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宗教(その7)(意外に知らない「キリスト教」世界最大になった訳 広がっていった経緯は複雑で、かなり政治的、統一教会以外の宗教団体名を伏せる大手メディア オウム事件以降続く「空白の30年」の罪深さ、宗教「勧誘に注意」の報道で団体名を伏せられる謎 統一教会のブームが過ぎたら元通り では困る) [社会]

宗教については、昨年3月3日に取上げた。今日は、(その7)(意外に知らない「キリスト教」世界最大になった訳 広がっていった経緯は複雑で、かなり政治的、統一教会以外の宗教団体名を伏せる大手メディア オウム事件以降続く「空白の30年」の罪深さ、宗教「勧誘に注意」の報道で団体名を伏せられる謎 統一教会のブームが過ぎたら元通りでは困る)である。

先ずは、昨年5月27日付け東洋経済オンラインが掲載した宗教学者・昭和女子大学非常勤講師の中村 圭志氏による「意外に知らない「キリスト教」世界最大になった訳 広がっていった経緯は複雑で、かなり政治的」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/591437
・『社会、とくに欧米社会を理解するという意味で、宗教についての理解は欠かせません。世界最大の信者数であるキリスト教の教義をまとめた聖書は世界で最も読まれた書物だといわれていますが、その中身はどんなものなのでしょうか。新著『教養として学んでおきたい聖書』を上梓した宗教学者の中村圭志氏が解説します』、興味深そうだ。
・『旧約聖書は「古代イスラエル宗教文学全集」  聖書とはどんな本であるのか、簡潔にまとめてみましょう。 旧約聖書は「古代イスラエル宗教文学全集」と理解するのがたぶんよろしいでしょう。ユダヤ人のご先祖であるイスラエル人たちがどんな民族的・宗教的アイデンティティをもっていたかを明らかにしてくれる一代叢書(そうしょ)です。 旧約の冒頭をなす律法(モーセ五書)は、民族に団結を促す神話と戒律の書です。律法の後ろに並べられたさまざまな書の中では、預言者たちが神懸かりになって民衆を叱ったり激励したりします。 古代のどんな民族も存亡を繰り返していましたし、イスラエル人ばかりがことさらに苦難にさいなまれていたわけではありません。しかし、イスラエル人たちは自分たちの苦難を人類史上の一大事のように思い描いたのでした。この強烈な自意識があるからこそ、旧約聖書は古典の地位を獲得できたといえるでしょう。 ともあれ、イスラエル人たちの見取り図によれば、この世とは神と人間との対話の空間です。神が理想を示す。人間はそれが守れない。人間は苦難に陥り、神が救いの道を示す。気宇壮大なドラマです。 神という概念には矛盾があるし、御伽噺めいたところもあったりして、合理的な現代人には信じがたいような話なのですが、イスラエル人の設定した「人間に倫理的な反省を迫る」という神の基本的な性格は、古代的あるいは民族的な伝統の枠を超えて、後世の多くの人々の倫理的思索にインスピレーションを与えることになりました。 キリスト教徒は旧約聖書をキリストの到来を予見する書だと位置づけました。キリスト到来それ自体を書き記した教典が新約聖書です。 この視点からは、旧約は人類史の前半における神と人間の関係を記した書、新約は人類史の後半における神と人間の関係を記した書だということになります。 つまり神はまずイスラエル人をサンプルに選んで律法という戒律を与えてみたのだが、彼ら選民にしてからが神の道を外れがちであった(人類史の前半)。そこで神は自ら目に見える神キリストとして現われて人類の罪を清算し、律法遵守という課題の代わりに「キリストに忠節を尽くし、キリストにならう」という新たな課題を人類に与えた(人類史の後半)。 おおよそこのような流れで、旧約聖書から新約聖書までの諸々の文書が読み解かれることになりました。 というわけで、少なくとも信者の立場からすれば、聖書というのは――ユダヤ教徒にとってもキリスト教徒にとっても――宇宙を支配する絶対神と自分自身との倫理的な対話の書であるということになります。 どちらの宗教でも、天地創造の絶対神は、聖書に書かれた「歴史」的な出来事を通じて、人間に啓示を与えています(「歴史」とカギカッコをつけたのは、実際には半分神話が混じっているからです)』、「旧約聖書は「古代イスラエル宗教文学全集」と理解するのがたぶんよろしいでしょう」、「古代イスラエル宗教文学全集」とは言い得て妙だ。「イスラエル人たちは自分たちの苦難を人類史上の一大事のように思い描いたのでした。この強烈な自意識があるからこそ、旧約聖書は古典の地位を獲得できた」、「イスラエル人たちの見取り図によれば、この世とは神と人間との対話の空間です。神が理想を示す。人間はそれが守れない。人間は苦難に陥り、神が救いの道を示す。気宇壮大なドラマです」、「イスラエル人の設定した「人間に倫理的な反省を迫る」という神の基本的な性格は、古代的あるいは民族的な伝統の枠を超えて、後世の多くの人々の倫理的思索にインスピレーションを与えることになりました」、「旧約は人類史の前半における神と人間の関係を記した書、新約は人類史の後半における神と人間の関係を記した書だ」、「神はまずイスラエル人をサンプルに選んで律法という戒律を与えてみたのだが、彼ら選民にしてからが神の道を外れがちであった(人類史の前半)。そこで神は自ら目に見える神キリストとして現われて人類の罪を清算し、律法遵守という課題の代わりに「キリストに忠節を尽くし、キリストにならう」という新たな課題を人類に与えた(人類史の後半)」、「聖書というのは――ユダヤ教徒にとってもキリスト教徒にとっても――宇宙を支配する絶対神と自分自身との倫理的な対話の書である」、なるほど。
・『聖書は全体が1つの壮大な大河ドラマ  アダムとエバの失楽園、ノアの洪水、族長アブラハム、モーセと出エジプト、ダビデ王、バビロニア捕囚、預言者の預言、キリストの十字架、キリストの使徒たちの活躍、やがて来る世界の終末の予告……こういう歴史的順序に沿って、神は自らを啓示してきたのであると。 聖書の面白みは、全体が1つの壮大な大河ドラマを構成している点にもあります。紆余曲折に満ちた長い長い物語の中で、人類はさまざまな課題に取り組んできたし、倫理的な成長もあれば、相も変わらぬ失敗もある。神様自身が時代とともに異なる相貌を見せるようになっていった……。 そういう意味では、神の成長の物語とでも言えるような側面もあると言えます。) この地図をご覧ください。 (地図はリンク先参照)(外部配信先では図や画像を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください) これは現在の大宗教(キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教)の広がりを大雑把に描いたものです。 Aがキリスト教、Bがイスラム教、Cがヒンドゥー教、Dが仏教です。もちろんキリスト教に塗られている地域にも仏教徒がいたりしますし、仏教圏とされている所にもイスラム教徒がいたりします。 アフリカ南部はキリスト教に塗られていますが、もともとの土着の宗教も祖先祭祀なども広く行なわれています。しかしキリスト教の宣教師がどんどん入り込んでいるので、キリスト教の影響力が強くなっているのです』、「地図」はあくまでイメージを掴むためのもののようだ。
・『支配者の宗教として広まった側面もある  地図をざっと見て分かるように、キリスト教圏が世界を包囲しています。キリスト教がすばらしい教えだから自然に広がった――と信者さんはお思いでしょうが、実際の経緯はもっと複雑であり、はるかに政治的です。というのは、近代になって、西洋人が世界の植民地支配に手を染め、支配者の宗教としてキリスト教が広まっていったという側面があることは否めないからです。 西洋が優位にたった背景として軍事力の働きが大きかったわけですが、西洋の優位には偶然的な要因もあります。 例えば新大陸では、西洋人が持ち込んだ病原菌のせいで、先住民の人口が激減しました。先住民文化が根こそぎ壊れてしまったところに、新たに(植民者とともに)キリスト教が広がっていったわけです。こんなふうにして西洋文化圏は新大陸をほとんど偶発的に併呑してしまいました。 まあ、歴史というのは残酷なものです。愛の教えの勝利の物語の背後には、多くの血の歴史が隠されている。いや、もちろん、古代や中世においては、どこの民族も今からは考えられないほど残虐でしたから、クリスチャンばかりが軍事的にひどいことをやったわけではありません。どっちもどっちというところが大きいのですが、いずれにせよ、フットワークと軍事力や政治力において西洋人は世界を圧倒しました。) 西洋の優位には、ルネサンス以降の科学の発展によるところもあります。 この合理的思考の発達には、ある程度、聖書の「神」の概念がプラスに作用しました。と言いますのは、聖書の神は非常に排他的なところをもっており、地上のあらゆる神々や霊や魑魅魍魎の類を追い払ってしまうパワーをもっておりました。一般民衆はいつでも迷信的な世界に生きており、異教的な信仰も残存しましたが、理論的には、この世界はすべて絶対神の設計によって成り立っているはずです。 ですから、哲学者や科学者は、その神が自然界に仕組んだからくりの総体を統一的な理論をもって明らかにできるはずです。ニュートンなどが物理法則を探求した背景には、こうした宗教的な情熱がありました。 この点、インドや中国や日本などの多神教徒は、たとえ科学的な思弁や調査に手を染めたときでも、理論的には今一つ中途半端にしか進めなかったように見えます。世界中には無数の神秘的な力が働いているという呪術的世界観がずるずると存続したのです。また、西洋と同じく一神教を奉戴していても、イスラム世界では神の絶対性が科学法則を凌駕すると思われたためか、西洋ほどには科学を発展させることができませんでした』、「西洋が優位にたった背景として軍事力の働きが大きかったわけですが、西洋の優位には偶然的な要因もあります。 例えば新大陸では、西洋人が持ち込んだ病原菌のせいで、先住民の人口が激減しました。先住民文化が根こそぎ壊れてしまったところに、新たに(植民者とともに)キリスト教が広がっていったわけです。こんなふうにして西洋文化圏は新大陸をほとんど偶発的に併呑してしまいました」、「哲学者や科学者は、その神が自然界に仕組んだからくりの総体を統一的な理論をもって明らかにできるはずです。ニュートンなどが物理法則を探求した背景には、こうした宗教的な情熱がありました。 この点、インドや中国や日本などの多神教徒は、たとえ科学的な思弁や調査に手を染めたときでも、理論的には今一つ中途半端にしか進めなかったように見えます」、「西洋と同じく一神教を奉戴していても、イスラム世界では神の絶対性が科学法則を凌駕すると思われたためか、西洋ほどには科学を発展させることができませんでした」、なるほど。
・科学の発展は単純に一神教の神概念のおかげではない  というわけで、科学史においてキリスト教的西洋が圧倒的な成果を上げたわけですが、ただし、ここでもう1つ考慮に入れておかなければならないことがあります。 西洋人が科学を大々的に推し進めることになった近代というのは、もはやキリスト教会が絶対的権威をもっていた中世ではありません。近代ではルネサンス以降称揚されるようになった古代ギリシャ・ローマ時代の文化的遺産がものを言っています。 古代ギリシャの多神教徒は競争するのが大好きでしたが、そうした競争の中には議論で相手を打ち負かすというのも含まれていました。 彼らは哲学と科学を発達させ、すでに紀元前の段階で地球が丸いということを理論的に推理し、天文学と幾何学を応用して地球の大きさまで計測しています。 このことを考えると、科学の発展を単純に一神教の神概念のおかげと呼ぶわけにはいかないということになります。知性の歴史はもっと複雑なんですね』、「科学の発展は単純に一神教の神概念のおかげではない」、「近代ではルネサンス以降称揚されるようになった古代ギリシャ・ローマ時代の文化的遺産がものを言っています。 古代ギリシャの多神教徒は競争するのが大好きでしたが、そうした競争の中には議論で相手を打ち負かすというのも含まれていました。 彼らは哲学と科学を発達させ、すでに紀元前の段階で地球が丸いということを理論的に推理し、天文学と幾何学を応用して地球の大きさまで計測しています」、「古代ギリシャ・ローマ時代の文化的遺産がものを言っています」、というのは初めて知った。

次に、本年2月4日付け東洋経済オンラインが掲載したジャーナリストの藤倉 善郎氏による「統一教会以外の宗教団体名を伏せる大手メディア オウム事件以降続く「空白の30年」の罪深さ」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/649860
・『安倍晋三元首相への銃撃事件を受け、盛んに報道されるようになった世界平和統一家庭連合(以下、統一教会)の2世問題。しかし、大手メディアは統一教会以外の宗教団体に関する報道には消極的だ。宗教2世問題を追い続けてきた筆者が、オウム事件以降の宗教報道を振り返る。(後編「宗教『勧誘注意』の報道で団体名を伏せる謎」は2月4日配信)』、興味深そうだ。
・『「カルト問題」をめぐるメディアの空白  2022年7月、安倍晋三元首相への銃撃事件が起きるまで、大手メディアや政治が統一教会の問題を見過ごしてきたことを指す、「空白の30年」という言葉がある。その「空白」を埋めるかのように、大手メディアが統一教会問題を報道し、政治が動き、「宗教2世」も含め、被害当事者や支援者たちの声も頻繁に取り上げられるようになった。 統一教会に関して、1980~90年代から声を上げ続けてきた人々からすれば、隔世の感だろう。しかし一方で、身近な宗教2世の間で「なぜメディアは統一教会問題しか報じないのか」という声が上がる。統一教会以外でも宗教2世について、社会的に放置すべきでない深刻な被害が起きている。しかし大手メディアでは、正面切ってそれを報じることがない。 つまり「カルト問題」をめぐるメディアの空白は、まだ終わっていないのだ。このままでは今の「統一教会を論ずる(報じる)ブーム」が過ぎた後に、再び、空白が訪れるのではないか。 その空白を生じさせないためにも、フリーランス記者としてカルト問題や悪質な宗教を追及してきた立場から、メディアの報道姿勢を論じたい。もちろん、「何を報じるか」「何を報じないか」「どう報じるかは」は、それぞれのメディアが自律的な立場で、外部からの影響を排して決める事柄である。 しかし安倍氏の事件を機に宗教2世の問題がクローズアップされたように、メディアが積極的に報じることで、社会的に認知・発見される問題がある。それだけ大手メディアの役割と責任は大きいといえるのではないか。宗教2世、あるいはカルト問題をめぐるメディアの報道姿勢について、振り返りたい。 私自身の周辺で、メディアに対する2世たちの不満がかなりはっきりと目立つようになったのは、2022年10月27日に2世たちが厚生労働省で開いた記者会見の後からだ。会見では、統一教会2世とエホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会の信者)2世が出席し、岸田文雄首相や各政党、厚生労働省などに要望書を提出すると表明した。 統一教会とものみの塔による組織的な宗教虐待の実情を訴え、2世問題が統一教会に限った問題ではないことを説明した』、「統一教会2世とエホバの証人・・・2世が出席」、「統一教会とものみの塔による組織的な宗教虐待の実情を訴え、2世問題が統一教会に限った問題ではないことを説明」、なるほど。
・『統一教会以外の団体名を伏せるメディア  とくにものみの塔はむちなどを使って子供をたたく行為や、輸血拒否、学校行事への参加や大学進学の禁止、交友関係の制限などを、組織的に行ってきた。新たな法律をつくるまでもなく、あからさまな虐待である。しかし一般メディアの多くはこの会見について、エホバの証人、ものみの塔という名称を報じず、会見で語られた、ものみの塔の信者2世(エホバ2世とも呼ばれる)のエピソードにも触れなかった。この点については、統一教会2世からも不満が聞かれる。 統一教会2世たちもまた、統一教会問題に限定しない問題意識を持っていた。厚労省での会見は、宗派、宗教団体を限定せず、広く2世問題を提起する趣旨だった。 例外はある。例えば、10月27日に東京新聞がウェブ配信した「『今国会で被害者救済の法整備を』旧統一教会など宗教2世たちが訴え首相らに要望書を提出へ」のように、エホバの証人を明記した報道もある。 しかし会見後の3日間について、紙面で報じられた記事をニフティの「新聞・雑誌横断検索」で調べると、会見について報じた30件の記事のうち、「エホバ」の語が登場するのは1件、「ものみの塔」は0件だ(記事以下、検索期間の記載がないものは2022年12月19日分までの記事が対象)。 11月1日、「社会調査支援機構チキラボ」が、宗教2世の実態調査の結果を公表した。1131件の回答が寄せられたとした。内訳は、創価学会428、エホバの証人168、統一教会47、そのほか335。しかし上記と同じ要領で新聞・雑誌を検索したところ、39件の記事中「エホバ」は1件、「創価学会」も1件しか出てこなかった。 このように大手メディアは、統一教会以外の宗教団体について、極端に抑制的だ。 メディア側にも理由があることは想像できる。団体側からの抗議を恐れているとか、「被害を語る側の言い分だけに立脚して団体を名指しすることに抵抗がある」といった「公正さ」への意識もありそうだ。 統一教会とほかの宗教団体との扱いの違いについて、ある大手メディアの関係者は統一教会が安倍氏銃撃事件との関連で取り沙汰されるようになったのに対して、ほかの宗教団体は「事件がらみ」ではない点を挙げた。 顔出しで個別の対面取材にも応じる統一教会2世の小川さゆりさん(仮名)のような、メディアにとって記事にしやすい象徴的存在が、エホバ2世にはいない、という事情も考えられる。しかし11月7日に立憲民主党のヒアリングに出席したエホバ3世である夏野なな(仮名)さんは、マスク着用とは言え顔出しだった。これについても、ウェブ配信記事は別として、紙面ベースでは共同通信の配信記事と「しんぶん赤旗」以外は、エホバの固有名詞はなかった。 証言者の顔出しとは関係なく、ものみの塔ではメディアが慎重になっていることがわかる』、「大手メディアは、統一教会以外の宗教団体について、極端に抑制的だ。 メディア側にも理由があることは想像できる。団体側からの抗議を恐れているとか、「被害を語る側の言い分だけに立脚して団体を名指しすることに抵抗がある」といった「公正さ」への意識もありそうだ。 統一教会とほかの宗教団体との扱いの違いについて、ある大手メディアの関係者は統一教会が安倍氏銃撃事件との関連で取り沙汰されるようになったのに対して、ほかの宗教団体は「事件がらみ」ではない点を挙げた」、なるほど。
・『団体側の抗議と訴訟の歴史  ここ30年間、メディアは統一教会に限らず、カルト全般を記事にせず、空白の期間が続いていた。おそらくは「宗教団体に批判的な報道をすると面倒くさいことになる」という忌避感だ。順を追って、その歴史を見てみよう。 1989年、『サンデー毎日』が「オウム真理教の狂気」と題する特集記事を掲載した。この年だけで、7回にわたる記事を掲載し、教団初期での批判報道をリードした。これに対して、オウム側は毎日新聞社を相手取って訴訟を起こした。 同じ1989年、TBSがオウムを取り上げる番組を制作した。オウムを批判していた坂本堤弁護士のインタビューを収録したが、教団幹部がTBSに押しかけ、インタビュー映像を見せろと要求。TBS側は映像を見せてしまったうえに、放映しなかった。 1995年の地下鉄サリン事件後、この件が発覚し、オウムが坂本弁護士一家殺害事件に踏み切ったきっかけの1つになったと指摘された。「TBSビデオ問題」だ。この件でTBSは社会から強く批判され、社長が辞任した。 1990年、オウム真理教が熊本県波野村(現・阿蘇市)に教団施設を建設するため土地を取得したが、地元住民の反対にあい、現地では混乱が起きた。熊本県警が国土利用計画法違反容疑で施設を強制捜査し、幹部らを逮捕した』、「ここ30年間、メディアは統一教会に限らず、カルト全般を記事にせず、空白の期間が続いていた。おそらくは「宗教団体に批判的な報道をすると面倒くさいことになる」という忌避感だ」、確かに「サンデー毎日』・・・教団初期での批判報道をリード・・・これに対して、オウム側は毎日新聞社を相手取って訴訟」、「TBSビデオ問題」では「社会から強く批判され、社長が辞任」、などがあるので、「忌避」されるのも頷ける。
・『度重なる訴訟に大手メディアによる批判は散発的に  波野村をめぐってオウム側は、信者の転入届を受理しなかった村を提訴。森林法違反で教団に波野村での開発中止命令を出した当時の細川護熙県知事も提訴した。 教団関連の議会決議をした波野村の村議らや、それを報じた毎日新聞社を相手に、名誉毀損などを理由とした訴訟も起こした。「オウム真理教、波野村内の農地に違法にプレハブ建設の疑い」などと報じた西日本新聞社を相手取った訴訟も起こした。 結局、オウムでは、地下鉄サリン事件が起こるまで、大手メディアによるオウム批判や問題提起の報道は散発的なものにとどまった。当初から坂本堤弁護士とともにオウム問題に取り組んできた「オウム真理教被害者の会」(現・オウム真理教家族の会)の永岡弘行会長は、当時のメディアの反応の鈍さを悔しそうに振り返る。 地下鉄サリン事件が起こった後、私はいろんな人に言ったんだ。『だからあれほど言ったじゃないか』と」(永岡氏) 地下鉄サリン事件の約4年前の1991年には、幸福の科学による「フライデー事件」が起こる。講談社が発行する写真週刊誌『フライデー』の記事に抗議して、幸福の科学が信者を動員して講談社への抗議デモや、抗議の電話やFAXによって業務をマヒさせるといった行動に出た。 さらに幸福の科学は、名誉毀損などを理由に講談社を提訴したほか、全国の地裁で信者個人を原告とした訴訟も乱発した。記事の内容について教団が原告となった訴訟では教団が勝訴したが、個々の信者名義で乱発された訴訟では大半が教団側の敗訴だった。 1990年代後半から2000年代にかけては、高額な布施を強いていたワールドメイトを批判的に報じたメディアやジャーナリストを、ワールドメイトが次々と提訴している。 1980~90年代、統一教会がメディア相手に訴訟を乱発した形跡はない。しかし批判的な報道後にメディアに無言電話などの嫌がらせがあったという話は伝え聞く。今となっては、それが統一教会によるものと断定はできないが、仮にそうだとしても、オウムや幸福の科学に比べればまだマイルドだった。 近年、私自身がメディア関係者の口から「幸福の科学を批判するとFAX攻撃をされるのではないか」という具体的な危惧を聞かされることが何度かあった。メディア側の「宗教を敵に回すと面倒くさいことになる」という意識は、複数の宗教団体による激しい反論や行動によって植え付けられたものだろう。 空白の30年が生じた大きな理由は、この辺りにある。メディアの側に、面倒なこと、トラブルを避ける雰囲気が醸成されていった』、「空白の30年が生じた大きな理由は、この辺りにある。メディアの側に、面倒なこと、トラブルを避ける雰囲気が醸成されていった」、確かに「複数の宗教団体による激しい反論や行動」、によりこれを回避しようとしたのだろう。
・『事件、芸能、スキャンダルは報じる  その一方で、宗教やカルトの問題についての報道がいっさいなくなったわけではない。刑事事件になったものや奇異な騒動、政治家や芸能人のスキャンダルは、時事的な出来事として、それなりに報道されてきた。 例えば、1995年以降では、以下のようなものがある。 1990年代後半から2000年代は、ほぼ毎年のように何かしらの事件が起こったり問題が発覚したりして、その都度、報道がされてきた。しかし被害救済・防止のための機運につながる問題提起というよりは、瞬発的な時事報道だった。 そしてそれさえも「空白の30年」の後半、すなわち2010年代に入ると、さらに弱体化していったのだ。 (後編「宗教『勧誘注意』の報道で団体名を伏せる謎」は2月4日配信)』、「刑事事件になったものや奇異な騒動、政治家や芸能人のスキャンダルは、時事的な出来事として、それなりに報道されてきた」、それは当然だろう。

第三に、この続きを、2月5日付け東洋経済オンラインが掲載したジャーナリストの藤倉 善郎氏による「宗教「勧誘に注意」の報道で団体名を伏せられる謎 統一教会のブームが過ぎたら元通り、では困る」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/649863
・『安倍晋三元首相への銃撃事件を受け、盛んに報道されるようになった世界平和統一家庭連合(以下、統一教会)の2世問題。しかし、大手メディアは統一教会以外の宗教団体に関する報道には消極的だ。宗教2世問題を追い続けてきた筆者が、オウム事件以降の宗教報道を振り返る。(前編「統一教会以外の宗教団体名を伏せる大手メディア」)「空白の30年」と呼ばれる期間も、「カルト問題」のうち目を引く事件や騒動、スキャンダルはそれなりに報道されてきた。しかし調査報道や問題提起報道は活発ではなかった。 私自身、2004年にライターとして開業したものの、カルト問題について書ける媒体がほとんどなかった。そこで2009年に、ジャーナリストの鈴木エイト氏などの仲間たちと「やや日刊カルト新聞」というニュースサイトを開設した。それ以降、一般メディアがいかにカルト問題を避けているかを一層痛感することになる』、「カルト問題について書ける媒体がほとんどなかった。そこで2009年に、ジャーナリストの鈴木エイト氏などの仲間たちと「やや日刊カルト新聞」というニュースサイトを開設した。それ以降、一般メディアがいかにカルト問題を避けているかを一層痛感」、なるほど。
・『スキャンダルにも反応しなくなった10数年  統一教会と国会議員の関わりについては、2004年に朝日新聞が、自民党の衆議院議員(2021年に落選)が関連団体から献金を受けたことを報じている。しかし献金に関する報道はこれが最後。献金以外については、前編で触れた2006年の安倍晋三官房長官(当時)らによる教会への祝電問題が最後だ。 昨年、安倍氏銃撃事件が起こるまで、国会議員に関するこの手の新聞報道はなかった。2021年に安倍氏が関連団体の大会にビデオ出演した時ですら、新聞・テレビは反応しなかった。) この空白期間に、統一教会と政治家の関係を記事にしてきたのは、鈴木エイト氏と、鈴木氏の記事を連載してきた扶桑社の「ハーバー・ビジネス・オンライン」(2021年にサイト全体の記事配信を停止)。そして単発だと、鈴木氏や私のルポを掲載した雑誌や「日刊ゲンダイ」くらいだった。安倍氏のビデオ出演も、「やや日刊カルト新聞」で第1報を出したのは鈴木氏だ』、「昨年、安倍氏銃撃事件が起こるまで、国会議員に関するこの手の新聞報道はなかった。2021年に安倍氏が関連団体の大会にビデオ出演した時ですら、新聞・テレビは反応しなかった」、「この空白期間に、統一教会と政治家の関係を記事にしてきたのは、鈴木エイト氏と、鈴木氏の記事を連載してきた扶桑社の「ハーバー・ビジネス・オンライン」(2021年にサイト全体の記事配信を停止)。そして単発だと、鈴木氏や私のルポを掲載した雑誌や「日刊ゲンダイ」くらいだった」、情けない限りだ。
・『統一教会以外についても同様だ  「やや日刊カルト新聞」創刊直前の2009年夏、幸福の科学が「幸福実現党」を結成し衆院選に337人もの大量の候補者を立てた。このこと自体は全国ニュースになったが、この教団の過去の問題を報じた新聞は当時ゼロだ。 2014年に、詐欺罪で服役していた法の華三法行教祖・福永法源氏が出所し、翌2015年に信者たちを集めて「復活祭」を開催。福永氏は詐欺罪とは認めないと言い放ち、信者たちと相変わらずの「最高ですか~!」「最高で~す!」の掛け声を披露した。まったく反省はなかった。 これを時事ニュースとして報じた一般紙やテレビはない。私は潜入取材の映像を「やや日刊カルト新聞」で公表した。複数のテレビ局から映像を貸してほしいと依頼が来たが、「潜入取材の映像は使えない」「すでに罪を償った人の顔や名前は出せない」という理由で、結局、放映されることはなかった。 2015年に山梨県河口湖町で高校生が祖父母を殺害する事件が起こった。幸福の科学の2世信者で、教団が運営する学校への進学費用目当ての犯行だった。『週刊新潮』がこれをスクープし、「やや日刊カルト新聞」が公判の傍聴レポートを掲載したが、新聞は幸福の科学にいっさい言及しなかった。 2016年の参院選では、浄土真宗親鸞会の現役信者・柴田未来氏が、石川選挙区の野党統一候補となった。民進党(当時)が擁立し、機関紙「しんぶん赤旗」で親鸞会を名指しでカルトと報じていた日本共産党までもが推薦した。「日刊ゲンダイ」がスクープしたものの、ほかの一般メディアは完全に沈黙。もちろん「しんぶん赤旗」もだ。) 第2次安倍政権下の2017年。宗教団体「不二阿祖山太神宮(ふじあそやまだいじんぐう)」の関連イベントで、安倍昭恵氏が名誉顧問を務め、70人近い与野党の現役国会議員、首長、地方議員が顧問についている問題を「日刊ゲンダイ」がスクープ。偽歴史書に基づくオカルト的歴史観で「富士古代王朝」の存在をアピールする内容もあるイベントなのに、教育委員会や文科省まで後援についていた。 イベント紹介記事を掲載した一般紙はいくつもあったが、昭恵氏や政治家や行政機関の関係を報じたものはない。それどころか、地方メディアのほか、全国紙では朝日新聞社や読売新聞西部本社まで後援についていた。 2019年に、医療否定の教義を持ちワクチン接種も控えるよう指導していた「救世神教(きゅうせいしんきょう)」で、2世信者たちの、はしかの集団感染が発覚。東海地方では信者以外の人々にも感染が広がった。 当初、教団自身も行政も団体名を公表せず、一般メディアはこれに従った。団体名を特定して報じた「やや日刊カルト新聞」の記事は、鈴木エイト氏の単独スクープだった。 事件やスキャンダル含みの出来事すら大手の報道がなかったケースは、枚挙にいとまがない。おかげで「やや日刊カルト新聞」の独自記事や、その記者たちが一般メディアで書く記事は、たいてい単独スクープだった。あまり注目されなかったが。 「空白の30年」が深刻化していった後半は、第1次安倍政権のスタートと重なる。しかし安倍氏や自民党が懇意にしていた統一教会に限った空白ではない。つまり「政治の力」だけの問題ではなく、メディア側の姿勢や体質の問題も大きい』、「2017年。宗教団体「不二阿祖山太神宮・・・」の関連イベントで、安倍昭恵氏が名誉顧問を務め、70人近い与野党の現役国会議員、首長、地方議員が顧問についている問題を「日刊ゲンダイ」がスクープ。偽歴史書に基づくオカルト的歴史観で「富士古代王朝」の存在をアピールする内容もあるイベントなのに、教育委員会や文科省まで後援についていた。 イベント紹介記事を掲載した一般紙はいくつもあったが、昭恵氏や政治家や行政機関の関係を報じたものはない。それどころか、地方メディアのほか、全国紙では朝日新聞社や読売新聞西部本社まで後援についていた」、「偽歴史書に基づくオカルト的歴史観で「富士古代王朝」の存在をアピールする内容もあるイベントなのに」、「安倍昭恵氏が名誉顧問」ということもあって、「教育委員会や文科省まで後援」、「全国紙では朝日新聞社や読売新聞西部本社まで後援」、「安倍昭恵氏」のご霊験はあらたかなようだ。
・『「勧誘に注意」、でも団体名は伏せる  前編で登場した「摂理」(キリスト教福音宣教会)の問題が大きく報じられた2006年以降、全国の大学にカルト対策が広まった。一般紙が春先に「カルト勧誘に注意」と呼びかけたり、大学関係者などによる取り組みを紹介したりするケースも散見されるようになった。 ここで奇っ怪な現象が生まれる。注意喚起の記事なのに、具体的な問題団体を名指ししない新聞記事が多数発生したのだ。これでは、何に注意すればいいのかわからない。 大学関係者の間で話題に上る団体は、おおむね決まっている。オウム真理教、統一教会、摂理、浄土真宗親鸞会、顕正会などだ。niftyの「新聞・雑誌記事横断検索」で「カルト AND 勧誘 AND 注意」を検索すると、2007年以降、2022年12月19日までに154件の記事がヒットする。うち「オウム」というワードが登場する記事は3分の1程度しかない。 「統一教会」もほぼ同じで、「摂理」は21件。「親鸞会」は2件、「顕正会」1件あるが、いずれも一般紙での記事はゼロだ。) 「摂理」は現在も日本で偽装勧誘を展開しており、2018年以降、全国の支部に当たる複数の教会が各府県でそれぞれに宗教法人格を取得している。信者数は2006年当時の2倍近い約4000人と見られる。宗教法人化については私自身が2019年に『デイリー新潮』でレポートしたが、それ以外の一般メディアでは話題になっていない。 2022年10月には、教祖が出所後に再び性的暴行を行ったとされる容疑で、韓国で逮捕された』、「一般紙」はすっかり「宗教団体」名を上げるのに慎重になったようだ。
・『安倍氏の事件後も残る「不合理な慎重さ」  そんな中、状況が変わりつつあったのが2世問題だ。 安倍氏銃撃事件よりはるか前の2013年から、2世自身による手記の書籍出版が相次いでいた。2021年までに少なくともエホバ2世の手記が6冊、ヤマギシ会2世の手記が2冊。キンドルでの自主刊行ながら統一教会2世の手記もあった(『カルトの花嫁』として2022年11月に書籍化)。2世自身によるネット発信も活発化しており、2020年にはウェブサイト「宗教2世ホットライン」が開設される。 「静かなブーム」に目をつけたのか、2020年にAbemaTV(現ABEMA)が、2021年にはNHKが別々の番組で3本、2世問題を特集した。しかしいずれも団体名を伏せた。 クローズアップされたのは統一教会やエホバの2世。つまり組織的に深刻な問題を生み出してきた団体だ。しかしNHK「かんさい熱視線」の1本を除いて、組織側の問題にほとんど触れていなかった。中には、露骨に「親子の関係」に矮小化してみせる番組もあった。2世問題をネタにはするが、団体への批判に当たりそうなネガティブ要素は極力そぎ落とすという「不合理な慎重さ」だ。 そして前編で触れたように安倍氏銃撃事件後も、多くのメディアがエホバ2世による記者会見などがあっても団体名を報じない。不合理な慎重さが解除されたのは統一教会についてだけだ。 2022年2月には、「集英社マンガ削除問題」が起こる。さまざまな教団出身の2世たちの体験談を取り上げた菊池真理子氏のマンガ『「神様」のいる家で育ちました』が集英社のウェブサイトで連載されていたが、幸福の科学からの抗議をきっかけに集英社が全話を削除。3月に連載終了を発表する。 この時、「幸福の科学」を名指しした報道は、週刊誌『FLASH』のみ。文藝春秋からの単行本化がたまたま安倍氏銃撃事件後になったこともあって、この作品はあらためて注目される。ここで10月28日に毎日新聞が不可思議な記事をウェブ配信した。マンガの削除問題に触れているのに幸福の科学の名がないのだ。それでいて、記事にはこんな一節が。 〈今、菊池さんが危惧するのは、旧統一教会だけが追及されて終わること。「どんな宗教でも、家庭で子どもの信教の自由が侵害されていれば、それは人権問題です。決して旧統一教会だけの話じゃない」〉 これこそ、統一教会だけを追及して終わらせる記事ではないか。こんな自己矛盾をきたしてもなお不合理な慎重さを捨てきれずにいる』、「安倍氏の事件後も残る「不合理な慎重さ」」、全く腹立たしい限りだ。
・『ブームが過ぎたら元通り、では困る  「新聞・雑誌記事横断検索」では、安倍氏銃撃事件が起こった7月8日以降の約5カ月間で、「統一教会」「統一協会」が登場する記事は3万4143件(12月31日時点)。地下鉄サリン事件があった1995年の1年間のオウム真理教に関する報道3万2389件を、すでに上回った。一見、空白の30年が大きく崩れたかのように見える。 しかも今回は内容面でも、カルト的な集団について過去に繰り返されてきた瞬発的な時事報道とはまったく様相が異なる。政治家の問題、金銭被害、2世問題など多岐にわたるテーマで、独自の取材によって事実を掘り起こすものや、被害の救済や予防につながる問題提起的な報道が目立つ。それが事件から半年近く経っても収束しない。十分とはいえないものの政界も大きく動いた。 いま大手メディアは、優秀な人材を集めた組織ジャーナリズムの本領を遺憾なく発揮している。中央の大手に比べて体力的に余裕があるわけでもないはずの地方メディアも、同様だ。 しかしこれだけでは、ほかの宗教団体の報道ではいまだ残る不合理な慎重さを断ち切ることはできない。これができなければ、「統一教会ブーム」が落ち着いた後、再び暗黒の空白がやってくる。 事件の前も後も、現場の記者たちの熱意をそぐのは、各社の「上の人たち」だ。安倍氏銃撃事件が起こる1年ほど前、私は統一教会以外のカルト的な集団の報道をめぐって、大手新聞の記者からこんな言葉を聞かされた。 「訴訟にならなくても抗議文が来るだけで、社内で上司の責任問題になる」 各社の上の人たちには、こうした自社のあり方を再考し、現場の記者たちが存分に問題意識をはっきできるよう、しっかり守って後押ししてほしい。すでに発揮されている大手メディアの本領を、統一教会問題だけにとどめてしまうのはもったいない』、「訴訟にならなくても抗議文が来るだけで、社内で上司の責任問題になる」、「大手新聞」がこんな保守的な姿勢では、マスコミの責任放棄だ。仮に「訴訟」になっても勝てばいいと割り切るぐtらいの気持ちで臨むことも必要だろう。
タグ:宗教 (その7)(意外に知らない「キリスト教」世界最大になった訳 広がっていった経緯は複雑で、かなり政治的、統一教会以外の宗教団体名を伏せる大手メディア オウム事件以降続く「空白の30年」の罪深さ、宗教「勧誘に注意」の報道で団体名を伏せられる謎 統一教会のブームが過ぎたら元通り では困る) 東洋経済オンライン 中村 圭志氏による「意外に知らない「キリスト教」世界最大になった訳 広がっていった経緯は複雑で、かなり政治的」 新著『教養として学んでおきたい聖書』 「旧約聖書は「古代イスラエル宗教文学全集」と理解するのがたぶんよろしいでしょう」、「古代イスラエル宗教文学全集」とは言い得て妙だ。「イスラエル人たちは自分たちの苦難を人類史上の一大事のように思い描いたのでした。この強烈な自意識があるからこそ、旧約聖書は古典の地位を獲得できた」、 「イスラエル人たちの見取り図によれば、この世とは神と人間との対話の空間です。神が理想を示す。人間はそれが守れない。人間は苦難に陥り、神が救いの道を示す。気宇壮大なドラマです」、「イスラエル人の設定した「人間に倫理的な反省を迫る」という神の基本的な性格は、古代的あるいは民族的な伝統の枠を超えて、後世の多くの人々の倫理的思索にインスピレーションを与えることになりました」、「旧約は人類史の前半における神と人間の関係を記した書、新約は人類史の後半における神と人間の関係を記した書だ」、 「神はまずイスラエル人をサンプルに選んで律法という戒律を与えてみたのだが、彼ら選民にしてからが神の道を外れがちであった(人類史の前半)。そこで神は自ら目に見える神キリストとして現われて人類の罪を清算し、律法遵守という課題の代わりに「キリストに忠節を尽くし、キリストにならう」という新たな課題を人類に与えた(人類史の後半)」、「聖書というのは――ユダヤ教徒にとってもキリスト教徒にとっても――宇宙を支配する絶対神と自分自身との倫理的な対話の書である」、なるほど。 「地図」はあくまでイメージを掴むためのもののようだ。 「西洋が優位にたった背景として軍事力の働きが大きかったわけですが、西洋の優位には偶然的な要因もあります。 例えば新大陸では、西洋人が持ち込んだ病原菌のせいで、先住民の人口が激減しました。先住民文化が根こそぎ壊れてしまったところに、新たに(植民者とともに)キリスト教が広がっていったわけです。こんなふうにして西洋文化圏は新大陸をほとんど偶発的に併呑してしまいました」、 「哲学者や科学者は、その神が自然界に仕組んだからくりの総体を統一的な理論をもって明らかにできるはずです。ニュートンなどが物理法則を探求した背景には、こうした宗教的な情熱がありました。 この点、インドや中国や日本などの多神教徒は、たとえ科学的な思弁や調査に手を染めたときでも、理論的には今一つ中途半端にしか進めなかったように見えます」、「西洋と同じく一神教を奉戴していても、イスラム世界では神の絶対性が科学法則を凌駕すると思われたためか、西洋ほどには科学を発展させることができませんでした」、なるほど。 「科学の発展は単純に一神教の神概念のおかげではない」、「近代ではルネサンス以降称揚されるようになった古代ギリシャ・ローマ時代の文化的遺産がものを言っています。 古代ギリシャの多神教徒は競争するのが大好きでしたが、そうした競争の中には議論で相手を打ち負かすというのも含まれていました。 彼らは哲学と科学を発達させ、すでに紀元前の段階で地球が丸いということを理論的に推理し、天文学と幾何学を応用して地球の大きさまで計測しています」、「古代ギリシャ・ローマ時代の文化的遺産がものを言っています」、というのは初めて知っ た。 藤倉 善郎氏による「統一教会以外の宗教団体名を伏せる大手メディア オウム事件以降続く「空白の30年」の罪深さ」 「統一教会2世とエホバの証人・・・2世が出席」、「統一教会とものみの塔による組織的な宗教虐待の実情を訴え、2世問題が統一教会に限った問題ではないことを説明」、なるほど。 「大手メディアは、統一教会以外の宗教団体について、極端に抑制的だ。 メディア側にも理由があることは想像できる。団体側からの抗議を恐れているとか、「被害を語る側の言い分だけに立脚して団体を名指しすることに抵抗がある」といった「公正さ」への意識もありそうだ。 統一教会とほかの宗教団体との扱いの違いについて、ある大手メディアの関係者は統一教会が安倍氏銃撃事件との関連で取り沙汰されるようになったのに対して、ほかの宗教団体は「事件がらみ」ではない点を挙げた」、なるほど。 「ここ30年間、メディアは統一教会に限らず、カルト全般を記事にせず、空白の期間が続いていた。おそらくは「宗教団体に批判的な報道をすると面倒くさいことになる」という忌避感だ」、確かに「サンデー毎日』・・・教団初期での批判報道をリード・・・これに対して、オウム側は毎日新聞社を相手取って訴訟」、「TBSビデオ問題」では「社会から強く批判され、社長が辞任」、などがあるので、「忌避」されるのも頷ける。 「空白の30年が生じた大きな理由は、この辺りにある。メディアの側に、面倒なこと、トラブルを避ける雰囲気が醸成されていった」、確かに「複数の宗教団体による激しい反論や行動」、によりこれを回避しようとしたのだろう。 「刑事事件になったものや奇異な騒動、政治家や芸能人のスキャンダルは、時事的な出来事として、それなりに報道されてきた」、それは当然だろう。 藤倉 善郎氏による「宗教「勧誘に注意」の報道で団体名を伏せられる謎 統一教会のブームが過ぎたら元通り、では困る」 「カルト問題について書ける媒体がほとんどなかった。そこで2009年に、ジャーナリストの鈴木エイト氏などの仲間たちと「やや日刊カルト新聞」というニュースサイトを開設した。それ以降、一般メディアがいかにカルト問題を避けているかを一層痛感」、なるほど。 「昨年、安倍氏銃撃事件が起こるまで、国会議員に関するこの手の新聞報道はなかった。2021年に安倍氏が関連団体の大会にビデオ出演した時ですら、新聞・テレビは反応しなかった」、「この空白期間に、統一教会と政治家の関係を記事にしてきたのは、鈴木エイト氏と、鈴木氏の記事を連載してきた扶桑社の「ハーバー・ビジネス・オンライン」(2021年にサイト全体の記事配信を停止)。そして単発だと、鈴木氏や私のルポを掲載した雑誌や「日刊ゲンダイ」くらいだった」、情けない限りだ。 「2017年。宗教団体「不二阿祖山太神宮・・・」の関連イベントで、安倍昭恵氏が名誉顧問を務め、70人近い与野党の現役国会議員、首長、地方議員が顧問についている問題を「日刊ゲンダイ」がスクープ。偽歴史書に基づくオカルト的歴史観で「富士古代王朝」の存在をアピールする内容もあるイベントなのに、教育委員会や文科省まで後援についていた。 イベント紹介記事を掲載した一般紙はいくつもあったが、昭恵氏や政治家や行政機関の関係を報じたものはない。それどころか、地方メディアのほか、全国紙では朝日新聞社や読売新聞西部本社まで後援についていた」、「偽歴史書に基づくオカルト的歴史観で「富士古代王朝」の存在をアピールする内容もあるイベントなのに」、「安倍昭恵氏が名誉顧問」ということもあって、「教育委員会や文科省まで後援」、「全国紙では朝日新聞社や読売新聞西部本社まで後援」、「安倍昭恵氏」のご霊験はあらたかなようだ。 「一般紙」はすっかり「宗教団体」名を上げるのに慎重になったようだ。 「安倍氏の事件後も残る「不合理な慎重さ」」、全く腹立たしい限りだ。 「訴訟にならなくても抗議文が来るだけで、社内で上司の責任問題になる」、「大手新聞」がこんな保守的な姿勢では、マスコミの責任放棄だ。仮に「訴訟」になっても勝てばいいと割り切るぐtらいの気持ちで臨むことも必要だろう。
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