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介護(その8)(母 グループホームで2度目の“独り立ち”、「家に帰る」という認知症の入居者 スタッフはどう導くのか、介護人材「離職超過」で初の減少 サービス確保に介護保険料引き上げはやむを得ない) [社会]

介護については、2021年11月2日に取上げた。久しぶりの今日は、(その8)(母 グループホームで2度目の“独り立ち”、「家に帰る」という認知症の入居者 スタッフはどう導くのか、介護人材「離職超過」で初の減少 サービス確保に介護保険料引き上げはやむを得ない)である。

先ずは、昨年4月21日付け日経ビジネスオンラインが掲載したノンフィクション作家の松浦 晋也氏による「母、グループホームで2度目の“独り立ち”」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00444/042000002/
・『2017年3月、「『事実を認めない』から始まった私の介護敗戦」から連載を開始した、松浦晋也さんの「介護生活敗戦記」は、科学ジャーナリストとして自らを見る冷徹な視点から、介護を通した母親との壮絶な体験を、ペーソスあふれる文章で描き、絶大な支持をいただきました。コメント欄に胸を打つ投稿が相次いだのも記憶に残るところです。 この連載は『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』として単行本・電子書籍となり、介護関連の本としては異例の支持を集めました。22年1月には集英社文庫に収録されております(こちら。文庫版にはジェーン・スーさんとの対談が追加されています)。 そして5年後。前回の最後は、松浦さんのお母様がグループホームに入ったところでしたが、今回はそこから今日まで起こったさまざまな出来事が語られます。 介護施設に入居したことで、母親の介護は終わったのでしょうか。 入居後にお母様、そして松浦さんを待っていたのはどんなことなのか。 ぜひじっくりとお読みください』、興味深そうだ。
・『グループホームというところ  母が暮らすことになったグループホームという老人施設――これがどのようなところなのか、おそらく介護を経験したことのない方は、ほぼ間違いなく知らないだろう。そもそも身近に要介護の老人がいなければ、「老人ホーム」という曖昧な言葉が持つ一般的なイメージ以上の知識は、生活の中に入ってこない。なんとなく老人がまとめて集められて、一斉に並んで食事しているぐらいのことしか思い浮かばないのではなかろうか。 今、日本の介護制度では、法的な裏付けを持つ、それぞれに特化した役割を持つ複数種類の施設が、機能を補完し合いながら、老人福祉を担っている。そのうちの一つが、認知症になった人が入居する「グループホーム」である。 グループホームの法的な正式名称は「認知症対応型共同生活介護」だが、一般的には「認知症高齢者グループホーム」となるだろうか(この他に児童福祉法や障害者総合支援法が規定する、子どもや障害者を対象としたグループホームがある)。 その名の通り、加齢で認知症を発症した人が共同生活を営む施設だ。2000年4月に介護保険法が施行されて、現在の介護保険制度がスタートしたのと同時に始まった介護形態である。 その特徴は、地域密着型であることと、小規模であることだ。 地域密着型というのは、「その地域に居住する人のみを受け入れる」ということだ。施設の立地する市区町村に住民票がある者のみが入居資格を持つ。その他、医師から認知症の診断を受け、「要支援2」ないし「要介護1~5」の認定を受けていること、ホームで対応できない疾病がないこと、65歳以上であること、という条件が付く。基本的に、「認知症以外は健康な高齢者」のための施設というわけだ。 もう一つ、入居に当たっては「集団生活を営むのに支障がない」という条件があり、これは入居審査時にホーム側が判断することになっている。 小規模、というのは文字通り規模が小さいということだ。入居者がなるべくアットホームな環境で過ごせるようにするためである。グループホームの規模は「ユニット」という単位で規定されている。1ユニットは入居者5~9人で、1つの施設は2ユニットが上限となる。 入居者は基本的に個室を持つ。個室の基準は、私物収納スペースに配慮した上で床面積7.43平方メートル以上となっている。四畳半が7.28平方メートルなので、つまりは押し入れ付き四畳半と思えばいい。施設によっては夫婦など向けに2人部屋を備えるところもある。 前の連載を終えてから、私は介護関係者との対談の仕事が増えたのだが、その中で会った一人が「グループホームへの入居というのは、成人して独り立ちした時に似ています」と説明していた。確かに、形としては「親元を離れて、賄い付き四畳半の下宿に入居する」というのと似ている。 ※「介護生活敗戦記」、単行本、文庫本として『母さん、ごめん。』が刊行中 スタッフの配置については、昼間は入居者3人につき1人、夜間は夜勤が1ユニットにつき1人という基準がある。が、実際問題として国は度々基準を変更しており、また人手不足ということもあって、どのグループホームも基準を満たす介護体制を組むのにかなりの苦労をしているようだ』、「老人福祉を担っている。そのうちの一つが、認知症になった人が入居する「グループホーム・・・この他に児童福祉法や障害者総合支援法が規定する、子どもや障害者を対象としたグループホームがある・・・現在の介護保険制度がスタートしたのと同時に始まった介護形態・・・その特徴は、地域密着型であることと、小規模であることだ・・・医師から認知症の診断を受け、「要支援2」ないし「要介護1~5」の認定を受けていること、ホームで対応できない疾病がないこと、65歳以上であること、という条件・・・規模は「ユニット」という単位で規定されている。1ユニットは入居者5~9人で、1つの施設は2ユニットが上限となる。 入居者は基本的に個室を持つ。個室の基準は、私物収納スペースに配慮した上で床面積7.43平方メートル以上となっている。四畳半が7.28平方メートルなので、つまりは押し入れ付き四畳半と思えばいい。施設によっては夫婦など向けに2人部屋を備えるところもある」、なるほど。
・『ここからは、母の入居したグループホームの話となる。 私の母が入居したグループホームは、設置基準の上限である2ユニット18人が入居する規模だった。最初から18人規模のグループホームとして使用する前提で建築された建屋を使用している。入居に当たって見学したグループホームの中には、既存の建物を改装したところもあった。そういうところは、ユニット数や1ユニットの人数が少ないこともあるようだ。 建物は入り口を中心に東と西のユニットに分かれている。母は西ユニットの入居だ。それぞれのユニットは共有スペースのダイニング兼用リビングが中心にあり、それを取り囲むようにして各居住者の個室が配置されている。床は段差のないバリアフリーで、汚した場合に備えて全面防水。これだけでも一般家庭とは段違いだ。もちろん風呂とトイレは介護に対応した設備を備えている。 スタッフ数は時によって1人増えたり減ったりはあったが、基本的に1ユニット9人の18人体制を維持している。入居者1人につき1人だ。1ユニット9人の内訳は、介護計画を作成し、管理するケアマネジャーが1人に、そのユニットのリーダーが1人、介護スタッフが7人である。 その他に看護師が1人いて、入居者の体調管理を行っている。また、毎週1回かかりつけ医が回診して、投薬や専門医に掛かるべきかなどの指示をする』、「母の入居したグループホーム」は「基本的に1ユニット9人の18人体制を維持している。入居者1人につき1人だ。1ユニット9人の内訳は、介護計画を作成し、管理するケアマネジャーが1人に、そのユニットのリーダーが1人、介護スタッフが7人である」。
・『どう考えても重労働  入居者1人にスタッフ1人という体制は、家庭で自分が母を介護していたときと同じリソース配分だ。が、1人に1人と、9人に9人では、全く状況が異なる。9人に9人なら、負荷が増えた時に分担することができる。1人に1人なら、何かあれば破綻するしかないが、9人に9人なら協力して乗り切ることができる。しかもその9人は、素人ではなく、きちんと介護の教育を受けたプロだ。 最初は「なるほど、手厚いものだ」と感心した。 が、せっせと通って、スタッフの方とも話をするうちに、これは「大変な仕事だ」と考えを改めざるを得なかった。 まず、9人が常時9人に張り付いているわけではない。スタッフもそれぞれに家庭の事情があって「この曜日なら働ける」というような条件付きで働いていたりもする。実際問題として昼間は早出と遅出の2シフト、さらに夜勤が入るとなると、これは「昼間は3人につき1人、夜勤は1ユニット1人」という基準を満たしてシフトを組むのには、かなりの苦労があるだろう。 特に1人で9人の介護を担当しなくてはならない夜勤は、はっきりと重労働であろう。入居者は寝ているとはいえ、必要に応じてトイレを手伝い、時には体の利かない入居者のリハビリパンツの交換を行い、粗相があれば掃除もしなくてはならないのだ。) 入居前に複数のグループホームを見学したことで、グループホームという施設の運営にはかなりホーム長の個性が強く出るものだと気が付いた。母の入居にあたっては、ホーム長を務めていたKさんの個性が、束縛を嫌う母に合いそうだという判断がかなり大きく影響した。 Kホーム長は、だいぶ私よりも若く、丸顔で癖のあるもじゃもじゃの髪を伸ばして後ろでポニーテールに縛っていた。私の第一印象はといえば「50年前に新宿駅前でフォークゲリラとかいってギター弾いて歌っていそうだ」という、思えば大変失礼なものだった。 彼の運営方針は、「あまり束縛しない」だった。それぞれの入居者はそれぞれの事情を抱えているのだから、なるべく寄り添うようにする。「あれをしろ、これをしろ」と言わないし、やりたいということはなるべく手伝う。 例えば、新しい入居者が放浪癖のある人だったことがある。 ホームはドアにカギが掛かる構造になっているので、物理的に外に出さないようにするのは簡単だ。が、Kホーム長は、そうはしなかった。 その入居者が玄関まで出てくると「○○さん、外に行きたいの?」と話しかける。そして頭ごなしに叱ったり、止めたりするのではなく「でも今日は天気が悪いですよ。外に出るならもう少し天気の良い日にしませんか」と引き留める。 どうしても行きたがる場合は、手の空いているスタッフが一緒に近所まで散歩をする。そのうちに本人が疲れてくると、「疲れましたかね。戻ってお茶でも飲みましょうか。そろそろおやつの時間ですよ」と話しかけて、帰ってくる――体力があってどこまでも歩いてしまうような入居者ではなかったからできたのだろうが、このような柔らかい態度で接するということを基本としていた』、「物理的に外に出さないようにするのは簡単だ。が、Kホーム長は、そうはしなかった。 その入居者が玄関まで出てくると「○○さん、外に行きたいの?」と話しかける。そして頭ごなしに叱ったり、止めたりするのではなく「でも今日は天気が悪いですよ。外に出るならもう少し天気の良い日にしませんか」と引き留める。 どうしても行きたがる場合は、手の空いているスタッフが一緒に近所まで散歩をする。そのうちに本人が疲れてくると、「疲れましたかね。戻ってお茶でも飲みましょうか。そろそろおやつの時間ですよ」と話しかけて、帰ってくる」、なかなかよく出来た「ホーム長」だ。
・『靴を持っていってしまう入居者  あるいは、すぐに靴を自分の部屋に持っていってしまう入居者の方がいた。私のような訪問者も玄関に置いていた自分の靴を、何度も持っていかれてしまったのだが、それも決して止めない。靴を自室に持ち帰り、そのまま本人が忘れてしまったタイミングでそっと元に戻しておく。その上で、私のような“被害者”に、そっと事情を説明するのだ。 「すみませんね、あの方は、若い時は市民ランナーとしてかなりのところまで走り込んでいて、いくつものマラソンを走ってきたんだそうですよ。だから靴にはものすごくこだわりがあるんです。靴、元に戻しておきましたから」というように。 ホームには、かなり広い庭がある。Kホーム長はそこに家庭菜園を作って野菜を栽培していた。「できる入居者の方には、声をかけて手伝ってもらうんですよ。そうすることで体を動かすことにもなりますし、いくらかでも“自分が他の人にとって役立っている”という実感を持ってもらえればと思っているんですけどね」ということだった。 同じ庭には時々近所の保育園の保育士さんと子どもたちがやってきて、遊んでいく。きちんと話を聞いたわけではないが、そのように取り計らったのもKホーム長らしかった。 それだけではなかった。ホーム長の居室は、建物の玄関のすぐ横にあるのだが、そこにはいつも10円駄菓子が常備されているのである。Kホーム長と話をしていると、時折、小学生ぐらいの子どもがやってきて、「くださーい」と声を張り上げる。するとKホーム長は出て行って、駄菓子と10円玉を交換するのだ。) 「近所の子たちに“いつ来てもいいよ、お菓子あるよ”って言ってあるんです。もちろん入居の方にすれば、子どもがちょろちょろ来るとうれしいというのはあると思うんですよね。ひょっとしたら『うるさい来るな』なのかもしれませんけれど」とKホーム長は言った。「それとは別にね、子どもの側にしても、こういうおじいさん、おばあさんが同じ社会にいるんだ、ということを少しでも知っておくことは、決して悪いことじゃないと思うんですよ」 この話を聞いた時に、私は「これは母のために、良いグループホームを選ぶことができたのかもしれない」と思ったのだった。 Kホーム長、そしてスタッフの皆さんに大変申し訳ないことではあるが、母が入居した当初の自分の懸念は、「スタッフによる虐待行為があったらどうしよう」というものだった。 この懸念は何よりも自分の体験に基づくものだった。いくら自分の母であっても、2年半の自宅での介護はつらく、苦しく、精神的に強いストレスを感じるものだった。自分は母に手を上げたことが、グループホーム入居のきっかけになったというのは前回の連載で書いた通りだ。 私は、このことがグループホームのスタッフにも言えるのではないかと恐れていた。いかに仕事として入居者と関わるとしても、そこには強いストレスがあるのではないか。時には耐え難い感情に襲われるのではないか、と考えたのだ。 同時に、この考えには、母が入居する半年前、2016年7月に起きた相模原障害者施設殺傷事件も影を落としていた。知的障害者福祉施設のスタッフが入所者19人を殺害、26人に重軽傷を負わせた衝撃的な事件は社会に大きな衝撃を与え、母が入居した2017年1月時点もメディアに続報が出る状態だった。 全くもって「自分がやったことを棚に上げて、何を心配しているのか」なのだが、私は真剣に対策を考えた』、「母が入居した当初の自分の懸念は、「スタッフによる虐待行為があったらどうしよう」というものだった。 この懸念は何よりも自分の体験に基づくものだった。いくら自分の母であっても、2年半の自宅での介護はつらく、苦しく、精神的に強いストレスを感じるものだった。自分は母に手を上げたことが、グループホーム入居のきっかけになったというのは前回の連載で書いた通りだ」、なるほど。
・スタッフとの信頼関係からすべては始まる  たどり着いた結論は、「とにかくスタッフに話しかける。スタッフと話をする。話をすることで、自分という人間を分かってもらう」というものだった。 話をすれば、スタッフに私という人物が印象付けられる。そのスタッフが何か母に関連して耐えられないストレスを感じ、思わず手を上げそうになったその瞬間、私の顔を思い出してくれるなら、それは抑止力として機能するのではないか、と考えたのである。 幸い、話の種はある。母そのものだ。グループホームでの母の状態を知りたければ、スタッフと話をするしかない。母自身から聞くこともできる。が、意地やら遠慮が働くし、何より認知症で記憶が続かない母の話は、要領を得ないことも多い。 というわけで、私はホームに赴くごとに、スタッフと積極的に話をするように努めた。母との面会と同じぐらいの時間を、スタッフとの会話に使うようにした。 話してみれば、スタッフの皆さんは“普通の人たち”だった。それぞれに生活があり家族があり、生活の楽しみがあり、人生の目標があり、希望を持って生きていた。認知症高齢者グループホームで働くというのは、特別なことではないのだ――そう私は知った。それはこの社会に数多く存在する職のうちの一つなのだ。 そしてこの後、私は母の住む西ユニットで働く9人のスタッフの中でも、ケアマネジャーのYさんと、スタッフリーダーであるOさんの2人に、ずいぶんとお世話になることになるのである。(つづく)』、「スタッフと話をする。話をすることで、自分という人間を分かってもらう」というものだった。 話をすれば、スタッフに私という人物が印象付けられる。そのスタッフが何か母に関連して耐えられないストレスを感じ、思わず手を上げそうになったその瞬間、私の顔を思い出してくれるなら、それは抑止力として機能するのではないか、と考えたのである・・・話してみれば、スタッフの皆さんは“普通の人たち”だった。それぞれに生活があり家族があり、生活の楽しみがあり、人生の目標があり、希望を持って生きていた。認知症高齢者グループホームで働くというのは、特別なことではないのだ――そう私は知った。それはこの社会に数多く存在する職のうちの一つなのだ」、なるほど。

次に、この続きを5月26日付け日経ビジネスオンラインが掲載したノンフィクション作家の松浦 晋也氏による「「家に帰る」という認知症の入居者、スタッフはどう導くのか」を紹介しよう。
・『2017年3月、「『事実を認めない』から始まった私の介護敗戦」から連載を開始した、松浦晋也さんの「介護生活敗戦記」は、科学ジャーナリストとして自らを見る冷徹な視点から、介護を通した母親との壮絶な体験を、ペーソスあふれる文章で描き、絶大な支持をいただきました。コメント欄に胸を打つ投稿が相次いだのも記憶に残るところです。 この連載は『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』として単行本・電子書籍となり、介護関連の本としては異例の支持を集めました。22年1月には集英社文庫に収録されております(こちら。文庫版にはジェーン・スーさんとの対談が追加されています)。 そして5年後。前回の最後は、松浦さんのお母様がグループホームに入ったところでしたが、今回はそこから今日まで起こったさまざまな出来事が語られます。 介護施設に入居したことで、母親の介護は終わったのでしょうか。 入居後にお母様、そして松浦さんを待っていたのはどんなことなのか。 ぜひじっくりとお読みください』、興味深そうだ。
・『母のいるグループホームは「看取り(みとり)」に対応している。つまり、入居者がグループホームで最期を迎えることを想定して体制を組んでいる。 グループホームは「健康に問題がない認知症の人」の入る施設だ。このため看取りは、特に悪いところのない老衰による最期を意味する。明らかに病気による衰弱が始まった場合は、医療行為が必要となるので病院に入院することになる。 看取りに対する対応は、グループホームによって色々違うのだそうだ。看取りに対応していないグループホームもあって、その場合は、看取り対応の施設や、病院あるいはホスピスなどに送り出す。 老衰の場合、だいたいの場合は食事が食べられなくなり、体重が落ちていくことで、「ああ、この人は寿命だ」と分かるのだという。「体格にもよるのですけれど、お母様程度の体格の女性の場合は体重40kgがひとつの目安です。これを切ると危険水域です」とは、Kグループホーム長の言である。母のいるグループホームでは、最後の数日については家族の寝泊まりにも対応する。 老人ばかりが入居するグループホームは、けっこうな頻度で入居者が入れ替わる。病気で退居する人との入れ替わりや、老衰死で空いた部屋に新たな入居者が入る。前回の訪問ではリビングで介助を受けながら健啖な食欲を発揮していた人が、次の訪問ではもういない、というようなことが起きる。事情を聞くと「急に食べなくなって、3日で亡くなられました」ということだったりする』、「看取りは、特に悪いところのない老衰による最期を意味する。明らかに病気による衰弱が始まった場合は、医療行為が必要となるので病院に入院することになる・・・老衰の場合、だいたいの場合は食事が食べられなくなり、体重が落ちていくことで、「ああ、この人は寿命だ」と分かるのだという。「体格にもよるのですけれど、お母様程度の体格の女性の場合は体重40kgがひとつの目安です。これを切ると危険水域です」とは、Kグループホーム長の言である。母のいるグループホームでは、最後の数日については家族の寝泊まりにも対応する」、「老衰による最期」は理想的な「最期」だ。
・『不安がもたらす症状が突然顔を出す  ホームのリビングは天井が高く、内装は明るく、日差しもきれいに入ってくる。それでも、入居者が入れ替わることで、否応なしに「ここは人が死に至るまでの最後の時間を過ごす場所だ」ということを意識させられる。 新しく入居した方の認知症の症状は、前の方とはまったく異なるのが普通だ。母の見舞いと共に、それらの入居している人々と話し、観察していくことで、自分は、認知症という病気が非常に多様であることを実感した。認知症にはいくつもの原因があり、症状の現れ方は多様であると頭では知っていたが、実地に体験すると、その多様さは予想以上だった。 と同時に、その根底には共通して「不安と安心」があることが見えてきた。 母の入居当初、最初に話をするようになったのは、主に症状が軽い方だった。ご存じの通り、介護保険制度では、介護を受ける人を7段階に区分し、段階に応じた手当を行う仕組みになっている。家事や身支度などの日常生活に他者の支援が必要になり、助けないと次の「要介護」に進行する可能性がある状態を「要支援」、症状が進行して日常生活の動作に常時介護が必要になった状態を「要介護」と定義し、それぞれ「要支援1」「要支援2」、「要介護1」から「要介護5」と7段階に区分しているのだ。 グループホームへは「要支援2」から入居できる。だから「要支援2」や「要介護1」の比較的認知症の症状が軽い人もいる。 こういう方たちは、ちょっと見たところでは普通の人と変わらない。日常的な会話はできるし、私が家の老犬「ロンロン」を連れていくと、「かわいい!」と歓声を上げて集まってきて、代わる代わるだっこしたりする。 ところが、まったくの健常ではないことが、ふとした拍子に分かるのだ。) 犬を連れて帰ろうとすると、おばあさんの一人が「あー、楽しかった。じゃあ私も帰ろうかしら」といって立ち上がったりするのである。自分がグループホームに入居しているということの自覚がないのだ。 それまで普通に話をしていた人が、急におかしなことを言うのにはぎくりとする。日常に突如として裂け目が発生して、なにか見てはならない荒涼とした風景が垣間見える気分になる。 そんなときスタッフは決して、「いいえ、あなたは今ここに住んでいるんですよ」といった、諫めるようなことは言わない。「そうですか。もう少ししたらお茶とお菓子を出すつもりだったんですよ」とか、「今日は晩ご飯も食べていきませんか」というように、相手の意識を「帰る」というところから引き離すようにして注意をそらす。すると「あら、悪いわ」とか言いながら、おばあさんは再度腰を下ろし、話をしているうちに帰ろうとしていたことを忘れるのである。 「帰る」ということは、認知症の方には、わりと一般的な観念なのだと、私は知った。では、なぜ帰ろうとするのか?』、「助けないと次の「要介護」に進行する可能性がある状態を「要支援」、症状が進行して日常生活の動作に常時介護が必要になった状態を「要介護」と定義し、それぞれ「要支援1」「要支援2」、「要介護1」から「要介護5」と7段階に区分しているのだ。 グループホームへは「要支援2」から入居できる。だから「要支援2」や「要介護1」の比較的認知症の症状が軽い人もいる」、なるほど。
・『「泊まっていってください」  入居者の中に、大変活発にお話をするおばあさんがいた。歩行や座る、立つといった動作は一般人と変わりなく、スタッフに呼ばれればさっさと食事の支度に参加し、そつなく会話を交わす。はて、この方はどこが認知症なのだろうと思っていたある日、たまたま事情があってホームを就寝時刻になってから訪問することになった。 就寝時にケアすべきことは多い。入居者に歯を磨かせ、寝間着に着替えさせ、夜中に何回も起きてこなくても済むようにトイレに行かせる。もちろん一人では着替えができない人はいるし、トイレもままならない人もいるから、ケアはけっこうな重労働だ。そんな仕事をこなすスタッフの方と、合間を縫うようにして母の状態について情報を交換する。一段落ついたな、と思った頃、その活発なおばあさんが起きてきた。おや、さきほど「おやすみなさい」と言って就寝したはずではないか、と不審に思う間もなく、「ねえ、なぜ私ここにいるのかしら。もう夜も遅いし家に帰らなくちゃ」と言う。 えっ、と驚く私。まったく驚く様子もないスタッフリーダーのOさん。Oさんは、「大丈夫ですよ。今日は遅いのでちゃんとベッドを用意しました。泊まっていってくださいな。ご家族にも連絡しておきましたから」と柔らかく話しかける。「でも悪いわ。泊まるんならお金払わなくちゃ」とおばあさんが言うと、「もう頂戴してますから払わなくてもいいんですよ」と返す。「……そう、そうなんだ。じゃあお世話になるわ。おやすみなさい」と自室に戻っていくおばあさん』、「大変活発にお話をするおばあさん」でも、「さきほど「おやすみなさい」と言って就寝したはずではないか、と不審に思う間もなく、「ねえ、なぜ私ここにいるのかしら。もう夜も遅いし家に帰らなくちゃ」と言う」ような人がいるとは驚いた。「スタッフリーダー」の対応がさすがだ。
・『「帰りたい」のは「不安」だから  が、それで終わりではなかった。少しするとまたひょこひょことリビングに出てきて「なぜ私ここにいるのかしら」と同じことを言う。Oさんも同じ話を繰り返し、おばあさんは納得して部屋に戻り、そしてまた出てきて「ねえ、なぜここにいるのかしら」……。 これを何回繰り返したか。おばあさんが出てこなくなると、Oさんは少しほっとした表情を見せた。「あの方は、夜になると不安になるんですよ。それで毎晩就寝前になると、なぜここにいるんだろう、と起きてくるんです」 このとき、私は理解した。「帰る」のは「不安」だからだ。「不安だから自分のよく知っている、安心できるところに帰りたい」のだ、と。2年半、母を介護していて気が付かなかったのか、と言われれば、「すいません、気が付きませんでした」と言うしかない。 ともかく私は、グループホームで母以外の認知症の方と接することで、やっとこさ認知症の根底に「不安」があることに気が付いた。 不安の根源には、認知機能の劣化がある。本人の主観からは「周りの世界が自分の知らない形に変化してしまう」と見えるのだろう。だから怖いし不安になる。だから安心できる場所に帰りたくなる。 認知症の方の症状は多様だ。それぞれ固有の認知症の現れ方を抱えている。と、同時にその奥底には共通して、「不安」と、不安からの脱出手段としての「帰る」が渦巻いているのである。 もう少し認知症が進行したか、と思える人になると、異常行動が現れるようになる。それは以前も書いた徘徊だったり、靴を自室に持っていったりしてしまうといったものだ。 が、徘徊ひとつとっても、「入居前に住んでいた家に帰ろうとしての徘徊」「もうなくなってしまっている故郷に帰ろうとしての徘徊」「若い頃からの生活習慣として身に付いた散歩の表れとしての徘徊」と、本人の内面における位置付けは様々だ。しかもどこかに帰ろうとしての徘徊には、一緒に住んでいた今は亡き配偶者とか両親や兄弟に会いたいという、切ない心の動きがあったりする』、「「帰る」のは「不安」だからだ。「不安だから自分のよく知っている、安心できるところに帰りたい」のだ、と・・・不安の根源には、認知機能の劣化がある。本人の主観からは「周りの世界が自分の知らない形に変化してしまう」と見えるのだろう。だから怖いし不安になる。だから安心できる場所に帰りたくなる」、なるほど。
・『他人の部屋のものをすっと持っていく人  グループホームのスタッフは、そういうひとつひとつの事情に対応して、接し方を工夫し、異常行動が出ないようにもっていこうとする。それは、「入居者が安心して過ごせるようにする」ということでもある。Kホーム長は、私との会話の中で「僕らからどんなに変に思える行動にも、本人の内面ではきちんと筋の通った理由があるんです」とよく言っていた。どんなに不可解な行動でも、理由を理解した上で不安を無くす方向で接していけば、徐々にでも収まっていくというわけだ。 それは本当にプロの対人技術を必要とする、大変な仕事だと思う。いちど、母の居室で母と話をしていると、突然知らないおばあさんが部屋に入ってきたことがあった。何も言わずにそのまま母の化粧品のひとつをすっと手に取って出ていってしまった。こっちはびっくりして、何もすることはできなかった。 すぐにケアマネのYさんが来て、「ごめんなさい!」と言う。「入居したばかりの方なんですが、他の人の部屋に入ってものを持ってっちゃうんです。多分しばらく続くと思いますけれど、持っていったものは私たちが責任を持って戻しておきますから、許してください」 ホームの介護を受けているこちらとしては、許すも許さないもなく、とにかくこの状況を受け止めるしかない。) その後しばらくして、このおばあさんはものを持ち去ることをしなくなった。おそらくご本人の内面では、なにか理由があってものを持っていっていたのだろう。ものを持っていくという行為が何らかの機序で不安を解消していたのだろう。スタッフが理由を探り、理解し、寄り添うことで、異常行動は止まったのだろう。 さらに認知症が進み、脳の別の部位の萎縮が進行すると、今度は妄想が出てきたりする。表れとしては精神の病に近い。私が遭遇した例では、なぜかテレビに映るアナウンサーの女性に対して、執拗に「このバカ女! バカ女!」と罵声を投げかけるおばあさんがいた。 こうなると、かかりつけの医師の判断で精神科の投薬を受けることになる。時折、老人施設について「精神科の薬でおとなしくさせて、結果一日中ぼおっとなってしまって、認知症が進行する」というような批判を聞くことがある。が、私がグループホームで体験した限りにおいては、精神的・情緒的な病態が出てきた場合には、精神系の投薬はやむを得ない、むしろ必要なものと考える。罵声ぐらいならまだしも、暴れてスタッフがけがをするということもあり得るのだから。後述するが、母もまた症状の進行とともに妄想が出て、スタッフにけがをさせてしまうということが起きた』、「精神的・情緒的な病態が出てきた場合には、精神系の投薬はやむを得ない、むしろ必要なものと考える。罵声ぐらいならまだしも、暴れてスタッフがけがをするということもあり得るのだから」、その通りだ。
・『スタッフの助けとなる「家族が書く書類」  精神的な問題が出ている場合にも、スタッフの側は「この人の内面では何が起きているのか、なにが不安なのか。なにか本人としては合理的な道筋をたどった結果、このような症状が出ているのではないか。とするなら、どのように接すれば、穏やかに過ごせるようになるか」と考え、実際にそのように接する。繰り返すが、プロの仕事という他ない。 スタッフと入居者との会話の基本となっているのが、入居時に家族が書く書類だ。母がこのグループホームに入居するにあたって書いた書類の中には、母の性格、生育歴に履歴、趣味などを書く欄があった。「なるべく詳細に記入してください。それをとっかかりにして私たちはお母様と会話しますから」と言われたのだが、実際にホームにお世話になって、会話のきっかけが大変重要であることを痛感した。 ひとこと話をすれば、次のひとことにつなげることができる。つなげることができれば、さらに会話を重ねて、相互の信頼関係を構築することができる。信頼関係ができれば、対話の中で入居者の内側に渦巻く不安を解消していくことが可能になる。 ただ、それも時代につれて、色々難しい要素が入ってくるようだ。ある日、私はKホーム長が難しい顔をして、考え込んでいるところに行き合わせた。 「どうしたんですか」という質問に、ホーム長曰く「今度入居する方の書類を読んでいるのですが、この方、スキューバ・ダイビングが趣味だったんだそうですよ」。 それの何が問題なのか分からない私に向かって、Kさんは続けた。 「我々スタッフの中にスキューバダイビングの経験者はいないんです。一体どうやって話を合わせていけばいいんでしょうか』、「我々スタッフの中にスキューバダイビングの経験者はいない」のは当然で、話を合わせる工夫を別途考えていくほかなさそうだ。

第三に、本年12月7日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した一橋大学名誉教授の野口悠紀雄氏による「介護人材「離職超過」で初の減少、サービス確保に介護保険料引き上げはやむを得ない」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/335076
・『賃上げしても介護人材が減少 離職者が新規就業者を6.3万人上回る  厚生労働省は高所得者の介護保険料を引き上げる案をまとめた。2024年度から実施する予定だ。この背景には、介護人材を確保できないという深刻な事情がある。 厚生労働省の分析によると、22年には介護分野からの離職者が入職者を約6万3000人上回り、就労者が前年より1.6%減少した。離職超過は初めての現象だ。 岸田文雄政権は21年に介護職員の月収を平均9000円上げたが、他の業種で賃上げが行なわれたために、転職者が増えたと見られる。 高齢者数の増加で要介護者数は40年には今より45%増えて、1000万人に迫ると予測されている。厚生労働省は、40年度には280万人の介護職員の確保が必要と試算するが、これでは足りなくなる可能性が高そうだ。 介護サービスや介護人材確保のため介護職員の賃金を引き上げる必要があり、介護保険料引き上げはやむを得ないだろう。だが負担増を国民に納得してもらうにはやるべきことがある』、興味深そうだ。
・『介護従事者の有効求人倍率3.96 訪問介護のヘルパーは15.53倍  介護サービスの人手不足は深刻だ。有効求人倍率を業種別に見ると、一般事務従事者が0.35なのに対して、介護サービス従事者は3.96と極めて高い値になっている(注1)。 訪問介護に関してはさらに深刻だ。厚労省の資料によれば、訪問介護を提供するヘルパーの有効求人倍率は2022年度で15.53だ(注2)。ヘルパー不足がいかに深刻な状況かがよく分かる。 それだけでなく、ヘルパーの年齢も問題だ。平均年齢は54.4歳。しかも65歳以上のヘルパーの割合が24.4%になる。腰痛等によってリタイアする可能性は極めて高い。 ヘルパーが不足し、デイサービスなど必要な在宅介護サービスを受けるのが難しくなっている地域もある』、「ヘルパーの年齢も問題だ。平均年齢は54.4歳。しかも65歳以上のヘルパーの割合が24.4%になる。腰痛等によってリタイアする可能性は極めて高い。 ヘルパーが不足し、デイサービスなど必要な在宅介護サービスを受けるのが難しくなっている地域もある」、「ヘルパー」まで高齢化しているのでは困ったことだ。
・『2040年には要介護者数1000万人に 現在より45%増加の予測  要介護・要支援認定者数は介護保険制度が発足した2000年には218万人だった。それが03年に336万人、13年に564万人と増加し、15年度には600万人を突破した。そして22年3月には690万人になった。 第1号被保険者(65歳以上)もこの間に増加したので、当然のことだ言えよう。 今後も高齢者数は増えるので、要介護者数は40年には1000万人に迫ると予測されている(注3)。つまり、現在よりも約45%も増加する』、コメントは次の次の段落で。
・『280万人の介護職員確保見込むが それでも不足する可能性  介護職員の数も要介護者の増加とともに増えるだろう。2019年度で介護職員は全国に約211万人いた。厚生労働省の試算では、40年度には、約280万人の介護職員を確保する必要があると推計されている。これは19年度から32.7%の増加だ(注4)。 だが前述のように要介護者数は、668万人から1000万人へと45%も増えるのだから、ずいぶん控えめな見積もりのように思える。実際にはこれでは足りなくなる可能性の方が大きいのではないだろうか? なお、「2040年を見据えた社会保障の将来見通し(議論の素材)」では、介護分野の従業者数(これは介護職員より範囲が広い)は、20年度の334万人から40年度の505万人へと51.5%増加すると推計されている(注5)』、コメントは次の段落で。
・『介護人材増やすには賃金引き上げ必要 介護保険料、40年には月額9000円  こうした人手不足が懸念される状況でロボットの導入などによるサービスのやり方の効率化は必要だ。しかし基本的には、この分野の職員が増えることしか対処の方法はありえない。そして、そのための基本的な方策は賃金を引き上げることだ。 現在、利用者負担は原則1割(一部の高所得者は2割、3割負担)だ。それ以外は介護保険から支払われる。保険給付は税と介護保険料で賄われている。したがって職員の給与を引き上げるには、介護保険料を引き上げる必要がある。 自己負担を除いた介護給付費の総額も2020年度に10兆円を超えた。21年度には10.4兆円と、制度がスタートした2000年度比で3倍超に増えた。介護費用の総額も13.3兆円(22年度予算ベース)で約3.7倍になった。この費用をまかなうために保険料も大幅に増えてきた。 65歳以上の保険料(基準額の全国平均)は、2000年度には月額2911円だったが、いまは月額6014円だ。40年には月額約9000円になる見通しだ。 こうした背景で厚生労働省は、65歳以上の介護保険料に関して24年度からの引き上げを検討しており、所得が多い高齢者の負担は増加する。対象は1300万人で高齢者人口の35%を占める。一方、世帯全員が住民税非課税である低所得者の保険料を引き下げる方針だという』、「介護人材増やすには賃金引き上げ必要」だが、介護も機械をもっと大胆に取り入れて省力化していく必要もある。
・『保険料引き上げだけでなく 金融所得総合課税で負担公平化が必要  これは将来のサービス確保のために必要な引き上げなのだから、多くの人の理解を得られるだろう。 少子化対策のために健康保険料に上乗せするとか、リスキリングのために雇用保険料の一部を使うというようなことも提案されているが、そのような目的外の負担増ではなく、将来の介護を確実にするための負担だからだ。 ただ、単に負担を増加させるだけでなく、利用者負担率も見直す必要があるだろう。さらに効率化による介護費用の抑制も必要だ。 そして重要なのは、介護保険制度以外の例えば税制などの改革を関連させることだ。) その一つは介護保険料の算定のもととなる「所得」の範囲の適正化だ。 現状では、「所得」という場合に、金融資産からの所得は(分離課税を選択した場合には)除外されてしまう。だから所得の種類によって不公平が生じる。こうした不公平をなくすために金融資産所得の総合課税化が不可欠の課題だ。 これは、介護保険料に限った問題ではないが、今後、高齢化の進展に伴ってさまざまな公的負担の引き上げが不可欠となるので重要なことだ』、「金融資産所得の総合課税化」も必要だ。
・『労働力の移動を促進すべき 雇用調整助成金拡充は“逆行”  分野間の労働力移動を促進させる取り組みも重要だ。現状では、そうした労働移動が十分にできていない。 それだけでなく、労働者の企業間、産業間移動を妨げる政策が行われる。その典型がコロナ禍での営業自粛や休業の増加に対応するために、雇用調整助成金の特例措置が拡充されたことだ。このため、雇用調整助成金の支給金額は5兆円を突破するという巨額なものになった。 産業構造が変わるとは、古くなった産業が縮小し成長する産業がそれに変わるということだ。だから、いつまでも同じ会社で働き続けるのは不可能だ。就業者は、古くなった企業から新しい企業に移動しなければならない。それを円滑に実現できるような制度が必要だ。ところが、雇用調整助成金は企業から企業への移動を妨げるように作用した。まるで逆の政策をしたとしか思えない。 大きな経済ショックが生じたときに、1年未満程度の短期間でこの助成金制度が活用される分にはショックに伴う摩擦を軽減する働きがあるだろう。しかし、2年も3年も続くというのでは弊害のほうがずっと大きくなる。 雇用調整助成金が雇用を支え、社会不安が高まるのを抑えた効果があるのは間違いない。しかし、以上のような弊害があることもまた間違いないことだ。介護人材を確保するにはこうした労働力移動を妨げることになっている制度なども変えていく必要がある。 (注1)厚生労働省「一般職業紹介状況(令和5年9月分)について」 (注2)社会保障審議会 介護給付費分科会(第220回)資料1(令和5年7月24日) (注3)経済産業省 商務・サービスグループ「新しい健康社会の実現」、「4. 介護における課題と対応」(2023年3月) (注4)厚生労働省「8期介護保険事業計画に基づく介護職員の必要数について」 (注5)内閣官房・内閣府・財務省・厚生労働省「2040年を見据えた社会保障の将来見通し(議論の素材)-概要-」(平成30年5月21日)』、「雇用調整助成金」はあくまで緊急時のセーフティネットで、恒常化することは弊害が大きい。これらを含めて「労働力移動を妨げることになっている制度なども変えていく必要がある」。
タグ:介護 (その8)(母 グループホームで2度目の“独り立ち”、「家に帰る」という認知症の入居者 スタッフはどう導くのか、介護人材「離職超過」で初の減少 サービス確保に介護保険料引き上げはやむを得ない) 日経ビジネスオンライン 松浦 晋也氏による「母、グループホームで2度目の“独り立ち”」 「介護生活敗戦記」 「老人福祉を担っている。そのうちの一つが、認知症になった人が入居する「グループホーム・・・この他に児童福祉法や障害者総合支援法が規定する、子どもや障害者を対象としたグループホームがある・・・現在の介護保険制度がスタートしたのと同時に始まった介護形態・・・その特徴は、地域密着型であることと、小規模であることだ・・・医師から認知症の診断を受け、「要支援2」ないし「要介護1~5」の認定を受けていること、ホームで対応できない疾病がないこと、65歳以上であること、という条件・・・ 規模は「ユニット」という単位で規定されている。1ユニットは入居者5~9人で、1つの施設は2ユニットが上限となる。 入居者は基本的に個室を持つ。個室の基準は、私物収納スペースに配慮した上で床面積7.43平方メートル以上となっている。四畳半が7.28平方メートルなので、つまりは押し入れ付き四畳半と思えばいい。施設によっては夫婦など向けに2人部屋を備えるところもある」、なるほど。 「母の入居したグループホーム」は「基本的に1ユニット9人の18人体制を維持している。入居者1人につき1人だ。1ユニット9人の内訳は、介護計画を作成し、管理するケアマネジャーが1人に、そのユニットのリーダーが1人、介護スタッフが7人である」 「物理的に外に出さないようにするのは簡単だ。が、Kホーム長は、そうはしなかった。 その入居者が玄関まで出てくると「○○さん、外に行きたいの?」と話しかける。そして頭ごなしに叱ったり、止めたりするのではなく「でも今日は天気が悪いですよ。外に出るならもう少し天気の良い日にしませんか」と引き留める。 どうしても行きたがる場合は、手の空いているスタッフが一緒に近所まで散歩をする。そのうちに本人が疲れてくると、「疲れましたかね。戻ってお茶でも飲みましょうか。そろそろおやつの時間ですよ」と話しかけて、帰ってくる」、な かなかよく出来た「ホーム長」だ。 「母が入居した当初の自分の懸念は、「スタッフによる虐待行為があったらどうしよう」というものだった。 この懸念は何よりも自分の体験に基づくものだった。いくら自分の母であっても、2年半の自宅での介護はつらく、苦しく、精神的に強いストレスを感じるものだった。自分は母に手を上げたことが、グループホーム入居のきっかけになったというのは前回の連載で書いた通りだ」、なるほど。 「スタッフと話をする。話をすることで、自分という人間を分かってもらう」というものだった。 話をすれば、スタッフに私という人物が印象付けられる。そのスタッフが何か母に関連して耐えられないストレスを感じ、思わず手を上げそうになったその瞬間、私の顔を思い出してくれるなら、それは抑止力として機能するのではないか、と考えたのである・・・話してみれば、スタッフの皆さんは“普通の人たち”だった。それぞれに生活があり家族があり、生活の楽しみがあり、人生の目標があり、希望を持って生きていた。認知症高齢者グループホームで働く というのは、特別なことではないのだ――そう私は知った。それはこの社会に数多く存在する職のうちの一つなのだ」、なるほど。 松浦 晋也氏による「「家に帰る」という認知症の入居者、スタッフはどう導くのか」 「看取りは、特に悪いところのない老衰による最期を意味する。明らかに病気による衰弱が始まった場合は、医療行為が必要となるので病院に入院することになる・・・老衰の場合、だいたいの場合は食事が食べられなくなり、体重が落ちていくことで、「ああ、この人は寿命だ」と分かるのだという。「体格にもよるのですけれど、お母様程度の体格の女性の場合は体重40kgがひとつの目安です。これを切ると危険水域です」とは、Kグループホーム長の言である。 母のいるグループホームでは、最後の数日については家族の寝泊まりにも対応する」、「老衰による最期」は理想的な「最期」だ。 「助けないと次の「要介護」に進行する可能性がある状態を「要支援」、症状が進行して日常生活の動作に常時介護が必要になった状態を「要介護」と定義し、それぞれ「要支援1」「要支援2」、「要介護1」から「要介護5」と7段階に区分しているのだ。 グループホームへは「要支援2」から入居できる。だから「要支援2」や「要介護1」の比較的認知症の症状が軽い人もいる」、なるほど。 「大変活発にお話をするおばあさん」でも、「さきほど「おやすみなさい」と言って就寝したはずではないか、と不審に思う間もなく、「ねえ、なぜ私ここにいるのかしら。もう夜も遅いし家に帰らなくちゃ」と言う」ような人がいるとは驚いた。「スタッフリーダー」の対応がさすがだ。 「「帰る」のは「不安」だからだ。「不安だから自分のよく知っている、安心できるところに帰りたい」のだ、と・・・不安の根源には、認知機能の劣化がある。本人の主観からは「周りの世界が自分の知らない形に変化してしまう」と見えるのだろう。だから怖いし不安になる。だから安心できる場所に帰りたくなる」、なるほど。 「精神的・情緒的な病態が出てきた場合には、精神系の投薬はやむを得ない、むしろ必要なものと考える。罵声ぐらいならまだしも、暴れてスタッフがけがをするということもあり得るのだから」、その通りだ。 「我々スタッフの中にスキューバダイビングの経験者はいない」のは当然で、話を合わせる工夫を別途考えていくほかなさそうだ。 ダイヤモンド・オンライン 野口悠紀雄氏による「介護人材「離職超過」で初の減少、サービス確保に介護保険料引き上げはやむを得ない」 「ヘルパー」まで高齢化しているのでは困ったことだ。 「介護人材増やすには賃金引き上げ必要」だが、介護も機械をもっと大胆に取り入れて省力化していく必要もある。 「雇用調整助成金」はあくまで緊急時のセーフティネットで、恒常化することは弊害が大きい。これらを含めて「労働力移動を妨げることになっている制度なども変えていく必要がある」。
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