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発達障害(その4)(発達障害と知的障害 「IQ70以上」が生きづらいのはなぜか?、不登校といじめの裏に発達障害 なぜ「IQ130」を喜べないのか?、発達障害は海外赴任で治る? 狩猟採集社会ならばむしろ有利) [生活]

発達障害については、2022年4月17日に取上げた。今日は、(その4)(発達障害と知的障害 「IQ70以上」が生きづらいのはなぜか?、不登校といじめの裏に発達障害 なぜ「IQ130」を喜べないのか?、発達障害は海外赴任で治る? 狩猟採集社会ならばむしろ有利)である。

先ずは、2022年6月10日付け日経ビジネスオンラインが掲載したフリーランス編集者・ライターの黒坂 真由子氏による「発達障害と知的障害 「IQ70以上」が生きづらいのはなぜか?」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00369/052700021/
・『「発達障害のリアル」を、自身も発達障害(学習障害)の息子を育てるフリーランス編集者・ライターの私(黒坂真由子)が模索する本連載。 発達障害に対応するとき、直視せざるを得ないのが、知的障害の有無だ。 「発達障害に知的障害が伴うかどうかで、生じる課題や対応策は違ってくる」。こう指摘するのは、立命館大学教授で医学博士、臨床心理士でもある宮口幸治氏。『ケーキの切れない非行少年たち』『どうしても頑張れない人たち』(ともに新潮新書)などの著作でも知られる。 『ケーキの切れない非行少年たち』は、発達障害の問題を取り上げた本として読まれることも多いが、この本で宮口氏が本当に問題視しているのは「気づかれない境界知能と軽度知的障害」なのだという。 発達障害と知的障害は、どのような関係にあるのか。知的障害があるかどうかで、発達障害への対応はどう変わるのか。見過ごされやすいという「境界知能」と「軽度知的障害」の問題と絡めて尋ねた。(Qは聞き手の質問) Q:先生は著書『ケーキの切れない非行少年たち』で、発達障害や知的障害のある子どもたちの存在について、社会に問題を投げかけておられます。 宮口幸治氏(以下、宮口氏):いえ、それが違うのです。誤解している方が多いのですが、あの本で私が問題にしているのは「発達障害」というより、「気づかれない境界知能と軽度知的障害」なのです。 Q :そうだったのですか。では、先生が問題とされている「気づかれない境界知能と軽度知的障害」とは何でしょうか。定義から教えていただけますか? 宮口:まず「知的障害」の定義を確認しましょう』、「先生が問題とされている「気づかれない境界知能と軽度知的障害」とは何でしょうか。定義から教えていただけますか? 宮口:まず「知的障害」の定義を確認しましょう」、なるほど。
・『「知的障害」の認定基準が厳しくなった  宮口:知的障害の障害認定基準は、都道府県によって多少の違いはありますが、今はだいたい「IQ(知能指数)70未満」で、「IQ75未満」とするところも一部あります。さらに日常生活における援助の必要が認められると「知的障害」と判断されます。 知的障害と障害認定されれば、障害者手帳(療育手帳)がとれますね(療育手帳については、「なぜ『発達障害で障害者手帳を取ることに損はない』のか?」で取り上げた)。 宮口:はい。そして「IQ70未満」の知的障害のうち、だいたい「IQ50~70」が「軽度知的障害」です。 Q:なるほど、知的障害のなかでは相対的にIQが高いから「軽度」の知的障害、ということですか。でも、日常生活に支障がなければ、知的障害とは判断されないのですよね。IQだけで決まるものではないのですね。 宮口:ええ。不登校になったり、勤め続けられなかったり、対人関係がうまくいかなかったり、何らかの社会的な障害があって、初めて知的障害と診断されます。ですからIQ65でも、普通に社会で生活できている人に「あなたは知的障害ですよ」という必要はないわけです。それは発達障害と同じです。社会での生きにくさがプラスされて、初めて診断がつきます。 Q: IQと社会的な生きづらさと、両方の基準を満たすことが必要なんですね。 宮口:逆にいえば、原則としてIQが70、もしくは75以上あると、どんなに社会的な障害を感じていても知的障害とはされない。それが一般的な診断基準です。しかし、そこでスパッと切ってしまうのが問題なのです。 実は、「IQ70未満」という知的障害の定義は1970年代以降のもので、それ以前には「IQ85未満」とされていた時期もあるのです。この2つの基準の境となる「IQ70~85」に該当する部分は「境界知能」と位置付けられています。一般に「グレーゾーン」と呼ばれることもあります。かつては知的障害とされていた時期があったのに、今は障害とされなくなったのが境界知能です。 次のグラフをご覧いただければ、分かりやすいと思います。) Q: 薄い網掛け部分が境界知能となるわけですね。結構多いように感じられますが。 宮口:IQだけで判断すると統計上14%いることになります。単純に数字だけで考えれば、35人クラスのなかに5人は境界知能の子がいることになります。日本の人口に当てはめると約1700万人。 Q: 思いのほか多いのですね。発達障害との関係は、どうなのでしょうか。境界知能や知的障害は、発達障害とどう違うのでしょうか? 宮口:発達障害というのは発達に凸凹があるイメージですよね。いろいろな能力のなかに、ほかの能力と比べて、著しく高いものや低いものがある。それに対して知的障害は全体的に低いというイメージです。発達がゆっくりしていると考えるといいかもしれません。どこかの能力が欠けているのではなく、全体的にゆっくり成長する。例えば、IQ60の10歳児であれば、精神年齢は6歳くらいです。そしてそのゆっくりとした成長が12歳くらいの水準で止まるというのが、軽度知的障害です。ただ、絶対に12歳で止まるかというとそうでもなく、介入次第で伸ばせるところはあります。 発達障害との違いは、この図を見ると分かりやすいかもしれません。 (図はリンク先参照) Q: なるほど、発達障害の子どもには、知能が正常域にある子もいれば、境界知能の子も知的障害の子もいるし、逆に知能が平均より高い子もいる、ということですね。一口に「発達障害の子」といっても、それぞれの子どもの特性や課題は千差万別ですが、そんな個々人の違いの大きさにも関係していそうです。 宮口:この図からは、境界知能の子が、支援の枠から外れやすいことも分かります。 Q: 知的障害(①)と診断された子どもは、療育手帳がとれれば福祉サービスを受けることができる。けれど、境界知能(③)では、手帳はとれません。ただし今は、発達障害(②)で障害者手帳をとることもできますよね(発達障害が障害者手帳=主に「精神障害者保健福祉手帳」=をとる条件などについては「なぜ『発達障害で障害者手帳を取ることに損はない』のか?」で取り上げた)。 Q:宮口:そこで問題なのが、発達障害ではない境界知能の子どもたち(③)です、知的障害の子が受けられる支援と発達障害の子が受けられる支援の両方から漏れてしまいます。そこをなんとかしないといけないと思ったのが、現在の活動のきっかけとなりました』、「そこで問題なのが、発達障害ではない境界知能の子どもたち(③)です、知的障害の子が受けられる支援と発達障害の子が受けられる支援の両方から漏れてしまいます。そこをなんとかしないといけないと思ったのが、現在の活動のきっかけとなりました」、なるほど。
・『医療少年院で初めて認識したのはなぜか?   宮口先生が、「気づかれない境界知能や軽度知的障害」に課題意識を抱いたきっかけを教えてください。 宮口:私はもともと、公立の精神科の病院で児童精神科医として働いていました。発達外来、児童思春期外来などが専門で、患者さんのほとんどが発達障害のお子さんでした。自閉症(*)が多く、ADHD(*)のお子さんもいました。ですから私のなかでの「困っている子ども」のイメージは、もっぱら発達障害だったのです。その後、さまざまな経緯があり、医療少年院で働くことになったのですが、そこで問題になっていたのは知的障害でした。軽度知的障害や境界知能の子たちが多くいたのです。病院ではあまり見ることのなかった知的障害の子どもたちの課題を、医療少年院で初めて認識したのです。 *自閉症:自閉スペクトラム症、ASD(Autism Spectrum Disorder) *ADHD:注意欠如・多動症、Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder Q: 病院では知的障害の子にはあまり出会わなかった。それはなぜですか? 宮口:知的障害だけだと福祉と教育の問題になり、医療は関係しないんですね。しかし、医療少年院に行ってみると、境界知能や軽度知的障害の子が多くいて、知能の問題が一つのきっかけで非行に走り、犯罪の加害者になっていることを知りました。これが子どもの生きづらさや困難を語る上で避けて通れない問題なのだと気づいたのです。 Q: 発達障害に知的障害が伴うかどうかで、生じる課題や対応策は大きく違ってくるのでしょうか? 宮口:やはり違います。知的障害を伴う場合は、まず知的障害に対応することが必要です。 Q: 発達障害のところだけを見てもうまくいかないと。 宮口:そうですね。発達障害の特徴よりも、知的障害の程度がどうかというところが非常に重要になるからです。社会的な生活を送る上での困りごとは、知的な障害から生じる部分がほとんどです。発達障害でも、IQが高ければ、今の社会を生き抜いていく方法は結構あります。けれど知的な能力が低いと、それだけで生きにくさが増えてしまいます。知的障害の程度を知ることは重要です』、「原則としてIQが70、もしくは75以上あると、どんなに社会的な障害を感じていても知的障害とはされない。それが一般的な診断基準です。しかし、そこでスパッと切ってしまうのが問題なのです。 実は、「IQ70未満」という知的障害の定義は1970年代以降のもので、それ以前には「IQ85未満」とされていた時期もあるのです。この2つの基準の境となる「IQ70~85」に該当する部分は「境界知能」と位置付けられています。一般に「グレーゾーン」と呼ばれることもあります。かつては知的障害とされていた時期があったのに、今は障害とされなくなったのが境界知能です・・・社会的な生活を送る上での困りごとは、知的な障害から生じる部分がほとんどです。発達障害でも、IQが高ければ、今の社会を生き抜いていく方法は結構あります。けれど知的な能力が低いと、それだけで生きにくさが増えてしまいます。知的障害の程度を知ることは重要です」、なるほど。
・『厚労省が把握する知的障害者は少ない?   知的障害の診断は、どこで受けるのでしょうか? 一斉テストとかないですよね? 宮口:ありません。知的障害に関しては、困ったことがあって初めて児童相談所や病院などで発達検査を受けるといったことになります。困りごとが浮かんでこなければ気づかれないままです。知能指数は正規分布ですから、統計的には人口の約2%の人がIQ70未満に該当し、知的障害の可能性を持つはずです。しかし、厚生労働省が把握している知的障害者は1%未満です。2000年代まで遡ると0.5%もいませんでした。それだけの人が支援の枠から漏れてしまっているのです。 つまり、日本の人口の1%以上を占める人たちが、IQ70未満なのに知的障害と診断されていない。いい見方をすれば、社会のなかでうまくやれている人が多いのかもしれないし、悪く考えれば、気づかれないまま困っている人が多いのかもしれない。 宮口:その通りです。 Q: 境界知能の人を含めたら、困っている人はもっと多い可能性がありますね。 宮口:そもそも「境界知能というものがある」ということが、ほとんど知られていませんから。  確かに私も「知的障害かそうじゃないか」という考え方をしていました。私のように「AかBか」みたいな考えをしている人の周りでは、「知的障害じゃないなら、普通にできるはず」と判断されて、苦しんでいる人が多いかもしれません。 宮口:知的障害があっても気づかれずに療育手帳もなければ、普通だと思われているわけです。本人が気づいていない場合もあります。「どうして仕事がうまくできないんだろう」「どうして勉強ができないんだろう」と思っていたとしても、それだけで知能検査を受けに行く人など、ほとんどいませんから。 Q: 境界知能や軽度知的障害が気づかれないことで生じる問題には、どのようなものがありますか? 宮口:例えば、冤罪(えんざい)事件が起こり得ます。  境界知能や経度知的障害を見落とすことが、冤罪につながる。それが事実とすれば衝撃的ですが、どういうことなのでしょうか』、「境界知能や経度知的障害を見落とすことが、冤罪につながる。それが事実とすれば衝撃的ですが、どういうことなのでしょうか」、次の記事が残念ながら見つからなかったのをお詫びしたい。

次に、2023年1月6日付け日経ビジネスオンラインが掲載したフリーランス編集者・ライターの黒坂 真由子氏による「不登校といじめの裏に発達障害 なぜ「IQ130」を喜べないのか?」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00369/120700035/
・『「発達障害のリアル」を、自身も発達障害(学習障害)の息子を育てるフリーランス編集者・ライターの私(黒坂真由子)が模索する本連載。 不登校が急増している。文部科学省の調査によると、小・中学校の不登校児童・生徒の数は、2022年度、前年比24.9%増え、在籍児童・生徒の2.6%を占める。 「不登校の原因として大きいのは、学習の困難。学習障害をはじめとする発達障害の存在を見逃してはいけない」と指摘するのは、東京大学先端科学技術研究センター(東大先端研)シニアリサーチフェローの中邑賢龍氏だ。 中邑氏は、今の教育の仕組みを抜本的に変えるべきだと提言する。例えば……。 「漢字を鉛筆で書ける必要があるのか? キーボードで打てればいい」 「算数のテストで計算機を使ってもいいのではないか?」 「英語を全員が全員、学ばなくてもいいのではないか?」 さらに今、盛り上がりを見せる「ギフテッド(突出した才能を持つ子)」教育にも、警鐘を鳴らす。前回(「発達障害の子はイノベーションを生むか? 『家出』を教える理由」)に引き続き、中邑氏に話を聞く。  Q:不登校の子どもは増え続けています。文部科学省の調査(「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」)によると、令和3年度(2021年度)、小・中学校の不登校児童・生徒の数は24万4940人で過去最高。前年度と比べて24.9%増加し、在籍児童・生徒に占める割合は約2.6%になります。 中邑先生が不登校傾向のある子ども約800人を調査したところ、1年以上勉強が遅れている子どもの80%に「書きの困難」が疑われるとご著書(『育てにくい子は、挑発して伸ばす』)にありました。これは「書けない」ことで学校に行きにくくなる子が多いということでしょうか。 中邑賢龍氏(以下、中邑):当然です。内容がわかっていても、文字に書けなければ、学校での評価は低くなりますから。  この連載でこれまで、学習障害(*)や発達性読み書き障害(*)などについて取材をしてきて、「不登校の背景に、学習障害の問題がある」という話に触れたことはありませんでした。 * 学習障害:知能が正常だとしても、学校の勉強に関連する能力に困難があることを一般に指す(詳しくは、「読み書きが苦手な『発達障害』はクラスに3人 知能と違う課題」参照)。「LD (Specific Learning Disorder)」「限局性学習症」とも呼ばれる。 * 発達性読み書き障害:学習障害のなかで、文字を読むことや書くことに困難があるケースを指す。学習障害のなかで現実に問題になることが特に多いとされる。 中邑:それには理由があるんです』、「不登校の背景に、学習障害の問題がある」、なるほど。
・『不登校と学習障害の深い関係  中邑:文部科学省のなかで、調査をしている部署が違うんですね。不登校は初等中等教育局の「児童生徒課」、学習障害だったら「特別支援教育課」といった具合に、別のセクションが担当していて、基本的に縦割りなんです。 別々に調査をしているために、背景がわかりにくくなっているのです。不登校の調査のなかに、学習障害の問題が入っていない。それは「ほかの課」のことだからです。不登校は生徒指導の問題、学習障害は特別支援の問題と、切り分けられています。私は「調査の枠組みを変えよう」と、何度も提言してきたのですが、一朝一夕には変わりません。  Q:不登校と学習障害は、別の事柄として扱われている。 中邑:でも、調べてみれば明らかに関係しているんですよ。不登校の原因がいじめだと思っている人も多いのですが、いじめは必ずしも直接の原因ではありません。文字が書けない、勉強ができない結果として、いじめが起きていることもあるんです。いじめの前に、読み書きの問題や学習障害があるのにそれを見逃している。縦割りの調査では見えてこないんです。 Q:ということは、学習障害がある子を早期に発見してサポートすれば、不登校の子が減る可能性があるということですよね。 中邑:減りますよ、きっと。 Q: 国の体制が変わることを期待したいところですが、子どもは日々成長していきます。学習障害の子を早期に見つけるために、今、できることはありますか?  中邑:現場の先生に期待したいです。特に低学年の担任の先生です。一番簡単なのは、漢字の書き取りの宿題に「何分かかったか」を書く欄をつくっておくことです。かかった時間を書いてもらうだけです。するとだいたいの平均がわかります。そのなかに、みんながだいたい10分で終わっている宿題に、30分や1時間かかっている子がいるはずです。 Q:それで「書きの困難」がわかるんですね。これは学習障害かもしれない、と。 中邑:何より子どもがしんどい、ということがわかります。そういう子がいたら、「書き取りは1文字10回じゃなく、3回でいい」というふうに宿題を変えればいい。量を減らすのです。ムリにほかの子と同じようにさせようとすると、心に傷を残したり、勉強や学校が嫌いになったりする恐れがあります。それをまず防ぐ。宿題のコントロールは重要です。 ほかにも現場の工夫でできることは、いろいろとあります』、「文部科学省のなかで、調査をしている部署が違うんですね。不登校は初等中等教育局の「児童生徒課」、学習障害だったら「特別支援教育課」といった具合に、別のセクションが担当していて、基本的に縦割りなんです。 別々に調査をしているために、背景がわかりにくくなっているのです。不登校の調査のなかに、学習障害の問題が入っていない。それは「ほかの課」のことだからです。不登校は生徒指導の問題、学習障害は特別支援の問題と、切り分けられています。私は「調査の枠組みを変えよう」と、何度も提言してきたのですが、一朝一夕には変わりません」、セクショナリズムの典型だ。この当時から存在したとは驚かされた。
・『なぜ、テストで計算機を使わせるべきか?  中邑:例えば、テスト。学校では普段、問題用紙を配ってテストをしますよね。それだと子どもたちは、問題を解く前に、問題を「読む」必要があって、読むのが苦手な子は不利になります。そこで、「今日のテストは先生が問題を読むよ」と、音読のサポートをつけてテストをします。音読のサポートがあるときだけ点数が上がる子がいたら、その子は「読み」に困難があるということがわかります。算数の計算も同じです。「今日のテストは電卓を使っていいよ」ということにしたときに成績が上がる子は、「計算」が苦手なんだということがわかる。  Q:ちょっとした工夫で、特定の分野に苦手を持っている子を見つけることができるのですね。 中邑:子どもの答案を注意深く見るだけでも、わかることがあります。平仮名ばかりで書く子がいますから。それはやっぱり、書くのが苦手なんですね。そういった先生の注意や工夫によって、子どもの読み書きや計算の困難を見つける方法はいくらでもあるんです。 Q:小学校低学年の先生の力が必要ということですね。発達性読み書き障害を研究する宇野彰先生は、読み書きの困難を見つけるタイミングとして重要なのは「小学校1年生の夏」だとおっしゃっていました(「発達障害と読み書き なぜ『小学1年生の夏』が大事なのか?」参照)。 中邑:ええ。今は現場に知識を持った先生方が増えてきました。希望は持てます。読み書きが苦手な子を小学校の低学年のうちに見つけなくてはならないのは、アウトプットをする練習を積むためです。 Q: アウトプットをする練習、ですか』、「読み書きが苦手な子を小学校の低学年のうちに見つけなくてはならないのは、アウトプットをする練習を積むためです」、なるほど。
・『鉛筆で書かずとも、作文はできる  中邑:心のなかにあるものを吐き出して、それを構成し、文章にする。そういう練習をしなければなりません。小学校の授業では「鉛筆で書く」という方法で練習しますが、鉛筆で書くのが苦手な子は、なんらかのテクノロジーを利用して練習をしておいたほうがいい。スマホを渡して、親御さんとテキストメッセージのやり取りをするだけでもいいんです。 Q:それだけでいいんですか? 中邑:いいんです。書くことの意味を知ることができますから。しゃべることと書くことって違うでしょ? 頭のなかにあるモヤモヤしたものを、テキストとしてアウトプットすることは、話すこととは違うスキルなので、別の練習が必要なんです。 Q: 先生のお話を聞いて、発達性読み書き障害を持つ息子が、初めてパソコンで日記を書いたときのことを思い出しました。それまで書いていた作文は、本当にそっけなくて、「運動会がありました。楽しかったです。以上」みたいなものしか見たことがなかったんです。でも、パソコンを使うようなった途端、そのときの状況や感情をちゃんと表現した日記を、普通に書いていて。正直、息子に文章を構成する能力があると思っていなかったんです。ああ、頭のなかには文章があったんだ、と思いました。 中邑:「鉛筆で書く」という行為にリソースを取られすぎて、余力がなくなってしまったんですね。 鉛筆だと書けなくても、パソコンやスマホを使えば、困難を感じずに文章を書ける子はたくさんいます。ただし、小学生のころから、文章をアウトプットする経験を積んでおかないと、文章化のスキルは伸びません。注意しなければいけないのは、鉛筆で書けないために、文章を書くことそのものが面倒になって、文章を組み立てるトレーニングが不十分になってしまうことです。だからこそ、鉛筆で書くことにこだわらず、パソコンでもスマホでも方法はなんでもいいので、自分の頭のなかにあるものを文章として外に出す習慣をつけることが必要なんです。 大人は結局、「子どもを変える」議論ばかりしているんですよ。そうではなくて、子どもたちがそのままでいいように、外部にある仕組みや制度、社会を変えなければならないんです』、「大人は結局、「子どもを変える」議論ばかりしているんですよ。そうではなくて、子どもたちがそのままでいいように、外部にある仕組みや制度、社会を変えなければならないんです」、その通りだ。
・『なぜ、英語必修を「やめたほうがいい」のか?  僕は「英語必修をやめよう」といっています。英語圏では、ディスレクシア(*)が10%ほどいて、日本語圏やスペイン語圏などより高い。英語の読み書きはそもそも難しいということです。そのため、数学が抜群にできる子がいても、英語が必修だと、行きたい高校になかなか行けません。そのために、せっかくの数学の能力を十分に伸ばせない。英語を必修から外し、入試科目から外しやすくすることで、才能のある子がもっと花開いていくはずです。 大学だって、全員が同じ単位で卒業する必要はないでしょう。大学の入試はすでに多様化していて、今なら1科目で受験できる学校も結構あります。けれど、卒業単位はだいたい一律です。そのために、入試で免除された科目が関係する分野ですごく苦労する子たちがいるんです。 なんで子どもばかりが変わらなければいけないのか。大人は子どもに、変わることを当たり前のように求めます。制度に適応し、社会に適応するように変わりなさいと。発達障害の子どもたちなんて、その最たるものです。療育(*)も投薬もいいですが、子どもではなく制度や社会を変えたほうがいいに決まっています。 僕が今働いている「大学」なんて、実にいい環境ですよ。これはあくまで私見ですが、僕の見るかぎり、発達障害の特性を持った人たちがむしろそれを強みとして働いている職場だと感じます。大学で働くようになって生きやすくなったという人は、確実にいるはずです。そんなふうに環境を変えていったほうがいいんです。世の中は今、間違いなくそういう方向に向かっています。追い風が来ていると、勝手ながら思っています。 * ディスレクシア:発達性読み書き障害とほぼ同義で使われる言葉。発達性読み書き障害は診断名だが、ディスレクシアの場合、「読むことに困難がある」という症状を指すのに使われることもある(詳しくは、「読み書きが苦手な『発達障害』はクラスに3人 知能と違う課題」参照)。 * 療育(発達支援):障害やその可能性がある子どもに対しての支援。日常や勉強での困りごとの解決に取り組むだけでなく、将来の社会参加を視野に入れた活動を行う。自治体が運営する児童発達支援センターのほか、民間の教室などがある。  Q:本当ですか? 追い風、来ていますか? 中邑:だって、僕らの社会はこれまで散々、人間を変えようとしてきて、行き詰まっているじゃないですか。だからいいかげん、制度や社会を変える方向に向かうと思うんです。もっと寛容で、緩やかな社会をつくっていかなければならないはずです。 こういった活動をしていて最近気になっているのが、「ギフテッド」の存在です。 Q:突出した才能を持った子どものことですね。このごろ、よく耳にする話題の言葉です。 中邑:「うちの子はギフテッドなんです」と相談にくる親御さんが増えてきていて、それも課題の一つなんです。 Q: なぜそれが「課題」なのですか? 突出した才能を持つギフテッドの子どもが認知されるのは、中邑先生の考え方からすると、いいことではないのでしょうか?』、「僕らの社会はこれまで散々、人間を変えようとしてきて、行き詰まっているじゃないですか。だからいいかげん、制度や社会を変える方向に向かうと思うんです。もっと寛容で、緩やかな社会をつくっていかなければならないはずです」、なるほど。
・『「IQ130ある子ども」をどう見るべきか?  中邑:親御さんが、わが子はギフテッドだと主張する根拠は大抵、知能検査です。東京近郊に住む親御さんなどは、将来の受験のことが早くから頭にあって、幼稚園の時期から塾通いをさせたりしています。そういう塾では、クイズやパズルみたいな問題をたくさんやって、子どもの「知的反射神経」を鍛えるんですね。すると、知能検査が得意になります。知能検査というのは要するに、知的反射神経を試すテストです。だから、IQ(*)が高く出る。 * IQ(Intelligence Quotient):知能指数。知能検査結果の表示法の一つ。指数 100が平均値。 Q: 練習の成果が出る、ということですね。 中邑:慣れてくるんです。知能検査の平均値は100ですが、幼いころから練習している子は、それより高くなります。IQ130くらい、わりと簡単にいっちゃう。そういう子にとって小学校1、2年生の授業は、確かに簡単で、「バカみたい」と感じてしまうのです。子どもはその気持ちを親に伝えます。「簡単すぎてつまんない」と。それで学校とトラブルになって、親が僕のところにやってくるわけです。 Q:うちの子はギフテッドなのに、学校が対応してくれないと。 中邑:「IQが130以上もあって、大変なんです」って、真面目な顔しておっしゃるんですね。僕は「安心してください、お母さん。小学校5年生ぐらいになったら普通の子になりますから」というんですが、ものすごく不快な顔をされる。  失礼な先生だと。 中邑:相談にいらしたのですから、伝えないといけないこともあります。「お母さん、そんなことをいっていると、思春期になったとき、お子さんが荒れるかもしれませんよ」って。そこまでいっても、なかなかわかってもらえません。 実際、「かつてギフテッドだった子ども」との関係が修復不可能なくらいにこじれてから、相談に来る親御さんもいます。子どもだって傷つくんですよ。「普通になった今の自分」に、親ががっかりしているわけですから。ギフテッド教育の弊害は、もっと知られるべきだと思います。 Q: 教育って、本当に難しいですね。 中邑:子どもの特性に合わせて育てるのが一番いいんですよ。  けれど、IQ130のわが子をギフテッドだと主張する親御さんも、それが子どもの特性だと信じているわけですから……。いろんな意味で凸凹があるわが子を育てるときに、親としてできることはなんでしょうか? 中邑:楽しいこと、やりたいことをつくってあげる。趣味でいいですよ。 Q: それを将来の自立につなげていくには、どういうことに気をつければいいですか? 中邑:放っとくのがいいんじゃないかと思います。無責任なようですが、気をつけようがないんですよ。あえて気をつけることを挙げるなら、子どもの心を傷つけないようにする。そして、好きなことができる環境をつくってあげる。 とりあえず勉強する、とりあえず学校へ行かなきゃいけない。そういう価値観から抜け出せるといいですね。野菜作りでも、魚釣りでも、何か好きなことができたなら、素晴らしいじゃないですか。好きなことを見つけて、好きなことを思いっきりやるのが一番です。変わった子が、変わったままで生きられるのが一番。そのためには、子どもではなく社会のほうを変えていく必要があるのです』、「「かつてギフテッドだった子ども」との関係が修復不可能なくらいにこじれてから、相談に来る親御さんもいます。子どもだって傷つくんですよ。「普通になった今の自分」に、親ががっかりしているわけですから。ギフテッド教育の弊害は、もっと知られるべきだと思います・・・好きなことを見つけて、好きなことを思いっきりやるのが一番です。変わった子が、変わったままで生きられるのが一番。そのためには、子どもではなく社会のほうを変えていく必要があるのです」、その通りだ。

第三に、本年1月4日付け日経ビジネスオンラインが掲載したフリーランス編集者のライターの黒坂 真由子氏による「発達障害は海外赴任で治る? 狩猟採集社会ならばむしろ有利」を紹介しよう』、
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00369/121200040/
・『「発達障害のリアル」を、自身も発達障害(学習障害)の息子を育てるフリーランス編集者・ライターの私(黒坂真由子)が模索する本連載。このたび『発達障害大全』として1冊の本にまとめ、発売した。 発達障害は脳の特性であり、「治る」ことはない。けれど、海外赴任した途端に「治った」と感じることがある。医師や専門家などの証言から「環境を変える」ことの重要性が見えてくる。 「発達障害は治らない」という話をしてきました(前回「発達障害に必要なのは『治療』でなく『対応』 仕事選びが大切」参照)。 しかし、実はこの言い方そのものが間違いかもしれません。 なぜかというと、発達障害の人が「障害がある」とされるのは、「今、この場所で生きることに困難を感じている」からです。今ではない時代、ここではないどこかであれば、困難を感じない可能性があります。つまり、障害にはならない時代や場所があるということです。 ベストセラーとなった『スマホ脳』(新潮新書)は、ADHD(*) の特性が、有利に働く時代があったことを指摘しています。 *ADHD:注意欠如多動症。注意・集中力の欠如と多動・衝動性が見られる障害。Attention-Deficit/Hyperactivity Disorderの略称』、「発達障害の人が「障害がある」とされるのは、「今、この場所で生きることに困難を感じている」からです。今ではない時代、ここではないどこかであれば、困難を感じない可能性があります。つまり、障害にはならない時代や場所があるということです」、なるほど。
・『狩猟採集の時代に活躍したADHD  「常に周囲を確認し、異常なほど活発で、すぐに他の事に気を取られる」ような子どもが、現代社会にいれば、教室でじっと座っていられず、「ADHDの診断が下る」はずだと著者のアンデシュ・ハンセン氏はいいます。しかし、狩猟採集社会だったらどうでしょう? 「かつてはそんな性格のおかげで、危険を速やかに避けることができたのだ。茂みの中でカサカサと音を立てているのは、食べられる物かもしれない。すぐに見てみよう!」(『スマホ脳』) そんなADHDの特性のおかげで、生存競争を勝ち抜けたのです。 また、学習障害(*)があったとしても、文字のない社会では問題にはならないかもしれません。 これほど大きな時代の変化でなくても、「小さな自営業が減ると、発達障害は増える」と精神科医の岩波明氏が指摘するように、この数十年だけを考えても、社会は発達障害の人が生きにくい方向へと変化してきました。 *学習障害:「読む」「書く」「計算する」など、学習に関連する特定の能力に困難がある障害。限局性学習症/限局性学習障害、LD、SLD(Specific Learning Disorder)ともいう』、「ADHDの特性のおかげで、生存競争を勝ち抜けたのです。 また、学習障害(*)があったとしても、文字のない社会では問題にはならないかもしれません・・・社会は発達障害の人が生きにくい方向へと変化してきました」、なるほど。
・『発達障害は、日常生活のなかにある  小児科医の高橋孝雄氏は、発達障害の本質を「発達が進むに従って、次第に明らかになってくる日常生活上の困難さ」としています(「『発達障害』でよくある“勘違い” 心配が要らないケースも」参照)。 ADHDの診断を受けている借金玉氏は、それを「生活のなかで生じる具体的な問題」と表現しています(「借金玉さん、発達障害の僕が『治療よりライフハック』と思う理由」参照)。 障害は「現代社会における日常生活」のなかにあります。社会の側の変化が、人に新しい障害を生じさせるともいえます。 このような捉え方は国連総会で採択された「障害者権利条約」にも通じます。障害を個人の心身の特徴としてではなく、取り巻く環境との相互作用で捉える「社会モデル」の考え方です。自分の特徴と社会のミスマッチが起こったとき、それが障害となるわけです。 社会モデルの考え方を知ったとき、正岡子規の『病牀六尺』(岩波書店)のなかにある一節を思い出しました。子規が1902年、新聞「日本」に連載した日記的随筆ですが、こんな記述があります。 「近眼の人は遠方が見えぬこと、すべての物が明瞭に見えぬこと、これだけでも…(中略)…既に半分の知識を失ふて居る。まして近眼者は物を見ることを五月蠅さがる(引用注:うるさがる)やうな傾向が生じて来ては、どうしても知識を得る機会が少くなる」 「なるほど100 年前だと、眼鏡がないと本も読めない近眼の私は、普通に学ぶことはできなかったのか」と思いました。眼鏡がまだ高価だった時代の話です。現在、眼鏡やコンタクトレンズを使う人に、障害があるとされることはありません。社会の変化で、障害の定義が変化した身近な例です。 時間的変化だけでなく、場が変わるだけでも障害にならないことがあります』、「障害は「現代社会における日常生活」のなかにあります。社会の側の変化が、人に新しい障害を生じさせるともいえます。 このような捉え方は国連総会で採択された「障害者権利条約」にも通じます。障害を個人の心身の特徴としてではなく、取り巻く環境との相互作用で捉える「社会モデル」の考え方です。自分の特徴と社会のミスマッチが起こったとき、それが障害となるわけです・・・子規が1902年、新聞「日本」に連載した日記的随筆ですが、こんな記述があります。「近眼の人は遠方が見えぬこと、すべての物が明瞭に見えぬこと、これだけでも…(中略)…既に半分の知識を失ふて居る。まして近眼者は物を見ることを五月蠅さがる(引用注:うるさがる)やうな傾向が生じて来ては、どうしても知識を得る機会が少くなる」 「なるほど100 年前だと、眼鏡がないと本も読めない近眼の私は、普通に学ぶことはできなかったのか」と思いました。眼鏡がまだ高価だった時代の話です。現在、眼鏡やコンタクトレンズを使う人に、障害があるとされることはありません。社会の変化で、障害の定義が変化した身近な例です。 時間的変化だけでなく、場が変わるだけでも障害にならないことがあります」、なるほど。
・『海外赴任で、発達障害が「治る」?  ある銀行員の方は、発達障害の特性から、職場でのコミュニケーションに悩んでいました。ところが、米国に赴任になった途端に悩みは「まったくなくなった」といいます。米国社会では、明確な言葉で説明するのが当たり前で、「空気を読む」必要がないからです。 海外まで行かなくとも、集まるメンバーが変わるだけで障害が消えることがあります。発達障害の当事者が集まる「自助グループ」の場であれば、発達障害の特性があっても、あまりコミュニケーションに困りません。このような場で「空気が読めない」とされるのは、むしろ定型発達(*)の人たちです。 *定型発達:発達障害ではない多数派の人々の発達を指す言葉。 当事者の集まりを運営する松本敏治氏(「もしも発達障害が多数派ならば、『普通の人』とはどんな人?」など参照)と横道誠氏(「発達障害を持って生きるのは、エヴァンゲリオンの操縦と似ている」など参照)はいいます。 ASD の人が多数派で、定型発達の人が少数派の世界になったら、定型発達の人たちのほうが「何かおかしい」ということになるでしょう。「なんで、表情を読もうとするの?」「発言で判断したほうが、合理的でしょ」などと。(松本氏) 私たちはよく、「KY(空気が読めない)」といわれますが、自助グループでは逆の現象が起きます。自助グループの集まりでは、発達障害者が多数派です。そこに支援者など定型発達の人が混ざると、定型発達者こそがKYなんです。(横道氏) 発達障害だとされるのは、今、この時代の日本で、多数派のなかで暮らしているから。それが約2年に及ぶインタビューから見えてきたことです。 『発達障害大全 —「脳の個性」について知りたいことすべて』
【大反響・発売前重版】生きづらさを軽くするため、知りたいことすべて — ありそうでなかった「発達障害の教科書」。「日経ビジネス電子版」の人気連載を大幅加筆し書籍化。発達障害の子を育てる編集者・ライターが、各界第一人者の医師、研究者など13人に、あらゆる疑問をぶつけてとことん聞いた。発達障害の解像度が上がる、入門書にして決定版!』、「ある銀行員の方は、発達障害の特性から、職場でのコミュニケーションに悩んでいました。ところが、米国に赴任になった途端に悩みは「まったくなくなった」といいます。米国社会では、明確な言葉で説明するのが当たり前で、「空気を読む」必要がないからです」、「空気を読む」必要がある日本社会特有の病理だ。「ASD(注) の人が多数派で、定型発達の人が少数派の世界になったら、定型発達の人たちのほうが「何かおかしい」ということになるでしょう。「なんで、表情を読もうとするの?」「発言で判断したほうが、合理的でしょ」などと。(松本氏) 私たちはよく、「KY(空気が読めない)」といわれますが、自助グループでは逆の現象が起きます。自助グループの集まりでは、発達障害者が多数派です。そこに支援者など定型発達の人が混ざると、定型発達者こそがKYなんです。(横道氏) 発達障害だとされるのは、今、この時代の日本で、多数派のなかで暮らしているから。それが約2年に及ぶインタビューから見えてきたことです」、「発達障害だとされるのは、今、この時代の日本で、多数派のなかで暮らしているから」、これがエッセンスのようだ。(注)ASD:自閉スペクトラム症。
タグ:(その4)(発達障害と知的障害 「IQ70以上」が生きづらいのはなぜか?、不登校といじめの裏に発達障害 なぜ「IQ130」を喜べないのか?、発達障害は海外赴任で治る? 狩猟採集社会ならばむしろ有利) 発達障害 日経ビジネスオンライン 黒坂 真由子氏による「発達障害と知的障害 「IQ70以上」が生きづらいのはなぜか?」 「先生が問題とされている「気づかれない境界知能と軽度知的障害」とは何でしょうか。定義から教えていただけますか? 宮口:まず「知的障害」の定義を確認しましょう」、なるほど。 「そこで問題なのが、発達障害ではない境界知能の子どもたち(③)です、知的障害の子が受けられる支援と発達障害の子が受けられる支援の両方から漏れてしまいます。そこをなんとかしないといけないと思ったのが、現在の活動のきっかけとなりました」、なるほど。 「原則としてIQが70、もしくは75以上あると、どんなに社会的な障害を感じていても知的障害とはされない。それが一般的な診断基準です。しかし、そこでスパッと切ってしまうのが問題なのです。 実は、「IQ70未満」という知的障害の定義は1970年代以降のもので、それ以前には「IQ85未満」とされていた時期もあるのです。この2つの基準の境となる「IQ70~85」に該当する部分は「境界知能」と位置付けられています。一般に「グレーゾーン」と呼ばれることもあります。 かつては知的障害とされていた時期があったのに、今は障害とされなくなったのが境界知能です・・・社会的な生活を送る上での困りごとは、知的な障害から生じる部分がほとんどです。発達障害でも、IQが高ければ、今の社会を生き抜いていく方法は結構あります。けれど知的な能力が低いと、それだけで生きにくさが増えてしまいます。知的障害の程度を知ることは重要です」、なるほど。 「境界知能や経度知的障害を見落とすことが、冤罪につながる。それが事実とすれば衝撃的ですが、どういうことなのでしょうか」、次の記事が残念ながら見つからなかったのをお詫びしたい。 黒坂 真由子氏による「不登校といじめの裏に発達障害 なぜ「IQ130」を喜べないのか?」 「不登校の背景に、学習障害の問題がある」、なるほど。 「文部科学省のなかで、調査をしている部署が違うんですね。不登校は初等中等教育局の「児童生徒課」、学習障害だったら「特別支援教育課」といった具合に、別のセクションが担当していて、基本的に縦割りなんです。 別々に調査をしているために、背景がわかりにくくなっているのです。不登校の調査のなかに、学習障害の問題が入っていない。それは「ほかの課」のことだからです。不登校は生徒指導の問題、学習障害は特別支援の問題と、切り分けられています。私は「調査の枠組みを変えよう」と、何度も提言してきたのですが、一朝一夕には変わりま 「読み書きが苦手な子を小学校の低学年のうちに見つけなくてはならないのは、アウトプットをする練習を積むためです」、なるほど。 「大人は結局、「子どもを変える」議論ばかりしているんですよ。そうではなくて、子どもたちがそのままでいいように、外部にある仕組みや制度、社会を変えなければならないんです」、その通りだ。 「僕らの社会はこれまで散々、人間を変えようとしてきて、行き詰まっているじゃないですか。だからいいかげん、制度や社会を変える方向に向かうと思うんです。もっと寛容で、緩やかな社会をつくっていかなければならないはずです」、なるほど。 「「かつてギフテッドだった子ども」との関係が修復不可能なくらいにこじれてから、相談に来る親御さんもいます。子どもだって傷つくんですよ。「普通になった今の自分」に、親ががっかりしているわけですから。ギフテッド教育の弊害は、もっと知られるべきだと思います・・・好きなことを見つけて、好きなことを思いっきりやるのが一番です。変わった子が、変わったままで生きられるのが一番。そのためには、子どもではなく社会のほうを変えていく必要があるのです」、その通りだ。 黒坂 真由子氏による「発達障害は海外赴任で治る? 狩猟採集社会ならばむしろ有利」 『発達障害大全』 「発達障害の人が「障害がある」とされるのは、「今、この場所で生きることに困難を感じている」からです。今ではない時代、ここではないどこかであれば、困難を感じない可能性があります。つまり、障害にはならない時代や場所があるということです」、なるほど。 「ADHDの特性のおかげで、生存競争を勝ち抜けたのです。 また、学習障害(*)があったとしても、文字のない社会では問題にはならないかもしれません・・・社会は発達障害の人が生きにくい方向へと変化してきました」、なるほど。 「障害は「現代社会における日常生活」のなかにあります。社会の側の変化が、人に新しい障害を生じさせるともいえます。 このような捉え方は国連総会で採択された「障害者権利条約」にも通じます。障害を個人の心身の特徴としてではなく、取り巻く環境との相互作用で捉える「社会モデル」の考え方です。自分の特徴と社会のミスマッチが起こったとき、それが障害となるわけです・・・ 子規が1902年、新聞「日本」に連載した日記的随筆ですが、こんな記述があります。「近眼の人は遠方が見えぬこと、すべての物が明瞭に見えぬこと、これだけでも…(中略)…既に半分の知識を失ふて居る。まして近眼者は物を見ることを五月蠅さがる(引用注:うるさがる)やうな傾向が生じて来ては、どうしても知識を得る機会が少くなる」 「なるほど100 年前だと、眼鏡がないと本も読めない近眼の私は、普通に学ぶことはできなかったのか」と思いました。眼鏡がまだ高価だった時代の話です。現在、眼鏡やコンタクトレンズを使う人に、障害が あるとされることはありません。社会の変化で、障害の定義が変化した身近な例です。 時間的変化だけでなく、場が変わるだけでも障害にならないことがあります」、なるほど。 「ある銀行員の方は、発達障害の特性から、職場でのコミュニケーションに悩んでいました。ところが、米国に赴任になった途端に悩みは「まったくなくなった」といいます。米国社会では、明確な言葉で説明するのが当たり前で、「空気を読む」必要がないからです」、「空気を読む」必要がある日本社会特有の病理だ。 「ASD(注) の人が多数派で、定型発達の人が少数派の世界になったら、定型発達の人たちのほうが「何かおかしい」ということになるでしょう。「なんで、表情を読もうとするの?」「発言で判断したほうが、合理的でしょ」などと。(松本氏) 私たちはよく、「KY(空気が読めない)」といわれますが、自助グループでは逆の現象が起きます。自助グループの集まりでは、発達障害者が多数派です。そこに支援者など定型発達の人が混ざると、定型発達者こそがKYなんです。(横道氏) 発達障害だとされるのは、今、この時代の日本で、多数派のなかで暮らしているから。それが約2年に及ぶインタビューから見えてきたことです」、「発達障害だとされるのは、今、この時代の日本で、多数派のなかで暮らしているから」、これがエッセンスのようだ。(注)ASD:自閉スペクトラム症。
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