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ソニーの経営問題(その6)初代CFO・伊庭保が語る慟哭 [企業経営]

昨日に続いて、ソニーの経営問題(その6)初代CFO・伊庭保が語る慟哭 を取上げよう。

先ずは、5月23日付け日経ビジネスオンライン「「だから私はソニーに提言書を送った」 初代CFO・伊庭保が語る慟哭(上)」を紹介しよう(▽は小見出し、――は聞き手の質問、+は伊庭の回答のなかの区切り)。
・戦後間もなく発足し、かつては世界に驚きを与え続けたソニーが、今も苦しみ続けている。業績は回復してきたものの、国内外で圧倒的なブランド力を築いた面影は、もはやない。日本人に希望をもたらしたソニーは、どこで道を誤ったのか。長くソニーの歩みを見た経営幹部が、今だからこそ話せる赤裸々なエピソードとともに、ソニーの絶頂と凋落を振り返る。あの時、ソニーはどうすべきだったのか。
・連載2回目は、出井体制が実質的にスタートした1995年に、初代CFO(最高財務責任者)へ就任した伊庭保氏。連載1回目に登場した丸山茂雄氏が師と仰ぐ人物だ。当時のソニーの売上高の約半分に迫る、2兆円近くの有利子負債を抱えていた時期にCFOの職にあった同氏が語る。今回はその前編。
――伊庭さんは、2014年11月から複数回にわたって、ソニーの首脳陣宛てに経営改革の提言書を送っています。ソニーで要職を歴任したOBが、こうした提言書を作成して送付するのは異例だと思います。真意は何だったのでしょう。
伊庭氏(以下、伊庭):突発的にそんなことをしようと考えたわけではなくて、もう10年くらい前から続く長年の経営不振を見てきた結果の行動だということを、まず理解してもらいたい。
+振り返ると、2006年にソニーは顧問制度を廃止して、私はそこで顧問を退任した。ソニーの「社友」という肩書はまだあるけれど、顧問を退任したことで、ソニーの仕事からは完全に離れた。
+その頃から、ストリンガー(ハワード・ストリンガー、ソニーの会長兼CEOなどを歴任)の経営について憂慮する声が、OBだけでなく社員からも漏れ伝わってくるようになってきたんだ。ただ、それでも私は、まだ先行きを楽観していた。ソニーは人材の層が厚い。一時的に調子が悪くなってもそのうち何とかなるだろう、とね。
+テレビ部門を中心に採算性が急速に悪化していたエレクトロニクス(エレキ)事業の再興については、中鉢(良治、ソニーの社長兼エレクトロニクスCEOなどを歴任)さんに期待していた部分もあった。彼はストリンガーとは違って技術者だったからね。
+ただ、中鉢さんは技術系の人材とはいえ、得意なのは磁気製品といった素材分野。最終製品まで見なければならない全エレキ分野の事業を指揮するのは荷が重かったようだ。エレキ事業のCEOとなっていたけれど、社内外の期待に応えることができなかった、と言わざるを得ない。
▽「技術系人材が生かされていない」
――結局その後、中鉢さんが社長職を離れ、それまで会長兼CEOだったストリンガー氏が社長を兼務する体制になりました。
伊庭:ストリンガーは「四銃士」と称する次期CEO候補者を4人、指名した。その中には2人の技術系人材が入っていたけれど、彼らはストリンガーから適格でないと判断されたようだ。最終的には技術系ではない平井(一夫、現ソニーの社長兼CEO)さんがストリンガーの後継者となった。
+ストリンガーもソニーの経営トップとして、技術の重要性は理解していたとは思う。けれど、ソニー本社の生え抜きの技術系人材は、経営者に向いてないと判断したのだろう。中鉢さんが経営の一線から退いた後は、生え抜きの技術系社内取締役がいなくなってしまった。 執行役レベルの人事にも、「技術系人材は経営者としての資質を欠く」といったストリンガーの思いが反映されていたようだ。明確な説明があったわけではないけれど、ソニーの経営に参画する技術系人材がめっきり減ってしまった理由は、このように理解しないと説明がつかない。
+ようやくストリンガーが経営トップから退いて、平井さんが社長兼CEOに就任したのが2012年度。社長就任の初年度こそ、資産売却によって連結の最終損益は黒字になった。けれど2013年度はエレキ事業の赤字が原因で最終損益も赤字に。2014年度も2年連続の赤字見通しとなっており、業績回復の兆しが一向に見えない状況になった。 平井さんはストリンガーと違って、もっと技術系人材を経営に参画させると私は期待していた。が、そうではなかった。今も技術系人材が十分に生かされてない。
▽「このままソニーが凋落するのは忍びない」
――平井さんが社長になり、久しぶりに日本人の経営トップに戻ったのに全く状況が変わらないことに危機感を覚えて、提言書を作って訴えようと考えたわけですね。
伊庭:こういった問題意識を持ったのは私だけではなくて、多くのOBも同様だ。それぞれ意見の濃淡はあるけれど「技術系人材をもっと経営に参画させるべきだ」という点は共通していた。そこで私は、エレキ事業の業績低迷の原因を自分なりに分析し始めたわけだ。 
+プレステ(プレイステーション、ソニー・コンピュータエンタテインメントが日本では1994年に発売した)後の20年以上、ソニーは、イノベーティブと称されるような製品を生み出してこなかった。その原因はソニーの取締役会や経営陣に、エレキ事業を熟知する技術系人材が少ないことに帰着する、と仮説を立てた。 だからこそ、生え抜きの技術者を取締役や執行役にもっと選任し、技術を熟知した人材を経営に投入していくことが業績低迷から抜け出す有力な方法である、と考えるようになったんだ。
+実際に、井深(大、ソニー創業者)さん、盛田(昭夫、ソニー創業者)さん、岩間(和夫、元ソニー社長)さんと、かつては技術系の経営者が、輝かしい歴史を持つソニーを創ってきた。それなのにその伝統が受け継がれず、このままソニーが凋落していくのを見るのは忍びない。 「何とかしなければ」という気持ちにかられて、やむにやまれず、現在の首脳陣に経営改革を促す提言書を書くことにした。私の意見だけではなく、複数のソニーOBとも議論を重ねて、それも踏まえて提言書をまとめた。
▽現役幹部との議論は「いつも平行線」
――提言書を送る前に、ソニーの広報担当の幹部などとも会って、話をしていますよね。
伊庭:提言書の作成に際して、コーポレート・ガバナンスの観点も盛り込み、事実関係の正確性を期するために、ソニー本社の広報や法務担当の役員などと何回か打ち合わせをしたのは事実だ。 ただ、当然かもしれないけれど、彼らはソニーの取締役会の構成や役割について、現状を擁護することにこだわっていた。彼らの意見は形式論が多く、「ソニーにとって最適な取締役会や経営陣の構成はいかにあるべきか」という重要な視点が欠けていた。
+そのため私と彼らの議論は、いつも平行線をたどっていたよ。残念なことに、ソニー社内でこの議論が“神学論争”というふうに揶揄されている、という話も漏れ伝わってくるようになってきてね。「ソニーのために何が最善かという発想を、いつもするように」と盛田さんに鍛えられた世代にとっては、天を仰いで嘆きたくなる気持ちになったよ。
+そしていつしか「彼らと話しても仕方がない」「経営陣に直接訴えるしかない」と思うようになって、幹部レベルとの打ち合わせはやめた。結局、彼らを経由して聞く限りでは、「ソニーにとって最適な取締役会や経営陣の構成はいかにあるべきか」という点で、平井さんや吉田(憲一郎、現ソニーの副社長兼CFO)さんの考え方は不明だった。であればもう、直接提言書を経営陣宛てに送るしかない。
+提言書は複数書いたけれど、いずれもソニーにおける経営機構の変遷の歴史を掘り起こし、それらを踏まえて、できるだけ丁寧にソニーにとって最適な経営体制はいかにあるべきかをまとめたつもりだ。
▽製造業の経営者は「テクノロジスト」たれ
伊庭:盛田さんの言葉も引用した。例えば、盛田さんは「テクノロジストが経営者であるべきだ」とよく言っていた。「テクノロジスト」とは、「技術を理解するだけでなく、技術の方向性を見極め、将来まで見通せる能力を持った人材」のことだよ。 ソニーも含め、製造業のトップは本来、みなそうあるべきだと私は思っている。特にソニーの場合、歴史を紐解けば、優れたテクノロジストが経営者だったことが、過去の輝かしい成功の鍵になっていた。
+その事実から導けることは、もし経営トップが「テクノロジストでない」なら、経営トップの右腕としてエレキ事業の技術を熟知した人材を配置し、経営チームとして一体でテクノロジストとしての役割を果たせるようにすべき、ということでしょう。
+盛田さんはソニーが困難に直面した時、社員に警句を発して鼓舞されていた。「部課長会同」と呼ばれる部長や課長クラスが出席する会議があって、当時はみんな、そこで盛田さんの話を直接聞けることが楽しみだったんだ。一つ一つの言葉が心に残って、やる気も生まれてきたよ。 同時にたくさんの名スピーチも生まれた。 「会社がつぶれるのは在庫がたまるからだ。これは自家中毒だ。ほかの原因はない」「会社は新入社員を選ぶ。新入社員も会社を選ぶ権利があるから、合わなければやめてよい」――。製品の品質の低下を「悲しいことだ」と率直に危機感を訴えられたこともあった。いずれも1980年代の頃だったかな。
▽提言書は「完全に無視された」
――提言書を送った後、平井さんやほかの取締役など、ソニー経営陣から反応はありましたか。
伊庭:残念なことに、複数の提言書を作成してその都度送ったけれど、経営陣から提言書に対する回答は何も返ってこなかったな。私の提言をあえて無視することで、「今の経営機構でいいんだ」と答えたつもりなのかもしれないね。
+時間をかけて、ソニーにおける経営機構の変遷の歴史を掘り起こし、それを踏まえて、できるだけ丁寧にソニーにとって最適な経営はいかにあるべきかという意見をまとめたつもりだった。けれど平井さんや吉田さんに加え、取締役や執行役クラスからも、誰からも何の反応も回答もない。 完全に無視されている状態が続いて気分はよくないよね。 提言を無視して議論を避ける理由をあれこれ詮索しても意味はないけど、どうやら、我々OBと現在の経営陣の価値観が違っているのは確かなようだ。
▽提言書が鈴木副社長誕生のきっかけに?
――結局、ソニー経営陣に提言書を送った行為はムダに終わった、と。
伊庭:必ずしも、そうとは言い切れない。提言書を送った効果としてポジティブに受け止めたいことは、鈴木(智行、現ソニー副社長)さんが、2015年度に副社長に就任するきっかけとなった可能性があるからだよ。ソニーの経営陣は、「そんなことはない」って否定するかもしれないけど。
+鈴木さんは、半導体を中心にデバイス分野の経験が長いエンジニアで、エレキ事業の再興に情熱を燃やしているようだ。人づてに聞いたのだけれど、ソニーに入社した時、彼は「俺は将来、ソニーの社長になるぞ」と周囲に語っていたとか。そんな心意気があるなら、技術系経営者として期待できるのではないだろうか。技術系出身ながら、期待に応えられなかった中鉢さんとは違う、と考えたいな。
+仮に今後、鈴木さんが社内取締役に選任されれば、ソニーの経営がもっと技術重視に変わるのではないかとも期待している。これだけで全ての問題が解決するとは思わないが、そうなれば大きな前進だと思う。
▽非技術系の経営者は数字の改善ばかり重視しすぎる
――伊庭さんがソニーに送付した提言書をここで全て公開するのは難しいと思いますが、提言書にあるという「なぜ近年のソニーが業績低迷を続けたのか」というテーマについて、伊庭さんの分析を詳しく聞かせてください。
伊庭:非技術系の経営者は数字の改善を重視し過ぎて、どうしても効率的な技術開発を現場に求めるようになってしまう。そうなると予算管理や投資回収までの期間を厳しくして、人事評価も過度に成果主義を徹底しようとするだろう。 そうなると、どうしても短期志向に陥ってしまう。もちろん、一定の規律は必要だけど、本当に競争力のある独自の技術開発には、それなりの投資と時間が必要。「ちょっとやそっとの失敗にめげず、ダメでも粘り強く」という意識が重要なんだけれど、技術者が安心してそういうマインドになれる環境が整えられているかどうかが大事なんだ。
+管理が行き過ぎて、技術者に短期的な成果を求めると、普通はリスクを取らなくなる。革新的なものを作るよりも、手っ取り早く完成できる無難な開発を優先させるようになる。そうなると、他社のヒット商品をマネしたような後追い製品とか、少し機能的に手を加えたような製品ばかりが出るようになるでしょ。 結果的に、過去のソニーのような、誰も作らないような画期的な製品やサービスを、なかなか生み出せなくなってしまったのではないか、という話を提言書では書いた。
+今や屋台骨となりつつあるイメージセンサーも、稼げるようになるには相当な時間がかかっているんだ。それをやるには、「いくら金と時間がかかっても、いずれ花開くという信念を持って忍耐強くやろう」と判断ができる経営者がいなくてはならない。だけど、そういう経営判断ができる人材が、このところのソニーに見当たらない。
+将来の種まきがされているとは思えないし、次のエレキ事業の柱が見えない。そういうパイプラインが、ある時期から途切れたままだから、イメージセンサーやプレステのような、世の中にインパクトを与えつつ利益貢献する次の事業が出てこない。この事実を直視すべきだと思う。
+創業者世代の井深さんや盛田さん、岩間さん、大賀(典雄、元ソニー社長)さんは、技術について先見性を身に着けていた。だからこそ、会社としてどこに向かうべきかという方向性を示し、ソニーの舵取りができた。ソニーの競争力の根幹である技術者のやる気を喚起し、勇気づけ、結果として、イノベーションが次々と生まれた。
+今はエレキ事業がどこに向かうのか、外から見ていても不透明でしょ。社内でどういう説明がなされているのかは漏れ伝わる話から想像するしかないけれど、現場の技術者に戸惑いがなければいいのだが…。
▽「平井さんはソニーの経営者として知見を欠いている」
――伊庭さんは、ソニーOBを取締役会のメンバーに入れろとも主張しているのでしょうか。そのような意見を持つソニーOBがいると聞きました。
伊庭:勘違いされて伝わっているようなので、あえて言っておくけれど、私は「我々のようなOBを取締役に選任した方がよい」と主張したことはないし、主張するつもりもない。そういうことを言うソニーOBも中にはいるかもしれないけれど、私はそれが良いことだとは思わない。
+OBそれぞれで、いろんな意見があるのは事実でしょう。実際、あるメディアに以前、「盛田正明(盛田昭夫氏の実弟で、元ソニー副社長)さんをソニーの取締役会議長、ソニーの社長は安藤(国威、元ソニー社長)さんにして、危機を乗り切るための臨時的な経営体制を作るべきだ」というシナリオの記事が掲載されていた。私は全くこの案には賛成できません。 私は一切かかわってないので、どういう意図でそのようなシナリオを考えられたのかは分からない。
+久夛良木(健、ソニー・コンピュータエンタテインメント社長やソニー副社長を歴任)さんをCEOにするという“久夛良木待望論”も相当根強い。けれど、本人には全くその気がないようだし、当然だけれど、現在の社長兼CEOは、OBではなく現役世代から選ぶべきでしょう。 もしOBが意見を言う場を設けることができるなら、私の提言書にも入れたが、取締役会とは別の「諮問委員会」のような機関を設け、そこにOBを入れて議論する形がいい。
+提言書で言いたかったのは、「あくまでも現役が経営に携わり、現役の力で、ソニーのエレキ事業の再興を成し遂げてもらいたい」ということ。その上でOBが何かできることがあるのなら喜んで協力する、というスタンスです。
――伊庭さんはSCE(ソニー・コンピュータエンタテインメント、現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)の会長に就いていた時期もありますが、当時、平井さんと何らかの接点はあったのでしょうか。
伊庭:その頃に、平井さんと話をしたことはあまりなかったな。彼がSCEにいた時、多少面識があったのは事実だけど。 誠実な人柄だという印象を受けたのを覚えている。しかし残念ながら、昔を思い返したり、最近の発言を聞いたりする限りでは、ソニーの経営者として、エレキ分野の技術や事業についての知見を欠いているという印象は、否めないな。
+私の提言書は、言葉が行き過ぎているところもあるかもしれないけれど、平井さんを個人攻撃しようと意図するものではないよ。現実を直視することと、技術者を経営に参画させること。2つの重要なポイントを彼に理解してもらいたかっただけだ。
▽「ソニー・スピリット」は死語に?
――2015年の経営方針説明会は、本体にあるエレキ事業が解体されるかのように、いち早く分社したテレビ部門に続いて、オーディオやカメラ、半導体といった部門ごとに細かく分社し、子会社にしていくという歴史的な発表となりました。分社化でソニー本体から離れることになる社員には当然、動揺が走ったようです。伊庭さんなどOBの方々はどのように受け止めたのでしょうか。
伊庭:エレキ事業を部門ごとに本体から分社化していく方針は、真意がよく分からないよね。とにかく説明不足だから、いろんな見方がされてしまった。社員が動揺するのはもっともな話でしょう。
+素直に見ると、「売却しやすくするために事業ごとに分社するのか」と思える。何を狙っているかよく見えないから、いろんなことを憶測されてしまう。今のソニー経営陣はあまりにもコミュニケーション能力が欠如しているし、こんな発表をしたら、社内外や市場がどういう反応をするのかという想像力も欠如している。これは詳しくは後述するけれど、ソニーの企業理念がはっきりしてなくなってきたことも、原因かもしれないな。
+2015年の経営方針説明会では、積極的に投資する事業(イメージセンサーや音楽、映画、ゲーム分野)、投資はそこそこで安定収益を確保する事業(カメラやオーディオ分野)、ほとんど投資せずリスク管理する事業(テレビやスマホ分野)と、投資方針により3つに分ける考え方も示された。これも現場の社員にしてみたら、やる気を失う施策だよね。
+ソニーの設立趣意書にあるような、「自由闊達にして愉快なる理想工場」「人のやらないことをやる」というソニー・スピリットは、一体どこへ行ってしまったのか。これらの方針を聞いて、「ソニー・スピリットは、もう死語になってしまったのか」と受け取った人は少なくないよ。
+連結決算での「ROE(株主資本利益率)10%以上」や、事業ごとのROIC(投下資本利益率)の数値目標を設ける財務的な方針も発表されたよね。ただ最大の問題は、エレキ事業が目指すところ、新しいものを創造していく意欲が感じられなかったことにある。
+もうソニーの財務の現場を離れて長くなるが、私の感覚からすると、今のソニーの財務状況でROE10%以上というのは非常に野心的に思える。どの程度のリスクが見込まれているかは不明だけれど、この数値目標を達成するためという名目で、成果が出るまでに時間のかかる投資が難しくなりはしないかと心配をしているところだ。 事業ごとのROICも結局、資本コストに着目する指標でしょう。狙いは「経営の規律のため」という説明がされていたけれど、製品の研究や開発が短期志向にならなければよいのだけれど…。
▽出井時代の「EVA」の功罪
――かつてのソニーも、社内で数値管理の目標を導入しましたよね。
伊庭:振り返れば、出井(伸之、ソニー社長や会長兼CEOなど経営トップを歴任)さんの時代に、「EVA(経済的付加価値)」と呼ばれる指標を導入して、資本効率の管理を厳しくした。ROEやROICの数値目標も、同じような悪影響を及ぼさないといいが、心配だよ。
+EVAは、資本コストを意識させる指標だけれど、現場で使いやすいよう制度設計がないまま導入したのが混乱の原因となってしまった。結果として、当初の狙い通りに機能せず、短期志向の管理が目立つようになった。技術者や事業部のスタッフが委縮して、ソニーの良さである自由闊達な開発環境を阻害する要因にもなったな。
+単純な話だよ。だって、投資を抑えて分母を小さくすれば、その数字はよく見えるようになる。それで評価されるわけでしょ。そうなったら投資リスクなんて取らないほうが評価を下げられる危険性も減って、安易な方針に流れてしまう。そして挑戦しない人が増え、会社全体がおかしくなってしまった。
+世界的なスマホの成長頭打ちやiPhoneの減産などで先行きが不透明だとはいえ、エレキ分野の業績の柱に育ったイメージセンサーの歴史を振り返ってみてもらいたい。 イメージセンサーでソニーが競争力を持つようになったのは、かつて誰も実用化できると考えなかったことに、ソニーだけが挑戦し続けたからだよ。短期的な成果が出なくても、「中長期的に必要な主要デバイスになるから、腰を据えて開発しよう」と、技術の先読みができる経営陣が確信して先見性を持って、成功するまで待ち続ける忍耐力があった。 イメージセンサーは、技術系社長だった岩間さんが開発を指示してから、実際に利益が出るようになるまで長い時間がかかっているからね。「利益が出るのは自分がいなくなってから」と岩間さんが言っていたほどカネと時間を費やした開発だったんだ。
▽意味不明なスローガンばかり出てきた出井時代
伊庭:出井さんが経営トップだった時代のマネジメント体制の実態を振り返ってみると、ソニーの「第二の創業にしたい」という意気込みは分からないでもなかったけれど、盛田さんなどの創業者世代と違って、言葉だけで実態が伴わなかった。
+「リ・ジェネレーション」とか、意味不明なスローガンを打ち出して、出井さんは過去から決別し、あの有名なソニーの「設立趣意書」を作り直そうと試みたようだった。それは本当に、理解しがたい行為だったな。
+盛田さんが1976年にソニーのCEOに就任した時、衆知を集めて意思決定するという目的で、執行の最高意思決定機関である合議制の経営会議が設立された。出井体制の当初でも、この会議体は機能していたけれど、次第に合議制の良い部分が生かされなくなってしまった。 そして出井体制の最中に、法律上の委員会設置会社に移行したうえで、盛田さんが導入した合議制が廃止されていった。そして、CEO単独で経営の意思決定ができるよう経営トップの権限が拡張されたんだよ。
+これは大きな問題がある決定だったと思う。技術者を経営の中枢に近づけようとしなかったばかりか、自分(出井さんのこと)と異なる意見の技術者や部下を、極力排除したいがための決断だったと考えてもいいだろう。 もっとも、出井さんがCEOに就任した当時、技術だけでなく経営やビジネスも理解する技術者が育ってなかったという事情もあるのだけれど…。
――「OBが現役の経営方針や体制についてとやかく言うべきでない」という意見もあります。現経営陣も煩わしいと感じているのではないですか。
伊庭:一般的にはそうかもしれない。ただ、強弁かもしれないけれど、私の提言は主に、取締役会の構成について言及している。ソニーを愛するOBの一人ではあるけれど、ソニーの株主としての提言でもあるわけだ。経営者に対してだけでなく、社外取締役に提言を聞いてもらいたいという気持ちも強いんだ。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/16/031800001/052000005/?P=1

次に、上記の続きとして、5月24日付け日経ビジネスオンライン「「大賀さんは消去法で出井さんを選んだ」 初代CFO・伊庭保が語る慟哭(下)」を紹介しよう(▽は小見出し、――は聞き手の質問、+は伊庭の回答のなかの区切り)。
(書き出し省略)――伊庭さんは、ソニーにおける経営の迷走は、出井(伸之、ソニー社長や会長兼CEOなどを歴任)さんの時代から始まったとお考えですか。
伊庭氏(以下、伊庭):出井さんは経営トップとして、技術の重要性は分かっていたと思う。けれどソニーにとって必要な技術は何であるかが理解できなかったのではないだろうか。
+以前、米アップル創業者の一人である、スティーブ・ウォズニアックのインタビュー記事を読んだことがある。そこで語られていた内容と同じような感想を、私もソニーに対していつも感じていたんだよ。インタビューでウォズニアックは、「経営陣には技術を理解する人材が必要で、そう考えると今のアップルの経営は片肺飛行のようだ」という主旨を語っていた。その上で、「アップルは元々、ソニーを目標にして追いかけてきたが、そのソニーが凋落した原因も消費者目線がなくなったからでないか」とも分析していた。
+おそらく、彼のそのような発言は過去、ソニーの経営トップ時代に、出井さんが米国の展示会で、同じソニー製にも関わらず全く互換性のない2種類のウォークマンを、誇らしげに発表したイベントが念頭にあるのではないかと思う。あれはまさしく消費者目線を欠いた製品開発だったし、盛田(昭夫、ソニー創業者)さんや大賀(典雄、元ソニー社長)さんの社長時代だったら考えられない出来事だった。
+もう一つの典型的な例は、ロボット事業からの撤退だろう。当時、ロボット事業は赤字だったけれど、長期的には必要な技術だった。技術開発までやめることはなかったのではないか。時間をかけて育てるべき将来の芽を、経営トップが主導して摘んだことになる。
+かつて、ソニーはイノベーションを起こし続ける会社だった。そして、その背景には技術を熟知した経営者の厳しい目による、技術開発テーマの選択と集中が常にあった。全て正しい判断だったとは言えないかもしれないけれど、少なくとも創業者世代のソニーは、ヒット商品をつないで成長を続けてきた。そう考えると、正しい判断がなされてきた蓋然性は高かったと言えるんじゃないか。
▽「今のソニーからは企業理念が見えない」
――では、伊庭さんの考えるソニーの経営のあるべき姿とはどんなものなのでしょうか。
伊庭:釈迦に説法かもしれないが、経営者の重要な役割の一つは、企業理念やビジョンを掲げることだろう。今のソニーは、それさえ見えないのが問題なんだ。ソニーの公式サイトにミッションの記載はあるけれど、それはものすごく曖昧で、これがソニーの企業理念やビジョンだと言われても、社員は困惑するのではないか。
+米ゼネラル・エレクトリック(GE)みたいに、歴史のある事業でも、競争力が落ちて不採算になれば、どんどん切り捨てて新しい事業にシフトをしていくやり方もあるだろう。ただ一方では、創業時から続く基本事業を大切にしていこう、という経営のやり方もあるのではないだろうか。
+会社が向かうべき方向、企業理念やビジョンを取締役会や経営陣が徹底的に議論して明示して、その実現のために何をやっていくべきかという戦略を明確にすべきだ。 技術の進化を先読みできる、盛田さんのような「テクノロジスト」が参画する取締役会にして、そこで議論を尽くす。その結果、「エレキ事業はもう厳しいので、エンターテインメント路線に特化していこう」という結論が出るのであれば、それはそれで納得できる。
+OBも社員もモヤモヤしているのが、今のソニーが開示している情報からは、企業として何を目指しているのかという理念やビジョンが見えないことだ。 きちんと議論されているようにも思えないし、曖昧でどこに向かうのか見えないままでは、平井(一夫、現ソニー社長兼CEO)さんがどんなに弁舌爽やかに何かを発表しても腹落ちしない。業績は短期的に良くなっても軸がないからいつかは方針がブレるだろうし、中長期的には経営は迷走するのではないかという懸念が生まれるだけなんだよ。
+ソニーという企業はエレキだけでなく、音楽や映画、金融と、多様な事業を手掛けるコングロマリットだ。このポートフォリオは、全くシナジーがない事業の集合体と批判されることもある。だけど盛田さんは、いろいろ考えた上で、こうした事業ポートフォリオを作ってきたと思う。「人々の生活を豊かにする。物質的だけでなく精神的に豊かにする」とも言っていた。実際に、その言葉通りのポートフォリオではある。
▽「奇人変人」が消えたソニー
――伊庭さんの弟子を自称する丸山(茂雄、ソニー・ミュージックエンタテインメント社長などを歴任)さんは、「ソニーはエンタメ路線にいくべきだ」と主張しています(詳細は同連載「ソニーを引き受けた平井さんは軽率だな」)
伊庭:意見が違う人たちが自由闊達に議論する。これが盛田さんのスタイルだった。いろんな意見があっていいんじゃないの。 「ソニーには多様な事業があり、不採算なエレキ事業はやめるべき」という意見があるのは理解している。それが正しいと言う人がいるのも分かっている。ただ問題は、今のソニーの経営陣が、そういうことをはっきりさせないことだと思っている。
+エレキ事業から撤退してエンタメ事業や金融に特化することを、経営陣は公式には完全否定している。一方で、本体のエレキ事業を分社する方針も打ち出している。やっていることを見れば、売りやすいように分社しているように思えるのに、口ではエレキはやめないと言う。この整合性のなさが、現場に混乱を生んでいるのではないか。
+個人的には、ソニーのエレキ事業は、売却や撤退の必要はなく、まだ行けると思っている。技術革新はまだまだ進むし、新しい技術が出てくるたびに新たなビジネスチャンスは生まれるはずだ。テレビみたいなコモディティー化した分野では価格競争に勝てないだろうけど、新興国勢や競合他社が簡単に追随できない分野を見極めれば、差別化できる事業は出てくるだろう。
+ただ、それを実現する技術陣の層が細ってきていることは否めない。例えば、プレステを開発した久夛良木(健、ソニー・コンピュータエンタテインメント社長やソニー副社長などを歴任)に代表される、とがった人、奇人変人は、今やいなくなった。
+それもこの20年間、ソニーらしいイノベーティブな製品が生まれてこなかった原因の一つだろう。しかし、そこまでとがった人は少なくなっても、社内には優秀な技術者がまだ残っていると期待したい。そのような人材が存分に活躍できる環境を用意し、これまでの技術軽視や中長期でチャレンジしにくい流れを変えてもらいたいものだ。そして、とがった人、奇人変人を、新たに受けいれることを躊躇すべきではないと思う。
▽ガバナンスを強化しても業績は安定せず
――最近は、ソニーのコーポレート・ガバナンスの不備も指摘していますよね。
伊庭:出井さんが経営トップだった時代に、ソニーは委員会設置会社に移行した。いち早くこの経営機構にしたのは、いかにもソニーらしいと思っていた。当初は、取締役会の半数を社内取締役が占めていたし、小林(陽太郎、富士ゼロックス社長や会長などを歴任)さんが、ソニーの取締役会議長として、それなりに頑張ってくれていた。
+問題は、その後だよ。経営トップの権限が過度に強化されていった。それまでのソニーの経営の意思決定は、衆知を集めて議論を尽くし、経営トップが最終決断するという合議制だった。さっきも少し触れたけれど、これを「責任の所在があいまいになるから」といった理由で、CEOの単独決裁に変えたのが出井さんだよ。
+それがストリンガー(ハワード・ストリンガー、ソニーの会長兼CEOなどを歴任)時代にさらに悪用されたのではないか。技術系の社内取締役の数を減らし、過半数を社外取締役が占めるよう、社外取締役を増やしていったんだ。これで取締役会の構成が一変した。成長路線を取り戻したのなら文句はないが、業績はご存じの通り。
+今でこそ、社外取締役を必ず取締役会に入れるようにと、政府からお達しが来るようになっている。社外取締役を過半数以上に増やしたソニーの取り組みは、当時としても異例だった。それなのに、そんな先進的なガバナンスを取り入れたにもかかわらず、業績が安定しなかったのだから、経営のガバナンス強化には全くつながっていない。
+つまり社外取締役をいきなり増やした狙いは、ガバナンス強化による業績改善ではなく、別なところにあったとしか思えない。当時、技術系の社内取締役を一気に減らした理由を、取締役会の事務局を担当する役員に聞いても、納得できる答えはなかったからね。 ガバナンス強化の先進企業のような顔をしていながら、実はそうではない、という点が、現在の経営でも続いているのはとても残念だ。
+コーポレート・ガバナンスコードのソニーにおける実施状況について報告書が提出されているが、いくつかの点で、納得いかない。 例えば、基本的なところでは、企業理念やビジョンの記載がない。「企業理念は公式サイトのどこそこを参照しろ」と書いてあるだけで不親切。実際に、書いてある公式サイトの参照部分にアクセスしても、そこには企業理念やビジョンに足り得る文言は見当たらない。ミッションの記載はあるけれど、これは企業理念とは別物だろう。
+トヨタ自動車など、いくつかの会社のコーポレート・ガバナンスコードの実施状況の報告を見たが、企業理念は報告書にきちんと記載されている。コーポレート・ガバナンスコードでは、社長の後継者の育成プログラムの有無の説明も求められているが、悲しいことにソニーの報告書では、具体的な説明はないんだ。
▽スキャンダルで潰れた真のソニー後継者
――なぜ大賀さんは当時、後継者に出井さんを選んだのだと思いますか。
伊庭:大賀さんの本音がどこにあったのかは、本人にしか分からない。だけど大賀さんが過去に失言した通り、「消去法で出井さんに決めた」というのはある意味で真実だと思うよ。 これはソニーだけじゃなくて、どんな企業でも起こり得る、経営者による後継者選びの難しさを物語るエピソードだと思う。
+大賀さんは元々、自分の後継社長には、技術もビジネスも熟知しているある人物を指名するつもりだった。それは技術系のMさんだ、と心の中で決めていたんだ。 ところが予想外にMさんがスキャンダルを起こした。こうなると、Mさんがどんなに優秀な技術者で、実際にヒット商品を開発した実績があるとはいえ、社長候補から外さざるを得なくなる。 もし、あのスキャンダルがなければ、大賀さんの次は技術系の社長が誕生していたはずだよ。そしてそれ以降も技術に詳しい人材を経営陣に就ける方針が、ずっと受け継がれたはず。近年のソニーのように“技術軽視”の経営陣が形成させることにならなかったのかもしれない。
+話はMさんの失脚で終わらない。大賀さんとしても、Mさんの対抗馬となるような社長候補をちゃんと選定していたんだ。でも、別の事件がきっかけで大賀さんは自らその人を切ってしまったんだな。 それが、企画系のIさんだった。Iさんは、前述の技術系のMさんがスキャンダルを起こして次期社長の芽がなくなったと判断した。すると「ソニーの次期社長は俺だ」と言わんばかりの態度になってしまったんだ。 その時、大賀さんがたまたま病気で療養していた。その間にIさんは、あたかもソニーの社長のように経営を仕切りだした。病気から回復した大賀さんが経営に戻って、Iさんの振る舞いを不快に思ったんだ。結局、Iさんはソニー本社から子会社に飛ばされることになった。
▽「後継者選定でソニーの品位が傷ついた」
――大賀さんが後継者と見込んだ人物はみんないなくなってしまった。
伊庭:結局、一番困ったのは大賀さんだよね。 大賀さんが想定していた候補者の一人がスキャンダルで失脚し、もう一人は自ら引導を渡してしまった。自分の構想が崩れて誰を指名するか悩み、人事担当役員や指名委員会の委員長とも相談したのだろう。だが、これはという候補者が出てこない。
+こんな状況で、「これからはITの時代だ」「インターネットで世の中は激変する」というレポートをいくつか大賀さんに送って、アピールしていた出井さんのことを思い出した。「これから重要なIT分野のことを分かっているようだから、次は出井にしてみようか」となったんだろうね。 社長指名までのプロセスがすっきりしてなかったのは確かだろう。スキャンダルで失脚したMさんへの中傷や、Mさん失脚後の社長人事の憶測がメディアを賑わせることになって、ソニーの品位が甚だしく傷ついた。
+社長人事は、現在の社長が後継者を指名し、それを指名委員会が追認するという、従来の日本企業にありがちなプロセスだったんだろうね。 現在も、もしかしたら実情は変わらないのかもしれない。ストリンガーや平井さんの社長就任の場合も、当時と同じような感じなのではないかな。  現在の経営トップの個人的な判断で後継者選びの最善の選択ができる保証はないのに、それを検証する仕組みがうまく機能しなかった。法律が想定しているように指名委員会や取締役会が主体的に次の経営トップを選ぶというのは、今もハードルが高く、現実的でないのかもしれない。 平井さんの次の経営トップ選びでは、これまでの流れを断ち切って、現在の取締役会や指名委員会のメンバーが真剣に取り組んでくれることを期待したいよね。
▽「出井さんから相談を受けることがなかった」
――大賀さんから出井さんに権力が引き継がれた頃、ソニーグループにおける伊庭さんはどんな立ち位置にいたのでしょうか。
伊庭:大賀さんの後のソニー社長問題が一段落した後、私はソニー生命から本体に呼び戻されて、しばらくして副社長に就いた。一旦は子会社に出たのに、また戻るのは予想外だったね。ただソニー生命の社長としての仕事はやりがいがあった。 そして1995年には初代CFO(最高財務責任者)に就任した。これは、いくぶん政治的な配慮が入った人事だったと思う。出井さんは当時、末席の取締役で、「14人抜きでソニーの社長になった」などと、メディアで騒がれていた。だから我々のような先輩に気を遣った処遇だったんだろう。とはいえ私は、「企業価値の番人」であるCFOとして恥ずかしくない役割を果たしたつもりだ。
――伊庭さんは当時、CFOという要職にありましたし、出井さんに直接、意見できる立場にあったと思います。ソニー本体の経営陣にいた頃、自分の手で何かできたのではないか、という後悔はありませんか。
伊庭:出井さんから直接、相談されれば、自分の意見をはっきりいうつもりはあった。けれど、そういう機会はほとんどなかったな。 今、思い返しても不可能に近いと考えているけど、当時、一体感のあるソニーのマネジメント・チームを作る方法がなかったのだろうか、と時折、思い返すことがある。ここは多くを語りたくない。
+出井さんの社長時代の出だしは業績の調子はよく、メディアにも持ち上げられたが、それは結果的に、遺産というか、大賀さんが社長をしていた頃の勢いに乗っただけだ。
+出井さんの意気込みや「リ・ジェネレーション」に象徴される、新しい取り組みへの意欲は分からないわけではない。ただ私は馴染めなかったな。というのも、出井さんは「過去のしがらみは一切捨てる」と言わんばかりの態度で、設立趣意書を引用することも少なくなった。一方で「新しい経営理念を作る」という作業を始めたんだ。結果的にソニー・スピリットが薄まることになり、私は出井さんのそういう部分に大きな違和感を覚えていた。
+出井さんは人の好き嫌いが極端で、嫌いな人はどんどん外していく。自分の考えにそぐわない開発は「将来性がない」とやめさせていた。技術者が好きな開発をできたのがソニーの社風だったし、かつてソニーに在籍していたノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈氏は「ソニーには秩序ある混沌があった」と表現していたが、その通りだったと思う。 そんな理想的な環境が出井体制の下で消えていったんだよ。
+振り返ると、ソニーは、後継者の育成や権限の移行が、思い通りにいかなかった。盛田さんの次のトップとして期待が高かった岩間(和夫、元ソニー社長)さんも、早くに亡くなってしまったし、その後に登板した大賀さんも後継者育成に熱心であったとは言い難い。  大賀さんまでを創業者世代だとすると、そうした世代が終わって、サラリーマン社長に転換すべきタイミングを見据えた後継者育成がうまくいかなかったんだろう。自分ではどうしようもなかったが、体系的にCEOを育成するプログラムが必要だったと思うよ。これは後世のソニーを支える人たちに、ぜひ伝えておきたいことだね。
▽「もっと早くに米映画会社の不振を進言すべきだった」
――なぜ盛田さんや大賀さんは、米国で放漫経営をしていた現地経営陣を野放しにしていたのでしょか。
伊庭:もう有名な話だけど、映画事業の買収に高いカネを払っただけでなく、その後も放蕩を尽くした米国人に経営を任せっきりにしてしまったことで、ソニーの有利子負債が、売上高の半分近くに迫るほど巨額になってしまった。運よく、当時はまだエレキ事業の調子が良くて利益は出ていたので、すぐにソニーの経営が行き詰まるほどではなかったのは幸いだった。
+米国の映画会社の買収は当初、大賀さんにも躊躇があったようだ。しかし、「映画会社はソニーの将来のために必要」という盛田さんの思いが強かった。盛田さんとしては、経営できるという目算もあったんだろうね。それで話が進んだのではないか。 私は本体のCFOをしていたし、その立場に就く前から米国の映画子会社の惨状は耳に入っていた。「この状況は良くない」ということを、米国のカウンターパートだったCFOが、本社に警告していたんだ。
+私も大賀さんに進言したけれど、大賀さんは「彼らを信頼して、任せよう。派手に見えるかもしれないけど、映画業界はそんなものなんだ」と言っていた。私は、それにしても度が過ぎると思っていた。 大賀さんの経営哲学は、「新しい事業の経営は、選んだ経営者に全面的に任すべきだ」というもの。音楽会社のCBS・ソニーの経営で成功体験があったからだろうね。大賀さんは、ソニーのエレキ事業の人材を、CBS・ソニーに立ち入り禁止にするくらい、厳しく自主独立路線を敷いていたから。
+だけど、それほど自主性を重んじて、米国の映画会社の経営陣を信頼していたにも関わらず、出井さんが社長になると、映画会社の経営陣を入れ替える出井さんの提案に、大賀さんは同意したんだ。これは大賀さんが、出井さんを社長に指名した手前もあるからだろうな。  ここは元CFOとして、後悔が残っている部分ではある。もっと早くに映画会社の経営の問題を強く進言すべきだった。
▽2兆円近い有利子負債にどう対処したのか
――CFOとしては当時、多額の有利子負債に対して、具体的にはどのように対処したのでしょうか。
伊庭:当時のソニーの有利子負債は2兆円近く。実際にこの目でその数字を見ているから、CFOとして「どうにかしなきゃ」という強い思いがあった。ただ一気に解決できるものではないので、やれるところから対処を始めた。
+まずは財務キャッシュフロー管理の合理化から始めたよ。具体的には為替取引やキャッシュを一括管理して効率化する仕組み作りだ。例えばある子会社は、ドルの受け取りがあるのに、他の子会社にはドルの支払いがある。これを相殺できれば為替変動に強くなる。 また子会社ごとに銀行取引のアンバランスがあって、ある会社はキャッシュが潤沢で銀行に預けている一方で、別の会社は銀行から借り入れをしていた。これも相殺できれば、効率よくキャッシュを管理できるわけだよね。
+グループ各社が個別に銀行と取引するのは効率が悪いので、本社で為替取引とキャッシュマネジメントの集中管理をするアイデアだった。後にロンドンに拠点を作り、そこで全世界のソニーグループ(金融部門は除く)の一元的な為替取引とキャッシュマネジメントをし始めたんだ。
+ただ、キャッシュを増やすには、当時は稼ぎ頭だったエレキ事業が頑張るしかなかった。そのエレキ事業の投資の規律が緩んでいたことも否めなかったので、エレキ事業での投資を厳選できる体制も整備したよ。エレキの事業計画の精度を上げつつ、想定を超える市場環境の大きな変化があったとしても、それに耐えられるような経営計画を作ることにも努めたつもりだ。
+事業計画は各事業部門で個別に作って、それらを連結させていたけれど、単純に各部門から上がる数字を連結させていたわけではないよ。部門ごとの事業にどのくらいのリスクがあるかという点まで踏み込んで分析し、その上で連結した数字を作って、リスクを織り込んだ業績予測を出すようにしていたんだ。 当時は、着実にエレキ事業で利益を出せる事業環境にはあったのが幸いだったが、そこに過度に依存せず、業績見通しはいつも保守的に作るようにしていた。また、数字の管理だけでなく、自分の目で現場を見ることで、ビジネスのリスク分析にも注力した。
+1999年に私はCFOを退いたが、その後、ご存じの通り2003年にソニーショックが起こった。自分がやっていたことが引き継がれず、「ずっと足元の好調が続く」との希望的観測で事業計画の数字を作ったことが、見通しと現実の大きなかい離を生んだ一因なのではないか。
▽盛田氏と伊庭氏の出会い
――ソニーOBには、井深(大、ソニー創業者)さんを信奉する人と、盛田さんを崇拝する人に大きく分かれます。伊庭さんは盛田さんに近く、敬愛している様子がよく分かります。そのきっかけはどのようなものだったのでしょうか。
伊庭:井深さんは技術が好きで、技術者は井深さんと接する機会が自然と多くなる。研究所や開発の現場にふらりと来て、「何をやっているのか」と、面識がない技術者でも話しかけて、技術談義に花を咲かせる感じだ。井深さんはそういうのが大好きだった。だから経営面のことは盛田さんに任せていた。
+私の最初の配属は特許関連の部署だった。当時は、技術の先進国であった米国から教わらなければならい時代で、米国の会社から特許侵害のクレームや特許侵害訴訟を起こされる。私がいたのは、そういうクレームや訴訟、契約に対応する部署だった。
+盛田さんや岩間さんは特許の重要性をよく理解されていて、自ら積極的に関わってこられた。そのような関係で、盛田さんなどを私がサポートすることになって接点が増えた。当時は、ソニーとして米国の法律に関する知見がほとんどない状況だったので、米国の弁護士を使っていたとしても、ずいぶん苦労して勉強したものだ。 盛田さんを初めて仕事の上で知ったのは、磁気テープに関する特許問題の会議に参加した時だったと思う。「法律の専門家でもないのに、非常にロジカルで法的な観点からもするどい意見を述べる、すごい方だ」と思った記憶がある。
+盛田さんから私のところには、たびたび宿題が舞い込んだんだよ。「この件については、私はこう思うのだが、どう考えるか」「代案はあるだろうか」というような問い合わせでね。私は急いで答を作って返す、というのを必死で繰り返していた。そういう積み重ねで、「伊庭は頼りになりそうだ」という信頼を得たのではないかな。
▽粘り強く金融事業への参画を模索した盛田氏
――盛田さんが思い描いた金融業への参入でも、伊庭さんが右腕的な役割を果たしたとか。
伊庭:海外企業との訴訟や契約交渉も担当していた経験から、当時、海外の販売を子会社に切り替えるため、海外営業部と兼務していたこともあって、1978年にはスイスの拠点に赴任することになった。当時、ここが欧州地域のヘッドクオーターのような位置づけで、欧州の事業計画はスイスで取りまとめていた。 スイスの拠点は、チューリッヒ郊外のツーグという州にあった。設立は1958年に遡る。スイスは軽課税国であり、さらに州ごとに税制が違っていて、ツーグはスイスの中でも税が安い州だった。盛田さんはそういう情報を入手し、すぐ実践していたんだ。
+盛田さんは、物事の本質を見抜き、先見性に富み、的確な状況判断ができる方だった。具体的な方針を示すし、説得力がある。そこが大きな魅力だった。 1970年代の初め頃だったと思うが、「ソニーも銀行を持ちたい」と、盛田さんが言いだされた。「銀行事業への参入ができるかどうか、まずは法的な側面から検討せよ」という宿題が出た。私がまだ、法務と海外営業を兼務していたころ。今のソニーの法務部は人材が潤沢だと思うが、当時は10人もいなかったし、金融事業の知見などはない。
+そんな体制で、銀行参入を検討するとは無茶苦茶な仕事だったけれど、銀行から優秀な人材に出向してもらい、一緒に勉強をした。どうすれば日本で、メーカーが銀行を持てるのか。当時の結論としては無理だ、ということになった。 だけど、そこであきらめないのが盛田さんだよ。「海外の銀行を買収して、それで日本に支店を作るというやり方はどうだろう」なんてアイデアを言い出したりして。「さすがに盛田さんだな」と思って調べてみたけれど、それも結局無理だった。
+それでもあきらめずに、次から次へいろんなアイデアを出す盛田さんは本当にすごかった。 結局、金融事業では銀行ではなく、まず米プルデンシャルと合弁で生命保険会社を作ることになったのだけれど、その前からずっと金融分野への進出について勉強してきたことが役に立った。それが今のソニー生命だよ。
――ソニーの金融事業はその後、売却を検討された経緯もありますね。
伊庭:出井さんが経営トップをしていた2003年ごろだよね。ソニー生命を強引に売却しようとしたんだ。「生命保険事業はソニーにとってどうしても欠くべからざる事業でない」「生命保険事業に将来性はない。今が売り時である」「売却で得る資金をエレキ事業に投入」といった理由を挙げていた。
+ソニー生命の社員やソニー生命のOBは、全く新しい分野に参入して市場を開拓したソニー・スピリットの申し子みたいなもの。なので、ソニー生命の関係者は出井さんの説明に納得がいかず、ある元社長を除いて、ほぼ全員が大反対だった。将来を悲観し、ソニー生命を辞めるライフプランナーも多数いた。結局、経済環境が悪化したこともあって幸い、この売却計画は見送られたんだ。
+その後、エレキ事業の凋落が続く中、ソニー生命は業績を上げ続け、ソニーグループの連結利益を支えていった。もし利益の稼ぎ頭となったソニー生命があの時に売却されていたら、エレキ事業は中国か台湾の企業に売却せざるを得なくなっていたかもしれないと思うと、ぞっとするよね。ソニー生命の売却に動いた出井さんの判断は間違っていた。
――新しい提言書はしばらく作っていないようですが、伊庭さんは今後は、どのような活動をしていこうと考えているのでしょうか。
伊庭:ソニーとして挑戦する価値のある分野はたくさんある。まずは企業理念をしっかりと作って、向かうべき方向を示してほしい。その上で技術者をもっと経営に参画させ、持っている知的財産を生かすべきだ。足りないところは外部から取り入れつつ、イノベーションが生まれる経営機構の再構築を、と訴え続けたい。
+新規事業のために社員から提案を募る「SAP(シード・アクセラレーション・プログラム)」についても聞いているが、出てくるものは小粒だ。SAPでやっていることって、スマートロックやスマートウォッチとか、他の企業が既にやっているものばかり。ソニーなのだから、ほかの会社が思いつかないような製品やサービスを作ってほしいよね。
+昨年の株主総会に出席して、いろいろ主張しようと挙手をしたんだが、残念なことに指名されなかった。けれど諦めずに、今年も株主総会で手を挙げようと思っている。質問は「一人一問」という制限があったと思うが、今のソニー経営陣には聞きたいことや伝えたいことが、みんなたくさんあるはずだ。 株主の質問が全て終わってないのに途中で打ち切ってしまうのも、いかがなものかと思うよね。OBだけでなく、ソニーのことを大好きな善良な一般株主が出席しているんだ。今のソニーが何を考え、ソニーがどうなっていくのか、みんな心配しているんだよ。株主からの質問が尽きるまで対応したらどうだろう。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/16/031800001/052300006/?P=1

伊庭氏の初めの記事にある『中鉢さんが経営の一線から退いた後は、生え抜きの技術系社内取締役がいなくなってしまった』、『非技術系の経営者は数字の改善を重視し過ぎて・・・どうしても短期志向に陥ってしまう』との指摘は、画期的商品がここ20年ほど出ていないソニーの病根を示している。伊庭氏は提言書を複数書いたが、「完全に無視」されたようだ。無論、第一線を退いたOBの意見に「従う」必要はさらさらないが、意見交換の場を設けずに、「完全に無視」というのは、現経営陣の自信のなさの現れなのかも知れない。
出井時代の「EVA」導入で、『短期志向の管理が目立つようになった。技術者や事業部のスタッフが委縮して、ソニーの良さである自由闊達な開発環境を阻害する要因にもなった』。さらに、出井が経営会議という合議制を廃止し、CEO単独で経営の意思決定ができるようにしたのも、組織の風通しを悪化させるなどの弊害をもたらしたようだ。
次の記事にある『理念やビジョンが見えない』、『「奇人変人」が消えた』、『江崎玲於奈氏は「ソニーには秩序ある混沌があった」と表現していたが、・・・そんな理想的な環境が出井体制の下で消えていった』という点でも、出井の責任は重大なようだ。もっとも、出井個人の責任というよりも、大賀が、『創業者世代が終わって、サラリーマン社長に転換すべきタイミングを見据えた後継者育成がうまくいかなかった』、「消去法で出井さんに決めた」ところまで遡る必要があるのかも知れない。また、当時、CFOだった伊庭氏は、『出井さんから直接、相談されれば、自分の意見をはっきりいうつもりはあった。けれど、そういう機会はほとんどなかったな』、というのはどう考えても苦しい言い訳にしか思えない。
出井が検討した金融事業売却が流産してなければ、『エレキ事業は中国か台湾の企業に売却せざるを得なくなっていたかもしれない』、というのは、安易に「選択と集中」で事業分野を絞り込む一時の流行の経営スタイルが孕むリスクを物語っているといえよう。
この日経ビジネスオンラインのシリーズのうち、面白いものは今後も適宜、紹介してゆきたい。
明日、金曜日は更新を休むので、土曜日にご期待を!
タグ:ソニーの経営問題 (その6)初代CFO・伊庭保が語る慟哭 日経ビジネスオンライン 「だから私はソニーに提言書を送った」 初代CFO・伊庭保が語る慟哭(上) 複数回にわたって、ソニーの首脳陣宛てに経営改革の提言書を送っています 中鉢 技術系の人材とはいえ、得意なのは磁気製品といった素材分野。最終製品まで見なければならない全エレキ分野の事業を指揮するのは荷が重かったようだ 技術系人材が生かされていない 中鉢さんが経営の一線から退いた後は、生え抜きの技術系社内取締役がいなくなってしまった プレステ 後の20年以上、ソニーは、イノベーティブと称されるような製品を生み出してこなかった 取締役会や経営陣に、エレキ事業を熟知する技術系人材が少ないことに帰着 現役幹部との議論は「いつも平行線」 提言書は「完全に無視された」 鈴木副社長誕生のきっかけに? 非技術系の経営者は数字の改善ばかり重視しすぎる 算管理や投資回収までの期間を厳しくして、人事評価も過度に成果主義を徹底 短期志向に陥ってしまう 本当に競争力のある独自の技術開発には、それなりの投資と時間が必要 技術者に短期的な成果を求めると、普通はリスクを取らなくなる 革新的なものを作るよりも、手っ取り早く完成できる無難な開発を優先させるようになる イメージセンサーも、稼げるようになるには相当な時間がかかっているんだ 平井さんはソニーの経営者として知見を欠いている 2015年の経営方針説明会 オーディオやカメラ、半導体といった部門ごとに細かく分社し、子会社にしていくという歴史的な発表 売却しやすくするために事業ごとに分社するのか 今のソニー経営陣はあまりにもコミュニケーション能力が欠如 出井時代の「EVA」の功罪 短期志向の管理が目立つようになった 自由闊達な開発環境を阻害 投資を抑えて分母を小さくすれば、その数字はよく見えるようになる。それで評価されるわけでしょ。そうなったら投資リスクなんて取らないほうが評価を下げられる危険性も減って、安易な方針に流れてしまう。そして挑戦しない人が増え、会社全体がおかしくなってしまった 意味不明なスローガンばかり出てきた出井時代 合議制が廃止 委員会設置会社 CEO単独で経営の意思決定ができるよう経営トップの権限が拡張 「大賀さんは消去法で出井さんを選んだ」 初代CFO・伊庭保が語る慟哭(下) アップル創業者の一人 スティーブ・ウォズニアック アップルは元々、ソニーを目標にして追いかけてきたが、そのソニーが凋落した原因も消費者目線がなくなったからでないか ロボット事業からの撤退 全く互換性のない2種類のウォークマンを、誇らしげに発表 企業理念が見えない ソニーという企業はエレキだけでなく、音楽や映画、金融と、多様な事業を手掛けるコングロマリット 盛田さんは、いろいろ考えた上で、こうした事業ポートフォリオを作ってきたと思う 意見が違う人たちが自由闊達に議論する。これが盛田さんのスタイルだった ガバナンスを強化しても業績は安定せず 社外取締役をいきなり増やした狙いは ガバナンス強化による業績改善ではなく、別なところにあったとしか思えない スキャンダルで潰れた真のソニー後継者 大賀 消去法で出井さんに決めた 技術系のM 企画系のI 出井さんから相談を受けることがなかった もっと早くに米映画会社の不振を進言すべきだった 粘り強く金融事業への参画を模索した盛田氏 出井さんが経営トップをしていた2003年ごろだよね。ソニー生命を強引に売却しようとしたんだ 経済環境が悪化したこともあって幸い、この売却計画は見送られたんだ ソニー生命があの時に売却されていたら、エレキ事業は中国か台湾の企業に売却せざるを得なくなっていたかもしれないと思うと、ぞっとするよね
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