バブル(歴史、一般)(その1)脱獄犯から財務大臣に! 天才ギャンブラーの末路 「リフレ政策」発明者の栄光と挫折、シュンペーターも絶賛!「脱獄した天才経済学者」の末路 「リフレ政策」発明者の栄光と挫折) [金融]
今日は、バブル(歴史、一般)(その1)脱獄犯から財務大臣に! 天才ギャンブラーの末路 「リフレ政策」発明者の栄光と挫折、シュンペーターも絶賛!「脱獄した天才経済学者」の末路 「リフレ政策」発明者の栄光と挫折)を取上げよう。
先ずは、やや古いが、2019年5月9日付け日経ビジネスオンラインが掲載した元外国為替ディーラー・ジャーナリストの玉手 義朗氏による「脱獄犯から財務大臣に! 天才ギャンブラーの末路 「リフレ政策」発明者の栄光と挫折」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19nv/00046/050700009/
・『脱獄したお尋ね者が、なんとフランス財務大臣に! 驚きの成り上がり人生を歩んだギャンブルの達人、ジョン・ロー。しかし、自ら生み出した世界最大級のバブルが弾けた後、流浪の末に無一文で死を迎える――。経済学の巨人シュンペーターが絶賛し、ガルブレイズをもうならせた奇才の、鮮やかすぎる経済理論と転落劇。 一七二九年三月二十一日、男はイタリア・ヴェネチアで五十八年の生涯を終えた。 男はかつてフランスの「財務大臣」と「中央銀行総裁」、そして巨大国営企業のトップを兼任する経済界の支配者だった。パリ中心部にあるヴァンドーム広場の三分の一は男のもので、この他にも数多くの不動産を保有する大金持ちでもあった。 我が世の春を謳歌していた男だったが、ある日突然にフランスを追われ、放浪の末にヴェネチアにたどり着いた。死期が迫る中、男は遺言状を作るようにと促された。しかし、「自分の財産は全てフランスにあって、債権者に差し押さえられている。遺言状を作っても無意味だ」と語ったという。 男の名前はジョン・ロー(John Law)。 その経済政策は窮地にあったフランス経済を劇的に回復させると同時に、数多くの大金持ちを生み出した。「ミリオネア」という言葉が誕生したのもこのときで、ローの経済政策の恩恵を受けて、大金持ちになった人々を呼ぶためのものだった。後にこの男は、経済学者シュンペーターから賛辞を受け、ガルブレイズをもうならせることになる』、「ジョン・ロー」は「かつてフランスの「財務大臣」と「中央銀行総裁」、そして巨大国営企業のトップを兼任する経済界の支配者だった。パリ中心部にあるヴァンドーム広場の三分の一は男のもので、この他にも数多くの不動産を保有する大金持ちでもあった。 我が世の春を謳歌していた男だったが、ある日突然にフランスを追われ、放浪の末にヴェネチアにたどり着いた」、なるほど。「ミリオネア」という言葉が誕生したのもこのときで、ローの経済政策の恩恵を受けて、大金持ちになった人々を呼ぶためのものだった」、「ミリオネア」の語源を初めて知った。
・『世界初の「ミリオネア」 しかし、ローとミリオネアたち、そしてフランス国民も突如として奈落の底に突き落とされる。ミリオネアたちは全財産を失い、経済は大混乱に陥り、非難の的となったローはフランスを逃げ出したのであった。 ミリオネアを生んだ経済政策とは何なのか。なぜ、人々は奈落の底に落とされることになったのか。一度はフランス経済を支配し、巨万の富を獲得した男は、どのような失敗を犯して、一文無しで生涯を終えることになったのだろう。) 一六七一年四月二十一日、ローはイギリス(スコットランド)・エディンバラの裕福な金匠(Goldsmith Banker:金を扱う金融機関の一種)の家に生まれた。 中等学校に入る直前に父親は他界するが、ローは巨額の遺産を相続し、ロンドンに出て放蕩三昧の生活を始める。長身で端正なマスク、愛想が良くて会話も知的だったローは、上流階級の貴婦人たちと浮き名を流す一方で、ギャンブルに興じる日々を送った。 しかし、程なくしてローはギャンブルに大負けして破産してしまう。更に一六九四年四月、ローは女性を巡ってある男と決闘して刺し殺してしまった。殺人罪で死刑判決を受けたロー。人生もこれで終わり……と思われたが、ローは仲間の手助けを受けて脱獄に成功する。看守を薬で眠らせ、密かに持ち込んだノコギリで窓の鉄格子を切断し、窓から飛び降りて待機させていた馬車に飛び乗って、逃げ去ったという。(*1)』、「ローは女性を巡ってある男と決闘して刺し殺してしまった。殺人罪で死刑判決を受けたロー。人生もこれで終わり……と思われたが、ローは仲間の手助けを受けて脱獄に成功する」、血の気が多かったようだ。
・『「お尋ね者」が一転、「気鋭の経済学者」に 「キャプテン・ジョン・ロー、スコットランド人、殺人の罪で最近まで当王座裁判所の監獄に収容中の囚人。年齢二六歳。背が非常に高く色黒、やせぎすで姿勢よき男……この者当監獄より脱走。右の男を捕らえて当監獄に引き渡す者に対して、即刻五十ポンドの賞金を与える」 各地に配られた手配書をあざ笑うかのように、「お尋ね者ロー」は完全に姿を消してしまう。 それから二十年が経過した一七一四年、ローは突如としてフランス・パリに現れた。「お尋ね者」ではなく、大金持ちで、フランス政府が信頼を寄せる気鋭の経済学者としてだ。 ローは逃亡生活の間に、独自の確率論を駆使したギャンブル勝利法を会得し、各地の賭博場を渡り歩いて大儲けしたという。その経験と理論を基に、言葉巧みにフランス政府に、独自の経済政策を売り込んだのだ。 時のフランスはルイ十五世が王位を引き継いだばかり。政府は度重なる戦争と王室の浪費で財政難に喘ぎ、経済は深刻な不況に陥っていた。ところがローは、この危機的な状況を改善する経済政策があると、ルイ十五世の摂政だったオルレアン公フィリップに持ちかけたのだ。) ローはフランス経済が「デフレ状態」にあると考えていた。当時のフランスの貨幣システムは、政府の管理下にある正貨(金貨と銀貨)を使ったもの。政府が財政難になれば、貨幣の流通量が減少する。これによって物価が下落し、収益の悪化から消費が低迷し、これが景気を悪化させて所得が減少し、更なる物価下落と消費の低迷を生む。当時のフランスは、典型的なデフレ不況に陥っていたのである。 デフレ対策には、どんどん紙幣を刷って貨幣供給量を増やす金融緩和政策があることは、今なら誰でも知っているだろう。ところが、当時のフランスには紙幣が存在していなかった。あるのは自由に増やすことができない正貨だけであり、金融緩和政策の概念すらなかったのである。 では、どうすればよいのか。ローの答えは簡単だった。 紙幣を発行すればいい』、「「ローは逃亡生活の間に、独自の確率論を駆使したギャンブル勝利法を会得し、各地の賭博場を渡り歩いて大儲けしたという。その経験と理論を基に、言葉巧みにフランス政府に、独自の経済政策を売り込んだのだ。 時のフランスはルイ十五世が王位を引き継いだばかり。政府は度重なる戦争と王室の浪費で財政難に喘ぎ、経済は深刻な不況に陥っていた。ところがローは、この危機的な状況を改善する経済政策があると、ルイ十五世の摂政だったオルレアン公フィリップに持ちかけたのだ。) ローはフランス経済が「デフレ状態」にあると考えていた。当時のフランスの貨幣システムは、政府の管理下にある正貨(金貨と銀貨)を使ったもの。政府が財政難になれば、貨幣の流通量が減少する。これによって物価が下落し、収益の悪化から消費が低迷し、これが景気を悪化させて所得が減少し、更なる物価下落と消費の低迷を生む。当時のフランスは、典型的なデフレ不況に陥っていたのである」、「当時のフランスには紙幣が存在していなかった。あるのは自由に増やすことができない正貨だけであり、金融緩和政策の概念すらなかったのである。 では、どうすればよいのか。ローの答えは簡単だった。 紙幣を発行すればいい」、なるほど。
・『お金がないなら、刷ればいい ローは摂政オルレアン公フィリップから、紙幣となる銀行券が発行できる「バンク・ジェネラル」の設立許可を得た。 この銀行はローが保有していた正貨を元手に設立されたもの。バンク・ジェネラルが発行する銀行券は、求められればいつでも正貨に戻すことが約束された「兌換(だかん)紙幣」だったため、高い信用力を得ることができた。更にローは政府に働きかけて、この銀行券で納税が可能になるようにし、貿易取引の決済にも使えるようにした。 度重なる改鋳で金や銀の含有量が低下し、価値が低下していた正貨に嫌気がさしていた人々は、使い勝手の良いローの銀行券を大歓迎した。 一七一六年五月に設立されたバンク・ジェネラルが発行する銀行券は瞬く間に普及し、これによって貨幣供給量が大幅に増加する。フランス経済を苦しめていたデフレは解消に向かい、景気は驚異的な回復を見せた。 ローは「金融緩和策の発明者」であり、人類史上初めてこれを実施して、フランス経済を救った「天才」だったのだ。 絶大な信頼を勝ち取ったバンク・ジェネラルは、一七一八年に国有化され、「バンク・ロワイアル」となる。 「お尋ね者」だったローは、自らの手で「中央銀行」を創設して「総裁」に就任したというわけだ。 しかし、ローの金融緩和策には限界があった。) ローの金融緩和策の限界とは何か。銀行券が兌換紙幣であったため、保有している正貨以上の発行ができなかったのだ。 そこでローは次のステップへ踏み出す。 ローは銀行券を正貨の交換を保証しない「不換紙幣」に変えたのだ。これによってバンク・ロワイアルは、正貨保有量に関係なく、好きなだけ銀行券を発行できるようになる。 正貨という後ろ盾を失ったものの、バンク・ロワイアルが発行する銀行券の信用力が揺らぐことはなかった。銀行券が更に発行されたことで金融緩和策が強化され、フランス経済はより一層の好景気に沸き立つことになる』、「ローは「金融緩和策の発明者」であり、人類史上初めてこれを実施して、フランス経済を救った「天才」だったのだ。 絶大な信頼を勝ち取ったバンク・ジェネラルは、一七一八年に国有化され、「バンク・ロワイアル」となる。 「お尋ね者」だったローは、自らの手で「中央銀行」を創設して「総裁」に就任したというわけだ」、「ローは銀行券を正貨の交換を保証しない「不換紙幣」に変えたのだ。これによってバンク・ロワイアルは、正貨保有量に関係なく、好きなだけ銀行券を発行できるようになる。 正貨という後ろ盾を失ったものの、バンク・ロワイアルが発行する銀行券の信用力が揺らぐことはなかった。銀行券が更に発行されたことで金融緩和策が強化され、フランス経済はより一層の好景気に沸き立つことになる」、なるほど。
・『バブルがやってきた ローは膨大な財政赤字の削減にも取り組んだ。「ミシシッピ会社」という国営企業を創設、その株式を売り出すことで財政赤字を埋めようと考えたのだ。(*2) ローは政府に働きかけて、当時のフランスが所有していた、ミシシッピを中心とするアメリカ植民地の開発や貿易の権利をこの会社に集約した。目玉の事業は「金の採掘」。ミシシッピには金鉱があり、株式を購入した人には大きな利益がもたらされると宣伝したのだ。 更にローは、ミシシッピ会社の株式を購入しやすくするために、購入代金を国債で支払えるようにした。 これは現代の「債務の株式化」(Debt Equity Swap)の原型となる手法だ。銀行などが保有する貸出債権を、その会社の株式と交換することによって借金の負担を軽減し、経営再建を進めやすくする。 債務の株式化が、日本で本格化するのは二十一世紀に入ってからのこと。ダイエーやシャープなど、巨大企業の経営再建で適用されるようになった高度な手法だ。 現代の最先端の再建手法を先取りするようなアイデアを考案し、財政赤字で苦しんでいたフランス政府に適用したロー。ミシシッピ会社の株式が売れれば売れるほど、政府の財政赤字は減少していくという妙案だったのだ。 売り出されたミシシッピ会社の株式は、投資家の大きな人気を集めた。当時の国債は返済されるはずなどないという思惑から、額面五百リーブルの国債が、百五十~百六十リーブル程度の安値で取引されていた。そこでローは、ミシシッピ会社の株式を国債で購入する場合には、額面の五百リーブルで引き取るとしたのだ。 ここからバブルが発生する。) 「価値の下がった国債で、金鉱を持つミシシッピ会社の株式が買える! しかも額面価格で!」と投資家は大喜び。額面五百リーブルだったミシシッピ会社の株価は、一七一九年の十二月には一万リーブルを突破する大暴騰を演じる。 ミシシッピ会社の株式を買ったことで、一夜にして大金持ちになった人が続出する。「ミリオネア」と呼ばれるようになった彼らは、儲けたお金を不動産や宝石、貴金属などへ投資したため、それらの価格も三倍、四倍と跳ね上がった。 ミリオネアになりたいと押し寄せた人々で、ミシシッピ会社の株式が売買されていたカンカンポア通りは、連日大混雑となった。周辺のアパート家賃は跳ね上がり、靴店は店内で椅子や筆記用具を提供する「貸しオフィス」で大儲け、猫背だった男は背中を机代わりに使わせるだけで稼ぐことができたという。 ミシシッピ会社の株価暴騰に呼応する形で、銀行券の発行も急増していった。これが株式市場へ流れ込んだ結果、更なる株価上昇を生み、銀行券の増発を招くというスパイラルを生み出す』、「額面五百リーブルの国債が、百五十~百六十リーブル程度の安値で取引されていた。そこでローは、ミシシッピ会社の株式を国債で購入する場合には、額面の五百リーブルで引き取るとしたのだ。 ここからバブルが発生する。 「価値の下がった国債で、金鉱を持つミシシッピ会社の株式が買える! しかも額面価格で!」と投資家は大喜び。額面五百リーブルだったミシシッピ会社の株価は、一七一九年の十二月には一万リーブルを突破する大暴騰を演じる」、なるほど。
・『株式バブルで、財政再建! その一方で、ミシシッピ会社の株式が飛ぶように売れたことから、政府の財政赤字も激減していった。「ロー・システム」と呼ばれた「中央銀行」と「巨大国営企業」のコラボレーションであった。 ミシシッピ会社は明らかに過大評価されていたが、株価暴騰に浮かれていた人々にとっては、どうでもよいことだったのだ。 景気回復と財政赤字削減を成し遂げたローは、一七二〇年一月に財務総監に任命される。首相の地位に匹敵する要職だった。「財務大臣」、「中央銀行総裁」、そして巨大国営会社ミシシッピ会社のトップを兼任する「経済界の巨人」が誕生したのだ。 各地に広大な地所を所有するなど、ローの個人資産も膨れ上がった。貴族の称号を与えられたローは、その端正な姿と相まって社交界の花形となる。「お尋ね者」として追われていた男が、流れ着いたフランスで銀行を設立してから、わずか三年でつかんだ栄光であった。 ロー・システムがもたらした華々しい成果に政府は狂喜し、フランスは諸外国の羨望の的となった。しかし、その成果はバブルがもたらした一時的なものであり、その崩壊は驚くほど早く始まるのである。 次回は後編。ローが生み出した「ミシシッピバブル」のあっけなくも、騒々しい幕切れ。さらに、ローが発明した「リフレ政策」の功罪を考察する。 *1 ジョン・ローの決闘のエピソードは、創作であるとする説もある *2 ミシシッピ会社の正式名称は「西方会社」。のちに「インド会社」となる(参考文献の紹介は省略)』、「景気回復と財政赤字削減を成し遂げたローは、一七二〇年一月に財務総監に任命される。首相の地位に匹敵する要職だった。「財務大臣」、「中央銀行総裁」、そして巨大国営会社ミシシッピ会社のトップを兼任する「経済界の巨人」が誕生したのだ。 各地に広大な地所を所有するなど、ローの個人資産も膨れ上がった。貴族の称号を与えられたローは、その端正な姿と相まって社交界の花形となる。「お尋ね者」として追われていた男が、流れ着いたフランスで銀行を設立してから、わずか三年でつかんだ栄光であった」、「ロー・システムがもたらした華々しい成果に政府は狂喜し、フランスは諸外国の羨望の的となった。しかし、その成果はバブルがもたらした一時的なものであり、その崩壊は驚くほど早く始まるのである」、次回の「崩壊」の姿が楽しみだ。
次に、この続きを2019年5月10日付け日経ビジネスオンラインが掲載した元外国為替ディーラー・ジャーナリストの玉手 義朗氏による「シュンペーターも絶賛!「脱獄した天才経済学者」の末路 「リフレ政策」発明者の栄光と挫折」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19nv/00046/050700010/
・『お尋ね者の脱獄犯から、フランス財務大臣と中央銀行総裁を兼任するまで成り上がった、ジョン・ロー(詳しくは、前回を参照)。経済学の巨人シュンペーターも絶賛した奇才は、いかにして破滅したのか。 ギャンブルで荒稼ぎしたローには、天性の経済学的センスがあり、冷え切ったフランス経済をバブルの熱狂に導いた。だが、その末路は――。 18世紀を鮮やかに彩った「ミシシッピバブル」と、昭和の「NTT株」をめぐる狂騒が重なる。 十八世紀のフランスで、今でいう「リフレ政策」を展開したロー。紙幣をどんどん発行することでデフレ不況を克服し、国営企業ミシシッピ会社の株式売却で、国家財政の赤字を削減すると同時に、景気をさらに浮揚させた。 ローが編み出した金融緩和策「ロー・システム」がもたらした華々しい成果に政府は狂喜し、フランスは諸外国の羨望の的となった。しかし、その成果はバブルがもたらした一時的なものであり、その崩壊は驚くほど早く始まるのである』、「バブル」の「崩壊」とは興味深そうだ。
・『「素朴な疑問」が、崩壊の始まり 「ローの銀行券って、本当に信用できるの?」 「いざとなったら、本当に金貨か銀貨に換えてもらえるの?」 「ミシシッピ会社って、何をする会社なんだっけ?」 「金を採掘するって言っていたけど、金は出たんだっけ?」 ロー・システムの崩壊は、こうした素朴な疑問から始まった。 一部の貴族たちが、銀行券をバンク・ロワイアルに持ち込んで、金貨や銀貨に交換をし始める。これを知った他の人々も不安心理に駆られ、我先にと銀行券を正貨に交換しようとした。「取り付け」が起こったのだ。しかし、バンク・ロワイアルが発行する銀行券は不換紙幣であり、その全てを正貨に交換することは到底できない。 一七二〇年七月、バンク・ロワイアルは、正貨への交換を求める人々の激しい取り付けに対応できずに大混乱となり、十五人もの死者が出る事態となる。 激怒した七千人を超える人々が、担架に乗せた遺体と共にパレ・ロワイヤルの庭園までデモ行進し、ローやオルレアン公フィリップに惨状を見せつけようとした。ローが乗っていた馬車を破壊するなど、群衆の一部が暴徒化したことから軍隊が出動、オルレアン公フィリップが出てきて、遺体を責任を持って埋葬すると約束したことでようやく沈静化した。 バンク・ロワイアルの取り付けに合わせるように、ミシシッピ会社の信用も急速に失われ、株価の急落が始まった。少し前まではミシシッピ会社の株式を手に入れようと血眼になっていた人々は、大慌てで売り始め、本当に価値がある金貨や銀貨を手に入れようとしていた。 こうした状況を見たローは、驚きの株価対策を打ち出した。) ローが編み出した、驚きの株価対策とは何か。 パリにいた数千人ものホームレスを集め、シャベルなどの道具を持たせて港まで行進させたのだ。「ミシシッピに金が見つかりました。これから掘りに行きます!」と、ミシシッピ会社による開発計画が順調であることをアピールし、信用を取り戻そうとしたのである』、「一部の貴族たちが、銀行券をバンク・ロワイアルに持ち込んで、金貨や銀貨に交換をし始める。これを知った他の人々も不安心理に駆られ、我先にと銀行券を正貨に交換しようとした。「取り付け」が起こったのだ。しかし、バンク・ロワイアルが発行する銀行券は不換紙幣であり、その全てを正貨に交換することは到底できない。 一七二〇年七月、バンク・ロワイアルは、正貨への交換を求める人々の激しい取り付けに対応できずに大混乱となり、十五人もの死者が出る事態となる」、「バンク・ロワイアルの取り付けに合わせるように、ミシシッピ会社の信用も急速に失われ、株価の急落が始まった。少し前まではミシシッピ会社の株式を手に入れようと血眼になっていた人々は、大慌てで売り始め、本当に価値がある金貨や銀貨を手に入れようとしていた」、「ローが編み出した、驚きの株価対策とは何か。 パリにいた数千人ものホームレスを集め、シャベルなどの道具を持たせて港まで行進させたのだ。「ミシシッピに金が見つかりました。これから掘りに行きます!」と、ミシシッピ会社による開発計画が順調であることをアピールし、信用を取り戻そうとしたのである」、「ホームレスを」使って嘘をつくのは頂けない。
・『ホームレスを動員した“株価対策” ところが、ホームレスたちは途中で行進を止めて逃げだし、渡されていた道具は換金されてしまった。ローの弥縫(びほう)策はミシシッピ会社の惨状を物語るものであり、その信用は更に失われる事態となった。 ローはその後も様々な株価維持策を打ち出したが効果は全くなく、むしろ株価の下落を加速させてしまう。一七二〇年一月に最高値の一万八千リーブルをつけていたミシシッピ会社の株価は、十月には二千リーブルにまで大暴落し、株式市場は人々の阿鼻叫喚(あびきょうかん)で覆われた。バンク・ロワイアルの銀行券の信用も完全に失われ、誰も受け取ろうとはしなくなったため、経済取引は元の金貨と銀貨の取引に逆戻りしてしまう。ロー・システムは完全に崩壊し、フランス経済は未曾有(みぞう)の大混乱に陥ったのである。 このときの状況を風刺した詩が残されている。 月曜日には株を買い、 火曜日には大儲け。 水曜日には家財道具をそろえ、 木曜日には身なりを整えた。 金曜日には舞踏会、そして土曜日には病院行き』、「一七二〇年一月に最高値の一万八千リーブルをつけていたミシシッピ会社の株価は、十月には二千リーブルにまで大暴落し、株式市場は人々の阿鼻叫喚(あびきょうかん)で覆われた。バンク・ロワイアルの銀行券の信用も完全に失われ、誰も受け取ろうとはしなくなったため、経済取引は元の金貨と銀貨の取引に逆戻りしてしまう。ロー・システムは完全に崩壊し、フランス経済は未曾有(みぞう)の大混乱に陥った」、なるほど。
・『死刑を求める大衆を前に、国外逃亡 一七二〇年十二月、死刑を求める民衆の叫び声に生命の危険を感じたローは、命からがらパリを脱出する。財産の大半はフランス国内の不動産であったこともあり、持ち出すことはできなかった。ローの出国後、保有していた不動産などは全て没収され、残された妻子は年金証書まで取り上げられてしまったという。 再びお尋ね者となったローは、ベルギーのブリュッセル、ドイツのハノーバー、デンマークのコペンハーゲンなど、およそ八年もの間ヨーロッパ各地を転々とした。そして、たどり着いたヴェネチアで死を迎えたのだった。 その墓碑銘にはこう記されていた。 高名なるスコットランド人、ここに眠る。 計算高さでは天下一品、 訳の分からぬ法則で、フランスを病院へ送った。 人類史上初めてとなる金融緩和策を、「訳の分からぬ法則」と批判されたロー。失われた栄光を取り戻すことなく、フランス経済の破壊者という汚名を着せられたまま、生涯を終えることになってしまったのである』、「フランス経済の破壊者という汚名を着せられたまま、生涯を終えることになってしまった」、「フランス」も「ロー」に乗せられたとは不名誉なことだ。
・『リフレ政策の発明者、バブルに飲まれる ジョン・ローは驚くほど短期間にフランス経済を回復させた。ところが、その状態を維持できず、更に深い傷を負わせることになってしまう。その原因はローが自ら発明したリフレ政策の制御に失敗したことと、それによってバブルを発生させたことにある。 失敗の本質 ① デフレ対策が暴走(ローが打ち出した金融緩和政策は、大量の紙幣を発行して意図的にインフレを起こすリフレーション、いわゆる「リフレ政策」だ。 物価を建物の「室温」と考えるとインフレは「異常な高温」、デフレは「異常な低温」と考えられる。当時のフランスは深刻なデフレ状況にあり、冷え切った部屋で経済活動が鈍り、国民は凍死寸前に追い込まれていたのだ。 そこでローは、部屋を暖めるための政策を打ち出した。それがリフレ政策だ。バンク・ロワイアルを通じて、紙幣である銀行券を大量に発行し、それを燃料にした「たき火」を始めたのだ。売り出したミシシッピ会社の株価が急上昇、これに対応するための紙幣発行が増加したことで、火の勢いは更に強まる。ロー・システムを使ったリフレ政策によって、フランス経済の室温は瞬く間に上昇、見事にデフレを克服してみせたのだ』、「ジョン・ローは驚くほど短期間にフランス経済を回復させた。ところが、その状態を維持できず、更に深い傷を負わせることになってしまう。その原因はローが自ら発明したリフレ政策の制御に失敗したことと、それによってバブルを発生させたことにある」、なるほど。
・『ガルブレイズをもうならせた才能 ところが、ローはやり過ぎてしまう。デフレが克服された後もリフレ政策を継続した。これが必要以上の紙幣が供給される「過剰流動性」を招く。行き場を失った紙幣は、株式市場をはじめとした資産市場に流れ込み、ミシシッピ会社の株式を中心とした資産価格を押し上げてバブルを生み出したのだ。膨れ上がったバブルは遂に破裂して、経済は大混乱に陥ってしまう。部屋が十分に暖まったにもかかわらず、大量の燃料を供給し続けた結果、たき火がバブルとなって爆発し、フランス経済を炎上させてしまったのだ。 「ローがもしそこに留まっていたならば、彼は銀行業の歴史にささやかな貢献をしたという程度に記憶されただろう」と指摘するのは、経済学者ジョン・ガルブレイズ。 ローはデフレが解消された時点で「留まり」、リフレ政策を収束させるべきであったのだ。 人類史上初めてとなるリフレ政策を断行、フランス経済を立ち直らせたロー。しかし、その後は制御に失敗してバブルを生み出し、その崩壊が経済を破壊してしまった。これがローの失敗の第一の本質なのである。) 失敗の本質 ② 政治的圧力に負けてコントロールを失う(ジョン・ローのリフレ政策によってもたらされたミシシッピ会社の株価暴騰は「ミシシッピバブル」と呼ばれ、オランダの「チューリップバブル」、イギリスの「南海バブル」と並ぶ世界三大バブルの一つに数えられている。しかし、その規模と影響の大きさにおいて、ミシシッピバブルは、ずば抜けて巨大なバブルであったといえるだろう。 バブルは崩壊する運命にあることは、今でこそ多くの人が認識している。しかし、当時は「バブル」という言葉すらなかった時代であり、こうした知見も経験も乏しかった。人々は知らず知らずのうちに、バブルの熱狂の渦に巻き込まれてしまったのである』、「人類史上初めてとなるリフレ政策を断行、フランス経済を立ち直らせたロー。しかし、その後は制御に失敗してバブルを生み出し、その崩壊が経済を破壊してしまった。これがローの失敗の第一の本質なのである」、「ミシシッピ会社の株価暴騰は「ミシシッピバブル」と呼ばれ、オランダの「チューリップバブル」、イギリスの「南海バブル」と並ぶ世界三大バブルの一つに数えられている。しかし、その規模と影響の大きさにおいて、ミシシッピバブルは、ずば抜けて巨大なバブルであった」、なるほど。
・『危険を察知しても押し切られる ロー自身はその危険性を認識していた。ミシシッピ会社の株価上昇に危機感を持ったローは、株価抑制策を数度にわたって打ち出している。その一つが「プレミアム」の販売だ。株式を購入できない人のために、株式購入の権利だけを売るという現代のオプションに類似したデリバティブ商品で、株式の追加発行に代わる手段として販売したのだ。ところが「プレミアム」は、権利だけではあっても、わずかな金額で購入できることから、その価格は販売直後に二倍に跳ね上がり、結果的に株価の上昇に拍車をかけてしまった。 ローは紙幣を発行しすぎると、信用力が低下することも認識していた。設立当初のバンク・ロワイアルは、銀行券を保有している正貨の範囲に収める兌換(だかん)紙幣とすることで、発行の上限を設定していた。「紙幣を良質の硬貨で償還するのに十分な支払い準備を保有しない銀行家は死に値する」。そんな信念を語っていたというロー。これが守られていたからこそ、人々は紙切れにすぎないローの銀行券に資産価値を認めていたのだ。 もし、ローが兌換紙幣にこだわり続けていれば、過剰流動性が生まれることはなく、バブルが発生することも、銀行券の信用が失われることもなかっただろう。しかし、兌換紙幣に固執し続ければ、経済成長の足かせになることも事実であり、いずれは不換紙幣に移行せざるを得なくなる。 そこで重要になるのが紙幣発行量の調整、つまり金融政策だ。経済の成長に合わせて適切な紙幣の発行量を維持し、過剰流動性を生まないように金融政策を遂行していく。これを実現するためには、紙幣を発行する中央銀行の独立性が求められる。政府は景気対策や財源の確保などの目的から、紙幣の発行量を増やすことを求めてくることが多い。しかし、これに安易に応じると、過剰流動性が生まれて、インフレ、さらにはバブルを生み出す恐れがある。こうした事態を避けるために、中央銀行は確固とした独立性を持つことが必要となるのだ。 中央銀行総裁であったローは、この独立性を守ることができなかった――。 ここに第二の失敗の本質がある。) バンク・ロワイアルの成功に気をよくしていた政府は、ローに更なる銀行券の発行を迫った。ローはこの圧力に耐えきれず、不換紙幣に切り替えた上に、銀行券の大量発行に踏み切ってしまう。この結果、銀行券の信用力が失われると同時に、巨大なバブルが生み出されてしまったのである。 しかし、ローはリフレ政策や債務の株式化を発明した天才であったことは間違いない。優れた洞察力で知られる経済学者のジョセフ・シュンペーターも、「あらゆる時代の貨幣理論家のなかで、最上の貨幣理論を構築した人物である」と、ローに賛辞を贈る。また、新古典派経済学の基礎を築いた経済学者アルフレッド・マーシャルも、「向こう見ずで、並外れた、しかし最も魅力的な天才」と、ローを高く評価しているのだ。 リフレ政策という画期的な金融緩和策を編みだしたものの、そのコントロールに失敗して沈んでしまったジョン・ロー。あまりに惜しまれる天才の過ちであった。 ローが作り出した人類史上最大のバブルであるミシシッピバブルだが、人類は同じような失敗をその後何度も繰り返してきた。一九二九年の「暗黒の木曜日」で破裂したアメリカの株式バブルは、全世界を巻き込む大恐慌を招いた。その後もITバブルなど、人類は幾度もバブルを生み出し、その崩壊によって辛酸を嘗めてきた』、「政府は景気対策や財源の確保などの目的から、紙幣の発行量を増やすことを求めてくることが多い。しかし、これに安易に応じると、過剰流動性が生まれて、インフレ、さらにはバブルを生み出す恐れがある。こうした事態を避けるために、中央銀行は確固とした独立性を持つことが必要となるのだ。 中央銀行総裁であったローは、この独立性を守ることができなかった――。 ここに第二の失敗の本質がある」、「ローはリフレ政策や債務の株式化を発明した天才であったことは間違いない。優れた洞察力で知られる経済学者のジョセフ・シュンペーターも、「あらゆる時代の貨幣理論家のなかで、最上の貨幣理論を構築した人物である」と、ローに賛辞を贈る。また、新古典派経済学の基礎を築いた経済学者アルフレッド・マーシャルも、「向こう見ずで、並外れた、しかし最も魅力的な天才」と、ローを高く評価しているのだ」、確かに偉大な人物のようだ。
・『NTT株とミシシッピ会社の重なり 一九八〇年代後半、プラザ合意に伴う急激な円高による景気悪化に対応して、日本銀行は通貨供給量を急激に増やす金融緩和政策を展開した。あふれ出したマネーは、株式や不動産に流れ込み、価格を押し上げていった。その象徴が、政府が売り出したNTT株の株価暴騰だった。バンク・ロワイアルを日本銀行に、NTTをミシシッピ会社に置き換えれば、その構図が全く同じであったことが分かる。また、政府がNTT株式の売却代金を、歳入の足しにした点でも同じといえるだろう。 「バブルの恩恵を一番受けたのは誰だと思う? それは政府だよ」。こう語ったのは、筆者がテレビ局で記者をしていた時代に知り合った大蔵官僚だ。バブル景気のおかげで所得税や法人税、固定資産税などの税収が急増したことで、一九九一年度からの三年間は赤字国債の発行がゼロになっている。大蔵省がローと同じく、財政赤字削減のためにバブルを起こしたのかと疑いたくもなる。 ジョン・ローはギャンブルの天才であった。「儲けたい!」という人の心理を巧みに読み取り、確実に勝利をものにしてきたのだ。そのローが仕掛けたとてつもなく大きなギャンブルがロー・システムであり、ミシシッピバブルだったのかもしれない。デフレ不況が長引く日本では、ジョン・ローのようにリフレ政策からバブルを起こしてその解消を図るべきとの声もある。その理非はさておき、ジョン・ローの亡霊は、今も世界各地に出没し、人々の心を揺り動かしているのである。(参考文献は省略)』、「デフレ不況が長引く日本では、ジョン・ローのようにリフレ政策からバブルを起こしてその解消を図るべきとの声もある」、「ロー」は「制御」に失敗したが、現在の中央銀行システムは「制御」できると楽観的に捉えるリフレ派もいる。しかし、現在の金融政策の「制御」能力には限界があることを考慮すれば、慎重に考えるべきだろう。
先ずは、やや古いが、2019年5月9日付け日経ビジネスオンラインが掲載した元外国為替ディーラー・ジャーナリストの玉手 義朗氏による「脱獄犯から財務大臣に! 天才ギャンブラーの末路 「リフレ政策」発明者の栄光と挫折」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19nv/00046/050700009/
・『脱獄したお尋ね者が、なんとフランス財務大臣に! 驚きの成り上がり人生を歩んだギャンブルの達人、ジョン・ロー。しかし、自ら生み出した世界最大級のバブルが弾けた後、流浪の末に無一文で死を迎える――。経済学の巨人シュンペーターが絶賛し、ガルブレイズをもうならせた奇才の、鮮やかすぎる経済理論と転落劇。 一七二九年三月二十一日、男はイタリア・ヴェネチアで五十八年の生涯を終えた。 男はかつてフランスの「財務大臣」と「中央銀行総裁」、そして巨大国営企業のトップを兼任する経済界の支配者だった。パリ中心部にあるヴァンドーム広場の三分の一は男のもので、この他にも数多くの不動産を保有する大金持ちでもあった。 我が世の春を謳歌していた男だったが、ある日突然にフランスを追われ、放浪の末にヴェネチアにたどり着いた。死期が迫る中、男は遺言状を作るようにと促された。しかし、「自分の財産は全てフランスにあって、債権者に差し押さえられている。遺言状を作っても無意味だ」と語ったという。 男の名前はジョン・ロー(John Law)。 その経済政策は窮地にあったフランス経済を劇的に回復させると同時に、数多くの大金持ちを生み出した。「ミリオネア」という言葉が誕生したのもこのときで、ローの経済政策の恩恵を受けて、大金持ちになった人々を呼ぶためのものだった。後にこの男は、経済学者シュンペーターから賛辞を受け、ガルブレイズをもうならせることになる』、「ジョン・ロー」は「かつてフランスの「財務大臣」と「中央銀行総裁」、そして巨大国営企業のトップを兼任する経済界の支配者だった。パリ中心部にあるヴァンドーム広場の三分の一は男のもので、この他にも数多くの不動産を保有する大金持ちでもあった。 我が世の春を謳歌していた男だったが、ある日突然にフランスを追われ、放浪の末にヴェネチアにたどり着いた」、なるほど。「ミリオネア」という言葉が誕生したのもこのときで、ローの経済政策の恩恵を受けて、大金持ちになった人々を呼ぶためのものだった」、「ミリオネア」の語源を初めて知った。
・『世界初の「ミリオネア」 しかし、ローとミリオネアたち、そしてフランス国民も突如として奈落の底に突き落とされる。ミリオネアたちは全財産を失い、経済は大混乱に陥り、非難の的となったローはフランスを逃げ出したのであった。 ミリオネアを生んだ経済政策とは何なのか。なぜ、人々は奈落の底に落とされることになったのか。一度はフランス経済を支配し、巨万の富を獲得した男は、どのような失敗を犯して、一文無しで生涯を終えることになったのだろう。) 一六七一年四月二十一日、ローはイギリス(スコットランド)・エディンバラの裕福な金匠(Goldsmith Banker:金を扱う金融機関の一種)の家に生まれた。 中等学校に入る直前に父親は他界するが、ローは巨額の遺産を相続し、ロンドンに出て放蕩三昧の生活を始める。長身で端正なマスク、愛想が良くて会話も知的だったローは、上流階級の貴婦人たちと浮き名を流す一方で、ギャンブルに興じる日々を送った。 しかし、程なくしてローはギャンブルに大負けして破産してしまう。更に一六九四年四月、ローは女性を巡ってある男と決闘して刺し殺してしまった。殺人罪で死刑判決を受けたロー。人生もこれで終わり……と思われたが、ローは仲間の手助けを受けて脱獄に成功する。看守を薬で眠らせ、密かに持ち込んだノコギリで窓の鉄格子を切断し、窓から飛び降りて待機させていた馬車に飛び乗って、逃げ去ったという。(*1)』、「ローは女性を巡ってある男と決闘して刺し殺してしまった。殺人罪で死刑判決を受けたロー。人生もこれで終わり……と思われたが、ローは仲間の手助けを受けて脱獄に成功する」、血の気が多かったようだ。
・『「お尋ね者」が一転、「気鋭の経済学者」に 「キャプテン・ジョン・ロー、スコットランド人、殺人の罪で最近まで当王座裁判所の監獄に収容中の囚人。年齢二六歳。背が非常に高く色黒、やせぎすで姿勢よき男……この者当監獄より脱走。右の男を捕らえて当監獄に引き渡す者に対して、即刻五十ポンドの賞金を与える」 各地に配られた手配書をあざ笑うかのように、「お尋ね者ロー」は完全に姿を消してしまう。 それから二十年が経過した一七一四年、ローは突如としてフランス・パリに現れた。「お尋ね者」ではなく、大金持ちで、フランス政府が信頼を寄せる気鋭の経済学者としてだ。 ローは逃亡生活の間に、独自の確率論を駆使したギャンブル勝利法を会得し、各地の賭博場を渡り歩いて大儲けしたという。その経験と理論を基に、言葉巧みにフランス政府に、独自の経済政策を売り込んだのだ。 時のフランスはルイ十五世が王位を引き継いだばかり。政府は度重なる戦争と王室の浪費で財政難に喘ぎ、経済は深刻な不況に陥っていた。ところがローは、この危機的な状況を改善する経済政策があると、ルイ十五世の摂政だったオルレアン公フィリップに持ちかけたのだ。) ローはフランス経済が「デフレ状態」にあると考えていた。当時のフランスの貨幣システムは、政府の管理下にある正貨(金貨と銀貨)を使ったもの。政府が財政難になれば、貨幣の流通量が減少する。これによって物価が下落し、収益の悪化から消費が低迷し、これが景気を悪化させて所得が減少し、更なる物価下落と消費の低迷を生む。当時のフランスは、典型的なデフレ不況に陥っていたのである。 デフレ対策には、どんどん紙幣を刷って貨幣供給量を増やす金融緩和政策があることは、今なら誰でも知っているだろう。ところが、当時のフランスには紙幣が存在していなかった。あるのは自由に増やすことができない正貨だけであり、金融緩和政策の概念すらなかったのである。 では、どうすればよいのか。ローの答えは簡単だった。 紙幣を発行すればいい』、「「ローは逃亡生活の間に、独自の確率論を駆使したギャンブル勝利法を会得し、各地の賭博場を渡り歩いて大儲けしたという。その経験と理論を基に、言葉巧みにフランス政府に、独自の経済政策を売り込んだのだ。 時のフランスはルイ十五世が王位を引き継いだばかり。政府は度重なる戦争と王室の浪費で財政難に喘ぎ、経済は深刻な不況に陥っていた。ところがローは、この危機的な状況を改善する経済政策があると、ルイ十五世の摂政だったオルレアン公フィリップに持ちかけたのだ。) ローはフランス経済が「デフレ状態」にあると考えていた。当時のフランスの貨幣システムは、政府の管理下にある正貨(金貨と銀貨)を使ったもの。政府が財政難になれば、貨幣の流通量が減少する。これによって物価が下落し、収益の悪化から消費が低迷し、これが景気を悪化させて所得が減少し、更なる物価下落と消費の低迷を生む。当時のフランスは、典型的なデフレ不況に陥っていたのである」、「当時のフランスには紙幣が存在していなかった。あるのは自由に増やすことができない正貨だけであり、金融緩和政策の概念すらなかったのである。 では、どうすればよいのか。ローの答えは簡単だった。 紙幣を発行すればいい」、なるほど。
・『お金がないなら、刷ればいい ローは摂政オルレアン公フィリップから、紙幣となる銀行券が発行できる「バンク・ジェネラル」の設立許可を得た。 この銀行はローが保有していた正貨を元手に設立されたもの。バンク・ジェネラルが発行する銀行券は、求められればいつでも正貨に戻すことが約束された「兌換(だかん)紙幣」だったため、高い信用力を得ることができた。更にローは政府に働きかけて、この銀行券で納税が可能になるようにし、貿易取引の決済にも使えるようにした。 度重なる改鋳で金や銀の含有量が低下し、価値が低下していた正貨に嫌気がさしていた人々は、使い勝手の良いローの銀行券を大歓迎した。 一七一六年五月に設立されたバンク・ジェネラルが発行する銀行券は瞬く間に普及し、これによって貨幣供給量が大幅に増加する。フランス経済を苦しめていたデフレは解消に向かい、景気は驚異的な回復を見せた。 ローは「金融緩和策の発明者」であり、人類史上初めてこれを実施して、フランス経済を救った「天才」だったのだ。 絶大な信頼を勝ち取ったバンク・ジェネラルは、一七一八年に国有化され、「バンク・ロワイアル」となる。 「お尋ね者」だったローは、自らの手で「中央銀行」を創設して「総裁」に就任したというわけだ。 しかし、ローの金融緩和策には限界があった。) ローの金融緩和策の限界とは何か。銀行券が兌換紙幣であったため、保有している正貨以上の発行ができなかったのだ。 そこでローは次のステップへ踏み出す。 ローは銀行券を正貨の交換を保証しない「不換紙幣」に変えたのだ。これによってバンク・ロワイアルは、正貨保有量に関係なく、好きなだけ銀行券を発行できるようになる。 正貨という後ろ盾を失ったものの、バンク・ロワイアルが発行する銀行券の信用力が揺らぐことはなかった。銀行券が更に発行されたことで金融緩和策が強化され、フランス経済はより一層の好景気に沸き立つことになる』、「ローは「金融緩和策の発明者」であり、人類史上初めてこれを実施して、フランス経済を救った「天才」だったのだ。 絶大な信頼を勝ち取ったバンク・ジェネラルは、一七一八年に国有化され、「バンク・ロワイアル」となる。 「お尋ね者」だったローは、自らの手で「中央銀行」を創設して「総裁」に就任したというわけだ」、「ローは銀行券を正貨の交換を保証しない「不換紙幣」に変えたのだ。これによってバンク・ロワイアルは、正貨保有量に関係なく、好きなだけ銀行券を発行できるようになる。 正貨という後ろ盾を失ったものの、バンク・ロワイアルが発行する銀行券の信用力が揺らぐことはなかった。銀行券が更に発行されたことで金融緩和策が強化され、フランス経済はより一層の好景気に沸き立つことになる」、なるほど。
・『バブルがやってきた ローは膨大な財政赤字の削減にも取り組んだ。「ミシシッピ会社」という国営企業を創設、その株式を売り出すことで財政赤字を埋めようと考えたのだ。(*2) ローは政府に働きかけて、当時のフランスが所有していた、ミシシッピを中心とするアメリカ植民地の開発や貿易の権利をこの会社に集約した。目玉の事業は「金の採掘」。ミシシッピには金鉱があり、株式を購入した人には大きな利益がもたらされると宣伝したのだ。 更にローは、ミシシッピ会社の株式を購入しやすくするために、購入代金を国債で支払えるようにした。 これは現代の「債務の株式化」(Debt Equity Swap)の原型となる手法だ。銀行などが保有する貸出債権を、その会社の株式と交換することによって借金の負担を軽減し、経営再建を進めやすくする。 債務の株式化が、日本で本格化するのは二十一世紀に入ってからのこと。ダイエーやシャープなど、巨大企業の経営再建で適用されるようになった高度な手法だ。 現代の最先端の再建手法を先取りするようなアイデアを考案し、財政赤字で苦しんでいたフランス政府に適用したロー。ミシシッピ会社の株式が売れれば売れるほど、政府の財政赤字は減少していくという妙案だったのだ。 売り出されたミシシッピ会社の株式は、投資家の大きな人気を集めた。当時の国債は返済されるはずなどないという思惑から、額面五百リーブルの国債が、百五十~百六十リーブル程度の安値で取引されていた。そこでローは、ミシシッピ会社の株式を国債で購入する場合には、額面の五百リーブルで引き取るとしたのだ。 ここからバブルが発生する。) 「価値の下がった国債で、金鉱を持つミシシッピ会社の株式が買える! しかも額面価格で!」と投資家は大喜び。額面五百リーブルだったミシシッピ会社の株価は、一七一九年の十二月には一万リーブルを突破する大暴騰を演じる。 ミシシッピ会社の株式を買ったことで、一夜にして大金持ちになった人が続出する。「ミリオネア」と呼ばれるようになった彼らは、儲けたお金を不動産や宝石、貴金属などへ投資したため、それらの価格も三倍、四倍と跳ね上がった。 ミリオネアになりたいと押し寄せた人々で、ミシシッピ会社の株式が売買されていたカンカンポア通りは、連日大混雑となった。周辺のアパート家賃は跳ね上がり、靴店は店内で椅子や筆記用具を提供する「貸しオフィス」で大儲け、猫背だった男は背中を机代わりに使わせるだけで稼ぐことができたという。 ミシシッピ会社の株価暴騰に呼応する形で、銀行券の発行も急増していった。これが株式市場へ流れ込んだ結果、更なる株価上昇を生み、銀行券の増発を招くというスパイラルを生み出す』、「額面五百リーブルの国債が、百五十~百六十リーブル程度の安値で取引されていた。そこでローは、ミシシッピ会社の株式を国債で購入する場合には、額面の五百リーブルで引き取るとしたのだ。 ここからバブルが発生する。 「価値の下がった国債で、金鉱を持つミシシッピ会社の株式が買える! しかも額面価格で!」と投資家は大喜び。額面五百リーブルだったミシシッピ会社の株価は、一七一九年の十二月には一万リーブルを突破する大暴騰を演じる」、なるほど。
・『株式バブルで、財政再建! その一方で、ミシシッピ会社の株式が飛ぶように売れたことから、政府の財政赤字も激減していった。「ロー・システム」と呼ばれた「中央銀行」と「巨大国営企業」のコラボレーションであった。 ミシシッピ会社は明らかに過大評価されていたが、株価暴騰に浮かれていた人々にとっては、どうでもよいことだったのだ。 景気回復と財政赤字削減を成し遂げたローは、一七二〇年一月に財務総監に任命される。首相の地位に匹敵する要職だった。「財務大臣」、「中央銀行総裁」、そして巨大国営会社ミシシッピ会社のトップを兼任する「経済界の巨人」が誕生したのだ。 各地に広大な地所を所有するなど、ローの個人資産も膨れ上がった。貴族の称号を与えられたローは、その端正な姿と相まって社交界の花形となる。「お尋ね者」として追われていた男が、流れ着いたフランスで銀行を設立してから、わずか三年でつかんだ栄光であった。 ロー・システムがもたらした華々しい成果に政府は狂喜し、フランスは諸外国の羨望の的となった。しかし、その成果はバブルがもたらした一時的なものであり、その崩壊は驚くほど早く始まるのである。 次回は後編。ローが生み出した「ミシシッピバブル」のあっけなくも、騒々しい幕切れ。さらに、ローが発明した「リフレ政策」の功罪を考察する。 *1 ジョン・ローの決闘のエピソードは、創作であるとする説もある *2 ミシシッピ会社の正式名称は「西方会社」。のちに「インド会社」となる(参考文献の紹介は省略)』、「景気回復と財政赤字削減を成し遂げたローは、一七二〇年一月に財務総監に任命される。首相の地位に匹敵する要職だった。「財務大臣」、「中央銀行総裁」、そして巨大国営会社ミシシッピ会社のトップを兼任する「経済界の巨人」が誕生したのだ。 各地に広大な地所を所有するなど、ローの個人資産も膨れ上がった。貴族の称号を与えられたローは、その端正な姿と相まって社交界の花形となる。「お尋ね者」として追われていた男が、流れ着いたフランスで銀行を設立してから、わずか三年でつかんだ栄光であった」、「ロー・システムがもたらした華々しい成果に政府は狂喜し、フランスは諸外国の羨望の的となった。しかし、その成果はバブルがもたらした一時的なものであり、その崩壊は驚くほど早く始まるのである」、次回の「崩壊」の姿が楽しみだ。
次に、この続きを2019年5月10日付け日経ビジネスオンラインが掲載した元外国為替ディーラー・ジャーナリストの玉手 義朗氏による「シュンペーターも絶賛!「脱獄した天才経済学者」の末路 「リフレ政策」発明者の栄光と挫折」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19nv/00046/050700010/
・『お尋ね者の脱獄犯から、フランス財務大臣と中央銀行総裁を兼任するまで成り上がった、ジョン・ロー(詳しくは、前回を参照)。経済学の巨人シュンペーターも絶賛した奇才は、いかにして破滅したのか。 ギャンブルで荒稼ぎしたローには、天性の経済学的センスがあり、冷え切ったフランス経済をバブルの熱狂に導いた。だが、その末路は――。 18世紀を鮮やかに彩った「ミシシッピバブル」と、昭和の「NTT株」をめぐる狂騒が重なる。 十八世紀のフランスで、今でいう「リフレ政策」を展開したロー。紙幣をどんどん発行することでデフレ不況を克服し、国営企業ミシシッピ会社の株式売却で、国家財政の赤字を削減すると同時に、景気をさらに浮揚させた。 ローが編み出した金融緩和策「ロー・システム」がもたらした華々しい成果に政府は狂喜し、フランスは諸外国の羨望の的となった。しかし、その成果はバブルがもたらした一時的なものであり、その崩壊は驚くほど早く始まるのである』、「バブル」の「崩壊」とは興味深そうだ。
・『「素朴な疑問」が、崩壊の始まり 「ローの銀行券って、本当に信用できるの?」 「いざとなったら、本当に金貨か銀貨に換えてもらえるの?」 「ミシシッピ会社って、何をする会社なんだっけ?」 「金を採掘するって言っていたけど、金は出たんだっけ?」 ロー・システムの崩壊は、こうした素朴な疑問から始まった。 一部の貴族たちが、銀行券をバンク・ロワイアルに持ち込んで、金貨や銀貨に交換をし始める。これを知った他の人々も不安心理に駆られ、我先にと銀行券を正貨に交換しようとした。「取り付け」が起こったのだ。しかし、バンク・ロワイアルが発行する銀行券は不換紙幣であり、その全てを正貨に交換することは到底できない。 一七二〇年七月、バンク・ロワイアルは、正貨への交換を求める人々の激しい取り付けに対応できずに大混乱となり、十五人もの死者が出る事態となる。 激怒した七千人を超える人々が、担架に乗せた遺体と共にパレ・ロワイヤルの庭園までデモ行進し、ローやオルレアン公フィリップに惨状を見せつけようとした。ローが乗っていた馬車を破壊するなど、群衆の一部が暴徒化したことから軍隊が出動、オルレアン公フィリップが出てきて、遺体を責任を持って埋葬すると約束したことでようやく沈静化した。 バンク・ロワイアルの取り付けに合わせるように、ミシシッピ会社の信用も急速に失われ、株価の急落が始まった。少し前まではミシシッピ会社の株式を手に入れようと血眼になっていた人々は、大慌てで売り始め、本当に価値がある金貨や銀貨を手に入れようとしていた。 こうした状況を見たローは、驚きの株価対策を打ち出した。) ローが編み出した、驚きの株価対策とは何か。 パリにいた数千人ものホームレスを集め、シャベルなどの道具を持たせて港まで行進させたのだ。「ミシシッピに金が見つかりました。これから掘りに行きます!」と、ミシシッピ会社による開発計画が順調であることをアピールし、信用を取り戻そうとしたのである』、「一部の貴族たちが、銀行券をバンク・ロワイアルに持ち込んで、金貨や銀貨に交換をし始める。これを知った他の人々も不安心理に駆られ、我先にと銀行券を正貨に交換しようとした。「取り付け」が起こったのだ。しかし、バンク・ロワイアルが発行する銀行券は不換紙幣であり、その全てを正貨に交換することは到底できない。 一七二〇年七月、バンク・ロワイアルは、正貨への交換を求める人々の激しい取り付けに対応できずに大混乱となり、十五人もの死者が出る事態となる」、「バンク・ロワイアルの取り付けに合わせるように、ミシシッピ会社の信用も急速に失われ、株価の急落が始まった。少し前まではミシシッピ会社の株式を手に入れようと血眼になっていた人々は、大慌てで売り始め、本当に価値がある金貨や銀貨を手に入れようとしていた」、「ローが編み出した、驚きの株価対策とは何か。 パリにいた数千人ものホームレスを集め、シャベルなどの道具を持たせて港まで行進させたのだ。「ミシシッピに金が見つかりました。これから掘りに行きます!」と、ミシシッピ会社による開発計画が順調であることをアピールし、信用を取り戻そうとしたのである」、「ホームレスを」使って嘘をつくのは頂けない。
・『ホームレスを動員した“株価対策” ところが、ホームレスたちは途中で行進を止めて逃げだし、渡されていた道具は換金されてしまった。ローの弥縫(びほう)策はミシシッピ会社の惨状を物語るものであり、その信用は更に失われる事態となった。 ローはその後も様々な株価維持策を打ち出したが効果は全くなく、むしろ株価の下落を加速させてしまう。一七二〇年一月に最高値の一万八千リーブルをつけていたミシシッピ会社の株価は、十月には二千リーブルにまで大暴落し、株式市場は人々の阿鼻叫喚(あびきょうかん)で覆われた。バンク・ロワイアルの銀行券の信用も完全に失われ、誰も受け取ろうとはしなくなったため、経済取引は元の金貨と銀貨の取引に逆戻りしてしまう。ロー・システムは完全に崩壊し、フランス経済は未曾有(みぞう)の大混乱に陥ったのである。 このときの状況を風刺した詩が残されている。 月曜日には株を買い、 火曜日には大儲け。 水曜日には家財道具をそろえ、 木曜日には身なりを整えた。 金曜日には舞踏会、そして土曜日には病院行き』、「一七二〇年一月に最高値の一万八千リーブルをつけていたミシシッピ会社の株価は、十月には二千リーブルにまで大暴落し、株式市場は人々の阿鼻叫喚(あびきょうかん)で覆われた。バンク・ロワイアルの銀行券の信用も完全に失われ、誰も受け取ろうとはしなくなったため、経済取引は元の金貨と銀貨の取引に逆戻りしてしまう。ロー・システムは完全に崩壊し、フランス経済は未曾有(みぞう)の大混乱に陥った」、なるほど。
・『死刑を求める大衆を前に、国外逃亡 一七二〇年十二月、死刑を求める民衆の叫び声に生命の危険を感じたローは、命からがらパリを脱出する。財産の大半はフランス国内の不動産であったこともあり、持ち出すことはできなかった。ローの出国後、保有していた不動産などは全て没収され、残された妻子は年金証書まで取り上げられてしまったという。 再びお尋ね者となったローは、ベルギーのブリュッセル、ドイツのハノーバー、デンマークのコペンハーゲンなど、およそ八年もの間ヨーロッパ各地を転々とした。そして、たどり着いたヴェネチアで死を迎えたのだった。 その墓碑銘にはこう記されていた。 高名なるスコットランド人、ここに眠る。 計算高さでは天下一品、 訳の分からぬ法則で、フランスを病院へ送った。 人類史上初めてとなる金融緩和策を、「訳の分からぬ法則」と批判されたロー。失われた栄光を取り戻すことなく、フランス経済の破壊者という汚名を着せられたまま、生涯を終えることになってしまったのである』、「フランス経済の破壊者という汚名を着せられたまま、生涯を終えることになってしまった」、「フランス」も「ロー」に乗せられたとは不名誉なことだ。
・『リフレ政策の発明者、バブルに飲まれる ジョン・ローは驚くほど短期間にフランス経済を回復させた。ところが、その状態を維持できず、更に深い傷を負わせることになってしまう。その原因はローが自ら発明したリフレ政策の制御に失敗したことと、それによってバブルを発生させたことにある。 失敗の本質 ① デフレ対策が暴走(ローが打ち出した金融緩和政策は、大量の紙幣を発行して意図的にインフレを起こすリフレーション、いわゆる「リフレ政策」だ。 物価を建物の「室温」と考えるとインフレは「異常な高温」、デフレは「異常な低温」と考えられる。当時のフランスは深刻なデフレ状況にあり、冷え切った部屋で経済活動が鈍り、国民は凍死寸前に追い込まれていたのだ。 そこでローは、部屋を暖めるための政策を打ち出した。それがリフレ政策だ。バンク・ロワイアルを通じて、紙幣である銀行券を大量に発行し、それを燃料にした「たき火」を始めたのだ。売り出したミシシッピ会社の株価が急上昇、これに対応するための紙幣発行が増加したことで、火の勢いは更に強まる。ロー・システムを使ったリフレ政策によって、フランス経済の室温は瞬く間に上昇、見事にデフレを克服してみせたのだ』、「ジョン・ローは驚くほど短期間にフランス経済を回復させた。ところが、その状態を維持できず、更に深い傷を負わせることになってしまう。その原因はローが自ら発明したリフレ政策の制御に失敗したことと、それによってバブルを発生させたことにある」、なるほど。
・『ガルブレイズをもうならせた才能 ところが、ローはやり過ぎてしまう。デフレが克服された後もリフレ政策を継続した。これが必要以上の紙幣が供給される「過剰流動性」を招く。行き場を失った紙幣は、株式市場をはじめとした資産市場に流れ込み、ミシシッピ会社の株式を中心とした資産価格を押し上げてバブルを生み出したのだ。膨れ上がったバブルは遂に破裂して、経済は大混乱に陥ってしまう。部屋が十分に暖まったにもかかわらず、大量の燃料を供給し続けた結果、たき火がバブルとなって爆発し、フランス経済を炎上させてしまったのだ。 「ローがもしそこに留まっていたならば、彼は銀行業の歴史にささやかな貢献をしたという程度に記憶されただろう」と指摘するのは、経済学者ジョン・ガルブレイズ。 ローはデフレが解消された時点で「留まり」、リフレ政策を収束させるべきであったのだ。 人類史上初めてとなるリフレ政策を断行、フランス経済を立ち直らせたロー。しかし、その後は制御に失敗してバブルを生み出し、その崩壊が経済を破壊してしまった。これがローの失敗の第一の本質なのである。) 失敗の本質 ② 政治的圧力に負けてコントロールを失う(ジョン・ローのリフレ政策によってもたらされたミシシッピ会社の株価暴騰は「ミシシッピバブル」と呼ばれ、オランダの「チューリップバブル」、イギリスの「南海バブル」と並ぶ世界三大バブルの一つに数えられている。しかし、その規模と影響の大きさにおいて、ミシシッピバブルは、ずば抜けて巨大なバブルであったといえるだろう。 バブルは崩壊する運命にあることは、今でこそ多くの人が認識している。しかし、当時は「バブル」という言葉すらなかった時代であり、こうした知見も経験も乏しかった。人々は知らず知らずのうちに、バブルの熱狂の渦に巻き込まれてしまったのである』、「人類史上初めてとなるリフレ政策を断行、フランス経済を立ち直らせたロー。しかし、その後は制御に失敗してバブルを生み出し、その崩壊が経済を破壊してしまった。これがローの失敗の第一の本質なのである」、「ミシシッピ会社の株価暴騰は「ミシシッピバブル」と呼ばれ、オランダの「チューリップバブル」、イギリスの「南海バブル」と並ぶ世界三大バブルの一つに数えられている。しかし、その規模と影響の大きさにおいて、ミシシッピバブルは、ずば抜けて巨大なバブルであった」、なるほど。
・『危険を察知しても押し切られる ロー自身はその危険性を認識していた。ミシシッピ会社の株価上昇に危機感を持ったローは、株価抑制策を数度にわたって打ち出している。その一つが「プレミアム」の販売だ。株式を購入できない人のために、株式購入の権利だけを売るという現代のオプションに類似したデリバティブ商品で、株式の追加発行に代わる手段として販売したのだ。ところが「プレミアム」は、権利だけではあっても、わずかな金額で購入できることから、その価格は販売直後に二倍に跳ね上がり、結果的に株価の上昇に拍車をかけてしまった。 ローは紙幣を発行しすぎると、信用力が低下することも認識していた。設立当初のバンク・ロワイアルは、銀行券を保有している正貨の範囲に収める兌換(だかん)紙幣とすることで、発行の上限を設定していた。「紙幣を良質の硬貨で償還するのに十分な支払い準備を保有しない銀行家は死に値する」。そんな信念を語っていたというロー。これが守られていたからこそ、人々は紙切れにすぎないローの銀行券に資産価値を認めていたのだ。 もし、ローが兌換紙幣にこだわり続けていれば、過剰流動性が生まれることはなく、バブルが発生することも、銀行券の信用が失われることもなかっただろう。しかし、兌換紙幣に固執し続ければ、経済成長の足かせになることも事実であり、いずれは不換紙幣に移行せざるを得なくなる。 そこで重要になるのが紙幣発行量の調整、つまり金融政策だ。経済の成長に合わせて適切な紙幣の発行量を維持し、過剰流動性を生まないように金融政策を遂行していく。これを実現するためには、紙幣を発行する中央銀行の独立性が求められる。政府は景気対策や財源の確保などの目的から、紙幣の発行量を増やすことを求めてくることが多い。しかし、これに安易に応じると、過剰流動性が生まれて、インフレ、さらにはバブルを生み出す恐れがある。こうした事態を避けるために、中央銀行は確固とした独立性を持つことが必要となるのだ。 中央銀行総裁であったローは、この独立性を守ることができなかった――。 ここに第二の失敗の本質がある。) バンク・ロワイアルの成功に気をよくしていた政府は、ローに更なる銀行券の発行を迫った。ローはこの圧力に耐えきれず、不換紙幣に切り替えた上に、銀行券の大量発行に踏み切ってしまう。この結果、銀行券の信用力が失われると同時に、巨大なバブルが生み出されてしまったのである。 しかし、ローはリフレ政策や債務の株式化を発明した天才であったことは間違いない。優れた洞察力で知られる経済学者のジョセフ・シュンペーターも、「あらゆる時代の貨幣理論家のなかで、最上の貨幣理論を構築した人物である」と、ローに賛辞を贈る。また、新古典派経済学の基礎を築いた経済学者アルフレッド・マーシャルも、「向こう見ずで、並外れた、しかし最も魅力的な天才」と、ローを高く評価しているのだ。 リフレ政策という画期的な金融緩和策を編みだしたものの、そのコントロールに失敗して沈んでしまったジョン・ロー。あまりに惜しまれる天才の過ちであった。 ローが作り出した人類史上最大のバブルであるミシシッピバブルだが、人類は同じような失敗をその後何度も繰り返してきた。一九二九年の「暗黒の木曜日」で破裂したアメリカの株式バブルは、全世界を巻き込む大恐慌を招いた。その後もITバブルなど、人類は幾度もバブルを生み出し、その崩壊によって辛酸を嘗めてきた』、「政府は景気対策や財源の確保などの目的から、紙幣の発行量を増やすことを求めてくることが多い。しかし、これに安易に応じると、過剰流動性が生まれて、インフレ、さらにはバブルを生み出す恐れがある。こうした事態を避けるために、中央銀行は確固とした独立性を持つことが必要となるのだ。 中央銀行総裁であったローは、この独立性を守ることができなかった――。 ここに第二の失敗の本質がある」、「ローはリフレ政策や債務の株式化を発明した天才であったことは間違いない。優れた洞察力で知られる経済学者のジョセフ・シュンペーターも、「あらゆる時代の貨幣理論家のなかで、最上の貨幣理論を構築した人物である」と、ローに賛辞を贈る。また、新古典派経済学の基礎を築いた経済学者アルフレッド・マーシャルも、「向こう見ずで、並外れた、しかし最も魅力的な天才」と、ローを高く評価しているのだ」、確かに偉大な人物のようだ。
・『NTT株とミシシッピ会社の重なり 一九八〇年代後半、プラザ合意に伴う急激な円高による景気悪化に対応して、日本銀行は通貨供給量を急激に増やす金融緩和政策を展開した。あふれ出したマネーは、株式や不動産に流れ込み、価格を押し上げていった。その象徴が、政府が売り出したNTT株の株価暴騰だった。バンク・ロワイアルを日本銀行に、NTTをミシシッピ会社に置き換えれば、その構図が全く同じであったことが分かる。また、政府がNTT株式の売却代金を、歳入の足しにした点でも同じといえるだろう。 「バブルの恩恵を一番受けたのは誰だと思う? それは政府だよ」。こう語ったのは、筆者がテレビ局で記者をしていた時代に知り合った大蔵官僚だ。バブル景気のおかげで所得税や法人税、固定資産税などの税収が急増したことで、一九九一年度からの三年間は赤字国債の発行がゼロになっている。大蔵省がローと同じく、財政赤字削減のためにバブルを起こしたのかと疑いたくもなる。 ジョン・ローはギャンブルの天才であった。「儲けたい!」という人の心理を巧みに読み取り、確実に勝利をものにしてきたのだ。そのローが仕掛けたとてつもなく大きなギャンブルがロー・システムであり、ミシシッピバブルだったのかもしれない。デフレ不況が長引く日本では、ジョン・ローのようにリフレ政策からバブルを起こしてその解消を図るべきとの声もある。その理非はさておき、ジョン・ローの亡霊は、今も世界各地に出没し、人々の心を揺り動かしているのである。(参考文献は省略)』、「デフレ不況が長引く日本では、ジョン・ローのようにリフレ政策からバブルを起こしてその解消を図るべきとの声もある」、「ロー」は「制御」に失敗したが、現在の中央銀行システムは「制御」できると楽観的に捉えるリフレ派もいる。しかし、現在の金融政策の「制御」能力には限界があることを考慮すれば、慎重に考えるべきだろう。
タグ:玉手 義朗氏による「脱獄犯から財務大臣に! 天才ギャンブラーの末路 「リフレ政策」発明者の栄光と挫折」 日経ビジネスオンライン バブル(歴史、一般) (その1)脱獄犯から財務大臣に! 天才ギャンブラーの末路 「リフレ政策」発明者の栄光と挫折、シュンペーターも絶賛!「脱獄した天才経済学者」の末路 「リフレ政策」発明者の栄光と挫折) 「ジョン・ロー」は「かつてフランスの「財務大臣」と「中央銀行総裁」、そして巨大国営企業のトップを兼任する経済界の支配者だった。パリ中心部にあるヴァンドーム広場の三分の一は男のもので、この他にも数多くの不動産を保有する大金持ちでもあった。 我が世の春を謳歌していた男だったが、ある日突然にフランスを追われ、放浪の末にヴェネチアにたどり着いた」、なるほど。 「ミリオネア」という言葉が誕生したのもこのときで、ローの経済政策の恩恵を受けて、大金持ちになった人々を呼ぶためのものだった」、「ミリオネア」の語源を初めて知った。 「ローは女性を巡ってある男と決闘して刺し殺してしまった。殺人罪で死刑判決を受けたロー。人生もこれで終わり……と思われたが、ローは仲間の手助けを受けて脱獄に成功する」、血の気が多かったようだ。 「「ローは逃亡生活の間に、独自の確率論を駆使したギャンブル勝利法を会得し、各地の賭博場を渡り歩いて大儲けしたという。その経験と理論を基に、言葉巧みにフランス政府に、独自の経済政策を売り込んだのだ。 時のフランスはルイ十五世が王位を引き継いだばかり。政府は度重なる戦争と王室の浪費で財政難に喘ぎ、経済は深刻な不況に陥っていた。ところがローは、この危機的な状況を改善する経済政策があると、ルイ十五世の摂政だったオルレアン公フィリップに持ちかけたのだ。) ローはフランス経済が「デフレ状態」にあると考えていた。当時のフランスの貨幣システムは、政府の管理下にある正貨(金貨と銀貨)を使ったもの。政府が財政難になれば、貨幣の流通量が減少する。これによって物価が下落し、収益の悪化から消費が低迷し、これが景気を悪化させて所得が減少し、更なる物価下落と消費の低迷を生む。当時のフランスは、典型的なデフレ不況に陥っていたのである」、「当時のフランスには紙幣が存在していなかった。あるのは自由に増やすことができない正貨だけであり、金融緩和政策の概念すらなかったのである。 では、 どうすればよいのか。ローの答えは簡単だった。 紙幣を発行すればいい」、なるほど。 「ローは「金融緩和策の発明者」であり、人類史上初めてこれを実施して、フランス経済を救った「天才」だったのだ。 絶大な信頼を勝ち取ったバンク・ジェネラルは、一七一八年に国有化され、「バンク・ロワイアル」となる。 「お尋ね者」だったローは、自らの手で「中央銀行」を創設して「総裁」に就任したというわけだ」、 「ローは銀行券を正貨の交換を保証しない「不換紙幣」に変えたのだ。これによってバンク・ロワイアルは、正貨保有量に関係なく、好きなだけ銀行券を発行できるようになる。 正貨という後ろ盾を失ったものの、バンク・ロワイアルが発行する銀行券の信用力が揺らぐことはなかった。銀行券が更に発行されたことで金融緩和策が強化され、フランス経済はより一層の好景気に沸き立つことになる」、なるほど。 「額面五百リーブルの国債が、百五十~百六十リーブル程度の安値で取引されていた。そこでローは、ミシシッピ会社の株式を国債で購入する場合には、額面の五百リーブルで引き取るとしたのだ。 ここからバブルが発生する。 「価値の下がった国債で、金鉱を持つミシシッピ会社の株式が買える! しかも額面価格で!」と投資家は大喜び。額面五百リーブルだったミシシッピ会社の株価は、一七一九年の十二月には一万リーブルを突破する大暴騰を演じる」、なるほど。 「景気回復と財政赤字削減を成し遂げたローは、一七二〇年一月に財務総監に任命される。首相の地位に匹敵する要職だった。「財務大臣」、「中央銀行総裁」、そして巨大国営会社ミシシッピ会社のトップを兼任する「経済界の巨人」が誕生したのだ。 各地に広大な地所を所有するなど、ローの個人資産も膨れ上がった。貴族の称号を与えられたローは、その端正な姿と相まって社交界の花形となる。「お尋ね者」として追われていた男が、流れ着いたフランスで銀行を設立してから、わずか三年でつかんだ栄光であった」、 「ロー・システムがもたらした華々しい成果に政府は狂喜し、フランスは諸外国の羨望の的となった。しかし、その成果はバブルがもたらした一時的なものであり、その崩壊は驚くほど早く始まるのである」、次回の「崩壊」の姿が楽しみだ。 玉手 義朗氏による「シュンペーターも絶賛!「脱獄した天才経済学者」の末路 「リフレ政策」発明者の栄光と挫折」 「バブル」の「崩壊」とは興味深そうだ。 「一部の貴族たちが、銀行券をバンク・ロワイアルに持ち込んで、金貨や銀貨に交換をし始める。これを知った他の人々も不安心理に駆られ、我先にと銀行券を正貨に交換しようとした。「取り付け」が起こったのだ。しかし、バンク・ロワイアルが発行する銀行券は不換紙幣であり、その全てを正貨に交換することは到底できない。 一七二〇年七月、バンク・ロワイアルは、正貨への交換を求める人々の激しい取り付けに対応できずに大混乱となり、十五人もの死者が出る事態となる」、「バンク・ロワイアルの取り付けに合わせるように、ミシシッピ会社の信用も急速に失われ、株価の急落が始まった。少し前まではミシシッピ会社の株式を手に入れようと血眼になっていた人々は、大慌てで売り始め、本当に価値がある金貨や銀貨を手に入れようとしていた」、「ローが編み出した、驚きの株価対策とは何か。 パリにいた数千人ものホームレスを集め、シャベルなどの道具を持たせて港まで 行進させたのだ。「ミシシッピに金が見つかりました。これから掘りに行きます!」と、ミシシッピ会社による開発計画が順調であることをアピールし、信用を取り戻そうとしたのである」、「ホームレスを」使って嘘をつくのは頂けない。 「一七二〇年一月に最高値の一万八千リーブルをつけていたミシシッピ会社の株価は、十月には二千リーブルにまで大暴落し、株式市場は人々の阿鼻叫喚(あびきょうかん)で覆われた。バンク・ロワイアルの銀行券の信用も完全に失われ、誰も受け取ろうとはしなくなったため、経済取引は元の金貨と銀貨の取引に逆戻りしてしまう。ロー・システムは完全に崩壊し、フランス経済は未曾有(みぞう)の大混乱に陥った」、なるほど。 「フランス経済の破壊者という汚名を着せられたまま、生涯を終えることになってしまった」、「フランス」も「ロー」に乗せられたとは不名誉なことだ。 「ジョン・ローは驚くほど短期間にフランス経済を回復させた。ところが、その状態を維持できず、更に深い傷を負わせることになってしまう。その原因はローが自ら発明したリフレ政策の制御に失敗したことと、それによってバブルを発生させたことにある」、なるほど。 「人類史上初めてとなるリフレ政策を断行、フランス経済を立ち直らせたロー。しかし、その後は制御に失敗してバブルを生み出し、その崩壊が経済を破壊してしまった。これがローの失敗の第一の本質なのである」、「ミシシッピ会社の株価暴騰は「ミシシッピバブル」と呼ばれ、オランダの「チューリップバブル」、イギリスの「南海バブル」と並ぶ世界三大バブルの一つに数えられている。しかし、その規模と影響の大きさにおいて、ミシシッピバブルは、ずば抜けて巨大なバブルであった」、なるほど。 「政府は景気対策や財源の確保などの目的から、紙幣の発行量を増やすことを求めてくることが多い。しかし、これに安易に応じると、過剰流動性が生まれて、インフレ、さらにはバブルを生み出す恐れがある。こうした事態を避けるために、中央銀行は確固とした独立性を持つことが必要となるのだ。 中央銀行総裁であったローは、この独立性を守ることができなかった――。 ここに第二の失敗の本質がある」、 「ローはリフレ政策や債務の株式化を発明した天才であったことは間違いない。優れた洞察力で知られる経済学者のジョセフ・シュンペーターも、「あらゆる時代の貨幣理論家のなかで、最上の貨幣理論を構築した人物である」と、ローに賛辞を贈る。また、新古典派経済学の基礎を築いた経済学者アルフレッド・マーシャルも、「向こう見ずで、並外れた、しかし最も魅力的な天才」と、ローを高く評価しているのだ」、確かに偉大な人物のようだ。 「デフレ不況が長引く日本では、ジョン・ローのようにリフレ政策からバブルを起こしてその解消を図るべきとの声もある」、「ロー」は「制御」に失敗したが、現在の中央銀行システムは「制御」できると楽観的に捉えるリフレ派もいる。しかし、現在の金融政策の「制御」能力には限界があることを考慮すれば、慎重に考えるべきだろう。
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