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日本・ロシア関係(その5)北方領土3(小田嶋氏:次の質問に行く前に) [外交]

日本・ロシア関係については、12月1日に取上げた。今日は、(その5)北方領土3(小田嶋氏:次の質問に行く前に)である。河野外相の問題答弁については、12月16日付けブログ「安倍内閣の問題閣僚等(その7)」でも取上げている。

コラムニストの小田嶋 隆氏が12月14日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「次の質問に行く前に」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/121300170/?P=1
・『河野太郎外務大臣の会見対応が波紋を呼んでいる。 発端は、12月11日の会見での記者とのやりとりだった。 この中で、河野大臣は、まず日本が北方領土をロシア領と認めることが平和条約締結交渉入りの条件だとしたロシアのラブロフ外相発言への感想を問われて「次の質問どうぞ」と回答している。 この言い方は、当該の質問への直接の回答を拒んで別の質問を促したもので、ニュアンスとしては「ノーコメント」というよりは「無視」「黙殺」「シャーラップ」「うるせえばか」に近い。 河野大臣は、別の会社の記者が、関連の質問として「反論を公の場でするつもりもないということでよろしいのか」と問うと、これにも「次の質問どうぞ」と、具体的に答えることなく、次の質問を促している。 そこで、別の記者が「引き続き関連の質問」として、「(河野)大臣が、発言を抑えてきた一方で、ロシアの側からはどんどんこれまで通りの発言が出てきている。このアンバランスな状況が、実際の協議にも影響を与えるという懸念もあると思うがどうか」という主旨の質問をすると、河野大臣はやはり「次の質問どうぞ」と回答し、これに続いてこれまた別の会社の別の記者が「大臣、何で質問に『次の質問どうぞ』と言うんですか」と問いかけたところ、この質問に対してもまったく同様に「次の質問どうぞ」と回答している。 この一連のやりとりのナンセンスっぷりは、英国製の古いコメディ番組を思い出させる。 そう思ってみると、河野大臣の顔はどことなく腹話術の人形に見えなくもない』、全くなめ切った回答だ。
・『以上は、動画を見たうえでのオダジマによる要約だ。 「恣意的に発言を切り取って難癖をつけている」「発言の一部だけを取り出して批判の材料として利用している」という言い方をされるのも不快なので、会見のノーカット動画とともに書き起こしを掲載しているサイトにリンクを張っておく。より詳しい状況を確認しておきたい読者はこちらを参照していただきたい。 さて、この一連のやりとりは率直に申し上げて、愚かな対応だと思う。 動画を見れば明らかな通り、大臣の対応ぶりは、個々の質問へのノーコメントの表明というよりは、より端的に、記者を愚弄する態度そのものだ。 無論、以前から大臣自身が繰り返している通り、外交交渉にかかわる質問は、先方との信頼関係や駆け引きの問題もあれば、外交機密に触れる話もあることなので、すべてについて答えられるわけではない。そんなことは、記者も十分に承知している。われら一般庶民にしたところで、その程度のことは知っている。 ただ、記者の立場から言えば、疑問に感じた点については率直に問いただすのが彼らの仕事でもある。 記者は、仮に大臣なり役人なりが回答できないタイプの質問であることがわかっていても、一応は水を向けるべく訓練されている。その上で、大臣がどういう理由で答えられないかについての説明を引き出すことが、彼らにとっての次の大事な仕事になる』、これでは記者会見の体をなさない。
・『今回のケースについて言うなら、私は、必ずしも「相手のある外交交渉の話なのだから答えられないこともある」という理由で、回答を拒否できるケースではなかったと思っている。 むしろ、ここで記者の質問に対して外相としての意見の表明を避けたことは、ロシア側の言い分(「まず日本が北方領土をロシア領と認めることが平和条約締結交渉入りの条件だ」というラブロフ外相の発言と「プーチン大統領と安倍晋三首相は、島の引き渡しについて一度も議論していない。協議しているのは、共同経済活動についてだ」というトルトネフ副首相の発言)を追認したと見なされる意味で、禍根を残す気がする。 個人的には、ロシア側にあんな言い方をされて、遺憾の意ひとつ表明できない大臣を置いておく意味があるのかどうか、はなはだ疑問だと思っている。あるいは、今回の日露間の合意の中には、日本の側が一切不満を申し述べてはならないといったような密約が含まれていて、それで外相はコメントを差し控えたのだろうか』、中国外務省の女性広報官は、相手国の発言をピシャリと手厳しい反論をするので有名だ。ロシア側発言を「追認したと見なされる意味で、禍根を残す気がする」というのは、その通りだ。
・『ともあれ、交渉当事国の外相が、領土問題を問い質す記者に対して子供じみた挑発的な態度で応じたことは、少なくとも外交上有益な材料になるとは思えない。 共同通信によれば、ロシアの通信社「レグナム」は、11日、河野外相の対応などについて「ばかげた子どもの遊び」にたとえる論評を掲載している(こちら)。 われわれはあなどられている。 なんとも、残念な顛末ではないか。 あの時点で、外相の側に記者の質問に回答できない事情があったのであれば、その旨を説明した上で「申し訳ないが、そのご質問には回答しかねる」と言っておけば良かっただけのことだ。 河野外相がそうせずに、あえて記者を愚弄する態度を選んだのは、彼自身の幼児性のしからしむるところだったと私は考えている。ふつうの大人はああいう言い方はしない。いったいどういう育ち方をしてきたのだろうか。 仮に、記者の態度が腹に据えかねたのだとしても、外務大臣たるもの、そうそうカジュアルに会見の場で感情をあらわにして良いものではない。 理由は、自国の記者相手にさえ平常心を保てない人物が、諸外国のタフネゴシエーターを相手にまともな外交を展開できるはずがないからだ』、ロシアの通信社にまで馬鹿にされるとは、情けない。「彼自身の幼児性のしからしむるところだった」というのは、その通りなのかも知れない。
・『本来なら、答えにくい質問は、なるべく穏当な形でスルーするべきところだ。 そうするのが、大臣に期待されているメディア対応であるはずだ。 ところが、河野外相は、記者に対して非礼な受け答えを繰り返すことで、結果として自分が特定の質問から逃避していること(つまりその質問が政権にとっての痛手であること)を内外に宣伝してしまっている。 致命的な失態だと思う。 外務大臣には答えられない質問があるということがその通りなのだとしても、答えられない質問への答え方を知らない外務大臣は、やはり不適格だと申し上げざるを得ない』、「その質問が政権にとっての痛手であることを内外に宣伝してしまっている」というのは、さすが手厳しい批判だ。
・『もっとも、同情の余地はある。 別の言い方をすれば、河野外相が不機嫌になったのには、十分な理由があるということだ。 というのも、ロシアとの交渉に関して、河野大臣はほぼ完全に「蚊帳の外」だったからだ。 ロシアとの交渉は、この数年、一貫して、官邸ならびに安倍総理個人が独走の形で推し進められている。つい先日の日露首脳会談では、余人を交えずに安倍総理とプーチン大統領が文字通り「2人だけ」で話し合ったと言われている。 つまり、外務省や外務大臣にはまるで出る幕がなかったということだ。 事前に相談されていたのかどうかもわからない。 おそらく、意見を求められてさえいなかったのではなかろうか。 事後的にきちんとした報告があったのかどうかも分からない。 にもかかわらず、記者への説明は外務大臣に押し付けられている。 意見さえ求められず、情報も与えられず、交渉そのものに関与していない領土問題について、記者から答えようもない質問を続けざまに浴びせられたのだとすれば、河野外相がムッとした気持ちは、十分に理解できる。支持はできないし容認も応援もできないが、理解だけはできる。さぞや腹が立ったことだろう。 その大臣の立腹の矛先は、記者ではなくて、より直接的には、官邸だったかもしれない。 頭越しに勝手に交渉を進めて案の定にヘタを打って、そのくせ弁解の窓口はこっちにケツを持ってくる官邸のやり口に、外務省の関係者が感情を害していたのだとしても私は驚かない』、なるほど、これでは答えようがないし、官邸のムシのいいやり口には怒り心頭だったのだろう。
・『実際、私が河野外相だったら、「その質問は安倍総理にぶつけてください」と言ってしまったかもしれない。 そう考えると、河野外相がこのセリフを言わずに自分の気持ちを発散したことは、むしろ彼の忍耐力の大きさを物語るものなのかもしれない。 今回の顛末をひととおり観察した結果、私があらためて憂慮しているのは、外相の個人的な幼児性ではない。 もちろん、外相に限らず閣僚には大人であってほしいのだが、そこのところはもはや仕方がないと思っている。どんな政治家であれ、われわれが選挙を通して選んだ人間である点は動かない。責任はわれわれ自身にある。 私が最も強く懸念しているポイントはそこではない。なにより心配なのは、政治家とメディアの関係がすっかり狂ってしまっている現状だ。 今回の会見のやりとりでも、外務省記者クラブの記者たちは、河野大臣のあれほどまでに失礼極まりない応答に対して表立った抗議をしていない。 質問に回答しないのなら回答しないで、回答しない理由を述べるべきだし、それができないまでも、少なくとも「ノーコメント」の意図は、正しく伝わる言葉で適切に発信しなければならない。そうするのが人としての最低限の礼儀だ。 しかし、あの応対は、記者を対等の人間と見なしていないどころか、記者をゴミ扱いにする振る舞い方といって良い』、「政治家とメディアの関係」にまで広げるとは、さすがだ。
・『「先ほど来、ロシアの質問に『次の質問どうぞ』というふうに回答されていますけれども、大臣の従前のお立場というのは我々も分かってますけれども、公の場での質問に対して、そういうご答弁をされるというのは適切ではないんじゃないでしょうか。どう思われますか」という、記者の最後の質問に対しての答えは 「交渉に向けての環境をしっかりと整えたいと思っております」という、木で鼻をくくったようなものだった。 私は何も次の質問として「あんたバカなのか?」という言葉で報いるべきだったと言いたいのではない。 あの日の外務省記者クラブにおける大臣と記者のやりとりは、残念ながら、対等な人間同士のコミュニケーションではなかった。 しかも、この政治家と記者の立場の非対称は、外務省記者クラブにおいてのみ観察されているものではない。 菅官房長官を取り巻く官邸記者クラブの会見では、菅さんが特定の記者の質問を執拗に黙殺し続けるやりとりが定番化していて、しかもそれを誰一人としてとがめる者がいない。 麻生財務大臣と彼にぶらさがっている記者とのやりとりも、とてもではないが対等な人間同士のやりとりには見えない。 まるでハリウッドセレブとそれに群がるパパラッチか、でなければ代貸と三下ぐらいに見える。 つまり、現政権において、閣僚が記者を愚弄するマナーは、着々と常態化しつつあるということで、今回の河野大臣のあの態度も、政権内で常識化しつつある、メディア敵視のトレンドに乗ったパフォーマンスだったということだ』、「政権内で常識化しつつある、メディア敵視のトレンド」は、言われてみればその通りだ。
・『で、政権側のメディア敵視に対抗して、メディアの側も政権に逆襲するのかと思いきやさにあらずで、メディアはどうやら無力感にとらわれている。 たとえば冒頭で引用した会見の様子を伝えるNHKのニュース原稿はこんな調子だ(こちら)。 彼らは、会見のやりとりを伝えた上で《-略- 河野外務大臣は、政府の方針を交渉の場以外で発信することは、よけいな臆測を呼び、交渉のためにならないなどとして、国会でもたびたび発言を控えることに理解を求めていて、今回の対応も、そうしたねらいがあるとみられますが -略-》と、大臣の立場をフォローし、末尾を《質問そのものに応じない姿勢には批判が出ることも予想されます。》という文言で結んでいる。 「批判が出ることも予想されます」という言い方の腰の引け方はどうだろうか。 どうしてこれほどまでに遠慮した書き方をせねばならないのか、その判断の根拠をぜひ問い質したい。 ここで、NHKの記者が「批判が出ることも」と言っている「批判」をする当事者はいったい誰なのだろうか。記者自身ではないのだろうか。 また、「予想されます」と受動態で受けてしまっている文の隠された主語は誰なのだろう。誰が予想しているのだろう。 NHKのこの記事を書いている記者が予想しているのではないということだろうかと、私が問うと、あなたがたは「次の質問をどうぞ」というのだろうか』、メディアは国民の代わりになって、大臣と対等な立場で接するべきところを、ここまでへりくだる卑屈な姿勢は情けない限りだ。
・『河野大臣の会見のニュースに先立って、11日の夕方、私は麻生氏が、立憲民主党の議員を小突いたとされる自民党の議員について「はめられた」と述べた発言を撤回したニュースをリツイートして、《閣僚の発言について「撤回すれば無問題」という前例が確立されたのは、現政権発足以来のことだと思うのだが、こんなことがまかり通ってしまっていることの原因は、内閣の横暴さよりも、むしろメディアの腰砕けぶりに求めなければならないのかもしれませぬ。》(こちら)というコメントを書き込んだ。 このツイートに対しては、麻生さんや現政権への失望や批判とは別に「そもそもメディアの側の揚げ足取りが混乱の原因なのだから、撤回すればOKに決まっている」「メディアが腰砕けっていうより、そもそも政権を責める材料がフェイクなだけだろ」という感じの、メディアへの非難や不信を訴えるリプライやメンションが多数寄せられている。 ひとつひとつのメッセージを読みながら、私は、無力感にとらわれつつある。 安倍内閣のメディア敵視の姿勢が一部の国民の間に浸透しはじめているのか、それとも国民世論の中に根強く潜在しているメディア不信が、現政権のメディア軽視の態度を勢いづけているのか、因果は必ずしもはっきりしないのだが、いずれにせよ、震災以降、メディアによる政権監視の機能が弱体化しつつある傾向は明らかだと思う。 次の質問を考える前に、私たちは、自分たちのこの国がどこに向かっているのかを問い直さなければならない。 答は、臆病風に吹かれている』、手厳しいメディア批判には全面的に賛成だ。
・なお、19日付けの新聞で、河野外相はロシア巡る質問で回答拒否したことに対し、「反省しておわび」をしたようだ。だが、内容的には、「あたかも無視したかのようになり、反省しておわびする」、「『お答えできません』と答弁すべきだった」、「今後も日ロの平和条約締結交渉に影響を及ぼしかねないことはお答えを差し控えたい」と表面的なおわびに留まったようだ。これほど問題を大きくしておいて、こんな程度のおわびで済む話ではない。
タグ:表面的なおわびに留まった 「反省しておわび」をしたようだ 次の質問を考える前に、私たちは、自分たちのこの国がどこに向かっているのかを問い直さなければならない。 答は、臆病風に吹かれている 震災以降、メディアによる政権監視の機能が弱体化しつつある傾向は明らかだと思う 遠慮した書き方 大臣の立場をフォローし、末尾を《質問そのものに応じない姿勢には批判が出ることも予想されます。》という文言で結んでいる NHKのニュース原稿 メディアはどうやら無力感にとらわれている 現政権において、閣僚が記者を愚弄するマナーは、着々と常態化しつつあるということで、今回の河野大臣のあの態度も、政権内で常識化しつつある、メディア敵視のトレンドに乗ったパフォーマンスだったということだ 麻生財務大臣と彼にぶらさがっている記者とのやりとりも、とてもではないが対等な人間同士のやりとりには見えない 菅官房長官を取り巻く官邸記者クラブの会見では、菅さんが特定の記者の質問を執拗に黙殺し続けるやりとりが定番化していて、しかもそれを誰一人としてとがめる者がいない この政治家と記者の立場の非対称は、外務省記者クラブにおいてのみ観察されているものではない あの応対は、記者を対等の人間と見なしていないどころか、記者をゴミ扱いにする振る舞い方 私が最も強く懸念しているポイントはそこではない。なにより心配なのは、政治家とメディアの関係がすっかり狂ってしまっている現状だ 頭越しに勝手に交渉を進めて案の定にヘタを打って、そのくせ弁解の窓口はこっちにケツを持ってくる官邸のやり口に、外務省の関係者が感情を害していたのだとしても私は驚かない 大臣の立腹の矛先は、記者ではなくて、より直接的には、官邸だったかもしれない 意見さえ求められず、情報も与えられず、交渉そのものに関与していない領土問題について、記者から答えようもない質問を続けざまに浴びせられたのだとすれば、河野外相がムッとした気持ちは、十分に理解できる 外務省や外務大臣にはまるで出る幕がなかった ロシアとの交渉は、この数年、一貫して、官邸ならびに安倍総理個人が独走の形で推し進められている ロシアとの交渉に関して、河野大臣はほぼ完全に「蚊帳の外」だった 記者に対して非礼な受け答えを繰り返すことで、結果として自分が特定の質問から逃避していること(つまりそ 彼自身の幼児性のしからしむるところだった ロシアの通信社「レグナム」は、11日、河野外相の対応などについて「ばかげた子どもの遊び」にたとえる論評を掲載している ここで記者の質問に対して外相としての意見の表明を避けたことは、ロシア側の言い分(「まず日本が北方領土をロシア領と認めることが平和条約締結交渉入りの条件だ」というラブロフ外相の発言と「プーチン大統領と安倍晋三首相は、島の引き渡しについて一度も議論していない。協議しているのは、共同経済活動についてだ」というトルトネフ副首相の発言)を追認したと見なされる意味で、禍根を残す気がする 大臣の対応ぶりは、個々の質問へのノーコメントの表明というよりは、より端的に、記者を愚弄する態度そのものだ 一連のやりとりのナンセンスっぷりは、英国製の古いコメディ番組を思い出させる ニュアンスとしては「ノーコメント」というよりは「無視」「黙殺」「シャーラップ」「うるせえばか」に近い ラブロフ外相発言への感想を問われて「次の質問どうぞ」と回答 河野太郎外務大臣の会見対応が波紋 「次の質問に行く前に」 日経ビジネスオンライン 小田嶋 隆 (その5)北方領土3(小田嶋氏:次の質問に行く前に) 日本・ロシア関係
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