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情報セキュリティー・サイバー犯罪(その1)激化するサイバー攻撃 [科学技術]

今日は、情報セキュリティー・サイバー犯罪(その1)激化するサイバー攻撃 を取上げよう。

先ずは、10月24日付け日経Bpnet「大規模サイバー攻撃で大手ネットサービスが続々ダウン、「IoTの悪用」に震撼!」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・10月21日、朝からの大規模なサイバー攻撃により、ツイッターやアマゾン、ペイパル、ネットフリックスなど、米東海岸地域の企業が提供する世界的規模のネットサービスが続々とダウンしたり接続しづらくなったりする障害が発生し、世界中に震撼が走った。日本でも、ツイッターで米国からの通信に遅れが生じるなどの影響が出た。
・障害の原因は、インターネットの“住所録”に相当する、ドメイン名とIPアドレスを対応させる「DNS(ドメインネームシステム)」のサービスを提供する米ダインに対して、大規模なDDoS(大規模分散型サービス妨害)攻撃が行われたことだった(参考:DNSサービスの「Dyn」に大規模DDoS攻撃、Twitterなどが影響受けダウン、ITpro)。
・DDoS攻撃とは、一般にマルウエア(ウイルスなどの不正プログラム)に感染させた多数のネットワーク機器から、標的となるサービスを提供しているサーバーに対して一斉にアクセスさせることで、サーバーをダウンさせたり動作を不安定にさせたりする攻撃手法である。
・ただ、今回特徴的だったのは、マルウエアを感染させる対象となったのが、従来もっぱら狙われていたパソコンではなく、ルーターやWebカメラ、プリンターなど「IoT(モノのインターネット)」系の機器だったことだ。パスワードが初期設定のままなど、管理が行き届いていないIoT機器が狙われたと見られている(参考:Mirai Botnet Linked to Dyn DNS DDoS Attacks、Flashpoint)。
▽日本でも「ツイッターが重い」で検索する人が急増
・攻撃は21日午前7時(米東部時間、日本は同日午後9時)に発生、約2時間後には一度復旧したものの、午後0時(同、日本は翌22日2時)に再度攻撃が始まった。二度目の攻撃は、最初の攻撃よりもより広い地域から攻撃を受けたという。攻撃には第3波もあったが、これは防御に成功したとのことだ。
・最終的に復旧したのは、攻撃開始から6時間後の午後1時(同、日本は午前3時)だった。この間、実に1000万近くものIPアドレスから攻撃があったという。日本でも「ツイッターが重い」という検索ワードが21日23時頃から翌5時にかけて急上昇した。ツイッターでも22日午前3時頃から「Twitter調子」「DDoS」が、朝には「サイバー攻撃」がトレンド入りした。
・今回、攻撃に利用されたマルウエアは「Mirai」と呼ばれているもの。米国のジャーナリスト、ブライアン・クレブス氏が運営するセキュリティ情報サイト「クレブス・オン・セキュリティ」が9月20日に、またフランスのプロバイダーOVHが9月22日にそれぞれDDoS攻撃を受けた際にも使われたとされる。
・クレブズ氏のサイトは「620Gbps」という、過去に記録されたことがない規模(1秒当たりの通信容量)のDDoS攻撃を受けた。一方のOVHも「1Tbps近いDDoSを受けた」と発表している。クレブス氏のサイトをホスティングしていた米通信インフラ企業アカマイ・テクノロジーズによると、この事件までに同社が経験した最大規模のDDoS攻撃は363Gbpsだったという(参考:セキュリティニュースサイトに史上最大規模のDDoS攻撃、1Tbpsのトラフィックも、ITmedia)。
▽「世の中のあらゆるものが悪用される」時代に突入
・Miraiは、とある英語のハッカーコミュニティに対して10月1日、「Anna-senpai」なるアカウントを持つ人物からソースコードがアップロードされたものだとされる。プログラムを起動すると、パスワードが初期設定や簡単なままで使われているIoT機器をスキャンし、次々と感染して「ボットネット(Botnet)」を形成。攻撃者がボットネットに命令を下すと、指定した目標に一斉に攻撃を仕掛ける(参考:史上最大級のDDoS攻撃に使われたマルウエア「Mirai」公開、作者がIoTを悪用、ITmedia)。
・クレブス氏によると、Miraiはメモリーに感染するタイプのため、感染した機器の電源をいったん切れば元に戻るだろうと説明している。また、感染前の対策としては、「インターネットに接続しているあらゆる機器の設定を初期設定のまま放置しないこと」が唯一の対策だという。  Mirai自体は必ずしも高度なプログラムではないが、ソースコードが公開されているため、今後さまざまに改造され、より高度な感染や攻撃が行われる危険性は高い。Miraiは、IoTの時代に行われた攻撃としては最も成功したマルウエアとなった。
・我々ができる対策は、ネットにつながるあらゆる機器に対して、「初期パスワードのままでは使わない」「脆弱性があったり暗号化されていなかったりするプロトコルは使わないように設定する」など、基本的な設定を漏れなく施すことしかない(参考:Krebs 氏に対する DDoS 攻撃で使用された「IoT」マルウエア Mirai がオープンソース化される、Sophos)。
・IoTが爆発的に普及していくこれからの時代、「身のまわりのあらゆるものがネットに接続するようになる可能性があり、それらが悪用される危険性がある」ということを常に念頭に置いておきたい。
http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/column/16/ronten/102400015/?P=1

次に、10月25日付け日経ビジネスオンライン「“8歳児”のサイバー攻撃に負ける日本企業 “サイバー無策”のツケを払うのはこれからだ」を紹介しよう(▽は小見出し、――は聞き手の質問、+は回答の段落)。
・日経ビジネス10月31日号では「サイバー無策 企業を滅ぼす」と題する特集記事を掲載する。煽り気味のタイトルのようだが、決して誇張ではない。10月21日(金曜日)には米国で、大規模なサイバー攻撃が発生。ツイッターやペイパル、スポティファイなど日本でも馴染みのある米国のウェブサービスが一時、利用できない状況に追い込まれた。日本も決して対岸の火事ではいられない。
・しかし、日本企業は長年、そうした「リスク」を軽視してきた。国家は企業に対策を丸投げし、経営者は現場の担当に責任を押し付ける。そして多くの企業の現場では「ヒト・モノ・カネ」が十分に与えられず、無為に時間を過ごしてきた。その“サイバー無策”のツケを支払う時期を、日本企業は迎えようとしている。 連動インタビューの第1回目に登場するのは、サイバーディフェンス研究所の名和利男・上級分析官。航空自衛隊で防空システムなどを担当した専門家が、近年激増している“子供”のサイバー攻撃の背景を語る。
――サイバー攻撃の被害に遭う企業が後を絶ちません。攻撃の手口が巧妙化しており、対策が間に合わないという悲鳴が聞こえてきます。
名和:正直に答えると各方面から怒られそうですが、高度な攻撃だけでなく“子供”のサイバー攻撃にも耐えられないのが、多くの日本企業の実情だと思います。 8歳ぐらいの子供は、大人の行動を真似て悪いことをしたがりますよね。こうした幼稚な攻撃者が、最近、サイバー空間で激増しています。訓練を受けずに場当たり的にサイバー攻撃を仕掛けてくるため、ほとんどのケースは失敗します。しかし子供の力でも、繰り返し殴られるとやっぱり痛い。専門家からすれば「8歳児レベル」の非常に稚拙な攻撃でも、様々な企業から情報を盗むのに成功しています。
――なぜ“子供”がサイバー攻撃に手を出すのでしょうか。
名和:一言で言えば儲かるからです。 日本企業から盗んだ情報は、特に中国で高く売れます。漢字を使っているため理解しやすいうえ、貴重な情報が無防備に置かれているケースも多い。しかも情報は腐らず、売ってもなくなることがない。再生産するための工場設備すら必要ない。
+違法に入手した情報を売るだけで、毎月数十万円を稼いでいるハッカーはたくさんいます。裏社会における“成功者”に憧れて、サイバー攻撃に手を染める“子供”がどんどん増えているのです。
+見破られなかった攻撃手法を、数万円で販売する技術者も増えてきました。中国語で検索すれば、ハッキングのマニュアルが大量に探せるでしょう。見よう見まねで攻撃できるツールもすぐに手に入ります。
――子供ではなく、“大人”のサイバー攻撃も増えているのでしょうか。
名和:国家が関与しなければできないような、組織的な攻撃も相次いでいます。被害に遭った企業を調査すると、たまに芸術的としか表現できない攻撃手法を発見することがあります。複数の専門家が周到に準備を整え、一糸乱れず攻撃する。“子供”が場当たり的にやっているとは、到底考えられません。
+こうした“大人”のサイバー攻撃を、日本企業が防ぐのはまず不可能です。絶対にやられます。国家が意志を持ってサイバー空間で攻撃やテロを仕掛けてきた場合、それを防御する組織が日本にはないからです。
▽国が企業を「フルボッコ」
――自衛隊がいるのでは。
名和:物理空間では守ってくれるでしょう。しかし、サイバー空間ではどうでしょうか。 昨年、日本年金機構がサイバー攻撃を受け100万件超の個人情報が流出しました。今年はJTBが被害に遭っています。もし、これらの攻撃の背後にどこかの国がいた場合、JTBなどを守るのは日本政府の役割です。 ところが現実は違います。年金機構に関しては、政府が逆に「フルボッコ」にしてしまいました。フルボッコとは、フルパワーでボッコボコにするという「2ちゃんねる」用語ですね。年金機構のあら探しをするようなリポートを出して、再起不能な状態に追い込んでしまった印象です。
+国家レベルのサイバー攻撃に対抗するには、相応の体制が必要です。物理空間でも、民間企業が自衛のために戦闘機を持つことはできません。国が考えるしかないのです。 しかし今、日本政府がやっているのは、民間企業の自己防衛力を高めさせるための取り組みです。各省庁が必死になって様々な施策を掲げていますが、民間の手に余る攻撃への対処はほとんど議論されていません。
――民間に丸投げされても困ります。
名和:そうでしょうね。サイバー攻撃に対して“無策”なのは、民間の経営者も同じですから。特に60歳以上の経営者は、変化に対して強い拒否反応を示しているように見えます。 “ガラケー”を使っていた人が、スマートフォンへの乗り換えを頑として拒否する理屈と同じです。新しいことを学びたくない、分からないことは見て見ぬふりで済ませたい。セキュリティーに関して、そんな意識を持っている経営者はかなり多いと思います。
+日本企業は本来、もっとセキュリティー対策に投資すべきだったと思います。ところが目先の利益を優先して、問題を先送りしてしまった。危険を軽視してきたツケを、これから支払うことになるのでしょう。
▽業務委託先や下請け企業がリスク
――「ウチみたいな中小企業を狙うはずがない」と高をくくっている経営者もいます。
名和:最近、大手建設会社と打ち合わせをしたのですが、設計書の流出が一番怖いと話していました。仮に空港の設計情報が外部に漏れたら、テロ対策などを抜本的に考え直さないといけません。 そうした情報は、1次請け、2次請けを含めたサプライチェーンの様々なところに分散しています。中小企業だからといって、セキュリティーを無視できると考えるのは大間違いです。
+今の日本では、セキュリティー対策はペイしません。例えば2社で受注を争っている場合、セキュリティーを軽視して安値で応札した企業の方が有利になります。真面目に頑張ってセキュリティーに投資しても、ビジネス上のメリットが見込みづらいのです。
+市場経済に任せていては、日本のセキュリティー水準は向上しません。だからと言って、法律で厳しく網を掛けると経済の活力を奪いかねない。どうすれば企業経営者が真剣にセキュリティーを考えるようになるのか。当面は試行錯誤しながら、少しずつ進むしかありません。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/16/102100010/102100003/?P=1

第三に、上記特集の続きとして、同日付け同誌の「「ネット炎上」こそ最強のサイバー攻撃だ 日本企業がサイバー被害を「隠す」理由」を紹介しよう(▽は小見出し、――は聞き手の質問、+は回答の段落)。
・日本企業のサイバーセキュリティー対策が進まない背景には、「ネット炎上」への恐怖がある。被害実態やそのリスクを公表して炎上が始まると、関係部門は対応に忙殺され業務がストップしかねないからだ。それを心配しすぎるあまり、日本企業は被害の隠蔽に走るという。
・「サイバー無策 企業を滅ぼす」特集連動インタビューの第2回に登場するのは、ロシアのセキュリティーソフト大手カスペルスキーで日本法人の代表を務める川合林太郎社長。セキュリティー製品の“売り手”であるITベンダーにもサイバー無策の原因があると語る。
――日本国内の組織を“狙い撃ち”するサイバー攻撃が続いています。カスペルスキーは昨年、日本年金機構を襲った攻撃が「Blue Termite:ブルーターマイト」と呼ばれる組織的なものだと発表し、警鐘を鳴らしてきました。以降、日本企業の意識は変わったのでしょうか。
川合:様々な事実を基に、日本がかなり危険な状況に置かれていることを伝えたつもりなのですが、1年経っても何も変わっていません。日本企業にとって、サイバー攻撃は今なお“人ごと”に過ぎないんですよ。どうすれば自らの問題としてサイバー攻撃を捉えてもらえるのか。やや途方に暮れている状態です。
――経済産業省は昨年末、経営者向けのサイバーセキュリティーのガイドラインを発表しました。金融庁は銀行などを対象にしたサイバー防衛演習を強化しています。政府の危機感はそれなりに強いと思いますが。
川合:確かに政府の意識は変わりつつあります。様々な組織がサイバーセキュリティーへの取り組みを強化し、企業向けの対策マニュアルなどを提供しています。ところが残念なことに、こうしたマニュアルが難解なのです。セキュリティーの専門家が詳しい人に向けて書いているため、一般の社会人が読んで理解できるレベルになっていません。
+たとえは乱暴ですが、小学生に六法全書を渡したうえで「これを読んで世の中の仕組みと法律を理解しなさい」と言っているようなものです。技術的なバックグラウンドがない経営者が理解するのは難しいでしょう。  日本におけるサイバーセキュリティーの問題点は明確です。「末端」任せになっていることです。政府は企業に対策を丸投げするし、経営者も現場に判断を委ねている。「攻撃を受けないように工夫しろ」「システムの脆弱性がないか常に監視しろ」と義務ばかり押し付ける一方で、「予算やルールは現場で考えるのが当たり前」と突き放す。これでは、セキュリティーを強化しようというモチベーションは高まりませんよね。
+政府が企業経営者にサイバーセキュリティーを考えさせたいなら、何らかのメリットを示す必要があります。ある程度の対策を講じている企業は、銀行からお金が借りやすくなったり、(情報漏洩などの損害をカバーする)保険の料率が下がったりするなど、金銭的なインセンティブが重要です。これまでのように脅威を指摘し続けるだけでは、経営者の行動を変えるのは難しい。
▽リスクを開示すると逆効果に
――「北風と太陽」の寓話みたいですね。
川合:海外と比べると、日本企業の経営者はサイバー攻撃にともなう企業イメージの悪化を非常に気にしますね。これも、日本のサイバーセキュリティー強化を阻む一因になっています。 米国企業はサイバー防衛対策の開示に積極的です。サイバー攻撃の被害実態やその可能性を財務関係書類に記載する義務がありますし、リスクを開示したからと言って評判が下がることはありません。むしろ「きちんと対策を講じている」と評価されるのが通常です。
+日本では対照的に、可能な限り隠蔽しようとします。個人情報漏洩のように公表義務が課されている場合は別ですが、被害の事例を共有しようという意識に乏しい。サイバー被害に遭った事実やそのリスクを開示すると、それがかえって「バッシング」や「ネット炎上」を招きかねないからです。このネット炎上こそが、日本における最も恐ろしいサイバー攻撃だと私は考えています。
+炎上が始まってバッシングの論調が高まると、標的になった企業の業務は止まります。サポートセンターは苦情の電話やメールへの対応にかかりっきりになりますし、広報担当者も忙殺される。営業担当者も本来の仕事を後回しにして、お詫び行脚をしなければならない。企業の活力を奪うという点で、ネット炎上は非常に厄介なサイバー攻撃だと言えるでしょう。
――監視の目が強まれば、企業のサイバーセキュリティー対策が進みそうです。
川合:ところが実態は逆なんです。 私の知り合いに「ペネトレーション(侵入)テスト」を手掛ける企業の技術者がいます。情報システムに脆弱性が潜んでいないか、攻撃者の視点で侵入を試みて弱点を探すサービスです。 「無料でいいので試してみませんか」と提案すると、多くの企業はこう答えるのだそうです。「課題が見つかると対策を求められる。そんな面倒なことはしたくない」。テストの結果次第では新たなシステム投資を迫られるかもしれないし、今までの働き方を変えざるを得なくなります。
+先手を打って対策をしてサイバー攻撃のリスクを軽減しても、米国のように評価されることはありません。仮に対策をしていても、事故が起きればひどいバッシングにさらされる。ならば、余計な仕事を増やさないのが得策だ。そう考える日本企業は意外と多いのです。
▽セキュリティーは「格差社会」
――しかし、セキュリティーに投資しない限り、新たな脅威には対抗できません。
川合:その通りなのですが、ITベンダーに対して不信感を抱く企業は少なくありません。 セキュリティーの分野では、売り手であるITベンダーと買い手となる一般企業との間に、圧倒的な情報格差があります。「この製品を導入しないと危険ですよ」と言われると、反論するのは難しい。これをいいことに、一部のITベンダーはこれまで、脅威をことさらに喧伝して高価な製品を売りつけてきました。“売り手の理屈”からすれば、それが正しい戦略なのでしょう。
+しかし、高度な製品を使いこなせる企業はほんの一握り。多くの企業では過去の投資が「宝の持ち腐れ」になっています。こうした経験が、企業経営者の投資意欲を削いでいるのです。
――カスペルスキーも、そうしたITベンダーの一社ですよね。
+川合:今の状況は、我々にとってデメリットでしかありません。当社の強みはパソコンやスマートフォンに導入するソフトウエア。高く売りつけて大きな利幅が稼げるような商材は扱っていないため、先述した情報格差を“悪用”して稼ぐことはできません。
+私が日本企業の皆さんに訴えたいのは、セキュリティーに関する思考停止から脱却しましょう、ということです。現状を放置していてもいいことは何もありません。日本全体のサイバー防衛レベルは高まらないし、限られたIT投資予算が“なんちゃって”セキュリティー製品に使われ続けることになります。
+真剣に比較してもらえれば、当社製品の優位性は分かっていただけると自負しています。比較した結果として、当社製品が使われなくてもいいんです。その過程で日本企業のセキュリティー意識が高まれば、状況は一歩前に進みます。日本市場を開拓したいモスクワの本社は不満を抱くでしょうけどね。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/16/102100010/102100004/?P=1

第四に、さらに上記特集の続きとして、同日付け同誌の「工場や発電所がサイバー攻撃の「次なる標的」 制御システムの第一人者、電気通信大の新誠一教授に聞く」を紹介しよう(▽は小見出し、――は聞き手の質問、+は回答の段落)。
・サイバー攻撃で狙われるのは、個人情報や企業機密といった「データ」だけではない。IoT(モノのインターネット)の進展により様々な「物体」がネットにつながり始めたことで、工場や発電所のような設備までが攻撃の対象となった。ウクライナでは実際に、サイバー攻撃により停電する事態が発生した。
・「サイバー無策 企業を滅ぼす」特集連動インタビューの第3回は、制御システムセキュリティーの第一人者である電気通信大学の新誠一教授。重要インフラがサイバー攻撃を受けるようになった一方で、日本独自の対策も始まったと語る。
――2015年末にウクライナの電力網がサイバー攻撃を受け、大規模停電が発生しました。発電所や交通システムといった重要インフラが、新たな脅威にさらされていることが鮮明になりました。
新:ウクライナは特殊ケースだと言う人もいますが、重要インフラへの攻撃は日本でも起こり得ると覚悟しておいた方がよいでしょう。 企業の人事・会計情報や業務上の機密を狙った「情報システム」へのサイバー攻撃が激化しています。1日に数回といった単位ではなく数万回、企業によっては数十万回というレベルで攻撃を受けています。そうした攻撃が最近、発電所や工場などをつかさどる「制御システム」に向けられるようになりました。
+工場の設計図や建物内の設備台帳、ネットワークの管理マニュアルなどはほとんどが電子化され、電力事業者や設備納入業者の情報システム内に格納されています。ここから機密が漏洩すると、さらなる攻撃の引き金になります。 建物内のどこにルーターが設置され、どんな設定になっているかが“丸裸”になると攻撃しやすい。そのため、悪意ある攻撃者はまず情報システムを陥落させ、次に制御システムを狙うわけです。
――「当社の工場はインターネットに接続していないから安全だ」という意見は、製造業を取材するとよく耳にします。
新:そういう主張を聞くたびに、片っ端から蹴飛ばしたくなりますよ(笑)。もしそんな発言をする無責任な経営者がいたら、いつでも連れてきて下さい。 工場内では今、多くのパソコンが稼働しています。それがないと仕事になりませんから。そうしたパソコンは「アップデート」のために、必ずインターネットに接続します。それが一つの侵入経路になるのです。私が訪れたある工場では、外部の人間が接続できる無線LAN環境が整備されていました。
+インターネットとの接点にファイアウオールなどを設置し、安全を保っていると反論されるのですが、きちんと運用されているかは不透明です。電源が落ちたら、セキュリティーの設定が初期状態に戻ってしまう製品すらあります。
――誰が制御システムを攻撃しているのでしょうか。
新:オーストラリアではかつて、下水道を管理していた職員が解雇された腹いせでシステムに侵入し、汚水をばらまくという事件が起きました。米国では子供が鉄道システムを乗っ取って、信号を変えてしまうというインシデント(重大事象)がありました。韓国では、マスメディアのシステムがダウンさせられたり、GPS信号が攪乱されたりといった被害が出ています。
▽原因を即座に特定するのは困難
――日本の電力システムや重要インフラがサイバー攻撃を受けたという話は、あまり聞こえてきません。  新:電力やガス、航空、金融といった重要インフラはそれぞれ所管省庁が決まっています。何らかのトラブルによって健康や安全、環境に問題が生じた場合、法令に基づき報告が求められます。仮に停電が起きた場合は経済産業省に、航空関連でトラブルがあったら国土交通省に情報が集約されることになります。
+事故が起きるたびに新聞やテレビで報じられますが、問題が発生した時点で全ての原因が特定できるわけではありません。機械のトラブルなのかソフトの設定ミスなのか、それともサイバー攻撃に起因するのかを判別するには時間が必要です。早くても1週間かかるでしょうし、何年経っても分からないということすらあります。 問題が特定されたからといって、それが報道されるとは限りません。政府や重要インフラ事業者も、いたずらに不安を煽るようなことを発表したくはないですからね。
――水面下では多くのサイバー攻撃にさらされている、と。
新:そうした可能性を踏まえ、政府は着実に手を打っています。 経産省は昨年、企業経営者向けに「サイバーセキュリティー経営ガイドライン」を策定しました。今年4月に電力小売りが自由化されましたが、新電力が既存の電力網に接続するには、電力制御に関するガイドラインを満たす必要があります。さらにIoT(モノのインターネット)やスマートメーターに関するセキュリティーのガイドラインも、相次ぎ登場しています。
+こうしたセキュリティーのガイドラインは、企業経営を大きく左右します。ガイドラインを無視して事故を起こした事業者は、その点を厳しく追及されるはずです。また今後は、サイバー攻撃対策を怠る企業は入札に参加できないなど、機会損失に見舞われることになるでしょう。こうした流れに対応できない経営者は、責任を問われかねません。
+情報システムに関しては、JIPDEC(日本情報経済社会推進協会)が主導するセキュリティーの認証制度が浸透しています。「ISMS(情報セキュリティーマネジメントシステム)認証」と呼ばれるもので、既に4000社以上が受けています。  2014年からはこの枠組みを、制御システムにも広げました。2016年3月には、東京ガスが日立LNG基地のセキュリティーについて「CSMS(サイバーセキュリティーマネジメントシステム)認証」を取得しました。日本独自の取り組みとして海外からも注目されています。
▽9つの模擬プラントで防衛訓練
――サイバー攻撃はどんどん高度化しています。軍隊が防衛を主導できない日本は、最初からハンディを背負っていると指摘する専門家がいます。
新:海外の軍隊のサイバー部隊については、機密情報が絡むので実態はよく分かりません。しかし民間では、日本のサイバー防衛対策は世界のトップレベルにあると考えています。宮城県多賀城市に構えた「制御システムセキュリティーセンター(CSSC)」がその象徴です。上下水道や発電所、組み立て工場など9つの模擬プラントを設置し、サイバー攻撃を受けたらシステムがどのような挙動を示すのか訓練を重ねています。
+CSSCを設置した狙いの一つは、情報システムと制御システムの両方に精通した人材を育てることです。マルウエア(悪意を持ったソフトウエアの総称)対策やファイアウオールの設定は、工場の現場で働く人にとっては縁遠い。一方で、人命に関わる安全対策は情報システムの経験だけでは学べない。両方のスキルを身に付けた人材が、今後は重要になっていきます。
+軍隊ではなく民間の設備で実施しているからこそ、様々な情報が共有できるという利点があります。サイバー防衛の分野で、日本が戦わずして負けているという論調に賛同することはできません。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/16/102100010/102400006/?P=1

第一の記事にある、『今回特徴的だったのは、マルウエアを感染させる対象となったのが、従来もっぱら狙われていたパソコンではなく、ルーターやWebカメラ、プリンターなど「IoT」系の機器だったことだ』、というのは恐ろしいことだ。「IoT」時代の到来と浮かれてはいられないようだ。
第二の記事で指摘している『「8歳児レベル」の非常に稚拙な攻撃でも、様々な企業から情報を盗むのに成功しています』、『違法に入手した情報を売るだけで、毎月数十万円を稼いでいるハッカーはたくさんいます』、というのも大変な時代になったことを改めて痛感させられた。『年金機構に関しては、政府が逆に「フルボッコ」にしてしまいました』、というのも困ったことだ。年金機構の対応がお粗末だったことは確かだが、政府は年金機構をスケープゴートにして責任転嫁をしただけだ。
第三の記事で指摘している (カペルスキーが、)『日本がかなり危険な状況に置かれていることを伝えたつもりなのですが、1年経っても何も変わっていません』、『日本では対照的に、可能な限り隠蔽しようとします。個人情報漏洩のように公表義務が課されている場合は別ですが、被害の事例を共有しようという意識に乏しい。サイバー被害に遭った事実やそのリスクを開示すると、それがかえって「バッシング」や「ネット炎上」を招きかねないからです』、というのも困ったことだ。『政府は企業に対策を丸投げするし、経営者も現場に判断を委ねている』、という末端任せの姿勢は確かに大きな問題だ。
第四の記事にある、『攻撃が最近、発電所や工場などをつかさどる「制御システム」に向けられるようになりました』、『米国では子供が鉄道システムを乗っ取って、信号を変えてしまうというインシデント(重大事象)がありました』、というのも恐ろしい話だ。新教授は、『日本のサイバー防衛対策は世界のトップレベルにあると考えています』、と安心させるようなことを言っているが、自分がそのプロジェクトに係わっている(?)が故の、政治的発言ではないかという気もする。
いずれにしろ、便利さの代償として、厄介な問題を抱えたものだ。
タグ:情報セキュリティー 一部のITベンダーはこれまで、脅威をことさらに喧伝して高価な製品を売りつけてきました セキュリティーのガイドライン 日本におけるサイバーセキュリティーの問題点は明確です。「末端」任せになっていることです 銀行などを対象にしたサイバー防衛演習を強化 セキュリティーの認証制度 ウクライナの電力網がサイバー攻撃を受け、大規模停電が発生 日本年金機構がサイバー攻撃を受け100万件超の個人情報が流出 府は企業に対策を丸投げするし、経営者も現場に判断を委ねている 技術的なバックグラウンドがない経営者が理解するのは難しいでしょう 制御システムにも広げました 経営者向けのサイバーセキュリティーのガイドライン 金融庁 日本企業にとって、サイバー攻撃は今なお“人ごと”に過ぎないんですよ 経済産業省 JIPDEC 日本がかなり危険な状況に置かれていることを伝えたつもりなのですが、1年経っても何も変わっていません 日本法人の代表を務める川合林太郎社長 カスペルスキー 「ネット炎上」こそ最強のサイバー攻撃だ 日本企業がサイバー被害を「隠す」理由 制御システムセキュリティーセンター(CSSC) 日本のサイバー防衛対策は世界のトップレベルにあると考えています 仮に空港の設計情報が外部に漏れたら、テロ対策などを抜本的に考え直さないといけません 国家レベルのサイバー攻撃に対抗するには、相応の体制が必要 業務委託先や下請け企業がリスク 年金機構に関しては、政府が逆に「フルボッコ」にしてしまいました 工場や発電所がサイバー攻撃の「次なる標的」 制御システムの第一人者、電気通信大の新誠一教授に聞く JTBが被害 見破られなかった攻撃手法を、数万円で販売する技術者も増えてきました 国家が関与しなければできないような、組織的な攻撃も相次いでいます 日本企業から盗んだ情報は、特に中国で高く売れます 「8歳児レベル」の非常に稚拙な攻撃でも、様々な企業から情報を盗むのに成功しています 違法に入手した情報を売るだけで、毎月数十万円を稼いでいるハッカーはたくさんいます 日本企業は長年、そうした「リスク」を軽視 “8歳児”のサイバー攻撃に負ける日本企業 “サイバー無策”のツケを払うのはこれからだ 日経ビジネスオンライン 大規模サイバー攻撃で大手ネットサービスが続々ダウン、「IoTの悪用」に震撼! 国家は企業に対策を丸投げし、経営者は現場の担当に責任を押し付ける。そして多くの企業の現場では「ヒト・モノ・カネ」が十分に与えられず、無為に時間を過ごしてきた “サイバー無策”のツケを支払う時期を、日本企業は迎えようとしている IoT IoTの時代に行われた攻撃としては最も成功したマルウエア Mirai 日経BPnet 米ダインに対して、大規模なDDoS(大規模分散型サービス妨害)攻撃 今回特徴的だったのは、マルウエアを感染させる対象となったのが、従来もっぱら狙われていたパソコンではなく、ルーターやWebカメラ、プリンターなど「IoT(モノのインターネット)」系の機器だったことだ ツイッターやアマゾン、ペイパル、ネットフリックスなど、米東海岸地域の企業が提供する世界的規模のネットサービスが続々とダウンしたり接続しづらくなったりする障害が発生 (その1)激化するサイバー攻撃 サイバー犯罪
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日本人のノーベル賞受賞(その4)(「オートファジー」とは何か、大隅博士の受賞にみる「日本人に理想の教育」、村上春樹がノーベル文学賞を取れない理由) [科学技術]

日本人のノーベル賞受賞については、昨年10月19日に取上げた。今年の受賞を受けて、今日は、(その4)(「オートファジー」とは何か、大隅博士の受賞にみる「日本人に理想の教育」、村上春樹がノーベル文学賞を取れない理由) である。

先ずは、10月4日付け東洋経済オンライン「ノーベル賞を受賞「オートファジー」とは何か 生理学・医学賞に大隅良典東工大栄誉教授」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・10月3日、2016年ノーベル生理学・医学賞の受賞が決まった大隅良典・東京工業大学栄誉教授。受賞理由は、細胞内部の自食作用、オートファジーのメカニズムの解明だ。ノーベル賞予想で著名なトムソン・ロイターの引用栄誉賞も2013年に受賞するなど、大隅栄誉教授のノーベル賞受賞の呼び声は以前から高かった。
▽オートとは自分、ファジーは食べるという意味
・オートファジーはここ数年、生命科学分野で大きな注目を集めてきた。生物の体内では、古くなった細胞や外部から侵入した細菌などを食べるお掃除細胞、マクロファージがよく知られているが、人体に数十兆個あると言われる細胞ひとつひとつの中でも、古くなったタンパク質や異物などのゴミを集めて分解し、分解してできたアミノ酸を新たなタンパク質合成に使うリサイクルシステムが働いている。このリサイクルシステムのうち分解に関わる重要な機能がオートファジーだ。
・オートとは自分、ファジーは食べるという意味で、名前のとおり、自分自身を食べる(分解する)。細胞の中にあるミトコンドリアや小胞体などの細胞小器官は常に入れ替わっているが、オートファジーが、この細胞内の入れ替わりを助ける役割を果たしている。
・細胞の中にある小器官や細胞質(細胞の中に詰まっているタンパク質)が古くなると、膜に包まれる。これに分解酵素を持つリソソーム(植物では液胞)がくっついて分解酵素が流し込まれると、アミノ酸に分解される。アミノ酸は小さいので、膜から出ていき、膜の中には分解酵素だけが残る(オートリソソーム)。膜の外に出たアミノ酸は細胞内のタンパク質を合成するための栄養として再利用される。
・大隅教授はこの機能を、単細胞生物である酵母の研究から発見した。酵母が飢餓状態になると、細胞内部にあるタンパク質を分解し、あらたなタンパク質を合成する。 オートファジーに関わる遺伝子もすでに18が特定されており、この遺伝子の働きは、受精卵の発達段階から脳細胞の活動まで、生命活動のさまざまな部分に関わっていることがわかっている。
▽水だけあれば1カ月程度生き延びられるワケ
・ヒトの体の中では毎日300~400gのタンパク質が合成されている。一方、食事から摂取するタンパク質の量は70~80g程度にすぎない。不足分は、自分の体を構成している細胞の中にあるタンパク質をアミノ酸に分解し、再利用することで、補っている。
・この仕組みによって、体内のタンパク質の合成と分解はつねにバランスが保たれる。たとえばヒトは絶食しても、水だけあれば1カ月程度生き延びられるとされるが、それは体内で重要なタンパクが作り続けられているからだ。
・オートファジーはまた、がんや神経疾患にも関係があると考えられている。オートファジーの機能を活性化することによって、症状の改善などが期待されている。逆に、オートファジーの機能を止めることによってがん治療への応用の道もある。「いろいろな病気の原因解明や治療に、オートファジーは使えるようになると考えています」(大隅栄誉教授)。すでにオートファジーのしくみを使って抗体医薬や核酸医薬など新たな医療や医薬品の研究が活発に進められるようになっている。
http://toyokeizai.net/articles/-/138721

次に、精神科医の和田秀樹氏が10月11日付け日経Bpnetに寄稿した「大隅博士のノーベル賞にみる「日本人に理想の教育」とは」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽楽観できない日本の研究の将来
・大隅良典博士がノーベル医学生理学賞を単独受賞した。 中国や韓国は、これを(というか、日本人が立て続けにノーベル賞を取ることになのだろうが)相当うらやましく感じているようだ。賞賛の報道もあるし、自国のシステムの批判のためにこのニュースを用いているところもある。
・私自身、たまたま山中伸弥氏を京大に引き抜いたとされる元京大教授と知り合いだった関係で、iPS細胞については、受賞前からある程度勉強していたが、オートファジーについては不勉強だった。 これも、将来的に、かなり応用可能な分野のようで、日本の基礎研究のレベルの高さを知り、素直に感嘆している。
・ただ、私は、日本の研究の将来についてはそんなに楽観していない。 というのは、この30年ほど、日本の教育がいい方向に向かっているとは思えないからだ。
▽ノーベル賞を出す教育には二つの条件がある
・ノーベル賞を出すような良質な研究であれ、その国の技術水準の高さであれ、それを実現する教育には二つの条件があると私は考えている。
・一つは、基礎学力の高さだ。 独自の発想力や頭のよさがあればノーベル賞を取れるかというと、過去事例を見る限り、決してそうではない(文学賞や平和賞はともかくとして、自然科学系の分野でも、経済学賞でも)。 日本でも現在の受賞者は、すべて国立大学の出身者であり、厳しい受験競争に勝ち抜いたと同時に、多科目受験の経験者である。 物理の研究者であれば、物理だけが突出してできる人であればいいというわけではなさそうなのだ。
・外国はそうでないというかもしれないが、ほとんどの研究者は、その国のトップレベルの大学を卒業している。日本以上に高校在学時のGPA(各科目の成績から特定の方式によって算出された学生の成績評価値)が入試の判定に重視されるので、やはり基礎学力がかなり高くないとそういう大学には入れない。
・アインシュタインが学校の勉強が嫌いだったり、言語能力に問題があったとされているが、物理と数学の成績がいいから無条件に大学に入れたわけでなく、ギムナジウム(ヨーロッパの中等教育機関)の卒業ができるまで大学入学を許されなかったように、研究者としての最低限の基礎学力は担保されていたのだろう。
▽海外で驚くほど評価が高い日本の初等中等教育
・日本の「詰め込み教育」がオリジナリティや創造力を奪うという批判は根強いが、どこの国でも、初等中等教育は原則的に詰め込み型である。それどころか、日本の初等中等教育の評価は海外では驚くほど高い。 イギリスやアメリカで学力低下が問題にされた際も、手本にされたのは日本の初等中等教育である。そして、アジアの多くの国も、戦前から日本の初等教育のようなシステムになっている国(これらの国は日本に批判的だが、教育システムだけはいまだに日本流である)も日本を手本に教育システムを構築した国も少なくない。
・実際、アメリカやイギリスは60年代から70年代に日本のゆとり教育に近い形の自主性重視の教育改革を行ったが、深刻な学力低下に見舞われ、80年代になると教育の充実の必要性が叫ばれ、結果的に日本を手本にしたという歴史がある。 要するに労働者のレベルの底上げにも、ハイレベルな研究者の育成のためにも、しっかりした初等・中等教育が必要というのが、諸外国のコンセンサスである。
▽大学の教育レベルの低さが大問題に
・ところが、そのお手本であった日本が、OECD(経済協力開発機構)のPISA(国際的な学習到達度)調査やTIMSS(国際数学・理科教育動向調査)においても、読解力では、OECDの中位レベル、数学力ではほかのアジアの国に勝てなくなっているというのが、この20年間の実態である。 ゆとり教育と少子化によって、勉強をしなくても高校や大学に入りやすくなった(現実に入れてしまう)ということが大きいのだろう。
・もちろん、ノーベル賞を輩出するようなハイレベルの大学生の学力は、それなりに担保されている(中学受験経験者が多いため、基礎学力についてはむしろ高いかもしれない)のだろうが、最近、次々とノーベル賞を輩出している地方国立大学の学生の学力レベルはかなり落ちているようだ。
・私が、二つ目の条件と考えるのは、その基礎学力を花開かせる高等教育なのだが、日本では、大学の教育レベルは決して高いとは言えない。 基本的に、日本の大学の教育システムは、性善説で成り立っている。実際、いい人が教授になれば、それなりにうまく機能する。ノーベル賞を取ったような学者の多くは、恩師に恵まれたという話をする。
・おそらくは指導教授がよければ、研究の方向性も優れたものとなり、また伸び伸びと研究できるのだろう。小柴昌俊氏の弟子にあたる梶田隆章氏がノーベル賞を取ったように(早逝した梶田氏の直接の指導教員であった戸塚洋二氏も生きていれば確実に受賞していたという)、教室の環境や指導がよければ、弟子も次々とノーベル賞を取る可能性はある。
▽上に逆らえない学界の風土が悲劇を呼ぶ
・問題は、そうでなかった場合だ。 日本の場合は、いったん教授になると、刑事事件でも起こさない限りクビにはならない。ノバルティスファーマの高血圧症治療薬「ディオバン」を巡る臨床データ操作事件の論文改ざんの中心人物と目される東大教授はいまだにその座に居座っている。また、研究が古くなっても、トップで居続けるから、教授がその研究に固執する人だと新しい研究もやりにくい。 医学の世界は、その傾向が顕著といえる。
・現実に、ノーベル医学・生理学賞は今回で4人目の受賞だが、医学部を卒業したのは、山中伸弥氏のみだし、山中氏も大学の医学部ではなく、奈良先端技術大学院大学で行った研究がノーベル賞の対象だった。
・近藤誠氏の現在の理論には賛否両論はあるが、もともとは、海外の論文で、あるステージまでの乳がんは、乳房を全摘して、大胸筋まで切る術式をしなくても、がんだけ切って、放射線を当てるだけで、5年生存率が変わらないというものを見つけ、国民の啓蒙のために、これをある雑誌に提起したことが物議の始まりだった。
・メンツを潰された外科教授たちがこぞって近藤氏を排斥し、その術式を使うと、上からにらまれるためか、大病院の外科医たちも、この術式をやろうとした人は非常に少なかった(患者思いの医師たちが隠れキリシタンのように行っていたという)。ところが、これらの外科の学会ボスがみんな引退した15年後くらいになると、この術式が日本の標準術式になった。おそらくは、多くの患者が無駄に乳房を全摘されていたのだろうが、上に逆らえない学界の風土がこの悲劇を呼んだといえる。
▽東日本大震災の心のケアができる医師不足は顕著
・自分の嫌いな研究を徹底的に排斥する教授もいる。 私は、アメリカの精神分析学の主流派である自己心理学の年間優秀論文(15~20本程度)を集めた国際年鑑に、日本で最初に論文が採用されたことがあるが、その論文は、東北大学のその年に出された100本以上の博士論文の中で唯一落とされたものであった。
・主査の佐藤光源精神科教授は15年間の東北大学精神科教授在任中、一つとして、精神療法の論文に博士を与えていない。東北大学が東北全県に影響を与えるため、東北地方では、薬物療法を主とする精神科医がほとんどで(もちろん、東京に学びに来た人もいるし、何人かは私も直接の知り合いである)、東日本大震災の心のケアができる医師不足は顕著だった(トラウマは原則的に薬物治療でなくカウンセリングで治すものだからだ)。 教授のパーソナリティ次第では、自分と異なる流派の医師は排斥され、あるいは学ぶ機会も研究する機会も得られない。
▽教授を選ぶシステムも性善説に基づく
・教授会で教授を選ぶシステムも性善説に基づくものだ。 これも教授会の文化が少しでも優秀な人間を教授に選ぼうとか、今後に期待できる人を教授にしようというところなら問題はない。 しかし、現実にはそうでないことは珍しくない。 以前、日本でもっともエジプト考古学で業績をあげていた吉村作治氏が、いつまでも助教授から教授に上がれない際に問題にしていたように、自分を追い抜いたり、自分より目立ちそうな人を教授にしないことは数の論理では十分にあり得る。そういう際に、助教授(准教授)の中でいちばんできの悪い人間が教授になるという笑い話すらある。
・多数決で教授を選ぶシステムでは、政治的な判断も横行しやすい。 たとえば、医学部では、麻酔科や放射線科の次期教授を選ぶ際に、外科系の教授陣(かなりの数を占める)に覚えのいい人のほうがなりやすい。独自の理論を持つ人より、外科に使い勝手のいい人が選ばれやすいし、放射線科では、外科に役立つ放射線診断の部門の教授が、がん患者が増えたため、ニーズは高いが、外科と治療方針で対立しやすい放射線治療部門の医師より選ばれやすいとされる。
▽教授のスカウトを客観的に行うディーンを日本でも導入すべき
・論文の数で教授を決めるというのは、そういうものと比べるとフェアといえるが、医学部の場合は、臨床を一生懸命やっている人や臨床能力が高い人が選ばれにくいという難点は以前から指摘されている。 欧米では、ディーンという教授のスカウト係が、何人かのアドバイザーをその都度雇って、将来性のある研究をしている人、臨床能力の高い人、教えるのがうまい人などをスカウトするのが通例だが、このようなシステムは日本でも導入すべきだろう。
・『白い巨塔』が連載開始したのは、今から50年以上も前の話で、日本の研究環境の悪さ(医学系だけなのかもしれないが)は今に始まったことではない。ただ、基礎学力の高さがそれをカバーしてきた。田中耕一氏がノーベル賞を取った際も、海外で驚かれたのは、企業研究者であったこと以上に、大学しか出ていない(大学院を出ていない)ことだったそうだ。実際、日本人のノーベル賞は、企業研究者や海外での研究が評価されてというものが多い。
・基礎学力が怪しくなってきた今必要なのは、初等中等教育や大学の入試改革(世界でも例をみないアドミッション・オフィスという独立機関を作らず、教授が面接をするAO入試化を行おうとしている。これも教授性善説の賜物だ)より、大学の(とくに人事システムの)改革なのだろうが、審議会の委員の大多数が大学教授では、当分は難しいだろう。
http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/306192/100700042/?P=1

第三に、評論家の栗原 裕一郎氏が10月18日付け東洋経済オンラインに寄稿した「村上春樹がノーベル文学賞を取れない理由 そもそも本当にノーベル賞候補なのか?」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・2016年度のノーベル文学賞は、ボブ・ディランに決まった。そして、やはりと言うべきなのか、有力候補と報じられていた村上春樹が、今年も落選した。村上春樹は、なぜノーベル文学賞を取れないのか。毎年、受賞を待ち望むファンでなくても、同じ疑問を持つ人は多いだろう。この疑問に対する答えを探すために、過去の受賞者とその作品や傾向を材料に、村上春樹についての著作を持つ評論家の栗原裕一郎氏が考察を巡らせる。
・村上春樹とノーベル文学賞を巡る問題でまず押さえていただきたいのは、それが空論であるということだ。 「なぜ取れないのか?」と問うためには、春樹がノミネートされているという前提の事実が必要だが、そもそも候補になっているのかどうか、わからないのである。 毎年「今年は春樹の受賞可能性は○位」などという記事が出て、2016年は1位だとか報じられていたが、あれはブックメーカーが勝手に発表している賭け率であって、選考にあたっているスウェーデン・アカデミーは何ら関与していない。
▽村上春樹とノーベル賞をめぐる議論の本質
・春樹とノーベル賞についていろいろな人がいろいろなことを言っているけれど、ほとんどはダメな議論だと思っていい。だって、前提があやふやなんだから。いま書かれているこの文章も例外ではない。もちろんベストを尽くして少しでも役に立つものを書くつもりだが、「なぜ取れないのか?」という問いが無効であるという事実は努力で変えられるものではない。どうしようもないことなのだ。
・じゃあ、いつになったら実のある議論ができるのか? 春樹がノーベル文学賞を受賞したら。さもなければ、そう、50年くらい経ったら、である。 候補者は事後50年経つと公表されるからだ。50年の経過を待つ前に関係者筋から本当らしい噂が漏れることもある。川端康成の受賞(1968年)に至るまでに、日本人作家で誰が候補に上っていたかは判明している。詩人の西脇順三郎、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫の4名だ。
・西脇は翻訳や資料が十分にないという理由で候補から外れ、谷崎は受賞することなく65年に死去し、68年度に川端が受賞した。このとき川端と三島が争ったが、年齢を考慮して川端が推されたという噂がある。日本文学者のドナルド・キーンがノーベル賞に関係する要人から聞いたという話なのだが、真相はむろんわからない(東京新聞連載・「ドナルド・キーンの東京下町日記 ノーベル賞と三島、川端の死」)。
・また2009年には、賀川豊彦が1947、48年に候補に上っていたことが判明して文学関係者を驚愕させた。賀川は1920年に自伝的小説『死線を越えて』を出版し、100万部といわれるベストセラーとなったが、文学的価値を認められておらず、顧みられることもほぼないからだ。作家と呼んでいいのかすら微妙な人物で、キリスト教系の運動家だったというほうがたぶん正しい。貧民救済に奔走するヒューマニズムがアカデミーに受けたようだ。ノーベル文学賞はある時期まで人道的な作家や作品を評価する傾向が強かったから、たまたま翻訳があって目に留まった賀川が日本人候補として推されたのだろう。
・三島が候補として劣位になった原因として、アカデミーが彼を左翼と見なしたせいもあったらしいと、やはりドナルド・キーンが書き記している。ノーベル文学賞は左右問わず極端に政治的なイデオロギーを嫌う傾向にあるのだ。「三島が左翼だって?」と驚かされるが、事実だとすれば、賀川のノミネートとあわせて、スウェーデン・アカデミーの日本文学理解なんてその程度だったのだという傍証になるだろう。
▽受賞候補に名が上がり始めたきっかけ
・大江健三郎のノーベル賞受賞は1994年のことだ。川端以来26年ぶりで、アカデミーは特定の国に授賞が偏らないよう配慮している気配があるから、25年周期くらいでお鉢が回ってくるのではないかという予想が――当たっているかはさておき――立つ。すると次に日本人作家に授賞されるのは2019年という計算になり、まだちょっと時期尚早ということになる。むろんサンプル数たった1の机上論であって、根拠は情況証拠以外には何もない。
・大江の受賞に至るまでには、前回と同様に複数の日本人候補が上がっていたことが推測されるけれど、50年に満たないのでアカデミーからの公表は当然ないし、漏洩的な情報も出ていない。つまりまったくわからない。安部公房、遠藤周作が候補だったという説もあるが、これも薄い情況証拠に基づく憶測にすぎない。
・村上春樹がノーベル賞候補になっているとの噂が人々の口の端に上りだしたのは、『海辺のカフカ』(02年)が発表された後のことだ。春樹がチェコのフランツ・カフカ賞を受賞したのは『海辺のカフカ』のチェコ語訳が出た06年で、この賞はどの作品を評価したかを明確にしないが、「チェコ語訳の著作が一つはあること」を候補の条件としている。『海辺のカフカ』のチェコ語訳が出るからカフカ賞の候補になって受賞したのだというダジャレのような推測はそう外れていないと思われる。
・カフカ賞はノーベル賞に一番近い賞と言われている。それは、04年、05年と2度、この賞の受賞者がノーベル賞も受賞することが続いたからだ。そのカフカ賞を受賞してしまったがために、以降、春樹は毎年ノーベル賞騒ぎに巻き込まれることになってしまったのである。
・作品の性質の面からも見ておこう。ノーベル文学賞の理念は、アルフレッド・ノーベルが遺言した「理想主義的傾向のもっとも注目すべき文学作品の著者に贈る」に則っている。まれに特定の作品が対象とされていることもあるが、基本的には作家の功績全体を鑑みて授賞を決定している。
・「理想主義的傾向」は、人間と自然、国家や民族、歴史などに対する洞察や想像力、精神性の深さといった要素を意味すると考えてよさそうだ。一言でいえば道徳的、啓蒙的である。1926年度デレッダ(イタリア)の授賞理由「のびのびした明晰さで故郷の島の生活を描き、深い共感をもって人間一般の問題を掘り下げた理想主義文学」が典型的だろうか。
・戦後になると傾向に変化が出てきて、いわゆる前衛的な作家への授賞が増えるが、根が優等生的であることに変わりはない。ボブ・ディランへの授賞理由は「偉大な米国の歌の伝統に、新たな詩的表現を創造した」というものだった。
▽村上作品はノーベル文学賞の理念にマッチするか
・そこで問題は、村上春樹の諸作が「理想主義的傾向」にマッチするか否かということになるわけだが、なかなか判断が難しいところだ。 春樹の小説は構造に類型がある。喪失感や虚無感を抱えた主人公が何か(ピンボールマシン、羊、ガールフレンド、妻……)を探している。世界は2層になっていて、現実と異界が接触しており、その間の行き来によって物語は推進力を得ている。異界には何か邪悪なもの(羊、やみくろ、リトル・ピープル……)が存在しており、現実世界へ侵入してくる。
・オウム真理教事件と阪神淡路大震災を境に作家の意識に変化が生じ(デタッチメントからコミットメントへ、と春樹は表現している)、以降の作では、現実や歴史がより強く作品世界に取り込まれ、それまで漠然とファンタジックだった異界から来る邪悪なものも比較的リアルな輪郭を持つようになる。『ねじまき鳥クロニクル』が代表作と見なされるのは、前期と後期を繋ぐ集大成の趣きがあるからだろう。『1Q84』は後期の意識で前期の『羊をめぐる冒険』を書き直したような作である。
・春樹の小説にある種の普遍性があることはたぶん間違いない。でなければあれほど世界中で読まれまい。そしてその普遍性の源はおそらく、この構造類型に求められるのではないか。 そう仮定して、では春樹の小説の構造類型に「理想主義的傾向」が認められるかと考えると、よくわからない。よくわからないが、到達度的に難しいのではないかというのが個人的な印象である。『ねじまき鳥クロニクル』では戦争を招くものが、『1Q84』では宗教の善悪両義性が「邪悪なもの」に措定されていると見ることができるが、突き詰めたとまで果たして評価できるか。
・昨年の受賞者であるベラルーシのアレクシエービッチを引き合いに出し、3・11や「フクシマ」と向き合わなければ受賞は難しいとする論者もいるけれど、そんな浅薄な話でもないだろう(こういう人たちはなぜか「フクシマ」とカタカナで書く)。 「邪悪なもの」の正体を見極めたとき春樹の受賞は現実となる、とか書くとそれらしいが、勝手に妄想しているだけの話であって、まあ、こういう砂上に楼閣を建てるみたいな文章ほど書いていて心許ないものはない。
・ところで春樹の小説には、クラシックからポピュラーまで音楽がたくさん登場するが、その中でもボブ・ディランは突出している。というより特権的な存在および音楽として扱われている。かつて春樹はこんなことを書いていた。 60年代は「ポップ・ミュージックが大衆的な意識の軸の最先端に踊り出た」「ポップ・ミュージックの時代」「ロック・ルネサンスの時代」であり、ボブ・ディランービートルズードアーズという連鎖は「一九六〇年代にしか起こりえなかったことであるかもしれない」と(「用意された犠牲者の伝説――ジム・モリソン/ザ・ドアーズ」『海』1982年7月号)。ここにビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンを加えると、ポピュラーミュージックにおける村上春樹のアイドルが揃う。
・ディランについては「文体としてはケラワックであり、音色としてウディー・ガスリーであり、体ののめりかたはリトル・リチャードに近く、精神的にはジュウイッシュである。全体としてはひどく重く、知的である。ユーモアさえもが重く知的である」と書いている。「根本的な不信感と、不信感を梃子にした極めて微妙な意識の分解作業」に彼のオリジナリティはあるというのが春樹の評価だ。
・この連鎖で実現されたものを「60年代的価値観」と呼ぶとすれば、村上春樹の初期3部作『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』は、「僕」が「60年代的価値観」を援用して70年代という時代をなんとか生き延び、そして「60年代的価値観」が死ぬ物語と読むことができる。
・80年代は春樹にとって「60年代的価値観」が死んだ後の「高度資本主義」の時代である。この特別な、ディラン、ビートルズ、ドアーズの3組をまとめて登場させた短篇が春樹にはあって、そのタイトルは「我らの時代のフォークロア――高度資本主義前史」と付けられている。 実のところ村上春樹は、文学より音楽を、創作の動機としてより強く持っているらしい。それは本人も述べている。
▽ディラン受賞について、村上春樹に聞いてほしい
・一方、ボブ・ディランは、ティーンエイジャーの頃はロックンロールに傾倒していたが、ミネソタ大学進学のためにビートニクなどが集っていたミネアポリスに移り、そこでフォークに触れて転ずる。この転向は、アメリカのフォークシンガー、ウディ・ガスリーに衝撃を受けることで決定的なものとなる。 ウディ・ガスリーは大恐慌時代に悲惨な境遇の中、民衆の苦難を歌った。ここで言われるフォークソングとは、字義通り「民謡」である。村上春樹は『意味がなければスイングはない』でガスリーのことを「国民詩人」と形容している。
・今回のノーベル賞受賞についてディランの歌を「プロテストソング」とする報道が多かったが、本人はデビュー後まもなくその路線は捨てている。というより端からそんなつもりはなかったかも知れず、抵抗の象徴に祭り上げられることにむしろ激しい拒絶と嫌悪を示した。
・ディランは常にファンの予想と期待を裏切るような変遷を重ねてきた。民謡であるフォークソングというルーツを引き受ける覚悟から始まり、ビートニク詩人と親交を結び、エレキギターに持ち替えロックを変革し、キリスト教を飲み込み、ゴスペルを経由し、ヒップホップにまで触手を伸ばし……。
・その総体は「アメリカの詩と音楽」としか呼びようのないものであり、「偉大な米国の歌の伝統に、新たな詩的表現を創造した」という授賞理由はそれを踏まえて理解しなければならない。 これは真面目に言うのだけれど、メディアは、村上春樹のところへ行ってボブ・ディランの受賞についてどう思うかぜひとも聞くべきである。最もよく彼を理解している日本人の一人なのだから。
http://toyokeizai.net/articles/-/140646

大隅博士の受賞直後は、「オートファジー」についての解説がマスコミを賑わせたが、時間が経って、記憶が薄らいだこともあり、念のため第一の記事を付けた。
和田氏が指摘する『楽観できない日本の研究の将来』、『大学の教育レベルの低さが大問題に』、というのはその通りだ。ただ、『海外で驚くほど評価が高い日本の初等中等教育』、には違和感がある。私は欧米の初等中等教育も『原則的に詰め込み型』とはいっても、それでも独創性を涵養する点では優れていると思う。
『東日本大震災の心のケアができる医師不足は顕著』、については、確かに薬物療法重視の東北大学流では、トラウマには役立たないだろう。『教授のスカウトを客観的に行うディーンを日本でも導入すべき』、には大賛成だ。
栗原氏の記事で、文学賞についても基礎的なことが理解できた。本当に候補になったかどうかは、50年後の公開まではわからないというのは、よくできたルールだ。肝心のボブ・ディランは、今日に至るまでノーベル文学賞受賞を無視しているようだ。選考委員会にとっては、頭が痛い問題だろうが、彼らの頭を冷やすにはいい教訓になるのではなかろうか。
タグ:日本人のノーベル賞受賞 (その4)(「オートファジー」とは何か、大隅博士の受賞にみる「日本人に理想の教育」、村上春樹がノーベル文学賞を取れない理由) 東洋経済オンライン ノーベル賞を受賞「オートファジー」とは何か 生理学・医学賞に大隅良典東工大栄誉教授 ノーベル生理学・医学賞 大隅良典 オートファジー リサイクルシステムのうち分解に関わる重要な機能がオートファジー 和田秀樹 日経BPnet 大隅博士のノーベル賞にみる「日本人に理想の教育」とは 楽観できない日本の研究の将来 ノーベル賞を出す教育には二つの条件 基礎学力の高さだ 海外で驚くほど評価が高い日本の初等中等教育 大学の教育レベルの低さが大問題に 二つ目の条件と考えるのは、その基礎学力を花開かせる高等教育なのだが、日本では、大学の教育レベルは決して高いとは言えない 上に逆らえない学界の風土が悲劇を呼ぶ 東日本大震災の心のケアができる医師不足は顕著 主査の佐藤光源精神科教授は15年間の東北大学精神科教授在任中、一つとして、精神療法の論文に博士を与えていない 東北大学が東北全県に影響を与えるため、東北地方では、薬物療法を主とする精神科医がほとんどで トラウマは原則的に薬物治療でなくカウンセリングで治すものだからだ 教授のスカウトを客観的に行うディーンを日本でも導入すべき 栗原 裕一郎 村上春樹がノーベル文学賞を取れない理由 そもそも本当にノーベル賞候補なのか?」 ノーベル文学賞 ボブ・ディラン 村上春樹は、なぜノーベル文学賞を取れないのか 、2016年は1位だとか報じられていたが、あれはブックメーカーが勝手に発表している賭け率であって、選考にあたっているスウェーデン・アカデミーは何ら関与していない 春樹がチェコのフランツ・カフカ賞を受賞 ・カフカ賞はノーベル賞に一番近い賞と言われている 村上作品はノーベル文学賞の理念にマッチするか 理想主義的傾向
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半導体産業(その1)”にわか有機ELブーム”をどうみるか [科学技術]

今日は、半導体産業(その1)”にわか有機ELブーム”をどうみるか を取上げよう。

先ずは、3月11日付け日経ビジネスオンライン「有機ELに「iPhoneバブル」?需要は未知数、繰り返されてきた肩透かし」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・いま、ディスプレー業界のもっぱらの話題と言えば、有機EL。 米アップルがiPhoneに採用する見通しが明らかになってから、関連市場はバブルの様相を呈している。
・韓国サムスン電子やLGディスプレーは新工場の立ち上げや増産投資を加速、日本でも、ジャパンディスプレイ(JDL)が「今後最も力を入れていく事業」と位置付けているほか、話題の鴻海(ホンハイ)精密工業もシャープの技術を活かし有機ELパネル市場に参入する計画だ。政府の資金援助で液晶パネル工場を立てまくっていた中国メーカーも、建設中の工場設備の一部を有機EL用に変えることを検討していると言う。住友化学や出光興産などの素材メーカーも、関連する部材の増産体制を整えている。猫も杓子も、有機ELだ。
▽アップルは前倒し採用の動きも
・アップル側から正式な発表はないものの、同社が有機ELを採用する方針であることはほぼ間違いない。ディスプレーや装置、材料メーカーには、2015年夏頃からその意向を伝えていた。 足元では、有機ELの採用時期を前倒ししようとする動きもある。当初は2018年に発売するモデルに採用予定だったが、「1年早く供給できないか」と関連メーカー各社に話をしているという。iPhone販売台数の伸び率が鈍化するなか、一部機種限定ではあるが早期に有機ELモデルを発売し、勢いを取り戻す起爆剤にしたいと考えているようだ。
・有機ELは、電圧をかけると自ら発光する材料を回路基板に付着させて画像を映し出す。バックライトが不要なため液晶より薄くできたり、曲面加工ができたりするなどの利点がある。
・1990年頃から「液晶の次」と期待されてきた有機EL。しかし、その歴史は参入と撤退の繰り返しだった。1990年代後半には出光興産やパイオニアなどの日本メーカーが有機ELのディスプレーを試作。デジタルカメラや携帯電話にも採用されたほか、ソニーや東芝など大手電機メーカーもタブレットや業務用モニターに有機ELを採用した。その度に「有機ELの時代がやってきた」とバブルに沸いたが、結局、良品率の悪さやコスト面、需要低迷などに頭を抱え、すぐに開発凍結、撤退する結末に終わった。現状はサムスンが自社のスマホに、LG電子が大型テレビ、スマートウオッチ向けに量産しているのみだ。
・早ければ2017年にも市場に登場すると見られる有機EL採用のiPhone。世界スマホ販売台数の2割弱のシェアを占めるアップルが有機ELを採用するとなれば、関連市場が一斉に動き出すのもうなずける。 「出る出る詐欺」と揶揄され続け20年強。現在の有機ELバブルは、ようやくビジネスチャンス到来と盛り上がっているようにも見える。 だが、関連業界の本音は少し異なるようだ。
▽スマホではまだ生かせぬ優位性
・皆、恐る恐る投資をしている状況です」 パネル関連の製造装置を手掛けるメーカー幹部はこう明かす。  最大の理由は、有機ELを採用したスマホの需要が未知数なことだ。 有機ELの特徴としてしばしば、発色の良さやコントラストの高さがあげられる。確かにLG電子が発売している大型の有機ELテレビを見ると、その特徴はよく分かる。しかし、手に収まるサイズのスマホの画面で、こうした発色の良さやコントラストの高さを求める消費者がどれだけいるかは分からない。記者はiPhone6sを使用しているが、現在の液晶のままでも十分表示画面はキレイだと感じる。
・曲面加工ができる点も有機ELの特徴とされる。しかし、これもスマホ向けではあまり需要はなさそうだ。昨年サムスンが発売した「ギャラクシーS6 エッジ」は、両端を曲面に加工し丸みを持たせた筐体だったが、市場の反応はいまいち。一部では、「持っているときに間違って触れてしまい文字入力やタップなどがしにくい」との声もある。
・有機ELなら折り畳めるような形状のスマホも可能と言われているが、「実現は不可能に近い」(パネルメーカーの開発部門担当者)と言う。スマホで使用するならば、何千回もの折り畳み動作に耐える必要があるが、折りたたみ箇所の信頼性確保のハードルが相当高いと言う。「特殊な材料などが開発されない限り、10年たっても実現できないのでは」(同)と冷静に見る声は少なくない。
・現状有機ELのメリットは、バックライトが不要なため筐体を薄くできること。これにより容量の大きいバッテリーを搭載することが可能になり、電池寿命を延ばすことができる。 あえてもう一つ挙げるとすれば、「これまでのパネルとは違うものを使っていますよ」と打ち出しやすいことだろう。アップルが有機EL採用に動くのも、この点が大きい。頭打ちのiPhone販売のテコ入れ策として、「有機EL採用」という新味を消費者に打ち出したいと考えている。
▽またしても肩透かし?
・液晶に比べ生産コストがかかってしまうため、有機ELスマホは液晶スマホに比べ価格が高くなる可能性は大きい。しかし、成熟し始めたスマホ市場の中で今後需要拡大が見込まれる分野は、中低価格モデル。新興国で高価格の有機EL採用のiPhoneが売れるとは考えにくい。
・「結局液晶に比べメリットが少ないと言う理由で、一部機種の採用に留まり続けるのではと不安に思っているメーカーは多い」(前出のパネルメーカー開発担当者)。とはいえ、各社はアップルが「採用する」と言った手前、開発に前向きな姿勢を見せなくてはならない。「液晶=古い」「有機EL=新しい」と言うイメージが定着してしまったことで、「液晶関連の投資だとお金を借りられないが、有機ELだと借りられるし市場の反応も良い」(同)といった事情もあるようだ。
・バブルに沸く一方で、結局のところ、「いつもの瞬間風速的なものになるのでは」との不安は拭い去れていない。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/221102/031000185/?P=1

次に、早稲田大学商学学術院大学院経営管理研究科教授の長内 厚氏が6月1日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「「にわか有機ELブーム」に飛びつく電機各社の浅慮」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽「にわか有機ELブーム」に飛びつく電機各社の皮算用
・液晶ディスプレイの次世代新技術「有機EL」(有機エレクトロルミネッセンス)という言葉を耳にしたことがあ、「いつもの瞬間風速的なものになるのでは」との不安は拭い去れていない。
る人は多いだろう。海外ではOLEDと呼ばれる。有機(オーガニック)の「O」に発光ダイオードの「LED」、つまり有機素材を用いたLEDということだ。
・液晶パネルは、パネルそのものが発光しているのではなく、液晶は光を通す、通さないをコントロールしているので、液晶パネルの背後には光源となるバックライトがあり、前面には色をつけるためのカラーフィルターが存在している。一方、有機ELは有機素材に電圧をかけると自発光(素材そのものが光る)するので、バックライトやカラーフィルターなどの余計な部材が必要なく、部品点数を減らすことでコストダウンが容易になるというポテンシャルがある。 また、自発光する有機素材は印刷に近い技術で基盤に塗布することができるので、薄型化やフレキシブル化が容易とも言われている。
・2000年代半ばには有機ELが次世代テレビの本命として、韓国サムスン電子とLG電子が試作機を発表して話題となっていたが、その後一時沈静化していた。サムスン電子は同社のハイエンドスマートフォンに有機ELを採用してきた程度で、大きくクローズアップされることもなかったが、昨秋アップルが次世代iPhoneに有機ELを採用すると発表してから、にわかに業界を騒がせている。
・iPhone生産を手がける鴻海精密工業もシャープと一緒に有機ELを開発すると息巻き、日本の液晶パネルメーカーのジャパンディスプレイ(JDI)や中国メーカーも、こぞって有機ELに参入するという。
・しかし、有機ELにはいくつものハードルがある。また、それを越えても今までにない素晴らしい世界がメーカーにも消費者にも訪れるのかと言えば、筆者にはどうもそうではないように思える。今回は、電機各社がにわかに熱い視線を送り始めた有機ELの将来性について、分析してみよう。
・液晶パネルと比較したときの有機ELの課題の1つは、価格であった。確立された技術である液晶に比べて歩留まりが悪く、低価格化のポテンシャルがあると言われながらも、これまではパネルの価格が高かった。しかし、各種報道によると、ここに来て業界トップのサムスン電子が、液晶パネルと遜色のない価格で有機ELパネルを供給できるようになったと言われており、それがアップルに採用されてさらに弾みがつくとも言われている。
▽参入してもおいしくない? 有機ELの「泣きどころ」とは
・ただ、これで有機ELの普及には何のハードルもなくなり、液晶パネルは駆逐されていくのかというと、それほど簡単な話ではない。 まず、技術的な問題として、有機素材を使っているが故に熱に弱く、高温多湿の環境では使いにくい。たとえば、最近は自動車のメーターパネルに液晶ディスプレイの採用が進んでいるが、真夏に高温になる車内に有機ELを採用することはできないだろう。また、寿命に関しても液晶より良いとは言えないとも言われる。応用できる製品の範囲という意味で、まだまだ液晶の方に分がありそうだ。
・それだけではない。液晶パネルは数インチの小型サイズから100インチ超の大型テレビまで大画面化が可能になっているが、有機ELはテレビに使えるような大型サイズについてはまだまだ生産が安定していない。日本で初めて有機ELテレビを発売したソニーは、現在でも20インチ台の業務用ディスプレイにしか応用できておらず、先行する韓国2メーカーも大型有機ELテレビを販売しているものの、主力は依然液晶のままである。
・よって、現在応用できる有機EL製品はスマートフォンくらいしかなく、電機メーカーにとってテレビなどに使用するその他の薄型ディスプレイを同時に手がけるとなると、技術も設備も二重投資をしなければならない。
・しかも、液晶や有機ELには化学素材が多く使われていて、電機メーカーだけでなく、化学メーカーの協力も不可欠であるが、液晶パネルと異なり化学製品の部品点数が少ない有機ELは、化学メーカーにとって必ずしも儲かるビジネスではない。有機EL原料にしても、化学メーカーが生産する様々な化学素材の生産量に比べて、仮に世界中のテレビが有機ELに置き換わったとしても、大したビジネス規模にはならないという。
・現在の「有機ELブーム」は、昨秋アップルがiPhoneへの採用を発表したことから起きているが、アップル自体が減収減益でiPhoneの減産も伝えられているなか、iPhone需要だけで(あるいは高価格帯スマートフォン市場だけで)、莫大な投資をするほどの価値が有機ELにあるのかは疑問が残る。何よりも、有機ELのメリットがそれほどスマートフォン市場拡大の起爆剤になるとは思えない。
・日本でも販売されているサムスン電子の「Galaxy S」シリーズには、長く同社の有機ELパネルが採用されているが、同社は日本市場で苦戦を強いられている。おそらく、店頭でGalaxyの有機ELパネルと他社スマートフォンの液晶パネルを見比べても、ほとんどの消費者はその差に気がついていないのではないだろうか。もし有機ELが差別化技術としてキラーコンテンツになるのであれば、もっとサムスンの日本国内シェアが高くなっていてもおかしくない。
・過去を振り返ると、そもそもPowerPC(アップルとIBMが共同開発したCPU)を採用した頃のマックのように、アップルが特定の要素技術をウリにしようとしたときは、アップルがアップルらしくなくなるタイミングでもあった。アップルのすごさは、誰もが思いつかなかったような新しいライフスタイルを提案する商品構想力にあるのであって、アップル製品の技術的な機能や性能が前の機種より良くなったから売れる、ということではなかったはずだ。
・しかも、有機ELはアップルが技術的に優位性を持っているわけでもない。もし、スティーブ・ジョブズが生きていたら、「iPhoneに有機ELを採用する」などと言っただろうか。それよりも、iPhoneという概念をそろそろぶち壊すようなアイデアを構想していたのではないだろうか。
▽バブルは所詮バブルでしかない 相手の土俵に乗らないのも戦略
・自身に有機ELの優位性がないのは、日本のパネルメーカーや家電メーカーにしても同じことである。外部環境を見たときにサムスンという先行者がいて、内部資源を見たときに有機ELの分野で先行メーカーより技術的に優れた資源を持っているわけでもない状態で、ライバルの土俵である市場に入っていくべきではないというのは、経営学の「イロハのイ」である。
・もちろん、世界中のメーカーが有機ELを志向し、参入メーカーが増えるなかで技術革新が起き、市場が嫌でも有機ELに傾くということも、ないわけではないだろう。しかし、そうなる可能性よりも「バブルは所詮バブルでしかない」可能性が高いのではないかと筆者は見ている。有機ELブームも、一過性のものに終わってしまうのではないだろうか。
http://diamond.jp/articles/-/92230

日経ビジネスオンラインは、有機ELの『歴史は参入と撤退の繰り返しだった』、『「出る出る詐欺」と揶揄され続け20年強』、『「いつもの瞬間風速的なものになるのでは」との不安は拭い去れていない』、と指摘、警戒的トーンだ。
長内厚氏の記事は、さらにより技術的な側面も入れて、有機ELの「泣きどころ」を、『熱に弱い』、『大型化にネック』、『現在応用できる有機EL製品はスマートフォンくらいしかなく、電機メーカーにとってテレビなどに使用するその他の薄型ディスプレイを同時に手がけるとなると、技術も設備も二重投資をしなければならない』、『化学製品の部品点数が少ない有機ELは、化学メーカーにとって必ずしも儲かるビジネスではない』、と指摘。さらに、『アップルのすごさは、誰もが思いつかなかったような新しいライフスタイルを提案する商品構想力にあるのであって、アップル製品の技術的な機能や性能が前の機種より良くなったから売れる、ということではなかったはずだ』、と上記の記事以上に警戒的が強い。
こうしてみると、アップルの有機EL採用方針の真の狙いが、よく分からなくなってきた。まさか、「話題つくり」だけということもない筈だが・・・。
明日の金曜日は更新を休むので、土曜日にご期待を!
タグ:半導体産業 (その1)”にわか有機ELブーム”をどうみるか 日経ビジネスオンライン 有機ELに「iPhoneバブル」?需要は未知数、繰り返されてきた肩透かし 米アップルがiPhoneに採用 関連市場はバブルの様相 韓国サムスン電子 LGディスプレー 新工場の立ち上げや増産投資を加速 ジャパンディスプレイ(JDL)が「今後最も力を入れていく事業」と位置付けているほか 鴻海(ホンハイ)精密工業もシャープの技術を活かし有機ELパネル市場に参入する計画 アップルは前倒し採用の動きも バックライトが不要 液晶より薄くできたり 曲面加工ができたりするなどの利点 1990年頃から「液晶の次」と期待 歴史は参入と撤退の繰り返しだった 早ければ2017年にも市場に登場すると見られる有機EL採用のiPhone 「出る出る詐欺」と揶揄され続け20年強 現状はサムスンが自社のスマホに、LG電子が大型テレビ、スマートウオッチ向けに量産しているのみだ スマホではまだ生かせぬ優位性 筐体を薄くできること 容量の大きいバッテリーを搭載することが可能になり またしても肩透かし? いつもの瞬間風速的なものになるのでは」との不安 長内 厚 ダイヤモンド・オンライン にわか有機ELブーム」に飛びつく電機各社の浅慮 有機エレクトロルミネッセンス OLED バックライトやカラーフィルターなどの余計な部材が必要なく、部品点数を減らすことでコストダウンが容易になるというポテンシャル 印刷に近い技術で基盤に塗布することができる 薄型化やフレキシブル化が容易 液晶に比べて歩留まりが悪く、低価格化のポテンシャルがあると言われながらも、これまではパネルの価格が高かった サムスン電子が、液晶パネルと遜色のない価格で有機ELパネルを供給できるようになったと言われており 有機ELの「泣きどころ」 熱に弱く 高温多湿の環境では使いにくい 大型サイズについてはまだまだ生産が安定していない 現在応用できる有機EL製品はスマートフォンくらいしかなく 電機メーカーにとってテレビなどに使用するその他の薄型ディスプレイを同時に手がけるとなると、技術も設備も二重投資をしなければならない 化学製品の部品点数が少ない有機ELは、化学メーカーにとって必ずしも儲かるビジネスではない GALAXY S 有機ELパネルが採用されているが、同社は日本市場で苦戦を強いられている アップルのすごさは、誰もが思いつかなかったような新しいライフスタイルを提案する商品構想力にあるのであって、アップル製品の技術的な機能や性能が前の機種より良くなったから売れる、ということではなかったはずだ バブルは所詮バブルでしかない 相手の土俵に乗らないのも戦略
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人工知能(AI)(その1)最強棋士を超えたAIとその意味 [科学技術]

今日は、人工知能(AI)(その1)最強棋士を超えたAIとその意味 を取上げたい。

先ずは、野村総合研究所上席研究員の古明地俊氏が3月11日付け東洋経済オンラインに寄稿した「人工知能「第3の波」、囲碁でも人間に勝った!自ら学習し、課題の解決を可能にした新技術」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・これから5年後にかけて、情報技術はどのように進化していくのか?新たなビジネスを生み出し、適切なIT投資を行うためには、将来重要となる技術を早期に見極める「目利き力」が欠かせない。
・『ITロードマップ2016年版』を上梓した野村総合研究所(NRI)の古明地正俊氏が、3度目のブームを迎えようとしている人工知能(AI)について展望する。
・ディープラーニングに代表される機械学習手法の実用化と、それを支える画像やテキストなどのビッグデータの増大が、人と同じように考え、学習する「汎用人工知能」の実現に向けた取り組みを加速させている。
▽人工知能が囲碁でも人間に勝利した
・2016年3月9日、歴史的な「事件」が起きた。米グーグルが買収したDeepMindが開発した「AlphaGo」が、世界トップレベルのプロ囲碁棋士、イ・セドル九段(韓国)を打ち負かしたのだ。
・チェスや将棋ではすでにトッププロと互角以上の実力に達していた人工知能だが、手数が圧倒的に多く複雑な囲碁では、そのレベルに達するのはまだまだ時間がかかると思われていた。しかしグーグルは今年1月27日、「AlphaGo」が欧州チャンピオンのプロ棋士(二段)と対戦して5戦全勝したと発表。3月9日の「トッププロ」との戦いに注目が集まっていた。
・なぜ人工知能は、人々の予想を遙かに上回るスピードで進化しているのだろうか。 ここでは、「ディープラーニング(深層学習)」に代表される先進的な機械学習手法の実用化によって、「汎用人工知能」の実現に向けて進化を始めた、第3期の人工知能ブームについて概観していく。人工知能は、どこまで人と同じように考え、学習することができるようになるのか。
▽機械学習技術の集大成 IBM「Watson」の商用化
・機械学習とは、明示的にプログラミングをすることなく、コンピュータが経験(データ)によって知識やルールを獲得できるようなアルゴリズム/システムを実現する技術や手法である。 機械学習を利用したシステムの代表例がIBMのWatsonである。Watsonの機能は自然言語処理をベースにしている。人との対話やシステムに蓄積された専門知識、業務知識を利用して、仮説を生成したり、評価することにより人間の意思決定を支援する。IBMはこうしたシステムを「コグニティブ(認知)コンピューティング」と呼んでいる。
・Watsonは、米国の人気クイズ番組「Jeopardy!」で、本や百科事典など2億ページ分のテキストデータ(70GB程度、約100万冊の書籍に相当)の知識をたずさえ、人間のクイズチャンピオンに勝利したことで、一躍有名になった。
・これを契機として、IBMはWatsonの商用化に向け、さまざまな活動を続けており、2014年10月には、Watson事業を統括するWatson Groupの本部をニューヨーク市のシリコンアレー地区に開設するとともに、「Watson Client Experience Center」と呼ぶ支部を世界5カ所に開設している。
・Watsonは、米国ではヘルスケアや医療分野から適用領域拡大を進めてきたが、日本国内ではメガバンクのコールセンター業務や保険会社の支払い業務支援への適用など、金融機関向けのプロジェクトを中心に推進してきた。 2016年にIBMとソフトバンクは、両社が開発を進めていた対話や音声認識など6種類のコグニティブ・サービスの日本語版の提供を開始するとともに、ソフトバンクの人型ロボット「Pepper」にWatsonを搭載することを発表した。両社は今後、小売におけるセルフサービス環境など幅広い分野でWatsonの利用が拡大することを期待している。
▽ディープラーニングによるブレイクスルー
・機械学習にはさまざまな手法があるが、近年、特に注目を集めているのがディープラーニングである。最近では、グーグル、マイクロソフト、フェイスブックといった米国のIT企業がこぞってディープラーニングの研究に取り組んでいる。
・その研究成果はアップルのパーソナルエージェント「Siri」における音声認識やグーグル、Microsoft Bingの画像検索などで使われ始めている。音声認識や画像認識の成功と比べると、自然言語処理に対するディープラーニングの利用は限定的である。しかし、機械翻訳や対話システムなどへの技術適用が開始され始めており、今後の利用拡大が期待されている。
・ディープラーニングは脳の神経回路の構造を模倣しており、複数の層のニューラルネットから構成されている。前段の層において抽出した低レベルの特徴から、後段の層の高レベルに抽象化された特徴までを自動的に抽出できる点が従来の手法との大きな違いである。
・人間の場合、何かを識別する際には、特に意識せずとも自然に適当な特徴を見出している。たとえば、人間が赤いリンゴと青リンゴを識別する場合、色の情報を利用すればよいことは容易にわかる。
・しかし、従来の機械学習の手法では、識別に利用すべき特徴を人工知能が自ら抽出できなかったため、事前に色情報を特徴として識別するように人間が指示していた。そのため、顔のような複雑なものを認識するためには、目や口などの低レベルの特徴とその配置の関連といった高レベルの特徴を人間があらかじめ抽出する必要があった。加えて、コンピュータに対し、適切に特徴を教えることが困難なことも多く、機械学習やニューラルネットの適用範囲を狭める大きな要因となっていた。
・それに対して、ディープラーニングは特徴を自動的に抽出する機能を有しており、人間が特徴抽出に関与しなくても学習することが可能となっている。このように、データから特徴を学習する仕組みは「表現学習」と呼ばれている。ディープラーニングによって実現した「表現学習」によって、機械学習の従来の限界を超えられるのではないかと期待が高まっている。
▽人と同じように考え、学習する「汎用人工知能」
・1950年代に人工知能という研究分野が生まれた当時は、人と同じように考え、学習する、いわゆる「汎用人工知能/Artificial General Intelligence(AGI)」の実現が目標とされていた。しかし、汎用人工知能の実現に対する2度にわたる失望期を経て、個別課題の解決を目標とした「狭い人工知能(Narrow AI)」の実現が研究の主流となっていた。
・しかし、近年ディープラーニングによって実現された「表現学習」により、再び「汎用人工知能」実現に対する研究活動が活発になってきている。「狭い人工知能」がチェスや音声認識、自動運転など個別の課題に対応するように設計されているのに対して、「汎用人工知能」は、ひとつのシステムが自己学習し、人と同じようにさまざまな分野の課題を解決することができる。
・自己学習するシステムとして最近多く見られるのが、ディープラーニングに強化学習の手法を適用したものである。DeepMindのチームは2015年2月に「deep Q-network(DQN)」についての論文を発表した。  DQNは「Breakout」や「Pong」(ブロック崩し)などの2次元ビデオゲームのルールを自ら学習し、1日程度で人間よりハイスコアを獲得するまでに成長する。DQNが実現したものは汎用的な自己学習の仕組みとまでは言えないが、ディープラーニングが汎用人工知能の実現に大きく寄与することを予感させる事例といえよう。
・最近では、ディープラーニングを利用した強化学習の手法が、囲碁のアルゴリズムの改善やロボットや自律走行車の制御に活用され、研究レベルであるが大きな成果をあげている。強化学習では、人が事前に学習データを用意する必要がないため、シミュレーションなどによって短期間で高度な機能を学習することも可能である。こうした自己学習技術の進歩により、将来的には、多くの人手を必要とすることなく、より高品質な作業を実現するAIシステムが安価に利用できるようになるはずだ。
▽2020年を目標に自動運転の実用化を目指す
・ディープラーニングを活用した技術の商用利用としては、まずは画像認識技術によって製造業における製品の品質管理、店舗における防犯や顧客の行動分析など、カメラ映像の利用拡大が予想される。やがて自然言語処理の知見を活用した音声認識や文字認識などの精度向上や画像認識技術の結果を文章で説明するといったアプリケーションの利用も広がるだろう。
・また東京オリンピック/パラリンピックが開催される2020年を目標に、自動車メーカー各社は、高速道路における自動運転の実用化を目指している。自動運転の実現には、画像認識を中心とした人工知能の技術が不可欠であり、欧米ではグーグルのようなIT企業やテスラモーターズなどの新興の自動車メーカーが積極的に研究開発を進めている。日本でもトヨタ自動車が2016年1月に人工知能の研究開発を担う新会社の設立を発表、米シリコンバレーに本社を置き、5年間で10億ドル(約1200億円)を投資する予定である。
http://toyokeizai.net/articles/-/108588

次に、 ニッセイ基礎研究所専務理事の櫨 浩一氏が同日付けの東洋経済オンラインに寄稿した「人工知能の発展は格差拡大に繋がりかねない AlphaGoと最強棋士の対局が暗示する未来」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・人工知能(AI)の囲碁ソフト「アルファ碁(AlphaGo)」は、世界最高峰といわれる韓国のプロ棋士、イ・セドル九段と5番勝負を行い4勝1敗で勝ち越した。アルファ碁が3連勝して勝利を決めた時点で、世界には激震が走った。
・1997年にはIBMのコンピュータ、ディープブルーがチェスの世界チャンピオンのガルリ・カスパロフを2勝1敗3引き分けで破って大きな衝撃を与えたが、チェスに比べて囲碁ははるかに複雑なゲームなので、少し前まではコンピュータの計算能力が高くても、プロ棋士に勝つのは相当先のことだと考えられていた。
▽急速な技術進歩が経済社会にもたらす変化
・詳細は専門家の説明を読んでいただきたいが、アルファ碁にはディープ・ラーニングと呼ばれる機械学習の手法が使われている。これによって、現在は人間の勘や経験に頼っている作業も、機械が学習することにより、自ら判断してできるようになるとみられる。
・例えばグーグルが公道で自動運転車の実験を行っているように、かつて人間にしかできないと考えられていた自動車の運転のような領域でも、人工知能を搭載した機械が人間に置き換わっていくことになる。最初は人間の監視が必要だが、囲碁での勝利が示唆するように、いずれ人工知能の判断のほうが人間の判断よりも適切だというケースが増え、次第に人間は判断に関与しなくなっていくだろう。
・注目したいのは、技術進歩がもたらす経済社会への影響と、その速度だ。 ディープ・ラーニング自体はかなり前から研究されていたが、急速な発展を遂げるようになったのは2000年代に入ってからだという。アルファ碁を開発したディープマインド社は2011年に設立されて、2014年にグーグルに買収されたというから、開発がはじまってから世界最高峰のプロ棋士に勝つまでの間にそれほど長い年数はかかってないはずだ。
・もちろん、今後は、また別の壁に突き当たり、近年のような急速な進歩が続かないという可能性もある。一方で、これまでの様々な分野での技術進歩が統合されて、指数関数的に進歩が加速していくという可能性もある。
・工業化によって日本の産業構造が農林漁業といった第一次産業から第二次産業へとシフトし、そしてサービス化によって第三次産業へと移り変わっていく中で、農林漁業の就業者は、1950年の1700万人余りから半世紀余りの間に300万人弱へと減少した。
・著しい減少だが、農林漁業の就業者の減少は、高齢者が引退する一方で若い世代が入ってこないという形で時間をかけて進んできた。もちろん農漁村から都市部へと大量の若者が移動したが、農業から追い出されたわけではなくて、より高い所得が得られることに引き付けられて自ら移動していった。
▽専門的なスキルを持った人も不要になる
・これに対して、人工知能の進歩が引き起こす職業の変化ははるかに急速で、変化に巻き込まれる人々には厳しいものになるのではないか。企業の中で長年経験を積むことで磨き上げた技術や能力が、機械の登場によってあっという間に無価値になってしまうということが頻繁におきるに違いない。
・これまで機械化によって職を失った人々は、自動化が容易な単純作業に従事していた人達で、専門職や技術職は不足していた。しかし、人工知能を搭載した機械の導入では、事務や技術職の仕事が機械にとって代わられることになる。高度な判断が必要とされる業務でも、人工知能の発展により、短期間のうちに機械化が進むだろう。現在は不足しているとされる高度な専門的スキルを持った人材も、将来は不要になるということがおきる可能性が高い。
・新しい仕事も生まれてくるだろうが、変化のスピードは速いため、大きな摩擦が避けられないだろう。日本では、過剰となった技術を持つ人達の再教育や職種の転換が企業の中で行われ、社会的な摩擦を小さくしてきたが、そのような対応だけではとても間に合わないのではないか。企業内で必要とされる労働者の能力は急速に変化していくはずだ。日本の学校教育は知識偏重で時代遅れと指摘されて久しいが、次世代を担う若者が変化に対応していくために、どのような教育を施して行けばよいのかは難しい問題だ。
・人工知能の発展は最終的には社会の生産力を非常に高いものにし、世の中から経済的な問題をなくす可能性がある一方で、格差の著しい拡大をもたらす懸念もある。
・これまでの工場生産や事務の機械化では、機械が人間の作業の一部を代替しても、すべてを任せてしまうわけにはいかず、機械を操作する労働者がどうしても必要だった。経済学の教科書で説明される、企業の生産活動をモデル化した生産関数は、労働者がゼロでは生産量もゼロになってしまうというものだ。
・しかし、人工知能が発達すれば機械が機械を管理するようになり、少なくとも普通の企業活動では機械を操作する労働者を不要にしてしまうだろう。もちろん、より進んだ技術を開発するためには、高度な研究能力を持った人材が不可欠だ。しかし残念ながら、それは誰でも努力すればできるという仕事ではない。ごく少数の恵まれた才能を持った人を除けば、ほとんどの人にはできない仕事ではないだろうか。
▽資産と所得の偏在が大きくなる危険性
・こうした状況でも、生産設備を所有している人達は、資産からの配当という形で経済全体の生産性向上の利益を享受できるはずだ。『21世紀の資本』でトマ・ピケティ氏は、資産家が高い所得を得てますます資産を蓄積するという形で、資産と所得の偏在が大きくなる危険性を強調している。
・一方、これまで従事していた仕事を機械にとって代わられた人達は、低賃金の仕事しか見つけられないかも知れない。人工知能を使って費用を引き下げることの利益が大きいのは、賃金が高くて一人の労働者の削減で節約できる金額が大きい仕事である。逆に、機械化しても節約できる人件費が低い仕事、つまり低賃金の仕事が最後まで機械化されずに残る可能性が高い。
・人工知能の本格的な利用はまだ始まっていない。だが、安定した仕事と賃金が得られる中間層が縮小していることが、アメリカの大統領選挙に大きな影響を与えているといわれている。
・大多数の人達の経済力が低下していることを示唆するデータも見ることができる。日本の経済データは長期間の動きを見ることができないので、アメリカのデータになるが、経済全体の所得中の賃金の割合を表す「労働分配率」は1970年頃までは上昇していたが、1980年頃以降は下落傾向だ。
・賃金が大きく低下しても、生活費がそれを上回るほど大きく低下すれば我々の生活はむしろ向上する可能性がある。しかし、技術の進歩が多くの労働者の生活を向上させることに向かわず、一部の豊かな人々の消費や蓄財のための技術開発が優先されてしまう恐れがある。
・労働者の経済力が低下すれば、その生活品の市場は縮小してしまい、一方で一部の豊かな人々の支出が支える市場は拡大を続ける。企業にとっては、経済力のない多くの人々が必要とするものを供給するよりも、一部の非常に豊かな人達が購入したいと思うものを提供するほうが利益は大きくなる。
・所得の格差が著しく拡大した経済では、社会で多くの人が必要としている物やサービスを供給するための技術開発は、経済的には優先度の低いものになってしまい、多くの人達の生活費はそれほど低下しない恐れが大きい。市場に任せておけば社会の抱える問題が解決するというわけにはいかない可能性が高く、アンソニー・アトキンソン氏は著書『21世紀の不平等』の中で、技術進歩の方向性に政府がもっと積極的に関与することを提唱している。
▽人工知能の発展は人類にとって幸か不幸か
・余談になるが、アルファ碁とイ九段は5番勝負の決着が付いたあとも戦ったが、第4局では途中でアルファ碁が突然、疑問手を連発して負けてしまった。まだ人間が機械に勝てるチャンスがあることが証明されたので、安堵した人も多かっただろう。しかし、アルファ碁は今後も強くなり続け、さらなる技術の開発も行われて、人間が人工知能に勝つのはより困難になるだろう。人工知能が人間に勝つことはもうニュースではなくなって、人間が人工知能に勝つことが大ニュースとなる日がやってくる。
・社会の抱える様々な問題についても、人工知能が優れた解決策を見つけ出してくれるようになるということは明るい話だ。いずれ人工知能が提示する解決策以上のものを人間が考え出すことはできなくなるだろう。筆者が生きている間にそこまで人工知能が進歩することはないだろうとは思うのだが、それが幸か不幸かよくわからない。
・人間にはその意味が理解できなくても、人工知能の指示することに従えば幸福になるという時代が来ると思うと、暗い気分になってしまうのは筆者だけだろうか。
http://toyokeizai.net/articles/-/109862

今日の日経新聞は、「AI創作小説「星新一賞」1次通過 作家「100点中60点の出来」 都内で報告会」を伝えた。人間が多少手助けし、最終審査には残らなかったようであるが、小説執筆という分野にまで広がりつつあることに、改めて驚きを感じた。
上記で紹介した2つの記事の執筆時点ではまだ行われてなかった第5局は、AIの勝利となり、AIが通算4勝1敗となったようだ。
「識別に利用すべき特徴を自動的に抽出する機能」を有しているディープラーニングは、確かに画期的な技術だ。ただ、Watsonを搭載したソフトバンクの人型ロボット「Pepper」は、現在のところはまだまだ「遊び」に近い段階のようだが、学習を進めるうちに進化していくのだろう。
AIの進歩には明るい面もあることは事実だが、どうも暗い面の方が大きそうだ。櫨浩一氏が指摘する「格差拡大につながりかねない」との懸念は、これまでの技術革新と違って、「専門的スクルを持った人も不要」になり、生き残るのは、機械で置き換える必要のない低賃金労働者と、「高度な研究開発能力を持った人材」だけというのでは、社会は崩壊してしまいかねない。その前に何らかの形でブレーキがかかるのだろう。この問題は極めて重要なので、今後もフォローしてゆくつもりだ。
タグ:AI創作小説「星新一賞」1次通過 作家「100点中60点の出来」 都内で報告会 日経新聞 AI 人口知能 (その1)最強棋士を超えたAIとその意味 古明地俊 東洋経済オンライン 人工知能「第3の波」、囲碁でも人間に勝った!自ら学習し、課題の解決を可能にした新技術 ITロードマップ2016年版 野村総合研究所 ディープラーニング 機械学習手法 ビッグデータの増大 「汎用人工知能 グーグル DeepMindが開発 AlphaGo 世界トップレベルのプロ囲碁棋士 イ・セドル九段(韓国) 打ち負かしたのだ チェス 将棋 手数が圧倒的に多く複雑な囲碁では、そのレベルに達するのはまだまだ時間がかかると思われていた IBM「Watson」 自然言語処理をベース IBMとソフトバンク 両社が開発を進めていた対話や音声認識など6種類のコグニティブ・サービスの日本語版の提供を開始 人型ロボット「Pepper」にWatsonを搭載 脳の神経回路の構造を模倣 特徴を自動的に抽出する機能を有しており 人間が特徴抽出に関与しなくても学習することが可能 表現学習 人と同じように考え、学習する「汎用人工知能」 ロボット 自律走行車の制御 自動運転の実用化 櫨 浩一 人工知能の発展は格差拡大に繋がりかねない AlphaGoと最強棋士の対局が暗示する未来 指数関数的に進歩が加速していくという可能性もある 専門的なスキルを持った人も不要になる 格差の著しい拡大をもたらす懸念 普通の企業活動では機械を操作する労働者を不要に 高度な研究能力を持った人材が不可欠 資産と所得の偏在が大きくなる危険性 人工知能の発展は人類にとって幸か不幸か 人間にはその意味が理解できなくても、人工知能の指示することに従えば幸福になるという時代が来る
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日本人のノーベル賞受賞(その3)中国初のノーベル医学・生理学賞受賞への中国国内の不思議な反応 [科学技術]

昨日に続いて日本人のノーベル賞受賞に関連して、(その3)中国初のノーベル医学・生理学賞受賞への中国国内の不思議な反応を取上げたい。

10月14日付け日経ビジネスオンライン「中国初のノーベル医学・生理学賞が浴びる苦言 なぜ中国で日本人受賞者が賞賛されるのか」のポイントを紹介しよう(▽は小見出し)。
・今年もノーベル賞の季節が終わった。今年は医学・生理学賞に大村智氏、物理学賞に梶田隆章氏と二日続けて日本人受賞者が出たので、日本中が祝賀ムードで沸いた。彼らの業績を一般庶民の私たちがものすごく深く理解しているわけではないのだが、純粋に同じ日本人の受賞がうれしい。これは当然の人間心理だと思っている
・なので屠呦呦氏が中華人民共和国民として初の自然科学分野のノーベル賞、ノーベル医学・生理学賞を受賞したことに、中国人はさぞ大喜びをしていると思っていた。確かに最初の第一声は、歓声であった。だが、それに続く報道や世論がどうも微妙だ。純粋に喜び、祝福する声だけでないのである。それどころか、疑惑とか議論とネガティブな報道も多い。これはどうしたわけだろうか
▽切望かなった自然科学分野の受賞
・屠氏は、ノーベル平和賞の劉暁波、ノーベル文学賞の莫言両氏に続く中華人民共和国3人目の受賞者。中国人民が切望していた自然科学分野のノーベル賞を初めてもたらした大功績者だ。しかも女性。女性科学者の受賞なんて、屠氏を含めてわずか13人、アジアでは初めてだ。さらに屠氏は中医学が専門であり、中国の伝統医学・中医分野がノーベル賞を受けるようなグローバルヘルスに貢献したことを、中国ならばさぞ鼻高々に喧伝するであろうと私は予測していた。だが、少し違うのである
・まず屠氏の功績について紹介しておこう。 1930年、浙江省寧波市生まれ。1951年に北京大学に入学し、医学院薬学部で生薬を専攻した。1955年、北京医学院(現北京大学医学部)を卒業後、衛生部傘下の中国中医研究院(2005年に中国中医科学院に名称を変更)に配属され、以降同院に所属。彼女は幼少期、故郷でマラリアが流行した際、中医薬の効果を目の当たりにしており、その時の衝撃が後に生薬研究の世界に進んだ動機であったらしい
・彼女の研究テーマは中薬(生薬)と中西薬(中国製化学薬)の結合であり、伝統的な生薬の成分を科学的に解明することであったという
・1967年5月、毛沢東の指示で、中国人民解放軍総後勤部と国家科学委員会は北京で薬剤耐性マラリア予防治療全国協作会議を招集、約60の機関から大勢の科学者・医学者が招集された。ときしもベトナム戦争時代、北ベトナム支援で現地に送り込まれる解放軍兵士たちのマラリア蔓延が問題視されたことが背景にあった
・この研究プロジェクトは会議の日付から523任務と呼ばれる。各機関の討論研究の末、1969年、屠氏を組長とする研究チームが組まれた。彼女は幼少期に見た生薬の効果を思いだし、大量の文献を読み漁り、古代の生薬の効果の記録を参考に、190以上の生薬に対して、380以上の実験をこなし、1971年、黄花蒿(オウカコウ=和名・クソニンジン)に有効成分を発見。その成分抽出を試みる。彼女とチームは72年に化学式C15H22O5の無色の結晶体を抽出することに成功。それを青蒿素(アーテミシニン)と命名した。翌年、これを二水素と結合させたアーテミシニン誘導体・アーテニモルの合成にも成功した
・彼女の名前「呦呦」は、父親が詩経の「呦呦鹿鳴 食野之蒿」(ゆうゆうと鹿のなくあり、野のよもぎを食らう)の一節から取ったというが、その名前の由来の詩に出てくる蒿こそ、青蒿のことだった。まさに、運命の研究だったといえる
▽中国伝統薬由来の20世紀最大の発明
・その成果は1977年、研究チーム名義で科学通報に発表されるものの、軍のプロジェクトである523任務に帰属するものであり、また文化大革命の最中ということもあり、少なくとも海外の研究者に注目されることはほとんどなかった
・1981年、WHO(世界保健機関)主催のアーテミシニンに関する会議が北京で開かれ、屠氏が首席発表者として研究成果を発表して、ようやくその偉業を世界が知るところになった。だが、生薬の黄花蒿は、中国政府が戦略物資として管理していたこと、またその成分を抽出するために大量の有機溶剤が必要なことなどで、俗に“貴族薬”と呼ばれるほど高価な薬でもあった。治療薬を開発できたとしてもコストがかかり過ぎるとみられて、実用化に向けた研究はなお10年以上の歳月がかかった。その後、アーテメターやアーテスネートなどの半合成剤が開発され、コスト問題が克服されて実用化が加速した
・このアーテミシニンの発見および半合成剤の開発は、「中国の伝統薬から開発された医薬品としては20世紀最大の発明」と言われており、2000年以降、マラリア死亡者が世界で42%減少した最大の功績はアーテミシニンおよびその合成剤にあるといっていい。2008年にアーテミシニンに耐性のあるマラリア原虫も発見されたが、WHOはその封じ込めに力を入れており、今なおアーテミシニンはマラリアに最も有効な薬の一つである
・これだけの功績がありながら、彼女は、海外留学経験もなく、また博士号も取得しておらず、中国の科学者に与えられる院士の資格も取得していない「三無科学者」とよばれ、学会でも長らく忘れ去れた人物であった
・彼女に再度、スポットライトが当たり始めたのは、2011年に、ノーベル医学・生理学賞の前哨戦といわれているラスカー賞を受賞したあたりからだ。以降、彼女がノーベル賞を獲るのではないかという下馬評はこの数年間、中国でも取り沙汰されていた
・こう紹介すると、多くの日本人は専門家であれ素人であれ、中国にもこんなすごい人がいたのか、と素直に感嘆することだろう。ところが、意外なことに中国人の反応がポジティブなものだけではない
▽科学者としての限界、人格の欠陥…
・まず、専門家の反応が厳しい。北京大学生命科学院の饒毅院長のコメント。「過去十数年、屠呦呦先生は業界ではとかく話題の人。名誉欲が強く、個性的で頑固な性格。言い争う以外の方法で、屠先生と交流するのは困難。彼女は中医研究院の材料・データなどを自分の家に隠し込んで、独り占めして我々には見せてくれることがなかった」
・香港大学の金冬燕教授は「彼女のアーテミシニン発見に対する功績は、例え問題があっても、まあ納得できるのだが、彼女の科学者としての限界、その人格の欠陥については、あえて直言したい」
・さらには科学啓蒙作家である方舟子氏。「屠氏が研究報告書を発表した当時、厳格な学術規範による監修はなかった。基本事実をあまり尊重せず、自分の功績を誇張し、研究チームの協力者を蔑ろにしていた。このため、チームの同僚から評判が悪く、だから彼女は院士試験に三度も落ちたのだ」
・日本人的な発想で言えば、ノーベル賞を受賞した人物に対して、こういうネガティブ論評をメディアに向かって言う人はまずないだろう。例え、彼女の性格が相当悪くて協調性のない人でも、ここまでこっぴどくは貶すまい
・さすがにノーベル賞の審査委員たちは、彼女の論文、研究書の信ぴょう性については、専門家の目で厳密に審査しているはずであるから、全くのでたらめ、ということはないはずだ。では、これだけの功績がありながら、なぜ中国でこれまでほとんど評価されてこなかったか。今なお、彼女のノーベル賞受賞に疑問を呈したり、批判したりする人が多いのか。性格が悪いから、彼女が院士試験に合格できなかったと言われるが、そもそも、科学者の功績に性格の良さは必要なのか
▽チームメンバーも学会重鎮も“不満”
・彼女が批判される背景について、一般に言われているのは、屠氏一人が、アーテミシニンの発見に関わったのではなく、当時からすでにアーテミシニン研究の同業者の間で、彼女の研究成果、功績の独り占めに対する批判があった、というもの。さらに言えば屠氏は、行政権力を通じて、こうした批判を封じ込めた、とも言われている
・アーテミシニンの活性単体を分離し結合を測定したのは、彼女の同僚(鐘裕容という名前らしい)であり、このことについての彼女自身の実質的貢献はなかった、とも言われている。ただ、研究チームの組長であったので、その功績を自分のものとしたのだ、という。523任務は、当時のエース級研究者をまとめた研究チームであり、メンバーに上下はなく、対等な同僚関係であった。そして、お互いをライバル視して、比較的独立した形で競うように実験を行った結果、アーテミシニンの発見がもたらされた、らしい
・当時は、誰が分離に成功したのか、ということについて、上層部も真剣に審査したそうだが、何せ文革後期のもっとも人の心が荒れていた時代でもあり、チーム名義で報告書が出されたのち、讒言や誹謗中傷、足の引っ張り合いが研究チームの中で起きた。結局のところ、組長の屠氏の功績にするのが一番いいと、上層部が決定したのだという
・だが、研究チームのメンバーのほとんどが納得していなかった、という。以来、彼女に対する密告や讒言の手紙は山のように研究院や当局に届き、彼女の院士試験落第の原因になったとか。中国の院士試験というのは、科学者としての功績だけでなく「政治的正しさ」も審査される。こうした恨み妬みが長らく続き、彼女は学会では半分「干されていた」状態にあった
・だが、アーテミシニンのグローバルヘルスへの劇的な貢献度に、世界の方が彼女の名前を思い出した。彼女がラスカー賞を受賞し、国際社会でもてはやされるほど、中国医科学界の重鎮たちは何となく面白くなく、中国の公式メディアの科学記者たちも、その不満を知っているだけに、あまり派手な報道もできない、といった様子である。中国当局としても、今までさんざん、院士試験に落としてきたわけで、あまり彼女を持ち上げすぎると、中国の科学アカデミズムの最高学位に瑕疵があることを露呈してしまう。また、えげつない中国のネット上ではニセの屠氏の「書」や「手紙」が法外な値段で取引されていたことも発覚し、なんとなく、ネットユーザーの間には冷めた感覚がある
・なので、一部の事情の分かっている知的レベルの高いネットユーザーたちの間では、あえて中国人ノーベル医学・生理学賞受賞者の屠氏ではなく、日本のノーベル賞受賞者を賞賛するのだという。 例えば日本の医学・生理学賞受賞者の大村氏は、アイルランド出身のキャンベル氏との共同受賞。物理学賞受賞者の梶田氏は受賞のコメントのとき「戸塚先生のお力があったので(スーパーカミオカンデを)建設できた」とまず、自分の師匠について語った。つまり、日本の受賞者は「自分の一人の功績」と自慢していない。そこが、中国人的には、イイ!ということらしい
・ノーベル賞を受賞するような偉大な科学的成果が、たった一人の人間の頭脳から突然生まれることはあまりない。それまでの研究の先達の積み重ねがあり、同僚との切磋琢磨があり、たまたま時代と環境のめぐりあわせで、一人が大きな賞を受賞できる。その時、共同研究者や先輩たちがその受賞者を妬むのか、あるいはわがことのように祝うのかは、政治体制や社会の状況が大きく関係していると思う
▽誇るべきは、世界への貢献(文革期、他人を一切信用することのできなかった厳しい時代で、優れた頭脳が競うように、時に足を引っ張り合いながらも実験を行って、それでも世紀の大発見がなされた中国という国は、やはり人材の宝庫だというしかない。だが、チームワークで協調できる環境にあったなら、もっと早くに実用化がかなったかもしれない。何より、ともに研究に励んだ仲間たちが素直に喜べないのはなんと不幸なことか。屠氏が受賞時のコメントで、チームの研究者の名前すらあげなかったのも、さんざん誹謗の密告をされたからとはいえ、寂しいことだったろう
・本当に偉大な研究というのは、そのプロセスにおいても、成果においても、より多くの人が情報を共有し、参与することで、現実の人々の暮らしに役立つようになるのだと思う。アーテミシニンだって、薬となってアフリカの子供たちを救うまでには、ノーベル賞を受賞しないような大勢の研究者の努力があったはずだろう。その研究成果が誰のものであるかは実は些細なことで、大切なのは情報も成果も分かち合うことなのかもしれない
・だから、ノーベル賞受賞のニュースが、日本人を沸かせるのは、「日本人は優秀」という自慢の気持ちからではないと思っている。(そう思っている人もいるかもしれないが)。日本から、世界の科学に貢献した人物を輩出できたことが素直に誇らしいのだと思う。研究成果や功績を独占するでもなく、多くの研究者たちが協調して研究を積み重ね、足を引っ張り合うこともなく、世界中の人たちと、その利益を分かち合うことを喜べる政治体制や社会を形成しているのが、私たち日本人の一人一人である。これからも、そういう社会であり続けなければならないと思うのである
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/218009/101200017/?P=1

この記事を読むまでは、中国中がお祭り騒ぎになっていると思っていたので、意外であった。「三無科学者」が率いるチームが、あの文化大革命の混乱の最中に発見したようだが、チームでの成果を上層部が、組長の屠氏の功績にするのが一番いいと決定、彼女自身も成果を独り占めするような性格だったこともあって、複雑な受け止めになったようだ。中国国内での反応には、やっかみもあるのだろうが、日本人受賞者のおくゆかしい姿勢が中国国内で評価される結果となったのは、日本人にとっては「タナボタ」なのであろう。
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日本人のノーベル賞受賞(その2)日本の先行きの厳しさ [科学技術]

昨日に続いて、日本人のノーベル賞受賞である。中国側の事情は明日に回し、今日は(その2)として、日本の先行きの厳しさについてのより実証的な記事を取上げたい。

以前にも引用した元財務官僚で嘉悦大学教授の高橋洋一氏が、10月12日付け現代ビジネスに寄稿した「日本のノーベル賞受賞者は、10年後には激減する! ~データが示す「暗い未来」。論文の数があまりに足りない 研究への公的支援を根本的に見直せ」のポイントを紹介しよう(▽は小見出し)。
▽世界の大学ランキングで東大が低迷している理由
・先週は、日本中がノーベル賞受賞で沸いた。生理学・医学賞に大村智・北里大学特別栄誉教授が、物理学賞に梶田隆章・東京大学宇宙線研究所所長が輝いた。昨年に続く快挙である
・しかし、今回の受賞を日本の研究水準の高さを示すものとして素直に喜んでよいものだろうか
・というのも、先々週に発表された世界大学ランキングで、東大は昨年から大きく順位を落としたほか(23位→43位)、上位200校に入った日本の大学も2校(東大と京大)に減ったと報じられた。政府は2013年、「今後10年間で世界大学ランキングトップ200に10校以上を入れる」ことを目標としているが、この二つのニュースをどう考えたらいいのか
・実は、学問の世界では、論文を書いて評価されるが、発表される日本人学者の論文数が、この二つのニュースのカギになっている
・世界大学ランキングには有名なものだけでも十数種類あるが、今回報道されたのは、そのうちの一つで、イギリスの高等教育専門週刊誌『タイムズ・ハイアー・エデュケーション』が2004年から毎年秋に公表しているものだ(World University Rankings 2015-16)
・英米以外の国の大学にとって、ランキング入りはなかなか厳しい。今年のベスト100では、アメリカ39校、イギリス16校、ドイツ9校、オランダ8校、オーストラリア6校、カナダ4校、スウェーデン3校、日本2校、中国2校、香港2校、シンガポール2校、スイス2校、ベルギー1校、デンマーク1校、フィンランド1校、フランス1校、韓国1校という内訳だ
・評価基準は、教育、研究、論文被引用数、国際性、産業界からの収入の5項目で、各項目100点が満点で、それぞれ30%、30%、30%、7.5%、2.5%のウエイトが付けられており、総合点が算出される
・例えば、今年の東大は、教育81.4、研究83、論文被引用数60.9、国際性30.3、産業界からの収入50.8で、総合点71.1だ。昨年はそれぞれ81.4、85.1、74.7、32.4、51.2、76.1だった。順位を下げたのは、ウエイトの大きな論文被引用数が大きく減少したためである
・5項目について今年の東大のベスト100校における順位をいえば、教育13位、研究22位、論文被引用数96位、国際性98位、産業界からの収入53位だ。やはり、論文被引用数がふるわなかったことが大きい
・ちなみに、昨年の東大のベスト100校における順位は、教育14位、研究15位、論文被引用数78位、国際性96位、産業界からの収入53位だった。京大について見ても、論文被引用数が大きく減少したことが順位を下げた原因であった
▽重要なのは、論文数のシェア
・次に、ノーベル賞であるが、最近日本人の受賞者が多くなっている。2000年以降、日本のノーベル賞受賞者は自然科学では14人だ(米国籍になった元日本人を含めると16人)。これは米国に次いで多い
・トムソン・ロイター社は論文の被引用数などから、2002年から毎年、引用栄誉賞としてノーベル賞受賞者予想を発表。これは結構あたっている。  生理学・医学賞はのべ74人受賞しそのうち12人、物理学賞はのべ65人が受賞しそのうち12人、化学賞はのべ55人が受賞しそのうち3人、経済学賞はのべ62人が受賞しそのうち11人、がそれぞれノーベル賞を受賞している
・やはり論文を書いて、引用されるほど評価が高まることが、ノーベル賞につながるのだ。この点をかなり明快に分析しているものとして、豊田長康・鈴鹿医療科学大学学長のブログを取り上げよう(「はたして日本は今後もノーベル賞をとれるのか?」)。  このブログは、日本全体の論文数の世界シェアが、結果としてノーベル賞につながったことを示している。それは、以下の図で明快である(図はリンク先を参照)
・研究成果の評価は論文被引用数であるが、論文を書かなければ被引用数も伸びないので、結局、論文数、それも世界シェアが重要なのだ
・それでは、先々週の世界ランキングにおける日本の大学の低迷と先週のノーベル賞連続受賞はどう考えたらいいのだろうか。 それは、論文シェアの現在と過去の違いである
・上図を見ても、日本は、2000年ごろまで論文数シェアを伸ばしていて、世界2位をキープしていたが、今ではこれらの国の中でも4位である。最近は論文数が伸びるどころか減少しており、そのうち韓国にも抜かれてしまうかもしれない
・ノーベル賞受賞対象の研究は、受賞した年から遡って10~30年前くらいに行われていることが多い。  1985年以降、20年以上前の業績を評価されたのは、物理学賞で60%、化学賞で52%、生理学・医学賞で45%となっている。ノーベル賞は存命人物のみを対象としているので、優れた研究をして長生きした人へのご褒美ともいわれている
・いずれにしても、ノーベル賞研究は、過去の功績を十分精査され、研究時期と受賞時期にズレがある。2000年代以降、ノーベル賞受賞が増えたのは、1970年~80年以降の研究が花開いたといえよう
▽ニュートリノの思い出
・理系出身の筆者は、自然科学が脚光を浴びるのはうれしいが、今回の梶田氏の受賞対象であるニュートリノには官僚時代の思い出がある
・筆者が財務省(旧大蔵省)に入省した直後の1983年ごろ、面白い研究や企業を選んでどこでも出張していいといわれた。科学技術の変化がどのように社会に影響を与えるかを調べてこいという出張命令だった。  今から考えても、それが旧大蔵省の仕事とどう関係するのかよくわからないのだが、とにかくその当時建設中だったカミオカンデ(岐阜県神岡鉱山地下の観測施設)に光電管を納入する浜松ホトニクスを選んだ。  カミオカンデには残念ながら行けなかったが、カミオカンデ建設の目的が、陽子崩壊を観測することだったことは知っていた
・陽子崩壊は、物理学での究極理論である大統一理論(自然界の電磁気力や重力などを統一的に説明する理論)の構築に役立つだろうとの科学雑誌の記事を見て、それに協力する企業はどのようなところなのかと興味をもったのだ
・企業とは利益を追求するものなのに、利益追求とまったく無縁な基礎研究の典型である大統一理論に貢献するというアンバランスが面白かった
・実際、浜松ホトニクスに行った時には、実験に必要な光電管を作る技術が会社の製品にも生かせるというような一般論かと思っていたら、そうした商売の話ではなく、本格的な素粒子論が聞けて面白かった思い出がある。 もちろん、筆者の出張レポートには、理系青年らしく、基礎研究の重要性を書いた記憶がある
▽GDPと論文数の関係
・まだ1980年代はよかった。経済成長しており、科学技術予算もそれなりにあった
・理系の人にはわかると思うが、自然科学はとにかく楽しいのだ。だから、研究といわれても遊びの延長であって、やるのは名誉のためではなく、単に楽しいからという理由が多いだろう。研究する人の多くの不安は、「遊んでいて」食っていけるかどうか、というものだ
・そこで、公的支援が必要になるが、かつての高成長時代であればよかったのだ
・ところが、経済成長しなくなると、じわじわと公的支援が伸びなくなった。そうなると、論文数が出なくなったわけだ。実際、2000年代の各国の研究開発費の増加率と論文数の増加率にはかなりの相関があり、それらは同じ程度といえる
・当然のことながら、各国の公的支援は、各国の経済力に応じている。このため、各国の論文シェアは、かなり各国のGDPシェアで説明できる
・ちなみに、各国のGDPシェアの推移は下図である(図はリンク先参照)。 アメリカ、中国、日本のGDPシェアと論文シェアの推移を見ると下図になる(図はリンク先参照)。  これを見るかぎり、日本の論文シェアはピークアウトしているので、あと10年もすると、ノーベル賞は激減していくだろう。そのころ、台頭するのが中国だろう
・もっとも、日本もアメリカも、GDPシェアの変化に対する論文シェアの変化は同じようなものだ(これは、上図の傾向線の傾きが同じ)
・しかし、中国は、GDPシェアの変化に対する論文シェアの変化は、日米の4~5倍もある。これは、論文が粗製濫造であることを意味しているかもしれない。そうであれば、中国は研究の質が、日米より劣っているので、それほどノーベル受賞者が増えない可能性も十分にある
▽求められる「パトロン的な視点」
・ただ、日本が今後10年くらいすると、苦境に陥ることは確実である。これは、公的支援を従来の「選択と集中」で実行するのは限界があることを示している
・これは民主党時代の事業仕分けで露見したことだが、官僚や仕分け人に、いい研究費と悪い研究費を識別できる能力がないからだ。 その典型例が、行政刷新会議、事業仕分け作業ワーキンググループが「スーパーカミオカンデによるニュートリノ研究」を含む経費を予算縮減と評定したことだ(http://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/whatsnew/new-20091127.html)。この仕分け人たちは、2002年の小柴氏のノーベル賞やニュートリノのことを知らなかったのだろうか
・通常の公的支援では、税金で集めて官僚や事業仕分けで研究費を配分するので、「選択と集中」というできないことを目指してしまう
・今後の公的支援を考えるには、まず、経済成長である。と同時、従来の「選択と集中」に代わる原則が必要だ。それは、その研究が役に立つのかどうかわからないが支援するという「パトロン的な視点」である。そのためには、儲かっている企業や個人が大学の基礎研究に寄付して、それを税額控除すればいい
・税金で集めて官僚や事業仕分けで研究費を配分するのではなく、税を稼ぐ企業や個人が官僚を中抜きして直接配分するわけだ。これも立派な公的支援である
・筆者は、かつて官僚時代にこの税制改正を予算要求したこともあるが、結果は残念ながら実現しなかった。実は、この仕組みは、筆者が企画した「ふるさと納税」と同じ仕組みである。 今のふるさと納税の仕組みを使っても、地元の地方大学へ自治体経由で「ふるさと納税」しても、同じ効果が上げられる。地方創生の具体策として政府としても後押ししてもいいだろう
・なお、ノーベル経済学賞は今日(12日)発表される。トムソン・ロイター社の引用栄誉賞における経済学賞はのべ62人、そのうち日本人はたった一人、プリンストン大の清滝信宏氏しかいない。他分野では日本人も多いにもかかわらず、経済学では苦戦している
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45793

昨日の小田嶋氏の軽妙な記述とは異なり、理系出身の高橋氏の記述は、実証的だが、主張は似ている。中国の論文の「質」にも留意すべきとしているが、これだけの大差がつくと、いい質の数も日本を凌いでいると考える方が、自然だと思う。
「官僚や事業仕分け人には、いい研究と悪い研究を識別できる能力がない」との指摘は、その通りだが、民主党時代に事業仕分けを仕掛けたのも元財務官僚だった。
「パトロン的視点」での寄付として、高橋氏が現役時代に企画した「ふるさと納税」の仕組みを提案しているのは、注目に値すると思う。私は、「ふるさと納税」自体については批判的だが、基礎研究促進の目的であれば前向きに考えていいと思う。ただ、基礎研究促進のより基本的な政策は、やはり教育予算面での手当なのではあるまいか。
明日は、(その3)として中国のノーベル賞事情を取上げる予定。
タグ:日本人の ノーベル賞受賞 (その2)日本の先行きの厳しさ 高橋洋一 現代ビジネス 日本のノーベル賞受賞者は、10年後には激減する! ~データが示す「暗い未来」。論文の数があまりに足りない 研究への公的支援を根本的に見直せ 世界の大学ランキング 東大が低迷 タイムズ・ハイアー・エデュケーション ベスト100 日本2校 順位を下げたのは、ウエイトの大きな論文被引用数が大きく減少したためである 重要なのは、論文数のシェア 豊田長康・鈴鹿医療科学大学学長 はたして日本は今後もノーベル賞をとれるのか? 日本全体の論文数の世界シェア 結果としてノーベル賞につながった 日本は、2000年ごろまで論文数シェアを伸ばしていて、世界2位をキープ 今ではこれらの国の中でも4位 最近は論文数が伸びるどころか減少 ノーベル賞受賞対象の研究 受賞した年から遡って10~30年前くらいに行われていることが多い 1970年~80年以降の研究が花開いた 各国の論文シェア 各国のGDPシェアで説明できる 日本の論文シェアはピークアウトしているので あと10年もすると、ノーベル賞は激減 台頭するのが中国 中国 論文が粗製濫造であることを意味しているかもしれない 官僚や仕分け人に、いい研究費と悪い研究費を識別できる能力がない 「選択と集中」に代わる原則 「パトロン的な視点」 「ふるさと納税」と同じ仕組み
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日本人のノーベル賞受賞 [科学技術]

今日は、日本人のノーベル賞受賞を取上げよう。

このブログでたびたび引用している「ひきこもり系」コラムニストの小田嶋隆氏が、10月9日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「ノーベル賞はいずれ海を渡る」のポイントを紹介しよう。
・日本人研究者によるノーベル賞受賞のニュースが続いている。喜ばしいことだ
・21世紀にはいってからというもの、さまざまな分野で、この栄誉ある賞に輝く研究者が相次いでいる。ありがたい話ではないか
・ただ、個人的な感慨を述べるなら、私は、このたびの大村智さんと梶田隆章さんの受賞を、つい先日ラグビー日本代表が南アフリカ代表チームに勝利した時ほど、手放しで喜んでいるわけではない
・むしろ、マスコミ各社の騒ぎっぷりにいくぶんシラケている。 あんまりはしゃぐのはみっともないぞ、と思っている。わがことながら不可解な反応だ
・スポーツ関連の出来事だと、私は、ラグビーであれサッカーであれ、自国の代表チームの快挙には跳び上がって喜ぶ男だ。のみならず自分が勝ったみたいに誇らしく思い、なおかつ、自分の手柄であるかのごとくに自慢話を繰り広げる
・それが、相手が学術研究だと、世界的な快挙に対しても容易に心を開かない。 奥歯を噛みしめて、クールであろうとつとめていたりする
・どうしてだろう。 私は何を我慢しているのだろうか。 というよりも、なにゆえに私は、学者を差別しているのだろう
・自覚としてスポーツマンだから? 違う。私は、年季のはいったスポーツ観戦者ではあるが、ほとんどまったくスポーツマンではない。特に団体競技では、いつもチームの混乱要因だった。チームのメンバーとして、まるで力を発揮できなかった
・かといって、学者なのかというと、まずもってそんなこともないわけなのだが、無理矢理にどちらか一方を選べというのであれば、おそらく学者チームの側の人間ではある
・アタマが良いという意味ではない。カラダを動かすよりは、あれこれ考えている時間の方が長いということだ。ひとつのことを考え始めると、なかなかその我執から離れられない性分だということでもある。学問なり研究対象なりを追究する人間として、優秀なのかどうかは別として、ともかく、学究肌の男だとは思っている。ついでに言えば天才肌でもある。地道な努力が苦手という意味での話だが
・その、スポーツマンというよりは学者に近い人間である私が、スポーツ畑の快挙は祝福しても、ノーベル賞に対して冷淡に構えている理由は、たぶん、真面目だからだ
・どういうことなのか説明する。 高校時代の物理の授業中の話だ。その年の一番最初の講義をはじめるにあたって、担当の教師は、「科学的方法論」について語った。その中で彼は、学問が個人や国家のものではなくて、人類に属するものだという話をしたのだ。学問の世界の出来事について、大学の名前や、国籍や、研究所の名前にこだわるのは恥ずかしいことだと、先生はたしかにそうおっしゃっていた
・私は、その時に聞いた話を、いまだに金科玉条の如くに尊重している。 で、ノーベル賞の受賞者について、国籍や、大学名や、出身地や、血族の話を持ち出す形で祝福している報道に触れると、なんだかあさましい人間を見たような心持ちになってしまうのだ
・たしかに、奇妙な話ではある。 スポーツについては、勝ったチームの尻馬に乗って安直なナショナリズムに酔い、自分が勝ったかのように興奮している同じ人間が、相手がノーベル賞だと、とたんににわか仕込みのご清潔な地球市民思想を持ち出しているのであるから、まるでスジが通っていない。こういうのを「ダブルスタンダード」と言うのであろう
・が、ともあれ、私は、そう考えている。学問は人類のものだよ、と、そういうふうに信じ込んでしまっている。人が大人になる前に受けた授業の影響力というのは、どうしてどうして根強いものなのだ
・もうひとつ、私がノーベル賞受賞のニュースを手放しで喜べずにいる理由は、先行きへの不安を抱いているからだ
・わが国のスポーツについていえば、私は、おおむねどの競技に関しても、その進歩と競技力の向上を疑っていない。 サッカーもラグビーもフィギュアスケートも柔道も、30年前と比較すれば、明らかに強くなっている。体格的な条件も向上しているし、戦術やテクニックの面でも順調に進化している
・ひるがえって、日本の学術研究は、ながらく停滞している。 関係者の証言や、各種の報道や、自分の目で実際に見た結果から、そう判断せざるを得ない
・大学や研究機関に支給される研究費は、バブル崩壊後の長い不況を受けて徐々に減額されている。企業が研究開発のために費やす資金も頭打ちだ。同じ30年の間に、諸外国がどれほどの資金を投入してきたのかを見ると、わが国の現状はまことに心細い
・たとえば、米国に留学する中国人学生の数を見てみると、日本人留学生が減少した分を補うどころか、それらをはるかに凌駕する勢いで増加している(グラフはこちら)。 グラフを見ると、米国の日本人留学生の数は、1995年に4万人を超えていたものが、2012年には、半数以下の1万9568人に減少している。一方、中国人留学生は、1995年に4万人以下だったところから、2012年には23万5597人になっている。実に6倍近い増加ということになる米国に留学する中国人学生
・2000年以降、日本の学者にノーベル賞が与えられる機会が増えているのはご存知の通りだ。 が、賞が過去の業績に対して与えられていることを忘れてはならない。 特に、ノーベル賞のような大きな賞は、受賞者の一生涯の研究に贈られるものだけに、その内部にひときわ大きな時間をかかえている
・どれほど長い時間差を持っているのかというと、ノーベル賞は、成果として目に見える形であらわれてから10年、最初の取り組みから数えれば20年30年を経た研究に対して、はじめて与えられているケースが多い
・つまり、この10年ほどの間に日本の研究者がノーベル賞を得たのは、ざっくり言って30年以上前の研究の結果だったということだ。30年前といえば、1980年代だ。わが国の若い研究者の多くが海外に雄飛し、大学にも企業の研究所にも潤沢な資金が提供されていた時代の話だ。 あのバブルの時代の研究環境が、現在のメディアに受賞ネタの記事をもたらしているということになる
・この先はどうだろうか。  たとえば、30年後の新聞読者(←新聞が残っていればの話だが)は、日本人のノーベル賞受賞者の記事を読むことができるのだろうか
・私は楽観していない。 各種の統計の数字から見て、30年後のノーベル賞は、むしろわれわれのアタマを超えて、中国の研究者により多くもたらされているはずだと思っている
・今年の6月、文部科学大臣名義で全国の国立大学に向けて、人文社会科学系学部の改組と廃止を求める通知が出された。 これについては、内外から批判が集中した結果、9月になって事実上撤回されている
・通知の撤回について「事実上」という書き方をしたのは、文科省が、該当の文書を形式上は撤回していないからだ
・通知について、文科省は「誤解を招く表現だった」という言い方で、その内容を取り消しているが、誰も責任は取っていない。通知を公式に撤回することもしていない。 「通知を作った役人の文章力が足りなかった」という素人みたいな弁解を述べるばかりで、担当者の処分すらしていない。 下村博文(前)文科相ご自身も「一字一句まで見ていない」という言い方で、説明責任を放棄している
・通知の内容は取り消すが、通知そのものは撤回しない。であるから、責任は取らない。そういうことになる。なんという人を食った対応ではないか
・ちなみに、下村さんは今回の内閣改造を機に大臣の座を離れることになった。 この辞任については、「新国立競技場建設問題の白紙撤回」の責任を取ったという見方が一般的だ。 なるほど。下村氏は「本来あまり責任の無い(←というのも、本当の責任者は森喜朗・東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会長だから)件で、詰め腹を切らされる」ことを通じて、かえって傷の浅い形で辞任することに成功したことになる
・巧妙な処理だ。 おそらく、しばらくしたら年季が明けて、またもとの鞘に戻ることだろう。組閣人事はノーベル賞とは違う。何回でもやり直しができる
・通知の内容は取り消されたが、通知の外形は残っている。通知の余韻も当然ながら残っている。 しかも、文科省の「真意」は、既に現場に伝わっている
・2004(平成16)年度に独立行政法人として再出発することになって以来、全国各地に散在する国立大学は、文科省に対して大学運営に関する6年間の「中期目標・中期計画」を策定することを求められている。で、その取り組み状況などを勘案して、文科省から運営費交付金が配分されることになっている
・問題の文科省の通知は、第3期計画を策定するにあたっての方針を示したもので、人文社会系学部について、「組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組む」としている(pdfはこちら)
・文科省が通知を撤回していない以上、彼らの「意向」は死んでいないと見なさなければならない。  第3期計画では、国立大学をいわゆる地域貢献型、特定分野集中型、トップレベル型の3タイプに分けることが決まっている。これは、以前、当欄でも触れた「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議」の中で提言されていた「G型の世界」「L型の世界」という大学の未来像に対応しているプランであるように見える
・要するに、文科省は、国立大学を「ノーベル賞受賞者を輩出するような高度な研究を担う大学」と、「産業界に即戦力としての人材を提供する実務教育の大学」に分離しようと考えているわけだ。 より露骨な言い方をするなら「ノーベル賞を狙えるほど優秀でない学生は、学問や研究とは無縁な、企業戦士として役立つ技能の習得に専念してほしい」ということだ
・そうやって、「選択と集中」によって、研究予算を重点配分すれば、総体としては少ない予算の中からでも、トップを狙える優秀な研究者を輩出できる、と、文科省はおそらくそんなふうに考えているのだろう
・しかしながら、2000年以降にノーベル賞を受賞した人々の出身学部を一覧すればわかる通り、学術研究の世界における最先端の研究は、「選択と集中」というよりは、どちらかといえば「層の厚さと多様性」によってもたらされている
・つまり、ノーベル賞受賞者は、必ずしも誰もが認める日本のトップ大学である東京大学から生まれているわけではなくて、意外なほど地方の大学にバラけているのだ。ウィキペディアの表を見るとそれが分かる(こちら)
・自然科学系の受賞者21人のうち、東京大学(学部卒業時点)の出身者は4人に過ぎない。占有率にして約19%。サッカー日本代表メンバーに占める海外クラブ在籍選手(約48%)の半分にも満たない。とてもではないが、「多数派」とは言えない
・これから先の30年で、大学への研究資金が減額されるだけでなく、その使い途について、文科省の管理が強化されることになっている
・わが国の大学からノーベル賞受賞者が生まれる可能性はさらに低くなるだろう
・まあ、仕方がない。 個人的にはイグノーベル賞が獲れるのならそれで良いと思っている。1億総脱力社会実現のためには、それぐらいがちょうどよい
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/100800014/?P=1

いつもながら、小田嶋隆氏の記事は、ウィットに富み、教えられるところが多い。『学問は、個人や国家のものではなく、人類のもの』を同氏に教えた高校の先生はなかなかの人格者だが、それを自らの思考回路のなかに取り入れ、活用している同氏もさすがである。スポーツとの比較は秀逸だ。日本人のノーベル賞受賞ラッシュで「安直なナショナリズムに酔っていた」自分が恥ずかしくなった。

「先行きへの不安」は、私自身も気になっていた点をズバリ指摘しているのが、ここで紹介した最大の理由である。確かに、米国への留学生数からしても、受賞者が「海を渡る」のは確実だろう。まして、現在の文科省の「選択と集中」、研究予算の重点配分などの狭量な考え方では、「層の厚さと多様性」を失うのは必至だろう。同氏は、「イグノーベル賞が獲れるのならそれで良い」と最大限の皮肉で締めているが、浮ついた報道に終始するマスコミにも、同氏の爪のアカでも煎じて飲んでほしいところだ。

明日は、(その2)として海の向こうのノーベル賞事情を取上げる予定。
タグ:ノーベル賞受賞 日本人 小田嶋隆 日経ビジネスオンライン ノーベル賞はいずれ海を渡る 大村智 梶田隆章 科学的方法論 学問が個人や国家のものではなくて 人類に属するもの スポーツ その進歩と競技力の向上を疑っていない 学術研究は、ながらく停滞 研究費は、バブル崩壊後の長い不況を受けて徐々に減額 米国に留学する中国人学生 日本人留学生の数 半数以下の1万9568人に減少 ノーベル賞 最初の取り組みから数えれば20年30年を経た研究に対して、はじめて与えられているケースが多い この10年ほどの間に日本の研究者がノーベル賞を得たのは ざっくり言って30年以上前の研究の結果 バブルの時代の研究環境 30年後のノーベル賞は、むしろわれわれのアタマを超えて、中国の研究者により多くもたらされているはず 文部科学大臣名義 人文社会科学系学部の改組と廃止を求める通知 内外から批判が集中 事実上撤回 通知の内容は取り消すが、通知そのものは撤回しない 人を食った対応 文科省の「真意」は、既に現場に伝わっている 独立行政法人 国立大学 6年間の「中期目標・中期計画」を策定 第3期計画 地域貢献型、特定分野集中型、トップレベル型の3タイプに分ける 選択と集中 研究予算を重点配分 少ない予算の中からでも、トップを狙える優秀な研究者を輩出できる 受賞した人々の出身学部を一覧 層の厚さと多様性 意外なほど地方の大学にバラけている わが国の大学からノーベル賞受賞者が生まれる可能性はさらに低くなるだろう イグノーベル賞
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