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中国国内政治(その2)北岡伸一・加藤嘉一対談2 [世界情勢]

今日は、昨日に続いて、中国国内政治(その2)北岡伸一・加藤嘉一対談2 である。
政治学者で東京大学名誉教授の北岡伸一氏と中国問題の若手研究者の加藤嘉一氏が、ダイヤモンド・オンラインで4回シリーズの対談をしたうちの、今日は後半2回分を紹介したい。

9月10日付けの「米国の民主主義に触れることで、中国人留学生はより“愛国的”になる」のポイントは以下の通り(▽は小見出し)。
▽チャイナモデルへの信仰が増す中国
・(加藤)先生は共同歴史研究という観点・立場から、日本側座長として中国側と対話をなさってきました。歴史的に見ると、中国では知識人が抑圧されてきました。1898年に設立された北京大学の歴史を振り返っても、蔡元培が学長だったころ(1916〜1927年)は、自由や兼容を理念として掲げた同大学が思想的に最も輝いた時期とされます。しかし、特に学者や学生にとってのトラウマとなった1989年の天安門事件から25年以上が経ったいま、そんな自由で民主的な北京大学の文化は見る影もなくなっている気がします
・北岡先生が普段対話されている知識人たちから、この社会を発展させていくような、たとえば学問や表現の自由を実現すべく、政権や為政者たちにクリティカルな問題提起や民主的な権利欲求を投げかけていくパワーやポテンシャルを感じることはありますか?
・(北岡)当然ですが、共同研究の人選はとても政治的なわけです。ほとんどが社会科学院の先生なんですよ。これは政府直轄ですからね。それ以外もいますが、すべて北京の人であり、地方の人はいません。また、集まったのはみな近現代史の専門家です。近現代史を専門にやっている人がこぞってこれに入りたいとやって来て、あぶれた人は古代の部に入れられました。また、若手が自由かというと、そうでもない。昇進がかかっているので、公式見解以外のことは言えません
・大学も地方に行くとやや自由になりますよね。また、中国の場合、地域のギャップがかなり大きい。上海なんかに行くと、彼らは北京の連中は勝手なことをしていると思っているわけですよ。それが将来の一つの可能性だと思っています。つまり、地域差を活かすことです
・中国国内での大きな変化は、やはりリーマン・ショック以後に訪れたと思います。それまでは基本的に、メッセージの普遍的価値はわかるけども、われわれはまだそういう段階ではないという留保を付けていました。しかし、2008年くらいからは、「いやいや、われわれのモデルのほうが優れている」という者が増えてきました
・(加藤)私もそう思います
・(北岡)たとえば、米国に留学している中国人について、加藤さんはどう見ていますか?彼らは米国についてどう見ているんだろうか?
・(加藤)拙書『中国民主化研究』(ダイヤモンド社)を執筆する過程で、現在スタンフォード大学で研究されているフランシス・フクヤマ先生の元を訪れ、いろいろと話を伺ってきました。彼は、中国人留学生を巡る環境に関して、25年前といまでは異なっていると見ています。当時であれば米国の自由民主主義の価値観は素晴らしいと心から尊敬して、将来、こういう社会を実現したいと思って帰っていった、と。しかし、いまは逆に中国への自信を深めて、より愛国的になって帰っていくという話をされていました
・(北岡)私もそう感じています。これは、まったく予想外でした。中国のモデルのほうがいいということを公然と言う人たちが増えてきたんですから
・(加藤)私は、最近までワシントンにあるジョンズ・ホプキンス大学で研究していました。ハーバード大学同様、そこでも米国の教育を受け、世界各地からの学生との議論を経て、逆に愛国的になって祖国へ帰っていく学生が数多く見られました。学生たちに話を聞くと、西側の制度や価値観自体に対しては一定の評価を与える一方で、「中国の国情を考えるとチャイナモデルしかない。西側の制度や価値観は中国には符合しない」と言い切る学生が多いと感じます。国内外で暮らす“中華民族”全体として見れば、そんな学生ですらリベラルに属すると言えるのかもしれません
・四川省出身のある男子学生は、「自分たちは中産階級以上の家庭に生まれて、縁あって米国に来ることができた。私たちのような人間が本国に帰り、中国のしかるべき発展に貢献していかなければいけない」と語っていました。ただここまでですね。「中国も米国のような、自由で民主的な社会を実現するべきだ」と公然と語る中国人学生に、私は米国滞在の2年10ヵ月で出会ったことがありません
・(北岡)戦前の日本でも、米国の自由はいき過ぎだと言った人も多いんですよ。いまの中国は、体質的にも本質的にも、西洋的なさまざまな価値に対して拒絶的になっていると感じますね。それは加藤さんのおっしゃる通りです
▽習近平のリーダーシップにしたたかさを見る
・(北岡)中国は、外に対して何をしたいのでしょうか。太平洋を二つに割っても十分な余地があると言いますが、冗談じゃない。そんなことをしたら、日本は中国の勢力圏の中に入ってしまいます。日本にとってのジレンマは、中国に弱いリーダーがいると危険だということです。強すぎても困りますが、弱いよりはマシです。日本が一定の存在価値を持ち続けて、議論しなければ仕方ありませんが、いちおうの対話はできますし、取引はやりやすい
・(加藤)私もそう思います。これは仮説の域を出ませんが、米国で知識人の方々にインタビューするなかで、米国は心の底から中国の民主化を望んでいるのかという疑問が湧いてきました。ハーバード大学で出会ったある学者は、「米国は天安門事件の最大の受益者だ」とすら言っていました
・(北岡)私は、こういうことも思うんです。中国が少数民族弾圧をやめて、揚子江流域の中原だけでまとまったとしたら、非常に強い国になるのではないかと。いまは、統治に莫大なコスト払っていますよね
・(加藤)私が付き合ってきた中国メディアの編集者は、ほとんどの時間を「何を書けるか」ではなく、「何を書いてはいけないか」に費やします。当局の監視・規制の目を潜り抜けることに多くのエネルギーを取られてしまい、創造的に何かを生み出す行為に前向きになれないのが現状です。仮に、知識人や文化人たち、そして学生たちがすべてのエネルギーや時間を前向きな行動、創造的な仕事に向けることができたら、中国は恐ろしい国になると思います。それこそ、歴史的に花開いた百家争鳴の文化が蘇るかもしれません。だからこそ、米国の戦略家たちは中国の民主化を恐れているのでしょう
・ある中国の学者の話によれば、習近平は、みずからを劉秀に重ねていようです。歴代皇帝が困難に直面したときに問題をどう解決したかを学び、なかでも劉秀を強く意識していると聞いています。中国が過去を意識すればするほど、また「百年恥辱」を意識すればするほど対外的に強硬的になる。このロジックは、外の世界からすれば危険なことかもしれません
・(北岡)南シナ海にしても東シナ海にしても、国際法にチャレンジするようなことをしなくても中国はちゃんと発展できるはずです。なぜそんな余計なことするのだと疑問ですね
・(加藤)やはり、国内経済の問題が大きいと思います。株式市場の乱高下などに代表されるように、経済の低迷によって募った国民の不満を外に向ける必要があるのではないでしょうか。最近、ワシントンで新華社通信や中国中央電視台(CCTV)の記者などとも議論をしましたが、国内問題、特に経済問題が噴出するときは、中国のリーダーは対外的に、特に海上戦略において強く出る傾向があると言っていました
・(北岡)もう一つは、政府は軍を必ずしも十分コントロールしてないことも挙げられると思います。軍の支持を受けるために彼らを泳がせる、予算を出して好きなようにやってよろしいとしていることも考えられます。周りの国は大変な迷惑です
・対外的なコミットメントはどうなのでしょうか。南シナ海で滑走路にしてもそうですが、あんまり慎重ではありません。彼らに言わせると、最高レベルは言葉を控えてると言うんですよ。韓国はトップリーダーが悪口を言って回りますが、トップリーダーが言ったら変えられません。中国はそこはしたたかです。外務大臣クラスの発言であれば、トップリーダーが修正することができますからね
・(加藤)そのあたりは中国の指導者も深謀遠慮だと思います
http://diamond.jp/articles/-/78120

次に、9月11日付けの「挑発もせず、譲歩もしない。事実に基礎を置くことで日中関係は前進する」のポイントは以下の通り(▽は小見出し)。
▽「侵略」「植民地支配」「謝罪」「反省」の4つのみにフォーカスするのは愚か
・(加藤)今年は、戦後70年です。習近平政権の現在に考えをおよぼすと、反腐敗闘争などを主導しながら権力基盤を強化し、その過程で習近平本人にかなりの権力が集中してきた現象を見出せます。一方で、対日関係という観点からすれば、習近平が対日関係をそれなりに重視し、みずからの意思で動いているように見えます
・北岡先生は、中国の対日政策をどのように評価されますか? 私は、日本といかに付き合うかという問題は、中国にとっては内政問題の側面が引き続き色濃く出てくると思っています。なぜなら、中国共産党の正統性の首根っこをここまで掴んでいる国は他にないからです。そのなかで、ただ単純に日中関係を安定させる、日本が利益を得るという視点ではなく、中国社会を長期的かつ健全に変えていくうえで、日本はどのような姿勢で臨むべきなのでしょうか?
・(北岡)これは大問題ですね。私は繰り返し言っていますが、4つのキーワードだけにフォーカスするのは愚な話です。4つの内の2つは「侵略」と「植民地支配」です。これは認識系の言葉です。残りの2つは「謝罪」と「反省」です。これはお詫び系の言葉です。ニュアンスこそ時によって違いますが、中国は歴史を直視せよということを繰り返しています。つまり、中国にとってより大事なのは前の2つだということです
・戦犯を裁いて領土を引き直し、賠償金を払うあるいは賠償放棄をすれば、通常、戦争は終わりです。それでもなおブレイムゲームを続けるのは、本当にやめてほしい。ただ、中国はやめる可能性があると思います。やめないかもしれないのは、日本のメディアと韓国です。仮に中国がこの辺りでいいかと思っても、朝日新聞がわあっと文句を言うと、それに影響される可能性がある
・米国は、中国はヒストリーカードは手放さないと言います。しかし、私は必ずしもそうは思いません。中国に知識がしっかりと普及すれば、それはだんだんと変わってくると思っています。私たちが日中歴史共同研究やったときの真の目標は、だいぶ先の話ではありますが、日中双方の立場を書いた副読本をつくりたいということでした。この事件は日本でこう言われている。一方で、中国ではこう言われています、ということを併記するのです
・歴史対話はやはりやるべきで、究極のところで両論併記型の近代史の副読本をつくり、みんなが読むようにすればいいと思います。ただ、中国との対話やるときに難しいのは、政府と無関係な人を集めても仕方ないが、あまりに政府とべったりの人でも困るということです。下手にやると、近代史を彩るのは日本の侵略と中国の抵抗だけだということになってしまう。そんな近代史はないわけです。それは長い目で融かしていくしかありません
・(加藤)私もまったくそう思います。また、高校生や大学生など、若い世代が歴史認識を巡って対話や交流を進めていくことも未来投資という意味で重要だと考えます。この手のプロジェクトに関しては、中国政府は監視することはあっても、取り組み自体を妨害することはしないように思います。日中間で多角的な歴史対話が行われてこそ健全だと考えます
▽保守は礼儀正しくなければならない
・(北岡)ご存じのように、中国は大国です。大国であり、強者である。大国の皇帝とは寛大ではなければならないという価値観を、いちおう持っていると思うんですよ。雍正帝だったと思いますが、「われわれは大国だから、他国に対して過酷であってはならない」と言っていますよね。こうしたメンタリティは韓国は持ちづらいわけです。韓国は大国ではありませんから
・日中が安定しなければ、当事者の両国だけではなく東アジア全体が困ります。相互理解という言葉は少し軽いですが、根っこにあるのは他者あるいは他国に対する感受性、尊敬、受け入れる態度だと思います。日本はよい国ですが、他者に対してまだ拒絶的な人が多いと思います。この人まだ鎖国の時代を生きているのかなと思うことはよくありますよ。そうではなく、他者は違っているからおもしろい。自分と違い、優れた能力がある者には敬意を払う姿勢を持つべきだと思います
・日本人の私が言うのはおかしいですが、サンフランシスコ講和会議に参加した中でもっとも素晴らしい演説をしたのはセイロンの代表です。セイロンの代表は、「われわれは日本を尊敬してる」と言いました。もう1つ、「本当の平和は復讐心からは生まれません。真の平和は愛情や相手に対する尊敬、そういうものを基礎にしなければいけない」と。韓国にも優れたところがあるし、中国にもある。日本にもあるわけですよ。そこにフォーカスして、優れたところを学ぼうと思ったほうが生産的です
・中国、韓国に限らず、日本でも一番困ってしまうのは偏狭な人です。現在の状況を保守化というのはどうかという議論があったとき、私は「保守というのは礼儀正しくなければならない。言葉遣いが汚い保守はよくない」と言いました。桜田淳氏が、産經新聞の「正論」に「私は天皇陛下の前で使わない言葉は使いたくない」と書いていましたが、それと同じです。ネット右翼を見ると、汚らしい言葉を並べて、それはもうひどいでものです。ネットだけではなく、雑誌でもひどい
・また、相手の言い分にまったく耳を貸さないのも困ったものです。たとえば朝日新聞の憲法論議もそうですが、自分の立場を正当化するために、相手の議論を歪曲することすらある。護憲・改憲の議論のとき、「戦争を禁止した憲法9条を変えようとする人がいる」という言い方をしますが、戦争を禁止した9条というのは、9条1項なわけです。これを変えようとしてる人はあんまりいないんですよ。一方で、9条2項があまりに非現実的なので、こっちを変えようという人はいる。それを「9条1項を変えようとしてる人」とラベルを貼ってしまう
・もっと穏やかに、知に基づいて噛み合った議論をしましょう。違った国の人にはそれなりに敬意を払いましょう。過去のことは忘れないようにしましょう。そういう基本的な姿勢で臨めばよいわけで、ブレイムゲームやアポロジーゲームはもういい加減にしたいと思っています
・(加藤)2008年5月、胡錦濤さんが訪日した後、東シナ海の共同開発を巡る日中合意ありました。私は北京で情勢を眺めていましたが、合意発表の直後、中国国内では「中国政府は日本の側の中間線を認めたのか!?」という世論が急速に巻き上がり、日本に対して弱腰だと批判されることを恐れる外交部は、武大偉副部長(当時)を出してきて「認めていない」と主張しました。それ以来、この合意を巡っては現在に至るまでほとんど進展がない状況です
・当時、私は中国のあるリベラル系のメディアに、「私個人の名義で、日本と中国双方の主張の違いを並列で載せたい」と伝えました。現場の記者には相当頑張ってもらいましたが、上からストップがかかり、結局「現段階ではそれは難しい」と断られた経緯があります
・(北岡)先生が先ほどおっしゃったように、とくに知識人やエリート大学生のレベルでは、少なくとも違いを知ったうえで議論をするというボトムラインを浸透させていく必要があると思っています。ただ、現実的にはそれがかなり難しい状況がある
・(北岡)中国では難しいかもしれませんが、少なくとも日本ではできると思いませんか
・(加藤)日本はできると思います
・(北岡)日中歴史共同研究をやったとき、向こうがもっとも嫌がり、結局、削除したのは戦後篇です。戦後篇なんて、なんてことはありませんよ。中国も普段から「戦後の日本の支援に感謝する」と言っているわけです。それを書いて何が悪いのかと思いますが、それは江沢民その他、現在まだ関係者がいて、現政府に影響するからできないと言われました。そんなことをこれからもやるのは、もうやめてほしいですよ
▽挑発もせず、譲歩もせず、事実に基礎を置く
・(加藤)最後に、中国民主化問題についてお聞かせください。中国の将来的な政治体制を議論する際、中国の学者のなかに「中国とて例外ではない。いずれは民主主義の方向に向かう」と言う学者もいれば、米国の学者のなかに「いやいや、中国は例外だ。中国は民主化しない。独自の体制のまま進む」と言う人もいて、その見解は国内外で錯綜しているようです。北岡先生はどのようにお考えですか?
・(北岡)長期的には、政治体制の問題と、中国の国民がどう感じるようになるかということは別問題だと思います。国民はすでに、政府は信用できないと思ってるわけですよ。それは民主主義の基礎の1つだとも言えます。中国の制度はいい、世界中はこれに倣うべきだと思っているわけではないでしょう
・中国のトップリーダーですら、世界の指導者になるつもりはないでしょう。東アジア、あるいはアジアの指導者になれればいいわけです。我々の常識からは理解しがたい面があるのも事実ですが、それも変わるとは思っています。加藤さんはどうですか
・(加藤)少なくとも日本としては、我々の常識が通用しないことを含めて、中国と付き合っていく辛抱と覚悟を持たなければいけないと思っています。米国にはその覚悟があると感じます。日本では、希望的観測で「中国は民主化すべきだ」と言ったり、あるいは「民主化しない中国とは話もできない」と感情的になることが多いと感じます。しかし、中国にはどこまで行っても異端児的な側面があることを前提に対話の糸口を探らなければ、議論にすらならないでしょう。共存共栄はまたその先の話です
・(北岡)結局のところ、外交的には挑発も譲歩もせず、事実に基礎を置くしかありません。約束は守るという基本的なことだと思います。戦後70年の議論でも、お詫びに固執する人がいますよね。お詫びをしてもいいけど、事実に反するお詫びをされては困る。たとえば韓国に対して、日本は従軍慰安婦として少女を20万人連れていきました、という嘘を言ってはいけませんよね。一時的に相手を満足させるだけで、そんなやり方では尊敬されないからです
・その意味でも、リーダーはしっかりと勉強して、事実から離れないようにすることです。また、無理な要求をしないほうがいいのかなと相手に思わせる力も必要ですね。なかなか難しいとは思いますが、それしかありません。加藤さん、頑張ってください。期待していますよ
(加藤)本日はお忙しいなかお時間をいただきありがとうございました
http://diamond.jp/articles/-/78122

加藤氏の「米国の戦略家たちは中国の民主化を恐れている」との指摘には、うならされた。国際政治は、やはり表だけでなく、裏もよく見るべきという冷徹な考え方を改めて、思い起こさせてくれた。

4回にわたる対談は中国問題を考える上で参考になる点が多いので紹介したが、私には物足りない点が2つある。
1つは、尖閣諸島問題である。この問題が深刻化するまでは現在よりははるかにおとなしかったと記憶する。そう考えると、2010年5月に問題に火をつけた石原元東京都知事は本当に「罪つくり」なことをしたものだと思う。
2つ目は、2013年12月の安部首相の靖国神社参拝が、対中国関係をさらにこじらせたことである。
上記の対談はより中長期的視点に立っているので無視したのかも知れない。或いは、安部首相と親しく70年談話の有識者会議の座長も務めた北岡氏が、意図的に触れないようにしたのかも知れない。
歴史に「IF」は禁物とされるが、それを敢えて犯す思考実験をしてみれば、仮にこの2つの不幸な出来事が起こらなければ、もっと日中関係はましなものになっていた可能性があるのではなかろうか。
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