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大学(その9)(「俺が逮捕されれば裏金のことも全部ぶちまける」“日大のドン”田中英寿理事長が口にする"不穏な言葉" 地検特捜部と"田中帝国"の攻防戦、「暴力団との交際を堂々とアピール」そんな人間になぜ日本大学は牛耳られていたのか「夜道に気をつけろ」と脅すことも、灘高生に「東大理三離れ」の兆し “高偏差値男子は医学部”の常識に異変) [社会]

大学については、1月13日に取上げた。今日は、(その9)(「俺が逮捕されれば裏金のことも全部ぶちまける」“日大のドン”田中英寿理事長が口にする"不穏な言葉" 地検特捜部と"田中帝国"の攻防戦、「暴力団との交際を堂々とアピール」そんな人間になぜ日本大学は牛耳られていたのか「夜道に気をつけろ」と脅すことも、灘高生に「東大理三離れ」の兆し “高偏差値男子は医学部”の常識に異変)である。

先ずは、10月10日付け文春オンライン「「俺が逮捕されれば裏金のことも全部ぶちまける」“日大のドン”田中英寿理事長が口にする"不穏な言葉" 地検特捜部と"田中帝国"の攻防戦」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/50345
・『11月29日、東京地検特捜部は日本大学理事長の田中英寿容疑者(74)を所得税法違反の疑いで逮捕した。「誰も逆らえない」と言われる“日大のドン”田中氏の素性や、「日大利権」の実態について報じた週刊文春の記事を再公開する。(初出:週刊文春 2021年9月23日号、年齢、肩書等は掲載時のまま)。  約7万人の学生数を誇る日本最大のマンモス校、日本大学の中枢についに司直の手が伸びた。9月8日、東京地検特捜部は、日大の本部、そして最高権力者である田中英寿理事長(74)の自宅などを背任容疑の関係先として家宅捜索した。 検察担当記者が語る。 「疑惑の舞台は日大医学部附属板橋病院です。老朽化による建て替え計画が進んでおり、予算規模は1000億円という大プロジェクト。日大は昨年、基本設計を24億円で設計会社『佐藤総合計画』に発注しているのですが、そのうち約2億円が不正に流出し、大学に損害を与えたとみられているのです」 契約は、日大が全額出資して2010年に設立された株式会社「日本大学事業部」が行なった。大学の納入業者の選定を一手に仕切り、大学のグッズの企画・販売や職員の物品購入から学生寮の管理、保険代理業まで担う組織だ。そのキーマンが日大の理事で、日大事業部の取締役も兼務する田中氏の最側近、井ノ口忠男氏(64)である』、「日本最大のマンモス校、日本大学の中枢についに司直の手が伸びた」、全く異例のことだが、「悪質タックル問題」の時から、「日大」には何やら正常とはいえない雰囲気が濃厚だった。
・『佐藤総合計画を日大に紹介したのは…  地検関係者が明かす。 「井ノ口氏が、佐藤総合計画に対し、約2億円を大阪の医療法人『錦秀会』の籔本雅巳理事長の右腕が社長を務める港区の医療コンサル会社に送金するよう指示したとみています。そもそも籔本氏は井ノ口氏を通じて田中氏の知遇を得、14年には日大出身の力士、遠藤関の後援会長を務めて日大との関係をさらに深めました。その後、田中氏が会長を務める国際相撲連盟の副会長にも、籔本氏は名を連ねた。特捜部は今回の契約に医療コンサルを入れる必要があったのか否かに着目している」 捜査は、証券取引等監視委員会からの告発案件などを担当する経済班が担うが、班を率いる副部長は、日産のカルロス・ゴーン事件の主任検事を務めた強硬派だ。 「佐藤総合計画を日大に紹介したのは、自民党の故野中広務元官房長官の元秘書です。彼が日大と取引のある葬儀業者を通じて田中氏に持ち込んだ。この元秘書は今夏、コロナで亡くなっていましたが、葬儀業者に詳しく事情を聴いた特捜部は、一気に勝負に出たのです」(同前)』、なるほど。
・『“反田中”の大学幹部に実弾入りの封筒が  田中氏は家宅捜索には驚いていたものの、至って強気の姿勢だという。 「田中氏本人はガサ入れ翌日に6時間の事情聴取を受けていますが、『まったく知らない。金が(医療コンサルに)渡っていたことは後で知った』と一貫して否認している。学内で、地検に協力した犯人探しも始めています」(同前) 田中氏は青森県出身で、地元高校の相撲部を経て日大に入学。現役時代は34個のタイトルを獲得した、“アマ相撲界の大鵬”だ。 「83年に日大相撲部監督に就任。指導者として元小結・舞の海や野球賭博で追放された元大関・琴光喜などを育てた。その後も角界に絶えず逸材を供給するドンとして君臨し、日本オリンピック委員会(JOC)の副会長などを歴任。政治力に長けていた田中氏は日大でも出世コースを歩み、08年に理事長の座を手にした」(日大関係者) その過程で、“反田中”の大学幹部に実弾入りの封筒が送られるなどの不穏な動きが勃発。捜査当局の間でいつしか「日大利権」「ドン田中」のキーワードが取り沙汰されるようになった』、「理事長の座を手に」する「過程で、“反田中”の大学幹部に実弾入りの封筒が送られるなどの不穏な動きが勃発」、その当時は問題にならなかったのも不思議だ。
・『悪質タックル問題の“黒幕”  異例の長期政権となった田中体制が最大の危機に直面したのは、18年5月。日大と関西学院大学とのアメフトの定期戦で、日大の選手が、味方にパスを出して無防備な関学のクォーターバックに激しいタックルを浴びせ、大怪我を負わせた悪質タックル問題でバッシングを浴びたのだ。この時、“黒幕”として名前が浮上した人物が、日大アメフト部の大物OBである、件の井ノ口氏だった。 「悪質タックルは、日大アメフト部の監督とコーチの指示によるものだったのかどうかが焦点となり、警視庁も捜査に乗り出すなか、大学側は第三者委員会を設置。その調査報告で、井ノ口氏は加害者である選手と父親に不当な圧力をかけ、口封じをして事件のもみ消しを図ろうとしたと指摘されたのです」(社会部記者) 集中砲火を浴びた井ノ口氏は日大事業部の取締役を退き、18年7月には理事も辞任。だが、ほとぼりがさめた19年12月に事業部取締役に返り咲き、昨年9月には理事にも復帰した』、「井ノ口氏」が「事業部取締役」や「理事」にちゃっかり「復帰」していたとは、やはり「田中氏」になくてはならない人材なのだろう。
・『ちゃんこ屋で毎回約30万円を支払い…  その背景を日大アメフト部関係者が解説する。 「田中氏が唯一、頭が上がらないのが、東京・阿佐ヶ谷でちゃんこ屋を経営する元演歌歌手の優子夫人。井ノ口氏の復活には彼女の口添えがあったようです。もともとは09年頃に、井ノ口氏の実姉が日大の広報関連の仕事を通じて優子夫人に取り入り、井ノ口氏も頻繁に店に出入りするようになりました。アメフトの試合後に部員20名ほどを店に連れて行き、毎回約30万円を支払い、優子夫人の機嫌をとっていたのです」 11年に、ちゃんこ屋の近くに12階建てのマンションが建設されると、優子夫人の勧めもあり、井ノ口氏はすぐに12階の1部屋を購入。今回の捜査ではここも家宅捜索を受けている。 「井ノ口氏は田中氏から理事長付相談役の肩書を貰うと、日大事業部を舞台にやりたい放題でした。学内の自動販売機ビジネスに手を付け、各飲料メーカーに取引の条件として実姉の広告会社が扱う広告への協賛金として1口300万円を拠出するよう要求するなど、あちこちで強引な手法が問題になっていた」(同前)』、
・『ドン田中と同様、誰も逆らえない存在  さらに井ノ口氏は、当時、資金繰りに苦慮していた兵庫県の学校法人への融資を田中氏に働き掛けている。 「3億円を融資すれば、関西初の日大の系列校になるとの思惑もあり、田中氏は幹部職員らに調査を命じました。だが精査したところ、赤字の累積額も多く、とても融資は難しいとの判断になり、田中氏も渋々受け入れた。ところが、井ノ口氏らは優子夫人に、『こんないい話を断わるのはおかしい』とご注進。板挟みになった田中氏は、融資困難と判断した幹部職員を、一番の側近だったにもかかわらず東京郊外の稲城のグラウンド管理人に飛ばしたのです」(前出・日大関係者) 見せしめ人事の効果は絶大で、日大内部で井ノ口氏は、ドン田中と同様、誰も逆らえない存在になった。 「井ノ口氏は芦屋に3階建ての自宅、堂島に7階建ての自社ビルを持ち、2つのタワマンに部屋を所有。常宿のウェスティンホテル大阪の駐車場には、ベンツやポルシェなどの高級車を何台も停めていた」(同前)』、「井ノ口氏」の資産取得経緯や所得申告をきちんと精査する必要がある。
・『「俺が逮捕されるようなことがあれば…」田中氏が口にする不穏な言葉  その井ノ口氏と盟友関係にあるのが錦秀会の籔本氏なのだ。大阪の7病院のほか介護老人保健施設や医療コンサルを抱え、グループ全体では約5800床を誇る関西屈指の医療法人を率いる。夜の北新地では有名な存在で、フェラーリ愛好家としても知られている。安倍晋三前首相のゴルフ仲間として首相動静にも何度も登場してきた。 「ただ近年、病院経営の台所事情は火の車だった。今回の件は資金繰りに窮した籔本氏ありきのスキームだったのではないかとみられている」(前出・地検関係者) 錦秀会側は「取材はお受けできません」と回答。一方の田中氏は、9月12日に検察側に診断書を提出し、入院。最近こんな不穏な言葉を口にしているという。 「俺が逮捕されるようなことがあれば、今まで政治家に渡した裏金のことも全部ぶちまけてやる」 長年にわたり特捜部が追ってきた日大“田中帝国”の暗部。その攻防は最終戦争の様相を呈している』、「近年、病院経営の台所事情は火の車だった。今回の件は資金繰りに窮した籔本氏ありきのスキームだったのではないかとみられている」、「藪本」氏の存在の意味がようやく理解できた。「俺が逮捕されるようなことがあれば、今まで政治家に渡した裏金のことも全部ぶちまけてやる」との「田中氏」の言葉で、肝を冷やした「政治家」も多いのだろう。今後、楽しみだ。

次に、12月10日付けPRESIDENT Onlineが掲載したジャーナリストの元木 昌彦氏による「:「暴力団との交際を堂々とアピール」そんな人間になぜ日本大学は牛耳られていたのか「夜道に気をつけろ」と脅すことも」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/52690
・『暴力団幹部と一緒に写った写真が次々と流出  住吉会の福田晴瞭会長(当時)、山口組六代目の司忍組長、弘道会傘下佐々木一家の山本岩雄総長(故人)と一緒に写っている人間が大学を牛耳っている理事長だったら、その学校の学生やOBはどう思うのだろう。 日本大学の理事長だった田中英寿(74)が、11月29日に東京地検特捜部に逮捕された。田中は歴代の総長選で、自分の推す候補者を勝たせてきた。こんなエピソードがあると週刊新潮(12月9日号)が報じている。 「13年前の総長選では自分がついた候補の対抗馬を向島の料亭に呼び出し、“出馬を辞退してくれたら5000万円渡す。次期総長選は勝たせるようにするから”と協力を仰いでいました。あまりに一方的な申し出に、その候補は断っていましたが」(さる日大関係者) 気にいらない教授がいると、「夜道に気をつけろ」と脅したこともあったという。俺のバックには暴力団がいるとほのめかし、わが物顔に振る舞っていた』、「13年前の総長選では自分がついた候補の対抗馬」に「“出馬を辞退してくれたら5000万円渡す」、総長のポストはやはりおいしいようだ。「俺のバックには暴力団がいるとほのめかし、わが物顔に振る舞っていた」、大学人とは思えないような振る舞いだ。
・『対立していた幹部は、グラウンドの守衛に左遷  瀬在幸安総長は田中(当時は常務理事)の言動に疑問を持ち始め、6人の弁護士からなる特別調査委員会をつくり、疑惑の調査を指示したと週刊文春(12月9日号)が報じている。 だが調査はうやむやになり、反瀬在に転じた田中は、2005年の総長選では小嶋勝衛を推して瀬在を破ったという。 文春によれば、その後、名古屋で行われたイベントに出席した小嶋総長に、「会わせたい人がいる」と田中が誘った。行った先にいたのは、「司(忍=筆者注)氏だったそうです」と、同大学の元幹部が話している。 田中が2008年に理事長に就任すると、 「まず着手したのは学内にある在籍を知らせる電光掲示板の『総長』と『理事長』の位置を入れ替えることでした。 それまでは総長が上だったのを、理事長を上にし、自らがトップだと宣言した。対立していた幹部を左遷し、最終的に東京・稲城のグラウンドの守衛にするなど、逆らう奴がいれば呼び出して“北海道の大学施設の管理人が空いてるぞ”と脅すのです」(週刊新潮(同)、「まず着手したのは学内にある在籍を知らせる電光掲示板の『総長』と『理事長』の位置を入れ替えること」、権力志向が並外れて強いようだ。
・『教育を食いものにする社会悪  逮捕の発端は、田中の側近だった大学理事の井ノ口忠男と医療法人「錦秀会」の藪本雅巳理事長が、日大医学部附属板橋病院の建て替えを巡り、大学に4億2000万円の損害を与えた背任容疑で逮捕、起訴されたことだった。 そのカネの一部が田中に渡っているのではないか。特捜部は今年9月8日に阿佐ヶ谷の彼の自宅で1億円超の現金を発見、藪本からも約6000万円を田中に渡したという供述を引き出していた。 約5300万円を脱税した所得税法違反容疑だが、特捜部は最初から、5年以下の懲役である背任ではなく、10年以下の懲役の所得税法違反でやるつもりだったと、週刊文春(同)が報じている。 それが証拠に、特捜部から上級庁には、このような報告がなされていたというのである。 「特捜部は、すべて当初の予定通り、田中を逮捕いたします。かねてよりご報告の通り、教育を食い物にする社会悪としての田中を、可罰において重い量刑を科す本来目的の、所得税法違反による逮捕です。すべては狡猾な巨悪を油断させるための“死んだふり”が功を奏しました」 だが、立件・逮捕に至るまでには高いハードルがあったようだ』、「“死んだふり”」とは、これまで故意に見逃していたことを指しているのだろうか。
・『決定的な証拠をつかめない中、作戦を変え…  捜査の手が伸びると、田中は駿河台にある日本大学病院に逃げ込んだ。そこで行われた特捜部の任意の事情聴取では、一貫して容疑を否認し強気だったという。「田中氏が背任工作のスキームを指示、あるいは承知していたことを証明する必要がありましたが、それが難しかった」(司法担当記者) 田中はいちいち細かいことには口を出さないため決定的な証拠がない。背任の共犯での立件は困難だという見方が広がったそうだ。 そこで特捜部は、田中が会長を務める国際相撲連盟を使った金の出入りと、昨年行われた田中邸のリフォームをめぐる支払いの疑惑へと、戦線を拡大していった。 だが、相撲連盟のほうは任意団体で、会計報告の義務もなく、突破口にはならなかったようだ。 リフォームのほうは、工事の窓口になったのは田中が信頼を置く相撲部のOBで、かつて日大の建設工事などの差配役を担った会社の元社員だった。 その人間は田中の紹介で石川県の建設会社の営業部長になり、日大の子会社・日本大学事業部にも籍を置いていて、リフォームは件の会社が請け負い、日大工学部がこの会社に発注した別の工事費用と併せて処理されていたフシがあったが、このルートも不発に終わった。 そこから特捜部は、脱税に焦点を合わせていって、ようやく逮捕にこぎつけたというのである。 田中は逮捕されて理事長を辞任したが、彼にはいくつもの疑惑がある。冒頭書いた暴力団との強いつながりがひとつである』、「脱税」はたぶん証拠固めし易いのだろう。
・『田中体制の集金マシンと化していた「日大事業部」  週刊文春にはこんな話が載っている。 「日大出身のある親方が部屋を開いた際は、小雨の降る地鎮祭に、後に山口組若頭となる高山清司氏が姿を見せたと言われていた。田中氏と弘道会(司忍山口組六代目の出身母体=筆者注)の関係が密かに話題になり、高山氏が田中氏の妻、優子夫人にエルメスのバーキンを一ダース送り、優子夫人が感激していたとの話も耳にしました」(日大関係者) 田中の側近である井ノ口が牛耳っていた日大事業部という伏魔殿の実態も、明るみに出されなければならない。 ここは別名「日大相撲部」といわれていて、田中が率いる相撲部の関係者が複数採用されているという。 その利益の大半は日大への寄付として処理されていて、田中体制の集金マシンになっていたといわれる。 薮本の政界人脈と豪遊ぶりも週刊新潮(10月21日号)と週刊文春(同)で報じられた。週刊新潮は、薮本が安倍晋三元総理と親しく、加計学園の加計孝太郎理事長らとゴルフクラブで撮った写真も掲載していた。 口ひげを蓄えた面構えはいかにも“政商”という雰囲気である。 藪本の仲介で田中と安倍が会ったことはないのだろうか。』「日大事業部」には、「田中が率いる相撲部の関係者が複数採用されている」、「その利益の大半は日大への寄付として処理されていて、田中体制の集金マシンになっていた」、極めて便利なポケットだったようだ。
・『「政治家に渡した裏金のことも全部ぶちまけてやる」  田中との関係が最も強いのは相撲界だ。週刊文春によれば、 「一九八三年には日大相撲部の監督に就任。田中氏が指導した角界の日大出身者は五十人を超えています。現役理事の境川親方を始め、木瀬親方や入間川親方、解説者の舞の海もいます。 さらに角界に力士を輩出し続ける鳥取城北高の石浦外喜義総監督や埼玉栄高の山田道紀監督も田中氏の薫陶を受けています」(角界関係者) 薫陶ばかりではない。 「田中氏はその豊富な人脈を駆使し、日大に有望な学生を集め、高値で相撲部屋に力士を送り込むことで絶大な影響力を誇った」(週刊文春)という。 田中は入院中に、こんな言葉を口にしていたようだ。 「俺が逮捕されるようなことがあれば、今まで政治家に渡した裏金のことも全部ぶちまけてやる」 逮捕されたのだからぜひ、そうしてもらいたいものである』、「高値で相撲部屋に力士を送り込む」、とはまるで人身売買だ。
・『日大の「暗黒の歴史」が繰り返されている  日大という大学には帝王やドンといわれる人間たちが、莫大な私学助成金や学生たちの学費を私してきた「暗黒の歴史」がある。 1960年代後半、吹き荒れた学生運動の「先駆」となったのは「日大闘争」だった。 以前にも書いたことがあるから詳しくは繰り返さないが、当時「帝王」とまでいわれた古田重二良会頭は、学費の相次ぐ値上げに怒った学生たちを右翼学生や体育部の学生たちに襲わせた。その中に相撲部の田中もいたといわれている。 古田は、学生たちのデモ鎮圧のために機動隊まで導入したが、ついには学生たちに屈し、3万5000人の学生が見つめる中で大衆団交に応じ、要求を認めた。 だが、当時の佐藤栄作首相が「日大の大衆団交は常識を逸脱している」と発言。約束は反故にされ、古田は会長として再び日大に戻るが、その年に死去。 あの時、古田的なものを一掃できていれば、田中英寿前理事長も出てこなかったかもしれない。 田中は警察関係とのつながりも強い。 週刊新潮は、安倍元首相時代、官邸の守護神といわれた警察庁出身の杉田和博前官房副長官もその1人ではないかと報じている。 もっとも杉田は、「サシではないと思いますよ。記憶にございませんね」と週刊新潮に答えているが。 警察官僚出身で衆院議員だった亀井静香も週刊新潮で、「相撲取りからマンモス校のトップまでいったんだから、大人物だよ」と田中を擁護している』、「古田は、学生たちのデモ鎮圧のために機動隊まで導入したが、ついには学生たちに屈し、3万5000人の学生が見つめる中で大衆団交に応じ、要求を認めた。 だが、当時の佐藤栄作首相が「日大の大衆団交は常識を逸脱している」と発言。約束は反故にされ、古田は会長として再び日大に戻るが、その年に死去。 あの時、古田的なものを一掃できていれば、田中英寿前理事長も出てこなかったかもしれない」、日大闘争は東大闘争の先駆けになった。確かに「古田的なもの」が残っていたのが、「田中理事長」につながったのだろう。
・『“田中派”の評議員が理事長に復帰させるのではないか  特捜部は、悪質な所得隠しに妻の優子も共謀していたと見て捜査を進めているという。実刑も視野に入れているともいわれる。だが、もしそうなっても、数年後に再び田中が理事長に復帰する可能性があると囁ささやかれているようだ。 現在の加藤直人学長はアメフト事件(日大の選手が監督やコーチの指示で相手選手に危険なタックルをして負傷させた)当時、アメフト部の部長だったが、不祥事にもかかわらずトップに就けたのは、田中の力があったからだといわれている。 今回の件で理事は総辞職したが、大半が田中派といわれる評議員はそのままである。彼らを理事に横滑りさせ、時機を見て田中を理事長に復帰させるのではないか。 こういうケースはほかにもあると大学ジャーナリストの石渡嶺司が「揺れ動く日大~田中色一掃かそれとも復権狙いか、今後のシナリオは」(Yahoo!ニュース 12月2日 7:54)で書いている。 「2008年の東京福祉大事件です。当時、総長だった人物がわいせつ事件により逮捕。総長も辞任し、大学は『今後、大学経営に関与させない』と表明します。 しかし、服役後には大学職員(事務総長)として大学に復帰。2020年には学長としても復帰します」』、「東京福祉大事件です。当時、総長だった人物がわいせつ事件により逮捕。総長も辞任・・・服役後には大学職員(事務総長)として大学に復帰。2020年には学長としても復帰」、学長にまで「復帰」というのは驚くべきことだ。
・『政界まで深く食い込んでいる日大を改革できるのか  石渡は、こうしたシナリオは文科省も承知しているから、田中派を学内から一掃した日大再建を考えているという。 その切り札は年間90億円といわれる私学助成金。日大側が説明責任を果たして徹底的な改革を断行しなければ文科省は、これを減額、または不支給にすると“脅し”て学内の田中派を一網打尽にするというのである。 たしかに学生数6万5000人といわれるマンモス校でも、助成金が減らされれば学校経営に大きな支障が出るだろう。ましてや、理事長が反社と深い付き合いがあったというのでは、来年の志望者が激減することも予想され、受験料収入が大幅にダウンするかもしれない。 それでは、文科省主導の日大改革が行われるかというと、私には大いに疑問である。安倍元首相時代の官邸にまで食い込んでいた田中グループが、文科省の官僚や大臣たちを手なずけていないはずはないからである。 彼らを饗応した際の明細や録音を録っているかもしれない。それが“ヤクザの流儀”である。もし、それを公開するといえば、それでも日大改革をやるという気骨のある人間が出てくるだろうか。 第2の日大闘争を起こせとはいわないが、良識ある教授、学生たちが立ち上がり、学長の説明責任を求め、納得できなければ辞任を要求するべきである。 学外に新学長にふさわしい人材を求めることを考えてもいいのではないか。この機を逃さず、真の改革に着手しなければ、日大は「マンモスの化石」になる。(文中敬称略)』、「この機を逃さず、真の改革に着手しなければ、日大は「マンモスの化石」になる」、言い得て妙だ。

第三に、10月4日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した教育ジャーナリストの庄村敦子氏による「灘高生に「東大理三離れ」の兆し、“高偏差値男子は医学部”の常識に異変」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/283585
・『『週刊ダイヤモンド』10月9日号の第一特集は「医学部&医者2021」です。医者の「安定、高収入、高ステータス」というイメージにより、1990年頃以降過熱の一方だった医学部入試。しかし、ここ数年は高偏差値校の男子生徒による医学部離れの兆しが徐々に見え始めていました。それは、東大理三への合格者数トップを走ってきた西の名門、灘高校も例外ではありません。本特集では、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的流行)のインパクト、そして今後の医学部入試の動向&受験対策を徹底解説します』、興味深そうだ。
・『「灘→東大理三」の黄金ルートが崩壊か? 三男一女を理三に入れた佐藤ママも憂う異変  長年、医学部の最難関、東京大学理科三類(以下、理三)への合格者数が最多の高校といえば灘(兵庫県)だった。2013年には27人(以下、合格者数は総数)が合格。当時の定員は100人だったため、なんと合格者の4人に1人が灘出身者だった。医療界でも、「灘→理三」は一種のブランドになっている。 しかし、19年には21人が合格したものの20年は14人、21年は12人だった。他校に比べて灘高生の学力が落ちたわけではなく、同校によれば理三の志望者自体が減ったという。 「三男が理三を受験した13年は、27人が合格しました。そのうち21人が現役で、保護者の間では『花の65回生』と呼んでいます。三男の合格発表では、親しいお母さんの息子さんたちがみんな合格していたので、『良かったね』と喜び合い、ちょっと騒ぎ過ぎたくらいです。昨年は全国トップとはいえ14人、今年は12人(2位)なので、寂しいですね」 そう話すのは、3人の息子全員が灘から理三に進学した佐藤亮子さんだ。 理三が募集を開始した1962年から21年までの灘の合格者数は、教育ジャーナリストの小林哲夫氏と大学通信の調査によると797人。59回の入試のうち灘は実に42回全国トップになっており、2000年以降も15人以上合格した年が13回ある。 灘が、筑波大学附属駒場、開成、麻布など東京の難関男子中高一貫校よりも長年理三に多数の合格者を輩出してきた理由の一つが、数学が得意な生徒が多いことだった。灘中学の入試は国語、算数、理科の3科目で、国語と算数は2日間行われる。算数の2日目はパターンの暗記だけでは対応できない、思考力が必要な問題を出すため、論理的に物事を考えられる算数好きな生徒が集まる。 灘高生は国際数学オリンピックに毎年のように出場している上、数学の授業のレベルも高いことで定評がある。同校の数学教師が授業で扱った難易度の高い問題が、半年後の東大入試に出題されたこともあるほどだ。 理三に27人が合格した13年は、東大入試の数学が極端に難しかった年だ。数学の問題が難しくなればなるほど、灘高生に有利になるというわけだ。 灘は理三だけでなく、国公立大学医学部全体の現役合格率でも常にトップを争ってきた。医学部合格ランキングの上位校の中には、医学部進学率を学校の売りにしているため、成績優秀者に医学部を積極的に勧めるところもある。しかし灘は「学校自体が成績優秀者に理三を勧めているわけではない」(同校の和田孫博校長)。医学部に特化したカリキュラムはなく、志望校の決定も生徒と家庭の意向に任せているという』、「灘が、筑波大学附属駒場、開成、麻布など東京の難関男子中高一貫校よりも長年理三に多数の合格者を輩出してきた理由の一つが、数学が得意な生徒が多いことだった」、「医学部合格ランキングの上位校の中には、医学部進学率を学校の売りにしているため、成績優秀者に医学部を積極的に勧めるところもある。しかし灘は「学校自体が成績優秀者に理三を勧めているわけではない」、自然体で医学部を目指すとは大したものだ。 
・『「医者になりたい」ではなく「学力を証明する」ために理三を目指す   その一方で、理三に進学した卒業生に聞くと「成績優秀者はほとんど理三を受験していた」と証言する。内科医で、医療ガバナンス研究所理事長の上昌広医師だ。 上医師は、東大と京都大学のダブル受験が可能だった87年、理三と京大医学部の両方に合格した。87、88年は、国立大学の試験日がA日程=2月下旬、B日程=3月上旬に分ける方式が取られ、東大がB、京大がAの日程で試験を行った。AB両日程の入学手続きが同じ日だったため、京大に先に合格し入学する権利を持ちながら、東大の合格日まで待つことができたのだ。「私が受験した年は24人が理三に合格し、進学しなかったのは1人だけ。高3の駿台全国模試でもトップ10に灘から7~8人入っていて、校内順位と変わらない感じだった」と、当時を振り返る。 理三は、日本“最難関”学部だ。灘高生に限らず、有名予備校の全国模試の上位に入るような成績優秀層の中には「医者になりたい」というより、「日本一偏差値が高い」「自身の学力を証明する」ことをモチベーションに受験した学生もある程度はいたのだろう。 では、ここ5年で灘から理三への合格者数が減ったのはなぜか。和田校長は前提として「今春の卒業生のようにそもそも医学部志望者が少ない年や、理三よりも京大や大阪大学医学部志向が強い年もある」と断った上で、近年の医学部志向についてこう話す。 「以前は、浪人してでも東大や京大の医学部を目指す生徒が多かった頃もあるが、近年は、臨床医志望なら京大や阪大以外の関西の国公立大を目指す生徒も増えている」(和田校長)。 また、駿台教育研究所進学情報事業部の石原賢一部長は、「全国的に難関大志向が弱まっていることも背景にあるのでは」と推測。「少子化のため全体の受験生自体が減っているので、各大学の倍率が下がっており、浪人しなくてもどこかには現役で合格する確率が高くなっている。そのため、ロマンで理三を目指す受験生は少なくなった」(石原部長)。確かにここ数年の理三志願者は、16年の546人をピークに21年は385人にまで減っている。 そのほか複数の塾関係者によれば、特に今年は成績優秀層が医学部から情報系学部に流れ、今後もこの傾向は続くとみる向きが強い。昨年と比較すると、21年は主に情報分野などの工学系学部に進む理科一類(理一)が64.2%→65.6%と上昇しているのに対し、理三は75.3%→73.8%と下降し、両者の差が少し縮まっている。「頭が良ければ医学部」という、ここ数十年のスタンダードが廃れていくのかもしれない。 このまま灘から理三の合格者は減り続けるのか。黄金ルートは崩れゆくのか。来年22年入試の結果に注目したい』、「工学系学部に進む理科一類(理一)が64.2%→65.6%と上昇しているのに対し、理三は75.3%→73.8%と下降し、両者の差が少し縮まっている」、「理三」一極集中から分散していくとすれば、好ましいことだ。
タグ:大学 (その9)(「俺が逮捕されれば裏金のことも全部ぶちまける」“日大のドン”田中英寿理事長が口にする"不穏な言葉" 地検特捜部と"田中帝国"の攻防戦、「暴力団との交際を堂々とアピール」そんな人間になぜ日本大学は牛耳られていたのか「夜道に気をつけろ」と脅すことも、灘高生に「東大理三離れ」の兆し “高偏差値男子は医学部”の常識に異変) 文春オンライン 「「俺が逮捕されれば裏金のことも全部ぶちまける」“日大のドン”田中英寿理事長が口にする"不穏な言葉" 地検特捜部と"田中帝国"の攻防戦」 「日本最大のマンモス校、日本大学の中枢についに司直の手が伸びた」、全く異例のことだが、「悪質タックル問題」の時から、「日大」には何やら正常とはいえない雰囲気が濃厚だった。 「理事長の座を手に」する「過程で、“反田中”の大学幹部に実弾入りの封筒が送られるなどの不穏な動きが勃発」、その当時は問題にならなかったのも不思議だ。 「井ノ口氏」が「事業部取締役」や「理事」にちゃっかり「復帰」していたとは、やはり「田中氏」になくてはならない人材なのだろう。 「「井ノ口氏は田中氏から理事長付相談役の肩書を貰うと、日大事業部を舞台にやりたい放題」、そんなに「肩書」がものを言うとは驚きだ。 「井ノ口氏」の資産取得経緯や所得申告をきちんと精査する必要がある。 「近年、病院経営の台所事情は火の車だった。今回の件は資金繰りに窮した籔本氏ありきのスキームだったのではないかとみられている」、「藪本」氏の存在の意味がようやく理解できた。「俺が逮捕されるようなことがあれば、今まで政治家に渡した裏金のことも全部ぶちまけてやる」との「田中氏」の言葉で、肝を冷やした「政治家」も多いのだろう。今後、楽しみだ。 PRESIDENT ONLINE 元木 昌彦 「:「暴力団との交際を堂々とアピール」そんな人間になぜ日本大学は牛耳られていたのか「夜道に気をつけろ」と脅すことも」 「13年前の総長選では自分がついた候補の対抗馬」に「“出馬を辞退してくれたら5000万円渡す」、総長のポストはやはりおいしいようだ。「俺のバックには暴力団がいるとほのめかし、わが物顔に振る舞っていた」、大学人とは思えないような振る舞いだ。 「まず着手したのは学内にある在籍を知らせる電光掲示板の『総長』と『理事長』の位置を入れ替えること」、権力志向が並外れて強いようだ。 「“死んだふり”」とは、これまで故意に見逃していたことを指しているのだろうか。 「脱税」はたぶん証拠固めし易いのだろう。 「その利益の大半は日大への寄付として処理されていて、田中体制の集金マシンになっていた」、極めて便利なポケットだったようだ。 「高値で相撲部屋に力士を送り込む」、とはまるで人身売買だ。 「古田は、学生たちのデモ鎮圧のために機動隊まで導入したが、ついには学生たちに屈し、3万5000人の学生が見つめる中で大衆団交に応じ、要求を認めた。 だが、当時の佐藤栄作首相が「日大の大衆団交は常識を逸脱している」と発言。約束は反故にされ、古田は会長として再び日大に戻るが、その年に死去。 あの時、古田的なものを一掃できていれば、田中英寿前理事長も出てこなかったかもしれない」、日大闘争は東大闘争の先駆けになった。確かに「古田的なもの」が残っていたのが、「田中理事長」につながったのだろう。 「東京福祉大事件です。当時、総長だった人物がわいせつ事件により逮捕。総長も辞任・・・服役後には大学職員(事務総長)として大学に復帰。2020年には学長としても復帰」、学長にまで「復帰」というのは驚くべきことだ。 「この機を逃さず、真の改革に着手しなければ、日大は「マンモスの化石」になる」、言い得て妙だ。 ダイヤモンド・オンライン 庄村敦子 「灘高生に「東大理三離れ」の兆し、“高偏差値男子は医学部”の常識に異変」 「灘が、筑波大学附属駒場、開成、麻布など東京の難関男子中高一貫校よりも長年理三に多数の合格者を輩出してきた理由の一つが、数学が得意な生徒が多いことだった」、「医学部合格ランキングの上位校の中には、医学部進学率を学校の売りにしているため、成績優秀者に医学部を積極的に勧めるところもある。しかし灘は「学校自体が成績優秀者に理三を勧めているわけではない」、自然体で医学部を目指すとは大したものだ。 「工学系学部に進む理科一類(理一)が64.2%→65.6%と上昇しているのに対し、理三は75.3%→73.8%と下降し、両者の差が少し縮まっている」、「理三」一極集中から分散していくとすれば、好ましいことだ。
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