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宗教(その12)(旧統一教会の解散請求秒読みで「第2の過払い金バブル」が来る!寄付金・献金が標的に、「自爆テロを見ても、容赦がない」日本の知性・養老孟司(86)がどんな宗教よりも「仏教」を信頼する理由 『生きるとはどういうことか』より、「打つ手は思いつかない」養老孟司(86)が「自殺する若者が絶えない日本」の現状について思うこと 『生きるとはどういうことか』より #2) [社会]

宗教については、昨年7月23日に取上げた。今日は、(その12)(旧統一教会の解散請求秒読みで「第2の過払い金バブル」が来る!寄付金・献金が標的に、「自爆テロを見ても、容赦がない」日本の知性・養老孟司(86)がどんな宗教よりも「仏教」を信頼する理由 『生きるとはどういうことか』より、「打つ手は思いつかない」養老孟司(86)が「自殺する若者が絶えない日本」の現状について思うこと 『生きるとはどういうことか』より #2)である。

先ずは、昨年9月7日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「旧統一教会の解散請求秒読みで「第2の過払い金バブル」が来る!寄付金・献金が標的に」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/328792
・『「過払い金バブル」再びの機運  「あなたの払い過ぎたお金が戻ってきます!今すぐご確認を」 「ご家族の方でも大丈夫です、いつ払ったのか記憶が曖昧でも大丈夫です、今すぐお電話ください」 今からそう遠くない未来、テレビやラジオ、そしてネットやSNSでは朝から晩までこのような呼びかけが聞こえることになるだろう。弁護士や司法書士を介して払い過ぎたお金を取り戻す、いわゆる「過払い金返還」のCMが大量に流されるのだ。 「おいおい、そんなの今もバリバリ流れているよ」というツッコミが聞こえてきそうだが、未来の「過払金」請求先は、現在のような消費者金融やクレジットカード会社ではない。 日本全国にある宗教団体である。 近い将来、宗教団体に入信していた人が「だまされた」と訴えるだけで、これまで払った献金を過去にさかのぼって、簡単に取り戻せるような法整備がなされるかもしれない。今の「過払い金返還請求」のように、弁護士事務所で簡単な打ち合わせをして、事務員がマニュアルに沿って事務手続きをするだけで、献金やお布施が戻ってくる――。 もしこんな未来になったら、弁護士業界はウハウハだ。利益率が高いため、案件が多ければ多いほどもうかるので、冒頭のようなCMをバンバン流すはずだ。つまり、2010年頃から弁護士業界に巨額の利益をもたらした「過払い金バブル」が、今度は宗教団体をターゲットにして「再現」される可能性があるのだ。 何を根拠にそんな予想をするのかというと、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)への解散請求がいよいよ秒読みになってきたからだ。 ●旧統一教会解散、請求の方針 政府、10月中旬で調整 近く過料申し立ても 地裁に(朝日新聞 9月3日) ●10月にも解散請求か 文科省が検討 7回質問権行使の旧統一教会に(FNNプライムオンライン 9月4日) 旧統一教会への解散請求が行われることが、なぜ冒頭で述べたような「過払い献金返還バブル」へとつながっていくのか。 わかりやすく言ってしまうと、「旧統一教会が組織的な違法行為をしていると国がお墨付きを与えると、ほとんどの宗教団体もアウトになる」からだ』、「旧統一教会・・・への解散請求がいよいよ秒読みになってきた・・・旧統一教会が組織的な違法行為をしていると国がお墨付きを与えると、ほとんどの宗教団体もアウトになる」、なるほど。
・『旧統一教会への解散請求が通ると、アウトな団体は他にも続々?  旧統一教会だけが今回の解散請求に該当するのかどうかを、まず冷静に考えてみたい。 わかりやすいのは、元大阪府知事で弁護士の橋下徹氏の見解だ。氏はかねてから旧統一教会の「組織的な違法性」を立証することが難しいと指摘してきた。 《旧統一教会に解散命令なら、電通も会社法に基づいて解散命令にしないと不公平。でも電通は解散すべきとはほとんどの人は言わないだろう。だから旧統一教会の解散も難しいと言ってきた》(23年2月2日) 《電通を解散させられないなら、民事の違法性、しかもほとんどが使用者責任の旧統一教会を解散することは困難》(同上) これはその通りで、これまでの解散請求は、地下鉄サリン事件を起こした「オウム真理教」と、詐欺罪で幹部が摘発された「明覚寺」の2件だけで、組織や幹部として明確な違法性が立証されている。これらの前例と、旧統一教会のケースはかけ離れている。 これまで旧統一教会幹部の逮捕者が出ていないことからもわかるように、本部が「霊感商法マニュアル」などを作成して、全国の信者に組織的な指示をしていたような証拠はどこにもない。 つまり、問題になっている霊感商法や高額な献金は、それぞれの信者が強すぎる信仰心を“こじらせた”結果であって、それをオウム真理教のような「組織的な違法性」と断罪するのは「拡大解釈」にもほどがあるのだ。 また、旧統一教会はマインドコントロールが悪質だと主張をしている人もいるが、お笑いコンビ・オセロ(現在はコンビ解散)の中島知子さんのことを思い出してみるといいだろう。彼女はかつて「占い師にマインドコントロールされた」とマスコミが大騒ぎをしていたことを振り返って「まったくデタラメ」と笑い話にして今は普通に地方でタレント活動をしている。つまり、マインドコントロールだなんだという批判・炎上は、反論しない人に対して、「言ったもん勝ち」的な側面が多々ある。 そもそも対象に心を奪われて、経済的に破滅するまでカネを突っ込むのは、ホストクラブにハマる女性やアイドルの追っかけでもよく見られる現象だし、創価学会などの他の有名宗教でも信仰のために、多額の献金をしたり、自宅や土地まで信仰のために捧げたりする人もいる。 「他の新興宗教は信仰心だけれど、旧統一教会は悪質なマインドコントロールだ」というのは、被害者などが感情的に訴える主張としてはわからなくもないが、それだけが解散請求の法的要件となるのは、さすがにありえない。 ただ、先ほども申し上げたように、既に政府は「解散請求ありき」で進んでいる』、「霊感商法や高額な献金は、それぞれの信者が強すぎる信仰心を“こじらせた”結果であって、それをオウム真理教のような「組織的な違法性」と断罪するのは「拡大解釈」にもほどがあるのだ・・・既に政府は「解散請求ありき」で進んでいる」、なるほど。
・『宗教団体のビジネスモデル窮地?  森友・加計問題でも明らかになったように日本の官僚は、首相から直接命令を下されなくとも「忖度」をすることで、行政文書を改ざんするくらい優秀だ。だから、今回も「証拠」をこじつけるなど朝飯前だろう。 私の勝手な想像だが、「組織的な違法性の証拠はないけれど、組織的な違法性があると訴える被害者がいるということは、証拠にも匹敵するような証言なので解散請求できる」という方向性の見解が示されるのではないか。 これは世論的に拍手喝采で岸田政権の支持率もちょっぴり上向くかもしれない。しかし、全国の宗教団体からすれば、「死刑宣告」されたにも等しい暴論だ。 宗教団体というものは、神や仏だ、天国だ地獄だという超自然的な説法を信じる人々の寄付や献金によって運営されることが一般的だ。経済的な余裕のある信者や資産家の信者にはより多くの寄付を求める。これが基本的なビジネスモデルなので当然、信仰心をなくした人の中には「これまで金をだまし取りやがって」と被害を訴えることも少なくない。 誤解を恐れず言えば、あらゆる宗教団体には「被害を訴える人」がいる。信仰をやめた人は、その団体に不満や不信感があるからやめている。また、「今の自分」を肯定するには、過去の自分を「だまされていた」と否定しないとやっていられない。 だから、表立って被害者のいない宗教団体も、探して水を向ければ被害を訴えられる可能性がある。そういう被害者は、歴史が長くて信者数が多い教団ほど多いのだ』、「あらゆる宗教団体には「被害を訴える人」がいる。信仰をやめた人は、その団体に不満や不信感があるからやめている。また、「今の自分」を肯定するには、過去の自分を「だまされていた」と否定しないとやっていられない。 だから、表立って被害者のいない宗教団体も、探して水を向ければ被害を訴えられる可能性がある。そういう被害者は、歴史が長くて信者数が多い教団ほど多いのだ」、その通りだ。
・『他の宗教団体の元信者も「被害」を訴える可能性高まる  さて、こういう構造的な問題がある中で、国が旧統一教会を「組織的な違法性あり」と法律的に認定すると、一体どういうことが起きるか。 他の有名宗教団体の元信者たちも「被害」を訴え始めるのではないか。 証拠がなくとも、「被害」を訴えるだけで教団を解散に追い込めると国が太鼓判を押したのだ。こんな心強い話を聞いて、黙っているわけがない。そうなると、弁護士も動く。「勝訴」が約束されているような戦いなので、広告などで「宗教被害者」の募集をかけて、宗教団体を相手どって、過去に払った献金を取り戻すなど集団訴訟を起こすのだ。 そして、判例が積み重なっていくうちに、手続きがもっと簡易になって、書類をやり取りするだけで宗教団体側も支払いに応じるようになる。かくして、冒頭で紹介した「過払い献金返還CM」が朝から晩まで流れるような弁護士業界の黄金時代が再びやってくる――というわけだ。 「宗教被害者を純粋に救済をしている弁護士さんたちが、この問題を過払い金バブルのような金もうけのネタにするわけがないだろ」というお叱りが飛んできそうだ。しかし、なぜ筆者がこのように考えるのかというと、まさしくその「過払い金バブル」がつくられていく時の弁護士業界のアクションや社会のムードが、現代の旧統一教会問題に対するそれらと、うり二つだからだ』、「「過払い金バブル」がつくられていく時の弁護士業界のアクションや社会のムードが、現代の旧統一教会問題に対するそれらと、うり二つだからだ」、不気味なことだ。
・『「過払い金バブル」の前夜と今の空気が似ている  そもそもなぜ「過払い金バブル」が起きたのかというと、2006年に最高裁判決で「グレーゾーン金利」が否定され、その後の貸金業法改正でも「廃止」されたからだ。 かつて消費者金融やカード会社は、利息制限法の上限金利(15〜20%)と出資法の上限金利(29.2%)間の高金利帯で貸し付けを行っていた。しかし、これによって返済ができず、いくつもの業者から借り入れをする多重債務者が増えた。このような「被害者」を救済する弁護士たちが「全国クレジット・サラ金被害者連絡協議会」を設立して、国にクレーゾーン金利の廃止を訴えるとともに、消費者金融が多額の貸付ができない「総量規制」の法制化を求めていた。この背景には、消費者金融の武富士などの違法な取り立てが大きな社会問題になっていたことが大きい。 つまり、消費者金融と宗教団体という違いはあれど、「被害者」が社会的に関心を集めて、彼らを救済する弁護士グループが、政府に対して「被害者救済の法整備をせよ」とゴリゴリに求めていたという構図は現代とまったく同じだ。 しかも、「悪をぶっつぶせ」という社会ムードも似ている』、「消費者金融と宗教団体という違いはあれど、「被害者」が社会的に関心を集めて、彼らを救済する弁護士グループが、政府に対して「被害者救済の法整備をせよ」とゴリゴリに求めていたという構図は現代とまったく同じだ。 しかも、「悪をぶっつぶせ」という社会ムードも似ている」、その通りだ。
・『「日本は強盗とか流行しますよ」ヤミ金業者の言った通りに…  実はこの時代、筆者は月刊誌に寄稿したり、講演したりして、消費者金融への過度な規制を控えるべきだと警鐘を鳴らしていた。 当時、筆者は違法ビジネスやヤミ金によく取材をしていた。彼らは口をそろえて、グレーゾーン金利撤廃や総量規制を「ビジネスチャンス」だと語っていた。 年配の方ならわかるが、昔は「街金」と呼ばれる「無担保小口融資」の業者がいた。免許証などの本人確認だけで金を貸す。もちろん、貸す側もリスクがあるので出資法上限金利という高金利だ。ただ、こういう「無担保小口融資」をしているのは小さな業者なので、最高裁判決以降、過払い金返還請求でほとんど絶滅してしまった。 では、ここを利用をしていた人はどこへいくか。プロミスやアコムなどの消費者金融の大手は銀行傘下に入り、審査も厳しく総量規制で年収の3分の1しか借りられない。となると、「闇」に流れるしかないというわけだ。 2008年ごろに話を聞いたあるヤミ金業者は、「総量規制のおかげで大忙し」だとホクホク顔で語っていた。そして利息を払えなくなった者を、オレオレ詐欺の出し子などにあっせんしている、と笑っていた。 「これからの日本は強盗とか流行しますよ。私はやらせないけれど、やばい連中は金さえ回収できればいいんだから何でもやらせますよ。多重債務者の連中は、どこも金を貸してもらえないんだから、逆らえないでしょ」 確かに、彼らの言う通りになっている。昨今、大学生や無職の人がSNSで「闇バイト」に応募をして、詐欺や強盗のメンバーとして参加させられているが、なぜ「闇バイト」に応募をするのかというと、「低信用」でどこも金を貸してくれないからだ。学費や家賃で生活も困窮する中で、仕送りが何かの事情で途絶えたら、「闇バイト」に応募するしかない、というのが現実だ。 そんな話を、筆者は金融庁のヒアリングに呼ばれて報告もしたが、「難しい問題ですねえ」なんて言われて終わった。当時の金融庁幹部を、ヤミ金業者に実際ひき会わせて話を聞いてもらったりしたが、政策は特に変わらなかった。むしろ、そういうことをやればやるほど、「消費者金融からいくらもらっているんだ」とか「サラ金御用達ライター」とか叩かれるので、面倒臭くなってあきらめた。 今回も似た匂いがプンプンしている』、「昨今、大学生や無職の人がSNSで「闇バイト」に応募をして、詐欺や強盗のメンバーとして参加させられているが、なぜ「闇バイト」に応募をするのかというと、「低信用」でどこも金を貸してくれないからだ。学費や家賃で生活も困窮する中で、仕送りが何かの事情で途絶えたら、「闇バイト」に応募するしかない、というのが現実だ」、なるほど。
・『「受け皿」がなくなると、「闇」に飲み込まれる人が増える  旧統一教会の解散請求をして、宗教法人格をはく奪したところで、税制上の優遇を受けられなくなるだけで、信者の多くは「じゃあカトリックに改宗するか」なんてことにはならない。活動が地下に潜るだけなので、被害者救済も難しくなるなどデメリットも多い。 こういう問題が生じる以上、宗教法人として解散すれば、めでたしめでたし…という単純な話ではない。教団改革の行方を見守っていくためにも、もっと慎重に判断したらどうかと言いたいのだが、ここでも「リテラシーのない旧統一教会御用達ライターは引っ込んでろ!」と叩かれる。 問題が指摘される世界の人々を「善」か「悪」でしか判断せず、存在を認めるか、抹殺をするか、という極論がまかり通っているムードが、「多重債務者救済のため、高金利の無担保小口融資を廃業に追い込め」と正義の弁護士が絶叫していたあの時代とそっくりだ。 弁護士業界は再び「過払い献金バブル」到来でうれしいかもしれないが、多くの宗教団体は経営難に追いやられるので、自主的に解散するところも出てくるだろう。しかし、神や仏に救い求める人たちは必ず存在するので、「新たな受け皿」として、「ヤミ宗教」が横行するかもしれない。宗教法人格を持たないので、行政や自治体のチェックも働かない。高額献金も霊感商法もやりたい放題だし、マルチ商法などとかけ合わせることも可能だ。 暴力団を使用者責任で規制したら、盃を受けない半グレが増えて結果、警察が把握しにくい「かたぎを利用した地下ビジネス」が広まったのと同じ構図が、宗教界でも起きるかもしれない。 旧統一教会を解散させたところで、宗教被害者は消えない。むしろ、宗教法人という「受け皿」をつぶしていけばいくほど、「闇」に飲み込まれる被害者が増えることを忘れてはいけない』、「弁護士業界は再び「過払い献金バブル」到来でうれしいかもしれないが、多くの宗教団体は経営難に追いやられるので、自主的に解散するところも出てくるだろう。しかし、神や仏に救い求める人たちは必ず存在するので、「新たな受け皿」として、「ヤミ宗教」が横行するかもしれない。宗教法人格を持たないので、行政や自治体のチェックも働かない。高額献金も霊感商法もやりたい放題だし、マルチ商法などとかけ合わせることも可能だ。 暴力団を使用者責任で規制したら、盃を受けない半グレが増えて結果、警察が把握しにくい「かたぎを利用した地下ビジネス」が広まったのと同じ構図が、宗教界でも起きるかもしれない。 旧統一教会を解散させたところで、宗教被害者は消えない。むしろ、宗教法人という「受け皿」をつぶしていけばいくほど、「闇」に飲み込まれる被害者が増えることを忘れてはいけない」、その通りだ。

次に、昨年11月19日付け文春オンライン「「自爆テロを見ても、容赦がない」日本の知性・養老孟司(86)がどんな宗教よりも「仏教」を信頼する理由 『生きるとはどういうことか』より」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/66991
・『「べつに私は仏教徒ではない。でも外国の書類に宗教を書くときは、仏教徒と書く」 養老孟司さんはなぜほかのどの宗教よりも、仏教に信頼を置くのか? 日本を代表する知性・養老さんの過去20年間に執筆したエッセイを選りすぐった新刊『生きるとはどういうことか』(筑摩書房)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)』、興味深そうだ。
・『人はなぜ生きるのか?  人はなぜ生きるか。こう訊かれると、すぐにいいたくなる。そりゃ、人によって違うでしょうが。 お金のため、名誉のため、権力のため。人生の動機はこれに尽きる。そう考える人もある。それなら男女はどうなる、家族はどうなる。好きな女のために生きる。もうだれも読まないだろうが、井上靖の「射程」はそういう男を描いている。若いころ、この本にすっかり釣り込まれて読んだから、電車で降りるはずの駅を乗り越した。 家族のためというなら、それは生きるためというより、食うため、食わせるためじゃないか。食うのは生きるためで、それなら生きるのは、食うためではない。 そんなこというけど、あたしゃ貧乏人だし、社会的地位もない。金と名誉と権力には縁がない。自分ではそう思っている人も、じつは金・名誉・権力の例外ではない。そういう意見もある。貧乏人の子だくさんとは、そのことだという。それを説明する。 突き詰めれば、人間の欲は権力欲である。気に入ろうが、気に入るまいが、とりあえずここではそう考えることにする。金があれば、それなりに「思うようにできる」。名誉があれば、それなりに人を「思うようにできる」。ともあれ他人が自分の意見に耳を傾けてくれるに違いないからである。権力があれば、むろんのことである。 貧乏人はどうか。どれもない。ところが一つ、残された手段がある。子どもである。子どもにとっては、親は絶対者に近い。父親が変人で、子ども嫌いだったため、赤ん坊のときから中学生の年齢になるまで、一部屋に閉じ込められ、縛られていた子どもがあった。その子はそれでも後に「母が恋しい」と書いた。すべての権力に縁がないなら、人は子どもをつくる。だから貧乏人の子だくさんなのだ、と。) その欲、権力の欲を去れと説いたはずの人を私は一人だけ、知っているような気がする。釈迦である。だから私は釈迦が好きなのである。そりゃ誤解だといわれるかもしれない。そうかもしれないが、ともかくそうだと思うことにしている。 べつに私は仏教徒ではない。でも外国の書類に宗教を書くときは、仏教徒と書く。そう書いたところで、信じる教義を訊かれることはない。でも仮に訊かれたとしたら、「欲を去れ」だという。そう聞きましたという。如是我聞である。 欲を去ったら、人生の目的がないじゃないか。そのとおりである。だからといって、欲をかいていい。そういう結論にはならない。この「欲をかく」は、欲を欠くではない。徹底的に欲望するという俗語である。 他方、欲を欠いたら、たしかに人生は灰色である。しかし欲は中庸でよろしい。理屈が中庸なのではない。中庸なのは欲である。理屈を中庸にすると、理屈が役に立たない。このあたりは高級な議論だから、短くては納得しない人もいるかもしれない。でも説明が面倒くさい。 人はなにごとであれ、思うようにしようとする。それは人の癖だから、どうしようもない。そういうものだと心得ておくしかない。それを説くのが仏教だと、私は勝手に信じている。他の宗教はそれをいわない。いわないと思う。むしろ徹底的にやれという。宗教を信じること自体についても徹底を要求する』、「人はなにごとであれ、思うようにしようとする。それは人の癖だから、どうしようもない。そういうものだと心得ておくしかない。それを説くのが仏教だと、私は勝手に信じている」、なるほど。
・『容赦がない  自爆テロを見ても、それに反対してテロ撲滅に動く人を見ても、そう思う。相手を殺しても、逆に自分が死んでも、ともかく「思うように」しようとする。もう勘弁してよと、体力のなくなってきた老人は思うが、容赦がない。 容赦という言葉は、西洋語やアラビア語になるんだろうか。魯迅だって、「水に落ちた犬を打て」と書いていたはずである。 「世界はイヤなところだと思え」。そう書いていたのは関川夏央氏である。こういう点では、私もそう思う。いまでは世界は人間でできているというしかない。その人間の悪いところを無限に拡大するようなことは、勘弁してほしいと思う。でもそうはいかないといいつつ、欲望は無限に増大するように見える。やっぱりお釈迦様は偉い』、「いまでは世界は人間でできているというしかない。その人間の悪いところを無限に拡大するようなことは、勘弁してほしいと思う。でもそうはいかないといいつつ、欲望は無限に増大するように見える。やっぱりお釈迦様は偉い」、「釈迦様は偉い」については、理解できなかった。

第三に、昨年11月19日付け文春オンライン「「打つ手は思いつかない」養老孟司(86)が「自殺する若者が絶えない日本」の現状について思うこと 『生きるとはどういうことか』より #2」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/66992
・『「若者が死にたがる理由は複雑であろう。とりあえず打つ手は思いつかない」 十代から三十代までの日本の若者の死因のトップが自殺…そんな現状を知った養老孟司さんは何を思ったのか? 日本を代表する知性・養老さんの過去20年間に執筆したエッセイを選りすぐった新刊『生きるとはどういうことか』(筑摩書房)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)』、興味深そうだ。
・『ベストセラー『バカの壁』はなぜ売れたか  自分の人生がほぼ尽きてしまった状態で、なにを言い、なにをすればいいのか。私の恩師は旧制一高の同窓会に出た後、話題は病気と孫と勲章だけだ、と言っておられた。爺さんの話題はその辺に尽きるらしい。 もう一つ。マンガ「ショージ君」の東海林さんが、年寄りの話はほぼ自慢話だと思う、と言われたのが気になっている。病気、孫、勲章に加えて自慢話を排除すると、年寄りにはなにか語ることがあるだろうか。 令和3年の暮から4年の2月までに、自著6冊が出版された。多過ぎやしないかと思うが、出版社の都合でたまたまそうなったので、私が鋭意努力したわけではない。ひとりでにそうなってしまったのである。人生を振り返ってみると「ひとりでにそうなった」「いつの間にかそうなっていた」ことが多いように思う。断固自分の意志でやったことも当然あるが、ほぼ失敗している。自著が多く出たのも、『バカの壁』(新潮新書)の発行部数が昨年末に450万部を超えたということが契機になったのかもしれない。本が売れたのは、間違いなく私のせいじゃない。なにかの都合で売れてしまったから、仕方がないのである。 どうして売れたか、ときどき訊かれる。はかばかしい返事ができるわけがない。それがわかっていれば、どこの出版社も困らないはずだからである。 日常何をしているかというなら、捕まえた虫、もらった虫、買い求めた虫を標本にしている。 これが楽しくてやめられない。なにが楽しいのか、疑問に思う人も多いだろうと思う。子どものころから好きでやっていたことだから、母親にも年中訊かれた。「虫ばかりいじって、何が面白いの」。これにも返答のしようがない。 虫をいじっていれば、人に会うこともない。コロナ下であっても、いつもと変わりはない。ウクライナ問題で、世間は騒いでいるが、ウクライナの虫好きが採ったゾウムシが千頭あまり、いま私の手元にある。知人がネット上で売っているのに気が付いて、私のために買ってくれたのである。これを標本にするのが楽しくてしょうがない。いままで図版でしか見たことがない虫、あるいは想像したこともない虫の現物を手にしていると、ほとんど至福の境地である。 現地ではごく普通種で良く知られた虫であっても、私が知らなかったら、発見である。発見とは本来そ ういうことだと思う。世間に知られていなかった種類、いわゆる新種を見つけることも多いが、それより自分が知らなかった虫を知ることが楽しいのである。発見とは常に自分に関することだというのは、当たり前であろう。自分が無知であるほど、発見の可能性は高い。) 八十代の半ばになって、自分の人生を振り返る。要するに成り行きと発見の連続ではなかったかと思う。成り行きまかせにしておいても、発見だけはある。発見の機会は向こうからやってくる。アメリカ人のように、人生は自分の選択の連続だなどと思ったことはない。それどころか、選択なんてしたくない。人生の暮になって思う。「何事もあなた任せの年の暮」状態だなあ。 こういう考えだから、若者の前で話をさせられると、言うことに窮する。若者はとりあえず「自分」を立てなければならない。それを「自立」という。今では自立というと、給料を稼いで、親から小遣いを貰わないことだと解釈される可能性が高い。そう考える傾向も世間の成り行きだからやむを得ない。人生の全体を通じる一言なんか、あるはずがないのである。若者には若者の、爺さんには爺さんの考えがあり、立場がある』、「私の恩師は旧制一高の同窓会に出た後、話題は病気と孫と勲章だけだ、と言っておられた。爺さんの話題はその辺に尽きるらしい」、私の場合は、さすがに「勲章」は無縁で、「孫」はいない人もいるので控え、専ら「病気」が共通の話題だ。「人生の全体を通じる一言なんか、あるはずがないのである。若者には若者の、爺さんには爺さんの考えがあり、立場がある」、確かにその通りだ。ここまで突き離した言い方が出来るのも養老氏ならではだ。
・『人生は一期一会の連続  生まれてから死ぬまでの一貫した人生、そんな抽象的な、高級なものは私にはない。いまなら百歳にも達しようという「人生」の紆余曲折を、一言で片づけるほど、情報化というのは乱暴なものである。私の人生はまさに一期一会の連続でしかない。 この年齢になると、知人が亡くなることが増える。最後はいつ会ったかなと思うと、意外に遠い過去だったりすることが多い。昨日はNHKの仕事で、鎌倉の小林秀雄の旧宅で、現在の家主、茂木健一郎君に会った。小林秀雄が座っていたという椅子に座って、偉そうにしてしゃべっていると、本当に偉くなったような気がする。高校生のころ、鎌倉市内の本屋で小林秀雄を見かけた覚えがある。要するに白髪の爺さんだった。直接に口をきいたことはない。そのたたずまいがよほど印象的だったのであろう。今でもその一度の邂逅を記憶しているくらいである。 当時私の住んでいた家は、大佛次郎の家の近所だったから、よく猫を見かけた。大佛さん自身は見たことがない。大佛さんが猫好きだということが知れ渡っていて、子猫が生まれると、大佛さんの家の近くに捨てに来る人がいるという噂だった。茂木君が「養老さんも鎌倉文士じゃないですか」という。私は「文士」だなんて思ったこともない。ただある程度の雰囲気は知っていると思う。 小学生のころ、開業医だった母の往診になぜかついて行って、小島政二郎の家に行ったことがある。妙本寺という寺の山門の先の右の山手の坂を上った突き当りだった。小林秀雄の旧宅と場所は離れているが、山の中腹にあって、似た感じのたたずまいである。現在の私の家も似たような環境にある。芥川龍之介や里見弴の住んだのは平地で、鎌倉でももっと人家が多く、より賑やかな市街地だった。以前、大分の三浦梅園の旧宅に行ったことがあるが、やはり小林邸と似たような場所にあった。里山の中腹で小さな谷間を見下ろす位置である。) 小林秀雄の旧宅からは、市街地を超えて海が見える。水平線が凸凹しているのは、私の目のせいである。三日前に東大病院の眼科に行った。右の目がダメだということがしっかり判明した。子どものころから、右目がよく見えていなかった。双眼の実体顕微鏡を使っても、片目しか使わないから双眼の意味がない。望遠鏡やオペラグラスも同じ。立体視ができないのである。 そういえば、若い時から立体視が苦手だったなあと思い当たる。今頃わかっても打つ手がないが、これも人生の「仕方がない」のうちであろう。 現代人は「仕方がない」が苦手である。何事も思うようになると、なんとなく思っている風情である。コロナに関する議論をテレビで聞いていると、しみじみそう思う。ああすればよかったじゃないか、こうすればいいだろう。ほとんどの人が沈む夕日を扇で招き上げたという平清盛みたいになっている。「ああすれば、こうなる」というのは、いわゆるシミュレーションで、ヒトの意識がもっとも得意とする能力である。それがAIの発達を生んだ。これは右に述べてきたような私の人生観と合わない。 私の人生観なんか、どうでもいいが、世間がシミュレーション全盛の方向に進んでいくときに、人生をどう送ればいいのか。その世界では私の人生はおそらくノイズであり、それならどれだけのノイズが許容される世界なのかが問題となる。 そんなことを考えていると、それも一種のシミュレーションじゃないかと思い、面倒くさいなあ、AIに考えてもらいたい、と思ったりする。やっぱり話はいまではAIに尽きるのである』、「「ああすれば、こうなる」というのは、いわゆるシミュレーションで、ヒトの意識がもっとも得意とする能力である。それがAIの発達を生んだ。これは右に述べてきたような私の人生観と合わない。 私の人生観なんか、どうでもいいが、世間がシミュレーション全盛の方向に進んでいくときに、人生をどう送ればいいのか。その世界では私の人生はおそらくノイズであり、それならどれだけのノイズが許容される世界なのかが問題となる。 そんなことを考えていると、それも一種のシミュレーションじゃないかと思い、面倒くさいなあ、AIに考えてもらいたい、と思ったりする」、なるほど。
・『日本の若者の死因のトップは「自殺」  「人生論」などというヘンな主題になったのは、NHKの仕事がらみで、子どもの質問に答えるというのを引き受けたからで、十歳の小学生が「良い人生とは」という質問をしてきたのである。 もう一つは十代から三十代までの日本の若者の死因のトップが自殺だと知ったからである。人生ではなくて、「生き方」の問題だろうと、とりあえず回答したが、「生き方」の指南は私の仕事ではない。古来から宗教家の仕事に決まっている。宗教は衰退しているといわれるが、AIが宗教に変わったという意見もある。未来をもっぱらAIに託すからであろう。AIは碁将棋に勝つだけではない。なんにでも勝つのである。 自殺が多いのは、人生指南のニーズが高いであろうことを示唆している。日本でいうなら、コンビニより多いとされるお寺の前途は洋々である。若者が死にたがる理由は複雑であろう。とりあえず打つ手は思いつかない』、「十代から三十代までの日本の若者の死因のトップが自殺だと知ったからである。人生ではなくて、「生き方」の問題だろうと、とりあえず回答したが、「生き方」の指南は私の仕事ではない。古来から宗教家の仕事に決まっている。宗教は衰退しているといわれるが、AIが宗教に変わったという意見もある・・・自殺が多いのは、人生指南のニーズが高いであろうことを示唆している。日本でいうなら、コンビニより多いとされるお寺の前途は洋々である。若者が死にたがる理由は複雑であろう。とりあえず打つ手は思いつかない」、「お寺の前途は洋々」なのは「自殺が多い」ためというのは、その通りなのだろうが、余りに暗い。「若者が死にたがる理由は複雑であろう。とりあえず打つ手は思いつかない」と突き放しているが、「「生き方」の問題」は「古来から宗教家の仕事に決まっている」ので、やむを得ないことなのだろう。
タグ:「霊感商法や高額な献金は、それぞれの信者が強すぎる信仰心を“こじらせた”結果であって、それをオウム真理教のような「組織的な違法性」と断罪するのは「拡大解釈」にもほどがあるのだ・・・既に政府は「解散請求ありき」で進んでいる」、なるほど。 「旧統一教会・・・への解散請求がいよいよ秒読みになってきた・・・旧統一教会が組織的な違法行為をしていると国がお墨付きを与えると、ほとんどの宗教団体もアウトになる」、なるほど。 窪田順生氏による「旧統一教会の解散請求秒読みで「第2の過払い金バブル」が来る!寄付金・献金が標的に」 ダイヤモンド・オンライン (その12)(旧統一教会の解散請求秒読みで「第2の過払い金バブル」が来る!寄付金・献金が標的に、「自爆テロを見ても、容赦がない」日本の知性・養老孟司(86)がどんな宗教よりも「仏教」を信頼する理由 『生きるとはどういうことか』より、「打つ手は思いつかない」養老孟司(86)が「自殺する若者が絶えない日本」の現状について思うこと 『生きるとはどういうことか』より #2) 宗教 「あらゆる宗教団体には「被害を訴える人」がいる。信仰をやめた人は、その団体に不満や不信感があるからやめている。また、「今の自分」を肯定するには、過去の自分を「だまされていた」と否定しないとやっていられない。 だから、表立って被害者のいない宗教団体も、探して水を向ければ被害を訴えられる可能性がある。そういう被害者は、歴史が長くて信者数が多い教団ほど多いのだ」、その通りだ。 「「過払い金バブル」がつくられていく時の弁護士業界のアクションや社会のムードが、現代の旧統一教会問題に対するそれらと、うり二つだからだ」、不気味なことだ。 「消費者金融と宗教団体という違いはあれど、「被害者」が社会的に関心を集めて、彼らを救済する弁護士グループが、政府に対して「被害者救済の法整備をせよ」とゴリゴリに求めていたという構図は現代とまったく同じだ。 しかも、「悪をぶっつぶせ」という社会ムードも似ている」、その通りだ。 「昨今、大学生や無職の人がSNSで「闇バイト」に応募をして、詐欺や強盗のメンバーとして参加させられているが、なぜ「闇バイト」に応募をするのかというと、「低信用」でどこも金を貸してくれないからだ。学費や家賃で生活も困窮する中で、仕送りが何かの事情で途絶えたら、「闇バイト」に応募するしかない、というのが現実だ」、なるほど。 「弁護士業界は再び「過払い献金バブル」到来でうれしいかもしれないが、多くの宗教団体は経営難に追いやられるので、自主的に解散するところも出てくるだろう。しかし、神や仏に救い求める人たちは必ず存在するので、「新たな受け皿」として、「ヤミ宗教」が横行するかもしれない。宗教法人格を持たないので、行政や自治体のチェックも働かない。高額献金も霊感商法もやりたい放題だし、マルチ商法などとかけ合わせることも可能だ。 暴力団を使用者責任で規制したら、盃を受けない半グレが増えて結果、警察が把握しにくい「かたぎを利用した地下ビジネス」が広まったのと同じ構図が、宗教界でも起きるかもしれない。 旧統一教会を解散させたところで、宗教被害者は消えない。むしろ、宗教法人という「受け皿」をつぶしていけばいくほど、「闇」に飲み込まれる被害者が増えることを忘れてはいけない」、その通りだ。 文春オンライン「「自爆テロを見ても、容赦がない」日本の知性・養老孟司(86)がどんな宗教よりも「仏教」を信頼する理由 『生きるとはどういうことか』より」 『生きるとはどういうことか』(筑摩書房) 「人はなにごとであれ、思うようにしようとする。それは人の癖だから、どうしようもない。そういうものだと心得ておくしかない。それを説くのが仏教だと、私は勝手に信じている」、なるほど。 「いまでは世界は人間でできているというしかない。その人間の悪いところを無限に拡大するようなことは、勘弁してほしいと思う。でもそうはいかないといいつつ、欲望は無限に増大するように見える。やっぱりお釈迦様は偉い」、「釈迦様は偉い」については、理解できなかった。 文春オンライン「「打つ手は思いつかない」養老孟司(86)が「自殺する若者が絶えない日本」の現状について思うこと 『生きるとはどういうことか』より #2」 「私の恩師は旧制一高の同窓会に出た後、話題は病気と孫と勲章だけだ、と言っておられた。爺さんの話題はその辺に尽きるらしい」、私の場合は、さすがに「勲章」は無縁で、「孫」はいない人もいるので控え、専ら「病気」が共通の話題だ。 「人生の全体を通じる一言なんか、あるはずがないのである。若者には若者の、爺さんには爺さんの考えがあり、立場がある」、確かにその通りだ。ここまで突き離した言い方が出来るのも養老氏ならではだ。 「「ああすれば、こうなる」というのは、いわゆるシミュレーションで、ヒトの意識がもっとも得意とする能力である。それがAIの発達を生んだ。これは右に述べてきたような私の人生観と合わない。 私の人生観なんか、どうでもいいが、世間がシミュレーション全盛の方向に進んでいくときに、人生をどう送ればいいのか。 その世界では私の人生はおそらくノイズであり、それならどれだけのノイズが許容される世界なのかが問題となる。 そんなことを考えていると、それも一種のシミュレーションじゃないかと思い、面倒くさいなあ、AIに考えてもらいたい、と思ったりする」、なるほど。 「十代から三十代までの日本の若者の死因のトップが自殺だと知ったからである。人生ではなくて、「生き方」の問題だろうと、とりあえず回答したが、「生き方」の指南は私の仕事ではない。古来から宗教家の仕事に決まっている。宗教は衰退しているといわれるが、AIが宗教に変わったという意見もある・・・ 自殺が多いのは、人生指南のニーズが高いであろうことを示唆している。日本でいうなら、コンビニより多いとされるお寺の前途は洋々である。若者が死にたがる理由は複雑であろう。とりあえず打つ手は思いつかない」、「お寺の前途は洋々」なのは「自殺が多い」ためというのは、その通りなのだろうが、余りに暗い。「若者が死にたがる理由は複雑であろう。とりあえず打つ手は思いつかない」と突き放しているが、「「生き方」の問題」は「古来から宗教家の仕事に決まっている」ので、やむを得ないことなのだろう。
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