恋愛・結婚(その8)(「若者の結婚離れ」は大ウソ!未婚男女の8割超が「いずれ結婚するつもり」なのにできないワケ、「好きな人に告白」は日本特有の「恋愛の順序」だった!?欧米と異なる“文化”が根付いたワケ、作家・鈴木涼美氏と考える 現代女性の不倫リスク「不倫って気づいたら巻き込まれているもの」、不倫は悪なのか。作家・鈴木涼美氏が提起する日本の結婚制度の限界…それでもなぜ結婚する?) [人生]
恋愛・結婚については、本年2月23日に取上げた。今日は、(その8)(「若者の結婚離れ」は大ウソ!未婚男女の8割超が「いずれ結婚するつもり」なのにできないワケ、「好きな人に告白」は日本特有の「恋愛の順序」だった!?欧米と異なる“文化”が根付いたワケ、作家・鈴木涼美氏と考える 現代女性の不倫リスク「不倫って気づいたら巻き込まれているもの」、不倫は悪なのか。作家・鈴木涼美氏が提起する日本の結婚制度の限界…それでもなぜ結婚する?)である。
先ずは、本年4月19日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した中央大学文学部教授の山田昌弘氏による「「若者の結婚離れ」は大ウソ!未婚男女の8割超が「いずれ結婚するつもり」なのにできないワケ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/341554
・『生涯未婚率の上昇への対策は日本における喫緊課題の一つだ。結婚することに否定的な意見が一部であるものの、8割の男女は「できたらしたい」と考えている。日本の未婚社会の実態とは。※本稿は、『パラサイト難婚社会』(朝日新書、朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです』、興味深そうだ。
・『経済的観点から見ると結婚のメリットは高くない 「未婚」と一口に言ってもその状況は様々です。「おひとりさま」になるのか、「実家同居」になるのか、または「パラサイト・シングル」になるのか「引きこもり」になるのか、十人十色の現実がそこには存在します。 ただし、「経済的自立」と「精神的自立」という分岐が最も無視できない要因となるのは、共通して言えることでしょう。 既婚と未婚の善し悪しを比べているのではありません。手垢がついた表現になりますが、「独身貴族」という言葉もあります。正直、現代日本で「今を豊かに生きる」ためには、「しっかり稼いで自分ひとりで消費する」のが、一番贅沢に過ごせると言えなくもないのです。 仮に年収500万円を稼ぐ男性がいたとして、それをひとりで消費できる独身貴族生活と、「妻と子ども2人」を養い、4人家族で消費する生活とでは、当然前者の方が「経済的」には豊かに生活できます。 住みたいエリアに住み、食べたいものを食べ、着たいものを着て、趣味も娯楽も我慢せず、なおかつ貯蓄もできるでしょう。 でも同じ500万円で家族4人が暮らすとなれば、家族のために購入したマンションや戸建て住宅のローンを払い続け、4人分の食費と光熱費を捻出し、保険に加入し、高額化する教育費にお金をかけ続ける毎日では、自分の好きな服や趣味に回すお金はごくわずかになるでしょうし、貯蓄や投資などの余裕はほとんどないかもしれません。 つまり、単に経済的観点から見れば、「結婚のメリット」は少しも高くないのです。そして、育った子が自分の面倒を見てくれるどころか、成人後もパラサイトされて生活の面倒を見続けるリスクと隣り合わせです。 女性の場合はどうでしょう。仮に年収500万円を稼ぐ女性がいた場合、男性とはまた少し事情が異なってきます。相手も同程度に稼ぐ男性と結婚すれば、年収はシンプルに2倍になり、いわゆるパワーカップル家庭として「経済的」にも「結婚のメリット」はあるかもしれません。ただ、子どもを持つとなると、男性とはまた別の問題が生じてきます。) 日本企業の大部分はいまだに、「働く男性+専業主婦の妻」という大前提で職場環境を維持しています。「女性活躍」「ジェンダー平等」といくら口では言ったとしても、日本の企業戦士たち(既婚男性)が毎日深夜まで働き長期のバカンスも取らずに出世を目指せるのは、家で家事全般をこなし、育児を担ってくれる伴侶の存在があるからなのです』、「単に経済的観点から見れば、「結婚のメリット」は少しも高くないのです。そして、育った子が自分の面倒を見てくれるどころか、成人後もパラサイトされて生活の面倒を見続けるリスクと隣り合わせです。 女性の場合はどうでしょう。仮に年収500万円を稼ぐ女性がいた場合、男性とはまた少し事情が異なってきます。相手も同程度に稼ぐ男性と結婚すれば、年収はシンプルに2倍になり、いわゆるパワーカップル家庭として「経済的」にも「結婚のメリット」はあるかもしれません。ただ、子どもを持つとなると、男性とはまた別の問題が生じてきます・・・日本の企業戦士たち(既婚男性)が毎日深夜まで働き長期のバカンスも取らずに出世を目指せるのは、家で家事全般をこなし、育児を担ってくれる伴侶の存在があるからなのです」、なるほど。
・『日本人が陥っている根本問題 「結婚のメリットって何?」 しかし、同じことを女性が目指したらどうなるでしょう。つまり朝から晩まで時間を気にせず働き、残業も厭わず、休日出勤もして、会社への貢献と、昇進と、自らの成長を全力で目指し続けたとしたら。 特に、課長クラスの「中間管理職」の状況はたいへんです。収入はそれほど増えないのに上に気を使い、部下に突き上げられ、休む暇もありません。日本でも、ワークライフバランスや育児休業などが言われていますが、それも、平社員まで。日本で女性管理職の割合が少ないのも、この中間管理職を会社が「働かせ放題」だからではないでしょうか。 現在の日本社会で、女性がキャリアの仕事と同時に数人の子育てをすることは不可能ではないかもしれませんが、相当の覚悟と労力とコストがかかってくるはずです。 男性が自分に代わって専業主夫をしてくれたり、完全に家事育児を折半できたり、子育てを頼める父母が近くにいたり、あるいは香港やシンガポールのように家事代行サービスをフルタイムでやってくれるメイドさんがいれば話は変わってきますが、仕事にフルコミットしてキャリアを目指しながらの「結婚・育児」の選択は、今の日本社会では至難の業であることは否めません。 「出世」か「子育て」か。残念ながら、多くの日本女性は、いまだこのレベルで足踏みをしているのが現状です。 では、非正規雇用者など低所得層はどうでしょう。年収250万円程度の男性が家庭を持ち、専業主婦と複数の子どもを養う。これも、現実的には厳しいケースです。 実際、妻も働きダブルインカムにならないことには、子どもを持つという選択ができない。となると、それ以前に「結婚」自体のハードルも高いままです』、「仕事にフルコミットしてキャリアを目指しながらの「結婚・育児」の選択は、今の日本社会では至難の業であることは否めません。 「出世」か「子育て」か。残念ながら、多くの日本女性は、いまだこのレベルで足踏みをしているのが現状です」、なるほど。
・『「結婚するメリットって何だっけ?」 結局のところ、こうした根本的な問いに、現代日本人は陥っているのではないでしょうか。 「結婚=イエのため」のものとして、有無を言わさず「万人がするもの」という縛りが解けた近代社会において、昭和時代までは「結婚=生活を豊かにするため」というメリットが存在しました。) 人口が増加して多くの家族がぎりぎりの生活をしていた時代には、実家に「パラサイト」したり、「引きこもり」をしたりもできません。どれほど収入が低くても「ひとりよりは結婚して二人」の方が、男女共により安定した生活を望めたのです』、「「結婚=イエのため」のものとして、有無を言わさず「万人がするもの」という縛りが解けた近代社会において、昭和時代までは「結婚=生活を豊かにするため」というメリットが存在しました。) 人口が増加して多くの家族がぎりぎりの生活をしていた時代には、実家に「パラサイト」したり、「引きこもり」をしたりもできません。どれほど収入が低くても「ひとりよりは結婚して二人」の方が、男女共により安定した生活を望めたのです」、その通りだ。
・『未婚男女8割は「いずれ結婚するつもり」それでもできない理由とは しかしながら今、「結婚しなくても、頼れる実家がある」若者にとって、「結婚」のメリットとは何でしょう。しかも「今貧しければ、将来も貧しいまま」が容易に想像できる社会で、どうして「結婚」をあえて望むでしょうか。 しかも、家庭を新たに築くことが将来にわたりさらに経済的なリスクを負うことが予想される今日の社会においては、ますます「結婚」のインセンティブは低下していくのです。 すると、こんな声も聞こえてきそうです。 結婚したくない人々に、『結婚』をむりやり勧めなくてもいいんじゃない?」 たとえ「未婚」だとしても、その状態に不満足なわけでもないんだろう、と。 ですが、ここに次のようなデータが存在するのです。 厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所が、18~34歳の未婚者に実施した調査です。それによると、男性未婚者の81.4%、女性未婚者の84.3%が、「いずれ結婚するつもり」と答えています(2021年実施)。 今なお「独身でいる理由」の最多は、「適当な相手にまだ巡り合わないから」(24~34歳の男女)であり、次いで多い理由が「結婚する必要性を感じないから」「結婚資金が足りないから」なのです。 つまり若年「未婚」者の8割以上が、実際は「結婚」を望んでいるのです。彼らは自ら未婚を選んでいるわけではなく、結果的に未婚になってしまっているのです。この母数には既婚者が含まれていないので、結婚した同年齢の人数を加えれば、今でも9割以上の若者が結婚を望んだということになります。 「適当な相手」が見つかり、「結婚する必要性を実感」すれば、そして「結婚資金・生活資金が十分にあれば」、彼らはいつでも「結婚したい」のです。 でも、その状況がなかなか手に入らない。現在同居中の父母が面倒を見てくれる便利で安心な生活を放棄してでも「結婚したい」と思える相手に巡り合わないし、結婚してやっていけると確信が持てるような経済的基盤も得られない。だから結婚しない。それが、日本の「未婚社会」の実態です』、「若年「未婚」者の8割以上が、実際は「結婚」を望んでいるのです。彼らは自ら未婚を選んでいるわけではなく、結果的に未婚になってしまっているのです。この母数には既婚者が含まれていないので、結婚した同年齢の人数を加えれば、今でも9割以上の若者が結婚を望んだということになります。 「適当な相手」が見つかり、「結婚する必要性を実感」すれば、そして「結婚資金・生活資金が十分にあれば」、彼らはいつでも「結婚したい」のです。 でも、その状況がなかなか手に入らない。現在同居中の父母が面倒を見てくれる便利で安心な生活を放棄してでも「結婚したい」と思える相手に巡り合わないし、結婚してやっていけると確信が持てるような経済的基盤も得られない。だから結婚しない。それが、日本の「未婚社会」の実態です」、その通りだ。
次に、6月25日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した社会学者の大森美佐氏による「「好きな人に告白」は日本特有の「恋愛の順序」だった!?欧米と異なる“文化”が根付いたワケ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/344598
・『好きな人に「告白」するのは恥ずかしくて勇気がいること。しかし、実は「告白」してから交際するというのは日本特有の文化で、欧米圏では自然と交際が始まるケースが多いという。告白をして恋人同士になり、デート、手をつなぐ、キス……という「恋愛の順序」にわれわれがこだわってしまうのは、なぜなのか?本稿は、大森美佐『恋愛ってなんだろう?(中学生の質問箱)』(平凡社)の一部を抜粋・編集したものです』、「「告白」してから交際するというのは日本特有の文化で、欧米圏では自然と交際が始まるケースが多いという」、初めて知った。ただ、イタリアでの恋人に向けてのセレナーデは明らかな「告白」だ。
・『「告白」を大事にするのは実は日本特有の文化 Q:私はしたことがないんだけど、告白って、すごく勇気がいることだよね。友だちが「告白する!」って決心している姿をみると、すごいなあって思う。 A:相手の気持ちをたしかめることになりますから、とても緊張しますよね。 Q:うん。フラれちゃって、友だちのころのように話せなくなったら嫌だし……。でも、告白をしないと付き合えないんでしょ? A:付き合うには、告白がマストというわけではありません。実は「告白」を大事にするのは、日本特有の文化なんだそうです。フランスやアメリカなど欧米圏では告白をしないことがほとんどで、はっきりと告白をしなくても自然と恋人関係が始まるケースが多いと聞いたことがあります。日本で告白を大事にする文化があるのは、規範、つまり恋愛における「暗黙のルール」のようなものがあるからだと思います。告白してOKしてもらったら恋人になれる、恋人になったら手をつないだり、休みの日に会えたりする、といった共通のルールがなんとなくありますよね。 Q:たしかにそうかも。付き合ったら、いっぱい連絡をとりあって、毎日一緒に帰るとかね。 そして、恋愛において相手と親密な関係になっていくには、ステップ、つまり「恋愛の順序」があると言われています。相手に好意を抱いて付き合いたいと思ったら、告白をして、恋人になって、デートをして、キスをしたり手をつないだり触れ合いができるようになって、性交をする。私が調査をしていた中で感じたのは、日本人はそうした恋愛の順序をきちんと守って、その通りに恋愛を進めていきたいと考えている人が多いということです。なので、「告白」は恋人関係になりたいのなら、絶対に通らなければならない儀式だと考えられているのではないでしょうか。) Q:うん。付き合いたいと思ったら、まずは告白ってイメージがあるもん。 A:そうですよね。異性愛にかぎった話をすると、みなさんの祖父母世代は異性どうしの友情関係がいまとくらべて少なかったので、男の子と女の子が毎日一緒にいると、告白をしなくても自然と互いを特別な関係だと感じ、周りからも「付き合っているのかな」と言われることがあったと言います。ですが、男女共学が増え、異性どうしの交流が盛んになってきたことで、男女ふたりでいても特別なものではなくなってきています。 Q:趣味が合う男の子の友だちと、ときどき一緒に帰るよ。 A:だからこそ、友情と恋愛を区別するために「告白」をすることが、より重要な意味をもつようになってきました。私がおこなった調査では、友だち関係から恋人になる人が増えているようです。なので「友人モードから恋人モードへの切り替え」のために、「告白」をすることがマストだと考えているようでした』、「相手に好意を抱いて付き合いたいと思ったら、告白をして、恋人になって、デートをして、キスをしたり手をつないだり触れ合いができるようになって、性交をする。私が調査をしていた中で感じたのは、日本人はそうした恋愛の順序をきちんと守って、その通りに恋愛を進めていきたいと考えている人が多いということです。なので、「告白」は恋人関係になりたいのなら、絶対に通らなければならない儀式だと考えられているのではないでしょうか」、なるほど。
・『恋人と友だち関係の「大きな違い」とは? Q:友だちとの会話で、「好きな人がいる」って話になると、かならず「告白しなよー」って周りが盛り上げるんだよね。好きな人ができたら、告白しなきゃいけないのかな? A:告白しなきゃいけない、なんてことはないですよ。恋愛に限らず、何事も、自分の気持ちがいちばん大切です。みなさんは、恋人と友だち関係の大きな違いはなんだと思いますか? Q:えー、なんだろう。恋人は手をつないだり、友だちよりもいっぱい連絡とったりするとかかな? もちろん、これも人によって考え方はさまざまですが、一般的によく言われるのは、恋人どうしになったら、キスや手をつなぐなど親密な触れ合いをするようになる、ということです。あとはデートをしたり毎日一緒に登下校したり、ほかの人と異なる特別な関係を望むのなら、告白は関係をはっきりさせるためにいい方法の一つだと思います。でも、ときどき一緒に帰れるだけでも楽しくて、いまの関係に満足しているのなら、無理に告白をする必要はないのかなと思います。 もう一度言いますが、みなさんの気持ちがいちばん大切です。あと、ひとりの時間が好きだったり、友だちとわいわいする時間が楽しかったりして、恋人はいなくても満足している人もいますよね。 Q:その気持ち、すっごくわかる!私は友だちとの時間もひとりの時間も好きだから、付き合って恋人に自分の時間を奪われちゃうのが嫌だ。いつでも相手に合わせて行動しなきゃいけないのかな、連絡もすぐに返さなきゃいけないのかなと思うと、私も「ちょっとめんどくさい派」なのかも。 A:恋人と友だちの中間のような「〇〇フレ」が増えているのも、それぞれにとって心地よい関係性を考えた結果かもしれませんね。ただ、時間が経つにつれて、たとえば嫉妬のような気持ちを抱いたり、相手への想いが変わって「付き合いたい」と思うようになったりするかもしれないので、必ずしも「この人は友だち」「この人は恋人」と、ひとつの関係にずっとしばられなくてもいいと思いますよ。 Q:気がついたら友だちを好きになってたってこと? A:友だちどうしの関係性も、変わっていきますからね。そのときどきで、自分が好きな人と「どういう関係になりたいのか」を考えて、自分で納得した答えを出せるといいですね』、「時間が経つにつれて、たとえば嫉妬のような気持ちを抱いたり、相手への想いが変わって「付き合いたい」と思うようになったりするかもしれないので、必ずしも「この人は友だち」「この人は恋人」と、ひとつの関係にずっとしばられなくてもいいと思いますよ、なるほど。
・『付き合っていても触れ合いたくない人もいる Q:どういう関係になりたいか……。前に、友だちが告白をしたら、相手から「付き合うってなにをするの?」って聞かれたんだって。 A:なるほど。面白い質問ですね。それを聞かれた人は、なんと答えたのでしょう? Q:「たしかに……」って、そこからなにも言えなかったって。それを聞いて、私もわからなかった。だから先生に聞きたかったの。付き合ったら、具体的になにするの? A:多くの人は「親密な触れ合いができるようになること」を想像していると思います。親密な触れ合いというのは、手をつないだりキスをしたり、触れ合いができる間柄になるということ。ですが、付き合ってなにをするのかは、カップルそれぞれで話し合って決めることなので、いちがいには言えません。人によっては「一緒にいたいけれど、触れ合いは嫌だ」という人もいます。 Q:付き合いたいのに、触れ合うのは嫌な人もいるんだね?) めずらしく感じるかもしれませんが、おかしい感情ではまったくないですよ。人によって心地よい親密さの度合いは違うので、付き合っているからといって、いつでも身体の触れ合いがOKになるわけではないと理解しておいてくださいね。相手の身体、とくに口や胸、お尻、性器などに、同意なく触れることは、恋人に限らず、どんな人間関係にも許されません。 Q:付き合っているんだから、そういうことをするのが当たり前だと思ってた。 そう考えている人も多いと思いますが、実は違うんです。付き合っていても、相手の身体は相手のもの。じっくり話をして、ゆっくりふたりで過ごす時間も、とても愛おしく感じませんか? Q:でもさ、マンガやドラマだと順序なんてすっ飛ばして、とつぜんキスするシーンがけっこうあるよ。 でも、実際の人間関係で想像してみてください。とつぜんクラスメイトにキスをされたり、手をつながれたりしたらびっくりしませんか?好きでもない相手にキスされたら、ショックを受けないでしょうか。 Q:そうかも……。 マンガでは「胸キュン」なシーンとして描かれますが、同意なくとつぜん相手に触れることは、非常に怖い状況だと思います。 Q:それでいうと「壁ドン」とかも怖いかも。なにされるかわかんないし。 ここでみなさんに思い出してほしいのが、恋愛とは「コミュニケーション」という話です。相手の気持ちを尊重して、そのつどお互いに考えていることを確認しながら、関係を深めていく。そういう意味で、「恋愛の順序」というのは、相手と気持ちをそろえて歩んでいくための、ひとつの道すじになるかもしれません。 Q:相手と気持ちをそろえるかあ……。まだうまく想像できてないかも。 友だちどうしでもかまわないので、まずは自分から「私はこういうことに興味があるんだけど、あなたはどう?」と話をしたり、相手の話にじっくり耳をかたむけることを普段から意識してみるといいかもしれませんね。相手のしたいこと、してほしくないことを確認しながら、相手と一緒に恋愛をするという気持ちでお付き合いしてみるのはどうでしょうか』、「人によって心地よい親密さの度合いは違うので、付き合っているからといって、いつでも身体の触れ合いがOKになるわけではないと理解しておいてくださいね。相手の身体、とくに口や胸、お尻、性器などに、同意なく触れることは、恋人に限らず、どんな人間関係にも許されません・・・「恋愛の順序」というのは、相手と気持ちをそろえて歩んでいくための、ひとつの道すじになるかもしれません・・・まずは自分から「私はこういうことに興味があるんだけど、あなたはどう?」と話をしたり、相手の話にじっくり耳をかたむけることを普段から意識してみるといいかもしれませんね。相手のしたいこと、してほしくないことを確認しながら、相手と一緒に恋愛をするという気持ちでお付き合いしてみるのはどうでしょうか」、これなら無難だ。
第三に、10月5日付けYahooニュースが転載したコクハク「作家・鈴木涼美氏と考える 現代女性の不倫リスク「不倫って気づいたら巻き込まれているもの」」を紹介しよう。
https://article.yahoo.co.jp/detail/c6e5aad4176ee2eecba3b8735a7b72c81379221e
・『朝スマホを開くと「またか」と思うくらい、1年に何度も芸能人の不倫ニュースを見かける。いくら有名人とはいえ、特に当人と面識がないにも関わらずここまで不倫が世間的に断罪されるようになったのは、「センテンススプリング」(注)という言葉が世に浸透した頃だろうか』、興味深そうだ。
(注)「センテンススプリング」:発端は週刊文春が3週に渡りゲスの極み乙女。の川谷絵音とタレントのベッキー♪#が不倫している、とのスキャンダル記事を連載したこと(ピクシブ百科事典)
・『それはセンテンススプリングから始まった 本屋に行っても、9時台のゴールデンタイムにテレビをつけても、不倫を題材にした漫画やドラマは珍しくない。時折、純文学のような美しい不倫や、愛の多様性を考えさせられるエンタメを目にすることもあるが、その多くはリアルでおどろおどろしい、報復を目的にした作品ばかりだ。結婚していてもしていなくても、不倫問題を身近に感じる人は増えているのではないだろうか。 9月24日に作家の鈴木涼美氏が出版した書籍『不倫論――この生きづらい世界で愛について考えるために』(平凡社)では、現代の不倫が客観的に考察されている。 今回は著者である鈴木氏と一緒に、未婚女性・既婚女性問わず広がっている「不倫リスク」を再考していく』、興味深そうだ。
・『未婚でも「不倫リスク」は隣り合わせ 鈴木涼美氏は慶應義塾大学を卒業後、東大の大学院修士課程を経て大手経済新聞社に就職し、退職後に作家としての活動を始めた異色の経歴を持つ。学生時代はセクシー女優として活動していたことも明かしており、作家となってからも夜の街や、性愛に関する発信を積極的に行ってきた印象がある。 しかし今春、40歳となった鈴木氏はSNSで現役ホストとの結婚を電撃報告。そんな彼女がなぜ今、不倫をテーマに一冊の本にまとめたのか。 「私自身はもともと結婚に興味がありませんでしたし、『不倫論』の執筆中は未婚だったわけですが、なぜか近年、不倫に関するコラム執筆の依頼がかなり増えていて、結果、不倫について考える時間が長かったことが大きいですね。それに、身近な人間の不倫話を聞くことも多く、私も自分が未婚で、お相手が既婚男性という形での不倫なら経験がありました。40年も未婚だった私でも、不倫とまったくの無関係とは言えなかったのです」』、「私も自分が未婚で、お相手が既婚男性という形での不倫なら経験がありました」、マスコミで活躍するエース女性記者なら、さもありなんだ。
・『不倫が世の中からなくなることはない 確かに、不倫という行為は都会だとか田舎だとか、場所を選ばず日本のそこらじゅうで起きている。それも面識のある人間が当事者でなくても、SNSで夫の不倫を暴露する匿名の「サレ妻」アカウントなど、自分とは全く違う環境で起きているリアルな不倫を数多目にもする。未婚・既婚問わず、いつどこでかかってもおかしくない風邪ほどに身近だ。 「不倫が世の中からなくなることはないと思いますが、結婚制度はもっと早く廃れるんじゃないか、とは考えていました。女性の社会進出が進み、経済的自立が確立されるようになれば、結婚という制度を利用しなくなる女性が増えると思っていたのですが、2024年になってみても、結婚が廃れる気配はありません。 もちろん、不倫も減りませんよね。減らないにもかかわらず、不倫に対する風当たりは年々強くなっている。昭和の時代は、有名な男性に愛人がいるという構図がおおまかに許されている雰囲気があったけれど、今は男性の不倫であってもやれ辞任だCM降板だと、人生が狂うくらいの十字架を背負わされるわけで。 私は、結婚や純愛への希望と絶望のアンビバレンスが、世の中で起きる不倫断罪に繋がっていると考えています」』、「不倫も減りませんよね。減らないにもかかわらず、不倫に対する風当たりは年々強くなっている。昭和の時代は、有名な男性に愛人がいるという構図がおおまかに許されている雰囲気があったけれど、今は男性の不倫であってもやれ辞任だCM降板だと、人生が狂うくらいの十字架を背負わされるわけで。 私は、結婚や純愛への希望と絶望のアンビバレンスが、世の中で起きる不倫断罪に繋がっていると考えています」、なるほど。
・『気がついたら巻き込まれているもの 『不倫論』では結婚制度の限界についても、深く考察している。日本はもともと1898年まで一夫多妻制で、愛人を二親等と認める妾制度も認められていた。急激な西洋化でキリスト教ベースの貞操観念や人権思想などが流入し、一夫多妻制は廃止され、現在のような一夫一婦制となってから、まだ数百年と経っていない。 「私個人は、愛憎にまみれた不倫の経験はないですし、特に不倫を否定してもいません。ただ、世間の過剰反応には毎回驚いています。不倫って、気づいたら巻き込まれているものだと思うんですよ。始めようと思って始める人ばかりでもないですし、好きになった人から既婚の事実を隠されている場合だってあるわけです。 あるいは、世論に流されて不倫を批判していたのに、いつのまにか自分が不倫の当事者になっていることもある。それに恋愛経験がない人ほど不倫にハマりやすい話もありますし、渦中にいる時は、どれだけのものを失いかねないかが見えなくなってしまう。女として生きているだけで、誰もが不倫のリスクを常に頭の片隅に置くべきではないでしょうか」 不倫、と一口に言ってもケースは色々だ。女性のみが既婚のケースもあれば、男性のみが既婚のケースもある。相手が既婚者だと分かっていて不倫するぶんには自覚的だが、たまたま好きな男が既婚者だったことを後から知った場合、女はある種の被害者とも見える。 前述のサレ妻アカウントのように、結婚しているパートナーが不倫していれば、自分も結局当事者となる。気をつけているだけでは、不倫と無縁の人生を送れるとも限らないわけだ』、「サレ妻アカウントのように、結婚しているパートナーが不倫していれば、自分も結局当事者となる。気をつけているだけでは、不倫と無縁の人生を送れるとも限らないわけだ」、なるほど。
・『言葉とともにカジュアル化する不倫「向いていない女性像」も 加えて昨今、ネットを賑わせたYouTuberの発言によって「女性もセカンドパートナーを持ってもいい」という思考も急激に広まっており、今後は「既婚女性側の不倫」がカジュアル化していくのではないか…とも考えられる。 「日本語って便利ですよね。売春という言葉を、援助交際とかパパ活とか言い換えれば、なぜかカジュアルに聞こえてしまう。浮気や不倫が他の言葉に言い換えられてこなかったのは、世の中にそこまで悪いことという認識がなかったからかもしれません。 結婚制度は私が思っていたほど廃れませんでしたが、女性の生殖リミットが驚くほど伸びたわけではない。もっとも、平均寿命は順調に伸び、結婚50周年の金婚式、60周年のダイヤモンド婚式、70周年のプラチナ婚式なんて言葉も生まれたぐらいです。 60歳を待たずに寿命を迎えていた時代と比べたら、離婚がカジュアルになるのか、不倫がカジュアルになるのか、どっちかしかない…そう考えると、ある意味自然な流れではありますよね」 鈴木氏が話すように、日本の婚姻率は世間が心配していたほど下がっていない。コロナ中も婚姻数はほぼほぼ横ばいで、コロナが明けてからは結婚式を行うカップルも増えてきている。「子を持つ」という未来を見据える以上、女性にとっても未だ結婚は「せざるを得ないもの」と認識され続けている。 「共働き世帯も増えていて、女性も社会に出続けるし、出会いがありますよね。昔ほど、夫との関係も固定化しづらくなってきている。女性にとっての不倫は、今後も今以上に身近なものになっていくと思いますよ」』、「共働き世帯も増えていて、女性も社会に出続けるし、出会いがありますよね。昔ほど、夫との関係も固定化しづらくなってきている。女性にとっての不倫は、今後も今以上に身近なものになっていくと思いますよ」、なるほど。
・『泥沼化しやすい不倫とは? 『不倫論』では、文学作品や映画の中で過去様々に描かれてきた「不倫のありよう」についても語られている。不倫は、作品によって儚く美しい純愛として描かれることもあるし、現実問題としても隣の芝は青く見えるという言葉の通り、他人のものだからこそ美しく見える場合もある。しかし、鈴木氏は「不倫に向いていない女性もいる」と注意喚起をする。 「未婚女性から見た場合の不倫の残酷さは、自分で終止符を打たないと終わりづらい。既婚男性は余暇の遊びとして不倫をしているわけで、別れる必要性も感じない。ホストの色恋営業にも似ているかなと思います。 相手からしたらメリットだらけの関係は、別れを切り出しても簡単に終わらない場合があります。辞め時のタイミングで存在を消せるくらいの決断力がない女性にとっては、不倫は純愛の搾取となってしまう場合がありますね」』、「「未婚女性から見た場合の不倫の残酷さは、自分で終止符を打たないと終わりづらい。既婚男性は余暇の遊びとして不倫をしているわけで、別れる必要性も感じない。ホストの色恋営業にも似ているかなと思います。 相手からしたらメリットだらけの関係は、別れを切り出しても簡単に終わらない場合があります。辞め時のタイミングで存在を消せるくらいの決断力がない女性にとっては、不倫は純愛の搾取となってしまう場合がありますね」、ずいぶん深い考察だ。
・『未婚女性×男性の不倫の方が泥沼化 鈴木氏によれば、既婚女性×男性の不倫よりも、未婚女性×男性の不倫の方が泥沼化しやすいという。未婚女性から漏れ聞く不倫が悲恋ばかりなのは、既婚男性との立場のアンバランスさも大きいのかもしれない。関係を続けることにメリットしかないなら、口説き文句もいくらでも出るというものなのだろう。 インタビューの後編では鈴木氏自身の結婚観についても伺っていく。30代を「選択的未婚」として過ごしてきた鈴木氏の現在の心境を聞いてみると、意外な本心も見えてきた。 【後編へつづく:「日本のセックスレス」は文化の問題。不倫は悪なのか?】』、「未婚女性×男性の不倫の方が泥沼化しやすいという。未婚女性から漏れ聞く不倫が悲恋ばかりなのは、既婚男性との立場のアンバランスさも大きいのかもしれない。関係を続けることにメリットしかないなら、口説き文句もいくらでも出るというものなのだろう」、なるほど。
第四に、この続きを、10月5日付けYahooニュースが転載したコクハク「不倫は悪なのか。作家・鈴木涼美氏が提起する日本の結婚制度の限界…それでもなぜ結婚する?」を紹介しよう。
https://article.yahoo.co.jp/detail/f770e998b7e202535794b5e327cadb96f087aab3
・『『不倫論――この生きづらい世界で愛について考えるために』(平凡社)を刊行した作家・鈴木涼美氏とともに、現代女性における「不倫リスクの増加」について考察した前編記事。
・『「日本のセックスレス」は文化の問題。不倫は悪なのか? 後半は、不倫を考えるにおいて欠かせない「夫婦のセックスレス問題」をはじめ、結婚願望がなかったという鈴木氏が結婚を経て、生活や価値観にどんな変化があったのかも掘り下げていく。すると、本の中では語られていなかった鈴木氏自身の「結婚観」も見えてきた。 夫婦のセックスレス問題は、世間で見聞きする不倫のほとんどに関係していると言っても過言ではない。不倫が題材となったエンタメ作品や、ネットで見かける当事者の不倫告発も、決まって夫婦間はセックスレスであるという事実がセットだ。 「もともと西洋化する前の日本は、カップルよりも家族というユニットを大切に考えてきましたし、今もその価値観は残っているでしょう。家族だからこそ性的な目で見づらいとか、夫婦間にセックスがなくとも、不倫があるからこそ家族関係は継続できているという考え方もありますよね。 日本の生涯セックス回数は世界でも最低レベルだと言われ、愛し合う情熱を維持していく意思は強くない。そもそも一つ屋根の下で暮らしながら性関係を維持するなんて、工夫がないと成り立たないものだと思っています」
・『義務教育では教えてくれない 日本の結婚制度のアンビバレンスは、西洋から急激に流れ込んできたキリスト的純愛文化と、この国古来からの家族制度とのブレによるものも大きい、と鈴木氏。確かに、不倫というワードを掘り下げて考えていくと日本に今ある「一夫一妻」の結婚制度や、家族愛と恋愛を分けて考えがちな国民性にも目を向けざるを得ない。 「その割に、義務教育で結婚にまつわるノウハウなんて教えてくれませんよね? 西洋風のラブラブな夫婦像を目指したいのか、日本古来の盤石な家族像を築いていければいいのか、本来なら、当事者同士が結婚前にもっとしっかり話し合うべきなのかもしれません」』、「日本の結婚制度のアンビバレンスは、西洋から急激に流れ込んできたキリスト的純愛文化と、この国古来からの家族制度とのブレによるものも大きい・・・本来なら、当事者同士が結婚前にもっとしっかり話し合うべきなのかもしれません」、なるほど。
・『AVでセックスを覚えた男と、少女漫画で恋愛を覚えた女 周囲に配慮し合う文化が強い日本では、交際相手とですら深い意味で結婚観を話し合うことは簡単ではないのかもしれない。結婚した後のことも2人の関係のことも、未だ結婚に至っていないカップルにとってはかなりセンシティブだ。 「少し主語が大きいかもしれませんが、日本のカップルの多くは、AVでセックスを覚えた男と、少女漫画で恋愛を覚えた女です。どちらにも希望という名の妄想や思い込みがあるので、最初から意見がぴたりと合うわけがない。 文化や思想、価値観の違う男女が家族としてうまくやっていくためには、恋愛感情を外注するのか。それともキリスト教的な純愛を貫くために、お互い切磋琢磨するのか…。はじめから考え方が似ている人と結婚できれば、不倫がきっかけで離婚することはなくなるかもしれませんよね」 コミュニケーションを怠れば、最悪の場合、不倫がきっかけとなって、離婚も含めた将来のすり合わせを行うことになるかもしれない。夫婦にとっては避ける方が難しい不倫やセックスレスで心身を疲弊させないためには、まずは自身が目指す結婚像を明確にして、先に話し合っておくしかない。 ▽「結婚と不倫」に向き合い続けた鈴木涼美の結婚観(しかし実際、3月に結婚したばかりの鈴木氏も、パートナーとあまり深い話し合いをしないままに結婚に至った。 「私の場合は先に妊娠したことが分かって、自分は子育てが得意じゃないだろうし、手伝ってくれる人を見つけないとと思って付き合ってすぐに結婚しました。こんな本を書いているわりに、自分の結婚観が醸成されないままに籍を入れてしまったんですよね」 妊娠が発覚する前は結婚に興味がなかったという。妊娠が先だったとはいえ、結婚に対して不安や迷いはなかったのだろうか。 「35歳くらいまでは、結婚にかなり抵抗感がありました。1人の人生で自分を満たせているのに、結婚したら自由を制限することになるし、子育てにも興味がありませんでした」』、「AVでセックスを覚えた男と、少女漫画で恋愛を覚えた女」とは面白い比喩だ。「日本のカップルの多くは、AVでセックスを覚えた男と、少女漫画で恋愛を覚えた女です。どちらにも希望という名の妄想や思い込みがあるので、最初から意見がぴたりと合うわけがない。 文化や思想、価値観の違う男女が家族としてうまくやっていくためには、恋愛感情を外注するのか。それともキリスト教的な純愛を貫くために、お互い切磋琢磨するのか…。はじめから考え方が似ている人と結婚できれば、不倫がきっかけで離婚することはなくなるかもしれませんよね」、なるほど。
・『独身の醍醐味も味わい尽くした とはいえ100%独身でいい、とも決めきれていなかったとも話す。選択的未婚のつもりで独身を貫いていても、法的な制度があるわけではなく、時と場合によっていつでも結婚することができる。だからこそ、タイミング次第で気持ちは揺らぐものだ。 「38歳を過ぎた頃あたりから、制限のない生活に飽き始めた自分もいました。10年後はクラブで遊んでいないかもしれないし、独身の醍醐味も味わい尽くした感覚があったんです。だからまあ、妊娠が分かった時にチャレンジしてみてもいいのかな、とポジティブに考えられましたね。 それにもし結婚生活がうまくいかなかったとしても、40歳未婚よりは40歳バツイチの方がいいんじゃないかという思いもありました。正直、どんな結婚生活を送りたいとか、具体的なことはあまり考えないままに結婚してしまいましたが、生まれてくる子どものために服を選ぶのも、案外楽しかったり。若い頃、自分のためにギャル服を選んでいた時と同じくらい楽しめるとは思ってもいませんでした」』、「10年後はクラブで遊んでいないかもしれないし、独身の醍醐味も味わい尽くした感覚があったんです。だからまあ、妊娠が分かった時にチャレンジしてみてもいいのかな、とポジティブに考えられましたね。 それにもし結婚生活がうまくいかなかったとしても、40歳未婚よりは40歳バツイチの方がいいんじゃないかという思いもありました。正直、どんな結婚生活を送りたいとか、具体的なことはあまり考えないままに結婚してしまいましたが、生まれてくる子どものために服を選ぶのも、案外楽しかったり。若い頃、自分のためにギャル服を選んでいた時と同じくらい楽しめるとは思ってもいませんでした」」、なるほど。
・『未婚既婚問わず、未来は分からない 『不倫論』の中で現代の結婚制度の限界に言及しながらも、出版前に結婚を発表することになった自らの人生について「数奇なものですよね」と笑う鈴木氏。改めて、不倫や離婚と隣合わせではありながらも、この時代に結婚する意義を聞いてみた。 「日本は海外と比べてもシングルマザー手当が手厚いとは言えないので、子どもを持ちたいのであればやはり、結婚ってアリだよねと考える人は多いのではないでしょうか。私自身、結婚してみて、何でも相談できる相手がすぐそばにいてくれるのは心強いなと感じています。 今の日本の結婚制度に、歪みやたわみがあるのは確かなのだろう。それでも、結婚する未来を選択し、子どもを生んでいく夫婦もたくさんいる。不倫や離婚のない結婚生活は、夫婦がお互いの価値観をすり合わせたり、時に諦めたりしないと成り立たないものなのかもしれない。 「未婚だろうが既婚だろうが、未来がどうなるのか分からないのは同じ。結婚して不倫せずに済んでも、パートナーと早めに死別するかもしれない。未婚のまま過ごしても、いつか既婚男性を好きになるかもしれない。それなら今が楽しい方がいい。そのぐらいラフな考えでもいいのではないでしょうか」』、「未婚だろうが既婚だろうが、未来がどうなるのか分からないのは同じ。結婚して不倫せずに済んでも、パートナーと早めに死別するかもしれない。未婚のまま過ごしても、いつか既婚男性を好きになるかもしれない。それなら今が楽しい方がいい。そのぐらいラフな考えでもいいのではないでしょうか」、ずいぶん達観したものだ。
先ずは、本年4月19日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した中央大学文学部教授の山田昌弘氏による「「若者の結婚離れ」は大ウソ!未婚男女の8割超が「いずれ結婚するつもり」なのにできないワケ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/341554
・『生涯未婚率の上昇への対策は日本における喫緊課題の一つだ。結婚することに否定的な意見が一部であるものの、8割の男女は「できたらしたい」と考えている。日本の未婚社会の実態とは。※本稿は、『パラサイト難婚社会』(朝日新書、朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです』、興味深そうだ。
・『経済的観点から見ると結婚のメリットは高くない 「未婚」と一口に言ってもその状況は様々です。「おひとりさま」になるのか、「実家同居」になるのか、または「パラサイト・シングル」になるのか「引きこもり」になるのか、十人十色の現実がそこには存在します。 ただし、「経済的自立」と「精神的自立」という分岐が最も無視できない要因となるのは、共通して言えることでしょう。 既婚と未婚の善し悪しを比べているのではありません。手垢がついた表現になりますが、「独身貴族」という言葉もあります。正直、現代日本で「今を豊かに生きる」ためには、「しっかり稼いで自分ひとりで消費する」のが、一番贅沢に過ごせると言えなくもないのです。 仮に年収500万円を稼ぐ男性がいたとして、それをひとりで消費できる独身貴族生活と、「妻と子ども2人」を養い、4人家族で消費する生活とでは、当然前者の方が「経済的」には豊かに生活できます。 住みたいエリアに住み、食べたいものを食べ、着たいものを着て、趣味も娯楽も我慢せず、なおかつ貯蓄もできるでしょう。 でも同じ500万円で家族4人が暮らすとなれば、家族のために購入したマンションや戸建て住宅のローンを払い続け、4人分の食費と光熱費を捻出し、保険に加入し、高額化する教育費にお金をかけ続ける毎日では、自分の好きな服や趣味に回すお金はごくわずかになるでしょうし、貯蓄や投資などの余裕はほとんどないかもしれません。 つまり、単に経済的観点から見れば、「結婚のメリット」は少しも高くないのです。そして、育った子が自分の面倒を見てくれるどころか、成人後もパラサイトされて生活の面倒を見続けるリスクと隣り合わせです。 女性の場合はどうでしょう。仮に年収500万円を稼ぐ女性がいた場合、男性とはまた少し事情が異なってきます。相手も同程度に稼ぐ男性と結婚すれば、年収はシンプルに2倍になり、いわゆるパワーカップル家庭として「経済的」にも「結婚のメリット」はあるかもしれません。ただ、子どもを持つとなると、男性とはまた別の問題が生じてきます。) 日本企業の大部分はいまだに、「働く男性+専業主婦の妻」という大前提で職場環境を維持しています。「女性活躍」「ジェンダー平等」といくら口では言ったとしても、日本の企業戦士たち(既婚男性)が毎日深夜まで働き長期のバカンスも取らずに出世を目指せるのは、家で家事全般をこなし、育児を担ってくれる伴侶の存在があるからなのです』、「単に経済的観点から見れば、「結婚のメリット」は少しも高くないのです。そして、育った子が自分の面倒を見てくれるどころか、成人後もパラサイトされて生活の面倒を見続けるリスクと隣り合わせです。 女性の場合はどうでしょう。仮に年収500万円を稼ぐ女性がいた場合、男性とはまた少し事情が異なってきます。相手も同程度に稼ぐ男性と結婚すれば、年収はシンプルに2倍になり、いわゆるパワーカップル家庭として「経済的」にも「結婚のメリット」はあるかもしれません。ただ、子どもを持つとなると、男性とはまた別の問題が生じてきます・・・日本の企業戦士たち(既婚男性)が毎日深夜まで働き長期のバカンスも取らずに出世を目指せるのは、家で家事全般をこなし、育児を担ってくれる伴侶の存在があるからなのです」、なるほど。
・『日本人が陥っている根本問題 「結婚のメリットって何?」 しかし、同じことを女性が目指したらどうなるでしょう。つまり朝から晩まで時間を気にせず働き、残業も厭わず、休日出勤もして、会社への貢献と、昇進と、自らの成長を全力で目指し続けたとしたら。 特に、課長クラスの「中間管理職」の状況はたいへんです。収入はそれほど増えないのに上に気を使い、部下に突き上げられ、休む暇もありません。日本でも、ワークライフバランスや育児休業などが言われていますが、それも、平社員まで。日本で女性管理職の割合が少ないのも、この中間管理職を会社が「働かせ放題」だからではないでしょうか。 現在の日本社会で、女性がキャリアの仕事と同時に数人の子育てをすることは不可能ではないかもしれませんが、相当の覚悟と労力とコストがかかってくるはずです。 男性が自分に代わって専業主夫をしてくれたり、完全に家事育児を折半できたり、子育てを頼める父母が近くにいたり、あるいは香港やシンガポールのように家事代行サービスをフルタイムでやってくれるメイドさんがいれば話は変わってきますが、仕事にフルコミットしてキャリアを目指しながらの「結婚・育児」の選択は、今の日本社会では至難の業であることは否めません。 「出世」か「子育て」か。残念ながら、多くの日本女性は、いまだこのレベルで足踏みをしているのが現状です。 では、非正規雇用者など低所得層はどうでしょう。年収250万円程度の男性が家庭を持ち、専業主婦と複数の子どもを養う。これも、現実的には厳しいケースです。 実際、妻も働きダブルインカムにならないことには、子どもを持つという選択ができない。となると、それ以前に「結婚」自体のハードルも高いままです』、「仕事にフルコミットしてキャリアを目指しながらの「結婚・育児」の選択は、今の日本社会では至難の業であることは否めません。 「出世」か「子育て」か。残念ながら、多くの日本女性は、いまだこのレベルで足踏みをしているのが現状です」、なるほど。
・『「結婚するメリットって何だっけ?」 結局のところ、こうした根本的な問いに、現代日本人は陥っているのではないでしょうか。 「結婚=イエのため」のものとして、有無を言わさず「万人がするもの」という縛りが解けた近代社会において、昭和時代までは「結婚=生活を豊かにするため」というメリットが存在しました。) 人口が増加して多くの家族がぎりぎりの生活をしていた時代には、実家に「パラサイト」したり、「引きこもり」をしたりもできません。どれほど収入が低くても「ひとりよりは結婚して二人」の方が、男女共により安定した生活を望めたのです』、「「結婚=イエのため」のものとして、有無を言わさず「万人がするもの」という縛りが解けた近代社会において、昭和時代までは「結婚=生活を豊かにするため」というメリットが存在しました。) 人口が増加して多くの家族がぎりぎりの生活をしていた時代には、実家に「パラサイト」したり、「引きこもり」をしたりもできません。どれほど収入が低くても「ひとりよりは結婚して二人」の方が、男女共により安定した生活を望めたのです」、その通りだ。
・『未婚男女8割は「いずれ結婚するつもり」それでもできない理由とは しかしながら今、「結婚しなくても、頼れる実家がある」若者にとって、「結婚」のメリットとは何でしょう。しかも「今貧しければ、将来も貧しいまま」が容易に想像できる社会で、どうして「結婚」をあえて望むでしょうか。 しかも、家庭を新たに築くことが将来にわたりさらに経済的なリスクを負うことが予想される今日の社会においては、ますます「結婚」のインセンティブは低下していくのです。 すると、こんな声も聞こえてきそうです。 結婚したくない人々に、『結婚』をむりやり勧めなくてもいいんじゃない?」 たとえ「未婚」だとしても、その状態に不満足なわけでもないんだろう、と。 ですが、ここに次のようなデータが存在するのです。 厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所が、18~34歳の未婚者に実施した調査です。それによると、男性未婚者の81.4%、女性未婚者の84.3%が、「いずれ結婚するつもり」と答えています(2021年実施)。 今なお「独身でいる理由」の最多は、「適当な相手にまだ巡り合わないから」(24~34歳の男女)であり、次いで多い理由が「結婚する必要性を感じないから」「結婚資金が足りないから」なのです。 つまり若年「未婚」者の8割以上が、実際は「結婚」を望んでいるのです。彼らは自ら未婚を選んでいるわけではなく、結果的に未婚になってしまっているのです。この母数には既婚者が含まれていないので、結婚した同年齢の人数を加えれば、今でも9割以上の若者が結婚を望んだということになります。 「適当な相手」が見つかり、「結婚する必要性を実感」すれば、そして「結婚資金・生活資金が十分にあれば」、彼らはいつでも「結婚したい」のです。 でも、その状況がなかなか手に入らない。現在同居中の父母が面倒を見てくれる便利で安心な生活を放棄してでも「結婚したい」と思える相手に巡り合わないし、結婚してやっていけると確信が持てるような経済的基盤も得られない。だから結婚しない。それが、日本の「未婚社会」の実態です』、「若年「未婚」者の8割以上が、実際は「結婚」を望んでいるのです。彼らは自ら未婚を選んでいるわけではなく、結果的に未婚になってしまっているのです。この母数には既婚者が含まれていないので、結婚した同年齢の人数を加えれば、今でも9割以上の若者が結婚を望んだということになります。 「適当な相手」が見つかり、「結婚する必要性を実感」すれば、そして「結婚資金・生活資金が十分にあれば」、彼らはいつでも「結婚したい」のです。 でも、その状況がなかなか手に入らない。現在同居中の父母が面倒を見てくれる便利で安心な生活を放棄してでも「結婚したい」と思える相手に巡り合わないし、結婚してやっていけると確信が持てるような経済的基盤も得られない。だから結婚しない。それが、日本の「未婚社会」の実態です」、その通りだ。
次に、6月25日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した社会学者の大森美佐氏による「「好きな人に告白」は日本特有の「恋愛の順序」だった!?欧米と異なる“文化”が根付いたワケ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/344598
・『好きな人に「告白」するのは恥ずかしくて勇気がいること。しかし、実は「告白」してから交際するというのは日本特有の文化で、欧米圏では自然と交際が始まるケースが多いという。告白をして恋人同士になり、デート、手をつなぐ、キス……という「恋愛の順序」にわれわれがこだわってしまうのは、なぜなのか?本稿は、大森美佐『恋愛ってなんだろう?(中学生の質問箱)』(平凡社)の一部を抜粋・編集したものです』、「「告白」してから交際するというのは日本特有の文化で、欧米圏では自然と交際が始まるケースが多いという」、初めて知った。ただ、イタリアでの恋人に向けてのセレナーデは明らかな「告白」だ。
・『「告白」を大事にするのは実は日本特有の文化 Q:私はしたことがないんだけど、告白って、すごく勇気がいることだよね。友だちが「告白する!」って決心している姿をみると、すごいなあって思う。 A:相手の気持ちをたしかめることになりますから、とても緊張しますよね。 Q:うん。フラれちゃって、友だちのころのように話せなくなったら嫌だし……。でも、告白をしないと付き合えないんでしょ? A:付き合うには、告白がマストというわけではありません。実は「告白」を大事にするのは、日本特有の文化なんだそうです。フランスやアメリカなど欧米圏では告白をしないことがほとんどで、はっきりと告白をしなくても自然と恋人関係が始まるケースが多いと聞いたことがあります。日本で告白を大事にする文化があるのは、規範、つまり恋愛における「暗黙のルール」のようなものがあるからだと思います。告白してOKしてもらったら恋人になれる、恋人になったら手をつないだり、休みの日に会えたりする、といった共通のルールがなんとなくありますよね。 Q:たしかにそうかも。付き合ったら、いっぱい連絡をとりあって、毎日一緒に帰るとかね。 そして、恋愛において相手と親密な関係になっていくには、ステップ、つまり「恋愛の順序」があると言われています。相手に好意を抱いて付き合いたいと思ったら、告白をして、恋人になって、デートをして、キスをしたり手をつないだり触れ合いができるようになって、性交をする。私が調査をしていた中で感じたのは、日本人はそうした恋愛の順序をきちんと守って、その通りに恋愛を進めていきたいと考えている人が多いということです。なので、「告白」は恋人関係になりたいのなら、絶対に通らなければならない儀式だと考えられているのではないでしょうか。) Q:うん。付き合いたいと思ったら、まずは告白ってイメージがあるもん。 A:そうですよね。異性愛にかぎった話をすると、みなさんの祖父母世代は異性どうしの友情関係がいまとくらべて少なかったので、男の子と女の子が毎日一緒にいると、告白をしなくても自然と互いを特別な関係だと感じ、周りからも「付き合っているのかな」と言われることがあったと言います。ですが、男女共学が増え、異性どうしの交流が盛んになってきたことで、男女ふたりでいても特別なものではなくなってきています。 Q:趣味が合う男の子の友だちと、ときどき一緒に帰るよ。 A:だからこそ、友情と恋愛を区別するために「告白」をすることが、より重要な意味をもつようになってきました。私がおこなった調査では、友だち関係から恋人になる人が増えているようです。なので「友人モードから恋人モードへの切り替え」のために、「告白」をすることがマストだと考えているようでした』、「相手に好意を抱いて付き合いたいと思ったら、告白をして、恋人になって、デートをして、キスをしたり手をつないだり触れ合いができるようになって、性交をする。私が調査をしていた中で感じたのは、日本人はそうした恋愛の順序をきちんと守って、その通りに恋愛を進めていきたいと考えている人が多いということです。なので、「告白」は恋人関係になりたいのなら、絶対に通らなければならない儀式だと考えられているのではないでしょうか」、なるほど。
・『恋人と友だち関係の「大きな違い」とは? Q:友だちとの会話で、「好きな人がいる」って話になると、かならず「告白しなよー」って周りが盛り上げるんだよね。好きな人ができたら、告白しなきゃいけないのかな? A:告白しなきゃいけない、なんてことはないですよ。恋愛に限らず、何事も、自分の気持ちがいちばん大切です。みなさんは、恋人と友だち関係の大きな違いはなんだと思いますか? Q:えー、なんだろう。恋人は手をつないだり、友だちよりもいっぱい連絡とったりするとかかな? もちろん、これも人によって考え方はさまざまですが、一般的によく言われるのは、恋人どうしになったら、キスや手をつなぐなど親密な触れ合いをするようになる、ということです。あとはデートをしたり毎日一緒に登下校したり、ほかの人と異なる特別な関係を望むのなら、告白は関係をはっきりさせるためにいい方法の一つだと思います。でも、ときどき一緒に帰れるだけでも楽しくて、いまの関係に満足しているのなら、無理に告白をする必要はないのかなと思います。 もう一度言いますが、みなさんの気持ちがいちばん大切です。あと、ひとりの時間が好きだったり、友だちとわいわいする時間が楽しかったりして、恋人はいなくても満足している人もいますよね。 Q:その気持ち、すっごくわかる!私は友だちとの時間もひとりの時間も好きだから、付き合って恋人に自分の時間を奪われちゃうのが嫌だ。いつでも相手に合わせて行動しなきゃいけないのかな、連絡もすぐに返さなきゃいけないのかなと思うと、私も「ちょっとめんどくさい派」なのかも。 A:恋人と友だちの中間のような「〇〇フレ」が増えているのも、それぞれにとって心地よい関係性を考えた結果かもしれませんね。ただ、時間が経つにつれて、たとえば嫉妬のような気持ちを抱いたり、相手への想いが変わって「付き合いたい」と思うようになったりするかもしれないので、必ずしも「この人は友だち」「この人は恋人」と、ひとつの関係にずっとしばられなくてもいいと思いますよ。 Q:気がついたら友だちを好きになってたってこと? A:友だちどうしの関係性も、変わっていきますからね。そのときどきで、自分が好きな人と「どういう関係になりたいのか」を考えて、自分で納得した答えを出せるといいですね』、「時間が経つにつれて、たとえば嫉妬のような気持ちを抱いたり、相手への想いが変わって「付き合いたい」と思うようになったりするかもしれないので、必ずしも「この人は友だち」「この人は恋人」と、ひとつの関係にずっとしばられなくてもいいと思いますよ、なるほど。
・『付き合っていても触れ合いたくない人もいる Q:どういう関係になりたいか……。前に、友だちが告白をしたら、相手から「付き合うってなにをするの?」って聞かれたんだって。 A:なるほど。面白い質問ですね。それを聞かれた人は、なんと答えたのでしょう? Q:「たしかに……」って、そこからなにも言えなかったって。それを聞いて、私もわからなかった。だから先生に聞きたかったの。付き合ったら、具体的になにするの? A:多くの人は「親密な触れ合いができるようになること」を想像していると思います。親密な触れ合いというのは、手をつないだりキスをしたり、触れ合いができる間柄になるということ。ですが、付き合ってなにをするのかは、カップルそれぞれで話し合って決めることなので、いちがいには言えません。人によっては「一緒にいたいけれど、触れ合いは嫌だ」という人もいます。 Q:付き合いたいのに、触れ合うのは嫌な人もいるんだね?) めずらしく感じるかもしれませんが、おかしい感情ではまったくないですよ。人によって心地よい親密さの度合いは違うので、付き合っているからといって、いつでも身体の触れ合いがOKになるわけではないと理解しておいてくださいね。相手の身体、とくに口や胸、お尻、性器などに、同意なく触れることは、恋人に限らず、どんな人間関係にも許されません。 Q:付き合っているんだから、そういうことをするのが当たり前だと思ってた。 そう考えている人も多いと思いますが、実は違うんです。付き合っていても、相手の身体は相手のもの。じっくり話をして、ゆっくりふたりで過ごす時間も、とても愛おしく感じませんか? Q:でもさ、マンガやドラマだと順序なんてすっ飛ばして、とつぜんキスするシーンがけっこうあるよ。 でも、実際の人間関係で想像してみてください。とつぜんクラスメイトにキスをされたり、手をつながれたりしたらびっくりしませんか?好きでもない相手にキスされたら、ショックを受けないでしょうか。 Q:そうかも……。 マンガでは「胸キュン」なシーンとして描かれますが、同意なくとつぜん相手に触れることは、非常に怖い状況だと思います。 Q:それでいうと「壁ドン」とかも怖いかも。なにされるかわかんないし。 ここでみなさんに思い出してほしいのが、恋愛とは「コミュニケーション」という話です。相手の気持ちを尊重して、そのつどお互いに考えていることを確認しながら、関係を深めていく。そういう意味で、「恋愛の順序」というのは、相手と気持ちをそろえて歩んでいくための、ひとつの道すじになるかもしれません。 Q:相手と気持ちをそろえるかあ……。まだうまく想像できてないかも。 友だちどうしでもかまわないので、まずは自分から「私はこういうことに興味があるんだけど、あなたはどう?」と話をしたり、相手の話にじっくり耳をかたむけることを普段から意識してみるといいかもしれませんね。相手のしたいこと、してほしくないことを確認しながら、相手と一緒に恋愛をするという気持ちでお付き合いしてみるのはどうでしょうか』、「人によって心地よい親密さの度合いは違うので、付き合っているからといって、いつでも身体の触れ合いがOKになるわけではないと理解しておいてくださいね。相手の身体、とくに口や胸、お尻、性器などに、同意なく触れることは、恋人に限らず、どんな人間関係にも許されません・・・「恋愛の順序」というのは、相手と気持ちをそろえて歩んでいくための、ひとつの道すじになるかもしれません・・・まずは自分から「私はこういうことに興味があるんだけど、あなたはどう?」と話をしたり、相手の話にじっくり耳をかたむけることを普段から意識してみるといいかもしれませんね。相手のしたいこと、してほしくないことを確認しながら、相手と一緒に恋愛をするという気持ちでお付き合いしてみるのはどうでしょうか」、これなら無難だ。
第三に、10月5日付けYahooニュースが転載したコクハク「作家・鈴木涼美氏と考える 現代女性の不倫リスク「不倫って気づいたら巻き込まれているもの」」を紹介しよう。
https://article.yahoo.co.jp/detail/c6e5aad4176ee2eecba3b8735a7b72c81379221e
・『朝スマホを開くと「またか」と思うくらい、1年に何度も芸能人の不倫ニュースを見かける。いくら有名人とはいえ、特に当人と面識がないにも関わらずここまで不倫が世間的に断罪されるようになったのは、「センテンススプリング」(注)という言葉が世に浸透した頃だろうか』、興味深そうだ。
(注)「センテンススプリング」:発端は週刊文春が3週に渡りゲスの極み乙女。の川谷絵音とタレントのベッキー♪#が不倫している、とのスキャンダル記事を連載したこと(ピクシブ百科事典)
・『それはセンテンススプリングから始まった 本屋に行っても、9時台のゴールデンタイムにテレビをつけても、不倫を題材にした漫画やドラマは珍しくない。時折、純文学のような美しい不倫や、愛の多様性を考えさせられるエンタメを目にすることもあるが、その多くはリアルでおどろおどろしい、報復を目的にした作品ばかりだ。結婚していてもしていなくても、不倫問題を身近に感じる人は増えているのではないだろうか。 9月24日に作家の鈴木涼美氏が出版した書籍『不倫論――この生きづらい世界で愛について考えるために』(平凡社)では、現代の不倫が客観的に考察されている。 今回は著者である鈴木氏と一緒に、未婚女性・既婚女性問わず広がっている「不倫リスク」を再考していく』、興味深そうだ。
・『未婚でも「不倫リスク」は隣り合わせ 鈴木涼美氏は慶應義塾大学を卒業後、東大の大学院修士課程を経て大手経済新聞社に就職し、退職後に作家としての活動を始めた異色の経歴を持つ。学生時代はセクシー女優として活動していたことも明かしており、作家となってからも夜の街や、性愛に関する発信を積極的に行ってきた印象がある。 しかし今春、40歳となった鈴木氏はSNSで現役ホストとの結婚を電撃報告。そんな彼女がなぜ今、不倫をテーマに一冊の本にまとめたのか。 「私自身はもともと結婚に興味がありませんでしたし、『不倫論』の執筆中は未婚だったわけですが、なぜか近年、不倫に関するコラム執筆の依頼がかなり増えていて、結果、不倫について考える時間が長かったことが大きいですね。それに、身近な人間の不倫話を聞くことも多く、私も自分が未婚で、お相手が既婚男性という形での不倫なら経験がありました。40年も未婚だった私でも、不倫とまったくの無関係とは言えなかったのです」』、「私も自分が未婚で、お相手が既婚男性という形での不倫なら経験がありました」、マスコミで活躍するエース女性記者なら、さもありなんだ。
・『不倫が世の中からなくなることはない 確かに、不倫という行為は都会だとか田舎だとか、場所を選ばず日本のそこらじゅうで起きている。それも面識のある人間が当事者でなくても、SNSで夫の不倫を暴露する匿名の「サレ妻」アカウントなど、自分とは全く違う環境で起きているリアルな不倫を数多目にもする。未婚・既婚問わず、いつどこでかかってもおかしくない風邪ほどに身近だ。 「不倫が世の中からなくなることはないと思いますが、結婚制度はもっと早く廃れるんじゃないか、とは考えていました。女性の社会進出が進み、経済的自立が確立されるようになれば、結婚という制度を利用しなくなる女性が増えると思っていたのですが、2024年になってみても、結婚が廃れる気配はありません。 もちろん、不倫も減りませんよね。減らないにもかかわらず、不倫に対する風当たりは年々強くなっている。昭和の時代は、有名な男性に愛人がいるという構図がおおまかに許されている雰囲気があったけれど、今は男性の不倫であってもやれ辞任だCM降板だと、人生が狂うくらいの十字架を背負わされるわけで。 私は、結婚や純愛への希望と絶望のアンビバレンスが、世の中で起きる不倫断罪に繋がっていると考えています」』、「不倫も減りませんよね。減らないにもかかわらず、不倫に対する風当たりは年々強くなっている。昭和の時代は、有名な男性に愛人がいるという構図がおおまかに許されている雰囲気があったけれど、今は男性の不倫であってもやれ辞任だCM降板だと、人生が狂うくらいの十字架を背負わされるわけで。 私は、結婚や純愛への希望と絶望のアンビバレンスが、世の中で起きる不倫断罪に繋がっていると考えています」、なるほど。
・『気がついたら巻き込まれているもの 『不倫論』では結婚制度の限界についても、深く考察している。日本はもともと1898年まで一夫多妻制で、愛人を二親等と認める妾制度も認められていた。急激な西洋化でキリスト教ベースの貞操観念や人権思想などが流入し、一夫多妻制は廃止され、現在のような一夫一婦制となってから、まだ数百年と経っていない。 「私個人は、愛憎にまみれた不倫の経験はないですし、特に不倫を否定してもいません。ただ、世間の過剰反応には毎回驚いています。不倫って、気づいたら巻き込まれているものだと思うんですよ。始めようと思って始める人ばかりでもないですし、好きになった人から既婚の事実を隠されている場合だってあるわけです。 あるいは、世論に流されて不倫を批判していたのに、いつのまにか自分が不倫の当事者になっていることもある。それに恋愛経験がない人ほど不倫にハマりやすい話もありますし、渦中にいる時は、どれだけのものを失いかねないかが見えなくなってしまう。女として生きているだけで、誰もが不倫のリスクを常に頭の片隅に置くべきではないでしょうか」 不倫、と一口に言ってもケースは色々だ。女性のみが既婚のケースもあれば、男性のみが既婚のケースもある。相手が既婚者だと分かっていて不倫するぶんには自覚的だが、たまたま好きな男が既婚者だったことを後から知った場合、女はある種の被害者とも見える。 前述のサレ妻アカウントのように、結婚しているパートナーが不倫していれば、自分も結局当事者となる。気をつけているだけでは、不倫と無縁の人生を送れるとも限らないわけだ』、「サレ妻アカウントのように、結婚しているパートナーが不倫していれば、自分も結局当事者となる。気をつけているだけでは、不倫と無縁の人生を送れるとも限らないわけだ」、なるほど。
・『言葉とともにカジュアル化する不倫「向いていない女性像」も 加えて昨今、ネットを賑わせたYouTuberの発言によって「女性もセカンドパートナーを持ってもいい」という思考も急激に広まっており、今後は「既婚女性側の不倫」がカジュアル化していくのではないか…とも考えられる。 「日本語って便利ですよね。売春という言葉を、援助交際とかパパ活とか言い換えれば、なぜかカジュアルに聞こえてしまう。浮気や不倫が他の言葉に言い換えられてこなかったのは、世の中にそこまで悪いことという認識がなかったからかもしれません。 結婚制度は私が思っていたほど廃れませんでしたが、女性の生殖リミットが驚くほど伸びたわけではない。もっとも、平均寿命は順調に伸び、結婚50周年の金婚式、60周年のダイヤモンド婚式、70周年のプラチナ婚式なんて言葉も生まれたぐらいです。 60歳を待たずに寿命を迎えていた時代と比べたら、離婚がカジュアルになるのか、不倫がカジュアルになるのか、どっちかしかない…そう考えると、ある意味自然な流れではありますよね」 鈴木氏が話すように、日本の婚姻率は世間が心配していたほど下がっていない。コロナ中も婚姻数はほぼほぼ横ばいで、コロナが明けてからは結婚式を行うカップルも増えてきている。「子を持つ」という未来を見据える以上、女性にとっても未だ結婚は「せざるを得ないもの」と認識され続けている。 「共働き世帯も増えていて、女性も社会に出続けるし、出会いがありますよね。昔ほど、夫との関係も固定化しづらくなってきている。女性にとっての不倫は、今後も今以上に身近なものになっていくと思いますよ」』、「共働き世帯も増えていて、女性も社会に出続けるし、出会いがありますよね。昔ほど、夫との関係も固定化しづらくなってきている。女性にとっての不倫は、今後も今以上に身近なものになっていくと思いますよ」、なるほど。
・『泥沼化しやすい不倫とは? 『不倫論』では、文学作品や映画の中で過去様々に描かれてきた「不倫のありよう」についても語られている。不倫は、作品によって儚く美しい純愛として描かれることもあるし、現実問題としても隣の芝は青く見えるという言葉の通り、他人のものだからこそ美しく見える場合もある。しかし、鈴木氏は「不倫に向いていない女性もいる」と注意喚起をする。 「未婚女性から見た場合の不倫の残酷さは、自分で終止符を打たないと終わりづらい。既婚男性は余暇の遊びとして不倫をしているわけで、別れる必要性も感じない。ホストの色恋営業にも似ているかなと思います。 相手からしたらメリットだらけの関係は、別れを切り出しても簡単に終わらない場合があります。辞め時のタイミングで存在を消せるくらいの決断力がない女性にとっては、不倫は純愛の搾取となってしまう場合がありますね」』、「「未婚女性から見た場合の不倫の残酷さは、自分で終止符を打たないと終わりづらい。既婚男性は余暇の遊びとして不倫をしているわけで、別れる必要性も感じない。ホストの色恋営業にも似ているかなと思います。 相手からしたらメリットだらけの関係は、別れを切り出しても簡単に終わらない場合があります。辞め時のタイミングで存在を消せるくらいの決断力がない女性にとっては、不倫は純愛の搾取となってしまう場合がありますね」、ずいぶん深い考察だ。
・『未婚女性×男性の不倫の方が泥沼化 鈴木氏によれば、既婚女性×男性の不倫よりも、未婚女性×男性の不倫の方が泥沼化しやすいという。未婚女性から漏れ聞く不倫が悲恋ばかりなのは、既婚男性との立場のアンバランスさも大きいのかもしれない。関係を続けることにメリットしかないなら、口説き文句もいくらでも出るというものなのだろう。 インタビューの後編では鈴木氏自身の結婚観についても伺っていく。30代を「選択的未婚」として過ごしてきた鈴木氏の現在の心境を聞いてみると、意外な本心も見えてきた。 【後編へつづく:「日本のセックスレス」は文化の問題。不倫は悪なのか?】』、「未婚女性×男性の不倫の方が泥沼化しやすいという。未婚女性から漏れ聞く不倫が悲恋ばかりなのは、既婚男性との立場のアンバランスさも大きいのかもしれない。関係を続けることにメリットしかないなら、口説き文句もいくらでも出るというものなのだろう」、なるほど。
第四に、この続きを、10月5日付けYahooニュースが転載したコクハク「不倫は悪なのか。作家・鈴木涼美氏が提起する日本の結婚制度の限界…それでもなぜ結婚する?」を紹介しよう。
https://article.yahoo.co.jp/detail/f770e998b7e202535794b5e327cadb96f087aab3
・『『不倫論――この生きづらい世界で愛について考えるために』(平凡社)を刊行した作家・鈴木涼美氏とともに、現代女性における「不倫リスクの増加」について考察した前編記事。
・『「日本のセックスレス」は文化の問題。不倫は悪なのか? 後半は、不倫を考えるにおいて欠かせない「夫婦のセックスレス問題」をはじめ、結婚願望がなかったという鈴木氏が結婚を経て、生活や価値観にどんな変化があったのかも掘り下げていく。すると、本の中では語られていなかった鈴木氏自身の「結婚観」も見えてきた。 夫婦のセックスレス問題は、世間で見聞きする不倫のほとんどに関係していると言っても過言ではない。不倫が題材となったエンタメ作品や、ネットで見かける当事者の不倫告発も、決まって夫婦間はセックスレスであるという事実がセットだ。 「もともと西洋化する前の日本は、カップルよりも家族というユニットを大切に考えてきましたし、今もその価値観は残っているでしょう。家族だからこそ性的な目で見づらいとか、夫婦間にセックスがなくとも、不倫があるからこそ家族関係は継続できているという考え方もありますよね。 日本の生涯セックス回数は世界でも最低レベルだと言われ、愛し合う情熱を維持していく意思は強くない。そもそも一つ屋根の下で暮らしながら性関係を維持するなんて、工夫がないと成り立たないものだと思っています」
・『義務教育では教えてくれない 日本の結婚制度のアンビバレンスは、西洋から急激に流れ込んできたキリスト的純愛文化と、この国古来からの家族制度とのブレによるものも大きい、と鈴木氏。確かに、不倫というワードを掘り下げて考えていくと日本に今ある「一夫一妻」の結婚制度や、家族愛と恋愛を分けて考えがちな国民性にも目を向けざるを得ない。 「その割に、義務教育で結婚にまつわるノウハウなんて教えてくれませんよね? 西洋風のラブラブな夫婦像を目指したいのか、日本古来の盤石な家族像を築いていければいいのか、本来なら、当事者同士が結婚前にもっとしっかり話し合うべきなのかもしれません」』、「日本の結婚制度のアンビバレンスは、西洋から急激に流れ込んできたキリスト的純愛文化と、この国古来からの家族制度とのブレによるものも大きい・・・本来なら、当事者同士が結婚前にもっとしっかり話し合うべきなのかもしれません」、なるほど。
・『AVでセックスを覚えた男と、少女漫画で恋愛を覚えた女 周囲に配慮し合う文化が強い日本では、交際相手とですら深い意味で結婚観を話し合うことは簡単ではないのかもしれない。結婚した後のことも2人の関係のことも、未だ結婚に至っていないカップルにとってはかなりセンシティブだ。 「少し主語が大きいかもしれませんが、日本のカップルの多くは、AVでセックスを覚えた男と、少女漫画で恋愛を覚えた女です。どちらにも希望という名の妄想や思い込みがあるので、最初から意見がぴたりと合うわけがない。 文化や思想、価値観の違う男女が家族としてうまくやっていくためには、恋愛感情を外注するのか。それともキリスト教的な純愛を貫くために、お互い切磋琢磨するのか…。はじめから考え方が似ている人と結婚できれば、不倫がきっかけで離婚することはなくなるかもしれませんよね」 コミュニケーションを怠れば、最悪の場合、不倫がきっかけとなって、離婚も含めた将来のすり合わせを行うことになるかもしれない。夫婦にとっては避ける方が難しい不倫やセックスレスで心身を疲弊させないためには、まずは自身が目指す結婚像を明確にして、先に話し合っておくしかない。 ▽「結婚と不倫」に向き合い続けた鈴木涼美の結婚観(しかし実際、3月に結婚したばかりの鈴木氏も、パートナーとあまり深い話し合いをしないままに結婚に至った。 「私の場合は先に妊娠したことが分かって、自分は子育てが得意じゃないだろうし、手伝ってくれる人を見つけないとと思って付き合ってすぐに結婚しました。こんな本を書いているわりに、自分の結婚観が醸成されないままに籍を入れてしまったんですよね」 妊娠が発覚する前は結婚に興味がなかったという。妊娠が先だったとはいえ、結婚に対して不安や迷いはなかったのだろうか。 「35歳くらいまでは、結婚にかなり抵抗感がありました。1人の人生で自分を満たせているのに、結婚したら自由を制限することになるし、子育てにも興味がありませんでした」』、「AVでセックスを覚えた男と、少女漫画で恋愛を覚えた女」とは面白い比喩だ。「日本のカップルの多くは、AVでセックスを覚えた男と、少女漫画で恋愛を覚えた女です。どちらにも希望という名の妄想や思い込みがあるので、最初から意見がぴたりと合うわけがない。 文化や思想、価値観の違う男女が家族としてうまくやっていくためには、恋愛感情を外注するのか。それともキリスト教的な純愛を貫くために、お互い切磋琢磨するのか…。はじめから考え方が似ている人と結婚できれば、不倫がきっかけで離婚することはなくなるかもしれませんよね」、なるほど。
・『独身の醍醐味も味わい尽くした とはいえ100%独身でいい、とも決めきれていなかったとも話す。選択的未婚のつもりで独身を貫いていても、法的な制度があるわけではなく、時と場合によっていつでも結婚することができる。だからこそ、タイミング次第で気持ちは揺らぐものだ。 「38歳を過ぎた頃あたりから、制限のない生活に飽き始めた自分もいました。10年後はクラブで遊んでいないかもしれないし、独身の醍醐味も味わい尽くした感覚があったんです。だからまあ、妊娠が分かった時にチャレンジしてみてもいいのかな、とポジティブに考えられましたね。 それにもし結婚生活がうまくいかなかったとしても、40歳未婚よりは40歳バツイチの方がいいんじゃないかという思いもありました。正直、どんな結婚生活を送りたいとか、具体的なことはあまり考えないままに結婚してしまいましたが、生まれてくる子どものために服を選ぶのも、案外楽しかったり。若い頃、自分のためにギャル服を選んでいた時と同じくらい楽しめるとは思ってもいませんでした」』、「10年後はクラブで遊んでいないかもしれないし、独身の醍醐味も味わい尽くした感覚があったんです。だからまあ、妊娠が分かった時にチャレンジしてみてもいいのかな、とポジティブに考えられましたね。 それにもし結婚生活がうまくいかなかったとしても、40歳未婚よりは40歳バツイチの方がいいんじゃないかという思いもありました。正直、どんな結婚生活を送りたいとか、具体的なことはあまり考えないままに結婚してしまいましたが、生まれてくる子どものために服を選ぶのも、案外楽しかったり。若い頃、自分のためにギャル服を選んでいた時と同じくらい楽しめるとは思ってもいませんでした」」、なるほど。
・『未婚既婚問わず、未来は分からない 『不倫論』の中で現代の結婚制度の限界に言及しながらも、出版前に結婚を発表することになった自らの人生について「数奇なものですよね」と笑う鈴木氏。改めて、不倫や離婚と隣合わせではありながらも、この時代に結婚する意義を聞いてみた。 「日本は海外と比べてもシングルマザー手当が手厚いとは言えないので、子どもを持ちたいのであればやはり、結婚ってアリだよねと考える人は多いのではないでしょうか。私自身、結婚してみて、何でも相談できる相手がすぐそばにいてくれるのは心強いなと感じています。 今の日本の結婚制度に、歪みやたわみがあるのは確かなのだろう。それでも、結婚する未来を選択し、子どもを生んでいく夫婦もたくさんいる。不倫や離婚のない結婚生活は、夫婦がお互いの価値観をすり合わせたり、時に諦めたりしないと成り立たないものなのかもしれない。 「未婚だろうが既婚だろうが、未来がどうなるのか分からないのは同じ。結婚して不倫せずに済んでも、パートナーと早めに死別するかもしれない。未婚のまま過ごしても、いつか既婚男性を好きになるかもしれない。それなら今が楽しい方がいい。そのぐらいラフな考えでもいいのではないでしょうか」』、「未婚だろうが既婚だろうが、未来がどうなるのか分からないのは同じ。結婚して不倫せずに済んでも、パートナーと早めに死別するかもしれない。未婚のまま過ごしても、いつか既婚男性を好きになるかもしれない。それなら今が楽しい方がいい。そのぐらいラフな考えでもいいのではないでしょうか」、ずいぶん達観したものだ。
タグ:「未婚女性×男性の不倫の方が泥沼化しやすいという。未婚女性から漏れ聞く不倫が悲恋ばかりなのは、既婚男性との立場のアンバランスさも大きいのかもしれない。関係を続けることにメリットしかないなら、口説き文句もいくらでも出るというものなのだろう」、なるほど。 「私も自分が未婚で、お相手が既婚男性という形での不倫なら経験がありました」、マスコミで活躍するエース女性記者なら、さもありなんだ。 大森美佐氏による「「好きな人に告白」は日本特有の「恋愛の順序」だった!?欧米と異なる“文化”が根付いたワケ」 ・日本の企業戦士たち(既婚男性)が毎日深夜まで働き長期のバカンスも取らずに出世を目指せるのは、家で家事全般をこなし、育児を担ってくれる伴侶の存在があるからなのです」、なるほど。 ダイヤモンド・オンライン 「10年後はクラブで遊んでいないかもしれないし、独身の醍醐味も味わい尽くした感覚があったんです。だからまあ、妊娠が分かった時にチャレンジしてみてもいいのかな、とポジティブに考えられましたね。 それにもし結婚生活がうまくいかなかったとしても、40歳未婚よりは40歳バツイチの方がいいんじゃないかという思いもありました。正直、どんな結婚生活を送りたいとか、具体的なことはあまり考えないままに結婚してしまいましたが、生まれてくる子どものために服を選ぶのも、案外楽しかったり。若い頃、自分のためにギャル服を選んでいた時 るほど。 「AVでセックスを覚えた男と、少女漫画で恋愛を覚えた女」とは面白い比喩だ。「日本のカップルの多くは、AVでセックスを覚えた男と、少女漫画で恋愛を覚えた女です。どちらにも希望という名の妄想や思い込みがあるので、最初から意見がぴたりと合うわけがない。 文化や思想、価値観の違う男女が家族としてうまくやっていくためには、恋愛感情を外注するのか。それともキリスト教的な純愛を貫くために、お互い切磋琢磨するのか…。はじめから考え方が似ている人と結婚できれば、不倫がきっかけで離婚することはなくなるかもしれませんよね」、な 「日本の結婚制度のアンビバレンスは、西洋から急激に流れ込んできたキリスト的純愛文化と、この国古来からの家族制度とのブレによるものも大きい・・・本来なら、当事者同士が結婚前にもっとしっかり話し合うべきなのかもしれません」、なるほど。 yahooニュース まずは自分から「私はこういうことに興味があるんだけど、あなたはどう?」と話をしたり、相手の話にじっくり耳をかたむけることを普段から意識してみるといいかもしれませんね。相手のしたいこと、してほしくないことを確認しながら、相手と一緒に恋愛をするという気持ちでお付き合いしてみるのはどうでしょうか」、これなら無難だ。 「人によって心地よい親密さの度合いは違うので、付き合っているからといって、いつでも身体の触れ合いがOKになるわけではないと理解しておいてくださいね。相手の身体、とくに口や胸、お尻、性器などに、同意なく触れることは、恋人に限らず、どんな人間関係にも許されません・・・「恋愛の順序」というのは、相手と気持ちをそろえて歩んでいくための、ひとつの道すじになるかもしれません・・・ 「時間が経つにつれて、たとえば嫉妬のような気持ちを抱いたり、相手への想いが変わって「付き合いたい」と思うようになったりするかもしれないので、必ずしも「この人は友だち」「この人は恋人」と、ひとつの関係にずっとしばられなくてもいいと思いますよ、なるほど。 「相手に好意を抱いて付き合いたいと思ったら、告白をして、恋人になって、デートをして、キスをしたり手をつないだり触れ合いができるようになって、性交をする。私が調査をしていた中で感じたのは、日本人はそうした恋愛の順序をきちんと守って、その通りに恋愛を進めていきたいと考えている人が多いということです。なので、「告白」は恋人関係になりたいのなら、絶対に通らなければならない儀式だと考えられているのではないでしょうか」、なるほど。 (注)「センテンススプリング」:発端は週刊文春が3週に渡りゲスの極み乙女。の川谷絵音とタレントのベッキー♪#が不倫している、とのスキャンダル記事を連載したこと(ピクシブ百科事典) コクハク「作家・鈴木涼美氏と考える 現代女性の不倫リスク「不倫って気づいたら巻き込まれているもの」」 「もともと西洋化する前の日本は、カップルよりも家族というユニットを大切に考えてきましたし、今もその価値観は残っているでしょう。家族だからこそ性的な目で見づらいとか、夫婦間にセックスがなくとも、不倫があるからこそ家族関係は継続できているという考え方もありますよね。 日本の生涯セックス回数は世界でも最低レベルだと言われ、愛し合う情熱を維持していく意思は強くない。そもそも一つ屋根の下で暮らしながら性関係を維持するなんて、工夫がないと成り立たないものだと思っています」 『不倫論――この生きづらい世界で愛について考えるために』(平凡社)を刊行した作家・鈴木涼美氏 コクハク「不倫は悪なのか。作家・鈴木涼美氏が提起する日本の結婚制度の限界…それでもなぜ結婚する?」 「仕事にフルコミットしてキャリアを目指しながらの「結婚・育児」の選択は、今の日本社会では至難の業であることは否めません。 「出世」か「子育て」か。残念ながら、多くの日本女性は、いまだこのレベルで足踏みをしているのが現状です」、なるほど。 でも、その状況がなかなか手に入らない。現在同居中の父母が面倒を見てくれる便利で安心な生活を放棄してでも「結婚したい」と思える相手に巡り合わないし、結婚してやっていけると確信が持てるような経済的基盤も得られない。だから結婚しない。それが、日本の「未婚社会」の実態です」、その通りだ。 「「未婚女性から見た場合の不倫の残酷さは、自分で終止符を打たないと終わりづらい。既婚男性は余暇の遊びとして不倫をしているわけで、別れる必要性も感じない。ホストの色恋営業にも似ているかなと思います。 相手からしたらメリットだらけの関係は、別れを切り出しても簡単に終わらない場合があります。辞め時のタイミングで存在を消せるくらいの決断力がない女性にとっては、不倫は純愛の搾取となってしまう場合がありますね」、ずいぶん深い考察だ。 「共働き世帯も増えていて、女性も社会に出続けるし、出会いがありますよね。昔ほど、夫との関係も固定化しづらくなってきている。女性にとっての不倫は、今後も今以上に身近なものになっていくと思いますよ」、なるほど。 「サレ妻アカウントのように、結婚しているパートナーが不倫していれば、自分も結局当事者となる。気をつけているだけでは、不倫と無縁の人生を送れるとも限らないわけだ」、なるほど。 「不倫も減りませんよね。減らないにもかかわらず、不倫に対する風当たりは年々強くなっている。昭和の時代は、有名な男性に愛人がいるという構図がおおまかに許されている雰囲気があったけれど、今は男性の不倫であってもやれ辞任だCM降板だと、人生が狂うくらいの十字架を背負わされるわけで。 私は、結婚や純愛への希望と絶望のアンビバレンスが、世の中で起きる不倫断罪に繋がっていると考えています」、なるほど。 「若年「未婚」者の8割以上が、実際は「結婚」を望んでいるのです。彼らは自ら未婚を選んでいるわけではなく、結果的に未婚になってしまっているのです。この母数には既婚者が含まれていないので、結婚した同年齢の人数を加えれば、今でも9割以上の若者が結婚を望んだということになります。 「適当な相手」が見つかり、「結婚する必要性を実感」すれば、そして「結婚資金・生活資金が十分にあれば」、彼らはいつでも「結婚したい」のです。 「「結婚=イエのため」のものとして、有無を言わさず「万人がするもの」という縛りが解けた近代社会において、昭和時代までは「結婚=生活を豊かにするため」というメリットが存在しました。) 人口が増加して多くの家族がぎりぎりの生活をしていた時代には、実家に「パラサイト」したり、「引きこもり」をしたりもできません。どれほど収入が低くても「ひとりよりは結婚して二人」の方が、男女共により安定した生活を望めたのです」、その通りだ。 (その8)(「若者の結婚離れ」は大ウソ!未婚男女の8割超が「いずれ結婚するつもり」なのにできないワケ、「好きな人に告白」は日本特有の「恋愛の順序」だった!?欧米と異なる“文化”が根付いたワケ、作家・鈴木涼美氏と考える 現代女性の不倫リスク「不倫って気づいたら巻き込まれているもの」、不倫は悪なのか。作家・鈴木涼美氏が提起する日本の結婚制度の限界…それでもなぜ結婚する?) 恋愛・結婚 「未婚だろうが既婚だろうが、未来がどうなるのか分からないのは同じ。結婚して不倫せずに済んでも、パートナーと早めに死別するかもしれない。未婚のまま過ごしても、いつか既婚男性を好きになるかもしれない。それなら今が楽しい方がいい。そのぐらいラフな考えでもいいのではないでしょうか」、ずいぶん達観したものだ。 と同じくらい楽しめるとは思ってもいませんでした」」、なるほど。 『パラサイト難婚社会』(朝日新書、朝日新聞出版) 山田昌弘氏による「「若者の結婚離れ」は大ウソ!未婚男女の8割超が「いずれ結婚するつもり」なのにできないワケ」 「単に経済的観点から見れば、「結婚のメリット」は少しも高くないのです。そして、育った子が自分の面倒を見てくれるどころか、成人後もパラサイトされて生活の面倒を見続けるリスクと隣り合わせです。 女性の場合はどうでしょう。仮に年収500万円を稼ぐ女性がいた場合、男性とはまた少し事情が異なってきます。相手も同程度に稼ぐ男性と結婚すれば、年収はシンプルに2倍になり、いわゆるパワーカップル家庭として「経済的」にも「結婚のメリット」はあるかもしれません。ただ、子どもを持つとなると、男性とはまた別の問題が生じてきます・・ 「「告白」してから交際するというのは日本特有の文化で、欧米圏では自然と交際が始まるケースが多いという」、初めて知った。ただ、イタリアでの恋人に向けてのセレナーデは明らかな「告白」だ。
終末期(その9)(せっかく穏やかな「死」を迎えた78歳女性を わざわざ「蘇生」させるために行われた「非人間的な医療行為」、人はどう死ぬのか…医師が明かす「ご臨終」に至るまでの一部始終 最後の一息を吐いて…、そのまま逝かせてあげれば…「超高齢者」が倒れたとき 「救急車」を呼んでしまうと起こる「誰も得しない事態」、突然 看護師が「遺体の肛門」に指を突っ込んで…人が「死んだあと」に起こる「意外なやりとり」) [人生]
終末期については、昨年7月26日に取上げた。今日は、(その9)(せっかく穏やかな「死」を迎えた78歳女性を わざわざ「蘇生」させるために行われた「非人間的な医療行為」、人はどう死ぬのか…医師が明かす「ご臨終」に至るまでの一部始終 最後の一息を吐いて…、そのまま逝かせてあげれば…「超高齢者」が倒れたとき 「救急車」を呼んでしまうと起こる「誰も得しない事態」、突然 看護師が「遺体の肛門」に指を突っ込んで…人が「死んだあと」に起こる「意外なやりとり」)である。
先ずは、本年4月27日付け現代ビジネスが掲載した作家の久坂部 羊氏による「せっかく穏やかな「死」を迎えた78歳女性を、わざわざ「蘇生」させるために行われた「非人間的な医療行為」」を紹介しよう。
・『だれしも死ぬときはあまり苦しまず、人生に満足を感じながら、安らかな心持ちで最期を迎えたいと思っているのではないでしょうか。 私は医師として、多くの患者さんの最期に接する中で、人工呼吸器や透析器で無理やり生かされ、チューブだらけになって、あちこちから出血しながら、悲惨な最期を迎えた人を、少なからず見ました。 望ましい最期を迎える人と、好ましくない亡くなり方をする人のちがいは、どこにあるのでしょう。 *本記事は、久坂部羊『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです』、興味深そうだ。
・『死に目に間に合わせるための非道 日本では死に目に会うことを、欠くべからざる重大事と受け止めている人が多いようです。特に親の死に目に会うのは、子として当然の義務、最後の親孝行のように言われたりもします。 しかし、感情論ではなく、その意味を現実的に考えるとどうでしょう。 以前、私が在宅医療で診ていた乳がんの女性・Kさんが、いよいよ臨終が近づいたとき、入院の手続きをとりました。Kさんは七十八歳で、ぎりぎりまで家にいたいけれど、最後は病院でと希望していたからです。 十日ほどして、病院の主治医からKさんが亡くなったという報告書が届きました。それを読んで私は愕然としました。 報告書によると、看護師が午後八時に巡回したときにはKさんは異常なかったけれど、午後十時に巡回すると、心肺停止の状態になっていたそうです。看護師はすぐに当直医に連絡し、当直医は気管内挿管をして、人工呼吸器につなぎ、カウンターショックと心臓マッサージで心拍を再開させることに成功しました。その後、ステロイドや強心剤を投与して、翌日の午後八時に、無事、家族に見守られて永眠したとのことでした。 具体的な文章は忘れましたが、心肺停止でだれにも看取られずに亡くなりかけていたKさんを、見事、蘇生させて、家族が死に目に会うことを実現させられたと、いささか誇らしげに書いてあったように記憶します。 たしかに家族は喜んだかもしれません。きっと感謝したことでしょう。しかし、亡くなったKさん本人はどうだったでしょう。 一般には心肺停止の蘇生処置がどういうものか、具体的に知らない人が多いでしょうから、この話は美談のように受け取られるかもしれません。しかし、実態を知る私としては、なんという無茶なことをと、あきれるほかありませんでした。 まず、人工呼吸のための気管内挿管は、喉頭鏡というステンレスの付きの器具を口に突っ込み、舌をどけ、喉頭(のどぼとけ)を持ち上げて、口から人差し指ほどのチューブを気管に挿入します。意識がない状態でも、反射でむせますし、喉頭を持ち上げるとき、前歯がてこの支点になって折れることもままあります。そうなれば口は血だらけになります。 そのあとのカウンターショックは、裸の胸に電極を当てて、電流を流すもので、往々にして皮膚に火傷を引き起こします。心臓マッサージも、本格的にやれば、肋骨や胸骨を骨折させる危険性が高く、Kさんのように高齢でやせている人なら、骨折は一本や二本ではすまなかったと想像されます。) 寿命に従ってせっかく静かに亡くなっていたKさんの口に、そんな器具を突っ込み、のどに太いチューブを差し込んで機械で息をさせ、火傷を起こし、ときには皮膚に焼け跡をつける電気ショックを与え、肋骨や胸骨がバキバキ折れる心臓マッサージをして、心臓を無理やり動かしてまで、家族が死に目に会えるようにすることが、果たして人の道に沿ったものでしょうか』、「寿命に従ってせっかく静かに亡くなっていたKさんの口に、そんな器具を突っ込み、のどに太いチューブを差し込んで機械で息をさせ、火傷を起こし、ときには皮膚に焼け跡をつける電気ショックを与え、肋骨や胸骨がバキバキ折れる心臓マッサージをして、心臓を無理やり動かしてまで、家族が死に目に会えるようにすることが、果たして人の道に沿ったものでしょうか」、確かに逆立ちした論理だ。
・『非道な蘇生処置の理由 Kさんに非道な蘇生処置をした当直医は、(1)まだ経験の浅い若い医者か、(2)医療に前向きな信念しか持たない医者か、あるいは、(3)あとで遺族から非難されることを恐れる保身の医者のいずれかでしょう。 (1)の医者は未熟なので、心肺停止という状況で反射的に(つまり何も考えず)教えられた通りの処置を行ったケースで、これは経験を積めばそんな無駄で残酷なことはしなくなる可能性があります。 (2)の医者は、医療の善なる面のみに目を向け、医療の弊害や矛盾、あるいは限界から目を背ける医者です。こういう医者はイケイケですから、むずかしい状況の患者さんを積極的な治療で救うこともありますが、無理な治療で患者さんを苦しめたり、逆に命を縮めたりする危険性もあります。まじめで純粋、かつ努力家である反面、己の非はぜったいに認めないタイプですが、医師としては優秀な者に多いのが困りものです。 (3)の医者は、もっとも厄介なケースで、患者さんのためにならないことを知りつつ、言わばアリバイ作りのために蘇生処置を行う医者です。なぜ、そんなことをするのかというと、何もしないで静かに看取ると、遺族のなかには、「あの病院は何もしてくれなかった」とか、「最後は医者に見捨てられた」などと、よからぬを立てる人がいるからです。 看護師が巡回したら、心肺停止になっていましたなどと、ほんとうのことを告げたら、遺族によっては、「気づいたら死んでいたというのか。病院はいったい何をやっていたんだ」と、激昂する人も出かねません。) 実際、死に対して医療は無力なのに、世間の人はそう思っていないので、医者はベストを尽くすフリをせざるを得ないのです。それが患者さん本人にとって、どれほどの害を与えていることか。 死を受け入れたくない気持ちはわかりますが、何としても死に目に会うとか、最後の最後まで医療に死を押しとどめてもらおうとか思っていると、死にゆく人を穏やかに見送ることは、とてもむずかしくなります。 さらに連載記事<人はどう死ぬのか…医師が明かす「ご臨終」に至るまでの一部始終>では、人が死ぬときの様子を詳しく解説します』、「実際、死に対して医療は無力なのに、世間の人はそう思っていないので、医者はベストを尽くすフリをせざるを得ないのです。それが患者さん本人にとって、どれほどの害を与えていることか。 死を受け入れたくない気持ちはわかりますが、何としても死に目に会うとか、最後の最後まで医療に死を押しとどめてもらおうとか思っていると、死にゆく人を穏やかに見送ることは、とてもむずかしくなります」、その通りだ。
次に、昨年1月19日付け現代ビジネスが掲載した作家の久坂部 羊氏による「人はどう死ぬのか…医師が明かす「ご臨終」に至るまでの一部始終 最後の一息を吐いて…」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/103427?imp=0
・『だれしも死ぬときはあまり苦しまず、人生に満足を感じながら、安らかな心持ちで最期を迎えたいと思っているのではないでしょうか。 私は医師として、多くの患者さんの最期に接する中で、人工呼吸器や透析器で無理やり生かされ、チューブだらけになって、あちこちから出血しながら、悲惨な最期を迎えた人を、少なからず見ました。 望ましい最期を迎える人と、好ましくない亡くなり方をする人のちがいは、どこにあるのでしょう。 *本記事は、久坂部羊『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです』、興味深そうだ。
・『死を見る機会 ふつうの人が人の死を直接見る機会は、さほど多くはないでしょう。 見るとすれば、たいていは家族の死で、多くは病院のベッドのまわりで見ることになります。医者と看護師がいて、患者さんには点滴とか酸素マスクがつけられ、場合によっては心電計や人工呼吸器も装着されている。家族の死だから、悲しかったり複雑な思いがあったりして、とても冷静には見られない。加えて、死は忌むべきものという頑強な刷り込みもあるので、じっくり見たり、ましてや観察などはまず行われません。 自宅での看取りでも、まわりに医療機器などがなく、場所が見慣れた空間であるというだけで、看取る家族の動揺はほとんど変わりがないでしょう。 稀なケースとして、目の前で突然だれかが死ぬ(交通事故や水難事故、飛びこみ自殺など)のを目撃することもあるでしょうが、こちらは家族の死以上に見る者を動揺させるにちがいありません。殺害現場などに遭遇してしまうと、動揺どころか動転、驚愕、ときには失神さえしてしまうでしょう。 医者だって人間です。はじめて患者さんの死を看取るときは、一般の人と同じく動揺します。それまで自分が治療し、いろいろなことを説明し、人間的な関わりを持った人が死ぬのですから、当然ながらショックは大きい。 自分の患者さんでなくても、たとえば当直のアルバイト先でたまたま臨終に立ち会う場合でも、一人の人間の死という厳粛な事実の前では、畏怖のようなものを感じずにはいられません。その感覚は、家族や一般の人のそれとさほど差はないはずです。 が、場数を踏むにつれ、医者は次第に死に慣れてきます。死に慣れるなど、不謹慎だと思われるかもしれませんが、実際、慣れます。慣れると心にゆとりができます。そうすると、ゆとりのないときには見えなかったものが見えてきます。それは死を、ある種、乾いた現象として理解させてくれたりします。 いずれにせよ、一般の人は平常心で死を見る機会が少ないので、死を大袈裟に捉え、死者に過剰に反応しがちではないでしょうか。 死が人生の重大事であることはまちがいありませんが、心にゆとりを持って見れば、特別な不幸でも不運でもないことがわかります。だれにでも起こることで、恐ろしいことでも、いやなことでもない。ごく当たり前のことだと感じられる。その感覚を理解してもらうために、死に直面していない今、死の実際をイメージしていただきたいと思います』、「一般の人は平常心で死を見る機会が少ないので、死を大袈裟に捉え、死者に過剰に反応しがちではないでしょうか。 死が人生の重大事であることはまちがいありませんが、心にゆとりを持って見れば、特別な不幸でも不運でもないことがわかります。だれにでも起こることで、恐ろしいことでも、いやなことでもない。ごく当たり前のことだと感じられる。その感覚を理解してもらうために、死に直面していない今、死の実際をイメージしていただきたいと思います」、その通りだ。
・『死の判定とは 最近は人の死といっても、一筋縄ではいきません。 「心肺停止」などは、心拍も呼吸も止まっているのに「死」とは認められない。蘇生処置によって、生き返る可能性があるからです(と言っても、多くの場合は植物状態であったり、麻痺が残ったりして、元通りになることは少ないですが)。 人の死を判定するときには、医者は「死の三徴候」と呼ばれるものを確認します。「呼吸停止」「心停止」「瞳孔の散大」がそれです。この三つがうと、人は死んだと判定されます。 一般の人は、人の死は医者が死亡時刻を告げたときに起こったと思うでしょうが、実はそうではありません。そもそも、人がいつ死んだかということは、厳密に規定することができないのです。なぜなら、臓器はある瞬間にいっせいに機能を止めるわけではありませんので。 たとえば、死体腎移植は、ドナーが亡くなってから腎臓を取り出して、レシピエントに移植しても十分に機能を果たします。つまり、腎臓は死後もしばらく生きているということです。膵臓や眼球(角膜)なども同様です。 心臓と肺にしても、同時に機能を止めるわけではありません。心臓の動きは心音や心電図、肺は呼吸で確認できますが、心音が聞こえなくなっても、心臓の細胞がすべて機能を停止したわけではないし、呼吸が止まっても、肺の細胞が死に絶えたわけではありません。いずれも徐々に機能を停止し、細胞レベルでは順に死滅していきますから、最後の細胞が死んだときなど、どんな計測器を使っても決定することはできないでしょう』、「人の死を判定するときには、医者は「死の三徴候」と呼ばれるものを確認します。「呼吸停止」「心停止」「瞳孔の散大」がそれです。この三つがうと、人は死んだと判定されます・・・死体腎移植は、ドナーが亡くなってから腎臓を取り出して、レシピエントに移植しても十分に機能を果たします。つまり、腎臓は死後もしばらく生きているということです。膵臓や眼球(角膜)なども同様です・・・心臓の動きは心音や心電図、肺は呼吸で確認できますが、心音が聞こえなくなっても、心臓の細胞がすべて機能を停止したわけではないし、呼吸が止まっても、肺の細胞が死に絶えたわけではありません。いずれも徐々に機能を停止し、細胞レベルでは順に死滅していきますから、最後の細胞が死んだときなど、どんな計測器を使っても決定することはできないでしょう」、なるほど。
・『死のポイント・オブ・ノーリターン 突然死や即死の場合は別として、ふつうの死はまず昏睡状態からはじまります。完全に意識がなくなって、呼びかけにも痛みの刺激にも反応しない状態です。唸り声やうめき声を発していたり、顔を歪めていたりする間は、昏睡とは言いません。 昏睡のときは、エンドルフィンやエンケファリンなど、脳内モルヒネが分泌されますから、本人は心地よい状況にあるなどと言われますが、もちろんこれは仮説で、確かめようがありません。脳内モルヒネは人生最後のお楽しみであり、ほんとうに心地よい状態が用意されているのかもしれませんが、実際はそれほどでもなく、単に死戦期(生から死への移行期)の不安をやわらげるためのおまじないかもしれません。 昏睡状態になれば、いっさいの表情は消えます。意識がないのだから当然です。昏睡に陥ると、間もなく下顎呼吸がはじまります。顎を突き出すような呼吸で、これが死のポイント・オブ・ノーリターンとなります。呼吸中枢の機能低下によるものですから、酸素を吸わせても意味がありません。つまり、これがはじまると、回復の見込みがゼロになるということです。) ほとんど空気を吸っていないように見えるので、はじめて見る人には喘いでいるように感じられるかもしれません。ですが、先に述べたように意識はないので、本人は苦しくない(はずです、確認はできませんが)。この状態になると、蘇生処置をほどこしたところで元にもどることはまずなく、仮にもどったとしてもすぐまた下顎呼吸になります。生き物として寿命を迎えているのですから、抗わずに穏やかに見守るのが、周囲の人間のとるべき態度と言えます。 下顎呼吸がどれくらい続くのかは人によりますが、たいていは数分から一時間前後で終わります(私は在宅医療で一昼夜続いた患者さんを看取ったことがありますが)。次第に呼吸数が減って、無呼吸と下顎呼吸が入れ替わり現れます。これは「チェーンストークス呼吸」と呼ばれるもので、やがて最後の一息を吐いて、ご臨終となります』、「昏睡状態になれば、いっさいの表情は消えます。意識がないのだから当然です。昏睡に陥ると、間もなく下顎呼吸がはじまります。顎を突き出すような呼吸で、これが死のポイント・オブ・ノーリターンとなります。呼吸中枢の機能低下によるものですから、酸素を吸わせても意味がありません。つまり、これがはじまると、回復の見込みがゼロになるということです・・・下顎呼吸がどれくらい続くのかは人によりますが、たいていは数分から一時間前後で終わります(私は在宅医療で一昼夜続いた患者さんを看取ったことがありますが)。次第に呼吸数が減って、無呼吸と下顎呼吸が入れ替わり現れます。これは「チェーンストークス呼吸」と呼ばれるもので、やがて最後の一息を吐いて、ご臨終となります」、なるほど。
・『看取りの作法 今では禁止されていますが、私が医学部を卒業したころは、大学病院の研修医がアルバイトで市中病院の当直を行っていました。 その病院で夜に患者さんが亡くなると、アルバイトの研修医が看取ることになります。研修医はヒヨコ医者で、闊な看取りをすると家族を傷つけたり、混乱させたりするので、先輩から看取りの作法を教えられました。夜中に起こされても眠そうな顔をするな、白衣はきちんとボタンを留めろ、だらしない恰好はするな等、基本的なこともありますが、看取りのコツは「慌てず、騒がず、落ち着かず」だと、伝授されました。 「慌てず」というのは、新米だと見破られないためで、「騒がず」というのは、騒ぐと医療ミスを疑われかねないからですが、あまりに落ち着いていると、患者さんを見捨てているように受け取られるので、適度な緊迫感が必要なため、「落ち着かず」ということになります。) もう一つのポイントは、あまり早くに臨終を告げないこと。 当直の夜、看護師から危篤の連絡を受けて病室に行くと、患者さんはたいてい下顎呼吸になっています。間隔がだんだん間遠になって、最後の息を吐き終わったとき、腕時計で時刻を確認して、「残念ですが、何時何分。ご臨終です。力及びませんで」と、殊勝な顔で一礼します。すると、家族がわっと泣き崩れたりするのですが、この判断が早すぎると、思いがけない最後の一呼吸が起こるのです。すると、家族は「あーっ、まだ生きてる!」と混乱します。 心電図も同じで、徐々に波が乱れ、スパイクの間隔が延びて、やがてフラットになる。そこで早まって臨終を告げると、ピコンと最後の波が現れたりして、家族がまた、「あーっ、まだ……」と叫ぶことになります。 そのあとで、もう一度、時刻を確認し直して、「えー、何時何分……」と告げるほど間の悪いことはありません。ですから、最後の呼吸が終わったと思っても、しばらく待って、ほんとうにもう下顎呼吸が二度と起こらないと確信してから、おもむろに時刻を確認し、臨終を告げるのです。そして、心電図にオマケのスパイクが出てもわからないように、スイッチはすぐに切るべしと教えられました。 すなわち、実際、患者さんは私が告げる時刻より少し前に亡くなっているのです。 ▽死に際して行う“儀式”(アルバイトで当直をする病院に着くと、まずその病院の医者から申し送りを受けます。今夜は何号室のだれそれが危ない等、亡くなりそうな患者さんを引き継ぐのです。そのとき、「この人は“儀式”はいらんから」とか、「悪いけど“儀式”もよろしく」などと言われます。 別に宗教的な儀式をするわけではありません。これは看取りのときに行う蘇生処置を指す医者の隠語なのです。) 具体的には、心臓が止まったあと、強心剤を静脈注射するとか、心腔内投与といって、カテラン針(長さ六、七センチの深部用注射針)で心臓に直接、強心剤を注入したりします。さらには心臓マッサージの真似事をします。本格的な心臓マッサージは、ベッドのスプリングで力が吸収されないように、背中側にボードを入れ、かつ、胸骨が凹むほど圧迫しなければなりません。高齢者ややせた人だと、肋骨がバキバキ折れます。死にゆく人にそんなことをする必要はないので、軽くやっているフリだけするのです。 そのあとで聴診器を当てて、心拍が再開しなければ、ふたたびマッサージのフリをして、また聴診器で無音を確認します。チラッと家族のようすを横目で見て、まだ不足そうなら、またマッサージのフリを繰り返す。真剣な顔で、死ぬな、生きろと訴えるような目つきで、額に汗など垂らしてやっていると、さすがに家族もあきらめ、大切な身内の死を受け入れる雰囲気になります。そこでようやく“儀式”を終え、時刻を確認して、「残念ですが……」のセリフとなるのです。 これがなぜ儀式かというと、蘇生する可能性など端からゼロであることをわかって行うからです。つまりはパフォーマンス、無駄な行為ということになります。 なぜそんなことをするのか。それは家族に精いっぱいの治療をしたという納得感を与えるためです。単純に看取って臨終を告げると、あとで「あの病院は何もしてくれなかった」などと言われる危険性があります。それは困るので、無駄かつ当人には残酷とも思える処置をせざるを得ないのです。 「“儀式”はいらない」と申し送られるのは、家族が患者さんの死をすでに受け入れている場合です。そのときは厳かに臨終を告げるだけでいい。看取るほうも楽なら、看取られるほうも余計な処置をされずにすみます。 最近ではインフォームド・コンセントが進んでいるので、病院も患者さん側に事実を伝え、“儀式”をする必要性は減っているかもしれません。こんな無益で残酷なことを減らすためにも、家族の側がしっかりと死を受け入れる心構えが重要です。死を拒んでばかりいると、ロクなことはないということです』、「心臓マッサージの真似事をします。本格的な心臓マッサージは、ベッドのスプリングで力が吸収されないように、背中側にボードを入れ、かつ、胸骨が凹むほど圧迫しなければなりません。高齢者ややせた人だと、肋骨がバキバキ折れます。死にゆく人にそんなことをする必要はないので、軽くやっているフリだけするのです。 そのあとで聴診器を当てて、心拍が再開しなければ、ふたたびマッサージのフリをして、また聴診器で無音を確認します。チラッと家族のようすを横目で見て、まだ不足そうなら、またマッサージのフリを繰り返す。真剣な顔で、死ぬな、生きろと訴えるような目つきで、額に汗など垂らしてやっていると、さすがに家族もあきらめ、大切な身内の死を受け入れる雰囲気になります。そこでようやく“儀式”を終え、時刻を確認して、「残念ですが……」のセリフとなるのです」、なるほど。
・『死には三つの種類がある ここまで説明したのは、生き物としての死、すなわち生物学上の死についてですが、死にはほかにも二つの種類があります。 それは手続き上の死と、法律上の死です。 手続き上の死というのは、死亡診断書に書かれる時刻、すなわち医者が死亡確認をしたことで認められる死です。これまで書いたように、医者の告げた死亡時刻と、生き物としての人の実際の死が微妙にズレることは理解してもらえたと思いますが、それが大きくズレることもあります。 在宅医療をやっていると、たまに、「朝、起きたらおじいさん(またはおばあさん等)の息が止まっていました」などという電話がかかってきます。夜中、寝ている間に亡くなって、気づいたのが朝というケースです。 すぐに患者さん宅に駆けつけますが、死亡診断からって二十四時間以内に診察をしていないと、警察に連絡しなければならず、そうなると検死を受けたあと、場合によっては行政解剖が行われます。当然、遺族には大きな負担となり、警察にも面倒をかけることになります。そんな無用なことを避けるために、患者さん宅に駆けつけて、明らかに亡くなっている患者さんの目にペンライトの光を当て、ピクリとも動かない胸に聴診器を当てて、死の三徴候を確認します。そして、時計で時間を確認し、おもむろに、「何時何分、ご臨終を確認しました」と告げるのです。 白々しいことこの上ないですが、こうすれば、診察してから死亡を確認したという体裁になり、警察への連絡をせずにすみます。手続き上、人は医者が死亡を確認するまで生きていると見なされるのです。 事故や災害などで心肺停止状態になった人が、病院に運ばれ、何時間後に死亡が確認されましたなどという報道がありますが、そのタイムラグは、たいてい病院で懸命の蘇生処置を行っている時間です。いろいろやってみたけれどダメでしたというとき、死亡確認が行われ、はじめて手続き上、その人は死んだことになります。しかし、生き物としての実際の死は、心肺停止になったときであると考えるべきです。) 三番目の死は法律上の死です。いわゆる「脳死」。日本でも二〇一〇年に臓器移植法が改正され、法律的には脳死が人の死と認められるようになりました。 脳死とは、脳幹を含む全脳死のことです。脳幹は呼吸や心拍など、生命維持をコントロールする部位で、ここが死ぬと、どんな蘇生処置をしても生き返ることはありません。テレビ番組や週刊誌の記事などで、脳死からよみがえったなどと紹介されることもありますが、それはそもそも脳死の判定がまちがっているケースがほとんどです。 脳死とよく混同されるのが、「植物状態」です。以前は、「植物人間」などと称されていましたが、それは人権上の配慮に欠けるということで改められました。 植物状態では、大脳は死んでいるから意識はありませんが、脳幹が生きているので、自発呼吸ができます。だから、水と栄養さえ与えると生きられるということで、植物と同じ状態と考えられるわけです』、「生物学上の死についてですが、死にはほかにも二つの種類があります。 それは手続き上の死と、法律上の死です。 手続き上の死というのは、死亡診断書に書かれる時刻、すなわち医者が死亡確認をしたことで認められる死です。これまで書いたように、医者の告げた死亡時刻と、生き物としての人の実際の死が微妙にズレることは理解してもらえたと思いますが、それが大きくズレることもあります・・・在宅医療をやっていると、たまに、「朝、起きたらおじいさん(またはおばあさん等)の息が止まっていました」などという電話がかかってきます。夜中、寝ている間に亡くなって、気づいたのが朝というケースです。 すぐに患者さん宅に駆けつけますが、死亡診断からって二十四時間以内に診察をしていないと、警察に連絡しなければならず、そうなると検死を受けたあと、場合によっては行政解剖が行われます。当然、遺族には大きな負担となり、警察にも面倒をかけることになります。そんな無用なことを避けるために、患者さん宅に駆けつけて、明らかに亡くなっている患者さんの目にペンライトの光を当て、ピクリとも動かない胸に聴診器を当てて、死の三徴候を確認します。そして、時計で時間を確認し、おもむろに「何時何分、ご臨終を確認しました」と告げるのです。 白々しいことこの上ないですが、こうすれば、診察してから死亡を確認したという体裁になり、警察への連絡をせずにすみます。手続き上、人は医者が死亡を確認するまで生きていると見なされるのです・・・三番目の死は法律上の死です。いわゆる「脳死」。日本でも二〇一〇年に臓器移植法が改正され、法律的には脳死が人の死と認められるようになりました。 脳死とは、脳幹を含む全脳死のことです。脳幹は呼吸や心拍など、生命維持をコントロールする部位で、ここが死ぬと、どんな蘇生処置をしても生き返ることはありません。テレビ番組や週刊誌の記事などで、脳死からよみがえったなどと紹介されることもありますが、それはそもそも脳死の判定がまちがっているケースがほとんどです」、なるほど。
・『脳死のダブルスタンダード 脳死になっても、人工呼吸をしていると、しばらく心臓は動き続けます。だから、心臓を含む臓器移植が可能となるのです。 そもそも、脳死という無理くりの概念が捻り出されたのは、臓器移植が可能になったからです。心臓移植では、生きている心臓を移植しなければなりません。死体から取った心臓を移植しても動かないからです。しかし、生きている心臓を取り出せば、ドナーは死ぬので殺人になる。ですから、心臓移植では、心臓は生きているが、ドナーは死んでいるという、自然ではあり得ない状況が必要だったのです。) そこであみ出されたのが脳死です。脳死は人の死と定義され、死んでいるのだから心臓を取り出しても殺人にはならないというのが、法律上の解釈です。 しかし、脳死の患者さんは、人工呼吸器をつけているとはいえ、胸は動いているし、身体も温かい。当然、心臓も動いている。あまつさえ、心臓を摘出するときには全身麻酔をかけるのです。死体に麻酔? ほんとうに死んでいるのかという疑問が湧くのは当然でしょう。 ここに脳死に関するダブルスタンダードが発生します。 <この続きは書籍にて!>』、「脳死は人の死と定義され、死んでいるのだから心臓を取り出しても殺人にはならないというのが、法律上の解釈です。 しかし、脳死の患者さんは、人工呼吸器をつけているとはいえ、胸は動いているし、身体も温かい。当然、心臓も動いている。あまつさえ、心臓を摘出するときには全身麻酔をかけるのです。死体に麻酔? ほんとうに死んでいるのかという疑問が湧くのは当然でしょう」、確かに「脳死」は難しい問題だ。
第三に、4月27日付け現代ビジネスが掲載した作家の久坂部 羊氏による「そのまま逝かせてあげれば…「超高齢者」が倒れたとき、「救急車」を呼んでしまうと起こる「誰も得しない事態」」を紹介しよう。
・『だれしも死ぬときはあまり苦しまず、人生に満足を感じながら、安らかな心持ちで最期を迎えたいと思っているのではないでしょうか。 私は医師として、多くの患者さんの最期に接する中で、人工呼吸器や透析器で無理やり生かされ、チューブだらけになって、あちこちから出血しながら、悲惨な最期を迎えた人を、少なからず見ました。 望ましい最期を迎える人と、好ましくない亡くなり方をする人のちがいは、どこにあるのでしょう。 *本記事は、久坂部羊『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです』、興味深そうだ。
・『救急車を呼ぶべきか否か どんなときに救急車を呼ぶべきで、どんなときは呼ばないほうがいいのかも、多くの人が迷うことでしょう。 わかりやすいのは、超・高齢者の意識がない状態のときです。この場合は、そのまま静かに見守ってあげるのがベストです。かかりつけ医または、在宅医療の主治医がいれば、連絡して看取りに来てもらいましょう。間に合わなくても大丈夫です。逆に、間に合っても医者にできることはありませんし、命が終わってからでも、医者が死亡確認するまでは、法的には死んでいないことになりますから、死亡診断書も書いてもらえます。 この場合、救急車を呼んでしまうと、悲惨なことになります。超・高齢者が死にしているとき、救急隊員は「どうして救急車なんか呼ぶんだ。このまま逝かせてやったほうがいいのに」と思いつつも、当然、口には出せず、型通り人工呼吸をしたり、心臓マッサージをしたりしながら、病院に運ばざるを得ません。 運び込まれた病院の医者も、「どうして病院になんか連れてくるんだ。そのまま逝かせてあげろよ」と思いつつも、やはり口には出せず、型通りに蘇生処置をし、運悪く心拍が再開などしたら、気管チューブを挿入し、人工呼吸器につなぎ、肺のX線検査をし、点滴をし、導尿カテーテルを入れと、せざるを得なくなります。 それでまた退院できるくらい元気になればいいですが、超・高齢者の場合はその可能性は低く、仮に復活したとしても、病気や年齢が回復するわけではありませんから、またすぐ同じ状態になるのが関の山です。 冷静に考えれば理解していただけると思いますが、ふだんから心の準備をしていないと、救急車を呼ばない状況に耐えるのがむずかしくなります。だから、つい救急車を呼んでしまう。それは倒れているお年寄りのためではなく、不安に耐えられない家族が自分の安心のために呼んでいるのです。それで、病院に運ばれたお年寄りは、右に述べたようなつらい目に遭わされます。それで最期を迎えたら、せっかく自宅で静かに亡くなりかけていたのに、余計な苦しみを負わされることになります。) それでも病院へ運ばずにはいられないと思う人は、自分が運ばれる側になったときを想像してみてください。家族の安心のために、肋骨が折れる心臓マッサージや、口から形の金具とプラスチックのチューブを突っ込まれ、尿道に管を通されてもいいでしょうか。 超・高齢者の身内がいる人は、最後の孝行のためにも、意識がない状態になったら、救急車は呼ばないと、ふだんからしっかり気持ちを決めておくのがよいと思います。 さらに続きとなる<「上手に楽に老いている人」と「下手に苦しく老いている人」の意外な違い>では、症状が軽いのに「老いの症状に苦しみ続ける」人と、症状が重いのに「気楽に幸せに生きられる人」の実例を紹介しています。 本記事の抜粋元である『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)では、人が死ぬときに起こることや、「死の恐怖」をどうすれば乗り越えられるかといった内容をさらに詳しく解説しています。ぜひ、お手に取ってみてください』、「超・高齢者が死にしているとき、救急隊員は「どうして救急車なんか呼ぶんだ。このまま逝かせてやったほうがいいのに」と思いつつも、当然、口には出せず、型通り人工呼吸をしたり、心臓マッサージをしたりしながら、病院に運ばざるを得ません。 運び込まれた病院の医者も、「どうして病院になんか連れてくるんだ。そのまま逝かせてあげろよ」と思いつつも、やはり口には出せず、型通りに蘇生処置をし、運悪く心拍が再開などしたら、気管チューブを挿入し、人工呼吸器につなぎ、肺のX線検査をし、点滴をし、導尿カテーテルを入れと、せざるを得なくなります・・・ふだんから心の準備をしていないと、救急車を呼ばない状況に耐えるのがむずかしくなります。だから、つい救急車を呼んでしまう。それは倒れているお年寄りのためではなく、不安に耐えられない家族が自分の安心のために呼んでいるのです。それで、病院に運ばれたお年寄りは、右に述べたようなつらい目に遭わされます。それで最期を迎えたら、せっかく自宅で静かに亡くなりかけていたのに、余計な苦しみを負わされることになります。) それでも病院へ運ばずにはいられないと思う人は、自分が運ばれる側になったときを想像してみてください。家族の安心のために、肋骨が折れる心臓マッサージや、口から形の金具とプラスチックのチューブを突っ込まれ、尿道に管を通されてもいいでしょうか・・・超・高齢者の身内がいる人は、最後の孝行のためにも、意識がない状態になったら、救急車は呼ばないと、ふだんからしっかり気持ちを決めておくのがよいと思います」、その通りで、大いに気をつけたい。
先ずは、本年4月27日付け現代ビジネスが掲載した作家の久坂部 羊氏による「せっかく穏やかな「死」を迎えた78歳女性を、わざわざ「蘇生」させるために行われた「非人間的な医療行為」」を紹介しよう。
・『だれしも死ぬときはあまり苦しまず、人生に満足を感じながら、安らかな心持ちで最期を迎えたいと思っているのではないでしょうか。 私は医師として、多くの患者さんの最期に接する中で、人工呼吸器や透析器で無理やり生かされ、チューブだらけになって、あちこちから出血しながら、悲惨な最期を迎えた人を、少なからず見ました。 望ましい最期を迎える人と、好ましくない亡くなり方をする人のちがいは、どこにあるのでしょう。 *本記事は、久坂部羊『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです』、興味深そうだ。
・『死に目に間に合わせるための非道 日本では死に目に会うことを、欠くべからざる重大事と受け止めている人が多いようです。特に親の死に目に会うのは、子として当然の義務、最後の親孝行のように言われたりもします。 しかし、感情論ではなく、その意味を現実的に考えるとどうでしょう。 以前、私が在宅医療で診ていた乳がんの女性・Kさんが、いよいよ臨終が近づいたとき、入院の手続きをとりました。Kさんは七十八歳で、ぎりぎりまで家にいたいけれど、最後は病院でと希望していたからです。 十日ほどして、病院の主治医からKさんが亡くなったという報告書が届きました。それを読んで私は愕然としました。 報告書によると、看護師が午後八時に巡回したときにはKさんは異常なかったけれど、午後十時に巡回すると、心肺停止の状態になっていたそうです。看護師はすぐに当直医に連絡し、当直医は気管内挿管をして、人工呼吸器につなぎ、カウンターショックと心臓マッサージで心拍を再開させることに成功しました。その後、ステロイドや強心剤を投与して、翌日の午後八時に、無事、家族に見守られて永眠したとのことでした。 具体的な文章は忘れましたが、心肺停止でだれにも看取られずに亡くなりかけていたKさんを、見事、蘇生させて、家族が死に目に会うことを実現させられたと、いささか誇らしげに書いてあったように記憶します。 たしかに家族は喜んだかもしれません。きっと感謝したことでしょう。しかし、亡くなったKさん本人はどうだったでしょう。 一般には心肺停止の蘇生処置がどういうものか、具体的に知らない人が多いでしょうから、この話は美談のように受け取られるかもしれません。しかし、実態を知る私としては、なんという無茶なことをと、あきれるほかありませんでした。 まず、人工呼吸のための気管内挿管は、喉頭鏡というステンレスの付きの器具を口に突っ込み、舌をどけ、喉頭(のどぼとけ)を持ち上げて、口から人差し指ほどのチューブを気管に挿入します。意識がない状態でも、反射でむせますし、喉頭を持ち上げるとき、前歯がてこの支点になって折れることもままあります。そうなれば口は血だらけになります。 そのあとのカウンターショックは、裸の胸に電極を当てて、電流を流すもので、往々にして皮膚に火傷を引き起こします。心臓マッサージも、本格的にやれば、肋骨や胸骨を骨折させる危険性が高く、Kさんのように高齢でやせている人なら、骨折は一本や二本ではすまなかったと想像されます。) 寿命に従ってせっかく静かに亡くなっていたKさんの口に、そんな器具を突っ込み、のどに太いチューブを差し込んで機械で息をさせ、火傷を起こし、ときには皮膚に焼け跡をつける電気ショックを与え、肋骨や胸骨がバキバキ折れる心臓マッサージをして、心臓を無理やり動かしてまで、家族が死に目に会えるようにすることが、果たして人の道に沿ったものでしょうか』、「寿命に従ってせっかく静かに亡くなっていたKさんの口に、そんな器具を突っ込み、のどに太いチューブを差し込んで機械で息をさせ、火傷を起こし、ときには皮膚に焼け跡をつける電気ショックを与え、肋骨や胸骨がバキバキ折れる心臓マッサージをして、心臓を無理やり動かしてまで、家族が死に目に会えるようにすることが、果たして人の道に沿ったものでしょうか」、確かに逆立ちした論理だ。
・『非道な蘇生処置の理由 Kさんに非道な蘇生処置をした当直医は、(1)まだ経験の浅い若い医者か、(2)医療に前向きな信念しか持たない医者か、あるいは、(3)あとで遺族から非難されることを恐れる保身の医者のいずれかでしょう。 (1)の医者は未熟なので、心肺停止という状況で反射的に(つまり何も考えず)教えられた通りの処置を行ったケースで、これは経験を積めばそんな無駄で残酷なことはしなくなる可能性があります。 (2)の医者は、医療の善なる面のみに目を向け、医療の弊害や矛盾、あるいは限界から目を背ける医者です。こういう医者はイケイケですから、むずかしい状況の患者さんを積極的な治療で救うこともありますが、無理な治療で患者さんを苦しめたり、逆に命を縮めたりする危険性もあります。まじめで純粋、かつ努力家である反面、己の非はぜったいに認めないタイプですが、医師としては優秀な者に多いのが困りものです。 (3)の医者は、もっとも厄介なケースで、患者さんのためにならないことを知りつつ、言わばアリバイ作りのために蘇生処置を行う医者です。なぜ、そんなことをするのかというと、何もしないで静かに看取ると、遺族のなかには、「あの病院は何もしてくれなかった」とか、「最後は医者に見捨てられた」などと、よからぬを立てる人がいるからです。 看護師が巡回したら、心肺停止になっていましたなどと、ほんとうのことを告げたら、遺族によっては、「気づいたら死んでいたというのか。病院はいったい何をやっていたんだ」と、激昂する人も出かねません。) 実際、死に対して医療は無力なのに、世間の人はそう思っていないので、医者はベストを尽くすフリをせざるを得ないのです。それが患者さん本人にとって、どれほどの害を与えていることか。 死を受け入れたくない気持ちはわかりますが、何としても死に目に会うとか、最後の最後まで医療に死を押しとどめてもらおうとか思っていると、死にゆく人を穏やかに見送ることは、とてもむずかしくなります。 さらに連載記事<人はどう死ぬのか…医師が明かす「ご臨終」に至るまでの一部始終>では、人が死ぬときの様子を詳しく解説します』、「実際、死に対して医療は無力なのに、世間の人はそう思っていないので、医者はベストを尽くすフリをせざるを得ないのです。それが患者さん本人にとって、どれほどの害を与えていることか。 死を受け入れたくない気持ちはわかりますが、何としても死に目に会うとか、最後の最後まで医療に死を押しとどめてもらおうとか思っていると、死にゆく人を穏やかに見送ることは、とてもむずかしくなります」、その通りだ。
次に、昨年1月19日付け現代ビジネスが掲載した作家の久坂部 羊氏による「人はどう死ぬのか…医師が明かす「ご臨終」に至るまでの一部始終 最後の一息を吐いて…」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/103427?imp=0
・『だれしも死ぬときはあまり苦しまず、人生に満足を感じながら、安らかな心持ちで最期を迎えたいと思っているのではないでしょうか。 私は医師として、多くの患者さんの最期に接する中で、人工呼吸器や透析器で無理やり生かされ、チューブだらけになって、あちこちから出血しながら、悲惨な最期を迎えた人を、少なからず見ました。 望ましい最期を迎える人と、好ましくない亡くなり方をする人のちがいは、どこにあるのでしょう。 *本記事は、久坂部羊『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです』、興味深そうだ。
・『死を見る機会 ふつうの人が人の死を直接見る機会は、さほど多くはないでしょう。 見るとすれば、たいていは家族の死で、多くは病院のベッドのまわりで見ることになります。医者と看護師がいて、患者さんには点滴とか酸素マスクがつけられ、場合によっては心電計や人工呼吸器も装着されている。家族の死だから、悲しかったり複雑な思いがあったりして、とても冷静には見られない。加えて、死は忌むべきものという頑強な刷り込みもあるので、じっくり見たり、ましてや観察などはまず行われません。 自宅での看取りでも、まわりに医療機器などがなく、場所が見慣れた空間であるというだけで、看取る家族の動揺はほとんど変わりがないでしょう。 稀なケースとして、目の前で突然だれかが死ぬ(交通事故や水難事故、飛びこみ自殺など)のを目撃することもあるでしょうが、こちらは家族の死以上に見る者を動揺させるにちがいありません。殺害現場などに遭遇してしまうと、動揺どころか動転、驚愕、ときには失神さえしてしまうでしょう。 医者だって人間です。はじめて患者さんの死を看取るときは、一般の人と同じく動揺します。それまで自分が治療し、いろいろなことを説明し、人間的な関わりを持った人が死ぬのですから、当然ながらショックは大きい。 自分の患者さんでなくても、たとえば当直のアルバイト先でたまたま臨終に立ち会う場合でも、一人の人間の死という厳粛な事実の前では、畏怖のようなものを感じずにはいられません。その感覚は、家族や一般の人のそれとさほど差はないはずです。 が、場数を踏むにつれ、医者は次第に死に慣れてきます。死に慣れるなど、不謹慎だと思われるかもしれませんが、実際、慣れます。慣れると心にゆとりができます。そうすると、ゆとりのないときには見えなかったものが見えてきます。それは死を、ある種、乾いた現象として理解させてくれたりします。 いずれにせよ、一般の人は平常心で死を見る機会が少ないので、死を大袈裟に捉え、死者に過剰に反応しがちではないでしょうか。 死が人生の重大事であることはまちがいありませんが、心にゆとりを持って見れば、特別な不幸でも不運でもないことがわかります。だれにでも起こることで、恐ろしいことでも、いやなことでもない。ごく当たり前のことだと感じられる。その感覚を理解してもらうために、死に直面していない今、死の実際をイメージしていただきたいと思います』、「一般の人は平常心で死を見る機会が少ないので、死を大袈裟に捉え、死者に過剰に反応しがちではないでしょうか。 死が人生の重大事であることはまちがいありませんが、心にゆとりを持って見れば、特別な不幸でも不運でもないことがわかります。だれにでも起こることで、恐ろしいことでも、いやなことでもない。ごく当たり前のことだと感じられる。その感覚を理解してもらうために、死に直面していない今、死の実際をイメージしていただきたいと思います」、その通りだ。
・『死の判定とは 最近は人の死といっても、一筋縄ではいきません。 「心肺停止」などは、心拍も呼吸も止まっているのに「死」とは認められない。蘇生処置によって、生き返る可能性があるからです(と言っても、多くの場合は植物状態であったり、麻痺が残ったりして、元通りになることは少ないですが)。 人の死を判定するときには、医者は「死の三徴候」と呼ばれるものを確認します。「呼吸停止」「心停止」「瞳孔の散大」がそれです。この三つがうと、人は死んだと判定されます。 一般の人は、人の死は医者が死亡時刻を告げたときに起こったと思うでしょうが、実はそうではありません。そもそも、人がいつ死んだかということは、厳密に規定することができないのです。なぜなら、臓器はある瞬間にいっせいに機能を止めるわけではありませんので。 たとえば、死体腎移植は、ドナーが亡くなってから腎臓を取り出して、レシピエントに移植しても十分に機能を果たします。つまり、腎臓は死後もしばらく生きているということです。膵臓や眼球(角膜)なども同様です。 心臓と肺にしても、同時に機能を止めるわけではありません。心臓の動きは心音や心電図、肺は呼吸で確認できますが、心音が聞こえなくなっても、心臓の細胞がすべて機能を停止したわけではないし、呼吸が止まっても、肺の細胞が死に絶えたわけではありません。いずれも徐々に機能を停止し、細胞レベルでは順に死滅していきますから、最後の細胞が死んだときなど、どんな計測器を使っても決定することはできないでしょう』、「人の死を判定するときには、医者は「死の三徴候」と呼ばれるものを確認します。「呼吸停止」「心停止」「瞳孔の散大」がそれです。この三つがうと、人は死んだと判定されます・・・死体腎移植は、ドナーが亡くなってから腎臓を取り出して、レシピエントに移植しても十分に機能を果たします。つまり、腎臓は死後もしばらく生きているということです。膵臓や眼球(角膜)なども同様です・・・心臓の動きは心音や心電図、肺は呼吸で確認できますが、心音が聞こえなくなっても、心臓の細胞がすべて機能を停止したわけではないし、呼吸が止まっても、肺の細胞が死に絶えたわけではありません。いずれも徐々に機能を停止し、細胞レベルでは順に死滅していきますから、最後の細胞が死んだときなど、どんな計測器を使っても決定することはできないでしょう」、なるほど。
・『死のポイント・オブ・ノーリターン 突然死や即死の場合は別として、ふつうの死はまず昏睡状態からはじまります。完全に意識がなくなって、呼びかけにも痛みの刺激にも反応しない状態です。唸り声やうめき声を発していたり、顔を歪めていたりする間は、昏睡とは言いません。 昏睡のときは、エンドルフィンやエンケファリンなど、脳内モルヒネが分泌されますから、本人は心地よい状況にあるなどと言われますが、もちろんこれは仮説で、確かめようがありません。脳内モルヒネは人生最後のお楽しみであり、ほんとうに心地よい状態が用意されているのかもしれませんが、実際はそれほどでもなく、単に死戦期(生から死への移行期)の不安をやわらげるためのおまじないかもしれません。 昏睡状態になれば、いっさいの表情は消えます。意識がないのだから当然です。昏睡に陥ると、間もなく下顎呼吸がはじまります。顎を突き出すような呼吸で、これが死のポイント・オブ・ノーリターンとなります。呼吸中枢の機能低下によるものですから、酸素を吸わせても意味がありません。つまり、これがはじまると、回復の見込みがゼロになるということです。) ほとんど空気を吸っていないように見えるので、はじめて見る人には喘いでいるように感じられるかもしれません。ですが、先に述べたように意識はないので、本人は苦しくない(はずです、確認はできませんが)。この状態になると、蘇生処置をほどこしたところで元にもどることはまずなく、仮にもどったとしてもすぐまた下顎呼吸になります。生き物として寿命を迎えているのですから、抗わずに穏やかに見守るのが、周囲の人間のとるべき態度と言えます。 下顎呼吸がどれくらい続くのかは人によりますが、たいていは数分から一時間前後で終わります(私は在宅医療で一昼夜続いた患者さんを看取ったことがありますが)。次第に呼吸数が減って、無呼吸と下顎呼吸が入れ替わり現れます。これは「チェーンストークス呼吸」と呼ばれるもので、やがて最後の一息を吐いて、ご臨終となります』、「昏睡状態になれば、いっさいの表情は消えます。意識がないのだから当然です。昏睡に陥ると、間もなく下顎呼吸がはじまります。顎を突き出すような呼吸で、これが死のポイント・オブ・ノーリターンとなります。呼吸中枢の機能低下によるものですから、酸素を吸わせても意味がありません。つまり、これがはじまると、回復の見込みがゼロになるということです・・・下顎呼吸がどれくらい続くのかは人によりますが、たいていは数分から一時間前後で終わります(私は在宅医療で一昼夜続いた患者さんを看取ったことがありますが)。次第に呼吸数が減って、無呼吸と下顎呼吸が入れ替わり現れます。これは「チェーンストークス呼吸」と呼ばれるもので、やがて最後の一息を吐いて、ご臨終となります」、なるほど。
・『看取りの作法 今では禁止されていますが、私が医学部を卒業したころは、大学病院の研修医がアルバイトで市中病院の当直を行っていました。 その病院で夜に患者さんが亡くなると、アルバイトの研修医が看取ることになります。研修医はヒヨコ医者で、闊な看取りをすると家族を傷つけたり、混乱させたりするので、先輩から看取りの作法を教えられました。夜中に起こされても眠そうな顔をするな、白衣はきちんとボタンを留めろ、だらしない恰好はするな等、基本的なこともありますが、看取りのコツは「慌てず、騒がず、落ち着かず」だと、伝授されました。 「慌てず」というのは、新米だと見破られないためで、「騒がず」というのは、騒ぐと医療ミスを疑われかねないからですが、あまりに落ち着いていると、患者さんを見捨てているように受け取られるので、適度な緊迫感が必要なため、「落ち着かず」ということになります。) もう一つのポイントは、あまり早くに臨終を告げないこと。 当直の夜、看護師から危篤の連絡を受けて病室に行くと、患者さんはたいてい下顎呼吸になっています。間隔がだんだん間遠になって、最後の息を吐き終わったとき、腕時計で時刻を確認して、「残念ですが、何時何分。ご臨終です。力及びませんで」と、殊勝な顔で一礼します。すると、家族がわっと泣き崩れたりするのですが、この判断が早すぎると、思いがけない最後の一呼吸が起こるのです。すると、家族は「あーっ、まだ生きてる!」と混乱します。 心電図も同じで、徐々に波が乱れ、スパイクの間隔が延びて、やがてフラットになる。そこで早まって臨終を告げると、ピコンと最後の波が現れたりして、家族がまた、「あーっ、まだ……」と叫ぶことになります。 そのあとで、もう一度、時刻を確認し直して、「えー、何時何分……」と告げるほど間の悪いことはありません。ですから、最後の呼吸が終わったと思っても、しばらく待って、ほんとうにもう下顎呼吸が二度と起こらないと確信してから、おもむろに時刻を確認し、臨終を告げるのです。そして、心電図にオマケのスパイクが出てもわからないように、スイッチはすぐに切るべしと教えられました。 すなわち、実際、患者さんは私が告げる時刻より少し前に亡くなっているのです。 ▽死に際して行う“儀式”(アルバイトで当直をする病院に着くと、まずその病院の医者から申し送りを受けます。今夜は何号室のだれそれが危ない等、亡くなりそうな患者さんを引き継ぐのです。そのとき、「この人は“儀式”はいらんから」とか、「悪いけど“儀式”もよろしく」などと言われます。 別に宗教的な儀式をするわけではありません。これは看取りのときに行う蘇生処置を指す医者の隠語なのです。) 具体的には、心臓が止まったあと、強心剤を静脈注射するとか、心腔内投与といって、カテラン針(長さ六、七センチの深部用注射針)で心臓に直接、強心剤を注入したりします。さらには心臓マッサージの真似事をします。本格的な心臓マッサージは、ベッドのスプリングで力が吸収されないように、背中側にボードを入れ、かつ、胸骨が凹むほど圧迫しなければなりません。高齢者ややせた人だと、肋骨がバキバキ折れます。死にゆく人にそんなことをする必要はないので、軽くやっているフリだけするのです。 そのあとで聴診器を当てて、心拍が再開しなければ、ふたたびマッサージのフリをして、また聴診器で無音を確認します。チラッと家族のようすを横目で見て、まだ不足そうなら、またマッサージのフリを繰り返す。真剣な顔で、死ぬな、生きろと訴えるような目つきで、額に汗など垂らしてやっていると、さすがに家族もあきらめ、大切な身内の死を受け入れる雰囲気になります。そこでようやく“儀式”を終え、時刻を確認して、「残念ですが……」のセリフとなるのです。 これがなぜ儀式かというと、蘇生する可能性など端からゼロであることをわかって行うからです。つまりはパフォーマンス、無駄な行為ということになります。 なぜそんなことをするのか。それは家族に精いっぱいの治療をしたという納得感を与えるためです。単純に看取って臨終を告げると、あとで「あの病院は何もしてくれなかった」などと言われる危険性があります。それは困るので、無駄かつ当人には残酷とも思える処置をせざるを得ないのです。 「“儀式”はいらない」と申し送られるのは、家族が患者さんの死をすでに受け入れている場合です。そのときは厳かに臨終を告げるだけでいい。看取るほうも楽なら、看取られるほうも余計な処置をされずにすみます。 最近ではインフォームド・コンセントが進んでいるので、病院も患者さん側に事実を伝え、“儀式”をする必要性は減っているかもしれません。こんな無益で残酷なことを減らすためにも、家族の側がしっかりと死を受け入れる心構えが重要です。死を拒んでばかりいると、ロクなことはないということです』、「心臓マッサージの真似事をします。本格的な心臓マッサージは、ベッドのスプリングで力が吸収されないように、背中側にボードを入れ、かつ、胸骨が凹むほど圧迫しなければなりません。高齢者ややせた人だと、肋骨がバキバキ折れます。死にゆく人にそんなことをする必要はないので、軽くやっているフリだけするのです。 そのあとで聴診器を当てて、心拍が再開しなければ、ふたたびマッサージのフリをして、また聴診器で無音を確認します。チラッと家族のようすを横目で見て、まだ不足そうなら、またマッサージのフリを繰り返す。真剣な顔で、死ぬな、生きろと訴えるような目つきで、額に汗など垂らしてやっていると、さすがに家族もあきらめ、大切な身内の死を受け入れる雰囲気になります。そこでようやく“儀式”を終え、時刻を確認して、「残念ですが……」のセリフとなるのです」、なるほど。
・『死には三つの種類がある ここまで説明したのは、生き物としての死、すなわち生物学上の死についてですが、死にはほかにも二つの種類があります。 それは手続き上の死と、法律上の死です。 手続き上の死というのは、死亡診断書に書かれる時刻、すなわち医者が死亡確認をしたことで認められる死です。これまで書いたように、医者の告げた死亡時刻と、生き物としての人の実際の死が微妙にズレることは理解してもらえたと思いますが、それが大きくズレることもあります。 在宅医療をやっていると、たまに、「朝、起きたらおじいさん(またはおばあさん等)の息が止まっていました」などという電話がかかってきます。夜中、寝ている間に亡くなって、気づいたのが朝というケースです。 すぐに患者さん宅に駆けつけますが、死亡診断からって二十四時間以内に診察をしていないと、警察に連絡しなければならず、そうなると検死を受けたあと、場合によっては行政解剖が行われます。当然、遺族には大きな負担となり、警察にも面倒をかけることになります。そんな無用なことを避けるために、患者さん宅に駆けつけて、明らかに亡くなっている患者さんの目にペンライトの光を当て、ピクリとも動かない胸に聴診器を当てて、死の三徴候を確認します。そして、時計で時間を確認し、おもむろに、「何時何分、ご臨終を確認しました」と告げるのです。 白々しいことこの上ないですが、こうすれば、診察してから死亡を確認したという体裁になり、警察への連絡をせずにすみます。手続き上、人は医者が死亡を確認するまで生きていると見なされるのです。 事故や災害などで心肺停止状態になった人が、病院に運ばれ、何時間後に死亡が確認されましたなどという報道がありますが、そのタイムラグは、たいてい病院で懸命の蘇生処置を行っている時間です。いろいろやってみたけれどダメでしたというとき、死亡確認が行われ、はじめて手続き上、その人は死んだことになります。しかし、生き物としての実際の死は、心肺停止になったときであると考えるべきです。) 三番目の死は法律上の死です。いわゆる「脳死」。日本でも二〇一〇年に臓器移植法が改正され、法律的には脳死が人の死と認められるようになりました。 脳死とは、脳幹を含む全脳死のことです。脳幹は呼吸や心拍など、生命維持をコントロールする部位で、ここが死ぬと、どんな蘇生処置をしても生き返ることはありません。テレビ番組や週刊誌の記事などで、脳死からよみがえったなどと紹介されることもありますが、それはそもそも脳死の判定がまちがっているケースがほとんどです。 脳死とよく混同されるのが、「植物状態」です。以前は、「植物人間」などと称されていましたが、それは人権上の配慮に欠けるということで改められました。 植物状態では、大脳は死んでいるから意識はありませんが、脳幹が生きているので、自発呼吸ができます。だから、水と栄養さえ与えると生きられるということで、植物と同じ状態と考えられるわけです』、「生物学上の死についてですが、死にはほかにも二つの種類があります。 それは手続き上の死と、法律上の死です。 手続き上の死というのは、死亡診断書に書かれる時刻、すなわち医者が死亡確認をしたことで認められる死です。これまで書いたように、医者の告げた死亡時刻と、生き物としての人の実際の死が微妙にズレることは理解してもらえたと思いますが、それが大きくズレることもあります・・・在宅医療をやっていると、たまに、「朝、起きたらおじいさん(またはおばあさん等)の息が止まっていました」などという電話がかかってきます。夜中、寝ている間に亡くなって、気づいたのが朝というケースです。 すぐに患者さん宅に駆けつけますが、死亡診断からって二十四時間以内に診察をしていないと、警察に連絡しなければならず、そうなると検死を受けたあと、場合によっては行政解剖が行われます。当然、遺族には大きな負担となり、警察にも面倒をかけることになります。そんな無用なことを避けるために、患者さん宅に駆けつけて、明らかに亡くなっている患者さんの目にペンライトの光を当て、ピクリとも動かない胸に聴診器を当てて、死の三徴候を確認します。そして、時計で時間を確認し、おもむろに「何時何分、ご臨終を確認しました」と告げるのです。 白々しいことこの上ないですが、こうすれば、診察してから死亡を確認したという体裁になり、警察への連絡をせずにすみます。手続き上、人は医者が死亡を確認するまで生きていると見なされるのです・・・三番目の死は法律上の死です。いわゆる「脳死」。日本でも二〇一〇年に臓器移植法が改正され、法律的には脳死が人の死と認められるようになりました。 脳死とは、脳幹を含む全脳死のことです。脳幹は呼吸や心拍など、生命維持をコントロールする部位で、ここが死ぬと、どんな蘇生処置をしても生き返ることはありません。テレビ番組や週刊誌の記事などで、脳死からよみがえったなどと紹介されることもありますが、それはそもそも脳死の判定がまちがっているケースがほとんどです」、なるほど。
・『脳死のダブルスタンダード 脳死になっても、人工呼吸をしていると、しばらく心臓は動き続けます。だから、心臓を含む臓器移植が可能となるのです。 そもそも、脳死という無理くりの概念が捻り出されたのは、臓器移植が可能になったからです。心臓移植では、生きている心臓を移植しなければなりません。死体から取った心臓を移植しても動かないからです。しかし、生きている心臓を取り出せば、ドナーは死ぬので殺人になる。ですから、心臓移植では、心臓は生きているが、ドナーは死んでいるという、自然ではあり得ない状況が必要だったのです。) そこであみ出されたのが脳死です。脳死は人の死と定義され、死んでいるのだから心臓を取り出しても殺人にはならないというのが、法律上の解釈です。 しかし、脳死の患者さんは、人工呼吸器をつけているとはいえ、胸は動いているし、身体も温かい。当然、心臓も動いている。あまつさえ、心臓を摘出するときには全身麻酔をかけるのです。死体に麻酔? ほんとうに死んでいるのかという疑問が湧くのは当然でしょう。 ここに脳死に関するダブルスタンダードが発生します。 <この続きは書籍にて!>』、「脳死は人の死と定義され、死んでいるのだから心臓を取り出しても殺人にはならないというのが、法律上の解釈です。 しかし、脳死の患者さんは、人工呼吸器をつけているとはいえ、胸は動いているし、身体も温かい。当然、心臓も動いている。あまつさえ、心臓を摘出するときには全身麻酔をかけるのです。死体に麻酔? ほんとうに死んでいるのかという疑問が湧くのは当然でしょう」、確かに「脳死」は難しい問題だ。
第三に、4月27日付け現代ビジネスが掲載した作家の久坂部 羊氏による「そのまま逝かせてあげれば…「超高齢者」が倒れたとき、「救急車」を呼んでしまうと起こる「誰も得しない事態」」を紹介しよう。
・『だれしも死ぬときはあまり苦しまず、人生に満足を感じながら、安らかな心持ちで最期を迎えたいと思っているのではないでしょうか。 私は医師として、多くの患者さんの最期に接する中で、人工呼吸器や透析器で無理やり生かされ、チューブだらけになって、あちこちから出血しながら、悲惨な最期を迎えた人を、少なからず見ました。 望ましい最期を迎える人と、好ましくない亡くなり方をする人のちがいは、どこにあるのでしょう。 *本記事は、久坂部羊『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです』、興味深そうだ。
・『救急車を呼ぶべきか否か どんなときに救急車を呼ぶべきで、どんなときは呼ばないほうがいいのかも、多くの人が迷うことでしょう。 わかりやすいのは、超・高齢者の意識がない状態のときです。この場合は、そのまま静かに見守ってあげるのがベストです。かかりつけ医または、在宅医療の主治医がいれば、連絡して看取りに来てもらいましょう。間に合わなくても大丈夫です。逆に、間に合っても医者にできることはありませんし、命が終わってからでも、医者が死亡確認するまでは、法的には死んでいないことになりますから、死亡診断書も書いてもらえます。 この場合、救急車を呼んでしまうと、悲惨なことになります。超・高齢者が死にしているとき、救急隊員は「どうして救急車なんか呼ぶんだ。このまま逝かせてやったほうがいいのに」と思いつつも、当然、口には出せず、型通り人工呼吸をしたり、心臓マッサージをしたりしながら、病院に運ばざるを得ません。 運び込まれた病院の医者も、「どうして病院になんか連れてくるんだ。そのまま逝かせてあげろよ」と思いつつも、やはり口には出せず、型通りに蘇生処置をし、運悪く心拍が再開などしたら、気管チューブを挿入し、人工呼吸器につなぎ、肺のX線検査をし、点滴をし、導尿カテーテルを入れと、せざるを得なくなります。 それでまた退院できるくらい元気になればいいですが、超・高齢者の場合はその可能性は低く、仮に復活したとしても、病気や年齢が回復するわけではありませんから、またすぐ同じ状態になるのが関の山です。 冷静に考えれば理解していただけると思いますが、ふだんから心の準備をしていないと、救急車を呼ばない状況に耐えるのがむずかしくなります。だから、つい救急車を呼んでしまう。それは倒れているお年寄りのためではなく、不安に耐えられない家族が自分の安心のために呼んでいるのです。それで、病院に運ばれたお年寄りは、右に述べたようなつらい目に遭わされます。それで最期を迎えたら、せっかく自宅で静かに亡くなりかけていたのに、余計な苦しみを負わされることになります。) それでも病院へ運ばずにはいられないと思う人は、自分が運ばれる側になったときを想像してみてください。家族の安心のために、肋骨が折れる心臓マッサージや、口から形の金具とプラスチックのチューブを突っ込まれ、尿道に管を通されてもいいでしょうか。 超・高齢者の身内がいる人は、最後の孝行のためにも、意識がない状態になったら、救急車は呼ばないと、ふだんからしっかり気持ちを決めておくのがよいと思います。 さらに続きとなる<「上手に楽に老いている人」と「下手に苦しく老いている人」の意外な違い>では、症状が軽いのに「老いの症状に苦しみ続ける」人と、症状が重いのに「気楽に幸せに生きられる人」の実例を紹介しています。 本記事の抜粋元である『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)では、人が死ぬときに起こることや、「死の恐怖」をどうすれば乗り越えられるかといった内容をさらに詳しく解説しています。ぜひ、お手に取ってみてください』、「超・高齢者が死にしているとき、救急隊員は「どうして救急車なんか呼ぶんだ。このまま逝かせてやったほうがいいのに」と思いつつも、当然、口には出せず、型通り人工呼吸をしたり、心臓マッサージをしたりしながら、病院に運ばざるを得ません。 運び込まれた病院の医者も、「どうして病院になんか連れてくるんだ。そのまま逝かせてあげろよ」と思いつつも、やはり口には出せず、型通りに蘇生処置をし、運悪く心拍が再開などしたら、気管チューブを挿入し、人工呼吸器につなぎ、肺のX線検査をし、点滴をし、導尿カテーテルを入れと、せざるを得なくなります・・・ふだんから心の準備をしていないと、救急車を呼ばない状況に耐えるのがむずかしくなります。だから、つい救急車を呼んでしまう。それは倒れているお年寄りのためではなく、不安に耐えられない家族が自分の安心のために呼んでいるのです。それで、病院に運ばれたお年寄りは、右に述べたようなつらい目に遭わされます。それで最期を迎えたら、せっかく自宅で静かに亡くなりかけていたのに、余計な苦しみを負わされることになります。) それでも病院へ運ばずにはいられないと思う人は、自分が運ばれる側になったときを想像してみてください。家族の安心のために、肋骨が折れる心臓マッサージや、口から形の金具とプラスチックのチューブを突っ込まれ、尿道に管を通されてもいいでしょうか・・・超・高齢者の身内がいる人は、最後の孝行のためにも、意識がない状態になったら、救急車は呼ばないと、ふだんからしっかり気持ちを決めておくのがよいと思います」、その通りで、大いに気をつけたい。
タグ:終末期 (その9)(せっかく穏やかな「死」を迎えた78歳女性を わざわざ「蘇生」させるために行われた「非人間的な医療行為」、人はどう死ぬのか…医師が明かす「ご臨終」に至るまでの一部始終 最後の一息を吐いて…、そのまま逝かせてあげれば…「超高齢者」が倒れたとき 「救急車」を呼んでしまうと起こる「誰も得しない事態」、突然 看護師が「遺体の肛門」に指を突っ込んで…人が「死んだあと」に起こる「意外なやりとり」) 現代ビジネス 久坂部 羊氏による「せっかく穏やかな「死」を迎えた78歳女性を、わざわざ「蘇生」させるために行われた「非人間的な医療行為」」 久坂部羊『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書) 「寿命に従ってせっかく静かに亡くなっていたKさんの口に、そんな器具を突っ込み、のどに太いチューブを差し込んで機械で息をさせ、火傷を起こし、ときには皮膚に焼け跡をつける電気ショックを与え、肋骨や胸骨がバキバキ折れる心臓マッサージをして、心臓を無理やり動かしてまで、家族が死に目に会えるようにすることが、果たして人の道に沿ったものでしょうか」、確かに逆立ちした論理だ。 「実際、死に対して医療は無力なのに、世間の人はそう思っていないので、医者はベストを尽くすフリをせざるを得ないのです。それが患者さん本人にとって、どれほどの害を与えていることか。 死を受け入れたくない気持ちはわかりますが、何としても死に目に会うとか、最後の最後まで医療に死を押しとどめてもらおうとか思っていると、死にゆく人を穏やかに見送ることは、とてもむずかしくなります」、その通りだ。 久坂部 羊氏による「人はどう死ぬのか…医師が明かす「ご臨終」に至るまでの一部始終 最後の一息を吐いて…」 「一般の人は平常心で死を見る機会が少ないので、死を大袈裟に捉え、死者に過剰に反応しがちではないでしょうか。 死が人生の重大事であることはまちがいありませんが、心にゆとりを持って見れば、特別な不幸でも不運でもないことがわかります。だれにでも起こることで、恐ろしいことでも、いやなことでもない。ごく当たり前のことだと感じられる。その感覚を理解してもらうために、死に直面していない今、死の実際をイメージしていただきたいと思います」、その通りだ。 「人の死を判定するときには、医者は「死の三徴候」と呼ばれるものを確認します。「呼吸停止」「心停止」「瞳孔の散大」がそれです。この三つがうと、人は死んだと判定されます・・・死体腎移植は、ドナーが亡くなってから腎臓を取り出して、レシピエントに移植しても十分に機能を果たします。つまり、腎臓は死後もしばらく生きているということです。膵臓や眼球(角膜)なども同様です・・・ 心臓の動きは心音や心電図、肺は呼吸で確認できますが、心音が聞こえなくなっても、心臓の細胞がすべて機能を停止したわけではないし、呼吸が止まっても、肺の細胞が死に絶えたわけではありません。いずれも徐々に機能を停止し、細胞レベルでは順に死滅していきますから、最後の細胞が死んだときなど、どんな計測器を使っても決定することはできないでしょう」、なるほど。 「昏睡状態になれば、いっさいの表情は消えます。意識がないのだから当然です。昏睡に陥ると、間もなく下顎呼吸がはじまります。顎を突き出すような呼吸で、これが死のポイント・オブ・ノーリターンとなります。呼吸中枢の機能低下によるものですから、酸素を吸わせても意味がありません。つまり、これがはじまると、回復の見込みがゼロになるということです・・・ 下顎呼吸がどれくらい続くのかは人によりますが、たいていは数分から一時間前後で終わります(私は在宅医療で一昼夜続いた患者さんを看取ったことがありますが)。次第に呼吸数が減って、無呼吸と下顎呼吸が入れ替わり現れます。これは「チェーンストークス呼吸」と呼ばれるもので、やがて最後の一息を吐いて、ご臨終となります」、なるほど。 「心臓マッサージの真似事をします。本格的な心臓マッサージは、ベッドのスプリングで力が吸収されないように、背中側にボードを入れ、かつ、胸骨が凹むほど圧迫しなければなりません。高齢者ややせた人だと、肋骨がバキバキ折れます。死にゆく人にそんなことをする必要はないので、軽くやっているフリだけするのです。 そのあとで聴診器を当てて、心拍が再開しなければ、ふたたびマッサージのフリをして、また聴診器で無音を確認します。 チラッと家族のようすを横目で見て、まだ不足そうなら、またマッサージのフリを繰り返す。真剣な顔で、死ぬな、生きろと訴えるような目つきで、額に汗など垂らしてやっていると、さすがに家族もあきらめ、大切な身内の死を受け入れる雰囲気になります。そこでようやく“儀式”を終え、時刻を確認して、「残念ですが……」のセリフとなるのです」、なるほど。 「生物学上の死についてですが、死にはほかにも二つの種類があります。 それは手続き上の死と、法律上の死です。 手続き上の死というのは、死亡診断書に書かれる時刻、すなわち医者が死亡確認をしたことで認められる死です。これまで書いたように、医者の告げた死亡時刻と、生き物としての人の実際の死が微妙にズレることは理解してもらえたと思いますが、それが大きくズレることもあります・・・在宅医療をやっていると、たまに、「朝、起きたらおじいさん(またはおばあさん等)の息が止まっていました」などという電話がかかってきます。 夜中、寝ている間に亡くなって、気づいたのが朝というケースです。 すぐに患者さん宅に駆けつけますが、死亡診断からって二十四時間以内に診察をしていないと、警察に連絡しなければならず、そうなると検死を受けたあと、場合によっては行政解剖が行われます。当然、遺族には大きな負担となり、警察にも面倒をかけることになります。そんな無用なことを避けるために、患者さん宅に駆けつけて、明らかに亡くなっている患者さんの目にペンライトの光を当て、ピクリとも動かない胸に聴診器を当てて、死の三徴候を確認します。そして、時計で時間を確認 し、おもむろに「何時何分、ご臨終を確認しました」と告げるのです。 白々しいことこの上ないですが、こうすれば、診察してから死亡を確認したという体裁になり、警察への連絡をせずにすみます。手続き上、人は医者が死亡を確認するまで生きていると見なされるのです・・・三番目の死は法律上の死です。いわゆる「脳死」。日本でも二〇一〇年に臓器移植法が改正され、法律的には脳死が人の死と認められるようになりました。 脳死とは、脳幹を含む全脳死のことです。脳幹は呼吸や心拍など、生命維持をコントロールする部位で、ここが死ぬと、どんな 蘇生処置をしても生き返ることはありません。テレビ番組や週刊誌の記事などで、脳死からよみがえったなどと紹介されることもありますが、それはそもそも脳死の判定がまちがっているケースがほとんどです」、なるほど。 「脳死は人の死と定義され、死んでいるのだから心臓を取り出しても殺人にはならないというのが、法律上の解釈です。 しかし、脳死の患者さんは、人工呼吸器をつけているとはいえ、胸は動いているし、身体も温かい。当然、心臓も動いている。あまつさえ、心臓を摘出するときには全身麻酔をかけるのです。死体に麻酔? ほんとうに死んでいるのかという疑問が湧くのは当然でしょう」、確かに「脳死」は難しい問題だ。 久坂部 羊氏による「そのまま逝かせてあげれば…「超高齢者」が倒れたとき、「救急車」を呼んでしまうと起こる「誰も得しない事態」」 「超・高齢者が死にしているとき、救急隊員は「どうして救急車なんか呼ぶんだ。このまま逝かせてやったほうがいいのに」と思いつつも、当然、口には出せず、型通り人工呼吸をしたり、心臓マッサージをしたりしながら、病院に運ばざるを得ません。 運び込まれた病院の医者も、「どうして病院になんか連れてくるんだ。そのまま逝かせてあげろよ」と思いつつも、やはり口には出せず、型通りに蘇生処置をし、運悪く心拍が再開などしたら、気管チューブを挿入し、人工呼吸器につなぎ、肺のX線検査をし、点滴をし、導尿カテーテルを入れと、せざるを得な ります・・・ふだんから心の準備をしていないと、救急車を呼ばない状況に耐えるのがむずかしくなります。だから、つい救急車を呼んでしまう。それは倒れているお年寄りのためではなく、不安に耐えられない家族が自分の安心のために呼んでいるのです。それで、病院に運ばれたお年寄りは、右に述べたようなつらい目に遭わされます。それで最期を迎えたら、せっかく自宅で静かに亡くなりかけていたのに、余計な苦しみを負わされることになります。) それでも病院へ運ばずにはいられないと思う人は、自分が運ばれる側になったときを想像してみてください。家族の安心のために、肋骨が折れる心臓マッサージや、口から形の金具とプラスチックのチューブを突っ込まれ、尿道に管を通されてもいいでしょうか・・・超・高齢者の身内がいる人は、最後の孝行のためにも、意識がない状態になったら、救急車は呼ばないと、ふだんからしっかり気持ちを決めておくのがよいと思います」、その通りで、大いに気をつけたい。
哲学(その4)(【出口治明】ロック、ホッブズ、ルソー、モンテスキューとは何者か?、「グレタさん」は現代の「イエスかブッダ」なのか 「人類史の移行期」に生まれる価値観と倫理、なぜハイデガー哲学は 母国ドイツでタブーとされるのか? マルクス・ガブリエルも誤読した?) [人生]
哲学については、昨年12月25日に取上げた。今日は、(その4)(【出口治明】ロック、ホッブズ、ルソー、モンテスキューとは何者か?、「グレタさん」は現代の「イエスかブッダ」なのか 「人類史の移行期」に生まれる価値観と倫理、なぜハイデガー哲学は 母国ドイツでタブーとされるのか? マルクス・ガブリエルも誤読した?)である。
先ずは、2019年9月28日付けダイヤモンド・オンライン「【出口治明】ロック、ホッブズ、ルソー、モンテスキューとは何者か?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/215189
・『世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”、稀代の読書家として知られる出口治明APU(立命館アジア太平洋大学)学長。歴史への造詣が深いことから、京都大学の「国際人のグローバル・リテラシー」特別講義では世界史の講義を受け持った。 その出口学長が、3年をかけて書き上げた大著が、なんと大手書店のベストセラーとなり、話題となっている。BC1000年前後に生まれた世界最古の宗教家・ゾロアスター、BC624年頃に生まれた世界最古の哲学者・タレスから現代のレヴィ=ストロースまで、哲学者・宗教家の肖像100点以上を用いて、世界史を背骨に、日本人が最も苦手とする「哲学と宗教」の全史を初めて体系的に解説した本だ。なぜ、今、哲学だけではなく、宗教を同時に学ぶ必要があるのか? 脳研究者で東京大学教授の池谷裕二氏が絶賛、小説家の宮部みゆき氏が推薦、某有名書店員が激賞する『哲学と宗教全史』が、発売後たちまち第3刷が決まり、「日経新聞」にも大きく掲載された。 9月7日土曜14時、東京・八重洲ブックセンターに約80名が集結。満員御礼で行われた出版記念講演会の5回目を特別にお送りしよう』、興味深そうだ。
・『ロック、ホッブズ、ルソーは何を考えたか フランス革命の前に、いろんな哲学者がいました。 有名なのは、ジョン・ロック(1632?1704)です。 人間は生まれながらに固有の平等の権利を持っていると説いた(自然法)。 人間は本来、自然法のもとでみんなが平等に暮らしていたと。ロックは国王の圧政に対していろんな理屈を考え出したのです。 自然状態で自分の平等の権利を持っていた人間はどうしたかといば、有名なホッブズ(1588?1679)対ルソー(1712?1778)の争いになる。 ホッブズは、みんなが自分の権利を主張するとケンカになると考えたのです。 「この土地は俺のもんや」「いや、俺の土地はここや」と境界線はいつの時代も曖昧です。 互いにケンカをしたらきりがない。 みなさんは「万人の万人に対する戦い」という言葉を聞いたことがあるでしょう。 ホッブズは、人間は放っておいたら、永遠に殴り合いをやっている。だからコモンウェルスによって、権力を持つ人がきちんと治めないと人間の生活は成り立たないと主張しました。 でも、ルソーは逆。 そもそも人間はみんな仲良く暮らしてきたと考えた。 だが、時として国王が圧政を行う。それに対抗する理屈を考える中で、いろんな「人権思想」が生まれてきたのです』、「ホッブズは、人間は放っておいたら、永遠に殴り合いをやっている。だからコモンウェルスによって、権力を持つ人がきちんと治めないと人間の生活は成り立たないと主張しました。 でも、ルソーは逆。 そもそも人間はみんな仲良く暮らしてきたと考えた。 だが、時として国王が圧政を行う。それに対抗する理屈を考える中で、いろんな「人権思想」が生まれてきたのです」、なるほど。
・『モンテスキューの「三権分立」 国王が好き勝手なことをやるなら、権力は分けなければいけない。 モンテスキュー(1689?1755)は、司法と立法と行政を分ける「三権分立」の思想を発表した。これは未だに生き残っていますね。分立させたら国王も好き勝手にはできない。もう一つの考え方もある。 権力を持っている人がどんどん悪いことをするなら、ロックが唱えた「抵抗権」がその代表ですが、人民が抵抗する権利を前面に出す。この2つが代表的な考え方ですね。 これも国王が勝手なことをしたから、みんなが必死に考えて、我々には本来抵抗する権利があるとか、生まれながらにして本来みんなは平等だとか、国王には単に統治の権利を委託しているだけだとか、権力自体を分散させようといった考え方が出てきたのです。 でも、この三権分立という考え方も、実は難しい。 これは、ホット・イシューなのであまり深くは立ち入りませんが、国と国とが「これで手打ちしよう」と約束したとします。 それは三権分立でいえば、行政と行政が、あるいは立法と立法が手を結ぶわけです。 でも、本当に権力が分立しているのなら、裁判所が立法や行政と違う判断をしても、「けしからん」と怒ることはできないのですよね。 三権が本当に分立していたら、別に行政や立法がどういおうと、裁判所は自分たち独自で判断するぞと。 そういう意味では、近代国家でつくられた理念は未だに生きているし、なかなか難しいし、理解が難しい面もあるのです。「司法と立法と行政を分ける「三権分立」の思想を発表した。これは未だに生き残っていますね。分立させたら国王も好き勝手にはできない。もう一つの考え方もある。 権力を持っている人がどんどん悪いことをするなら、ロックが唱えた「抵抗権」がその代表ですが、人民が抵抗する権利を前面に出す。この2つが代表的な考え方ですね・・・三権が本当に分立していたら、別に行政や立法がどういおうと、裁判所は自分たち独自で判断するぞと。 そういう意味では、近代国家でつくられた理念は未だに生きているし、なかなか難しいし、理解が難しい面もあるのです』、「「司法と立法と行政を分ける「三権分立」の思想を発表した。これは未だに生き残っていますね。分立させたら国王も好き勝手にはできない。もう一つの考え方もある。 権力を持っている人がどんどん悪いことをするなら、ロックが唱えた「抵抗権」がその代表ですが、人民が抵抗する権利を前面に出す。この2つが代表的な考え方ですね・・・三権が本当に分立していたら、別に行政や立法がどういおうと、裁判所は自分たち独自で判断するぞと。 そういう意味では、近代国家でつくられた理念は未だに生きているし、なかなか難しいし、理解が難しい面もあるのです。
次に、2020年1月27日付け東洋経済オンラインが掲載した京都大学こころの未来研究センター教授の広井 良典氏による「「グレタさん」は現代の「イエスかブッダ」なのか 「人類史の移行期」に生まれる価値観と倫理」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/325646
・『グレタ・トゥーンベリさんの気候変動問題への発言や活動が世界的な注目を集めている。 彼女の提言に対し賛否両論の議論が交わされているが、この「現象」自体はどのような意味を持っているのだろうか。 このたび『人口減少社会のデザイン』を上梓した広井良典氏が、人類が拡大・成長から成熟・定常化への“移行”期にあるという歴史的視点から論じる』、興味深そうだ。
・『「炎上」か「若者の反乱」か スウェーデンの高校生グレタ・トゥーンベリさんの言動が世界的な注目を集めている。 二酸化炭素排出に伴う気候変動ないし地球温暖化問題を中心に据え、未来世代あるいは若者やこれから生まれてくる者たちのことを考慮しない現在の“大人”たちや政治家、支配層等々の意識・行動やその“偽善性”を容赦なく批判する内容やそのパフォーマンスが、文字どおり「賛否両論」の反応、あるいは賞賛と非難の両極の反応を引き起こしているのである。 それは世界を舞台にしたある種の“炎上”でもあり、あるいは地球環境問題を軸にした現代版“若者の反乱”という側面ももっているかもしれない。 以上、ここでの議論をグレタさんの話からまず始めたのだが、しかし本稿は彼女の主張そのものを論評することが主たる目的ではない。 そうではなく、グレタさんのような言動や主張、あるいはそれに関連するさまざまな現象が、もっと大きな歴史の流れ――いささか大げさに響くかもしれないが、人類の歴史――の中で、どのような意味をもっているかを私なりの視点から探ることが本稿の目的である。) 私自身は、グレタさんの言動をとりたてて“礼賛”しようとする考えは有していないが、しかし彼女の主張には、それを簡単に無視したり批判したりすることでは終わらない、何か重要な意味が含まれているのではないか、という基本的なスタンスをもっている』、「彼女の主張には、それを簡単に無視したり批判したりすることでは終わらない、何か重要な意味が含まれているのではないか、という基本的なスタンスをもっている」、なるほど。
・『人類史における「拡大・成長」と「成熟・定常化」 グレタさんが体現しているような主張ないし思想を、先ほど述べたように人類全体の歴史の中に位置づけて把握するにあたり、どうしても確認しておくべき基本的な認識についてまず述べてみたい。 すなわち、人類史を大きく俯瞰すると、それは人口や経済において「拡大・成長」と「成熟・定常化」というサイクルをこれまで3回繰り返してきており、しかも、(ここが最終的に重要なポイントなのだが)拡大・成長から成熟・定常化への“移行”期において、それまでに存在しなかったような革新的な思想や観念が生成するという点だ。 これは世界人口の長期推移について先駆的な研究を行ったアメリカの生態学者ディーヴェイの仮説的な図式を示したものであり、世界人口の拡大・成長と成熟・定常化に関する3つのサイクルが見て取れる。 すなわち、第1のサイクルは私たちの祖先である現生人類(ホモ・サピエンス)が約20万年前に地球上に登場して以降の狩猟採集段階であり、第2のサイクルは約1万年前に農耕が始まって以降の拡大・成長期とその成熟であり、第3のサイクルは、近代資本主義の勃興あるいは産業革命以降ここ300~400年前後の拡大・成長期である。 この意味では、私たちは今「第三の成熟・定常化」の時代を迎える入り口あるいは移行期に立っていることになる。 ちなみに、こうした人口推計をベースに1人当たりGDPに関する一定の仮定を加えて、アメリカの経済学者のデロングが「世界GDPの超長期推移」を推計している。これはごくラフな性格のものだが、上記の3つのサイクルがおぼろげながらも示唆されている。) ところで、ではそもそもなぜ、人類の歴史においてこうした人口や経済の拡大・成長と定常化のサイクルが起こるのだろうか。 (超長期の世界GDPの推移の図はリンク先参照) これは端的に言えば、人間による「エネルギー」の利用形態、あるいは少し強い言い方をすると、人間による“自然の搾取”の度合いという点と対応している。 つまり、栄養分ないし有機化合物を自らつくることができるのは植物(の光合成というメカニズム)だけなので、動物は植物を食べ、人間はさらにそれらを食べて生存を維持している。それが狩猟採集段階ということになるが、農耕が1万年前に始まったのは、食糧生産つまり植物の光合成を人間が管理し安定的な形で栄養を得る方法を見出したということである。 そして近代ないし工業化の時代になると、「化石燃料」と言われるように、数億年にわたって地下に蓄積した生物の死骸からできた石炭や石油を燃やし、エネルギーを得ることを人間は行うようになった。 言い換えれば、“数億年”という長い時間かかって蓄積された資源を、私たちは“数百年”でほとんど燃やし、使い尽そうとしているのであり、その燃焼の過程で生まれる二酸化炭素量の急激な増加が温暖化の大きな背景になっているのだ。 ここで、いま述べている人類史の話と冒頭に述べたグレタさんの議論が徐々につながっていくことになる』、「農耕が1万年前に始まったのは、食糧生産つまり植物の光合成を人間が管理し安定的な形で栄養を得る方法を見出したということである。 そして近代ないし工業化の時代になると、「化石燃料」と言われるように、数億年にわたって地下に蓄積した生物の死骸からできた石炭や石油を燃やし、エネルギーを得ることを人間は行うようになった。 言い換えれば、“数億年”という長い時間かかって蓄積された資源を、私たちは“数百年”でほとんど燃やし、使い尽そうとしているのであり、その燃焼の過程で生まれる二酸化炭素量の急激な増加が温暖化の大きな背景になっているのだ」、なるほど。
・『定常化への移行期における“文化的イノベーション” 以上のように、人間の歴史には「拡大・成長」と「成熟・定常化」のサイクルがあり、その3度目の定常化の時代を迎える入り口に立っているのが現在の私たちである。 そして、ここでとくに注目したいのは、人間の歴史における拡大・成長から成熟・定常化への移行期において、それまでには存在しなかったような何らかの新たな思想ないし価値、あるいは倫理と呼べるものが生まれたという点だ。 それはいわば“文化的イノベーション”とも呼べるような現象である。グレタさんの話と本稿の内容がより密接につながってくるのもこの点においてである。) 議論を駆け足で進めることになるが、しばらく前から人類学や考古学の分野で、「心のビッグバン(意識のビッグバン)」あるいは「文化のビッグバン」などと呼ばれている興味深い現象がある。例えば加工された装飾品、絵画や彫刻などの芸術作品のようなものが今から約5万年前の時期に一気に現れることを指したものである。 つまり、まさにこのときに、単なる自然の模写や、実用的な利用に尽きない、人間の「こころ」という固有の領域が生まれたのだ。 一方、人間の歴史を大きく俯瞰した時、もう1つ浮かび上がる精神的・文化的な面での大きな革新の時期がある。 それはヤスパースが「枢軸時代」、科学史家の伊東俊太郎が「精神革命」と呼んだ、紀元前5世紀前後の時代である。 この時期ある意味で奇妙なことに、現在に続く「普遍的な原理」を志向するような思想が地球上の各地で“同時多発的”に生まれた。すなわちインドでの仏教、中国での儒教や老荘思想、ギリシャ哲学、中東での(キリスト教やイスラム教の源流となる)旧約思想であり、それらは共通して、特定の部族を超えた「人間」という観念を初めてもつと同時に、物質的な欲望を超えた、新たな価値ないし倫理を説いた点に特徴をもつものだった。 いま「奇妙なことに」これらが“同時多発的”に生じたと述べたが、その背景ないし原因は何だったのだろうか』、「「心のビッグバン(意識のビッグバン)」あるいは「文化のビッグバン」などと呼ばれている興味深い現象がある。例えば加工された装飾品、絵画や彫刻などの芸術作品のようなものが今から約5万年前の時期に一気に現れることを指したものである。 つまり、まさにこのときに、単なる自然の模写や、実用的な利用に尽きない、人間の「こころ」という固有の領域が生まれたのだ・・・精神的・文化的な面での大きな革新の時期がある。 それはヤスパースが「枢軸時代」、科学史家の伊東俊太郎が「精神革命」と呼んだ、紀元前5世紀前後の時代である。 この時期ある意味で奇妙なことに、現在に続く「普遍的な原理」を志向するような思想が地球上の各地で“同時多発的”に生まれた。すなわちインドでの仏教、中国での儒教や老荘思想、ギリシャ哲学、中東での(キリスト教やイスラム教の源流となる)旧約思想であり、それらは共通して、特定の部族を超えた「人間」という観念を初めてもつと同時に、物質的な欲望を超えた、新たな価値ないし倫理を説いた点に特徴をもつものだった」、なるほど。
・『「物質的生産の量的拡大から精神的・文化的発展へ」 興味深いことに、最近の環境史(environmental history)と呼ばれる分野において、この時代、以上の各地域において、農耕の開発と人口増加が進んだ結果として、森林の枯渇や土壌の浸食などが深刻な形で進み、農耕文明がある種の資源・環境制約に直面しつつあったということが明らかにされてきている。 このように考えると、これは私の仮説であるが、枢軸時代ないし精神革命に生成した普遍思想(普遍宗教)は、そうした資源・環境的制約の中で、いわば「物質的生産の量的拡大から精神的・文化的発展へ」という新たな発展の方向を導くような思想として生じたと捉えられるのではないだろうか。 つまり、いわば外に向かってひたすら拡大していくような「物質的生産の量的拡大」という方向が環境・資源制約にぶつかって立ち行かなくなり、そうした方向とは異なる、すなわち資源の浪費や自然の搾取を極力伴わないような、精神的・文化的な発展への移行や価値の創発がこの時代に生じたのではないか。 読者の方はすでに気づかれたかと思うが、これは現在ときわめてよく似た時代状況である。つまり、ここ200~300年の間に加速化した産業化ないし工業化の大きな波が飽和し、また資源・環境制約に直面する中で、私たちは再び新たな「拡大・成長から成熟・定常化へ」の時代を迎えようとしているからだ。 一方、先ほどふれた「心のビッグバン」についても、それが同様のメカニズムで、狩猟採集文明の拡大・成長から定常化への移行の時期に生じたと考えてみるのは不合理なことではないだろう。 つまり狩猟採集段階の前半において、狩猟採集という生産活動とその拡大に伴ってもっぱら“外”に向かっていた意識が、有限な環境の中で資源的制約にぶつかる中で、いわば“内”へと反転し、そこに物質的な有用性を超えた装飾やアートへの志向、それらを含む「心」の生成、そして(死の観念を伴う)「自然信仰」が生まれたのではないだろうか。) 以上の議論をまとめると、狩猟採集段階における成熟・定常化への移行期に「心のビッグバン」が生じ、農耕社会における同様の時期に枢軸時代/精神革命の諸思想(普遍思想ないし普遍宗教)が生成し、両者はいずれも「物質的生産の量的拡大から精神的・文化的発展へ」という内容において共通していたと考えられるのではないか(以上について詳しくは『人口減少社会のデザイン』)。 そして、現在が人類史における第3の定常化の時代だとすれば、狩猟採集段階における「心のビッグバン」や、農耕段階における「枢軸時代/精神革命」に匹敵するような、根本的に新しい思想や価値原理が生成する時代の入り口を私たちは迎えようとしているのではないか。 グレタさんをめぐる動きを起点にしつつ、しかしそこにとどまらず、私たちが考えていくべきは、こうした大きな人類史の捉え直しと、現在の私たちがどのような場所に立っているかについての根本的な洞察なのである』、「狩猟採集段階における成熟・定常化への移行期に「心のビッグバン」が生じ、農耕社会における同様の時期に枢軸時代/精神革命の諸思想(普遍思想ないし普遍宗教)が生成し、両者はいずれも「物質的生産の量的拡大から精神的・文化的発展へ」という内容において共通していたと考えられるのではないか・・・現在が人類史における第3の定常化の時代だとすれば、狩猟採集段階における「心のビッグバン」や、農耕段階における「枢軸時代/精神革命」に匹敵するような、根本的に新しい思想や価値原理が生成する時代の入り口を私たちは迎えようとしているのではないか」、なるほど。
・『「地球倫理」と呼べるような思想・世界観 ではそうした新たな思想とは何か?結論を先に述べれば、それは「地球倫理」と呼べるような思想ないし世界観ではないかと私は考えており、これまでの拙著の中でも一定論じてきた(『コミュニティを問いなおす』、『ポスト資本主義科学・人間・社会の未来』など)。 そしてグレタさんのような主張は、この「地球倫理」と呼びうる思想とどこかでつながっているのではないかというのが私の見立てである。 冒頭でも述べたように、私たちは、グレタさんの主張だけを切り出して論じたり、あるいは彼女のパーソナリティーとか生い立ちとかをあれこれ詮索して議論してもあまり生産的ではない。 そうではなく、今ここで述べているように、私たちが人類の大きな歴史の中でどのような場所に立っているかを新たな視点で捉え返し、「拡大・成長から成熟・定常化への移行期」における新たな思想や価値の創発というテーマを、正面から考えていくことこそが重要なのである。 そこで浮かび上がってくる「地球倫理」の内容について、次回さらに掘り下げる。そしてそれがこれからの時代の企業行動や経営にとってもつ意味を考えてみたい』、「新たな思想とは何か?結論を先に述べれば、それは「地球倫理」と呼べるような思想ないし世界観ではないかと私は考えており、これまでの拙著の中でも一定論じてきた・・・グレタさんのような主張は、この「地球倫理」と呼びうる思想とどこかでつながっているのではないかというのが私の見立てである」、「地球倫理」とは大げさな気もするが、何やら新しい考え方のようだ。
第三に、昨年6月16日付け東洋経済オンラインが掲載した防衛大学校教授の轟 孝夫氏による「なぜハイデガー哲学は、母国ドイツでタブーとされるのか? マルクス・ガブリエルも誤読した?」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/111592?imp=0
・『20世紀を代表する哲学者とされるハイデガーですが、近年、海外におけるその求心力は急速に低下しているといいます。そのきっかけとなったのが、「黒いノート」と呼ばれるハイデガーの覚書に、「反ユダヤ主義的」な言辞が含まれている、とされたことでした。 母国ドイツでは「触れてはいけない」哲学者となったハイデガー。しかし防衛大学校の轟孝夫教授は、こうした非難はハイデガー哲学の誤読にすぎないと説きます。 ハイデガーの思索をたどり、彼が生涯をかけた「存在への問い」を解説する現代新書の新刊『ハイデガーの哲学 『存在と時間』から後期の思索まで』より、「はじめに」の前編をお届けします』、興味深そうだ。
・『今、なぜハイデガーなのか ハイデガーは20世紀のもっとも重要な哲学者であり、その後の哲学の展開にも大きな影響を与えたのだから、彼の哲学に人びとが関心をもつのは当然のことだと思われるかもしれない。日本ではハイデガーの主著『存在と時間』は翻訳が10種類以上も存在し、そのうち3種の翻訳は21世紀に入ってから刊行されたものである。ハイデガーに関する研究書や解説書も毎月とまでは言わないにせよ、年に数冊は刊行されている。 こうした状況を見ると、ハイデガーの人気は今なお盤石のように見える。しかし外の世界に目を向けると、このことはまったく自明ではなくなる。ハイデガーの生国ドイツでさえも、日本のように一般読者向けの「ハイデガー本」がこれほど刊行されることはちょっと想像しがたいのだ。 もちろんドイツでも、ハイデガーはまったく関心をもたれていないわけではない。しかし彼が関心を集めているのは、圧倒的にナチス加担に関わる「負の側面」においてである。2014年、俗に「黒いノート」と呼ばれる、ハイデガーの覚書が記されたノート群が全集版として刊行されはじめた(「黒いノート」という呼び名自体は、覚書を書き留めたノートが黒いカバーをもつことに由来するのであって、それ以上の深い意味合いはそこにはない)。そのうちの、1930年代終わりから1940年代はじめにかけて書かれたいくつかの覚書の中に、反ユダヤ主義的な言辞が含まれていることが大きなスキャンダルとして報じられたことは、いまだ記憶に新しい。 ハイデガーが一時期、ナチスを支持していたことは、以前から周知の事実だった。しかしハンナ・アーレント(1906ー1975)やカール・レーヴィット(1897ー1973)をはじめとする多くのユダヤ人の教え子や友人と親交を結んでいたこともあり、彼を反ユダヤ主義者と捉える向きはこの刊行以前にはそれほど多くはなかった。ところが「黒いノート」の刊行によって、紛う方なき反ユダヤ主義者と見なされることになったのだ』、「ハイデガー」は本国「ドイツ」より「日本」での関心の方が高いとは意外だ。
・『ハイデガー協会会長の辞任 衝撃の大きさは、フライブルク大学のハイデガーの哲学講座を引き継ぐ著名な教授が、彼の反ユダヤ主義を理由にハイデガー協会の会長を辞任してしまったことにも示されている。彼は現代ドイツの代表的なハイデガー研究者と目されており、それゆえ私の知る何人かの日本人研究者も彼のもとに留学したりしていた。つまり傍から見れば、彼こそはだれよりもハイデガーの名声の恩恵を被った人物だったのだ。にもかかわらず、その教授があっさりハイデガーを切り捨てたことに、いささか私は驚いた。 仮に問題となったハイデガーの言明が反ユダヤ主義的なものだとしても、その「反ユダヤ主義」なるものが何を意味するのかについてはなお解釈の余地があるだろう。しかも本書で論じるように、くだんの言明は、少し検討すればそう単純に反ユダヤ主義的と言い切れるものではないことが明らかになる。にもかかわらず、例の教授はそのような留保もすることなく、ハイデガーを反ユダヤ主義者と決めつけて縁を切ろうとしたのである。こうしたエピソードからも、ドイツにおいてハイデガーと関わること自体が今やいかに危険で、割に合わないと見なされているかがよくわかる』、「ドイツにおいてハイデガーと関わること自体が今やいかに危険で、割に合わないと見なされているかがよくわかる」、なるほど。
・『「黒いノート」編者の言葉 この「黒いノート」の刊行をきっかけとして、いわゆるハイデガーの「反ユダヤ主義」をめぐる研究集会やシンポジウムが世界各地で開かれ、日本でも全集版の「黒いノート」の編者であるハイデガー研究者がドイツから招かれてワークショップが開催された。この研究者はハイデガー全集の「黒いノート」以外の覚書を収録した巻の編集も数多く担当しており、「黒いノート」の内容はもちろん、それが置かれた思想的コンテクストをもっとも熟知しているはずの人物である。 私もそのワークショップで発表する機会を与えられた。私はその場において、物議を醸した「黒いノート」の言明がハイデガー哲学のいかなる思想的文脈のうちに位置づけられるかを示し、それがむしろナチスの反ユダヤ主義的政策に反対するものであると主張した。こうした私の議論に対して、「黒いノート」の編者は開口一番、「ドイツでは政治家が反ユダヤ主義的な発言をすると政治生命を失うのですよ」という趣旨のことを述べた。 欧米において、また日本においても、政治家など公的な立場にある人物が反ユダヤ主義的な発言をすれば大きな問題になることは当然、私も弁えている。それゆえ「黒いノート」の編者に、そうした事情についてまるで無知であるかのような扱いを受けたのは不愉快だった。しかし他方で彼の発言は、問題の覚書が何を意味しているかをテクストに即して解釈するという姿勢そのものが、すでに政治的に不適切な行為と見なされることを示唆していた。この件について許されるのは、ただただハイデガーを政治的、道義的に非難することだけだというわけだ』、「この件について許されるのは、ただただハイデガーを政治的、道義的に非難することだけだというわけだ」、なるほど。
・『ドイツ人学生が触れないハイデガー その後、私は在外研究の機会を与えられ、2019年4月よりほぼ1年間、ドイツのミュンヘンに滞在した。滞在中は自分を受け入れてくれたミュンヘン大学哲学科の教授が主催する大学院生向けのゼミナールに毎週参加していた。そのゼミは教授が指導する修士課程や博士課程の学生が執筆中の学位論文の内容について発表して、参加者のコメントを受けるというものだった。 私はその演習で夏学期から冬学期にかけて20人以上の発表を聞いた。プラトン、アリストテレス、アウグスティヌス、カント、シェリング、フッサール、ヴィトゲンシュタイン、サルトル、アーレントなどを研究テーマとする学生はいたが、ハイデガーを取り上げた者は一人もいなかった。またゼミ中にその名前が言及されることもほとんどなかった。 教授にいつもこのような感じかと尋ねると、苦笑して、今回は極端だが、基本的にはハイデガーは21世紀になってから研究する人が少なくなったという。まだ20世紀にはハンス・ゲオルク・ガダマー(1900ー2002)などハイデガーの直弟子が何人も存命していた。そのため、そうした人びとの薫陶を受けたこの教授の世代あたりまではハイデガーを重要視する研究者は多かったが、そのあとの世代では関心をもつ人が少なくなったとのことであった。 私自身、せっかくゼミに参加しているので、冬学期に自分の研究について発表させてもらうことにした。私はドイツ滞在中ずっと、ハイデガー哲学の政治的含意を主題とする書物を執筆していた(2020年2月に明石書店より『ハイデガーの超‒政治』として刊行)。ゼミでは同書からその内容の一部、すなわち反ユダヤ主義的と非難された「黒いノート」の覚書を解釈した箇所を抜き出して発表することにした。 これまでの経験から、この主題での発表があまり歓迎されないことは予想された。それゆえ当初はもう少し無難なテーマを取り上げようと思ったが、逆に、この問題に対するドイツの若い哲学研究者の反応を見るのはかえって貴重な経験になると思い直し、あえてこのテーマで発表することにしたのである。
・『不動の前提となっていたハイデガー非難 その内容については本書でも詳しく論じる予定だが、ハイデガーはユダヤ教が、キリスト教を介する形で西洋形而上学という西洋の支配的な「存在」理解のあり方に大きな影響を与えたと見なしていた。そして彼の「存在への問い」とは、まさしくこの、ユダヤ教的にしてまた同時にキリスト教的なものでもある、いわゆる形而上学的な「存在」理解の克服を目指すものであった。その限りにおいて、西洋文明をその根本において規定しているユダヤ-キリスト教との対決というモチーフが、彼の哲学のうちにはたしかに含まれていたのである。 しかしハイデガーは、ナチスのように「科学的人種主義」なるものに基づいて「ユダヤ性」なるものの根絶を説いたりなどは、当然だがまったくしていない。なぜならば、ナチスが立脚するこの「人種主義」自体が、彼が批判して止まない西洋形而上学をその基盤とするものだからである。したがってハイデガーは、「人種主義」に基づいたナチスのユダヤ人迫害を、彼自身が問題視する「ユダヤ的なもの」の真の次元をまったく理解できていない無意味な所業と見なしていた。「黒いノート」における「ユダヤ的なもの」への言及もまた、基本的にはこのようなナチスの哲学的な無知蒙昧を批判する文脈においてなされたものであったのだ。 しかし事前にある程度、覚悟していたことではあったが、ゼミでの討論がかみ合うことはなかった。参加者の議論は結局のところ、ハイデガーの覚書はユダヤ人に対するステレオタイプ的な偏見を示すものにすぎず、政治的、道徳的に不適切だというところに帰着するのだった。ハイデガーを批判するためにも、まずは問題となっている覚書の趣旨を価値判断抜きで明らかにすることが必要だと説いても、だれも聞く耳をもたなかった。とにかくハイデガーは政治的、倫理的に非難されるべき存在であるというのが、あたかもそこでは不動の前提となっているかのようだった。 ハイデガーがナチスに加担したことはもちろん、これまでも周知の事実だった。それゆえ彼の偉大な哲学的業績には敬意を表しつつも、その政治加担には批判的な態度を取るというのが従来のハイデガー研究の暗黙のルールだった。こうした姿勢は、多くのハイデガー研究者が研究の指針として好んで口にする「ハイデガーとともに、ハイデガーに抗して」というモットーに表現されている。 しかし、一方ではハイデガーの哲学的声望を自身の箔付けに利用しながら、その一方では彼のナチス加担を批判することで自身の政治的、道徳的健全性も確保するという虫のよい姿勢は「黒いノート」の刊行以降、完全に不可能になってしまった。というのも、例の覚書によって、彼の哲学そのものが反ユダヤ主義、すなわちナチズム(国民社会主義)に汚染されていることはもはや疑問の余地がないと見なされるようになったからである。以後とりわけ欧米では、ハイデガーの哲学から明確に距離を取ることが「政治的に正しい」態度になっている』、「「黒いノート」の刊行以降」、「欧米では、ハイデガーの哲学から明確に距離を取ることが「政治的に正しい」態度になっている」、なるほど。
・『それでもわれわれはハイデガーを読むべきだ そうしたドイツの状況と比べると、日本ではハイデガー研究はほとんど異例なほどに盛んである。そもそも本書のような入門書の需要が見込まれるぐらい、研究者以外の読者の関心も高い。 もちろん日本でも「ハイデガーはナチだから、彼の哲学をまじめに取り合う必要はない」と言われることがまったくないというわけではない。しかしそれでも、そのような決めつけがドイツのように研究そのものを抑圧するような状況にはなっていない。 ドイツ人からすると、こうした日本の状況はあまりにも生ぬるく見えるらしい。近年、日本でもなぜかもてはやされている現代ドイツの哲学者マルクス・ガブリエル(1980ー)は、中国哲学研究者の中島隆博との対談を収録した『全体主義の克服』(集英社新書、2020年)で、ハイデガーを「筋金入りの反ユダヤ主義信者」、「完璧なまでのナチのイデオローグ」、「本物のナチ」などとさんざんこき下ろしたうえで、次のように述べている。 「だから2018年に京都大学で講演をしたとき、『ハイデガーを読むのはやめなさい!』と言ったのです。わたしは人々の眼を覚ましたかった。ハイデガーが日本でとても力をもっていることは知っています」(同書、101頁)。 このようにドイツの著名な哲学者が日本人に向けて、ハイデガーなど相手にするなという親身な勧告をしてくれている。こうした勧告に対して、私が本書をとおしてあえて主張したいのは、それでもわれわれはハイデガーを読むべきだということである。 とはいえ、こう主張することで、私はハイデガーの思想的業績をナチス加担とは切り離して扱うべきだと言いたいわけではない。むしろナチスへの積極的な関与は、彼の哲学に全面的に基づいたものであった。 つづく「なぜハイデガーは「ナチ」になり、また「ナチ」を辞めたのか?」では、ハイデガーの「ナチス加担」の実態に迫ります』、「現代ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルは」、「2018年に京都大学で講演をしたとき、『ハイデガーを読むのはやめなさい!』と言ったのです。わたしは人々の眼を覚ましたかった。ハイデガーが日本でとても力をもっていることは知っています」・・・このようにドイツの著名な哲学者が日本人に向けて、ハイデガーなど相手にするなという親身な勧告をしてくれている」、しかし「私が本書をとおしてあえて主張したいのは、それでもわれわれはハイデガーを読むべきだということである」、これは単に「ハイデガー」研究者としての著者のノスタルジーに過ぎないのではないだろうか。
先ずは、2019年9月28日付けダイヤモンド・オンライン「【出口治明】ロック、ホッブズ、ルソー、モンテスキューとは何者か?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/215189
・『世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”、稀代の読書家として知られる出口治明APU(立命館アジア太平洋大学)学長。歴史への造詣が深いことから、京都大学の「国際人のグローバル・リテラシー」特別講義では世界史の講義を受け持った。 その出口学長が、3年をかけて書き上げた大著が、なんと大手書店のベストセラーとなり、話題となっている。BC1000年前後に生まれた世界最古の宗教家・ゾロアスター、BC624年頃に生まれた世界最古の哲学者・タレスから現代のレヴィ=ストロースまで、哲学者・宗教家の肖像100点以上を用いて、世界史を背骨に、日本人が最も苦手とする「哲学と宗教」の全史を初めて体系的に解説した本だ。なぜ、今、哲学だけではなく、宗教を同時に学ぶ必要があるのか? 脳研究者で東京大学教授の池谷裕二氏が絶賛、小説家の宮部みゆき氏が推薦、某有名書店員が激賞する『哲学と宗教全史』が、発売後たちまち第3刷が決まり、「日経新聞」にも大きく掲載された。 9月7日土曜14時、東京・八重洲ブックセンターに約80名が集結。満員御礼で行われた出版記念講演会の5回目を特別にお送りしよう』、興味深そうだ。
・『ロック、ホッブズ、ルソーは何を考えたか フランス革命の前に、いろんな哲学者がいました。 有名なのは、ジョン・ロック(1632?1704)です。 人間は生まれながらに固有の平等の権利を持っていると説いた(自然法)。 人間は本来、自然法のもとでみんなが平等に暮らしていたと。ロックは国王の圧政に対していろんな理屈を考え出したのです。 自然状態で自分の平等の権利を持っていた人間はどうしたかといば、有名なホッブズ(1588?1679)対ルソー(1712?1778)の争いになる。 ホッブズは、みんなが自分の権利を主張するとケンカになると考えたのです。 「この土地は俺のもんや」「いや、俺の土地はここや」と境界線はいつの時代も曖昧です。 互いにケンカをしたらきりがない。 みなさんは「万人の万人に対する戦い」という言葉を聞いたことがあるでしょう。 ホッブズは、人間は放っておいたら、永遠に殴り合いをやっている。だからコモンウェルスによって、権力を持つ人がきちんと治めないと人間の生活は成り立たないと主張しました。 でも、ルソーは逆。 そもそも人間はみんな仲良く暮らしてきたと考えた。 だが、時として国王が圧政を行う。それに対抗する理屈を考える中で、いろんな「人権思想」が生まれてきたのです』、「ホッブズは、人間は放っておいたら、永遠に殴り合いをやっている。だからコモンウェルスによって、権力を持つ人がきちんと治めないと人間の生活は成り立たないと主張しました。 でも、ルソーは逆。 そもそも人間はみんな仲良く暮らしてきたと考えた。 だが、時として国王が圧政を行う。それに対抗する理屈を考える中で、いろんな「人権思想」が生まれてきたのです」、なるほど。
・『モンテスキューの「三権分立」 国王が好き勝手なことをやるなら、権力は分けなければいけない。 モンテスキュー(1689?1755)は、司法と立法と行政を分ける「三権分立」の思想を発表した。これは未だに生き残っていますね。分立させたら国王も好き勝手にはできない。もう一つの考え方もある。 権力を持っている人がどんどん悪いことをするなら、ロックが唱えた「抵抗権」がその代表ですが、人民が抵抗する権利を前面に出す。この2つが代表的な考え方ですね。 これも国王が勝手なことをしたから、みんなが必死に考えて、我々には本来抵抗する権利があるとか、生まれながらにして本来みんなは平等だとか、国王には単に統治の権利を委託しているだけだとか、権力自体を分散させようといった考え方が出てきたのです。 でも、この三権分立という考え方も、実は難しい。 これは、ホット・イシューなのであまり深くは立ち入りませんが、国と国とが「これで手打ちしよう」と約束したとします。 それは三権分立でいえば、行政と行政が、あるいは立法と立法が手を結ぶわけです。 でも、本当に権力が分立しているのなら、裁判所が立法や行政と違う判断をしても、「けしからん」と怒ることはできないのですよね。 三権が本当に分立していたら、別に行政や立法がどういおうと、裁判所は自分たち独自で判断するぞと。 そういう意味では、近代国家でつくられた理念は未だに生きているし、なかなか難しいし、理解が難しい面もあるのです。「司法と立法と行政を分ける「三権分立」の思想を発表した。これは未だに生き残っていますね。分立させたら国王も好き勝手にはできない。もう一つの考え方もある。 権力を持っている人がどんどん悪いことをするなら、ロックが唱えた「抵抗権」がその代表ですが、人民が抵抗する権利を前面に出す。この2つが代表的な考え方ですね・・・三権が本当に分立していたら、別に行政や立法がどういおうと、裁判所は自分たち独自で判断するぞと。 そういう意味では、近代国家でつくられた理念は未だに生きているし、なかなか難しいし、理解が難しい面もあるのです』、「「司法と立法と行政を分ける「三権分立」の思想を発表した。これは未だに生き残っていますね。分立させたら国王も好き勝手にはできない。もう一つの考え方もある。 権力を持っている人がどんどん悪いことをするなら、ロックが唱えた「抵抗権」がその代表ですが、人民が抵抗する権利を前面に出す。この2つが代表的な考え方ですね・・・三権が本当に分立していたら、別に行政や立法がどういおうと、裁判所は自分たち独自で判断するぞと。 そういう意味では、近代国家でつくられた理念は未だに生きているし、なかなか難しいし、理解が難しい面もあるのです。
次に、2020年1月27日付け東洋経済オンラインが掲載した京都大学こころの未来研究センター教授の広井 良典氏による「「グレタさん」は現代の「イエスかブッダ」なのか 「人類史の移行期」に生まれる価値観と倫理」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/325646
・『グレタ・トゥーンベリさんの気候変動問題への発言や活動が世界的な注目を集めている。 彼女の提言に対し賛否両論の議論が交わされているが、この「現象」自体はどのような意味を持っているのだろうか。 このたび『人口減少社会のデザイン』を上梓した広井良典氏が、人類が拡大・成長から成熟・定常化への“移行”期にあるという歴史的視点から論じる』、興味深そうだ。
・『「炎上」か「若者の反乱」か スウェーデンの高校生グレタ・トゥーンベリさんの言動が世界的な注目を集めている。 二酸化炭素排出に伴う気候変動ないし地球温暖化問題を中心に据え、未来世代あるいは若者やこれから生まれてくる者たちのことを考慮しない現在の“大人”たちや政治家、支配層等々の意識・行動やその“偽善性”を容赦なく批判する内容やそのパフォーマンスが、文字どおり「賛否両論」の反応、あるいは賞賛と非難の両極の反応を引き起こしているのである。 それは世界を舞台にしたある種の“炎上”でもあり、あるいは地球環境問題を軸にした現代版“若者の反乱”という側面ももっているかもしれない。 以上、ここでの議論をグレタさんの話からまず始めたのだが、しかし本稿は彼女の主張そのものを論評することが主たる目的ではない。 そうではなく、グレタさんのような言動や主張、あるいはそれに関連するさまざまな現象が、もっと大きな歴史の流れ――いささか大げさに響くかもしれないが、人類の歴史――の中で、どのような意味をもっているかを私なりの視点から探ることが本稿の目的である。) 私自身は、グレタさんの言動をとりたてて“礼賛”しようとする考えは有していないが、しかし彼女の主張には、それを簡単に無視したり批判したりすることでは終わらない、何か重要な意味が含まれているのではないか、という基本的なスタンスをもっている』、「彼女の主張には、それを簡単に無視したり批判したりすることでは終わらない、何か重要な意味が含まれているのではないか、という基本的なスタンスをもっている」、なるほど。
・『人類史における「拡大・成長」と「成熟・定常化」 グレタさんが体現しているような主張ないし思想を、先ほど述べたように人類全体の歴史の中に位置づけて把握するにあたり、どうしても確認しておくべき基本的な認識についてまず述べてみたい。 すなわち、人類史を大きく俯瞰すると、それは人口や経済において「拡大・成長」と「成熟・定常化」というサイクルをこれまで3回繰り返してきており、しかも、(ここが最終的に重要なポイントなのだが)拡大・成長から成熟・定常化への“移行”期において、それまでに存在しなかったような革新的な思想や観念が生成するという点だ。 これは世界人口の長期推移について先駆的な研究を行ったアメリカの生態学者ディーヴェイの仮説的な図式を示したものであり、世界人口の拡大・成長と成熟・定常化に関する3つのサイクルが見て取れる。 すなわち、第1のサイクルは私たちの祖先である現生人類(ホモ・サピエンス)が約20万年前に地球上に登場して以降の狩猟採集段階であり、第2のサイクルは約1万年前に農耕が始まって以降の拡大・成長期とその成熟であり、第3のサイクルは、近代資本主義の勃興あるいは産業革命以降ここ300~400年前後の拡大・成長期である。 この意味では、私たちは今「第三の成熟・定常化」の時代を迎える入り口あるいは移行期に立っていることになる。 ちなみに、こうした人口推計をベースに1人当たりGDPに関する一定の仮定を加えて、アメリカの経済学者のデロングが「世界GDPの超長期推移」を推計している。これはごくラフな性格のものだが、上記の3つのサイクルがおぼろげながらも示唆されている。) ところで、ではそもそもなぜ、人類の歴史においてこうした人口や経済の拡大・成長と定常化のサイクルが起こるのだろうか。 (超長期の世界GDPの推移の図はリンク先参照) これは端的に言えば、人間による「エネルギー」の利用形態、あるいは少し強い言い方をすると、人間による“自然の搾取”の度合いという点と対応している。 つまり、栄養分ないし有機化合物を自らつくることができるのは植物(の光合成というメカニズム)だけなので、動物は植物を食べ、人間はさらにそれらを食べて生存を維持している。それが狩猟採集段階ということになるが、農耕が1万年前に始まったのは、食糧生産つまり植物の光合成を人間が管理し安定的な形で栄養を得る方法を見出したということである。 そして近代ないし工業化の時代になると、「化石燃料」と言われるように、数億年にわたって地下に蓄積した生物の死骸からできた石炭や石油を燃やし、エネルギーを得ることを人間は行うようになった。 言い換えれば、“数億年”という長い時間かかって蓄積された資源を、私たちは“数百年”でほとんど燃やし、使い尽そうとしているのであり、その燃焼の過程で生まれる二酸化炭素量の急激な増加が温暖化の大きな背景になっているのだ。 ここで、いま述べている人類史の話と冒頭に述べたグレタさんの議論が徐々につながっていくことになる』、「農耕が1万年前に始まったのは、食糧生産つまり植物の光合成を人間が管理し安定的な形で栄養を得る方法を見出したということである。 そして近代ないし工業化の時代になると、「化石燃料」と言われるように、数億年にわたって地下に蓄積した生物の死骸からできた石炭や石油を燃やし、エネルギーを得ることを人間は行うようになった。 言い換えれば、“数億年”という長い時間かかって蓄積された資源を、私たちは“数百年”でほとんど燃やし、使い尽そうとしているのであり、その燃焼の過程で生まれる二酸化炭素量の急激な増加が温暖化の大きな背景になっているのだ」、なるほど。
・『定常化への移行期における“文化的イノベーション” 以上のように、人間の歴史には「拡大・成長」と「成熟・定常化」のサイクルがあり、その3度目の定常化の時代を迎える入り口に立っているのが現在の私たちである。 そして、ここでとくに注目したいのは、人間の歴史における拡大・成長から成熟・定常化への移行期において、それまでには存在しなかったような何らかの新たな思想ないし価値、あるいは倫理と呼べるものが生まれたという点だ。 それはいわば“文化的イノベーション”とも呼べるような現象である。グレタさんの話と本稿の内容がより密接につながってくるのもこの点においてである。) 議論を駆け足で進めることになるが、しばらく前から人類学や考古学の分野で、「心のビッグバン(意識のビッグバン)」あるいは「文化のビッグバン」などと呼ばれている興味深い現象がある。例えば加工された装飾品、絵画や彫刻などの芸術作品のようなものが今から約5万年前の時期に一気に現れることを指したものである。 つまり、まさにこのときに、単なる自然の模写や、実用的な利用に尽きない、人間の「こころ」という固有の領域が生まれたのだ。 一方、人間の歴史を大きく俯瞰した時、もう1つ浮かび上がる精神的・文化的な面での大きな革新の時期がある。 それはヤスパースが「枢軸時代」、科学史家の伊東俊太郎が「精神革命」と呼んだ、紀元前5世紀前後の時代である。 この時期ある意味で奇妙なことに、現在に続く「普遍的な原理」を志向するような思想が地球上の各地で“同時多発的”に生まれた。すなわちインドでの仏教、中国での儒教や老荘思想、ギリシャ哲学、中東での(キリスト教やイスラム教の源流となる)旧約思想であり、それらは共通して、特定の部族を超えた「人間」という観念を初めてもつと同時に、物質的な欲望を超えた、新たな価値ないし倫理を説いた点に特徴をもつものだった。 いま「奇妙なことに」これらが“同時多発的”に生じたと述べたが、その背景ないし原因は何だったのだろうか』、「「心のビッグバン(意識のビッグバン)」あるいは「文化のビッグバン」などと呼ばれている興味深い現象がある。例えば加工された装飾品、絵画や彫刻などの芸術作品のようなものが今から約5万年前の時期に一気に現れることを指したものである。 つまり、まさにこのときに、単なる自然の模写や、実用的な利用に尽きない、人間の「こころ」という固有の領域が生まれたのだ・・・精神的・文化的な面での大きな革新の時期がある。 それはヤスパースが「枢軸時代」、科学史家の伊東俊太郎が「精神革命」と呼んだ、紀元前5世紀前後の時代である。 この時期ある意味で奇妙なことに、現在に続く「普遍的な原理」を志向するような思想が地球上の各地で“同時多発的”に生まれた。すなわちインドでの仏教、中国での儒教や老荘思想、ギリシャ哲学、中東での(キリスト教やイスラム教の源流となる)旧約思想であり、それらは共通して、特定の部族を超えた「人間」という観念を初めてもつと同時に、物質的な欲望を超えた、新たな価値ないし倫理を説いた点に特徴をもつものだった」、なるほど。
・『「物質的生産の量的拡大から精神的・文化的発展へ」 興味深いことに、最近の環境史(environmental history)と呼ばれる分野において、この時代、以上の各地域において、農耕の開発と人口増加が進んだ結果として、森林の枯渇や土壌の浸食などが深刻な形で進み、農耕文明がある種の資源・環境制約に直面しつつあったということが明らかにされてきている。 このように考えると、これは私の仮説であるが、枢軸時代ないし精神革命に生成した普遍思想(普遍宗教)は、そうした資源・環境的制約の中で、いわば「物質的生産の量的拡大から精神的・文化的発展へ」という新たな発展の方向を導くような思想として生じたと捉えられるのではないだろうか。 つまり、いわば外に向かってひたすら拡大していくような「物質的生産の量的拡大」という方向が環境・資源制約にぶつかって立ち行かなくなり、そうした方向とは異なる、すなわち資源の浪費や自然の搾取を極力伴わないような、精神的・文化的な発展への移行や価値の創発がこの時代に生じたのではないか。 読者の方はすでに気づかれたかと思うが、これは現在ときわめてよく似た時代状況である。つまり、ここ200~300年の間に加速化した産業化ないし工業化の大きな波が飽和し、また資源・環境制約に直面する中で、私たちは再び新たな「拡大・成長から成熟・定常化へ」の時代を迎えようとしているからだ。 一方、先ほどふれた「心のビッグバン」についても、それが同様のメカニズムで、狩猟採集文明の拡大・成長から定常化への移行の時期に生じたと考えてみるのは不合理なことではないだろう。 つまり狩猟採集段階の前半において、狩猟採集という生産活動とその拡大に伴ってもっぱら“外”に向かっていた意識が、有限な環境の中で資源的制約にぶつかる中で、いわば“内”へと反転し、そこに物質的な有用性を超えた装飾やアートへの志向、それらを含む「心」の生成、そして(死の観念を伴う)「自然信仰」が生まれたのではないだろうか。) 以上の議論をまとめると、狩猟採集段階における成熟・定常化への移行期に「心のビッグバン」が生じ、農耕社会における同様の時期に枢軸時代/精神革命の諸思想(普遍思想ないし普遍宗教)が生成し、両者はいずれも「物質的生産の量的拡大から精神的・文化的発展へ」という内容において共通していたと考えられるのではないか(以上について詳しくは『人口減少社会のデザイン』)。 そして、現在が人類史における第3の定常化の時代だとすれば、狩猟採集段階における「心のビッグバン」や、農耕段階における「枢軸時代/精神革命」に匹敵するような、根本的に新しい思想や価値原理が生成する時代の入り口を私たちは迎えようとしているのではないか。 グレタさんをめぐる動きを起点にしつつ、しかしそこにとどまらず、私たちが考えていくべきは、こうした大きな人類史の捉え直しと、現在の私たちがどのような場所に立っているかについての根本的な洞察なのである』、「狩猟採集段階における成熟・定常化への移行期に「心のビッグバン」が生じ、農耕社会における同様の時期に枢軸時代/精神革命の諸思想(普遍思想ないし普遍宗教)が生成し、両者はいずれも「物質的生産の量的拡大から精神的・文化的発展へ」という内容において共通していたと考えられるのではないか・・・現在が人類史における第3の定常化の時代だとすれば、狩猟採集段階における「心のビッグバン」や、農耕段階における「枢軸時代/精神革命」に匹敵するような、根本的に新しい思想や価値原理が生成する時代の入り口を私たちは迎えようとしているのではないか」、なるほど。
・『「地球倫理」と呼べるような思想・世界観 ではそうした新たな思想とは何か?結論を先に述べれば、それは「地球倫理」と呼べるような思想ないし世界観ではないかと私は考えており、これまでの拙著の中でも一定論じてきた(『コミュニティを問いなおす』、『ポスト資本主義科学・人間・社会の未来』など)。 そしてグレタさんのような主張は、この「地球倫理」と呼びうる思想とどこかでつながっているのではないかというのが私の見立てである。 冒頭でも述べたように、私たちは、グレタさんの主張だけを切り出して論じたり、あるいは彼女のパーソナリティーとか生い立ちとかをあれこれ詮索して議論してもあまり生産的ではない。 そうではなく、今ここで述べているように、私たちが人類の大きな歴史の中でどのような場所に立っているかを新たな視点で捉え返し、「拡大・成長から成熟・定常化への移行期」における新たな思想や価値の創発というテーマを、正面から考えていくことこそが重要なのである。 そこで浮かび上がってくる「地球倫理」の内容について、次回さらに掘り下げる。そしてそれがこれからの時代の企業行動や経営にとってもつ意味を考えてみたい』、「新たな思想とは何か?結論を先に述べれば、それは「地球倫理」と呼べるような思想ないし世界観ではないかと私は考えており、これまでの拙著の中でも一定論じてきた・・・グレタさんのような主張は、この「地球倫理」と呼びうる思想とどこかでつながっているのではないかというのが私の見立てである」、「地球倫理」とは大げさな気もするが、何やら新しい考え方のようだ。
第三に、昨年6月16日付け東洋経済オンラインが掲載した防衛大学校教授の轟 孝夫氏による「なぜハイデガー哲学は、母国ドイツでタブーとされるのか? マルクス・ガブリエルも誤読した?」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/111592?imp=0
・『20世紀を代表する哲学者とされるハイデガーですが、近年、海外におけるその求心力は急速に低下しているといいます。そのきっかけとなったのが、「黒いノート」と呼ばれるハイデガーの覚書に、「反ユダヤ主義的」な言辞が含まれている、とされたことでした。 母国ドイツでは「触れてはいけない」哲学者となったハイデガー。しかし防衛大学校の轟孝夫教授は、こうした非難はハイデガー哲学の誤読にすぎないと説きます。 ハイデガーの思索をたどり、彼が生涯をかけた「存在への問い」を解説する現代新書の新刊『ハイデガーの哲学 『存在と時間』から後期の思索まで』より、「はじめに」の前編をお届けします』、興味深そうだ。
・『今、なぜハイデガーなのか ハイデガーは20世紀のもっとも重要な哲学者であり、その後の哲学の展開にも大きな影響を与えたのだから、彼の哲学に人びとが関心をもつのは当然のことだと思われるかもしれない。日本ではハイデガーの主著『存在と時間』は翻訳が10種類以上も存在し、そのうち3種の翻訳は21世紀に入ってから刊行されたものである。ハイデガーに関する研究書や解説書も毎月とまでは言わないにせよ、年に数冊は刊行されている。 こうした状況を見ると、ハイデガーの人気は今なお盤石のように見える。しかし外の世界に目を向けると、このことはまったく自明ではなくなる。ハイデガーの生国ドイツでさえも、日本のように一般読者向けの「ハイデガー本」がこれほど刊行されることはちょっと想像しがたいのだ。 もちろんドイツでも、ハイデガーはまったく関心をもたれていないわけではない。しかし彼が関心を集めているのは、圧倒的にナチス加担に関わる「負の側面」においてである。2014年、俗に「黒いノート」と呼ばれる、ハイデガーの覚書が記されたノート群が全集版として刊行されはじめた(「黒いノート」という呼び名自体は、覚書を書き留めたノートが黒いカバーをもつことに由来するのであって、それ以上の深い意味合いはそこにはない)。そのうちの、1930年代終わりから1940年代はじめにかけて書かれたいくつかの覚書の中に、反ユダヤ主義的な言辞が含まれていることが大きなスキャンダルとして報じられたことは、いまだ記憶に新しい。 ハイデガーが一時期、ナチスを支持していたことは、以前から周知の事実だった。しかしハンナ・アーレント(1906ー1975)やカール・レーヴィット(1897ー1973)をはじめとする多くのユダヤ人の教え子や友人と親交を結んでいたこともあり、彼を反ユダヤ主義者と捉える向きはこの刊行以前にはそれほど多くはなかった。ところが「黒いノート」の刊行によって、紛う方なき反ユダヤ主義者と見なされることになったのだ』、「ハイデガー」は本国「ドイツ」より「日本」での関心の方が高いとは意外だ。
・『ハイデガー協会会長の辞任 衝撃の大きさは、フライブルク大学のハイデガーの哲学講座を引き継ぐ著名な教授が、彼の反ユダヤ主義を理由にハイデガー協会の会長を辞任してしまったことにも示されている。彼は現代ドイツの代表的なハイデガー研究者と目されており、それゆえ私の知る何人かの日本人研究者も彼のもとに留学したりしていた。つまり傍から見れば、彼こそはだれよりもハイデガーの名声の恩恵を被った人物だったのだ。にもかかわらず、その教授があっさりハイデガーを切り捨てたことに、いささか私は驚いた。 仮に問題となったハイデガーの言明が反ユダヤ主義的なものだとしても、その「反ユダヤ主義」なるものが何を意味するのかについてはなお解釈の余地があるだろう。しかも本書で論じるように、くだんの言明は、少し検討すればそう単純に反ユダヤ主義的と言い切れるものではないことが明らかになる。にもかかわらず、例の教授はそのような留保もすることなく、ハイデガーを反ユダヤ主義者と決めつけて縁を切ろうとしたのである。こうしたエピソードからも、ドイツにおいてハイデガーと関わること自体が今やいかに危険で、割に合わないと見なされているかがよくわかる』、「ドイツにおいてハイデガーと関わること自体が今やいかに危険で、割に合わないと見なされているかがよくわかる」、なるほど。
・『「黒いノート」編者の言葉 この「黒いノート」の刊行をきっかけとして、いわゆるハイデガーの「反ユダヤ主義」をめぐる研究集会やシンポジウムが世界各地で開かれ、日本でも全集版の「黒いノート」の編者であるハイデガー研究者がドイツから招かれてワークショップが開催された。この研究者はハイデガー全集の「黒いノート」以外の覚書を収録した巻の編集も数多く担当しており、「黒いノート」の内容はもちろん、それが置かれた思想的コンテクストをもっとも熟知しているはずの人物である。 私もそのワークショップで発表する機会を与えられた。私はその場において、物議を醸した「黒いノート」の言明がハイデガー哲学のいかなる思想的文脈のうちに位置づけられるかを示し、それがむしろナチスの反ユダヤ主義的政策に反対するものであると主張した。こうした私の議論に対して、「黒いノート」の編者は開口一番、「ドイツでは政治家が反ユダヤ主義的な発言をすると政治生命を失うのですよ」という趣旨のことを述べた。 欧米において、また日本においても、政治家など公的な立場にある人物が反ユダヤ主義的な発言をすれば大きな問題になることは当然、私も弁えている。それゆえ「黒いノート」の編者に、そうした事情についてまるで無知であるかのような扱いを受けたのは不愉快だった。しかし他方で彼の発言は、問題の覚書が何を意味しているかをテクストに即して解釈するという姿勢そのものが、すでに政治的に不適切な行為と見なされることを示唆していた。この件について許されるのは、ただただハイデガーを政治的、道義的に非難することだけだというわけだ』、「この件について許されるのは、ただただハイデガーを政治的、道義的に非難することだけだというわけだ」、なるほど。
・『ドイツ人学生が触れないハイデガー その後、私は在外研究の機会を与えられ、2019年4月よりほぼ1年間、ドイツのミュンヘンに滞在した。滞在中は自分を受け入れてくれたミュンヘン大学哲学科の教授が主催する大学院生向けのゼミナールに毎週参加していた。そのゼミは教授が指導する修士課程や博士課程の学生が執筆中の学位論文の内容について発表して、参加者のコメントを受けるというものだった。 私はその演習で夏学期から冬学期にかけて20人以上の発表を聞いた。プラトン、アリストテレス、アウグスティヌス、カント、シェリング、フッサール、ヴィトゲンシュタイン、サルトル、アーレントなどを研究テーマとする学生はいたが、ハイデガーを取り上げた者は一人もいなかった。またゼミ中にその名前が言及されることもほとんどなかった。 教授にいつもこのような感じかと尋ねると、苦笑して、今回は極端だが、基本的にはハイデガーは21世紀になってから研究する人が少なくなったという。まだ20世紀にはハンス・ゲオルク・ガダマー(1900ー2002)などハイデガーの直弟子が何人も存命していた。そのため、そうした人びとの薫陶を受けたこの教授の世代あたりまではハイデガーを重要視する研究者は多かったが、そのあとの世代では関心をもつ人が少なくなったとのことであった。 私自身、せっかくゼミに参加しているので、冬学期に自分の研究について発表させてもらうことにした。私はドイツ滞在中ずっと、ハイデガー哲学の政治的含意を主題とする書物を執筆していた(2020年2月に明石書店より『ハイデガーの超‒政治』として刊行)。ゼミでは同書からその内容の一部、すなわち反ユダヤ主義的と非難された「黒いノート」の覚書を解釈した箇所を抜き出して発表することにした。 これまでの経験から、この主題での発表があまり歓迎されないことは予想された。それゆえ当初はもう少し無難なテーマを取り上げようと思ったが、逆に、この問題に対するドイツの若い哲学研究者の反応を見るのはかえって貴重な経験になると思い直し、あえてこのテーマで発表することにしたのである。
・『不動の前提となっていたハイデガー非難 その内容については本書でも詳しく論じる予定だが、ハイデガーはユダヤ教が、キリスト教を介する形で西洋形而上学という西洋の支配的な「存在」理解のあり方に大きな影響を与えたと見なしていた。そして彼の「存在への問い」とは、まさしくこの、ユダヤ教的にしてまた同時にキリスト教的なものでもある、いわゆる形而上学的な「存在」理解の克服を目指すものであった。その限りにおいて、西洋文明をその根本において規定しているユダヤ-キリスト教との対決というモチーフが、彼の哲学のうちにはたしかに含まれていたのである。 しかしハイデガーは、ナチスのように「科学的人種主義」なるものに基づいて「ユダヤ性」なるものの根絶を説いたりなどは、当然だがまったくしていない。なぜならば、ナチスが立脚するこの「人種主義」自体が、彼が批判して止まない西洋形而上学をその基盤とするものだからである。したがってハイデガーは、「人種主義」に基づいたナチスのユダヤ人迫害を、彼自身が問題視する「ユダヤ的なもの」の真の次元をまったく理解できていない無意味な所業と見なしていた。「黒いノート」における「ユダヤ的なもの」への言及もまた、基本的にはこのようなナチスの哲学的な無知蒙昧を批判する文脈においてなされたものであったのだ。 しかし事前にある程度、覚悟していたことではあったが、ゼミでの討論がかみ合うことはなかった。参加者の議論は結局のところ、ハイデガーの覚書はユダヤ人に対するステレオタイプ的な偏見を示すものにすぎず、政治的、道徳的に不適切だというところに帰着するのだった。ハイデガーを批判するためにも、まずは問題となっている覚書の趣旨を価値判断抜きで明らかにすることが必要だと説いても、だれも聞く耳をもたなかった。とにかくハイデガーは政治的、倫理的に非難されるべき存在であるというのが、あたかもそこでは不動の前提となっているかのようだった。 ハイデガーがナチスに加担したことはもちろん、これまでも周知の事実だった。それゆえ彼の偉大な哲学的業績には敬意を表しつつも、その政治加担には批判的な態度を取るというのが従来のハイデガー研究の暗黙のルールだった。こうした姿勢は、多くのハイデガー研究者が研究の指針として好んで口にする「ハイデガーとともに、ハイデガーに抗して」というモットーに表現されている。 しかし、一方ではハイデガーの哲学的声望を自身の箔付けに利用しながら、その一方では彼のナチス加担を批判することで自身の政治的、道徳的健全性も確保するという虫のよい姿勢は「黒いノート」の刊行以降、完全に不可能になってしまった。というのも、例の覚書によって、彼の哲学そのものが反ユダヤ主義、すなわちナチズム(国民社会主義)に汚染されていることはもはや疑問の余地がないと見なされるようになったからである。以後とりわけ欧米では、ハイデガーの哲学から明確に距離を取ることが「政治的に正しい」態度になっている』、「「黒いノート」の刊行以降」、「欧米では、ハイデガーの哲学から明確に距離を取ることが「政治的に正しい」態度になっている」、なるほど。
・『それでもわれわれはハイデガーを読むべきだ そうしたドイツの状況と比べると、日本ではハイデガー研究はほとんど異例なほどに盛んである。そもそも本書のような入門書の需要が見込まれるぐらい、研究者以外の読者の関心も高い。 もちろん日本でも「ハイデガーはナチだから、彼の哲学をまじめに取り合う必要はない」と言われることがまったくないというわけではない。しかしそれでも、そのような決めつけがドイツのように研究そのものを抑圧するような状況にはなっていない。 ドイツ人からすると、こうした日本の状況はあまりにも生ぬるく見えるらしい。近年、日本でもなぜかもてはやされている現代ドイツの哲学者マルクス・ガブリエル(1980ー)は、中国哲学研究者の中島隆博との対談を収録した『全体主義の克服』(集英社新書、2020年)で、ハイデガーを「筋金入りの反ユダヤ主義信者」、「完璧なまでのナチのイデオローグ」、「本物のナチ」などとさんざんこき下ろしたうえで、次のように述べている。 「だから2018年に京都大学で講演をしたとき、『ハイデガーを読むのはやめなさい!』と言ったのです。わたしは人々の眼を覚ましたかった。ハイデガーが日本でとても力をもっていることは知っています」(同書、101頁)。 このようにドイツの著名な哲学者が日本人に向けて、ハイデガーなど相手にするなという親身な勧告をしてくれている。こうした勧告に対して、私が本書をとおしてあえて主張したいのは、それでもわれわれはハイデガーを読むべきだということである。 とはいえ、こう主張することで、私はハイデガーの思想的業績をナチス加担とは切り離して扱うべきだと言いたいわけではない。むしろナチスへの積極的な関与は、彼の哲学に全面的に基づいたものであった。 つづく「なぜハイデガーは「ナチ」になり、また「ナチ」を辞めたのか?」では、ハイデガーの「ナチス加担」の実態に迫ります』、「現代ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルは」、「2018年に京都大学で講演をしたとき、『ハイデガーを読むのはやめなさい!』と言ったのです。わたしは人々の眼を覚ましたかった。ハイデガーが日本でとても力をもっていることは知っています」・・・このようにドイツの著名な哲学者が日本人に向けて、ハイデガーなど相手にするなという親身な勧告をしてくれている」、しかし「私が本書をとおしてあえて主張したいのは、それでもわれわれはハイデガーを読むべきだということである」、これは単に「ハイデガー」研究者としての著者のノスタルジーに過ぎないのではないだろうか。
タグ:哲学 (その4)(【出口治明】ロック、ホッブズ、ルソー、モンテスキューとは何者か?、「グレタさん」は現代の「イエスかブッダ」なのか 「人類史の移行期」に生まれる価値観と倫理、なぜハイデガー哲学は 母国ドイツでタブーとされるのか? マルクス・ガブリエルも誤読した?) ダイヤモンド・オンライン「【出口治明】ロック、ホッブズ、ルソー、モンテスキューとは何者か?」 「ホッブズは、人間は放っておいたら、永遠に殴り合いをやっている。だからコモンウェルスによって、権力を持つ人がきちんと治めないと人間の生活は成り立たないと主張しました。 でも、ルソーは逆。 そもそも人間はみんな仲良く暮らしてきたと考えた。 だが、時として国王が圧政を行う。それに対抗する理屈を考える中で、いろんな「人権思想」が生まれてきたのです」、なるほど。 「「司法と立法と行政を分ける「三権分立」の思想を発表した。これは未だに生き残っていますね。分立させたら国王も好き勝手にはできない。もう一つの考え方もある。 権力を持っている人がどんどん悪いことをするなら、ロックが唱えた「抵抗権」がその代表ですが、人民が抵抗する権利を前面に出す。この2つが代表的な考え方ですね・・・三権が本当に分立していたら、別に行政や立法がどういおうと、裁判所は自分たち独自で判断するぞと。 そういう意味では、近代国家でつくられた理念は未だに生きているし、なかなか難しいし、理解が難しい面もあ るのです。 東洋経済オンライン 広井 良典氏による「「グレタさん」は現代の「イエスかブッダ」なのか 「人類史の移行期」に生まれる価値観と倫理」 「彼女の主張には、それを簡単に無視したり批判したりすることでは終わらない、何か重要な意味が含まれているのではないか、という基本的なスタンスをもっている」、なるほど。 「農耕が1万年前に始まったのは、食糧生産つまり植物の光合成を人間が管理し安定的な形で栄養を得る方法を見出したということである。 そして近代ないし工業化の時代になると、「化石燃料」と言われるように、数億年にわたって地下に蓄積した生物の死骸からできた石炭や石油を燃やし、エネルギーを得ることを人間は行うようになった。 言い換えれば、“数億年”という長い時間かかって蓄積された資源を、私たちは“数百年”でほとんど燃やし、使い尽そうとしているのであり、その燃焼の過程で生まれる二酸化炭素量の急激な増加が温暖化の大きな背景になっているのだ」、なるほど。 「「心のビッグバン(意識のビッグバン)」あるいは「文化のビッグバン」などと呼ばれている興味深い現象がある。例えば加工された装飾品、絵画や彫刻などの芸術作品のようなものが今から約5万年前の時期に一気に現れることを指したものである。 つまり、まさにこのときに、単なる自然の模写や、実用的な利用に尽きない、人間の「こころ」という固有の領域が生まれたのだ・・・ 精神的・文化的な面での大きな革新の時期がある。 それはヤスパースが「枢軸時代」、科学史家の伊東俊太郎が「精神革命」と呼んだ、紀元前5世紀前後の時代である。 この時期ある意味で奇妙なことに、現在に続く「普遍的な原理」を志向するような思想が地球上の各地で“同時多発的”に生まれた。すなわちインドでの仏教、中国での儒教や老荘思想、ギリシャ哲学、中東での(キリスト教やイスラム教の源流となる)旧約思想であり、それらは共通して、特定の部族を超えた「人間」という観念を初めてもつと同時に、物質的な欲望を超えた、新たな価値な いし倫理を説いた点に特徴をもつものだった」、なるほど。 「狩猟採集段階における成熟・定常化への移行期に「心のビッグバン」が生じ、農耕社会における同様の時期に枢軸時代/精神革命の諸思想(普遍思想ないし普遍宗教)が生成し、両者はいずれも「物質的生産の量的拡大から精神的・文化的発展へ」という内容において共通していたと考えられるのではないか・・・現在が人類史における第3の定常化の時代だとすれば、狩猟採集段階における「心のビッグバン」や、農耕段階における「枢軸時代/精神革命」に匹敵するような、根本的に新しい思想や価値原理が生成する時代の入り口を私たちは迎えようとしている のではないか」、なるほど。 「新たな思想とは何か?結論を先に述べれば、それは「地球倫理」と呼べるような思想ないし世界観ではないかと私は考えており、これまでの拙著の中でも一定論じてきた・・・グレタさんのような主張は、この「地球倫理」と呼びうる思想とどこかでつながっているのではないかというのが私の見立てである」、「地球倫理」とは大げさな気もするが、何やら新しい考え方のようだ。 轟 孝夫氏による「なぜハイデガー哲学は、母国ドイツでタブーとされるのか? マルクス・ガブリエルも誤読した?」 現代新書の新刊『ハイデガーの哲学 『存在と時間』から後期の思索まで』より、「はじめに」の前編をお届けします 「ハイデガー」は本国「ドイツ」より「日本」での関心の方が高いとは意外だ。 「ドイツにおいてハイデガーと関わること自体が今やいかに危険で、割に合わないと見なされているかがよくわかる」、なるほど。 「この件について許されるのは、ただただハイデガーを政治的、道義的に非難することだけだというわけだ」、なるほど。 「「黒いノート」の刊行以降」、「欧米では、ハイデガーの哲学から明確に距離を取ることが「政治的に正しい」態度になっている」、なるほど。 「現代ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルは」、「2018年に京都大学で講演をしたとき、『ハイデガーを読むのはやめなさい!』と言ったのです。わたしは人々の眼を覚ましたかった。ハイデガーが日本でとても力をもっていることは知っています」・・・このようにドイツの著名な哲学者が日本人に向けて、ハイデガーなど相手にするなという親身な勧告をしてくれている」、 このようにドイツの著名な哲学者が日本人に向けて、ハイデガーなど相手にするなという親身な勧告をしてくれている」、しかし「私が本書をとおしてあえて主張したいのは、それでもわれわれはハイデガーを読むべきだということである」、これは単に「ハイデガー」研究者としての著者のノスタルジーに過ぎないのではないだろうか。
恋愛・結婚(その7)(未婚化は1975年から始まった 家族社会学者が指摘していた研究者やマスコミの“過ち”) [人生]
恋愛・結婚については、昨年3月30日に取上げた。今日は、(その7)(未婚化は1975年から始まった 家族社会学者が指摘していた研究者やマスコミの“過ち”)である。
先ずは、昨年9月10日付けダイヤモンド・オンラインがAERAdotを転載した「未婚化は1975年から始まった、家族社会学者が指摘していた研究者やマスコミの“過ち”」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/328902
・『少子化の大きな要因となっている「未婚化」。中央大学教授で家族社会学者の山田昌弘氏は、1975年にはその傾向はあったと指摘する。山田氏の著書『結婚不要社会』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集し紹介する。 1989年の人口動態統計で、女性一人が生涯に産む子どもの平均人数を示す合計特殊出生率が過去最低の1.57になりました。厚生省人口問題研究所(現・国立社会保障・人口問題研究所)は翌1990年、この現象を「1.57ショック」と名付けて初めて警鐘を鳴らしましたが、その時点では少子化という言葉はまだありません。 少子化という言葉の誕生は、それから2年後、1992年に「少子社会の到来」というタイトルの『国民生活白書』が経済企画庁(当時)より発表されたことで、徐々に社会問題化していきます。ちなみに欧米には、少子化に相当する単語はありません。 拙著『結婚の社会学』には、1995年実施の国勢調査のデータは反映されていません。同書は1990年の国勢調査や、1992年の出生動向調査などさまざまな90年代前半のデータを基に記述しています。 90年代前半までのデータによれば、「晩婚化」の傾向は1975年以降著しく、1990年頃になると、それがはっきりと目に見えるかたちになってきたことがわかります。 拙著『結婚の社会学』では男女の世代別未婚率の推移を示したグラフを掲載しましたが、1975年には、30代前半では男性の未婚率は14.3%で、女性は7.7%です。それが1990年には、30代前半の男性の未婚率は32.6%、女性は13.9%まで上昇しています。 平均初婚年齢も、1975年は男性27歳、女性24.7歳。40年ほど前までの日本は、女性の半数が24歳までに結婚している社会だったのです。それが1990年には男性28.4歳、女性25.9歳と1歳以上も上昇しています。 このような状況の中で合計特殊出生率が過去最低の1.57になったことが発表されたのが、1990年という年でした。それ以降、研究者や政策担当者、マスコミの中で少子化が問題視されるようになったのです』、興味深そうだ。
・『晩婚化ではなく未婚化 データをどう解釈するかに関して、当時の研究者の大勢は「これは、晩婚化である」という認識でした。政策担当者やマスコミも同様です。 しかし、それは違うんじゃないか……。私はそう考えました。 晩婚化というのは、「いずれみんな結婚するが、いまはそれを先延ばししている」という意味です。当時、多くの研究者や政策担当者、マスコミは「いまの若者は結婚にメリットを感じなくなって、独身生活を長く楽しみたいと思っている。だから結婚年齢が上昇している」というような論評をしていました。要するに、結婚を先延ばしにしているだけ=晩婚化という見立てです。) そして、晩婚化の主要な原因として、女性の社会進出を挙げていました。「仕事をしたい」という女性が増えてきたから、結婚して子どもを産むこと──女性にとっては仕事をあきらめるという選択──を先延ばしする女性が増えてきたというわけです。 そのため、日本と同じく少子化を克服しようとしているヨーロッパの国々(フランスや北欧諸国、オランダなど)を参考にして、それと同じように、子どもを育てながら働けるように状況を整えれば、早く結婚して子どもを産むはずだという前提で、保育所の増設などさまざまな政策がとられていったのです。 そんな中で私は、「これは晩婚化ではなく、未婚化である」と主張しました。具体的には、「未婚化を克服しないと、少子化も克服できない」という見解を唱えました。この主張に多少なりとも賛同してくれた人がいたから、当時からマスコミに出たり政府関係の委員にも登用されたりしたのですが、公の学説なり政策なりに「見当違いではないか」と異議を申し立てたのです。 なぜ、そのような確信がもてたのか。 1990年から1992年にかけて、私は宮本みち子さん(千葉大学教授・当時)らと共に、『パラサイト・シングルの時代』の執筆のもとになった、20代の親同居未婚者のインタビューおよびアンケート調査を行っていました。結婚をしていない20代の男女とその親世代の人々にインタビューをしたわけですが、話を聞けば聞くほど、当時語られていた「通説」が間違っているのではないかという結論に至りました。) そのときに出会った親同居未婚者たちの中には、確かに「いまの生活を楽しみたいから結婚を先延ばしにしている」という人はいましたが、重要なのは「結婚したくないから結婚していない」という人はほとんどいなかったという点なのです。 特に、女性の場合がそうでした。当時の女性の大学進学率(4年制)は2割です。8割は短大卒および高卒、中卒です。そんな8割に属する女性たちの話を聞くと、仕事をしたいから結婚しないという人はほとんどいなくて、むしろ「いい男がいないから結婚していない」と答える人が大半でした。 その後も、厚生省(当時)の研究会などで未婚者の実態調査を続けました。 そして私が得た結論は、通説とは異なり、「現在の社会現象は、晩婚化ではなく、未婚化である」というものだったのです。 つまり、「生涯一度も結婚しない人が増えるだろう」という主張です。それも、ヨーロッパのように「結婚したくないから結婚しない」のではなくて、「結婚したくても結婚できない人」が増えていく。結婚したいのに結婚できないまま生涯を終える男女の増加、すなわち「結婚困難社会」を予測したわけです』、通説とは違って「晩婚化ではなく未婚化」とは興味深い。「ヨーロッパのように「結婚したくないから結婚しない」のではなくて、「結婚したくても結婚できない人」が増えていく。結婚したいのに結婚できないまま生涯を終える男女の増加、すなわち「結婚困難社会」を予測したわけです』、この方が女性にとっては悲惨なイメージだ。
・『結婚できない人はなぜ増えたのか 「結婚していない」もしくは「結婚できない」人たちが増えた原因は何でしょう。 私は次のような説を展開しました。それは単に、男女の意識変化ではない。そうではなく、結婚をめぐる社会、とりわけ経済状況が変わったのだと。つまり、個人の意識はむしろ変わらないまま社会の変化が進み、結婚が減った。その結果として独身者が増え、独身でも生活できる仕組みが整ったということです。 たとえば、1994年に『諸君!』で発表した「結婚難と経済成長」の中では、「女性は自分や自分の父親よりも収入の高い男性と結婚するのが当然だと思っている。高度経済成長期はそういう男性が簡単に見つかったからみんな早く結婚した。けれども、経済成長が鈍り低成長期になって、自分や自分の父親よりも収入の高い男性の数が減り、結婚相手を見つけることが難しくなって、結婚は先延ばしになり、結果的にあぶれて結婚できない男女が増えている」と論じました。 経済が高度成長から低成長になった1975年以降に晩婚化、すなわち未婚化が始まります。 そのとき結婚をめぐって生まれた現象は、収入の高い男性と結婚できる確率が低下する、という経済条件の変化でした。それでも、収入の低い男性と結婚するのを女性が厭わなければ、未婚化は起こりません。けれどもそうはならず、女性は収入が低い男性とあえて結婚することはしない──。 つまり未婚化は、結婚をめぐる意識は変わらないけれども「経済・社会環境」が変わったがために生じた現象であり、経済の低成長という構造的要因なので将来的にも結婚できない人が増え続ける、というのが私の主張だったのです。 けれども、研究者やマスコミも含めて当時のほとんどの中高年の人たちは「結婚なんて簡単にできるもの」と思っていたようです。そして当事者である若者たちも、「結婚なんて、本人がしたければすぐにでも相手が見つかる」と誰もが感じていた。つまり、未婚化を単なる「結婚の先延ばし」だとほとんどの人が思っていたのです。だからこそ、結婚問題が国の少子化を生み出す社会問題にまで発展してしまったのではないでしょうか。 大きな声では言えませんが、今日の結婚難に悩む若い人たちから見たら、周りには「よくこんな人が結婚できたな」と思えるような60代、70代の人が多いはずです。これは、経済成長が続いた1975年頃までは、どんな人にとっても結婚は「本人がしたければ、簡単にできるもの」だったということの裏返しでしょう。 1975年以降の結婚をめぐる社会的な変化や実態をきちんと調査して把握していれば、結婚が簡単にできるものではなくなってきたことに気づいたはずです。 (山田昌弘氏の略歴はリンク先参照)』、「女性は自分や自分の父親よりも収入の高い男性と結婚するのが当然だと思っている。高度経済成長期はそういう男性が簡単に見つかったからみんな早く結婚した。けれども、経済成長が鈍り低成長期になって、自分や自分の父親よりも収入の高い男性の数が減り、結婚相手を見つけることが難しくなって、結婚は先延ばしになり、結果的にあぶれて結婚できない男女が増えている」、非常にクリアな分析だ。「未婚化」は「単なる「結婚の先延ばし」ではなく、低成長移行に伴う経済構造の変化が背景にあるとはさすがだ。こうなると、女性の男性選択行動が、厳しい現実を直視してより柔軟なものに変わっていくことを期待するほかなさそうだ。
先ずは、昨年9月10日付けダイヤモンド・オンラインがAERAdotを転載した「未婚化は1975年から始まった、家族社会学者が指摘していた研究者やマスコミの“過ち”」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/328902
・『少子化の大きな要因となっている「未婚化」。中央大学教授で家族社会学者の山田昌弘氏は、1975年にはその傾向はあったと指摘する。山田氏の著書『結婚不要社会』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集し紹介する。 1989年の人口動態統計で、女性一人が生涯に産む子どもの平均人数を示す合計特殊出生率が過去最低の1.57になりました。厚生省人口問題研究所(現・国立社会保障・人口問題研究所)は翌1990年、この現象を「1.57ショック」と名付けて初めて警鐘を鳴らしましたが、その時点では少子化という言葉はまだありません。 少子化という言葉の誕生は、それから2年後、1992年に「少子社会の到来」というタイトルの『国民生活白書』が経済企画庁(当時)より発表されたことで、徐々に社会問題化していきます。ちなみに欧米には、少子化に相当する単語はありません。 拙著『結婚の社会学』には、1995年実施の国勢調査のデータは反映されていません。同書は1990年の国勢調査や、1992年の出生動向調査などさまざまな90年代前半のデータを基に記述しています。 90年代前半までのデータによれば、「晩婚化」の傾向は1975年以降著しく、1990年頃になると、それがはっきりと目に見えるかたちになってきたことがわかります。 拙著『結婚の社会学』では男女の世代別未婚率の推移を示したグラフを掲載しましたが、1975年には、30代前半では男性の未婚率は14.3%で、女性は7.7%です。それが1990年には、30代前半の男性の未婚率は32.6%、女性は13.9%まで上昇しています。 平均初婚年齢も、1975年は男性27歳、女性24.7歳。40年ほど前までの日本は、女性の半数が24歳までに結婚している社会だったのです。それが1990年には男性28.4歳、女性25.9歳と1歳以上も上昇しています。 このような状況の中で合計特殊出生率が過去最低の1.57になったことが発表されたのが、1990年という年でした。それ以降、研究者や政策担当者、マスコミの中で少子化が問題視されるようになったのです』、興味深そうだ。
・『晩婚化ではなく未婚化 データをどう解釈するかに関して、当時の研究者の大勢は「これは、晩婚化である」という認識でした。政策担当者やマスコミも同様です。 しかし、それは違うんじゃないか……。私はそう考えました。 晩婚化というのは、「いずれみんな結婚するが、いまはそれを先延ばししている」という意味です。当時、多くの研究者や政策担当者、マスコミは「いまの若者は結婚にメリットを感じなくなって、独身生活を長く楽しみたいと思っている。だから結婚年齢が上昇している」というような論評をしていました。要するに、結婚を先延ばしにしているだけ=晩婚化という見立てです。) そして、晩婚化の主要な原因として、女性の社会進出を挙げていました。「仕事をしたい」という女性が増えてきたから、結婚して子どもを産むこと──女性にとっては仕事をあきらめるという選択──を先延ばしする女性が増えてきたというわけです。 そのため、日本と同じく少子化を克服しようとしているヨーロッパの国々(フランスや北欧諸国、オランダなど)を参考にして、それと同じように、子どもを育てながら働けるように状況を整えれば、早く結婚して子どもを産むはずだという前提で、保育所の増設などさまざまな政策がとられていったのです。 そんな中で私は、「これは晩婚化ではなく、未婚化である」と主張しました。具体的には、「未婚化を克服しないと、少子化も克服できない」という見解を唱えました。この主張に多少なりとも賛同してくれた人がいたから、当時からマスコミに出たり政府関係の委員にも登用されたりしたのですが、公の学説なり政策なりに「見当違いではないか」と異議を申し立てたのです。 なぜ、そのような確信がもてたのか。 1990年から1992年にかけて、私は宮本みち子さん(千葉大学教授・当時)らと共に、『パラサイト・シングルの時代』の執筆のもとになった、20代の親同居未婚者のインタビューおよびアンケート調査を行っていました。結婚をしていない20代の男女とその親世代の人々にインタビューをしたわけですが、話を聞けば聞くほど、当時語られていた「通説」が間違っているのではないかという結論に至りました。) そのときに出会った親同居未婚者たちの中には、確かに「いまの生活を楽しみたいから結婚を先延ばしにしている」という人はいましたが、重要なのは「結婚したくないから結婚していない」という人はほとんどいなかったという点なのです。 特に、女性の場合がそうでした。当時の女性の大学進学率(4年制)は2割です。8割は短大卒および高卒、中卒です。そんな8割に属する女性たちの話を聞くと、仕事をしたいから結婚しないという人はほとんどいなくて、むしろ「いい男がいないから結婚していない」と答える人が大半でした。 その後も、厚生省(当時)の研究会などで未婚者の実態調査を続けました。 そして私が得た結論は、通説とは異なり、「現在の社会現象は、晩婚化ではなく、未婚化である」というものだったのです。 つまり、「生涯一度も結婚しない人が増えるだろう」という主張です。それも、ヨーロッパのように「結婚したくないから結婚しない」のではなくて、「結婚したくても結婚できない人」が増えていく。結婚したいのに結婚できないまま生涯を終える男女の増加、すなわち「結婚困難社会」を予測したわけです』、通説とは違って「晩婚化ではなく未婚化」とは興味深い。「ヨーロッパのように「結婚したくないから結婚しない」のではなくて、「結婚したくても結婚できない人」が増えていく。結婚したいのに結婚できないまま生涯を終える男女の増加、すなわち「結婚困難社会」を予測したわけです』、この方が女性にとっては悲惨なイメージだ。
・『結婚できない人はなぜ増えたのか 「結婚していない」もしくは「結婚できない」人たちが増えた原因は何でしょう。 私は次のような説を展開しました。それは単に、男女の意識変化ではない。そうではなく、結婚をめぐる社会、とりわけ経済状況が変わったのだと。つまり、個人の意識はむしろ変わらないまま社会の変化が進み、結婚が減った。その結果として独身者が増え、独身でも生活できる仕組みが整ったということです。 たとえば、1994年に『諸君!』で発表した「結婚難と経済成長」の中では、「女性は自分や自分の父親よりも収入の高い男性と結婚するのが当然だと思っている。高度経済成長期はそういう男性が簡単に見つかったからみんな早く結婚した。けれども、経済成長が鈍り低成長期になって、自分や自分の父親よりも収入の高い男性の数が減り、結婚相手を見つけることが難しくなって、結婚は先延ばしになり、結果的にあぶれて結婚できない男女が増えている」と論じました。 経済が高度成長から低成長になった1975年以降に晩婚化、すなわち未婚化が始まります。 そのとき結婚をめぐって生まれた現象は、収入の高い男性と結婚できる確率が低下する、という経済条件の変化でした。それでも、収入の低い男性と結婚するのを女性が厭わなければ、未婚化は起こりません。けれどもそうはならず、女性は収入が低い男性とあえて結婚することはしない──。 つまり未婚化は、結婚をめぐる意識は変わらないけれども「経済・社会環境」が変わったがために生じた現象であり、経済の低成長という構造的要因なので将来的にも結婚できない人が増え続ける、というのが私の主張だったのです。 けれども、研究者やマスコミも含めて当時のほとんどの中高年の人たちは「結婚なんて簡単にできるもの」と思っていたようです。そして当事者である若者たちも、「結婚なんて、本人がしたければすぐにでも相手が見つかる」と誰もが感じていた。つまり、未婚化を単なる「結婚の先延ばし」だとほとんどの人が思っていたのです。だからこそ、結婚問題が国の少子化を生み出す社会問題にまで発展してしまったのではないでしょうか。 大きな声では言えませんが、今日の結婚難に悩む若い人たちから見たら、周りには「よくこんな人が結婚できたな」と思えるような60代、70代の人が多いはずです。これは、経済成長が続いた1975年頃までは、どんな人にとっても結婚は「本人がしたければ、簡単にできるもの」だったということの裏返しでしょう。 1975年以降の結婚をめぐる社会的な変化や実態をきちんと調査して把握していれば、結婚が簡単にできるものではなくなってきたことに気づいたはずです。 (山田昌弘氏の略歴はリンク先参照)』、「女性は自分や自分の父親よりも収入の高い男性と結婚するのが当然だと思っている。高度経済成長期はそういう男性が簡単に見つかったからみんな早く結婚した。けれども、経済成長が鈍り低成長期になって、自分や自分の父親よりも収入の高い男性の数が減り、結婚相手を見つけることが難しくなって、結婚は先延ばしになり、結果的にあぶれて結婚できない男女が増えている」、非常にクリアな分析だ。「未婚化」は「単なる「結婚の先延ばし」ではなく、低成長移行に伴う経済構造の変化が背景にあるとはさすがだ。こうなると、女性の男性選択行動が、厳しい現実を直視してより柔軟なものに変わっていくことを期待するほかなさそうだ。
タグ:(その7)(未婚化は1975年から始まった 家族社会学者が指摘していた研究者やマスコミの“過ち”) 拙著『結婚の社会学』 未婚化を単なる「結婚の先延ばし」だとほとんどの人が思っていたのです。だからこそ、結婚問題が国の少子化を生み出す社会問題にまで発展してしまったのではないでしょうか 『パラサイト・シングルの時代』 「女性は自分や自分の父親よりも収入の高い男性と結婚するのが当然だと思っている。高度経済成長期はそういう男性が簡単に見つかったからみんな早く結婚した。けれども、経済成長が鈍り低成長期になって、自分や自分の父親よりも収入の高い男性の数が減り、結婚相手を見つけることが難しくなって、結婚は先延ばしになり、結果的にあぶれて結婚できない男女が増えている」と論じました。 経済が高度成長から低成長になった1975年以降に晩婚化、すなわち未婚化が始まります ヨーロッパのように「結婚したくないから結婚しない」のではなくて、「結婚したくても結婚できない人」が増えていく。結婚したいのに結婚できないまま生涯を終える男女の増加、すなわち「結婚困難社会」を予測したわけです』 「結婚したくないから結婚していない」という人はほとんどいなかったという点なのです。 特に、女性の場合がそうでした。当時の女性の大学進学率(4年制)は2割です。8割は短大卒および高卒、中卒です。そんな8割に属する女性たちの話を聞くと、仕事をしたいから結婚しないという人はほとんどいなくて、むしろ「いい男がいないから結婚していない」と答える人が大半でした。 恋愛・結婚 「未婚化」は「単なる「結婚の先延ばし」ではなく、低成長移行に伴う経済構造の変化が背景にあるとはさすがだ。こうなると、女性の男性選択行動が、厳しい現実を直視してより柔軟なものに変わっていくことを期待するほかなさそうだ。 「女性は自分や自分の父親よりも収入の高い男性と結婚するのが当然だと思っている。高度経済成長期はそういう男性が簡単に見つかったからみんな早く結婚した。けれども、経済成長が鈍り低成長期になって、自分や自分の父親よりも収入の高い男性の数が減り、結婚相手を見つけることが難しくなって、結婚は先延ばしになり、結果的にあぶれて結婚できない男女が増えている」、非常にクリアな分析だ 平均初婚年齢も、1975年は男性27歳、女性24.7歳。40年ほど前までの日本は、女性の半数が24歳までに結婚している社会だったのです。それが1990年には男性28.4歳、女性25.9歳と1歳以上も上昇しています。 このような状況の中で合計特殊出生率が過去最低の1.57になったことが発表されたのが、1990年という年でした。それ以降、研究者や政策担当者、マスコミの中で少子化が問題視されるようになったのです 山田氏の著書『結婚不要社会』(朝日新書) AERAdotを転載した「未婚化は1975年から始まった、家族社会学者が指摘していた研究者やマスコミの“過ち”」 ダイヤモンド・オンライン 結婚をめぐって生まれた現象は、収入の高い男性と結婚できる確率が低下する、という経済条件の変化でした。それでも、収入の低い男性と結婚するのを女性が厭わなければ、未婚化は起こりません。けれどもそうはならず、女性は収入が低い男性とあえて結婚することはしない──。 つまり未婚化は、結婚をめぐる意識は変わらないけれども「経済・社会環境」が変わったがために生じた現象であり、経済の低成長という構造的要因なので将来的にも結婚できない人が増え続ける、というのが私の主張 通説とは違って「晩婚化ではなく未婚化」とは興味深い。「ヨーロッパのように「結婚したくないから結婚しない」のではなくて、「結婚したくても結婚できない人」が増えていく。結婚したいのに結婚できないまま生涯を終える男女の増加、すなわち「結婚困難社会」を予測したわけです』、この方が女性にとっては悲惨なイメージだ。 「現在の社会現象は、晩婚化ではなく、未婚化である」というものだったのです。 つまり、「生涯一度も結婚しない人が増えるだろう」という主張
哲学(その3)(出口治明氏のシリーズ2題):“知の爆発”が起きた古代ギリシャの哲学者 ソクラテスプラトンアリストテレスが私たちに教えてくれる「真の教養」とは?、“ヘーゲルの3兄弟”キルケゴールマルクス ニーチェは哲学をどう変えたのか?) [人生]
哲学については、2020年5月26日に取上げた。今日は、(その3)(出口治明氏のシリーズ2題):“知の爆発”が起きた古代ギリシャの哲学者 ソクラテスプラトンアリストテレスが私たちに教えてくれる「真の教養」とは?、“ヘーゲルの3兄弟”キルケゴールマルクス ニーチェは哲学をどう変えたのか?)である。
先ずは、2019年8月17日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した立命館アジア太平洋大学学長の出口治明氏による「“知の爆発”が起きた古代ギリシャの哲学者、ソクラテス、プラトン、アリストテレスが私たちに教えてくれる「真の教養」とは?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/270328
・『世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”、稀代の読書家として知られる出口治明APU(立命館アジア太平洋大学)学長。歴史への造詣が深いことから、京都大学の「国際人のグローバル・リテラシー」特別講義では世界史の講義を受け持った。 その出口学長が、3年をかけて書き上げた大著がついに8月8日にリリースされた。聞けば、BC1000年前後に生まれた世界最古の宗教家・ゾロアスター、BC624年頃に生まれた世界最古の哲学者・タレスから現代のレヴィ=ストロースまで、哲学者・宗教家の肖像100点以上を用いて、世界史を背骨に、日本人が最も苦手とする「哲学と宗教」の全史を初めて体系的に解説したとか。 なぜ、今、哲学だけではなく、宗教を同時に学ぶ必要があるのか? 脳研究者で東京大学教授の池谷裕二氏が絶賛、小説家の宮部みゆき氏が推薦、原稿を読んだ某有名書店員が激賞する『哲学と宗教全史』。発売直後に大きな重版が決まった出口治明氏を直撃した(Qは聞き手の質問)』、興味深そうだ。
・『ソクラテスのいう「不知の自覚」とは? Q:ソクラテス、プラトン、アリストテレスの3人は、古代ギリシャの哲学者として知られていて、ソクラテスはプラトンの師であり、プラトンはアリストテレスの師に当たります。出口学長は、3人の哲学の特徴をどのように解釈されていますか? 出口:かつては、哲学を学ぶとき、「ソクラテス以前」と「ソクラテス以後」に分ける考え方をしていたようです。ソクラテスの登場が哲学的に見て、一つの大きな転換点になったと考えられていたからです。詳しくは本書に譲りますが、現在では、ソクラテスの登場がそれほど大きな事件だったかどうかについては争いがあり、価値中立的な「初期ギリシャ哲学」と呼ぶ場合が多いようです。 ソクラテスは、人間の内面に思索(しさく)の糸をおろしています。 「世界はどうなっているんですか」と問う人に対して、ソクラテスは逆にこう問いかけたのです。 「世界はどうなっているのか、と考えるあなたはあなた自身について何を知っていますか。人間は何を知っているのですか」ソクラテスはこの質問を人々に投げかけ、対話することで考えを深め、人々に「不知の自覚」を教えようと努めました。「ソクラテス以後」の哲学は、人間の内面に向かい、生きることについての問いかけを始めたことに大きな意味がありました。 Q:「不知の自覚」とは、どういうことですか? 出口:わかりやすく述べると、暗闇の中で何人かの人が集まって象を撫(な)でている状態と似ています。 鼻を撫でた人は、細長い生き物だと思い、足を撫でた人は太い柱みたいだと思い、耳を撫でた人は大きな団扇(うちわ)みたいだと思う。誰もが本当の象の姿を知らないまま、自分は象の姿形を知っていると思っている。ソクラテスのいう「不知の自覚」とは、まさにこのような状態を指していたのではないでしょうか。 世界は広くて複雑である、それなのに人間はついつい「何でも知っている」と過信しがちです。そのことがいかに愚かなことであるかは、繰り返される争乱や支配者のあやまちを見れば、明らかです。 哲学の歴史を振り返るとき、ソクラテスをどのように評価するかは、実はかなり難しい問題です。なぜなら、彼自身が書き記した文献が何も残っていないからです。 Q:では、ソクラテスの哲学や人物について、何を資料として今日まで語り継がれてきたのですか? 出口:プラトンをはじめとする彼の弟子や、同時代の劇作家や哲学者が残した文献です。特に、資料の中で圧倒的な量を占めるのは、ソクラテスの弟子の一人、プラトンの著作物です。 プラトンが叙述したソクラテスの発言は、真に迫るリアリティがあります。それだけに信じたくなります。けれども冷静に考えてみれば、それが事実のみを記しているのかどうかは不明です。 実際、ソクラテスが生活していたアテナイ(アテネの古名)には、ソクラテスに対して批判的な立場の人も存在しました。 ソクラテスが非常に優れた人物であったことは、確かです。しかしこれまでのように、常人とは隔絶した偉大な人物であったとイメージすることは、プラトンがつくったソクラテス像にいささか踊らされているのではないか、と僕はひそかに考えています。 ソクラテスについてもっと勉強したい人には、『哲学者の誕生 ソクラテスをめぐる人々』(納富信留著/ちくま新書)をお薦めします』、「「不知の自覚」とは、どういうことですか? 出口:わかりやすく述べると、暗闇の中で何人かの人が集まって象を撫(な)でている状態と似ています。 鼻を撫でた人は、細長い生き物だと思い、足を撫でた人は太い柱みたいだと思い、耳を撫でた人は大きな団扇(うちわ)みたいだと思う。誰もが本当の象の姿を知らないまま、自分は象の姿形を知っていると思っている。ソクラテスのいう「不知の自覚」とは、まさにこのような状態を指していたのではないでしょうか。 世界は広くて複雑である、それなのに人間はついつい「何でも知っている」と過信しがちです。そのことがいかに愚かなことであるかは、繰り返される争乱や支配者のあやまちを見れば、明らかです」、なるほど。
・『「人間は真実の影を見て生きている」と説いたプラトン Q:プラトンの哲学の本質はどのようなものですか? 出口:プラトンは80歳まで生きた長命の人で、さまざまに意見が変化していきます。そのこともあって、何をプラトン哲学の本質であるかを考えることは難しいのですが、一般には「イデア論」であると考えられています。 Q:「イデア論」とはどういうものですか? 出口:「現実の世界に存在するものは、イデアの影である。物事の真の姿は、別のところに存在する」とする説です。 物心ついてから大人になるまで、首や手足を固定され、地下の洞窟の壁面に向かって椅子に腰かけている人がいたとします。 彼の後方で、明るい火が燃えさかっています。燃えさかる火の前には一本の道があり、そこをさまざまな動物や人間や馬車が通ると、椅子に固定されている人は、眼前の壁面に映る人間や動物の影を真実の姿と考えてしまいます。仮にその人が自由になって、明るい火に眼を向けたとします。火を見た瞬間は目がくらみますが、まぶしさに慣れてくると、影の本体が見えるようになる。そして、「洞窟の中で自分が見ていたものは、実体の影にすぎなかった。自分は影を実体だと思い込んでいた」ことを理解するようになります。 現実のわれわれも、洞窟の中の人と同様の間違いをしていて、「壁に映る影を真実と見誤っている」とプラトンは説いたのです。 これがプラトンの有名な「洞窟の比喩」と呼ばれるイデアについてのたとえ話です。 洞窟の外にある実在の世界がイデアです。考えれば考えるほど、ややこしくなりますが(笑)、「ものごとには本質がある。それがイデアである。われわれが現世で見ているのは本質の模造品である」とするのがプラトンの考え方です。 プラトンについてもっと勉強したい人には、『プラトン『国家』 逆説のユートピア』(内山勝利著/岩波書店、書物誕生あたらしい古典入門シリーズ)をお薦めします』、「これがプラトンの有名な「洞窟の比喩」と呼ばれるイデアについてのたとえ話です。 洞窟の外にある実在の世界がイデアです。考えれば考えるほど、ややこしくなりますが(笑)、「ものごとには本質がある。それがイデアである。われわれが現世で見ているのは本質の模造品である」とするのがプラトンの考え方です」、なるほど。
・『論理学を体系化したアリストテレス Q:プラトンの主宰するアカデメイア(プラトンが建てた学園)で才能を開花させたアリストテレスは、どのような哲学を持っていたのですか? 出口:プラトンと比べると、とても実証的です。プラトンのイデアは、観念上の直観です。ロジックで「イデアがある」と論証しているわけではありません。「世界にはイデアがある」ということを前提として、論理を展開しています。「洞窟の比喩」はわかりやすいのですが、なぜイデアがあるのか、その点が論証されていません。「神の世界にイデアがあった」という前提から論理が始まります。 一方のアリストテレスは実証的であり、経験論を大切にしました。 さまざまな経験の中から真実を導き出すために、アリストテレスは経験による結果を分析し、理論化することを重視しました。そのために論理学を体系化しました。 たとえば三段論法があります。「AはBである、BはCである、それゆえCはAである」という論理展開です。もしかするとアリストテレスは、師であるプラトンの直観についていけない自分に悩んでいたのかもしれません。 イデア論がなんとなくピンとこない……そんなところから、自らの方法論として論理学を大切にしていった、とも推察できます。 ソクラテスは人間の内面に思索の糸を伸ばし、プラトンは哲学の問題提起を数多く行いました。それに対してアリストテレスは、政治、文学、倫理学、論理学、博物学、物理学など、あらゆる学問領域を対象とし分類と総括を行なっています。その意味でもまさしく万学の祖でした。 アリストテレスについてもう少し勉強したい人は、『ニコマコス倫理学』(高田三郎訳/岩波文庫、全2冊)や『形而上学』(出隆訳/岩波文庫、全2冊)と『世界の名著8 アリストテレス』(田中美知太郎責任編集、中公バックス)から始めることをお薦めします』、「アリストテレスは、師であるプラトンの直観についていけない自分に悩んでいたのかもしれません。 イデア論がなんとなくピンとこない……そんなところから、自らの方法論として論理学を大切にしていった、とも推察できます。 ソクラテスは人間の内面に思索の糸を伸ばし、プラトンは哲学の問題提起を数多く行いました。それに対してアリストテレスは、政治、文学、倫理学、論理学、博物学、物理学など、あらゆる学問領域を対象とし分類と総括を行なっています。その意味でもまさしく万学の祖でした」、なるほど。
・『【著者からのメッセージ】なぜ、今、「哲学と宗教」を 同時に学ぶ必要があるのか? 現代の知の巨人・出口治明が語る はじめまして。出口治明です。 今回、『哲学と宗教全史』を出版しました。 僕はいくつかの偶然が重なって、還暦でライフネット生命というベンチャー企業を開業しました。 個人がゼロから立ち上げた独立系生保は戦後初のことでした。 そのときに一番深く考えたのは、そもそも人の生死に関わる生命保険会社を新設するとはどういうことかという根源的な問題でした。 たどり着いた結論は「生命保険料を半分にして、安心して赤ちゃんを産み育てることができる社会を創りたい」というものでした。 そして、生命保険料を半分にするためにはインターネットを使うしかないということになり、世界初のインターネット生保が誕生したのです。 生保に関わる知見や技術的なノウハウなどではなく、人間の生死や種としての存続に関わる哲学的、宗教的な考察がむしろ役に立ったのです。 古希を迎えた僕は、また不思議なことにいくつかの偶然が重なって、日本では初の学長国際公募により推挙されてAPU(立命館アジア太平洋大学)の学長に就任しました。 APUは学生6000名のうち、半数が92の国や地域からきている留学生で、いわば「若者の国連」であり「小さな地球」のような場所です。 もちろん宗教もさまざまです。 APUにいると、世界の多様性を身に沁みて感じます。 生まれ育った社会環境が人の意識を形づくるという意味で、クロード・レヴィ=ストロースの考えたことが本当によくわかります。 僕は人生の節目節目において哲学や宗教に関わる知見にずいぶんと助けられてきた感じがします。 そうであれば、哲学や宗教の大きな流れを理解することは、間違いなくビジネスに役立つと思うのです。 神という概念が生まれたのは、約1万2000年前のドメスティケーションの時代(狩猟・採集社会から定住農耕・牧畜社会への転換)だと考えられています。 それ以来、人間の脳の進化はないようです。 そしてBC1000年前後にはペルシャの地に最古の宗教家ゾロアスターが生まれ、BC624年頃にはギリシャの地に最古の哲学者タレスが生まれました。 それから2500年を超える長い時間の中で数多の宗教家や哲学者が登場しました。 本書では、可能な限りそれらの宗教家や哲学者の肖像を載せるように努めました。 それは彼らの肖像を通して、それぞれの時代環境の中で彼らがどのように思い悩み、どのように生きぬいたかを読者の皆さんに感じ取ってほしいと考えたからに他なりません。 ソクラテスもプラトンもデカルトも、ブッダや孔子も皆さんの隣人なのです。 同じように血の通った人間なのです。 ぜひ彼らの生き様を皆さんのビジネスに活かしてほしいと思います。 本書では世界を丸ごと把握し、苦しんでいる世界中の人々を丸ごと救おうとした偉大な先達たちの思想や事績を、丸ごと皆さんに紹介します。 皆さんが世界を丸ごと理解するときの参考になればこれほど嬉しいことはありません』、「たどり着いた結論は「生命保険料を半分にして、安心して赤ちゃんを産み育てることができる社会を創りたい」というものでした。 そして、生命保険料を半分にするためにはインターネットを使うしかないということになり、世界初のインターネット生保が誕生したのです」、同氏が設立した「インターネット生保」が「世界初」とは初めて知った。「ソクラテスもプラトンもデカルトも、ブッダや孔子も皆さんの隣人なのです。 同じように血の通った人間なのです。 ぜひ彼らの生き様を皆さんのビジネスに活かしてほしいと思います。 本書では世界を丸ごと把握し、苦しんでいる世界中の人々を丸ごと救おうとした偉大な先達たちの思想や事績を、丸ごと皆さんに紹介します』、「本書では世界を丸ごと把握し、苦しんでいる世界中の人々を丸ごと救おうとした偉大な先達たちの思想や事績を、丸ごと皆さんに紹介します」、意欲的な試みだ。
第二に、2019年8月31日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した立命館アジア太平洋大学学長の出口治明氏による「“ヘーゲルの3兄弟”キルケゴール、マルクス、ニーチェは哲学をどう変えたのか?」を紹介しよう。
・『ヘーゲルの弁証法をどのように理解すればいいか Q:19世紀のヨーロッパでは、ヘーゲルを超えることが哲学者たちの目標だったそうですね。ヘーゲルとは、どのような人物だったのですか? 出口:ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770-1831)は、カントより半世紀ほど後に、ドイツのシュトゥットガルトで生まれた哲学者です。 ヘーゲルは弁証法を駆使して壮大な学問的体系を築きあげ、当時のプロイセンやヨーロッパ全体に影響を及ぼしました。ヘーゲルといえば「弁証法」といわれています。弁証法という哲学用語自体は、すでに古代ギリシャで登場しています。 たとえば、ソクラテスのように、「ある人の主張に対して、質問を投げかけながら問答を続け、その主張に内在する誤りに気づかせる。そうしながら正解に導くこと手法」のことを弁証法と呼びます。 Q:ヘーゲルの弁証法は違うのですか? 出口:ヘーゲル以降の弁証法の基本論理の概略は、こうです。 「すべての有限なるもの、永遠不変でない存在は、その内部に相容れない矛盾を抱えている。この矛盾はテーゼ(正)とアンチテーゼ(反)によって構成される。矛盾は静止したままでは止まらず、対立し運動を起こして、その存在はテーゼとアンチテーゼを綜合した新たな段階の存在となる。この新たな存在をジンテーゼ(正反合)と呼ぶ。そしてこの新たな段階の存在もまた、新しいテーゼ(正)とアンチテーゼ(反)を内包している」 ヘーゲルは弁証法の理論を展開して、その新たな段階に達することを「止揚(しよう)」と呼びました。止揚はドイツ語のアウフヘーベンの和訳です。 Q:テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼ、アウフヘーベン……? どういうことですか? 出口:要するに、矛盾や対立する2つの事柄を二者択一ではなく統合して、高い次元の結論に結びつけて解決しようとする思考法です。次のように考えてみてください。 「ある問題について、Aという人とBという人がいる。2人はあるオフィスの1階で議論していた。どうも議論が嚙み合わない。2人は2階に行って改めて議論した。すると両者は理解し合うことができた。その代わり、新たにCという問題が出現した。そこで2人の論争は継続され、3階に移った。するとCは解決され、より高度なDという問題が出現した。2人は4階に行き……」 ヘーゲルの弁証法はダイナミックでおもしろいのですが、どうしてテーゼとアンチテーゼが一緒になれるのか、もう一つ納得できないという批判があります。しかもアウフヘーベンされて、一段上がって進歩するというのも、わかったようでわからない。議論の次元を変えてしまうのですから、対立が変化するのは当たり前のようにも思えます。 ともかく、このように理論的なあいまいさは残るのですが、ヘーゲルの弁証法は「ものごとは進歩する」という前提に立っています。明日は今日よりよくなるという理論は、素朴に人間の気持ちにフィットします。) キルケゴールが考えた主体的な実存を保障してくれる生き方は、「倫理的実存」です。わかりやすくいえば、たとえばボランティア活動に生きることです。人のために生きることを、いつも大切にすることです。 けれども、このような充実感は、偽善的な行為と紙一重でもあります。人のために生きることも、必ずしも主体的な実存を得ることにはつながりません。 そうなると最終的に人が主体的な実存を得るために、行き着く先は神なのだ、「宗教的実存」なのだ、とキルケゴールは考えました。 盲目的な信仰の対象であった神を一度は否定した後に、人は理性を越えた神の存在を信じ、改めて自らの心を神のもとに投じる。そのことで人は、主体的な実存を得られる。宗教的な実存としての自分になれる、とキルケゴールは結論づけたのです。 キルケゴールの著書『死に至る病』は、「第一部 死に至る病とは絶望のことである」、「第二部 絶望とは罪である」という構成になっています。中公クラシックスから桝田啓三郎による新訳も出ています』、「ヘーゲルといえば「弁証法」といわれています。弁証法という哲学用語自体は、すでに古代ギリシャで登場しています。 たとえば、ソクラテスのように、「ある人の主張に対して、質問を投げかけながら問答を続け、その主張に内在する誤りに気づかせる。そうしながら正解に導くこと手法」のことを弁証法と呼びます。 Q:ヘーゲルの弁証法は違うのですか? 出口:ヘーゲル以降の弁証法の基本論理の概略は、こうです。 「すべての有限なるもの、永遠不変でない存在は、その内部に相容れない矛盾を抱えている。この矛盾はテーゼ(正)とアンチテーゼ(反)によって構成される。矛盾は静止したままでは止まらず、対立し運動を起こして、その存在はテーゼとアンチテーゼを綜合した新たな段階の存在となる。この新たな存在をジンテーゼ(正反合)と呼ぶ。そしてこの新たな段階の存在もまた、新しいテーゼ(正)とアンチテーゼ(反)を内包している」 ヘーゲルは弁証法の理論を展開して、その新たな段階に達することを「止揚(しよう)」と呼びました」、「弁証法」や「止揚」など、うろ覚えだった知識が多少整理された感じがする。
先ずは、2019年8月17日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した立命館アジア太平洋大学学長の出口治明氏による「“知の爆発”が起きた古代ギリシャの哲学者、ソクラテス、プラトン、アリストテレスが私たちに教えてくれる「真の教養」とは?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/270328
・『世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”、稀代の読書家として知られる出口治明APU(立命館アジア太平洋大学)学長。歴史への造詣が深いことから、京都大学の「国際人のグローバル・リテラシー」特別講義では世界史の講義を受け持った。 その出口学長が、3年をかけて書き上げた大著がついに8月8日にリリースされた。聞けば、BC1000年前後に生まれた世界最古の宗教家・ゾロアスター、BC624年頃に生まれた世界最古の哲学者・タレスから現代のレヴィ=ストロースまで、哲学者・宗教家の肖像100点以上を用いて、世界史を背骨に、日本人が最も苦手とする「哲学と宗教」の全史を初めて体系的に解説したとか。 なぜ、今、哲学だけではなく、宗教を同時に学ぶ必要があるのか? 脳研究者で東京大学教授の池谷裕二氏が絶賛、小説家の宮部みゆき氏が推薦、原稿を読んだ某有名書店員が激賞する『哲学と宗教全史』。発売直後に大きな重版が決まった出口治明氏を直撃した(Qは聞き手の質問)』、興味深そうだ。
・『ソクラテスのいう「不知の自覚」とは? Q:ソクラテス、プラトン、アリストテレスの3人は、古代ギリシャの哲学者として知られていて、ソクラテスはプラトンの師であり、プラトンはアリストテレスの師に当たります。出口学長は、3人の哲学の特徴をどのように解釈されていますか? 出口:かつては、哲学を学ぶとき、「ソクラテス以前」と「ソクラテス以後」に分ける考え方をしていたようです。ソクラテスの登場が哲学的に見て、一つの大きな転換点になったと考えられていたからです。詳しくは本書に譲りますが、現在では、ソクラテスの登場がそれほど大きな事件だったかどうかについては争いがあり、価値中立的な「初期ギリシャ哲学」と呼ぶ場合が多いようです。 ソクラテスは、人間の内面に思索(しさく)の糸をおろしています。 「世界はどうなっているんですか」と問う人に対して、ソクラテスは逆にこう問いかけたのです。 「世界はどうなっているのか、と考えるあなたはあなた自身について何を知っていますか。人間は何を知っているのですか」ソクラテスはこの質問を人々に投げかけ、対話することで考えを深め、人々に「不知の自覚」を教えようと努めました。「ソクラテス以後」の哲学は、人間の内面に向かい、生きることについての問いかけを始めたことに大きな意味がありました。 Q:「不知の自覚」とは、どういうことですか? 出口:わかりやすく述べると、暗闇の中で何人かの人が集まって象を撫(な)でている状態と似ています。 鼻を撫でた人は、細長い生き物だと思い、足を撫でた人は太い柱みたいだと思い、耳を撫でた人は大きな団扇(うちわ)みたいだと思う。誰もが本当の象の姿を知らないまま、自分は象の姿形を知っていると思っている。ソクラテスのいう「不知の自覚」とは、まさにこのような状態を指していたのではないでしょうか。 世界は広くて複雑である、それなのに人間はついつい「何でも知っている」と過信しがちです。そのことがいかに愚かなことであるかは、繰り返される争乱や支配者のあやまちを見れば、明らかです。 哲学の歴史を振り返るとき、ソクラテスをどのように評価するかは、実はかなり難しい問題です。なぜなら、彼自身が書き記した文献が何も残っていないからです。 Q:では、ソクラテスの哲学や人物について、何を資料として今日まで語り継がれてきたのですか? 出口:プラトンをはじめとする彼の弟子や、同時代の劇作家や哲学者が残した文献です。特に、資料の中で圧倒的な量を占めるのは、ソクラテスの弟子の一人、プラトンの著作物です。 プラトンが叙述したソクラテスの発言は、真に迫るリアリティがあります。それだけに信じたくなります。けれども冷静に考えてみれば、それが事実のみを記しているのかどうかは不明です。 実際、ソクラテスが生活していたアテナイ(アテネの古名)には、ソクラテスに対して批判的な立場の人も存在しました。 ソクラテスが非常に優れた人物であったことは、確かです。しかしこれまでのように、常人とは隔絶した偉大な人物であったとイメージすることは、プラトンがつくったソクラテス像にいささか踊らされているのではないか、と僕はひそかに考えています。 ソクラテスについてもっと勉強したい人には、『哲学者の誕生 ソクラテスをめぐる人々』(納富信留著/ちくま新書)をお薦めします』、「「不知の自覚」とは、どういうことですか? 出口:わかりやすく述べると、暗闇の中で何人かの人が集まって象を撫(な)でている状態と似ています。 鼻を撫でた人は、細長い生き物だと思い、足を撫でた人は太い柱みたいだと思い、耳を撫でた人は大きな団扇(うちわ)みたいだと思う。誰もが本当の象の姿を知らないまま、自分は象の姿形を知っていると思っている。ソクラテスのいう「不知の自覚」とは、まさにこのような状態を指していたのではないでしょうか。 世界は広くて複雑である、それなのに人間はついつい「何でも知っている」と過信しがちです。そのことがいかに愚かなことであるかは、繰り返される争乱や支配者のあやまちを見れば、明らかです」、なるほど。
・『「人間は真実の影を見て生きている」と説いたプラトン Q:プラトンの哲学の本質はどのようなものですか? 出口:プラトンは80歳まで生きた長命の人で、さまざまに意見が変化していきます。そのこともあって、何をプラトン哲学の本質であるかを考えることは難しいのですが、一般には「イデア論」であると考えられています。 Q:「イデア論」とはどういうものですか? 出口:「現実の世界に存在するものは、イデアの影である。物事の真の姿は、別のところに存在する」とする説です。 物心ついてから大人になるまで、首や手足を固定され、地下の洞窟の壁面に向かって椅子に腰かけている人がいたとします。 彼の後方で、明るい火が燃えさかっています。燃えさかる火の前には一本の道があり、そこをさまざまな動物や人間や馬車が通ると、椅子に固定されている人は、眼前の壁面に映る人間や動物の影を真実の姿と考えてしまいます。仮にその人が自由になって、明るい火に眼を向けたとします。火を見た瞬間は目がくらみますが、まぶしさに慣れてくると、影の本体が見えるようになる。そして、「洞窟の中で自分が見ていたものは、実体の影にすぎなかった。自分は影を実体だと思い込んでいた」ことを理解するようになります。 現実のわれわれも、洞窟の中の人と同様の間違いをしていて、「壁に映る影を真実と見誤っている」とプラトンは説いたのです。 これがプラトンの有名な「洞窟の比喩」と呼ばれるイデアについてのたとえ話です。 洞窟の外にある実在の世界がイデアです。考えれば考えるほど、ややこしくなりますが(笑)、「ものごとには本質がある。それがイデアである。われわれが現世で見ているのは本質の模造品である」とするのがプラトンの考え方です。 プラトンについてもっと勉強したい人には、『プラトン『国家』 逆説のユートピア』(内山勝利著/岩波書店、書物誕生あたらしい古典入門シリーズ)をお薦めします』、「これがプラトンの有名な「洞窟の比喩」と呼ばれるイデアについてのたとえ話です。 洞窟の外にある実在の世界がイデアです。考えれば考えるほど、ややこしくなりますが(笑)、「ものごとには本質がある。それがイデアである。われわれが現世で見ているのは本質の模造品である」とするのがプラトンの考え方です」、なるほど。
・『論理学を体系化したアリストテレス Q:プラトンの主宰するアカデメイア(プラトンが建てた学園)で才能を開花させたアリストテレスは、どのような哲学を持っていたのですか? 出口:プラトンと比べると、とても実証的です。プラトンのイデアは、観念上の直観です。ロジックで「イデアがある」と論証しているわけではありません。「世界にはイデアがある」ということを前提として、論理を展開しています。「洞窟の比喩」はわかりやすいのですが、なぜイデアがあるのか、その点が論証されていません。「神の世界にイデアがあった」という前提から論理が始まります。 一方のアリストテレスは実証的であり、経験論を大切にしました。 さまざまな経験の中から真実を導き出すために、アリストテレスは経験による結果を分析し、理論化することを重視しました。そのために論理学を体系化しました。 たとえば三段論法があります。「AはBである、BはCである、それゆえCはAである」という論理展開です。もしかするとアリストテレスは、師であるプラトンの直観についていけない自分に悩んでいたのかもしれません。 イデア論がなんとなくピンとこない……そんなところから、自らの方法論として論理学を大切にしていった、とも推察できます。 ソクラテスは人間の内面に思索の糸を伸ばし、プラトンは哲学の問題提起を数多く行いました。それに対してアリストテレスは、政治、文学、倫理学、論理学、博物学、物理学など、あらゆる学問領域を対象とし分類と総括を行なっています。その意味でもまさしく万学の祖でした。 アリストテレスについてもう少し勉強したい人は、『ニコマコス倫理学』(高田三郎訳/岩波文庫、全2冊)や『形而上学』(出隆訳/岩波文庫、全2冊)と『世界の名著8 アリストテレス』(田中美知太郎責任編集、中公バックス)から始めることをお薦めします』、「アリストテレスは、師であるプラトンの直観についていけない自分に悩んでいたのかもしれません。 イデア論がなんとなくピンとこない……そんなところから、自らの方法論として論理学を大切にしていった、とも推察できます。 ソクラテスは人間の内面に思索の糸を伸ばし、プラトンは哲学の問題提起を数多く行いました。それに対してアリストテレスは、政治、文学、倫理学、論理学、博物学、物理学など、あらゆる学問領域を対象とし分類と総括を行なっています。その意味でもまさしく万学の祖でした」、なるほど。
・『【著者からのメッセージ】なぜ、今、「哲学と宗教」を 同時に学ぶ必要があるのか? 現代の知の巨人・出口治明が語る はじめまして。出口治明です。 今回、『哲学と宗教全史』を出版しました。 僕はいくつかの偶然が重なって、還暦でライフネット生命というベンチャー企業を開業しました。 個人がゼロから立ち上げた独立系生保は戦後初のことでした。 そのときに一番深く考えたのは、そもそも人の生死に関わる生命保険会社を新設するとはどういうことかという根源的な問題でした。 たどり着いた結論は「生命保険料を半分にして、安心して赤ちゃんを産み育てることができる社会を創りたい」というものでした。 そして、生命保険料を半分にするためにはインターネットを使うしかないということになり、世界初のインターネット生保が誕生したのです。 生保に関わる知見や技術的なノウハウなどではなく、人間の生死や種としての存続に関わる哲学的、宗教的な考察がむしろ役に立ったのです。 古希を迎えた僕は、また不思議なことにいくつかの偶然が重なって、日本では初の学長国際公募により推挙されてAPU(立命館アジア太平洋大学)の学長に就任しました。 APUは学生6000名のうち、半数が92の国や地域からきている留学生で、いわば「若者の国連」であり「小さな地球」のような場所です。 もちろん宗教もさまざまです。 APUにいると、世界の多様性を身に沁みて感じます。 生まれ育った社会環境が人の意識を形づくるという意味で、クロード・レヴィ=ストロースの考えたことが本当によくわかります。 僕は人生の節目節目において哲学や宗教に関わる知見にずいぶんと助けられてきた感じがします。 そうであれば、哲学や宗教の大きな流れを理解することは、間違いなくビジネスに役立つと思うのです。 神という概念が生まれたのは、約1万2000年前のドメスティケーションの時代(狩猟・採集社会から定住農耕・牧畜社会への転換)だと考えられています。 それ以来、人間の脳の進化はないようです。 そしてBC1000年前後にはペルシャの地に最古の宗教家ゾロアスターが生まれ、BC624年頃にはギリシャの地に最古の哲学者タレスが生まれました。 それから2500年を超える長い時間の中で数多の宗教家や哲学者が登場しました。 本書では、可能な限りそれらの宗教家や哲学者の肖像を載せるように努めました。 それは彼らの肖像を通して、それぞれの時代環境の中で彼らがどのように思い悩み、どのように生きぬいたかを読者の皆さんに感じ取ってほしいと考えたからに他なりません。 ソクラテスもプラトンもデカルトも、ブッダや孔子も皆さんの隣人なのです。 同じように血の通った人間なのです。 ぜひ彼らの生き様を皆さんのビジネスに活かしてほしいと思います。 本書では世界を丸ごと把握し、苦しんでいる世界中の人々を丸ごと救おうとした偉大な先達たちの思想や事績を、丸ごと皆さんに紹介します。 皆さんが世界を丸ごと理解するときの参考になればこれほど嬉しいことはありません』、「たどり着いた結論は「生命保険料を半分にして、安心して赤ちゃんを産み育てることができる社会を創りたい」というものでした。 そして、生命保険料を半分にするためにはインターネットを使うしかないということになり、世界初のインターネット生保が誕生したのです」、同氏が設立した「インターネット生保」が「世界初」とは初めて知った。「ソクラテスもプラトンもデカルトも、ブッダや孔子も皆さんの隣人なのです。 同じように血の通った人間なのです。 ぜひ彼らの生き様を皆さんのビジネスに活かしてほしいと思います。 本書では世界を丸ごと把握し、苦しんでいる世界中の人々を丸ごと救おうとした偉大な先達たちの思想や事績を、丸ごと皆さんに紹介します』、「本書では世界を丸ごと把握し、苦しんでいる世界中の人々を丸ごと救おうとした偉大な先達たちの思想や事績を、丸ごと皆さんに紹介します」、意欲的な試みだ。
第二に、2019年8月31日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した立命館アジア太平洋大学学長の出口治明氏による「“ヘーゲルの3兄弟”キルケゴール、マルクス、ニーチェは哲学をどう変えたのか?」を紹介しよう。
・『ヘーゲルの弁証法をどのように理解すればいいか Q:19世紀のヨーロッパでは、ヘーゲルを超えることが哲学者たちの目標だったそうですね。ヘーゲルとは、どのような人物だったのですか? 出口:ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770-1831)は、カントより半世紀ほど後に、ドイツのシュトゥットガルトで生まれた哲学者です。 ヘーゲルは弁証法を駆使して壮大な学問的体系を築きあげ、当時のプロイセンやヨーロッパ全体に影響を及ぼしました。ヘーゲルといえば「弁証法」といわれています。弁証法という哲学用語自体は、すでに古代ギリシャで登場しています。 たとえば、ソクラテスのように、「ある人の主張に対して、質問を投げかけながら問答を続け、その主張に内在する誤りに気づかせる。そうしながら正解に導くこと手法」のことを弁証法と呼びます。 Q:ヘーゲルの弁証法は違うのですか? 出口:ヘーゲル以降の弁証法の基本論理の概略は、こうです。 「すべての有限なるもの、永遠不変でない存在は、その内部に相容れない矛盾を抱えている。この矛盾はテーゼ(正)とアンチテーゼ(反)によって構成される。矛盾は静止したままでは止まらず、対立し運動を起こして、その存在はテーゼとアンチテーゼを綜合した新たな段階の存在となる。この新たな存在をジンテーゼ(正反合)と呼ぶ。そしてこの新たな段階の存在もまた、新しいテーゼ(正)とアンチテーゼ(反)を内包している」 ヘーゲルは弁証法の理論を展開して、その新たな段階に達することを「止揚(しよう)」と呼びました。止揚はドイツ語のアウフヘーベンの和訳です。 Q:テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼ、アウフヘーベン……? どういうことですか? 出口:要するに、矛盾や対立する2つの事柄を二者択一ではなく統合して、高い次元の結論に結びつけて解決しようとする思考法です。次のように考えてみてください。 「ある問題について、Aという人とBという人がいる。2人はあるオフィスの1階で議論していた。どうも議論が嚙み合わない。2人は2階に行って改めて議論した。すると両者は理解し合うことができた。その代わり、新たにCという問題が出現した。そこで2人の論争は継続され、3階に移った。するとCは解決され、より高度なDという問題が出現した。2人は4階に行き……」 ヘーゲルの弁証法はダイナミックでおもしろいのですが、どうしてテーゼとアンチテーゼが一緒になれるのか、もう一つ納得できないという批判があります。しかもアウフヘーベンされて、一段上がって進歩するというのも、わかったようでわからない。議論の次元を変えてしまうのですから、対立が変化するのは当たり前のようにも思えます。 ともかく、このように理論的なあいまいさは残るのですが、ヘーゲルの弁証法は「ものごとは進歩する」という前提に立っています。明日は今日よりよくなるという理論は、素朴に人間の気持ちにフィットします。) キルケゴールが考えた主体的な実存を保障してくれる生き方は、「倫理的実存」です。わかりやすくいえば、たとえばボランティア活動に生きることです。人のために生きることを、いつも大切にすることです。 けれども、このような充実感は、偽善的な行為と紙一重でもあります。人のために生きることも、必ずしも主体的な実存を得ることにはつながりません。 そうなると最終的に人が主体的な実存を得るために、行き着く先は神なのだ、「宗教的実存」なのだ、とキルケゴールは考えました。 盲目的な信仰の対象であった神を一度は否定した後に、人は理性を越えた神の存在を信じ、改めて自らの心を神のもとに投じる。そのことで人は、主体的な実存を得られる。宗教的な実存としての自分になれる、とキルケゴールは結論づけたのです。 キルケゴールの著書『死に至る病』は、「第一部 死に至る病とは絶望のことである」、「第二部 絶望とは罪である」という構成になっています。中公クラシックスから桝田啓三郎による新訳も出ています』、「ヘーゲルといえば「弁証法」といわれています。弁証法という哲学用語自体は、すでに古代ギリシャで登場しています。 たとえば、ソクラテスのように、「ある人の主張に対して、質問を投げかけながら問答を続け、その主張に内在する誤りに気づかせる。そうしながら正解に導くこと手法」のことを弁証法と呼びます。 Q:ヘーゲルの弁証法は違うのですか? 出口:ヘーゲル以降の弁証法の基本論理の概略は、こうです。 「すべての有限なるもの、永遠不変でない存在は、その内部に相容れない矛盾を抱えている。この矛盾はテーゼ(正)とアンチテーゼ(反)によって構成される。矛盾は静止したままでは止まらず、対立し運動を起こして、その存在はテーゼとアンチテーゼを綜合した新たな段階の存在となる。この新たな存在をジンテーゼ(正反合)と呼ぶ。そしてこの新たな段階の存在もまた、新しいテーゼ(正)とアンチテーゼ(反)を内包している」 ヘーゲルは弁証法の理論を展開して、その新たな段階に達することを「止揚(しよう)」と呼びました」、「弁証法」や「止揚」など、うろ覚えだった知識が多少整理された感じがする。
タグ:哲学 (その3)(出口治明氏のシリーズ2題):“知の爆発”が起きた古代ギリシャの哲学者 ソクラテスプラトンアリストテレスが私たちに教えてくれる「真の教養」とは?、“ヘーゲルの3兄弟”キルケゴールマルクス ニーチェは哲学をどう変えたのか?) ダイヤモンド・オンライン 出口治明氏による「“知の爆発”が起きた古代ギリシャの哲学者、ソクラテス、プラトン、アリストテレスが私たちに教えてくれる「真の教養」とは?」 『哲学と宗教全史』 「「不知の自覚」とは、どういうことですか? 出口:わかりやすく述べると、暗闇の中で何人かの人が集まって象を撫(な)でている状態と似ています。 鼻を撫でた人は、細長い生き物だと思い、足を撫でた人は太い柱みたいだと思い、耳を撫でた人は大きな団扇(うちわ)みたいだと思う。誰もが本当の象の姿を知らないまま、自分は象の姿形を知っていると思っている。ソクラテスのいう「不知の自覚」とは、まさにこのような状態を指していたのではないでしょうか。 世界は広くて複雑である、それなのに人間はついつい「何でも知っている」と過信しがちです。そのことがいかに愚かなことであるかは、繰り返される争乱や支配者のあやまちを見れば、明らかです」、なるほど。 「これがプラトンの有名な「洞窟の比喩」と呼ばれるイデアについてのたとえ話です。 洞窟の外にある実在の世界がイデアです。考えれば考えるほど、ややこしくなりますが(笑)、「ものごとには本質がある。それがイデアである。われわれが現世で見ているのは本質の模造品である」とするのがプラトンの考え方です」、なるほど。 「アリストテレスは、師であるプラトンの直観についていけない自分に悩んでいたのかもしれません。 イデア論がなんとなくピンとこない……そんなところから、自らの方法論として論理学を大切にしていった、とも推察できます。 ソクラテスは人間の内面に思索の糸を伸ばし、プラトンは哲学の問題提起を数多く行いました。それに対してアリストテレスは、政治、文学、倫理学、論理学、博物学、物理学など、あらゆる学問領域を対象とし分類と総括を行なっています。その意味でもまさしく万学の祖でした」、なるほど。 「たどり着いた結論は「生命保険料を半分にして、安心して赤ちゃんを産み育てることができる社会を創りたい」というものでした。 そして、生命保険料を半分にするためにはインターネットを使うしかないということになり、世界初のインターネット生保が誕生したのです」、同氏が設立した「インターネット生保」が「世界初」とは初めて知った。「ソクラテスもプラトンもデカルトも、ブッダや孔子も皆さんの隣人なのです。 同じように血の通った人間なのです。 ぜひ彼らの生き様を皆さんのビジネスに活かしてほしいと思います。 本書では世界を丸ごと把握し、苦しんでいる世界中の人々を丸ごと救おうとした偉大な先達たちの思想や事績を、丸ごと皆さんに紹介します』、「本書では世界を丸ごと把握し、苦しんでいる世界中の人々を丸ごと救おうとした偉大な先達たちの思想や事績を、丸ごと皆さんに紹介します」、意欲的な試みだ。 口治明氏による「“ヘーゲルの3兄弟”キルケゴール、マルクス、ニーチェは哲学をどう変えたのか?」 「ヘーゲルといえば「弁証法」といわれています。弁証法という哲学用語自体は、すでに古代ギリシャで登場しています。 たとえば、ソクラテスのように、「ある人の主張に対して、質問を投げかけながら問答を続け、その主張に内在する誤りに気づかせる。そうしながら正解に導くこと手法」のことを弁証法と呼びます。 Q:ヘーゲルの弁証法は違うのですか? 出口:ヘーゲル以降の弁証法の基本論理の概略は、こうです。 「すべての有限なるもの、永遠不変でない存在は、その内部に相容れない矛盾を抱えている。この矛盾はテーゼ(正)とアンチテーゼ(反)によって構成される。矛盾は静止したままでは止まらず、対立し運動を起こして、その存在はテーゼとアンチテーゼを綜合した新たな段階の存在となる。この新たな存在をジンテーゼ(正反合)と呼ぶ。そしてこの新たな段階の存在もまた、新しいテーゼ(正)とアンチテーゼ(反)を内包している」 ヘーゲルは弁証法の理論を展開して、その新たな段階に達することを「止揚(しよう)」と呼びました」、 「弁証法」や「止揚」など、うろ覚えだった知識が多少整理された感じがする。
随筆(その5)(養老孟司氏が語る“生きづらさの正体” 「バカの壁」から20年「ヒトの壁」が立ちはだかる、養老孟司が語る「じぶんの壁」…いまこそ 子どもと大人に伝えたい「深い話」 絵本『「じぶん」のはなし』) [人生]
随筆については、本年2月24日に取上げた。今日は、(その5)(養老孟司氏が語る“生きづらさの正体” 「バカの壁」から20年「ヒトの壁」が立ちはだかる、養老孟司が語る「じぶんの壁」…いまこそ 子どもと大人に伝えたい「深い話」 絵本『「じぶん」のはなし』)である。
先ずは、先ずは、2021年12月30日付け日刊ゲンダイ「養老孟司氏が語る“生きづらさの正体” 「バカの壁」から20年「ヒトの壁」が立ちはだかる」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/299062
・『社会が狭くなっている。息苦しく、剣呑で、逃げ場もない。そんな閉塞感のなか、コロナ後の生き方を模索するサラリーマンらに対して、解剖学者の養老孟司氏(84)は新著「ヒトの壁」(新潮新書)でこう喝破する。 《今は人間関係ばかり。相手の顔色をうかがいすぎていないか》 ベストセラー「バカの壁」で、話せばわかるなんて大嘘、耳を貸さない相手には通じないという壁の存在を示した。だからこそ、その壁を共通理解して、それを乗り越えようというメッセージでもあった。その刊行から約20年、壁は取り除かれるどころかますます高くなり、ヒトそのものがヒトの障壁となって立ちはだかっているというのである』、「壁は取り除かれるどころかますます高くなり、ヒトそのものがヒトの障壁となって立ちはだかっている」、確かにその通りだ。
・『評価を気にするのをやめる 「やはり世界は狭くなったのでしょう。地球全体に広がったグローバリゼーション、というと聞こえがいいんですけど、地球の広さが分かったというか、抜け道が無くなっちゃった。人によっては、無理して宇宙まで行ったりしてますけれども、たとえ月に住めるようになったとしても、東京の高層ビルとあんまり変わらないだろうって皆、わかっているんじゃないですか。また鬱陶しさが募るだけでしょうし、もう、いくところまでいくしかないかも知れない。ただ、個人のレベルではもうちょっと世界をもう少し広げる、広くすることができるんじゃないかと思う。そのためにも、他人や共同体の評価ばかり気にするのをやめる。そうすると、ヒトじゃないものに目がいくようになりますから、人生にその部分を増やし、それを楽しんでいくといいと思います」(Qは聞き手の質問、Aは養老氏の回答) Q:ネットで欲しい情報がすぐに入り、便利になった一方、SNSは悪口雑言で溢れ、名誉棄損どころか自殺者まで出ています。デジタル社会の反動も実社会に悪影響を与えているように見えます。 A:「ある考え方で社会をつくっていくと、どうしても特定の社会、ルールができてしまう。そうすると、非常に多くのヒトがそこから漏れ、外れてしまう。いまはアタマ、理屈の世の中ですけど、人間、理屈で生きているかというと、そうでもない。そう割り切れるものでもないんです。そこらへんのバランスが徹底的に崩れてしまった。感覚が伴っていないから、色々おかしなことになっている。最も割りを食っているのは、自然に近いものです。そんな社会の影響を受けないで、世の中に新しく入ってきた若い人たちも非常に戸惑うと思います。自分が全面的に持っていたもののほんの一部を突出させ、理性で生きなければならないのですから。感情で動いたら駄目だと。一番、世の中変わったのはその変じゃないですかね」』、「個人のレベルではもうちょっと世界をもう少し広げる、広くすることができるんじゃないかと思う。そのためにも、他人や共同体の評価ばかり気にするのをやめる。そうすると、ヒトじゃないものに目がいくようになりますから、人生にその部分を増やし、それを楽しんでいくといいと思います」、「人間、理屈で生きているかというと、そうでもない。そう割り切れるものでもないんです。そこらへんのバランスが徹底的に崩れてしまった。感覚が伴っていないから、色々おかしなことになっている。最も割りを食っているのは、自然に近いものです。そんな社会の影響を受けないで、世の中に新しく入ってきた若い人たちも非常に戸惑うと思います。自分が全面的に持っていたもののほんの一部を突出させ、理性で生きなければならないのですから。感情で動いたら駄目だと。一番、世の中変わったのはその変じゃないですかね」、「理性で生きなければならないのですから。感情で動いたら駄目だと」、なんとも生き難い世の中になったものだ。
・『社会の役に立たなくてもいい Q:その結果が、対人偏向の歪な社会だと。 A:「ある種の考え方が煮詰まっちゃって、にっちもさっちもいかない。変なルールを正面にたてるからいけないんで。職場の女性との関わり方も、親切にすれば、セクハラ。厳しくすればパワハラだって。そういうことを言っているから、相手をするだけでも大変になってしまう。素直に接することができなくなってしまうのでしょう」 Q:ウイルスといい、人智を超える自然や世界を制御しようすること自体、たかがヒトという分際をわきまえていない、と。 A:「スマートシティの議論なんか聞くと、よく分かります。交通事故が起こったらどうする、誰が責任持つんだと、予め全部を考えようとする。ああすれば、こうなる。理屈の世界では可能ですけど、それを突き詰め、理性的に予測したからといって、自分たちに都合よく物事をアレンジすることなんてできませんわ。コンピューター、今の情報社会は、実際に生きているというプロセスを無視して、アタマだけでやろうとする。AかBか。いまやっているAIも、ヒトのつくるものですから、ヒトに似てくる。というより、ヒト自体がAI化してますね」 Q:凶悪事件だけでなく、電車のホームでも、いい歳をした人が肩をぶつけて罵ったり、怒ったりする姿がそここにあるのは、そんな社会に限界が来ているのでしょうか。 A:「ヒトが怒る脳科学的なプロセスは、恐れと酷似しているんです。不安で、にっちもさっちもいかなくなっているのは間違いないでしょうね。そうすると、じゃあ、どうするんだと聞いてくる。だから、それが駄目なんだっていうんです。人生は本来、不要不急なんです。社会、共同体からのモノサシでみると、不要不急だと駄目で、役に立たないといけないと思ってしまう。当たり前だけど、そんなことないよと言いたい。また今のヒトは空気を読めというけれど、実はそういうヒトこそ、きちんと考えてなくて、空気で動いているだけだったりする。一部のヒトはこうした方がいいんじゃないの、が、しなきゃ駄目になって、どんどん感情的になっていく。コロナ禍では自粛警察が現れましたね。もともと日本国民には戦時中といい、そういうのがありましたけど、不安で、考えも丸めて、絶対的に自分が正しいと思い込んでしまうのでしょう」』、「「ヒトが怒る脳科学的なプロセスは、恐れと酷似しているんです。不安で、にっちもさっちもいかなくなっているのは間違いないでしょうね。そうすると、じゃあ、どうするんだと聞いてくる。だから、それが駄目なんだっていうんです。人生は本来、不要不急なんです。社会、共同体からのモノサシでみると、不要不急だと駄目で、役に立たないといけないと思ってしまう。当たり前だけど、そんなことないよと言いたい。また今のヒトは空気を読めというけれど、実はそういうヒトこそ、きちんと考えてなくて、空気で動いているだけだったりする。一部のヒトはこうした方がいいんじゃないの、が、しなきゃ駄目になって、どんどん感情的になっていく。コロナ禍では自粛警察が現れましたね。もともと日本国民には戦時中といい、そういうのがありましたけど、不安で、考えも丸めて、絶対的に自分が正しいと思い込んでしまうのでしょう」、「人生は本来、不要不急なんです」、言い得て妙だ。
・『定年まであと3年のところで辞めたワケ Q:そんな社会にどっぷり漬かるのではなく、自分で楽しみを見つけ、楽しむ。 A:「そうです。好きこそものの上手なれ、と言いますが、論語ではさらに、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず、となる。人生、楽しんで生きているかが大切なんです。日本の社会だと、楽しんでいるというと不真面目だと考えてしまう。そうではなくて、やっていること自体が、楽しいかどうか。そんなこと言ったら、サラリーマンなんか、ほとんど全員、会社辞めちゃうんじゃないかとも思いますが。楽しむことに恐怖心すら感じるかも知れませんね。実際のところ、行きたくて会社行っているサラリーマンがどれだけいるか。いないとすると、むしろそっちのほうがおかしいわけで。まあ、僕も若い頃、東大病院で先輩の顔を見ると皆、機嫌悪いんですよ。ああはなりたくないと思ったものですけど、なってましたね。だから辞めたんです」 Q:そうしたくても、なかなかできません。 A:「定年まで3年というときに教授会で辞めると発表したとき、よく不安になりませんねとの声がありました。僕は言ってやったんです、『あなたいつお亡くなりになりますか。不安じゃないですか』って。同じですよ。先が見える道と見えない道があって、見えない道にはよりリスクがあって当たり前。でも、それが生きるということだし、思わぬ発見が自分に対してあったり、おもしろいでしょう。あのときは空が青くてね。どれだけ自分のものでもないものを背負いこんでいたか知りました。背負い、引き受け、常にやらなきゃならないと思い、長いこと本当に一生懸命でしたから。もういくところまでいっちゃった。会社勤めも、楽しんだりする余裕もないくらい頑張っていたと、ゆくゆく気が付くと思いますよ」』、「先が見える道と見えない道があって、見えない道にはよりリスクがあって当たり前。でも、それが生きるということだし、思わぬ発見が自分に対してあったり、おもしろいでしょう・・・会社勤めも、楽しんだりする余裕もないくらい頑張っていたと、ゆくゆく気が付くと思いますよ」」、自分を振り返っても、現役時代は「楽しんだりする余裕もないくらい頑張っていた」のは確かだ。
次に、6月19日付け現代ビジネスFRaUが掲載した編集者の横川 浩子氏による「養老孟司が語る「じぶんの壁」…いまこそ、子どもと大人に伝えたい「深い話」 絵本『「じぶん」のはなし』を紹介しよう。
・『人間は、ハエ1匹さえ創りだせない 虫をひたすら見ているだけで、さまざまな気付きがあると養老先生は言います。虫とはつまり、自然のこと。自然はまさにセンスオブワンダー、驚きに満ちた世界です。 「人間は、宇宙にロケットを飛ばせるようになっても、小さなハエ1匹さえ創り出せない」と養老さんは話します。自然の中で身体を使い、様々なことを感じれば、人の力の及ばない自然の偉大さを知り、想像力や他人に対しての優しさにも結び付くのではなかろうか、というわけです。 出前授業や保育園の理事長などで、長年にわたって子どもと関わる機会のあった養老先生は、80代半ばに達したいま、改めて、子どものことが心配になってきたそうです。身体を使って自然とかかわる機会がますます減ってきた子どもたちに、わたしたち大人ができることは何でしょうか? 2022年6月4日の『虫の日』に出版された、養老先生はじめての絵本『「じぶん」のはなし』には、「大人ができること」への気づきが散りばめられています。 絵本のストーリーは、分かりやすくシンプル。山に虫を探しにいく子どもたちのお話です。 ガイドはもちろん、養老先生です。 集合場所で子どもたちに「山にはどんな虫がいるんですか?」と聞かれた先生はこう答えます。 「なにがいるのか、わかっていたら おもしろくないよ。わからないから、いくんです」 どこへ行くにもネットで調べ、その結果を確かめるのが目的になりがちな昨今ですが、自然は答え合わせができません。そして驚きや感動は未知との遭遇から生まれるもの。私たち大人にとっても気付きの多い絵本です』、「どこへ行くにもネットで調べ、その結果を確かめるのが目的になりがちな昨今ですが、自然は答え合わせができません。そして驚きや感動は未知との遭遇から生まれるもの。私たち大人にとっても気付きの多い絵本です」、その通りだ。
・『養老先生が子どもだったとき 絵本には、電子顕微鏡をのぞきこみながらピンセットを動かす先生が描かれています。虫の標本を作っているところでしょうか。その足元には養老家で17年間ともに暮らし、2年前に永眠した愛猫「まる」が……。 まるの姿をできるだけ生前の様子に近づけたいと、絵を担当した横山寛多さんは何度も描き直してこの絵を完成させました。フンコロガシに夢中なのは子ども時代の孟司少年。作品中、2場面だけ登場しています。 この絵を見て養老先生は、自分が子どもだったころのことを話してくれました。 「小学校1年生の時のことです。あるとき家の前の路地に犬のフンが落ちていて、そこに虫が来ていました。しゃがんでそれを見ていると、家から出てきた母親に『何してるの』と訊かれたのです。 仕方がないから『イヌのフン』と答えたら、『フーン』と言って行ってしまいました。 そこから離れて1時間くらい経ったのですが、虫がどうなったか気になったので、また戻ってフンを見ていると、ちょうど母親が帰ってきました。母親は、私がずっとフンを見ていたのだと思い込んだようです。 子どものころから、小さな虫が元気よく動き回っているのを見ると、不思議で仕方がなかったんです。『何をしているのだろう』と思いました。いまでもそう思います。のろのろしている虫でも、ちょっと触ったりすると、だしぬけに元気よく動き出したりします。『えっ』と驚くんですが、そこが面白いんですね。 そうやって虫に関心を持っているうちに、どういう虫がどういう場所にいるのかわかってきます。名前も覚えるようになって、クワガタムシとかカミキリムシとか、グループの名前がわかるようになったんです。横山さんの絵を見ていると、その頃のことがひとりでに想い出されて、懐かしい気がします」』、「子どものころから、小さな虫が元気よく動き回っているのを見ると、不思議で仕方がなかったんです。『何をしているのだろう』と思いました。いまでもそう思います。のろのろしている虫でも、ちょっと触ったりすると、だしぬけに元気よく動き出したりします。『えっ』と驚くんですが、そこが面白いんですね。 そうやって虫に関心を持っているうちに、どういう虫がどういう場所にいるのかわかってきます。名前も覚えるようになって、クワガタムシとかカミキリムシとか、グループの名前がわかるようになったんです。横山さんの絵を見ていると、その頃のことがひとりでに想い出されて、懐かしい気がします」、本当に好奇心旺盛だったようだ。
・『鎌倉ゆかりの著者コンビ 作中の絵には実際に初夏の鎌倉で見られる虫たちが、細かく描きこまれています。風景も鎌倉の山がモデルです。 絵を担当した横山さんも養老先生と同じ鎌倉で生まれ育ち、虫とりが大好きです。また、横山さんは、養老先生が子どもたちと昆虫観察会を行うときに、助手として参加することもあります。親子以上に歳の離れたおふたりですが、山でも絵本でも息の合ったナイスコンビ! 絵本の見返しには、登場する虫や鳥などの名前も紹介していますので、あわせて読んでみてくださいね』、「絵を担当した横山さんも養老先生と同じ鎌倉で生まれ育ち、虫とりが大好きです。また、横山さんは、養老先生が子どもたちと昆虫観察会を行うときに、助手として参加することもあります。親子以上に歳の離れたおふたりですが、山でも絵本でも息の合ったナイスコンビ!」、偶然とはいえ、本当に「ナイスな」「コンビ」が生まれたものだ。
・『自分の頭で考える さて、絵本で子どもたちと共に山に向かった養老先生。到着すると、ガイド役の先生も虫に夢中です。ときには朝から夜まで虫を見ていることもあると話す先生に、子どもたちからはこんな質問が。 「どうして先生は、そんなに虫が好きなんですか?」 先生は、きっぱりとこう答えました。 「好きなことに、理由は必要ありません。好きなことがあるだけで幸せになります」) お昼のお弁当を食べ終えると、今度は先生がみんなに問いかけます。 「みんなのからだが大きくなるための材料は、なんだと思う?」 うーん、と考えて、自分が食べたものかな? と答えた子どもたちに、そうだねと先生はうなずき、さらに続けました。 ――たんぼも じぶん。はたけも じぶん。 ――やまも じぶん。うみも じぶん。 「じぶん」は何からできているのでしょうか。先生が入れた、1本のメス。ここからみなさんは、どんなことを思い浮かべますか? 自然を感じることは、ぐるっとまわって自分自身を考えること。 絵本のページをめくりながら親子で一緒に「じぶん」を考えたら、本を閉じて、ぜひ外へ! 自然の中で五感を発揮すれば、子どもたちはみずから、生きる力を身につけていくでしょう。大人が子どもにできるのは、答えを与えることではなく、そこに至る機会や環境を用意することだけかもしれません』、我が家では一番小さな孫でも既に小学校6年生、まして重要な役割を果たすべき父親がモーレツ社員で、その役割は余り期待できそうもない。残念ながら、買って送るのは断念せざるを得ないようだ。
先ずは、先ずは、2021年12月30日付け日刊ゲンダイ「養老孟司氏が語る“生きづらさの正体” 「バカの壁」から20年「ヒトの壁」が立ちはだかる」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/299062
・『社会が狭くなっている。息苦しく、剣呑で、逃げ場もない。そんな閉塞感のなか、コロナ後の生き方を模索するサラリーマンらに対して、解剖学者の養老孟司氏(84)は新著「ヒトの壁」(新潮新書)でこう喝破する。 《今は人間関係ばかり。相手の顔色をうかがいすぎていないか》 ベストセラー「バカの壁」で、話せばわかるなんて大嘘、耳を貸さない相手には通じないという壁の存在を示した。だからこそ、その壁を共通理解して、それを乗り越えようというメッセージでもあった。その刊行から約20年、壁は取り除かれるどころかますます高くなり、ヒトそのものがヒトの障壁となって立ちはだかっているというのである』、「壁は取り除かれるどころかますます高くなり、ヒトそのものがヒトの障壁となって立ちはだかっている」、確かにその通りだ。
・『評価を気にするのをやめる 「やはり世界は狭くなったのでしょう。地球全体に広がったグローバリゼーション、というと聞こえがいいんですけど、地球の広さが分かったというか、抜け道が無くなっちゃった。人によっては、無理して宇宙まで行ったりしてますけれども、たとえ月に住めるようになったとしても、東京の高層ビルとあんまり変わらないだろうって皆、わかっているんじゃないですか。また鬱陶しさが募るだけでしょうし、もう、いくところまでいくしかないかも知れない。ただ、個人のレベルではもうちょっと世界をもう少し広げる、広くすることができるんじゃないかと思う。そのためにも、他人や共同体の評価ばかり気にするのをやめる。そうすると、ヒトじゃないものに目がいくようになりますから、人生にその部分を増やし、それを楽しんでいくといいと思います」(Qは聞き手の質問、Aは養老氏の回答) Q:ネットで欲しい情報がすぐに入り、便利になった一方、SNSは悪口雑言で溢れ、名誉棄損どころか自殺者まで出ています。デジタル社会の反動も実社会に悪影響を与えているように見えます。 A:「ある考え方で社会をつくっていくと、どうしても特定の社会、ルールができてしまう。そうすると、非常に多くのヒトがそこから漏れ、外れてしまう。いまはアタマ、理屈の世の中ですけど、人間、理屈で生きているかというと、そうでもない。そう割り切れるものでもないんです。そこらへんのバランスが徹底的に崩れてしまった。感覚が伴っていないから、色々おかしなことになっている。最も割りを食っているのは、自然に近いものです。そんな社会の影響を受けないで、世の中に新しく入ってきた若い人たちも非常に戸惑うと思います。自分が全面的に持っていたもののほんの一部を突出させ、理性で生きなければならないのですから。感情で動いたら駄目だと。一番、世の中変わったのはその変じゃないですかね」』、「個人のレベルではもうちょっと世界をもう少し広げる、広くすることができるんじゃないかと思う。そのためにも、他人や共同体の評価ばかり気にするのをやめる。そうすると、ヒトじゃないものに目がいくようになりますから、人生にその部分を増やし、それを楽しんでいくといいと思います」、「人間、理屈で生きているかというと、そうでもない。そう割り切れるものでもないんです。そこらへんのバランスが徹底的に崩れてしまった。感覚が伴っていないから、色々おかしなことになっている。最も割りを食っているのは、自然に近いものです。そんな社会の影響を受けないで、世の中に新しく入ってきた若い人たちも非常に戸惑うと思います。自分が全面的に持っていたもののほんの一部を突出させ、理性で生きなければならないのですから。感情で動いたら駄目だと。一番、世の中変わったのはその変じゃないですかね」、「理性で生きなければならないのですから。感情で動いたら駄目だと」、なんとも生き難い世の中になったものだ。
・『社会の役に立たなくてもいい Q:その結果が、対人偏向の歪な社会だと。 A:「ある種の考え方が煮詰まっちゃって、にっちもさっちもいかない。変なルールを正面にたてるからいけないんで。職場の女性との関わり方も、親切にすれば、セクハラ。厳しくすればパワハラだって。そういうことを言っているから、相手をするだけでも大変になってしまう。素直に接することができなくなってしまうのでしょう」 Q:ウイルスといい、人智を超える自然や世界を制御しようすること自体、たかがヒトという分際をわきまえていない、と。 A:「スマートシティの議論なんか聞くと、よく分かります。交通事故が起こったらどうする、誰が責任持つんだと、予め全部を考えようとする。ああすれば、こうなる。理屈の世界では可能ですけど、それを突き詰め、理性的に予測したからといって、自分たちに都合よく物事をアレンジすることなんてできませんわ。コンピューター、今の情報社会は、実際に生きているというプロセスを無視して、アタマだけでやろうとする。AかBか。いまやっているAIも、ヒトのつくるものですから、ヒトに似てくる。というより、ヒト自体がAI化してますね」 Q:凶悪事件だけでなく、電車のホームでも、いい歳をした人が肩をぶつけて罵ったり、怒ったりする姿がそここにあるのは、そんな社会に限界が来ているのでしょうか。 A:「ヒトが怒る脳科学的なプロセスは、恐れと酷似しているんです。不安で、にっちもさっちもいかなくなっているのは間違いないでしょうね。そうすると、じゃあ、どうするんだと聞いてくる。だから、それが駄目なんだっていうんです。人生は本来、不要不急なんです。社会、共同体からのモノサシでみると、不要不急だと駄目で、役に立たないといけないと思ってしまう。当たり前だけど、そんなことないよと言いたい。また今のヒトは空気を読めというけれど、実はそういうヒトこそ、きちんと考えてなくて、空気で動いているだけだったりする。一部のヒトはこうした方がいいんじゃないの、が、しなきゃ駄目になって、どんどん感情的になっていく。コロナ禍では自粛警察が現れましたね。もともと日本国民には戦時中といい、そういうのがありましたけど、不安で、考えも丸めて、絶対的に自分が正しいと思い込んでしまうのでしょう」』、「「ヒトが怒る脳科学的なプロセスは、恐れと酷似しているんです。不安で、にっちもさっちもいかなくなっているのは間違いないでしょうね。そうすると、じゃあ、どうするんだと聞いてくる。だから、それが駄目なんだっていうんです。人生は本来、不要不急なんです。社会、共同体からのモノサシでみると、不要不急だと駄目で、役に立たないといけないと思ってしまう。当たり前だけど、そんなことないよと言いたい。また今のヒトは空気を読めというけれど、実はそういうヒトこそ、きちんと考えてなくて、空気で動いているだけだったりする。一部のヒトはこうした方がいいんじゃないの、が、しなきゃ駄目になって、どんどん感情的になっていく。コロナ禍では自粛警察が現れましたね。もともと日本国民には戦時中といい、そういうのがありましたけど、不安で、考えも丸めて、絶対的に自分が正しいと思い込んでしまうのでしょう」、「人生は本来、不要不急なんです」、言い得て妙だ。
・『定年まであと3年のところで辞めたワケ Q:そんな社会にどっぷり漬かるのではなく、自分で楽しみを見つけ、楽しむ。 A:「そうです。好きこそものの上手なれ、と言いますが、論語ではさらに、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず、となる。人生、楽しんで生きているかが大切なんです。日本の社会だと、楽しんでいるというと不真面目だと考えてしまう。そうではなくて、やっていること自体が、楽しいかどうか。そんなこと言ったら、サラリーマンなんか、ほとんど全員、会社辞めちゃうんじゃないかとも思いますが。楽しむことに恐怖心すら感じるかも知れませんね。実際のところ、行きたくて会社行っているサラリーマンがどれだけいるか。いないとすると、むしろそっちのほうがおかしいわけで。まあ、僕も若い頃、東大病院で先輩の顔を見ると皆、機嫌悪いんですよ。ああはなりたくないと思ったものですけど、なってましたね。だから辞めたんです」 Q:そうしたくても、なかなかできません。 A:「定年まで3年というときに教授会で辞めると発表したとき、よく不安になりませんねとの声がありました。僕は言ってやったんです、『あなたいつお亡くなりになりますか。不安じゃないですか』って。同じですよ。先が見える道と見えない道があって、見えない道にはよりリスクがあって当たり前。でも、それが生きるということだし、思わぬ発見が自分に対してあったり、おもしろいでしょう。あのときは空が青くてね。どれだけ自分のものでもないものを背負いこんでいたか知りました。背負い、引き受け、常にやらなきゃならないと思い、長いこと本当に一生懸命でしたから。もういくところまでいっちゃった。会社勤めも、楽しんだりする余裕もないくらい頑張っていたと、ゆくゆく気が付くと思いますよ」』、「先が見える道と見えない道があって、見えない道にはよりリスクがあって当たり前。でも、それが生きるということだし、思わぬ発見が自分に対してあったり、おもしろいでしょう・・・会社勤めも、楽しんだりする余裕もないくらい頑張っていたと、ゆくゆく気が付くと思いますよ」」、自分を振り返っても、現役時代は「楽しんだりする余裕もないくらい頑張っていた」のは確かだ。
次に、6月19日付け現代ビジネスFRaUが掲載した編集者の横川 浩子氏による「養老孟司が語る「じぶんの壁」…いまこそ、子どもと大人に伝えたい「深い話」 絵本『「じぶん」のはなし』を紹介しよう。
・『人間は、ハエ1匹さえ創りだせない 虫をひたすら見ているだけで、さまざまな気付きがあると養老先生は言います。虫とはつまり、自然のこと。自然はまさにセンスオブワンダー、驚きに満ちた世界です。 「人間は、宇宙にロケットを飛ばせるようになっても、小さなハエ1匹さえ創り出せない」と養老さんは話します。自然の中で身体を使い、様々なことを感じれば、人の力の及ばない自然の偉大さを知り、想像力や他人に対しての優しさにも結び付くのではなかろうか、というわけです。 出前授業や保育園の理事長などで、長年にわたって子どもと関わる機会のあった養老先生は、80代半ばに達したいま、改めて、子どものことが心配になってきたそうです。身体を使って自然とかかわる機会がますます減ってきた子どもたちに、わたしたち大人ができることは何でしょうか? 2022年6月4日の『虫の日』に出版された、養老先生はじめての絵本『「じぶん」のはなし』には、「大人ができること」への気づきが散りばめられています。 絵本のストーリーは、分かりやすくシンプル。山に虫を探しにいく子どもたちのお話です。 ガイドはもちろん、養老先生です。 集合場所で子どもたちに「山にはどんな虫がいるんですか?」と聞かれた先生はこう答えます。 「なにがいるのか、わかっていたら おもしろくないよ。わからないから、いくんです」 どこへ行くにもネットで調べ、その結果を確かめるのが目的になりがちな昨今ですが、自然は答え合わせができません。そして驚きや感動は未知との遭遇から生まれるもの。私たち大人にとっても気付きの多い絵本です』、「どこへ行くにもネットで調べ、その結果を確かめるのが目的になりがちな昨今ですが、自然は答え合わせができません。そして驚きや感動は未知との遭遇から生まれるもの。私たち大人にとっても気付きの多い絵本です」、その通りだ。
・『養老先生が子どもだったとき 絵本には、電子顕微鏡をのぞきこみながらピンセットを動かす先生が描かれています。虫の標本を作っているところでしょうか。その足元には養老家で17年間ともに暮らし、2年前に永眠した愛猫「まる」が……。 まるの姿をできるだけ生前の様子に近づけたいと、絵を担当した横山寛多さんは何度も描き直してこの絵を完成させました。フンコロガシに夢中なのは子ども時代の孟司少年。作品中、2場面だけ登場しています。 この絵を見て養老先生は、自分が子どもだったころのことを話してくれました。 「小学校1年生の時のことです。あるとき家の前の路地に犬のフンが落ちていて、そこに虫が来ていました。しゃがんでそれを見ていると、家から出てきた母親に『何してるの』と訊かれたのです。 仕方がないから『イヌのフン』と答えたら、『フーン』と言って行ってしまいました。 そこから離れて1時間くらい経ったのですが、虫がどうなったか気になったので、また戻ってフンを見ていると、ちょうど母親が帰ってきました。母親は、私がずっとフンを見ていたのだと思い込んだようです。 子どものころから、小さな虫が元気よく動き回っているのを見ると、不思議で仕方がなかったんです。『何をしているのだろう』と思いました。いまでもそう思います。のろのろしている虫でも、ちょっと触ったりすると、だしぬけに元気よく動き出したりします。『えっ』と驚くんですが、そこが面白いんですね。 そうやって虫に関心を持っているうちに、どういう虫がどういう場所にいるのかわかってきます。名前も覚えるようになって、クワガタムシとかカミキリムシとか、グループの名前がわかるようになったんです。横山さんの絵を見ていると、その頃のことがひとりでに想い出されて、懐かしい気がします」』、「子どものころから、小さな虫が元気よく動き回っているのを見ると、不思議で仕方がなかったんです。『何をしているのだろう』と思いました。いまでもそう思います。のろのろしている虫でも、ちょっと触ったりすると、だしぬけに元気よく動き出したりします。『えっ』と驚くんですが、そこが面白いんですね。 そうやって虫に関心を持っているうちに、どういう虫がどういう場所にいるのかわかってきます。名前も覚えるようになって、クワガタムシとかカミキリムシとか、グループの名前がわかるようになったんです。横山さんの絵を見ていると、その頃のことがひとりでに想い出されて、懐かしい気がします」、本当に好奇心旺盛だったようだ。
・『鎌倉ゆかりの著者コンビ 作中の絵には実際に初夏の鎌倉で見られる虫たちが、細かく描きこまれています。風景も鎌倉の山がモデルです。 絵を担当した横山さんも養老先生と同じ鎌倉で生まれ育ち、虫とりが大好きです。また、横山さんは、養老先生が子どもたちと昆虫観察会を行うときに、助手として参加することもあります。親子以上に歳の離れたおふたりですが、山でも絵本でも息の合ったナイスコンビ! 絵本の見返しには、登場する虫や鳥などの名前も紹介していますので、あわせて読んでみてくださいね』、「絵を担当した横山さんも養老先生と同じ鎌倉で生まれ育ち、虫とりが大好きです。また、横山さんは、養老先生が子どもたちと昆虫観察会を行うときに、助手として参加することもあります。親子以上に歳の離れたおふたりですが、山でも絵本でも息の合ったナイスコンビ!」、偶然とはいえ、本当に「ナイスな」「コンビ」が生まれたものだ。
・『自分の頭で考える さて、絵本で子どもたちと共に山に向かった養老先生。到着すると、ガイド役の先生も虫に夢中です。ときには朝から夜まで虫を見ていることもあると話す先生に、子どもたちからはこんな質問が。 「どうして先生は、そんなに虫が好きなんですか?」 先生は、きっぱりとこう答えました。 「好きなことに、理由は必要ありません。好きなことがあるだけで幸せになります」) お昼のお弁当を食べ終えると、今度は先生がみんなに問いかけます。 「みんなのからだが大きくなるための材料は、なんだと思う?」 うーん、と考えて、自分が食べたものかな? と答えた子どもたちに、そうだねと先生はうなずき、さらに続けました。 ――たんぼも じぶん。はたけも じぶん。 ――やまも じぶん。うみも じぶん。 「じぶん」は何からできているのでしょうか。先生が入れた、1本のメス。ここからみなさんは、どんなことを思い浮かべますか? 自然を感じることは、ぐるっとまわって自分自身を考えること。 絵本のページをめくりながら親子で一緒に「じぶん」を考えたら、本を閉じて、ぜひ外へ! 自然の中で五感を発揮すれば、子どもたちはみずから、生きる力を身につけていくでしょう。大人が子どもにできるのは、答えを与えることではなく、そこに至る機会や環境を用意することだけかもしれません』、我が家では一番小さな孫でも既に小学校6年生、まして重要な役割を果たすべき父親がモーレツ社員で、その役割は余り期待できそうもない。残念ながら、買って送るのは断念せざるを得ないようだ。
タグ:随筆 (その5)(養老孟司氏が語る“生きづらさの正体” 「バカの壁」から20年「ヒトの壁」が立ちはだかる、養老孟司が語る「じぶんの壁」…いまこそ 子どもと大人に伝えたい「深い話」 絵本『「じぶん」のはなし』) 日刊ゲンダイ「養老孟司氏が語る“生きづらさの正体” 「バカの壁」から20年「ヒトの壁」が立ちはだかる」 「ヒトの壁」(新潮新書) 「壁は取り除かれるどころかますます高くなり、ヒトそのものがヒトの障壁となって立ちはだかっている」、確かにその通りだ。 「個人のレベルではもうちょっと世界をもう少し広げる、広くすることができるんじゃないかと思う。そのためにも、他人や共同体の評価ばかり気にするのをやめる。そうすると、ヒトじゃないものに目がいくようになりますから、人生にその部分を増やし、それを楽しんでいくといいと思います」、 「人間、理屈で生きているかというと、そうでもない。そう割り切れるものでもないんです。そこらへんのバランスが徹底的に崩れてしまった。感覚が伴っていないから、色々おかしなことになっている。最も割りを食っているのは、自然に近いものです。そんな社会の影響を受けないで、世の中に新しく入ってきた若い人たちも非常に戸惑うと思います。自分が全面的に持っていたもののほんの一部を突出させ、理性で生きなければならないのですから。感情で動いたら駄目だと。一番、世の中変わったのはその変じゃないですかね」、「理性で生きなければならな いのですから。感情で動いたら駄目だと」、なんとも生き難い世の中になったものだ。 「「ヒトが怒る脳科学的なプロセスは、恐れと酷似しているんです。不安で、にっちもさっちもいかなくなっているのは間違いないでしょうね。そうすると、じゃあ、どうするんだと聞いてくる。だから、それが駄目なんだっていうんです。人生は本来、不要不急なんです。 社会、共同体からのモノサシでみると、不要不急だと駄目で、役に立たないといけないと思ってしまう。当たり前だけど、そんなことないよと言いたい。また今のヒトは空気を読めというけれど、実はそういうヒトこそ、きちんと考えてなくて、空気で動いているだけだったりする。一部のヒトはこうした方がいいんじゃないの、が、しなきゃ駄目になって、どんどん感情的になっていく。 コロナ禍では自粛警察が現れましたね。もともと日本国民には戦時中といい、そういうのがありましたけど、不安で、考えも丸めて、絶対的に自分が正しいと思い込んでしまうのでしょう」、「人生は本来、不要不急なんです」、言い得て妙だ。 「先が見える道と見えない道があって、見えない道にはよりリスクがあって当たり前。でも、それが生きるということだし、思わぬ発見が自分に対してあったり、おもしろいでしょう・・・会社勤めも、楽しんだりする余裕もないくらい頑張っていたと、ゆくゆく気が付くと思いますよ」」、自分を振り返っても、現役時代は「楽しんだりする余裕もないくらい頑張っていた」のは確かだ。 現代ビジネスFRaU 横川 浩子氏による「養老孟司が語る「じぶんの壁」…いまこそ、子どもと大人に伝えたい「深い話」 絵本『「じぶん」のはなし』 「どこへ行くにもネットで調べ、その結果を確かめるのが目的になりがちな昨今ですが、自然は答え合わせができません。そして驚きや感動は未知との遭遇から生まれるもの。私たち大人にとっても気付きの多い絵本です」、その通りだ。 「子どものころから、小さな虫が元気よく動き回っているのを見ると、不思議で仕方がなかったんです。『何をしているのだろう』と思いました。いまでもそう思います。のろのろしている虫でも、ちょっと触ったりすると、だしぬけに元気よく動き出したりします。『えっ』と驚くんですが、そこが面白いんですね。 そうやって虫に関心を持っているうちに、どういう虫がどういう場所にいるのかわかってきます。名前も覚えるようになって、クワガタムシとかカミキリムシとか、グループの名前がわかるようになったんです。横山さんの絵を見ていると、その頃のことがひとりでに想い出されて、懐かしい気がします」、本当に好奇心旺盛だったようだ。 「絵を担当した横山さんも養老先生と同じ鎌倉で生まれ育ち、虫とりが大好きです。また、横山さんは、養老先生が子どもたちと昆虫観察会を行うときに、助手として参加することもあります。親子以上に歳の離れたおふたりですが、山でも絵本でも息の合ったナイスコンビ!」、偶然とはいえ、本当に「ナイスな」「コンビ」が生まれたものだ。 我が家では一番小さな孫でも既に小学校6年生、まして重要な役割を果たすべき父親がモーレツ社員で、その役割は余り期待できそうもない。残念ながら、買って送るのは断念せざるを得ないようだ。
終末期(その8)(3800人看取ったホスピス医が説く「生きるヒント」 「人生は自分をわかってくれる人を探す旅だ」、『バカの壁』から20年…ここにきて 養老孟司が「現代人は死ぬことが理解できなくなった」と断言するワケ、72歳「余命3カ月」を部活仲間に託した彼の最期 血縁に頼れない時代、誰に看取られるのがいいか 、「タイでは葬式で泣いている人がいないんです」…《死を怖れないラクな死に方》とは 出家した直木賞作家・笹倉明さんの考え、「死の間際」で人はどんな話をしたいのか? それは「いつも通りの会話」かもしれない [人生]
終末期については、昨年5月1日に取上げた。今日は、(その8)(3800人看取ったホスピス医が説く「生きるヒント」 「人生は自分をわかってくれる人を探す旅だ」、『バカの壁』から20年…ここにきて 養老孟司が「現代人は死ぬことが理解できなくなった」と断言するワケ、72歳「余命3カ月」を部活仲間に託した彼の最期 血縁に頼れない時代、誰に看取られるのがいいか 、「タイでは葬式で泣いている人がいないんです」…《死を怖れないラクな死に方》とは 出家した直木賞作家・笹倉明さんの考え、「死の間際」で人はどんな話をしたいのか? それは「いつも通りの会話」かもしれない…コラムニスト・小田嶋隆さんとの別れの際に思想家・内田樹さんが感じたこと)である。
先ずは、昨年5月9日付け東洋経済オンラインが掲載した医師の小澤 竹俊氏による「3800人看取ったホスピス医が説く「生きるヒント」 「人生は自分をわかってくれる人を探す旅だ」」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/585077
・『仕事も友人や家族との人間関係もうまくいかない、つらいことがあり苦しいという人ほど「自分をわかってくれる誰か」の存在が救いになるとホスピス医の小澤竹俊さんは言います。 どんな状況でも前向きに自分らしく生きるためのヒントを、小澤さんの著書『あなたの強さは、あなたの弱さから生まれる』より一部抜粋、再編集してご紹介します』、『あなたの強さは、あなたの弱さから生まれる』とは興味深そうだ。
・『人は「自分をわかってくれる」誰かが必要 苦しみや痛みを抱え、弱い状態にある人はみな、「自分の気持ちをわかってくれている」と思える誰かを求めています。 もちろん、相手が100%、自分の気持ちをわかってくれているかどうかは、誰にもわかりません。 ただ、「誰かにわかってもらえた」と感じることで、多くの人は苦しみの中でも穏やかさを取り戻し、前向きに生きるきっかけをつかむことができます。 以前、実家の家族とも、妻や子どもともうまくいかず、仕事もなかなか長続きせず、古いアパートで1人で年金を頼りに暮らし、70歳をすぎてから末期がんと診断された患者さんと関わったことがあります。 最初に訪問に伺ったとき、その患者さんは「自分の人生を早く終わらせたい」「早く楽になれる薬はないのか」など、一方的にご自分の苦しみを訴えるばかりでした。 そのような人に、「そんなことを言わないでください」「あなたの気持ちはとてもよくわかります」「生きていればいいことがあります」といった言葉はまったく響きません。 それどころか「健康なお前に、俺の気持ちがわかるか」「他人事だと思って、適当なことを言うな」と、心を閉ざされてしまうでしょう。) その患者さんに対して私たちがしたことは、ただひたすら、丁寧に話を聴くことでした。 故郷のこと、曲がったことや人から指図されることが嫌いなご自身の性格のこと、病気の苦しみ……。 話をしているうちに、おそらく患者さんは、私たちのことを「自分の気持ちをわかってくれている」と感じてくださったのでしょう。 表情が徐々に穏やかになり、「苦労の多い人生ではあったけれど、自分を曲げてまで生きるよりはよかった」と口にされるようになりました』、「「誰かにわかってもらえた」と感じることで、多くの人は苦しみの中でも穏やかさを取り戻し、前向きに生きるきっかけをつかむことができます」、なるほど。カトリックで死ぬ前に、神父に告白するのもこの一環だろう。
・『ありのままの自分でいられる方法 自分の気持ちをわかってくれていると思える誰かの存在は、ありのままの自分でいられる強さを与えてくれます。 これまでに私たちが関わった患者さんの中には、体にたくさんの管をつけながら、本当に動けなくなるギリギリの瞬間まで仕事をしていた方もいらっしゃいました。 末期のがんになり、ご自身も大変な中で老々介護をし、夫を見送った後で亡くなられた方もいらっしゃいました。 「そんな体で仕事をするのはやめなさい」「夫の介護は施設に任せなさい」という人もいるかもしれませんが、私たちには、その患者さんたちにとって、仕事をすること、夫の介護をすることこそが、ありのままの自分でいられることであり、病気の苦しみの中で生きる支えになっていると、私たちには感じられました。 私たちは、仕事に、介護にいのちを燃やすお2人を静かに見守り、ときには丁寧に話を聴きました。 やがて、その患者さんたちは、満足しきった穏やかな表情でこの世を旅立たれました。 人それぞれ、大事にしたいことも、望む「ありのまま」の形も異なります。 世間でいいとされていること、大事にするべきだとされていることが、必ずしもその人にとっていいわけではなく、大事なものであるともかぎりません。 そして、親でもパートナーでも友人でも、あるいはペットや先に亡くなった誰かでも、自分の気持ちをわかってくれていると思える存在がいるとき、私たちは安心して、ありのままでいることができます。 私たちが自分らしくいられるのは、誰かがわかってくれるからなのです。 ですから、多くの人は、大変な時間と労力、エネルギーを割いて、自分をわかってくれる人を探そうとします。) もし、あなたが自分を理解してくれる人と共に生きることができているのなら、それは本当に幸せなことです。 人は「自分の時間を大切な人、大切なことのために使うことができた」と感じたとき、自分の生きる意味を見いだしやすくなり、後悔の少ない人生を送ることができるからです』、「自分の気持ちをわかってくれていると思える存在がいるとき、私たちは安心して、ありのままでいることができます。 私たちが自分らしくいられるのは、誰かがわかってくれるからなのです・・・人は「自分の時間を大切な人、大切なことのために使うことができた」と感じたとき、自分の生きる意味を見いだしやすくなり、後悔の少ない人生を送ることができるからです」、なるほど。
・『「誰か」を自ら探しに行ってみる しかし、人はみな、基本的には自分のことで精いっぱいです。 あなたが、どれほど深刻な悩みを抱え、どれほど苦しみ、「誰かに自分の気持ちをわかってもらいたい」「誰かに話を聴いてもらいたい」と思っても、なかなかそんな相手には巡り会えないかもしれません。 そのような場合は、自分の気持ちをわかってくれると思える誰かをただ待つだけでなく、自ら探しに行ってみるのはどうでしょうか。 まず自分が相手の話を聴いてみるのです。 一見、遠回りのように見えても、それがわかってもらえる誰かに出会う、そして本当の意味で幸せになるための近道だと、私は思っています。 『新約聖書』(新共同訳、日本聖書協会)の「ルカによる福音書6章38節」には、「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる」と書かれています。 自分の何かをほかの人に与える人は、実はいろいろなことを与えられるのです。 苦しみをわかってほしいあなたが、まず、苦しんでいる誰かの話を聴く。 すると、その誰かの心が穏やかになり、今度はあなたの話を聴いてくれる。 苦しみを抱える者同士が信頼関係で結ばれ、そのように助け合い、支え合って生きていくことで、幸せの輪はどんどん広がっていくはずです。 方法はもうひとつあります。「自分の気持ちをわかってくれる人が誰もいない」と感じている人は、ぜひ一度、丁寧に過去を振り返り、良かったこと、楽しかったことを思い出してみてください。 誰かといて心の安らぎを感じたことはありませんでしたか? 誰かの言葉に「この人は自分の気持ちをわかってくれた」と喜びを感じたりしたことはありませんでしたか? その相手はもう連絡が取れない人、この世にいない人かもしれません。 でも、「もしあの人が近くにいたら、自分にどんな言葉をかけてくれるだろう」「もしあの人が生きていたら、自分の気持ちをわかってくれるかもしれない」「頑張っている自分に、『それで良い』と言ってくれるかもしれない」と思うことができたら、それだけで十分に救いになり、今の苦しみが和らぐのではないでしょうか』、「そのような場合は、自分の気持ちをわかってくれると思える誰かをただ待つだけでなく、自ら探しに行ってみるのはどうでしょうか。 まず自分が相手の話を聴いてみるのです。 一見、遠回りのように見えても、それがわかってもらえる誰かに出会う、そして本当の意味で幸せになるための近道だと、私は思っています」、「方法はもうひとつあります。「自分の気持ちをわかってくれる人が誰もいない」と感じている人は、ぜひ一度、丁寧に過去を振り返り、良かったこと、楽しかったことを思い出してみてください。 誰かといて心の安らぎを感じたことはありませんでしたか? 誰かの言葉に「この人は自分の気持ちをわかってくれた」と喜びを感じたりしたことはありませんでしたか? その相手はもう連絡が取れない人、この世にいない人かもしれません。 でも、「もしあの人が近くにいたら、自分にどんな言葉をかけてくれるだろう」「もしあの人が生きていたら、自分の気持ちをわかってくれるかもしれない」「頑張っている自分に、『それで良い』と言ってくれるかもしれない」と思うことができたら、それだけで十分に救いになり、今の苦しみが和らぐのではないでしょうか」、なるほど。
次に、本年3月31日付け現代ビジネスが掲載した養老 孟司氏による「『バカの壁』から20年…ここにきて、養老孟司が「現代人は死ぬことが理解できなくなった」と断言するワケ」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/107629?imp=0
・『ものがわかるとは、理解するとはどのような状態のことを指すのでしょうか。 この度『ものがわかるということ』を上梓した養老孟司氏は、子どもの頃から「考えること」について意識的で、一つのことについてずっと考える癖があったことで、次第に物事を考え理解する力を身につけてきたそうです。 『バカの壁』の大ヒットから20年。そんな養老先生が自然や解剖の世界に触れ学んだこと、ものの見方や考え方について、脳と心の関係、意識の捉え方についての「頭の中身」を明かします。 ここにきて、養老孟司が「やっても頭が良くならない学習法」を断言…「これでは壊れたロボットです」という納得のワケ』、興味深そうだ。
・『人間自体が情報になった 「自分に適した仕事」「自分探し」と言うような人は、どこかで西洋的な「私」を取り入れているのでしょう。自分は自分で変わらない。だからその自分に合った仕事がある。変わらない自分を発見することが大切だ。そう思い込んでいるのです。 1910年代に、フランツ・カフカという小説家が『変身』という変な小説を書きました。主人公のグレゴール・ザムザは、普通の勤め人です。いまのサラリーマンと思えばいいでしょう。そのザムザが朝起きてみると、自分が等身大の大きな虫に変わっている。 そのとき、ザムザ本人はどう思っているか。相変わらず自分はグレゴール・ザムザだと思っています。何がそう主張するんでしょうか。意識です。虫になっても、「私は私である」という意識は変わらない。不思議なことです。 朝目が覚めると、ああ、俺は俺だ、と思う。今日は昨日の続きである。それは意識が戻ったということです。意識は寝るととりあえず消えますが、朝になると戻る。その都度私たちは、私は私だと確認する。もちろんそこの確認自体はほとんど無意識になされます。意識は勝手になくなって、勝手に戻ってくるんです。 カフカはちゃんとわかっていました。当時の社会の常識を延長していけば、自分の身体が虫になったって、意識は私は私だと主張するだろう、と。いまはカフカの言う通りになりました。それが私たちの現代社会、情報化社会です。 なぜ情報化社会と言うんでしょうか。ほとんどの人はこう考えます。コンピュータが普及して、テレビやパソコンのない家はなくなって、誰でもスマホやケータイを持っていて、毎日おびただしい情報が流れるからと。 私は情報化社会という言葉を、違った意味で使います。人間自体が情報になったのです。情報化したのは人間です。「同じ私」とは、変わらない私です。変わらない私とは、情報としての私です』、「朝目が覚めると、ああ、俺は俺だ、と思う。今日は昨日の続きである。それは意識が戻ったということです。意識は寝るととりあえず消えますが、朝になると戻る。その都度私たちは、私は私だと確認する。もちろんそこの確認自体はほとんど無意識になされます」、「私は情報化社会という言葉を、違った意味で使います。人間自体が情報になったのです。情報化したのは人間です。「同じ私」とは、変わらない私です。変わらない私とは、情報としての私です」、なるほど。
・『死ぬことを理解できない日本人 情報化社会では、情報と人間がひっくり返しに錯覚されるようになりました。自分は名前つまり情報ですから、いつも「同じ」です。 自分が情報になり、変わらなくなると、死ぬことがおかしなことに感じられます。死ぬとは、自分が変わるということです。同じ私、変わらない私があるなら、死ぬのはたしかに変です。だから現代人は死ぬことが理解できなくなりました。 仏教で生老病死のことを「四苦」と言います。四苦は、人の一生が変化の連続だということを示しています。それがすべて「変なこと」になってしまいました。それと同時に、教育が何をすることなのか、わからなくなってしまった。変わらない自分が素晴らしいとなるのだから、当然です。 人が変わらなくなった社会で、一番苦労するのは子どもです。なぜか。子どもとは一番速やかに変化する人たちだからです。育つ、つまり変わっていくこと自体が、言ってみれば、子どもの目的みたいなものです。 ところが情報化社会になると、情報はカチンカチンに固まって止まっていて、子どもまで固めてしまう。その延長で、個性を伸ばせとか、自分を探せとか言われてしま う。そんな自分なんてあるわけありません。だって探している当の自分がどんどん変 わっていくんですから。 じゃあ、個性って何なのか。個性を伸ばす教育とはどういうことでしょう。) 誰だって、あなたを他人と間違えません。そそっかしい人なら別ですが。どうして間違えないかというと、顔が違う、立ち居振る舞いが違う、つまり身体が違うからです。 どのくらい身体が違うかというと、たとえばあなたの皮膚を取って、親に移植したと思ってください。つきません。逆に親の皮膚をもらって、自分につけてもらっても、やっぱりつきません。移植した皮膚は間もなく死んで、落ちてしまいます。 誰も教えたわけではないのに、身体は自分と他人を、たとえ親であっても、区別しています。それが個性です。そこまではっきり区別するもの、親子ですら通じ合えないもの、それこそが個性です。 だから個性とは、実は身体そのものです。でも普通は、個性とは心だと思われています。ここに大きな誤解があります』、「自分は名前つまり情報ですから、いつも「同じ」です。 自分が情報になり、変わらなくなると、死ぬことがおかしなことに感じられます。死ぬとは、自分が変わるということです。同じ私、変わらない私があるなら、死ぬのはたしかに変です。だから現代人は死ぬことが理解できなくなりました」、「教育が何をすることなのか、わからなくなってしまった。変わらない自分が素晴らしいとなるのだから、当然です。 人が変わらなくなった社会で、一番苦労するのは子どもです。なぜか。子どもとは一番速やかに変化する人たちだからです。育つ、つまり変わっていくこと自体が、言ってみれば、子どもの目的みたいなものです。 ところが情報化社会になると、情報はカチンカチンに固まって止まっていて、子どもまで固めてしまう」、「身体は自分と他人を、たとえ親であっても、区別しています。それが個性です。そこまではっきり区別するもの、親子ですら通じ合えないもの、それこそが個性です。 だから個性とは、実は身体そのものです。でも普通は、個性とは心だと思われています。ここに大きな誤解があります」、なるほど。
第三に、5月5日付け東洋経済オンラインが掲載した看取りの医者の平野 国美氏による「72歳「余命3カ月」を部活仲間に託した彼の最期 血縁に頼れない時代、誰に看取られるのがいいか 」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/669651
・『「治さない医者」を自認する訪問診療専門の医師・平野国美氏は、これまで2700人の最期を看取るなかで、「後悔なく」生きる秘訣は、「正しいわがまま」にこそあると会得した。どこでどのような最期を迎えたいのか、その意思表示をしておくことは、自分も周囲も幸せにするわがままだ。さらには、「誰と最後の時間を過ごすのか」も、大事なポイントとして、考えることをすすめる。著書『70歳からの正しいわがまま』から、一部抜粋してお届けする』、興味深そうだ。
・『最後の瞬間に「誰と」いたいか考えてみる 自宅をはじめとした好きな場所で最期を迎えることが、患者当人にとってはもっとも幸せらしいという確信のもと、私は常々「自宅で死のうよ」と言ってきた。 もちろん、患者の周囲の状況が、それを成せるかどうかがカギになるから、その準備をすること、自分も、看取る側も覚悟を決めておくことは必要になる。 どこで死ぬか同じように「誰に看取られるか」も、もはや自分で決めていいのではないかと、私は思っている。 既存の社会的な関係性や保守的なしがらみを超えて、「本当にこの人といたい」「最期はこの人に寄り添ってほしい」と思える、その誰かを選ぶわがままも、どこで死にたいのかと同様の、正しいわがままだと思うのだ。 末期がんの告知を受けた72歳の男性がいた。 結婚はしておらず、子どももいない。 「今日、病院で自分の病気の説明があるから、ついてきてくれないか」 天涯孤独の身の彼が、そうやって声をかけたのは、親類でも、内縁関係にある者でもない。男性が付き添いを依頼したのは、高校時代のヨット部の仲間たちだったのだ。 海洋冒険家・堀江謙一さんの『太平洋ひとりぼっち』に感銘を受けた世代。茨城県の、当時の高校生たちにとっても、霞ヶ浦から太平洋に漕ぎ出すことは、1つのステータスだったに違いない。) そんな、眩しい青春の時間をともに過ごした仲間たちに、男性はある意味、とても無茶な頼み事をしたのだ。 そのとき、医師から告げられたのは、主に2点だった。 本人が末期のがんであること。そして、もはや病院で施す治療は何もなく、「この先は自宅か施設で過ごしていただくことになる」ということだった。 しばしの沈黙が流れた。 やがて、自分自身の運命を受け入れた男性は、不意にすぐ隣で押し黙ったままでいた後輩の手を握って、頭を下げた。「よろしく頼むよ」と』、「末期がんの告知を受けた72歳の男性がいた。 結婚はしておらず、子どももいない。 「今日、病院で自分の病気の説明があるから、ついてきてくれないか」 天涯孤独の身の彼が、そうやって声をかけたのは、親類でも、内縁関係にある者でもない。男性が付き添いを依頼したのは、高校時代のヨット部の仲間たちだったのだ」、「高校時代のヨット部」の活動がよほど濃密だったのだろう。
・『ヨット部仲間たちと「青春再来」を味わい尽くす いくら、10代の多感な時代、ともに汗を流した仲間からの頼みとはいえ、親兄弟でもない人の世話なんて……。 ごく普通の感覚の持ち主なら、そう思うかもしれないが、驚いたことに、彼らは違った。なんと、末期がんの男性の介護を、仲間全員で引き受けるという一大プロジェクトを敢行するのだ。 手を握られた後輩は苦笑いを浮かべつつ、正直にこう告白した。 「あの瞬間は、『な、なんで俺?』と思いましたよ。親の介護すら、経験したこともなかったですから」 それでも、彼らは、男性のために走り回った。 すぐに入居できる施設を探し回り、あっという間に彼の〝終の住処〟を見つけてきた。会計を担当する者、必要な物資をそろえる者、ただ、毎晩のように施設に通ってきては、寄り添い続ける者……。仲間たちは役割を分担し、それぞれができることを精一杯やりながら、男性の最後の時間を支えた。 仲間のなかには女性の姿もあった。聞けば、国体のセーリング競技で優勝経験もあるという猛者だった。 そんな女性がかいがいしく彼のことを介護する姿を目の当たりにして、私は勝手に思い込んでいた。2人は過去に男女の関係があったのではないかと。ある日、その疑問を彼女にぶつけると、彼女は笑ってこう返した。) 「ない、ない、あるわけないでしょ。そんな、ややこしい過去があったら、いまこうしてパンツ下ろしたり、おむつ替えたりなんてできんわ」 そんなものかと思う半面、過去に何もなかった男性の、下の世話なんてできるものだろうか、と思ったりもした』、「彼らは、男性のために走り回った。 すぐに入居できる施設を探し回り、あっという間に彼の〝終の住処〟を見つけてきた。会計を担当する者、必要な物資をそろえる者、ただ、毎晩のように施設に通ってきては、寄り添い続ける者……。仲間たちは役割を分担し、それぞれができることを精一杯やりながら、男性の最後の時間を支えた。 仲間のなかには女性の姿もあった。聞けば、国体のセーリング競技で優勝経験もあるという猛者だった」、「2人は過去に男女の関係があったのではないかと。ある日、その疑問を彼女にぶつけると、彼女は笑ってこう返した。 「ない、ない、あるわけないでしょ。そんな、ややこしい過去があったら、いまこうしてパンツ下ろしたり、おむつ替えたりなんてできんわ」 そんなものかと思う半面、過去に何もなかった男性の、下の世話なんてできるものだろうか、と思ったりもした」、なるほど。
・『血縁に頼れない時代 彼らを見ていると、これからは血縁に頼れない時代なのだと、つくづく思い知らされた。 核家族化が進み、誰にも高齢独居の可能性がある現在、死期の迫った患者の介護をしている人というのは、配偶者や子どもばかりではない。 先にいくつもの例を紹介してきた内縁関係にある人が介護を担うケースはお伝えしたとおりだが、親類でもない者や、子や親族には決して歓迎されてはいない者……。 こんなことを書くと、保守的な人たちから集中砲火を浴びそうだが、私は当事者同士に強い絆があるのならば、そんな内縁関係の誰かが、生い先短い患者の面倒を見ることは、大いに結構なことだと考えている。 不倫も内縁も大歓迎。部活仲間が看取るというケースは多くはないが、部活仲間たちに見送られるなんて、人生の最終末を、青春時代の思い出とともに結ぶようで、実にすがすがしいものに感じる。 死に場所を自由に選びたいと考えること、それと同じように、その瞬間を、誰に寄り添ってもらいたいのかも、もっと旅立つ人の意思が尊重されていい。 件の男性は、がん告知から3カ月を経たある夜、仲間たちに囲まれながら、静かに息を引き取った。 私は死亡診断書を書きながら思った。彼に対して、私たち医療者が果たした役割は、じつに微々たるものだった、と。彼の最期を、わずかでも幸せな時間にしてくれたそのすべては、彼の仲間たちがもたらしたものだった。 死後、彼の遺骨は、仲間たちの手で霞ヶ浦に散骨された。 そこは、高校時代に皆でヨットを浮かべた入江。 半世紀を経て、部活でともに汗を流した水辺は「別れの場所」になり、かつての仲間は葬儀の参列者となったのだ』、「人生の最終末を、青春時代の思い出とともに結ぶようで、実にすがすがしいものに感じる・・・件の男性は、がん告知から3カ月を経たある夜、仲間たちに囲まれながら、静かに息を引き取った・・・彼の遺骨は、仲間たちの手で霞ヶ浦に散骨された」、うらやましい限りだ。私は、病院は東京警察病院に行っているが、「看取り」を依頼できるようなホームドクターも作っておくべきだと思った。
第四に、7月21日付け現代ビジネス「「タイでは葬式で泣いている人がいないんです」…《死を怖れないラクな死に方》とは 出家した直木賞作家」を紹介しよう。
・『笹倉明さんの考え:「できるかな」「なかなか難しいな」そうやって、いろいろなことに挑戦して、人は成長する。そして人生の最後に挑む壁が「死」だ。亡くなったあの人たちは、どんな思いでそれを乗り越えたのか。 1つめの記事『「裕次郎のようには達観できないんだよ、俺は」…【死】に先人たちはどう向き合い、寄り添ったのか 石原慎太郎と裕次郎兄弟のケース』より続く』、興味深そうだ。
・『「楽な死に方」「苦しい死に方」はあるのか? 「だが、あがけばあがくほど、死の苦しみは増すのではないか?」多くの人は、そう不安になるだろう。在宅医療で多くの患者を看取ってきた中村伸一医師が語る。 「末期の苦しみは、亡くなる病気にもよります。例えば、がんの場合は麻薬で痛みをコントロールできるので、それほど苦しまないことが多い。 胃がん・大腸がん・膵臓がんが肝臓に転移するとアンモニアが体内で作られ肝性脳症といって頭がボーっとします。そうなると、それほど麻薬を使わなくても楽に亡くなる方もいます。一方で、慢性の肺疾患や心不全は、苦しまれる方も多いですね」 自宅で亡くなる場合も、余計な延命治療をしないので、比較的穏やかな最期を迎えやすいという。 「在宅医療では高度なことができません。でも逆に余計なことをしないというメリットもあります。 一般の医療は足し算です。酸素を投与する、脱水なら水を入れる、痛みには痛み止めを使うという医療です。しかし、低酸素や脱水になると、ボーっとした意識になり、痛みも感じないままに逝けるのです。 それを無理に酸素投与や点滴をすると、意識がシャンとして、痛みを感じるので麻薬を増やすことになる」(中村医師) 終末期はあまり余計な医療行為をほどこさないほうが、穏やかに過ごせるのだ。 そのあたりのことは、主治医とよく話しあって、どういう最期を迎えたいのか『エンディングノート』に書いておくことです。家族が『延命してほしい』と口を出すことがありますが、私なら患者と書面の約束があれば、そちらを優先します。 私は患者さんが元気なうちに、『判断能力がなくなったら、できるだけ長く生きることを優先順位のトップにしますか。それとも苦しまないこと、あるいは自分の尊厳を優先しますか』と尋ねるようにしています」』、「「在宅医療では高度なことができません。でも逆に余計なことをしないというメリットもあります。 一般の医療は足し算です。酸素を投与する、脱水なら水を入れる、痛みには痛み止めを使うという医療です。しかし、低酸素や脱水になると、ボーっとした意識になり、痛みも感じないままに逝けるのです。 それを無理に酸素投与や点滴をすると、意識がシャンとして、痛みを感じるので麻薬を増やすことになる」(中村医師) 終末期はあまり余計な医療行為をほどこさないほうが、穏やかに過ごせるのだ」、なるほど。
・『死の瞬間はそれほど苦しくないのではないか 直木賞作家で、'16年にタイのチェンマイの寺院で出家した笹倉明さんは、死に対する恐れが徐々に薄れてきたという。 「タイでは葬式で泣いている人がいないんです。死は悲しむべきものではなくて、むしろ現世の苦しみから解放されて、来世に行くというのがタイ人の考え方です。無論、死は喜ぶべきものではありませんが、悲しみ恐れるべきものでもなく、万人に訪れる宿命なのです。 私も、おそらく死ぬ瞬間はそれほど苦しくないのではないか、と思っています。どんな死に方であろうと、死が迫ったときの人間は、非常に安らかな状態になるのではないでしょうか。実際、私も、眠るように息を引き取る人たちばかりを見てきました」 いずれは誰もが通る道だ。ジタバタしようが達観しようが、自分なりの向き合い方をすれば、それでいい。 3つめの記事『「死の間際」で人はどんな話をしたいのか? それは「いつも通りの会話」かもしれない…コラムニスト・小田嶋隆さんとの別れの際に思想家・内田樹さんが感じたこと』につづく』、「「タイでは葬式で泣いている人がいないんです。死は悲しむべきものではなくて、むしろ現世の苦しみから解放されて、来世に行くというのがタイ人の考え方です。無論、死は喜ぶべきものではありませんが、悲しみ恐れるべきものでもなく、万人に訪れる宿命なのです。 私も、おそらく死ぬ瞬間はそれほど苦しくないのではないか、と思っています。どんな死に方であろうと、死が迫ったときの人間は、非常に安らかな状態になるのではないでしょうか。実際、私も、眠るように息を引き取る人たちばかりを見てきました」、なるほど。
第五に、7月21日付け現代ビジネス「「死の間際」で人はどんな話をしたいのか? それは「いつも通りの会話」かもしれない…コラムニスト・小田嶋隆さんとの別れの際に思想家・内田樹さんが感じたこと」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/113380?imp=0
・『「できるかな」「なかなか難しいな」そうやって、いろいろなことに挑戦して、人は成長する。そして人生の最後に挑む壁が「死」だ。亡くなったあの人たちは、どんな思いでそれを乗り越えたのか。 2つめの記事『「タイでは葬式で泣いている人がいないんです」…《死を怖れないラクな死に方》とは 出家した直木賞作家・笹倉明さんの考え』より続く』、興味深そうだ。
・『死の間際に考えること 思想家の内田樹さんは、コラムニストの小田嶋隆さん(享年65)が亡くなる11日前に、小田嶋さんの家を訪ねた。 「ちょうどいまから1年ほど前のことです。小田嶋さんから電話があって、『そろそろですから……』という感じでしたので、友人の平川君(文筆家で実業家の平川克美さん)と連絡を取り合い、ご自宅にうかがいました。 亡くなった後に『小田嶋さんから電話があった』という話はいろいろな方から聞きました。ベッドから最後のあいさつをされたのです。なんと細やかな気の使い方だろうと思いました。奥さんに伺ったら、声も出せないほど苦しい状態のときもあったのだけれど、薬が効いていて話ができる体調になると電話に手を伸ばし、最後のあいさつをしていたそうです」 死を間際に、小田嶋さんがいちばんに考えたことは、友人たちにきちんと別れのあいさつをするということだった。小田嶋さんには親友でクリエイティブ・ディレクターの岡康道さんが急逝したときに、別れのあいさつができなかったことをずっと悔いていたので、自分の友人たちにはそんな思いをさせまいと、限りある体力をふりしぼって電話をしたのである』、「死を間際に、小田嶋さんがいちばんに考えたことは、友人たちにきちんと別れのあいさつをするということだった。小田嶋さんには親友でクリエイティブ・ディレクターの岡康道さんが急逝したときに、別れのあいさつができなかったことをずっと悔いていたので、自分の友人たちにはそんな思いをさせまいと、限りある体力をふりしぼって電話をした」、大したものだ。
・『満足できる「最後の話」 「僕たちが見舞いに行ったときは、ベッドに横臥して、点滴を打ちながら、息も絶え絶えという様子でしたが、それでも、かすれる声で『今いちばんしたいことはバカ話なんです』といわれました。 『それじゃあ』と、平川君と奥さんを交えて4人でしゃべっているうちに、面白いもので、小田嶋さんの顔色がどんどんよくなってきたんです。最初のうちは痰を吐きながら、かろうじてかすれる声でしゃべっていたのが、どんどん滑舌がよくなって、そのうちに上半身を起こして、熱く文学について語りはじめました」 「バカ話」といいながら、最後に熱弁をふるったのは、橋本治の文学史的な重要性についてだった。そんな話ができて小田嶋さんは満足そうだったという。 「そういう場では、どうしても深刻になりがちです。でも彼は『最後に言い残すことはありますか?』なんて訊かれたくないわけです。これまで会っていたときと同じように、笑いながら、普通のおしゃべりがしたかったのでしょう。小田嶋さんのその気持ちがよくわかります」』、「最初のうちは痰を吐きながら、かろうじてかすれる声でしゃべっていたのが、どんどん滑舌がよくなって、そのうちに上半身を起こして、熱く文学について語りはじめました」 「バカ話」といいながら、最後に熱弁をふるったのは、橋本治の文学史的な重要性についてだった。そんな話ができて小田嶋さんは満足そうだったという」、なるほど。
・『あふれ出る感謝の念 内田さんが小田嶋さんに会ったのは亡くなる10日ほど前だったが、息を引き取る直前に、人はどんな言葉を発するのだろうか。 前出の中村伸一医師が語る。 「最後は意識もあいまいになって、言葉も不明瞭になるケースがほとんどです。しかし、稀に感謝の気持ちをはっきりと口にする人もいます。 おとなしいけれど、芯が強かった男性がいました。小さな会社で定年を2度も延長して勤め続け、最後はボランティアをしていたのですが、亡くなる直前は衰弱して飲み込む力も弱くなっていました。奥さんが、なにがほしいかと訊いたところ、『味噌汁がええな。あの一杯でどれだけ救われたことか』と言ったそうです。 無口な人で会社の愚痴を家でこぼす人ではなかったけれども、現役時代には我慢することもあったでしょう。いろいろな思いを胸に秘めて奥さんの味噌汁をすすっていたことがよくわかります」 他にも、頑固で家族も訪問診療で訪れる医師も手こずらせた男性が、妻に「いままでおおきに。家で死ねていい人生やった。お前も先生に看取られてここで死ねよ」と言い残したこともあった。 「私にとっても最高の褒め言葉で、最後にこんなことを言われるのなら、もっと優しくしておけばよかったと思いました」(中村医師) 最後の最後まで、意識が明確でいられる保証はない。ましてや、思った通りに話をするのは難しいだろう。伝えたいことがあるのなら、早めに素直な気持ちを口にしておきたい。 4つめの記事『「いままで、ありがとうな」…アントニオ猪木さんの弟が、腕も上げられない兄の最期を看取ることができて「本当に良かった」と語る理由』につづく』、「最後の最後まで、意識が明確でいられる保証はない。ましてや、思った通りに話をするのは難しいだろう。伝えたいことがあるのなら、早めに素直な気持ちを口にしておきたい」、その通りだ。
先ずは、昨年5月9日付け東洋経済オンラインが掲載した医師の小澤 竹俊氏による「3800人看取ったホスピス医が説く「生きるヒント」 「人生は自分をわかってくれる人を探す旅だ」」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/585077
・『仕事も友人や家族との人間関係もうまくいかない、つらいことがあり苦しいという人ほど「自分をわかってくれる誰か」の存在が救いになるとホスピス医の小澤竹俊さんは言います。 どんな状況でも前向きに自分らしく生きるためのヒントを、小澤さんの著書『あなたの強さは、あなたの弱さから生まれる』より一部抜粋、再編集してご紹介します』、『あなたの強さは、あなたの弱さから生まれる』とは興味深そうだ。
・『人は「自分をわかってくれる」誰かが必要 苦しみや痛みを抱え、弱い状態にある人はみな、「自分の気持ちをわかってくれている」と思える誰かを求めています。 もちろん、相手が100%、自分の気持ちをわかってくれているかどうかは、誰にもわかりません。 ただ、「誰かにわかってもらえた」と感じることで、多くの人は苦しみの中でも穏やかさを取り戻し、前向きに生きるきっかけをつかむことができます。 以前、実家の家族とも、妻や子どもともうまくいかず、仕事もなかなか長続きせず、古いアパートで1人で年金を頼りに暮らし、70歳をすぎてから末期がんと診断された患者さんと関わったことがあります。 最初に訪問に伺ったとき、その患者さんは「自分の人生を早く終わらせたい」「早く楽になれる薬はないのか」など、一方的にご自分の苦しみを訴えるばかりでした。 そのような人に、「そんなことを言わないでください」「あなたの気持ちはとてもよくわかります」「生きていればいいことがあります」といった言葉はまったく響きません。 それどころか「健康なお前に、俺の気持ちがわかるか」「他人事だと思って、適当なことを言うな」と、心を閉ざされてしまうでしょう。) その患者さんに対して私たちがしたことは、ただひたすら、丁寧に話を聴くことでした。 故郷のこと、曲がったことや人から指図されることが嫌いなご自身の性格のこと、病気の苦しみ……。 話をしているうちに、おそらく患者さんは、私たちのことを「自分の気持ちをわかってくれている」と感じてくださったのでしょう。 表情が徐々に穏やかになり、「苦労の多い人生ではあったけれど、自分を曲げてまで生きるよりはよかった」と口にされるようになりました』、「「誰かにわかってもらえた」と感じることで、多くの人は苦しみの中でも穏やかさを取り戻し、前向きに生きるきっかけをつかむことができます」、なるほど。カトリックで死ぬ前に、神父に告白するのもこの一環だろう。
・『ありのままの自分でいられる方法 自分の気持ちをわかってくれていると思える誰かの存在は、ありのままの自分でいられる強さを与えてくれます。 これまでに私たちが関わった患者さんの中には、体にたくさんの管をつけながら、本当に動けなくなるギリギリの瞬間まで仕事をしていた方もいらっしゃいました。 末期のがんになり、ご自身も大変な中で老々介護をし、夫を見送った後で亡くなられた方もいらっしゃいました。 「そんな体で仕事をするのはやめなさい」「夫の介護は施設に任せなさい」という人もいるかもしれませんが、私たちには、その患者さんたちにとって、仕事をすること、夫の介護をすることこそが、ありのままの自分でいられることであり、病気の苦しみの中で生きる支えになっていると、私たちには感じられました。 私たちは、仕事に、介護にいのちを燃やすお2人を静かに見守り、ときには丁寧に話を聴きました。 やがて、その患者さんたちは、満足しきった穏やかな表情でこの世を旅立たれました。 人それぞれ、大事にしたいことも、望む「ありのまま」の形も異なります。 世間でいいとされていること、大事にするべきだとされていることが、必ずしもその人にとっていいわけではなく、大事なものであるともかぎりません。 そして、親でもパートナーでも友人でも、あるいはペットや先に亡くなった誰かでも、自分の気持ちをわかってくれていると思える存在がいるとき、私たちは安心して、ありのままでいることができます。 私たちが自分らしくいられるのは、誰かがわかってくれるからなのです。 ですから、多くの人は、大変な時間と労力、エネルギーを割いて、自分をわかってくれる人を探そうとします。) もし、あなたが自分を理解してくれる人と共に生きることができているのなら、それは本当に幸せなことです。 人は「自分の時間を大切な人、大切なことのために使うことができた」と感じたとき、自分の生きる意味を見いだしやすくなり、後悔の少ない人生を送ることができるからです』、「自分の気持ちをわかってくれていると思える存在がいるとき、私たちは安心して、ありのままでいることができます。 私たちが自分らしくいられるのは、誰かがわかってくれるからなのです・・・人は「自分の時間を大切な人、大切なことのために使うことができた」と感じたとき、自分の生きる意味を見いだしやすくなり、後悔の少ない人生を送ることができるからです」、なるほど。
・『「誰か」を自ら探しに行ってみる しかし、人はみな、基本的には自分のことで精いっぱいです。 あなたが、どれほど深刻な悩みを抱え、どれほど苦しみ、「誰かに自分の気持ちをわかってもらいたい」「誰かに話を聴いてもらいたい」と思っても、なかなかそんな相手には巡り会えないかもしれません。 そのような場合は、自分の気持ちをわかってくれると思える誰かをただ待つだけでなく、自ら探しに行ってみるのはどうでしょうか。 まず自分が相手の話を聴いてみるのです。 一見、遠回りのように見えても、それがわかってもらえる誰かに出会う、そして本当の意味で幸せになるための近道だと、私は思っています。 『新約聖書』(新共同訳、日本聖書協会)の「ルカによる福音書6章38節」には、「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる」と書かれています。 自分の何かをほかの人に与える人は、実はいろいろなことを与えられるのです。 苦しみをわかってほしいあなたが、まず、苦しんでいる誰かの話を聴く。 すると、その誰かの心が穏やかになり、今度はあなたの話を聴いてくれる。 苦しみを抱える者同士が信頼関係で結ばれ、そのように助け合い、支え合って生きていくことで、幸せの輪はどんどん広がっていくはずです。 方法はもうひとつあります。「自分の気持ちをわかってくれる人が誰もいない」と感じている人は、ぜひ一度、丁寧に過去を振り返り、良かったこと、楽しかったことを思い出してみてください。 誰かといて心の安らぎを感じたことはありませんでしたか? 誰かの言葉に「この人は自分の気持ちをわかってくれた」と喜びを感じたりしたことはありませんでしたか? その相手はもう連絡が取れない人、この世にいない人かもしれません。 でも、「もしあの人が近くにいたら、自分にどんな言葉をかけてくれるだろう」「もしあの人が生きていたら、自分の気持ちをわかってくれるかもしれない」「頑張っている自分に、『それで良い』と言ってくれるかもしれない」と思うことができたら、それだけで十分に救いになり、今の苦しみが和らぐのではないでしょうか』、「そのような場合は、自分の気持ちをわかってくれると思える誰かをただ待つだけでなく、自ら探しに行ってみるのはどうでしょうか。 まず自分が相手の話を聴いてみるのです。 一見、遠回りのように見えても、それがわかってもらえる誰かに出会う、そして本当の意味で幸せになるための近道だと、私は思っています」、「方法はもうひとつあります。「自分の気持ちをわかってくれる人が誰もいない」と感じている人は、ぜひ一度、丁寧に過去を振り返り、良かったこと、楽しかったことを思い出してみてください。 誰かといて心の安らぎを感じたことはありませんでしたか? 誰かの言葉に「この人は自分の気持ちをわかってくれた」と喜びを感じたりしたことはありませんでしたか? その相手はもう連絡が取れない人、この世にいない人かもしれません。 でも、「もしあの人が近くにいたら、自分にどんな言葉をかけてくれるだろう」「もしあの人が生きていたら、自分の気持ちをわかってくれるかもしれない」「頑張っている自分に、『それで良い』と言ってくれるかもしれない」と思うことができたら、それだけで十分に救いになり、今の苦しみが和らぐのではないでしょうか」、なるほど。
次に、本年3月31日付け現代ビジネスが掲載した養老 孟司氏による「『バカの壁』から20年…ここにきて、養老孟司が「現代人は死ぬことが理解できなくなった」と断言するワケ」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/107629?imp=0
・『ものがわかるとは、理解するとはどのような状態のことを指すのでしょうか。 この度『ものがわかるということ』を上梓した養老孟司氏は、子どもの頃から「考えること」について意識的で、一つのことについてずっと考える癖があったことで、次第に物事を考え理解する力を身につけてきたそうです。 『バカの壁』の大ヒットから20年。そんな養老先生が自然や解剖の世界に触れ学んだこと、ものの見方や考え方について、脳と心の関係、意識の捉え方についての「頭の中身」を明かします。 ここにきて、養老孟司が「やっても頭が良くならない学習法」を断言…「これでは壊れたロボットです」という納得のワケ』、興味深そうだ。
・『人間自体が情報になった 「自分に適した仕事」「自分探し」と言うような人は、どこかで西洋的な「私」を取り入れているのでしょう。自分は自分で変わらない。だからその自分に合った仕事がある。変わらない自分を発見することが大切だ。そう思い込んでいるのです。 1910年代に、フランツ・カフカという小説家が『変身』という変な小説を書きました。主人公のグレゴール・ザムザは、普通の勤め人です。いまのサラリーマンと思えばいいでしょう。そのザムザが朝起きてみると、自分が等身大の大きな虫に変わっている。 そのとき、ザムザ本人はどう思っているか。相変わらず自分はグレゴール・ザムザだと思っています。何がそう主張するんでしょうか。意識です。虫になっても、「私は私である」という意識は変わらない。不思議なことです。 朝目が覚めると、ああ、俺は俺だ、と思う。今日は昨日の続きである。それは意識が戻ったということです。意識は寝るととりあえず消えますが、朝になると戻る。その都度私たちは、私は私だと確認する。もちろんそこの確認自体はほとんど無意識になされます。意識は勝手になくなって、勝手に戻ってくるんです。 カフカはちゃんとわかっていました。当時の社会の常識を延長していけば、自分の身体が虫になったって、意識は私は私だと主張するだろう、と。いまはカフカの言う通りになりました。それが私たちの現代社会、情報化社会です。 なぜ情報化社会と言うんでしょうか。ほとんどの人はこう考えます。コンピュータが普及して、テレビやパソコンのない家はなくなって、誰でもスマホやケータイを持っていて、毎日おびただしい情報が流れるからと。 私は情報化社会という言葉を、違った意味で使います。人間自体が情報になったのです。情報化したのは人間です。「同じ私」とは、変わらない私です。変わらない私とは、情報としての私です』、「朝目が覚めると、ああ、俺は俺だ、と思う。今日は昨日の続きである。それは意識が戻ったということです。意識は寝るととりあえず消えますが、朝になると戻る。その都度私たちは、私は私だと確認する。もちろんそこの確認自体はほとんど無意識になされます」、「私は情報化社会という言葉を、違った意味で使います。人間自体が情報になったのです。情報化したのは人間です。「同じ私」とは、変わらない私です。変わらない私とは、情報としての私です」、なるほど。
・『死ぬことを理解できない日本人 情報化社会では、情報と人間がひっくり返しに錯覚されるようになりました。自分は名前つまり情報ですから、いつも「同じ」です。 自分が情報になり、変わらなくなると、死ぬことがおかしなことに感じられます。死ぬとは、自分が変わるということです。同じ私、変わらない私があるなら、死ぬのはたしかに変です。だから現代人は死ぬことが理解できなくなりました。 仏教で生老病死のことを「四苦」と言います。四苦は、人の一生が変化の連続だということを示しています。それがすべて「変なこと」になってしまいました。それと同時に、教育が何をすることなのか、わからなくなってしまった。変わらない自分が素晴らしいとなるのだから、当然です。 人が変わらなくなった社会で、一番苦労するのは子どもです。なぜか。子どもとは一番速やかに変化する人たちだからです。育つ、つまり変わっていくこと自体が、言ってみれば、子どもの目的みたいなものです。 ところが情報化社会になると、情報はカチンカチンに固まって止まっていて、子どもまで固めてしまう。その延長で、個性を伸ばせとか、自分を探せとか言われてしま う。そんな自分なんてあるわけありません。だって探している当の自分がどんどん変 わっていくんですから。 じゃあ、個性って何なのか。個性を伸ばす教育とはどういうことでしょう。) 誰だって、あなたを他人と間違えません。そそっかしい人なら別ですが。どうして間違えないかというと、顔が違う、立ち居振る舞いが違う、つまり身体が違うからです。 どのくらい身体が違うかというと、たとえばあなたの皮膚を取って、親に移植したと思ってください。つきません。逆に親の皮膚をもらって、自分につけてもらっても、やっぱりつきません。移植した皮膚は間もなく死んで、落ちてしまいます。 誰も教えたわけではないのに、身体は自分と他人を、たとえ親であっても、区別しています。それが個性です。そこまではっきり区別するもの、親子ですら通じ合えないもの、それこそが個性です。 だから個性とは、実は身体そのものです。でも普通は、個性とは心だと思われています。ここに大きな誤解があります』、「自分は名前つまり情報ですから、いつも「同じ」です。 自分が情報になり、変わらなくなると、死ぬことがおかしなことに感じられます。死ぬとは、自分が変わるということです。同じ私、変わらない私があるなら、死ぬのはたしかに変です。だから現代人は死ぬことが理解できなくなりました」、「教育が何をすることなのか、わからなくなってしまった。変わらない自分が素晴らしいとなるのだから、当然です。 人が変わらなくなった社会で、一番苦労するのは子どもです。なぜか。子どもとは一番速やかに変化する人たちだからです。育つ、つまり変わっていくこと自体が、言ってみれば、子どもの目的みたいなものです。 ところが情報化社会になると、情報はカチンカチンに固まって止まっていて、子どもまで固めてしまう」、「身体は自分と他人を、たとえ親であっても、区別しています。それが個性です。そこまではっきり区別するもの、親子ですら通じ合えないもの、それこそが個性です。 だから個性とは、実は身体そのものです。でも普通は、個性とは心だと思われています。ここに大きな誤解があります」、なるほど。
第三に、5月5日付け東洋経済オンラインが掲載した看取りの医者の平野 国美氏による「72歳「余命3カ月」を部活仲間に託した彼の最期 血縁に頼れない時代、誰に看取られるのがいいか 」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/669651
・『「治さない医者」を自認する訪問診療専門の医師・平野国美氏は、これまで2700人の最期を看取るなかで、「後悔なく」生きる秘訣は、「正しいわがまま」にこそあると会得した。どこでどのような最期を迎えたいのか、その意思表示をしておくことは、自分も周囲も幸せにするわがままだ。さらには、「誰と最後の時間を過ごすのか」も、大事なポイントとして、考えることをすすめる。著書『70歳からの正しいわがまま』から、一部抜粋してお届けする』、興味深そうだ。
・『最後の瞬間に「誰と」いたいか考えてみる 自宅をはじめとした好きな場所で最期を迎えることが、患者当人にとってはもっとも幸せらしいという確信のもと、私は常々「自宅で死のうよ」と言ってきた。 もちろん、患者の周囲の状況が、それを成せるかどうかがカギになるから、その準備をすること、自分も、看取る側も覚悟を決めておくことは必要になる。 どこで死ぬか同じように「誰に看取られるか」も、もはや自分で決めていいのではないかと、私は思っている。 既存の社会的な関係性や保守的なしがらみを超えて、「本当にこの人といたい」「最期はこの人に寄り添ってほしい」と思える、その誰かを選ぶわがままも、どこで死にたいのかと同様の、正しいわがままだと思うのだ。 末期がんの告知を受けた72歳の男性がいた。 結婚はしておらず、子どももいない。 「今日、病院で自分の病気の説明があるから、ついてきてくれないか」 天涯孤独の身の彼が、そうやって声をかけたのは、親類でも、内縁関係にある者でもない。男性が付き添いを依頼したのは、高校時代のヨット部の仲間たちだったのだ。 海洋冒険家・堀江謙一さんの『太平洋ひとりぼっち』に感銘を受けた世代。茨城県の、当時の高校生たちにとっても、霞ヶ浦から太平洋に漕ぎ出すことは、1つのステータスだったに違いない。) そんな、眩しい青春の時間をともに過ごした仲間たちに、男性はある意味、とても無茶な頼み事をしたのだ。 そのとき、医師から告げられたのは、主に2点だった。 本人が末期のがんであること。そして、もはや病院で施す治療は何もなく、「この先は自宅か施設で過ごしていただくことになる」ということだった。 しばしの沈黙が流れた。 やがて、自分自身の運命を受け入れた男性は、不意にすぐ隣で押し黙ったままでいた後輩の手を握って、頭を下げた。「よろしく頼むよ」と』、「末期がんの告知を受けた72歳の男性がいた。 結婚はしておらず、子どももいない。 「今日、病院で自分の病気の説明があるから、ついてきてくれないか」 天涯孤独の身の彼が、そうやって声をかけたのは、親類でも、内縁関係にある者でもない。男性が付き添いを依頼したのは、高校時代のヨット部の仲間たちだったのだ」、「高校時代のヨット部」の活動がよほど濃密だったのだろう。
・『ヨット部仲間たちと「青春再来」を味わい尽くす いくら、10代の多感な時代、ともに汗を流した仲間からの頼みとはいえ、親兄弟でもない人の世話なんて……。 ごく普通の感覚の持ち主なら、そう思うかもしれないが、驚いたことに、彼らは違った。なんと、末期がんの男性の介護を、仲間全員で引き受けるという一大プロジェクトを敢行するのだ。 手を握られた後輩は苦笑いを浮かべつつ、正直にこう告白した。 「あの瞬間は、『な、なんで俺?』と思いましたよ。親の介護すら、経験したこともなかったですから」 それでも、彼らは、男性のために走り回った。 すぐに入居できる施設を探し回り、あっという間に彼の〝終の住処〟を見つけてきた。会計を担当する者、必要な物資をそろえる者、ただ、毎晩のように施設に通ってきては、寄り添い続ける者……。仲間たちは役割を分担し、それぞれができることを精一杯やりながら、男性の最後の時間を支えた。 仲間のなかには女性の姿もあった。聞けば、国体のセーリング競技で優勝経験もあるという猛者だった。 そんな女性がかいがいしく彼のことを介護する姿を目の当たりにして、私は勝手に思い込んでいた。2人は過去に男女の関係があったのではないかと。ある日、その疑問を彼女にぶつけると、彼女は笑ってこう返した。) 「ない、ない、あるわけないでしょ。そんな、ややこしい過去があったら、いまこうしてパンツ下ろしたり、おむつ替えたりなんてできんわ」 そんなものかと思う半面、過去に何もなかった男性の、下の世話なんてできるものだろうか、と思ったりもした』、「彼らは、男性のために走り回った。 すぐに入居できる施設を探し回り、あっという間に彼の〝終の住処〟を見つけてきた。会計を担当する者、必要な物資をそろえる者、ただ、毎晩のように施設に通ってきては、寄り添い続ける者……。仲間たちは役割を分担し、それぞれができることを精一杯やりながら、男性の最後の時間を支えた。 仲間のなかには女性の姿もあった。聞けば、国体のセーリング競技で優勝経験もあるという猛者だった」、「2人は過去に男女の関係があったのではないかと。ある日、その疑問を彼女にぶつけると、彼女は笑ってこう返した。 「ない、ない、あるわけないでしょ。そんな、ややこしい過去があったら、いまこうしてパンツ下ろしたり、おむつ替えたりなんてできんわ」 そんなものかと思う半面、過去に何もなかった男性の、下の世話なんてできるものだろうか、と思ったりもした」、なるほど。
・『血縁に頼れない時代 彼らを見ていると、これからは血縁に頼れない時代なのだと、つくづく思い知らされた。 核家族化が進み、誰にも高齢独居の可能性がある現在、死期の迫った患者の介護をしている人というのは、配偶者や子どもばかりではない。 先にいくつもの例を紹介してきた内縁関係にある人が介護を担うケースはお伝えしたとおりだが、親類でもない者や、子や親族には決して歓迎されてはいない者……。 こんなことを書くと、保守的な人たちから集中砲火を浴びそうだが、私は当事者同士に強い絆があるのならば、そんな内縁関係の誰かが、生い先短い患者の面倒を見ることは、大いに結構なことだと考えている。 不倫も内縁も大歓迎。部活仲間が看取るというケースは多くはないが、部活仲間たちに見送られるなんて、人生の最終末を、青春時代の思い出とともに結ぶようで、実にすがすがしいものに感じる。 死に場所を自由に選びたいと考えること、それと同じように、その瞬間を、誰に寄り添ってもらいたいのかも、もっと旅立つ人の意思が尊重されていい。 件の男性は、がん告知から3カ月を経たある夜、仲間たちに囲まれながら、静かに息を引き取った。 私は死亡診断書を書きながら思った。彼に対して、私たち医療者が果たした役割は、じつに微々たるものだった、と。彼の最期を、わずかでも幸せな時間にしてくれたそのすべては、彼の仲間たちがもたらしたものだった。 死後、彼の遺骨は、仲間たちの手で霞ヶ浦に散骨された。 そこは、高校時代に皆でヨットを浮かべた入江。 半世紀を経て、部活でともに汗を流した水辺は「別れの場所」になり、かつての仲間は葬儀の参列者となったのだ』、「人生の最終末を、青春時代の思い出とともに結ぶようで、実にすがすがしいものに感じる・・・件の男性は、がん告知から3カ月を経たある夜、仲間たちに囲まれながら、静かに息を引き取った・・・彼の遺骨は、仲間たちの手で霞ヶ浦に散骨された」、うらやましい限りだ。私は、病院は東京警察病院に行っているが、「看取り」を依頼できるようなホームドクターも作っておくべきだと思った。
第四に、7月21日付け現代ビジネス「「タイでは葬式で泣いている人がいないんです」…《死を怖れないラクな死に方》とは 出家した直木賞作家」を紹介しよう。
・『笹倉明さんの考え:「できるかな」「なかなか難しいな」そうやって、いろいろなことに挑戦して、人は成長する。そして人生の最後に挑む壁が「死」だ。亡くなったあの人たちは、どんな思いでそれを乗り越えたのか。 1つめの記事『「裕次郎のようには達観できないんだよ、俺は」…【死】に先人たちはどう向き合い、寄り添ったのか 石原慎太郎と裕次郎兄弟のケース』より続く』、興味深そうだ。
・『「楽な死に方」「苦しい死に方」はあるのか? 「だが、あがけばあがくほど、死の苦しみは増すのではないか?」多くの人は、そう不安になるだろう。在宅医療で多くの患者を看取ってきた中村伸一医師が語る。 「末期の苦しみは、亡くなる病気にもよります。例えば、がんの場合は麻薬で痛みをコントロールできるので、それほど苦しまないことが多い。 胃がん・大腸がん・膵臓がんが肝臓に転移するとアンモニアが体内で作られ肝性脳症といって頭がボーっとします。そうなると、それほど麻薬を使わなくても楽に亡くなる方もいます。一方で、慢性の肺疾患や心不全は、苦しまれる方も多いですね」 自宅で亡くなる場合も、余計な延命治療をしないので、比較的穏やかな最期を迎えやすいという。 「在宅医療では高度なことができません。でも逆に余計なことをしないというメリットもあります。 一般の医療は足し算です。酸素を投与する、脱水なら水を入れる、痛みには痛み止めを使うという医療です。しかし、低酸素や脱水になると、ボーっとした意識になり、痛みも感じないままに逝けるのです。 それを無理に酸素投与や点滴をすると、意識がシャンとして、痛みを感じるので麻薬を増やすことになる」(中村医師) 終末期はあまり余計な医療行為をほどこさないほうが、穏やかに過ごせるのだ。 そのあたりのことは、主治医とよく話しあって、どういう最期を迎えたいのか『エンディングノート』に書いておくことです。家族が『延命してほしい』と口を出すことがありますが、私なら患者と書面の約束があれば、そちらを優先します。 私は患者さんが元気なうちに、『判断能力がなくなったら、できるだけ長く生きることを優先順位のトップにしますか。それとも苦しまないこと、あるいは自分の尊厳を優先しますか』と尋ねるようにしています」』、「「在宅医療では高度なことができません。でも逆に余計なことをしないというメリットもあります。 一般の医療は足し算です。酸素を投与する、脱水なら水を入れる、痛みには痛み止めを使うという医療です。しかし、低酸素や脱水になると、ボーっとした意識になり、痛みも感じないままに逝けるのです。 それを無理に酸素投与や点滴をすると、意識がシャンとして、痛みを感じるので麻薬を増やすことになる」(中村医師) 終末期はあまり余計な医療行為をほどこさないほうが、穏やかに過ごせるのだ」、なるほど。
・『死の瞬間はそれほど苦しくないのではないか 直木賞作家で、'16年にタイのチェンマイの寺院で出家した笹倉明さんは、死に対する恐れが徐々に薄れてきたという。 「タイでは葬式で泣いている人がいないんです。死は悲しむべきものではなくて、むしろ現世の苦しみから解放されて、来世に行くというのがタイ人の考え方です。無論、死は喜ぶべきものではありませんが、悲しみ恐れるべきものでもなく、万人に訪れる宿命なのです。 私も、おそらく死ぬ瞬間はそれほど苦しくないのではないか、と思っています。どんな死に方であろうと、死が迫ったときの人間は、非常に安らかな状態になるのではないでしょうか。実際、私も、眠るように息を引き取る人たちばかりを見てきました」 いずれは誰もが通る道だ。ジタバタしようが達観しようが、自分なりの向き合い方をすれば、それでいい。 3つめの記事『「死の間際」で人はどんな話をしたいのか? それは「いつも通りの会話」かもしれない…コラムニスト・小田嶋隆さんとの別れの際に思想家・内田樹さんが感じたこと』につづく』、「「タイでは葬式で泣いている人がいないんです。死は悲しむべきものではなくて、むしろ現世の苦しみから解放されて、来世に行くというのがタイ人の考え方です。無論、死は喜ぶべきものではありませんが、悲しみ恐れるべきものでもなく、万人に訪れる宿命なのです。 私も、おそらく死ぬ瞬間はそれほど苦しくないのではないか、と思っています。どんな死に方であろうと、死が迫ったときの人間は、非常に安らかな状態になるのではないでしょうか。実際、私も、眠るように息を引き取る人たちばかりを見てきました」、なるほど。
第五に、7月21日付け現代ビジネス「「死の間際」で人はどんな話をしたいのか? それは「いつも通りの会話」かもしれない…コラムニスト・小田嶋隆さんとの別れの際に思想家・内田樹さんが感じたこと」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/113380?imp=0
・『「できるかな」「なかなか難しいな」そうやって、いろいろなことに挑戦して、人は成長する。そして人生の最後に挑む壁が「死」だ。亡くなったあの人たちは、どんな思いでそれを乗り越えたのか。 2つめの記事『「タイでは葬式で泣いている人がいないんです」…《死を怖れないラクな死に方》とは 出家した直木賞作家・笹倉明さんの考え』より続く』、興味深そうだ。
・『死の間際に考えること 思想家の内田樹さんは、コラムニストの小田嶋隆さん(享年65)が亡くなる11日前に、小田嶋さんの家を訪ねた。 「ちょうどいまから1年ほど前のことです。小田嶋さんから電話があって、『そろそろですから……』という感じでしたので、友人の平川君(文筆家で実業家の平川克美さん)と連絡を取り合い、ご自宅にうかがいました。 亡くなった後に『小田嶋さんから電話があった』という話はいろいろな方から聞きました。ベッドから最後のあいさつをされたのです。なんと細やかな気の使い方だろうと思いました。奥さんに伺ったら、声も出せないほど苦しい状態のときもあったのだけれど、薬が効いていて話ができる体調になると電話に手を伸ばし、最後のあいさつをしていたそうです」 死を間際に、小田嶋さんがいちばんに考えたことは、友人たちにきちんと別れのあいさつをするということだった。小田嶋さんには親友でクリエイティブ・ディレクターの岡康道さんが急逝したときに、別れのあいさつができなかったことをずっと悔いていたので、自分の友人たちにはそんな思いをさせまいと、限りある体力をふりしぼって電話をしたのである』、「死を間際に、小田嶋さんがいちばんに考えたことは、友人たちにきちんと別れのあいさつをするということだった。小田嶋さんには親友でクリエイティブ・ディレクターの岡康道さんが急逝したときに、別れのあいさつができなかったことをずっと悔いていたので、自分の友人たちにはそんな思いをさせまいと、限りある体力をふりしぼって電話をした」、大したものだ。
・『満足できる「最後の話」 「僕たちが見舞いに行ったときは、ベッドに横臥して、点滴を打ちながら、息も絶え絶えという様子でしたが、それでも、かすれる声で『今いちばんしたいことはバカ話なんです』といわれました。 『それじゃあ』と、平川君と奥さんを交えて4人でしゃべっているうちに、面白いもので、小田嶋さんの顔色がどんどんよくなってきたんです。最初のうちは痰を吐きながら、かろうじてかすれる声でしゃべっていたのが、どんどん滑舌がよくなって、そのうちに上半身を起こして、熱く文学について語りはじめました」 「バカ話」といいながら、最後に熱弁をふるったのは、橋本治の文学史的な重要性についてだった。そんな話ができて小田嶋さんは満足そうだったという。 「そういう場では、どうしても深刻になりがちです。でも彼は『最後に言い残すことはありますか?』なんて訊かれたくないわけです。これまで会っていたときと同じように、笑いながら、普通のおしゃべりがしたかったのでしょう。小田嶋さんのその気持ちがよくわかります」』、「最初のうちは痰を吐きながら、かろうじてかすれる声でしゃべっていたのが、どんどん滑舌がよくなって、そのうちに上半身を起こして、熱く文学について語りはじめました」 「バカ話」といいながら、最後に熱弁をふるったのは、橋本治の文学史的な重要性についてだった。そんな話ができて小田嶋さんは満足そうだったという」、なるほど。
・『あふれ出る感謝の念 内田さんが小田嶋さんに会ったのは亡くなる10日ほど前だったが、息を引き取る直前に、人はどんな言葉を発するのだろうか。 前出の中村伸一医師が語る。 「最後は意識もあいまいになって、言葉も不明瞭になるケースがほとんどです。しかし、稀に感謝の気持ちをはっきりと口にする人もいます。 おとなしいけれど、芯が強かった男性がいました。小さな会社で定年を2度も延長して勤め続け、最後はボランティアをしていたのですが、亡くなる直前は衰弱して飲み込む力も弱くなっていました。奥さんが、なにがほしいかと訊いたところ、『味噌汁がええな。あの一杯でどれだけ救われたことか』と言ったそうです。 無口な人で会社の愚痴を家でこぼす人ではなかったけれども、現役時代には我慢することもあったでしょう。いろいろな思いを胸に秘めて奥さんの味噌汁をすすっていたことがよくわかります」 他にも、頑固で家族も訪問診療で訪れる医師も手こずらせた男性が、妻に「いままでおおきに。家で死ねていい人生やった。お前も先生に看取られてここで死ねよ」と言い残したこともあった。 「私にとっても最高の褒め言葉で、最後にこんなことを言われるのなら、もっと優しくしておけばよかったと思いました」(中村医師) 最後の最後まで、意識が明確でいられる保証はない。ましてや、思った通りに話をするのは難しいだろう。伝えたいことがあるのなら、早めに素直な気持ちを口にしておきたい。 4つめの記事『「いままで、ありがとうな」…アントニオ猪木さんの弟が、腕も上げられない兄の最期を看取ることができて「本当に良かった」と語る理由』につづく』、「最後の最後まで、意識が明確でいられる保証はない。ましてや、思った通りに話をするのは難しいだろう。伝えたいことがあるのなら、早めに素直な気持ちを口にしておきたい」、その通りだ。
タグ:(その8)(3800人看取ったホスピス医が説く「生きるヒント」 「人生は自分をわかってくれる人を探す旅だ」、『バカの壁』から20年…ここにきて 養老孟司が「現代人は死ぬことが理解できなくなった」と断言するワケ、72歳「余命3カ月」を部活仲間に託した彼の最期 血縁に頼れない時代、誰に看取られるのがいいか 、「タイでは葬式で泣いている人がいないんです」…《死を怖れないラクな死に方》とは 出家した直木賞作家・笹倉明さんの考え、「死の間際」で人はどんな話をしたいのか? それは「いつも通りの会話」かもしれない 終末期 東洋経済オンライン 小澤 竹俊氏による「3800人看取ったホスピス医が説く「生きるヒント」 「人生は自分をわかってくれる人を探す旅だ」」 小澤さんの著書『あなたの強さは、あなたの弱さから生まれる』 「「誰かにわかってもらえた」と感じることで、多くの人は苦しみの中でも穏やかさを取り戻し、前向きに生きるきっかけをつかむことができます」、なるほど。カトリックで死ぬ前に、神父に告白するのもこの一環だろう。 「自分の気持ちをわかってくれていると思える存在がいるとき、私たちは安心して、ありのままでいることができます。 私たちが自分らしくいられるのは、誰かがわかってくれるからなのです・・・人は「自分の時間を大切な人、大切なことのために使うことができた」と感じたとき、自分の生きる意味を見いだしやすくなり、後悔の少ない人生を送ることができるからです」、なるほど。 「そのような場合は、自分の気持ちをわかってくれると思える誰かをただ待つだけでなく、自ら探しに行ってみるのはどうでしょうか。 まず自分が相手の話を聴いてみるのです。 一見、遠回りのように見えても、それがわかってもらえる誰かに出会う、そして本当の意味で幸せになるための近道だと、私は思っています」、 「方法はもうひとつあります。「自分の気持ちをわかってくれる人が誰もいない」と感じている人は、ぜひ一度、丁寧に過去を振り返り、良かったこと、楽しかったことを思い出してみてください。 誰かといて心の安らぎを感じたことはありませんでしたか? 誰かの言葉に「この人は自分の気持ちをわかってくれた」と喜びを感じたりしたことはありませんでしたか? その相手はもう連絡が取れない人、この世にいない人かもしれません。 でも、「もしあの人が近くにいたら、自分にどんな言葉をかけてくれるだろう」「もしあの人が生きていたら、自分の気持ちをわかってくれるかもしれない」「頑張っている自分に、『それで良い』と言ってくれるかもしれない」と思うことができたら、それだけで十分に救いになり、今の苦しみが和らぐのではないでしょうか」、なるほど。 現代ビジネス 養老 孟司氏による「『バカの壁』から20年…ここにきて、養老孟司が「現代人は死ぬことが理解できなくなった」と断言するワケ」 「朝目が覚めると、ああ、俺は俺だ、と思う。今日は昨日の続きである。それは意識が戻ったということです。意識は寝るととりあえず消えますが、朝になると戻る。その都度私たちは、私は私だと確認する。もちろんそこの確認自体はほとんど無意識になされます」、 「私は情報化社会という言葉を、違った意味で使います。人間自体が情報になったのです。情報化したのは人間です。「同じ私」とは、変わらない私です。変わらない私とは、情報としての私です」、なるほど。 「自分は名前つまり情報ですから、いつも「同じ」です。 自分が情報になり、変わらなくなると、死ぬことがおかしなことに感じられます。死ぬとは、自分が変わるということです。同じ私、変わらない私があるなら、死ぬのはたしかに変です。だから現代人は死ぬことが理解できなくなりました」、「教育が何をすることなのか、わからなくなってしまった。変わらない自分が素晴らしいとなるのだから、当然です。 人が変わらなくなった社会で、一番苦労するのは子どもです。なぜか。子どもとは一番速やかに変化する人たちだからです。育つ、つまり変わっていくこと自体が、言ってみれば、子どもの目的みたいなものです。 ところが情報化社会になると、情報はカチンカチンに固まって止まっていて、子どもまで固めてしまう」、「身体は自分と他人を、たとえ親であっても、区別しています。それが個性です。そこまではっきり区別するもの、親子ですら通じ合えないもの、それこそが個性です。 だから個性とは、実は身体そのものです。でも普通は、個性とは心だと思 われています。ここに大きな誤解があります」、なるほど。 平野 国美氏による「72歳「余命3カ月」を部活仲間に託した彼の最期 血縁に頼れない時代、誰に看取られるのがいいか 」 著書『70歳からの正しいわがまま』 「末期がんの告知を受けた72歳の男性がいた。 結婚はしておらず、子どももいない。 「今日、病院で自分の病気の説明があるから、ついてきてくれないか」 天涯孤独の身の彼が、そうやって声をかけたのは、親類でも、内縁関係にある者でもない。男性が付き添いを依頼したのは、高校時代のヨット部の仲間たちだったのだ」、「高校時代のヨット部」の活動がよほど濃密だったのだろう。 「彼らは、男性のために走り回った。 すぐに入居できる施設を探し回り、あっという間に彼の〝終の住処〟を見つけてきた。会計を担当する者、必要な物資をそろえる者、ただ、毎晩のように施設に通ってきては、寄り添い続ける者……。仲間たちは役割を分担し、それぞれができることを精一杯やりながら、男性の最後の時間を支えた。 仲間のなかには女性の姿もあった。聞けば、国体のセーリング競技で優勝経験もあるという猛者だった」、 「2人は過去に男女の関係があったのではないかと。ある日、その疑問を彼女にぶつけると、彼女は笑ってこう返した。 「ない、ない、あるわけないでしょ。そんな、ややこしい過去があったら、いまこうしてパンツ下ろしたり、おむつ替えたりなんてできんわ」 そんなものかと思う半面、過去に何もなかった男性の、下の世話なんてできるものだろうか、と思ったりもした」、なるほど。 「人生の最終末を、青春時代の思い出とともに結ぶようで、実にすがすがしいものに感じる・・・件の男性は、がん告知から3カ月を経たある夜、仲間たちに囲まれながら、静かに息を引き取った・・・彼の遺骨は、仲間たちの手で霞ヶ浦に散骨された」、うらやましい限りだ。私は、病院は東京警察病院に行っているが、「看取り」を依頼できるようなホームドクターも作っておくべきだと思った。 現代ビジネス「「タイでは葬式で泣いている人がいないんです」…《死を怖れないラクな死に方》とは 出家した直木賞作家」 「「在宅医療では高度なことができません。でも逆に余計なことをしないというメリットもあります。 一般の医療は足し算です。酸素を投与する、脱水なら水を入れる、痛みには痛み止めを使うという医療です。しかし、低酸素や脱水になると、ボーっとした意識になり、痛みも感じないままに逝けるのです。 それを無理に酸素投与や点滴をすると、意識がシャンとして、痛みを感じるので麻薬を増やすことになる」(中村医師) 終末期はあまり余計な医療行為をほどこさないほうが、穏やかに過ごせるのだ」、なるほど。 「「タイでは葬式で泣いている人がいないんです。死は悲しむべきものではなくて、むしろ現世の苦しみから解放されて、来世に行くというのがタイ人の考え方です。無論、死は喜ぶべきものではありませんが、悲しみ恐れるべきものでもなく、万人に訪れる宿命なのです。 私も、おそらく死ぬ瞬間はそれほど苦しくないのではないか、と思っています。どんな死に方であろうと、死が迫ったときの人間は、非常に安らかな状態になるのではないでしょうか。実際、私も、眠るように息を引き取る人たちばかりを見てきました」、なるほど。 現代ビジネス「「死の間際」で人はどんな話をしたいのか? それは「いつも通りの会話」かもしれない…コラムニスト・小田嶋隆さんとの別れの際に思想家・内田樹さんが感じたこと」 「死を間際に、小田嶋さんがいちばんに考えたことは、友人たちにきちんと別れのあいさつをするということだった。小田嶋さんには親友でクリエイティブ・ディレクターの岡康道さんが急逝したときに、別れのあいさつができなかったことをずっと悔いていたので、自分の友人たちにはそんな思いをさせまいと、限りある体力をふりしぼって電話をした」、大したものだ。 「最初のうちは痰を吐きながら、かろうじてかすれる声でしゃべっていたのが、どんどん滑舌がよくなって、そのうちに上半身を起こして、熱く文学について語りはじめました」 「バカ話」といいながら、最後に熱弁をふるったのは、橋本治の文学史的な重要性についてだった。そんな話ができて小田嶋さんは満足そうだったという」、なるほど。 「最後の最後まで、意識が明確でいられる保証はない。ましてや、思った通りに話をするのは難しいだろう。伝えたいことがあるのなら、早めに素直な気持ちを口にしておきたい」、その通りだ。
親子関係(その1)(米国人驚愕「子が親の介護する日本」深刻な盲点 「家の時代」から「個人の時代」へシフト、医学部9浪の31歳娘が58歳母をバラバラ死体にするまで…話題本の著者が迫った事件の本質、「子供部屋おじさん」が合理的なのかは 実は深い問いだ) [人生]
今日は、親子関係(その1)(米国人驚愕「子が親の介護する日本」深刻な盲点 「家の時代」から「個人の時代」へシフト、医学部9浪の31歳娘が58歳母をバラバラ死体にするまで…話題本の著者が迫った事件の本質、「子供部屋おじさん」が合理的なのかは 実は深い問いだ)を取上げよう。
先ずは、2021年3月25日付け東洋経済オンラインが掲載した財務省出身で、ニューヨーク州弁護士・信州大学特任准教授の山口 真由氏による「米国人驚愕「子が親の介護する日本」深刻な盲点 「家の時代」から「個人の時代」へシフト」を紹介しよう。
・『東京大学を卒業後、財務省を経て、現在はニューヨーク州弁護士、信州大学特任准教授の山口真由氏は、アメリカ留学で家族法を学び、家族に関するさまざまな疑問にぶつかります。山口氏の新著『「ふつうの家族」にさようなら』を基に、今回はアメリカと日本の家族観の違いについて解説します。 前回:何でも入手できる米国「精子バンク」の驚く値段』、興味深そうだ。
・『日本では聞いたことがない訴訟 「あら、どうして?子どもが年老いた親の面倒をみるっていう義務が、そんなにはっきり法律に書いてあるの?」 ハーバード・ロースクールの家族法の授業で、教壇のエリザベス・バーソレッテ教授が、片方の眉をつり上げる。授業中に英語で質問をされると、心臓が縮む。それでも今日の私は、ここで引き下がるわけにはいかない。なんせ、日本を背負って手をあげたのだから。 発端は授業で習った判例だった。年老いた母は、老人ホームで人生の最期を迎える。母の死後、その老人ホームは介護にかかった費用を精算しようとした。だが、毎年、老女のために使われるはずの財産は息子が使ってしまっている。 そこで、彼女の残りの財産を相続した息子に、ホームは残額を請求した。ところが、息子は自分には支払義務がないとして裁判所で争ったのだ。 アメリカと日本の家族観の違いを感じるのは、こういう瞬間である。すかさず私は手をあげる。 「日本では、こんな訴訟は聞いたことがありません」 勢いにまかせて、私は話し出す。バーソレッテ教授は驚いたように私に尋ねる。 「あら、どうして? 子どもが年老いた親の面倒をみるっていう義務が、そんなにはっきり法律に書いてあるの?」 今度は私が驚く番だ。親子の間で、まず法律上の義務を持ち出すなんて!) 「確かに、子どもは親を扶養する義務が民法に定められていると思います。でも、そんなに細かくきっちりとした定めではありません。これって、法律上の義務というよりは道義的な義務ではないでしょうか。 確かに、親子関係はさまざまです。親の面倒をみろとすべての子どもに押しつけることはできないかもしれない。ただ、日本では、一般的には、自分を育ててくれた親が年老いて介護を必要とすれば、子どもが面倒をみることになります」 バーソレッテ教授は、目を見開いたまま黙り込んでしまう。しばしの沈黙の後、彼女は再び口を開く。 「日本と比べると、アメリカは年寄りに冷たい国だわ。私もね、年寄りの部類に入るようになって心からそう思うのよ。大統領候補者はこぞって若作りをする。健康不安を心配するよりも批判の対象にする。 子どもたちは、年老いた両親を養うことはしない。老後に備えて、私たちは自分でお金を貯めておかないといけないの。この若い国は、この国を必死に支えて、そして、老いていった人たちをいたわろうとはしてこなかったわ」 ここにおそらく、アメリカの「家族」と日本の「家」の決定的な違いがある』、「バーソレッテ教授は」、「日本と比べると、アメリカは年寄りに冷たい国だわ。私もね、年寄りの部類に入るようになって心からそう思うのよ・・・子どもたちは、年老いた両親を養うことはしない。老後に備えて、私たちは自分でお金を貯めておかないといけないの。この若い国は、この国を必死に支えて、そして、老いていった人たちをいたわろうとはしてこなかったわ」、その通りだ。
・『日本の「家」は会社だった 「江戸時代までの日本の『家』っていうのはね、これは、会社なのよ」 日本に戻った私は、東京大学の博士課程で家族法の勉強を継続した。そのときに、家族法の大家である教授が、日本の「家」の本質をそう端的に表現した。江戸時代の武家制度のなかで確立した日本の「家」というのは、家の財産をバラバラにせずに、次の世代に、その次の世代に、脈々と伝えていくための装置なのだという。 江戸時代の家は、武士であれ町人であれ、「家業」を持っていた。浅草の老舗のお煎餅屋さんを想像してほしい。祖父の代から頑固一徹で守ってきた秘伝のたれをしみこませながら、煎餅を焼く。この技法が評判になり、今ではかなり遠くからも煎餅を買い求める人が引きも切らない。 だが、足腰も弱りはじめた三代目は隠居することを考えていた。子どもは長男、次男、そして、長女がいて、全員がお店で働いている。のれんという信用、そして、煎餅づくりのノウハウという無形資産があってこそ、お煎餅屋さんは価値を持つ。 だから、お店の土地とか建物とか、はたまた煎餅を焼く機器なんかの有形資産をバラバラにして、子どもたちに受け継がせても意味がないのだ。) 長女は、家業につながりのある家にお嫁に行くだろう。次男には、後々、のれん分けをしてあげるかもしれない。ここは、とりあえず長男にお店を丸ごと継いでもらうことにしよう。 こうやって、浅草の老舗のお煎餅屋さんは、世代に1人と跡継ぎを定めて、祖父から父へ、そして、父から息子の代へと事業を丸ごと受け継がせる。日本の「家」というのは、もともとそういうものだったらしい。そう考えるとこれは家族経営の中小企業とおんなじだ。 家族法の大家である教授は、私たちにこう諭す。 「江戸時代まで、日本には『相続』なんて考え方はなかったのよ。『相続』というのはね、個人を単位に財産を管理する方法なの。個人が亡くなると財産の帰属主体が消滅する。それで、その時点の財産をすべてお金に換算して、それを相続人に平等に分配しましょうという考え方でしょう」 「じゃあ、江戸時代の日本では、おじいさんが亡くなったら財産をどうやって分けるんですか?」 「分けたりしないのよ。江戸時代までの日本の相続は、今でいう会社の『事業承継』と同じ。財産の帰属主体は個人じゃないの。家なのよ。だから、社長を交代するように家長を交代して、世代を超えて家の財産を引き継いでいく。 個人が亡くなるたびに、財産の帰属主体が消滅して、財産を清算してっていう考え方はとっていなかったの。個人が亡くなってもなお、家は連綿と残っていくものなのよ」 アメリカの「家族」は点である。子どもが成人すれば、親の家族とは別個の個人となり、やがて新しい家族を作っていく。 もちろん、点在する家族と家族の間には精神的な交流がある。クリスマスには、子どもが孫たちを連れて、懐かしい両親の家に帰るだろう。ただし、親の家族と子どもの家族ははっきりと区切られている。両者は経済的には完全に独立した主体なのだ』、「江戸時代の武家制度のなかで確立した日本の「家」というのは、家の財産をバラバラにせずに、次の世代に、その次の世代に、脈々と伝えていくための装置なのだという。 江戸時代の家は、武士であれ町人であれ、「家業」を持っていた・・・長女は、家業につながりのある家にお嫁に行くだろう。次男には、後々、のれん分けをしてあげるかもしれない。ここは、とりあえず長男にお店を丸ごと継いでもらうことにしよう。 こうやって、浅草の老舗のお煎餅屋さんは、世代に1人と跡継ぎを定めて、祖父から父へ、そして、父から息子の代へと事業を丸ごと受け継がせる。日本の「家」というのは、もともとそういうものだったらしい。そう考えるとこれは家族経営の中小企業とおんなじだ」、「江戸時代までの日本の相続は、今でいう会社の『事業承継』と同じ。財産の帰属主体は個人じゃないの。家なのよ。だから、社長を交代するように家長を交代して、世代を超えて家の財産を引き継いでいく。 個人が亡くなるたびに、財産の帰属主体が消滅して、財産を清算してっていう考え方はとっていなかったの。個人が亡くなってもなお、家は連綿と残っていくものなのよ」 アメリカの「家族」は点である。子どもが成人すれば、親の家族とは別個の個人となり、やがて新しい家族を作っていく」、「「江戸時代までの日本の相続は・・・財産の帰属主体は個人じゃないの。家なのよ。だから、社長を交代するように家長を交代して、世代を超えて家の財産を引き継いでいく」、その通りだ。
・『一方、日本の「家」は線である。隠居した親の面倒は子どもがみる。その子も将来は、自分の息子やそのお嫁さんに面倒をみてもらう。家業を、親から子ども、そして、孫へと引き継いでいくその裏で、家業を営むことで得られるあがりで、年老いた親、出戻りの娘、引きこもった息子、家の構成員全員を養っていく。 家は、世代を超え、核家族の境界を超えて、一族を縦に結びつける。そしてこの家は、精神的な結びつきのみならず、経済的な基盤でもあるのだ。 今、日本では、もともとの「家」の価値観と西欧由来の「個人」の価値観が交錯する過渡期にある。相続というのは「個人」の側の概念である。日本には、もともと財産が個人に帰属するという考え方はなかった。そういう考えが輸入されたことで、相続という制度ができあがった』、「アメリカの「家族」は点である。子どもが成人すれば、親の家族とは別個の個人となり、やがて新しい家族を作っていく」、「日本の「家」は線である。隠居した親の面倒は子どもがみる。その子も将来は、自分の息子やそのお嫁さんに面倒をみてもらう。家業を、親から子ども、そして、孫へと引き継いでいくその裏で、家業を営むことで得られるあがりで、年老いた親、出戻りの娘、引きこもった息子、家の構成員全員を養っていく。 家は、世代を超え、核家族の境界を超えて、一族を縦に結びつける。そしてこの家は、精神的な結びつきのみならず、経済的な基盤でもあるのだ」、極めてクリアだ。「今、日本では、もともとの「家」の価値観と西欧由来の「個人」の価値観が交錯する過渡期にある。相続というのは「個人」の側の概念である。日本には、もともと財産が個人に帰属するという考え方はなかった。そういう考えが輸入されたことで、相続という制度ができあがった」、なるほど。
・『社会に色濃く残る「家」という感覚 だが、こういう相続争いの法廷で、私は「家」という感覚が、社会に色濃く残っていることに気づく。例えば、長男次男という序列が慣習として存在する。長男は、幼い頃から「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と呼ばれてなにかと優遇される。家業を継ぐとすれば、まずは長男が第一候補者だ。 それと引き換えに、年老いた両親は長男が自分の家に引き取って介護をするものだという価値観、これが今でも地方ではそれなりに強く残る。 考えてみれば、日本で社会問題となりつつある親の介護も、「家」という制度の遺物なのかもしれない。 年老いた親が介護を必要とするならば、すでに家を出ていたとしても、まずは子どもが担い手となるべきだ。そういう感覚が日本にはある。老人ホームに入所させる費用を親の貯金で賄うことができなければ、それは子どもが負担するべきだと考える人も多いだろう。 財産が個人にではなく家にあると考える。すると、この価値観はとても自然だ。子どもの財布から親の介護を賄っているように見えて、その実、家の財産から隠居した先代の生活費を出しているにほかならないのだから。そして、同じ制度が続くならば、自分の介護についても子どもに面倒をみてもらえるという期待が生じる。) 要するに、同じお財布を共有している人の単位が異なるということだ。日本の場合には、別々の家族を営んでいるようで、親も子どもも、いつまでも緩やかに同じお財布を共有している。 一方のアメリカは、子どもが独り立ちした時点で独立採算制になる。もちろん、親の遺産を相続することもあるだろうが、アメリカ人の多くが遺言を残すとされ、日本の遺留分に当たる制度はない。個人の人生の後始末は個人の意思によるのが原則なのだ。 そういう全体像の下で、ロー・スクールの教授は、「子どもが年老いた親の面倒をみるっていう義務が、そんなにはっきり法律に書いてあるの?」と私に問うた。そして、法学部の教授は、「江戸時代までの日本の『家』っていうのはね、これは、会社なのよ」と指摘したのだ』、「日本の場合には、別々の家族を営んでいるようで、親も子どもも、いつまでも緩やかに同じお財布を共有している。 一方のアメリカは、子どもが独り立ちした時点で独立採算制になる。もちろん、親の遺産を相続することもあるだろうが、アメリカ人の多くが遺言を残すとされ、日本の遺留分に当たる制度はない。個人の人生の後始末は個人の意思によるのが原則なのだ」、なるほど。
・『「個人の時代」へ踏み出そうとしている日本社会 そう考えると、アメリカのロー・スクールでの授業風景が異なったものに見えてくる。日本の子どもたちに思いやりがあって、アメリカの子どもたちは年老いた親に冷淡だという、そういう国民性みたいな話ではない。これは、アメリカの「家族」と日本の「家」の決定的な違いなのだ。 アメリカの家族は点々と社会に散りばめられている。一方、日本の家は世代を超えて連綿とつながる線を描く。だが、問題はここでは終わらない。私たちの社会は、今、「家の時代」からアメリカのような「個人の時代」へと足を踏み出そうとしている。 夫婦別姓の問題も、森喜朗氏の発言に端を発した「女性という属性ではなく個人を評価しましょう」という動きも、私たちを「家」の世界観から「個人」へと押し出そうとする。 「個人の自律」というと聞こえはよい。だが、介護の問題、パラサイトチルドレン、8050問題――そこに頼って生きてきた人々が「家」から押し出されたとき、社会が彼らに居場所を用意できるのかが真の問題だろう』、「アメリカの家族は点々と社会に散りばめられている。一方、日本の家は世代を超えて連綿とつながる線を描く。だが、問題はここでは終わらない。私たちの社会は、今、「家の時代」からアメリカのような「個人の時代」へと足を踏み出そうとしている。 夫婦別姓の問題も、森喜朗氏の発言に端を発した「女性という属性ではなく個人を評価しましょう」という動きも、私たちを「家」の世界観から「個人」へと押し出そうとする。 「個人の自律」というと聞こえはよい。だが、介護の問題、パラサイトチルドレン、8050問題――そこに頼って生きてきた人々が「家」から押し出されたとき、社会が彼らに居場所を用意できるのかが真の問題だろう」、「私たちの社会は、今、「家の時代」からアメリカのような「個人の時代」へと足を踏み出そうとしている・・・「個人の自律」というと聞こえはよい。だが・・・「家」に頼って生きてきた人々が「家」から押し出されたとき、社会が彼らに居場所を用意できるのかが真の問題だろう」、さて、どうなるのだろうか。
次に、本年5月30日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したコラムニストの河崎 環氏による「医学部9浪の31歳娘が58歳母をバラバラ死体にするまで…話題本の著者が迫った事件の本質」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/323361
・『5年前に滋賀県で、医学部受験に失敗した31歳の女が母親をメッタ刺しにして殺害したという事件を覚えている方もいるかもしれない。この事件について書いたノンフィクション『母という呪縛 娘という牢獄』が、いまヒット中だ。しかしこの本は、おどろおどろしい猟奇物でも、のぞき見根性の本でもない。淡々とした筆致で、鮮やかに濃密な親娘関係に迫る。読み始めたら引き込まれ、一気に最後まで読んでしまった。こんなに読む者の胸を打つ本を書いたのはどんなベテラン作家かと思ったら驚いた。インタビューに現れたのは、20代の女性だったのだ』、大ヒットの「ノンフィクション『母という呪縛 娘という牢獄』」の作家が「20代の女性」とは私も驚かされた。
・『捜査線上に浮かび上がったひとり娘 ストレートなノンフィクション書籍にヒット作の出づらい現代、昨年12月の発売以来4カ月で7刷5.5万部という、注目すべきスマッシュヒットを飛ばしている作品がある。著者はいわゆるZ世代、刊行当時27歳の齊藤彩(敬称略)。共同通信社の司法記者を経て、初の著書となる『母という呪縛 娘という牢獄』(講談社)を上梓した途端、SNSを中心に大きな反響が起こった。 2018年3月、滋賀県守山市、琵琶湖の南側へ流れ入る野洲川の南流河川敷で、両手・両足・頭部のない、女性の人体の体幹部が発見された。遺体は激しく腐敗して変色、悪臭を放ち、無数のトンビが群がる異常な光景を、通りかかった住民が目に留めたのである。 滋賀県警守山署が身元の特定に当たったが、遺体の損傷が激しく、捜査は難航した。やがて遺体の身元は行方不明となっていた高崎妙子さん※(仮名・死亡時58)と判明。捜査線上に浮かび上がったのは、そのひとり娘である高崎あかり※(仮名・31)だった。 ※正しくは、「高」の字ははしご高、以下すべて同じ』、事件の背景を詳しく知りたいものだ。
・『「モンスターを倒した。これで一安心だ」 妙子さんは20年以上前から夫と別居し、あかりと二人暮らし。あかりは幼少期から学業優秀で中高一貫の進学校に通っており、20代中盤まで母娘で一緒にお風呂に入るほどの濃密な母娘関係を築いていた。 だがその間、実はあかりは常人の理解を超える執拗な干渉、暴言や拘束など、いわゆる“教育虐待”を母から長年受け続けていたのだ。 超難関の国立大医学部への進学を強要されて医学部を9浪の末、母からの妥協案として医大の看護学科へ進学する。しかし母は、看護師よりさらに専門知識を要する助産師にさせようとあかりに助産師学校の受験を求めており、看護学科を卒業して手術室看護師になりたいとの希望を持っていたあかり自身は助産師学校の試験に失敗。それに気づいた母から激しい叱責を受けていた。 あかりは、周到に用意した凶器で母親を刺殺した直後、「高揚感のようなものから」誰に見せるでも聞かせるでもなく、 「モンスターを倒した。これで一安心だ」 とのツイートを残していたのである』、「妙子さんは20年以上前から夫と別居し、あかりと二人暮らし。あかりは幼少期から学業優秀で中高一貫の進学校に通っており、20代中盤まで母娘で一緒にお風呂に入るほどの濃密な母娘関係を築いていた。 だがその間、実はあかりは常人の理解を超える執拗な干渉、暴言や拘束など、いわゆる“教育虐待”を母から長年受け続けていたのだ。 超難関の国立大医学部への進学を強要されて医学部を9浪の末、母からの妥協案として医大の看護学科へ進学する。しかし母は、看護師よりさらに専門知識を要する助産師にさせようとあかりに助産師学校の受験を求めており、看護学科を卒業して手術室看護師になりたいとの希望を持っていたあかり自身は助産師学校の試験に失敗。それに気づいた母から激しい叱責を受けていた」、「あかりは、周到に用意した凶器で母親を刺殺した直後・・・「モンスターを倒した。これで一安心だ」とのツイート」、“教育虐待”がよほど強かったのだろう。
・『母を殺した娘と筆者との膨大な往復書簡 守山署はあかりを死体遺棄容疑で逮捕後、死体損壊、さらに殺人容疑で逮捕・起訴に踏み切った。一審の大津地裁では死体損壊と遺棄については認めるも、あくまで殺人を否認していたあかりだが、二審の大阪高裁に陳述書を提出し、一転して自らの犯行を認める。 「母は私を心底憎んでいた。私も母をずっと憎んでいた。『お前みたいな奴、死ねば良いのに』と罵倒されては、『私はお前が死んだ後の人生を生きる』と心の中で呻いていた」「何より、誰も狂った母をどうもできなかった。いずれ、私か母のどちらかが死ななければ終わらなかったと現在でも確信している」(2020年11月5日、あかりの控訴審初公判における本人陳述書より) 著者の齊藤は、あかりが逮捕・起訴された当時、共同通信社大阪支社で社会部の司法記者として働いていた。「大阪高裁の刑事の担当だったので、そのルーティンワークの一環でちょっと公判をのぞいてみるか、程度の気持ちで行ったんです。ところが被告が、一審と変わって控訴審の初公判で認否をひっくり返すということが起きた。認否を変えるという行為が珍しくて、この事件の内容を深く知ろうと思いました。最初にこの法廷に行ったときは、この事件がこんなに親子の確執をはらんでいるとは知りませんでした」。齊藤は静かに振り返る。) 一審では「母は私の目の前で、突然首に包丁を当てて自殺を図りました」「遺体は私がバラバラにして、現場に捨てました」とのつじつまの合わない主張で否認し続けた殺人を、控訴審で突然認めた。あかりはなぜ認否をひっくり返したのだろう。齊藤は、あかりが控訴審結審に際して発表した文書の一節、「母の呪縛から逃れたい」という部分に強く引きつけられたという。 「調べていくと、母親から医学部への進学を強制されて、本人はその期待に応えることができなくて、苦しい思いをしていたということが分かってきた。私にとってもそれは決して他人事とは思えず、興味深いテーマだと思って引き込まれました」 公判の取材を続ける中、齊藤は拘置所のあかりと面会を重ね、あかりの刑務所移送後も膨大な往復書簡を交わした。共同通信のウェブメディアに掲載された、齊藤の書いた事件深掘り記事は大反響を呼び、書籍化へとつながる。そこに書かれたのは、娘・あかりから見た約30年分の家族の真実だった』、「被告が、一審と変わって控訴審の初公判で認否をひっくり返すということが起きた。認否を変えるという行為が珍しくて、この事件の内容を深く知ろうと思いました」、「公判の取材を続ける中、齊藤は拘置所のあかりと面会を重ね、あかりの刑務所移送後も膨大な往復書簡を交わした。共同通信のウェブメディアに掲載された、齊藤の書いた事件深掘り記事は大反響を呼び、書籍化へとつながる」、なるほど。
・『「同じ思いを持つ人が多いのかも」SNSの大きな反響 本書の序盤、齊藤による忘れられない表現が登場する。「(医師になりたいという)娘の憧れに母親が憑依し、母娘で引き返せない道を歩み始めることになってしまった」。毒親や毒母、教育虐待というキーワードがインターネット社会をにぎわす昨今だが、著者の齊藤は、あかりが置かれた状況や抱いた感情に分かりやすいレッテルを貼って誰かを断罪することで事件を片付けようとはしない。 「自分はこの高崎親子ほどではないんですけど、妙子さんに自分の母親の片鱗を見たような気もしていて。そういう意味で思い入れは強い事件でしたね。共同通信時代に、ネットニュースとして記事を出させてもらっていたんですけど、なんかあまりにも反響が大きかったんですよね。なので、これは私と高崎さんだけの問題ではないのかもしれない、と」 もしかして同じ思いを持つ人が多いのかもしれない、と直感した齊藤の本書がこれまでの事件本と決定的に異なるのは、事件を社会学的な文脈で語ることもなく、「分析」も「評価」もしないところだ。母や娘、周囲の人々の何がどういけなかったのかと、精神分析医や社会学者の分析を引用して「正解」を知ったような気分になり、ホッとふたを閉めて他人事として片付けてしまいそうなところを、齊藤は母娘や関係者の言葉を分析しようとはしない。一貫して生のままの言葉をつづり、読み手の理解へ預け続ける』、「ネットニュースとして記事を出させてもらっていたんですけど、なんかあまりにも反響が大きかったんですよね。なので、これは私と高崎さんだけの問題ではないのかもしれない、と」 もしかして同じ思いを持つ人が多いのかもしれない、と直感した齊藤の本書がこれまでの事件本と決定的に異なるのは、事件を社会学的な文脈で語ることもなく、「分析」も「評価」もしないところだ・・・齊藤は母娘や関係者の言葉を分析しようとはしない。一貫して生のままの言葉をつづり、読み手の理解へ預け続ける」、「「分析」も「評価」もしない」のが受けたとは分からないものだ。
・『行く手を阻む母、なすすべをなくした娘 まだ“正気”の側にいるつもりの人間なら、読み終えるまでずっと気持ちがザワザワする本だ。LINEやメールの記録、あかりの手紙を中心に、あくまでも狂った母と娘のやりとりから明らかになる「母娘の真実」が丹念につづられる。 「どうしてちゃんとできないの?」「嘘付き」「バカ」「デブ」「不細工」「寝るな!」「勉強しろ!」「素直に謝れ」「開き直りやがって!」「土下座して頼め」「お父さんみたいになるよ」「次やったら家から追い出すからね」「ちゃんと成績取れなかったら学校辞めさせるからね」「死ねばいいのに」「消えろ」 母親の叱責を恐れたあかりが学校の成績表を改ざんして見せたら、粗末な偽造が見破られ、灯油ストーブの上で湯気を出していたやかんの熱湯を太ももにぶちまけられたこともあったという。 微量の狂気がずっと混じる、論理の飛躍や欠陥の目立つ、暴力的で他責的な母の主張。何をぶつけられても「そうですね。私がいけなかったです」と諦めたように応じる娘。医大受験失敗以降の9年で母の狂気と暴力がさらに加速していく。より粗野に、何かのタガが外れていくように。 齊藤は指摘する。「浪人生活を断ち切る努力は、あかりさんもしているんです。それが9浪にまでなってしまったのは、あかりさんの試みがことごとくかなわなかったからだと思うんですね。あかりさんは高3から何度も家出していますが、妙子さんが警察や私立探偵を使って、ことごとく連れ戻しているんです。あかりさんが会社に就職して寮で自活しようとしても、気づいたお母さんに電話を入れられて内定取り消しになっていたり。私の見立てですが、ここまで脱出を阻まれると、戦意喪失してしまったのではないか。もうなすすべがなかったのではないかと、そう思います」』、「高3から何度も家出していますが、妙子さんが警察や私立探偵を使って、ことごとく連れ戻している」、「あかりさんが会社に就職して寮で自活しようとしても、気づいたお母さんに電話を入れられて内定取り消しになっていたり」、「ここまで脱出を阻まれると、戦意喪失してしまったのではないか。もうなすすべがなかったのではないかと、そう思います」、なるほど。
・『礼儀正しく理知的な言葉でつづられた“異常な手紙” 二人だけの密室へ、さらにその暗い隅へと自分たちを追い詰めていく母娘。なるほど、このようにして狂った母の異常“論理”が娘を組み伏せてきたのだ、と痛感できるくだりがある。 医学部を目指してアルバイト生活をしながら仮面浪人をし、妥協案として看護学科を受験する前に「もうお母さんに迷惑をかけないように家出します。春には合格の知らせを聞かせますね」などという、長い置き手紙が引用されるのだ。 一見、礼儀正しく清潔で理知的な言葉で、「不甲斐ない私の受験失敗のせいで自殺未遂までしたお母さんを守るために、家出して勉強に集中します」。 だが手紙はこのように続く。「いま、保険証を借りようと金庫を開けたら、和田さん(私立探偵)の名刺と6通の報告書が入っていました」「やっぱりお母さんは私のことを信用していなかったんですね」「お母さんが動転してまた私立探偵に連絡したりお金を払ったりしないよう、電話線を外し、金庫の現金は他に移し、念のため私の学費通帳と印鑑は預からせてもらいます」「本当にごめんなさい。必ず帰ってきます」。 既に異常な内容なのだが、この後に続く齊藤の文章がさらに衝撃的だ。「あかりの意思で家出前に書いた置き手紙のように見えるが、違う。母がパソコンで原文を作成し、あかりに手書きで清書させ、祖母と大叔母に送ったものである」。予備校代を工面してくれる米国在住の祖母に近況を伝え、納得してもらうための、うそで塗り固めた“演出”。これを母は「一世一代の大うそ」と呼び、あかりもまた親戚付き合いとはそういうものだと思っていた』、「「あかりの意思で家出前に書いた置き手紙のように見えるが、違う。母がパソコンで原文を作成し、あかりに手書きで清書させ、祖母と大叔母に送ったものである」。予備校代を工面してくれる米国在住の祖母に近況を伝え、納得してもらうための、うそで塗り固めた“演出”。これを母は「一世一代の大うそ」と呼び、あかりもまた親戚付き合いとはそういうものだと思っていた」、「母」と「あかり」で「祖母と大叔母」にうその手紙を送っていたとは信じ難いが、あり得る話だ。
・『母親が欲しかったもの、足りなかったもの 祖母(通称・アメばあ)や大叔母という肉親に対してまで、なぜそんな大それたうそをつくのか。それこそが、この母子関係の核心ともいえる部分なのである。 齊藤は、実際に面会で対面したあかりをこう表現した。「あかりさんは内省的で、思っていること、考えていることを言語化するのが的確な方です。大阪拘置所で面会したときも、中肉中背で、メガネをかけて、髪を耳の後ろで一つ縛りにしていて。趣味趣向はどこにでもいる人の感性という印象で、特別に何か異質さを感じることはない。好きな食べ物や好きな俳優さんの話をしたり、そんなに『この人とは心が通じ合えない』などと感じることはありませんでした」 だが、娘には何がなんでも医学部に受かってほしいという願いから9浪するまで教育に投資し、その学資を自分の米国在住の実母(アメばあ)に捻出してもらう妙子には、屈折した背景があった。 アメばあは、米軍の軍医と再婚して米国に暮らしているわけです。推測ですが、妙子さんはアメばあから十分な愛情を得られないまま育ってしまったという印象を受けます。小さい頃に再婚した両親だけ米国に行ってしまって、日本に取り残された妙子さんは愛情に飢えていた。娘を医者にしたいからと学費の協力をお願いしたり、何かとアメばあに報告したりというやりとりも、娘を引き合いに出してアメばあを喜ばせ、振り向いてもらえなかった部分を埋めていた気がします。お金をもらっている以上は結果を出さねばという固執も、もしかして彼女はアメばあのために子育てしていたのかなと想像しました」』、「小さい頃に再婚した両親だけ米国に行ってしまって、日本に取り残された妙子さんは愛情に飢えていた。娘を医者にしたいからと学費の協力をお願いしたり、何かとアメばあに報告したりというやりとりも、娘を引き合いに出してアメばあを喜ばせ、振り向いてもらえなかった部分を埋めていた気がします。お金をもらっている以上は結果を出さねばという固執も、もしかして彼女はアメばあのために子育てしていたのかなと想像しました」、母親自身が「愛情に飢えていた」、「もしかして彼女はアメばあのために子育てしていたのかなと想像」、想像以上に複雑な事情だ。
・『これは「毒親」「教育虐待」なのか? 齊藤の解説を聞いて、ようやく事件の補助線を引いてもらった気がした。 「書籍に盛り込んでいるLINEのやりとりはほんの一部なので、交わされた全体を見る限り、看護学科に妥協して落としどころをつけたのは、お母さんの方なんです。あかりさんが折り合いをつけようとしてもできなかったのを、お母さんの方からつけることで『9浪で済んだ』とも考えられます。お母さんとしても、ずっと浪人させていることが自分を苦しめていたのが、置き手紙を書かせたことにもつながっているんです。浪人させ続けたのは妙子さんで、妙子さんの意思で浪人生活を終わらせるというのはアメばあには言いにくかったんでしょう。あくまであかりさん本人が『努力したけど届かないから看護学科で許してくれ』と懇願して落としどころにした、というシナリオにしたかったんですね」 「うそを使って人間関係をつなぎ留めるこのお母さん自体、承認欲求を満たす場が他になかったんじゃないのかなと感じます。妙子さんも孤独な状況だった。仕事はしていたけれども、パートだったり途中でやめたり、友人も多くはなくて、子育てが自分の人生の中心になってしまっている。取材した範囲で、彼女が社会で人とのつながりを持って誰かに喜んでもらうとか、自分で何かをやり遂げた経験が見当たらないんです」 孤独な母親は、承認を求めて狂っていったのだ。 「その妙子さんができることとしては、娘の子育てを頑張って立派に育て上げましたというのが、他人から承認される唯一の手段だったのかなと。家庭以外のコミュニティーにお母さんは属していなかったところがあって、家庭だけが人生になってしまうとお母さんは孤立を深める。誰からも承認されないというのが、なんとしても子育てを成功させねばとのプレッシャーになったのではないか。だから、志望校を落とさせてけりをつけるのは、母の意向ではなくて娘の意向であると見せなければいけなかった。『私は頑張ったのよ』と周りの人に知られたかったのかもしれません」 「浪人中に妙子さんが自殺未遂をする一幕がありますが、看護師との会話の記録に『娘と二人で受験を頑張ってきた』『母親は娘あっての母親でしょ!?』というものがあります。妙子さんも悪気があって娘を苦しめているのではなくて、愛しているが故に期待が大きくなってしまって、自分も苦しめられているのが感じ取れたんです。毒母や毒親と呼ばれる現象も、関係性の問題ですよね。お母さんの立場からは良かれと思ってやっているし、愛情の一つの表れ方にすぎない。どこまでが愛情で、どこからが虐待や毒になるんだろうと、線引きがすごく難しいです」』、「看護学科に妥協して落としどころをつけたのは、お母さんの方なんです。あかりさんが折り合いをつけようとしてもできなかったのを、お母さんの方からつけることで『9浪で済んだ』とも考えられます。・・・アメばあには・・・あくまであかりさん本人が『努力したけど届かないから看護学科で許してくれ』と懇願して落としどころにした、というシナリオにしたかったんですね」、なるほど。
・『父親の存在があかりを変えた 齊藤は、この母子関係の事件において、父親の存在が意外と大きいことにも気づいたという。 「別居してしまったお父さんは、あかりさんにとって最大と言っても過言ではないほどの理解者なんですね。あかりさんが逮捕された後にお父さんが面会に来るのですが、裁判では『お母さんは自殺した』との主張が展開されているさなか、お父さんは娘が殺したということを分かっていた。本当のことを言った方がいいと(あかりに)助言しているんです。子どものことを理解してくれるお父さんだったんですね」 「両親はあかりさんが生まれてから10年ほどで別居していて、お父さんは妙子さんという人と対峙するしんどさを理解しているところがある。あかりさんがお父さんと休日に遊びに行った幼い頃の思い出をつづった手記がありますが、その中でお父さんを『止まり木のような存在』と表現し、唯一心を許せる存在だった」 母・妙子と向き合うつらさを理解できている、唯一の関係。あかりはそのつらさを共有できた父との面会をきっかけに、心を動かしていった』、「幼い頃の思い出をつづった手記・・・その中でお父さんを『止まり木のような存在』と表現し、唯一心を許せる存在だった」、なるほど。
・『母親という生き物を理解する 「あかりさんには同情できる部分がある」と、齊藤は言葉を探すように言った。「自分が娘という立場だからというのも理由ですが、お母さんが喜んでくれると自分もうれしくなってしまうんです。妙子さんが浪人中のあかりさんのために28万円の振り袖を買うことに、あかりさんは母の『娘にきれいなものを着てほしい、晴れ姿にはお金を使いたい』気持ちを理解して、同意します。母親にとって娘とは可愛い存在で、親が喜んでくれることは子にとっても喜びである。勉強もそうだと思うんですよね。いい点数を取ると母親が喜んでくれるから、もっと頑張る」 子どもの人生を侵食するほどの母親の過干渉の理由を、あかりもまた、拘置所で他の母親でもある女囚たちと交流する中で理解していったようだ。子への愛情と、自分の献身や期待に応えない子を憎いと思ってしまう感情は、程度の差はあれ、母親という生き物の中に奇妙に同居している。) あかりと妙子の30年を追い、つぶさに言語化した齊藤は「私としてはもう、あかりさんへの取材に関してはやり切ったという思いがあって」と前置きして、こう語った。 「この事件に、誰かがもっとこうすれば良かったとか、そこまで思い至ってないですね。いろんな要因が重なってしまった結果起こった事件で、こうすればというサジェスチョンはできかねるかな。これを書いているとき、公私共にしんどかったです。あかりさんに手記を寄せてもらったり、さまざまな方に取材に協力していただいたり、こんなにいろんな人に手がけてもらったら出さねばならぬという使命感で書籍を書き上げました」 冷静に誠実に事件を描き、語る齊藤だが、著者の中では取材執筆を通じてすさまじいエネルギーを燃やし続け、母娘のヒリヒリとした感情と向き合い続け、事件関係者だけでなく自分自身の心の中をも深くのぞき込んでいたのだろうと感じられる言葉だった。 Amazonの書籍ページにはあかりの状況に共感するとするたくさんのレビューが寄せられ、SNSでもそれぞれのユーザーが自分の経験を語るなど、反響は大きい。「特に男性の読者は、親子関係に限らず呪縛からの逃げ方という視点で感想を書いてくださる方が多くて、それは一つの発見でした」。それだけ、さまざまな形の呪縛に苦しめられた経験のある人が多いことの表れでもあるのかもしれない。 「この事件や本は教育虐待というキーワードで語られますが、取材をした私としては、どこまでが教育でどこからが虐待か分からないと感じています。むしろ私は『愛情のもつれ』についての本だと思って書きました。一つの愛情の形であり、教育はあくまでツールなのだと」 誰か悪者を見つけて断罪するのではなく、「家族のあり方について考えるきっかけになれば」と語る齊藤。これほどに広く深く人々の心を揺さぶるノンフィクション作品を書き上げた彼女が、知的で冷静な目を備えた27歳だったことに、ただ舌を巻く』、「アメばあ」がまだ生きていれば、さぞかし嘆いたことだろう。「教育虐待というキーワードで語られますが、取材をした私としては、どこまでが教育でどこからが虐待か分からないと感じています。むしろ私は『愛情のもつれ』についての本だと思って書きました」、「これほどに広く深く人々の心を揺さぶるノンフィクション作品を書き上げた彼女が、知的で冷静な目を備えた27歳だったことに、ただ舌を巻く」、同感である。
第三に、6月7日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏による「「子供部屋おじさん」が合理的なのかは、実は深い問いだ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/324056
・『「子供部屋おじさん(おばさん)」とも呼ばれる、成人後も親と同居を続ける中年の増加が日本で取り沙汰されてきたが、米国や英国でもそうした人々やその予備軍が増えつつあるという。子供が親と同居するのは経済合理性が主な理由とされるが、合理的かどうかという問いは、未来の家族形態やライフスタイルの考察にまでつながる「深い問い」といえる』、「子供部屋おじさん」なる言葉は初めて知ったが、米英でも広がっているようだ。
・『日本だけでなく米英でも親と子の同居が増えている 米国や英国で、親と同居する若者が増えているという(「巣立たぬ若者、英米も急増 3分の1が親と同居」日本経済新聞、5月28日)。成人したら親元を離れて自立した生活を営むことが常識的とされてきた米国や英国にあって、18歳から34歳の若者が親と同居する割合が上昇して共に約3分の1に達した。 主たる要因は、主に家賃の上昇だと記事は分析する。2000年を100とした家賃は22年に、米国では180を超えて、英国でも160以上となっている。親と同居して家賃を節約することができれば、同じく高騰している学費などにお金を使うことができるし、もちろん遊興費なども多く確保できる理屈だ。経済合理的とも思えるが、子供の「自立」はどうなるのかという問題や、親と同居した状態が心地いいと結婚して子供を作ることが減ると予想され、少子化に拍車が掛かるのではないかと懸念する声もある。 ちなみに記事では、18歳から34歳の親との同居率は、ポルトガル、イタリア、スペインといった南欧やクロアチア、ポーランドといった東欧が高いと報じている(60%半ばから70%前後)また、16~34歳のデータという注釈付きだが、アジア諸国では韓国が70%と高いという。その一方で、米英と北欧で低い。わが国は、20年の国勢調査によると47%程度と、ややアジア諸国寄りの中位にある。 わが国では家賃の上昇はそれほどでもないが、勤労者層の実質賃金が伸びていないので「生活が苦しい」ことは同様だ。「親との同居」が経済合理的なら、親との同居を前提としたライフスタイルや居住スタイルの変更を考えてもいいのではないか、とも思える。 ただし、いささか揶揄(やゆ)気味に「子供部屋おじさん(おばさん)」という言葉が使われているように、成人して加齢しても子供が家族を持つような独立心や経済力を持たない状態を容認するのがいいことなのかどうか、また、前述のように、この生活形態が少子化を加速する可能性があることについてどう考えるべきかという問題がある。 家族と居住の形態は、考える価値のあるテーマだ』、「巣立たぬ若者、英米も急増 3分の1が親と同居」、「18歳から34歳の親との同居率は、ポルトガル、イタリア、スペインといった南欧やクロアチア、ポーランドといった東欧が高いと報じている(60%半ばから70%前後)、アジア諸国では韓国が70%と高い」、「わが国は、20年の国勢調査によると47%程度と、ややアジア諸国寄りの中位」、想像以上に高いようだ。「家賃」高騰が背景にあるようだ。
・『親と子の同居に対する筆者自身の価値観と偏見 一般論を考える前に、筆者個人が現実にこの問題をどう考えているかについて述べておこう。 筆者の息子は今年の春に東京の大学に進学することになった。家族は東京に居るので、家族の元から大学に通うことが可能だったが、大学の近くにワンルームマンションを借りて一人暮らしをさせることにした。費用的には少々不経済である。 理由は、家族から引き離して「早く大人にしよう」と父親である筆者が考えたためだ。家族と同居している子供は、毎日親(特に母親)と話すので、ものの見方や価値観に対して親の影響を受けるし、生活面でもさまざまに親に依存する。この関係を早く断ち切ることが、息子の成長に有効だと考えたのだ。 背景には、息子が将来十分経済的に自立して生活できるようになるだろうという息子個人への評価があったし、それ以上に、独立して暮らすことが自立心につながるという、筆者の年代が持ちがちな価値判断があったと思う。たぶん偏見が含まれているが、過去に多くの男性を観察していて、精神的に「母親離れ」ができていない人物の性格に残念な面を多く感じてきたということもある。 偏見のついでに告白しておくと、娘(息子の2学年下)に対しても同じようにするかどうかは決めていない。 子供の性差と子育てをどう考えるかは、難しい問題だ。「原則として、性別に関係なく本人の個性次第だ」と頭では考えているが、「女の子は、こうした方が生きやすい」という世間の環境に適応して、男の子と扱いを変える可能性はある。ジェンダー問題がご専門の方などからは大いに批判される態度かもしれない。私が政治家など公職にあれば、そもそもこの点について正直に述べることが難しかろう。幸い気楽な立場なので、正直に書いた。 筆者自身が、核家族化が進行し「成人したら自立」が当たり前だった時代に育ち(筆者は昭和の真ん中、昭和33年生まれだ)、かつての男の子だった自分固有の経験に影響されていることは否めない』、我が家の場合は、娘2人は片道1時間半かかっても、自宅から通わせたが、息子は片道1時間強でも下宿させた。
・『生活にも働く「規模の経済効果」 Nを大きくすると生活は楽になる 経済効率という意味では、大家族には効率的な面がある。通常の調査では、世帯別の裕福・困窮の度合いを測る上で、世帯所得を世帯人数(N人)の平方根で割った数字を使う。2人暮らしは独り暮らしの1.4倍強のコストで賄えるし、4人暮らしなら独り暮らしの2倍の所得があれば概ね同等の豊かさだということだ。 つまり、生活にも「規模の経済効果」が働くということだ。確かに、キッチンも、冷蔵庫も、洗濯機も、人数分必要だということはないし、何よりも一人一人が毎食炊事に関わる必要もない。この効果の大きさと確かさを考えると、ある意味では「独り暮らしは贅沢」なのであり、例えば生活保護を考える場合に独り暮らしのコストまで補償することが適切なのかといった問題にも行き着く。 「N」は必ずしも親子や親戚同士である必要はないが、例えば、親・子・孫3世代の同居を考えると、一つには働く親(第2世代の親)の子供の保育に関する問題、もう一つには高齢になった親(第1世代の親)の初期段階の介護における問題が、大家族の中である程度は解決可能になるという大きなメリットがあることにも気付く。 国が国民の大家族化に期待して保育園の整備を手抜きするようでは問題だが、送り迎えや在宅での見守り、教育などにおいて、働く親のさらに親世代が大いに頼りになることは確かだ。また、終末期の介護を大家族に丸投げするのも問題だし、規模の利益に反する場合もあろうが(例えば入浴の介助は素人よりもプロが行う方が効率的だ)、高齢者がある程度自分でも動ける段階での介護は大家族の中で分担して吸収できそうな問題だ。 大家族には、働く世代をしばしば制約する、「子供の保育」と「親の介護」の問題を解決する上でもメリットがありそうだ。例えば、まだ働くことができる年齢の子供が親の介護に張り付くために退職するといった、核家族親子の非効率を何がしか避けることができる可能性がある。 人類学者のエマニュエル・トッド氏によると、米英などアングロサクソンの国で一般的な核家族の形態は、人類史的には最も原始的なもので、アジアなどに多い直系家族や、さらにロシアやアラブなどに存在する各種の共同体家族の方がより新しい進化した家族形態なのだという。 筆者の世代では、成人したら小さくても住居を確保して核家族を作る方が、かつて農家などに見られたような大家族よりも、新しくて進んだ暮らし方であるとのイメージを持ちがちだ。しかしこれは、都市への労働力の吸収と、小さくても家を持たせる住宅振興政策、さらに米英の文化の影響を受けた、「特定の時代のトレンドだった」と解釈するのが妥当なのだろう。 どのような家族形態、居住形態が合理的なのかは、改めて考えてみるべき問題だろう』、「エマニュエル・トッド氏によると、米英などアングロサクソンの国で一般的な核家族の形態は、人類史的には最も原始的なもので、アジアなどに多い直系家族や、さらにロシアやアラブなどに存在する各種の共同体家族の方がより新しい進化した家族形態なのだという」、にわかには信じ難い話だ。
・『家族形態を考える上で重要な原則とは? では、どうするべきなのか。 この問題を考える上で、何としても重要な原則は、家族形態や居住形態は、個々の国民が自由に(=国家に介入されずに)決めるべき問題だということだ。 家族や住居は、個人の暮らし方の根幹に関わる問題なので、税制や社会保障制度などで特定の方向に誘導すべきではない。 例えば、大家族の同居を前提とすると世帯数は減るから、一時的に大家族仕様の住宅に対するニーズが発生するかもしれないが、長期的には住宅費は節約されることになるだろう。これを政策で阻害してはならない。 また、白物家電などを典型とする耐久消費財の需要も大家族化で減少するはずだが、それは消費者側での合理的な選択の結果なのであって、この点への介入も無用だ。 家族制度の選択は、少子化対策や産業の振興などと分けて考えるべきだ。 子供に対して給付金を配るなどの少子化対策は別個に行われてもいいが、かつて「標準家族」を優遇したような、特定の家族形態に対する優遇・誘導を税制や社会保障制度を通じて行うことは厳に慎むべきだろう。 国民には、多少不経済でも核家族を選択する自由も、大家族を選択する自由もあるべきで、そこに制度上の損得を絡ませるべきではない。「暮らし方」を少子化対策など別の目的の手段としてはならない。 その上でだが、世帯の「N」を大きくすることによる経済性には大いに魅力がある。単に「親子の同居」にとどまらない、合理的に暮らせる大家族の形態および住居について、提案し、ロールモデルとなる人物がいるといい。 もっとも、「N」をいかにマネジメントするかは簡単ではない。世界にある各種の共同体家族でも、父親に権威があって兄弟が平等な家族形態もあれば、母方の住居において共同で生活する母系的なシステムもあるようだ。何らかの習慣を形成することが合理的なのかもしれない。 われわれは、世界の別のシステムに学ぶべきなのかもしれないし、あるいは全く新しい仕組みを考えるべきなのかもしれない。 合理的な住居と大人数のマネジメントの仕組みをセットで提案してくれる「生活の発明家」の登場に大いに期待したい』、「家族や住居は、個人の暮らし方の根幹に関わる問題なので、税制や社会保障制度などで特定の方向に誘導すべきではない」、その通りだ。「合理的な住居と大人数のマネジメントの仕組みをセットで提案してくれる「生活の発明家」の登場に大いに期待したい」、同感である。
先ずは、2021年3月25日付け東洋経済オンラインが掲載した財務省出身で、ニューヨーク州弁護士・信州大学特任准教授の山口 真由氏による「米国人驚愕「子が親の介護する日本」深刻な盲点 「家の時代」から「個人の時代」へシフト」を紹介しよう。
・『東京大学を卒業後、財務省を経て、現在はニューヨーク州弁護士、信州大学特任准教授の山口真由氏は、アメリカ留学で家族法を学び、家族に関するさまざまな疑問にぶつかります。山口氏の新著『「ふつうの家族」にさようなら』を基に、今回はアメリカと日本の家族観の違いについて解説します。 前回:何でも入手できる米国「精子バンク」の驚く値段』、興味深そうだ。
・『日本では聞いたことがない訴訟 「あら、どうして?子どもが年老いた親の面倒をみるっていう義務が、そんなにはっきり法律に書いてあるの?」 ハーバード・ロースクールの家族法の授業で、教壇のエリザベス・バーソレッテ教授が、片方の眉をつり上げる。授業中に英語で質問をされると、心臓が縮む。それでも今日の私は、ここで引き下がるわけにはいかない。なんせ、日本を背負って手をあげたのだから。 発端は授業で習った判例だった。年老いた母は、老人ホームで人生の最期を迎える。母の死後、その老人ホームは介護にかかった費用を精算しようとした。だが、毎年、老女のために使われるはずの財産は息子が使ってしまっている。 そこで、彼女の残りの財産を相続した息子に、ホームは残額を請求した。ところが、息子は自分には支払義務がないとして裁判所で争ったのだ。 アメリカと日本の家族観の違いを感じるのは、こういう瞬間である。すかさず私は手をあげる。 「日本では、こんな訴訟は聞いたことがありません」 勢いにまかせて、私は話し出す。バーソレッテ教授は驚いたように私に尋ねる。 「あら、どうして? 子どもが年老いた親の面倒をみるっていう義務が、そんなにはっきり法律に書いてあるの?」 今度は私が驚く番だ。親子の間で、まず法律上の義務を持ち出すなんて!) 「確かに、子どもは親を扶養する義務が民法に定められていると思います。でも、そんなに細かくきっちりとした定めではありません。これって、法律上の義務というよりは道義的な義務ではないでしょうか。 確かに、親子関係はさまざまです。親の面倒をみろとすべての子どもに押しつけることはできないかもしれない。ただ、日本では、一般的には、自分を育ててくれた親が年老いて介護を必要とすれば、子どもが面倒をみることになります」 バーソレッテ教授は、目を見開いたまま黙り込んでしまう。しばしの沈黙の後、彼女は再び口を開く。 「日本と比べると、アメリカは年寄りに冷たい国だわ。私もね、年寄りの部類に入るようになって心からそう思うのよ。大統領候補者はこぞって若作りをする。健康不安を心配するよりも批判の対象にする。 子どもたちは、年老いた両親を養うことはしない。老後に備えて、私たちは自分でお金を貯めておかないといけないの。この若い国は、この国を必死に支えて、そして、老いていった人たちをいたわろうとはしてこなかったわ」 ここにおそらく、アメリカの「家族」と日本の「家」の決定的な違いがある』、「バーソレッテ教授は」、「日本と比べると、アメリカは年寄りに冷たい国だわ。私もね、年寄りの部類に入るようになって心からそう思うのよ・・・子どもたちは、年老いた両親を養うことはしない。老後に備えて、私たちは自分でお金を貯めておかないといけないの。この若い国は、この国を必死に支えて、そして、老いていった人たちをいたわろうとはしてこなかったわ」、その通りだ。
・『日本の「家」は会社だった 「江戸時代までの日本の『家』っていうのはね、これは、会社なのよ」 日本に戻った私は、東京大学の博士課程で家族法の勉強を継続した。そのときに、家族法の大家である教授が、日本の「家」の本質をそう端的に表現した。江戸時代の武家制度のなかで確立した日本の「家」というのは、家の財産をバラバラにせずに、次の世代に、その次の世代に、脈々と伝えていくための装置なのだという。 江戸時代の家は、武士であれ町人であれ、「家業」を持っていた。浅草の老舗のお煎餅屋さんを想像してほしい。祖父の代から頑固一徹で守ってきた秘伝のたれをしみこませながら、煎餅を焼く。この技法が評判になり、今ではかなり遠くからも煎餅を買い求める人が引きも切らない。 だが、足腰も弱りはじめた三代目は隠居することを考えていた。子どもは長男、次男、そして、長女がいて、全員がお店で働いている。のれんという信用、そして、煎餅づくりのノウハウという無形資産があってこそ、お煎餅屋さんは価値を持つ。 だから、お店の土地とか建物とか、はたまた煎餅を焼く機器なんかの有形資産をバラバラにして、子どもたちに受け継がせても意味がないのだ。) 長女は、家業につながりのある家にお嫁に行くだろう。次男には、後々、のれん分けをしてあげるかもしれない。ここは、とりあえず長男にお店を丸ごと継いでもらうことにしよう。 こうやって、浅草の老舗のお煎餅屋さんは、世代に1人と跡継ぎを定めて、祖父から父へ、そして、父から息子の代へと事業を丸ごと受け継がせる。日本の「家」というのは、もともとそういうものだったらしい。そう考えるとこれは家族経営の中小企業とおんなじだ。 家族法の大家である教授は、私たちにこう諭す。 「江戸時代まで、日本には『相続』なんて考え方はなかったのよ。『相続』というのはね、個人を単位に財産を管理する方法なの。個人が亡くなると財産の帰属主体が消滅する。それで、その時点の財産をすべてお金に換算して、それを相続人に平等に分配しましょうという考え方でしょう」 「じゃあ、江戸時代の日本では、おじいさんが亡くなったら財産をどうやって分けるんですか?」 「分けたりしないのよ。江戸時代までの日本の相続は、今でいう会社の『事業承継』と同じ。財産の帰属主体は個人じゃないの。家なのよ。だから、社長を交代するように家長を交代して、世代を超えて家の財産を引き継いでいく。 個人が亡くなるたびに、財産の帰属主体が消滅して、財産を清算してっていう考え方はとっていなかったの。個人が亡くなってもなお、家は連綿と残っていくものなのよ」 アメリカの「家族」は点である。子どもが成人すれば、親の家族とは別個の個人となり、やがて新しい家族を作っていく。 もちろん、点在する家族と家族の間には精神的な交流がある。クリスマスには、子どもが孫たちを連れて、懐かしい両親の家に帰るだろう。ただし、親の家族と子どもの家族ははっきりと区切られている。両者は経済的には完全に独立した主体なのだ』、「江戸時代の武家制度のなかで確立した日本の「家」というのは、家の財産をバラバラにせずに、次の世代に、その次の世代に、脈々と伝えていくための装置なのだという。 江戸時代の家は、武士であれ町人であれ、「家業」を持っていた・・・長女は、家業につながりのある家にお嫁に行くだろう。次男には、後々、のれん分けをしてあげるかもしれない。ここは、とりあえず長男にお店を丸ごと継いでもらうことにしよう。 こうやって、浅草の老舗のお煎餅屋さんは、世代に1人と跡継ぎを定めて、祖父から父へ、そして、父から息子の代へと事業を丸ごと受け継がせる。日本の「家」というのは、もともとそういうものだったらしい。そう考えるとこれは家族経営の中小企業とおんなじだ」、「江戸時代までの日本の相続は、今でいう会社の『事業承継』と同じ。財産の帰属主体は個人じゃないの。家なのよ。だから、社長を交代するように家長を交代して、世代を超えて家の財産を引き継いでいく。 個人が亡くなるたびに、財産の帰属主体が消滅して、財産を清算してっていう考え方はとっていなかったの。個人が亡くなってもなお、家は連綿と残っていくものなのよ」 アメリカの「家族」は点である。子どもが成人すれば、親の家族とは別個の個人となり、やがて新しい家族を作っていく」、「「江戸時代までの日本の相続は・・・財産の帰属主体は個人じゃないの。家なのよ。だから、社長を交代するように家長を交代して、世代を超えて家の財産を引き継いでいく」、その通りだ。
・『一方、日本の「家」は線である。隠居した親の面倒は子どもがみる。その子も将来は、自分の息子やそのお嫁さんに面倒をみてもらう。家業を、親から子ども、そして、孫へと引き継いでいくその裏で、家業を営むことで得られるあがりで、年老いた親、出戻りの娘、引きこもった息子、家の構成員全員を養っていく。 家は、世代を超え、核家族の境界を超えて、一族を縦に結びつける。そしてこの家は、精神的な結びつきのみならず、経済的な基盤でもあるのだ。 今、日本では、もともとの「家」の価値観と西欧由来の「個人」の価値観が交錯する過渡期にある。相続というのは「個人」の側の概念である。日本には、もともと財産が個人に帰属するという考え方はなかった。そういう考えが輸入されたことで、相続という制度ができあがった』、「アメリカの「家族」は点である。子どもが成人すれば、親の家族とは別個の個人となり、やがて新しい家族を作っていく」、「日本の「家」は線である。隠居した親の面倒は子どもがみる。その子も将来は、自分の息子やそのお嫁さんに面倒をみてもらう。家業を、親から子ども、そして、孫へと引き継いでいくその裏で、家業を営むことで得られるあがりで、年老いた親、出戻りの娘、引きこもった息子、家の構成員全員を養っていく。 家は、世代を超え、核家族の境界を超えて、一族を縦に結びつける。そしてこの家は、精神的な結びつきのみならず、経済的な基盤でもあるのだ」、極めてクリアだ。「今、日本では、もともとの「家」の価値観と西欧由来の「個人」の価値観が交錯する過渡期にある。相続というのは「個人」の側の概念である。日本には、もともと財産が個人に帰属するという考え方はなかった。そういう考えが輸入されたことで、相続という制度ができあがった」、なるほど。
・『社会に色濃く残る「家」という感覚 だが、こういう相続争いの法廷で、私は「家」という感覚が、社会に色濃く残っていることに気づく。例えば、長男次男という序列が慣習として存在する。長男は、幼い頃から「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と呼ばれてなにかと優遇される。家業を継ぐとすれば、まずは長男が第一候補者だ。 それと引き換えに、年老いた両親は長男が自分の家に引き取って介護をするものだという価値観、これが今でも地方ではそれなりに強く残る。 考えてみれば、日本で社会問題となりつつある親の介護も、「家」という制度の遺物なのかもしれない。 年老いた親が介護を必要とするならば、すでに家を出ていたとしても、まずは子どもが担い手となるべきだ。そういう感覚が日本にはある。老人ホームに入所させる費用を親の貯金で賄うことができなければ、それは子どもが負担するべきだと考える人も多いだろう。 財産が個人にではなく家にあると考える。すると、この価値観はとても自然だ。子どもの財布から親の介護を賄っているように見えて、その実、家の財産から隠居した先代の生活費を出しているにほかならないのだから。そして、同じ制度が続くならば、自分の介護についても子どもに面倒をみてもらえるという期待が生じる。) 要するに、同じお財布を共有している人の単位が異なるということだ。日本の場合には、別々の家族を営んでいるようで、親も子どもも、いつまでも緩やかに同じお財布を共有している。 一方のアメリカは、子どもが独り立ちした時点で独立採算制になる。もちろん、親の遺産を相続することもあるだろうが、アメリカ人の多くが遺言を残すとされ、日本の遺留分に当たる制度はない。個人の人生の後始末は個人の意思によるのが原則なのだ。 そういう全体像の下で、ロー・スクールの教授は、「子どもが年老いた親の面倒をみるっていう義務が、そんなにはっきり法律に書いてあるの?」と私に問うた。そして、法学部の教授は、「江戸時代までの日本の『家』っていうのはね、これは、会社なのよ」と指摘したのだ』、「日本の場合には、別々の家族を営んでいるようで、親も子どもも、いつまでも緩やかに同じお財布を共有している。 一方のアメリカは、子どもが独り立ちした時点で独立採算制になる。もちろん、親の遺産を相続することもあるだろうが、アメリカ人の多くが遺言を残すとされ、日本の遺留分に当たる制度はない。個人の人生の後始末は個人の意思によるのが原則なのだ」、なるほど。
・『「個人の時代」へ踏み出そうとしている日本社会 そう考えると、アメリカのロー・スクールでの授業風景が異なったものに見えてくる。日本の子どもたちに思いやりがあって、アメリカの子どもたちは年老いた親に冷淡だという、そういう国民性みたいな話ではない。これは、アメリカの「家族」と日本の「家」の決定的な違いなのだ。 アメリカの家族は点々と社会に散りばめられている。一方、日本の家は世代を超えて連綿とつながる線を描く。だが、問題はここでは終わらない。私たちの社会は、今、「家の時代」からアメリカのような「個人の時代」へと足を踏み出そうとしている。 夫婦別姓の問題も、森喜朗氏の発言に端を発した「女性という属性ではなく個人を評価しましょう」という動きも、私たちを「家」の世界観から「個人」へと押し出そうとする。 「個人の自律」というと聞こえはよい。だが、介護の問題、パラサイトチルドレン、8050問題――そこに頼って生きてきた人々が「家」から押し出されたとき、社会が彼らに居場所を用意できるのかが真の問題だろう』、「アメリカの家族は点々と社会に散りばめられている。一方、日本の家は世代を超えて連綿とつながる線を描く。だが、問題はここでは終わらない。私たちの社会は、今、「家の時代」からアメリカのような「個人の時代」へと足を踏み出そうとしている。 夫婦別姓の問題も、森喜朗氏の発言に端を発した「女性という属性ではなく個人を評価しましょう」という動きも、私たちを「家」の世界観から「個人」へと押し出そうとする。 「個人の自律」というと聞こえはよい。だが、介護の問題、パラサイトチルドレン、8050問題――そこに頼って生きてきた人々が「家」から押し出されたとき、社会が彼らに居場所を用意できるのかが真の問題だろう」、「私たちの社会は、今、「家の時代」からアメリカのような「個人の時代」へと足を踏み出そうとしている・・・「個人の自律」というと聞こえはよい。だが・・・「家」に頼って生きてきた人々が「家」から押し出されたとき、社会が彼らに居場所を用意できるのかが真の問題だろう」、さて、どうなるのだろうか。
次に、本年5月30日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したコラムニストの河崎 環氏による「医学部9浪の31歳娘が58歳母をバラバラ死体にするまで…話題本の著者が迫った事件の本質」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/323361
・『5年前に滋賀県で、医学部受験に失敗した31歳の女が母親をメッタ刺しにして殺害したという事件を覚えている方もいるかもしれない。この事件について書いたノンフィクション『母という呪縛 娘という牢獄』が、いまヒット中だ。しかしこの本は、おどろおどろしい猟奇物でも、のぞき見根性の本でもない。淡々とした筆致で、鮮やかに濃密な親娘関係に迫る。読み始めたら引き込まれ、一気に最後まで読んでしまった。こんなに読む者の胸を打つ本を書いたのはどんなベテラン作家かと思ったら驚いた。インタビューに現れたのは、20代の女性だったのだ』、大ヒットの「ノンフィクション『母という呪縛 娘という牢獄』」の作家が「20代の女性」とは私も驚かされた。
・『捜査線上に浮かび上がったひとり娘 ストレートなノンフィクション書籍にヒット作の出づらい現代、昨年12月の発売以来4カ月で7刷5.5万部という、注目すべきスマッシュヒットを飛ばしている作品がある。著者はいわゆるZ世代、刊行当時27歳の齊藤彩(敬称略)。共同通信社の司法記者を経て、初の著書となる『母という呪縛 娘という牢獄』(講談社)を上梓した途端、SNSを中心に大きな反響が起こった。 2018年3月、滋賀県守山市、琵琶湖の南側へ流れ入る野洲川の南流河川敷で、両手・両足・頭部のない、女性の人体の体幹部が発見された。遺体は激しく腐敗して変色、悪臭を放ち、無数のトンビが群がる異常な光景を、通りかかった住民が目に留めたのである。 滋賀県警守山署が身元の特定に当たったが、遺体の損傷が激しく、捜査は難航した。やがて遺体の身元は行方不明となっていた高崎妙子さん※(仮名・死亡時58)と判明。捜査線上に浮かび上がったのは、そのひとり娘である高崎あかり※(仮名・31)だった。 ※正しくは、「高」の字ははしご高、以下すべて同じ』、事件の背景を詳しく知りたいものだ。
・『「モンスターを倒した。これで一安心だ」 妙子さんは20年以上前から夫と別居し、あかりと二人暮らし。あかりは幼少期から学業優秀で中高一貫の進学校に通っており、20代中盤まで母娘で一緒にお風呂に入るほどの濃密な母娘関係を築いていた。 だがその間、実はあかりは常人の理解を超える執拗な干渉、暴言や拘束など、いわゆる“教育虐待”を母から長年受け続けていたのだ。 超難関の国立大医学部への進学を強要されて医学部を9浪の末、母からの妥協案として医大の看護学科へ進学する。しかし母は、看護師よりさらに専門知識を要する助産師にさせようとあかりに助産師学校の受験を求めており、看護学科を卒業して手術室看護師になりたいとの希望を持っていたあかり自身は助産師学校の試験に失敗。それに気づいた母から激しい叱責を受けていた。 あかりは、周到に用意した凶器で母親を刺殺した直後、「高揚感のようなものから」誰に見せるでも聞かせるでもなく、 「モンスターを倒した。これで一安心だ」 とのツイートを残していたのである』、「妙子さんは20年以上前から夫と別居し、あかりと二人暮らし。あかりは幼少期から学業優秀で中高一貫の進学校に通っており、20代中盤まで母娘で一緒にお風呂に入るほどの濃密な母娘関係を築いていた。 だがその間、実はあかりは常人の理解を超える執拗な干渉、暴言や拘束など、いわゆる“教育虐待”を母から長年受け続けていたのだ。 超難関の国立大医学部への進学を強要されて医学部を9浪の末、母からの妥協案として医大の看護学科へ進学する。しかし母は、看護師よりさらに専門知識を要する助産師にさせようとあかりに助産師学校の受験を求めており、看護学科を卒業して手術室看護師になりたいとの希望を持っていたあかり自身は助産師学校の試験に失敗。それに気づいた母から激しい叱責を受けていた」、「あかりは、周到に用意した凶器で母親を刺殺した直後・・・「モンスターを倒した。これで一安心だ」とのツイート」、“教育虐待”がよほど強かったのだろう。
・『母を殺した娘と筆者との膨大な往復書簡 守山署はあかりを死体遺棄容疑で逮捕後、死体損壊、さらに殺人容疑で逮捕・起訴に踏み切った。一審の大津地裁では死体損壊と遺棄については認めるも、あくまで殺人を否認していたあかりだが、二審の大阪高裁に陳述書を提出し、一転して自らの犯行を認める。 「母は私を心底憎んでいた。私も母をずっと憎んでいた。『お前みたいな奴、死ねば良いのに』と罵倒されては、『私はお前が死んだ後の人生を生きる』と心の中で呻いていた」「何より、誰も狂った母をどうもできなかった。いずれ、私か母のどちらかが死ななければ終わらなかったと現在でも確信している」(2020年11月5日、あかりの控訴審初公判における本人陳述書より) 著者の齊藤は、あかりが逮捕・起訴された当時、共同通信社大阪支社で社会部の司法記者として働いていた。「大阪高裁の刑事の担当だったので、そのルーティンワークの一環でちょっと公判をのぞいてみるか、程度の気持ちで行ったんです。ところが被告が、一審と変わって控訴審の初公判で認否をひっくり返すということが起きた。認否を変えるという行為が珍しくて、この事件の内容を深く知ろうと思いました。最初にこの法廷に行ったときは、この事件がこんなに親子の確執をはらんでいるとは知りませんでした」。齊藤は静かに振り返る。) 一審では「母は私の目の前で、突然首に包丁を当てて自殺を図りました」「遺体は私がバラバラにして、現場に捨てました」とのつじつまの合わない主張で否認し続けた殺人を、控訴審で突然認めた。あかりはなぜ認否をひっくり返したのだろう。齊藤は、あかりが控訴審結審に際して発表した文書の一節、「母の呪縛から逃れたい」という部分に強く引きつけられたという。 「調べていくと、母親から医学部への進学を強制されて、本人はその期待に応えることができなくて、苦しい思いをしていたということが分かってきた。私にとってもそれは決して他人事とは思えず、興味深いテーマだと思って引き込まれました」 公判の取材を続ける中、齊藤は拘置所のあかりと面会を重ね、あかりの刑務所移送後も膨大な往復書簡を交わした。共同通信のウェブメディアに掲載された、齊藤の書いた事件深掘り記事は大反響を呼び、書籍化へとつながる。そこに書かれたのは、娘・あかりから見た約30年分の家族の真実だった』、「被告が、一審と変わって控訴審の初公判で認否をひっくり返すということが起きた。認否を変えるという行為が珍しくて、この事件の内容を深く知ろうと思いました」、「公判の取材を続ける中、齊藤は拘置所のあかりと面会を重ね、あかりの刑務所移送後も膨大な往復書簡を交わした。共同通信のウェブメディアに掲載された、齊藤の書いた事件深掘り記事は大反響を呼び、書籍化へとつながる」、なるほど。
・『「同じ思いを持つ人が多いのかも」SNSの大きな反響 本書の序盤、齊藤による忘れられない表現が登場する。「(医師になりたいという)娘の憧れに母親が憑依し、母娘で引き返せない道を歩み始めることになってしまった」。毒親や毒母、教育虐待というキーワードがインターネット社会をにぎわす昨今だが、著者の齊藤は、あかりが置かれた状況や抱いた感情に分かりやすいレッテルを貼って誰かを断罪することで事件を片付けようとはしない。 「自分はこの高崎親子ほどではないんですけど、妙子さんに自分の母親の片鱗を見たような気もしていて。そういう意味で思い入れは強い事件でしたね。共同通信時代に、ネットニュースとして記事を出させてもらっていたんですけど、なんかあまりにも反響が大きかったんですよね。なので、これは私と高崎さんだけの問題ではないのかもしれない、と」 もしかして同じ思いを持つ人が多いのかもしれない、と直感した齊藤の本書がこれまでの事件本と決定的に異なるのは、事件を社会学的な文脈で語ることもなく、「分析」も「評価」もしないところだ。母や娘、周囲の人々の何がどういけなかったのかと、精神分析医や社会学者の分析を引用して「正解」を知ったような気分になり、ホッとふたを閉めて他人事として片付けてしまいそうなところを、齊藤は母娘や関係者の言葉を分析しようとはしない。一貫して生のままの言葉をつづり、読み手の理解へ預け続ける』、「ネットニュースとして記事を出させてもらっていたんですけど、なんかあまりにも反響が大きかったんですよね。なので、これは私と高崎さんだけの問題ではないのかもしれない、と」 もしかして同じ思いを持つ人が多いのかもしれない、と直感した齊藤の本書がこれまでの事件本と決定的に異なるのは、事件を社会学的な文脈で語ることもなく、「分析」も「評価」もしないところだ・・・齊藤は母娘や関係者の言葉を分析しようとはしない。一貫して生のままの言葉をつづり、読み手の理解へ預け続ける」、「「分析」も「評価」もしない」のが受けたとは分からないものだ。
・『行く手を阻む母、なすすべをなくした娘 まだ“正気”の側にいるつもりの人間なら、読み終えるまでずっと気持ちがザワザワする本だ。LINEやメールの記録、あかりの手紙を中心に、あくまでも狂った母と娘のやりとりから明らかになる「母娘の真実」が丹念につづられる。 「どうしてちゃんとできないの?」「嘘付き」「バカ」「デブ」「不細工」「寝るな!」「勉強しろ!」「素直に謝れ」「開き直りやがって!」「土下座して頼め」「お父さんみたいになるよ」「次やったら家から追い出すからね」「ちゃんと成績取れなかったら学校辞めさせるからね」「死ねばいいのに」「消えろ」 母親の叱責を恐れたあかりが学校の成績表を改ざんして見せたら、粗末な偽造が見破られ、灯油ストーブの上で湯気を出していたやかんの熱湯を太ももにぶちまけられたこともあったという。 微量の狂気がずっと混じる、論理の飛躍や欠陥の目立つ、暴力的で他責的な母の主張。何をぶつけられても「そうですね。私がいけなかったです」と諦めたように応じる娘。医大受験失敗以降の9年で母の狂気と暴力がさらに加速していく。より粗野に、何かのタガが外れていくように。 齊藤は指摘する。「浪人生活を断ち切る努力は、あかりさんもしているんです。それが9浪にまでなってしまったのは、あかりさんの試みがことごとくかなわなかったからだと思うんですね。あかりさんは高3から何度も家出していますが、妙子さんが警察や私立探偵を使って、ことごとく連れ戻しているんです。あかりさんが会社に就職して寮で自活しようとしても、気づいたお母さんに電話を入れられて内定取り消しになっていたり。私の見立てですが、ここまで脱出を阻まれると、戦意喪失してしまったのではないか。もうなすすべがなかったのではないかと、そう思います」』、「高3から何度も家出していますが、妙子さんが警察や私立探偵を使って、ことごとく連れ戻している」、「あかりさんが会社に就職して寮で自活しようとしても、気づいたお母さんに電話を入れられて内定取り消しになっていたり」、「ここまで脱出を阻まれると、戦意喪失してしまったのではないか。もうなすすべがなかったのではないかと、そう思います」、なるほど。
・『礼儀正しく理知的な言葉でつづられた“異常な手紙” 二人だけの密室へ、さらにその暗い隅へと自分たちを追い詰めていく母娘。なるほど、このようにして狂った母の異常“論理”が娘を組み伏せてきたのだ、と痛感できるくだりがある。 医学部を目指してアルバイト生活をしながら仮面浪人をし、妥協案として看護学科を受験する前に「もうお母さんに迷惑をかけないように家出します。春には合格の知らせを聞かせますね」などという、長い置き手紙が引用されるのだ。 一見、礼儀正しく清潔で理知的な言葉で、「不甲斐ない私の受験失敗のせいで自殺未遂までしたお母さんを守るために、家出して勉強に集中します」。 だが手紙はこのように続く。「いま、保険証を借りようと金庫を開けたら、和田さん(私立探偵)の名刺と6通の報告書が入っていました」「やっぱりお母さんは私のことを信用していなかったんですね」「お母さんが動転してまた私立探偵に連絡したりお金を払ったりしないよう、電話線を外し、金庫の現金は他に移し、念のため私の学費通帳と印鑑は預からせてもらいます」「本当にごめんなさい。必ず帰ってきます」。 既に異常な内容なのだが、この後に続く齊藤の文章がさらに衝撃的だ。「あかりの意思で家出前に書いた置き手紙のように見えるが、違う。母がパソコンで原文を作成し、あかりに手書きで清書させ、祖母と大叔母に送ったものである」。予備校代を工面してくれる米国在住の祖母に近況を伝え、納得してもらうための、うそで塗り固めた“演出”。これを母は「一世一代の大うそ」と呼び、あかりもまた親戚付き合いとはそういうものだと思っていた』、「「あかりの意思で家出前に書いた置き手紙のように見えるが、違う。母がパソコンで原文を作成し、あかりに手書きで清書させ、祖母と大叔母に送ったものである」。予備校代を工面してくれる米国在住の祖母に近況を伝え、納得してもらうための、うそで塗り固めた“演出”。これを母は「一世一代の大うそ」と呼び、あかりもまた親戚付き合いとはそういうものだと思っていた」、「母」と「あかり」で「祖母と大叔母」にうその手紙を送っていたとは信じ難いが、あり得る話だ。
・『母親が欲しかったもの、足りなかったもの 祖母(通称・アメばあ)や大叔母という肉親に対してまで、なぜそんな大それたうそをつくのか。それこそが、この母子関係の核心ともいえる部分なのである。 齊藤は、実際に面会で対面したあかりをこう表現した。「あかりさんは内省的で、思っていること、考えていることを言語化するのが的確な方です。大阪拘置所で面会したときも、中肉中背で、メガネをかけて、髪を耳の後ろで一つ縛りにしていて。趣味趣向はどこにでもいる人の感性という印象で、特別に何か異質さを感じることはない。好きな食べ物や好きな俳優さんの話をしたり、そんなに『この人とは心が通じ合えない』などと感じることはありませんでした」 だが、娘には何がなんでも医学部に受かってほしいという願いから9浪するまで教育に投資し、その学資を自分の米国在住の実母(アメばあ)に捻出してもらう妙子には、屈折した背景があった。 アメばあは、米軍の軍医と再婚して米国に暮らしているわけです。推測ですが、妙子さんはアメばあから十分な愛情を得られないまま育ってしまったという印象を受けます。小さい頃に再婚した両親だけ米国に行ってしまって、日本に取り残された妙子さんは愛情に飢えていた。娘を医者にしたいからと学費の協力をお願いしたり、何かとアメばあに報告したりというやりとりも、娘を引き合いに出してアメばあを喜ばせ、振り向いてもらえなかった部分を埋めていた気がします。お金をもらっている以上は結果を出さねばという固執も、もしかして彼女はアメばあのために子育てしていたのかなと想像しました」』、「小さい頃に再婚した両親だけ米国に行ってしまって、日本に取り残された妙子さんは愛情に飢えていた。娘を医者にしたいからと学費の協力をお願いしたり、何かとアメばあに報告したりというやりとりも、娘を引き合いに出してアメばあを喜ばせ、振り向いてもらえなかった部分を埋めていた気がします。お金をもらっている以上は結果を出さねばという固執も、もしかして彼女はアメばあのために子育てしていたのかなと想像しました」、母親自身が「愛情に飢えていた」、「もしかして彼女はアメばあのために子育てしていたのかなと想像」、想像以上に複雑な事情だ。
・『これは「毒親」「教育虐待」なのか? 齊藤の解説を聞いて、ようやく事件の補助線を引いてもらった気がした。 「書籍に盛り込んでいるLINEのやりとりはほんの一部なので、交わされた全体を見る限り、看護学科に妥協して落としどころをつけたのは、お母さんの方なんです。あかりさんが折り合いをつけようとしてもできなかったのを、お母さんの方からつけることで『9浪で済んだ』とも考えられます。お母さんとしても、ずっと浪人させていることが自分を苦しめていたのが、置き手紙を書かせたことにもつながっているんです。浪人させ続けたのは妙子さんで、妙子さんの意思で浪人生活を終わらせるというのはアメばあには言いにくかったんでしょう。あくまであかりさん本人が『努力したけど届かないから看護学科で許してくれ』と懇願して落としどころにした、というシナリオにしたかったんですね」 「うそを使って人間関係をつなぎ留めるこのお母さん自体、承認欲求を満たす場が他になかったんじゃないのかなと感じます。妙子さんも孤独な状況だった。仕事はしていたけれども、パートだったり途中でやめたり、友人も多くはなくて、子育てが自分の人生の中心になってしまっている。取材した範囲で、彼女が社会で人とのつながりを持って誰かに喜んでもらうとか、自分で何かをやり遂げた経験が見当たらないんです」 孤独な母親は、承認を求めて狂っていったのだ。 「その妙子さんができることとしては、娘の子育てを頑張って立派に育て上げましたというのが、他人から承認される唯一の手段だったのかなと。家庭以外のコミュニティーにお母さんは属していなかったところがあって、家庭だけが人生になってしまうとお母さんは孤立を深める。誰からも承認されないというのが、なんとしても子育てを成功させねばとのプレッシャーになったのではないか。だから、志望校を落とさせてけりをつけるのは、母の意向ではなくて娘の意向であると見せなければいけなかった。『私は頑張ったのよ』と周りの人に知られたかったのかもしれません」 「浪人中に妙子さんが自殺未遂をする一幕がありますが、看護師との会話の記録に『娘と二人で受験を頑張ってきた』『母親は娘あっての母親でしょ!?』というものがあります。妙子さんも悪気があって娘を苦しめているのではなくて、愛しているが故に期待が大きくなってしまって、自分も苦しめられているのが感じ取れたんです。毒母や毒親と呼ばれる現象も、関係性の問題ですよね。お母さんの立場からは良かれと思ってやっているし、愛情の一つの表れ方にすぎない。どこまでが愛情で、どこからが虐待や毒になるんだろうと、線引きがすごく難しいです」』、「看護学科に妥協して落としどころをつけたのは、お母さんの方なんです。あかりさんが折り合いをつけようとしてもできなかったのを、お母さんの方からつけることで『9浪で済んだ』とも考えられます。・・・アメばあには・・・あくまであかりさん本人が『努力したけど届かないから看護学科で許してくれ』と懇願して落としどころにした、というシナリオにしたかったんですね」、なるほど。
・『父親の存在があかりを変えた 齊藤は、この母子関係の事件において、父親の存在が意外と大きいことにも気づいたという。 「別居してしまったお父さんは、あかりさんにとって最大と言っても過言ではないほどの理解者なんですね。あかりさんが逮捕された後にお父さんが面会に来るのですが、裁判では『お母さんは自殺した』との主張が展開されているさなか、お父さんは娘が殺したということを分かっていた。本当のことを言った方がいいと(あかりに)助言しているんです。子どものことを理解してくれるお父さんだったんですね」 「両親はあかりさんが生まれてから10年ほどで別居していて、お父さんは妙子さんという人と対峙するしんどさを理解しているところがある。あかりさんがお父さんと休日に遊びに行った幼い頃の思い出をつづった手記がありますが、その中でお父さんを『止まり木のような存在』と表現し、唯一心を許せる存在だった」 母・妙子と向き合うつらさを理解できている、唯一の関係。あかりはそのつらさを共有できた父との面会をきっかけに、心を動かしていった』、「幼い頃の思い出をつづった手記・・・その中でお父さんを『止まり木のような存在』と表現し、唯一心を許せる存在だった」、なるほど。
・『母親という生き物を理解する 「あかりさんには同情できる部分がある」と、齊藤は言葉を探すように言った。「自分が娘という立場だからというのも理由ですが、お母さんが喜んでくれると自分もうれしくなってしまうんです。妙子さんが浪人中のあかりさんのために28万円の振り袖を買うことに、あかりさんは母の『娘にきれいなものを着てほしい、晴れ姿にはお金を使いたい』気持ちを理解して、同意します。母親にとって娘とは可愛い存在で、親が喜んでくれることは子にとっても喜びである。勉強もそうだと思うんですよね。いい点数を取ると母親が喜んでくれるから、もっと頑張る」 子どもの人生を侵食するほどの母親の過干渉の理由を、あかりもまた、拘置所で他の母親でもある女囚たちと交流する中で理解していったようだ。子への愛情と、自分の献身や期待に応えない子を憎いと思ってしまう感情は、程度の差はあれ、母親という生き物の中に奇妙に同居している。) あかりと妙子の30年を追い、つぶさに言語化した齊藤は「私としてはもう、あかりさんへの取材に関してはやり切ったという思いがあって」と前置きして、こう語った。 「この事件に、誰かがもっとこうすれば良かったとか、そこまで思い至ってないですね。いろんな要因が重なってしまった結果起こった事件で、こうすればというサジェスチョンはできかねるかな。これを書いているとき、公私共にしんどかったです。あかりさんに手記を寄せてもらったり、さまざまな方に取材に協力していただいたり、こんなにいろんな人に手がけてもらったら出さねばならぬという使命感で書籍を書き上げました」 冷静に誠実に事件を描き、語る齊藤だが、著者の中では取材執筆を通じてすさまじいエネルギーを燃やし続け、母娘のヒリヒリとした感情と向き合い続け、事件関係者だけでなく自分自身の心の中をも深くのぞき込んでいたのだろうと感じられる言葉だった。 Amazonの書籍ページにはあかりの状況に共感するとするたくさんのレビューが寄せられ、SNSでもそれぞれのユーザーが自分の経験を語るなど、反響は大きい。「特に男性の読者は、親子関係に限らず呪縛からの逃げ方という視点で感想を書いてくださる方が多くて、それは一つの発見でした」。それだけ、さまざまな形の呪縛に苦しめられた経験のある人が多いことの表れでもあるのかもしれない。 「この事件や本は教育虐待というキーワードで語られますが、取材をした私としては、どこまでが教育でどこからが虐待か分からないと感じています。むしろ私は『愛情のもつれ』についての本だと思って書きました。一つの愛情の形であり、教育はあくまでツールなのだと」 誰か悪者を見つけて断罪するのではなく、「家族のあり方について考えるきっかけになれば」と語る齊藤。これほどに広く深く人々の心を揺さぶるノンフィクション作品を書き上げた彼女が、知的で冷静な目を備えた27歳だったことに、ただ舌を巻く』、「アメばあ」がまだ生きていれば、さぞかし嘆いたことだろう。「教育虐待というキーワードで語られますが、取材をした私としては、どこまでが教育でどこからが虐待か分からないと感じています。むしろ私は『愛情のもつれ』についての本だと思って書きました」、「これほどに広く深く人々の心を揺さぶるノンフィクション作品を書き上げた彼女が、知的で冷静な目を備えた27歳だったことに、ただ舌を巻く」、同感である。
第三に、6月7日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏による「「子供部屋おじさん」が合理的なのかは、実は深い問いだ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/324056
・『「子供部屋おじさん(おばさん)」とも呼ばれる、成人後も親と同居を続ける中年の増加が日本で取り沙汰されてきたが、米国や英国でもそうした人々やその予備軍が増えつつあるという。子供が親と同居するのは経済合理性が主な理由とされるが、合理的かどうかという問いは、未来の家族形態やライフスタイルの考察にまでつながる「深い問い」といえる』、「子供部屋おじさん」なる言葉は初めて知ったが、米英でも広がっているようだ。
・『日本だけでなく米英でも親と子の同居が増えている 米国や英国で、親と同居する若者が増えているという(「巣立たぬ若者、英米も急増 3分の1が親と同居」日本経済新聞、5月28日)。成人したら親元を離れて自立した生活を営むことが常識的とされてきた米国や英国にあって、18歳から34歳の若者が親と同居する割合が上昇して共に約3分の1に達した。 主たる要因は、主に家賃の上昇だと記事は分析する。2000年を100とした家賃は22年に、米国では180を超えて、英国でも160以上となっている。親と同居して家賃を節約することができれば、同じく高騰している学費などにお金を使うことができるし、もちろん遊興費なども多く確保できる理屈だ。経済合理的とも思えるが、子供の「自立」はどうなるのかという問題や、親と同居した状態が心地いいと結婚して子供を作ることが減ると予想され、少子化に拍車が掛かるのではないかと懸念する声もある。 ちなみに記事では、18歳から34歳の親との同居率は、ポルトガル、イタリア、スペインといった南欧やクロアチア、ポーランドといった東欧が高いと報じている(60%半ばから70%前後)また、16~34歳のデータという注釈付きだが、アジア諸国では韓国が70%と高いという。その一方で、米英と北欧で低い。わが国は、20年の国勢調査によると47%程度と、ややアジア諸国寄りの中位にある。 わが国では家賃の上昇はそれほどでもないが、勤労者層の実質賃金が伸びていないので「生活が苦しい」ことは同様だ。「親との同居」が経済合理的なら、親との同居を前提としたライフスタイルや居住スタイルの変更を考えてもいいのではないか、とも思える。 ただし、いささか揶揄(やゆ)気味に「子供部屋おじさん(おばさん)」という言葉が使われているように、成人して加齢しても子供が家族を持つような独立心や経済力を持たない状態を容認するのがいいことなのかどうか、また、前述のように、この生活形態が少子化を加速する可能性があることについてどう考えるべきかという問題がある。 家族と居住の形態は、考える価値のあるテーマだ』、「巣立たぬ若者、英米も急増 3分の1が親と同居」、「18歳から34歳の親との同居率は、ポルトガル、イタリア、スペインといった南欧やクロアチア、ポーランドといった東欧が高いと報じている(60%半ばから70%前後)、アジア諸国では韓国が70%と高い」、「わが国は、20年の国勢調査によると47%程度と、ややアジア諸国寄りの中位」、想像以上に高いようだ。「家賃」高騰が背景にあるようだ。
・『親と子の同居に対する筆者自身の価値観と偏見 一般論を考える前に、筆者個人が現実にこの問題をどう考えているかについて述べておこう。 筆者の息子は今年の春に東京の大学に進学することになった。家族は東京に居るので、家族の元から大学に通うことが可能だったが、大学の近くにワンルームマンションを借りて一人暮らしをさせることにした。費用的には少々不経済である。 理由は、家族から引き離して「早く大人にしよう」と父親である筆者が考えたためだ。家族と同居している子供は、毎日親(特に母親)と話すので、ものの見方や価値観に対して親の影響を受けるし、生活面でもさまざまに親に依存する。この関係を早く断ち切ることが、息子の成長に有効だと考えたのだ。 背景には、息子が将来十分経済的に自立して生活できるようになるだろうという息子個人への評価があったし、それ以上に、独立して暮らすことが自立心につながるという、筆者の年代が持ちがちな価値判断があったと思う。たぶん偏見が含まれているが、過去に多くの男性を観察していて、精神的に「母親離れ」ができていない人物の性格に残念な面を多く感じてきたということもある。 偏見のついでに告白しておくと、娘(息子の2学年下)に対しても同じようにするかどうかは決めていない。 子供の性差と子育てをどう考えるかは、難しい問題だ。「原則として、性別に関係なく本人の個性次第だ」と頭では考えているが、「女の子は、こうした方が生きやすい」という世間の環境に適応して、男の子と扱いを変える可能性はある。ジェンダー問題がご専門の方などからは大いに批判される態度かもしれない。私が政治家など公職にあれば、そもそもこの点について正直に述べることが難しかろう。幸い気楽な立場なので、正直に書いた。 筆者自身が、核家族化が進行し「成人したら自立」が当たり前だった時代に育ち(筆者は昭和の真ん中、昭和33年生まれだ)、かつての男の子だった自分固有の経験に影響されていることは否めない』、我が家の場合は、娘2人は片道1時間半かかっても、自宅から通わせたが、息子は片道1時間強でも下宿させた。
・『生活にも働く「規模の経済効果」 Nを大きくすると生活は楽になる 経済効率という意味では、大家族には効率的な面がある。通常の調査では、世帯別の裕福・困窮の度合いを測る上で、世帯所得を世帯人数(N人)の平方根で割った数字を使う。2人暮らしは独り暮らしの1.4倍強のコストで賄えるし、4人暮らしなら独り暮らしの2倍の所得があれば概ね同等の豊かさだということだ。 つまり、生活にも「規模の経済効果」が働くということだ。確かに、キッチンも、冷蔵庫も、洗濯機も、人数分必要だということはないし、何よりも一人一人が毎食炊事に関わる必要もない。この効果の大きさと確かさを考えると、ある意味では「独り暮らしは贅沢」なのであり、例えば生活保護を考える場合に独り暮らしのコストまで補償することが適切なのかといった問題にも行き着く。 「N」は必ずしも親子や親戚同士である必要はないが、例えば、親・子・孫3世代の同居を考えると、一つには働く親(第2世代の親)の子供の保育に関する問題、もう一つには高齢になった親(第1世代の親)の初期段階の介護における問題が、大家族の中である程度は解決可能になるという大きなメリットがあることにも気付く。 国が国民の大家族化に期待して保育園の整備を手抜きするようでは問題だが、送り迎えや在宅での見守り、教育などにおいて、働く親のさらに親世代が大いに頼りになることは確かだ。また、終末期の介護を大家族に丸投げするのも問題だし、規模の利益に反する場合もあろうが(例えば入浴の介助は素人よりもプロが行う方が効率的だ)、高齢者がある程度自分でも動ける段階での介護は大家族の中で分担して吸収できそうな問題だ。 大家族には、働く世代をしばしば制約する、「子供の保育」と「親の介護」の問題を解決する上でもメリットがありそうだ。例えば、まだ働くことができる年齢の子供が親の介護に張り付くために退職するといった、核家族親子の非効率を何がしか避けることができる可能性がある。 人類学者のエマニュエル・トッド氏によると、米英などアングロサクソンの国で一般的な核家族の形態は、人類史的には最も原始的なもので、アジアなどに多い直系家族や、さらにロシアやアラブなどに存在する各種の共同体家族の方がより新しい進化した家族形態なのだという。 筆者の世代では、成人したら小さくても住居を確保して核家族を作る方が、かつて農家などに見られたような大家族よりも、新しくて進んだ暮らし方であるとのイメージを持ちがちだ。しかしこれは、都市への労働力の吸収と、小さくても家を持たせる住宅振興政策、さらに米英の文化の影響を受けた、「特定の時代のトレンドだった」と解釈するのが妥当なのだろう。 どのような家族形態、居住形態が合理的なのかは、改めて考えてみるべき問題だろう』、「エマニュエル・トッド氏によると、米英などアングロサクソンの国で一般的な核家族の形態は、人類史的には最も原始的なもので、アジアなどに多い直系家族や、さらにロシアやアラブなどに存在する各種の共同体家族の方がより新しい進化した家族形態なのだという」、にわかには信じ難い話だ。
・『家族形態を考える上で重要な原則とは? では、どうするべきなのか。 この問題を考える上で、何としても重要な原則は、家族形態や居住形態は、個々の国民が自由に(=国家に介入されずに)決めるべき問題だということだ。 家族や住居は、個人の暮らし方の根幹に関わる問題なので、税制や社会保障制度などで特定の方向に誘導すべきではない。 例えば、大家族の同居を前提とすると世帯数は減るから、一時的に大家族仕様の住宅に対するニーズが発生するかもしれないが、長期的には住宅費は節約されることになるだろう。これを政策で阻害してはならない。 また、白物家電などを典型とする耐久消費財の需要も大家族化で減少するはずだが、それは消費者側での合理的な選択の結果なのであって、この点への介入も無用だ。 家族制度の選択は、少子化対策や産業の振興などと分けて考えるべきだ。 子供に対して給付金を配るなどの少子化対策は別個に行われてもいいが、かつて「標準家族」を優遇したような、特定の家族形態に対する優遇・誘導を税制や社会保障制度を通じて行うことは厳に慎むべきだろう。 国民には、多少不経済でも核家族を選択する自由も、大家族を選択する自由もあるべきで、そこに制度上の損得を絡ませるべきではない。「暮らし方」を少子化対策など別の目的の手段としてはならない。 その上でだが、世帯の「N」を大きくすることによる経済性には大いに魅力がある。単に「親子の同居」にとどまらない、合理的に暮らせる大家族の形態および住居について、提案し、ロールモデルとなる人物がいるといい。 もっとも、「N」をいかにマネジメントするかは簡単ではない。世界にある各種の共同体家族でも、父親に権威があって兄弟が平等な家族形態もあれば、母方の住居において共同で生活する母系的なシステムもあるようだ。何らかの習慣を形成することが合理的なのかもしれない。 われわれは、世界の別のシステムに学ぶべきなのかもしれないし、あるいは全く新しい仕組みを考えるべきなのかもしれない。 合理的な住居と大人数のマネジメントの仕組みをセットで提案してくれる「生活の発明家」の登場に大いに期待したい』、「家族や住居は、個人の暮らし方の根幹に関わる問題なので、税制や社会保障制度などで特定の方向に誘導すべきではない」、その通りだ。「合理的な住居と大人数のマネジメントの仕組みをセットで提案してくれる「生活の発明家」の登場に大いに期待したい」、同感である。
タグ:親子関係 (その1)(米国人驚愕「子が親の介護する日本」深刻な盲点 「家の時代」から「個人の時代」へシフト、医学部9浪の31歳娘が58歳母をバラバラ死体にするまで…話題本の著者が迫った事件の本質、「子供部屋おじさん」が合理的なのかは 実は深い問いだ) 東洋経済オンライン 山口 真由氏による「米国人驚愕「子が親の介護する日本」深刻な盲点 「家の時代」から「個人の時代」へシフト」 「バーソレッテ教授は」、「日本と比べると、アメリカは年寄りに冷たい国だわ。私もね、年寄りの部類に入るようになって心からそう思うのよ・・・子どもたちは、年老いた両親を養うことはしない。老後に備えて、私たちは自分でお金を貯めておかないといけないの。この若い国は、この国を必死に支えて、そして、老いていった人たちをいたわろうとはしてこなかったわ」、その通りだ。 「江戸時代の武家制度のなかで確立した日本の「家」というのは、家の財産をバラバラにせずに、次の世代に、その次の世代に、脈々と伝えていくための装置なのだという。 江戸時代の家は、武士であれ町人であれ、「家業」を持っていた・・・長女は、家業につながりのある家にお嫁に行くだろう。次男には、後々、のれん分けをしてあげるかもしれない。ここは、とりあえず長男にお店を丸ごと継いでもらうことにしよう。 こうやって、浅草の老舗のお煎餅屋さんは、世代に1人と跡継ぎを定めて、祖父から父へ、そして、父から息子の代へと事業を丸ごと受け継がせる。日本の「家」というのは、もともとそういうものだったらしい。そう考えるとこれは家族経営の中小企業とおんなじだ」、「江戸時代までの日本の相続は、今でいう会社の『事業承継』と同じ。財産の帰属主体は個人じゃないの。家なのよ。だから、社長を交代するように家長を交代して、世代を超えて家の財産を引き継いでいく。 個人が亡くなるたびに、財産の帰属主体が消滅して、財産を清算してっていう考え方はとっていなかったの。個人が亡くなってもなお、家は連綿と残っていくものなのよ」 アメリカの「家族」は点である。子どもが成人すれば、親の家族とは別個の個人となり、やがて新しい家族を作っていく」、「「江戸時代までの日本の相続は・・・財産の帰属主体は個人じゃないの。家なのよ。だから、社長を交代するように家長を交代して、世代を超えて家の財産を引き継いでいく」、その通りだ。 「アメリカの「家族」は点である。子どもが成人すれば、親の家族とは別個の個人となり、やがて新しい家族を作っていく」、「日本の「家」は線である。隠居した親の面倒は子どもがみる。その子も将来は、自分の息子やそのお嫁さんに面倒をみてもらう。家業を、親から子ども、そして、孫へと引き継いでいくその裏で、家業を営むことで得られるあがりで、年老いた親、出戻りの娘、引きこもった息子、家の構成員全員を養っていく。 家は、世代を超え、核家族の境界を超えて、一族を縦に結びつける。そしてこの家は、精神的な結びつきのみならず、経済的な基盤でもあるのだ」、極めてクリアだ。「今、日本では、もともとの「家」の価値観と西欧由来の「個人」の価値観が交錯する過渡期にある。相続というのは「個人」の側の概念である。日本には、もともと財産が個人に帰属するという考え方はなかった。そういう考えが輸入されたことで、相続という制度ができあがった」、なるほど。 「日本の場合には、別々の家族を営んでいるようで、親も子どもも、いつまでも緩やかに同じお財布を共有している。 一方のアメリカは、子どもが独り立ちした時点で独立採算制になる。もちろん、親の遺産を相続することもあるだろうが、アメリカ人の多くが遺言を残すとされ、日本の遺留分に当たる制度はない。個人の人生の後始末は個人の意思によるのが原則なのだ」、なるほど。 「アメリカの家族は点々と社会に散りばめられている。一方、日本の家は世代を超えて連綿とつながる線を描く。だが、問題はここでは終わらない。私たちの社会は、今、「家の時代」からアメリカのような「個人の時代」へと足を踏み出そうとしている。 夫婦別姓の問題も、森喜朗氏の発言に端を発した「女性という属性ではなく個人を評価しましょう」という動きも、私たちを「家」の世界観から「個人」へと押し出そうとする。 「個人の自律」というと聞こえはよい。だが、介護の問題、パラサイトチルドレン、8050問題――そこに頼って生きてきた人々が「家」から押し出されたとき、社会が彼らに居場所を用意できるのかが真の問題だろう」、「私たちの社会は、今、「家の時代」からアメリカのような「個人の時代」へと足を踏み出そうとしている・・・「個人の自律」というと聞こえはよい。だが・・・「家」に頼って生きてきた人々が「家」から押し出されたとき、社会が彼らに居場所を用意できるのかが真の問題だろう」、さて、どうなるのだろうか。 ダイヤモンド・オンライン 河崎 環氏による「医学部9浪の31歳娘が58歳母をバラバラ死体にするまで…話題本の著者が迫った事件の本質」 『母という呪縛 娘という牢獄』 大ヒットの「ノンフィクション『母という呪縛 娘という牢獄』」の作家が「20代の女性」とは私も驚かされた。 事件の背景を詳しく知りたいものだ。 「妙子さんは20年以上前から夫と別居し、あかりと二人暮らし。あかりは幼少期から学業優秀で中高一貫の進学校に通っており、20代中盤まで母娘で一緒にお風呂に入るほどの濃密な母娘関係を築いていた。 だがその間、実はあかりは常人の理解を超える執拗な干渉、暴言や拘束など、いわゆる“教育虐待”を母から長年受け続けていたのだ。 超難関の国立大医学部への進学を強要されて医学部を9浪の末、母からの妥協案として医大の看護学科へ進学する。しかし母は、看護師よりさらに専門知識を要する助産師にさせようとあかりに助産師学校の受験を求めており、看護学科を卒業して手術室看護師になりたいとの希望を持っていたあかり自身は助産師学校の試験に失敗。それに気づいた母から激しい叱責を受けていた」、「あかりは、周到に用意した凶器で母親を刺殺した直後・・・「モンスターを倒した。これで一安心だ」とのツイート」、“教育虐待”がよほど強かったのだろう。 「被告が、一審と変わって控訴審の初公判で認否をひっくり返すということが起きた。認否を変えるという行為が珍しくて、この事件の内容を深く知ろうと思いました」、「公判の取材を続ける中、齊藤は拘置所のあかりと面会を重ね、あかりの刑務所移送後も膨大な往復書簡を交わした。共同通信のウェブメディアに掲載された、齊藤の書いた事件深掘り記事は大反響を呼び、書籍化へとつながる」、なるほど。 「ネットニュースとして記事を出させてもらっていたんですけど、なんかあまりにも反響が大きかったんですよね。なので、これは私と高崎さんだけの問題ではないのかもしれない、と」 もしかして同じ思いを持つ人が多いのかもしれない、と直感した齊藤の本書がこれまでの事件本と決定的に異なるのは、事件を社会学的な文脈で語ることもなく、「分析」も「評価」もしないところだ・・・齊藤は母娘や関係者の言葉を分析しようとはしない。 一貫して生のままの言葉をつづり、読み手の理解へ預け続ける」、「「分析」も「評価」もしない」のが受けたとは分からないものだ。 「高3から何度も家出していますが、妙子さんが警察や私立探偵を使って、ことごとく連れ戻している」、「あかりさんが会社に就職して寮で自活しようとしても、気づいたお母さんに電話を入れられて内定取り消しになっていたり」、「ここまで脱出を阻まれると、戦意喪失してしまったのではないか。もうなすすべがなかったのではないかと、そう思います」、なるほど。 「「あかりの意思で家出前に書いた置き手紙のように見えるが、違う。母がパソコンで原文を作成し、あかりに手書きで清書させ、祖母と大叔母に送ったものである」。予備校代を工面してくれる米国在住の祖母に近況を伝え、納得してもらうための、うそで塗り固めた“演出”。これを母は「一世一代の大うそ」と呼び、あかりもまた親戚付き合いとはそういうものだと思っていた」、「母」と「あかり」で「祖母と大叔母」にうその手紙を送っていたとは信じ難いが、あり得る話だ。 「小さい頃に再婚した両親だけ米国に行ってしまって、日本に取り残された妙子さんは愛情に飢えていた。娘を医者にしたいからと学費の協力をお願いしたり、何かとアメばあに報告したりというやりとりも、娘を引き合いに出してアメばあを喜ばせ、振り向いてもらえなかった部分を埋めていた気がします。お金をもらっている以上は結果を出さねばという固執も、もしかして彼女はアメばあのために子育てしていたのかなと想像しました」、母親自身が「愛情に飢えていた」、「もしかして彼女はアメばあのために子育てしていたのかなと想像」、想像以上に複雑 な事情だ。 「看護学科に妥協して落としどころをつけたのは、お母さんの方なんです。あかりさんが折り合いをつけようとしてもできなかったのを、お母さんの方からつけることで『9浪で済んだ』とも考えられます。・・・アメばあには・・・あくまであかりさん本人が『努力したけど届かないから看護学科で許してくれ』と懇願して落としどころにした、というシナリオにしたかったんですね」、なるほど。 「幼い頃の思い出をつづった手記・・・その中でお父さんを『止まり木のような存在』と表現し、唯一心を許せる存在だった」、なるほど。 「教育虐待というキーワードで語られますが、取材をした私としては、どこまでが教育でどこからが虐待か分からないと感じています。むしろ私は『愛情のもつれ』についての本だと思って書きました」、「これほどに広く深く人々の心を揺さぶるノンフィクション作品を書き上げた彼女が、知的で冷静な目を備えた27歳だったことに、ただ舌を巻く」、同感である。 「アメばあ」がまだ生きていれば、さぞかし嘆いたことだろう。 山崎 元氏による「「子供部屋おじさん」が合理的なのかは、実は深い問いだ」 「子供部屋おじさん」なる言葉は初めて知ったが、米英でも広がっているようだ。 「巣立たぬ若者、英米も急増 3分の1が親と同居」、「18歳から34歳の親との同居率は、ポルトガル、イタリア、スペインといった南欧やクロアチア、ポーランドといった東欧が高いと報じている(60%半ばから70%前後)、アジア諸国では韓国が70%と高い」、「わが国は、20年の国勢調査によると47%程度と、ややアジア諸国寄りの中位」、想像以上に高いようだ。「家賃」高騰が背景にあるようだ。 我が家の場合は、娘2人は片道1時間半かかっても、自宅から通わせたが、息子は片道1時間強でも下宿させた。 「エマニュエル・トッド氏によると、米英などアングロサクソンの国で一般的な核家族の形態は、人類史的には最も原始的なもので、アジアなどに多い直系家族や、さらにロシアやアラブなどに存在する各種の共同体家族の方がより新しい進化した家族形態なのだという」、にわかには信じ難い話だ。 「家族や住居は、個人の暮らし方の根幹に関わる問題なので、税制や社会保障制度などで特定の方向に誘導すべきではない」、その通りだ。「合理的な住居と大人数のマネジメントの仕組みをセットで提案してくれる「生活の発明家」の登場に大いに期待したい」、同感である。
幸福(その5)(人より「幸せを感じやすい人」が自然にしている事 自己肯定感の高い人と低い人の差どこにある?、《この国は不寛容社会》「幸福度ランキング58位」の日本人に足りないたった1つの習慣、自分も周りも幸せに!笑顔がもたらす5つの効果 笑うのが無理なら、軽く微笑むだけでもOK) [人生]
幸福については、昨年2月27日に取上げた。今日は、(その5)(人より「幸せを感じやすい人」が自然にしている事 自己肯定感の高い人と低い人の差どこにある?、《この国は不寛容社会》「幸福度ランキング58位」の日本人に足りないたった1つの習慣、自分も周りも幸せに!笑顔がもたらす5つの効果 笑うのが無理なら、軽く微笑むだけでもOK)である。
先ずは、やや古いが、2021年9月30日付け東洋経済オンラインが掲載したメンタルコーチの中島 輝氏による「人より「幸せを感じやすい人」が自然にしている事 自己肯定感の高い人と低い人の差どこにある?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/458028
・『コロナ禍が長引く中、自分のあり方や未来などに不安を抱えていたり、自信を失っていたりする人は少なくありません。日本人は自己肯定感が低いと言われますが、「いいときも悪いときも自分を信じて前進できる人には、心に"あそび"がある」と語るのは、自己肯定感の第一人者で心理カウンセラーの中島輝氏です。中島氏の著書『うまくいっている人がしている 自己肯定感を味方にするレッスン』から、人生をより豊かにするためのメソッドを紹介します』、「自己肯定感の第一人者で心理カウンセラー」が著者とは、さぞかし有益なアドバイスをくれるのだろう。
・『「幸せになる自分」を選ぶのは、自分 同じ環境で同じように暮らしていても、喜びや幸せを感じられる人と、悲しみにさいなまれて幸福感を得られない人がいます。いったい何が違うのでしょうか?両者の違いを解説するとき、私は次のエピソードを紹介しています。 囚われの身である2人の男が鉄格子から外を見ていた。 1人は下を向いて地面の泥を見ながら絶望感を抱いていた。 1人は上を向いて空に輝く星を眺めて希望を抱いていた。 つらいことがあったとき、美しいものに気が付いて、気持ちが晴れた経験は誰にでもあると思います。地面の泥を見て絶望に打ちひしがれていた男も、もし空を見上げる余裕があったなら、輝く星に未来への期待を見出せたかもしれません。 鉄格子の中から上を向くか下を見るか。つまり、希望を見つけるか、絶望に浸るかは、他人に強要されるものではなく、自分自身の選択です。 「今日は上司に怒られて、恥をかかされ、作業のやり直しにも時間がかかって最悪だった」と泥を見つけるのも自分の選択。「今日は上司に怒られたけれど、自分のミスに気づけたし、やり直すことで学びがあった。明日はもっとうまくできそうだ」と星を眺めるのも自分の選択です。) 「泥という絶望」を見るか、「星のような希望」を見るのかを自分で選択できるということは、「自分を幸せにできる選択」は自分自身でできるということ。もしその選択が失敗だったとしても、自分で選んだ道なら後悔は少なく、納得できるでしょう。 自分で選択することを続けていけば、他人と自分を比較して落ち込むことが減っていきます。表面だけを取り繕ってごまかす必要もなくなり、自分の信念に基づいて、次々と新たな「幸せ」を選択できるようになるでしょう。 鉄格子の中から星を見上げた男のように、物事をポジティブに捉えることができるのは、自分を信じられる人、つまり自己肯定感が高い人です』、「「自分を幸せにできる選択」は自分自身でできるということ。もしその選択が失敗だったとしても、自分で選んだ道なら後悔は少なく、納得できるでしょう。 自分で選択することを続けていけば、他人と自分を比較して落ち込むことが減っていきます。表面だけを取り繕ってごまかす必要もなくなり、自分の信念に基づいて、次々と新たな「幸せ」を選択できるようになるでしょう」、確かにその通りだ。
・『本来自己肯定感は生まれながらに備わっている ここで改めて、自己肯定感とは何かを説明しておきましょう。 自己肯定感とは、「私が私であることに満足でき、自分を価値ある存在だと受け入れられること」。私は、自己肯定感こそが「人生を支える軸となるエネルギー」だと考えています。 本来、自己肯定感は誰にでも生まれながらに備わっているもの。実は、自己肯定感が一番高いのは赤ちゃんのときです。伝い歩きを始めた赤ちゃんは、「転ぶかもしれない」「怖いからやめよう」なんて微塵も考えていません。何度転んでも「自分はきっと歩ける」と信じてチャレンジし続けます。 誰もが赤ちゃんのときは「きっとできる」と、自己肯定感に満ち溢れています。しかし、成長するにしたがい、さまざまなネガティブな経験によって自己肯定感は低下してしまいます。 でも、安心してください。自己肯定感は何歳からでも高めることが可能です。ただ、高めることができても、一生自己肯定感の高い人でいられるわけではなく、人生のさまざまな出来事の中で上がったり下がったりします。大切なのは、自己肯定感が下がってしまったとき、再び高められる方法を把握しておくことです。) ところで、あなたは「自己肯定感の高い人」と聞いてどのような人物を思い浮かべますか? ブレない自分を持っている人、強い芯のある人、どんなときも堂々と自分の考えを主張できる人──これらは、自己肯定感が強い人の典型だといえるでしょう。しかし、ブレない強さにこだわり過ぎると逆に、小さな失敗をしただけで心がポキッと折れるようになってしまうのです』、「伝い歩きを始めた赤ちゃんは、「転ぶかもしれない」「怖いからやめよう」なんて微塵も考えていません。何度転んでも「自分はきっと歩ける」と信じてチャレンジし続けます。 誰もが赤ちゃんのときは「きっとできる」と、自己肯定感に満ち溢れています。しかし、成長するにしたがい、さまざまなネガティブな経験によって自己肯定感は低下してしまいます」、「一生自己肯定感の高い人でいられるわけではなく、人生のさまざまな出来事の中で上がったり下がったりします。大切なのは、自己肯定感が下がってしまったとき、再び高められる方法を把握しておくことです」、「ブレない強さにこだわり過ぎると逆に、小さな失敗をしただけで心がポキッと折れるようになってしまうのです」、さすが、専門家だけあって、その通りだ。
・『選択肢に柔軟性を持てる人の強み 自己肯定感が高い人には「柔軟性」が備わっています。この柔軟性を私はよく、「心に"あそび"がある」と表現しています。 あらゆる物事に対し、「絶対にAだ」と執着せず、周囲の意見を受け入れる。「Aもいいけれど、Bも素敵だな。でも今日はCにしておこう」と選択肢に柔軟性を持つことができる。これが心に「あそび」のある状態です。もしCに失敗したとしても、「こんなこともあるよね」と笑顔で受け入れられるようになることが大切なのです。 「あそび」は心の中にある、まっさらで自由な空間。空間があるから、自分とは異なる人の意見も、広い心で受け入れることができます。 自己肯定感が低いと、どうしても視野が狭くなり、一度決めた物事に固執してしまう傾向になります。そんなときは、心に「あそび」があるかどうか、自分自身に問いかけてみてください。 自分には青い服が似合う、青を選んでいれば間違いないと思い込んでいたけれど、たまには赤い服を選んでみるのもいいかもしれない。緑色を試すのもおもしろそうだ――そんなふうに、ときには迷ったりブレたりした方が、自分の可能性も広がって、日々が輝き、人生が楽しいものになります。 自己肯定感が高いと、「私の未来は明るいんだから、1回ぐらい失敗したって大丈夫!」と前向きな気持ちで赤や緑色を選択できるようになります。すると、ますまずポジティブなエネルギーが湧いてきて、人生を楽しむためのアイデアがどんどん生まれてきます。 今持っている自分の価値観を強く信じ続けるのではなく、ときには自分自身を疑ってみてください。自分は何を大切にして生きていきたいのか、どんな人間になりたいのか――時の流れとともに、答えは少しずつ変化しているはずです。) 迷って、ブレて、変化するから、次の新しい発想や行動が生まれ、人生に豊かな彩りを与えてくれます。変化に対応するのは難しいことでも大変なことでもなく、実はとても楽しいことなのですから。 「何があっても受け入れる」という柔軟な心で自己肯定感を養っていくと、自分の人生を自分でデザインできるようになります。あなたは今までの自分とは違う実感と自信に気づくことができるでしょう』、「自己肯定感が高い人には「柔軟性」が備わっています。この柔軟性を私はよく、「心に"あそび"がある」と表現しています。 あらゆる物事に対し、「絶対にAだ」と執着せず、周囲の意見を受け入れる。「Aもいいけれど、Bも素敵だな。でも今日はCにしておこう」と選択肢に柔軟性を持つことができる。これが心に「あそび」のある状態です。もしCに失敗したとしても、「こんなこともあるよね」と笑顔で受け入れられるようになることが大切なのです。 「あそび」は心の中にある、まっさらで自由な空間。空間があるから、自分とは異なる人の意見も、広い心で受け入れることができます」、「自己肯定感が高いと、「私の未来は明るいんだから、1回ぐらい失敗したって大丈夫!」と前向きな気持ちで赤や緑色を選択できるようになります。すると、ますまずポジティブなエネルギーが湧いてきて、人生を楽しむためのアイデアがどんどん生まれてきます」、「心に「あそび」があれば「選択肢に柔軟性を持つことができる」。なるほど。
・『自分に起きることはすべてギフト 自分は何を選んで、何を大切にして、どんな人間になりたいのかを考え、迷ったり、ブレたりしながら人生を歩んでいく。その時々で自分が選んできたものが、自分の人生を形作ります。 世間の常識や体裁など、誰かが敷いたレールの上を走るのではなく、自分で考えた道を自分の足で歩んでいるという実感。ここに、人生の大きな喜びがあるのです。 いいことも悪いことも、好きなことも嫌いなことも、自分の身に起きるすべては、理想の人生をデザインするための「ギフト」です。 幸せとは満ち足りることではなく、気づき続けることです。毎日自分の身に起こるさまざまな出来事(=ギフト)から、どんな気づきを得ることができるのか。それは人ぞれぞれ異なります。 最初に述べた「鉄格子の中」という過酷なギフトから、「希望」を見いだせた人のように、どんなギフトを受け取っても、肯定的に受け止めて感謝をすること。その積み重ねによって自己肯定感が高まり、人生がますます楽しくなっていくはずです。迷って、ブレて、変化するから、次の新しい発想や行動が生まれ、人生に豊かな彩りを与えてくれます。変化に対応するのは難しいことでも大変なことでもなく、実はとても楽しいことなのですから。 「何があっても受け入れる」という柔軟な心で自己肯定感を養っていくと、自分の人生を自分でデザインできるようになります。あなたは今までの自分とは違う実感と自信に気づくことができるでしょう』、「いいことも悪いことも、好きなことも嫌いなことも、自分の身に起きるすべては、理想の人生をデザインするための「ギフト」です。 幸せとは満ち足りることではなく、気づき続けることです。毎日自分の身に起こるさまざまな出来事(=ギフト)から、どんな気づきを得ることができるのか。それは人ぞれぞれ異なります」、「迷って、ブレて、変化するから、次の新しい発想や行動が生まれ、人生に豊かな彩りを与えてくれます。変化に対応するのは難しいことでも大変なことでもなく、実はとても楽しいことなのですから」、なるほど。
・『自分に起きることはすべてギフト 自分は何を選んで、何を大切にして、どんな人間になりたいのかを考え、迷ったり、ブレたりしながら人生を歩んでいく。その時々で自分が選んできたものが、自分の人生を形作ります。 世間の常識や体裁など、誰かが敷いたレールの上を走るのではなく、自分で考えた道を自分の足で歩んでいるという実感。ここに、人生の大きな喜びがあるのです。 いいことも悪いことも、好きなことも嫌いなことも、自分の身に起きるすべては、理想の人生をデザインするための「ギフト」です。 幸せとは満ち足りることではなく、気づき続けることです。毎日自分の身に起こるさまざまな出来事(=ギフト)から、どんな気づきを得ることができるのか。それは人ぞれぞれ異なります。 最初に述べた「鉄格子の中」という過酷なギフトから、「希望」を見いだせた人のように、どんなギフトを受け取っても、肯定的に受け止めて感謝をすること。その積み重ねによって自己肯定感が高まり、人生がますます楽しくなっていくはずです』、「どんなギフトを受け取っても、肯定的に受け止めて感謝をすること。その積み重ねによって自己肯定感が高まり、人生がますます楽しくなっていくはずです」、心がけたい。
次に、昨年4月30日付け文春オンライン「《この国は不寛容社会》「幸福度ランキング58位」の日本人に足りないたった1つの習慣」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/53876
・『「日本人の幸福度は全世界で58位」――ある時期、そんなニュースがSNSをにぎわせた。 なぜ日本人は幸せを感じづらいのか? その理由を、アメリカ在住のエッセイスト・渡辺由佳里さんの新刊『アメリカはいつも夢見ている』より一部を抜粋。国連がまとめた「幸福度ランキング」を見ることで、欧米人にあって日本人に足りないものが見えてきた。(全3回の1回目/#2、#3を読む)』、興味深そうだ。
・『日本は幸福度ランキング58位 Twitterに流れてくる日本のニュースで、国連がまとめた幸福度ランキングで日本が2018年から4つ順位を下げて58位になったということを知った(2019年)。 このニュースだけでは内容がよくわからないので、情報の大元である2019年WHR(World Happiness Report)をダウンロードして読んでみた。統計の専門家ではないので計算方法などはよくわからないが、このレポートは日本と日本人の幸福感について重要なことをいくつか指摘してくれていると感じた。 WHRの幸福度ランキングはギャラップの世論調査(Gallup World Poll Questions)を元にしている。ビジネス経済、社会関与、コミュニケーションとテクノロジー、多様性(社会問題)、教育と家族、感情(幸福感)、環境とエネルギー、食と住居、政府と政治、法と秩序(治安)、健康、宗教と倫理、交通、仕事の14の分野での質問があり、回答者は「カントリルラダー」という指標を使って答える。「はしご(ラダー)」を想像し、想像できる最悪の状態を0、最高の状態を10として主観的な評価をするものだ。 WHRでは、その結果の幸福度を説明する重要なファクターとして「一人あたりの国内総生産」、「社会的支援」、「出生時の平均健康寿命」、「人生の選択をする自由」、「他者への寛大さ」、「公職者が汚職/堕落しているという国民の認識」の6つを挙げている。 幸福度ランキングのグラフを見ると、トップからフィンランド、デンマーク、ノルウェー、アイスランドと北欧の国々が並んでいる。銃による大量殺人があり、オピオイド依存症が深刻になっているアメリカですら19位に入っている。それなのに、日本が58位だというのは不思議に思える。 グラフをよく見ると、日本は「一人あたりの国内総生産」、「社会的支援」、「出生時の平均健康寿命」という左から3つのファクターでは上位の国々とほとんど変わらないことがわかる。 上位の国々と日本との大きな違いは、「他者への寛大さ」と最後の「ディストピア+レジデュアル」である。日本は「出生時の平均健康寿命」では156ヶ国中2位というチャンピオンなのに、「他者への寛大さ」においては92位というほぼ最低レベルなのだ。) 繰り返すが、幸福度のスコアはそれぞれの国の回答者の主観的な評価の平均であり、6つのファクターはその因果関係を説明しようとしているだけである。例えば「他者への寛大さ(generosity)」が高いからといってその国がスコアを上げてもらっているわけではない。 まずはこの「他者への寛大さ」と幸福感について語ろう』、「上位の国々と日本との大きな違いは、「他者への寛大さ」と最後の「ディストピア+レジデュアル」である。日本は「出生時の平均健康寿命」では156ヶ国中2位というチャンピオンなのに、「他者への寛大さ」においては92位というほぼ最低レベルなのだ」、2つの「ファクター」が主因のようだ。
・『日本人はなぜ幸せになれないのか? WHRの「幸福と社会性がある行動」という章は、人間が非常に社会的な動物であり、家族や友人だけでなく見知らぬ他人を助けることによって満足感や幸福感を得ることを説明している。見返りを求めずに自分の金を提供する寄付や、自分の時間を提供するボランティアがその代表的なものだ。 しかし、レポートには「(それらに加えて)いろいろな方法で他者を援助することができる。例えば、見知らぬ人のためにドアを開けてあげるとか、褒めてあげるとか、病に臥せっている親戚を介護するとか、伴侶を気遣ってあげるとか、拾った財布を持ち主に返してあげるとか、小さいけれども意義がある寛大な行動だ」と書いてある。ランダムに親切な行動をする実験では、親切な行動をしたグループのほうがしなかったグループよりも幸せになったという。 次の「ディストピア+レジデュアル」という項目は少しわかりにくい。「ディストピア」とは世紀末的なSFでよく使われる言葉で、ユートピアの反対の社会である。この調査では、幸福度を説明する6つの重要なファクターが世界で最悪である架空の国を「ディストピア」と設定する。「ディストピア」に住んでいる人は世界で最も不幸であるという仮定で、カントリルラダーにおける「最悪」の基準にする。その基準と照らし合わせて自国の自分の生活の評価をするのだ。 ディストピアの国民の自己評価の平均推定値が1.88で、それに「レジデュアル」を加えたのがこの部分ということらしい。「レジデュアル(残余)」とは(グラフの左の6つのファクターで)「説明されていない構成要素(unexplained components)」ということで、日本人はここが異常に少ない。) たとえば世界で12位のコスタリカでは、幸せの理由を具体的に説明する6つの要素は日本より少ないのに世論調査での総合的な幸福度のスコアは日本よりずっと高い。6つの要素では説明されない部分で、彼らは幸せを感じているのだろう。 見方を変えると、「日本は他国に比べて幸せになる社会的な条件はけっこう揃っているのに、なぜか幸せを感じていない」ということが浮かび上がってくる。 これら2つの特徴を考慮すると、日本人が幸せになる近道は、「他者に寛大/寛容で親切になる」ことと「自分がけっこう幸せであることを自覚する」ことになる。 「自分が幸せであることを自覚する」というのは漠然としていて難しいので、わかりやすくやりやすい「寛大/寛容になる」ことから始めればいいだろう。 経済的に余裕がない人が無理に大金を寄付したり、寝る時間がない人がボランティアをしたりする必要はない。電車で辛そうにしている人がいたら席を譲ってあげ、ベビーカーを押している人がいたら電車やエレベーターの乗り降りを手伝ってあげるといったことなら誰でもできる。朝、道ですれ違う人に「おはよう」と声をかけたり、レジの人に「今日はいいお天気でよかったですね」と笑顔で話しかけて「ありがとう」と言うだけでも、相手に小さな幸せを与えてあげられるし、それによって自分も少し幸せになれる』、「日本人が幸せになる近道は、「他者に寛大/寛容で親切になる」ことと「自分がけっこう幸せであることを自覚する」ことになる」、「「自分が幸せであることを自覚する」というのは漠然としていて難しいので、わかりやすくやりやすい「寛大/寛容になる」ことから始めればいいだろう」、「電車で辛そうにしている人がいたら席を譲ってあげ、ベビーカーを押している人がいたら電車やエレベーターの乗り降りを手伝ってあげるといったことなら誰でもできる。朝、道ですれ違う人に「おはよう」と声をかけたり、レジの人に「今日はいいお天気でよかったですね」と笑顔で話しかけて「ありがとう」と言うだけでも、相手に小さな幸せを与えてあげられるし、それによって自分も少し幸せになれる」、なるほど。
・『善人ぶってもいいじゃないか 私はアメリカの慣習にならって郵便局などでよく私の後ろから来た人にドアを開けて先に入れてあげたり、レジで少ない品数の人が後ろに並んだら「私は沢山買うので、お先にどうぞ」と譲ってあげたりするのだが、たいていの人は笑顔で「ありがとう」と言ってくれる。 常連になっているいくつかのスーパーマーケットでは従業員の人たちとよく挨拶を交わしているのだが、韓国系スーパーで無表情に客の対応をしているレジの女性たちが私を見かけたとたんにぱっと笑顔になってくれるのがとても嬉しい。別のレジの人までが振り向いて「ハウアーユー」と言ってくれるのも。オーガニック専門スーパーマーケットでは、1週間姿を見せなかっただけで精肉コーナーのおじさまたちが「旅行にでも行っていたの?」と話しかけてくれる。 そんな小さなふれあいだけでも一日が明るくなるし、幸福度が上昇するものだ。 このような話をすると、日本のソーシャルメディアでは「善人ぶっている」という反応が戻ってくることがある。赤ん坊を連れたお母さんに優しくしてあげることを呼びかけると、「こっちも大変なのに、そんな時間に電車に乗るほうが悪い」といった激しい反論が来ることもある。 国連の幸福度ランキングが教えてくれるのは、もしかすると、そういう心の余裕のなさと不寛容が日本人の幸福度を下げているかもしれないということだ。 善人ぶって他者に親切にしてもいいではないか。それを自慢してもいいではないか。また、自慢している人を褒めてあげてもいいではないか。それで助かる人がいるのだから』、「国連の幸福度ランキングが教えてくれるのは、もしかすると、そういう心の余裕のなさと不寛容が日本人の幸福度を下げているかもしれないということだ。 善人ぶって他者に親切にしてもいいではないか。それを自慢してもいいではないか。また、自慢している人を褒めてあげてもいいではないか。それで助かる人がいるのだから」、確かにその通りだ。
・『「寛容のなさ」が日本人から幸福を奪っている このレポートには書いていないが、髪の色やスカートの長さのように奇妙なところまで縛る厳しい校則や個々の社員の自発的な対応まで縛ってしまうような社則、社員の私生活や性格にまで踏み込んでくるような上司、といったことも、日本人から幸福感を奪っている「寛容のなさ」かもしれない。 そう感じるのは、欧米で生活する日本人が「こちらに来て楽になった」とよく話題にするのがこの部分だからだ。 自分自身の経験から言えるのは、「他者に寛容になれると、自分にも寛容になれる」ということだ。他人の役に立つことができれば、自分を好きになることも容易になる。自分を好きになれたら、幸福のはしごをもうけっこう上まで登ったことになる。 日本人が寛容さを広めることができたら、6つのファクターで説明できない部分の幸福度も自然と増えていくのではないかと思うのだ』、「自分自身の経験から言えるのは、「他者に寛容になれると、自分にも寛容になれる」ということだ。他人の役に立つことができれば、自分を好きになることも容易になる。自分を好きになれたら、幸福のはしごをもうけっこう上まで登ったことになる。 日本人が寛容さを広めることができたら、6つのファクターで説明できない部分の幸福度も自然と増えていくのではないかと思う」、同感である。
第三に、5月28日付け東洋経済オンラインが掲載した精神科医の和田 秀樹氏による「自分も周りも幸せに!笑顔がもたらす5つの効果 笑うのが無理なら、軽く微笑むだけでもOK」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/590526
・『コロナ禍のマスク生活が始まって、すでに2年以上が経過しています。不自由な毎日が長く続いていますから、自分のことを「明るい」と考えている人でも、「最近、ちょっと暗くなっているかも」と感じているのではないでしょうか。 「暗い気持ちでいると、どうしてもネガティブな方向に考えが向いてしまいます」と言うのは、精神科医の和田秀樹氏です。「ネガティブな考え方をしていても、何もいいことはありませんが、明るい気持ちで前を向いていれば、不思議と物ごとがいい方向に動き出します」。 では、しんどいとき、落ち込んでいるとき、気分を上げるにはどうすればいいのか。和田氏の新刊『なぜか人生がうまくいく「明るい人」の科学』をもとに3回にわたり解説します。 私たちは会社や学校、地域社会で生活していますから、仕事や勉強のことで不安になったり、人間関係に悩んで暗い気持ちになることがあります。 同じような環境で生活していても、いつも明るく、楽しそうに毎日を送っている人もいます。 あなたの周りにも、そういう人がいるのではないでしょうか?そういう人は、ほぼ例外なく「笑顔」でいるはずです。この違いは、どこにあるのでしょうか? ・明るい気持ちでいるから、毎日が楽しくなるのか? ・毎日を楽しくしようとしているから、表情が明るくなるのか? そのどちらも正解だと思いますが、暗い顔をしている人に比べて、明るい笑顔でいる人というのは、周りの人たちの気持ちを明るくします。毎日が楽しくなるような「いい環境」ができやすいのです』、「暗い顔をしている人に比べて、明るい笑顔でいる人というのは、周りの人たちの気持ちを明るくします。毎日が楽しくなるような「いい環境」ができやすいのです」、確かにその通りだろう。
・『気持ちが明るい人には人が寄ってくる いつも気持ちが明るい人というのは、心理的な垣根が下がりますから、自然と人が寄ってきます。部下の人たちに威厳を示そうと「仏頂面」をしている上司より、ニコニコと愛想がいい課長や部長のところには、やはり人が集まってきます。 女性が管理職になると、「部下にナメられたくない」と思って必要以上に厳しい顔をする人がいますが、それでは逆効果です。仕事ができる人というのは、男性でも女性でも意外と愛想がいいものです。) 明るい笑顔の人が周囲の人も明るくするというのは、その人が持っている雰囲気とか心理的な影響だけでなく、科学的にも証明されています。笑顔の人と一緒にいると、その人につられて笑顔になる……という経験をしたことがあると思いますが、それは「エンドルフィン」の働きによるものと考えられています。 エンドルフィンとは、脳内で機能する神経伝達物質の1つで「体内で分泌されるモルヒネ」の意味があります。モルヒネの数倍の鎮痛効果があると考えられ、「気分が高揚」したり「幸福感」が得られたりするという作用を持っています。 笑顔の人につられて一緒になって笑うと、周囲の人たちの脳内でもエンドルフィンが放出されるため、一体感や安心感が生まれます。人に笑いかけることは、「私はあなたの敵ではない」ということを相手に伝えるだけでなく、相手を笑顔にして、その人の気分を明るくする効果があるのです。 その相手の笑顔を見ることによって、笑顔の人はさらに明るい気持ちが増幅されて、幸福感を得られる……というフィードバック効果もあります。笑顔の人の周囲に幸せオーラが感じられるのは、こうした明確な理由があるのです』、「明るい笑顔の人が周囲の人も明るくするというのは、その人が持っている雰囲気とか心理的な影響だけでなく、科学的にも証明されています。笑顔の人と一緒にいると、その人につられて笑顔になる……という経験をしたことがあると思いますが、それは「エンドルフィン」の働きによるものと考えられています。 エンドルフィンとは、脳内で機能する神経伝達物質の1つで「体内で分泌されるモルヒネ」の意味があります。モルヒネの数倍の鎮痛効果があると考えられ、「気分が高揚」したり「幸福感」が得られたりするという作用を持っています。 笑顔の人につられて一緒になって笑うと、周囲の人たちの脳内でもエンドルフィンが放出されるため、一体感や安心感が生まれます。人に笑いかけることは、「私はあなたの敵ではない」ということを相手に伝えるだけでなく、相手を笑顔にして、その人の気分を明るくする効果があるのです。 その相手の笑顔を見ることによって、笑顔の人はさらに明るい気持ちが増幅されて、幸福感を得られる……というフィードバック効果もあります。笑顔の人の周囲に幸せオーラが感じられるのは、こうした明確な理由があるのです」、「エンドルフィン」が「放出される」ことで、「その相手の笑顔を見ることによって、笑顔の人はさらに明るい気持ちが増幅されて、幸福感を得られる……というフィードバック効果もあります」、なるほど。
・『仏頂面で暗い顔をしていませんか? 人が笑顔でいると、そのほかにもさまざまな「恵み」があります。仏頂面をして暗い気持ちでいるより、明るい気持ちで笑顔でいる方が、何となくいいことがありそうですが、それをハッキリと認識している人は少ないかもしれません。 毎日を明るく過ごすためには、笑顔の効果を知っておくことも大切です。以下に主な5つを紹介しましょう。 ①気持ちに余裕が生まれる (笑顔になると、人は明るい気持ちになり、心に余裕が生まれます。リラックスして日常を過ごすことで、自然と疲れやストレスを蓄積しにくくなり、何ごとに対しても「やる気」が出ます。 前向きな姿勢で物ごとに向き合えますから、いい結果が出やすくなります。ビジネスの世界に限らず、さまざまな分野で成功している人に明るいイメージの人が多いのは、こうしたことも要因の1つです。 ②相手に心を開いているサインになる(周囲の人と円滑なコミュニケーションを図るという点でも、笑顔は欠かすことのできない大切な要素です。あいさつや会話の際に笑顔でいると、相手に心を開いているサインになります。相手もリラックスできますから、お互いの心理的な距離を素早く縮めることができます。 ③生き生きした印象を与える(女性が美しさを維持するためにも、笑顔には大きな意味があります。笑顔の回数が多い人ほど表情筋を使う機会が多くなり、顔のコリがほぐれて血行がよくなり、シワやたるみが目立たなくなります。口角の上がった美しい笑顔でいることは、生き生きした印象を与えることができます。 いつもニコニコしていると、表情筋が発達して表情が若々しくなります。逆に、あまり笑わないと表情筋が緩んでしまい、人に老けた印象を与えます。疲れているように見えたり、不機嫌そうに見えてしまうのです。) ④免疫力が高まる(笑顔になると、健康面でもいい影響があります。笑うことでリンパ球の一種であるNK(ナチュラルキラー)細胞が活性化され、免疫力が高まって病気の予防に役立ちます。) ⑤精神的に安定する(「幸せホルモン」と呼ばれるセロトニンが分泌されることで、安らぎや安心感が得られて、精神的に安定することも明らかになっています。声を上げて笑うと肺や心臓が刺激されて、脈拍や血圧が安定してリラックスしたり、自律神経を整えてくれます。全身の筋肉が動くことで、代謝も上がります。 近年の研究によって、こうした健康面のメリットは「作り笑顔」でも同じ効果が得られることがわかっていますから、意識的に笑顔を心がけるだけで、心身共に健康に一歩近づくことができるのです』、「近年の研究によって、こうした健康面のメリットは「作り笑顔」でも同じ効果が得られることがわかっていますから、意識的に笑顔を心がけるだけで、心身共に健康に一歩近づくことができるのです」、「「作り笑顔」でも同じ効果」とは有り難い。
・『明るい気持ちで過ごすには笑顔が大切 明るい気持ちで毎日を過ごすためには、日ごろから「笑顔」を心がけることが大切です。笑顔が無理ならば、軽く「微笑む」だけでもいいのです。非常にシンプルなことですが、明るい気持ちで毎日を過ごすためには、実は最も重要なことであり、最も効果が出やすいことでもあります。 人は誰でも、「暗い顔」になったり、「落ち込んだ顔」になったりすることがあります。そんなときに「あれ、いま暗い顔をしているな」と気づいて、「こんな顔をしていちゃダメだな。笑顔を心がけよう」と思うだけでいいのです。 少なくとも、他の人がいる前だけでも笑顔を心がけて、明るい気持ちでいよう……ということです。あなたが笑顔でいれば、周囲の人も明るい気持ちになります。その明るい気持ちが、あなたを明るい気分にさせてくれるのです。 明るい笑顔になれば、人に与える印象も大きく変わります。普段、難しそうな顔をしている人が笑顔になると、周囲の人もホッとして、和やかな雰囲気が生まれます。 笑顔が無理なら、「こんにちは」というあいさつだけでもいいのです。普段、仏頂面をしている人が「よう!」と明るく手を上げるだけで、印象は確実に変わります。いつも笑顔の人より効果があったりするものです。 美容整形で二重まぶたにすることは簡単にできても、笑顔がチャーミングな顔にするのは意外に難しいといいます。 男性をハンサム系やイケメン系に変身させることはできても、魅力的な笑顔の持ち主にすることは、至難の業なのです。最新医学を持ってしても難しい笑顔に、そう簡単になれるわけがないと考える人もいるかもしれません。 でも、笑顔が無理ならば、話題の選び方を工夫するとか、物ごとの考え方を改めるなど、何らかの工夫をすることはできます。そうした工夫を繰り返し続けることは、笑顔を心がけることと同じくらい大事な意味を持っています』、「明るい気持ちで毎日を過ごすためには、日ごろから「笑顔」を心がけることが大切です。笑顔が無理ならば、軽く「微笑む」だけでもいいのです」、この程度なら出来そうだ。
先ずは、やや古いが、2021年9月30日付け東洋経済オンラインが掲載したメンタルコーチの中島 輝氏による「人より「幸せを感じやすい人」が自然にしている事 自己肯定感の高い人と低い人の差どこにある?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/458028
・『コロナ禍が長引く中、自分のあり方や未来などに不安を抱えていたり、自信を失っていたりする人は少なくありません。日本人は自己肯定感が低いと言われますが、「いいときも悪いときも自分を信じて前進できる人には、心に"あそび"がある」と語るのは、自己肯定感の第一人者で心理カウンセラーの中島輝氏です。中島氏の著書『うまくいっている人がしている 自己肯定感を味方にするレッスン』から、人生をより豊かにするためのメソッドを紹介します』、「自己肯定感の第一人者で心理カウンセラー」が著者とは、さぞかし有益なアドバイスをくれるのだろう。
・『「幸せになる自分」を選ぶのは、自分 同じ環境で同じように暮らしていても、喜びや幸せを感じられる人と、悲しみにさいなまれて幸福感を得られない人がいます。いったい何が違うのでしょうか?両者の違いを解説するとき、私は次のエピソードを紹介しています。 囚われの身である2人の男が鉄格子から外を見ていた。 1人は下を向いて地面の泥を見ながら絶望感を抱いていた。 1人は上を向いて空に輝く星を眺めて希望を抱いていた。 つらいことがあったとき、美しいものに気が付いて、気持ちが晴れた経験は誰にでもあると思います。地面の泥を見て絶望に打ちひしがれていた男も、もし空を見上げる余裕があったなら、輝く星に未来への期待を見出せたかもしれません。 鉄格子の中から上を向くか下を見るか。つまり、希望を見つけるか、絶望に浸るかは、他人に強要されるものではなく、自分自身の選択です。 「今日は上司に怒られて、恥をかかされ、作業のやり直しにも時間がかかって最悪だった」と泥を見つけるのも自分の選択。「今日は上司に怒られたけれど、自分のミスに気づけたし、やり直すことで学びがあった。明日はもっとうまくできそうだ」と星を眺めるのも自分の選択です。) 「泥という絶望」を見るか、「星のような希望」を見るのかを自分で選択できるということは、「自分を幸せにできる選択」は自分自身でできるということ。もしその選択が失敗だったとしても、自分で選んだ道なら後悔は少なく、納得できるでしょう。 自分で選択することを続けていけば、他人と自分を比較して落ち込むことが減っていきます。表面だけを取り繕ってごまかす必要もなくなり、自分の信念に基づいて、次々と新たな「幸せ」を選択できるようになるでしょう。 鉄格子の中から星を見上げた男のように、物事をポジティブに捉えることができるのは、自分を信じられる人、つまり自己肯定感が高い人です』、「「自分を幸せにできる選択」は自分自身でできるということ。もしその選択が失敗だったとしても、自分で選んだ道なら後悔は少なく、納得できるでしょう。 自分で選択することを続けていけば、他人と自分を比較して落ち込むことが減っていきます。表面だけを取り繕ってごまかす必要もなくなり、自分の信念に基づいて、次々と新たな「幸せ」を選択できるようになるでしょう」、確かにその通りだ。
・『本来自己肯定感は生まれながらに備わっている ここで改めて、自己肯定感とは何かを説明しておきましょう。 自己肯定感とは、「私が私であることに満足でき、自分を価値ある存在だと受け入れられること」。私は、自己肯定感こそが「人生を支える軸となるエネルギー」だと考えています。 本来、自己肯定感は誰にでも生まれながらに備わっているもの。実は、自己肯定感が一番高いのは赤ちゃんのときです。伝い歩きを始めた赤ちゃんは、「転ぶかもしれない」「怖いからやめよう」なんて微塵も考えていません。何度転んでも「自分はきっと歩ける」と信じてチャレンジし続けます。 誰もが赤ちゃんのときは「きっとできる」と、自己肯定感に満ち溢れています。しかし、成長するにしたがい、さまざまなネガティブな経験によって自己肯定感は低下してしまいます。 でも、安心してください。自己肯定感は何歳からでも高めることが可能です。ただ、高めることができても、一生自己肯定感の高い人でいられるわけではなく、人生のさまざまな出来事の中で上がったり下がったりします。大切なのは、自己肯定感が下がってしまったとき、再び高められる方法を把握しておくことです。) ところで、あなたは「自己肯定感の高い人」と聞いてどのような人物を思い浮かべますか? ブレない自分を持っている人、強い芯のある人、どんなときも堂々と自分の考えを主張できる人──これらは、自己肯定感が強い人の典型だといえるでしょう。しかし、ブレない強さにこだわり過ぎると逆に、小さな失敗をしただけで心がポキッと折れるようになってしまうのです』、「伝い歩きを始めた赤ちゃんは、「転ぶかもしれない」「怖いからやめよう」なんて微塵も考えていません。何度転んでも「自分はきっと歩ける」と信じてチャレンジし続けます。 誰もが赤ちゃんのときは「きっとできる」と、自己肯定感に満ち溢れています。しかし、成長するにしたがい、さまざまなネガティブな経験によって自己肯定感は低下してしまいます」、「一生自己肯定感の高い人でいられるわけではなく、人生のさまざまな出来事の中で上がったり下がったりします。大切なのは、自己肯定感が下がってしまったとき、再び高められる方法を把握しておくことです」、「ブレない強さにこだわり過ぎると逆に、小さな失敗をしただけで心がポキッと折れるようになってしまうのです」、さすが、専門家だけあって、その通りだ。
・『選択肢に柔軟性を持てる人の強み 自己肯定感が高い人には「柔軟性」が備わっています。この柔軟性を私はよく、「心に"あそび"がある」と表現しています。 あらゆる物事に対し、「絶対にAだ」と執着せず、周囲の意見を受け入れる。「Aもいいけれど、Bも素敵だな。でも今日はCにしておこう」と選択肢に柔軟性を持つことができる。これが心に「あそび」のある状態です。もしCに失敗したとしても、「こんなこともあるよね」と笑顔で受け入れられるようになることが大切なのです。 「あそび」は心の中にある、まっさらで自由な空間。空間があるから、自分とは異なる人の意見も、広い心で受け入れることができます。 自己肯定感が低いと、どうしても視野が狭くなり、一度決めた物事に固執してしまう傾向になります。そんなときは、心に「あそび」があるかどうか、自分自身に問いかけてみてください。 自分には青い服が似合う、青を選んでいれば間違いないと思い込んでいたけれど、たまには赤い服を選んでみるのもいいかもしれない。緑色を試すのもおもしろそうだ――そんなふうに、ときには迷ったりブレたりした方が、自分の可能性も広がって、日々が輝き、人生が楽しいものになります。 自己肯定感が高いと、「私の未来は明るいんだから、1回ぐらい失敗したって大丈夫!」と前向きな気持ちで赤や緑色を選択できるようになります。すると、ますまずポジティブなエネルギーが湧いてきて、人生を楽しむためのアイデアがどんどん生まれてきます。 今持っている自分の価値観を強く信じ続けるのではなく、ときには自分自身を疑ってみてください。自分は何を大切にして生きていきたいのか、どんな人間になりたいのか――時の流れとともに、答えは少しずつ変化しているはずです。) 迷って、ブレて、変化するから、次の新しい発想や行動が生まれ、人生に豊かな彩りを与えてくれます。変化に対応するのは難しいことでも大変なことでもなく、実はとても楽しいことなのですから。 「何があっても受け入れる」という柔軟な心で自己肯定感を養っていくと、自分の人生を自分でデザインできるようになります。あなたは今までの自分とは違う実感と自信に気づくことができるでしょう』、「自己肯定感が高い人には「柔軟性」が備わっています。この柔軟性を私はよく、「心に"あそび"がある」と表現しています。 あらゆる物事に対し、「絶対にAだ」と執着せず、周囲の意見を受け入れる。「Aもいいけれど、Bも素敵だな。でも今日はCにしておこう」と選択肢に柔軟性を持つことができる。これが心に「あそび」のある状態です。もしCに失敗したとしても、「こんなこともあるよね」と笑顔で受け入れられるようになることが大切なのです。 「あそび」は心の中にある、まっさらで自由な空間。空間があるから、自分とは異なる人の意見も、広い心で受け入れることができます」、「自己肯定感が高いと、「私の未来は明るいんだから、1回ぐらい失敗したって大丈夫!」と前向きな気持ちで赤や緑色を選択できるようになります。すると、ますまずポジティブなエネルギーが湧いてきて、人生を楽しむためのアイデアがどんどん生まれてきます」、「心に「あそび」があれば「選択肢に柔軟性を持つことができる」。なるほど。
・『自分に起きることはすべてギフト 自分は何を選んで、何を大切にして、どんな人間になりたいのかを考え、迷ったり、ブレたりしながら人生を歩んでいく。その時々で自分が選んできたものが、自分の人生を形作ります。 世間の常識や体裁など、誰かが敷いたレールの上を走るのではなく、自分で考えた道を自分の足で歩んでいるという実感。ここに、人生の大きな喜びがあるのです。 いいことも悪いことも、好きなことも嫌いなことも、自分の身に起きるすべては、理想の人生をデザインするための「ギフト」です。 幸せとは満ち足りることではなく、気づき続けることです。毎日自分の身に起こるさまざまな出来事(=ギフト)から、どんな気づきを得ることができるのか。それは人ぞれぞれ異なります。 最初に述べた「鉄格子の中」という過酷なギフトから、「希望」を見いだせた人のように、どんなギフトを受け取っても、肯定的に受け止めて感謝をすること。その積み重ねによって自己肯定感が高まり、人生がますます楽しくなっていくはずです。迷って、ブレて、変化するから、次の新しい発想や行動が生まれ、人生に豊かな彩りを与えてくれます。変化に対応するのは難しいことでも大変なことでもなく、実はとても楽しいことなのですから。 「何があっても受け入れる」という柔軟な心で自己肯定感を養っていくと、自分の人生を自分でデザインできるようになります。あなたは今までの自分とは違う実感と自信に気づくことができるでしょう』、「いいことも悪いことも、好きなことも嫌いなことも、自分の身に起きるすべては、理想の人生をデザインするための「ギフト」です。 幸せとは満ち足りることではなく、気づき続けることです。毎日自分の身に起こるさまざまな出来事(=ギフト)から、どんな気づきを得ることができるのか。それは人ぞれぞれ異なります」、「迷って、ブレて、変化するから、次の新しい発想や行動が生まれ、人生に豊かな彩りを与えてくれます。変化に対応するのは難しいことでも大変なことでもなく、実はとても楽しいことなのですから」、なるほど。
・『自分に起きることはすべてギフト 自分は何を選んで、何を大切にして、どんな人間になりたいのかを考え、迷ったり、ブレたりしながら人生を歩んでいく。その時々で自分が選んできたものが、自分の人生を形作ります。 世間の常識や体裁など、誰かが敷いたレールの上を走るのではなく、自分で考えた道を自分の足で歩んでいるという実感。ここに、人生の大きな喜びがあるのです。 いいことも悪いことも、好きなことも嫌いなことも、自分の身に起きるすべては、理想の人生をデザインするための「ギフト」です。 幸せとは満ち足りることではなく、気づき続けることです。毎日自分の身に起こるさまざまな出来事(=ギフト)から、どんな気づきを得ることができるのか。それは人ぞれぞれ異なります。 最初に述べた「鉄格子の中」という過酷なギフトから、「希望」を見いだせた人のように、どんなギフトを受け取っても、肯定的に受け止めて感謝をすること。その積み重ねによって自己肯定感が高まり、人生がますます楽しくなっていくはずです』、「どんなギフトを受け取っても、肯定的に受け止めて感謝をすること。その積み重ねによって自己肯定感が高まり、人生がますます楽しくなっていくはずです」、心がけたい。
次に、昨年4月30日付け文春オンライン「《この国は不寛容社会》「幸福度ランキング58位」の日本人に足りないたった1つの習慣」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/53876
・『「日本人の幸福度は全世界で58位」――ある時期、そんなニュースがSNSをにぎわせた。 なぜ日本人は幸せを感じづらいのか? その理由を、アメリカ在住のエッセイスト・渡辺由佳里さんの新刊『アメリカはいつも夢見ている』より一部を抜粋。国連がまとめた「幸福度ランキング」を見ることで、欧米人にあって日本人に足りないものが見えてきた。(全3回の1回目/#2、#3を読む)』、興味深そうだ。
・『日本は幸福度ランキング58位 Twitterに流れてくる日本のニュースで、国連がまとめた幸福度ランキングで日本が2018年から4つ順位を下げて58位になったということを知った(2019年)。 このニュースだけでは内容がよくわからないので、情報の大元である2019年WHR(World Happiness Report)をダウンロードして読んでみた。統計の専門家ではないので計算方法などはよくわからないが、このレポートは日本と日本人の幸福感について重要なことをいくつか指摘してくれていると感じた。 WHRの幸福度ランキングはギャラップの世論調査(Gallup World Poll Questions)を元にしている。ビジネス経済、社会関与、コミュニケーションとテクノロジー、多様性(社会問題)、教育と家族、感情(幸福感)、環境とエネルギー、食と住居、政府と政治、法と秩序(治安)、健康、宗教と倫理、交通、仕事の14の分野での質問があり、回答者は「カントリルラダー」という指標を使って答える。「はしご(ラダー)」を想像し、想像できる最悪の状態を0、最高の状態を10として主観的な評価をするものだ。 WHRでは、その結果の幸福度を説明する重要なファクターとして「一人あたりの国内総生産」、「社会的支援」、「出生時の平均健康寿命」、「人生の選択をする自由」、「他者への寛大さ」、「公職者が汚職/堕落しているという国民の認識」の6つを挙げている。 幸福度ランキングのグラフを見ると、トップからフィンランド、デンマーク、ノルウェー、アイスランドと北欧の国々が並んでいる。銃による大量殺人があり、オピオイド依存症が深刻になっているアメリカですら19位に入っている。それなのに、日本が58位だというのは不思議に思える。 グラフをよく見ると、日本は「一人あたりの国内総生産」、「社会的支援」、「出生時の平均健康寿命」という左から3つのファクターでは上位の国々とほとんど変わらないことがわかる。 上位の国々と日本との大きな違いは、「他者への寛大さ」と最後の「ディストピア+レジデュアル」である。日本は「出生時の平均健康寿命」では156ヶ国中2位というチャンピオンなのに、「他者への寛大さ」においては92位というほぼ最低レベルなのだ。) 繰り返すが、幸福度のスコアはそれぞれの国の回答者の主観的な評価の平均であり、6つのファクターはその因果関係を説明しようとしているだけである。例えば「他者への寛大さ(generosity)」が高いからといってその国がスコアを上げてもらっているわけではない。 まずはこの「他者への寛大さ」と幸福感について語ろう』、「上位の国々と日本との大きな違いは、「他者への寛大さ」と最後の「ディストピア+レジデュアル」である。日本は「出生時の平均健康寿命」では156ヶ国中2位というチャンピオンなのに、「他者への寛大さ」においては92位というほぼ最低レベルなのだ」、2つの「ファクター」が主因のようだ。
・『日本人はなぜ幸せになれないのか? WHRの「幸福と社会性がある行動」という章は、人間が非常に社会的な動物であり、家族や友人だけでなく見知らぬ他人を助けることによって満足感や幸福感を得ることを説明している。見返りを求めずに自分の金を提供する寄付や、自分の時間を提供するボランティアがその代表的なものだ。 しかし、レポートには「(それらに加えて)いろいろな方法で他者を援助することができる。例えば、見知らぬ人のためにドアを開けてあげるとか、褒めてあげるとか、病に臥せっている親戚を介護するとか、伴侶を気遣ってあげるとか、拾った財布を持ち主に返してあげるとか、小さいけれども意義がある寛大な行動だ」と書いてある。ランダムに親切な行動をする実験では、親切な行動をしたグループのほうがしなかったグループよりも幸せになったという。 次の「ディストピア+レジデュアル」という項目は少しわかりにくい。「ディストピア」とは世紀末的なSFでよく使われる言葉で、ユートピアの反対の社会である。この調査では、幸福度を説明する6つの重要なファクターが世界で最悪である架空の国を「ディストピア」と設定する。「ディストピア」に住んでいる人は世界で最も不幸であるという仮定で、カントリルラダーにおける「最悪」の基準にする。その基準と照らし合わせて自国の自分の生活の評価をするのだ。 ディストピアの国民の自己評価の平均推定値が1.88で、それに「レジデュアル」を加えたのがこの部分ということらしい。「レジデュアル(残余)」とは(グラフの左の6つのファクターで)「説明されていない構成要素(unexplained components)」ということで、日本人はここが異常に少ない。) たとえば世界で12位のコスタリカでは、幸せの理由を具体的に説明する6つの要素は日本より少ないのに世論調査での総合的な幸福度のスコアは日本よりずっと高い。6つの要素では説明されない部分で、彼らは幸せを感じているのだろう。 見方を変えると、「日本は他国に比べて幸せになる社会的な条件はけっこう揃っているのに、なぜか幸せを感じていない」ということが浮かび上がってくる。 これら2つの特徴を考慮すると、日本人が幸せになる近道は、「他者に寛大/寛容で親切になる」ことと「自分がけっこう幸せであることを自覚する」ことになる。 「自分が幸せであることを自覚する」というのは漠然としていて難しいので、わかりやすくやりやすい「寛大/寛容になる」ことから始めればいいだろう。 経済的に余裕がない人が無理に大金を寄付したり、寝る時間がない人がボランティアをしたりする必要はない。電車で辛そうにしている人がいたら席を譲ってあげ、ベビーカーを押している人がいたら電車やエレベーターの乗り降りを手伝ってあげるといったことなら誰でもできる。朝、道ですれ違う人に「おはよう」と声をかけたり、レジの人に「今日はいいお天気でよかったですね」と笑顔で話しかけて「ありがとう」と言うだけでも、相手に小さな幸せを与えてあげられるし、それによって自分も少し幸せになれる』、「日本人が幸せになる近道は、「他者に寛大/寛容で親切になる」ことと「自分がけっこう幸せであることを自覚する」ことになる」、「「自分が幸せであることを自覚する」というのは漠然としていて難しいので、わかりやすくやりやすい「寛大/寛容になる」ことから始めればいいだろう」、「電車で辛そうにしている人がいたら席を譲ってあげ、ベビーカーを押している人がいたら電車やエレベーターの乗り降りを手伝ってあげるといったことなら誰でもできる。朝、道ですれ違う人に「おはよう」と声をかけたり、レジの人に「今日はいいお天気でよかったですね」と笑顔で話しかけて「ありがとう」と言うだけでも、相手に小さな幸せを与えてあげられるし、それによって自分も少し幸せになれる」、なるほど。
・『善人ぶってもいいじゃないか 私はアメリカの慣習にならって郵便局などでよく私の後ろから来た人にドアを開けて先に入れてあげたり、レジで少ない品数の人が後ろに並んだら「私は沢山買うので、お先にどうぞ」と譲ってあげたりするのだが、たいていの人は笑顔で「ありがとう」と言ってくれる。 常連になっているいくつかのスーパーマーケットでは従業員の人たちとよく挨拶を交わしているのだが、韓国系スーパーで無表情に客の対応をしているレジの女性たちが私を見かけたとたんにぱっと笑顔になってくれるのがとても嬉しい。別のレジの人までが振り向いて「ハウアーユー」と言ってくれるのも。オーガニック専門スーパーマーケットでは、1週間姿を見せなかっただけで精肉コーナーのおじさまたちが「旅行にでも行っていたの?」と話しかけてくれる。 そんな小さなふれあいだけでも一日が明るくなるし、幸福度が上昇するものだ。 このような話をすると、日本のソーシャルメディアでは「善人ぶっている」という反応が戻ってくることがある。赤ん坊を連れたお母さんに優しくしてあげることを呼びかけると、「こっちも大変なのに、そんな時間に電車に乗るほうが悪い」といった激しい反論が来ることもある。 国連の幸福度ランキングが教えてくれるのは、もしかすると、そういう心の余裕のなさと不寛容が日本人の幸福度を下げているかもしれないということだ。 善人ぶって他者に親切にしてもいいではないか。それを自慢してもいいではないか。また、自慢している人を褒めてあげてもいいではないか。それで助かる人がいるのだから』、「国連の幸福度ランキングが教えてくれるのは、もしかすると、そういう心の余裕のなさと不寛容が日本人の幸福度を下げているかもしれないということだ。 善人ぶって他者に親切にしてもいいではないか。それを自慢してもいいではないか。また、自慢している人を褒めてあげてもいいではないか。それで助かる人がいるのだから」、確かにその通りだ。
・『「寛容のなさ」が日本人から幸福を奪っている このレポートには書いていないが、髪の色やスカートの長さのように奇妙なところまで縛る厳しい校則や個々の社員の自発的な対応まで縛ってしまうような社則、社員の私生活や性格にまで踏み込んでくるような上司、といったことも、日本人から幸福感を奪っている「寛容のなさ」かもしれない。 そう感じるのは、欧米で生活する日本人が「こちらに来て楽になった」とよく話題にするのがこの部分だからだ。 自分自身の経験から言えるのは、「他者に寛容になれると、自分にも寛容になれる」ということだ。他人の役に立つことができれば、自分を好きになることも容易になる。自分を好きになれたら、幸福のはしごをもうけっこう上まで登ったことになる。 日本人が寛容さを広めることができたら、6つのファクターで説明できない部分の幸福度も自然と増えていくのではないかと思うのだ』、「自分自身の経験から言えるのは、「他者に寛容になれると、自分にも寛容になれる」ということだ。他人の役に立つことができれば、自分を好きになることも容易になる。自分を好きになれたら、幸福のはしごをもうけっこう上まで登ったことになる。 日本人が寛容さを広めることができたら、6つのファクターで説明できない部分の幸福度も自然と増えていくのではないかと思う」、同感である。
第三に、5月28日付け東洋経済オンラインが掲載した精神科医の和田 秀樹氏による「自分も周りも幸せに!笑顔がもたらす5つの効果 笑うのが無理なら、軽く微笑むだけでもOK」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/590526
・『コロナ禍のマスク生活が始まって、すでに2年以上が経過しています。不自由な毎日が長く続いていますから、自分のことを「明るい」と考えている人でも、「最近、ちょっと暗くなっているかも」と感じているのではないでしょうか。 「暗い気持ちでいると、どうしてもネガティブな方向に考えが向いてしまいます」と言うのは、精神科医の和田秀樹氏です。「ネガティブな考え方をしていても、何もいいことはありませんが、明るい気持ちで前を向いていれば、不思議と物ごとがいい方向に動き出します」。 では、しんどいとき、落ち込んでいるとき、気分を上げるにはどうすればいいのか。和田氏の新刊『なぜか人生がうまくいく「明るい人」の科学』をもとに3回にわたり解説します。 私たちは会社や学校、地域社会で生活していますから、仕事や勉強のことで不安になったり、人間関係に悩んで暗い気持ちになることがあります。 同じような環境で生活していても、いつも明るく、楽しそうに毎日を送っている人もいます。 あなたの周りにも、そういう人がいるのではないでしょうか?そういう人は、ほぼ例外なく「笑顔」でいるはずです。この違いは、どこにあるのでしょうか? ・明るい気持ちでいるから、毎日が楽しくなるのか? ・毎日を楽しくしようとしているから、表情が明るくなるのか? そのどちらも正解だと思いますが、暗い顔をしている人に比べて、明るい笑顔でいる人というのは、周りの人たちの気持ちを明るくします。毎日が楽しくなるような「いい環境」ができやすいのです』、「暗い顔をしている人に比べて、明るい笑顔でいる人というのは、周りの人たちの気持ちを明るくします。毎日が楽しくなるような「いい環境」ができやすいのです」、確かにその通りだろう。
・『気持ちが明るい人には人が寄ってくる いつも気持ちが明るい人というのは、心理的な垣根が下がりますから、自然と人が寄ってきます。部下の人たちに威厳を示そうと「仏頂面」をしている上司より、ニコニコと愛想がいい課長や部長のところには、やはり人が集まってきます。 女性が管理職になると、「部下にナメられたくない」と思って必要以上に厳しい顔をする人がいますが、それでは逆効果です。仕事ができる人というのは、男性でも女性でも意外と愛想がいいものです。) 明るい笑顔の人が周囲の人も明るくするというのは、その人が持っている雰囲気とか心理的な影響だけでなく、科学的にも証明されています。笑顔の人と一緒にいると、その人につられて笑顔になる……という経験をしたことがあると思いますが、それは「エンドルフィン」の働きによるものと考えられています。 エンドルフィンとは、脳内で機能する神経伝達物質の1つで「体内で分泌されるモルヒネ」の意味があります。モルヒネの数倍の鎮痛効果があると考えられ、「気分が高揚」したり「幸福感」が得られたりするという作用を持っています。 笑顔の人につられて一緒になって笑うと、周囲の人たちの脳内でもエンドルフィンが放出されるため、一体感や安心感が生まれます。人に笑いかけることは、「私はあなたの敵ではない」ということを相手に伝えるだけでなく、相手を笑顔にして、その人の気分を明るくする効果があるのです。 その相手の笑顔を見ることによって、笑顔の人はさらに明るい気持ちが増幅されて、幸福感を得られる……というフィードバック効果もあります。笑顔の人の周囲に幸せオーラが感じられるのは、こうした明確な理由があるのです』、「明るい笑顔の人が周囲の人も明るくするというのは、その人が持っている雰囲気とか心理的な影響だけでなく、科学的にも証明されています。笑顔の人と一緒にいると、その人につられて笑顔になる……という経験をしたことがあると思いますが、それは「エンドルフィン」の働きによるものと考えられています。 エンドルフィンとは、脳内で機能する神経伝達物質の1つで「体内で分泌されるモルヒネ」の意味があります。モルヒネの数倍の鎮痛効果があると考えられ、「気分が高揚」したり「幸福感」が得られたりするという作用を持っています。 笑顔の人につられて一緒になって笑うと、周囲の人たちの脳内でもエンドルフィンが放出されるため、一体感や安心感が生まれます。人に笑いかけることは、「私はあなたの敵ではない」ということを相手に伝えるだけでなく、相手を笑顔にして、その人の気分を明るくする効果があるのです。 その相手の笑顔を見ることによって、笑顔の人はさらに明るい気持ちが増幅されて、幸福感を得られる……というフィードバック効果もあります。笑顔の人の周囲に幸せオーラが感じられるのは、こうした明確な理由があるのです」、「エンドルフィン」が「放出される」ことで、「その相手の笑顔を見ることによって、笑顔の人はさらに明るい気持ちが増幅されて、幸福感を得られる……というフィードバック効果もあります」、なるほど。
・『仏頂面で暗い顔をしていませんか? 人が笑顔でいると、そのほかにもさまざまな「恵み」があります。仏頂面をして暗い気持ちでいるより、明るい気持ちで笑顔でいる方が、何となくいいことがありそうですが、それをハッキリと認識している人は少ないかもしれません。 毎日を明るく過ごすためには、笑顔の効果を知っておくことも大切です。以下に主な5つを紹介しましょう。 ①気持ちに余裕が生まれる (笑顔になると、人は明るい気持ちになり、心に余裕が生まれます。リラックスして日常を過ごすことで、自然と疲れやストレスを蓄積しにくくなり、何ごとに対しても「やる気」が出ます。 前向きな姿勢で物ごとに向き合えますから、いい結果が出やすくなります。ビジネスの世界に限らず、さまざまな分野で成功している人に明るいイメージの人が多いのは、こうしたことも要因の1つです。 ②相手に心を開いているサインになる(周囲の人と円滑なコミュニケーションを図るという点でも、笑顔は欠かすことのできない大切な要素です。あいさつや会話の際に笑顔でいると、相手に心を開いているサインになります。相手もリラックスできますから、お互いの心理的な距離を素早く縮めることができます。 ③生き生きした印象を与える(女性が美しさを維持するためにも、笑顔には大きな意味があります。笑顔の回数が多い人ほど表情筋を使う機会が多くなり、顔のコリがほぐれて血行がよくなり、シワやたるみが目立たなくなります。口角の上がった美しい笑顔でいることは、生き生きした印象を与えることができます。 いつもニコニコしていると、表情筋が発達して表情が若々しくなります。逆に、あまり笑わないと表情筋が緩んでしまい、人に老けた印象を与えます。疲れているように見えたり、不機嫌そうに見えてしまうのです。) ④免疫力が高まる(笑顔になると、健康面でもいい影響があります。笑うことでリンパ球の一種であるNK(ナチュラルキラー)細胞が活性化され、免疫力が高まって病気の予防に役立ちます。) ⑤精神的に安定する(「幸せホルモン」と呼ばれるセロトニンが分泌されることで、安らぎや安心感が得られて、精神的に安定することも明らかになっています。声を上げて笑うと肺や心臓が刺激されて、脈拍や血圧が安定してリラックスしたり、自律神経を整えてくれます。全身の筋肉が動くことで、代謝も上がります。 近年の研究によって、こうした健康面のメリットは「作り笑顔」でも同じ効果が得られることがわかっていますから、意識的に笑顔を心がけるだけで、心身共に健康に一歩近づくことができるのです』、「近年の研究によって、こうした健康面のメリットは「作り笑顔」でも同じ効果が得られることがわかっていますから、意識的に笑顔を心がけるだけで、心身共に健康に一歩近づくことができるのです」、「「作り笑顔」でも同じ効果」とは有り難い。
・『明るい気持ちで過ごすには笑顔が大切 明るい気持ちで毎日を過ごすためには、日ごろから「笑顔」を心がけることが大切です。笑顔が無理ならば、軽く「微笑む」だけでもいいのです。非常にシンプルなことですが、明るい気持ちで毎日を過ごすためには、実は最も重要なことであり、最も効果が出やすいことでもあります。 人は誰でも、「暗い顔」になったり、「落ち込んだ顔」になったりすることがあります。そんなときに「あれ、いま暗い顔をしているな」と気づいて、「こんな顔をしていちゃダメだな。笑顔を心がけよう」と思うだけでいいのです。 少なくとも、他の人がいる前だけでも笑顔を心がけて、明るい気持ちでいよう……ということです。あなたが笑顔でいれば、周囲の人も明るい気持ちになります。その明るい気持ちが、あなたを明るい気分にさせてくれるのです。 明るい笑顔になれば、人に与える印象も大きく変わります。普段、難しそうな顔をしている人が笑顔になると、周囲の人もホッとして、和やかな雰囲気が生まれます。 笑顔が無理なら、「こんにちは」というあいさつだけでもいいのです。普段、仏頂面をしている人が「よう!」と明るく手を上げるだけで、印象は確実に変わります。いつも笑顔の人より効果があったりするものです。 美容整形で二重まぶたにすることは簡単にできても、笑顔がチャーミングな顔にするのは意外に難しいといいます。 男性をハンサム系やイケメン系に変身させることはできても、魅力的な笑顔の持ち主にすることは、至難の業なのです。最新医学を持ってしても難しい笑顔に、そう簡単になれるわけがないと考える人もいるかもしれません。 でも、笑顔が無理ならば、話題の選び方を工夫するとか、物ごとの考え方を改めるなど、何らかの工夫をすることはできます。そうした工夫を繰り返し続けることは、笑顔を心がけることと同じくらい大事な意味を持っています』、「明るい気持ちで毎日を過ごすためには、日ごろから「笑顔」を心がけることが大切です。笑顔が無理ならば、軽く「微笑む」だけでもいいのです」、この程度なら出来そうだ。
タグ:「日本人が幸せになる近道は、「他者に寛大/寛容で親切になる」ことと「自分がけっこう幸せであることを自覚する」ことになる」、「「自分が幸せであることを自覚する」というのは漠然としていて難しいので、わかりやすくやりやすい「寛大/寛容になる」ことから始めればいいだろう」、 「上位の国々と日本との大きな違いは、「他者への寛大さ」と最後の「ディストピア+レジデュアル」である。日本は「出生時の平均健康寿命」では156ヶ国中2位というチャンピオンなのに、「他者への寛大さ」においては92位というほぼ最低レベルなのだ」、2つの「ファクター」が主因のようだ。 「暗い顔をしている人に比べて、明るい笑顔でいる人というのは、周りの人たちの気持ちを明るくします。毎日が楽しくなるような「いい環境」ができやすいのです」、確かにその通りだろう。 「一生自己肯定感の高い人でいられるわけではなく、人生のさまざまな出来事の中で上がったり下がったりします。大切なのは、自己肯定感が下がってしまったとき、再び高められる方法を把握しておくことです」、「ブレない強さにこだわり過ぎると逆に、小さな失敗をしただけで心がポキッと折れるようになってしまうのです」、さすが、専門家だけあって、その通りだ。 「近年の研究によって、こうした健康面のメリットは「作り笑顔」でも同じ効果が得られることがわかっていますから、意識的に笑顔を心がけるだけで、心身共に健康に一歩近づくことができるのです」、「「作り笑顔」でも同じ効果」とは有り難い。 ・『明るい気持ちで過ごすには笑顔が大切 明るい気持ちで毎日を過ごすためには、日ごろから「笑顔」を心がけることが大切です。笑顔が無理ならば、軽く「微笑む」だけでもいいのです。非常にシンプルなことですが、明るい気持ちで毎日を過ごすためには、実は最も重要なことであり、最も効果が出やすい 「電車で辛そうにしている人がいたら席を譲ってあげ、ベビーカーを押している人がいたら電車やエレベーターの乗り降りを手伝ってあげるといったことなら誰でもできる。朝、道ですれ違う人に「おはよう」と声をかけたり、レジの人に「今日はいいお天気でよかったですね」と笑顔で話しかけて「ありがとう」と言うだけでも、相手に小さな幸せを与えてあげられるし、それによって自分も少し幸せになれる」、なるほど。 「いいことも悪いことも、好きなことも嫌いなことも、自分の身に起きるすべては、理想の人生をデザインするための「ギフト」です。 幸せとは満ち足りることではなく、気づき続けることです。毎日自分の身に起こるさまざまな出来事(=ギフト)から、どんな気づきを得ることができるのか。それは人ぞれぞれ異なります」、「迷って、ブレて、変化するから、次の新しい発想や行動が生まれ、人生に豊かな彩りを与えてくれます。変化に対応するのは難しいことでも大変なことでもなく、実はとても楽しいことなのですから」、なるほど。 「あそび」は心の中にある、まっさらで自由な空間。空間があるから、自分とは異なる人の意見も、広い心で受け入れることができます」、「自己肯定感が高いと、「私の未来は明るいんだから、1回ぐらい失敗したって大丈夫!」と前向きな気持ちで赤や緑色を選択できるようになります。すると、ますまずポジティブなエネルギーが湧いてきて、人生を楽しむためのアイデアがどんどん生まれてきます」、「心に「あそび」があれば「選択肢に柔軟性を持つことができる」。なるほど。 「「自分を幸せにできる選択」は自分自身でできるということ。もしその選択が失敗だったとしても、自分で選んだ道なら後悔は少なく、納得できるでしょう。 自分で選択することを続けていけば、他人と自分を比較して落ち込むことが減っていきます。表面だけを取り繕ってごまかす必要もなくなり、自分の信念に基づいて、次々と新たな「幸せ」を選択できるようになるでしょう」、確かにその通りだ。 「自己肯定感が高い人には「柔軟性」が備わっています。この柔軟性を私はよく、「心に"あそび"がある」と表現しています。 あらゆる物事に対し、「絶対にAだ」と執着せず、周囲の意見を受け入れる。「Aもいいけれど、Bも素敵だな。でも今日はCにしておこう」と選択肢に柔軟性を持つことができる。これが心に「あそび」のある状態です。もしCに失敗したとしても、「こんなこともあるよね」と笑顔で受け入れられるようになることが大切なのです。 笑顔の人につられて一緒になって笑うと、周囲の人たちの脳内でもエンドルフィンが放出されるため、一体感や安心感が生まれます。人に笑いかけることは、「私はあなたの敵ではない」ということを相手に伝えるだけでなく、相手を笑顔にして、その人の気分を明るくする効果があるのです。 その相手の笑顔を見ることによって、笑顔の人はさらに明るい気持ちが増幅されて、幸福感を得られる……というフィードバック効果もあります。笑顔の人の周囲に幸せオーラが感じられるのは、こうした明確な理由があるのです」、 「どんなギフトを受け取っても、肯定的に受け止めて感謝をすること。その積み重ねによって自己肯定感が高まり、人生がますます楽しくなっていくはずです」、心がけたい。 ことでもあります。 人は誰でも、「暗い顔」になったり、「落ち込んだ顔」になったりすることがあります。そんなときに「あれ、いま暗い顔をしているな」と気づいて、「こんな顔をしていちゃダメだな。笑顔を心がけよう」と思うだけでいいのです。 少なくとも、他の人がいる前だけでも笑顔を心がけて、明るい気持ちでいよう……ということです。あなたが笑顔でいれば、周囲の人も明るい気持ちになります。その明るい気持ちが、あなたを明るい気分にさせてくれるのです。 明るい笑顔になれば、人に与える印象も大きく変わります。普段、難しそうな 幸福 渡辺由佳里さんの新刊『アメリカはいつも夢見ている』より一部を抜粋 「伝い歩きを始めた赤ちゃんは、「転ぶかもしれない」「怖いからやめよう」なんて微塵も考えていません。何度転んでも「自分はきっと歩ける」と信じてチャレンジし続けます。 誰もが赤ちゃんのときは「きっとできる」と、自己肯定感に満ち溢れています。しかし、成長するにしたがい、さまざまなネガティブな経験によって自己肯定感は低下してしまいます」、 文春オンライン「《この国は不寛容社会》「幸福度ランキング58位」の日本人に足りないたった1つの習慣」 「明るい笑顔の人が周囲の人も明るくするというのは、その人が持っている雰囲気とか心理的な影響だけでなく、科学的にも証明されています。笑顔の人と一緒にいると、その人につられて笑顔になる……という経験をしたことがあると思いますが、それは「エンドルフィン」の働きによるものと考えられています。 エンドルフィンとは、脳内で機能する神経伝達物質の1つで「体内で分泌されるモルヒネ」の意味があります。モルヒネの数倍の鎮痛効果があると考えられ、「気分が高揚」したり「幸福感」が得られたりするという作用を持っています。 「自己肯定感の第一人者で心理カウンセラー」が著者とは、さぞかし有益なアドバイスをくれるのだろう。 「自分自身の経験から言えるのは、「他者に寛容になれると、自分にも寛容になれる」ということだ。他人の役に立つことができれば、自分を好きになることも容易になる。自分を好きになれたら、幸福のはしごをもうけっこう上まで登ったことになる。 日本人が寛容さを広めることができたら、6つのファクターで説明できない部分の幸福度も自然と増えていくのではないかと思う」、同感である。 中島 輝氏による「人より「幸せを感じやすい人」が自然にしている事 自己肯定感の高い人と低い人の差どこにある?」 和田 秀樹氏による「自分も周りも幸せに!笑顔がもたらす5つの効果 笑うのが無理なら、軽く微笑むだけでもOK」 東洋経済オンライン 「国連の幸福度ランキングが教えてくれるのは、もしかすると、そういう心の余裕のなさと不寛容が日本人の幸福度を下げているかもしれないということだ。 善人ぶって他者に親切にしてもいいではないか。それを自慢してもいいではないか。また、自慢している人を褒めてあげてもいいではないか。それで助かる人がいるのだから」、確かにその通りだ。 「エンドルフィン」が「放出される」ことで、「その相手の笑顔を見ることによって、笑顔の人はさらに明るい気持ちが増幅されて、幸福感を得られる……というフィードバック効果もあります」、なるほど。 「明るい気持ちで毎日を過ごすためには、日ごろから「笑顔」を心がけることが大切です。笑顔が無理ならば、軽く「微笑む」だけでもいいのです」、この程度なら出来そうだ。 (その5)(人より「幸せを感じやすい人」が自然にしている事 自己肯定感の高い人と低い人の差どこにある?、《この国は不寛容社会》「幸福度ランキング58位」の日本人に足りないたった1つの習慣、自分も周りも幸せに!笑顔がもたらす5つの効果 笑うのが無理なら、軽く微笑むだけでもOK)
人生論(その12)(「若年性アルツハイマー」になっった「元・東大教授」2題(「意外な楽しみ」 それまでとは違った世界が見えた、デイサービスに入って経験したこと 失語の当事者が語った胸の内とは)、作家・林真理子が説く「成熟した大人」の流儀 もらっても心が動かなかった企画書とは) [人生]
人生論については、昨年3月29日に取上げた。今日は、(その12)(「若年性アルツハイマー」になっった「元・東大教授」2題(「意外な楽しみ」 それまでとは違った世界が見えた、デイサービスに入って経験したこと 失語の当事者が語った胸の内とは)、作家・林真理子が説く「成熟した大人」の流儀 もらっても心が動かなかった企画書とは)である。
先ずは、昨年3月29日付け現代ビジネスが掲載した主婦の若井 克子氏による「元・東大教授が「若年性アルツハイマー」になって見つけた「意外な楽しみ」 それまでとは違った世界が見えた」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/92664?imp=0
・『病気になって「いいこと」などあるのだろうか。きっと多くの人が「ない」と考えるだろう。だが、若年性アルツハイマー病で早期退職を余儀なくされた、東京大学の元教授・若井晋は、あると言うのである。果たしてそれはなぜなのか? 失語の症状で言葉を失いゆくなか、若井は講演やインタビューで、自らの率直な気持ちを語ってきた。彼はなぜ、そんな心境に達することができたのか。妻・若井克子がその様子を備(つぶさ)に記した『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(講談社)からお届けする。 【第1回】54歳で「若年性アルツハイマー」になった東大教授が書き残していた「日記の中身」 【第2回】手術上手な脳外科医が一転、ネクタイが結べず…東大教授を襲った「若年性アルツハイマー」の現実 【第3回】文字が書けない…54歳で「若年性アルツハイマー」になった東大教授の苦悩 【第4回】失意の元・東大教授は、なぜ「若年性アルツハイマー」を公表したのか? 【第5回】「ぼくは、エイリアン」54歳で若年性アルツハイマーになった東大教授が見た世界』、「若年性アルツハイマー」で「失語症」になったとあっては、「東大教授」を「早期退職」せざるを得なくなったのは、本人にとってはさぞかしつらかったことだろう。
・『「人の価値」について語る 「『生きる』ことを考える――若年性アルツハイマー病と共に生きて――」 そんな演題が掲げられた私たちの2度目の講演は、都村先生の見事なリードでスムーズに進み、ついに終盤にさしかかりました。 「これ(アルツハイマー病)だけはいやだ」という言葉にせよ、エイリアンという言葉にせよ、まさしく病を得た当事者である晋にしか言えないことだったと思います。 うまく波に乗れたのか、会場からの質疑にも、晋はうまく答えていました。たとえばある参加者からは、 「人の価値についてどう思いますか」 と、こんな質問が。とっさには答えにくい問いですが、晋は動じるふうもなく、こう応じたのです。 「人生で一番大切なことは何か、ということが分からない人、分かる人、いろいろあると思うんです。その中で一人一人が自分の生き様に合わせて絶えず歩み続ける。そういう中で私も生きてゆきたい。これからも、この後も生きていきたいなと思います」 神戸講演は成功に終わりました。 晋がすっかりリラックスした様子で笑い、語り、会場になじんでいたのが何より印象的でした。私自身、彼につられて笑ってしまうことがあったほどです。 リラックス……と言うと、いかにも軽く聞こえることでしょう。しかし、このリラックスこそが大事なのだと痛感しました。 思えば横浜講演のときは、講演自体は失敗でしたが、その後ひらかれた立食形式の懇親会での晋の様子は、まったく異なっていたのです。どこで聞きつけたのか、国際地域保健学教室の秘書さんと学生数人が参加していて、 「先生!」 こう声をかけてくださったのですが、その瞬間、晋の顔がパッと明るくなったのがわかりました。そのあとは、わりと普通に談笑していたのです。 打ち解けた雰囲気のなかであれば、彼はまだまだ話すことができる……。神戸講演では、都村先生の配慮のおかげで、晋は壇上にいながらリラックスできたのかもしれません』、「人の価値についてどう思いますか」といった答え難い「質問」をした質問者のセンスを疑う。ただ、「動じるふうもなく、こう応じたのです。 「人生で一番大切なことは何か、ということが分からない人、分かる人、いろいろあると思うんです。その中で一人一人が自分の生き様に合わせて絶えず歩み続ける。そういう中で私も生きてゆきたい。これからも、この後も生きていきたいなと思います」、と答えたのはさすがだ。
・『「私は私であることがやっとわかった」 それでも晋が、少しずつ、少しずつ、言葉を失っているのは明らかでした。 自分で原稿やメモを用意することは、だいぶ前からできなくなっていました。たとえ用意できたとしても、もう読めなかったでしょう。 でも、リラックスした雰囲気のなかでは十分に自分の言葉で話せるし、答えやすく工夫された質問であれば、やりとりは十分、可能でした。 神戸講演が行われた同じ年、私たちはDIPEx-Japan(ディペックス・ジャパン)というNPO法人のインタビューを受けることになりました。患者本人の語りを記録・保存する活動をしている団体です。 インタビューの場所は我が家の書斎。インタビュアーと晋のふたりだけで取材が行われ、私は物陰でそれを聞いていました。 一対一の会話がよかったのか、晋はとりわけ伸び伸びと自己を語っていました。当時は近くの公園に毎朝ラジオ体操をしに出かけていましたが、そのことにも触れています。 質問者(以下「質」) (クリスティーン・ブライデンは)「アルツハイマーとはどんどん余分なものが取り払われて本当の自分になっていく」とおっしゃっていたけれど、その感じはいかがですか。 晋 今まで自分が何かいいことをしたとか、そういうものが私たちではないんじゃないかと思うんです。 大切なことは私たちが本当の自分と出会うことじゃないかと。自分が自分になって他の人と一緒に歩んでいけるというところが大切なんじゃないかと思いますね。 質 病気になってよかったなあ、と思われることってありますか。 晋 いいですよ。友人がいろいろ来てくれたり、友人のなかにスッと入れるようになった。いろいろな人とも一緒に行けるようになったし、それはすごくよかったですね。 朝のラジオ体操はいつも一緒にしているんですよね。毎日。そういう中でもいろんな人たちがいて、そこで話をしながらやっている。そのへんがすごくいいですね。誰でも一緒に行ってエンジョイできるところではあるんですね。何でもいいわけですよね。そこのところでは。 質 というと、以前はそういう楽しみ方はできなかったのですか。 晋 そうですね。 質 何かそれを妨げるようなことが? 晋 どうだったんでしょうね。確かに何かを、何かがダメだったんでしょうね。 質 時間的にゆとりがなかったとか。 晋 それはありますね。東大の時からですからね。その時はカサカサしていましたね。何か忙しいし、そういうこともあって、あんまりよくなかったですね。 質 いろんな所でスッと人と接したり楽しめる? 晋 自分はアルツハイマーという話をしましたし、みなさんも話してくれる。それはよかったです。 質 アルツハイマーになったことの意味が、ご自身のなかにあると考えていらっしゃいますか。 晋 私がアルツハイマーになったということが、自分にとって最初は「何でだ」と思っていました。けれども私は私であることがやっとわかった。そこまでに至るまでに相当格闘したわけですけど。ときどき妻とけんかしたりしましたが、だんだんと一緒にやっていくということが、やっとできているというようなことを最近考えていますね。 質 同じ病にかかった方、その家族の方へのメッセージを。 晋 「こういう病気はどうしようもない、何もできない」、多くの人がそういうことでこの病気を考えていると思います。私がそのことに対して皆さんに「そうでないんだよ」と言えることができれば一番いいのではないかと思います』、「質 病気になってよかったなあ、と思われることってありますか。 晋 いいですよ。友人がいろいろ来てくれたり、友人のなかにスッと入れるようになった。いろいろな人とも一緒に行けるようになったし、それはすごくよかったですね。 朝のラジオ体操はいつも一緒にしているんですよね。毎日。そういう中でもいろんな人たちがいて、そこで話をしながらやっている。そのへんがすごくいいですね。誰でも一緒に行ってエンジョイできるところではあるんですね。何でもいいわけですよね。そこのところでは。 質 というと、以前はそういう楽しみ方はできなかったのですか。 晋 そうですね」、「病気になってよかったなあ、と思われることってありますか。 晋 いいですよ。友人がいろいろ来てくれたり、友人のなかにスッと入れるようになった。いろいろな人とも一緒に行けるようになったし、それはすごくよかったですね」、「病気」いなってよかったとは意外だ。
・『「苦悩と同一ではない何か」に向かい始めた晋 沖縄に住んでいたころ、晋は、 「自分は何もせずに朽ち果てるのか」と怒って、朝になっても寝床から起きてこないことがありました。自分の病についても、積極的には語ろうとしませんでした。 病を公にする活動は、そんな彼の苦悩に意味を与えてくれたようです。 クリスティーンが愛読していることを知って、私がふと手に取った本があります。オーストリアの精神科医、V・E・フランクルの著作『苦悩する人間』(春秋社)です。ナチス政権下でユダヤ人として収容所生活を経験したフランクルは、苦悩について次のように書いていました。 苦悩を志向し、有意味に苦悩することができるのは、何かのため、誰かのために苦悩するときだけなのです。(中略)意味に満ちた苦悩とは、「何々のための」苦悩なのです。私たちは苦悩を受容することによって、苦悩を志向するだけではなく苦悩を通り抜けて、苦悩と同一ではない何かを志向するのです。 「Go to the peopleだね」 講演に出かけるとき私がこう声をかけると、晋は必ず、 「そうだよ」と応えていました。 〈医者だったころは多くの患者さんを治したけれども、今はその何倍もの苦しんでいる人に慰め、励ましを与えている〉 そんなお便りをくれた晋の友人もいました。 晋は、脳外科医だったからこそ誰よりも認知症を恐れ、なかなかそれを受け入れられませんでした。ですが今、あえて病を公表し、恐れることはないというメッセージを誰かに届けることで、「苦悩と同一ではない何か」を目指せるようになったのかもしれません。 とはいえ正直に書けば、日々の晋のサポートや講演に同行するのは、私にとって楽なことではありません。そして晋は、徐々に衰えていきます。 ゆったりしたスローライフが、私たちの生活の基調となりました。 ふたりで遠出することはよくありましたが、必ず手をつなぐようにしたのも、このころです。 人ごみのなかでは晋の手に力が入ります。緊張するからでしょうか。あるときは新宿駅で、彼が突然、大声を上げたことがありました。駅の構内はアナウンスや足音、話し声など、騒音に満ちています。私は気にも留めませんが、晋は音に耐えかねたのでしょうか。 彼の脳裏には、どんな風景が広がっていたのでしょう。 足腰が丈夫だった晋。かつては二段跳び・三段跳びで階段を駆け上がるので、置いてきぼりになるのは私でした。 今では晋は、注意深く一段一段上っています。そしてときどき、私にこんな抗議の声を上げます。 「君のペースにはついていけない」 「君は、やることが速すぎる」 どうしても上着を着られないことがありました。腹を立てた彼は、服を放り出してしまいました。思わずため息が漏れます。 「ああ……、もう少しで着られたのに」 「君は人のことを言いすぎる。僕は本当にアルツハイマーか? 死にたい」 一緒に寄り添って歩むことの難しさを、私はつくづく思い知らされるのでした。 最高学府の教授でもあった夫・若井晋。その彼が若年性認知症になるとき、本人は、そして家族は、どうしたのか。病を受け入れてもなお歩き続けた夫婦の軌跡を、妻・若井克子が克明に描き出す新刊『東大教授、若年性アルツハイマーになる』は、全国の書店・ネット書店にて好評発売!』、「足腰が丈夫だった晋。かつては二段跳び・三段跳びで階段を駆け上がるので、置いてきぼりになるのは私でした。 今では晋は、注意深く一段一段上っています。そしてときどき、私にこんな抗議の声を上げます。 「君のペースにはついていけない」 「君は、やることが速すぎる」 どうしても上着を着られないことがありました。腹を立てた彼は、服を放り出してしまいました。思わずため息が漏れます。 「ああ……、もう少しで着られたのに」 「君は人のことを言いすぎる。僕は本当にアルツハイマーか? 死にたい」 一緒に寄り添って歩むことの難しさを、私はつくづく思い知らされるのでした」、よくぞここまで「寄り添って歩む」ことをしてこられただけでも、立派だ。
次に、4月3日付け現代ビジネスが掲載した主婦の若井 克子氏による「若年性アルツハイマーを発症した元東大教授が、デイサービスに入って経験したこと 失語の当事者が語った胸の内とは」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/92672?imp=0
・『若年性アルツハイマー病で、東京大学を早期退官した若井晋。沖縄での療養などを経て病を公表し、それがきっかけで「認知症当事者としての講演」という生きがいを見つけた彼だったが、症状の悪化からついに講演は不可能となった。妻とともに日常に戻った彼は、介護保険サービスを利用してデイサービスに通い始める。そこで明らかになった、認知症の当事者だからこその苦悩とは? 近刊『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(若井克子・著、講談社)よりお届けする。 これまでの記事はコチラ 【第1回】54歳で「若年性アルツハイマー」になった東大教授が書き残していた「日記の中身」 【第2回】手術上手な脳外科医が一転、ネクタイが結べず…東大教授を襲った「若年性アルツハイマー」の現実 【第3回】文字が書けない…54歳で「若年性アルツハイマー」になった東大教授の苦悩 【第4回】失意の元・東大教授は、なぜ「若年性アルツハイマー」を公表したのか? 【第5回】「ぼくは、エイリアン」54歳で若年性アルツハイマーになった東大教授が見た世界 【第6回】元・東大教授が「若年性アルツハイマー」になって見つけた「意外な楽しみ」 【第7回】アルツハイマーを発症した元・東大教授が、言葉を失いつつも講演を続けた理由』、「症状の悪化からついに講演は不可能となった。妻とともに日常に戻った彼は、介護保険サービスを利用してデイサービスに通い始める。そこで明らかになった、認知症の当事者だからこその苦悩とは?」、興味深そうだ。
・『弱っていく体、澄んでいく心 講演行脚をやめる少し前から、晋(すすむ)の体は目に見えて衰えていき、それにつれて私たちの生活も変化していきました。 ■2010年 この年に介護保険を使い始めたことはすでに書きました。家で私たちは畳に布団を敷いて寝ていましたが、晋が立ち上がるのが難しくなったのがこの頃です。 幸い、ケアマネジャーさんが介護ベッドの導入を提案してくれたおかげで、解決することができました。 ■2012年 講演を通じて偶然知り合った医師の助言をきっかけに、デイサービス(デイ)に通い始めました(後で書く通り、うまくなじめず、いくつかのデイを転々とするのですが)。 この頃から、入浴に危険を感じるようになりました。滑りやすいタイル張りの浴室で、晋の大きな体を支えられるか、それだけの力が私に残っているか、不安になったのです。 ケアマネジャーさんに相談したところ、さっそく屈強なヘルパーさんを紹介してもらうことができ、見守りと介助を受けられるようになりました。 ■2015年 晋の要介護度は、最重度の「5」に引き上げられました。 そして、この年のある日、ついに晋が立ち上がれなくなります。 以前から足が上がりにくくなり、車にも乗れず、外出が減っていました。 ソファに座っても、自分の力だけでは立ち上がることができません。それでも、私が晋の前に立ち、両足で彼の足をしっかり踏んで固定し、手を握って全体重をかけて引っ張り上げれば、まだ立たせることができたのです。 しかし2015年のある冬の日、ついに手伝っても立てなくなりました。私が引っ張り上げるのに合わせて、晋も立とうとします。でも足に力が入らないのか、くにゃ、となってしまうのです。 それまでの「立てない」とは、明らかに様子が違いました。そこで私はまず、彼をなんとか座布団の上に座らせ、その座布団を引っ張って寝室へ移動し、ベッドの横に敷いた布団に彼を転がすように寝かせました。 私は力自慢ではありませんし、晋とはだいぶ体格差があるのですが、これが「火事場の……」というものでしょうか。 ともかく、翌朝ケアマネジャーさんに連絡をとると、さっそく訪問看護師が3人、我が家に飛んできて、晋を布団からベッドに移してくれました。 夏には誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)も経験し、1ヵ月半にわたって入院。 晋にとっては多難な年でした。 ■2016年 肺炎で再び入院。しかし前回の入院で、晋には病院での生活が負担になると痛感していたので、自宅での療養を選びました。抗生剤が効き前後10日ほどでデイサービスに通えるくらい回復したのは幸いでした。 こうして晋は、ベッド中心の生活になっていきました。いわゆる「寝たきり」です。 言葉を失い、寝たきりになった晋。 生きていて、幸せなのでしょうか。 尋ねてみたいと思うこともありますが、聞くまでもない、そうも感じます。 南向きの部屋で寝ている彼のもとに、朝日がガラス戸越しに射す。 そのとき彼の目は、重荷をすべて下ろしたかのように澄み切って、平穏に満ちています。その幸せそうな顔を見ていると、問うこと自体が無意味にも思えるのです。 ただ、この静けさに至るまでの道のりは、決して平坦ではありませんでした』、「講演行脚をやめる少し前から、晋(すすむ)の体は目に見えて衰えていき、それにつれて私たちの生活も変化していきました」、「晋は、ベッド中心の生活になっていきました。いわゆる「寝たきり」です。 言葉を失い、寝たきりになった晋。 生きていて、幸せなのでしょうか。 尋ねてみたいと思うこともありますが、聞くまでもない、そうも感じます。 南向きの部屋で寝ている彼のもとに、朝日がガラス戸越しに射す。 そのとき彼の目は、重荷をすべて下ろしたかのように澄み切って、平穏に満ちています」、急速に悪化したようだ。
・『デイサービスになじめない 少し話が戻りますが、晋がデイに行き始めたのは、些細なことがきっかけでした。2012年に招かれた日本老年精神医学会の講演で、M先生という医師から、 「ぜひ、診断に使ったMRIの画像を見せてほしい」 と申し出がありました。さっそく一式お送りすると、しばらくしてお便りが届きます。 その手紙のなかでM先生は、晋は「緩徐進行性非流暢性失語症(かんじょしんこうせいひりゅうちょうせいしつごしょう)」かもしれないと指摘したうえで、それでも、 「アルツハイマー病の可能性は否定できない。言葉を出してください」 と書いてあったのです。そのことを説明しながら、私は彼にこうすすめたのでした。 「晋さん、言葉のリハビリだと思って、デイサービスへ行ってみたら」 「行くよ」 即答でした。リハビリという言葉が気に入ったのでしょうか。あとで子どもたちにこの一部始終を話すと、 「やっぱり、医者に言われると行くんだねえ」 と納得顔。さっそくケアマネジャーさんに相談し、とりあえずデイに週1回、半日通うところから始めます。 これまで晋とふたりきりで、あまりにも密な生活を続けていた私は、晋が留守の間どう過ごそうか、あれこれ考えて夢を膨(ふく)らませていました。 晋も当初は、デイを楽しんでいました。 早くから支度をして外に出て、迎えの車を待つ、なんてこともしていたほどです。気持ちよく入浴させてもらい、笑顔で帰ってくる日が続いていました。 ところが、通い始めて3ヵ月ほど過ぎたころから、時折、暗く険しい顔つきが目立つようになりました。ついにある日、送りのデイ職員から、 「今日は職員の髪をひっぱりました」 という報告が――。 「どうしたの? 何があったの?」 尋ねても、晋はうつむいたままです。それでもしつこく問うと、たどたどしくはありましたが、彼の言葉からようやく事情がつかめました。 同じデイを利用するお年寄りから、「あの人は何もできない」と言われたそうなのです。 「それくらいのことで、落ち込んじゃだめだよ」 「落ち込んじゃいけないね」――そう言う晋は、しかし、うなだれたままです。 「もう、無理して行かなくていいよ。行きたくなかったら、やめていいんだよ」 私はたまらずこう声をかけました。 ケアマネジャー経由でデイに聞いても、「悪口」があった事実は確認できませんでしたが、こうして晋は、初めてのデイを去ることになったのです』、「同じデイを利用するお年寄りから、「あの人は何もできない」と言われたそうなのです」、そんな「悪口」でも「落ち込む」とは繊細さに驚かされた。
・『心に刻まれる苦しさ この時期の晋は、ふだんから「何もできない」ことを気にしていました。小さな悪口にみえるかもしれませんが、本人にとっては「無能」の烙印(らくいん)を押されたようなもので、何にもまして屈辱的だったのではないでしょうか。 実際、デイでの一件は、彼の中でずっと尾を引いていたのです。ある夜、布団に入った晋が言います。 「僕は何もできない」 「何もできないのが病人じゃない? でも晋さんは散歩にも行ける。電車にも乗れる。歌も歌えるじゃない」 「ありがとう」 ようやく眠りに入るのでした。 また、こんなこともありました。デイをやめた少しあと、私が発熱して一日家で寝ていたことがありました。晋がそばに来て、おろおろしながら尋ねます。 「誰かに何か、言われたんじゃないの」 「誰も何も言わないよ」 私はあわてて打ち消しましたが、内心、驚きでいっぱいでした。 晋は、かつての自分と今の私を重ねていたのです。私が寝込んでいるのは、誰かに酷いことを言われて傷ついたからではないか――そう推測していたのです。 その時の彼にできる、最大限のお見舞いだったに違いありません。人を思いやる心は、損なわれていませんでした。 認知症は物忘れの病気だといわれます。確かに、具体的なことは時間とともに忘れてしまうのでしょう。でも、苦しさは深く心に刻みこまれるのだと痛感した出来事でした』、「晋は、かつての自分と今の私を重ねていたのです。私が寝込んでいるのは、誰かに酷いことを言われて傷ついたからではないか――そう推測していたのです。 その時の彼にできる、最大限のお見舞いだったに違いありません。人を思いやる心は、損なわれていませんでした。 認知症は物忘れの病気だといわれます。確かに、具体的なことは時間とともに忘れてしまうのでしょう。でも、苦しさは深く心に刻みこまれるのだと痛感した出来事でした」、「人を思いやる心は、損なわれていませんでした」、なるほど。
・『「ちがうんだよ」と騒いでしまう理由 それでも、しばらくすると晋は、また別のデイに通うようになりました。家で退屈そうにしているのを見かねて、私がすすめたのです。もちろん、私自身にも、骨休めしたいという気持ちがありました。 2つめのデイ。ここでも晋は、当初ごきげんで通っていました。職員からは「先生」と呼ばれ、ほかの利用者と歌ったり踊ったり、楽しめていたようです。 「僕って面白いでしょ」 これが当時の、彼の口癖でした。しかし残念ですが、いい時間は長く続きません。) デイは毎回、行った日の詳しい出来事を「連絡ノート」で報告してくれます。そのノートからは、晋が次第に疲れをためていることが伝わりました。 「うるさい!」 そう大声を出すようにもなっていきました。 通い始めて5ヵ月ほど過ぎた、6月のある日。ついにこんな電話が入ります。 「先生が興奮しているので、来てくれませんか」 デイからでした。急いで迎えに行き、連れ帰りました。 何があったのか……「連絡ノート」を開くと、こんなくだりが目に飛び込んできます。 ■6月×日 9時15分 ホーム着です。室内を歩かれています。「うるさい!」を連発して言っています。 ずっと、 「ちがうんだよ、ちがうんだから」 「何度も言ってるじゃないか。わかってください。場所がちがうんだ、やめてくれ」 と大きな声で言われています。 「人がちがうんだから、ボクはボクで一人でやってるの、わかった?」 「わかったか! やめてよ!」 とずっと興奮されています。まわりのことは見えてないようです。 ■11時40分 早めの昼食にしました(鶏の天ぷら、春菊のごま和え、リンゴ、トマト、レタス)。鶏の天ぷら、トマトは完食です。リンゴは2人分食べました。ごはん、みそ汁、春菊は残っています。 ■12時 歩きながら食べています。だいたい食べると 「うるさーい!」 を連発して歩いています。 「ちがうんだからやめてよ本当に!!」 「だからいいよ、もう」 デイで「ちがう」としきりに口にしていることがわかります。 「晋さん、どうしたの、何かあったの?」 「僕はひとりなんだよ」 「いったい、何が『ちがう』の?」 「僕は今までの僕とはちがうんだから、わかってほしい。相手の言うことを一生懸命理解しようとすると、頭が疲れてきて、何が何だかわからなくなる。わかるように話してほしい」 「『場所がちがうんだ、やめてくれ』っていうのは、どういうこと?」 「場所が我が家とちがったり、知らない人に何か言われても、さっと理解できないし、言葉が出ない」 ゆっくりとではありましたが、晋が理路整然と説明することに、私は驚きを隠せませんでした。 このとき彼から聞き取ったことを私なりにまとめると、次のようになります。 「自分は理解力が落ちている。だから、自宅を離れてデイに行き、よく知らない職員に声をかけられても、わかるまでに時間がかかる」 問題が起こった時期、晋は週2回のペースでデイに通っていました。そんな頻度で顔を合わせる職員であっても、いつも初めて会う気がするらしいのです。だから5ヵ月たった時点でも「まだ人と場所に慣れない」のでした。 最高学府の教授でもあった夫・若井晋。その彼が若年性認知症になるとき、本人は、そして家族は、どうしたのか。病を受け入れてもなお歩き続けた夫婦の軌跡を、妻・若井克子が克明に描き出す新刊『東大教授、若年性アルツハイマーになる』は、全国の書店・ネット書店にて好評発売!』、「問題が起こった時期、晋は週2回のペースでデイに通っていました。そんな頻度で顔を合わせる職員であっても、いつも初めて会う気がするらしいのです。だから5ヵ月たった時点でも「まだ人と場所に慣れない」のでした」、「週2回」では「いつも初めて会う気がするらしい」、ようやく謎が解けたっとはいえ、困ったことだ。
第三に、本年3月6日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した小説家・エッセイスト・日本大学理事長の林 真理子氏による「作家・林真理子が説く「成熟した大人」の流儀、もらっても心が動かなかった企画書とは」を紹介しよう。
・『「人に食事をおごってもらったらお礼はどうするべき?」「会食での支払いは?」「人を紹介してくれた相手にどこまで礼を尽くす?」人付き合いには正確な答えのないさまざまな疑問がつきまとい、いつまでも頭を悩ませます。日本大学の学生から、50年の時を経て日本大学の理事長に。数々の文学賞を受賞したベストセラー作家で、2022年に日本大学理事長に就任した林真理子氏の人生論新書『成熟スイッチ』(講談社現代新書)の一部を抜粋・編集して、林真理子流の世渡り作法を紹介します』、「林真理子流の世渡り作法」とは興味深そうだ。
・『感謝の流儀その1 自分も得をするお礼の仕方 親の教えの本当の意味とありがたさは若い時にはわからないものです。たとえば、母から教えられた、 「『~宛』とか『~係』を『~御中』と書き直さない人はみっともない」 ということも、ようやく身についたのは三十代も半ばを過ぎた頃でした。 やってあげたことはいつまでも覚えているけれど、やってもらったことはすぐに忘れてしまう――。これも、母から叩き込まれた教えです。つまりは意識的に感謝の気持ちを心に留めておかないと、自動的に「恩知らず」「礼儀知らず」になってしまう。相手からのお礼が無かったりすると、何かをやってあげた側は軽い失望とともに、ずっとそのことを忘れません。 年をとって若い人にご馳走する機会も増え、お礼を言われる側の正直な気持ちもいっそうわかるようになりました。あんまりうるさいことは言いたくないですが、気になるのは、食事を奢った次の日に会っても「昨日はご馳走さまでした」と言わない人たちです。 当日にお礼を言ったからもう義務は果たしたと思っているのかもしれませんが、私はたとえ3~4カ月たっても「あの時はありがとうございました」と必ず言うようにしています。時間をおいたぶん、「まだあの時のことを覚えてくれているんだ」という義理がたさへのプラス評価も加わりますから、忘れずに伝えた方が自分にとっても得だと思います。 やはり感謝されると嬉しいのが人情ですし、さらには、きちんとしたかたちでお礼を伝えられると、その人への評価も高まるのが世の道理というものです。 私はものをもらったりご馳走されたりしたら、すぐに自筆のお礼状を書きます。もちろん、メールなどでもお礼を伝えないよりはマシですが、自筆で丁寧に書かれた手紙の方がいっそう気持ちを届けられるでしょう。手紙を書く人がほとんどいない世の中ですから、印象にも残ります。 お礼状ではありませんが、先日、会ったこともない編集者から、単行本企画の執筆依頼が届きました。ワープロソフトで数行だけ打ってある企画書を見て、 「なぜ見ず知らずのあなたのために、私がこんなことしなくちゃいけないの……」 と無視しました。たとえ実現は難しい内容でも、真剣さが伝わる自筆で書かれた依頼の手紙が封書で届いたら、断るにしても申し訳ないなと思ってその人のことはすごく心に残ったと思います。 知らない相手に「当たるも八卦(はっけ)」みたいな気持ちで何かをお願いするのなら、なおさら心を込めて手紙を書きなさい、と言いたいです。人の心を動かそうとすることを何もしないで、「万が一」など起きるはずはありません。私が自分でよく手紙を書くのは、その効果をよく知っているからでもあります。 お礼状をまめに書く人になるためには、まず形から入ること。私は鳩居堂で季節ごとに便せんを揃え、春・夏・秋・冬と書いた封筒に入れて分類しています。そしてお気に入りの万年筆を用意する。書きたくなったらすぐに手紙を書ける態勢から整えます。 お礼状の文面は短く、ごくありきたりでいいと思います。一文だけ自分らしい文章が入っていたりすると、なおいいですね。 手書きの礼状を送ること自体を楽しめるようになると、もうこっちのものです』、「知らない相手に「当たるも八卦(はっけ)」みたいな気持ちで何かをお願いするのなら、なおさら心を込めて手紙を書きなさい、と言いたいです。人の心を動かそうとすることを何もしないで、「万が一」など起きるはずはありません。私が自分でよく手紙を書くのは、その効果をよく知っているからでもあります」、「お礼状をまめに書く人になるためには、まず形から入ること。私は鳩居堂で季節ごとに便せんを揃え、春・夏・秋・冬と書いた封筒に入れて分類しています。そしてお気に入りの万年筆を用意する。書きたくなったらすぐに手紙を書ける態勢から整えます。 お礼状の文面は短く、ごくありきたりでいいと思います。一文だけ自分らしい文章が入っていたりすると、なおいいですね」、「お礼状をまめに書く人になるためには、まず形から入ること」、私のような筆無精にとっては、有難いアドバイスだ。
・『感謝の流儀その2 お返しは独自のテリトリーから さて、目上の人から、けっこうなご馳走になってしまった場合、どのように感謝の気持ちを伝えたらよいでしょうか。値段も格もとても高い店だったり、まともにお返ししようとすることが無理だったりする場合です。 そんな時は、前述のとおり自筆のお礼状は必須として、私がおすすめするのが自分の出身地の名産品をお返しに贈ることです。 私もよく山梨の桃や干し柿を贈ります。お礼状には「地元のもので恐縮ですけど……」と書き添えておく。あたたかみも感じられますし、こうしたお返しの仕方はとても好感度が高いと思います。 東京出身の人なら、自分の近所にある、知る人ぞ知る名店の品などでもいいでしょう。あるいは、旅先で知ったおいしいものを「休暇で訪れた先で、とても美味しかったので」と贈ったり。覚えておきたいのは、東京のお金持ちに銀座の和光のお菓子を贈ってもあまり意味がないということ。「独自のテリトリーで見つけて自分がよいと思ったもの」を贈ることが重要です。 関連することでは、お店に招待してもらった時に、誘ってくれた人も初めて行く店で、「本で見て知りました」なんて言われると少しがっかりします。可能であればの話ですが、人をお店に招待する時には、人気店でもまずは自分で訪れて雰囲気もわかってからの方が望ましいでしょう。 お返しの話でつけ加えると、やはり花をもらって嬉しくない人はいないのではないでしょうか。ある会食の場を取り持ったお礼に、若手の女性作家からとてもセンスのいい花のアレンジメントが届いた時には「さすがだな」と感心しました。常日ごろからお世話になっている人になら、毎年のお正月に大きなお花を贈るのもいいと思います』、「可能であればの話ですが、人をお店に招待する時には、人気店でもまずは自分で訪れて雰囲気もわかってからの方が望ましいでしょう」、その通りだ。
・『品性が試される時その1 「支払うのは誰か」に敏感であれ さて、今夜は面白いメンバーが揃う会食に出かけるとします。場所はなかなか予約が取れない高級日本料理店。そこで「わーい、楽しみー」と無邪気に浮かれているだけなら未熟者のそしりを免(まぬか)れないでしょう。成熟した大人の心得として、「支払うのは誰か」という問題に敏感であるのは当然のことです。 友人・知人同士で明らかにワリカンという場合――現金で細かくワリカンというのはみっともないのでやめるべきだと思いますが――は問題ありません。気をつかわなければいけないのは、メンバー間に何らかの力関係が働いている時です。 まず支払いの基本ルールとして、求められて来た側が正客として奢られて、来ることを求めた側が支払うということがあると思います。しかし、その応用編のルールもあるから、事態はややこしいのです。 たとえば、こんなことがありました。私がお呼ばれして3人でやるはずだった会食に、芸能人A氏が会いたがっていた人がいるので、A氏を誘ってお連れしたケース。A氏を紹介された2人も大喜びでしたが、A氏は私の知り合いですから、その会食の支払いは合計を2で割った分を私が支払いました。友人や知人を連れて行ったら、自分が支払いを持つのが当然だからです。もう1つの方法としては、「じゃあ、二次会をお支払いさせてくださいな」というやり方もありますね。――いずれにしても「誰がどのように支払うのか」ということは常に頭を悩ます、非常にナーバスな問題なのです。 明らかにその日の会計を支払ってくれそうな人がいる場合は、お酒の持ち込みが可能なお店であれば、ワインを持参するという手を使うこともあります。ただ、相手が相当なお金持ちだったり、超高級店だったりすると、持参するワインの格も求められますから非常に難易度が高い。若い人であれば、前述のように自筆のお礼状をお送りすれば十分です。 支払ってもらうことが明らかな会食の当日、先回りしてお礼の品を持って行くのも、スマートな方法だと思います。ほんのちょっとした“気持ちばかりの品”でいいのですが、支払う人にだけ渡すのも露骨なので、全員分を用意して帰りぎわに皆に渡すようにするのがいいでしょう。) お礼に心を尽くさなければならないのは、もちろん会食にかぎりません。基本的に、頼みごとをしてタダですむということは世の中にはないと思ってください。何かを頼んだ相手が動いてくれたら、たとえそれが叶わなくても、食事を奢ったりシャンパンを贈ったりということを忘れてはならないと思います。 息子さんのことで頼まれごとをしたお母さんからエルメスのスカーフをいただき、それを包みなおして自分がお世話になった方にまわしたこともあります。九州の産物をもらったら、お世話になった北海道の人へ贈る。逆に北から南へとか……。「地球上で感謝の気持ちをまわす」ことだって、SDGsの一環と考えられなくもありません(違うか)。 人に物事を頼むということは、大きな責任を伴うということを忘れないようにしたいものです』、「支払ってもらうことが明らかな会食の当日、先回りしてお礼の品を持って行くのも、スマートな方法だと思います。ほんのちょっとした“気持ちばかりの品”でいいのですが、支払う人にだけ渡すのも露骨なので、全員分を用意して帰りぎわに皆に渡すようにするのがいいでしょう」、「全員分を用意」とは驚いた。確かにその方がいいだろうが。人数にもよるだろう。
・『品性が試される時その2 紹介後のモヤモヤに「3回ルール」 もう1つ、ちょっと気になることがあります。紹介して引き合わせたばかりの人たちが私が知らないうちに何回も会って距離を縮めていると、「聞いてない!」と思ってモヤモヤしてしまうのです。 「いろいろと心が狭すぎる」「成熟なんて程遠いじゃん」という声がそろそろ聞こえてくるような気がしますが、「こういうことで腹を立てる人もいるんだから、成熟したいと思う人は気をつけようよ」という話だと思ってください。 先日もこんなことがありました。 Aさんに大金持ちのBさんを紹介しました。ちなみに、Bさんを紹介したその会食は私がご馳走しています。それ以降、AさんはBさんと何回も会ってグイグイ仲よくなっていったのです。しばらくしてAさんが「最近、Bさんと随分親しくしているんだよね」という話をしていたと別の人から聞き、「それって私が紹介したんだけど……」と心がざわつきました。 そしてある日、某社のトップCさんから「AさんがBさんと仲よくなったらしくて3人で食事をするけど、来ない?」と誘われます。「AさんにBさんを紹介したのって私ですよ」と言いかけましたが、ハッとして言葉を呑み込みました。よくよく思い出してみれば、大金持ちのBさんを私に紹介してくれたのはCさんだったのです……。 こうしてまとめてみると、ちょっとした小噺のようですね。本章の冒頭で「やってあげたことはいつまでも覚えているけれど、やってもらったことはすぐに忘れる」という法則に触れましたが、人に人を紹介するということも、見事にこの法則に準じていることがよくわかります。 「人にされて嫌だと思ったことはしない」のが私の矜持です。そのために自分に課しているのが「3回ルール」というもの。その内容は基本的に「紹介された人と3回会うまでは、紹介者に報告する」ということ。4回目以降は、断りなく会って差し支えないというルールです。 3回どころか数十年を経ても、大事な局面では紹介者にお礼を言う必要があります。宮内義彦さん(オリックスグループ前CEO)を日大の顧問にお迎えする際も、20数年前に宮内さんを紹介してくれた奥谷禮子さん(元ザ・アール会長)に「ご縁を繋いでくださって感謝します」と、しっかり仁義を切りました。 人を紹介するという行為には、人間関係の繊細な部分が絡み合っています。紹介してくれた人への配慮を常に欠かさないようにしたいものです。 ちなみに私のマイルールをあと2つお教えしましょう。「その場に招待されていない人がいた場合に、『このあいだは楽しかった』などと言わない」と「もらいものは2人になった時にお礼を言う」。――人間関係のルールは案外、根本のところでは子ども時代とさほど変わらないものなのかもしれません』、「3回ルール」、「「紹介された人と3回会うまでは、紹介者に報告する」ということ。4回目以降は、断りなく会って差し支えないというルール」、合理的だ。「私のマイルールをあと2つお教えしましょう。「その場に招待されていない人がいた場合に、『このあいだは楽しかった』などと言わない」と「もらいものは2人になった時にお礼を言う」。――人間関係のルールは案外、根本のところでは子ども時代とさほど変わらないものなのかもしれません」、なかなかよく練られた「ルール」で、さすが「林」氏だ。
先ずは、昨年3月29日付け現代ビジネスが掲載した主婦の若井 克子氏による「元・東大教授が「若年性アルツハイマー」になって見つけた「意外な楽しみ」 それまでとは違った世界が見えた」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/92664?imp=0
・『病気になって「いいこと」などあるのだろうか。きっと多くの人が「ない」と考えるだろう。だが、若年性アルツハイマー病で早期退職を余儀なくされた、東京大学の元教授・若井晋は、あると言うのである。果たしてそれはなぜなのか? 失語の症状で言葉を失いゆくなか、若井は講演やインタビューで、自らの率直な気持ちを語ってきた。彼はなぜ、そんな心境に達することができたのか。妻・若井克子がその様子を備(つぶさ)に記した『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(講談社)からお届けする。 【第1回】54歳で「若年性アルツハイマー」になった東大教授が書き残していた「日記の中身」 【第2回】手術上手な脳外科医が一転、ネクタイが結べず…東大教授を襲った「若年性アルツハイマー」の現実 【第3回】文字が書けない…54歳で「若年性アルツハイマー」になった東大教授の苦悩 【第4回】失意の元・東大教授は、なぜ「若年性アルツハイマー」を公表したのか? 【第5回】「ぼくは、エイリアン」54歳で若年性アルツハイマーになった東大教授が見た世界』、「若年性アルツハイマー」で「失語症」になったとあっては、「東大教授」を「早期退職」せざるを得なくなったのは、本人にとってはさぞかしつらかったことだろう。
・『「人の価値」について語る 「『生きる』ことを考える――若年性アルツハイマー病と共に生きて――」 そんな演題が掲げられた私たちの2度目の講演は、都村先生の見事なリードでスムーズに進み、ついに終盤にさしかかりました。 「これ(アルツハイマー病)だけはいやだ」という言葉にせよ、エイリアンという言葉にせよ、まさしく病を得た当事者である晋にしか言えないことだったと思います。 うまく波に乗れたのか、会場からの質疑にも、晋はうまく答えていました。たとえばある参加者からは、 「人の価値についてどう思いますか」 と、こんな質問が。とっさには答えにくい問いですが、晋は動じるふうもなく、こう応じたのです。 「人生で一番大切なことは何か、ということが分からない人、分かる人、いろいろあると思うんです。その中で一人一人が自分の生き様に合わせて絶えず歩み続ける。そういう中で私も生きてゆきたい。これからも、この後も生きていきたいなと思います」 神戸講演は成功に終わりました。 晋がすっかりリラックスした様子で笑い、語り、会場になじんでいたのが何より印象的でした。私自身、彼につられて笑ってしまうことがあったほどです。 リラックス……と言うと、いかにも軽く聞こえることでしょう。しかし、このリラックスこそが大事なのだと痛感しました。 思えば横浜講演のときは、講演自体は失敗でしたが、その後ひらかれた立食形式の懇親会での晋の様子は、まったく異なっていたのです。どこで聞きつけたのか、国際地域保健学教室の秘書さんと学生数人が参加していて、 「先生!」 こう声をかけてくださったのですが、その瞬間、晋の顔がパッと明るくなったのがわかりました。そのあとは、わりと普通に談笑していたのです。 打ち解けた雰囲気のなかであれば、彼はまだまだ話すことができる……。神戸講演では、都村先生の配慮のおかげで、晋は壇上にいながらリラックスできたのかもしれません』、「人の価値についてどう思いますか」といった答え難い「質問」をした質問者のセンスを疑う。ただ、「動じるふうもなく、こう応じたのです。 「人生で一番大切なことは何か、ということが分からない人、分かる人、いろいろあると思うんです。その中で一人一人が自分の生き様に合わせて絶えず歩み続ける。そういう中で私も生きてゆきたい。これからも、この後も生きていきたいなと思います」、と答えたのはさすがだ。
・『「私は私であることがやっとわかった」 それでも晋が、少しずつ、少しずつ、言葉を失っているのは明らかでした。 自分で原稿やメモを用意することは、だいぶ前からできなくなっていました。たとえ用意できたとしても、もう読めなかったでしょう。 でも、リラックスした雰囲気のなかでは十分に自分の言葉で話せるし、答えやすく工夫された質問であれば、やりとりは十分、可能でした。 神戸講演が行われた同じ年、私たちはDIPEx-Japan(ディペックス・ジャパン)というNPO法人のインタビューを受けることになりました。患者本人の語りを記録・保存する活動をしている団体です。 インタビューの場所は我が家の書斎。インタビュアーと晋のふたりだけで取材が行われ、私は物陰でそれを聞いていました。 一対一の会話がよかったのか、晋はとりわけ伸び伸びと自己を語っていました。当時は近くの公園に毎朝ラジオ体操をしに出かけていましたが、そのことにも触れています。 質問者(以下「質」) (クリスティーン・ブライデンは)「アルツハイマーとはどんどん余分なものが取り払われて本当の自分になっていく」とおっしゃっていたけれど、その感じはいかがですか。 晋 今まで自分が何かいいことをしたとか、そういうものが私たちではないんじゃないかと思うんです。 大切なことは私たちが本当の自分と出会うことじゃないかと。自分が自分になって他の人と一緒に歩んでいけるというところが大切なんじゃないかと思いますね。 質 病気になってよかったなあ、と思われることってありますか。 晋 いいですよ。友人がいろいろ来てくれたり、友人のなかにスッと入れるようになった。いろいろな人とも一緒に行けるようになったし、それはすごくよかったですね。 朝のラジオ体操はいつも一緒にしているんですよね。毎日。そういう中でもいろんな人たちがいて、そこで話をしながらやっている。そのへんがすごくいいですね。誰でも一緒に行ってエンジョイできるところではあるんですね。何でもいいわけですよね。そこのところでは。 質 というと、以前はそういう楽しみ方はできなかったのですか。 晋 そうですね。 質 何かそれを妨げるようなことが? 晋 どうだったんでしょうね。確かに何かを、何かがダメだったんでしょうね。 質 時間的にゆとりがなかったとか。 晋 それはありますね。東大の時からですからね。その時はカサカサしていましたね。何か忙しいし、そういうこともあって、あんまりよくなかったですね。 質 いろんな所でスッと人と接したり楽しめる? 晋 自分はアルツハイマーという話をしましたし、みなさんも話してくれる。それはよかったです。 質 アルツハイマーになったことの意味が、ご自身のなかにあると考えていらっしゃいますか。 晋 私がアルツハイマーになったということが、自分にとって最初は「何でだ」と思っていました。けれども私は私であることがやっとわかった。そこまでに至るまでに相当格闘したわけですけど。ときどき妻とけんかしたりしましたが、だんだんと一緒にやっていくということが、やっとできているというようなことを最近考えていますね。 質 同じ病にかかった方、その家族の方へのメッセージを。 晋 「こういう病気はどうしようもない、何もできない」、多くの人がそういうことでこの病気を考えていると思います。私がそのことに対して皆さんに「そうでないんだよ」と言えることができれば一番いいのではないかと思います』、「質 病気になってよかったなあ、と思われることってありますか。 晋 いいですよ。友人がいろいろ来てくれたり、友人のなかにスッと入れるようになった。いろいろな人とも一緒に行けるようになったし、それはすごくよかったですね。 朝のラジオ体操はいつも一緒にしているんですよね。毎日。そういう中でもいろんな人たちがいて、そこで話をしながらやっている。そのへんがすごくいいですね。誰でも一緒に行ってエンジョイできるところではあるんですね。何でもいいわけですよね。そこのところでは。 質 というと、以前はそういう楽しみ方はできなかったのですか。 晋 そうですね」、「病気になってよかったなあ、と思われることってありますか。 晋 いいですよ。友人がいろいろ来てくれたり、友人のなかにスッと入れるようになった。いろいろな人とも一緒に行けるようになったし、それはすごくよかったですね」、「病気」いなってよかったとは意外だ。
・『「苦悩と同一ではない何か」に向かい始めた晋 沖縄に住んでいたころ、晋は、 「自分は何もせずに朽ち果てるのか」と怒って、朝になっても寝床から起きてこないことがありました。自分の病についても、積極的には語ろうとしませんでした。 病を公にする活動は、そんな彼の苦悩に意味を与えてくれたようです。 クリスティーンが愛読していることを知って、私がふと手に取った本があります。オーストリアの精神科医、V・E・フランクルの著作『苦悩する人間』(春秋社)です。ナチス政権下でユダヤ人として収容所生活を経験したフランクルは、苦悩について次のように書いていました。 苦悩を志向し、有意味に苦悩することができるのは、何かのため、誰かのために苦悩するときだけなのです。(中略)意味に満ちた苦悩とは、「何々のための」苦悩なのです。私たちは苦悩を受容することによって、苦悩を志向するだけではなく苦悩を通り抜けて、苦悩と同一ではない何かを志向するのです。 「Go to the peopleだね」 講演に出かけるとき私がこう声をかけると、晋は必ず、 「そうだよ」と応えていました。 〈医者だったころは多くの患者さんを治したけれども、今はその何倍もの苦しんでいる人に慰め、励ましを与えている〉 そんなお便りをくれた晋の友人もいました。 晋は、脳外科医だったからこそ誰よりも認知症を恐れ、なかなかそれを受け入れられませんでした。ですが今、あえて病を公表し、恐れることはないというメッセージを誰かに届けることで、「苦悩と同一ではない何か」を目指せるようになったのかもしれません。 とはいえ正直に書けば、日々の晋のサポートや講演に同行するのは、私にとって楽なことではありません。そして晋は、徐々に衰えていきます。 ゆったりしたスローライフが、私たちの生活の基調となりました。 ふたりで遠出することはよくありましたが、必ず手をつなぐようにしたのも、このころです。 人ごみのなかでは晋の手に力が入ります。緊張するからでしょうか。あるときは新宿駅で、彼が突然、大声を上げたことがありました。駅の構内はアナウンスや足音、話し声など、騒音に満ちています。私は気にも留めませんが、晋は音に耐えかねたのでしょうか。 彼の脳裏には、どんな風景が広がっていたのでしょう。 足腰が丈夫だった晋。かつては二段跳び・三段跳びで階段を駆け上がるので、置いてきぼりになるのは私でした。 今では晋は、注意深く一段一段上っています。そしてときどき、私にこんな抗議の声を上げます。 「君のペースにはついていけない」 「君は、やることが速すぎる」 どうしても上着を着られないことがありました。腹を立てた彼は、服を放り出してしまいました。思わずため息が漏れます。 「ああ……、もう少しで着られたのに」 「君は人のことを言いすぎる。僕は本当にアルツハイマーか? 死にたい」 一緒に寄り添って歩むことの難しさを、私はつくづく思い知らされるのでした。 最高学府の教授でもあった夫・若井晋。その彼が若年性認知症になるとき、本人は、そして家族は、どうしたのか。病を受け入れてもなお歩き続けた夫婦の軌跡を、妻・若井克子が克明に描き出す新刊『東大教授、若年性アルツハイマーになる』は、全国の書店・ネット書店にて好評発売!』、「足腰が丈夫だった晋。かつては二段跳び・三段跳びで階段を駆け上がるので、置いてきぼりになるのは私でした。 今では晋は、注意深く一段一段上っています。そしてときどき、私にこんな抗議の声を上げます。 「君のペースにはついていけない」 「君は、やることが速すぎる」 どうしても上着を着られないことがありました。腹を立てた彼は、服を放り出してしまいました。思わずため息が漏れます。 「ああ……、もう少しで着られたのに」 「君は人のことを言いすぎる。僕は本当にアルツハイマーか? 死にたい」 一緒に寄り添って歩むことの難しさを、私はつくづく思い知らされるのでした」、よくぞここまで「寄り添って歩む」ことをしてこられただけでも、立派だ。
次に、4月3日付け現代ビジネスが掲載した主婦の若井 克子氏による「若年性アルツハイマーを発症した元東大教授が、デイサービスに入って経験したこと 失語の当事者が語った胸の内とは」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/92672?imp=0
・『若年性アルツハイマー病で、東京大学を早期退官した若井晋。沖縄での療養などを経て病を公表し、それがきっかけで「認知症当事者としての講演」という生きがいを見つけた彼だったが、症状の悪化からついに講演は不可能となった。妻とともに日常に戻った彼は、介護保険サービスを利用してデイサービスに通い始める。そこで明らかになった、認知症の当事者だからこその苦悩とは? 近刊『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(若井克子・著、講談社)よりお届けする。 これまでの記事はコチラ 【第1回】54歳で「若年性アルツハイマー」になった東大教授が書き残していた「日記の中身」 【第2回】手術上手な脳外科医が一転、ネクタイが結べず…東大教授を襲った「若年性アルツハイマー」の現実 【第3回】文字が書けない…54歳で「若年性アルツハイマー」になった東大教授の苦悩 【第4回】失意の元・東大教授は、なぜ「若年性アルツハイマー」を公表したのか? 【第5回】「ぼくは、エイリアン」54歳で若年性アルツハイマーになった東大教授が見た世界 【第6回】元・東大教授が「若年性アルツハイマー」になって見つけた「意外な楽しみ」 【第7回】アルツハイマーを発症した元・東大教授が、言葉を失いつつも講演を続けた理由』、「症状の悪化からついに講演は不可能となった。妻とともに日常に戻った彼は、介護保険サービスを利用してデイサービスに通い始める。そこで明らかになった、認知症の当事者だからこその苦悩とは?」、興味深そうだ。
・『弱っていく体、澄んでいく心 講演行脚をやめる少し前から、晋(すすむ)の体は目に見えて衰えていき、それにつれて私たちの生活も変化していきました。 ■2010年 この年に介護保険を使い始めたことはすでに書きました。家で私たちは畳に布団を敷いて寝ていましたが、晋が立ち上がるのが難しくなったのがこの頃です。 幸い、ケアマネジャーさんが介護ベッドの導入を提案してくれたおかげで、解決することができました。 ■2012年 講演を通じて偶然知り合った医師の助言をきっかけに、デイサービス(デイ)に通い始めました(後で書く通り、うまくなじめず、いくつかのデイを転々とするのですが)。 この頃から、入浴に危険を感じるようになりました。滑りやすいタイル張りの浴室で、晋の大きな体を支えられるか、それだけの力が私に残っているか、不安になったのです。 ケアマネジャーさんに相談したところ、さっそく屈強なヘルパーさんを紹介してもらうことができ、見守りと介助を受けられるようになりました。 ■2015年 晋の要介護度は、最重度の「5」に引き上げられました。 そして、この年のある日、ついに晋が立ち上がれなくなります。 以前から足が上がりにくくなり、車にも乗れず、外出が減っていました。 ソファに座っても、自分の力だけでは立ち上がることができません。それでも、私が晋の前に立ち、両足で彼の足をしっかり踏んで固定し、手を握って全体重をかけて引っ張り上げれば、まだ立たせることができたのです。 しかし2015年のある冬の日、ついに手伝っても立てなくなりました。私が引っ張り上げるのに合わせて、晋も立とうとします。でも足に力が入らないのか、くにゃ、となってしまうのです。 それまでの「立てない」とは、明らかに様子が違いました。そこで私はまず、彼をなんとか座布団の上に座らせ、その座布団を引っ張って寝室へ移動し、ベッドの横に敷いた布団に彼を転がすように寝かせました。 私は力自慢ではありませんし、晋とはだいぶ体格差があるのですが、これが「火事場の……」というものでしょうか。 ともかく、翌朝ケアマネジャーさんに連絡をとると、さっそく訪問看護師が3人、我が家に飛んできて、晋を布団からベッドに移してくれました。 夏には誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)も経験し、1ヵ月半にわたって入院。 晋にとっては多難な年でした。 ■2016年 肺炎で再び入院。しかし前回の入院で、晋には病院での生活が負担になると痛感していたので、自宅での療養を選びました。抗生剤が効き前後10日ほどでデイサービスに通えるくらい回復したのは幸いでした。 こうして晋は、ベッド中心の生活になっていきました。いわゆる「寝たきり」です。 言葉を失い、寝たきりになった晋。 生きていて、幸せなのでしょうか。 尋ねてみたいと思うこともありますが、聞くまでもない、そうも感じます。 南向きの部屋で寝ている彼のもとに、朝日がガラス戸越しに射す。 そのとき彼の目は、重荷をすべて下ろしたかのように澄み切って、平穏に満ちています。その幸せそうな顔を見ていると、問うこと自体が無意味にも思えるのです。 ただ、この静けさに至るまでの道のりは、決して平坦ではありませんでした』、「講演行脚をやめる少し前から、晋(すすむ)の体は目に見えて衰えていき、それにつれて私たちの生活も変化していきました」、「晋は、ベッド中心の生活になっていきました。いわゆる「寝たきり」です。 言葉を失い、寝たきりになった晋。 生きていて、幸せなのでしょうか。 尋ねてみたいと思うこともありますが、聞くまでもない、そうも感じます。 南向きの部屋で寝ている彼のもとに、朝日がガラス戸越しに射す。 そのとき彼の目は、重荷をすべて下ろしたかのように澄み切って、平穏に満ちています」、急速に悪化したようだ。
・『デイサービスになじめない 少し話が戻りますが、晋がデイに行き始めたのは、些細なことがきっかけでした。2012年に招かれた日本老年精神医学会の講演で、M先生という医師から、 「ぜひ、診断に使ったMRIの画像を見せてほしい」 と申し出がありました。さっそく一式お送りすると、しばらくしてお便りが届きます。 その手紙のなかでM先生は、晋は「緩徐進行性非流暢性失語症(かんじょしんこうせいひりゅうちょうせいしつごしょう)」かもしれないと指摘したうえで、それでも、 「アルツハイマー病の可能性は否定できない。言葉を出してください」 と書いてあったのです。そのことを説明しながら、私は彼にこうすすめたのでした。 「晋さん、言葉のリハビリだと思って、デイサービスへ行ってみたら」 「行くよ」 即答でした。リハビリという言葉が気に入ったのでしょうか。あとで子どもたちにこの一部始終を話すと、 「やっぱり、医者に言われると行くんだねえ」 と納得顔。さっそくケアマネジャーさんに相談し、とりあえずデイに週1回、半日通うところから始めます。 これまで晋とふたりきりで、あまりにも密な生活を続けていた私は、晋が留守の間どう過ごそうか、あれこれ考えて夢を膨(ふく)らませていました。 晋も当初は、デイを楽しんでいました。 早くから支度をして外に出て、迎えの車を待つ、なんてこともしていたほどです。気持ちよく入浴させてもらい、笑顔で帰ってくる日が続いていました。 ところが、通い始めて3ヵ月ほど過ぎたころから、時折、暗く険しい顔つきが目立つようになりました。ついにある日、送りのデイ職員から、 「今日は職員の髪をひっぱりました」 という報告が――。 「どうしたの? 何があったの?」 尋ねても、晋はうつむいたままです。それでもしつこく問うと、たどたどしくはありましたが、彼の言葉からようやく事情がつかめました。 同じデイを利用するお年寄りから、「あの人は何もできない」と言われたそうなのです。 「それくらいのことで、落ち込んじゃだめだよ」 「落ち込んじゃいけないね」――そう言う晋は、しかし、うなだれたままです。 「もう、無理して行かなくていいよ。行きたくなかったら、やめていいんだよ」 私はたまらずこう声をかけました。 ケアマネジャー経由でデイに聞いても、「悪口」があった事実は確認できませんでしたが、こうして晋は、初めてのデイを去ることになったのです』、「同じデイを利用するお年寄りから、「あの人は何もできない」と言われたそうなのです」、そんな「悪口」でも「落ち込む」とは繊細さに驚かされた。
・『心に刻まれる苦しさ この時期の晋は、ふだんから「何もできない」ことを気にしていました。小さな悪口にみえるかもしれませんが、本人にとっては「無能」の烙印(らくいん)を押されたようなもので、何にもまして屈辱的だったのではないでしょうか。 実際、デイでの一件は、彼の中でずっと尾を引いていたのです。ある夜、布団に入った晋が言います。 「僕は何もできない」 「何もできないのが病人じゃない? でも晋さんは散歩にも行ける。電車にも乗れる。歌も歌えるじゃない」 「ありがとう」 ようやく眠りに入るのでした。 また、こんなこともありました。デイをやめた少しあと、私が発熱して一日家で寝ていたことがありました。晋がそばに来て、おろおろしながら尋ねます。 「誰かに何か、言われたんじゃないの」 「誰も何も言わないよ」 私はあわてて打ち消しましたが、内心、驚きでいっぱいでした。 晋は、かつての自分と今の私を重ねていたのです。私が寝込んでいるのは、誰かに酷いことを言われて傷ついたからではないか――そう推測していたのです。 その時の彼にできる、最大限のお見舞いだったに違いありません。人を思いやる心は、損なわれていませんでした。 認知症は物忘れの病気だといわれます。確かに、具体的なことは時間とともに忘れてしまうのでしょう。でも、苦しさは深く心に刻みこまれるのだと痛感した出来事でした』、「晋は、かつての自分と今の私を重ねていたのです。私が寝込んでいるのは、誰かに酷いことを言われて傷ついたからではないか――そう推測していたのです。 その時の彼にできる、最大限のお見舞いだったに違いありません。人を思いやる心は、損なわれていませんでした。 認知症は物忘れの病気だといわれます。確かに、具体的なことは時間とともに忘れてしまうのでしょう。でも、苦しさは深く心に刻みこまれるのだと痛感した出来事でした」、「人を思いやる心は、損なわれていませんでした」、なるほど。
・『「ちがうんだよ」と騒いでしまう理由 それでも、しばらくすると晋は、また別のデイに通うようになりました。家で退屈そうにしているのを見かねて、私がすすめたのです。もちろん、私自身にも、骨休めしたいという気持ちがありました。 2つめのデイ。ここでも晋は、当初ごきげんで通っていました。職員からは「先生」と呼ばれ、ほかの利用者と歌ったり踊ったり、楽しめていたようです。 「僕って面白いでしょ」 これが当時の、彼の口癖でした。しかし残念ですが、いい時間は長く続きません。) デイは毎回、行った日の詳しい出来事を「連絡ノート」で報告してくれます。そのノートからは、晋が次第に疲れをためていることが伝わりました。 「うるさい!」 そう大声を出すようにもなっていきました。 通い始めて5ヵ月ほど過ぎた、6月のある日。ついにこんな電話が入ります。 「先生が興奮しているので、来てくれませんか」 デイからでした。急いで迎えに行き、連れ帰りました。 何があったのか……「連絡ノート」を開くと、こんなくだりが目に飛び込んできます。 ■6月×日 9時15分 ホーム着です。室内を歩かれています。「うるさい!」を連発して言っています。 ずっと、 「ちがうんだよ、ちがうんだから」 「何度も言ってるじゃないか。わかってください。場所がちがうんだ、やめてくれ」 と大きな声で言われています。 「人がちがうんだから、ボクはボクで一人でやってるの、わかった?」 「わかったか! やめてよ!」 とずっと興奮されています。まわりのことは見えてないようです。 ■11時40分 早めの昼食にしました(鶏の天ぷら、春菊のごま和え、リンゴ、トマト、レタス)。鶏の天ぷら、トマトは完食です。リンゴは2人分食べました。ごはん、みそ汁、春菊は残っています。 ■12時 歩きながら食べています。だいたい食べると 「うるさーい!」 を連発して歩いています。 「ちがうんだからやめてよ本当に!!」 「だからいいよ、もう」 デイで「ちがう」としきりに口にしていることがわかります。 「晋さん、どうしたの、何かあったの?」 「僕はひとりなんだよ」 「いったい、何が『ちがう』の?」 「僕は今までの僕とはちがうんだから、わかってほしい。相手の言うことを一生懸命理解しようとすると、頭が疲れてきて、何が何だかわからなくなる。わかるように話してほしい」 「『場所がちがうんだ、やめてくれ』っていうのは、どういうこと?」 「場所が我が家とちがったり、知らない人に何か言われても、さっと理解できないし、言葉が出ない」 ゆっくりとではありましたが、晋が理路整然と説明することに、私は驚きを隠せませんでした。 このとき彼から聞き取ったことを私なりにまとめると、次のようになります。 「自分は理解力が落ちている。だから、自宅を離れてデイに行き、よく知らない職員に声をかけられても、わかるまでに時間がかかる」 問題が起こった時期、晋は週2回のペースでデイに通っていました。そんな頻度で顔を合わせる職員であっても、いつも初めて会う気がするらしいのです。だから5ヵ月たった時点でも「まだ人と場所に慣れない」のでした。 最高学府の教授でもあった夫・若井晋。その彼が若年性認知症になるとき、本人は、そして家族は、どうしたのか。病を受け入れてもなお歩き続けた夫婦の軌跡を、妻・若井克子が克明に描き出す新刊『東大教授、若年性アルツハイマーになる』は、全国の書店・ネット書店にて好評発売!』、「問題が起こった時期、晋は週2回のペースでデイに通っていました。そんな頻度で顔を合わせる職員であっても、いつも初めて会う気がするらしいのです。だから5ヵ月たった時点でも「まだ人と場所に慣れない」のでした」、「週2回」では「いつも初めて会う気がするらしい」、ようやく謎が解けたっとはいえ、困ったことだ。
第三に、本年3月6日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した小説家・エッセイスト・日本大学理事長の林 真理子氏による「作家・林真理子が説く「成熟した大人」の流儀、もらっても心が動かなかった企画書とは」を紹介しよう。
・『「人に食事をおごってもらったらお礼はどうするべき?」「会食での支払いは?」「人を紹介してくれた相手にどこまで礼を尽くす?」人付き合いには正確な答えのないさまざまな疑問がつきまとい、いつまでも頭を悩ませます。日本大学の学生から、50年の時を経て日本大学の理事長に。数々の文学賞を受賞したベストセラー作家で、2022年に日本大学理事長に就任した林真理子氏の人生論新書『成熟スイッチ』(講談社現代新書)の一部を抜粋・編集して、林真理子流の世渡り作法を紹介します』、「林真理子流の世渡り作法」とは興味深そうだ。
・『感謝の流儀その1 自分も得をするお礼の仕方 親の教えの本当の意味とありがたさは若い時にはわからないものです。たとえば、母から教えられた、 「『~宛』とか『~係』を『~御中』と書き直さない人はみっともない」 ということも、ようやく身についたのは三十代も半ばを過ぎた頃でした。 やってあげたことはいつまでも覚えているけれど、やってもらったことはすぐに忘れてしまう――。これも、母から叩き込まれた教えです。つまりは意識的に感謝の気持ちを心に留めておかないと、自動的に「恩知らず」「礼儀知らず」になってしまう。相手からのお礼が無かったりすると、何かをやってあげた側は軽い失望とともに、ずっとそのことを忘れません。 年をとって若い人にご馳走する機会も増え、お礼を言われる側の正直な気持ちもいっそうわかるようになりました。あんまりうるさいことは言いたくないですが、気になるのは、食事を奢った次の日に会っても「昨日はご馳走さまでした」と言わない人たちです。 当日にお礼を言ったからもう義務は果たしたと思っているのかもしれませんが、私はたとえ3~4カ月たっても「あの時はありがとうございました」と必ず言うようにしています。時間をおいたぶん、「まだあの時のことを覚えてくれているんだ」という義理がたさへのプラス評価も加わりますから、忘れずに伝えた方が自分にとっても得だと思います。 やはり感謝されると嬉しいのが人情ですし、さらには、きちんとしたかたちでお礼を伝えられると、その人への評価も高まるのが世の道理というものです。 私はものをもらったりご馳走されたりしたら、すぐに自筆のお礼状を書きます。もちろん、メールなどでもお礼を伝えないよりはマシですが、自筆で丁寧に書かれた手紙の方がいっそう気持ちを届けられるでしょう。手紙を書く人がほとんどいない世の中ですから、印象にも残ります。 お礼状ではありませんが、先日、会ったこともない編集者から、単行本企画の執筆依頼が届きました。ワープロソフトで数行だけ打ってある企画書を見て、 「なぜ見ず知らずのあなたのために、私がこんなことしなくちゃいけないの……」 と無視しました。たとえ実現は難しい内容でも、真剣さが伝わる自筆で書かれた依頼の手紙が封書で届いたら、断るにしても申し訳ないなと思ってその人のことはすごく心に残ったと思います。 知らない相手に「当たるも八卦(はっけ)」みたいな気持ちで何かをお願いするのなら、なおさら心を込めて手紙を書きなさい、と言いたいです。人の心を動かそうとすることを何もしないで、「万が一」など起きるはずはありません。私が自分でよく手紙を書くのは、その効果をよく知っているからでもあります。 お礼状をまめに書く人になるためには、まず形から入ること。私は鳩居堂で季節ごとに便せんを揃え、春・夏・秋・冬と書いた封筒に入れて分類しています。そしてお気に入りの万年筆を用意する。書きたくなったらすぐに手紙を書ける態勢から整えます。 お礼状の文面は短く、ごくありきたりでいいと思います。一文だけ自分らしい文章が入っていたりすると、なおいいですね。 手書きの礼状を送ること自体を楽しめるようになると、もうこっちのものです』、「知らない相手に「当たるも八卦(はっけ)」みたいな気持ちで何かをお願いするのなら、なおさら心を込めて手紙を書きなさい、と言いたいです。人の心を動かそうとすることを何もしないで、「万が一」など起きるはずはありません。私が自分でよく手紙を書くのは、その効果をよく知っているからでもあります」、「お礼状をまめに書く人になるためには、まず形から入ること。私は鳩居堂で季節ごとに便せんを揃え、春・夏・秋・冬と書いた封筒に入れて分類しています。そしてお気に入りの万年筆を用意する。書きたくなったらすぐに手紙を書ける態勢から整えます。 お礼状の文面は短く、ごくありきたりでいいと思います。一文だけ自分らしい文章が入っていたりすると、なおいいですね」、「お礼状をまめに書く人になるためには、まず形から入ること」、私のような筆無精にとっては、有難いアドバイスだ。
・『感謝の流儀その2 お返しは独自のテリトリーから さて、目上の人から、けっこうなご馳走になってしまった場合、どのように感謝の気持ちを伝えたらよいでしょうか。値段も格もとても高い店だったり、まともにお返ししようとすることが無理だったりする場合です。 そんな時は、前述のとおり自筆のお礼状は必須として、私がおすすめするのが自分の出身地の名産品をお返しに贈ることです。 私もよく山梨の桃や干し柿を贈ります。お礼状には「地元のもので恐縮ですけど……」と書き添えておく。あたたかみも感じられますし、こうしたお返しの仕方はとても好感度が高いと思います。 東京出身の人なら、自分の近所にある、知る人ぞ知る名店の品などでもいいでしょう。あるいは、旅先で知ったおいしいものを「休暇で訪れた先で、とても美味しかったので」と贈ったり。覚えておきたいのは、東京のお金持ちに銀座の和光のお菓子を贈ってもあまり意味がないということ。「独自のテリトリーで見つけて自分がよいと思ったもの」を贈ることが重要です。 関連することでは、お店に招待してもらった時に、誘ってくれた人も初めて行く店で、「本で見て知りました」なんて言われると少しがっかりします。可能であればの話ですが、人をお店に招待する時には、人気店でもまずは自分で訪れて雰囲気もわかってからの方が望ましいでしょう。 お返しの話でつけ加えると、やはり花をもらって嬉しくない人はいないのではないでしょうか。ある会食の場を取り持ったお礼に、若手の女性作家からとてもセンスのいい花のアレンジメントが届いた時には「さすがだな」と感心しました。常日ごろからお世話になっている人になら、毎年のお正月に大きなお花を贈るのもいいと思います』、「可能であればの話ですが、人をお店に招待する時には、人気店でもまずは自分で訪れて雰囲気もわかってからの方が望ましいでしょう」、その通りだ。
・『品性が試される時その1 「支払うのは誰か」に敏感であれ さて、今夜は面白いメンバーが揃う会食に出かけるとします。場所はなかなか予約が取れない高級日本料理店。そこで「わーい、楽しみー」と無邪気に浮かれているだけなら未熟者のそしりを免(まぬか)れないでしょう。成熟した大人の心得として、「支払うのは誰か」という問題に敏感であるのは当然のことです。 友人・知人同士で明らかにワリカンという場合――現金で細かくワリカンというのはみっともないのでやめるべきだと思いますが――は問題ありません。気をつかわなければいけないのは、メンバー間に何らかの力関係が働いている時です。 まず支払いの基本ルールとして、求められて来た側が正客として奢られて、来ることを求めた側が支払うということがあると思います。しかし、その応用編のルールもあるから、事態はややこしいのです。 たとえば、こんなことがありました。私がお呼ばれして3人でやるはずだった会食に、芸能人A氏が会いたがっていた人がいるので、A氏を誘ってお連れしたケース。A氏を紹介された2人も大喜びでしたが、A氏は私の知り合いですから、その会食の支払いは合計を2で割った分を私が支払いました。友人や知人を連れて行ったら、自分が支払いを持つのが当然だからです。もう1つの方法としては、「じゃあ、二次会をお支払いさせてくださいな」というやり方もありますね。――いずれにしても「誰がどのように支払うのか」ということは常に頭を悩ます、非常にナーバスな問題なのです。 明らかにその日の会計を支払ってくれそうな人がいる場合は、お酒の持ち込みが可能なお店であれば、ワインを持参するという手を使うこともあります。ただ、相手が相当なお金持ちだったり、超高級店だったりすると、持参するワインの格も求められますから非常に難易度が高い。若い人であれば、前述のように自筆のお礼状をお送りすれば十分です。 支払ってもらうことが明らかな会食の当日、先回りしてお礼の品を持って行くのも、スマートな方法だと思います。ほんのちょっとした“気持ちばかりの品”でいいのですが、支払う人にだけ渡すのも露骨なので、全員分を用意して帰りぎわに皆に渡すようにするのがいいでしょう。) お礼に心を尽くさなければならないのは、もちろん会食にかぎりません。基本的に、頼みごとをしてタダですむということは世の中にはないと思ってください。何かを頼んだ相手が動いてくれたら、たとえそれが叶わなくても、食事を奢ったりシャンパンを贈ったりということを忘れてはならないと思います。 息子さんのことで頼まれごとをしたお母さんからエルメスのスカーフをいただき、それを包みなおして自分がお世話になった方にまわしたこともあります。九州の産物をもらったら、お世話になった北海道の人へ贈る。逆に北から南へとか……。「地球上で感謝の気持ちをまわす」ことだって、SDGsの一環と考えられなくもありません(違うか)。 人に物事を頼むということは、大きな責任を伴うということを忘れないようにしたいものです』、「支払ってもらうことが明らかな会食の当日、先回りしてお礼の品を持って行くのも、スマートな方法だと思います。ほんのちょっとした“気持ちばかりの品”でいいのですが、支払う人にだけ渡すのも露骨なので、全員分を用意して帰りぎわに皆に渡すようにするのがいいでしょう」、「全員分を用意」とは驚いた。確かにその方がいいだろうが。人数にもよるだろう。
・『品性が試される時その2 紹介後のモヤモヤに「3回ルール」 もう1つ、ちょっと気になることがあります。紹介して引き合わせたばかりの人たちが私が知らないうちに何回も会って距離を縮めていると、「聞いてない!」と思ってモヤモヤしてしまうのです。 「いろいろと心が狭すぎる」「成熟なんて程遠いじゃん」という声がそろそろ聞こえてくるような気がしますが、「こういうことで腹を立てる人もいるんだから、成熟したいと思う人は気をつけようよ」という話だと思ってください。 先日もこんなことがありました。 Aさんに大金持ちのBさんを紹介しました。ちなみに、Bさんを紹介したその会食は私がご馳走しています。それ以降、AさんはBさんと何回も会ってグイグイ仲よくなっていったのです。しばらくしてAさんが「最近、Bさんと随分親しくしているんだよね」という話をしていたと別の人から聞き、「それって私が紹介したんだけど……」と心がざわつきました。 そしてある日、某社のトップCさんから「AさんがBさんと仲よくなったらしくて3人で食事をするけど、来ない?」と誘われます。「AさんにBさんを紹介したのって私ですよ」と言いかけましたが、ハッとして言葉を呑み込みました。よくよく思い出してみれば、大金持ちのBさんを私に紹介してくれたのはCさんだったのです……。 こうしてまとめてみると、ちょっとした小噺のようですね。本章の冒頭で「やってあげたことはいつまでも覚えているけれど、やってもらったことはすぐに忘れる」という法則に触れましたが、人に人を紹介するということも、見事にこの法則に準じていることがよくわかります。 「人にされて嫌だと思ったことはしない」のが私の矜持です。そのために自分に課しているのが「3回ルール」というもの。その内容は基本的に「紹介された人と3回会うまでは、紹介者に報告する」ということ。4回目以降は、断りなく会って差し支えないというルールです。 3回どころか数十年を経ても、大事な局面では紹介者にお礼を言う必要があります。宮内義彦さん(オリックスグループ前CEO)を日大の顧問にお迎えする際も、20数年前に宮内さんを紹介してくれた奥谷禮子さん(元ザ・アール会長)に「ご縁を繋いでくださって感謝します」と、しっかり仁義を切りました。 人を紹介するという行為には、人間関係の繊細な部分が絡み合っています。紹介してくれた人への配慮を常に欠かさないようにしたいものです。 ちなみに私のマイルールをあと2つお教えしましょう。「その場に招待されていない人がいた場合に、『このあいだは楽しかった』などと言わない」と「もらいものは2人になった時にお礼を言う」。――人間関係のルールは案外、根本のところでは子ども時代とさほど変わらないものなのかもしれません』、「3回ルール」、「「紹介された人と3回会うまでは、紹介者に報告する」ということ。4回目以降は、断りなく会って差し支えないというルール」、合理的だ。「私のマイルールをあと2つお教えしましょう。「その場に招待されていない人がいた場合に、『このあいだは楽しかった』などと言わない」と「もらいものは2人になった時にお礼を言う」。――人間関係のルールは案外、根本のところでは子ども時代とさほど変わらないものなのかもしれません」、なかなかよく練られた「ルール」で、さすが「林」氏だ。
タグ:人生論 (その12)(「若年性アルツハイマー」になっった「元・東大教授」2題(「意外な楽しみ」 それまでとは違った世界が見えた、デイサービスに入って経験したこと 失語の当事者が語った胸の内とは)、作家・林真理子が説く「成熟した大人」の流儀 もらっても心が動かなかった企画書とは) 現代ビジネス 若井 克子氏による「元・東大教授が「若年性アルツハイマー」になって見つけた「意外な楽しみ」 それまでとは違った世界が見えた」 『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(講談社) 「若年性アルツハイマー」で「失語症」になったとあっては、「東大教授」を「早期退職」せざるを得なくなったのは、本人にとってはさぞかしつらかったことだろう。 「人の価値についてどう思いますか」といった答え難い「質問」をした質問者のセンスを疑う。ただ、「動じるふうもなく、こう応じたのです。 「人生で一番大切なことは何か、ということが分からない人、分かる人、いろいろあると思うんです。その中で一人一人が自分の生き様に合わせて絶えず歩み続ける。そういう中で私も生きてゆきたい。これからも、この後も生きていきたいなと思います」、と答えたのはさすがだ。 「病気」いなってよかったとは意外だ。 「足腰が丈夫だった晋。かつては二段跳び・三段跳びで階段を駆け上がるので、置いてきぼりになるのは私でした。 今では晋は、注意深く一段一段上っています。そしてときどき、私にこんな抗議の声を上げます。 「君のペースにはついていけない」 「君は、やることが速すぎる」 どうしても上着を着られないことがありました。腹を立てた彼は、服を放り出してしまいました。思わずため息が漏れます。 「ああ……、もう少しで着られたのに」 「君は人のことを言いすぎる。僕は本当にアルツハイマーか? 死にたい」 一緒に寄り添って歩むことの難しさを、私はつくづく思い知らされるのでした」、よくぞここまで「寄り添って歩む」ことをしてこられただけでも、立派だ。 若井 克子氏による「若年性アルツハイマーを発症した元東大教授が、デイサービスに入って経験したこと 失語の当事者が語った胸の内とは」 「症状の悪化からついに講演は不可能となった。妻とともに日常に戻った彼は、介護保険サービスを利用してデイサービスに通い始める。そこで明らかになった、認知症の当事者だからこその苦悩とは?」、興味深そうだ。 「講演行脚をやめる少し前から、晋(すすむ)の体は目に見えて衰えていき、それにつれて私たちの生活も変化していきました」、「晋は、ベッド中心の生活になっていきました。いわゆる「寝たきり」です。 言葉を失い、寝たきりになった晋。 生きていて、幸せなのでしょうか。 尋ねてみたいと思うこともありますが、聞くまでもない、そうも感じます。 南向きの部屋で寝ている彼のもとに、朝日がガラス戸越しに射す。 そのとき彼の目は、重荷をすべて下ろしたかのように澄み切って、平穏に満ちています」、急速に悪化したようだ。 「同じデイを利用するお年寄りから、「あの人は何もできない」と言われたそうなのです」、そんな「悪口」でも「落ち込む」とは繊細さに驚かされた。 「晋は、かつての自分と今の私を重ねていたのです。私が寝込んでいるのは、誰かに酷いことを言われて傷ついたからではないか――そう推測していたのです。 その時の彼にできる、最大限のお見舞いだったに違いありません。人を思いやる心は、損なわれていませんでした。 認知症は物忘れの病気だといわれます。確かに、具体的なことは時間とともに忘れてしまうのでしょう。でも、苦しさは深く心に刻みこまれるのだと痛感した出来事でした」、「人を思いやる心は、損なわれていませんでした」、なるほど。 新刊『東大教授、若年性アルツハイマーになる』 「問題が起こった時期、晋は週2回のペースでデイに通っていました。そんな頻度で顔を合わせる職員であっても、いつも初めて会う気がするらしいのです。だから5ヵ月たった時点でも「まだ人と場所に慣れない」のでした」、「週2回」では「いつも初めて会う気がするらしい」、ようやく謎が解けたっとはいえ、困ったことだ。 ダイヤモンド・オンライン 林 真理子氏による「作家・林真理子が説く「成熟した大人」の流儀、もらっても心が動かなかった企画書とは」 林真理子氏の人生論新書『成熟スイッチ』(講談社現代新書) 「林真理子流の世渡り作法」とは興味深そうだ。 感謝の流儀その1 自分も得をするお礼の仕方 「知らない相手に「当たるも八卦(はっけ)」みたいな気持ちで何かをお願いするのなら、なおさら心を込めて手紙を書きなさい、と言いたいです。人の心を動かそうとすることを何もしないで、「万が一」など起きるはずはありません。私が自分でよく手紙を書くのは、その効果をよく知っているからでもあります」、 「お礼状をまめに書く人になるためには、まず形から入ること。私は鳩居堂で季節ごとに便せんを揃え、春・夏・秋・冬と書いた封筒に入れて分類しています。そしてお気に入りの万年筆を用意する。書きたくなったらすぐに手紙を書ける態勢から整えます。 お礼状の文面は短く、ごくありきたりでいいと思います。一文だけ自分らしい文章が入っていたりすると、なおいいですね」、「お礼状をまめに書く人になるためには、まず形から入ること」、私のような筆無精にとっては、有難いアドバイスだ。 感謝の流儀その2 お返しは独自のテリトリーから 「可能であればの話ですが、人をお店に招待する時には、人気店でもまずは自分で訪れて雰囲気もわかってからの方が望ましいでしょう」、その通りだ。 品性が試される時その1 「支払うのは誰か」に敏感であれ 「支払ってもらうことが明らかな会食の当日、先回りしてお礼の品を持って行くのも、スマートな方法だと思います。ほんのちょっとした“気持ちばかりの品”でいいのですが、支払う人にだけ渡すのも露骨なので、全員分を用意して帰りぎわに皆に渡すようにするのがいいでしょう」、「全員分を用意」とは驚いた。確かにその方がいいだろうが。人数にもよるだろう。 品性が試される時その2 紹介後のモヤモヤに「3回ルール」 「3回ルール」、「「紹介された人と3回会うまでは、紹介者に報告する」ということ。4回目以降は、断りなく会って差し支えないというルール」、合理的だ。「私のマイルールをあと2つお教えしましょう。「その場に招待されていない人がいた場合に、『このあいだは楽しかった』などと言わない」と「もらいものは2人になった時にお礼を言う」。 ――人間関係のルールは案外、根本のところでは子ども時代とさほど変わらないものなのかもしれません」、なかなかよく練られた「ルール」で、さすが「林」氏だ。