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宗教(その13)(「カルト後遺症」の深刻 オウム元死刑囚が洗脳から脱した後も“麻原彰晃化”したワケ、ベストセラー著者が語る「旧統一教会問題」と「カルト教祖の共通点」 ロビン・ダンバー氏インタビュー) [社会]

宗教については、本年1月25日に取上げた。今日は、(その13)(「カルト後遺症」の深刻 オウム元死刑囚が洗脳から脱した後も“麻原彰晃化”したワケ、ベストセラー著者が語る「旧統一教会問題」と「カルト教祖の共通点」 ロビン・ダンバー氏インタビュー)である。

先ずは、本年1月19日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した中央大学教授の高橋徹氏による「「カルト後遺症」の深刻、オウム元死刑囚が洗脳から脱した後も“麻原彰晃化”したワケ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/336762
・『若者の不安や不満につけ込む、カルト宗教団体の勧誘は巧みである。親が気づいたときにはもう遅く、離脱は困難だ。しかも、たとえ運良く脱カルトしたとしても、マインドコントロール下で刻み込まれたカルト的思考や行動様式は、数十年たっても消えないという。※本稿は、『「オウム死刑囚 父の手記」と国家権力』(現代書館)の一部を抜粋・編集したものです』、興味深そうだ。
・『逮捕されて父母を泣かせてようやくわかったカルトの罪  金沢市の中心部から車で約一時間、真宗大谷派の浄専寺住職、平野喜之は2007(平成19)年に活動を始めた「『生きて罪を償う』井上嘉浩さんを死刑から守る会」の事務局長を務め、10年以上、嘉浩を支援してきた。平野が井上嘉浩から受け取った手紙は、188通にのぼる。 嘉浩の手紙にはこうある。 「突き詰めますと、麻原を信じたことそのものが罪のはじまりであり、全ての罪の責任は私にあります」 「人にとって救いとは一体何なのでしょうか?その答えがあるとうぬぼれたことが私がオウムに入り大罪を犯しました原因の一つであると今私は考えています」 「麻原は仏教やヨーガの心を変容させていく技術や薬物まで悪用して、徹底的に信者の社会規範や善悪の根本となる個としての人格を破壊していき、代わりに麻原の手足として動く人格を刷り込んでいきました。これが麻原が構築したマインドコントロールです」 「(※編集部注/最高裁で死刑が言い渡された2009年12月10日の)翌日、午前中に両親が面会に参りました。両親がぐったりとしつつ、それでも気丈に振る舞う姿を見て、涙をこらえるのが精一杯でした。父母が、自分たちが悪かったと、なんの責任もないのに、自分たちをせめる姿を見て本当に申し訳ないと、ただただ申し訳ないと、言葉がありませんでした」 「日々、まだ執行されないだろうと思いつつ、いや、わからんぞと、夜明けが恐ろしくもあり、そういうことにとらわれること自体、被害者の方々に申し訳ないと思いつつ、このままでは死にきれない心も消えません。このようなもだえも罪の報いの一つとして静かに見つめている自分もおります」 平野は静かに思いを語った。 「彼にしかできない真相解明とか、彼にしかできないオウム入信者に対して脱会を呼びかけるとか、そういう使命があったと思います。それを果たすことが償うということになったと思いますし、私たちの『守る会』のやっていたことは彼の罪の自覚を深めていくということに集中して支援してきました。罪の自覚を深めることによって本当の心からの被害者への謝罪ができると思います」  教団が救済の名のもとに多くの信徒を集め急拡大し、数々の凶悪事件を起こしていった軌跡は「平成」と重なる。「平成の事件は平成のうちに決着させたい」という政府の思惑だろうか、2018(平成30)年の7月、オウム死刑囚13人の死刑が執行された。) その中の一人が井上嘉浩だった。ホーリーネーム(教団内の宗教名)はアーナンダ。オウム真理教の諜報省トップで、教祖の「側近中の側近」、「修行の天才」、「神通並びなきもの」といわれた教団幹部である。 『生きて罪を償う』井上嘉浩さんを死刑から守る会」は嘉浩の死刑が執行されたことで解散した。機関誌「悲」は16号の追悼号(2018年12月発行)で役目を終えた』、「「平成の事件は平成のうちに決着させたい」という政府の思惑だろうか、2018(平成30)年の7月、オウム死刑囚13人の死刑が執行された」、「死刑囚」の執行が遅れるのが普通だが、「政府の思惑」で異例の執行となったようだ。
・『マインドコントロールが解けてもカルトの傷は残る  平野がもう一つ活動の重点に置いているのが「カルト後遺症」の問題だ。一連のオウム事件がきっかけで誕生した日本脱カルト協会(JSCPR)によると、カルト教団から脱会した人の多くが何らかの『後遺症』に苦しむという。 代表的な症状としては、「神から裁かれるのではないか」という不安感、「自分は裏切り者であり、天罰が下るのではないか」という恐怖感などがあげられる。無理もない話で、身も心も奉じてきた団体の価値観を失い、それまでの理想やアイデンティティをすべて失うことになるからだ。 音楽や映像、においなど些細なことが引き金になり脱会前の心理状態に戻ってしまう、いわゆる「フラッシュバック」もほとんどの人が体験する。 また、せっかく家に戻っても家族や友人、知人との人間関係に悩み、睡眠障害や摂食不良に陥るという例もある。そもそもカルトの多くは、教祖を『父』や『母』としているので、現実の家族に対しては否定的な思いを抱くよう誘導していることが多い。 「何か悪いことが起こると、霊の祟りではないかと、とっさに考えてしまう」と話すのは、日本脱カルト協会の理事で、日本基督教団白河教会牧師の竹迫之だ。 竹迫は1967(昭和42)年、秋田市生まれ。高校3年の時に当時の統一教会(現世界平和統一家庭連合)に勧誘され入会した。「霊感商法」が世間に知られるようになった1980年代半ばのころである。 「マインドコントロールが目指すものは、コントロールする人に対する依存なんです。私の場合は何をするにも指示をしてくれる人の指示を仰ぐというライフスタイルが身についていましたね。なんでも自分で好きに選んでいいよと言われると、かえって何を選んでいいのか分からず混乱する。この依存から離脱するということがマインドコントロールが解けるということなんです。しかし、マインドコントロールは解けても、後遺症は残るんです」) 脱会して十年以上たったころのある体験を竹迫は話してくれた。 「教会の階段を降りていたところ、3段ぐらい踏み外して落ちちゃった。その拍子に左足を3カ所も骨折してしまったんです。そのとき、とっさに霊の祟りではないかと発想が浮かんできた。典型的なカルト後遺症です」 悪いことが起こると、その説明を求めてしまう。竹迫は統一教会を脱会して37年になるが、いまだにそういう瞬間があるという。 「何か不運な目にあったときに、自分に悪いところがあったからではないかと、その原因を追求したくなるものですね。その祟りから逃れるために何かしなくてはいけないという強烈な衝動がわいてくる。私は、マインドコントロール自体は解けているのは間違いないとは思うのですが、けれども後遺症として残っている」』、「悪いことが起こると、その説明を求めてしまう。竹迫は統一教会を脱会して37年になるが、いまだにそういう瞬間があるという・・・カルト後遺症です」、なるほど。
・『被害者どころか支援者にすら独善と映ったオウム元死刑囚  さて、嘉浩にカルト後遺症はあったのだろうか。フォトジャーナリストで『宗教事件の内側 精神を呪縛される人びと』や『カルト宗教事件の深層 「スピリチュアル・アビュース」の論理』などの著書がある藤田庄市は「独善的な修行者意識」という言葉で、嘉浩の後遺症を言い表した。 藤田が注目したのは、目黒公証役場事件で父親を失った仮谷実と嘉浩とのやり取りだった。嘉浩は「亡くなった人たちのことを考えて、できるだけ苦しみを自分に課していきたい」と謝罪したのに対し、仮谷は「被告が苦しんでも、私たちは助からない」と返し、「自らに苦しみを課しても遺族の救済にならない」と突き放した。 「独善的な」とは、修行を続けることにより、人間性も宗教的にも世間より高いところにいるという意識である。 「井上君は麻原教祖とは対決して、『オウムを脱会する』と宣言はしているのだけれども、考え方であるとか、独善的な修行者意識というものは残っていたのではないか。脱会したからといって、カルト思考、カルト的考え方は簡単にはなくならない」と藤田は指摘している。 平野も嘉浩にカルト後遺症を感じていたという。) 「井上君のご両親には申し訳ないが……2018年だったと思うが、『生きて罪を償う会』の内部で、支援を見直そうという声が上がっていた。生来の性格なのか、カルトの後遺症なのか見極めは難しいかもしれないけれども、『麻原は井上君に、こういう指示の仕方をしていたのだ』と感じられるような指示の仕方が井上君から我々『生きて罪を償う会』に対してありました。カルトの怖さは脱会後にも後遺症となって残る。教義から抜けても人間関係の持ち方とか、指示命令系統とかそういうところに残るのではないか」 独善的とも映る嘉浩の振る舞いについて、竹迫はカルト後遺症が影響していた可能性があると話す』、「カルトの怖さは脱会後にも後遺症となって残る。教義から抜けても人間関係の持ち方とか、指示命令系統とかそういうところに残るのではないか」、なるほど。
・『「カルト後遺症」の深刻、オウム元死刑囚が洗脳から脱した後も“麻原彰晃化”したワケ  高橋徹「オウム死刑囚 父の手記」と国家権力(現代書館) 「誰もが権力を振るう立場に魅力を感じます。嘉浩君の場合は、教祖の、麻原の振る舞いを見ていたために、それが増幅されていったのではないでしょうか。自分もやってもいいんだというお墨付きをもらった状態です。高校生のうちから入信したため、『人と人との関係はフラットであるべきだ』という考えに触れたことがなかったのではないでしょうか」。 子供をカルトに取られた親の苦痛を平野はこう話した。神奈川県の教会で出会ったある母親の話である。 「私たちは二重に傷つくのです。一つ目は『子供をカルトにとられたこと』、二つ目は『子供がカルトにとられたのはあなたたちのせいでしょうと世間から偏見の目で見られること』です。私の家庭は上手くいっていました。子供がカルトにとられたのは、勧誘が巧みだっただけでしょうと言いたい」 平野は言う。 「世間には、カルトにとられたのは家族のせいだ、やっぱり家族が悪いと誤解する人がいます。片や親自身が『子供の責任を取らなければいけない』と思い詰める人も少なからずいます。日本では特に『子供の罪は親の罪』として、責任を感じる姿が美化されすぎるきらいがあるのではないでしょうか。そのために親が苦しめられることがあります」 井上家に、嘉浩がまだ幼いころの写真が残っている。自宅の前で、ブルーの短パン、アニメのキャラクターがプリントされた白いポロシャツを着て、上下に動かすことができる透明なシールドが付いた戦隊もののヘルメットをかぶって、無邪気に笑っていた。 「もし神が許してくれるなら、どんなことをしてでも、あのころに戻りたいと思います」 私が嘉浩の父に初めて会った日、父はそう話した』、「「私たちは二重に傷つくのです。一つ目は『子供をカルトにとられたこと』、二つ目は『子供がカルトにとられたのはあなたたちのせいでしょうと世間から偏見の目で見られること』です・・・日本では特に『子供の罪は親の罪』として、責任を感じる姿が美化されすぎるきらいがあるのではないでしょうか。そのために親が苦しめられることがあります」、やはり「カルト後遺症」は深刻なようだ。

次に、3月17日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した国際ジャーナリストの大野和基氏による「ベストセラー著者が語る「旧統一教会問題」と「カルト教祖の共通点」 ロビン・ダンバー氏インタビュー」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/340568
・『無宗教国ニッポンで、ロビン・ダンバー著『宗教の起原』(白揚社)がベストセラーとなっている。著者は、人間の安定的な集団サイズの上限が「150」であると導き出し、人類学のノーベル賞と称される「トマス・ハクスリー記念賞」を受賞した人物だ。本書では、「私たちはいかに信じる心を獲得したのか」「人類進化の過程で『神』はなぜ生まれたのか」「カルト宗教はなぜ次々と生まれ、人々を惹きつけるのか」といった、人類と宗教を巡る根源的な問いを追求している。著者に、日本の旧統一教会問題なども含めて話を聞いた』、興味深そうだ。
・『「カルト宗教」とは何か  Q:本書の執筆のために、幅広くリサーチをしたと思いますが、最大の発見は? A:結束したコミュニティーを作る際の宗教の役割と宗教の儀式が、脳の「エンドルフィン物質」を活性化することが分かりました。この物質は、人間のフレンドシップを構築するのに使われます。礼拝中の人の脳を調べると、儀式が脳内のエンドルフィンを活性化していたのです。 Q:あなたが無神論者であるからこそ、偏見なくこの本が書けたのでしょうか。 (ロビン・ダンバー氏の略歴はリンク先参照) A:そうですね、私は特定の宗教に何のコミットメントもありません。私は幼少時アフリカで育ったので、さまざまな種類のキリスト教、イスラム教、シーク教、後に仏教、ヒンズー教も経験しました』、「結束したコミュニティーを作る際の宗教の役割と宗教の儀式が、脳の「エンドルフィン物質」を活性化することが分かりました。この物質は、人間のフレンドシップを構築するのに使われます。礼拝中の人の脳を調べると、儀式が脳内のエンドルフィンを活性化していたのです」、「儀式が脳内のエンドルフィンを活性化していた」、とは初めて知った。 
・『Q:本書には「カルト」の章がありますが、これほど深くリサーチをすると、「カルトの作り方」を熟知しているのでは? カルトにおける「教祖」というのは、人生において大きな危機を経験していることが非常に多いです。全財産を失ったとか、大病をして死にかけたとかね。そして自分の殻に閉じこもって、ひどく落ち込んだ経験があります。その間に、宇宙の真実のようなことに目覚めて、それを信じるようになるのです。 宇宙を支配しているものについて斬新なアイデアを持ち、周囲を根気強く納得させます。でないとみんなに笑われて、排除されて終わりです。だから多くのカルトはいささかクレイジーな人が教祖になっているのです。 ほとんどのカルトは、社会的な真実を持つようになり、宗教に変わっていきます。他の人に優しくしたり、慈善を施したりします。一方で宗教にならないカルトは、非常にクレイジーな教義を持っているので、普通は長続きしません。続くケースは非常にまれですね。カルトは教祖のためだけにあり、それ以外の人は搾取されるものなのです。 Q:カルトというとネガティブな響きがあります。日本では政界と旧統一教会の密な関係が報道され続けています。どういう条件で、宗教がカルトになるのでしょうか。) その逆です。つまり世界の全ての宗教は、仏教であれ、神道であれ、キリスト教であれ、イスラム教であれ、シーク教であれ、カルトとして始まっています。宗教とは、「ある真実を発見した」と信じることや、「神のメッセンジャー」を名乗るカリスマ性のあるリーダーを中心に、ローカルで小さなカルトとして始まる、というのが私の見方です。 カルトは時に、ネガティブな含みがありますが、決して全てのカルトが悪いわけではありません。一方で、カルトは簡単に悪くなる可能性も秘めています。ただ、先述したように全ての宗教はカルトから始まり、信奉者が増えて非常に大きなコミュニティーになると、「もはやカルトではなく宗教である」と呼びたくなるのです。 ほとんど全ての宗教は、下部から絶えずカルトが発生している状態とも言えます。神道だって末端でさまざまな団体がありますよね? そして、神道だけでなく仏教を混合した信仰を抱く人もいます。 明らかなのは、末端に出てきたカルトは異端であることが多いことです。正しいセオリーを伝道しているわけではないので、有害になる可能性があります。時に、そうした小さなカルトが暴走してどんどん拡大し、世界的な宗教になることもあります。 キリスト教やイスラム教は、元はと言えばユダヤ教の産物でした。そして、他の多くの宗教がインドや地中海沿岸地方にも入ってきました。キリスト教やイスラム教はさかのぼると、ゾロアスター教に起源があります。 Q:カルトが宗教になる条件は何でしょうか。 A:サイズだけです。多くの異なる国で、かなり広い地域で多くの人が信仰するようになると宗教になります。と同時に大きな宗教にとって非常に重要なことは、正式な教義と儀式があることです。一方で小規模のカルトには盤石な教義はなく、ころころ変わる傾向があります。また、儀式もフォーマルでないことが多い。 Q:カルトについてbrainwashing(洗脳)という言葉を使いますが、宗教について〈洗脳〉という言葉を使いますか? A:yes and noです。カルトと宗教の間には、微妙な区別があります。カルトは往々にして厳格な罰をもって、行動や信じるべきことを強制します。一方で、宗教は強制ではなく「説得」によって行います。つまり、もう少しリラックスしているイメージです。他方で、例えばキリスト教の歴史をたどると、異教徒や正しい教義を信じない者に対して差別や迫害をしていた時代もありました。 いずれにせよbrainwashingは、宗教上の信条であれ、政治的信条であれ、一つのコミュニティーが結束し続けるためには、世界中ですべての信条に当てはまると思います』、「カルトにおける「教祖」というのは、人生において大きな危機を経験していることが非常に多いです。全財産を失ったとか、大病をして死にかけたとかね。そして自分の殻に閉じこもって、ひどく落ち込んだ経験があります。その間に、宇宙の真実のようなことに目覚めて、それを信じるようになるのです。 宇宙を支配しているものについて斬新なアイデアを持ち、周囲を根気強く納得させます。でないとみんなに笑われて、排除されて終わりです。だから多くのカルトはいささかクレイジーな人が教祖になっているのです。 ほとんどのカルトは、社会的な真実を持つようになり、宗教に変わっていきます。他の人に優しくしたり、慈善を施したりします。一方で宗教にならないカルトは、非常にクレイジーな教義を持っているので、普通は長続きしません。続くケースは非常にまれですね。カルトは教祖のためだけにあり、それ以外の人は搾取されるものなのです・・・全ての宗教はカルトから始まり、信奉者が増えて非常に大きなコミュニティーになると、「もはやカルトではなく宗教である」と呼びたくなるのです。 ほとんど全ての宗教は、下部から絶えずカルトが発生している状態とも言えます。神道だって末端でさまざまな団体がありますよね? そして、神道だけでなく仏教を混合した信仰を抱く人もいます。 明らかなのは、末端に出てきたカルトは異端であることが多いことです。正しいセオリーを伝道しているわけではないので、有害になる可能性があります。時に、そうした小さなカルトが暴走してどんどん拡大し、世界的な宗教になることもあります。 キリスト教やイスラム教は、元はと言えばユダヤ教の産物でした。そして、他の多くの宗教がインドや地中海沿岸地方にも入ってきました。キリスト教やイスラム教はさかのぼると、ゾロアスター教に起源があります・・・カルトが宗教になる条件は何でしょうか。 A:サイズだけです。多くの異なる国で、かなり広い地域で多くの人が信仰するようになると宗教になります。と同時に大きな宗教にとって非常に重要なことは、正式な教義と儀式があることです。一方で小規模のカルトには盤石な教義はなく、ころころ変わる傾向があります。また、儀式もフォーマルでないことが多い。 Q:カルトについてbrainwashing(洗脳)という言葉を使いますが、宗教について〈洗脳〉という言葉を使いますか? A:yes and noです。カルトと宗教の間には、微妙な区別があります。カルトは往々にして厳格な罰をもって、行動や信じるべきことを強制します。一方で、宗教は強制ではなく「説得」によって行います。つまり、もう少しリラックスしているイメージです。他方で、例えばキリスト教の歴史をたどると、異教徒や正しい教義を信じない者に対して差別や迫害をしていた時代もありました。 いずれにせよbrainwashingは、宗教上の信条であれ、政治的信条であれ、一つのコミュニティーが結束し続けるためには、世界中ですべての信条に当てはまると思います」、なるほど。
・『宗教は戦争を引き起こすが…  Q:宗教は時に戦争の原因になります。それでも、宗教には有益な面の方が多いのでしょうか。 A:確かに、宗教は宗教戦争を引き起こします。宗教というのは、絆の強いコミュニティーを作るためにあるので、真の信奉者とそうではない人と対比させることで、絆を強化することが往々にしてあるのです。 全体的には、やはり有益な面の方が多いでしょう。帰属感を作り出します。また、少なくとも信者同士では素行が良くなり、老人や病人や貧しい人に施しもします。 一人の内面に、複数の宗教が存在している場合もあります。日本人がその典型です。結婚式は神道で行い、葬儀は仏教でやるということが日本ではよくありますよね? これは、世界的にはまれなケースです。宗教にあまり意識がないからでしょう。 宗教の歴史を振り返ると、異なる宗教で互いの儀式や教義を借り合うことが往々にしてあります。キリスト教の中でも、ユダヤ教を経由してゾロアスター教から、非常に強い影響を受けています。また、儀式や教義の点では、明らかに古い仏教からの影響も見られます。 Q:あなたは、人間が安定的な関係性を維持できる人数の上限がおおむね「150」であると説きましたね(「ダンバー数」)。その150という数字は、宗教とも関係あるのでしょうか? A:寺や教会における集会は150人が最適規模だと分かっています。また、19世紀の米国では移住者が増え続け、人々はコミュニティーを作り、密接な関係を維持しながら暮らしていましたが、その中で宗教のベースがあるコミュニティーでは、150人が平均でした。 これは私の調査とは別のものですが、プロテスタントの集会では100人以下だと教会や神父をサポートするのに十分ではなく、1人当たりの負担金額が大きすぎるという研究結果も出ています。一方で、200人を超えると帰属意識がなくなってきます。つまり、100人と200人の間に全てがうまくいくsweet spot(最大の利益が見込めるところ)があるということです』、「宗教は宗教戦争を引き起こします。宗教というのは、絆の強いコミュニティーを作るためにあるので、真の信奉者とそうではない人と対比させることで、絆を強化することが往々にしてあるのです。 全体的には、やはり有益な面の方が多いでしょう。帰属感を作り出します。また、少なくとも信者同士では素行が良くなり、老人や病人や貧しい人に施しもします。 一人の内面に、複数の宗教が存在している場合もあります。日本人がその典型です。結婚式は神道で行い、葬儀は仏教でやるということが日本ではよくありますよね? これは、世界的にはまれなケースです・・・あなたは、人間が安定的な関係性を維持できる人数の上限がおおむね「150」であると説きましたね(「ダンバー数」)。その150という数字は、宗教とも関係あるのでしょうか? A:寺や教会における集会は150人が最適規模だと分かっています。また、19世紀の米国では移住者が増え続け、人々はコミュニティーを作り、密接な関係を維持しながら暮らしていましたが、その中で宗教のベースがあるコミュニティーでは、150人が平均でした。 これは私の調査とは別のものですが、プロテスタントの集会では100人以下だと教会や神父をサポートするのに十分ではなく、1人当たりの負担金額が大きすぎるという研究結果も出ています。一方で、200人を超えると帰属意識がなくなってきます。つまり、100人と200人の間に全てがうまくいくsweet spot(最大の利益が見込めるところ)があるということです」、「寺や教会における集会は150人が最適規模だと分かっています」、「寺や教会における集会に最適規模」があるとは初めて知ったが、なんとなく感覚的な印象と一致するようだ。 
タグ:宗教 (その13)(「カルト後遺症」の深刻 オウム元死刑囚が洗脳から脱した後も“麻原彰晃化”したワケ、ベストセラー著者が語る「旧統一教会問題」と「カルト教祖の共通点」 ロビン・ダンバー氏インタビュー) ダイヤモンド・オンライン 高橋徹氏による「「カルト後遺症」の深刻、オウム元死刑囚が洗脳から脱した後も“麻原彰晃化”したワケ」 「オウム死刑囚 父の手記」と国家権力』(現代書館) 「「平成の事件は平成のうちに決着させたい」という政府の思惑だろうか、2018(平成30)年の7月、オウム死刑囚13人の死刑が執行された」、「死刑囚」の執行が遅れるのが普通だが、「政府の思惑」で異例の執行となったようだ。 「悪いことが起こると、その説明を求めてしまう。竹迫は統一教会を脱会して37年になるが、いまだにそういう瞬間があるという・・・カルト後遺症です」、なるほど。 「カルトの怖さは脱会後にも後遺症となって残る。教義から抜けても人間関係の持ち方とか、指示命令系統とかそういうところに残るのではないか」、なるほど。 「「私たちは二重に傷つくのです。一つ目は『子供をカルトにとられたこと』、二つ目は『子供がカルトにとられたのはあなたたちのせいでしょうと世間から偏見の目で見られること』です・・・日本では特に『子供の罪は親の罪』として、責任を感じる姿が美化されすぎるきらいがあるのではないでしょうか。そのために親が苦しめられることがあります」、やはり「カルト後遺症」は深刻なようだ。 大野和基氏による「ベストセラー著者が語る「旧統一教会問題」と「カルト教祖の共通点」 ロビン・ダンバー氏インタビュー」 ロビン・ダンバー著『宗教の起原』(白揚社) 「結束したコミュニティーを作る際の宗教の役割と宗教の儀式が、脳の「エンドルフィン物質」を活性化することが分かりました。この物質は、人間のフレンドシップを構築するのに使われます。礼拝中の人の脳を調べると、儀式が脳内のエンドルフィンを活性化していたのです」、「儀式が脳内のエンドルフィンを活性化していた」、とは初めて知った。 「カルトにおける「教祖」というのは、人生において大きな危機を経験していることが非常に多いです。全財産を失ったとか、大病をして死にかけたとかね。そして自分の殻に閉じこもって、ひどく落ち込んだ経験があります。その間に、宇宙の真実のようなことに目覚めて、それを信じるようになるのです。 宇宙を支配しているものについて斬新なアイデアを持ち、周囲を根気強く納得させます。でないとみんなに笑われて、排除されて終わりです。だから多くのカルトはいささかクレイジーな人が教祖になっているのです。 ほとんどのカルトは、社会的な真実を持つようになり、宗教に変わっていきます。他の人に優しくしたり、慈善を施したりします。一方で宗教にならないカルトは、非常にクレイジーな教義を持っているので、普通は長続きしません。続くケースは非常にまれですね。カルトは教祖のためだけにあり、それ以外の人は搾取されるものなのです・・・全ての宗教はカルトから始まり、信奉者が増えて非常に大きなコミュニティーになると、「もはやカルトではなく宗教である」と呼びたくなるのです。 ほとんど全ての宗教は、下部から絶えずカルトが発生している状態とも言えます。神道だって末端でさまざまな団体がありますよね? そして、神道だけでなく仏教を混合した信仰を抱く人もいます。 明らかなのは、末端に出てきたカルトは異端であることが多いことです。正しいセオリーを伝道しているわけではないので、有害になる可能性があります。時に、そうした小さなカルトが暴走してどんどん拡大し、世界的な宗教になることもあります。 キリスト教やイスラム教は、元はと言えばユダヤ教の産物でした。そして、他の多くの宗教がインドや地中海沿 岸地方にも入ってきました。キリスト教やイスラム教はさかのぼると、ゾロアスター教に起源があります・・・カルトが宗教になる条件は何でしょうか。 A:サイズだけです。多くの異なる国で、かなり広い地域で多くの人が信仰するようになると宗教になります。と同時に大きな宗教にとって非常に重要なことは、正式な教義と儀式があることです。一方で小規模のカルトには盤石な教義はなく、ころころ変わる傾向があります。また、儀式もフォーマルでないことが多い。 Q:カルトについてbrainwashing(洗脳)という言葉を使いますが、宗教について〈洗脳〉という言葉を使いますか? A:yes and noです。カルトと宗教の間には、微妙な区別があります。カルトは往々にして厳格な罰をもって、行動や信じるべきことを強制します。一方で、宗教は強制ではなく「説得」によって行います。つまり、もう少しリラックスしているイメージです。他方で、例えばキリスト教の歴史をたどると、異教徒や正しい教義を信じない者に対して差別や迫害をしていた時代もありました。 いずれにせよbrainwashingは、宗教上の信条であれ、政治的信条であれ、一つのコミュニティーが結束し続けるためには、世界中ですべての信条に当てはまると思います」、なるほど。 「宗教は宗教戦争を引き起こします。宗教というのは、絆の強いコミュニティーを作るためにあるので、真の信奉者とそうではない人と対比させることで、絆を強化することが往々にしてあるのです。 全体的には、やはり有益な面の方が多いでしょう。帰属感を作り出します。また、少なくとも信者同士では素行が良くなり、老人や病人や貧しい人に施しもします。 一人の内面に、複数の宗教が存在している場合もあります。日本人がその典型です。結婚式は神道で行い、葬儀は仏教でやるということが日本ではよくありますよね? これは、世界的にはまれなケ ースです・・・あなたは、人間が安定的な関係性を維持できる人数の上限がおおむね「150」であると説きましたね(「ダンバー数」)。その150という数字は、宗教とも関係あるのでしょうか? A:寺や教会における集会は150人が最適規模だと分かっています。また、19世紀の米国では移住者が増え続け、人々はコミュニティーを作り、密接な関係を維持しながら暮らしていましたが、その中で宗教のベースがあるコミュニティーでは、150人が平均でした。 これは私の調査とは別のものですが、プロテスタントの集会では100人以下だと教会や神父をサポートするのに十分ではなく、1人当たりの負担金額が大きすぎるという研究結果も出ています。一方で、200人を超えると帰属意識がなくなってきます。つまり、100人と200人の間に全てがうまくいくsweet spot(最大の利益が見込めるところ)があるということです」、「寺や教会における集会は150人が最適規模だと分かっています」、「寺や教会における集会に最適規模」があるとは初めて知ったが、なんとなく感覚的な印象と一致するよ
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