敗戦を以て2つに分けてみると、前半の70余年は、薩長同盟ならびに大日本帝国憲法が主導した体制が、大戦の敗北によって幕を閉じた時代になる 新しい元号で迎える最初の年 安倍さんは、桜島をバックに明治維新、志士、薩長同盟、日本を取り戻すなどといった言葉の並ぶ演説動画を発信したのだと思う あわただしいこの数年のめぐり合わせは、憲法改正を国是とする政党の党首としては、決して逃すことのできないタイミングに見えているはずだ 明治150年のうちの前半部分の70数年を「取り戻し」て、再評価し、よみがえらせようとする意図が、これから先の3年ほどの政治のスケジュールの中に組み込まれつつあるということだ もう一度、声の大きい男たちが活躍するマッチョな時代がやってくるということでもある 「薩長」が、もし単なる思いつきで持ち出した言葉であったのなら、今からでも遅くはない。ぜひ撤回していただきたい。本気でおっしゃっているのだとしたら、私の方からは、絶句のほかに言葉がみつからない 後半の70余年は、民主主義と日本国憲法によって導かれた、復興と成長と平和のエポックだったと位置づけることができる
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omachi

歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)

読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。
by omachi (2018-09-03 20:16) 

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