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中国国内政治(その15)(中国「李克強」前首相死去で完成した習近平「独裁体制」 死から発表まで「空白の8時間」に話し合われた謀議の中身、「李克強前首相の急死」報道に警戒態勢が敷かれる理由 中国政府が恐れることとは?) [世界情勢]

中国国内政治については、本年8月12日に取上げた。今日は、(その15)(中国「李克強」前首相死去で完成した習近平「独裁体制」 死から発表まで「空白の8時間」に話し合われた謀議の中身、「李克強前首相の急死」報道に警戒態勢が敷かれる理由 中国政府が恐れることとは?)である。

先ずは、10月28日付けデイリー新潮「中国「李克強」前首相死去で完成した習近平「独裁体制」 死から発表まで「空白の8時間」に話し合われた謀議の中身」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/10281200/?all=1
・『10月27日、中国の李克強・前首相が68歳の若さで死去した。2013年に首相に就任後、今年3月に退任するまで10年にわたり中国の経済政策を牽引してきた“功労者”に対し、中国の国営メディアは当初、その訃報を淡白に伝えるのみだった。その裏には「ライバルの死」によって独裁体制の完成を目指す、習近平・国家主席の企みがあるという。 【写真を見る】「えっ、これだけ!?」中国メディアのあっさり訃報と、故・安倍晋三元総理との貴重ツーショット 中国共産党機関紙「人民日報」によると、李前首相が死去したのは27日午前0時10分(中国時間)。上海で療養中だったが、突然の心臓発作に見舞われたという。しかし同紙が死去の一報を流したのは8時間以上経った、午前8時25分だった。 中国事情に詳しい、インフィニティ・チーフエコノミストの田代秀敏氏が言う。 「李氏の死去から一報まで時間がかかったのはその間、発表の仕方について習氏を筆頭に党の最高幹部が集まって検討が重ねられたからではないかといわれています。中国では党幹部や重鎮の訃報は政治的に非常にセンシティブな問題として扱われ、訃報のタイミングや内容について党中枢の意向が反映されても何ら不思議ではありません。たとえば22年11月、江沢民・元総書記が96歳で亡くなった時、習氏はその日に自身がトップとなる葬儀委員会を立ち上げ、天安門や人民大会堂で半旗を掲げただけでなく、官庁のホームページや検索サイトも白黒表示にするなどして追悼ムードを演出。結果的に当時、各地で盛り上がりを見せ始めていたゼロコロナ政策への抗議活動は一気に沈静化しました」 安徽省出身の李氏が繋がりのない上海で療養生活を送っていたことに驚きの声も上がっている。「北京には党幹部専用の病院が完備されているため、本人が北京にいるのを嫌がったか、上海の病院でなければ治療できない持病を抱えていた」(全国紙外信部記者)可能性などが取り沙汰されているという』、「「李氏の死去から一報まで時間がかかったのはその間、発表の仕方について習氏を筆頭に党の最高幹部が集まって検討が重ねられたからではないかといわれています。中国では党幹部や重鎮の訃報は政治的に非常にセンシティブな問題として扱われ、訃報のタイミングや内容について党中枢の意向が反映されても何ら不思議ではありません・・・安徽省出身の李氏が繋がりのない上海で療養生活を送っていたことに驚きの声も上がっている。「北京には党幹部専用の病院が完備されているため、本人が北京にいるのを嫌がったか、上海の病院でなければ治療できない持病を抱えていた」・・・可能性などが取り沙汰されている」、なるほど。
・『天安門事件も誘発  「他にも1989年、中国の改革開放の象徴で民主化にも理解を示していた胡耀邦・元総書記が急死した際、葬儀が元最高指導者に不釣り合いで簡素なものだと感じた学生らが抗議する事態に発展。のちの天安門事件を誘発するキッカケになったともいわれています。今回も、国民から人気の高かった李氏の死をないがしろにすると反発を招く可能性がある一方、持ち上げすぎると自身の影が薄まるというジレンマのなか、習氏を中心に淡々とした訃報にとどめるという折衷案に落ち着いたのではないかと見られています」(田代氏) 人民日報など官製メディアが伝えた初報は短いものだったが、なかに「全力で救命に努めた」との一文が挿し込まれており、政権側の“配慮”の痕跡も窺えるという。 もともと李氏は習近平の「最大のライバル」であり、自身の地位を脅かしかねない「目の上のタンコブ」でもあったとされる。北京大学法学部卒の李氏は「共産党エリートの頂点」に位置し、その優秀さから習氏も“切るに切れない”存在だったと伝えられる。 「李氏は首相時代、睡眠時間は長くて4~5時間、日本でいう官庁の課長クラスの官僚にまで直接詳細な指示を出し、また災害が起これば直ちに視察と慰問のため現地へと飛んだ。そうした生活を10年間、毎日続けてきました。現地の報道などを見る限り、今回の死が突然だったのは本当のようで、激務の日々を長く過ごした“代償”と指摘する声もあります」(田代氏)』、「胡耀邦・元総書記が急死した際、葬儀が元最高指導者に不釣り合いで簡素なものだと感じた学生らが抗議する事態に発展。のちの天安門事件を誘発するキッカケになったともいわれています。今回も、国民から人気の高かった李氏の死をないがしろにすると反発を招く可能性がある一方、持ち上げすぎると自身の影が薄まるというジレンマのなか、習氏を中心に淡々とした訃報にとどめるという折衷案に落ち着いたのではないかと見られています」、なるほど。
・『そして「イエスマン」だけが残った  中国では7月に秦剛・外相が、10月24日には李尚福・国防相が突如解任されるなど、不可解な更迭劇が続く。解任理由について政権側から正式な発表はないものの、習氏が「不要」と判断した部下を容赦なく切り、「独裁体制の強化が進んでいる」との声は絶えない。 「それだけでなく、昨年10月の中国共産党大会で一時期は“次の首相の大本命”と目されていた胡春華・副首相(当時)がヒラの中央委員に降格されました。胡氏は李氏と同じく、党員養成機関である共産主義青年団の幹部に選ばれてから輝かしい経歴を重ねたエリート中のエリートでした。李氏の退任や胡氏の降格によって、そうした党エリートが最高指導部から消え、代わって習氏が浙江省トップを務めていた時代の側近たちが脇を固めるようになりました。新しい指導体制のもと、中国が現在の難局をどう乗り切っていくのか――世界が固唾を飲んで注視しています」(田代氏) 優秀な人材を排除し、“イエスマン”ばかりで周りを固め「政権基盤」は安定したかもしれないが、デフォルト(債務不履行)に陥った不動産大手「碧桂園」や米ニューヨークで連邦破産法を申請した恒大集団の例など、不動産バブルの崩壊を阻止する手立ても見失っているように見える現在の習近平政権。権力維持と引き換えに国力を低下させたとしたら、皮肉というほかない』、「優秀な人材を排除し、“イエスマン”ばかりで周りを固め「政権基盤」は安定したかもしれないが、デフォルト・・・に陥った不動産大手「碧桂園」や米ニューヨークで連邦破産法を申請した恒大集団の例など、不動産バブルの崩壊を阻止する手立ても見失っているように見える現在の習近平政権。権力維持と引き換えに国力を低下させたとしたら、皮肉というほかない」、その通りだ。

次に、11月1日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーランスライターのふるまいよしこ氏による「「李克強前首相の急死」報道に警戒態勢が敷かれる理由、中国政府が恐れることとは?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/331579
・『10月27日、中国の李克強前総理(以下、敬称略)が亡くなった。今年の3月まで中国政治のトップで活躍していた大物の突然の死に、中国国内もザワついている。自宅から遠い上海のプールで倒れたこともあり、まことしやかに毒殺説がささやかれているほどだ。政治のトップにいた10年間、李克強は何をしたのか。そして彼の死は中国の人たちにどのような意味をもたらしたのか?』、興味深そうだ。
・『3月の中国共産党大会で政治から引退した李克強 しかし胡錦濤退場“事件”のおかげでほぼ話題にならず  今年3月の政治大会で10年間務めた国務院(内閣に相当)総理を辞し、引退生活に入っていた、李克強が27日未明に急逝した。 さっさと憲法を改正して任期を延長し第3期に突入した習近平・国家主席とは対象的に、李克強は前任者の温家宝・元総理と同じようにすべての権力を手放し、それ以降完全に政治の表舞台から姿を消した。引退当時の年齢はまだ67歳で、政府トップの暗黙の了解となってきた「68歳定年」に届かないまま権力の座を去ったことも、2歳年上の習近平と比較された。 李のきっぱりとした引退の裏には体調不良があると伝えたメディアもあったが、これまで彼がどんな病気を抱えているかは明らかにされていなかった。 特に3月の政府トップ交代の場では、久しぶりに公開の場に姿を現した胡錦濤の髪が真っ白になってめっきり老けており、さらに最も注目される採決の直前に職員によって議場から担ぎ出されるという、前代未聞の“事件”が起きた(参考:中国共産党大会「胡錦濤氏の強制退場」の衝撃、現地の大混乱に見る不穏な予感)。あまりに衝撃的な映像だったため、人々の関心は完全にこの件に集まり、同じ場で「裸退」(すべての権力を手放して退任すること)する李克強のことはあまり話題にならなかった。付け加えると、胡錦濤は実はアルツハイマーを患っており、担ぎ出されたのはそれが原因だったという。そのとき両脇を警備員に抱えられた胡錦濤が李の後ろを通りざまにその肩を叩き、李がそれになんとも言えない表情で応えている写真も、彼の死後ネットに流れている』、「引退当時の年齢はまだ67歳で、政府トップの暗黙の了解となってきた「68歳定年」に届かないまま権力の座を去ったことも、2歳年上の習近平と比較された」、本当に潔い引き際だった。
・『なぜ上海のプールで? 早すぎる死に「毒殺説」まで流れる事態に  それにしても、まだ68歳での死はさすがに若すぎる。数年前には、国家指導者たちに毎年巨額をかけての健康診断が行われていることを証明する内部資料が暴露されたばかりだ。そのような中でなぜ李が急死したのか、それも通常の居住地ではなく、上海のプールで……と、人々のさまざまな懐疑心を呼び起こし、ネットではまことしやかに「李克強毒殺」手段まで分析されていた。 もし殺害となれば、その容疑は当然今の権力者に向けられることになる。だが、すでにきっぱりと「裸退」した李に今の権力者たちが手をかける必要があるかどうか、そしてなぜそれが今なのか……と考えると、その疑惑もまた度を越したものだと言わざるを得ないだろう。 しかし、日常の健康状態に触れないまま「心臓発作」という死因しか明らかにされなかったこと、また運び込まれたのが上海の心臓疾患治療で著名な病院ではなく、「近いから」という理由で中医(漢方医)病院が選ばれたなどという説もあり、人々の疑心のネタになっている。死亡を伝える正式報道も詳細が一切省かれているため、「殺害」を信じたい人たちの気持ちはしばらく落ち着かないはずだ』、「運び込まれたのが上海の心臓疾患治療で著名な病院ではなく、「近いから」という理由で中医(漢方医)病院が選ばれたなどという説もあり、人々の疑心のネタになっている」、まさか「中医(漢方医)病院」ということはないのではなかろうか。
・『胡錦濤と温家宝の二人に次期国家主席候補とみなされていた人物  李はもともと、前政権の胡錦濤と温家宝によって次期国家主席候補とみなされていた。そこに「紅二代」(中国共産党創設メンバーの子女)である習近平の存在が次期指導者として急浮上したが、それでも胡と温は李を国家主席に据えるつもりだった。だが、習にとってもう一人の「紅二代」次期指導者候補のライバルとみなされていた薄煕来が、家族による外国人殺害容疑や資産隠しなどが暴露されるという前代未聞の事件で失脚した結果、党内で激しい主導権争いが起き、習が国家主席、李が国務院総理となる案に落ち着いたとされる。このあたりは、すでに日本でも多くの分析書籍が出ているのでそちらをご覧いただきたい。 ただ、李は出世街道を上る前に大学で経済学を収めていた。歴代中国指導者として初めて正式な博士号を持つ人物であり、実務に携わる総理職への就任はふさわしいといえた(なお、他の指導者たちの経歴にも「博士」「修士」が並ぶが、それらはすべて李のように論文を書いて取得したわけではなく、「名誉」的な後付けばかりである)。その結果、就任当時にはすでに「世界第2の経済大国」となり、また「世界工場」の異名を取っていた中国の経済発展に注目する人たちに、その手腕を大きく期待された。李の発言は「克強経済学」(リコノミクス)などともてはやされた。 訃報の後にも、その当時を懐かしむ書き込みや切り取り動画がネットに多く流れた。たとえば、「中国はもう後戻りしない。開放の門は大きく開かれても閉じられることはない」と述べたニュース映像、就任直後に流れた「中国の統計数字は人工的に操作されている」、また昨年の「中国人の年間収入は平均にすると3万元(約63万円)だが、実際には6億の人口が毎月1000元(約2万円)の収入で暮らしている」という発言などが広くシェアされた。 これらはどれも発表当時、中国のトップリーダーによる思い切った発言だとして国際社会でも大きく取り沙汰されたものだ。もちろん、中国社会には自分たちの気持ちを代弁してくれたという思いが広がり、そのたびごとに「新しい政治」への期待が溢れた。人々が李の死に際して、あえてこれらの発言を発掘して流しているのは、当時の気持ちを思い出したからだろう。 李が目指した経済政策は、1990年代末のWTO加盟直前に大胆な経済改革を進めた朱鎔基のそれに近いとされる。朱鎔基こそいまだに中国経済人の中で人気の政治家だが、実際に李が総理を務めた10年間、中国では何が起きたか』、「胡と温は李を国家主席に据えるつもりだった。だが、習にとってもう一人の「紅二代」次期指導者候補のライバルとみなされていた薄煕来が、家族による外国人殺害容疑や資産隠しなどが暴露されるという前代未聞の事件で失脚した結果、党内で激しい主導権争いが起き、習が国家主席、李が国務院総理となる案に落ち着いたとされる・・・歴代中国指導者として初めて正式な博士号を持つ人物であり、実務に携わる総理職への就任はふさわしいといえた・・・李が目指した経済政策は、1990年代末のWTO加盟直前に大胆な経済改革を進めた朱鎔基のそれに近いとされる」、なるほど。
・『李克強が総理を務めた10年間 IT業界や予備校業界への締め付け、不動産業界の不調……  まず、「国進民退」が誰の目にも明らかとなった。これは「国有経済が成長し、民営経済がやせ細る」という意味だ。WTO加盟を受けて大きく民営企業が成長した2000年代に比べ、2010年代はそうやって成長した新たな経済が「国のシステム」に取り込まれる時代となり、「新たな制度作り」が急速に進んだ。 記憶に新しいところでは、IT業界の巨人「阿里巴巴 Alibaba」(以下、アリババ)の馬雲(ジャック・マー)会長(当時)による経済政策批判をきっかけに、大掛かりなIT業界の締め付けが始まり、さらに「子供と家族の負担を減らす」という理由で当時成長産業だった校外教育産業が潰された。これにより、高学歴の失業者が大量に出現。さらに新型コロナウイルスによる肺炎の大流行と行き過ぎた感染防止政策によって民間経済は停滞を余儀なくされ、10年どころか過去20年間に培われた新たな民間経済パワーは大きく挫折した。 コロナ対策解消後の今になって、中国政府はあわてて民営経済の育成や支援を口にするようになったが、当時見捨てられ、切り捨てられて痛い目に遭った民間の士気はまだまだ低い。特に、高学歴者や若い世代には面従腹背がまん延し、政府が求めるような「一致団結」には至らないままだ。 もちろん、そうした政策に李克強がどれほど主体的な役割を演じたかは分からない。習近平の一存によるものなのかもしれない。それでも李は間違いなくこの3月まで政府のトップ指導者の一人だったのである。特に、今やデフォルト騒ぎが続いている不動産業界が野放しだったこと、そして新たな時代の成長の柱だったIT産業や民間経済に対するあまりにも厳しい措置の数々において、李にその責任はないとは言い切れないはずだ』、「今やデフォルト騒ぎが続いている不動産業界が野放しだったこと、そして新たな時代の成長の柱だったIT産業や民間経済に対するあまりにも厳しい措置の数々において、李にその責任はないとは言い切れないはずだ」、その通りだ。
・『李の訃報を中国メディアはどう伝えたか 警戒態勢も、その理由は「偉大だったから」ではない  李の訃報後、日本を含めた海外メディアは、そのニュースを中国メディアがどう伝えるかに注目した。これは中国報道あるあるで、その取り扱われ方が現政権による旧指導者への評価とみなされるからだ。 ネットユーザーに日頃から「真理部」と呼ばれて皮肉られている共産党中央宣伝部は、27日のうちにメディアやネットプラットホーム運営各社に向けて、訃報を娯楽情報や商業活動と同じページや欄には載せないこと、さらに秋のイベントやカンフー映画などに関するすべての活動を中止するよう通達した。加えて「新華社、中央電視台、人民日報記事のみを転載すること」「ネットプラットホームのコメント欄をきちんと管理し、高すぎる評価を受けた言論には特に注意すること」などとする報道制限令を通知したことが分かっている。 またネットユーザーによると、台湾人歌手の梁静茹さんの「可惜不是你」(残念ながらあなたじゃなかった)という歌が再生できなくなっているという報告もあった(なお、この曲は昨年安倍首相が殺害された際にも、再生不能になっている)。 さらに、大学などにも、訃報についての学生たちの発言やネット書き込みに注目し、不当な発言は禁止、さらには集団で哀悼活動を行うなどの組織化、そうした活動への参加も制限するよう求める指令が下ったとされる。 ただ、こうした警戒体制が取られるのは李が「偉大だったから」ではない。 というのも、前述したように李が中国共産党の指導者の一人であったことは疑いなく、ここ10年間の失策の責任を負うべき立場にあることは間違いない。またそれ以前の1990年代終わりに李が河南省で党委員会書記を務めていた頃、同省で広がっていた、集団売血や輸血によるエイズ広域感染の実態を調べるように省の担当機関に命じた一方で、その事態を公にした研究者らを拘束した責任を問う声もある。 つまり、中国初の博士宰相であった李もまた間違いなく、中国共産党のシステムに従い、その中のルールを守って一歩一歩権力への道を登ってきた人間の一人だったのだから。 中国政府が今恐れているのは、李の訃報によってかつてのその前例のない発言や行動が切り取られ、称賛され、持ち上げられることだ。そして庶民が現状への不満から、それを持ち上げることで現政権、現政府に当てつけるムードが拡散していくことなのである。 李克強の突然の死が今の中国政治に与える影響はそれほどないだろう。だが、我々はこの事件を通じて、コロナゼロ対策以降の庶民の不満は決して収まっていないことを目の当たりにした』、「中国政府が今恐れているのは、李の訃報によってかつてのその前例のない発言や行動が切り取られ、称賛され、持ち上げられることだ。そして庶民が現状への不満から、それを持ち上げることで現政権、現政府に当てつけるムードが拡散していくことなのである」、大きな混乱なしに収まってほしいものだ。
タグ:中国国内政治(その15)(中国「李克強」前首相死去で完成した習近平「独裁体制」 死から発表まで「空白の8時間」に話し合われた謀議の中身、「李克強前首相の急死」報道に警戒態勢が敷かれる理由 中国政府が恐れることとは?) デイリー新潮「中国「李克強」前首相死去で完成した習近平「独裁体制」 死から発表まで「空白の8時間」に話し合われた謀議の中身」 「「李氏の死去から一報まで時間がかかったのはその間、発表の仕方について習氏を筆頭に党の最高幹部が集まって検討が重ねられたからではないかといわれています。中国では党幹部や重鎮の訃報は政治的に非常にセンシティブな問題として扱われ、訃報のタイミングや内容について党中枢の意向が反映されても何ら不思議ではありません・・・安徽省出身の李氏が繋がりのない上海で療養生活を送っていたことに驚きの声も上がっている。 「北京には党幹部専用の病院が完備されているため、本人が北京にいるのを嫌がったか、上海の病院でなければ治療できない持病を抱えていた」・・・可能性などが取り沙汰されている」、なるほど。 「胡耀邦・元総書記が急死した際、葬儀が元最高指導者に不釣り合いで簡素なものだと感じた学生らが抗議する事態に発展。のちの天安門事件を誘発するキッカケになったともいわれています。今回も、国民から人気の高かった李氏の死をないがしろにすると反発を招く可能性がある一方、持ち上げすぎると自身の影が薄まるというジレンマのなか、習氏を中心に淡々とした訃報にとどめるという折衷案に落ち着いたのではないかと見られています」、なるほど。 「優秀な人材を排除し、“イエスマン”ばかりで周りを固め「政権基盤」は安定したかもしれないが、デフォルト・・・に陥った不動産大手「碧桂園」や米ニューヨークで連邦破産法を申請した恒大集団の例など、不動産バブルの崩壊を阻止する手立ても見失っているように見える現在の習近平政権。権力維持と引き換えに国力を低下させたとしたら、皮肉というほかない」、その通りだ。 ダイヤモンド・オンライン ふるまいよしこ氏による「「李克強前首相の急死」報道に警戒態勢が敷かれる理由、中国政府が恐れることとは?」 「引退当時の年齢はまだ67歳で、政府トップの暗黙の了解となってきた「68歳定年」に届かないまま権力の座を去ったことも、2歳年上の習近平と比較された」、本当に潔い引き際だった。 「運び込まれたのが上海の心臓疾患治療で著名な病院ではなく、「近いから」という理由で中医(漢方医)病院が選ばれたなどという説もあり、人々の疑心のネタになっている」、まさか「中医(漢方医)病院」ということはないのではなかろうか。 「胡と温は李を国家主席に据えるつもりだった。だが、習にとってもう一人の「紅二代」次期指導者候補のライバルとみなされていた薄煕来が、家族による外国人殺害容疑や資産隠しなどが暴露されるという前代未聞の事件で失脚した結果、党内で激しい主導権争いが起き、習が国家主席、李が国務院総理となる案に落ち着いたとされる・・・歴代中国指導者として初めて正式な博士号を持つ人物であり、実務に携わる総理職への就任はふさわしいといえた ・・・李が目指した経済政策は、1990年代末のWTO加盟直前に大胆な経済改革を進めた朱鎔基のそれに近いとされる」、なるほど。 「今やデフォルト騒ぎが続いている不動産業界が野放しだったこと、そして新たな時代の成長の柱だったIT産業や民間経済に対するあまりにも厳しい措置の数々において、李にその責任はないとは言い切れないはずだ」、その通りだ。 「中国政府が今恐れているのは、李の訃報によってかつてのその前例のない発言や行動が切り取られ、称賛され、持ち上げられることだ。そして庶民が現状への不満から、それを持ち上げることで現政権、現政府に当てつけるムードが拡散していくことなのである」、大きな混乱なしに収まってほしいものだ。
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