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哲学(その4)(【出口治明】ロック、ホッブズ、ルソー、モンテスキューとは何者か?、「グレタさん」は現代の「イエスかブッダ」なのか 「人類史の移行期」に生まれる価値観と倫理、なぜハイデガー哲学は 母国ドイツでタブーとされるのか? マルクス・ガブリエルも誤読した?) [人生]

哲学については、昨年12月25日に取上げた。今日は、(その4)(【出口治明】ロック、ホッブズ、ルソー、モンテスキューとは何者か?、「グレタさん」は現代の「イエスかブッダ」なのか 「人類史の移行期」に生まれる価値観と倫理、なぜハイデガー哲学は 母国ドイツでタブーとされるのか? マルクス・ガブリエルも誤読した?)である。

先ずは、2019年9月28日付けダイヤモンド・オンライン「【出口治明】ロック、ホッブズ、ルソー、モンテスキューとは何者か?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/215189
・『世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”、稀代の読書家として知られる出口治明APU(立命館アジア太平洋大学)学長。歴史への造詣が深いことから、京都大学の「国際人のグローバル・リテラシー」特別講義では世界史の講義を受け持った。 その出口学長が、3年をかけて書き上げた大著が、なんと大手書店のベストセラーとなり、話題となっている。BC1000年前後に生まれた世界最古の宗教家・ゾロアスター、BC624年頃に生まれた世界最古の哲学者・タレスから現代のレヴィ=ストロースまで、哲学者・宗教家の肖像100点以上を用いて、世界史を背骨に、日本人が最も苦手とする「哲学と宗教」の全史を初めて体系的に解説した本だ。なぜ、今、哲学だけではなく、宗教を同時に学ぶ必要があるのか? 脳研究者で東京大学教授の池谷裕二氏が絶賛、小説家の宮部みゆき氏が推薦、某有名書店員が激賞する『哲学と宗教全史』が、発売後たちまち第3刷が決まり、「日経新聞」にも大きく掲載された。 9月7日土曜14時、東京・八重洲ブックセンターに約80名が集結。満員御礼で行われた出版記念講演会の5回目を特別にお送りしよう』、興味深そうだ。
・『ロック、ホッブズ、ルソーは何を考えたか  フランス革命の前に、いろんな哲学者がいました。 有名なのは、ジョン・ロック(1632?1704)です。 人間は生まれながらに固有の平等の権利を持っていると説いた(自然法)。 人間は本来、自然法のもとでみんなが平等に暮らしていたと。ロックは国王の圧政に対していろんな理屈を考え出したのです。 自然状態で自分の平等の権利を持っていた人間はどうしたかといば、有名なホッブズ(1588?1679)対ルソー(1712?1778)の争いになる。 ホッブズは、みんなが自分の権利を主張するとケンカになると考えたのです。 「この土地は俺のもんや」「いや、俺の土地はここや」と境界線はいつの時代も曖昧です。 互いにケンカをしたらきりがない。 みなさんは「万人の万人に対する戦い」という言葉を聞いたことがあるでしょう。 ホッブズは、人間は放っておいたら、永遠に殴り合いをやっている。だからコモンウェルスによって、権力を持つ人がきちんと治めないと人間の生活は成り立たないと主張しました。 でも、ルソーは逆。 そもそも人間はみんな仲良く暮らしてきたと考えた。 だが、時として国王が圧政を行う。それに対抗する理屈を考える中で、いろんな「人権思想」が生まれてきたのです』、「ホッブズは、人間は放っておいたら、永遠に殴り合いをやっている。だからコモンウェルスによって、権力を持つ人がきちんと治めないと人間の生活は成り立たないと主張しました。 でも、ルソーは逆。 そもそも人間はみんな仲良く暮らしてきたと考えた。 だが、時として国王が圧政を行う。それに対抗する理屈を考える中で、いろんな「人権思想」が生まれてきたのです」、なるほど。
・『モンテスキューの「三権分立」  国王が好き勝手なことをやるなら、権力は分けなければいけない。 モンテスキュー(1689?1755)は、司法と立法と行政を分ける「三権分立」の思想を発表した。これは未だに生き残っていますね。分立させたら国王も好き勝手にはできない。もう一つの考え方もある。 権力を持っている人がどんどん悪いことをするなら、ロックが唱えた「抵抗権」がその代表ですが、人民が抵抗する権利を前面に出す。この2つが代表的な考え方ですね。 これも国王が勝手なことをしたから、みんなが必死に考えて、我々には本来抵抗する権利があるとか、生まれながらにして本来みんなは平等だとか、国王には単に統治の権利を委託しているだけだとか、権力自体を分散させようといった考え方が出てきたのです。 でも、この三権分立という考え方も、実は難しい。 これは、ホット・イシューなのであまり深くは立ち入りませんが、国と国とが「これで手打ちしよう」と約束したとします。 それは三権分立でいえば、行政と行政が、あるいは立法と立法が手を結ぶわけです。 でも、本当に権力が分立しているのなら、裁判所が立法や行政と違う判断をしても、「けしからん」と怒ることはできないのですよね。 三権が本当に分立していたら、別に行政や立法がどういおうと、裁判所は自分たち独自で判断するぞと。 そういう意味では、近代国家でつくられた理念は未だに生きているし、なかなか難しいし、理解が難しい面もあるのです。「司法と立法と行政を分ける「三権分立」の思想を発表した。これは未だに生き残っていますね。分立させたら国王も好き勝手にはできない。もう一つの考え方もある。 権力を持っている人がどんどん悪いことをするなら、ロックが唱えた「抵抗権」がその代表ですが、人民が抵抗する権利を前面に出す。この2つが代表的な考え方ですね・・・三権が本当に分立していたら、別に行政や立法がどういおうと、裁判所は自分たち独自で判断するぞと。 そういう意味では、近代国家でつくられた理念は未だに生きているし、なかなか難しいし、理解が難しい面もあるのです』、「「司法と立法と行政を分ける「三権分立」の思想を発表した。これは未だに生き残っていますね。分立させたら国王も好き勝手にはできない。もう一つの考え方もある。 権力を持っている人がどんどん悪いことをするなら、ロックが唱えた「抵抗権」がその代表ですが、人民が抵抗する権利を前面に出す。この2つが代表的な考え方ですね・・・三権が本当に分立していたら、別に行政や立法がどういおうと、裁判所は自分たち独自で判断するぞと。 そういう意味では、近代国家でつくられた理念は未だに生きているし、なかなか難しいし、理解が難しい面もあるのです。

次に、2020年1月27日付け東洋経済オンラインが掲載した京都大学こころの未来研究センター教授の広井 良典氏による「「グレタさん」は現代の「イエスかブッダ」なのか 「人類史の移行期」に生まれる価値観と倫理」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/325646
・『グレタ・トゥーンベリさんの気候変動問題への発言や活動が世界的な注目を集めている。 彼女の提言に対し賛否両論の議論が交わされているが、この「現象」自体はどのような意味を持っているのだろうか。 このたび『人口減少社会のデザイン』を上梓した広井良典氏が、人類が拡大・成長から成熟・定常化への“移行”期にあるという歴史的視点から論じる』、興味深そうだ。
・『「炎上」か「若者の反乱」か  スウェーデンの高校生グレタ・トゥーンベリさんの言動が世界的な注目を集めている。 二酸化炭素排出に伴う気候変動ないし地球温暖化問題を中心に据え、未来世代あるいは若者やこれから生まれてくる者たちのことを考慮しない現在の“大人”たちや政治家、支配層等々の意識・行動やその“偽善性”を容赦なく批判する内容やそのパフォーマンスが、文字どおり「賛否両論」の反応、あるいは賞賛と非難の両極の反応を引き起こしているのである。 それは世界を舞台にしたある種の“炎上”でもあり、あるいは地球環境問題を軸にした現代版“若者の反乱”という側面ももっているかもしれない。 以上、ここでの議論をグレタさんの話からまず始めたのだが、しかし本稿は彼女の主張そのものを論評することが主たる目的ではない。 そうではなく、グレタさんのような言動や主張、あるいはそれに関連するさまざまな現象が、もっと大きな歴史の流れ――いささか大げさに響くかもしれないが、人類の歴史――の中で、どのような意味をもっているかを私なりの視点から探ることが本稿の目的である。) 私自身は、グレタさんの言動をとりたてて“礼賛”しようとする考えは有していないが、しかし彼女の主張には、それを簡単に無視したり批判したりすることでは終わらない、何か重要な意味が含まれているのではないか、という基本的なスタンスをもっている』、「彼女の主張には、それを簡単に無視したり批判したりすることでは終わらない、何か重要な意味が含まれているのではないか、という基本的なスタンスをもっている」、なるほど。
・『人類史における「拡大・成長」と「成熟・定常化」  グレタさんが体現しているような主張ないし思想を、先ほど述べたように人類全体の歴史の中に位置づけて把握するにあたり、どうしても確認しておくべき基本的な認識についてまず述べてみたい。 すなわち、人類史を大きく俯瞰すると、それは人口や経済において「拡大・成長」と「成熟・定常化」というサイクルをこれまで3回繰り返してきており、しかも、(ここが最終的に重要なポイントなのだが)拡大・成長から成熟・定常化への“移行”期において、それまでに存在しなかったような革新的な思想や観念が生成するという点だ。 これは世界人口の長期推移について先駆的な研究を行ったアメリカの生態学者ディーヴェイの仮説的な図式を示したものであり、世界人口の拡大・成長と成熟・定常化に関する3つのサイクルが見て取れる。 すなわち、第1のサイクルは私たちの祖先である現生人類(ホモ・サピエンス)が約20万年前に地球上に登場して以降の狩猟採集段階であり、第2のサイクルは約1万年前に農耕が始まって以降の拡大・成長期とその成熟であり、第3のサイクルは、近代資本主義の勃興あるいは産業革命以降ここ300~400年前後の拡大・成長期である。 この意味では、私たちは今「第三の成熟・定常化」の時代を迎える入り口あるいは移行期に立っていることになる。 ちなみに、こうした人口推計をベースに1人当たりGDPに関する一定の仮定を加えて、アメリカの経済学者のデロングが「世界GDPの超長期推移」を推計している。これはごくラフな性格のものだが、上記の3つのサイクルがおぼろげながらも示唆されている。) ところで、ではそもそもなぜ、人類の歴史においてこうした人口や経済の拡大・成長と定常化のサイクルが起こるのだろうか。 (超長期の世界GDPの推移の図はリンク先参照) これは端的に言えば、人間による「エネルギー」の利用形態、あるいは少し強い言い方をすると、人間による“自然の搾取”の度合いという点と対応している。 つまり、栄養分ないし有機化合物を自らつくることができるのは植物(の光合成というメカニズム)だけなので、動物は植物を食べ、人間はさらにそれらを食べて生存を維持している。それが狩猟採集段階ということになるが、農耕が1万年前に始まったのは、食糧生産つまり植物の光合成を人間が管理し安定的な形で栄養を得る方法を見出したということである。 そして近代ないし工業化の時代になると、「化石燃料」と言われるように、数億年にわたって地下に蓄積した生物の死骸からできた石炭や石油を燃やし、エネルギーを得ることを人間は行うようになった。 言い換えれば、“数億年”という長い時間かかって蓄積された資源を、私たちは“数百年”でほとんど燃やし、使い尽そうとしているのであり、その燃焼の過程で生まれる二酸化炭素量の急激な増加が温暖化の大きな背景になっているのだ。 ここで、いま述べている人類史の話と冒頭に述べたグレタさんの議論が徐々につながっていくことになる』、「農耕が1万年前に始まったのは、食糧生産つまり植物の光合成を人間が管理し安定的な形で栄養を得る方法を見出したということである。 そして近代ないし工業化の時代になると、「化石燃料」と言われるように、数億年にわたって地下に蓄積した生物の死骸からできた石炭や石油を燃やし、エネルギーを得ることを人間は行うようになった。 言い換えれば、“数億年”という長い時間かかって蓄積された資源を、私たちは“数百年”でほとんど燃やし、使い尽そうとしているのであり、その燃焼の過程で生まれる二酸化炭素量の急激な増加が温暖化の大きな背景になっているのだ」、なるほど。
・『定常化への移行期における“文化的イノベーション”  以上のように、人間の歴史には「拡大・成長」と「成熟・定常化」のサイクルがあり、その3度目の定常化の時代を迎える入り口に立っているのが現在の私たちである。 そして、ここでとくに注目したいのは、人間の歴史における拡大・成長から成熟・定常化への移行期において、それまでには存在しなかったような何らかの新たな思想ないし価値、あるいは倫理と呼べるものが生まれたという点だ。 それはいわば“文化的イノベーション”とも呼べるような現象である。グレタさんの話と本稿の内容がより密接につながってくるのもこの点においてである。) 議論を駆け足で進めることになるが、しばらく前から人類学や考古学の分野で、「心のビッグバン(意識のビッグバン)」あるいは「文化のビッグバン」などと呼ばれている興味深い現象がある。例えば加工された装飾品、絵画や彫刻などの芸術作品のようなものが今から約5万年前の時期に一気に現れることを指したものである。 つまり、まさにこのときに、単なる自然の模写や、実用的な利用に尽きない、人間の「こころ」という固有の領域が生まれたのだ。 一方、人間の歴史を大きく俯瞰した時、もう1つ浮かび上がる精神的・文化的な面での大きな革新の時期がある。 それはヤスパースが「枢軸時代」、科学史家の伊東俊太郎が「精神革命」と呼んだ、紀元前5世紀前後の時代である。 この時期ある意味で奇妙なことに、現在に続く「普遍的な原理」を志向するような思想が地球上の各地で“同時多発的”に生まれた。すなわちインドでの仏教、中国での儒教や老荘思想、ギリシャ哲学、中東での(キリスト教やイスラム教の源流となる)旧約思想であり、それらは共通して、特定の部族を超えた「人間」という観念を初めてもつと同時に、物質的な欲望を超えた、新たな価値ないし倫理を説いた点に特徴をもつものだった。 いま「奇妙なことに」これらが“同時多発的”に生じたと述べたが、その背景ないし原因は何だったのだろうか』、「「心のビッグバン(意識のビッグバン)」あるいは「文化のビッグバン」などと呼ばれている興味深い現象がある。例えば加工された装飾品、絵画や彫刻などの芸術作品のようなものが今から約5万年前の時期に一気に現れることを指したものである。 つまり、まさにこのときに、単なる自然の模写や、実用的な利用に尽きない、人間の「こころ」という固有の領域が生まれたのだ・・・精神的・文化的な面での大きな革新の時期がある。 それはヤスパースが「枢軸時代」、科学史家の伊東俊太郎が「精神革命」と呼んだ、紀元前5世紀前後の時代である。 この時期ある意味で奇妙なことに、現在に続く「普遍的な原理」を志向するような思想が地球上の各地で“同時多発的”に生まれた。すなわちインドでの仏教、中国での儒教や老荘思想、ギリシャ哲学、中東での(キリスト教やイスラム教の源流となる)旧約思想であり、それらは共通して、特定の部族を超えた「人間」という観念を初めてもつと同時に、物質的な欲望を超えた、新たな価値ないし倫理を説いた点に特徴をもつものだった」、なるほど。
・『「物質的生産の量的拡大から精神的・文化的発展へ」  興味深いことに、最近の環境史(environmental history)と呼ばれる分野において、この時代、以上の各地域において、農耕の開発と人口増加が進んだ結果として、森林の枯渇や土壌の浸食などが深刻な形で進み、農耕文明がある種の資源・環境制約に直面しつつあったということが明らかにされてきている。 このように考えると、これは私の仮説であるが、枢軸時代ないし精神革命に生成した普遍思想(普遍宗教)は、そうした資源・環境的制約の中で、いわば「物質的生産の量的拡大から精神的・文化的発展へ」という新たな発展の方向を導くような思想として生じたと捉えられるのではないだろうか。 つまり、いわば外に向かってひたすら拡大していくような「物質的生産の量的拡大」という方向が環境・資源制約にぶつかって立ち行かなくなり、そうした方向とは異なる、すなわち資源の浪費や自然の搾取を極力伴わないような、精神的・文化的な発展への移行や価値の創発がこの時代に生じたのではないか。 読者の方はすでに気づかれたかと思うが、これは現在ときわめてよく似た時代状況である。つまり、ここ200~300年の間に加速化した産業化ないし工業化の大きな波が飽和し、また資源・環境制約に直面する中で、私たちは再び新たな「拡大・成長から成熟・定常化へ」の時代を迎えようとしているからだ。 一方、先ほどふれた「心のビッグバン」についても、それが同様のメカニズムで、狩猟採集文明の拡大・成長から定常化への移行の時期に生じたと考えてみるのは不合理なことではないだろう。 つまり狩猟採集段階の前半において、狩猟採集という生産活動とその拡大に伴ってもっぱら“外”に向かっていた意識が、有限な環境の中で資源的制約にぶつかる中で、いわば“内”へと反転し、そこに物質的な有用性を超えた装飾やアートへの志向、それらを含む「心」の生成、そして(死の観念を伴う)「自然信仰」が生まれたのではないだろうか。) 以上の議論をまとめると、狩猟採集段階における成熟・定常化への移行期に「心のビッグバン」が生じ、農耕社会における同様の時期に枢軸時代/精神革命の諸思想(普遍思想ないし普遍宗教)が生成し、両者はいずれも「物質的生産の量的拡大から精神的・文化的発展へ」という内容において共通していたと考えられるのではないか(以上について詳しくは『人口減少社会のデザイン』)。 そして、現在が人類史における第3の定常化の時代だとすれば、狩猟採集段階における「心のビッグバン」や、農耕段階における「枢軸時代/精神革命」に匹敵するような、根本的に新しい思想や価値原理が生成する時代の入り口を私たちは迎えようとしているのではないか。 グレタさんをめぐる動きを起点にしつつ、しかしそこにとどまらず、私たちが考えていくべきは、こうした大きな人類史の捉え直しと、現在の私たちがどのような場所に立っているかについての根本的な洞察なのである』、「狩猟採集段階における成熟・定常化への移行期に「心のビッグバン」が生じ、農耕社会における同様の時期に枢軸時代/精神革命の諸思想(普遍思想ないし普遍宗教)が生成し、両者はいずれも「物質的生産の量的拡大から精神的・文化的発展へ」という内容において共通していたと考えられるのではないか・・・現在が人類史における第3の定常化の時代だとすれば、狩猟採集段階における「心のビッグバン」や、農耕段階における「枢軸時代/精神革命」に匹敵するような、根本的に新しい思想や価値原理が生成する時代の入り口を私たちは迎えようとしているのではないか」、なるほど。
・『「地球倫理」と呼べるような思想・世界観  ではそうした新たな思想とは何か?結論を先に述べれば、それは「地球倫理」と呼べるような思想ないし世界観ではないかと私は考えており、これまでの拙著の中でも一定論じてきた(『コミュニティを問いなおす』、『ポスト資本主義科学・人間・社会の未来』など)。 そしてグレタさんのような主張は、この「地球倫理」と呼びうる思想とどこかでつながっているのではないかというのが私の見立てである。 冒頭でも述べたように、私たちは、グレタさんの主張だけを切り出して論じたり、あるいは彼女のパーソナリティーとか生い立ちとかをあれこれ詮索して議論してもあまり生産的ではない。 そうではなく、今ここで述べているように、私たちが人類の大きな歴史の中でどのような場所に立っているかを新たな視点で捉え返し、「拡大・成長から成熟・定常化への移行期」における新たな思想や価値の創発というテーマを、正面から考えていくことこそが重要なのである。 そこで浮かび上がってくる「地球倫理」の内容について、次回さらに掘り下げる。そしてそれがこれからの時代の企業行動や経営にとってもつ意味を考えてみたい』、「新たな思想とは何か?結論を先に述べれば、それは「地球倫理」と呼べるような思想ないし世界観ではないかと私は考えており、これまでの拙著の中でも一定論じてきた・・・グレタさんのような主張は、この「地球倫理」と呼びうる思想とどこかでつながっているのではないかというのが私の見立てである」、「地球倫理」とは大げさな気もするが、何やら新しい考え方のようだ。

第三に、昨年6月16日付け東洋経済オンラインが掲載した防衛大学校教授の轟 孝夫氏による「なぜハイデガー哲学は、母国ドイツでタブーとされるのか? マルクス・ガブリエルも誤読した?」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/111592?imp=0
・『20世紀を代表する哲学者とされるハイデガーですが、近年、海外におけるその求心力は急速に低下しているといいます。そのきっかけとなったのが、「黒いノート」と呼ばれるハイデガーの覚書に、「反ユダヤ主義的」な言辞が含まれている、とされたことでした。 母国ドイツでは「触れてはいけない」哲学者となったハイデガー。しかし防衛大学校の轟孝夫教授は、こうした非難はハイデガー哲学の誤読にすぎないと説きます。 ハイデガーの思索をたどり、彼が生涯をかけた「存在への問い」を解説する現代新書の新刊『ハイデガーの哲学 『存在と時間』から後期の思索まで』より、「はじめに」の前編をお届けします』、興味深そうだ。
・『今、なぜハイデガーなのか  ハイデガーは20世紀のもっとも重要な哲学者であり、その後の哲学の展開にも大きな影響を与えたのだから、彼の哲学に人びとが関心をもつのは当然のことだと思われるかもしれない。日本ではハイデガーの主著『存在と時間』は翻訳が10種類以上も存在し、そのうち3種の翻訳は21世紀に入ってから刊行されたものである。ハイデガーに関する研究書や解説書も毎月とまでは言わないにせよ、年に数冊は刊行されている。 こうした状況を見ると、ハイデガーの人気は今なお盤石のように見える。しかし外の世界に目を向けると、このことはまったく自明ではなくなる。ハイデガーの生国ドイツでさえも、日本のように一般読者向けの「ハイデガー本」がこれほど刊行されることはちょっと想像しがたいのだ。 もちろんドイツでも、ハイデガーはまったく関心をもたれていないわけではない。しかし彼が関心を集めているのは、圧倒的にナチス加担に関わる「負の側面」においてである。2014年、俗に「黒いノート」と呼ばれる、ハイデガーの覚書が記されたノート群が全集版として刊行されはじめた(「黒いノート」という呼び名自体は、覚書を書き留めたノートが黒いカバーをもつことに由来するのであって、それ以上の深い意味合いはそこにはない)。そのうちの、1930年代終わりから1940年代はじめにかけて書かれたいくつかの覚書の中に、反ユダヤ主義的な言辞が含まれていることが大きなスキャンダルとして報じられたことは、いまだ記憶に新しい。 ハイデガーが一時期、ナチスを支持していたことは、以前から周知の事実だった。しかしハンナ・アーレント(1906ー1975)やカール・レーヴィット(1897ー1973)をはじめとする多くのユダヤ人の教え子や友人と親交を結んでいたこともあり、彼を反ユダヤ主義者と捉える向きはこの刊行以前にはそれほど多くはなかった。ところが「黒いノート」の刊行によって、紛う方なき反ユダヤ主義者と見なされることになったのだ』、「ハイデガー」は本国「ドイツ」より「日本」での関心の方が高いとは意外だ。
・『ハイデガー協会会長の辞任  衝撃の大きさは、フライブルク大学のハイデガーの哲学講座を引き継ぐ著名な教授が、彼の反ユダヤ主義を理由にハイデガー協会の会長を辞任してしまったことにも示されている。彼は現代ドイツの代表的なハイデガー研究者と目されており、それゆえ私の知る何人かの日本人研究者も彼のもとに留学したりしていた。つまり傍から見れば、彼こそはだれよりもハイデガーの名声の恩恵を被った人物だったのだ。にもかかわらず、その教授があっさりハイデガーを切り捨てたことに、いささか私は驚いた。 仮に問題となったハイデガーの言明が反ユダヤ主義的なものだとしても、その「反ユダヤ主義」なるものが何を意味するのかについてはなお解釈の余地があるだろう。しかも本書で論じるように、くだんの言明は、少し検討すればそう単純に反ユダヤ主義的と言い切れるものではないことが明らかになる。にもかかわらず、例の教授はそのような留保もすることなく、ハイデガーを反ユダヤ主義者と決めつけて縁を切ろうとしたのである。こうしたエピソードからも、ドイツにおいてハイデガーと関わること自体が今やいかに危険で、割に合わないと見なされているかがよくわかる』、「ドイツにおいてハイデガーと関わること自体が今やいかに危険で、割に合わないと見なされているかがよくわかる」、なるほど。
・『「黒いノート」編者の言葉  この「黒いノート」の刊行をきっかけとして、いわゆるハイデガーの「反ユダヤ主義」をめぐる研究集会やシンポジウムが世界各地で開かれ、日本でも全集版の「黒いノート」の編者であるハイデガー研究者がドイツから招かれてワークショップが開催された。この研究者はハイデガー全集の「黒いノート」以外の覚書を収録した巻の編集も数多く担当しており、「黒いノート」の内容はもちろん、それが置かれた思想的コンテクストをもっとも熟知しているはずの人物である。 私もそのワークショップで発表する機会を与えられた。私はその場において、物議を醸した「黒いノート」の言明がハイデガー哲学のいかなる思想的文脈のうちに位置づけられるかを示し、それがむしろナチスの反ユダヤ主義的政策に反対するものであると主張した。こうした私の議論に対して、「黒いノート」の編者は開口一番、「ドイツでは政治家が反ユダヤ主義的な発言をすると政治生命を失うのですよ」という趣旨のことを述べた。 欧米において、また日本においても、政治家など公的な立場にある人物が反ユダヤ主義的な発言をすれば大きな問題になることは当然、私も弁えている。それゆえ「黒いノート」の編者に、そうした事情についてまるで無知であるかのような扱いを受けたのは不愉快だった。しかし他方で彼の発言は、問題の覚書が何を意味しているかをテクストに即して解釈するという姿勢そのものが、すでに政治的に不適切な行為と見なされることを示唆していた。この件について許されるのは、ただただハイデガーを政治的、道義的に非難することだけだというわけだ』、「この件について許されるのは、ただただハイデガーを政治的、道義的に非難することだけだというわけだ」、なるほど。
・『ドイツ人学生が触れないハイデガー  その後、私は在外研究の機会を与えられ、2019年4月よりほぼ1年間、ドイツのミュンヘンに滞在した。滞在中は自分を受け入れてくれたミュンヘン大学哲学科の教授が主催する大学院生向けのゼミナールに毎週参加していた。そのゼミは教授が指導する修士課程や博士課程の学生が執筆中の学位論文の内容について発表して、参加者のコメントを受けるというものだった。 私はその演習で夏学期から冬学期にかけて20人以上の発表を聞いた。プラトン、アリストテレス、アウグスティヌス、カント、シェリング、フッサール、ヴィトゲンシュタイン、サルトル、アーレントなどを研究テーマとする学生はいたが、ハイデガーを取り上げた者は一人もいなかった。またゼミ中にその名前が言及されることもほとんどなかった。 教授にいつもこのような感じかと尋ねると、苦笑して、今回は極端だが、基本的にはハイデガーは21世紀になってから研究する人が少なくなったという。まだ20世紀にはハンス・ゲオルク・ガダマー(1900ー2002)などハイデガーの直弟子が何人も存命していた。そのため、そうした人びとの薫陶を受けたこの教授の世代あたりまではハイデガーを重要視する研究者は多かったが、そのあとの世代では関心をもつ人が少なくなったとのことであった。 私自身、せっかくゼミに参加しているので、冬学期に自分の研究について発表させてもらうことにした。私はドイツ滞在中ずっと、ハイデガー哲学の政治的含意を主題とする書物を執筆していた(2020年2月に明石書店より『ハイデガーの超‒政治』として刊行)。ゼミでは同書からその内容の一部、すなわち反ユダヤ主義的と非難された「黒いノート」の覚書を解釈した箇所を抜き出して発表することにした。 これまでの経験から、この主題での発表があまり歓迎されないことは予想された。それゆえ当初はもう少し無難なテーマを取り上げようと思ったが、逆に、この問題に対するドイツの若い哲学研究者の反応を見るのはかえって貴重な経験になると思い直し、あえてこのテーマで発表することにしたのである。
・『不動の前提となっていたハイデガー非難  その内容については本書でも詳しく論じる予定だが、ハイデガーはユダヤ教が、キリスト教を介する形で西洋形而上学という西洋の支配的な「存在」理解のあり方に大きな影響を与えたと見なしていた。そして彼の「存在への問い」とは、まさしくこの、ユダヤ教的にしてまた同時にキリスト教的なものでもある、いわゆる形而上学的な「存在」理解の克服を目指すものであった。その限りにおいて、西洋文明をその根本において規定しているユダヤ-キリスト教との対決というモチーフが、彼の哲学のうちにはたしかに含まれていたのである。 しかしハイデガーは、ナチスのように「科学的人種主義」なるものに基づいて「ユダヤ性」なるものの根絶を説いたりなどは、当然だがまったくしていない。なぜならば、ナチスが立脚するこの「人種主義」自体が、彼が批判して止まない西洋形而上学をその基盤とするものだからである。したがってハイデガーは、「人種主義」に基づいたナチスのユダヤ人迫害を、彼自身が問題視する「ユダヤ的なもの」の真の次元をまったく理解できていない無意味な所業と見なしていた。「黒いノート」における「ユダヤ的なもの」への言及もまた、基本的にはこのようなナチスの哲学的な無知蒙昧を批判する文脈においてなされたものであったのだ。 しかし事前にある程度、覚悟していたことではあったが、ゼミでの討論がかみ合うことはなかった。参加者の議論は結局のところ、ハイデガーの覚書はユダヤ人に対するステレオタイプ的な偏見を示すものにすぎず、政治的、道徳的に不適切だというところに帰着するのだった。ハイデガーを批判するためにも、まずは問題となっている覚書の趣旨を価値判断抜きで明らかにすることが必要だと説いても、だれも聞く耳をもたなかった。とにかくハイデガーは政治的、倫理的に非難されるべき存在であるというのが、あたかもそこでは不動の前提となっているかのようだった。 ハイデガーがナチスに加担したことはもちろん、これまでも周知の事実だった。それゆえ彼の偉大な哲学的業績には敬意を表しつつも、その政治加担には批判的な態度を取るというのが従来のハイデガー研究の暗黙のルールだった。こうした姿勢は、多くのハイデガー研究者が研究の指針として好んで口にする「ハイデガーとともに、ハイデガーに抗して」というモットーに表現されている。 しかし、一方ではハイデガーの哲学的声望を自身の箔付けに利用しながら、その一方では彼のナチス加担を批判することで自身の政治的、道徳的健全性も確保するという虫のよい姿勢は「黒いノート」の刊行以降、完全に不可能になってしまった。というのも、例の覚書によって、彼の哲学そのものが反ユダヤ主義、すなわちナチズム(国民社会主義)に汚染されていることはもはや疑問の余地がないと見なされるようになったからである。以後とりわけ欧米では、ハイデガーの哲学から明確に距離を取ることが「政治的に正しい」態度になっている』、「「黒いノート」の刊行以降」、「欧米では、ハイデガーの哲学から明確に距離を取ることが「政治的に正しい」態度になっている」、なるほど。
・『それでもわれわれはハイデガーを読むべきだ  そうしたドイツの状況と比べると、日本ではハイデガー研究はほとんど異例なほどに盛んである。そもそも本書のような入門書の需要が見込まれるぐらい、研究者以外の読者の関心も高い。 もちろん日本でも「ハイデガーはナチだから、彼の哲学をまじめに取り合う必要はない」と言われることがまったくないというわけではない。しかしそれでも、そのような決めつけがドイツのように研究そのものを抑圧するような状況にはなっていない。 ドイツ人からすると、こうした日本の状況はあまりにも生ぬるく見えるらしい。近年、日本でもなぜかもてはやされている現代ドイツの哲学者マルクス・ガブリエル(1980ー)は、中国哲学研究者の中島隆博との対談を収録した『全体主義の克服』(集英社新書、2020年)で、ハイデガーを「筋金入りの反ユダヤ主義信者」、「完璧なまでのナチのイデオローグ」、「本物のナチ」などとさんざんこき下ろしたうえで、次のように述べている。 「だから2018年に京都大学で講演をしたとき、『ハイデガーを読むのはやめなさい!』と言ったのです。わたしは人々の眼を覚ましたかった。ハイデガーが日本でとても力をもっていることは知っています」(同書、101頁)。 このようにドイツの著名な哲学者が日本人に向けて、ハイデガーなど相手にするなという親身な勧告をしてくれている。こうした勧告に対して、私が本書をとおしてあえて主張したいのは、それでもわれわれはハイデガーを読むべきだということである。 とはいえ、こう主張することで、私はハイデガーの思想的業績をナチス加担とは切り離して扱うべきだと言いたいわけではない。むしろナチスへの積極的な関与は、彼の哲学に全面的に基づいたものであった。 つづく「なぜハイデガーは「ナチ」になり、また「ナチ」を辞めたのか?」では、ハイデガーの「ナチス加担」の実態に迫ります』、「現代ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルは」、「2018年に京都大学で講演をしたとき、『ハイデガーを読むのはやめなさい!』と言ったのです。わたしは人々の眼を覚ましたかった。ハイデガーが日本でとても力をもっていることは知っています」・・・このようにドイツの著名な哲学者が日本人に向けて、ハイデガーなど相手にするなという親身な勧告をしてくれている」、しかし「私が本書をとおしてあえて主張したいのは、それでもわれわれはハイデガーを読むべきだということである」、これは単に「ハイデガー」研究者としての著者のノスタルジーに過ぎないのではないだろうか。
タグ:哲学 (その4)(【出口治明】ロック、ホッブズ、ルソー、モンテスキューとは何者か?、「グレタさん」は現代の「イエスかブッダ」なのか 「人類史の移行期」に生まれる価値観と倫理、なぜハイデガー哲学は 母国ドイツでタブーとされるのか? マルクス・ガブリエルも誤読した?) ダイヤモンド・オンライン「【出口治明】ロック、ホッブズ、ルソー、モンテスキューとは何者か?」 「ホッブズは、人間は放っておいたら、永遠に殴り合いをやっている。だからコモンウェルスによって、権力を持つ人がきちんと治めないと人間の生活は成り立たないと主張しました。 でも、ルソーは逆。 そもそも人間はみんな仲良く暮らしてきたと考えた。 だが、時として国王が圧政を行う。それに対抗する理屈を考える中で、いろんな「人権思想」が生まれてきたのです」、なるほど。 「「司法と立法と行政を分ける「三権分立」の思想を発表した。これは未だに生き残っていますね。分立させたら国王も好き勝手にはできない。もう一つの考え方もある。 権力を持っている人がどんどん悪いことをするなら、ロックが唱えた「抵抗権」がその代表ですが、人民が抵抗する権利を前面に出す。この2つが代表的な考え方ですね・・・三権が本当に分立していたら、別に行政や立法がどういおうと、裁判所は自分たち独自で判断するぞと。 そういう意味では、近代国家でつくられた理念は未だに生きているし、なかなか難しいし、理解が難しい面もあ るのです。 東洋経済オンライン 広井 良典氏による「「グレタさん」は現代の「イエスかブッダ」なのか 「人類史の移行期」に生まれる価値観と倫理」 「彼女の主張には、それを簡単に無視したり批判したりすることでは終わらない、何か重要な意味が含まれているのではないか、という基本的なスタンスをもっている」、なるほど。 「農耕が1万年前に始まったのは、食糧生産つまり植物の光合成を人間が管理し安定的な形で栄養を得る方法を見出したということである。 そして近代ないし工業化の時代になると、「化石燃料」と言われるように、数億年にわたって地下に蓄積した生物の死骸からできた石炭や石油を燃やし、エネルギーを得ることを人間は行うようになった。 言い換えれば、“数億年”という長い時間かかって蓄積された資源を、私たちは“数百年”でほとんど燃やし、使い尽そうとしているのであり、その燃焼の過程で生まれる二酸化炭素量の急激な増加が温暖化の大きな背景になっているのだ」、なるほど。 「「心のビッグバン(意識のビッグバン)」あるいは「文化のビッグバン」などと呼ばれている興味深い現象がある。例えば加工された装飾品、絵画や彫刻などの芸術作品のようなものが今から約5万年前の時期に一気に現れることを指したものである。 つまり、まさにこのときに、単なる自然の模写や、実用的な利用に尽きない、人間の「こころ」という固有の領域が生まれたのだ・・・ 精神的・文化的な面での大きな革新の時期がある。 それはヤスパースが「枢軸時代」、科学史家の伊東俊太郎が「精神革命」と呼んだ、紀元前5世紀前後の時代である。 この時期ある意味で奇妙なことに、現在に続く「普遍的な原理」を志向するような思想が地球上の各地で“同時多発的”に生まれた。すなわちインドでの仏教、中国での儒教や老荘思想、ギリシャ哲学、中東での(キリスト教やイスラム教の源流となる)旧約思想であり、それらは共通して、特定の部族を超えた「人間」という観念を初めてもつと同時に、物質的な欲望を超えた、新たな価値な いし倫理を説いた点に特徴をもつものだった」、なるほど。 「狩猟採集段階における成熟・定常化への移行期に「心のビッグバン」が生じ、農耕社会における同様の時期に枢軸時代/精神革命の諸思想(普遍思想ないし普遍宗教)が生成し、両者はいずれも「物質的生産の量的拡大から精神的・文化的発展へ」という内容において共通していたと考えられるのではないか・・・現在が人類史における第3の定常化の時代だとすれば、狩猟採集段階における「心のビッグバン」や、農耕段階における「枢軸時代/精神革命」に匹敵するような、根本的に新しい思想や価値原理が生成する時代の入り口を私たちは迎えようとしている のではないか」、なるほど。 「新たな思想とは何か?結論を先に述べれば、それは「地球倫理」と呼べるような思想ないし世界観ではないかと私は考えており、これまでの拙著の中でも一定論じてきた・・・グレタさんのような主張は、この「地球倫理」と呼びうる思想とどこかでつながっているのではないかというのが私の見立てである」、「地球倫理」とは大げさな気もするが、何やら新しい考え方のようだ。 轟 孝夫氏による「なぜハイデガー哲学は、母国ドイツでタブーとされるのか? マルクス・ガブリエルも誤読した?」 現代新書の新刊『ハイデガーの哲学 『存在と時間』から後期の思索まで』より、「はじめに」の前編をお届けします 「ハイデガー」は本国「ドイツ」より「日本」での関心の方が高いとは意外だ。 「ドイツにおいてハイデガーと関わること自体が今やいかに危険で、割に合わないと見なされているかがよくわかる」、なるほど。 「この件について許されるのは、ただただハイデガーを政治的、道義的に非難することだけだというわけだ」、なるほど。 「「黒いノート」の刊行以降」、「欧米では、ハイデガーの哲学から明確に距離を取ることが「政治的に正しい」態度になっている」、なるほど。 「現代ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルは」、「2018年に京都大学で講演をしたとき、『ハイデガーを読むのはやめなさい!』と言ったのです。わたしは人々の眼を覚ましたかった。ハイデガーが日本でとても力をもっていることは知っています」・・・このようにドイツの著名な哲学者が日本人に向けて、ハイデガーなど相手にするなという親身な勧告をしてくれている」、 このようにドイツの著名な哲学者が日本人に向けて、ハイデガーなど相手にするなという親身な勧告をしてくれている」、しかし「私が本書をとおしてあえて主張したいのは、それでもわれわれはハイデガーを読むべきだということである」、これは単に「ハイデガー」研究者としての著者のノスタルジーに過ぎないのではないだろうか。
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恋愛・結婚(その7)(未婚化は1975年から始まった 家族社会学者が指摘していた研究者やマスコミの“過ち”) [人生]

恋愛・結婚については、昨年3月30日に取上げた。今日は、(その7)(未婚化は1975年から始まった 家族社会学者が指摘していた研究者やマスコミの“過ち”)である。

先ずは、昨年9月10日付けダイヤモンド・オンラインがAERAdotを転載した「未婚化は1975年から始まった、家族社会学者が指摘していた研究者やマスコミの“過ち”」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/328902
・『少子化の大きな要因となっている「未婚化」。中央大学教授で家族社会学者の山田昌弘氏は、1975年にはその傾向はあったと指摘する。山田氏の著書『結婚不要社会』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集し紹介する。 1989年の人口動態統計で、女性一人が生涯に産む子どもの平均人数を示す合計特殊出生率が過去最低の1.57になりました。厚生省人口問題研究所(現・国立社会保障・人口問題研究所)は翌1990年、この現象を「1.57ショック」と名付けて初めて警鐘を鳴らしましたが、その時点では少子化という言葉はまだありません。 少子化という言葉の誕生は、それから2年後、1992年に「少子社会の到来」というタイトルの『国民生活白書』が経済企画庁(当時)より発表されたことで、徐々に社会問題化していきます。ちなみに欧米には、少子化に相当する単語はありません。 拙著『結婚の社会学』には、1995年実施の国勢調査のデータは反映されていません。同書は1990年の国勢調査や、1992年の出生動向調査などさまざまな90年代前半のデータを基に記述しています。 90年代前半までのデータによれば、「晩婚化」の傾向は1975年以降著しく、1990年頃になると、それがはっきりと目に見えるかたちになってきたことがわかります。 拙著『結婚の社会学』では男女の世代別未婚率の推移を示したグラフを掲載しましたが、1975年には、30代前半では男性の未婚率は14.3%で、女性は7.7%です。それが1990年には、30代前半の男性の未婚率は32.6%、女性は13.9%まで上昇しています。 平均初婚年齢も、1975年は男性27歳、女性24.7歳。40年ほど前までの日本は、女性の半数が24歳までに結婚している社会だったのです。それが1990年には男性28.4歳、女性25.9歳と1歳以上も上昇しています。 このような状況の中で合計特殊出生率が過去最低の1.57になったことが発表されたのが、1990年という年でした。それ以降、研究者や政策担当者、マスコミの中で少子化が問題視されるようになったのです』、興味深そうだ。
・『晩婚化ではなく未婚化  データをどう解釈するかに関して、当時の研究者の大勢は「これは、晩婚化である」という認識でした。政策担当者やマスコミも同様です。 しかし、それは違うんじゃないか……。私はそう考えました。 晩婚化というのは、「いずれみんな結婚するが、いまはそれを先延ばししている」という意味です。当時、多くの研究者や政策担当者、マスコミは「いまの若者は結婚にメリットを感じなくなって、独身生活を長く楽しみたいと思っている。だから結婚年齢が上昇している」というような論評をしていました。要するに、結婚を先延ばしにしているだけ=晩婚化という見立てです。) そして、晩婚化の主要な原因として、女性の社会進出を挙げていました。「仕事をしたい」という女性が増えてきたから、結婚して子どもを産むこと──女性にとっては仕事をあきらめるという選択──を先延ばしする女性が増えてきたというわけです。 そのため、日本と同じく少子化を克服しようとしているヨーロッパの国々(フランスや北欧諸国、オランダなど)を参考にして、それと同じように、子どもを育てながら働けるように状況を整えれば、早く結婚して子どもを産むはずだという前提で、保育所の増設などさまざまな政策がとられていったのです。 そんな中で私は、「これは晩婚化ではなく、未婚化である」と主張しました。具体的には、「未婚化を克服しないと、少子化も克服できない」という見解を唱えました。この主張に多少なりとも賛同してくれた人がいたから、当時からマスコミに出たり政府関係の委員にも登用されたりしたのですが、公の学説なり政策なりに「見当違いではないか」と異議を申し立てたのです。 なぜ、そのような確信がもてたのか。 1990年から1992年にかけて、私は宮本みち子さん(千葉大学教授・当時)らと共に、『パラサイト・シングルの時代』の執筆のもとになった、20代の親同居未婚者のインタビューおよびアンケート調査を行っていました。結婚をしていない20代の男女とその親世代の人々にインタビューをしたわけですが、話を聞けば聞くほど、当時語られていた「通説」が間違っているのではないかという結論に至りました。) そのときに出会った親同居未婚者たちの中には、確かに「いまの生活を楽しみたいから結婚を先延ばしにしている」という人はいましたが、重要なのは「結婚したくないから結婚していない」という人はほとんどいなかったという点なのです。 特に、女性の場合がそうでした。当時の女性の大学進学率(4年制)は2割です。8割は短大卒および高卒、中卒です。そんな8割に属する女性たちの話を聞くと、仕事をしたいから結婚しないという人はほとんどいなくて、むしろ「いい男がいないから結婚していない」と答える人が大半でした。 その後も、厚生省(当時)の研究会などで未婚者の実態調査を続けました。 そして私が得た結論は、通説とは異なり、「現在の社会現象は、晩婚化ではなく、未婚化である」というものだったのです。 つまり、「生涯一度も結婚しない人が増えるだろう」という主張です。それも、ヨーロッパのように「結婚したくないから結婚しない」のではなくて、「結婚したくても結婚できない人」が増えていく。結婚したいのに結婚できないまま生涯を終える男女の増加、すなわち「結婚困難社会」を予測したわけです』、通説とは違って「晩婚化ではなく未婚化」とは興味深い。「ヨーロッパのように「結婚したくないから結婚しない」のではなくて、「結婚したくても結婚できない人」が増えていく。結婚したいのに結婚できないまま生涯を終える男女の増加、すなわち「結婚困難社会」を予測したわけです』、この方が女性にとっては悲惨なイメージだ。
・『結婚できない人はなぜ増えたのか  「結婚していない」もしくは「結婚できない」人たちが増えた原因は何でしょう。 私は次のような説を展開しました。それは単に、男女の意識変化ではない。そうではなく、結婚をめぐる社会、とりわけ経済状況が変わったのだと。つまり、個人の意識はむしろ変わらないまま社会の変化が進み、結婚が減った。その結果として独身者が増え、独身でも生活できる仕組みが整ったということです。  たとえば、1994年に『諸君!』で発表した「結婚難と経済成長」の中では、「女性は自分や自分の父親よりも収入の高い男性と結婚するのが当然だと思っている。高度経済成長期はそういう男性が簡単に見つかったからみんな早く結婚した。けれども、経済成長が鈍り低成長期になって、自分や自分の父親よりも収入の高い男性の数が減り、結婚相手を見つけることが難しくなって、結婚は先延ばしになり、結果的にあぶれて結婚できない男女が増えている」と論じました。 経済が高度成長から低成長になった1975年以降に晩婚化、すなわち未婚化が始まります。 そのとき結婚をめぐって生まれた現象は、収入の高い男性と結婚できる確率が低下する、という経済条件の変化でした。それでも、収入の低い男性と結婚するのを女性が厭わなければ、未婚化は起こりません。けれどもそうはならず、女性は収入が低い男性とあえて結婚することはしない──。 つまり未婚化は、結婚をめぐる意識は変わらないけれども「経済・社会環境」が変わったがために生じた現象であり、経済の低成長という構造的要因なので将来的にも結婚できない人が増え続ける、というのが私の主張だったのです。 けれども、研究者やマスコミも含めて当時のほとんどの中高年の人たちは「結婚なんて簡単にできるもの」と思っていたようです。そして当事者である若者たちも、「結婚なんて、本人がしたければすぐにでも相手が見つかる」と誰もが感じていた。つまり、未婚化を単なる「結婚の先延ばし」だとほとんどの人が思っていたのです。だからこそ、結婚問題が国の少子化を生み出す社会問題にまで発展してしまったのではないでしょうか。 大きな声では言えませんが、今日の結婚難に悩む若い人たちから見たら、周りには「よくこんな人が結婚できたな」と思えるような60代、70代の人が多いはずです。これは、経済成長が続いた1975年頃までは、どんな人にとっても結婚は「本人がしたければ、簡単にできるもの」だったということの裏返しでしょう。 1975年以降の結婚をめぐる社会的な変化や実態をきちんと調査して把握していれば、結婚が簡単にできるものではなくなってきたことに気づいたはずです。 (山田昌弘氏の略歴はリンク先参照)』、「女性は自分や自分の父親よりも収入の高い男性と結婚するのが当然だと思っている。高度経済成長期はそういう男性が簡単に見つかったからみんな早く結婚した。けれども、経済成長が鈍り低成長期になって、自分や自分の父親よりも収入の高い男性の数が減り、結婚相手を見つけることが難しくなって、結婚は先延ばしになり、結果的にあぶれて結婚できない男女が増えている」、非常にクリアな分析だ。「未婚化」は「単なる「結婚の先延ばし」ではなく、低成長移行に伴う経済構造の変化が背景にあるとはさすがだ。こうなると、女性の男性選択行動が、厳しい現実を直視してより柔軟なものに変わっていくことを期待するほかなさそうだ。
タグ:(その7)(未婚化は1975年から始まった 家族社会学者が指摘していた研究者やマスコミの“過ち”) 拙著『結婚の社会学』 未婚化を単なる「結婚の先延ばし」だとほとんどの人が思っていたのです。だからこそ、結婚問題が国の少子化を生み出す社会問題にまで発展してしまったのではないでしょうか 『パラサイト・シングルの時代』 「女性は自分や自分の父親よりも収入の高い男性と結婚するのが当然だと思っている。高度経済成長期はそういう男性が簡単に見つかったからみんな早く結婚した。けれども、経済成長が鈍り低成長期になって、自分や自分の父親よりも収入の高い男性の数が減り、結婚相手を見つけることが難しくなって、結婚は先延ばしになり、結果的にあぶれて結婚できない男女が増えている」と論じました。 経済が高度成長から低成長になった1975年以降に晩婚化、すなわち未婚化が始まります ヨーロッパのように「結婚したくないから結婚しない」のではなくて、「結婚したくても結婚できない人」が増えていく。結婚したいのに結婚できないまま生涯を終える男女の増加、すなわち「結婚困難社会」を予測したわけです』 「結婚したくないから結婚していない」という人はほとんどいなかったという点なのです。 特に、女性の場合がそうでした。当時の女性の大学進学率(4年制)は2割です。8割は短大卒および高卒、中卒です。そんな8割に属する女性たちの話を聞くと、仕事をしたいから結婚しないという人はほとんどいなくて、むしろ「いい男がいないから結婚していない」と答える人が大半でした。 恋愛・結婚 「未婚化」は「単なる「結婚の先延ばし」ではなく、低成長移行に伴う経済構造の変化が背景にあるとはさすがだ。こうなると、女性の男性選択行動が、厳しい現実を直視してより柔軟なものに変わっていくことを期待するほかなさそうだ。 「女性は自分や自分の父親よりも収入の高い男性と結婚するのが当然だと思っている。高度経済成長期はそういう男性が簡単に見つかったからみんな早く結婚した。けれども、経済成長が鈍り低成長期になって、自分や自分の父親よりも収入の高い男性の数が減り、結婚相手を見つけることが難しくなって、結婚は先延ばしになり、結果的にあぶれて結婚できない男女が増えている」、非常にクリアな分析だ 平均初婚年齢も、1975年は男性27歳、女性24.7歳。40年ほど前までの日本は、女性の半数が24歳までに結婚している社会だったのです。それが1990年には男性28.4歳、女性25.9歳と1歳以上も上昇しています。 このような状況の中で合計特殊出生率が過去最低の1.57になったことが発表されたのが、1990年という年でした。それ以降、研究者や政策担当者、マスコミの中で少子化が問題視されるようになったのです 山田氏の著書『結婚不要社会』(朝日新書) AERAdotを転載した「未婚化は1975年から始まった、家族社会学者が指摘していた研究者やマスコミの“過ち”」 ダイヤモンド・オンライン 結婚をめぐって生まれた現象は、収入の高い男性と結婚できる確率が低下する、という経済条件の変化でした。それでも、収入の低い男性と結婚するのを女性が厭わなければ、未婚化は起こりません。けれどもそうはならず、女性は収入が低い男性とあえて結婚することはしない──。 つまり未婚化は、結婚をめぐる意識は変わらないけれども「経済・社会環境」が変わったがために生じた現象であり、経済の低成長という構造的要因なので将来的にも結婚できない人が増え続ける、というのが私の主張 通説とは違って「晩婚化ではなく未婚化」とは興味深い。「ヨーロッパのように「結婚したくないから結婚しない」のではなくて、「結婚したくても結婚できない人」が増えていく。結婚したいのに結婚できないまま生涯を終える男女の増加、すなわち「結婚困難社会」を予測したわけです』、この方が女性にとっては悲惨なイメージだ。 「現在の社会現象は、晩婚化ではなく、未婚化である」というものだったのです。 つまり、「生涯一度も結婚しない人が増えるだろう」という主張
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哲学(その3)(出口治明氏のシリーズ2題):“知の爆発”が起きた古代ギリシャの哲学者 ソクラテスプラトンアリストテレスが私たちに教えてくれる「真の教養」とは?、“ヘーゲルの3兄弟”キルケゴールマルクス ニーチェは哲学をどう変えたのか?) [人生]

哲学については、2020年5月26日に取上げた。今日は、(その3)(出口治明氏のシリーズ2題):“知の爆発”が起きた古代ギリシャの哲学者 ソクラテスプラトンアリストテレスが私たちに教えてくれる「真の教養」とは?、“ヘーゲルの3兄弟”キルケゴールマルクス ニーチェは哲学をどう変えたのか?)である。

先ずは、2019年8月17日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した立命館アジア太平洋大学学長の出口治明氏による「“知の爆発”が起きた古代ギリシャの哲学者、ソクラテス、プラトン、アリストテレスが私たちに教えてくれる「真の教養」とは?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/270328
・『世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”、稀代の読書家として知られる出口治明APU(立命館アジア太平洋大学)学長。歴史への造詣が深いことから、京都大学の「国際人のグローバル・リテラシー」特別講義では世界史の講義を受け持った。 その出口学長が、3年をかけて書き上げた大著がついに8月8日にリリースされた。聞けば、BC1000年前後に生まれた世界最古の宗教家・ゾロアスター、BC624年頃に生まれた世界最古の哲学者・タレスから現代のレヴィ=ストロースまで、哲学者・宗教家の肖像100点以上を用いて、世界史を背骨に、日本人が最も苦手とする「哲学と宗教」の全史を初めて体系的に解説したとか。 なぜ、今、哲学だけではなく、宗教を同時に学ぶ必要があるのか? 脳研究者で東京大学教授の池谷裕二氏が絶賛、小説家の宮部みゆき氏が推薦、原稿を読んだ某有名書店員が激賞する『哲学と宗教全史』。発売直後に大きな重版が決まった出口治明氏を直撃した(Qは聞き手の質問)』、興味深そうだ。
・『ソクラテスのいう「不知の自覚」とは?  Q:ソクラテス、プラトン、アリストテレスの3人は、古代ギリシャの哲学者として知られていて、ソクラテスはプラトンの師であり、プラトンはアリストテレスの師に当たります。出口学長は、3人の哲学の特徴をどのように解釈されていますか? 出口:かつては、哲学を学ぶとき、「ソクラテス以前」と「ソクラテス以後」に分ける考え方をしていたようです。ソクラテスの登場が哲学的に見て、一つの大きな転換点になったと考えられていたからです。詳しくは本書に譲りますが、現在では、ソクラテスの登場がそれほど大きな事件だったかどうかについては争いがあり、価値中立的な「初期ギリシャ哲学」と呼ぶ場合が多いようです。 ソクラテスは、人間の内面に思索(しさく)の糸をおろしています。 「世界はどうなっているんですか」と問う人に対して、ソクラテスは逆にこう問いかけたのです。 「世界はどうなっているのか、と考えるあなたはあなた自身について何を知っていますか。人間は何を知っているのですか」ソクラテスはこの質問を人々に投げかけ、対話することで考えを深め、人々に「不知の自覚」を教えようと努めました。「ソクラテス以後」の哲学は、人間の内面に向かい、生きることについての問いかけを始めたことに大きな意味がありました。 Q:「不知の自覚」とは、どういうことですか? 出口:わかりやすく述べると、暗闇の中で何人かの人が集まって象を撫(な)でている状態と似ています。 鼻を撫でた人は、細長い生き物だと思い、足を撫でた人は太い柱みたいだと思い、耳を撫でた人は大きな団扇(うちわ)みたいだと思う。誰もが本当の象の姿を知らないまま、自分は象の姿形を知っていると思っている。ソクラテスのいう「不知の自覚」とは、まさにこのような状態を指していたのではないでしょうか。 世界は広くて複雑である、それなのに人間はついつい「何でも知っている」と過信しがちです。そのことがいかに愚かなことであるかは、繰り返される争乱や支配者のあやまちを見れば、明らかです。 哲学の歴史を振り返るとき、ソクラテスをどのように評価するかは、実はかなり難しい問題です。なぜなら、彼自身が書き記した文献が何も残っていないからです。 Q:では、ソクラテスの哲学や人物について、何を資料として今日まで語り継がれてきたのですか? 出口:プラトンをはじめとする彼の弟子や、同時代の劇作家や哲学者が残した文献です。特に、資料の中で圧倒的な量を占めるのは、ソクラテスの弟子の一人、プラトンの著作物です。 プラトンが叙述したソクラテスの発言は、真に迫るリアリティがあります。それだけに信じたくなります。けれども冷静に考えてみれば、それが事実のみを記しているのかどうかは不明です。 実際、ソクラテスが生活していたアテナイ(アテネの古名)には、ソクラテスに対して批判的な立場の人も存在しました。 ソクラテスが非常に優れた人物であったことは、確かです。しかしこれまでのように、常人とは隔絶した偉大な人物であったとイメージすることは、プラトンがつくったソクラテス像にいささか踊らされているのではないか、と僕はひそかに考えています。 ソクラテスについてもっと勉強したい人には、『哲学者の誕生 ソクラテスをめぐる人々』(納富信留著/ちくま新書)をお薦めします』、「「不知の自覚」とは、どういうことですか? 出口:わかりやすく述べると、暗闇の中で何人かの人が集まって象を撫(な)でている状態と似ています。 鼻を撫でた人は、細長い生き物だと思い、足を撫でた人は太い柱みたいだと思い、耳を撫でた人は大きな団扇(うちわ)みたいだと思う。誰もが本当の象の姿を知らないまま、自分は象の姿形を知っていると思っている。ソクラテスのいう「不知の自覚」とは、まさにこのような状態を指していたのではないでしょうか。 世界は広くて複雑である、それなのに人間はついつい「何でも知っている」と過信しがちです。そのことがいかに愚かなことであるかは、繰り返される争乱や支配者のあやまちを見れば、明らかです」、なるほど。
・『「人間は真実の影を見て生きている」と説いたプラトン  Q:プラトンの哲学の本質はどのようなものですか? 出口:プラトンは80歳まで生きた長命の人で、さまざまに意見が変化していきます。そのこともあって、何をプラトン哲学の本質であるかを考えることは難しいのですが、一般には「イデア論」であると考えられています。 Q:「イデア論」とはどういうものですか? 出口:「現実の世界に存在するものは、イデアの影である。物事の真の姿は、別のところに存在する」とする説です。 物心ついてから大人になるまで、首や手足を固定され、地下の洞窟の壁面に向かって椅子に腰かけている人がいたとします。 彼の後方で、明るい火が燃えさかっています。燃えさかる火の前には一本の道があり、そこをさまざまな動物や人間や馬車が通ると、椅子に固定されている人は、眼前の壁面に映る人間や動物の影を真実の姿と考えてしまいます。仮にその人が自由になって、明るい火に眼を向けたとします。火を見た瞬間は目がくらみますが、まぶしさに慣れてくると、影の本体が見えるようになる。そして、「洞窟の中で自分が見ていたものは、実体の影にすぎなかった。自分は影を実体だと思い込んでいた」ことを理解するようになります。 現実のわれわれも、洞窟の中の人と同様の間違いをしていて、「壁に映る影を真実と見誤っている」とプラトンは説いたのです。 これがプラトンの有名な「洞窟の比喩」と呼ばれるイデアについてのたとえ話です。 洞窟の外にある実在の世界がイデアです。考えれば考えるほど、ややこしくなりますが(笑)、「ものごとには本質がある。それがイデアである。われわれが現世で見ているのは本質の模造品である」とするのがプラトンの考え方です。 プラトンについてもっと勉強したい人には、『プラトン『国家』 逆説のユートピア』(内山勝利著/岩波書店、書物誕生あたらしい古典入門シリーズ)をお薦めします』、「これがプラトンの有名な「洞窟の比喩」と呼ばれるイデアについてのたとえ話です。 洞窟の外にある実在の世界がイデアです。考えれば考えるほど、ややこしくなりますが(笑)、「ものごとには本質がある。それがイデアである。われわれが現世で見ているのは本質の模造品である」とするのがプラトンの考え方です」、なるほど。
・『論理学を体系化したアリストテレス  Q:プラトンの主宰するアカデメイア(プラトンが建てた学園)で才能を開花させたアリストテレスは、どのような哲学を持っていたのですか? 出口:プラトンと比べると、とても実証的です。プラトンのイデアは、観念上の直観です。ロジックで「イデアがある」と論証しているわけではありません。「世界にはイデアがある」ということを前提として、論理を展開しています。「洞窟の比喩」はわかりやすいのですが、なぜイデアがあるのか、その点が論証されていません。「神の世界にイデアがあった」という前提から論理が始まります。 一方のアリストテレスは実証的であり、経験論を大切にしました。 さまざまな経験の中から真実を導き出すために、アリストテレスは経験による結果を分析し、理論化することを重視しました。そのために論理学を体系化しました。 たとえば三段論法があります。「AはBである、BはCである、それゆえCはAである」という論理展開です。もしかするとアリストテレスは、師であるプラトンの直観についていけない自分に悩んでいたのかもしれません。 イデア論がなんとなくピンとこない……そんなところから、自らの方法論として論理学を大切にしていった、とも推察できます。 ソクラテスは人間の内面に思索の糸を伸ばし、プラトンは哲学の問題提起を数多く行いました。それに対してアリストテレスは、政治、文学、倫理学、論理学、博物学、物理学など、あらゆる学問領域を対象とし分類と総括を行なっています。その意味でもまさしく万学の祖でした。 アリストテレスについてもう少し勉強したい人は、『ニコマコス倫理学』(高田三郎訳/岩波文庫、全2冊)や『形而上学』(出隆訳/岩波文庫、全2冊)と『世界の名著8 アリストテレス』(田中美知太郎責任編集、中公バックス)から始めることをお薦めします』、「アリストテレスは、師であるプラトンの直観についていけない自分に悩んでいたのかもしれません。 イデア論がなんとなくピンとこない……そんなところから、自らの方法論として論理学を大切にしていった、とも推察できます。 ソクラテスは人間の内面に思索の糸を伸ばし、プラトンは哲学の問題提起を数多く行いました。それに対してアリストテレスは、政治、文学、倫理学、論理学、博物学、物理学など、あらゆる学問領域を対象とし分類と総括を行なっています。その意味でもまさしく万学の祖でした」、なるほど。
・『【著者からのメッセージ】なぜ、今、「哲学と宗教」を 同時に学ぶ必要があるのか? 現代の知の巨人・出口治明が語る  はじめまして。出口治明です。 今回、『哲学と宗教全史』を出版しました。 僕はいくつかの偶然が重なって、還暦でライフネット生命というベンチャー企業を開業しました。 個人がゼロから立ち上げた独立系生保は戦後初のことでした。 そのときに一番深く考えたのは、そもそも人の生死に関わる生命保険会社を新設するとはどういうことかという根源的な問題でした。 たどり着いた結論は「生命保険料を半分にして、安心して赤ちゃんを産み育てることができる社会を創りたい」というものでした。 そして、生命保険料を半分にするためにはインターネットを使うしかないということになり、世界初のインターネット生保が誕生したのです。 生保に関わる知見や技術的なノウハウなどではなく、人間の生死や種としての存続に関わる哲学的、宗教的な考察がむしろ役に立ったのです。 古希を迎えた僕は、また不思議なことにいくつかの偶然が重なって、日本では初の学長国際公募により推挙されてAPU(立命館アジア太平洋大学)の学長に就任しました。 APUは学生6000名のうち、半数が92の国や地域からきている留学生で、いわば「若者の国連」であり「小さな地球」のような場所です。 もちろん宗教もさまざまです。 APUにいると、世界の多様性を身に沁みて感じます。 生まれ育った社会環境が人の意識を形づくるという意味で、クロード・レヴィ=ストロースの考えたことが本当によくわかります。 僕は人生の節目節目において哲学や宗教に関わる知見にずいぶんと助けられてきた感じがします。 そうであれば、哲学や宗教の大きな流れを理解することは、間違いなくビジネスに役立つと思うのです。 神という概念が生まれたのは、約1万2000年前のドメスティケーションの時代(狩猟・採集社会から定住農耕・牧畜社会への転換)だと考えられています。 それ以来、人間の脳の進化はないようです。 そしてBC1000年前後にはペルシャの地に最古の宗教家ゾロアスターが生まれ、BC624年頃にはギリシャの地に最古の哲学者タレスが生まれました。 それから2500年を超える長い時間の中で数多の宗教家や哲学者が登場しました。 本書では、可能な限りそれらの宗教家や哲学者の肖像を載せるように努めました。 それは彼らの肖像を通して、それぞれの時代環境の中で彼らがどのように思い悩み、どのように生きぬいたかを読者の皆さんに感じ取ってほしいと考えたからに他なりません。 ソクラテスもプラトンもデカルトも、ブッダや孔子も皆さんの隣人なのです。 同じように血の通った人間なのです。 ぜひ彼らの生き様を皆さんのビジネスに活かしてほしいと思います。 本書では世界を丸ごと把握し、苦しんでいる世界中の人々を丸ごと救おうとした偉大な先達たちの思想や事績を、丸ごと皆さんに紹介します。 皆さんが世界を丸ごと理解するときの参考になればこれほど嬉しいことはありません』、「たどり着いた結論は「生命保険料を半分にして、安心して赤ちゃんを産み育てることができる社会を創りたい」というものでした。 そして、生命保険料を半分にするためにはインターネットを使うしかないということになり、世界初のインターネット生保が誕生したのです」、同氏が設立した「インターネット生保」が「世界初」とは初めて知った。「ソクラテスもプラトンもデカルトも、ブッダや孔子も皆さんの隣人なのです。 同じように血の通った人間なのです。 ぜひ彼らの生き様を皆さんのビジネスに活かしてほしいと思います。 本書では世界を丸ごと把握し、苦しんでいる世界中の人々を丸ごと救おうとした偉大な先達たちの思想や事績を、丸ごと皆さんに紹介します』、「本書では世界を丸ごと把握し、苦しんでいる世界中の人々を丸ごと救おうとした偉大な先達たちの思想や事績を、丸ごと皆さんに紹介します」、意欲的な試みだ。

第二に、2019年8月31日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した立命館アジア太平洋大学学長の出口治明氏による「“ヘーゲルの3兄弟”キルケゴール、マルクス、ニーチェは哲学をどう変えたのか?」を紹介しよう。
・『ヘーゲルの弁証法をどのように理解すればいいか  Q:19世紀のヨーロッパでは、ヘーゲルを超えることが哲学者たちの目標だったそうですね。ヘーゲルとは、どのような人物だったのですか? 出口:ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770-1831)は、カントより半世紀ほど後に、ドイツのシュトゥットガルトで生まれた哲学者です。 ヘーゲルは弁証法を駆使して壮大な学問的体系を築きあげ、当時のプロイセンやヨーロッパ全体に影響を及ぼしました。ヘーゲルといえば「弁証法」といわれています。弁証法という哲学用語自体は、すでに古代ギリシャで登場しています。 たとえば、ソクラテスのように、「ある人の主張に対して、質問を投げかけながら問答を続け、その主張に内在する誤りに気づかせる。そうしながら正解に導くこと手法」のことを弁証法と呼びます。 Q:ヘーゲルの弁証法は違うのですか? 出口:ヘーゲル以降の弁証法の基本論理の概略は、こうです。 「すべての有限なるもの、永遠不変でない存在は、その内部に相容れない矛盾を抱えている。この矛盾はテーゼ(正)とアンチテーゼ(反)によって構成される。矛盾は静止したままでは止まらず、対立し運動を起こして、その存在はテーゼとアンチテーゼを綜合した新たな段階の存在となる。この新たな存在をジンテーゼ(正反合)と呼ぶ。そしてこの新たな段階の存在もまた、新しいテーゼ(正)とアンチテーゼ(反)を内包している」 ヘーゲルは弁証法の理論を展開して、その新たな段階に達することを「止揚(しよう)」と呼びました。止揚はドイツ語のアウフヘーベンの和訳です。 Q:テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼ、アウフヘーベン……? どういうことですか? 出口:要するに、矛盾や対立する2つの事柄を二者択一ではなく統合して、高い次元の結論に結びつけて解決しようとする思考法です。次のように考えてみてください。 「ある問題について、Aという人とBという人がいる。2人はあるオフィスの1階で議論していた。どうも議論が嚙み合わない。2人は2階に行って改めて議論した。すると両者は理解し合うことができた。その代わり、新たにCという問題が出現した。そこで2人の論争は継続され、3階に移った。するとCは解決され、より高度なDという問題が出現した。2人は4階に行き……」 ヘーゲルの弁証法はダイナミックでおもしろいのですが、どうしてテーゼとアンチテーゼが一緒になれるのか、もう一つ納得できないという批判があります。しかもアウフヘーベンされて、一段上がって進歩するというのも、わかったようでわからない。議論の次元を変えてしまうのですから、対立が変化するのは当たり前のようにも思えます。 ともかく、このように理論的なあいまいさは残るのですが、ヘーゲルの弁証法は「ものごとは進歩する」という前提に立っています。明日は今日よりよくなるという理論は、素朴に人間の気持ちにフィットします。) キルケゴールが考えた主体的な実存を保障してくれる生き方は、「倫理的実存」です。わかりやすくいえば、たとえばボランティア活動に生きることです。人のために生きることを、いつも大切にすることです。 けれども、このような充実感は、偽善的な行為と紙一重でもあります。人のために生きることも、必ずしも主体的な実存を得ることにはつながりません。 そうなると最終的に人が主体的な実存を得るために、行き着く先は神なのだ、「宗教的実存」なのだ、とキルケゴールは考えました。 盲目的な信仰の対象であった神を一度は否定した後に、人は理性を越えた神の存在を信じ、改めて自らの心を神のもとに投じる。そのことで人は、主体的な実存を得られる。宗教的な実存としての自分になれる、とキルケゴールは結論づけたのです。 キルケゴールの著書『死に至る病』は、「第一部 死に至る病とは絶望のことである」、「第二部 絶望とは罪である」という構成になっています。中公クラシックスから桝田啓三郎による新訳も出ています』、「ヘーゲルといえば「弁証法」といわれています。弁証法という哲学用語自体は、すでに古代ギリシャで登場しています。 たとえば、ソクラテスのように、「ある人の主張に対して、質問を投げかけながら問答を続け、その主張に内在する誤りに気づかせる。そうしながら正解に導くこと手法」のことを弁証法と呼びます。 Q:ヘーゲルの弁証法は違うのですか? 出口:ヘーゲル以降の弁証法の基本論理の概略は、こうです。 「すべての有限なるもの、永遠不変でない存在は、その内部に相容れない矛盾を抱えている。この矛盾はテーゼ(正)とアンチテーゼ(反)によって構成される。矛盾は静止したままでは止まらず、対立し運動を起こして、その存在はテーゼとアンチテーゼを綜合した新たな段階の存在となる。この新たな存在をジンテーゼ(正反合)と呼ぶ。そしてこの新たな段階の存在もまた、新しいテーゼ(正)とアンチテーゼ(反)を内包している」 ヘーゲルは弁証法の理論を展開して、その新たな段階に達することを「止揚(しよう)」と呼びました」、「弁証法」や「止揚」など、うろ覚えだった知識が多少整理された感じがする。
タグ:哲学 (その3)(出口治明氏のシリーズ2題):“知の爆発”が起きた古代ギリシャの哲学者 ソクラテスプラトンアリストテレスが私たちに教えてくれる「真の教養」とは?、“ヘーゲルの3兄弟”キルケゴールマルクス ニーチェは哲学をどう変えたのか?) ダイヤモンド・オンライン 出口治明氏による「“知の爆発”が起きた古代ギリシャの哲学者、ソクラテス、プラトン、アリストテレスが私たちに教えてくれる「真の教養」とは?」 『哲学と宗教全史』 「「不知の自覚」とは、どういうことですか? 出口:わかりやすく述べると、暗闇の中で何人かの人が集まって象を撫(な)でている状態と似ています。 鼻を撫でた人は、細長い生き物だと思い、足を撫でた人は太い柱みたいだと思い、耳を撫でた人は大きな団扇(うちわ)みたいだと思う。誰もが本当の象の姿を知らないまま、自分は象の姿形を知っていると思っている。ソクラテスのいう「不知の自覚」とは、まさにこのような状態を指していたのではないでしょうか。 世界は広くて複雑である、それなのに人間はついつい「何でも知っている」と過信しがちです。そのことがいかに愚かなことであるかは、繰り返される争乱や支配者のあやまちを見れば、明らかです」、なるほど。 「これがプラトンの有名な「洞窟の比喩」と呼ばれるイデアについてのたとえ話です。 洞窟の外にある実在の世界がイデアです。考えれば考えるほど、ややこしくなりますが(笑)、「ものごとには本質がある。それがイデアである。われわれが現世で見ているのは本質の模造品である」とするのがプラトンの考え方です」、なるほど。 「アリストテレスは、師であるプラトンの直観についていけない自分に悩んでいたのかもしれません。 イデア論がなんとなくピンとこない……そんなところから、自らの方法論として論理学を大切にしていった、とも推察できます。 ソクラテスは人間の内面に思索の糸を伸ばし、プラトンは哲学の問題提起を数多く行いました。それに対してアリストテレスは、政治、文学、倫理学、論理学、博物学、物理学など、あらゆる学問領域を対象とし分類と総括を行なっています。その意味でもまさしく万学の祖でした」、なるほど。 「たどり着いた結論は「生命保険料を半分にして、安心して赤ちゃんを産み育てることができる社会を創りたい」というものでした。 そして、生命保険料を半分にするためにはインターネットを使うしかないということになり、世界初のインターネット生保が誕生したのです」、同氏が設立した「インターネット生保」が「世界初」とは初めて知った。「ソクラテスもプラトンもデカルトも、ブッダや孔子も皆さんの隣人なのです。 同じように血の通った人間なのです。 ぜひ彼らの生き様を皆さんのビジネスに活かしてほしいと思います。 本書では世界を丸ごと把握し、苦しんでいる世界中の人々を丸ごと救おうとした偉大な先達たちの思想や事績を、丸ごと皆さんに紹介します』、「本書では世界を丸ごと把握し、苦しんでいる世界中の人々を丸ごと救おうとした偉大な先達たちの思想や事績を、丸ごと皆さんに紹介します」、意欲的な試みだ。 口治明氏による「“ヘーゲルの3兄弟”キルケゴール、マルクス、ニーチェは哲学をどう変えたのか?」 「ヘーゲルといえば「弁証法」といわれています。弁証法という哲学用語自体は、すでに古代ギリシャで登場しています。 たとえば、ソクラテスのように、「ある人の主張に対して、質問を投げかけながら問答を続け、その主張に内在する誤りに気づかせる。そうしながら正解に導くこと手法」のことを弁証法と呼びます。 Q:ヘーゲルの弁証法は違うのですか? 出口:ヘーゲル以降の弁証法の基本論理の概略は、こうです。 「すべての有限なるもの、永遠不変でない存在は、その内部に相容れない矛盾を抱えている。この矛盾はテーゼ(正)とアンチテーゼ(反)によって構成される。矛盾は静止したままでは止まらず、対立し運動を起こして、その存在はテーゼとアンチテーゼを綜合した新たな段階の存在となる。この新たな存在をジンテーゼ(正反合)と呼ぶ。そしてこの新たな段階の存在もまた、新しいテーゼ(正)とアンチテーゼ(反)を内包している」 ヘーゲルは弁証法の理論を展開して、その新たな段階に達することを「止揚(しよう)」と呼びました」、 「弁証法」や「止揚」など、うろ覚えだった知識が多少整理された感じがする。
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随筆(その5)(養老孟司氏が語る“生きづらさの正体” 「バカの壁」から20年「ヒトの壁」が立ちはだかる、養老孟司が語る「じぶんの壁」…いまこそ 子どもと大人に伝えたい「深い話」 絵本『「じぶん」のはなし』) [人生]

随筆については、本年2月24日に取上げた。今日は、(その5)(養老孟司氏が語る“生きづらさの正体” 「バカの壁」から20年「ヒトの壁」が立ちはだかる、養老孟司が語る「じぶんの壁」…いまこそ 子どもと大人に伝えたい「深い話」 絵本『「じぶん」のはなし』)である。

先ずは、先ずは、2021年12月30日付け日刊ゲンダイ「養老孟司氏が語る“生きづらさの正体” 「バカの壁」から20年「ヒトの壁」が立ちはだかる」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/299062
・『社会が狭くなっている。息苦しく、剣呑で、逃げ場もない。そんな閉塞感のなか、コロナ後の生き方を模索するサラリーマンらに対して、解剖学者の養老孟司氏(84)は新著「ヒトの壁」(新潮新書)でこう喝破する。 《今は人間関係ばかり。相手の顔色をうかがいすぎていないか》 ベストセラー「バカの壁」で、話せばわかるなんて大嘘、耳を貸さない相手には通じないという壁の存在を示した。だからこそ、その壁を共通理解して、それを乗り越えようというメッセージでもあった。その刊行から約20年、壁は取り除かれるどころかますます高くなり、ヒトそのものがヒトの障壁となって立ちはだかっているというのである』、「壁は取り除かれるどころかますます高くなり、ヒトそのものがヒトの障壁となって立ちはだかっている」、確かにその通りだ。
・『評価を気にするのをやめる  「やはり世界は狭くなったのでしょう。地球全体に広がったグローバリゼーション、というと聞こえがいいんですけど、地球の広さが分かったというか、抜け道が無くなっちゃった。人によっては、無理して宇宙まで行ったりしてますけれども、たとえ月に住めるようになったとしても、東京の高層ビルとあんまり変わらないだろうって皆、わかっているんじゃないですか。また鬱陶しさが募るだけでしょうし、もう、いくところまでいくしかないかも知れない。ただ、個人のレベルではもうちょっと世界をもう少し広げる、広くすることができるんじゃないかと思う。そのためにも、他人や共同体の評価ばかり気にするのをやめる。そうすると、ヒトじゃないものに目がいくようになりますから、人生にその部分を増やし、それを楽しんでいくといいと思います」(Qは聞き手の質問、Aは養老氏の回答) Q:ネットで欲しい情報がすぐに入り、便利になった一方、SNSは悪口雑言で溢れ、名誉棄損どころか自殺者まで出ています。デジタル社会の反動も実社会に悪影響を与えているように見えます。 A:「ある考え方で社会をつくっていくと、どうしても特定の社会、ルールができてしまう。そうすると、非常に多くのヒトがそこから漏れ、外れてしまう。いまはアタマ、理屈の世の中ですけど、人間、理屈で生きているかというと、そうでもない。そう割り切れるものでもないんです。そこらへんのバランスが徹底的に崩れてしまった。感覚が伴っていないから、色々おかしなことになっている。最も割りを食っているのは、自然に近いものです。そんな社会の影響を受けないで、世の中に新しく入ってきた若い人たちも非常に戸惑うと思います。自分が全面的に持っていたもののほんの一部を突出させ、理性で生きなければならないのですから。感情で動いたら駄目だと。一番、世の中変わったのはその変じゃないですかね」』、「個人のレベルではもうちょっと世界をもう少し広げる、広くすることができるんじゃないかと思う。そのためにも、他人や共同体の評価ばかり気にするのをやめる。そうすると、ヒトじゃないものに目がいくようになりますから、人生にその部分を増やし、それを楽しんでいくといいと思います」、「人間、理屈で生きているかというと、そうでもない。そう割り切れるものでもないんです。そこらへんのバランスが徹底的に崩れてしまった。感覚が伴っていないから、色々おかしなことになっている。最も割りを食っているのは、自然に近いものです。そんな社会の影響を受けないで、世の中に新しく入ってきた若い人たちも非常に戸惑うと思います。自分が全面的に持っていたもののほんの一部を突出させ、理性で生きなければならないのですから。感情で動いたら駄目だと。一番、世の中変わったのはその変じゃないですかね」、「理性で生きなければならないのですから。感情で動いたら駄目だと」、なんとも生き難い世の中になったものだ。
・『社会の役に立たなくてもいい  Q:その結果が、対人偏向の歪な社会だと。 A:「ある種の考え方が煮詰まっちゃって、にっちもさっちもいかない。変なルールを正面にたてるからいけないんで。職場の女性との関わり方も、親切にすれば、セクハラ。厳しくすればパワハラだって。そういうことを言っているから、相手をするだけでも大変になってしまう。素直に接することができなくなってしまうのでしょう」 Q:ウイルスといい、人智を超える自然や世界を制御しようすること自体、たかがヒトという分際をわきまえていない、と。 A:「スマートシティの議論なんか聞くと、よく分かります。交通事故が起こったらどうする、誰が責任持つんだと、予め全部を考えようとする。ああすれば、こうなる。理屈の世界では可能ですけど、それを突き詰め、理性的に予測したからといって、自分たちに都合よく物事をアレンジすることなんてできませんわ。コンピューター、今の情報社会は、実際に生きているというプロセスを無視して、アタマだけでやろうとする。AかBか。いまやっているAIも、ヒトのつくるものですから、ヒトに似てくる。というより、ヒト自体がAI化してますね」 Q:凶悪事件だけでなく、電車のホームでも、いい歳をした人が肩をぶつけて罵ったり、怒ったりする姿がそここにあるのは、そんな社会に限界が来ているのでしょうか。 A:「ヒトが怒る脳科学的なプロセスは、恐れと酷似しているんです。不安で、にっちもさっちもいかなくなっているのは間違いないでしょうね。そうすると、じゃあ、どうするんだと聞いてくる。だから、それが駄目なんだっていうんです。人生は本来、不要不急なんです。社会、共同体からのモノサシでみると、不要不急だと駄目で、役に立たないといけないと思ってしまう。当たり前だけど、そんなことないよと言いたい。また今のヒトは空気を読めというけれど、実はそういうヒトこそ、きちんと考えてなくて、空気で動いているだけだったりする。一部のヒトはこうした方がいいんじゃないの、が、しなきゃ駄目になって、どんどん感情的になっていく。コロナ禍では自粛警察が現れましたね。もともと日本国民には戦時中といい、そういうのがありましたけど、不安で、考えも丸めて、絶対的に自分が正しいと思い込んでしまうのでしょう」』、「「ヒトが怒る脳科学的なプロセスは、恐れと酷似しているんです。不安で、にっちもさっちもいかなくなっているのは間違いないでしょうね。そうすると、じゃあ、どうするんだと聞いてくる。だから、それが駄目なんだっていうんです。人生は本来、不要不急なんです。社会、共同体からのモノサシでみると、不要不急だと駄目で、役に立たないといけないと思ってしまう。当たり前だけど、そんなことないよと言いたい。また今のヒトは空気を読めというけれど、実はそういうヒトこそ、きちんと考えてなくて、空気で動いているだけだったりする。一部のヒトはこうした方がいいんじゃないの、が、しなきゃ駄目になって、どんどん感情的になっていく。コロナ禍では自粛警察が現れましたね。もともと日本国民には戦時中といい、そういうのがありましたけど、不安で、考えも丸めて、絶対的に自分が正しいと思い込んでしまうのでしょう」、「人生は本来、不要不急なんです」、言い得て妙だ。
・『定年まであと3年のところで辞めたワケ  Q:そんな社会にどっぷり漬かるのではなく、自分で楽しみを見つけ、楽しむ。 A:「そうです。好きこそものの上手なれ、と言いますが、論語ではさらに、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず、となる。人生、楽しんで生きているかが大切なんです。日本の社会だと、楽しんでいるというと不真面目だと考えてしまう。そうではなくて、やっていること自体が、楽しいかどうか。そんなこと言ったら、サラリーマンなんか、ほとんど全員、会社辞めちゃうんじゃないかとも思いますが。楽しむことに恐怖心すら感じるかも知れませんね。実際のところ、行きたくて会社行っているサラリーマンがどれだけいるか。いないとすると、むしろそっちのほうがおかしいわけで。まあ、僕も若い頃、東大病院で先輩の顔を見ると皆、機嫌悪いんですよ。ああはなりたくないと思ったものですけど、なってましたね。だから辞めたんです」 Q:そうしたくても、なかなかできません。 A:「定年まで3年というときに教授会で辞めると発表したとき、よく不安になりませんねとの声がありました。僕は言ってやったんです、『あなたいつお亡くなりになりますか。不安じゃないですか』って。同じですよ。先が見える道と見えない道があって、見えない道にはよりリスクがあって当たり前。でも、それが生きるということだし、思わぬ発見が自分に対してあったり、おもしろいでしょう。あのときは空が青くてね。どれだけ自分のものでもないものを背負いこんでいたか知りました。背負い、引き受け、常にやらなきゃならないと思い、長いこと本当に一生懸命でしたから。もういくところまでいっちゃった。会社勤めも、楽しんだりする余裕もないくらい頑張っていたと、ゆくゆく気が付くと思いますよ」』、「先が見える道と見えない道があって、見えない道にはよりリスクがあって当たり前。でも、それが生きるということだし、思わぬ発見が自分に対してあったり、おもしろいでしょう・・・会社勤めも、楽しんだりする余裕もないくらい頑張っていたと、ゆくゆく気が付くと思いますよ」」、自分を振り返っても、現役時代は「楽しんだりする余裕もないくらい頑張っていた」のは確かだ。 

次に、6月19日付け現代ビジネスFRaUが掲載した編集者の横川 浩子氏による「養老孟司が語る「じぶんの壁」…いまこそ、子どもと大人に伝えたい「深い話」 絵本『「じぶん」のはなし』を紹介しよう。
・『人間は、ハエ1匹さえ創りだせない  虫をひたすら見ているだけで、さまざまな気付きがあると養老先生は言います。虫とはつまり、自然のこと。自然はまさにセンスオブワンダー、驚きに満ちた世界です。 「人間は、宇宙にロケットを飛ばせるようになっても、小さなハエ1匹さえ創り出せない」と養老さんは話します。自然の中で身体を使い、様々なことを感じれば、人の力の及ばない自然の偉大さを知り、想像力や他人に対しての優しさにも結び付くのではなかろうか、というわけです。 出前授業や保育園の理事長などで、長年にわたって子どもと関わる機会のあった養老先生は、80代半ばに達したいま、改めて、子どものことが心配になってきたそうです。身体を使って自然とかかわる機会がますます減ってきた子どもたちに、わたしたち大人ができることは何でしょうか? 2022年6月4日の『虫の日』に出版された、養老先生はじめての絵本『「じぶん」のはなし』には、「大人ができること」への気づきが散りばめられています。 絵本のストーリーは、分かりやすくシンプル。山に虫を探しにいく子どもたちのお話です。 ガイドはもちろん、養老先生です。  集合場所で子どもたちに「山にはどんな虫がいるんですか?」と聞かれた先生はこう答えます。 「なにがいるのか、わかっていたら おもしろくないよ。わからないから、いくんです」 どこへ行くにもネットで調べ、その結果を確かめるのが目的になりがちな昨今ですが、自然は答え合わせができません。そして驚きや感動は未知との遭遇から生まれるもの。私たち大人にとっても気付きの多い絵本です』、「どこへ行くにもネットで調べ、その結果を確かめるのが目的になりがちな昨今ですが、自然は答え合わせができません。そして驚きや感動は未知との遭遇から生まれるもの。私たち大人にとっても気付きの多い絵本です」、その通りだ。
・『養老先生が子どもだったとき  絵本には、電子顕微鏡をのぞきこみながらピンセットを動かす先生が描かれています。虫の標本を作っているところでしょうか。その足元には養老家で17年間ともに暮らし、2年前に永眠した愛猫「まる」が……。 まるの姿をできるだけ生前の様子に近づけたいと、絵を担当した横山寛多さんは何度も描き直してこの絵を完成させました。フンコロガシに夢中なのは子ども時代の孟司少年。作品中、2場面だけ登場しています。 この絵を見て養老先生は、自分が子どもだったころのことを話してくれました。 「小学校1年生の時のことです。あるとき家の前の路地に犬のフンが落ちていて、そこに虫が来ていました。しゃがんでそれを見ていると、家から出てきた母親に『何してるの』と訊かれたのです。 仕方がないから『イヌのフン』と答えたら、『フーン』と言って行ってしまいました。 そこから離れて1時間くらい経ったのですが、虫がどうなったか気になったので、また戻ってフンを見ていると、ちょうど母親が帰ってきました。母親は、私がずっとフンを見ていたのだと思い込んだようです。 子どものころから、小さな虫が元気よく動き回っているのを見ると、不思議で仕方がなかったんです。『何をしているのだろう』と思いました。いまでもそう思います。のろのろしている虫でも、ちょっと触ったりすると、だしぬけに元気よく動き出したりします。『えっ』と驚くんですが、そこが面白いんですね。 そうやって虫に関心を持っているうちに、どういう虫がどういう場所にいるのかわかってきます。名前も覚えるようになって、クワガタムシとかカミキリムシとか、グループの名前がわかるようになったんです。横山さんの絵を見ていると、その頃のことがひとりでに想い出されて、懐かしい気がします」』、「子どものころから、小さな虫が元気よく動き回っているのを見ると、不思議で仕方がなかったんです。『何をしているのだろう』と思いました。いまでもそう思います。のろのろしている虫でも、ちょっと触ったりすると、だしぬけに元気よく動き出したりします。『えっ』と驚くんですが、そこが面白いんですね。 そうやって虫に関心を持っているうちに、どういう虫がどういう場所にいるのかわかってきます。名前も覚えるようになって、クワガタムシとかカミキリムシとか、グループの名前がわかるようになったんです。横山さんの絵を見ていると、その頃のことがひとりでに想い出されて、懐かしい気がします」、本当に好奇心旺盛だったようだ。
・『鎌倉ゆかりの著者コンビ  作中の絵には実際に初夏の鎌倉で見られる虫たちが、細かく描きこまれています。風景も鎌倉の山がモデルです。 絵を担当した横山さんも養老先生と同じ鎌倉で生まれ育ち、虫とりが大好きです。また、横山さんは、養老先生が子どもたちと昆虫観察会を行うときに、助手として参加することもあります。親子以上に歳の離れたおふたりですが、山でも絵本でも息の合ったナイスコンビ! 絵本の見返しには、登場する虫や鳥などの名前も紹介していますので、あわせて読んでみてくださいね』、「絵を担当した横山さんも養老先生と同じ鎌倉で生まれ育ち、虫とりが大好きです。また、横山さんは、養老先生が子どもたちと昆虫観察会を行うときに、助手として参加することもあります。親子以上に歳の離れたおふたりですが、山でも絵本でも息の合ったナイスコンビ!」、偶然とはいえ、本当に「ナイスな」「コンビ」が生まれたものだ。
・『自分の頭で考える  さて、絵本で子どもたちと共に山に向かった養老先生。到着すると、ガイド役の先生も虫に夢中です。ときには朝から夜まで虫を見ていることもあると話す先生に、子どもたちからはこんな質問が。 「どうして先生は、そんなに虫が好きなんですか?」 先生は、きっぱりとこう答えました。 「好きなことに、理由は必要ありません。好きなことがあるだけで幸せになります」) お昼のお弁当を食べ終えると、今度は先生がみんなに問いかけます。 「みんなのからだが大きくなるための材料は、なんだと思う?」 うーん、と考えて、自分が食べたものかな? と答えた子どもたちに、そうだねと先生はうなずき、さらに続けました。 ――たんぼも じぶん。はたけも じぶん。 ――やまも じぶん。うみも じぶん。 「じぶん」は何からできているのでしょうか。先生が入れた、1本のメス。ここからみなさんは、どんなことを思い浮かべますか? 自然を感じることは、ぐるっとまわって自分自身を考えること。 絵本のページをめくりながら親子で一緒に「じぶん」を考えたら、本を閉じて、ぜひ外へ! 自然の中で五感を発揮すれば、子どもたちはみずから、生きる力を身につけていくでしょう。大人が子どもにできるのは、答えを与えることではなく、そこに至る機会や環境を用意することだけかもしれません』、我が家では一番小さな孫でも既に小学校6年生、まして重要な役割を果たすべき父親がモーレツ社員で、その役割は余り期待できそうもない。残念ながら、買って送るのは断念せざるを得ないようだ。
タグ:随筆 (その5)(養老孟司氏が語る“生きづらさの正体” 「バカの壁」から20年「ヒトの壁」が立ちはだかる、養老孟司が語る「じぶんの壁」…いまこそ 子どもと大人に伝えたい「深い話」 絵本『「じぶん」のはなし』) 日刊ゲンダイ「養老孟司氏が語る“生きづらさの正体” 「バカの壁」から20年「ヒトの壁」が立ちはだかる」 「ヒトの壁」(新潮新書) 「壁は取り除かれるどころかますます高くなり、ヒトそのものがヒトの障壁となって立ちはだかっている」、確かにその通りだ。 「個人のレベルではもうちょっと世界をもう少し広げる、広くすることができるんじゃないかと思う。そのためにも、他人や共同体の評価ばかり気にするのをやめる。そうすると、ヒトじゃないものに目がいくようになりますから、人生にその部分を増やし、それを楽しんでいくといいと思います」、 「人間、理屈で生きているかというと、そうでもない。そう割り切れるものでもないんです。そこらへんのバランスが徹底的に崩れてしまった。感覚が伴っていないから、色々おかしなことになっている。最も割りを食っているのは、自然に近いものです。そんな社会の影響を受けないで、世の中に新しく入ってきた若い人たちも非常に戸惑うと思います。自分が全面的に持っていたもののほんの一部を突出させ、理性で生きなければならないのですから。感情で動いたら駄目だと。一番、世の中変わったのはその変じゃないですかね」、「理性で生きなければならな いのですから。感情で動いたら駄目だと」、なんとも生き難い世の中になったものだ。 「「ヒトが怒る脳科学的なプロセスは、恐れと酷似しているんです。不安で、にっちもさっちもいかなくなっているのは間違いないでしょうね。そうすると、じゃあ、どうするんだと聞いてくる。だから、それが駄目なんだっていうんです。人生は本来、不要不急なんです。 社会、共同体からのモノサシでみると、不要不急だと駄目で、役に立たないといけないと思ってしまう。当たり前だけど、そんなことないよと言いたい。また今のヒトは空気を読めというけれど、実はそういうヒトこそ、きちんと考えてなくて、空気で動いているだけだったりする。一部のヒトはこうした方がいいんじゃないの、が、しなきゃ駄目になって、どんどん感情的になっていく。 コロナ禍では自粛警察が現れましたね。もともと日本国民には戦時中といい、そういうのがありましたけど、不安で、考えも丸めて、絶対的に自分が正しいと思い込んでしまうのでしょう」、「人生は本来、不要不急なんです」、言い得て妙だ。 「先が見える道と見えない道があって、見えない道にはよりリスクがあって当たり前。でも、それが生きるということだし、思わぬ発見が自分に対してあったり、おもしろいでしょう・・・会社勤めも、楽しんだりする余裕もないくらい頑張っていたと、ゆくゆく気が付くと思いますよ」」、自分を振り返っても、現役時代は「楽しんだりする余裕もないくらい頑張っていた」のは確かだ。 現代ビジネスFRaU 横川 浩子氏による「養老孟司が語る「じぶんの壁」…いまこそ、子どもと大人に伝えたい「深い話」 絵本『「じぶん」のはなし』 「どこへ行くにもネットで調べ、その結果を確かめるのが目的になりがちな昨今ですが、自然は答え合わせができません。そして驚きや感動は未知との遭遇から生まれるもの。私たち大人にとっても気付きの多い絵本です」、その通りだ。 「子どものころから、小さな虫が元気よく動き回っているのを見ると、不思議で仕方がなかったんです。『何をしているのだろう』と思いました。いまでもそう思います。のろのろしている虫でも、ちょっと触ったりすると、だしぬけに元気よく動き出したりします。『えっ』と驚くんですが、そこが面白いんですね。 そうやって虫に関心を持っているうちに、どういう虫がどういう場所にいるのかわかってきます。名前も覚えるようになって、クワガタムシとかカミキリムシとか、グループの名前がわかるようになったんです。横山さんの絵を見ていると、その頃のことがひとりでに想い出されて、懐かしい気がします」、本当に好奇心旺盛だったようだ。 「絵を担当した横山さんも養老先生と同じ鎌倉で生まれ育ち、虫とりが大好きです。また、横山さんは、養老先生が子どもたちと昆虫観察会を行うときに、助手として参加することもあります。親子以上に歳の離れたおふたりですが、山でも絵本でも息の合ったナイスコンビ!」、偶然とはいえ、本当に「ナイスな」「コンビ」が生まれたものだ。 我が家では一番小さな孫でも既に小学校6年生、まして重要な役割を果たすべき父親がモーレツ社員で、その役割は余り期待できそうもない。残念ながら、買って送るのは断念せざるを得ないようだ。
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終末期(その8)(3800人看取ったホスピス医が説く「生きるヒント」 「人生は自分をわかってくれる人を探す旅だ」、『バカの壁』から20年…ここにきて 養老孟司が「現代人は死ぬことが理解できなくなった」と断言するワケ、72歳「余命3カ月」を部活仲間に託した彼の最期 血縁に頼れない時代、誰に看取られるのがいいか 、「タイでは葬式で泣いている人がいないんです」…《死を怖れないラクな死に方》とは 出家した直木賞作家・笹倉明さんの考え、「死の間際」で人はどんな話をしたいのか? それは「いつも通りの会話」かもしれない [人生]

終末期については、昨年5月1日に取上げた。今日は、(その8)(3800人看取ったホスピス医が説く「生きるヒント」 「人生は自分をわかってくれる人を探す旅だ」、『バカの壁』から20年…ここにきて 養老孟司が「現代人は死ぬことが理解できなくなった」と断言するワケ、72歳「余命3カ月」を部活仲間に託した彼の最期 血縁に頼れない時代、誰に看取られるのがいいか 、「タイでは葬式で泣いている人がいないんです」…《死を怖れないラクな死に方》とは 出家した直木賞作家・笹倉明さんの考え、「死の間際」で人はどんな話をしたいのか? それは「いつも通りの会話」かもしれない…コラムニスト・小田嶋隆さんとの別れの際に思想家・内田樹さんが感じたこと)である。

先ずは、昨年5月9日付け東洋経済オンラインが掲載した医師の小澤 竹俊氏による「3800人看取ったホスピス医が説く「生きるヒント」 「人生は自分をわかってくれる人を探す旅だ」」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/585077
・『仕事も友人や家族との人間関係もうまくいかない、つらいことがあり苦しいという人ほど「自分をわかってくれる誰か」の存在が救いになるとホスピス医の小澤竹俊さんは言います。 どんな状況でも前向きに自分らしく生きるためのヒントを、小澤さんの著書『あなたの強さは、あなたの弱さから生まれる』より一部抜粋、再編集してご紹介します』、『あなたの強さは、あなたの弱さから生まれる』とは興味深そうだ。
・『人は「自分をわかってくれる」誰かが必要  苦しみや痛みを抱え、弱い状態にある人はみな、「自分の気持ちをわかってくれている」と思える誰かを求めています。 もちろん、相手が100%、自分の気持ちをわかってくれているかどうかは、誰にもわかりません。 ただ、「誰かにわかってもらえた」と感じることで、多くの人は苦しみの中でも穏やかさを取り戻し、前向きに生きるきっかけをつかむことができます。 以前、実家の家族とも、妻や子どもともうまくいかず、仕事もなかなか長続きせず、古いアパートで1人で年金を頼りに暮らし、70歳をすぎてから末期がんと診断された患者さんと関わったことがあります。 最初に訪問に伺ったとき、その患者さんは「自分の人生を早く終わらせたい」「早く楽になれる薬はないのか」など、一方的にご自分の苦しみを訴えるばかりでした。 そのような人に、「そんなことを言わないでください」「あなたの気持ちはとてもよくわかります」「生きていればいいことがあります」といった言葉はまったく響きません。 それどころか「健康なお前に、俺の気持ちがわかるか」「他人事だと思って、適当なことを言うな」と、心を閉ざされてしまうでしょう。) その患者さんに対して私たちがしたことは、ただひたすら、丁寧に話を聴くことでした。 故郷のこと、曲がったことや人から指図されることが嫌いなご自身の性格のこと、病気の苦しみ……。 話をしているうちに、おそらく患者さんは、私たちのことを「自分の気持ちをわかってくれている」と感じてくださったのでしょう。 表情が徐々に穏やかになり、「苦労の多い人生ではあったけれど、自分を曲げてまで生きるよりはよかった」と口にされるようになりました』、「「誰かにわかってもらえた」と感じることで、多くの人は苦しみの中でも穏やかさを取り戻し、前向きに生きるきっかけをつかむことができます」、なるほど。カトリックで死ぬ前に、神父に告白するのもこの一環だろう。
・『ありのままの自分でいられる方法  自分の気持ちをわかってくれていると思える誰かの存在は、ありのままの自分でいられる強さを与えてくれます。 これまでに私たちが関わった患者さんの中には、体にたくさんの管をつけながら、本当に動けなくなるギリギリの瞬間まで仕事をしていた方もいらっしゃいました。 末期のがんになり、ご自身も大変な中で老々介護をし、夫を見送った後で亡くなられた方もいらっしゃいました。 「そんな体で仕事をするのはやめなさい」「夫の介護は施設に任せなさい」という人もいるかもしれませんが、私たちには、その患者さんたちにとって、仕事をすること、夫の介護をすることこそが、ありのままの自分でいられることであり、病気の苦しみの中で生きる支えになっていると、私たちには感じられました。 私たちは、仕事に、介護にいのちを燃やすお2人を静かに見守り、ときには丁寧に話を聴きました。 やがて、その患者さんたちは、満足しきった穏やかな表情でこの世を旅立たれました。 人それぞれ、大事にしたいことも、望む「ありのまま」の形も異なります。 世間でいいとされていること、大事にするべきだとされていることが、必ずしもその人にとっていいわけではなく、大事なものであるともかぎりません。 そして、親でもパートナーでも友人でも、あるいはペットや先に亡くなった誰かでも、自分の気持ちをわかってくれていると思える存在がいるとき、私たちは安心して、ありのままでいることができます。 私たちが自分らしくいられるのは、誰かがわかってくれるからなのです。 ですから、多くの人は、大変な時間と労力、エネルギーを割いて、自分をわかってくれる人を探そうとします。) もし、あなたが自分を理解してくれる人と共に生きることができているのなら、それは本当に幸せなことです。 人は「自分の時間を大切な人、大切なことのために使うことができた」と感じたとき、自分の生きる意味を見いだしやすくなり、後悔の少ない人生を送ることができるからです』、「自分の気持ちをわかってくれていると思える存在がいるとき、私たちは安心して、ありのままでいることができます。 私たちが自分らしくいられるのは、誰かがわかってくれるからなのです・・・人は「自分の時間を大切な人、大切なことのために使うことができた」と感じたとき、自分の生きる意味を見いだしやすくなり、後悔の少ない人生を送ることができるからです」、なるほど。
・『「誰か」を自ら探しに行ってみる  しかし、人はみな、基本的には自分のことで精いっぱいです。 あなたが、どれほど深刻な悩みを抱え、どれほど苦しみ、「誰かに自分の気持ちをわかってもらいたい」「誰かに話を聴いてもらいたい」と思っても、なかなかそんな相手には巡り会えないかもしれません。 そのような場合は、自分の気持ちをわかってくれると思える誰かをただ待つだけでなく、自ら探しに行ってみるのはどうでしょうか。 まず自分が相手の話を聴いてみるのです。 一見、遠回りのように見えても、それがわかってもらえる誰かに出会う、そして本当の意味で幸せになるための近道だと、私は思っています。 『新約聖書』(新共同訳、日本聖書協会)の「ルカによる福音書6章38節」には、「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる」と書かれています。 自分の何かをほかの人に与える人は、実はいろいろなことを与えられるのです。 苦しみをわかってほしいあなたが、まず、苦しんでいる誰かの話を聴く。 すると、その誰かの心が穏やかになり、今度はあなたの話を聴いてくれる。 苦しみを抱える者同士が信頼関係で結ばれ、そのように助け合い、支え合って生きていくことで、幸せの輪はどんどん広がっていくはずです。 方法はもうひとつあります。「自分の気持ちをわかってくれる人が誰もいない」と感じている人は、ぜひ一度、丁寧に過去を振り返り、良かったこと、楽しかったことを思い出してみてください。 誰かといて心の安らぎを感じたことはありませんでしたか? 誰かの言葉に「この人は自分の気持ちをわかってくれた」と喜びを感じたりしたことはありませんでしたか? その相手はもう連絡が取れない人、この世にいない人かもしれません。 でも、「もしあの人が近くにいたら、自分にどんな言葉をかけてくれるだろう」「もしあの人が生きていたら、自分の気持ちをわかってくれるかもしれない」「頑張っている自分に、『それで良い』と言ってくれるかもしれない」と思うことができたら、それだけで十分に救いになり、今の苦しみが和らぐのではないでしょうか』、「そのような場合は、自分の気持ちをわかってくれると思える誰かをただ待つだけでなく、自ら探しに行ってみるのはどうでしょうか。 まず自分が相手の話を聴いてみるのです。 一見、遠回りのように見えても、それがわかってもらえる誰かに出会う、そして本当の意味で幸せになるための近道だと、私は思っています」、「方法はもうひとつあります。「自分の気持ちをわかってくれる人が誰もいない」と感じている人は、ぜひ一度、丁寧に過去を振り返り、良かったこと、楽しかったことを思い出してみてください。 誰かといて心の安らぎを感じたことはありませんでしたか? 誰かの言葉に「この人は自分の気持ちをわかってくれた」と喜びを感じたりしたことはありませんでしたか? その相手はもう連絡が取れない人、この世にいない人かもしれません。 でも、「もしあの人が近くにいたら、自分にどんな言葉をかけてくれるだろう」「もしあの人が生きていたら、自分の気持ちをわかってくれるかもしれない」「頑張っている自分に、『それで良い』と言ってくれるかもしれない」と思うことができたら、それだけで十分に救いになり、今の苦しみが和らぐのではないでしょうか」、なるほど。

次に、本年3月31日付け現代ビジネスが掲載した養老 孟司氏による「『バカの壁』から20年…ここにきて、養老孟司が「現代人は死ぬことが理解できなくなった」と断言するワケ」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/107629?imp=0
・『ものがわかるとは、理解するとはどのような状態のことを指すのでしょうか。 この度『ものがわかるということ』を上梓した養老孟司氏は、子どもの頃から「考えること」について意識的で、一つのことについてずっと考える癖があったことで、次第に物事を考え理解する力を身につけてきたそうです。 『バカの壁』の大ヒットから20年。そんな養老先生が自然や解剖の世界に触れ学んだこと、ものの見方や考え方について、脳と心の関係、意識の捉え方についての「頭の中身」を明かします。 ここにきて、養老孟司が「やっても頭が良くならない学習法」を断言…「これでは壊れたロボットです」という納得のワケ』、興味深そうだ。 
・『人間自体が情報になった  「自分に適した仕事」「自分探し」と言うような人は、どこかで西洋的な「私」を取り入れているのでしょう。自分は自分で変わらない。だからその自分に合った仕事がある。変わらない自分を発見することが大切だ。そう思い込んでいるのです。 1910年代に、フランツ・カフカという小説家が『変身』という変な小説を書きました。主人公のグレゴール・ザムザは、普通の勤め人です。いまのサラリーマンと思えばいいでしょう。そのザムザが朝起きてみると、自分が等身大の大きな虫に変わっている。 そのとき、ザムザ本人はどう思っているか。相変わらず自分はグレゴール・ザムザだと思っています。何がそう主張するんでしょうか。意識です。虫になっても、「私は私である」という意識は変わらない。不思議なことです。 朝目が覚めると、ああ、俺は俺だ、と思う。今日は昨日の続きである。それは意識が戻ったということです。意識は寝るととりあえず消えますが、朝になると戻る。その都度私たちは、私は私だと確認する。もちろんそこの確認自体はほとんど無意識になされます。意識は勝手になくなって、勝手に戻ってくるんです。 カフカはちゃんとわかっていました。当時の社会の常識を延長していけば、自分の身体が虫になったって、意識は私は私だと主張するだろう、と。いまはカフカの言う通りになりました。それが私たちの現代社会、情報化社会です。 なぜ情報化社会と言うんでしょうか。ほとんどの人はこう考えます。コンピュータが普及して、テレビやパソコンのない家はなくなって、誰でもスマホやケータイを持っていて、毎日おびただしい情報が流れるからと。 私は情報化社会という言葉を、違った意味で使います。人間自体が情報になったのです。情報化したのは人間です。「同じ私」とは、変わらない私です。変わらない私とは、情報としての私です』、「朝目が覚めると、ああ、俺は俺だ、と思う。今日は昨日の続きである。それは意識が戻ったということです。意識は寝るととりあえず消えますが、朝になると戻る。その都度私たちは、私は私だと確認する。もちろんそこの確認自体はほとんど無意識になされます」、「私は情報化社会という言葉を、違った意味で使います。人間自体が情報になったのです。情報化したのは人間です。「同じ私」とは、変わらない私です。変わらない私とは、情報としての私です」、なるほど。
・『死ぬことを理解できない日本人  情報化社会では、情報と人間がひっくり返しに錯覚されるようになりました。自分は名前つまり情報ですから、いつも「同じ」です。 自分が情報になり、変わらなくなると、死ぬことがおかしなことに感じられます。死ぬとは、自分が変わるということです。同じ私、変わらない私があるなら、死ぬのはたしかに変です。だから現代人は死ぬことが理解できなくなりました。 仏教で生老病死のことを「四苦」と言います。四苦は、人の一生が変化の連続だということを示しています。それがすべて「変なこと」になってしまいました。それと同時に、教育が何をすることなのか、わからなくなってしまった。変わらない自分が素晴らしいとなるのだから、当然です。 人が変わらなくなった社会で、一番苦労するのは子どもです。なぜか。子どもとは一番速やかに変化する人たちだからです。育つ、つまり変わっていくこと自体が、言ってみれば、子どもの目的みたいなものです。 ところが情報化社会になると、情報はカチンカチンに固まって止まっていて、子どもまで固めてしまう。その延長で、個性を伸ばせとか、自分を探せとか言われてしま う。そんな自分なんてあるわけありません。だって探している当の自分がどんどん変 わっていくんですから。 じゃあ、個性って何なのか。個性を伸ばす教育とはどういうことでしょう。) 誰だって、あなたを他人と間違えません。そそっかしい人なら別ですが。どうして間違えないかというと、顔が違う、立ち居振る舞いが違う、つまり身体が違うからです。 どのくらい身体が違うかというと、たとえばあなたの皮膚を取って、親に移植したと思ってください。つきません。逆に親の皮膚をもらって、自分につけてもらっても、やっぱりつきません。移植した皮膚は間もなく死んで、落ちてしまいます。 誰も教えたわけではないのに、身体は自分と他人を、たとえ親であっても、区別しています。それが個性です。そこまではっきり区別するもの、親子ですら通じ合えないもの、それこそが個性です。 だから個性とは、実は身体そのものです。でも普通は、個性とは心だと思われています。ここに大きな誤解があります』、「自分は名前つまり情報ですから、いつも「同じ」です。 自分が情報になり、変わらなくなると、死ぬことがおかしなことに感じられます。死ぬとは、自分が変わるということです。同じ私、変わらない私があるなら、死ぬのはたしかに変です。だから現代人は死ぬことが理解できなくなりました」、「教育が何をすることなのか、わからなくなってしまった。変わらない自分が素晴らしいとなるのだから、当然です。 人が変わらなくなった社会で、一番苦労するのは子どもです。なぜか。子どもとは一番速やかに変化する人たちだからです。育つ、つまり変わっていくこと自体が、言ってみれば、子どもの目的みたいなものです。 ところが情報化社会になると、情報はカチンカチンに固まって止まっていて、子どもまで固めてしまう」、「身体は自分と他人を、たとえ親であっても、区別しています。それが個性です。そこまではっきり区別するもの、親子ですら通じ合えないもの、それこそが個性です。 だから個性とは、実は身体そのものです。でも普通は、個性とは心だと思われています。ここに大きな誤解があります」、なるほど。

第三に、5月5日付け東洋経済オンラインが掲載した看取りの医者の平野 国美氏による「72歳「余命3カ月」を部活仲間に託した彼の最期 血縁に頼れない時代、誰に看取られるのがいいか 」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/669651
・『「治さない医者」を自認する訪問診療専門の医師・平野国美氏は、これまで2700人の最期を看取るなかで、「後悔なく」生きる秘訣は、「正しいわがまま」にこそあると会得した。どこでどのような最期を迎えたいのか、その意思表示をしておくことは、自分も周囲も幸せにするわがままだ。さらには、「誰と最後の時間を過ごすのか」も、大事なポイントとして、考えることをすすめる。著書『70歳からの正しいわがまま』から、一部抜粋してお届けする』、興味深そうだ。
・『最後の瞬間に「誰と」いたいか考えてみる  自宅をはじめとした好きな場所で最期を迎えることが、患者当人にとってはもっとも幸せらしいという確信のもと、私は常々「自宅で死のうよ」と言ってきた。 もちろん、患者の周囲の状況が、それを成せるかどうかがカギになるから、その準備をすること、自分も、看取る側も覚悟を決めておくことは必要になる。 どこで死ぬか同じように「誰に看取られるか」も、もはや自分で決めていいのではないかと、私は思っている。 既存の社会的な関係性や保守的なしがらみを超えて、「本当にこの人といたい」「最期はこの人に寄り添ってほしい」と思える、その誰かを選ぶわがままも、どこで死にたいのかと同様の、正しいわがままだと思うのだ。 末期がんの告知を受けた72歳の男性がいた。 結婚はしておらず、子どももいない。 「今日、病院で自分の病気の説明があるから、ついてきてくれないか」 天涯孤独の身の彼が、そうやって声をかけたのは、親類でも、内縁関係にある者でもない。男性が付き添いを依頼したのは、高校時代のヨット部の仲間たちだったのだ。 海洋冒険家・堀江謙一さんの『太平洋ひとりぼっち』に感銘を受けた世代。茨城県の、当時の高校生たちにとっても、霞ヶ浦から太平洋に漕ぎ出すことは、1つのステータスだったに違いない。) そんな、眩しい青春の時間をともに過ごした仲間たちに、男性はある意味、とても無茶な頼み事をしたのだ。 そのとき、医師から告げられたのは、主に2点だった。 本人が末期のがんであること。そして、もはや病院で施す治療は何もなく、「この先は自宅か施設で過ごしていただくことになる」ということだった。 しばしの沈黙が流れた。 やがて、自分自身の運命を受け入れた男性は、不意にすぐ隣で押し黙ったままでいた後輩の手を握って、頭を下げた。「よろしく頼むよ」と』、「末期がんの告知を受けた72歳の男性がいた。 結婚はしておらず、子どももいない。 「今日、病院で自分の病気の説明があるから、ついてきてくれないか」 天涯孤独の身の彼が、そうやって声をかけたのは、親類でも、内縁関係にある者でもない。男性が付き添いを依頼したのは、高校時代のヨット部の仲間たちだったのだ」、「高校時代のヨット部」の活動がよほど濃密だったのだろう。
・『ヨット部仲間たちと「青春再来」を味わい尽くす  いくら、10代の多感な時代、ともに汗を流した仲間からの頼みとはいえ、親兄弟でもない人の世話なんて……。 ごく普通の感覚の持ち主なら、そう思うかもしれないが、驚いたことに、彼らは違った。なんと、末期がんの男性の介護を、仲間全員で引き受けるという一大プロジェクトを敢行するのだ。 手を握られた後輩は苦笑いを浮かべつつ、正直にこう告白した。 「あの瞬間は、『な、なんで俺?』と思いましたよ。親の介護すら、経験したこともなかったですから」 それでも、彼らは、男性のために走り回った。 すぐに入居できる施設を探し回り、あっという間に彼の〝終の住処〟を見つけてきた。会計を担当する者、必要な物資をそろえる者、ただ、毎晩のように施設に通ってきては、寄り添い続ける者……。仲間たちは役割を分担し、それぞれができることを精一杯やりながら、男性の最後の時間を支えた。 仲間のなかには女性の姿もあった。聞けば、国体のセーリング競技で優勝経験もあるという猛者だった。 そんな女性がかいがいしく彼のことを介護する姿を目の当たりにして、私は勝手に思い込んでいた。2人は過去に男女の関係があったのではないかと。ある日、その疑問を彼女にぶつけると、彼女は笑ってこう返した。) 「ない、ない、あるわけないでしょ。そんな、ややこしい過去があったら、いまこうしてパンツ下ろしたり、おむつ替えたりなんてできんわ」 そんなものかと思う半面、過去に何もなかった男性の、下の世話なんてできるものだろうか、と思ったりもした』、「彼らは、男性のために走り回った。 すぐに入居できる施設を探し回り、あっという間に彼の〝終の住処〟を見つけてきた。会計を担当する者、必要な物資をそろえる者、ただ、毎晩のように施設に通ってきては、寄り添い続ける者……。仲間たちは役割を分担し、それぞれができることを精一杯やりながら、男性の最後の時間を支えた。 仲間のなかには女性の姿もあった。聞けば、国体のセーリング競技で優勝経験もあるという猛者だった」、「2人は過去に男女の関係があったのではないかと。ある日、その疑問を彼女にぶつけると、彼女は笑ってこう返した。 「ない、ない、あるわけないでしょ。そんな、ややこしい過去があったら、いまこうしてパンツ下ろしたり、おむつ替えたりなんてできんわ」 そんなものかと思う半面、過去に何もなかった男性の、下の世話なんてできるものだろうか、と思ったりもした」、なるほど。
・『血縁に頼れない時代  彼らを見ていると、これからは血縁に頼れない時代なのだと、つくづく思い知らされた。 核家族化が進み、誰にも高齢独居の可能性がある現在、死期の迫った患者の介護をしている人というのは、配偶者や子どもばかりではない。 先にいくつもの例を紹介してきた内縁関係にある人が介護を担うケースはお伝えしたとおりだが、親類でもない者や、子や親族には決して歓迎されてはいない者……。 こんなことを書くと、保守的な人たちから集中砲火を浴びそうだが、私は当事者同士に強い絆があるのならば、そんな内縁関係の誰かが、生い先短い患者の面倒を見ることは、大いに結構なことだと考えている。 不倫も内縁も大歓迎。部活仲間が看取るというケースは多くはないが、部活仲間たちに見送られるなんて、人生の最終末を、青春時代の思い出とともに結ぶようで、実にすがすがしいものに感じる。 死に場所を自由に選びたいと考えること、それと同じように、その瞬間を、誰に寄り添ってもらいたいのかも、もっと旅立つ人の意思が尊重されていい。 件の男性は、がん告知から3カ月を経たある夜、仲間たちに囲まれながら、静かに息を引き取った。 私は死亡診断書を書きながら思った。彼に対して、私たち医療者が果たした役割は、じつに微々たるものだった、と。彼の最期を、わずかでも幸せな時間にしてくれたそのすべては、彼の仲間たちがもたらしたものだった。 死後、彼の遺骨は、仲間たちの手で霞ヶ浦に散骨された。 そこは、高校時代に皆でヨットを浮かべた入江。 半世紀を経て、部活でともに汗を流した水辺は「別れの場所」になり、かつての仲間は葬儀の参列者となったのだ』、「人生の最終末を、青春時代の思い出とともに結ぶようで、実にすがすがしいものに感じる・・・件の男性は、がん告知から3カ月を経たある夜、仲間たちに囲まれながら、静かに息を引き取った・・・彼の遺骨は、仲間たちの手で霞ヶ浦に散骨された」、うらやましい限りだ。私は、病院は東京警察病院に行っているが、「看取り」を依頼できるようなホームドクターも作っておくべきだと思った。

第四に、7月21日付け現代ビジネス「「タイでは葬式で泣いている人がいないんです」…《死を怖れないラクな死に方》とは 出家した直木賞作家」を紹介しよう。
・『笹倉明さんの考え:「できるかな」「なかなか難しいな」そうやって、いろいろなことに挑戦して、人は成長する。そして人生の最後に挑む壁が「死」だ。亡くなったあの人たちは、どんな思いでそれを乗り越えたのか。 1つめの記事『「裕次郎のようには達観できないんだよ、俺は」…【死】に先人たちはどう向き合い、寄り添ったのか 石原慎太郎と裕次郎兄弟のケース』より続く』、興味深そうだ。
・『「楽な死に方」「苦しい死に方」はあるのか?  「だが、あがけばあがくほど、死の苦しみは増すのではないか?」多くの人は、そう不安になるだろう。在宅医療で多くの患者を看取ってきた中村伸一医師が語る。 「末期の苦しみは、亡くなる病気にもよります。例えば、がんの場合は麻薬で痛みをコントロールできるので、それほど苦しまないことが多い。 胃がん・大腸がん・膵臓がんが肝臓に転移するとアンモニアが体内で作られ肝性脳症といって頭がボーっとします。そうなると、それほど麻薬を使わなくても楽に亡くなる方もいます。一方で、慢性の肺疾患や心不全は、苦しまれる方も多いですね」 自宅で亡くなる場合も、余計な延命治療をしないので、比較的穏やかな最期を迎えやすいという。 「在宅医療では高度なことができません。でも逆に余計なことをしないというメリットもあります。 一般の医療は足し算です。酸素を投与する、脱水なら水を入れる、痛みには痛み止めを使うという医療です。しかし、低酸素や脱水になると、ボーっとした意識になり、痛みも感じないままに逝けるのです。 それを無理に酸素投与や点滴をすると、意識がシャンとして、痛みを感じるので麻薬を増やすことになる」(中村医師) 終末期はあまり余計な医療行為をほどこさないほうが、穏やかに過ごせるのだ。 そのあたりのことは、主治医とよく話しあって、どういう最期を迎えたいのか『エンディングノート』に書いておくことです。家族が『延命してほしい』と口を出すことがありますが、私なら患者と書面の約束があれば、そちらを優先します。 私は患者さんが元気なうちに、『判断能力がなくなったら、できるだけ長く生きることを優先順位のトップにしますか。それとも苦しまないこと、あるいは自分の尊厳を優先しますか』と尋ねるようにしています」』、「「在宅医療では高度なことができません。でも逆に余計なことをしないというメリットもあります。 一般の医療は足し算です。酸素を投与する、脱水なら水を入れる、痛みには痛み止めを使うという医療です。しかし、低酸素や脱水になると、ボーっとした意識になり、痛みも感じないままに逝けるのです。 それを無理に酸素投与や点滴をすると、意識がシャンとして、痛みを感じるので麻薬を増やすことになる」(中村医師) 終末期はあまり余計な医療行為をほどこさないほうが、穏やかに過ごせるのだ」、なるほど。
・『死の瞬間はそれほど苦しくないのではないか  直木賞作家で、'16年にタイのチェンマイの寺院で出家した笹倉明さんは、死に対する恐れが徐々に薄れてきたという。 「タイでは葬式で泣いている人がいないんです。死は悲しむべきものではなくて、むしろ現世の苦しみから解放されて、来世に行くというのがタイ人の考え方です。無論、死は喜ぶべきものではありませんが、悲しみ恐れるべきものでもなく、万人に訪れる宿命なのです。 私も、おそらく死ぬ瞬間はそれほど苦しくないのではないか、と思っています。どんな死に方であろうと、死が迫ったときの人間は、非常に安らかな状態になるのではないでしょうか。実際、私も、眠るように息を引き取る人たちばかりを見てきました」 いずれは誰もが通る道だ。ジタバタしようが達観しようが、自分なりの向き合い方をすれば、それでいい。 3つめの記事『「死の間際」で人はどんな話をしたいのか? それは「いつも通りの会話」かもしれない…コラムニスト・小田嶋隆さんとの別れの際に思想家・内田樹さんが感じたこと』につづく』、「「タイでは葬式で泣いている人がいないんです。死は悲しむべきものではなくて、むしろ現世の苦しみから解放されて、来世に行くというのがタイ人の考え方です。無論、死は喜ぶべきものではありませんが、悲しみ恐れるべきものでもなく、万人に訪れる宿命なのです。 私も、おそらく死ぬ瞬間はそれほど苦しくないのではないか、と思っています。どんな死に方であろうと、死が迫ったときの人間は、非常に安らかな状態になるのではないでしょうか。実際、私も、眠るように息を引き取る人たちばかりを見てきました」、なるほど。

第五に、7月21日付け現代ビジネス「「死の間際」で人はどんな話をしたいのか? それは「いつも通りの会話」かもしれない…コラムニスト・小田嶋隆さんとの別れの際に思想家・内田樹さんが感じたこと」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/113380?imp=0
・『「できるかな」「なかなか難しいな」そうやって、いろいろなことに挑戦して、人は成長する。そして人生の最後に挑む壁が「死」だ。亡くなったあの人たちは、どんな思いでそれを乗り越えたのか。 2つめの記事『「タイでは葬式で泣いている人がいないんです」…《死を怖れないラクな死に方》とは 出家した直木賞作家・笹倉明さんの考え』より続く』、興味深そうだ。
・『死の間際に考えること  思想家の内田樹さんは、コラムニストの小田嶋隆さん(享年65)が亡くなる11日前に、小田嶋さんの家を訪ねた。 「ちょうどいまから1年ほど前のことです。小田嶋さんから電話があって、『そろそろですから……』という感じでしたので、友人の平川君(文筆家で実業家の平川克美さん)と連絡を取り合い、ご自宅にうかがいました。 亡くなった後に『小田嶋さんから電話があった』という話はいろいろな方から聞きました。ベッドから最後のあいさつをされたのです。なんと細やかな気の使い方だろうと思いました。奥さんに伺ったら、声も出せないほど苦しい状態のときもあったのだけれど、薬が効いていて話ができる体調になると電話に手を伸ばし、最後のあいさつをしていたそうです」 死を間際に、小田嶋さんがいちばんに考えたことは、友人たちにきちんと別れのあいさつをするということだった。小田嶋さんには親友でクリエイティブ・ディレクターの岡康道さんが急逝したときに、別れのあいさつができなかったことをずっと悔いていたので、自分の友人たちにはそんな思いをさせまいと、限りある体力をふりしぼって電話をしたのである』、「死を間際に、小田嶋さんがいちばんに考えたことは、友人たちにきちんと別れのあいさつをするということだった。小田嶋さんには親友でクリエイティブ・ディレクターの岡康道さんが急逝したときに、別れのあいさつができなかったことをずっと悔いていたので、自分の友人たちにはそんな思いをさせまいと、限りある体力をふりしぼって電話をした」、大したものだ。
・『満足できる「最後の話」  「僕たちが見舞いに行ったときは、ベッドに横臥して、点滴を打ちながら、息も絶え絶えという様子でしたが、それでも、かすれる声で『今いちばんしたいことはバカ話なんです』といわれました。 『それじゃあ』と、平川君と奥さんを交えて4人でしゃべっているうちに、面白いもので、小田嶋さんの顔色がどんどんよくなってきたんです。最初のうちは痰を吐きながら、かろうじてかすれる声でしゃべっていたのが、どんどん滑舌がよくなって、そのうちに上半身を起こして、熱く文学について語りはじめました」 「バカ話」といいながら、最後に熱弁をふるったのは、橋本治の文学史的な重要性についてだった。そんな話ができて小田嶋さんは満足そうだったという。 「そういう場では、どうしても深刻になりがちです。でも彼は『最後に言い残すことはありますか?』なんて訊かれたくないわけです。これまで会っていたときと同じように、笑いながら、普通のおしゃべりがしたかったのでしょう。小田嶋さんのその気持ちがよくわかります」』、「最初のうちは痰を吐きながら、かろうじてかすれる声でしゃべっていたのが、どんどん滑舌がよくなって、そのうちに上半身を起こして、熱く文学について語りはじめました」 「バカ話」といいながら、最後に熱弁をふるったのは、橋本治の文学史的な重要性についてだった。そんな話ができて小田嶋さんは満足そうだったという」、なるほど。
・『あふれ出る感謝の念  内田さんが小田嶋さんに会ったのは亡くなる10日ほど前だったが、息を引き取る直前に、人はどんな言葉を発するのだろうか。 前出の中村伸一医師が語る。 「最後は意識もあいまいになって、言葉も不明瞭になるケースがほとんどです。しかし、稀に感謝の気持ちをはっきりと口にする人もいます。 おとなしいけれど、芯が強かった男性がいました。小さな会社で定年を2度も延長して勤め続け、最後はボランティアをしていたのですが、亡くなる直前は衰弱して飲み込む力も弱くなっていました。奥さんが、なにがほしいかと訊いたところ、『味噌汁がええな。あの一杯でどれだけ救われたことか』と言ったそうです。 無口な人で会社の愚痴を家でこぼす人ではなかったけれども、現役時代には我慢することもあったでしょう。いろいろな思いを胸に秘めて奥さんの味噌汁をすすっていたことがよくわかります」 他にも、頑固で家族も訪問診療で訪れる医師も手こずらせた男性が、妻に「いままでおおきに。家で死ねていい人生やった。お前も先生に看取られてここで死ねよ」と言い残したこともあった。 「私にとっても最高の褒め言葉で、最後にこんなことを言われるのなら、もっと優しくしておけばよかったと思いました」(中村医師) 最後の最後まで、意識が明確でいられる保証はない。ましてや、思った通りに話をするのは難しいだろう。伝えたいことがあるのなら、早めに素直な気持ちを口にしておきたい。 4つめの記事『「いままで、ありがとうな」…アントニオ猪木さんの弟が、腕も上げられない兄の最期を看取ることができて「本当に良かった」と語る理由』につづく』、「最後の最後まで、意識が明確でいられる保証はない。ましてや、思った通りに話をするのは難しいだろう。伝えたいことがあるのなら、早めに素直な気持ちを口にしておきたい」、その通りだ。
タグ:(その8)(3800人看取ったホスピス医が説く「生きるヒント」 「人生は自分をわかってくれる人を探す旅だ」、『バカの壁』から20年…ここにきて 養老孟司が「現代人は死ぬことが理解できなくなった」と断言するワケ、72歳「余命3カ月」を部活仲間に託した彼の最期 血縁に頼れない時代、誰に看取られるのがいいか 、「タイでは葬式で泣いている人がいないんです」…《死を怖れないラクな死に方》とは 出家した直木賞作家・笹倉明さんの考え、「死の間際」で人はどんな話をしたいのか? それは「いつも通りの会話」かもしれない 終末期 東洋経済オンライン 小澤 竹俊氏による「3800人看取ったホスピス医が説く「生きるヒント」 「人生は自分をわかってくれる人を探す旅だ」」 小澤さんの著書『あなたの強さは、あなたの弱さから生まれる』 「「誰かにわかってもらえた」と感じることで、多くの人は苦しみの中でも穏やかさを取り戻し、前向きに生きるきっかけをつかむことができます」、なるほど。カトリックで死ぬ前に、神父に告白するのもこの一環だろう。 「自分の気持ちをわかってくれていると思える存在がいるとき、私たちは安心して、ありのままでいることができます。 私たちが自分らしくいられるのは、誰かがわかってくれるからなのです・・・人は「自分の時間を大切な人、大切なことのために使うことができた」と感じたとき、自分の生きる意味を見いだしやすくなり、後悔の少ない人生を送ることができるからです」、なるほど。 「そのような場合は、自分の気持ちをわかってくれると思える誰かをただ待つだけでなく、自ら探しに行ってみるのはどうでしょうか。 まず自分が相手の話を聴いてみるのです。 一見、遠回りのように見えても、それがわかってもらえる誰かに出会う、そして本当の意味で幸せになるための近道だと、私は思っています」、 「方法はもうひとつあります。「自分の気持ちをわかってくれる人が誰もいない」と感じている人は、ぜひ一度、丁寧に過去を振り返り、良かったこと、楽しかったことを思い出してみてください。 誰かといて心の安らぎを感じたことはありませんでしたか? 誰かの言葉に「この人は自分の気持ちをわかってくれた」と喜びを感じたりしたことはありませんでしたか? その相手はもう連絡が取れない人、この世にいない人かもしれません。 でも、「もしあの人が近くにいたら、自分にどんな言葉をかけてくれるだろう」「もしあの人が生きていたら、自分の気持ちをわかってくれるかもしれない」「頑張っている自分に、『それで良い』と言ってくれるかもしれない」と思うことができたら、それだけで十分に救いになり、今の苦しみが和らぐのではないでしょうか」、なるほど。 現代ビジネス 養老 孟司氏による「『バカの壁』から20年…ここにきて、養老孟司が「現代人は死ぬことが理解できなくなった」と断言するワケ」 「朝目が覚めると、ああ、俺は俺だ、と思う。今日は昨日の続きである。それは意識が戻ったということです。意識は寝るととりあえず消えますが、朝になると戻る。その都度私たちは、私は私だと確認する。もちろんそこの確認自体はほとんど無意識になされます」、 「私は情報化社会という言葉を、違った意味で使います。人間自体が情報になったのです。情報化したのは人間です。「同じ私」とは、変わらない私です。変わらない私とは、情報としての私です」、なるほど。 「自分は名前つまり情報ですから、いつも「同じ」です。 自分が情報になり、変わらなくなると、死ぬことがおかしなことに感じられます。死ぬとは、自分が変わるということです。同じ私、変わらない私があるなら、死ぬのはたしかに変です。だから現代人は死ぬことが理解できなくなりました」、「教育が何をすることなのか、わからなくなってしまった。変わらない自分が素晴らしいとなるのだから、当然です。 人が変わらなくなった社会で、一番苦労するのは子どもです。なぜか。子どもとは一番速やかに変化する人たちだからです。育つ、つまり変わっていくこと自体が、言ってみれば、子どもの目的みたいなものです。 ところが情報化社会になると、情報はカチンカチンに固まって止まっていて、子どもまで固めてしまう」、「身体は自分と他人を、たとえ親であっても、区別しています。それが個性です。そこまではっきり区別するもの、親子ですら通じ合えないもの、それこそが個性です。 だから個性とは、実は身体そのものです。でも普通は、個性とは心だと思 われています。ここに大きな誤解があります」、なるほど。 平野 国美氏による「72歳「余命3カ月」を部活仲間に託した彼の最期 血縁に頼れない時代、誰に看取られるのがいいか 」 著書『70歳からの正しいわがまま』 「末期がんの告知を受けた72歳の男性がいた。 結婚はしておらず、子どももいない。 「今日、病院で自分の病気の説明があるから、ついてきてくれないか」 天涯孤独の身の彼が、そうやって声をかけたのは、親類でも、内縁関係にある者でもない。男性が付き添いを依頼したのは、高校時代のヨット部の仲間たちだったのだ」、「高校時代のヨット部」の活動がよほど濃密だったのだろう。 「彼らは、男性のために走り回った。 すぐに入居できる施設を探し回り、あっという間に彼の〝終の住処〟を見つけてきた。会計を担当する者、必要な物資をそろえる者、ただ、毎晩のように施設に通ってきては、寄り添い続ける者……。仲間たちは役割を分担し、それぞれができることを精一杯やりながら、男性の最後の時間を支えた。 仲間のなかには女性の姿もあった。聞けば、国体のセーリング競技で優勝経験もあるという猛者だった」、 「2人は過去に男女の関係があったのではないかと。ある日、その疑問を彼女にぶつけると、彼女は笑ってこう返した。 「ない、ない、あるわけないでしょ。そんな、ややこしい過去があったら、いまこうしてパンツ下ろしたり、おむつ替えたりなんてできんわ」 そんなものかと思う半面、過去に何もなかった男性の、下の世話なんてできるものだろうか、と思ったりもした」、なるほど。 「人生の最終末を、青春時代の思い出とともに結ぶようで、実にすがすがしいものに感じる・・・件の男性は、がん告知から3カ月を経たある夜、仲間たちに囲まれながら、静かに息を引き取った・・・彼の遺骨は、仲間たちの手で霞ヶ浦に散骨された」、うらやましい限りだ。私は、病院は東京警察病院に行っているが、「看取り」を依頼できるようなホームドクターも作っておくべきだと思った。 現代ビジネス「「タイでは葬式で泣いている人がいないんです」…《死を怖れないラクな死に方》とは 出家した直木賞作家」 「「在宅医療では高度なことができません。でも逆に余計なことをしないというメリットもあります。 一般の医療は足し算です。酸素を投与する、脱水なら水を入れる、痛みには痛み止めを使うという医療です。しかし、低酸素や脱水になると、ボーっとした意識になり、痛みも感じないままに逝けるのです。 それを無理に酸素投与や点滴をすると、意識がシャンとして、痛みを感じるので麻薬を増やすことになる」(中村医師) 終末期はあまり余計な医療行為をほどこさないほうが、穏やかに過ごせるのだ」、なるほど。 「「タイでは葬式で泣いている人がいないんです。死は悲しむべきものではなくて、むしろ現世の苦しみから解放されて、来世に行くというのがタイ人の考え方です。無論、死は喜ぶべきものではありませんが、悲しみ恐れるべきものでもなく、万人に訪れる宿命なのです。 私も、おそらく死ぬ瞬間はそれほど苦しくないのではないか、と思っています。どんな死に方であろうと、死が迫ったときの人間は、非常に安らかな状態になるのではないでしょうか。実際、私も、眠るように息を引き取る人たちばかりを見てきました」、なるほど。 現代ビジネス「「死の間際」で人はどんな話をしたいのか? それは「いつも通りの会話」かもしれない…コラムニスト・小田嶋隆さんとの別れの際に思想家・内田樹さんが感じたこと」 「死を間際に、小田嶋さんがいちばんに考えたことは、友人たちにきちんと別れのあいさつをするということだった。小田嶋さんには親友でクリエイティブ・ディレクターの岡康道さんが急逝したときに、別れのあいさつができなかったことをずっと悔いていたので、自分の友人たちにはそんな思いをさせまいと、限りある体力をふりしぼって電話をした」、大したものだ。 「最初のうちは痰を吐きながら、かろうじてかすれる声でしゃべっていたのが、どんどん滑舌がよくなって、そのうちに上半身を起こして、熱く文学について語りはじめました」 「バカ話」といいながら、最後に熱弁をふるったのは、橋本治の文学史的な重要性についてだった。そんな話ができて小田嶋さんは満足そうだったという」、なるほど。 「最後の最後まで、意識が明確でいられる保証はない。ましてや、思った通りに話をするのは難しいだろう。伝えたいことがあるのなら、早めに素直な気持ちを口にしておきたい」、その通りだ。
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親子関係(その1)(米国人驚愕「子が親の介護する日本」深刻な盲点 「家の時代」から「個人の時代」へシフト、医学部9浪の31歳娘が58歳母をバラバラ死体にするまで…話題本の著者が迫った事件の本質、「子供部屋おじさん」が合理的なのかは 実は深い問いだ) [人生]

今日は、親子関係(その1)(米国人驚愕「子が親の介護する日本」深刻な盲点 「家の時代」から「個人の時代」へシフト、医学部9浪の31歳娘が58歳母をバラバラ死体にするまで…話題本の著者が迫った事件の本質、「子供部屋おじさん」が合理的なのかは 実は深い問いだ)を取上げよう。

先ずは、2021年3月25日付け東洋経済オンラインが掲載した財務省出身で、ニューヨーク州弁護士・信州大学特任准教授の山口 真由氏による「米国人驚愕「子が親の介護する日本」深刻な盲点 「家の時代」から「個人の時代」へシフト」を紹介しよう。
・『東京大学を卒業後、財務省を経て、現在はニューヨーク州弁護士、信州大学特任准教授の山口真由氏は、アメリカ留学で家族法を学び、家族に関するさまざまな疑問にぶつかります。山口氏の新著『「ふつうの家族」にさようなら』を基に、今回はアメリカと日本の家族観の違いについて解説します。 前回:何でも入手できる米国「精子バンク」の驚く値段』、興味深そうだ。
・『日本では聞いたことがない訴訟  「あら、どうして?子どもが年老いた親の面倒をみるっていう義務が、そんなにはっきり法律に書いてあるの?」 ハーバード・ロースクールの家族法の授業で、教壇のエリザベス・バーソレッテ教授が、片方の眉をつり上げる。授業中に英語で質問をされると、心臓が縮む。それでも今日の私は、ここで引き下がるわけにはいかない。なんせ、日本を背負って手をあげたのだから。 発端は授業で習った判例だった。年老いた母は、老人ホームで人生の最期を迎える。母の死後、その老人ホームは介護にかかった費用を精算しようとした。だが、毎年、老女のために使われるはずの財産は息子が使ってしまっている。 そこで、彼女の残りの財産を相続した息子に、ホームは残額を請求した。ところが、息子は自分には支払義務がないとして裁判所で争ったのだ。 アメリカと日本の家族観の違いを感じるのは、こういう瞬間である。すかさず私は手をあげる。 「日本では、こんな訴訟は聞いたことがありません」 勢いにまかせて、私は話し出す。バーソレッテ教授は驚いたように私に尋ねる。 「あら、どうして? 子どもが年老いた親の面倒をみるっていう義務が、そんなにはっきり法律に書いてあるの?」 今度は私が驚く番だ。親子の間で、まず法律上の義務を持ち出すなんて!) 「確かに、子どもは親を扶養する義務が民法に定められていると思います。でも、そんなに細かくきっちりとした定めではありません。これって、法律上の義務というよりは道義的な義務ではないでしょうか。 確かに、親子関係はさまざまです。親の面倒をみろとすべての子どもに押しつけることはできないかもしれない。ただ、日本では、一般的には、自分を育ててくれた親が年老いて介護を必要とすれば、子どもが面倒をみることになります」 バーソレッテ教授は、目を見開いたまま黙り込んでしまう。しばしの沈黙の後、彼女は再び口を開く。 「日本と比べると、アメリカは年寄りに冷たい国だわ。私もね、年寄りの部類に入るようになって心からそう思うのよ。大統領候補者はこぞって若作りをする。健康不安を心配するよりも批判の対象にする。 子どもたちは、年老いた両親を養うことはしない。老後に備えて、私たちは自分でお金を貯めておかないといけないの。この若い国は、この国を必死に支えて、そして、老いていった人たちをいたわろうとはしてこなかったわ」 ここにおそらく、アメリカの「家族」と日本の「家」の決定的な違いがある』、「バーソレッテ教授は」、「日本と比べると、アメリカは年寄りに冷たい国だわ。私もね、年寄りの部類に入るようになって心からそう思うのよ・・・子どもたちは、年老いた両親を養うことはしない。老後に備えて、私たちは自分でお金を貯めておかないといけないの。この若い国は、この国を必死に支えて、そして、老いていった人たちをいたわろうとはしてこなかったわ」、その通りだ。
・『日本の「家」は会社だった  「江戸時代までの日本の『家』っていうのはね、これは、会社なのよ」 日本に戻った私は、東京大学の博士課程で家族法の勉強を継続した。そのときに、家族法の大家である教授が、日本の「家」の本質をそう端的に表現した。江戸時代の武家制度のなかで確立した日本の「家」というのは、家の財産をバラバラにせずに、次の世代に、その次の世代に、脈々と伝えていくための装置なのだという。 江戸時代の家は、武士であれ町人であれ、「家業」を持っていた。浅草の老舗のお煎餅屋さんを想像してほしい。祖父の代から頑固一徹で守ってきた秘伝のたれをしみこませながら、煎餅を焼く。この技法が評判になり、今ではかなり遠くからも煎餅を買い求める人が引きも切らない。 だが、足腰も弱りはじめた三代目は隠居することを考えていた。子どもは長男、次男、そして、長女がいて、全員がお店で働いている。のれんという信用、そして、煎餅づくりのノウハウという無形資産があってこそ、お煎餅屋さんは価値を持つ。 だから、お店の土地とか建物とか、はたまた煎餅を焼く機器なんかの有形資産をバラバラにして、子どもたちに受け継がせても意味がないのだ。) 長女は、家業につながりのある家にお嫁に行くだろう。次男には、後々、のれん分けをしてあげるかもしれない。ここは、とりあえず長男にお店を丸ごと継いでもらうことにしよう。 こうやって、浅草の老舗のお煎餅屋さんは、世代に1人と跡継ぎを定めて、祖父から父へ、そして、父から息子の代へと事業を丸ごと受け継がせる。日本の「家」というのは、もともとそういうものだったらしい。そう考えるとこれは家族経営の中小企業とおんなじだ。 家族法の大家である教授は、私たちにこう諭す。 「江戸時代まで、日本には『相続』なんて考え方はなかったのよ。『相続』というのはね、個人を単位に財産を管理する方法なの。個人が亡くなると財産の帰属主体が消滅する。それで、その時点の財産をすべてお金に換算して、それを相続人に平等に分配しましょうという考え方でしょう」 「じゃあ、江戸時代の日本では、おじいさんが亡くなったら財産をどうやって分けるんですか?」 「分けたりしないのよ。江戸時代までの日本の相続は、今でいう会社の『事業承継』と同じ。財産の帰属主体は個人じゃないの。家なのよ。だから、社長を交代するように家長を交代して、世代を超えて家の財産を引き継いでいく。 個人が亡くなるたびに、財産の帰属主体が消滅して、財産を清算してっていう考え方はとっていなかったの。個人が亡くなってもなお、家は連綿と残っていくものなのよ」 アメリカの「家族」は点である。子どもが成人すれば、親の家族とは別個の個人となり、やがて新しい家族を作っていく。 もちろん、点在する家族と家族の間には精神的な交流がある。クリスマスには、子どもが孫たちを連れて、懐かしい両親の家に帰るだろう。ただし、親の家族と子どもの家族ははっきりと区切られている。両者は経済的には完全に独立した主体なのだ』、「江戸時代の武家制度のなかで確立した日本の「家」というのは、家の財産をバラバラにせずに、次の世代に、その次の世代に、脈々と伝えていくための装置なのだという。 江戸時代の家は、武士であれ町人であれ、「家業」を持っていた・・・長女は、家業につながりのある家にお嫁に行くだろう。次男には、後々、のれん分けをしてあげるかもしれない。ここは、とりあえず長男にお店を丸ごと継いでもらうことにしよう。 こうやって、浅草の老舗のお煎餅屋さんは、世代に1人と跡継ぎを定めて、祖父から父へ、そして、父から息子の代へと事業を丸ごと受け継がせる。日本の「家」というのは、もともとそういうものだったらしい。そう考えるとこれは家族経営の中小企業とおんなじだ」、「江戸時代までの日本の相続は、今でいう会社の『事業承継』と同じ。財産の帰属主体は個人じゃないの。家なのよ。だから、社長を交代するように家長を交代して、世代を超えて家の財産を引き継いでいく。 個人が亡くなるたびに、財産の帰属主体が消滅して、財産を清算してっていう考え方はとっていなかったの。個人が亡くなってもなお、家は連綿と残っていくものなのよ」 アメリカの「家族」は点である。子どもが成人すれば、親の家族とは別個の個人となり、やがて新しい家族を作っていく」、「「江戸時代までの日本の相続は・・・財産の帰属主体は個人じゃないの。家なのよ。だから、社長を交代するように家長を交代して、世代を超えて家の財産を引き継いでいく」、その通りだ。
・『一方、日本の「家」は線である。隠居した親の面倒は子どもがみる。その子も将来は、自分の息子やそのお嫁さんに面倒をみてもらう。家業を、親から子ども、そして、孫へと引き継いでいくその裏で、家業を営むことで得られるあがりで、年老いた親、出戻りの娘、引きこもった息子、家の構成員全員を養っていく。 家は、世代を超え、核家族の境界を超えて、一族を縦に結びつける。そしてこの家は、精神的な結びつきのみならず、経済的な基盤でもあるのだ。 今、日本では、もともとの「家」の価値観と西欧由来の「個人」の価値観が交錯する過渡期にある。相続というのは「個人」の側の概念である。日本には、もともと財産が個人に帰属するという考え方はなかった。そういう考えが輸入されたことで、相続という制度ができあがった』、「アメリカの「家族」は点である。子どもが成人すれば、親の家族とは別個の個人となり、やがて新しい家族を作っていく」、「日本の「家」は線である。隠居した親の面倒は子どもがみる。その子も将来は、自分の息子やそのお嫁さんに面倒をみてもらう。家業を、親から子ども、そして、孫へと引き継いでいくその裏で、家業を営むことで得られるあがりで、年老いた親、出戻りの娘、引きこもった息子、家の構成員全員を養っていく。 家は、世代を超え、核家族の境界を超えて、一族を縦に結びつける。そしてこの家は、精神的な結びつきのみならず、経済的な基盤でもあるのだ」、極めてクリアだ。「今、日本では、もともとの「家」の価値観と西欧由来の「個人」の価値観が交錯する過渡期にある。相続というのは「個人」の側の概念である。日本には、もともと財産が個人に帰属するという考え方はなかった。そういう考えが輸入されたことで、相続という制度ができあがった」、なるほど。
・『社会に色濃く残る「家」という感覚  だが、こういう相続争いの法廷で、私は「家」という感覚が、社会に色濃く残っていることに気づく。例えば、長男次男という序列が慣習として存在する。長男は、幼い頃から「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と呼ばれてなにかと優遇される。家業を継ぐとすれば、まずは長男が第一候補者だ。 それと引き換えに、年老いた両親は長男が自分の家に引き取って介護をするものだという価値観、これが今でも地方ではそれなりに強く残る。 考えてみれば、日本で社会問題となりつつある親の介護も、「家」という制度の遺物なのかもしれない。 年老いた親が介護を必要とするならば、すでに家を出ていたとしても、まずは子どもが担い手となるべきだ。そういう感覚が日本にはある。老人ホームに入所させる費用を親の貯金で賄うことができなければ、それは子どもが負担するべきだと考える人も多いだろう。 財産が個人にではなく家にあると考える。すると、この価値観はとても自然だ。子どもの財布から親の介護を賄っているように見えて、その実、家の財産から隠居した先代の生活費を出しているにほかならないのだから。そして、同じ制度が続くならば、自分の介護についても子どもに面倒をみてもらえるという期待が生じる。) 要するに、同じお財布を共有している人の単位が異なるということだ。日本の場合には、別々の家族を営んでいるようで、親も子どもも、いつまでも緩やかに同じお財布を共有している。 一方のアメリカは、子どもが独り立ちした時点で独立採算制になる。もちろん、親の遺産を相続することもあるだろうが、アメリカ人の多くが遺言を残すとされ、日本の遺留分に当たる制度はない。個人の人生の後始末は個人の意思によるのが原則なのだ。 そういう全体像の下で、ロー・スクールの教授は、「子どもが年老いた親の面倒をみるっていう義務が、そんなにはっきり法律に書いてあるの?」と私に問うた。そして、法学部の教授は、「江戸時代までの日本の『家』っていうのはね、これは、会社なのよ」と指摘したのだ』、「日本の場合には、別々の家族を営んでいるようで、親も子どもも、いつまでも緩やかに同じお財布を共有している。 一方のアメリカは、子どもが独り立ちした時点で独立採算制になる。もちろん、親の遺産を相続することもあるだろうが、アメリカ人の多くが遺言を残すとされ、日本の遺留分に当たる制度はない。個人の人生の後始末は個人の意思によるのが原則なのだ」、なるほど。
・『「個人の時代」へ踏み出そうとしている日本社会  そう考えると、アメリカのロー・スクールでの授業風景が異なったものに見えてくる。日本の子どもたちに思いやりがあって、アメリカの子どもたちは年老いた親に冷淡だという、そういう国民性みたいな話ではない。これは、アメリカの「家族」と日本の「家」の決定的な違いなのだ。 アメリカの家族は点々と社会に散りばめられている。一方、日本の家は世代を超えて連綿とつながる線を描く。だが、問題はここでは終わらない。私たちの社会は、今、「家の時代」からアメリカのような「個人の時代」へと足を踏み出そうとしている。 夫婦別姓の問題も、森喜朗氏の発言に端を発した「女性という属性ではなく個人を評価しましょう」という動きも、私たちを「家」の世界観から「個人」へと押し出そうとする。 「個人の自律」というと聞こえはよい。だが、介護の問題、パラサイトチルドレン、8050問題――そこに頼って生きてきた人々が「家」から押し出されたとき、社会が彼らに居場所を用意できるのかが真の問題だろう』、「アメリカの家族は点々と社会に散りばめられている。一方、日本の家は世代を超えて連綿とつながる線を描く。だが、問題はここでは終わらない。私たちの社会は、今、「家の時代」からアメリカのような「個人の時代」へと足を踏み出そうとしている。 夫婦別姓の問題も、森喜朗氏の発言に端を発した「女性という属性ではなく個人を評価しましょう」という動きも、私たちを「家」の世界観から「個人」へと押し出そうとする。 「個人の自律」というと聞こえはよい。だが、介護の問題、パラサイトチルドレン、8050問題――そこに頼って生きてきた人々が「家」から押し出されたとき、社会が彼らに居場所を用意できるのかが真の問題だろう」、「私たちの社会は、今、「家の時代」からアメリカのような「個人の時代」へと足を踏み出そうとしている・・・「個人の自律」というと聞こえはよい。だが・・・「家」に頼って生きてきた人々が「家」から押し出されたとき、社会が彼らに居場所を用意できるのかが真の問題だろう」、さて、どうなるのだろうか。

次に、本年5月30日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したコラムニストの河崎 環氏による「医学部9浪の31歳娘が58歳母をバラバラ死体にするまで…話題本の著者が迫った事件の本質」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/323361
・『5年前に滋賀県で、医学部受験に失敗した31歳の女が母親をメッタ刺しにして殺害したという事件を覚えている方もいるかもしれない。この事件について書いたノンフィクション『母という呪縛 娘という牢獄』が、いまヒット中だ。しかしこの本は、おどろおどろしい猟奇物でも、のぞき見根性の本でもない。淡々とした筆致で、鮮やかに濃密な親娘関係に迫る。読み始めたら引き込まれ、一気に最後まで読んでしまった。こんなに読む者の胸を打つ本を書いたのはどんなベテラン作家かと思ったら驚いた。インタビューに現れたのは、20代の女性だったのだ』、大ヒットの「ノンフィクション『母という呪縛 娘という牢獄』」の作家が「20代の女性」とは私も驚かされた。
・『捜査線上に浮かび上がったひとり娘  ストレートなノンフィクション書籍にヒット作の出づらい現代、昨年12月の発売以来4カ月で7刷5.5万部という、注目すべきスマッシュヒットを飛ばしている作品がある。著者はいわゆるZ世代、刊行当時27歳の齊藤彩(敬称略)。共同通信社の司法記者を経て、初の著書となる『母という呪縛 娘という牢獄』(講談社)を上梓した途端、SNSを中心に大きな反響が起こった。 2018年3月、滋賀県守山市、琵琶湖の南側へ流れ入る野洲川の南流河川敷で、両手・両足・頭部のない、女性の人体の体幹部が発見された。遺体は激しく腐敗して変色、悪臭を放ち、無数のトンビが群がる異常な光景を、通りかかった住民が目に留めたのである。 滋賀県警守山署が身元の特定に当たったが、遺体の損傷が激しく、捜査は難航した。やがて遺体の身元は行方不明となっていた高崎妙子さん※(仮名・死亡時58)と判明。捜査線上に浮かび上がったのは、そのひとり娘である高崎あかり※(仮名・31)だった。 ※正しくは、「高」の字ははしご高、以下すべて同じ』、事件の背景を詳しく知りたいものだ。
・『「モンスターを倒した。これで一安心だ」  妙子さんは20年以上前から夫と別居し、あかりと二人暮らし。あかりは幼少期から学業優秀で中高一貫の進学校に通っており、20代中盤まで母娘で一緒にお風呂に入るほどの濃密な母娘関係を築いていた。 だがその間、実はあかりは常人の理解を超える執拗な干渉、暴言や拘束など、いわゆる“教育虐待”を母から長年受け続けていたのだ。 超難関の国立大医学部への進学を強要されて医学部を9浪の末、母からの妥協案として医大の看護学科へ進学する。しかし母は、看護師よりさらに専門知識を要する助産師にさせようとあかりに助産師学校の受験を求めており、看護学科を卒業して手術室看護師になりたいとの希望を持っていたあかり自身は助産師学校の試験に失敗。それに気づいた母から激しい叱責を受けていた。 あかりは、周到に用意した凶器で母親を刺殺した直後、「高揚感のようなものから」誰に見せるでも聞かせるでもなく、 「モンスターを倒した。これで一安心だ」 とのツイートを残していたのである』、「妙子さんは20年以上前から夫と別居し、あかりと二人暮らし。あかりは幼少期から学業優秀で中高一貫の進学校に通っており、20代中盤まで母娘で一緒にお風呂に入るほどの濃密な母娘関係を築いていた。 だがその間、実はあかりは常人の理解を超える執拗な干渉、暴言や拘束など、いわゆる“教育虐待”を母から長年受け続けていたのだ。 超難関の国立大医学部への進学を強要されて医学部を9浪の末、母からの妥協案として医大の看護学科へ進学する。しかし母は、看護師よりさらに専門知識を要する助産師にさせようとあかりに助産師学校の受験を求めており、看護学科を卒業して手術室看護師になりたいとの希望を持っていたあかり自身は助産師学校の試験に失敗。それに気づいた母から激しい叱責を受けていた」、「あかりは、周到に用意した凶器で母親を刺殺した直後・・・「モンスターを倒した。これで一安心だ」とのツイート」、“教育虐待”がよほど強かったのだろう。
・『母を殺した娘と筆者との膨大な往復書簡  守山署はあかりを死体遺棄容疑で逮捕後、死体損壊、さらに殺人容疑で逮捕・起訴に踏み切った。一審の大津地裁では死体損壊と遺棄については認めるも、あくまで殺人を否認していたあかりだが、二審の大阪高裁に陳述書を提出し、一転して自らの犯行を認める。 「母は私を心底憎んでいた。私も母をずっと憎んでいた。『お前みたいな奴、死ねば良いのに』と罵倒されては、『私はお前が死んだ後の人生を生きる』と心の中で呻いていた」「何より、誰も狂った母をどうもできなかった。いずれ、私か母のどちらかが死ななければ終わらなかったと現在でも確信している」(2020年11月5日、あかりの控訴審初公判における本人陳述書より) 著者の齊藤は、あかりが逮捕・起訴された当時、共同通信社大阪支社で社会部の司法記者として働いていた。「大阪高裁の刑事の担当だったので、そのルーティンワークの一環でちょっと公判をのぞいてみるか、程度の気持ちで行ったんです。ところが被告が、一審と変わって控訴審の初公判で認否をひっくり返すということが起きた。認否を変えるという行為が珍しくて、この事件の内容を深く知ろうと思いました。最初にこの法廷に行ったときは、この事件がこんなに親子の確執をはらんでいるとは知りませんでした」。齊藤は静かに振り返る。) 一審では「母は私の目の前で、突然首に包丁を当てて自殺を図りました」「遺体は私がバラバラにして、現場に捨てました」とのつじつまの合わない主張で否認し続けた殺人を、控訴審で突然認めた。あかりはなぜ認否をひっくり返したのだろう。齊藤は、あかりが控訴審結審に際して発表した文書の一節、「母の呪縛から逃れたい」という部分に強く引きつけられたという。 「調べていくと、母親から医学部への進学を強制されて、本人はその期待に応えることができなくて、苦しい思いをしていたということが分かってきた。私にとってもそれは決して他人事とは思えず、興味深いテーマだと思って引き込まれました」 公判の取材を続ける中、齊藤は拘置所のあかりと面会を重ね、あかりの刑務所移送後も膨大な往復書簡を交わした。共同通信のウェブメディアに掲載された、齊藤の書いた事件深掘り記事は大反響を呼び、書籍化へとつながる。そこに書かれたのは、娘・あかりから見た約30年分の家族の真実だった』、「被告が、一審と変わって控訴審の初公判で認否をひっくり返すということが起きた。認否を変えるという行為が珍しくて、この事件の内容を深く知ろうと思いました」、「公判の取材を続ける中、齊藤は拘置所のあかりと面会を重ね、あかりの刑務所移送後も膨大な往復書簡を交わした。共同通信のウェブメディアに掲載された、齊藤の書いた事件深掘り記事は大反響を呼び、書籍化へとつながる」、なるほど。
・『「同じ思いを持つ人が多いのかも」SNSの大きな反響  本書の序盤、齊藤による忘れられない表現が登場する。「(医師になりたいという)娘の憧れに母親が憑依し、母娘で引き返せない道を歩み始めることになってしまった」。毒親や毒母、教育虐待というキーワードがインターネット社会をにぎわす昨今だが、著者の齊藤は、あかりが置かれた状況や抱いた感情に分かりやすいレッテルを貼って誰かを断罪することで事件を片付けようとはしない。 「自分はこの高崎親子ほどではないんですけど、妙子さんに自分の母親の片鱗を見たような気もしていて。そういう意味で思い入れは強い事件でしたね。共同通信時代に、ネットニュースとして記事を出させてもらっていたんですけど、なんかあまりにも反響が大きかったんですよね。なので、これは私と高崎さんだけの問題ではないのかもしれない、と」 もしかして同じ思いを持つ人が多いのかもしれない、と直感した齊藤の本書がこれまでの事件本と決定的に異なるのは、事件を社会学的な文脈で語ることもなく、「分析」も「評価」もしないところだ。母や娘、周囲の人々の何がどういけなかったのかと、精神分析医や社会学者の分析を引用して「正解」を知ったような気分になり、ホッとふたを閉めて他人事として片付けてしまいそうなところを、齊藤は母娘や関係者の言葉を分析しようとはしない。一貫して生のままの言葉をつづり、読み手の理解へ預け続ける』、「ネットニュースとして記事を出させてもらっていたんですけど、なんかあまりにも反響が大きかったんですよね。なので、これは私と高崎さんだけの問題ではないのかもしれない、と」 もしかして同じ思いを持つ人が多いのかもしれない、と直感した齊藤の本書がこれまでの事件本と決定的に異なるのは、事件を社会学的な文脈で語ることもなく、「分析」も「評価」もしないところだ・・・齊藤は母娘や関係者の言葉を分析しようとはしない。一貫して生のままの言葉をつづり、読み手の理解へ預け続ける」、「「分析」も「評価」もしない」のが受けたとは分からないものだ。
・『行く手を阻む母、なすすべをなくした娘  まだ“正気”の側にいるつもりの人間なら、読み終えるまでずっと気持ちがザワザワする本だ。LINEやメールの記録、あかりの手紙を中心に、あくまでも狂った母と娘のやりとりから明らかになる「母娘の真実」が丹念につづられる。 「どうしてちゃんとできないの?」「嘘付き」「バカ」「デブ」「不細工」「寝るな!」「勉強しろ!」「素直に謝れ」「開き直りやがって!」「土下座して頼め」「お父さんみたいになるよ」「次やったら家から追い出すからね」「ちゃんと成績取れなかったら学校辞めさせるからね」「死ねばいいのに」「消えろ」 母親の叱責を恐れたあかりが学校の成績表を改ざんして見せたら、粗末な偽造が見破られ、灯油ストーブの上で湯気を出していたやかんの熱湯を太ももにぶちまけられたこともあったという。 微量の狂気がずっと混じる、論理の飛躍や欠陥の目立つ、暴力的で他責的な母の主張。何をぶつけられても「そうですね。私がいけなかったです」と諦めたように応じる娘。医大受験失敗以降の9年で母の狂気と暴力がさらに加速していく。より粗野に、何かのタガが外れていくように。 齊藤は指摘する。「浪人生活を断ち切る努力は、あかりさんもしているんです。それが9浪にまでなってしまったのは、あかりさんの試みがことごとくかなわなかったからだと思うんですね。あかりさんは高3から何度も家出していますが、妙子さんが警察や私立探偵を使って、ことごとく連れ戻しているんです。あかりさんが会社に就職して寮で自活しようとしても、気づいたお母さんに電話を入れられて内定取り消しになっていたり。私の見立てですが、ここまで脱出を阻まれると、戦意喪失してしまったのではないか。もうなすすべがなかったのではないかと、そう思います」』、「高3から何度も家出していますが、妙子さんが警察や私立探偵を使って、ことごとく連れ戻している」、「あかりさんが会社に就職して寮で自活しようとしても、気づいたお母さんに電話を入れられて内定取り消しになっていたり」、「ここまで脱出を阻まれると、戦意喪失してしまったのではないか。もうなすすべがなかったのではないかと、そう思います」、なるほど。
・『礼儀正しく理知的な言葉でつづられた“異常な手紙”  二人だけの密室へ、さらにその暗い隅へと自分たちを追い詰めていく母娘。なるほど、このようにして狂った母の異常“論理”が娘を組み伏せてきたのだ、と痛感できるくだりがある。 医学部を目指してアルバイト生活をしながら仮面浪人をし、妥協案として看護学科を受験する前に「もうお母さんに迷惑をかけないように家出します。春には合格の知らせを聞かせますね」などという、長い置き手紙が引用されるのだ。 一見、礼儀正しく清潔で理知的な言葉で、「不甲斐ない私の受験失敗のせいで自殺未遂までしたお母さんを守るために、家出して勉強に集中します」。 だが手紙はこのように続く。「いま、保険証を借りようと金庫を開けたら、和田さん(私立探偵)の名刺と6通の報告書が入っていました」「やっぱりお母さんは私のことを信用していなかったんですね」「お母さんが動転してまた私立探偵に連絡したりお金を払ったりしないよう、電話線を外し、金庫の現金は他に移し、念のため私の学費通帳と印鑑は預からせてもらいます」「本当にごめんなさい。必ず帰ってきます」。 既に異常な内容なのだが、この後に続く齊藤の文章がさらに衝撃的だ。「あかりの意思で家出前に書いた置き手紙のように見えるが、違う。母がパソコンで原文を作成し、あかりに手書きで清書させ、祖母と大叔母に送ったものである」。予備校代を工面してくれる米国在住の祖母に近況を伝え、納得してもらうための、うそで塗り固めた“演出”。これを母は「一世一代の大うそ」と呼び、あかりもまた親戚付き合いとはそういうものだと思っていた』、「「あかりの意思で家出前に書いた置き手紙のように見えるが、違う。母がパソコンで原文を作成し、あかりに手書きで清書させ、祖母と大叔母に送ったものである」。予備校代を工面してくれる米国在住の祖母に近況を伝え、納得してもらうための、うそで塗り固めた“演出”。これを母は「一世一代の大うそ」と呼び、あかりもまた親戚付き合いとはそういうものだと思っていた」、「母」と「あかり」で「祖母と大叔母」にうその手紙を送っていたとは信じ難いが、あり得る話だ。
・『母親が欲しかったもの、足りなかったもの  祖母(通称・アメばあ)や大叔母という肉親に対してまで、なぜそんな大それたうそをつくのか。それこそが、この母子関係の核心ともいえる部分なのである。 齊藤は、実際に面会で対面したあかりをこう表現した。「あかりさんは内省的で、思っていること、考えていることを言語化するのが的確な方です。大阪拘置所で面会したときも、中肉中背で、メガネをかけて、髪を耳の後ろで一つ縛りにしていて。趣味趣向はどこにでもいる人の感性という印象で、特別に何か異質さを感じることはない。好きな食べ物や好きな俳優さんの話をしたり、そんなに『この人とは心が通じ合えない』などと感じることはありませんでした」 だが、娘には何がなんでも医学部に受かってほしいという願いから9浪するまで教育に投資し、その学資を自分の米国在住の実母(アメばあ)に捻出してもらう妙子には、屈折した背景があった。 アメばあは、米軍の軍医と再婚して米国に暮らしているわけです。推測ですが、妙子さんはアメばあから十分な愛情を得られないまま育ってしまったという印象を受けます。小さい頃に再婚した両親だけ米国に行ってしまって、日本に取り残された妙子さんは愛情に飢えていた。娘を医者にしたいからと学費の協力をお願いしたり、何かとアメばあに報告したりというやりとりも、娘を引き合いに出してアメばあを喜ばせ、振り向いてもらえなかった部分を埋めていた気がします。お金をもらっている以上は結果を出さねばという固執も、もしかして彼女はアメばあのために子育てしていたのかなと想像しました」』、「小さい頃に再婚した両親だけ米国に行ってしまって、日本に取り残された妙子さんは愛情に飢えていた。娘を医者にしたいからと学費の協力をお願いしたり、何かとアメばあに報告したりというやりとりも、娘を引き合いに出してアメばあを喜ばせ、振り向いてもらえなかった部分を埋めていた気がします。お金をもらっている以上は結果を出さねばという固執も、もしかして彼女はアメばあのために子育てしていたのかなと想像しました」、母親自身が「愛情に飢えていた」、「もしかして彼女はアメばあのために子育てしていたのかなと想像」、想像以上に複雑な事情だ。
・『これは「毒親」「教育虐待」なのか?  齊藤の解説を聞いて、ようやく事件の補助線を引いてもらった気がした。 「書籍に盛り込んでいるLINEのやりとりはほんの一部なので、交わされた全体を見る限り、看護学科に妥協して落としどころをつけたのは、お母さんの方なんです。あかりさんが折り合いをつけようとしてもできなかったのを、お母さんの方からつけることで『9浪で済んだ』とも考えられます。お母さんとしても、ずっと浪人させていることが自分を苦しめていたのが、置き手紙を書かせたことにもつながっているんです。浪人させ続けたのは妙子さんで、妙子さんの意思で浪人生活を終わらせるというのはアメばあには言いにくかったんでしょう。あくまであかりさん本人が『努力したけど届かないから看護学科で許してくれ』と懇願して落としどころにした、というシナリオにしたかったんですね」 「うそを使って人間関係をつなぎ留めるこのお母さん自体、承認欲求を満たす場が他になかったんじゃないのかなと感じます。妙子さんも孤独な状況だった。仕事はしていたけれども、パートだったり途中でやめたり、友人も多くはなくて、子育てが自分の人生の中心になってしまっている。取材した範囲で、彼女が社会で人とのつながりを持って誰かに喜んでもらうとか、自分で何かをやり遂げた経験が見当たらないんです」 孤独な母親は、承認を求めて狂っていったのだ。 「その妙子さんができることとしては、娘の子育てを頑張って立派に育て上げましたというのが、他人から承認される唯一の手段だったのかなと。家庭以外のコミュニティーにお母さんは属していなかったところがあって、家庭だけが人生になってしまうとお母さんは孤立を深める。誰からも承認されないというのが、なんとしても子育てを成功させねばとのプレッシャーになったのではないか。だから、志望校を落とさせてけりをつけるのは、母の意向ではなくて娘の意向であると見せなければいけなかった。『私は頑張ったのよ』と周りの人に知られたかったのかもしれません」 「浪人中に妙子さんが自殺未遂をする一幕がありますが、看護師との会話の記録に『娘と二人で受験を頑張ってきた』『母親は娘あっての母親でしょ!?』というものがあります。妙子さんも悪気があって娘を苦しめているのではなくて、愛しているが故に期待が大きくなってしまって、自分も苦しめられているのが感じ取れたんです。毒母や毒親と呼ばれる現象も、関係性の問題ですよね。お母さんの立場からは良かれと思ってやっているし、愛情の一つの表れ方にすぎない。どこまでが愛情で、どこからが虐待や毒になるんだろうと、線引きがすごく難しいです」』、「看護学科に妥協して落としどころをつけたのは、お母さんの方なんです。あかりさんが折り合いをつけようとしてもできなかったのを、お母さんの方からつけることで『9浪で済んだ』とも考えられます。・・・アメばあには・・・あくまであかりさん本人が『努力したけど届かないから看護学科で許してくれ』と懇願して落としどころにした、というシナリオにしたかったんですね」、なるほど。
・『父親の存在があかりを変えた  齊藤は、この母子関係の事件において、父親の存在が意外と大きいことにも気づいたという。 「別居してしまったお父さんは、あかりさんにとって最大と言っても過言ではないほどの理解者なんですね。あかりさんが逮捕された後にお父さんが面会に来るのですが、裁判では『お母さんは自殺した』との主張が展開されているさなか、お父さんは娘が殺したということを分かっていた。本当のことを言った方がいいと(あかりに)助言しているんです。子どものことを理解してくれるお父さんだったんですね」 「両親はあかりさんが生まれてから10年ほどで別居していて、お父さんは妙子さんという人と対峙するしんどさを理解しているところがある。あかりさんがお父さんと休日に遊びに行った幼い頃の思い出をつづった手記がありますが、その中でお父さんを『止まり木のような存在』と表現し、唯一心を許せる存在だった」 母・妙子と向き合うつらさを理解できている、唯一の関係。あかりはそのつらさを共有できた父との面会をきっかけに、心を動かしていった』、「幼い頃の思い出をつづった手記・・・その中でお父さんを『止まり木のような存在』と表現し、唯一心を許せる存在だった」、なるほど。
・『母親という生き物を理解する  「あかりさんには同情できる部分がある」と、齊藤は言葉を探すように言った。「自分が娘という立場だからというのも理由ですが、お母さんが喜んでくれると自分もうれしくなってしまうんです。妙子さんが浪人中のあかりさんのために28万円の振り袖を買うことに、あかりさんは母の『娘にきれいなものを着てほしい、晴れ姿にはお金を使いたい』気持ちを理解して、同意します。母親にとって娘とは可愛い存在で、親が喜んでくれることは子にとっても喜びである。勉強もそうだと思うんですよね。いい点数を取ると母親が喜んでくれるから、もっと頑張る」 子どもの人生を侵食するほどの母親の過干渉の理由を、あかりもまた、拘置所で他の母親でもある女囚たちと交流する中で理解していったようだ。子への愛情と、自分の献身や期待に応えない子を憎いと思ってしまう感情は、程度の差はあれ、母親という生き物の中に奇妙に同居している。) あかりと妙子の30年を追い、つぶさに言語化した齊藤は「私としてはもう、あかりさんへの取材に関してはやり切ったという思いがあって」と前置きして、こう語った。 「この事件に、誰かがもっとこうすれば良かったとか、そこまで思い至ってないですね。いろんな要因が重なってしまった結果起こった事件で、こうすればというサジェスチョンはできかねるかな。これを書いているとき、公私共にしんどかったです。あかりさんに手記を寄せてもらったり、さまざまな方に取材に協力していただいたり、こんなにいろんな人に手がけてもらったら出さねばならぬという使命感で書籍を書き上げました」 冷静に誠実に事件を描き、語る齊藤だが、著者の中では取材執筆を通じてすさまじいエネルギーを燃やし続け、母娘のヒリヒリとした感情と向き合い続け、事件関係者だけでなく自分自身の心の中をも深くのぞき込んでいたのだろうと感じられる言葉だった。  Amazonの書籍ページにはあかりの状況に共感するとするたくさんのレビューが寄せられ、SNSでもそれぞれのユーザーが自分の経験を語るなど、反響は大きい。「特に男性の読者は、親子関係に限らず呪縛からの逃げ方という視点で感想を書いてくださる方が多くて、それは一つの発見でした」。それだけ、さまざまな形の呪縛に苦しめられた経験のある人が多いことの表れでもあるのかもしれない。 「この事件や本は教育虐待というキーワードで語られますが、取材をした私としては、どこまでが教育でどこからが虐待か分からないと感じています。むしろ私は『愛情のもつれ』についての本だと思って書きました。一つの愛情の形であり、教育はあくまでツールなのだと」 誰か悪者を見つけて断罪するのではなく、「家族のあり方について考えるきっかけになれば」と語る齊藤。これほどに広く深く人々の心を揺さぶるノンフィクション作品を書き上げた彼女が、知的で冷静な目を備えた27歳だったことに、ただ舌を巻く』、「アメばあ」がまだ生きていれば、さぞかし嘆いたことだろう。「教育虐待というキーワードで語られますが、取材をした私としては、どこまでが教育でどこからが虐待か分からないと感じています。むしろ私は『愛情のもつれ』についての本だと思って書きました」、「これほどに広く深く人々の心を揺さぶるノンフィクション作品を書き上げた彼女が、知的で冷静な目を備えた27歳だったことに、ただ舌を巻く」、同感である。

第三に、6月7日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏による「「子供部屋おじさん」が合理的なのかは、実は深い問いだ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/324056
・『「子供部屋おじさん(おばさん)」とも呼ばれる、成人後も親と同居を続ける中年の増加が日本で取り沙汰されてきたが、米国や英国でもそうした人々やその予備軍が増えつつあるという。子供が親と同居するのは経済合理性が主な理由とされるが、合理的かどうかという問いは、未来の家族形態やライフスタイルの考察にまでつながる「深い問い」といえる』、「子供部屋おじさん」なる言葉は初めて知ったが、米英でも広がっているようだ。
・『日本だけでなく米英でも親と子の同居が増えている  米国や英国で、親と同居する若者が増えているという(「巣立たぬ若者、英米も急増 3分の1が親と同居」日本経済新聞、5月28日)。成人したら親元を離れて自立した生活を営むことが常識的とされてきた米国や英国にあって、18歳から34歳の若者が親と同居する割合が上昇して共に約3分の1に達した。 主たる要因は、主に家賃の上昇だと記事は分析する。2000年を100とした家賃は22年に、米国では180を超えて、英国でも160以上となっている。親と同居して家賃を節約することができれば、同じく高騰している学費などにお金を使うことができるし、もちろん遊興費なども多く確保できる理屈だ。経済合理的とも思えるが、子供の「自立」はどうなるのかという問題や、親と同居した状態が心地いいと結婚して子供を作ることが減ると予想され、少子化に拍車が掛かるのではないかと懸念する声もある。 ちなみに記事では、18歳から34歳の親との同居率は、ポルトガル、イタリア、スペインといった南欧やクロアチア、ポーランドといった東欧が高いと報じている(60%半ばから70%前後)また、16~34歳のデータという注釈付きだが、アジア諸国では韓国が70%と高いという。その一方で、米英と北欧で低い。わが国は、20年の国勢調査によると47%程度と、ややアジア諸国寄りの中位にある。 わが国では家賃の上昇はそれほどでもないが、勤労者層の実質賃金が伸びていないので「生活が苦しい」ことは同様だ。「親との同居」が経済合理的なら、親との同居を前提としたライフスタイルや居住スタイルの変更を考えてもいいのではないか、とも思える。 ただし、いささか揶揄(やゆ)気味に「子供部屋おじさん(おばさん)」という言葉が使われているように、成人して加齢しても子供が家族を持つような独立心や経済力を持たない状態を容認するのがいいことなのかどうか、また、前述のように、この生活形態が少子化を加速する可能性があることについてどう考えるべきかという問題がある。 家族と居住の形態は、考える価値のあるテーマだ』、「巣立たぬ若者、英米も急増 3分の1が親と同居」、「18歳から34歳の親との同居率は、ポルトガル、イタリア、スペインといった南欧やクロアチア、ポーランドといった東欧が高いと報じている(60%半ばから70%前後)、アジア諸国では韓国が70%と高い」、「わが国は、20年の国勢調査によると47%程度と、ややアジア諸国寄りの中位」、想像以上に高いようだ。「家賃」高騰が背景にあるようだ。
・『親と子の同居に対する筆者自身の価値観と偏見  一般論を考える前に、筆者個人が現実にこの問題をどう考えているかについて述べておこう。 筆者の息子は今年の春に東京の大学に進学することになった。家族は東京に居るので、家族の元から大学に通うことが可能だったが、大学の近くにワンルームマンションを借りて一人暮らしをさせることにした。費用的には少々不経済である。 理由は、家族から引き離して「早く大人にしよう」と父親である筆者が考えたためだ。家族と同居している子供は、毎日親(特に母親)と話すので、ものの見方や価値観に対して親の影響を受けるし、生活面でもさまざまに親に依存する。この関係を早く断ち切ることが、息子の成長に有効だと考えたのだ。 背景には、息子が将来十分経済的に自立して生活できるようになるだろうという息子個人への評価があったし、それ以上に、独立して暮らすことが自立心につながるという、筆者の年代が持ちがちな価値判断があったと思う。たぶん偏見が含まれているが、過去に多くの男性を観察していて、精神的に「母親離れ」ができていない人物の性格に残念な面を多く感じてきたということもある。 偏見のついでに告白しておくと、娘(息子の2学年下)に対しても同じようにするかどうかは決めていない。 子供の性差と子育てをどう考えるかは、難しい問題だ。「原則として、性別に関係なく本人の個性次第だ」と頭では考えているが、「女の子は、こうした方が生きやすい」という世間の環境に適応して、男の子と扱いを変える可能性はある。ジェンダー問題がご専門の方などからは大いに批判される態度かもしれない。私が政治家など公職にあれば、そもそもこの点について正直に述べることが難しかろう。幸い気楽な立場なので、正直に書いた。 筆者自身が、核家族化が進行し「成人したら自立」が当たり前だった時代に育ち(筆者は昭和の真ん中、昭和33年生まれだ)、かつての男の子だった自分固有の経験に影響されていることは否めない』、我が家の場合は、娘2人は片道1時間半かかっても、自宅から通わせたが、息子は片道1時間強でも下宿させた。
・『生活にも働く「規模の経済効果」 Nを大きくすると生活は楽になる  経済効率という意味では、大家族には効率的な面がある。通常の調査では、世帯別の裕福・困窮の度合いを測る上で、世帯所得を世帯人数(N人)の平方根で割った数字を使う。2人暮らしは独り暮らしの1.4倍強のコストで賄えるし、4人暮らしなら独り暮らしの2倍の所得があれば概ね同等の豊かさだということだ。 つまり、生活にも「規模の経済効果」が働くということだ。確かに、キッチンも、冷蔵庫も、洗濯機も、人数分必要だということはないし、何よりも一人一人が毎食炊事に関わる必要もない。この効果の大きさと確かさを考えると、ある意味では「独り暮らしは贅沢」なのであり、例えば生活保護を考える場合に独り暮らしのコストまで補償することが適切なのかといった問題にも行き着く。 「N」は必ずしも親子や親戚同士である必要はないが、例えば、親・子・孫3世代の同居を考えると、一つには働く親(第2世代の親)の子供の保育に関する問題、もう一つには高齢になった親(第1世代の親)の初期段階の介護における問題が、大家族の中である程度は解決可能になるという大きなメリットがあることにも気付く。 国が国民の大家族化に期待して保育園の整備を手抜きするようでは問題だが、送り迎えや在宅での見守り、教育などにおいて、働く親のさらに親世代が大いに頼りになることは確かだ。また、終末期の介護を大家族に丸投げするのも問題だし、規模の利益に反する場合もあろうが(例えば入浴の介助は素人よりもプロが行う方が効率的だ)、高齢者がある程度自分でも動ける段階での介護は大家族の中で分担して吸収できそうな問題だ。 大家族には、働く世代をしばしば制約する、「子供の保育」と「親の介護」の問題を解決する上でもメリットがありそうだ。例えば、まだ働くことができる年齢の子供が親の介護に張り付くために退職するといった、核家族親子の非効率を何がしか避けることができる可能性がある。 人類学者のエマニュエル・トッド氏によると、米英などアングロサクソンの国で一般的な核家族の形態は、人類史的には最も原始的なもので、アジアなどに多い直系家族や、さらにロシアやアラブなどに存在する各種の共同体家族の方がより新しい進化した家族形態なのだという。 筆者の世代では、成人したら小さくても住居を確保して核家族を作る方が、かつて農家などに見られたような大家族よりも、新しくて進んだ暮らし方であるとのイメージを持ちがちだ。しかしこれは、都市への労働力の吸収と、小さくても家を持たせる住宅振興政策、さらに米英の文化の影響を受けた、「特定の時代のトレンドだった」と解釈するのが妥当なのだろう。 どのような家族形態、居住形態が合理的なのかは、改めて考えてみるべき問題だろう』、「エマニュエル・トッド氏によると、米英などアングロサクソンの国で一般的な核家族の形態は、人類史的には最も原始的なもので、アジアなどに多い直系家族や、さらにロシアやアラブなどに存在する各種の共同体家族の方がより新しい進化した家族形態なのだという」、にわかには信じ難い話だ。
・『家族形態を考える上で重要な原則とは?  では、どうするべきなのか。 この問題を考える上で、何としても重要な原則は、家族形態や居住形態は、個々の国民が自由に(=国家に介入されずに)決めるべき問題だということだ。 家族や住居は、個人の暮らし方の根幹に関わる問題なので、税制や社会保障制度などで特定の方向に誘導すべきではない。 例えば、大家族の同居を前提とすると世帯数は減るから、一時的に大家族仕様の住宅に対するニーズが発生するかもしれないが、長期的には住宅費は節約されることになるだろう。これを政策で阻害してはならない。 また、白物家電などを典型とする耐久消費財の需要も大家族化で減少するはずだが、それは消費者側での合理的な選択の結果なのであって、この点への介入も無用だ。 家族制度の選択は、少子化対策や産業の振興などと分けて考えるべきだ。 子供に対して給付金を配るなどの少子化対策は別個に行われてもいいが、かつて「標準家族」を優遇したような、特定の家族形態に対する優遇・誘導を税制や社会保障制度を通じて行うことは厳に慎むべきだろう。 国民には、多少不経済でも核家族を選択する自由も、大家族を選択する自由もあるべきで、そこに制度上の損得を絡ませるべきではない。「暮らし方」を少子化対策など別の目的の手段としてはならない。 その上でだが、世帯の「N」を大きくすることによる経済性には大いに魅力がある。単に「親子の同居」にとどまらない、合理的に暮らせる大家族の形態および住居について、提案し、ロールモデルとなる人物がいるといい。 もっとも、「N」をいかにマネジメントするかは簡単ではない。世界にある各種の共同体家族でも、父親に権威があって兄弟が平等な家族形態もあれば、母方の住居において共同で生活する母系的なシステムもあるようだ。何らかの習慣を形成することが合理的なのかもしれない。 われわれは、世界の別のシステムに学ぶべきなのかもしれないし、あるいは全く新しい仕組みを考えるべきなのかもしれない。 合理的な住居と大人数のマネジメントの仕組みをセットで提案してくれる「生活の発明家」の登場に大いに期待したい』、「家族や住居は、個人の暮らし方の根幹に関わる問題なので、税制や社会保障制度などで特定の方向に誘導すべきではない」、その通りだ。「合理的な住居と大人数のマネジメントの仕組みをセットで提案してくれる「生活の発明家」の登場に大いに期待したい」、同感である。
タグ:親子関係 (その1)(米国人驚愕「子が親の介護する日本」深刻な盲点 「家の時代」から「個人の時代」へシフト、医学部9浪の31歳娘が58歳母をバラバラ死体にするまで…話題本の著者が迫った事件の本質、「子供部屋おじさん」が合理的なのかは 実は深い問いだ) 東洋経済オンライン 山口 真由氏による「米国人驚愕「子が親の介護する日本」深刻な盲点 「家の時代」から「個人の時代」へシフト」 「バーソレッテ教授は」、「日本と比べると、アメリカは年寄りに冷たい国だわ。私もね、年寄りの部類に入るようになって心からそう思うのよ・・・子どもたちは、年老いた両親を養うことはしない。老後に備えて、私たちは自分でお金を貯めておかないといけないの。この若い国は、この国を必死に支えて、そして、老いていった人たちをいたわろうとはしてこなかったわ」、その通りだ。 「江戸時代の武家制度のなかで確立した日本の「家」というのは、家の財産をバラバラにせずに、次の世代に、その次の世代に、脈々と伝えていくための装置なのだという。 江戸時代の家は、武士であれ町人であれ、「家業」を持っていた・・・長女は、家業につながりのある家にお嫁に行くだろう。次男には、後々、のれん分けをしてあげるかもしれない。ここは、とりあえず長男にお店を丸ごと継いでもらうことにしよう。 こうやって、浅草の老舗のお煎餅屋さんは、世代に1人と跡継ぎを定めて、祖父から父へ、そして、父から息子の代へと事業を丸ごと受け継がせる。日本の「家」というのは、もともとそういうものだったらしい。そう考えるとこれは家族経営の中小企業とおんなじだ」、「江戸時代までの日本の相続は、今でいう会社の『事業承継』と同じ。財産の帰属主体は個人じゃないの。家なのよ。だから、社長を交代するように家長を交代して、世代を超えて家の財産を引き継いでいく。 個人が亡くなるたびに、財産の帰属主体が消滅して、財産を清算してっていう考え方はとっていなかったの。個人が亡くなってもなお、家は連綿と残っていくものなのよ」 アメリカの「家族」は点である。子どもが成人すれば、親の家族とは別個の個人となり、やがて新しい家族を作っていく」、「「江戸時代までの日本の相続は・・・財産の帰属主体は個人じゃないの。家なのよ。だから、社長を交代するように家長を交代して、世代を超えて家の財産を引き継いでいく」、その通りだ。 「アメリカの「家族」は点である。子どもが成人すれば、親の家族とは別個の個人となり、やがて新しい家族を作っていく」、「日本の「家」は線である。隠居した親の面倒は子どもがみる。その子も将来は、自分の息子やそのお嫁さんに面倒をみてもらう。家業を、親から子ども、そして、孫へと引き継いでいくその裏で、家業を営むことで得られるあがりで、年老いた親、出戻りの娘、引きこもった息子、家の構成員全員を養っていく。 家は、世代を超え、核家族の境界を超えて、一族を縦に結びつける。そしてこの家は、精神的な結びつきのみならず、経済的な基盤でもあるのだ」、極めてクリアだ。「今、日本では、もともとの「家」の価値観と西欧由来の「個人」の価値観が交錯する過渡期にある。相続というのは「個人」の側の概念である。日本には、もともと財産が個人に帰属するという考え方はなかった。そういう考えが輸入されたことで、相続という制度ができあがった」、なるほど。 「日本の場合には、別々の家族を営んでいるようで、親も子どもも、いつまでも緩やかに同じお財布を共有している。 一方のアメリカは、子どもが独り立ちした時点で独立採算制になる。もちろん、親の遺産を相続することもあるだろうが、アメリカ人の多くが遺言を残すとされ、日本の遺留分に当たる制度はない。個人の人生の後始末は個人の意思によるのが原則なのだ」、なるほど。 「アメリカの家族は点々と社会に散りばめられている。一方、日本の家は世代を超えて連綿とつながる線を描く。だが、問題はここでは終わらない。私たちの社会は、今、「家の時代」からアメリカのような「個人の時代」へと足を踏み出そうとしている。 夫婦別姓の問題も、森喜朗氏の発言に端を発した「女性という属性ではなく個人を評価しましょう」という動きも、私たちを「家」の世界観から「個人」へと押し出そうとする。 「個人の自律」というと聞こえはよい。だが、介護の問題、パラサイトチルドレン、8050問題――そこに頼って生きてきた人々が「家」から押し出されたとき、社会が彼らに居場所を用意できるのかが真の問題だろう」、「私たちの社会は、今、「家の時代」からアメリカのような「個人の時代」へと足を踏み出そうとしている・・・「個人の自律」というと聞こえはよい。だが・・・「家」に頼って生きてきた人々が「家」から押し出されたとき、社会が彼らに居場所を用意できるのかが真の問題だろう」、さて、どうなるのだろうか。 ダイヤモンド・オンライン 河崎 環氏による「医学部9浪の31歳娘が58歳母をバラバラ死体にするまで…話題本の著者が迫った事件の本質」 『母という呪縛 娘という牢獄』 大ヒットの「ノンフィクション『母という呪縛 娘という牢獄』」の作家が「20代の女性」とは私も驚かされた。 事件の背景を詳しく知りたいものだ。 「妙子さんは20年以上前から夫と別居し、あかりと二人暮らし。あかりは幼少期から学業優秀で中高一貫の進学校に通っており、20代中盤まで母娘で一緒にお風呂に入るほどの濃密な母娘関係を築いていた。 だがその間、実はあかりは常人の理解を超える執拗な干渉、暴言や拘束など、いわゆる“教育虐待”を母から長年受け続けていたのだ。 超難関の国立大医学部への進学を強要されて医学部を9浪の末、母からの妥協案として医大の看護学科へ進学する。しかし母は、看護師よりさらに専門知識を要する助産師にさせようとあかりに助産師学校の受験を求めており、看護学科を卒業して手術室看護師になりたいとの希望を持っていたあかり自身は助産師学校の試験に失敗。それに気づいた母から激しい叱責を受けていた」、「あかりは、周到に用意した凶器で母親を刺殺した直後・・・「モンスターを倒した。これで一安心だ」とのツイート」、“教育虐待”がよほど強かったのだろう。 「被告が、一審と変わって控訴審の初公判で認否をひっくり返すということが起きた。認否を変えるという行為が珍しくて、この事件の内容を深く知ろうと思いました」、「公判の取材を続ける中、齊藤は拘置所のあかりと面会を重ね、あかりの刑務所移送後も膨大な往復書簡を交わした。共同通信のウェブメディアに掲載された、齊藤の書いた事件深掘り記事は大反響を呼び、書籍化へとつながる」、なるほど。 「ネットニュースとして記事を出させてもらっていたんですけど、なんかあまりにも反響が大きかったんですよね。なので、これは私と高崎さんだけの問題ではないのかもしれない、と」 もしかして同じ思いを持つ人が多いのかもしれない、と直感した齊藤の本書がこれまでの事件本と決定的に異なるのは、事件を社会学的な文脈で語ることもなく、「分析」も「評価」もしないところだ・・・齊藤は母娘や関係者の言葉を分析しようとはしない。 一貫して生のままの言葉をつづり、読み手の理解へ預け続ける」、「「分析」も「評価」もしない」のが受けたとは分からないものだ。 「高3から何度も家出していますが、妙子さんが警察や私立探偵を使って、ことごとく連れ戻している」、「あかりさんが会社に就職して寮で自活しようとしても、気づいたお母さんに電話を入れられて内定取り消しになっていたり」、「ここまで脱出を阻まれると、戦意喪失してしまったのではないか。もうなすすべがなかったのではないかと、そう思います」、なるほど。 「「あかりの意思で家出前に書いた置き手紙のように見えるが、違う。母がパソコンで原文を作成し、あかりに手書きで清書させ、祖母と大叔母に送ったものである」。予備校代を工面してくれる米国在住の祖母に近況を伝え、納得してもらうための、うそで塗り固めた“演出”。これを母は「一世一代の大うそ」と呼び、あかりもまた親戚付き合いとはそういうものだと思っていた」、「母」と「あかり」で「祖母と大叔母」にうその手紙を送っていたとは信じ難いが、あり得る話だ。 「小さい頃に再婚した両親だけ米国に行ってしまって、日本に取り残された妙子さんは愛情に飢えていた。娘を医者にしたいからと学費の協力をお願いしたり、何かとアメばあに報告したりというやりとりも、娘を引き合いに出してアメばあを喜ばせ、振り向いてもらえなかった部分を埋めていた気がします。お金をもらっている以上は結果を出さねばという固執も、もしかして彼女はアメばあのために子育てしていたのかなと想像しました」、母親自身が「愛情に飢えていた」、「もしかして彼女はアメばあのために子育てしていたのかなと想像」、想像以上に複雑 な事情だ。 「看護学科に妥協して落としどころをつけたのは、お母さんの方なんです。あかりさんが折り合いをつけようとしてもできなかったのを、お母さんの方からつけることで『9浪で済んだ』とも考えられます。・・・アメばあには・・・あくまであかりさん本人が『努力したけど届かないから看護学科で許してくれ』と懇願して落としどころにした、というシナリオにしたかったんですね」、なるほど。 「幼い頃の思い出をつづった手記・・・その中でお父さんを『止まり木のような存在』と表現し、唯一心を許せる存在だった」、なるほど。 「教育虐待というキーワードで語られますが、取材をした私としては、どこまでが教育でどこからが虐待か分からないと感じています。むしろ私は『愛情のもつれ』についての本だと思って書きました」、「これほどに広く深く人々の心を揺さぶるノンフィクション作品を書き上げた彼女が、知的で冷静な目を備えた27歳だったことに、ただ舌を巻く」、同感である。 「アメばあ」がまだ生きていれば、さぞかし嘆いたことだろう。 山崎 元氏による「「子供部屋おじさん」が合理的なのかは、実は深い問いだ」 「子供部屋おじさん」なる言葉は初めて知ったが、米英でも広がっているようだ。 「巣立たぬ若者、英米も急増 3分の1が親と同居」、「18歳から34歳の親との同居率は、ポルトガル、イタリア、スペインといった南欧やクロアチア、ポーランドといった東欧が高いと報じている(60%半ばから70%前後)、アジア諸国では韓国が70%と高い」、「わが国は、20年の国勢調査によると47%程度と、ややアジア諸国寄りの中位」、想像以上に高いようだ。「家賃」高騰が背景にあるようだ。 我が家の場合は、娘2人は片道1時間半かかっても、自宅から通わせたが、息子は片道1時間強でも下宿させた。 「エマニュエル・トッド氏によると、米英などアングロサクソンの国で一般的な核家族の形態は、人類史的には最も原始的なもので、アジアなどに多い直系家族や、さらにロシアやアラブなどに存在する各種の共同体家族の方がより新しい進化した家族形態なのだという」、にわかには信じ難い話だ。 「家族や住居は、個人の暮らし方の根幹に関わる問題なので、税制や社会保障制度などで特定の方向に誘導すべきではない」、その通りだ。「合理的な住居と大人数のマネジメントの仕組みをセットで提案してくれる「生活の発明家」の登場に大いに期待したい」、同感である。
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幸福(その5)(人より「幸せを感じやすい人」が自然にしている事 自己肯定感の高い人と低い人の差どこにある?、《この国は不寛容社会》「幸福度ランキング58位」の日本人に足りないたった1つの習慣、自分も周りも幸せに!笑顔がもたらす5つの効果 笑うのが無理なら、軽く微笑むだけでもOK) [人生]

幸福については、昨年2月27日に取上げた。今日は、(その5)(人より「幸せを感じやすい人」が自然にしている事 自己肯定感の高い人と低い人の差どこにある?、《この国は不寛容社会》「幸福度ランキング58位」の日本人に足りないたった1つの習慣、自分も周りも幸せに!笑顔がもたらす5つの効果 笑うのが無理なら、軽く微笑むだけでもOK)である。

先ずは、やや古いが、2021年9月30日付け東洋経済オンラインが掲載したメンタルコーチの中島 輝氏による「人より「幸せを感じやすい人」が自然にしている事 自己肯定感の高い人と低い人の差どこにある?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/458028
・『コロナ禍が長引く中、自分のあり方や未来などに不安を抱えていたり、自信を失っていたりする人は少なくありません。日本人は自己肯定感が低いと言われますが、「いいときも悪いときも自分を信じて前進できる人には、心に"あそび"がある」と語るのは、自己肯定感の第一人者で心理カウンセラーの中島輝氏です。中島氏の著書『うまくいっている人がしている 自己肯定感を味方にするレッスン』から、人生をより豊かにするためのメソッドを紹介します』、「自己肯定感の第一人者で心理カウンセラー」が著者とは、さぞかし有益なアドバイスをくれるのだろう。
・『「幸せになる自分」を選ぶのは、自分  同じ環境で同じように暮らしていても、喜びや幸せを感じられる人と、悲しみにさいなまれて幸福感を得られない人がいます。いったい何が違うのでしょうか?両者の違いを解説するとき、私は次のエピソードを紹介しています。 囚われの身である2人の男が鉄格子から外を見ていた。  1人は下を向いて地面の泥を見ながら絶望感を抱いていた。  1人は上を向いて空に輝く星を眺めて希望を抱いていた。 つらいことがあったとき、美しいものに気が付いて、気持ちが晴れた経験は誰にでもあると思います。地面の泥を見て絶望に打ちひしがれていた男も、もし空を見上げる余裕があったなら、輝く星に未来への期待を見出せたかもしれません。 鉄格子の中から上を向くか下を見るか。つまり、希望を見つけるか、絶望に浸るかは、他人に強要されるものではなく、自分自身の選択です。 「今日は上司に怒られて、恥をかかされ、作業のやり直しにも時間がかかって最悪だった」と泥を見つけるのも自分の選択。「今日は上司に怒られたけれど、自分のミスに気づけたし、やり直すことで学びがあった。明日はもっとうまくできそうだ」と星を眺めるのも自分の選択です。) 「泥という絶望」を見るか、「星のような希望」を見るのかを自分で選択できるということは、「自分を幸せにできる選択」は自分自身でできるということ。もしその選択が失敗だったとしても、自分で選んだ道なら後悔は少なく、納得できるでしょう。 自分で選択することを続けていけば、他人と自分を比較して落ち込むことが減っていきます。表面だけを取り繕ってごまかす必要もなくなり、自分の信念に基づいて、次々と新たな「幸せ」を選択できるようになるでしょう。 鉄格子の中から星を見上げた男のように、物事をポジティブに捉えることができるのは、自分を信じられる人、つまり自己肯定感が高い人です』、「「自分を幸せにできる選択」は自分自身でできるということ。もしその選択が失敗だったとしても、自分で選んだ道なら後悔は少なく、納得できるでしょう。 自分で選択することを続けていけば、他人と自分を比較して落ち込むことが減っていきます。表面だけを取り繕ってごまかす必要もなくなり、自分の信念に基づいて、次々と新たな「幸せ」を選択できるようになるでしょう」、確かにその通りだ。
・『本来自己肯定感は生まれながらに備わっている  ここで改めて、自己肯定感とは何かを説明しておきましょう。 自己肯定感とは、「私が私であることに満足でき、自分を価値ある存在だと受け入れられること」。私は、自己肯定感こそが「人生を支える軸となるエネルギー」だと考えています。 本来、自己肯定感は誰にでも生まれながらに備わっているもの。実は、自己肯定感が一番高いのは赤ちゃんのときです。伝い歩きを始めた赤ちゃんは、「転ぶかもしれない」「怖いからやめよう」なんて微塵も考えていません。何度転んでも「自分はきっと歩ける」と信じてチャレンジし続けます。 誰もが赤ちゃんのときは「きっとできる」と、自己肯定感に満ち溢れています。しかし、成長するにしたがい、さまざまなネガティブな経験によって自己肯定感は低下してしまいます。 でも、安心してください。自己肯定感は何歳からでも高めることが可能です。ただ、高めることができても、一生自己肯定感の高い人でいられるわけではなく、人生のさまざまな出来事の中で上がったり下がったりします。大切なのは、自己肯定感が下がってしまったとき、再び高められる方法を把握しておくことです。) ところで、あなたは「自己肯定感の高い人」と聞いてどのような人物を思い浮かべますか? ブレない自分を持っている人、強い芯のある人、どんなときも堂々と自分の考えを主張できる人──これらは、自己肯定感が強い人の典型だといえるでしょう。しかし、ブレない強さにこだわり過ぎると逆に、小さな失敗をしただけで心がポキッと折れるようになってしまうのです』、「伝い歩きを始めた赤ちゃんは、「転ぶかもしれない」「怖いからやめよう」なんて微塵も考えていません。何度転んでも「自分はきっと歩ける」と信じてチャレンジし続けます。 誰もが赤ちゃんのときは「きっとできる」と、自己肯定感に満ち溢れています。しかし、成長するにしたがい、さまざまなネガティブな経験によって自己肯定感は低下してしまいます」、「一生自己肯定感の高い人でいられるわけではなく、人生のさまざまな出来事の中で上がったり下がったりします。大切なのは、自己肯定感が下がってしまったとき、再び高められる方法を把握しておくことです」、「ブレない強さにこだわり過ぎると逆に、小さな失敗をしただけで心がポキッと折れるようになってしまうのです」、さすが、専門家だけあって、その通りだ。
・『選択肢に柔軟性を持てる人の強み  自己肯定感が高い人には「柔軟性」が備わっています。この柔軟性を私はよく、「心に"あそび"がある」と表現しています。 あらゆる物事に対し、「絶対にAだ」と執着せず、周囲の意見を受け入れる。「Aもいいけれど、Bも素敵だな。でも今日はCにしておこう」と選択肢に柔軟性を持つことができる。これが心に「あそび」のある状態です。もしCに失敗したとしても、「こんなこともあるよね」と笑顔で受け入れられるようになることが大切なのです。 「あそび」は心の中にある、まっさらで自由な空間。空間があるから、自分とは異なる人の意見も、広い心で受け入れることができます。 自己肯定感が低いと、どうしても視野が狭くなり、一度決めた物事に固執してしまう傾向になります。そんなときは、心に「あそび」があるかどうか、自分自身に問いかけてみてください。 自分には青い服が似合う、青を選んでいれば間違いないと思い込んでいたけれど、たまには赤い服を選んでみるのもいいかもしれない。緑色を試すのもおもしろそうだ――そんなふうに、ときには迷ったりブレたりした方が、自分の可能性も広がって、日々が輝き、人生が楽しいものになります。 自己肯定感が高いと、「私の未来は明るいんだから、1回ぐらい失敗したって大丈夫!」と前向きな気持ちで赤や緑色を選択できるようになります。すると、ますまずポジティブなエネルギーが湧いてきて、人生を楽しむためのアイデアがどんどん生まれてきます。 今持っている自分の価値観を強く信じ続けるのではなく、ときには自分自身を疑ってみてください。自分は何を大切にして生きていきたいのか、どんな人間になりたいのか――時の流れとともに、答えは少しずつ変化しているはずです。) 迷って、ブレて、変化するから、次の新しい発想や行動が生まれ、人生に豊かな彩りを与えてくれます。変化に対応するのは難しいことでも大変なことでもなく、実はとても楽しいことなのですから。 「何があっても受け入れる」という柔軟な心で自己肯定感を養っていくと、自分の人生を自分でデザインできるようになります。あなたは今までの自分とは違う実感と自信に気づくことができるでしょう』、「自己肯定感が高い人には「柔軟性」が備わっています。この柔軟性を私はよく、「心に"あそび"がある」と表現しています。 あらゆる物事に対し、「絶対にAだ」と執着せず、周囲の意見を受け入れる。「Aもいいけれど、Bも素敵だな。でも今日はCにしておこう」と選択肢に柔軟性を持つことができる。これが心に「あそび」のある状態です。もしCに失敗したとしても、「こんなこともあるよね」と笑顔で受け入れられるようになることが大切なのです。 「あそび」は心の中にある、まっさらで自由な空間。空間があるから、自分とは異なる人の意見も、広い心で受け入れることができます」、「自己肯定感が高いと、「私の未来は明るいんだから、1回ぐらい失敗したって大丈夫!」と前向きな気持ちで赤や緑色を選択できるようになります。すると、ますまずポジティブなエネルギーが湧いてきて、人生を楽しむためのアイデアがどんどん生まれてきます」、「心に「あそび」があれば「選択肢に柔軟性を持つことができる」。なるほど。
・『自分に起きることはすべてギフト  自分は何を選んで、何を大切にして、どんな人間になりたいのかを考え、迷ったり、ブレたりしながら人生を歩んでいく。その時々で自分が選んできたものが、自分の人生を形作ります。 世間の常識や体裁など、誰かが敷いたレールの上を走るのではなく、自分で考えた道を自分の足で歩んでいるという実感。ここに、人生の大きな喜びがあるのです。 いいことも悪いことも、好きなことも嫌いなことも、自分の身に起きるすべては、理想の人生をデザインするための「ギフト」です。 幸せとは満ち足りることではなく、気づき続けることです。毎日自分の身に起こるさまざまな出来事(=ギフト)から、どんな気づきを得ることができるのか。それは人ぞれぞれ異なります。 最初に述べた「鉄格子の中」という過酷なギフトから、「希望」を見いだせた人のように、どんなギフトを受け取っても、肯定的に受け止めて感謝をすること。その積み重ねによって自己肯定感が高まり、人生がますます楽しくなっていくはずです。迷って、ブレて、変化するから、次の新しい発想や行動が生まれ、人生に豊かな彩りを与えてくれます。変化に対応するのは難しいことでも大変なことでもなく、実はとても楽しいことなのですから。 「何があっても受け入れる」という柔軟な心で自己肯定感を養っていくと、自分の人生を自分でデザインできるようになります。あなたは今までの自分とは違う実感と自信に気づくことができるでしょう』、「いいことも悪いことも、好きなことも嫌いなことも、自分の身に起きるすべては、理想の人生をデザインするための「ギフト」です。 幸せとは満ち足りることではなく、気づき続けることです。毎日自分の身に起こるさまざまな出来事(=ギフト)から、どんな気づきを得ることができるのか。それは人ぞれぞれ異なります」、「迷って、ブレて、変化するから、次の新しい発想や行動が生まれ、人生に豊かな彩りを与えてくれます。変化に対応するのは難しいことでも大変なことでもなく、実はとても楽しいことなのですから」、なるほど。
・『自分に起きることはすべてギフト  自分は何を選んで、何を大切にして、どんな人間になりたいのかを考え、迷ったり、ブレたりしながら人生を歩んでいく。その時々で自分が選んできたものが、自分の人生を形作ります。 世間の常識や体裁など、誰かが敷いたレールの上を走るのではなく、自分で考えた道を自分の足で歩んでいるという実感。ここに、人生の大きな喜びがあるのです。 いいことも悪いことも、好きなことも嫌いなことも、自分の身に起きるすべては、理想の人生をデザインするための「ギフト」です。 幸せとは満ち足りることではなく、気づき続けることです。毎日自分の身に起こるさまざまな出来事(=ギフト)から、どんな気づきを得ることができるのか。それは人ぞれぞれ異なります。 最初に述べた「鉄格子の中」という過酷なギフトから、「希望」を見いだせた人のように、どんなギフトを受け取っても、肯定的に受け止めて感謝をすること。その積み重ねによって自己肯定感が高まり、人生がますます楽しくなっていくはずです』、「どんなギフトを受け取っても、肯定的に受け止めて感謝をすること。その積み重ねによって自己肯定感が高まり、人生がますます楽しくなっていくはずです」、心がけたい。

次に、昨年4月30日付け文春オンライン「《この国は不寛容社会》「幸福度ランキング58位」の日本人に足りないたった1つの習慣」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/53876
・『「日本人の幸福度は全世界で58位」――ある時期、そんなニュースがSNSをにぎわせた。 なぜ日本人は幸せを感じづらいのか? その理由を、アメリカ在住のエッセイスト・渡辺由佳里さんの新刊『アメリカはいつも夢見ている』より一部を抜粋。国連がまとめた「幸福度ランキング」を見ることで、欧米人にあって日本人に足りないものが見えてきた。(全3回の1回目/#2、#3を読む)』、興味深そうだ。
・『日本は幸福度ランキング58位  Twitterに流れてくる日本のニュースで、国連がまとめた幸福度ランキングで日本が2018年から4つ順位を下げて58位になったということを知った(2019年)。 このニュースだけでは内容がよくわからないので、情報の大元である2019年WHR(World Happiness Report)をダウンロードして読んでみた。統計の専門家ではないので計算方法などはよくわからないが、このレポートは日本と日本人の幸福感について重要なことをいくつか指摘してくれていると感じた。 WHRの幸福度ランキングはギャラップの世論調査(Gallup World Poll Questions)を元にしている。ビジネス経済、社会関与、コミュニケーションとテクノロジー、多様性(社会問題)、教育と家族、感情(幸福感)、環境とエネルギー、食と住居、政府と政治、法と秩序(治安)、健康、宗教と倫理、交通、仕事の14の分野での質問があり、回答者は「カントリルラダー」という指標を使って答える。「はしご(ラダー)」を想像し、想像できる最悪の状態を0、最高の状態を10として主観的な評価をするものだ。 WHRでは、その結果の幸福度を説明する重要なファクターとして「一人あたりの国内総生産」、「社会的支援」、「出生時の平均健康寿命」、「人生の選択をする自由」、「他者への寛大さ」、「公職者が汚職/堕落しているという国民の認識」の6つを挙げている。 幸福度ランキングのグラフを見ると、トップからフィンランド、デンマーク、ノルウェー、アイスランドと北欧の国々が並んでいる。銃による大量殺人があり、オピオイド依存症が深刻になっているアメリカですら19位に入っている。それなのに、日本が58位だというのは不思議に思える。 グラフをよく見ると、日本は「一人あたりの国内総生産」、「社会的支援」、「出生時の平均健康寿命」という左から3つのファクターでは上位の国々とほとんど変わらないことがわかる。 上位の国々と日本との大きな違いは、「他者への寛大さ」と最後の「ディストピア+レジデュアル」である。日本は「出生時の平均健康寿命」では156ヶ国中2位というチャンピオンなのに、「他者への寛大さ」においては92位というほぼ最低レベルなのだ。) 繰り返すが、幸福度のスコアはそれぞれの国の回答者の主観的な評価の平均であり、6つのファクターはその因果関係を説明しようとしているだけである。例えば「他者への寛大さ(generosity)」が高いからといってその国がスコアを上げてもらっているわけではない。 まずはこの「他者への寛大さ」と幸福感について語ろう』、「上位の国々と日本との大きな違いは、「他者への寛大さ」と最後の「ディストピア+レジデュアル」である。日本は「出生時の平均健康寿命」では156ヶ国中2位というチャンピオンなのに、「他者への寛大さ」においては92位というほぼ最低レベルなのだ」、2つの「ファクター」が主因のようだ。
・『日本人はなぜ幸せになれないのか?  WHRの「幸福と社会性がある行動」という章は、人間が非常に社会的な動物であり、家族や友人だけでなく見知らぬ他人を助けることによって満足感や幸福感を得ることを説明している。見返りを求めずに自分の金を提供する寄付や、自分の時間を提供するボランティアがその代表的なものだ。 しかし、レポートには「(それらに加えて)いろいろな方法で他者を援助することができる。例えば、見知らぬ人のためにドアを開けてあげるとか、褒めてあげるとか、病に臥せっている親戚を介護するとか、伴侶を気遣ってあげるとか、拾った財布を持ち主に返してあげるとか、小さいけれども意義がある寛大な行動だ」と書いてある。ランダムに親切な行動をする実験では、親切な行動をしたグループのほうがしなかったグループよりも幸せになったという。 次の「ディストピア+レジデュアル」という項目は少しわかりにくい。「ディストピア」とは世紀末的なSFでよく使われる言葉で、ユートピアの反対の社会である。この調査では、幸福度を説明する6つの重要なファクターが世界で最悪である架空の国を「ディストピア」と設定する。「ディストピア」に住んでいる人は世界で最も不幸であるという仮定で、カントリルラダーにおける「最悪」の基準にする。その基準と照らし合わせて自国の自分の生活の評価をするのだ。 ディストピアの国民の自己評価の平均推定値が1.88で、それに「レジデュアル」を加えたのがこの部分ということらしい。「レジデュアル(残余)」とは(グラフの左の6つのファクターで)「説明されていない構成要素(unexplained components)」ということで、日本人はここが異常に少ない。) たとえば世界で12位のコスタリカでは、幸せの理由を具体的に説明する6つの要素は日本より少ないのに世論調査での総合的な幸福度のスコアは日本よりずっと高い。6つの要素では説明されない部分で、彼らは幸せを感じているのだろう。 見方を変えると、「日本は他国に比べて幸せになる社会的な条件はけっこう揃っているのに、なぜか幸せを感じていない」ということが浮かび上がってくる。 これら2つの特徴を考慮すると、日本人が幸せになる近道は、「他者に寛大/寛容で親切になる」ことと「自分がけっこう幸せであることを自覚する」ことになる。 「自分が幸せであることを自覚する」というのは漠然としていて難しいので、わかりやすくやりやすい「寛大/寛容になる」ことから始めればいいだろう。 経済的に余裕がない人が無理に大金を寄付したり、寝る時間がない人がボランティアをしたりする必要はない。電車で辛そうにしている人がいたら席を譲ってあげ、ベビーカーを押している人がいたら電車やエレベーターの乗り降りを手伝ってあげるといったことなら誰でもできる。朝、道ですれ違う人に「おはよう」と声をかけたり、レジの人に「今日はいいお天気でよかったですね」と笑顔で話しかけて「ありがとう」と言うだけでも、相手に小さな幸せを与えてあげられるし、それによって自分も少し幸せになれる』、「日本人が幸せになる近道は、「他者に寛大/寛容で親切になる」ことと「自分がけっこう幸せであることを自覚する」ことになる」、「「自分が幸せであることを自覚する」というのは漠然としていて難しいので、わかりやすくやりやすい「寛大/寛容になる」ことから始めればいいだろう」、「電車で辛そうにしている人がいたら席を譲ってあげ、ベビーカーを押している人がいたら電車やエレベーターの乗り降りを手伝ってあげるといったことなら誰でもできる。朝、道ですれ違う人に「おはよう」と声をかけたり、レジの人に「今日はいいお天気でよかったですね」と笑顔で話しかけて「ありがとう」と言うだけでも、相手に小さな幸せを与えてあげられるし、それによって自分も少し幸せになれる」、なるほど。
・『善人ぶってもいいじゃないか  私はアメリカの慣習にならって郵便局などでよく私の後ろから来た人にドアを開けて先に入れてあげたり、レジで少ない品数の人が後ろに並んだら「私は沢山買うので、お先にどうぞ」と譲ってあげたりするのだが、たいていの人は笑顔で「ありがとう」と言ってくれる。 常連になっているいくつかのスーパーマーケットでは従業員の人たちとよく挨拶を交わしているのだが、韓国系スーパーで無表情に客の対応をしているレジの女性たちが私を見かけたとたんにぱっと笑顔になってくれるのがとても嬉しい。別のレジの人までが振り向いて「ハウアーユー」と言ってくれるのも。オーガニック専門スーパーマーケットでは、1週間姿を見せなかっただけで精肉コーナーのおじさまたちが「旅行にでも行っていたの?」と話しかけてくれる。 そんな小さなふれあいだけでも一日が明るくなるし、幸福度が上昇するものだ。 このような話をすると、日本のソーシャルメディアでは「善人ぶっている」という反応が戻ってくることがある。赤ん坊を連れたお母さんに優しくしてあげることを呼びかけると、「こっちも大変なのに、そんな時間に電車に乗るほうが悪い」といった激しい反論が来ることもある。 国連の幸福度ランキングが教えてくれるのは、もしかすると、そういう心の余裕のなさと不寛容が日本人の幸福度を下げているかもしれないということだ。 善人ぶって他者に親切にしてもいいではないか。それを自慢してもいいではないか。また、自慢している人を褒めてあげてもいいではないか。それで助かる人がいるのだから』、「国連の幸福度ランキングが教えてくれるのは、もしかすると、そういう心の余裕のなさと不寛容が日本人の幸福度を下げているかもしれないということだ。 善人ぶって他者に親切にしてもいいではないか。それを自慢してもいいではないか。また、自慢している人を褒めてあげてもいいではないか。それで助かる人がいるのだから」、確かにその通りだ。
・『「寛容のなさ」が日本人から幸福を奪っている  このレポートには書いていないが、髪の色やスカートの長さのように奇妙なところまで縛る厳しい校則や個々の社員の自発的な対応まで縛ってしまうような社則、社員の私生活や性格にまで踏み込んでくるような上司、といったことも、日本人から幸福感を奪っている「寛容のなさ」かもしれない。 そう感じるのは、欧米で生活する日本人が「こちらに来て楽になった」とよく話題にするのがこの部分だからだ。 自分自身の経験から言えるのは、「他者に寛容になれると、自分にも寛容になれる」ということだ。他人の役に立つことができれば、自分を好きになることも容易になる。自分を好きになれたら、幸福のはしごをもうけっこう上まで登ったことになる。 日本人が寛容さを広めることができたら、6つのファクターで説明できない部分の幸福度も自然と増えていくのではないかと思うのだ』、「自分自身の経験から言えるのは、「他者に寛容になれると、自分にも寛容になれる」ということだ。他人の役に立つことができれば、自分を好きになることも容易になる。自分を好きになれたら、幸福のはしごをもうけっこう上まで登ったことになる。 日本人が寛容さを広めることができたら、6つのファクターで説明できない部分の幸福度も自然と増えていくのではないかと思う」、同感である。

第三に、5月28日付け東洋経済オンラインが掲載した精神科医の和田 秀樹氏による「自分も周りも幸せに!笑顔がもたらす5つの効果 笑うのが無理なら、軽く微笑むだけでもOK」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/590526
・『コロナ禍のマスク生活が始まって、すでに2年以上が経過しています。不自由な毎日が長く続いていますから、自分のことを「明るい」と考えている人でも、「最近、ちょっと暗くなっているかも」と感じているのではないでしょうか。 「暗い気持ちでいると、どうしてもネガティブな方向に考えが向いてしまいます」と言うのは、精神科医の和田秀樹氏です。「ネガティブな考え方をしていても、何もいいことはありませんが、明るい気持ちで前を向いていれば、不思議と物ごとがいい方向に動き出します」。 では、しんどいとき、落ち込んでいるとき、気分を上げるにはどうすればいいのか。和田氏の新刊『なぜか人生がうまくいく「明るい人」の科学』をもとに3回にわたり解説します。 私たちは会社や学校、地域社会で生活していますから、仕事や勉強のことで不安になったり、人間関係に悩んで暗い気持ちになることがあります。 同じような環境で生活していても、いつも明るく、楽しそうに毎日を送っている人もいます。 あなたの周りにも、そういう人がいるのではないでしょうか?そういう人は、ほぼ例外なく「笑顔」でいるはずです。この違いは、どこにあるのでしょうか? ・明るい気持ちでいるから、毎日が楽しくなるのか? ・毎日を楽しくしようとしているから、表情が明るくなるのか? そのどちらも正解だと思いますが、暗い顔をしている人に比べて、明るい笑顔でいる人というのは、周りの人たちの気持ちを明るくします。毎日が楽しくなるような「いい環境」ができやすいのです』、「暗い顔をしている人に比べて、明るい笑顔でいる人というのは、周りの人たちの気持ちを明るくします。毎日が楽しくなるような「いい環境」ができやすいのです」、確かにその通りだろう。
・『気持ちが明るい人には人が寄ってくる  いつも気持ちが明るい人というのは、心理的な垣根が下がりますから、自然と人が寄ってきます。部下の人たちに威厳を示そうと「仏頂面」をしている上司より、ニコニコと愛想がいい課長や部長のところには、やはり人が集まってきます。 女性が管理職になると、「部下にナメられたくない」と思って必要以上に厳しい顔をする人がいますが、それでは逆効果です。仕事ができる人というのは、男性でも女性でも意外と愛想がいいものです。) 明るい笑顔の人が周囲の人も明るくするというのは、その人が持っている雰囲気とか心理的な影響だけでなく、科学的にも証明されています。笑顔の人と一緒にいると、その人につられて笑顔になる……という経験をしたことがあると思いますが、それは「エンドルフィン」の働きによるものと考えられています。 エンドルフィンとは、脳内で機能する神経伝達物質の1つで「体内で分泌されるモルヒネ」の意味があります。モルヒネの数倍の鎮痛効果があると考えられ、「気分が高揚」したり「幸福感」が得られたりするという作用を持っています。 笑顔の人につられて一緒になって笑うと、周囲の人たちの脳内でもエンドルフィンが放出されるため、一体感や安心感が生まれます。人に笑いかけることは、「私はあなたの敵ではない」ということを相手に伝えるだけでなく、相手を笑顔にして、その人の気分を明るくする効果があるのです。 その相手の笑顔を見ることによって、笑顔の人はさらに明るい気持ちが増幅されて、幸福感を得られる……というフィードバック効果もあります。笑顔の人の周囲に幸せオーラが感じられるのは、こうした明確な理由があるのです』、「明るい笑顔の人が周囲の人も明るくするというのは、その人が持っている雰囲気とか心理的な影響だけでなく、科学的にも証明されています。笑顔の人と一緒にいると、その人につられて笑顔になる……という経験をしたことがあると思いますが、それは「エンドルフィン」の働きによるものと考えられています。 エンドルフィンとは、脳内で機能する神経伝達物質の1つで「体内で分泌されるモルヒネ」の意味があります。モルヒネの数倍の鎮痛効果があると考えられ、「気分が高揚」したり「幸福感」が得られたりするという作用を持っています。 笑顔の人につられて一緒になって笑うと、周囲の人たちの脳内でもエンドルフィンが放出されるため、一体感や安心感が生まれます。人に笑いかけることは、「私はあなたの敵ではない」ということを相手に伝えるだけでなく、相手を笑顔にして、その人の気分を明るくする効果があるのです。 その相手の笑顔を見ることによって、笑顔の人はさらに明るい気持ちが増幅されて、幸福感を得られる……というフィードバック効果もあります。笑顔の人の周囲に幸せオーラが感じられるのは、こうした明確な理由があるのです」、「エンドルフィン」が「放出される」ことで、「その相手の笑顔を見ることによって、笑顔の人はさらに明るい気持ちが増幅されて、幸福感を得られる……というフィードバック効果もあります」、なるほど。
・『仏頂面で暗い顔をしていませんか?  人が笑顔でいると、そのほかにもさまざまな「恵み」があります。仏頂面をして暗い気持ちでいるより、明るい気持ちで笑顔でいる方が、何となくいいことがありそうですが、それをハッキリと認識している人は少ないかもしれません。 毎日を明るく過ごすためには、笑顔の効果を知っておくことも大切です。以下に主な5つを紹介しましょう。 ①気持ちに余裕が生まれる (笑顔になると、人は明るい気持ちになり、心に余裕が生まれます。リラックスして日常を過ごすことで、自然と疲れやストレスを蓄積しにくくなり、何ごとに対しても「やる気」が出ます。 前向きな姿勢で物ごとに向き合えますから、いい結果が出やすくなります。ビジネスの世界に限らず、さまざまな分野で成功している人に明るいイメージの人が多いのは、こうしたことも要因の1つです。 ②相手に心を開いているサインになる(周囲の人と円滑なコミュニケーションを図るという点でも、笑顔は欠かすことのできない大切な要素です。あいさつや会話の際に笑顔でいると、相手に心を開いているサインになります。相手もリラックスできますから、お互いの心理的な距離を素早く縮めることができます。 ③生き生きした印象を与える(女性が美しさを維持するためにも、笑顔には大きな意味があります。笑顔の回数が多い人ほど表情筋を使う機会が多くなり、顔のコリがほぐれて血行がよくなり、シワやたるみが目立たなくなります。口角の上がった美しい笑顔でいることは、生き生きした印象を与えることができます。 いつもニコニコしていると、表情筋が発達して表情が若々しくなります。逆に、あまり笑わないと表情筋が緩んでしまい、人に老けた印象を与えます。疲れているように見えたり、不機嫌そうに見えてしまうのです。) ④免疫力が高まる(笑顔になると、健康面でもいい影響があります。笑うことでリンパ球の一種であるNK(ナチュラルキラー)細胞が活性化され、免疫力が高まって病気の予防に役立ちます。) ⑤精神的に安定する(「幸せホルモン」と呼ばれるセロトニンが分泌されることで、安らぎや安心感が得られて、精神的に安定することも明らかになっています。声を上げて笑うと肺や心臓が刺激されて、脈拍や血圧が安定してリラックスしたり、自律神経を整えてくれます。全身の筋肉が動くことで、代謝も上がります。 近年の研究によって、こうした健康面のメリットは「作り笑顔」でも同じ効果が得られることがわかっていますから、意識的に笑顔を心がけるだけで、心身共に健康に一歩近づくことができるのです』、「近年の研究によって、こうした健康面のメリットは「作り笑顔」でも同じ効果が得られることがわかっていますから、意識的に笑顔を心がけるだけで、心身共に健康に一歩近づくことができるのです」、「「作り笑顔」でも同じ効果」とは有り難い。
・『明るい気持ちで過ごすには笑顔が大切  明るい気持ちで毎日を過ごすためには、日ごろから「笑顔」を心がけることが大切です。笑顔が無理ならば、軽く「微笑む」だけでもいいのです。非常にシンプルなことですが、明るい気持ちで毎日を過ごすためには、実は最も重要なことであり、最も効果が出やすいことでもあります。 人は誰でも、「暗い顔」になったり、「落ち込んだ顔」になったりすることがあります。そんなときに「あれ、いま暗い顔をしているな」と気づいて、「こんな顔をしていちゃダメだな。笑顔を心がけよう」と思うだけでいいのです。 少なくとも、他の人がいる前だけでも笑顔を心がけて、明るい気持ちでいよう……ということです。あなたが笑顔でいれば、周囲の人も明るい気持ちになります。その明るい気持ちが、あなたを明るい気分にさせてくれるのです。 明るい笑顔になれば、人に与える印象も大きく変わります。普段、難しそうな顔をしている人が笑顔になると、周囲の人もホッとして、和やかな雰囲気が生まれます。 笑顔が無理なら、「こんにちは」というあいさつだけでもいいのです。普段、仏頂面をしている人が「よう!」と明るく手を上げるだけで、印象は確実に変わります。いつも笑顔の人より効果があったりするものです。 美容整形で二重まぶたにすることは簡単にできても、笑顔がチャーミングな顔にするのは意外に難しいといいます。 男性をハンサム系やイケメン系に変身させることはできても、魅力的な笑顔の持ち主にすることは、至難の業なのです。最新医学を持ってしても難しい笑顔に、そう簡単になれるわけがないと考える人もいるかもしれません。 でも、笑顔が無理ならば、話題の選び方を工夫するとか、物ごとの考え方を改めるなど、何らかの工夫をすることはできます。そうした工夫を繰り返し続けることは、笑顔を心がけることと同じくらい大事な意味を持っています』、「明るい気持ちで毎日を過ごすためには、日ごろから「笑顔」を心がけることが大切です。笑顔が無理ならば、軽く「微笑む」だけでもいいのです」、この程度なら出来そうだ。
タグ:「日本人が幸せになる近道は、「他者に寛大/寛容で親切になる」ことと「自分がけっこう幸せであることを自覚する」ことになる」、「「自分が幸せであることを自覚する」というのは漠然としていて難しいので、わかりやすくやりやすい「寛大/寛容になる」ことから始めればいいだろう」、 「上位の国々と日本との大きな違いは、「他者への寛大さ」と最後の「ディストピア+レジデュアル」である。日本は「出生時の平均健康寿命」では156ヶ国中2位というチャンピオンなのに、「他者への寛大さ」においては92位というほぼ最低レベルなのだ」、2つの「ファクター」が主因のようだ。 「暗い顔をしている人に比べて、明るい笑顔でいる人というのは、周りの人たちの気持ちを明るくします。毎日が楽しくなるような「いい環境」ができやすいのです」、確かにその通りだろう。 「一生自己肯定感の高い人でいられるわけではなく、人生のさまざまな出来事の中で上がったり下がったりします。大切なのは、自己肯定感が下がってしまったとき、再び高められる方法を把握しておくことです」、「ブレない強さにこだわり過ぎると逆に、小さな失敗をしただけで心がポキッと折れるようになってしまうのです」、さすが、専門家だけあって、その通りだ。 「近年の研究によって、こうした健康面のメリットは「作り笑顔」でも同じ効果が得られることがわかっていますから、意識的に笑顔を心がけるだけで、心身共に健康に一歩近づくことができるのです」、「「作り笑顔」でも同じ効果」とは有り難い。 ・『明るい気持ちで過ごすには笑顔が大切  明るい気持ちで毎日を過ごすためには、日ごろから「笑顔」を心がけることが大切です。笑顔が無理ならば、軽く「微笑む」だけでもいいのです。非常にシンプルなことですが、明るい気持ちで毎日を過ごすためには、実は最も重要なことであり、最も効果が出やすい 「電車で辛そうにしている人がいたら席を譲ってあげ、ベビーカーを押している人がいたら電車やエレベーターの乗り降りを手伝ってあげるといったことなら誰でもできる。朝、道ですれ違う人に「おはよう」と声をかけたり、レジの人に「今日はいいお天気でよかったですね」と笑顔で話しかけて「ありがとう」と言うだけでも、相手に小さな幸せを与えてあげられるし、それによって自分も少し幸せになれる」、なるほど。 「いいことも悪いことも、好きなことも嫌いなことも、自分の身に起きるすべては、理想の人生をデザインするための「ギフト」です。 幸せとは満ち足りることではなく、気づき続けることです。毎日自分の身に起こるさまざまな出来事(=ギフト)から、どんな気づきを得ることができるのか。それは人ぞれぞれ異なります」、「迷って、ブレて、変化するから、次の新しい発想や行動が生まれ、人生に豊かな彩りを与えてくれます。変化に対応するのは難しいことでも大変なことでもなく、実はとても楽しいことなのですから」、なるほど。 「あそび」は心の中にある、まっさらで自由な空間。空間があるから、自分とは異なる人の意見も、広い心で受け入れることができます」、「自己肯定感が高いと、「私の未来は明るいんだから、1回ぐらい失敗したって大丈夫!」と前向きな気持ちで赤や緑色を選択できるようになります。すると、ますまずポジティブなエネルギーが湧いてきて、人生を楽しむためのアイデアがどんどん生まれてきます」、「心に「あそび」があれば「選択肢に柔軟性を持つことができる」。なるほど。 「「自分を幸せにできる選択」は自分自身でできるということ。もしその選択が失敗だったとしても、自分で選んだ道なら後悔は少なく、納得できるでしょう。 自分で選択することを続けていけば、他人と自分を比較して落ち込むことが減っていきます。表面だけを取り繕ってごまかす必要もなくなり、自分の信念に基づいて、次々と新たな「幸せ」を選択できるようになるでしょう」、確かにその通りだ。 「自己肯定感が高い人には「柔軟性」が備わっています。この柔軟性を私はよく、「心に"あそび"がある」と表現しています。 あらゆる物事に対し、「絶対にAだ」と執着せず、周囲の意見を受け入れる。「Aもいいけれど、Bも素敵だな。でも今日はCにしておこう」と選択肢に柔軟性を持つことができる。これが心に「あそび」のある状態です。もしCに失敗したとしても、「こんなこともあるよね」と笑顔で受け入れられるようになることが大切なのです。 笑顔の人につられて一緒になって笑うと、周囲の人たちの脳内でもエンドルフィンが放出されるため、一体感や安心感が生まれます。人に笑いかけることは、「私はあなたの敵ではない」ということを相手に伝えるだけでなく、相手を笑顔にして、その人の気分を明るくする効果があるのです。 その相手の笑顔を見ることによって、笑顔の人はさらに明るい気持ちが増幅されて、幸福感を得られる……というフィードバック効果もあります。笑顔の人の周囲に幸せオーラが感じられるのは、こうした明確な理由があるのです」、 「どんなギフトを受け取っても、肯定的に受け止めて感謝をすること。その積み重ねによって自己肯定感が高まり、人生がますます楽しくなっていくはずです」、心がけたい。 ことでもあります。 人は誰でも、「暗い顔」になったり、「落ち込んだ顔」になったりすることがあります。そんなときに「あれ、いま暗い顔をしているな」と気づいて、「こんな顔をしていちゃダメだな。笑顔を心がけよう」と思うだけでいいのです。 少なくとも、他の人がいる前だけでも笑顔を心がけて、明るい気持ちでいよう……ということです。あなたが笑顔でいれば、周囲の人も明るい気持ちになります。その明るい気持ちが、あなたを明るい気分にさせてくれるのです。 明るい笑顔になれば、人に与える印象も大きく変わります。普段、難しそうな 幸福 渡辺由佳里さんの新刊『アメリカはいつも夢見ている』より一部を抜粋 「伝い歩きを始めた赤ちゃんは、「転ぶかもしれない」「怖いからやめよう」なんて微塵も考えていません。何度転んでも「自分はきっと歩ける」と信じてチャレンジし続けます。 誰もが赤ちゃんのときは「きっとできる」と、自己肯定感に満ち溢れています。しかし、成長するにしたがい、さまざまなネガティブな経験によって自己肯定感は低下してしまいます」、 文春オンライン「《この国は不寛容社会》「幸福度ランキング58位」の日本人に足りないたった1つの習慣」 「明るい笑顔の人が周囲の人も明るくするというのは、その人が持っている雰囲気とか心理的な影響だけでなく、科学的にも証明されています。笑顔の人と一緒にいると、その人につられて笑顔になる……という経験をしたことがあると思いますが、それは「エンドルフィン」の働きによるものと考えられています。 エンドルフィンとは、脳内で機能する神経伝達物質の1つで「体内で分泌されるモルヒネ」の意味があります。モルヒネの数倍の鎮痛効果があると考えられ、「気分が高揚」したり「幸福感」が得られたりするという作用を持っています。 「自己肯定感の第一人者で心理カウンセラー」が著者とは、さぞかし有益なアドバイスをくれるのだろう。 「自分自身の経験から言えるのは、「他者に寛容になれると、自分にも寛容になれる」ということだ。他人の役に立つことができれば、自分を好きになることも容易になる。自分を好きになれたら、幸福のはしごをもうけっこう上まで登ったことになる。 日本人が寛容さを広めることができたら、6つのファクターで説明できない部分の幸福度も自然と増えていくのではないかと思う」、同感である。 中島 輝氏による「人より「幸せを感じやすい人」が自然にしている事 自己肯定感の高い人と低い人の差どこにある?」 和田 秀樹氏による「自分も周りも幸せに!笑顔がもたらす5つの効果 笑うのが無理なら、軽く微笑むだけでもOK」 東洋経済オンライン 「国連の幸福度ランキングが教えてくれるのは、もしかすると、そういう心の余裕のなさと不寛容が日本人の幸福度を下げているかもしれないということだ。 善人ぶって他者に親切にしてもいいではないか。それを自慢してもいいではないか。また、自慢している人を褒めてあげてもいいではないか。それで助かる人がいるのだから」、確かにその通りだ。 「エンドルフィン」が「放出される」ことで、「その相手の笑顔を見ることによって、笑顔の人はさらに明るい気持ちが増幅されて、幸福感を得られる……というフィードバック効果もあります」、なるほど。 「明るい気持ちで毎日を過ごすためには、日ごろから「笑顔」を心がけることが大切です。笑顔が無理ならば、軽く「微笑む」だけでもいいのです」、この程度なら出来そうだ。 (その5)(人より「幸せを感じやすい人」が自然にしている事 自己肯定感の高い人と低い人の差どこにある?、《この国は不寛容社会》「幸福度ランキング58位」の日本人に足りないたった1つの習慣、自分も周りも幸せに!笑顔がもたらす5つの効果 笑うのが無理なら、軽く微笑むだけでもOK)
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人生論(その12)(「若年性アルツハイマー」になっった「元・東大教授」2題(「意外な楽しみ」 それまでとは違った世界が見えた、デイサービスに入って経験したこと 失語の当事者が語った胸の内とは)、作家・林真理子が説く「成熟した大人」の流儀 もらっても心が動かなかった企画書とは) [人生]

人生論については、昨年3月29日に取上げた。今日は、(その12)(「若年性アルツハイマー」になっった「元・東大教授」2題(「意外な楽しみ」 それまでとは違った世界が見えた、デイサービスに入って経験したこと 失語の当事者が語った胸の内とは)、作家・林真理子が説く「成熟した大人」の流儀 もらっても心が動かなかった企画書とは)である。

先ずは、昨年3月29日付け現代ビジネスが掲載した主婦の若井 克子氏による「元・東大教授が「若年性アルツハイマー」になって見つけた「意外な楽しみ」 それまでとは違った世界が見えた」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/92664?imp=0
・『病気になって「いいこと」などあるのだろうか。きっと多くの人が「ない」と考えるだろう。だが、若年性アルツハイマー病で早期退職を余儀なくされた、東京大学の元教授・若井晋は、あると言うのである。果たしてそれはなぜなのか? 失語の症状で言葉を失いゆくなか、若井は講演やインタビューで、自らの率直な気持ちを語ってきた。彼はなぜ、そんな心境に達することができたのか。妻・若井克子がその様子を備(つぶさ)に記した『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(講談社)からお届けする。 【第1回】54歳で「若年性アルツハイマー」になった東大教授が書き残していた「日記の中身」 【第2回】手術上手な脳外科医が一転、ネクタイが結べず…東大教授を襲った「若年性アルツハイマー」の現実 【第3回】文字が書けない…54歳で「若年性アルツハイマー」になった東大教授の苦悩 【第4回】失意の元・東大教授は、なぜ「若年性アルツハイマー」を公表したのか? 【第5回】「ぼくは、エイリアン」54歳で若年性アルツハイマーになった東大教授が見た世界』、「若年性アルツハイマー」で「失語症」になったとあっては、「東大教授」を「早期退職」せざるを得なくなったのは、本人にとってはさぞかしつらかったことだろう。 
・『「人の価値」について語る  「『生きる』ことを考える――若年性アルツハイマー病と共に生きて――」 そんな演題が掲げられた私たちの2度目の講演は、都村先生の見事なリードでスムーズに進み、ついに終盤にさしかかりました。 「これ(アルツハイマー病)だけはいやだ」という言葉にせよ、エイリアンという言葉にせよ、まさしく病を得た当事者である晋にしか言えないことだったと思います。 うまく波に乗れたのか、会場からの質疑にも、晋はうまく答えていました。たとえばある参加者からは、 「人の価値についてどう思いますか」 と、こんな質問が。とっさには答えにくい問いですが、晋は動じるふうもなく、こう応じたのです。 「人生で一番大切なことは何か、ということが分からない人、分かる人、いろいろあると思うんです。その中で一人一人が自分の生き様に合わせて絶えず歩み続ける。そういう中で私も生きてゆきたい。これからも、この後も生きていきたいなと思います」 神戸講演は成功に終わりました。 晋がすっかりリラックスした様子で笑い、語り、会場になじんでいたのが何より印象的でした。私自身、彼につられて笑ってしまうことがあったほどです。 リラックス……と言うと、いかにも軽く聞こえることでしょう。しかし、このリラックスこそが大事なのだと痛感しました。 思えば横浜講演のときは、講演自体は失敗でしたが、その後ひらかれた立食形式の懇親会での晋の様子は、まったく異なっていたのです。どこで聞きつけたのか、国際地域保健学教室の秘書さんと学生数人が参加していて、 「先生!」 こう声をかけてくださったのですが、その瞬間、晋の顔がパッと明るくなったのがわかりました。そのあとは、わりと普通に談笑していたのです。 打ち解けた雰囲気のなかであれば、彼はまだまだ話すことができる……。神戸講演では、都村先生の配慮のおかげで、晋は壇上にいながらリラックスできたのかもしれません』、「人の価値についてどう思いますか」といった答え難い「質問」をした質問者のセンスを疑う。ただ、「動じるふうもなく、こう応じたのです。 「人生で一番大切なことは何か、ということが分からない人、分かる人、いろいろあると思うんです。その中で一人一人が自分の生き様に合わせて絶えず歩み続ける。そういう中で私も生きてゆきたい。これからも、この後も生きていきたいなと思います」、と答えたのはさすがだ。
・『「私は私であることがやっとわかった」 それでも晋が、少しずつ、少しずつ、言葉を失っているのは明らかでした。 自分で原稿やメモを用意することは、だいぶ前からできなくなっていました。たとえ用意できたとしても、もう読めなかったでしょう。 でも、リラックスした雰囲気のなかでは十分に自分の言葉で話せるし、答えやすく工夫された質問であれば、やりとりは十分、可能でした。 神戸講演が行われた同じ年、私たちはDIPEx-Japan(ディペックス・ジャパン)というNPO法人のインタビューを受けることになりました。患者本人の語りを記録・保存する活動をしている団体です。 インタビューの場所は我が家の書斎。インタビュアーと晋のふたりだけで取材が行われ、私は物陰でそれを聞いていました。 一対一の会話がよかったのか、晋はとりわけ伸び伸びと自己を語っていました。当時は近くの公園に毎朝ラジオ体操をしに出かけていましたが、そのことにも触れています。 質問者(以下「質」) (クリスティーン・ブライデンは)「アルツハイマーとはどんどん余分なものが取り払われて本当の自分になっていく」とおっしゃっていたけれど、その感じはいかがですか。 晋 今まで自分が何かいいことをしたとか、そういうものが私たちではないんじゃないかと思うんです。 大切なことは私たちが本当の自分と出会うことじゃないかと。自分が自分になって他の人と一緒に歩んでいけるというところが大切なんじゃないかと思いますね。 質 病気になってよかったなあ、と思われることってありますか。 晋 いいですよ。友人がいろいろ来てくれたり、友人のなかにスッと入れるようになった。いろいろな人とも一緒に行けるようになったし、それはすごくよかったですね。 朝のラジオ体操はいつも一緒にしているんですよね。毎日。そういう中でもいろんな人たちがいて、そこで話をしながらやっている。そのへんがすごくいいですね。誰でも一緒に行ってエンジョイできるところではあるんですね。何でもいいわけですよね。そこのところでは。 質 というと、以前はそういう楽しみ方はできなかったのですか。 晋 そうですね。 質 何かそれを妨げるようなことが? 晋 どうだったんでしょうね。確かに何かを、何かがダメだったんでしょうね。 質 時間的にゆとりがなかったとか。 晋 それはありますね。東大の時からですからね。その時はカサカサしていましたね。何か忙しいし、そういうこともあって、あんまりよくなかったですね。 質 いろんな所でスッと人と接したり楽しめる? 晋 自分はアルツハイマーという話をしましたし、みなさんも話してくれる。それはよかったです。 質 アルツハイマーになったことの意味が、ご自身のなかにあると考えていらっしゃいますか。 晋 私がアルツハイマーになったということが、自分にとって最初は「何でだ」と思っていました。けれども私は私であることがやっとわかった。そこまでに至るまでに相当格闘したわけですけど。ときどき妻とけんかしたりしましたが、だんだんと一緒にやっていくということが、やっとできているというようなことを最近考えていますね。 質 同じ病にかかった方、その家族の方へのメッセージを。 晋 「こういう病気はどうしようもない、何もできない」、多くの人がそういうことでこの病気を考えていると思います。私がそのことに対して皆さんに「そうでないんだよ」と言えることができれば一番いいのではないかと思います』、「質 病気になってよかったなあ、と思われることってありますか。 晋 いいですよ。友人がいろいろ来てくれたり、友人のなかにスッと入れるようになった。いろいろな人とも一緒に行けるようになったし、それはすごくよかったですね。 朝のラジオ体操はいつも一緒にしているんですよね。毎日。そういう中でもいろんな人たちがいて、そこで話をしながらやっている。そのへんがすごくいいですね。誰でも一緒に行ってエンジョイできるところではあるんですね。何でもいいわけですよね。そこのところでは。 質 というと、以前はそういう楽しみ方はできなかったのですか。 晋 そうですね」、「病気になってよかったなあ、と思われることってありますか。 晋 いいですよ。友人がいろいろ来てくれたり、友人のなかにスッと入れるようになった。いろいろな人とも一緒に行けるようになったし、それはすごくよかったですね」、「病気」いなってよかったとは意外だ。
・『「苦悩と同一ではない何か」に向かい始めた晋  沖縄に住んでいたころ、晋は、 「自分は何もせずに朽ち果てるのか」と怒って、朝になっても寝床から起きてこないことがありました。自分の病についても、積極的には語ろうとしませんでした。 病を公にする活動は、そんな彼の苦悩に意味を与えてくれたようです。 クリスティーンが愛読していることを知って、私がふと手に取った本があります。オーストリアの精神科医、V・E・フランクルの著作『苦悩する人間』(春秋社)です。ナチス政権下でユダヤ人として収容所生活を経験したフランクルは、苦悩について次のように書いていました。 苦悩を志向し、有意味に苦悩することができるのは、何かのため、誰かのために苦悩するときだけなのです。(中略)意味に満ちた苦悩とは、「何々のための」苦悩なのです。私たちは苦悩を受容することによって、苦悩を志向するだけではなく苦悩を通り抜けて、苦悩と同一ではない何かを志向するのです。 「Go to the peopleだね」 講演に出かけるとき私がこう声をかけると、晋は必ず、 「そうだよ」と応えていました。 〈医者だったころは多くの患者さんを治したけれども、今はその何倍もの苦しんでいる人に慰め、励ましを与えている〉 そんなお便りをくれた晋の友人もいました。 晋は、脳外科医だったからこそ誰よりも認知症を恐れ、なかなかそれを受け入れられませんでした。ですが今、あえて病を公表し、恐れることはないというメッセージを誰かに届けることで、「苦悩と同一ではない何か」を目指せるようになったのかもしれません。 とはいえ正直に書けば、日々の晋のサポートや講演に同行するのは、私にとって楽なことではありません。そして晋は、徐々に衰えていきます。 ゆったりしたスローライフが、私たちの生活の基調となりました。 ふたりで遠出することはよくありましたが、必ず手をつなぐようにしたのも、このころです。 人ごみのなかでは晋の手に力が入ります。緊張するからでしょうか。あるときは新宿駅で、彼が突然、大声を上げたことがありました。駅の構内はアナウンスや足音、話し声など、騒音に満ちています。私は気にも留めませんが、晋は音に耐えかねたのでしょうか。 彼の脳裏には、どんな風景が広がっていたのでしょう。 足腰が丈夫だった晋。かつては二段跳び・三段跳びで階段を駆け上がるので、置いてきぼりになるのは私でした。 今では晋は、注意深く一段一段上っています。そしてときどき、私にこんな抗議の声を上げます。 「君のペースにはついていけない」 「君は、やることが速すぎる」 どうしても上着を着られないことがありました。腹を立てた彼は、服を放り出してしまいました。思わずため息が漏れます。 「ああ……、もう少しで着られたのに」 「君は人のことを言いすぎる。僕は本当にアルツハイマーか? 死にたい」 一緒に寄り添って歩むことの難しさを、私はつくづく思い知らされるのでした。 最高学府の教授でもあった夫・若井晋。その彼が若年性認知症になるとき、本人は、そして家族は、どうしたのか。病を受け入れてもなお歩き続けた夫婦の軌跡を、妻・若井克子が克明に描き出す新刊『東大教授、若年性アルツハイマーになる』は、全国の書店・ネット書店にて好評発売!』、「足腰が丈夫だった晋。かつては二段跳び・三段跳びで階段を駆け上がるので、置いてきぼりになるのは私でした。 今では晋は、注意深く一段一段上っています。そしてときどき、私にこんな抗議の声を上げます。 「君のペースにはついていけない」 「君は、やることが速すぎる」 どうしても上着を着られないことがありました。腹を立てた彼は、服を放り出してしまいました。思わずため息が漏れます。 「ああ……、もう少しで着られたのに」 「君は人のことを言いすぎる。僕は本当にアルツハイマーか? 死にたい」 一緒に寄り添って歩むことの難しさを、私はつくづく思い知らされるのでした」、よくぞここまで「寄り添って歩む」ことをしてこられただけでも、立派だ。

次に、4月3日付け現代ビジネスが掲載した主婦の若井 克子氏による「若年性アルツハイマーを発症した元東大教授が、デイサービスに入って経験したこと 失語の当事者が語った胸の内とは」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/92672?imp=0
・『若年性アルツハイマー病で、東京大学を早期退官した若井晋。沖縄での療養などを経て病を公表し、それがきっかけで「認知症当事者としての講演」という生きがいを見つけた彼だったが、症状の悪化からついに講演は不可能となった。妻とともに日常に戻った彼は、介護保険サービスを利用してデイサービスに通い始める。そこで明らかになった、認知症の当事者だからこその苦悩とは? 近刊『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(若井克子・著、講談社)よりお届けする。 これまでの記事はコチラ 【第1回】54歳で「若年性アルツハイマー」になった東大教授が書き残していた「日記の中身」 【第2回】手術上手な脳外科医が一転、ネクタイが結べず…東大教授を襲った「若年性アルツハイマー」の現実 【第3回】文字が書けない…54歳で「若年性アルツハイマー」になった東大教授の苦悩 【第4回】失意の元・東大教授は、なぜ「若年性アルツハイマー」を公表したのか? 【第5回】「ぼくは、エイリアン」54歳で若年性アルツハイマーになった東大教授が見た世界 【第6回】元・東大教授が「若年性アルツハイマー」になって見つけた「意外な楽しみ」 【第7回】アルツハイマーを発症した元・東大教授が、言葉を失いつつも講演を続けた理由』、「症状の悪化からついに講演は不可能となった。妻とともに日常に戻った彼は、介護保険サービスを利用してデイサービスに通い始める。そこで明らかになった、認知症の当事者だからこその苦悩とは?」、興味深そうだ。 
・『弱っていく体、澄んでいく心  講演行脚をやめる少し前から、晋(すすむ)の体は目に見えて衰えていき、それにつれて私たちの生活も変化していきました。 ■2010年 この年に介護保険を使い始めたことはすでに書きました。家で私たちは畳に布団を敷いて寝ていましたが、晋が立ち上がるのが難しくなったのがこの頃です。 幸い、ケアマネジャーさんが介護ベッドの導入を提案してくれたおかげで、解決することができました。 ■2012年 講演を通じて偶然知り合った医師の助言をきっかけに、デイサービス(デイ)に通い始めました(後で書く通り、うまくなじめず、いくつかのデイを転々とするのですが)。 この頃から、入浴に危険を感じるようになりました。滑りやすいタイル張りの浴室で、晋の大きな体を支えられるか、それだけの力が私に残っているか、不安になったのです。 ケアマネジャーさんに相談したところ、さっそく屈強なヘルパーさんを紹介してもらうことができ、見守りと介助を受けられるようになりました。 ■2015年 晋の要介護度は、最重度の「5」に引き上げられました。 そして、この年のある日、ついに晋が立ち上がれなくなります。 以前から足が上がりにくくなり、車にも乗れず、外出が減っていました。 ソファに座っても、自分の力だけでは立ち上がることができません。それでも、私が晋の前に立ち、両足で彼の足をしっかり踏んで固定し、手を握って全体重をかけて引っ張り上げれば、まだ立たせることができたのです。 しかし2015年のある冬の日、ついに手伝っても立てなくなりました。私が引っ張り上げるのに合わせて、晋も立とうとします。でも足に力が入らないのか、くにゃ、となってしまうのです。 それまでの「立てない」とは、明らかに様子が違いました。そこで私はまず、彼をなんとか座布団の上に座らせ、その座布団を引っ張って寝室へ移動し、ベッドの横に敷いた布団に彼を転がすように寝かせました。 私は力自慢ではありませんし、晋とはだいぶ体格差があるのですが、これが「火事場の……」というものでしょうか。 ともかく、翌朝ケアマネジャーさんに連絡をとると、さっそく訪問看護師が3人、我が家に飛んできて、晋を布団からベッドに移してくれました。 夏には誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)も経験し、1ヵ月半にわたって入院。 晋にとっては多難な年でした。 ■2016年 肺炎で再び入院。しかし前回の入院で、晋には病院での生活が負担になると痛感していたので、自宅での療養を選びました。抗生剤が効き前後10日ほどでデイサービスに通えるくらい回復したのは幸いでした。 こうして晋は、ベッド中心の生活になっていきました。いわゆる「寝たきり」です。 言葉を失い、寝たきりになった晋。 生きていて、幸せなのでしょうか。 尋ねてみたいと思うこともありますが、聞くまでもない、そうも感じます。 南向きの部屋で寝ている彼のもとに、朝日がガラス戸越しに射す。 そのとき彼の目は、重荷をすべて下ろしたかのように澄み切って、平穏に満ちています。その幸せそうな顔を見ていると、問うこと自体が無意味にも思えるのです。 ただ、この静けさに至るまでの道のりは、決して平坦ではありませんでした』、「講演行脚をやめる少し前から、晋(すすむ)の体は目に見えて衰えていき、それにつれて私たちの生活も変化していきました」、「晋は、ベッド中心の生活になっていきました。いわゆる「寝たきり」です。 言葉を失い、寝たきりになった晋。 生きていて、幸せなのでしょうか。 尋ねてみたいと思うこともありますが、聞くまでもない、そうも感じます。 南向きの部屋で寝ている彼のもとに、朝日がガラス戸越しに射す。 そのとき彼の目は、重荷をすべて下ろしたかのように澄み切って、平穏に満ちています」、急速に悪化したようだ。
・『デイサービスになじめない  少し話が戻りますが、晋がデイに行き始めたのは、些細なことがきっかけでした。2012年に招かれた日本老年精神医学会の講演で、M先生という医師から、 「ぜひ、診断に使ったMRIの画像を見せてほしい」 と申し出がありました。さっそく一式お送りすると、しばらくしてお便りが届きます。 その手紙のなかでM先生は、晋は「緩徐進行性非流暢性失語症(かんじょしんこうせいひりゅうちょうせいしつごしょう)」かもしれないと指摘したうえで、それでも、 「アルツハイマー病の可能性は否定できない。言葉を出してください」 と書いてあったのです。そのことを説明しながら、私は彼にこうすすめたのでした。 「晋さん、言葉のリハビリだと思って、デイサービスへ行ってみたら」 「行くよ」 即答でした。リハビリという言葉が気に入ったのでしょうか。あとで子どもたちにこの一部始終を話すと、 「やっぱり、医者に言われると行くんだねえ」 と納得顔。さっそくケアマネジャーさんに相談し、とりあえずデイに週1回、半日通うところから始めます。 これまで晋とふたりきりで、あまりにも密な生活を続けていた私は、晋が留守の間どう過ごそうか、あれこれ考えて夢を膨(ふく)らませていました。 晋も当初は、デイを楽しんでいました。 早くから支度をして外に出て、迎えの車を待つ、なんてこともしていたほどです。気持ちよく入浴させてもらい、笑顔で帰ってくる日が続いていました。 ところが、通い始めて3ヵ月ほど過ぎたころから、時折、暗く険しい顔つきが目立つようになりました。ついにある日、送りのデイ職員から、 「今日は職員の髪をひっぱりました」 という報告が――。 「どうしたの? 何があったの?」 尋ねても、晋はうつむいたままです。それでもしつこく問うと、たどたどしくはありましたが、彼の言葉からようやく事情がつかめました。 同じデイを利用するお年寄りから、「あの人は何もできない」と言われたそうなのです。 「それくらいのことで、落ち込んじゃだめだよ」 「落ち込んじゃいけないね」――そう言う晋は、しかし、うなだれたままです。 「もう、無理して行かなくていいよ。行きたくなかったら、やめていいんだよ」 私はたまらずこう声をかけました。 ケアマネジャー経由でデイに聞いても、「悪口」があった事実は確認できませんでしたが、こうして晋は、初めてのデイを去ることになったのです』、「同じデイを利用するお年寄りから、「あの人は何もできない」と言われたそうなのです」、そんな「悪口」でも「落ち込む」とは繊細さに驚かされた。
・『心に刻まれる苦しさ  この時期の晋は、ふだんから「何もできない」ことを気にしていました。小さな悪口にみえるかもしれませんが、本人にとっては「無能」の烙印(らくいん)を押されたようなもので、何にもまして屈辱的だったのではないでしょうか。 実際、デイでの一件は、彼の中でずっと尾を引いていたのです。ある夜、布団に入った晋が言います。 「僕は何もできない」 「何もできないのが病人じゃない? でも晋さんは散歩にも行ける。電車にも乗れる。歌も歌えるじゃない」 「ありがとう」 ようやく眠りに入るのでした。 また、こんなこともありました。デイをやめた少しあと、私が発熱して一日家で寝ていたことがありました。晋がそばに来て、おろおろしながら尋ねます。 「誰かに何か、言われたんじゃないの」 「誰も何も言わないよ」 私はあわてて打ち消しましたが、内心、驚きでいっぱいでした。 晋は、かつての自分と今の私を重ねていたのです。私が寝込んでいるのは、誰かに酷いことを言われて傷ついたからではないか――そう推測していたのです。 その時の彼にできる、最大限のお見舞いだったに違いありません。人を思いやる心は、損なわれていませんでした。 認知症は物忘れの病気だといわれます。確かに、具体的なことは時間とともに忘れてしまうのでしょう。でも、苦しさは深く心に刻みこまれるのだと痛感した出来事でした』、「晋は、かつての自分と今の私を重ねていたのです。私が寝込んでいるのは、誰かに酷いことを言われて傷ついたからではないか――そう推測していたのです。 その時の彼にできる、最大限のお見舞いだったに違いありません。人を思いやる心は、損なわれていませんでした。 認知症は物忘れの病気だといわれます。確かに、具体的なことは時間とともに忘れてしまうのでしょう。でも、苦しさは深く心に刻みこまれるのだと痛感した出来事でした」、「人を思いやる心は、損なわれていませんでした」、なるほど。
・『「ちがうんだよ」と騒いでしまう理由  それでも、しばらくすると晋は、また別のデイに通うようになりました。家で退屈そうにしているのを見かねて、私がすすめたのです。もちろん、私自身にも、骨休めしたいという気持ちがありました。 2つめのデイ。ここでも晋は、当初ごきげんで通っていました。職員からは「先生」と呼ばれ、ほかの利用者と歌ったり踊ったり、楽しめていたようです。 「僕って面白いでしょ」 これが当時の、彼の口癖でした。しかし残念ですが、いい時間は長く続きません。) デイは毎回、行った日の詳しい出来事を「連絡ノート」で報告してくれます。そのノートからは、晋が次第に疲れをためていることが伝わりました。 「うるさい!」 そう大声を出すようにもなっていきました。 通い始めて5ヵ月ほど過ぎた、6月のある日。ついにこんな電話が入ります。 「先生が興奮しているので、来てくれませんか」 デイからでした。急いで迎えに行き、連れ帰りました。 何があったのか……「連絡ノート」を開くと、こんなくだりが目に飛び込んできます。 ■6月×日 9時15分 ホーム着です。室内を歩かれています。「うるさい!」を連発して言っています。 ずっと、 「ちがうんだよ、ちがうんだから」 「何度も言ってるじゃないか。わかってください。場所がちがうんだ、やめてくれ」 と大きな声で言われています。 「人がちがうんだから、ボクはボクで一人でやってるの、わかった?」 「わかったか! やめてよ!」 とずっと興奮されています。まわりのことは見えてないようです。 ■11時40分 早めの昼食にしました(鶏の天ぷら、春菊のごま和え、リンゴ、トマト、レタス)。鶏の天ぷら、トマトは完食です。リンゴは2人分食べました。ごはん、みそ汁、春菊は残っています。 ■12時 歩きながら食べています。だいたい食べると 「うるさーい!」 を連発して歩いています。 「ちがうんだからやめてよ本当に!!」 「だからいいよ、もう」 デイで「ちがう」としきりに口にしていることがわかります。 「晋さん、どうしたの、何かあったの?」 「僕はひとりなんだよ」 「いったい、何が『ちがう』の?」 「僕は今までの僕とはちがうんだから、わかってほしい。相手の言うことを一生懸命理解しようとすると、頭が疲れてきて、何が何だかわからなくなる。わかるように話してほしい」 「『場所がちがうんだ、やめてくれ』っていうのは、どういうこと?」 「場所が我が家とちがったり、知らない人に何か言われても、さっと理解できないし、言葉が出ない」 ゆっくりとではありましたが、晋が理路整然と説明することに、私は驚きを隠せませんでした。 このとき彼から聞き取ったことを私なりにまとめると、次のようになります。 「自分は理解力が落ちている。だから、自宅を離れてデイに行き、よく知らない職員に声をかけられても、わかるまでに時間がかかる」 問題が起こった時期、晋は週2回のペースでデイに通っていました。そんな頻度で顔を合わせる職員であっても、いつも初めて会う気がするらしいのです。だから5ヵ月たった時点でも「まだ人と場所に慣れない」のでした。 最高学府の教授でもあった夫・若井晋。その彼が若年性認知症になるとき、本人は、そして家族は、どうしたのか。病を受け入れてもなお歩き続けた夫婦の軌跡を、妻・若井克子が克明に描き出す新刊『東大教授、若年性アルツハイマーになる』は、全国の書店・ネット書店にて好評発売!』、「問題が起こった時期、晋は週2回のペースでデイに通っていました。そんな頻度で顔を合わせる職員であっても、いつも初めて会う気がするらしいのです。だから5ヵ月たった時点でも「まだ人と場所に慣れない」のでした」、「週2回」では「いつも初めて会う気がするらしい」、ようやく謎が解けたっとはいえ、困ったことだ。

第三に、本年3月6日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した小説家・エッセイスト・日本大学理事長の林 真理子氏による「作家・林真理子が説く「成熟した大人」の流儀、もらっても心が動かなかった企画書とは」を紹介しよう。
・『「人に食事をおごってもらったらお礼はどうするべき?」「会食での支払いは?」「人を紹介してくれた相手にどこまで礼を尽くす?」人付き合いには正確な答えのないさまざまな疑問がつきまとい、いつまでも頭を悩ませます。日本大学の学生から、50年の時を経て日本大学の理事長に。数々の文学賞を受賞したベストセラー作家で、2022年に日本大学理事長に就任した林真理子氏の人生論新書『成熟スイッチ』(講談社現代新書)の一部を抜粋・編集して、林真理子流の世渡り作法を紹介します』、「林真理子流の世渡り作法」とは興味深そうだ。
・『感謝の流儀その1 自分も得をするお礼の仕方  親の教えの本当の意味とありがたさは若い時にはわからないものです。たとえば、母から教えられた、 「『~宛』とか『~係』を『~御中』と書き直さない人はみっともない」 ということも、ようやく身についたのは三十代も半ばを過ぎた頃でした。 やってあげたことはいつまでも覚えているけれど、やってもらったことはすぐに忘れてしまう――。これも、母から叩き込まれた教えです。つまりは意識的に感謝の気持ちを心に留めておかないと、自動的に「恩知らず」「礼儀知らず」になってしまう。相手からのお礼が無かったりすると、何かをやってあげた側は軽い失望とともに、ずっとそのことを忘れません。 年をとって若い人にご馳走する機会も増え、お礼を言われる側の正直な気持ちもいっそうわかるようになりました。あんまりうるさいことは言いたくないですが、気になるのは、食事を奢った次の日に会っても「昨日はご馳走さまでした」と言わない人たちです。 当日にお礼を言ったからもう義務は果たしたと思っているのかもしれませんが、私はたとえ3~4カ月たっても「あの時はありがとうございました」と必ず言うようにしています。時間をおいたぶん、「まだあの時のことを覚えてくれているんだ」という義理がたさへのプラス評価も加わりますから、忘れずに伝えた方が自分にとっても得だと思います。 やはり感謝されると嬉しいのが人情ですし、さらには、きちんとしたかたちでお礼を伝えられると、その人への評価も高まるのが世の道理というものです。 私はものをもらったりご馳走されたりしたら、すぐに自筆のお礼状を書きます。もちろん、メールなどでもお礼を伝えないよりはマシですが、自筆で丁寧に書かれた手紙の方がいっそう気持ちを届けられるでしょう。手紙を書く人がほとんどいない世の中ですから、印象にも残ります。 お礼状ではありませんが、先日、会ったこともない編集者から、単行本企画の執筆依頼が届きました。ワープロソフトで数行だけ打ってある企画書を見て、 「なぜ見ず知らずのあなたのために、私がこんなことしなくちゃいけないの……」 と無視しました。たとえ実現は難しい内容でも、真剣さが伝わる自筆で書かれた依頼の手紙が封書で届いたら、断るにしても申し訳ないなと思ってその人のことはすごく心に残ったと思います。 知らない相手に「当たるも八卦(はっけ)」みたいな気持ちで何かをお願いするのなら、なおさら心を込めて手紙を書きなさい、と言いたいです。人の心を動かそうとすることを何もしないで、「万が一」など起きるはずはありません。私が自分でよく手紙を書くのは、その効果をよく知っているからでもあります。 お礼状をまめに書く人になるためには、まず形から入ること。私は鳩居堂で季節ごとに便せんを揃え、春・夏・秋・冬と書いた封筒に入れて分類しています。そしてお気に入りの万年筆を用意する。書きたくなったらすぐに手紙を書ける態勢から整えます。 お礼状の文面は短く、ごくありきたりでいいと思います。一文だけ自分らしい文章が入っていたりすると、なおいいですね。 手書きの礼状を送ること自体を楽しめるようになると、もうこっちのものです』、「知らない相手に「当たるも八卦(はっけ)」みたいな気持ちで何かをお願いするのなら、なおさら心を込めて手紙を書きなさい、と言いたいです。人の心を動かそうとすることを何もしないで、「万が一」など起きるはずはありません。私が自分でよく手紙を書くのは、その効果をよく知っているからでもあります」、「お礼状をまめに書く人になるためには、まず形から入ること。私は鳩居堂で季節ごとに便せんを揃え、春・夏・秋・冬と書いた封筒に入れて分類しています。そしてお気に入りの万年筆を用意する。書きたくなったらすぐに手紙を書ける態勢から整えます。 お礼状の文面は短く、ごくありきたりでいいと思います。一文だけ自分らしい文章が入っていたりすると、なおいいですね」、「お礼状をまめに書く人になるためには、まず形から入ること」、私のような筆無精にとっては、有難いアドバイスだ。
・『感謝の流儀その2 お返しは独自のテリトリーから  さて、目上の人から、けっこうなご馳走になってしまった場合、どのように感謝の気持ちを伝えたらよいでしょうか。値段も格もとても高い店だったり、まともにお返ししようとすることが無理だったりする場合です。 そんな時は、前述のとおり自筆のお礼状は必須として、私がおすすめするのが自分の出身地の名産品をお返しに贈ることです。 私もよく山梨の桃や干し柿を贈ります。お礼状には「地元のもので恐縮ですけど……」と書き添えておく。あたたかみも感じられますし、こうしたお返しの仕方はとても好感度が高いと思います。 東京出身の人なら、自分の近所にある、知る人ぞ知る名店の品などでもいいでしょう。あるいは、旅先で知ったおいしいものを「休暇で訪れた先で、とても美味しかったので」と贈ったり。覚えておきたいのは、東京のお金持ちに銀座の和光のお菓子を贈ってもあまり意味がないということ。「独自のテリトリーで見つけて自分がよいと思ったもの」を贈ることが重要です。 関連することでは、お店に招待してもらった時に、誘ってくれた人も初めて行く店で、「本で見て知りました」なんて言われると少しがっかりします。可能であればの話ですが、人をお店に招待する時には、人気店でもまずは自分で訪れて雰囲気もわかってからの方が望ましいでしょう。 お返しの話でつけ加えると、やはり花をもらって嬉しくない人はいないのではないでしょうか。ある会食の場を取り持ったお礼に、若手の女性作家からとてもセンスのいい花のアレンジメントが届いた時には「さすがだな」と感心しました。常日ごろからお世話になっている人になら、毎年のお正月に大きなお花を贈るのもいいと思います』、「可能であればの話ですが、人をお店に招待する時には、人気店でもまずは自分で訪れて雰囲気もわかってからの方が望ましいでしょう」、その通りだ。
・『品性が試される時その1 「支払うのは誰か」に敏感であれ  さて、今夜は面白いメンバーが揃う会食に出かけるとします。場所はなかなか予約が取れない高級日本料理店。そこで「わーい、楽しみー」と無邪気に浮かれているだけなら未熟者のそしりを免(まぬか)れないでしょう。成熟した大人の心得として、「支払うのは誰か」という問題に敏感であるのは当然のことです。 友人・知人同士で明らかにワリカンという場合――現金で細かくワリカンというのはみっともないのでやめるべきだと思いますが――は問題ありません。気をつかわなければいけないのは、メンバー間に何らかの力関係が働いている時です。 まず支払いの基本ルールとして、求められて来た側が正客として奢られて、来ることを求めた側が支払うということがあると思います。しかし、その応用編のルールもあるから、事態はややこしいのです。 たとえば、こんなことがありました。私がお呼ばれして3人でやるはずだった会食に、芸能人A氏が会いたがっていた人がいるので、A氏を誘ってお連れしたケース。A氏を紹介された2人も大喜びでしたが、A氏は私の知り合いですから、その会食の支払いは合計を2で割った分を私が支払いました。友人や知人を連れて行ったら、自分が支払いを持つのが当然だからです。もう1つの方法としては、「じゃあ、二次会をお支払いさせてくださいな」というやり方もありますね。――いずれにしても「誰がどのように支払うのか」ということは常に頭を悩ます、非常にナーバスな問題なのです。 明らかにその日の会計を支払ってくれそうな人がいる場合は、お酒の持ち込みが可能なお店であれば、ワインを持参するという手を使うこともあります。ただ、相手が相当なお金持ちだったり、超高級店だったりすると、持参するワインの格も求められますから非常に難易度が高い。若い人であれば、前述のように自筆のお礼状をお送りすれば十分です。 支払ってもらうことが明らかな会食の当日、先回りしてお礼の品を持って行くのも、スマートな方法だと思います。ほんのちょっとした“気持ちばかりの品”でいいのですが、支払う人にだけ渡すのも露骨なので、全員分を用意して帰りぎわに皆に渡すようにするのがいいでしょう。) お礼に心を尽くさなければならないのは、もちろん会食にかぎりません。基本的に、頼みごとをしてタダですむということは世の中にはないと思ってください。何かを頼んだ相手が動いてくれたら、たとえそれが叶わなくても、食事を奢ったりシャンパンを贈ったりということを忘れてはならないと思います。 息子さんのことで頼まれごとをしたお母さんからエルメスのスカーフをいただき、それを包みなおして自分がお世話になった方にまわしたこともあります。九州の産物をもらったら、お世話になった北海道の人へ贈る。逆に北から南へとか……。「地球上で感謝の気持ちをまわす」ことだって、SDGsの一環と考えられなくもありません(違うか)。 人に物事を頼むということは、大きな責任を伴うということを忘れないようにしたいものです』、「支払ってもらうことが明らかな会食の当日、先回りしてお礼の品を持って行くのも、スマートな方法だと思います。ほんのちょっとした“気持ちばかりの品”でいいのですが、支払う人にだけ渡すのも露骨なので、全員分を用意して帰りぎわに皆に渡すようにするのがいいでしょう」、「全員分を用意」とは驚いた。確かにその方がいいだろうが。人数にもよるだろう。
・『品性が試される時その2 紹介後のモヤモヤに「3回ルール」  もう1つ、ちょっと気になることがあります。紹介して引き合わせたばかりの人たちが私が知らないうちに何回も会って距離を縮めていると、「聞いてない!」と思ってモヤモヤしてしまうのです。 「いろいろと心が狭すぎる」「成熟なんて程遠いじゃん」という声がそろそろ聞こえてくるような気がしますが、「こういうことで腹を立てる人もいるんだから、成熟したいと思う人は気をつけようよ」という話だと思ってください。 先日もこんなことがありました。 Aさんに大金持ちのBさんを紹介しました。ちなみに、Bさんを紹介したその会食は私がご馳走しています。それ以降、AさんはBさんと何回も会ってグイグイ仲よくなっていったのです。しばらくしてAさんが「最近、Bさんと随分親しくしているんだよね」という話をしていたと別の人から聞き、「それって私が紹介したんだけど……」と心がざわつきました。 そしてある日、某社のトップCさんから「AさんがBさんと仲よくなったらしくて3人で食事をするけど、来ない?」と誘われます。「AさんにBさんを紹介したのって私ですよ」と言いかけましたが、ハッとして言葉を呑み込みました。よくよく思い出してみれば、大金持ちのBさんを私に紹介してくれたのはCさんだったのです……。 こうしてまとめてみると、ちょっとした小噺のようですね。本章の冒頭で「やってあげたことはいつまでも覚えているけれど、やってもらったことはすぐに忘れる」という法則に触れましたが、人に人を紹介するということも、見事にこの法則に準じていることがよくわかります。 「人にされて嫌だと思ったことはしない」のが私の矜持です。そのために自分に課しているのが「3回ルール」というもの。その内容は基本的に「紹介された人と3回会うまでは、紹介者に報告する」ということ。4回目以降は、断りなく会って差し支えないというルールです。 3回どころか数十年を経ても、大事な局面では紹介者にお礼を言う必要があります。宮内義彦さん(オリックスグループ前CEO)を日大の顧問にお迎えする際も、20数年前に宮内さんを紹介してくれた奥谷禮子さん(元ザ・アール会長)に「ご縁を繋いでくださって感謝します」と、しっかり仁義を切りました。 人を紹介するという行為には、人間関係の繊細な部分が絡み合っています。紹介してくれた人への配慮を常に欠かさないようにしたいものです。 ちなみに私のマイルールをあと2つお教えしましょう。「その場に招待されていない人がいた場合に、『このあいだは楽しかった』などと言わない」と「もらいものは2人になった時にお礼を言う」。――人間関係のルールは案外、根本のところでは子ども時代とさほど変わらないものなのかもしれません』、「3回ルール」、「「紹介された人と3回会うまでは、紹介者に報告する」ということ。4回目以降は、断りなく会って差し支えないというルール」、合理的だ。「私のマイルールをあと2つお教えしましょう。「その場に招待されていない人がいた場合に、『このあいだは楽しかった』などと言わない」と「もらいものは2人になった時にお礼を言う」。――人間関係のルールは案外、根本のところでは子ども時代とさほど変わらないものなのかもしれません」、なかなかよく練られた「ルール」で、さすが「林」氏だ。 
タグ:人生論 (その12)(「若年性アルツハイマー」になっった「元・東大教授」2題(「意外な楽しみ」 それまでとは違った世界が見えた、デイサービスに入って経験したこと 失語の当事者が語った胸の内とは)、作家・林真理子が説く「成熟した大人」の流儀 もらっても心が動かなかった企画書とは) 現代ビジネス 若井 克子氏による「元・東大教授が「若年性アルツハイマー」になって見つけた「意外な楽しみ」 それまでとは違った世界が見えた」 『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(講談社) 「若年性アルツハイマー」で「失語症」になったとあっては、「東大教授」を「早期退職」せざるを得なくなったのは、本人にとってはさぞかしつらかったことだろう。 「人の価値についてどう思いますか」といった答え難い「質問」をした質問者のセンスを疑う。ただ、「動じるふうもなく、こう応じたのです。 「人生で一番大切なことは何か、ということが分からない人、分かる人、いろいろあると思うんです。その中で一人一人が自分の生き様に合わせて絶えず歩み続ける。そういう中で私も生きてゆきたい。これからも、この後も生きていきたいなと思います」、と答えたのはさすがだ。 「病気」いなってよかったとは意外だ。 「足腰が丈夫だった晋。かつては二段跳び・三段跳びで階段を駆け上がるので、置いてきぼりになるのは私でした。 今では晋は、注意深く一段一段上っています。そしてときどき、私にこんな抗議の声を上げます。 「君のペースにはついていけない」 「君は、やることが速すぎる」 どうしても上着を着られないことがありました。腹を立てた彼は、服を放り出してしまいました。思わずため息が漏れます。 「ああ……、もう少しで着られたのに」 「君は人のことを言いすぎる。僕は本当にアルツハイマーか? 死にたい」 一緒に寄り添って歩むことの難しさを、私はつくづく思い知らされるのでした」、よくぞここまで「寄り添って歩む」ことをしてこられただけでも、立派だ。 若井 克子氏による「若年性アルツハイマーを発症した元東大教授が、デイサービスに入って経験したこと 失語の当事者が語った胸の内とは」 「症状の悪化からついに講演は不可能となった。妻とともに日常に戻った彼は、介護保険サービスを利用してデイサービスに通い始める。そこで明らかになった、認知症の当事者だからこその苦悩とは?」、興味深そうだ。 「講演行脚をやめる少し前から、晋(すすむ)の体は目に見えて衰えていき、それにつれて私たちの生活も変化していきました」、「晋は、ベッド中心の生活になっていきました。いわゆる「寝たきり」です。 言葉を失い、寝たきりになった晋。 生きていて、幸せなのでしょうか。 尋ねてみたいと思うこともありますが、聞くまでもない、そうも感じます。 南向きの部屋で寝ている彼のもとに、朝日がガラス戸越しに射す。 そのとき彼の目は、重荷をすべて下ろしたかのように澄み切って、平穏に満ちています」、急速に悪化したようだ。 「同じデイを利用するお年寄りから、「あの人は何もできない」と言われたそうなのです」、そんな「悪口」でも「落ち込む」とは繊細さに驚かされた。 「晋は、かつての自分と今の私を重ねていたのです。私が寝込んでいるのは、誰かに酷いことを言われて傷ついたからではないか――そう推測していたのです。 その時の彼にできる、最大限のお見舞いだったに違いありません。人を思いやる心は、損なわれていませんでした。 認知症は物忘れの病気だといわれます。確かに、具体的なことは時間とともに忘れてしまうのでしょう。でも、苦しさは深く心に刻みこまれるのだと痛感した出来事でした」、「人を思いやる心は、損なわれていませんでした」、なるほど。 新刊『東大教授、若年性アルツハイマーになる』 「問題が起こった時期、晋は週2回のペースでデイに通っていました。そんな頻度で顔を合わせる職員であっても、いつも初めて会う気がするらしいのです。だから5ヵ月たった時点でも「まだ人と場所に慣れない」のでした」、「週2回」では「いつも初めて会う気がするらしい」、ようやく謎が解けたっとはいえ、困ったことだ。 ダイヤモンド・オンライン 林 真理子氏による「作家・林真理子が説く「成熟した大人」の流儀、もらっても心が動かなかった企画書とは」 林真理子氏の人生論新書『成熟スイッチ』(講談社現代新書) 「林真理子流の世渡り作法」とは興味深そうだ。 感謝の流儀その1 自分も得をするお礼の仕方 「知らない相手に「当たるも八卦(はっけ)」みたいな気持ちで何かをお願いするのなら、なおさら心を込めて手紙を書きなさい、と言いたいです。人の心を動かそうとすることを何もしないで、「万が一」など起きるはずはありません。私が自分でよく手紙を書くのは、その効果をよく知っているからでもあります」、 「お礼状をまめに書く人になるためには、まず形から入ること。私は鳩居堂で季節ごとに便せんを揃え、春・夏・秋・冬と書いた封筒に入れて分類しています。そしてお気に入りの万年筆を用意する。書きたくなったらすぐに手紙を書ける態勢から整えます。 お礼状の文面は短く、ごくありきたりでいいと思います。一文だけ自分らしい文章が入っていたりすると、なおいいですね」、「お礼状をまめに書く人になるためには、まず形から入ること」、私のような筆無精にとっては、有難いアドバイスだ。 感謝の流儀その2 お返しは独自のテリトリーから 「可能であればの話ですが、人をお店に招待する時には、人気店でもまずは自分で訪れて雰囲気もわかってからの方が望ましいでしょう」、その通りだ。 品性が試される時その1 「支払うのは誰か」に敏感であれ 「支払ってもらうことが明らかな会食の当日、先回りしてお礼の品を持って行くのも、スマートな方法だと思います。ほんのちょっとした“気持ちばかりの品”でいいのですが、支払う人にだけ渡すのも露骨なので、全員分を用意して帰りぎわに皆に渡すようにするのがいいでしょう」、「全員分を用意」とは驚いた。確かにその方がいいだろうが。人数にもよるだろう。 品性が試される時その2 紹介後のモヤモヤに「3回ルール」 「3回ルール」、「「紹介された人と3回会うまでは、紹介者に報告する」ということ。4回目以降は、断りなく会って差し支えないというルール」、合理的だ。「私のマイルールをあと2つお教えしましょう。「その場に招待されていない人がいた場合に、『このあいだは楽しかった』などと言わない」と「もらいものは2人になった時にお礼を言う」。 ――人間関係のルールは案外、根本のところでは子ども時代とさほど変わらないものなのかもしれません」、なかなかよく練られた「ルール」で、さすが「林」氏だ。
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葬式・墓(その2)(築地本願寺、「30万円合同墓」に予約殺到の理由  「子どもに迷惑をかけたくない」中高年に大人気、「カプセルの中で自分の体を30日かけて腐らせ堆肥に」究極の自然葬に3カ月で550人も予約が殺到した 園芸用堆肥になるか森林に撒かれる、葬儀業者が“ケチった”せいでご遺体から出血が止まらない…火葬場職員が見た「ヤバい業者」の実態) [人生]

葬式・墓については、2019年8月11日に取上げた。久しぶりの今日は、(その2)(築地本願寺、「30万円合同墓」に予約殺到の理由  「子どもに迷惑をかけたくない」中高年に大人気、「カプセルの中で自分の体を30日かけて腐らせ堆肥に」究極の自然葬に3カ月で550人も予約が殺到した 園芸用堆肥になるか森林に撒かれる、葬儀業者が“ケチった”せいでご遺体から出血が止まらない…火葬場職員が見た「ヤバい業者」の実態)である。

先ずは、やや古いが、2020年12月17日付け東洋経済オンラインが掲載した築地本願寺代表役員・宗務長 の安永 雄彦氏による「築地本願寺、「30万円合同墓」に予約殺到の理由  「子どもに迷惑をかけたくない」中高年に大人気」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/394752
・『400年の伝統がある築地本願寺が今、ビジネスモデルの大変革に取り組んでいる。「衰退産業」の中にあって、生き残りをかけてどのように変わりつつあるのか。 一例を挙げれば、新たなお墓のかたちとして、30万円からの「合同墓(ごうどうぼ)」を提案、「子どもに面倒をかけたくない」と考えるミドル、シニア層の予約が殺到している。元ビジネスマンから2015年に築地本願寺のトップに就任、数々の斬新な施策でテレビ番組「カンブリア宮殿」などでも注目され、このほど『築地本願寺の経営学』を上梓した安永雄彦氏が仏教界の常識を超えるマーケティングについて解説する』、「安永雄彦氏」は銀行出身、ケンブリッジ大学で経営学の博士号を取得した極めてイノベーティブな俊才で、私が注目している人材の1人だ。
・『子ども世代に面倒をかけたくない  築地本願寺の「顧客創造」のために取り組んだ改革案の1つに合同墓があります。価値観の多様化でとくに都市部の葬儀のあり方は変化しており、お墓もしかりです。先祖代々の寺があっても、遠方に住んでいてお参りに行きにくい人は大勢います。 私自身も東京出身ですが、わが安永家のお墓は福岡の博多にあります。「ちょっと死んだ親父に近況のご報告やお彼岸のご挨拶を」という具合にはなかなかいきません。 お墓はミドルやシニアの悩みごとの代表といっていい関心事でもあります。「次男だからお墓を買わなければいけないけれど、どうすればいいか」という人。「自分でお墓を用意しても、死後に誰がお墓の面倒を見てくれるのか」という人。また、お墓はいらないので「骨を海にまいてほしい」と海洋散骨を希望する人も珍しくなくなりました。今では、宇宙散骨も予約できるようになりました。 少子高齢化社会なのですから子どもが1人か2人の家庭は多く、仮にその子どもが独身で孫もいなければ、わずか数十年で誰もお参りをしてくれないお墓(無縁墓)になってしまいます。) どのお寺も永代供養(浄土真宗では先祖に対しては「供養」という言葉は使いませんが、ここでは一般的な用語として、お寺が永久にお墓を守り、お経をあげて個人を追悼することを意味しています)を引き受けていますが、それで人々の先行きの不安がすべて拭い去られるわけではありません。 さらに現代のミドルやシニアに共通するのは、「次の世代に迷惑をかけたくない」という気持ちです。自分できちんとお墓も用意して、準備万端で死を迎えたいと考えているから、余計に悩みが増えるのです。私自身、60代半ばでまさに「終活」を考える年代です。時代に寄り添う「これからのお墓」を提案しなければいけないと、ずっと考え続けていました』、自分自身にも切実な問題だったので、よく出来た案になったのだろう。
・『新たなお墓のかたち「築地本願寺合同墓」  家族葬など葬儀が簡素化されても、人の死には儀式が必要で、葬儀への参加の代わりにお墓参りに行く人もいます。そう考えると、お墓は儀式を兼ねるものであり、誰もが立ち寄れるようにするには、便利な場所にあってしかるべきです。 その点、築地本願寺は首都圏の方々にはアクセスが抜群によい場所にあります。地元である築地はもちろん、銀座からすぐ近く、買い物帰りに立ち寄ることもできます。多くの人が求めている、「これからのお墓」が提案できる──そう考えて私たちが立案したのが、「合同墓」でした。いわばお墓のマンションで、誰もが気軽に訪れることができる、シンプルなお墓です。 合同墓のプランを立てて実行する段階で、細かなマーケティング調査を一般の調査会社のインターネット・システムを使って行いました。いわゆる世論調査のようなものです。 一般的に寺院はその成り立ちからいって、「自分たちはありがたい教えを与える側」「仏様の教えをお取り次ぎさせていただく立場」という、いわば上から目線の意識が染みついていて、どうしても相手の立場に立って「何が求められているのか?」を慮る(おもんぱかる)ことが苦手です。 しかしそれでは、独りよがりな改革になり、人々の役に立つことも、喜んでもらうこともできません。ビジネスとして考えれば、プロダクトアウトの発想であり、大きな投資をして赤字がさらに膨らむという最悪の結果となるでしょう。 そこで私は「お寺もコーポレーション」という信念のもと、マーケティングをしっかりと取り入れました。合同墓についてのマーケティング調査はインターネットを使い、設問に答えてもらうかたちをとりました。 「有名なお寺が都心の好立地にお墓を建てるとして、あなたが入るなら普通の納骨堂、合同墓の納骨堂、どちらがいいですか?」 「合同墓に入るなら、いろいろな人のお骨と一緒になっても抵抗がありませんか?お骨は個別にしてほしいですか?」』、「一般的に寺院はその成り立ちからいって、「自分たちはありがたい教えを与える側」「仏様の教えをお取り次ぎさせていただく立場」という、いわば上から目線の意識が染みついていて、どうしても相手の立場に立って「何が求められているのか?」を慮る(おもんぱかる)ことが苦手です。 しかしそれでは、独りよがりな改革になり、人々の役に立つことも、喜んでもらうこともできません。ビジネスとして考えれば、プロダクトアウトの発想であり、大きな投資をして赤字がさらに膨らむという最悪の結果となるでしょう。 そこで私は「お寺もコーポレーション」という信念のもと、マーケティングをしっかりと取り入れました。合同墓についてのマーケティング調査はインターネットを使い、設問に答えてもらうかたちをとりました」、「マーケティングをしっかりと取り入れた」とはさすがだ。
・『西と東で違う!合同墓のマーケティング  調査の結果、見えてきたのは明らかな地域性でした。東京の人はお骨が混ざることに抵抗感があり、関西では「いろいろな人のお骨と一緒になってもいい」と感じる人が多いのです。 理由は明確で、浄土真宗本願寺派の関西のお寺には、お墓がないところが少なくありません。それらのお寺の門徒は、昔から宗祖親鸞聖人のお墓がある京都の大谷本廟(ほんびょう)に合葬されてきました。また、大阪天王寺の一心寺は、合葬の寺として多くの方のお骨で「骨仏」をつくることで有名で、非常に多くの方が納骨されていることからも合葬が受け入れられている地域性がわかります。 付け加えると、骨壺のサイズも東と西で異なります。西のほうが小さく、東のおよそ半分。東はすべてのお骨を壺に納め、いちばん上に頭蓋骨を載せたりしますが、西は壺に入らないお骨は火葬場で廃棄処分にします。 築地本願寺は東京のお寺であり、多くの人がほかの人とお骨が混じる合葬に抵抗感があることから最終的に「ご遺骨はすべてお預かりし、パウダーにして個別のお骨袋に入れた状態で納骨堂に収蔵する」というかたちに落ち着きました。 合同墓と聞くと奇異に感じる人がいるかもしれませんが、実はすでに全国にあります。なぜなら、先祖代々のお墓でも納めるスペースには限度がある。お骨が多くなりすぎたら古いお骨を出し、どこのお寺にも必ずある合葬墓に入れるというやり方は昔も今も変わりません。 こう考えると時間が経てば誰もが合同墓で弔われるわけですし、もっと長期的な視点に立てばすべては土に還ります。その意味で私は個人的に、「亡き人を思うことに意味があり、お骨そのものにはさほど意味がないのではないか」と考えることもあります。宗派を問わずに「生前の意思」で受け付ける都市部にあるマンションタイプの「これからのお墓」(いわば「未来墓」)。築地本願寺の境内に、2017年11月に礼拝堂を備えた「築地本願寺合同墓」が創建されました。) 前例のないコンセプトであるため、この合同墓をつくるにあたっては、寺院内で議論がありました。プロジェクトメンバーを中心に、マーケティング調査からデザイン、冥加金(みょうがきん=合同墓の契約金)に至るまで、多くの議論を重ねた結果として、スタートすることができました。 境内に建てられた納骨堂は、本堂やインフォメーションセンターとマッチする現代美術館のような趣ですが、内部には礼拝堂もあります。回廊に刻まれているのは、俗名にあたる「個人名」。合同墓への申し込み後、多くの方が、お参りして自分の名前を回廊で確認されています。 また、合同墓と一緒に、帰敬式(ききょうしき)を申し込まれて、仏様の弟子になった証しである「法名(ほうみょう)」を受けられる人もいます。ほかの宗派での戒名に当たる「法名」はその宗派の信者が授与されるものですから、生前に「法名がほしい」という場合、浄土真宗の門徒になる「帰敬式」を受けてもらい、この機会に築地本願寺の門信徒になっていただくのです。 築地本願寺の合同墓の大きな特徴は、「浄土真宗の教えや儀式を尊重いただければ、これまでの宗派を問わずに誰でも入れる」ということです。故人であっても申し込みは法名や戒名がわからなければ、俗名でもまったく問題はありません。これは「あらゆる人(衆生)を救う」という教義からくる浄土真宗のおおらかさ、非常に大きな特徴だと思います。 キリスト教やイスラム教は「異教徒お断り」が原則で、「自殺者は弔えない、同性愛を許さない」といった一神教特有の厳しさがありますが、それに比べると仏教はかなりゆるやかです。浄土真宗は仏教の中でもとくに間口が広い宗派といえます』、「東京の人はお骨が混ざることに抵抗感があり、関西では「いろいろな人のお骨と一緒になってもいい」と感じる人が多い」、「骨壺のサイズも東と西で異なります。西のほうが小さく、東のおよそ半分。東はすべてのお骨を壺に納め、いちばん上に頭蓋骨を載せたりしますが、西は壺に入らないお骨は火葬場で廃棄処分にします」、とは初めて知った。「合同墓の大きな特徴は、「浄土真宗の教えや儀式を尊重いただければ、これまでの宗派を問わずに誰でも入れる」ということです。故人であっても申し込みは法名や戒名がわからなければ、俗名でもまったく問題はありません。これは「あらゆる人(衆生)を救う」という教義からくる浄土真宗のおおらかさ、非常に大きな特徴だと思います。 キリスト教やイスラム教は「異教徒お断り」が原則で、「自殺者は弔えない、同性愛を許さない」といった一神教特有の厳しさがありますが、それに比べると仏教はかなりゆるやかです。浄土真宗は仏教の中でもとくに間口が広い宗派といえます」、なるほど。
・『現代人の意思を尊重できる親鸞聖人の教え  親鸞聖人の言葉を集めた『歎異抄』に、有名な一節があります。 「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」 たとえこの世で殺人を犯した者であっても、念仏を信じ称えていれば死後は浄土に導かれ、そこで阿弥陀如来が成仏させてくれるという教えとして理解されています(より正確には、ここで言う「悪人」とは、煩悩が多くて悟りが開けない人、「善人」とは自らの善で悟りを開こうとする人、という意味で、そのため阿弥陀仏の本願にまかせる思いに欠けてしまいます)。 誤解されやすいのですが、「殺人を許す」というニュアンスではありません。「殺人者は罪人である以前に、罪を犯さずにはいられないほどの煩悩を抱えた弱い人間。そんな人こそ救わなければいけない」という、阿弥陀如来の慈悲の深さを説いたものです。) 阿弥陀如来は、そうした煩悩にとらわれた私たちすべてを残さずに救うと誓いを立てられて、とてつもなく長い時間修行されてその誓願を達成されて仏様になっているのです。したがって、この世で大きな罪を犯した人、殺人者でさえも必ずすくいとってくれることになります。 つまり、殺人者すら拒まないのですから、仏教のほかの宗派だろうと、異教徒だろうと、すべて受け入れる。築地本願寺は宗派からいってもすべての方を受け入れることができるお寺なのです。この大前提があるので、「生前、自分の意思で自分のお墓を決めたい」という現代人の意思を尊重することができます。 合同墓は、築地本願寺がある限り永遠のいわゆる「永代供養墓」(浄土真宗では供養という言葉は、使いませんが、永代にわたる法要を僧侶が営むという一般の用語でここでは永代供養と表現します)で、冥加金は30万円以上。現在のご契約数は1万人を超えており、テレビ東京の「カンブリア宮殿」をはじめ、さまざまなメディアに取り上げられたことで予約が殺到しています』、「「永代供養墓」・・・で、冥加金は30万円以上。現在のご契約数は1万人を超えており、テレビ東京の「カンブリア宮殿」をはじめ、さまざまなメディアに取り上げられたことで予約が殺到しています」、「「永代供養墓」・・・で、冥加金は30万円以上」、とはお得感がある。
・『「環境変化に対応したものが生き残る」  私は当初「合同墓を始めたら、すぐ競合が出てくるだろう」と思っていました。東京だけでも“ブランド寺”はたくさんあります。有名な大企業とて倒産するのですから、そうした大きなお寺も、新たなニーズを創り出さなければいずれ危機を迎えるのは、築地本願寺と同じでしょう。しかし具体的な動きがないのは、やはりどこのお寺も「伝統に守られているから、自分たちは大丈夫だ」と信じ切っている、古い体質があるのかもしれません。 いっぽうでアクセスが便利な小さなお寺が同じことをすれば、そのお寺にとっても門徒にもプラスは大きいのではないでしょうか。従来型の墓所をつくるには土地の確保が大変ですし、管理にも手間がかかります。しかし限定されたスペースにまとまった合同墓であれば、人手が少ないお寺でも十分行き届いたかたちでお守りできます。 「環境変化に対応したものが生き残る」というダーウィンの適者生存の法則は、築地本願寺だけに当てはまるものではないと思うのです』、「競合」が出てこなかったのは、「どこのお寺も「伝統に守られているから、自分たちは大丈夫だ」と信じ切っている、古い体質があるのかもしれません」、「限定されたスペースにまとまった合同墓であれば、人手が少ないお寺でも十分行き届いたかたちでお守りできます」、同感である。

次に、2021年7月29日付けPRESIDENT Onlineが掲載した浄土宗僧侶/ジャーナリストの鵜飼 秀徳氏による「「カプセルの中で自分の体を30日かけて腐らせ堆肥に」究極の自然葬に3カ月で550人も予約が殺到した 園芸用堆肥になるか森林に撒かれる」を紹介しよう。
・『遺体を堆肥にする「コンポスト葬(堆肥葬)」のサービスが昨年末に米国で始まり、予約者が殺到しているという。遺体はマメ科植物のウッドチップが敷きつめられた容器内でバクテリアなどの微生物の力によって分子レベルに分解され、土へと還る。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は「海洋散骨が広まっている中、法整備が整えば、日本にも将来的にコンポスト葬が入ってくる余地はある」という――』、「法整備が整えば、日本にも将来的にコンポスト葬が入ってくる余地はある」、なるほど。
・『コロナ禍で死への意識の高まり「遺体を堆肥にする」サービスが話題  ここ数年、「自然葬」なるカテゴリーの葬送が日本国内で人気を集めている。つまり、「自然に還る」イメージのある「海洋散骨」や「樹木葬」の類である。 だが、米国ではさらに先をいく究極の自然葬「コンポスト葬(堆肥葬)」のサービスが始まり、話題を呼んでいるのをご存じだろうか。新型コロナウイルスによる「死」への意識の高まりが、こうした葬送の多様化の後押しをしているとみられ、今後日本の葬送のあり方にも影響を与えそうだ。 コンポスト葬を開発したのは、米国ワシントン州シアトルのベンチャー企業「RECOMPOSE(リコンポーズ)」だ。コンポスト葬とは、遺体を堆肥にかえる葬送のこと。いや、葬送ともいえない代物だろう。全世界的に、人間社会が醸成してきた葬送文化に一石を投じる「新しい死後のあり方」といえるものになるかもしれない』、「コンポスト葬とは、遺体を堆肥にかえる葬送のこと」、「堆肥にかえる」段階で気持ち悪い現象が起こらないのだろうか。
・『火葬は二酸化炭素を大量に排出し、地球にやさしくない  同社の公式サイトによれば、創業者はカトリーナ・スペード氏という女性。建築を学んでいた大学院時代に、死後のあり方について強く関心を寄せるようになったという。そして、従来の環境負荷の大きい埋葬(土葬や火葬など)に疑問を抱き、2017年にリコンポーズ社を設立した。2020年11月から、コンポスト葬のサービスを本格的に開始した。 米国では1年間でおよそ270万人が死亡し、そのほとんどが火葬されたり、直接土葬されたりしている。火葬は二酸化炭素を大量に排出して、地球温暖化を加速させる元凶となる。土葬も土壌汚染につながる。米国における火葬率はおよそ56%。20年後には78%になると試算されている。 世界の人口は現在78億人。将来的には100億人以上になるともいわれており、火葬の増加、墓地不足など、死後処理を巡って様々な問題が浮上してくることは間違いない。 こうした、地球環境には決して優しくない埋葬の現状を彼女は憂いた。上院議員に働きかけ2019年、ワシントン州議会において人間の堆肥化を可能にする法案可決に導く。2021年に入ってカリフォルニア州、オレゴン州も合法化に至っている。 コンポスト葬の具体的な仕組みはこうだ』、3州で「合法化」されたようだ。
・『ウッドチップ敷いた容器内でバクテリアの力によって分子レベルに分解  葬儀を終えた遺体は、マメ科植物でできたオーガニックウッドチップが敷き詰められた容器に入れられる。さらに堆肥化を促進させるために、二酸化炭素や窒素、酸素、水分などを制御できるカプセルの中に入れられ、そこでバクテリアなどの微生物を増殖させて腐らせる。 遺体は、およそ30日をかけて分子レベルで分解され、土へと還っていく。その後は2~4週間かけて土を硬化させる。 リコンポーズ社のシアトルの施設には、すでに10基のカプセルが用意されている。そのエリアはグリーンハウスと呼ばれ、臭気を防ぐための高性能な空気清浄機などが備わっているという。 最終的には、遺体1体あたり85リットルほどの土壌ができる。この栄養豊富な土壌は、園芸用堆肥に使われたり、ベルズマウンテン保護林に撒かれて森林を構成する要素になったりして、新たな命を育む源泉に生まれ変わる。 同社によれば、火葬や土葬と比較して、コンポスト葬を選択した場合は1トン以上の二酸化炭素を節約できると試算している』、「遺体は、マメ科植物でできたオーガニックウッドチップが敷き詰められた容器に入れられる。さらに堆肥化を促進させるために、二酸化炭素や窒素、酸素、水分などを制御できるカプセルの中に入れられ、そこでバクテリアなどの微生物を増殖させて腐らせる。 遺体は、およそ30日をかけて分子レベルで分解され、土へと還っていく。その後は2~4週間かけて土を硬化させる」、「火葬や土葬と比較して、コンポスト葬を選択した場合は1トン以上の二酸化炭素を節約できると試算」、意外に時間がかかるようだ。
・『遺体1体あたり85リットルの土壌、費用は約60万円、予約殺到550人  気になる価格だが、同社のコンポスト葬は5500ドル(約60万円)。米国では、一般的には火葬費用が6万円程度、葬儀から遺体安置施設の利用料、納棺料、墓地代などを含めるとトータルで死後の費用は平均550万円ほどかかる。その点、コンポスト葬では火葬費や墓地、墓石代などが不要で、割安感はありそうだ。 米国の宗教専門メディア「Religion News Service」によれば、サービス開始から3カ月後の2021年2月には世界各国からの予約が550人に達したという。今後はさらに増えていきそうである。 なぜなら、欧米では徹底したエコロジストは一定数いるとみられるからだ。近年のSDGs(持続可能な開発目標)の広がりなどによって、葬送のあり方を再考する議論が深まりつつあった。 そこへ、新型コロナウイルスの爆発的蔓延が追い討ちをかけた。現在、米国での死者の合計はおよそ61万人。遺体安置施設はあふれかえり、葬儀や埋葬もままならない状況が続いた。 通常の弔いができなくなる中、哲学的に死をとらえる人が増えた。その中で、「死後の自然回帰」を強く支持する人が現れてきているのだろう』、「コンポスト葬は5500ドル(約60万円)」、「米国では、一般的には火葬費用が6万円程度、葬儀から遺体安置施設の利用料、納棺料、墓地代などを含めるとトータルで死後の費用は平均550万円ほどかかる。その点、コンポスト葬では火葬費や墓地、墓石代などが不要で、割安感はありそうだ」、「墓地、墓石代」は本人を偲ぶよすがとして必要なのではなかろうか。「サービス開始から3カ月後の2021年2月には世界各国からの予約が550人に達した」、かなりの人気のようだ。
・『日本でコンポスト(堆肥)葬はOKなのか、流行る可能性はあるのか?  では、日本でコンポスト葬が流行る可能性はあるのだろうか。私は時期尚早ではあるものの、仮に法整備が整えば、将来的にコンポスト葬が入ってくる余地はあると考える。 出典:堆肥葬を報じる「The Seatlle Times」(2021.1.22)のページより出典:堆肥葬を報じる「The Seatlle Times」(2021.1.22)のページより まず、法律の問題である。今のところ、コンポスト葬は日本では非合法に当たりそうだ。山野などに個人が勝手に遺体(遺骨、堆肥化した遺体を含む)を撒けば、刑法190条で定めている死体遺棄罪(3年以下の懲役)に觝触する。 一方で散骨は、日本各地で実施されている。「樹木葬」「自然葬」などの名称で呼ばれる地上型の散骨の場合、都道府県知事の許認可を得た霊園内に造られた特定の場所でのみ、散骨が許されている。 たとえば富士山麓などの風光明媚な土壌に眠りたい、自宅の庭に埋まりたい、あるいは田畠の肥料になりたい、と願っても実現することはできない。 日本における多くの樹木葬の場合、霊園内の敷地の隅に樹木や草木を植え、カロートと呼ばれる容器に遺骨を入れるスタイルが一般的だ。だがこれはあくまでも、「自然に還れるイメージ」を抱ける葬送にすぎない。その点、コンポスト葬は完全に自然回帰型の葬送法なので、斬新である。 海洋散骨の場合は、確かに「自然に還れる」埋葬法ではある。近年では1996(平成8)年に亡くなった漫才師の故横山やすしが、無類の競艇ファンだったことから死後、遺骨が広島県の宮島競艇場の海に撒かれた。 1998(平成10)年には自殺したロックバンド、X JAPANのギタリストhideの遺骨の一部がロサンゼルス近海に流されている。2011(平成23)年に亡くなった落語家の立川談志は、生前より散骨を希望していたことから、ハワイの海に撒かれた』、「海洋散骨」は確かにかなりの有名人が利用しているようだ。
・『現在、年間死者数の1%が海洋散骨、堆肥葬受け入れの「素地」はある  日本では芸能人が先行する形で海洋散骨が始まり、ここ10年ほどで一般化した。現在、年間死者数の1%程度が海洋散骨を選択しているといわれている。しかし、海洋散骨とコンポスト葬は、遺族感情としてはかなり異なる。海洋散骨を望むような人が、コンポスト葬を選択肢に入れるかどうか。 むしろコンポスト葬は土葬に近い。しかし土葬への敬遠意識は、日本人はとても強い。日本では火葬率が99.9%と世界一の水準にあり、相対的に土葬へのタブー意識が強まってきているのだ。 九州でムスリム用の土葬墓を造成する計画が、住民の反対運動によって頓挫しているケースがある(プレジデントオンライン2020年12月15日「住民反対運動も“世界一の火葬大国日本”で在日外国人が望む土葬を受け入れられるか」)。コンポスト葬は、土葬に近い“生々しい”葬送なのがネックだ。 国民の宗教感情の問題もある。海洋散骨が人気といっても、まだまだ多く日本人は遺骨や墓を大事にし、一周忌、三回忌といった追善法要を実施しているのが実情だ。 また、世間体もある。特にイエやムラ意識が強い地方在住の場合、コンポスト葬を選択した時の地域社会の目はかなり厳しそうだ。 だが、葬送儀礼が縮小傾向にあるのは紛れもない事実。日本でも樹木葬や海洋散骨を選択する人々が増えてきている実情を踏まえれば、コンポスト葬受け入れの「素地」は、着々と進んでいるようにも思える』、「コンポスト葬は土葬に近い。しかし土葬への敬遠意識は、日本人はとても強い。日本では火葬率が99.9%と世界一の水準にあり、相対的に土葬へのタブー意識が強まってきている」、ただし「日本でも樹木葬や海洋散骨を選択する人々が増えてきている実情を踏まえれば、コンポスト葬受け入れの「素地」は、着々と進んでいるようにも思える」、私個人は、「樹木葬や海洋散骨」には抵抗感はないが、「コンポスト葬」は気持ち悪く、嫌だ。日本では導入論はまだのようだが、どうなるのだろうか。

第三に、本年2月18日付け現代ビジネス「葬儀業者が“ケチった”せいでご遺体から出血が止まらない…火葬場職員が見た「ヤバい業者」の実態」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/103703?imp=0
・『これまでに1万人のご遺体を見送った下駄華緒さんが火葬場職員時代の体験を明かし、注目を集めているYouTubeチャンネル「火葬場奇談」。その壮絶な体験は「最期の火を灯す者 火葬場で働く僕の日常」(原案:下駄華緒/漫画:蓮古田二郎)として漫画化され、話題を集めている。 寄せられた反響について下駄華緒さんはこう話す。 「感想もそうなのですが、思っていた以上に感謝の声が多くてびっくりしました。1番数が多く頂いたのは、本を読んでから自分の親族のお骨あげに行かれた方が、その時の記憶が鮮明に残り良かったというお声です。今まで何も知らずに行った時は、なかなか記憶に残らなかったそうですが、本で知識を得てから行かれたお骨あげは『記憶に残る』ということです」 前編【ご遺体から出血が止まらず、枢の外まで流れ出て…火葬場職員が思わず仰天した壮絶な経験】では、出血が止まらなくなってしまったご遺体のエピソードを取り上げた。その根本原因は病院での不適切な処置にあったのだが、それだけではなかった――』、何なのだろう。 
・『ケチな葬儀業者のせいで…  心臓に疾患を抱えた人が胸に埋め込むペースメーカーだが、火葬すると轟音とともに爆発するため、亡くなった後にご遺体から取り除いてくれる病院もある。しかしその後の縫合が不十分だと、ご遺体から血が流れ出てしまうこともあるのだ。下駄華緒さんが勤める火葬場に運ばれてきてのも、そのようなご遺体だった。 しかし、血が流れ出てしまった原因はそれだけではない。なんと葬儀業者が、枢に入れるべきドライアイスを“ケチった”ことも理由の一つだという。 たいていの場合、枢には15kgほどのドライアイスを入れるという。もちろんご遺体を冷やして腐乱を防止するのが目的だが、同時にご遺体を凍結させて、死後に体内から体液が流れ出てしまうのを防ぐ意味もあるのだ。 なんとそのご遺体から出血が止まらなかったのは、担当した葬儀業者が枢に入れるドライアイスを“ケチった”ためだったという。経費削減が目的だというが、ドライアイスの量を減らしても利益には大して影響がない。 しかしこの業者の「手口」は、それだけではなかった』、「ご遺体から出血が止まらなかったのは、担当した葬儀業者が枢に入れるドライアイスを“ケチった”ためだった」、「この業者の「手口」は、それだけではなかった」、何だったのだろう。
・『大型バスにたったの2人  同じ葬儀業者がよく使うのが、「不必要な高額請求」という手口だ。 「火葬場職員は、ご遺族様が乗っていらした車のサイズを見て準備を変更することがよくあります。たとえば大型バスでいらした場合、ご遺族様が大人数だと推測して追加で焼番台を用意するんです」(下駄さん) その日も下駄さんは駐車場に入ってくる大型バスを目にして、あらかじめ準備を変更しようとした。しかしそんな下駄さんを先輩職員が止める。 よく見ると、数十人は乗れそうな大型バスから降りてきたのは、たった2人だけだったのだ。) 先輩職員によると、この手口は同じ葬儀業者の「常套手段」なのだという。参加者が数人の葬儀でも、不必要なほど大きなバスで火葬場まで送迎することで、わざと高額な車両代を遺族に請求しているのだ。 故人との別れの場であるはずの葬儀。ほとんどの葬儀業者は、我々が心残りなくお別れできるように心を砕いてくれる誠実な人ばかりである。しかし悲しいことに、大切な人を失って弱った心の隙間に付け込んで、1円でも多くの利益を得ようと企む業者も中には存在しているのだ。 人生の最後にまつわる火葬場でのエピソード。今一度「生きること」や「命の尊さ」について考えてみるきっかけになるかもしれない』、「悲しいことに、大切な人を失って弱った心の隙間に付け込んで、1円でも多くの利益を得ようと企む業者も中には存在しているのだ」、東京での「葬儀業者」はもっと大規模で、そんな悪事を働く余地もなさそうだが、地方の小規模業者のなかには悪徳業者がいるのかも知れない。
タグ:葬式・墓 (その2)(築地本願寺、「30万円合同墓」に予約殺到の理由  「子どもに迷惑をかけたくない」中高年に大人気、「カプセルの中で自分の体を30日かけて腐らせ堆肥に」究極の自然葬に3カ月で550人も予約が殺到した 園芸用堆肥になるか森林に撒かれる、葬儀業者が“ケチった”せいでご遺体から出血が止まらない…火葬場職員が見た「ヤバい業者」の実態) 東洋経済オンライン 安永 雄彦氏による「築地本願寺、「30万円合同墓」に予約殺到の理由  「子どもに迷惑をかけたくない」中高年に大人気」 「安永雄彦氏」は銀行出身、ケンブリッジ大学で経営学の博士号を取得した極めてイノベーティブな俊才で、私が注目している人材の1人だ。 自分自身にも切実な問題だったので、よく出来た案になったのだろう。 「一般的に寺院はその成り立ちからいって、「自分たちはありがたい教えを与える側」「仏様の教えをお取り次ぎさせていただく立場」という、いわば上から目線の意識が染みついていて、どうしても相手の立場に立って「何が求められているのか?」を慮る(おもんぱかる)ことが苦手です。 しかしそれでは、独りよがりな改革になり、人々の役に立つことも、喜んでもらうこともできません。ビジネスとして考えれば、プロダクトアウトの発想であり、大きな投資をして赤字がさらに膨らむという最悪の結果となるでしょう。 そこで私は「お寺もコーポレーション」という信念のもと、マーケティングをしっかりと取り入れました。合同墓についてのマーケティング調査はインターネットを使い、設問に答えてもらうかたちをとりました」、「マーケティングをしっかりと取り入れた」とはさすがだ。 「東京の人はお骨が混ざることに抵抗感があり、関西では「いろいろな人のお骨と一緒になってもいい」と感じる人が多い」、「骨壺のサイズも東と西で異なります。西のほうが小さく、東のおよそ半分。東はすべてのお骨を壺に納め、いちばん上に頭蓋骨を載せたりしますが、西は壺に入らないお骨は火葬場で廃棄処分にします」、とは初めて知った。 合同墓の大きな特徴は、「浄土真宗の教えや儀式を尊重いただければ、これまでの宗派を問わずに誰でも入れる」ということです。故人であっても申し込みは法名や戒名がわからなければ、俗名でもまったく問題はありません。これは「あらゆる人(衆生)を救う」という教義からくる浄土真宗のおおらかさ、非常に大きな特徴だと思います。 キリスト教やイスラム教は「異教徒お断り」が原則で、「自殺者は弔えない、同性愛を許さない」といった一神教特有の厳しさがありますが、それに比べると仏教はかなりゆるやかです。浄土真宗は仏教の中でもとくに間口が広い宗派といえます」、なるほど。 「「永代供養墓」・・・で、冥加金は30万円以上。現在のご契約数は1万人を超えており、テレビ東京の「カンブリア宮殿」をはじめ、さまざまなメディアに取り上げられたことで予約が殺到しています」、「「永代供養墓」・・・で、冥加金は30万円以上」、とはお得感がある。 「競合」が出てこなかったのは、「どこのお寺も「伝統に守られているから、自分たちは大丈夫だ」と信じ切っている、古い体質があるのかもしれません」、「限定されたスペースにまとまった合同墓であれば、人手が少ないお寺でも十分行き届いたかたちでお守りできます」、同感である。 PRESIDENT ONLINE 鵜飼 秀徳氏による「「カプセルの中で自分の体を30日かけて腐らせ堆肥に」究極の自然葬に3カ月で550人も予約が殺到した 園芸用堆肥になるか森林に撒かれる」 「法整備が整えば、日本にも将来的にコンポスト葬が入ってくる余地はある」、なるほど。 「コンポスト葬とは、遺体を堆肥にかえる葬送のこと」、「堆肥にかえる」段階で気持ち悪い現象が起こらないのだろうか。 3州で「合法化」されたようだ。 「遺体は、マメ科植物でできたオーガニックウッドチップが敷き詰められた容器に入れられる。さらに堆肥化を促進させるために、二酸化炭素や窒素、酸素、水分などを制御できるカプセルの中に入れられ、そこでバクテリアなどの微生物を増殖させて腐らせる。 遺体は、およそ30日をかけて分子レベルで分解され、土へと還っていく。その後は2~4週間かけて土を硬化させる」、 「火葬や土葬と比較して、コンポスト葬を選択した場合は1トン以上の二酸化炭素を節約できると試算」、意外に時間がかかるようだ。 「コンポスト葬は5500ドル(約60万円)」、「米国では、一般的には火葬費用が6万円程度、葬儀から遺体安置施設の利用料、納棺料、墓地代などを含めるとトータルで死後の費用は平均550万円ほどかかる。その点、コンポスト葬では火葬費や墓地、墓石代などが不要で、割安感はありそうだ」、 「墓地、墓石代」は本人を偲ぶよすがとして必要なのではなかろうか。「サービス開始から3カ月後の2021年2月には世界各国からの予約が550人に達した」、かなりの人気のようだ。 「海洋散骨」は確かにかなりの有名人が利用しているようだ。 「コンポスト葬は土葬に近い。しかし土葬への敬遠意識は、日本人はとても強い。日本では火葬率が99.9%と世界一の水準にあり、相対的に土葬へのタブー意識が強まってきている」、ただし「日本でも樹木葬や海洋散骨を選択する人々が増えてきている実情を踏まえれば、コンポスト葬受け入れの「素地」は、着々と進んでいるようにも思える」、私個人は、「樹木葬や海洋散骨」には抵抗感はないが、「コンポスト葬」は気持ち悪く、嫌だ。日本では導入論はまだのようだが、どうなるのだろうか。 現代ビジネス「葬儀業者が“ケチった”せいでご遺体から出血が止まらない…火葬場職員が見た「ヤバい業者」の実態」 何なのだろう。 「ご遺体から出血が止まらなかったのは、担当した葬儀業者が枢に入れるドライアイスを“ケチった”ためだった」、「この業者の「手口」は、それだけではなかった」、何だったのだろう。 「悲しいことに、大切な人を失って弱った心の隙間に付け込んで、1円でも多くの利益を得ようと企む業者も中には存在しているのだ」、東京での「葬儀業者」はもっと大規模で、そんな悪事を働く余地もなさそうだが、地方の小規模業者のなかには悪徳業者がいるのかも知れない。
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随筆(その4)(中野信子 ヤマザキ マリ:生贄探し (第1回 日本人は世界でもいじわる行動が突出している 「私が損をしているのだからお前も損をすべき!」 足を引っぱりあう日本人脳)、第2回 「徳していそうな人」が生贄になる 「有名人は“得している”から生贄にピッタリ!」は脳の指令だった)、第3回 ”世間体”という日本の戒律 恐るべし! 日本人は「世間の目」を、なぜこんな強烈に怖がるのか?イタリア人から見た日本)、 第4回 自分自身が生贄にされないために 失敗やみっともなさを許す力をつける) [人生]

随筆については、2020年2月20日に取上げたままだった。久しぶりの今日は、(その4)(中野信子 ヤマザキ マリ:生贄探し (第1回 日本人は世界でもいじわる行動が突出している 「私が損をしているのだからお前も損をすべき!」 足を引っぱりあう日本人脳)、第2回 「徳していそうな人」が生贄になる 「有名人は“得している”から生贄にピッタリ!」は脳の指令だった)、第3回 ”世間体”という日本の戒律 恐るべし! 日本人は「世間の目」を、なぜこんな強烈に怖がるのか?イタリア人から見た日本)、 第4回 自分自身が生贄にされないために 失敗やみっともなさを許す力をつける))である。

先ずは、2020年4月19日付け現代ビジネス「中野信子:生贄探し 第1回 日本人は世界でもいじわる行動が突出している 「私が損をしているのだからお前も損をすべき!」 足を引っぱりあう日本人脳 」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/82246?imp=0
・『「なぜ、あの人だけいい思いをするの!」幸せそうな人を見るとモヤッとする誰にもある負の感情。ヒトは誰もが生贄を求め、自分も生贄になる運命にあります。 脳科学者・中野信子さん、中東からヨーロッパ、アメリカとさまざまな異文化で学び暮らしてきた漫画家・ヤマザキマリさんの共著『生贄探し 暴走する脳』で、その、不条理さを歯に衣着せず分析。 そして、生きにくさから自由になる方法を提案します』、興味深そうだ。
・『自分が損してでも他人をおとしめたい  「日本人は親切だ」「日本人は礼儀正しい」「日本人は真面目だ」「日本人は協調性がある」というお決まりの褒め言葉があります。 確かにそのとおりでしょう。でも、日本人として日本に長く暮らしていると、手放しで喜んでよいものなのかどうか、一抹の不安もよぎります。これは一面的な見方であるかもしれない。本当に美しい心からそういう振る舞いがなされているのだろうか。そんなきれいごとで説明できるような国民性であったら、あっという間に悪意を持った他者/他国の餌食にされてしまうのでは? コーネル大学のベス・A・リビングストン、ノートルダム大学のティモシー・A・ジャッジ、ウェスタンオンタリオ大学のチャーリス・ハーストが行った研究によれば、協調性の高さと収入のレベルは反比例するといいます。誤解を恐れずに言えば、いい人は搾取されてしまうということです。 冷静に考えれば、親切で礼儀正しいのは、相手に対して無礼に振る舞ったことが広まって誹謗されることによる不利益を被るリスクを抑えるためであったり、真面目なのは誰かから後ろ指をさされて村八分にならないための自衛行為であったりもします。協調性があるというのも、そうしなければ本当に困ったときに誰も助けてくれないかもしれないからという理由が隠れていたりもします。 表向き、整った姿が見えているだけで、その裏には見なかったことにしなければならない闇の部分が口を開けている……。そんな闇があるからこそ、地理条件が偶然に助けているばかりではなく、日本人は自身の力で独立性を保っていられるのだとも言えます。きれいに整った穏やかな笑顔の下に、適切な量だけ毒々しさを隠し持っている日本の共同体の姿を、多くの人は、私などよりもずっと、経験的に知っているはずだと思います。 そんな日本社会の中で、生きづらさや息苦しさを感じたり、なぜ合理的な仕組みを築くことができないのかと憤慨したりする人も多いでしょうが、根本的には日本人のこうした逆説的な良い意味での「悪い」性格が原因となっているとも言えます。 残念ながら(?)、日本人は他国よりも顕著に「スパイト行動」をしてしまうという結果が報告されたわけですが、このスパイト行動とは、相手の得を許さない、という振る舞いのことです。もっと言えば、「自分が損してでも他人をおとしめたいという嫌がらせ行動」とでも言えばよいでしょうか』、「協調性の高さと収入のレベルは反比例」、「いい人は搾取されてしまう」、「日本人は他国よりも顕著に「スパイト行動」をしてしまうという結果が報告」、「このスパイト行動とは、相手の得を許さない、という振る舞いのこと」、「「自分が損してでも他人をおとしめたいという嫌がらせ行動」とでも言えばよいでしょうか」、なるほど。
・『世界でもいじわる行動が突出している日本人  大阪大学社会経済研究所の実験をご紹介します。 実験としては、おたがいにお金を出資して公共財(道路)を造ろうというゲームをしてもらいます。プレイヤー同士がおたがいにどんな行動をとるかによって自分の損得が決まるというルールで、心理的な駆け引きが見えてくるようになっています。 この実験によれば日本人は「スパイト行動」、つまり「自分が損してでも他人をおとしめたいという嫌がらせ行動」が顕著であったというのです。日本人は他人が利益を得ようとして自分を出し抜くことを嫌います。いわゆる「フリーライダー」を許さないのです。 タダ乗りする奴を許してはならない、なぜなら許せば社会の損失となるからだ――そうした内的な動機づけが行われて、自分が損をしてでも他人の足を引っ張ろうとするのです。そして、この傾向は世界のほかの国の人々には見られなかったというのです。 なぜ、日本でだけこの現象が見られるのでしょうか。日本人が、人の足を引っ張る行動をとる背景には、何があるのでしょうか。 「出る杭は打たれる」という諺(ことわざ)がありますが、これは非常に日本的な発想であると言えます。海外ではそれに該当する諺がないか、日本ほどは強く言われないようです。 一方で、日本人の社会的振る舞いは、たいへん節度のあるものであり、控えめで美しいと、海外から称賛されることもしばしばです。親切さ、礼儀正しさ、真面目さ、協調性など、われわれ自身も誇らしく思えるものでもあります。しかし、これらは一見、美しく見えますが、本質的なところはどうでしょうか。 もし、これらの性質が、実際はスパイト行動で自分が怖い目に遭わないための同調圧力に起因するものだとしたら。 『空気を読む脳』(講談社+α新書)で詳述しましたが、日本特有のこういった風潮の成り立ちについては、遺伝的な要素も絡む、一定の生理的な理由が考えられます。セロトニンの動態によってその人の、他者の得に対する態度が左右されるのです。 面白いことに、この実験では、ゲームが進むにつれて、プレイヤーは協力的になっていきました。これは、協力せずに自分が出し抜こうとしたら仕返しされるリスクが高いため、その恐怖が大きくなっていくからであると考えられます。 この結果についても、他国ではこのような傾向が見られませんでした。要するに、日本人は他人が得するのを許せない、そして、意地でも他人の足を引っ張りたいと考えている、ということが図らずも証明されてしまったわけです。協力的な姿勢になるのは自分も同じ目に遭うのが怖いからなのだ、ということになるでしょうか。 ただ、私はこのことをもって、単純に日本人が性悪だとは思いません。美しい国を守るためには、ときにはこういった毒をうまく使いこなすことも必要でしょう。 いずれにしても、とても興味深い結果です』、「日本人は「スパイト行動」、つまり「自分が損してでも他人をおとしめたいという嫌がらせ行動」が顕著」、「日本人は他人が利益を得ようとして自分を出し抜くことを嫌います。いわゆる「フリーライダー」を許さないのです」、「協力的な姿勢になるのは自分も同じ目に遭うのが怖いからなのだ、ということになる」、なるほど。
・『協調性という名の蟻地獄  前項で日本人はスパイト行動をする傾向にあるという実験をご紹介しましたが、このスパイト行動は、言い換えれば、協調性という名の蟻地獄、とでも言えるものです。 他人が得するのを許せない、という精神が、どちらも得をするというwin-winな考え方の邪魔をしているのです。また興味深いのは、「私が損をしているのだからお前も損をすべきだ」という考え方が生じることです。いわば、win-winよりもlose-loseを指向する構造を持っているということになります。足を引っ張りあい、誰の得も許さない。ひとりだけ抜け駆けしようとするやつは寄ってたかって袋叩きにしてやれということにもなります。つまり、この蟻地獄から抜け出そうとするのには、かなりの困難が伴うということです。 さすがに文章で読んでいるだけであれば、自分はそんなことはしないし、思いもしない、という人がそれなりにいると思うのですが、実際には、すでにおたがいを潰しあう結果をもたらす選択を何度もしている人が相当数いるのではないかと推察されます。そうでなければ、もっと合理的な選択を選好する社会がとっくに構築されていて然るべきで、「空気を読め」だとか、「出る杭は打たれてしまう」だとか、「お前だけを特別扱いするわけにはいかない」だとか、そんな非合理的な慣習はすでに消滅し去っているはずだからです。 日本ではイノベーションがなぜ起きないのか、といった議論がひところ、盛り上がったことがありました。ここまで説明してきたような土壌のある土地では、相当工夫しなければ、目立って旗を振る人は全員がこの空気の犠牲になってしまうでしょう。足を引っ張られてしまうことから彼らを守らなければ、イノベーションなど起こりようがないのです。 ドローンやブロックチェーン、自動運転といった新たな技術が出てきても、普及させるうえで些細な問題が起きるたびに、足を引っ張るいい口実ができたとばかりに、責任追及ばかりに終始する。ネガティブな側面ばかりがクローズアップされて、規制のオンパレード。これでは、新しいことにチャレンジするインセンティブ(動機)がなくなってしまいます。新しいことには経験知も伴わないことが多く、失敗があって当然のはずですから、新しいことにチャレンジする、イコール、足を引っ張られる沼へ踏み込むこと、になってしまうのです。 ただ、これは、攻撃する人を責めても状況が改善されるものではないのです。誰が悪いかを特定してその人を排除する、ではまた同じことのくり返しであり、まったく解決になりません。そうではなくて、これからどう改善するかにフォーカスする必要があります。 この実験はもうひとつの興味深い性質を浮き彫りにしてもいます。自分が得する側になったら、今度は自分が足を引っ張られて潰されるのが怖いので、できるだけ相手を刺激しないよう、無難に仲良くlose-loseしよう、という性質です。空気を読んで、目立たないように行動しよう。誰かの反感を買いかねないような派手な格好や威圧的なファッションは避けておこう。そんなふうに日本の女性が振る舞うのも、このためでしょう』、「ドローンやブロックチェーン、自動運転といった新たな技術が出てきても、普及させるうえで些細な問題が起きるたびに、足を引っ張るいい口実ができたとばかりに、責任追及ばかりに終始する。ネガティブな側面ばかりがクローズアップされて、規制のオンパレード。これでは、新しいことにチャレンジするインセンティブ(動機)がなくなってしまいます」、「自分が得する側になったら、今度は自分が足を引っ張られて潰されるのが怖いので、できるだけ相手を刺激しないよう、無難に仲良くlose-loseしよう、という性質です。空気を読んで、目立たないように行動しよう。誰かの反感を買いかねないような派手な格好や威圧的なファッションは避けておこう」、困った性癖だ。
・『日本ではたったの一度の不倫騒動も命とり  身近にもスパイト行動はたくさん見受けられます。 誰かがいい思いをしているとそれに嫉妬して、「あいつはダメだ」と周りに吹聴したり嫌味を言う。人を祝福したり称賛することができない。こうした人々の中では、誰かが得するだけで揉めごとの原因になりかねません。 この環境下では、宝くじが当たろうがビットコイン長者になろうが、余計なことは話さず、素の感情は見せないのが得策なのかもしれません。カラハリ砂漠のサン人は自慢すると後ろから味方に討たれかねないので、どんなにいい獲物を仕留めても、自らの猟果をみんなの前で自慢することはないといいます。日本社会にも似たところがありそうです。 政治家や芸能人のゴシップ記事で、炎上しやすいのが日本特有である理由の一端も、これで説明することができるかもしれません。芸能人も一度不倫騒動があれば人生が終わるようなレベルの転落をしてしまいます。やはり日本人には有名人を叩くのが好きなスパイト精神があるのでしょう。有名税という言葉は日本特有かもしれません。自分よりもおいしい思いをしている有名人は「けしからん!」と考えるのです。 論理的に考えれば、仕事ができることと人間的に高潔であることは別物です。「英雄色を好む」と言われるように、偉大な仕事を成し遂げる人はテストステロン値の高い人が多く、色恋沙汰も必然的に多くなってしまう傾向も否めないでしょう。仕事で結果を出しているのであればその人のプライベートはほとんど関係ないはずで、政治家が不倫をしようが日本をよくしてくれるのなら、特に糾弾する必要はないのではとも個人的には思います。 誰に対しても高潔さを求められる社会は息苦しいものです。 日本にいまだによくある根性論や美徳を振りかざして他者を追い詰める行為も、スパイト行動の一種と言えます。モラハラ、パワハラとも言われますね。成長にまったく寄与しないにもかかわらず、お前のためだ、などと言って理不尽な倫理観でねじ伏せようとする行動です。児童虐待の中にもこうした側面を持つものがあり、痛ましい報道に触れるたびに、胸が苦しくなるように感じます。「自分たちはこんな苦労をしてきたのだからお前も苦労すべきだ」論を押しつける振る舞いもよく見られるように思います。今の若い人がおいしい思いをしているのを見るだけで、許せなくて足を引っ張ろうとする。これも、スパイト行動の典型的な例です。 あなたの人生には、有限の時間しかありません。足を引っ張るような人の多い環境で、息を詰めるように暮らしていくのは大変なことです。できればもっと誰かを祝福したり素直に称賛できたりするような、器の大きさを持った人と楽しくすごしていきたいものです』、「誰に対しても高潔さを求められる社会は息苦しいものです。 日本にいまだによくある根性論や美徳を振りかざして他者を追い詰める行為も、スパイト行動の一種と言えます。モラハラ、パワハラとも言われますね。成長にまったく寄与しないにもかかわらず、お前のためだ、などと言って理不尽な倫理観でねじ伏せようとする行動です」、「あなたの人生には、有限の時間しかありません。足を引っ張るような人の多い環境で、息を詰めるように暮らしていくのは大変なことです。できればもっと誰かを祝福したり素直に称賛できたりするような、器の大きさを持った人と楽しくすごしていきたいものです」、その通りだ。
・『どうすれば周りに足を引っ張られないか  足を引っ張られず、悠々と実力をつけたいと願うのであれば、まずはスパイト行動をとる人が多い環境をなるべく避けることです。 実力をつけてきそうな後輩を叩いて道連れにしたり、村八分を恐れるあまり同調せざるを得なくなるような人も残念ながら多いものです。そうした環境にいては、あなたの人生は搾取される一方になってしまう。もしもそんな環境にあなたがいたとしたらすぐに抜け出すことをすすめます。長いことそんな環境に身を置いていれば、自分も無意識に誰かにスパイト行動をするように変貌してしまうかもしれません。 そしてもし、抜け出せない環境にそんな相手がいたとしたら、その人には、自分のことを、こう思ってもらう必要があります。「この人は私とは違う。もはやこの人は私の手の届くようなところにはない特別な能力を持った人だ」と。出過ぎた杭は打たれない、というのは確かに心理学的にみてもそのとおりです。相手の妬みを憧れに変え、自分を生贄にするよりも、生かして仲良くしたほうが得だと思わせられるようになるまで、自分を磨きぬかねばなりません。 そうして自身を作り上げていった人たちが多数派になったとき、この国の様相も、変わっていくかもしれないと思います。そんな静かな革命の一歩が、もしかしたらあなたの振る舞いから始まるかもしれません。明日の見えない、不安な時代に、「空気」という群衆のあいまいな意見に振り回されず、自分自身の選んだ道を正解にできる力強さを、多くの人が持つことができるよう願っています。 続きは、中野信子さんとヤマザキマリさんの対談『「有名人は“得している”から生贄にピッタリ!」は脳の指令だった』です』、「「この人は私とは違う。もはやこの人は私の手の届くようなところにはない特別な能力を持った人だ」と。出過ぎた杭は打たれない、というのは確かに心理学的にみてもそのとおりです。相手の妬みを憧れに変え、自分を生贄にするよりも、生かして仲良くしたほうが得だと思わせられるようになるまで、自分を磨きぬかねばなりません。 そうして自身を作り上げていった人たちが多数派になったとき、この国の様相も、変わっていくかもしれないと思います。そんな静かな革命の一歩が、もしかしたらあなたの振る舞いから始まるかもしれません。明日の見えない、不安な時代に、「空気」という群衆のあいまいな意見に振り回されず、自分自身の選んだ道を正解にできる力強さを、多くの人が持つことができるよう願っています」、同感である。

次に、この続きを、4月20日付け現代ビジネス「中野 信子, ヤマザキ マリ:生贄探し 第2回 「徳していそうな人」が生贄になる 「有名人は“得している”から生贄にピッタリ!」は脳の指令だった」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/82248?imp=0
・『「なぜ、あの人だけいい思いをするの!」幸せそうな人を見るとモヤッとする誰にもある負の感情。ヒトは誰もが生贄を求め、自分も生贄になる運命にあります。 脳科学者・中野信子さん、中東からヨーロッパ、アメリカとさまざまな異文化で学び暮らしてきた漫画家・ヤマザキマリさんの共著『生贄探し 暴走する脳』で、その、不条理さを歯に衣着せず分析。 そして、生きにくさから自由になる方法を提案します』、「生きにくさから自由になる方法を提案」とは興味深そうだ。
・『フェラーリで上がる男性ホルモンの値  中野 誰にとっても自分が大事というのは生物の基本原理ですし、そうでなければ現在、生き残っていない可能性大です。でも、誰にとっても自分が大事だから、他者を傷つけないでおこう、そこの思考のジャンプができる人とできない人がいるのですよね。 ヤマザキ 車の運転で人格が変わる人がいますけど、ツイッターにも似ている要素がありますね。 中野 似てますね。たとえば、あおり運転などの報道を見ていると、免許を持っていても運転するのが怖くなります。アバターを使った実験があるのですが、自分のアバターを変えるだけで、自尊感情が向上するというのがわかっているんです。また、高級車のほうが違反が多いというデータもありますね。フェラーリとカローラとを比べると、フェラーリに乗るほうがテストステロン値は上がるとわかったのです。 ヤマザキ 自尊心が誇大化するんですね、車もSNSでの発言も実態を覆う甲冑ですから。 中野 男性ホルモンの値が上がって、攻撃性が増してしまうんですね。たぶん昔の武将などは、名の知れた甲冑を身に着けるだけで人格変容する、ということもあったのではないでしょうか。 ヤマザキ フェラーリだとまたみんな振り返りますしね。承認欲求の顕在化。 中野 今だと高級時計とか、トロフィーワイフなどですかね。 ヤマザキ トロフィーワイフもあればトロフィーハズバンド、今まさにまったく同じこと考えていました。 中野 (笑)。月並みですが、やはり人間は物質的に満たされるとどこか病んでしまうのですかね……。コロナ禍が起こって、実は、こういうことを客観的に眺めることができる時間が増えたことは、現代人にとってまさに立ちどまって考える時間を与えられたという意味では、よかったと思うんですが。 ヤマザキ ひとつの共通した問題を、世界のすべての国々や人々が同時に抱える機会など滅多にありません。安泰な時間が多すぎても問題ですが、足りない分にはいろいろなことに気がつくチャンスがもたらされる。 中野 足りないとより知的になる人と、足りないとパニックになり、より鈍ってしまう人の両方がいますね。ただこれも、文化と教育のリソースが豊かであれば、前者の人をより増やせると思うのです。必ずしも物質的に豊かなことが幸福にはつながらない具体例として、古代ローマは大きな実験データになっているんですね』、「フェラーリで上がる男性ホルモンの値」、「トロフィーワイフもあればトロフィーハズバンド」、「やはり人間は物質的に満たされるとどこか病んでしまうのですかね……」、その通りだ。
・『息苦しさが表の顔と裏の顔を作る  ヤマザキ 古代ローマの時代性は食文化にも現れています。たとえば、帝政期のパクス・ロマーナの期間などは飽食の時代でもあり、お金持ちはフラミンゴの舌や雌豚の乳房とかを高級珍味として食していたりするわけです。 中野 古代ローマにおける食のバブルですね! ヤマザキ 食のファンタジーが通常の概念を逸脱していました。でもそういった豪勢な宴を開きながら、食べたものは吐き出すわけです。なぜかと言うと、食欲のために食べているわけではなく、味覚を満たすのが目的だからです。 中野 栄養をとるためじゃなく、エンタメや癒やしのために食べるんですね。 ヤマザキ そういうことです。盛りつけも視覚を刺激するものでなければならないから、突飛もないような有様だったらしい。鴨の腹を裂くとウナギが出てくる、みたいな……。 中野 摂食障害や過食嘔吐の人が多く出たでしょう。 ヤマザキ 古代ローマの社会や経済を考えると、多かったと思いますよ。 中野 この時代は痩せているほうが美ですか? ヤマザキ いえ、痩せているのが美しいとは思われていません。女性で言えば、痩せていると貧相、つまり出自や生き方が貧しいということになります。現代でも発展途上国の中にはグラマラスさが求められる傾向が強いところもありますけど、同じですね。肥満については、太って貫禄を見せたい元老院とかのおっさんたちには許されても、若いうちはやはりメンタルバランスの失調を表すことになってしまうので、運動もしているという証拠としてそこそこ筋肉がついた均整のとれた体が求められた。 古代の彫刻を思い出してみてください。女性は痩せすぎず、太すぎず。男性もいいあんばいの筋肉がついています。古代ローマで大事なのは、「バランス」です。何ごとも均等の調整がとれない人は自己管理が下手と見做されます。 中野 ローマの理想の型を追ってみる試みは面白いですね。その理想が独り歩きして、人々を苦しめたりもしていそう。現代と同じように。人間にはダメな部分や裏の部分もあるのに、その部分を認めない理想によって、表の顔と裏の顔が乖離(かいり)します。表は輝かしい皇帝、裏はいつも不安で自己の欠落におびえる。 マリさんが『プリニウス』(新潮社)で描いている暴君と呼ばれた皇帝ネロが、心理的にグレートマザーに依存し、闇を抱えてしまう理由のひとつがここにもあったのですね。 ヤマザキ 人文、運動、芸術すべてバランスを整えられない人はエリートとして認められません。ネロもこの圧力の犠牲になっていたと言えますね。 中野 興味深いですけど、なんと息苦しい社会でしょう。 ヤマザキ 息苦しいですよ、だから奴隷であるほうがいっそ気楽だったと思います。 中野 エリート層から脱落する恐怖というのはやはりあったのでしょうか。 ヤマザキ ありましたね。皇位継承は世襲だったりそうでなかったりと時期によって変わりますが、階級社会ではありますから、貴族はしょっちゅう権力者に媚び続けていなければなりませんでした。脱落すれば、普通の市民か、それ以下の生活が待っている。経済も馬力があった反面、競争も激しく、行き詰まってしまう商人や実業家もいました。 中野 格差が大きかったんですね。 ヤマザキ 今の資本主義社会とかなり近い社会だったと思いますよ。当時はまだ命の尊さや慈愛を訴えるキリスト教の教えが広まっていませんから、自殺は悪いことではありません。死の選択は自由でした。だから行き詰まったり、名誉を失った人は苦悩からの解決策として自殺を選ぶことも当たり前でした。 中野 あ、ちょっと日本ぽいです。 ヤマザキ 似ているんですよ』、「人文、運動、芸術すべてバランスを整えられない人はエリートとして認められません。ネロもこの圧力の犠牲になっていたと言えますね。 中野 興味深いですけど、なんと息苦しい社会でしょう」、「キリスト教の教えが広まっていませんから、自殺は悪いことではありません。死の選択は自由でした。だから行き詰まったり、名誉を失った人は苦悩からの解決策として自殺を選ぶことも当たり前でした」、なるほど。
・『「目立つ人」「得をしていそうに見える人」から標的になる  中野 有名な人を何かにつけて攻撃するのは、生贄の構造と同じと言えます。祝祭の生贄は共同体を保つために必要ということになりますが……。誰かをやり玉にあげることによって、その他の人が団結したり、ルールを守らせるための見せしめとなったりする。昔はそういう役割の人をわざわざ用意したところもあったのではないかと思います。その祝祭の構造が地域共同体の崩壊により機能しなくなると、誰も彼もが標的になるんですね。 ヤマザキ たとえばいじめも、リーダー格の人が誰かをスケープゴートと決めて、そして周りにもその人をスケープゴートとして扱うことを強いる、というあの構図でしょうか。 中野 そうですね。『魏志倭人伝』にも、持衰(じさい)という役割を持つ人が出てきます。船に乗り込ませ、時化(しけ)のときに生贄にされるための存在です。残酷ですが……。持衰は髪もとかず服も洗わず虱(しらみ)まみれで、肉も食べず女とも交わってはならないと記述があります。 本当は専門家に詳しく聞きたいところですが、このような仕組みがないと、危機のときにもっと困ったことになったのかもしれません。つまり、あらかじめ失われる人を設定しておかないと、誰から標的になるのかと言うと、「目立つ人」「得をしていそうに見える人」から選ばれてしまう。その人は、実際には力があって、共同体のために必要な人かもしれないのに。これが、現代でいう、有名税の構図ですよね。 また、外見の異なる人も標的になりやすくなります。異質者を排除する集団バイアスがかかるためです。さらに危機が迫ると、内集団バイアスという「自分たちは無条件にすごい!」、外集団バイアスは「よそ者は無条件にダメ!」と、こういった偏りが強くなります。 ヤマザキ でもそれが社会のバランスをとるうえで必要不可欠なことなのだとすると、格差のない人類皆平等の世界などというのは完全にフィクションということになりますよね。歴史を辿っても見えてくることですが、そもそも人類から差別や格差が消えるなどと思ったことは実はありません』、「祝祭の生贄は共同体を保つために必要ということになりますが……。誰かをやり玉にあげることによって、その他の人が団結したり、ルールを守らせるための見せしめとなったりする。昔はそういう役割の人をわざわざ用意したところもあった」、「『魏志倭人伝』にも、持衰(じさい)という役割を持つ人が出てきます。船に乗り込ませ、時化(しけ)のときに生贄にされるための存在です」、「このような仕組みがないと、危機のときにもっと困ったことになったのかもしれません。つまり、あらかじめ失われる人を設定しておかないと、誰から標的になるのかと言うと、「目立つ人」「得をしていそうに見える人」から選ばれてしまう」、やはり「あらかじめ失われる人を設定して」おく方が安定には望ましいようだ。
・『不安や経済的な不安定さが生贄欲を高める  中野 災害が起きるたびにこの傾向は高まるようなのです。災害が起きるごとに社会的な排除というかたちで生贄がささげられる、ということの説明にはなるでしょう。しかし、現代の世界にはそぐわないですよね、この生贄をささげるという仕組みは。 ヤマザキ 不安が溜まったり経済的に不安定になればなるほど、生贄を欲するようになるということでしょうか。生贄という概念自体は本能ではないけれど、人間の文明は生贄とともにありき、というのはありますよね。 中野 そうですね、もう生物としての仕組みに近いところにありますね。完全に消すことは無理なのかもしれません。しかし、何か工夫ができないものかといつも思います。差別や格差というかたちでなく、人心を安定させるための仕掛けが必要だと思います。逸脱者を自分勝手な正義に基づいて攻撃することは、恥ずかしいことだ、と自覚させる仕掛けがあるといいのですよね。抑止力としては今のところこれができればいちばんスマートです。 ただ、これを外的なルールとして定着させると、またそこから逸脱した人は排除していい、というリバウンドが起こります。「攻撃している奴は攻撃していい! いじめている奴こそいじめられてしかるべき!」というのがその典型ですが、これが無限に続いてしまうでしょう。「冷静になろうよ」という人がもう少しいてもいいと思うのですが、あまり広がらない感じがあるのは残念です。 ヤマザキ とにかく、俯瞰的にものごとを捉えて、人間をヒトという生き物として分析したり、冷静な発言をできる人間が少ないですね。人間が地球の生物で一番優れているという確信から捉えた考え方が多い。 中野 本当に。大衆を動かすとき、古代ローマでもそういった、やはり民をあおるような言説は広がっていったんですか。冷静な発言をする人は、常に標的になりかねないものだ、という認識があります。 ヤマザキ ネットでも「自分は大変冷静に今の状況を捉えています」みたいな雰囲気を漂わせている人にも、警戒したほうがいいな、というのが自分にはあります。 中野 自分こそ正義、自分こそ知性、と思っている人ほど、ブレーキがオフになりやすく、正義の快さにあっという間に人格を乗っ取られてしまう。本当の知性は、自分の正義や知性が独り善がりのものになっていないかどうかを、まず疑うところにこそ、あると思うのですが。 続きは、ヤマザキマリさんの『日本人は「世間の目」を、なぜこんな強烈に怖がるのか? ~イタリア人から見た日本』をお届けします』、「自分こそ正義、自分こそ知性、と思っている人ほど、ブレーキがオフになりやすく、正義の快さにあっという間に人格を乗っ取られてしまう。本当の知性は、自分の正義や知性が独り善がりのものになっていないかどうかを、まず疑うところにこそ、あると思う」、その通りだ。

第三に、この続きを、4月21日付け現代ビジネス「ヤマザキマリ:生贄探し 第3回 ”世間体”という日本の戒律 恐るべし! 日本人は「世間の目」を、なぜこんな強烈に怖がるのか?イタリア人から見た日本 ヤマザキマリ」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/82249?imp=0
・『・・・“出る杭を打つ”日本を恋しがるイタリア人の夫  イタリアで学校の教諭をしている夫はこれまで年に2度、休暇のたびに日本を訪れるのが常でしたが、コロナ禍になってからはそれも叶わず、おたがいに会えていない状態が2019年の暮れから続いています。日本より厳しい措置がとられているイタリアで、50キロ離れた場所に暮らす両親の家へ行くことも控え、日々引きこもりを強いられている生活にやり場のない鬱憤を溜め込んでいる様子の夫ですが、先日交わした電話での会話でも「日本へ行きたい」とくり返していました。 ヨーロッパや中東の歴史の研究を生業としてきた夫は、日本人である私と結婚をしていながら、日本という国そのものに対しては、それほど強い好奇心を持っているわけではありません。昨今日本を訪れていた多くの外国人観光客に見られるような日本のサブカルへのシンパシーもなく、むしろ私の漫画家という休日返上で向き合わねばならない仕事を快く思っていない人です。なので「日本に来たくなるのはどうして?」と問いただしてみました。すると夫はしばらく黙ってからこう答えました。 「イタリアでは誰もがコロナに平常心を乱され、家族や知人の、見るからに鬱憤を溜め込んでいる表情を見ていると滅入ってしまう。こんな毎日をすごしていると、日本の、周りの人に迷惑をかけないように気を使って生きている、お行儀のよい人たちが懐かしくなる」 夫曰く、テレビをつけても、教員同士でリモート会議をしても、誰も彼も自制の利かない強烈な自己主張をぶつけてくるばかりで疲れてしまい、そんなとき、ふと日本の“世間体”を意識しながら主張を抑えて生きる人たちを思い出してしまうというのです』、「夫」曰く、テレビをつけても、教員同士でリモート会議をしても、誰も彼も自制の利かない強烈な自己主張をぶつけてくるばかりで疲れてしまい、そんなとき、ふと日本の“世間体”を意識しながら主張を抑えて生きる人たちを思い出してしまう」、「イタリア人」の「夫」でも、そのように感じているとは意外だ。
・『“世間体”という圧力で調和をとる日本人  「たとえばテレビのニュース番組ひとつとってみても、イタリアの女性キャスターは斜に構えたポーズに攻撃的な口調だし、知的だけどどこかセクシーな服装も含めどこか挑発的だけれど、日本のキャスターはみんな見た目も服装も謙虚で素朴だし、威圧感もない。ニュース番組の内容自体も世界で起こっているアグレッシブな報道は少なくて、田舎でこんな作物がとれたとか、こんなイベントがあったとか、全体的にほのぼのしたネタが多い。人間の狂気的側面を感じさせる報道を極力控えた、あの独特な雰囲気が懐かしくなることがある」 といった夫の発言は、まさに日本のニュース番組を毀誉褒貶するものでした。 “出る杭を打つ”という精神衝動は特に日本人に顕著に見られるものだそうですが、実は夫が指摘していた日本の女性キャスターの服装も、視聴者のリアクションを配慮した結論なのだという話を聞いたことがあります。もし、日本の朝のニュース番組に日焼けした肌にジル・サンダーやマックス・マーラをスマートに着こなす、スタイリッシュで大人の知的色気を纏った女性キャスターが現れでもしたら、全国の時間を持て余している視聴者からクレームが殺到する可能性があると言うのです。 毎日、特に朝のテレビに出るような立場の人は、視聴者に余計な刺激を与える存在であってはいけないし、どんなに知性があってもそこに成熟した色気を匂わせたり、視聴者に圧を与えるような雰囲気の女性がキャスターを務めるようなニュース番組は見たくない、と感じている人が少なくないということなのでしょう。 かくいう私も、かつて北海道のテレビ局の番組で料理を作ったりリポーターをしていた時期がありますが、11年に及ぶイタリアでの留学生活の直後だったこともあり、ヘアスタイルは学生時代と同じくジャニス・ジョプリンのようなもつれた無造作なソバージュで、しかも声は低いし態度も大雑把ですから、日本のテレビ向けとは言い難い私の有様を見て驚いた視聴者がいたのでしょう。間もなく番組のプロデューサーに呼び出されて、髪型を変えてほしいということ、そして黒や紺など暗い色の服装も控えてほしい、と指示されたことがありました。 結局私は髪型を変えることも、子どものころから着なれている暗い色の服を控えることもしませんでしたが、そのうち視聴者の人たちも私のそんな佇まいに慣れていったのか、または諦めたのかクレームが届くことはなくなりました。 たまたま私がイタリアという、家庭でも社会でも自己主張の弱い人間はたちどころに潰されていくような国で揉まれてきたのと、テレビの仕事も子育てのためと弁えて、自分の佇まいを矯正されてまで続けるつもりはなかったので、プロデューサーや視聴者の批判にさほど翻弄されることなく毅然としていられましたが、あのときもし、自分の居場所は日本にしかなく、日本の環境に何が何でも溶け込む必要がある、という意識がもっと強かったら、おそらくそうした“世間体”の圧力によって、自分という人間を視聴者が求めていたような仕様にかたどり直していたかもしれません。 もちろん、中には突出した才能を発揮させることで社会的な成功を収めている人たちだっています。しかし、人々は出る杭的な立場である彼らを、自分たちの抱くイメージや正しいと信じていることを裏切らないという条件つきで認めているところがありますから、少しでもそれに添わないことをしてしまうと、簡単に世間から抹殺されてしまうことになるのでしょう』、「かつて北海道のテレビ局の番組で料理を作ったりリポーターをしていた時期」、「あのときもし、自分の居場所は日本にしかなく、日本の環境に何が何でも溶け込む必要がある、という意識がもっと強かったら、おそらくそうした“世間体”の圧力によって、自分という人間を視聴者が求めていたような仕様にかたどり直していたかもしれません」、なるほど。
・『「世間の目が怖い」で統制されている日本社会  個性や独特な世界観が人としての評価を高めることのできる欧州と、世間が築いたテーゼからはみ出さないように生きてきた人が評価される日本。こうしたそれぞれの国民の個性や価値観の相違の背景には、そういった精神性が育まれるにいたった歴史や地理といった条件が織り込まれているので、どちらがよいとか悪いとかといったことを考えるのはナンセンスですし、怠惰な人間にとって比較は迷惑なものでしかありません。 たとえば、西洋や中東では、長い年月宗教が築いた倫理や理性が人々の中で確固たる軸をなしていますが、宗教の拘束がない日本の場合は“世間体”という戒律がわれわれの生き方を統制しています。先日、コロナの陽性反応が出たことで「周りに迷惑をかけてしまった」と危惧し、自ら命を絶ってしまった女性がいたことを報道番組で知りました。周囲から非難されることを恐れて、検査が陰性でも田舎の実家へ戻らないようにしている人たちも随分いると聞いています。 下手をするとこの“世間体”は、キリスト教やイスラム教やちょっとした社会主義体制よりも、よほど厳しい戒律だと解釈することもできます。無症状だけど陽性判定が出てしまい、周りへ迷惑をかけることを苦に自死した女性がいるとイタリアの家族に話をしたら「なんだって!? そんなことで自殺をするなんて信じられない!」と絶句していましたが、実は日本におけるこうした“世間体”の厳しさこそが、他国と比べてコロナの蔓延をいくらか抑制する理由になっている部分も少なからずあるのではないかと、私は見ています。 われわれは、自由と民主主義が許された社会の中で暮らしていると思い込んで日々をすごしています。でも実態は、“世間体”という、具体的なかたちになっていないだけの民衆による強烈な統制力と、その時々の流動的な倫理によって形成される正義感によって、思想や行動の自由が容赦なく規制された、窮屈な環境の中に置かれているとも言えるのです。 続きはヤマザキマリさんの『失敗やみっともなさを許す力をつける』をお届けします』、「われわれは、自由と民主主義が許された社会の中で暮らしていると思い込んで日々をすごしています。でも実態は、“世間体”という、具体的なかたちになっていないだけの民衆による強烈な統制力と、その時々の流動的な倫理によって形成される正義感によって、思想や行動の自由が容赦なく規制された、窮屈な環境の中に置かれているとも言えるのです」、確かに「われわれは」、「“世間体”」という「窮屈な環境の中に置かれている」、その通りだ。

第四に、この続きを、4月22日付け現代ビジネス「ヤマザキマリ:生贄探し 第4回 自分自身が生贄にされないために 失敗やみっともなさを許す力をつける」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/82250?imp=0
・『・・・自分の失敗の責任を自分で背負いたくない  以前、若い新聞記者の男性からインタビューを受けたとき、昨今の若者は海外への留学や旅行はおろか、そもそも国内旅行に行こうとすらしないという話になりました。そういう記者本人もなかなか国外へ出る勇気が出ないというので、どうしてなのかと尋ねてみたところ、融通のきかない土地へ行って自分のダメさや使えなさと向き合い、自分自身に失望するのが怖いと言うのです。つまり、自分が知りたくないみっともない自分とは遭遇したくない、自分の失敗の責任を自分で背負いたくない、ということなのでしょう。 そういえばバブルのころ、成田離婚という言葉が横行した時期がありました。要するに、日本では頼りがいのあるパートナーが海外に出た途端さっぱり役に立たず、そんな新郎の情けない有様に幻滅した妻から離婚を申し出られるというのが成田離婚の内実らしいのですが、最近の若者が旅に出て自分に幻滅するのが怖いというのも、同じ心理でしょう。冒険をしてみたところで自分のダメさに気がつき、嫌な思いをするくらいなら、行動範囲を狭めるに越したことはない、と考える人はすでに成田離婚が話題になっていたころから増えていたのかもしれません。 1990年代後半、子どもを連れて日本に戻ってきた私が気になったのは、私の幼少期と比べて子どもたちが全体的に大人しくなっていたことでした。オーケストラをリタイアした母が自宅で50人くらいの子どもたちにバイオリンを教えていたので、彼らの様子を見ればその傾向が一目瞭然でした。 それはちょうど学校での差別化を排除し、運動会の徒競走のゴールは全員一緒、学芸会ではみんなが主人公、教師が子どもたちにゲンコツのような体罰を与えようものなら大騒ぎ、という風潮が当たり前になりつつあったあの時期、子どもの授業にPTAが順番で立ち会う、というような態勢をとっていた学校の話も聞いたことがあります。とにかく教員たちがそれまでのように自分たちの解釈や判断で振る舞えなくなったというのが、日本における教育の大きな変化だったと言えるでしょう』、「昨今の若者は海外への留学や旅行」「に行こうとすらしない」、「どうしてなのかと尋ねてみたところ、融通のきかない土地へ行って自分のダメさや使えなさと向き合い、自分自身に失望するのが怖いと言うのです。つまり、自分が知りたくないみっともない自分とは遭遇したくない、自分の失敗の責任を自分で背負いたくない、ということなのでしょう」、情けない話だ。
・『教育環境は“メンタル無菌室”状態…!?  ちなみに私が小中学校に通っていた1970年代から80年代初頭は、学校にはまだ当たり前に、良い意味でも悪い意味でも個性豊かな教員たちが揃っていましたし、校則が守れない子どもには怒鳴ったり平気でゲンコツを振り下ろすような気の短い教師もいましたが、そういった粗暴な態度をとられたところで「教師としてありえない」「教師のくせに非道」などとは誰も思ってはいませんでした。 時に不条理な理由で怒られることがあったとしても、人間の社会なんていうのは所詮そんなものだということを、教員だってみんな普通にストレスを抱えながら働いている一介の人間なんだということを、子どもの立場でありながらも認識する機会を与えてもらえていたのが​、私たちにとっての学校という社会でした。そもそも理想的な人間像を、学問を教えるという役割の人間に求めるというのは、根本的におかしな話です。私の夫も研究者で教員ですが、日々、自分自身の学業や職業へのストレスと向き合いながら生きています。彼を含め生徒の心理や家庭環境の不条理についてを親身に理解し、健やかな未来を念頭に献身的に手を差し伸べてくれるほど精神が安定している人など、正直ほとんど見たことがありません。 生徒も教師も誰しも過酷な社会というジャングルに生息し、生き延びるために必死にならなければならないほど容赦のない状況に置かれた生き物なのだ、ということを知ることができるのも、学校という組織のあり方だと思うのです。 しかし現代では、こうした社会の不条理や歪んだ人間社会の実態を知らずにすませる教育が推奨されています。無茶な行動をとるような教員もいなければ、荒んだ家庭環境が顕在化したような、見るからに極悪風情な不良もいません。健やかに勉強ができるように、そしていじめが発生しないようにという考慮によって、教育環境は“メンタル無菌室”のような状態になっている印象があります。しかし、この“メンタル無菌室”で育てられた子どもたちは、果たして大人になったときに、生きていれば必ずどこかで遭遇する社会の荒波や不条理を乗り越えていくことができるのでしょうか。 どんな食べ物であろうと、しっかり栄養分を吸収して消化できるような頑丈な体のほうが、何が起こるかわからないこの世の中では有利だと思うように、メンタル面でも子どものころからさまざまな社会の歪みや悩みと接していったほうが、大人になってさまざまな問題と向き合うことになっても、その苦境を乗り越えていけるたくましさが養われると思うのです。自分自身がさまざまな痛みや苦しみを経験しなければ、他者を慮れる利他的な配慮もできなくなってしまうでしょうし、想像力が豊かになることもないでしょう。 講演会などでこういう話をすると、子どものいる親御さんたちは「そのとおり」としきりに頷かれるのですが、かといって実生活では世間での教育の全体的な風潮に逆らえる勇気まではなかなか出ない、“世間体”によるジャッジと孤立化が怖くて、全体傾向の同調圧力に背くことができない、というのが現実のようです。こんな教育への姿勢が変わらない限り、失敗や辛酸をなめてでも海外に行ってみようなどと思い立つ子どもも、そして親も現れないのは当たり前でしょう。 落語の噺の中には、とんでもない失敗をしでかし、人を騙し、騙され、調子に乗っていい気になったり失望したり、予定調和などない社会の中でもがきながらも面白おかしく生きている人物がたくさん登場します。 江戸時代や昭和の人々はこうした人間の、理不尽かつ不条理で、なかなか思いどおりにはならない人生の本質を知ることで、大笑いしながら自分を慰め、励まし、「まあ人間なんてぇのは所詮はこんなもんよ」と開き直ってすごしていたところがあると思うのです。 人間を必要以上に理想化せず、高望みもせず、どんな生き方をしようと、誰がどこでどんな目に遭おうと必要以上に頓着せず、他者を思いやれる人情という寛容性が当たり前に身についていたあの時代の社会には、現代にはない成熟があったように思うのです。 悪徳代官だろうと、狡猾な商人であろうと、貧乏長屋の住民であろうと、置屋の芸者であろうと、懸命になって生きる人々の日常とその滑稽さを、笑いながら知ることのできた落語は、聴衆にとって自分たちの生き様を俯瞰で捉えるツールのひとつだったのかもしれません。 しかし、負の感情を極力回避させられながら生きる現代の子どもたちに、こうした古典落語を聞かせてみたところで、いったいどんな反応ができるでしょうか。人間たちが失敗や恥をかきながらもくり広げる世界を、異次元での出来事のように感じてしまう子どももいるのではないでしょうか。 そう考えると、明治維新に始まった日本社会の早急な西洋化が、人々のかっこ悪さやみっともなさを人情という美徳と捉えていた心のゆとりを払拭してしまった、ひとつのきっかけだったような気もします』、「教育環境は“メンタル無菌室”状態…!?」、「明治維新に始まった日本社会の早急な西洋化が、人々のかっこ悪さやみっともなさを人情という美徳と捉えていた心のゆとりを払拭してしまった、ひとつのきっかけだったような気もします」、困ったことだ。
・『コロナ禍で打ちのめされた私を救った友人  いつのことだったか思い出せませんが、夫がぼそりとこんなことを言ったことがありました。 「困ったり苦しんでいる人を、純粋な慈愛をもって助けてあげることができるかどうか、利他性を発揮できる人間がどれだけいるかどうかが、人類の文明の尺度になるのではないか」 何に対してそんな言葉を吐露したのか覚えてはいませんが、その解釈には納得させられました。 コロナの影響で私はこの1年、自分にとって三度の食事よりも大切な栄養素となっていたイタリアと日本の往復を含む世界中の都市への旅も制限され、日本という国に留め置かれてしまったことに自分でも想像していなかったほどの精神的苦しみと葛藤を強いられました。 自分にとって、各国を旅することで得られる価値観の差異は、多様な考え方や既成概念を逸脱した発想をもたらしてくれる大きなきっかけとなっていたのに、それが断たれてしまったことで、いつもなら旺盛な創作への意欲も萎えてしまい、仕事になかなか着手できない日も増えました。こんな具合に表現への意欲が消沈するのは、物心がついてからは初めてのことだったかもしれません。 そんな私の様子を危惧したとある親しい友人が、「大丈夫。これからはインナートリップで価値観の違いや多様性を知って、豊かな気持ちになればいい」と、さまざまなジャンルの映画や書籍や音楽を紹介してくれました。今まで場所を移り変わることで意識を逸らしていた仕事などにかかわる周辺整理も、立ちどまったことで対処する気持ちになれたのも、その友人が励ましてくれたおかげだったと思っていますが、その人にとっては自分の周りに困った人がいれば助け舟を出すのがあたり前の行為であり、手助けをしたことで感謝されたい、などという見返り欲求は一抹もありません。正義というのは、他者の苦しみに対し、無意識に手を差し伸べてあげられてこそ、本当の意味を成すものなのではないかということを感じたのでした。 自分が信じている信念に従わない他者を戒めることは、それがたとえ自分にとって、どんなに理想的な宗教的理念や政治思想が根拠になっていようと、所詮は同調への強引な圧力というものでしかなく、正義とは言えません』、「正義というのは、他者の苦しみに対し、無意識に手を差し伸べてあげられてこそ、本当の意味を成すものなのではないかということを感じたのでした。 自分が信じている信念に従わない他者を戒めることは、それがたとえ自分にとって、どんなに理想的な宗教的理念や政治思想が根拠になっていようと、所詮は同調への強引な圧力というものでしかなく、正義とは言えません」、その通りだ。
・『今、立ちどまって考えること  2020年、アメリカの大統領選挙の結果に満足がいかなかったトランプ支持者たちにとっては、議事堂で大暴れするのも自分たちの信念を守るための、真っ当な正当行為だったはずです。しかし、あの騒動から垣間見えてくるのは、思想に縛られた想像力の麻痺と、孤独、そして思考力の怠惰です。 自分とは意見の分かち合えない人がいたり、自分が正しいと思う行為に背く人がいたら、それを頭ごなしに否定するのではなく、その理由やそういった齟齬を生んだ背景をわかろうとする試みと努力は必要不可欠だと思うのですが、考えることに怠惰な人々は情動に身を委ね、群衆という一体感に安堵し、陶酔してしまう。人類の歴史とともにあり、途絶える気配もない戦争は、まさにそうした人間の想像力の欠落と思考力の怠惰のあらわれなのではないかと思うのです。 自分と分かち合えない意見や思想とぶつかったら、まずはそれを興味深い、考えてみるに値する現象として受け入れてみればいいのです。 私が昆虫好きな理由は、意思の疎通もできなければ大気圏内の生き物という以外に何も共有するものがない、こうした多様な生物を生み出した地球そのものへの好奇心を楽しめるからです。 アメリカ・インディアンのズニ族にとって虹は5色、アフリカのジンバブエやザンビアに暮らすショナ人は3色と解釈しています。そんな彼らに対し虹は7色なのだ、なぜそれがわからないのだと強制するのではなく、世界には5色や3色、または12色に見える人たちもいるのだということを、地球上における興味深い実態として受け入れればいいのです。 現在のようなコロナ禍の危機的状況を乗り越えるのに必要なのは、外部からの情報に翻弄されず、冷静に自分の頭でものごとを考えることと、自分と同じ考えを持たない人との相互理解への積極性でしょう。知性を怠惰なまま放置しないでください。どうしても周りに自分の考えを納得させないと気がすまないというのであれば、そこで怨嗟やストレスを増長させるかわりに、何かそれとはまったく関係のない別のことを考えたり意識を向けるようにしてみるべきだと思います。 私がおすすめするのは、どこか広く視野が開けた、なるべくなら人間の巣である都市部よりも自然の多い場所まで出向いて、地球とそこに生きる自分のつながりをシンプルに感じることです。空に向かって思い切り深呼吸をするなど、大気圏内で生きる生物である自分を感じてみると、かなり気楽になるかと思うのです。​地球という惑星が自分の究極の住処であるという感覚をものにすれば、限定的な範囲の中で発生している些末な揉めごとや悩みも、なかなか自分の思いどおりにならない人生や他者の生き方についても、それほど大騒ぎをしたりするほどのことでもない、と感じることができるはずです。 自分が病気にならないために、病気を持っていそうな人を排除しながら生きていくのか、それともどんな劣悪な環境にも対応できる強い覚悟を身につけるべきなのか。今はまさにそういうことを考えられる絶好のタイミングなのではないでしょうか』、「私が昆虫好きな理由は、意思の疎通もできなければ大気圏内の生き物という以外に何も共有するものがない、こうした多様な生物を生み出した地球そのものへの好奇心を楽しめるからです」、養老孟司先生に似ている。「私がおすすめするのは、どこか広く視野が開けた、なるべくなら人間の巣である都市部よりも自然の多い場所まで出向いて、地球とそこに生きる自分のつながりをシンプルに感じることです。空に向かって思い切り深呼吸をするなど、大気圏内で生きる生物である自分を感じてみると、かなり気楽になるかと思うのです。​地球という惑星が自分の究極の住処であるという感覚をものにすれば、限定的な範囲の中で発生している些末な揉めごとや悩みも、なかなか自分の思いどおりにならない人生や他者の生き方についても、それほど大騒ぎをしたりするほどのことでもない、と感じることができるはずです」、気分転換にはいい方法のようだ。
タグ:ヤマザキマリさんの共著『生贄探し 暴走する脳』 現代ビジネス「中野信子:生贄探し 第1回 日本人は世界でもいじわる行動が突出している 「私が損をしているのだからお前も損をすべき!」 足を引っぱりあう日本人脳 」 随筆 (その4)(中野信子 ヤマザキ マリ:生贄探し (第1回 日本人は世界でもいじわる行動が突出している 「私が損をしているのだからお前も損をすべき!」 足を引っぱりあう日本人脳)、第2回 「徳していそうな人」が生贄になる 「有名人は“得している”から生贄にピッタリ!」は脳の指令だった)、第3回 ”世間体”という日本の戒律 恐るべし! 日本人は「世間の目」を、なぜこんな強烈に怖がるのか?イタリア人から見た日本)、 第4回 自分自身が生贄にされないために 失敗やみっともなさを許す力をつける) 「協調性の高さと収入のレベルは反比例」、「いい人は搾取されてしまう」、「日本人は他国よりも顕著に「スパイト行動」をしてしまうという結果が報告」、「このスパイト行動とは、相手の得を許さない、という振る舞いのこと」、「「自分が損してでも他人をおとしめたいという嫌がらせ行動」とでも言えばよいでしょうか」、なるほど。 「日本人は「スパイト行動」、つまり「自分が損してでも他人をおとしめたいという嫌がらせ行動」が顕著」、「日本人は他人が利益を得ようとして自分を出し抜くことを嫌います。いわゆる「フリーライダー」を許さないのです」、「協力的な姿勢になるのは自分も同じ目に遭うのが怖いからなのだ、ということになる」、なるほど。 「ドローンやブロックチェーン、自動運転といった新たな技術が出てきても、普及させるうえで些細な問題が起きるたびに、足を引っ張るいい口実ができたとばかりに、責任追及ばかりに終始する。ネガティブな側面ばかりがクローズアップされて、規制のオンパレード。これでは、新しいことにチャレンジするインセンティブ(動機)がなくなってしまいます」、「自分が得する側になったら、今度は自分が足を引っ張られて潰されるのが怖いので、できるだけ相手を刺激しないよう、無難に仲良くlose-loseしよう、という性質です。空気を読んで、目立 たないように行動しよう。誰かの反感を買いかねないような派手な格好や威圧的なファッションは避けておこう」、困った性癖だ。 「誰に対しても高潔さを求められる社会は息苦しいものです。 日本にいまだによくある根性論や美徳を振りかざして他者を追い詰める行為も、スパイト行動の一種と言えます。モラハラ、パワハラとも言われますね。成長にまったく寄与しないにもかかわらず、お前のためだ、などと言って理不尽な倫理観でねじ伏せようとする行動です」、 「あなたの人生には、有限の時間しかありません。足を引っ張るような人の多い環境で、息を詰めるように暮らしていくのは大変なことです。できればもっと誰かを祝福したり素直に称賛できたりするような、器の大きさを持った人と楽しくすごしていきたいものです」、その通りだ。 「「この人は私とは違う。もはやこの人は私の手の届くようなところにはない特別な能力を持った人だ」と。出過ぎた杭は打たれない、というのは確かに心理学的にみてもそのとおりです。相手の妬みを憧れに変え、自分を生贄にするよりも、生かして仲良くしたほうが得だと思わせられるようになるまで、自分を磨きぬかねばなりません。 そうして自身を作り上げていった人たちが多数派になったとき、この国の様相も、変わっていくかもしれないと思います。 そんな静かな革命の一歩が、もしかしたらあなたの振る舞いから始まるかもしれません。明日の見えない、不安な時代に、「空気」という群衆のあいまいな意見に振り回されず、自分自身の選んだ道を正解にできる力強さを、多くの人が持つことができるよう願っています」、同感である。 現代ビジネス「中野 信子, ヤマザキ マリ:生贄探し 第2回 「徳していそうな人」が生贄になる 「有名人は“得している”から生贄にピッタリ!」は脳の指令だった」 「生きにくさから自由になる方法を提案」とは興味深そうだ。 「フェラーリで上がる男性ホルモンの値」、「トロフィーワイフもあればトロフィーハズバンド」、「やはり人間は物質的に満たされるとどこか病んでしまうのですかね……」、その通りだ。 「人文、運動、芸術すべてバランスを整えられない人はエリートとして認められません。ネロもこの圧力の犠牲になっていたと言えますね。 中野 興味深いですけど、なんと息苦しい社会でしょう」、「キリスト教の教えが広まっていませんから、自殺は悪いことではありません。死の選択は自由でした。だから行き詰まったり、名誉を失った人は苦悩からの解決策として自殺を選ぶことも当たり前でした」、なるほど。 「祝祭の生贄は共同体を保つために必要ということになりますが……。誰かをやり玉にあげることによって、その他の人が団結したり、ルールを守らせるための見せしめとなったりする。昔はそういう役割の人をわざわざ用意したところもあった」、「『魏志倭人伝』にも、持衰(じさい)という役割を持つ人が出てきます。船に乗り込ませ、時化(しけ)のときに生贄にされるための存在です」、 「このような仕組みがないと、危機のときにもっと困ったことになったのかもしれません。つまり、あらかじめ失われる人を設定しておかないと、誰から標的になるのかと言うと、「目立つ人」「得をしていそうに見える人」から選ばれてしまう」、やはり「あらかじめ失われる人を設定して」おく方が安定には望ましいようだ。 「自分こそ正義、自分こそ知性、と思っている人ほど、ブレーキがオフになりやすく、正義の快さにあっという間に人格を乗っ取られてしまう。本当の知性は、自分の正義や知性が独り善がりのものになっていないかどうかを、まず疑うところにこそ、あると思う」、その通りだ。 現代ビジネス「ヤマザキマリ:生贄探し 第3回 ”世間体”という日本の戒律 恐るべし! 日本人は「世間の目」を、なぜこんな強烈に怖がるのか?イタリア人から見た日本 ヤマザキマリ」 「夫」曰く、テレビをつけても、教員同士でリモート会議をしても、誰も彼も自制の利かない強烈な自己主張をぶつけてくるばかりで疲れてしまい、そんなとき、ふと日本の“世間体”を意識しながら主張を抑えて生きる人たちを思い出してしまう」、「イタリア人」の「夫」でも、そのように感じているとは意外だ。 「かつて北海道のテレビ局の番組で料理を作ったりリポーターをしていた時期」、「あのときもし、自分の居場所は日本にしかなく、日本の環境に何が何でも溶け込む必要がある、という意識がもっと強かったら、おそらくそうした“世間体”の圧力によって、自分という人間を視聴者が求めていたような仕様にかたどり直していたかもしれません」、なるほど。 「われわれは、自由と民主主義が許された社会の中で暮らしていると思い込んで日々をすごしています。でも実態は、“世間体”という、具体的なかたちになっていないだけの民衆による強烈な統制力と、その時々の流動的な倫理によって形成される正義感によって、思想や行動の自由が容赦なく規制された、窮屈な環境の中に置かれているとも言えるのです」、確かに「われわれは」、「“世間体”」という「窮屈な環境の中に置かれている」、その通りだ。 現代ビジネス「ヤマザキマリ:生贄探し 第4回 自分自身が生贄にされないために 失敗やみっともなさを許す力をつける」 「昨今の若者は海外への留学や旅行」「に行こうとすらしない」、「どうしてなのかと尋ねてみたところ、融通のきかない土地へ行って自分のダメさや使えなさと向き合い、自分自身に失望するのが怖いと言うのです。つまり、自分が知りたくないみっともない自分とは遭遇したくない、自分の失敗の責任を自分で背負いたくない、ということなのでしょう」、情けない話だ。 「教育環境は“メンタル無菌室”状態…!?」、「明治維新に始まった日本社会の早急な西洋化が、人々のかっこ悪さやみっともなさを人情という美徳と捉えていた心のゆとりを払拭してしまった、ひとつのきっかけだったような気もします」、困ったことだ。 「正義というのは、他者の苦しみに対し、無意識に手を差し伸べてあげられてこそ、本当の意味を成すものなのではないかということを感じたのでした。 自分が信じている信念に従わない他者を戒めることは、それがたとえ自分にとって、どんなに理想的な宗教的理念や政治思想が根拠になっていようと、所詮は同調への強引な圧力というものでしかなく、正義とは言えません」、その通りだ。 「私が昆虫好きな理由は、意思の疎通もできなければ大気圏内の生き物という以外に何も共有するものがない、こうした多様な生物を生み出した地球そのものへの好奇心を楽しめるからです」、養老孟司先生に似ている。 「私がおすすめするのは、どこか広く視野が開けた、なるべくなら人間の巣である都市部よりも自然の多い場所まで出向いて、地球とそこに生きる自分のつながりをシンプルに感じることです。空に向かって思い切り深呼吸をするなど、大気圏内で生きる生物である自分を感じてみると、かなり気楽になるかと思うのです。​地球という惑星が自分の究極の住処であるという感覚をものにすれば、限定的な範囲の中で発生している些末な揉めごとや悩みも、なかなか自分の思いどおりにならない人生や他者の生き方についても、 それほど大騒ぎをしたりするほどのことでもない、と感じることができるはずです」、気分転換にはいい方法のようだ。
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