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原発問題(その15)(「ドキュメント3・11 イギリス大使館はなぜ「真実」を見抜けたか」3題:(上)、(中)、(下)) [国内政治]

原発問題については、昨年8月18日に取上げた。今日は、(その15)(「ドキュメント3・11 イギリス大使館はなぜ「真実」を見抜けたか」3題:(上)、(中)、(下))である。

先ずは、本年3月8日付けForesight「ドキュメント3・11 イギリス大使館はなぜ「真実」を見抜けたか(上)」を紹介しよう。
https://www.fsight.jp/articles/-/47787
・『2011年3月11日に発生した東日本大震災・福島第1原発事故による大混乱の最中、イギリス大使館は放射性物質の飛散リスクなどについて的確な情報を発信し続け、外国人のみならず日本人にとっても信頼できる貴重な情報ソースとなった。その指揮を執ったデビッド・ウォレン元駐日大使への直接取材で再現する、危機対応とパブリック・ディプロマシー(広報文化外交)のケーススタディー。  2年前の3月21日、ロンドンの日本大使公邸。多くの日英関係者が居並ぶなか、鶴岡公二駐英大使(当時)はデビッド・ウォレン氏に旭日大綬章を授与した。駐日大使(2008年~12年)を含め計3回通算13年の日本勤務と、英外務省を退職後、文化交流団体ジャパン・ソサエティ(本部・ロンドン)の会長(12年~18年)として日英関係に多大な貢献をしたとの理由だが、特筆されたのが東日本大震災での対応だった。震災に合わせた3月にわざわざ授与式をもったのもそのためだった。  鶴岡駐英大使はこう祝辞を述べた。 「ウォレン大使は震災2日後に被災地に入り、英国人の安否確認をするだけでなく、日本人被災者を励ましました。さらに英政府が立ち上げた緊急時科学助言グループ(SAGE)の客観データーをもとに、英国大使館を東京から移したり、英国人を東京から脱出させたりする必要はないと決定しました。英国のこの日本に対する揺るぎない友好的な姿勢は2015年のウィリアム王子の被災地訪問に結びつきました」 3・11では欧州を中心に少なくない在京大使館が放射性汚染を恐れ、大使館の機能を関西に移した。自国民を特別機で日本から大量脱出させ、また外国人の幹部や従業員が我先に帰国して、企業活動がマヒしたところも多々あった。後日、「申し訳なかった」と自国民の行動を謝罪した大使もいる。 そうした中、最も冷静かつ的確に対応したのが英国だった。ブレることのなかったその姿勢は、応援部隊を含め200人を超える大使館スタッフを率いたウォレン氏の指導力と、同氏と本国の連携に負うところが大きい。 同氏はジャパン・ソサエティの会長職にある時、3・11の経験を文章にまとめている。昨年、東京で詳しく話を聞く約束だったが、新型コロナウイルス問題で来日がかなわず、電話で取材した。同氏の行動を中心に英国の対応を振り返る』、驚くべき冷静な対応だ。
・『被災地の英国人は600人、誰とも連絡がつかなかった   3・11のこの日、ウォレン氏は昼、帝国ホテルでもたれたホテル創設120周年の記念昼食会に出席した。終わると、大使館に戻り、経済部の日本人スタッフ1人を連れて大使車で横浜に向かった。午後3時に日産自動車本社で英国人役員と対英投資について意見交換する約束があったからだ。英国への投資誘致は英大使の重要な仕事だった。 大使車が同社の玄関に着き、降りようとしたその時、「ジシン!」と運転手が叫んだ。 「日本に通算13年暮らした私も経験したことのない激しい揺れだった」 日産の役員との携帯電話はつながらない。大使館に戻ろうと運転手に告げた。大使車のテレビは尋常ならざる事態を伝えていた。しかし道は大渋滞し、東京に入ったのは夜だった。最後は動かない車を乗り捨て、皇居のお堀伝いに歩いた。歩道も帰宅する人で溢れていた。同氏が千代田区一番町の英大使館にたどり着いたのは午後9時だった。 大使館内に入るやウィリアム・ヘイグ英外相(当時)から電話が入った。大使館スタッフの全員無事を確認した外相は、東京の状況を尋ね、津波に襲われた福島第1原発がどうなるか仔細にフォローするよう指示した。容易ならざる事態と認識した英政府も、関係省庁が参加する危機管理委員会(COBRA)を立ち上げていた。大使がベッドにもぐりこんだのは午前1時半を回っていた。公邸の寝室は、落下した本などで足の踏み場もなかった。 このような大災害・大事故の時に出先の大使館の仕事は大きく3つ。日本にいる自国民の安否確認と保護。対日支援。そして信頼ある情報発信、だ。  英国大使館は大阪の総領事館と合わせて計130人のスタッフがおり、このうち英外交官は約30人。英外務省はロンドンと各国の英大使館からスタッフを東京に送り込み、80人の増援部隊が到着した。ウォレン氏は200人超のスタッフを3班に分け、3交代8時間勤務の24時間体制を敷いた。英外務省とは4時間ごとに電話協議を持った。 英国からは日本にいる家族や親せきの安否の問い合わせが殺到していた。これを捌くため、安否確認の電話は大阪の英総領事館に自動転送するよう回線設定された。 「約1万5000人の英国人から在留届が出ていて、被災地には約600人が暮らしているとみられた。連絡網を作っていたが、誰とも連絡がつかなかった」』、「容易ならざる事態と認識した英政府も、関係省庁が参加する危機管理委員会(COBRA)を立ち上げていた」、「英外務省はロンドンと各国の英大使館からスタッフを東京に送り込み、80人の増援部隊が到着した」、東京川からの余生を待たずに手配する手際の良さには驚かされた。
・「東京の大使館はナンバー2が指揮できる」  日本政府に支援の打診も行った。水や食料や物資、それに救助犬を連れた緊急援助隊を日本に送り込みたいが、どこの空港が受け入れてくれるのか。首相官邸が情報を一元化していたが、福島原発問題に忙殺されていて、問い合わせに「後で返事する」と繰り返すだけだった。業を煮やしたウォレン氏は12日朝、こう伝えた。 「救援機がマンチェスターで待機している。日本政府の許可がいらず、被災地にも近くて足場がいい米軍の三沢空軍基地(青森県)に飛ばしたい」 大使の電話に、首相官邸の担当者は(「我々もそうしてほしいと思っていた」 と後付けの返答をした。  13日夜、英救援機が三沢空軍基地に到着。救助犬と緊急援助隊の英チームは岩手県大船渡市に展開し、米、中国チームとともに1週間、捜索に当たった。これ以後、三沢空軍基地は英国から水や食料、放射能検査機器などを運び込む拠点となった。 被災地に住む英国人と依然として連絡はとれなかった。「避難所に外国人がいる」との情報もあったが、東京からではいかんともしがたかった。安否確認には被災地に入らなければならない。大使は現地に入ることを決めた。  震災3日目の3月13日朝、5人のスタッフと、スポーツタイプの大型車に同乗して仙台に向けて出発した。事前に日本政府から、緊急車両以外は通行止めとなっていた東北自動車道の通行許可をとった。ドライブインでは車に詰められるだけ食料や燃料、水、防災グッズを買い込んだ。 「大使は東京にとどまって指揮をとり、現地は部下に任す考えはなかったのですか」と聞くと、こう返ってきた。 「こういう時はトップが被災地に姿を見せることが大事なのだ。英国は自国民を見捨てないというシグナルであり、困難な状況にある日本人被災者に『英国は日本人と共にここにいる』と、勇気づけるメッセージにもなる。東京の大使館はナンバー2が指揮できる」』、「「こういう時はトップが被災地に姿を見せることが大事なのだ。英国は自国民を見捨てないというシグナルであり、困難な状況にある日本人被災者に『英国は日本人と共にここにいる』と、勇気づけるメッセージにもなる。東京の大使館はナンバー2が指揮できる」、日本とは真逆の対応だ。
・『被災地入りの決断を支えた「SAGE」の助言   当時、福島第1原発はすでに危機的状況にあった。前日の12日午後に、1号機が水素爆発。後に明らかになったが、13日早朝には3号機の炉心溶融が始まり、14日朝には核燃料の大部分が圧力容器の底を突き破って、格納容器へ溶け落ちていた。2号機も放射性物質を放出し始めていた。大使は放射線リスクをどう見ていたのか。 「本国政府を通じてSAGEの見解が随時入っていて、日本政府同様、福島第1原発から20キロ圏外であればリスクはほとんどないというのがSAGEの判断だった」 1号機の水素爆発が起きた12日夜、日本政府は第1原発から20 キロ圏内に暮らす住民に避難指示を出していた。ウォレン氏が他の大使に先駆けて被災地に入れたのも、SAGEの助言があったればこそだった。 SAGE=緊急時科学助言グループは、緊急時に科学的知見に基づいた助言を得るための英政府の組織で、各省庁の科学顧問や外部の専門家で構成されている。3・11の前は2010年のアイスランドの火山爆発の時に招集されている(新型コロナウイルス問題で日本政府の専門家会議はこのSAGEを下敷きにした。これについては後述する)。 仙台には7時間かけて午後3時半に着いた。一行は英大使館が押さえた仙台市内のビジネスホテルに入り、二手に分かれて、1チームは病院と避難所を回って英国人の消息をあたり、大使のチームは宮城県庁で県幹部に面会した。 「お悔やみを伝えると、大変な状況下でも皆、驚くほど親切で、こちらが恐縮するほどだった」「本来、取り乱していてもいい状況なのに、誰もが強靭かつ冷静な態度を保っていた」 翌日、米CNNテレビが大部隊でホテルに入り、追い出された大使一行は別のホテルに移り、そこを前線基地とした。ホテル入口の大広間に「英国人支援デスク」と大書し、英国旗ユニオンジャックを立てた。在留届を手掛かりに、被災地の英国人の家や避難所を回っているチームからも英国人の情報が入りはじめた。 大使チームは2日目、3日目と宮城県内の南三陸町、多賀城市、気仙沼市などの避難所に足を伸ばした。連絡が取れなかった英国人にも出会え、食料も手渡した。その間も余震が続き、その度、「避難の必要のあるなし」の連絡が大使館から入った。 「津波の惨状と、避難所の人々の静かで秩序だった態度の対照に私は心揺さぶられた」 避難所を回っている最中も、情報発信の観点から英メディアの電話取材に応じた。大使が力を入れて伝えたのは3点。「英国人支援デスク」の電話番号を広く報じてくれるよう頼み、日本政府が最大限の努力をして原発事故を抑え込もうとしていること、また避難所で会った日本人の驚くべき秩序正しさと冷静さに感動していると繰り返し話した。 大使は3泊し、16日夕、東京に戻った。この後、交代で5チームが仙台に入って、大使館に届け出がありながら、連絡がとれない英国人の家を回った。最終的に英国人170人が支援デスクを訪れ、大使館チャーターのバスで東京に運ばれた。 日本人の伴侶と家庭を持っていて、「このまま被災地に居続けたい」 という英国人も少なくなかった。同氏が被災直後の現地を3泊4日にわたって見て回ったことは、英国人の安否情報の早期確認に大いに役立った。また英本国にとっても被災地の様子を詳しく知る手助けになったはずである。最終的にウォレン氏の危惧は杞憂で終わり、英国人には犠牲者はいなかった。 ウォレン氏につづいて被災地に入った駐日大使は、3月23日に米国のジョン・ルース大使(当時)夫妻が石巻市に、同26日にフランスのフィリップ・フォール大使(同)が仙台市に入った。しかし被災地に3泊もした大使はいない。(続く)』、「ウォレン氏が他の大使に先駆けて被災地に入れたのも、SAGEの助言があったればこそだった。 SAGE=緊急時科学助言グループは、緊急時に科学的知見に基づいた助言を得るための英政府の組織で、各省庁の科学顧問や外部の専門家で構成されている」、うらやましいほど整った支援体制だ。「被災直後の現地を3泊4日にわたって見て回ったことは、英国人の安否情報の早期確認に大いに役立った。また英本国にとっても被災地の様子を詳しく知る手助けになったはずである」、その通りなのだろう。

次に、この続きを、3月9日付けForesight「ドキュメント3・11 イギリス大使館はなぜ「真実」を見抜けたか(中)」を紹介しよう。
・『福島第1原発の事態は、チェルノブイリ並みの深刻度「レベル7」も指摘された。フランスが発した避難勧告を皮切りに、各国外国人コミュニティーに動揺が広がって行く。しかしイギリス大使館は「首都圏から避難の必要なし」と結論を出した。 英国以外の国の3・11での対応はどうだったか。 福島第1原発の原子炉の冷却が見通せないなか、多くの国は「東京も危ないのではないか」と疑心暗鬼になり、さまざまに浮足立った行動へと走り出す。 1つの契機は、世界の核関連活動を監視する米シンクタンク、科学国際安全保障研究所(ISIS)の発表だった。2011年3月15日、福島第1原発の事故の深刻さを国際評価尺度で上から2番目の「レベル6」に近いとし、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故と同じ最悪の「レベル7」に達する可能性もあると指摘した』、確かに「ISIS」の「発表」を、通常の国は慌てふためくだろう。
・『日本脱出の動きが広がる中で  主要国でフランスが最初に自国民に首都圏から避難するよう勧告した。また日本からの脱出を希望する自国民のため、特別機を羽田空港や成田空港に送り込んだ国はフランス、チェコ、フィリピン、キルギスなど10カ国を超えた。パニックになった外資系企業の外国人の幹部と従業員が挙って日本を離れ、企業活動がマヒするところもあった。 大使館機能を東京から関西に移し、大使以下、大挙、東京を離れた国も、震災2週間の時点で私が数えると25カ国に上った。ドイツ、スイス、フィンランド、オーストリアなど原発問題に敏感な欧州を中心に、パナマ、ベネズエラ、グアテマラ、アラブ首長国連邦(UAE)などの国も。日本語を話すドイツの知日派大使のフォルカー・シュタンツェル氏は大使館機能を関西に移すことに強く反対したといわれる。しかし独政府の指示に折れざるを得なかった。 「大使は本国の決定に怒っていた」と知り合いの駐日外交官は私に語っていたが、ドイツ国内の反原発の世論を政府も無視できなかった。 一方、イタリア、カナダ、スペインのように、メディアを通じて東京での業務継続を正式表明した国もあった。イタリア大使館のヴィンチェンツォ・ペトローネ大使は 「友好国が困難な時に、我々は東京に残って連帯を表明する」「在日のイタリア企業は日本経済を助けるため、業務を中止しないでほしい」との声明を出した。スペイン大使館は 「自国民と日本国民のあらゆる支援の要望に応えるため業務を継続する」と表明した。イタリア、スペイン大使館は3日間にわたって半旗を掲げた。 日本外務省の大使OBは、 「東京にとどまって日本に連帯を示すのが出先の大使館の役割だ。私は関西に逃げた国を忘れない」と怒った。後日、フランスのフィリップ・フォール大使は日本の新聞とのインタビューで、フランス人が日本を大量脱出して企業の業務を停滞させたことに、 「大使館は一切、日本からの脱出を指示してないが、混乱を招いたことをお詫びしたい」と謝罪することになる』、「日本語を話すドイツの知日派大使のフォルカー・シュタンツェル氏は大使館機能を関西に移すことに強く反対したといわれる。しかし独政府の指示に折れざるを得なかった。 「大使は本国の決定に怒っていた」と知り合いの駐日外交官は私に語っていたが、ドイツ国内の反原発の世論を政府も無視できなかった」、「知日派大使」が反対しても、「大使館機能を関西に移す」、「ドイツ」らしい。
・『想定し得る最悪の事態を明示  こうした各国のドタバタのなかで、英国がブレなかったのは駐日大使のウォレン氏と、本国の緊急時科学助言グループ(SAGE)の存在が大きかった。SAGEは英政府の首席科学顧問を務めていたサー・ジョン・ベディントン教授を委員長に、刻々と変わる放射線濃度、風速、天候などのデーターを分析し、一般人の放射能汚染リスクについて、「原発20キロ圏外であれば人体に問題ない」と、英政府の危機管理委員会(COBRA)に報告していた。日本政府の「20キロ圏外への避難」の指示を妥当なものとしたのだ。ただ日本政府が科学的、論理的な根拠を明示しなかったのに対し、SAGEは「想定しうる最悪の事態(Reasonable Worst Case Scenario)」も示した。これはデビッド・キャメンロン首相から、 「在日英国人を東京から避難させる必要があるだろうか」との質問を受けてSAGEが導き出した。 ベディントン教授はSAGEの専門家たちと、放射線量の増加により福島第1原発への人の介入が不可能な状態になり、原発が全機メルトダウンを起こすという悲観的な局面に追い込まれ、かつ東京方面に風が吹き続けるという最悪の想定をして検討した。しかしそのような状況においても東京の放射線量は極めて小さく、東京から英国人を避難させる必要はないとの結論に達し、首相に伝えられた。 この報告は在英大使館のホームページに全文掲載されるとともに、ベディントン教授は3月15日を皮切りに計4回、オンラインで英大使館とつなぎ、在日英国人コミュニティーと対話する機会をもった。これらの記録や議事録も即時にソーシャルメディアなどを通じ共有された。日本の首相官邸もこれをリツィートしている』、「東京から英国人を避難させる必要はないとの結論」、「この報告は在英大使館のホームページに全文掲載」、日本のマスコミが伝えた記憶はない。駐在記者の怠慢のようだ。
・『「科学的知見」と「政治判断」の衝突  「想定しうる最悪の事態」が示されたことで、一般の人々にとっても最悪の場合、どう行動すべきかを判断する材料となった。在日外国人ばかりでなく、日本人にとっても大いに役立った。当時、私も英大使館のホームページを参照していたが、科学的かつ論理的で信頼性があった。情報が錯綜し、メディアで伝えられる事柄に対する信頼が揺らいでいた時である。「東京は安全で避難は不必要」「窓を閉めて家の中にいれば大丈夫」との同教授の説明はどれほど心強かったか知れない。 ただ科学的知見と、これを踏まえてどう政治判断するかは別の問題だ。原発の冷却が見通せず、原子炉内の圧力が高まっていた3月16、17日、キャメロン英首相がウォレン氏に、「英国民を首都圏から避難させるべきではないか」と連絡してきた。本国ではメディアが、 「他の欧州の国が自国民を日本から避難させているのに、英国はなぜ動かないのか」と突き上げていた。ウォレン氏は、「科学的な根拠もなく、慌てて自国民を首都圏から避難させることに私は否定的だった」と言い、首相や外相にも意見具申した。しかし本国との調整の上で、次のような含みをもった告知を大使館のサイトにアップした。 「積極的には勧告しないが、英国民は東京を離れることを念頭においてもいい」 それでもウォレン氏は個人的には「東京から避難する必要はない」との立場だった。3月20日、大使はBBCテレビのインタビューを、「東京は安全」とのメッセージを込めて大使館の庭で受けた。英政府は「日本を離れたい人のために」とチャーター機を日本から香港に飛ばしたが、乗った人は少数だった。英大使館が発信し続けたSAGEの科学的知見を、多くの英国人が参照した効果だとウォレン氏は見ている』、「日本の世論に直接働きかけるパブリック・ディプロマシーで英国は出色だった」、さすがだ。「キャメロン英首相がウォレン氏に、「英国民を首都圏から避難させるべきではないか」と連絡してきた」、「「科学的な根拠もなく、慌てて自国民を首都圏から避難させることに私は否定的だった」と言い、首相や外相にも意見具申した。しかし本国との調整の上で、次のような含みをもった告知を大使館のサイトにアップした」、本国からの圧力を巧に逸らす手際はさすがだ。
・『20日で25回のインタビュー  原発の危機が遠のいた3月末、大使は英政府と協議し、緊急事態を解除した。3・11からの20日間に、ウォレン氏がこなしたメディアとのインタビューは25回を数えた。 3・11から4年目の2015年3月、英国のウィリアム王子が来日し、4日間の滞在中、2日間にわたって宮城県石巻市、女川町、福島県内などの被災地を訪問し、被災者と交流。郡山市の磐梯熱海温泉の旅館に1泊した。安倍晋三首相も王子の宿泊先で歓迎夕食会をもち、感謝の意を表わした。被災地を日帰りで訪れた外国要人はいるが、1泊した要人は初めてだった。しかも王子は王位継承第2位である。 2019年3月にロンドンの日本大使公邸でウォレン氏に対する叙勲式が行われた時、鶴岡公二駐英大使は3・11での英国の日本に対する揺るぎない友好的な姿勢がウィリアム王子の被災地訪問に結びついたと指摘した。今日、日英両国は政治、経済、安全保障の分野で「新・日英同盟」と形容されるほど緊密な関係を築いている。3・11がこのスプリングボードの役割を少なからず果たしたと見てもさして間違いではない。(肩書は当時/続く)』、「20日で25回のインタビュー」、「2015年3月、英国のウィリアム王子が来日し、4日間の滞在中、2日間にわたって宮城県石巻市、女川町、福島県内などの被災地を訪問し、被災者と交流」、「ウォレン氏」の活躍なくしては実現しなかっただろう。

第三に、この続きを、3月10日付けForesight「ドキュメント3・11 イギリス大使館はなぜ「真実」を見抜けたか(下)」を紹介しよう。
https://www.fsight.jp/articles/-/47797
・『火山爆発、伝染病、テロ対策、金融危機、そして気候変動――政治における「専門家」の役割が問われている。イギリス大使館の判断を支えたSAGEは、ブレア政権時代にその体制が整備された。新型コロナウイルス感染という新たな非常事態に臨む中で、いま浮上している課題と日本が生かすべき教訓とは。 3・11から2カ月後の2011年5月末、英政府の首席科学顧問として緊急時科学助言グループ(SAGE)の委員長を務めたサー・ジョン・ベディントン教授が来日し、3・11の経緯を振り返るシンポジウムに出席した。 講演に立った同氏はこう述べた。 「科学的助言の信頼性を保つには透明性と独立性が不可欠です。そのため3・11でSAGEは政府に助言を行うにとどまらず、SAGEの議論と結論をすみやかにインターネットを通じて公開し、また在日英国人のコミュニティーとオンラインで対話し、原発事故のリスクも含めて率直に明らかにしたのです」 SAGEの透明性ある情報公開は在日の英国人など外国人だけでなく、日本人にも広く参照され、「東京は安全で避難は不必要」「窓を閉めて家の中にいれば神経質になることはない」との分析は大いに役立った。 しかしベディントン教授は科学的知見と政府との関係、さらに科学的知見を絶対視することのリスクも含め、幾つか指摘することも忘れなかった。3点あった。 1.政府が決定を行う際には、科学的助言だけでなく、経済的、政治的、倫理的な要素も考慮され、科学的知見だけで決定されるわけではない 1.統一的な科学的助言を提供することが難しい場合もあることを理解すべきである 1.科学者の知見はあらゆる人々から批判も含め、さまざまな指摘を受ける余地を残した上で活用されるべきである  同教授は最後に、「この世の中で確かなことは『確実なものなど何もない』ということだけである」 との警句を引いて講演を締めくくった。同教授には2014年、日英の科学技術交流推進に著しく貢献したとして、旭日中綬章が授与された』、「「この世の中で確かなことは『確実なものなど何もない』ということだけである」 との警句」、はまさに言い得て妙だ。
・『日本に欠けている「法的根拠」  英国では政府内に首席科学顧問を置いて、科学的助言を受ける仕組みが第2次大戦直後にスタートした。これは各省のさまざまな分野に精通した科学顧問や外部の専門家の力を結集したSAGEに発展し、首席科学顧問が委員長を務める仕組みとなった。 火山爆発、伝染病、テロ対策、金融危機、そして近年では気候変動など、科学的知見を必要とする数多くの政策課題が生まれる中で、ブレア政権時代の2001年に政府側の体制も整えられた。それまで非常事態の事務局は内務省が担っていたが、内閣府に市民非常事態部局(CCS=Civil Contingencies Secretariat)が常設された。 ひとたび非常事態が起こると、CCSの下に省庁横断的な危機管理委員会(COBRA)が立ち上がる。2004年には非常事態法が制定され、錯綜する関連法体系を1つにまとめた。これによって非常事態にあってもSAGEと政府側の意思疎通がスムーズ、迅速になった。 英政府の3・11での対応は、「平常時だけでなく、緊急時に際しても適切な科学的助言を迅速に得るための仕組み作り」を日本政府に痛感させた。翌2012年6月に出された「科学技術の振興に関する年次報告」にはそのことが教訓として盛られた。 その点で、新型コロナウイルス問題は3・11の教訓をどう生かしたかが問われた最大の機会でもあった。この1年余の対応を中間総括すると、政府も科学者グループも手探りしながらやってきたというのが実態に近い。 日本政府はクルーズ船での集団感染の対応に追われていた昨年2月、感染症や公衆衛生の専門家ら12人を集めて専門家会議を立ち上げた。英国のような緊急時科学助言グループ(SAGE)がなく、しかも新型コロナ対応の改正特別措置法が成立する前だったため、法的な根拠を欠いたままの出発だった。 専門家会議メンバーの間ではこのままでは感染爆発的に拡大するとの危機感が強く、政府への提言にとどまらず、外に向かっても積極的に発言した。政府には感染状況の分析、検査体制拡充、「3密」の回避、在宅勤務――などの対策を求めつつ、市民には行動変容のお願いを呼びかけるなど、従来のパターン化された諮問・答申の関係を超えた役割を担った。 一例が昨年4月の緊急事態宣言の時だった。専門家会議にオブザーバーとして出席した京都大学の西浦博教授は、人と人との接触を8割削減する必要性を主張した。しかし政府はこの目標は国民に受け入れられないと、「最低7割、極力8割」と目標を弱めて国民に提示。西浦氏はツイッターで「7割は政治側が勝手に言っていること」と投稿した。リスクを国民に説明する「リスクコミュニケーション」でも、政府でなく専門家会議が前面に出ることも少なくなかった。 専門家会議が前のめりになった理由について、座長を務めた国立感染症研究所の脇田隆字所長は、 「政府の諮問に答えるだけでなく、対策も必要があると考えた」と語っているが、法的根拠を欠いて権限や責任が明確でない分、自由に動けたという側面もあった。ただこれによって専門家会議への期待を必要以上に抱かせた一方、「専門家会議がすべてを決めている」とのイメージを強めた。 本来、専門家会議の役割は科学的知見に基づきさまざまな選択肢を示し、併せてそれぞれの効果と問題点を提示することで、政府はそれを踏まえて対策を決め、理由を説明し、結果責任を負う。この役割分担があいまいで、時に逆転した印象を与えた。 透明性という点でも不十分だった。専門家会議では議事録概要にとどめ、議事録は作成されていなかったことが判明したが、メンバーから「発言を探られたくない」との声が出て、本人の希望で発言を削除できる仕組みにされたことが分かった。 政府は6月下旬、専門家会議を解消し、特措法に基づく新たな会議体「新型コロナ分科会」(略称)を設置。感染防止と社会経済活動の両立を図るため、発足時のメンバー18人には感染症の専門家のほか、経済学者や知事、情報発信の専門家らが加わった。これには政府が主導権を取り戻す狙いもあったともみられた。 しかし感染が拡大して医療崩壊の危機が叫ばれる中で、経済の専門家の声は小さくなっていかざるを得なかった。昨年末の観光支援事業「Go To トラベル」の扱いはその象徴で、感染症の専門家が主導権を握った分科会と政府の間で溝が生じ、最終的に政府は一時停止に追い込まれた』、「本来、専門家会議の役割は科学的知見に基づきさまざまな選択肢を示し、併せてそれぞれの効果と問題点を提示することで、政府はそれを踏まえて対策を決め、理由を説明し、結果責任を負う。この役割分担があいまいで、時に逆転した印象を与えた」、「透明性という点でも不十分だった。専門家会議では議事録概要にとどめ、議事録は作成されていなかったことが判明したが、メンバーから「発言を探られたくない」との声が出て、本人の希望で発言を削除できる仕組みにされたことが分かった」、「発言を探られたくない」との声は責任回避で、そんな勝手まで許すべきではない。
・『「政策の正当性」「結果責任」を誰に求めるか  では英国はどうだったかというと、被害の大きさもあって日本以上に対応は混乱した。今年3月初め時点で、英国は感染者421万人、死者も12万4000人に上っている。 感染が広がり始めた昨年3月、欧州各国が厳しい外出制限を設ける中、英国は国民にレストランなどに集まらないよう呼び掛けるにとどめた。フランスのエマニュエル・マクロン大統領が電話でボリス・ジョンソン英首相に「感染拡大の抑制策を強化しなければ、英国からのフランス入国を禁止する措置を取ると」と述べたのを受け、やっと3月23日から厳格な外出制限に踏み切った。その後、ジョンソン首相も感染し、一時は集中治療室に入る重篤な状態に陥ったが、それまで首相が問題の深刻さを過小評価していたのは間違いない。 英政府はSAGEの構成員や議事録を非公開にしていたが、世論の批判を受けて5月に公開した。これによるとSAGEの助言をそれなりに取り入れて政策が決定されたことがうかがえるが、この時点で約4万人の死者が出ていたこともあって、政府内には逆にSAGEの責任を問う声も上がった。 ジョンソン首相は昨年7月、『BBC』のインタビューで、「最初の数週間や数カ月間、ウイルスを十分に理解していなかった」「(初期対応で)違うやり方ができたかもしれない」と反省の弁を口にした。 ただ「政策決定権はあくまで政府にある」とする同首相は、SAGEの提言は提言として、独自に判断を下そうという姿勢は基本的に変わらなかった。これに不満を抱くSAGEメンバーが「首相は科学的知見を無視している」とメディアに舞台裏を明かし、メディアが政府を叩くという混乱も度々起きた。 一例がクリスマス休暇の対応だった。英政府は11月下旬、3世帯まで一緒に過ごせるように規制を緩和すると発表したが、SAGEはその数日後に、 「気分が高揚するクリスマスに規制を緩和すると、感染者は急増する」という内容の提言を公表した。実際、そのようになり、英政府は再び感染抑止策を強化しなければならなかった。また今年1月初めから英国は3度目のロックダウンに踏み切ることになったが、同首相は、「私の考えでは学校は安全で、教育は最優先課題だ」と、学校閉鎖を伴わなければロックダウンの効果が薄れるとのSAGEの提言を入れなかった。しかしロックダウンに踏み切る直前、家庭でのリモート教育に転換した。 日英の政府と科学助言グループの関係を比べると、日本は政府が自らの政策決定の正当性と根拠を専門家会議、分科会に求めようとする傾向が強いのに対して、英国は政府としての独自性を打ち出そうとする姿勢が目立つ。その分、「結果責任は政府が負う」という自負が強い。 英国では昨年12月初旬にワクチン接種が始まり、人口比では主要国の中で最も進んでいる。遅くとも今年9月に全成人の接種が終わる見通しだ。もっとも変異ウイルスが急拡大しており、ワクチン効果が続くのかなど不透明さはまだまだ残る。10年前に来日したベディントン教授は「この世の中で確かなことは『確実なものなど何もない』ということだ」と述べたが、ウイルスとの戦いはこの言葉を胸に、シニシズム(冷笑)やニヒリズム(虚無)に陥ることなく「解」を模索していかねばならない。(了)』、「日本は政府が自らの政策決定の正当性と根拠を専門家会議、分科会に求めようとする傾向が強いのに対して、英国は政府としての独自性を打ち出そうとする姿勢が目立つ。その分、「結果責任は政府が負う」という自負が強い」、日本のやり方は役割分担が不明で、私は英国のやり方の方がいいと感じる。この(下)は原発問題とは大きく離れてしまい、本来は「パンデミック」で取り上げるべきだが、大使館の流れを重視して「原発問題」に強引に潜り込ませたことをお詫びしたい。
タグ:原発問題 Foresight (その15)(「ドキュメント3・11 イギリス大使館はなぜ「真実」を見抜けたか」3題:(上)、(中)、(下)) 「ドキュメント3・11 イギリス大使館はなぜ「真実」を見抜けたか(上)」 驚くべき冷静な対応だ 被災地の英国人は600人、誰とも連絡がつかなかった 「容易ならざる事態と認識した英政府も、関係省庁が参加する危機管理委員会(COBRA)を立ち上げていた」 「英外務省はロンドンと各国の英大使館からスタッフを東京に送り込み、80人の増援部隊が到着した」、東京川からの余生を待たずに手配する手際の良さには驚かされた。 東京の大使館はナンバー2が指揮できる」 「「こういう時はトップが被災地に姿を見せることが大事なのだ。英国は自国民を見捨てないというシグナルであり、困難な状況にある日本人被災者に『英国は日本人と共にここにいる』と、勇気づけるメッセージにもなる。東京の大使館はナンバー2が指揮できる」、日本とは真逆の対応だ 被災地入りの決断を支えた「SAGE」の助言 「ウォレン氏が他の大使に先駆けて被災地に入れたのも、SAGEの助言があったればこそだった。 SAGE=緊急時科学助言グループは、緊急時に科学的知見に基づいた助言を得るための英政府の組織で、各省庁の科学顧問や外部の専門家で構成されている」、うらやましいほど整った支援体制だ。 「被災直後の現地を3泊4日にわたって見て回ったことは、英国人の安否情報の早期確認に大いに役立った。また英本国にとっても被災地の様子を詳しく知る手助けになったはずである」、その通りなのだろう 「ドキュメント3・11 イギリス大使館はなぜ「真実」を見抜けたか(中)」 確かに「ISIS」の「発表」を、通常の国は慌てふためくだろう。 日本脱出の動きが広がる中で 「日本語を話すドイツの知日派大使のフォルカー・シュタンツェル氏は大使館機能を関西に移すことに強く反対したといわれる。しかし独政府の指示に折れざるを得なかった。 「大使は本国の決定に怒っていた」と知り合いの駐日外交官は私に語っていたが、ドイツ国内の反原発の世論を政府も無視できなかった」、「知日派大使」が反対しても、「大使館機能を関西に移す」、「ドイツ」らしい 想定し得る最悪の事態を明示 「東京から英国人を避難させる必要はないとの結論」、「この報告は在英大使館のホームページに全文掲載」、日本のマスコミが伝えた記憶はない。駐在記者の怠慢のようだ。 「科学的知見」と「政治判断」の衝突 「日本の世論に直接働きかけるパブリック・ディプロマシーで英国は出色だった」、さすがだ。 「キャメロン英首相がウォレン氏に、「英国民を首都圏から避難させるべきではないか」と連絡してきた」、「「科学的な根拠もなく、慌てて自国民を首都圏から避難させることに私は否定的だった」と言い、首相や外相にも意見具申した。しかし本国との調整の上で、次のような含みをもった告知を大使館のサイトにアップした」、本国からの圧力を巧に逸らす手際はさすがだ 20日で25回のインタビュー 「2015年3月、英国のウィリアム王子が来日し、4日間の滞在中、2日間にわたって宮城県石巻市、女川町、福島県内などの被災地を訪問し、被災者と交流」、「ウォレン氏」の活躍なくしては実現しなかっただろう 「ドキュメント3・11 イギリス大使館はなぜ「真実」を見抜けたか(下)」 「「この世の中で確かなことは『確実なものなど何もない』ということだけである」 との警句」、はまさに言い得て妙だ 日本に欠けている「法的根拠」 「本来、専門家会議の役割は科学的知見に基づきさまざまな選択肢を示し、併せてそれぞれの効果と問題点を提示することで、政府はそれを踏まえて対策を決め、理由を説明し、結果責任を負う。この役割分担があいまいで、時に逆転した印象を与えた」 「透明性という点でも不十分だった。専門家会議では議事録概要にとどめ、議事録は作成されていなかったことが判明したが、メンバーから「発言を探られたくない」との声が出て、本人の希望で発言を削除できる仕組みにされたことが分かった」、「発言を探られたくない」との声は責任回避で、そんな勝手まで許すべきではない 「政策の正当性」「結果責任」を誰に求めるか 「日本は政府が自らの政策決定の正当性と根拠を専門家会議、分科会に求めようとする傾向が強いのに対して、英国は政府としての独自性を打ち出そうとする姿勢が目立つ。その分、「結果責任は政府が負う」という自負が強い」、日本のやり方は役割分担が不明で、私は英国のやり方の方がいいと感じる この(下)は原発問題とは大きく離れてしまい、本来は「パンデミック」で取り上げるべきだが、大使館の流れを重視して「原発問題」に強引に潜り込ませたことをお詫びしたい。
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