不登校(その3)(いじめより多い原因不明の「無気力」不登校 親はどう向き合えばいい?、不登校29万9048人で過去最多 「日本の教育」はすでに崩壊していると言える訳 大人の同調圧力が子どもを追い詰めている、日本の「不登校」という言葉は時代錯誤?「学校に行かない」選択をしたオードリー・タン氏へ母が編み出した教育法) [社会]
不登校については、2021年6月14日に取上げた。今日は、(その3)(いじめより多い原因不明の「無気力」不登校 親はどう向き合えばいい?、不登校29万9048人で過去最多 「日本の教育」はすでに崩壊していると言える訳 大人の同調圧力が子どもを追い詰めている、日本の「不登校」という言葉は時代錯誤?「学校に行かない」選択をしたオードリー・タン氏へ母が編み出した教育法)である。
先ずは、本年10月9日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した清談社の吉岡 暁氏による「いじめより多い原因不明の「無気力」不登校、親はどう向き合えばいい?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/329381
・『小中学生の不登校が24万5000人と過去最多を更新した。コロナ禍の影響なのか、それとも何か別の要因があるのか。自身の教師経験を元に描いた『コミックエッセイ 不登校日誌 教師と保護者による心のサポート術』(廣済堂出版)(以下『不登校日誌』)の著者、観世あみ氏に不登校急増の理由について話を聞いた』、興味深そうだ。
・『小中学生の不登校が初めて20万人超に 昨年発表された文部科学省の調査によると、小・中学生の不登校が全国で約24万5000人と過去最多を記録した。小学生が約8万人、中学生が約16万人にも上り、「不登校」が20万人を超えるのは初めてだという。この場合の「不登校」とは、1年間で学校を30日以上欠席した児童の数だが、ここに不登校傾向のある「隠れ不登校」の子どもも含めると、その総数はさらに多くなるだろう。 2010年の不登校児童数は約12万2000人。約10年間で不登校は倍以上に増えており、なかでも過去最多を記録した21年度は、前年度から約5万人増と急激な増加を見せている。 この急増の背景について、コロナ禍による臨時休校やさまざまな制約によって「生活リズムが乱れやすく、交友関係を築くことが難しくなり、登校意欲が湧きにくい状況だった」と文科省は推測している。急増の背景には、やはりコロナが大きく関係しているのだろうか。 「影響は少なからずあると思いますが、統計を見ると2020年以前から不登校は年々増え続けており、必ずしもコロナのせい、とも言い切れません。不登校になる動機も多様化、複雑化しています。それぞれの事例を見ると『勉強意欲の低下』や『部活や友人関係の悩み』『将来への不安』『倦怠(けんたい)感』など、いくつかの要因が重なっている場合が多いんです」 そう話すのは、不登校児童の実態を描いたコミックエッセイ『不登校日誌』の著者で、元教師の観世あみ氏だ。観世氏は自身の教師時代の経験を基に、子どもたちの間で広がっている「不登校問題」に向き合ってきた。 「一ついえるのは、昔より不登校のハードルが下がっていること。子どもたちの間で、不登校が身近なものになっているんです。不登校の人数が今よりも少なかった昔と比べ、今は身近な子どもが不登校になるケースが格段に増えています。兄弟が不登校だったり、クラスに不登校が複数人いることが当たり前だったりと、不登校が『よくあること』へ変化してきている印象です」』、「「一ついえるのは、昔より不登校のハードルが下がっていること。子どもたちの間で、不登校が身近なものになっているんです。不登校の人数が今よりも少なかった昔と比べ、今は身近な子どもが不登校になるケースが格段に増えています。兄弟が不登校だったり、クラスに不登校が複数人いることが当たり前だったりと、不登校が『よくあること』へ変化してきている印象です」、なるほど。
・『不登校で最多の要因は本人の無気力 そんななか、不登校に至った理由を生徒本人ですらわかっていない場合も増えているという。 「不登校、となると、まず『いじめ』が原因と考える人もいると思うのですが、実は統計上、いじめが原因の不登校というのは意外と少ないんです。文科省の令和3年度不登校児童の実態調査によると、一番多い要因は『本人の無気力』。これは小学生、中学生どちらにも共通していて、無気力の背景にもいろいろな要素が絡み合い、複合的なストレスが不登校につながっていると考えられます」 生徒自身、明確な理由がわからないという「無気力不登校」。理由のハッキリしない不登校に子どもが陥ったとき、親はどのように対処すべきなのか。 「家庭内の空気、親御さんのメンタルを明るく穏やかに保つことは重要です。一番身近な大人の心をまず安定させて、過剰に焦ったり不安を感じたりしないようにしましょう。生活の基盤である家庭環境は子のメンタルにも大きく影響し、家庭が安心できる場所になっている場合、子のストレス耐性は強くなる傾向にあると感じます。教師時代の経験を振り返っても、環境の変化や家庭内のストレスが子どもの漠然とした不安・無気力感につながっているのでは、と考えられるケースがいくつかありました」 とはいえ、不登校=家庭に問題がある、と誤解してほしくないと観世氏は続ける。 「子どもが不登校になると、保護者の方も不安を抱えることになると思います。自分を責める親御さんも多く、真面目な人ほど思い詰めてしまう。でも理由がハッキリしない不登校の場合、大人がどれだけ心を尽くしても解決に向かわないことはたくさんあります。自分を責めず、一人で抱え込まない。不登校は保護者だけで解決できる単純な問題ではないので、学校や外部機関と連携しながら、お子さんをサポートしていく必要があります」』、「自分を責める親御さんも多く、真面目な人ほど思い詰めてしまう。でも理由がハッキリしない不登校の場合、大人がどれだけ心を尽くしても解決に向かわないことはたくさんあります。自分を責めず、一人で抱え込まない。不登校は保護者だけで解決できる単純な問題ではないので、学校や外部機関と連携しながら、お子さんをサポートしていく必要があります」、なるほど。
・『「学校に行きなさい!」が子どもをさらに追い詰める とはいえ、子どもが「学校に行きたくない」と言い出したときは思い詰めず穏やかに…といっても限界がある。親として、子どもとどのような向き合い方をするのがベストなのか? 「まずは『話を聞いて、寄り添う』こと。不登校は本人がさほど気にしていないように見えても、実際すごくつらくストレスもかかるものです。休みを重ねれば気持ちは焦り、落ち込み、さらに不安感も強くなって動けなくなるという負のループに陥ります。そういう状態の子どもに『学校に行きなさい!』と頭ごなしに強制してもさらに追い詰めてしまうだけなので、まずは『不登校=子どもの心身のSOS』と捉え、共感的態度を意識してみましょう」 無理に家庭内のみで解決しようとせず、学校側や不登校児童のための適応指導教室、民間団体が運営するフリースクールなどの外部機関も頼り、風通しをよくすることも重要だ。 「教師との相性もあると思います。学校側の対応に不満がある場合は学級担任から管理職、管理職の次は教育委員会と、相談先を広げていくことも視野に入れてみてください。また学校だけでなく、教育支援センターや外部の専門家を頼ってみることで解決策が見つかる場合もあります」 選択肢をいくつか持つことで、仮に学校側との連携がうまくいかなかった場合も対応策を考えることができるという。 「不登校生徒の保護者の方に話を聞くと『教育委員会に紹介されたスクールソーシャルワーカーを頼ったらお子さんと相性が良く、家でも明るく過ごせることが増えた』ということもあったようです。保護者と子どもと学校という三者だけでなく、子どもに合った支援方法を提示できるように、選択肢を増やしておくことは大切です」 具体的な解決策を模索するとともに、不登校のメリット・デメリットを知っておいた方がいいだろう。 「明確なデメリットとして学校の授業に相当する学習時間を自宅で確保するのは非常に難しく、多感な時期に不登校による心理的ストレスがかかることは見逃せません。とはいえ、多様な生き方が今は肯定されている時代であり、不登校になっても人生が終わるわけではない。不登校を乗り越えて活躍している方も多いです。不登校が悪いことだと考え込みすぎることが一番良くないことなのではないでしょうか」 昨今、SNS上では「学校に行かないこと」を肯定するインフルエンサーや著名人のエピソードも増えている。「不登校=悪」という前提自体が、変化のときを迎えているのかもしれない。 「これは『不登校日誌』にも書いたのですが、不登校が難しい問題だと思って壁を作るのは良くないことだと思っています。不登校の子どもも、学校に登校している他の子どもと同じように、生活があって、趣味があって、将来があります。不登校であろうとなかろうと、一人の人間であることには変わりがない。そこは忘れてはいけません。不登校になった、という一点だけを気にするのではなく、目の前の子どもが何を感じ、何を思い、何を考えているのか…そうした、子どもが抱える想いを理解し、寄り添ってあげてください。不登校のまま過ごすのか、復学支援をするのか、いずれの道を選ぶにしても大事なことは同じです」 子どもを一人の人間として尊重し、向き合う。それができた時、その子どもにとって本当に必要な支援が何か、周りの大人はどうすべきなのかが見えてくるだろう』、「「教師との相性もあると思います。学校側の対応に不満がある場合は学級担任から管理職、管理職の次は教育委員会と、相談先を広げていくことも視野に入れてみてください。また学校だけでなく、教育支援センターや外部の専門家を頼ってみることで解決策が見つかる場合もあります」 選択肢をいくつか持つことで、仮に学校側との連携がうまくいかなかった場合も対応策を考えることができるという・・・不登校が難しい問題だと思って壁を作るのは良くないことだと思っています。不登校の子どもも、学校に登校している他の子どもと同じように、生活があって、趣味があって、将来があります。不登校であろうとなかろうと、一人の人間であることには変わりがない。そこは忘れてはいけません。不登校になった、という一点だけを気にするのではなく、目の前の子どもが何を感じ、何を思い、何を考えているのか…そうした、子どもが抱える想いを理解し、寄り添ってあげてください。不登校のまま過ごすのか、復学支援をするのか、いずれの道を選ぶにしても大事なことは同じです」 子どもを一人の人間として尊重し、向き合う。それができた時、その子どもにとって本当に必要な支援が何か、周りの大人はどうすべきなのかが見えてくるだろう」、なるほど。
次に、10月17日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した同時通訳者でArt of Communication代表の田中慶子氏とノンフィクション・ライターの近藤弥生子氏の対談「日本の「不登校」という言葉は時代錯誤?「学校に行かない」選択をしたオードリー・タン氏へ母が編み出した教育法」を紹介しよう。
・『同時通訳者として、ビル・ゲイツ、デビッド・ベッカム、ダライ・ラマ、オードリー・タンなど世界のトップリーダーと至近距離で仕事をしてきた田中慶子さん。「多様性とコミュニケーション」や「生きた英語」をテーマに、現代のコミュニケーションのあり方を考えていきます。今回は、台湾のデジタル大臣のオードリー・タン氏に関する書籍を多数出版している、台湾在住のノンフィクション・ライターの近藤弥生子氏と対談。「学校に行かない」という選択をしたオードリー氏の事例を発端に、学校へ行かずに勉強する「自主学習」というありかた、「不登校」という表現への違和感、従来の学校システムと多様性のバランス、自分でカリキュラムを組み立てて学習するオルタナティブスクールについて、日本と台湾の教育や文化の違いや親和性などを語り合った』、興味深そうだ。
・『台湾のオルタナティブ教育「自主学習」とは? (田中慶子氏の略歴はリンク先参照) 田中慶子(以下、田中) 近藤さんは、台湾のデジタル大臣のオードリー・タン(以下、オードリー)さんに関する本を多数出されていますね。来年には台湾の教育に関する本が出版される予定と聞きました。 近藤弥生子(以下、近藤) オードリーさんの母、リー・ヤーチン(以下、リー)さんが書いた、「自主学習」をするための、心得や経験をまとめた本の翻訳書です。 田中 「自主学習」とは何ですか? 近藤 日本語に合う言葉がないんです。オードリーさんは、中学2年生の頃、学校に行くのをやめるという「選択」をしました。 そして、学校の勉強に相当する学習を、自分で組み立てながら行ってきました。台湾ではそのことを「自主学習」と呼びます。 オードリーさんが自主学習の選択をしたことに、リーさんは母として当初は大変戸惑い、そして受け入れます。 現在の台湾では、「学校に行かない」という選択肢は珍しいことではなく、その学校が合わなかったらすぐに転校することも日常茶飯事です。でも当時の台湾では、子どもが「学校に行かない」選択をすると違法扱いとなり、保護者が政府から罰せられました。 そのような中、リーさんは、オードリーさんの自主学習をサポートし、その経験をもとに、教育者として頭角を現すようになります。そして、台湾のそれまでのメインストリームだった教育に対し、オルタナティブ教育を実践する学校「種子学苑(※)」を1994年に設立します。その一連の物語や課題、ノウハウなどを記した本で、同じ状況にある人や保護者の指南書でもあります。 ※現:「種の親子実験小学校」 田中 自主学習は、例えばどのようなことをするのでしょうか? 近藤 「1週間で何をどういうふうに勉強するか」をプランニングして実施するのですが、勉強の中には、哲学クラブへ通ったり、大学の授業を単発で受講したり、自由研究をしたり、ということも含まれます。 ですので、家にずっとこもって学習するわけではなく、外にも出ていきますし、誰かと一緒にWebサイトをつくってみるなど、他人とコラボレーションすることもあります。それが自主学習なんです。 田中 それはいいですね。リサーチ能力やプロジェクトマネジメントなどの技能が向上しますね。 近藤 オードリーさんはいわゆる「ギフテッド(※天才的な能力を持つ人)」ですが、子どもにだってさまざまなタイプがいて、主張があって、選択肢がある。そのことを学校側に理解してもらえなかったんですね。 最近、日本である学校の校長先生とお話したのですが、その校長先生は昔、ある生徒に「私が学校に適応できないのではなく、学校が私たちに適応していないだけでしょう」と言われて、ハッとしたと言っていました。 日本は、よほどのことがないと転校するのが難しいですよね。逃げ場が与えられていない、限られた場所だけでやっていかなければならないというのは、すごいプレッシャーだと思うんです。) 「学校に行かない子」は「勉強をやめた子」ではない (近藤弥生子の略歴はリンク先参照) 田中 その通りだと思います。私も元不登校生でしたが、日本では「学校に行っていない」=「勉強をやめた子」という固定観念がものすごく強いんです。 今、日本は、不登校の生徒が24万人いて(※)、過去最多です。 ※2022年10月27日公表の文部科学省「令和3年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」によると、2021年度における小中学生の不登校数は24万4940人。毎年増加の傾向にある それだけいると、もはや珍しいケースとは言えませんよね。学校に行かなくても学んでいる子はたくさんいます。それなのにその規模の子どもたちを包括するようなオルタナティブとなる教育がありません。 ですから、台湾の自主学習のように、「既存のカリキュラムを学校で受けなくても、学ぶことは可能なんだ」という発想は、今の日本にこそ必要かもしれません。 日本の「不登校」という表現は、非常によくないですよね。学校に行かずに家で学ぶことを「ホームスクーリング(homeschooling)」と言うこともありますが、リーさんの言う自主学習ともやっぱり違う気がします。 日本では「独学」がちょっとしたブームですが、これとはまた違ったニュアンスなのでしょうか。 近藤 独学は、それを勧める人たちによってさまざまな定義がなされていると思いますが、個人的な印象としては、目的を遂げる手段として学ぶ、というイメージです。それももちろん、大切なのですが、自主学習は、自己分析も含め「自分が今、本当に何をやりたいか」を勘案したうえで、自分の人生を見据えて、自分の学びのカリキュラムを、自分で組み立てていく。そのようなイメージでしょうか。 田中 なるほど。独学の機運の高まりは、これまでの日本の教育カリキュラムに限界がきていることの表れだと思うんです。そういう意味でも、やはり、自主学習という観点は、これからの日本の教育の参考になりそうです。 近藤さんが以前に書かれた『オードリー・タン 母の手記「成長戦争」 自分、そして世界との和解』(KADOKAWA)内で、学校へ行かないという選択をしたオードリーさんに対し、「何で君だけが行かなくていいの? 僕だって本当は行きたくないのに」と周囲から責められるエピソードが紹介されていました。 おふたり 私も「みんな我慢して学校へ行っているのに、あなただけ行かなくていいなんて、ずるい」とよく言われました。その時に思ったのは、そして、今も思うのは、「みんなが我慢して通わなければならない学校は、なくてもいいのではないか」ということです。 現在の一般的な学校は、明治以後、日本が発展していく段階にあって、西洋から多くを学び、必死につくってきた学校システムの流れを汲んでいるのだと思います。みんなががんばり、そして日本を強くしたいという気持ちが、いつしか、「こうあらねばならぬ」と、それに従わない他人を許せない場になってしまった。 もちろん大多数の子どもたちはそこにフィットしているので、既存の学校は必要なものです。他方で、24万人の子どもたちが不登校という現実があり、我慢しながら学校へ行っている子たちも含めると、「今の学校が合わない」と感じている子どもは、もっといるはずです。社会で「ダイバーシティ」がうたわれているのに、教育業界ではなかなかダイバーシティが進んでいない印象です。 近藤 リーさんが、オードリーさんに合うような学校を探していた時に、ある児童哲学クラブで子どもたちと話していると、このような意見が出たんです』、「オードリーさんは、中学2年生の頃、学校に行くのをやめるという「選択」をしました。 そして、学校の勉強に相当する学習を、自分で組み立てながら行ってきました。台湾ではそのことを「自主学習」と呼びます。 オードリーさんが自主学習の選択をしたことに、リーさんは母として当初は大変戸惑い、そして受け入れます。 現在の台湾では、「学校に行かない」という選択肢は珍しいことではなく、その学校が合わなかったらすぐに転校することも日常茶飯事です。でも当時の台湾では、子どもが「学校に行かない」選択をすると違法扱いとなり、保護者が政府から罰せられました。 そのような中、リーさんは、オードリーさんの自主学習をサポートし、その経験をもとに、教育者として頭角を現すようになります。そして、台湾のそれまでのメインストリームだった教育に対し、オルタナティブ教育を実践する学校「種子学苑(※)」を1994年に設立」・・・オードリーさんはいわゆる「ギフテッド・・・」ですが、子どもにだってさまざまなタイプがいて、主張があって、選択肢がある。そのことを学校側に理解してもらえなかったんですね・・・日本では「独学」がちょっとしたブームですが、これとはまた違ったニュアンスなのでしょうか。 近藤 独学は、それを勧める人たちによってさまざまな定義がなされていると思いますが、個人的な印象としては、目的を遂げる手段として学ぶ、というイメージです。それももちろん、大切なのですが、自主学習は、自己分析も含め「自分が今、本当に何をやりたいか」を勘案したうえで、自分の人生を見据えて、自分の学びのカリキュラムを、自分で組み立てていく。そのようなイメージでしょうか」、なるほど。
・『転校を繰り返しても「教育に前向きだ」と思える社会の寛大さ 近藤 「自分たちで勉強の内容を決めさせてくれたら、僕はもっと上手に勉強できるのに。大人が全部決めてしまうからできないんだよ」と。 それをヒントに、リーさんは、「すべて自分で決めることのできる学校が必要なんだ」と考えて、自分でカリキュラムを作れる、オルタナティブな学校をつくったんです。 小学校の低学年には、最小限の必須科目はありますが、その後はカリキュラムをどんどん自分で組み立てるようにする。そして自身の得意分野を伸ばしてもらう、というのが、リーさんの提唱している自主学習です。20年以上前に、そうしたオルタナティブ教育の基礎を確立し、現在、それを実施するための「実験学校」と呼ばれる学校が、台湾で増えています。AI、スポーツ、言語に特化した学校など、特徴もさまざまです。 田中 「カリキュラムを自分で組み立てる」というのは、「自分たちで勉強の内容を決める」ということですものね。 近藤 日本のように平均的なカリキュラムを一斉に施すのではなく、選択肢を用意するんです。実験学校に通い始めたけれど合わなかったという場合は、ほかの実験学校へ容易に転校も可能ですし、公立の学校や私立の学校とも、比較的スムーズに行き来することができます。 学校の選択を誤って転校したとしても、後ろ指をさされることがない。むしろ、その子の良いところを伸ばすためにその子に合った学校を積極的に探している、教育に前向きだ、とさえ思われる。台湾社会もそのあたりに非常に寛大になってきています。 田中 日本でも少しずつ変わってきてはいますが、以前は、学校に行かなければそのまま「社会からドロップアウトした」というネガティブなイメージが付きまとい、本人の中にもそれがコンプレックスとして残っていた。そう考えると、台湾のその事例は、子どもたちにはもちろんのこと、会社や家庭以外のサードプレイスや、学ぶ場所、人とつながれる場所を求めている大人にも、参考になりますよね。 近藤 たとえオードリーさんのようなギフテッドでなくても、子どもにはひとりひとり、素敵な個性が備わっているはずで、その部分を伸ばしていきたい、と、現在、翻訳中のリーさんの本に書かれています。「お隣の台湾ではこうした教育方法が伸びてきている」ということを、日本の読者に伝えたいんです。原著は、20年近く前に出版されたものです。 今回、翻訳本を出すことになったのは、「今の日本にこそ、この本が必要だ」という、担当編集者さんの並々ならぬ熱意がありました。私は翻訳という立場で携わらせていただき、慶子さんの同時通訳もそうだと思いますが、こうした、異なる文化の価値観を伝えるという点に、「翻訳」の意味や醍醐味がある気がしています』、「リーさんは、「すべて自分で決めることのできる学校が必要なんだ」と考えて、自分でカリキュラムを作れる、オルタナティブな学校をつくったんです。 小学校の低学年には、最小限の必須科目はありますが、その後はカリキュラムをどんどん自分で組み立てるようにする。そして自身の得意分野を伸ばしてもらう、というのが、リーさんの提唱している自主学習です。20年以上前に、そうしたオルタナティブ教育の基礎を確立し、現在、それを実施するための「実験学校」と呼ばれる学校が、台湾で増えています。AI、スポーツ、言語に特化した学校など、特徴もさまざまです」、隣国の「台湾」でこんな先進的な教育が行われていたとは、初めて知った。「今の日本にこそ、この本が必要だ」、同感である。
・『フォロワーとしては優秀かもしれないがリーダーシップを取ることができない 田中「日本人はリーダーシップを取れない」とよく言われますが、仕方がない面もあると思うんです。 日本では、小さい頃から「言われたことをきちんと守れる子」が優秀だとされてきました。でも、そうした人が、教えられたことを覚え、大学受験に合格し、大学を出て企業に入って、与えられた仕事をしっかりとこなす。そして急にリーダー的なポジションにつくことになる。 フォロワーとしては優秀だったかもしれませんが、自分で考えて、決めて、行動して、責任を取るという、リーダーの訓練はほとんどしてきていない。特に今のように変化が激しい時代、従来の画一的なカリキュラムの中で従順に学ぶことが良しとされているシステム内では、変化に柔軟に対応できる人が育たないのは、当然といえば当然です。 近藤 今、「日本の教育状況をなんとかしないと大変なことになる」と、多くの人が口々に言っていますよね。危機意識が出てきているという意味では、スピード感の違いはありますが、大きな変化の兆しが生まれ始めているということなので、良いことだなと思っています』、「日本では、小さい頃から「言われたことをきちんと守れる子」が優秀だとされてきました。でも、そうした人が、教えられたことを覚え、大学受験に合格し、大学を出て企業に入って、与えられた仕事をしっかりとこなす。そして急にリーダー的なポジションにつくことになる。 フォロワーとしては優秀だったかもしれませんが、自分で考えて、決めて、行動して、責任を取るという、リーダーの訓練はほとんどしてきていない。特に今のように変化が激しい時代、従来の画一的なカリキュラムの中で従順に学ぶことが良しとされているシステム内では、変化に柔軟に対応できる人が育たないのは、当然といえば当然です。 近藤 今、「日本の教育状況をなんとかしないと大変なことになる」と、多くの人が口々に言っていますよね。危機意識が出てきているという意味では、スピード感の違いはありますが、大きな変化の兆しが生まれ始めているということなので、良いことだなと思っています』、なるほど。
・『ようやく手に入れた民主主義を守るため今の台湾は「人任せにしない」 近藤 そして、最近、日本と台湾との関係で思うのは、これまで、日本にとっての台湾の位置づけは、「日本の近くに台湾があるよね」「台湾って親日だよね」ぐらいな感じで、そこまで台湾の存在を強く意識していたわけではなく、大国・日本を慕ってくれている隣人、という、少し「上から目線」の雰囲気があったと思うんです。 以前、あるメディアで台湾について書いた原稿で、「日本が台湾から学ぶ点があるかもしれない」と記したところ、「それは読者に受け入れられないと思う」と、担当編集者さんに指摘されて、修正したことがありました。 でも、ここ数年の、それこそオードリーさんの活躍も含めた、コロナ禍における台湾政府の、機敏かつ、積極的な立ち回りなどを日本人が見聞きしたことで、台湾に対する意識に変化が生まれました。「台湾から学ぶべき点がたくさんある」という雰囲気に変わってきていて、今こそこうした本が受け入れられる、とても良いチャンスだと思っています。 田中 以前、仕事でオードリーさんの通訳をしたときに、台湾は、日本の統治下だったり、独裁政権下だったりしたので、ようやく手に入れた現在の民主主義をとても大事にしている、とおっしゃっていたことが印象的でした。 藤 そうなんです。今の台湾は、社会全体で「人任せにしない」という雰囲気があります。少しでも油断すると、今の民主主義が奪われて、独裁者の時代に逆戻りするのではという恐れの気持ちが強いんです。だからこそ、権力を持つ者から目を離さないですし、ブラックボックスを絶対に許さないんです。 田中 なるほど。オードリーさんは、人々から何か声が上がったときには、すぐに反応して、経緯や事情をきちんと開示し、透明性を持って対応するということが、いかに大事かを話されていました。 オードリーさんの活躍も含め、透明性の重要性を認識している社会、ダイバーシティを大切にする学校教育、半導体製造のTSMCといった企業の躍進など、日本側の台湾を見る目も変わらざるを得ない状況になってきているんですね』、「ここ数年の、それこそオードリーさんの活躍も含めた、コロナ禍における台湾政府の、機敏かつ、積極的な立ち回りなどを日本人が見聞きしたことで、台湾に対する意識に変化が生まれました。「台湾から学ぶべき点がたくさんある」という雰囲気に変わってきていて、今こそこうした本が受け入れられる、とても良いチャンスだと思っています」、その通りだ。
・『年長者や専門家による定義から始めるな 社会を変える時こそ対話と多様性が重要 藤 台湾出身のジル・チャンさんのビジネス書『「静かな人」の戦略書』がヒットしたりもしていますね。これまで、台湾人が書いたビジネス書や自己啓発書が、日本で出版されたことはほとんどありませんでした。今回の自主学習の本の内容も、おそらく読者にとって新鮮だと思います。 田中 「人任せにしない社会」は重要ですね。そのような中、日本社会が苦手なのは、やはりコミュニケーションです。大多数の意見、あるいは、立場が上の人の意見に対し、反対意見や、「ネガティブに捉えられかねない」ことは、発言しにくい。結果、変えたほうがいいことがあっても言いづらくなり、人任せになってしまう。 何かを良い方向へと変えていくためには、既存の選択肢とは別の選択肢を出していくことが絶対的に必要です。表面的な意見だけではなく、多様な視点からの意見を生かすには、垣根を越えたコミュニケーションは不可欠です。 コミュニケーションがなく、多様性が尊重されない社会では、オードリーさんのような才能は開花することなくつぶされてしまう。恐ろしいですよね。オードリーさん自身、自殺も考えるほどのつらい思いを経験されています。 才能を持っていたけれど、従来のシステムに合わずにつぶされていった人は、相当な数いるはずです。それを乗り越えて社会の変革に貢献したオードリーさんやリーさんの存在は大きいですね。従来のシステムになじまない、あのようなすごい人がいるんだと、多様性を受け入れやすくなる。 近藤 おっしゃるとおりで、社会を変える時こそ、対話と多様性は重要だと思います。 日本では何かを始めるとき、「不登校とはこういうもので」とか「自主学習とはこういうもので」と、年長者や専門家による定義からスタートします。そうではなくて、「不登校ってそもそもどういうことだろう」とか「自主学習って何だろう」とかを、みんなで話し合って、粗々のオリジナルでいいから、どう定義できるかを、まずはその場で考えてみることに大きな意味があるのではないでしょうか。 田中 あくまでざっくりとした表現ですが、欧米では、意見が分かれるとロジカルに白黒はっきりさせようとする傾向が比較的強いように思えます。もちろん、ロジカルに話したり、ロジカルに決めたりすることも重要です。 一方で、日本を含めた東洋は、良くも悪くもあいまいにしたがります。それは、ネガティブ・ケイパビリティとでも言うべき、曖昧なものを曖昧なままで受け入れる能力で、それも必要だと思うんです。その意味では、日本は本来、多様性を受け入れることは得意なのではないかと思うんです。 近藤 そうですね。変化のきっかけさえあれば、その特性を良い方向へ一気に発揮することができるかもしれません。もちろん違うところもたくさんありますが、東アジア同士、共通する文化や歴史も多く、親和性が高いので、お互いに学び合うことができる。台湾の成功事例はとても参考になるのではないかと思います。 台湾人はもともと日本のことを好きな人が多いですが、日本でも「日本の近くに位置している国」というだけでなく、「日本の身近な国」として知ろうとする人が増えてきていて、とてもうれしいです。私ももっともっと台湾のことを勉強したいと思います』、「日本社会が苦手なのは、やはりコミュニケーションです。大多数の意見、あるいは、立場が上の人の意見に対し、反対意見や、「ネガティブに捉えられかねない」ことは、発言しにくい。結果、変えたほうがいいことがあっても言いづらくなり、人任せになってしまう。 何かを良い方向へと変えていくためには、既存の選択肢とは別の選択肢を出していくことが絶対的に必要です。表面的な意見だけではなく、多様な視点からの意見を生かすには、垣根を越えたコミュニケーションは不可欠です。 コミュニケーションがなく、多様性が尊重されない社会では、オードリーさんのような才能は開花することなくつぶされてしまう。恐ろしいですよね。オードリーさん自身、自殺も考えるほどのつらい思いを経験されています。 才能を持っていたけれど、従来のシステムに合わずにつぶされていった人は、相当な数いるはずです。それを乗り越えて社会の変革に貢献したオードリーさんやリーさんの存在は大きいですね』、同感である。
先ずは、本年10月9日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した清談社の吉岡 暁氏による「いじめより多い原因不明の「無気力」不登校、親はどう向き合えばいい?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/329381
・『小中学生の不登校が24万5000人と過去最多を更新した。コロナ禍の影響なのか、それとも何か別の要因があるのか。自身の教師経験を元に描いた『コミックエッセイ 不登校日誌 教師と保護者による心のサポート術』(廣済堂出版)(以下『不登校日誌』)の著者、観世あみ氏に不登校急増の理由について話を聞いた』、興味深そうだ。
・『小中学生の不登校が初めて20万人超に 昨年発表された文部科学省の調査によると、小・中学生の不登校が全国で約24万5000人と過去最多を記録した。小学生が約8万人、中学生が約16万人にも上り、「不登校」が20万人を超えるのは初めてだという。この場合の「不登校」とは、1年間で学校を30日以上欠席した児童の数だが、ここに不登校傾向のある「隠れ不登校」の子どもも含めると、その総数はさらに多くなるだろう。 2010年の不登校児童数は約12万2000人。約10年間で不登校は倍以上に増えており、なかでも過去最多を記録した21年度は、前年度から約5万人増と急激な増加を見せている。 この急増の背景について、コロナ禍による臨時休校やさまざまな制約によって「生活リズムが乱れやすく、交友関係を築くことが難しくなり、登校意欲が湧きにくい状況だった」と文科省は推測している。急増の背景には、やはりコロナが大きく関係しているのだろうか。 「影響は少なからずあると思いますが、統計を見ると2020年以前から不登校は年々増え続けており、必ずしもコロナのせい、とも言い切れません。不登校になる動機も多様化、複雑化しています。それぞれの事例を見ると『勉強意欲の低下』や『部活や友人関係の悩み』『将来への不安』『倦怠(けんたい)感』など、いくつかの要因が重なっている場合が多いんです」 そう話すのは、不登校児童の実態を描いたコミックエッセイ『不登校日誌』の著者で、元教師の観世あみ氏だ。観世氏は自身の教師時代の経験を基に、子どもたちの間で広がっている「不登校問題」に向き合ってきた。 「一ついえるのは、昔より不登校のハードルが下がっていること。子どもたちの間で、不登校が身近なものになっているんです。不登校の人数が今よりも少なかった昔と比べ、今は身近な子どもが不登校になるケースが格段に増えています。兄弟が不登校だったり、クラスに不登校が複数人いることが当たり前だったりと、不登校が『よくあること』へ変化してきている印象です」』、「「一ついえるのは、昔より不登校のハードルが下がっていること。子どもたちの間で、不登校が身近なものになっているんです。不登校の人数が今よりも少なかった昔と比べ、今は身近な子どもが不登校になるケースが格段に増えています。兄弟が不登校だったり、クラスに不登校が複数人いることが当たり前だったりと、不登校が『よくあること』へ変化してきている印象です」、なるほど。
・『不登校で最多の要因は本人の無気力 そんななか、不登校に至った理由を生徒本人ですらわかっていない場合も増えているという。 「不登校、となると、まず『いじめ』が原因と考える人もいると思うのですが、実は統計上、いじめが原因の不登校というのは意外と少ないんです。文科省の令和3年度不登校児童の実態調査によると、一番多い要因は『本人の無気力』。これは小学生、中学生どちらにも共通していて、無気力の背景にもいろいろな要素が絡み合い、複合的なストレスが不登校につながっていると考えられます」 生徒自身、明確な理由がわからないという「無気力不登校」。理由のハッキリしない不登校に子どもが陥ったとき、親はどのように対処すべきなのか。 「家庭内の空気、親御さんのメンタルを明るく穏やかに保つことは重要です。一番身近な大人の心をまず安定させて、過剰に焦ったり不安を感じたりしないようにしましょう。生活の基盤である家庭環境は子のメンタルにも大きく影響し、家庭が安心できる場所になっている場合、子のストレス耐性は強くなる傾向にあると感じます。教師時代の経験を振り返っても、環境の変化や家庭内のストレスが子どもの漠然とした不安・無気力感につながっているのでは、と考えられるケースがいくつかありました」 とはいえ、不登校=家庭に問題がある、と誤解してほしくないと観世氏は続ける。 「子どもが不登校になると、保護者の方も不安を抱えることになると思います。自分を責める親御さんも多く、真面目な人ほど思い詰めてしまう。でも理由がハッキリしない不登校の場合、大人がどれだけ心を尽くしても解決に向かわないことはたくさんあります。自分を責めず、一人で抱え込まない。不登校は保護者だけで解決できる単純な問題ではないので、学校や外部機関と連携しながら、お子さんをサポートしていく必要があります」』、「自分を責める親御さんも多く、真面目な人ほど思い詰めてしまう。でも理由がハッキリしない不登校の場合、大人がどれだけ心を尽くしても解決に向かわないことはたくさんあります。自分を責めず、一人で抱え込まない。不登校は保護者だけで解決できる単純な問題ではないので、学校や外部機関と連携しながら、お子さんをサポートしていく必要があります」、なるほど。
・『「学校に行きなさい!」が子どもをさらに追い詰める とはいえ、子どもが「学校に行きたくない」と言い出したときは思い詰めず穏やかに…といっても限界がある。親として、子どもとどのような向き合い方をするのがベストなのか? 「まずは『話を聞いて、寄り添う』こと。不登校は本人がさほど気にしていないように見えても、実際すごくつらくストレスもかかるものです。休みを重ねれば気持ちは焦り、落ち込み、さらに不安感も強くなって動けなくなるという負のループに陥ります。そういう状態の子どもに『学校に行きなさい!』と頭ごなしに強制してもさらに追い詰めてしまうだけなので、まずは『不登校=子どもの心身のSOS』と捉え、共感的態度を意識してみましょう」 無理に家庭内のみで解決しようとせず、学校側や不登校児童のための適応指導教室、民間団体が運営するフリースクールなどの外部機関も頼り、風通しをよくすることも重要だ。 「教師との相性もあると思います。学校側の対応に不満がある場合は学級担任から管理職、管理職の次は教育委員会と、相談先を広げていくことも視野に入れてみてください。また学校だけでなく、教育支援センターや外部の専門家を頼ってみることで解決策が見つかる場合もあります」 選択肢をいくつか持つことで、仮に学校側との連携がうまくいかなかった場合も対応策を考えることができるという。 「不登校生徒の保護者の方に話を聞くと『教育委員会に紹介されたスクールソーシャルワーカーを頼ったらお子さんと相性が良く、家でも明るく過ごせることが増えた』ということもあったようです。保護者と子どもと学校という三者だけでなく、子どもに合った支援方法を提示できるように、選択肢を増やしておくことは大切です」 具体的な解決策を模索するとともに、不登校のメリット・デメリットを知っておいた方がいいだろう。 「明確なデメリットとして学校の授業に相当する学習時間を自宅で確保するのは非常に難しく、多感な時期に不登校による心理的ストレスがかかることは見逃せません。とはいえ、多様な生き方が今は肯定されている時代であり、不登校になっても人生が終わるわけではない。不登校を乗り越えて活躍している方も多いです。不登校が悪いことだと考え込みすぎることが一番良くないことなのではないでしょうか」 昨今、SNS上では「学校に行かないこと」を肯定するインフルエンサーや著名人のエピソードも増えている。「不登校=悪」という前提自体が、変化のときを迎えているのかもしれない。 「これは『不登校日誌』にも書いたのですが、不登校が難しい問題だと思って壁を作るのは良くないことだと思っています。不登校の子どもも、学校に登校している他の子どもと同じように、生活があって、趣味があって、将来があります。不登校であろうとなかろうと、一人の人間であることには変わりがない。そこは忘れてはいけません。不登校になった、という一点だけを気にするのではなく、目の前の子どもが何を感じ、何を思い、何を考えているのか…そうした、子どもが抱える想いを理解し、寄り添ってあげてください。不登校のまま過ごすのか、復学支援をするのか、いずれの道を選ぶにしても大事なことは同じです」 子どもを一人の人間として尊重し、向き合う。それができた時、その子どもにとって本当に必要な支援が何か、周りの大人はどうすべきなのかが見えてくるだろう』、「「教師との相性もあると思います。学校側の対応に不満がある場合は学級担任から管理職、管理職の次は教育委員会と、相談先を広げていくことも視野に入れてみてください。また学校だけでなく、教育支援センターや外部の専門家を頼ってみることで解決策が見つかる場合もあります」 選択肢をいくつか持つことで、仮に学校側との連携がうまくいかなかった場合も対応策を考えることができるという・・・不登校が難しい問題だと思って壁を作るのは良くないことだと思っています。不登校の子どもも、学校に登校している他の子どもと同じように、生活があって、趣味があって、将来があります。不登校であろうとなかろうと、一人の人間であることには変わりがない。そこは忘れてはいけません。不登校になった、という一点だけを気にするのではなく、目の前の子どもが何を感じ、何を思い、何を考えているのか…そうした、子どもが抱える想いを理解し、寄り添ってあげてください。不登校のまま過ごすのか、復学支援をするのか、いずれの道を選ぶにしても大事なことは同じです」 子どもを一人の人間として尊重し、向き合う。それができた時、その子どもにとって本当に必要な支援が何か、周りの大人はどうすべきなのかが見えてくるだろう」、なるほど。
次に、10月17日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した同時通訳者でArt of Communication代表の田中慶子氏とノンフィクション・ライターの近藤弥生子氏の対談「日本の「不登校」という言葉は時代錯誤?「学校に行かない」選択をしたオードリー・タン氏へ母が編み出した教育法」を紹介しよう。
・『同時通訳者として、ビル・ゲイツ、デビッド・ベッカム、ダライ・ラマ、オードリー・タンなど世界のトップリーダーと至近距離で仕事をしてきた田中慶子さん。「多様性とコミュニケーション」や「生きた英語」をテーマに、現代のコミュニケーションのあり方を考えていきます。今回は、台湾のデジタル大臣のオードリー・タン氏に関する書籍を多数出版している、台湾在住のノンフィクション・ライターの近藤弥生子氏と対談。「学校に行かない」という選択をしたオードリー氏の事例を発端に、学校へ行かずに勉強する「自主学習」というありかた、「不登校」という表現への違和感、従来の学校システムと多様性のバランス、自分でカリキュラムを組み立てて学習するオルタナティブスクールについて、日本と台湾の教育や文化の違いや親和性などを語り合った』、興味深そうだ。
・『台湾のオルタナティブ教育「自主学習」とは? (田中慶子氏の略歴はリンク先参照) 田中慶子(以下、田中) 近藤さんは、台湾のデジタル大臣のオードリー・タン(以下、オードリー)さんに関する本を多数出されていますね。来年には台湾の教育に関する本が出版される予定と聞きました。 近藤弥生子(以下、近藤) オードリーさんの母、リー・ヤーチン(以下、リー)さんが書いた、「自主学習」をするための、心得や経験をまとめた本の翻訳書です。 田中 「自主学習」とは何ですか? 近藤 日本語に合う言葉がないんです。オードリーさんは、中学2年生の頃、学校に行くのをやめるという「選択」をしました。 そして、学校の勉強に相当する学習を、自分で組み立てながら行ってきました。台湾ではそのことを「自主学習」と呼びます。 オードリーさんが自主学習の選択をしたことに、リーさんは母として当初は大変戸惑い、そして受け入れます。 現在の台湾では、「学校に行かない」という選択肢は珍しいことではなく、その学校が合わなかったらすぐに転校することも日常茶飯事です。でも当時の台湾では、子どもが「学校に行かない」選択をすると違法扱いとなり、保護者が政府から罰せられました。 そのような中、リーさんは、オードリーさんの自主学習をサポートし、その経験をもとに、教育者として頭角を現すようになります。そして、台湾のそれまでのメインストリームだった教育に対し、オルタナティブ教育を実践する学校「種子学苑(※)」を1994年に設立します。その一連の物語や課題、ノウハウなどを記した本で、同じ状況にある人や保護者の指南書でもあります。 ※現:「種の親子実験小学校」 田中 自主学習は、例えばどのようなことをするのでしょうか? 近藤 「1週間で何をどういうふうに勉強するか」をプランニングして実施するのですが、勉強の中には、哲学クラブへ通ったり、大学の授業を単発で受講したり、自由研究をしたり、ということも含まれます。 ですので、家にずっとこもって学習するわけではなく、外にも出ていきますし、誰かと一緒にWebサイトをつくってみるなど、他人とコラボレーションすることもあります。それが自主学習なんです。 田中 それはいいですね。リサーチ能力やプロジェクトマネジメントなどの技能が向上しますね。 近藤 オードリーさんはいわゆる「ギフテッド(※天才的な能力を持つ人)」ですが、子どもにだってさまざまなタイプがいて、主張があって、選択肢がある。そのことを学校側に理解してもらえなかったんですね。 最近、日本である学校の校長先生とお話したのですが、その校長先生は昔、ある生徒に「私が学校に適応できないのではなく、学校が私たちに適応していないだけでしょう」と言われて、ハッとしたと言っていました。 日本は、よほどのことがないと転校するのが難しいですよね。逃げ場が与えられていない、限られた場所だけでやっていかなければならないというのは、すごいプレッシャーだと思うんです。) 「学校に行かない子」は「勉強をやめた子」ではない (近藤弥生子の略歴はリンク先参照) 田中 その通りだと思います。私も元不登校生でしたが、日本では「学校に行っていない」=「勉強をやめた子」という固定観念がものすごく強いんです。 今、日本は、不登校の生徒が24万人いて(※)、過去最多です。 ※2022年10月27日公表の文部科学省「令和3年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」によると、2021年度における小中学生の不登校数は24万4940人。毎年増加の傾向にある それだけいると、もはや珍しいケースとは言えませんよね。学校に行かなくても学んでいる子はたくさんいます。それなのにその規模の子どもたちを包括するようなオルタナティブとなる教育がありません。 ですから、台湾の自主学習のように、「既存のカリキュラムを学校で受けなくても、学ぶことは可能なんだ」という発想は、今の日本にこそ必要かもしれません。 日本の「不登校」という表現は、非常によくないですよね。学校に行かずに家で学ぶことを「ホームスクーリング(homeschooling)」と言うこともありますが、リーさんの言う自主学習ともやっぱり違う気がします。 日本では「独学」がちょっとしたブームですが、これとはまた違ったニュアンスなのでしょうか。 近藤 独学は、それを勧める人たちによってさまざまな定義がなされていると思いますが、個人的な印象としては、目的を遂げる手段として学ぶ、というイメージです。それももちろん、大切なのですが、自主学習は、自己分析も含め「自分が今、本当に何をやりたいか」を勘案したうえで、自分の人生を見据えて、自分の学びのカリキュラムを、自分で組み立てていく。そのようなイメージでしょうか。 田中 なるほど。独学の機運の高まりは、これまでの日本の教育カリキュラムに限界がきていることの表れだと思うんです。そういう意味でも、やはり、自主学習という観点は、これからの日本の教育の参考になりそうです。 近藤さんが以前に書かれた『オードリー・タン 母の手記「成長戦争」 自分、そして世界との和解』(KADOKAWA)内で、学校へ行かないという選択をしたオードリーさんに対し、「何で君だけが行かなくていいの? 僕だって本当は行きたくないのに」と周囲から責められるエピソードが紹介されていました。 おふたり 私も「みんな我慢して学校へ行っているのに、あなただけ行かなくていいなんて、ずるい」とよく言われました。その時に思ったのは、そして、今も思うのは、「みんなが我慢して通わなければならない学校は、なくてもいいのではないか」ということです。 現在の一般的な学校は、明治以後、日本が発展していく段階にあって、西洋から多くを学び、必死につくってきた学校システムの流れを汲んでいるのだと思います。みんなががんばり、そして日本を強くしたいという気持ちが、いつしか、「こうあらねばならぬ」と、それに従わない他人を許せない場になってしまった。 もちろん大多数の子どもたちはそこにフィットしているので、既存の学校は必要なものです。他方で、24万人の子どもたちが不登校という現実があり、我慢しながら学校へ行っている子たちも含めると、「今の学校が合わない」と感じている子どもは、もっといるはずです。社会で「ダイバーシティ」がうたわれているのに、教育業界ではなかなかダイバーシティが進んでいない印象です。 近藤 リーさんが、オードリーさんに合うような学校を探していた時に、ある児童哲学クラブで子どもたちと話していると、このような意見が出たんです』、「オードリーさんは、中学2年生の頃、学校に行くのをやめるという「選択」をしました。 そして、学校の勉強に相当する学習を、自分で組み立てながら行ってきました。台湾ではそのことを「自主学習」と呼びます。 オードリーさんが自主学習の選択をしたことに、リーさんは母として当初は大変戸惑い、そして受け入れます。 現在の台湾では、「学校に行かない」という選択肢は珍しいことではなく、その学校が合わなかったらすぐに転校することも日常茶飯事です。でも当時の台湾では、子どもが「学校に行かない」選択をすると違法扱いとなり、保護者が政府から罰せられました。 そのような中、リーさんは、オードリーさんの自主学習をサポートし、その経験をもとに、教育者として頭角を現すようになります。そして、台湾のそれまでのメインストリームだった教育に対し、オルタナティブ教育を実践する学校「種子学苑(※)」を1994年に設立」・・・オードリーさんはいわゆる「ギフテッド・・・」ですが、子どもにだってさまざまなタイプがいて、主張があって、選択肢がある。そのことを学校側に理解してもらえなかったんですね・・・日本では「独学」がちょっとしたブームですが、これとはまた違ったニュアンスなのでしょうか。 近藤 独学は、それを勧める人たちによってさまざまな定義がなされていると思いますが、個人的な印象としては、目的を遂げる手段として学ぶ、というイメージです。それももちろん、大切なのですが、自主学習は、自己分析も含め「自分が今、本当に何をやりたいか」を勘案したうえで、自分の人生を見据えて、自分の学びのカリキュラムを、自分で組み立てていく。そのようなイメージでしょうか」、なるほど。
・『転校を繰り返しても「教育に前向きだ」と思える社会の寛大さ 近藤 「自分たちで勉強の内容を決めさせてくれたら、僕はもっと上手に勉強できるのに。大人が全部決めてしまうからできないんだよ」と。 それをヒントに、リーさんは、「すべて自分で決めることのできる学校が必要なんだ」と考えて、自分でカリキュラムを作れる、オルタナティブな学校をつくったんです。 小学校の低学年には、最小限の必須科目はありますが、その後はカリキュラムをどんどん自分で組み立てるようにする。そして自身の得意分野を伸ばしてもらう、というのが、リーさんの提唱している自主学習です。20年以上前に、そうしたオルタナティブ教育の基礎を確立し、現在、それを実施するための「実験学校」と呼ばれる学校が、台湾で増えています。AI、スポーツ、言語に特化した学校など、特徴もさまざまです。 田中 「カリキュラムを自分で組み立てる」というのは、「自分たちで勉強の内容を決める」ということですものね。 近藤 日本のように平均的なカリキュラムを一斉に施すのではなく、選択肢を用意するんです。実験学校に通い始めたけれど合わなかったという場合は、ほかの実験学校へ容易に転校も可能ですし、公立の学校や私立の学校とも、比較的スムーズに行き来することができます。 学校の選択を誤って転校したとしても、後ろ指をさされることがない。むしろ、その子の良いところを伸ばすためにその子に合った学校を積極的に探している、教育に前向きだ、とさえ思われる。台湾社会もそのあたりに非常に寛大になってきています。 田中 日本でも少しずつ変わってきてはいますが、以前は、学校に行かなければそのまま「社会からドロップアウトした」というネガティブなイメージが付きまとい、本人の中にもそれがコンプレックスとして残っていた。そう考えると、台湾のその事例は、子どもたちにはもちろんのこと、会社や家庭以外のサードプレイスや、学ぶ場所、人とつながれる場所を求めている大人にも、参考になりますよね。 近藤 たとえオードリーさんのようなギフテッドでなくても、子どもにはひとりひとり、素敵な個性が備わっているはずで、その部分を伸ばしていきたい、と、現在、翻訳中のリーさんの本に書かれています。「お隣の台湾ではこうした教育方法が伸びてきている」ということを、日本の読者に伝えたいんです。原著は、20年近く前に出版されたものです。 今回、翻訳本を出すことになったのは、「今の日本にこそ、この本が必要だ」という、担当編集者さんの並々ならぬ熱意がありました。私は翻訳という立場で携わらせていただき、慶子さんの同時通訳もそうだと思いますが、こうした、異なる文化の価値観を伝えるという点に、「翻訳」の意味や醍醐味がある気がしています』、「リーさんは、「すべて自分で決めることのできる学校が必要なんだ」と考えて、自分でカリキュラムを作れる、オルタナティブな学校をつくったんです。 小学校の低学年には、最小限の必須科目はありますが、その後はカリキュラムをどんどん自分で組み立てるようにする。そして自身の得意分野を伸ばしてもらう、というのが、リーさんの提唱している自主学習です。20年以上前に、そうしたオルタナティブ教育の基礎を確立し、現在、それを実施するための「実験学校」と呼ばれる学校が、台湾で増えています。AI、スポーツ、言語に特化した学校など、特徴もさまざまです」、隣国の「台湾」でこんな先進的な教育が行われていたとは、初めて知った。「今の日本にこそ、この本が必要だ」、同感である。
・『フォロワーとしては優秀かもしれないがリーダーシップを取ることができない 田中「日本人はリーダーシップを取れない」とよく言われますが、仕方がない面もあると思うんです。 日本では、小さい頃から「言われたことをきちんと守れる子」が優秀だとされてきました。でも、そうした人が、教えられたことを覚え、大学受験に合格し、大学を出て企業に入って、与えられた仕事をしっかりとこなす。そして急にリーダー的なポジションにつくことになる。 フォロワーとしては優秀だったかもしれませんが、自分で考えて、決めて、行動して、責任を取るという、リーダーの訓練はほとんどしてきていない。特に今のように変化が激しい時代、従来の画一的なカリキュラムの中で従順に学ぶことが良しとされているシステム内では、変化に柔軟に対応できる人が育たないのは、当然といえば当然です。 近藤 今、「日本の教育状況をなんとかしないと大変なことになる」と、多くの人が口々に言っていますよね。危機意識が出てきているという意味では、スピード感の違いはありますが、大きな変化の兆しが生まれ始めているということなので、良いことだなと思っています』、「日本では、小さい頃から「言われたことをきちんと守れる子」が優秀だとされてきました。でも、そうした人が、教えられたことを覚え、大学受験に合格し、大学を出て企業に入って、与えられた仕事をしっかりとこなす。そして急にリーダー的なポジションにつくことになる。 フォロワーとしては優秀だったかもしれませんが、自分で考えて、決めて、行動して、責任を取るという、リーダーの訓練はほとんどしてきていない。特に今のように変化が激しい時代、従来の画一的なカリキュラムの中で従順に学ぶことが良しとされているシステム内では、変化に柔軟に対応できる人が育たないのは、当然といえば当然です。 近藤 今、「日本の教育状況をなんとかしないと大変なことになる」と、多くの人が口々に言っていますよね。危機意識が出てきているという意味では、スピード感の違いはありますが、大きな変化の兆しが生まれ始めているということなので、良いことだなと思っています』、なるほど。
・『ようやく手に入れた民主主義を守るため今の台湾は「人任せにしない」 近藤 そして、最近、日本と台湾との関係で思うのは、これまで、日本にとっての台湾の位置づけは、「日本の近くに台湾があるよね」「台湾って親日だよね」ぐらいな感じで、そこまで台湾の存在を強く意識していたわけではなく、大国・日本を慕ってくれている隣人、という、少し「上から目線」の雰囲気があったと思うんです。 以前、あるメディアで台湾について書いた原稿で、「日本が台湾から学ぶ点があるかもしれない」と記したところ、「それは読者に受け入れられないと思う」と、担当編集者さんに指摘されて、修正したことがありました。 でも、ここ数年の、それこそオードリーさんの活躍も含めた、コロナ禍における台湾政府の、機敏かつ、積極的な立ち回りなどを日本人が見聞きしたことで、台湾に対する意識に変化が生まれました。「台湾から学ぶべき点がたくさんある」という雰囲気に変わってきていて、今こそこうした本が受け入れられる、とても良いチャンスだと思っています。 田中 以前、仕事でオードリーさんの通訳をしたときに、台湾は、日本の統治下だったり、独裁政権下だったりしたので、ようやく手に入れた現在の民主主義をとても大事にしている、とおっしゃっていたことが印象的でした。 藤 そうなんです。今の台湾は、社会全体で「人任せにしない」という雰囲気があります。少しでも油断すると、今の民主主義が奪われて、独裁者の時代に逆戻りするのではという恐れの気持ちが強いんです。だからこそ、権力を持つ者から目を離さないですし、ブラックボックスを絶対に許さないんです。 田中 なるほど。オードリーさんは、人々から何か声が上がったときには、すぐに反応して、経緯や事情をきちんと開示し、透明性を持って対応するということが、いかに大事かを話されていました。 オードリーさんの活躍も含め、透明性の重要性を認識している社会、ダイバーシティを大切にする学校教育、半導体製造のTSMCといった企業の躍進など、日本側の台湾を見る目も変わらざるを得ない状況になってきているんですね』、「ここ数年の、それこそオードリーさんの活躍も含めた、コロナ禍における台湾政府の、機敏かつ、積極的な立ち回りなどを日本人が見聞きしたことで、台湾に対する意識に変化が生まれました。「台湾から学ぶべき点がたくさんある」という雰囲気に変わってきていて、今こそこうした本が受け入れられる、とても良いチャンスだと思っています」、その通りだ。
・『年長者や専門家による定義から始めるな 社会を変える時こそ対話と多様性が重要 藤 台湾出身のジル・チャンさんのビジネス書『「静かな人」の戦略書』がヒットしたりもしていますね。これまで、台湾人が書いたビジネス書や自己啓発書が、日本で出版されたことはほとんどありませんでした。今回の自主学習の本の内容も、おそらく読者にとって新鮮だと思います。 田中 「人任せにしない社会」は重要ですね。そのような中、日本社会が苦手なのは、やはりコミュニケーションです。大多数の意見、あるいは、立場が上の人の意見に対し、反対意見や、「ネガティブに捉えられかねない」ことは、発言しにくい。結果、変えたほうがいいことがあっても言いづらくなり、人任せになってしまう。 何かを良い方向へと変えていくためには、既存の選択肢とは別の選択肢を出していくことが絶対的に必要です。表面的な意見だけではなく、多様な視点からの意見を生かすには、垣根を越えたコミュニケーションは不可欠です。 コミュニケーションがなく、多様性が尊重されない社会では、オードリーさんのような才能は開花することなくつぶされてしまう。恐ろしいですよね。オードリーさん自身、自殺も考えるほどのつらい思いを経験されています。 才能を持っていたけれど、従来のシステムに合わずにつぶされていった人は、相当な数いるはずです。それを乗り越えて社会の変革に貢献したオードリーさんやリーさんの存在は大きいですね。従来のシステムになじまない、あのようなすごい人がいるんだと、多様性を受け入れやすくなる。 近藤 おっしゃるとおりで、社会を変える時こそ、対話と多様性は重要だと思います。 日本では何かを始めるとき、「不登校とはこういうもので」とか「自主学習とはこういうもので」と、年長者や専門家による定義からスタートします。そうではなくて、「不登校ってそもそもどういうことだろう」とか「自主学習って何だろう」とかを、みんなで話し合って、粗々のオリジナルでいいから、どう定義できるかを、まずはその場で考えてみることに大きな意味があるのではないでしょうか。 田中 あくまでざっくりとした表現ですが、欧米では、意見が分かれるとロジカルに白黒はっきりさせようとする傾向が比較的強いように思えます。もちろん、ロジカルに話したり、ロジカルに決めたりすることも重要です。 一方で、日本を含めた東洋は、良くも悪くもあいまいにしたがります。それは、ネガティブ・ケイパビリティとでも言うべき、曖昧なものを曖昧なままで受け入れる能力で、それも必要だと思うんです。その意味では、日本は本来、多様性を受け入れることは得意なのではないかと思うんです。 近藤 そうですね。変化のきっかけさえあれば、その特性を良い方向へ一気に発揮することができるかもしれません。もちろん違うところもたくさんありますが、東アジア同士、共通する文化や歴史も多く、親和性が高いので、お互いに学び合うことができる。台湾の成功事例はとても参考になるのではないかと思います。 台湾人はもともと日本のことを好きな人が多いですが、日本でも「日本の近くに位置している国」というだけでなく、「日本の身近な国」として知ろうとする人が増えてきていて、とてもうれしいです。私ももっともっと台湾のことを勉強したいと思います』、「日本社会が苦手なのは、やはりコミュニケーションです。大多数の意見、あるいは、立場が上の人の意見に対し、反対意見や、「ネガティブに捉えられかねない」ことは、発言しにくい。結果、変えたほうがいいことがあっても言いづらくなり、人任せになってしまう。 何かを良い方向へと変えていくためには、既存の選択肢とは別の選択肢を出していくことが絶対的に必要です。表面的な意見だけではなく、多様な視点からの意見を生かすには、垣根を越えたコミュニケーションは不可欠です。 コミュニケーションがなく、多様性が尊重されない社会では、オードリーさんのような才能は開花することなくつぶされてしまう。恐ろしいですよね。オードリーさん自身、自殺も考えるほどのつらい思いを経験されています。 才能を持っていたけれど、従来のシステムに合わずにつぶされていった人は、相当な数いるはずです。それを乗り越えて社会の変革に貢献したオードリーさんやリーさんの存在は大きいですね』、同感である。
タグ:不登校 (その3)(いじめより多い原因不明の「無気力」不登校 親はどう向き合えばいい?、不登校29万9048人で過去最多 「日本の教育」はすでに崩壊していると言える訳 大人の同調圧力が子どもを追い詰めている、日本の「不登校」という言葉は時代錯誤?「学校に行かない」選択をしたオードリー・タン氏へ母が編み出した教育法) ダイヤモンド・オンライン 吉岡 暁氏による「いじめより多い原因不明の「無気力」不登校、親はどう向き合えばいい?」 『コミックエッセイ 不登校日誌 教師と保護者による心のサポート術』(廣済堂出版) 「「一ついえるのは、昔より不登校のハードルが下がっていること。子どもたちの間で、不登校が身近なものになっているんです。不登校の人数が今よりも少なかった昔と比べ、今は身近な子どもが不登校になるケースが格段に増えています。兄弟が不登校だったり、クラスに不登校が複数人いることが当たり前だったりと、不登校が『よくあること』へ変化してきている印象です」、なるほど。 「自分を責める親御さんも多く、真面目な人ほど思い詰めてしまう。でも理由がハッキリしない不登校の場合、大人がどれだけ心を尽くしても解決に向かわないことはたくさんあります。自分を責めず、一人で抱え込まない。不登校は保護者だけで解決できる単純な問題ではないので、学校や外部機関と連携しながら、お子さんをサポートしていく必要があります」、なるほど。 「「教師との相性もあると思います。学校側の対応に不満がある場合は学級担任から管理職、管理職の次は教育委員会と、相談先を広げていくことも視野に入れてみてください。また学校だけでなく、教育支援センターや外部の専門家を頼ってみることで解決策が見つかる場合もあります」 選択肢をいくつか持つことで、仮に学校側との連携がうまくいかなかった場合も対応策を考えることができるという・・・不登校が難しい問題だと思って壁を作るのは良くないことだと思っています。 不登校の子どもも、学校に登校している他の子どもと同じように、生活があって、趣味があって、将来があります。不登校であろうとなかろうと、一人の人間であることには変わりがない。そこは忘れてはいけません。不登校になった、という一点だけを気にするのではなく、目の前の子どもが何を感じ、何を思い、何を考えているのか…そうした、子どもが抱える想いを理解し、寄り添ってあげてください。不登校のまま過ごすのか、復学支援をするのか、いずれの道を選ぶにしても大事なことは同じです」 子どもを一人の人間として尊重し、向き合う。 それができた時、その子どもにとって本当に必要な支援が何か、周りの大人はどうすべきなのかが見えてくるだろう」、なるほど。 田中慶子氏 近藤弥生子氏の対談「日本の「不登校」という言葉は時代錯誤?「学校に行かない」選択をしたオードリー・タン氏へ母が編み出した教育法」 「オードリーさんは、中学2年生の頃、学校に行くのをやめるという「選択」をしました。 そして、学校の勉強に相当する学習を、自分で組み立てながら行ってきました。台湾ではそのことを「自主学習」と呼びます。 オードリーさんが自主学習の選択をしたことに、リーさんは母として当初は大変戸惑い、そして受け入れます。 現在の台湾では、「学校に行かない」という選択肢は珍しいことではなく、その学校が合わなかったらすぐに転校することも日常茶飯事です。でも当時の台湾では、子どもが「学校に行かない」選択をすると違法扱いとなり、保護者が政府から罰せられました。 そのような中、リーさんは、オードリーさんの自主学習をサポートし、その経験をもとに、教育者として頭角を現すようになります。そして、台湾のそれまでのメインストリームだった教育に対し、オルタナティブ教育を実践する学校「種子学苑(※)」を1994年に設立」 ・・・オードリーさんはいわゆる「ギフテッド・・・」ですが、子どもにだってさまざまなタイプがいて、主張があって、選択肢がある。そのことを学校側に理解してもらえなかったんですね・・・日本では「独学」がちょっとしたブームですが、これとはまた違ったニュアンスなのでしょうか。 近藤 独学は、それを勧める人たちによってさまざまな定義がなされていると思いますが、個人的な印象としては、目的を遂げる手段として学ぶ、というイメージです。それももちろん、大切なのですが、自主学習は、自己分析も含め「自分が今、本当に何をやりたいか 」を勘案したうえで、自分の人生を見据えて、自分の学びのカリキュラムを、自分で組み立てていく。そのようなイメージでしょうか」、なるほど。 「リーさんは、「すべて自分で決めることのできる学校が必要なんだ」と考えて、自分でカリキュラムを作れる、オルタナティブな学校をつくったんです。 小学校の低学年には、最小限の必須科目はありますが、その後はカリキュラムをどんどん自分で組み立てるようにする。そして自身の得意分野を伸ばしてもらう、というのが、リーさんの提唱している自主学習です。20年以上前に、そうしたオルタナティブ教育の基礎を確立し、現在、それを実施するための「実験学校」と呼ばれる学校が、台湾で増えています。 AI、スポーツ、言語に特化した学校など、特徴もさまざまです」、隣国の「台湾」でこんな先進的な教育が行われていたとは、初めて知った。「今の日本にこそ、この本が必要だ」、同感である。 「日本では、小さい頃から「言われたことをきちんと守れる子」が優秀だとされてきました。でも、そうした人が、教えられたことを覚え、大学受験に合格し、大学を出て企業に入って、与えられた仕事をしっかりとこなす。そして急にリーダー的なポジションにつくことになる。 フォロワーとしては優秀だったかもしれませんが、自分で考えて、決めて、行動して、責任を取るという、リーダーの訓練はほとんどしてきていない。 特に今のように変化が激しい時代、従来の画一的なカリキュラムの中で従順に学ぶことが良しとされているシステム内では、変化に柔軟に対応できる人が育たないのは、当然といえば当然です。 近藤 今、「日本の教育状況をなんとかしないと大変なことになる」と、多くの人が口々に言っていますよね。危機意識が出てきているという意味では、スピード感の違いはありますが、大きな変化の兆しが生まれ始めているということなので、良いことだなと思っています』、なるほど。 「ここ数年の、それこそオードリーさんの活躍も含めた、コロナ禍における台湾政府の、機敏かつ、積極的な立ち回りなどを日本人が見聞きしたことで、台湾に対する意識に変化が生まれました。「台湾から学ぶべき点がたくさんある」という雰囲気に変わってきていて、今こそこうした本が受け入れられる、とても良いチャンスだと思っています」、その通りだ。 「日本社会が苦手なのは、やはりコミュニケーションです。大多数の意見、あるいは、立場が上の人の意見に対し、反対意見や、「ネガティブに捉えられかねない」ことは、発言しにくい。結果、変えたほうがいいことがあっても言いづらくなり、人任せになってしまう。 何かを良い方向へと変えていくためには、既存の選択肢とは別の選択肢を出していくことが絶対的に必要です。 表面的な意見だけではなく、多様な視点からの意見を生かすには、垣根を越えたコミュニケーションは不可欠です。 コミュニケーションがなく、多様性が尊重されない社会では、オードリーさんのような才能は開花することなくつぶされてしまう。恐ろしいですよね。オードリーさん自身、自殺も考えるほどのつらい思いを経験されています。 才能を持っていたけれど、従来のシステムに合わずにつぶされていった人は、相当な数いるはずです。それを乗り越えて社会の変革に貢献したオードリーさんやリーさんの存在は大きいですね』、同感である。
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