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東芝問題(その44)(「東芝劇場」ついに終幕への全“迷走劇” 名門企業を凋落に至らしめた「戦犯」とは、「東芝」バラバラ解体ショーで終幕か 「戦犯」に翻弄され非上場化を選んだ名門企業の今後、泥沼にハマった東芝は何をしくじったのか…大前研一「復活は厳しいが活路が残っている理由」 日本を代表する企業の大失敗から何を学ぶか、東芝の「失敗の本質」とは?上場廃止後の再建タイムリミットは3~5年か) [企業経営]

東芝問題については、昨年6月13日に取上げた。今日は、(その44)(「東芝劇場」ついに終幕への全“迷走劇” 名門企業を凋落に至らしめた「戦犯」とは、「東芝」バラバラ解体ショーで終幕か 「戦犯」に翻弄され非上場化を選んだ名門企業の今後、泥沼にハマった東芝は何をしくじったのか…大前研一「復活は厳しいが活路が残っている理由」 日本を代表する企業の大失敗から何を学ぶか、東芝の「失敗の本質」とは?上場廃止後の再建タイムリミットは3~5年か)である。

先ずは、本年8月3日付けデイリー新潮「「東芝劇場」ついに終幕への全“迷走劇” 名門企業を凋落に至らしめた「戦犯」とは」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/08031040/?all=1
・『超掘り出し物  「東芝」の創業は1875年。日本初の電信設備メーカーとして設立された名門企業が、遂に株式市場から撤退せざるを得なくなった。国内投資ファンドの「日本産業パートナーズ(JIP)」による買収提案を受け入れ、非上場化する道を選んだのだ。2015年の不正会計事件以来、混乱続きだった「東芝劇場」終幕までの舞台裏を紹介する。 JIP陣営によるTOB(株式公開買い付け)は1株4620円。M&Aアナリストによると、TOBの成立は既定路線だという。 「買収総額はおよそ2兆円。そのうち、4000億円超が“アクティビスト”の手に渡る。東芝の第三者割当増資を引き受けたとき、アクティビストの取得価格は1株2628円(後の株式併合を加味した値)。TOB価格との差が1992円という超掘り出し物だったわけです」 結果として、9.90%を保有する筆頭株主のアクティビスト「エフィッシモ・キャピタル・マネジメント」は850億円もの利益を手にする算段だ。 「22年6月、東芝の株価は最高値の5938円をつけました。それに比べれば、TOB価格は22%も割安。英投資ファンド“CVCキャピタル・パートナーズ”を皮切りに、米投資ファンドなどが次々と東芝の買収に名乗りを上げた。しかし、いずれも不発でした。アクティビストは出資者から一刻も早いキャッシュアウトを迫られ、最後に残ったJIPのTOBには応じるはずです」』、「「買収総額はおよそ2兆円。そのうち、4000億円超が“アクティビスト”の手に渡る。東芝の第三者割当増資を引き受けたとき、アクティビストの取得価格は1株2628円(後の株式併合を加味した値)。TOB価格との差が1992円という超掘り出し物だったわけです」 結果として、9.90%を保有する筆頭株主のアクティビスト「エフィッシモ・キャピタル・マネジメント」は850億円もの利益を手にする算段だ」、なるほど。
・『経産省主導  では、結局、東芝凋落の「戦犯」は誰なのか。 東芝は不正会計事件に続き、米原子力子会社「ウェスチングハウス」の経営破綻で1兆2400億円を超える巨額赤字を計上。17年12月、6000億円に上る第三者割当増資を実施し、その代償として60社ものアクティビストを含む投資ファンドを引き入れる結果に。だが21年1月、東芝が債務超過で降格した東証二部(当時)から一部へと返り咲くと、投資ファンドの多くは利益確定のうえ、株主名簿から消えていった。 「それでも、東芝からなおも搾り取れると踏んだエフィッシモなどは居座り続け、経営陣との対立を深めました。防衛関連や原発事業を手掛ける東芝は、いわば“国策企業”。ゆえに、経産省主導のもと、アクティビスト退治の切り札が送り込まれた。その人物が、三井住友銀行元副頭取でCVCキャピタル日本法人の会長を務めていた車谷暢昭元社長でした」(つづく)』、「経産省主導のもと、アクティビスト退治の切り札が送り込まれた。その人物が、三井住友銀行元副頭取でCVCキャピタル日本法人の会長を務めていた車谷暢昭元社長でした」、ただ、「車谷」氏の起用は結果的には失敗だったようだ。

次にこの続きを、8月10日付けデイリー新潮「「東芝」バラバラ解体ショーで終幕か 「戦犯」に翻弄され非上場化を選んだ名門企業の今後」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/08101040/?all=1
・『アクティビスト退治の切り札  迷走の果てに終幕を迎える「東芝劇場」。その一部始終は、「戦犯」の存在抜きには語れない。なにより、第一の戦犯は経産省である。M&Aアナリストが前回(「週刊新潮」2023年8月3日号「MONEY」欄)からの解説を続ける。 「経産省の水野弘道参与(当時)が“米ハーバード大学基金”に圧力をかけ、2020年7月開催の株主総会における議決権行使を見送らせました。クビのかかった車谷暢昭元社長への助太刀が目的でした。経産省は組織ぐるみでアクティビスト対策に介入していたわけです」 だがそれは、東芝のコーポレートガバナンス不全をあからさまにし、逆にアクティビストにつけ入る隙を与える結果となった。 続く、第二の戦犯は車谷元社長。車谷元社長は経産省からアクティビスト退治の切り札として送り込まれたはずが、公私混同が問題視され、アクティビスト対策にも失敗。より一層対決姿勢を深める結果を招いた。 車谷元社長は、窮余の一策として英投資ファンド「CVCキャピタル・パートナーズ」による東芝のTOB(株式公開買い付け)を打ち出した。非上場化によって、対立するアクティビストとの決着を図ろうとしたのだ。 「とはいえ、利己主義的に東芝を“身売り”する姿勢は批判を浴び、結局、事実上のクビに。反面、車谷元社長の奸計は、東芝が“売り物”であることを世間に知らしめた。以後、アクティビストが要求する株主還元策の第一候補は非上場化に傾きました」』、「第一の戦犯は経産省である。M&Aアナリストが前回・・・」、からの解説を続ける。 「経産省の水野弘道参与(当時)が“米ハーバード大学基金”に圧力をかけ、2020年7月開催の株主総会における議決権行使を見送らせました。クビのかかった車谷暢昭元社長への助太刀が目的でした。経産省は組織ぐるみでアクティビスト対策に介入していたわけです」、 だがそれは、東芝のコーポレートガバナンス不全をあからさまにし、逆にアクティビストにつけ入る隙を与える結果となった」、「経産省は組織ぐるみでアクティビスト対策に介入していた」とは政府系機関とは思えないような露骨なやり方だ。
・『会社分割案  その流れに抗うための策が「会社分割案」だった。この案は、東芝の法務部と経営企画部のGM(ゼネラルマネジャー)二人が中心となって編み出された。発電事業と半導体事業の新会社2社を設立し、東芝本体はフラッシュメモリー製造の「キオクシア」などの株式を保有する会社として存続させる。そのうえで、既存株主に新会社2社の株式を割り当て、2年後をメドに上場させる計画を立てた。 当時、東芝の株価は4500円前後。3社合算で6000円台に膨れ上がらせることで、アクティビストを黙らせるという狙いがあった。 この会社分割案をめぐり東芝をさらなる混乱に陥れたアクティビストこそ、第三の戦犯である。 「週刊新潮」2023年8月10日号「MONEY」欄の有料版では、次々と登場する戦犯に翻弄され続けた東芝の内情と今後の展望を詳報する』、「この会社分割案をめぐり東芝をさらなる混乱に陥れたアクティビストこそ、第三の戦犯である」、なるほど。

第三に、11月17日付けプレジデント 2023年12月1日号にビジネス・ブレークスルー大学学長の大前 研一氏が掲載した「泥沼にハマった東芝は何をしくじったのか…大前研一「復活は厳しいが活路が残っている理由」 日本を代表する企業の大失敗から何を学ぶか」を紹介しよう。
・『東芝の舵取りを誤った3人の「迷」経営者  東芝は9月21日、投資ファンドの日本産業パートナーズなどを中心とした国内連合によるTOB(株式公開買い付け)が成立したことを発表した。11月22日の臨時株主総会を経て、12月20日に非上場化される予定だ。日本を代表する電機メーカーの凋落は、多角化に走った日本企業を考察する絶好のケーススタディになるだろう。 東芝の混迷が表面化したきっかけは、2015年に発覚した不正会計問題だ。混乱の最中、06年に買収した原子力発電プラントメーカー、米ウェスチングハウスが巨額の損失を出してしまい、17年に経営破綻。東芝も17年3月期に9656億円の最終赤字を計上した。 このときは増資で上場廃止を免れたものの、こんどは株主となったアクティビスト(物言う株主)と再建方針を巡って対立。今回、TOBで非上場化するのも経営へのアクティビストの影響力を排除するためだった。TOB成立でようやく東芝は再建に向けて動き出せるが、8年に及ぶ混乱の代償は大きく、ライバルの日立製作所に大きく水をあけられてしまった。 なぜ東芝は業績不振に陥ったのか。原因を事業構造や経営環境に求める向きもあるが、東芝に関しては人の問題が大きい。経営者がまともなら、このような大惨事には至らなかった。 東芝に混乱をもたらした責任者の筆頭は、1996年に社長に就任した西室泰三氏である。日米経済摩擦が激しかった87年に発生した、東芝機械製の工作機械が第三国経由でソビエト連邦に渡ったことを巡る「東芝機械ココム違反事件」で、西室氏は頭角を現した。事件後にアメリカで巻き起こった東芝バッシングの火消しで、駐在歴が長く、英語が堪能な西室氏が活躍したのだ。 西室氏は経営の本流ではなかったものの、ココム違反事件での対応が評価されて社長になった。西室氏は権力の維持に熱心で、社長就任後は実力のある後継候補を次々に閑職かんしょくへ追いやった。かわりに言いなりになる人間を重用し、社長退任後も院政を敷き、その体制が不正会計発覚まで続いた。 西室氏の言いなりの筆頭が、2代後の社長を務めた西田厚聰あつとし氏だ。東芝はかつての名社長、土光敏夫氏が会社を率いて以来、その母校である東京工業大学閥が強い。しかし、西田氏は東京大学出身で、イラン現地法東芝はかつての名社長、土光敏夫氏が会社を率いて以来、その母校である東京工業大学閥が強い。しかし、西田氏は東京大学出身で、イラン現地人に入社した傍流だ。しかし本流でないことが、西室院政にとっては都合がよかった。 西田氏はパソコン事業部の部長時代にラップトップPCを開発した男として知られ、本人もそれを売り文句にしていた。ただ、真相は違う』、「東芝に混乱をもたらした責任者の筆頭は、1996年に社長に就任した西室泰三氏である・・・「東芝機械ココム違反事件」で、西室氏は頭角を現した。事件後にアメリカで巻き起こった東芝バッシングの火消しで、駐在歴が長く、英語が堪能な西室氏が活躍したのだ。 西室氏は経営の本流ではなかったものの、ココム違反事件での対応が評価されて社長になった。西室氏は権力の維持に熱心で、社長就任後は実力のある後継候補を次々に閑職かんしょくへ追いやった。かわりに言いなりになる人間を重用し、社長退任後も院政を敷き、その体制が不正会計発覚まで続いた。 西室氏の言いなりの筆頭が、2代後の社長を務めた西田厚聰あつとし氏だ。東芝はかつての名社長、土光敏夫氏が会社を率いて以来、その母校である東京工業大学閥が強い。しかし、西田氏は東京大学出身で、イラン現地法東芝はかつての名社長、土光敏夫氏が会社を率いて以来、その母校である東京工業大学閥が強い。しかし、西田氏は東京大学出身で、イラン現地人に入社した傍流だ。しかし本流でないことが、西室院政にとっては都合がよかった。 西田氏はパソコン事業部の部長時代にラップトップPCを開発した男として知られ、本人もそれを売り文句にしていた。ただ、真相は違う」、なるほど。
・『マッキンゼーのプレゼンを後ろで聞いていた東芝社員  85年、私がいたマッキンゼーに東芝から「アメリカでIBMに勝てない。パソコンのマーケティングを手伝ってほしい」と依頼がきた。私はマッキンゼーのロサンゼルス事務所に話を振ったが、向こうのチームがリサーチ後に出した結論は「勝ち目がないからやめたほうがいい」。これに西田氏は激怒し、マッキンゼーに契約打ち切りを通告。 そのプレゼンに参加していた私は、東芝の強みである液晶と小型化を活かしたPCを開発すれば対IBMで勝機があると、慌てて説明を付け加えた。 当時、PCはデスクトップが標準。コンパックが販売していたポータブルPCは重厚で携帯性が悪く、私はトランスポータブルと呼んでいた。私の提案は、手のひらや膝(lap)の上(top)に置ける「ラップトップ(laptop)」を開発してはどうかというもの。クビになるのを避けるため、プレゼン中に私がその場で思いついたコンセプトだ。 しかし、私が提案をしたところで西田氏の怒りは収まらず、結局マッキンゼーは追い出されてしまった。しかしその1年後、プレゼンを後ろで聞いていた東芝社員が、私のところへやってきて「大前さんのいうラップトップをつくってみました。これで合っていますか」と試作品を見せにきた。これがのちに「ダイナブック」ブランドで世界を席巻することになる、ラップトップPCの第1号である。 西田氏はそうした経緯に触れず、長らくラップトップPCを自分の手柄のように吹聴していたが、さすがに気が引けたのか。死の直前に受けたインタビューの内容が『テヘランからきた男』(小学館)で語られているが、ラップトップPCが私のアイデアだったことを白状している。余談が長くなったが、つまり西田氏は自分の経歴を平気で脚色して生きていけるタイプの人なのだ。 西田氏の後任が、原子力畑で育った佐々木則夫氏。東芝は白熱灯の時代から米GEとのつながりが深く、GEが開発した沸騰水型原子炉(BWR)の製造をしていた。ほかには加水圧型原子炉(PWR)があるが、そちらは三菱重工業がウェスチングハウスと技術提携して運用していた。ウェスチングハウスを手に入れれば、巨艦三菱重工に一矢報いることができる。佐々木氏はそう考え、英国核燃料会社からウェスチングハウスの原子力部門を買収した。 ところが、デューデリジェンスが甘かった。ウェスチングハウスの子会社ストーン・アンド・ウェブスターが受注工事で大幅な損失を出しており、買収した東芝も煽あおりを食らった。これが、17年にウェスチングハウスが経営破綻へと至る端緒なのだ。 おそらく佐々木氏はウェスチングハウス買収の失敗を隠そうとしたのだろう。会長になっていた西田氏はそれを暴こうとして、内ゲバが始まった。 トップ2人が醜みにくく応酬する状況は、東芝にとって最悪である。しかし、新設した「名誉顧問」に退いて院政を敷く西室氏には好都合で、高みの見物を決め込んでいた。危急存亡の状況で経営の舵取りをするべき3人が、会社の将来そっちのけで権力闘争した結果、東芝は急速に凋落していったのだ』、「85年、私がいたマッキンゼーに東芝から「アメリカでIBMに勝てない。パソコンのマーケティングを手伝ってほしい」と依頼がきた。私はマッキンゼーのロサンゼルス事務所に話を振ったが、向こうのチームがリサーチ後に出した結論は「勝ち目がないからやめたほうがいい」。これに西田氏は激怒し、マッキンゼーに契約打ち切りを通告。 そのプレゼンに参加していた私は、東芝の強みである液晶と小型化を活かしたPCを開発すれば対IBMで勝機があると、慌てて説明を付け加えた。 当時、PCはデスクトップが標準。コンパックが販売していたポータブルPCは重厚で携帯性が悪く、私はトランスポータブルと呼んでいた。私の提案は、手のひらや膝(lap)の上(top)に置ける「ラップトップ(laptop)」を開発してはどうかというもの。クビになるのを避けるため、プレゼン中に私がその場で思いついたコンセプトだ。 しかし、私が提案をしたところで西田氏の怒りは収まらず、結局マッキンゼーは追い出されてしまった。しかしその1年後、プレゼンを後ろで聞いていた東芝社員が、私のところへやってきて「大前さんのいうラップトップをつくってみました。これで合っていますか」と試作品を見せにきた。これがのちに「ダイナブック」ブランドで世界を席巻することになる、ラップトップPCの第1号である。 西田氏はそうした経緯に触れず、長らくラップトップPCを自分の手柄のように吹聴していたが、さすがに気が引けたのか。死の直前に受けたインタビュー・・・でラップトップPCが私のアイデアだったことを白状している」、なるほど。
・『復活の鍵を握るのは東芝伝統の「闇開発」  東芝の失敗から学ぶべきもう一つの教訓は、業績不振に陥った後、投資銀行に相談してはいけないということだ。 投資銀行は、M&Aの成功報酬で取引金額の一定割合を手数料として取る。大きな取引ほど儲かるので、高く売れる事業、つまり儲かる事業の売却に積極的になる。 不正会計が発覚した当時、東芝でもっとも将来性があったのは、東芝メディカルシステムズの医療機器事業だった。世界の医療機器市場はGE、独シーメンス、蘭フィリップスの3強で寡占しているのだが、東芝メディカルは超音波や画像診断機器などの分野で3強に比肩していた。しかし、そんな虎の子の子会社を、16年3月にキヤノンへ売却してしまった。同年6月には、東芝ブランドを長らく支えていた白物家電事業を手放した。分社化していた東芝ライフスタイルの株式を、中国の美的集団に譲渡したのだ。このときはテレビなどの映像機器事業を残したが、それも18年に中国のハイセンスに売ってしまった。 厳しい競争環境下にある家電事業の売却はまだ理解できるが、世界的競争力を有していた半導体メモリの子会社、東芝メモリの売却はナンセンス過ぎる。 18年6月に東芝は、米投資ファンドのベインキャピタルと韓国半導体メーカーSKハイニックスが出資するSPC、そして東芝(再出資)、HOYAからなる日米韓連合に東芝メモリを売却。キオクシアとして再出発した。半導体事業は、売却当時の18年3月期で東芝の営業利益の約9割を稼いでいたのだが、まさに大黒柱を手放したことになる。そのキオクシアは米ウエスタンデジタルとの統合を目指しているものの、SKハイニックスの反対に遭って交渉が白紙化するなど、難しい立場に置かれてしまっている。 投資銀行は、残った事業で顧客企業がどうやってメシを食べていくのかということまで考えない。自身が儲けるために、一番「おいしい」ところから売っていく。東芝が上場廃止するまでの流れは、経営不振に陥った日本の大企業が投資銀行に相談したときによく起きるパターンそのままだった。 東芝が凋落した原因は人にあったが、業績悪化後になかなか復活できないのは、投資銀行に相談したせいである。多角化経営をする日本企業は、これを他山の石とすべきだろう。 さて、東芝の将来はどうか。東芝は現在黒字転換しているが、業績は相変わらずパッとしない。残った事業の中にも、エレベーターや防衛関連など強いものがないわけではない。ただ、エレベーターは競争が厳しく、防衛関連は安定して稼げるものの利益率は低い。 期待したいのは、東芝伝統の「闇開発」だ。かつての東芝は、いい意味でいい加減な会社だった。誰から指示されるでもなく、エンジニアが新しい技術製品を開発するのだ。西田氏に取り込まれたラップトップPCも社員が勝手に開発したものだったし、半導体のフラッシュメモリも舛岡ますおか富士雄氏が自由に研究して発明した産物だ。日本語ワープロのJW-10も、森健一氏らによる“密造酒”だ。東芝の発明する力は混乱の中でも引き継がれていて、量子コンピュータの暗号通信で本質的な技術の特許を取ったりしているし、今でも英ケンブリッジ大学近くの研究所では革新的な研究が続けられている。 ただ、新しい技術が実用化されるのは先の話。それまでは残された事業で地道に稼ぐしかない。困難な再建になるだろうが、東芝が持っている強みを活かして立ち直ってほしいものだ』、「東芝の失敗から学ぶべきもう一つの教訓は、業績不振に陥った後、投資銀行に相談してはいけないということだ。 投資銀行は、M&Aの成功報酬で取引金額の一定割合を手数料として取る。大きな取引ほど儲かるので、高く売れる事業、つまり儲かる事業の売却に積極的になる。 不正会計が発覚した当時、東芝でもっとも将来性があったのは、東芝メディカルシステムズの医療機器事業だった。世界の医療機器市場はGE、独シーメンス、蘭フィリップスの3強で寡占しているのだが、東芝メディカルは超音波や画像診断機器などの分野で3強に比肩していた。しかし、そんな虎の子の子会社を、16年3月にキヤノンへ売却してしまった・・・東芝ブランドを長らく支えていた白物家電事業を手放した。分社化していた東芝ライフスタイルの株式を、中国の美的集団に譲渡したのだ。このときはテレビなどの映像機器事業を残したが、それも18年に中国のハイセンスに売ってしまった・・・世界的競争力を有していた半導体メモリの子会社、東芝メモリの売却はナンセンス過ぎる。 18年6月に東芝は、米投資ファンドのベインキャピタルと韓国半導体メーカーSKハイニックスが出資するSPC、そして東芝(再出資)、HOYAからなる日米韓連合に東芝メモリを売却。キオクシアとして再出発した。半導体事業は、売却当時の18年3月期で東芝の営業利益の約9割を稼いでいたのだが、まさに大黒柱を手放したことになる。そのキオクシアは米ウエスタンデジタルとの統合を目指しているものの、SKハイニックスの反対に遭って交渉が白紙化するなど、難しい立場に置かれてしまっている・・・期待したいのは、東芝伝統の「闇開発」だ。かつての東芝は、いい意味でいい加減な会社だった。誰から指示されるでもなく、エンジニアが新しい技術製品を開発するのだ。西田氏に取り込まれたラップトップPCも社員が勝手に開発したものだったし、半導体のフラッシュメモリも舛岡ますおか富士雄氏が自由に研究して発明した産物だ。日本語ワープロのJW-10も、森健一氏らによる“密造酒”だ。東芝の発明する力は混乱の中でも引き継がれていて、量子コンピュータの暗号通信で本質的な技術の特許を取ったりしているし、今でも英ケンブリッジ大学近くの研究所では革新的な研究が続けられている。 ただ、新しい技術が実用化されるのは先の話。それまでは残された事業で地道に稼ぐしかない。困難な再建になるだろうが、東芝が持っている強みを活かして立ち直ってほしいものだ」、まだ「闇開発」のような美風が残っているようであれば、大いに活用してほしい。

第四に、12月4日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した多摩大学特別招聘教授の真壁昭夫氏による「東芝の「失敗の本質」とは?上場廃止後の再建タイムリミットは3~5年か」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/334875
・『東芝は12月20日に株式上場を廃止する予定だ。かつてわが国を代表する超名門企業だった東芝は、確かに世界トップレベルの製造技術を持っていた。しかしなぜ、自力での事業運営に行き詰まったのだろうか。そして今後の東芝は、どのように再建するのだろうか』、興味深そうだ。
・『東芝が12月20日に上場廃止へ  11月22日、東芝は臨時の株主総会を開き、株式非公開化に向けた株式併合などの議案が承認された。賛成割合は96.81%だった。12月20日に東京証券取引所への株式上場が廃止される予定だ。投資ファンドである日本産業パートナーズ(JIP)、出資した20を超える企業の下、東芝は本格的に再建を目指すことになる。 かつてわが国を代表する超名門企業だった東芝。なぜ、自力での事業運営に行き詰まったのだろうか。東芝は確かに、世界トップレベルの製造技術を持っていた。また、世界で初めてノート(ラップトップ)型のパソコンを開発した実績もある。 いろいろな出来事を突き詰めると結局、東芝の経営陣は、大切な経営資源(ヒト・モノ・カネ)を有効に生かすことができなかった。収益獲得を過度に重視した結果、無理を重ね、ついには不正会計にまで手を染めた。それでも東芝は上場維持にこだわり、第三者割当増資を実施した。その後、物言う株主(アクティビスト・ファンド)に翻弄(ほんろう)され続けた。 今後の東芝は、どのように再建するのだろうか。まずは、収益の柱を見つけることが重要だ。経営資源を、人工知能、脱炭素、半導体など成長期待の高い分野に再配分することも不可欠だ。成長戦略の実行が遅れれば、投資ファンドであるJIPと東芝経営陣の間に不協和音が生じ、再び経営が迷走することも懸念される』、「まずは、収益の柱を見つけることが重要だ。経営資源を、人工知能、脱炭素、半導体など成長期待の高い分野に再配分することも不可欠だ。成長戦略の実行が遅れれば、投資ファンドであるJIPと東芝経営陣の間に不協和音が生じ、再び経営が迷走することも懸念される」、なるほど。
・『超名門企業が陥った経営の失敗  企業経営とは本来、社会、経済の変化を機敏に察知し、より高い成長が期待できる分野にヒト・モノ・カネのリソースを再配分し、より長期的な収益を増やすことが求められる。そのために利害関係者である株主、従業員、地域社会、取引先などとの調整を絶え間なく行う必要がある。 いつからか東芝の経営者は、そうした役割を十分に発揮することができなかった。高い製造技術、優秀な人材、豊富な資金があっても、経営の失敗が続くと企業は立ち行かなくなる。 1875年(明治8年)の創業以来、東芝は重電・家電分野で多くの新しい製品を発表した。自社での研究開発、海外企業との提携などを通して製造技術を磨き、社会の厚生を高める。対価として収益を得る――。そうしたビジネスの基本姿勢により、東芝は魅力的な商品を生み出した。 象徴的な商品は、ノートパソコンだ。1985年、東芝は欧州市場で「T1100」を発売した。当時はNEC「98」シリーズなどのデスクトップ型パソコンが主流だったが、東芝は、中長期的に情報通信分野ではデータ処理速度の向上が加速し、モバイル型のデバイス需要が高まると考え、先手を打ったのだ。そうして、94~2000年まで東芝の「ダイナブック」はノートパソコン市場で世界トップシェアを手に入れた。 東芝は、新しい記憶媒体であるNAND型フラッシュメモリーの開発も進めた。NAND型のフラッシュメモリーは、スマホのデータ記憶装置として世界中で需要が急拡大した。また、パソコンの記憶装置として用いられている、ソリッド・ステート・ドライブ(SSD)に関しても東芝の貢献は大きい。 1990年代に米国でIT革命が起きて以降、世界のデジタル化は加速している。そうした時代の到来を、東芝はかなり早い段階から予見していたといえるだろう』、「「ダイナブック」はノートパソコン市場で世界トップシェアを手に入れた」、「NAND型のフラッシュメモリーは、スマホのデータ記憶装置として世界中で需要が急拡大」。「ソリッド・ステート・ドライブ(SSD)に関しても東芝の貢献は大きい」、当時は最先端を走っていた。
・『業態の転換を自ら拒んだ東芝  デジタル時代の到来を、かなり早い段階から予見していた面もあった東芝。ところが、経営陣は重電・家電の両分野で、過去の発想に固執した。ある意味、業態の転換を拒んだといっても過言ではないだろう。 そして、2015年に発覚した不正会計問題は、その後の同社の運命を決定付ける一大不祥事となった。東芝は、事業環境の変化に対応するよりも、ノートパソコンなど既存事業の収益を過剰に追求したのだ。不正会計問題をきっかけに東芝の企業イメージは悪化し、顧客離れが加速、業績は低迷した。さらにとどめを刺したのが16年、米原子力大手ウエスチングハウス(2006年に約6000億円で買収)の損失発生だ。東芝は債務超過に陥った。 結果論にはなるが、東芝は、不正会計問題やウエスチングハウスに起因する1.4兆円の損失発生のタイミングで、一連の経営の失敗を認めるべきだった。総合電機メーカーとしてのビジネスモデルの限界を理解し、社会インフラや半導体、医療、量子コンピューティングなど中長期的な成長の可能性が高い分野に経営資源を再配分すべきだった。 当時の東芝は、抜本的な事業構造の改革よりも、上場維持にこだわった。17年には第三者割当増資を実施し、海外ファンドなどから6000億円を調達した。公募ではなく、第三者割当増資になったのは、多くの投資家が東芝の先行きを不安視したからだろう。 第三者割当増資により上場は維持できたものの、その後、経営の混乱に拍車がかかった。医療機器や半導体事業の売却などによって収益は減少し、リストラによって組織体制も縮小均衡に向かった。一方、出資に応じたファンドは株主への価値還元(自社株買いや増配)を要求した。業績が悪化する中での自社株買い資金の捻出は、追加的に経営体力をそいだ。 こうして東芝は事実上、アクティビスト・ファンドに翻弄された。分社化など生き残りをかけた改革案の実行も遅れた。最終的に東芝の事業運営は行き詰まった』、「経営陣は重電・家電の両分野で、過去の発想に固執した。ある意味、業態の転換を拒んだといっても過言ではないだろう。 そして、2015年に発覚した不正会計問題は、その後の同社の運命を決定付ける一大不祥事となった。東芝は、事業環境の変化に対応するよりも、ノートパソコンなど既存事業の収益を過剰に追求したのだ。不正会計問題をきっかけに東芝の企業イメージは悪化し、顧客離れが加速、業績は低迷した。さらにとどめを刺したのが16年、米原子力大手ウエスチングハウス(2006年に約6000億円で買収)の損失発生だ。東芝は債務超過に陥った。 結果論にはなるが、東芝は、不正会計問題やウエスチングハウスに起因する1.4兆円の損失発生のタイミングで、一連の経営の失敗を認めるべきだった。総合電機メーカーとしてのビジネスモデルの限界を理解し、社会インフラや半導体、医療、量子コンピューティングなど中長期的な成長の可能性が高い分野に経営資源を再配分すべきだった」、その通りだ。
・『再建に不可欠な新たな収益の柱  これから東芝は、上場廃止によって不特定多数の株主の目にさらされることがなくなり、経営陣は多様な利害を調整しやすくなる。事業運営のスピードも高まるだろう。経営陣は、非上場化のベネフィットを最大限に活用し、安定的に収益を獲得できる事業体制を確立することが求められる。 直近の経営状況は、既存の事業領域の中でも相対的にエネルギー、インフラ事業の収益が安定している。さらに事業運営の効率性を高め、収益率を引き上げる必要がある。また、コスト削減のため再度リストラを実施する可能性は高い。その上で、経営陣は成長期待の高い分野へヒト・モノ・カネを再配分することになる。 改革を加速することで、経営陣は再建を主導するJIPなどの期待に応えなければならない。JIPは、3~5年程度で東芝を再上場させることを念頭に置いているようだ。投資ファンドのビジネスモデル上、JIPは資金の提供者に期待される利得を提供する必要があるからだ。 東芝の成長戦略の実行に時間がかかり収益力の回復が遅れると、JIPとの関係も不安定化する恐れがある。もし、そんなことが起きれば20を超える出資企業の足並みは乱れ、東芝の業績回復も難しくなるだろう。 近視眼的に既存分野での収益拡大を過剰に追求した結果、業績が悪化し経営体力を失った東芝。本来、経営の基本的な役割は、成長期待の高い分野に経営資源を再配分し、高付加価値なモノやサービスを創出する体制を強化することだ。経営が失敗すると、どれほどの名門企業も破綻は免れない。東芝の失敗は、日本経済にとって重要な教訓になるはずだ』、「経営の基本的な役割は、成長期待の高い分野に経営資源を再配分し、高付加価値なモノやサービスを創出する体制を強化することだ。経営が失敗すると、どれほどの名門企業も破綻は免れない。東芝の失敗は、日本経済にとって重要な教訓になるはずだ」、同感である。 
タグ:東芝問題 (その44)(「東芝劇場」ついに終幕への全“迷走劇” 名門企業を凋落に至らしめた「戦犯」とは、「東芝」バラバラ解体ショーで終幕か 「戦犯」に翻弄され非上場化を選んだ名門企業の今後、泥沼にハマった東芝は何をしくじったのか…大前研一「復活は厳しいが活路が残っている理由」 日本を代表する企業の大失敗から何を学ぶか、東芝の「失敗の本質」とは?上場廃止後の再建タイムリミットは3~5年か) デイリー新潮「「東芝劇場」ついに終幕への全“迷走劇” 名門企業を凋落に至らしめた「戦犯」とは」 「「買収総額はおよそ2兆円。そのうち、4000億円超が“アクティビスト”の手に渡る。東芝の第三者割当増資を引き受けたとき、アクティビストの取得価格は1株2628円(後の株式併合を加味した値)。TOB価格との差が1992円という超掘り出し物だったわけです」 結果として、9.90%を保有する筆頭株主のアクティビスト「エフィッシモ・キャピタル・マネジメント」は850億円もの利益を手にする算段だ」、なるほど。 「経産省主導のもと、アクティビスト退治の切り札が送り込まれた。その人物が、三井住友銀行元副頭取でCVCキャピタル日本法人の会長を務めていた車谷暢昭元社長でした」、ただ、「車谷」氏の起用は結果的には失敗だったようだ。 デイリー新潮「「東芝」バラバラ解体ショーで終幕か 「戦犯」に翻弄され非上場化を選んだ名門企業の今後」 「第一の戦犯は経産省である。M&Aアナリストが前回・・・」、からの解説を続ける。 「経産省の水野弘道参与(当時)が“米ハーバード大学基金”に圧力をかけ、2020年7月開催の株主総会における議決権行使を見送らせました。クビのかかった車谷暢昭元社長への助太刀が目的でした。経産省は組織ぐるみでアクティビスト対策に介入していたわけです」 だがそれは、東芝のコーポレートガバナンス不全をあからさまにし、逆にアクティビストにつけ入る隙を与える結果となった」、「経産省は組織ぐるみでアクティビスト対策に介入していた」とは政府系機関とは思えないような露骨なやり方だ。 「この会社分割案をめぐり東芝をさらなる混乱に陥れたアクティビストこそ、第三の戦犯である」、なるほど。 プレジデント 2023年12月1日号 大前 研一氏が掲載した「泥沼にハマった東芝は何をしくじったのか…大前研一「復活は厳しいが活路が残っている理由」 日本を代表する企業の大失敗から何を学ぶか」 「東芝に混乱をもたらした責任者の筆頭は、1996年に社長に就任した西室泰三氏である・・・「東芝機械ココム違反事件」で、西室氏は頭角を現した。事件後にアメリカで巻き起こった東芝バッシングの火消しで、駐在歴が長く、英語が堪能な西室氏が活躍したのだ。 西室氏は経営の本流ではなかったものの、ココム違反事件での対応が評価されて社長になった。西室氏は権力の維持に熱心で、社長就任後は実力のある後継候補を次々に閑職かんしょくへ追いやった。 かわりに言いなりになる人間を重用し、社長退任後も院政を敷き、その体制が不正会計発覚まで続いた。 西室氏の言いなりの筆頭が、2代後の社長を務めた西田厚聰あつとし氏だ。東芝はかつての名社長、土光敏夫氏が会社を率いて以来、その母校である東京工業大学閥が強い。しかし、西田氏は東京大学出身で、イラン現地法東芝はかつての名社長、土光敏夫氏が会社を率いて以来、その母校である東京工業大学閥が強い。 しかし、西田氏は東京大学出身で、イラン現地人に入社した傍流だ。しかし本流でないことが、西室院政にとっては都合がよかった。 西田氏はパソコン事業部の部長時代にラップトップPCを開発した男として知られ、本人もそれを売り文句にしていた。ただ、真相は違う」、なるほど。 「85年、私がいたマッキンゼーに東芝から「アメリカでIBMに勝てない。パソコンのマーケティングを手伝ってほしい」と依頼がきた。私はマッキンゼーのロサンゼルス事務所に話を振ったが、向こうのチームがリサーチ後に出した結論は「勝ち目がないからやめたほうがいい」。これに西田氏は激怒し、マッキンゼーに契約打ち切りを通告。 そのプレゼンに参加していた私は、東芝の強みである液晶と小型化を活かしたPCを開発すれば対IBMで勝機があると、慌てて説明を付け加えた。 当時、PCはデスクトップが標準。コンパックが販売していたポータブルPCは重厚で携帯性が悪く、私はトランスポータブルと呼んでいた。私の提案は、手のひらや膝(lap)の上(top)に置ける「ラップトップ(laptop)」を開発してはどうかというもの。クビになるのを避けるため、プレゼン中に私がその場で思いついたコンセプトだ。 しかし、私が提案をしたところで西田氏の怒りは収まらず、結局マッキンゼーは追い出されてしまった。しかしその1年後、プレゼンを後ろで聞いていた東芝社員が、私のところへやってきて「大前さんのいう ラップトップをつくってみました。これで合っていますか」と試作品を見せにきた。これがのちに「ダイナブック」ブランドで世界を席巻することになる、ラップトップPCの第1号である。 西田氏はそうした経緯に触れず、長らくラップトップPCを自分の手柄のように吹聴していたが、さすがに気が引けたのか。死の直前に受けたインタビュー・・・でラップトップPCが私のアイデアだったことを白状している」、なるほど。 「東芝の失敗から学ぶべきもう一つの教訓は、業績不振に陥った後、投資銀行に相談してはいけないということだ。 投資銀行は、M&Aの成功報酬で取引金額の一定割合を手数料として取る。大きな取引ほど儲かるので、高く売れる事業、つまり儲かる事業の売却に積極的になる。 不正会計が発覚した当時、東芝でもっとも将来性があったのは、東芝メディカルシステムズの医療機器事業だった。世界の医療機器市場はGE、独シーメンス、蘭フィリップスの3強で寡占しているのだが、東芝メディカルは超音波や画像診断機器などの分野で3強に比肩していた。 しかし、そんな虎の子の子会社を、16年3月にキヤノンへ売却してしまった・・・東芝ブランドを長らく支えていた白物家電事業を手放した。分社化していた東芝ライフスタイルの株式を、中国の美的集団に譲渡したのだ。このときはテレビなどの映像機器事業を残したが、それも18年に中国のハイセンスに売ってしまった・・・世界的競争力を有していた半導体メモリの子会社、東芝メモリの売却はナンセンス過ぎる。 18年6月に東芝は、米投資ファンドのベインキャピタルと韓国半導体メーカーSKハイニックスが出資するSPC、そして東芝(再出資)、HOYAからなる日米韓連合に東芝メモリを売却。キオクシアとして再出発した。半導体事業は、売却当時の18年3月期で東芝の営業利益の約9割を稼いでいたのだが、まさに大黒柱を手放したことになる。そのキオクシアは米ウエスタンデジタルとの統合を目指しているものの、SKハイニックスの反対に遭って交渉が白紙化するなど、難しい立場に置かれてしまっている・・・ 期待したいのは、東芝伝統の「闇開発」だ。かつての東芝は、いい意味でいい加減な会社だった。誰から指示されるでもなく、エンジニアが新しい技術製品を開発するのだ。西田氏に取り込まれたラップトップPCも社員が勝手に開発したものだったし、半導体のフラッシュメモリも舛岡ますおか富士雄氏が自由に研究して発明した産物だ。日本語ワープロのJW-10も、森健一氏らによる“密造酒”だ。東芝の発明する力は混乱の中でも引き継がれていて、量子コンピュータの暗号通信で本質的な技術の特許を取ったりしているし、今でも英ケンブリッジ大学近く の研究所では革新的な研究が続けられている。 ただ、新しい技術が実用化されるのは先の話。それまでは残された事業で地道に稼ぐしかない。困難な再建になるだろうが、東芝が持っている強みを活かして立ち直ってほしいものだ」、まだ「闇開発」のような美風が残っているようであれば、大いに活用してほしい。 ダイヤモンド・オンライン 真壁昭夫氏による「東芝の「失敗の本質」とは?上場廃止後の再建タイムリミットは3~5年か」 「まずは、収益の柱を見つけることが重要だ。経営資源を、人工知能、脱炭素、半導体など成長期待の高い分野に再配分することも不可欠だ。成長戦略の実行が遅れれば、投資ファンドであるJIPと東芝経営陣の間に不協和音が生じ、再び経営が迷走することも懸念される」、なるほど。 「「ダイナブック」はノートパソコン市場で世界トップシェアを手に入れた」、「NAND型のフラッシュメモリーは、スマホのデータ記憶装置として世界中で需要が急拡大」。「ソリッド・ステート・ドライブ(SSD)に関しても東芝の貢献は大きい」、当時は最先端を走っていた。 「経営陣は重電・家電の両分野で、過去の発想に固執した。ある意味、業態の転換を拒んだといっても過言ではないだろう。 そして、2015年に発覚した不正会計問題は、その後の同社の運命を決定付ける一大不祥事となった。東芝は、事業環境の変化に対応するよりも、ノートパソコンなど既存事業の収益を過剰に追求したのだ。不正会計問題をきっかけに東芝の企業イメージは悪化し、顧客離れが加速、業績は低迷した。 結果論にはなるが、東芝は、不正会計問題やウエスチングハウスに起因する1.4兆円の損失発生のタイミングで、一連の経営の失敗を認めるべきだった。総合電機メーカーとしてのビジネスモデルの限界を理解し、社会インフラや半導体、医療、量子コンピューティングなど中長期的な成長の可能性が高い分野に経営資源を再配分すべきだった」、その通りだ。 「経営の基本的な役割は、成長期待の高い分野に経営資源を再配分し、高付加価値なモノやサービスを創出する体制を強化することだ。経営が失敗すると、どれほどの名門企業も破綻は免れない。東芝の失敗は、日本経済にとって重要な教訓になるはずだ」、同感である。
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