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パリ同時多発テロ事件(その4)テロ事件後の雰囲気の激変 [世界情勢]

昨日に続いて、パリ同時多発テロ事件を、(その4)テロ事件後の雰囲気の激変 として取上げたい。

今日のニュースでは、シリアの反政府勢力を攻撃しようとしたロシアの爆撃機をトルコが撃墜、救出に向かったロシアのヘリコプターが反政府勢力によりミサイルで爆破され、事態は混迷の度を深めた。これについては、後日取上げるとして、今日はをこのブログで頻繁に引用しているコラムニストの小田嶋隆氏が、11月20日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「お花畑は燃えているか」を紹介しよう。
・パリで起こった同時多発テロ事件の衝撃は一瞬のうちの世界中を駆け巡った、というこの書き出しの一行の文体は、なんだか、夕方の民放の情報番組がBGM付きで配信している扇情的なニュース原稿のコピペみたいだ
・実際に、あの事件以来、国際社会の空気は切羽詰まった調子のものに変貌している
・私は、911のテロ事件を受けた半月ほどの間に、アメリカ発のニュース映像の基調がいきなりハリウッドっぽくなったことを思い出している。 ついでにと言っては何だが、東日本大震災が起こった後に、私たちの国のメディア状況や世論のあり方が、なにからなにまですっかり変貌してしまったいきさつにも思いを馳せざるを得ない
・世界を世界たらしめているのは、平時の人間の日常的な思想だ。 が、歴史を新しい段階に追いやるのは、非日常のアクシデントだ。 天災や、事故や、組織犯罪や、無慈悲なテロや、偶発的な国境紛争や、狂気に駆られた人間が引き起こす想定不能な出来事が、共同体の空気を一変させ、無茶な法律を上程させ、あり得ない決意に向けて人々を促すことになる
・そして、それらの突発的な出来事がもたらした異様な空気は、集団のインテンシティを硬化させ、ジョークを駆逐し、笑顔を自粛させ、結果として、本来なら通るはずのない法律を成立させ、国家とその成員を、通常なら踏み込むはずのない新たな事態に突入させる。必ずそうなる。われわれはそれを防ぐことができない。今回は、テロ勃発後の空気を記録しておきたいと思っている
・テロ対策への処方箋を提示するつもりはない。 テロ事件勃発以来、われわれをとりまいている雰囲気が、いかにとげとげしいものになっているのかを、なるべくあるがままに書き留めておくつもりでいる
・理由は、この先の10年ぐらいの間にうちの国で似たような出来事が起こった場合に備えたいと思っているからだ。私は、そういう非常時にあらためて読み直すための、人々の過剰反応を記録したテキストを書き残すつもりでいる
・不謹慎と思われたかもしれない。 だがアクシデントは、いずれ必ず起こる。 天災なのか、事故なのか、軍事的な衝突なのか、越境事案なのか、テロなのかは、まだわからない
・とにかく、そういう人心を一変させるような異常事態がこの国で起こった時、世論は、間違いなく沸騰する。必ずそうなる。テンパった顔のニュースキャスターが画面を指差して裏返った声で読み上げる原稿が、われわれを走り回らせることになるに違いないのだ
・で、私としては、その沸騰しているであろう近未来の世論に小さな風穴を開けるためのテキストを、あらかじめ用意しておきたいと考えた次第で、その意図のもとにこの原稿を書いている
・「な、落ち着けよ」 と、その言葉を言う人間は、おそらく、「非常時」が来たら、血祭りにあげられる。 だから、非常時が来る前に、前もって 「なあ、兄弟、熱くなるなよ」 という意味のテキストを書き残しておく所存なわけです
・テロ発生のニュースを知ってすぐ、私は以下のような一連のツイートを発信した
・《今回のパリでの事件は、テロが力(軍事力や警備体制)だけではおさえこめないということをあらためて教えてくれたのだと思う。だからこそ政治と外交と、もしかしたら民間の文化交流なり人事交流が役割を果たすべき時なのだろうけど、いずれにせよ、簡単に片付く話ではないのでしょうね。》
・《今回の事件が民族間の憎しみと宗教の対立を煽る結果を招き、人々に恐怖と相互不信を植え付けるのだとすれば、それはテロが成功したことを意味するのだと思う。で、早速、私のアカウントにも移民・難民を犯罪者と決めつけ、彼らの存在を治安混乱要因と決めつけるtwが届けられている。》
・《暴力的な事件が起こると、暴力的な考えを抱いたり、それを口に出したり、わざわざ他人に知らせようとする人間がたくさん現れる。私のアカウントにも暴力的なリプライやメンションがいくつも寄せられている。テロは成功しつつある。》
・《人々が怒りや復讐心をもとに判断を下すようになれば、テロリストにとってそれ以上の成功は無い。》
・《世間の耳目を引く大きなテロ事件が起こると、あらゆる勢力がその事件を政治利用しにかかる。市井のツイッターアカウントでさえ、事件にかこつけて自分のかねてからの主張を声高に繰り返していたりする。》
・これらのツイートには、すぐさま、かなりの数の賛同と反発が返ってきた。 が、寄せられた意見について、賛成反対にかかわらず、私はあまり返事をしなかった
・というのも、テロに関する議論は、はじめからすれ違っている場合が多いからだ。 へたに返事をしていると、ますます食い違いが大きくなってしまう
・ひとつ例をあげれば、テロについて、もっぱらその発生原因に注目してものを言っている人間と、その対策について語っている人間の話は、決してかみあわない
・テロリズムの発生要因に焦点を当てると、そこで浮かび上がってくるのは、歴史的ないきがかりであり、経済格差であり、宗教的な摩擦などなどということになる。もっと言えば、テロ対策のための空爆がもたらした被害や、そこで生み出された死者の遺族が、新たなテロリストの供給源になっているという堂々巡りの構造も、当然、俎上にあげられる
・一方、テロへの対抗策ということに注目すると、これはもう断固たる措置の一択になる
・ということはつまり、テロについて議論をすると、原因を語る人々と、対策を語る人々の間に、どうにも埋められない溝が生じるわけで、この分野のお話は、とてもではないが、ツイッターのような短い言葉の投げ合いをベースとした場所では決着がつかない
・対策に話をしぼっても、当面の非常事態対応としての対テロ実行犯向けの強硬策と、中長期的に考えた時のテロ要因緩和策は、相互に矛盾せざるを得ない
・テロを実行した犯人グループやそれを指示した集団に対しては、徹底的な有無を言わさぬ無慈悲な作戦行動を発動せねばならない。逮捕、殺害、あるいは小規模な軍事作戦をも考慮に入れた、容赦の無い対応で臨まないと、テロリストを殲滅することはできない
・一方、そうした対症療法とは別に、テロリズム発生の根本原因を除去するためには、原因となっている民族間の緊張や、経済格差や、歴史的な怨恨や、宗教的な摩擦を、根気よく緩和して行かなければならない。そのためには、粘り強い対話と、政治家や宗教関係者、文化人、芸術家、あるいは経済界の人間を含んだ幅広い人々の交流を推進することが望ましい
・ということはつまり、短期的な対策と、長期的な取り組みが正反対に食い違っているわけで、対テロ対策に従事する人間は、この二つの矛盾した施策を、同時並行的に実行しつつ、双方の施策にほころびが出ないように努めなければならないことになる
・ほとんど、不可能なミッションと言って良い。 が、国際政治や外交にたずさわる政治家は、そのほとんど不可能なタスクに従事しなければならない
・現実に、オバマさんやプーチンさんは、就任以来、右の手で相手を殴りつけながら、左の手で握手するみたいな厄介な舵取りを続行している。その仕事がうまくいっているのかどうか(←結果については歴史が判断することになるのだと思う)はともかく、ともあれ彼らはその仕事に全力を尽くしている。いずれにせよ、テロ対策は、殴るだけでは不十分だし、握手をするだけでも足りない。両方のタスクを、ぬかりなく双方ともに、なんとしてもやり遂げなければならない
・私は、外交や政治に関して、世界のリーダーに説教を垂れる立場の人間ではない。その資格もないし、それをするだけの知見も持っていない。 思わず知らず説教くさい言葉を並べてしまったことについては、この場を借りてお詫びを申し上げる
・私は、テロ対策を主導するリーダーに向けて説教をしたのではない。 ここで私が述べたのは、もっと一般向けの、ありがちな「きれいごと」だ。 きれいごとに過ぎない、と言っても良い
・ただ、私が、あえてこんな青くさい理想論を陳列してみせたのは、血なまぐさいテロ事件のようなことが起こると、本来われわれが平常時に心にとめている建前上の理念が忘れられてしまいがちで、そのこと(きれいごとが力を失うこと)が、結局は、国際社会を険悪な場所に変貌させる最も根本的な原因だと考えたからだ
・血なまぐさい事件が起こると、血に酔ったようになる人間が大量に発生する。 「戦時思考」とは、まさに、そういう、血に酔った考え方を指し示す言葉だ
・具体的に言えば、「目には目を」 「殺られなければ殺られる」 「敵に対する温情は味方に対する殺意と同じものだ」という感じの、著しくマッチョでスパルタンで好戦的でノー・マーシーなものの考え方のことだ。 胸倉をつかみ合っている人間の思考形態と言っても良い
・911のテロの後、ブッシュ大統領(当時)は、世界貿易センタービルとペンタゴンに突入したテロリストたちのテロ行為を、「戦争行為」(act of war)と呼んだ
・この言葉は、アメリカならびにブッシュ大統領が、あの突入を、単なる殺人やテロ行為ではなくて、国家に対する宣戦布告と見なし、同時に彼らが、犯人であるテロリストとその背後にある勢力に対して、警察力による「捜査」や「摘発」や「逮捕」ではなくて、国家的な軍事力を行使した国際法上の「戦争」として対峙していく決意を固めたことを意味する言葉だった。 そして、圧倒的多数のアメリカ人は、あの時、ブッシュ大統領の戦争への決意を支持した
・今回、フランスのオランド大統領も、同じ「act of war」という言葉を使っている。そして、空爆は既に、テロ事件の翌日に実行されている。 さらにオランド氏は、非常事態宣言の3カ月延長を提案する一方で、その延長のために憲法の一部改正が必要との考えを示している。で、その大統領の非常事態宣言の延長と憲法の一部改正の提案は、多くの国民に支持される流れの中にある
・911のテロおよび、オサマ・ビン・ラディン容疑者殺害をめぐるアメリカの熱狂ぶりは、私には、なんだか薄気味の悪い景色に見えた。 もし、似たことが日本で起こったらと思うと、背筋が寒くなる
・911のテロ事件の10日後、アメリカのテレビの4大ネットワークが、「A Tribute to Heroes」というチャリティー目的の音楽番組を流した。 その番組の中で、ニール・ヤングが、当時、事実上の放送自粛状態(←アメリカ中のテレビ局やラジオ局が自主的に放送を自粛していたと言われている)にあった、ジョン・レノンの「Imagine」を歌った
・私は、イマジンのような歌が放送できなくなっているアメリカの空気のあまりにも急激な変貌ぶりに驚いていたのだが、そういう空気の中で、平然と「イマジン」を歌ってみせた、ニール・ヤングの空気を読まない偏屈ぶりにあらためて強い共感を抱いたことを覚えている
・もうひとつ覚えているのは、ニール・ヤングが、 「Imagine no possessions. I wonder if you can」  (財産なんて無いと思ってごらん。君たちにそれができるだろうか)  のところの歌詞を 「I wonder if I can」  (オレにできるだろうか) と歌っていたことだ。これにも私は感動した。なんてひねくれてるんだ、と
・とはいえ、ニール・ヤングは、肝心要のアメリカの人たちには、まったく拍手されていなかった。 たぶん、アメリカに住んでいる多数派の人々にしてみれば、911で亡くなった消防士たちの勇気とその栄誉をたたえ、卑劣な敵への復讐を誓う戦闘的な空気の中で歌われた、「イマジン」は、神経にさわる歌だったのだと思う
・「国境なんてないと思ってごらん。宗教なんてないと思ってごらん」という、「イマジン」のなんともお花畑な歌詞は、国家のために団結している彼らの心情に水を差す、どうにも不愉快かつ不謹慎な言葉に聞こえたはずだ
・今回、日本では、作家の乙武洋匡さんが、ツイッター上に以下のようなツイートを書き込んだ
・《「国際社会は一致団結して、このテロに立ち向かうべきだ』と言うが、このテロを起こした犯行グループも含めて“国際社会”なのではないだろうか。『シリアで空爆を続けるフランスは許せない』という彼らの主張にはまったく耳を貸さずに国際社会から孤立させることが、本当に平和へと続く道なのだろうか》
・これに対して、とんでもない数の反発のツイートが書き込まれ、2ちゃんねるや、まとめサイトにも、乙武さんに対する非難の声が集中することになった
・非難している人々が言っている通り、あの悪質なテロは、「対話」だけで、解決できるものではない。 というよりも、「対話」が成立することすら大いに疑わしい。ただ、乙武さんは、「対話すればすべてが解決する」と言い切ったわけではない。 「テロリストと一対一で対話すればわかりあえるはずだ」と断言したのでもない。  対話が不可能なことぐらいは彼だってわかっていたはずだ
・おそらく乙武さんが言いたかったのは「対話が不可能であるにしても、それでも強硬策だけではテロの原因は解決できないのだから、テロリスト本人は別にして、将来のテロ予備軍や、テロリストの背景にある宗教や地域との対話のチャンネルは閉ざすべきではない」といったほどのことで、そういう意味では、そんなにトンデモなご発言ではない
・もちろん、青くさい理想論であることは本人もご承知だろうし、当然のことながら、青くさい理想論ですべてが解決すると考えているわけでもないはずだ
・今回の一連の出来事を通じて私が最も大きく憂慮しているのは、乙武さんのような人の、あえていえば「この程度」の発言が、これほどまでに極端な非難にさらされなければならない、現在の日本のネット言論空間の荒廃ぶりだ
・極端な意見が、別の極端な意見を持つ人々に非難されるのなら話はわかる。右側の意見が、左側の人々によってクソミソに叩かれたり、逆に左側の見解が右側の人たちの手でボロクソにこきおろされることは、毎日のように起こっているし、別にいまさら驚くようなお話ではない
・が、この度の、乙武さんの案件については、「なまぬるい」お話だという理由で、袋叩きに遭っている。 この、「なまぬるい」態度を許さないというところに、私は、非常に気味の悪い戦時思想の萌芽を感じ取っているわけです
・日本で今回のパリで起こったようなテロが起こったら、たぶん、乙武さんが今回漏らしたような発言は、もっと激しい勢いで血祭りにあげられることになるはずだ
・流された血に反応して戦闘的になった人々は、敵を殲滅する前にまず戦意を削ぐ発言をする味方をリンチにかける作業に熱中する。彼らは、敵国民よりも先に非戦論を唱える同国民を狩りにかかる。 「死地に向かう兵隊さんに申し訳ないと思わないのか」  「犠牲になった人たちにどうやって顔向けするつもりなんだ」 ありそうな話だ
・構造としては、「イマジン」のような、なまぬるい歌を嫌ったアメリカ人の心情と同質のものだが、うちの国で同じことが起こる時には、もっと激越なあらわれかたをすると思う。 現在でも、ネット上には既に「対話」という言葉を使う人間を対敵協力者と見なす態度が蔓延している。のみならず、弱腰な態度を見せる同国人を売国奴認定する価値観が共有されはじめている。戦時思考そのものだ
・水曜日(つまり一昨日ですが)の夜、乙武さんに対する非難があまりにも目に余ったので、遠くから援護する意味で、私は次のようなツイートを書き込んだ
・《「話せばわかる」という前提がお花畑である旨を指摘して何かを言ったつもりになっている人たちに、「話さなければわかりようがない」ということをお伝えしておきたい。》と、私のツイッターの@欄には、書き込んでから24時間もたたないうちに、なんだかんだで200以上の罵倒がとどけられている
・「お前が対話してこいよ」 「AK47の前で同じことが言えるのか、クズ」
・個人的な話をすれば、ツイッターの発言が炎上した経験は、一度や二度ではない。 とはいえ、これまでに炎上を招いたのは、失礼な言葉や、不埒な断言や、不謹慎な言及や、小面憎い揶揄だったわけで、こっちとしてもまあ、炎上するであろうことは半ばわかっていたし、炎上した後も、たいしてびっくりはしなかった。当然だよな、と、そう受け止めていた
・今回の発言は、なまぬるいという理由で炎上している
・なるほど。 お花畑な言葉が炎上するということは、つまり、あるいは、既に戦争ははじまっているのかもしれない
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/111900020/?rt=nocnt

小田嶋隆氏のコラムは、いつもながら、世相に鋭く切り込んでいて、面白い。
テロについての議論が、原因論と対策論とでは決してかみ合わないとの指摘は、言われてみると確かにその通りだ。対策論でも、「短期的な対策と、長期的な取り組みが正反対に食い違っている」。
「非日常のアクシデント」が「共同体の空気を一変させ、無茶な法律を上程させ、あり得ない決意に向けて人々を促すことになる」は、アメリカの911後の変化が如実に示している。
「「なまぬるい」態度を許さないというところに、私は、非常に気味の悪い戦時思想の萌芽を感じ取っている」。「ネット上には既に「対話」という言葉を使う人間を対敵協力者と見なす態度が蔓延している。のみならず、弱腰な態度を見せる同国人を売国奴認定する価値観が共有されはじめている。戦時思考そのものだ」については、ネット上のみならず、広く社会一般にも広がっている気がする。正論を述べた丹羽駐中国大使が、「売国奴」として更迭された事件はその典型だ。
「お花畑な言葉が炎上するということは、・・・既に戦争ははじまっているのかもしれない」
タグ:イマジン ブッシュ大統領 小田嶋隆 シリア 日経ビジネスオンライン 乙武洋匡 東日本大震災 オランド大統領 パリ同時多発テロ事件 (その4)テロ事件後の雰囲気の激変 ロシアの爆撃機 トルコが撃墜 お花畑は燃えているか 国際社会の空気は切羽詰まった調子のものに変貌 911のテロ事件 メディア状況や世論のあり方 世界を世界たらしめているのは 平時の人間の日常的な思想 歴史を新しい段階に追いやるのは、非日常のアクシデント 共同体の空気を一変させ 、無茶な法律を上程させ あり得ない決意に向けて人々を促す 今回は、テロ勃発後の空気を記録 非常時が来る前 前もって 「なあ、兄弟、熱くなるなよ」 という意味のテキストを書き残しておく所存 ・テロリズムの発生要因に焦点 テロへの対抗策 当面の非常事態対応としての対テロ実行犯向けの強硬策 中長期的に考えた時のテロ要因緩和策 相互に矛盾 短期的な対策と、長期的な取り組みが正反対に食い違っている 平常時に心にとめている建前上の理念が忘れられてしまいがち 国際社会を険悪な場所に変貌させる最も根本的な原因 血なまぐさい事件が起こると、血に酔ったようになる人間が大量に発生 戦時思考 テロ行為を、「戦争行為」(act of war)と呼んだ 同じ「act of war」という言葉を使っている 神経にさわる歌 、「なまぬるい」お話だという理由で、袋叩きに遭っている 「なまぬるい」態度を許さないというところに、私は、非常に気味の悪い戦時思想の萌芽を感じ取っている お花畑な言葉が炎上 既に戦争ははじまっているのかもしれない
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