SSブログ

働き方改革(その39)(なぜ死ぬまで働いてしまうのか…マルクスの資本論が150年前に警告していた「過労死の根本原因」とは 斎藤幸平「労働者は"賃金の奴隷"になっている」、日本企業で働きたくない…アジアで人気ガタ落ち!嫌われる「日本式働き方」とは、「育ててもすぐ退職」一括採用の破綻が招く事態 卒業後すぐ就職できず若年層の失業率は上昇も) [経済政策]

働き方改革については、昨年6月11日に取上げた。今日は、(その39)(なぜ死ぬまで働いてしまうのか…マルクスの資本論が150年前に警告していた「過労死の根本原因」とは 斎藤幸平「労働者は"賃金の奴隷"になっている」、日本企業で働きたくない…アジアで人気ガタ落ち!嫌われる「日本式働き方」とは、「育ててもすぐ退職」一括採用の破綻が招く事態 卒業後すぐ就職できず若年層の失業率は上昇も)である。

先ずは、本年2月13日付けPRESIDENT Onlineが掲載した東京大学大学院総合文化研究科准教授の斎藤 幸平氏による「なぜ死ぬまで働いてしまうのか…マルクスの資本論が150年前に警告していた「過労死の根本原因」とは 斎藤幸平「労働者は"賃金の奴隷"になっている」」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/66298
・『なぜ過労死はなくならないのか。東京大学大学院の斎藤幸平幸平准教授は「そんなに大変なら辞めればいいと思う人もいるだろう。しかしマルクスによれば、労働者は自由に働く会社を選べるがゆえに、自分自身を追い詰めてしまうのだ」という――。(第1回) ※本稿は、斎藤幸平『ゼロからの『資本論』』(NHK出版新書)の一部を再編集したものです』、「労働者は自由に働く会社を選べるがゆえに、自分自身を追い詰めてしまうのだ」、理解するには、解説が必要だ。
・『マルクスが見てきた「苦しむ若年労働者」  労働力は、人間が持っている能力で、本来は社会の「富」の一つです。労働力という富を使って、本当なら生活をもっと豊かにしたり、夢を実現したり、社会のために役立てたり、働く人に幸福感や充実感をもたらしてくれるような活かし方ができるはずです。 ところが資本主義は、この労働力という「富」を「商品」に閉じ込めてしまう。資本家にとって、自分で購入した労働力商品を使うにあたり、労働者の生活の質や夢、やりがいに配慮することは関心事ではありません。彼らが執心しているのは、労働が生み出す価値の量。それを最大化するために労働を支配していくのです。 こうして、生きるために働いていたはずが、働くために生きているかのように本末が転倒していきます。労働力という富が商品に閉じ込められてしまうことで、多くの労働者にとっては、人間が持つ能力の発展が阻害され、使い潰されてしまうのです。 「労働の生き血を求める吸血鬼」の餌食になるのは大人ばかりではありません。『資本論』第1巻第8章「労働日」では、賃労働に駆り出されて学校に通えず、読み書きができない子どもや、大人と一緒に働くなかでタバコや酒を覚えて中毒になる子ども、早死にしてしまう若年労働者たちの、悲惨な実態が仔細しさいに綴られています。 『資本論』の読破は難行だと言いましたが、この「労働日」章はジャーナリスティックな読み物になっています。そして、マルクスがこの章にかなりのスペースを割いているのは、やはり労働者の置かれている状況にひどく心を痛めていたからでしょう。難解ではないという理由から、この章を重視しない解説書や研究書が多いですが、むしろ、マルクスの問題関心にとっては極めて本質的な章なのです』、「資本主義は、この労働力という「富」を「商品」に閉じ込めてしまう。資本家にとって、自分で購入した労働力商品を使うにあたり、労働者の生活の質や夢、やりがいに配慮することは関心事ではありません。彼らが執心しているのは、労働が生み出す価値の量。それを最大化するために労働を支配していく」、「こうして、生きるために働いていたはずが、働くために生きているかのように本末が転倒していきます。労働力という富が商品に閉じ込められてしまうことで、多くの労働者にとっては、人間が持つ能力の発展が阻害され、使い潰されてしまう」、「「労働の生き血を求める吸血鬼」の餌食になるのは大人ばかりではありません。『資本論』第1巻第8章「労働日」では、賃労働に駆り出されて学校に通えず、読み書きができない子どもや、大人と一緒に働くなかでタバコや酒を覚えて中毒になる子ども、早死にしてしまう若年労働者たちの、悲惨な実態が仔細しさいに綴られています」、なるほど。
・『過労死は150年前から社会問題になっていた  労働力をとことん使い倒そうとする資本主義的生産は、労働者の心身を蝕むしばみ、その能力や暮らしを破壊し、ときには命さえも奪います。 マルクスは『資本論』で、1863年6月、ロンドンで発行されているすべての日刊紙が一斉に報じたという事件に言及しています。 それは、ある非常に名高い宮廷用婦人服製造所に雇われ、エリズという優しい名の婦人に搾取されていた20歳の女工メアリー・アン・ウォークリーの死亡に関するものだった。〔中略〕女工たちは1日平均16時間半、だが社交シーズンともなれば30時間休みなく働いた。彼女たちの「労働力」が萎なえてくると、シェリー酒やポートワイン、コーヒーが与えられ、労働を続けさせられたという。そして、悲劇は社交季節のピークに起きた。〔中略〕メアリー・アン・ウォークリーは、ほかの60人の女工たちとともに、必要な空気の3分の1も与えないような一室に30人ずつ入って、26時間半休みなく働き、夜は1つの寝室を幾つかの板で仕切った息詰まる部屋で、1つのベッドに2人ずつ寝かされた。しかも、これは、ロンドンでも良い方の婦人服製造工場の一つだったのである。(269-270) 記事のタイトルは「純然たる働きすぎによる死」。つまり過労死です。ここでの問題は、メアリー・アンの悲劇が、『資本論』刊行から150年経った今も日本で繰り返されているということです。残念ながら、「昔の社会はこんなひどいことがあったんだ」という解説を付け加える必要がまったくありません』、「非常に名高い宮廷用婦人服製造所に雇われ、エリズという優しい名の婦人に搾取されていた20歳の女工メアリー・アン・ウォークリーの死亡に関するものだった。〔中略〕女工たちは1日平均16時間半、だが社交シーズンともなれば30時間休みなく働いた。彼女たちの「労働力」が萎なえてくると、シェリー酒やポートワイン、コーヒーが与えられ、労働を続けさせられたという」、「シェリー酒やポートワイン、コーヒーが与えられ、労働を続けさせられた」、驚くべき奴隷労働だ。「そして、悲劇は社交季節のピークに起きた。〔中略〕メアリー・アン・ウォークリーは、ほかの60人の女工たちとともに、必要な空気の3分の1も与えないような一室に30人ずつ入って、26時間半休みなく働き、夜は1つの寝室を幾つかの板で仕切った息詰まる部屋で、1つのベッドに2人ずつ寝かされた。しかも、これは、ロンドンでも良い方の婦人服製造工場の一つだった」、「過労死です。ここでの問題は、メアリー・アンの悲劇が、『資本論』刊行から150年経った今も日本で繰り返されているということです。残念ながら、「昔の社会はこんなひどいことがあったんだ」という解説を付け加える必要がまったくありません』、程度の違いこそれ、「メアリー・アンの悲劇が、『資本論』刊行から150年経った今も日本で繰り返されている」、というのは恥ずべきことだ。
・『2010年代以降、労働災害はより深刻化している  例えば、2008年に居酒屋チェーン「和民」で起きた過労死事件。入社からわずか2カ月で自殺で亡くなった女性は、2カ月の間に227時間もの時間外労働を強要されていました。所定労働時間は8時間、週休2日制と説明されて入社したものの、現場では「店の営業時間が勤務時間」と言われ、長時間労働に加えて休みの日もボランティア活動や経営理念の暗記テスト、レポート書きをさせられていました。 2015年にも、大手広告代理店の電通で入社1年目の東大卒の女性が過労自殺で亡くなった事件がありました。職場では長時間労働が常態化し、被災者の女性は1日の睡眠時間が2時間、1週間で10時間しか寝られないこともあったといいます。 彼女たちのケースが特殊というわけではありません。労災の申請および認定件数を見ると、2010年代に入って以降、鬱など精神疾患が、脳・心臓疾患を超えて増え続けています。たしかに、人々が積極的に受診をするようになっているという側面もあるでしょう。しかし、それにもかかわらず抜本的な対策が取られていないという事実は変わりません。 マルクスが生きた時代より、労働者の権利に対する認識や労働環境は改善されているはずなのに、労働者に長時間労働を強いる圧力が弱まることはなく、今なお労働力という「富」の破壊が続いているのです』、「2008年に居酒屋チェーン「和民」で起きた過労死事件。入社からわずか2カ月で自殺で亡くなった女性は、2カ月の間に227時間もの時間外労働を強要されていました。所定労働時間は8時間、週休2日制と説明されて入社したものの、現場では「店の営業時間が勤務時間」と言われ、長時間労働に加えて休みの日もボランティア活動や経営理念の暗記テスト、レポート書きをさせられていました」、「大手広告代理店の電通で入社1年目の東大卒の女性が過労自殺で亡くなった事件がありました。職場では長時間労働が常態化し、被災者の女性は1日の睡眠時間が2時間、1週間で10時間しか寝られないこともあった」、「マルクスが生きた時代より、労働者の権利に対する認識や労働環境は改善されているはずなのに、労働者に長時間労働を強いる圧力が弱まることはなく、今なお労働力という「富」の破壊が続いているのです」、全く酷い話だ。
・『なぜ辞めればいいのに辞められないのか  搾取どころか、自死に追い込まれるほど過酷な長時間労働に、なぜ労働者は抗あらがえないのでしょうか。無断欠勤したり、辞めたりすればいいのでは? そんなふうに感じる方もいるかもしれません。この点についてもマルクスは分析をしています。 それによると、逃げ出せない理由の一つは、労働者が「自由」だからだというのです。「自由だから逃げ出せない」とは、一体どういうことでしょうか。 資本主義社会において、労働者は二重の意味で「自由」だとマルクスは言います。一つは、奴隷のように鎖につながれて強制労働させられているわけではないという意味での「自由」です。士農工商やカーストのような身分制もない社会では、好きな場所で、好きな仕事に就つくことができるのです。 しかし、奴隷や身分制のような不自由から解放された私たちは、同時に生産手段からも「自由(フリー)」になってしまいました。「生産手段フリー」とは、生きていくために必要なものを生産する手立てを持たないということを指します。ここでいう「フリー」という言葉は「束縛されていない」という意味ではなく、何かが「ない」という意味、例えばカフェインフリーやアルコールフリーなどの意味と同じように使われています。 この状態は、前章で見た〈コモン〉が「囲い込み」によって解体された帰結です。生産手段から切り離されてしまうと、大半の人々はもう自給自足できず商品を買うしかありません。だから、生きていくには、どうにかしてお金を手に入れなければならない』、「過酷な長時間労働に、なぜ労働者は抗あらがえないのでしょうか」、「逃げ出せない理由の一つは、労働者が「自由」だからだというのです。「自由だから逃げ出せない」とは、一体どういうことでしょうか。 資本主義社会において、労働者は二重の意味で「自由」だとマルクスは言います。一つは、奴隷のように鎖につながれて強制労働させられているわけではないという意味での「自由」です。士農工商やカーストのような身分制もない社会では、好きな場所で、好きな仕事に就つくことができるのです。 しかし、奴隷や身分制のような不自由から解放された私たちは、同時に生産手段からも「自由(フリー)」になってしまいました。「生産手段フリー」とは、生きていくために必要なものを生産する手立てを持たないということを指します」、「生産手段から切り離されてしまうと、大半の人々はもう自給自足できず商品を買うしかありません。だから、生きていくには、どうにかしてお金を手に入れなければならない」、「生産手段フリー」は「大半の人々はもう自給自足できず商品を買うしかありません」、つまり「労働者」にとっては不利なことになる。
・『資本主義社会の労働者は「自由」を売っている  そのためには何かを売る必要がある。けれども普通の人たちが生活のために売ることができるのは、自分自身の労働力しかないのです。資本主義社会の労働者は、奴隷と違って、自分の労働力を「自由」に売ることができます。つまり、労働者と資本家の関係は、労働契約を結ぶまでは基本的に自由・平等で、好きな会社と契約を結ぶことができるわけです。 けれども、自由になるのはそこまで。一度、労働力を売ってしまえば、あとはもう奴隷とあまり変わりません。どういうことなのか。 マルクス経済学者の内田義彦よしひこは次のように説いています。 労働者は労働力に対する処分権はもつが、労働に対する処分権など全然もっていない。うそだと思ったら職場で労働を自分の自由に処分してごらんなさい。処分されるのはあなた御自身でしょう。〔中略〕労働力に対する処分能力を100%持つということは労働の処分能力を100%失うということと裏表の関係にあります。(『資本論の世界』78頁) 「労働力に対する処分権」とは、自分の労働力を誰に売るかの選択権です。これは常に労働者の手元にあります。しかし誰かに売った途端、労働者は「労働の処分能力」――つまり働き方の自由を、100%失う。契約を結ぶと、その瞬間から労働者は資本家の指示・命令のもとで働かなければなりません。 それを無視して好き勝手に働けばクビになるだけですよね』、「自分の労働力を誰に売るかの選択権です。これは常に労働者の手元にあります。しかし誰かに売った途端、労働者は「労働の処分能力」――つまり働き方の自由を、100%失う。契約を結ぶと、その瞬間から労働者は資本家の指示・命令のもとで働かなければなりません」、働き口が複数あれば、「労働者」は気に入らないところを止めて、他に移ることも可能な筈だが、そこまでは考慮されてないのかも知れない。
・『労働者は自由でもあり「賃金奴隷」でもある  どのように働くかを決めるのも、その労働が生み出す価値を手にするのも資本家。労働の現場には、自由で平等な関係など存在しないのです。だから、労働問題研究の大家である熊沢誠は、「民主主義は工場の門前で立ちすくむ」と喝破かっぱしたのです。そのことがわかっていても、あらゆるものが商品化された社会では、生きていくために労働者は自らの自由を「自発的に」手放さないといけない。そこに実質的な選択肢はありません。 だから、マルクスは現代の労働者の置かれた状況を奴隷制に喩え、「賃金奴隷」とも呼んだのです。でも、私たちは自分が「奴隷」だなんて認めたくないですよね。自分は自由な存在だと思いたい(だから市場で好きなモノが買えることが資本主義の素晴らしさとして謳われるわけです)。この気持ちを利用して、資本主義は私たちをギリギリのところまで働かせ続けるのです。 もちろん、労働者には、仕事を辞めて劣悪な労働環境から抜け出す「自由」もあります。なのに、なぜ現代のメアリー・アンたちは辞められなかったのか。生活がかかっているし、労働者間にも競争があるので、職場で生き残るために頑張るという面もあるでしょう。でもそれ以上に、マルクスは、ここにも資本主義の魔力があると説いています』、「仕事を辞めて劣悪な労働環境から抜け出す「自由」」が行使できない理由は何なのだろう。
・『労働者を追いつめる“自己責任”という落とし穴  資本主義以前の奴隷は、本人のあずかり知らぬところで売買され、人権も人格も否定されて、家畜のように働かされます。それでも逃げないのは、逃げたら逃げたで酷むごい仕打ちを受けるからです。 彼らは恐怖心から嫌々労働していました。しかし奴隷は、最低限の生存保障はされていました。家畜をむやみに殺したりはしないのと同じで、奴隷所有者は奴隷をモノとしてそれなりに大切に扱ったのです。 ところが資本主義社会では、誰も生存保障をしてくれません。資本主義は、共同体という「富」を解体し、人々を旧来の封建的な主従関係や共同体のしがらみから解放しました。共同体から「自由」になるということは、そこにあった相互扶助、助け合いの関係性からも“フリー”になる――つまり、切り離されてしまうということです。 だから、今は何とか生活できていても、体を壊したり、失業したりすれば生活が立ちゆかなくなって、ホームレスになってしまうかもしれない。そんなリスクに常にさらされている労働者はみな「潜在的貧民」だとマルクスは言います。 国立オリンピック記念青少年総合センターに開設された、 リーマンショック後の派遣村の活動で有名になった湯浅誠が、日本はセーフティーネットが脆弱ぜいじゃくで、一度仕事を失うと一気に生活保護まで落ちてしまう「すべり台社会」だと名付けたことを思い出していただくといいかもしれません。資本主義社会の労働者は、そんな不安定な環境のなかで自分の労働力という商品だけを頼みに、それをどこに売るかも自分で決めて、必死に生きていかなくてはなりません。ここに「自己責任」という落とし穴があります』、「奴隷は、最低限の生存保障はされていました。家畜をむやみに殺したりはしないのと同じで、奴隷所有者は奴隷をモノとしてそれなりに大切に扱ったのです。 ところが資本主義社会では、誰も生存保障をしてくれません。資本主義は、共同体という「富」を解体し、人々を旧来の封建的な主従関係や共同体のしがらみから解放しました。共同体から「自由」になるということは、そこにあった相互扶助、助け合いの関係性からも“フリー”になる――つまり、切り離されてしまうということです。 だから、今は何とか生活できていても、体を壊したり、失業したりすれば生活が立ちゆかなくなって、ホームレスになってしまうかもしれない。そんなリスクに常にさらされている労働者はみな「潜在的貧民」だとマルクスは言います」、「奴隷」より酷いのは確かなようだ。「湯浅誠が、日本はセーフティーネットが脆弱ぜいじゃくで、一度仕事を失うと一気に生活保護まで落ちてしまう「すべり台社会」だと名付けた」、「潜在的貧民」や「すべり台社会」とは言い得て妙だ。
・『「自分で選んでいる」からこそ無理をしてしまう  奴隷は、ただ外的な恐怖に駆られて労働するだけで、彼の生活(彼に属してはいないが保障されてはいる)のために労働するのではない。それに対して、自由な労働者は、自らの必要に駆られて労働する。自由な自己決定、すなわち自由の意識や、それと結びついている責任の感情は、自由な労働者を奴隷よりも遥かに優れた労働者にする。(マルクス「直接的生産過程の諸結果」 労働者を突き動かしているのは、「仕事を失ったら生活できなくなる」という恐怖よりも、「自分で選んで、自発的に働いているのだ」という自負なのです。だからこそ、「職務をまっとうしなくては」という責任感が生じてきます。 実際、就職活動の面接で「なんでも死ぬ気でやります!」と自分の自由を進んで手放した経験のある人は多いのではないでしょうか。最低限の生活を保障されながら嫌々働かされている奴隷との違いは、明らかでしょう。 自己責任の感情をもって仕事に取り組む労働者は、無理やり働かされている奴隷よりもよく働くし、いい仕事をします。そして、ミスをしたら自分を責める。理不尽な命令さえも受け入れて、自分を追い詰めてしまうのです。これは資本家にとって、願ってもないことでしょう。“資本家にとって都合のいい”メンタリティを、労働者が自ら内面化することで、資本の論理に取り込まれていく。政治学者の白井聡さとしは、これを「魂の包摂ほうせつ」と呼んでいます』、「奴隷は、ただ外的な恐怖に駆られて労働するだけで、彼の生活(彼に属してはいないが保障されてはいる)のために労働するのではない。それに対して、自由な労働者は、自らの必要に駆られて労働する。自由な自己決定、すなわち自由の意識や、それと結びついている責任の感情は、自由な労働者を奴隷よりも遥かに優れた労働者にする」、「自己責任の感情をもって仕事に取り組む労働者は、無理やり働かされている奴隷よりもよく働くし、いい仕事をします。そして、ミスをしたら自分を責める。理不尽な命令さえも受け入れて、自分を追い詰めてしまうのです。これは資本家にとって、願ってもないことでしょう。“資本家にとって都合のいい”メンタリティを、労働者が自ら内面化することで、資本の論理に取り込まれていく。政治学者の白井聡さとしは、これを「魂の包摂ほうせつ」と呼んでいます」、資本主義の仕組みは確かによく出来ている。
・『誰もが「モーレツ社員」を目指してしまう  本来、際限のない価値増殖を追求する資本家の利害・関心と、人間らしい生活を望む労働者の利害・関心は相容あいいれないものです。ところが、自由で自発的な労働者は、資本家が望む労働者像を、あたかも自分が目指すべき姿、人間として優れた姿だと思い込むようになっていく。 高度成長期の「モーレツ社員」や、バブル期に流行った栄養ドリンクのキャッチフレーズ「24時間戦えますか」などは、その好例でしょう。資本主義社会では、労働者の自発的な責任感や向上心、主体性といったものが、資本の論理に「包摂」されていくことをマルクスは警告していたのです』、「自由で自発的な労働者は、資本家が望む労働者像を、あたかも自分が目指すべき姿、人間として優れた姿だと思い込むようになっていく。 高度成長期の「モーレツ社員」や、バブル期に流行った栄養ドリンクのキャッチフレーズ「24時間戦えますか」などは、その好例」、確かにその通りだ。ただ、「過労死」は日本でこそ目立つが、欧米では見かけない。「労働者の自発的な責任感や向上心、主体性といったものが、資本の論理に「包摂」されていく」のは、日本こそが最も酷い例なのかも知れない。

次に、3月16日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「日本企業で働きたくない…アジアで人気ガタ落ち!嫌われる「日本式働き方」とは」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/319526
・『日本企業で働きたくない海外の人が増えている?  「安いニッポン」「貧しいニッポン」に続いて、いよいよ「人気のないニッポン」にまで落ちぶれてしまったということなのかーー。 早稲田大学トランスナショナルHRM研究所の22年調査によると、アジアのホワイトカラー人材が働きたい企業の国籍は、自国企業が82%とトップになり、ついで米国企業は67%、欧州企業は58%、そして日本企業は40%とビリになったというのだ。 08年にも同様の調査をしたが、その時日本企業で働くことに興味を持っていたのはなんと74%にも及んだという。自国企業の人気が上がったことで、米国企業も欧州企業もみな人気は低下したが、その中でも日本企業がひときわ大きく落ち込んでいる。 では、なぜこんなにも日本企業の人気はガタ落ちしてしまったのか。 この調査を紹介したNIKKEI STYLEの記事が、要因をまとめているので引用させていただこう。 『かつて日系企業で働く障害は圧倒的に言語の壁だった。しかし、22年は言語に次いで、閉鎖的な雰囲気、限定的な昇進、低い報酬を問う声が高まっている。日本の会社の課題は言葉の問題以上に「島国根性」とも呼ばれる閉鎖性なのかもしれない』(NIKKEI STYLE 3月10日) その「閉鎖性」の中でも、特にアジアのホワイトカラーたちが拒否反応を示しているのが、「ホウレンソウ」(報告・連絡・相談)だという。この「ホウレンソウ」についてしっかり考察すると、アジア進出している日本企業が今、時代の岐路に立たされていることが分かる』、「アジアのホワイトカラー人材」のうち「日本企業で働くことに興味を持っている」のが、「08年」「では74%」だったのに、22年調査では、「40%」と、「米国企業は67%、欧州企業は58%」に大きく差を付けられた。「かつて日系企業で働く障害は圧倒的に言語の壁だった。しかし、22年は言語に次いで、閉鎖的な雰囲気、限定的な昇進、低い報酬を問う声が高まっている。日本の会社の課題は言葉の問題以上に「島国根性」とも呼ばれる閉鎖性なのかもしれない』・・・その「閉鎖性」の中でも、特にアジアのホワイトカラーたちが拒否反応を示しているのが、「ホウレンソウ」(報告・連絡・相談)」、「ホウレンソウ」が目の敵にされるとは、どいうことなのだろう。
・『日本のばかばかしい働き方には付き合っていられない  日本人からすれば、社会に出る前から骨の髄まで叩き込まれるこの一般常識は、実は多くのアジア人にとっては、シンプルにイラっとくる非常識だ。筆者もこれまで日本企業で働く外国人から「ホウレンソウ」への不満を幾度となく聞いてきた。「自分の頭で考えて仕事ができないってどういうこと?」「信用されていない感じがしてやる気をなくす」など大不評なのだ。 もちろん、日本企業側からすれば真逆の反応だ。「いくら教えてもホウレンソウをしてこないのでトラブルを察知するのが遅い」などと、日本流に従わない外国人に辟易としている企業も少なくない。 こういう“文化の衝突”は日本が経済大国としてアジアの中でも存在感があった時代は、それほど表面化しなかった。アジアに進出した日系企業は、現地の生活水準に比べるとかなりの高収入が得られる憧れの就職先だったので、「ホウレンソウ」のような不快な日本の企業文化でもがまんをして受け入れる人が多かったからだ。 しかし、ご存じのように今や日本の存在感はガクンと低下した。世界の時価総額ランキングでも30年ほど前は、トップ50社のうち32社は日本企業だったが、現在はトヨタ自動車がかろうじて入っているだけだ。また、賃金もまったく上がっていない。その一方で、中国やベトナム、タイ、インドネシアなどアジア各国が経済成長して、世界的企業も続々と生まれ、日本企業よりも高い賃金を払っている。 つまり、かつて隆盛を誇った日本企業が落ちぶれるのと反比例するような形に、自国企業が成長したことで、これまで黙って従っていたアジアのホワイトワーカーたちが、「やっぱり日本のばかばかしい働き方には付き合ってらんねーや」と声を上げ始めたというわけだ。 このような流れはあまりよろしくない。アジア進出している日本企業への反発が高まることで、そこで働いている、あるいはかつて働いていた現地の人たちが、「日本式の働き方を強要されて精神的苦痛を受けたので賠償せよ」なんて言い出しかねないからだ』、「日本企業で働く外国人から「ホウレンソウ」への不満」、「「自分の頭で考えて仕事ができないってどういうこと?」「信用されていない感じがしてやる気をなくす」など大不評」。「アジアに進出した日系企業は、現地の生活水準に比べるとかなりの高収入が得られる憧れの就職先だったので、「ホウレンソウ」のような不快な日本の企業文化でもがまんをして受け入れる人が多かったからだ。 しかし、」、「かつて隆盛を誇った日本企業が落ちぶれるのと反比例するような形に、自国企業が成長したことで、これまで黙って従っていたアジアのホワイトワーカーたちが、「やっぱり日本のばかばかしい働き方には付き合ってらんねーや」と声を上げ始めたというわけだ」、「日本企業が落ちぶれる」ことの予想外の副作用だ。
・『アジア展開する日本企業の働き方は、かつての日本軍そっくり  「考えすぎだろ」と冷笑する人も多いだろうが、歴史に学べばその可能性はかなり高い。実は今、アジアで日本企業が歩んでいる道というのは、日本軍が歩んできた道と丸かぶりだからだ。 日本企業が現地採用の人に「ホウレンソウ」という日本式の働き方を押し付けてきたことで、反感を抱かれているのとまったく同じで、日本軍もアジアのさまざまな場所に進出をしたが、現地の人々の自主性に任せなかったことで、かなり反感を抱かれた。 当時、現地の人を「土人」と呼び、日本軍は完全に下に見ていた。「どうせお前らは何もわからないんだから日本人のやり方を見習え」と言わんばかりに、さまざまな「日本式」を押し付けたのである。 その代表が「日本語」を用いて、日本人として文化や歴史を学ばせるといういわゆる「皇民化」だ。愛国心あふれる人たちは、これはそれぞれの国の独立や発展に役立ったと主張するが、これは結果論というか後付けの解釈で、やはり当時は「ふざけんなよ」と思う現地の人もたくさんいた。 陸上自衛隊幹部学校研究課研究員の芳賀美智雄氏の『インドネシアにおける日本軍政の功罪』でもこのように総括されている。 <社会教育施策においても、オランダ植民地時代の二重教育制度を改めることにより初等教育の水準を向上させるとともに、共通語としてのインドネシア語の整備・普及によりインドネシア人の民族意識の高揚を助長した。しかし、学校等での日本語教育、朝礼や宮城遥拝、日本時間の採用などインドネシア人の慣習等を無視した急激な日本化の強要は、日本(軍)に対する反発を招いた> その「反発」が1944年2月に農民たちが日本軍に蜂起したタシクマラヤ事件などにつながったというわけである。 このような「日本式の強要」への反発が生まれたのは、インドネシアだけではない。フィリピンでも日本語教育が行われ、日本から多くの教師が派遣されたが、戦局の悪化に伴い、フィリピン人たちの中で「なんでこんな日本式を強要されなきゃいけないんだよ」という不満がムクムクと膨らむ。 木村昭氏の『占領地日本語教育はなぜ「正当化」されたのか ―― 派遣教員が記憶するフィリピン統治 ――』を引用させていただこう。 <戦局の悪化とともに、現地人たちは日本語への学習意欲を喪失したと想定できる。水野輝義の日記にある、社会人向けの授業で「受講者欠席多く困った」という1944年4月21日の記述や、「女学校授業。雰囲気悪い。……この学校は監視の要あり」という8月3日の記述、「リパ女学校各教室を廻る。生徒の態度やや冷淡。日本に対する抵抗か」という8月24日の記述、これらはその証左とみなせよう> 日本に対して不満を抱いていそうなフィリピン人は、憲兵隊から激しい締め付けにあうので、不満が激しい怒りや憎悪になっていく。 戦後、フィリピンで日本軍の残虐な行為を告発する現地の人が相次いだのは、こういう日本式を強要した恨みもあるのだ』、「日本軍もアジアのさまざまな場所に進出をしたが、現地の人々の自主性に任せなかったことで、かなり反感を抱かれた。 当時、現地の人を「土人」と呼び、日本軍は完全に下に見ていた。「どうせお前らは何もわからないんだから日本人のやり方を見習え」と言わんばかりに、さまざまな「日本式」を押し付けたのである。 その代表が「日本語」を用いて、日本人として文化や歴史を学ばせるといういわゆる「皇民化」だ」、「オランダ植民地時代の二重教育制度を改めることにより初等教育の水準を向上させるとともに、共通語としてのインドネシア語の整備・普及によりインドネシア人の民族意識の高揚を助長した。しかし、学校等での日本語教育、朝礼や宮城遥拝、日本時間の採用などインドネシア人の慣習等を無視した急激な日本化の強要は、日本(軍)に対する反発を招いた> その「反発」が1944年2月に農民たちが日本軍に蜂起したタシクマラヤ事件などにつながった」、「フィリピンでも日本語教育が行われ、日本から多くの教師が派遣されたが、戦局の悪化に伴い、フィリピン人たちの中で「なんでこんな日本式を強要されなきゃいけないんだよ」という不満がムクムクと膨らむ」、「<戦局の悪化とともに、現地人たちは日本語への学習意欲を喪失したと想定できる。水野輝義の日記にある、社会人向けの授業で「受講者欠席多く困った」という1944年4月21日の記述や、「女学校授業。雰囲気悪い。……この学校は監視の要あり」という8月3日の記述、「リパ女学校各教室を廻る。生徒の態度やや冷淡。日本に対する抵抗か」という8月24日の記述、これらはその証左とみなせよう> 日本に対して不満を抱いていそうなフィリピン人は、憲兵隊から激しい締め付けにあうので、不満が激しい怒りや憎悪になっていく。 戦後、フィリピンで日本軍の残虐な行為を告発する現地の人が相次いだのは、こういう日本式を強要した恨みもあるのだ』、「インドネシア」、「フィリピン」とも反日になるのは当然だ。
・『日本人の働き方から目を覚さなければいけない  こういう歴史の教訓がある中で、日本企業も日本軍と同じ道をたどる可能性は高い。 「ホウレンソウ」やらの「日本式の強要」が今の日本企業に対する反発を招いている。ということは、今後は日本経済が惨敗していくのに伴い、その「反発」がさらに強まって、日本企業を標的にした、パワハラや低賃金労働を告発するようなムーブメントが起きる可能性がある。 「おいおい、話が飛躍しすぎだ、日本企業と日本軍ではまったく次元が違うだろ」と思うだろう。しかし、実は一流のビジネスマンたちの間では、日本企業と日本軍というのが、組織として非常によく似ており、そこで発生する問題も瓜二つだということはかねて常識になっている。 それはこの記事(『戦地で反省部屋!? 戦後77年たっても変わらない、組織を蝕む「日本病」とは?【書籍オンライン編集部セレクション】』)で紹介されているベストセラーを読めば、よく分かっていただけるだろう。 では、なぜ瓜二つになるのかというと、我々日本人が「日本人の働き方」と思い込んでいるもののほとんどが、「日本軍の働き方」だからだ。 なぜそうなったのかというと、国民総動員体制が大きい。戦局が悪化して、総力戦となった時、民間企業で働く人の多くは「産業戦士」として軍の監督下に置かれて、職場に派遣された軍人の指導の下で、生産力を向上するため、ふ抜けた労働者でもキビキビと動かすノウハウを叩き込まれた。 そして戦争に負けた後、この「日本軍仕込みのマネジメント」は日本中の労働現場に広まっていく。当然だ。戦後復興を支えたのは、この産業戦士か、もしくは実際に軍隊で働いていた人だからだ。つまり、滅私奉公で上官(上司)の命令は絶対で、過労死するまで組織に忠誠を尽くすという日本の企業文化は、日本軍の組織運営を踏襲しただけの話なのだ』、「滅私奉公で上官(上司)の命令は絶対で、過労死するまで組織に忠誠を尽くすという日本の企業文化は、日本軍の組織運営を踏襲しただけの話なのだ」、その通りなのかも知れない。
・『日本軍式マネジメント「命・解・援」  そんな日本軍式マネジメントのひとつが、「命・解・援」だ。これは上官の心得みたいもので、下っ端の兵隊を動かすには、しっかりと命令を下して、「なぜそれをやるのか」「どうやるのか」と解説をしてやって、さらにその命令が実行できるような助言などの援助もしてやらなくてはいけないというものだ。 ここまで言えばもうお分かりだろう。我々がありがたがっている「ホウレンソウ」というのは、「命・解・援」の世界観を部下側から焼き直したものに過ぎない。 つまり、アジアに進出をした日本企業が「組織の風通しをよくするために必要なものだ」なんて、現地採用した外国人に強要している「ホウレンソウ」は、日本軍がかつてやって現地の反発を招いた「日本式の強要」そのものなのだ。違和感や嫌悪感を抱くのは当然だ。 「歴史は繰り返す」ではないが、同じルーツを持つ組織が同じことをやれば、同じ結果になる可能性は高い。日本企業も日本軍と同様の道をたどる恐れがある。今までは経済大国ということで抑え込まれてきた「日本式」への不満が一気に爆発して、大規模なジャパンバッシングを引き起こす恐れもあるのだ。 成長著しいアジア諸国と対照的に、日本の賃金はまったく上がらず成長も停滞している。つまり、経済戦争での惨敗は近い。 そうなった時、「人気のないニッポン」くらいならまだマシで、あの戦争の後のように、「憎いニッポン」が盛り上がることだってある。「日本が好き」と公言してくれるアジアの人々は多いが、それは観光先やアニメなどの文化であって、日本企業や、日本の働き方ではないのだ。 アジア進出している日本企業の皆さんはぜひそのあたりを混同せず、用心していただきたい』、「経済戦争での惨敗は近い。 そうなった時、「人気のないニッポン」くらいならまだマシで、あの戦争の後のように、「憎いニッポン」が盛り上がることだってある。「日本が好き」と公言してくれるアジアの人々は多いが、それは観光先やアニメなどの文化であって、日本企業や、日本の働き方ではないのだ。 アジア進出している日本企業の皆さんはぜひそのあたりを混同せず、用心していただきたい」、確かに有益なアドバイスだ。

第三に、3月31日付け東洋経済オンラインが掲載した経営コンサルタントの日沖 健氏による「「育ててもすぐ退職」一括採用の破綻が招く事態 卒業後すぐ就職できず若年層の失業率は上昇も」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/662387
・『この時期は、人事異動による転勤と新入社員の受け入れで、会社関係の引っ越しが多い「転勤シーズン」です。この3年間、コロナ禍で転勤が抑制されたため、今年は過年度分を含めて大規模な異動を行う企業が多く、引っ越し業者の手配が困難になっています。 ビジネスパーソンにとっては、長かったコロナ禍も終わり、「ようやく春の風物詩が戻ってきた」と感慨深いところかもしれません。ただ、「転勤シーズン」というのは日本独特の慣行で、将来はこの光景が見られなくなる可能性があります。 今回は、将来「転勤シーズン」がなくなることによって起こる日本の雇用システムの劇的な変化について考えてみましょう』、興味深そうだ。
・『アメリカでは転勤はほとんどない  将来について考える前に、なぜ日本では一年のうち今の時期が「転勤シーズン」になっているのでしょうか。これには、日本の雇用システムが大いに関係しています。 多くの日本企業は、社員を数年おきに異動させます。異動には、①人員過剰の部門から人員不足の部門へ異動することで、社員を解雇せずに人員構成を最適化できる、②社員にいろいろな業務を経験させてジェネラリストとして育成できる、というメリットがあるためです。 また日本では、新卒一括採用の慣行があり、4月1日に新入社員が入ってきてます。人員構成が大きく変わるので、既存の社員の異動もこれに併せて一体で行うのが効率的です。これが、今の時期が「転勤シーズン」になっている理由です。 このように、「転勤シーズン」は異動や新卒一括採用という雇用慣行と深く結びついているわけです。ただ、私たちにとって当たり前のこうした雇用慣行は、アメリカなど諸外国ではあまり見られない、日本固有のものです。) たとえばアメリカでは、一握りの上級管理職以外は会社命令による異動はありません。ジョブ型雇用(以下「ジョブ型」)と言われるとおり、担当する職務と勤務地を明確に取り決めて採用します。部門間で人員の過不足が生じたら、人員過剰の部門ではリストラをし、人員不足の部門では採用します。 学生の入社時期はバラバラです。「新しい営業所を作るので営業担当を5人採用」という欠員採用が基本なので、日本企業のように今すぐに働けない大学3・4年生を“先物予約”で採用することはありません。学生は、大学の授業が厳しいこともあって、卒業してから就職活動やインターンを始めます』、「「転勤シーズン」は異動や新卒一括採用という雇用慣行と深く結びついているわけです。ただ、私たちにとって当たり前のこうした雇用慣行は、アメリカなど諸外国ではあまり見られない、日本固有のものです」、その通りだ。
・『ジョブ型で若年層の失業者が急増  ただ、こうした春の風物詩が、ジョブ型によって大きく変わるかもしれません。近年、日立製作所・富士通・KDDIといった企業が、ジョブ型に転換しています。まだ大手企業に限られた動きですが、政府もジョブ型を推奨しており、今後、雪崩を打って転換していく可能性があります。 もちろん、結果的にジョブ型への転換があまり進まなかったり、日本の雇用慣行とミックスさせた「日本式ジョブ型」が主流になる可能性もあり、将来は不透明です。ただ、仮にアメリカ式のジョブ型に転換したら、異動や新卒一括採用を続ける理由がなくなり、消滅します。 異動や新卒一括採用が消滅したら、企業経営だけでなく、家庭生活・学校教育など社会全体に様々な影響が及びます。中でも最も懸念されるのが、若年層の失業率の増加です。 日本では、若年層(15~24歳)の失業率は4.0%(総務省、2023年1月)で、世界平均14.9%(ILO、2022年)と比べて極めて低い水準です。これは、企業が新卒一括採用でまっさらな学生を採用し、OJTや異動で長期間かけて育成するというやり方をしているからです。 一方、ジョブ型は欠員採用が基本なので、即戦力の経験者を中途採用します。経験者が優遇されると、スキル・経験が乏しい若年層は、採用市場であぶれてしまいます。日本でもジョブ型になれば、欧米のように若年層の失業が劇的に増えることでしょう。) いま、岸田文雄首相は、企業にはジョブ型への転換を、労働者にはリスキリング(学び直し)を求めています。ジョブ型になったら失業者が増えるので、職に就きたかったらちゃんとスキルを高めてくださいよ……。理にかなった話です。 問題は、企業の対応です。いま日本企業は、ジョブ型への転換を進める一方、異動・新卒一括採用・OJTによる人材育成・ジェネラリスト志向といった日本独特のやり方を変えていません。アメリカ式の雇用に転換したいのか、日本式を維持したいのか、いわば「股裂き状態」です』、「仮にアメリカ式のジョブ型に転換したら、異動や新卒一括採用を続ける理由がなくなり、消滅します。 異動や新卒一括採用が消滅したら、企業経営だけでなく、家庭生活・学校教育など社会全体に様々な影響が及びます。中でも最も懸念されるのが、若年層の失業率の増加です」、「日本では、若年層(15~24歳)の失業率は4.0%(総務省、2023年1月)で、世界平均14.9%(ILO、2022年)と比べて極めて低い水準です。これは、企業が新卒一括採用でまっさらな学生を採用し、OJTや異動で長期間かけて育成するというやり方をしているからです。 一方、ジョブ型は欠員採用が基本なので、即戦力の経験者を中途採用します。経験者が優遇されると、スキル・経験が乏しい若年層は、採用市場であぶれてしまいます。日本でもジョブ型になれば、欧米のように若年層の失業が劇的に増えることでしょう」、「日本でもジョブ型になれば、欧米のように若年層の失業が劇的に増えることでしょう」、その通りだ。
・『苦労して学生を採用する必要があるのか?  とくに、検討を要するのが、新人の採用です。少子化で新卒学生の数が減り、各社とも採用活動では大苦戦しています。今年は初任給を数万円単位で一気に引き上げる動きが相次いでおり、人材獲得競争がますます熾烈になっています。 今回、大手企業の人事部門関係者32名に、今後の新人採用のあり方についてヒアリングしました。新卒一括採用が継続するという予想と消滅するという予想がかなり拮抗していました。まず、今後も新卒一括採用が続くという予想から。 「当社でも高度専門人材へのニーズが高まっており、中途採用が増えるでしょう。ただ、日本では雇用の安定が重視されますし、移民社会のアメリカとは転職やキャリアに対する考え方も違うので、中途採用が中心になるというのは、ちょっと考えにくい。今後も新卒一括採用はなくならないと予想します」(商社・部長) 「当社のような製造業では、工場の操業に多数の従業員が必要で、数の確保が課題です。新卒一括採用だと多数の新人を効率的に集められますし、中途採用と比べて採用コストも安くすみます。新卒一括採用を中心に、足りない人材を中途採用で補完する形になるでしょう」(素材・マネジャー)) 一方、長期的には新卒一括採用がなくなるという予想。こちらは、「将来も続けたいが持続不可能」という見解が多数と「積極的にやめるべき」という見解が少数ありました。 「当社は今後も新卒一括採用を中心にする方針ですが、持続可能かと聞かれると疑問です。すでに、予定数を採用するのが難しくなっており、質の低下に目をつむっている状態です。今後ますます少子化が進むことを考えると、ある程度の質を維持しながら新卒一括採用を続けるというのは不可能でしょう」(食品・役員) 「当社の経営陣は、事業をグローバル展開すると言いながら、日本人学生の新卒採用にこだわっています。しかも苦労して採用し、手間暇かけて育成した新人が1、2年でどんどん辞めています。個人的には、そんな無駄なことをするよりも、外国人の中途採用を中心にするほうが合理的だと考えます」(外食・担当者) 結局、「将来のことはよくわからない」という結論になるわけですが、これでおしまいにしてはいけません。人事部門関係者は、以下の3つの質問について熟考する必要があります。 ① 自社のビジョン・経営戦略を実現するためには、どういう人材が必要か。 ② 必要な人材を確保するには、「新卒一括採用し、異動・OJTで育成する」のと「即戦力を中途採用する」のでは、どちらが効果的か。 ③ 必要な人材を「新卒一括採用し、異動・OJTで育成する」のと「即戦力を中途採用する」のでは、どちらがトータルコストが低いか。 働き方改革・コロナ・人手不足といった環境変化を受けて、雇用システムが大きく揺れている昨今。逆に、これまでなかなか変えられなかった雇用システムを見直すチャンスと捉えて、思い切った改革を進めたいものです』、「結局、「将来のことはよくわからない」という結論になるわけですが、これでおしまいにしてはいけません。人事部門関係者は、以下の3つの質問について熟考する必要があります。 ① 自社のビジョン・経営戦略を実現するためには、どういう人材が必要か。 ② 必要な人材を確保するには、「新卒一括採用し、異動・OJTで育成する」のと「即戦力を中途採用する」のでは、どちらが効果的か。 ③ 必要な人材を「新卒一括採用し、異動・OJTで育成する」のと「即戦力を中途採用する」のでは、どちらがトータルコストが低いか。 働き方改革・コロナ・人手不足といった環境変化を受けて、雇用システムが大きく揺れている昨今。逆に、これまでなかなか変えられなかった雇用システムを見直すチャンスと捉えて、思い切った改革を進めたいものです」、その通りなのだろう。

なお、明日は更新を休むので、明後日にご期待を!
タグ:働き方改革 (その39)(なぜ死ぬまで働いてしまうのか…マルクスの資本論が150年前に警告していた「過労死の根本原因」とは 斎藤幸平「労働者は"賃金の奴隷"になっている」、日本企業で働きたくない…アジアで人気ガタ落ち!嫌われる「日本式働き方」とは、「育ててもすぐ退職」一括採用の破綻が招く事態 卒業後すぐ就職できず若年層の失業率は上昇も) PRESIDENT ONLINE 斎藤 幸平氏による「なぜ死ぬまで働いてしまうのか…マルクスの資本論が150年前に警告していた「過労死の根本原因」とは 斎藤幸平「労働者は"賃金の奴隷"になっている」」 斎藤幸平『ゼロからの『資本論』』(NHK出版新書) 「労働者は自由に働く会社を選べるがゆえに、自分自身を追い詰めてしまうのだ」、理解するには、解説が必要だ。 「資本主義は、この労働力という「富」を「商品」に閉じ込めてしまう。資本家にとって、自分で購入した労働力商品を使うにあたり、労働者の生活の質や夢、やりがいに配慮することは関心事ではありません。彼らが執心しているのは、労働が生み出す価値の量。それを最大化するために労働を支配していく」、「こうして、生きるために働いていたはずが、働くために生きているかのように本末が転倒していきます。労働力という富が商品に閉じ込められてしまうことで、多くの労働者にとっては、人間が持つ能力の発展が阻害され、使い潰されてしまう」、 「「労働の生き血を求める吸血鬼」の餌食になるのは大人ばかりではありません。『資本論』第1巻第8章「労働日」では、賃労働に駆り出されて学校に通えず、読み書きができない子どもや、大人と一緒に働くなかでタバコや酒を覚えて中毒になる子ども、早死にしてしまう若年労働者たちの、悲惨な実態が仔細しさいに綴られています」、なるほど。 「非常に名高い宮廷用婦人服製造所に雇われ、エリズという優しい名の婦人に搾取されていた20歳の女工メアリー・アン・ウォークリーの死亡に関するものだった。〔中略〕女工たちは1日平均16時間半、だが社交シーズンともなれば30時間休みなく働いた。彼女たちの「労働力」が萎なえてくると、シェリー酒やポートワイン、コーヒーが与えられ、労働を続けさせられたという」、「シェリー酒やポートワイン、コーヒーが与えられ、労働を続けさせられた」、驚くべき奴隷労働だ。 「そして、悲劇は社交季節のピークに起きた。〔中略〕メアリー・アン・ウォークリーは、ほかの60人の女工たちとともに、必要な空気の3分の1も与えないような一室に30人ずつ入って、26時間半休みなく働き、夜は1つの寝室を幾つかの板で仕切った息詰まる部屋で、1つのベッドに2人ずつ寝かされた。しかも、これは、ロンドンでも良い方の婦人服製造工場の一つだった」、 「過労死です。ここでの問題は、メアリー・アンの悲劇が、『資本論』刊行から150年経った今も日本で繰り返されているということです。残念ながら、「昔の社会はこんなひどいことがあったんだ」という解説を付け加える必要がまったくありません』、程度の違いこそれ、「メアリー・アンの悲劇が、『資本論』刊行から150年経った今も日本で繰り返されている」、というのは恥ずべきことだ。 「2008年に居酒屋チェーン「和民」で起きた過労死事件。入社からわずか2カ月で自殺で亡くなった女性は、2カ月の間に227時間もの時間外労働を強要されていました。所定労働時間は8時間、週休2日制と説明されて入社したものの、現場では「店の営業時間が勤務時間」と言われ、長時間労働に加えて休みの日もボランティア活動や経営理念の暗記テスト、レポート書きをさせられていました」、 「大手広告代理店の電通で入社1年目の東大卒の女性が過労自殺で亡くなった事件がありました。職場では長時間労働が常態化し、被災者の女性は1日の睡眠時間が2時間、1週間で10時間しか寝られないこともあった」、「マルクスが生きた時代より、労働者の権利に対する認識や労働環境は改善されているはずなのに、労働者に長時間労働を強いる圧力が弱まることはなく、今なお労働力という「富」の破壊が続いているのです」、全く酷い話だ。 「過酷な長時間労働に、なぜ労働者は抗あらがえないのでしょうか」、「逃げ出せない理由の一つは、労働者が「自由」だからだというのです。「自由だから逃げ出せない」とは、一体どういうことでしょうか。 資本主義社会において、労働者は二重の意味で「自由」だとマルクスは言います。一つは、奴隷のように鎖につながれて強制労働させられているわけではないという意味での「自由」です。士農工商やカーストのような身分制もない社会では、好きな場所で、好きな仕事に就つくことができるのです。 しかし、奴隷や身分制のような不自由から解放された私たちは、同時に生産手段からも「自由(フリー)」になってしまいました。「生産手段フリー」とは、生きていくために必要なものを生産する手立てを持たないということを指します」、「生産手段から切り離されてしまうと、大半の人々はもう自給自足できず商品を買うしかありません。だから、生きていくには、どうにかしてお金を手に入れなければならない」、「生産手段フリー」は「大半の人々はもう自給自足できず商品を買うしかありません」、つまり「労働者」にとっては不利なことになる。 「自分の労働力を誰に売るかの選択権です。これは常に労働者の手元にあります。しかし誰かに売った途端、労働者は「労働の処分能力」――つまり働き方の自由を、100%失う。契約を結ぶと、その瞬間から労働者は資本家の指示・命令のもとで働かなければなりません」、働き口が複数あれば、「労働者」は気に入らないところを止めて、他に移ることも可能な筈だが、そこまでは考慮されてないのかも知れない。 「仕事を辞めて劣悪な労働環境から抜け出す「自由」」が行使できない理由は何なのだろう。 「奴隷は、最低限の生存保障はされていました。家畜をむやみに殺したりはしないのと同じで、奴隷所有者は奴隷をモノとしてそれなりに大切に扱ったのです。 ところが資本主義社会では、誰も生存保障をしてくれません。資本主義は、共同体という「富」を解体し、人々を旧来の封建的な主従関係や共同体のしがらみから解放しました。 共同体から「自由」になるということは、そこにあった相互扶助、助け合いの関係性からも“フリー”になる――つまり、切り離されてしまうということです。 だから、今は何とか生活できていても、体を壊したり、失業したりすれば生活が立ちゆかなくなって、ホームレスになってしまうかもしれない。そんなリスクに常にさらされている労働者はみな「潜在的貧民」だとマルクスは言います」、「奴隷」より酷いのは確かなようだ。 「湯浅誠が、日本はセーフティーネットが脆弱ぜいじゃくで、一度仕事を失うと一気に生活保護まで落ちてしまう「すべり台社会」だと名付けた」、「潜在的貧民」や「すべり台社会」とは言い得て妙だ。 「奴隷は、ただ外的な恐怖に駆られて労働するだけで、彼の生活(彼に属してはいないが保障されてはいる)のために労働するのではない。それに対して、自由な労働者は、自らの必要に駆られて労働する。自由な自己決定、すなわち自由の意識や、それと結びついている責任の感情は、自由な労働者を奴隷よりも遥かに優れた労働者にする」、「自己責任の感情をもって仕事に取り組む労働者は、無理やり働かされている奴隷よりもよく働くし、いい仕事をします。そして、ミスをしたら自分を責める。理不尽な命令さえも受け入れて、自分を追い詰めてしまうので す。これは資本家にとって、願ってもないことでしょう。“資本家にとって都合のいい”メンタリティを、労働者が自ら内面化することで、資本の論理に取り込まれていく。政治学者の白井聡さとしは、これを「魂の包摂ほうせつ」と呼んでいます」、資本主義の仕組みは確かによく出来ている。 「自由で自発的な労働者は、資本家が望む労働者像を、あたかも自分が目指すべき姿、人間として優れた姿だと思い込むようになっていく。 高度成長期の「モーレツ社員」や、バブル期に流行った栄養ドリンクのキャッチフレーズ「24時間戦えますか」などは、その好例」、確かにその通りだ。 ただ、「過労死」は日本でこそ目立つが、欧米では見かけない。「労働者の自発的な責任感や向上心、主体性といったものが、資本の論理に「包摂」されていく」のは、日本こそが最も酷い例なのかも知れない。 ダイヤモンド・オンライン 窪田順生氏による「日本企業で働きたくない…アジアで人気ガタ落ち!嫌われる「日本式働き方」とは」 「アジアのホワイトカラー人材」のうち「日本企業で働くことに興味を持っている」のが、「08年」「では74%」だったのに、22年調査では、「40%」と、「米国企業は67%、欧州企業は58%」に大きく差を付けられた。「かつて日系企業で働く障害は圧倒的に言語の壁だった。しかし、22年は言語に次いで、閉鎖的な雰囲気、限定的な昇進、低い報酬を問う声が高まっている。 日本の会社の課題は言葉の問題以上に「島国根性」とも呼ばれる閉鎖性なのかもしれない』・・・その「閉鎖性」の中でも、特にアジアのホワイトカラーたちが拒否反応を示しているのが、「ホウレンソウ」(報告・連絡・相談)」、「ホウレンソウ」が目の敵にされるとは、どいうことなのだろう。 「日本企業で働く外国人から「ホウレンソウ」への不満」、「「自分の頭で考えて仕事ができないってどういうこと?」「信用されていない感じがしてやる気をなくす」など大不評」。「アジアに進出した日系企業は、現地の生活水準に比べるとかなりの高収入が得られる憧れの就職先だったので、「ホウレンソウ」のような不快な日本の企業文化でもがまんをして受け入れる人が多かったからだ。 しかし、」、「かつて隆盛を誇った日本企業が落ちぶれるのと反比例するような形に、自国企業が成長したことで、これまで黙って従っていたアジアのホワイトワーカーたちが、「やっぱり日本のばかばかしい働き方には付き合ってらんねーや」と声を上げ始めたというわけだ」、「日本企業が落ちぶれる」ことの予想外の副作用だ。 「日本軍もアジアのさまざまな場所に進出をしたが、現地の人々の自主性に任せなかったことで、かなり反感を抱かれた。 当時、現地の人を「土人」と呼び、日本軍は完全に下に見ていた。「どうせお前らは何もわからないんだから日本人のやり方を見習え」と言わんばかりに、さまざまな「日本式」を押し付けたのである。 その代表が「日本語」を用いて、日本人として文化や歴史を学ばせるといういわゆる「皇民化」だ」、 「オランダ植民地時代の二重教育制度を改めることにより初等教育の水準を向上させるとともに、共通語としてのインドネシア語の整備・普及によりインドネシア人の民族意識の高揚を助長した。しかし、学校等での日本語教育、朝礼や宮城遥拝、日本時間の採用などインドネシア人の慣習等を無視した急激な日本化の強要は、日本(軍)に対する反発を招いた> その「反発」が1944年2月に農民たちが日本軍に蜂起したタシクマラヤ事件などにつながった」、 「フィリピンでも日本語教育が行われ、日本から多くの教師が派遣されたが、戦局の悪化に伴い、フィリピン人たちの中で「なんでこんな日本式を強要されなきゃいけないんだよ」という不満がムクムクと膨らむ」、「<戦局の悪化とともに、現地人たちは日本語への学習意欲を喪失したと想定できる。水野輝義の日記にある、社会人向けの授業で「受講者欠席多く困った」という1944年4月21日の記述や、「女学校授業。雰囲気悪い。……この学校は監視の要あり」という8月3日の記述、「リパ女学校各教室を廻る。生徒の態度やや冷淡。日本に対する抵抗 「インドネシア」、「フィリピン」とも反日になるのは当然だ。 「滅私奉公で上官(上司)の命令は絶対で、過労死するまで組織に忠誠を尽くすという日本の企業文化は、日本軍の組織運営を踏襲しただけの話なのだ」、その通りなのかも知れない。 「経済戦争での惨敗は近い。 そうなった時、「人気のないニッポン」くらいならまだマシで、あの戦争の後のように、「憎いニッポン」が盛り上がることだってある。「日本が好き」と公言してくれるアジアの人々は多いが、それは観光先やアニメなどの文化であって、日本企業や、日本の働き方ではないのだ。 アジア進出している日本企業の皆さんはぜひそのあたりを混同せず、用心していただきたい」、確かに有益なアドバイスだ。 東洋経済オンライン 日沖 健氏による「「育ててもすぐ退職」一括採用の破綻が招く事態 卒業後すぐ就職できず若年層の失業率は上昇も」 「「転勤シーズン」は異動や新卒一括採用という雇用慣行と深く結びついているわけです。ただ、私たちにとって当たり前のこうした雇用慣行は、アメリカなど諸外国ではあまり見られない、日本固有のものです」、その通りだ。 「仮にアメリカ式のジョブ型に転換したら、異動や新卒一括採用を続ける理由がなくなり、消滅します。 異動や新卒一括採用が消滅したら、企業経営だけでなく、家庭生活・学校教育など社会全体に様々な影響が及びます。中でも最も懸念されるのが、若年層の失業率の増加です」、 「日本では、若年層(15~24歳)の失業率は4.0%(総務省、2023年1月)で、世界平均14.9%(ILO、2022年)と比べて極めて低い水準です。これは、企業が新卒一括採用でまっさらな学生を採用し、OJTや異動で長期間かけて育成するというやり方をしているからです。 一方、ジョブ型は欠員採用が基本なので、即戦力の経験者を中途採用します。経験者が優遇されると、スキル・経験が乏しい若年層は、採用市場であぶれてしまいます。 日本でもジョブ型になれば、欧米のように若年層の失業が劇的に増えることでしょう」、「日本でもジョブ型になれば、欧米のように若年層の失業が劇的に増えることでしょう」、その通りだ。 「結局、「将来のことはよくわからない」という結論になるわけですが、これでおしまいにしてはいけません。人事部門関係者は、以下の3つの質問について熟考する必要があります。 ① 自社のビジョン・経営戦略を実現するためには、どういう人材が必要か。 ② 必要な人材を確保するには、「新卒一括採用し、異動・OJTで育成する」のと「即戦力を中途採用する」のでは、どちらが効果的か。 ③ 必要な人材を「新卒一括採用し、異動・OJTで育成する」のと「即戦力を中途採用する」のでは、どちらがトータルコストが低いか。 働き方改革・コロナ・人手不足といった環境変化を受けて、雇用システムが大きく揺れている昨今。逆に、これまでなかなか変えられなかった雇用システムを見直すチャンスと捉えて、思い切った改革を進めたいものです」、その通りなのだろう。 なお、明日は更新を休むので、明後日にご期待を!
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。