親子関係(その1)(米国人驚愕「子が親の介護する日本」深刻な盲点 「家の時代」から「個人の時代」へシフト、医学部9浪の31歳娘が58歳母をバラバラ死体にするまで…話題本の著者が迫った事件の本質、「子供部屋おじさん」が合理的なのかは 実は深い問いだ) [人生]
今日は、親子関係(その1)(米国人驚愕「子が親の介護する日本」深刻な盲点 「家の時代」から「個人の時代」へシフト、医学部9浪の31歳娘が58歳母をバラバラ死体にするまで…話題本の著者が迫った事件の本質、「子供部屋おじさん」が合理的なのかは 実は深い問いだ)を取上げよう。
先ずは、2021年3月25日付け東洋経済オンラインが掲載した財務省出身で、ニューヨーク州弁護士・信州大学特任准教授の山口 真由氏による「米国人驚愕「子が親の介護する日本」深刻な盲点 「家の時代」から「個人の時代」へシフト」を紹介しよう。
・『東京大学を卒業後、財務省を経て、現在はニューヨーク州弁護士、信州大学特任准教授の山口真由氏は、アメリカ留学で家族法を学び、家族に関するさまざまな疑問にぶつかります。山口氏の新著『「ふつうの家族」にさようなら』を基に、今回はアメリカと日本の家族観の違いについて解説します。 前回:何でも入手できる米国「精子バンク」の驚く値段』、興味深そうだ。
・『日本では聞いたことがない訴訟 「あら、どうして?子どもが年老いた親の面倒をみるっていう義務が、そんなにはっきり法律に書いてあるの?」 ハーバード・ロースクールの家族法の授業で、教壇のエリザベス・バーソレッテ教授が、片方の眉をつり上げる。授業中に英語で質問をされると、心臓が縮む。それでも今日の私は、ここで引き下がるわけにはいかない。なんせ、日本を背負って手をあげたのだから。 発端は授業で習った判例だった。年老いた母は、老人ホームで人生の最期を迎える。母の死後、その老人ホームは介護にかかった費用を精算しようとした。だが、毎年、老女のために使われるはずの財産は息子が使ってしまっている。 そこで、彼女の残りの財産を相続した息子に、ホームは残額を請求した。ところが、息子は自分には支払義務がないとして裁判所で争ったのだ。 アメリカと日本の家族観の違いを感じるのは、こういう瞬間である。すかさず私は手をあげる。 「日本では、こんな訴訟は聞いたことがありません」 勢いにまかせて、私は話し出す。バーソレッテ教授は驚いたように私に尋ねる。 「あら、どうして? 子どもが年老いた親の面倒をみるっていう義務が、そんなにはっきり法律に書いてあるの?」 今度は私が驚く番だ。親子の間で、まず法律上の義務を持ち出すなんて!) 「確かに、子どもは親を扶養する義務が民法に定められていると思います。でも、そんなに細かくきっちりとした定めではありません。これって、法律上の義務というよりは道義的な義務ではないでしょうか。 確かに、親子関係はさまざまです。親の面倒をみろとすべての子どもに押しつけることはできないかもしれない。ただ、日本では、一般的には、自分を育ててくれた親が年老いて介護を必要とすれば、子どもが面倒をみることになります」 バーソレッテ教授は、目を見開いたまま黙り込んでしまう。しばしの沈黙の後、彼女は再び口を開く。 「日本と比べると、アメリカは年寄りに冷たい国だわ。私もね、年寄りの部類に入るようになって心からそう思うのよ。大統領候補者はこぞって若作りをする。健康不安を心配するよりも批判の対象にする。 子どもたちは、年老いた両親を養うことはしない。老後に備えて、私たちは自分でお金を貯めておかないといけないの。この若い国は、この国を必死に支えて、そして、老いていった人たちをいたわろうとはしてこなかったわ」 ここにおそらく、アメリカの「家族」と日本の「家」の決定的な違いがある』、「バーソレッテ教授は」、「日本と比べると、アメリカは年寄りに冷たい国だわ。私もね、年寄りの部類に入るようになって心からそう思うのよ・・・子どもたちは、年老いた両親を養うことはしない。老後に備えて、私たちは自分でお金を貯めておかないといけないの。この若い国は、この国を必死に支えて、そして、老いていった人たちをいたわろうとはしてこなかったわ」、その通りだ。
・『日本の「家」は会社だった 「江戸時代までの日本の『家』っていうのはね、これは、会社なのよ」 日本に戻った私は、東京大学の博士課程で家族法の勉強を継続した。そのときに、家族法の大家である教授が、日本の「家」の本質をそう端的に表現した。江戸時代の武家制度のなかで確立した日本の「家」というのは、家の財産をバラバラにせずに、次の世代に、その次の世代に、脈々と伝えていくための装置なのだという。 江戸時代の家は、武士であれ町人であれ、「家業」を持っていた。浅草の老舗のお煎餅屋さんを想像してほしい。祖父の代から頑固一徹で守ってきた秘伝のたれをしみこませながら、煎餅を焼く。この技法が評判になり、今ではかなり遠くからも煎餅を買い求める人が引きも切らない。 だが、足腰も弱りはじめた三代目は隠居することを考えていた。子どもは長男、次男、そして、長女がいて、全員がお店で働いている。のれんという信用、そして、煎餅づくりのノウハウという無形資産があってこそ、お煎餅屋さんは価値を持つ。 だから、お店の土地とか建物とか、はたまた煎餅を焼く機器なんかの有形資産をバラバラにして、子どもたちに受け継がせても意味がないのだ。) 長女は、家業につながりのある家にお嫁に行くだろう。次男には、後々、のれん分けをしてあげるかもしれない。ここは、とりあえず長男にお店を丸ごと継いでもらうことにしよう。 こうやって、浅草の老舗のお煎餅屋さんは、世代に1人と跡継ぎを定めて、祖父から父へ、そして、父から息子の代へと事業を丸ごと受け継がせる。日本の「家」というのは、もともとそういうものだったらしい。そう考えるとこれは家族経営の中小企業とおんなじだ。 家族法の大家である教授は、私たちにこう諭す。 「江戸時代まで、日本には『相続』なんて考え方はなかったのよ。『相続』というのはね、個人を単位に財産を管理する方法なの。個人が亡くなると財産の帰属主体が消滅する。それで、その時点の財産をすべてお金に換算して、それを相続人に平等に分配しましょうという考え方でしょう」 「じゃあ、江戸時代の日本では、おじいさんが亡くなったら財産をどうやって分けるんですか?」 「分けたりしないのよ。江戸時代までの日本の相続は、今でいう会社の『事業承継』と同じ。財産の帰属主体は個人じゃないの。家なのよ。だから、社長を交代するように家長を交代して、世代を超えて家の財産を引き継いでいく。 個人が亡くなるたびに、財産の帰属主体が消滅して、財産を清算してっていう考え方はとっていなかったの。個人が亡くなってもなお、家は連綿と残っていくものなのよ」 アメリカの「家族」は点である。子どもが成人すれば、親の家族とは別個の個人となり、やがて新しい家族を作っていく。 もちろん、点在する家族と家族の間には精神的な交流がある。クリスマスには、子どもが孫たちを連れて、懐かしい両親の家に帰るだろう。ただし、親の家族と子どもの家族ははっきりと区切られている。両者は経済的には完全に独立した主体なのだ』、「江戸時代の武家制度のなかで確立した日本の「家」というのは、家の財産をバラバラにせずに、次の世代に、その次の世代に、脈々と伝えていくための装置なのだという。 江戸時代の家は、武士であれ町人であれ、「家業」を持っていた・・・長女は、家業につながりのある家にお嫁に行くだろう。次男には、後々、のれん分けをしてあげるかもしれない。ここは、とりあえず長男にお店を丸ごと継いでもらうことにしよう。 こうやって、浅草の老舗のお煎餅屋さんは、世代に1人と跡継ぎを定めて、祖父から父へ、そして、父から息子の代へと事業を丸ごと受け継がせる。日本の「家」というのは、もともとそういうものだったらしい。そう考えるとこれは家族経営の中小企業とおんなじだ」、「江戸時代までの日本の相続は、今でいう会社の『事業承継』と同じ。財産の帰属主体は個人じゃないの。家なのよ。だから、社長を交代するように家長を交代して、世代を超えて家の財産を引き継いでいく。 個人が亡くなるたびに、財産の帰属主体が消滅して、財産を清算してっていう考え方はとっていなかったの。個人が亡くなってもなお、家は連綿と残っていくものなのよ」 アメリカの「家族」は点である。子どもが成人すれば、親の家族とは別個の個人となり、やがて新しい家族を作っていく」、「「江戸時代までの日本の相続は・・・財産の帰属主体は個人じゃないの。家なのよ。だから、社長を交代するように家長を交代して、世代を超えて家の財産を引き継いでいく」、その通りだ。
・『一方、日本の「家」は線である。隠居した親の面倒は子どもがみる。その子も将来は、自分の息子やそのお嫁さんに面倒をみてもらう。家業を、親から子ども、そして、孫へと引き継いでいくその裏で、家業を営むことで得られるあがりで、年老いた親、出戻りの娘、引きこもった息子、家の構成員全員を養っていく。 家は、世代を超え、核家族の境界を超えて、一族を縦に結びつける。そしてこの家は、精神的な結びつきのみならず、経済的な基盤でもあるのだ。 今、日本では、もともとの「家」の価値観と西欧由来の「個人」の価値観が交錯する過渡期にある。相続というのは「個人」の側の概念である。日本には、もともと財産が個人に帰属するという考え方はなかった。そういう考えが輸入されたことで、相続という制度ができあがった』、「アメリカの「家族」は点である。子どもが成人すれば、親の家族とは別個の個人となり、やがて新しい家族を作っていく」、「日本の「家」は線である。隠居した親の面倒は子どもがみる。その子も将来は、自分の息子やそのお嫁さんに面倒をみてもらう。家業を、親から子ども、そして、孫へと引き継いでいくその裏で、家業を営むことで得られるあがりで、年老いた親、出戻りの娘、引きこもった息子、家の構成員全員を養っていく。 家は、世代を超え、核家族の境界を超えて、一族を縦に結びつける。そしてこの家は、精神的な結びつきのみならず、経済的な基盤でもあるのだ」、極めてクリアだ。「今、日本では、もともとの「家」の価値観と西欧由来の「個人」の価値観が交錯する過渡期にある。相続というのは「個人」の側の概念である。日本には、もともと財産が個人に帰属するという考え方はなかった。そういう考えが輸入されたことで、相続という制度ができあがった」、なるほど。
・『社会に色濃く残る「家」という感覚 だが、こういう相続争いの法廷で、私は「家」という感覚が、社会に色濃く残っていることに気づく。例えば、長男次男という序列が慣習として存在する。長男は、幼い頃から「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と呼ばれてなにかと優遇される。家業を継ぐとすれば、まずは長男が第一候補者だ。 それと引き換えに、年老いた両親は長男が自分の家に引き取って介護をするものだという価値観、これが今でも地方ではそれなりに強く残る。 考えてみれば、日本で社会問題となりつつある親の介護も、「家」という制度の遺物なのかもしれない。 年老いた親が介護を必要とするならば、すでに家を出ていたとしても、まずは子どもが担い手となるべきだ。そういう感覚が日本にはある。老人ホームに入所させる費用を親の貯金で賄うことができなければ、それは子どもが負担するべきだと考える人も多いだろう。 財産が個人にではなく家にあると考える。すると、この価値観はとても自然だ。子どもの財布から親の介護を賄っているように見えて、その実、家の財産から隠居した先代の生活費を出しているにほかならないのだから。そして、同じ制度が続くならば、自分の介護についても子どもに面倒をみてもらえるという期待が生じる。) 要するに、同じお財布を共有している人の単位が異なるということだ。日本の場合には、別々の家族を営んでいるようで、親も子どもも、いつまでも緩やかに同じお財布を共有している。 一方のアメリカは、子どもが独り立ちした時点で独立採算制になる。もちろん、親の遺産を相続することもあるだろうが、アメリカ人の多くが遺言を残すとされ、日本の遺留分に当たる制度はない。個人の人生の後始末は個人の意思によるのが原則なのだ。 そういう全体像の下で、ロー・スクールの教授は、「子どもが年老いた親の面倒をみるっていう義務が、そんなにはっきり法律に書いてあるの?」と私に問うた。そして、法学部の教授は、「江戸時代までの日本の『家』っていうのはね、これは、会社なのよ」と指摘したのだ』、「日本の場合には、別々の家族を営んでいるようで、親も子どもも、いつまでも緩やかに同じお財布を共有している。 一方のアメリカは、子どもが独り立ちした時点で独立採算制になる。もちろん、親の遺産を相続することもあるだろうが、アメリカ人の多くが遺言を残すとされ、日本の遺留分に当たる制度はない。個人の人生の後始末は個人の意思によるのが原則なのだ」、なるほど。
・『「個人の時代」へ踏み出そうとしている日本社会 そう考えると、アメリカのロー・スクールでの授業風景が異なったものに見えてくる。日本の子どもたちに思いやりがあって、アメリカの子どもたちは年老いた親に冷淡だという、そういう国民性みたいな話ではない。これは、アメリカの「家族」と日本の「家」の決定的な違いなのだ。 アメリカの家族は点々と社会に散りばめられている。一方、日本の家は世代を超えて連綿とつながる線を描く。だが、問題はここでは終わらない。私たちの社会は、今、「家の時代」からアメリカのような「個人の時代」へと足を踏み出そうとしている。 夫婦別姓の問題も、森喜朗氏の発言に端を発した「女性という属性ではなく個人を評価しましょう」という動きも、私たちを「家」の世界観から「個人」へと押し出そうとする。 「個人の自律」というと聞こえはよい。だが、介護の問題、パラサイトチルドレン、8050問題――そこに頼って生きてきた人々が「家」から押し出されたとき、社会が彼らに居場所を用意できるのかが真の問題だろう』、「アメリカの家族は点々と社会に散りばめられている。一方、日本の家は世代を超えて連綿とつながる線を描く。だが、問題はここでは終わらない。私たちの社会は、今、「家の時代」からアメリカのような「個人の時代」へと足を踏み出そうとしている。 夫婦別姓の問題も、森喜朗氏の発言に端を発した「女性という属性ではなく個人を評価しましょう」という動きも、私たちを「家」の世界観から「個人」へと押し出そうとする。 「個人の自律」というと聞こえはよい。だが、介護の問題、パラサイトチルドレン、8050問題――そこに頼って生きてきた人々が「家」から押し出されたとき、社会が彼らに居場所を用意できるのかが真の問題だろう」、「私たちの社会は、今、「家の時代」からアメリカのような「個人の時代」へと足を踏み出そうとしている・・・「個人の自律」というと聞こえはよい。だが・・・「家」に頼って生きてきた人々が「家」から押し出されたとき、社会が彼らに居場所を用意できるのかが真の問題だろう」、さて、どうなるのだろうか。
次に、本年5月30日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したコラムニストの河崎 環氏による「医学部9浪の31歳娘が58歳母をバラバラ死体にするまで…話題本の著者が迫った事件の本質」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/323361
・『5年前に滋賀県で、医学部受験に失敗した31歳の女が母親をメッタ刺しにして殺害したという事件を覚えている方もいるかもしれない。この事件について書いたノンフィクション『母という呪縛 娘という牢獄』が、いまヒット中だ。しかしこの本は、おどろおどろしい猟奇物でも、のぞき見根性の本でもない。淡々とした筆致で、鮮やかに濃密な親娘関係に迫る。読み始めたら引き込まれ、一気に最後まで読んでしまった。こんなに読む者の胸を打つ本を書いたのはどんなベテラン作家かと思ったら驚いた。インタビューに現れたのは、20代の女性だったのだ』、大ヒットの「ノンフィクション『母という呪縛 娘という牢獄』」の作家が「20代の女性」とは私も驚かされた。
・『捜査線上に浮かび上がったひとり娘 ストレートなノンフィクション書籍にヒット作の出づらい現代、昨年12月の発売以来4カ月で7刷5.5万部という、注目すべきスマッシュヒットを飛ばしている作品がある。著者はいわゆるZ世代、刊行当時27歳の齊藤彩(敬称略)。共同通信社の司法記者を経て、初の著書となる『母という呪縛 娘という牢獄』(講談社)を上梓した途端、SNSを中心に大きな反響が起こった。 2018年3月、滋賀県守山市、琵琶湖の南側へ流れ入る野洲川の南流河川敷で、両手・両足・頭部のない、女性の人体の体幹部が発見された。遺体は激しく腐敗して変色、悪臭を放ち、無数のトンビが群がる異常な光景を、通りかかった住民が目に留めたのである。 滋賀県警守山署が身元の特定に当たったが、遺体の損傷が激しく、捜査は難航した。やがて遺体の身元は行方不明となっていた高崎妙子さん※(仮名・死亡時58)と判明。捜査線上に浮かび上がったのは、そのひとり娘である高崎あかり※(仮名・31)だった。 ※正しくは、「高」の字ははしご高、以下すべて同じ』、事件の背景を詳しく知りたいものだ。
・『「モンスターを倒した。これで一安心だ」 妙子さんは20年以上前から夫と別居し、あかりと二人暮らし。あかりは幼少期から学業優秀で中高一貫の進学校に通っており、20代中盤まで母娘で一緒にお風呂に入るほどの濃密な母娘関係を築いていた。 だがその間、実はあかりは常人の理解を超える執拗な干渉、暴言や拘束など、いわゆる“教育虐待”を母から長年受け続けていたのだ。 超難関の国立大医学部への進学を強要されて医学部を9浪の末、母からの妥協案として医大の看護学科へ進学する。しかし母は、看護師よりさらに専門知識を要する助産師にさせようとあかりに助産師学校の受験を求めており、看護学科を卒業して手術室看護師になりたいとの希望を持っていたあかり自身は助産師学校の試験に失敗。それに気づいた母から激しい叱責を受けていた。 あかりは、周到に用意した凶器で母親を刺殺した直後、「高揚感のようなものから」誰に見せるでも聞かせるでもなく、 「モンスターを倒した。これで一安心だ」 とのツイートを残していたのである』、「妙子さんは20年以上前から夫と別居し、あかりと二人暮らし。あかりは幼少期から学業優秀で中高一貫の進学校に通っており、20代中盤まで母娘で一緒にお風呂に入るほどの濃密な母娘関係を築いていた。 だがその間、実はあかりは常人の理解を超える執拗な干渉、暴言や拘束など、いわゆる“教育虐待”を母から長年受け続けていたのだ。 超難関の国立大医学部への進学を強要されて医学部を9浪の末、母からの妥協案として医大の看護学科へ進学する。しかし母は、看護師よりさらに専門知識を要する助産師にさせようとあかりに助産師学校の受験を求めており、看護学科を卒業して手術室看護師になりたいとの希望を持っていたあかり自身は助産師学校の試験に失敗。それに気づいた母から激しい叱責を受けていた」、「あかりは、周到に用意した凶器で母親を刺殺した直後・・・「モンスターを倒した。これで一安心だ」とのツイート」、“教育虐待”がよほど強かったのだろう。
・『母を殺した娘と筆者との膨大な往復書簡 守山署はあかりを死体遺棄容疑で逮捕後、死体損壊、さらに殺人容疑で逮捕・起訴に踏み切った。一審の大津地裁では死体損壊と遺棄については認めるも、あくまで殺人を否認していたあかりだが、二審の大阪高裁に陳述書を提出し、一転して自らの犯行を認める。 「母は私を心底憎んでいた。私も母をずっと憎んでいた。『お前みたいな奴、死ねば良いのに』と罵倒されては、『私はお前が死んだ後の人生を生きる』と心の中で呻いていた」「何より、誰も狂った母をどうもできなかった。いずれ、私か母のどちらかが死ななければ終わらなかったと現在でも確信している」(2020年11月5日、あかりの控訴審初公判における本人陳述書より) 著者の齊藤は、あかりが逮捕・起訴された当時、共同通信社大阪支社で社会部の司法記者として働いていた。「大阪高裁の刑事の担当だったので、そのルーティンワークの一環でちょっと公判をのぞいてみるか、程度の気持ちで行ったんです。ところが被告が、一審と変わって控訴審の初公判で認否をひっくり返すということが起きた。認否を変えるという行為が珍しくて、この事件の内容を深く知ろうと思いました。最初にこの法廷に行ったときは、この事件がこんなに親子の確執をはらんでいるとは知りませんでした」。齊藤は静かに振り返る。) 一審では「母は私の目の前で、突然首に包丁を当てて自殺を図りました」「遺体は私がバラバラにして、現場に捨てました」とのつじつまの合わない主張で否認し続けた殺人を、控訴審で突然認めた。あかりはなぜ認否をひっくり返したのだろう。齊藤は、あかりが控訴審結審に際して発表した文書の一節、「母の呪縛から逃れたい」という部分に強く引きつけられたという。 「調べていくと、母親から医学部への進学を強制されて、本人はその期待に応えることができなくて、苦しい思いをしていたということが分かってきた。私にとってもそれは決して他人事とは思えず、興味深いテーマだと思って引き込まれました」 公判の取材を続ける中、齊藤は拘置所のあかりと面会を重ね、あかりの刑務所移送後も膨大な往復書簡を交わした。共同通信のウェブメディアに掲載された、齊藤の書いた事件深掘り記事は大反響を呼び、書籍化へとつながる。そこに書かれたのは、娘・あかりから見た約30年分の家族の真実だった』、「被告が、一審と変わって控訴審の初公判で認否をひっくり返すということが起きた。認否を変えるという行為が珍しくて、この事件の内容を深く知ろうと思いました」、「公判の取材を続ける中、齊藤は拘置所のあかりと面会を重ね、あかりの刑務所移送後も膨大な往復書簡を交わした。共同通信のウェブメディアに掲載された、齊藤の書いた事件深掘り記事は大反響を呼び、書籍化へとつながる」、なるほど。
・『「同じ思いを持つ人が多いのかも」SNSの大きな反響 本書の序盤、齊藤による忘れられない表現が登場する。「(医師になりたいという)娘の憧れに母親が憑依し、母娘で引き返せない道を歩み始めることになってしまった」。毒親や毒母、教育虐待というキーワードがインターネット社会をにぎわす昨今だが、著者の齊藤は、あかりが置かれた状況や抱いた感情に分かりやすいレッテルを貼って誰かを断罪することで事件を片付けようとはしない。 「自分はこの高崎親子ほどではないんですけど、妙子さんに自分の母親の片鱗を見たような気もしていて。そういう意味で思い入れは強い事件でしたね。共同通信時代に、ネットニュースとして記事を出させてもらっていたんですけど、なんかあまりにも反響が大きかったんですよね。なので、これは私と高崎さんだけの問題ではないのかもしれない、と」 もしかして同じ思いを持つ人が多いのかもしれない、と直感した齊藤の本書がこれまでの事件本と決定的に異なるのは、事件を社会学的な文脈で語ることもなく、「分析」も「評価」もしないところだ。母や娘、周囲の人々の何がどういけなかったのかと、精神分析医や社会学者の分析を引用して「正解」を知ったような気分になり、ホッとふたを閉めて他人事として片付けてしまいそうなところを、齊藤は母娘や関係者の言葉を分析しようとはしない。一貫して生のままの言葉をつづり、読み手の理解へ預け続ける』、「ネットニュースとして記事を出させてもらっていたんですけど、なんかあまりにも反響が大きかったんですよね。なので、これは私と高崎さんだけの問題ではないのかもしれない、と」 もしかして同じ思いを持つ人が多いのかもしれない、と直感した齊藤の本書がこれまでの事件本と決定的に異なるのは、事件を社会学的な文脈で語ることもなく、「分析」も「評価」もしないところだ・・・齊藤は母娘や関係者の言葉を分析しようとはしない。一貫して生のままの言葉をつづり、読み手の理解へ預け続ける」、「「分析」も「評価」もしない」のが受けたとは分からないものだ。
・『行く手を阻む母、なすすべをなくした娘 まだ“正気”の側にいるつもりの人間なら、読み終えるまでずっと気持ちがザワザワする本だ。LINEやメールの記録、あかりの手紙を中心に、あくまでも狂った母と娘のやりとりから明らかになる「母娘の真実」が丹念につづられる。 「どうしてちゃんとできないの?」「嘘付き」「バカ」「デブ」「不細工」「寝るな!」「勉強しろ!」「素直に謝れ」「開き直りやがって!」「土下座して頼め」「お父さんみたいになるよ」「次やったら家から追い出すからね」「ちゃんと成績取れなかったら学校辞めさせるからね」「死ねばいいのに」「消えろ」 母親の叱責を恐れたあかりが学校の成績表を改ざんして見せたら、粗末な偽造が見破られ、灯油ストーブの上で湯気を出していたやかんの熱湯を太ももにぶちまけられたこともあったという。 微量の狂気がずっと混じる、論理の飛躍や欠陥の目立つ、暴力的で他責的な母の主張。何をぶつけられても「そうですね。私がいけなかったです」と諦めたように応じる娘。医大受験失敗以降の9年で母の狂気と暴力がさらに加速していく。より粗野に、何かのタガが外れていくように。 齊藤は指摘する。「浪人生活を断ち切る努力は、あかりさんもしているんです。それが9浪にまでなってしまったのは、あかりさんの試みがことごとくかなわなかったからだと思うんですね。あかりさんは高3から何度も家出していますが、妙子さんが警察や私立探偵を使って、ことごとく連れ戻しているんです。あかりさんが会社に就職して寮で自活しようとしても、気づいたお母さんに電話を入れられて内定取り消しになっていたり。私の見立てですが、ここまで脱出を阻まれると、戦意喪失してしまったのではないか。もうなすすべがなかったのではないかと、そう思います」』、「高3から何度も家出していますが、妙子さんが警察や私立探偵を使って、ことごとく連れ戻している」、「あかりさんが会社に就職して寮で自活しようとしても、気づいたお母さんに電話を入れられて内定取り消しになっていたり」、「ここまで脱出を阻まれると、戦意喪失してしまったのではないか。もうなすすべがなかったのではないかと、そう思います」、なるほど。
・『礼儀正しく理知的な言葉でつづられた“異常な手紙” 二人だけの密室へ、さらにその暗い隅へと自分たちを追い詰めていく母娘。なるほど、このようにして狂った母の異常“論理”が娘を組み伏せてきたのだ、と痛感できるくだりがある。 医学部を目指してアルバイト生活をしながら仮面浪人をし、妥協案として看護学科を受験する前に「もうお母さんに迷惑をかけないように家出します。春には合格の知らせを聞かせますね」などという、長い置き手紙が引用されるのだ。 一見、礼儀正しく清潔で理知的な言葉で、「不甲斐ない私の受験失敗のせいで自殺未遂までしたお母さんを守るために、家出して勉強に集中します」。 だが手紙はこのように続く。「いま、保険証を借りようと金庫を開けたら、和田さん(私立探偵)の名刺と6通の報告書が入っていました」「やっぱりお母さんは私のことを信用していなかったんですね」「お母さんが動転してまた私立探偵に連絡したりお金を払ったりしないよう、電話線を外し、金庫の現金は他に移し、念のため私の学費通帳と印鑑は預からせてもらいます」「本当にごめんなさい。必ず帰ってきます」。 既に異常な内容なのだが、この後に続く齊藤の文章がさらに衝撃的だ。「あかりの意思で家出前に書いた置き手紙のように見えるが、違う。母がパソコンで原文を作成し、あかりに手書きで清書させ、祖母と大叔母に送ったものである」。予備校代を工面してくれる米国在住の祖母に近況を伝え、納得してもらうための、うそで塗り固めた“演出”。これを母は「一世一代の大うそ」と呼び、あかりもまた親戚付き合いとはそういうものだと思っていた』、「「あかりの意思で家出前に書いた置き手紙のように見えるが、違う。母がパソコンで原文を作成し、あかりに手書きで清書させ、祖母と大叔母に送ったものである」。予備校代を工面してくれる米国在住の祖母に近況を伝え、納得してもらうための、うそで塗り固めた“演出”。これを母は「一世一代の大うそ」と呼び、あかりもまた親戚付き合いとはそういうものだと思っていた」、「母」と「あかり」で「祖母と大叔母」にうその手紙を送っていたとは信じ難いが、あり得る話だ。
・『母親が欲しかったもの、足りなかったもの 祖母(通称・アメばあ)や大叔母という肉親に対してまで、なぜそんな大それたうそをつくのか。それこそが、この母子関係の核心ともいえる部分なのである。 齊藤は、実際に面会で対面したあかりをこう表現した。「あかりさんは内省的で、思っていること、考えていることを言語化するのが的確な方です。大阪拘置所で面会したときも、中肉中背で、メガネをかけて、髪を耳の後ろで一つ縛りにしていて。趣味趣向はどこにでもいる人の感性という印象で、特別に何か異質さを感じることはない。好きな食べ物や好きな俳優さんの話をしたり、そんなに『この人とは心が通じ合えない』などと感じることはありませんでした」 だが、娘には何がなんでも医学部に受かってほしいという願いから9浪するまで教育に投資し、その学資を自分の米国在住の実母(アメばあ)に捻出してもらう妙子には、屈折した背景があった。 アメばあは、米軍の軍医と再婚して米国に暮らしているわけです。推測ですが、妙子さんはアメばあから十分な愛情を得られないまま育ってしまったという印象を受けます。小さい頃に再婚した両親だけ米国に行ってしまって、日本に取り残された妙子さんは愛情に飢えていた。娘を医者にしたいからと学費の協力をお願いしたり、何かとアメばあに報告したりというやりとりも、娘を引き合いに出してアメばあを喜ばせ、振り向いてもらえなかった部分を埋めていた気がします。お金をもらっている以上は結果を出さねばという固執も、もしかして彼女はアメばあのために子育てしていたのかなと想像しました」』、「小さい頃に再婚した両親だけ米国に行ってしまって、日本に取り残された妙子さんは愛情に飢えていた。娘を医者にしたいからと学費の協力をお願いしたり、何かとアメばあに報告したりというやりとりも、娘を引き合いに出してアメばあを喜ばせ、振り向いてもらえなかった部分を埋めていた気がします。お金をもらっている以上は結果を出さねばという固執も、もしかして彼女はアメばあのために子育てしていたのかなと想像しました」、母親自身が「愛情に飢えていた」、「もしかして彼女はアメばあのために子育てしていたのかなと想像」、想像以上に複雑な事情だ。
・『これは「毒親」「教育虐待」なのか? 齊藤の解説を聞いて、ようやく事件の補助線を引いてもらった気がした。 「書籍に盛り込んでいるLINEのやりとりはほんの一部なので、交わされた全体を見る限り、看護学科に妥協して落としどころをつけたのは、お母さんの方なんです。あかりさんが折り合いをつけようとしてもできなかったのを、お母さんの方からつけることで『9浪で済んだ』とも考えられます。お母さんとしても、ずっと浪人させていることが自分を苦しめていたのが、置き手紙を書かせたことにもつながっているんです。浪人させ続けたのは妙子さんで、妙子さんの意思で浪人生活を終わらせるというのはアメばあには言いにくかったんでしょう。あくまであかりさん本人が『努力したけど届かないから看護学科で許してくれ』と懇願して落としどころにした、というシナリオにしたかったんですね」 「うそを使って人間関係をつなぎ留めるこのお母さん自体、承認欲求を満たす場が他になかったんじゃないのかなと感じます。妙子さんも孤独な状況だった。仕事はしていたけれども、パートだったり途中でやめたり、友人も多くはなくて、子育てが自分の人生の中心になってしまっている。取材した範囲で、彼女が社会で人とのつながりを持って誰かに喜んでもらうとか、自分で何かをやり遂げた経験が見当たらないんです」 孤独な母親は、承認を求めて狂っていったのだ。 「その妙子さんができることとしては、娘の子育てを頑張って立派に育て上げましたというのが、他人から承認される唯一の手段だったのかなと。家庭以外のコミュニティーにお母さんは属していなかったところがあって、家庭だけが人生になってしまうとお母さんは孤立を深める。誰からも承認されないというのが、なんとしても子育てを成功させねばとのプレッシャーになったのではないか。だから、志望校を落とさせてけりをつけるのは、母の意向ではなくて娘の意向であると見せなければいけなかった。『私は頑張ったのよ』と周りの人に知られたかったのかもしれません」 「浪人中に妙子さんが自殺未遂をする一幕がありますが、看護師との会話の記録に『娘と二人で受験を頑張ってきた』『母親は娘あっての母親でしょ!?』というものがあります。妙子さんも悪気があって娘を苦しめているのではなくて、愛しているが故に期待が大きくなってしまって、自分も苦しめられているのが感じ取れたんです。毒母や毒親と呼ばれる現象も、関係性の問題ですよね。お母さんの立場からは良かれと思ってやっているし、愛情の一つの表れ方にすぎない。どこまでが愛情で、どこからが虐待や毒になるんだろうと、線引きがすごく難しいです」』、「看護学科に妥協して落としどころをつけたのは、お母さんの方なんです。あかりさんが折り合いをつけようとしてもできなかったのを、お母さんの方からつけることで『9浪で済んだ』とも考えられます。・・・アメばあには・・・あくまであかりさん本人が『努力したけど届かないから看護学科で許してくれ』と懇願して落としどころにした、というシナリオにしたかったんですね」、なるほど。
・『父親の存在があかりを変えた 齊藤は、この母子関係の事件において、父親の存在が意外と大きいことにも気づいたという。 「別居してしまったお父さんは、あかりさんにとって最大と言っても過言ではないほどの理解者なんですね。あかりさんが逮捕された後にお父さんが面会に来るのですが、裁判では『お母さんは自殺した』との主張が展開されているさなか、お父さんは娘が殺したということを分かっていた。本当のことを言った方がいいと(あかりに)助言しているんです。子どものことを理解してくれるお父さんだったんですね」 「両親はあかりさんが生まれてから10年ほどで別居していて、お父さんは妙子さんという人と対峙するしんどさを理解しているところがある。あかりさんがお父さんと休日に遊びに行った幼い頃の思い出をつづった手記がありますが、その中でお父さんを『止まり木のような存在』と表現し、唯一心を許せる存在だった」 母・妙子と向き合うつらさを理解できている、唯一の関係。あかりはそのつらさを共有できた父との面会をきっかけに、心を動かしていった』、「幼い頃の思い出をつづった手記・・・その中でお父さんを『止まり木のような存在』と表現し、唯一心を許せる存在だった」、なるほど。
・『母親という生き物を理解する 「あかりさんには同情できる部分がある」と、齊藤は言葉を探すように言った。「自分が娘という立場だからというのも理由ですが、お母さんが喜んでくれると自分もうれしくなってしまうんです。妙子さんが浪人中のあかりさんのために28万円の振り袖を買うことに、あかりさんは母の『娘にきれいなものを着てほしい、晴れ姿にはお金を使いたい』気持ちを理解して、同意します。母親にとって娘とは可愛い存在で、親が喜んでくれることは子にとっても喜びである。勉強もそうだと思うんですよね。いい点数を取ると母親が喜んでくれるから、もっと頑張る」 子どもの人生を侵食するほどの母親の過干渉の理由を、あかりもまた、拘置所で他の母親でもある女囚たちと交流する中で理解していったようだ。子への愛情と、自分の献身や期待に応えない子を憎いと思ってしまう感情は、程度の差はあれ、母親という生き物の中に奇妙に同居している。) あかりと妙子の30年を追い、つぶさに言語化した齊藤は「私としてはもう、あかりさんへの取材に関してはやり切ったという思いがあって」と前置きして、こう語った。 「この事件に、誰かがもっとこうすれば良かったとか、そこまで思い至ってないですね。いろんな要因が重なってしまった結果起こった事件で、こうすればというサジェスチョンはできかねるかな。これを書いているとき、公私共にしんどかったです。あかりさんに手記を寄せてもらったり、さまざまな方に取材に協力していただいたり、こんなにいろんな人に手がけてもらったら出さねばならぬという使命感で書籍を書き上げました」 冷静に誠実に事件を描き、語る齊藤だが、著者の中では取材執筆を通じてすさまじいエネルギーを燃やし続け、母娘のヒリヒリとした感情と向き合い続け、事件関係者だけでなく自分自身の心の中をも深くのぞき込んでいたのだろうと感じられる言葉だった。 Amazonの書籍ページにはあかりの状況に共感するとするたくさんのレビューが寄せられ、SNSでもそれぞれのユーザーが自分の経験を語るなど、反響は大きい。「特に男性の読者は、親子関係に限らず呪縛からの逃げ方という視点で感想を書いてくださる方が多くて、それは一つの発見でした」。それだけ、さまざまな形の呪縛に苦しめられた経験のある人が多いことの表れでもあるのかもしれない。 「この事件や本は教育虐待というキーワードで語られますが、取材をした私としては、どこまでが教育でどこからが虐待か分からないと感じています。むしろ私は『愛情のもつれ』についての本だと思って書きました。一つの愛情の形であり、教育はあくまでツールなのだと」 誰か悪者を見つけて断罪するのではなく、「家族のあり方について考えるきっかけになれば」と語る齊藤。これほどに広く深く人々の心を揺さぶるノンフィクション作品を書き上げた彼女が、知的で冷静な目を備えた27歳だったことに、ただ舌を巻く』、「アメばあ」がまだ生きていれば、さぞかし嘆いたことだろう。「教育虐待というキーワードで語られますが、取材をした私としては、どこまでが教育でどこからが虐待か分からないと感じています。むしろ私は『愛情のもつれ』についての本だと思って書きました」、「これほどに広く深く人々の心を揺さぶるノンフィクション作品を書き上げた彼女が、知的で冷静な目を備えた27歳だったことに、ただ舌を巻く」、同感である。
第三に、6月7日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏による「「子供部屋おじさん」が合理的なのかは、実は深い問いだ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/324056
・『「子供部屋おじさん(おばさん)」とも呼ばれる、成人後も親と同居を続ける中年の増加が日本で取り沙汰されてきたが、米国や英国でもそうした人々やその予備軍が増えつつあるという。子供が親と同居するのは経済合理性が主な理由とされるが、合理的かどうかという問いは、未来の家族形態やライフスタイルの考察にまでつながる「深い問い」といえる』、「子供部屋おじさん」なる言葉は初めて知ったが、米英でも広がっているようだ。
・『日本だけでなく米英でも親と子の同居が増えている 米国や英国で、親と同居する若者が増えているという(「巣立たぬ若者、英米も急増 3分の1が親と同居」日本経済新聞、5月28日)。成人したら親元を離れて自立した生活を営むことが常識的とされてきた米国や英国にあって、18歳から34歳の若者が親と同居する割合が上昇して共に約3分の1に達した。 主たる要因は、主に家賃の上昇だと記事は分析する。2000年を100とした家賃は22年に、米国では180を超えて、英国でも160以上となっている。親と同居して家賃を節約することができれば、同じく高騰している学費などにお金を使うことができるし、もちろん遊興費なども多く確保できる理屈だ。経済合理的とも思えるが、子供の「自立」はどうなるのかという問題や、親と同居した状態が心地いいと結婚して子供を作ることが減ると予想され、少子化に拍車が掛かるのではないかと懸念する声もある。 ちなみに記事では、18歳から34歳の親との同居率は、ポルトガル、イタリア、スペインといった南欧やクロアチア、ポーランドといった東欧が高いと報じている(60%半ばから70%前後)また、16~34歳のデータという注釈付きだが、アジア諸国では韓国が70%と高いという。その一方で、米英と北欧で低い。わが国は、20年の国勢調査によると47%程度と、ややアジア諸国寄りの中位にある。 わが国では家賃の上昇はそれほどでもないが、勤労者層の実質賃金が伸びていないので「生活が苦しい」ことは同様だ。「親との同居」が経済合理的なら、親との同居を前提としたライフスタイルや居住スタイルの変更を考えてもいいのではないか、とも思える。 ただし、いささか揶揄(やゆ)気味に「子供部屋おじさん(おばさん)」という言葉が使われているように、成人して加齢しても子供が家族を持つような独立心や経済力を持たない状態を容認するのがいいことなのかどうか、また、前述のように、この生活形態が少子化を加速する可能性があることについてどう考えるべきかという問題がある。 家族と居住の形態は、考える価値のあるテーマだ』、「巣立たぬ若者、英米も急増 3分の1が親と同居」、「18歳から34歳の親との同居率は、ポルトガル、イタリア、スペインといった南欧やクロアチア、ポーランドといった東欧が高いと報じている(60%半ばから70%前後)、アジア諸国では韓国が70%と高い」、「わが国は、20年の国勢調査によると47%程度と、ややアジア諸国寄りの中位」、想像以上に高いようだ。「家賃」高騰が背景にあるようだ。
・『親と子の同居に対する筆者自身の価値観と偏見 一般論を考える前に、筆者個人が現実にこの問題をどう考えているかについて述べておこう。 筆者の息子は今年の春に東京の大学に進学することになった。家族は東京に居るので、家族の元から大学に通うことが可能だったが、大学の近くにワンルームマンションを借りて一人暮らしをさせることにした。費用的には少々不経済である。 理由は、家族から引き離して「早く大人にしよう」と父親である筆者が考えたためだ。家族と同居している子供は、毎日親(特に母親)と話すので、ものの見方や価値観に対して親の影響を受けるし、生活面でもさまざまに親に依存する。この関係を早く断ち切ることが、息子の成長に有効だと考えたのだ。 背景には、息子が将来十分経済的に自立して生活できるようになるだろうという息子個人への評価があったし、それ以上に、独立して暮らすことが自立心につながるという、筆者の年代が持ちがちな価値判断があったと思う。たぶん偏見が含まれているが、過去に多くの男性を観察していて、精神的に「母親離れ」ができていない人物の性格に残念な面を多く感じてきたということもある。 偏見のついでに告白しておくと、娘(息子の2学年下)に対しても同じようにするかどうかは決めていない。 子供の性差と子育てをどう考えるかは、難しい問題だ。「原則として、性別に関係なく本人の個性次第だ」と頭では考えているが、「女の子は、こうした方が生きやすい」という世間の環境に適応して、男の子と扱いを変える可能性はある。ジェンダー問題がご専門の方などからは大いに批判される態度かもしれない。私が政治家など公職にあれば、そもそもこの点について正直に述べることが難しかろう。幸い気楽な立場なので、正直に書いた。 筆者自身が、核家族化が進行し「成人したら自立」が当たり前だった時代に育ち(筆者は昭和の真ん中、昭和33年生まれだ)、かつての男の子だった自分固有の経験に影響されていることは否めない』、我が家の場合は、娘2人は片道1時間半かかっても、自宅から通わせたが、息子は片道1時間強でも下宿させた。
・『生活にも働く「規模の経済効果」 Nを大きくすると生活は楽になる 経済効率という意味では、大家族には効率的な面がある。通常の調査では、世帯別の裕福・困窮の度合いを測る上で、世帯所得を世帯人数(N人)の平方根で割った数字を使う。2人暮らしは独り暮らしの1.4倍強のコストで賄えるし、4人暮らしなら独り暮らしの2倍の所得があれば概ね同等の豊かさだということだ。 つまり、生活にも「規模の経済効果」が働くということだ。確かに、キッチンも、冷蔵庫も、洗濯機も、人数分必要だということはないし、何よりも一人一人が毎食炊事に関わる必要もない。この効果の大きさと確かさを考えると、ある意味では「独り暮らしは贅沢」なのであり、例えば生活保護を考える場合に独り暮らしのコストまで補償することが適切なのかといった問題にも行き着く。 「N」は必ずしも親子や親戚同士である必要はないが、例えば、親・子・孫3世代の同居を考えると、一つには働く親(第2世代の親)の子供の保育に関する問題、もう一つには高齢になった親(第1世代の親)の初期段階の介護における問題が、大家族の中である程度は解決可能になるという大きなメリットがあることにも気付く。 国が国民の大家族化に期待して保育園の整備を手抜きするようでは問題だが、送り迎えや在宅での見守り、教育などにおいて、働く親のさらに親世代が大いに頼りになることは確かだ。また、終末期の介護を大家族に丸投げするのも問題だし、規模の利益に反する場合もあろうが(例えば入浴の介助は素人よりもプロが行う方が効率的だ)、高齢者がある程度自分でも動ける段階での介護は大家族の中で分担して吸収できそうな問題だ。 大家族には、働く世代をしばしば制約する、「子供の保育」と「親の介護」の問題を解決する上でもメリットがありそうだ。例えば、まだ働くことができる年齢の子供が親の介護に張り付くために退職するといった、核家族親子の非効率を何がしか避けることができる可能性がある。 人類学者のエマニュエル・トッド氏によると、米英などアングロサクソンの国で一般的な核家族の形態は、人類史的には最も原始的なもので、アジアなどに多い直系家族や、さらにロシアやアラブなどに存在する各種の共同体家族の方がより新しい進化した家族形態なのだという。 筆者の世代では、成人したら小さくても住居を確保して核家族を作る方が、かつて農家などに見られたような大家族よりも、新しくて進んだ暮らし方であるとのイメージを持ちがちだ。しかしこれは、都市への労働力の吸収と、小さくても家を持たせる住宅振興政策、さらに米英の文化の影響を受けた、「特定の時代のトレンドだった」と解釈するのが妥当なのだろう。 どのような家族形態、居住形態が合理的なのかは、改めて考えてみるべき問題だろう』、「エマニュエル・トッド氏によると、米英などアングロサクソンの国で一般的な核家族の形態は、人類史的には最も原始的なもので、アジアなどに多い直系家族や、さらにロシアやアラブなどに存在する各種の共同体家族の方がより新しい進化した家族形態なのだという」、にわかには信じ難い話だ。
・『家族形態を考える上で重要な原則とは? では、どうするべきなのか。 この問題を考える上で、何としても重要な原則は、家族形態や居住形態は、個々の国民が自由に(=国家に介入されずに)決めるべき問題だということだ。 家族や住居は、個人の暮らし方の根幹に関わる問題なので、税制や社会保障制度などで特定の方向に誘導すべきではない。 例えば、大家族の同居を前提とすると世帯数は減るから、一時的に大家族仕様の住宅に対するニーズが発生するかもしれないが、長期的には住宅費は節約されることになるだろう。これを政策で阻害してはならない。 また、白物家電などを典型とする耐久消費財の需要も大家族化で減少するはずだが、それは消費者側での合理的な選択の結果なのであって、この点への介入も無用だ。 家族制度の選択は、少子化対策や産業の振興などと分けて考えるべきだ。 子供に対して給付金を配るなどの少子化対策は別個に行われてもいいが、かつて「標準家族」を優遇したような、特定の家族形態に対する優遇・誘導を税制や社会保障制度を通じて行うことは厳に慎むべきだろう。 国民には、多少不経済でも核家族を選択する自由も、大家族を選択する自由もあるべきで、そこに制度上の損得を絡ませるべきではない。「暮らし方」を少子化対策など別の目的の手段としてはならない。 その上でだが、世帯の「N」を大きくすることによる経済性には大いに魅力がある。単に「親子の同居」にとどまらない、合理的に暮らせる大家族の形態および住居について、提案し、ロールモデルとなる人物がいるといい。 もっとも、「N」をいかにマネジメントするかは簡単ではない。世界にある各種の共同体家族でも、父親に権威があって兄弟が平等な家族形態もあれば、母方の住居において共同で生活する母系的なシステムもあるようだ。何らかの習慣を形成することが合理的なのかもしれない。 われわれは、世界の別のシステムに学ぶべきなのかもしれないし、あるいは全く新しい仕組みを考えるべきなのかもしれない。 合理的な住居と大人数のマネジメントの仕組みをセットで提案してくれる「生活の発明家」の登場に大いに期待したい』、「家族や住居は、個人の暮らし方の根幹に関わる問題なので、税制や社会保障制度などで特定の方向に誘導すべきではない」、その通りだ。「合理的な住居と大人数のマネジメントの仕組みをセットで提案してくれる「生活の発明家」の登場に大いに期待したい」、同感である。
先ずは、2021年3月25日付け東洋経済オンラインが掲載した財務省出身で、ニューヨーク州弁護士・信州大学特任准教授の山口 真由氏による「米国人驚愕「子が親の介護する日本」深刻な盲点 「家の時代」から「個人の時代」へシフト」を紹介しよう。
・『東京大学を卒業後、財務省を経て、現在はニューヨーク州弁護士、信州大学特任准教授の山口真由氏は、アメリカ留学で家族法を学び、家族に関するさまざまな疑問にぶつかります。山口氏の新著『「ふつうの家族」にさようなら』を基に、今回はアメリカと日本の家族観の違いについて解説します。 前回:何でも入手できる米国「精子バンク」の驚く値段』、興味深そうだ。
・『日本では聞いたことがない訴訟 「あら、どうして?子どもが年老いた親の面倒をみるっていう義務が、そんなにはっきり法律に書いてあるの?」 ハーバード・ロースクールの家族法の授業で、教壇のエリザベス・バーソレッテ教授が、片方の眉をつり上げる。授業中に英語で質問をされると、心臓が縮む。それでも今日の私は、ここで引き下がるわけにはいかない。なんせ、日本を背負って手をあげたのだから。 発端は授業で習った判例だった。年老いた母は、老人ホームで人生の最期を迎える。母の死後、その老人ホームは介護にかかった費用を精算しようとした。だが、毎年、老女のために使われるはずの財産は息子が使ってしまっている。 そこで、彼女の残りの財産を相続した息子に、ホームは残額を請求した。ところが、息子は自分には支払義務がないとして裁判所で争ったのだ。 アメリカと日本の家族観の違いを感じるのは、こういう瞬間である。すかさず私は手をあげる。 「日本では、こんな訴訟は聞いたことがありません」 勢いにまかせて、私は話し出す。バーソレッテ教授は驚いたように私に尋ねる。 「あら、どうして? 子どもが年老いた親の面倒をみるっていう義務が、そんなにはっきり法律に書いてあるの?」 今度は私が驚く番だ。親子の間で、まず法律上の義務を持ち出すなんて!) 「確かに、子どもは親を扶養する義務が民法に定められていると思います。でも、そんなに細かくきっちりとした定めではありません。これって、法律上の義務というよりは道義的な義務ではないでしょうか。 確かに、親子関係はさまざまです。親の面倒をみろとすべての子どもに押しつけることはできないかもしれない。ただ、日本では、一般的には、自分を育ててくれた親が年老いて介護を必要とすれば、子どもが面倒をみることになります」 バーソレッテ教授は、目を見開いたまま黙り込んでしまう。しばしの沈黙の後、彼女は再び口を開く。 「日本と比べると、アメリカは年寄りに冷たい国だわ。私もね、年寄りの部類に入るようになって心からそう思うのよ。大統領候補者はこぞって若作りをする。健康不安を心配するよりも批判の対象にする。 子どもたちは、年老いた両親を養うことはしない。老後に備えて、私たちは自分でお金を貯めておかないといけないの。この若い国は、この国を必死に支えて、そして、老いていった人たちをいたわろうとはしてこなかったわ」 ここにおそらく、アメリカの「家族」と日本の「家」の決定的な違いがある』、「バーソレッテ教授は」、「日本と比べると、アメリカは年寄りに冷たい国だわ。私もね、年寄りの部類に入るようになって心からそう思うのよ・・・子どもたちは、年老いた両親を養うことはしない。老後に備えて、私たちは自分でお金を貯めておかないといけないの。この若い国は、この国を必死に支えて、そして、老いていった人たちをいたわろうとはしてこなかったわ」、その通りだ。
・『日本の「家」は会社だった 「江戸時代までの日本の『家』っていうのはね、これは、会社なのよ」 日本に戻った私は、東京大学の博士課程で家族法の勉強を継続した。そのときに、家族法の大家である教授が、日本の「家」の本質をそう端的に表現した。江戸時代の武家制度のなかで確立した日本の「家」というのは、家の財産をバラバラにせずに、次の世代に、その次の世代に、脈々と伝えていくための装置なのだという。 江戸時代の家は、武士であれ町人であれ、「家業」を持っていた。浅草の老舗のお煎餅屋さんを想像してほしい。祖父の代から頑固一徹で守ってきた秘伝のたれをしみこませながら、煎餅を焼く。この技法が評判になり、今ではかなり遠くからも煎餅を買い求める人が引きも切らない。 だが、足腰も弱りはじめた三代目は隠居することを考えていた。子どもは長男、次男、そして、長女がいて、全員がお店で働いている。のれんという信用、そして、煎餅づくりのノウハウという無形資産があってこそ、お煎餅屋さんは価値を持つ。 だから、お店の土地とか建物とか、はたまた煎餅を焼く機器なんかの有形資産をバラバラにして、子どもたちに受け継がせても意味がないのだ。) 長女は、家業につながりのある家にお嫁に行くだろう。次男には、後々、のれん分けをしてあげるかもしれない。ここは、とりあえず長男にお店を丸ごと継いでもらうことにしよう。 こうやって、浅草の老舗のお煎餅屋さんは、世代に1人と跡継ぎを定めて、祖父から父へ、そして、父から息子の代へと事業を丸ごと受け継がせる。日本の「家」というのは、もともとそういうものだったらしい。そう考えるとこれは家族経営の中小企業とおんなじだ。 家族法の大家である教授は、私たちにこう諭す。 「江戸時代まで、日本には『相続』なんて考え方はなかったのよ。『相続』というのはね、個人を単位に財産を管理する方法なの。個人が亡くなると財産の帰属主体が消滅する。それで、その時点の財産をすべてお金に換算して、それを相続人に平等に分配しましょうという考え方でしょう」 「じゃあ、江戸時代の日本では、おじいさんが亡くなったら財産をどうやって分けるんですか?」 「分けたりしないのよ。江戸時代までの日本の相続は、今でいう会社の『事業承継』と同じ。財産の帰属主体は個人じゃないの。家なのよ。だから、社長を交代するように家長を交代して、世代を超えて家の財産を引き継いでいく。 個人が亡くなるたびに、財産の帰属主体が消滅して、財産を清算してっていう考え方はとっていなかったの。個人が亡くなってもなお、家は連綿と残っていくものなのよ」 アメリカの「家族」は点である。子どもが成人すれば、親の家族とは別個の個人となり、やがて新しい家族を作っていく。 もちろん、点在する家族と家族の間には精神的な交流がある。クリスマスには、子どもが孫たちを連れて、懐かしい両親の家に帰るだろう。ただし、親の家族と子どもの家族ははっきりと区切られている。両者は経済的には完全に独立した主体なのだ』、「江戸時代の武家制度のなかで確立した日本の「家」というのは、家の財産をバラバラにせずに、次の世代に、その次の世代に、脈々と伝えていくための装置なのだという。 江戸時代の家は、武士であれ町人であれ、「家業」を持っていた・・・長女は、家業につながりのある家にお嫁に行くだろう。次男には、後々、のれん分けをしてあげるかもしれない。ここは、とりあえず長男にお店を丸ごと継いでもらうことにしよう。 こうやって、浅草の老舗のお煎餅屋さんは、世代に1人と跡継ぎを定めて、祖父から父へ、そして、父から息子の代へと事業を丸ごと受け継がせる。日本の「家」というのは、もともとそういうものだったらしい。そう考えるとこれは家族経営の中小企業とおんなじだ」、「江戸時代までの日本の相続は、今でいう会社の『事業承継』と同じ。財産の帰属主体は個人じゃないの。家なのよ。だから、社長を交代するように家長を交代して、世代を超えて家の財産を引き継いでいく。 個人が亡くなるたびに、財産の帰属主体が消滅して、財産を清算してっていう考え方はとっていなかったの。個人が亡くなってもなお、家は連綿と残っていくものなのよ」 アメリカの「家族」は点である。子どもが成人すれば、親の家族とは別個の個人となり、やがて新しい家族を作っていく」、「「江戸時代までの日本の相続は・・・財産の帰属主体は個人じゃないの。家なのよ。だから、社長を交代するように家長を交代して、世代を超えて家の財産を引き継いでいく」、その通りだ。
・『一方、日本の「家」は線である。隠居した親の面倒は子どもがみる。その子も将来は、自分の息子やそのお嫁さんに面倒をみてもらう。家業を、親から子ども、そして、孫へと引き継いでいくその裏で、家業を営むことで得られるあがりで、年老いた親、出戻りの娘、引きこもった息子、家の構成員全員を養っていく。 家は、世代を超え、核家族の境界を超えて、一族を縦に結びつける。そしてこの家は、精神的な結びつきのみならず、経済的な基盤でもあるのだ。 今、日本では、もともとの「家」の価値観と西欧由来の「個人」の価値観が交錯する過渡期にある。相続というのは「個人」の側の概念である。日本には、もともと財産が個人に帰属するという考え方はなかった。そういう考えが輸入されたことで、相続という制度ができあがった』、「アメリカの「家族」は点である。子どもが成人すれば、親の家族とは別個の個人となり、やがて新しい家族を作っていく」、「日本の「家」は線である。隠居した親の面倒は子どもがみる。その子も将来は、自分の息子やそのお嫁さんに面倒をみてもらう。家業を、親から子ども、そして、孫へと引き継いでいくその裏で、家業を営むことで得られるあがりで、年老いた親、出戻りの娘、引きこもった息子、家の構成員全員を養っていく。 家は、世代を超え、核家族の境界を超えて、一族を縦に結びつける。そしてこの家は、精神的な結びつきのみならず、経済的な基盤でもあるのだ」、極めてクリアだ。「今、日本では、もともとの「家」の価値観と西欧由来の「個人」の価値観が交錯する過渡期にある。相続というのは「個人」の側の概念である。日本には、もともと財産が個人に帰属するという考え方はなかった。そういう考えが輸入されたことで、相続という制度ができあがった」、なるほど。
・『社会に色濃く残る「家」という感覚 だが、こういう相続争いの法廷で、私は「家」という感覚が、社会に色濃く残っていることに気づく。例えば、長男次男という序列が慣習として存在する。長男は、幼い頃から「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と呼ばれてなにかと優遇される。家業を継ぐとすれば、まずは長男が第一候補者だ。 それと引き換えに、年老いた両親は長男が自分の家に引き取って介護をするものだという価値観、これが今でも地方ではそれなりに強く残る。 考えてみれば、日本で社会問題となりつつある親の介護も、「家」という制度の遺物なのかもしれない。 年老いた親が介護を必要とするならば、すでに家を出ていたとしても、まずは子どもが担い手となるべきだ。そういう感覚が日本にはある。老人ホームに入所させる費用を親の貯金で賄うことができなければ、それは子どもが負担するべきだと考える人も多いだろう。 財産が個人にではなく家にあると考える。すると、この価値観はとても自然だ。子どもの財布から親の介護を賄っているように見えて、その実、家の財産から隠居した先代の生活費を出しているにほかならないのだから。そして、同じ制度が続くならば、自分の介護についても子どもに面倒をみてもらえるという期待が生じる。) 要するに、同じお財布を共有している人の単位が異なるということだ。日本の場合には、別々の家族を営んでいるようで、親も子どもも、いつまでも緩やかに同じお財布を共有している。 一方のアメリカは、子どもが独り立ちした時点で独立採算制になる。もちろん、親の遺産を相続することもあるだろうが、アメリカ人の多くが遺言を残すとされ、日本の遺留分に当たる制度はない。個人の人生の後始末は個人の意思によるのが原則なのだ。 そういう全体像の下で、ロー・スクールの教授は、「子どもが年老いた親の面倒をみるっていう義務が、そんなにはっきり法律に書いてあるの?」と私に問うた。そして、法学部の教授は、「江戸時代までの日本の『家』っていうのはね、これは、会社なのよ」と指摘したのだ』、「日本の場合には、別々の家族を営んでいるようで、親も子どもも、いつまでも緩やかに同じお財布を共有している。 一方のアメリカは、子どもが独り立ちした時点で独立採算制になる。もちろん、親の遺産を相続することもあるだろうが、アメリカ人の多くが遺言を残すとされ、日本の遺留分に当たる制度はない。個人の人生の後始末は個人の意思によるのが原則なのだ」、なるほど。
・『「個人の時代」へ踏み出そうとしている日本社会 そう考えると、アメリカのロー・スクールでの授業風景が異なったものに見えてくる。日本の子どもたちに思いやりがあって、アメリカの子どもたちは年老いた親に冷淡だという、そういう国民性みたいな話ではない。これは、アメリカの「家族」と日本の「家」の決定的な違いなのだ。 アメリカの家族は点々と社会に散りばめられている。一方、日本の家は世代を超えて連綿とつながる線を描く。だが、問題はここでは終わらない。私たちの社会は、今、「家の時代」からアメリカのような「個人の時代」へと足を踏み出そうとしている。 夫婦別姓の問題も、森喜朗氏の発言に端を発した「女性という属性ではなく個人を評価しましょう」という動きも、私たちを「家」の世界観から「個人」へと押し出そうとする。 「個人の自律」というと聞こえはよい。だが、介護の問題、パラサイトチルドレン、8050問題――そこに頼って生きてきた人々が「家」から押し出されたとき、社会が彼らに居場所を用意できるのかが真の問題だろう』、「アメリカの家族は点々と社会に散りばめられている。一方、日本の家は世代を超えて連綿とつながる線を描く。だが、問題はここでは終わらない。私たちの社会は、今、「家の時代」からアメリカのような「個人の時代」へと足を踏み出そうとしている。 夫婦別姓の問題も、森喜朗氏の発言に端を発した「女性という属性ではなく個人を評価しましょう」という動きも、私たちを「家」の世界観から「個人」へと押し出そうとする。 「個人の自律」というと聞こえはよい。だが、介護の問題、パラサイトチルドレン、8050問題――そこに頼って生きてきた人々が「家」から押し出されたとき、社会が彼らに居場所を用意できるのかが真の問題だろう」、「私たちの社会は、今、「家の時代」からアメリカのような「個人の時代」へと足を踏み出そうとしている・・・「個人の自律」というと聞こえはよい。だが・・・「家」に頼って生きてきた人々が「家」から押し出されたとき、社会が彼らに居場所を用意できるのかが真の問題だろう」、さて、どうなるのだろうか。
次に、本年5月30日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したコラムニストの河崎 環氏による「医学部9浪の31歳娘が58歳母をバラバラ死体にするまで…話題本の著者が迫った事件の本質」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/323361
・『5年前に滋賀県で、医学部受験に失敗した31歳の女が母親をメッタ刺しにして殺害したという事件を覚えている方もいるかもしれない。この事件について書いたノンフィクション『母という呪縛 娘という牢獄』が、いまヒット中だ。しかしこの本は、おどろおどろしい猟奇物でも、のぞき見根性の本でもない。淡々とした筆致で、鮮やかに濃密な親娘関係に迫る。読み始めたら引き込まれ、一気に最後まで読んでしまった。こんなに読む者の胸を打つ本を書いたのはどんなベテラン作家かと思ったら驚いた。インタビューに現れたのは、20代の女性だったのだ』、大ヒットの「ノンフィクション『母という呪縛 娘という牢獄』」の作家が「20代の女性」とは私も驚かされた。
・『捜査線上に浮かび上がったひとり娘 ストレートなノンフィクション書籍にヒット作の出づらい現代、昨年12月の発売以来4カ月で7刷5.5万部という、注目すべきスマッシュヒットを飛ばしている作品がある。著者はいわゆるZ世代、刊行当時27歳の齊藤彩(敬称略)。共同通信社の司法記者を経て、初の著書となる『母という呪縛 娘という牢獄』(講談社)を上梓した途端、SNSを中心に大きな反響が起こった。 2018年3月、滋賀県守山市、琵琶湖の南側へ流れ入る野洲川の南流河川敷で、両手・両足・頭部のない、女性の人体の体幹部が発見された。遺体は激しく腐敗して変色、悪臭を放ち、無数のトンビが群がる異常な光景を、通りかかった住民が目に留めたのである。 滋賀県警守山署が身元の特定に当たったが、遺体の損傷が激しく、捜査は難航した。やがて遺体の身元は行方不明となっていた高崎妙子さん※(仮名・死亡時58)と判明。捜査線上に浮かび上がったのは、そのひとり娘である高崎あかり※(仮名・31)だった。 ※正しくは、「高」の字ははしご高、以下すべて同じ』、事件の背景を詳しく知りたいものだ。
・『「モンスターを倒した。これで一安心だ」 妙子さんは20年以上前から夫と別居し、あかりと二人暮らし。あかりは幼少期から学業優秀で中高一貫の進学校に通っており、20代中盤まで母娘で一緒にお風呂に入るほどの濃密な母娘関係を築いていた。 だがその間、実はあかりは常人の理解を超える執拗な干渉、暴言や拘束など、いわゆる“教育虐待”を母から長年受け続けていたのだ。 超難関の国立大医学部への進学を強要されて医学部を9浪の末、母からの妥協案として医大の看護学科へ進学する。しかし母は、看護師よりさらに専門知識を要する助産師にさせようとあかりに助産師学校の受験を求めており、看護学科を卒業して手術室看護師になりたいとの希望を持っていたあかり自身は助産師学校の試験に失敗。それに気づいた母から激しい叱責を受けていた。 あかりは、周到に用意した凶器で母親を刺殺した直後、「高揚感のようなものから」誰に見せるでも聞かせるでもなく、 「モンスターを倒した。これで一安心だ」 とのツイートを残していたのである』、「妙子さんは20年以上前から夫と別居し、あかりと二人暮らし。あかりは幼少期から学業優秀で中高一貫の進学校に通っており、20代中盤まで母娘で一緒にお風呂に入るほどの濃密な母娘関係を築いていた。 だがその間、実はあかりは常人の理解を超える執拗な干渉、暴言や拘束など、いわゆる“教育虐待”を母から長年受け続けていたのだ。 超難関の国立大医学部への進学を強要されて医学部を9浪の末、母からの妥協案として医大の看護学科へ進学する。しかし母は、看護師よりさらに専門知識を要する助産師にさせようとあかりに助産師学校の受験を求めており、看護学科を卒業して手術室看護師になりたいとの希望を持っていたあかり自身は助産師学校の試験に失敗。それに気づいた母から激しい叱責を受けていた」、「あかりは、周到に用意した凶器で母親を刺殺した直後・・・「モンスターを倒した。これで一安心だ」とのツイート」、“教育虐待”がよほど強かったのだろう。
・『母を殺した娘と筆者との膨大な往復書簡 守山署はあかりを死体遺棄容疑で逮捕後、死体損壊、さらに殺人容疑で逮捕・起訴に踏み切った。一審の大津地裁では死体損壊と遺棄については認めるも、あくまで殺人を否認していたあかりだが、二審の大阪高裁に陳述書を提出し、一転して自らの犯行を認める。 「母は私を心底憎んでいた。私も母をずっと憎んでいた。『お前みたいな奴、死ねば良いのに』と罵倒されては、『私はお前が死んだ後の人生を生きる』と心の中で呻いていた」「何より、誰も狂った母をどうもできなかった。いずれ、私か母のどちらかが死ななければ終わらなかったと現在でも確信している」(2020年11月5日、あかりの控訴審初公判における本人陳述書より) 著者の齊藤は、あかりが逮捕・起訴された当時、共同通信社大阪支社で社会部の司法記者として働いていた。「大阪高裁の刑事の担当だったので、そのルーティンワークの一環でちょっと公判をのぞいてみるか、程度の気持ちで行ったんです。ところが被告が、一審と変わって控訴審の初公判で認否をひっくり返すということが起きた。認否を変えるという行為が珍しくて、この事件の内容を深く知ろうと思いました。最初にこの法廷に行ったときは、この事件がこんなに親子の確執をはらんでいるとは知りませんでした」。齊藤は静かに振り返る。) 一審では「母は私の目の前で、突然首に包丁を当てて自殺を図りました」「遺体は私がバラバラにして、現場に捨てました」とのつじつまの合わない主張で否認し続けた殺人を、控訴審で突然認めた。あかりはなぜ認否をひっくり返したのだろう。齊藤は、あかりが控訴審結審に際して発表した文書の一節、「母の呪縛から逃れたい」という部分に強く引きつけられたという。 「調べていくと、母親から医学部への進学を強制されて、本人はその期待に応えることができなくて、苦しい思いをしていたということが分かってきた。私にとってもそれは決して他人事とは思えず、興味深いテーマだと思って引き込まれました」 公判の取材を続ける中、齊藤は拘置所のあかりと面会を重ね、あかりの刑務所移送後も膨大な往復書簡を交わした。共同通信のウェブメディアに掲載された、齊藤の書いた事件深掘り記事は大反響を呼び、書籍化へとつながる。そこに書かれたのは、娘・あかりから見た約30年分の家族の真実だった』、「被告が、一審と変わって控訴審の初公判で認否をひっくり返すということが起きた。認否を変えるという行為が珍しくて、この事件の内容を深く知ろうと思いました」、「公判の取材を続ける中、齊藤は拘置所のあかりと面会を重ね、あかりの刑務所移送後も膨大な往復書簡を交わした。共同通信のウェブメディアに掲載された、齊藤の書いた事件深掘り記事は大反響を呼び、書籍化へとつながる」、なるほど。
・『「同じ思いを持つ人が多いのかも」SNSの大きな反響 本書の序盤、齊藤による忘れられない表現が登場する。「(医師になりたいという)娘の憧れに母親が憑依し、母娘で引き返せない道を歩み始めることになってしまった」。毒親や毒母、教育虐待というキーワードがインターネット社会をにぎわす昨今だが、著者の齊藤は、あかりが置かれた状況や抱いた感情に分かりやすいレッテルを貼って誰かを断罪することで事件を片付けようとはしない。 「自分はこの高崎親子ほどではないんですけど、妙子さんに自分の母親の片鱗を見たような気もしていて。そういう意味で思い入れは強い事件でしたね。共同通信時代に、ネットニュースとして記事を出させてもらっていたんですけど、なんかあまりにも反響が大きかったんですよね。なので、これは私と高崎さんだけの問題ではないのかもしれない、と」 もしかして同じ思いを持つ人が多いのかもしれない、と直感した齊藤の本書がこれまでの事件本と決定的に異なるのは、事件を社会学的な文脈で語ることもなく、「分析」も「評価」もしないところだ。母や娘、周囲の人々の何がどういけなかったのかと、精神分析医や社会学者の分析を引用して「正解」を知ったような気分になり、ホッとふたを閉めて他人事として片付けてしまいそうなところを、齊藤は母娘や関係者の言葉を分析しようとはしない。一貫して生のままの言葉をつづり、読み手の理解へ預け続ける』、「ネットニュースとして記事を出させてもらっていたんですけど、なんかあまりにも反響が大きかったんですよね。なので、これは私と高崎さんだけの問題ではないのかもしれない、と」 もしかして同じ思いを持つ人が多いのかもしれない、と直感した齊藤の本書がこれまでの事件本と決定的に異なるのは、事件を社会学的な文脈で語ることもなく、「分析」も「評価」もしないところだ・・・齊藤は母娘や関係者の言葉を分析しようとはしない。一貫して生のままの言葉をつづり、読み手の理解へ預け続ける」、「「分析」も「評価」もしない」のが受けたとは分からないものだ。
・『行く手を阻む母、なすすべをなくした娘 まだ“正気”の側にいるつもりの人間なら、読み終えるまでずっと気持ちがザワザワする本だ。LINEやメールの記録、あかりの手紙を中心に、あくまでも狂った母と娘のやりとりから明らかになる「母娘の真実」が丹念につづられる。 「どうしてちゃんとできないの?」「嘘付き」「バカ」「デブ」「不細工」「寝るな!」「勉強しろ!」「素直に謝れ」「開き直りやがって!」「土下座して頼め」「お父さんみたいになるよ」「次やったら家から追い出すからね」「ちゃんと成績取れなかったら学校辞めさせるからね」「死ねばいいのに」「消えろ」 母親の叱責を恐れたあかりが学校の成績表を改ざんして見せたら、粗末な偽造が見破られ、灯油ストーブの上で湯気を出していたやかんの熱湯を太ももにぶちまけられたこともあったという。 微量の狂気がずっと混じる、論理の飛躍や欠陥の目立つ、暴力的で他責的な母の主張。何をぶつけられても「そうですね。私がいけなかったです」と諦めたように応じる娘。医大受験失敗以降の9年で母の狂気と暴力がさらに加速していく。より粗野に、何かのタガが外れていくように。 齊藤は指摘する。「浪人生活を断ち切る努力は、あかりさんもしているんです。それが9浪にまでなってしまったのは、あかりさんの試みがことごとくかなわなかったからだと思うんですね。あかりさんは高3から何度も家出していますが、妙子さんが警察や私立探偵を使って、ことごとく連れ戻しているんです。あかりさんが会社に就職して寮で自活しようとしても、気づいたお母さんに電話を入れられて内定取り消しになっていたり。私の見立てですが、ここまで脱出を阻まれると、戦意喪失してしまったのではないか。もうなすすべがなかったのではないかと、そう思います」』、「高3から何度も家出していますが、妙子さんが警察や私立探偵を使って、ことごとく連れ戻している」、「あかりさんが会社に就職して寮で自活しようとしても、気づいたお母さんに電話を入れられて内定取り消しになっていたり」、「ここまで脱出を阻まれると、戦意喪失してしまったのではないか。もうなすすべがなかったのではないかと、そう思います」、なるほど。
・『礼儀正しく理知的な言葉でつづられた“異常な手紙” 二人だけの密室へ、さらにその暗い隅へと自分たちを追い詰めていく母娘。なるほど、このようにして狂った母の異常“論理”が娘を組み伏せてきたのだ、と痛感できるくだりがある。 医学部を目指してアルバイト生活をしながら仮面浪人をし、妥協案として看護学科を受験する前に「もうお母さんに迷惑をかけないように家出します。春には合格の知らせを聞かせますね」などという、長い置き手紙が引用されるのだ。 一見、礼儀正しく清潔で理知的な言葉で、「不甲斐ない私の受験失敗のせいで自殺未遂までしたお母さんを守るために、家出して勉強に集中します」。 だが手紙はこのように続く。「いま、保険証を借りようと金庫を開けたら、和田さん(私立探偵)の名刺と6通の報告書が入っていました」「やっぱりお母さんは私のことを信用していなかったんですね」「お母さんが動転してまた私立探偵に連絡したりお金を払ったりしないよう、電話線を外し、金庫の現金は他に移し、念のため私の学費通帳と印鑑は預からせてもらいます」「本当にごめんなさい。必ず帰ってきます」。 既に異常な内容なのだが、この後に続く齊藤の文章がさらに衝撃的だ。「あかりの意思で家出前に書いた置き手紙のように見えるが、違う。母がパソコンで原文を作成し、あかりに手書きで清書させ、祖母と大叔母に送ったものである」。予備校代を工面してくれる米国在住の祖母に近況を伝え、納得してもらうための、うそで塗り固めた“演出”。これを母は「一世一代の大うそ」と呼び、あかりもまた親戚付き合いとはそういうものだと思っていた』、「「あかりの意思で家出前に書いた置き手紙のように見えるが、違う。母がパソコンで原文を作成し、あかりに手書きで清書させ、祖母と大叔母に送ったものである」。予備校代を工面してくれる米国在住の祖母に近況を伝え、納得してもらうための、うそで塗り固めた“演出”。これを母は「一世一代の大うそ」と呼び、あかりもまた親戚付き合いとはそういうものだと思っていた」、「母」と「あかり」で「祖母と大叔母」にうその手紙を送っていたとは信じ難いが、あり得る話だ。
・『母親が欲しかったもの、足りなかったもの 祖母(通称・アメばあ)や大叔母という肉親に対してまで、なぜそんな大それたうそをつくのか。それこそが、この母子関係の核心ともいえる部分なのである。 齊藤は、実際に面会で対面したあかりをこう表現した。「あかりさんは内省的で、思っていること、考えていることを言語化するのが的確な方です。大阪拘置所で面会したときも、中肉中背で、メガネをかけて、髪を耳の後ろで一つ縛りにしていて。趣味趣向はどこにでもいる人の感性という印象で、特別に何か異質さを感じることはない。好きな食べ物や好きな俳優さんの話をしたり、そんなに『この人とは心が通じ合えない』などと感じることはありませんでした」 だが、娘には何がなんでも医学部に受かってほしいという願いから9浪するまで教育に投資し、その学資を自分の米国在住の実母(アメばあ)に捻出してもらう妙子には、屈折した背景があった。 アメばあは、米軍の軍医と再婚して米国に暮らしているわけです。推測ですが、妙子さんはアメばあから十分な愛情を得られないまま育ってしまったという印象を受けます。小さい頃に再婚した両親だけ米国に行ってしまって、日本に取り残された妙子さんは愛情に飢えていた。娘を医者にしたいからと学費の協力をお願いしたり、何かとアメばあに報告したりというやりとりも、娘を引き合いに出してアメばあを喜ばせ、振り向いてもらえなかった部分を埋めていた気がします。お金をもらっている以上は結果を出さねばという固執も、もしかして彼女はアメばあのために子育てしていたのかなと想像しました」』、「小さい頃に再婚した両親だけ米国に行ってしまって、日本に取り残された妙子さんは愛情に飢えていた。娘を医者にしたいからと学費の協力をお願いしたり、何かとアメばあに報告したりというやりとりも、娘を引き合いに出してアメばあを喜ばせ、振り向いてもらえなかった部分を埋めていた気がします。お金をもらっている以上は結果を出さねばという固執も、もしかして彼女はアメばあのために子育てしていたのかなと想像しました」、母親自身が「愛情に飢えていた」、「もしかして彼女はアメばあのために子育てしていたのかなと想像」、想像以上に複雑な事情だ。
・『これは「毒親」「教育虐待」なのか? 齊藤の解説を聞いて、ようやく事件の補助線を引いてもらった気がした。 「書籍に盛り込んでいるLINEのやりとりはほんの一部なので、交わされた全体を見る限り、看護学科に妥協して落としどころをつけたのは、お母さんの方なんです。あかりさんが折り合いをつけようとしてもできなかったのを、お母さんの方からつけることで『9浪で済んだ』とも考えられます。お母さんとしても、ずっと浪人させていることが自分を苦しめていたのが、置き手紙を書かせたことにもつながっているんです。浪人させ続けたのは妙子さんで、妙子さんの意思で浪人生活を終わらせるというのはアメばあには言いにくかったんでしょう。あくまであかりさん本人が『努力したけど届かないから看護学科で許してくれ』と懇願して落としどころにした、というシナリオにしたかったんですね」 「うそを使って人間関係をつなぎ留めるこのお母さん自体、承認欲求を満たす場が他になかったんじゃないのかなと感じます。妙子さんも孤独な状況だった。仕事はしていたけれども、パートだったり途中でやめたり、友人も多くはなくて、子育てが自分の人生の中心になってしまっている。取材した範囲で、彼女が社会で人とのつながりを持って誰かに喜んでもらうとか、自分で何かをやり遂げた経験が見当たらないんです」 孤独な母親は、承認を求めて狂っていったのだ。 「その妙子さんができることとしては、娘の子育てを頑張って立派に育て上げましたというのが、他人から承認される唯一の手段だったのかなと。家庭以外のコミュニティーにお母さんは属していなかったところがあって、家庭だけが人生になってしまうとお母さんは孤立を深める。誰からも承認されないというのが、なんとしても子育てを成功させねばとのプレッシャーになったのではないか。だから、志望校を落とさせてけりをつけるのは、母の意向ではなくて娘の意向であると見せなければいけなかった。『私は頑張ったのよ』と周りの人に知られたかったのかもしれません」 「浪人中に妙子さんが自殺未遂をする一幕がありますが、看護師との会話の記録に『娘と二人で受験を頑張ってきた』『母親は娘あっての母親でしょ!?』というものがあります。妙子さんも悪気があって娘を苦しめているのではなくて、愛しているが故に期待が大きくなってしまって、自分も苦しめられているのが感じ取れたんです。毒母や毒親と呼ばれる現象も、関係性の問題ですよね。お母さんの立場からは良かれと思ってやっているし、愛情の一つの表れ方にすぎない。どこまでが愛情で、どこからが虐待や毒になるんだろうと、線引きがすごく難しいです」』、「看護学科に妥協して落としどころをつけたのは、お母さんの方なんです。あかりさんが折り合いをつけようとしてもできなかったのを、お母さんの方からつけることで『9浪で済んだ』とも考えられます。・・・アメばあには・・・あくまであかりさん本人が『努力したけど届かないから看護学科で許してくれ』と懇願して落としどころにした、というシナリオにしたかったんですね」、なるほど。
・『父親の存在があかりを変えた 齊藤は、この母子関係の事件において、父親の存在が意外と大きいことにも気づいたという。 「別居してしまったお父さんは、あかりさんにとって最大と言っても過言ではないほどの理解者なんですね。あかりさんが逮捕された後にお父さんが面会に来るのですが、裁判では『お母さんは自殺した』との主張が展開されているさなか、お父さんは娘が殺したということを分かっていた。本当のことを言った方がいいと(あかりに)助言しているんです。子どものことを理解してくれるお父さんだったんですね」 「両親はあかりさんが生まれてから10年ほどで別居していて、お父さんは妙子さんという人と対峙するしんどさを理解しているところがある。あかりさんがお父さんと休日に遊びに行った幼い頃の思い出をつづった手記がありますが、その中でお父さんを『止まり木のような存在』と表現し、唯一心を許せる存在だった」 母・妙子と向き合うつらさを理解できている、唯一の関係。あかりはそのつらさを共有できた父との面会をきっかけに、心を動かしていった』、「幼い頃の思い出をつづった手記・・・その中でお父さんを『止まり木のような存在』と表現し、唯一心を許せる存在だった」、なるほど。
・『母親という生き物を理解する 「あかりさんには同情できる部分がある」と、齊藤は言葉を探すように言った。「自分が娘という立場だからというのも理由ですが、お母さんが喜んでくれると自分もうれしくなってしまうんです。妙子さんが浪人中のあかりさんのために28万円の振り袖を買うことに、あかりさんは母の『娘にきれいなものを着てほしい、晴れ姿にはお金を使いたい』気持ちを理解して、同意します。母親にとって娘とは可愛い存在で、親が喜んでくれることは子にとっても喜びである。勉強もそうだと思うんですよね。いい点数を取ると母親が喜んでくれるから、もっと頑張る」 子どもの人生を侵食するほどの母親の過干渉の理由を、あかりもまた、拘置所で他の母親でもある女囚たちと交流する中で理解していったようだ。子への愛情と、自分の献身や期待に応えない子を憎いと思ってしまう感情は、程度の差はあれ、母親という生き物の中に奇妙に同居している。) あかりと妙子の30年を追い、つぶさに言語化した齊藤は「私としてはもう、あかりさんへの取材に関してはやり切ったという思いがあって」と前置きして、こう語った。 「この事件に、誰かがもっとこうすれば良かったとか、そこまで思い至ってないですね。いろんな要因が重なってしまった結果起こった事件で、こうすればというサジェスチョンはできかねるかな。これを書いているとき、公私共にしんどかったです。あかりさんに手記を寄せてもらったり、さまざまな方に取材に協力していただいたり、こんなにいろんな人に手がけてもらったら出さねばならぬという使命感で書籍を書き上げました」 冷静に誠実に事件を描き、語る齊藤だが、著者の中では取材執筆を通じてすさまじいエネルギーを燃やし続け、母娘のヒリヒリとした感情と向き合い続け、事件関係者だけでなく自分自身の心の中をも深くのぞき込んでいたのだろうと感じられる言葉だった。 Amazonの書籍ページにはあかりの状況に共感するとするたくさんのレビューが寄せられ、SNSでもそれぞれのユーザーが自分の経験を語るなど、反響は大きい。「特に男性の読者は、親子関係に限らず呪縛からの逃げ方という視点で感想を書いてくださる方が多くて、それは一つの発見でした」。それだけ、さまざまな形の呪縛に苦しめられた経験のある人が多いことの表れでもあるのかもしれない。 「この事件や本は教育虐待というキーワードで語られますが、取材をした私としては、どこまでが教育でどこからが虐待か分からないと感じています。むしろ私は『愛情のもつれ』についての本だと思って書きました。一つの愛情の形であり、教育はあくまでツールなのだと」 誰か悪者を見つけて断罪するのではなく、「家族のあり方について考えるきっかけになれば」と語る齊藤。これほどに広く深く人々の心を揺さぶるノンフィクション作品を書き上げた彼女が、知的で冷静な目を備えた27歳だったことに、ただ舌を巻く』、「アメばあ」がまだ生きていれば、さぞかし嘆いたことだろう。「教育虐待というキーワードで語られますが、取材をした私としては、どこまでが教育でどこからが虐待か分からないと感じています。むしろ私は『愛情のもつれ』についての本だと思って書きました」、「これほどに広く深く人々の心を揺さぶるノンフィクション作品を書き上げた彼女が、知的で冷静な目を備えた27歳だったことに、ただ舌を巻く」、同感である。
第三に、6月7日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏による「「子供部屋おじさん」が合理的なのかは、実は深い問いだ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/324056
・『「子供部屋おじさん(おばさん)」とも呼ばれる、成人後も親と同居を続ける中年の増加が日本で取り沙汰されてきたが、米国や英国でもそうした人々やその予備軍が増えつつあるという。子供が親と同居するのは経済合理性が主な理由とされるが、合理的かどうかという問いは、未来の家族形態やライフスタイルの考察にまでつながる「深い問い」といえる』、「子供部屋おじさん」なる言葉は初めて知ったが、米英でも広がっているようだ。
・『日本だけでなく米英でも親と子の同居が増えている 米国や英国で、親と同居する若者が増えているという(「巣立たぬ若者、英米も急増 3分の1が親と同居」日本経済新聞、5月28日)。成人したら親元を離れて自立した生活を営むことが常識的とされてきた米国や英国にあって、18歳から34歳の若者が親と同居する割合が上昇して共に約3分の1に達した。 主たる要因は、主に家賃の上昇だと記事は分析する。2000年を100とした家賃は22年に、米国では180を超えて、英国でも160以上となっている。親と同居して家賃を節約することができれば、同じく高騰している学費などにお金を使うことができるし、もちろん遊興費なども多く確保できる理屈だ。経済合理的とも思えるが、子供の「自立」はどうなるのかという問題や、親と同居した状態が心地いいと結婚して子供を作ることが減ると予想され、少子化に拍車が掛かるのではないかと懸念する声もある。 ちなみに記事では、18歳から34歳の親との同居率は、ポルトガル、イタリア、スペインといった南欧やクロアチア、ポーランドといった東欧が高いと報じている(60%半ばから70%前後)また、16~34歳のデータという注釈付きだが、アジア諸国では韓国が70%と高いという。その一方で、米英と北欧で低い。わが国は、20年の国勢調査によると47%程度と、ややアジア諸国寄りの中位にある。 わが国では家賃の上昇はそれほどでもないが、勤労者層の実質賃金が伸びていないので「生活が苦しい」ことは同様だ。「親との同居」が経済合理的なら、親との同居を前提としたライフスタイルや居住スタイルの変更を考えてもいいのではないか、とも思える。 ただし、いささか揶揄(やゆ)気味に「子供部屋おじさん(おばさん)」という言葉が使われているように、成人して加齢しても子供が家族を持つような独立心や経済力を持たない状態を容認するのがいいことなのかどうか、また、前述のように、この生活形態が少子化を加速する可能性があることについてどう考えるべきかという問題がある。 家族と居住の形態は、考える価値のあるテーマだ』、「巣立たぬ若者、英米も急増 3分の1が親と同居」、「18歳から34歳の親との同居率は、ポルトガル、イタリア、スペインといった南欧やクロアチア、ポーランドといった東欧が高いと報じている(60%半ばから70%前後)、アジア諸国では韓国が70%と高い」、「わが国は、20年の国勢調査によると47%程度と、ややアジア諸国寄りの中位」、想像以上に高いようだ。「家賃」高騰が背景にあるようだ。
・『親と子の同居に対する筆者自身の価値観と偏見 一般論を考える前に、筆者個人が現実にこの問題をどう考えているかについて述べておこう。 筆者の息子は今年の春に東京の大学に進学することになった。家族は東京に居るので、家族の元から大学に通うことが可能だったが、大学の近くにワンルームマンションを借りて一人暮らしをさせることにした。費用的には少々不経済である。 理由は、家族から引き離して「早く大人にしよう」と父親である筆者が考えたためだ。家族と同居している子供は、毎日親(特に母親)と話すので、ものの見方や価値観に対して親の影響を受けるし、生活面でもさまざまに親に依存する。この関係を早く断ち切ることが、息子の成長に有効だと考えたのだ。 背景には、息子が将来十分経済的に自立して生活できるようになるだろうという息子個人への評価があったし、それ以上に、独立して暮らすことが自立心につながるという、筆者の年代が持ちがちな価値判断があったと思う。たぶん偏見が含まれているが、過去に多くの男性を観察していて、精神的に「母親離れ」ができていない人物の性格に残念な面を多く感じてきたということもある。 偏見のついでに告白しておくと、娘(息子の2学年下)に対しても同じようにするかどうかは決めていない。 子供の性差と子育てをどう考えるかは、難しい問題だ。「原則として、性別に関係なく本人の個性次第だ」と頭では考えているが、「女の子は、こうした方が生きやすい」という世間の環境に適応して、男の子と扱いを変える可能性はある。ジェンダー問題がご専門の方などからは大いに批判される態度かもしれない。私が政治家など公職にあれば、そもそもこの点について正直に述べることが難しかろう。幸い気楽な立場なので、正直に書いた。 筆者自身が、核家族化が進行し「成人したら自立」が当たり前だった時代に育ち(筆者は昭和の真ん中、昭和33年生まれだ)、かつての男の子だった自分固有の経験に影響されていることは否めない』、我が家の場合は、娘2人は片道1時間半かかっても、自宅から通わせたが、息子は片道1時間強でも下宿させた。
・『生活にも働く「規模の経済効果」 Nを大きくすると生活は楽になる 経済効率という意味では、大家族には効率的な面がある。通常の調査では、世帯別の裕福・困窮の度合いを測る上で、世帯所得を世帯人数(N人)の平方根で割った数字を使う。2人暮らしは独り暮らしの1.4倍強のコストで賄えるし、4人暮らしなら独り暮らしの2倍の所得があれば概ね同等の豊かさだということだ。 つまり、生活にも「規模の経済効果」が働くということだ。確かに、キッチンも、冷蔵庫も、洗濯機も、人数分必要だということはないし、何よりも一人一人が毎食炊事に関わる必要もない。この効果の大きさと確かさを考えると、ある意味では「独り暮らしは贅沢」なのであり、例えば生活保護を考える場合に独り暮らしのコストまで補償することが適切なのかといった問題にも行き着く。 「N」は必ずしも親子や親戚同士である必要はないが、例えば、親・子・孫3世代の同居を考えると、一つには働く親(第2世代の親)の子供の保育に関する問題、もう一つには高齢になった親(第1世代の親)の初期段階の介護における問題が、大家族の中である程度は解決可能になるという大きなメリットがあることにも気付く。 国が国民の大家族化に期待して保育園の整備を手抜きするようでは問題だが、送り迎えや在宅での見守り、教育などにおいて、働く親のさらに親世代が大いに頼りになることは確かだ。また、終末期の介護を大家族に丸投げするのも問題だし、規模の利益に反する場合もあろうが(例えば入浴の介助は素人よりもプロが行う方が効率的だ)、高齢者がある程度自分でも動ける段階での介護は大家族の中で分担して吸収できそうな問題だ。 大家族には、働く世代をしばしば制約する、「子供の保育」と「親の介護」の問題を解決する上でもメリットがありそうだ。例えば、まだ働くことができる年齢の子供が親の介護に張り付くために退職するといった、核家族親子の非効率を何がしか避けることができる可能性がある。 人類学者のエマニュエル・トッド氏によると、米英などアングロサクソンの国で一般的な核家族の形態は、人類史的には最も原始的なもので、アジアなどに多い直系家族や、さらにロシアやアラブなどに存在する各種の共同体家族の方がより新しい進化した家族形態なのだという。 筆者の世代では、成人したら小さくても住居を確保して核家族を作る方が、かつて農家などに見られたような大家族よりも、新しくて進んだ暮らし方であるとのイメージを持ちがちだ。しかしこれは、都市への労働力の吸収と、小さくても家を持たせる住宅振興政策、さらに米英の文化の影響を受けた、「特定の時代のトレンドだった」と解釈するのが妥当なのだろう。 どのような家族形態、居住形態が合理的なのかは、改めて考えてみるべき問題だろう』、「エマニュエル・トッド氏によると、米英などアングロサクソンの国で一般的な核家族の形態は、人類史的には最も原始的なもので、アジアなどに多い直系家族や、さらにロシアやアラブなどに存在する各種の共同体家族の方がより新しい進化した家族形態なのだという」、にわかには信じ難い話だ。
・『家族形態を考える上で重要な原則とは? では、どうするべきなのか。 この問題を考える上で、何としても重要な原則は、家族形態や居住形態は、個々の国民が自由に(=国家に介入されずに)決めるべき問題だということだ。 家族や住居は、個人の暮らし方の根幹に関わる問題なので、税制や社会保障制度などで特定の方向に誘導すべきではない。 例えば、大家族の同居を前提とすると世帯数は減るから、一時的に大家族仕様の住宅に対するニーズが発生するかもしれないが、長期的には住宅費は節約されることになるだろう。これを政策で阻害してはならない。 また、白物家電などを典型とする耐久消費財の需要も大家族化で減少するはずだが、それは消費者側での合理的な選択の結果なのであって、この点への介入も無用だ。 家族制度の選択は、少子化対策や産業の振興などと分けて考えるべきだ。 子供に対して給付金を配るなどの少子化対策は別個に行われてもいいが、かつて「標準家族」を優遇したような、特定の家族形態に対する優遇・誘導を税制や社会保障制度を通じて行うことは厳に慎むべきだろう。 国民には、多少不経済でも核家族を選択する自由も、大家族を選択する自由もあるべきで、そこに制度上の損得を絡ませるべきではない。「暮らし方」を少子化対策など別の目的の手段としてはならない。 その上でだが、世帯の「N」を大きくすることによる経済性には大いに魅力がある。単に「親子の同居」にとどまらない、合理的に暮らせる大家族の形態および住居について、提案し、ロールモデルとなる人物がいるといい。 もっとも、「N」をいかにマネジメントするかは簡単ではない。世界にある各種の共同体家族でも、父親に権威があって兄弟が平等な家族形態もあれば、母方の住居において共同で生活する母系的なシステムもあるようだ。何らかの習慣を形成することが合理的なのかもしれない。 われわれは、世界の別のシステムに学ぶべきなのかもしれないし、あるいは全く新しい仕組みを考えるべきなのかもしれない。 合理的な住居と大人数のマネジメントの仕組みをセットで提案してくれる「生活の発明家」の登場に大いに期待したい』、「家族や住居は、個人の暮らし方の根幹に関わる問題なので、税制や社会保障制度などで特定の方向に誘導すべきではない」、その通りだ。「合理的な住居と大人数のマネジメントの仕組みをセットで提案してくれる「生活の発明家」の登場に大いに期待したい」、同感である。
タグ:親子関係 (その1)(米国人驚愕「子が親の介護する日本」深刻な盲点 「家の時代」から「個人の時代」へシフト、医学部9浪の31歳娘が58歳母をバラバラ死体にするまで…話題本の著者が迫った事件の本質、「子供部屋おじさん」が合理的なのかは 実は深い問いだ) 東洋経済オンライン 山口 真由氏による「米国人驚愕「子が親の介護する日本」深刻な盲点 「家の時代」から「個人の時代」へシフト」 「バーソレッテ教授は」、「日本と比べると、アメリカは年寄りに冷たい国だわ。私もね、年寄りの部類に入るようになって心からそう思うのよ・・・子どもたちは、年老いた両親を養うことはしない。老後に備えて、私たちは自分でお金を貯めておかないといけないの。この若い国は、この国を必死に支えて、そして、老いていった人たちをいたわろうとはしてこなかったわ」、その通りだ。 「江戸時代の武家制度のなかで確立した日本の「家」というのは、家の財産をバラバラにせずに、次の世代に、その次の世代に、脈々と伝えていくための装置なのだという。 江戸時代の家は、武士であれ町人であれ、「家業」を持っていた・・・長女は、家業につながりのある家にお嫁に行くだろう。次男には、後々、のれん分けをしてあげるかもしれない。ここは、とりあえず長男にお店を丸ごと継いでもらうことにしよう。 こうやって、浅草の老舗のお煎餅屋さんは、世代に1人と跡継ぎを定めて、祖父から父へ、そして、父から息子の代へと事業を丸ごと受け継がせる。日本の「家」というのは、もともとそういうものだったらしい。そう考えるとこれは家族経営の中小企業とおんなじだ」、「江戸時代までの日本の相続は、今でいう会社の『事業承継』と同じ。財産の帰属主体は個人じゃないの。家なのよ。だから、社長を交代するように家長を交代して、世代を超えて家の財産を引き継いでいく。 個人が亡くなるたびに、財産の帰属主体が消滅して、財産を清算してっていう考え方はとっていなかったの。個人が亡くなってもなお、家は連綿と残っていくものなのよ」 アメリカの「家族」は点である。子どもが成人すれば、親の家族とは別個の個人となり、やがて新しい家族を作っていく」、「「江戸時代までの日本の相続は・・・財産の帰属主体は個人じゃないの。家なのよ。だから、社長を交代するように家長を交代して、世代を超えて家の財産を引き継いでいく」、その通りだ。 「アメリカの「家族」は点である。子どもが成人すれば、親の家族とは別個の個人となり、やがて新しい家族を作っていく」、「日本の「家」は線である。隠居した親の面倒は子どもがみる。その子も将来は、自分の息子やそのお嫁さんに面倒をみてもらう。家業を、親から子ども、そして、孫へと引き継いでいくその裏で、家業を営むことで得られるあがりで、年老いた親、出戻りの娘、引きこもった息子、家の構成員全員を養っていく。 家は、世代を超え、核家族の境界を超えて、一族を縦に結びつける。そしてこの家は、精神的な結びつきのみならず、経済的な基盤でもあるのだ」、極めてクリアだ。「今、日本では、もともとの「家」の価値観と西欧由来の「個人」の価値観が交錯する過渡期にある。相続というのは「個人」の側の概念である。日本には、もともと財産が個人に帰属するという考え方はなかった。そういう考えが輸入されたことで、相続という制度ができあがった」、なるほど。 「日本の場合には、別々の家族を営んでいるようで、親も子どもも、いつまでも緩やかに同じお財布を共有している。 一方のアメリカは、子どもが独り立ちした時点で独立採算制になる。もちろん、親の遺産を相続することもあるだろうが、アメリカ人の多くが遺言を残すとされ、日本の遺留分に当たる制度はない。個人の人生の後始末は個人の意思によるのが原則なのだ」、なるほど。 「アメリカの家族は点々と社会に散りばめられている。一方、日本の家は世代を超えて連綿とつながる線を描く。だが、問題はここでは終わらない。私たちの社会は、今、「家の時代」からアメリカのような「個人の時代」へと足を踏み出そうとしている。 夫婦別姓の問題も、森喜朗氏の発言に端を発した「女性という属性ではなく個人を評価しましょう」という動きも、私たちを「家」の世界観から「個人」へと押し出そうとする。 「個人の自律」というと聞こえはよい。だが、介護の問題、パラサイトチルドレン、8050問題――そこに頼って生きてきた人々が「家」から押し出されたとき、社会が彼らに居場所を用意できるのかが真の問題だろう」、「私たちの社会は、今、「家の時代」からアメリカのような「個人の時代」へと足を踏み出そうとしている・・・「個人の自律」というと聞こえはよい。だが・・・「家」に頼って生きてきた人々が「家」から押し出されたとき、社会が彼らに居場所を用意できるのかが真の問題だろう」、さて、どうなるのだろうか。 ダイヤモンド・オンライン 河崎 環氏による「医学部9浪の31歳娘が58歳母をバラバラ死体にするまで…話題本の著者が迫った事件の本質」 『母という呪縛 娘という牢獄』 大ヒットの「ノンフィクション『母という呪縛 娘という牢獄』」の作家が「20代の女性」とは私も驚かされた。 事件の背景を詳しく知りたいものだ。 「妙子さんは20年以上前から夫と別居し、あかりと二人暮らし。あかりは幼少期から学業優秀で中高一貫の進学校に通っており、20代中盤まで母娘で一緒にお風呂に入るほどの濃密な母娘関係を築いていた。 だがその間、実はあかりは常人の理解を超える執拗な干渉、暴言や拘束など、いわゆる“教育虐待”を母から長年受け続けていたのだ。 超難関の国立大医学部への進学を強要されて医学部を9浪の末、母からの妥協案として医大の看護学科へ進学する。しかし母は、看護師よりさらに専門知識を要する助産師にさせようとあかりに助産師学校の受験を求めており、看護学科を卒業して手術室看護師になりたいとの希望を持っていたあかり自身は助産師学校の試験に失敗。それに気づいた母から激しい叱責を受けていた」、「あかりは、周到に用意した凶器で母親を刺殺した直後・・・「モンスターを倒した。これで一安心だ」とのツイート」、“教育虐待”がよほど強かったのだろう。 「被告が、一審と変わって控訴審の初公判で認否をひっくり返すということが起きた。認否を変えるという行為が珍しくて、この事件の内容を深く知ろうと思いました」、「公判の取材を続ける中、齊藤は拘置所のあかりと面会を重ね、あかりの刑務所移送後も膨大な往復書簡を交わした。共同通信のウェブメディアに掲載された、齊藤の書いた事件深掘り記事は大反響を呼び、書籍化へとつながる」、なるほど。 「ネットニュースとして記事を出させてもらっていたんですけど、なんかあまりにも反響が大きかったんですよね。なので、これは私と高崎さんだけの問題ではないのかもしれない、と」 もしかして同じ思いを持つ人が多いのかもしれない、と直感した齊藤の本書がこれまでの事件本と決定的に異なるのは、事件を社会学的な文脈で語ることもなく、「分析」も「評価」もしないところだ・・・齊藤は母娘や関係者の言葉を分析しようとはしない。 一貫して生のままの言葉をつづり、読み手の理解へ預け続ける」、「「分析」も「評価」もしない」のが受けたとは分からないものだ。 「高3から何度も家出していますが、妙子さんが警察や私立探偵を使って、ことごとく連れ戻している」、「あかりさんが会社に就職して寮で自活しようとしても、気づいたお母さんに電話を入れられて内定取り消しになっていたり」、「ここまで脱出を阻まれると、戦意喪失してしまったのではないか。もうなすすべがなかったのではないかと、そう思います」、なるほど。 「「あかりの意思で家出前に書いた置き手紙のように見えるが、違う。母がパソコンで原文を作成し、あかりに手書きで清書させ、祖母と大叔母に送ったものである」。予備校代を工面してくれる米国在住の祖母に近況を伝え、納得してもらうための、うそで塗り固めた“演出”。これを母は「一世一代の大うそ」と呼び、あかりもまた親戚付き合いとはそういうものだと思っていた」、「母」と「あかり」で「祖母と大叔母」にうその手紙を送っていたとは信じ難いが、あり得る話だ。 「小さい頃に再婚した両親だけ米国に行ってしまって、日本に取り残された妙子さんは愛情に飢えていた。娘を医者にしたいからと学費の協力をお願いしたり、何かとアメばあに報告したりというやりとりも、娘を引き合いに出してアメばあを喜ばせ、振り向いてもらえなかった部分を埋めていた気がします。お金をもらっている以上は結果を出さねばという固執も、もしかして彼女はアメばあのために子育てしていたのかなと想像しました」、母親自身が「愛情に飢えていた」、「もしかして彼女はアメばあのために子育てしていたのかなと想像」、想像以上に複雑 な事情だ。 「看護学科に妥協して落としどころをつけたのは、お母さんの方なんです。あかりさんが折り合いをつけようとしてもできなかったのを、お母さんの方からつけることで『9浪で済んだ』とも考えられます。・・・アメばあには・・・あくまであかりさん本人が『努力したけど届かないから看護学科で許してくれ』と懇願して落としどころにした、というシナリオにしたかったんですね」、なるほど。 「幼い頃の思い出をつづった手記・・・その中でお父さんを『止まり木のような存在』と表現し、唯一心を許せる存在だった」、なるほど。 「教育虐待というキーワードで語られますが、取材をした私としては、どこまでが教育でどこからが虐待か分からないと感じています。むしろ私は『愛情のもつれ』についての本だと思って書きました」、「これほどに広く深く人々の心を揺さぶるノンフィクション作品を書き上げた彼女が、知的で冷静な目を備えた27歳だったことに、ただ舌を巻く」、同感である。 「アメばあ」がまだ生きていれば、さぞかし嘆いたことだろう。 山崎 元氏による「「子供部屋おじさん」が合理的なのかは、実は深い問いだ」 「子供部屋おじさん」なる言葉は初めて知ったが、米英でも広がっているようだ。 「巣立たぬ若者、英米も急増 3分の1が親と同居」、「18歳から34歳の親との同居率は、ポルトガル、イタリア、スペインといった南欧やクロアチア、ポーランドといった東欧が高いと報じている(60%半ばから70%前後)、アジア諸国では韓国が70%と高い」、「わが国は、20年の国勢調査によると47%程度と、ややアジア諸国寄りの中位」、想像以上に高いようだ。「家賃」高騰が背景にあるようだ。 我が家の場合は、娘2人は片道1時間半かかっても、自宅から通わせたが、息子は片道1時間強でも下宿させた。 「エマニュエル・トッド氏によると、米英などアングロサクソンの国で一般的な核家族の形態は、人類史的には最も原始的なもので、アジアなどに多い直系家族や、さらにロシアやアラブなどに存在する各種の共同体家族の方がより新しい進化した家族形態なのだという」、にわかには信じ難い話だ。 「家族や住居は、個人の暮らし方の根幹に関わる問題なので、税制や社会保障制度などで特定の方向に誘導すべきではない」、その通りだ。「合理的な住居と大人数のマネジメントの仕組みをセットで提案してくれる「生活の発明家」の登場に大いに期待したい」、同感である。
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