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パンデミック(経済社会的視点)(その18)(「コロナ病床5%」旧国立・社保庁197病院への疑問 法律あっても病床確保は厚労相のお願いベース、医師・看護師はもう限界!デルタ株で高まる「自衛隊野戦病院」の必要性、西浦博教授が考える「ワクチン接種が進む日本」でこれから先に見込まれる“展開” 明るい未来を切り開くために、日本が現時点で「ワクチンパスポート」を導入することが あまりに「不合理」と言えるワケ) [パンデミック]

パンデミック(経済社会的視点)については、7月17日に取上げた。今日は、(その18)(「コロナ病床5%」旧国立・社保庁197病院への疑問 法律あっても病床確保は厚労相のお願いベース、医師・看護師はもう限界!デルタ株で高まる「自衛隊野戦病院」の必要性、西浦博教授が考える「ワクチン接種が進む日本」でこれから先に見込まれる“展開” 明るい未来を切り開くために、日本が現時点で「ワクチンパスポート」を導入することが あまりに「不合理」と言えるワケ)である。

先ずは、8月24日付け東洋経済オンラインが掲載した朝日新聞記者の松浦 新氏による「「コロナ病床5%」旧国立・社保庁197病院への疑問 法律あっても病床確保は厚労相のお願いベース」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/450095
・『国立病院機構(NHO)と地域医療機能推進機構(JCHO)をご存じだろうか。いずれも厚生労働省が所管する独立行政法人であり、旧国立病院など公的医療機関を傘下に置く。そのネットワークは国立病院機構が全国140病院で計約3万8000床、地域医療機能推進機構は全国57病院で同約1万4000床を有している。 医療に詳しい人でなければ、JCHOの存在を認識していないかもしれない。ただ、JCHOの理事長が政府対策分科会の尾身茂会長と聞けば、公的医療機関の中でも重要な位置にあると想像がつくだろう。 新型コロナウイルスの爆発的な感染拡大によって、入院できずに自宅で亡くなる患者が相次ぎ、千葉県柏市では新生児が亡くなる悲劇も起きた。日本は災害同然の事態に見舞われている』、「政府対策分科会の尾身茂会長」が「理事長」をしているとは権威ある機関のようだ。
・『NHOとJCHOのコロナ病床は約5%  その中において、国立病院機構と地域医療機能推進機構はどれほどコロナ患者を受け入れているのだろうか。筆者が入手した資料によると、7月末時点で、国立病院機構の全国140病院の計約3万8000床のうち、コロナ病床は1854床(4.8%)、地域医療機能推進機構は全国57病院の同1万4000床のうち、816床(5.7%)。合わせてざっと5%程度にすぎない』、文字通り厚労省直轄の病院の割には、「コロナ病床」が「5%程度」とはどう考えても少ない。
・『国立病院機構とJCHOのコロナ病床の提供状況についてまとめた厚労省の内部文書  2機構には、それぞれよって立つ法律もある。国立病院機構法と地域医療機能推進機構法は、それぞれの21条に、「公衆衛生上重大な危害が生じ、若しくは生じるおそれがある緊急の事態に対処するため必要があると認めるときは、(厚労相が)機構に対し、必要な業務の実施を求めることができる」といった規定がある。 いま、まさに「公衆衛生上重大な危害」は目の前で進んでいる。東京都では、コロナ陽性と診断されて療養している患者約4万5000人(8月20日現在)のうち、入院できているのはわずか8.7%の3845人だ。1カ月前はこれが25.2%だった。4人に1人が入院できたのに、1カ月で10人に1人も入院できなくなった。入院やホテルなどでの療養を調整中の人は、1カ月前の1671人から、1万2000人余りに急増した。 コロナはいつ急変するかわからない。こうしている間にも、酸素吸入が必要でも入院先がみつからないコロナ難民が救急車でたらい回しにあっている。 この東京で、国立病院機構は3病院の計1541床のうち128床しかコロナ病床に提供できていない。地域医療機能推進機構も5病院の計1455床のうち158床だ。実際の入院患者は8月6日時点で計195人と、同日に都内で入院していた患者3383人の5.8%にとどまった。災害同然の危機的な状況なのに国が関与する医療機関の対応として妥当なのかと疑問に思う。 なぜ、厚生労働相は両機構に緊急の指示を出さないのか。 8月20日、記者会見でこの点を田村憲久厚労相に聞くと、次のように答えた。 「法律にのっとってというより、いまもお願いはしておりまして、病床は確保いただいております。無理やり何百床空けろと言っても、そこには患者も入っているので、転院をどうするという問題もあるので、言うには言えますが、実態はできないことを言っても仕方がない。極力迷惑をかけない中で最大限の病床を確保してまいりたい」』、「厚労相」の弁明は全く理解不能だ。
・『病床確保に強制力を持たせる法整備の議論が進む中で  要するに、あくまでもお願いベースなのだ。いま、民間病院を想定して、病床確保のために強制力を持たせる法整備をするべきだとの議論もある。すでに今年2月の感染症法改正によって、厚労相や都道府県知事が医療機関などに対して医療提供を勧告できるようになった。罰則はないが、正当な理由がなく従わない場合は施設名などを公表できる。 一方、両機構の法は、機構は「求めがあったときは、正当な理由がない限り、その求めに応じなければならない」とも定めている。にもかかわらず、「お願い」しかできないのが実情なのだ。要するに、「法整備」は立法する官僚と政治家の自己満足にすぎず、実効性はないと言っているのと同じではないか。 コロナ以外の病気やケガのために病床を確保しなければならないという大義名分はあるだろう。ただし、それは民間病院も同じことである。なぜ、未曾有の事態においても国は両機構に対して手をこまぬいているのか。そこには、「消えた年金問題」で政権交代の震源となり、売却寸前だったのに公的病院として残った「ゾンビ」のような大病院があった。 知り合いの厚労省官僚がこんなことを教えてくれた。 地域医療機能推進機構は、厚労省の外局だった旧社会保険庁が国民から保険料を集めてできた病院の寄せ集めだった。前身の「旧社会保険病院」は中小企業などが加入する「旧政府管掌健康保険(現・協会けんぽ)」の積立金から、「旧厚生年金病院」は厚生年金積立金から、「旧船員病院」は、年金部門が厚生年金に統合された「旧船員保険」の積立金でつくられた経緯がある。 こうした公的保険制度は、日本が高齢化する前の戦前から戦中にかけてできたため、多額の積立金を保有していた時期がある。 そのひとつの厚生年金積立金については『厚生年金保険制度回顧録』で、制度ができた当初の旧厚生省年金課長が積立金について次のような証言をしている。 「年金を払うのは先のことだから、今のうち、どんどん使ってしまっても構わない。使ってしまったら先行困るのではないかという声もあったけれども、そんなことは問題ではない。20年先まで大事に持っていても貨幣価値が下がってしまう。だからどんどん運用して活用したほうがいい。せっせと使ってしまえ」』、年金官僚の野放図な無駄遣いにはいまでも腹が立つ。
・『国民の年金積立金を湯水のように垂れ流した  こうしてできた施設のひとつが厚生年金病院だ。ほかにも、「年金福祉事業団」という旧厚生省の天下り先があり、リゾート施設などに採算度外視の投資をして、国民の年金積立金を湯水のように垂れ流した。まさに、元年金課長が予言したとおりのことが起きた。 こうした批判に当時の自公政権は、旧社保庁を解体し、厚生年金病院や社会保険病院などを含めた旧社保庁関連施設の民間売却も決めた。ところが、年金記録問題から社保庁解体のきっかけを作り、2009年8月に政権の座についた民主党は、1カ月もたたないうちに方向転換して、3病院の公営を維持する方針を打ち出す。 当時は、赤字の病院が多いなどの理由で引き受け手がみつかりにくいとして、このままでは地域の中核医療拠点がなくなりかねないとされた。結局、3病院は2014年に統合され、地域医療機能推進機構が生まれた。 ところが地域医療機能推進機構は赤字どころか、優良病院そのものだ。2020年度決算によると、201億円もの黒字になっている。好業績は昨年度だけではない。貸借対照表によると、総資産約5800億円に対して負債は約1051億円しかなく、自己資本比率は82%という超健全経営なのだ。 その分析は別の機会に譲るとして、いま、コロナ禍で、民間病院は経営難にあえぐところが多い。民間病院がコロナ患者を引き受けることは、ひとつ間違えば院内感染を引き起こすことにもなり、たちまち経営は傾く』、「民主党は、1カ月もたたないうちに方向転換して、3病院の公営を維持する方針を打ち出す」、きっと官公労の圧力に屈したのだろう。
・『今こそ公的医療機関としての役割を  今こそ、国が主導して民間に範を示すべき時ではないか。20日の記者会見で、田村厚労相に、コロナ専門の病院をつくるために指示を出すつもりはないかと質すと、次のように答えた。 「働いている方々が、覚悟を持って対応していただかなければならないこともありえます。つねに想定しながら、いろいろなお願いをしている。まったく考えていないわけではありませんが、いろいろな問題点がある中で、つねに検討しているということであります」 まどろっこしい言い方だが、考えていないわけではないと言いたいようだ。 取材に対する厚労省医療経営支援課からの回答。なぜこんなにコロナ病床が少ないのか、公的病院の役割を果たしていると考えるか、なども聞いたが回答はなく、都道府県の要請に応じて提供した結果であると、木で鼻をくくったような中身だった 旧社保庁系病院は、一度は民間などに売却されることが決まり、公共性があるという判断で公的医療機関として生き残った。その後に培ってきた経営体力は、今回のような危機の時にこそ活用されなければならないだろう。それができないのであれば、今度こそ、解体・売却したほうがいい。これだけ立派な黒字病院なのに、公的な役割を果たせなければ、公的な優遇措置を続ける意味がない』、「厚労相」が弱腰なのが理解できない。野党は追求しないのだろうか。

次に、8月24日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した立命館大学政策科学部教授の上久保誠人氏による「医師・看護師はもう限界!デルタ株で高まる「自衛隊野戦病院」の必要性」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/280193
・『私は、本連載で以前(連載275回)から、野戦病院を新型コロナ対策の「切り札」として提案してきた。デルタ株が猛威を振るっている今になって、野戦病院が現実的なコロナ対策案として浮上している』、興味深そうだ。
・『各界も「野戦病院」の設置を訴え始めた  尾崎治夫・東京都医師会会長や松本正義・関西経済連合会会長などが、新型コロナウイルス感染症の急拡大への対策として「野戦病院」を設置すべきだと提言している。福井県は、実際に100床の病床を持つ「野戦病院」を体育館に設置した。 ただし、これらは、現状のコロナ病床確保の方法の延長線上のものを想定しており、私が提案してきた自衛隊による「野戦病院」と、大きな違いがある。 現在、コロナ病床の確保は、自治体ごとに、都道府県知事の権限で行われている。「感染症法」が改正されて、都道府県知事らは、病院に対しコロナ患者の入院を受け入れるよう「勧告」できる。 しかし、この方式は限界を露呈している。個別の病院がコロナ患者用に転換できるのは、せいぜい数床ずつだからだ。 例えば、大学病院や大病院のがん、心臓病などの高度な治療・手術を維持する必要性を主張されたら、専門家でない知事らは言い返せない。「精神論」で粘って、病院側が病床を1床、2床と切り売りするように最小限、新型コロナ用に明け渡しているのが現状だ(第273回)。 また、医師会の中心メンバーである開業医は、コロナ患者の受け入れが病院経営を直撃するため引き受けたがらない。コロナ患者に対応するための機材、人材が十分ではないという問題もある(高久玲音『やさしい経済学:コロナが問う医療提供の課題(2)患者受け入れが病院収益に影響』)。 今の体制では、野戦病院を現在の病床確保の方法の延長線上でつくっても、同じ問題に直面することになるのではないだろうか』、病院船などのアイデアには首を傾げざるを得なかったが、「野戦病院」は地に足がついた提案だ。
・『医師や看護師の派遣、現実は厳しい? 日本のメリット・デメリット  尾崎会長はテレビ番組で、野戦病院には今までコロナ治療に関わっていないクリニックや大学病院などの医師や看護師が従事する形を想定するという旨を発言した(参照)。 しかし、その医師・看護師らが、自分の病院・クリニックの患者の治療が大事だと主張したら、説得できないだろう。結局、自治体と病院の交渉が難航し、野戦病院に派遣されるのは、最小限の人数とリソースにとどまってしまうのではないだろうか。 また、以前指摘したのだが、野戦病院への医師・看護師の派遣は、おそらく労災などの補償の問題が生じる懸念がある(第264回・p3)。例えば、スポット勤務した医師が、新型コロナに感染した場合、2週間隔離となる。本来の勤務先に出勤できなくなるので、その間の金銭的な補償の問題が発生するのだ。 このように、自治体が野戦病院を設置しようとしても、実現にはさまざまな問題があると思われる。 実際、野戦病院の設置に否定的な東京都は、その理由として現在確保しているコロナ病床が「各医療機関の努力で出してもらったギリギリの数字」だからという。そして、「都内の病院の役割分担や地域性などを考慮して、医療関係者らと現在の体制を組んできた」と説明し、「今ある医療資源を最大限使うことがまず先決」と主張する(毎日新聞『コロナ病床増やしても…東京都が「野戦病院」をつくらない理由』)。 では、無理やり今の医療体制から絞り出して、「野戦病院」を設置すべきかというと、そうとも言い切れないのではないか。現状の医療体制を無理に崩さないほうがいいという考え方もあり得ると思う。 国民皆保険制度により日常的な医療体制が整備され、基礎疾患を持つ人の症状が管理されていることが、日本の新型コロナの重症者、死亡者が欧米に比べて非常に少ない「ファクターX」の一つかもしれないと私は考えている(第262回・p5)。 例えば、英国と比較してみよう』、。
・『英国はコロナ医療にすぐシフトできたが 日常的な医療体制は日本よりも過酷?  英国では、昨年3月にロックダウンを実行したと同時に10日間程度で、国内の医療体制を新型コロナ用にシフトした。しかし、それはがんを除く不要な手術を延期し、退院可能な患者はすべて自宅療養に切り替えて実施したものだった(ピネガー由紀『日本人が知らない英国「コロナ病棟」のリアル 現地在住看護師が語る医療崩壊を防ぐ仕組み』)。 つまり、英国では、日本の何十倍も新型コロナ感染症の患者を出しながら、医療崩壊を起こさなかったことは事実なのだが、重症化する患者や死亡者が多かったことについて、日常的な基礎疾患の管理ができていないからだと思われると、筆者の知人である臨床医は指摘していた。 実際、私が英国に在住していた時に、ナショナルヘルスサービス(NHS:無料の国営医療サービスシステム)へ友人を連れていったことがある。その時は、3カ所病院をたらいまわしにされ、診察を受けられるまで、9時間かかった。 また、NHSでは、普段は風邪や季節性インフルエンザでは病院での入院はおろか、診察すらしてもらえない。NHSの受付窓口で簡単に診断されて処方箋をもらい、薬局で薬を買って自宅で休むだけだ(第277回・p2)。 つまり、英国の日常的な医療のレベルは日本と比べて高いとはいえない。それが、日本と欧米の新型コロナの重症化率、死亡率の差につながっているのではないか。ゆえに、日本の現状の医療体制を崩してコロナ対応に向けることには、慎重であるべきだと思う。 それでは、野戦病院の設置は非現実的な案と切り捨てるべきか。私はそうは思わない』、「英国では、昨年3月にロックダウンを実行したと同時に10日間程度で、国内の医療体制を新型コロナ用にシフトした」、日本では民間中心の医療体制の問題がいち早くから指摘されながら、手つかずでいるのと、「英国」の素早い対応は好対照だ。
・『合理的に考えて、自衛隊が野戦病院をつくるべき  8月12日の東京都のモニタリング会議は「現状の感染状況が続くだけでも、医療提供体制は維持できなくなる」と警鐘を鳴らしている。新しい発想の対策が必要とされているのは間違いない。 そこで、私が提案してきたのが、自衛隊による大規模野戦病院の設置である(第275回)。 まず重要なことは、「自衛隊」が野戦病院をつくることだ。自衛隊には、医官、看護官がそれぞれ約1000人ずつ在籍している。現在、ワクチンの大規模接種センターに医官約90人、看護官約200人が派遣されている。しかし、その業務は8月25日に終了する。 彼らは、いわゆる一般の病院・クリニック、そして医師会の「外側」に存在している。 医療崩壊を防ぐためには、限られた既存の病院・クリニックのリソースをやりくりするよりも、その「外側」に存在する自衛隊に出動してもらい、その人材、機材を加えるほうが、合理的なのではないだろうか。 その上、自衛隊の医官・看護官が「戦場の医師・看護師」であることも重要だ。「救命救急医療」の専門家であり、新型コロナ治療の研修期間は、一般病院・クリニックの医師・看護師が研修するよりも短期間で済む。「即戦力」となり得る存在なのだ。 さらに、自衛隊による「野戦病院」設置の意義は、「集約のメリット」を出せることにある。それは、エクモ・人工呼吸器などの機材、医師、看護師が病院ごとに配置されるよりも、病床を何百床、何千床の単位で1カ所にまとめることで、比較的少ないリソースで、多くの患者を診ることができることだ。 これは、日本以外の諸外国では当たり前のやり方だ(上昌広『「医師多数・コロナ患者少数」の日本が医療崩壊する酷い理由』)。だが、残念ながら日本の現状の医療体制では実現はほぼ不可能である。 だから、日本で、大規模なコロナ専用病院をつくれるとすれば、それは自衛隊しかない。この連載で提案してきたように、まずは東日本と西日本に1カ所ずつ、大規模野戦病院を設置するのである(第275回)』、「集約のメリット」は確かに大きそうだ。
・『大規模野戦病院の具体案…英国のナイチンゲール病院を踏まえて  場所は、東日本は朝霞駐屯地、西日本は伊丹と宇治の駐屯地とする。病床は、前回の私の提案では重症・中等症用としていたが、現在のニーズに合わせて変更したい。患者の重症化を防ぎ、死亡者を出さないことが最重要であるため、中等症用にそれぞれ2000~4000床ずつ用意する。 これは、英国の野戦病院(ナイチンゲール病院)設置を参考にしている(第282回・p2)。この病院は英国軍の支援で、最大4000床の中等症用病床を持ったロンドン・エクセルセンター国際会議場の病院など、全国各地に短期間で建設された(“In case of emergency: The Army and civil assistance” )。 病院開院後は、英国軍の軍医約600人が派遣されてNHSの医師・看護師と協力した。また、機器のメンテナンス、病院内店舗管理など、幅広い臨床支援活動を行った(Financial Times “Military medics to work in UK hospitals as Covid admissions sore”)』、「英国軍の軍医」と「NHSの医師・看護師」の協力は上手くいったのだろうか。
・『医師・看護師はもう限界!デルタ株で高まる「自衛隊野戦病院」の必要性  自衛隊の大規模野戦病院設置は、軽症者を自宅療養とする政府の新方針の実施にも適している。英国軍を事例にすると、「コロナ航空タスクフォース」を設置し、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドなどの地方や、離島から英国本土への患者の緊急搬送などを行ってきた(Covid Support Force: the MOD’s contribution to the coronavirus response)。 日本でも、自宅療養の軽症者の情報を自衛隊に集約しておき、中等症化した際には、ヘリコプター等も使用して地方から大規模野戦病院へ即座に移送できるようにするのだ。 英国は、昨年3月、新型コロナのパンデミックの初期段階で大規模野戦病院を設置し、英国軍の支援体制をとった。結局、野戦病院はほとんど使われることがなかったのだが、先回りして体制を整えていたことが重要だ。 日本では、現行の医療制度の範囲で何ができるかを必死に考えてきたが、医療崩壊の危機に直面し、ひたすら国民の行動制限を求めることしかできなかった。 デルタ株の急拡大に直面し、さらなる新しい変異株の拡大のリスクもある今、現行制度の範囲内の対応では限界がある。新しいシステムを先回りしてつくり、病院にも入れず死を迎えるような悲劇は起きないと、国民が落ち着くことができる体制を築く必要がある』、「英国」で「野戦病院はほとんど使われることがなかったのだが、先回りして体制を整えていたことが重要だ」、同感である。

第三に、8月26日付け現代ビジネスが掲載した京都大学大学院 教授の西浦 博氏による「西浦博教授が考える「ワクチン接種が進む日本」でこれから先に見込まれる“展開” 明るい未来を切り開くために」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/86584?imp=0
・『今後の未来像は  予防接種という行為は、接種者自身はもちろんのこと、それ以外の方の感染機会を減らすことに繋がる。そのため、そのような間接的な防御が人口内で積み重なり、流行自体を防ぐ効果が得られたものを集団免疫効果と呼ぶ。そして、流行排除のための閾値について、従来株の場合、予防接種率が60%超程度ではないかと過去の記事で私も言及してきた。 実際に、イスラエルではロックダウン下で2回目接種が完了した者の割合が40%を超えたところで新規感染者数が減少傾向に転じたことから、国内外含めて予防接種に大きな期待が広がったのである。 残念ながら、上記の見通しは楽観的すぎた。それはどうしてなのか。加えて、現時点までの科学的な知見から今後の未来像をどのように見込んでいるのか。簡単ではあるが、本稿で皆さんと共有したい』、興味深そうだ。
・『変異株出現とワクチン効果が見通しを変えた  既に雑誌『数学セミナー』9月号で簡単な数式いくつかを使って解説したが、2021年8月現在に日本で流行を起こしているデルタ株は以下の2つの特徴を有する。 (1)感染性が高い(再生産数が高い) (2)予防接種の効果が従来株より低い いずれの要素も集団免疫閾値に直接的に影響を与える。特に、前回の記事でお伝えした通り、(1)に関して言えば、ウイルスの感染性を表す指標の「基本再生産数」は、デルタ株では5以上の可能性が高く、それは他の感染症で言えば風疹相当くらい高いものである。 風疹相当という観点で考えれば、同室で向かい合って近距離で食事すると危ない、というどころか、同室を一定時間以上共有することで伝播が成立する可能性が十分ある。 この感染性を持つウイルスに対して、不要不急の外出や移動、イベントの自粛、リモートワークなど、主に「非特異的対策」と言われるものだけで防ごうとしている現在の困難な状況については皆さんご存知の通りである。 加えて、予防接種に関しても(1)と(2)の影響のために、少なくとも現在の希望者の予防接種で得られる集団免疫だけでは、パッタリと伝播が止むような予防を期待できない蓋然性が高いことがこれまでにわかった(ただし、後述するように、もちろん予防接種率が高くなると感染頻度は極端に低くなると期待される)。 また、デルタ株に対する予防接種効果が従来株よりも低いことに関して、そのメカニズムの仮説を含めて少しずつ理解されるようになった。 しかし、今後ずっとデルタ株だけが蔓延するわけではなく、新たな変異株が免疫から逃れる機構を獲得していく可能性は高い。また、発生確率が十分高いかは定かではないが今後も感染性がより高い株が生まれる可能性も残されている。 こういった抗原性や感染性の進化をリアルタイムで捕捉しつつ政策が練られたことは科学的にも過去に経験はなく、未だその速度は十分にわかっていない。ただ、少なくとも予防接種と非特異的対策のそれぞれで、国際協調を行うことは必要だったと強く感じさせられている。世界で流行対策に関する足並みを揃えられなかったことの帰結を肌で感じさせられているのが現状なのかも知れない』、「予防接種と非特異的対策のそれぞれで、国際協調を行うことは必要だった」、その通りだ。
・『免疫の失活が起こる  予防接種だけに頼った政策で集団免疫による流行自体の予防が簡単にはできない事実に加え、ワクチンの効果は接種後の時間とともに失活することもわかってきた。 これは主にイスラエルにおいて今年の早い時期から予防接種をしてきた高齢者が、最近になって新たに感染していることがデータとして集積され始めたことから判明した。具体的な持続期間は未だ明らかにされていないが、観察データを見て分析している限りは2回目接種後6-7カ月で感染している事例が珍しくない。 つまり、ワクチン免疫の持続期間は限られている、というものである。 他方、十分にわかっているのは発病の有無に関するものだけであり、重症化や死亡を防ぐ効果がどれくらいの間持続するのかは十分に明らかでない。今後のデータ蓄積で明らかになる見込みである。 これが意味するのは全2回の接種だけで予防接種が終わるわけではないということである。ウイルスの抗原性進化(新しい変異株の出現)に合わせることになるだろうが、免疫が失活した際には流行までの間にイスラエルや米国・英国が決断したような3回目接種が必要になる*1。 これは再接種による免疫の再活性化を期待するもので、ブースター接種と呼ばれる。ブースターは1回で済むかと言えば、おそらくそうではなく、今後の流行動態を注意深く見極めることが求められる』、「ブースターは1回で済むかと言えば、おそらくそうではなく、今後の流行動態を注意深く見極めることが求められる」、そんなに何回も接種させられるのはかなわない。
・『いま、接種をどうすればいいか  いま、集団免疫閾値による流行終息が簡単には達成困難であり、発病そのものから逃れるワクチン免疫も1年以内に失われる可能性がある。そのような中で「じゃあ、もう自身は打たない」と思ってしまう方も出るかもしれない。結論から先に書いた上で背景要因などを解説できればと思うが、私は以下を主張したい。 (1)自身の予防のために接種することをお勧めしたい (2)社会の皆で明るい出口を見つけるためにも接種をお考えいただきたい』、なるほど。
・『ご自身のリスクについて  デルタ株に対する効果が従来株よりも少し低いことやワクチン免疫が失活する可能性はあるが、現在までに日本を含むいくつかの先進国で用いられているmRNAワクチンの効果は高く、接種者のデータを見ると、デルタ株でも80%以上の確率で発病を防ぐことが知られている。 このレベルの効果は抗原性が変化し得るウイルスに対して類を見ないくらいに高く、免疫が失われるまでの間、接種者は十分に高い効果で守られていることになる。 自身の健康や近しい人のためを考えると、接種をして守られている状態が形作れると良いであろう。今後、社会活動上でも予防接種済みであることでベネフィットを見出せるアドバンテージもあるかもしれない(未接種者だとできないことが出て来る日がくるかも知れない)』、「デルタ株でも80%以上の確率で発病を防ぐ」、まずまずだ。
・『社会全体でのリスクについて  他者のために、社会のために、自身の予防接種が効いている、という考え方である。たとえ予防接種だけに頼った政策で流行を止められなくても、高い接種率の状態だと制御は人口レベルで飛躍的に容易になる。 結果として予防接種はコロナ後の明るい未来を切り開く起爆剤になり得ることは変わらざる事実である。社会構成員の一人として「接種者である」ことは社会の中でのリスクを低減することに繋がっており、そのことを誇りに思っていただきたい。 ただし、現時点においては、感染しても重症化リスクの低い若年成人を中心に、予防接種の希望者は満足な数とは言えない。 例えば、国際医療福祉大学の和田耕治教授らによる調査では20歳代男性の27%、女性の38.7%が接種について「少し様子をみたい」と述べており、50歳代でも男性の18.0%、女性の17.2%が同様の回答をした。 この数字から想像される希望者の水準は、集団でこのウイルスによる感染を防御するには十分とは言えないレベルであり、国が強い施策で流行を止められない現状においては未接種者の多くが自然感染するという帰結を迎えるリスクが極めて高い。 今後、流行や感染に対するリスクの認識が十分に高くならなければ、相当の割合の国民の接種が達成できず、その希望者内だけにとどまってしまう。そして、とても勿体ないことに日本でワクチンが一時的に余ってしまう事態が起きかねない。 ただ、個別事例によって接種困難な事情は認容することが求められ、接種をしない自由も確保されるべきである。そのため、社会全体を予防接種で守るためには、「できるだけ接種しよう」という特別に強い勧奨を行うことが求められる。 そのためには、特別な工夫も必要だろう。たとえば、予防接種後の社会の仕組みに「接種の有無」を組み込むことによって、感染リスクをより低く抑えていく戦略を練ることはできないだろうか。 一例として会社に出勤することや12歳以上の者が学校へ登校するための要件として予防接種を強く推奨することは実質的に可能と思われるし、何等かのイベント参加の要件にすることも可能かもしれない』、「予防接種後の社会の仕組みに「接種の有無」を組み込むことによって、感染リスクをより低く抑えていく戦略を練ることはできないだろうか」、賛成だ。
・『極端に変わることがない近未来  以上の議論から想像いただけるかもしれないが、本感染症のリスクに対峙し続けてきた私から言えることは、接種完了時のイスラエルなどで一時的に見られていたような「ぱっと夜が明ける」ような未来社会が、日本で希望者の予防接種が完了しただけで来ることはなさそうである、ということである。 マスクを外した暮らしができて、普段会わない方と飲食が楽しめて、元の世界に近い接触が返ってくる、というイメージを抱く方も多いと思う。しかし、そのようにリスク認識が一気に社会全体で変わり得る、というような景色をすぐ先の未来に想像することは困難である。特に、現時点で見込まれる接種希望者がほぼ接種済みになるだろう今年11月後半の日本でそのようなリスク状態になることは、残念ながらほぼ期待できない。 それどころか、その後もしばらくは大規模流行が起こり得る状態が続き、医療が逼迫し得る状況(積極的治療が出来ない方が生じたり、自宅療養者が溢れかえったりするような、これまでの逼迫状況)が起こり得ると考えている。予防接種だけでは実効再生産数の値が1を上回るからだ。 もちろん、予防接種が進むにつれ、高齢者が最初に防がれ、その次に50歳代、その次に40歳代と次第に接種で防がれていく。だから、本格的な流行拡大が起こるまでの間は、重症患者数は過去と比較して明確に増加し難くなる。 しかし、接種を希望しない者の人口サイズは未だに大規模な流行サイズを引き起こすのに十分であり、そうすると高齢者を含むハイリスク者の間で未接種のままであった者を巻き込みつつ社会全体で感染が拡大し得る状態となる。それは、現状の接種希望者の見立て程度であれば、そのような中で大規模流行が起こると季節性インフルエンザ相当では到底及ばない流行規模・被害規模になり得る状態が継続する、ということである。 もちろん、そういった流行は接種率が高ければ高いほど被害規模を極端に小さくできる。また、すぐにマスクを外して接触を許すのではなく、まだしばらくの間はマスク着用を続けて不要不急の接触を避ける行動制限が緩徐に続くことで流行リスクが下がることに繋がるだろう。 その中で医療従事者や高齢者のようなハイリスク者のブースター接種が十分に行われるのはもちろんのこと、人口内で免疫を持つ者がほとんどの状況に達することができれば、 医療が崩壊するような流行も次第に回避可能となっていく。 ただし、おそらく年単位の時間をかけてそれが起こっていくのだ。 そこに至るまでの道のりにおいても、できるだけ医療逼迫の程度がひどすぎるような状況を回避しながら進み、直接的・間接的に生じる被害者が少なく済む状況を保っていく。繰り返すが、その間、日常生活でマスクは着用しつつ、ソーシャルディスタンスは確保しながらだが、少しずつ、少しずつ、私たちの文化的な社会活動を元の活力あるものに戻していく』、「おそらく年単位の時間をかけてそれが起こっていくのだ」、想像以上に長い時間がかかりそうだ。
・『未来を切り開くために  私は、そういった流行対策を続けていけば、数年から(長くて)5年くらいの時間をかけて次第に未来が切り開かれていくものと見込んでいる。どこかで頓挫して流行が大きくなるリスクもあるかもしれない。どこかで新しい展開が生じるかもしれない。それでも、大枠は変わらないものと考えている。 その中で、ずっと「パンデミック」の状態が持続するわけではない。この感染症の流行で問題であったのは(1)感染者が出すぎると医療が逼迫してしまうこと(救える命が救えないこと)、(2)他の疾病と比較すると死亡リスクが十分に高いこと、であった。 予防接種と自然感染が進んで、一定の対策下であれば(1)の医療逼迫が起こらない状態、になり、また、ハイリスク者が十分に免疫を保持し続けるか周囲に防御されることによって(2)の死亡リスクが他の疾病と変わらない、ということになれば、パンデミックは移行期(transition phase)へと進むことになる。そうなれば世界保健機関もパンデミックが終了したことをアナウンスするはずである。 ただし、このウイルスがヒト集団から消え去ることはしばらくなさそうである。そのため、少なくとも医療従事者や高齢者を中心とした接種は続いていくのだろう。また、一部の進化生物学者は既に本感染症は数年から5年程度のタイムスパンで、子どもの病気へと変わっていくものと予測している。 このように流行対策のハードルと流行の社会的重大度を少しずつ下げていくことを「テーパリング」と呼ぶことができるだろう。日本語では「先細り」と訳されるが、医療業界では、一部の病気の患者さんの投薬量を時間をかけて少なくしていく際にこの用語が用いられている。そのテーパリングを人口レベルでどのように形作るのか、という命題は、コロナ後の明るい未来をどのように作っていくのか、というものでもある。 ご覧になっていただければわかる通り、その明るい未来は私たち社会構成員が参加しつつ切り開くものである。というのも、予防接種率が高い社会ではテーパリングをより近い未来にすることができるのである。心理学や経済学の専門的知見を動員して接種が特別に強く勧奨される仕組みを必死に考えていくべきだろう。政治が責任を持ってパンデミックのリスクと向かい合えない状態が続くのなら、皆さんと専門家で一緒にこのリスクに対峙して未来を明るく照らしていきたいと思うのだ。 *1 本稿でのブースター接種に関連し、西浦が開示すべき利益相反関係として、西浦はサノフィ社のCOVID-19ワクチンのアドバイザリーボードでブースターワクチンに関する専門家助言を行ったことがあることを申し添える』、「テーパリング」は米国の金融政策が超緩和から出口に向けて変化する意味でも使われるが、ここでまで使われているとは、驚いた。

第四に、8月25日付け現代ビジネスが掲載した経済評論家の加谷 珪一氏による「日本が現時点で「ワクチンパスポート」を導入することが、あまりに「不合理」と言えるワケ」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/86578?imp=0
・『筆者は公共性が高い事業において、従業員に接種を推奨する行為そのものに反対するわけではないが、物事には順序と段階、というものがあり、それを無視すれば、圧倒的に弊害の方が大きくなってしまう。そして、今のタイミングでのパスポート導入はその典型といってよいだろう(従業員への接種推奨や名札装着とワクチンパスポートは厳密には異なるが、ここではとりあえずパスポートとして議論する)。 現時点でワクチンパスポートを導入することの最大の問題点は、政府が十分にワクチンを確保できておらず、打ちたくても打てない人が多数存在しているという現実が無視されていることである』、私は単純に「ワクチンパスポート」に賛成していたが、考え直す必要がありそうだ。
・『肝心の現役世代の接種率は公表されない  政府は、毎日のようにワクチン接種が順調に進んでいるという発表を行っているが、政府が提示するのは高齢者の接種率と全体の接種率ばかりである。 目下、最大の懸案事項となっているのは、仕事で毎日、外出している現役世代に感染拡大が見られることであり、現役世代の接種率が感染抑制のカギを握るが、政府は直接、この数字を出さない。各種の数値から計算しないと現役世代の接種率は分からないので、当然、この数字が報道される頻度は少なくなる。 少し話がそれるが、行政当局が意図的に不十分な情報を公表し、自らの都合のよい世論を形成するというのは、日本では常套手段であり、国民はこうしたカラクリがあることを前提に情報に接しなければならない。だが多くの国民は政府の発表をそのまま受け取るので、誤った解釈が行き渡ることがザラにある。一部のネット民は特にその傾向が強く、メディアがその数字に疑義を呈すると、フェイクニュースだといって大騒ぎする始末である。 報道する側からすれば、政府が出した数字では実態が分からず、再計算する必要があると、そこでミスが発生するリスクが生じるし、確認作業にも多くの手間がかかる。もし間違った情報を出せばそれこそ鬼の首を取ったように騒がれるので、政府が出した情報をそのまま書いた方が無難と考える記者ばかりになっても不思議ではない。 結果として政府が望む情報しか出回らないことになるのだが、こうした事態に対して、「それをチェックして批判するのがメディアの仕事だろ」と安全地帯から声高に批判したところで問題が解決するわけではない。 話を元に戻すと、8月19日時点においてワクチンを2回接種した人は39.7%だが、その多くは65歳以上の高齢者である。ニュースでは全体の接種率や高齢者の接種率の数字ばかりが出てくるが、多くの現役世代が気にしているのは、当該年齢層の接種率だろう』、「行政当局が意図的に不十分な情報を公表し、自らの都合のよい世論を形成する」、困ったことだ。
・『非論理的な思考が招く致命的な事態  65歳未満で2回の接種を終えた人はわずか22.1%であり、医療従事者を含めても28.7%にしかなっていない。1回目を終えた人も36.8%なので、現役世代はまだ多くの人が1回目の接種すら終わっていない状況にある。この数字には職域接種が含まれているが、職域接種は大企業が圧倒的に有利であり、零細企業や自営業者の場合、職域接種を受けることは極めて難しい。 だが全員に公平であるはずの自治体の集団接種は多くが9月まで満杯という状況であり、現時点では予約すら入れられないところも多い。NHKの調査(8月5日)でも、東京23区における若年層の2回接種率は極めて低いとの結果が出ている(20代では3%以下というところが少なくない)。) 会社が責任を持って職域接種を行うのであれば話は別だが、自治体でのワクチン接種を求められても、出来ないというのが現実であり、そうした状況で強引に接種を推奨すれば、差別などの問題を引き起こす可能性が高くなる(ワタミは職域接種を申し出たもののワクチン不足から受理されなかったという報道もある)。 日本人は論理的に物事を考えることが不得意であると指摘されてきたが、非常事態においてこうした非論理的な思考は致命的な事態を招く危険性がある。 今のところ、ワクチンをできるだけ多くの人に接種すること以外、感染を根本的に抑制する方法は存在しない。したがって、ワクチン接種をどれだけ拡大できるのかは、すべてに優先する事項である。 ところが日本では、多くの人が1回目のワクチンすら打てない状態であるにもかかわらず、担当大臣が3回目の接種の目処に言及したり、自治体のトップが若年層の接種が進んでいないことを問題視する発言を行うなど、的外れな議論ばかりしている状況だ』、「多くの人が1回目のワクチンすら打てない状態であるにもかかわらず、担当大臣が3回目の接種の目処に言及したり、自治体のトップが若年層の接種が進んでいないことを問題視する発言を行うなど、的外れな議論ばかりしている」、マスコミがそれを問題視しないのも問題だ。
・『リスクを理解した上での議論なのか?  一部の論者は、欧米ではコロナとの共存を前提に、経済を回すフェーズに入っており、日本もそれを見習って、方針を変えるべきだという主張を行っているが、欧米と日本とでは置かれている状況がまるで異なる。欧米各国は希望者に対するワクチン接種はほぼ全て終えており、3回目の接種も始まっている。やれることはすべてやったので、後は覚悟を持って進み、経済を回していこうという趣旨である。 だが日本は、ワクチン接種という最低限のことが出来ておらず、検査態勢が脆弱であることから、十分な検査もできなくなっており、正確な感染者数の把握すら難しくなっている。 また平時から医療従事者が担当しなければならない患者数が欧米各国の3倍に達するなど、そもそも医療体制が貧弱であり、少し負荷が増えただけで簡単に医療崩壊を起こしてしまう(医療体制の拡充には時間がかかるが、政府は1年間の時間的猶予があったにもかかわらず、この作業を怠ってきた。今すぐに体制を拡充できるわけではないと考えた方がよいだろう)。 筆者は経済を専門分野にしているので、心の底から早く経済を回すフェーズに戻って欲しいと思っている。だが、ワクチン接種が進んでおらず、医療が逼迫した中でそれを行えば、演繹的に得られる結論として感染者は放置せざるを得ない。 コロナに感染した妊婦が自宅で早産に追い込まれて新生児が死亡したり、家族全員が感染して母親が自宅で死亡するなど言葉にならない事例が発生しているほか、一部の医療専門家は、コロナ感染者に無精子症など深刻な後遺症が発生していると指摘している。 ワクチン接種が不十分な中で経済優先に舵を切った場合、こうした事例が多発する可能性があることを理解した上での議論なら問題ないのだが、本当にそうだろうか』、旅行業を救うための「GoTo」キャンペーンが「感染」を酷くしたのも記憶に新しいところだ。
・『日本社会特有の「なかった事にしてしまう」症候群  日本人は演繹的に物事を考える際、都合が悪くなると、演繹の前段階における命題を「なかったことにしてしまう」傾向が顕著である。AならばB、BならばCという具合に論理を構成する際、都合が悪くなるとAが存在しなかったことにしてしまうのだ。 例えば今回のケースでいえば、「ワクチン接種以外に根本的な解決方法はない」という命題があったとしよう。この命題が存在するからこそ、「ワクチンパスポートを導入すればより経済を回しやすくなる」あるいは「3回目の接種を行えば変異株についてもある程度の抑制効果が期待できる」といった新しい命題が得られる。 この演繹プロセスにおいてワクチン接種が唯一の解決策であるという命題はすべてのスタート地点であり、もしワクチン接種が進んでいなければ前提条件が変わってしまうので当該演繹を進めることはできない。だがワクチンパスポートで経済を回す話が海外からやってくると、これにすがってしまい、ワクチン接種が進んでいないという現実を無視してパスポート導入を議論したり、3回目接種の是非ばかりに焦点が集まってしまう。 最近では、「変異株が猛威を振るっているので、ワクチン接種には意味がない」という論理まで登場している。変異株が恐ろしいウイルスならば、ワクチンを接種していなければさらに被害は拡大するはずであり、ますますワクチンが必要というのが正しい演繹だが、一部の人には真逆の論理的帰結になってしまうようである。これも演繹の前段階を無意識的に無視した思考の典型といってよいだろう。 人間は不安になると、無意識的に認知バイアスを生じさせる動物だが、最終的には理性を優先させなければ命は守れない。「現時点ではワクチン接種が唯一の解決策である」という命題は、その事実が変化しない限り、動かしてはならない』、「「現時点ではワクチン接種が唯一の解決策である」という命題は、その事実が変化しない限り、動かしてはならない」、同感である。
タグ:パンデミック (経済社会的視点) (その18)(「コロナ病床5%」旧国立・社保庁197病院への疑問 法律あっても病床確保は厚労相のお願いベース、医師・看護師はもう限界!デルタ株で高まる「自衛隊野戦病院」の必要性、西浦博教授が考える「ワクチン接種が進む日本」でこれから先に見込まれる“展開” 明るい未来を切り開くために、日本が現時点で「ワクチンパスポート」を導入することが あまりに「不合理」と言えるワケ) 東洋経済オンライン 松浦 新 「「コロナ病床5%」旧国立・社保庁197病院への疑問 法律あっても病床確保は厚労相のお願いベース」 文字通り厚労省直轄の病院の割には、「コロナ病床」が「5%程度」とはどう考えても少ない。 「厚労相」の弁明は全く理解不能だ。 年金官僚の野放図な無駄遣いにはいまでも腹が立つ。 「民主党は、1カ月もたたないうちに方向転換して、3病院の公営を維持する方針を打ち出す」、きっと官公労の圧力に屈したのだろう。 「厚労相」が弱腰なのが理解できない。野党は追求しないのだろうか。 ダイヤモンド・オンライン 上久保誠人 「医師・看護師はもう限界!デルタ株で高まる「自衛隊野戦病院」の必要性」 病院船などのアイデアには首を傾げざるを得なかったが、「野戦病院」は地に足がついた提案だ。 「英国では、昨年3月にロックダウンを実行したと同時に10日間程度で、国内の医療体制を新型コロナ用にシフトした」、日本では民間中心の医療体制の問題がいち早くから指摘されながら、手つかずでいるのと、「英国」の素早い対応は好対照だ。 「集約のメリット」は確かに大きそうだ。 「英国軍の軍医」と「NHSの医師・看護師」の協力は上手くいったのだろうか。 「英国」で「野戦病院はほとんど使われることがなかったのだが、先回りして体制を整えていたことが重要だ」、同感である。 現代ビジネス 西浦 博 「西浦博教授が考える「ワクチン接種が進む日本」でこれから先に見込まれる“展開” 明るい未来を切り開くために」 「予防接種と非特異的対策のそれぞれで、国際協調を行うことは必要だった」、その通りだ。 「ブースターは1回で済むかと言えば、おそらくそうではなく、今後の流行動態を注意深く見極めることが求められる」、そんなに何回も接種させられるのはかなわない。 「デルタ株でも80%以上の確率で発病を防ぐ」、まずまずだ。 「予防接種後の社会の仕組みに「接種の有無」を組み込むことによって、感染リスクをより低く抑えていく戦略を練ることはできないだろうか」、賛成だ。 「おそらく年単位の時間をかけてそれが起こっていくのだ」、想像以上に長い時間がかかりそうだ。 「テーパリング」は米国の金融政策が超緩和から出口に向けて変化する意味でも使われるが、ここでまで使われているとは、驚いた。 加谷 珪一 「日本が現時点で「ワクチンパスポート」を導入することが、あまりに「不合理」と言えるワケ」 私は単純に「ワクチンパスポート」に賛成していたが、考え直す必要がありそうだ。 「行政当局が意図的に不十分な情報を公表し、自らの都合のよい世論を形成する」、困ったことだ。 「多くの人が1回目のワクチンすら打てない状態であるにもかかわらず、担当大臣が3回目の接種の目処に言及したり、自治体のトップが若年層の接種が進んでいないことを問題視する発言を行うなど、的外れな議論ばかりしている」、マスコミがそれを問題視しないのも問題だ。 旅行業を救うための「GoTo」キャンペーンが「感染」を酷くしたのも記憶に新しいところだ。 「「現時点ではワクチン接種が唯一の解決策である」という命題は、その事実が変化しない限り、動かしてはならない」、同感である。
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