SNS(ソーシャルメディア)(その13)(【Xの嫌な感じの正体】イーロン・マスクがツイッター改名に執着する「本当の理由」、マスク氏とザッカーバーグ氏の決闘は「素手」ではなく「真剣」でやるべき…決闘の専門家がそう勧める理由 決闘とは見世物ではなく もっと厳粛で神聖なもの、広告主が相次ぎ出稿停止「X」は何がヤバいのか もはやXを使うこと自体が逆宣伝?) [メディア]
SNS(ソーシャルメディア)については、本年7月25日に取上げた。今日は、(その13)(【Xの嫌な感じの正体】イーロン・マスクがツイッター改名に執着する「本当の理由」、マスク氏とザッカーバーグ氏の決闘は「素手」ではなく「真剣」でやるべき…決闘の専門家がそう勧める理由 決闘とは見世物ではなく もっと厳粛で神聖なもの、広告主が相次ぎ出稿停止「X」は何がヤバいのか もはやXを使うこと自体が逆宣伝?)である。
先ずは、7月26日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したジャーナリストのジミー・ソニ氏と、同、 櫻井祐子氏による「【Xの嫌な感じの正体】イーロン・マスクがツイッター改名に執着する「本当の理由」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/326631
・イーロン・マスクがオーナーになったツイッターはその名称を廃止し「X社」となり、おなじみの青い鳥も「Xロゴ」に変更された。マスクのこの「X」への異様な執着はなんなのか。 マスクやピーター・ティールなどシリコンバレーの重要人物に徹底的に取材し、伝説的ベンチャー、ペイパル誕生の驚くべきストーリーを明らかにした全米ベストセラー『創始者たち──イーロン・マスク、ピーター・ティールと世界一のリスクテイカーたちの薄氷の伝説』(ジミー・ソニ著、櫻井祐子訳、ダイヤモンド社)を読むと、マスクのXへの偏執的なこだわりとその理由がわかる。 「ページを繰る手が止まらない」「あっという間に読んでしまった」と話題が広がる波乱万丈の『創始者たち』から、一部を特別に掲載する。 【Xの嫌な感じの正体】イーロン・マスクがツイッター改名に執着する「本当の理由」 前にもまったく同じ騒動を起こしていた((編集部注)時は2000年、イーロン・マスクの会社「X.com」と、ピーター・ティールの会社「コンフィニティ」とが合併して、のちに「ペイパル」となる伝説的ベンチャーが誕生した。 しかし、合併会社のCEOとなったマスクは、ツイッターにおいてと同様、「X」の名前に異様なこだわりを見せ、社内は大混乱となる。この様子はまさに最近どこかで見たことのある光景だ。 (マスクのX.comと、ティールのコンフィニティの間では)合併時から「社名」の火種がくすぶっていた。 ユーザーがブラウザに「www.PayPal.com」のURLを入力すると自動的に「www.X.com」のサイトに飛ばすことを決めたのは、新CEOのイーロン・マスクだったが、(ペイパルのブランドを育ててきた)多くのコンフィニティ出身者が不満に思っていた。 数字を見れば、どちらが優位かは明らかだった。2000年7月時点でペイパルの総決済件数は数百万件、これに対しX.comは数十万件だった。ユーザーはペイパルのブランドに群がり、イーベイでの出品やメールの末尾にペイパルのリンクを貼っていた。自動誘導の決定は、苦労して得たペイパルの信用を損なうリスクがあると、彼らは案じた。 マスクはペイパルを単体で呼ぶことをやめ、「X-ペイパル」に改称し、X.comの全サービスの前に「X」をつける──「X-ペイパル」「X-ファイナンス」など──と宣言した。 「ニッチな決済システムで満足するなら、ペイパルはいい名前だ。でも世界の金融システムの支配をめざすなら、Xの名前でなければだめだ。ペイパルは機能の一つに過ぎず、会社そのものではないんだから」とマスクは言った。彼にとって社名をペイパルにするのは、「アップルが社名をマックにするようなもの」だった』、「世界の金融システムの支配をめざすなら、Xの名前でなければだめだ。ペイパルは機能の一つに過ぎず、会社そのものではないんだから」とマスクは言った。彼にとって社名をペイパルにするのは、「アップルが社名をマックにするようなもの」だった」、なるほど。
・『なぜ「X」にこだわるのか? (編集部注)マスクのこの「X」へのこだわりは、「X.com」の社名を考案した経緯を説いた同書からの抜粋記事「イーロン・マスクが考えた『一番カッコいいURL』の名前とは?」の中でも下記のとおり描写されている。 マスクはまだプロダクトもないうちにその会社の名前を決めた。X.com(Xドットコム)だ。マスクはこれが「ネット上で最もクールなURL」だと信じて疑わなかった。 マスクにとってX.comは斬新で、興味をそそり、すべての銀行・投資サービスが共存する場所という会社の精神をすっかり表現できるほど自由な名前だった。宝の地図の「X」が財宝のありかを示すように、X.comはネット上の富が集まる場所を示していた。 それにこのURLは、当時は世界に3つしかなかった希少な1文字ドメインのうちの1つなのだと、マスクは語っている(残る2つはq.comとz.com)。 マスクがこの名前をほしがったのには、実際的な理由もあった。 世界はまもなく携帯端末──はがき大のキーボード付きポケット型コンピュータ──であふれるだろう、とマスクは考えていた。そしてその世界では、X.comという短いURLは理想的だ。親指を数回タップして入力するだけで、あらゆる金融商品にアクセスできるのだから』、「マスクはまだプロダクトもないうちにその会社の名前を決めた。X.com(Xドットコム)だ。マスクはこれが「ネット上で最もクールなURL」だと信じて疑わなかった。 マスクにとってX.comは斬新で、興味をそそり、すべての銀行・投資サービスが共存する場所という会社の精神をすっかり表現できるほど自由な名前だった。宝の地図の「X」が財宝のありかを示すように、X.comはネット上の富が集まる場所を示していた」、なるほど。
・『「Xなんて、アダルトサイトみたい」 (編集部注)しかし、合併会社の社員たちはまったく納得していなかった。 その夏、問題は山場を迎えた。グループインタビューを用いた市場調査で、「X.com」より「ペイパル」という名前のほうが好感度が高いことがはっきりしたのだ。調査を主導した社員のヴィヴィアン・ゴーは、「『X』みたいな名前のサイトは信用できないとか、アダルトサイトみたいと言われ続けた」と言う。 ゴーはユーザー調査に限界があることも理解していた。「昔は『アップル』でさえおかしな名前だと思われていたわけだから」。だが彼女はユーザーの懸念を直接耳にした。「口を揃えて『この名前は信用できない。得体の知れない感じがする』とほぼ同じ言葉で言われ続けたら、そうかなと思わざるを得ない」 お堅い会計事務所のKPMGからX.comに転職したリーナ・フィッシャーは、怪しげな社名のせいで、自分やほかの社員が「気味の悪いメールをたくさん」受け取ったと言う。「うちのプロダクトといえば、ペイパルでしょう? ペイパルこそ、会社の目的を説明するのにふさわしい名前だとずっと思っていた」 他方、エイミー・ロウ・クレメントがX.comに入社したのは、その壮大なビジョンに魅力を感じたからだ。「Xが核で、その名の下にすべてのプロダクトを束ねようとしていた」と彼女は言う。 だが会社の成長の突破口を開いたのは、メールを利用した単純な決済方法(ペイパル)だった。「ペイパルのほうが成長が速かった。その一因は、X.comのアカウントは銀行口座で、運営にかかるコストも時間も膨大だったからよ。結局、銀行口座の顧客に収益性の高いほかの金融商品をすばやく売り込む見込みがないことがわかって、X.comのプラットフォームを運営する意味がなくなっていった」 マスクは名称変更は必要だと譲らず、市場調査をないがしろにして反感を買った。「ペイパル」派は、マスクがユーザーの好みより、私見をもとに意思決定を下そうとしていると感じた。 (編集部注)マスクはすでに20年以上前から、いまとまったく同じ行動を取っていたのだ。 結果、彼は誰もの不興を買い、クーデターが勃発、自らがつくったX.comのCEOの座から追放されることとなる。マスクの去ったX.comは無事に「ペイパル」に改名、いまや世界中にその名を轟かせている。 一方、マスクはその十数年後、X.comのURLをペイパルから買い戻している。 その際、「いったいそのURLで何をするのか」という声に、当時はまだ、いちヘヴィユーザーに過ぎなかったツイッターでこう返している。 「X.comの買い戻しを許してくれてありがとう、ペイパル! いまのところ何の計画もないが、僕にとってはとても思い入れがあるものだ」(『創始者たち』より) いまでは「X.com」とURLに打ち込むと、ツイッターのサイトに転送される。 X.comを追放されてからもSpaceXをつくるなど、一貫して「X」にこだわり続けてきたマスク。ツイッター買収も「宝のありかであるXに、ネット上のあらゆる富を集める」という20年来のビジョンに向かう一里塚だったようだ。はたして今回は、その遠大な野望の実現に近づくことができるのだろうか。 (本原稿は、ジミー・ソニ著『創始者たち──イーロン・マスク、ピーター・ティールと世界一のリスクテイカーたちの薄氷の伝説』からの抜粋です) 【Xの嫌な感じの正体】イーロン・マスクがツイッター改名に執着する「本当の理由」 『創始者たち』とは? 1999年、若き異端児イーロン・マスクが始めた会社X.comと、天才ピーター・ティールの会社コンフィニティは、数奇にも、シリコンバレーのとある建物で隣り合って入居していた。個性の強い精鋭集団は激しい衝突を繰り返すが、やがてペイパルという一つの会社に融合する』、「「市場調査で、「X.com」より「ペイパル」という名前のほうが好感度が高いことがはっきりしたのだ。調査を主導した社員のヴィヴィアン・ゴーは、「『X』みたいな名前のサイトは信用できないとか、アダルトサイトみたいと言われ続けた」と言う。 ゴーはユーザー調査に限界があることも理解していた。「昔は『アップル』でさえおかしな名前だと思われていたわけだから」。だが彼女はユーザーの懸念を直接耳にした。「口を揃えて『この名前は信用できない。得体の知れない感じがする』とほぼ同じ言葉で言われ続けたら、そうかなと思わざるを得ない」・・・イーロン・マスクが始めた会社X.comと、天才ピーター・ティールの会社コンフィニティは、数奇にも、シリコンバレーのとある建物で隣り合って入居していた。個性の強い精鋭集団は激しい衝突を繰り返すが、やがてペイパルという一つの会社に融合する」、なるほど。
・小さな会社から世界的CEOが続出した謎 その小さな会社を始めた「無名の若者たち」は、やがてシリコンバレーを席巻していく。 イーロン・マスク(スペースX創業、テスラ、ツイッターCEO)、ピーター・ティール(投資家)、マックス・レヴチン(スライド、アファーム創業)、リード・ホフマン(リンクトイン創業)、チャド・ハーリー(ユーチューブ創業)、ジェレミー・ストップルマン(イェルプ創業)、デイヴィッド・サックス(ヤマー創業)、プレマル・シャー(キヴァ創業)など、次々とシリコンバレーの大物を生んだ「全米史上最凶企業」ペイパルの驚くべき物語とは? 波乱に次ぐ波乱の展開で、朝日新聞(稲泉連氏評)、日本経済新聞(湯川抗氏評)、週刊東洋経済(塩野誠氏評)他、絶賛続々! 「ページを繰る手が止まらない」「面白すぎて本を閉じれない」とSNSでも話題沸騰! 読書界興奮の書。 【Xの嫌な感じの正体】イーロン・マスクがツイッター改名に執着する「本当の理由」 『創始者たち――イーロン・マスク、ピーター・ティールと世界一のリスクテイカーたちの薄氷の伝説』 ジミー・ソニ著、櫻井祐子訳 INTRODUCTION シリコンバレーの謎 第1部 大胆不敵(紹介は省略)』、「その小さな会社を始めた「無名の若者たち」は、やがてシリコンバレーを席巻していく。 イーロン・マスク・・・、ピーター・ティール(投資家)、マックス・レヴチン(スライド、アファーム創業)、リード・ホフマン(リンクトイン創業)、チャド・ハーリー(ユーチューブ創業)・・・」、さすが「シリコンバレー」だけあって、錚々たる顔ぶれだ。
次に、9月8日付けPRESIDENT Onlineが掲載した京都外国語大学外国語学部 教授の菅野 瑞治也氏による「マスク氏とザッカーバーグ氏の決闘は「素手」ではなく「真剣」でやるべき…決闘の専門家がそう勧める理由 決闘とは見世物ではなく、もっと厳粛で神聖なもの」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/73529
・『いずれも億万長者であるイーロン・マスク氏とマーク・ザッカーバーグ氏との「決闘」が注目を集めている。イタリア政府も開催を示唆するなど、ただのジョークではなさそうだ。京都外国語大学の菅野瑞治也教授は「二人には、総合格闘技による『ケージマッチ』=『決闘ショー』ではなく、真剣を用いたメンズーアのような決闘を真剣に提唱したい」という――』、興味深そうだ。
・『世界的な大富豪同士の「決闘」 米起業家イーロン・マスク(Elon Musk)氏と、米交流サイト大手メタ(Meta)のマーク・ザッカーバーグ(Mark Zuckerberg)CEOという世界的な二人の大富豪が本当に「決闘」する(かもしれない)ということで、ネットを中心に大きな話題になっている。 メタ社が、マスク氏自身が所有するX(旧Twitter)に対抗する新たなSNS「Threads」のサービスを開始したことで、両氏の対立が深まり、この「決闘」騒動は、マスク氏が「金網マッチ(ケージマッチ=囲いの中で行う格闘技)」で戦おうとザッカーバーグ氏に挑発したことから始まった。 当初はジョークかと思われたが、両氏とも戦いの準備はできているとし、お互い対戦日を提案するなどしてきたが、8月イタリア政府も同国での開催に正式に同意し、「決闘」はにわかに現実味を帯びてきた。 マスク氏(52歳)は、身長約188cm、体重約85kg、一方、ザッカーバーグ氏(39歳)は、身長約170cm、体重約70kg。体格では、マスク氏が圧倒的に有利に見えるが、ザッカーバーグ氏は39歳と若く、しかも、今年のとある柔術の大会で見事優勝している。それに負けじと、マスク氏も柔術のトレーニングを本格的に開始したと言われている。 我々日本人にとって、「決闘」はあまり馴染みがなく、イメージが湧きづらいかもしれない。しかし、ヨーロッパにおいては、「決闘」は古代から続く歴史と伝統のあるものである』、「当初はジョークかと思われたが、両氏とも戦いの準備はできているとし、お互い対戦日を提案するなどしてきたが、8月イタリア政府も同国での開催に正式に同意し、「決闘」はにわかに現実味を帯びてきた」、なるほど。
・『歴史と伝統のあるヨーロッパの「決闘」 中世のヨーロッパでは、殺人、姦通などの事件でことの真偽がはっきりしない場合、最終的な「神の裁き」として、争いの当事者またはその代理人が一対一で決闘をして、その結果に従って紛争に決着をつけるという裁判が行われていた。 これを「決闘裁判」と呼ぶが、歴史は古代ゲルマン人の時代まで遡る。一種の「神判」であり、その根底には、真実を主張している者に神は必ず味方するという考え方があった。しかし、時の経過とともに、「神判」は徐々に衰退し、14~5世紀には、「決闘裁判」も歴史舞台から姿を消し去る。 これ以降の近世のヨーロッパにおいては、名誉をめぐる争いごとなどを解決する目的で、当事者同士の合意のもと、予め了解し合った一定のルールに基づいて行う一対一の「決闘(duel)」(=果し合い)が激増していく。「決闘による無条件の名誉回復」という表現がよく使われたが、これは、何らかの理由で名誉を汚された者が、侮辱した方に決闘を挑み、侮辱した方(決闘を挑まれた方)が、その決闘の挑戦を受けるという権利と義務のことである。 侮辱を受けた者が決闘を申し入れないことや、決闘を申し込まれた者がこれを受諾しないことは、最大の不名誉とされていたので、決闘は頻繁に行われた。名誉を汚され、侮辱を受けた者は、その相手と命を懸けて決闘することによって、自分の名誉を挽回・回復し、すべてを清算することができた。 戦争との大きな違いは、関係のない者まで巻き込むことなく、当事者二人だけで争いごとを解決したわけであり、「決闘」はまさに、人類が考え出した最も賢明な紛争解決手段とも言えよう』、「中世のヨーロッパでは、殺人、姦通などの事件でことの真偽がはっきりしない場合、最終的な「神の裁き」として、争いの当事者またはその代理人が一対一で決闘をして、その結果に従って紛争に決着をつけるという裁判が行われていた。 これを「決闘裁判」と呼ぶが、歴史は古代ゲルマン人の時代まで遡る。一種の「神判」であり、その根底には、真実を主張している者に神は必ず味方するという考え方があった。しかし、時の経過とともに、「神判」は徐々に衰退し、14~5世紀には、「決闘裁判」も歴史舞台から姿を消し去る。 これ以降の近世のヨーロッパにおいては、名誉をめぐる争いごとなどを解決する目的で、当事者同士の合意のもと、予め了解し合った一定のルールに基づいて行う一対一の「決闘(duel)」・・・が激増していく・・・侮辱を受けた者が決闘を申し入れないことや、決闘を申し込まれた者がこれを受諾しないことは、最大の不名誉とされていたので、決闘は頻繁に行われた。名誉を汚され、侮辱を受けた者は、その相手と命を懸けて決闘することによって、自分の名誉を挽回・回復し、すべてを清算することができた。 戦争との大きな違いは、関係のない者まで巻き込むことなく、当事者二人だけで争いごとを解決したわけであり、「決闘」はまさに、人類が考え出した最も賢明な紛争解決手段とも言えよう」、なるほど。
・『筆者も経験した真剣を用いた「決闘」 決闘と言えば、アメリカの西部劇のようなピストルを用いてズドーンというシーンを思い浮かべる方も多いと思うが、決闘のための武器は、古代から中世、そして、近世に至るまで長らく「剣」が使用されていたわけであり、ピストルが決闘の武器として主流となったのは、ようやく18世紀中頃以降である。 19世紀後半になると、「決闘」は衰退の一途を辿っていくが、驚くべきことに、今日においても、「メンズーア(Mensur)」と呼ばれる真剣を用いた「決闘」の慣習がドイツ語圏(主にドイツとオーストリア)の一部の学生の間で連綿と受け継がれている。実は、私も留学時代にこのメンズーアを二度経験しており、筆者の頭と顔には、多少薄くなったが、その時に負った刀傷が今でもくっきりと残っている。 メンズーアの詳細について、拙著『実録 ドイツで決闘した日本人』(集英社新書)から一部をご紹介しよう。 メンズーアにおいては、刃渡り約90cm、柄(握り)が約15cmの鋭利な真剣を用いて、お互いの顔と頭を正面から斬り合うのである。頸けい動脈は勿論のこと、全身に防具をつけるため、今では死ぬことはまずない。しかし、鋭利な刃物で顔や頭を斬られることを一瞬でも考えると、その恐怖心はハンパではない。剣を交わし始めてから、しばらく、私の脚の震えが止まらなかったことを今でも鮮明に覚えている。 日本の剣道は両手で竹刀を握るが、メンズーアにおいては、片手だけで剣を持って戦う。両者の間には、剣の長さの分、つまり、約1メートルの距離しかない。そして、フェンシングのような「突き」は禁じられているが、剣の動きが1秒以上静止すると即刻失格となるので、自ずとすごいスピードで交互に斬り合うことになる。1ラウンドは僅か6~7秒、これを25~30ラウンド行うが、ほとんどの場合、15ラウンド目あたりまでにどちらかが負傷し、ドクターストップがかかり終了する。 そして、メンズーアにおいて特徴的なことは、剣道やボクシングのように動き回ったり、敵の攻撃をかわすために、上体と頭や顔を前後左右に動かすことが一切禁じられているという点である。両者は、至近距離で直立して対峙たいじして斬り合い、足を動かしたり、後ずさりしたり、顔を少しでものけぞらせたりすれば、「臆病で卑怯な態度をとること(ムッケン)」と見做され、即刻失格となる。 細かなルールが定められているという点で、確かにメンズーアはスポーツ的要素が強い。しかし、スポーツと呼べない理由は、勝敗がないという点と、殺傷能力のある真剣を用いる点にある。換言すれば、この「ムッケン」さえなければ、たとえどちらか一方が斬られたとしても、その決闘は有効なものとして認められ、その者は勇者として称えられるのである。メンズーアは、男としての真価を試される一つの厳しい試練であり、ヨーロッパに伝統的な騎士道精神に基づいた勇気を証明するための独特な儀式なのだ』、「今日においても、「メンズーア(Mensur)」と呼ばれる真剣を用いた「決闘」の慣習がドイツ語圏(主にドイツとオーストリア)の一部の学生の間で連綿と受け継がれている。実は、私も留学時代にこのメンズーアを二度経験しており、筆者の頭と顔には、多少薄くなったが、その時に負った刀傷が今でもくっきりと残っている」、筆者が「決闘」を「二度経験」したとは驚かされた。
・『伝統的な「決闘の本質」とは全く相いれない ここまで簡単に振り返ってきたヨーロッパにおける「決闘」の歴史を鑑みれば、マスク氏とザッカーバーグ氏の「決闘」も、SNSサービスをめぐる両者の対立に一区切りをつける「決闘裁判」あるいは、近世の剣やピストルを用いた「決闘」のような意味合いがあるのかもしれない。 しかし、気になる点がいくつかある。両氏による総合格闘技は、「大規模なチャリティーイベント」として、マスク氏のXと、ザッカーバーグ氏のメタによって管理され、両方のシステムを経由して生中継される予定になっている。これは、まさに「決闘ショー」であり、ヨーロッパで伝統的に行われてきた決闘の本質とは全く相いれないものである。 植民地時代当初のアメリカは、ピューリタン的理念がすべての社会的モラルの規範であり、当然のことながら決闘に対して否定的な国であった。ところが、1776年に13州がイギリスからの独立を宣言したあたりから、ヨーロッパにおける社会的流行現象が急速にアメリカ社会に流れ込んできた。決闘作法もまた然りである』、「マスク氏とザッカーバーグ氏の「決闘」も・・・「大規模なチャリティーイベント」として、マスク氏のXと、ザッカーバーグ氏のメタによって管理され、両方のシステムを経由して生中継される予定になっている。これは、まさに「決闘ショー」であり、ヨーロッパで伝統的に行われてきた決闘の本質とは全く相いれないものである・・・1776年に13州がイギリスからの独立を宣言したあたりから、ヨーロッパにおける社会的流行現象が急速にアメリカ社会に流れ込んできた。決闘作法もまた然りである」、なるほど。
・『ヨーロッパの決闘の前提である「名誉」とは何か 1804年7月11日に合衆国副大統領アーロン・バーと合衆国建国の父の一人であるアレクサンダー・ハミルトンとの間で行われた有名な決闘は、元来、ヨーロッパの貴族階級の間で生まれた「名誉」を賭けた決闘と軌を一にするものであった。 その一方で、アメリカで広まったのは、開拓と自衛というファクターに基づいた、「名誉」を前提としない、その場の成り行きで喧嘩をし、ピストルでの決闘に発展するという、いわゆる、アメリカン・スタイルの決闘である。ペンシルベニア州では、娯楽の延長線上にある「決闘ショー」が一時流行したほどである。 それに対して、ヨーロッパの決闘には、あくまでも「名誉が著しく汚される」という事実が前提としてあった。「自己の名誉を深く傷つけられた」と感じた者が、侮辱した相手に決闘を申し入れ、決闘を要求された相手も必ずこれに応じるという暗黙の了解があった。そして、ここでいう「名誉」は、我々が日頃使っている「意地」とか「プライド」とかという軽い意味ではなく、人間としての「尊厳」、自分が生きていくうえで「これだけは譲れない」という本質的な部分と言い換えてもいいかもしれない』、「アメリカで広まったのは、開拓と自衛というファクターに基づいた、「名誉」を前提としない、その場の成り行きで喧嘩をし、ピストルでの決闘に発展するという、いわゆる、アメリカン・スタイルの決闘である。ペンシルベニア州では、娯楽の延長線上にある「決闘ショー」が一時流行したほどである。 それに対して、ヨーロッパの決闘には、あくまでも「名誉が著しく汚される」という事実が前提としてあった・・・「名誉」は、我々が日頃使っている「意地」とか「プライド」とかという軽い意味ではなく、人間としての「尊厳」、自分が生きていくうえで「これだけは譲れない」という本質的な部分と言い換えてもいいかもしれない」、なるほど。
・『「決闘」=「高貴なる野蛮」は厳粛で神聖なもの 真剣やピストルを用いた「決闘」は、絶えず「死」と隣り合わせである。それ故、これまで決闘で命を落とした多くの著名人も、そして、名もなき男たちも、そのほとんどが決闘を前にして遺言状を残してきた。決闘の場には、介添人や立会人などの関係者が居合わせるものの、決闘は、基本的には二人だけで行う究極的な清算手段である。マスク氏とザッカーバーグ氏にそこまでの覚悟があるのだろうか。 決闘は、復讐ふくしゅうのための手段ではなく、和解のための一つの媒体である。復讐はそれ自体、決闘の本質からかけ離れたものである。決闘においては、侮辱を受けた者も、侮辱を与えた者も全く対等であり、両者とも等しく、自分の命を失ったり、重傷を負ったりする危険に晒されている。このようなカタルシス的状況において、憎悪、敵意、復讐といったネガティブな感情が芽生える余地はもはやない。 このように、どう考えても、マスク氏とザッカーバーグ氏の「決闘」は、本物の決闘の本質からは逸脱したものに思えてならないが、SNSなどを通じて情報が錯綜さくそうする現代において、人間の生きる原点が何なのかを考えるきっかけを与えてくれているように思う。 私なりの結論を言うと、二人には、総合格闘技による「ケージマッチ」=「決闘ショー」ではなく、先ほど簡単に説明させていただいた、ドイツ語圏では合法化されているメンズーアのような真剣を用いた決闘を非公開で行うことを、真剣に提唱したい。ヨーロッパで連綿と受け継がれてきた「決闘」=「高貴なる野蛮」は、見世物ではなく、もっと厳粛で神聖なものだからだ』、「マスク氏とザッカーバーグ氏の「決闘」は・・・総合格闘技による「ケージマッチ」=「決闘ショー」ではなく・・・ドイツ語圏では合法化されているメンズーアのような真剣を用いた決闘を非公開で行うことを、真剣に提唱したい。ヨーロッパで連綿と受け継がれてきた「決闘」=「高貴なる野蛮」は、見世物ではなく、もっと厳粛で神聖なものだからだ」、「二人」がそんな真剣勝負をするつもりはないのであれば、世の中を騒がすのもいい加減にしてほしいものだ。
第三に、12月7日付け東洋経済オンラインがThe New York Timesを転載した「広告主が相次ぎ出稿停止「X」は何がヤバいのか もはやXを使うこと自体が逆宣伝?」を紹介しよう。
・『かつてツイッターとして知られていたソーシャルメディア企業「X」のオーナー、イーロン・マスクから口汚くののしられ、広告を出すなと言われたことを受け、複数の広告主は11月30日、Xへの出稿を近く再開する予定はないと語った』、「マスク」氏が「広告主」に対して「広告を出すな」と言ったとは、思い上がりもいいところだ。
・『広告価値よりもデカい風評リスク 少なくとも6社の広告代理店が、クライアント企業からXへの広告出稿に断固として反対されていると話す一方、ほかの広告代理店はXに広告を一切出さないよう広告主に助言したと話した。 マスクの発言によって、ここ数週間にわたり広告主がXに対して行ってきた一時的な出稿停止の一部は永久凍結に変わる可能性が高いと、これらの代理店は付け加えた。 マーケティングコンサルティング会社AJLアドバイザリーの創業者で最高経営責任者(CEO)のルー・パスカリスは、広告主はXに「戻ってこないだろう」と話した。「このプラットフォームを再び使うことによる風評リスクを相殺できるほどの広告価値はないからだ」 マスクは昨年にツイッターを買収して以降、繰り返し広告主を批判し、広告主の離反を招いてきた。Xのコンテンツモデレーション(悪質投稿の監視・削除)のルールを緩めるというマスクの計画に懸念を抱き、広告出稿を停止した広告主に対し、「核熱反応のように社名をさらして恥をかかせる」と脅したこともある。) マスクが反ユダヤ主義陰謀論の投稿に賛同し、Xでは親ナチスの投稿と一緒に広告が表示されるケースがあると研究者らが注意を呼びかけたことを受けて、ここ数週間で広告出稿をやめた広告主は200社を超える。売り上げの大半を広告から得ているXは、ブランド各社が身を引いたことで、年末までに最大で7500万ドルの広告収入を失う危険にさらされている。 状況は11月29日、ニューヨークで開催されたニューヨーク・タイムズ主催の「ディールブック・サミット」で、マスクが広告主をあおる発言をしたことで一段と悪化した。 同イベントのインタビューで、マスクは反ユダヤ主義的な投稿について謝罪し、これまで自身が行ったものの中で「最も愚かな投稿の1つ」だったと述べる一方、広告主が自分を「脅そう」としているとも語り、サミットに同席していたウォルト・ディズニー・カンパニーのCEOボブ・アイガーを名指しした。 そしてマスクは「広告を出すな」と、下品なののしり言葉を何度も使って、自らの言い分を強調した。 その数時間後、XのCEOリンダ・ヤッカリーノは被害の軽減に努めていた。ヤッカリーノはXへの投稿で、反ユダヤ主義的な投稿を支持したことに対するマスクの謝罪に注目点をずらし、Xに戻ってくるよう広告主に訴えた』、「ニューヨーク・タイムズ主催の「ディールブック・サミット」で、マスクが広告主をあおる発言をしたことで一段と悪化した。 同イベントのインタビューで、マスクは反ユダヤ主義的な投稿について謝罪し、これまで自身が行ったものの中で「最も愚かな投稿の1つ」だったと述べる一方、広告主が自分を「脅そう」としているとも語り、サミットに同席していたウォルト・ディズニー・カンパニーのCEOボブ・アイガーを名指しした。 そしてマスクは「広告を出すな」と、下品なののしり言葉を何度も使って、自らの言い分を強調した。 その数時間後、XのCEOリンダ・ヤッカリーノは被害の軽減に努めていた。ヤッカリーノはXへの投稿で、反ユダヤ主義的な投稿を支持したことに対するマスクの謝罪に注目点をずらし、Xに戻ってくるよう広告主に訴えた」、「XのCEOリンダ・ヤッカリーノは被害の軽減に努めていた」、マスク氏の尻拭いも大変なようだ。
・『広告主にまったく響かない「Xの大義」 「Xは、一部の人々が不快と思う『情報の独立性』を可能にしている」とヤッカリーノは書いた。「Xの立ち位置は、言論の自由と普通の人々が交わるユニークで素晴らしい交差点だ。Xのコミュニティーは強力であり、皆さんを歓迎する」。 Xの広報担当者はコメントの求めに応じなかった。 マーケティング・メディア・コンサルティング会社イービクイティで最高戦略責任者を務めるルーベン・シュルールスは、ヤッカリーノは言論の自由に関するXの見解をブランド各社に支持してもらおうとしているようだが、広告主がXの目標を後押しする可能性は低いと話した。 「まったく共感を呼んでいない」。シュルールスは、広告出稿の一時停止は「広告出稿の打ち切りに変わりつつある」ようだと付け加えた。Xの経営陣もしくはオーナーの変更がなければ、広告主が出稿再開を検討する可能性は低いと言う。) ほかのマーケティング会社はブランド各社に対し、Xを完全に捨てるよう勧めている。コンサルティング会社アビドス・メディアを経営し、ヘルスケア業界などで最大5000万ドルのメディア予算を持つクライアントを抱えるメディア・プランニング界のベテラン、トム・ヘスポスは11月30日、クライアントに対し、Xへの広告出稿だけでなく、投稿自体もやめるべきだという勧告を初めて正式に行ったと述べた。 ヘスポスは「良心があるなら」、マスクがXで行ってきたことに「加担し続けるようクライアントに勧めることはできない」と語った。 Xに多額の広告費を投じてきたが、最近出稿をやめた企業には、アップル、ディズニー、IBMなどがある。ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)やニューヨーク・タイムズのスポーツサイト「ジ・アスレチック」などは出稿を続けている。 29日のディールブックのイベントで、マスクは広告主のボイコットが長期化すれば、Xがつぶれる可能性があることを認める反面、Xが倒産すれば、世の中は私ではなく、広告主を責めるだろうと語った。 「私は決して迎合しない」とマスクは言った』、「マスクは広告主のボイコットが長期化すれば、Xがつぶれる可能性があることを認める反面、Xが倒産すれば、世の中は私ではなく、広告主を責めるだろうと語った。 「私は決して迎合しない」とマスクは言った」、「Xが倒産すれば、世の中は私ではなく、広告主を責めるだろう」、何と思い上がった発言だろう。
・『マスクは「広告主にとって危険なパートナー」 マーケティング管理コンサルティング会社マーサー・アイランド・グループの創業者スティーブ・ボーラーは、広告主の懸念を一顧だにしないマスクは、広告主から危険なパートナーとみなされるようになったと指摘する。 マスクの「コメントは、X、広告主との付き合い方、さらには広告主の考えを気にかけているのかどうかといったことについて、とてつもない不透明感があることを示している」と、年間1000万ドル〜5億ドルの広告予算を持つクライアントと仕事をするボーラーは語った。 「これは人としての問題でもある。ビジネスには大勢の人が関わっており、誰もが敬意を払われ、尊厳を持って扱われたいと思っている」とボーラーは付け加えた』、「広告主の懸念を一顧だにしないマスクは、広告主から危険なパートナーとみなされるようになったと指摘する。 マスクの「コメントは、X、広告主との付き合い方、さらには広告主の考えを気にかけているのかどうかといったことについて、とてつもない不透明感があることを示している」、それにしても、「マスク」氏はいつまで反「広告主」的な姿勢を続けるのだろう。
先ずは、7月26日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したジャーナリストのジミー・ソニ氏と、同、 櫻井祐子氏による「【Xの嫌な感じの正体】イーロン・マスクがツイッター改名に執着する「本当の理由」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/326631
・イーロン・マスクがオーナーになったツイッターはその名称を廃止し「X社」となり、おなじみの青い鳥も「Xロゴ」に変更された。マスクのこの「X」への異様な執着はなんなのか。 マスクやピーター・ティールなどシリコンバレーの重要人物に徹底的に取材し、伝説的ベンチャー、ペイパル誕生の驚くべきストーリーを明らかにした全米ベストセラー『創始者たち──イーロン・マスク、ピーター・ティールと世界一のリスクテイカーたちの薄氷の伝説』(ジミー・ソニ著、櫻井祐子訳、ダイヤモンド社)を読むと、マスクのXへの偏執的なこだわりとその理由がわかる。 「ページを繰る手が止まらない」「あっという間に読んでしまった」と話題が広がる波乱万丈の『創始者たち』から、一部を特別に掲載する。 【Xの嫌な感じの正体】イーロン・マスクがツイッター改名に執着する「本当の理由」 前にもまったく同じ騒動を起こしていた((編集部注)時は2000年、イーロン・マスクの会社「X.com」と、ピーター・ティールの会社「コンフィニティ」とが合併して、のちに「ペイパル」となる伝説的ベンチャーが誕生した。 しかし、合併会社のCEOとなったマスクは、ツイッターにおいてと同様、「X」の名前に異様なこだわりを見せ、社内は大混乱となる。この様子はまさに最近どこかで見たことのある光景だ。 (マスクのX.comと、ティールのコンフィニティの間では)合併時から「社名」の火種がくすぶっていた。 ユーザーがブラウザに「www.PayPal.com」のURLを入力すると自動的に「www.X.com」のサイトに飛ばすことを決めたのは、新CEOのイーロン・マスクだったが、(ペイパルのブランドを育ててきた)多くのコンフィニティ出身者が不満に思っていた。 数字を見れば、どちらが優位かは明らかだった。2000年7月時点でペイパルの総決済件数は数百万件、これに対しX.comは数十万件だった。ユーザーはペイパルのブランドに群がり、イーベイでの出品やメールの末尾にペイパルのリンクを貼っていた。自動誘導の決定は、苦労して得たペイパルの信用を損なうリスクがあると、彼らは案じた。 マスクはペイパルを単体で呼ぶことをやめ、「X-ペイパル」に改称し、X.comの全サービスの前に「X」をつける──「X-ペイパル」「X-ファイナンス」など──と宣言した。 「ニッチな決済システムで満足するなら、ペイパルはいい名前だ。でも世界の金融システムの支配をめざすなら、Xの名前でなければだめだ。ペイパルは機能の一つに過ぎず、会社そのものではないんだから」とマスクは言った。彼にとって社名をペイパルにするのは、「アップルが社名をマックにするようなもの」だった』、「世界の金融システムの支配をめざすなら、Xの名前でなければだめだ。ペイパルは機能の一つに過ぎず、会社そのものではないんだから」とマスクは言った。彼にとって社名をペイパルにするのは、「アップルが社名をマックにするようなもの」だった」、なるほど。
・『なぜ「X」にこだわるのか? (編集部注)マスクのこの「X」へのこだわりは、「X.com」の社名を考案した経緯を説いた同書からの抜粋記事「イーロン・マスクが考えた『一番カッコいいURL』の名前とは?」の中でも下記のとおり描写されている。 マスクはまだプロダクトもないうちにその会社の名前を決めた。X.com(Xドットコム)だ。マスクはこれが「ネット上で最もクールなURL」だと信じて疑わなかった。 マスクにとってX.comは斬新で、興味をそそり、すべての銀行・投資サービスが共存する場所という会社の精神をすっかり表現できるほど自由な名前だった。宝の地図の「X」が財宝のありかを示すように、X.comはネット上の富が集まる場所を示していた。 それにこのURLは、当時は世界に3つしかなかった希少な1文字ドメインのうちの1つなのだと、マスクは語っている(残る2つはq.comとz.com)。 マスクがこの名前をほしがったのには、実際的な理由もあった。 世界はまもなく携帯端末──はがき大のキーボード付きポケット型コンピュータ──であふれるだろう、とマスクは考えていた。そしてその世界では、X.comという短いURLは理想的だ。親指を数回タップして入力するだけで、あらゆる金融商品にアクセスできるのだから』、「マスクはまだプロダクトもないうちにその会社の名前を決めた。X.com(Xドットコム)だ。マスクはこれが「ネット上で最もクールなURL」だと信じて疑わなかった。 マスクにとってX.comは斬新で、興味をそそり、すべての銀行・投資サービスが共存する場所という会社の精神をすっかり表現できるほど自由な名前だった。宝の地図の「X」が財宝のありかを示すように、X.comはネット上の富が集まる場所を示していた」、なるほど。
・『「Xなんて、アダルトサイトみたい」 (編集部注)しかし、合併会社の社員たちはまったく納得していなかった。 その夏、問題は山場を迎えた。グループインタビューを用いた市場調査で、「X.com」より「ペイパル」という名前のほうが好感度が高いことがはっきりしたのだ。調査を主導した社員のヴィヴィアン・ゴーは、「『X』みたいな名前のサイトは信用できないとか、アダルトサイトみたいと言われ続けた」と言う。 ゴーはユーザー調査に限界があることも理解していた。「昔は『アップル』でさえおかしな名前だと思われていたわけだから」。だが彼女はユーザーの懸念を直接耳にした。「口を揃えて『この名前は信用できない。得体の知れない感じがする』とほぼ同じ言葉で言われ続けたら、そうかなと思わざるを得ない」 お堅い会計事務所のKPMGからX.comに転職したリーナ・フィッシャーは、怪しげな社名のせいで、自分やほかの社員が「気味の悪いメールをたくさん」受け取ったと言う。「うちのプロダクトといえば、ペイパルでしょう? ペイパルこそ、会社の目的を説明するのにふさわしい名前だとずっと思っていた」 他方、エイミー・ロウ・クレメントがX.comに入社したのは、その壮大なビジョンに魅力を感じたからだ。「Xが核で、その名の下にすべてのプロダクトを束ねようとしていた」と彼女は言う。 だが会社の成長の突破口を開いたのは、メールを利用した単純な決済方法(ペイパル)だった。「ペイパルのほうが成長が速かった。その一因は、X.comのアカウントは銀行口座で、運営にかかるコストも時間も膨大だったからよ。結局、銀行口座の顧客に収益性の高いほかの金融商品をすばやく売り込む見込みがないことがわかって、X.comのプラットフォームを運営する意味がなくなっていった」 マスクは名称変更は必要だと譲らず、市場調査をないがしろにして反感を買った。「ペイパル」派は、マスクがユーザーの好みより、私見をもとに意思決定を下そうとしていると感じた。 (編集部注)マスクはすでに20年以上前から、いまとまったく同じ行動を取っていたのだ。 結果、彼は誰もの不興を買い、クーデターが勃発、自らがつくったX.comのCEOの座から追放されることとなる。マスクの去ったX.comは無事に「ペイパル」に改名、いまや世界中にその名を轟かせている。 一方、マスクはその十数年後、X.comのURLをペイパルから買い戻している。 その際、「いったいそのURLで何をするのか」という声に、当時はまだ、いちヘヴィユーザーに過ぎなかったツイッターでこう返している。 「X.comの買い戻しを許してくれてありがとう、ペイパル! いまのところ何の計画もないが、僕にとってはとても思い入れがあるものだ」(『創始者たち』より) いまでは「X.com」とURLに打ち込むと、ツイッターのサイトに転送される。 X.comを追放されてからもSpaceXをつくるなど、一貫して「X」にこだわり続けてきたマスク。ツイッター買収も「宝のありかであるXに、ネット上のあらゆる富を集める」という20年来のビジョンに向かう一里塚だったようだ。はたして今回は、その遠大な野望の実現に近づくことができるのだろうか。 (本原稿は、ジミー・ソニ著『創始者たち──イーロン・マスク、ピーター・ティールと世界一のリスクテイカーたちの薄氷の伝説』からの抜粋です) 【Xの嫌な感じの正体】イーロン・マスクがツイッター改名に執着する「本当の理由」 『創始者たち』とは? 1999年、若き異端児イーロン・マスクが始めた会社X.comと、天才ピーター・ティールの会社コンフィニティは、数奇にも、シリコンバレーのとある建物で隣り合って入居していた。個性の強い精鋭集団は激しい衝突を繰り返すが、やがてペイパルという一つの会社に融合する』、「「市場調査で、「X.com」より「ペイパル」という名前のほうが好感度が高いことがはっきりしたのだ。調査を主導した社員のヴィヴィアン・ゴーは、「『X』みたいな名前のサイトは信用できないとか、アダルトサイトみたいと言われ続けた」と言う。 ゴーはユーザー調査に限界があることも理解していた。「昔は『アップル』でさえおかしな名前だと思われていたわけだから」。だが彼女はユーザーの懸念を直接耳にした。「口を揃えて『この名前は信用できない。得体の知れない感じがする』とほぼ同じ言葉で言われ続けたら、そうかなと思わざるを得ない」・・・イーロン・マスクが始めた会社X.comと、天才ピーター・ティールの会社コンフィニティは、数奇にも、シリコンバレーのとある建物で隣り合って入居していた。個性の強い精鋭集団は激しい衝突を繰り返すが、やがてペイパルという一つの会社に融合する」、なるほど。
・小さな会社から世界的CEOが続出した謎 その小さな会社を始めた「無名の若者たち」は、やがてシリコンバレーを席巻していく。 イーロン・マスク(スペースX創業、テスラ、ツイッターCEO)、ピーター・ティール(投資家)、マックス・レヴチン(スライド、アファーム創業)、リード・ホフマン(リンクトイン創業)、チャド・ハーリー(ユーチューブ創業)、ジェレミー・ストップルマン(イェルプ創業)、デイヴィッド・サックス(ヤマー創業)、プレマル・シャー(キヴァ創業)など、次々とシリコンバレーの大物を生んだ「全米史上最凶企業」ペイパルの驚くべき物語とは? 波乱に次ぐ波乱の展開で、朝日新聞(稲泉連氏評)、日本経済新聞(湯川抗氏評)、週刊東洋経済(塩野誠氏評)他、絶賛続々! 「ページを繰る手が止まらない」「面白すぎて本を閉じれない」とSNSでも話題沸騰! 読書界興奮の書。 【Xの嫌な感じの正体】イーロン・マスクがツイッター改名に執着する「本当の理由」 『創始者たち――イーロン・マスク、ピーター・ティールと世界一のリスクテイカーたちの薄氷の伝説』 ジミー・ソニ著、櫻井祐子訳 INTRODUCTION シリコンバレーの謎 第1部 大胆不敵(紹介は省略)』、「その小さな会社を始めた「無名の若者たち」は、やがてシリコンバレーを席巻していく。 イーロン・マスク・・・、ピーター・ティール(投資家)、マックス・レヴチン(スライド、アファーム創業)、リード・ホフマン(リンクトイン創業)、チャド・ハーリー(ユーチューブ創業)・・・」、さすが「シリコンバレー」だけあって、錚々たる顔ぶれだ。
次に、9月8日付けPRESIDENT Onlineが掲載した京都外国語大学外国語学部 教授の菅野 瑞治也氏による「マスク氏とザッカーバーグ氏の決闘は「素手」ではなく「真剣」でやるべき…決闘の専門家がそう勧める理由 決闘とは見世物ではなく、もっと厳粛で神聖なもの」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/73529
・『いずれも億万長者であるイーロン・マスク氏とマーク・ザッカーバーグ氏との「決闘」が注目を集めている。イタリア政府も開催を示唆するなど、ただのジョークではなさそうだ。京都外国語大学の菅野瑞治也教授は「二人には、総合格闘技による『ケージマッチ』=『決闘ショー』ではなく、真剣を用いたメンズーアのような決闘を真剣に提唱したい」という――』、興味深そうだ。
・『世界的な大富豪同士の「決闘」 米起業家イーロン・マスク(Elon Musk)氏と、米交流サイト大手メタ(Meta)のマーク・ザッカーバーグ(Mark Zuckerberg)CEOという世界的な二人の大富豪が本当に「決闘」する(かもしれない)ということで、ネットを中心に大きな話題になっている。 メタ社が、マスク氏自身が所有するX(旧Twitter)に対抗する新たなSNS「Threads」のサービスを開始したことで、両氏の対立が深まり、この「決闘」騒動は、マスク氏が「金網マッチ(ケージマッチ=囲いの中で行う格闘技)」で戦おうとザッカーバーグ氏に挑発したことから始まった。 当初はジョークかと思われたが、両氏とも戦いの準備はできているとし、お互い対戦日を提案するなどしてきたが、8月イタリア政府も同国での開催に正式に同意し、「決闘」はにわかに現実味を帯びてきた。 マスク氏(52歳)は、身長約188cm、体重約85kg、一方、ザッカーバーグ氏(39歳)は、身長約170cm、体重約70kg。体格では、マスク氏が圧倒的に有利に見えるが、ザッカーバーグ氏は39歳と若く、しかも、今年のとある柔術の大会で見事優勝している。それに負けじと、マスク氏も柔術のトレーニングを本格的に開始したと言われている。 我々日本人にとって、「決闘」はあまり馴染みがなく、イメージが湧きづらいかもしれない。しかし、ヨーロッパにおいては、「決闘」は古代から続く歴史と伝統のあるものである』、「当初はジョークかと思われたが、両氏とも戦いの準備はできているとし、お互い対戦日を提案するなどしてきたが、8月イタリア政府も同国での開催に正式に同意し、「決闘」はにわかに現実味を帯びてきた」、なるほど。
・『歴史と伝統のあるヨーロッパの「決闘」 中世のヨーロッパでは、殺人、姦通などの事件でことの真偽がはっきりしない場合、最終的な「神の裁き」として、争いの当事者またはその代理人が一対一で決闘をして、その結果に従って紛争に決着をつけるという裁判が行われていた。 これを「決闘裁判」と呼ぶが、歴史は古代ゲルマン人の時代まで遡る。一種の「神判」であり、その根底には、真実を主張している者に神は必ず味方するという考え方があった。しかし、時の経過とともに、「神判」は徐々に衰退し、14~5世紀には、「決闘裁判」も歴史舞台から姿を消し去る。 これ以降の近世のヨーロッパにおいては、名誉をめぐる争いごとなどを解決する目的で、当事者同士の合意のもと、予め了解し合った一定のルールに基づいて行う一対一の「決闘(duel)」(=果し合い)が激増していく。「決闘による無条件の名誉回復」という表現がよく使われたが、これは、何らかの理由で名誉を汚された者が、侮辱した方に決闘を挑み、侮辱した方(決闘を挑まれた方)が、その決闘の挑戦を受けるという権利と義務のことである。 侮辱を受けた者が決闘を申し入れないことや、決闘を申し込まれた者がこれを受諾しないことは、最大の不名誉とされていたので、決闘は頻繁に行われた。名誉を汚され、侮辱を受けた者は、その相手と命を懸けて決闘することによって、自分の名誉を挽回・回復し、すべてを清算することができた。 戦争との大きな違いは、関係のない者まで巻き込むことなく、当事者二人だけで争いごとを解決したわけであり、「決闘」はまさに、人類が考え出した最も賢明な紛争解決手段とも言えよう』、「中世のヨーロッパでは、殺人、姦通などの事件でことの真偽がはっきりしない場合、最終的な「神の裁き」として、争いの当事者またはその代理人が一対一で決闘をして、その結果に従って紛争に決着をつけるという裁判が行われていた。 これを「決闘裁判」と呼ぶが、歴史は古代ゲルマン人の時代まで遡る。一種の「神判」であり、その根底には、真実を主張している者に神は必ず味方するという考え方があった。しかし、時の経過とともに、「神判」は徐々に衰退し、14~5世紀には、「決闘裁判」も歴史舞台から姿を消し去る。 これ以降の近世のヨーロッパにおいては、名誉をめぐる争いごとなどを解決する目的で、当事者同士の合意のもと、予め了解し合った一定のルールに基づいて行う一対一の「決闘(duel)」・・・が激増していく・・・侮辱を受けた者が決闘を申し入れないことや、決闘を申し込まれた者がこれを受諾しないことは、最大の不名誉とされていたので、決闘は頻繁に行われた。名誉を汚され、侮辱を受けた者は、その相手と命を懸けて決闘することによって、自分の名誉を挽回・回復し、すべてを清算することができた。 戦争との大きな違いは、関係のない者まで巻き込むことなく、当事者二人だけで争いごとを解決したわけであり、「決闘」はまさに、人類が考え出した最も賢明な紛争解決手段とも言えよう」、なるほど。
・『筆者も経験した真剣を用いた「決闘」 決闘と言えば、アメリカの西部劇のようなピストルを用いてズドーンというシーンを思い浮かべる方も多いと思うが、決闘のための武器は、古代から中世、そして、近世に至るまで長らく「剣」が使用されていたわけであり、ピストルが決闘の武器として主流となったのは、ようやく18世紀中頃以降である。 19世紀後半になると、「決闘」は衰退の一途を辿っていくが、驚くべきことに、今日においても、「メンズーア(Mensur)」と呼ばれる真剣を用いた「決闘」の慣習がドイツ語圏(主にドイツとオーストリア)の一部の学生の間で連綿と受け継がれている。実は、私も留学時代にこのメンズーアを二度経験しており、筆者の頭と顔には、多少薄くなったが、その時に負った刀傷が今でもくっきりと残っている。 メンズーアの詳細について、拙著『実録 ドイツで決闘した日本人』(集英社新書)から一部をご紹介しよう。 メンズーアにおいては、刃渡り約90cm、柄(握り)が約15cmの鋭利な真剣を用いて、お互いの顔と頭を正面から斬り合うのである。頸けい動脈は勿論のこと、全身に防具をつけるため、今では死ぬことはまずない。しかし、鋭利な刃物で顔や頭を斬られることを一瞬でも考えると、その恐怖心はハンパではない。剣を交わし始めてから、しばらく、私の脚の震えが止まらなかったことを今でも鮮明に覚えている。 日本の剣道は両手で竹刀を握るが、メンズーアにおいては、片手だけで剣を持って戦う。両者の間には、剣の長さの分、つまり、約1メートルの距離しかない。そして、フェンシングのような「突き」は禁じられているが、剣の動きが1秒以上静止すると即刻失格となるので、自ずとすごいスピードで交互に斬り合うことになる。1ラウンドは僅か6~7秒、これを25~30ラウンド行うが、ほとんどの場合、15ラウンド目あたりまでにどちらかが負傷し、ドクターストップがかかり終了する。 そして、メンズーアにおいて特徴的なことは、剣道やボクシングのように動き回ったり、敵の攻撃をかわすために、上体と頭や顔を前後左右に動かすことが一切禁じられているという点である。両者は、至近距離で直立して対峙たいじして斬り合い、足を動かしたり、後ずさりしたり、顔を少しでものけぞらせたりすれば、「臆病で卑怯な態度をとること(ムッケン)」と見做され、即刻失格となる。 細かなルールが定められているという点で、確かにメンズーアはスポーツ的要素が強い。しかし、スポーツと呼べない理由は、勝敗がないという点と、殺傷能力のある真剣を用いる点にある。換言すれば、この「ムッケン」さえなければ、たとえどちらか一方が斬られたとしても、その決闘は有効なものとして認められ、その者は勇者として称えられるのである。メンズーアは、男としての真価を試される一つの厳しい試練であり、ヨーロッパに伝統的な騎士道精神に基づいた勇気を証明するための独特な儀式なのだ』、「今日においても、「メンズーア(Mensur)」と呼ばれる真剣を用いた「決闘」の慣習がドイツ語圏(主にドイツとオーストリア)の一部の学生の間で連綿と受け継がれている。実は、私も留学時代にこのメンズーアを二度経験しており、筆者の頭と顔には、多少薄くなったが、その時に負った刀傷が今でもくっきりと残っている」、筆者が「決闘」を「二度経験」したとは驚かされた。
・『伝統的な「決闘の本質」とは全く相いれない ここまで簡単に振り返ってきたヨーロッパにおける「決闘」の歴史を鑑みれば、マスク氏とザッカーバーグ氏の「決闘」も、SNSサービスをめぐる両者の対立に一区切りをつける「決闘裁判」あるいは、近世の剣やピストルを用いた「決闘」のような意味合いがあるのかもしれない。 しかし、気になる点がいくつかある。両氏による総合格闘技は、「大規模なチャリティーイベント」として、マスク氏のXと、ザッカーバーグ氏のメタによって管理され、両方のシステムを経由して生中継される予定になっている。これは、まさに「決闘ショー」であり、ヨーロッパで伝統的に行われてきた決闘の本質とは全く相いれないものである。 植民地時代当初のアメリカは、ピューリタン的理念がすべての社会的モラルの規範であり、当然のことながら決闘に対して否定的な国であった。ところが、1776年に13州がイギリスからの独立を宣言したあたりから、ヨーロッパにおける社会的流行現象が急速にアメリカ社会に流れ込んできた。決闘作法もまた然りである』、「マスク氏とザッカーバーグ氏の「決闘」も・・・「大規模なチャリティーイベント」として、マスク氏のXと、ザッカーバーグ氏のメタによって管理され、両方のシステムを経由して生中継される予定になっている。これは、まさに「決闘ショー」であり、ヨーロッパで伝統的に行われてきた決闘の本質とは全く相いれないものである・・・1776年に13州がイギリスからの独立を宣言したあたりから、ヨーロッパにおける社会的流行現象が急速にアメリカ社会に流れ込んできた。決闘作法もまた然りである」、なるほど。
・『ヨーロッパの決闘の前提である「名誉」とは何か 1804年7月11日に合衆国副大統領アーロン・バーと合衆国建国の父の一人であるアレクサンダー・ハミルトンとの間で行われた有名な決闘は、元来、ヨーロッパの貴族階級の間で生まれた「名誉」を賭けた決闘と軌を一にするものであった。 その一方で、アメリカで広まったのは、開拓と自衛というファクターに基づいた、「名誉」を前提としない、その場の成り行きで喧嘩をし、ピストルでの決闘に発展するという、いわゆる、アメリカン・スタイルの決闘である。ペンシルベニア州では、娯楽の延長線上にある「決闘ショー」が一時流行したほどである。 それに対して、ヨーロッパの決闘には、あくまでも「名誉が著しく汚される」という事実が前提としてあった。「自己の名誉を深く傷つけられた」と感じた者が、侮辱した相手に決闘を申し入れ、決闘を要求された相手も必ずこれに応じるという暗黙の了解があった。そして、ここでいう「名誉」は、我々が日頃使っている「意地」とか「プライド」とかという軽い意味ではなく、人間としての「尊厳」、自分が生きていくうえで「これだけは譲れない」という本質的な部分と言い換えてもいいかもしれない』、「アメリカで広まったのは、開拓と自衛というファクターに基づいた、「名誉」を前提としない、その場の成り行きで喧嘩をし、ピストルでの決闘に発展するという、いわゆる、アメリカン・スタイルの決闘である。ペンシルベニア州では、娯楽の延長線上にある「決闘ショー」が一時流行したほどである。 それに対して、ヨーロッパの決闘には、あくまでも「名誉が著しく汚される」という事実が前提としてあった・・・「名誉」は、我々が日頃使っている「意地」とか「プライド」とかという軽い意味ではなく、人間としての「尊厳」、自分が生きていくうえで「これだけは譲れない」という本質的な部分と言い換えてもいいかもしれない」、なるほど。
・『「決闘」=「高貴なる野蛮」は厳粛で神聖なもの 真剣やピストルを用いた「決闘」は、絶えず「死」と隣り合わせである。それ故、これまで決闘で命を落とした多くの著名人も、そして、名もなき男たちも、そのほとんどが決闘を前にして遺言状を残してきた。決闘の場には、介添人や立会人などの関係者が居合わせるものの、決闘は、基本的には二人だけで行う究極的な清算手段である。マスク氏とザッカーバーグ氏にそこまでの覚悟があるのだろうか。 決闘は、復讐ふくしゅうのための手段ではなく、和解のための一つの媒体である。復讐はそれ自体、決闘の本質からかけ離れたものである。決闘においては、侮辱を受けた者も、侮辱を与えた者も全く対等であり、両者とも等しく、自分の命を失ったり、重傷を負ったりする危険に晒されている。このようなカタルシス的状況において、憎悪、敵意、復讐といったネガティブな感情が芽生える余地はもはやない。 このように、どう考えても、マスク氏とザッカーバーグ氏の「決闘」は、本物の決闘の本質からは逸脱したものに思えてならないが、SNSなどを通じて情報が錯綜さくそうする現代において、人間の生きる原点が何なのかを考えるきっかけを与えてくれているように思う。 私なりの結論を言うと、二人には、総合格闘技による「ケージマッチ」=「決闘ショー」ではなく、先ほど簡単に説明させていただいた、ドイツ語圏では合法化されているメンズーアのような真剣を用いた決闘を非公開で行うことを、真剣に提唱したい。ヨーロッパで連綿と受け継がれてきた「決闘」=「高貴なる野蛮」は、見世物ではなく、もっと厳粛で神聖なものだからだ』、「マスク氏とザッカーバーグ氏の「決闘」は・・・総合格闘技による「ケージマッチ」=「決闘ショー」ではなく・・・ドイツ語圏では合法化されているメンズーアのような真剣を用いた決闘を非公開で行うことを、真剣に提唱したい。ヨーロッパで連綿と受け継がれてきた「決闘」=「高貴なる野蛮」は、見世物ではなく、もっと厳粛で神聖なものだからだ」、「二人」がそんな真剣勝負をするつもりはないのであれば、世の中を騒がすのもいい加減にしてほしいものだ。
第三に、12月7日付け東洋経済オンラインがThe New York Timesを転載した「広告主が相次ぎ出稿停止「X」は何がヤバいのか もはやXを使うこと自体が逆宣伝?」を紹介しよう。
・『かつてツイッターとして知られていたソーシャルメディア企業「X」のオーナー、イーロン・マスクから口汚くののしられ、広告を出すなと言われたことを受け、複数の広告主は11月30日、Xへの出稿を近く再開する予定はないと語った』、「マスク」氏が「広告主」に対して「広告を出すな」と言ったとは、思い上がりもいいところだ。
・『広告価値よりもデカい風評リスク 少なくとも6社の広告代理店が、クライアント企業からXへの広告出稿に断固として反対されていると話す一方、ほかの広告代理店はXに広告を一切出さないよう広告主に助言したと話した。 マスクの発言によって、ここ数週間にわたり広告主がXに対して行ってきた一時的な出稿停止の一部は永久凍結に変わる可能性が高いと、これらの代理店は付け加えた。 マーケティングコンサルティング会社AJLアドバイザリーの創業者で最高経営責任者(CEO)のルー・パスカリスは、広告主はXに「戻ってこないだろう」と話した。「このプラットフォームを再び使うことによる風評リスクを相殺できるほどの広告価値はないからだ」 マスクは昨年にツイッターを買収して以降、繰り返し広告主を批判し、広告主の離反を招いてきた。Xのコンテンツモデレーション(悪質投稿の監視・削除)のルールを緩めるというマスクの計画に懸念を抱き、広告出稿を停止した広告主に対し、「核熱反応のように社名をさらして恥をかかせる」と脅したこともある。) マスクが反ユダヤ主義陰謀論の投稿に賛同し、Xでは親ナチスの投稿と一緒に広告が表示されるケースがあると研究者らが注意を呼びかけたことを受けて、ここ数週間で広告出稿をやめた広告主は200社を超える。売り上げの大半を広告から得ているXは、ブランド各社が身を引いたことで、年末までに最大で7500万ドルの広告収入を失う危険にさらされている。 状況は11月29日、ニューヨークで開催されたニューヨーク・タイムズ主催の「ディールブック・サミット」で、マスクが広告主をあおる発言をしたことで一段と悪化した。 同イベントのインタビューで、マスクは反ユダヤ主義的な投稿について謝罪し、これまで自身が行ったものの中で「最も愚かな投稿の1つ」だったと述べる一方、広告主が自分を「脅そう」としているとも語り、サミットに同席していたウォルト・ディズニー・カンパニーのCEOボブ・アイガーを名指しした。 そしてマスクは「広告を出すな」と、下品なののしり言葉を何度も使って、自らの言い分を強調した。 その数時間後、XのCEOリンダ・ヤッカリーノは被害の軽減に努めていた。ヤッカリーノはXへの投稿で、反ユダヤ主義的な投稿を支持したことに対するマスクの謝罪に注目点をずらし、Xに戻ってくるよう広告主に訴えた』、「ニューヨーク・タイムズ主催の「ディールブック・サミット」で、マスクが広告主をあおる発言をしたことで一段と悪化した。 同イベントのインタビューで、マスクは反ユダヤ主義的な投稿について謝罪し、これまで自身が行ったものの中で「最も愚かな投稿の1つ」だったと述べる一方、広告主が自分を「脅そう」としているとも語り、サミットに同席していたウォルト・ディズニー・カンパニーのCEOボブ・アイガーを名指しした。 そしてマスクは「広告を出すな」と、下品なののしり言葉を何度も使って、自らの言い分を強調した。 その数時間後、XのCEOリンダ・ヤッカリーノは被害の軽減に努めていた。ヤッカリーノはXへの投稿で、反ユダヤ主義的な投稿を支持したことに対するマスクの謝罪に注目点をずらし、Xに戻ってくるよう広告主に訴えた」、「XのCEOリンダ・ヤッカリーノは被害の軽減に努めていた」、マスク氏の尻拭いも大変なようだ。
・『広告主にまったく響かない「Xの大義」 「Xは、一部の人々が不快と思う『情報の独立性』を可能にしている」とヤッカリーノは書いた。「Xの立ち位置は、言論の自由と普通の人々が交わるユニークで素晴らしい交差点だ。Xのコミュニティーは強力であり、皆さんを歓迎する」。 Xの広報担当者はコメントの求めに応じなかった。 マーケティング・メディア・コンサルティング会社イービクイティで最高戦略責任者を務めるルーベン・シュルールスは、ヤッカリーノは言論の自由に関するXの見解をブランド各社に支持してもらおうとしているようだが、広告主がXの目標を後押しする可能性は低いと話した。 「まったく共感を呼んでいない」。シュルールスは、広告出稿の一時停止は「広告出稿の打ち切りに変わりつつある」ようだと付け加えた。Xの経営陣もしくはオーナーの変更がなければ、広告主が出稿再開を検討する可能性は低いと言う。) ほかのマーケティング会社はブランド各社に対し、Xを完全に捨てるよう勧めている。コンサルティング会社アビドス・メディアを経営し、ヘルスケア業界などで最大5000万ドルのメディア予算を持つクライアントを抱えるメディア・プランニング界のベテラン、トム・ヘスポスは11月30日、クライアントに対し、Xへの広告出稿だけでなく、投稿自体もやめるべきだという勧告を初めて正式に行ったと述べた。 ヘスポスは「良心があるなら」、マスクがXで行ってきたことに「加担し続けるようクライアントに勧めることはできない」と語った。 Xに多額の広告費を投じてきたが、最近出稿をやめた企業には、アップル、ディズニー、IBMなどがある。ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)やニューヨーク・タイムズのスポーツサイト「ジ・アスレチック」などは出稿を続けている。 29日のディールブックのイベントで、マスクは広告主のボイコットが長期化すれば、Xがつぶれる可能性があることを認める反面、Xが倒産すれば、世の中は私ではなく、広告主を責めるだろうと語った。 「私は決して迎合しない」とマスクは言った』、「マスクは広告主のボイコットが長期化すれば、Xがつぶれる可能性があることを認める反面、Xが倒産すれば、世の中は私ではなく、広告主を責めるだろうと語った。 「私は決して迎合しない」とマスクは言った」、「Xが倒産すれば、世の中は私ではなく、広告主を責めるだろう」、何と思い上がった発言だろう。
・『マスクは「広告主にとって危険なパートナー」 マーケティング管理コンサルティング会社マーサー・アイランド・グループの創業者スティーブ・ボーラーは、広告主の懸念を一顧だにしないマスクは、広告主から危険なパートナーとみなされるようになったと指摘する。 マスクの「コメントは、X、広告主との付き合い方、さらには広告主の考えを気にかけているのかどうかといったことについて、とてつもない不透明感があることを示している」と、年間1000万ドル〜5億ドルの広告予算を持つクライアントと仕事をするボーラーは語った。 「これは人としての問題でもある。ビジネスには大勢の人が関わっており、誰もが敬意を払われ、尊厳を持って扱われたいと思っている」とボーラーは付け加えた』、「広告主の懸念を一顧だにしないマスクは、広告主から危険なパートナーとみなされるようになったと指摘する。 マスクの「コメントは、X、広告主との付き合い方、さらには広告主の考えを気にかけているのかどうかといったことについて、とてつもない不透明感があることを示している」、それにしても、「マスク」氏はいつまで反「広告主」的な姿勢を続けるのだろう。
タグ:SNS(ソーシャルメディア) (その13)(【Xの嫌な感じの正体】イーロン・マスクがツイッター改名に執着する「本当の理由」、マスク氏とザッカーバーグ氏の決闘は「素手」ではなく「真剣」でやるべき…決闘の専門家がそう勧める理由 決闘とは見世物ではなく もっと厳粛で神聖なもの、広告主が相次ぎ出稿停止「X」は何がヤバいのか もはやXを使うこと自体が逆宣伝?) ダイヤモンド・オンライン ジミー・ソニ 櫻井祐子 「【Xの嫌な感じの正体】イーロン・マスクがツイッター改名に執着する「本当の理由」」 マスクのこの「X」への異様な執着 『創始者たち──イーロン・マスク、ピーター・ティールと世界一のリスクテイカーたちの薄氷の伝説』(ジミー・ソニ著、櫻井祐子訳、ダイヤモンド社) 合併会社のCEOとなったマスクは、ツイッターにおいてと同様、「X」の名前に異様なこだわりを見せ、社内は大混乱となる ペイパルの総決済件数は数百万件、これに対しX.comは数十万件だった。ユーザーはペイパルのブランドに群がり、イーベイでの出品やメールの末尾にペイパルのリンクを貼っていた 「世界の金融システムの支配をめざすなら、Xの名前でなければだめだ。ペイパルは機能の一つに過ぎず、会社そのものではないんだから」とマスクは言った。彼にとって社名をペイパルにするのは、「アップルが社名をマックにするようなもの」だった」、なるほど。 「マスクはまだプロダクトもないうちにその会社の名前を決めた。X.com(Xドットコム)だ。マスクはこれが「ネット上で最もクールなURL」だと信じて疑わなかった。 マスクにとってX.comは斬新で、興味をそそり、すべての銀行・投資サービスが共存する場所という会社の精神をすっかり表現できるほど自由な名前だった。宝の地図の「X」が財宝のありかを示すように、X.comはネット上の富が集まる場所を示していた」、なるほど。 市場調査で、「X.com」より「ペイパル」という名前のほうが好感度が高いことがはっきりしたのだ。調査を主導した社員のヴィヴィアン・ゴーは、「『X』みたいな名前のサイトは信用できないとか、アダルトサイトみたいと言われ続けた」と言う。 「「市場調査で、「X.com」より「ペイパル」という名前のほうが好感度が高いことがはっきりしたのだ。調査を主導した社員のヴィヴィアン・ゴーは、「『X』みたいな名前のサイトは信用できないとか、アダルトサイトみたいと言われ続けた」と言う。 ゴーはユーザー調査に限界があることも理解していた。 「昔は『アップル』でさえおかしな名前だと思われていたわけだから」。だが彼女はユーザーの懸念を直接耳にした。「口を揃えて『この名前は信用できない。得体の知れない感じがする』とほぼ同じ言葉で言われ続けたら、そうかなと思わざるを得ない」・・・イーロン・マスクが始めた会社X.comと、天才ピーター・ティールの会社コンフィニティは、数奇にも、シリコンバレーのとある建物で隣り合って入居していた。 個性の強い精鋭集団は激しい衝突を繰り返すが、やがてペイパルという一つの会社に融合する」、なるほど。 「その小さな会社を始めた「無名の若者たち」は、やがてシリコンバレーを席巻していく。 イーロン・マスク・・・、ピーター・ティール(投資家)、マックス・レヴチン(スライド、アファーム創業)、リード・ホフマン(リンクトイン創業)、チャド・ハーリー(ユーチューブ創業)・・・」、さすが「シリコンバレー」だけあって、錚々たる顔ぶれだ。 PRESIDENT ONLINE 菅野 瑞治也氏による「マスク氏とザッカーバーグ氏の決闘は「素手」ではなく「真剣」でやるべき…決闘の専門家がそう勧める理由 決闘とは見世物ではなく、もっと厳粛で神聖なもの」 「当初はジョークかと思われたが、両氏とも戦いの準備はできているとし、お互い対戦日を提案するなどしてきたが、8月イタリア政府も同国での開催に正式に同意し、「決闘」はにわかに現実味を帯びてきた」、なるほど。 「中世のヨーロッパでは、殺人、姦通などの事件でことの真偽がはっきりしない場合、最終的な「神の裁き」として、争いの当事者またはその代理人が一対一で決闘をして、その結果に従って紛争に決着をつけるという裁判が行われていた。 これを「決闘裁判」と呼ぶが、歴史は古代ゲルマン人の時代まで遡る。一種の「神判」であり、その根底には、真実を主張している者に神は必ず味方するという考え方があった。 しかし、時の経過とともに、「神判」は徐々に衰退し、14~5世紀には、「決闘裁判」も歴史舞台から姿を消し去る。 これ以降の近世のヨーロッパにおいては、名誉をめぐる争いごとなどを解決する目的で、当事者同士の合意のもと、予め了解し合った一定のルールに基づいて行う一対一の「決闘(duel)」・・・が激増していく・・・侮辱を受けた者が決闘を申し入れないことや、決闘を申し込まれた者がこれを受諾しないことは、最大の不名誉とされていたので、決闘は頻繁に行われた。 名誉を汚され、侮辱を受けた者は、その相手と命を懸けて決闘することによって、自分の名誉を挽回・回復し、すべてを清算することができた。 戦争との大きな違いは、関係のない者まで巻き込むことなく、当事者二人だけで争いごとを解決したわけであり、「決闘」はまさに、人類が考え出した最も賢明な紛争解決手段とも言えよう」、なるほど。 「今日においても、「メンズーア(Mensur)」と呼ばれる真剣を用いた「決闘」の慣習がドイツ語圏(主にドイツとオーストリア)の一部の学生の間で連綿と受け継がれている。実は、私も留学時代にこのメンズーアを二度経験しており、筆者の頭と顔には、多少薄くなったが、その時に負った刀傷が今でもくっきりと残っている」、筆者が「決闘」を「二度経験」したとは驚かされた。 「マスク氏とザッカーバーグ氏の「決闘」も・・・「大規模なチャリティーイベント」として、マスク氏のXと、ザッカーバーグ氏のメタによって管理され、両方のシステムを経由して生中継される予定になっている。これは、まさに「決闘ショー」であり、ヨーロッパで伝統的に行われてきた決闘の本質とは全く相いれないものである・・・ 1776年に13州がイギリスからの独立を宣言したあたりから、ヨーロッパにおける社会的流行現象が急速にアメリカ社会に流れ込んできた。決闘作法もまた然りである」、なるほど。 「アメリカで広まったのは、開拓と自衛というファクターに基づいた、「名誉」を前提としない、その場の成り行きで喧嘩をし、ピストルでの決闘に発展するという、いわゆる、アメリカン・スタイルの決闘である。ペンシルベニア州では、娯楽の延長線上にある「決闘ショー」が一時流行したほどである。 それに対して、ヨーロッパの決闘には、あくまでも「名誉が著しく汚される」という事実が前提としてあった・・・「名誉」は、我々が日頃使っている「意地」とか「プライド」とかという軽い意味ではなく、人間としての「尊厳」、自分が生きていくうえで 「これだけは譲れない」という本質的な部分と言い換えてもいいかもしれない」、なるほど。 「マスク氏とザッカーバーグ氏の「決闘」は・・・総合格闘技による「ケージマッチ」=「決闘ショー」ではなく・・・ドイツ語圏では合法化されているメンズーアのような真剣を用いた決闘を非公開で行うことを、真剣に提唱したい。ヨーロッパで連綿と受け継がれてきた「決闘」=「高貴なる野蛮」は、見世物ではなく、もっと厳粛で神聖なものだからだ」、 「二人」がそんな真剣勝負をするつもりはないのであれば、世の中を騒がすのもいい加減にしてほしいものだ。 東洋経済オンライン The New York Times 「広告主が相次ぎ出稿停止「X」は何がヤバいのか もはやXを使うこと自体が逆宣伝?」 「マスク」氏が「広告主」に対して「広告を出すな」と言ったとは、思い上がりもいいところだ。 「ニューヨーク・タイムズ主催の「ディールブック・サミット」で、マスクが広告主をあおる発言をしたことで一段と悪化した。 同イベントのインタビューで、マスクは反ユダヤ主義的な投稿について謝罪し、これまで自身が行ったものの中で「最も愚かな投稿の1つ」だったと述べる一方、広告主が自分を「脅そう」としているとも語り、サミットに同席していたウォルト・ディズニー・カンパニーのCEOボブ・アイガーを名指しした。 そしてマスクは「広告を出すな」と、下品なののしり言葉を何度も使って、自らの言い分を強調した。 その数時間後、XのCEOリンダ・ヤッカリーノは被害の軽減に努めていた。ヤッカリーノはXへの投稿で、反ユダヤ主義的な投稿を支持したことに対するマスクの謝罪に注目点をずらし、Xに戻ってくるよう広告主に訴えた」、「XのCEOリンダ・ヤッカリーノは被害の軽減に努めていた」、マスク氏の尻拭いも大変なようだ。 「マスクは広告主のボイコットが長期化すれば、Xがつぶれる可能性があることを認める反面、Xが倒産すれば、世の中は私ではなく、広告主を責めるだろうと語った。 「私は決して迎合しない」とマスクは言った」、「Xが倒産すれば、世の中は私ではなく、広告主を責めるだろう」、何と思い上がった発言だろう。 「広告主の懸念を一顧だにしないマスクは、広告主から危険なパートナーとみなされるようになったと指摘する。 マスクの「コメントは、X、広告主との付き合い方、さらには広告主の考えを気にかけているのかどうかといったことについて、とてつもない不透明感があることを示している」、それにしても、「マスク」氏はいつまで反「広告主」的な姿勢を続けるのだろう。
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