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幼児虐待(その10)(繰り返される子供の置き去り死 「スクールバス大国」の防止策、園児バス置き去り死とその報道に見る 「注意不足」のせいにする危うさ、なぜ通園バスの置き去り事故は繰り返されるのか…「安全装置」で完全解決できると考えてはいけない 「現場力の低下」というニッポンの大問題) [社会]

幼児虐待については、9月15日に取上げた。今日は、(その10)(繰り返される子供の置き去り死 「スクールバス大国」の防止策、園児バス置き去り死とその報道に見る 「注意不足」のせいにする危うさ、なぜ通園バスの置き去り事故は繰り返されるのか…「安全装置」で完全解決できると考えてはいけない 「現場力の低下」というニッポンの大問題)である。

先ずは、9月25日付け産経新聞「繰り返される子供の置き去り死 「スクールバス大国」の防止策」を紹介しよう。
https://www.sankei.com/article/20220925-O3P7FSLSGZKFZECKTA7GZJKD44/
・『幼稚園・保育園のバスの送迎担当者267人のうち、「過去1年に園児だけを残してバスを離れた」と回答したのは15人―。ある企業の調査結果が物語るのは、静岡県牧之原市の認定こども園で今月起きた悲劇が、決して偶然ではないという現実だ。尊い命をどう守るべきか、通園バスでの園児置き去り防止を巡り、各地で対策の見直しが進められている。海外ではバス内に安全装置の設置を義務付けている国もある。専門家は「ミスは必ず起きるとの前提で対策を講じるべきだ」と訴える』、「幼稚園・保育園のバスの送迎担当者267人のうち、「過去1年に園児だけを残してバスを離れた」と回答したのは15人」、とは潜在的には今回のような事故を起こす可能性がかなり高いことを意味。
・『「通知」あったのに  「痛ましい事案が再度起きてしまったことは極めて遺憾で断腸の思い。一体あの通知は何であったのかと思う」。9月6日、永岡桂子文部科学相は記者会見で語気を強めた。 静岡県牧之原市の認定こども園「川崎幼稚園」で同月5日、園児の河本千奈(ちな)ちゃん(3)が通園バス内で意識を失っている状態で見つかり、搬送先の病院で熱中症による死亡が確認された。登園時に下車せず、約5時間にわたり置き去りにされたとみられる。静岡県警は園が安全管理を怠ったとみて、業務上過失致死容疑で詳しい経緯を調べている。 永岡氏が言及した「通知」は昨年8月、幼稚園を所管する文科省と厚生労働省などが全国の自治体に出したものを指す。同年7月、福岡県中間市の保育園で送迎バスに取り残された5歳の男児が死亡した事件を受け、登園時の人数確認を複数回行うといった安全管理の徹底を求める内容だった』、一片の「通知」で事足れりとする当局の姿勢も問題だ。
・『「ルールが形骸化」  悲劇はいつ、どこで起きてもおかしくはない。 合成ゴムなどを扱う三洋貿易(東京)は今年5月、全国の幼稚園・保育園のバスの送迎担当者(運転手、添乗員、運行管理者)267人を対象にオンラインで実態を調べた。 それによると全体の5・6%にあたる15人が「直近1年間で園児を残したままバスを離れた経験がある」と回答。そのうち3人は、園児をバスに残していることを認識していなかったという。 置き去りが発生する理由についても尋ねたところ、いずれの属性も65%以上が「送迎担当者や職員の意識が低いから」と答えた。ただ添乗員からは「人手不足だから」(約56%)、「登園確認などのルールが形骸化しているから」(約43%)といった声も聞かれた』、「登園確認などのルールが形骸化しているから」との声は真相に近そうだが、その防止は容易ではなさそうだ。
・『米国では1千人死亡  個人の意識だけでは限界があるのも事実。海外では新たなシステムを導入するなどの動きも出ている。 同種の死亡事故が相次いだ韓国では2018年に法改正を行い、送迎バス内に置き去りを防ぐ装置の設置を義務付けた。エンジンを切った後、3分以内に車両後方のボタンを押さないと警報音が鳴る仕組み。設置には政府からの交付金が出るが、車内点検を怠った運転手には罰金が科される。 米国では非営利団体の調査により、2021年までの32年間で約1千人の子供が高温の車内に取り残されて死亡したことが判明。人の動きを検知できるセンサーを搭載したスクールバスも登場し、再発防止を模索している』、「32年間で約1千人の子供が高温の車内に取り残されて死亡」とおうことは、年平均では30人強と、やはりかなり多いようだ。
・『ヒューマンエラーは生じる前提で対策を  置き去りの実態調査を行った三洋貿易は、この検知システムを近く国内に導入することを計画。同社の堀内登志徳(としのり)さん(37)によると、センサーはバスの天井に設置され、置き去りになっている人を検知すると、あらかじめ登録しておいた担当者の携帯電話にメッセージなどが届く仕組みになっている。 ルクセンブルクの企業が開発した同システムは「毛布の下に寝ている乳児の動きも検知できる」(堀内さん)ほどの精度を誇る。座席下に潜りこんだ子供でも容易に発見できるという。 静岡県での事件以降、保育施設や自治体から問い合わせが相次いでいる。堀内さんは「人による降車確認などは継続しつつ、最後のとりでとして検知システムを使ってもらい、二重三重に事故を防いでもらいたい」と話す。 大阪教育大教育学部の小崎恭弘(やすひろ)教授(保育学)は「ヒューマンエラーは必ず生じるという前提で、人的リソース(資源)だけでなく、システムも使いながら子供の安全を確保する『壁』を増やすことが大切だ」と強調する。 海外の先行例のように、バス内の安全装置の設置義務化と国による費用補助の必要性を示した上で「危機管理について学ぶ研修制度を作るなど、子供の命を守るために考えうる対策を講じていくべきだ」としている。(小川原咲)』、「ヒューマンエラーは必ず生じるという前提で、人的リソース(資源)だけでなく、システムも使いながら子供の安全を確保する『壁』を増やすことが大切だ」、同感である。

次に、9月16日付けNewsweek日本版が掲載した立正大学教授(犯罪学)・社会学博士の小宮信夫氏による「園児バス置き去り死とその報道に見る、「注意不足」のせいにする危うさ」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/komiya/2022/09/post-10_1.php
・『<多くの事故や事件は発生確率が高い状況で起こっている。「運が悪かった」「注意するから大丈夫」で片付けず、再発を防ぐために知っておくべきこと> 今月5日、静岡県牧之原市の認定こども園で、女児がバスで登園後、5時間にわたり車内に置き去りにされ、熱中症で亡くなった。この「置き去り死」をめぐって報道が過熱したが、そのほとんどは「人」に注目する「犯罪原因論」である。悪者を懲らしめたい気持ちは理解できる。しかし残念ながら、それだけでは再発は防げない。 人は絶えず注意することはできない。人はロボットと異なり、「注意モード」と「不注意モード」を行ったり来たりしている。問題は、注意すべきときにどうすれば注意できるかである。 「注意モード」をオンにする確実な方法は、キュー(開始の合図)を出すことだ。その方法を開発してきたのが「デザイン」に注目する「犯罪機会論」である。「人はミスをする」を前提にして、安全確保の「持続可能性」を高める手法だ。 「犯罪機会論」によって、事件や事故が起きやすい場所は「入りやすく見えにくい場所」であることが、すでに分かっている。 例えば、静岡の認定こども園の「置き去り死」では、「バスは車体全面にデザインが施され、外から車内の様子が確認しづらいつくりだった」(日本経済新聞)ことが指摘されている。バス内を「見えにくい場所」にしていたのだ。 読売新聞によると、幼稚園側は、バスの窓がイラストで覆われて外から車内が見えにくい不備を認めているという。朝日新聞は、「せめて普通の窓だったら、異常に気がつく可能性もあったかもしれない」という隣家の住人の声を伝えている。 つまり、ちょっとした配慮で防げた「置き去り死」である。弱い立場の子どもと接する人にとって、最優先であるはずの安全がないがしろにされていたのだ。なぜ、「手抜き」が放置されていても、気にならないのだろうか』、「人はロボットと異なり、「注意モード」と「不注意モード」を行ったり来たりしている。問題は、注意すべきときにどうすれば注意できるかである。 「注意モード」をオンにする確実な方法は、キュー・・・を出すことだ。その方法を開発してきたのが「デザイン」に注目する「犯罪機会論」である。「人はミスをする」を前提にして、安全確保の「持続可能性」を高める手法だ。 「犯罪機会論」によって、事件や事故が起きやすい場所は「入りやすく見えにくい場所」であることが、すでに分かっている。 例えば、静岡の認定こども園の「置き去り死」では、「バスは車体全面にデザインが施され、外から車内の様子が確認しづらいつくりだった」」、「犯罪機会論」とは初めて聞いたが、この問題への切り口としては適合していそうだ。
・『「注意するから大丈夫」の危うさ  そういえば、大阪教育大付属池田小事件も、門が閉まっていたら起きていなかったかもしれない。犯人は法廷で「門が閉まっていたら乗り越えてまで入ろうとは思わなかった」と述べている。 「がんばれば大丈夫」という精神論が強いせいなのだろうか、科学で安全を守る「犯罪機会論」が低調だ。そのため、「置き去り死」をもたらした通園バスのような、「犯罪機会論」に反するデザインは、日本の至る所で見られる。 例えば、アメリカ生まれのコンビニは、元々、アメリカでの犯罪実態の調査を踏まえて、全面ガラス張りの広い窓というデザインを採用した。「見えやすい場所」にしたわけだ。しかし、日本に輸入されると、窓ガラスに大きなポスターが貼られ、「見えにくい場所」になってしまった。これでは、店内では万引きや強盗が起きやすくなり、店の外では車両荒らしや誘拐がしやすくなってしまう。 乗降中の通学通園バスを後続車が追い越したり、対向車がバスとすれ違ったりする際の安全確保についても、「精神論」対「機会論」という構図が見られる。 日本では「徐行して安全を確認する」(道路交通法)だけでよいが、アメリカやカナダでは、後続車や対向車は停車しなければならない。つまり、日本では「注意するから大丈夫」(原因論)だが、アメリカやカナダでは「注意力は当てにならない」(機会論)なのである。 このように、日本人の多くは、「人」に注目する「犯罪原因論」にどっぷりつかっていて、「場所(景色)」に注目する「犯罪機会論」を知らない。そのため、防げたはずの事故や事件を防げていない。 「人がトラブルに巻き込まれるのは知らないからではない。知っていると思い込んでいるからである」 アメリカの作家マーク・トウェインは、そう語ったと伝えられているが、事故や事件についても同じことが言える。 事故や事件が発生しても、それは偶然であって、運が悪かったと考えるのが日本人の常識である。しかし、そのほとんどは、事故や事件の発生確率が高い状況で起こっている。言い換えれば、確率の高低さえ分かっていれば、防げたはずの事故や事件ばかりなのである』、「日本では「徐行して安全を確認する」(道路交通法)だけでよいが、アメリカやカナダでは、後続車や対向車は停車しなければならない。つまり、日本では「注意するから大丈夫」(原因論)だが、アメリカやカナダでは「注意力は当てにならない」(機会論)なのである。 このように、日本人の多くは、「人」に注目する「犯罪原因論」にどっぷりつかっていて、「場所(景色)」に注目する「犯罪機会論」を知らない。そのため、防げたはずの事故や事件を防げていない」、日本の「原因論」は精神主義的で、「機会論」の方が優れているようだ。
・『日本の常識は世界の非常識  現代のような情報社会にあっては、事故や事件に関する情報は満ちあふれている。そのため人々は、事故や事件について知っていると思い込んでいる。事故や事件が起これば、そこかしこで、そのコメントが飛び交うものの、日本の常識は世界の非常識であることが多い。例えば、次のうち、知っているのはいくつあるだろうか。 1 事故や事件は、「入りやすく見えにくい場所」で起こりやすい(犯罪機会論)。いじめや労働災害も「入りやすく見えにくい場所」で起きやすい。インターネットやSNSで犯罪に巻き込まれるのは、そこが「入りやすく見えにくい場所」だからだ。 2 日本では、「不審者」という言葉が普通に使われている(犯罪原因論)。しかし海外では、この言葉は使われていない。そのため、学校でも「不審者に気をつけて」と子どもたちに教えたりはしない。教えているのは、「危険な状況」や「だまされない方法」だ(犯罪機会論)。 3 日本では、防犯ブザーを渡し、「大声で助けを呼べ」「走って逃げろ」と指導している(犯罪原因論)。これらは犯罪発生後のことであり、襲われたらどうするかという「クライシス・マネジメント」である。しかし海外では、襲われないためにはどうするかという「リスク・マネジメント」が主流だ(犯罪機会論)。) 4 日本のドラマや映画には、見るからに異常という犯罪者がしばしば登場する(犯罪原因論)。しかし海外のドラマや映画では、「機会の連鎖の結果が犯罪」というリアリティが的確に描かれている(犯罪機会論)。 5 イギリスの「犯罪及び秩序違反法」は、地方自治体に対して、犯罪防止に配慮して各種施策を実施する義務を課している。自治体がこの義務に違反した場合には、自治体が被害者から訴えられる可能性がある。例えば、犯罪機会論を無視して設計された公園で事件が起きた場合、莫大な賠償金を支払うことになるかもしれない。 6 交通事故の防止に有効とされる手法にハンプ(英語で「こぶ」の意)がある。車の減速を促す路面の盛り上がりで、通過する車は嫌でもスピードを落とさざるを得ない(入りにくい場所)。世界中で当たり前に設置されているが、日本では普及が進んでいない。 7 プールは「入りやすく見えにくい場所」である。かつて「水中の格闘技」と呼ばれる水球でも、水面下で相手の水着を引っ張ったり、つかんだりといった反則が横行していた。そこで、水の透明度を高める化学薬品を採用し、以前より水中を見通せるようにした。 8 海外のトイレでは、日本と異なり、男女別の身体障害者用トイレを設置したり、男女それぞれのトイレの中に障害者用個室を設けたりしている。男性用トイレの入り口と女性用トイレの入り口を左右にかなり離したり、建物の表側と裏側に設けたりすることも珍しくない(入りにくい場所)。 9 日本の公園では、犯罪機会論の基本である「ゾーニング(すみ分け)」が進んでおらず、「みんなの公園」という意識が強い。海外の公園では、子ども向けエリアと大人向けエリアを、フェンスやカラーで明確にゾーニングし、遊具は子ども向けエリアに、樹木は大人向けエリアに集中させている(入りにくく見えやすい場所)。 10 警察の警備において、犯罪機会論が基本理論になっていない。つまり、「ゾーニング」や「多層防御」の戦略や戦術が乏しい。その結果起きたのが、安倍元首相銃撃事件だ。暗殺が実行されたのは、そこが「入りやすく見えにくい場所」だったからである。 防げる事故や事件は、確実に防いでいきたい。それが、犠牲になった子どもへの、せめてもの供養である』、「日本」でも「犯罪原因論」が中心で、海外のような「犯罪機会論」は殆ど浸透してない。「警察の警備において、犯罪機会論が基本理論になっていない」、「日本の常識は世界の非常識」なのは残念だ。もっと「犯罪機会論」を様々なレベルで取り入れてゆくべきだろう。

第三に、9月21日付けPRESIDENT Onlineが掲載した経済ジャーナリストの磯山 友幸氏による「なぜ通園バスの置き去り事故は繰り返されるのか…「安全装置」で完全解決できると考えてはいけない 「現場力の低下」というニッポンの大問題」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/61890
・『安全装置の設置義務化は早急に進めるべきだが…  またしても悲しい事故が繰り返された。静岡県牧之原市の認定こども園で3歳の園児が送迎バス内に置き去りにされ死亡した。昨年7月に福岡県中間市の保育園で5歳の園児が同様に送迎バスに取り残されて熱中症で亡くなり大きなニュースになったばかり。保育園・幼稚園関係者は危機感を持ってそれを聞いたはずだが、残念ながらその教訓は生かされなかった。 政府は事態を重く見て、送迎バスを持つ全国の幼稚園・保育所などを点検し、安全管理マニュアルの策定する「緊急対策」を10月中にもまとめる方針を示している。それでもマニュアルに沿って実際に行動するのは人間。ヒューマンエラー(人為ミス)をゼロにすることは難しい。 そこで、多くのメディアや識者からあがっているのが、人感センサーなど安全装置の設置義務付けだ。今回のようにミスがいくつも重なったとしても、子どもの命を救う事ができる仕組みを構築すべきだ、というわけだ。 実際、欧米などでは自動車にそうしたセンサーを取り付ける動きが広がっており、米国などでは標準装備として義務化する方向に動いている。日本に輸入する欧州車などの一部には、すでに置き去り防止のセンサーが装備されている車種もある。そうした安全装置の送迎バスへの設置義務化は早急に進めるべきだろう』、「そうした安全装置の送迎バスへの設置義務化は早急に進めるべき」、その通りだ。
・『ヒューマンエラーは機械で100%解決できる問題ではない  だが、そうした安全装置を付ければ100%死亡事故が防げるわけではない。 あくまで機械だから、故障することはあり得る。定期的なメンテナンスやチェックも重要だが、それを担うのも人間だ。センサーの設置を義務付けても、そのスイッチをオフにしてしまうことだってあり得る。 毎年夏になると、送迎バスではなく、駐車場に止めた自家用車の中に置き去りにされ熱中症になる子供の話が報じられる。その多くが、買い物やパチンコに夢中になった母親が、車に待たせた(置き去りにした)子供のことをすっかり忘れたために起きる。あるいは「これぐらいの時間ならば大丈夫だろう」と“意図的に”置き去りにしている。こうした場合、仮にセンサーが付いていても、装置の設定スイッチをオフにするに違いない。 輸入車のカーディーラーによると、この装置が付いていると、コンビニで買い物をする時に、載せているペットが動くだけで作動してしまう。これを避けるために機能をオフにしている人も少なくないという。 今後、日本でもセンサーによる安全装置が標準装備になっていくに違いないが、それでヒューマンエラーがなくなるわけではないのだ。 送迎専用のバスならば、スイッチをオフにすることはないだろうが、機械のことだから、誤作動することはあり得る。誤作動を嫌ってスイッチを切る運転手が出てくるかもしれないのだ』、個人用では、「輸入車のカーディーラーによると、この装置が付いていると、コンビニで買い物をする時に、載せているペットが動くだけで作動してしまう。これを避けるために機能をオフにしている人も少なくないという」、「送迎専用のバスならば、スイッチをオフにすることはないだろうが、機械のことだから、誤作動することはあり得る。誤作動を嫌ってスイッチを切る運転手が出てくるかもしれない」、大いにあり得そうだ。
・『鉄道現場には“指差喚呼”という動作がある  では、どうやったら事故は防げるか。基本的には人為ミスを防ぐために「訓練」することだろう。 日本の鉄道現場には「指差喚呼しさかんこ」と呼ばれる安全確認の動作がある。運転手や車掌が青信号を指差しながら「信号よし!」と大きな声を出す、あの仕草である。 明治時代に始まったとされるが、今日まで国内の鉄道では当たり前の安全確認法になっている。それは、自動列車停止装置などの安全装置が当たり前になった今でも変わらない。この指差喚呼、日本特有の慣行だそうだが、鉄道現場だけでなく、製造業の工場や工事現場などでも幅広く使われている。たとえ相方がいなくても大きな声を出すことで、自分自身の注意力が喚起される。 しかも、この「指差喚呼」を新人教育などで、徹底的に叩き込む。「身体に覚えさせる」わけだ。列車を走らせる前には必ず声を出して安全を確認するという動作を「ルーティーン」化する。いくら綿密なマニュアルを作っても、それが現場で実践されなければ意味がない。実践させるためには繰り返し「訓練」する事が重要だ。バスを止めて子供を下ろしたら、残っている子供はいないか、椅子の下を指差しながら、「座席よし」といった具合に大きな声で確認する。一見、単純な作業でも、安全確認としては大きな効果を上げるはずだ』、「鉄道現場」の「“指差喚呼”」を「送迎バス」にも導入すべきとの提案は大いに検討に値する。確かに、「必ず声を出して安全を確認するという動作を「ルーティーン」化する」、「実践させるためには繰り返し「訓練」する事が重要だ」、その通りだ。
・『マニュアルを守ることが目的になってはいけない  センサーなどの安全装置や、マニュアルは重要には違いない。だがともすると、センサーがあるから確認を怠っても問題は起きないという「機械任せ」の油断が生じる。マニュアル通りに作業を行っていたのに事故になった、と首を捻ることにもなりかねない。「最後は自分の責任だ」と運転手自身が肝に銘じることこそが重要なのだ。 実は、そうした「現場の責任感」が強いことが、欧米の企業経営者から称賛されてきた。「日本企業の強さは『ゲンバ』だ」と破綻の淵に追い込まれた日産自動車に乗り込んだ当時のカルロス・ゴーンは舌を巻いたものだ。 そのゲンバの強さは細かいマニュアルが整備されていたからできたわけではなく、現場を預かる一人ひとりが問題点や危険性を察知して対処、改善することができたからだ。その後、経営効率化の中で、欧米流の経営スタイルから入ってきたマニュアル重視の姿勢に対して、古くからの現場の職人の多くが「最近はマニュアル人間ばかりになった」と批判していた。 仕事の最終目的はより良い製品を作ることであって、マニュアルを遵守していれば良い、というものではない。それが「現場の責任」というものだった』、「ゲンバの強さは細かいマニュアルが整備されていたからできたわけではなく、現場を預かる一人ひとりが問題点や危険性を察知して対処、改善することができたからだ。その後、経営効率化の中で、欧米流の経営スタイルから入ってきたマニュアル重視の姿勢に対して、古くからの現場の職人の多くが「最近はマニュアル人間ばかりになった」と批判・・・仕事の最終目的はより良い製品を作ることであって、マニュアルを遵守していれば良い、というものではない。それが「現場の責任」というものだった」、確かにその通りだ。
・『日本の製造業で「現場力」が失われている  最近、日本の製造業の工場などで「現場が崩壊寸前だ」という声を聞くようになった。コスト削減優先の中で、数年しか働けない技能実習生に現場を任せるところが増えてきた。現場にベテラン作業員がいても高齢化でいつまで勤められるか分からない、と言う。どんどんマニュアル化、機械化して、熟練のベテランは姿を消しつつある。 つまり、現場で責任感をもって仕事をこなす人の力が落ちているというのだ。 現場のいわば“プロ”が減って、「リスク(危険)」を捉える力も落ちている。リスクというのは予想外の事から起きる。すべてマニュアルに書いてあるわけではない。かつては、現場で経験を積んでいる中で、様々なリスクに直面し、自ら解決策や善処方法を会得したものだが、最近は「想定外」に直面した結果、対応が後手に回るケースが少なくない。こういうことが起きれば、こんな事態が生じるかもしれない、という現場ならではの「想像力」が欠落するようになっているのだ』、「かつては、現場で経験を積んでいる中で、様々なリスクに直面し、自ら解決策や善処方法を会得したものだが、最近は「想定外」に直面した結果、対応が後手に回るケースが少なくない。こういうことが起きれば、こんな事態が生じるかもしれない、という現場ならではの「想像力」が欠落するようになっている」、これは面白い見方で、真相を突いているのかも知れない。
・『このままでは不幸な事故は繰り返される  通園バスを日々運転していれば、降りる際に子供がいたずらで椅子の下に隠れているようなことに遭遇するだろう。万が一、椅子の下にいて炎天下で放置されればどうなるか、車内の温度は何度ぐらいになるかリスクに対する「想像力」が働けば、自ら「指差喚呼」して子供が残っていないことを確認するに違いない。漫然と仕事をこなしているから事故は起きる。 残念ながら、今の学校教育では、そうした「想像力」を養うような授業が行われていないのだろう。マニュアル的な知識習得が優先され、A=Bといった答えだけを求める教育が行われている。どんな事にも「リスク」があり、一方で「ベネフィット(利益)」を得ようとすればリスクをゼロにすることはできない。 つまり、ベネフィットを得るためにどうやってリスクを最小化するかという、まさに「現場」で経験的に積み上げられてきた知恵が失われていっているのではないか。 相次いだ通園バス置き去り問題は、日本の「現場力」の弱体化を示しているように見える。だとすると、マニュアル化や機械化をいくら進めても、不幸な事故は形を変えて起き続けるに違いない』、「どんな事にも「リスク」があり、一方で「ベネフィット(利益)」を得ようとすればリスクをゼロにすることはできない。 つまり、ベネフィットを得るためにどうやってリスクを最小化するかという、まさに「現場」で経験的に積み上げられてきた知恵が失われていっているのではないか。 相次いだ通園バス置き去り問題は、日本の「現場力」の弱体化を示しているように見える。だとすると、マニュアル化や機械化をいくら進めても、不幸な事故は形を変えて起き続けるに違いない」、その通りなのだろう。
タグ:(その10)(繰り返される子供の置き去り死 「スクールバス大国」の防止策、園児バス置き去り死とその報道に見る 「注意不足」のせいにする危うさ、なぜ通園バスの置き去り事故は繰り返されるのか…「安全装置」で完全解決できると考えてはいけない 「現場力の低下」というニッポンの大問題) 幼児虐待 産経新聞「繰り返される子供の置き去り死 「スクールバス大国」の防止策」 「幼稚園・保育園のバスの送迎担当者267人のうち、「過去1年に園児だけを残してバスを離れた」と回答したのは15人」、とは潜在的には今回のような事故を起こす可能性がかなり高いことを意味。 一片の「通知」で事足れりとする当局の姿勢も問題だ。 「登園確認などのルールが形骸化しているから」との声は真相に近そうだが、その防止は容易ではなさそうだ。 「32年間で約1千人の子供が高温の車内に取り残されて死亡」とおうことは、年平均では30人強と、やはりかなり多いようだ。 「ヒューマンエラーは必ず生じるという前提で、人的リソース(資源)だけでなく、システムも使いながら子供の安全を確保する『壁』を増やすことが大切だ」、同感である。 Newsweek日本版 小宮信夫氏による「園児バス置き去り死とその報道に見る、「注意不足」のせいにする危うさ」 「人はロボットと異なり、「注意モード」と「不注意モード」を行ったり来たりしている。問題は、注意すべきときにどうすれば注意できるかである。 「注意モード」をオンにする確実な方法は、キュー・・・を出すことだ。その方法を開発してきたのが「デザイン」に注目する「犯罪機会論」である。「人はミスをする」を前提にして、安全確保の「持続可能性」を高める手法だ。 「犯罪機会論」によって、事件や事故が起きやすい場所は「入りやすく見えにくい場所」であることが、すでに分かっている。 例えば、静岡の認定こども園の「置き去り死」では、「バスは車体全面にデザインが施され、外から車内の様子が確認しづらいつくりだった」」、「犯罪機会論」とは初めて聞いたが、この問題への切り口としては適合していそうだ。 「日本では「徐行して安全を確認する」(道路交通法)だけでよいが、アメリカやカナダでは、後続車や対向車は停車しなければならない。つまり、日本では「注意するから大丈夫」(原因論)だが、アメリカやカナダでは「注意力は当てにならない」(機会論)なのである。 このように、日本人の多くは、「人」に注目する「犯罪原因論」にどっぷりつかっていて、「場所(景色)」に注目する「犯罪機会論」を知らない。そのため、防げたはずの事故や事件を防げていない」、日本の「原因論」は精神主義的で、「機会論」の方が優れているようだ。 日本の常識は世界の非常識 1 事故や事件は、「入りやすく見えにくい場所」で起こりやすい(犯罪機会論) 2 日本では、「不審者」という言葉が普通に使われている(犯罪原因論)。しかし海外では、この言葉は使われていない 3 日本では、防犯ブザーを渡し、「大声で助けを呼べ」「走って逃げろ」と指導している(犯罪原因論) これらは犯罪発生後のことであり、襲われたらどうするかという「クライシス・マネジメント」である。しかし海外では、襲われないためにはどうするかという「リスク・マネジメント」が主流だ(犯罪機会論) 4 日本のドラマや映画には、見るからに異常という犯罪者がしばしば登場する(犯罪原因論)。しかし海外のドラマや映画では、「機会の連鎖の結果が犯罪」というリアリティが的確に描かれている(犯罪機会論) 5 イギリスの「犯罪及び秩序違反法」は、地方自治体に対して、犯罪防止に配慮して各種施策を実施する義務を課している 交通事故の防止に有効とされる手法にハンプ(英語で「こぶ」の意)がある 8 海外のトイレでは、日本と異なり、男女別の身体障害者用トイレを設置したり、男女それぞれのトイレの中に障害者用個室を設けたりしている 9 日本の公園では、犯罪機会論の基本である「ゾーニング(すみ分け)」が進んでおらず、「みんなの公園」という意識が強い。海外の公園では、子ども向けエリアと大人向けエリアを、フェンスやカラーで明確にゾーニングし、遊具は子ども向けエリアに、樹木は大人向けエリアに集中させている(入りにくく見えやすい場所) 10 警察の警備において、犯罪機会論が基本理論になっていない。つまり、「ゾーニング」や「多層防御」の戦略や戦術が乏しい。その結果起きたのが、安倍元首相銃撃事件だ 「日本」でも「犯罪原因論」が中心で、海外のような「犯罪機会論」は殆ど浸透してない。「警察の警備において、犯罪機会論が基本理論になっていない」、「日本の常識は世界の非常識」なのは残念だ。もっと「犯罪機会論」を様々なレベルで取り入れてゆくべきだろう。 PRESIDENT ONLINE 磯山 友幸氏による「なぜ通園バスの置き去り事故は繰り返されるのか…「安全装置」で完全解決できると考えてはいけない 「現場力の低下」というニッポンの大問題」 「そうした安全装置の送迎バスへの設置義務化は早急に進めるべき」、その通りだ。 個人用では、「輸入車のカーディーラーによると、この装置が付いていると、コンビニで買い物をする時に、載せているペットが動くだけで作動してしまう。これを避けるために機能をオフにしている人も少なくないという」、「送迎専用のバスならば、スイッチをオフにすることはないだろうが、機械のことだから、誤作動することはあり得る。誤作動を嫌ってスイッチを切る運転手が出てくるかもしれない」、大いにあり得そうだ。 「鉄道現場」の「“指差喚呼”」を「送迎バス」にも導入すべきとの提案は大いに検討に値する。確かに、「必ず声を出して安全を確認するという動作を「ルーティーン」化する」、「実践させるためには繰り返し「訓練」する事が重要だ」、その通りだ。 「ゲンバの強さは細かいマニュアルが整備されていたからできたわけではなく、現場を預かる一人ひとりが問題点や危険性を察知して対処、改善することができたからだ。その後、経営効率化の中で、欧米流の経営スタイルから入ってきたマニュアル重視の姿勢に対して、古くからの現場の職人の多くが「最近はマニュアル人間ばかりになった」と批判・・・仕事の最終目的はより良い製品を作ることであって、マニュアルを遵守していれば良い、というものではない。それが「現場の責任」というものだった」、確かにその通りだ。 「かつては、現場で経験を積んでいる中で、様々なリスクに直面し、自ら解決策や善処方法を会得したものだが、最近は「想定外」に直面した結果、対応が後手に回るケースが少なくない。こういうことが起きれば、こんな事態が生じるかもしれない、という現場ならではの「想像力」が欠落するようになっている」、これは面白い見方で、真相を突いているのかも知れない。 「どんな事にも「リスク」があり、一方で「ベネフィット(利益)」を得ようとすればリスクをゼロにすることはできない。 つまり、ベネフィットを得るためにどうやってリスクを最小化するかという、まさに「現場」で経験的に積み上げられてきた知恵が失われていっているのではないか。 相次いだ通園バス置き去り問題は、日本の「現場力」の弱体化を示しているように見える。だとすると、マニュアル化や機械化をいくら進めても、不幸な事故は形を変えて起き続けるに違いない」、その通りなのだろう。
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